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[40286] 習作 civ的建国記 転生 チートあり  civilizationシリーズ 
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:95ce0ae2
Date: 2018/05/12 08:47
まえがき

初めての人ははじめまして。知ってる人は御久し振りです。瞬間ダッシュです。
この物語は大人気ゲーム、「civilizationシリーズ」のネタを取り入れた建国系転生物語です。
といっても、あくまでネタを取り入れているだけですので、未プレイの人でも理解できるようにしているつもりですので、ご安心ください。
さて、ここで諸注意を。
この物語には「転生」「内政チート」「適当な時代考証」という要素が含まれています。
これらに嫌悪感を示される方には、お薦めできませんのでご了承ください。

これらを笑って許せるという方は、どうぞお楽しみください。
では、どうぞ。

追記 現在ハーメルンへの引っ越しを検討中。その場合は同じタイトルで移転するので、よろしくお願いします。感想欄で教えてくれた足軽様、ありがとうございました。













プロローグ

――都内某所の居酒屋にて――



「高校時代に歴史研究会で、大昔にタイムスリップしたらどうするかっていう雑談をしたことがあるんですけど――――」
――大昔なら、色々出来るんじゃないですか?
「いやそれがそう簡単じゃなくて……店員さんは内政チートって言葉知ってます? 現代の科学やら社会制度やらの知識を生かして、今より古い時代で大活躍って感じの意味なんですけど」
――いえ、知らなかったですね。初めて聞きました。それでその内政チートで活躍できそうなんですか?。
「これは小説とかだと上手にいくけど、実際にやろうとするとハードル高すぎるんです。中世ヨーロッパ世界で地球は動いてるなんて言えば即教会にとっ捕まるだろうし、民主主義なんて言おうものなら首が物理的に飛ぶ。そもそも言葉も分からず戸籍もない状態でスタートしたら、三日以内で死ぬ可能性大……結局結論は、何もできずに死ぬってことで終わりました。」
――では逆に、どういう状況なら成功しそうなんですか? 
「所謂その時代に赤ん坊で誕生する転生系ならチャンスがあるかと。この時点で言葉も戸籍も問題ないし、その時代の常識を知れれば、うまく立ち回れる最低限の条件がそろう。あとは親が犯罪者とかじゃなく、赤ん坊が大人に成長するまで病気したり戦争に巻き込まれない環境が整っていれば……」
――なるほど。つまりちゃんと成長できる生活環境が必要と。
「あとは時代。昭和初期とか、あんまり近すぎると社会が発達しすぎて手が加えられなくなるから、うんと昔じゃないと」
――いっそ、原始時代?
「あっ、いいかも。それだと文明を築き上げるかな。一から」
――まとめると、時代は原始時代。大人まで成長できるだけの環境と頑丈な身体。あとは今の知識があれば問題ない、と。
「店員さんもしかしてそういうの好きな人?」
――ええ、大好きです
「まあ妄想するのはタダだし、俺も好きだよ。――――さて、そろそろ勘定お願いします。なんだかしらないけど、もう眠くて眠くて」
――はい、承りました。……はい、丁度頂きました。ありがとうございました
「それじゃあ」
――ありがとうございました。


…………あなたでいいか。それでは頑張ってください、偉大なる建国者さん











[40286] 古代編 チート開始
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:95ce0ae2
Date: 2014/09/14 19:26
目が覚めたら、原始人っぽい格好をした巨人にグルリと取り囲まれていた。
トンネルを抜けたら雪国であったらどれだけよかっただろうか。俺の場合はそのような風情豊かな非日常的な状況ではなく、薄暗い場所に数人の垢まみれ泥まみれの巨大な男女が動物の毛皮らしきもので局所を隠しているという、なんともありがたくない非日常的環境であった。
彼らは俺を取り囲んだままなにやら聞きなれない言語(あるいは遠吠え?)を口々に叫びながら、俺を抱き上げた。
食われる! と俺は思った。
いったい何の因果か知らないが自分は巨人の原始人に捕まった。そして餌にされるのだと直感し、「助けてくれ」と叫んだ。
だが、その言葉は言葉にならず、一般的な幼児の舌足らず感を十倍に濃縮したような、不鮮明な音しか口から出なかった。
次に俺は手を振り回して、必死の抵抗を試みた。振り回した拳が運よく巨人の急所に当たり、なんやかんやで助かるという天文学的確率にかけたのだ。
だが、俺の手はまるで子供のように小さく非力で、ささいなダメージすら巨人に与えられなかった。むしろ巨人はにやりと顔を崩して笑った。
なぜか機嫌を良くした彼らは、彼らの頭より上へと俺を両手で担ぎ上げた。まるで親が赤ん坊を「高い高い」するように、だ。
広がった視界に移ったのは、ごつごつとした岩肌と、壁につるされていた普通サイズのウサギ(?)の死体だった。

――――なんだろう、ウサギ(多分)の大きさと巨人の大きさがおかしい。

勘の鈍い俺はここまできて、ようやくわが身に起きた事件の一端を理解する。彼らは巨人ではなくただの人間に過ぎないことにだ。そして、彼らを巨人だと思ったのは、単に俺が小さく――――端的に言えば赤ん坊になっていただけだったからだ。
後に俺は理解する。
自分自身がかつて何度か妄想した「ある日起きたら転生していた」現象が発生していたのだと。
妄想は妄想だから楽しいのだと。
――――正直、夢なら覚めて欲しかった。




原始人の朝は早い。みな朝日が昇ると同時に活動を始め、餌を求めて方々を歩き回る。若くて健康な男たちは石器の武器を担いで野生の獣を狩りに行き、まだ小さくて狩りに出られない少年少女たちは近場で木の実や食べられる草、場合によっては小魚をとるために、やっぱり歩き回る。
俺がどういう理由かは不明だが、原始時代に転生したことを認めるまで数日かかった。
それというのも、俺が最初に疑ったのは、ここが俺の見ている夢の世界だということだ。
それはそうだろう、転生など常識的に考えればありえない事だ。それも明らかに過去の世界、仮に転生というものがあるなら、未来だろうと俺は思ったのだ。小説や漫画じゃないんだから、と。
だが、寝てもさめても夢は終わらず、さすがにそういう設定の夢なんだと現実逃避するのも限界に近く、ついに俺はこれが現実であると認めた。
次に疑ったのは、ここが日本ではなく、ジャングルの奥地とか、いまだ現代から隔絶して生きる未開の部族が支配する土地であるという仮説だ。これなら転生時における時間軸の問題をクリアーできる。
生まれ変わったら大昔とか、時系列がめちゃくちゃだろう。
だが、これを確認する手段がない。衛星でも飛んでいれば別だが、生憎と確認できなかったのだ。
ただ、俺を含めた周りにいる人々はみな黒髪黒目のアジアンな顔立ちだったので、多分位置的にはアジアかなとは思うが、そんな未開な場所などあっただろうか?

こうして謎は謎のままにして、俺は今の状況をとりあえず「そういうものだ」という風に処理することにした。
まあぶっちゃければ、考えるだけ無駄であるということだ。
ここまでくると、俺はこうなる前、すなわち転生する前のことに思いを馳せることになる。
あの日――――高校時代の歴史研究会で同窓会があったことを終わった後に知った俺は、自棄酒を煽るために、その同窓会があったという居酒屋に一人で行った。
大学三年目、就職活動も視野に入り始めたことで今までにない気苦労が俺に深酒をさせたようで、そこで散々飲んで酔っぱらった。
よく覚えていないが店員相手に昔嵌っていたクソ下らない妄想話を得意げに語り、その後…………その後の記憶がない。
つまり、酒に酔って死んだのか。
クソ下らないのは俺の死因だったというオチがついてしまったが、まあ今はおいておこう。それよりも問題なのは、このままでは、第二の人生が早々に終わってしまうという一点だ。
文明度が低い=病気や外敵に弱いということ。ただでさえ最弱な存在である赤ん坊が生き残るのには、ハードすぎる環境だ。
753の風習は伊達ではないのだ。要するに、多くの子供が七歳になるまで生きられないからこそ、祝うのだ。


だが、今の俺には何もできない。せいぜい、今生の母から母乳をたくさん飲んで、さっさと大きくなる以外に手はない。
俺自身の運命が明るいことを祈りつつ、今日もまた据え膳上げ膳の生活が始まるのだ。
おおう、母よ。そこはデリケートな場所だから丁寧に扱ってくれたまえ。
ちなみに、今の俺も男である。股間にあれがあるのとないのとではやはり安定感が違うような気がしてならないな。


母乳を飲むしかやる事がないので、暇つぶしに俺の部族(?)の人数を数えてみた。
俺を含めて全員で23人。 6人が若い男女で、6人が中年程度の男女、1人が老人、10人が子供と赤ん坊だ。子供が多いのは多分、これから死んでいくことを見越して、というやつだろう。ちなみに1人妊婦が居るので、来年には24人になっているかもしれない。
俺たち子供の世話は、女たちと老人が共同で行う。そして手の空いたものが木の実などを探しに行くのだ。
この木の実がおそらく保存食代わりなのだろうが、ぶっちゃけ扱いが雑なような気がする。穴に掘って埋めるとか、正直どうなんだろうと思ったが、冷蔵庫などない以上ほかに保管場所がないのだ。なんせ下手なところだと小動物に食われてしまうからだ。
うーん、まさに原始時代。ネズミすら強敵なのだ。ネズミが主役の某ランドが大人気なのは、この時代だと狂気の沙汰だろう。なんせ今の俺たちにとっては、ネズミは食料兼憎たらしい敵なのだから。
しかし、今は母乳だからいいけど、いずれは俺もアレを食わなきゃならないんだろうか?
父よ、せめてネズミの肉は火を通すべきではないかね? あ、ないのか火種。ぐちゃぐちゃ音を立てながら食べるのは行儀が悪いぞ父よ。














7歳を迎えた。
いや、ちゃんと数えていないから分からないけど、春夏秋冬を7回繰り返したから、多分7歳だ。
というのも、俺たちの部族には暦がないのだ。しかも概念そのものが。ただなんとなく、花が咲いたからこれから暖かくなるだとか、雲がモクモクしてきたらこれから暑くなるだとか、木の葉が赤くなったらこれから涼しくなるだとか、土が凍ったらこれから寒くなるだとか、そんなアバウトな感じで季節を区切っているのだ。
というか四季があるのがちょっとした驚きだ。

まあそれはそれとして、今は無事に生き残れたことを万物に感謝したいと思う。
ネズミの生肉喰っても腹を下さなかったのは、われながら感心したと同時にこの時代になじんできたなと感じた。味は悪かったけど、腹は膨れるんだよね、あんなのでも。

さて、そんな原始人な俺たちだが、ついに俺たちにも大きな変化が訪れようとしていた。
それは数日前、はやり病で集落にいた唯一の老人が逝ってしまったことから起因する事件だった。
基本、俺たちは食物を求めて各地を彷徨い、その土地の食い物を食べつくしたら移動するというのを繰り返してきた。だが、ひとつのところに根を下ろしてはどうかという案が浮上し、決定されたのだ。
経緯を簡単に説明すると、
食物が豊富な場所を選ぶ→しばらくとどまっても一向に減らない→継続的に生活することが可能であることが分かる→定住しようという意見が出る→老人が渋る→死亡→ここにぼくたちの家を建てよう

と、まあこんな感じだ。
今の場所に住んでから俺たちの食糧事情は良好で、頭数が減ったとはいえ食べきれない余剰食糧というものが発生するという、前代未聞の自体が発生するほどだ。ようするに、それほどここは豊かな土地なのだ。
だが、俺は知っている。それでも調子に乗れば、すぐに食料を刈りつくしてしまうということを。人数が増えれば、いずれ足りなくなることを。
だから俺は木の実拾いの仕事のほかに、ひとつの大プロジェクトを密かに進めているのだ。
題して

「さらば狩猟採集生活、これからは農耕で文明を築くのがトレンドであるプロジェクト」

である。まあ題名どおりなのだが、そろそろ俺たちは農耕をはじめてもいい時期なのだと思うのだ。環境も良いし。

農業を始めれば、真の意味での食料持続可能社会が実現し、過剰食料は専門家を生み出し、ひいてはそれが文明の雛形となる。
歴史的に見れば、農耕が人間の一大転機となっているのだ。
そもそも食料の安定供給が実現すれば、もう腹を抱えて眠ることもないし、ネズミの死肉を食らう必要もない。
現代日本に比べればまだまだだが、そこには文化的な生活が待っているのだ。
我々の集団は村となり、国となり、豊かな生活が約束されるのだ。
よし、やるぞ俺は!!
鋭い石と獣の牙を使って、今日も土を耕す。これが、後の文明となるのだ!
周囲の子供たちから変な目で見られても気にしない。ひそひそされても気にしない。

む、なんだい君は。あ、俺の一年前に生まれた少女だね? え、何をしているかだって? ――国を作っているのさ。
俺はニヒルに笑った。七歳の春の事であった。





はっきり言おう。俺は農耕を舐めていた。
最初の一年、俺はとにかく土を掘り起こして柔らかくすればいいんだぐらいに考えていた。確かに、それ自体はできた。
めちゃくちゃ疲れたが、子供の肉体とは思えないくらい体の丈夫な俺は一人でそれなりの大きさの畑を作ることができた。できたのだが……
…………畑が川に流されました。

俺たちが定住した場所は、北は大きな山脈によって阻まれるが、南にはよく魚が取れるリアス式海岸の海。東西には森林が広がっている。
そしていたるところに山からの水が流れる川があり、湧き水ポイントが数えきれないほど存在する。
俺は、水があるところのほうがいいよねという安易な考えの下に、川のすぐ近くで開けた場所に畑をこさえた。
いや、川の近くであって中州とかではなかったんだ。ただ、長雨が続いたあと、見に行ったら水浸しで石だらけになっていた。
そこには、畑の面影など微塵もありはしなかった。
あまりの事態に大笑いし、そのあと泣いた。ガチで泣いた。
それでも俺は、今度は少し川から離れたところに畑を作ろうと決意し、水害を考えた上での場所の選定に時間を使い、最初の一年は終わった。



八歳になった。
畑の件について、父と母に文句を言われた。多分ほかの子供が密告したのだろうが、まあ気にせずにスルーした。ちゃんと割り振られた仕事はこなしているのだから文句はないだろう。こっちはそれどころではないのだ。

洪水しても巻き込まれない場所に、第二農場を作った。二度目となると手馴れたもので、以前より少し早く耕すことができた。
今度は大丈夫だと確信した俺は、森で取ってきた食える草の苗木をいくつか植え、そのほかの雑草をむしることで、特定の植物だけが繁茂するように調整してみた。
が、ここまでくれば大丈夫だと調子に乗ったのがいけなかった。
せいぜい小学校でプチトマトを育てたくらいしか経験のない俺は、大きな失敗をしてしまった。
そう、内政チートでおなじみの糞土をやろうとしたのだ。

とりあえず、糞なら何でもいいだろうと思い、森で拾ってきた適当な糞や、自家製の糞を自家製の尿と一緒に混ぜて、畑にまいたのだ。
結果…………畑は全滅した。
どうやら発酵が甘かったようだ。
昨日まで元気だった植物たちが、みるみる弱って枯れる光景は、衝撃的だった。
この事態で深く反省した俺は、ガーデニングが趣味だったご近所のおばさん(娘が女子中学生。結構かわいい)がやっていた腐葉土で作物を育てる事にした。葉っぱを集めて水をかけて腐らせた腐葉土を作りつつ、畑の土を入れ替える。そしてそれらが終わる頃には、二年目が終わっていた。

九歳になった。
本格的に父から文句を言われ始めた。体力が余っているなら余分に喰えるものを何でもいいから取って来いと言われた。乱獲だと言ったら殴られた。理不尽である。
それはそうと、三度目の正直である。結局腐葉土は必要な量が用意できず来年に持ち越すことにして、ふかふかでいい感じの土を森から運搬して畑に混ぜ込んだ。
そして、食用の草を植えた。今度は雑草を抜くに留まり、余計なことをしないようにした。ただ水をやって待って水をやって待って……見事にそれらは育った。そう、見事に育ったのだ。
そして……獣に食われた。
朝、そろそろ収穫だとルンルン気分で行ったら、踏み荒らされた後と、齧られて無残な姿となった俺の食える草たちの姿がそこにあった。

父よ。俺に狩りのやり方を教えてくれ。ちょっとくらい乱獲してもいいかなーってさ。え? お前は畑とやらをやれ? どういうこと?

血走った眼で嘆願する俺に、父は意外な事を言い出した。
なんでも、以前俺の農作業を見ていた一歳下の少女が、食える草がわっさわっさと生えている俺の畑を俺が知らないうちに大人たちに見せて、農耕なるものの有用性を示してくれていたらしい。
まあ、それらは獣害にあってご破算だったが、それでも期待できるということで、何人かが暇なときに手伝ってくれるようになった。
よくよく考えれば、一人で全部やる必要はなかったのだ。
人手はいくらあっても足りないことはない。
相変わらず、獲物も魚もいっぱい、暫く食うには困らんだろう。
よーし、今度こそ成功させるぜ!

え? ああこの間はありがとう少女よ。 作物第一号は君に上げよう。 はは、そんなに喜ぶなよ照れるじゃないか。



十歳になった。
ついに俺たちの苦労が実を結んだ。秋になる頃には盛大に繁茂した食える草、それらを齧りつつ、獣の肉を食す。例の少女には約束どおり、取れたて第一号を進呈したところ、めちゃくちゃ喜んでくれた。
俺たちは紅葉が美しい木の下で、思い思いの方法でかじりついた。
そうして、ついに農耕が村全体の仕事となり、狩り、採集、農耕が俺たちの食を支える三本柱になった。相対的に狩りの比重は低くなる。
狩りはどんなに熟練していても危険が伴うものだ。事実、何人もの人間が怪我をした、あるいは命を落としていったことを俺は実体験として知っていた。
比較的安定して、かつ安全に食物を得る手段を得たことで、俺たちは集団として大きくなっていくだろう。
そうなれば、さらなる生活環境向上を図るべきだ。
俺は時折吹いてくる冷たい風を感じながら思案し、決心する。
再び俺は大プロジェクトを考案し、実行に移すことにした。その名も

「火を制するものが冬を制する、木炭は熱いぞ強いぞあったかいぞプロジェクト」だ。

この地方の冬は、正直そこまでではない。だがそれでも、体力のない者は冬を越せない。越冬は切実な問題なのだ。
そもそも火がないと意味はないのだが、先日森で一番大きい木に雷が落ちて、火種を手に入れることができたのだ。俺はそれを雨の中を濡らさないように大切に持ち帰り、定期的に折れた木をくべ、絶やさないようにしている。これで今年の冬は一先ず大丈夫だろう。
ちなみに、不用意に触って火傷を負ったアホがいた。しかたないので流水にさらしてじっとしていろとアドバイスを送っておいた。

この火を使って木炭を作り、冬を完全に制する。そして炭火焼肉をするため、再び俺は脳みそを働かせながら準備を始めた。






十一歳。
実はこの炭作りには自信がある。というのも、林間学校の体験学習で、原始的な炭作り体験をやったことがあるのだ。原理は分かっているし、炭を作るための窯を作るのに手間がかかるが、俺の年に合わないくらい丈夫な肉体ならばやってやれないことはない。
まあ、農耕は形になるまで4年かかったし、4年以内にできればいいや。
こうして俺は、炭作りに最適な木を探して森に入って行った。
理想はコナラとかクヌギとかの生木。枝なら石でぶった切れるし、手で折れるし。


結論か言うと、わずか一年でできてしまった。
それというのも、俺はある程度目途が立つまでほかの連中には秘密にする予定だったのだ。だが、どこからか俺がまたなんかやっているという話を聞いた連中が集まってきて、手伝ってくれたのだ。
聞くと、狩りが少なくなって、手が空いたのだという。
この思わぬ助っ人によってプロジェクトは急ピッチで進み、春に開始して冬に入る前には、粗悪ながらも木炭ができるようになってしまった。

土で作った窯の中に生木を入れ、空気が入らないようにしながら焼くという単純な製法で、一回あたり10日程度でできるので何回でもトライナンドエラーを繰り返す事が出来たのも大きいだろうが、やはり集団の力があったからこそだ。
俺の炭の効果は連中の度肝を抜き、完成を祝して宴会が再び開かれた。そして、みんなで炭火焼肉を楽しんだのだ。

む、ああ少女よ。このウサギ肉を炭火で焼いた肉をあげよう。ははは美味いかそうか。遠赤外線の効果だぞははは。
ところで、大人に炭のこと言ったのは、やっぱり君なのかい?

そう聞いた俺に、こくりとうなずいたまま赤くなって顔を上げようとしなかった少女が、なんだか印象に残った。



[40286] 古代編 発展する集落
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:95ce0ae2
Date: 2014/09/14 19:26
今回は短めですが、どうかお付き合いください。











十二歳
誰が言ったか「怠惰は諸悪の母である」という言葉、俺は今それを若干のニュアンス違いはあるものの、痛切に感じている。農業によって得られた食の安定と木炭によって得られた冬における死亡率の低下、これは間違いなく俺たちの心に余裕を与え、生活にゆとりが生まれ始めた。だがそれが逆に、生存競争しか知らなかった俺たちの間に、派閥争いという新たな戦いが生まれてしまう結果となってしまうならば、これはとても残念なことであると俺は思う。
きっかけは、ほんの些細なことだった。

俺より5歳か6歳程度上の青年が事の発端だった。彼の父親は優秀な狩人で、少年を連れだってしょっちゅう森の中に行っては大物を狩って来た。そんな時、彼は1人で北の山々に入って行き、そこで迷った挙句、偶然にも崖下で大量に露出した自然銅を発見した。自然銅――即ち天然の高純度な銅の事である。
少年はきらきらと輝くそれを見つけると、喜び勇んで持ち帰って来た。
そのあかがね色の光は、金属を知らない者に深い感銘を与えた事は言うまでもない。
みな口々に少年を讃え、銅の美しさを持て囃した。
だが、それを素直に受け入れられない者たちが存在した。

この時、集落は海を主軸にし、海産物を主食とする者たちと、森や山を生活の軸として、獣肉や野菜を主に食べる者たちにやんわりと分けられていた。
食料に余裕が生まれ始め、個々人の食の好みを優先し始めた結果であった。
つまりは、好き嫌いが生まれ始めていたのだ。
俺もこの事態に何となく不穏なものを感じていたが、農業と木炭づくりを主導した俺がいまさら以前の生活を思い出せとも言い出せず、ずるずると問題を先送りにしてきてしまった。

その問題が、少年が持ち帰った銅によって表面化してしまったのだ。
即ち、海の側の者たちが「山など大したはことない。海の方が素晴らしい」と主張し始め、彼らが漁の終わりに密かに楽しんでいた(俺も初めて知った)海岸付近にある温泉の存在を公表し、その上で独占を宣言したのだ。
温泉を知らない山の者は別に怒りはしないだろう……俺はそう楽天的に考えていたが、見せびらかした上で独占すると言う行為が頭にきたのか、山の者たちの怒りのボルテージは一気に上がり、ついには決定的な対立へと発展してしまった。
山の者は金輪際、海の者に獲物の肉を分けないと宣言すれば、海の者も海産物の提供を止める。山の者は銅を必要以上にもてはやし、海の者は温泉を過剰に持ち上げた。

かくして集落は武力衝突へと向かって突き進んで行ったのだが――事態は思わぬ展開を見せ始めた。
海で赤潮が発生したのである。
ぷかぷかと浮かび上がる魚に、毒性を持った貝類。ここにきて海側が食糧難に陥った。当然蓄えがあるが僅かでしかなく、初めて見る赤潮に多くの者が困惑し、この世の終わりかのように泣き叫ぶ有様はまさに終末を予感させるような悲惨な状況だった。これは早急に山側が歩み寄って手を出さなければ、とんでもない被害を出すと予想した俺は、一応農耕の成功で山側の中では発言力がそこそこあったので、和解を申しでようとした。が、あくまで向こうからするのが筋という意見が大半を占め、俺の意見は一蹴された。
しかし今度は、山側で異変が起き始めた。別に山自体に異変が起こった訳ではない。彼らは毎日野菜と肉を食べている。食べているのだが、何故だか身体に力が入らなくなっていったのだ。そして気付いた時には、まともに動けるものが俺だけになっていた。
そこには、父がバリバリの山派であったことで巻き込まれてしまった件の少女も含まれていた
俺は原因を探るためにあれこれ考える。
俺が元気でそれ以外が倒れた理由。
身体が特別丈夫であるという以外に考え、そして思い当たった。
季節は夏。現代日本で盛んに言われているそれ――塩分不足が原因である直感した。

調べてみれば、山側の人間は塩っ気の有るものすら嫌い、口にしなかった。つまりは、塩分を取らずに水ばかり飲んで、肉と野菜の生活をしていた末にぶっ倒れたのだ。
少女も、父に引きずられるように塩っ気の有るものを取っていなかったという。
俺は魚の干物とか食べていたから平気だったが、唯でさえ小さな子供には致命的だったのだろう、少女はかなり危険な状態に陥っていた。
かくして両者共倒れの様相を呈した争いは、派閥争いどころでなくなり、終結した。
山側の人間に海水をかけた物を食べさせ、海側の人間にはこちらの食料を与えた。
そして今後このような事がないように、事態を実質的に解決した俺が音頭を取り、互いに互いの獲物を独占する事を止めるようにし、温泉を開放し、湯の真ん中に銅が表面にびっしりくっついている岩を使ったオブジェを作ることで和解の証にした
これにて一件落着。
だが、内輪もめを起こせるだけ集落に余裕が生まれたのは、喜んでいいのか悲しんでいいのか何ともすっきりしないままであったのが、心残りと言えば心残りである。

ちなみに、温泉効果によって思わぬ効果があった。集落の皆が毎日入るようになって、公衆衛生が大幅に向上したのだ。これにより、垢まみれ泥まみれの人間が一人もいなくなり、皆の清潔感が一気に上昇。その勢いのまま、今までその辺りに放り捨てていた糞尿を一か所に集めて捨てようと提案し、清潔というものの良さを知った集落の皆も賛成し、俺たちの集落は今までとは見違えるように綺麗になった。
いやあ良かった良かった。

ん? ああ君も入って来たのか、いやあさっぱりしたね。え、ありがとう? ちょ、おーいどこ行くんだよ?











十三歳目。
最近例の少女を前以上に見かけるようになっていた。
うーん、新たなプロジェクトを催促しているのか?
俺は温泉につかりながら思案した。出来るだけ手の届く範囲でやれる事を考えて考えて、そして閃いた。
……よし、皆も塩分の大切さが分かった事だし、次はこれを行ってみるか! 題して

「サラリーの語源はソルトから! 浜辺で塩田プロジェクト」だ!

古来より、塩は人間にとって不可欠なもの。昨今の減塩ブームによってすっかり悪役にされているが、それでも取らなきゃ死ぬ大切なものだ。なんせ古代ローマ時代では、塩が兵士に支払われる賃金として使用されていたなんて言う話もあるくらいだ。

だが、そんな塩をお手軽に作れる方法がある。そう、身近に海があるなら誰だってできる簡単な方法が。

手順は塩分をたっぷり含んだ砂を一か所に集め、その上からさらに海水を振りかけて天日で乾燥させる。
そして今度はその砂をフィルターに海水を流して、より濃度の濃い塩水を鍋で煮詰めれば、塩の完成だ!
これぞ古来より行われている伝統的な手法! さーて今回は今まで以上に短期に――――って、鍋がねえじゃねえか!?
アホか! 鍋がなければ煮れねえじゃねえかよ!
クソ! ただ乾燥させるだけでいけるか? 
必死に代替案を考える俺だったが、答えは直ぐ目の前にあった。そう、銅を使ったオブジェである。
銅という金属は加工のしやすさで有名なのだ。
事実試してみれば、かなりグニャグニャまがるのだ。
――確か、銅鍋って言うのがあったよな……よし!

俺は翌日の早朝に案内付きで山へと登り、銅を必要な分だけ採取。
この頃になると銅採掘が一種のブームになっていて競争相手が多かったが、なんとか確保する事に成功した。
大量に銅を持っているのがステータスになっているようだ。光り物が人を狂わせるのは古今東西同じということらしい。

俺はただ集めるだけに終始する連中を尻目に数々の失敗品を量産しつつ、遂に鍋っぽい大きい皿を完成させるに至った。ただし、完成させる頃には冬に入り始めていた。
この鍋の完成以降は、流れる水のように順調に行き、遂に塩は完成した。まあ若干汚いと言うか、想像している以上に白くないという欠点はあったが、しっかりしょっぱい塩が出来た。
しかし、何と言うか今回のプロジェクトは塩自体よりも鍋を作る方が大変だったような気がする。集めた銅を岩ごと熱し、やわらかくなった銅を一か所に集めた後は石を使って伸ばす……いや、大変な作業だった。何度も火傷したし、苦労した。

だが、この件には影のMVPが存在する。それは俺がどうやって解けた銅を集めるか焚火の前で考えていた時だ。あの少女がおもむろに近づいて、粘土で造った何かを火の中にそっと入れたのだ。
何をするのかと聞くと、土をこねて首飾りを作ったが、天日干しだけでは余り硬くならなかったので、火に入れてみたら硬くなるのではないかと思った、と。
日光で乾燥して硬くなれば、それ以上の熱に晒す事でさらに固くなると言う、少女なりの考えだったが、俺はこれでピンときた。
これは土器じゃないか、と。
俺もすぐさま粘土を探し、見つけ、捏ねて器を作ってみた。もはや本来の目的である塩づくりからは遠いところに来たが仕方ない。捏ねてこねて焼いて失敗し、土を変え砂を混ぜ、そしてようやく完成した頃には夏が終わっていた。
土器を完成させ、銅鍋を作り、そして塩。
振り返ってみれば、三つのプロジェクトを内包していた事に気がつく。まあ途中から、ぶっちゃけ土器だけで鍋の代用が出来るのではと思った事はあるが、せっかくなのでそのまま突っ切ってみた。
そして生み出された塩は今後、各家庭に供給される事になるだろう。俺がその光景を内心楽しみにして笑っていると、あの少女が俺に土器製のペンダントを差し出してきた。
それは中央が綺麗にくりぬかれた、色合い的にも丸いクッキーのような造形で、そこに革紐が通っていた。

え、俺にくれるの? というか、これこの前作ってたやつだよね? いいの?――――ってまた!?

俺の質問を答える前に、少女は走り去って行った。一体何が彼女を駆り立てるのか……謎は深まるばかりだ。

後日、せっかくなので鍛えた銅の加工技術を生かして、ペンダントの真ん中の穴に収まるよう、銅を流し込んで固め、皮の紐を再度通し直した物を彼女に逆プレゼントした。
結果、泣かれた。……解せぬ。





あとがき、皆さん御機嫌よう。
まだプロローグはさんでも二話なのに、すごい反響があってかなりビビっている瞬間ダッシュです。
やっぱりみんな好きなんですね、civilizationシリーズ。面白いですもんね。
まだやったことはない人は、とりあえずプレイ動画を見るといいですよ、見ていても面白くて、自分でもやりたくなりますから。
civilizationシリーズ最新作、civilization5 BNW~素晴らしき真世界~
は好評発売中!

ちなみに、この世界の銅は高級資源なのであしからず。







[40286] 古代編 彼方から聞こえる、パパパパパウワードドン
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:95ce0ae2
Date: 2014/09/14 19:26
十四歳。
ふと思ったのだが、ここは地球なんだろうか?
…………いや、決して俺の頭が狂ったとか、哲学に目覚めたとかそういう話ではないんだ。
ただなんというか、ここは俺の生きた時代から数千年後の未来で、俺達は地球から何万光年も離れた居住可能な星、もしくはテラフォーミングに成功した火星あたりに移民してきた開拓民達の末裔なのではないのかという想像をしてしまったのだ。
一度気になればそのままにしておく訳にはいかない。
俺は、ここが地球であるという確証を何となく欲しがるようになり、その結果、夜には星空をじっと見つめることが多くなった。
一応、月らしいものがぽっかりと夜空に浮いているが、あれが俺の知っている月である保証はなく、昼間に輝いている太陽も実は太陽によく似た別物である可能性もある。
生憎と星座にはとんと疎いので、織姫と彦星の元ネタになっている星だって、言われなければ分からないレベルだ。

あ、そうそう。名前と言えば、一応俺達の集落には人に名前を付ける習慣がある。俺にも名前はあるが、親以外に俺の事を名前で言う奴はいない。周囲からは大体『○○(←父の名前)のせがれ』とか、そんな感じで呼ばれる。俺以外の子供は、例の少女以外はそもそも交流がない。

――――あ

もしかしたら、ここが地球かそうでないかを判別できるかもしれない事に気がついた。
日本では昔、太陰暦を使っていたそうだ。太陰暦は月の形を目印に作成された暦だが、より正確な太陽暦という暦にとってかわられたと言う歴史がある。
太陽暦は太陽の運行から割り出した暦で、夏と冬とでは太陽の通過する場所が違う事から発展した――――らしい。
古代エジプトでも使用されてたんだっけ? まあいいや、俺もじゃあ、その太陽の動きとやらを観測して日数を数えてみれば……もしその結果が365日に近い数字が出なければ……
というわけで、やってみました。

「俺ってそもそも誕生日いつ? 暦を使ってカレンダーを作ろうプロジェクト」

最近、俺の考えるプロジェクト名ってこれでいいのかと思う時があるが、どうせ誰かに聞かせる訳でもないから別にいいか。

暦作りにあたって最初に始めたのは、早起きからだった。
基本的にこの時代の人間はみな朝日と共に起きて活動を始めるが、俺はそのずっと前に寝床を抜け出した。
東の空がうっすらと青くなる様を見ながら歩く道は清々しい空気に満ちていた。最近までは糞尿やらが結構な頻度で落ちていたから、余計にそう思う。ああ、清潔な環境というのが何と素晴らしい事か、と。
俺は胸いっぱいに早朝の清涼な空気を吸い込みながら、集落から近い高台へやってきて、観測の為の準備を始めた。
ここは木々がない所なので、見通しがいいのだ。

俺は前日に造っておいた短い二本の杭を、ガツンガツンという音を響かせながら1.5メートル程度の間隔を開けて地面に打ちこむ。
ようやく手元が見え始める程度の光量だったので苦労したが、苦労の甲斐あって杭は両方とも終端までしっかり地面に突き刺った。
その後俺は、地面に這いつくばり、杭の上にアゴを載せ、もう片方の杭の上に足を乗せた。

よし、準備は整った。

俺はその態勢のまま東の空を見つめ続ける。
高台はこんもりとした小山になっていて、直ぐ下の地面が東の空に対する地平線のように見えた。
そして、待つ事少し、周囲を照らしながら太陽が昇って来た。
俺はその時の太陽が昇って来た位置を、寝転がったまま眼前の地平線上に、印を置く事で記録した。

翌日以降、俺はこの観測を毎日行った。流石に曇りや雨の日は出来なかったが、早朝が晴れの日は全て行った。
春に始まり、夏が過ぎ、秋が来て、冬が終わる。そして、再び春が訪れようとしていた。
すると、俺がいつも寝そべっている位置から見る地面は、ある一定の法則を持った印だらけになった。
もうそろそろの筈だと、俺は東の空を寝そべりながら見つめる。すると、俺が一番最初に印置いた場所から、太陽が出て来たのだ。
そう、俺がこの観測を始めて一年経過した瞬間だった。

雨の日等で観測が出来なかった日数+観測をした印の数=一年の日数

計算の結果は、人力測定である事による誤差(厳密な太陽の昇り位置を求める事は現時点では不可能)も含め、おおよそ360日。
即ち、ここは地球――――である可能性が高いということが証明された。

地球ならば、一年は365日なので、これからはそれを基準にしよう。
まあ、だからと言って何がどう変化する訳じゃないが。
だって、今のところ今日が何月何日なんて事が分かった所で何がどうなる訳じゃないからだ。集落の皆は、ほとんど肌でおおよその季節を感じる事が出来るし、いまだ森から掘ってきた苗を畑に移して育てることから脱却していない俺達の農業では、正確な暦が分かった所でそれを生かしきれない。
結局は俺の自己満足さ。

こうして、俺は暦の作成を人知れず終え、一年が終わった。
一年、 俺にしてはかなり暇なプロジェクトだった。
なんせ毎朝早起きして、太陽の位置を調べるだけだったからな。
それでも、一年通っていた場所に今後はもう来る事は無いだろうと思うと、何となくさびしい気持ちになるものだ。
しかしだ。一年の日数が分かったのはいいが、それなら今日は何月にすればいいんだろう? 
気温の感じから考えるに、日本だったら多分三月か四月くらいだとおもうんだけど、こればっかりは調べられない。
サンかヨンか、それが分かればとりあえず今日は○○月1日ってことにして、カレンダーを作れるんだけど……

そんな風に考えながら帰路に就く俺の前に、人影を見つけた。
だれだろう……そう思う俺だったが、直ぐに正体に気がついた。
その人影の首元に、土器と間にあしらわれた銅が朝日を反射させていたからだ。

やあ、おはよう。え? ああ今日で早起きは終わりさ。あ――――そうだ、君の名前ってそういえば○○だったよね。
――――――――よし、なら今日は三月一日でいいや。
…………え? 自分も俺の名前を呼んでいいかって?
別にいいよ。俺の名前なんていくらでも呼んでいいさ。あーじゃあ、俺もこれからは君の事を名前で呼ぶよ――――って、相変わらず足早いな、あの子は。……世界を獲れるな。






一月一日。
元日を俺の誕生日と勝手に決めた結果、今より俺は15歳になった。この頃になると俺の身体は急激に大きくなり、かなり体格がよくなって来た。身長は多分、生前の俺と同じくらいで169センチ――よくチビと馬鹿にされたが、それでもこの時代では紛れもなく大男だった。筋肉もがっちりついている。
さて、この大人顔負けの体格のおかげで俺は狩りに畑に漁業に大活躍だった。
食は満たされ、公衆衛生は向上し、俺が折に触れて教えたちょっとした医療知識が連鎖反応をおこした結果、遂に俺たちの集落の人数は40人を突破し、まだまだ増加傾向にある。
そろそろ村といってもいいのではないか……そんな風に思っていた矢先のことだった。俺達以外の集団との接触があったのだ。

彼らは俺たちの村から南へ行った先にある海の向こう、木製のカヌーとイカダに乗ってやってきた。詳しく事情を聞けば、以前はほぼ俺たちと同程度の人数を誇っていたようだが、食事事情により大きく人数を減らしてしまったのだとか。
それというのも、彼らは島に定住して海産物を主食にしていたが、しばらく前の赤潮で壊滅的な打撃を受け、新天地を求めてやってきたのだと語る。
事実、村に辿りついた10人は皆痩せて飢えていた。
だが、そんな彼らは、簡単ではあるが海に出るための造船技術を伝え、村の人間は大いに喜んだ。だが、俺にはそんなものよりも彼らが所持していたある道具にこそ注目していた。
高校の地学の授業で見せられて、なんとなく覚えていたソレ。
後に歴史研究会で何度も写真で見る機会があったソレは彼らの島で多く取れ、彼らにとっては適当に棒にくくりつけて打製武器にしていた石。――――――鉄鉱石だった。
彼らにとってはありふれた石に過ぎなかったそれが、俺にとっては何にも勝る宝物に見えた。

ヒッタイト。それはかの偉大なるメソポタミア文明を滅ぼし、強大な帝国を築き上げた民達の名だ。彼らの力の源泉こそが鉄器――即ち鉄製の武具の存在だ。石はもちろん、青銅器をも凌駕したその武器で、彼らは戦争を行い、勝利した。
これより先、長きにわたって人類の戦いの主役を務めてきた鉄の力は、誰もが認めるところだと思う。
だが、鉄の力はなにも戦いにばかり向いている訳ではない。
鉄製の農具は何よりも作業効率を格段に上げ、生産力を上げる。つまりは、鉄は是非とも手に入れるべき戦略資源なのだ。
そこで俺は、超巨大プロジェクトに着手する事になった。その名も

「鉄を制する者が古代世界を制する、鉄器を話が手に収めよプロジェクト」だ!

うん、我ながら相変わらずのネーミングセンスだ。
ところで、当たり前のことではあるが、武器にするにしろ農具にするにしろ、鉄を鉄の道具にするためにはそれ相応の手順が要る。
化学的にざっくり説明すれば、自然界で取れる鉄鉱石をそのまま使うことはできない。まずは結合している酸素を抜き取り、炭素を取り込ませることで、初めて道具に使用できるようになるのだ。
そのためには、木炭を使って鉄鉱石を熱しつつ、酸素を奪いつつ、炭素を結ばせるという化学の実験のような事をする必要がある。
そう、この作業の主役は木炭といっていい。
砂鉄を用いた日本独自の「たたら製鉄」では、この木炭を大量に消費することで多くの森林が伐採され、禿山を量産した。基本的に、製鉄に燃料はいくらあっても足りないということはない。
と言っても、今この時代の段階では環境破壊になるまで木炭の需要が上がることはないだろうし、俺が生きている間はそれとなくコントロールできるだろう。
問題は俺の死んだ後だ。
かつてモアイで有名なイースター島は、つくったモアイを海岸に運ぶために大量の木材を伐採し、環境破壊の末に滅亡したという。
俺は俺の村に愛着もあるし、俺たちの子孫にも長く繁栄してほしいとも願っている。
難しい問題だが、やらねばなるまい。

さて、俺はこのための解決手段を考えつつ、本格的に製鉄に着手した。
まず行うのは、炉を作り、試行錯誤をするために鉄鉱石と木炭をあらかじめ大量に用意することだ。
酸素の還元等の話は化学的には単純な話だが、温度の調整を初めとして、感覚でやらなければいけない事がほとんどである。そのため経験に頼るしかない。というか、炭作りは拙いまでも実体験を通して学んでいるが、こちらは理論しか知らないのだから手さぐりになるのは目に見えている。
何度も何度も失敗して、製鉄に適切な状態を覚え、安定させる。いったい何年かかるかどうか分かりゃしない。
その上、今回ばかりは他の人たちの力を借りられないかもしれないのだ。

それは村にもたらされた「船」の存在に起因する。
他集団との邂逅とそれによってもたらされる技術、そして未知への探求が村のみんなの心を直撃したのだ。
ぶっちゃけて言えば、現在村では造船がブームで、すでに何人かの命知らずがまだ見ぬ何かを求めて船で海へと漕ぎ出していったのだ。
俺もさすがに造船に関係する知識がないので、手伝うことはできない。ただ、連中がちゃんと帰ってこられるように祈るだけだ。




十六歳の一月一日、寒い。
いまだ鉄はできない、出来る気配すらない。温度が足りないのか、鉄鉱石から酸素がぬけた孔がボコボコ開いてしまって使い物にならない。
鉄といったらなんか真っ赤になっている鉄の塊を金槌でトンカン叩いているイメージが強いが、あれは鍛錬といって叩くことで不純物を出すという効果があるのだ。が、俺は現在その領域にまでたどり着いてはいない。
これは木炭を改良して、さらに温度があげられるようにするほうが手っ取り早いかもしれない。村での造船ブームの影響で、船に乗っての漁業が主流になっていった。
いままでは素潜りがメインだっただけに、これからはますます食料が増えることだろう。

そうそう、俺は火を多く扱うようになったので、今までの住まいを離れて、ちょっとした工房(笑)を海辺に建てた。これは鉄鉱石が海の向こうにある島からしかとれないので、運搬する手間を省くためだ。
浜辺にいるから、航海にむかった連中がたまに冒険先の土地で見つけた変わった植物を持ち込んでいるのをなんとなく観察していたら、大体の物がしょうもないものだった。
――――と思っていたら、どこかの廃墟から弓矢を持ってきて自分たちでつくりはじめていた。そう言えば、弓矢ってウチの集落には無かったな。いままで罠オンリーだったから。




十七歳。
なんだかんだで木炭の改良が進んだ。というか進んでいた。
どうも俺の知らないうちに炭焼き名人なる者が村に誕生していたようで、その人から質の向上した炭の作り方を伝授してもらった。
俺が始めた炭焼きは、もはや俺の知らない領域へと誰かの手によって進んでいたようだ。まるで子供が立派に成長して独立していくような、うれしいような悲しいような微妙な気持ちだ。子供とかいないしいたことないけど。
それともうひとつ変化があった。
前からちょくちょく俺に会いにきていた少女が、いつの間にか俺の工房に住んでいた。
いや、あまりにも自然すぎて、指摘する機会を失したままそのまま来てしまったのだ。
ちなみに例の冒険家たちは、あっちの方向の海に行こうだとか、いやこっちだとか相談しているのを聞いた。ふと見ると、船が大きくなっていて更に多くの食料を積めるようになっていた。



十八歳。そろそろ生前の年に近づいてきた。
使える鉄が、ついに少量ながらできた。ただし、失敗9、成功1の割合で。
9割が失敗するとか、ダメすぎだ。
俺が今後どうやって成功率を上げるかを考えてぶらぶら歩いていると、海のほうが騒がしいことに気づいた。
俺は気になって周囲の人間に聞いてみると、なんと度々冒険に出ていた連中が、俺たち以外の大規模集団を見つけ、お土産をもらってきたのだ。
それは簡素ながらも綿でできた布と服だった。綿花からの製糸に成功しているということは、俺たちと同程度かそれ以上の技術を保有しているということだ。
その集団はここから北西、つまり北の山脈に阻まれて陸路では辿りつけない海岸付近に定住していたと言うが、俺たちのいる場所が特別文明のレベルが遅れているのか? それともそこが突出しているのか?

あと最近気づいたのだが、俺と一緒に暮らし始めた少女は、かなり頭がいいみたいだ。俺が話したことを自分なりにちゃんと理解している節がある。今度いろいろ話してみよう。
……そういえば、俺は彼女のことを良く知らないな。

十九歳。少年と大人の狭間にある、若さの香りが漂う年齢――――あ、なんか恥ずかしくなってきた。
それはそれとして、ついにコンスタントに製鉄に成功するようになった。だがこれは俺の研究の結果というよりも、実は彼女のおかげだったりする。
ある日、完全に行き詰まりを見せていた俺は、試しになんどか成功例を彼女に見せてみたのだ。すると彼女は、その成功例から共通の温度だったりタイミングだったりを感覚で割り出したようで、ばんばんうまくいくようになった。
トンカントンカン石を片手にやって、まずは金槌と斧らしきものを試しに作って、木を切ってみた。
想像以上の作業効率で、調子乗って小躍りしていたら、父に頭を心配された。
製鉄もひと段落したので村人に紹介して、今後は彼らに任せようとしていたら、いつのまにか綿の布と服をくれたお礼に何かこちらも送ったほうがいいのではという内容の話し合いに呼ばれた。
俺はまず銅を送り返したらどうだと提案し、その通りにしてみたら、これが思った以上に好評を博した。
これにより、今後も定期的に船を出して、いろいろ物々交換をしていこうということになった。所謂交易というやつか?

……話は変わるが、俺は結婚することになった。相手はもはや同棲状態の少女だ。
何を言っているんだと、俺でも思う。唐突すぎるだろう、と。
結婚 夫婦 素敵なマイホーム――――そんな単語が頭の中をグルグル回っては消えていく。
なんというか、そう、現実感がまったくないのだ。だって俺、いままで畑作ったり、炭作ったり、塩作ったり、暦作ったり、鉄作ってただけだし。いつフラグがたったのか……
というか、もてないだろうこんな男。

なあ、そこんところどうなの? え、うれしかったから? …………あ、そうなんだ、うん…………。
きっと顔が真っ赤になっているような気がした。
我がことながら、こんな俺のどこがいいんだろう? そっけないし、女の子が喜びそうな事も言えないし。

後日、鉄の輪に銅の玉を取り付けた指輪をペアで作って結婚指輪として送った。
不思議なことだが、俺が送った指輪をぽろぽろ涙を流しながらありがとうと言ってくれる彼女を見ていると、自然と「ああ、これが結婚なんだな」と思うようになった。
俺も男だ、覚悟を決めるよ。
こんな俺だがよろしく。









――――この時の俺は、まだこの時代の厳しさを本当の意味で理解していなかった。
天候、野生動物、食料難……そういった自然の脅威にばかり目を向けていて、それ以外に関しては意識を向けていなかったのだ。
俺が生きている「今」は、人の命がチリのように儚く、軽く、そして同じ人によって容易に踏みにじられると言う現実を。
そしてそれが、わが身に起こると言う事に。



[40286] 古代編 建国。そして伝説へ 古代編完
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:95ce0ae2
Date: 2014/09/14 19:26
海路を手に入れた俺たちは、瞬く間に行動範囲を広げた。いままで徒歩では困難だと思われていた北の山脈地帯を海から迂回する事によって突破し、山の向こう――すなわち北側へ探索の手は伸びていった。
海を船で冒険していた者たちを筆頭に、更に多くの集団と遭遇する事で俺たちの村には各地域からの交易品がもたらされた。そしてそんな俺たちの豊かさに魅かれたのか、村への移住を希望する者が多く出た。
当然、こうなっては何時までも洞穴に住んでいる訳にはいかない。
東西の森林地帯を鉄製の斧で切り開き、木材を組んでログハウスもどきの家を建て、増えた人口を賄うために開墾を奨励し、海辺に小さな灯台を作ることで、漁の安全性を上げつつ収穫量を引き上げる。
俺たちの村で入手不可能な品々は、塩や銅、場合によっては鉄製の道具を輸出する事で賄うなど、人が増える事による弊害を取り除き、右往左往しながらも急速に発展していく俺たちの村。そして俺が25歳になるころには、村の規模は俺が生まれる前の数倍にも膨れ上がっていた。
平和的に、共存的に、俺達とその周辺地域は繁栄を享受した。
……だが、そんな豊かさの光に誘われるが如く、招かれざる客までもが俺達の周辺に現れ始めた。
彼らは、ここよりはるか北に位置する平原地域を気ままに闊歩する部族だった。定住する事は無く、馬に乗って家畜を養いつつ各地を放浪する彼らを「北方騎馬蛮族」、後に俺達は彼らをそう呼んだ。

彼らの出現と共に、事は起こった。
俺達の村と交易で結ばれていた集落の一つが、突如として現れた集団に襲われたのだ。その集落は村から北西方向の海岸付近、即ち綿を栽培し、俺達が最初に交易を結んだ相手だった。
馬という未知の動物に乗り、高速で疾駆する蛮族。精々獣相手にしか戦闘経験がなかった彼らに抵抗する術は無く、集落は一日で焼け落ちた。
そして運が悪い事に、俺と俺の嫁がその集落に滞在していた時にその襲撃は起こったのだ。
村以外の場所を見てみたいと言う嫁の希望をかなえようと、遅い新婚旅行をして、例の集落に就いた時に妊娠が分かって、そのまま出産を終えて体力が回復するまで滞在することになり…………

俺は逃げ惑う人々を叱咤して、押し寄せる騎馬を食い止めようと奮闘している内に回り込まれ、嫁は切り殺された。
生まれたばかりの赤ん坊を守るために、自ら盾となって死んでいったのだ。
俺が駆けつけた頃には、既に嫁の息は無かった。運よく生き残った、俺の初めての赤ん坊泣いているばかりで、彼女はもう俺に語りかける事も、気づいたら傍にいてくれる事もできなくなっていた。
俺がアイツと始めた在った日から今日までの記憶が脳内でフラッシュバックして、眩暈がした。
アイツいつだって俺の周りをちょろちょろしていた……
気がつけば一緒に暮らすようになり、結婚し、子供まで生まれた。
そんな日々が唐突に終わり、そしてそれが紛れもない現実であるという事が、津波のように押し寄せて来た。
何と人間は弱いのか。何と簡単に人は死ぬのか。
俺はそんな当たり前のことを、理解したつもりになっていただけで、ちっとも理解していなかった。


それは完全なる敗走だった。
後ろから襲い掛かってくる騎馬に多くの者が捕捉されて蹂躙される中、俺は生まれたばかりの息子を抱え、集落の生き残りとともに船に飛び乗り、海に逃れた。
そして、海路で俺の村に生きてたどり着いた頃には、すでに片手で数えるほどしか生き残りはいなかった。
なれぬ航海と準備不足が、海の上での転覆を助長したのだ。

その後も凶報は続く。
北の山脈の向こう側にあった集落のほとんどが、やつらによって蹂躙された。日を追うごとに増えていく、集落を焼かれて村に逃げ込んでくる者達。
そんな中、今後のことを話し合う集会が開かれた。
俺はやつらと戦い、生き残った唯一の村出身者であると同時に、村一番の勇士であるということで呼ばれたが…………俺は話を聞いているうちにここに要る全員を張った押したくなってきた。

やつらは馬という大型の動物に乗り、こちらよりもさらに強力な武器(おそらくは動物の骨を組み合わせた複合弓)を使いこなす。
騎馬による機動力もさることながら、こちらの士気を砕く圧倒的な突撃力は確かに脅威だろう。
だが……降伏論などもっての外だ!!
何が貢物で許してもらおうだ! 何が恭順しようだ!
やつらは宣戦布告もなしに攻め込み、奪うだけ奪っていった蛮族だぞ!? 
そして、俺の妻を殺した連中だ!! 絶対に許すことなどできない!

俺は立ち上がり、そう怒鳴った。
この時代では大男である俺の大きさと怒声に恐れおののいたのか、場は一気に静かになった。
だが、これがさらに俺の神経を逆撫でる。つまりだ、ここにいる連中は全員、覚悟もなく服従しようとしているんだ。
ただ目先の恐怖から逃げたい一身で、自分たちが築いてきたものを……

てめえらは恥ずかしくないのか!?

俺は、なぜか流れてくる涙をこらえながら、鼻水を流しながらに叫んだ。
理不尽に屈したくなかった。こんな時代に流されて、いままで頑張ってきたものを台無しにされたくなかった。
俺と共に今までいっしょに頑張ってきた皆が、そんな情けない奴らと思いたくなかった。
そしてなにより、アイツとの思い出が詰まったこの村を、やつらに渡してやるなど虫唾が走るのだ!

すると誰かが言う。女房を殺された恨みで巻き込むな、と。

私怨上等だ、俺はアイツのために戦うんだよ!!

啖呵きって押し切る。そんな拙過ぎる演説だったが、一人二人と俺に同調するものたちが出てきた。やろう、と。ヤツラから俺たちの居場所を守り抜こう、と。
最初は小さかった声が、次第に束となって大きくなり、ついに皆の心に戦うための覚悟が芽生えたとき、村の総意が決した。
そして、今度は村に逃げ込んできた他集落の連中の番だ。お前らはどうするのか。
すでに帰る集落を失った連中に問う。
それは言ってみれば、コチラとヤツラのどちらにつくのか、という暗黙の問いだった。

わが身可愛さに己が家族を殺した連中に媚を売るなら売るがいいさ。ただし、その時は俺たちの敵だ。俺たちにつくなら共に戦え。傍観など許さない。という意味をふんだんにこめて、彼らに視線で問いかけた。

答えは、俺が期待していた通りのものであったことは言うまでもない。
その返答に納得した俺は、ヤツラをこの大地から抹殺するための作戦を伝え始めた。











交易と探検から判明したが、俺の村は大陸の南端に位置している。南側には海が広がり、北側を山脈が壁のように東西に連なっていることで、南と北を分断している。
各集落はおおよそ南側の海岸沿いか、大陸側の陸地に位置し、海路で繋がっている。
しかし騎馬民族の連中は、山をはさんではるか北側が本拠地になる以上、俺達の村を襲うとするならば、考えられるのは三つの経路だ。
一つは山道を使う事。源義経のように山の上から坂落としを狙うならば、奇襲としては効果大だろう。
二つ目は海路を使う方法。連中は海岸沿いの村を襲っているのだから、船に馬ごと乗りこんで、直接乗りつけて来るならば、かなり迅速な行動が出来る。
そして三つめ。これがもっとも可能性が高いが、大きく山脈を迂回し、限定的に船を使って、東西の森林地帯を強引に突破する方法だ。俺が敵なら、この案を取る。

海路も山道も、騎馬で行くなら森の中を行く方がなれない事をするよりは楽だからだ。だから俺達は西か東、どちらかから来る敵を警戒し、迎撃しなくてはいけない。
綿の集落から直接やって来るならば西、山側の全ての集落を平らげてから来るならば、東も在りうる。いや、両方だって考えられるな。
つまり俺達は、二正面作戦を強いられるということだ。
だが……俺は絶対に引き下がるつもりはない。戦闘経験の不足は知恵を捻り、戦術で補えばいい。



10日。それが俺達に与えられた時間だった。
この間、武器を作り、戦いに駆り出された男たちに作戦を伝え、訓練を施した。
非戦闘員は海岸付近に避難させ、いざという時の為に船を用意しておいた。馬の扱いが美味くても、海上ではこちらの方が上手なので、海にさえ逃げられれば安全だからだ。このなかにはもちろん、俺の息子もいる。
こうして俺達は心おきなく戦えるように準備し、東西の森に待機しつつ、斥候をこまめに送って情報収集を密にしながら待った。
もしかしたらこのまま敵がやってこないかもしれない。略奪で十分な獲物を得たことで満足し、引き上げて行ったのではないかという空気が出始めたか、俺は決してそうは思えなかった。
戦いに連戦連勝中している時というのは、歴史をひも解いてみても調子に乗るのが古今東西の軍の常識だ。襲えば襲った分だけ得られる戦いは、それだけ連中にとっては美味い事だろう。だから、奴らは絶対にここに来ると、俺は確信し、村の集会場でじっと時を待っていた。
そして10日目の朝、大急ぎで掛け込んで来た斥候の報告を聞いて、それは現実のものになったのだ。

敵、東西方向から進撃中。

斥候は、簡潔に俺に話した。
やってやる。俺はやってやるぞ。俺が受けた苦しみを、そっくりそのまま奴らに叩き返してやる。
てめえらの首は、柱に吊るされているのがお似合いだ!!





森の木々は、奴らの主な武器である強力な弓矢の威力を半減させる。後は如何に馬の速度を殺すかが問題となる。だが、障害物の多い森の中ではそれも容易い。その上、騎馬の力を盲信し、随伴歩兵を付けていない騎兵など恐れる必要はない。騎馬が持つ宿命的な欠陥を、この戦いで奴らの骨身に叩きこんでやるのだ。足を止められた騎兵など、唯の的である事を、な。
敵の出現を待ちかまえていた俺達の前に、ついに10から20の騎兵が姿を現した。それぞれが弓で武装し、威嚇の為かさっそく矢を放ってくる。
樹木に突き刺さる音で士気を挫き、突進力で一気にこちらの隊列を突き崩すつもりだろうが、そうはいかなかった。
突如として馬が転倒し、先頭を走る騎兵が地面に放り出されたからだ。
調子よく走る馬の脚を止めたのは、森の木々に張り巡らされた革ひもだった。これを土でコーティングし、葉をつけてカモフラージュした上で、丁度馬が足を引っ掛ける高さに設置しておいたのだ。
落馬した敵に、俺達は鬨の声を上げながら突っ込み、その身体に槍を突き立てて行った。
鉄製の槍は敵の皮膚を容易に突き破り、肉に深々と突き刺さる。
そういった敵の断末魔の叫びが森に響くたびに、俺達は血に狂い、一人また一人と敵を仕留めて行った。
味方の不利を悟った騎馬が後退し、逃げて行く様を見た仲間達は勝利の雄叫びをあげた。
この時、俺は西側の森で戦ったが、同様のトラップを仕込んでおいた東側の森でも、同様の戦果があったようだ。しかし、数は5騎と少なかった。
戦術的な面から考えると、恐らく最初の一撃は威力偵察だと思われた。東西のどちらが手薄か、罠の類は無いか、敵の戦力はどの程度か等など、計るつもりだったのだろう。
再攻撃は明日か、明後日か……少なくとも今回は罠を警戒して進軍速度は遅い筈。
俺は第二戦に備えて、全ての戦力を村に呼び戻してその為の準備を進めた。
次に敵が来たときは、それは全力かそれに近い数を以て挑んで来る筈だ。逆にそれさえ凌いでしまえば、俺達の勝ち。
絶対に負けられない。そして、一騎も残らずせん滅する。絶対に生きて返さない。


本格攻勢は、翌日の日暮れだった。日暮れ、つまりもうじき太陽が沈むころに挑んできたという事は、短期決戦を挑むつもりか。だが、これは完全に俺達に味方した。
俺達の村は、森を切り開いたことで森と村との境界があいまいだ。要するに、遮蔽物が多くあるのだ。その木の間にあらかじめ大量に用意していた逆茂木をカモフラージュ付きで隠しておいて、敵の進行方向を塞いだ。鉄によって加工効率が上がったからこその芸当だった。
このバリケードによって、敵の馬は無効化。そうなれば、今度は歩兵同士の戦いになる。
騎兵も馬から降りて歩いて近づいてくる。
弓矢や略奪したと思われる鉄製の農具を持った歩兵部隊に対して、俺達は木の板に鉄板を張り付けて加工した、人が1人すっぽり隠れる大きな盾と、その後ろに槍を持たせた2人一組を横並びに並ばせて、後方からの矢を降り注がせた。
家屋と樹木によって必然的に狭い道は、たちまち俺達の密集隊形によって塞がれ、敵はその圧力によって森へと押し出された。
家々に火をつけられず、日も暮れ、土地勘もない場所で立ち往生してしまった敵の運命は、既に決していた。
朝日が昇る頃には、攻め寄せて来た敵は全て駆逐され、俺達の完全勝利となった。
当然、こちらも少なくない怪我人と死者も出した。これが戦争であると言えばそれまでだし、俺がきっかけで始めた戦いだ。だから俺は彼らの死を決して忘れない。そして、命を賭して戦って、一足先にあの世へ旅立った彼らを、けっして後悔させない。
敵の死体を山積みにして、衛生の為に燃やす。その焔と臭いを真正面から見詰めながら、俺はそう誓った。



戦いはなおも続く。
多くの若い男と戦力を数日間で失った敵の力は、かなり目減りしている事だろう。ならば、未来の禍根を断つためにも、ここで奴らを徹底的に叩き、再起不能か脅威を取り除いておく必要がある。
情けは将来の為にならず。俺と奴らは既に矛を交えている以上、恨みは残る。そしてその恨みは、どちらかが倒れるまで残る事だろう。
だから、俺は奴らを倒す。

村での防衛戦に勝利した俺達は、次に大量のイカダを作って海を渡り、山脈側の東と西の海岸に乗り付けた。そしてそのイカダに使用されていた材木を使って、即席の陣地を構築し、敵の侵略を食い止めるための、初めての拠点を作ったのだ。
定住しない奴らには、拠点だとか陣地だとかそういう概念は無いらしく、戦略的な要衝が放置されていたのが幸いした。
陣地は極めて順調に、拠点の防御能力を上げる追加工事が行われていった。
大量の逆茂木に、鉄で作ったマキビシ、落とし穴に物見台。
最終的には、難攻不落の要塞と化していた。

敵が騎兵中心である事を考慮して俺が立てた作戦は、平野での戦いを避ける事だった。平野での殴り合いならば、騎兵に軍配が上がる以上、必要な事であると自分でも思う。だが、それでは平野部が主な山脈側を進撃する事は実質不可能と思われるかもしれない。
だから俺はこの陣地を作った。
本拠地の村とこの陣地は海路で繋がっていて、海の上では騎馬は無力である以上、実質このラインは安泰といえる。そして船で運びこまれた大量の材木は、俺が新たに用意した車輪と、敵が村に置いていった馬を使った馬車で更に北側へと運びこみ、その地にまた新たな陣地を増やす。これらはすべて夕方から夜の間に行い、材木はあらかじめ加工しておくことで、高速建築を実現。
これで俺達は邪魔されることなく、一夜にして籠る事が出来る陣地を得る事が出来るのだ。
まあ要するに、墨俣一夜城を繰り返すことで、徐々に支配領域を拡大していくという作戦だ。
度々予想外の事で、突発的な野戦が起こってしまったが、それでもこの作戦は順調に推移していった。途中、まだ見ぬ集落を発見し、同じく蛮族に脅かされていた彼らを吸収していくことで更に戦力と人手が充実していく。
俺達の支配領域はどんどん北上していった。そして、ついに奴らの本拠地である大牧草地へと、手を付ける事になった。
初めての戦いからこの時、既に20年の歳月が経っていた。
この戦いを指揮する俺はいつの間にか村の指導者となっており、そのガタイと戦いっぷり、そして数々の発明によって得た信頼をフルに活用して、この大規模遠征をここまで維持することが出来た。
多くの屍と血の上に訪れる平和に何の価値があるのかと言う者もいるだろう。だが、多くの対価を支払って手に入れた物が尊いものでなくてなんなのか。
だが、この長すぎる戦いも終わる。未だ衰えは見えぬものの、既に俺は40歳を超えている。再びあの平穏な日々をこの手に取り戻す事が、あと一歩のところに来ているのだ。

季節は初秋。
開かれる戦端。
ここまで攻め込まれた奴らも必死で、俺達が籠る砦に攻め寄せるが、それを悉く跳ね返す。奴らから奪い取った複合弓に鉄の矢じりを取り付けた俺達の新たな武器を奴らの頭上から降らせる。
押し返しては攻め寄せられる、押し返しては攻め寄せられるを、夜を通して行われた。
兵糧は十分、矢も十分、兵力も十分。だが、この波状攻撃に砦の中の疲労度は溜まる一方だ。
その上、季節外れの長雨によって衛生状態も悪化し、病人も出始めていし、けが人が衰弱したまま死亡するケースが右肩上がりで増えて行った。
遠征軍である俺達は、敵地で精神的にも肉体的にも衰弱していった。
このままでは不味い。
ここで負けて奴らに回復の時間を与えれば、さらに戦いは長引く。

俺は雨が降りしきる中、1人天を見上げ、何かに祈った。
それは所謂「神」と呼ばれる存在だったのか、それとも別の――天に旅立ったアイツへだったのかは分からないが、俺は一心に祈った。
勝利をこの手に。平穏をこの手に、と。
そして――――そんな俺に一筋の光が当たった。
分厚い雨雲の切れ目から降り注ぐ日光が、砦を照らし出したのだ。
天使の梯子……俗にそう呼ばれる現象だったが、俺にはそれが天の助けであるようにしか思えなかった。
それまでの長雨が嘘で在ったかのように、翌日からは快晴が続いた。
どこまでも続く青い空は湿気を吹き飛ばし、大地を適度に乾かす。
砦の士気も回復し、俺はこの天祐を生かす策を思いつき、実行した。


かわいた牧草地に、俺達が点火した火は瞬く間に燃え広がった。その豪火は遊牧民たちの命と言える家畜の餌を瞬く間に奪っていった。
火は三日三晩燃え盛り、それが自然鎮火した頃には、辺り一面灰だらけだった。
そして……そして、そんな光景に冬を越して抵抗することが不可能で在る事を悟ったのか、降伏の使者が送られてきた。
その手には、奴らの頭目の首がつるされていた。
――――自らの命と引き換えに、民の助命を頼め、そう言われたのだと言う。
当初の俺は、こいつとその一族郎党のことごとくを捕まえ、生まれて来た事を後悔させるつもりでいっぱいだった。その首を柱に吊るし、死後に渡って屈辱を与えてやるつもりだった。
だが、いざそれをやろうとすると、何故か躊躇われた。
多くの兵の命を費やしてきた以上、償いはしてもらう。だが、あの時の日の光が、俺の心にまで影響を与えたのかもしれない。
そんなこと知った事かと、最後の1人まで虐殺するのが、正しいのか?

一晩中悩んで悩んで……結局俺は、残された民に恭順を誓わせ、馬を扱う技術と家畜の全てを譲渡させることで許す事にした。
食事も与えるが、向こう数十年は奴隷となってもらおう。彼ら一族をいきなり俺達の村に受け入れる訳にもいかないのだ。だが、10年後か、50年後かには受け入れて行けるようになったら良いと思うようにまでなっていた。
こうして、長い長い戦いは終わりを迎え、この大地を埋めた戦乱は収束した。



……なあ、これでよかったんだよな。


北方から凱旋してきた俺たちは、英雄として迎えられ、将軍として戦っていた俺は、まるで軍神のように扱われた。
宴は一週間続き、歌声が夜中にまで響いていた。そんな中真っ先に俺が確認したのは、俺の息子のことだった。基本的に今までの風習上、世話は手の空いた女性や老人たちが見ることになっていて、父と子の間柄というのは未来に比べてあいまいだ。子供は村全体の子供という、日本のかつての農村みたいな考えが基本なのだ。
そんな俺の息子は、すぐに見つかった。というより、なんというか、うん、今まで俺が指揮を執っていた部隊の中に紛れ込んでいたのだ。
母の聡明な頭脳と、俺のアホみたいに頑強な肉体を受け継いだ俺の倅は、ちゃっかり遠征軍に紛れ込んでいて、知らず知らずのうちに俺と共に戦って個人的武勇伝を築いていた。
てっきり村で暮らしていると思い込んでいた俺は、まさか息子とは思わず、戦場でその活躍っぷりを見聞きするたびに「俺と同程度の強さか?」とか思っていたのだ。馬鹿を見る結果となったが、まあ無事で何よりである。

その日俺は、初めて自分の息子と、親子として語り合った。母のこと、父のこと、お前が生まれた時のことを、色々話して聞かせた。
そしてその過程で、俺はかつてアイツに語った言葉を思い出した。
「国を作るんだ」という、俺が10歳にもならなかった子供の頃、畑を耕しながら語ったあの言葉を。
ここから俺と息子との、新たな試みが始まった。


全てが終わる頃には、あの戦いから50年が経過し、すっかりジジイになっていた。
今振り返れば、終戦からここまで、両親が死んだり、かつての一緒に木の実を拾った連中が先立ったりと、悲しい出来事もあったが、実りある日々だったと思う。



俺と息子が建国に向けてまず始めたのは、文字を作ることと、普及させることだった。ベースはカタカナにし、最初は銅を「ドウ」や塩を「シオ」、鉄を「テツ」といった風に、漢字を考えずに村の人々に教え込ませた。
もちろん、新たに村の住人となった他集落出身のものにも、もちろん、元蛮族にもこの文字を普及させる。
みな、初めて触れる文字という概念に戸惑っていたが、俺と飲み込みが速かった息子が根気よく、何年も何年もかけてようやく根付かせることに成功した。特に寺子屋のようなものを作って、小さな子供に俺自身の手で教えたのが幸いしたのか、識字率は50%を超えた。
今後も増えることを予想するに、上々であろう。
次に着手したのは、宗教の創設だ。
現代日本では宗教というと胡散臭いイメージが強いが、このような太古の世界では、宗教こそが人々をまとめる重要な機能を果たす。
同じ神を信じ、同じ文字を使うものたちは同じ文化を共有することになり、それが同朋意識と団結力を生む。
それは、経済による結びつきよりも固い結束なのだ。
だが同時に、宗教は劇物にもなりうる。
略奪戦争の口実にして大規模な戦争を仕掛けたり、地動説のような科学技術の発展をその権威でもって潰してきた歴史は、誰もが知っているだろう。

戦争のほうは、もうこれは政治と密接につながるので例え非戦を教えてもなんだかんだと理屈をつけて有名無実化してしまうだろうが、後半の科学技術の阻害に関しては何とかなる。
こうして俺は、息子と協力して神話をでっち上げることにした。

まず信じる神を作る。村の人間は銅と温泉を持ち上げ、最近では公益で大きな利益をもたらした塩と鉄にまで、信仰心のようなものを持ち始めているのでこれを利用する。
宇宙に住まう神々が大地の地母神をつくり、その次に太陽をつかさどる天空神、そして魚たちの王である海神を生み出したとする。
その後、地母神と天空神、そして海神が盛んに新たな神を生んでこの世界を満たしたという、どこかで聞いたような設定にした。
次に、彼らは自分たちに模した人間を作り、大地に住まわせた。そして人間に対して盛んに質問をするのだ。なぜ岩は硬いのか、なぜ空は青いのか、なぜ海は荒れるのか。
それらを問われた人間は、神の力であるからと答えるが、それに神は満足せず、新たな問いを投げかけ続け、生涯考え続けるようにと人間に命令した。
そして人間は、その問いに対する答えを一生を通して考え、自分なりの答えを見つけ出すのだ。
これは宗教が科学の発展を阻害する事に対する対策として、逆に科学技術の振興を宗教が推奨する、「神権科学主義」とでも言うべき思想を神話の中に盛り込んだのだ。
これと同時に自然崇拝の教えを随所に入れることで、環境破壊を防ぐ。
こうして新宗教の雛形を完成させた俺は、この教えを山の上で神から教えられたという触れ込みで布教する。

特に子供には重点的に教え込んだ。洗脳といえばそれまでだが、このくらいの年頃はほんとに砂が水を吸い込むようにどんどん知識を吸収するので、まあ都合がいいのだ。別に害になるようなことではないし、まあ、大目に見てもらおう。
先に普及させた文字のおかげで、普及は文字という形でも広まっていった。
そして、俺がこの時代においてはおよそありえないくらいの長寿であるので、厳密に最初の頃を知らないものたちは、俺が作り上げた神話が正しいことだと信じ始めた。

そんななか、俺に初孫が生まれた。
真っ白な肌と金色の髪、そして赤い瞳を持った子供――――いわゆるアルビノといわれる、色素異常の子であった。
黒い髪と瞳が基本の中で、それは異常とみなされかねない。
村中が騒然とする中、俺はこの子が迫害されないようにとっさに、ある設定をつくって人々に聞かせた。
曰く、「この子は天空神がもたらした子供である。みよ、その証拠に太陽のような赤き瞳と輝く髪を持っているだろう」と。
この言葉が思いのほかうまくいったようで、俺はほっと胸を撫で下ろしたが、同時にこれが天の意思にも感じられた。
なぜならこの孫の出現によって、全ての要素が整ったからだ。



それからしばらくの月日が流れ、俺が90歳になった頃のこと、ついにわが村は国家となった。
みなを導く指導者のことは皇帝と呼ぶようにと決められた。皇帝はこの大地の南端から北端にいたるまでの大地を治める存在として、人々に上に君臨するのだ。
この初代皇帝に、俺の孫息子が即位した。
彼は聡明な頭脳と頑強な肉体、そしてその神秘的な容姿を武器にして、俺が行い、息子が補佐していた建国のための事業をついに完璧な形で完成させたのだ。
そして自らを天空神の孫で、王の子とし、その権威を確立した。それってどこのアレキサンダー大王? と思ったが、まあこっちが多分最初になるだろうからいいだろう。

…………数十年前、大地を無力に放浪していた20数名の原始人が、ついに建国を成し遂げた。
あれほど壮健であった俺の肉体も年には勝てず、ついに寝込むことが多くなっていった。多くのものが俺を見舞う中、俺は皇帝となった孫と、その補佐をすることを誓った息子(俺に劣らずすっかりジジイだ)を前に、俺は語る。

――――昨晩、夢を見たのだ。それは、我が民と国が大きく広がり、大地に満ちる輝かしい夢だった。周囲には木でできた巨大な建物が、競うように天へと伸びている。
だが、幸福な事ばかりではない。そこには、苦しみもある。戦争による苦しみだ。
だが、我が国は生き抜き、更なる繁栄へと歩む……そこで、夢は終わった。
息子よ、そして孫よ。俺は羨ましい。お前たちの決断が、行動が、歴史を作って行くのだ。

ここまで喋り、俺は彼らの手を握りながら、満足気味にほほ笑んだ。
そして、緩やかな睡魔に襲われ、目を閉じる。
何か叫んでいるようだが、耳が遠く、ハッキリとしたことは聞き取れなかった。
それは、俺の死後、この国の未来と同じようで曖昧なものだった。
だが、今日、今から見る夢は随分とハッキリしている。
それは、少年と少女が、互いに成長し、子をなし、幸せな生涯を送るという、涙が出そうなほど幸福な夢だったからだ。
――――――――俺は、約束を守ったぞ…………

薄れ行く意識の中最後に、アイツの笑顔を見た気がした。


~古代編完~




[40286] 中世編 プロローグ その偉大なる国の名は
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:95ce0ae2
Date: 2014/09/09 17:59
北に望む山脈から吹く風が木漏れ日を揺らす中、一人の老人が両目を閉じていた。頭髪は冠雪した山の頂のように白く、手は枯れた木のように細く弱々しかった。だが、その背筋が伸びた立ち姿、そして僅かな隙さえ見出す事が出来ない様子からは、老いてなお勇士としての風格が漂っていた。

「父上、こちらでしたか」

そんな老人に、男が声をかける。黄金の髪に夏の雲を思わせる白い肌、そして太陽の輝きを宿した真っ赤な瞳――――そして多くの銅細工すらその身を飾り立てるには不足と思えるほどの偉丈夫だった。
老人は目を開けると、優しい瞳でその男に視線を送り、うやうやしく膝を付く。


「皇帝陛下、お体に障ります」
「良いのです。ここは森の中、この程度の太陽の光ならば大丈夫です。それにお立ちください。今ここには私達以外の者はおりません」

皇帝と呼ばれた男は、老人にそう返した。そして立ちあがった老人と共にしばし、森に響く木の葉の擦れる音に聞き入る。
この森の静けさ、美しさ、そしてこの杜に刻まれた思い……そこには人の一生を軽く凌駕する超越的な物を感じずにはいられなかった。
そして彼らは、彼らの命が終わったその先にも続くであろうそれに、永遠を感じた。

「わが父は偉大でした」
「私の祖父はまさに偉大なる人物でした。その英知で民に豊かさを与え、その武威によって敵を討つ――だが、それほどの偉人であっても、永遠ではありませんでした」

2人は、目の前にある小山に目を向けながら、誰に聞かせるでもなく呟いた。
それは墓標であった。
表からは見えないが、この小山の内側には、多くの財物と共に一組の男女の遺骨が眠っている。
老人の父、男の祖父と呼ばれた男が天に召されてから、既に幾多の歳月が流れていた。
多くの国民が嘆く中、その死を悼んだ者達は自然とかの偉人の亡骸を、彼の死んだ妻と共に手厚く埋葬した。

「陛下。人の命は永遠ではないのです。しかし、人が残すものは永遠になり得ます」
「それはこの国であり、その意志である――――ですか」
「左様です。ゆえに私は、我が父の元へ旅立つ前に、最後の仕事をしておきたいのです。
この国の為に、我が父が残した意志を残すために」
「それは我が祖父と父の功績を、私が奪う形になったとしても、ですか?」
「これより先に続く者たちには必要なのです。神威と武威を兼ね備えた、完全なる指導者が。そして、その血脈が。――――きっと、我が父もそう仰るでしょう」

現在、老人は一つの物語を書いていた。それは黄金の髪と紅の瞳を持つ初代皇帝が、蛮族を打ち倒し、建国にまい進すると言う叙事詩であった。
これを以て皇帝の権威は盤石となるだろうと、老人はあえて歴史に修正を加えることを決断したのだ。

「して、皇帝陛下――――」
老人の眼に力が灯る。それは、死を恐れる凡庸な者のそれではなく、死を通した先に何かを見んとする意志を感じさせるものだった。

「この国に与えなければならぬものがまだ一つ残っております。私はそれにふさわしきものを長い年月をかけて考えておりました」
「足りぬもの……ですか。それは一体?」
「名でございます」

名前……即ち国名。それは確かに、彼らの国にはまだないものだった。

「かつて私は、父に黙って北の蛮族との戦いに赴き、多くの武功を立てました。戦勝の宴の際、私は父と語らう機会を得ました。その時父は私を――――といって評しました」
「聞き慣れぬ言葉です。それはどのような意味なのですか」
「天に愛された者、という意味でございます」
「天に――」

皇帝はその言葉の意味を吟味するように呟く。なるほど、それはこの国を表すにふさわしいと思われた。
美しい自然に豊饒な大地、そしてこの国に残された多くの英知――――まさに天に愛された国そのものではないか、と。

「故に私は、この言葉こそ我が国に相応しい、否、我が国を表す言葉そのものであると確信しました。多くの恵みに溢れ、天に愛されし国。その名も――――



この二人の語らいから数日後、彼らの国名が広く民衆に知れ渡った。
天に愛された国――オリーシュ国
それが、彼らの国の名となった。
それから3500年以上の歳月が流れた後、オリーシュ国は神聖オリーシュ帝国として名を改め、繁栄を誇ることになる。しかし、それはこれより先の物語……







色鮮やかな新緑が目にまぶしい森の小道は、我が偉大なる祖国、神聖オリーシュ帝国の首都、帝都オリヌシへと続いている。
私が乗る箱馬車は、軽快な音を立てながらその道をゆっくりとしたペースで進む。
さて、ここで私の事を軽く紹介しよう。
大陸西にある農業都市テンプレからはるばる帝都へと向かう私は、後世に名を残す(予定である)天才である。
テンプレにある神殿学校で優秀な成績を修めた私は、難関とされる帝立大学への入学試験に合格し、この春ついに入学することとなった。
実家は帝国内の綿花栽培を担うテンプレ貴族にして、学業においては右に出る者はいなかった神童。ああ、自分の才能と生まれが恐ろしい。
貴族にして神童たる私は国中の秀才が集う学び舎でもその才能をいかんなき発揮し、私の周りには私を慕う人々の輪が出来る事だろう。
そして、帝都で一旗揚げる私――――
ガタンッ!

「痛っ!!」
唐突に襲いかかる、我が高貴なる尻への衝撃。傾いて動かなくなった馬車からほうほうの体で這い出した私は、尻から腰にかけての部分を丁寧になでさすった。

「すいません坊ちゃん、どうにも馬車の主軸が折れてしまったようでして、へぇ」
「いつつつ……なんとか、修理できんのか?」
「なんせもう何年も使ってなくて埃被ってた物を修理したものですからねえ。ちゃんとした業者に修理を依頼しておけばよかったんですよ。それをお金がもったいないからって……」
「うっ……」

痛いところを突かれた。
先ほどまで私が乗っていた馬車は、元々先々代が道楽で作らせたものだった。しかしその後、綿花の栽培で思うように利益が上がらなくなると、資金的な理由で手入れを怠るようになっていった。
そもそも領地の外に出る事はほとんどなく、馬車など利用する機会がないので放置されていたものを、私とこの使用人でせっせと休日を利用して何とか走れる状態に直したのが先日の事だった。
ここまでくれば大方予想できるだろうが、今現在私の実家は……非常に言いにくいことだが経済的にひっ迫している。
確かに私は学業優秀で貴族という非の打ちどころもないのだが、残念なことに私は三男坊。長男の領地相続をきっかけに、学費と数年間の生活資金を渡されて半ば家から追い出されるように独立させられたといっても過言ではないのが現状だった。

「むしろ良くここまでもったと言うべきですよ坊ちゃん。まあ、あとは歩きという事で」
「待て! 私が将来執筆する予定である自叙伝では、大学入学までの道のりを高貴な私に相応しい馬車で優雅に進んだとする予定なのだ! 木漏れ日に合わせてゆっくりと豪奢な箱馬車で進む、序盤の名シーンを潰せと言うのか!」

しかしそれはそれ。確かに今は、まあ人生の谷底にいるようなものだが、私の溢れるほどの才能を以ってすれば、帝都での成功も半ば約束されているようなものだ。なれば、将来の事を考えて行動する必要がある。
成功者には、自らの成功体験を含めて過去を語る義務と権利がある。その時困らないように、今の内から話の種を作っておかなければならないのだ。

「そんなこと言われても……あ、要するに馬車ならいいんでしょう? だったら……」

我が家の使用人にして御者は、そう言い残すと彼方に向かって手を振った。私がそちらの方へ目を向けると、向こうから一台の荷馬車がのったりのったり近づいてくるではないか。
その荷台にはワラが一杯に敷き詰められていて、なんとも身体がかゆくなりそうなこと受け合いだった。
御者はその荷馬車の主らしき農夫と二、三言葉をやりとりした後、幾ばくかの金を渡すと私の所へやってきて
「帝都まで運んで行ってくれるそうでさあ」
とのたまった。

「だから待て! もしや私にこれに乗って帝都へ乗り込めと!?」

当然私は断固とした態度と毅然とした言葉でキッパリと拒絶を示した。何が悲しくて将来歴史に残るであろう天才が、記念すべき大学入学時に農夫が操る荷馬車でワラと共に帝都へ行かなければならないのだ。これでは私はひと山いくらの農作物と一緒に出荷されるようではないか。

だが、私の抗議は聞き入れられる事はなかった。
「ちなみに歩きですと常人の足でまる一日は掛りますよ」という言葉で、私は矛を収めざるを得なかった。
自慢ではないが、私は頭脳は人の数倍は賢いと自負しているが、体力に至っては人の半分程度しかないと言う確固たる自信がある。常人で一日なら、私の場合は二日程度かかる計算になる。さらにここに荷物が加わることで、最悪帝都に辿りつくことすら叶わない可能性すらあった。

「くっ―---仕方がない……ここは荷馬車を質素な馬車として改変し、いかな天才でかつ貴族といえど最初はこのようであった、という風にしておこう」

ねつ造ではない。これは小粋な演出である。
こうして私は、故障した馬車を処理する為に残った使用人に別れを告げて新たな馬車に乗り込み、目的地に向けて進んだ。なにやら初手から躓いたが、なに、こんなものはちょっとしたスパイスだ。これから始まる栄光の道の事を考えれば何と言う事もない事だ。
さあいざ行かん、帝都オリヌシへ! 輝かしい未来を信じて!!
それにしてもこの馬車はゆっくり過ぎるのではないだろうか。





[40286] 中世編 偉大(?)な科学者
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:95ce0ae2
Date: 2014/09/14 19:26
オリーシュ帝国の民は、古の時代より「三理教」と呼ばれる宗教を厚く信仰している。
陸海空の三界に存在する理を解明せしめ、神々より世界にちりばめられた謎を解き明かす事が、信者に与えられた使命である。
これは初代皇帝である聖天大帝が天より授けられたと言う、由緒正しき教えなのだ。
この教えにより、帝国の民衆は最低でも読み書きと簡単な計算、三理教の基本を最低限習得できるよう、地元にある神殿にて神官から勉学の初歩を学ぶ。
これは私の領地はもとより、帝国全土で行われている。農民で在ろうと、無知無教養は許されないのだ。
さて、そんな神殿学校を卒業し、その上の上級学校を非常に優秀な成績を収めた私は当然のごとく帝都にある帝立大学への入学を許され、多少のトラブルはあった物の無事に大学の門をくぐる事は出来た。
そこで諸々の手続きを終えた私は、帝都での住まいを――庶民の言葉で言うならば下宿先を求める事になった。
私は確かに金がない。だがそれでもテンプレ貴族の出身、ならば住む所にはそれなりに気を払う必要があるのだ。なに、贅沢は言わない。軽い運動が出来る程度の広さを持った部屋が二つか三つ程度あって三階建て、浴室と脱衣所と厠があり、専用の馬小屋があるような家であるならば良いのだ。
このように、私は清貧な生活を経験する事によって度量の広い貴族足らんとする意志を胸に秘めている高潔の士なのだ。

だが……

「申し訳ございません。お客様のご希望に沿うような物件は全て埋まってしまっております。手前どもは貴族様に相応しい御屋敷を多数そろえておりますが、数に限りはございます。せめて昨日であれば用意できたのですが……今ご用意できるのは庶民用の部屋しかございません」

帝都随一の不動産屋の中で、恰幅の店主が申し訳なさそうに言った。
しかしなんということだろう。私が荷馬車にゆられて帝都への到着が深夜になってしまい、余りに疲れていたので宿に泊まって翌日から下宿先を探してみれば、すでに希望に叶う物件がないという。
大学入学者の下宿先は、トラブル回避のために大学当局からこの店でしか扱うことができないと言う話なので、ここ以外の店に行く事も出来ない。
決まりというものは守らなくてはならない。貴族ほど遵法精神を持たなければならないのだ。

「……仕方がない。ならば空いている物件の中で一番マシなものを頼む」

という訳で、私は店の主人の案内に従い、その一番マシと思われる物件を見るために、大通りを歩き出した。
美しい石畳の道、綺麗に掃き清められた路地、陽光が降り注ぐ広場、市場は活気にあふれ、人々は生を謳歌している。
行き交う人々の顔はみな明るく、それはこの国を治める皇帝陛下の徳の高さを示していた。
私は幼いころに父に連れられて一度来た事はあるが、それでもキョロキョロとあたりを見回してしまう。これでは田舎者丸出しではないかという思いがあるものの、それでも目移りしてしまうものは仕方がない。仕方がないのでいっそ思いっきり見てしまうことにした。
すると、北にそびえる山々が家と家の間から唐突に現れた。かの山こそ、初代皇帝が天より啓示を受けたと言う、神聖な御山である。
そう思ってみれば、何やら後光が差しているようにも思えた。だが、何やら山頂に丸太で作られた工事用の足場らしきものが組まれている。


「主人、あれは一体?」
「ああ、あれは簡単に言ってしまえば神殿でございます。数代前の皇帝陛下が、無類の建築好きでありまして、帝都の各地に立派な建造物を立てようとしたのでございます。今上帝はそれらを引き継ぎ完成目指して工事を行っているのですが……あちらをご覧ください」

店主の指が指し示した方向をみると、大きな広場があり、そこにも同様に足場が組まれた工事現場が存在した。私は建築には疎い故に何を作っているのかは分からなかったが、石を組み上げ、既に形を取りつつある事だけは分かった。

「手前どもが伝え来た話では、五段の階段状になっている土台に土を盛り、そこに樹木や花などを植えることによって、立体的な庭園を作るそうです。完成すれば、まるで空中に緑の庭が吊り下げられているように見える――だとか。すでに水を下から上に汲み上げる仕掛けは出来ているので、晴れの日には度々水を噴出させ、虹を作りだしているのでございます」
「ほお、それはまた美しい」
「山の上にある神殿も、完成すれば雲の海に浮かぶようになるようでして、それはそれは神々しいものとなることでしょう」

店主の話は、基本的に故郷のテンプレから出ない私にとっては非常に魅力的な話だった。
数代前の皇帝、彼は「遺産皇帝」という名をほしいままにしていたのだと言う。彼は壮大な建造物を築くことに並々ならぬ情熱を燃やし、後の世に誇れるようなものを残そうと躍起になっていたと言う。ただ少々、というかかなりいきすぎた情熱はついには洒落にならない領域にまで達し、一時期は最低限の食料を確保すると都の住民のほとんどを工事に駆り出し、その他の重要な施設を後回しにして何とか自分の存命中に完成させようとかなり無茶をしたようだ。

しかしその無茶も結局は実らず、皇帝は志半ばで崩御。遺産建築の工事は途中で中止となった。
だが、造りかけのものをそのまま放っておいても何の役にも立ちはしないので、最終的には、以降の皇帝が無理のない範囲で工事を続け、完成を目指す事になった。

「他にはないのか?」
「ございますが、それらは着工に至らず構想のみが後世に残っており――――」
「――――おんや? 誰かと思えば君か」

私が店主から他の遺産建築物に関する話を聞こうとすると、通りの向こうから15、6人の集団が現れた。その先頭に立つ者は私と同い年程度の癖に舶来品の絹で仕立てた服をまとい、金や銀といった貴金属で作られた装飾品で身を飾り付けた豪商、もしくは高位の貴族の匂いを漂わせていた。

「今日も今日とて労働とは立派な心がけだねえ」
「これはこれは……恐れ入りますです、ハイ」
「結構なことだ。で、そこにいるのは新入生かな?」
「はい。只今ご紹介の物件へ向かう最中でして」

ぺこぺこと頭を下げながら、揉手をする店主。
私の時と比べてあからさまに腰が低いことから察するに、やはり有力者の縁者のようだ。
だが、そのねっとりとからみつく様な声が私には合わなかった。
もっと言うと、その底が浅く小物っぽい雰囲気も癇に障った。

「それは邪魔したね。――――君、出身は?」
「テンプレですが」
「なるほど、どうりで泥臭い訳だ。さしずめ田舎貴族の三男坊が、追い出されるようにして独立してきたってところかなあ?」
「ぐっ……」

思わぬ図星で、声に詰まってしまった。
だが、三男とはいえいきなり貴族へ堂々と喧嘩を売って来ると言う事は、この男も貴族か。
可能な事なら鉄拳制裁を加えたいが、そうなれば実家にも迷惑が掛る。ここはぐっとこらえるのが良いだろう。決して、殴り合いになったら一発で負けそうだからではない。

「そうだ。なんなら僕が確保した貴族用の物件を分けてやってもいいが、どうかね?」
「……せっかくですが、一通り見てから決めたいと思います」
「そう、まあ碌なものが残ってないと思うけど頑張って。ああそうそう、僕は大学の学生会長をやっているから。有意義な学生生活を送りたいなら、僕に相談することをおすすめするよ」
「――――どうも」

私がそう答えると、会長と名乗った男は取り巻きを引き連れてぞろぞろと歩き去って行った。最後の最後まで不快な奴だった。


「今のは?」
「先ほどの方は、帝都周辺部に領地を持つお貴族様で、御父上は近衛の高官。母方の実家も、帝国内でも指折りの商会の御令嬢という事で、その……」

店主が答えに困って様な表情を浮かべるので、印象通りに相当扱いづらい男の様だ。
父は軍高官、母の実家は金持ちか、なるほど。そのような環境で育てばああいう風に言動の悉くが不快な男が出来あがるのか。

貴族制が始まってから約三百年。現在オリーシュ帝国は帝都オリヌシ、農業都市テンプレ、工業都市チート、そして北の大牧草地帯にある酪農都市セッキョーが主要都市にして皇帝直轄地として栄えている。我々貴族はその直轄地から外れた郊外をそれぞれ治めている。
郊外といってもそれなりの町や村に農場を持つ事によって、皇帝に遠く及ばないまでもそれなりの力を持つ事が出来る。だが、帝都の近くに領地をもつ貴族とそれ以外とでは、財力や権力といった面で大きな差が生まれてしまうのは容易に想像できる事だろう。
それこそ、いま会長と名乗った男の取り巻きの中に私が加わっていても不自然な事ではないのだ。もっとも、そんなことは私の誇りが許さないが。



「さ、さて。そろそろご紹介したい物件が見えてきました。あちらをご覧ください」
「ほお」

そうこうしている内に、目的地に到着したようである。
私は気を取り直して、あの男の事を脳内から追い出す事にした。
それは帝都から他の都市へと延びる街道沿いから少し外れた路地の先にある、一軒の屋敷であった。やや日当たりは悪いが物の窓の数から察するに合計八つほどの部屋はあるようだ。二階建てというのが少々気になるが十分許容範囲ないだろう。うむ、庶民用と聞いたから不安であったがこれならば大丈夫だ。

「ご紹介したいお部屋は二階の一番左のお部屋でございます。
厠と浴室は一階の共用の物をお使いください。風呂は、近くの公衆浴場へ行かれても結構でございます」
「ん? 何?」
「いえですから、お部屋は二階の一番左の部屋で、厠と浴室は共有の物をご利用下さいと」
「まさか、私が使える部屋は一つだけなのか?」
「左様でございます」

なんと……私は衝撃を受けた。たった一つの部屋で生活をしろというのだ。それも隣には見ず知らずの他人が同様に生活しているという話ではないか。これが人間の生きる環境で在ろうか?
そう率直に聞いてみれば、ここではそれが当り前なのだとか。
信じられない。だが、確かに周りを見回してみても家と家との距離が狭すぎる。
私の故郷では農民でさえ家と家との間には大きな畑があり、きちんと個々人の生活環境が確保されていたと言うのに。

「――――他にないのか?」
私が恐る恐ると言う口調で尋ねる。
「ございません」
返答は非情で在った。




ロリババア荘。それがこの物件の名だ。
二階建の古式ゆかしい木造建築で、風呂と厠は共同。各階には四つの部屋があり、各部屋はどれも4、5人が横になればそれだけで足の踏み場もなくなるような手狭な部屋で、入居者はその狭い空間でのみ個人の生活を営むことを許されている。
ここは外観だけは良かったが、一歩中に入ってみればその古さを感じずにはいられない。
歴史があると言う言葉がこの場合、単なるおんぼろさを覆い隠すためのものであるという事実に私は瞬時に気づいた。だが、このほかの物件はこれ以下の物しか残ってないと言うので、会長の軍門に下ることを良しとしなかった私は、こうしてロリババア荘の住人になることにした。
ちなみにロリババアとは古代語で「永遠の若さ」を意味する。そんな名前がつけられているのに外見が新しくて中身が古いという、なんとも皮肉的な物件だ。

備え付けの寝台と箪笥のみしかないこの小さな部屋が、今の私に与えられた空間だ。
何、本と机と筆さえあれば勉学に支障はない。私はそう自らを奮い立たせ、町に繰り出した。学校への手続きは済ませたが、買い出しがまだなので、済ませてしまう。そして
花の帝都を思う存分満喫した後、自らの下宿に戻った頃には、すっかり日が暮れていた。

明日から忙しくなる。そう思いながら本を開いた私だったが、廊下へ繋がる扉の向こうから異音がすることに気付いて顔を上げる。
おかしい。人の足音とは到底につかない音が廊下から響いてくる。
古い内観が、その音に妙な意味合いを与えて来る
――――まさかこれが噂の幽霊というものなのだろうか?
いや、そんな事はない。なぜなら三理教によれば、死者は全て土へと帰り、その魂は天へと昇り、その思いは海へと解けて行くと言う。つまり、全ては神々の懐の内に還るのだ。故に私は論理的な思考を以てこう断じる。幽霊などいない、と。
だが、幽霊などという概念が生まれると言う事は、つまり生まれるだけの「何か」がなければならないのだ。それは子供が木の股ぐらから生まれないのと同じような、極々自然な摂理なのだ。

そんな事を考えながらしばらくすると「がーがー」という低いうなり声のような音がハッキリと耳に聞こえるようになった。私はなけなしの勇気と実家から持ってきた鞄を胸に抱いて周囲を警戒した。
幽霊なる存在にこう言ったものが効果的なのかはいまだ研究の余地があるところであるが、私の精神を安定させるという効果は十分果たしてくれた。

そしてとうとう、自らの眼を以って確かめることを決心した。
私は明かりを手に持つと、ばんと勢いよく扉を開け、燭台を以て辺りを照らす。

「幽霊め! ここはお前の居るべき所ではない、早々に神々の元へ還れ!!」

言ってやった。
願わくば私の気合いによって在るべき場所に還ってくれることを祈って。
決して、くれぐれも、絶対に私に恨みなど持たないように!!
――――だが、その心配は無用のものであった。

「ん?」

そこには、私よりも頭一つ分ほど身体の大きいだろう男が、四つの車輪を付けた小さな馬車のようなおもちゃを廊下で走らせようとしゃがみこんでいた。
脇には紙の束があり、無数の書きこみがなされていた。
男は私を見つめると、「ああ!」となにか思い当たる事があったかのような声を出した。

「君が新しい入居者か。よろしくたのむ」
「は、はあ……」

これが彼との初めての出会いであった。
この時の私は、自らの人生にこの男が多大な影響を与える事に気付く事は出来なかった。
まあ、その辺りの事はゆっくり語って行こうと思う。
とにもかくにも、私と彼はこの日、この時出会ったのだ。



[40286] 中世編 大学良い所一度はおいで
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:95ce0ae2
Date: 2014/09/15 17:19
「いや、昨日は悪かった。入居者が入ることをすっかり忘れていたんだ。許してくれ」
「いえ、こちらこそよろしくお願いします」

次の日。
朝日が差し込み、小鳥が屋根の上で囀るさわやかな朝。私は幽霊、もとい男と改めて挨拶を交わし合った。男は自らを織野伽羅と名乗り、朝食がまだだった私たちは共に連れだって食事をする為に町へ出ることになった。
朝もやの町は既に活動を始め、一日の始まり特有の活気を含んでいた。私の故郷でも日の出と共に農夫が畑に出ていく光景が当たり前だったが、ここでは商人があわただしく店開きの準備を始めるのが朝の日常の光景のようだ。
そんな中を私たちは歩き、織野氏の行きつけの食事処――――というより屋台というべき――――へと案内された。
そこで2人分の食事を購入すると、手近な所に腰をおろして、食事を始めた。
野菜と魚と穀物を一緒に煮込むだけという非常に簡単で雑な料理だったが、魚の出汁と磯の風味が効いていて非常に美味であった事だけは特筆しておこうと思う。
食事が終わると、ようやくというか、やっとというか、私たちは互いに互いの詳しい紹介を始めた。

そこで分かったのだが、彼は私がこれから通う大学に在籍して現在五年目で、ロリババア荘の二階に住んでいる住人だった。要するに私の隣室である。
年齢は私よりいくらか上であり、私よりも数年はやく大学入学の許可を得ていることから、目上の者として敬うことにした。

基本的に大学入学の条件に年齢制限はない。極論を言えば帝国文字を読めて筆を持てれば、幼児でも試験を受ける事が出来る。まあそれで合格できるかどうかは定かではないが、理屈の上ではそういうことになるであろう。

だが私が注目したのは彼の名前だった。
織野伽羅→おりのきゃら→オリキャラ 明らかに偽名である。
オリキャラとは古代語に由来する言葉で、「本来は存在しえない存在」という意味で用いられている。そして我々貴族の間では、それは表に出せない子供、即ち私生児の隠語でもある。それだけで織野氏がどのような立場にあるか、簡単に察する事が出来る。
彼はどこぞの貴族の隠し子で、学業面では優秀だったので厄介払い兼先行投資の意味でこの大学に送り込まれた、と、まあそんなところだと推察できる。
貴族用の邸宅を用意されずこのような庶民用の部屋に住んでいるのも、その辺りの事情があると思われた。
――――仮定と推察ばかりなのは、面と向かって聞けない話題だからだ。いくら同じ大学に通い隣室でも、踏み込んでいい領域の話ではないのだ。


さて、互いに互いの事を知ってほどほどに空気が暖まった頃、織野氏は昨日迷惑をかけたお詫びと、後輩の面倒をみる先輩の義務として、私に対し、大学生活を円滑に行うための案内役を買って出てくれた。
この帝都では頼るものが居ない私としては、無理に孤高を気取るよりもキチンと先達者の助言を聞き入れた方が無難であると考え、私はその申し出を感謝の念と共に受けることにした。そしてその判断は間違っていなかった。
流石は五年も大学に通っているだけに、男の口調はよどみなく、かつ分かりやすく、私に対して重要な助言を与えてくれたからだ。
まず大学の基本的な事について、織野氏は説明を始めた。

「本講義は死んでも出るべきだ。これは学位取得の最低条件であると同時に、教授の機嫌を損なわない為にも絶対だ。教授に嫌われたら最後、学位取得は絶望的である」

大学の講義は教授が毎週一回行う本講義と、その教授の直属の弟子が行う本講義の補足と解説を行う補講義に分かれている。学位取得、即ち大学を卒業しうるだけの学識があることを証明する免状を得るためには、この本講義を休まず受講しなければならない。補講義の方は別に出なくても良いが、いままで補講義を受けずに学位を取得できたものは皆無だとか。織野氏は心証の問題だと語る。

「大学は皇帝陛下が学長を務めているが、実質的に大学を取り仕切っているのは、十人の教授達だ」

毎週行われる十人の教授陣による本講義を受け、その上で学位論文を仕上げ、公開口頭試問を通過し、教授全員から認められた者のみが学位を取得し、卒業を許される。
この制度のおかげで、学生たちはそれなりの論文を仕上げ、衆人環視の中で自らの知識を認めさせ、なおかつ個人的に教授の機嫌を取ると言う高難易度の試練を受けなければならない。
最短で五年、最長では二十年かかったという記録があるとか。
しかしそれでも卒業出来れば良い方で、志半ばで挫折し大学を去って行くものが多く、無事卒業できるのは10人に1人か2人であるという。

「ところで、初日に私は学生会長を名乗る男と出会ったのですが」
「ああ、彼か。適当に御世辞でも言って置けばかまわない。まあ、ゴマをすっておけばそれなりにうまい汁がすすれるだろうけど、あまりお勧めはしない」

まるでちょっと厄介な住人を相手にするかのように軽く言ってのけた織野氏に、私は軽い衝撃を受けた。一応、大学在学中においては、学生同士は対等であるとされている。貴族も平民も関係なく、みな須らく皇帝陛下の教え子という風な形式を取っている。これは、身分差が学問において阻害にしかならないと言う点から定められていることだが、人間の感情にまでは踏み込めない。やはり、有力者に取り入りたいと考えるのは、極々自然なことだ。特に、後ろ盾がない者にとっては、それこそ靴を舐める勢いで媚を売ることだってあり得る。
そういった事情から鑑みて、氏のその超然とした態度は非常に驚きであり、好ましく思えたのだ。

「彼に関しては、考える事はない。問題は君自身の事だ。時に、君は具体的に何を学ばんとこの大学に入った?」

――――何を学ぶために。
その言葉が、思いのほかに深く突き刺さった。
基本、大学では何を学ぶかは学生の自由意思に任されており、本講義を受講する以外にはめぼしい規則はない。学生は時に学生同士で切磋琢磨しながら自らで自らが学ぶべき事を学ぶ。帝都には帝国国内で最大の規模を誇る図書館もあれば、神殿に行けば学を修めた高名な神官や学者もいるので、各々自由に学べと言う放任主義が基本方針であるのだ。
だが、私は未だに自分が学ぶべきことを決めかねていた。私の心に中にあるのは「大成したい」「名を上げたい」という功名心のみで、具体的な将来の展望は無い。
だから、その場しのぎの言葉を言うしかなかった。

「あ、いやその……まだ決めてません」
「では、卒業後にやりたい事は?」

大学を卒業すれば、道は大きく分けて3つある。一つは神殿に入り、神官になる事。オリーシュでは三理教の教えを伝える神官は、伝道師であると同時に学者でもある。大学を出た後も研究を続けたいのならば、神殿に行くべきという。
そしてもう一つは、宮仕え。こちらはほぼ大学出身の秀才や天才達がしのぎを削る激戦地だ。その中で出世していくのは至難の業であるが、成功した暁の権力というものは、たとえ元が平民であったとしても地方領主と同等かそれ以上。
そして最後は、市井で働く事である。海外貿易船の経営に成功すれば、一代にして莫大な財を築く事も夢ではない。学を究めたいのならば神殿、権力を求めるならば宮廷、財産を求める者は市井なのだ。

だが、生憎と今の私ではまだどちらの道を進むべきかという事は決められなかった。それに、まずは卒業しなくては話にならない。

「それは、おいおい決めたいと思います」
「ふむ。まあその辺りは個人の自由だろう」

織野氏はそう言うと、一呼吸おいた後に、「早く決められるに越したことはないが」と付け加えた後、大学生活における注意点についての話を再開した。

「何を学ぶにしても、論文は少しでもいいから神学と絡めたものを仕上げた方がいいだろう」

それはなぜですかという私の問いに、彼は快く答えてくれた。
先ほども述べたように、本講義さえ受けていれば、それ以外については概ね自由である。だが、学位取得となると話は違ってくる。端的に言えば、現在の十人の教授達の半数以上は神学に何らかの関わりを持っており、自然と神学以外の学問については相対的に冷遇されているのだ。
というよりも、現在帝都での学問の主流は神学であり、この流れはかなり前から続いているようだ。
そんな中、神学とは縁もゆかりもないような論文が教授陣に認められるのは、唯でさえ狭き門を自らの手で更に狭くしているに等しい行為なのだとか。
しかし神学という学問は、何と言うか、過去の資料を探し、どのような解釈を付け加えるかに終始する学問というような印象しかない。が、今後特にやりたい物が見つからなければこの道に進んでもいいかもしれない。

「ということは、あなたも神学を?」
「いいや、私は全く異なる。そうだなあ、あえて言うなら、物体の理に関する学問と書いて「物理学」とでも言うべき学問について研究している」

物理学――そんな学問は聞いた事がない。ということは彼は、全く新しい分野に手を突っ込んでいるということだ。
前人未到の地を行くことの難しさは、学問の世界においても同じだ。
しかし、自分で自分の出した助言に逆らうような行為というのは、やはりどうなのだろうか。もしかしたら、彼は学位取得を目的にしていないのかもしれない。
という事は、彼のそれは純粋な知的好奇心の発露であろうか。

「もしや、昨日のアレもその物理学とやらの実験ですか?」
「ああ、あれか。いや、物体の運動というのは興味深い。力の入れ具合で同じ物でも地面を移動する距離が変わって来る。物が動く速度と、動かすために加えた力には深い関係がある事は分かっているのだが……」
「強い力を加えれば物がより早く動くのは当たり前の事なのでは?」
「いいや、そう言うことではないんだ。どの程度の力を加えればどの程度の速さを出せるのか、それがどのような理屈に基づいているのかを、根本的な部分で解明したいのだ」

そう言うと、織野氏は懐から糸につながれた穴空き銅貨を取りだして、私の前にぶら下げた。きらきらと陽光を反射するそれは、帝国内で流通している小銅貨だった。中央に穴があいているのが特徴のこの銅貨は、これ一枚で先ほど食べた朝食一食分に相当する価値がある。

「これは?」
「振り子という。私が作ったものだ。いいかい、良く見ておくんだ」

そう言うと織野氏は、糸を目いっぱい長くした状態で、銅貨を小さく左右に振り始めた。
それを私の前で暫く見せると、今度は銅貨の振り幅を少し大きくして左右に振り始める。

「気がついたかね?」
「……いえ、分かりません」

さっぱりわからなかった。氏は一体、私に何を見せようとしているのだろうか?

「ならばそうだな、振り子が十往復する間の脈の数を数えてみたまえ」
「?」

とりあえず、私は言われたようにすることにした
(1,2,3……)
脈を数える。そして振り幅が大きい時と小さいと時の両方を計り終えた時、私は気づいた。

「同じですか?」
「正解だ」
氏はにっと笑い、種を明かしはじめた。

「私も一昔前に気がついたのだが、どうやらこの振り子、振り始めに多少の角度の差があっても、行って戻って来るまでにかかる時間は同じなのだ。まあ余りにも大きすぎるとその限りではないのだが、この振り子を使えば「時間」という数を正確に数える事が出来る。人間の感覚のように狂うことは無い」

――――もっとも、その理屈を表すために数学を使おうと思ったのだが、これがなかなかうまくいかなくてな。その為の数学を新しく作っている内に、何年もかかってしまった――――と、最後にそう言って朗らかに笑う織野氏だったが、残念ながら私にはそれがどれほどの事なのかが理解できなかった。ただ何となく、「すごいことのようだ」という漠然とした解釈しか出来なかった。

「だが、ようやく論文を書くための準備を整える事が出来た。しかし、いくつかやっておかなければならない事がある。ついては大変恐縮なのだが、君にも手伝って貰いたい。いいだろうか?」

やはり良く分からないが、なにやら自分はすごい場面に立ち会う事が出来そうだ――そんな予感めいた考えから、私は織野氏の誘いを二つ返事で受けることにした。
どうせ未だ自分の道を見いだせていないのだ。ここは見分を広げてみるのも悪くないだろう。

「もちろん、私に出来る事ならばなんでも」




だが――――この一言は、少々うかつだったように思える。
これから私が体験する事の顛末を語っていく。お代は見てのお帰りで。





[40286] 中世編 ろくでもない三人
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:95ce0ae2
Date: 2014/10/09 20:47
帝都の中央広場は、昼時となると買い物客に労働者、談笑する主婦といった多種多様な人々であふれかえる。
中央にある作りかけの空中庭園があってもなおそれだけの人が集まれる、途方もない空間だ。
更に、春先の陽気な空気に人はどうしても浮かれるものなので、大道芸人まで現れる事によりこの時期の広場は刺激に溢れ、市場の熱気と合わさって、まさに帝国の全てがここに集まって来ると言っても過言ではない。
そんな中、私は広場の隅の屋台で出しているカニ汁を小銅貨一枚で購入し、啜っていた。
帝都から南、鉄鉱石が多く産出する通称鉄島。その近辺に生息するこの甲殻類を用いた汁ものは絶品である。単純な塩味もカニの出汁と合わさることで、奥深い味になるのだ。
これほどの料理が小銅貨一枚で購入できるとは、実にすばらしい。

現在帝国内に流通している貨幣は小銅貨、中銅貨、大銅貨、そして神聖銅貨の四種類である。
小銅貨は10枚で中銅貨、中銅貨は10枚で大銅貨、大銅貨は10枚で神聖銅貨と交換できる。
私はいままで料理を作ってこなかったので、もっぱら屋台で腹を満たしているが、一日の食費が大体中銅貨一枚以内で済んでいる。
破壊してしまった馬車の処分費用を手持ちの資金から崩さなければならなかった私には、この低物価は非常にありがたかった。
これで貴族用の物件に住んでいたら、私はそうそうに破産していただろう。

あの日、織野氏と出会ってから既に一年が経過していた。
この期間に私は――――大きく道を踏み外してしまっていた。
その最も大きな原因となるのが、最初の補講義であった。
内容は初代皇帝に関するもので、神学を学ぶ上では避けては通れない重要人物だ。
初代皇帝はこの神聖オリーシュ帝国の基礎を築いたとされる人物で、その数多の業績によって聖天大帝と呼ばれるほどの偉人である。
長い帝国の歴史をひも解いてみても、大帝と呼ばれるのは唯一人、聖天大帝のみであるといえば、その偉大さは良く分かることだろう。
現在は伝聞で伝わっている話と文献を頼りにその陵墓を探しているが、帝都周辺の森の中にあると言う事しか分かっておらず、探査は遅々として進んでいない。

だからであろうか、最近は神学研究者の間で「聖天大帝は存在しない」という学説が俄かに活気付いているのだ。
なんせその在位期間を記録から計算すると、なんと百年以上なのだ。そう、在位で百年であると言う事は、もはや長寿という話では済まされない。
だからこそ、聖天大帝が成した数々の偉業は、数代の王の集大成として、一人の架空の皇帝に集約されたと言うのが、論の大枠である。
そもそも初代皇帝が残したとされる「神々の孫で王の子」という発言が問題なのだ。これは天空神の血を引いているとする初代皇帝の権威を保証しているのだが、この「王の子」の王に当たる人物の名前が全く伝わっていないと言うのが、「数代の王の集大成説」の最大の根拠となっている。
こうして現在大学内では、聖天大帝実在派と非実在派の戦いが火花を散らしている。
最初は教授達によるささやかな学術論争だったが、内容が帝国の根幹に関わる事だけに勝った方が今後の主流派、負けた方は冷や飯を食わされると容易に予想できることから、ついには学者生命をかけた壮絶な戦いに発展。現在は大学に通う学生を巻き込み、拡大する一方だ。
だが本来の主役であるはずの教授達を差し置いて、むしろ一番熱心に運動しているのは、学生の方だった。
なんせ「主流派に属した学生は学位を約束される」という噂が立ってしまい、いよいよ卒業が絶望的で人生崖っぷちの学生たちが、起死回生の手として非合法スレスレの活動をするようになったのだ。

大学に入学して最初の補講義では両派入り乱れての乱闘となり、逃げ遅れた私は両陣営から目の敵にされ、難を逃れるために川に飛び込み海まで流される羽目になってしまった。
後に分かった事だが、隣室の織野氏は中立というかどちらとも距離を置いていて我関せずと闘争を傍観していたので、そんな彼と行動を共にしている私も同類と見なされ、呑気に静観していた私に襲いかかってきたのだ。
その裏にはあの学生会長の影がちらほら見える。そうでなくても彼自身が現在、派閥抗争に躍起になっているので、要注意である。

とにもかくにも、織野氏の論文作成の為の実験に付き合う事にかまけていた私は、結局どちらの派閥にも所属出来ず、完全に孤立していた。










「道行く諸君! そう君だ。しばし我が言葉に耳を傾けていただきたい!!」

何処からか、広場の隅から隅まで響く様な明朗な声が辺りに響く。始まったか、と私は腰を上げ、いつものように彼の実験に協力する為に広場中央へと足を向けた。
懐で小銅貨を弄びつつ歩いて行くと、すぐに人混みが見えて来た。
さらに人々が頭上を見上げているので私もそれにならって見上げれば、空中庭園の工事の為に設置されていた足場の上で織野氏を発見する。
氏は両手に小さな袋を持ち、「なんだなんだ」と興味を引かれた聴取を前にして語り始めた。

「今この場に、二つの袋がある。一つは一杯の中銅貨が詰まっており、もう一つは木片が入っている。今から私はこの両方を落とす! そこで、どちらが先に地面に落ちるか諸君に予想してもらいたい!」

ざわめく聴衆を前にして、私はむしろ落ち着き払った態度で叫ぶ。
もはや何度目かになるか分からないほど叫んでいるので、手慣れたものだ。

「何を馬鹿な。重いほうが早く落ちるにきまっている!!」

ここで、少し見下すような感じで言うのが重要だったりする。
すると、私の演技に触発された者たちが「そうだ」「何を当たり前のことを」と私の話に乗ってきた。
食い付きがよい。

「よろしい。ならば銅貨入りの袋の方が早く地面に落ちると言う者は、そこの木箱の中に小銅貨を一枚入れたまえ。もしも諸君らの予想が正しかったのならば、この袋の中身を全てやろう」

氏がそう言うと、どこからか一人の腹が肥えた男が一抱えの木箱を持って現れた。すると私は素早く懐から小銅貨を取り出し、その木箱の中に音を立てながら放り込んだ。
それにつられるように、その場にいる人間の多くが面白半分で木箱に銅貨を放り込み、木箱はたちまち半分が銅貨で埋まった。だがそれでも、織野氏の持っている袋の中身の方がよほど価値がある。
民衆はしめしめという顔で織野氏の挙動を見守り、落下を始めた二つの袋の挙動に注目し、その結果、顔を驚愕の色に染めた。

織野氏は公平を演出する為に、ワザと銅貨入りの袋を木片入りのものより先に落とした。
当然銅貨入りのモノの方が先行するが、徐々に木片入りが追い抜き、最終的に誰の目にも明らかな程の差を付けて、木片入りが地面に先着し、辺りに木の欠片をばら撒いた。
それというのも、銅貨入りの袋には布で造られた傘のようなものがあらかじめ付けられており、それが空中で展開し、そこから急激に落下速度が低下したからこその結果であった。
明らかに細工を施したインチキである。
だが、この結果にざわめく民衆に対して織野氏は
「この傘も含めて、銅貨入りの袋の方が木片入りの袋寄りも格段に重い。諸君らは重い方が先に地面に就くと予想し、結果は外れた以上、賭けはコチラの勝ちである」という内容の言葉を弁舌さわやかに語り、ついには納得させてしまった。
そして周囲がそれもそうかというような雰囲気になった所で、織野氏と太った男は落ちていた銅貨入りの袋を回収した後に颯爽と立ち去り、私も未だに「こんなこともあるんだなぁ」と感心している聴衆の波を描き分けてさりげなく消えた。







「さて、これで暫く食うに困る事はないだろう。さあ、飲むといい。奢りだ」

織野氏は太った男と、2人に合流した私に葡萄酒の杯を進めつつ、そう感謝の意を示してきた。
帝都より南に位置する船着き場には、帝国各地からの豊富な品々が運び込まれる。
葡萄酒もその内の一つで、北東に位置する工業都市チートがその産地として有名である。
今一度帝国にある主な都市を紹介すると、農業都市テンプレ、工業都市チート、そして唯一の内陸都市であるセッキョーである。
テンプレは私の故郷でもあり、その大部分が平野で、その間をまるで網の目のように川が流れている。綿花と麦によって成り立つ都市で、住民の大半が農家か兼業農家である。
チートはその逆、川はあるもののその土地の多くが丘陵地帯と森林で、多くの工房と製材所が軒を連ねている。
しかしその郊外は土の質的な問題なのか基本的に肥沃とはとても言いにくい土壌だ。しかし、近年では葡萄酒用の葡萄の栽培に適していることが判明し、酒蔵がいくらか立つようになった。だが、あくまで工業として発展してきたので、その割合は低いと言わざるをえない。

それに対して唯一の内陸にある都市セッキョーは、主産業が牧畜で、主に馬に羊、牛、そして獣の毛皮で有名な都市だ。セッキョーは帝国の中でも北に離れた場所、かつ内陸にある為に流通面では弱く、一度テンプレかチートを経由して陸路で行かなければならない。かなり交通は制限されるのだ。かつては北の大山脈を突破して道路を作るという計画もあったのだが、それもとん挫してしまい、セッキョーはやや陸の孤島と化している感が否めない。
だが、それゆえにその産出物である馬、羊、牛、毛皮は高値で取引され、とくに毛皮は高級品として貴婦人に愛されている。
これら三つの都市は聖天大帝時代にはその雛型が出来ていたと言うかなりの歴史と伝統を誇る都市だ。都市の名も、今では意味が失伝してしまったものの、古代語に由来するとか。

セッキョーより北はぐっと降水量が減るために農業にも適さず、更に地下資源にも恵まれていないために無人の辺境として扱われている。時たま犯罪者やならず共が徒党を組んで不法占拠することがあるが、そこに近衛の剣士、弓兵、槍兵、騎士で構成された四部隊が合同で討伐することが数十年に一度の規模で発生している。
現在も海賊や山賊行為が北を中心に多発しているので、近々討伐隊が編成されるだろう。

周囲を海に囲まれ、島というよりは大きく、大陸というには小さい土地。それが神聖オリーシュ帝国の領土だ。
ここより西にはここほどではないがそれなりの大きさを誇る島国があり、現在は交易を行っている。そこから届けられる金や銀、絹はチートにて装飾品に加工された後に市場へと流れ、コメと呼ばれる農作物は現在実用化を目指してテンプレにて試験運用されている。
更に西にある国からも、島国を経由して漢字とよばれる文字が伝わってきて、その利便性から急速に広まっている。
船は、我が国に異国の宝と文化を運んで来てくれるのだ。
ただ、どうにもその島国では現在大規模な内乱が起こっているらしく、輸入量が減っていると、港に努める労働者達がぼやいていた。
まあ私にはあまり関係のない話だが、若干のピリピリとした雰囲気が港に広がりつつあるのが、何となく気になった。

さて、ここらで私が先ほどまで行っていた茶番に関する説明をしておこう。
繰り返しになるが、あれはインチキである。
ただ言い訳をするならば、あの寸劇は重い物の方が軽いものよりも先に地面に着くと言う常識――――実は全くのデタラメ――を分かりやすい形で粉砕する事を目的とした実験なのだ。織野氏は子供の時にこの事実に気付き、研究をコツコツ続けて来たという。ひたすらに実験とそれを観察する目を養い続けるうちに、彼は大学へと入学し、その研究をまとめることを志したと言う。
だがその青雲の志も、今では金に困るとあのような形で金を巻き上げるようになっていったという。
かく言う私も氏と組んで、手を変え品を変え、時には同じ大学に通う貴族連中に対して際どい勝負事を挑んでは生活費を稼いでいた。

「確かに聞こえは悪いが、論文を作るにも公開口頭試問を突破するにも、ある程度は「仕込み」が必要なのだ。それに、あの場にいた民衆はみな納得していただろう? キチンとその辺りも考えて、見物料として許される程度の額を設定したのだ」

ペテンに掛けられても笑って許される金額を調整したと私に語る氏の顔は、大分贔屓目に見ても詐欺師のそれだった。
だが、人とは変わるものである。
大学入学当初の私は氏の実験において周囲を誘導する道化の役をふり当てられた事、そしてこのような詐欺まがいの行為にひどく憤慨した。
しかし金に困っていたのは私も同様だったので、しぶしぶ付き合ううち、今では周囲を扇動する快感に目覚め、こうして巻きあげた金で飲む葡萄酒の味を覚えてしまった。
まるっきり小悪党である。
学問を修める為には金も必要なのだ、と言い訳をしながらやけ酒をしていたころが今ではひどく懐かしい。



「小銅貨が98枚に、おお! 中銅貨が3枚も混じっていたでござる!」

隣で木箱に入っていた銅貨を数えてほくそ笑む肥満男。こいつは先ほどまで木箱を抱えて氏のペテンの片棒を私と一緒に担いでいた、いわば相棒とも言うべき存在だ。ロリババア荘の一階に住み、私と同じく大学に通う学生である。

貴族に私生児、そして平民とまるで社会の縮図のように多種多様な人間が在籍するのが、わが帝立大学である。学費も安く、空いた時間に労働し、贅沢を慎めば通えると言う非常に開かれた学び舎であるといえよう。
もちろん、金があるのに越したことはないが、金はなくとも集団生活にさえ適応できるならば、篤志家が立てた格安の寄宿舎を使用するという手も存在する。
もっとも、そう言った所はその場の規則を守れないものを容赦なく叩き出したりする。
事実、この男は三日で入学当初に入っていた寄宿舎を叩き出されている。
不道徳的な絵巻物をひたすら量産していたというのが理由だ。

「織野氏、先輩氏。やったでござるな!」

三つの袋に銅貨を等分しながら、肥満男は言った。
こいつは追い出されたのち、私の入居一週間後に入ってきた事と二つ年下の為に私を先輩氏と敬意らしきものを込めながら呼ぶ。
最初は私も悪くないなと思って受け入れたが、それは私の完全な失敗だった。
この男はなんでも織野氏の古くからの知人であり、自然と私達と行動を共にすることが多くなった。そして今では立派にろくでもない人生に首までつかっている。彼は自分の事を多く語らないが、言葉の端々から発せられる独特の訛り具合から、帝都の下町出身であることは簡単に想像できた。
唯一の特技は絵がやたらうまい事。だが、周囲に自分の事を画伯と呼ばせ、美しい少女がやたらと登場する絵ばかり描くのでその唯一の美点も相殺されている。もっとも、私はこいつを先生と呼ぶのが腹立たしいので、皮肉と親愛(?)をこめて「フトッチョ先生」と呼んでいる。

「これで新作の執筆の為の紙が買えるでござる。いや―今回は大作になる予感がびしびしと」
「また、例の漫画とかいうものの話か」
「その通りでござる。今回は歴史に残るかもしれないですぞ。完成の際にはぜひ感想を」

漫画とはこの男が考えた全く新しい絵巻物の事である。一枚の紙を線で分割し、それぞれに人物と風景、そして吹きだしと呼ばれる台詞を書き込む場所を設ける。こうすることで、物語を絵と文で楽しむ事が出来るという一種の娯楽作品だ。
手法自体には私も舌を巻くが、その内容が大変に碌でもない。始めて私が見たこの男の作品は「自称普通の平民男が妹や友人、高貴な身分の令嬢その他有象無象の女性達から無条件に行為を寄せられ、なし崩し的に全員と良い仲になる」という、童貞をこじらせたかのような内容だった。「ふっ」とか「やれやれ」とか、いちいち自分はそんな気がないけど、勝手に女共が寄ってきて鬱陶しいわー、みたいな雰囲気を主人公の男が出すたびに、私の歯はギリギリと音を鳴らした。
その自己愛を鍋で煮詰めて凝縮したおぞましい何かは、確実に私の中の尊い何かを穢したことは言うまでもない。

「お前の作品は読まんといつも言っているだろう」
「まあまあ、拙者も反省したのでござるよ先輩氏。今回は原作つきのものに手を加えると言う手法をとったでござる」
「原作付き?」
「そう。今はかの聖天大帝が行ったとされる北伐記を題材にした物語を執筆しておりまする」
「嫌な予感しかしないな」
「面白そうではないか。聞かせてくれ」

私は唖然とし、織野氏は面白そうな顔で続きを促す。
北伐記とは、初代皇帝が建国前、北方の大草原を我が物顔で闊歩していた蛮族を討伐する為に行った一連の戦いをまとめた軍記物語である。当然そこにはこの男が好きそうな場面などみじんもなく、登場人物は全員もれなく男である。完全にやつの作風の真逆であるはずの物語を題材にするなど、気でも狂ったのだろうか?

「拙者は常々思っていたのでござる。ほぼすべての帝国民が知っていて、なおかつ現存する太古の物語。これを拙者の手で好き勝手にいじくってしまう事が出来たならば、どのような物語にしようかと。そして漫画の手法に習熟し、機が熟した今こそ決行の時であると!」
「どうする気だ?」

私は恐れながらも尋ねざるを得なかった。
どうせ碌でもないものであるとは分かっていても、怖いもの見たさというものだ。

「まず聖天大帝の正体が可愛い年頃の女の子で、訳あって男装していた事にするでござる」
「……」

そして直ぐに後悔することになるところまで、もはや様式美であろう。

「その後、未来から神々の思惑によってやってきた主人公が、立場ゆえに気丈に振る舞いつつも内心では臆病な聖天大帝さまを守りつつ、大活躍。人目がある所では臣下と君主という立場で在るものの、二人きりの時は想い人に心を寄せる一人の女の子に戻る聖天大帝さま。そして2人の関係は燃え上がり――――とまあこんな感じでござるよ」

そうか、私は気絶しかかったがな。
ただ、今のような時期にそのような作品を発表すれば、命がないとだけは分かった。
しかしこの能天気な「フトッチョ先生」はそのような事は一切考えず、「それでは拙者はお先に失礼」と言い残しロリババア荘へと駆けて行った。
腹の肉を暴れさせつつも無駄に軽快な走り姿を見送る私は、どっと溢れて来た疲れに耐えきれず、思わず突っ伏した。
するとそれが何らかのきっかけだったのか。それまで黙って我らが先生の話を聞いていた織野氏はおもむろに立ちあがる。

「それでは、私は用事があるので失礼」
「……どちらへ?」
「まあ、このあと色々と用事で」

そう言うと私の分の小銅貨を残して、ロリババア荘とは真逆の方角へ歩き去って行った。
大方、待ってもらっていた諸々のツケを払いに行ったのだろうと私は予想した。

唐突に一人になった私は、追加の葡萄酒を頼んで一気に喉に流し込んだ。
なぜ花の帝都でこのような目に合っているのか……
手酌でなみなみと注がれていく葡萄酒を眺めながら、私は過去を振り返る。

大学に入学して一年、思い返せば碌な事をしていない。かつて帝都に乗り込んで来た時の私は、もう少しマシだった筈だ。身を立てるという漠然とした目標であったが、少なくとも野望はあった。だが今はどうだ。自分が行くべき道を見いだせず、他人の手伝いと他人の事情に左右されるばかりの日々。
さりとて、抜け出してどこかに何かに向けて力を向けようと思っても、向けるべき対象が分からないし、見つからない。
私は今まで一緒に飲んでいた2人を思い出す。彼らは碌でもない人間だ。だが、彼らにはやりたい事が明確にあり、それに対して行動を起こしている。それが自分にはなく、羨ましくてたまらないのだ。
自分は一体何を成せばいいのか……
真っ赤な葡萄酒の中を見つめても、その答えは見つからなかった。



[40286] 中世編 不幸ペナルティ
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:95ce0ae2
Date: 2014/09/26 23:47


「えー、三理教は知識や技術の探求を奨励し……あまねく全ての人間が知恵を身につけることを求めている――――同時に自然崇拝の念を持つ事を繰り返し説いており……そのため過度な森林伐採や採掘は国法によって厳しく制限されて――――」

本講義は補講義とは違い、常に決まった場所で行われる。
場所は宮殿――――の端にある特別講堂。
そこで初老の教授が、講壇の上から眠くなるような声の調子で講義を進める。
法学の本講義に出席した私は、それぞれ気に入った場所に座っている学生たちの後方に紛れこんでいた。
必要なところは手帳に書き込み、自ら存在感を徹底的なまでに小さくする事に腐心する。
全く持って忌々しい事だが、私は神学の講義で乱闘に巻き込まれて以来、直ぐに逃げられるように様々な準備をしてから講義に望むようになった。
ここならば乱闘が起こったとしても速やかに逃走出来る。
こっそり参加し、こっそり聴いて、こっそり帰る。時たま討論に参加させられ、私の弁論術を披露する機会に恵まれるが、いつの間にか周囲の機嫌を損なわないように配慮した物言いが染み付いてしまい、かつてのテンプレ時代の舌の鋭さが損なわれていてしまっていた。その事に愕然とする事もあったが、私の学園生活は少なくとも表向きには平穏であった。

「――――では、今日の講義を終了する」

教授の宣言と共に、私は出席の証を残すと速やかにその場を退散することにした。すでに水面下ではなくなった学内闘争の気配に、私は敏感なのだ。まさか端とはいえ宮殿内で乱暴狼藉を働く事はないだろうが、いまだって私の首筋をチリチリとさせている。
危険な兆候だ。逃げなくては、今すぐに――――

「やあ、久しぶりだねえ。ちょっといいかい?」

ポンと私の肩に置かれた手。その持ち主は、学生会長だった。
背後には、奴の親衛隊とでも言うべき取り巻きが数人侍っていた。
学生会長――――それは学生達の円滑で有意義な学生生活を支援する事を目的にした一種の世話役なのだが、この男が就任する前から半ば形骸化し、現在では単なる名誉職に成り下がっていた。
事実、私はこの男に世話になったことなど一度もない。
よって、別に指示に従う義務などない。だが、それとは別にして、取り巻きに取り囲まれた以上、私に選択肢はなかった。

「はあ……どちらへ?」
「まあ、付いてくれば分かる」

私の問いにそう返すと、会長は顎で出口を指示した。黙って付いてこいということだろう。私は非常に不本意ながらも、彼らに付いて行った。







「僕らに協力してほしい」

私が連れてこられたのは、会長が大学に通うために両親から用意された邸宅だった。そこに半ば連行されるようにして連れ込まれた私は、挨拶も無しにそう切り出された。
金、銀、銅製の調度品が目にも眩しい豪邸を背景にする会長は、いつにもまして態度がでかいように見えた。

「協力と言われても……」

いきなりそんな事を言われても、私は彼らの事情などほとんど知らないのだから何に対して力を貸せと言われているのかさっぱり分からない。そうして困惑する私に若干のいらつきを覚えたらしい会長だったが、彼はしぶしぶという感じに説明を始めた。

まとめると、彼らは長年にわたって「聖天大帝実在派」として活動し、同派の教授と深く結びついていた。だが、どうにも最近彼らの過激な活動に同派の教授達からさえも待ったをかけられ、進退極まっているとのこと。
そこで彼らは、「非実在派」を一撃で粉砕し、そのまま自分たちの立場の名誉挽回を計る事を画策した。その計画の内容とは、ずばり非実在派教授の拉致であった。
――――アホか。
皇帝陛下の部下である教授の拉致など、超絶的に運が良くて退学、順当に考えれば翌朝には吊るされるような事だ。
こいつらの話を聞くくらいなら、「フトッチョ先生」の漫画論を聞いていた方がまだマシだ。少なくとも、実害はないのだから。
要するに「お断り」だ。

「まだ柱に首を吊るされたくはないのですが……」
「安心したえ。覆面をかぶるし、足が付く事のないように手はすべて打ってある。それに北の不毛地帯に出来たごろつき共の根城を壊滅する為に、朝から軍が出ている。町の警備状態が手薄になっている今……くくく、もはや成功したも同然さ」

付き合っていられない。私はそう判断し、どうやって逃げようかと算段を始めた。
確かに、我々のような貴族は皇帝陛下の御威光が前提に存在するので、その権威を少しでも落す事は、自らの権威を落とす事に等しい。それは会長の実家のように確固とした地位を持つ者にとっても逃げられない定めだ。
土地を帝国から支配する権利を与えられているのが貴族だが、その実態は大地主といったほうが適切な存在だ。保有する武力も領内の治安を維持する程度の、兵力とはお世辞にも言えない様な武力しか持っていない。よって支配権の正当性を証明するのは最終的には皇帝陛下の御威光だけなのだ。
だが、そんなものは私には関係ない。とっとと逃げさせてもらおう。

「おっと。まあまあ待ちたまえ。話を聞いた以上、手伝ってもらうよ? 田舎者とはいえ君も貴族の一員。僕達の崇高な計画に協力すぐ義務があるのだよ。あ、そういえば君の分の覆面は用意できなかったから、これでいいかな?」

勝手に言っただけだろうになんだその言い草は、とは私は言えなかった。反射的に出口に向かった私は、会長の部下共に取り囲まれ、猿轡をかまされ上に簀巻きにされてしまったからだ。
更に大きな袋をかぶされ、数人に担がれた私はこうして不本意極まりない形で連中に同行する事を余儀なくされた。

だが、運搬されながらも私は気になって仕方なかった。非協力的な人間を取りこんで、一体何をさせようというのか、と。
縄を解かれた瞬間に逃げるつもりだった私は、全く持って会長の行動が分からなかった。見張りでもさせるつもりなのか、それとも拉致した教授を運搬する為の労働力にするつもりなのか分からないが、どちらにしても私が真面目にそれに取り組むと思っているのだろうか?

その時、私の脳裏に嫌な予想が唐突に浮かんだ。
会長達は覆面を被っている。会長達が拉致に失敗した時の事を想定して保険を用意しようと……つまり全ての罪をなすりつける存在として私を用意したのではないだろうか。
会長達が全員で口裏を合わせ、実家の権力を利用して保身に走れば、強制的にとはいえ現場の近くに「何故かいた覆面をかぶっていない」私が捜査線上に浮上し嫌疑が掛る。その後、私は逃げ遅れた犯行一派の一人として目され、いもしない同士の存在を厳しい尋問され……

(拷問死、獄中死、処刑……!!)


「もが、もんが、もが!―――!(いやだ、やめろ、下ろせ!!)」

私は必死になって暴れた。生きるため、死を回避する為、足をばたつかせ身をよじらせ、みっともなくわめきながらも暴れた。

「うわ、やめろ!」「バカ! 早くおとなしくさせろ!」

その甲斐あってか、私の必死の抵抗に連中はたまらず私を地面へと放り出した。
地面に衝突した時の痛みに耐えながらも袋から頭を強引に出して辺りを見回せば、どうやら私は路地裏の影に放り出されたようだった。辺りは暗く、会長達の影が蠢く様が見て取れる程度の見通ししかなかった。通りの街灯の火が届かない現状は、まるで灯台の光が見つからない漁師のような気分だ。いや、私を拉致した下手人共と一緒にいると言う点を考慮すると、海原でサメに囲まれているような心細さだった。

さて、このままどうやって逃げ切ろうか、そう私は考えながら匍匐前進で逃げようとしたときだった。

「……ッ!」「――――っ!……!!」

「……?」

どうにも連中の様子がおかしい。
人質というか、保険というか。とにかく自分達が失敗した時の為に用意した生贄が逃げようとしていると言うのに、連中は私の事が眼中にないかのように無視して小声で何事かを相談していた。
その様子は何やら焦っているような、押し問答をしているような……何か不測の事態に陥って慌てふためいているような感じであった。
それは自信満々という風に、或る意味堂々としていた会長が神経質そうな顔つきで何事かを小声で取り巻きたちに怒鳴っていた。
どうにも揉めているようだ。ここにきて仲間割れか、それとも怖気づいたのか。どちらでもいいから、止めるべきだと思った。連中の計画が正気の沙汰ではない事は誰が見ても分かることだ。
まあ、私はこの隙に逃げるから、後の事は知らないが。自分たちの愚かさに気づいたのならばそのまま解散すればよし、そのままアホな事をするのならば、その償いは自分たちですれば良かろう。

私は尺取り虫のように地面を這いながら、暗がりの方へとジリジリ進んでいった。このまま闇に紛れてしまえば、晴れて私は自由の身だ。

だがしかし、事態は私の斜め上方向に悪化していた。
唐突に、私たちの周囲が明るくなったのだ。
私が反射的に後ろを振り返れば、なぜかうろたえている長達の向こうに松明を掲げた集団が見えた。明るさは通りかかった彼らが原因なのだが、その集団の様子が――――完全に異常というか異質だった。
スキやクワと言った農具に、木の棒、つるはし、斧、金づち……その他様々な品物を彼らは手にしていたのだ。
これでせめて持ち主が穏やかな表情で、真昼間だったら良かっただろう。
私も「皆さんお仕事ですか?」
と陽気に挨拶が出来たかもしれない。だが、持ち主たちの眼は血走り、時間は夜。とてもこれから仕事に行くような雰囲気ではない。というか、教授の拉致という凶行が悪戯に思えるほどの事をしでかすような気配を辺りに垂れ流していた。

「おい」

集団の先頭にいた、冴えない商人風の男がぎらぎらとした目つきで私――――というより会長とその取り巻き共をじっとりと睨みつけた。

「良い物身につけてるじゃねえか……てめえら貴族や豪商どもが貿易の独占なんかしやがったおかげで、俺の店はつぶれちまったんだ」

貿易の独占とは一体何のことだろう? そう言えば港の労働者が何か言っていたな。
会長達が盾になっていることで、私は多少なりとも精神的に余裕があった。故にそんな事がふと気になったのだが、彼らと直に相対している会長達はそうはいかないようだった。
会長を始めとして、取り巻き連中がその気迫に押されて身体を固くしている様子が手に取る様に分かった。そして私は、言葉を発するごとに男の何かが限界点に近づいて行くことを感じていた。
何が何やら分からなかったが、頭の中で「ああ、これは駄目だな」という冷静な解説をしている存在が居た。
そして――――

「ぶっ殺せーーーーー!!」

雑多な品々――否、凶器を持った暴徒が一斉に襲いかかって来た。




[40286] 中世編 終結
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:95ce0ae2
Date: 2014/10/09 20:55
「うわああああ!?」
「こ、こら僕を置いて行くな、ちょ…ぎゃああああああああ――――」

一斉に襲い掛かって来る暴徒達と、わき目も振らず散って行く子分。そして捨て置かれた会長と忘れ去られた私。
こうして私を取り巻く環境は、たちまちのうちに大混乱の渦へと様変わりした。
絶叫と悲鳴、そして人を鈍器で殴ったかのような鈍い音が辺りにこだます。そんな中、私は文字通り這うようにして窮地から脱する事に全力を上げていた。
一先ず最激戦地から脱出しなければ。そう思ってゴロゴロと地面を転がって一気に逃げようとした。服が石畳の地面に引っかかって敗れ、泥にまみれたが私は気にするだけの余裕がなかったのだが、その時、私は襟首を掴まれて強引に後ろへ引きずり込まれた。
思いもよらない力に、私は少々情けないことだが、ひどく慌てふためく事になってしまった。

「んー!んーー!(待て! 待って――――!)」

とりあえずの命乞い。流石にこのまま会長達の仲間として殺されたのでは、私の名誉のためにも死んでも死にきれない。
だが、その心配はいらなかった。

「助けに参りましたぞ」
「フムムゥフ!?(その声は!?)」

引っ張られ、暴徒達の松明の光さえも僅かにしか届かない路地の奥には、よくよく眼を凝らしてみれば、随分と慣れ親しんだあの顔が浮かんでいた。
漫画に自らの大半を捧げ、私と一緒にペテン的な見世物をやっている「フトッチョ先生」の姿がそこにあったのだ。

「ところで今ふと思ったのでござるが、男の猿轡というのは何とも見苦しい――――」
「フンハファアイカ!(そんな場合か!)」

この状況でも、呑気に持論を語るとは、やはりこの男はタダものではない。だが、今はとにかくこの状況からの脱出だろう。
こうして呑気に会話している間にも、人を殴打する音がひっきりなしに聞こえてきていた。いつ私がその中の犠牲者の一人に含まれるのかと、戦々恐々としているのだ。
私の必死の訴えに、彼もようやく私の身体を縛っている綱を解きにかかってくれた。
こうして私は、とにもかくにもようやく自由を取り戻せた。

「ふぅ助かった――――だが、どうして私がここにいると?」
「どうしても何も、拙者も本講義に出席していたのでござるよ。先輩氏が会長にかどわかされたのを見て、これは一大事と追跡していた次第」

そうだった。そういえば「フトッチョ先生」も大学の学生だった。いつも勉強はそっちのけで漫画の話ばかりだったから忘れていた。
常人よりも大きい図体をしていて、何故かこいつは気配を消すのが上手いのだ。全く持って不条理極まりないが、今ほどその不条理がありがたいと思った事はない。おかげで、彼は会長達に警戒されずにここまでこうして来ることが出来たのだから。

「しかし、これは一体どういう事なんだ? なぜ彼らは暴れているのだ?」
「暴動でござるよ」
「暴動? 何に対して?」

だが、もはや会長達の事などどうでも――――まあ、個人的には色々渦巻いているが――――良い。それよりも、今はあの武装集団のことだ。
先ほどちらりと聞いた程度の事だと、裕福な貴族や豪商に店を潰された商人たちの集団の様だが……
そこで、私は素直な疑問をぶつけてみる。そして、それは私の期待通りとなった。
私の問いに、「フトッチョ先生」は過不足なく答えてくれたからだ。

全ての原因は、以前より貿易相手としていた西の島国で内乱が起こり、交易が滞り始めるようになったことに起因する。
今までのように財物が安定して送られてくる事がなくなり、そうでなくても帝国の北の海域では海賊船が出るようになっていたので、金や銀、絹といった品物が帝国内に入ってこなくなる。その結果、それを取り扱っていた商店や工房が経営的に追い詰められていったのだ。
だが、それでも僅かな数量は入って来ていた。しかしそれを一部の貴族とそれに繋がる豪商が独占をしたことで事態は最悪の展開へと突き進んだ。
即ち、独占によって店を潰された、あるいは潰されそうになった店の店主達が結託して武力闘争を敢行したのだ。
以前私が感じた港でのピリピリとした空気は、私が感じていた以上に致命的なものへと悪化していたようだった。
だが、いきなり武力を振りかざすとは……まずは文明人らしく話し合いから始めたいものだ。


「なるほど。それで標的の店に行く途中に会長御一行にばったり遭遇。会長の身につけている服飾品が最後の一押しとなったと言う訳か」

そういえば、会長の母方の実家はかなり大きな商家で、貿易を主に扱っていたなと今更ながら思った。となれば、これもまた巡り巡って返ってきた因果と言えよう。
会長は、親のあこぎな商売の報いを受けたと言うだけの事だが、まあ一割ぐらいの同情と、九割の暗い愉悦の感情を抱いた。一割でも気の毒と思った私の人間としての出来に感謝して欲しいくらいだ。

「ところで、どうしてそんな事を先生が知っているんだ? 帝都の経済情勢を調べるような性格でもないだろう」
「これは手厳しい。ですが拙者が調べた事は事実でござる。ささ、逃走経路も確保してますぞ」

「フトッチョ先生」はもちろん、この男と古くからの知人であると言う織野氏は一体何者なのだろうか、謎が一層深まった。しかし、今はとにもかくにも逃げ出すべきだろう。私達は背後の喧騒を無視して走り出した。
曲がりくねった上に足元さえ見えない暗闇の路地を、2人で駆け抜けた。








「さて、困った事になったな」
「全くでござるな。いやはや」
「死ぬかと思った……」

「ふとっちょ先生」の、まるで見えているかのような巧みな誘導によって難を逃れた私は、そのまま私たちの居住するロリババア荘に集まっていた。そこには織野氏もいて、一先ず三人で無事を確認し、互いに互いの無事を喜び合った。
しかし、逃げる途中にそれとなく確認したが、帝都内はかなりの危険な状況にあるようだ。
大通りの商店はもちろん、見栄えがする民家にまで暴徒は襲い掛かり、略奪行為を行っているようだ。今のところ火は放たれていないが、このままでは焼き打ちは時間の問題と思われた。
基本的に家屋は木造なので、一度火が回ればもはや手の施しようがない。この混乱では、一面焼け野原になって自然鎮火するまで消火される事はないだろう。

「さて、どうしようか。このまま座していてはここまで襲われるだろう」

織野氏が落ちついた声色で言った。そう、ロリババア荘は中身こそオンボロであるが外見はそれなりに立派な建物なのだ。
金持ち憎しの連中から見れば、ここもまた立派な略奪対象になり得る。いや、もしかしたらそのまま放火されることだって十分に考えられる。さぞや盛大な焚火になることだろう。

「そ、それはまずいでござる。拙者の部屋には書きかけの原稿が大量に……」

いつも能天気な「フトッチョ先生」が、目に見えて慌てだした。
原稿がだとか、今の内に避難先に運び込むか、とかぶつぶつと独り言を言いだした。この男の奇行はもはや当たり前の日常と化しているから置いておいて、さて、本当にどうする? 別にここがただ単に焼失するだけということならば別に構わない。どうせ老朽化が進んでいるし、いっそ立て直すいい機会とも言えるだろう。だが、そうなると私の住む場所が無くなる。家賃的な意味で、かなりここには助けられているのだ。
いまからロリババア荘の外見が古く見えるように細工するだけの時間もないだろうし
そんな金も……あ

「いっそのこと、暴徒の連中に金や銀をばら撒いてお帰り願うというのはどうだろう。ちょうどそれらがいっぱいある場所を知っている。会長の下宿先だ。」

それはふと頭に浮かんだ考えだった。暴徒は要するに貧乏が原因で生み出された。ならば、金を手に入れればおとなしく帰ってくれるかもしれない。

「鬼畜でござるな」
「よし、それでいこうではないか」

欲しければ投げつけてでも与えて帰ってもらえばという発想と、ひどい目にあわされた鬱憤を会長に叩き返したいという思いは当然あったが、思いのほか2人には好印象だったようだ。
自分で言っていて何だが、本当にいいのだろうか。
この案の良い点は二つある。まずかなり効果がありそうな点。そして私の良心が痛まないことだ。

「さあ、やる事が分かったのならば急げ2人とも。――――ところで、会長の下宿先は知っているのか?」
「それは問題ない。なんせ先ほど拉致された先だからな」
「拙者が近道を示します故、御安心なされよ」

こうして、私達はいつもやっているような茶番劇の打ち合わせをするように、事態を可及的速やかに解決すべく、細部を詰めていった。





暫くして。
帝都の路地に詳しい「フトッチョ先生」の誘導の元、私達は暴徒に先んじて会長宅に到着していた。そして私たちは暴徒顔負けの荒っぽさで邸宅内に侵入し、手当たり次第に金目の物をかっぱらった。

「よくよく考えたら、この事がばれたら私たちは縛り首ではないか?」
「そのための覆面でござるよ」

やってる事は会長達と大して変わらない。だがこれも会長の身から出たさびということで私は私自身の弱気を追い出し、せっせと袋に調度品を放り込んでいった。
使用人が一人もいなかった事もあって私たちの強奪行為は順調に推移し、暴徒が襲ってくる前に完了した。
我ながら恐ろしく手際が良かった事だけは、いよいよ自分の品性を疑う結果となったが、この際気にしない事にした。

「しかし、これだけで足りるだろうか」

こうしてまんまと財宝をせしめた私たちの背には、其々大きな袋が担がれており、中身は唸るような金銀財宝だった。だが、これで何人いるかもわからないほどの暴徒の群れを納得させられるだろうか。私は不安になって織野氏に尋ねた。

「何事もやり方次第というものだ。いつも通りやれば成功するだう」
「いつも通り……」

先ほどの打ち合わせで織野氏が語った計画を思い出して、同時に私の足が震えた。それは下手をしたら私が彼らに撲殺されるような危険な内容だったからだ。
だが……やるしかない。
私も貴族だ。いや、それ以前に帝都の住民として、町が一面の焼け野原になる事を黙って見ていることなど出来ない。その上、暴徒とはいえ帝国臣民を比較的穏便に鎮圧出来る手があるなら、それに乗らない手はない。まあ、償いはしてもらうが。

「では、頼みましたよ」

目的地の手前に至ると、私と「フトッチョ先生」が背負っていた分の袋を織野氏に預けて、そのまま軽くなった身で走り出した。
向かう先は、以前物体の落下実験を行った広場だ。




思った通り、広場には多くの暴徒が屯していた。帝都は開発が進み過ぎて路地が多く、大人数が通ろうとしていると自然、ここのような大きな広場に出てしまうのだ。
私は彼らの中にさも当然の様に混ざる。日ごろの清貧、というか冴えない雰囲気が常から周囲を包んでいた私達は極々自然に集団の中に溶け込んでいった。かがり火と街灯の明かりが照らすなか、その時を待った。
あまりうかうかしていると、暴徒が強引に移動を開始したり、放火し始めてしまうかもしれない。
私が一人焦れていると、遂に待ち望んでいた声が響いた。

「諸君! 我々の決起は成功した!」

以前と同じ場所、同じように自信たっぷりな声で、織野氏が登場した。まるで舞台の上でしゃべる役者のように、芝居がかった口調だった。だが、注目は集められた。
広場のどこからでも見える位置にある足場の上に陣取った織野氏を、その場にいる全ての者が注目する。
その場にいる皆が、彼を見ていた。その自信たっぷりで、まるで「自分自身がこの決起を引き起こした指導者である」という風な面で、さも当然とでも言うような態度で。
その面の皮の厚さは恐らく鍋底並みだろう。

「見よ。この金を、銀を、絹織物を!」

織野氏が掲げるそれら財宝は、街灯やかがり火に照らされてキラキラと輝いた。
もちろんこれも、見栄えを意識した上での演出だ。普段やっている事の基本的な技法だが、何度も経験したそれは手慣れていた。最も効果的な「魅せ方」を実地で学んできた織野氏の口捌きと手捌きに淀みはなかった。
それらにどよめく暴徒。そこに私は追い打ちをかける

パチパチ

拍手だ。すると、遠くからも誰かがパチパチと拍手を送る。「フトッチョ先生」のモノだ。
2人が拍手をすると、まるでつられるように私の隣の物が拍手を送り、それが伝染するように、あっという間に暴徒達は手をたたき、雄叫びを上げ始めた。
いま、熱気は最高潮に達している。ここで一押し、後一押しすればそれで終わる。

「さあ、受け取れ!!」

そこで織野氏は袋に入っていた全ての財物を、空中にぶちまけた。
光を反射させながら落下するそれらに、彼らは一斉に群がって行った。そして、その為に彼らはいままで手に持っていた武器をその場に放り出していった。
銅貨でもなんでも、いっぱい拾おうと思えば両手を使わざるを得ないし、その為には荷物を捨てるだろう。

この時点で熱気は狂気と変わった。だが、そのエネルギーはどこかの邸宅に焼き打ちをかけるような質ではなくなっていた。
怒涛のように前へと押し寄せる群衆と、それに翻弄される私。ついにその流れに耐えきれなくなって、床に倒れ伏した私の上を何人という人間が繊細な身体を踏みつけながら通り過ぎて行った。
十人を超えたあたりから記憶はない。が、私は私が企画した作戦でこの戦いに勝利したことに対し、それなりに満足しながら気を失った。


後に「帝都焼き打ち未遂事件」と呼ばれる暴動は、私たちの活躍によって鎮静化を見た。一部納得できなかった者たちも、帰還した近衛によって鎮圧され、事件は収束を迎えることとなる。が、それはいち学生の範疇を超えるので割愛する。

ちなみに、この時財宝の水増しをする為に織野氏が今まで散々溜めていたお金までつぎ込んでいた事に対して、金銭的な補償が行われたかどうかは黙秘するのであしからず。



[40286] 中世編 完  エピローグ 世界へ羽ばたけ!神聖オリーシュ帝国
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:95ce0ae2
Date: 2014/10/19 21:30
「世界よ在れ」

深い深い闇の中、創世の神は言いました。すると、暗いばかりの空間に光がさし、世界が出来ました。
しかし、創世の神は不満です。なぜなら、出来たばかりの世界は何もなく、とても寂しい場所だったからです。
次に、神は星を創りました。青く輝く星、銀色に輝く星、赤く燃えるような星……いくつもいくつも創りました。
何もない世界に、色が生まれました。
神は「良し」と言い、その内の星の一つに腰かけて休む事にしました。
とても疲れた神は、深いため息をつきました。すると、その息から三人の女神が生まれました。
神は女神たちの誕生に驚き、大いに喜びました。そして、神は自分の代わりに、この世界を任せてみる事にしました。
任された女神たちは困りました。そこで、試しに神が腰かけていた星に色々な物を創ってみる事にしました。
まず、長女の女神が青い空を創りました。次に次女の女神が海を創り、三女の女神が大地を創ってみました。
しかし女神たちは満足できませんでした。どうして満足できないか分からなかった女神たちは、創世の神の真似をする事にしました。
風の、雨の、土の神が生まれました。

次に女神達は海水と空気を混ぜた泥に、思い思いの形を与え、息を吹き込んでいきました。
長女は空を飛ぶ翼をもつモノを、次女は海を泳ぐヒレをもつモノを、三女は大地を走る足をもつモノをそれぞれ創りました。
たちまち、女神たちの創った世界は動物たちであふれました。

女神たちはその様子に満足し、世界を眺めていました。
すると、世界に神や女神たちと同じような形を持った動物がいるのに気が付きました。それは三女の女神が戯れに創った、ニンゲンという動物でした。
ニンゲンはとても弱い生き物でした。翼を持たず、ヒレも持たず、他の動物よりもずっと足が遅い動物でした。
ニンゲンたちは木の実を拾ったりして、寄り添うように生きる他ありませんでした。
このままニンゲンは、世界の片隅でひっそりと生きていくんだろう――――女神たちはそう思いました。
でも、そうはなりませんでした。
ニンゲンの中の一個体が、土を耕し始めたからです。その個体は幾多の困難に見舞われながらも耕し続け、畑を作りました。
畑から得られる食べ物のおかげで、ニンゲンは少しだけ多くの物を食べられるようになりました。
女神たちはこの個体に「シド」という名前を付けて、観察する事にしました。
シドは次に、長女が落したイカズチから生まれた火を持ち帰り、火を扱うことを他のニンゲン達に教え始めました。少しだけ、寒さに震えて死んでしまうニンゲンの数が減りました。

シドはとても頭のいいニンゲンでした。
三女が作った山から出た銅と鉄を扱う術を見つけ、次女が作った海から塩を取り出しました。
その後もシドは、他のニンゲンの群れと仲良くしたり、争ったりしながら、シドが率いるニンゲンの群れを大きくしていきました。
女神たちは、シドが何をするのか、何を見つけるか、ニンゲン達はどうなるのかで興味いっぱいでした。
女神達は、直接ニンゲン達と交流する事を考えました。
それは謎かけでした。
なぜ岩は硬いのか、なぜ空は青いのか、なぜ海は荒れるのか――――
間違ってしまうニンゲンには考えるように言い、時に正解を言い当てるニンゲンには褒美をあたえる、そんな交流が続きました。
そんな時です。長女の女神の様子がおかしい事に、次女と三女が気づきました。長女はふとした時に、何かをじっと見ている事が多くなっていたからです。
次女と三女はその事を長女に尋ねました。すると長女は、シドに恋をしてしまったと告白しました。
妹達はその恋に反対します。ですが長女はその反対を押し切って地上に降り、シドと夫婦になる事を選びました。
創世の神がその事実に気づき、そして女神達の制止を振り切って地上を覗いた時には、すでに長女は子供を身ごもっていました。
怒った神は地上を滅ぼそうとします。ですが、女神たちの必死の頼みと、神の血を色濃く受け継いだ女神の孫の誕生を見た事によって、ある条件を出すことで許す事にしました。
それは女神の息子の子に、シドが築き上げた全てを譲渡させることでした。
そして、女神たちには二度と人間達と交流を持つ事を禁じ、神々と地上とのつながりを断ってしまいました。
ニンゲンたちは、その事実に嘆き悲しみました。そしてその悲しみを紛らわせるために、かつて女神達が投げかけた謎かけを解く事にしました。
いつか、創世の神の怒りが和らぎ、再び神々の世界への扉が開かれる日に備えて。


                 古今神記 第一章 三賢人と国譲り より抜粋


…………

古紙と埃と墨の匂いが充満する一室、それが今の私の居場所だった。場所は帝都地下に広がる洞窟を利用した大図書館、帝国3500年の歴史のすべてが詰まった静謐なる空間である。
静寂が支配するこの場で、私はゆっくりと息を吐きつつ椅子から立ち上がった。

「随分と、昔の夢を見た」

まだ私が血気盛んで、将来に対する根拠のない自信と不安が混じり合う、若い時代の夢だ。
大学に通い、友と語らい、時折無茶な事をした日々……その当時は満足できなかったことが多かった。だがそれでも、今振り返れば充実した――とは言えないが、決して卑下するほどでもない毎日がそこにはあった。
思えば大学を卒業してから、既に60年の月日が流れてしまった。
瑞々しかった肉体も衰え、枯れた木のような身体になってしまった今だからこそ、それが分かるのかもしれない。

私はそんな事を考えてしまう自分自身に少し情けない気持ちになりながら、ゆっくりと階段を上って行く。
石畳の階段を上る足跡が、辺りに響く。
手にもった灯りで足元を照らしつつ歩を進めていくと、同じように温かな光をともした灯りが、こちらにむかって下りて来た。

「あれ司書長、生きてたんですか? 起こしても起きなかったそうですから、てっきり死んだかと思って遺体を担ぎ上げに来たのに」
「フン、それは残念じゃったな。出来の悪い弟子の卒業を見届けるまで、まだまだ生きなきゃならんのでな」
「それじゃあ、明日には御臨終ですか? 残念です師匠。弟子として最後は看取りたかったのに」

目の前にいる少年が、不遜な顔つきで笑いながら言った。まだまだ幼さが抜けきれない少年と毒舌の応酬をしつつ、今度は2人そろって階段を上りだした。
階段を踏みならす足音が、二つに増えた。

「それで、蔵書の目録作りは終わったんじゃろうな?」
「もちろん。大学入学時からやって、ようやく今日終わりましたよ。まったく、無秩序に蔵書を増やすからこういうことになるんです。もっと内容を吟味したうえで、不必要なものは図書館に入れなければいいのです」

図書館に収められた知識の集大成としての本は、帝国の歴史の長さに比例して膨大なモノだ。確かに、それらを全て保存し管理しようとすれば、その手間は一筋縄ではいかない。特に、太古の時代の、まだ紙が発明される以前に造られた泥版や石板の物を紙に書き写した上で保存しようとすれば、その作業量はとんでもない数になる。
これらの仕事を、大学卒業後、私はずっと従事してきた。

あの日――帝都で起こった暴動を鎮静化してからほどなくして、大学の卒業条件が大幅に引き下げられた。以前から厳しい厳しいと不評であった制度だが、いきなりの事に当時の私は大いに戸惑ったものだ。だが、そこにはもちろん大きな理由があった。
まず初めに、帝国の指針の大幅な変更だった。

もともと、我がオリーシュは内向きで完結した国だった。多少外部との交易をする程度で、基本は内需基本の国であると――そう思われていた。
だが、貿易が少々滞るだけで我が国の経済は小さくない打撃を受ける事が、例の暴動で判明してしまった。
単純に言えば、もはや我が国は自国から生産される財だけでは、国体を維持できなくなってしまっていた。
あの当時は私たちの活躍で事なきを得たが、もしもあの暴動が宮殿内になだれ込んでいたのならば……少なくともその後の混乱はとてつもない事になっていただろう。
あの厭味ったらしい会長が裸で街角に吊るされているところを保護されたり、暴動に加わった民衆が鉱山送りにされた程度で済んだのが、奇跡に近いのだ。

故に対応策が必要になった。
今の繁栄を維持しつつ、更なる豊かさを追い求めるために何をするべきか……議論の末に
当時の皇帝が出した答えが、海を渡り、交易路を自前で確保する事だった。
大規模な交易船の造船命令、海賊が跳梁跋扈する海域を鎮圧し、商船を守るための海軍の創設、商家と有力貴族との癒着を防止する為、皇帝の権力を大幅に増強した上での君主制の導入と、時代は大きな変化を見せて行った。
しかし、制度を変えてもそれを運用する人間がいなければ組織は動かない。その為、大学在籍中の学生も早々に卒業させて、人手を補充させることになったのだ。
そして私自身も、卒業後は図書館の司書として働き始める事になった。
目的は、帝国古代時代、それも建国時の泥版や石板を本にして、その内容を翻訳する事だった。
調査の結果、明らかに建国以前の時代の物が存在していた事が判明し、ついに我が帝国のひな型をつくった人物と、初代皇帝の正体の一端が解き明かされた。その後、その事実と当時知られていた建国物語のすり合わせする為の新たな神話が編纂され、我らの宗教はその名を「シド教」と改められることになった。
その後も、我らの住まう大地も「シド大陸」と呼称するように規定された。
なぜか? その理由は最初、私にはわからなかった。だが、すぐにわかる事になる。
異教徒との接触だ。
元々、西の島国にもその土地の宗教があったが、彼らは自分たちの宗教を外部に布教しようとはしなかった。だが、新たに出会った彼らは、積極的にその教えを広めようとしてきた。
これが彼らにとっての「善意で粉飾された文化攻撃」であると判断したからこそ、皇帝は自分たちの宗教を強化し、その文化攻撃に対抗する為の策を用意しなければならなくなったのだ。
要するに、国の求心力と国民の自己同一性の強化である。
こうして、私は祖国を守る文化の盾として奔走する事になった。

同時に、漫画ばかりを書いていたあの自称先生も時代の波に飲み込まれ、新たな交易地を求めて船に乗り旅立っていった。当時解読と発掘に奔走していた私にも度々現地で発見した珍しい物と共に手紙が届いていたが、或る時を境にぱったりと途絶えてしまった。そして私が四十になる直前の冬、彼の死亡通知と一緒に遺品が海の向こうから本国へ届けられた。現地で風土病を患い、没したと、同じ船の乗組員に聞いた。遺品は、紙と筆と漫画の描かれた紙の束だった。やはり、海の向こうでも漫画を書いていたのかと思うと、彼らしいという思いで胸がいっぱいになった。
せっかくなので、書きかけの物を製本して、図書館に収めた。内容は、彼自身の境遇を題材にしたと思われる、海洋冒険漫画。船と共に空を飛ぶ美しい海鳥が印象的な漫画だった。

次に織野氏だが、彼は私たちよりも少し早く卒業し、海軍の設立に尽力した。
重量物を放出して敵の船を遠隔から攻撃する事を基本戦法に考えられた新しい形の編成だった。これには、射出した物体の放物線をあらかじめ予測することができるよう、彼の考えた物理学が大いに参考にされていた。この戦法により数々の海賊船を沈める――そう期待されていた。だが、初めて外洋に出た演習航海で船が難破、織野氏が率いていた艦隊は海の底に沈んでいった。後に当時作られていた船では外洋航海には向かない事が判明し、船の改良に多くの時間が割かれることになったが、今年、いよいよその問題を克服した軍用艦が完成した。
その船の基本思考には、はやり織野氏の考えと戦法が多いに盛り込まれているという。



階段を登り切り、地上部分を抜けて図書館を出る。すると、既に辺りは日が傾き始めていた。西の空には赤い太陽がゆっくりとした速度で沈んで行きつつ、帝都の中央広場を染めていた。
その紅い世界には、私達が学生時代にはまだ完成してなかった空中庭園の姿と、その傍らには、大きな時計台が鎮座していた。

「思えば、長い付き合いになる」
「そうですね。自分が八歳になる頃からですから、もう十五年ですか」


ふと口に出た言葉を、不肖の弟子が拾い上げる。どうやら、自分に向けての言葉と勘違いしたようだ。だが、確かに長い付き合いだ。初めてこの不肖の弟子と会ったのは、そう、確かに十五年前だ。口の悪さと態度の悪さで学校の神官達が匙を投げた悪童を、私がひょんなことから面倒をみるようになってからの年月とも言う。
とりあえず大学時代に住んでいた下宿先をあてがってやったり、私自ら勉学を見てやったりした。
今でこそこうして在る程度はまともになったが、当時はどうなることかと本気で心配したものだ。
しかし、それも今日まで。

「明日、大学の卒業式じゃったな」
「ええ。その足でそのまま船着き場に行って、船に乗り込みます。今日までは司書、明日からは海の戦士ですね」
「あの悪童が大学に通い、あまつさえ私の部下として働きつつ真面目に学費を稼ぐようになるとは、思いもせんかったな」
「悪童とはひどい。周囲がバカと間抜けばかりだったから、少々すねていただけです」
「フン、せいぜい海の上で仲間に後ろから突き飛ばされないように気を付けることじゃな」
「御忠告痛み入ります」
「船には、私が考案した図案の「国旗」が掲げられている。気を引き締めて行け」

そう、この「国旗」というものも、新しく作られたものの一つだ。外国にむけての、我が国の象徴を端的に示すもの。
一応、大図書館の司書長と言う役職についている私にも作成協力の依頼が来たので、織野氏直伝のペテン術でほぼ私の案を通した。

「ああ、そういえばそんなものを作るとか言ってましたね。忘れてましたよ」
「それを見て、軽挙妄動は慎むように。弟子の死亡通知など見たくないからな」

目上の者に敬意を払わない大馬鹿者であったが、その面を見るのが最後だと思うと、それでも少々だけ寂しさのようなものが胸に飛来した。
だが、きっとそれは勘違いだろう。




「師匠」
「何じゃ?」
「いままでありがとうございました」
「…………フン」

――――きっと、勘違いだろう。
私に、恐らく初めて見せるであろう真面目な面構えで頭を下げて来たと思ったら、次の瞬間にはまた不遜な顔に戻り、背を向けて歩き出した。
ぐんぐんと私と彼との距離が開いていき、ついに見えなくなった頃、広場の時計塔の鐘が鳴る。
哀しげに、周囲に鐘の根を満たしていく。
なに、見送るには慣れている。
悲しくなどない。寂しくなど、ない。









翌朝。一人の少年が船の乗り込み、生まれ故郷を離れて行った。彼の目に映るのは、何処までも広がる青い海原と、水平線。そして白い海鳥の群れだった。
その群れを目で追っていると、ふと気付く。一匹だけ、銅色の海鳥が混じっている事に。
いや違う。それは海鳥ではなかった。よくよく見れば、帆柱に翻っていた旗に描かれた絵であった。
銅色の海鳥が、振り子をくちばしにくわえて雄大に飛び立とうとしている様子が描かれていた。

なかなかいい趣味をしているじゃないですか、師匠。

永遠を暗示する振り子と、陸海空を制する鳥が翻る。その様を一瞥した少年は微笑を浮かべつつ、大海原に視線を向ける。
この先にある何かに、思いを馳せながら。



[40286] 近代編 序章①
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:95ce0ae2
Date: 2016/01/16 20:38

まず初めに宇宙があった。その広大な闇の中には幾つもの輝く星とガスが漂い、深淵の黒に彩りを添えている。そんな静寂なる世界の片隅に、輝く銀の河が横たわる。
それを構成するのは何千億個もの恒星で、その中の一構成要素である太陽、そのたった一つによって形作られた太陽系の第三惑星地球が、プッカリと蒼い宝石のように浮かんでいた。
気の遠くなるほど広大な宇宙の暗がりに存在する青き天体は、宇宙と比べれば塵芥に等しいちっぽけなその内に、しかし幾億年の歴史を紡ぎ、数え切れないほどの生命を生み、育み、そして滅ぼしてきた。
都合五回の大絶滅の末、今この地球上において覇者として君臨する種族の名前は、ヒトと呼ばれる二足歩行の生物だった。

もしも創造主なる存在がいたのならば、果たしてどんな意図で以ってその生命体を生みだしたのだろうか。
もっとも近しい猿という種が、比較的安寧な樹上をその生活の場として選んだその一方、いかなる理由であろうか地上の草原に降りたヒト。生存競争に敗れ、エデンの園とでもいうべき樹上を追放された敗者の群れだったのか、はたまた新天地を求め冒険の旅に挑んだ勇敢なる挑戦者達だったのかは、過去を見通す目を持たぬ卑小な存在には皆目見当はつかない。しかし、ヒトがその生命を保つことの過酷さは想像に難しくない。

ヒトには素早く動く足も、鋭い爪も牙も力もない。およそ動物としては底辺と言っても過言ではない脆弱な肉体しか与えられなかった生命体にとっては、平原は余りにも残酷で無慈悲な世界だった。
彼らを狙う肉食獣を筆頭に、病原菌、災害、その他諸々……ヒトが命を落とす原因はいくらでもあった。
地を這う獰猛な獣に追われて恐怖し、災害をじっと息を潜めてやり過ごすしかできない無力感に震えるだけの悲しい存在だった。だがしかし、黙って世界の贄となることを良しとするほど、彼らは善良でもなければか弱くもなかった。
この世で最も生きる事に貪欲で、執着する存在――それこそがヒトの本性だった。
飢えれば死んだ仲間を、親を、子の血肉を喰らい、年中発情しては見境なく繁殖を繰り返すことで、どうにかこうにか命をつないだ。その生き汚さこそが最大の武器であると言わんばかりに、彼らは容赦のない世界に挑み、生き続けた。

そのような長き苦渋の年月を耐えて耐えて耐えて……遂に人類は逆襲のきっかけをつかみ取る。人は、創造主が気まぐれで与えたかのような唯一の長所、即ち他を圧倒する程の思考能力を武器にすることを覚えた。
そこから先は、まさしく破竹の勢いだった。時に罠を張り、石や木を武器にして、集団の利を生かした戦いを始める。それは復讐のような、今まで捕食者側だった他の肉食獣達に対しての反撃だった。
長い研鑽の果て。安全に狩猟する事を見に付けた人類はついに、地上の覇権を握った。

今まで自分達を狩っていた獣を駆逐しながら、東へ西へ南へ北へと人類という新たな地上の王者は、我がもの顔で版図を広げて行った。
その活動領域の広がる様は、さながら病原菌が地上を覆い尽くすように見えたことだろう。
きっと、人類はその支配領域を地球全土にまで広げ、その知性で地上に楽園を築きあげるのだろうと――あるいは何者かは期待したのかもしれない。
が、それは全くの的外れであったと言わざるを得ない。あさましき人間の性は、そのような理想郷を築くには邪悪すぎた。
人類は野生動物の脅威を克服すると、今度は同じ人類同士で争いを始めた。

より実り豊かな土地を巡って、武器を作り振るう。異なる菌が生存圏を広げるために喰らい合うように、人間は同じ種族を相手に、かつて動物達を狩ったときのような残酷さでもって戦う。己が欲望に従って、奪っては殺し始める。
部族が集落を作り、村が町になり、都市が国へとヒトの集団が大きくなればなるほど、その争いの規模は青天井で大きくなっていった。
地上の生存権を獲得した思考能力を利用して、如何に相手を効率よく殺すかを考えだした人間の争いは、歯止めが効かない。
戦が起こるごと、おびただしい量の血が流れ、流れた血液を吸った大地は真っ赤に染まり、また新しい戦いを生みだしていく。地球上のおよそ三割しかない陸地の上で、幾つもの国が興り、犯し犯され滅亡していく。周囲を圧倒して支配する大国が、四方から侵食されて滅びる様は、人類の業をありのまま映し出していた。
人間は変わらない。変わる事が出来ない。それは例え、時空と宇宙を超越した別世界で在っても。
そんな世界の片隅。ありえたかもしれないもう一つの地球、その太平洋に浮かぶ南方の小大陸に、小さな種がまかれた。未来において世界のヘソと呼ばれる巨大岩が鎮座する大地に、本来あるべきでない異端の種が、どのような花を咲かせるかは分からない。だがそれを良しとし、美しくも醜い世界を祝福するかのように笑う何者かの声が、確かに響いた。




Civ的建国記 近代編 プロローグ①



強烈な光にたまらず目覚めると、そこには荒れ果てた大地が茫漠と広がっていた。この世の果てか、はたまた終末の日を迎えた地球の如き光景には茶褐色の砂と岩が、それ以外にはまばらに生えた雑草が乾燥した風に吹かれているのみだった。そのような世界が全方位水平線の見える範疇の全てに横たわっている。
上空には突き抜けるような青空と、細かく浮かんだ小さな雲がいくつか。そしてギラギラと輝く太陽が容赦なく辺りをあぶっていた。
そんな荒れ地に、場違いな格好をした少年がごろんと寝転がっていた。

「……カーっ! まいったね、どうも」

全然そうは見えない口調で一言。
少年はこの場には不似合いな服装で、上体だけ起こすとそのままの態勢で辺りを見回してからニタニタとほくそ笑む。まるでこれから学校に行くかのように、真っ黒い学ランと黒い黒靴を身に付けた少年は、これっぽっちも困った風には見えない。というかむしろ嬉しげな表情をしながら立ち上ると、衣服に付着した砂埃をパンパンと手で払った。
その後、タバコをふかす仕草をしてニヒルに笑いつつ、「ふっー」と煙を出すように息を吐き出した。
当然、タバコをふかす仕草だけなので、白い煙は全く出る事はない。完全に格好だけである。だが、それを指摘する者は一人もいないので、少年はその後もハードボイルドな気分に思う存分浸りながら、想像の中の自分に酔いしれる。遠い瞳で地平線のあたりを眺める事も忘れない。
ちなみに、吸っているタバコの銘柄は未設定である。タバコはタバコであるという認識しかないうっすい知識だが、それでもカッコつけたいお年頃なのだ。

「何故か学ラン姿か。この導入は――恋姫だな。僕はSSには詳しいんだ」

掻き上げる程の髪の毛もない短髪を掻き上げて、もう一度ニヤリとスマイル。ありもしないカメラを意識して、斜め45度の笑顔。少々贔屓目見に見れば、それは遠足前日の小学生にそっくりであると言えなくもないワクワク的な無邪気さだ。
恐怖や不安は全くない。あるのは自らが放り出されたであろう世界に対する、及び、これから自分の身に降りかかるであろう大活躍とラブロマンスに溢れた激動の運命を前にした期待感のみだった。
ドヤ顔でほくそ笑むこの少年の名前は山本八千彦。当年とって16歳の高校生、少し遅めの病を患っている事と、少々自意識過剰で思い込みが激しい以外にはどこにでもいるような少年だった。








「山本くん? ああ、彼はとてもおとなしい生徒です。一度も校則違反をした事はありませんし、生徒の見本のような少年です」

こう評される山本少年のこれまでの人生は、客観的に見れば可もなく不可もなく、大きな谷がない代わりに大きな山もない平坦な道のりだった。賞罰といえば小学生のころに書道で一度賞を貰っただけで、それ以外には特にぱっとしない平凡な月日を重ね、ごくごく普通の少年時代を過ごし、地方都市の特に荒れている訳でもない中学校を普通に卒業し、高校に進学した。
では家庭環境はどうか? これも問題ない。専業主婦の母と、サラリーマンの父。そして寮に入った大学生の兄が1人で、非常にありふれた一家である。
平凡、普通、ありふれた――そんなアベレージでノープロブレムな毎日が、山本八千彦――――八千彦で「やちひこ」と読む――――という少年を取り巻く世界の全てであった。

あるいはその反動であるのか。冒険とは対極にある日常を送る彼は、進学した先の高校で、たまたま席が隣に成ったクラスメイトから、とあるインターネットサイトを教えられる。このサイトに出会うことで、山本少年はかつてない衝撃を受けた。
そこはいわゆる二次創作と呼ばれるものと、個人が執筆したオリジナル小説が投稿されるサイトで、ここに投稿された数々の素人小説――プロの視点で見れば荒削りも甚だしい稚拙な作品――はしかし、その内に秘められた強大な熱量でもって少年の心を鷲掴みにした。

物語の主人公たちは、みな一様に平凡で普通でありふれた者たちだ。それが突然非日常に叩きこまれ、大活躍する。そしてその対価とでも言うべき美少女が、主人公の傍らに侍る――――そんな王道な物語たちを少年は読み漁った。
読めば読むほど、その世界に引き込まれる、魅了される。冷静に考えれば中にはひどい作品もあるのだが、どんなジャンルにも必ず良作と呼ばれる作品は存在する。今まで避けていたジャンルでも、そういった良作のおかげで楽しめるようになれば、そこには無限の鉱脈が広がっている。
SS世界への入門――それが山本少年の日々に、ささやかな彩りを与えることとなる。
そしていつしか、もしも自分がそんな主人公になったなら……という妄想にふける様になった。神様に出会ったらどんな特典を貰おうか、容姿はやはり銀髪オッドアイかあえての地味系か。転生する世界はFateのような1人のヒロインととことんラブるか、ネギまで中学生相手にハーレムを目指すか……こんなことばかり考えるようになった。
「やっぱ基本は600年前エヴァ√でアンチマギステルマギでしょ」という結論に至るのがいつものことなのだが、それでもそう言う風に「非凡な自分」を想像する事が、楽しかったのだ。

だが、現実はそんな大冒険な脳内自分とは裏腹に、いたって普通な毎日だった。毎朝起きて、学校に行って、帰って宿題して寝る。この繰り返し。たまの休日も、パソコンの前にかじりついていればすぐに日暮れを迎える。変わり映えのない日々――退屈な日常がメトロノームの振り子のように朝と夕方の間を行ったり来たりするだけの生活が流れて行った。
――――だがしかし、それも夏休みに入ることで、大きく転機を迎えることとなった。

その転機とは、母親が商店街の福引で当てた、オーストラリア一週間の旅だった。
夕方の買い物に連れだされた山本少年は、その日の事はよく覚えている。
昼間の熱がまだ残っている、蒸し暑い時間帯だった。日曜日だというのに無理矢理外に引っ張り出され、荷物持ち要員として夕方の商店街を歩いていた時のことだった。肉屋で立ち話を始めた母親にうんざりした目を向けながら、近くのベンチに座って缶ジュースを飲もうと腰かけると、そこには自分以外の人間が既に座っていた。

老人と言うには若く、中年と言うには老いたその男は、正面を向いている筈なのに正面を見ていなかった。ここではないどこか、それこそ目には見えない存在をとらえているかのような、あやふやな焦点を空中に結んでいた。
漠然と、通行人の何かを品定めしているのかと思われた。理由は分からないが、ただそう感じた事だけは不思議と強く印象に残っている。
だが、そんな思いも水泡のように儚く消え去り、常識的な思考がすぐに取って代わる。「ああちょっとボケちゃったのか」と、かなり失礼なことを考えた山本少年だった。
それでどうこうという訳でもない。特に害があるでなし、そのままボケっと座って、水滴がついた冷たいアルミ缶のプルタブを開けた。
街路樹にひっついてやかましく鳴いていたセミが、突然鳴きやんだと思った次の瞬間、ふと空気が動いた気配がした。妙に気になってちらりと再び横を見て見ると、忽然とその男性は姿を消していた。
真夏の黄昏時に見る一種の白昼夢のように、全く気配もなく、男は立ち去っていたのだ。
その去り様にしばし唖然となるも、今まで男がいたベンチの空間に、一枚の福引券が取り残されるように落ちていた。
商店街が発行するには少々立派な気がするそれを、山本少年は一応落し物だということで本来の持ち主であろう男を探した。不思議と印象に残りやすい姿だったため、すぐに見つかると思われた。第一、ここはさびれ始めた地方都市の商店街だ。
だが、いくら夕方といえどそれほど人通りが多くないハズだと言うのに、後ろ姿すら見つからなかった。流石に落し物で福引するのは気が引けるなとは思ったが、帰って来た母親にひったくられてしまう。そして、そのまま福引会場へ向かう事となった。

拾得物横領という単語が浮かんだが、特に抗議はしなかった。そこには、どうせポケットテッシュだろうという思いと、持ち主が見つからないならばという思いが絡まった結果だったが、これが見事に一等を引き当ててしまう。年齢に似合わず手を叩いてはしゃぐ母親を見ながら、良心の呵責を少々感じ、しかしだからと言って辞退するまでもなく、少年とその家族はオーストラリア旅行へと旅立った。これが八月の頭のことだった。そして、機上の人となった山本少年がオーストラリアの荒野を写したパンフレットを見ながら眠りについて目覚めると、そこから先は冒頭の場面へと続くこととなる。







「しかし恋姫だとすると所属はどうなるんだろう?」

山本少年は、とりあえず近くの岩場で丁度良く日陰になる所を見つけるとそこに入り、腰をおろして思考にふけった。夏だと言うのに冬用の学ラン何かを着こんでいるから、暑くてたまらなかったのだ。出来れば冷たいジュースを飲みたいが、絶対に自販機が置いてないであろう荒野なので、ここはぐっと我慢せざるを得ない。そして我慢している事を忘れるために、頭を働かせて考える。議題はズバリ「今後の身の振り方」である。

ここで現状の整理をする。
SS業界のテンプレ的なストーリーでは、恐らくこれはトリップと言われる現象と推察されるだろう。乗っていた飛行機が事故かテロに巻き込まれ、寝ている内に絶命。そして何かの拍子に異世界へというのが大筋の流れと考える事が出来る。
二次創作界隈ではトラックに轢かれそうになった女の子を助けて、それを見ていた神様が「おおなんと素晴らしい人間なのだろう」とか「本当は死ぬ運命でなかった」とうの理由で、漫画やアニメの世界にチートな特典付きで転生させてくれるのが超王道だ。
むしろやり過ぎて「食パン食べながら走っていたら曲がり角で転校生に激突して~」と同等の、それ自体がネタとして扱われるくらい手垢が付き過ぎてテカッている設定だが、逆に分かりやすいということで多用されまくる万能設定だ。これを最初に考えた人は誇って良い。ただし、人に堂々と言えればだが。

しかし、今山本に降りかかっている現象はそうではない。女の子を助けた訳でも神様に出会った訳でもない。この時点で王道からは外れる。だが、幾つもの夜をSSと共に明かした山本少年の脳内では、今必死にいままで読んできたSSの中から最も現状に適している作品を検索し、はじき出す。その結果は――――


「覚醒系……か。チッ!」


トリップと言えばチート特典、すなわちトリップした以上チート特典は必ず付与されている。しからば、それが分からないのは隠されているからであるという、非常に論理的な思考の果てに得られた結論が、覚醒系だった。商業誌でも見られる、血統に隠された秘密の力的なアレである。

時たま、自分自身が貰ったチート特典をあえて忘れさせる展開というものがある。大体ピンチになると都合よくその場を切り抜けられる超絶パワーに目覚める、というパターンがこれまた定石となっている。今回はそれであるというのが、山本の結論だった。

だが、この結果に山本少年は少々不満気だ。
というのも、せっかくチート特典が貰えたのだから、やたらめったら使いたくなるというのが人情である。不必要な場面でも周囲の迷惑顧みず最大火力でぶっ放したいというのは、多くの転生者達が通った道であると言えよう。その例にもれず、山本も早々にチートしたかった。そして尊敬の目で見られたかった。自分に眠っている力が分からず、その発動条件もピンチにならないと使えないと分かると、ちょうどおあつらえ向けの無人の荒野を前にしているということもあって、ド派手に一発試してみたいという欲求がムクムクと湧き上がってくる。端的に言えばばTUEEEをしたくてしたくてたまらないのだ。


「つか、誰でもいいから人来いよー。暇なんだよなぁ」


そして、いい加減1人でいる事に飽きて、すね始めた。恋姫世界(?)なら、早々に誰かしらオリ主たる自分に接触があってしかるべきであるという思いだった。この際、黄布賊の三人組みでも良かった。あれならまあ、適度にピンチで能力の覚醒には好都合だろうし、実験台としても申し分ないと割かし危険な考えを山本が抱き始めた丁度その時。

「ん??」

ドドドドドっという地響きを感じ取った。

「――まったく。天の御使いを放っておくとは何たる不敬、何たる無礼か。だが、寛大なる吾輩はその罪を赦そう」

一人称が吾輩とか、なんだか偉そうなことを言ってはいるが、その顔はニヤついている。既に役柄に入り始めた山本少年だった。ちなみに設定は、ちょっと悩んだ結果、SS用ネタノートに書きためていたオリキャラを意識している。
余談ではあるが、許すではなく赦すのがポイントである。本人以外にはどうでもいい上に、発音上は同じなので気にしなくても構わないが一応触れて置くことする。

全く、けしから、けしからんなあと、ブツブツ緩んだ顔で呟きながら、手早く熱さで堪らず脱ぎ散らしていた学ランを着こんでいく。ついでに、軽く身支度を整える。なんせ歴史に残るであろう偉大なる天の御使いの初登場シ―ンである。出来るだけ偉そうに、しかしただ偉ぶっているだけはいけない。そこにはそれ以上に威厳を含んでいなくてはいけないのだ。その為には、ここで着衣の乱れがあるのはいただけない。例えば、神様が後光と共に現れても、服にラーメンの汁がついていたら色々台なしになるだろう。それと同じ話しだ。
――――もっとも、本人にその素養があるかないかというのが最大の問題だが。


「あー……あー……喉のチェックよーし」

喉の調子を確認し、さっと岩場から躍り出す。前方数百メートル先から、土煙りを上げながらこちらに向かって前進してくる集団が見えた。
100や200どころの数ではない。灼熱の大地に立ちあがった揺らめく陽炎を突き破り、それは真っ直ぐと突き進んで来る。
よくよく目を凝らして見る。馬だ。そしてその馬の上には人影があった。すなわち騎兵である。
胸に広がる期待感は、加速度的に増大していった。いよいよ最高にカッコイイ自分の晴れ舞台が近づいてきていると思う。すると気分がうなぎ上りに高揚しているのをハッキリと感じとれた。

(騎兵といえば……公孫賛――最初は真名すら設定されてなかった公孫サンかー。まあいいや、魏だとイージー過ぎるし、蜀だと劉備がウザいし、呉だと公然と種馬あつかいだからなー。いいんじゃない? 地味だけどやりがいあるし?)

などと、三国志ファンに公然と喧嘩を売るような考えを浮かべる山本少年。三国志知識は恋姫無双、それもその二次創作オンリーで原作はプレイしたこともないクセに随分な物言いである。こういう風に世の中を舐めている少年には、古来よりバチが当たると相場が決まっているものだ。
そしてそのバチというものは、案外早く降りかかってくるものだ。



「……あれ? 何であの人たち半裸なの?」

「―――――――――――――」

遠く、叫び声が聞こえる。馬蹄の音でかき消されては居るが、確かに彼ら騎兵の集団は何ごとかを叫んでいた。聞き取れないが、何か雄叫びの様な風情がある。


――何でモヒカンヘアーなの?

その間にも、距離はグングン近くなる。遂には、彼らの特徴的な髪形すらも認識できるほどに。

――何で肩があんなにガッチリしているの?

彼らは皆一様に、肩に板の様な物を装備している。俗に言う肩パットだ。
ダラダラと、熱さが原因ではない汗が背中に流れ落ちる。あれは、あの姿は――――


「ヒャッ――ハアアアアアアアア!!!! 」

後塵を引き連れて爆走するそれは、you are shock!なあらくれ集団。唯一違うとしたら、バギーバイクが馬である点だけだったが、それは確かに、199X年の核の炎に包まれた後の世界で名を馳せる未来の蛮族達だった。狂気と凶器を振りまいて、馬をバイクの代わりに疾走する彼らは、絶対にカタギではない。少なくとも、公孫賛(真名・白蓮)のような治安を維持する側の人間ではない事だけは確定的に明らかだった。それどころか、一応は美少女に属する白蓮と同じ種族とは思えない。

「……ま、間違えたかな?」

堪らず吐いた呟きは、力無くモヒカン達の喧騒によって掻き消えて行った。
山本少年の無双な転生生活に、さっそく暗雲が立ち込めるのだった。







あとがきとあいさつ

みなさんお久ぶりです。自分のスタイルが未だに確立できない瞬間ダッシュです。
前回の投稿から約一年も経過してしまいましたが、なんとか新作を投稿することができました。
というのも、この近代編を書くにあたってかなりの数のプロットを作っては没にしていた結果、当初の予定以上の時間がかかってしまった次第であります。
主にストーリと、主人公の設定で、めちゃくちゃ悩みまくりました。それで、これ以上悩んでたら一生続きなんて投稿できないだろうという危機感の元、もうこれでやってやる! という半ば自分を追い込む形で今回の投稿となりました。いかがだったでしょう? つまらなかった、糞つまらなかった、書き直せカスなどなどの感想でも良いので、ぜひよろしければ一言よろしくお願いします。

追伸
さて、今作から三人称視点を使うこととしましたが、どんな感じでしょうか? 投稿に先だって、一応練習として何作か投稿してみた結果、個人的にはなんとか形にできたかな? というような感じです。



[40286] 近代編 序章②
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:95ce0ae2
Date: 2016/01/16 20:53


本来の地球歴史において、世界に存在する大陸は全部で6つ存在する。その中で最小の大陸と呼ばれるオーストラリアは、周囲を海に囲まれた巨大な島とでも言うべき大陸だ。
特筆すべき点は、土地のほとんどが耕作に適さない不毛な大地であるということだろう。その原因は、最東部の山脈が太平洋から運ばれてくる湿潤な空気を遮り、同山脈で大量の雨を降らしてしまうためである。この山脈より西の大陸中央部は乾燥し、大陸のおよそ半分が乾燥地帯に属する過酷な大地となってしまう。特に大陸の西部に至っては大半が沙漠であり、ほぼ無人の荒野が広がっている。
このような過酷な生活環境であるため、太古の時代から人は居住するものの国家と呼ばれるようなものは自然発生せず、加えて他大陸とは海を挟んでほぼ孤立しているという立地の為、文明の伝播と言うものもなかった。結局、オーストラリア大陸の存在が歴史の表舞台に現れるのは、17世紀から18世紀にかけての西洋の探検家による発見を待つ必要がある。
だが、それまでよくも悪くも内に籠って慎ましく暮していたこの大陸の先住民たちは、これより先に過酷な運命を辿ることとなる。
西暦1770年のことである。海洋大国として世界に進出していたイギリスがオーストラリアの東半分を領有すると宣言し、更に1788年には独立戦争で失ったアメリカ大陸に代わる流刑地となり、犯罪者の流刑という形でもって定住が開始されこととなる。
1828年にはついに同大陸全土がイギリスの植民地と化し、その段階で先住民たちのほとんどが土地を取り上げられ、ある者は放逐され、またある者は殺害された。こうした政策の結果、西暦1830年までに純潔の先住民たちは全滅することとなる。
時代は19世紀。帝国主義が血と屍を養分に猛毒の花を咲かせようとしていた時代には、弱きは悪であり罪であった。かような弱肉強食の世界に在って、国家すら持たなかったオーストラリアの先住民たちは瞬く間に歴史の闇へと葬り去られてしまう。ものの善悪を問わず、力こそが自身の身を守る最良にして唯一の道であった中、彼らは余りにも無力であったのだ。

しかし――この世界のオーストラリア大陸は少々異なる歴史を歩むこととなる。その原因はそう、はるか昔に捲かれたもう一つの世界からの種が発端となる。この世界は太平洋、その洋上に浮かぶ『第七の大陸』に芽吹いた花が、着々と世界の歴史を変えようとしていた。さらに、今また一つ、世界に波紋を広げる存在が彼の地に舞い降りる。




近代編プロローグ②

「ヒャッハー!!」

オーストラリア――否、現地呼称ウルル大陸の片隅で、彼らは走る。振りまく蛮声は馬の嘶き声よりもハッキリ高らかに。大量の馬が通ることで生まれる連続的な蹄の音が、太鼓を連打するが如く大地を踏み砕き上げる。彼らは手に持った槍や弓と言った雑多な武器を叩き合わせながら、天下に存在を誇示するように愛馬を疾走させる。
なんとも目立つ存在だったが、注目すべきは彼らの格好である。
頭髪は両サイドをそり上げた上で頭頂部の毛髪をライン線上で伸び生やし、加えて草木や動物の血を使って染め上げて逆立てている。両の肩には多種多様な動物の頭蓋骨を利用して作られた肩当てが付けられており、異相の集団が醸し出す怪しげで凶暴な存在感を倍増させることに一役かっていた。
乾燥した土埃を大量に巻き上げて、彼らは叫ぶ。我は此処なりと。彼らは訴える。我らは、我らこそは――――

「ヒャッハアァアアア!!!! パッドゥ族御一行のお通りだァアア!!」


パッドゥ族の若き族長にして自称未来の大陸の覇者、カタ=パッドゥは両肩のカンガルーの骸骨を旗印にして、そう名乗りを上げた。
自らの存在を天に示し、これから行う行動を照覧あれと高らかに宣言したのだった。

パッドゥ族はここウルル大陸に先住する部族のひとつである。彼らは過酷なウルル大陸西部において、採取狩猟生活を行いながら極限世界を生きて来た、由緒正しいウルル大陸先住民族だ。
だが、彼らが先祖代々守ってきた伝統に従ってつつましやかな狩猟生活を営んでいたのは今は昔。今のパッドゥ族の生活は、変化を余儀なくされるほど追いつめられていた。

暦を持たない彼らの一族がこのような事態にいたることとなったきっかけは、彼らの曽祖父よりもなお昔の時代の事。すでにその時代に生きた者は死に絶えて久しい大昔に、遠く北の大地に住まう稀人の到来が始まりだった。その稀人達は大きな木でできた水に浮かぶ箱で乗りよせ、ウルル大陸南東に位置する海岸に辿りつくと、現地諸部族と手を組んで、クニなる集団を作った――――そのように一族の口伝で伝わっている。そしてそのクニの名称をウルル公国とし、集団を構成する諸部族をウルル人なる一族として再構築した。
未だ原始的な生活スタイルしかなかったこの大陸に、本来の史実ではあり得ないタイミングでの文明が誕生した瞬間であったのだが、その大きな意義を理解できる者は、ウルル大陸には皆無であった。
事実この段階におけるパッドゥ族も、特に関心を払うことはなかったという。頑強な肉体と健脚を誇り、大地を所狭しと駆けまわっては獲物を狩る彼らにとって、祖先の教えを捨てて他所者に頭を垂れつつ定住して土をいじくりまわす存在など、滑稽で取るに足らない存在でしかなかったからだ。むしろ狩り場の縄張りが増えて助かったとすら思っていたほどであった。
だが、その認識が一変するのに、そう長い年月はかからなかった。

ウルル大陸は、史実のオーストラリア大陸同様に、基本的には不毛の大地が延々と広がる過酷な土地だ。一部はそうでもないが、大部分は生きることすら困難と言わざるを得ない砂漠地帯である。そんな人ばかりか生き物が生きるのにすら厳し過ぎるような環境下にあって、なんと土をいじるだけのウルル公国のみが、ほとんど望外なほどの豊かさを享受する事が出来た。

それは多くのウルル大陸先住民族達にとっての、まさに青天の霹靂とでもいうべき異常事態。ウルル公国周辺に広がる、瑞々しい食べられる植物と、巨大な木と石で出来た大きな建造物群を見たときのパッドゥ族を含めたその他先住部族の衝撃は計り知れないモノであったと言う。
何日も獲物を求めて荒野をさ迷う必要もなければ、獲物の生血で喉を潤す必要もない生活が眼前に広がっていることに、彼らは羨望の思いを強く抱いた。
続いて、先祖代々の教えを律義に守る自分たちよりも、教えを放棄した連中のほうがいい暮らしをしていることへの率直な嫉妬と憤慨を覚える。

だが、今更頭を下げることなどできない。彼らはしょせん、土いじりの集団でしかない。一族の伝統と矜持をあっさりと捨てて、見た事もない様な土地からやってきた他所者にペコペコ頭を下げて服従している存在の、その更に下につくなどあってはならないことである、とかたくなに信じていた。
しかし、その豊かさは是が非でも手に入れたい、享受したい――そう身勝手で自己中心的な感情にまんじりと苦悩する日々に対して、ある日唐突に解決策を示されることとなる。欲しいのならば奪えばいいと、至極単純な方法を思いついた他部族が先んじて動き、ついに掠奪を行い始めた。
獲物を狩る為のブーメランは人を刺し殺すための槍に代わり、獲物を追う為の健脚と肉体はウルル公国の田畑を蹂躙する為に使用された。結論を言えば、今ここに、ウルル公国と先住諸部族による抗争が勃発することとなったのだ。

ほとんど奇襲的な略奪は見事に成功した。ほぼノーリスクでハイリターンな狩りを、すぐ近くで見せつけられてしまうこととなる。戦果を見せ続けられるようになってしまえば、今まで先祖の教えをギリギリまで守ってきたパッドゥ族も、ついにその思い腰を上げざるをえなくなる。

別段、食料が足りない訳ではない。彼らの日々の分くらいの獲物なら、わざわざ他人から奪う事もなく獲得できる。だが、自分達はそのままなのに周りが豊かになって行く様というのは、人間の心を想像以上に掻き乱すもので、この度の略奪遠征にしても、実体は政治的な理由が大半だった。すなわち、このままでは一族の中から離反者が現れかねない、いまは何とか抑えつけているが、もしそうなったら部族は空中分解するだろう、というのが最大の原因といえた。
そんな事情から行なうこととなった第一回目の略奪遠征、その先頭に立ったのは、パッドゥ族の若きリーダーであるカタだった。

先代から新たに族長の地位を得たカタは、最強の勇者として勇名をはせていた。彼の両肩にはめられたカンガルーの骨は、彼が武器を使わず素手で仕留めたものである。そんな誇り高き勇者は、一族の正装でもってこの度の『狩り』を行なうつもりだった。

特徴的なモヒカンは自らの存在を高らかに示す事と、動物の骨を身につけることで周囲を威嚇し、それでもなお向かってくる気骨ある獣のみ狩ることを表す神聖なる衣装。
そもそも、パッドゥ族の言語に略奪という単語は存在しない。あるのは「狩り」、すなわち自分自身の命を賭け金にして行なう真剣勝負のみ。
如何に言い変えようとも略奪は略奪ではあるのだが、パッドゥ族の根底には、弱肉強食の掟が根強く残る。それでもなお、カタは敬意を表した上で奪おうと考えた。
この戦いが、一族の存亡をかけたものであるという事は重々承知ではあった。だが、これからの狩りをきっかけとして今までの自分たちから変容しようとする中に在って、それでもなお不変の何か、自分達の心の中に確固たる先祖代々の教えを保持したかった。

「ヒャッハアアアアー!!」
「「「ヒャッハハアア!!」」」



ヒャッハー! とカタが叫べば、彼に突き従うモヒカン達も続いて叫ぶ。生きるか死ぬか、大一番を前にして、パッドゥ族の面々は燃えに燃えていた。だが、その叫びには僅かな不安の色が隠しようもなく滲んでいた。みな、内心では不安だったのだ。別に罪悪感に苛まれいる訳ではない。常に命のやりとりを、狩りを通して行なっているパッドゥ族の道徳では、弱い方が悪いとする。負ければ勝者の糧となるだけという簡単かつ明瞭な風習において、狩るモノが動物から人間に代わっただけなので、道義的問題はあまりない。ただ、今までの経験が通用するかどうかが未確定であることが恐ろしいだけだった。あるいはそれは、未知への恐怖かもしれなかった。




「ヒャッ――――」
「お頭ァ 前に変な奴がいやす!」

今一度、そしてこれまでよりも大きなヒャッハーを叫ぼうとしたカタを制したのは、並走する部下の1人だった。便宜的にモヒカンAと呼称する。モヒカンAは器用に片手でたずなを握りながら、空いた方の手で前を指さす。余談であるが、馬術や馬というのも元々パッドゥ族の中には存在しなかった。これもウルル公国から伝播した技術だった。

「バカ野郎! 口でクソ垂れる前か後ろにヒャッハーを付けろと言っただろうがマヌケがぁ! 頭ぁ出せ! ぶったたいてやる!」
「痛ッ痛いですお頭! 申し訳ありません、ヒャッハー!」
「よーし、今度忘れたら消毒だからなヒャッハー!」
「ひゃ、ヒャッハー!」



消毒とは、傷を負った所に酒をぶっかける行為である。医療行為であると同時に傷口にしみる痛みが一種の罰として機能していた。その際、「お傷は消毒だー!」と叫びながらやるので、めちゃくちゃ目立って恥ずかしいという。使用される酒は罰せられる者の所持品を使われるので、精神的にも経済的にも損失を喰らう恐ろしい罰だった。

さて、ガツンとモヒカンAの側頭部を殴りつけてほどほどに怒気を抑えたカタは、指摘された前方に向けて改めて目を向けて、じっと遠くを見つめて見る。
陽炎が揺らめく大地の彼方に、確かに人影を発見した。

「なんだぁ、ありゃあ?」

続いて、その不自然さにいぶかしんだ。この辺りの大地に住まう民は、とっくの昔にウルル公国への恭順を示し、移住していったハズだ。そうでなければ、このような雑草すら満足に生育できない様な場所に1人でいる訳がない。疑惑は確信に変わる。アレは普通じゃあない、と。

「ヒャッハアア!! 轢き殺されてェかあ――――!!」

威嚇。まずはこれで出方を窺うことにした。こんな所に1人でいるなんてあり得ないとは思うが、ウルル側の斥候や戦士である可能性もある。
だが、ソレは動じることなく、相変わらずそのままの姿で立ったまま動かない。
さらに彼我の距離が近づいたことによって、その不審者の詳細が鮮明に見れるようになってきた。よくよく見れば、どうにも見慣れない格好をしている。一体どのような植物や動物の液体で染めたのか、真っ黒な服と靴を身につけている。

(ヘッ! どこのどいつだか知らねえが丁度いい獲物だ!)

おかしい、そういぶかしむカタだったが、それよりもなお強いワクワク感がむくむくと湧き上がってきた。パッドゥ族はこれより決死の狩りに赴く訳であるが、彼らの昂ぶる感情をぶつけて腕慣らしをする格好の獲物に思えた。あの見た事もない珍しい衣は、奪い取ってしまおう。しかしそうなると、傷を付ける訳にはいかない。ならば脅し取った後、血祭りに上げるのがよかろうと、冷徹な計算を即座に行う。
――――よし。

カタは右手を上げて、部下に停止を命じた。そしてそのままワザと乱暴に、その人物の前で馬を止めた。
大きく息を吸い込んで、一喝する。これが彼と彼に従うパッドゥ族の運命を、そして世界の歴史に大きな変革をもたらすきっかけであることにも気付かずに。








「ヒャッハアア!! 轢き殺されてェかあ――――!!」
(ま、周りにいるのは、360度水平線の向こうまでモヒカンだけ……だと?)

威嚇の雄叫びを上げる族長そっちのけで、山本少年は絶望していた。それは見るからに危険な匂いを発している蛮族を前にして、わが身に降りかかる不幸を想像して打ちひしがれていた――訳ではなかった。
もしも彼が素のままであったならば、このような世紀末的集団に出会った瞬間に大小共に漏らしてズボンに大きなシミを作っていたことだったろう。きっと手持ちの種モミを強奪されたり、ピラミッド的なものを作らされる労働力にされてしまうことだろうことは想像に難くない。普段の山本少年は普通の高校生なので、そうなることは太陽が東から昇るのと同じくらい当然のことだった。

だがそれは普段の、日本で平凡な高校生活を送っていた時の山本少年であったならばの話である。
彼は恐怖などしていない。それは今この少年が、自分がチートを与えられたチートオリ主であることを全く疑っていないからだ。彼が抱いているのは、彼が落された世界そのモノに対する絶望だった。

(――――ふざっ! ふざけんなぁああああああ?!)

心の中で慟哭する。ヒロインらしき女性が、影も形もない事に。これではボーイミーツガールではなく、ボーイミーツモヒカンズである。
モヒカンまでは赦そう。しかし、それはあくまでヒロインの登場を盛り上げる為のエッセンス、すなわち引き立て役としてである。間違ってもこんな、いかにも主人公にヒデブされるために存在するしか能がない雑魚ABC……がでかい顔をして、主人公とヒロインがする運命的な出会いを邪魔していい訳がない。それは世界の運命律に対する重大な違反だ。
出るなら「お前いままでスタンバッてただろ」と言いたくなるような絶妙なタイミングでヒロインが飛び出してこいよ、そうすれば颯爽と俺がパパッと片づけてフラグが立つって言うのに!――――と、山本少年は地団太を踏んだ。

それは例えるならば、いい感じの学園系エロゲを購入してさっそくプレイしようとしたら、いきなりヒロインが惨殺される所から始まる猟奇系だった――という感じだろうか。山本少年は、パッケージ詐欺も甚だしいクソゲーを、あまつさえフルプライスで世に送り出す不届きなメーカーが世界で最も許せないのだ。
世の中には、作法というものがある。古今東西、若い少年が異世界に落されたのならば、最初に邂逅するのは美少女と相場が決まっているものだ。そうでなくても、荒くれ者とセットに出すのが常道だ。行き倒れていたところを助けられるというのも大好物だ。
学園モノなら学園モノ、転生モノなら転生モノとしてのお約束を守れと言う話なのである。バッカじゃねえの、なんでオリ主が最初に出会うのがむさくるし野郎の群れなんだよ空気読めよ、と山本少年は会った事もない神に文句を付けた。


グチグチとあーでもないこーでもないと不平不満を垂らす山本少年の目の前に、遂に族長カタがやってきた。馬を乱暴に停止させたから砂埃が舞って煙い。それがまた、山本少年の神経を逆なでした。視界にすら入れることを拒否したい存在だった。

「その衣を寄こしなァ! 小僧ォ!!」
(あーもう、うっさいなぁ――!)


テンプレを守れない無粋な世界を構成する腹立たしい存在に対して、一気に感情が沸騰する。イラッとした思いをそのままに、山本少年は眼前の蛮族を睨みつけ、諸々の不満を込めつつ口を開く。

「貴様……誰に向かって口を開いていると思っているかッ」
「ッ?!」

喉から出た声は、本人もびっくりするような底冷えする声だった。だが本人以上に驚いたのが、族長カタだったことには、ただ八つ当たり気味の山本少年は気付かなかった。
もっというと、さっきまでのキャラ設定のままだったことにも喋り終わるまで分かっていなかった。発言した後、ちょっと照れる感じがしたが勢いのまま行くことにした。

「テメエ……何を余裕ぶっこいてやがる――!」
「ほざけ。そもそも吾輩を見下ろすとは何処までも礼義を知らぬ愚か者め……まずは下馬して――――跪け!」

と、かなりノリノリである。ちなみに余裕の態度なのは、いざとなればチートが目覚めて指先一つさ~~とお気楽に思っているからである。中指と人さし指を使って「クンッ」と挨拶すれば、辺り一帯を吹き飛ばせるくらいの力は余裕であると何の根拠もないのに思っていた。その上、半身を引いて指を「跪け!」発言に合わせて突きつける、気取った格好をするものだから余計に始末が悪い。
だが、あるいはこの悪乗りがどこかの神様の目に留まったのだろうか。ここで小さな奇跡が起こる。

跪け! にタイミングを合わせるかのように、その時突風が吹いた。
さらに見慣れぬ格好の人間が、突然大声を出したことに驚いた馬が俄かに棹立ち、これには訓練を積んでいた族長も堪らず放り出されてしまう。

「なあっ!?」

信じられないというような顔をする族長。だが、それよりもなお驚いたのは彼の部下たちだった。傍から見れば黒尽くしの異装の男が怒鳴り声を上げながら突風を吹かせたように見えたからだ。
そして、族長が放り出された事によって本当に地べたに跪いたようにもみえる。


(風を操るのか!? ヒャッハー!)(あんな格好みたことねえゼ!ヒャッハー!)(お頭の威厳が……消えた……?ヒャッハー!) と律義に心の中でも発言の後ろにヒャッハー!を付けて驚愕する。
もちろんこれは完全なる偶然だが、実際にそう見えてしまったのだからしかたがない。
さらに――

「吾輩は地獄を総べる第六超魔王ルシファ=ベルゼブブ・ノブナガが直属、6大魔将軍の1人にして焔の堕天使! ✝煉獄院朱雀✝であるぞ頭が高い! 控えろい!」
「「「へ、へへ~!」」」

何かいい感じに盛り上がっていたので、空気を読んで「僕が考えたカッコイイキャラ」のまま語る山本少年の姿がそこにはあった。基本、人は堂々とモノを言うと例え嘘っぽいものであろうが「あれ、これだけ自信たっぷりに言うってことは本当なんじゃね?」と割と根拠なく思ってしまう習性がある。
チートがあるという絶対的自信と、ノートの上でシコシコと考えていた口上、そこに先ほどの自然現象とカッチョイイ格好が加わることで、山本少年の言葉には絶対的な信憑性が生まれしまった。
こうして――今ここに、山本八千彦根改め、✝煉獄院朱雀✝がウルル大陸に降臨したのだった。合掌。











[40286] 近代編 序章③
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:95ce0ae2
Date: 2016/01/16 21:15
大陸の中東部には大きな盆地が広がっている。そこに本拠地をもつウルル公国は、エアーズロックを御神体とした原始宗教を信奉する諸部族を母体として構成されている。この国は荒れ地を利用する技術や文字といった基本技能を「稀人」から習得し、その指導の元に成立した都市国家だった。
政治は各族長による合議制をとり、独自の技術開発や生産行動をとっている独立国家なのだが、その国力は低い。一つはそもそも耕作に適した土地が少ないことと、特に目立った資源がないことに起因するという、土地と気候に根ざした欠陥があるためである。そして、こちらがより深刻な懸念として、ウルル公国の国力に対して大陸が広すぎ、支配下にない土地が大量に存在するという点。
即ち、同国家が大陸をほとんどコントロール下に置いていないということを意味する。これが治安面において重大な問題をもたらしていた。
現に今、ウルル公国の国境に程近い村には、招かれざる客が訪れていた。



ウルル公国の領土は、大陸中東部の盆地がほとんどなのだが、これには大きな理由があった。というのもこの盆地は何と、井戸を掘ると水が自噴してくるという少々変わった土地だった。東部の山脈に降った雨水が地下を通って噴き出している訳なのだが、この水があるからこそ、砂漠気候における土地であっても人が生活する事が出来るのだ。しかしこの地下水、実は多量の塩分が含まれているため農業には適さない。そこで塩分と乾燥に強い作物を育てる他に、羊の牧畜を行うことでようやくそこそこの生活している。だが、当然のことながら安定しているだけで豊かではない。


「オイオイ! こーんなに溜めこんじゃって……今年も食料アザーッス!」
「「「アザーッス!」」」
「堪忍、堪忍して下さい。それは冬の分の……!」

毛皮を腰に巻いた粗野な男達の集団に、老人が縋りつくように這っている。傍らの粗末な家々は既に大部分が荒らされていた。羊たちを囲っている柵は手荒に乱入されたことで、もう作り直さない限りは使い物にならないだろう。何度も試行錯誤してようやく作った畑も踏み荒らされている。農業をする者にとって、畑というものはある意味作物よりも貴重である。一種のインフラなので、荒らされた場合の復旧に手間取るという意味で、ただ単に作物を奪われるよりもダメージは大きい。
うねに出来た無数の足跡を見るにつけ、切なく悔しい。
その上、この先迎える冬を前にして貯蔵していた食物や、いざという時に現金に換金できる羊毛が奪われてしまっては、無事冬を越せるかどうか怪しい。下手をすれば全員首をくくらなければならないので、老人は必死に縋りつくが、無法者たちは全く躊躇することなく村の穀物倉に踏み込んでいく。

「アニキィ! こいつら家の中の地下に酒も隠してやがりました!」


蛮族の1人が、大声でリーダー格の男に声をかけて来た。この時、老人の顔が激しく動揺する。蛮族の男がその両手に抱えているのは大きな樽。「そ、それだけは!」と老人がかつてない形相で焦るが、蛮族達は「ウェーイ!」と歓喜の叫びを上げて群がる。みるみる内に蓋は破壊され、中からはアルコールの芳醇な香りを放つ液体が並々と内部を満たしていた。乱暴に開いた拍子にしずくが乾燥した地面にこぼれる。零れた酒はそのまま染み込んでいった。

(何度も試行錯誤して作った酒が……! コイツラの目を盗むために、あえて民家の中に隠しておいたというのに――クッ!)

度々蛮族の襲撃に晒されるこの村では、自衛までは無理でも何とか傷を最小限にする努力が行なわれていた。この酒もその一つで、飲み水に使えない水を苦労に苦労を重ねて酒として生まれ変わらせることに成功した、まさに努力の結晶だった。せめてこの樽一杯の酒さえ無事であれば、他の村から食料を融通してもらえる――そう思っていた最後の切り札のような存在が、いま蛮族達に見つかってしまった。
「倉の中身だけで満足して帰っていってくれれば……」と言う目論見は、粉々に砕けた。

「マジでぇ? ――おいオッサン、あんた酒は好きか? 好きだよな? 好きだと言えやコラ! 言わないと刺しちゃうよぉ?」

喜びの表情で迫る男の顔は、笑っているというのに見る者に絶望感を抱かせるような、暗く醜いものだった。
手にもった抜き身の鉄剣を老人の首元に突きつけながら、ドスの利いた声で低く脅しつけた。発言の意図が上手く読み取れないが、とりあえず「はい」と言わなければ殺されてしまうような有無を言わせぬ凄味に、老人はコクコク首を縦に振りながら是と言う。

「え、あ……はい大好き――です」

ニィ――!と、口を三日月のような形にする蛮族の男。「そうかそうか」と頷いてはいるが、目はあくどい事を考えているような不穏な光を放っている。(な、何なのだこの不気味な顔は…… ワシにどうしろと言うのだ!)と、老人がガクガク震えるのを抑えながら思った。男は酒樽を老人に抱え込ませながら叫ぶ。

「じゃあ、たらふく飲ませてヤンヨ! おいテメエら! アレやっぞ! せーの……!」
「「「オッサンの! ちょっといいとこ見てみたい! ハイ!」」」

突然の蛮族による斉唱に、戸惑う老人。蛮族達はみな不愉快な笑みで、手拍子と共に囃したてる。無駄に声が揃っている所を見ると、蛮族達にはお馴染みの行為なのだろうが、老人にとっては初めてのことで、どうしていいのか分からない。だが、そんな風に困った表情すら面白がるように、蛮族達は愉快愉快とニタニタとするばかり。

「は、え?」
「「「はい、いっき、いっき、いっき、いっき! はーい、はーい、はーい、はーい!!」」」
「飲むんだよ、全部! 一気飲みだ!」

ようやく何をしろと言っているのか分かって――老人は顔を真っ青にさせた。子供1人がまるまる入れるかと言う大きさの樽、それに並々と満たされた酒を一気飲みしろというのだから無理もない。無理だと叫びたかった老人だが、ギラリと陽光を反射する鉄剣を前にしては、とてもではないが出来ませんとは言えなかった。結局、圧力に負けた老人はゆっくり恐る恐る、樽に口を付ける。というよりもむしろ、樽の中に顔を突っ込むような形になった。蛮族達のボルテージも最高潮。


「ウッ……グゥ――――ブヘア!!」


懸命に頑張る老人だったが、土台無理な話。自分の胃袋より体積が大きい液体を、それもアルコールが含まれている飲み物を飲み干すなど不可能なのだ。結局、すぐに倒れ込むように仰向けで崩れ落ちる。

「「「ウェーイwwww!!!!!」」

そんな無様な姿を見て、蛮族達は大盛り上がり。奇声を上げながら、倒れ込んだ老人を尻目に略奪行為を再開する。
蛮族達が蹂躙して、無事な場所など村の何処にもなかった。




「ああ……収穫したやつ全部持っていきやがるつもりだ――!」

昇る煙というものは、遠くからの方がよく見える。村から離れた高台で、自分の故郷が蹂躙される様を彼らは終始悔し涙を流しながら見届けた。
彼らは襲撃前に察知して、ここまで逃げて来た村人たちだった。せめて人的被害だけでも無くそうという自助努力の賜で、犠牲者は逃げ遅れた老人以外ではゼロであったが、それを喜べるような心境ではなかった。
蛮族達はご丁寧に、物資を奪うだけでは飽き足らず、必要以上な破壊活動を行い、火まで放つ。火が家屋や倉庫に燃え移り、無数の煙を吐き出す様を見せ付けられるのはたまったものではない。


「クソ! あいつらいつもいつも俺達の村を襲いやがって! 公王様の軍はまだ来ないのか!?」

握りしめたこぶしを地面にたたきつけながら、村人の男が無念の思いを込めて唸る。本来、蛮族の略奪から村を守るのは軍の仕事であり、その軍を動かす公王の義務であった。だが、来ない。その気配すら見せずに、家畜もついでとばかりに奪われ、「ウチのベコがぁ……」と嘆く声が切なく響いた。

「きっとまた、他の村の防衛で手いっぱいなのさ!」
「手が全く足りてないんだ! あいつら数が多いから、いっぺんにやられるとお手上げだ!」

軍隊も決して遊んでいる訳ではない。ただ、圧倒的に数が足りていなかったのだ。軍隊と言う存在は、基本的に生産活動をしない。ただ保持しているだけで維持費という負担が財政にのしかかる。その経費を賄うのは税金であるのだが、耕作地も少ないこの国では、多額の軍事費は賄えない。軍の頭数が揃えられないので、蛮族達の襲撃を複数か所で同時に受けてしまえば、防衛出来ない部分が出てしまう。すると、略奪を受けて唯でさえ貧しい国がさらに貧しくなる。よって軍備をそろえられないという悪循環が続く。要するに、全部貧乏が悪いのだ。
加えて、広大な未支配領域に複数の蛮族達の拠点が出来てしまい、周辺の喰いつめ部族を吸収して、いくつもの略奪部隊を編成しているという。大陸はもはや、蛮族達が跳梁跋扈する危険極まりない土地だった。


「蛮族共の根城を直接やれればいいんだけどな……クソゥ!」


ある村人がそう言うが、それは無理な注文と言うものだった。蛮族の拠点は現在、東西南北に渡って広く点在しており、ウルル公国は大陸中央に位置する。
現在の公国軍は全部で三個独立大隊で、いずれも長槍兵を主力とする部隊だった。単独で作戦行動がとれる部隊として、戦力を維持しつつ出来るだけ部隊の規模を小さくして、多方面の防衛を可能としている訳だが、それでも周囲を満遍なく守るには一部隊たりない。この状況で、仮に蛮族の根城を攻略しに行ったら、確実に防衛が手薄になる。唯でさえ穴がある状況でそれを行なう事は、現実問題として不可能だった。
力なき者は嘆くのみ。それが今の現状だった。だが――――

「おい、アレはなんだ?!」

ドドドドドッと、土煙りを上げる馬に乗った一団が遠くから近づいてくるのを、目ざとい誰かが発見して悲鳴の上げるような声で叫ぶ。村人たちの間に「またか!」と動揺が広がる。これ以上何を奪われるモノがあるというのかと、絶望の色を濃くしていく一同。

「まさか別の蛮族が来たのか……? 今日はなんて日だ!」

今まで何度も蛮族達に襲撃されてきた村だったが、流石に同日に二回も荒らされた経験はなかった。余りの不幸に嘆く村人たちだったが――

「あ、父さん見て!?」

小さな子供の、声変わり前の高い声がする。立ちあがった少年は指をさしながらその集団を指し示した。
見ると、その一団は村にたむろする蛮族達の中に突っ込んでいったのだ。混乱する現場の中、黒い服をまとった異相の人影が、ハッキリとこの少年の目はとらえていた。







少し時間をさかのぼる。蛮族達はあらかた略奪を終えると、そのまま村の広場に居座った。連中はどうせ公国軍が来たとしても逃げ切れると高をくくって、もう全てが終わったつもりでいた。帰還もしていないというのに、随分と気が抜けている。
「遠足は家に帰るまでが遠足」――――21世紀日本では誰でも知っている言葉を贈りたい所である。



「えー、それではお待ちかねの配分の時間……と行く前に一つここでお知らせがありまーす!」
「「「ウェ?」」」
「なーんーと!」
「「「ウェ!」」」
「今日からここを俺達の第二の拠点としまーす!」
「「「ウェーイ!!」」」

村人たちが聞いたら卒倒しそうな事を言い放つ。だがこの時、蛮族達は油断していた。そしてそんな油断しきっている彼らを見つめる者が二人、この荒野に伏して存在していた。





「――――で、あそこで脳みそにウジが沸いているような声を出しているバカどもは一体何だ?」
「あれは……ドキュソ族の連中です。恐らくは略奪帰りかとヒャッハー」

オリ主を自称する煉獄院朱雀(本名・山本八千彦)と、パッドゥ族の族長カタだった。二人は馬に乗らず、岩陰に隠れるようにして眼前の蛮族集団を観察していた。

この二人。悪運が重なって大成功を収めてしまった演出の結果、なんやかんやの末、友誼を交わすこととなったのだ。
山本少年はノリノリで行なった青春の過ちの結果、パッドゥ族の相談役的なポジションに収まった。このような事態になったことを (さすがオリ主! とんとん拍子とはこの事だ!)と、あまり重く考えずに引き受けた。というのも、流石にいつまでも1人で荒野さ迷う訳にもいかないので、早々に人里なりに行きたいと思ったので、かなり軽く引き受けてしまったというのが実情だった。

山本少年は、さっそく今部族が抱えている問題に対する相談を持ちかけられた。先の「あいつのモノが欲しいけど頼むのが嫌だから奪っちゃおう☆」というものである。
まあ実際はもう少し複雑なのだが、頭が丁度いい感じに緩んでいた山本少年はそう解釈した。内心(コイツらマジ蛮族。ないわー)とドン引きだったが、そこは相談役になった手前、なんとかビシッと解決策を示さないとマズい。本人は気付いていないが、失敗すれば、山本少年のハッタリで築いた権威は失墜する。法も秩序もないこの部族内ではそれは即、荒挽ハンバーグにつながるのだ。

そうとは知らない山本少年は、とりあえずとばかりに「まずはその国とやらを見せてもらおう」とこれまた偉そうな物言いで、パッドゥ族を引き連れて視察へと赴いたのだ。元々、ウルル公国へ向けて進んでいたので、この申し出はすんなり通った。

そしていよいよ国境、というより縄張りと表現した方がいい辺りに近づいたところで、異変に気付く。先のウェーイ集団達による略奪行為で生じた煙を見つけたのだ。そこで山本少年は敏感にイベントの匂いを嗅ぎつけ、カタを伴って偵察に出たのだった。
そこで見つけたのは、何やら頭の悪そうな声を出しているバカの集団。服装はパッドゥ族とモヒカン肩パッド以外には大して変わらない。だが、何となく連中の言動が無性に腹立たしいのだ。
特に「ウェーイ」が。聞けば聞くほど頭が悪くなっていくようで甚だ不快だった。


「よしやるぞ。貴様は今すぐ部下共を率いて、馬に乗ったまま突っ込め」
「ヒャッハー。狩りですかい?」
「然り。油断しきっているバカどもに、狩りのなんたるかを教育してやれ」
「ヒャッハ! しばしお待ちを!」

ススッと音もなくカタはその場を離れ、1人素早く走り去っていった。ここから少々距離がある場所に仲間を待機させている為、少々手間だったがしかたない事だと割り切る。
問題は連中がこのままどこかに行ってしまう可能性があることだったが、運がいい事に蛮族達はその場でとうとう酒盛りを始めてしまう。全く持って都合がいい展開に、山本少年は不敵な笑みを浮かべる。
その酒盛りは、案の定「ウェーイw」の掛け声が連発。何の意味があるんだよソレ! と小一時間問い質したくなるのを我慢して、その時を待つ。

(ウェーイウェーイ楽しいかーそうなのかーでもこっちは全然楽しくないんだよ。オメエらみていると駅前のバカ共の事を思い出すんだよ!)

山本少年の地元では、未だに暴走族が存在した。地方都市でも天然記念物レベルで珍しい生物だったが、けたたましい音を鳴らして安眠を妨害する連中など保護する気持ちは一切わかなかった。
ヤツらと同質の匂いを放つ連中に、思わぬ所で今まで抱いていた鬱憤を晴らす機会に恵まれた山本少年は、残酷な表情で迫りくる馬蹄の音を聞き届けた。







アルコールが入っていよいよ宴会の盛り上がってきたとき、ふと蛮族の中の1人が、「あん?」と視線を上げる。
酒に弱い彼は少量しか飲んでいなかったのでその異音に気がついたのだが、周りはそうではないようで、相変わらず騒がしい。
そしてその陽気な喧騒が、一瞬後には一変する。
「ウェーイ!」「ウェーイ!」「ウェーイ!」「ウェー……な、なんじゃ――ありゃ?」
「「「ウェ?!」」

突如、蛮族の1人がだらしなく口の端から酒を垂れ流しながら彼方へ指を向ける。モクモクと上がる土煙りがそこにはあった。そして、大地を揺らす振動も。なんだなんだとお互いに顔を見合わせている間に、彼我の距離は一気に縮まる。そして、それがこちらに突っ込んで来ると分かった時にはもう、全てが手遅れだった。


混乱するドキュソ族達。そしてそれはこの場を取り仕切っていた男も同様で、突然の事に対処出来なかった。先ほどまでほろ酔い気分で盛り上がっていた場は急激に冷め、代わりに訪れたのは悲鳴と怒号がとどろく狂乱の宴だった。

「な、アレは――パッドゥ族のヤツらか?! なんでヤツラが――!」
「そんなこと言ったって――グハッ!」

耳障りな金属音に肉を切り裂く異音。そして絶叫――。
傍らの仲間が、飛んできた槍で胸を貫かれ噴き出す様を目撃して、ようやく全てを察した。自分達が今とんでもない窮地にいる事が。

「ヒャッハー! ようドキュソ族の。最後に会ったのは……まあいいや。けっこう前だったな」
「パッドゥ族のカタ! テメエら一体何の真似だこりゃ!」

非難の叫びを上げる。だが、それを受けたカタはどこ吹く風で飄々としている。何ら悪びれる事もなく、「何って狩りだよ狩り! 見てわかんねえのかよヒャッハ!」と言い放つ。

「獲物は俺たちじゃねえだろうが間違えんなコラ!」
「ヒャッハー!! いいや間違ってないね! ある所から奪うのが俺達のやり方だろ?」
「っ――ッザケンなァアアア――――!!」


激昂して、腰に下げていた剣を抜きはらって切りかかる。だが、その刃がカタに届く事はなかった。興奮して周りに目がいかなかったので分からなかったが、カタの周囲には既に護衛の取り巻きが多数存在しており、切りかかった瞬間逆に槍衾で体中をめった刺しにされていたからだ。

「ァ……?」

自分の身体から流れる赤い液体が自分の血液であると言う事に、呆けた顔でようやく認知出来た頃、すでに男の膝は折れ、荒野に出来た血だまりに身を沈ませていた。ドチャリという湿った音が周囲の怒号に混ざり、そのまま事切れる。
その様を見たドキュソ族の生き残りも総崩れ。抗戦する意思も砕けて思い思いの方向に武器も放り投げて逃げ出した。後に残ったのは宴の残骸と、村から先ほど奪った食料を始めとした物資だった。

「「「「ヒャッハー!!!!」」」
モヒカン達は、喜びの雄叫びを上げた。




辺り一面に広がる血と死体を視界の中に収めながらも、それを生みだした首謀者の山本少年はほとんどショックを受けていなかった。それどころか(やっぱ野蛮だなコイツラあーヤダヤダ)と非道な事を考えていた。というのも、その光景はあまりにも現実離れしていて、正直映画かテレビドラマのようにしか見えなかったのだ。そこには、先ほどの狂乱の渦に当事者として参加していないと言うのも原因かもしれない。
やったことは、ただ指示を出しただけ。これでは、現象を外から観客として見ているようにしか感じられないこともあり得る話だった。

「うーん」

それよりも今、山本少年が考えるのは今後の事。ぐるりと見た村の光景は、お世辞にも現代レベルとは言えない。せいぜい中世程度の技術力しかない、原始的な農村――というのが、正直な感想だった。まあ、半裸で馬に乗っているよりは文明水準は高いのだろうが。

(この程度の科学技術レベルなら、内政チートが出来るな。内政チートの三巨頭の1つ、糞土による農業改革。まずはここから着手するか。なら――――)

テキパキと、ネット小説で読みかじった知識を元に、自分の立身出世コースを思い浮かべる。まずは地道にこの村で実績を重ね、格段に豊かになったこの村のうわさを聞きつけた王の側近(女騎士希望)がめっちゃ作物が実っている畑を見て――――「こ、これは一体?」「肥料をまいたのさ。これで収穫は倍増する!」「す、すごい! 是非とも城に来て王にこの事を!」「やったぜ!」――――みたいな。

「そうと決まればさっそく――――」
「なあ、アンタがあいつらをやっつけてくれたんだろ!?」

思い立ったが吉日とばかりに、さっそく村長的な人と交渉しようとした矢先、ボロキレのような粗末な服を着た人々が山本少年を取り囲んでいた。彼らは皆一様に、目期待と僅かな不安感を滲ませている。

(襲われて逃げていた村人たちってところか。賊を追い払った俺達を味方――と思いたいが……)

ちらりと、自分が連れて来たモヒカン達を見る。そして、傍から見れば同類と思われて警戒されているのか、と納得する。
納得すると同時に、ピコンと頭の中で電球が点灯するイメージが浮かんだ。

(いろいろ手間が省けるなこれは――!)

名案が浮かんだとばかりに、心の中でガッツポーズする。そして改めて村人たちに向き合うと、おもむろに手をその両肩に当てて力強く頷いて見せる。
「おおっ!」とどよめく村人たちを前に、今度は死体のはぎ取りを終えたモヒカン達が山本少年に近寄って来る。手を置いていた村人はザザッと逃げ腰になるが、山本はそれを一端置いておいて、大声で宣言した。

「吾輩の名は煉獄院朱雀! ここを荒らしていた蛮族共は我らが成敗した! 我らは諸君らの味方だ!!」

「おおっ!!」「はへ?」
前者は村人から。後者はモヒカン達から漏れた声だった。モヒカン達に混ざっている族長のカタもポカンとした顔でこちらを見つめているが、別段止める気配がないのでそのまま続行する事にした。

「これよりこの村は、煉獄院朱雀の名の元に責任を持って守る! どのような蛮族であろうと鎧袖一触で討ち払ってやる故、安心しろ!!」

「なんと!」「ありがたやありがたや……」「え?」「そんな話聞いて――」
山本少年の何の相談もなく勝手に行なわれた宣言で、その場が一時的にざわつく。だが、そのまま押し切るつもりだった。
結論から言えば、山本はこの村に、モヒカン達を用心棒として雇用させるつもりだった。
ここまでの道すがら、山本はこの国の現状を軽くカタから聞きだしていた。その話しを聞いた上で考え付いたのがこれだった。

(モヒカン共は頼んで食料を譲ってもらうのがプライド的に許せないから奪おうって訳で、なら向こうからどうぞ受け取ってくださいと差し出させる分には問題はない。――やってることはヤクザのみかじめ料みたいなもんだが、まあいいか。細かい事は)

ここの治安が世紀末レベルで悪いからこそ、暴力から身を守れる暴力は値打ちがある。これは双方が納得できる取引で在る――と自分の考えを自画自賛した。だが、実際にはもう一つ、山本自身にもメリットがあった。

(これで立身出世へのきっかけが出来たな)

それは先ほどの農業チートの件だった。農業をする為には土地が必要で、そしてそれを耕す人手がいる。モヒカン共はどう見ても農作業が出来るような連中には見えない。なら、こういう風に最初からその手の作業が出来る人間をまとめて取り込み、知識だけ与えてやれば後は勝手に結果を出してくれる。そして自分はそれを待つだけで済む。そしたら実績を手土産に、蛮族共とは縁を切ってこの国の重鎮に――――と言う風に、腹黒い事を考えていた。

(さて、それはそれとして――)

早速、ボディーガード料の話しをするか。そう悪人顔で素敵な笑みを浮かべながら、山本は話しが出来る責任者を、改めて探すことにした。







西方蛮族の1つ、パッドゥ族がウルル公国領のとある村に用心棒として定住する事になった噂は、瞬く間に周辺へと広がっていった。今まで軍に守ってもらえず蹂躙されるがままだった村々は、続々と噂話の真相を聞くために人を寄こしてきた。山本はそう言った人々に対して自信たっぷりに全部任せろと豪語し、着々と基盤を築いていった。
一方、使われる側のモヒカン達の反応はというと、当初は慣れないことで困惑していたが、どうぞと食料を差し出される分には予想通り問題はないらしく、文句は出なかった。「水だヒャッハー!」と真っ昼間からうるさい以外には全てが順調だった。
こうして、ウルル公国に公然と非合法組織が生まれようとしていたのだが――当然、それを面白く思わない者たちもいた。そう、公権力保持者たるウルル公国の指導部だった。







「任侠気どりの蛮族共が図に乗りおって!!」

ウルル公国の中心地。城壁に囲まれた都の一室で、元老を務める部族の長が声を荒げて机をたたく。叩かれた机はミシリと音を上げ、植物油を用いたガラス製のランプが揺れるが、それを気にする者はない。周囲の者は、その大半がウンウンと頷いて先の発言に賛同する。

「いや至極ごもっとも! しかしですね、現に軍の定数も足りておらず――」
対して、賛同しなかった側の者が反論しようと声を上げるが、帰ってきたのは罵詈雑言だった。

「貴殿は我らの面子に泥が塗られている事にすら気がついておらぬのか!」「若輩者は引っ込んでおれ!」「会議に混ぜてもらっているだけでもありがたいと思え小便若造!」「カス!ボケ! クソガキ!」

と散々だった。言われた方もその圧力に押され、シュンと引っ込んでしまう。再び議場は、パッドゥ族の悪行を糾弾する悪口大会へとなる。文盲やら土人やら食人鬼やらという侮蔑の言葉が次々と飛び出してきて、もはや何の為の会議か分からなくなり始めたころ、1人の元老が更にここで爆弾を投下する。

「そもそも! 奴らは未だ文字すら持たぬ蛮族共だ! 獣を追いまわす以外の能があるとは思えん!――――ということはつまり、だれかが入れ知恵をしたということだ」

「まさか!」「我々の中に裏切り者がいるとお疑いか!?」と、今までとはまた別の意味で会議は沸騰する。アイツが怪しい西部は元々誰々の一族の縄張りで――という、身内同士の疑り合いになり始めたころ、議場の上座に座る老人――会議が始まって以来沈黙を守ってきた現ウルル公王が口を開く。

「沈まれ……!」

そこでようやく、ザワザワしていた議場に静寂が訪れる。それを確認した公王は、ゆっくりと語りかけるように話し始める。

「我らの力は未だ弱い――それは紛れもない事実であることは皆の者も理解していよう」

「クッ!」と誰かが悔しさを堪えたような声を上げる。それは事実だった。公王は更に続ける。多くの西部の村がパッドゥ族の庇護を求めているという。即ち軍の力が、もっと言えばウルル公国という国自体の統治能力が民草に疑われていると言う事だ。だからこそ、あのようなヤクザ者が公然とのさばっている事が出来るのだ――と。

シン……と静まり返る。改めて突きつけられた国力の低さが、皆情けなくて仕方がないのだ。努力しても努力しても生活は楽にならず、じっと手を見る暇もない。その上、守るべき国民にまで無能者呼ばわりされては立つ瀬もない。全ては土地と気候のせいと言ってしまえばそれまでだが、それでも何とかするのが彼らの仕事であり、存在意義だった。

「――――皆の苦しみは良く分かる。余も全く同じだ。だが、諦めは罪というものだ。そこで、だ。皆に紹介した人物がおる――――!」

バサッと、議場の出入口を仕切っていた大きな布がめくり上がる。入口から差し込んで来る逆光の中に浮かんだ人のシルエットを、その場の誰もが見つめたた。

「皆さんお初にお目にかかります。神聖オリーシュ帝国派遣軍指揮官、近衛ユウと申します」

後光を背に現れたのは、見目麗しい貴公子。声色は鈴を転がしたように美しく、涼しげな眼差しは理知的でいて力強さも感じさせる。また、色白でありながら健康的という矛盾を内包した容貌が、ことさら魅力的に映った。
ユウと名乗ったその人物は、見ればまだまだ少年の趣を残している。恐らくは元服(概ね15歳前後)を迎えた直後か直前といった風情であったが、地味な軍服を晴れ着のように見事に着こなす立ち居振る舞いに、先ほどまで大声で醜く怒鳴り合っていた老人たちは一瞬のうちに圧倒されて押し黙ってしまった。

「我らに力がないのならば、力ある者に頼るは世の習い。そこで、余は帝国に対し蛮族問題への根本的な解決を依頼した」
「!」

若者と公王以外の誰もが息を飲んだ。根本的な解決とはつまり、蛮族の本拠地含め、全ての蛮族をこのウルル大陸から一掃するということを意味する。そしてこれだけの支援を受けた以上、こちらも相応の覚悟を余儀なくされる。
覚悟――――それは、かつて先祖たちが結び、時代が経過する内に消滅してしまったオリーシュとの同盟を再び結ぶと言う大きな政治的決断にほかならない。
資源の融通に始まり、戦争の全面協力――それはもはや同盟と言うよりも従属に他ならないような契約を結ぼうとも、民草に安寧をもたらさんと公王は決断した。元老達はそれを即座に理解したのだった。

「それでは、作戦会議と行きましょう。西部を不法占拠した蛮族の頭目――煉獄院朱雀の件も含めて」

近衛ユウはそう言って、会議を取り仕切る。
カチリ――どこかで巨大な歯車が、静かに回り出す音がした。



[40286] 近代編 序章④
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:95ce0ae2
Date: 2016/01/16 21:42
ウルル公国指導者達との折衝の後、神聖オリーシュ帝国派遣軍は大陸北部により部隊を上陸させ、速やかに行動を開始した。ウルル大陸内にある蛮族が占領した拠点――蛮族キャンプ――は合計四つ、まるで示し合わせたかのようにウルル公国の東西南北に点在していた。
その内の北側の蛮族キャンプを鎧袖一触で撃破し、そこから時計回りに東部キャンプを討伐し、続く南部を解放する為に部隊は南へと針路を向ける。
派遣軍の戦力はフリゲート艦一隻にマスケット銃を装備した一個銃兵聯隊。南側の蛮族キャンプは海岸線上に存在する為、フリゲート艦による支援砲撃を受けつつ、銃兵で敵キャンプを占領することとなった。

公国の東部から南部にかけての国境線をなぞる様に移動し、道すがら略奪で暴れまわる蛮族の略奪部隊を掃討する。敵は棍棒で、こちらは銃火器という圧倒的武器性能の差によって、敵は瞬く間に駆逐されていった。
同時に、フリゲート艦もまた、東周りで大陸南部の海岸へと航行し、同キャンプを無事に艦砲射撃の射程内に収める。
蛮族キャンプ周囲は北側を帝国銃兵2000人による横隊で、そして背後の海上には大砲を覗かせる軍艦一隻によって完全包囲される。電撃的な速度での討伐スピードによって、同大陸の解放は目前に迫っていた。







大陸南端にあるエアー半島。2000キロに及ぶ長い海岸線には、穏やかな入江と白い砂浜が美しい、風光明美な場所だ。さらに南極海を望むこの海はクジラが回遊していることから、高級資源の産地にもなりえる重要な土地でもあったのだが、今、そんな愛すべき自然に不釣り合いな存在が一点。
それはキャンプにバリケードを築いて徹底抗戦の構えを見せている蛮族部隊だった。

「君たちは完全に包囲されている! 即刻武装解除して降伏しろ!!」
「くぁwせ□drftgy☆ふじこフジコ!!」




もう何度目かの投降を呼びかける。しかし「ふじこふじこ!」を連呼するだけで、どうにもうまくいく様子はない。

「報告! 蛮族共は徹底抗戦をするそうです」

ウルル公国領から遠く離れた無人の野、そこに張られた指揮所という名のテントの入口から、伝命役の年若い兵士が1人入って来てそう告げる。テントの最奥、椅子に座って地図を眺めていた貴公子然とした若い指揮官が顔を上げ、「そうか」と残念そうに答えた。
指揮官――同部隊の最高責任者である近衛ユウがその時に見せる悲しみの表情に、報告に来た部下がしばし見とれる。
まだ15、16歳という事を考慮しても、一回り低い身長と華奢な身体付きをした見目麗しい美少年が、憂いの顔で長い睫毛をフルフルと小刻みに震えさせる様子は、とても男とは思えなかった。男所帯において、こういう「女性」を感じさせる要素は、まだまだ若い兵士には毒だった。

「しかたない――――艦砲射撃の用意を」
「……」
「コラ伝令! ぼけっとするな!」
「っ――――はっ!」

幕僚の1人が顔をほんのり赤くしていた兵士を怒鳴り、伝命の兵を走らせる。「まったく!」と憤慨する幕僚達を置いて、近衛ユウはおもむろに立ちあがるとテントから抜け出して外に出る。天から降り注ぐ陽光が、目にしみた。
明るい所に慣れるまで、少しの間だけ目を細めて堪える。そして慣れてくれば、遠方からでもその蛮族キャンプは良く見えた。
赤茶けた大地で火を焚いて、煙を吐き出しているそのキャンプこそが、討伐し解放すべき場所だった。今は静寂であるが、もうすぐこの場は大いに荒れるだろう。

一方、フリゲート艦の上では水兵達があわただしく動き回っていた。味方による降伏勧告が全くの無駄に終わってしまったことから、出番が回ってきたからだ。彼らに期待される仕事とは、ズバリ砲撃である。水兵たちは船の中を所狭しと動き回り、大砲に火薬や砲弾を装填していく。それが終わると、静かに次の命令を待つ。
行動はつつがなく進行し、そしてついに甲板上にいた指揮官が準備の完了を伝える手旗信号を振った。合図はリレー形式で次々と情報は伝えられる。元々は森や丘陵地帯等の視界が悪いところでも部隊が連携して動くために作られたシステムだったが、こうも視界が開けた場所では、リレーなどしなくても最初期の段階で情報は伝わってくる。それなのにわざわざこうやって何人もの人間を使って情報を伝える事に、近衛ユウは少し滑稽に思えた。。
クスっと、形の良い小ぶりな口元で小さく笑ってしまって、慌てて表情を改める。これから自分がやろうとすることは、笑いごとではないのだから。

「ス――……」

同じような事を、すでにもう二回も繰り返している。だが、何度やっても緊張を強いられる行為だった。
集中する為、静かに、かつ深く息を吸い込む。そして、その手に握られた赤い旗を頭上へと掲げ、柄をギリッと強く握りしめた。

「――ってい!!」

――掛け声と共に、振り下ろす。
ドドドンッ!ドン!ドン!

間髪をいれず発射。爆発音がウルル大陸南部の大地、そして蒼い空に轟いた。
海上に浮かんだフリゲート艦よりモウモウと上がる黒煙。閉所で発生した黒色火薬の急激な燃焼は爆発エネルギーを生み、それは重い金属球へと伝えられ勢い良く押し出される。
速度と質量、そして重力加速度によって生成された運動エネルギーはそのまま、計算によって導き出された軌跡を蒼穹の空に描いた。

「着弾!」

観測役の兵が叫び、続いて鳴り響く地響き。工学と理学の美しい融合はすぐさま破壊と暴力を振りまいた。
地面は抉れ、バリケードは砕け、人間は絶叫と共に宙に舞う。
同地に巣食う蛮族キャンプに容赦ない攻撃を加えるのは、神聖オリーシュ帝国派遣軍・フリゲート艦「菜ノ葉」による砲撃だった。



「ふぅ――」

一斉射撃が滞りなく行なわれ、たまらず緊張を解く。自分自身が撃つわけでもないのに心に負担を感じるのは、多くの人間の注目を集め、指揮すると言う重責を感じざるを得ないから。そして、その結果を思ってしまうから。敵とはいえ、大砲を撃ち込まれる側の人間が辿る末路を想像してしまうのだ。


「ホッホッホ。調子はいかが――っと、聞くまでもありませんでしたな」


未だ慣れない暴力の行使に小さく胸を痛めていると、後ろから聞き覚えのある声がかかる。しわがれて温厚そうな温かみのある声は、乾燥と暴力がはびこるウルル大陸にあって、一種の清涼剤に思えた。

「ジイ! 腰の調子はもう良いのか? ギックリ腰はクセになると言うし……」

現れたのは、白い髭と広い肩幅が印象的な、大柄の老人だった。紺色の軍服を着こんでも分かるような筋肉と体格の良さ、そして胸元に光る勲章の数々が、好々爺のような表情とのギャップを激しくさせる。そして腰には一本の刀が妖しげな存在感を醸し出していた。
近衛は自分の小さい頃からの顔見知りに会ったことで、張りつめていた緊張を解いた。そして、心配そうな表情で見つめる。
本国からの航海中、船の上で腰痛を発症し暫くベッドに伏せっていたので、こうして背筋を伸ばして歩いている姿は久々だった。

「まだちーとばかし疼きますが、せっかくの若の晴れ姿! 例え墓穴の中にいようとも這い出てでも見守らせていただきますぞい」
「晴れ姿か――私はこうして旗を振り下ろしているだけだがな」

近衛は旗を見やって苦笑する。事実、彼が行なっているのは報告を聞いて、命令の号令をかけるだけだった。というのも、この派遣部隊の実質的な責任者は近衛ユウではなく、目の前の老人であり、部隊を滞りなく運用しているのは老人が鍛え上げて来た部下達だったからだ。
あくまで名目だけ、箔付け目的のお飾りというのが、ユウの立場だった。

「いやいや。少なくともこうして前に立っている姿は、将の器を感じさせますぞ!」

朗らかに笑いかける老将だが、ユウの心は晴れなかった。ユウがこうして前線に立っているのは、義務感からだった。自分の命令で多くの人間の命が文字通り吹き飛ぶ様を、せめて見届けるのが命令を出す者の責務だと思ったからだ。対して老人の方は、それが統率者としての役得であると考えている。
目の前で命が無残に散っていく様子を自罰的に見せられる立場と考えるか、手を振り下げると同時に轟音が鳴り響き敵を粉砕する、血沸き肉躍る快感を一身に味わう事が出来る勇ましい立場だと考えるかの、認識の違いだった。
しかし、前者の考えよりも後者の方が圧倒的に主流であった。

そうこうするうちに、近くにいた計算専門の技術士官がユウに耳打ちする

(距離がやや遠いようです。二目盛上げたほうが効果的かと)

要するに、弾の飛距離が足らなくて何発かは敵キャンプ地の手前に着弾してしまったから、仰角を少し上げろと言うことだ。
当時最新鋭の艦とはいえ、まだまだ命中精度は甘い。通常は何度か実際に撃って、微調整するのが当然の手順だった。
専門教育を受けていないユウは、専門教育を受けた者の助言を聞いて、その通りにするのが仕事だ。お飾りながらも職務に忠実であろうとするユウは、その通りに声を上げる。


「距離やや遠し! 二目盛上げ!」


すぐさま手旗信号でその情報が伝わり、フリゲート艦上の大砲が修正されることになる。そして、水兵達はそのまま第二射の準備に取り掛かった。

「……それにしても、効果は絶大だな。話しには聞いていたが、まさかこれほどまでとは思わなかった」
「遠距離からの一方的な攻撃に、まだ見ぬ武器への恐怖。実際の人的被害よりも恐怖心のほうが深刻な場合と言うのは良くあることですわい。一射ごとに連中、逃げ出しますぞ」
「――――その方が余計な血を流さずに済んでいいか」

フリゲート艦を今回の討伐任務に使用されるのは、実のところ始めてだった。
航海中、海賊に向けて発射する事は何度もあったから砲撃自体は初めてではないものの、地対攻撃という点では全くの未知の光景となった。

それは北部東部の蛮族キャンプは内陸にあったので射程外で使えなかったからだが、だからこそ、その威力にユウは活目した。
あれ程徹底抗戦の構えを見せていた蛮族キャンプが、騒がしく動揺しているのが遠目からでもしっかり確認できたのだから。

当初、対人用の弾を使うという案もあったが、対艦用の砲弾を使用して正解だった、とユウは思った。細かい破片が広範囲にわたって降り注ぐ散弾はより効率よく集団を殺す事が出来るが、問答無用一切合財みんなまとめて挽肉にするという手法がどうにも受け入れがたいものがあったのだ。
対して対艦用は、確かに着弾の音や巻き上げる土くれ等で見た目は派手だが、破壊の範囲はある程度限定される。恐怖して逃げ去ってくれれば、無駄な血は流さなくて済む。蛮族は集団であるからこそ脅威だが、散らばってしまえばウルル公国でも十分に対処できるような存在だ。



「――――百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり」
「孫子の兵法ですな」

ユウはぽつりとつぶやいた。以前に勉強した、とある兵法書の一節にそのようなことが書かれていた。百戦百勝は最善なことではない。戦わずして勝つことこそが最善である、と説いているのだが、最初は良く分からなかった。しかし、詳しく読み込めばなるほどと納得できる内容であった。
なんでもかんでも武力で踏みつぶせば良いというものじゃない――――兵法書という厳めしいものでありながら、力だけを追求しないその思想にユウはいたく感動した。
だからこそ、本当ならば蛮族達を降伏させてしまいたかった。そうすれば、砲撃などしなくてもすんだのだから。


「今回も、出来なかったな」
「しかしまあ、最上の手というものは中々とれないからこそ尊ばれるのですぞ。得てして次善の策で十分というのが世の中の大半というもので」
「それは人生経験からの言葉か?」
「なに、年寄りの小言ですわい」

現実は難しい。いくら負けることが明白な勝負で在っても、意地を張られてしまえば力で押し潰すしかなくなる。この大陸に来て思い知ったのは、そういう悲しい現実と、不条理だった。


「おお、第二射目の準備が整ったようですな」
「うん」

みれば、艦上で旗が降られている。射撃準備完了の合図だった。

(大人しく従ってくれていれば…………恨んでくれるなよ)

静かに、誰かに許しを乞う。だがそれでも止める訳にはいかない。自らに与えられた職務を果たすため、ユウは再び旗を振り上げた。











モヒカン達が跳梁跋扈する世紀末のような光景が展開される中、奇跡的とでも言うべき平和を享受する西の村。✝煉獄院朱雀✝(本名は山本八千彦)があてがわれたのは村の中心付近に在る、少し大きな民家だった。元々は村の重役が息子夫婦の為に立てようとしたものだったが、その息子は田舎暮らしに嫌気がさして中央へと行ってしまい、主人なき家に成っていたところを利用する事になったのだった。
そこそこの大きさがあるので、そのまま頂いて自身の野望を進めるための拠点にすることにした山本は、ようやく本格的にこの世界について調べることにした。それはこの世界に落されて三ヶ月目の事だった。


「むむむ…………」


そうして調べて行く中、次々と驚愕の事実を知らされることとなる。今も一枚の紙を前に、腕を組んで唸っている。
それは一枚の地図だった。そしてそこに書かれている文字が、山本を驚かせているものの一つだった。常識的に考えて、異なる世界で異なる民族が住んでいる土地ならば、使用される文字も異なっていて当然である。しかし、形が微妙に違うものの、ウルル公国公用文字は、どういう訳かカタカナだった。

(そう言えば、言葉も普通に通じるしなあ……)

と、三か月も経っているのに割と今更な事を考えているが、これはかなり興味深い現象だった。何もせずに言葉が分かるのは異世界トリップモノの定番と言えば定番だが、流石に文字まで同じというのは不可思議だった。村の有力者、役人やら地主やらに聞くが、これは外国からもたらされたものをそのまま使っているという事しか分からなかった。
しかし、ここで引き下がる訳にも行かず、山本はとにかく手当たり次第に情報を集めまくった。おりしも治安が回復した西部には、再び行商人等の外部との交流が再開し始めたので、それに乗じて様々な人から聞き取り調査を行ない、先日、遂に決定的な物を入手するに至った。それが目の前の紙であり、自身の状況を大まかながら把握できるようになる為のキーアイテムとなった。
それは、何とほぼ完璧な「世界地図」だった。そしてその地図は、非常に親しみがありつつも強烈な違和感を覚える代物だった。ある意味、この世界に落されて以降最大の驚愕すべき事実だった。

「これがユーラシア大陸、でこっちが多分日本列島。で、南にオーストラリアがあると。だけど――――何だこれ?」

山本が知っている世界地図は、現代日本で一般的に売られている世界地図だ。その地図では、五つの大陸が存在し、太平洋や大西洋といった広大な海の上に、無数の島が点在する。そして太平洋西には日いずる処、即ち日本列島が存在する。
だが、この世界地図には見慣れないものがあった。太平洋、日本列島とアメリカ大陸との間に広がる広大な空間に、小さな大陸とでも言うべき陸地が書き足されたように存在していた。南北に延びた楕円形の大地で、その隣には国名を表すように「神聖オリーシュ帝国」という文字がでかでかと躍っている。

「オリーシュ……ププッ」

これを見た山本の反応は、中学校の時にエロマンガ島なる珍妙な島を地図帳上で発見した時と全く同じだった。プークスクスクス、という擬音が似合うように、「誰だよこんな変な名前つけたヤツw」と、バカにするように笑いまくっていた。ネーミングセンスに関しては人の事を笑えない身分でありながら、思う存分嘲笑しまくった。


「まあ、なんにせよ――だ」


山本は、改めて今後の作戦を考える。
この世界が高確率で「過去の地球に良く似た平行正解」であるという事を知った以上、今後もそれを想定して考えなければならない。可能ならば、今がどの時代であるのかを何とかして調べ、歴史的事件に介入したいと強く思った。

だが、今のままではそれは叶わない。オーストラリア大陸という、世界史的には辺境も辺境、クソ田舎といっても過言ではない最果ての地にいては、ヨーロッパやアメリカで発生する激動の時代に介入することすら出来ない。基本的に、世界は何時だって荒れている。自分自身を万能のチートオリ主であると考えている山本は、それこそいくらでも立身出世、チートで心躍る活躍の場があると信じて疑わなかった。運よく、というか都合よく意思疎通だけは最初から脳みそに言語がインストールされているかのように問題なく出来るので、ヨーロッパに行って言葉が分かりませんという事だけはない。言葉さえ分かれば、あとはいかようにでもなる。例えニコポナデポなど無くても、実績と口八丁で金髪巨乳美少女を侍らしてハーレムを築くことなど造作もないと確信していた。

むしろそこからが選択に悩む所である。チート能力を遺憾なく発揮して、戦国無双さながらの英雄的活躍で俺Tueee!しても良いし、ヨーロッパの小国に仕官して、ドイツ、フランス、イギリスといった欧州の大国を全て平らげる軍師プレイも捨てがたい。まさに「夢がひろがりんぐ」である。

(そうとなれば、こんなしみったれた田舎なんぞとっとと抜け出さなければ……あのモヒカン共はそうだなあ、適当にこの国に売りこんで警備隊として活躍してもらおうか)

山本、この国で活躍する事を早々に切り捨てる。ヨーロッパは古ならローマ帝国、近代ならば大英帝国といった、どの時代でも確実に時代の中心である土地だ。オーストラリアで帝国を築いて他国に攻め込めるようになるまで国を育てるのは、現段階での科学技術レベルが低すぎて現実的ではない。ゆえにここは通過点。より高く飛翔する為の手段を得るだけの踏み台にした方が得策であると判断したのだ。

あくまでデカイことがしたいと言う以外の具体的な展望がない、考えなしで身の程知らずな今の山本では、現時点での田舎のマフィアのようなポジションは甚だ不本意でしかない。海の外の世界では、自分のチートと知識のほかに歴史知識という強大な武器が活用できることに気付いてしまった以上、大きな勝負をしない方がおかしいと考えた。

それはさしずめ、勝利が約束されたギャンブルで、小額を手堅い勝負に賭けることと同じくらいの愚行に思えてならない。勝つことが分かり切っているなら、それこそ全財産を賭けるべきだ。根拠なき成功への妄信――自己破産不可避なギャンブラーの様な思考が今の山本の脳内を支配していた。

「ふふ……この景色もすぐに見納めか」

ふと、窓際に立って外の風景を眺めることにした。相変わらずスッキリとした青空と、乾燥した大地が広がる。良い風に言えば雄大な景色、悪く言えば非文明的な光景だった。しかし、家族で行こうとしていたオーストラリアに、このような形で来ることになるとは思いもよらなかった。だが何にせよ、山本は今の状況に感謝していた。チート能力の説明がないのはあれだが、これもちょっとした小粋な演出と思えば悪くはない。最初の部下がモヒカン蛮族というのは少々不服だが、引き立て役と思えば何となく可愛く思えた。
外を見れば、今もモヒカン達は職務に励んでいる。そう今だって――――


『ヒャッハー! お傷は水で洗ってから消毒だァ!』
『痛ぇェエエエエエエ!』
「…………」


訂正。やはりないなと思った山本。治療と罰を合わせたものであると言うが、わざわざ大声を張り上げながら傷口にアルコールをぶっかけるという謎の儀式に山本は苦笑を禁じ得なかった。一体どのような経緯であのような風習が生まれたのか、ある意味興味深い事ではあるが、おそらく大したことはないのだろう。というか、ちょっと前まで手を洗うという習慣さえなかった者に、「傷の洗浄」という治療の初歩を伝えたのは、山本本人だった。
泥だらけの手で食事を手掴みするのを見かねて口を出したのが始まりだが、いつしかそれが広がっていた。今では手洗いうがいの徹底は村全体で行なわれるようになり、将来的には病気予防に大きな効果をもたらすことだろう。何気に山本が行なった善行だった。


「スイマセン~~ちょっと今よろしいでしょうか?」
「ん?」

そんな時だった。外から声が掛り、山本の家に尋ねて来る村人がいた。傍にモヒカンを侍らせる趣味がない山本はこの家に1人で住んでいるので、自分で対応する事になった。いつかは美少女メイドを雇わなければと思う山本だった。

「何の用だ? 赦す。手短に話せ」

「煉獄院朱雀」としての仮面をかぶって相手をする。傍から見れば単なるゴッコ遊びでしかないのだが、村を襲っていた蛮族達を華麗に退治した時の威光によって、未だその化けの皮は剥がされていない。
村人から見れば山本の評価は、村を救った恩人でありながらならず者の集団を引きる存在――「話しが分かる用心棒の首領」のような扱いだった。

「ハア、実はえっと……」

村人はちらりと背後に視線を送る。つられて山本が目線を動かすと、そこには村人のような粗末な服ではなく、それなりに整った服装をした男が立っていた。



「煉獄院朱雀だな?」
「いかにも」

(あれ? なんかコイツ――――?)

畏怖の目で見られる事に慣れ始めていた山本は、その男の冷めた視線に少し疑問を持った。オリ主たるもの、モブに称賛されていなければならない。事実、村人たちは全員そのようにしている。

「私はウルル公国政府から派遣された者だが」
「――っ!」
「ウルル公国の都まで同行願いたい」

だが、丁重に扱われるのはあくまで村とその周囲限定の話。ウルル公国的に言えば、山本の立場は田舎に割拠したヤクザでしかない。当然、その印象は悪い。だが、自分自身の有用性を自分で保証してしまっている山本は、「政府から呼ばれている」=「自分に好意的な内容」と思い込んでしまい、すぐに当初感じていた疑問をすっぱり忘れた。現に今、山本の頭の中はこんな感じである。

(キタ―――! ついにアレか仕官の誘いか! でも残念だな~~チョー残念だなぁ。もうおたくの国では働かないって決めちゃったんだよね~~でも、どうしてもっていうならぁ、ちょっとだけ助けてやっても良いんだよぉ? ただし、礼金は多めにな! なんてったってこれからヨーロッパに行かなきゃならないモンでねぇ)

ウザさフルスロットルである。万事が自分の都合よく回ると思い込んでいる山本は、この同行を二つ返事で了承してしまう。公国内で今活躍している討伐軍の噂話が、田舎であると言うことでほとんど入ってきていなかったことも原因の一つであるが、もしもこの時、山本がもう少し慎重に行動をしていれば、具体的には確固たる足場固めに集中して余計な欲を出さなければ、運命は変わっていたかもしれない。
山本少年の未来を大きく決定付ける時が、刻一刻と近づいていた。






あとがき
長くなりましたが、これで序章は終わります。思うに、どうにも自分は素直にチートでハーレムな主人公を書いたことがない。これは一体どういうことか……



[40286] 近代編  追放
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:95ce0ae2
Date: 2016/01/16 21:57
「なんか、こんな状況テレビで見た事あるなあ」

呑気に呟く山本。彼は今、ガタゴトと揺れる馬車の中にいた。
振動がダイレクトに尻に響く粗末な乗り物に乗って、相も変わらず元気な太陽で照らされる大地を眺める。外の風景は太陽と月が昇っては下がってを何度も繰り返すごとに少しずつ変化し、今は荒涼とした大地ながらも緑が目立ち始めていた。それでも、常に視界の中に在り続ける存在があった。それは馬車の両脇と前後を固める、制服を着た兵士たちの姿。彼らはまるで重要人物を警護する集団であるかのように、整然と馬車を取り囲んで行進をしている。
先の呟きは、この光景を指して言ったものだった。
いわゆるVIP、要人待遇であると密かに思った訳なのだが、この国に大いなる繁栄をもたらす人材と自画自賛する山本は、それが当然の待遇であると受け取っていた。
ちなみに、テレビで見たというのはおそらくどこかの国の大統領が来日したときの映像か何かだろう。

(にしても、ホントに槍なんだな。日本で言うところの、戦国時代初期ってところか。ププ)

ウルル公国軍と思われる兵士を見てそう思う。彼らは槍を肩に担いで歩いているが、現代人の感覚で捉えると、どことなく「おもちゃの兵隊」という言葉がしっくりくる。
そもそも槍というのが山本的にツボだった。映画でもドラマでも、武器と言えば鉄砲な21世紀少年な山本には、槍など原始的で武器としては銃の完全下位互換のショボイものでしかない。
自分はトンデモチート保持者なのだからと、その侮りは一層強かった。



――――山本は、これが重要人物は重要人物でも、重要犯罪人的な意味でのそれであるとは全く思っていなかった。正しくは、彼らは山本を護衛しているのではなく護送をしているのであり、この隊列は山本を逃がさないようにするための檻である事に全く気付いていなかった。「どこかおかしい」と、そういう疑惑が欠片も浮かび上がることのないまま、遂に一行はウルル大陸北端の海岸に到着していた。首都は、とうの昔に通り過ぎていたのだ。


「…………首都にしては随分と閑散としているじゃないか」


目の前には、無人の白い砂浜が広がっている。遠くに見えるのは、透き通るような蒼い海と空だ。一大リゾート地のような場所だが、まさかここが一国の首都とはどうにも思えない。というか、人が住んでいる形跡すらなかった。
まさかこのまま海水浴でも楽しませてくれるのかと思う程、山本は抜けてはいなかった。
これは一体どういうことかと、山本は自分を連れて来た件の役人を探す。するとその役人は、おもむろに粗末なゴザのようなものを砂浜に広げると、そこに座れと催促する。

「ここに座れ」

トゲトゲしい物言いに少しカチンときながらも、とりあえずは言う通りにする。だが砂浜の白さも相まって、山本にはそれが時代劇に出て来るワンシーンに見えてならなかった。お白州の場――即ち法廷だ。

(いやまさかなぁ……)

その考えを自分で否定する。しかしだからと言って、正しい答えが思い浮かぶ訳でもない。
困惑する山本を尻目に、役人は海を背にして山本に相対する位置に立ち、懐から取り出した紙を大仰に取り出した。「ゴホン!」と咳払いを一つ。同時に、公国軍兵士が扇状に山本を包囲する。

「――――?」

その包囲の中に、山本は見慣れない服装をした者達を見つける。公国軍の制服とは違う紺色の詰襟のような、もっと言えば自分と同じ男子高校生の学ランのような服だった。それを身につけているのは複数人いたが、その中でも目に付いたのは、自分と同じ年代の若い者と、その傍らにいるやたら筋肉質の老人だった。人種的にも自分に近しいその二人に、山本の注意が逸れる。だが直ぐにその注意を引き戻される言葉が振りかかった。


「これより! 煉獄院朱雀に対する略式裁判を開廷する!!」
「――――はぁ!?」


役人の口から飛び出してきた突拍子もない言葉に、山本の顔は驚愕の色に染まる。そして混乱のまま、ほぼ反射的に立ち上がった。

「待て! 吾輩はそんな事は一言も聞いていないぞ一体どういう――――ッグゥ!?」
「大人しくしろ!」

思わず掴みかかろうとする山本を押さえつけたのは、山本がおもちゃの兵隊とバカにした公国軍兵士だった。
だがそれでも興奮は収まらない。山本としては、首都に行って王サマなり偉い人に認めてもらい、公式に何らかの依頼を受けるモノとばかり思っていた。だというのに、蓋を開けて見れば明らかな僻地に連れて来られ、その上裁判だと宣言される。地面に押さえつけられながらも、テメエ離せこの野郎と怒鳴り散らす。頭を冷やしてなどいられなかった。

「黙れ! 略式とはいえこれは裁判だ!」
「っ!?」

山本達を扇状に取り囲んでいた公国軍兵士が、その手に持っていた槍の穂先を一斉に突きだす。ギラリと光るその凶器の輝きを見て、ようやく遅まきながらも全てを察した。

(これは罠だ! 騙されたんだ!!)

だが、その時にはもう手遅れ。自称チートオリ主である山本は、まな板の上の鯉の様な無抵抗な有様だった。モヒカン達もこの場におらず抵抗は事実上不可能。山本は彼らに「今より良い生活をさせてやる」と言い残すとそのままルンルン気分で連れ出されてしまったので、助けは全く期待できなかった。さらにチートが発現する気配もない。万事休す。

「グッ……騙しやがったなっ!」

悔し紛れに唸る山本。モヒカン達を連れてくればよかったと思うも後の祭り。既に状況は決定的であり、いま山本に出来るのは、この裁判の成り行きを見守るだけだった。

「蛮族の首領、煉獄院朱雀。その方の罪は以下の通りである。ひとつ、蛮族を使って西の村一帯を不法占拠し、不当に食料を略奪した。この罪、認めるや否や?」

この国の裁判方法がどのような物であるか分からない山本だったが、疑問文で聞かれていれるのだから、答えろということなのだろうと推測できた。ならこのまま黙っている訳にはいかなかった。というよりも、いきなり取り調べもなく罪人扱いでは反論せざるをえなかった。

「否だ! そもそも、我々は蛮族による不当な略奪行為から西方地域を守っていた! 罪に問われる道理は無い!」
「認めないと?」
「当ったり前だ!」
「では、村人たちに食料を要求した件は?」
「それはッ! 正当な労働への対価だ! これで西は安全になったんだから当然の報酬だ!」

略奪容疑に対して、対価と抗弁した山本だった。事実、モヒカン達は時折襲来する蛮族を水際で撃退し続けた。馬による機動力を生かす事によって、より広い範囲を守る事が出来た。こちらは武力を提供する代わりに、向こうはこちらが食べていく分の食料を要求するという共存関係であったと山本は訴える。だが、その必死な訴えも役人――否、裁判官役の男は涼しい顔で「それでは次」と言って受け流す。まともに聞く気はない様だ。

「ふたつ、奇妙な風習を村人たちに強要した。この罪、認めるや否や?」
「否だ! そんな事はやっていない!」
「傷に水をかけて、貴重な水を浪費させる行為は?」
「あれは治療の一環だ! あんたらは知らないだろうが、ああする事でケガの悪化を予防できるんだよ! つーかあれは別に強要していない! 俺がモヒカン達に教えて! ソイツらがやっているのを村人が見て真似しただけだ!」


次にやり玉に挙げられたのは、以前モヒカン達が泥だらけの手で食事をしたり、泥がついたままの状態で傷をほったらかしにしていたから山本が見るに見かねて指導した内容の事だった。山本にとっては当たり前のことが全く行なわれていなくて不衛生だと感じたから、何気なく助言しただけの行為だった。だが、まさか奇妙な風習と非難されるとは思っていなかった。
この辺りで、煉獄院としての仮面が徐々に取れかかり素に戻り始める。だが、本人はそんな事を気にかける余裕もないほど狼狽していた。

これに対しても、裁判官はまたもや意に介した風もなく「では次」とまともに取り合わなかった。まるで結論が既に決まっているかのように。

「みっつ、人の糞や尿を一か所にまとめ怪しげな儀式を行い、あまつさえ畑にまこうとした。この罪、認めるや否や?」
「そ、それは――――!」

ここで山本が初めて言い淀む。
あれは、村に住み始めて最初の頃のことだった。所謂農業チートの一環として、人糞で作った肥料を作ろうとした事があった。だが、この試みは早々に失敗する。

集める段階はうまくいった。基本、糞や尿を遠くに投げ捨てることで処理していた村人たちに対して、捨て場所を指定してそこに投棄させることは何でもない事だった。穴を掘って、ちょっとした屋根を取り付けたりと、小さな野外トイレのような物を村はずれに作ったのだ。だが、その後が悪かった。聞きかじり知識の糞土製作はすぐに暗礁に乗り上げる。

糞を使った肥料は、まず発酵という過程を行ない寄生虫を死滅させる必要がある訳なのだが、その期間を山本は知らなかった。適当に量が溜まっていい感じにドロドロになってきたから早速撒こうとして――全力で止められた。

発酵だの肥料だのいっても所詮は人間の糞な訳で、それを口に入れる作物を作っている田畑にまこうと言うのは常軌を逸した行動に思われたのだ。
大量の糞尿はそれこそ駅の共有トイレ以上の悪臭を放っている。当然と言えば当然の抵抗だった。第一村人たちに理解があったとしても、山本の糞土は全く発酵が足りていなかった。もしもこの状態でばら撒けば、発酵による熱で寄生虫が死なず、村で病人が大量発生する可能性もあったのだから、かなり危険な行為だったと言える。

それらの危険性は小説で読みかじった程度の知識しかない山本には分からなかったが、「クソを畑にばら撒こうとした」と改めて人から言われれば、その人聞きの悪さにハッと気付いた。糞土を使えば収穫量が良くなると分かっていても、確かにウンコで育った作物を食べるのは抵抗があると。
例えばこんな話がある。船の沈没、飛行機の墜落事故等で人間の死体が大量に海に浮かぶような事があると、何故だかその海域の漁獲量が上がるとか。それはエビ、カニ、魚などの肉食の生物が水死体を食べるからなのだが、人間の死体に群がっている海産物を釣り上げたとして、果たして美味しく頂けるかと問われれば多くの人が顔を引き攣らせることだろう。

山本は図らずもそれと同じようなことをやろうとしたのだ。確かに飢餓で苦しむ土地だったら、それでも収穫量が上がると実証されればその行為を認めたかもしれない。だが、何の実績もなく、飢餓が出るほどでもない土地で、ただ糞土の効能を声高に主張しても受け入れられる訳がない。失敗した時のリスク、心理的嫌悪感が実益以上の強いからだ。


「認めるか、否や?」
「…………それでも、糞尿が一か所にまとめたのは清潔になって良かった」

結局、そう絞りだすのが精いっぱいだった。裁判官はそれだけ聞くと、改めて手元の紙に視線を落とす。そして、大きな声で読み上げるように以下の言葉を叫ぶ。

「煉獄院朱雀を大陸から追放処分とする!なお、その配下のパッドゥ族に関しては追って裁きを下すものとする!! 神妙にせよ!!」
「――――っ!」

山本は追放処分の判決が頭の中で響いてしばし、呆然とする。その間に自体は速やかに進行する。まず、海岸に粗末な手漕ぎボートが用意される。そして、公国軍兵士が二人山本の傍らに立ち、両脇に手を入れて持ち上げるようにして強引に立ちあがらせる。あのボートで島流しにしようと言う意図は明らかだった。だが、ここでようやく山本の脳みそが再起動する。そして、フツフツと逆恨みの様な怒りが燃え上がってきた。

「ふ、ふざけんな! 俺達はなあ、アンタらの手が回りきれなかった場所を代わりに守ってただけじゃないか!」
「黙れ! 公国はそのような事を頼んではいない! 全ては無許可で勝手に行なわれた事だ!」
「何だと!? 大体俺達が居なくなったら、誰が西の蛮族から村を守るんだよ! どうせ俺達に面子をつぶされたからってこんなことをしてんだろうが!!」

力の限り咆える。
その主張は、ある面では正しかった。国家というものは、基本的に自身以外の第三者が権威と武力を保持するのを許さない。国民が自分達体制側以外の何かに縋っているのは見ていて面白い筈がないのだ。だが一方でそれだけが理由でもない。今回の件で言えば、山本達が西の村に滞在して村人たちから作物を税金のように徴収していたが、これは主権の侵略と取られても文句は言えない。
体制側としては、分離独立を誘発させるような行為を見逃すわけにもいかなかったのだ。山本の行為は、唯でさえ蛮族問題で神経質になっていたウルル公国の神経を真正面から逆なでするものだった。

しかしその問題も、今は解決してしまっている。山本達の様な何処の馬の骨とも知れない連中よりも、よほど力がある存在によって。

「ハッ! 何も知らないのだな。既に大陸にはびこっていた蛮族共は全て討伐された。西の方も、貴様が馬鹿面下げてここに来るまでの間にとっくに討伐されたわ!」

勝ち誇るような顔で、今まさに連行されようとする山本に挑発するような言葉を投げつける。あざけるような言葉にヒートアップした山本は、土俵際の魔術師の様な巧みな粘り腰でその場に留まり、言った裁判官役の役人に反論する。

「ウソついてんじゃねえ! そんな戦力があったらとっくにやってるハズだ!」
「我々には、貴様ら蛮族上がりの賎民共になど頼らずとも、もっと強大で頼りがいのある者達の助力があるというだけの話しだ!」
「――――まさか!?」


はたと思い出す。そう言えば確かに、見慣れない姿が自分を取り囲んでいる者たちの中に紛れ込んでいた。自分と同じ洋服を着こんだ者達。どこかで学ランは元々軍服をモデルにしたと聞いたような気がする――――と山本は頭の中で情報が嫌な方向にドンドンと組み上がっていくのを感じた。
ならばその外部協力者とは――日本で言うところの明治維新以降の段階を迎えている事になる。山本が不都合な真実を知ろうとした丁度その時、ゆっくりと巨大な物体が島影から海の上を滑る様に現れた。


「あ、あれは……! そんなバカな!?」


それは海上に浮かぶ巨大な船、フリゲート艦「菜ノ葉」だ。山本がこの世界に来てから最も高い科学技術で建造された代物だった。木の板張りながらも強力な大砲を腹に抱え、帆を使って外洋を航海できる当時最高峰の海上戦力だった。



唖然とする山本はそのまま強引に小船へと乗せられる。腰にはいつの間にか縄が繋がれており、絶対に逃がさないという強烈な意志が感じられた。と言うよりも、もはや山本に逃げ場はなかった。仮に逃走に成功したとしても、荒野を一人で生きていくことはできないだろう。


「こんな――――クソッ! 俺を誰だと思ってやがる! 俺はなあ! 俺は――」
「黙れ! 大人しくしろと言っている!」


しかし認められない、受け入れる事が出来ない。世界に名を刻みつける(予定)の英雄(自称)が、まさかこのような――追放という不遇な扱いを甘んじるなど、チートオリ主を自負する山本には到底できなかった。しかし、だからと言って何が出来る訳ではない。
公国軍兵士が漕ぐ船の上で、悔し紛れな憎まれ口を叩くだけだった。

「クソッ! ちくしょお! 良い気になるなよこのバカ野郎共! 大国にすり寄る軟弱な弱小国家め! せっかくちょっと助けてやろうと思ってたのに! もう知るかお前らなんてそのまま植民地になっちまえ! バーカ! アホ! あと――――このハゲ!」」

後半は単なる悪口となったが、山本はとにかく罵詈雑言を喚いた。後方から「誰がハゲだ!」と、幼稚な悪口が誰かに刺さったようだが、それでも無力な少年はそのまま船で運ばれていった。
山本の叫びが響く。だがそれもすぐに終わる。山本は最後には叫び疲れ、沖に停泊したフリゲート艦に収容されていった。









「これでよろしいですかな」
「はい。我が国の裁判に御立会頂き、ありがとうございました」
「なんのこれくらい。今後とも良い関係を築いていきましょう。オイ、準備を進めるよう伝えろ」
「ハイッ」

船に乗せられてドナドナされた山本とは対照的に、オリーシュ人側は淡々と帰還の準備をしていた。彼らにとっては、所詮他国の問題なのだ。
オリーシュ軍制服を着た老将と、先ほどまで山本と口論していた役人の2人は終始和やかに今後の事について話し合っていた。この一件より、ウルル公国は神聖オリーシュ帝国と同盟を結ぶことになった。詳しい事はおいおい外交官同士が詰めるのだが、それでもいくつか念を押しておかなければならない事があった。

「つきましては、例の件。どうか滞りなく」
「石炭――ですね。ええお任せを。大至急お国に届けさせます」

ウルル公国より産出される石炭――その輸送。これこそが、オリーシュ帝国がウルル公国へやってきた最大の理由だった。
現在、オリーシュ帝国では大きな動きがある。それは大規模な工業の進化――即ち産業革命だった。
今までの様な、職人が小さな作業場や工房でモノを手作業で生産するのではなく、より大人数で大規模に、さらに機械を利用した大量生産を可能とする「工場」という次世代の生産システム――――それが今まさにオリーシュ帝国に誕生しつつあった。
だが、その工場の稼働に必要なエネルギーは大きく、今までの様な風力水力ではとても賄えない。そこで目を付けたのが、石炭を使ったエネルギーの生産だった。
問題は、国内ではこの石炭が産出できないという一点。そこで広く世界を再度探索した所、ここウルル大陸で豊富に石炭が産出されることを(本人達すら知らなかった)突きとめた。今回の事は、石炭を手に入れる為の同盟――いうなれば石炭同盟だった。
もちろん、今後もウルル公国側が大きくなって有用な資源を活用出来るようになれば、そちらも融通してもらう事は織り込み済みである。この同盟は、オリーシュ側にとってみれば資源を獲得する上で重要なモノになる事は必至だった。


「では、我々はこれで。あの少年についてはこちらでお任せを」


ネタばらしすると、山本の処遇というのは最初から決まっていた。あの裁判はいってみれば形式上、形だけの裁判だったのだ。
山本は実際問題、単なる成り切りのおまけくらいにしか考えていなかったが、「煉獄院朱雀」の名前は本人の予想以上の広がりを見せていた。なんせ公国軍が間に合わずしばしば蛮族からの略奪を受けていた辺境の村々にとっては、多少の対価は必要でも、素早い動きで必ず守ってくれるのならばとかなり好意的に受け止められていた。
国としてそれを放置する訳にもいかない。が、だからといって何から何までオリーシュ軍に頼っていては、煉獄院一派を排除してもウルル公国の名誉挽回とはいかない。今度はオリーシュ側に過度な感謝を持たれてしまう事もあり得た。そこで考えたのが、今回の茶番だった。

計画はこうだ。まず初めに西側以外の蛮族キャンプを全てオリーシュ軍が蹴散らす。そしてその残党を討伐して後顧の憂いが無くなれば、今度はウルル公国軍が全力出撃して西側の蛮族キャンプを滅ぼす。
まずこれで、最低限は民心の回復ができる。その後、頭目を失った残党を処理さえすれば全てカタがつく――――という筋書きだった。
この時、山本が暴れて取り押さえる際にうっかり殺してしまった場合、民衆の反感や残党の暴走等の問題が発生するのが一番困ったのだが、そちらは驚くほどうまくいった。ホイホイこちらの誘いに乗って人目の付かない所に来てくれたと思えば、ちょっと脅しただけで割と素直に追放を受け入れてくれた。乱暴者ぞろいの蛮族を束ねて一つの組織を作った豪傑にしては、あまりにもあっさりした最後で、若干肩すかしをくらった気分だとすら関係者は思った。




「それでは若、行きましょうか」
「――――ああ、うん」



山本が運ばれていった船とはまた別の小船に、オリーシュ人の老人と若者が乗り込んだ。櫂を持って船を漕ぐのは老人で、船はゆっくりと波をかき分けながら進んでいく。老人は手を動かしながら若者を見る。若者は裁判が始まってから始終何かを考え込んでいてずっと喋らなかった。それが少し老人には心配なことだった。
時折この若者が何を考えているのか分からなくなる――それが老人の悩みだった。


「ワシはこのまま陸上部隊をまとめてから本国へ帰還いたしますので、若はどうかあちらの船で一足先にご帰国なさいませ」
「最後までいた方がよくないか?」
「いえいえ。国に帰ればいよいよ一人前と認められます。そうすれば、ワシの様な老骨の名など無くとも部隊を指揮できるようになります。成人の儀もございますし、祝い事は出来るだけ早い方がよろしゅうございます」


フリゲート艦と、兵士を輸送する為の船ではスピードが違う。今回は陸上兵力を安全に運ぶ為にフリゲート艦が護衛を務めたが、既に往路で海上ルートの安全は確保してしまっている。ならば特別な理由がない限り、フリゲート艦に乗船してしまえば早々に帰国できた。

若者――近衛ユウとしては最後まで付き合うのが責任だと思っているが、それでも早く帰らなければならない理由はあった。その理由を考えると、少々ユウは気が重くなる。

「成人――か」


そっと呟いた声は、海風に溶けて行った。遠く北東にある、見えないくらい遥か遠方の祖国を思って、ほんの小さな溜め息を吐いた。




[40286] 近代編 国境線、這い寄る。
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:95ce0ae2
Date: 2015/10/27 20:31





「――――チクショウ……」

あの裁判から既に数日が経過した。その日から今日までずっと、薄暗い船倉に作られた檻の中で山本は膝を抱えて蹲っていた。四六時中聞こえて来る波の音、カモメの鳴き声、船のきしむ音……それらすべてが今の山本にとっては苦痛でしかなかった。身の回りが、もっと言えば世界中の全てが自分の敵にまわったかのような感覚にとらわれていた。それは光がほとんど差さない暗闇に閉じ込められていることから来る、一時的な精神障害ではなかった。もっと根の深い、ある意味トリップしたものが抱える宿命的な問題かもしれない。

憑依や転生、もしくは召喚……こういった特殊な言葉に誤魔化されがちではあるが、要するにこれらの単語が示す現象は、見ず知らずの土地に単身放り出されるのと同義である。
彼らに待ち受けるのは、大抵が冒険という非日常の世界だろう。心躍る日々などと言えば聞こえはいいが、それは突き詰めて考えれば命を危険にさらす危険な日常だ。そのような生活を問題なく受け入れられる人間が、現代日本社会でどれだけいるだろうか。

問題はそれだけではない。その世界には、自分を知る者は一切いないのだ。それは究極の孤独と言えなくもないのではないだろうか?
もちろん、それが全く苦にならない者もいるだろう。既に両親が他界し、友人知人も年々少なくなっていくような高齢者――――人生を生き抜いて成熟した精神を持つ者ならば、苦笑ひとつであっさり順応できるかもしれない。
だが少なくとも山本には、平和な社会でぬくぬくと過ごし、親元にいるのが当り前な少年には、この世界でたった一人存在しなくてはいけない重責を背負うことは荷が重かった。
ましてや今は罪人と言う扱いである。

「煉獄院朱雀」という偽りの人間をロールプレイしたのも実際にはそういった孤独から目をそむけようとした一面もあった。自分はオリ主で特別な存在だと言い聞かせることで、危険かもしれない未知の世界に怖気づかないようにしていた節があった。
だが、それも終わった。公然と山本が自らに課した「特別な存在」という役割を否定されて、明日の命の保証もない囚人になってしまえば、未熟な山本は船倉に蹲るしかない。
自分は選ばれた人間であり、成功が保証されている――――そんな心の拠り所は粉みじんに吹き飛んだ。後に残るのは危険で不安定な将来が待ち受ける、見通しの利かない未来を行かなければならない現実だった。

「――――帰りたい」

絞り出すように出したその一言が、彼のいまの全てを表していた。普通の家庭で育ち、普通の人生を歩んできた山本八千彦の精神が、いま音を立てて軋んでいる。出来る事ならばこのまま消え去りたいとすら思っていた。人権なんてほとんど顧みられない時代、罪人がどのような末路を辿るのかは、知識が乏しい山本にも容易に想像がついた。きっと、ボロボロになるまで働かされて、最後にはゴミのように捨て去られるのだろう――――。
その様子を想像して涙が溢れそうになる。一体自分は何をしていたのか。随分と調子に乗っていた過去の自分が恥ずかしくてたまらない。
チート能力だっていつ使えるようになるのかも分からない。いやもしかしたら本当はそんなものなくて自分は単なる背景、賑やかしのモブでしか…………

「っ!」

ギシ――ギシ――ギシ――

どんどん自分が信じられなくなってきた山本の耳に、すぐ近くで木が軋む音が聞こえた。まるで死神が這い寄って来るような物音に、山本は息を潜めて様子を窺う。膝に顔を押し付けて、懸命に息を殺して、ジワジワと這い寄って来る不安になんとか抵抗しようと努力する。息を潜めて耐えて耐えて――

(――――それでどうする?)

どうしようもない。もはや全て終わった。終わったのだ、何もかも。
山本はあらゆることを諦めようとした。諦めて、何も考えず、何も感じず、そのままこの世界のチリになってしまえばどれほど心が楽なんだろうと本気で考え始めた。いよいよ、心が死んでいく様を実感し始める。だが、それは途中で止まる。

「少し、いいか?」

声がした。人の声だった。それも、どこか温かで優しい響きのもの。

「…………」

顔を膝の上から上げる。ゴチャゴチャとした物置の様な場所に作られた、檻の鉄格子の奥に、人が立っていた。年齢は自分と同じくらいの15,6歳だが、自分と違って堂々としている。そして何より、美形だった。

(イケメンかよ……)

心に浮かんだのは、モテない男の僻みったらしい言葉だった。ほんの少しだけ、際限なく沈んでいこうとする心が踏みとどまる。だが、相手の服装をよくよく見て、山本の心は再びささくれ立った。それはあの裁判の場で自分を取り囲んで有罪にした連中の一味――自分を今捕まえている集団のものだったからだ。おおかた取り調べのようなものがあるのだろうと思った。もしくは拷問か。どちらにしろロクなことではない。


「――――何が聞きたいんだよ」
「?――――ああいや、別に尋問とかそういう訳じゃないんだ。気楽にしてくれ」
「…………はあ?」


その言葉に山本は混乱した。いよいよ刑事よろしく取り調べでも始めるのかと身構えている所に「気楽にしてくれ」と言われてしまったからだ。と言うよりも、なんだか雰囲気がおかしかった。立場が罪人の自分に、どういう訳か相手はこちらとの距離感をつかもうとしているような手さぐり感をまるだしにしているのだ。ほとんど話した事がないクラスメイトと席が一緒になって、とりあえず挨拶してみました、といった感じが一番近いだろうか。だが、間違っても今の自分の立場に出すような雰囲気ではない事だけは分かった。

どうにも勝手がつかめない相手に、山本は腹を括ることにした。どうせこれ以上悪化はしないだろうとヤケになった節があるが、それでもこうしていても何にもならない事だけは確かだった。とりあえず向き直って座り直す。相手も、近くにあった椅子に座った。鉄格子を通して見る相手の顔を、山本はじっと見つめる。相手も見つめ返して来る。

(やっぱイケメンだよな――――あ~あ)

見れば見るほど、相手の顔に嫉妬する。中性的で、女性向けアイドルグループか何かに入ってキャーキャー言われてそうな顔立ちだった。もしも自分がこの顔だったらなぁと思っていると、相手の方から話題を切り出してきた。


「君は――そんなに悪い人間じゃないような気がしたんだ」
「???」
「最初、私は君の事をとんでもない奴だと思っていた。でも、あの裁判で君が言った事は、利にかなっていた。ただの悪党で村人達を支配していたとはとても思えなくなった。まあ、糞土はちょっと勇み足だったと思うけど……」

そう言って、肩をすくめる。
どう反応していいのか分からなかった。散々悪いことをしたと言われていて、ここにきていきなり肯定される――評価が真逆でどういう顔をすればいいのか判断がつかなかった。ただ、変に間が空くのは余計に気不味いので、無理矢理にでも話題を変える。


「な、なあ、聞きたい事があるんだけどいいか?」
「私に答えられることなら」
「俺、どうなるんだこれから?」


それは、今最も山本が知りたかったことだった。言ってから、自分が相当つっこんだ内容の事を聞いてしまったと後悔した。しかし相手の顔を窺うもそれほど非常識な事を言ったとは思われなかったようだ。相手は、「うーん」と整った顔で少し悩んだ後、確定ではないと前置きをした上で、彼らの事情を語ってくれた。

「まず、君がどこの国の人間かを確認しないといけない――――いちおう聞いておくけど、君ってオリーシュ人じゃないよな?」
「そうだけど、なんで分かるんだよ。アレか? 顔か?」
「まあ、それもあるけど……雰囲気?」
「疑問形かよ」

実際自分は日本人だから、その「オリーシュ人」なる愉快な人種ではない。山本はちょっと笑いそうになるのを堪える。

「ウルル側は君の事を追放処分ってことにしたけど、実際は処罰を我々に一任しただけなんだ」
「へー」
「でも処罰云々の前に、まずオリーシュ本国に帰ってから各国の大使館に君の身分照会をしておかないと、後で他国人を勝手に処罰したなんてことになったら国際問題になってしまう」
「なるほど」

なにやら自分のあずかり知らない所で、色々と複雑な問題が発生したようだと山本は思った。国籍を気にする理由は納得できた。もしも自分がどこかの大国の人間だった場合を、恐らくウルル公国は危惧したのだ。仮に自分を死刑にしてしまった場合、その報復として攻め込まれる事もあり得たからだ。
だから追放した上で、自分よりも上位の存在に処分を投げた。こうすることで厄介な面倒事を回避しようとしたのだと山本は考えた。事実、それは正解だった。



「で、君は何者なんだ?」
「――――」

ここで山本は、いっそ今正体を明かすべきではないかと悩んだ。むろん、事情が事情だけに記憶喪失だのなんだのと言って適当にごまかし、本当の事を隠した方が何かと都合が良いのは分かっていた。だがしかし、もしも彼らが自分の正体を本気で調べようとして、それで国籍も何も完全に不明だということが分かったら――――いる筈のない人間が存在しているという矛盾に対して、彼らがどのように対応するか分からなかった。最悪、そのまま「いなかった事」にされることも十分あり得る。だが、正直に言ってもしも信じて貰えなかったら? 
―――――狂人や後ろ暗い事があると思われて、やっぱり「いなかった事」にされるのでは?

分からなかった。この世界に関してほとんど知識がない山本には、どれが最善の選択肢なのかを選び取る事が出来なかった。誤魔化すのも正直に話すのも、どれもリスキーだった。だから、どれを選ぶかは山本の好みで決めるしかない。

(……よし)
「信じられないかもしれないけどさ」

少し悩んだ末、結局は全て正直に話すことにした。殺されるなら、正直に言って殺された方がいくらかマシだと思ったからだ。下手に嘘を吐いて殺された方が、後悔が残るような気がしたのだ。
こうして山本は自分の正体を語る。自分はいわゆる異世界人でこの世界の住人ではない。即ちこの世界の何処の国の人間でもないと。改めて、自分は一体どれだけ胡散臭い事を言ってるんだと思ったが、事実なのだから仕方がない。

「――と言う訳で、気が付いたら荒野に倒れていた」
「…………にわかには信じられない話しだが、もし本当なら漂流民という扱いになる。そうなると――――まあ、死刑にはならないだろう。流石に無罪放免というのは無理かも知れないが、君は別にオリーシュの法を犯した訳じゃないからそうそう酷いことにもならないだろう」
「……そうか、よかった――――」

少なくとも命は保証されるようだ。ほっとする山本。そうなると、気持ちにも多少の余裕が出て来る。


「だが、随分と突拍子もない事情だな。まさか異世界とは」
「俺もそう言われたら同じように思うだろうから気にするな」
「気にするなって、自分で言っておいて何だそれ」
「そう言う事もあるさ」
「いい加減だなあ」

全てを語ってしまった今、山本の気持ちはスッキリしていった。心に沈殿していた、何か淀んだモノがいくらか流されたようだった。単なるやけくそなのか、それとも全てを受け入れた上での諦観から来る悟りの境地だったのかは分からないが、その顔は憑き物が落ちたように晴ればれとしていた。人間諦めも肝心である。


「じゃあ、未来が分かるってことか」
「そりゃ無理。だって俺の世界じゃあオリーシュなんて国なかったもん」
「ウソ?」
「いやホント」
「じゃあ、どんな国ならあるんだ?」
「えっと……まず俺の故郷の日本な。それ以外だとアメリカにフランス、ドイツと中国なんて国がある」

山本は、とりあえずぱっと思い浮かんだ国名を上げて行く。どれも超メジャーな国家なので、これなら相手も分かると思ったからだ。

「どれも聞いたことがないな」
「は? でも俺、この世界の地図見たけど全部あるぞ?」

だが向こうはどうやら知らないらしい。そんなバカなと思ったが、前に確認した世界地図では確かにそれらの国はあった。正確には「その国家があるハズの陸地があった」なのだが。これらの国が存在しない平行世界なのか、あるいは呼び名が違うのかは不明だ。前者ならばもうどうしようもない。

「名前が違うのかも……」
「ありえる。ちょっと世界地図持ってきて照らし合わせて見よう」

ガサゴソと当たりを引っ掻き回しているのを暫く待つ。少しすると、ポケットサイズとは思えない、壁に張り付けるサイズの大きな地図が出て来た。やはりここは倉庫だったようで、こういうかさばる物が詰め込まれていたようだ。

「じゃあまず日本」

指で日本列島を指す。それに対して、現地名での国名が帰って来た。

「扶桑皇国」

へー扶桑って日本の昔の呼び名だったな、と山本は思った。他にも大和だとか倭とかいろいろあるが、何となくシャレた名前の響きだなと思った。

「じゃあ次――オーストラリア」
「ウルル公国」

これは既に分かっていたが、国の範囲がめちゃくちゃ狭かった。山本の知っているオーストラリアは大陸全土を領土にしている、何気に大きな国だ。となると、この世界ではまだオーストラリアという国は存在せず、その前身の国みたいなものなのかもしれない。――――史実ではイギリスの流刑地からスタートしたと言う事を知らない山本は素直にそう思った。

「アメリカ」
「アステカ帝国」
「え、嘘だあ!」
「いや本当」

と、ここでかなり大きな歴史的差異を見つけた。
言わずと知れたお米の国。圧倒的物量で世界中の国と戦っても勝てるとさえいわれる超大国が存在せず、北アメリカ大陸には別の国家が存在していた。


「俺の世界だと、あれだよ。アステカって征服されて消滅したんだぜ」
「へー何処の国に」
「ここ。スペイン」
「ああ、イスパニアか」

山本は世界不思議発見的な番組で知り得た知識をちょっと得意げに語った。
アステカ――それは現在のメキシコのある辺りにかつて栄えた国家。えぐり取った新鮮な心臓を捧げなければ太陽が死んでしまうと信じ、定期的に周囲に戦争を吹っ掛けて回った好戦的な国だ。だが、アステカ帝国は大航海時代の1521年、スペインの征服者――コンキスタドールのひとりであるエルナン・コルテスによって征服され、文化の痕跡、そのことごとくを徹底的に破壊された。
と、簡単に説明するとこのような感じになるのだが、一言で言えば、ジョジョの石仮面の元ネタと言えば分かりやすいだろうか。


その後も暫く、世界と歴史の差異談義に花が咲く。山本的には世界史の彼方に消えて行った国が大国として君臨していたりと、面白い話しが聞けたと満足した。
そうして二人はしばし時間を忘れて話し合ったのだが、どこからか響くラッパの音が、二人の会話に区切りを付けた。

「おっと、もうこんな時間か。悪いけど、今日はまだやる事があるからそろそろ失礼するぞ」
「ああ、お疲れさん」
「そうだ。何か希望はあるか?」
「あーじゃあ、外に出て日光に当たりたい。あといい加減真っ暗闇はウツになるから明かりをくれ」
「わかった、じゃあ日中は甲板に出られるようにするから。明かりもランプを持って来させよう――――逃げたり火事を起こしたりとかはナシだからな?」
「分かってるよ。つーかそんなことしても生きて逃げられる気がしないから。ここ海の上だし」
「ハハッ 冗談冗談――――ああ忘れてた」
「?」
「名前だよ名前。私は近衛ユウ。短い間だけどよろしく」
「ああ、俺は山本八千彦だ」
「おい、煉獄院じゃないのか?」
「あれは芸名だよ芸名。俺が考えた最高にカッチョイイ名前だ。なんなら付けてやろうか?」
「生憎と名前は間に合っているなあ」


朗らかに笑いながら、ユウは「じゃあまた」と言って椅子から立ち上がると、船倉から去って行った。後に残ったのは山本1人。相変わらずまともな明かりのない薄暗い場所ではあったが、山本の心を覆っていた雲は、いつの間にかすっかり晴れていた。





翌日。日中の間だけだが、早速山本は牢から出て甲板に上がる事を許可された。相変わらず腰縄は付けられていたが、それを今現在持っているのは昨日山本の所に訪れた近衛ユウだった。ユウはその縄を自分の腰につけて山本と共に潮風を浴びていた。
空に昇る太陽はギラギラと熱いが、時折吹く海風と丁度相殺されて、体感温度的には心地よいものだった。
遠くの海でトビウオらしき魚が海面から飛び出て来た事に驚いたりと、山本は今自分が護送中の囚人だと言う立場も忘れてクルージングを満喫していた。
昨日まで鬱病患者のように沈んでいたのが嘘のようだ。もしかしたら器が大きいのかもしれない。若しくは底抜けのバカか。

さて、現在山本を乗せたフリゲート艦「菜ノ葉」は、赤道海流に乗って太平洋を東に航行していた。予定ではこのままハワイ諸島付近で進路を北に向け、神聖オリーシュ帝国があるシド大陸へと進む予定である。そしてそのハワイ諸島が目前に迫っている今、山本はハワイ近海を帆船で優雅に航海をしているという事になる。オーストラリアから始まり、赤道をなぞってハワイを望みながら北上と、何気に太平洋を大きく半周した訳だ。字面だけなら、囚人の身分でありながら随分と豪華な旅だった。

「そう言えばさあ、よく俺の事を外に出せたな」
「ん? ああ、まあ船長に頼んだら結構軽く許可がもらえたんだ」
「へーもしかして、オマエって偉い人?」
「私の血筋が――ね」

複雑な笑みを浮かべるユウに、山本は内心で「あ~~貴族って奴かあ。異世界モノの定番だなあ」と呑気に思っていた。そう考えれば、道すがら水兵達が神妙な顔つきで敬礼してきたのもうなずけると、山本は納得した。そして同時に、イケメンで貴族で軍人というモテ要素を目いっぱい詰め込んだ目の前のユウに羨望の思いを抱く。

「やっぱ、(女に)モテる?」
「え、何を(持てる)?」
「…………いや何でもない」
「?」

あまりにも自然に受け流された事で、自分の小ささを思い知らされる山本。こういう風にナチュラルに対応される方が、女性に不自由している非モテ男にはキツイのだ。

「――――おっ! あ、アレ見てみろよアレ!」

一人で勝手に惨めな気分になったのを誤魔化すため、大きな声を上げて前方を指さして騒ぐ山本。その指の先には、水平線上に点在する黒いゴマ粒の様な影。はじめ山本は、これをどこかの国の商船団か海洋探検隊だと思った。きっと色々な珍品宝物を積んで、それを国から国へ運んでワールドワイドな商売をしたり、宝が隠された秘密の小島を探して冒険をしたりするんだろうな~と子供の様な純真さでその影を眺めた。


「…………あれはっ!?」
「ん? どしたの急に?」

だが、ユウの方はそうではなかったようだ。山本の指摘したそれを、目を凝らして見つめて何かに気付いたようにハッとしたかと思うと、顔を真っ青にしていた。

「悪い。ちょっと用事が出来たから、今日はもう戻ってもらっていいか?」
「まあ、俺はいいけど……大丈夫?」

心配になるくらい顔色が悪くなっている事が気がかりな山本だった。ユウは「いや、ちょっと気になる事があるだけだから」と、全くちょっとどころではないような深刻な顔をしていた。

(何か問題あるやつだったのかなぁ……)

じっと、海の上に浮かぶ小さな影の塊を見つめる。キラキラ光る水面で見えにくいそれらを不思議に思いながら山本はもう一度だけ見つめ、そして歩き出す。

(アレは何でどこにいくのかなあ。後で聞けばいいか)

再び船倉に戻った山本は、それが少し気になったものの、すぐに興味は別に移る。ランプの明かりをぼんやり眺めながら思う事。それはこれから行くオリーシュという国の事だった。果たしてどんな国なのか……まだ見ぬ異国に、少し心が躍っていた。





~~神聖オリーシュ帝国宮殿内~~

オリーシュ帝国第一の都市にして首都オリヌシ。その宮殿内の一室に、あわただしく入室する者がいた。息を切らせ、扉を身体全体で押しつけるように入ってきた事に、室内にいた誰もが注目する。尋常ではない焦り様に、なんだなんだと人が集まってきた。

「ハァ、ハァ――――ッし、失礼しますっ!」
「どうした?」

集まってきた人の中から、責任者らしき者が出てきて、一体何事かと尋ねる。

「我が国のフリゲート艦が、ハワイ諸島沖で航海中の大規模船団を発見したとのことです!」
「――――どこのものだ」
「アステカ帝国軍のものです!」
「ッ!アステカ軍だと!?」

息を切らせながら語る内容に、場がざわめく。アステカ帝国は、東の大陸にある軍事大国。国が近ければ理由なく戦争を吹っ掛け、遠い国でもスキがあればわざわざ遠征して殴りに行くと言う戦争狂いとして有名な狂犬国家だ。かの国に攻め滅ばされた国は数知れず、現在は南の大国であるインカともう百年近く衝突を繰り返しているところを、近年電撃的に和平が成立したと思った矢先の出来事だけに、一同に衝撃が走る。

「また戦争か」とその場の誰かが呟いた。そして、誰もが心の中で頷く。あの国は、理由があろうが無かろうが年がら年中戦争をしていなければ気が済まない。また、どこかの国が理由なき宣戦布告を受けて右往左往するのだろうと、そのどこかの国に同情した。
だが、同情とは無関係な第三者がするもので、その後飛び出してきた新情報にそのような気持ちはきれいさっぱり吹き飛んだ。

「アステカ軍の船団は東から西へ真っ直ぐ航海中。その進路先はシド大陸の可能性が大であるらしく――――ッ!」
「なにぃ!?」

絶句。そして恐怖。全員が、その悪い知らせに身体が震える思いをした。

「――――大至急関係各所に連絡しろ! 急げ! 御国の一大事だ!!」
「は、はい!」

責任者の一喝でようやく再び動き出す。たったひとつしかない出入口に人が殺到し、そこから四方八方に人が散って行く。皆それぞれ、関係する部署にこの恐ろしくて驚くべき知らせを届けにいったのだ。それは目の前に迫りつつある脅威から、誰もが目をそらそうとするような鬼気迫るものだったと、後に彼らは語り合ったと言う。




[40286] 近代編  奇襲開戦はcivの華
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:95ce0ae2
Date: 2016/01/16 22:26



「……!――――っ……!!」

「揉めてるなぁ」

それから更に時間が流れ、山本を乗せた船はとうとう彼らの本国にして母港、神聖オリーシュ帝国は首都オリヌシに到着した。だが山本が船から降ろされる気配は、半日経過した今でも無かった。時折聞こえてくる激しい口論の余韻だけが、外界の情報を手に入れる唯一の手段だった。
近衛ユウとも、最近はめっきり顔を合わせていない。オリーシュ本国への帰国が迫るごとに焦燥感の様なものが顔に現れるようになり、最後の方にいたっては山本が甲板に出ることを自分から遠慮するほどだった。

(あの日見たアレが原因なんだろうけど、正体は結局聞けなかったな)

始めて山本が甲板に上がることを許可された日、あの日に山本が遠い水平線上に浮かぶ船団を見つけたのが、全ての始まりだったと直感した。事情を全く知らない身でも、アレが相当に「ヤバい」ものだった事は、艦を覆う雰囲気で察することができる。それほど誰の目にも明らかだった。

「ま、何か良く分からんけど待っとけばいいかあ」

だが、一応は囚われの身でしかない身分では出来る事はないし、他国の問題に首をわざわざ突っ込むような気も起きない。若干乗組員にその存在を忘れられている節がある囚人山本は、考える事に飽きてゴロンと寝転がり、そのまま呑気に昼寝を始めてしまう。死刑はないという話しを聞いてすっかり呑気なものだった。



一方、甲板上では激しい口論が引き続き行なわれていた。山本は余韻しか感じられなかったが、ある意味それで良かったかもしれない。もしも言い争いの内様が分かったら、昼寝などしているような心境ではなかっただろう。

「――――ですから! 今の内に海上にて戦端を開かなければ、みすみす敵に上陸を許してしまうと言っているのです!」
「ただいま交渉を行なっている最中であります。しばしお待ちくだされ!」
「交渉が決裂してからは遅いのです!」
「相手はアステカだ! そんな悠長にしていられるか!!」
「そうだそうだ!」


山本が寝息を立て始めたその頃、船の上ではフリゲート艦の館長及び乗組員達が、政府の外交部門から派遣された官僚たちと激論を繰り広げている。内容は、オリーシュ帝国に迫りつつあるアステカ陸戦部隊を満載した大船団への対応だった。
軍人たちは「このまま敵の上陸を許してしまえば、圧倒的な陸上戦力で最悪そのまま押し切られてしまう可能性もある。ならば今の内にこちらから逆に宣戦布告を行い、艦隊決戦を望むべし」という積極的開戦論を主張し、官僚たちは「現在必死の外交交渉を行なっており、これが成功すれば戦いは回避できる。むしろ軽はずみにこちらから宣戦布告を行なえば、諸外国からの非難は避けられない」という戦争回避論をぶつける。
だが、議論は平行線を辿り始めて既に半日。彼らはフリゲート艦「菜ノ葉」が入港して以降ずっと意見をぶつけ合い、結論が出ていなかった。

「平和交渉大いに結構! ですが既にアステカ側は戦いを有利に進むべく、シド大陸北部の平野部に展開しようと船を進めています。すでに一刻を争う今この時、交渉を行なっているような余裕はありません! 違いますか!?」

と艦長が叫べば、その部下も同調する。「そうだ!」「艦長の仰る通り!」「そんなに責任問題になるのが怖いかヘタレ共!」

それを受けて、外交の役人たちも反論する。身体付きは頼りないが、しっかりとした口調で怒鳴る様に声を上げる。

「オリーシュとアステカの国力は三倍! 加えて彼らの多くは幾つもの戦役を乗り越えて来た精鋭ばかり! 戦っても勝ち目は薄い! 短絡的に今戦端を切れば勝てると言い張るのは軍人の傲慢でありと我々は考えます! いかがか!?」

後ろに控えた部下たちも、やはりその言葉に追従して、援護した。
「その通り!」「良く言った!」「偉そうにいうな低学歴共!」


――首都の港で文官と武官の両陣営が掴みあいに発展そうになっているが、オリーシュのありとあらゆる公的な機関で同様の諍いが起こっていた。
そして今この時、間違いなくオリーシュの未来を左右する話し合いが行なわれている場所が存在していた。そこは運命の分岐点という名のホットスポット。有体に言えばアステカ帝国大使との外交交渉の場だった。これがうまくいけば、戦いは避けられる。だが残念なことに、運命の女神はオリーシュに微笑んでくれそうにはなかった。


「その……朕は顕微鏡を使った観察が趣味なのだが――――た、大使殿も興味はありますかな?」

恐る恐るという風に言ったのは、眼鏡をかけたやせ形の中年男性。学者肌で物腰が柔らかい――――というよりも単にひ弱そうなこの男こそが、栄えある神聖オリーシュ帝国第119代皇帝ロムレ五世だった。ロムレ五世は額にじっとりと汗をかきつつ、上目遣いに対面する男の反応に注意を向ける。

「いえ、某の様な生粋のアステカ人は戦いこそが全て。知的好奇心を満たす事に心を傾けるは某の流儀ではありません。それで、その趣味が何か?」

ぶっきらぼうにそう答えるのはアステカ大使。顔面には生々しい傷跡が無数に走り、ガッチリとした筋肉質の巨体を揺らしながら、太い腕を組んでいる。とても一国の君主に対して敬意を払っているような雰囲気ではなかった。
大使は「言いたい事があるなら早くしゃべれやボケがッ!」とでも言いたげに、貧乏ゆすりをして言外に催促する。
ロムレ五世はゴクリと生唾を飲み込んだ。いよいよ、場の雰囲気に耐えきれなくなる。世間話も早々に切り上げて、本題に入ることを余儀なくされた。

「た、大使殿。神聖オリーシュ帝国は貴殿の国に対して友好宣言を行う準備がある。お互いの発展のために友好を結び、その上で技術の共同研究――――研究協定も一緒に結ぶのはいかがか、なと……」

本来ならば、近づきつつあるアステカ軍の即時転進を要求したいが、そうも言えないのが大人の都合である。そこで友好条約を交わす事でそれとなく「ウチに攻め込んでこないでね」というメッセージを乗せた。

(帰れ! 帰れ! お前ら全員さっさとカエレ! 朕は部屋に引きこもって微生物の素描を続けたいのだ!)

国としてもロムレ五世の性格的にも、戦いや争いごとなどまっぴらゴメンである。伊達に趣味が政務を部下に任せて自分は日がな一日部屋にこもって顕微鏡をのぞいて微生物をスケッチする事ではなかった。剣や銃などほとんど握った事もなく、軍学も触りだけ。とても戦争の指揮など出来る訳がない文弱の徒が彼の本質だった。
そもそも、ロムレは皇帝などという地位よりも学者になって研究に没頭することを望んでいる人間だった。だから本当ならば、目の前の殺人ゴリラの様な男とギリギリの交渉を行なえるような器でもなければ意志も持ち合わせてはいない。
それでもこうしているのは、「どうか陛下のお力で……どうか平和の為の交渉を!!」と泣きながら外務大臣以下全員に土下座されて、突如やってきた大使との会談を無理矢理やらされているからだった。

「大変申し訳ない。今は自国の力のみでやっていきたいと、まあ本国の意向がありまして。いや、本当に申し訳ない」
「それはざ、残念ですなぁ……ハハ」

だが、そんな平和(?)への願いは一瞬の考慮もなく袖にされる。
大使はけんもほろろに断り、いよいよ自分――というよりもアステカ帝国の意向を伝えることにした。いい加減、こうして無駄な話し合いをしているのにも飽きて来たというのが実情だった。

「――――では、某もそろそろ本日ここに参った用件をお伝えしたいのですが、もうよろしいですかな?」

ビクッ! と、ロムレ五世の身体が反応する。

「いや、待った。ちょっと待った! あ~~そうだ! 葡萄酒の交易などはどうですかな?
朕もよく食前に飲むのですがまた良いモノでして……」
「……」
「は、ハハハ…………」

いよいよ可哀想になるくらいに、汗が顔全体から流れ落ちる。目は泳ぎ、愛想笑いも引き攣る。対する大使の顔は「笑顔」だった。それも、ようやく長く退屈な仕事から解放されたかのような、晴れ晴れとした笑みだった。

「シミカカ! シミカカ! シミカカ!」
「――――っひぃ?!」
「失礼。アステカ皇帝モンテスマ三世陛下よりのお言葉です。意味は――――『死ね!死ね!死ね!』であります」
「――――」


それは、これ以上には無いほど明確な宣戦布告の言葉だった。只今をもって、神聖オリーシュ帝国とアステカ帝国は交戦状態に入った。これより先は、どちらかが根を上げて和平を申し出るか、全滅するまで戦いは終わらない。
宣戦布告を行なった側はとても良い顔で笑い、受けた方は魂が抜けたように白目をむいた。

「では、御健闘をお祈りします。またお会いする事があれば、今日の続きをしましょう。……そのような日が来ればですが」
「―――――――――――」
「へ、陛下?! 大変だー! ロムレ陛下が気絶なされたぁ?!」


――――こうして平和への交渉は決裂した。こうなってしまえば、戦うより道はない。二つの国が今、太平洋をはさんで大きな戦いの渦に巻き込まれたのだった。



オリーシュ最北、その近海付近。魚場もないこの冷えた海は、普段は船の往来などほとんどない。だが、今この時に限って言えば大船団がゆうゆうとオリーシュ国境内を我が物顔で移動していた。
その内のひとつ。他よりもやや大きな旗艦の内部で、ここにもまた苦悩する者がいた。

「頑張れ頑張れイケるイケる我々なら出来る!」

銀色のフルプレートアーマーを着込んだ白人男性だった。彼は、若干薄くなり始めた頭を抱えてブツブツ呟いていた。それは自分を励ます言葉だった。もしくは、自己暗示とも言う。ひたすら己を鼓舞しようと頑張るが、中間管理職の様な冴えない面構えもあって、「おっさんが現実逃避している」としか思えない光景だった。事実、彼は部屋の扉が開かれる音にも気付かなかった。
コツコツと、彼に近づく足音が響く。

「出来る出来るやれるハズだ!頑張れ!負けるな!力の限り生きて――――」
「将軍! コルテス将軍!」
「やれぃ!?――――んもバカ! いきなり声をかけるんじゃない!」

自分の世界に没頭している間に、男――コルテス将軍の傍に彼の部下が立って声をかけた。彼もまた白人系の人種であった。部下は苦笑いを浮かべつつ、職務を遂行する為にかかとを揃えてコルテス将軍に向き直る。

「申し訳ありません。ですがそろそろシド大陸が見えてきますのでご報告に」

部下がもたらした知らせは、いよいよ自分達が攻め込むべき大陸が見えて来たというものだった。戦争――――それが彼らに与えられた仕事であった。

「あ、ああうん。分かった御苦労。下がっていいよ」
「ハッ!」

部下を下がらせて、再び一人になったコルテスは、「はぁ――」とため息をついて深く椅子に腰かけた。

「……ご先祖様のおかげでめちゃくちゃな目に合ってるよ――――恨みますよ先祖様……」

コルテスの頭に浮かぶのは、彼が国を出国する時の記憶だった。アステカの首都テノチティランで行なわれた壮絶な儀式の記憶と共に、彼の主君の恐ろしい姿がよみがえってきた。それは今から数カ月前のことだった。







アステカ帝国首都、テノチティトランの人口は数十万人を超える。王宮は北米大陸中から集められた金銀財宝で美しく飾りつけられ、王宮へと続く大通りには無数の市と神殿が立ち並ぶ。テスココ湖とよばれるひょうたん型の大きな湖に浮かぶ小島に建設されたその黄金の都は、当時最大級の規模を誇る大都市だった。
そんな都の一角に、巨大な石のピラミッドがあった。町全体を見下ろすような高さを誇る建造物は、アステカ人達が信仰する神々の為の施設だった。
漆喰で塗り固められたピラミッドの頂上には、二人の男がいた。1人は背が高く、均整が取れ、無駄な脂肪は一切ない大男。肌は褐色で、獣のような凶暴な眼光を放っている。名はモンテスマ三世、北米大陸全土を支配する強大にして凶暴なアステカ皇帝だった。



「コルテスッ!ウヌの先祖が我らの神聖なる大地に攻め込んでから、どれほどの年月が経ったぁ!」

上半身裸で頭には翼を広げるクジャクの羽の様な飾り、そして肌にボディーペイントを施したモンテスマは大声音で目の前に跪くコルテスに咆えた。背後にはキャンプファイヤーの如きかがり火が真っ赤に燃え盛り、熱風と火炎を背負うモンテスマの姿は地獄の悪鬼のように恐ろしかった。

「はい! 約200年であります!」
「ムゥ――――ではその時の借り、いよいよ返してもらおうッ!」

コルテスは小さく縮こまりながら答える。彼の正式名称はソレナンテ・コルテス。イスパニア系アステカ人である。
その起源は今から200年程前にさかのぼる。世はまさに大航海時代。多くの西洋の旅人がまだ見ぬ大地と莫大な富を求めて大海原に繰り出した時代である。
彼の祖先、エルナン・コルテスもまた冒険の旅に出た旅人。だが彼は冒険家と同時に、どうしようもない荒くれ者でもあった。エルナン・コルテスはアステカの所有する広大な領土と財宝に目がくらみ、上司や国の方針を無視して単身アステカ帝国に武力進攻した。
というのも、その当時のアステカ帝国の陸軍主力部隊は、ジャガー戦士とよばれる戦士部隊であり、所持している武器は黒曜石を尖らせた粗末な剣のみ。
現場の独断専行によってなし崩し的にイスパニアとアステカとの戦端が開かれた訳であるが、裸で肌に絵を塗ったような野蛮人たるアステカ兵に対して、エルナン・コルテス率いるコンキスタドールは馬に騎乗し、銃で武装した当時最先端の軍隊だった。このことから考えて、戦いはコンキスタドールの勝利に終わる――――と誰もが思った。
だが、コンキスタドール達は首都テノチティトランにすら辿りつく事は出来なかった。ユカタン半島のタバスコ川から上陸して進軍したコルテス軍は、首都との間に広がる広大なジャングル地帯でジャガー戦士によるゲリラ戦を受け壊滅。前線基地となっていたパナマを逆に占領されるという惨敗を喫した。

外国からの交易船を通して高度な科学知識が伝えられていた事、極めて迅速に武器――鋼鉄製の武具――の更新が出来た事など様々な要因が絡まった結果の大勝利だったワケであるが、この戦いの以降パナマはアステカ帝国に恭順する傀儡都市国家という立場に堕ち、エルナン・コルテスはそこの傀儡君主としてアステカに忠誠を誓うことで何とか助命された。
エルナン・コルテスは偉大なるアステカ帝国に無謀な戦いを挑んだ愚者として蔑まれ、そしてその子孫にも大きな負債を残した。ソレナンテ・コルテスという名前は、先祖エルナン・コルテスを由来として付けられた侮蔑と呪いの名だった。
ちなみに、アステカに高度な科学技術を伝えた交易船の主は、太平洋の神聖オリーシュ帝国であることを追記しておく。

「えっと、あの。私の領地が毎回インカ帝国との戦いの前線基地になっているのですが……」
「ナニィ!?」
「いえ、なんでもございません」


だが、コンキスタドール達とその子孫、さらに都市パナマの不遇の歴史はまだまだ序の口だった。彼らは当時着々と勢力を伸ばしていた南米大陸の覇者、インカ帝国との熾烈な戦いに何度も駆り出され、彼らが強制的に居住させられたパナマの地はその前線基地として幾度となくインカの攻撃に晒された。子孫であるソレナンテ・コルテスもまた都市国家パナマを任された公王という称号を与えられているが、実質は悲しき操り人形。毎年毎年財貨をアステカに絞り取られるわ、アステカの宗教上の理由で幾度となく発生する対外戦争にほぼ毎回動員される体のいいパシリだった。


「……足りぬのだ」
「えと、何がでございましょうか?」
「我らが神、ウイツィロポチュトリ神に捧げる供物が全く足りぬのだ!」

アステカは好戦的な軍事大国である一方、世界でも稀に見る「生贄」が社会の基礎となっている宗教国家でもあった。豊作、雨乞いといった神頼みはもちろんのこと、結婚式や葬式といった行事においてもいちいち生贄を必要とした。
また、戦争の戦勝祈願においてもやはり生贄が捧げられた。太陽神であり軍神でもあるウイツィロポチュトリは新鮮な心臓を好む神としてアステカでは信じられていたので、人体から取り出したばかり真っ赤な心臓を捧げれば、ウイツィロポチュトリ神は戦いの勝利をアステカにもたらしてくれると考えられていた。
神は勝利を約束し、そして勝利して得た領土と捕虜を追加で捧げることで更なる版図を広げる原動力とする――――以上の事を繰り返し、国は瞬く間に大陸を支配する大帝国と成長した。彼らの大躍進を支えた爆発力こそが、生贄の文化だった。アステカの神殿に無数の捕虜たちの血が流され、ウイツィロポチュトリへ血の滴る心臓が供物として捧げれば捧げるほど、アステカは戦いの勝利を確約されると信じていた。  
彼らにとって生贄とは、国家の行事から個人的な事情に至るまで欠かす事の出来ない要素だった。だが、次第に彼らの需要を満たすだけの捕虜を確保するのが難しくなっていった。国と人間の乱獲が原因で、すでに容易に行ける所にはアステカが攻めるべき場所は無かった。
そんな彼らが目を付けたのは南大陸。そしてその覇者であるインカ帝国だった。しかし攻め込もうにもアステカとインカをつなぐユカタン半島はせまく、大規模な戦いを展開しにくい土地だった。アステカとインカはほぼ年中行事のようにこのユカタン半島で小規模な戦いを繰り返し、アステカは中々得られない捕虜に苛立ち、そしてユカタン半島を治める歴代パナマ公王の胃壁をガリガリ削った。

「インカの地に攻め入るには今まで以上の――否、これまでとは比較にならない程の膨大な心臓を我らが神に捧げなければならぬ! しかるに、その大任を貴様にまかせようと思う!!」
「あの――――それはつまり、私に戦争を指揮しろと……?」
「それ以外の何があると言うのだ!」
「む、無理無理無理です! だってワタクシ精々籠城くらいしか経験が――――」
「――――」
「やらせてい頂きます!! 必ずや御国に勝利を!」


げに悲しきは宮仕え。現パナマ公王ソレナンテ・コルテス、侵攻軍主将として参戦決定。うっかりすれば自分が生贄にされる可能性もあるだけに、抗弁することは出来なかった。ちなみに生贄もただ数があれば良いと言う訳ではない、高貴なもの、美しいもの、その他諸々の「人間の質」も十分考慮される。初代のコンキスタドール達が許されたのも、この辺りの選定ではじかれたからだ。基本大航海時代の冒険家は、御世辞にもお上品な人間とは言えないタイプが基本だった。平均寿命が30を超えないという劣悪な船上生活を送ろうと思う人間は、まあカタギではない。


「ウヌの決意確かに聞いたよく言った! ――おい!」

コルテス将軍の悲痛な叫びに満足したモンテスマは、大きな声で何かを呼んだ。すると、色とりどりの飾り付けを施された神官がぞろぞろとコルテス将軍とモンテスマが居る石ピラミッドの階段を上ってきた。神官達の後ろからは、籠に入れられた捕虜らしき男が運ばれてくる。


男は綺麗に飾り付けられてはいるが、表情は恨みの色を色濃くにじませている。そして、周囲にいる者全員をじっとりと睨みつけた。この先に展開される光景を予想して、コルテスは震えた。

「この男は、先のインカ帝国との戦いで獲得した敵側の将である! 見よ、なかなかの面構えではないか! 野原に晒して犬共に喰わせるのには惜しい! 神もさぞお喜びになるだろう!!」
「くっ!――――殺せ!!」

確かにどこか高貴な雰囲気がある男だった。堂々としており、命乞いをせずあくまで敵に屈しようとしない姿に、コルテスは感動するやら痛ましいやらで、この後の事を考えても正視できなかった。
コルテスが目をそむける一方で、儀式の準備は着々と進んでいく。籠から出された捕虜を、神官たちはピラミッド頂上に備え付けられたテーブル状の大きな石の上に寝かせ、その上で両手足を押さえつけた。そしてその内の一人が黒光りする黒曜石のナイフを取り出すと、ひと思いにその捕虜の胸に突き立てる。

「ギャア”ア“ア”ア“ア”ッッ――――!」

絶叫。真っ赤な鮮血が胸から吹きだし、周囲に鉄錆の匂いが立ち上る。ジタバタと暴れもがく捕虜の男を、神官達が押さえつける。そして、さらに傷口から手を差し込み、かき乱した。
激痛から一層暴れ叫ぶ捕虜。ボギリという鈍い肋骨をへし折る音が聞こえる。出血の量は更に増え、グチャグチャと血肉をかき分ける水っぽい音が静寂な空間を満たす。
コルテスは喉元をせり上がってきた酸っぱいモノを強引に飲み込んで、ひたすら事が終わるのを待った。耳をふさぎたくなるのを耐え、目を伏せたくなるのを耐え、逃げ出したくなるのに耐え続け、そして――――ようやく神官の掌に現れた真っ赤な心臓を見て、全てが終わったことにホッとした。捕虜の叫びはもう聞こえなくなっていた。

「コルテスよ。神はより多くの心臓を望んでいる! そして、神はこの男の心臓を以って我らに勝利を約束した!」

戦いに向けた神聖なる儀式、すなわち戦勝祈願の儀式を滞りなく終えたモンテスマは、コルテスに向き直る。生贄の亡骸が石のテーブル――生贄の石――にぐったりと横たわった姿を背景にしながら、大きな声で宣言する。

「神は供物を欲しておる! 王族の心臓は良し! 美しい女の心臓は更に良し! それらが十分に得られぬならば、千でも万でも数で補えい! この戦により、生贄の石は鮮血に染まるだろう!!」

遠征が失敗すれば、今の捕虜と同じ末路を自分がたどるだろう。だが勝っても負けても、この世に地獄が具現する――コルテスはそう予感し、恐怖した。







[40286] 近代編 復活の朱雀
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:95ce0ae2
Date: 2016/01/16 22:47



「敵影なし! これより上陸を開始します!!」

アステカがオリーシュへの宣戦布告をした後、コルテス将軍率いるアステカ遠征軍約5万人はシド大陸最北端に殺到した。海岸線には次々と揚陸艇が乗り上げられ、そこから続々と吐きだされるアステカ軍兵士達。たちまち、ビーチはアステカ軍の旗で満たされ、夏の浜辺に咲き乱れるビーチパラソルのごとく林立した。
彼らが足を踏み入れたのは、ほぼ不毛の大地が広がるツンドラの平原地帯だった。オリーシュの行政区分上では、一応都市セッキョーの領域とされている土地なのだが、都市より極端に遠方と言う事もあってほとんど手が付けられていない無人の荒野である。その為、彼らの侵攻を阻止するような防御物は一切なく、コルテス将軍は遠征軍のほぼ主力をなす陸戦部隊の上陸を滞りなく行なう事が出来た。


「いけ! いけ! 急げぇえ!!」

しかし、総大将であるコルテス将軍はそれでも急ぐよう将兵に求めた。
これは彼らの部隊に水上戦力、すなわち海上戦闘が可能な軍艦がほとんど存在しないという致命的な事情、すなわち弱点があったからだ。
アステカは軍事大国であるが、南のインカ帝国とユカタン半島で繋がっているために陸軍に国力を注がなければならない陸軍国家。大規模な陸上戦力に加えて海軍の編成にまで力を入れる事が出来なかったという経済的な問題から、この度の遠征でも兵士を運ぶ船の護衛はほぼ皆無という有様だった。
もしも遠征が事前に察知されて海で迎撃されれば、五万の将兵が海底に沈む。そして負けても海に逃げる事も出来ないというかなり危険、というよりも行き当たりばったりな侵攻作戦だった。
最も、オリーシュは周囲を海に囲まれた海軍国家なので、付け焼刃の海軍で護衛が務まるかと言われればかなり怪しいが、それにしても思い切りが良すぎた。
だが、このような稚拙な作戦を立案したのはコルテスではない。人命無視、のるかそるかの博打要素が高い遠征計画を立てたのは他ならぬアステカ皇帝だった。
生贄が三度の飯より好きな上司に逆らう訳にもいかなかったコルテスはしかし、よほど運に恵まれたのか何の妨害もなくまんまと全軍を岸に上げることに成功したのだった。この段階で、先祖よりも運は良さそうだ。


「コルテス将軍。全将兵の上陸が終了しました」
「よし……! オリーシュ側の動きはどう?」
「ありません。海、陸両方を監視していますが、そもそも人自体がいません」
「え、偽装しているとかでなく?」
「はい」

キツネに化かされたかのような顔で尋ねるコルテスに答えたのは、涼しい顔をした例の副官だった。
事態はコルテスに都合がよく進んでいる。ハワイ沖でオリーシュ側のフリゲート艦に発見された時にはもうダメかと思われたが、何故か敵の抵抗はなく、極めてスムーズに上陸に成功することが出来た。あるいはこれ自体が罠で在るとも思ったコルテスだったが、いくらなんでも兵そのものがいないというのはあり得ない。もしかしたら引き込んでから叩くという作戦かもしれないが、陸軍主体のアステカと、海軍主体のオリーシュが陸の上で態々戦う合理的な理由がコルテスには考え付かない。なら、これは敵のミスと考えるのが妥当であると言えた。

「――――まあいいや。なら今の内に南に行けるだけ行こう」
「海の上からの艦砲射撃を受けるのはマズイですからね」
「とくにカノン砲。これがやられたら僕達は負ける。まずは早く海岸線から離れないと」

ミスか、それとも何らかの理由で兵力を送れなかったのかは分からないが、今の内に有利に出来ることをしておこうとコルテスは判断する。計画を聞かされた当初は、水際でいくらか兵力をそがれることを覚悟していただけに、これは嬉しい誤算だった。おかげで、怪我を負った兵も出なかったので、十分な兵力を保ったまま行動が出来る。
目下最大の優先事項は、とにかく海から離れる事。海の上にいる敵に対応する戦力は、アステカ側にはカノン砲ぐらいしかない。もしもフリゲート艦隊から砲撃を食らえば、せっかく上陸させた戦力が消耗する。とりわけカノン砲が破壊されるのは絶対に避けなければならなかった。これを失えば、アステカ軍は唯一の攻城兵器を喪失する。
だが、問題はそれだけではなかった。

「あとは補給の問題もありますね」
「ああ……問題はまだまだ山積、頭痛いなあもう……」

軍を動かすには、武器や弾薬の他に食料が必要だ。アステカ軍は遠く太平洋を渡ってやってきているが、そもそも制海権を握った訳でもなく、とにかく唐突に宣戦布告を行なって、相手が対応する前に上陸を果たしただけである。この状態で呑気にアステカ本国から補給船を出していたら、次から次へと沈められるのは誰にでも分かることだった。だからこそ、コルテス軍5万人を食わせる方法は唯一つ「現地調達」だった。というよりも略奪である。
各兵士がそれぞれの背嚢に詰め込まれた弾薬と食料と水、これらが尽きる前に敵都市になだれ込まなければならなかった。


「オリーシュ帝国の最北部にある都市セッキョーは、アステカの諸都市とは比べ物にならないほど大きいとか。そこを落とせば問題はないかと」
「落せなければ」
「我々は全員、異国の土になりますね」
「胃が痛い……」

背水の陣、死にたくなければ勝たなければならない状況に追い込まれている。コルテスはその辺りの切羽詰まった状況を認識して、痛みを訴える胃を服の上から手でさする。牧用犬に咆えたてられて屠殺場に突っ込まされる羊の気分だ。

ちなみに、問題はこれだけではない。アステカ皇帝からは、神聖オリーシュ帝国の首都以外の全ての都市を占領することが命令されているからだ。
首都オリヌシはシド大陸最南端にあり、東西に走る大山脈を背にしている臨海都市である。これによってシド大陸は北部と南部を分断されているが、圧倒的に北部の方が広いという立地で、首都オリヌシ以外の全ての都市が山脈の北側に集中している。山脈を越えて軍を進めるのは攻める側としては大変なことなので、必然的に主戦場は北部になる。そして、戦いの勝敗を決めるのもまた、北部の支配権を奪えるか保持できるかにかかっている。
北部を全て占領し、あとは防備を固めれば山脈を盾にして優位に立てるアステカと、国力の大半を削られればもはや挽回できないくらいに追い詰められることとなるオリーシュ側。そもそもが奇襲で始まったこの戦いの焦点は、アステカ軍が勢いで押しきるか、オリーシュが粘るかの戦いだった。

「全軍、聯隊ごとに前進! 第一目標! 敵の主要都市セッキョー!!」

コルテスは全軍に聞こえよと言わんばかりの大声で命令を下す。既に戦いの火ぶたは切って降ろされた。後は生きるか死ぬか、勝つか負けるかの単純な二択でしかない。明日を生きることを望むコルテスは、勝って生きる権利を得るべく軍を進めた。








所変わって、神聖オリーシュ帝国の首都オリヌシ。ここでは最高戦争指導会議と銘打った会議が開かれていた。
円卓の傍に立っているのは、この会議の司会役の男だった。男は、手元の紙に目線を落としながら抑揚のない声で淡々とそこに書かれた事を読み上げる。

「報告によりますと、アステカ軍は北部より上陸を開始。現在は南、すなわちセッキョーに向かって進軍中です」
「敵軍の数は?」

尋ねたのは、参加者の一人。服装からかなりの高位貴族という風格だった。だが、その顔には余裕がない。

「敵の総数は概ね5万、カノン砲と銃を主体とした完全陸戦部隊です。対してこちらの総兵力は陸海合わせて18万。ただし、陸上戦力は7万でその内5万は海外派兵で現在は国内に存在しません。あるのは2万の近衛聯隊のみです」
「つまり我々は、2万で5万を相手にするという訳か」
「少々違います。2万の兵力はそれぞれ四つの部隊に分けて首都オリヌシ、チート、テンプレ、セッキョーに駐屯していますので、すぐにセッキョーで集結出来る兵数は1万5千の三個聯隊のみです。オリヌシの部隊を移動させるのは、大山脈を海路で迂回し、テンプレかチートに上陸後、陸路で移動になりますので少々遅れます」
「――――」
「――――以上の事を踏まえて、活発で有意義な会議にしていこうと思いますので、どうか皆さんのご協力をお願いいたします」

活発な会議と言っておきながら、あまりにも悪い状況に誰もが口を噤んだ。この場にいる誰もが「あ、これマジでヤバいんじゃね?」と思っていた。
そしてそう思うが故に、次にやる事は決まっていた。


「だから最初から海上で迎撃しておけばよかったんだ!」


責任のなすりつけ合いである。
人間とは不思議なもので、事態がまだ何とかなる、もしくはなりそうな状況であるならば、あれこれ打開策を考える事が出来る。しかしどうにもなりそうにないと思うと、その瞬間対策を考えることそっちのけで醜い争い、即ち「この事態を引き起こした誰か」を糾弾することに頭を使うのだ。責任回避に全身全霊をかけて励むとも言う。

「んなっ!? 貴方は陛下の平和への努力を否定なさるのですか!」
「普段莫大な出費を強いている栄光あるオリーシュ軍が、たかだか5万に右往左往しているというのは如何なものかと。税金泥簿のそしりを免れませんな」
「ほとんどは海軍の維持費だ! だから充実している海軍で戦おうと何度も……! せめてオリヌシの駐留陸上部隊をあらかじめ北部へ移動させておけば!」
「財務担当側としましては、駐留部隊を都市から引き離すとそれだけで国庫の負担になりますので、そう軽々しく動かすと言われるのは困ります」
「こんな時に言ってる場合か!!」
「なんですと! 全ての駐留部隊を動かすと赤字なんですよア・カ・ジ! 金食い虫の飼い主には分からないでしょうが!」
「よくも言ってくれたな――――! そのハゲ頭叩き落としてくれる!」
「ハハ、ハ、ハゲちゃうわ!」

見るに堪えないとはまさにこの事。いい年した大人が泡を吹きながら罵り合う姿など美しい訳がない。国家存亡の危機という状況下で、あの時さっさと軍を移動させておけばといい、それをやられると軍の維持費がかかって収支が赤字になると反論するのだが、どちらも今言うべき問題ではない。
ちなみに、軍が都市に駐留すると維持費がかからないのは、憲兵という役割を果たすことで都市の資産家階級から支援があるからだ。金持ちの資産を狙う盗人は、何処の世界にもいると話し事だ。

さて、議論と言うよりも罵倒合戦の様相を呈し始めるのだが、この有様に最初に怒りを爆発させたのは円卓の一か所に固まっていた三人だった。

「敵が攻め込んできている状況下で喧嘩なんて止めなさい! いまこうして我々が会議室で怒鳴り合っている間にも、セッキョーは危険にさらされようとしているのです!!」

彼らは執政官と呼ばれる役職の者たち。皇帝直属の代官とでも言うべき存在だった。
神聖オリーシュ帝国は、シド大陸を四つの区分で分けて統治している。オリヌシ州、セッキョー州、テンプレ州、チート州、これらの行政区域の中に貴族領と皇帝直轄領地があるのだが、直轄地から税金を取り立てる徴税権、市民に指導を行なって適切に労働させる行政権、皇帝の許可の元に行なう徴兵権などなどが与えられている超エリート官僚達である。言うなれば強大な権力が与えられた州知事だ。
現在目下緊急事態中であるセッキョー州、その中心である都市セッキョーの執政官だけは職務を離れる訳にもいかなかったので欠席しているが、その他の執政官達は全員そろってこの会議の行方を見守っていた。だが、一向に事態を打開する方策が示されない事に業を煮やした彼らは、その場の他の出席者を差し置いてひとまず今やるべきことを提案した。
途方もない努力の末に手に入れた地位がアステカの征服によって全てパアになるかどうかの瀬戸際だけに、彼らも必死だった。

「陛下! 早急に戦時体制へ移行していただきたく! 我々執政官一同が全力で勤めさせていただきますので、なにとぞ――――!」

執政官から飛び出した単語に、議場がざわついた。都市には、大学や銀行、市場といった各種公共機関が存在する。市民の中で能力がある者はこれらの機関で職務に従事して国益とするのだが、戦時体制とは都市の生産能力を向上する為に、これらを軒並み閉鎖する事を意味する。他にも人口を賄う分以外の農場を閉鎖したりと、ありとあらゆる方法で人的資源を確保し、その結果無職となった市民の労働力をかき集める。大学や銀行は国の科学力と財力を特に生み出すのだが、これは将来の国力を前借りするのと同義である。
だがそれ以上に、今が非常事態であると言う事をことさら強調する効果があった。建国より未だかつて対外戦争をしてこなかった神聖オリーシュ帝国にとって、外国との戦争がいきなり国家存亡の危機に直結したことをまざまざと見せつけられる事となった。


「海外派遣部隊の方も、間に合うかどうかは別として呼び寄せなければなりません」
「あと、都市に停泊しているフリゲート艦も。もう砲の射程外でしょうが、敵が海岸付近に来た時に砲撃できるように準備しなくては」
「ならばチートかテンプレだな。敵がセッキョーを陥落させた場合、次に狙うのはこの二つだ」

「陥落っ?!」「なんと不吉な事を!」

三人で話し合い、ベストではないが今出来る精一杯の対応策を次々と提案していく執政官達。ほぼ蚊帳の外におかれた他の出席者達が反発の声を上げる中、いままで沈黙を守っていた皇帝が動いた。

「…………もう良い。全ての都市に非常事態宣言を布告し、公共事業を防衛態勢に当てる。海外の部隊は大至急呼び戻し、セッキョーの防衛にあたらせる。海上戦力はチートとテンプレに集結させ、敵が海沿いに来た場合はこれを迎撃する――――これでよいか?」
「今できる最善手かと」
「では、執政官。そのように」
「「「「はい!!」」」」

執政官達はそれぞれの補佐官に指示を出し、出された補佐官が議場から飛び出していく。彼らはそのまま担当の都市にある執政府へと手旗信号を使った命令を伝え、命令を受けた執政府は速やかに与えられた指示を実行する。
この時、実行中だった公共事業は即時中断され、それにとってかわったのは防壁の建設だった。基本的に千年単位で平和を享受し続けていたオリーシュでは都市を防壁で囲む文化や必要性は存在しなかったが故に、いままでその手の防衛施設は存在しなかった。セッキョーに関しては、敵の襲来までに防衛施設の建設が完了するかは正直かなり微妙であったが、やらない訳にもいかない。
この時、セッキョーで行なわれていた工場建設は無期限停止となった事を追記しておく。

「それと、この度の戦役に関する指揮は近衛元帥に一任する」
「…………必ずや祖国の敵を撃退いたしましょう」

続いて決めたのは、誰が戦争の指揮をとるかであった。こういう時、名目上は国家元首が統帥権を握るものだが、実際の頭脳となって働く者を決めなければならない。絶対に負ける訳にはいかない大一番で皇帝がその大任を任せたのは、順当に現役の元帥だった。
だが、オリーシュでの元帥は他国の元帥とは意味合いが大分違う。国家の防衛よりも都市の治安維持、および海外に出て蛮族といった輩から海路や弱小都市国家を守ることが主任務の警察よりの軍組織のトップというのが実情だった。
加えて、年も若い。まだ三十歳半ばという年齢も他国の正規軍と戦う上では、やや不安が残るが他に適任がいない以上仕方がないことだった。


「――――頼むぞ」
「はい」

皇帝はじっと元帥を見つめ、念を押すように「頼む」と言った。対して「はい」と短く了承した元帥は、戦いの場である都市セッキョーに赴くべく、静かに立ちあがった。

「それでは行って参ります。兄上」
「ああ」

近衛元帥は短く刈った頭に帽子を被ると敬礼を一つ。その後、速やかにその場を立ち去った。






戦時体制への移行は速やかに行なわれた。まず最初に影響が出たのは、やはり生産活動に関与しない学術関連の施設だった。まず、都市に設立されている大学が軒並み閉鎖され、次いで芸術関連の施設、これは首都オリヌシのみではあったが、やはりこちらも無期限の活動停止が決定した。その他にもあらゆる場所や施設で職を失った市民が失業者として都市に溢れることとなった。
ただ、銀行と市場は可能な限り手を付けない事になった。これは戦費調達という一面から、さすがにこれからも人手を取ることは逆効果と判断されたからだった。といっても、現在の都市は市民生活を行なう上ではすこぶる環境が悪く、加えてアステカ軍の侵攻ということもあって、都市の空気は最悪に近い。誰もかれもが、言い知れない未来への不安を抱く中、一切の不安とは無縁な場所が首都オリヌシに一か所存在していた。山本八千彦少年が捉えられているフリゲート艦内の牢屋だった。



「ひさしぶり」

入港してからもうすぐまる一日。いつまで待ってもここから出られる気配がない事にいい加減飽き飽きしてきた頃だった。薄暗い船倉でランプの明かりを眺めるのが唯一の楽しみに成り始めている山本少年の牢に、尋ねて来る人がいた。
ほぼ全ての乗組員に忘れ去られて久しい中、唯一山本少年を気にかけていた近衛ユウだった。

「久しぶり。で、そろそろ俺が出れる日取りは決まったか?」
「いや、それどころじゃなくなって。多分君の処分は有耶無耶になる」
「え?」

山本的には、この後身元確認やら手続きやらが始まって、それらが終わって落ちついたら観光でもやろうかなとか思っていただけに、有耶無耶というのは少し都合が悪かった。というのも、今の山本は正真正銘着の身着のままの無一文なので、食事すら出来ない。こうして囚人生活を送っていながらメシだけはちゃんと食べられた山本にとっては、食いぶちを如何に確保するかは冗談でなく死活問題だった。
出来る事なら目途が立つまで、拘留施設で衣食住が保障された生活をし、就職のあっせんでもしてもらおうと思っていたのだ。図々しいにもほどがある思考だった。


「戦争が始まった」
「センソウ? ココのことか?」
「いや、船倉ではない。国と国が戦う方だ」
「――――はは、ナイスジョーク」
「冗談だったらよかったんだがな」
「え、マジ?」
「うん」

戦時下で観光旅行など出来る訳もないのだが、少なくとも働き口だけは有りそうだった。まず、兵器や防衛施設の建設に伴いどこも人手が不足しているので、特に技術や知識が要らない雑用係でも需要はあった。さらにもっとストレートに、兵の募集というのもある。こちらは最悪、国庫を開いてマネーパワーで強引に人員をかき集める事も検討されているくらい、とにかく人が欲しい働き口だった。

「え、勝てそうなんだよな?」
「負ける可能性の方が高い」
「えぇ……」
「明日、扶桑行きの商船がこの港から出航する。君はそれに乗るといい」


だが、労働者も兵隊もリスクがある事は言うまでもない。戦争中の国=危険と考える山本には、いくらお金が欲しくてもこの国に留まるのは正直勘弁してもらいたいというのが本音だった。今が平和な時だったら、一ヶ月くらい働いてお金をためる事もやぶさかではない。だが兵隊は論外として、負けそうな外国に留まって働くなど断固遠慮したい職場環境だった。
だから、国外に出られると言うのならばもろ手を上げて歓迎したいことだった。山本にとってオリーシュは変な名前の外国という以上に価値はない。だから二つ返事で了承して、名前は違うが同じ日本に逃げるのは、身分保証と資金の手持ちがないという点以外を考慮しなければ直ぐにでも飛び付きたい話しだ。だが、どうしても気になる事があった。

「アンタはどうするんだよ?」

目の前の人のゆく末だ。外国人である山本は、オリーシュに対してなんら義務を負っていない。繁栄しようが滅ぼうが別にどうでもいいのだ。だが、山本少年に何かと便宜を図ってくれた人はオリーシュ人であり、どうやら貴族で軍人とのことだ。自分のようにさっさと逃げるという選択肢は果たしてあるのだろうかと、山本は思った。

「私は軍人だ。命令有る限り戦う義務がある」

いよいよとなったら国家の指導層が外国へ亡命したりするのは歴史や創作物では当たり前の展開だけに、実は自分と一緒に逃げてくれるのではないかと淡い期待をしていた。だが、自分は最後まで戦うと断言された。されてしまった。

「私はこれから北に向かう。多分、いや十中八九助からないだろう」
「っ…………そうか」


自分には関係ない、これから死地に向かう奴を気にかけるなんて止めておけと、山本の脳内に潜む何かが叫ぶ。深く踏み込めば、その分帰ってくるダメージは大きくなる。これ以上関わるなと繰り返し警告が聞こえてくるが、それでも言葉を返してしまう。口から出た言葉は、少し震えていた。
「俺と一緒に逃げようぜ!」と言ってしまいたかった。しかしそれが出来ないのは、近衛ユウの決意の固さが分かったから。最後まで戦うと断言した時の顔には、それがありありと映った。それを無視して逃げることを勧められるだけ、果たして自分と彼との関係は深いのだろうかと思ってしまい、遂に言葉にすることは出来なかった

「最後に君に会えてよかった。今だから言うが、私は君が羨ましかった」
「俺が? どこが?」
「君は自由だ。何処へでも行けるし、何処ででも生きていける。未知の世界に突然連れてこられた君が今日まで生きてこられたのは、君自身の適応力と、運の強さに他ならない。この国で生きて死ぬしかない私と違って、その在り方が心底うらやましい」
「――――」
「さようなら」

さびしげに笑った近衛ユウ。彼が言いたい事だけ行って立ち去る後ろ姿を、山本は黙って見送るしかなかった。「クソッ」と悔しげに言ったその言葉は、自分か近衛ユウか、それとも状況そのものか。もしかしたら全てだったかもしれない。山本はやり場のない憤りを感じながら、繰り返し何かに対して罵った。

――――翌日、フリゲート艦の船倉から解放された山本はその足で扶桑行きの商船発着場に来ていた。手には艦を降りる際に艦長を名乗る人から渡された袋が握られていた。これは近衛ユウが山本に残してくれた餞別で、中には幾ばくかのお金と身分証代わりの乗船チケットが入っていた。これを使えば、安全にこの国から脱出できる。異世界とは言え、故郷の地に帰れるのだ。だが――――

「俺には関係ない。そうだ、たまたま立ち寄っただけに過ぎない国がどうなろうと知ったことじゃない」

心に残るしこりのようなものが山本を責めた。普通に考えて、山本が出来る事など無いしする義務もない。偶然通りかかった国で戦争が勃発したからといって、戦争に協力するような人間などバカか野心家のどちらでしかない。大部分の人間はわき目もふらずに国外脱出を計って母国に帰ろうとするだろう。
山本にとっては、祖国は遠い次元の先で多分帰れない。扶桑皇国がソレに近いかもしれない。お金もあり、身分証もある。戦争中のドサクサで扶桑に入国してまぎれれば、なんとか自分ひとりが生きていけるだけの食いぶちくらいは稼げるだろう。

「…………」


商船用の船着き場に行くまで短い間ではあったが、港の中を歩いた。そこから感じる雰囲気は、とにかく沈鬱でどうしようもない。歩く者皆が暗い顔か切羽詰まった顔しかしていないようなひどい有様だった。

「あの」
「あ゛?!」
「ふ、扶桑行きの商船はここからでいいんでしょうか?」
「チケットは?」
「これです」


それらしい場所に行くと、制服を着込んだ関係者らしき男が立っていたのでここから船が出るので合っているのかを尋ねる。男はかなりピリピリしているが、山本が見せたチケットを一目見て、「ああそうだ」と肯定した。船はもうすぐ到着する、その半日後に再び扶桑に向けて出港すると言う。若干ビビった山本はそれだけを確認するとそそくさとその場を離れることにした。

雑踏から離れて船が出る時間まで適当に腰を降ろして待っていると、山本が乗っていたフリゲート艦が港を離れて行くのが見えた。あの艦もまた、戦いに赴くのだろうかと思うと、なんだか再び言い知れないもどかしさを感じた。

「関係ない。関係ないんだよ俺は」

ぶつぶつと何度もつぶやくが、その時不意に視界に映ったものがあった。小さな子供を連れた母親らしき女性が、背中に一杯の荷物を背負って先ほど山本が喋った男に縋りついていたのだ。

「お願いします! お願いします!」
「チケットがなきゃ乗せられねえんだよ!」

ああ、と山本は察した。つまり自分と同じで、国外に逃げようとしているのだと。だが親子は自分と違って乗船資格を持っていなかったようで、乗船を一蹴されていた。小さな子供が泣き叫び、それがますます場を険悪なものにしていくが、山本にはどうしようもない。ついにしびれを切らした男が、母親を突き飛ばした。周囲に散らばる家財道具。その中には、額縁に嵌った小さな絵があった。その絵の中で、軍服を着た青年が家族と共に照れたように笑っている。家族写真の様な代物だった。
絵の中で微笑む青年の姿が、ふいに近衛ユウと被った。
山本に別れを告げた彼もまた、あんな風だったような気がした。実際は違うかもしれないが、とにかくそう見えてしまった。

「――――ああもう!クソッタレ!!」


山本は立ち上がり、駆けだした。

「バカか俺は! 戦争だぞ戦争?!」


口ではそう言っているが、身体はぐんぐんとスピードを上げる。自分がいまどれだけ危険で愚かなことをしようとしているのかなど、山本には十分に理解できた。だがそれでも、このまま自分だけ安全な所に逃げることは出来なかった。一時の気の迷い、血迷った末の暴走と言えばそれまでだが、山本の血はかつてないほど沸騰していた。
ただ、プランがなかった。戦争にオリーシュ側に立って参戦するならば、まず武器が必要で、どこかの軍に混ぜてもらわなければならない。「こんなことならあの時付いていけばよかった!」と思うも後の祭り、山本は必死に何か手は無いかと考える。兵隊を募集している所を探すか、若しくはチート能力を当てにして単身乗り込むかと思考を巡らせていると、何処からともなく懐かしい声というか叫び声が聞こえて来た。

「ヒャッハー!! ここがオリーシュかぁ? デケエところだあ!!」
「あ、アレは!!」

ぞろぞろと、半裸の男達がいま到着したばかりと言った感じの船から降りて来るところだった。モヒカンヘヤーに、肩には動物の骨でできた肩パット、そして何より半裸の蛮族スタイルと奇声。かつて山本が日常的に見ていたイカレた集団だった。
あんな格好をする連中が世界に複数存在する訳がない。
山本は田舎から上京してきた田舎者丸出しで騒ぐかつての仲間たちに向かって走った。
その顔は、かつてウルル公国で名を馳せた煉獄院朱雀のそれだった。



[40286] 近代編 復活の朱雀2
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:95ce0ae2
Date: 2016/01/22 21:22

神聖オリーシュ帝国の首都オリヌシは、帝国最古の都市にして文化、経済、生産、科学の中心地である。豊かな漁場に支えられた食糧事情を背景にした人口によって、都市そのものを数値化した場合、首都オリヌシだけで他3都市に匹敵する都市力を発揮する。また、その港からは四方の海を越えて他文明国家の都市へと接続する航路を多数持つことから、名実ともに帝国の要と称される巨大都市だ。
そして、そのような栄光ある帝都の中央を貫く大通りに、彼らは体格の良い馬に騎乗して行進していた。

「…………」

誰もが押し黙っている。見れば、彼らは皆若かった。初々しい青年達が一様に口を真一文字に結んで、ただただ前方を見据えている。幾多の馬の蹄が舗装された道を一定のリズムで踏みならし、馬上の兵士が腰から下げている鋭剣と馬具の金具とがぶつかり合い、それらが重なり合うことで奇妙なリズムを生む。普段通りであるならば、ここは多くの人でにぎわう大通りだ。だがしかし、今はただならぬ緊張感だけが漂うだけで、出歩く人の姿はほとんどない。みな、アステカ侵攻が原因だった。唐突な開戦の一報を聞いてある者は国外退去を目論んで港へ殺到し、そうでないものは家に引きこもっていたのだ。
天災を、息を潜めてやり過ごそうとする静寂が支配する中を、馬に乗った身なり整った兵士達が粛々と進む姿は、勇壮さと緊迫感がブレンドされた不可思議な雰囲気を振りまいていた。

「近衛騎兵隊だ……」

通りに面した商店の窓から外の様子を覗いていた者が誰に聞かせるでもなく呟いた。立派な軍馬の姿とソレに負けない煌びやかな装飾を施された若者達――――全員が貴族の家に生まれた――――を見て断言したのだが、それは正解だった。
神聖オリーシュ陸軍が誇る4連隊の1つで唯一馬に乗る事が許された部隊こそ、紛れもなく今この者の前を進む青年達の正体だった。セッキョー州から産出される良馬で構成されたかの部隊は、他の部隊の数倍の速さで行軍することが可能とする。
さらに隊員が全員、由緒正しい名家出身とあって、近衛の中でも最も見栄えがする花型でもあった。
もっとも、その俊足さと武力を示した例は唯の一度もない。建国以来外国軍との戦いを行なった事がない上に、普段はもっぱら都市に駐留して警察、と言うよりも儀礼用の兵としての役割しかこなしてこなかったからだ。かつては僻地で徒党を組む賊を討伐するという事もあったが、それも今は昔。「人が切れぬ宝剣」と揶揄される事もあるほどだ。


さて、今回実に初めてその実力を内外に示す機会が巡って来た訳なのだが、彼らの顔はみな緊張で固まっていた。せいぜい泥棒を相手にするのが常のまだまだ年若い彼らには、来るべき戦いの気配に否が応でも身が固くなっていた。しかし、その中で唯一ごく自然体で余裕溢れる者が一騎。いや、むしろ不敵な笑みを浮かべていたのは先頭を行く近衛元帥だった。

「閣下……?」
「…………フン」

その隣に侍る元帥の秘書官の青年が、なぜそれほどまでに余裕があるのかを尋ねたくなり、ついつい声をかけた。元帥の顔はむしろ嬉しそうに笑いかける。

「……貴様は確か、子爵家の三男だったな」
「はい。その通りですが……?」
「運が良い。ああ、実に運が良いぞお前は」
「?」

元帥は慈愛に満ちた表情と声色でそう語りかけた。
まだ生きて四半世紀にも満たない彼は、その発言の意味する所に疑問を抱いた。彼が入営してからまだ僅か数年。その僅かな期間に決死の戦いに駆り出される事は、きっと不幸なことに違いないとさえ思った。これが平時ならば、もうしばらく軍務をこなした後、まとまった額の退職金を受け取って何らかの商売を興すのが、この部隊に配属された者達の運命であり、権利だった。だから決して運が良いハズがない――ハズであると思ったのだ。

「すぐに解る」

理解が及ばない言葉に混乱を深める青年秘書官に、そう元帥は含みを持った笑顔で締めくくる。
世間一般的に言えば、外敵を討ち払った者達は皆どこの国でも英雄や勇者として崇められる。万雷の拍手で迎えられ、花が舞う街道を整然と行進する姿は、とても胸が躍るものなのだろう。子供が出来れば、彼らに寝物語として語る自分と、目を輝かせて聞き入る子の姿がありありと見えるようだった。そして英雄としてその人生を終え、その名を歴史に刻む――――それは堪えようもなく甘美で魅力的な未来だ。…………だがそれは勝った場合だ。負ければ、その後の運命はどうなるか――――それは向こうの扱い次第だろう。

「…………はっ」

結局、副官は暫く考えた後、考えるのを止めることにした。既に元服を迎えた大人であるとはいえ、近衛元帥がどのような意図で今の言葉を発したのかを詳細に察する能力は彼には無かった。だが、彼は若者らしい実直で素直な思考で以って、少なくとも自分達が努力しなければならない事だけはきちんと理解していた。

(敵を追い払う、そして国を守る)

それが自分達に課せられた何よりも重い責務であることを再度胸に刻み、青年は再び前を向いて馬のたずなを握りしめた。ヒヒンと、馬が主人の覚悟を感じたのか、小さく嘶いた。
空は、来たからやってきた雲が天蓋のように広がっていた。




中央の大通りをゆっくりと、その姿を首都の住民たちに見せつけることで励まそうとするかのように普段以上に遅い足取りで通り抜けた騎兵隊一同は、ようやく港に到着した。船着き場には外国に向けて出発する船がいくつか停泊しているハズであったが、そのほとんどが積み込みを終えると早々に離れて行く。みな、戦に巻き込まれまいとしているのだ。そして辺りには、船に乗れなかった市民が途方に暮れている姿が多数見受けられた。その光景に多くの兵がショックを受け、自らの使命を再び強く自覚するのだった。
祖国とその民の為に戦う勇気を得た彼らの目に、銅の海鳥をかたどった神聖オリーシュ帝国の国旗を掲げた船が映る。ここから彼らはこの船に乗って一度大陸の北側、大山脈で分断された向こう側の都市テンプレへと海路で渡る。その後は陸路でセッキョーに入る予定だった。
何のセレモニーもなく、戦地に赴こうとする青年達。人生の半分も生きていない彼らがいざ行かんと覚悟を決めたその時だった。


「我々はぁ!ウルル公国から派遣された義勇軍である! それなりの扱いをしてもらおう!!」
「いや、そんな急に言われてもこっちにだって都合がある訳で……」
「聞けばお国の一大事とか。ならば我らの力が必要な時! 早々に上に取り次ぎたまえ!!」


港の一角。多くの船が出入りするかなり大きな港であるが故に最初は目に付かなかったが、そこには今の状況にあってはどうにも場違いな者達が存在し、そして場違いな事を言っていた。
まず初めに目に入るのが、半裸男の集団である。それがわらわらと、船着き場の決してせまくは無い範囲にたむろしているのだ。この連中は田舎から上京してきた田舎者丸出しでキョロキョロと辺りを見回し、ひそひそと遠目で見ているオリーシュ人達にメンチを切っている。はっきりいってどこかの蛮族が集団で紛れこんできましたという体だ。
次に、そんな彼らの側に立って、黒眼黒髪の服をしっかり着こんだ少年がいる。外見は一番まともであるが、言っている内容がぶっとんでいた。曰く、自分達は義勇軍であるから、国の上層部にかけあえと言っている。それなりに分別がつく年頃であるにもかかわらずのこの発言内容には、周囲の大人達が痛々しいものを見るような視線を向けていた。
近衛元帥率いる騎兵隊がこの戦意を滾らせてしかるべきという場面で出くわしたのは、そんな異常な人間とソレを囲む野次馬達だった。

「あれはなんだ?」
「聞いて参ります。――――おい! 何の騒ぎだ! ええいそこをどけ!元帥閣下の御前だ!」


秘書官が馬を走らせ、騎乗したまま野次馬によって作られた人垣をかき分けるようにして入って行った。突然現れた近衛騎兵に慌てた野次馬がバラバラと道を開けていく。するとほどなくして人間の壁を突き抜ける。そこには、やはり理解に苦しむ珍妙な光景が広がっていたのだった。





「元帥閣下の御前だ!」




一度は逃げ出そうとした山本。彼が目の前の港付き役人に何とか上層部との取り次ぎを頼もうと食い下がっていた丁度その時、それはまさしく天の助けのように現れた。
唐突に聞こえて来た元帥という単語が、何とか戦場に向かえる立場を得ようと考えている所に聞こえて来たのだった。

(だ、誰? でも元帥ってかなり偉い階級だったな……それが御前――――よっしゃ勝った!!)

何にどう勝ったのかはもちろん山本独自のセンスから飛び出した戯言なので聞き流す。
重要なのは、山本の無茶な願いをかなえられる人が現れたと言う一点のみである。
無茶な願いとは即ち、山本とその愉快(?)な仲間達の参戦許可である。
というのも、再び自らの手勢とでも言うべきモヒカン達を手に入れた山本ではあったが、早速喜び勇んで戦場へと助太刀にはせ参じようとする訳にはいかず、思わぬところで障害にぶち当たった。……正確には常識と言う名の壁になのだが。

当然だが、首都に妙な連中が現れて、それがいきなり戦争の援軍に現れたとして、はいよろしくお願いします助かりました、とはいかない。国家権力を無視して勝手なことをした挙句追放処分にされた苦い経験からその辺りの事を学んだ山本は、許可を取ることを覚えた。
そこで手近かな所にいた役人にその辺りの取り次ぎを頼んだ訳なのだが……当然難色を示された。
こんなものは良く考えれば当たり前の反応なのだが、戦うんだい! と意気込んで丁度いいくらいに脳みそが暴走している山本にはそれが分からなかった。結果、騒ぎは大きくなり、押し問答を繰り返す羽目になってしまったのだった。

さて、ではなぜそもそもオーストラリア、もといウルル大陸に残してきたモヒカン達がここに入るのかという根本的な疑問に触れる。答えは簡単、彼らもまた追放されたと言うだけの話だ。
ウルル公国側にしてみても、下手に地域住民と仲が良いモヒカン達の処遇に困っていた。討伐する訳にもいかず頭を捻っている彼らの頭に、その解決方法は唐突に閃いた。

「あいつらを兵力として輸出しよう」

一言で言えばこれであった。ウルル公国政府はまず、彼らに対して言葉巧みに兵士にならないかと誘いをかけた。その際、給料だの待遇だのを餌にしたのだが、肝心の配属先を巧妙に隠ぺいした。そしてあれよあれよという間に彼らモヒカンズもまた船の上の人となる。そして最後に彼らが聞かされたのは、「オリーシュが給料払うからそっちで面倒見てもらえ」という投げっぱなし極まりない宣告だった。
対してモヒカン達は、そもそも自分達の境遇というものに対して理解が及んでいない。族長にカタですら、狩り場の場所が変わったようなもの程度にしか事態を把握していない体たらくである。

そう言った諸々の事情を異国の地で軽くヒャッハーしていたモヒカン達から聞きだした山本は即座に「義勇軍」という言葉を閃き、さもウルル公国が公式に出した軍隊であると言う風な口調で自分達を売りこんだのだった。
その際、自然と態度や口調は煉獄院朱雀に戻っていた。物言いはやたら尊大になり、加えて背後にたむろする半裸のモヒカン達から発せられる圧力によって、結果押し問答になったものの問答無用でしょっ引かれる事だけは無かった。ここでも山本のオリ主、というよりもペテン師としての才能が垣間見えたのだった。




「――――ということのようです」

秘書官は山本達の事情を持ち帰り、自分が見た状況など含めて報告した。すると近衛元帥は、古い記憶を掘り起こすように過去にも同じような例があったことを思い出した。
まだ子供のころに受けた、歴史の授業での話である。

「確かに同盟国から兵が派遣された事が大昔にもある。最も、当時は使い道もなく即座に解体してしまったようだがな」

それは当時、偶々手に入った物資を都市国家との交易品にと回したら、唐突に同盟締結を申し込んできて、かつこちらが要求してもいない兵隊を献上品の如く差し出してきたという珍事件だった。それは当時の皇帝を大いに混乱させたと記録が残っている。
ちょっとした笑い話のようなものであるが、平和な時ならば荷物でしかないものも今の様な緊急時には宝物並みの価値がある。

「会おう」

元帥は即決した。身元不明な者達との会見にやや否定的な感情を抱いていた秘書官も、こう断言されてしまえば否やはない。
だが、なにはともあれ、である。
このように、色々適当かつ大雑把で場当たり的な手法であったが、一応山本は配下の兵力とそれらに参戦許可を与えられる立場のある人と顔を合わせる事に成功したのだった。








「参戦を許可する」
「ハッ!」

謁見直後でのスピード感あふれる許可が出た。この事に、山本はさも当然という風をしながらも内心でガッツポーズをしていた。

(よっしゃ! 序盤で出て来る話しが分かるお偉いさんはやっぱいいぜぃ!)

そして、かなり失礼なことを考えていた。
山本はやっぱりどこかの時代劇で将軍が国王から何かを受け取るかのような姿で、膝をついた。一瞬、この姿はオリ主としてどうなんだろうとは思うものの、いずれは歩くだけで国民総出で歓待されるような超絶ヒーローになるのだからまあいいかと思った。――――しばらく鳴りを潜めていた病気が、絶賛ぶり返していた。
しかし、山本を調子に乗らせるような展開は、さらに続く。苦労が嘘であったかのように、トントン拍子で事が進み、それらが全て転生者としての特権であるかのように思わせた。



「武器と馬も用意しよう。もちろん、船も。――――さあ、この命令書を。これを持って行くといい。作戦はそこにかいてある通りだ」
「ありがたく」

なんと元帥が直筆で、その場で山本達即席義勇軍に対して物資の融通と移動手段、そして直々に作戦を授けたのだった。この事態に、周りの近衛騎兵のメンバーが驚きの声を上げる。先祖代々自分達だけが独占していた軍馬を、よりにもよって蛮族風な他所者にポンと授けたのだから、無理もない話だ。

しかし、やっぱり山本はそれをさも当然のごとく受け止める。加えて、「お任せ下さい!」と良い笑顔で断言するのだった。

「早速我らの見せ場が出来たぞ! 遠き異国に諸君らの名を刻みこめ!」

さらに、拳を天に突きだして、モヒカン達を盛り上げようと声を上げる。モヒカン達は「お、おう……?」と良く分かっていないようだったが、山本は気にしなかった。
その場の勢いでどうにかなるという、割と洒落にならない病気を再発している身。とりあえず行けば何とかなると、かなり危険な思考だった。やはり、少々の牢屋生活ではオリ主思考は抜けきれなかったようだった。


「では早速出発します元帥閣下――――あ、それで我らの船はいずこに?」
「ああ、それならアッチの……ちょうど一番左は時の船がそうだな」
「どうも!」


こうして、武器に戦場に行くための足も貰えるとあっては、山本はホクホク顔でその命令書を受領。その際そこに書かれている文章を確認もせずに安請け合いをしてしまう。山本は近くに控えていた秘書官に自分達の乗船する予定の船がどれかを尋ねると、颯爽とモヒカン達を引き連れて、指定された船へと乗り込んでいった。

「うわっ?! 何だテメエら!」
「元帥閣下の命令書である! 控えおろー!」

乗船する前にちょっとしたもめ事があったものの、水戸黄門の印籠の如き元帥直筆の命令書の効果により、山本達はそのまま嵐のように出立していったのだった。









「よろしかったのですか?」

半裸のモヒカン集団が残していった混乱の余韻が徐々に薄れる中、秘書官は言外に彼らが信用できるかという意味を含ませた。常識的に考えたら、かなり危険な賭けであると言わざるを得ない。彼らがアステカ側のスパイでないという証拠は無いのだから。
それに対して、元帥は何ともないように答える。

「もちろん。何よりも数が今の我らには必要だ。それに――――元々戦力にはカウントしていない」
「え……?」
「連中が乗った船は一度都市テンプレで補給を行なった後、大陸の北限、つまりアステカが上陸したポイントまで行くように指定してある」
「それはつまり」
「そうだ、ヤツらが担うのは陽動だ。端からこちらの戦列に加える気など毛頭ない。連中にはせいぜい孤立無援の状態で敵の背後にいてもらえればそれでいい」

山本の確認しなかった命令書にも、「敵後方にてかく乱、および背後からの奇襲を敢行せよ。なお、降伏は認めない」とばっちり書いてあったのだが、当然それは確認されていない。あわれな山本、捨て駒となる。

「これでアステカの進軍が鈍ればそれで良し。そもそも――――あのような間抜けな連中が敵の間諜であってたまるか!」

ハッハッハと大笑いする元帥。秘書官は、内心で山本達の行く末に同情するも、「まあ自業自得だしな」と思った。普通確認すべきものを確認しないバカに、そこまで情けをかけるほど彼もまた甘くは無かった。
そして、いい加減自分達も本来の業務に戻らなくてはとも思った。瞬間、秘書官の頭から山本達の事は追い出される。

「それでは我々も――――」
「うむ! こちらはこちらで急がなくてはな――――」

ひとしきり笑った元帥は、秘書官の言葉に従い、馬を歩かせる。正面に控えた輸送船の元まで、やはり先頭に陣取る。
だがその数瞬後。
悠々と肩で風を切り、背筋を伸ばした威風堂々としたたたずまいが――――乾いた音と共に唐突に崩れた。

グラリ、と身体が傾いたかと思えば、元帥は力なく港の石畳の上に倒れ込む。その時になって、ようやくすぐそばにいた秘書官は事態を察した。

「っ!! 狙撃だ! 閣下をお守りしろ!!」

さっと、馬を盾にするように動きだす兵士達。
秘書官が音のした方向を見れば、これから乗船しようとした船の上にはフードで顔を隠して銃を構えている人間がいるではないか。こちらに向けられた銃口からは煙が漏れ出し、いましがた射撃したばかりであることを如実に示していた。秘書官は下馬すると倒れた元帥へ身を寄せ、息があることを確かめ胸を撫で下ろす。と同時に叫ぶ。

「その者を捕えろ!」

とっさに船の乗組員に向かって命令を下すも、狙撃手は船の上を走り水夫たちの制止を難なく振り切る。さらにその手に持っていた銃を放り投げるとそのまま海面へと飛び込んだ。そして、身に着けていたフードが浮かんできただけでいずこかへと姿を消してしまうのだった。


「探せ! そう遠くへは行けないハズだ! 必ず下手人をひっ捕えろ!!」
「グゥッ……! ぐ、軍の指揮を――――――」
「ッ! ダメです!喋っては傷が……!」

目の前で元帥が狙撃された事に対する動揺が広がる。そんな中、元帥は力をふり絞ったと言う風に今後の指示を出す。

「隊は、このまま現地へ…………」
「傷は浅いです閣下! お気を確かに!!」

それを最後に、がっくりと力なく肢体を投げだした。胸からの出血で出来た小さな水たまりに腕が落ちる。まるで絶命したかのような様子に、部下達は大いに慌てた。そしてこれがアステカ側からの暗殺者であるという結論に行きあたると、皆がその卑劣さに怒りを覚える。
「仇を討て!」と誰かが叫べば、誰もがそうだと答える。近衛軍だけでない。その時港にいた全ての者が、アステカの行為に対して非難の声を上げた。
その場はたちまち、アステカ討つべしの熱気に包まれたのだった。


「…………?」

そんな中、唯一人元帥の近くにいた秘書官だけが、その熱に感染していなかった。彼は唯一点、狙撃された元帥の胸元をじっと見つめていた。そこには服に空いた穴がある。血も流れている。だが、破れた布の奥に、肝心の傷口が見えなかった。

「っ!?」

それに気付いた秘書官の手首が、急に強い力で握られた。その手首を握った手は、今しがた凶弾に倒れたハズの元帥閣下のものだった。

(このまま船の医務室に運びこめ。誰も我に近づけるな)

声を低くして発した言葉は、周囲の熱狂に紛れて秘書官以外の耳には届かなかった。
秘書官はぎょっとした顔を見せる。続けて、近衛元帥は先に見せたものよりも圧倒的に邪悪な笑顔を浮かべながら言う。

「言っただろう? お前は運が良い、とな」

獲物を前にした肉食獣のごとき笑みに圧倒された秘書官は、ただ頷くしか出来なかった。





「ヒヒヒ、首尾はいかがなもので?」
「全て順調だ! だがコレを見ろ! 血の匂いがべったりとついて臭くて敵わん!! 一体何なんだこれは!」
「獣の血ですからねえ、ヒヒッそりゃあ匂いもありましょうや」

その後、秘書官が苦労して元帥の身体を輸送船の医務室まで運ぶと、そこには待ち構えていたかのように船医が出迎えた。年齢不詳の妖怪変化のようなしわくちゃで不気味な雰囲気を垂れ流す老人だった。老船医は歯が抜けた口をもごもごしながら、先ほどの茶番の経過を事細かに元帥から聞いている。
特に、秘書官が駆けつけて来る他の隊員をけん制し、苦しい訳を駆使してどうにか倒れ伏した元帥を単身病室にまで連れ込んで来た際の情景には特に気に入ったらしく、梅干しのような顔を更に皺だらけにして笑うのだった。

「イヒッ、イヒッ、お前さんも大変だったねえ、この人の芝居に付き合わされたんだから」
「はあ……」
「おい、それよりも落馬した際肩を強く打った。手当を頼む」
「はいはい。じゃあ失礼しますよっと」

老医師は手慣れた様子で元帥の服を脱がし、患部を観察する。そして、戸棚の中から取り出した怪しげな瓶の中身をごってり塗りたくると、手慣れた手つきで包帯を巻き始める。その最中、ずっと秘書官は今の現状に関して聞きたい事を聞くタイミングを窺っていた。それを察したのか、元帥は新しい制服に着替えながら秘書官に話しかけた。

「なぜ、こんなことをしたのかという顔だな」
「――――はい。このような味方を騙すようなことまでして、そこまでして士気を上げる必要があったのかと……」
「なに? 何を言っているんだお前は?」
「イヒッイヒヒヒヒ! この若者はあんたみたいにひねくれちゃいないんですから、ちゃんと説明してやらにゃあ理解できませんよ」
「ッチ! いちいちうるさい奴だ」

元帥は苛立ち混じりに部屋にある病人用のベッドに腰かけると、「そもそもだ」という前置きと共に今回の一件について語り始めた。

「お前、大前提としてセッキョーを今の兵力で守りきれると思うのか?」
「それは――――無理だと思います」

戦力差の話は、すでに広く知れ渡っていた。多くの兵力が太平洋上の各地に分散し、セッキョーの防衛に回せる兵力は圧倒的に寡兵。たとえ都市に防壁を築いて防衛に専念したとしても、こちらが兵力を結集させるまえに都市は陥落する事だろう。これが現状を踏まえた上での正確な未来予想図だった。

「そうだ無理だ。だが、逆に言うと連中はセッキョーしか陥せない。チートもテンプレも海沿いで、こちらにはすでに何隻ものフリゲート艦が砲身を陸に向けている。連中がノコノコ近寄ってくれば、一斉射撃で粉砕できる。なら、ここは派遣部隊の帰還を待って奪還の兵を送る方が得策だ」
「では、なぜ素直にそうしなかったのでしょうか……?」
「バカ者! そんなことして何の得がある?」
「え……?」
「ヒヒ! お若い人。この人はね、英雄になりたいんですよ。それでこんな茶番を演じたんでさあね。敵の凶弾に倒れた元帥が命からがら生還し、奪われた都市を奪還する――――って筋書きでさ」

「なあ――――っ! それでは、セッキョーで敵を待ち構えている他の近衛連隊はっ!? いやそもそもこの騎兵隊も閣下は一体どうしようというのですか!?」
「まあ、我の代わりに誰が総指揮をとるかによるが……ほどほどの所で撤退だろう。で、セッキョーは陥落と」
「~~~~!あなたって人はっ英雄だなんてそんな幼稚な!!」
「幼稚!? 幼稚だと貴様っ! 貴様も自分が死んでないだけってことに気付いていないバカ野郎の一人か!」

元帥は秘書官の胸倉をつかみあげるように迫った。老船医があまり大声を出すと周囲に声が漏れますよと忠告するが、激昂してほとんど聞こえてはいなかった。

「我が!――――生まれたときには既に兄は皇帝だった! 我は物心つく前に近衛の家に入れられ、皇帝を近くで衛ることが自分の使命なのだと散々教育されてきた! だが、納得出来る訳がない! 一生誰かの添え物で、生涯脇役をやらされる未来なんざ反吐が出る! それはお前も理解できるハズだ!!」
「――っ」

瞬間、脳裏に浮かんだのは、幼き日の一場面。三男が、家督を継承できずいずれは長男の為に家から出なければならないという事を唐突に理解してしまった日だった。近衛連隊に入れさせられたのも、結局は自分の食いぶちを自分で稼がなければならなかったから。そして――――いざという時に家督を継げるよう箔を付けさせるのが目的だった。
何から何まで誰かの思惑に乗せられる人生。一度はおかしいと思うも、自分以外にも同じような境遇の者を見てきて、いつしかそれが当たり前のモノだと受け入れてしまっていた。その事実に気付いて秘書官は、身体が震えるような気がした。

「お前もお前の為に生きろ。あがけ。それが出来ないならお前は既に死んでいる! 過去にいた多くの者はそうせざるを得なかったが、この戦争は天祐なんだ! 天が我に、自らの運命を切り開けと与えてくれた好機だ! それを出来る者が古今なんと呼ばれるか知っているか? 英雄だ!!」

唐突に、目から熱い何かが溢れて来る。急に視界が開け、そこには何処までも広がる未来と言う名の荒野が広がっていた。きっとそこは困難が溢れているだろう。だれかが用意したレールの上にいる方がどれほど楽なんだろうか。だが、未知に向かって突き進み、自分の力だけで切り開く世界のほうがどれほど価値があるのだろうか。全て自力で何事かを達成した時の美酒はどれほどの味だろうか。おまけ扱いされていた三男が、英雄として称賛されたのならば――――それは、どれほど甘美なことだろうか。

「――――――――」

気がつけば、秘書官は跪いて頭を垂れていた。

「義古家三男、義古マサカズ――――私も英雄に成りたくなりました」
「うむ」
「イヒヒッ悪いお人だ」


多くの思いを乗せて、戦いは始まる。その果てに誰が何を得て失うかは、今はまだ誰にもわからない。









あとがき
遅くなってスイマセン。これからは定期的に上げていくんでよろしくお願いします。エターだけはしないです、はい。



[40286] 近代編 復活の朱雀3
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:95ce0ae2
Date: 2016/01/29 00:27


「貴様らっ! 服はキチンと着ろと何度言えば理解できるんだぁああああ!!あと唾をはくな汚いだろう!」
「あぁあ?! んだこらっ!!ッスゾオラアア!!」
(またか……)

進路を北に向けて航行中の船の上で、本日三度目の怒鳴り合いに山本はため息をつきながらそう思った。一体彼らの何処にそれだけの元気があるのか疑いたくなるくらい、彼らは繰り返し口論していた。
その声の主はモヒカンを束ねるカタと、オリーシュ軍の制服を来た少年士官だった。今回の議題は、というよりも今回も、着衣の乱れに関するものだった。
そもそも服と言うモノを着る習慣がほとんどないモヒカン達を相手に、何度も何度も根気よく着崩す癖を是正しようとする少年士官の態度に山本は申し訳ない思いを少しだけ抱いていた。そして残りは、クラス委員長みたいだなと呑気な事を思っていた。

「いいかっ! どういうコネを使ったんだか知らないがその制服を着る以上、ルールを守りたまえ! ――――だから服をはだけるな半裸になるなと言っているだろう!!」
「ああ!? このクソ生意気なコゾーをやっちまえテメエら!」

そして口論の後に待っているのは乱闘。これも毎度のことながら、モヒカン達に一歩も引かず応戦し殴り合いを演じる少年だった。彼は山本率いる義勇軍に派遣されてきた、オリーシュ側の使者だった。

(いや、ホントコイツラ蛮族で申し訳ない。でも、あんたもようやるぜ)

山本から委員長みたいと言われた彼は、北是少尉。丸眼鏡と前髪7対3が特徴的な彼は、元はテンプレで軍の出納係であった。彼もまた、山本によって巻き込まれた者の一人で、義勇軍と言う名の怪しさ爆発愚連隊に放り込まれた被害者だった。
心の中でやれやれと他人事のように嘆息した山本は、改めて今の状態になるまでの経緯に思いを馳せる。あれはそう、船がテンプレとかいうこれまた爆笑ものの都市の港に到着した時のことだった。船は元帥が指示した通りに一度北側の都市テンプレに立ちより、山本達の為の武器や馬、そしてオリーシュ軍の制服を積みこんだ。そこまでは予定通りだったのだが、ここで道案内役および調整役として臨時で義勇軍に放り込まれた者がいた。それこそが、物資の受領に関して実務レベルで世話を焼いてくれていた少尉だった。


「まず、名前と身長胸囲靴のサイズを全て申告したまえ」

彼の第一声はこれだった。机に座り、ペンを片手に彼はそう言った。見た目の通り全てしっかり書類にして処理する市役所の職員の様な性格で、彼は山本が抱いた感想通りの真面目で細かい委員長気質だった。靴を履かせれば踵を踏む、服を着せれば前を止めない、立ちションを船の上で平気でやるという恐ろしく教育レベルが低い連中相手にも一歩も引かず矯正しようとするその態度に山本は、ある種の畏怖の念さえ抱いていた。まず自分ならできないだろうと。さらに、結局一人ひとりの名前を聞いて名簿を作ったりとあれこれ義勇軍としての体裁を整えた根気にはまさに舌を巻きたくなるくらいだった。ちなみにその間、山本は軍服姿をどうにか写真に残せないか考え、真剣に写真技術をチート出来ないか悩んでいた。とんだ役立たずである。

「煉獄院殿! 大体君がコイツラの指揮官だろう! なんとかしたまえこれでは唯のチンピラ集団ではないか!」
「――――フッ、否定できんのがつらいな」
「何を偉そうに言っているんだ君はあああ!」
「ああドコ見てんだテメ――――グヘ!」

ニヒルに笑いながら答える山本と、絶叫して突っ込みを入れる北是。北是は山本への文句を叫びながらもモヒカン達に突貫し、一人を殴り飛ばす。絶賛乱闘中でも別方向に罵声を飛ばせる彼は、かなり優秀に違いない。

そんなこんなで、山本が制服姿に悦に入りつつ、北是少尉が委員長ぶりを発揮し、モヒカン達がそれに反発するという日々が繰り返す。船員達が「もういい加減にしてくれ……」と日々涙を流す中、ついに彼らはシド大陸の最北端にまで到達した。
そして丁度その頃、彼らがいる場所から南方、都市セッキョーにて大きな動きがあった。











シド大陸の最北に位置する都市セッキョー、その更に北に広がるツンドラ地帯には、アステカ軍の各部隊を示す軍旗がいくつも風に煽られて激しくたなびいていた。曇天の空の元、侵略者たる彼らは部隊を連隊規模で区切り、それを横一列に布陣していた。それはまるで人間で作られた壁。しかしこの壁は指揮官の命令で縦横無尽に動き、攻撃までしてくる攻撃的な代物だった。
彼らが対峙しているのは、土嚢や木杭で作られた即席砦に籠ったオリーシュ側の防衛軍。アステカ、オリーシュ双方は、丁度人里と荒野との境界線上で睨みあっていた。
人壁の内側で、アステカ遠征軍の総大将であるコルテス将軍は副官共々専用テントの中で最終的な打ち合わせをしていた。

「いや、敵もちゃんと戦う気があるようですね。安心しました」
「いやいやいや、そこは安心じゃなくて残念に思う所じゃない?」

コルテス将軍は両の手を擦りながらそうぼやく。絶対あるモノだと思っていた上陸際の妨害が無くすんなり岸に上がる事が出来たコルテス将軍は、今回もなんやかんやですんなり敵側の都市を占領できるのではないかと言う、すさまじい希望的観測を抱いていた。だが、実際はそんな事は無く、目の前にはしっかりオリーシュ側の防衛軍が彼らアステカ遠征軍を待ち構えていた。だが、それはそれでよかったのではないかと副官は指摘する。

「将軍。コルテス将軍。我らがアステカ皇帝は戦いそのモノが目的の様なお人です。敵があっさり無条件降伏したと報告したら、こんどは何処に飛ばされるか分かったものじゃありません。それに見てください」

副官は観測班が作った近隣の地図を広げた。そこには今回の攻略目標である都市セッキョーはもちろんのこと、近場の地形、そしてそこにある施設が記載されていた。さらにその上に、副官は自軍を示すコマと、オリーシュ軍を示すコマをポンポンと並べて行く。自軍のコマの数が圧倒的多数であることに、コルテス将軍は少し安心する。
ちなみに、都市周辺の情報をつかめたのはアステカ大使による情報提供があったからである。

「敵は最初から都市に籠城するでなく野に出ることを選択しました。砦があるとはいえ見るからに未完成な代物で、籠った兵士の数もせいぜい一万五千。たいしてこちらは五万の大軍。まともに戦えば労せず勝てます」
「そんなこと分かり切っているのに、なんでわざわざこんな所で戦うことを選んだんだろう?」


将軍と副官は地図を腕組みしながら見つめる。今回はアステカ側の奇襲で始まったが、戦いの場を選ぶ権利はオリーシュ側にあった。彼らはやろうと思えば都市に籠って籠城するという戦法を取る事が出来た。だがあえて、わざわざ都市から離れたセッキョー州の辺境で中途半端な防御施設を築いた。

「おそらくは、略奪されまいとしているんでしょう。敵は我々の抱えた弱点を的確に付いています。こちらが端からまともに補給を受けることを諦めている事は先刻承知なのでしょうが――――いかんせん準備時間が足りなかった。」

副官が指示したのは、オリーシュ軍を示すコマの直ぐ後方だった。そこには農村と書かれた区域である。そしてその区域よりアステカ側にはそのような人間が生活しているような場所は、地図上では皆無だった。ただただ耕すでもない未開発の原野が広がるばかりだった。

「最初に突破すべきモノは、敵の砦」

副官が指を一本立てた。補給が受けられない彼ら遠征軍には、都市を攻略する前にまず物資を補給しなければならない。そしてその為には人里を守る様に立ちはだかるオリーシュ軍を撃破ないし退けるのが絶対条件である。

「その後近隣の村々を襲って食料を強奪。その次は攻城戦。それをさらに二回行ないます」

さらに指を二本、三本と立てて行く副官。その数だけ、彼らに立ちふさがる障害を意味していた。唯でさえ厳しい攻城戦を三回も行なうというのに、物資を自前で用意できないお粗末な補給状態。

「……なんか、無理じゃない? 時間的にも戦力的にも」
「…………東洋には、成せばなるという言葉があるようです」

と、思わずコルテス将軍が呟いた。副官もフォローになっていないフォローを返す。実際、難易度的にはルナティックであることは事実だった。
まず時間的と言うのは、こちらは奇襲であったので時間が経てばたつほど相手のホームグラウンドで戦う以上不利になっていくという事。そしてもう一つが、被害が跳ね上がる城攻めを三度やる事が前提であると言う割には少ない兵力に関してであった。
コルテスの試算では、野戦で敵の防衛戦力を壊滅させた後、戦力を回復される前に都市を兵で囲んで大砲をうちこみ、雪崩をうって押し入るのが唯一の勝筋に思えた。逆に最初から相手が都市での防衛戦で挑んできていたら……少なくともコルテスには勝つ見込みがなかった。

「まあやるしかないと言うことです。ではコルテス将軍。精一杯強気に進軍の下知を」
「――――ようし!」

パンッ! と両の手のひらで両頬を叩くと、コルテス将軍はテントの入り口を力強く払いのける。そして大股で陣の最前列にまで進んだ。そこには、銃の代わりに太鼓やラッパを持った兵隊達が固まった一団がある。将軍がその一団の元まで辿りつくと、彼らは敬礼で迎え、各々持っていた楽器を構えた。

「…………」

天候は相変わらずの曇模様。風は強く、まるで嵐の前触れの様であった。それが遠征軍の未来を暗示したものなのか、それともオリーシュのそれなのかは、今はまだ誰にもわからない。だが、確実にどちらか片方の未来を示していることだけは、純然たる事実であった。
コルテスは腰の剣を抜きはらい、天を指し示すように掲げる。彼が死ぬか、一つの国が滅ぶか。そんなものはやってみるまで分かる訳がない。

「軍楽隊ぃ! 鳴らせえええ!!」

打楽器と金管楽器が音楽を奏で始める。軽快で耳に心地よい、思わず歩き出したくなるような調べだった。ウキウキするような、今にも歌でも歌いながら散歩に出かけたくなるような…………そんな音色が辺り一面を満たし始めた頃だった。

「大軍に用兵は必要ない! ただただ押し潰せ! 全軍前ええええっ! 進め!!!」

コルテスが剣を振りおろす。一際甲高いラッパが吹き鳴らされ、壁がゆっくりと動き始めた。








「我々の使命を忘れるな! 銃、構え!」

両者睨みあいから先手を打ったアステカ軍。彼らは定石通り、戦列を作って攻め寄せる。歩調を同じくして、音楽と共にジリジリと距離を詰めるアステカ軍に対して、オリーシュ軍は肩に担いでいたマスケット銃を敵に向けて構えなおした。木の柵越しに見える向こう、軽快なテンポで歩いてくるアステカ軍に狙いを定めた。
互いの距離がせまくなる内、だんだんと最前列の兵士に焦りが目に見えて表れて来る。


「ま、まだなのか……?」


そう呟いた兵士の顔には、早く撃たなければ逆に撃たれるという恐怖が滲んでいる。銃で撃ち合う射撃戦の場合、何よりも恐怖心こそが最大の敵である。大砲や騎兵も援護するが、マスケット銃は命中精度が極端に悪い。だからこそ密集隊形で指揮官の号令の元一斉射撃を行うことで発生する弾幕と轟音で敵の士気をくじく戦法が大変有効なのだ。とどのつまりは我慢比べである。相互に一斉射撃を撃って撃たれてを繰り返し、どちらが先に根を上げるかが肝なのだ。

バババババンッ!

先に撃ったのはアステカ軍。指揮官が発射の命令を下すと、まずは指揮官の声が聞こえる範囲の兵士が発砲。その後その隣が音に反応して発砲し更にその隣がという具合に、命令が伝わって行く。結果、発射音は連続したモノとなった。だが、それでも飛んでくる弾丸の量は変わらず、威力はそのまま。空気を切る鋭い音が野原に響く。

「ひっ!?」

銃弾の一部が木の杭や土嚢をはじけさせる。それに驚いたオリーシュ兵が短い悲鳴を上げた。それがそこかしこで起こり、全体としてオリーシュ軍側に動揺が走る。軍隊同士の戦いを経験していない彼らには、いまが初めての鉄火の洗礼であった。ソレに恐れをなしてしまう者が多数見受けられる。一人が逃げだせばそれがすぐさま周囲に伝染して逃亡が続出し軍が崩壊する以上、とにかく彼らがこの場に踏みとどまれるよう勇気づけなければならない。


「これは単なる威嚇! 相手の白目が見えるまで引き寄せよ! 耐えるのだ!!」

飛び出したのは、とある部隊の指揮官だった。白髪交じりの老将校は土嚢の上に飛び乗ると、全軍を励ますように大きな声で味方を鼓舞する。その結果、揺らぎ始めていた部隊の士気が回復する。

「大砲用意――――ってい!!」


そのタイミングを見逃さず、すぐさま大砲による射撃が行なわれた。手旗信号で伝えられた情報はすぐさま後方へと送られ、そこに設置された砲台から爆音が轟く。既に退役した元砲兵や砲兵士官、さらに海軍の軍艦に卸す予定だった砲を徴発して作られた即席カノン砲部隊は遺憾なくその能力を発揮した。撃ち出された鉄球は、数秒の後に押し寄せるアステカ軍の戦列に突き刺さった。


「た、大砲だぁ!!」
「うるさい黙れ! 数はそう多くない!! ここで粘らなければ後ろから狙われるぞ!」

ボーリングの玉ほどもある鉄球が飛来してくるのだから、撃たれる側は堪ったものではない。まるで人間がピンのようにはじけて肉片をばら撒く光景があちこちで発生した。その様に恐怖したアステカ軍の新兵が泣きながら叫ぶ。そしてそれを古参兵が鉄拳と共に黙らせた。軍の崩壊は得てして、このような恐怖の叫びから始まる。
こちらのマスケット銃の有効射程距離に入るまで我慢し続ける拷問の様な時間が経過する。
間断なく飛来する砲弾で削られていくアステカ軍。だが、それでもまだまだ規律は保たれている。兵士たちは蒼い顔をしながらも、すぐ隣で吹き飛ばされた戦友の方を勤めて見ないようにしながら行進を続ける。そして、いよいよマスケット銃の弾が有効に作用する間合いに入る。
その間合いに入るか入らないかの刹那、アステカ軍のカノン砲が火を噴いた。放物線を描いた砲弾は、寸分たがわずオリーシュ側の砦を破壊しにかかる。一発二発と轟音が鳴り響き、土埃の晴れた先にあったのは見るも無残な木杭や土嚢の姿だった。

慌てて修復しようとするオリーシュ兵と、それに射撃するアステカ兵、さらにそれを阻止しようとするオリーシュの援護射撃。両者ノーガードによる銃撃戦が始まった。撃っては弾を詰めまた撃っては弾を詰めの繰り返し、自分か相手が恐れをなして逃げ出すまで続けるチキンレース。
寡兵のオリーシュ軍と、大軍のアステカ軍が互いに士気と兵力を削り合っていく。
だが、オリーシュ軍が徐々に数的要因から押され始める。それを何とか押し返そうと先ほどの指揮官が再び陣頭で兵を鼓舞し始める。だが、これが結果的に崩壊を早めることとなってしまった。

「踏ん張れえ!踏んば――――――」 

流れ弾が脳天に命中し、血しぶきを上げながら倒れる老将校。その様を見せ付けられてしまったオリーシュ軍はついに限界を迎えた。士気が持たなかったのだ。

「突撃ぃいい!!!」

その隙を見逃さなかったコルテス将軍はすぐさま突撃を命令。アステカ軍将兵が一斉にオリーシュ軍陣地にぽっかり空いた穴に殺到した。そして両軍はそのまま白兵戦にもつれ込む。

「こっちはもう飯がねえんだよクソッタレ!」
「消え失せろ侵略者共!!」


怒号と絶叫が銃剣によって発生する。両軍の兵士が入り乱れるようにして押し合いへしあい刺して刺されて死んでいく。こうなってしまえば、圧倒的数で勝るアステカ軍が目に見える形で優勢になり、ついにオリーシュ軍は撤退を決定。
初日はアステカ軍側に軍配が上がったのだった。







とっぷりと日が暮れ、辺りには夜の帳が下りていた。両軍はこれを天然の休戦合図とし、それぞれに陣を敷いてしばしの休息を取り始める。
オリーシュ軍の場合は、後方にある村落に本陣を置いた。その中で、総指揮官に就任していた近衛ユウは今日の戦いの総括を幕僚達と共に行なっていた。

「敵に騎兵が居ないのが幸いした」

不幸中の幸いと言う風に、ユウは呟いた。それは後半の事、こちらがアステカ側の猛攻に耐えきれずに一部部隊が総崩れになった時の事だ。もしもあそこで敵が騎兵を突撃させていたら、被害はさらに増えていた事は明らかだった。だが、そうはならなかった。いやそれ以上に、敵は大砲すらほとんど使って来なかった。今日一日でオリーシュ側が戦ったのはマスケット銃を装備した歩兵のみとも言えた。

「まずは一当てして様子見、といったところでしょうか……?」

同席した将校がそう予想を立てる。
すでにアステカ側が騎兵を連れてきていないのは分かっていた。だが、なぜせっかくの火力を使わないのかが不可思議で在り、その答えが様子見だった。すなわち敵はまだ本気を出していない。
ユウその事に戦慄しながらも、同時に唯一の安心材料でもあると思った。


「敵が様子見を続けてくれる限り、こちらにとっては好都合だ。それで、そっちの方の首尾は」

ユウは同席している文官姿の男に尋ねた。男は手元の資料に目を落としつつ、報告する。内容は、都市セッキョーの防衛準備に関するものだった。

「防壁は何とか目途が立ちました。ですが、それ以上となるとどうにも……」

困った風に語る男。彼は都市セッキョーの執政官を任されている人物だった。彼の仕事は、可及的速やかにセッキョーを籠城可能な拠点にすること。建国以来大きな戦乱に陥った事がないオリーシュでは、街を城壁で囲んだり籠城をしたりということがなかった。それゆえに諸外国ならば在るような防衛施設が一切ないので、その建設に街中が追われていた。


「国庫を開く。民需用の物資を全て買い上げてでも完成を急いでくれ。少しでも早く籠城したい。そうでないと……本当にこちらが壊滅してしまう」
「……はい」

ユウの言葉に、執政官が暗い顔で応じ、仕事場に舞い戻って行った。彼にとっても、ようやく就任することが出来た執政官と言う地位を丸ごと失いかねない状況で、気が気でなかった。だが、帝国全体にとっては、別の意味でも厳しい。既に大砲部隊を編成するのに大金を払ってしまっている以上、今回の件で国庫は空になる勢いだったからだ。これでは戦いが終わってもその後金策と言う別の問題が発生するのは必至だった。だが、それでもやらざるを得なかった。


「――――それで、父の容体は?」
「船医の話では、危篤で面会謝絶とのこと。現在は元帥閣下の秘書官が隊をまとめているようです。急ぐとの事ですが、こちらへ到着するまで我々が持ちこたえられるか……」

そして話は、オリヌシの港で凶弾に倒れた元帥の話へと移る。本来ならば、今ここで総指揮をとっているのはユウの父親であった。だが、彼は正体不明の暗殺者の手によってここに来ることが出来なかった。さらにその時の混乱で騎兵隊の到着も遅れてしまうという。いまだ成人していないユウの肩に、不安感と多くの将兵の命を預かる責任が重くのしかかる。
だがそれでも、懸命に明るく振る舞った。皇位継承権はなくとも、その身に流れる血の責任を真正面に受け止める覚悟だった。

「――――分かった。何としてでも時間を稼ぐ。そうすれば騎兵隊が、さらに海外に散らばっている派遣軍も帰ってくる。みんな、もうしばらく私についてきてくれ!!――――それと、今日の戦いで散った者達の遺族に、その旨を通達して欲しい」
「……ハッ!」

ここで会議は終了。幕僚達はそれぞれ自分が担当する仕事をする為に散って行った。後には僅かな本部人員のみがテントの中に残される。ここでようやく、張りつめていた緊張の糸をほんの少しだけ緩める事が出来た。血筋だけで総大将を任されてしまったが、総司令官としての体面は何とか守れたのではないかとユウや自己評価した。
このように、その生まれから様々な責任を背負わされる立ち場であると言う事を改めて認識する。すると、ふとそのような物とは一切無縁な男の顔が脳裏に浮かんでくる。

(山本、君はもう扶桑に向かっているのだろうか?) 

彼は何処までも自由だった。鳥かごの鳥が空を自由に飛ぶ鳥にあこがれるように、ユウは山本に対して羨望の念を抱いていた。そして、初めて対等に話せた同年代として、ささやかな友情さえも。

(願わくばもう一度君と話がしたかった。未来の世界の話を、二人で……)

あの薄暗い船倉の中で語った荒唐無稽ともいえるお伽噺は、常に見られる立場である自分が出来た、唯一心の底から楽しめたお喋りであった。それを懐かしみながら、近衛ユウの夜は更けて行った。明日もまだ、戦いは続く。








翌日。次に先手をうったのは後方に押し込められる形になったオリーシュ軍だった。今度は即席の砦すらない完全なる野戦。それに先立ち先日の戦いで大きく損なった士気を取り戻そうと、ユウは馬に乗って最前線まで繰り出した。

「大砲を撃てッ! 銃を撃てッ! 奴らを押し返せ! 皆の父母、兄弟や子の安寧を守りきれ! 全軍、撃ちまくれ!!」

懸命に声を張り上げ、兵士を鼓舞する。総大将が前線に出て来たことで士気は回復してなお余りあるくらい上がった。こうして戦いは二日目に至る。
――――とは言うものの、兵力は相変わらずの有様である以上、前日の繰り返しになると誰もが思っていた。だが、アステカ側がここにきて足並みを乱し始める。




「さて! もう一息で敵都市が見えてきて――――ってちょ?!」

アステカ軍の一部が命令を発する前に謎の転進。しかもその先はオリーシュ軍ではなく、近隣の村落であった。コルテス将軍の目に映ったのは、途中で行先を変更して単独行動をする部隊の後ろ姿のみ。

「いけませんね。各人の食料が底をついて二日目ですから」
「ぐっ……無許可の略奪か。しかたないとはいえ――――もう少しだっていうのにッ」
「兵たちがこれで満足してくれればいいのですが……」
「味をしめてしまうと、戦いよりも略奪に夢中になる、かあ」

昨日飲まず食わずで戦わせた代償が、早くも表れた形だった。統率が効かなくなった軍隊など厄介な盗賊団以上の何者でもない。時間が惜しいコルテス将軍はこれが全軍に行きわたらないよう苦心するはめになる。

「一戦しては略奪、また一戦しては略奪となられてはまともな作戦はこなせなくなります」

最前線で戦う兵士は、戦略以上に飢えと渇きをいやす事で頭がいっぱいになっていた。もしもこの場に潤沢な食料があったのならば、今日一日再び全兵力で以ってオリーシュ軍と戦えたと言うのにと、コルテスは歯痒い思いをした。
一方その副官は、冷徹に勝手な行動を取った部隊に対する処罰を考えていた。

「勝手に持ち場を離れた部隊は、明日最激戦地に放り込みます」
「これで済めばいいけど」

結局この日は、初日以上の戦いになる事は無かった。アステカ軍が略奪に一部兵力を裂いたことと、ユウの危険を顧みない献身で最後までオリーシュ軍が粘ったおかげで、両者引き分けといったところだった。だが、それを喜んではいられない。



「いくらか、辺境の村が襲われました」
「クッ!被害は?」
「事前に非難させておいたので人的被害は無し。ですが、荒らされた田畑や村の再建にしばし時間が掛ります。領主が嘆願にきました」
「――――戦いが終わり次第再建すると伝えておいてくれ」

今すぐ再建できない事に申し訳ない思いを抱くユウ。その悲しそうな顔を何とかしようと思った一部幕僚が、「良い知らせがあります」と付け加えた・



「今しがた執政官殿からの使者が来られまして、城塞が完成したと報告が」
「なにっ!?」

昨日の今日で、よくぞ完成させてくれたとユウは喜びの声を上げた。これで、不利な野戦を続けなくて済むと声を弾ませた。

「都市全体をぐるりと囲む城壁の建造です。この大工事に関わった者全てに、どうかおほめの言葉を」
「ああ、戦いが終わればいくらでもしよう! ようし、全軍撤退だ!!」

ユウは喜び勇んで全軍に撤退命令を下す。撤退先はもちろん、彼らの都市セッキョーだった。十分な防御施設があれば、持ちこたえられると希望を見いだしたユウは全将兵に撤収作業を急がせた。
戦いは場所を移すこととなる。野でも人里でもない、大きな都市に依った攻防戦が幕を上げようとしていた。そしてこの戦いで、煉獄院朱雀という名がいよいよ歴史の表舞台にあがることとなるのだった。




[40286] 近代編 復活の朱雀4
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:95ce0ae2
Date: 2016/02/08 22:05
「なんですとおおおおおお!?」
「ウワッ! 唾を飛ばすなよ何なんだいきなり?」


シド大陸北のツンドラ地帯を、アステカ軍が通過したと思われる経路に沿ってひたすら南下していく山本率いる義勇軍。山本が不慣れな乗馬で何とか都市セッキョーを目指して歩き始めてから、数日が経過していた。何度目かの野営の際、食事中に「そういえば」と言う風に切り出した北是少尉が、今回の山本達義勇軍の与えられた作戦は何なのかと尋ねて来た。それに対して(あ、まだちゃんと見てなかったわ)と間抜けな事を考えながら山本はポケットに無造作に入れていた命令書を差し出した。山本本人はパッとしか見ていないそれを北是少尉が丹念に読み込んだ瞬間、絶叫が響く。

「こ、こんなことがあってたまるものか……!」
「何が?」
「この命令の事だ!『敵後方にてかく乱、および背後からの奇襲を敢行せよ。なお、降伏は認めない』だと!? 孤立無援の状況でこれでは死ぬといっているようなものではないか!!」
「……?」

いぶかしみながら改めて命令書を手に取り、山本はこの段階に至ってようやく命令書の全文をキチンと読み込む。上から下までじっくり読んだ上で、そこに書かれていた内容を吟味して――――


「――――――――あらら」


財布を家に忘れて来たくらいの困り顔をしつつ肩をすくめた。そこには確かに、敵の後方を攪乱しつつ、奇襲を行なうようにという旨と、降伏は許さないと言う一文がしっかりと書かれていた。


「あららじゃない!!」

バンッ! と、少尉が手に持っていた食器類を地面にたたきつける。皿に盛りつけられていた焼きたての肉が地面にバウンドするのすら忌々しそうに、北是はその場で頭を抱えて蹲ってしまった。そして、唸るような大声で泣きつつ地面を何度も拳で殴りつける。

「クソ!クソ!……なんで僕がこんな目に――――大尉めこれが分かってて僕を送り込んだなあ!! 絶対に許さないぞチクショウ!!」
「うるせえぞクソ坊主! ギャーギャー騒ぎやがってメシが不味くならあ!」
「何だと!?」
「文句があるなら食うんじゃねえ!」
「~~~ギ、ギ、ギッ――――!」

モヒカン達が北是の大音量での恨み節に食ってかかる。食事中にうるさくするなというもっともな文句に、さすがの北是も普段通りに応戦できない。そもそもいま北是達が食べている食事は、モヒカン達が狩ってきた動物の肉を料理したものである。軍隊用の保存食ばかりに飽きた山本が、モヒカン達に命令して持って来させたものだったのだ。
思わぬ方向から注意された北是は、大声は止んだものの今度は歯ぎしり。そしてその次はブツブツと小声で文句を漏らし始める。内容は上司にたいするモノで、ひたすら上官に対する不平不満と呪詛の言葉を吐きだしていた。どうやら北是少尉は上司と折り合いが悪く、今回の任務も悪意あっての任命だったようだ。

「…………」

だが、そんな一連の事情を詳しく知らない山本は、とにかく目の前の陰気な状態になった北是をどうにか普段通りの状態に戻したかった。というか、こうもメソメソとやられては鬱陶しくってたまらない。こんな状態であと何日になるか分からない道程を同行することになってしまうのはマジ勘弁という思いだった。

(さて、どうするか……)

と思案する山本。ぶん殴って再起動という手は、散々モヒカン達との乱闘をくぐり抜けて来た少尉には使いたくなかった。逆襲が怖かったからなのだが、それならば口でやるしかないと思い立つ。

「――――聞けい!!」

そうと決まれば話は早いとばかりに、山本は唐突に立ち上がった。周囲の視線を一斉に浴びる山本。そして同時に気分が高揚し始めた山本の頭には、この場で最適と思われる台詞が若干カッコイイ感じに加工されて浮かんできた。それを、声の抑揚を聞かせながら全体に聞こえるように叫んだ。




「いいか。我々はこれから死地に向かう訳だが……それがどうした!」

堂々とした発音。自信たっぷりの言葉。
煉獄院と化した山本の弁舌は、なんだかよく分からない説得力を付与するようになっていた。ビリビリとシビれる感覚に山本の脳は甘い快感に酔いしれる。脳内麻薬物質的なものが大量に溢れだしているのだろう。
そんな良い感じのまま、山本はポカンと口を開けてこちらを見上げる北是少尉を、やや見下すような視線で、かつ冷淡な声色で語りかける。

「そもそもだ。国家国民の為に存在する軍人が、ちょっと危ないからといって死ぬだの何だのと泣きごとを言うなんて、情けないとは思わないのか?」
「クッ!だが――――」
「やっかましい!!」

ピシャリと遮って叫ぶ。静から動への変動を意識しつつ、先ほどまでの語りかけるような口調が嘘だったかのように、山本は声を荒げ、攻め立てるような怒涛の言葉の連打を浴びせ始めた。

「さっきから泣きごとばっかりこぼしやがって! お前も軍人なら文句を言う前に勝つ方法を考えろ! 世間はお前のお母さんじゃあないんだ。困ったら助けてくれるなんて都合のいい考えで生きてんじゃねえ!それが出来ないって言うなら――――」

山本は仕上げとばかりに北是の胸倉をつかみあげ、ねっとりと人の神経を逆なでするような小馬鹿にした態度で続きを言う。

「――――今からお家に帰ってママに泣きついてくるんだな。『ママー、みんなが僕をイジメるよぉ』ってな」
「ギ、ギ、ギ、ギッ――――!!!」
「お前らはどうだ? 死ぬかもしれない狩りの前に、メソメソする男はどうだ?」
「ヒャッハー! もちろん、そんな根性無しはキンタマ握りつぶして荒野にほうりだしまさあ!」

ここで山本は北是を突き飛ばすように解放する。そして、口角を僅かに上げて嘲笑するよう笑い、最後の一押しを行なう。まるで鬼軍曹が新兵をイジメぬくが如く、敵愾心を煽りまくった。
果たしてその効果は絶大で、北是少尉は顔を真っ赤にして歯ぎしりをしながら山本を睨みあげる。だが、反論の言葉は無かった。北是少尉自信が、山本の実は中身が大してない言葉に感じ入る所があったようだった。

「――――と言う訳だ。これからどうするかはお前に任せる。逃げたければさっさと逃げ帰るんだな」

そして山本は一人、あらかじめ張られた野営テントの中に引っ込んでいった。後に残ったのは尻もちをついて歯ぎしりをする北是少尉と、それをはやし立てるモヒカン達だけだった。







(やっべええええええどうしようマジで!)

テントに戻って周りに人がいないのを確認すると、山本はすぐさま素にもどった。そして素に戻ってしまえば、現状に対して真正面から向き合い、結果どうしようどうしようとうろたえる小市民の姿がそこにはあった。基本、脳内麻薬物質が出ていない状態ではこんな感じである山本だった。


(ウッソマジでこんなん聞いてないんですけど! ハッ? 馬鹿なの死ぬの?俺達が!!)

聞いてないのはお前のせいだとか、書類は確認するものだとかそういう事は全て棚上げして、不平不満をぶつくさ言いまくる山本。その姿は、先ほど締め上げた北是少尉と全く同じだった。先ほどのセッキョーは、全部自分に帰って来ることとなるのだが、そんなことは全くお構いなしに山本は自分の世界に籠ってグチグチ言いまくる。

「クソッタレ……通りであっさり許可する訳だ。そりゃあ最初っから使いつぶすつもりだったんならほいほいサインだって書くだろうさ!」

そして一通り文句を垂れると、ようやく今後の事に頭を働かせ始めた。現状、命令されている以上かく乱と奇襲はやらなくてはならない。そうでないと、敵前逃亡等の名分で、今度こそ処刑されてしまう。そもそも、自分は自分を助けてくれた恩人を救出する為にここにいるのだから、逃げるなんて選択肢は最初から存在しない。だが、死にたくもない。
一瞬、なら一撃離脱に徹すればとも思うも、連携できる味方もいない、寡兵という状況で大群に襲いかかった場合どうなるか。十中八九、がっつり消耗するはめになる。その状態でかく乱なんてやろうものなら、早晩すり潰されるのは明らかだった。


「勝つしかねえ……!」


命令を守る。恩人を救出する。この二つを両立するには、戦って勝利する以外に道はない。命令書を書いた元帥的には、山本達が玉砕することが前提なのだろうが、大体軍事関係の専門知識がない山本はそれがどんな無謀な作戦であろうが何だろうが、運とタイミング次第で逆転勝利の目があるのではないかと希望的な事を考えていた。

「やってやるぜ、俺の桶狭間を……!」

そんな山本の脳裏に浮かんでいるのは、日本史上もっとも華麗で電撃的な奇襲作戦を成功させて敵総大将の首を取った戦いだった。歴史ドラマでも何度も取り上げられるほど有名で、圧倒的不利な状況下からの逆転満塁サヨナラホームラン的な勝利を収めたあの戦いを再現するしか山本には道がなかった。
ゆえに、それを再現する事で何とか目的を達成しつつ生命を全うしようとしていたのだが…………この時の山本はまだ、桶狭間の戦いを演じた織田信長と自分を重ねようとしている事に気が付いていなかった。そして桶狭間を行なうと言う事が、英雄の第一歩を踏み出そうとしていることと同義であるということにも、当然思いもよらなかったのだった。












「敵は既に城壁に籠る以外に手はない! このまま一気呵成に攻めよ」

山本がギラギラと危険なギャンブルを決意した一方、都市セッキョーを巡る攻防がいよいよ幕を上げようとしていた。都市セッキョーの北側を半円状に包囲したアステカ軍銃兵部隊と、その後方に築かれた砲台からは、黒光りするカノン砲がずらりと並べられている。対するオリーシュ軍は部隊を一つ都市に入れると、その他の部隊を都市の東西に展開し、都市を半ば盾にするような形で待ち受けていた。
金と労力を一気に詰め込んで、突貫工事で作られたものの重厚な城壁があるからこそ出来た戦法だった。
そしてそこへ、カノン砲の支援下でアステカ軍のマスケット銃兵が隊列も作ることなく殺到していった。


「モノは言い様ですね。『籠る以外に手はない』とは」
「……それで、どう?」
「先日略奪をして攻撃の手を緩めた結果、敵はゆうゆうと撤退するだけの余力と時間を得ました。その責任と命令違反の罰として、件の部隊を先鋒として放り込みました」
「まあ、どれだけもつかといったところでしょうか」
「それよりも問題なのは――――」
「カッカッカ! いかなる戦も最後にモノを言うのは兵の気合いである! コルテス将軍よ、そのまま一気呵成に攻めたてさせよ!!」

コルテス将軍とその副官が戦いの推移を見つめていると、呵々大笑しながら彼らに話しかけて来た人物がいた。コルテスやその副官と違う人種であるらしく、大柄で肌の色は褐色、頭には羽飾りに素肌にはボディーペイントが施されている。そして顔には生々しい傷が大量に走っていた。

「これはこれは大使殿。このような所へ……如何いたしましたか?」

その、どこぞの自称オリヌシが率いている蛮族達に優るとも劣らない蛮族スタイルな大男の登場を、コルテスは平身低頭で迎え入れた。

「ウム! 膝に矢を受けて以来戦場に出る事が無くなってしまったが、兵としては働けなくとも将としてならばまだまだ現役! そこでオヌシの遠征の手助けをしようと思い立った次第である!!」
「あの……それは参謀として助力していただけるということで……?」
「然り!!」

再び雄な笑い声を上げる大使殿と呼ばれた男に、コルテス将軍と副官は表面上では笑顔でありながら腹の中では絶望的な想いを抱いていた。
彼こそがオリーシュ皇帝に面と向かって宣戦布告をかました元在オリーシュ大使であった。

ここで人物の上下関係を示すと、コルテス将軍は遠征軍の総大将なのだが、国の身分的にはなんと目の前の蛮族大使の方が偉いのである。これは元々敗戦で服従するはめになった敗者の末裔であるコルテス含む白人系パナマ市民と、勝者側であるアステカ人との間に広がる致命的なまでの格差だった。将軍だの公王だのという肩書はあるものの、コルテスはしょせんお情けで生かしてもらっているだけの体のいいパシリなのだった。
さて、そんなパシリのコルテス将軍がにがい顔をした理由は、アステカ人は優秀な戦士ではあるものの、基本彼らの戦争は物量での力押し一辺倒。そんな戦いしかしてこなかったような者に、あれこれと口を出してもらうのはやっかい極まりない話だった。しかも自分よりも身分が高いので無下にも出来ない……そう言う訳で大使にはそれとなく作戦には関わらないように、遠ざけていたと言うのに、せまる決戦を前にしてとうとう呼んでもないのに来てしまったという次第だった。

「やはり来ましたか……」

この事態に副官は、蚊の泣く様な声で愚痴をこぼす。当然、そんな小さな声では迫る戦いの気配に興奮している大使殿には聞こえない。
コルテス将軍は、ここにきて爆発しようとしている問題を追加で抱えることとなる。
戦場は、前線も後方も等しくクライマックスへ向けて突っ走ろうとしていた。







モウモウと上がる爆煙と、砕けたガレキの土埃が舞う最前線。城壁に何とか辿りつこうと銃を抱えて走るアステカ軍と、それを撃退しようと左右から射撃をしかけて来るオリーシュ軍がぶつかるホットスポットに、彼らはいた。
仲間の死体を乗り越えて、なんとか城壁に梯子をかけようとしている彼らは、先の戦いにおいて真っ先に略奪に走って最激戦地に投入された部隊だった。


「ファック! チクショウが――――!」

先に戦死した同僚が何とか作ったバリケードの中に籠り、手元の銃に銃弾を詰め込んでいた小隊長が口汚く罵る。
ガシガシと荒っぽい手つきで火薬を突き固め、身を乗り出して撃っては再び身を隠すと言う作業を淡々とこなく様は、熟練した兵士のそれであった。

「ハアハア……!」
「おうカルカーノ! なんだまだ戦う前だって―のにもうヘバッてんのか?」

そんな小隊長の傍らには、白い肌に汗を浮き出させ、青い顔をしているカルカーノと呼ばれた少年が不慣れな手つきで薬包の紙を歯で破り、中に入っていた火薬を銃口から入れていた。


「オウ……パスタが食べられないと力が出ないデース」
「ああ? この間襲った村にはそんなん無かったからなあ――だがよぉ、ここにはあるんじゃねえか?」
「でも、無理矢理奪って食べるのは良くない事デス」
「へっ! なに白けたこと言ってんだよヤサ男! てめえもこういう役得があるからこそ兵隊なんぞに志願したんだろうが」
「違いマスよ……」
「あ? まあ別に取り分が減らねえ分、文句はねえよっと!」

小隊長は再び装填を終えた銃を構えて、守備側のオリーシュ兵に向けて撃つ。撃った弾は真っ直ぐに突き進み、見事都市の左右に展開している部隊の一兵士の脳天に命中した。

「す、すごいデース……!」
「へへ、最新式のライフル銃だ。マスケットとは一味違うぜ」

小隊長は、自慢げに手に持っている銃を少年に見せびらかせる。その銃口から除く銃身には、確かにらせん状の溝が掘ってあった。これは命中精度を改良した銃で、マスケット銃のように撃った弾丸が何処に行くか分からない代物とは違い、狙撃もできる最新式の銃だった。略奪行為の際、猟師が個人的に所有していたものをかっぱらった物だった。



「ま、だが流石にこれ一丁で城が落せるようなモノじゃねえ。まともにやったんじゃ俺達は一瞬で返り討ちだ――――ってな訳で……」
「隊長!」

そこに、アステカ軍の兵士が滑り込むように飛び込んで来る。そして小隊長に向かって何事かを耳打ちした。その兵士は、なぜか異様に土まみれ泥まみれであった。
それを不思議に思う少年だったが、小隊長と土まみれの兵隊は短い単語でニョゴニョと密談を続ける。

「よし――――いますぐ行くから用意して待ってる様に伝えろ。―――――へへ、ちょいと頭を使えば、こんな状況だってどうにかできるってなもんだ」
「オオウ……隊長サン、悪い顔してマース」

話しがついたのか、小隊長は悪人づらで少年に向けてサムズアップ。そして再び自慢のライフル銃を発砲すると、少年と自分の部下を引き連れて隣のバリケード、そして再びその隣のバリケードという具合に移動していった。
そして辿りついたのは、一際城壁が高く、用意した梯子ではとどかないと踏んで最初から攻撃地点からはハズされてしまったポイント―――――からもやや離れた野っぱらだった。

「あの~」
「まあ見て見ろって」

疑問顔の少年に小隊長が指示したのは、地面のある一点。そこには巧みな偽装が施されたものの、扉の様なものがポツンと存在していた。
小隊長はおもむろに地面を撫でさすると、その扉を開けて、その向こうに広がるトンネルに少年と数人の男達を伴って入って行った。

「暗いデース、せまいデース……」
「うるせえぞ」

トンネルは、人一人が這いつくばることでようやく進めるような代物だったが、しっかりと補強がなされており、崩落の心配はないような立派な代物だった。しかし、とにかく暗かった。
二人はしばし匍匐前進で先へ先へと進んでいく。方角的に、都市セッキョーに向かっていた。

「おおい、どんなもんだよ!」
「ヘヘッこんなんインカの山脈に比べれば砂山みたいなもんさ」
そしてその先には、さらに数人の男達が待ち構えていた。小隊長はその男達と軽く挨拶をすると、しばし雑談。それもひと段落すると、少年の疑問に答えるように種明かしを始めた。

「アノ、このトンネルはモシカシテ……」
「おうよ。なんせ俺達は勝手に命令を無視して略奪に行ったバカヤロウだからな。どうせ城攻めの最前線に放り出されるのは目に見えていた。そこで……」
「あらかじめこうして攻めやすいように準備してたってわけだ」

続きを引き継いだのは、手にスコップと怪しげな縄を持っている小男だった。
小隊長は怪しく笑いながら頭を指で突きながら言う。

「ここを使って要領よく生きたヤツが、結局は勝つんだよ――――よし、かかれ!」

小隊長の号令の元、小男は何処からか取り出した火種をそっと縄に近づける。

「よし、ちょっ――と待ってろよ…………ヘヘッよーし良い子だ」

いとおしげに語りかけながら、遂に縄に火が灯る。縄は導火線だったらしく、見る見る縄は短くなっていった。
その先は、暗いトンネルの更にその奥へと進んでいる。
「よーし、伏せろ。俺のいとしい火薬ちゃん、哀れな子羊達に道を示したまえ。アーメン――なんつって」

瞬間、現時点からさほど遠くない所で大きな爆発音が轟く。衝撃は土中を伝い、容赦なく少年を含むアステカ兵を襲ったが、遂に崩落する事は無かった。

「GO!GO!GO! 行けお前ら!」

小隊長がはやし立て、皆が芋虫の行列のようにせまいトンネルを匍匐前進で突き進む。すると直ぐに、明るく開けた場所に辿りついた。即ち、爆発点にして出口、そしてそこは都市オリーシュの内部。トンネルは城壁の下まで続いており、その下で爆薬を爆発。結果、城壁の一部が大きく損壊していたのだ。


「よし! 一番乗り!!」

こうして、僅か一個小隊とはいえ、アステカ軍の侵入を許してしまった都市セッキョー。

「行け行け行け!!」

彼らは走る。その後ろには、城壁が崩れた事に気がついた他の兵士も続々と集まろうとしていた。数千人の兵士の先頭に立つことになった小隊長は、その事に気分を高揚させた。いつの世も、一番槍は戦場の誉れである。
目の前には、整然と立ち並ぶ家屋。綺麗に整備された道。東洋と西洋が入り混じったような独特な様式の街並みが広がっていた。そしてそのどれもが未開封の宝箱に見える。加えて、真っ直ぐ舗装された道は、栄光に続いているかのよう。
今自分が、間違いなく戦場の中で一番光り輝いていると感じた小隊長は、まさにこの世の春が来たかのような興奮で、傍らを並走する少年に語りかける。

「ハハッどうだよヤサ男! 俺様の作戦は――――っ?!」
「た、隊長サン……」

――――だが、春に咲いた満開の桜は、早々に散り去った。


「市民諸君! 君たちの手で諸君らの街を守るんだ!」

栄光の道と思われた道路のその先に待ち受けていたのは、無数の銃口が覗くバリケードだった。バリケードは道を完全に塞ぐように設置され、さしずめ栓のようだった。
その栓の上で、まだまだ年若く中性的な若者が、市民を励ますように声を出し、そして号令を下す。

「撃てえ!!」

我先にと続いていたアステカ軍兵士は、その一斉射撃をもろに受けてしまう。しかしそれでもなんとか被弾を免れた兵士は、脇に在る民家に逃げ込もうとドアに手をかけて、そこで固まった。

「チクショウ! あいつら民家の入り口を板で塞いでやがる!!」

都市セッキョーは平野に築かれた都市であり、古くから栄えていた事もあって中心から離れるほど雑然となっていく。その未整理の区画がぐるりと都市の外縁を囲んでいるのだが、そこが罠として機能する事になる。
家と家の間を雑多な物で塞いでそれとなく一本の道に収束するように誘導路を作る。そしてその先に銃で武装させた市民の義勇兵を配置し、走り込んで来る敵兵の出鼻をカウンターパンチの要領で一撃したのだった。
この時、義勇兵が陣取った場所につながる道の両脇にある民家はしっかりと塞がれていることから、攻め込んだ側は逃げ場のない一本道の途中で一方的に射撃の的になる結果となった。


「た、隊長サーン!! ダメ、血が止まらないデス!!」
「クソッタレが……おら、テメエらさっさと撤退だクソ!!」

小隊長は被弾した脇腹を手で押さえながら、生き残った自分の指揮下の兵士達に声をかけ、すぐさま撤退命令を下す。しかし真っ先にオリーシュ側の射撃を受けたため、小隊長の部隊はほぼ壊滅。少年の手を借りて背を向けて逃げる間も、背後からは銃弾が飛んでくる。絶叫と、弾がはじける音に肝を冷やしながら必死の思いで撤退するときには、生き残りは負傷した小隊長自身と無傷な少年のみだった。
そして再び、周囲には射撃音の余韻が残る静寂に包まれた。







「早速、抜けて来たか」
「ですが、市民達の活躍で防ぐことができました」
「――確実にダメージは負っている。修復を急がせろ」
「ハッ!」

内心の焦りを表に出さないように気をつけながら、バリケードの上で号令を下した近衛ユウは握りこぶしを固めた。周囲に控えている参謀達に、不安を見せないようにした配慮だった。

(まさかこうも早く城壁が破壊されるとは……)

破壊されたと言っても、僅かに一か所だけである。それもそこから踏み込んで来た敵部隊は、僅かな生き残り以外は全員排除した。だが、籠城の初日からこうもしてやられては、先が思いやられて仕方がなかった。

(民家を買い上げて防壁にし、誘導路を作って待ち構えるという戦法もそうそう長くは持たないだろう)

と、ユウは自身が発案した戦法が早い段階で敵に攻略されるという悲観的ともいえる予想を立てる。しかし、侵入してきた敵が僅かとはいえ逃走に成功してしまった以上、じきに対策を取られてしまうのははやり自明のことだった。




「セッキョーは何回、耐えられる?」
「砲の支援を考えて……5回程度でしょう」

参謀の一人がそう試算した。敵がここぞとばかりにカノン砲を撃ちこみながら歩兵による本格的な攻勢を仕掛けて来た時、その歩兵部隊を追い返せるのが5回。だが、この調子で思わぬ方法で攻撃を仕掛けられたなら、それも当てには出来ない。

「では、部隊の再編の進捗状況は?」
「怪我からの復帰や、市民からの志願兵などで順調に進んでいます。ですが……」
「ある程度でいい。戦えるだけ戦力が回復したらもう一度前線に出てもらう」
「――――ハッ」

当然ではあるが、オリーシュ軍側の被害も危険領域に突入しつつあった。多勢に無勢でここまで戦ってきたのだから当然であるが、下手をすると聯隊規模で消滅してしまう可能性もあった。そうなるとまずい。なぜならここまでくると、兵士の補充ではすまなくなるからだ。
軍隊と言うのは、ある種のノウハウの固まりである。そしてこのノウハウというのは、一朝一夕ではたまらない。例えば一回戦闘をするごとに経験を積んだとしても、それはあくまで部隊へのものであり、士官や下士官、そして末端の兵士のそれぞれがそれぞれで蓄積するものである。この部隊が壊滅してしまうと、それまでのノウハウも消滅してしまう。こうなってしまえば、また一から練度を上げて行くしかなくなる。

「アステカ軍の第二陣、来ます!」
「っ!! 来たか!!」

そうして試行する間に、ユウは作戦本部とでも言うべき大学屋上に設置された指揮所に向かって駆ける。この都市全体を見通せる場所にいたからこそ、いち早くアステカ軍の侵入を察知する事が出来た。本来ならば総大将が出るのは問題だが、最初の一回は市民達に積極的な姿を見せなければ申し訳がないと思ったユウの判断だった。

「ユウ様! 御武運を!!」
「一歩も先には行かせません!!」

駆けるユウに、ところどころでバリケードを作って待機している市民達が声をかけて来る。みな、逞しい笑顔を向けて来る。
その声を聞くたびに、ユウは強く励まされるのを感じた。

「市民達の士気も高い! この戦い、勝つぞ!!」
「「「おうっ!!」」」


気合いの声が曇り空に響く。天候は、回復せず。じきに雨が降るだろうと思われた。



[40286] 近代編 復活の朱雀 5
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:95ce0ae2
Date: 2016/02/29 23:24
一度とはいえ侵入したアステカ兵が市民の活躍によって排除されたことにより、オリーシュ軍までもが士気を高めるその一方。アステカ軍はこの時、ついに勝負に出る。今まで予備として後方を固めていた部隊が一斉に動き出し、都市セッキョーを取り囲みはじめた。数万の軍勢に囲まれるその様は、見る者を圧迫する。


「全軍、予備を含めて前進! 全兵力で囲んで砲の支援と共に突撃せよ!!」


今にも雨が降り出しそうな曇り空の元、アステカ軍の全部隊に対して都市セッキョーの包囲、および総攻撃の命令が下る。温存も予備もなし、ディフェンスなど考えないオールオフェンスの構えだった。傷を負っていようが無かろうが、動けるほぼ全てのアステカ軍将兵が都市セッキョーの防壁に向かって猛烈な攻撃を敢行する。そんな彼らに、後方からの援護が届く。

「全砲、一斉射撃!!」

ドンドンドンッ!と、連続で響くカノン砲の射撃音。アステカ軍の砲台から、音の数の分だけ砲弾が吐きだされる。それは時に城壁に当たっては少しづつ損害を与え、時に都市内部に飛び込んでは無差別な破壊を振りまいて行く。その損害を広めるべく、銃を持った兵士が果敢に突撃していくものだから、都市そのモノの防衛能力は加速度的に弱体化していった。あるいは、このまま陥落してしまうのではないかと言う程に。

「陥ちろ……陥ちてくれ――――!」

その様を、総攻撃を命じたコルテス将軍は後方の本陣で祈る様に見つめている。今にも跪きそうな様子で、神に祈る様に必死に願う。前線から後方に在る砲兵陣地が一撃ごとに爆煙と地響きを引き起こし、そのたびにどこかで絶叫が上がる。
敵兵のモノである、と思うのは余りにも楽観的だ。なぜなら敵も必死に抵抗し、先日までの戦いで相当の被害を負った筈の部隊までもが、再度戦線に投入されているからだ。
オリーシュの守備隊は砲兵部隊を都市の内部に駐留させ、前衛の銃兵三部隊を都市の北と東と西に展開。彼らはその場で徹底抗戦の構えを見せ、アステカ側の攻撃を決死の思いで跳ね返していた。そのおかげで、現状アステカ側が唯一直接城壁に銃兵を取りつかせることができるのは、南側のみだった。こちらは友軍とはほぼ孤立状態にあるので、リスクは格段に上がる。
加えて、南側には恐らく市民を動員して稼働させていると思われる投石機が容赦なく城攻め中のアステカ兵士の頭上にガレキを振りまいている。さらに、そこへ敵カノン砲による砲撃が加わるのだから、まさに地獄絵図とでも言うべき惨状だった。
しかしそれでも、今勝負に出なければならない理由がコルテス将軍にはあった。

「雨が降る前に……たのむ!」

雨が降れば、雨水に晒されるマスケット銃の不発率は上がる。もしも土砂降りにでもなれば使用はほぼ不可能となるだろう。だが、そう言った戦術上の理由よりもある意味重要で、ある意味下らない理由があった。それは先に現れた立場上逆らえない大使殿のありがたい助言が原因なのであった。


『予備を含めて全兵力で囲むのがよかろう。断固突撃せよ!!』


懲罰の意味を込めて送り込んだ部隊の一部が、敵の城壁を地下から爆破するという予想外の活躍が発端であったのかもしれない。これによってさらに興奮の度合いを増した大使殿が、全軍突撃を提案してきたのだ。実にアステカ人らしい発想だった。
それに対して、コルテス将軍はかなり消極的だった。たしかに短期決戦を望む以上、総攻撃のタイミングとしては悪くない。だが、ただ一点問題があった。それが天候である。

「冗談じゃない! カノン砲は別にして、こっちの銃は雨で使えない! けれど向こうは建物に籠れば使えるのに、無理な突撃をしたら被害が増してしまう!」

と言ってやりたいコルテス将軍だったが、まさかこんなことを正面から言う訳にもいかない。となると、なんだかんだで総攻撃をやらされるハメになる。ならば雨の降らないうちに勝負を決めなければならない。城壁を破壊出来れば、雨の降る前に白兵戦に持ち込める。だからこそ、コルテス将軍は先ほど必死に祈っていたのだが……どうやら時間切れらしい。

ポツリっと、水滴が天から零れ出してきたのだ。今はまだ極々少量だが、それもいつまでか。こうなれば、早々に銃剣の間合いで勝負できる距離まで近づかなければならない。
だが、運の良い事に敵都市もすでに満身創痍といった風情である。南側を覗いた三方の敵銃兵部隊は、たび重なるアステカ軍の突撃によって、当初の戦闘能力の八割を喪失したように見える。となれば、恐らくはあと一撃、そして天候的にも最後の一撃を加えてこれを粉砕出来れば、すでに散々に砲撃を加えられて抵抗力を失っている敵都市に、再びのアステカ軍の侵入を排除するだけの余力は残されていない――――!!
一瞬、ここで一度引いて戦力を整えた後に再攻撃をするという魅力的な考えが浮かぶも、強引に却下してコルテス将軍は前線を睨み、大声を張り上げる。

「我らが生きるか死ぬか、この一戦で決まる! 全軍攻撃を継続せよ!!」

再度、将軍は檄を飛ばす。これで敵都市を守る銃兵部隊が壊滅すれば、あとは次手でチェックメイト。ただし、この攻撃を耐えられたならば、こちらも大損害を受ける。乾坤一擲の大博打だった。
それを知ってか知らずか、アステカ軍兵士は蛮声を張り上げながら突撃していく。

「カッカッカ! 蹂躙せよー!蹂躙せよー!」

この命令に大興奮の大使殿が剣を振りかざしているを尻目に、副官が厳しい顔でコルテス将軍の傍に侍った。


「――――将軍。本陣含め、砲台が手薄では?」
「……それでもここが正念場なんだ。雨が本格的に降れば、カノン砲も使えなくなるかもしれない。今、ここでやらなくては!」
「分かりました。そこまでの覚悟ならばなにも言うことはありません……」

位置取り的に、北側から順に砲台とそれに隣接する本陣、そしてそれから距離を取って都市セッキョーを巡る前線がある。即ち、コルテス将軍が全軍総攻撃を命じてしまったが為、本来ならば本陣と砲台を守る役割も担っている予備兵力がすっかり喪失してしまっているのが現状だった。つまり、本陣との防御力は限りなく低下してしまっている。オリーシュ唯一の騎兵隊が謎の行動停止状態という情報が入っているからこそ黙認しているが、本来ならばハイリスクすぎる一手であると副官は思った。騎兵ならば、本陣を一気に強襲しうるからだ。

「……天候を味方にすることは、出来ませんでしたか――――」

せめて明日まで天気が持ってくれればと、前線にて直接指揮を執ることになった副官は持ち場に向かって歩きながら天を睨んだ。だが天はそんな願いを露とも知らず、徐々に水滴の量を増やしていく。そして遂には雷を伴った激しい雨を降らせ始めたのだった。





「冷てえっ! 雨か!?」

同時刻。山本達義勇軍は、急げとばかりに馬を走らせていた。それは、空気中を伝わってくる大砲の音が彼らに目的が近い事を知らせていたからだった。
山本は、額に垂れて来た水滴を裾で払う。

「セッキョー州の雨はしつこい。急がなくては身体が冷える一方だ」

それを傍で見ていた北是少尉が言った。
山本から説教を喰らったが、元来の生真面目さからまさか本当に帰る訳にも行かず、結局義勇軍についてきた少尉だった。だが、何もやけっぱちになっているわけではない。彼は彼なりに山本が適当に言い放った「勝つ方法」を模索していた。

「しかし、これは恵みの雨かもしれない」
「どういう事だ?」
「雨が降れば、攻め手は火薬が使いにくくなる。そうなれば……」
「そうか! 攻撃が鈍るのか!!」

着目したのは、やはり天候。火器を用いる以上避けては通れない雨と言う問題に乗じることが、唯一の勝利の可能性と北是少尉は睨んだ。
もっとも、それでも圧倒的多数には叶わない。が、敵が都市攻めに躍起になって無防備に背後を晒していたら……そこに雨と言う火器封じが重なればあるいは――――と、考えたのだった。
かなり運任せではあったが、勝利の確率は0パーセントではない。



「――――あ! 前の方に、何か見えやした!」

その時、先行していたモヒカンの一人が大声で山本に告げる。急に強く降りだした雨の水しぶきで見えにくくなった正面先の光景を、懸命に見つめる。
すると、確かに何かがある様だった。だが、残念ながら視力が別段良くもない山本では、何かがあるとしか分からなかった。


「何? 何が見える? 詳しく報告しろ!!」
「……いいや、その必要はない。僕にも見えた。あれは、アステカ軍だ!!」
「いよっしゃあ!――――っていうか眼鏡なのに俺より目が良いってどういうことだ?」
「いいだろうそんな事は!!」

山本がどうでもいい事に突っ込み、北是がそれに返す。周りから笑いが漏れて来る。義勇軍は、山本の演説以来僅かではあるがまとまり始めていた。
そこまで来て、山本の目にもそれが確かに映った。大砲を並べて、ドカンドカンと打ち出している敵の姿が。


(背後から一発ぶちかます! その後は……後は流れでお願いしますだあ!!)

徐々にボルテージを上げて行く山本の心。そしてそれは顔や手足にも表れ、暴れるのを今か今かと待つように力がみなぎって行く。そんな山本の隣に、北是が真剣な表情で話しかけて来た。

「――――煉獄院。この戦いが終わったら、僕に向かって言った侮辱の言葉を取り消してもらうぞ」
「ああ? 何でもいいよもう! 取り消す取り消す!!」

これから突撃だという時、北是が言った言葉を山本は邪魔に思いつつ適当に流す。山本は、自分が以前北是に向かって言い放った諸々の説教の言葉の事を忘れていたようだ。だが、言われた当の本人はかなり気にしていたようで、「その言葉、後で忘れたとは言わせないぞ!」と、再び馬鹿にされたと思った北是が捨て手台詞を言い放ち、荒々しいたずな捌きで山本から離れて行った。
そしてそれが合図であったかのように、山本は叫んだ。前進にみなぎる興奮を吐きだすように、右人差指でこれから突き進むべき方角を指し示した。

「いっけええええええええ! 呑気に人ン家へ大砲ぶちこんでいる奴らに目にものみせてやれえエエエエエエエエ!!」
「ヒャッハアアアア!!」

瞬間、各々にいつもの絶叫と共に突貫していくモヒカン達。続いて、山本もついついそれにつられて馬を加速させる。
最初は蛮族蛮族とバカにしていたそれも、今になっては気合いが入る掛け声だ。


「ハハッ!ククッ――――! ヒャッハアアアアアアアアアア――――!

ヒャッハアを叫びながら、山本も続いて突撃していく。それに追随するように、北是少尉もまた突っ込んでいった。まるで一本の矢のように唐突に現れ、意味不明な蛮声をまきちらしながら彼らは戦場を真っ直ぐに駆け抜けた。その姿は雨のカーテンによって図らずも巧妙に隠ぺいされる形となったため、アステカ軍の数少ない監視の目を容易く掻い潜ったという。こうして、傍から見れば謎の騎兵がアステカ軍本陣の後方に突如現れたこととなる。その半裸で奇声を発する騎兵たちは、アステカ軍の急所になだれ込んで行った。

雨がなければ、あるいは煉獄院という出自不明な島流し野郎がいなければこの戦いの結果も、さらに言えば世界の歴史も変わっていただろう。
後にこの戦いを知る全ての者が口をそろえてこう言った。「アステカ軍の敗因は唯一つ。かれらはオリヌシ――――すなわち天に愛された者ではなかったからだ」、と。




「緊急! 緊急!!」

アステカ兵達が決死の総攻撃を都市に仕掛けている時、その知らせは衝撃を以って届けられた。

「伝令! 緊急の伝令です!」
「どうしました!?」

前線で指揮を執っていた副官に、血相変えて駆け寄る兵士がいた。兵士は、この世の終わりを見たかのように血の気が失せている。

「後方から敵襲! 騎兵による背後からの奇襲です!!」
「なに!?」
「至急増援を! このままでは砲台はもちろん本陣も持ちません!」

それだけ言いきると、兵士は再び元の持ち場――恐らくは本陣の守備に駆け戻って行った。
予備兵力含めほぼ全ての兵力を城攻めに投入してしまった以上、砲台と本陣を守るのは本当に僅かな兵士のみ。そこが襲われた以上、今更兵を城攻めから戻しても間に合うとは到底思えなかった。

「――――ここを離れます。城攻めはそのまま続行、もっとも、直ぐに終わるでしょうが……」
「――――あ、ハッ!」



副官は唯一人、あとの事を近場にいた兵に任せると、ゆっくりと歩いて本陣へと戻ることにした。

「…………さて、命乞いの言葉でも考えますか」

その時、天に雷鳴が轟く。相変わらず激しい雨の中で光る青い稲妻は、まるで天地がアステカ遠征軍を滅ぼそうとしているかのように荒々しく映った。セッキョー州に降り注ぐ冷たくて厳しい雨は、敗戦を覚悟した副官を包んでいった。




「砲台を守れ! 砲は我々の命綱と心得よ!」

南北に延びたアステカ軍の最後尾、いち早く事態を飲み込むことが出来たコルテス将軍は、本陣に引きこもって護りを固めるどころか、むしろ砲台に移動し陣頭指揮を執っていた。動ける者にはコックだろうが荷物持ちだろうがなんにでも銃を持たせ、なけなしの守備兵を中核とした防御陣を作り上げた。そこでひたすら声をからして兵士を鼓舞し、コルテス将軍は決死の抵抗を試みていた。皆一様に銃剣を突きだし、突っ込んで来る騎兵の波に向かって抵抗しようとする。
だが……

「う、うああああああ!!」
「ヒャッハアアアアア!! 轢き殺されてテエーカアアアアァアア!!!!」

馬+人間の質量が高速で突っ込んで来る騎兵の一群に、非戦闘職の彼らは対応できない。すぐさま即席の防衛線は決壊し、人馬入り乱れての乱戦へと突入した。
あちこちで絶叫と鉄のぶつかり合う音、そして人間が倒れ伏す音が響くが、それも激しい雨に紛れてしまう。滲んだ血も直ぐに洗い流されてしまう豪雨の中にあって、山本もまた血のたけりのままに戦場を駆け、そして。



「ハアハアハア、やっべ逸れた……」

一人乱戦の中で、孤立していた。血気盛んに勢いで突っ込んだはいいものの、適当に馬を走らせていたから普通に北是ともは逸れてしまった。
その事に気付くも、しかし何をどうすればいいのか、戦闘は完全にモヒカン任せなので手持無沙汰になった山本は、とりあえず真っ直ぐ進んでいくことにしたのだった。だが、馬はそんな山本の気配を感じたのか足取りを緩め、「寒いじゃねえかボケ」と抗議の鳴き声を上げている。
ぽっかりと空いた戦いの空白地を、山本は一人行く。

「ん?」
「あ」

適当に真っ直ぐ進むと、当然ながら本陣の最深部へと辿りつく。そしてそこには、とうぜん本陣を守る最終防衛とでもいうべき兵もいる。
暇な感じ丸出しで進んで来た山本の、とても奇襲をかけて来た側とは思えない雰囲気に一瞬判断が遅れたアステカ軍の近衛兵。二人はしばし、見つめ合う。だが、先に現状を把握した兵士が銃剣先を突きだしてきた。

「うおおお!!」
「ぎゃああああああああ!?」

襲いかかられて、みっともない声を上げる山本。たずなを適当に引っ張って、とにかく逃げるように馬へ催促。だが、乗馬レベル最低ランクの山本の適当な操作にとうとう堪忍袋の緒が切れた馬が暴れた。

「ウワッ!?こ、このクソ馬!!」


お荷物を振り落とさんとするかのように、激しく暴れる馬。そしてそれに対抗する能力がない山本は、見事に吹き飛ばされる。放物線を描いて飛んでいき、そして何か柔らかいものに着地。
それは何かを満載にした馬車の荷台だった。幌が付いていて、雨に濡れないように対策が施されていた。山本は運よく、僅かに空いていた幌の隙間から荷台の中に放り込まれる形で落下したのだった。柔らかい荷物がクッションになったおかげで怪我もない。

「いてて……なんだか知らんけど馬車があって助かった」
「将軍! 空から敵兵が!」
「ッ!」
「ん?」

そこで山本は、周囲とは明らかに違ういかにも「偉そう」な格好のオッサンと目があった。
オッサンは明らかに動揺していた。

「な、なんでよりにもよってそんな所に……」
「へ?」

上手く頭の回路が働かない山本は、つい呆けた返事を返すが、オッサン達――というかコルテス将軍とその周囲としてはまさに絶体絶命のピンチでもあった。
恐らく彼らは、自らの死を覚悟しただろう。というよりもむしろ、状況はアステカ側にとって絶望的である。この後も使う大切なカノン砲が、一つ、また一つとモヒカン達の手によって破壊され、それらを守る兵は戦意を喪失し敗走し、全軍を指揮する将軍が今まさに騎兵の突撃によって本陣ごと包囲されようとしているのだから。あと数分の内に、砲台と本陣はモヒカン達の手によって完全に制圧される。誰が見ても、すでに投降を考えるような状況下にあったのだが、なんと基本ノリで生きている山本以外に、状況を正しく認識できない者がもう一名存在した。その存在は、誰よりも早く再起動し、手に持っていた剣を振りかざし、そのまま山本に切り込んでいった。



「キエエエエエエエエイ!」
「ファ!?」

紙一重でその斬撃を交わした山本の目の前に立っているのは、モヒカン達とは違うベクトルの半裸蛮族男だった。ボディーペイントと頭の羽飾りが雨にぬれて心底冷たそうな、顔面傷だらけのおっかない顔の男が歯をむき出しにして笑いながら立っていた。
山本はそれを、パクパクと金魚のように口を開け閉めしつつ尻もちを突きながら見上げているしかなかった。

「大使殿!? え、援護をッ!」
「コルテスよ手を出すな!! この小僧は――――」

コルテス将軍が手近の兵士に何かを命令しようとした瞬間、その半裸の男である元在オリーシュ大使にんまりと哂う。白い歯を見せ、獰猛な獣を思わせるような酷薄なほほ笑みで以って宣言した。


「――――某の獲物だ!」
「!!」

その言葉に雷に打たれたような反応をした山本。それはほぼ反射的な行動であった。図らずも転んだことで手に握ることとなった泥を思いっきり大使の顔めがけて投げていたのだった。そして山本は流れるような間髪入れない行動で男との距離をとり、さらには足元に転がっていた銃剣付きの小銃すら手にしていた。まさに本能が脳に先立って最適な行動解を叩きだしたかのようなスムーズかつ無駄のない動きだった。あるいは火事場の馬鹿力か。
が、しかししょせんは本能に基づく無意識な行動の結果。

(え、あれ? このあと……どうすんの!?)

何となく銃剣先を前に突きだしてみたところで、我に返った山本はこの先どうすべきか、分からなくなった。額に流れた冷たい水滴は、きっと雨だけではないだろう。







「報告! アステカ軍後方にて、乱れ有り! 騎兵らしき一部隊に強襲された模様!!」
「何だと!?」
「つ、ついに援軍が来てくれたのか!!」

都市セッキョーに設置された守備側の本部にて物見の兵士から伝えられた情報に、近衛ユウは喜びの声を上げた。既に戦力の過半数以上を喪失し、今日一日を持ちこたえられるかどうかという極限状態にあったセッキョー守備軍にとって、援軍到着はまさに極上の吉報だった。すでに陥落を覚悟し、如何に敵の勢いを削ぎつつ被害を抑えるかに意識を向けていたユウには福音であり、それも敵本陣を奇襲すると言う英雄的な登場をされたものだから、近くでその知らせを聞いた幕僚達も、お互いに抱き合いかねないしゃぎっぷりであった。

「ただ――その、しかし……」
「……? どうしたのだ?」

だが、その知らせをもたらした兵士は、なにやら歯切れの悪い言葉で言い淀む。発言に何か迷いがあることを察したユウは、続きを促した。


「それが、その騎兵はどうにも近衛の騎兵ではないのようなのです……」
「は?」

それは誰の言葉だったのか。オリーシュにおいて騎兵は近衛騎兵隊以外にはあり得ない。だからこそ、騎兵の登場に、だれもが元帥が率いていた近衛騎兵隊の到着を察したからこそ、皆が喜んだのだった。だが、それが違うと言う。

「――――とにかく、実際に見てみよう」

ユウは、混乱する幕僚達を尻目に部屋から出た。そして本部が置かれている大学校舎の屋上まで駆けあがり、そこで控えていた数名の物見兵から望遠鏡を借りて、その謎の騎兵が現れた方向を向けた。雨を気にせず覗いたその先で、この場に在ってはならない者を見た。

「そんな……!」


かつて南方の小大陸で出会った、非合法組織を結成して現地政府を悩ませた罪人。異世界の未来よりやってきた来訪者。とても悪人には見えなくて、戦禍に巻き込まれる前にこの世界の故郷へ送り出した外国人。そして……初めて自分が自然体で話す事が出来た、歳の近い少年――――神聖オリーシュ軍の制服を着込んだ、山本八千彦の姿だった。そしてその山本が、よりにもよって今まさに命の危機にひんしている、絶体絶命の光景が望遠鏡を通して眼前に映し出されていたのだった。



[40286] 近代編 復活の朱雀6 そして伝説の始まり
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:95ce0ae2
Date: 2018/04/16 01:33
天候は雷雨。滝のように流れる雨と低く響く雷の気配の中で、男達は戦っている。馬の嘶きと悲鳴、怒号、助けを乞う言葉、流血と雨で瞬く間に体温を奪われた骸……それら一切を内包している。
そんな環境下にあって、山本と逸れた北是少尉の戦いもまた始まっていた。

「砲! 砲! 砲だ! それ以外は無視してとにかく敵カノン砲を破壊しろ!」
「ホウってなんだあ? 鳥かあ!?」
「アレだよアレ! あの木の車に乗っている金属の筒だ! 木の部分だけでもいいから叩き壊せ!!」

馬上から、声を張り上げて指揮を執る。本来ならば山本が行なうべき諸々の仕事を代行していた北是は、戦闘であってもそつなくこなしていた。自分達が背後から強襲した部隊がどうにも攻城の主力である敵カノン砲部隊である事、そして数が少なく唯一の砲兵隊である事をすぐさま察知し、敵から火力を奪うことを最優先する。
モヒカン達が馬に乗って敵兵を追い回す一方で、カノン砲の木製の台車部分を破壊していく。砲は言ってみれば鉄の塊であり、筒だ。これを運ぶのも発射するのも、砲の台車部分――すなわち砲架がなければ始まらない。砲架が存在しない砲など、ただの鉄屑に過ぎない。この時代の戦争は歩兵、騎兵、砲兵の三つの兵科が戦争の勝敗を決していたが、とりわけ城攻めといった防御施設を破壊する戦いにおいては、砲兵が放つ遠距離からの火力がなによりもモノを言った。そしてこの火力が野戦においても支援と言う形で大きな力を生む事も。だからこそ、北是は最優先でその火力を奪う事を専念させたのだった。
その際、逸れてしまった山本の事は思考の脇において、目の前の仕事に集中する。モヒカン達が其々の方法で砲架を破壊していった。手際はハッキリ言って悪いが、それはある意味仕方のないことだった。彼らも、そして北是も同様にこのような戦いは全くの未経験なのだから。むしろ、そのような素人集団でありながら着実に戦果を上げているのがおかしいくらいだった。

(早く、早くっ…………ッ!)

そんなことを理解しつつも、北是は焦りを感じずにはいられない。もっと早く、敵が体制を立て直す前に速やかに敵を弱体させなくてはと焦る。北是はその焦りを早速、砲を守ろうとする兵士でもって発散させることにした。馬を嗾け、サーベルを振り上げて疾走する。自身に向かってくる騎兵の存在に気がついた兵士も、銃剣を構えて迎え撃つ構えを見せる。

「くたば――――っ」
「お前が死ね!!」

血の帯を引きながら、雨空の向こうに放物線がひとつ出来あがる。シャンパンのコルクが抜けるように飛んでいく兵士の首は、やがて万有引力の法則に従って地面へ。後に残るのは眼鏡に付着した血痕。だがそれも元々突いていた雨粒が混ざり合って消えてしまう。一瞬だけ視界が赤く染まるのを、北是は裾で軽く拭って解消すると、不意に誰かが大声を上げた。



「おい! 前の方に派手な服を着た連中がいるぞ! やるか!?」



順調に大砲を乗せた砲架を破壊していく中、一人のモヒカンがそう叫んだ。とっさに顔を上げて前を見つめると、雨に隠れて味方の方向へ――この場合城攻めをしている歩兵部隊に向かって―――逃げて行くアステカ軍の将校の姿を発見した。服装的にかなりの高位、おそらくは遠征軍を率いる将官クラスで在ることを看破。そしてその瞬間、北是は決断を迫られた。

(どうする? このままカノン砲破壊に専念するか、それとも敵将を捕らえに行くか……)


敵は突然の奇襲に混乱しており、事実大切なハズのカノン砲はほとんど即席と言った体の守備隊を撃破した後は丸裸も同然の状態にする事が出来た。そして混乱は現在も継続中であり、組織だった抵抗は無く、孤立した兵が個人的な武勇を頼りに点々と抵抗を続けている程度だ。これならば、じきに全てのアステカのカノン砲を破壊できるだろう。
だが、ソレをしていれば敵将は味方の部隊に合流してしまう。そうなればもはや将軍の捕縛は不可能となってしまう。
ならば将軍の捕縛が今ならば簡単化と言うと、はたしてそれも怪しい。将軍クラスならば身の回りには精鋭が護りを固めるハズだ。もし万が一それらに阻まれてしまい将軍を取り逃がしてしまえば、その分カノン砲を潰せる時間を浪費してしまうこととなる。
奇襲はいつまでも効果を持続できない分、時間が膨大な価値を持つ。その価値を投資した分のリターンがあるかないか、要するにこのまま手堅く戦いを有利に持っていく布石に専念するのか、それとも一気に戦いを終結させる勝負にでるのかの違いだった。

(どうする……どうする?)

北是少尉は、降って湧いた重要な決断にしばし逡巡する。自分の判断が祖国の命運を決めるかもしれないと思えば、そう易々と判断を下す訳にはいかない。リスクとリターン、失敗した場合のリカバリー等をあれこれ考える中、ふと頭に浮かんだのは、幼き日の、とある女性に関する記憶だった。

『私、勇気がある大人の男の人が好きなの。ごめんね坊や』

あれは何時の日のことだったか。前後の記憶も定かでない曖昧な在りし日の情景で、そのような事を言われた事があった。多分、自分はその恐らくは年上の女性の事が好きだった。まだ物心がつくか付かないかの頃であったから、多分好きと言っても男女のそれでなく憧れのようなものだったのかもしれない。あるいは、子が母に懐く様な気持だったか。
北是には、母親が居ない。まだ赤ん坊のころに病死してしまったから。故に、女性という存在になにか神聖で尊い何かを強く感じる人格になってしまった。それは北是自身にも自覚があるが故に、その発言に対しても、子供なりにとりわけ敏感に反応してしまっただけなのだとも理解している。だが、しかし。それでも。

「総員傾聴ぉおおお!」

その言葉は自己を縛る。情けないと思われたくない、臆病となじられたくない、人に――ナメられるのは我慢できない。

「砲の破壊を中止! 総員前方に向かって攻撃せよ! 目指すは敵将――あの派手な服を着た男に向かって突撃!!」
「「「ヒャッハアア!!」」」

奇声を上げながら、それに突き従ったモヒカン達は、逃げ惑うアステカ兵を馬で踏み倒しながら再度突撃していった。




「見つかったか!?」
「……はい将軍。そのようであります」

即席の防衛線を突破された後、僅かな護衛と共に退避しようとしたコルテス将軍は、ついに自分が敵に補足されたことを悟った。先ほどアステカ人特有の病気を発症した大使殿であったならば喜んで迎撃戦を行なってくれただろうが、彼を置いて逃走中のコルテス将軍には、すでに数人の兵士しか手元にいない。
先頭にはオリーシュ軍の制服を着た若者が、馬に乗って真っ直ぐ自分の方へ向っている。その背に多数の部下と思われる騎兵がつき従えている事から考えて、目的は自身の捕縛、もしくは排除であることは誰の目にも明らかだった。そしてその場合に導かれる結論も。

(負けた、のか……?)

コルテス将軍は、苦悶の顔で敗北を認めた。序盤を優位に進めた遠征軍が、たった一手の奇襲でよもや虎の子のカノン砲部隊を蹂躙され、敗北寸前にいたるなど誰が予想しただろうか。もしも予備兵力を残していれば、もしもあの時、毅然と総攻撃のタイミングは自分で決めると主張していれば、もしも後一日進軍のスピードが早ければ、もしも、もしも……そんな風に、頭の中であり得た可能性を夢想するコルテス将軍。


(いや、そもそもこの遠征自体が最初からおかしかった。一国を攻め込むには足りない兵力。護衛もない航海に、唐突な出征命令……)


頭の中で沸き上がる疑問。本当は当初から感じていた違和感を改めて認識するも、現実は非情。いくら考えた所で起こってしまった結果は覆らない。覆らないならば、せめてまともな敗北に着地させるのが、いまのコルテスに残された最後の仕事だった。

「降伏を――――」
「それはいけませんよ将軍」

白旗を準備させようとした将軍に待ったをかけたのは、自身を守っている護衛のひとりだった。その兵士は雨にぬれた顔で、それでもなお何かを受け入れたような顔つきをしていた。みれば、身の回りの兵の全てがそうであった。彼らは一様に、将軍であるコルテスを見つめていた。


「大切な火力の喪失。これではもうまともな戦争は出来ません」
「であるならば、現状敗北は必至であります。が、それでも突っ張らなければならないときがありましょう」
「それには、将軍がこちら側にいてくれなければ見栄を張ることもできません」
「私達は今日までアステカの兵士として戦ってきましが」
「しかし、最後は我々の為に戦いたく思います」
「200年前の爺さんたちの負債で戦わされるのは、もうウンザリでありますから」
「死ぬときくらい、故郷の為に戦いたいのです」

かわるがわるコルテスに訴えかけて来る兵士たちの瞳は、口以上に語りかけて来る。故にコルテス将軍は、彼らの意志と、彼らがこれから行おうとしている事を一瞬の内に察してしまった。

「まっ……!」
「お逃げください将軍……パナマ万歳!」
「万歳!」
「我らが故郷! パナマばんざーい!!」

止める間もなく、兵士たちは口々に万歳を叫びながら騎兵に向かって生身で飛び込んで行った。


「捨て身の突撃だと! 侵略者共が殊勝な真似を……!?」

将軍を守るために決死の突撃を敢行してきたアステカ兵に対し、北是は驚愕しつつも冷静に事態を受け止めていた。なるほど、確かにその勇気と献身は讃えるべきものだろう。だが、世の中は勇気と献身だけでなんとかなるほど甘く無い。事実、これまで馬の突撃で幾人ものアステカ兵を蹂躙してきた。いまさら気合いだけでどうにかなるなどと思えなかったのだった。
しかし、北是のこの読みは外れた。

「パナマばんざ――――い!!」
「んなっ!?」
「ヒヒィーーン!!
「ヒャハッ!?」

先頭を走る兵士が、あろうことか馬の脚に思い切り体当たりしたのだ。これにより、馬は盛大に転倒し、それに伴い北是は宙に放り出された。更に、次々と兵士が同様に後続の騎兵へと捨て身の突撃を敢行し、落馬した者が続出してしまった。こうなってしまえば、騎兵の優位は完全に失ってしまった。

「っくそ! やってくれたなぁ……!!」

受け身を取ることでダメージを最低限に抑えた北是は、鋭い視線で倒すべき敵の姿を見定め、拳を握りしめて駆けた。先ほどまで持っていたサーベルは落馬時に手放してしまったので、武器は無い。故に素手で在ったがそれでも構わないとばかりに北是は絶叫しながら銃剣を構えたアステカ兵に向かって突進した。

「ハッ! 馬から落ちた騎兵など――――」

だが、そう言いかけたアステカ兵は次の瞬間には宙に浮く。襟首を掴まれ、引っ張られたのまでは認識出来た。だが、それから一瞬のうちにまるで風車のようにくるりと回転したと思ったら、自身の肉体は地に伏していたのだった。あまりの唐突さに何が起こったのか分からないという顔の兵士だったが、その疑問を解消する前に、首に全体重を掛けられて骨をへし折られ、息絶えた。

「生憎と、僕は騎兵じゃあないんで。だが……逃げられたか」

元々寡兵であったのが、馬への特攻で更に数を失ったコルテス将軍の護衛は、モヒカン達の怒りの逆襲によって瞬く間に駆逐されてしまった。だが、彼らの犠牲によって移動手段が奪われ、なおかつ貴重な時間まで稼がれてしまった。見れば、将軍の背は遠くにあり、今からでは捕縛も排除も不可能だろう。

「侵略者のクセに……」

北是は馬に轢き殺されてミンチになってしまった敵兵の姿を見ながら、複雑そうな顔で彼らの冥福を、ほんの少しだけ祈った。




――――そしてその頃山本はというと、絶賛命の危機に瀕していた。




「ハッ! ハッ! ハッ!――――ッ!!」
「どうしたあ!! 弱い! あまりにも弱すぎるぞ!?」

上、左右、そして掬い上げるような軌道で間髪いれずに振るわれる剣に、山本は必死に抵抗する。運よく手にできたマスケット銃を両手で構えて盾にし、ギリギリの瀬戸際で踏ん張り続けるも、すでに限界は近い。
冷たく激しい雨で視界は悪く、体温は徐々に低下し、指先の感覚は寒さと剣を受け止めた衝撃で既にしびれ始めている始末。いや、そもそも限界など最初の時点で既に突破していたに等しい。武芸の経験も素養もない山本が、目の前の戦闘民族の様な半裸蛮族に未だ殺されていないのは、つまるところ手加減に依る所が大きかった。

(コイツ――――楽しんでやがる!)

徐々に抵抗力を失って弱って行く獲物。それをジワジワとなぶり殺しにすることを楽しむように、山本が防げるか防げないかの境界線上で加減されているのだった。だからこそ今もなお、なんとか命だけは保っていられると言うのが現状だった。匙加減一つで首が物理的に飛ぶというのが正しい認識であるといえる。

「やはり戦いはいい! 交渉などというまどろっこしい真似をせずにすむ! 奪いたければ奪い、気に入らなければ征服する! ああなんと単純で分かりやすいことだ!!」
「ハアッ! ハアッ!し、知るかボケ!」
「だまれ弱者が囀るなあ!」

楽しそうに語る様に大して、抵抗するように怒鳴る山本。そして、その直後に唐突な蹴りで吹き飛ばされた。急な腹部への攻撃に、思わず蹲る。

「お前は死ぬのだ! お前は弱いから死ぬのだ! これがこの世の道理であり、混じりけのない真実!」
「うっ! うえ…………!」
「全く以って不愉快だ。これだけ鮮烈な奇襲を行なったのだからさぞ勇敢な戦士と思えばこの体たらく――――だがもういい。その心臓、我が神に捧げよう……!! 貴様の心臓は、まあせいぜい太陽を生き永らえさせるのに数秒分の価値だろうがな」
「ぅ……ク、クソ……」


こみあげて来る嘔吐感を強引に押し込めるが、もはや反撃するだけの力も残っていない。泥水にまみれ、至る所に切り傷を負い、衣類を血に染めている満身創痍の山本には、せいぜい悪態をつくのが精いっぱいと言う風に睨み上げる。だが悲しいかな、視線で人は殺せないし、身を守る事も出来ない。

(死ぬのか……こんなところで?)

頭をよぎったのは、死を受け入れるような考えだった。所詮自分は、チート転生者ではなかった、唯それだけなのではないかと言う思いが徐々に脳内を満たしていく。だから仕方がない、死ぬときは死ぬ、主人公以外は物語に語られることなくひっそりと舞台から退場していく……そんな言葉が現れては消えて、そして再び現れる。


「貴様の心臓は、果たしてどんな色をしているのか見せてもらおう……!」


眼前で天高く降り上げられる剣。ああ、あれが降り下ろされた瞬間、自分の生命は尽きるのだと無理矢理にでも思わせる。雨にぬれた白刃のきらめきは、さしずめ死神の鎌といったところだ。だが――――

(ふっざけんなよ……!)

こんなに易々と自分を諦めるような男なら、山本はそもそもこんな所には来なかった。今頃逃亡用に宛がわれた船に乗って、ガタガタ震えながら外国へ脱出していることだろう。否、そもそもこの世界に降りたって最初の三日で野たれ死んでいた。今日まで山本を生かしたのは、結局のところ、馬鹿と紙一重の適応能力、及び強運以外にない。そしてその幸運とは――――――いつも最後まで自分をあきらめない者にこそ巡ってくる。
山本は強く思う。もしも自分が神からこの地に遣わされたのならば、こんなところで死ぬべき存在ではない。そう、もしも自分が――――

「本当にオリ主ならば! 俺は……!!」
「死ねい!!」

降り下ろされようとしている凶刃を最後まで睨みながら叫ぶ。そしていよいよというその時――――山本の視界は青白い光で満たされた。





もしも神がいたのならば、それは決して博愛主義者ではない――――と、北是は思った。馬を走らせ一心不乱に敵将めがけて殺到した結果、確かにアステカ遠征軍の将であるコルテス将軍を射程圏内に捕らえたものの今一歩のところで将軍の捕縛に失敗してしまった。そこから再度馬をモヒカンのひとりから調達し、ダメ元で追撃をかけようとした次の瞬間、途中でいつの間にか逸れてしまった山本の声を聞いた。とっさにその方向を見れば、数瞬後にはアステカ兵と思わしき敵に切り殺されようとするような際どい姿であった。

(あの馬鹿ッ!)

と心の中で悪態をつく。こうなってしまっては、もはや助けに行っても助からない。一秒と満たない時間で山本の生命を救う事は人間には不可能だと判断した。だからこそ、せめてその最後を見届けてやろうと言う気になった北是は、自分の心境にむしろ驚いた。自分と山本の関係は、お世辞にも良好とは言いにくい。むしろ憎み合っても別に不思議ではないくらいだ。だが、そう思ってしまったというのは、少なからず自分が臆病者にならずに済むよう、背中を押してくれたことに感謝しているからかもしれなかった。

(…………チッ)

あるいは、先ほど命がけで味方を逃がそうとしたアステカ兵の姿にらしくもなく感傷的になっているのか。
だが、そんな男は死ぬ。これも戦場の掟だ、せめて苦しまずに逝ってくれと祈りを捧げようとした時、奇跡――というよりひどい贔屓――が起こった。

たびたび繰り返すが、現在の天候は雷雨。そして、頭上にただよう雲は黒い雷雲で、さきほどから低い雷鳴を響かせている。いずれはどこかに落雷と言う形で放電するだろうと誰もが予想した。だが、はたしてそれが、特定の人物を助けるように落ちる確率は、数字にしてどの程度であるだろうか。
北是は、ぶすぶすと煙を上げる炭化した敵の姿と、その前で尻もちをついて放心している山本の姿を見てつくづく思った。もしも神がいたのならば、そいつはとんでもない贔屓を平然とするヤツだ、と。



戦場の喧騒は、しばし静寂に包まれた。相変わらずの激しい雨の音が全ての音を一切合財洗い流すかのように、降り注ぐ。遠く、アステカ軍の銃兵とオリーシュ軍の守備隊が懸命に戦っている様子を伝える音だけが、遠くから伝わるくらいだ。
皆が皆、目の前で起った現象を飲み込むために精一杯であり、この男、山本八千彦もそれは同様であった。

「雷……? 助かった……??」

呆けるように呟いた言葉が、全てを端的に表した。事実を抜き出して言えば、偶然落ちた落雷が、たまたま山本を殺そうと振りかぶられた剣に吸い寄せられ、その持ち主が感電死したことで山本が結果的に命を拾ったと言うところだろう。
事実、先ほどまで山本を嬲っていた敵は、黒く変色して絶命。タンパク質が焼ける嫌なにおいを発する以外の全てを停止させている。

「ふひっ!」

知らず、山本の口から奇妙な声が漏れた。余りにも出来過ぎた状況に、喜んでいいのやら怒っていいのやら、あるいは呆れればいいのか分からなくなった。周囲があり得ぬ事態から立ち直って再び騒ぎ出しても、山本は湧き上がってくる良く分からない感情に翻弄されるばかりで、脳みそが稼働する事は無かった。ただただ、不可思議な感覚にとらわれるばかり。

「おい煉獄院! さっさと乗りたまえ! これから味方に合流する!!」

そんな風に誰かの手に引っ張られて馬に乗せられ、馬にゆられながらどこかに行く。いや、味方に合流するのだから都市セッキョーを守る守備隊がいる方向なのだろうが、山本の頭は決してそれを認識するだけの機能を取り戻してはいなかった。ただ流されるままに、促されるままに動く。そしてそれは、突如現れた騎兵隊に背後を突かれたことで混乱したアステカ軍銃兵の中を無事突破するまで続いた。











「誰か!」

と、誰何の声を聞いた北是が事情を説明した頃。本部から単身飛び出した影があった。近衛ユウだった。

「だ、大丈夫か? おい!?」
「――――あ」
「怪我は痛まないか? その格好は……?というか、どうしてここに? いや待て、何から聞いたものか私も分からないが、とにかく大丈夫なんだな!?」
「お、落ちつけよ。俺はただ助けに…………」


ユウは放心状態の山本に駆けより、その身体を揺さぶって安否を気遣う。その突然の行動に面喰う北是だったが、遅れて現れた幕僚に事情を説明されると、慌てて馬を下りて棒を飲んだ様な直立不動の敬礼を行なう。だが、ユウは本来それにたいして敬礼を返さなくてはならない事を忘却し、ひたすら山本の身を心配していた。
ひどく取り乱す近衛と、夢見心地のように目の焦点が定まっていない少年。この二人のやり取りを不思議に思った幕僚は、現状が現状なだけに「とりあえず中に!」という言葉を言おうとしたその時――――俄かに雨がやんだ。そして雲の切れ目から、一筋の光が差し込む。別名天使の梯子とよばれるソレは、いまだ急転直下の事態についていけない末端のアステカ軍とオリーシュ軍が激しい戦いを繰り広げているその場に、まるで戦いの終結を知らせるように降り注いだ。

「あ、そうか――――」
「え?」

その時。はじめて納得が言ったかのように山本の口から確信めいた響きを持った言葉が発せられた。自分達の本部が壊滅状態にある事がアステカ軍全体にようやく伝わり始め、それによってアステカの攻勢が止まったことで徐々に戦闘が停止。そして同時に降ってきた美しい自然現象に両軍の将兵が一瞬心を奪われていた間にも山本に意識を切らさなかったユウだけが、その時のささやかな声を拾う事が出来た。

「何もかもが理解できる。命の意味、神の意志、そして俺の運命……俺が生き残って、アイツが死んだのはすべてそういうことなんだ。弱いとか強いとか、そんなチャチなものじゃ断じてない。これは――――天命だ」

山本はタチの悪い熱病か、はたまた天使の啓示をうけたかのような顔だった。だが、不思議と声には明確な理性が宿っているようにも感じられる。一体どうしたのだろうか、と先ほどとは別の意味で心配になってきたユウはとりあえずと言う風に、山本を馬から下ろす。その際肩を貸したユウの耳が、再び山本の声を拾う。

「俺が……俺こそがオリ主だ。やはり、オリ主だったんだ……!」
(オリヌシ……天に愛された者という意味の古代語――――いったい山本は何を?)


戦いの緊張は、急速に弛緩していく。両軍が両軍とも、これ以上の戦いはないだろうと直感していた。そして事実そうであり、カノン砲をほぼ喪失したアステカ軍にはこれ以上戦争を継続して勝ち抜く目は無い。逆に、限界ギリギリのオリーシュ軍側も追撃は無い以上、あとはタイムアップを待つのみとなる。それはつまり――――オリーシュの粘り勝ちという結果をもたらす。
ギリギリの所で敵の攻撃をしのぐ事に成功したことでほっと安堵するオリーシュ軍の中、この二人だけが世界に取り残されたかのように、存在した。
片方は、授けられた天命に心を震えさせ、もう一人はそんな相手を心配そうに見つめたのだった。

――――――――だが、本当の戦いはこれからである事に気が付いている者は、この場には誰一人としていなかった。長きにわたる平穏が破られ、狂気に満ちた「世界」への入り口に自分たちがいるということを、知る由もなかったのだった――――――――



[40286] 近代編 幕間 
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:95ce0ae2
Date: 2017/02/07 22:51
「おい、もう一度言ってみろ」

停泊中の軍艦、その中に設けられた病室の中で底冷えのするような男の声がする。男は面会謝絶であることを良い事に本来は病人の為の一室を丸々自分の為の執務室に変えてしまっていた。仮病であるばかりか本来ならば許されない暴挙であるが、男が軍の元帥という階級であることと、船医と結託した結果看過されている自体であった。
そんな半分部屋の主の様な振る舞いをしている男は、目の前の若い青年秘書官に再度問い質す。一体何があったのかと。
そのあからさまに不機嫌な顔にひるみそうになりながらも、彼は男の秘書官であり、かつ共犯者という立場から、改めて自分達の所に降って湧いた報告を読み上げる。その際、報告書を逃げる手が微妙に震えた。

「……一日前、アステカ遠征軍が大規模な攻勢をしかけ、都市セッキョーの守備隊と交戦。一時はアステカ兵の侵入を許すもこれの撃退に成功し、以降の防衛に成功す。最後はウルル公国からの義勇軍が、アステカ砲台陣地とその本陣を背後から奇襲し、敵は砲火力と指揮能力を大きく損失。その直後にアステカ軍は一時撤退、現在はセッキョー北部の無人地帯を占拠中なり――――」
「ふざけるな!」

一息に読み上げた報告の内容に怒り心頭の元帥。そのまま顔を真っ赤にしつつ読み上げた青年から報告書をひったくり、乱暴に丸めて足元に叩きつけた。丸くなった紙は乾いた音と共に部屋の隅に転がって行くが、ソレに注目するだけの余裕は二人には無かった。唯一それに気付いた病室の主、即ち船医は皺だらけの顔でそんな二人に視線を向け、そして不気味に笑う。


「軍記物語であるまいし、寡兵が大軍に勝てる道理などある訳がない! それが! よりにもよって! あんな蛮族連中が勝利に大きく貢献だと? 一体どこの誰だ! こんな恥知らずな報告を送って寄こしたのは!」

とにかく不愉快極まりないと吐き捨てる元帥。彼が不服に思ったのは二点。まず初めが、彼が最初から捨て駒どころか賑やかし程度にしか思っていない自称義勇軍の連中のまさかの大活躍で戦いが勝利に終わった事。そして、というよりもこれが最大の理由ではあるが、自分の活躍の場を丸ごと奪われたことだった。
本来ならば、彼は現在集結しつつある海外派遣軍でもって陥落した都市セッキョーを奪還し、歴史にその勇名を刻むハズだった。だからこそ最初から都市を見捨て、その責任を追及されないために自作自演の暗殺未遂事件を演じたと言うのにこの結末では、それこそ道化、すなわちピエロである。

「何処のどいつが我の代わりに指揮を執ったと言うのだ! 敵に出血を強いたらほどほどのところで撤退するのが兵法の常道だろう! そもそも最後まで士気が保つハズが……」

そして誤算がもう一つ。古来から籠城戦は兵士の戦意をどれだけ長く保たせるかが重要な要素を占める。大軍に囲まれた兵士達が見通しのない未来への絶望感に駆られ、内側から崩れて行くからだ。
それこそ自分や皇帝の様な、この国で最も尊い血を引く最上位クラスの者がその場にいない限り、見捨てられると思った兵達が脱走して戦線の崩壊を招く。

「その、守備隊の士気は最後まで軒昂であり、それは元帥の御子息のおかげであるとの報告も」
「なに……ッ!?」

その報告に、今まで激怒に顔を変色させていた元帥が意表を突かれたかのように表情を一変する。怒りを通り越したかのような、あり得ぬものを見たような呆けた顔になる。が、それもほんの一瞬。次の瞬間には再び不都合な現状に激昂するのだった。

「元帥閣下の御子息が指揮官を勤められ、その御姿で以って兵の敢闘精神を――――」
「うるさい黙れそんな事は聞きたくもない! だいたいアレはおん……」
「?」
「ッチ……それよりもだ! これでは我の立場がないぞクソ!」

慌てて言い繕う元帥。だが、実際問題としてそういつまでも怒鳴り散らしている訳にもいかなかった。何せこのままでは、大事な時に寝込んでいた間抜けという謂れもない誹謗中傷があるかもしれないからだ。英雄としての栄光は歓迎しても、面白おかしく揶揄されるのは我慢できない。一応は敵からの汚い謀略のせいということで体面はもつが、民衆と言うのは結果が全てとでも言いたげに成功者を持ち上げ、失敗したモノを足蹴りする。この場合、自分の子供が持て囃され、親である自分が蔑にされるなど絶対にあってはならない事だった。特に、英雄願望の激しい近衛元帥にとっては。



「イヒッヒッ、イヒッイヒヒヒヒ――――」
「……なんだ、何か言いたげだな」

そんな時、不意に聞く者を不安と不愉快な気分に陥れる笑い声が響く。そのやせ細った喉から、堪え切れないと言う風に笑い声を上げる老船医に視線が集まる。
元帥から責められていた秘書官もまた、その年齢不詳な魔法使いの様な不気味な老人に視線を向けた。

「イヒッ! 短気は損気といいますが、あれは本当だなあと思いましてねぇ」

老船医の手には、先ほど元帥が丸めて床に叩きつけた報告書があった。その手に負けないくらい皺の広がった紙の一部を楽しげに読んでいるのだった。
そして、その一部を元帥と秘書官の双方にしかと指し示して見せた。

「アステカ軍側は降伏を水面下で打診中、と。ほら……」
「それが何だと……」
「まだ戦いは終ったわけじゃあないと」
「……」
「古今東西、偉業を塗りつぶすにゃあ、それ以上の偉業で以ってというのが通例というもので」
「…………詳しく話してみろ」
「イヒヒッ――」


再び愉快そうに笑う。底が見えない暗闇を覗くかのような気味悪さを漂わせ、一体何を考えているのか外からでは窺えない魔法使いの様な老船医は、まるで古の英雄を誑かす悪女の様な声色で、ゆっくりと自分の考えを語った。それに対する反応は二通り。無謀すぎると呆れるものと、天啓を得たとばかりに喜色満面。むろん、前者が青年秘書官で、後者が英雄を夢見る元帥であることは言うまでもない。












太平洋の向こう、北アメリカ大陸の覇権を握るアステカ帝国が首都テノチティトラン。その玉座の間にて君臨する帝王は、跪く部下とただ一人対峙して、甚だ不満そうにその報告を聞き届けた。
小さな明かりしかないこの場所に在って、アステカ皇帝モンテスマ三世の姿は一層不気味に映る。

「――――遠征軍は次手を打てず。現状から考えて、既に敵地の占領は不可能かと」

それは、遠く異国に送り出した遠征軍が敵の都市の攻略に失敗し、無様にも立ち往生していると言う笑い話にもならない話だった。戦士たるもの勝つか、さもなくば役立たずとして死体を晒すべしという考えのモンテスマ三世にとってしてみれば、面白くもなんともないことこの上なかった。

「ムゥ……なるほど、よおく分かった。下がれ、追って指示を出すッ……!」
「ハッ」

モンテスマ三世はそう言うと、手を払って報告に来た者を追い出した。これにより、玉座の間にはその主のみとなる――――かに見えた。小さなかがり火以外に光が差さない薄暗い闇の中、もう一人居る事に先の者は気付く事が出来なかった。

「クックックッ……どうした……しけた顔してっ…………!」
「ウヌ――――いたのか……!」

闇の中からしみ出すように、ぬるりと現れたのは、若者というには余りにも年齢を重ね、老人というには余りにも覇気が溢れる男だった。その高い身長もあるが、なによりも目を引くのは、身にまとう空気だった。命がけのギャンブルに興じる危険な博徒のような鬼気迫る雰囲気をこれでもかと醸し出しているのだった。

「どうやら賭けはアンタの旗色が悪いらしい……さあどうする……賭け金を上乗せするか、それとも降りるかっ……!!」
「下らぬ!」
「……そうかいっ――フフ……」

挑発するような男の言葉を、一言で切って捨てる。だが、それでも男は薄く微笑みを浮かべたままじっと見つめてくるばかり。闇に同化するようにしつつ値踏みするかのような視線を向けて来るこの男に、モンテスマは内心で動揺するも、それを抑えて咆える。

「ヌウ!! 賭けと言うのならば、こうして彼奴らに宣戦布告をしたことで既に終わっておるのだ。かの国に戦いを挑む事、それがそちらの出した条件ではないかブリタニアの大使よ! 忘れたとは言わせぬぞ!!」
「ククッ……ああそう言えばそうだったな……!全く以ってその通りだ……」


男――改め在アステカのブリタニア大使は昨日食べた夕飯のメニューを指摘されたかのような気楽さでモンテスマの発言を肯定した。
そう、先の神聖オリーシュ帝国への遠征は、アステカ帝国が主導した訳ではなかった。外交によって第三国から嗾けられたことで発生した戦いであったのだった。その第三国というのがブリタニア王国――――ヨーロッパに存在する海洋国家だ。

「いいぜ……これでアステカと我が国は同じ船に乗ったというわけだ」
「フン!」
「約束通り、海上戦力を出そう。大西洋でもカリブ海でも……ああ、あんたらのインカ遠征に1枚噛んでやるさ……!」
「分かればよいのだ分かれば!」
「見せてやろうっ……! ブリタニア海軍の力ってやつを……未だ攻め切れないインカ帝国との戦いに、我々が終止符を打つ……!!」


モンテスマは宿敵インカ帝国を滅ぼす事に苦心していた。だが、アステカの誇る精強無比な軍団は陸軍より。これではせまいユカタン半島を経由して南アメリカ大陸を支配するインカ帝国に攻め込むには余りにも非効率的だった。そこで考えたのが、せまい陸路ではなく海路で迂回して直接敵の領土に上陸し、大兵力を生かして領土を蹂躙すると言う計画だった。だが、この計画を実行するに必要な海上戦力の用意にアステカは手間取った。そんな時に接近してきた国が海洋国家であり海軍大国であったブリタニアだった。
ブリタニアは、インカ帝国への水先案内人を買って出る事の対価として、太平洋上の国、神聖オリーシュ帝国への宣戦布告を条件に出してきた。基本戦争が日常と化しているアステカはこれを即座に了承し、その結果下っ端としてこき使われていたコルテス将軍が遠路はるばる遠征に繰り出されたと言うのが大まかな流れだった。
だが――――



「宣戦布告をしたことで、もう終わっている……クックック……ッ! なるほど道理だ……だがそれだけだ…………! とんだお笑い草…………っ!」


玉座の間から退出した大使は、今まで以上に薄く唇を歪める。そしてその懐に手を入れると、一枚の紙を取り出した。そこに書かれている文章を見る度に、そして思い出すたびに可笑しくてたまらなくなるのだ。


『最重要機密 オリーシュ海軍、アステカ帝国領パナマへの奇襲攻撃を画策中につき注意されたし。アステカのインカ出兵を確認次第、新天地作戦を発動。なお、この紙は確認しだい破棄する事』

「クックック……どいつもこいつもなっちゃいない……! ちゃちな賭けにも勝てない凡夫に、相手の後ろを刺すしか能がないケチな博徒……!」


少し考えれば分かる事。なぜ、ブリタニアはアステカ帝国にオリーシュを攻めさせたのか。同じ海洋国家として存在が邪魔だったから? 単純に気に入らなかったから? いいやそのようなことではない。ブリタニアが最初から目を付けていたのは、遠く離れた小大陸の領地などではなく、目の前の広大な領土――――すなわち北アメリカ大陸だった。その為には、何としてでもアステカなる国を排除しなければならない。新天地作戦とは言うなれば、アステカ征服作戦であり、全てはその為の布石だったのだ。
同じ船に乗ると言ったが、友好的とは言っていない。インカとの戦いに終止符を打つと言ったが、共闘するとは言っていない。何でもいい、とにかく邪魔なアステカ兵をどこかに追いやれば、隙などいくらでも突ける。要するに戦争している相手の後頭部をいきなり殴りつけ、火事場泥棒をしようというのが本質だった。
だが――――

獲物を罠にはめようとほくそ笑む猟師が、どうして他者から狙われないと言い切れるのか。苦労して仕留めた獲物を、どうして横から奪われないと断言できるのか。誰かの後頭部を殴りつけるのは、決して自分達だけの特権ではないとでも言いたげに、男は静かに闘志を燃やし、成功すれば一国を、負ければ全てを失うギャンブルへ参加する意欲を燃やし始める。

「いいぜっ……! 両方まとめて飲み込んでやるっ…………たかが命一つで国を盗れるっていうなら上等っ……それがこの俺――――」


――――ジョージ・ワシントンのマニフェストディスティニー……っ!!――――








あとがき
みなさんお久しぶりです。瞬間ダッシュです。
さて、タイトル横にも書いたとおり、誠に私的な理由になるのですが、しばしこの作品の投稿を休止させていただく事に相成りました。明日よりおおむね三カ月程度はパソコンがほぼ触れない状態が続くので、そこからさらに書きためなどを行なう関係上、予想では約一年ほどの休止になると思われます。
ただ、エターだけはしないつもりですので、最低でも一年以内に生存報告等をさせていただく予定で在ります。
それではみなさん、それまでどうかお元気で。



[40286] 近代編 それぞれの野心
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:04a140f6
Date: 2017/02/07 22:51
一か月。先の都市攻防戦による戦いがアステカ側の敗北に終わってから、既にそれだけの時間が経過していた。その間、彼らは北の無人地帯まで後退することを余儀なくされ、そこで防御陣を構築して追撃するオリーシュ軍とのにらみ合いを続けていた。一応は国土を占領されていることになるが、追い詰められているのがどちらかは明白で、制海権を完全に握られているシド大陸近海を無事に抜ける手段もなく、さりとてここから都市のひとつでも奪えるほどの戦力も勢いもないアステカ遠征軍側は、文字通り進退極まっているというのが正直なところだった。
しかし、それでも強引に攻めつぶすには未だ多くの兵力を有するのがアステカ遠征軍であるから、オリーシュ側は交渉による解決で、相手側を穏便に追い出す事を目論む。これ以上無駄な流血を望まないと言う平和的な戦いの終結はアステカ側も望むことであるとして、両者の間で話し合いがなされることとなった。和平交渉用のテントの中で、アステカ側のコルテス将軍は、二人の若いオリーシュ人大使と対峙する。しかし、どうにも雲行きが怪しい。


「では、降伏に伴う条件について交渉といきましょうか将軍閣下」
「降伏? その言葉は適切ではない」


開口一番、オリーシュ側の大使が放った単語を、コルテス将軍は一笑に付す。両軍が展開する平原、そのど真ん中にぽつんと作られた天幕の内側は、一瞬のうちに緊張で満ちる。
コルテス将軍は唸るような低い声で、大使の双方を睨みつけながら続けた。立場的には弱いにもかかわらず、それを一切気にしないとでもいうような豪胆さだった。それに、若い二人は僅かにうろたえる。

「我々は未だ十分な兵力、潤沢な武器弾薬、そして豊富な食料を手にしている。こちらとそちら、話し合って双方納得がいくのならば撤退に応じても構わない、と言っているだけである」
「我々から奪った者だろうがこの敗残兵共……寝言は寝て言え……!」

その言い分に、頭に血が上った大使のひとりが両手をテーブルに打ちつけて、相手の胸倉を掴みかからんばかりの勢いで腰を浮かせる。いきなり攻め込んできた侵略者共の将というだけでも断罪に値する。それを穏便な形でまとめようという精一杯の慈悲の心を小馬鹿にされるのはたまらないというのが、正直な心情であった。

「ならば、もうひと一戦お望みか?」

ニヤリと、不敵に笑うコルテス将軍。まだまだ戦える、それが望みならばああ、いくらでも追加で血を見せてやろう。そう言外に凄んで見せる現職の将軍の圧力が沸騰しかけた場に冷や水を被せる。もちろん、コルテス将軍はそれをしたい訳ではない。しかし、「この男ならあるいは……」と思わせる事にこそ意義がある。つまるところハッタリであるが、嘘も信じ込んでしまえば、それはその者にとっての真実になる。交渉が決裂して再戦……それは絶対に避けなければならない。そこは双方が第一に優先すべきことだった。


「おい」
「――――ッチ!」
「……失礼した。まずそちらの希望をお聞かせ願いましょう」

卓上の戦いで、大使達は既に飲まれつつあった。二人で何とか冷静を取り戻した風であるが、その心が怒りと恐れで大きく動揺している。そして、その動揺を目ざとく察知したコルテス将軍であるが、もちろん相手側の弱みに配慮などする訳もない。一気に踏み込む。

「まず、本国までに必要な輸送船の用意。さらに賠償金を請求しない事。そして撤退時にはそちらの国境を解放し堂々と帰還できるよう融通すること。あとは……」
「待った待った! なんだその非常識で厚かましい条件は! ふざけているのか!?」

滝のように流れる、アステカ側にとって都合が良すぎる要求の数々。敗者がするものとはとても思えないその厚顔無恥っぷりに、別の意味で慌てる大使側。彼らは完全に主導権を奪われてしまっている。圧倒的優勢な側でありながら手玉に取られてしまっているのだが、彼らはそれにすら気付かない。この手の交渉における経験の無さが完全に出てしまっているのだった。それは、長年の平和による弊害ともいえるだろう。あるいは、単純な未熟さか。

「――――ならば、あとで諸条件を紙に書いて渡すので納得するまで相談していただきたい」

こうして結局、終始コルテス将軍優位の交渉は、再度場を設けるということで流れた。後日改めて、ということになった訳であるが…………実は交渉を早々にまとめる気などコルテス将軍側にはさらさらなかった。後日、つまりは時間を稼ぐことこそが真の目的であった。首尾よく目的を果たせた事に、将軍は去り際にそっと口元を上げた。







「はあ……終わったよ。ただ――――ゆすりたかりをしてきた気分だよ」
「その御様子では問題なく騙せたようですね。結構なお手前で、閣下」

自陣に戻ってきた将軍は、出迎えた副官を見て、ほっと肺にたまっていた空気を緊張と共に吐きだす。彼は、先ほどまでの顔とは打って変わって、いつもの冴えない中年に戻っているのだが、どこか罪悪感めいた感情を顔に浮かべていた。そして、先ほどの交渉での一幕を語る。

「敗軍の将がしていい態度と条件じゃないって……」
「ならば頭を地面にこすりつけて助命を乞えば助かるとお思いですか? 私ならば相手が心底困っていると判断して更に吹っ掛けるでしょう。具体的には身代金など」
「君、最初命乞いの言葉がどうのとか言ってなかった?」
「これが私なりの命乞いですがなにか?」
「良い根性してるよ」


先ほどの交渉は、ほぼ将軍の副官による筋書き通りであり、将軍はその役者であった。彼らは自分達の要求が敗者のするようなものでない、まさに我がまま放題なものであることなど百も承知の上で、先ほどの条件を並べ立てた。
ハッキリ言えば命乞いをしたい、しかし正直に助けてくれなどと言おうものなら容赦なくむしり取られるのは必定であったが為、副官はとにかく強気でいくように将軍に指示し、結果としてそれは相手の弱気を誘うこととなった。絶対に本国は自分達の身代金を払ってくれないという確固たる確信があるが故の、捨て身の戦法だ。

「そもそも、我々には勝手に撤退交渉を行なえるような権限などありません。もしこのまま本国まで戻るようなら、敵前逃亡で一族郎党皆殺しでしょう。故に、出来るだけ長く時間を稼がなければならないのです。その為には、容易に撤退を認められては困るのです」


色々な意味で、彼ら遠征軍は追い詰められていた。軍事的な問題はさることながら、政治的にも彼らはほとんど奴隷兵とでも言っていい待遇で、最初に本国から出された「敵都市の占領」以外を目的とした行動をとる事は許されていない。監視役が不運な死を遂げた以上この場でコルテス将軍達を処罰できる人間は存在しないが、だからと言ってこのままおめおめと和平して帰国する事などできない。
だからこそ、とにかく状況が好転するまでひたすら耐え忍ぶ以外に手はない。それこそ、アステカ帝国そのものが消滅ないし大いに弱体化して、彼らパナマ出身者達を武力で抑える事が出来ないくらいになってしまうような状況が起こるまで。

「随分と運任せだ。もし、向こうがシビレをきらして総攻撃をかけて来たら?」
「三度、いえ四度は問題なく退けられます。我々が相手側にとって、交渉で追い払えるならそちらの方が安上がりであると思わせるだけの兵力が我が軍にはまだあります。食料も、敵の都市圏から去る時に片っ端から略奪したので余裕もあります」
「…………ハア、自力で何とかする方法が無い以上、仕方がないか」
「運がいい事に、相手も交渉を打ち切る気配はないようですね。私たちの命運が尽きてないことを神に祈りましょう」
「ああ、なんでこんな目に……!」

頭を抱えて祈る将軍を横目に、副官はそっと懐に隠し持っていた密書を手で押さえながら、副官は考える。

(――――他人の都合によってしか生きられないならば、我々もとことん利用するまで。例え昨日の敵にわが身を売ったとしても、それで未来が買えるならば安いもの。そう思わずには居られませんね。しかしそれでも…………いや)

そこでふと、誰かの視線を感じ、その方向を向く。そこには、多くの兵士達が不安そうな顔で将軍と副官を見つめていた。下は十代半ばから上は五十代後半まで、軍隊と言う事を考慮してもあまりにも広い年齢層であった。それは、この度の遠征で無茶な徴兵を強要された結果である。おかげで、今のパナマは女子供と老人、さもなければ病人だらけになってしまっているのだった。

(ここが正念場ということですか……)

一瞬、あの事を相談すべきかと逡巡するが、思いとどまった。事が成功しようとも一生涯、秘しているべきであろう。ならば、自分の様な人間が胸にしまって滞りなく進めておくべきだ。
長い間、自分達はアステカによって消耗品のように使われてきた。この現状、出来るだけ多くの兵士達を彼らの家族の元に返し、将来を確保する事こそが、自らに課せられた使命なのだ。例え、身売りの如き真似をしようとも。













「アステカ軍が降伏するのは果たして何時か!?一日単位でなら最大賭け金の100倍だよ!! 有り金全部吐き出して賭けな、持ってけ泥棒!!」

さて、悲痛な祈りが行われている場所から遠く離れて。先の鮮烈な逆転勝利は、瞬く間にオリーシュ国民の知るところとなった。敵の攻撃に晒された都市セッキョー、そしてその周辺では未だ深い戦禍の傷跡が生々しく残っている一方で、戦いの影響がほぼ無かったその他都市においては、当初の電撃的宣戦布告の一報によって混乱していた市民達も次第に落ち着きを取り戻していった。しかしながら、初の対外戦争に巻き込まれたが故の恐怖や不安といったものが自国軍の勝利によって払しょくされるも、すっかり以前の状態へと戻るとはいかなかった。歴史ある神聖オリーシュ帝国が迎えた変化。それはある意味で順当、そしてある意味で不健全な代物だった。


「確かな情報筋から仕入れたんだが、今日にも撤退交渉が始まるらしい」
「…………本当だな? よし――――明日だ!! 撤退は明日にオッシュ金貨5枚だ! テメエ当たったら絶対に払えよなコラァ!」


――――戦争の娯楽化である。敵が攻勢から守勢へと転じてから一カ月。その間に市民達の興味はもっぱら戦争の経過へと注がれていた。
都市セッキョーの攻略を断念したアステカ遠征軍は、同都市から軍を引いた。これは遠征が失敗に終わり事実上の敗北が決定した瞬間であるのだが、しかし、制海権の問題で彼らは祖国に撤退する事も出来ない。アステカ軍は都市セッキョーの都市圏外ギリギリの位置にある丘陵地帯を占拠し、奪い取った資材で砦を築いて引きこもった、という情報も市井に流れ、進退極まった彼らと、続々と本国へ帰還してくるオリーシュ海外派遣軍が睨みあいを続けているというのはもはや国民の誰もが知っていた。

ほぼ一カ月変化のない情勢に国中が次の一手を注視しているのだが、これでも一応はまだ戦時下。国民生活は何かと不便が付いて回ったので、戦いの動向に関してはスポーツの試合を観戦するかのように楽しむ娯楽が生まれてしまった。それは、「自分達に被害が及ぶ事はもうないだろう」という確信と余裕から生まれたもので、特に最も戦域から離れ、加えて山脈によって北部と切り離されているここ帝都オリヌシではそれが顕著であった。合法非合法を問わず、敵の降伏日時を対象にしたギャンブルが流行し、広場や辻、果てはちょっとした空き地にも怪しげな情報屋が立って粗末な印刷物を配りつつ諸々の情報を売っていた。チラシには読み手の好奇心を煽るような見出しがでかでかと踊り、民衆はこぞって出どころ不確かな情報に群がっていた。
だが、それらはあくまで戦禍に見舞われなかった土地での話。街の至る所に戦いの痕跡が残るここセッキョーでは、傷ついた街の修復が急ピッチで行なわれていた。




「はあ……」

そんな復興作業中の街の一角にある宿の一室。ガラス越しに見える眼下の光景に自称オリ主は静かに溜め息する。
まるで教科書の絵にあるような明治初期の、西洋文化と日本文化が融合したような街――――その面影を見せる異国の都市は、至る所に戦いの痕跡が残っている。アステカ軍が撃ちこんだ砲弾で抉られた石畳や家屋を始め、市街戦の証とでも言うべき生々しい弾痕と赤黒いシミが至る所で散見される。
流石にバリケードの為に封鎖されていた小さな路地は開通されたものの、やはり目の前に在るのは戦争の痕跡である。そして、その跡は決して過去のモノでは無く、場合によっては別の場所で増え続けるかもしれないと言うのだから、切ない気持になるのも無理からぬ話だった。
だがしかし、ただただ現状に嘆いているのは無力な一市民だけの特権である。力ある者、義務ある者はより良い未来に向けて力を尽くさなければならない。
オリ主こと、少年山本八千彦はそっと部屋に備え付けの椅子に座り、目の前の机にうずたかく積まれたブツを見つめる。内装がモダンであるため、なにやら重要そうな書類に見えなくもないが。

『セッキョー州北部にて睨みあい続く。今月中にも再戦か?』
『交渉難航の可能性は大。某高級将校、いざとなれば強硬手段も辞さず』
『独占取材! セッキョー防衛戦に起こった真実とは!?』

「ハハッ……」

それは、彼が注文して用意させたかなり俗っぽい代物だった。このようなものが今ではセッキョー以外の都市では、はした金を持って街中をちょっと歩けば繁華街で配られるポケットティッシュのごとく簡単に集められるという。どれもこれも、対アステカ戦争における情報だった訳なのだが、恐らくこうしている間にも、有象無象の記者が何処からか収集してきたネタが絶賛印刷されていることだろう。そして戦地から遠く離れた帝都オリヌシでは、そんなものぐらいしか情報源がないのだから、戦争の様子を知りたい一般人はそれを読み漁るしかない。既に娯楽化した戦争の話しは、良質な小説だ。結局のところ、人は心のどこかでスリルを欲しているのだ。それも、絶対に自分に被害が及ばない範疇で。

だが、実際に戦いに参加した彼はそんな事をする必要などないし、別に面白いとは思えない。日本で高校生をしていた時は新聞など全くと言っていいほど読まなかったが、自身が首を突っ込んだ事件である以上は気にもなる。そこで、他の都市との交通が再開して物資が入り始めると同時にこれらの俗っぽい読み物を収拾したのだ。正直、自分の命がけの戦いを面白おかしく書き立てられるのが癇にさわらないと言えば嘘になる。だがそれでもこうして大量に集めてしまうのは――――

『謎の騎兵集団! アステカ軍後方を貫いた矢の正体に迫る』

「ククク……ハハハッ――――アッハッハッハ!!」

一言で言えば、自分の記事を見つけて悦に入るため、である。山本は愉快な三段笑いをかましつつ、チラシの中で自分のことが書かれた部分を目ざとく見つけると、せっせと切り抜いていく。そしてそれをノートにノリ付けして編集。「これ、いつか国宝になるぜ……!」
などと呟きながら、彼は自身の伝説を永遠に記録しようとみみっちい作業を続けるのだった。こんなことを朝から晩まで毎日していた結果、既に大学ノート数冊分の「偉大なるオリ主伝説の足跡」とタイトルされた黒歴史集が誕生している。その熱意を何故もっと有意義な事に使えないのかと説教をしたくなるだろうが、それは全く持って無駄である。なぜならば、本人にとってはこれが最高に有意義なことなのだから。歴史上の偉人の行いが詳細に記録されていたら、後の歴史家が大助かりだろうなあ、なんて俺は親切なんだ――――と、余計な気の回し様を発揮したに過ぎない訳なのだが、本人的には大真面目だから始末が悪かった。

「――――山本、失礼するぞ」

悪役顔で高らかに笑い声を上げていると、扉をノックする音。そして同時に、聞き覚えのある声が聞こえる。

「ハッハッハ――――ん、あ、ああ、どうぞ」

なんだかちょっと照れ臭い感じで少々顔を赤らめた山本だった。いつもの調子に戻るまで少々の時間を置いてから、その来客を出迎えた。声で既に分かっていた通りの人物が、和洋折衷の扉を開けて入ってくる。
山本の保護者的なポジションになんやかんやで収まらざるを得なくなってしまった、近衛ユウだった。相変わらずしっかりと制服を着込み、小脇に帽子を抱えていた。

さて、客観的には見事味方の危機を救った山本達なのだが、どうにも信用と言う点ではかなり怪しい存在だった。そんな連中がまさか街中を自由に闊歩出来る訳にも行かず、山本達はそれぞれの場所に歓待という名目で隔離されていた。もちろん、決して粗末な部屋に押し込められている訳ではない。特に山本の場合は士官待遇で、なかなかに上等な宿泊施設の一室を宛がわれている。カーペットと、小さいながらもシャンデリアが標準搭載である。これには臨時とはいえ司令官であった近衛ユウのはからいも多分に含まれていた。全くもって持つべきは上流階級の知人である。

「すまない。本当はもっと早くに来たかったんだが、なかなか時間が取れなかった」
「いやあ、別にいいよ」
「…………」
「…………それで、どうしたんだよ」
「まず、君に礼を言いたい。山本のおかげで、この都市と僕らは救われた。ありがとう、都市セッキョーを守る全将兵を代表して心から感謝する」

真摯な感謝の言葉。それには散々感じていた鼻高々な気分が吹き飛び、代わって清涼な空気を胸一杯に吸い込んだような清々しさを感じた。やはり、文章越しに顔も知れない第三者に持て囃されるより、顔見知りに直接「ありがとう」と言われた方がいいな、と山本は思った。
ポリポリと照れ隠しに顔を掻く。

「――――だが、どうしてこんな所に来た! もう少しで死ぬところだったんだぞ!!」

しかし次の瞬間、今までの緩い空気は吹き飛ばすような勢いで近衛は咆える。これには面喰う山本であったが、どうしても何も、本人にだって詳しい事は分からない。
友情、義憤、正義感――――何となくそれっぽい理由を並べて考えてみたものの、どれも適切ではない。
言うなれば感情が先走って気が付いたら身体が勝手に、みたいな理由が最も相応しい。


「……――――助けたいと思ったから?」

頭を捻りながら少し悩んだところで結局、難しいことは分からない。理屈をこねるには、少々頭の容量が足りないようであった。だからこそ、本心をそのまま言葉にしてみることにした。頭が悪いなりの方法である。

「俺自身が、まあ色々あったけれど結果的には恩を感じちゃった訳で、それに死んでほしくないなって思って、で――――みたいな……?」
「そんなあやふやな――――っ」
「いや、分かってはいるんだよ。だけど身体が勝手に動いたって言うか何と言うか? だけど、結局はそれが正しかった訳だ。ウン」


それは事実であった。確かに、オリーシュ軍がアステカ遠征軍を圧していた瞬間はあったものの、都市の陥落は時間の問題と言えた。市民達の予想外の働きによってかなり楽にはなっていたが、刻一刻と状況は悪化していった。援軍なき防衛戦で、数少ない戦力も徐々に削られたその果てに……責任者になってしまった近衛ユウは戦死するはずであった。ギリギリまで時間を稼ぎ、他の都市の防衛体制が確立されるまで粘りに粘って死ぬことは、あの時既に既定路線であった。迎撃態勢が整うまでの時間が得られれば、それが勝利ともいえた。
だが、山本の行動によって大きく変わった。都市は守られ、死ぬはずであった若者は生きている。いまでは国中どこでも戦勝の雰囲気に満ちているのだ。

「危険な目にもあったけど、それでも結果オーライってことで」
「…………――――この度の一件で、君は大きな功績を上げた。最低でも勲章の1つは送られると思うから、受け取ってほしい。これが現時点で出来る精一杯だ……」

そうキッパリと言い切られると、今度は近衛のほうが困ってしまった。自分のせいで死ぬような思いをさせてしまったという罪悪感と、命を助けられた弱みから、そう言うのが精いっぱいだった。無関係な外国人を危険にさらしてしまったものの、本人にこうにもさっぱり開き直られては、これ以上問い詰めるような真似はできない。


「ああそれでいいよ。今回は完全に損得なしでやったことだから」
「そうか。それで、これからどうする気だ?」
「これから、かあ……戦いが今後も続くんなら、このまま戦おうと思うけど」
「多分それは無いだろう。敵の侵略軍にはこちらに攻撃を仕掛けるだけの体力はもうない。既に和平交渉に入ったとも聞いている。むこうも、まさか最後の一兵になるまで戦うなんてことは言わないだろう」
「ふーん……(でも、そんなうまくいくもんかなあ?)」


戦いは終わり、平和になるというその言葉に、しかし山本はすんなりとは受け入れられなかった。戦争と言うものを歴史の授業、それもかなり大雑把にしか習っていないクセに、何故かほのかに香る戦の匂いを無意識化に感じとっているのだ。
年若い山本少年にとって、戦争とは近代日本のイメージが強いのだ。日清、日露、そして第一、二次大戦までの長い戦いの歴史。一回やって勝ってはい終わりとはいかない様な気がしてならないのだ。まあ、あくまで平成日本の高校生の感想でしかないが。

「でも終わりって言うならいいことだ、うん」
「――――ああ、そのハズなんだが……どうにも雲行きが怪しい」
「え?」
「先ほど密書が届いたんだが、多少の小競り合いがあっても良いから、とにかく別命あるまで敵の降伏を受け付けるなと言ってきた。主役ではない海軍でも、妙に動きが多い。漏れ聞こえる話では、敵の本拠地を占領しに行ったとも言う。それが本当ならば彼らは――――」
「え、ちょ待った。それを俺に言うのはヤバいんじゃ?」
「あっ」

ユウは、口に両の手のひらを当てて「しまった!」とでも言いたげに大きく目を見開いた。

「今のは聞かなかった事にしてくれ……」
「お、おう……」
「しまったな。君相手だと、どうにも僕は口が軽くなってしまうらしい」

軍事機密っぽい情報をポロリとこぼされて、逆に山本は恐縮してしまう。だがしかし――――なにやらきな臭い空気が確かに存在する様である。山本の嗅覚もなかなか捨てたものではないらしい。


「それじゃあ、僕はこれで。なにか困ったことがあったら、言ってくれ」
「ああ、またな」
「また」

バタンと扉が閉められて、再び山本は一人になる。なんだか急に部屋がさびしくなったような気がした山本は、ひとりになった部屋の中で、これからの事を考えた。
平和な異世界。どこか故郷に近い雰囲気を纏う国ならば、このまま観光でもしてからこの世界の日本に相当する国を尋ねて見るのもおもしろそうだ。異世界を旅するなど普通の人間が出来るようなことではない。戦場で無双と言うオリ主っぽいこともできた。あとは適当に旅行してまわるのもありだろう。そしてグルリ世界一周の旅でもやってその後は……その後?

「あ、あのぉ……お客様?」

そこまで思考を巡らせていると、先ほどとは違った遠慮深げに扉をノックする音と、若いというよりまだまだ少女という方が適しているような女性の声がした。彼女はこの宿の従業員で、たびたび山本の部屋に訪れては部屋の掃除などをやってくれている。今回は、なにやら封筒を抱えてやってきた。

「こちら、お届けものです」
「?」

立ち上がり、その場で改める。すると、中から数枚の紙と、やたらと飾りが付いた、格式ばった賞状のような厚紙が出てきた。それは無駄に達筆で、残念ながら山本には読めなかったが、これを運んできた少女には分かったようで、一目見てパアッと顔を明るくさせる。

「すごいです! これ、少尉への任官状ですよ!」
「へ……んん? え、じゃあこれで俺、あれ? 少尉殿?」

少ない知識でも、少尉というのが軍隊での階級であることも、いわゆる幹部でそこそこに偉い立場であることを知っている山本は、目をパチクリさせて自分に指を差す。

「はい! あの、お客様がこの前の戦いで、みんなを助けてくれたって、お店の人から聞きました……こ、これからも頑張ってください! わたし、応援してますから!!」

若い仲居は、ラブレターでも渡した後であるかのように顔を朱に染めながら、走り去って行った。後には、ポカンと間抜けなツラで立ちつくす山本のみ。
ふいに、先ほど考えていた問いの答えが浮かんだ。

(――――そうだ、俺は一体何を求めている? そして俺は何者だ? 思い出せ最初の俺を)


この世界に落された自分が求めるものは、単純一言で言えば「みんなからキャーキャー言われたい」という承認欲求の塊のような願望だ。だから、活躍の場が必要だ。それも誰にとっても分かりやすい――言いかえれば戦場が、あればあるほど自分にとっては好都合なのだ。未来知識を利用して発明王になるよりも、経営者として大富豪になるよりも、武功に依る名声は何よりも心地よいだろう。それが、たった一回で満足できるのか?


「出来る訳ないね……クク」


あの落雷を、あの光を見て、自分が何者であるのかを知ったはずだ。
忍び笑いが出る。そうだ、煉獄院朱雀という名をあまねく世界に広めるには、まだまだ足りない。このままでは精々、未来の学校の教科書に一行程度で説明されて終わり程度の活躍だろう。
ならばどうすればいいか。再び戦争へ出るのが一番手っ取り早い。その為には、こんなところで身を引く訳にはいかない。他の凡人共と自分は違う。普通なら死ぬような場面でも、自分は生き残った。何故かと問われれば、それは自分が神に愛されているからだ。それに先ほどの少女の言葉はなんだ。そう、自分の力があのような一般庶民に求められているのだ。可憐な乙女に必要とされ、そして力を振るうのはオリ主としての嗜み、むしろ義務だ。

ふいに、今までまとめていた新聞の切り抜きノートが目に留まる。そして、何の迷いもなくそれらを引き裂いた。
ハラハラと紙が舞う中、ニィッと不敵な笑みを浮かべる。


「こんなちゃちな紙で残すより、あらゆる人の胸にこそ俺の活躍は残るべきだ。決して恐れる必要はない。勝利は約束されているのだから……そう、俺こそがオリ主。世界がもっと俺に輝けと言っているんだ――――!!」

山本は獰猛な笑顔で、咆哮を上げた。













「外国人に救われて終わりと言うのは、余りにも体面が悪い」

秘密会議の冒頭、近衛元帥はハッキリと述べた。出席している重臣、政治軍事経済問わず集められた有力者達は、その言葉に目線で同意を伝える。反対の声を上げる者は居ない。

「実際問題として、件の一件は既に民衆に知れ渡っております。このままでは我らの権威に泥が付きましょう」
「いかにも。先の戦いで命を賭けた将兵に対する名誉を守る為にも、このまま終わらせるわけにはいかないですな」

元帥の発言を援護するような発言が飛び出す。会議という名目ではあるが、既にどういう趣旨の結論が出るかなどは根回し済み。それでもわざわざ高級料亭の一室に集まって顔を突き合わせているのは、内々で承諾した内容を正式な決でもって決定するためである。


「加えて、元帥に至っては卑劣な罠によって命を落しかけたとか。祖国に対しるその献身が疑われるなどあってはなりません」
「…………なに、名誉の負傷である。気にするほどのことではない」


近衛元帥はそう涼しい顔で答えたが、内心唾を吐き捨てたいような気分でいっぱいだった。
それを臆面にも出さず、極めて冷静な対応を取り続けたその演技は、まさに目的意識に起因する精神力の賜だった。

(豚のケツにへばりついたクソにも劣る連中だ――後方に籠っているだけで特に何もしなかった分際で勝利の栄光を横から少しでもかすめ取ろうと隙を窺っている……)

まず一つは、出席者に対する怒り。ここにいる者は皆、国内に置いて最高クラスの影響力を持つ者ばかり。全員が賛成とする政策があれば、例え君主であるところの皇帝でも承認せざるをえなくなるだろう力を持っている。だが、元帥は知っている。ここにいるメンバーの幾人かは国外逃亡の準備を密かに進めていた事を。そのくせ、自軍が有利になれば何食わぬ顔で勝ち馬に乗ろうとあの手この手で名誉や利益を得ようと権謀術数を駆使するその根性を。
こうして会議に出ている事も、その一環だ。要するに、「自分は国に深く関与している。従って先の戦いでの勝利も自分の力に依る所だ」と自分にアピールしようとしているのだから、今以上の立身出世を戦いによって志す身にとってはヘドが出るほど不愉快だったのだ。
しかし、偽りの暗殺未遂事件で結局出陣しなかった元帥も同じ穴のムジナで在るのだから、結局は同族嫌悪かもしれない。

(だが、最も不快なのはあの蛮族共だ。大人しく戦死してれば名誉オリーシュ人として扱ってやったものを、まさか生きて手柄なんぞ上げるとは……!! 特にあの小僧だ。あの無駄に態度がデカいあのクソガキめ……)

あとは、自分の活躍の場を見事かっさらってしまった義勇軍、特に山本への怒りだ。あの場ではどうせすぐ死ぬと思って一国の元帥に対するにはあまりにも無礼な言動にも広い心で許したが、こうも活躍されては心中穏やかでいろというのも無理な話だった。だからこそ、最初はなんだかんだと理由を付けて山本とその一党を処刑してしまおうと思っていたが、もっと有効かつ合法的に処理する方法が見つかった。

「では、おのおの方。戦は敵首都を占領するまでこのまま継続。その為の足がかりとして敵都市パナマ占領。戦争継続に足りない兵力は現状我が国に居座っているパナマ出身者による志願を『許可する』という法律を作ることで対処する、でよろしいか?」
「「「異議なし」」」


近衛元帥は陸海オリーシュ軍の頂点に君臨する軍の最高権力者。皇帝からも今戦役に関する全権を与えられている。だが、それでも越権行為も甚だしい振る舞いだ。
しかしこうやって平然としていられるのも、その全権を拡大解釈すればこそだ。戦争をいつ終わらせるかも、そしてその為にどのような制度を作るかも自由に決められる権限がある、と言い張るつもりだった。例え批判があろうとも、こうして事前に根回ししておけば押し切れると判断したがゆえの独断専行である。

「市民権を餌に連中を寝返らせるとは、良い手を考え付きましたな。金もかからず兵力を増やせる」
「人聞きが悪いな。飽くまで任意だよ、これは」
「しかし閣下。これも例の作戦が成功せねば……本当によろしいのですか?」
「卿はあの作戦に不満が?」
「い、いえ……しかしもしも失敗した場合のことを考えると――――」
「――――なんなら今から降りてもよいが? それはこの場の全員にも言えることだが」
「「「…………」」」


近衛元帥は最後に出席者全員に再度念を押すように見回すと、そのまま足早にその場を後にした。料亭の奥から玄関まで続く長い廊下を、音を立てながら歩く彼の頭には、既に先ほどの会議の事はない。そもそも、あれを会議などいうのもおこがましい。

(命も資源。ならば、せいぜい有効に使わせてもらう。我が築く栄光の道、その礎となって死ぬがいい……勝利の栄光を横から掻っ攫ったあいつらも、死ぬまでこき使ってやる!!)

全ては、先の戦いにおいてかすめ取られた名誉を取り戻す――――否、それ以上の鮮烈なる名誉によって上書きをする為。敵を撤退に追い込んだ以上の武功を立てることで、己の名を未来永劫この国の歴史に刻む込むためにも、多少の無理無茶などこなせて当たり前なのだ。それが例え、太平洋を挟んだ敵本国を奇襲してひとつの都市を占領するというギャンブルじみた作戦であろうとも。そして、征服した都市の住民を、自国民として編入し兵士として志願させるという案も、全てはその先で更なる名誉を獲得する為。だからこそ、こうしてこそこそと国内の有力者へ賛成を取り付けたのだ。

(パナマ出身者の遠征軍には既に密約を結べている。後は都市パナマを攻め落とせば、労せずして一度に大量の兵力を確保できる。そして、それらで後顧の憂いを断って、アステカの首都に向かって進軍――――クックック、ああ今から楽しみだ。せいぜい利用してやるぞ!)

近衛元帥は薄く薄く哂う。英雄へと至る赤い階段が、どれだけの血で染まっていようと、その足で踏みしめて歩く覚悟は出来ている。英雄とは古今東西そういうものだ。一度それを志したのならば、流血は避けては通れない。その分だけより高みに登れるならば構わないと、元帥は思った。



同時刻。

「う、うおえええええっ!」

常夏の風が渡る海。ゆうゆうと浮かぶ白い雲の下で、元帥の秘書官、義古マサカズはひどい船酔いを患い吐いていた。出港してからというもの、艦壁が彼の定位置になっている有様だ。今も美しい海に向かって汚れた放物線を描き続けている。そんな彼を生温かい目で見ながら、水兵達は黙々と食事の支度をしていた。
最初の内は、初めての船旅に心躍る思いであった。どこまでも広い水平線はキラキラと光り、まさに未知の新世界を思わせる。食事だって保存食がメインだが、それもまた非日常を演出して良いものだ。波でゆっくりと動くベッドも面白い。だが、それもこれも船酔いと言う病に犯されるまで。一度なってしまえば、ひたすらに陸が恋しい。新鮮な食事が欲しい。動いていない地面で、ゆっくりと眠りたい。


「死、死んでしまう……胃袋がひっくり返って――うぷっ!」
「あ――もしもし? ちょいといいですか?」


どうせ吐き出すのだからと最低限の食料しか口にしていないというのに、ソレでも胃は何かを絞り出させようとする。口に手を塞いでやり過ごそうという気持ちも既になく、吐き気の赴くまま胃液を垂れ流していると、不意に声が掛る。

「パナマ、見えてきましたよ」
「なにっ!?」

歓喜。もうこの地獄から抜け出せるという望みから、ガバリと義古は壁から離れて振り返った。そこには、強い日光と潮風で微妙に脱色している髪と長い髭が目を引く初老の男がいた。所謂肥満体形ではあるが、豊かな髭ときっちり着こなした軍服、袖から除く黒くて太い腕、そして白い煙を噴き出すパイプをくわえる格好は、デブという蔑みよりも先に、威厳が立つ。

「そうか、よし……では提督、早速作戦に取り掛かりたまえ」
「まあまあ。見えたと言っても、見張り台から影が見える程度でね。まだまだ時間が掛りますんで、ここはひとつ定年間近のロートルと世間話でもしましょう」

いつの間にか用意された安楽椅子にどっかと座り、一服。ぷはぁ、口から吐き出された煙が、潮風に乗って散って行く。

「何度か寄港したことがあるんですが、パナマという土地はまあ、南北は大陸、東西は大洋に挟まれた陸峡っていう地形でして。周囲は開発しにくい密林ときているから、猫の額程の広さしかない土地に大勢の市民が肩を寄せ合うようにして暮している。産業は精々漁業程度の、ハッキリ言ってしまえば貧乏都市ってなもんですな」
「それがどうした」
「つまり、放棄を前提として占領するならいざ知らず。だだっ広い海の向こうの発展させずらい都市を自国領として編入するのは果たして価値があるのかと。小官は疑問に思わざるを得んのです」
「…………提督。その質問は、既に近衛元帥閣下直々の御命令が下っているということを理解した上での発言か? それに、かの地には大きな可能性を秘めている」

義古は懐から、元帥からの命令書を取り出した。上等な紙に、元帥直々の命令であることを意味する花押がこれ見よがしに押してあった。山本八千彦に出したような即席のものではない、いかにも正当な手順の元に発令されたといった風格を放っている。

「いえいえそんな。ただ御国の一大事と急いで帰国したら、休暇も無しに太平洋の果てまで行かされると言うのは、なかなか身体にクルもんです。なもんで、愚痴くらいはご勘弁願いたい。」
「……」

義古は押し黙る。仮に、仮に全てが上手く行き、パナマを占領したとしても、こんどは敵の本拠地での戦いとなる。背後には未だ広大なアステカ領が広がっているのだから、敵は奪還を目標に文字通り大軍で攻め寄せるだろう。未だかつてこのような大規模遠征を行なった事がない以上、全くの未知数な勝負である。誰もが不安や作戦への不信感を持っても不思議ではない。

(こちらとて同じ思いだ。しかし、既に後戻りは出来ない……!!)


だが、義古は己の主人を信じている。自分を表舞台に引き上げてくれると思ったからこそ、こうして元帥の手足となって働くことを決めたのだ。今更、途中退席などできはしない。

「――――上意である。敵都市パナマを速やかに解放せよ」
「げに悲しきは宮使えってことで諦めますか。…………おいお前ら!」

野太い掛け声をひとつ。それだけで、全ての水兵達がドタバタと忙しそうに走りだす。先ほどのゆったりとした空気が嘘だったかのように、急激にあわただしくなる。

「信号旗を上げろ。『仕事の時間だキバッっていけ』だ。お前ら、さっさと飯食って神様にお祈りして大砲ぶっ放す準備をしやがれ。たらたらしてっと海に蹴り落とすぜ!!」
「「ヤー!!」
「ま、と言う訳でこっからは海の仕事だ。後の事は任せてもらいますよ」
「…………作戦を遂行するなら何も言う事はない」
「そりゃどうも」
(閣下への反感を隠そうともしない無礼者め……いずれ後悔させてやるからな)



時は西暦1785年。アステカ帝国の傀儡都市であるパナマへ、神聖オリーシュ帝国の大艦隊が奇襲作戦を敢行。海上戦力のみによる長躯、敵都市の攻撃というアステカ帝国への意趣返しとでも言うべきこの作戦は、同都市を速やかに陥落せしめ、解放とその『保護』は世界に向けて高らかに宣言されたのだった。













あとがき
みなさんお久しぶりでございます。一年近く空いてしまいましたが、ようやく更新することができました。
と言っても、思いのほかストックがたまらなかったので、次回以降の更新もノビノビになってしまうかもしれませんが、絶対にエターはしないを合言葉に、出来るだけ早めに更新をしてきたいと思いますので、お暇なときにでも読んでいただければ幸いです。



[40286] 近代編 パナマへ行こう!
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:6ce49dbd
Date: 2017/04/14 22:10
緋色の繊毛が美しい絨毯が、長さ十数メートルにわたって真っ直ぐ伸びている。その両サイドには自国産はもちろん、古今東西の文明から生み出された絵画、彫刻、調度品などの品々が年代別に並べられ、奥に行くほどより古い時代の芸術作品が鎮座していく。真っ直ぐ進めば進むほど、この国が積み上げてきた歴史の重みを歩く者に感じさせ、その最奥にいる者が至高の存在であることを印象付けるよう設計されている。
ここは神聖オリーシュ帝国の宮殿最奥に在る正殿、「天愛者の間」である。新帝の即位式を始めとした、様々な重要式典が執り行われてきた由緒正しき場に、今一人の人物が足を踏み入れ、そしてスダレで隠された壇上を前に膝を突く。

居並ぶ文武百官のひとりがそれを確認すると目配せひとつ、彼らは申し合わせていたかのように一斉に膝を付き、絨毯によって吸収されてなお響く鈍い音が、静寂な空間を満たす。するとそれが合図で在ったかのように、スダレの向こうに人影が現れた。

「パナマの地を預け、公王を称する事を許す。帝国への献身をゆめゆめ忘れぬよう忠勤に励むよう」
「はっ――――」

それだけ言うと、スダレの影は消え、後に残ったのは公王を許された男――否、これからもパナマ公王を名乗り続けることを許されたソレナンテ・コルテスのみとなった。
これは、勝者と敗者、降った者とそれを許す者が取り行なう、服従の儀式。現時点を以って、正式に海外領地パナマはアステカ帝国からの離脱と、ソレに伴う対アステカへの宣戦を布告することとなった。

(噛みついてきた狂犬の使いっ走りが)
と、ある貴族がコルテスに侮蔑の視線を送る。
(金にならない土地を掴まされたな)
と、ある財務系の官僚が頭の中でそろばんをはじく。
(家を買った奴から転勤させられるって噂、本当かな……)
と、最近結婚して家を建てたばかりの警備の兵士が内心で不安がっていた。

「…………」

そして、壇上に最も近い位置にいた男が、誰にも分からないように、薄く薄く笑った。対外的には怪我から復帰したばかりであるという触れ込みながら、そうとは思えないほどの血色がいい顔色をしたこの人物は、一言もしゃべらず、つつがなく式典は終了し、一同は解散となった。一人、また一人と作法に則って退出していく中、男は先ほどまで現皇帝であり、そして実の兄がいた場所を、熱量を持った視線で一瞥する。

「―――――ッチ」

そして、至近距離でも聞き取れない様な小さな舌打ちをした後、男、近衛元帥もまたその場から退出していった。



式典参加者達のお付きの者と共に、正殿の扉の前で待っていた近衛ユウは、偶然にもコルテス将軍の副官だった男と隣同士になった。もちろん二人には面識はない。
今日からは同じ帝国の臣民ではあるが、互いに矛を交えた以上、いきなり親しく談笑と言う訳にはいかない。しかし、逆に突っかかって行くという訳にも、場所や政治的な都合で出来はしない。こうして、互いが身動きを取れないという緊張感が辺りを支配し、その場にはかなりの人数がいるというにもかかわらず、私語の1つもなかった。彼らは自分達の主人が出て来ると、これ幸いとばかりにその場を去って行った。

そうしてとうとう、待ち人が扉を開いて現れた。

「父上。お待ちしておりました」

そこにいたのは近衛元帥だった。一応は勝者側の元帥と敗北側の副官が今この場に居合わせている事に少々戸惑いを感じるユウであったが、ぐっと飲み込んだ。

「ユウか。何の用だ?」
「これより正式に官職を賜ることとなりまして、宮殿に参りました。父上もこちらにいらっしゃると聞いたのでその御挨拶に」
「ああ、そう言えば戦争で延期されていたのだったな。忘れていた」

本来ならば帰国と同時に成人し、それに伴って官職を――具体的には軍人としての階級と役職を受け取るのだが、アステカとの戦争で有耶無耶になってしまっていた。そこで先の防衛戦での活躍をたたえる勲章の授与と、軍人としての任命式を両方行なう運びとなった。ユウが来たのも、その為で、たまたま時間的に余裕があったので父親に会いに来たと言う、いってみればただそれだけのことだった。そして、そこにはあわよくば父に自分の功績を直接語りたいと、極めて子供的で、そして至極純粋な感情の発露があった。親にほめて欲しいという子が持つ自然な思い。

「それよりも、随分と活躍したそうだな」
「は、はいっ! 父上の名に恥じぬよう、精一杯勤めを――――」
「自らの立場も忘れて張り切っていたそうじゃないか。戦場の熱気に当てられたか?」
「――っ!?」

だがそれは、情け容赦のない言葉で切り捨てられた。

「例え定義の上では帝族でなくても、お前にその身に流れている血は紛れもなくオリーシュ皇帝のそれと同じだ。まず第一に考えなくてはいけない事は、自身の身を守ることだったのではないか?」
「し、しかし父上……多くの兵と市民を見捨てては――」
「黙れ。もし人質になったらどうする? 戦死した時の影響は? お前はそれらを考えた上で、無謀な防衛戦を続けた。これは極めて非合理的と言わざるを得ない」
「――――」

淡々と、かつ冷たい視線で冷静に自身の行動を非難された事に、ユウは悔しさで口元を強く結びながら下を向くしかなかった。なるほど確かに、元帥の言い分ももっともだった。一生懸命と言えば聞こえはいいが、それがリスクと釣り合うかどうかはまた別問題だ。捕虜となって交渉のカードにされた場合、一都市の陥落では済まなかった可能性もまたあった以上、兵士に死守を命じてユウ自身は逃げると言う手段も道義的な問題は置いておいて政治的にはあながち間違いではない。
間違いでは無く、そして反論できない以上、ユウには耐える以外に選択肢はなかった。


「――ふん、まあ済んだことをこれ以上言うのも時間の無駄だろう。それよりも、だ。お前の任地は都市パナマにしておいた。そこで現地兵の指揮をしてもらう。頭を冷やして責任のなんたるかを今一度考えておけ」
「…………はい」
「ちょうどそこに現地の人間がいる。色々話を聞いておくんだな」

ここで近衛元帥は、副官の男を一瞥して言った。目の前で繰り広げられる親子喧嘩にしては陰湿な光景を、何食わぬ顔で眺めていた副官は、元帥の視線に敬礼で返し、言外に了解の意を伝えた。
それを見届けると、さっさと近衛元帥は立ち去ろうとして、不意に足を止めた。そして、至極つまらなそうな物言いで伝え忘れていた事をユウに伝える。

「ああ、お前が南方で拾ってきた蛮族の首領だが、一応士官としてお前の部隊に配属させておいた。褒美として少尉の階級を与えたら、二つ返事で志願したそうだ。未熟者同士、せいぜい頑張る事だ」
「な――――っ!」

ある意味、ユウにとって最も衝撃的な事実を言って、今度こそ近衛元帥は去っていった。


「お待たせ――っと、あれ、なにこの空気?」
「おや、お疲れ様ですコルテス様。いやはや、タイミングが良いのか悪いのか」
「?」

ユウは扉から出てきたパナマ公王コルテスにも気付かずに、しばし唖然としたままだった。














帝都オリヌシの南に位置する港には、現在数千人にも及ぶ人間が列をなして乗船に備えていた。この国では珍しい、欧州系の顔立ちをした者がほとんどだ。彼らは元アステカ兵の現オリーシュ領パナマの出身で、帝国の新たな臣民であった。この国に攻め込んで来た彼らは、故郷の陥落とパナマ公王の臣従に伴い、神聖オリーシュ帝国に忠誠を誓うこととなったのだった。そしてその証として、若年者かつ怪我を負っていない者を中心に、半ば強制的に志願兵として参加することとなった。
彼らは特別志願兵という区分で部隊を新設し、その名が示す通り、大部分をパナマ出身者で構成されていた。この志願兵部隊は6個の連隊に分割されたのだが、その内の一つである第501独立志願兵連隊の集合場所に、黒髪黒目の少年が混じっていた。民族的な特徴が極めてオリーシュ人に似ているものの、彼もまた外国人。というか、行世界から来訪した異世界人であった。

「おおっすげえ光景!」

場違い感を丸出しにしながらつっ立っている山本は驚きの声を上げる。
人、人、人……ジャングルでの戦いを意識してか、はたまた量産が間に合わなかったのか、単調で適当な作りの深緑色の戦闘服を着用している。そんな者ばかりが密集しているというのは、唯それだけで見る者を圧倒する。しかもマスケット銃とはいえ銃火器を装備しているのだから、迫力も五割増しである。
しかしここで思い出してもらいたいのは、山本は少尉の階級を持った軍人になった、ということだ。つまりこの中の人間達の極々一部で在るとはいえ、この若輩者は誰かの上に立って誰かを指揮すると言うことである。

「伝説は終わらない……これからどんどん作って行く、いや、作らねばならない――!」

クックックと不敵に笑いながら、神聖オリーシュ帝国陸軍少尉というたいそう立派な肩書を得た山本。しかし順風満帆とはいかず、大きな焦りを感じていた。
原因は、都市パナマの占領の一報が流れたことであった。つまりは、国中の注目が新たに帝国の版図に加わったパナマという土地、およびその作戦を全面的に立案した近衛元帥に集まったからだ。結果、山本とその配下による活躍は過去のものとなってしまい、いま新聞を騒がせているのはパナマ陥落作戦に関する特集である。
これに、山本の心中は荒れに荒れた。賞賛や礼賛がまるで横から奪われたような気分になったからだ。

ふっざけんな誰のおかげだと思ってんだ散々持ち上げといて忘れるとかマジなんなんだよ愚民どもがあ、と性根の腐ったような言葉を吐き捨てクダを巻いていたのだが、ふと我に返って考える。

おいおいちょいと待てよ煉獄院朱雀くん。いいか良く聞け、お前はこれで正式に軍人になったわけじゃないか。なら、これからいくらでも活躍の機会があるってことだろう? この前の功績がかすむくらいのビックなミラクルを起こせばいいじゃないか。焦るなよ。大丈夫だ、だってお前は神に愛されたオリ主様なんだから。

と、イブを誑かす蛇のようなねっとりとした口調で何者かが囁くのを聞いた山本。恐らくこれは内部の山本(悪)が語りかけて来たものなのだろうが、案外的を射ていた。

というのも、山本が送られた紙には任官に伴う役職や任地についても書かれていた。来る敵首都での決戦への備え、軍備拡張として国内の各都市で兵の募集と訓練が始まっている中で、同都市の出身者で構成された志願兵部隊、その小隊長に任命しようと言うのだった。

では、なぜ山本などという何処の馬の骨とも分からない少年にそんな誘いが来たのかと言うと、とにかく何でもいいから早急に陸の守りを固めなければならないという切迫した事情からだった。
現在、パナマは海軍が占領を維持している訳だが、なにぶん陸上戦力が皆無で在る訳で、大規模な攻勢をかけられれば艦砲射撃と陸戦隊だけでは敵の侵攻を止められない。加えて、南のインカ帝国とも国境を接する事になった訳で、火事場泥棒がないとも断言できない。
パナマは敵首都と密林を隔てて隣と言ってもいい土地な訳だから、敵地侵攻への足掛かりとしても決し失ってはならない。

だが、急速な軍備拡張は兵士を用意できても、部隊を指揮する指揮官となるとそう簡単にはいかない。退役した士官などを急きょ呼び戻して活用しても定数にはまったく届いておらず、ついには指揮を出来る者ではなく出来そうな者でも片っ端からかき集めることとなり、既に一応は実績がある山本にも声が掛ったと言う次第だった。
当然、山本を合法的に抹殺するという意思などもあったのだが、このような事情などさっぱり知らない山本は即刻同意。そのまま指定された場所までノコノコと出向き、略式の任官の儀を取り行なわれ、神聖オリーシュ帝国陸軍少尉、煉獄院朱雀が誕生したのであった。ちなみに、本名でなくソウルネームで任官する面の皮の厚さは流石オリ主と言ったところか。別に褒めてはいないが。

「……そんで俺が乗る船はどこだろ? そこの前で受付するらしいし……えーと確か、所属は第1連隊……つーかこの1ってのも運命を感じるぜ。俺がナンバーワンだ的な……ムフフフ」

山本は気味の悪い笑い声を上げながらキョロキョロ。自分がこれから乗り込むこととなる船を探して歩き始めた。





「伝説は終わらない……これからどんどん作って行く、いや、作らねばならない――!」

人の波をかき分ける元アステカ兵の少年は、不審な男を見かけた。なんだか一人の世界に入っていると言うか、ブツブツと何事かを呟いている様子に、なんだか切ないものを見たような気分にさせられた。
少年はそれを生温かい顔をしつつ、見なかったことにした。きっと、彼も戦場で色々とツライ目に合って、ちょっと頭が可哀そうになっているのだろうと、むしろ悼むような気分でその場を後にした。
背中の背嚢の位置を軽く直して、改めて目的地に向けて歩き出した。

「えっと……モウ少し奥デスね」

隊長の形見であると同時に略奪品であるライフル銃も一緒になって背から突きだしているが、それを咎める者はいない。これもまた急速な軍備の拡張に間に合わなかったことの弊害で、多くの兵隊がアステカ軍時代の銃器を利用していた。唯一違うのは、手抜きとしか思えないほど簡略された深緑色の軍服だけだった。服一着で、戦う相手が変わる事に、少年はなんだか悪魔に化かされているような気分にさせられた。

「なぜ! なぜ僕が飛ばされて! お前達が本土に残留なんだあああ!?」
「? 何でしょうネ? 妙に騒がしいデス」


そこには一種異様な空間が広がっていた。眼鏡をかけた、恐らくはオリーシュ人と思われる将校と半裸の男達。一方は自分たちと同じ服を着ていたから、同じくこれからパナマに向かうだろうと思われた。しかし、もう一方の男達は、まるで見送りに来るかのように振る舞いつつ、眼鏡の将校と剣呑な空気を放っている。一体どんな関係性なのかと疑問に思いつつ、少年は先行きの不安を感じて溜め息を吐いた。
少年の名前はカルカーノ。都市セッキョーに一番に乗り込んだ者達のなかで、幸運なことに一発の被弾もなく逃げる事に成功した者であった。
カルカーノもまた、自らが指定された場所に向けて、半裸男達に背を向けて、再び人をかき分けるように進み始めた。






「なぜ! なぜ僕が飛ばされて! お前達が本土に残留なんだあああ!?」
「はあ? 知らねえよンなもんよお」

人でいっぱいの港の一角で、そこだけぽっかりと空白が発生していた。半裸の男集団と、眼鏡をかけた神経質そうな男が言い争いをしているので、誰もが距離を取って避けていた。その中心地で、眼鏡の少年が絶叫する。北是である。
先の都市セッキョーでの戦いの後、彼もまた義勇軍の関係者として同様に隔離されていた。
元々オリーシュ軍の士官であるという事もあって別段不自由する事もなかったのだが、何故か原隊復帰の希望は通らなかった。義勇軍での任務からも解放され、晴れて普通の仕事に戻れると思っていた北是は、この決定に憤慨した。しかも、あれよあれよという間に北是は志願兵部隊に派遣されることとなってしまったのだからたまらない。本来の制服ではなく、士官なのに手抜き感満載の兵卒用の制服を着させられている事は、屈辱の極みだった。


「あり得ない…… これは陰謀だ!!」
「あー、なんか前聞いたんだけどよぉ、エーテンとかいうらしいぜぇ?」
「これの! どこが! 出世なんだよお!!」
「てかさ、おい」
「ああ!?」
「これ、見てみな」
「た、大尉の階級章?! はあ?!」

そして最大の追い打ちが掛る。北是が憚りもせず見下している半裸の男が、なんと自分より高い階級を与えられていることだった。ピカピカと光るその階級章は、紛れもなくオリーシュ陸軍の大尉のそれだった。まさに悲報。軍務一筋、これまでコツコツと真面目にやってきた北是は、ここで蛮族を体現するような、ほとんど裸の、ロクに服も着れない男より下の立場に立ってしまったのだ。ピクピクと、額の血管が震えた。

「なんか馬を率いる隊長なら、これくらいの箔がないとダメ? とか言われた。そんでよ、これはお前が付けてるのよりエラいらしいじゃん?」
「ギリギリギリッ」

理不尽極まりない話ではあるが、聞けば納得する理由であった。繰り返すが、オリーシュでは大規模な軍拡を行ない、その大半を新大陸へ派兵する事になっている。しかし、再び敵意ある外国軍の上陸を許す訳にはいかないということで、北の無人地帯に専属の哨戒部隊を置くことが決定された。それに、山本と北是が率いた義勇軍がその任に当たることになった。しかし、仮にも騎兵を率いる将校が少尉では格好がつかない。ということで、いきなり大尉という大層な階級が宛がわれることになったというのが事の真相である。最も、完全なる僻地に飛ばされて決して都市圏には入れないような任地なので、普通の将校ならば受けたがらない仕事であるから、その埋め合わせと言う側面もあった。
しかし、階級は階級。少尉と大尉ではまさに目に見えた格差がそこにはあった。

「ま、お前とは拳で語り合った仲だけど、なあ」

それを知ってか知らずか、この蛮族オブ蛮族は北是の肩に手を置き、ニタニタと笑いながら言うのだった。

「まずは軽く、ナマ言ったお詫びとしてドゲザ? とかいうのを――――」

この言葉に、遂にキレた。堪忍袋とか、血管とか、理性とかをぶっちぎった時、北是のリミッターは解除され、渾身の力で拳を握り、撃ち抜いた。
ひでぶっと言ってカタが吹っ飛んだ。世界を目指せるアッパーカットであった。

「上等だてめえらどいつもこいつも舐め腐りやがってオラア!!」

北是は咆哮をあげ、拳を握りしめてモヒカン達に躍りかかった。血走った眼で飛びかかる姿は、まさにファイターであった。


(あいつら、仲が良くなったなあ)

人混みの中で乱闘騒ぎを引き起こしたため、多くの人の注目を浴びることとなった彼らは、非常に目立った。山本は人のざわめきの中心に何となく吸い寄せられるように現場まで辿りつき、そんな感想を抱いた。

(あのモヒカン共ともこれでお別れかあ)

元気に暴れまわる彼らを見て、山本はしみじみと思った。よくよく考えなくても、この世界にトリップしてから一番付き合いが長いのが彼らだった。セッキョーでの戦い以来、顔を合わせていない。ただ、それぞれに違う道を歩む事だけは知ってはいた。かつて一緒にヤクザまがいの事をやっていたカタは騎兵を率いる隊長のひとりとして、本土に残って士官としてのキャリアを積んでいくとのこと。

(あばよ、戦友。達者でな)

正直愛着など欠片も抱くとは思っていなかった連中ではあったが、それでも共に戦い、ここまできたのだ。それなりに思う所があった山本は、しかし特に挨拶をせず、心の中で別れを告げるのみにとどめた。仲よく殴り合って別れを惜しんでいるのを邪魔したくないという思いか、それとも湿っぽいのは嫌いという単純な想いかは本人にも定かではないが、山本はそのまま立ち去っていく。

「あ」

そして、その途中に見知った姿を見かけた。
周りにお付きの者を侍らして歩く近衛ユウであった。近衛は打ち合わせをしているかのようで、書類を片手に喋る側近に了解を表すように頭を軽く縦に振っていた。当然その一行は目立つ訳で、例にもれず山本もそれを目で追っていた。そして、本当に偶然、ふと視線を横にズラしたユウと目があった。

「あっ……」
「よお久し―――-」
「――――ッ」


だが、視線が合っていたのはほんのわずかな間だけであった。ユウは痛みに耐えるような顔を一瞬だけ覗かせると、山本への視線を切る。そしてそのまま立ち去ってしまった。ほんの短い間とはいえ、唯の知人とはもはや言えない様な関係になったと思っていたので、このような半ば無視されたような状況に山本は首をかしげつつ、「まあ忙しそうだったし」と、特に何の葛藤もなくそう納得した。
親しい人間がわざわざ再び危険を冒そうとしていることへの心配と怒り、そして友情と恩義を感じている者にこれから部下として接しなくてはいけないことへの罪悪感――――そんな諸々の事で心を悩ませている事など気付きもしない能天気な山本であった。
そして、そう言った心の機微を知らずとも時間は流れる。太陽が彼らの頭上に上がる頃、出港前のささやかなセレモニーが開かれていた。



「あ、誰か出てきた」
「随分若いな――――身体の線も細い」

即席の演説台が組まれ、そこに近衛ユウが現れた。所属ごとに船の前で整列させられていた志願兵達を前にその年若い指揮官が現れたことで、兵たちはヒソヒソと感想を述べ合う。大半が、「おいおいなんだよこの弱そうなヤツ」という否定的なものであったが、そんなざわめきを押しのけるように、近衛は良く響き、かつ耳に心地よい音色で声を張り上げる。

「親愛なる兵士諸君! これより、君たちの生命は私が預かることとなった!!」

確かに若い。まだ少年といった方がいいような年齢ながらも、高貴さを滲み出させるような声色は、兵たちを強引に納得させる。彼こそが自分達の長であると、理不尽に思いながらもそう理解せざるを得ない力がその声にはあった。

「これより我々は都市パナマへと渡り、当地の防衛任務に就く、各自の奮励努力を大いに期待し、武運長久を祈る!! ――――乗船開始!!」

ラッパや太鼓、そして声楽隊が美しいハーモニーを響かせながら勇壮な音楽が流れ始める。新たに将軍となった近衛ユウ少将の激励の元、六個連隊、全六千人の兵士達が、それぞれの輸送船に乗り込んで行く。
その中には当然、自分を信じる能力だけは世界最高峰の少年の姿もあった。桟橋を踏みしめながら歩き、胸を高鳴らせる。

(さあ新しい戦場へ連れて行け。この前はすり抜けて行きやがったが、今度はきっちり掴んで離さない。覚悟して待ってろよ)

こうして、煉獄院朱雀こと山本八千彦は再び海の上へ。そこに取りこぼした栄光があると信じ、新たな土地へと旅立って行った。彼がその目的を達成できるか、それとも志し半ばで屍をさらすか――そんな事はまだ分からないが、少なくとも彼以上に彼自身の栄光栄達を確信している者はいなかった。少なくとも、この国では。



[40286] 近代編 パナマ戦線異状アリ
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:9a2cfa03
Date: 2017/06/21 22:22
木々と草の匂いが濃厚に立ち込め、遮られているハズの日光は湿気を通してその熱を鬱陶しく伝えて来る。周囲を取り囲む密集した緑を押しのけながら進むにつれ、本来の染色よりも余計に濃くなった深緑色の戦闘服や革靴にへばりついていく泥――――黙って立っていても汗が噴き出る天然サウナの中に在って、それら余計な荷物は重い足取りをさらに重くする。そう、この男以外は。

「下手クソ共が! 全然当たってねえぞしっかり狙えおらあ!!」
「ちょ、隊長サンッあぶな――ひゃあ?!!」
「ハッハッハ!!」

隠れていた岩陰から飛び出してわめきたてる上官を押しとどめようとするのは、元アステカ歩兵のカルカーノだった。順調に推移していた作戦をその場のノリで後先考えず変更してしまう男が、今日もまた無駄に高まったテンションでいつものワードを口走ろうとする。弾丸が身体をかするように通りぬけ、木の肌に穴を空けて行くのも全く意に介する気配がない。

「あ――――でももうメンドくせえ! よし、突撃すっか!」
「え、でもそれはヤメろってこの前も……」
「いいかそれはフリだ! 止めろよ、絶対やめろよっていうのはやれってことなんだよ!――――よーしお前ら! 俺に続けぇえ! 総員突撃ぃいい!!」 
「エェ……」

密林での戦闘。両陣営が木や岩、草影に隠れてマスケット銃を撃ち合うものの遮蔽物が多すぎて、ほとんど効果は上がっていなかった。要するに、弾薬を消費するだけで互いに決定打を決められない長期戦が繰り広げられていたのだ。双方がパカパカ撃つだけの状態に我慢が限界に来た新米少尉は、辺り一帯に聞こえよと言わんばかりに声を張り上げ、駆けだした。手には支給品のサーベルを持ち、銃弾で土や枝がはじけ飛んでいるのにも気にせず敵陣に向かって突っ込んでいく。

「あ、またやった!」
「なんであの人まだ生きてんだよ!」
「っていうか、俺達は陽動じゃなかっけ?」

一番危ないポジションに自分から飛び込んで、それでも生き残ることに周囲の味方は呆れ半分尊敬半分の視線を向ける。そしてなんやかんやとぼやきをしながらも、突撃グセのある指揮官の後に続いた。コイツの後ろに付いて行けばとりあえずは死なない、という経験則から来る行動だった。

といっても、本来はここで敵を釘づけにしていればその内に側面を味方が襲いかかって、という手筈だったのだから、完全にその場の思いつきで始まった突撃に付き合わされるのだから、その時点で運がいいとは言えないだろう。

「ウオオオオッ!! 当たらない! 俺には当たらない! なぜなら俺だから! オリ主だから!!」

聞き取りづらい言葉をひたすら喚き散らしながら猛然と突き進む。だが、敵は「アホがいる(笑)」と言わんばかりに冷笑し、冷静に迎撃の構えを見せた。当然、先頭を走る人間に自然と弾が集中するのだが、不思議な事に彼に命中する事はなかった。そしていよいよ白兵戦という段階まで至ると、不意に視界外から一斉射撃の轟音が。どうやら、こちらの突撃を察知して、タイミングを合わせて攻撃開始の合図を上げたようだ。

「良くやった!! だが待ちくたびれちまったから先にやらせてもらったぜ!!」

増援の事実に恐れをなしたのか、敵の動きが動揺からか鈍くなった。それが致命的な隙となって、高い勉強料を支払わされる。
戦闘は、ほどなく決した。
思わぬ伏兵の出現で敵が混乱状態に陥ったことで、容易く散々に敵を蹂躙する事に成功した「朱雀隊」は、戦勝を祝して万歳三唱。共に突撃をかました戦友たちと肩を抱き合って喜びあうのだった。

「今日も勝ったぜ」
「やつらだらしねえなっ!」

精悍な笑顔を見せる部下達に「俺の指揮が上手いからだ! ハッハッハ!!」などと言えば、直ぐに「いや、それは……どうなんだろう?」「度胸があるのは認めるけど……」などと帰ってくる。指揮の中身は別として、自信満々な「俺にまかせろ!」という態度と、危険に対しても臆することなく率先して突っ込む勇敢さを以って、既に一定の敬意を集めることに成功。兵隊稼業に急激に染まってきているオリ主は、今日も勝利に酔いしれながら帰路につこうとするが。


「報告! 報告! 敵の別働隊発見! 現在地より南東方向へ移動中!」
「――――諸君よろこべ残業だ!!」
「「「ええ~~」」」
「北是達と合流した後、敵に向かって全速前進! もう一回戦えるドンッ!!」

と元気いっぱいに咆える。
本日もまた、残業決定の瞬間だった。残業代はプライスレス。つまり、無いってことである。




神聖オリーシュ帝国陸軍第501独立志願兵連隊に与えられた任務とは、そもそもは都市パナマ陥落の際に逃げた脱走アステカ兵の討伐だった。元々従属部族や半ば強制されていた質の低い兵士達であったため、バラバラに逃走。カリブ海に点在する島々に残党勢力が点在する形となり、未だ任務の終わりが見えない。

無駄に巨大な樹木と生い茂る葉は絶好の眼隠しとなり、敵の姿を捕捉する事もままならない。脱走兵側は装備も人数も充実している軍隊相手には当然逃げ回るので、見通しがほとんどない密林を舞台にした目隠しオニ状態である。だからこそ、当初は火でも付けて更地にしてしまえ、そうすれば視界が開けてスッキリする、という案も出たが、残念ながら即却下と相成った。
南国に広がる美しい海と空。風光明美なカリブ海に浮かぶ島々には、オリーシュ人が未だ知らない動植物の宝庫であり、学術研究の推進を国是とするオリーシュでは、まさしく絶好の研究対象である。新たに領土として組み込まれた土地にこれほど研究しがいがある場所があるのだから、行きたくなるのは学者としては当然だろう。そんな場所を環境破壊してしまえば、国内で強大な権力をもつ宗教関係(科学を含む研究が主な教義)を完全に敵に回し、吊るし上げを喰らう事は免れないだろう。

しかし、ココが学者にとって貴重な場所であると同時に、すぐ隣にはアステカ帝国でもインカ帝国でもない国境未確定エリアがほぼカリブ海を覆う程の範囲に渡って存在する土地でもある。唯でさえ不安定な場所で海賊やらの隠し港があったりするのに、今は脱走兵が投入されたことで危険な連中が吐いて捨てるほどいたりする。
このような不穏分子が巣食うカリブ海の治安を安定させ、ゆくゆくは領土として全域を組み込む下準備が、言ってみれば山本達に与えられた命令だった。



夜。
ベキッと、手に持っていた鉛筆がへし折れる音を皮切りに、周囲の者達がそそくさと距離を取り始めた。みな手慣れた様子で、自らの隊長と副隊長を遠巻きにする。

「まあ、なんだ。いっつも怒鳴ってばかりでは芸がないと思って、そう、一応、もう一回だけ理由を聞きたいんだ。是非ともお聞かせ願いたいんだよ。なぜ途中まで順調だった作戦を独断で破るのか、その合理的理由を」
「高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応した結果、あの場で攻撃するのがベストタイミングだと思ったから」
「で、本心は?」
「ヒャア我慢できねえッて感じのノリでやっ――――」

言い訳は結局言い終わる事はなかった。北是の右ストレートは的確に山本の顎を捕らえた。一瞬だが本当に気を失いその場で崩れ落ちつつも、胸倉を掴まれることで踏みとどまり、降ってきた罵声で再起動する。

「毎回まいかいマイカイッ! 突撃しないと病気にでもなるのかお前は! 陽動作戦だって自分で言って、釘付けている間に背後から襲いかかれって自分で言っておいてなんで早々に忘れるんだよ!」
「うっせえなボケ! 勇猛果敢と率先垂範が指揮官の心得だのゴチャゴチャ言ってたからそれを実践してやってんだよ文句あんのかアァン?! ってか何? お前呼ばわり? 俺隊長よ?」
「限度があるだろうがこの猪! なんで事あるごとに先頭きって突撃するんだよ馬鹿野郎いっぺん撃たれちまえ!!」

ギャーギャー怒鳴り合いながら取っ組み合いを始めた二人だったが、周囲の兵隊たちは慣れた様子で食事の準備に取り掛かり始めた。小さなグループに分かれて焚火を囲む。簡単なスープと黒パン、そして後は木に生えていた果物が夕飯のメニューであった。

「実際、なんで隊長まだ生きてんだろう。普通死ぬだろ、あんなに先頭に出てちゃ」
「知らん知らん。本人に聞いても『俺だから!』って言うだけだし」
「運がいいのは確かだな」

食事時の話題は、自分達の隊長の突撃グセと運の良さだった。大体の場合で、各々が話題を振っていき、途切れると誰かが「そう言えば今日の隊長も撃たれなかったな」と切り出すのがパターン化していた。誰もがバカだアホだとその無謀さを笑うが、なんだかんだでその強運っぷりに目が離せないのだ。ちなみに、いつ撃たれて負傷するかが賭けの対象になっていたりする。


「ハアッ……ハアッ……ハアッ……分かったじゃあこうしよう。これからは総員突撃、仲間外れ無しでみんなで行こう。な? だからそろそろヤメ……ぎゃあああ!!」


「あ、終わった」
「今日もちょっと長かったな」
「日に日に副隊長に食らいつける時間が長くなっているぞ」
「それよりも明日は久々に帰れるぜ。今回はちょっと長かったぁ……でも、実はあんまり嬉しくなかったり――――」
「「「ああ……あれか」」」

こうして、今日もまたジャングルの夜は更けて行き、兵士たちは腹を満たして明日へと備える。朝日が出れば、食料の補給も兼ねての連隊本部への帰還する事になっていた。
本来ならば楽しみなはずなのに、唯でさえ微妙な味の食事が更に微妙になる。いわゆる苦虫をかみつぶしたような感じだろう。
踏みつぶされた虫の様な格好で気絶している隊長を尻目に、いつにもまして食事はゆっくりと進んだ。





カリブ海と大西洋を区切る島々がある。パナマを海からの攻撃から防衛する上で重要な拠点と目されているそれは、折杖諸島。戦勝祝いの一環としてオリーシュ風に改めて命名されることとなった土地だ。
その内で最も大きな本島に、501の連隊本部は設置されていた。島の西側に設けられた即席の要塞には次々と物資が運び込まれ、外敵との戦いにそなえて着々と準備が進められている。朱雀隊は本島の端から端まで連日ジャングルを駆け巡り、アステカ軍残党を討伐して回っていた。そして、武器弾薬や食料の補給と情報のやり取りをする為に、定期的に本部へと足を運んでいたのだった。
補給日の今日、彼らはジャングルを抜けてはるばる戻ってきたのだが、建物が見えてきた辺りから極端に兵隊たちの口数が少なくなっていた。基本的に行軍中の私語は禁止だが、それでも隠れてコソコソと雑談を興じるのが常である。それすらも自主的に止めてしまうのは、つまりは文字通り皆が息を殺しているからだった。
そしてその原因となる人物が、そこに居た。


連隊本部前に広がる白いビーチの上に幾つもの大きなパラソルと、その下にはこれまた大きめのテーブルが鎮座しており、傍らには料理人らしき男達が閲兵中の新兵の様な面持ちで並んでいる。卓上にはどこぞのレストランで出されるような料理が並べられ、小間使いの少年たちが極彩色の巨大な団扇を必死にあおいでいた。
まるで移動式の晩餐室の様な空間、その中心に腰を据えている男はそれが自然だと言わんばかりの表情でグラスを傾けた。南国にいるというのに色白で、爬虫類の様な瞳をした中年男だった。

「……ふう」

中身のワインが空になると、素早く近くに控えていた執事服着用の少年が出てきて、給仕の対象である主人に対してうやうやしく新たなワインを注ぐ。金髪碧眼の、着る服によっては中性的な少年だった。血の様なワインレッドが並々とガラスの器に満たされていく。

「――――っあ」

と、ここでタイミングを逸してしまったのか、グラスからワインが零れてしまう。そしてそれは、つつっと色白の男の手を流血のように滑り落ちた。少年の表情が、恐怖で青白くなる。

「も、申し訳っ――――」
「舐めなさい」
「え……あ――――」
「貴方がいま零してしまったのは、貴方の値段以上の葡萄酒。このまま地面に飲ませるのはいささか癪ね。せっかくだし、味あわせて上げるわ。ただし――――その舌で直接、ね?」
「は―――はい……」

少年は膝を付き、男の細い手に舌を這わせた。プルプルと小刻みに震える肩を、ねっとり舐めまわすようなイヤらしい眼差しで観察する男。その異常な行動に、咎める者も異議を唱える者もいない空間が、快晴の海辺で繰り広げられる。それがいっそう、異質さを際立たせるのだった。
この男こそが第501独立志願兵連隊の連隊長を勤めて諸田歩喪伯爵。
美少年を侍らせて、ミスをしようものならそれに付け込んで色々とアレな要求を強要して反応を楽しむのが三度の飯より好きなちょっと困った人だった。ちなみにあくまでも好きなのは美少年なので、それ以外の男、特にブサイクやむさ苦しい男は性転換させたくなるほど嫌いである。


「オホッオホッオホホホッ」
「うぅ……」
「し、失礼いたします!」

恥ずかしさと良く分からない恐怖で涙目になる少年をニタニタ見つめる変態伯爵の元に、軍服姿の男が駆けより、その場で敬礼。

「先ほど、討伐任務の部隊がひとつ帰還いたしました! 報告は如何、いたし――ます――か…………? あの――――」
「――――ッチ!」

伯爵の顔から、美少年を侍らせていた時に張り付いていた笑みは消え、代わりにお楽しみ中を邪魔された不機嫌さを全力で表現していた。そして荒々しく椅子から立ち上がるとおもむろに報告に来た部下の目の前に立ち、むんずと部下の下腹部を右手で掴みあげる。突然の急所へのダイレクトアタックに「ハゥ――――ッ?!」と叫びにならない悲鳴が漏れた。

「バッカじゃないの?! アンタ達は全員アタシの手駒なのよ! アンタ達が何処で何やって来たのかは全部報告する義務があるの! 書類だとか、代理だとかそーいうナメた真似じゃなくって! 直々に! 武器を持った猿共なんて目を離したら何するか分かったもんじゃないでしょうが! ええ?」
「――――は、はッ――――はいッ」
「…………――――もういいわ今回はこれくらいで勘弁して上げる。でも、次にもまたツマラナイ事聞いたりしたら――――握り潰すわよ?」

男にとっての死刑を予告すると最後にギュッと強く一握りし、部下の男はたまらず膝を突く。そして手をハンカチで拭いながら汚物にたかる害虫を見つめるような目で見降ろす。

「さあ、さっさと連れてきなさいッ!!」

ヒステリックな叫びがリゾート地のような浜辺に、場違い感丸出しで響いたのだった。





(ク……胃がキリキリする)

北是少尉は痛む胃を撫でさすりたい気分でいっぱいになりながら、報告の場に居合わせた。取り次ぎの士官が青い顔かつ内股で帰ってきた段階からすでに嫌な予感しかしてこなかったが、やはり案の定であった。
上官への報告は部隊の代表、つまりは隊長が行なうことが決まっているから仕方なく台本を用意して、その通りに読み上げさせているのだが……正直、自信満々の顔で報告文を読み上げる隊長の姿を見ていると、『また』不必要な発言をしてしまうのではいかという不安しかなかった。
それは、二人がはじめてこの諸田歩喪連隊長に合った日のことだった。


その日は都市パナマの一室にて、諸々の都合で着任が遅れていた連隊長と連隊に所属する事になった全ての士官との顔合わせの日だった。

「アンタ達に能力なんか期待していないの。いい?要求することは二つだけ。ただアタシの命令だけを聞く事、余計なマネをしない事、以上よ。出来ないマヌケは、股下にあるその無駄にでかくなったモノを切り落とすから。分かったッ!?」

その時の反応は大きく二つ。その言動の濃さで閉口するか、評判以上の濃さに戦慄するかのどちらかだった。前者は士官学校を繰り上げで卒業した新任で、後者は北是を始めとして、他から転属となった者たちだった。

(うへえ……なにあの人? 濃すぎっていうか――――二丁目系?)
(諸田歩喪伯爵、階級は大佐だ。海外派遣部隊の連隊長を務めてきた経験豊富な指揮官なんだが……その、色々と悪い噂も多い人だ)
(へえ……例えば?)
(人身売買、気に入らない部下への不当な圧力、都市国家への無断侵入、略奪および誘拐……その他諸々)
(ちょっと予想外にブラック! )
(ほとんどが海外での事と本人の身分が高いことから証拠不十分で放置されているんだ。あと、声が大きい)

その場に大勢いることを幸いに、ヒソヒソ話をする二人。だが、耳ざとい諸田歩喪は「ソコッ!」と大声を上げて指を差す。
そしてツカツカと周囲を押しのけて、北是達……というよりも、山本の前で立ち止まり、つま先から頭の先までじっくりと品定めするような目線で舐め上げた。

「アンタの事はよーく聞いていてよ。セッキョーでの戦いで義勇軍を率いて勝利に貢献。そしてその功績を認められ特例で少尉を任命されたとか……」
「は、はあ……」
「是非ともまた大活躍を見てみたいわねぇ……出来るわよね? なんせ特別扱いされるくらいなんだから」
「まあ、あの程度ならいくらでも」

と、ここで皮肉が分からない山本の鋭いピッチャー返し。これには「さあこれからどんな風に嫌味を言おうかしら」とデッドボールを画策していた諸田歩喪伯爵に意図せぬカウンターをかますこととなる。

「へ、へえ随分と自信があるじゃない……それはなに? 元帥閣下から御配慮されてることへの自慢? 随分親しくしているみたいだし」
「――――ってか、自分、その……神に選ばれちゃった人間……みたいなんで?」
(((何言ってんだコイツ?)))

恐らくその場の全員が思ったことだろう自意識高い発言に、白ける会場。その後、「それじゃあ期待しておくわ……!」と捨て台詞を吐いて諸田歩喪伯爵が立ち去り、その場はお開きとなった。しかしその後、いきなり討伐隊の部隊長に任命してジャングルへ突入させるなどといった危険な任務を割り当てられることとなったのだった。典型的な報復人事である。――――ただし、本人は「やっぱり俺って出来る男だからなあ、ガンガン手柄あげっか!」と、一切意図に気付くことなく、元気いっぱいに先頭きって突撃を繰り返すのだった。


「――――以上、報告を終わります!」
「あ、そう。御苦労さま」

始終得意顔、ようはドヤ顔のままであることは、もはや許容すべき要素であった。本来ならば根ほり葉ほり問いただし、答えに詰まった所に罵声を浴びせさせるくらいのことは平気でやる諸田歩喪連隊長は、すでにその辺りの部分をつつく「程度」で許す気などさらさらなかったからだ。

「そうね……次は――――」

考えることは唯一つ、如何にこの糞生意気なガキを死地に放り込み、合法的な抹殺を遂行するか、であった。妙なコネがある以上、そういう部分にも気を払わなければならない。一番都合が良いのが病死なのだが、多くの者が大なり小なり南国の気候で体調を崩していると言うのにもかかわらず、風邪をひく気配すらない。
ホント忌々しい、と思いながら、伯爵は次の手だてを考えるのだった。











「『消えた首飾り。オストマルク女の陰謀』かぁ。パリも随分騒がしいみたいだ」
「俺達には関係のない話だがな」
「ああ。ここに在るのは精々がコーヒーだけ。気楽なもんだ」
「ふぁああ~あ……暇やなあ」

カリブ海を望む大西洋上にある小さな島で、木陰にオープンカフェよろしくテーブルをだしてコーヒーを飲んでいる数人の男達がいた。軍人、それもなりからして士官であるようだが、随分とのんびりしている。
彼らはカップを傾けながら、遅達の新聞を読んで遠い故郷を思い出す。大西洋を挟んでの交易の拠点である港を守る任務についてはいるものの、出動する機会はほとんどない暇な任地であった。
ああ麗しのガリア王国、花のパリ。しかし祖国を騒がすのは、隣国オストマルクから嫁いで王妃の座についた赤字夫人の散財の話しばかり。南国に飛ばされた彼らに出来るのは、こうしてコーヒーを飲んで無聊を慰めるのみであった。

「そう言えば、アレ。パナマを攻め落とされた件。偵察隊が出されるらしいぞ」
「へえ……ま、ライミー共のお友達がどうなろうと知ったことじゃ――――」
「おおーい大変だあ!」

そこに、遠くから彼らの同僚が走ってやってきた。ずいぶんと慌てているようで、手を振りながら近づいてくる。
「ブリタニアがアステカに奇襲を画策しているそうだ! 俺達にも出撃命令が下ったぞ!」
「な――――」
「なんやと?!」

その知らせに一番反応したのは、先ほどまでずっと眠そうにしていた青年士官のひとりであった。青白くて背の低い、そのくせ目だけはギラギラとしている痩犬のような男だった。

「なるほど。ブリタニアは最初っからアステカを喰うつもりやった。で、油断している所をガツン!近いうち、必ずアステカ大陸への上陸作戦を行なうハズや。だが、その主戦場は大陸北東部――――南部のここからじゃあなんも出来へん……やれるとしたら交戦中のオリーシュ軍への牽制? 裏切ったブリタニアと戦うアステカの負担を軽くしろっちゅことやな!」
「お、おい……?」

いきなり立ち上がると、自分の世界に入り込んでブツブツと何事かを語りだす男に、周りは奇異の目で見つめる。男の中では着々と今後自分達がどのような戦場に駆り出されるのかの分析が進み、そして結果がはじき出される。周りは、先ほどまでの気だるげな態度から一変し、妙にハツラツとした様子になった男に戸惑うばかりだった。

「初陣や! これから忙しくなるでぇ!! こんな所でいつまでもくすぶっていられるかっ」


そして心底うれしそうな、ようやく活躍の場を得られたかのように歓喜しながら完全に周囲を置いてけぼりにして走りだす。
ポカンとしながら、その場に取り残された者達は、男がいずこへと走り去るのをただ黙って見送った。

「なんだったんだ?」
「さあ、変わり者だとは思ってたが――――」
「暑さで脳みそが茹で上がったんじゃないか……?」

仲間達から口々にあんまりな批評を受ける男の名前はナブリオーネ・ブオナパルテ。今はただただ変人扱いされているだけの、年若い一介の砲兵士官である。



[40286] 近代編 パナマ戦線異状アリ2
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:3fd88065
Date: 2017/09/01 23:14

海から砂浜に向かって桟橋が伸び、その奥に要塞化が進みつつある連隊本部がある。そして一般兵士用の宿舎は、本部の裏手にあるジャングルに隣接するように建っていた。雨風さえ凌げればそれでいいと言わんばかりの代物で、体育館ほどの面積を持つものの、建物としての高さは低く、壁も薄いので、広さだけはある小屋といった風情である。そして空間内部も薄い間仕切りでなんとなく区切り、そこに各員がそれぞれ毛布や荷物などを持ち込んでいるものだから、まるっきり災害で避難してきた避難民の様相だ。
だが、普段はジャングルで寝泊りをしている者達にとってはそんな場所でもそこそこ快適に過ごせるのであった。堅い床の上などという粗末な寝床でも十分休息をとれるのだから、人間という生き物はけっこう図太いのかもしれない。

太陽がまだ頭上で輝いている頃。ほとんどの者が車座になって座り、パイプに詰めたタバコを回し飲みしていた。紫煙が宿舎の中に立ちこめるが、すぐに隙間から出て行くので、問題はない。そしてタバコを嗜みつつ、兵士たちは支給品の安酒で酒盛りし、あるいは賭けごとに興じているのだった。
今日は、ほとんどの者にとっての休日である。その宿舎の隅の一角で、ほとんどの中に入れなかったオリ主は慣れない筆を武器にして、書類と格闘していた。

「あーっと……『前略、仕事が見つかりました。復興や港の建設で、ほとんどの人に働き口が見つかりました。下の兄弟姉妹たちも、おなかいっぱい食べれています。薬も買えました。兄さんも頑張ってください』だってさ」
「はあ……みんなゲンキみたいデスネ……ヨカッたあ――――」
「で、返事はどうする? 三行までだからな」
「えっエット、じゃあ……」

手紙の代読みと代書である。
普遍的な事実として、故郷を離れた兵隊たちにとっては、家族とやり取りできる手紙は何よりの心の慰めとなる。とりわけ、距離としては十分近いと言っても、外国軍に占領、併合され、その外国軍の一員として軍務についているほとんどのパナマ人兵士及びその家族にとっては、そうでもしなければ心労で参ってしまうというものだろう。当然、その辺りのメンタルケアも軍隊の仕事の一環で、というよりも海外遠征軍を派遣する際の通常業務であるからして、物資を運び込む輸送船の隅を活用して都市パナマと部隊間で手紙のやり取りを行なえるように手配されているのだった。だが、肝心のパナマに暮す人々は、識字率が壊滅的に低かった。
科学力を信奉するオリーシュ人にとっては、読み書きなど子供でもできる事であったが、本すら生まれていから一度も触った事がないようなパナマ人にとって「手紙を書いて読む」ということは一種の特殊技能扱いである。となると、それを代行する代読みと代書が求められた。
そう言う訳で、通訳を挟んでオリーシュ人の下級役人がオリーシュ語で手紙を書き、軍の部隊ではパナマ人の言葉を理解できる士官がオリーシュ語の手紙をパナマの言葉で読み上げる。そしてこんどはその逆といった具合で、手紙をやりとりしていた。
そうなってくると、チート(笑)で今のところあらゆる言語を理解できる上に、文法はほとんど日本語かつ文字も基本カタカナということで、速攻でオリーシュ語の読み書きをマスターしたこの男が、ほぼ一手にこの仕事を受け持っていた。
……というより、まともな書類仕事が出来ないので、これくらいしか現状できることがないとも言える。ちなみに、通常の部隊業務は煉獄院朱雀の頼れる副官、北是少尉が全面的に請け負ってくれていたのだった。

「『――――それでは、また手紙を送ります。カルカーノより』ふう、これで終わりっと。次を呼んできてくれ」
「あ、今日はこれでオワリです、ハイ」
「よっしゃ! これで手紙書きはしゅーりょ――っ」

木箱を代用した椅子の上で、ググッと背伸びをすると、ボキボキという音と共に背中の筋肉が伸びていく。流石に本部へと戻ってきてから直ぐに始めて、数時間休まずずっと机に向かっていたものだから、身体の節々が凝ってしまっていた。肩や首をグルグルまわしながら、これまでの仕事の成果を確認する。一枚一枚手書きでつづった便箋の山が、机に折り重なっていた。
後はこれをそれぞれの封筒に入れて、送り主と送り先の名前を書いて終わりであるのだが――――

「やっぱり、クッソめんどくさいな……」

手紙の内容を書くのも面倒くさかったが、量があれば本来なら直ぐに終わることでも途端にかったるくなるものである。

「送り先と送り主くらいは、封筒を使いまわせばいちいち書かずにすむとして……いっそあいつらに文字を教えて――――いや、余計に面倒か。なら、筆をせめて鉛筆くらいにバージョンアップして効率アップを計るべきか……」

と、ブツブツ言いだす。ちなみに、鉛筆は既に存在するものの、まだまだ大量生産には至っていない。後に安価な方法で一般にも普及するようになるのだが、現時点ではその製法は存在していない。もしもこの方法を知っていたら地味ながらも十分チートなのであるが、「鉛筆を大量に作って大儲け!」などと言う発想がないため、考えにも至らなかった。何故か。それは地味だからである。

「あ――――パソコンとプリンターが欲しい」
「なんだそれは?」

この時代に概念すら存在しない代物の名前を口にしながら、しぶしぶといった手つきで封筒の一枚に手を出した所で、北是が紙の束を抱えて現れた。

「あ、よう」
「手紙を書いていたのか。悪いが、僕の分も一緒に出しておいてくれないか?」
「ん、ああ手紙ね。良いけど…………ちなみに誰宛て?」
「本土の許嫁。流石にこまめに連絡は取っておかないと不味いだろうと思って」
「あ、そうわか――――…………え、許嫁? それってあれ? いわゆる結婚相手――――?」


大して興味があった訳でもない適当な質問で帰って来たのは、恐らくは、この世界にトリップして以来最大級の衝撃であった。まるで雷に撃たれたかのようなショックを受ける。別に、「ああこいつ小姑みたいにウッサイからきっとモテないんだろうな」とか「一生童貞っぽいな、何となくだけど」などと内心見下して、いずれ築きあげるオリ主ハーレムを見せ付けて、今までの無礼な態度を悔い改めさせてやると思っていた訳ではない。訳ではないのだが、そう、純粋な悔しさで知らず知らず奥歯をかみしめる。

「へ、へえ~~あっそう、まあ、俺達も良い歳な訳だし? そう言う相手もいて当然って感じ?」
「ああ、ちょっと早いとは思ったんだが、まあ、こんな仕事だし。パナマに行くことが決まってから、すこし急いでな」
「そ、そうだな、ハハッハッハ……クソがっ」

頬の筋肉が労働を拒否しているかのような不格好な笑顔でなんとか無難な答えを返すものの、最後の最後で本音がポロリと漏れ出る煉獄院朱雀くん。正直見下していた人間に男として盛大に負けていた事を知り、なおかつそれを悟らせないようにさり気なく見栄を張り、しかし最後まで貫き通せず心の声が漏れる――――なんという小物臭さか。

「あ、そういえば、俺も手紙書こうかな~~。人のばっかり書いてて、自分の分を忘れちゃってたなあ~~ハハハ」

と、目を盛大に泳がせながら、手近にあった便箋を手繰り寄せ、筆に墨を付ける。若干手が震えているのは御愛嬌である。

「家族か? それとも恋人か?」
「え、あ? ああ、と、友達だよ友達っ」

などと、とっさに返答。流石に恋人でない人物を恋人と詐称してしまうほど男としての矜持を捨て去っていないため、というかそれをすると惨めさが際立つから、パッと頭に浮かんだ人物の顔を頭に浮かべながら、友達に送ると答えたのだった。

「――――分かってると思うが、流石に外国にまで手紙は届けてもらえないぞ」

外国人であることを考慮して、北是はそれとなく注意する。

「あ~~~~大丈夫だ、送り先はパナマだから」
「なに、何時の間に友達なんて作ったんだ? パナマに上陸した時間なんて、ほとんどなかったじゃないか」
「違う違う、相手は近衛だから。なんかアイツ、今はパナマに居るんだろ? だからちょっと手紙でも送って冷やかしてやろうかなって」
「え…………?」
「いやほら、俺達がオリーシュの港から出発するときに、なんかこう、超絶エライ人オーラ全開で演説してた、あのイケメンだよ。――――もしかして、忘れた?」
「違うわ! そういう意味のえ? じゃないよバカ野郎!!」

北是が咆える。周囲でダラダラしていた兵隊たちが、何事かとびっくりした目でみつめ、ああいつものことかと納得して再びダラダラし始める。

「相手は皇帝陛下の甥にあたる方で元帥閣下の御子息、かつご本人も少将閣下なんだぞ!? ソレをなに、気楽にアイツとか友達とかッ……いくら準帝族といえど不敬罪で銃殺もあり得るぞ……」
「……? 準帝族って?」
「おま――――って、外国人ならそんなものか…………あーそうだな、簡単にいうとだ。この国で帝族っていうのは、皇帝陛下と皇后陛下、そして次代の皇帝陛下になられる皇太子殿下のみを表す。それ以外は、例えどれだけ近い血のつながりがあろうとも帝族という分類からは外れ、ただの貴族という枠組みに入る。後継者争いで国が割れることを防ぐための措置だ」
「へーよく分からんけど、それで問題とか起こらないわけ?」
「実際ある。例えば軍隊だな。基本的に、高級将校になれるのは貴族のみだ。しかしそうなると、皇帝陛下の御兄弟が対等の同僚、場合によっては部下になる、なんていう事も起こりえる訳だ。これはまあ、体面的にもよろしくない。それに、御病気や事故で皇太子殿下が……なんてことになったら、断絶の危機でもある。実際、今代の皇帝陛下には、御世継ぎが未だいらっしゃらない」
「ふむふむ」
「そこで準帝族だ。皇帝陛下が指定した血縁者に『近衛』の姓を与えて、帝族に次ぐ地位の家格を与える。軍隊なら、元帥から少将までの階級をこの『近衛』に独占させて帝族以外の者の下に置かれないようにしたりだな。そして、不測の事態に備えて後継者候補を確保したりだとか――――と、軽く説明するとこんな所だな。っといっても、こんな雲の上の話は正直我々のような末端には関係――――」



―――――ない、と言いかけた北是の頭に浮かんだのは、都市セッキョーでの戦いの一幕。セッキョーを攻囲中の敵軍を突破して味方と合流した際に自分達を、いやもっと言えば放心状態だったこの目の前の礼儀知らずをわざわざ出迎えたのは誰であったのか……。

「な、なんということだ……」

つまりは、この何を考えているんだか良く分からない男が、この国でもトップ5に入る尊い血を引く方と親しいという事実。この不条理な事実に、北是は軽くめまいを感じたのだった。

「そ、そもそもどういう接点でお知り合いに……?」
「いやあ、ちょっと外国でヒャッハーやってて、ソレが現地のエライ人たちに怒られてさ。で、逮捕されてアイツに護送されたのをきっかけに知り合った」
「――――え、はあ???」

ヒャッハー? 逮捕? 護送? なぜそんなワードが出て来るのかが、さっぱり理解できなかった。まあ、ここで仮に、舞踏会でお知り合いに成りましたとか言われても「お前があ? 寝言は寝て言えボケッ」という感じなのだが、しかしだからと言ってこれは無いだろう、と北是は思った。

「……――――スマン、すこし頭が痛くなってきたから、先に失礼する……」
「ああ、お疲れさん。俺もこの手紙書いてから、まとめて出して来る」


額に手を当てながらフラフラとした足取りで去っていく北是を見送りながら、改めて机に向き合う。目の前には、とっさに出した一枚の便箋がそのまま残されていた。良い機会だから、フリでも何でもなく近衛ユウに宛てて一つ書いてみようかと思ったのだった。筆に墨が十分染み込んでいる事を確認すると、左手で紙を抑えつけながら、オリ主はおもむろに筆を走らせ始めるのであった。

結局、昼過ぎに出発する輸送船に手紙の積み込みと輸送を依頼し終わった段階で、本日の仕事は終了。これ以降、頭痛から復帰した北是共々兵隊たちに混じってギャンブルに興じ、しこたま賭け金を巻き上げられた頃には、すっかり日暮れを迎えていた。そして、不貞寝を決め込むべく、薄っぺらい毛布に潜り込んだのだった。










――――機は熟した。

草木も眠る丑三つ時。安普請の廊下は、歩くごとにきしみを上げた。
建物の外に広がる暗闇のはるか上空、そこに浮かぶ月が熱帯気候の蒸し暑い空気を横断して冷ややかな光を投げかける。それは密林を背に佇む兵舎の中にも差しこみ、そこを歩く男の姿をうっすらと照らす。
誰も起きていない、眠っている。何せ今日ここにいる兵隊どもは皆、昨日まで散々ジャングル内をかけずり回ってきたのだから。
耳を澄ませても、聞こえて来るのはこの地方特有らしき夜行性の獣や虫の鳴き声のみだ。別段、誰かに見られて困ると言う訳ではないが、こういう情緒は大事にするべきだろう。そう――――夜這いの作法として。

「ウフッ……」

忍び笑いが漏れる。ああ、何度体験してもこの瞬間が最も心を弾ませる。高揚感を伴った圧倒的な期待感は既に快楽である。心臓が小刻みに振動し、その都度熱い血潮が全身を駆けまわる。思わず駆けだしたくなる衝動を強引にねじ込みつつ、あくまでゆっくりと歩を進める。焦ってはいけない、そうだ。既に獲物は我が手の中であり、湧き出る欲望は吐きだすその瞬間まで、抑え込めば抑え込むほど得られる悦楽の感情は高まるのだから。

途中、窓からは薄汚い兵達達が寝泊まりする宿舎が見えた。距離的にそう近くもないが、遠くもない。一応は戦力なので、有事の際はすぐさま呼び出せるように近くに建てたのは合理的ではあるが、心情的には大分拒否感が強い。ハッキリ言えば、もっと遠くに隔離したいくらいである。あんな薄汚い連中と、今から寝込みを襲いに行く少年とが同じ生物に分類されるという事実が、なんとも不愉快なことであった。

「――――ッチ」

さて、そうこうしている内に、ギラギラ血走った瞳がある一枚の扉を見つけた。恐らくは、兵隊の宿舎を侮蔑の視線と共に眺めてから経過した時間は10秒も必要なかった。
だがこの瞬間、先ほどまでの不快感は一掃されていた。
今まで歩いてきた距離と時間が、全て最高のスパイスになる時が、刻一刻と迫ってきている。男は抑えられない舌舐めずりをベロリとすると、細く青白い手を伸ばし、握りつぶさん勢いでドアノブを掴み、可能な限り音を鳴らさないように注意しながら開け放つ。


みすぼらしい、小さな部屋だった。唯一点を覗いて、まともな家具も内装もないような安宿のそれである。だからこそ、見るからに急いで作りましたと言わんばかりの適当な小部屋の中に在ってそのベッドだけが異様に映る。何せ、人間が最低でも二人分寝られるほどの大きさで、王侯貴族が使うような天蓋付きの清潔なベッドがそこにあったのだから。
この、むしろこのようなベッドの為にあるかのような部屋の主は、とある年端もいかない少年である。そしてこの少年は当然、そのベッドの中で寝息を立てている人物に他ならない。
一言で言えば、愛らしい寝顔であった。少年本人の目鼻立ちが良い事もあるが、個々のパーツが良かった。サラサラの細い金髪は部屋に差し込む月光で淡く輝き、白人特有の肌の白さはより一層その純白さを主張し、少年らしさの象徴である身体と皮膚の柔らかさが見る者を感嘆させる。
天使の寝顔――そう題するに値する瑞々しい美がそこに在った。

「――――ああ、本当に、貴方は素晴らしいわ……」

安らかな寝息を立てる美しい天使の顔をじっとりと視線で舐めまわしつつ、それは心からの礼賛だった。思えば、自分はこの少年に出会うために、海外派遣軍に所属していたのかもしれない。今までも、世界各地で機を見て手に入れて来た。金で買えるときには金で、ソレがだめなら武力で以って手に入れて来た。時にそれを正そうとしてくる部下を死地に追い込み、重ねてきた悪行は握り潰した。
しかし後悔はない。むしろ、今までの悪徳の果ての結果がこれならば、十分元はとれたといえるだろう。

あの日。スラムというより都市全体がゴミ溜めのようなパナマの、さらに薄汚い路地裏に原石を見つけた。すぐさまはした金でその所有権を購入して、その時の代金以上の上等な食事、上等な衣服を与えて磨けばどうだ。ああ、まさに地上に降り立った天使ではないか。そして今日、十分な熟成期間を経て遂に天上の住人を我が手でもって堕天せしめる。
真っ白な雪原に土足で踏み入り、小便をひっかけて大きな絵を描くが如き所業。否、だからこそ背徳感と合わさって、より「ゾクゾク」させるのだ。

なれど、これは決してただ邪悪で、冒涜そのものに悦を感じるようなゲスなものではない。
というよりも、これは生殖を伴う行為では無い以上、本能に依った、つまりは動物としての感情ではない。より崇高な、人間の理性の塊とでも言うべき、気高い感情と行為、すなわち真なる愛であると言える。畜生どもが囚われているようなものとは違う以上、そう断言する事になぜ憚ることがあろうか!
……などと男は常々主張している。――――しかし、いくら理屈をこねようとも、下半身にできたテントならぬドームが全て台なしにしてしまっている。そもそも、限界に達しつつあった激情はもはやそれらしい体裁を整えることすらできないほどに滾って、発射の機会を待ちわびていた。

結局のところ、言葉を駆使してあーだこーだと自分を正当化してまでも、何も知らない無垢な少年を無茶苦茶にしてヤリたいだけなのだ。
少年の、言葉にならない寝言を呟くために開いたつぼみの様な口の艶めかしさを見た瞬間、男は主義主張とでも言うべき高尚な理屈を服と共に放り出し、唸り声を上げた獣となって飛びかかった。
突然の事態に目覚めた少年は、碧眼の瞳を驚愕に歪める。しかし効果的な抵抗は出来ず強引に組み伏せられ――――大切な物を一晩のうちに散らすこととなった。






男の劣情は留まるところを知らず、東の空が白み始めた頃にようやくひと段落ついたところだった。男が単なる獣になっている間、少年は最初の抵抗が失敗に終わってから、あとは声を押し殺すようにしてひたすら耐えていた。あるいはこうなる事を予見していた――――というよりも、この世のたいがいの邪悪さを知っていたが故に耐性が付いていた、というのが正解かもしれない。少年が少し前まで暮していた土地とは、幸か不幸かそういう場所であったのだ。
男は、全裸姿で少年を慈愛の目で眺めると、今度は明るくなり始めた西の海を窓から眺めて見る。
今日も新しい一日が始まる。昨晩の様な甘美な夜を何度も味わう為にも、早急に邪魔者を排除しなくては、と。頭の中で算段を立てる。

とここで、海に浮かぶナニカを発見する。本国からの輸送船にしては時間が早すぎるし、ゴミにしては大きすぎる。どこかの国の難破船であろうか、と思ったが、まああれに人が乗っているならばば向こうから来るだろうし、無人なら捨て置けばいいと思い、いそいそと脱ぎ散らした服に手をかける。
そして着るために立ちあがった所で、チカリとその正体不明の物体から光がまたたいた。さらに同時に、煙が複数立ち上がるのを見る。これが、男――――連隊長・諸田歩喪伯爵が生涯最後に見た光景になるのであった。
艦上の大砲から発射された砲弾はやや山なりに成りながらも、横殴りの雨のように連隊本部に降り注ぎ、破壊の限りをつくした。


折杖諸島に展開する第501独立志願兵連隊への砲撃とほぼ同時刻、欧州はガリア王国からの宣戦布告がなされた。大西洋地域の平和と安定の為と言う名目の元に派遣されたガリア軍は、夜明けと共にフリゲート艦による援護射撃を受けつつ速やかに同地へと乗り込んで行った。



[40286] 近代編 パナマ戦線異状アリ3
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:3fd88065
Date: 2018/03/31 23:24

それは、比較的涼しい空気に熱帯地方特有の湿気が合わさった薄明の朝の事であった。深い緑に色鮮やかな花々が咲く密林の中、寝静まった兵舎の中に突如として乱入してきたのは鳥獣の鳴き声ではなく、破裂音と高速の物体が空気を切り裂く笛の様な音色、そして直後に続く破壊の調べであった。地面を揺らし、何か硬い物体が衝撃で砕ける不愉快な目覚ましは、文字通り「叩き起こす」という表現に相応しい。
野生の鳥達がうっすら明るい東の空に向かって勢いよく飛び出していくのと同様に、人間達も同様に飛び起きる。

「な、なに!? なんだあ!?」
「エ? えっエ……?」


口元にくっきり残っているヨダレの痕跡を拭う暇すら与えられる事なく、誰も彼もが毛布を跳ね飛ばし、一体なにが起こっているのかと混乱気味に辺りを見渡す。しかしいくらキョロキョロとせわしなく頭を動かした所で、答えなどない。返って来るのはオマケとばかりに間断なく襲いかかる轟音と震動のみである。

「マイガッ!マイガッ!」
「ギャアアア――――神様ァ助けて!!」
「主よ我らお守り下さい主よぉ!!」

口々に胸元で十字を切ったり毛布に頭を突っ込んだり祈りの言葉を叫んだりと、僅かな間隔をあけて全員が混乱の渦に叩きこまれる。
足元を揺らすほどの破壊の音に寝起きを襲われたとなれば、誰であっても訳が分からなくなるモノであろうが、ナチュラルに神頼みの言葉が出るのは文化の違いか。

さて、結論を言ってしまえば、それは砲撃とそれに伴って要塞が粉砕されている音である。だが、これを聞き馴れている者はこの場にはいなかった。もっといえば、撃たれる側であり、かつソレを寝ぼけた状態で聞きなれている者もいない。であるからして、冷静であれと言うことの方が無茶というものだ。
しかしそれは通常、というよりも常人であるならば。幸か不幸か、慣れる慣れない以前の問題で、この男にはそういった動揺を誘うモノが通用しなかった。

「うろたえるんじゃないッ! 帝国軍人はうろたえないッ!! あと、いい年して頭だけ隠してケツまる出しの状態で震えるんじゃねえボケが!!」」

――――と一喝。その場にさっと立ち上がり、周囲を睨みつけるように眼光鋭く見渡す。そのとき、何故か「言ってやったぜ」とでも言うべき満足した顔であったが、オリ主もとい煉獄院朱雀が素早く立ち上がり、動揺もなく大きな声でそう叫んだことが重要だった。
相変わらず外からは怪獣が暴れているかと錯覚するような有様ではあったが、指揮官のどっしりとした態度によって、周囲は急速に落ち着きを取り戻していく。

「いいかこういう時はまずはオカシだ。……落ちついて、ゆっくり出口からから外に出るんだ。あ、ちゃんと銃と弾だけは持ってけよ」

そっと人差し指を口に当て、「静かに!」とジェスチャー。ほぼその場にいた全員が「おかし」ってなんだよ――――と頭の中で疑問符を浮かべていたが、逆にそれが良かったのか、ゾロゾロと移動を開始する。まるで小学校低学年の雑然とした避難訓練の様相を呈していたが、兎にも角にも、パニックに陥ることなく建物の外に出る事に成功したのだった。
しかし、問題はこの後である。

「――――で、これは一体何だと思うよ?」

めっきりアドバイサー? 参謀? の立場に相応しくなった北是にそれとなく相談する。繰り返すようだが、この男は別に専門家でも、ましてや軍オタでもない。とりあえず突発的にソレっぽい振る舞いをしていただけであって、いま何が起こっているのか、そしてどうするのが最善手であるのかを理解している訳ではない。ただただ直感的に良いと思った事をしているだけなのである。


「常識的に考えれば、アステカ軍の襲撃だろう。音から考えるに海から要塞に向かって撃たれている訳だから、海上からの艦砲射撃だ」
「なら話は早い! 敵が来たなら要塞に籠って戦うだけだ!!よーしお前ら行くぞお!!」

拳を突き上げ、兵達を引き連れて裏口から要塞に入って行くオリ主。当然、その副官である北是もそれに付いて行くのだが、基本頭空っぽのオリ主とは違い、むくむくと疑問が湧き上がってくる。それは先ほど自分が出した答えに対する疑問であった。

(陸軍主体のアステカ軍に海軍? それに、占領されたパナマでは無くこんな辺鄙な場所を態々攻撃してくるか? しかも今更になって…………嫌な予感しかしないな)

状況から導き出した最も妥当であろう解答が、どうもしっくりこない。何か大きな見落とし、もしくは思い違いがあるのではないか――――そんな形容しがたい不安に襲われる。
不穏な気配に震えが走った。南国のハズなのに、なぜか背筋が冷たいのだった。


「探せ探せ!! ――――バカ野郎そっちはもう調べた!」
「第三角塁が壊されました!」
「連隊長ぉお!連隊長ォオオオ!!」

やはりと言うべきか、要塞内は混乱状態であった。兵士たちがあちらこちらに走り回り、迷子であるかのような不安げな声を出しながら右往左往していた。新しいというよりも工事中とでも言うべき廊下を疾走して勢いそのまま作戦指示所に飛び込むと、そこには要塞守備隊の若い士官達が焦った顔を突き合わせていたのだった。「援軍に来たぞ! なにがあった!!」とオリ主が叫べば、驚いた顔のあと一瞬だけ喜び、そして再び渋い表情を浮かべる。


「ゴホン。ああ、君。何があったんだ?」
「あ、いや……」

北是が代わって問い直しても、どうにも明確な答えが返ってこない。もちろん現在攻撃を受けている事など百も承知なのだが、敵はどの程度の数なのか、対して現在どのような応戦を行なっているのかだとか、そういった戦況的なものを聞きたいのだがまともな返答がない。こうなってくると逆に困惑してしまう。
だが、しばらく逡巡した後にようやく若手士官たちのひとりが泣きそうな顔で、その理由が一発で察せる一言を言い放つ。

「その……連隊長、今どこにいるのか知りませんか?」
「……え?」
「さっきから探させてるんですけど、何処にも居ないんです。居室も見ましたけど――――ベットで寝た形跡すらないみたいで……」
「ふざけんなバカ野郎!! そんな事より敵から攻撃を受けているんだぞ!総員戦闘準備だ! 敵の船数はどれくらいだ!!10か?100か!?」

とここで、どうにも煮え切れない会話にしびれを切らしたオリ主が咆哮を上げた。責任者不在の状況よりも、撃たれてるんなら反撃するのが先だと、怒鳴り散らす。その迫力に押された士官のひとりが、答えるように一歩前へ。

「えっと――――はい。現在確認できる範囲では、敵はガリア王国軍所属のフリゲート艦が一、ソレに護られた同じく輸送船が二の合計三です」
「よし、ならこちらも反撃だ! 大砲を撃って撃って撃ちまくれ!」
「――――いえ、出来ません、です」
「あ?…………え?」
「なにぶん未完成というか、そもそも残党狩りの拠点程度の役割しか求められてなかったので――――大砲とか付いてないんです、この要塞」
「じゃあ、こちらから海に突撃――――」
「よし。ならお前が小船に乗って行ってこい何時も通り。その前に吹っ飛ばされて終わるだろうがな」

北是の冷静な突っ込みが入る。この段になってようやく、完全無敵のオリ主様の顔に、「あれ?」と感じるだけの冷静さが宿る。

「じゃあどうしようってんだよ!」
「それを決める連隊長を探しているんだよ。まさか連隊長御一人で逃げられた訳でもなし」


オリ主。ようやく状況を把握する。つまり彼らは責任者不在の緊急事態に困惑していたというよりも、この現在撃たれるばかりで一発の反撃も出来ないという、棺桶と化した要塞に籠っている現状に対して困惑していたのだった。
より端的に言えば、「マジで陥落五秒前」なので、逃げたいから許可が欲しい、な状態なのだ。

「とにかくそういう訳だから、早く見つけて撤退を命じてもらわなければ――――」

北是が「まて、まだ慌てるような時間じゃない」とでも言わんばかりの手ぶりと共に先を続けようとしたその時、扉が勢いよく開く。
「連隊長殿戦死! 連隊長殿戦死! 小姓の部屋で敵艦からの砲撃を受けられて戦死された模様!!」
「「「…………」」」


え、マジでヤバくね? どうすんのこれ俺達全員マジで死ぬんじゃね? ってか何でそんな所に居るんだよと、その場にいたほぼ全員が同じ思いを抱いた事は、互いに目配せで察する事ができた。

「――――クソッ惜しい人を亡くしたぜ! 俺に手柄をいっぱい立てさせてくれる、立派な上司だったのに…………っ!」

唯一の例外が悔しげにつぶやき故人を偲ぶと、再び皆が一斉に思う。
え、この人本気で言っちゃってんの? 
……見よ、この素晴らしい戦友同士の仲の良さを。皆が同じ思いを抱き、それが理解できる相互理解のなんと美しいことか。戦場にあってこれほどの宝があるだろうか、いやない。
だが、それはともあれ次の一手を決めなければならない。こうしている間にも砲弾が次々と命中し、その度に衝撃が走っているのだから。


「――――時に。こういう隊長が死んだ場合って階級的に、次に偉い人間が隊長を継ぐんだよな」
「ああ、その通りだ」

と、どこかで聞きかじった知識を確認する。恩人が死んだと言うのに、随分と切り替えが早いものである。それはソレ、これはコレ。流石現代っ子、人間に対してドライである。
とは言うものの、死んだ人間よりも生きている人間の方が優先されるので当然でもあった。

「それって誰?」
「要塞内に居る士官は此処にいるので全員です。れんたい――いえ、前連隊長は佐官でもバンバン首にしちゃって、今では僕達みたいな新任しかいないんです」
「――――全員少尉……か。まったくもってあり得ない現状だが、そうなると現在二つの部隊の内一方がもう一方を吸収する形になるだろう。よって両隊の隊長で先に任官を受けていた方が上位者として指揮権を得ることとなる。少なくとも、島の各地に派遣している部隊のなかで中尉以上の人間に指揮権を渡すまで。だが――――」

北是がソレに答えると、チラッと若手士官達に視線を向ける。
すると、その内の一人が代表して答えた。

「その、僕達は全員士官学校を繰り上げ卒業して急いで送られたから……任官したのはパナマに到着してからだったので――――」
「――――え? なに、俺?」
「誠に残念ながら、今から我々の隊長は君だ」
「そ、そうなの?」

自分から話を振ったのに、流れに微妙に付いて来れなかった男が急に皆から視線を向けられてキョドった。
本人の気持ち的には、その次の隊長が誰か教えてもらい次第、その人の元へ飛び出していくつもりだっただけに完全に予想外の展開。いくら最上位者が死んだとはいえ階級面で言えば、自分以上の人間はまだまだいると思っていたのだ。
だがしかし――――前任者は人事面で相当な無茶をやらかしていた。自分に意見できるような存在をさっさと追放し、己の放蕩っぷりを見て見ぬ振るをするしか出来ない様な身分の者しか残さなかったのだ。改めて思うに、彼はここに戦争をしに来たのではなく、バカンスにでも来たかのような振る舞いであった。

ドーンッガラガラ……! と、大きく何かが崩壊する轟音と震動。続いて「角堡がまたひとつ崩されました!ここにも流れ弾が……ッ」という悲痛な叫びがその後を追う。どうやら部屋の隅に金属のラッパの様なものが取り付けられており、そこから先ほどの声がしたようであった。小粋なインテリアだと思って視界からほとんど除外していたが、よくよく見ると同様な物が複数、列をなすようにして壁にひっついていた。恐らくは、これを使って指示を要塞中に送れるようになっているのだろう。
また、先ほどの報告以降、改めて意識をこのラッパもどきに向けて見れば、悲鳴やら破壊音やら、それぞれから切迫した現場の音が耳に飛び込んで来る。それらを聞けば流石に――もうこれは色々と無理なのは明白であった。

「一応、私たちの権限で兵達は比較的安全な場所で待機するよう命令しています。ですが、こうも撃たれ放題では時間の問題です」

若手士官達が、それとなく促す。今ならまだ、人的被害を最小限にできると。

「……ッ……ッ!~~~~ッッ」

今にしてようやく悟る。これは貧乏クジであると。神に祝福され、勝ちまくりモテまくり、札束風呂で美女を侍らすが如くの人生が約束されている転生先で、よもやこのような屈辱的な自体に陥るなど、不快の極地である。
――――いやまあ、オーストラリアからオリーシュに囚人護送されるという失態はあったものの、コレとアレとでは事情が大きく異なる、と本人の中ではそうなっていた。
なぜなら――――これより先は、自分の決断で行なうのだから。

「残るじゃねえか……俺が――――たって事が、歴史にさあッ…………!」

最強チートオリ主はその事実に顔を真っ赤にしてプルプルと震える思いであった。自己の行動が一生どころか未来にまで残るのかと思うと、決して消えない汚点を刻まされる気分であった。これならばまだ、死んだら灰になって消える分、額に「バカ」の字を刺青したほうがマシである、とまでちょっと冷静さを欠いている脳みそで思ったほどだった。
しかし…………しかしである。まさかここで総員夕日に向かって走れならぬ海に向かって玉砕アタックをかますほどトチ狂っている訳でもなく、それはそれとして、どうにもならない事を理解して飲み込めるだけの冷静さだけはかろうじて残っていた。だからこそ、悔し涙を浮かべながらも最強チート様(笑)は断腸の思いでその言葉を口にする。

「……逃げる」

ズカズカと大股で壁掛けラッパに向かって歩みより、大きく深呼吸した後に叫ぶ。

「逃げるんだよチクショウめ! 全員撤退!! ジャングルに逃げ込めええ!!」

悔しさと不甲斐なさをたっぷり込めた慟哭は金属のラッパもどきを通して瞬く間に伝わった。その際の大音声のおかげで、まるで要塞全体が敗北の不名誉に泣いたかのような震えを一瞬だけ見せる。かくして、新連隊長―――煉獄院朱雀少尉は同要塞の放棄を決定。部隊はジャングルへの敗走と相成った。

後年。何百回と勝利を飾っても戦勝率が100パーセントになることはないのだと思うと舌を噛みちぎりたくなる、などと本人が忸怩たる思いで評した敗北は、こうして歴史に刻まれた。
















払暁は既に過ぎ、太陽が周囲を明るく照らし出した頃。小船を降ろし、彼らは小人数ごとに上陸していった。白い砂浜にはマスケット銃を構えた兵隊たちがゾロゾロと続いて行く。砂浜にいくつもの足跡を付けながら目指すのは、目と鼻の先に在る敵要塞。
しかし、彼らを阻むものは何もない。夜明けと共に行なわれたフリゲート艦からの砲撃によって、完全に沈黙している。というよりも、反撃らしい反撃などなく、実はとっくに放棄されていて、無駄弾を使わされたのではという疑念すらあった。
ガンッ! 正面脇にあった扉を蹴り破り、突入していく。通路を抜け、幾つもの部屋を一つ一つ調べて行く。共通して、生活感の薄い、というよりもまだまだ日が浅く住人達の色が付く前の、新築特有の真新しさがそこにはあった。
ガリア軍兵士達は泥棒よろしく、手当たり次第に部屋に押し込んでは中身をひっくり返していく。その際、ほとんど金目のモノがない、というよりも内装すら未完成の有様にがっかりしながら、そこで見たものを報告していく。

「食料庫を発見。ほとんど手つかず」


実際に行ってみる。確かに、そこには食料が詰め込まれた袋が山となって積まれていた。その内の一つをナイフで裂いてみれば、大小様々な種類の豆が滝のように流れ出て行った。更にその隣に据え付けられていた調理場においては、調理途中と思しき大鍋がそのまま取り残されていた。中身は豆の煮込みスープであった。

「フム……塩味やな……」

突入部隊の1つを任されていたガリア陸軍貴族士官のヴォナパルテ少尉は眉間にシワを刻んだ表情のまま、おもむろに鍋の中にお玉を突っ込み、一口すする。それから、窯の中に残されていたパンや籠の中に入っていた果物をムシャムシャと手づかみで食べながら、先ほどこぼれ出て、そのまま足元に転がっていた豆を幾つか手に取ると部屋から出る。

「報告。武器庫には銃と火薬が持ち出されたあとがありやした。それと、指令所も」
「ッチッチ……ほな、先に武器庫に案内せーや」

歯に挟まったカスを無作法にツメでほじくり返していると、他の部屋を探索していた兵士の一人が駆けよってきて、そう告げた。「面白くない仕事はよう終わらせるに限る」と、つまらなそうな顔をしながら実際にその場へ行って確かめれば、確かに複数ある武器庫の中身は空っぽであった。銃を固定する台座だけが壁一面に残されているだけで、恐らく火薬を保管していたであろう空きスペースが寒々しくのこされていた。残留している火薬のにおいがこの広い空間に僅かに漂っているのみで、それ以外では、隅に小さな机がポツンと残されているのみ。
それに何気なく近寄ると、手に持っていた豆を何らかの規則に従って、机の上に配置していった。
上から見ると、中央に大きな豆が三個、そしてそれから距離を置いて、ソレらとは一回りも二回りも小さいものが複数散らばっている。

「あの、それは?」
突然の行動に、一体この人は何をやっているんだろうと思い、周りにいた兵士の一人が尋ねる。

「ここがワイら……で、こっちが敵どもや」
「ああ、なるほど」

味方が大きな豆で、小さな豆を敵と呼称する。
つまりは、これは指揮官が地図上に彼我の戦力を配置して作戦を思案する際によくやる手法なのだ。本来駒で行なうべきものを豆で代用し、地図を想像で補っているだけなのだ。

「いつものように朝メシ喰おうと準備しておったら、ドカン。せやけど戦う手段も頭数もないもんやから、スタコラサッサト逃げおった。恐らく主力は分散して島内に今もおる。用意されておった朝メシの分と要塞の大きさ的に考えれば――――」
「はあ……」

説明と言うよりも、自分自身の考えを組み立てるためにひとりごとを言い出したのを機に、周囲は何とも言えない空気が漂い始める。というよりも、彼は今日一日、朝からずっと不機嫌であったから、どうにも空気がギクシャクしていたのだった。だが、当人はそんな周囲の反応も気にしなかった。

「――――まあええわ。次、指令所はどこや?」
「あ、はい。こちらです」

武器庫から指令所までの距離は、実際かなり近かった。事故があった時のことを考えればある程度距離があってしかるべきなのだろうが、かつての要塞の主の性格上、武器の類は常に自分の目の届く範囲内に保管したかったのだ。ガリア軍の兵士たちは、地の果てからやってきた連中の考える事はよく分からんな、口々に言った。

さて、目的地までの短い距離の間でも、男はブツブツと自らの分析を誰に聞かせる訳でも呟いていた。相変わらず、ちょっと近寄りにくい雰囲気を放出している。

「要塞ん内におった少数の留守番兵は今頃せっせと逃げとるやろうな。ジャングルの奥へ奥へ……せやかて、連中はメシには目もくれず武器を真っ先にもってトンずらしよった」
「個人的には、何処へなりとも逃げてくれりゃ楽でいいんすけどね」
「アホウ! そんなんでどうすんねん。ワイの商売は戦ってなんぼや」
「といっても、敵さんはさっさと逃げちゃいましたが」

兵士に熱弁を振るう。どうやら、起こると思っていた戦闘が起こらずに消化不良だったことが不満であったようだ。しかし、その文句は逃げたオリーシュ側に言うべきことだろう。もっとも、突如として攻められた上に撤退したことにケチを付けられたのではたまったものではないだろうが。


「多分、いや絶対、このまま終わりとはならんで。なんせ武器を全部持って逃げたんや。ちゅーことはそういうことや」
「はあ――――」

そうこうするうちに、扉の前に辿りついた。すると、案内役が戸惑ったように振り返る。

「あの……ここです。ただ、実は内部の壁に文字が書かれてまして――」
「文字ぃ? なんやそれ」
「いや、多分ブリタニア語なんでしょうが、自分には読めないもので。もしかしたら呪いの言葉かも」
「教会でエラそうにふんぞり返っとるクソ坊主どもじゃあるまいし、気にしいやなあ。まあええわ、この目で直接拝見させてもらうで!」

バンッと勢い良く開け放つ。筆記用具と地図を広げるための大きなテーブル。そして、声を伝えるための金属管――――そして、「呪いの言葉かも」と兵士を困らせた件の文字が、壁に赤い塗料でデカデカと、そして荒々しい筆使いで残されていた。

I shall return
私は必ず帰ってくる


それはある意味で呪いの言葉よりもなおインパクトがあった。なぜなら、明確な戦いの布告であったから。

オモロなってきたな……っ! 

獰猛な笑みを浮かべたヴォナパルテ少尉は、今日初めて気難しそうな顔を崩して、心底おもしろい遊びに誘われたかのような顔をした。











あとがき
ただただ遅れてスイマセン……次は四月頭くらいには…………

追記 次回の投稿ですが、四月の頭ではなく四月中ごろに延期させてください。
PCゲーみたいに延期の延期とかしないように頑張りますので、どうかよろしくお願いします。



[40286] 近代編 パナマ戦線異状アリ4
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:d899a5e0
Date: 2018/04/16 01:31


早朝の都市パナマ。太陽が東の空に昇り始めた頃、海辺に程近い場所には屋台が密集していた。ここは現地の労働者が早い朝食で腹を満たすための場所である。さながら朝市のように活気づいている場所で、友人同士らしき若い男が二人、焼いた肉とパン、そして魚のダシが効いたスープを屋台に備え付けられた粗末なテーブルで食べながら喋り合っていた。

「最近どう?」
「今は港が造り終わって休暇中。そっちは?」
「カカオ農場造ってる」
「へ~」

何気ない世間話。だが、それは数カ月前までは考えられない現象であった。かつてパナマがアステカ帝国領であった頃は、まさにスラムと言っても良いほど街には荒廃感と陰気な雰囲気が漂っていた。何度も南のインカ帝国との戦いで戦争に巻き込まれ、若い男手は大抵兵隊に取られる。そして先の遠征では根こそぎ動員とでも呼ぶべき無茶な徴兵が行なわれた結果、都市の人口ピラミッドは一時期とんでもないことになった。
ところが、攻め込んだ神聖オリーシュ帝国で遠征軍が崩壊。そして逆にパナマが占領されるという憂き目にあってから、状況が一変した。都市に砲撃が加えられていた時にはてっきりこのまま更地にされるのではと戦々恐々していたものの、蓋を開けてみれば遠征先で捕虜になっていた男達が続々と復員し、それどころかジャブジャブと湯水のように都市パナマへの投資が行われた。
続々と都市に必要なインフラが整備されると同時に、大量の食糧と品物が運び込まれた結果、同都市は高度経済成長を彷彿させるような勢いで発展を続けている。
仕事はいくらでもあり、働けば働くほど街と懐が豊かになり、欲しいモノがどんどん買える――――まさに復興バブルに沸いていたのだった。
これは、神聖オリーシュ帝国からこの地における現地兵の指揮権と共に大幅な裁量権を与えられていた近衛ユウ少将が、パナマを太平洋と大西洋を繋ぐ交通と交易の一大拠点とするという思惑と、占領直後のまだガレキが至る所に残っていた時の情景に心を痛めていた過去から生み出された、占領地にはあるまじき扱いの結果であった。
だがその辺りの事情は大っぴらにはされず、ただただ近衛ユウは慈悲深く美しい貴公子であると現地民からの受けはすこぶる良い。

「全くよ、負けた時はどうなるかと思ったけど、あの若い将軍様のおかげで俺達の未来は明るくなったもんだ」
「散々エラそうにしていたアステカも、もうお終いだザマアねえぜ!」
「そう言えば。そろそろアステカに止めを刺すために大軍が来るんだってよ」
「おおそりゃあ良いね! 今日最高の知らせだ!! まだ朝だけど」
「「我らが将軍閣下に乾杯!」」

ハハハハ! と早朝なのに軽く酒を飲んで笑い合う男達。
民心は安定している。復興も軌道に乗っている。このままいけば戦争の傷は早々に癒え、二つの大洋を繋ぐ都市として大いに発展する明るい未来があった。だが――――太平洋側の水平線にぽつぽつと現れ始めた大艦隊が、いまだ戦争が終わっていないことを見せつけるのだった。





「テノチティトランへの進撃は、予定通り明朝となります」
「よし。とにかく時間との勝負だ。ここの奪還の気配すらない内に一気になだれ込め。先鋒は新設した部隊にやらせる」
「よろしいのですか? 新兵の比率が多いですが」
「構わん。敵が準備不足の内に戦場の空気に触れさせろ」
「はい。では続いて海軍のほうですが……」

アステカ帝国首都テノチティトラン攻略にむけた軍を引き連れてパナマへと上陸した近衛元帥は、将官専用宿舎の廊下を歩きながら部下へと指示を飛ばしていく。
元帥はパナマに上陸して以降、ほぼ不眠不休で侵攻軍の準備に没頭していた。こうして、歩きながらでも仕事の手を緩めないのもそのためだ。
事前情報では敵の動きは全くと言っていいほどなく、当初予想されていたパナマ奪還の為に派遣されると思われた敵部隊の存在も確認されていない。この事態を元帥は「敵の混乱」として判断し、陸上戦力5万と護衛兼支援を目的としたフリゲート艦を含んだ大艦隊を都市パナマへ駐留させると、すぐに北進させることを決定した。到着してから、まる二日程度の速決であった。
そこから殺人的な仕事量に忙殺されることとなったが、間にある密林地帯さえ突破してしまえば敵首都は目の前であるため、この戦争の決着は目前であると思われた。その事実が、元帥に活力を与える。

「――――」
「……ガリアだと?」

だが、ここで横やりが入る。後ろから駆け寄って来た部下がそっと耳打ちする。突如としてパナマ都市圏の外縁にある諸島に上陸し、アステカ軍の残党狩りを行なっていた友軍に攻撃を開始したというのだ。
うむ……と、元帥は少しの間だが考え込む。時間にして十数秒だが、その間に、今度は前方から再び人が駆けよって来る。真新しい服装と、若く美しい顔立ち。そして貴公子然とした雰囲気を漂わせる近衛ユウであった。

「父上……! が、ガリア軍が突如として我々に宣戦を布告してきました!! 既にパナマ東方の外れにある折杖諸島にて建設中であった要塞が占領されるなど深刻な事態に――――」
「たった今同じ報告を受けた。死守命令を出しておけ。降伏も認めるな」
「ッ?! そんな、味方部隊は少数です! それでは――――」
「なるほど、分かっていないのか。いいか、連中は金次第で誰にでも噛みつく傭兵のような国だ。大方アステカに金で頼まれたんだろう。アステカが落ちれば、連中も何処ぞへと逃げ散る」

それは事実でもあった。欧州に名高き戦争国家ガリア王国。欧州を中心に、戦争にたびたび雇われ参戦し、交易船の略奪や、火事場泥棒のように交戦相手の都市を攻め落としては賠償金をせしめる悪名高き王国だ。過去においても友好的な関係であった国へ不意打ちのように宣戦布告し、散々に荒らしまわった記録が残っている。
ただし今回は本拠地から距離的にも離れ、間に海が跨っている。故に、アステカに金を積まれて、言い訳程度に戦力を差し向けた程度であると元帥は考えたのだ。

「ですが、しかし――――敵戦力は同地での友軍戦力を上回っています。既に任務についていた連隊では連隊長が戦死しており、せめていくらかでも支援を!」
「ほお……ヤツは死んだのか?」
「えーと――――はい。志願兵どもを率いていた『例の』伯爵さまは早々に戦死。現在はたまたま要塞近くにいた煉獄院少尉が敗残兵をまとめて行動しているとのことです」


元帥は先ほど自分にガリア参戦の一報を届けた部下に目配せする。「例の」という部分に込められた意味を即座に汲み取った元帥は、たかだか少尉がまとめ役をしている事に納得する。そしてしばし思案し、その名に覚えがある事に気付く。元帥は表情には出さずに心の中で残酷な笑みを浮かべると、すこぶる悪辣な考えを閃く。

「既に北進の為の準備が完了しているのだ。予定通り、我々は敵首都を攻め落とす。死守命令を出せ」
「考え直してください! 撤退か降伏の許可を――――!」
「ダメだ」

なおも喰い下がろうとするユウを、元帥は一言で切って捨てる。
元帥は内心の感情を悟られないように表面上は何気なく、指示を付け加えた。

「あとその少尉は二階級特進の上、連隊の指揮権を引き継がせろ。そして、死にたくなければ島を守り切れと伝えておけ」
「そ……そんな――――!」

信じられない言葉を聞いたように顔を青ざめさせた近衛ユウを残して、元帥は足早に去って行った。二階級特進とは、戦死した将兵に与えられるモノだ。それが未だ生きている状態で下されると言うのはつまり、「死んで来い」という命令とほぼ同義である。さらに、連隊長にされてしまえば、命令を無視して撤退や降伏してしまった場合には責任を取らされるということ――――すなわち軍法会議からの銃殺は免れない。
まさに逃げ道を塞がれた、死刑宣告であった。







「――――クッ!」

端正な顔を歪め、唇をかみしめた。以前にも同じような事があった。だが、今回のそれは前とは比べ物にならないほどの危険度だ。なにせ敵にはフリゲート艦が確認されている。ならばこちらも海軍を派遣してカリブ海の制海権を確保しなければ、彼らは孤立状態かつこちらも援軍を送れない。だが、海は大陸によって東西に分断されているので、艦隊を南へ大きく迂回させ、太平洋から大西洋へ出なければ派遣できない。
しかし、時間をかけてしまえば到着前に現地部隊の全滅は必至である。結局のところ、支援しようとも事実上無理なのだ。

(何とかしなければ……なんとか――――)

必死に対策を考えるも、簡単に思いつくなら苦労はしない。名案を思いつかないことから焦りを感じてついつい足早になっていると、気付けば自室に到着していた。せめて地図でも見ればヒントになるのではないかと思って部屋に入れば、机の上に一通の手紙が乗っていた。私室に在ると言う事は、個人宛に送られたものであると言う事だ。ユウはいぶかしみながらも汚い字で宛名が書かれたソレを開封して、手紙の内容を一読する。そこには、送り主の性格が出ているかのような大雑把な筆跡で、友人に語るような他愛のない内容が書き連ねられていた。そしてその最後は、今しがた考えていた少年の本名と、短い英文で締めくくられていた。

「…………」

ユウはもう一度だけ内容を読み返し、その一文に目を止める。

「必ず帰る I shall return」


海に囲まれた逃げ道のない戦場――――かつての自分も、敵に囲まれ迫りくる死をひたすら先延ばしにする日々を僅かな期間ではあるが経験したことがある。彼はそれを、生命を賭ける覚悟で突破して助けに来てくれた。いくらでも逃げだせた立場にありながら、チャンスがありながらそうしなかった勇気に、何としても報いなければならない。さもなければ自分は一生、彼に合わす顔がない。
彼が後先考えない非常識な突撃戦法で助けてくれたのならば、自分もまた非常識な方法であろうとも助け返すだけだ。

「よし、今だけは君を見習おう!」

ユウは今一度、今度は常識を放り出し、地図を取り出して自分が出来る最善の手を考え始めるのだった。

(でも…………なんだろう?)

正直。こちらの心配を無視するかのように軍隊に入ってしまった彼に、思うところがない訳ではない。最後に彼を見かけたとき、形容しがたい怒りにも似た感情さえ感じた。だが―――――I shall return

戦場で敵に囲まれている状況を加味して(当たり前だが、この手紙自体はこうして届いた以上、そうなる以前に書かれているハズである)、少しロマンチックに訳せば。
――――必ずあなたの元に戻ります

「っ!!」

書いた本人は何となくカッコイイ締めの為に書いたのだが、それを知らない近衛ユウは、人知れずその訳を頭の中で作ってひとり赤面するのだった。


さてその頃のカリブ海。住居にしていた要塞が陥落して行き場を失ってしまった連隊であったが、彼らは現在要塞から視認できる範囲ギリギリ外にある小高い丘でそっと息を潜ませ潜伏していた。周囲には完全手つかずの密林があるおかげで天然の目隠しになっていたので、そうそう目視されることはない。
異変を察知して各地に散っていた部隊も方々に人をやったり、見張りを置いたりしてうまくこちらと合流させることができたので、鎧袖一触で蹴散らされることはないだろう。
だが、人数が増えただけに、いまのままではガリア軍が討伐隊を組んで捜索された場合、あっさりと見つかってしまう。それでもそうならないのは、現在まで要塞内のガリア軍が軍事行動に移る兆候がなく、それどころか連日連夜楽し気な弦楽器の音色が響いてきて、いまだ祝勝会を行っている様子ですらあったからだった。

「……来たか」

北是少尉が空を見上げてつぶやいた。青空を背景に、一羽の鳩がこちらに向かって飛んでくるのがわかる。バタバタと羽を羽ばたかせながら、北是の差し出した腕にとまる。そして、その足に結びつけられた紙を自らくちばしを器用に使ってほどいて見せた。

神聖オリーシュ帝国軍にて正式採用されている伝書鳩である。高い知能と優れた長距離飛行能力から、時間さえあれば世界の裏側からでも手紙を配達してくれるという、規格外と表するべき品種だ。先日のガリア軍の襲来と要塞の陥落を都市パナマの司令部に報告し、事後の命令を仰ぐために送られていたこの鳩を待つために、彼らは危険を冒してこの場所に待機しつづけていたのだ。ある程度要塞から近くなければ、最悪の場合迷って現地の猛禽類に襲われてしまうこともあるからだ。

「ハァ、またか。またなのか―――おい隊長代行殿! お前にだ!」

読み進めるごとに眉間にシワがより始めた北是は、紙をグシャリと握りつぶすと共に吐き捨てた。そしてその声に反応したように、茂みからヤツが出てくる。緑色の服に、さらに葉っぱを括り付けた迷彩スタイルであった。

「手紙ぃ? あ~~、あれもう返事帰ってきたの。アイツってラインとかメールがあったら即返してくれるタイプだなぁ」

顔に覇気がない。敵を前にして撤退を余儀なくされたことが堪えたのか、ここ最近はずいぶんとおとなしかった。
最初のうちは威勢の良いことを言って、気炎を吐いていたものの、汚名返上の機会もなく腐っていたのだった。

「何を言ってるんだか全然分らんが、早く読め」
「ヘイヘイ、どれどれ――――ふむふむ!なるほど――――!!」

オリ主は同じように読み進めていくが、今度は先ほどとは真逆で、字を追うごとに喜色満面に、そして獰猛な笑顔へと変っていく。
同じ内容でも受け取り方が違っているが、前者のほうが一般的であることは確定的に明らかであろう。後者になるのは変人か気狂いの証明だ。

「つまりは、俺がこの連隊を率いて島からあの連中を追い出せと。名誉挽回の機会というわけだ!」
「二階級特進の前払いでの死守命令で喜べるのはお前だけだろうがな! 今更だがどういう神経してるのかさっぱりわからん!」

北是は頭を抱えて地面に転がりまわりたい衝動を必死に抑えながらも我慢できずに叫んだ。前回も戦死不可避の特攻をやらされて、まだだいぶ日も浅いというのにこの仕打ち。
あの時は死神がサボっていたのか運よく生き残れたが、そんな奇跡が二度も続くと期待するのは大馬鹿野郎である。こんな見ず知らずの異国の土地で捨て駒として死んでいくならば、いっそセッキョーでの戦いで死んだほうがまだ故郷で死ねる分マシというものだ。物資の補給もなく、周りは敵の船が見張って逃げ場なし。
そしてなにより敵の数がこちらを超えているのだ。自分の境遇に絶望をするのが普通である。

「安心しろよ。俺がいるんだ」
「――――――――」


自信満々に言い放つ新連隊長を、あからさまなまでに胡散臭そうに見つめる。

――――確かに、この男ならなんやかんやで奇跡の大逆転を再びやってみせ、万に一つの可能性をひょっとしてつかんでくれるのでは……

などと、一瞬だけ思ってしまったのだった。

「だって俺、オリ主さまだぜ? いや~~モテるって凄いね。前の戦いでも俺のファンができたみたいだし、幸運の女神さまも俺にゾッソンだって。そんで今更だけど、攻めてきてるガリアってどこの国? 地図とか、あと有名な歴史上の人とか教えてくれれば何となくわかるから」

サムズアップでいい笑顔。そして浮かれまくって調子に乗りまくった世迷言の後にいつもの寝ぼけた発言。それを聞いて、北是は思った。やっぱりもうダメかもしれないな、と。










南国に浮かぶ美しい月夜にて、フリゲート艦の甲板で行われる連日の宴。どこから用意したんだと尋ねたくなる美酒と料理に素晴らし音楽。いわば男ばかりの宮廷晩餐会が毎夜開かれ、貴族士官たちが優雅に、そして楽しい夜を過ごす。
だが、参加者のすべてが楽しめているわけではない。一日ならまだしも、こう飽きもせずにオシャベリと飽食の毎日ではたまらないと、少しづつフラストレーションを重ね続ける男がいた。

「ジュテーム?」
「ブルボーン!」
「ムシュー?」
「ウィ!」
「なに話とんねんさっぱりわからんわ」

故郷のコルシカ島なまりのガリア語でこっそりと小声で毒づくのは、地方出身のナブリオーネ・ブオナパルテ少尉であった。この場の出席者たちは、だれもが中央の、宮廷社交界を経験した貴族である者たちばかりだ。
すると、言葉ひとつとっても発音やら言い回しやら違ってくる。一応は貴族階級に属しているものの田舎の生まれであること、そして誕生した年に故郷がガリアに編入されたという経歴もあって、由緒正しい正統なるガリア語に不慣れである彼は、蚊帳の外である。そのうえ、彼の見立てではまだまだ戦う気がある敵が密林に潜伏しているのだ。
となれば、ワイングラス片手に楽しむことなどできるはずがない。そもそもむさい男しかいない場所で、何をキザッたらしくと白々しく思うのだ。

「やあ楽しんでいるか少尉?」
「はあ、おかげさまで」

真っ赤な顔ですでに出来上がっているカール髪のカツラを付けた男が取り巻きに支えられながらふらふらとした足取りで近づいてきた。ガリア側の司令官、ジャン・ピエール将軍である。
とっさに標準的なガリア語で対応する。やや発音に違和感があったが、将軍は酒臭い息を吐きながらブオナパルテの肩を抱き、もっと飲めと自分がもっていたグラスを差し出す。
しぶしぶ受け取るものの一口だけ口に含んだのみで、いい加減こらえるのも限界になってきた質問をぶつけた。

「敵はいまだ密林に潜んで我々に襲い掛かる機会を待っています。明日からでも、討伐隊を組むべきではないでしょうか?」
「明日から? 討伐隊? 何を言ってるんだまだまだ宵の口だ。あと一週間は楽しい宴を続けるぞ」
「い、一週間?」

ブオナパルテはその日数に絶句した。だが、将軍は当たり前だと言わんばかりで、まわりの取り巻きも同様の反応を見せている。
いつの間にか、ほかの参加者たちも自分と将軍のやり取りを見ていることに、ブオナパルテは気が付いた。

「いかんなあ、どうやら分っていないらしい」
「?」

ニヤニヤとした半笑いの将軍の表情にいぶかしむ。にやけた顔をそのままに、指を鼻の穴につっこんだまま、疑問顔のブオナパルテに語る。

「これはお前のための宴なんだよナブリオーネくん。ド田舎生まれで貴族らしいことを全く知らんだろう君に、すこしでも雰囲気を味わってもらおうという我々からのささやかな善意の発露なんだ」
「それは……あ、ありがとうございます」
「さっき敵はまだ戦うつもりがあるとか言っていたが、そんなのは思い違いじゃあないかね? どうせ武器を持ち出したものの土壇場で臆病風に吹かれて、どこかで我々の味わっている美酒を指くわえて見ているだけだろうさ」
「ですが――――」
「まあまあ、我々は君が生まれる前から国王陛下の忠実なる剣としてご奉公してきたんだ。先達の意見は素直に聞き給え。あと、もうひとつ善意の忠告だ」

ジャン・ピエール将軍は、鼻に突っ込んでいた指をおもむろにヴォナパルテ少尉の服に押しあて、ぐりぐりと動かしてハナクソを擦り付けた。
その最中も、ずっとにやけ笑いは絶やさない。

「その偽物臭いコルシカなまりのガリア語は今後一切私の前で話さないことだ。不愉快極まりなくって、君の洗濯の手間を増やしてしまうからね」

ゲラゲラと腹を抱えて笑う取り巻きを引き連れて、将軍は去っていった。自分の服についたソレを一目見て、いっきに頭に血が上ったヴォナパルテ少尉は握りこぶしを作って、本気で殴り殺すつもりでそのあとを追おうとして……突如として自分たちが乗った艦ごと揺り動かされるような衝撃に襲われた。
海の上から、敵から奪った要塞が爆発して真っ赤に炎上するのが見え、楽し気な晩餐会は一変、混乱の渦に放り込まれる。

「何事だ!?」 
「いったい――――水兵ども何をしている報告を、はやく!」

困惑するばかりの同僚たちを尻目に、ブオナパルテはやっとまともに戦争が始められると喜ぶ。あたふたとする将軍に、「命拾いしたなボケが」と吐き捨てると、さてこれからどうするべきかと思案しはじめたのだった。












[40286] 近代編 パナマ戦線異状アリ5
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:a4593623
Date: 2018/09/05 22:39



それは、空の青さが目にしみる快晴の日であった。総兵力10万の軍勢が、小さなパナマという土地にひしめき合い、号令に合わせて次々と出立していく。そのたびに、見送りに来ていた見物客から歓声が上がった。おそらくは、号令がかかったその部隊に知り合いがいるのだろう。これだけの人数が集結するのに、短くない時間が経過している。ならばその間、オリーシュからやってきた兵士と、現地のパナマ人が知り合う機会も多くあったことだろう。もしかしたら恋仲になった者もいるかもしれない。

ザッザッザッザッザッザ――――

軍靴の音を響かせながら兵士たちは北へ、すなわち敵の首都テノチティランへ向けて整然と行進していく。軍楽隊のラッパの音は軽やかに空へ響き渡り、彼らの足取りを軽くすることだろう。
長年にわたって自分たちを隷属させてきた支配者に報いが下される時が訪れたと、現地の民衆は熱に浮かされたようにこぶしを振り上げ、大声で激励の言葉を投げかける。

「アステカ帝国をやっつけろ!」
「俺たちの恨みを思い知らせてくれ!」


思いが込められた声援が飛ぶ。拍手も送られる。花ビラや紙吹雪がひっきりなしに降り注ぐ。それらは、前途を祝福するかのように晴れ渡る青空にとてもよく映えた。まるで凱旋しているかのように、行進する兵士たちの顔は誇らしげであった。

「――――今この瞬間、死んでもいいとさえ思ってしまいます」
「ふん、何を言っているのだ馬鹿者め」
「ハハッ 申し訳ありません。その、今自分が人生最高の瞬間を迎えているかと思うと――――悲しくなってしまうのです。いま以上のものは、もうこの先味わえないのだと」

ひときわ多くの歓声を受け取っている集団の中。とりわけ豪奢に飾り付けられた馬に乗った近衛元帥が、顔を赤らめて感極まった声を発した秘書官にして副官――義古マサカズを窘めた。しかし、声色はいつにもまして上機嫌であった。彼もまた、浮かれていたのだ。


「我々はこれより栄光の坂道をのぼり続けるのだ。ならば、これからずっと最高の瞬間が続く」
「――――――はいっ!」
「よろしい」

オリーシュの歴史に類を見ないような大軍勢を率い、神聖なる祖国に戦を仕掛けた敵に逆襲を仕掛け、その首都を攻め落とす――――まさに神聖オリーシュ帝国の史書に永遠と刻まれる英雄的偉業であろう。だが、それさえも踏み台だ。これより訪れる栄光はまだまだそんなものではない。
アステカ帝国は、北へ北へと北上することで勢力を拡大してきた国家だ。ゆえに、古代からあるような大規模都市は軒並み首都周辺の南部に集中している。それら都市群も、パナマの目と鼻の先にある。つまり、首都を攻め落とした勢いでそのままこれら都市群を占領してしまえば、もはやアステカ帝国に反撃の余力は残されない。じわりじわりと北上して、大陸のパナマ以北をすべて併合することも決して夢物語ではない。
もしもそれが成ったなら――――新たな領土面積はオリーシュ帝国の存在するシド大陸をも優に超える広大なものとなる。その時、果たして近衛元帥はただの元帥という地位に納まるのだろうか?

(兄上よ。偉大なる皇帝陛下よ。地位もシド大陸も全てあなたにお譲りします。しかし、この手で掴んだ名誉と栄光は我だけのものだ、決して渡さない!!)

近衛元帥は胸の中で炎を燃やした。ただ生まれが早かったというだけで全てを与えられることを約束された兄への嫉妬、恨み、叛意――――それらがない交ぜになった黒い感情と理性や良識がせめぎあった結果うまれたのが、この計画であった。
相続しただけの何かしか持たない兄に対し、自身の力量によって成した偉業を見せつける――――その瞬間こそが、おそらく、自分にとっての最高なのだろう。物心ついたころより感じていた、決して主人公になれない予備としての立場。周囲から強要される弟としての振る舞い。これら伝統に裏打ちされた逃れようもない重くるしさも、きっと霞のように消滅してくれるに違いない。
――――しかし、しかしである。近衛元帥の切実な願いと、この遠征の成否は全くの別問題。彼が英雄として自らの道を切り開けるのか、それとも『別の』英雄に対する引き立て役に堕ちるのかは――つまるところ、時代が誰を選ぶかに依るのだから。













「う~~ん、高くて股間がヒュン!とするぜぇ……」

ジャングルにそびえる木の上を、双眼鏡を首に下げてよじ登るサル――もといオリ主が一人。先ごろ二階級特進の前払いとともに死守命令を与えられた煉獄院大尉は、浜辺を占領しているガリア軍の偵察を自ら行っていた。護衛として兵士を一人連れているだけで、自ら危険な斥候任務に出ていたのだ。

「~~~~!!―――!!」
「おおっ怒ってる怒ってる」

丘の上のひときわ大きな木の上で、木の葉で身体をカモフラージュしながら浜辺を観察する。双眼鏡で拡大された視界に移っているのは、何事かを怒鳴り散らしながら周囲の部下のケツをけりまわしている偉そうなオッサンであった。顔を真っ赤にして、そのまま脳の血管を破裂させんばかりにブチ切れているのが手に取るように分かった。それを見て「ざまあ!」と双眼鏡を覗きながら心の中で舌をだした。

昨夜、彼らガリア軍が占領した元オリーシュ軍の要塞は爆発・炎上した。もともと安普請であったために、それは盛大なキャンプファイヤーのごとく南の島の美しい星夜を焦がした。それを指揮したのが、この男である。要塞内の構造を知っている、敵は油断しまくりで連日の宴会、警備のための兵士すら酔いつぶれているなどの成功要素が積み重なり、爆破はすさまじく簡単に達成された。そして、みすみす敵から奪ったものを台無しにされるという失態に怒り心頭なのが、先のガリア軍のオッサン――――ジャン・ピエール将軍であった。「この私の顔に泥を塗ったタンカスどもを皆殺しにして来い」だの「総員突撃だ、さもなければ軍法会議だ」などと盛んに叫んでいた。そして、それを部下たちは何とかなだめようとしているが止められず、末端の兵士たちもイヤイヤといった風にジャングル探索への準備を進めている。

「あの人タチ、慣れてませんネ」
「なにが?」

唯一連れてきた部下の兵士が、手で作ったヒサシから眺めてポツリといった。現代っ子に比べて、やはりこの時代の人間は視力が良いらしい。それとも、この兵士が特別に目が良いのかもしれない。

「服、みんなチャンと着ていませんヨ。あれじゃあタイヘンな事になりマス」
「あ~、ホントだ」

改めて双眼鏡でよく見ると、兵士たちは暑さのせいか軍服を思いっきり着崩している。それどころか、ひどい奴だと半裸である。あんな状態でジャングルに入ろうものなら、虫刺されやら葉っぱやらで皮膚がめちゃくちゃになるだろう。それに、軍服もゴテゴテとした装飾がついていて、ずいぶんとジャングルでは目立つような色合いをしている。

「う~ん…………」

確かに、服装の件を抜きにして考えても、全体的に見たガリア軍の印象はとてもダラダラとしたものである。冷静さを失った指揮官に、諫めるべき上官の顔色をみて右往左往する側近、そして、面倒そうに準備をしている覇気のない兵隊たち。これから敵の潜むジャングルに攻め込もうというのに、まるで真剣味が感じられないのだ。

「これは、放っておいても崩壊するか?」

多勢を相手にどう戦うべきか考えていたが、敵の無様な有様に肩透かしを食らったように感じた。こちらがジャングル内を縦横無尽に逃げ回れば、あの連中では決して追い付けない。勝手に病気やケガで脱落し、遭難し、部隊は壊滅していくように思えた。こうして、期せずして島の死守という命令が達成される。まあそんな楽な仕事もあるものかと思い始めたとき。

「――――!!」

ガリア軍の中の一人と、双眼鏡越しに目が合った――――気がした。元々が緑色の服であった上に、ジャングルを駆け回ったせいで泥にまみれた結果、迷彩服となり、さらに念を入れて密集した木の葉をカーテンにして樹上から観察していたのだから、そうそう見つからないと思っていた。それこそ、双眼鏡の僅かな反射を目ざとく見つけない限り、バレないはずであると。
常識的な判断をすれば、たまたまこちらを向いたときに目があったと錯覚した、と考えるのが妥当であろう。だが、直感的にとてもそうは思えなかった。

(アイツ――――なんなんだよ)

ほんの一瞬だけであったはずなのに、わずかに見えた相手の瞳が異常なほどに心をざわつかせる。心が、本能が、警戒音を鳴らすのだ。常識だとか、普通だとかの言葉で片付けてはいけない、と。楽な仕事? 冗談ではない。

「~~~ッ! 上等だ! 俺がオリ主であるってことを見せつけてやる!!」

いつものように威勢がよく、自信にあふれた言葉を吐く。しかし、今回ばかりはそれも、言葉通りの力強さはなかった。まるで自分に言い聞かせてそう思い込もうとしているかのような、内心の不安を無理やりにでも払しょくしようとしているかの如く、本人の胸の中で虚しく反響した。
――――そしてその不安は、幸か不幸か見事に的中するのであった。





「決戦を仕掛ける?」

大きな天幕の中。敵情視察から帰ってきた煉獄院大尉の発言に、その場にいた誰もが唖然とした。帰って来るや否やすぐに小隊長以上のものを招集しての会議である以上、これは何か重要なことがあると覚悟はしてきた者たちも、突然の作戦方針の変更に驚きを隠せなかった。
あの時。敵に奪われた要塞を自らの手で吹き飛ばすと決めた時、煉獄院は隊長として今後の展望を語っていた。

『海の上から撃たれ放題になる以上、あの要塞の奪還は無意味だ。我々はもはや敵の宿泊施設と化してしまった古巣を破壊し、敵を島の内部へと引きずり込んで戦うしかないだよ』

こうした方針のもとに行われたのが、先の爆破劇であった。雨風をしのげる環境を台無しにされた敵が怒り狂ってジャングル内に攻め込んでくれば、そのまま地の利を生かして泥臭く戦い、敵の消耗を狙う。もしも慎重策を採用して浜辺や船の上から動かなければ、敵の持ち込んだ食料が底をつくのを待てばよい。いずれにしても、カリブ海の島はほとんど地元と言っても過言ではないパナマ人たちが大多数を占めるこちらのほうが圧倒的に長期戦において有利と言えた。そもそも命令書に追記されていた情報によれば、ガリア軍はアステカ帝国から金で依頼されて戦いに来ているのだという話である。ガリア軍には貰った金額以上の義理などないし、自身が困難な状況下になろうとも戦い抜く意思などないだろうから、こちらが容易ならざる敵だと思わせれば手を引くはずなのだ。
しかし、そんな地の利と敵側の事情を考慮から外す作戦変更に、当然ながら難色が示される。

「敵の様子を見てきたが、敵の指揮官は相当に気位が高そうだった。それが臆面もなく喚き散らしていたから、必ず大挙して攻め込んでくる。――――だが、それ以外はそれほど乗り気という感じではなかった。ある程度時間がたって指揮官の頭が冷えたら、あっさり撤退するかもしれない」
「それは、当初の予定通りということでは?」

その場にいたオリーシュ人の小隊長が発言する。しかし、煉獄院は静かに首を横に振る。オリ主モードに入っているハズであるのに、随分と冷静な反応と返答を返す。

「完全な第一印象で悪いが、そのままおとなしく帰ってくれるとは思えない。とにかくプライドが高そうな奴だったから、どこかでその埋め合わせをしようとしてくるかもしれない」
「……フリゲート艦は単艦でも脅威の戦力だが、それはあくまで我々にとってというだけで、さすがに都市ひとつを攻め落とすには火力が足りない。しかし、汚名返上のために強引にパナマへ転進する可能性がある、ということか?」

セッキョーの戦いからの付き合いであるオリ主の副官である北是少尉は、丸眼鏡をクイッと直しながら冷静にその考えを補足する。そもそも、ここにいる連中の役割は、オリーシュ本国の主力が敵の首都を攻め上るまでの間、アステカ帝国残党が都市パナマの周辺で余計なことをしないように排除することだ。それがガリア軍へと攻撃対象が変わっただけである。ならば、その方針の通りに行動していかなければならない。

「命令はこの島を守ることだが、素通りされて都市を攻撃されたら、なんつーか、あれだ、本末転倒ってやつだと思うんだよ」

それらしいことを、それらしい風に言う煉獄院。だが、その本心は違っていた。確かに、下手に追い払って、守るべき都市を危険にさらすリスクを危惧しているのは本当である。しかし、計画の変更を決定した一番大きな理由は、別にあった。―――双眼鏡越しに見た、あの目である。周囲の人間とも、いや、日本でもこの異世界に来てからもあのような目は見たことがない。ギラギラとしていて、それでいて氷のように冷静で、見る者の心臓を鷲掴みにするような恐ろしい印象を抱かせるのだ。
今はまだ、軍隊という環境と上司という首輪によって自由を奪われているが、この先、万が一、その枷が外れてしまった場合――――荒野の獅子のような目を持ったあの男と真っ向から戦うことになる。それが、心底恐ろしいと本能的に思ってしまったのだ。神に愛されたオリ主様としてらしくない思考であるが、それが本人ですら自覚していない本心であるのだから仕方ない。当然、周囲には言わないし気づかない。理路整然とした態度だって崩さない。だが、間違いなく心のどこかで思っているのだ。今のうちに、バカな上司に押さえつけられているうちにここで倒しておかなければならない、と。

「だがら、積極的に奴らを打倒する。冷静さを欠いてカッカしているうちに、粉砕して蹂躙して、あわよくば敵指揮官を捕まえる。そして海の上のフリゲート艦とかいうのは人質を使って沈没させてしまう」
「さすがにそこまでうまくいくとは…………」
「――――率直に言ったほうがよろしいのでは?」

突如、今の今まで隅のほうにいた男が発言を遮るように大声を出した。皆の視線が集まる。煉獄院も視線を向けると、そこそこに美形で金髪のパナマ人の青年が立ち上がっていた。

「君は――――」
「ルドルフです。前任の小隊長が負傷してしまったので、今は私が代理で小隊を指揮しております。まあそれは本筋ではありませんが」
「そうか、まあいい。で、俺の副官に、というか俺に何か言いたいみたいだったが?」
「ええ。舞台がこの島で、かつ防衛戦である以上、我々パナマ人がヨーロッパ大陸の連中に負けることはないでしょう。しかし、積極的に攻撃していこうとなれば話は別です。なにせ、指揮官の力量が直で反映されますからな」
「…………なんだ。つまりはこう言いたいわけか? お前らの上に立つ指揮官としての器に疑問がある、と」
「その通りです」

シーンと、静まり返る。誰もが心の中に抱いていても、面と向かっては言えないことを、このパナマ人の青年は正面切って言ってみせた。お前の作戦・指揮で本当に勝てるのか、と。しかし、その懸念はもっともであった。前提として、この部隊にまともな軍人は少数だ。根こそぎ動員で徴兵されたパナマ人たちに、つい先日任官した新米少尉たち、そしてそんな彼らの隊長となる者が、士官学校すら出ていない上にほとんど裏技で大尉に昇進した身元不明な男である。これで安心していられるほうがどうかしている。

「アドルフ小隊長代理、気持ちは分かるがそれでも彼がこの連隊の隊長であるのは本国からの命令だ。そこに異議を挟むことは許されない」
「ハハ、副官殿。そのような建前だけで皆が納得すると本気でお思いに?」
「む――――」

痛いところを突かれて、言葉に詰まる。確かに大きな実績を煉獄院は一つ成し遂げている。だが、それは運に恵まれた側面が否めず、まだまだ無条件で部下の信頼を獲得できるほどではないことを、オリ主の近くにいた彼は当然のことながら気づいていた。この島に渡ってきた後の戦いでも、今日まで戦い抜いてきたのはここにいるだれもが同様である。いくら本国からの正式な命令であろうと、これで即座に納得とはいかないのが人情であろう。

「――――よし。いいだろう」

しかし、ここで引き下がるようなら最初からオリ主などやってはいない。信頼、実績が足りないなら、今ここで積み上げるのみである。煉獄院は地図を持ってこさせ、作戦の説明を始めた。示された内容は、とにかく単純なものだった。確かに、敵の指揮官の頭に血が上っている今ならば、おそらく簡単に引っかかると思われ、特に文句のつけようがない。ただ一点、危険な役回りを演じる者がどうしても必要になる点を除けば。

「まあよく聞く作戦と言われればそれまでだが、今の敵の状態なら効果は十分出る。で、この危険な役を担うのは当然、俺と俺が今まで率いてきた馴染みの小隊だ。意義があるやつはいるか?」
「…………」
「いないな、じゃあ決定だ。作戦は、明日の日の出とともに開始する。各員、小隊に帰って準備を始めろ――――ああそうだ、アドルフとやら」

会議の解散を宣言し、立ち上がって身支度を始める煉獄院は、先ほど自分にモノ申したアドルフに声をかける。

「お前は俺の力量を問うたわけが、俺がそれを示せば、今度や逆にお前自身のそれも問われることになる。それをよく覚えておけよ」
「…………ええ、よく覚えておきましょう」

こうして、小隊長たちは各自が指揮する小隊に帰り、その準備を始める。作戦内容が作戦内容であるため、前任者が敷いた小隊乱立という変則的な組織体制はそのままにしたのだが、もしも煉獄院隊が下手を打った場合、組織の秩序は崩壊して立て直しは効かないだろう。北是少尉は副官として、思う

(生きて帰れるか、それとも無様に死ぬか。ここが分水嶺だ)

煉獄院朱雀という無駄に自信過剰な男が、単なる運だけ男かそれとも本物であるかを決定する契機であるのだが、そしてそれは、自分にとっての分かれ道でもあった。


以前。まだガリア軍がこの島に上陸してくる前の安定していた時期に、故郷に残してきた許嫁に手紙を書いたことがあった。それは、島に来てから割と最初期の時に受け取った手紙の、返信のために書いたものであったのだが――――別に甘いラブレターのやり取りというわけではなかった。もちろんお互いの手紙は表面上きちんとした文面で、婚約者に対する心配を綴っているのだが、その根底にあるのは決して他人が羨ましがれるような代物ではない。
例えば北是が貰ったのは、戦地にて戦う未来の夫が無事に帰ってきてくれるようにという内容なのだが、一部、遠回しにこのようなことを書いて寄越していた。

(痛い目を見る前に、帰ってきなさい)

確かに、心配してのことなのだろう。愛情も、あるのかもしれない。だが、どうしてもある種の侮りが感じられてしまうのだ。姉が弟に対して抱くような、こちらを格下として自分のコントロール下に置こうという意図が。
それに対して北是も、故郷に残した未来の妻がケガや病気にならないよう自身の体をいたわって欲しいといった内容の手紙を返した。だが、こっそり遠回しにこんな内容を仕込んだ。

(手柄を立てて見返してやるから黙って待ってろ)

つまりは互いに結婚後に向けての主導権争いを行っているのだ。オリ主は彼に許嫁がいると聞いて嫉妬したが、果たしてこのような男女の冷戦が水面下で行われていることを知ったうえであったのかと問われれば、十中八九NOである。

「この戦いで男をあげて、名実ともに君の主人になってみせる」

北是は静かに闘志を燃やす。家同士の付き合いで半ば義務的に決められた結婚であるが、それはそれとして家庭内の主導権を握るのは自分であるという亭主関白願望がそこにはあった。
こうして、アステカとの戦争が次の段階に移行し、ガリア軍と本格的にぶつかり合おうという直前、それぞれの人間がおのれの戦うべき理由を秘めて牙を磨くのであった。



[40286] 近代編 パナマ戦線異状アリ6
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:ffc661ff
Date: 2019/01/27 21:22

「これじゃあ捨て駒だ」

自らの古巣である要塞を爆破して逃げるオリーシュ帝国軍。これを討伐すべく先鋒を命じられた第13独立歩兵大隊の大隊長は、密かに毒づいた。視界がすこぶる悪いジャングルに先陣切って進むことの危険性を十分理解している中年の熟練指揮官は、せわしなく視線を周囲へ巡らせる。じっとりと流れる汗は、決して暑さと湿気のせいだけではない。捨て駒とは、まさに今の彼らの状況を適切に表現している。
さて、ではなぜこんな任務を仰せつかったのか。それは、大隊長自身の出自が原因となっていた。大隊長は、いまから50年ほど前にガリア領へと編入された地中海の島で生まれた。彼自身は幼少期からガリア本土で教育を受けたこともあって、文化的にも母国語的にもすっかりガリア人のつもりであり、周囲の人間もそう思うくらいになじんでいた。だが、普段は鳴りを潜めていていようとも、決まって状況が悪くなると「元々は外国人」という出自がシミのように浮き出てくる。

『ガリア人であることを今こそ証明して見せろ』

王室とも血縁的に繋がりがある将軍がそのように命令すれば、彼には拒否権も同行を申し出てくれる同僚も存在しなかった。皆、任務の危険性と癇癪持ちの上司から睨まれることを恐れていたが故だった。
厳密に調べれば、元外国領や長年外国に占領されていた自国領の出身者が上位階級者の中にも多くいるにも関わらず、誰もこの不当な扱いに抗議することはない。それは自らに飛び火するのを恐れるが故――――まったくもって理不尽な話であった。こうなっては、その証明とやらを献身で以て示さなければならず、わざわざ危険な指揮官先頭を大隊長という立場でありながら実践する羽目になってしまった。ちょうど先の要塞爆破事件で留守を預かっていた小隊長がケガで寝込んでいるという事情もあって、彼はいま、先遣隊のさらに最前列という極めて危険な場所に立つことを余儀なくされたのだった。



「――――それでお袋がさぁ、作るんだよムール貝のワイン蒸しを。バケツ一杯分くらい。その時はウンザリだったけどよ? もっと食っておきゃ――――へぶっ!?」
「無駄口を叩くな! 黙って手を動かせ!!」


雑談に興じている近場の兵士に向けて叱責と鉄拳を飛ばす。殴られた兵士は鼻を抑えながら、同じくおしゃべりをしていた相方も恐縮した態度で作業を再開する。棒が、再びせわしなく動き出す。

「ふんっ!」

その光景に余裕の態度で鼻を鳴らしつつも、大隊長は内心で焦りを感じざるを得ない。仕方のないことではあるが、部下たちの作業態度は著しく士気が欠けている。兵たちの間でも、撤退を望む声がちらほらと耳に入ってきている。

「……」

大隊長は、ちらりと後ろを見る。そこでは、後続のガリア軍兵士が行く手を阻む草木を木の棒で気だるげに払いのけていた。彼らの両隣には棒を持った者が隊列を組んで同じように枝木を払い、その背後にゾロゾロ続く兵士たちが獣道を人道へ踏み固めていく。それは、1個大隊規模で行われている地ならしであった。誰も彼もが、噴き出した汗と泥が混じり合った結果として汚らしい恰好をさらしている。後に通過する本隊のため、熱帯特有の高気温・高湿度の環境下でこの作業は実行され、人員は例外なく体力を消費させていった。


「あーもう嫌。ガリアに帰りてえ……そんでのんびり釣りでもしてえ……」
「あぁ――――って、思いださせるんじゃねえよ馬鹿」
「そもそも逃げた兵隊追っかけてどうすんだよ。さっさと撤退すりゃあいいんだよ」
「アステカへの義理なら別のところ攻めるべきだと思うんだがねえ。お偉いさんたちはよっぽど俺たちをこき使いたいらしい」
「うへえ……」

(別のところへ、か。まったくその通りだな。わざわざ僻地に潜む敵を追いかけるよりは、占領されたパナマ近辺をうろついて圧力をかけるほうがよっぽど有意義だ)

どこからともなく流れてくる雑談に、自らも心の中で共感する。そして、この反抗的な発言をあえて聞き漏らしてやる。目の前でやられるならばいざ知らず、離れたところでなら愚痴の一つや二つ許容してやらねば仕事が回らないからだ。
ただでさえ意義が見い出せない作戦で、加えて軍隊生活で主要な娯楽であるところの食事も、保存食がメインで美食とは程遠い。これでやる気が出るほうがおかしいというものだ。

「あ――――よだれが出てきやがった」

ペッと過剰な唾液を吐き出す。先ほどの会話の内容もあって、地中海の美しい海で日がな一日のんびりと釣り糸を垂らし、釣果を故郷風に味付けして食べることを夢想する。それは、ほんのささやかな現実逃避だった。
…………だが、彼には自分たちがいま敵地にいるという意識、それがこの瞬間ぽっかりと抜け落ちていた。暑さと湿気と生い茂る木々は本人の認識以上にその集中力を削り、周囲へ配るべき注意が平素に比べて大きく緩んでいた。
不案内な地形、不慣れな環境、そして油断――――これらの負債を払わされることになったのは必然であった。

ズダン! ズダダダダダンッ!

1発の破裂音の後に、釣られるようにして重なった複数の轟音がその場にいた全員の鼓膜を震わせる。一瞬の間をおいて、木々で翼を休めていた極彩色の鳥が飛び立っていく。深い緑の中にその鮮やかな残像を見る暇さえもなく、隣を歩く部下が崩れ落ちる。

「あ」

先ほど説教をくれてやった男が、今度は鳥の羽にも負けぬ紅を垂れ流しながらモノ言わぬ屍になったのを認識するのに、少なくない時間を要した。
茂みに身体が沈み込み、わずかにたわんで押し戻され、ユラユラと振動する様を眺めたことで、ようやく脳が眼前の光景を処理した。

「――――あぁあ!?」

――――待ち伏せ! 敵襲! 

そう叫ぼうと口を開けて息を吸い込む動作すら、数瞬遅かった。いや、正確に言えば手遅れというほうが正しい。泥が顔につくことも厭わず地に伏せるも、追撃がかかる。どこからともなく発射された第2射が、彼らガリア軍の先遣部隊に降り注ぐ。理解が遅い間の抜けた者たちが、訳も分からずといった顔付きで倒れ伏す。やはり、鮮血のしぶきが木々の緑に吹き付けられる。

「撃ち返せ! 適当でもいいからぶっ放せ!」
「あ、あ、あああああ~~~っママァ!!」
「馬鹿! 走るな狙われるぞ!!」
「え、あ!? 反撃、いや逃げたほうが―――ああ、どうすればいいんですか! 大隊長殿! 大隊長殿!」
「貴様! もういいから落ち着いて伏せていろ!」

とにかく音が鳴る方向へ向かって銃口を向ける者、反射的に走り出そうとする者、冷静に物陰へと身を隠す者、慌てふためき対処不能になって上司に救いを求める者などなど――――そんな兵士たちを相手に一分間で都合三度、死へ誘う多重奏が密林を会場にして奏でられる。

「クソが! 何人やられた!? 生きてる奴は返事しろ!」
 
攻撃が止み、敵のものと思われる物音が遠ざかるのを確認するや否や、即座に大隊長は現状の確認を取ろうと声を張り上げる。その結果わかったのは、死亡者は片手で数える程度で、重軽傷者含めても10人もいなかったことだった。大隊全体から考えれば被害は軽微で、まだまだ戦闘可能といってもいいだろう。
さらに先ほどの攻撃を落ち着いて思い出してみる。発射音、足音の数からして、せいぜいが小隊規模。状況から考えて、相手の思惑は透けて見える。その上で、あえてその思惑を利用するべきだと結論付ける。

「よし、軽症者は重症者を連れて後方へ下がれ。戦える奴は―――――ッ!」

――――俺と追撃、と命令を下そうとして、断念する。部下たちの様子は、一見するだけでわかるほど奇襲を受けたショックで怯んでいた。それ以外の顔つきも、生き残れた事実に安堵するばかりだ。とても「さあこれから逆襲だ」といった闘志はみじんも見受けられなかった。これでは、しばらく使い物にならない。

「…………おい、貴様。おまえは後続部隊に伝令に行け……『逃走中の敵小隊を発見。被害甚大につき追跡はかなわず』だ」

「は、はっ!」

大隊長は手近にいた兵士へと伝令の命令を下し、足をもつれさせながら走る兵の背中を見送る。

「はあ…………」

終わった、という風にため息が漏れ出る。
被害甚大など嘘だ。戦闘後に何か言われたら、被害状況を誤認したと言い訳するつもりだ。さてうまく言いくるめられるかだが――――残念ながら望みは薄いだろう。たとえその件はどうにかなっても、少数に一杯食わされた事への責任問題は避けられない。軍歴30年の結末が絶望的なまでに暗いことに対して、思わず頭を抱えたくなる衝動に襲われていると、見えなくなった部下の背中と入れ替わるように別の誰かが茂みから飛び出してきた。

「大隊長殿!」
「――――ヴォナパルテ少尉か!?」

それは、自分の部下である小隊指揮官だった。その背後には、彼の指揮する部下たちもついてきているらしく、ガサガサと物音がしている。

「……何人連れてきた?」
「1個小隊を全員」
「よし」

わざわざ部下を全員連れて自らここに来た段階で、おおよその思惑を察した。なるほど、気を見るに敏とはこういうことをいうのか。いや、あるいは彼もまた自分同様に出自にケチが付いているから、別口で尻を叩かれているのかとあたりを付けた。

「少尉、奴らを追撃しろ。ただし深追いはするな」
「はっ!」

潰走でもなく、鮮やかな撤退。十中八九こちらをおびき寄せての、今度はこちらを殲滅できるだけの兵力で以て待ち伏せするつもりだろう。だが、そのポイントに行くまでは違う。目の前にいるのは、背中をさらしている1個小隊だ。速さを重視して小隊単位で追いかければ、一度くらいは接敵するチャンスが巡ってくるだろう。そして捕虜から集結ポイントを聞き出してみせれば、ガリア人である証明とやらもできる――――二人の頭の中で、ほぼ同じ結論に達していたがゆえに短いやり取りだけで済んだのだった。

「ヴォナパルテ隊! 棒切れ捨てぃ! 銃を持てぇ!」
「うおっしゃ!!」
「草かき分けるよりゃよっぽどマシだ!」

いたるところで、忌々しい草払いの棒が捨てられ、背負われていた戦うための道具を構える兵士たち。雑用の時間は終わり、本業の始まりを告げる号令だった。

「注目っ!!」

怒鳴りながら、ヴォナパルテ少尉はサーベルの切っ先を逃げる敵がいるであろう方向へ向ける。部下たちは「待て」を命じられた猟犬のように、その方向をにらみつける。今にも飛び出しそうなくらいの熱量でありながら、奇妙に流れる一瞬の静寂。

「突撃ィいいいい!!」

部下たちを引き連れるようにして、ヴォナパルテ隊は走り出す。皆、殺意を銃剣と眼球とで共有しているかのように、その2つを妖しくきらめかせている。

「アイツラが大人しくクタバッてくれへんかったおかげがこのザマや!! 復讐や!!」
「おう!」
「こんなん全部アイツラが悪い! だから殺せ!」
「「おう!」」
「ついでに分捕るモンも分捕るで! 要塞にあった(方が都合がいいからあったことにした)資金も持っとるらしいから山分けや!」 
「「「「おう!!!」」」
(――――こいつら、ちょっとチョロすぎへん?)

士気の低い兵士にやる気を出させるために使ったお題目は、それはそれはよく効いた。八つ当たりにも近い感情と、わかりやすい欲望によって突き動かされたヴォナパルテ小隊は、部隊を二手に分けて突き進む。そして先ほどまでとは打って変わって、少人数ならではの移動速度でジャングルを走り、逃げる敵の後を追いかけはじめた。






「止まるな引き続けろ! フリじゃないからな絶対に止まるんじゃねえぞ!!」

せっせと逃げる集団の最後尾。元日本人、現オリーシュ人が懸命に叫ぶ。普段のなにかと突撃したがる悪癖は鳴りを潜め、引けなどという普段なら言わないような命令を下し続ける。その際、足を動かしながらも聞き耳を立てて後方の状態確認も忘れない。
自称・天に愛されたオリ主様が直々に率いている奇襲・囮部隊による三度の射撃であったが、やはり効果はいま一つだったらしい。それは、元気いっぱいに追撃を仕掛けてくる敵の気配で察することができた。戦えども派手な戦果をもぎ取ることができずとはオリ主の面汚しであると責めたくもなるだろうが、密林での射撃はよほど接近していない限り効果が薄いことは織り込み済みだった。指揮下の兵士たちの最後尾をキープするように、煉獄院大尉は戦うでもなく逃げ続ける。

(でも、ちょっとしくじったぜ)

あらかじめ定めていた逃走経路をたどり、大地を踏みしめて駆ける。だが、若干の計算違いに、わずかに焦りを感じる。怖気づいてしまうよりはマシだが、敵の追撃があまりにもスムーズだったのだ。周りの兵士たちには、今のところ混乱はない。これは意図的な敗走で敵を誘引するためのものであることは全員知っている。だが、この早すぎる追撃部隊への対処を誤れば、指揮官が最もリスクが高い位置を走っているからこその信頼と統率も一瞬で崩れ去る。ただでさえ大軍が迫ってきているという状況だ、下手をしなくても本当の敗走になってしまうだろう。

(…………)

そしてそれ以外にも懸念事項があった。オリ主は最後尾という最も敵の襲撃のタイミングを計りやすい位置にいる。自分自身と仲間の音で聞き取りにくいものの、ジャングルという少し動くだけでも葉がこすれあう音が響く環境下にあっては、無音で背後に迫ることは出来ない。必ず、近づいてくればわかるのだ。

(なんで一気に距離を詰めない?)

近づけば相手にばれることはお互いが承知しているだろうが、それでも無防備な背中をさらして逃げる敵に後ろから襲い掛からない道理はない。だというのに、こちらに接近することなく一定の距離を保つようにガリア軍は追いかけてくる。それが極めて不気味であった。オリ主は考える。しかしいくら考えても、彼の頭は正解を導き出してくれはしなかった。というよりも、凡人の脳みそにそこまでの働きを求めること自体が酷というものだった。だが、頭は持ち主の期待に応えてくれなかったものの、別のものはしっかりと自らの主人に応えてくれた。

「――――痛っ」

それは稲妻のようにオリ主の首筋に走り、ちりちりと後頭部から背中にかけてのうぶ毛を焼くような鋭い痛みだった。この奇妙な痛みは徐々に強くなりつつ、背中を這うように身体の左半身へと回り込み、一気に発汗という形で最大の警告を発した。後ろからの気配は相変わらずで特にスピードを上げたという様子はないが、オリ主は自分自身が発するサインを疑うことなく受け入れた。

「来たぞ来たぞ来たぞぉ――お前ら銃撃つぞしっかり持て!」

そう命令された部下たちは、マスケット銃の銃身をしっかとつかんだ。各々の銃には、必ず追撃がかかるからと予め込められていた弾丸がその出番を待っている。
その時が来たのだと。自分たちは分からなくとも、最後尾という一番それが聞き取りやすい位置にいる指揮官が敵襲来を知らせるならばいよいよなのだと皆が考えた。ただし、それが所謂オリ主の勘であることまでは分からなかったが。

「全員、左側に銃口向けろ!」
「「「……え?」」」

誰もが疑問に思った、後ろからではないのかと。言った本人そのものもまた、背後からではないことに戸惑いかけた。だが、疑わなかった。なぜならそれは彼の人生で1度も経験したことがない、しかし無条件に信じるべきだとわかるような天啓のごときひらめきであったからだ。ギャンブラーがのたまう「次はマジで勝てるから」という言葉と本質的には同じで全く信頼性がない直感。ここが賭場なら鼻で笑われて終わるだろうそれはしかし、次の瞬間には実行に移され――――正しかったことが証明された。

「――ッッッ……撃てえええ!!」
「ヨッシャぶちかま――――っ!?」



まさに狙ったかのようなタイミングであった。逃げる煉獄院小隊の横っ腹に食らいつこうとしたヴォナパルテ少尉率いる少数精鋭の分隊は、さあいよいよ奇襲を仕掛けようと飛び出した瞬間、銃弾によるカウンターを至近距離から食らわされることになった。彼らの視点からは、やぶを突き破って襲い掛かろうと思ったら、準備万端で迎撃されたといった感じだろうか。
移動する音を誤魔化すためと、移動速度を稼ぐためによる少数での攻撃であったことがアダとなり、1回の斉射でヴォナパルテ少尉が直接率いた分隊は半壊した。この時点でヴォナパルテ少尉の計画は破綻する。

(此奴等、今ので俺たちの足を止めさせて後ろから追加で襲い掛からせるつもりだったのか……!)
「~~~メッッッチャ痛っ! ええい、総員退却や! 引け!」

敵の指揮官らしき者の叫び声を聴きながら、ようやく敵の意図を察したオリ主。敵が奇襲に失敗して逃げようとしているのは分かったが、それで何か特別な一手を打てる訳でもなく、足を速めて駆け抜けろと叫ぶしかなかった。もしもこの時、この奇襲分隊を率いていた指揮官の顔を見ていたのならば多少の無理を押してでもその指揮官のとどめを刺そうとしただろう。だが、生い茂る木々がそれをさせなかったため、オリ主は逃げに徹する。一方、失敗したヴォナパルテ少尉もまた銃弾が足を掠めたおかげで負傷し、速度を上げて逃げ足を速める敵を見送るしかなかった。

――――カリブ海の緑深きジャングルの中、戦史においては取るに足らない小規模な戦いは、後に宿命とでも呼ぶべき因縁の始まりを告げる嚆矢だった。








焼け落ちた要塞跡地にて、不機嫌そうに食事をとっていたジャン・ピエール将軍はその知らせに歓喜した。

「ハハッ奴らの尻尾に食らいついたか! ――――ようし、ならば私も出よう!!」

ガンッとフォークで肉の塊を突き刺し、強引に噛み千切りながら宣言する。口にモノが入った状態で近くに控えていた部下を呼びつけ、ジャングルへ突入する準備を指示する。
だがしかし、軍医、料理長、主計係、護衛部隊の指揮官等々、ほぼすべての人員が難色を示した。

「それには及びませんよ閣下。発見した以上、すぐにでも敵どもはジャングルの中で死体をさらすことでしょう。わざわざ将軍自らなどと」

と、側近の一人がそれとなく諫める。彼の言っていることは嘘ではない。推定される敵の戦力を考えれば、多少の時間をかければ順当にすりつぶせるだろう。そうなれば、この島はガリア軍の占領するところとなる。が、戦いに行けばノーリスクとはいかない。視界が悪い密林の中に入れば、奇襲を受ける可能性は高い。
部下たちに任せていればいいものを、わざわざ視界が開けていて安全な砂浜から出ることはないのだ。

「はあ?――何言ってんのお前……!?」

だがその常識的な言葉は、敏感になっていた逆鱗に触れた。将軍は立ち上がると目の前にあった皿を意見具申した側近に投げつけ、続いてテーブルをひっくり返してがなり立てる。

「我らへの侮辱はすなわち敬愛すべき国王陛下への侮辱! ならば、この手で海の果てからやってきた野蛮人どもに陛下に代わってその罪を償わせるのは我らの義務である! まさか他の連中まで、腑抜けたことを抜かすのではないだろうな!?」


唾を飛ばしながら、周囲に侍る部下たちに視線を飛ばす。こうなると、もはや異議を唱えることは出来なかった。まさか「勘弁してくれよ! わざわざそんな危険なところに突っ込むなんて冗談じゃない! 行きたいなら遺書を用意して自分だけで突入してくれ!」と言う訳にもいかず、みな急ぎ出発の準備を始める。


「ハァハァ、捕虜を得たなら私自ら取り調べをしてやろう! ご、拷問だ拷問! 死ぬまで締め上げてやる……!!」

ぶつぶつとつぶやきながら、手を開いたり閉じたりする。よほど、自分が一杯食わされたことが我慢ならなかったのだろう。まさに「頭に血が上っている」と評価するに値する怒り心頭っぷりであった。

(これがあるからなあ……)

付き合いが長い護衛部隊の指揮官は、心の中で深い深いため息を吐く。冷静さを要する将軍という立場にあって、癇癪持ちの人間などあってはならない。しかし、なんの因果かよい家柄に生まれて、死ぬこともケガを負うこともなく軍歴を重ねて今の地位についてしまった目の前の男は、まさに「困った人」であった。
こういう悪癖があるからこそ僻地に飛ばされたのだが、本国の目がなくなって手が付けられなくなってしまった。こうなったら、敵を打ち倒すまで彼の頭の血が下がることはないだろう。

「これより我々は一週間以内に全軍でもって敵を根絶やしにする! 出撃準備を急がせろ! 前線にも発破をかけておけ! ハアハア! 敵残党どもは皆ここで獣のく、く、く、糞となれぇ!」

こうして、将軍自らの出撃に伴い――――戦局は大きく動くこととなる。




[40286] 近代編 パナマ戦線異状アリ7
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:ac287964
Date: 2019/05/15 21:35
小隊長代理改め、正式に小隊長に就任したルドルフの朝は早い。誰よりも早く起床して時間を片付けると、手早く身支度を整えていく。着衣の乱れを直し、毛布を片付け、金髪をオールバックになるよう後ろに撫でつければ、そこには立派な小隊指揮官が現れる。彼は自身の身なりがキッチリと整ったことを神経質なまでに確認すると、カバンの中に仕舞われていたラッパを右手にしながら立ち上がる。再度時計を見れば、まだ予定されていた時刻には早かった。
「すぅ――…………はぁ――…………」
なので、演奏前の精神統一もかねて、朝もやに沈むジャングルの中で一人じっと目を瞑って深呼吸する。やや冷たい、朝の清涼な空気が肺に満たされていく。次いで耳を澄ませてみれば、鳥や虫の声、水の落ちる音、葉がこすれるようば音…………大自然の偉大なる生命の音楽が聞こえてくる。

「…………主よ。御身のすばらしさを今日もまた再認識させていただきました」

とても静かなひと時を心静かに味わい続ける――――彼はそうして、音楽と神に敬意を表していたのだった。時に人は虫の奏でる音色を雑音と断じる。だがしかし、彼に言わせれば大宇宙のすべてをあまねく支える創造主が生み出した命の音が、不快であるはずがない。もしもそう感じるというのなら、それは聞き手の心の問題であるのだと彼は断言する。ルドルフ小隊長は、独自の音楽観を持っていた。

「そろそろか」

ゆっくりと目を見開く。木陰や茂みには隠れるようにして眠る部下、さらには任務の都合で昨日の昼から行動を共にするようになった他の小隊隊員も同様に散らばっている。任務の途上、各々が各々の場所で夢を見ていた。昨日までかかった作業がようやく終わり、終了直後から急ぎ足で移動。今いる場所に日暮れ間際にたどり着くとすぐさま眠ってしまったので、疲労感からこのままでは昼間で眠ったままだろう。緑と少し湿った土のにおいが立ち込める、気持ちの良い朝ではあるが、さすがにこのまま惰眠をむさぼることを許すわけにはいかない。

「すぅ―――――」

ルドルフはそんな香しい早朝の空気を再度、目いっぱい吸い込む。肺の中で今か今かと出番を待つ空気たちを押しとどめ、おもむろにラッパに口を付ける。彼の肉体はその瞬間、音を奏でるための一個の器具と化す。そしてしっかと両足を地面につけて肩から胸、胸から腹部にかけて緊張していた筋肉を開放し、一気に吐き出した。

『ブッブピ! ズッズビイイイイ! プ~~~!!』

複数まとめて絞殺された豚が断末魔の叫びをあげているかのようであった。
端的に言えば、ひどい音色だった。耳障り極まりない騒音をひとしきり奏でられると、モソモソと不愉快そうに顔を歪めながら寝ぼけ眼を擦っている兵隊たちの姿がそこかしこに現れた。皆、だれもかれもが渋い顔をしている。騒音被害も甚だしいド下手クソ極まりない演奏であった。

「―――? フム……湿気のせいか調子が悪いのか?」
「うるせえ誰だ! いまクソみてぇな音ぉ出したヤツは!?」

不思議そうに頭を傾げながら、己の手にあるラッパを見つめているルドルフ。そんな彼に怒鳴り声が届いた。やや柄の悪そうな顔を真っ赤にして大股かつ速足で近づいてくるのは、ルドルフと共にこの場に移動してきた他の部隊の小隊長であった。オリーシュ人小隊長である彼は、人種的特徴である黒い髪と少し伸び気味なヒゲを怒り顔に添えながら、未だ手にラッパを持つルドルフの胸倉をつかみ上げた。

「おい貴様! 貴様は俺たちが今なにやってるのかわかっているのか!? 俺たちはなあ、敵にこの場所に潜んでいることを悟られちゃいけねえんだよボケカスが!」
「もちろん承知しているが?」
「じゃあなんだってあんな音を出しやがった! 殺すぞ!」

顔を怒りで茹でタコのようにしながら詰問するオリーシュ人将校。人相は悪いが、内容に関しては至極まっとうなことを言っていた。
とある作戦の一環で、彼らはこの場所に現在進行形で潜伏している。そして潜伏している以上、敵に見つかるキッカケとなりえるような行為は断固慎むべきである。だというのにそれを真っ向から無視するような行為に、オリーシュ人将校は我慢ができなかった。自然と、胸倉をつかむ手にも力がこもる。だが、当の怒られている本人は何の悪びれた様子も見せない。

「起床のラッパは当然の行為では?」
「時と場所を考えろ馬鹿野郎!」
「…………時と、場所、だと……?」

ピクリと、ルドルフのこめかみで血管が動く。そして、さっと顔色が変わった。「あ、ヤバい」と、ルドルフの様子に何かを察した彼の部下が慌てだす。

「大体お前、ラッパまともに吹けてなかっただろうが! なんだあの下痢の時に出す屁ぇみたいなきったねえのは! てめえケツの穴にラッパ突っ込んでやったんじゃねえだろうなあ!?」
「――――」
「いったい何のつもりだか知らねえが、音楽未満のクソみてえな音だすんじゃねえ、音痴ならまだしもウンチなんざお呼びじゃねんだよ!」
「音楽は……っ!」
「あ?」
ここにきて、遅れながらオリーシュ人将校は目の前の男の雰囲気が変わっていることに気づく。だが、もう遅い。

「音楽は時もぉ! 場所もぉ! 選ばないいいいいぃ!!」

唐突にプッツンしやがった何なんだコイツは、とオリーシュ人将校は思った。アドルフは手にしたラッパを振りかぶると、力の限り振り下ろす。カーンッ! と、先ほどのものと比べれば雲泥の差の奇麗で澄んだ音が周囲に響く。結果、いいところに入った一撃は容易に男の意識を刈り取った。

「おおおおお音楽はぁ、神が人間に授けた英知にして祝福! それを侮辱するは神への侮辱と知れ! こ、ここここの無知蒙昧なる蛮人め―――あ、ああ! 何たることだ大切なラッパに歪みが……! おおおおおのれ石頭が! カスが! クズが!」
「わー! 止めてください! さすがにまずいですって! 痙攣してますよこの人!!」
「ルドルフ小隊長がまたやった!」
「あーもうメチャクチャだよ!」


わらわらと集まってくる兵隊たち。ルドルフ小隊の人員はやけに手慣れた様子で自分たちの小隊長を羽交い絞めにして取り押さえる。突然の凶行に右往左往していたオリーシュ人将校の部下たちは、頭から血をドバドバ流している自分たちの小隊長を抱きかかえると急いでその場から立ち去っていく。「なんなんだよアイツは!」「『あの』ルドルフだ! オストマルク町のクレイジーボーイだ!」といった声が響いてくる。ルドルフには、妙な通り名がついていた。

「フゥー! フゥー! フゥー!」
「あれなら怪鳥の鳴き声と間違われ――じゃなくて、木がいっぱいでガリア軍の連中まで聞こえないですよ。神経質なんですよさっきの人が」
「お、俺たちは小隊長の演奏いいと思うよ! なあ!」
「そうそう! 所詮あいつは海の向こうの連中だから、感性が狂ってるんですよ!」
「いよ! 未来の偉大な音楽家! きゃあ素敵!」
「…………―――――そうか? そう思うか? ようしなら、明日も起床のラッパを吹いてやろう。さわやかな朝にはふさわしい名演奏を奏でてやろうではないか。どうだ最高だろう!」
「「「わ、わーい」」」

がらりと表情を変えたルドルフ小隊長は、手でラッパの歪みをムニムニと直しながら笑顔で部下たちに提案した。嵐が去ったことを察してほっとすると同時に、心中でげんなりする一同。下手の横好き、演奏がほぼできないくせに何かと楽器を持ちたがる無意識な騒音発生装置、そしてそれを指摘されるとプッツンする。そんな要注意人物がルドルフ小隊長であった。「芸術を理解できない人間は生きる価値なし」と言って憚らないこの気性はパナマでも一部地域では知れ渡っており、比率的にどの部隊にも一人か二人は彼の悪癖を知っている人間がいるほどだった。音楽の演奏がらみ以外ではマトモという評価であるからこそ小隊長を務めることになっているのだが、度々このようなことをやらかすのだ。
まだ本来の小隊長が健在だったころは「これはこれで良い目覚ましになる、絶対に寝坊しないぞ!」と言ってフォローしたり、周囲との軋轢が発生しないようにうまく立ち回っていたが、それも今やない。結果、部下たちがトラブルの尻ぬぐいに奔走する回るはめとなっていた。

「と、ところでルドルフ小隊長。予定ではそろそろではないかと思うのですが……」
「あ、なに? ああ例の作戦か……あくまで予定では今日だな。だがそうそううまくいくかどうか……首尾よく進んでいるなら、合図が来るはず―――」

そこまで言いかけて、不意に銃声が鳴り響く。回数は1発、パーンと間延びした音がジャングルに響き渡った。同時に、鳥たちが一斉に飛び立つ。

「―――どうやらうまくいったらしい」

ルドルフ小隊長は音の鳴った方向へ向けて目線を向ける。その時、彼の部下たちは自分たちの出番がもうすぐであることを悟って緊張した面持ちをする――――と同時に、ほっと胸をなでおろした。少なくとも、戦闘状態になれば潜伏する必要が無くなり下手な演奏くらいでクレームを入れてくる味方もいないだろうし、キレた上司をなだめる必要がない、と。
彼らはルドルフが自分たちを見ていないことを良い事に安堵の表情を表に出していた。だが、ルドルフの表情もまた彼ら部下には見えなかった。だからこそ、その顔に一瞬苦みが差したことを知ることはなかった。

「ッチ」

舌打ちを1つ。頭の中には、例の言葉がよみがえる。忌々しいことに、自分を試すような不遜な文言が、一言一句正確に再生されるのだった。

『お前は俺の力量を問うたわけが、俺がそれを示せば、今度や逆にお前自身のそれも問われることになる。それをよく覚えておけよ』

力は示された。ならば今度は、自分が己の力量を示さなければならない。目の前に、無駄に態度がでかいヤツの顔がチラつく。アドルフはお気に入りの服にベットリ肉汁が付いたような不快な気分になるのだった。

(悔しいが認めよう、ただの運だけ男ではないと。だが……気に食わないな。上層部とコネがあるからだか知らないが、この私を差し置いて連隊長だと? 冗談じゃあない……!)

ルドルフ自体は、別に軍隊での出世を望んでいるわけではない。もともとは徴兵で無理やりやることになった兵隊稼業だ。だがそれはそれとして、元々オリーシュ帝国とは縁もゆかりもない立場からスピード出世を果たし、気づいたら自分の上に来られたというのは率直に言って気分がよろしくなかった。ありていに言えば、嫉妬だろうか。

(まあいい。さっさと兵役を終えて私は私の道を歩く。戦争など音楽をたしなむ文化的な文明人がやるようなことではないのだそもそも。……せいぜい大将気取りを続けているがいい)

などと心の中で吐き捨てるルドルフ小隊長であった。そのころになると、朝もはやいずこかへと消え去っていた。そして今日もまた一日が始まる。すなわち、戦いの一日が……




「あ~~喜んでいいやら悪いやら……わからんなぁしかし」

一方、ガリア軍のヴォナパルテ少尉は立小便をしていた。ジョボジョボと音を立て、不貞腐れたような表情で汚いアーチを作る。目の前に流れる大きな川に向かって伸びる放物線を眺めながら、訛ったガリア語で忌々しそうに愚痴を吐く。
逃走するオリーシュ帝国軍小隊を追撃するという任務に失敗したヴォナパルテ少尉は、負傷を理由に第一線からは外されていた。そして、目の前に架けられた橋の警備を命じられていたのだった。川幅は約10歩分程度だが深さがあり、軍隊が通過するには少々不都合があったのだ。さらに将軍直々に出張ってきたものだから進軍は一時停止。工兵部隊が突貫工事で架橋したもののさすがにこれを放置するわけにはいかないと、橋を守るための警備部隊を置くことになったというのが経緯だった。

「まあ、ついていったところでどうせロクな目ぇ合わへんだろうし? 手柄立ててもどーせ評価されへんやろうしなあ……やってられんわ正直」

初陣だ、手柄を立てて出世するんだと意気込んでいた当初のやる気はすでに無かった。いくら年若い彼であっても、これまでの将軍の自分に対する言動と現在の任務から考えて、将軍が自分を評価するどころか冷遇する気マンマンであることを察していた。無理してついていってもしょうもない作戦のしょうもない役目を負わされ。しかも上手くいっても昇進もなく下手すれば遠き異国の土になる、これでやる気が出るわけないと愚痴り続けるのだった。ジャングルの中にたかが一個小隊で放置をされたこと自体には不満だが、言ってしまえばそれまで。ただひたすら「あーせいせいした」といって、実質的な戦力外通告を屁でもないないとでも言わんばかりの態度で受け流していた。そして、兵士たちは降ってわいた実質的な重労働免除に喜んでいたが。

「おい、だれか水くんどけや。飯つくるで」
「え~いまトランプがいいところなんで、あとででいいですか?」
「アホ! もうすぐ見張りの交代の時間やろが。そいつらの飯は今から作らんと間に合わんやろ」

部下たちとそんな気の抜けた会話をしているが、その周囲には幾人かの兵士を立たせて警備は一応厳重であった。そして今のところ襲撃される気配はない。

(静かなもんやな。でも……)

ヴォナパルテには奇妙な確信があった。あの日、自分の奇襲を狙いすましたかのように防いで反撃してきた敵を相手にしている以上、決してこのまますんなり終わることはないと。ヴォナパルテ少尉は、頭の中で予想を立てる。敵の資質、こちらのトップの資質、地形、その他もろもろ――そういった要素を脳内でこねくり回すように考えていると、目の前に流れる水が妙に気になった。

「水、水……うーん。なんやろなぁ……」
理由などないが、目が離せない。

「どうしたんですか?」
「あ――――いやな。水を見てるとなんか忘れとるような気がしてなあ……」
「水汲み当番とかですか? それならさっき汲みに行きましたよ」
「ああ? 目の前に川があるやん」
「……さっき隊長が小便したじゃないですか。だからちゃんとしたところに汲みにいってるんですよ」
「ちゃんとしたところ……?」

ヴォナパルテはこの島に来る前は、カリブ海の大西洋寄りにある島で勤務していた。そこには、セノーテと呼称される天然の井戸ともいえる自然地形が存在していた。足元に巨大な穴がぽっかり開いており、その奥に溜まった水を飲料水として利用していたのだ。それこそ人間の千や二千は軽く入れるような巨大な落とし穴じみた――

「――――――あ」

唐突に理解に至った。そして戦力から外された自分の幸運に感謝したのだった



将軍自らが最前線に顔を出すという事態に、ガリア軍側の現場はますます動きを膠着させていた。まず、万が一にも負傷させてはいけないと護衛は厳重に。そして思いついたような指示を飛ばされての対応、食事をするテーブルがないことへの不満、湿気や虫の多さへの癇癪などなど……もはや邪魔しにきているのではないかと勘繰るくらいに、側近以下兵卒は振り回されていた。だが、機能不全に陥りかけながらの行軍もついに終わりを迎えることになる。

「とうとう諦めたか……手間取らせやがって!」

獰猛に笑う。将軍の目には憎き敵の姿が映った。ジャングルの中で広場のように開けた場所で、木を切り倒して作られたバリケードの裏に固まるおよそ一個中隊。それが健気にも銃口を向けて威嚇しているのだ。時間さえあればもう少しましな砦が作られていただろうが残念だったなと、将軍は自らの迅速な行軍を評価した。実体がどうかはともかく、将軍の中では「敵に陣地を作らせないほどの手際の良さがある名将」というのが自身への評価だった。
そしてじっと敵陣を観察してみれば、兵士が装備している武器は銃のみ。大砲もなければ騎兵もいないことは明白だった。ならば、あとはセオリー通りに戦列を組んだ歩兵で押し出せば敵陣は瓦解するだろう、と判断した。ゆえに、そのように支持を出す。

「戦列を作れ、密集隊形で踏みつぶすぞ!!」

大声で部下に命令を下す。兵士たちが隣り合う仲間と肩を寄せあうかのように密着して、鎖のように横へつながっていく。広場に収まるギリギリまで伸びた人間の鎖は、その後ろに同様の列を複数列かさねる。こうする事によって、人の鎖はさながら分厚い壁へと変貌した。
その完成を見届けたのち、将軍は軍楽隊とともにこの壁の最後尾に陣取った。そして、すうっと右手を上げる。

「散々手間をかけさせてくれた礼はたっぷりさせてもらう――――楽に死ねると思うなよ……!」

あと一声。この右手を振り下ろすと同時に命じれば、目の前にたむろするナメ腐った連中をゴミか虫けらのように蹂躙しすり潰せるという段階にいたって、将軍のテンションは血圧と共に最高値を更新した。そして、真っ赤に染まった顔面で血管がピクピクしはじめると、将軍は怒鳴り声で命令を下した。

「前っ進! これ以上奴らを私の目に触れさせるな、粉砕してぶっ壊して踏みつぶせえええ!!」

軽快かつ勇壮なテンポの音楽が流され、それを合図にして戦列歩兵たちが一歩一歩進んでいく。彼らはまだ銃を撃たない。相手の白目が見えるくらいまで隊列を維持したまま接近し、それから肩に担いだマスケット銃を発射するのが彼らの戦法であるからだ。これは命中率の悪い銃弾を有効に活用させるためには近距離から密集して撃てばいいという発想に基づいているのだが、これをやらされる兵隊には苛烈な精神力が要求される。

「あははははっ! 最高の悲鳴を聞かせてくれたまえ!」

将軍がご機嫌に笑う。
今のヨーロッパでは、敵味方両軍の歩兵たちは隊列を維持しつつ音楽と共に接近し、互いに互いの弾丸が十分相手に当たるくらいの距離でどちらかが恐怖に駆られて逃げ出すまで銃を撃ち合うのがスタンダードであった。しかも、大概は大砲の砲弾が飛び込んできたり騎兵が突撃してきたりするというおまけつきである。こうしなければまともに機能しないとはいえ、冷静に考えれば正気の沙汰とは言えない、究極の度胸試しとでもいえる戦法である。だが、対するオリーシュ軍一個中隊はこの度胸試しにはのらず、ただひたすらバリケードの内側からマスケット銃を撃っていた。

「ははははははははっ……はあ」

ひとしきり大笑いした将軍は、逆になんだかすっきりしたような顔をした。まるっきり情緒不安定である。そして改めて敵の姿を見ると顔をしかめた。
バリケードに頼る敵のありさまに、ヨーロッパ育ちの将軍は心の底から軽蔑した。臆病者どもが、と。歩兵は死ぬもの、歩兵は何も考えず命令を忠実にこなす駒であれ、それができるのが勇者であるという思想が常識として浸透している者たちにとって、遮蔽物にこもる姿はどこまでも滑稽であったのだ。

「見るに堪えんな」

嘲笑と共に吐き捨てた。圧倒的な戦力差で挑んでおいて、敵が自分の「好ましいと思える戦法」を取らなかったことに不満を感じるという性根と傲慢さと――――歩兵は固まって動くものという固定概念が将軍の目を曇らせ、その運命を決定づけた。
それでもあえてフォローをいれるならば、とある世界で発生した「ある戦い」がこの世界ではいまだ起こっていないことだろう。戦列歩兵は、武器の性能上の都合だけでなく、兵士の逃亡を抑制するという効果もあって採用されている。基本、この時代の歩兵は逃げるものなのだ。しかし、明確な戦う意思と覚悟を持った者たちだけが行える戦い方がある。
たとえ指揮官の目がなくとも逃げず、命令を遂行するべく戦う真の勇者。そんな彼らだからこそ奇跡を起こしうる。

「志願兵連隊ぃいいいいっ、突っ撃いいいいぃ!!」

突如としてそんな絶叫が響く。同時、広場周辺の茂みからオリーシュ軍兵士が隊列を組むこと無く飛び出した。

「俺と家族の生活がかかってんだ!」
「出来高払いぃ!」
「パナマの未来のために死んどけオラぁ!」

数は決して多くないものの、その気迫にガリア軍に動揺が走る

「な、なんだお前らは! なんなんだ!?」
「てめえら酒にでも酔ってんのか!」
『ブッブピー! ブブブピュヒョ!!』
「あとなんだこの地獄の底から響くような不気味な音は!?」

ガリア軍兵士たちが悲鳴を上げる。地獄の悪魔が狂気に駆られて演奏しているような不愉快なラッパらしき音色が混乱を助長したのだ。

「パナマは高度経済成長中だ! お前も、お前の家族も! 働けば働くほどいい生活ができる! こいつらがパナマに突入したらまたスラム暮らしだぞええ!? 追い返せれば希望の未来に向かってレディゴーだお前らあ!!」

オリーシュ軍兵士たちの後方、ボロボロにあった服を着て叫ぶオリ主の姿がそこにあった。当然、パナマ人たちの士気が異様に高いのはコイツのせいである。オリ主は結構な枚数の、兵士に届けられた家族からの手紙を代読してきた。そしてその内容が、オリーシュ帝国に併合されて生活が向上した、おかげでスラム生活から抜け出せたというものばかりであることに目を付けた。部隊を細かく分割するにあたって危惧される逃亡を阻止するために、使えると。
つまり簡単に言えば、自分も家族もまとめていい生活させてやりたければ敵を追い返せと煽ったのだ。加えて、活躍したものはパナマにいる近衛ユウ将軍から特別褒章を出させるとも(勝手に)確約した。
結果、すでに故郷からの手紙で家族の現状を知ったパナマ人たちは奮起した。
広場いっぱいに固まっていたガリア軍を囲むように現れたオリーシュ帝国軍。全体として長細く伸びたガリア軍の先頭を、三方向から攻める格好となる。

「か、囲まれてます! 敵は今にも噛みついてきそうな勢いです!」
「ええい、かまわんそのまま前進せよ!」

ガリア軍戦列歩兵の外縁部は、なし崩し的に白兵戦に移行する。そのうえで将軍は前進を命じた。目の前の一個中隊を撃破すれば、包囲は二方向に変わる。その後、少数の敵は後続部隊からの増援で押しつぶせばいい。ここで気にすべきは、ガリア軍将兵に走る動揺のみと、意外な冷静さを発揮する。
だが、遅かった。責め立てられながらも戦列歩兵たちは広場の中へと進み、いよいよ敵軍バリケードを射程におさめようとしたその瞬間。

「え?」

メキメキバキッという木の枝が折れる音と共に兵士たちは浮遊感に襲われ。

「あ?」

将軍は、目の前で大量の部下が突如として発生した穴の底へ落ちていく光景を見せつけられたのだった。



あとがき

おそくなってすいません。定期的に更新する難しさを嚙み締めています。



[40286] 近代編 パナマ戦線異状アリ8
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:165d1181
Date: 2019/12/31 23:58
ソレを見つけたのは、オリ主がカリブ海の島に送り込まれてからしばらくした頃であった。ジャングルの高温多湿という気候にも慣れたオリ主が元気いっぱいに兵を引き連れ、連日にわたって出撃を繰り返していた時のことである。

『フハハハハハ! 愉快に腰振りやがってよぉ、誘ってんのかい!?』
『チンピラみたいな発言は控えろ! 品位が疑われる!』

今日も今日とて飽きることなくオリ主のオリ主によるオリ主突撃をかましてその副官がフォローに回っていた昼下がり。茹で上がるような暑さにも負けずアステカ軍残党をジャングルの奥地へと追いつめていた。

『ひゃああああ手柄になれやあああああああ…………んあ?』
『――――敵が……消えた?』

10メートルほど先を行く敵が、目の前で唐突に消滅したのだ。それはもう、見事に。

『ま、まさか魔法……この世界は実はファンタジーだった……?』
『馬鹿なこと言うな、そんなものこの世にはない』

まるで魔法か何かで地面に飲み込まれたような光景に唖然としつつ、副官は己の隊長がまた妄言を言っていると思って取り合わない。事実として妄言なのだが、それはそうと不可思議な現象であるのには変わらない。オリ主と副官が一瞬だけ顔を合わせると、そのまま急いで敵が姿を消した地点に向かう。小隊の先頭に立って生い茂る木々をかき分けて進めば、足元に巨大な穴が出現。危うくそのまま真っ逆さまに落ちそうになるのを、二人は近くの木から伸びていたツタを掴んで何とか堪える。

『っ! あっぶねえ……何だこりゃ落とし穴か?』
『ふうっ……少なくとも人工物ではないだろうな、あまりにも大きすぎるし人の手が加わった痕跡は見られない』

広さはテニスコートの3、4面がすっぽり入る程度で、深さは20メートルほど。そして穴の底には水が溜まっており、つい今まで追いかけていた敵が水の中でもがいているところであった。しかし本来の目的を忘れて、オリ主と副官はゴツゴツとした岩をむき出しにしている、目の前の巨大な穴に興味が行っていた。

『アア、これ、セノーテってやつですネ』
『セノーテ?』

追いついてきた、パナマ人の部下が説明する。いつもの、若干言葉が片言な青年カルカ―ノである。

『この辺りでヨク見まス、天然のイドとしてツカッテますネ』
『へぇ……』
『なるほど、大自然が生み出した芸術の一種ということか。険しい岩肌と、その奥にある青い水……素晴らしい光景だ』
『あと数百年後の未来になれば世界遺産になれそうだな』
『でも、ヨク人が落ちるので危ないですネ、とっても』
『らしいな』

生まれて初めて見た光景にしばし二人は感嘆の声を上げる。もっとも、その大自然の芸術の中では今も、逃亡していたアステカ軍残党兵が息も絶え絶えに天然の井戸の壁にへばりついているのだが。
その後、今更討伐も何も無いなと思ったオリ主一行はとりあえず残党兵の武装を解除して捕虜として連行することにした。そして、連行した後は再びジャングルの中を駆けずり回る日が続く。地質学者がいないためこのセノーテと呼ばれる天然の井戸の成り立ちなどはさっぱり理解できなかったものの、ジャングルの中に馬鹿みたいに大きな穴が開いているところがあるのだという印象だけは、しっかりとオリ主の脳裏に刻まれた。なにせ自分が一回落ちかけ、目の前で落ちた人間の実例を目の当たりにしたのだから。
――――後に、突如として襲来したガリア軍に対する逆襲の要となることは、この当時のオリ主には予想もできなかったことだろう。







ガリア軍前衛はセノーテを利用した落とし穴の中へと吸い込まれていった。大きく口を開けたセノーテの穴に格子状に加工した木の枝をかぶせ、その上に繁茂していた草を乗せて偽装・隠ぺいした即席の罠が見事に機能した結果である。オリーシュ軍の臨時連隊長が決死の逃走劇の結果得た時間はすべてこの工作を完成させるためのものであったのだ。

「ガキかよこんなンよぉ!」

ギリギリのところで穴に落ちることを避けられたガリア兵の誰かが叫んだ。その通り、こんなものはほんの少しでも注意していれば避けられたシロモノである。なにせ突貫工事の即席罠なのだから。よくよく見れば、カモフラージュの草が一部剥げていることが見て取れていただろう。囮部隊を使って落とし穴に嵌めるというオリ主の今作戦は、まさに子供だまし、児戯と形容するにふさわしい。だが、してやられた者の負け惜しみにいかほどの価値があろうか。全ては散々ジャングルの中の鬼ごっこに付き合わされた事の疲労、最高指揮官であるジャン・ピエール将軍の冷静さを欠いた命令という負債を支払いきれなかったツケである。

「ひっ! はひぃい! 落ちるぅ!!」
「将軍! 私の手を!!」
「馬鹿者そんな余裕があるか! 手を掴んで引き上げろ!」

下草を掴んで何とか落下を防いでいる将軍が怒鳴る。すでに肩から下が穴へと落ち、縁にへばりついているのがせいぜいの状態である。だが悲しいかな、軍人としての最低限の体力すら失って久しい将軍は自力で自身の体を持ち上げることができない。部下たちは何とかしようと、数人がかりで将軍を引き上げようとした。しかし彼らは忘れている。敵の攻撃はいまだ続いているのだということを。

「押せえ! 押しまくれ! バカヤロウお前、弾なんか込めてる場合じゃねえぞ!」
「痛ぇぞくそったれがぁ!」

彼らガリア軍は長い縦隊を形成してここまで来た。そして今でも将軍たちの後ろには蛇のようにずらずらと後続の兵隊たちが並んでいる。もしもその長い縦隊が左右からの攻撃にさらされたらどうなるだろうか。

「もっと前行けよ!」
「馬鹿が前にはでっかい穴が……! お、落ちる!」

左右からの攻撃にさらされている一団は後ろの人間を突き飛ばして後退するわけにもいかないので、前へ前へと進んでいく。しかも、行く先にある落とし穴には気づいていないものだから容赦なく眼前の仲間の背中を押す結果となる。

「まずい! 前に行くな後ろへ下がれ! 後続部隊にも伝令を出せ、作戦は失敗だ、撤退しろとな!」

それでも、流石は戦争国家として名高いガリア王国軍人であった。混乱状態の中でも事態を察した指揮官が、強引にでも後退すべく命令を出した。彼は左右からの挟撃が無いか、さもなければ薄い箇所に居たという運にも恵まれていたのだ。そう、オリーシュ軍は確かに蛇の頭とその左右を抑えることは出来たが、首や胴体、尻尾の方まで囲むだけの兵数はなかった。必然的に、列の後ろへ行けば攻撃にさらされない部分が出てくる。そこで体制を立て直せば……もしもこの有能な指揮官である彼があとほんの少しでも事態を察知するのが早ければ離脱に成功していたかもしれない。しかし、運命の女神はオリーシュ軍のこの男に微笑んだ。

「分断せよ! 分断せよ! このラッパの音を聞けぇ!」

ぶっぴいぃい!
不吉なラッパと共に、左右の木陰から人が出現する。手には梯子のような物体や木の板が握られている。

「い、いかん!」

後退を命令したガリア軍指揮官は、目の前の敵の意図を察知する。だがもう遅い。横合いから飛び出してきた小隊によって、彼の部隊は後続部隊と寸断されてしまった。

「撃てぇ! 前と後ろ! どっちも敵だ!」
「後方へ向けて攻撃し突破しろ! このままでは我々は全員包囲殲滅されるぞ!」

割り込みをかけた部隊の指揮官であるルドルフ小隊長が叫んだ。ガリア軍の指揮官も叫ぶ。双方で激しい銃撃戦と白兵戦が繰り広げられた。目まぐるしく変化する状況にガリア軍兵士たちは対応できない。

「うおい! これってメチャクチャ危ない任務だろおい!」
「黙れ小隊長命令である! 死にたくなければ銃剣を突き出せ! 撃ち続けろ!」

ルドルフ小隊は、持ち込んだ雑多なものを使って作られた即席バリケードを盾に奮戦する。前門のガリア兵、後門のガリア兵。前後をガリア軍に囲まれる形に意図的にとはいえなってしまった彼らは、兵を二分割しての小さな二正面戦闘を強いられる。

「おのれあの男、絶対性格悪いだろ!」
「変に文句付けるからこんな役やらされるんですよ!」
「おのれえええええっ!」

ルドルフ小隊長が怒声を上げる。恨み言の対象であるあの男とはもちろん、この作戦を考案したオリ主のことである。
だがなんにせよ。ルドルフ小隊がここで奮戦を続ける限り、ガリア軍という蛇は首を境にして分断されることになったのだった。だがうかうかしてはいられない。下手に時間をかければ混乱から立ち直ったガリア軍後続による包囲殲滅の可能性があるのだから。

(早く敵将を確保しろ! 万一死んだら呪ってやる!!)

全ては時間勝負。ルドルフは心の中で祈りにも似た呪詛を吐きながら懸命に抗い続ける。







「おっ落ちるうううう!」
「うああああああ!?」

目の前で悲劇、あるいは喜劇が繰り広げられる様を北是は眺めていた。何もわからない列後方の人間が、左右からの攻撃で前へ前へと逃げようとするたびに、前方の人間が背中を押されて穴の中に突き落とされる。

「…………よう、どんな感じ?」
「もちろん準備は万端だ。いつでも行ける。それよりも、まさか一緒に行くとか言い出さないよな?」
「さすがに無理。もうほとんど動けねえや。あとはまあ、ここで見物するさ」

先ほどまで激を飛ばしていたのにいつの間にか現れたオリ主に、北是は目線を向けずに答える。今もまた突き落とされたガリア兵が、穴の中の水を必死に藻掻く。うかうかしていると後続で落下してくる人間に潰されるからだ。
北是は、これを喜劇の舞台に近い光景だと思ったほどだ。だが、間違いなくこれは劇ではなく自分たちの軍事作戦の一環で、作戦であるならば個々人がそれぞれの役割を全うしなければならないことは明白である。そして、自分の個人的な用事を果たす時でもあると。

「……おい」
「あん?」
「今回の戦いで、部下たちに褒章を出すとかなんとか言ってたな?」
「え、あ……うん」

言ったけど何お前も欲しいの? とオリ主は思ったが、何となくピリピリとした雰囲気が出ていたので、空気を読んで頷くにとどめる。

「銀剣章」
「は?」
「活躍した部下に褒章与えるというのなら、銀剣章が相応しい。これはそういうときのためにある勲章だ。そして、部下のためにソレの授与を申請するのも上官の仕事のひとつだ」

へぇ、とオリ主は思った。だが、そういう制度があるなら要求もしやすいだろうと思い、「おう任せろ」と自信満々に答える。

「へへっ勲章だってよ」
「かあちゃんに自慢できらあ」

北是が指揮を執っている一団の兵たちが、オリ主の力強い返答を聞いて笑みを浮かべる。「よしっ」と部下たちの士気を確認した北是は、注目! と言って自身の剣を掲げる。そして大きく息を吸い込み、気合の入った声と共に吐き出した。

「馬鹿にされたくなければ己の価値を示せ! 尊敬を受けたいのなら敵を倒して証明してみせろ!!」
「「「応っ!」」」
「橋下ろせえ!!」

号令と共に、木立に立てかけるように隠されていた幅一メートルほどの長い木の板が何本もセノーテに覆いかぶさるように倒れ始める。大穴の対岸にまで届いたその木の板は、即席の橋となる。よくよく見れば、複数の木の枝が組み合わさってできた横棒が多い脚立のようであった。だがなんにせよ、これを以て全ての準備は整った。再度大きく息を吸い込んで、北是は命令を下す。今までにない裂帛の声であった。

「目標は眼前の敵集団! 総員…………突撃ぃいいいいいいいいいいいい!!」
「「「おおおおおおおおお!!」」」

切っ先を前方に向けて振り下ろした北是が、叫びながら橋の上を猛然と駆け抜ける。当然、誰よりも先頭を走る。部下もそれぞれの橋を使ってそれに続く。もとより最後の仕上げを任されるという主役を担う者たちだ。高かった士気を極限にまで上昇させて突貫すればまさに鬼気迫る勢いとなる。

「はぁ、はぁ、敵の、突撃だ後ろへ―――!」
「ダメですもう来ます!!」
「はぁ、はぁ、くぅ……ええいこの無能どもがぁ……!」

正面突撃が行われ、今まさに敵兵が絶叫を上げて突っ込んでくる光景を前にして慌てるジャン・ピエール将軍。が、既に意味をなさず。混乱の中でも何とか引き上げられていた将軍は息も絶え絶えだがしかし、それでも叫ばずにはいられなかったのだ。「何とかしろぉ!!」と喚き散らすも、もうどうしようもない。オリーシュ軍の攻撃がほんの数秒で到達しようという段階だ。

「ぬぬぬっ!」
「あ! ちょ、どこへ……!」

ここでとうとう万事休すであると察した将軍は、部下を突き飛ばして自分だけでも後方へ下がり、人ごみの中に紛れての逃亡を試みる。

「とにかく迎撃! 後ろへ通すな!」

哀れ取り残された側近たちが、周囲のガリア軍兵士に命令して小さな横列を作る。すでに装填は済ませていたので銃口を向けて一斉射撃をすれば、そこには弾丸のカーテンが出現する。

「総員……ひるまず突撃ぃいいいい!!」

士官の剣を掲げて走る北是が、橋の上を猛然と駆け抜け――そして跳ぶ。誰よりも先頭を走り、誰よりも高く跳んだ。その姿は、討つべき対象を目掛けて放たれた必殺の矢の如し。
弾幕は容赦なく突撃してくる北是達に――特にジャンプして飛び掛かろうとしていた北是に――襲い掛かった。

「うぐっ! あ、足かっ……!」

北是の口から苦痛の声が上がる。だが弾が掠っただけで致命傷には程遠い。また、北是に狙いが集中したおかげで、部下たちは一切速度を緩めることがなかった。

「今の、なんか弾の方が避けてなかったか?」

遠くからでも分かる異常な光景。北是はまるで不可視の障壁に守られているかのように、胴体や頭部への命中はひとつもなかった。いくら弾幕としては薄かったとしても至近距離であったのに、である。北是に続けと走っている部下たちは不運にも何人か命中し悶絶している。が、それをしり目に、走り幅跳びのようにジャンプした北是本人は二発目の準備をすることも出来ずにいたガリア軍兵士たちの横列へと飛び込んでいた。それから少し遅れて、北是麾下の部隊もガリア軍へと殴り込みをかける。

「あああああっ!」

空中で北是は剣を一閃。一発目の余韻がまだ手に残っているガリア軍兵士の首に深い裂傷を刻み付ける。戦友の有様を見た周囲の者たちもさすがに軍人、訓練通りとっさに銃剣を構えた。が、遅い。

「槍衾には薄すぎるなぁ!」

吐き捨てるように言いつつ、北是はこと切れて崩れ落ちようとしている敵の肩に足をかける。ぐっと力を籠めれば、身体は再度空中へ飛翔する。

「はは、あいつマジかよ……」
「飛んでる……」

オリ主は思わず言葉を零した。同様に、周りの兵士たちからもぽつり。二度天高く上がった北是は、そのまま他のガリア軍兵士たちの頭や肩をジャンプ台替わりにし、どんどんと前へと進み続ける。
天狗か何かかと思うオリ主は……乾いた笑みを浮かべながら言った。

「認めよう、お前は勇者だ」

何か悟ったような顔。が、一変して嫉妬に駆られた表情を露骨に示す。

「――だがなぁ! 俺よりも目立つとは何事だこの野郎!」
「えぇ……」

盛大に地団太を踏んで、周囲の人間に引かれるのだった。
そうこうしている間にも、北是は何かを探すように跳ねて剣を振り回す。移動するたびに血しぶきを上げるその様子に、悪魔だのなんだのと言う罵声が飛ぶ。しかし言われた本人はそんなことどうでもいいと言わんばかりに周囲へと視線を飛ばした。そして、目当てのものを発見する。

「見つけたぁ!」

歓喜で叫ぶ北是。その表情と発言内容に更に恐怖を掻き立てられて神に救いを求める声が増える。もはや悪魔と化した北是の視線の先には、先ほど逃げ出したガリア軍の将軍の背中が。

「止まれぇええええ!」
「はっひぃ!?」

地獄の底から響くような絶叫に思わず振り向いた将軍は、自分目掛けて飛んでくる敵兵の姿に脳の処理が追い付かなかったのか硬直する。そして動きの止まった標的目掛けて、北是は全体重を込めた蹴りを放った。

「がっ!? ぐはあっ!!」

鼻血を出し、歯を数本吹き飛ばしつつ倒れこむ将軍。その顔のすぐそばの地面に、北是の持つ剣の切っ先が突き刺さる。ガリア兵たちは、目の前の光景に唖然とその場で立ち尽くすことしかできない。

「前ガリア軍将兵に告げる! 貴軍の将軍は捕らえられた、総員武装を解除しろ!」
「ふ、ふざけ――――」
「要求を聞き入れられない場合、即座に貴軍の将軍は首を落とすことになる!」
「て、て、てて、てめえ状況わかってんのかよ!?」
「囲んでんのはこっちなんだぜ!?」
「そうだ、お、お前なんてちっとも怖くねえぞぉ!」
「黙れぶち殺すぞ!」
「「「ひぃ!?」」」

北是が睨み据えれば、へっぴり腰ながらも啖呵を切っていた近場のガリア軍兵士が腰を抜かした。多分、本気で空を飛ぶ悪魔に見えているのかもしれない。

「この者が将軍ではないというのならば、今すぐこの者の首を跳ね飛ばし、別に探しに行くだけだ! さあ返答を聞かせてもらおうか!」

身なりからして十中八九将軍であることは分かっていても、脅し文句として「この程度の包囲は屁でもない」と言外に言って威圧する。

「こ、このぉ……!」

状況を把握し始めたガリア軍兵士たちは、北是と捕虜となった将軍を遠巻きに囲んで銃を突き付ける。彼らの言う通り、北是は単身飛び込んで来たため完全に孤立しており、北是の身の安全を保障する唯一の材料は将軍という人質のみである。だがどちらが追い込まれているのかは表情ですぐにわかる。余裕の顔の北是と、恐怖に塗れて顔面蒼白状態のガリア軍側という対比なのだから。

「ででで伝統あるガリア軍軍人は降伏などするものか! かまうなうううう撃てぇ!」

当の将軍がこのようなことを叫ぶ。だがこうなることくらいは覚悟の上だったとばかりに、北是は片手で倒れこんでいる将軍の襟をつかんで強引に立たせる。この状態で射撃をすれば、確実に自分も将軍も死ぬという状況だ。

「……」
「あの、マジで?」
「馬鹿お前、ホントに撃って死んじゃったら責任取らされるぞ」
「でも撃てって……」
「……どうした撃たないのか?」
「――――将軍閣下のご意思を無視するわけにはいかない。構え! 後ろの奴らはうまく逃げ――――」
「ばばばば、ばかもんが! ほんとに撃とうとするやつがあるか! 降伏する! 全員武器を捨てろおおお」

ジャン・ピエール将軍はおそらく生まれて初めて、敵の前で涙を流して降伏した。







ガリア軍兵士が放棄した銃がうずたかく積まれ、つつがなく武装解除が進んでいく。ルドルフ小隊が戦っていた分断ラインより後方のガリア軍部隊は異常事態に混乱して撤退。乾坤一擲で将軍奪還を目指して攻め込まれたら厄介だっただけに一安心であった。そして、首脳部の拘束も終わったところだった。

「お、おのれ! 私はガリア王族の一員だぞ、縄を解け! そして盃のひとつでも出せ! ただの平民兵士と同じ待遇などふざけるな!」

そんな抗議に対して、「ああん? 聞こえんなぁ」と煽るような顔つきで耳に手を当てるオリ主。どこぞのモヒカン一族のような対応で将軍の要求を一蹴する。そもそも、今は穴に落ちた連中を引き上げ、手に縄(途中で足りなくなって敵のシャツを引き裂いて作った布で代用)をかける面倒な作業をする必要がある。ので、酒を出せだのといった待遇面での要求などされても面倒というのが実情だった。

「ホテルじゃありませんので」
「だいたい、ちゃんとした縄で縛ってやってる分だけありがたく思えこの野郎!」

オリ主のような無駄に煽るような態度こそなかったが、北是もまた最低限の対応のみで淡々と捕虜の拘束作業を進めている。

「それよりも……おいおっさん!」

グイっと、オリ主は将軍の縄を掴んで引き寄せる。たたらを踏んでよろけそうなところを、胸倉をつかんで強引に引き寄せる。

「こっちの要求はたった二つだ。この島の沖に浮かんでるフネを沈めさせろ。そんでさっさと帰れ」
「こ、こ、交渉したければまずは貴族将校への扱いをすることから始めたらどうだ!?」
「――――あん?」

何コイツ強気になった? とオリ主が訝しんだ。状況、コイツわかってんの? とも。

「そうだ! 我々のフリゲート艦がこの島を狙っている限り、貴様らはどこへも逃げられない! 何もない島の奥地に引きこもるしかないな、ええ!?」

見るからに起死回生の一手を閃いたと、将軍は喜色満面の顔と態度を浮かべる。マズイな、と北是が思い、オリ主に代わって会話を行う。

「その前に、救援の艦隊が来るでしょう。すでにこちらの事態は味方へ連絡済みですので」
「は! こちらはお前らの情報もちゃんと収集している! 外国人部隊! しかも元アステカ人がほとんど! 加えて今はアステカ帝国との戦争も継続中! 海上戦力を戦略的価値がない辺境の島に送るのは一体いつになるのかな?」

諜報活動で得られた情報、そしておそらくは要塞に残された書類からこちらの内情を把握されていることにオリ主は舌打ちをしたくなった。
ガリア軍の陸上戦力はこうして大打撃を与えられたが半数は健在で、海の方は未だ無傷。将軍を人質にして自沈させるつもりだったのに、肝心の将軍がこちらの要求を突っぱね続けてしまえば、状況が膠着してしまう。強制的に引き分け状態に陥ることになるのは、オリ主的にはマズイ。敵を島から追い出さない限り「勝利」にならず、「勝利」でなければ要塞を砲撃されて逃げてしまった名誉を回復できない。それは、オリ主としての沽券にかかわる。あと、例の危険な目をした男もまだ確保できていないのもよろしくなかった。

「殺せるものなら殺してみろ! もっともその場合、フリゲート艦はそのままだがな!」

圧倒的に弱い立場でありながらも強気の態度。軍事的な才能はアレであったが、土壇場で成長してしまったジャン・ピエール将軍。オリ主が持久戦を極端に嫌っていることを察知しそれを利用したのだ。どうやら、ピンチからの覚醒は主人公だけの特権ではないらしい。

「――軽く拷問して撤退の命令書でも書かせるか?」
「死なれると本当に手詰まりになる。医者も薬もないこの状況では悪手だろう」

こそこそと小声で打ち合わせをしつつ、ちらっと見れば将軍はこちらの方をみてニヤニヤと意地の悪い笑顔をしている。足元を見ていることが露骨に分かった。というか、拷問という単語がすらっと出てくるあたり、現代日本人の倫理観はだいぶ薄れているのが伺える。

「…………じゃあどうするんだよ」
「……考えがある」

北是は、確実性は薄いがと断ったうえで、その考えを話した。







翌々日。オリ主は元いた砂浜へと戻っていた。目の前にはフリゲート艦の支援を当てにしたガリア軍の敗残兵たち。文字通り、彼らにとっての精神的支柱なのだろうそれをバックにして、逃亡していた兵士たちはその場で陣を組んでいる。そこへ、オリ主が大きな声を張り上げた。

「お前らの将軍は我々の捕虜となった!」
「んー! んー!」

傍らには猿轡を嵌められ、縄で縛られた将軍の姿が。

「解放してほしけりゃフリゲート艦を沈めろオラあ!」」

分かりやすく趣旨を説明するのであれば。

「いいのか!? お前らの王様の親せきが死んだらお前らアレだ、責任問題だぞ!?」

――――――責任問題をちらつかせて、部下に独断させよう作戦であった。





あとがき

次回パナマ編終了予定となります。よいお年を。



[40286] 近代編 パナマ戦線異状アリ 終
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:a4f80642
Date: 2020/04/05 18:16

都市パナマに設置された軍司令部の一室において、近衛ユウは次々と関係各所へ回す命令書にペンを走らせる。出来上がった書類は即座に室外へと運ばれ、しかるべき者のもとへと運ばれていった。

「お考え直し下さい。もしもこのことが御父上に知られたら……お怒りを賜るだけではすみませんよ」

そっと見元で囁くように言ったのは、まだ中年とも言えない年齢の若い男だった。
ユウはせわしなく動かしていた手を止めると、目の前の若い秘書の顔を見る。彼は父に秘書として同行させるように言われて配属された部下であった。初顔合わせの時はずいぶんと若いと感じたが、今はひどく憔悴して見えた。とても自分より一回りほどしか年齢が上であるとは思えないほどに。

「この都市における現時点での最高責任者は誰か?」
「それは……」

じっと目を見て静かに言葉を発すれば、秘書は言葉に詰まらせた。我ながら随分と意地の悪い質問をしたと、ユウは密かに自嘲する。

「これ以上の問答は不要だ。準備は?」
「できてはおります……しかし、私は……」
「お前にも迷惑をかけるが責任の所在は私だ、何かあれば命令されたと言えばいい……卑怯者にも恩知らずにもなるつもりはないんだ。許せ」
「…………」

目の前の秘書の真たる主は父だろうことは容易に予想できる。お目付け役、あるいは監視役といったところか。命令されたから、で済むとは思えない。だが、公的に言ってしまえば現在においては自分こそが主人である。
板挟み。その気苦労に対する同情はあるが、今だけはそれを無視せざるを得ない。これから行うことは、それだけの意味と理由があるのだから。

「では、行ってくる」

ユウは身なりを整えて部屋から出る。与えられた権限で行えることはすべてやった。しかし、結局のところ事が順調に進むための条件は、まだそろっていない。それをそろえられるか否かは、これから行おうとしている行動にかかっていた。

「……成功を、祈っております」

絞り出したような声を背に、ユウは歩みを進めるのだった。





パナマの労働者がそれぞれの一日を終え、家路につこうという時のことであった。

「皆、仕事終わりだということは理解している。しかし、ほんのしばしで構わない。立ち止まって私の言葉に耳を傾けてほしい」

太陽が西の海へと沈んでいこうという時分。広場に集まった群衆を前にして、樽で作った台の上から近衛ユウは声を張った。仕事終わりの疲労が見えるパナマ人の労働者たちは、突然の貴公子の出現に面食らった。オリーシュ帝国から湯水のごとく注がれる投資によって、アステカ帝国時代よりも格段と生活がよくなった彼らは、大抵がそれをもたらしたオリーシュ帝国に好意的である。そしてその評価は、目の前の貴公子にも転嫁されていた。仕事で疲れていても、少しくらい話を聞くくらいの手間は誰も惜しまなかった。


「知っての通り、現在この都市の東の島々に、ガリア王国軍が侵攻している。今はこの都市の志願兵たちが食い止めているが……」

わずかなどよめきが潮騒のように広がった。軍事情報として伏せられていたガリア軍襲来の情報が、パナマ人たちに初めて公開された瞬間であった。パナマという土地にとって、カリブ海の島々は庭先のようなものである。そこに外敵が侵入しているなど、ショッキングな情報以外の何物でもない。

「息子がそこにいるんです! 大丈夫なんですか!?」

若い女性の叫び声がする。
息子、兄弟、あるいは夫が……肉親が志願兵として現在もガリア軍と対峙しているというならば、そのような声は必然だった。安否を心配する叫び声がユウのもとへ届く。

「……正直、楽観視できない状況だ」

一度、伏し目がちになりながらユウは言った。群衆の中で、ショックで崩れ落ちそうになり、周囲の人間に支えられるという場面が散見された。

「ゆえに軍艦を援軍として送りたい!!」

そこへすかさず、ユウが力強く叫んだ。この場は決して、単なる説明会ではない。外敵による侵略に晒されている、そしてそれにどう対処するべきか。これこそが、本題であった。

「だが、陸地を遠回りしてでは東側の海に到着するのはいつになるかわからない。一分一秒でも早く今なお寡兵にて敵と対峙する兵たちを助ける為に――私はここに、皆に協力を仰ぐべく立っている!」

「あの、どうやって……?」

群衆から、当然ともいうべき疑問が飛んだ。
船は水の上を行くもの。だから太平洋側の船をカリブ海側へと運ぼうとするならば、必然的に大陸を南回りで迂回しなければならない。それは、子供でも理解できる理屈であった。そこになぜ自分たちの力が必要だという話になるのだろうか、と。

「運河を掘るんだ。この都市パナマの中央を貫くように、軍艦が通れるような運河を皆の手で掘ってほしい。ただ……誠に申し訳ないが、給料は出せない……もう予算が無いんだ……仕事終わり、始まり、または休日に、一日でも一時間でもいい!」

ユウの声がひと際大きくなる。船が通るくらいの運河を掘るとなれば大仕事だ。それを、ボランティアでやれというのだから、その場にいた群衆は口々に隣の者と意見を言い合った。

「皆の時間をどうか、貸してほしい……早速明日の早朝から始まる! 場所は東側の海岸からだ! ほんの少しでも、どうか!」

最後。ユウはそう締めくくると、帽子を脱いで壇上から下りた。身分のことから頭を下げてしまえば自らの祖国を軽んじることになるという常識と、それでもなお無茶なお願いを叶えてほしいという願いから発せられた、ギリギリの誠意の示し方であった。

「どうする?」
「どうって……俺ん家もガキが三人もいるしなぁ……」

漏れ聞こえてくるネガティブな言葉の内容。今は西の海に沈みゆく太陽。その陽光の残滓を感じながら公王府へと帰る。すでに道具も手配した。運河ができ次第、カリブ海へと向かうよう、都市駐留の艦隊に命令も下してある。全ては明日の朝に決まるのだった。
人は利益で動くものと教えられたユウ。報酬が得られない仕事に人は従事しようとしない。それが現実世界の冷たい原理原則であった。しかしそれでも、今だけは都合のいい不条理を信じるしかなかったのだった。


そして翌日。東の空から太陽が昇る前の黎明時にユウは都市パナマの東にある海岸に着ていた。現在、人はいない。道具もあり工事用のかがり火は焚かれていたが、パナマ人労働者は来ていなかった。

「やっぱり金が無いと……」

工事用の道具を持ってきてくれた部下がぼそりと言った。ユウはその言葉が深く胸に突き刺さったような気がした。

(やはり……ダメなのか?)

もう数時間すればそれぞれの今日の仕事が始まる。だから、来るとしたら今ぐらいの時間帯であるのだ。
ダメだろうか? でもそれでもこうするしかない。しかし賃金が無ければ人は動かない。それが現実だ。だがアイツは助けてくれた。特別な例だ参考にすべきでない。人は目の前の利益で動く。道理をわきまえろ。
ユウの心はいくつもの内なる声で満ちようとしていた。そして徐々にネガティブな声の割合が大きくなろうとした時、ふいに声が聞こえた。

「――――あれ、お前何で来てんの?」
「まあ、アレだよアレ」

ざわざわとさざ波のように、都市部よりこの海岸に続く道から人の声と気配が届く。それも、一人や二人ではない。もっと多くの人の声が。

「そうそうアレ。しかも、弟が今志願兵で戦ってんだよ」
「ああ、なら仕方ないな」
「しょうがないよな、うん」

日頃、肉体労働に従事していると分かるような体躯の男たちを筆頭に、ゾロゾロと歩いてくる。その数は百人、二百人ではない。老若男女問わず、多くのパナマ人たちの集団が海岸に集まっていく。

「で、お嬢ちゃんは?」
「もちろん、今も戦っているお兄様のためでしてよ?」
「……にしても、その……なんかいい服だなそれ」
「我が家の伝統でして。どんな時でも恥ずかしくない装いを!」

その中には、やや場違いな空気をまとう者も混じっている。兄のためにといった十代中盤らしき少女など、動きやすさと気品さを両立したような服を着ている。いっそ、これから貴族の殿方と乗馬すると言われればそうかと納得してしまうような、絶妙なバランスの服であった。だが、それは大したことではない。とにもかくにも、粗末な服を着ている屈強な男から、場違いなまでに質の良い服を着た女性まで。本当に多種多様な者たちが今、なんの報酬も得られないような工事に参集してくれているという事実こそが大事であった。

(……山本! お前のような無茶なやり方もたまにはいいのかも知れないな……!)

東から登りまぶしい朝日に、ユウは目を細める、その視線の先にいる人物に想いを馳せる。光の中に、無茶ばかりする友人の顔を思い浮かべて。



その頃。話題のオリ主がいる折杖諸島では、捕虜の返還と撤兵に関する話し合いがなされようとしていた。ギラギラとした南国の陽光で照らされた砂浜では、日傘の下で両軍の幹部が一つの机を挟む形で向かい合う。
最初に口を開いたのは、ガリア側であった。
「まず最初に言っておくべきことが一つ。我らの将軍閣下の安全の保障がなされぬ限り、この交渉がまとまることはないだろう」
「大変結構。だが、安全の保障というのならばこちら側のことも考慮に入れていただかねば、我々側も是非を問うまでもないと思っていただきたい」

毅然とした態度で、北是がきっぱりと言い切る。

「はぁ……艦を自沈させよとは、到底受け入れられない。現実的な提案を望む」

これ見よがしにため息を吐かれてイラつく北是であったが、耐える。手元に握られたペンが若干ゆがむ。
北是達オリーシュ軍側の提案は、敵フリゲート艦の自沈処理と陸上兵力の撤退を見届けたのち、捕虜の将軍を連れてパナマまで後退。のちに外交ルートでの捕虜の返還を行うというもの。対してガリア軍側の要求は、直ちに将軍を開放しそれがなされたのを確認次第即座に撤退するというもの。なお、約束の履行は神への誓約によって保障されるものとする、としている。
双方ともに最初の提案が自分たちにどこまでも都合がいいものという事は重々承知。ここからいかにすり合わせるのかが肝である。

「そちらの将軍の身柄を返した後、貴公らが心変わりしないという確たる証拠を示して頂けるならば、こちら側も応じる用意がある」
『回せ回せパスだよパス! へいへいマイボマイボ!!』
「ハハッ! 己の心を証明せよとは無茶を言う!」
「では、砲弾の類をすべて海に放棄して頂こう」
『馬鹿野郎なんで回し蹴りするんだよルール教えただろ! 格闘技じゃねえんだぞサッカー舐めんな!』
「ノン。それでは我々の道中の安全が保障されませんな。この海域の海賊の多さはご存知のはずだが?」
『はいオフサイド! それオフサイドな! あ、おいコラ待てやあ!!』
「……では――」
「いやならば――」
「いやいや――――」
「いやいやいやいや――――」
「かかってこいやボケどもが! 未来じゃこれがグローバルスタンダードなんだよ糞どもがああああああああああ!」
「「うるさい今交渉中なんだから静かにしてろ!」」

難しい交渉。だが、テーブルのすぐ近くで飽きてサッカーを始めたバカたちに対して、初めて意見が一致した瞬間だった。



フリゲート艦「ロリアン」の艦長であるフランソワ・ポール・ブリュイは甲板に立ち、砂浜での騒ぎを部下と共に眺めていた。望遠鏡越しの映像は、能天気の極みであった。
「船長、あいつらヤシの実蹴って遊んでますね」
「らしいな。腹立たしい」

艦長は胡乱気な目で、傍らの若者に声をかける。

「それで、あーっと、ヴォナパルテ少尉。先ほどの意見は本気か?」
「はっ」
「人質ごと撃てとは、また誰もが思っていても言えないことを言う。君は出世するぞ」
「艦長! 左舷全50の砲門、装填および照準完了しました」
「よろしい。合図を出し次第撃て」

まるで朝食の準備ができたから食べようとでも言う様な気楽さで、艦長は報告してきた兵士に言った。

「……あの、本当によろしいのですか?」

困惑で目が泳いでいる。報告にやって来た兵士すら戸惑う様な有様であった。しかし艦長は派手な身振りで大声を張り上げる。これが舞台劇であるかと錯覚するほどに。

「まさかまさかまさか! よろしいわけがない。彼らは同じ国王陛下に仕える同胞だ。それにやむを得ずとはいえ砲を向けることに、心が痛まないわけがない」

手で目元を覆うしぐさをしてみせる。だが、口は笑っていた。

「とは言うものの、現実問題として仕方がないことは仕方がないんだ、ああ。現場の意見もあるし、それに、将軍でありながら捕虜となり交渉カードになってしまっている様子を見るのは忍びない。むしろ、これ以上失態をさらさないようにという閣下への配慮だよ君」

そして、プルプルと艦長の身体が震える。同時に、口元の笑みが凶悪な三日月型にゆがむ。

「……俺の艦を沈めるとか舐めた要求出されやがってテメエが無様に捕虜になるのが悪いんだクソがぁ。敵も無能王族もひき肉になるのがお似合いだってんだよ」

ぼそっといった言葉は、誰の耳にも届かなかった。艦長――すなわちブリュイは伯爵という地位にあったが、決して王の血族という肩書に無条件で平伏するような精神構造ではなかった。
――――だが。

「かっか、艦長!! 大変です!!」
「なんだ落ち着け! 先走って撃とうってんじゃ――!」
「そ、それが……! 西の海に敵艦隊発見、既に接近されているとの報告が!!」
「――っ!! なぜ気づかなかったぁ! 見張りはどうした!!」
「その、サボっていたらしく……」
「そいつは後で海に突き落としておけ! そして100年後に回収しろ! 右舷戦闘用意だ! 急げ俺の艦を沈ませるな! 艦長になっての初航海なんだぞこっちは!」

そう言ったブリュイ艦長の声は、連続する大砲の発射音でかき消される。次いで響く着水音。一度空中に上がった海水が重力に導かれて艦に降り注ぐ。おかげで誰もが全身ずぶ濡れになった。

「あんな距離からだったのに至近弾だ!」
「クソが運悪ぃぜっ!!」

甲板にいる兵からの叫び声が響く。長距離からと思われる砲撃。それが至近弾であった。このことにブリュイ艦長の頭の中に様々な可能性が浮かぶ。敵艦はこちらの想定する以上の精度を持った大砲を装備している? それとも砲術師の腕が良いのか? 拿捕できれば思わぬ戦果だ。だが……

「単騎で暴れまわるには分が悪い…………艦の保全を優先する。右舷の装填作業はそのまま、進路を大西洋へ向けろ!」
「了解!」

素早く判断し、命令を下す。艦は撤退に向けてゆっくりと動き出した。その間砲弾が飛んでくるものの、ついぞ一発の直撃もなくフリゲート艦「ロリアン」は戦場からの離脱に成功した。

「あーもう! なんもかんもアホらし! せっかく初陣だって張り切っとったのに結末がこれとかほんまやってられんわ!」

後甲板の上。図らずもフリゲート艦と共に撤退することになってしまったヴォナパルテ少尉がケッタクそ悪い! と叫ぶ。

「国に帰ったら、軍人なんてやめて故郷に引っ込むのもええかもなぁ」

だんだんと遠くなる折杖諸島を眺めながら、頬杖をついてため息を吐く。こうして、オリ主に目を付けられていたヴォナパルテ少尉は思わぬ形でその手から逃れたのだった。それは一種の、運命的なまでの幸運であった。





「俺たちのフネが……!」
「おおい! ちょっと待てよぉ、まさか俺たち……? 置き去りか……?」

ガリア側のフリゲート艦が逃げて、新たにオリーシュ側の艦隊が現れた。そのことに、砂浜ではガリア軍兵士が絶望に染まった顔で膝をついていた。
完全な形での降伏勧告を行えることが確定した北是は、晴れ晴れとした顔で友軍艦隊に翻る旗に敬礼を送っていた。旗には、オリーシュ帝国の象徴たる海鳥が踊っている。

「胴色の海鳥があれほど心強く感じたことはないな」
「……え、あ、うん」

あの旗の船で罪人として護送されたことがあるオリ主は、ちょっと言葉を濁した。

「ま、なんにせよ! これで俺たちの勝利が確定したってことだな!」

艦隊から小舟がつるされ、続々と友軍兵士が砂浜に上陸してくる。オリ主はニカッと笑い、周りも遅れながら事態を認識して、方々で歓声が上がり始める。

(それに、あのギラついた目の男もこれで一緒に捕虜にできるわけだしな!)

どうやって密かにターゲットにしている例の男も捕虜にするか。それに頭を悩ませていたオリ主にとっては、考えうる中で最良の終わり方であった。もっとも、すぐにその顔は曇るのであるが。
さて。そんな風に一時の完全勝利に浮かれているオリ主目に、見知った影が波打ち際に現れる。砂浜に乗り付けられた小舟から水しぶきを上げて飛び出たその人影。海水のしぶきと少将の階級章が日の光を反射している。

「――!! おーい!」
「そんな、なぜこのようなところに!」

慌てて敬礼で迎えようと姿勢を正した北是と、腹立つくらいに能天気な笑顔で手を振るオリ主が一人。そして「やあやあ迎えに来てくれるなんて助かったよ。久しぶり」とでも言いそうな気やすさで近寄り。

「やあやあ迎――――――――ぐへぁ!」
「なんだその顔はふざけてるのか散々心配させてあんな手紙書いて何考えてんだ死ぬつもりかそんなの許さないぞもういいわかったお前は放っておくとすぐ危険なところに行くことが分かっただからもう今後一切私の近くから離さないからな分かったか……この……ばかぁ…………」
「え? あ? はいスイマセン――――?」

心配顔から怒りへ、そして最後はベソをかく百面相。駆け寄ってきた近衛ユウに思いっきり殴られ、胸倉をつかまれ揺さぶられ。
後半は涙声になっていたのでよく聞き取れなかったが、雰囲気を察して黙るオリ主。そしてそのまま、問答無用で小舟へと引きずりこまれる。

「…………なんだったんだ?」
「あの強引サ、イモウトを思い出しマスネ」

何が何やらわからない、と。部下たちが唖然とする。太陽だけが我関せずと天頂にたたずむ。しかし確かなことがただ一つ。彼ら神聖オリーシュ帝国陸軍第501独立志願兵連隊の生き残った志願兵600名は無事、生きて故郷に帰る権利を勝ち得た、ということである。死した400名の屍を踏み越えて…………とりあえず、今日のところは。




あとがき

いつもお世話になっております。瞬間ダッシュです。
現在、拙作は数か月ごとに一話投稿するというペースですが、このままいくと完結までもう何年かかるかわかりません。なので少しペースを上げようと思っています。差し当たっては、来週もう一話更新します(自分を追い込んでいくスタイル)。



[40286] 近代編 幕間2
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:a4f80642
Date: 2020/04/12 19:49
ピーン! 親指の爪に弾かれたコインが宙に舞い、表裏を高速で入れ替えながら上昇。ややあって重力に従い落下を始めたそれは、男の手の甲と掌に見事収まった。男の手はゴツゴツとしており、持ち主の人生の深みともいうべきシワが荒れ地の谷のようにキッチリ刻まれていた。だが顔は違う。鷲鼻の顔には瑞々しくハリがあり、宿った覇気は若年者と見間違えるほどの生命力にあふれている。

「……クク――――」

手で隠れていたコインを一瞥し、含み笑いがあふれる。喉で鳴らしたくぐもった声が潮騒の音に負けず、闇ににじむインクのように周囲を染める。

「そうかい。まあいいか、それはそれで――――」
「そこにいるのは……おや、ワシントン将軍ですか!」

甲板に広がる夜の暗がりを割き、ハツラツとした声と共に現れた青年。やあやあと言いながら鷲鼻の男改め、ジョージ・ワシントンへと近寄っていく。

「むむ? それは何で?」
「……なに……ちょいとした余興だ――」
「ははそうか! しかし夜明け前故まだ風は冷たい! 船内に戻られた方がいいと思いますぞ!」

ワシントンは目の前の青年を一瞥して、言外に断る。確かに今、艦の甲板の上には大西洋を渡る冷たい風が吹いていた。しかしそれでも、男には見ておかなければならないものがあったのだ。

「ふん……見えてきた……!」
「おお! 新大陸ですな初めて見ましたぞ!」

西の水平線の向こうに、うっすらと陸地が顔をのぞかせている。背後から差し込む朝日に照らされた異国に支配された新天地。彼らヨーロッパ人にとっての未知なる大陸が、広大な海の向こうに姿を見せていた。

「新大陸を発見した最初のヨーロッパ人は、これをインドであると誤認したんでしたかな、確か」
「ククッらしいな……そんで現地の人間をインディアンなんて呼んだとか……まさに間抜けっ……トンマ……!」
「あ、そういえばワシントン将軍は若い時にインドへ行ったことがおありでしたな!」
「まあ……な」
「いかがでしたかな? インドは」
「あん?」

問われたワシントンはしばし考えにふける様にした後、懐から取り出した一枚の葉っぱと羊皮紙を取り出した。

「それは?」
「現地の……占い師の婆さんが寄越したもんだ……大昔の預言者が葉っぱに書き残した……俺の運命なんだとさ」

ワシントンが艦長に向けて件の物を手渡した。今にも崩れ落ちそうになっている見知らぬ言語で文字が記述されている葉っぱ。と、それを翻訳したものらしき羊皮紙を。

「ハハハ! おお、これはなかなか!」

古代の仙人が残した、いずれ訪れるべき人間のためにその人間が送る一生が書き記されている――と言われる葉。だが、ハッキリ言えば大言壮語。あるいは詐欺師が適当におだてる為に書いたと言われればそう納得するような派手なことがつらつらと書かれている。

「指導者になる……だとさ……ククッ笑っちまうぜ……!」

ワシントンは、忍び笑いを漏らす。だが、それに相対する青年はそれを笑おうとはしなかった。

「ふむ! しかしあながち迷信であると断言できんでしょう! 特にあなたの場合は!」
「は……まあ、かもしれんな……」
「なにせこれより我々はあなたの指揮のもとで、強大なるアステカ帝国に国盗りをしかけるのですからな!」

艦長が獰猛な笑みを浮かべて声を張り上げる。そして、背後に控えた整然と直進する艦隊を指し示す。そして今はここからでは見えぬが、陸上戦力を満載した輸送船もその更に後方に控えている。文字通りの意味で、国を奪える戦力が大西洋を西進しているのだ。
ここまでを踏まえて改めて予言を見ればどうか。単なる調子のいい詐欺、と言い切れないのがこのワシントンという男の現状であった。


「ククッ……橋頭保の確保は任せるぜ……!」
「任された! 勝利の栄光を我らが祖国に捧げようではないか! ワシントン将軍!」

青年は少年のように紅潮した顔に獰猛な笑みを張り付け声を張る。ワシントンはそれに、意味深な笑みを浮かべるだけでそれ以上は語らなかった。ただただ黙って、ゆっくりと近づく陸地に視線を向ける。

ジョージ・ワシントン。ロンドンにある貧民街で生まれ育ち、食うために軍へ入隊したという経歴を持つ。同じような経歴の者ならば捨てる程いると言ってもいいくらい平凡な動機で兵士になるも、武功に恵まれ平民でありながらついには大規模遠征軍の総司令官に抜擢されるという功名物語の体現者であった。多くの者が、これが終着であると考える。ほとんどの者が、今が栄達の限界でそれ以上は望めないと。だが、この鷲鼻の男は違った。

別に運命なんざ信じちゃいない……! だが……俺の限界を俺自身で決めるなんざ……死人の発想……愚かな思考……とどのつまり……人は死ぬまで死ぬことを許されない……!

「ああ! ところで、将軍!」
「あ? なんだ……?」

危険な思考をしているとは梅雨とも知らず、若い艦長は思い出したように言った。

「さきほどコイントスをされていたようですが、何を決めてたんですか?」
「あ? 別にたいしたことじゃあねえさ……」

ワシントンは返してもらった葉と羊皮紙を懐に仕舞いつつ、答えた。

「最初に攻め落とした都市に、なんて名前を付けようかと思ってな……二択にまで絞って、コインで決めてたんだよ……」
「ほお! それでどうするのですかな!」
「大口出資者のヨーク公からとって……ニューヨークってことにした――」

――――もうひとつの候補は「ワシントン」だがな……!

すぐそばで「なかなかよい名ですなぁ!」と暢気な声を上げる艦長に聞こえないよう、こっそりと後を付け足すワシントン。

「そんじゃあ、頼むぜ『ネルソン艦長』さんよ……!
「任された! よーしそろそろ総員起こしとしよう! 甲板長ぉどこか!!」

ブリタニア王国が発した野心の刃は、内に猛毒を含ませつつ新大陸へと到達しつつあった。





数多の兵数をそろえ、一気呵成に攻め込み敵首都を制圧する。その目論見はいったいどこで狂い始めたのか。近衛元帥は椅子の背もたれに身を預け、熱病に侵された頭で考える。

「報告します。偵察隊、半数が未帰還。帰還した隊の者たちも使い物になりません」
「うーん……敵部隊は東部に集中していると見て間違いない。完全武装の一個小隊を密な等間隔で前進させてこの高台に――――」

連れてきたパナマ公王が自分に代わって報告を受け取る。そして、苦い顔をしながら指示を出していく。

なぜこうなったのだろう――――

元帥は自問する。

「遠回りになりますが一度手薄な西に進んで、そこから南下するしかありません。それと――――」

栄光が遠のく。それを阻止できない。なんと口惜しいことかと、歯噛みする。
今から出撃当時のあの日に戻りたい。上り坂しか見えなかった先が、まさか断崖に続いているなど誰が思おうか。そして、そして……

「海から迂回して北上すれば……」

思わず口から洩れた言葉は、思いのほかに大きかった。元帥の目の前で地図を眺めていたパナマ公王もその秘書も一瞬だけ元帥に目を配り、作業に戻る。そこに込められていた意図は、近衛元帥に対する同情か、それとも非難か。

まだだ、まだ……

脳裏で、泣き言はやめろと警告。しかし止まらない。もしもあの時の選択をやり直せればと。
都市パナマより敵首都への道はなんと近くて遠いことか。それを実感することになるまでに支払った血の量は幾ばくか。消耗した命のどれほどが、密林に潜む狡猾な猛獣の胃に落ちただろうか。

「ジャガーを確認しました! 本陣より北へ距離5! ただ――進路は北とのことです!」
「北ぁ?!」
「追加報告です! 東側面を並走していた敵ジャガーが突如停止! そのまま引き返していきます!」
「な、何が……ええい、罠の可能性もあるがこの隙に南に撤退するぞ!」

にわかに騒がしくなるテント内。いままで執拗に追撃を仕掛けていた敵の手が、急に緩くなった。しかしそれでも、逆襲を仕掛けようという強気な意見はどこからも出なかった。
ジャガー。それこそがこの無様な敗退の元凶。と言っても、獣のジャガーではない。

ジャガー戦士か……まさかこれほどとは……

アステカ帝国の牙、密林に潜む絶対強者等々、その異名は都市パナマではいくらでも聞けた。ジャングル戦において無類の強さを誇り、特に移動速度は通常の倍。戦いながら狩りを行い、場合によれば敵兵をも貪り食うことで補給を必要としない――アステカ帝国による宣伝工作と切って捨てた情報はすべて正しかった。

一週間前。意気揚々と都市パナマを出撃した攻略軍はその大兵力を以て途中の妨害を次々に撃破。鎧袖一触とばかりにユカタン半島を北上した。そしていよいよ明日には敵首都を射程距離に収められようかというところまで進んだところで、突如として後続部隊との連絡が取れなくなった。

『所詮はにわか仕込みか……』

当初の近衛元帥は、この状況を練度不足と判断していた。アステカ帝国攻略軍を構成する多くの連隊は新造部隊であり、しかも指揮官不足対策として通常の定数より多くの兵を一人の指揮官につけていた。士官の数は従来通り、しかしその下につける兵の数だけは多いという構図であった。仮にも首都を攻めるというのにこの陣容ではという反対意見もあるにはあったが、立場と実績で黙らせた。規模だけ大きい連隊を増強連隊と呼称させて。

――新兵が多いというが、ならいつ攻めればいいとのたまうのか。兵が育ったらか? 敵も戦力を立て直してくるだろうというのに暢気なことを言うな。それに、そんなことをしていれば遠征を支持する民衆の熱も下がってしまうだろう。

と、そのような理屈も併せて。もちろん、元帥自体も憂慮すべき点であるとは認識していた。ゆえに元々存在した、ベテランが多い従来型連隊を先鋒にし、新兵が多い増強連隊は後方へ配置した。少しでも戦場の空気を吸わせ、多少なりとも初陣への不安を解消させようとしたのだ。
だが結果的に言えばその判断が裏目に出る。軍の主力は先鋒のいくつかの連隊であると思っていた元帥はここに本部を設置し、まるで内心を表すように前へ前へと進撃を繰り返した。ジャングルの行軍は歩くことすら困難な道なき道を行く苦行である。熟練者が多い先鋒はどんどん進み、未熟者が多い上に規模も大きい後続部隊はどんどん遅れる。そうなれば自然、最初はわずかであった部隊間の距離は大きく開き、隙間ができる。それこそ――――敵が入り込んで余りあるスキが。

後続の合流を待っていれば――

事態の深刻さに気付いた頃には、本部含む先鋒はすっかり包囲されていた。そこから先はもはや敵首都をどう攻略するかなどという次元ではなく、いかにして包囲を解いてパナマへ撤退するかが焦点となった。つまりは最初から、アステカ帝国はこのジャングルを巨大な狩場として哀れな獲物が罠にかかるのを待っていたのだ。そして満を持して、仕留めにかかった。そうとも知らぬ近衛元帥は敵の罠の奥深くへと意気揚々とはまり込み、絶体絶命のピンチへと陥る。
――――電撃的な首都攻略という計画は、こうして破綻した。



後年。神聖オリーシュ帝国は都市パナマ陥落からアステカ帝国首都攻略の失敗、およびそれに関連する関係各国の動きをまとめた歴史書を出版した。以下に、その内容を一部抜粋する。


1 攻略軍の撤退。
近衛元帥率いるアステカ帝国攻略軍10万人(内訳:三個歩兵連隊、五個増強歩兵連隊、二個砲兵連隊およびその補助)は敵首都南方に広がる密林地帯において敵防衛部隊(推定四個歩兵連隊規模)による迎撃を受け敗北。突出した先鋒部隊(本部含む)が包囲されたことが直接の原因と判断される。撤退中、同軍の最高指揮権保有者であった近衛元帥は急病により指揮統制能力を喪失。同行していたパナマ公王に指揮権が移り、以降は都市パナマまでの撤退を代行する。被害人員は六万人を超えた。
2 ガリア王国のカリブ海侵攻
攻略軍の進軍・撤退と時を同じくして、カリブ海の折杖諸島においてガリア王国軍と現地部隊が交戦を開始する。同地に派遣されていたのは第501独立志願兵連隊であったが、連隊長諸田歩喪伯爵は交戦初期に戦死。以降は現場の最上位であった煉獄院朱雀少尉(当時)が同連隊の指揮を代行する。ガリア軍戦力(内訳:二個歩兵連隊規模およびフリゲート艦一隻)に対して防衛戦を展開、独力にて敵一個歩兵連隊を壊滅し多数の捕虜をとるに至る。その後、派遣されたオリーシュ軍艦隊により同志願連隊は救出され、同時に敵残存兵力の捕縛・無力化に成功する。
3 ブリタニア王国による大陸東海岸占領
アステカ帝国の友好国であったブリタニア王国は、友好宣言の失効と共に突如としてアステカ帝国へ宣戦布告。大陸東海岸にて上陸作戦を開始した。相当数の兵力を動員したと思われるが詳細は不明。この上陸作戦の結果として、ブリタニア王国は大陸東側沿岸部の都市ニューヨークをはじめとする十三の都市を獲得する。アステカ帝国はブリタニア王国に対する領土割譲を含めた諸条件を受け入れて和平を成立させるも、これによりアステカ帝国は大陸の東半分を喪失した。
なお、ガリア王国の突然の参戦は、我が国と交戦状態であったアステカ帝国への援護を通して、戦中のブリタニア王国に負担を強いる目論見があった可能性をここに別記する。

――――――神聖オリーシュ帝国の戦歴(西方の巻)より抜粋






あとがき
少し短いですがご容赦を。その代わりと言ってはなんですが、できるだけ間を置かず(四月中)に次を投稿しようと思います。



[40286] 近代編 パリは英語読みでパリスってジョジョで学んだ
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:a4f80642
Date: 2020/04/30 21:17

近衛ユウは、太平洋を支配する神聖オリーシュ帝国にて最も尊いとされる血筋に生まれた。
ユウは帝都の郊外にある海沿いの別邸で生まれ育ち、幼いころから英才教育を施されてきた。将来の帝国を背負って立つ人材の一人と期待される『彼女』は、周囲の期待に応えられるようにと努力し、成果を示してきた。

――……?

だが、聡いユウは自身の境遇にそこはかとない違和感を覚えていた。それは、自身にかしずく使用人たちから時折向けられる、大切にされているとは違う遠慮――有体に言えば腫れものを扱うかのようなそれを幼いなりに感じていたからであった。

そんなある日のことである。家庭教師から与えられる日々の課題をいつもより早い時間に完了したユウはふと、いつもは通らない廊下を歩き、そこの壁に嵌められた窓ガラスの向こうに注意を向けた。なぜかは分からなかった。ただ一つ断言できることは、それが今後の人生を大きく変える出来事となったことである。

――あれは、なんなのでしょう?

普段はめったに人通りがない別邸前の道に、一台の馬車が通ったのだ。その馬車には自分と同じくらいの身長をした人間が御者台に乗っており、隣に座っている大きな人間にじゃれついていた。瞬間ユウの心に、胸をざわつかせるような違和感を伴う疑問が生じる。湧き上がった疑問は答えを得ることで解決できる。そのことを日々の学習を通じていたユウは、近くを通ったメイドに尋ねた。

――――アレはなんなのでしょうか? なぜあのようにだきついているのでしょうか?
だきついて、なんのいみがあるのでしょうか?

メイドは答えに詰まる。口を開いては閉じを数度繰り返し、そしてようやくためらいながらもただ、「親子でありますれば、そのようなこともいたしましょう」と答えた。

――???

親子とはなんだ、それはどういう意味を持っているのか。近衛ユウは『親子』という言葉も概念も知らなかったのだ。なぜならユウにとって人間関係とは、屋敷にいる自分の世話を焼く使用人との主従関係か、知識を授けてくれる教師との師弟関係しか存在しなかったから。親子関係どころか友人関係すらしらない。じゃれつくという一方にとってはただ迷惑なだけの行為を当然な事として許容される関係が存在する――そのことに、ユウは自身の小さな胸にささやかな痛みが走るのを認識する。この日より、外の道を眺めることがユウの日課のひとつとなった。

月日が流れ、近衛ユウが七歳の頃である。守役が一人の男性を連れ立って屋敷に尋ねて来た。初めて見る存在であったが、教えられた通りの作法でユウは男性を出迎えた。

――――お初にお目にかかります。近衛ユウと申します。

高貴なる淑女として、年齢に見合わぬ見事な一礼を披露してみせた。しかし男性はそんなユウの姿を一瞥するだけで、直ぐに視線を切って守役に向き言った。ひどく硬質で、意図的に感情を抑え込んでいることがむしろ内に秘めた激情を感じさせる、そんな声色であった。

――――兄の子がまた流れた。最悪の場合を想定して教育しろ。

当時のユウには理解できない言葉であった。『子』とは何か? 『流れた』とは? しかし翌日以降の教育内容に変化があったことから、ユウは悟った。自分に求められていることが変化したのだ、と。教育内容に、軍事や武芸にまつわるものが追加された。そして体育を行うという理由で、庭園内の広場に出ることができるようになった。それは今までガラスの向こうにしかなかった世界が、自身の感覚で触れられる領域にまで拡大したことを意味する衝撃的事件といえた。だがユウにとっての最大の衝撃は、男性が去り際に放った一言であろう。

――子として親の期待に応えよ。

この言葉こそが転機であった。聡明さの片りんを見せ始めていたユウは、文脈から言葉の意味を正確に読み取った。今、目の前にいる男性が『親』であり、自分が『子』であるのだと。同時に、かつて見た馬車の上で戯れる者たちの姿が脳裏にありありと想起された。すなわち、子が親に対して甘え、親が子を慈しむ姿が。
親子という言葉を知ってから漠然と抱いていた感情が、「憧れ」であることを直感が教えてくれた。自身が焦がれていた『親子という名の関係性』が目の前にあることを悟ったユウは、天啓を得たかのように喜び、身を震わせる。

――――そうだ、期待に応えればいいのか。

今までやってきたことと同じだ。それでうまくいってきた。だからそれが正解だと、信者が神に祈るように固く信じたのだ。

後々、親とは母と父の両方が存在すること。現皇帝は子に恵まれず、次代は父が、その更に次が自分という風に皇帝の位が回ってきそうであること。父には子が自分以外にいないこと。そして、帝位継承で政治的に混乱しないよう、自分は男であると偽る必要があることを理解する。
――――古来より男子のみが継承できる仕来たりでございます。ですが何事にも秘するべき裏というものが存在するのです。
――――君主に継ぐべき男児がいないとなれば、野心を掻き立てられるものが出てきましょう。
――――性別を偽り皇帝となり、男子をお産みになるのです。さすれば、偽る必要はございません。それまでの辛抱にございます。

秘密を知る者は少なければ少ないほど良いことは自明である。本当にいよいよとなれば、暗殺者から守るために秘匿していた皇子としてユウを披露すれ手筈であった。ユウは、自分が生まれてより一歩も屋敷の敷地内から出たことがない理由を悟る。

――――期待に応えねば。

月日を重ね身体が成長し知恵を身に着けようとも、その精神の根本は変わらず。たとえ海を越えて行くほど世界が広がっても、心は生まれ育った別邸の中にとどまり続けている。決して感じられない親子という関係を眺めるだけの少女のままに。





ガリア王国軍と衝突した「折杖諸島の戦い」がオリーシュ帝国側の勝利に終わってより三か月間。大西洋を中心とした各国の情勢は大きく動いた。まず第一に、オリーシュ軍のアステカ帝国攻略軍が撤退に追い込まれた一方で、アステカ帝国は突如襲い掛かって来たブリタニア軍に圧倒された。和平が結ばれたもののアステカ帝国はその領土の半分を、すなわち新大陸の東半分を削りとられるという敗北を喫す。これにより大きく国力を落としたアステカ帝国はオリーシュ帝国に対して和平を申し込むまでに追い詰められた。片方は戦争継続が事実上不可能なほど国力を低下させ、もう片方は遠征の中心的人物がダウンしてしまうという状況。双方ともに戦争を継続するだけの余力がなかったため和平交渉は至極スムーズに進み、賠償なしの対等的な条件で和平が成立するに至った。かくして神聖オリーシュ帝国は最終的に見れば、都市パナマという新領土を獲得するという戦果をあげたことになる。

一方。帝国の一部となった都市パナマの支配権および地盤固めは、終戦を機に加速することになった。

「東西の海を繋ぐ運河?! こんなん絶対金になりまっせ!」

というのも、近衛ユウが折杖諸島への救援のために急ピッチで作った運河が、海運関係者たちの注目を即座に集めたためである。より端的に言えば、純軍事的な都合で掘られた運河であったが、これを交易に利用すれば莫大な利益を生むと多くの者が算盤を弾いたのだ。まず帝国本国の商船会社や個人船主が、ヨーロッパとの交易に際してパナマの運河を使用したいと通行許可を求めてきた。次いで、アフリカやヨーロッパなどの国々が、太平洋への交易路を築くためにパナマの運河を使用したいと申し出てきた。太平洋・大西洋それぞれの商船乗りたちの声が一致した結果、都市パナマの地にひとつの国営企業が誕生した。その名は「東オリーシュ株式会社」という。

「いや、そのまんまじゃね? もっとこう未来的にひねった名前を……グランドライン、いやいっそ一つ繋ぎの海という意味を込めてワンピ――」
某転生者が名前に茶々を入れたとか入れなかったとか。

それはさておき。東オリーシュ株式会社は件の運河、すなわち「パナマ運河」を管理・維持する役割を担う。そして同社がある都市パナマは急ピッチで港湾が整備され、両大洋の交易路の結節点としてあっという間に交易都市として生まれ変わる。パナマという猫の額ほどの小さな都市は、ヨーロッパ由来の品々と神聖オリーシュ帝国を含むアジアの品々が一堂に並ぶ巨大マーケットへと成長したのだった。同時に運河の存在は、東西が商業的な意味でつながったということを意味する。かつてヨーロッパを支配した帝国を出発し、海を越えて扶桑皇国に至ったシルクロードの如き超長距離交易路の誕生であり、その歴史的意義は計り知れない。
もっとも、その事実に注目する者はごく少数。多くの者の関心は、都市パナマが将来的にどれほどの利益を帝国に生み出してくれるのかというのと、神聖オリーシュ帝国のヨーロッパ進出についてであった。

だが今は何より、パナマに存在する多くの役人にとっての大仕事を終わらせなければならない。都市パナマは神聖オリーシュ帝国を構成する公王領である。そして対アステカ帝国戦、対ガリア王国戦における拠点でもあった。パナマの公王府には日々近隣の――カリブ海やユカタン半島での戦闘の報告、あるいは諜報員を通じてのさらに広範囲内から集められた様々な外交・軍事情報が蓄積されていく。戦争がひと段落した今、パナマ公王府につめる全てのオリーシュ人役人にとって、集められた情報を分析してまとめ、本国に報告することは最重要任務である。

「……」
「あ、外交筋からのブリタニア王国系列の情報はこっちに。13の都市については――――」
「…………」
「ガリア王国からです。捕虜返還に関する交渉に応じるとの連絡が――」
「…………あの」
「ジャガー戦士部隊の脅威度についてなんですが、こんな文章で――――」
「あのぉ! これ、俺いなくてもよくね!? 毎日毎日座ってるだけって暇なんだよ!!」

その場に居たオリ主が吼えた。この男、実は何の仕事も作業もなくただ一日中部屋の中でぼーっとしている日々がもう数日間も続いていた。もっと言うと、単独外出すら禁止されている。

「せめてその辺歩くぐらいいいじゃん! どんだけ過保護なんだよ流石にもういいだろ!」
「…………目を離すとすぐ何処かへ行ってしまうからダメ」
「子供じゃないんだからさあ……!」
「子供の方がまだ聞き分けがいいさ!」

ユウが自身の左腕を上げる。すると、手首に巻き付いている腕輪が付属の鎖を引っ張ってジャラリ――――その鎖は椅子に座ったオリ主の首についた首輪に。つまりは飼い犬と飼い主。なぜかよく戦いに巻き込まれ、しかもその状況に嬉々として適応してしまうオリ主に危うさを感じたユウが首輪を付けてリードを握っているという状況だ。これがもう三か月間続いている。

「ハッハッハ、若者は元気でいいですなぁ」

そこへ、場違いなまでに朗らかな声が開いたドアから届き、ガタイのいい老人が部屋の中へと入ってきた。腰をトントンと叩いているが、武装していないのに素手でも一人くらいなら抹殺できそうだ。

「ジイ! こいつは元気がいいというより活きがいいんだまるで止まると死んでしまう魚だ!」
「まあまあ落ち着きなされ。ふむ……少年、君は本来受けるべき教育も受けないまま昇進を重ねてしまっているのですぞ? だが、本来士官の仕事とはただ戦うだけではない。いろいろと面倒な書類仕事だって同じくらい重要。そう思えば、実際の事務仕事の様子を見学するのは貴重な学習機会だと思わんかね?」
「ジイさんの理屈はわかるけど――――いや鎖はさすがに可笑しいでしょ」

至極もっともなことだが、ここにはその意見に同調する者はいなかった。ユウは当然として、同席している他の役人も顔を下に向けて知らんぷり。ジイと呼ばれた老人は流すように「ハッハッハ」と笑うだけである。西日が差し込むこの部屋はいま、オリ主にとって完全アウェーであった。
ちなみに老人とは、実はこの世界にやってきた初期に会っていたりする。オーストラリアっぽい大陸でイキっていたオリ主が現地政府に捕まって裁かれた現場に居合わせていたのだ。だが、当のオリ主はその後いろいろあったのでそんな昔の記憶は彼方へと吹っ飛んでおり、二人は初体面として出会い今に至っている。まあ、老人の方はしっかり覚えているが。

「あ……もうすぐ日暮れか。諸君、今日はこのくらいにしよう。また明日もよろしく頼む」
「若、湯あみの準備は整っておりますのでそちらへ」
「うん。では、後を頼む」
「はい、いってらっしゃいませ」

ユウがオリ主の首についた首輪を外し、また自身の手の腕輪も外した。いくらなんでも四六時中鎖でつながっているわけにはいかない。風呂やトイレ、寝室など諸般の事情でどうしても、な状況はある。
ようやく首の締め付けが取れた解放感にグルグルと首を回し深呼吸する。

「ふぅ……ああ空気がうまい」
「じゃあ大人しくしておくように。何度も言うが、今度勝手な事したらオリに入れるからな」
「そりゃもうやられただろう……」

ファーストコンタクトのことを思い出して言うオリ主だった。なにせあの当時の関係性は護送する側とされる側である。まさかこんなことになるとはなぁ……と一人感慨にふけりつつ、さっさと部屋から出て行ってしまったユウを見送ったオリ主。そこへ、老人が話しかけてきた。

「どうかねこのあと食事でも……もちろん年長者である私がおごろう」

終業を迎え、本来ならさあこれから自由時間だという時であったがそうはいかない。単独行動禁止中のオリ主に対し、老人がくいっと盃を傾けるしぐさをして誘った。結局のところ、一人になれるのはトイレの個室に入るか寝るときだけである。

「ええ、まあ。どうせ一人じゃダメなんでいいっすよ。それで、どこに行くんです?」
「行きつけの店、かの」

老人は片眼を閉じて言う。一見茶目っ気あふれるしぐさであったが、目そのものは偉く真剣な様子であった。オリ主は薄ら寒い何かを背に感じつつも、まあ奢りなら別に……というタカリ精神で同意したのだった。





件の店は、急ピッチで整備された港のすぐ近くにあった。店先につるされた灯りが夕暮れに真新しい店構えを浮かび上がらせる。どうにも盛況らしく、店の外にまで即席テーブルを設置しているものだから、酔漢の笑い声が大きく響いていた。下町あたりにありそうな、非常に大衆的な酒場である。老人はオリ主を連れて、慣れた様子で店内へと入りカウンターへ。
木製カウンターの奥で酒樽をいじっていた店主がこちらの存在を察すると、胡乱気な目線で注文を促してくる。

「腹に溜まるような肉の焼き料理を人数分」
「焼き加減は?」
「弱火でじっくり。あ、あとミルクも欲しいのお」
「――――ぷは! おいおい聞いたか!? ミルクだとさ!」

と、そこで船乗りらしき――ヨーロッパ辺りの外国から来たらしい酔っぱらいの男がグラスを片手に近寄ってくる。ニタニタと小馬鹿にしたような笑みを浮かべていて、絡んでくる気満々といった調子であった。
うわあ……西部劇っぽいな。ここカリブ海だけど。なら、海賊ってか?
お約束な状況が目の前で流れ、若干の野次馬根性を出してのんきなことを考えるオリ主。

「じいさん、ここは酒飲むところだぜ? ボケてんじゃあねえの――――ひぎゅ?!」

老人の裏拳が、定番のセリフを吐いて絡んできた男を吹っ飛ばした。酔っぱらいはピクリとも動かず、周囲にいた店員に引きずられるようにして店の外へと出されていった。その作業は流れ作業のようにスムーズであった。一瞬だけ静かになった店内は、倒れた酔っぱらいが店外に排出された段階で今まで通りの雰囲気を取り戻し、再び陽気な気配が周囲を満たしていった。

え――――なに、この、いつも通りみたいな雰囲気……こわ!?

人知れず戦慄する。だがあっけにとられたオリ主をおいて、話は進んでいく。店主は近場にいた店員を呼びつけて一言二言耳元で囁いた後、親指で店の奥を指し示す。

「行きな。いつもの部屋だよ」
「ここはいつ来てもにぎやかな店ですな主人」
「そりゃどうも」

店主は鼻を鳴らしながら言い、大きなため息を吐いた。

えっと、大丈夫か俺……?

店の奥は暗く人気はない。その様子はまるで薄暗い森の中か、さもなくば中を見通せない洞窟を連想させた。オリ主は罠にはまりこんだ獲物のような感覚を覚えたのだった。





「ガリア王国駐在大使??」

不安とは裏腹に、案内されたのは落ち着いた内装に分厚い扉が取り付けられただけの普通の個室であった。四人掛けのテーブルとイスがあり、中央には燭台がゆらゆらと明かりを投げかけている。そこへ注文した料理が運ばれた頃、老人は唐突にオリ主へと今回食事に誘った大本のキッカケを話し出した。なんでも、近衛ユウがヨーロッパはガリア王国に大使として派遣されるのだと。

「そりゃまた急だなぁ。本人は知ってるんすか?」
「明日辞令が下る予定だのぉ。まあ急なのは、元帥閣下のご命令ゆえ」
「ああなるほど、今日誘ったのは送別会の打ち合わせか。なんか隠し芸でもしようかなぁ」

うーん、小学校の時にやった指が取れちゃった芸でもしようか……あの時はハズしたがこの時代ならいけるか……?

オリ主は必死になって自身の芸のレパートリーを探る。どれもこれもしょうもないものしかなかったが、その中から何とかギリギリ行けそうなものを見繕う。そんな様子に、老人が手を振って制止する。

「いやいや、君もそれに同行してもらう予定でな」
「……へ?」
「これは大変名誉なこと。階級もさらに一つ上がることが決まっておるよ」
「……マジですか?」
「ハハハ、つまり君は期待されているということだ頑張り給え。ただ――――」
「?」

老人は自然な動作で懐へと手を入れ、紙の小包を取り出した。ちょうど薬局で処方される薬のような。

「あの、なんすかそれ?」
「毒だ。無味無臭とはいかないが、少なくとも料理に混ぜればわからないような。そしてこの店は私の情報拠点のひとつであり店長はこちら側の人間。今日に限って言えば客もほぼ。そして…………当然だが料理を作る者も運ぶ者も」

ちょんちょんと老人がフォークで目の前の料理をつつく。より具体的に言えば、オリ主が口を付けた辺りを。
気が付けば、老人が浮かべていた微笑みは何処かへ消え、声色も口調も固く冷たい。今そこにいるのは、能面のように固まった表情を張り付けた冷徹な軍人だった。とても、同一人物とは思えない。
――――
あまりにも唐突な事態に、頭の中でグルグル考えが回る。
毒。思えば先ほどの注文も思えば思わせぶりだった。酒場にきてミルクなど、普通に考えればあまりにも不自然。暗号か。酒場そのものの雰囲気だって異常だった。

「…………うっ」

オリ主は、目の前の朗らかに笑っていた老人が人食いの怪物かそれに近い存在に思えてならなかった。要するに、自分は相手にその気があればいつでも殺され明日には目の前の海に浮かんでいるだろう、という事だ。だが――

「…………もし本気で毒殺しようっていうなら、わざわざ種明かしするのはミスじゃないですかね」
「なぜ? もう助からない相手に対して種明かしをするというのは嗜虐心を大いに満たせる行いとは思わんか? それにこの個室は防音されているから助けも呼べない」
「少なくとも、いま俺は普通に動けるんで。目の前にフォークもナイフもなんなら素手って手段もあるんで。これ、答えにならないですか?」
「小僧が。勝てるつもりか?」
「挑むチャンス与えてる時点でミスだって言ってんだよジイさん」
「――――」
「――――」

狭い個室の中、しばしにらみ合う。中央の灯りだけがゆらゆら動き、両名の真っ黒い影を壁に投影する。だが、直ぐに老人は両手を上げて「降参降参、毒など入っておらんよ」と言って再び先ほどの笑みを浮かべた。

「そういう冗談、キツイですよ」
「いやいや申し訳ない。だがこういう手もあると知っておいて欲しかったんでのぉ」

老人はじっと、オリ主の目を見つめる。

「貴官の任務は、あらゆる悪意や害意からユウ様の御身を守る事。これまでのような軍隊同士の戦いとは全く違うような、汚く後ろ暗いことに巻き込まれるやもしれません。相手が味方と言えども決して油断することがないよう――裏切りや陰謀はまさかという人物が行うからこそ意味があるのです…………特に急速な勢いで頭角を現しているあなたを疎ましく思っている者は、決して少なくないでしょう」
「…………」

老人のその真剣な目と口調に「まあ俺ってぇ、やっぱ嫉妬されちゃうかなぁ」などとはとても言えなかった。もしも本当にこの老人が毒殺を意図していたなら、果たして回避できただろうか? だからただ、「気を付けます」と答えるのが精いっぱいだったのだ。それに対して老人は満足そうに、しかしほんの少し悲しそうな表情で頷いた。

さて。
このようなやり取りがあったものの、その後は滞りなく食事は終わる。
一夜が明けて正式な辞令が発表、ここにオリ主の次の任地が決まった。
――――場所はつい先ごろ戦った国、その首都パリ。








あとがき
何とか予告通り四月中の投稿ができました。次回は5月中の投稿を目標に頑張ります。



[40286] 近代編 パリ を目前にして。
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:a4f80642
Date: 2020/05/31 23:56
オリーシュ帝国本土への報告事業がひと段落した頃。常夏のパナマでは季節感はないが、北半球では冬の到来を知らせる寒風が吹き始めていた。そんな時期に、いよいよ近衛ユウ大使とそのお付きの人員を乗せた船が都市パナマを出発した。船は順調に航路を進み、大西洋を東進、のちに北進。良い風を掴んでヨーロッパ大陸の外縁を沿うように航行を続けた。

「順調すぎてつまらねぇぜ。映画ならここらで難破するところなんだよな、タイタニック的なさ!」
「――――山本、不吉なことを言ってくれるな。あっちを見ろ船員が怒ってるぞ。海で働く者は信心深いんだ」
「え? あ、すんません……あ、ちょっとま――――」

途中、オリ主が縄で縛られて船首あたりから吊るされるというハプニングがあったものの、航海そのものはトラブルもなく進み。海峡を挟んでブリタニア王国の対面に位置する、ガリア王国の臨海都市「カレー」に到着する。
都市カレーは、ドーバー海峡の北海の出口に面しているため、交易拠点でもあり対ブリタニア王国の最重要拠点でもある。都市周囲は厚い防壁によって囲まれ、更に郊外には数箇の砦が建設されている。まさに大規模な軍事要塞であった。


「おお、揺れない地面……」

誰よりも先に下船し、不動の大地を踏みしめるオリ主。一行は、これより先の先導をしてくれるガリア側からの案内人を待つ手はずになっていた。そのため、しばし港にて待つ。

「――――んんん? なんだあのでっかいの!」

地面で無意味に足踏みしていたオリ主が叫ぶ。隣接する広場にそびえ建つ巨大な何かを指し示し、ちょっと行ってみようぜとユウの手を引いた。まるっきり遊園地でテンションが上がった子供であった。

「あ、ちょ――」
「え~と、なんか書いてあるな? うわ、なんか文字のタッチが荒い! いや彫り込んでいるからタッチとは言わないのか? まあ別にいいか!」

ちょっと情緒が不安定になってないか? と小声でユウが言うが、ハイになって目の前にそびえるモニュメントに指を向けているオリ主は気づかない。ユウはちょっと呆れながら、その指が指しているガリア語の文字を見る。

「……ふむ、『血によって取り戻した麗しの都市。二度と奪われるな』か。」
「はぁまあ、物騒なことで」
「それは、我々の血の歴史でもありますゆえ。遅れてしまったお詫びに、ひとつ歴史講義をいたしましょうか?」
「え?」

オリ主が割り込んできた声に振り返る。そこには微笑をたたえる男性が立っており、帽子を取って一礼してみせ、そのまま語りだす。

「カレーの歴史は、戦火の歴史でもあります――――」

都市カレーの原型は古代帝国による北海交易の拠点として成立。古代帝国が滅んだのちはガリア王国の都市として再建されたという経緯がある。だがカレーはその立地により度々戦火に見舞われ、他勢力に奪われてきた。かつて勃発したブリタニアとの100年戦争では、ブリタニア軍による長期間の包囲の末に陥落。奪い返すのに長い年月を要した。だがその直後に、今度は西方の隣国であるヒスパニア王国に一時奪われるという憂き目にあっている。その後もヨーロッパで頻発する戦役でカレーは傷つき、火に焼かれた。その記憶は都市に物理的に刻まれ、生々しい焼け跡などがちょっとした隅に散見される。

「へぇ……そんなことが」
「歴史講義をありがとう。して、あなたは?」
「申し遅れました、わたくしジョゼフ・フーシェと申しまして。大使様方のパリへの案内を仰せつかっております」

再び礼をする男改め、ジョゼフ。柔らかい物腰、丁寧な口調。どれ一つとっても人を不快にさせる要素が無い。なのだが。

うーん、なんか首筋が微妙にチリチリするんだよな……

オリ主の直感がなぜか警報を鳴らしている。決して命の危険があるとか悪意を感じるというわけではない。ざっくり言えば「ただ者ではない」といったところか。

「えっと……けっこうエライ人ですか?」
「エライ? 私が? まさか、ついこの間まで求職中の身でしたよ! 所作に何か感じるところがあったのなら、それは私が神学校に通っていたからでしょう。もっとも、僧籍には入っていませんが」
「やま――ンン! 煉獄院、あまり詮索するものではないぞ。それと馬車も到着したようだ」

本名ではなく「オリーシュ帝国で通用している名前」を呼ぶユウ。名前が二つあるのはややこしい限りだ。

「あ、おう!」
「ここからは陸路だ」
「へーい」
「では、ご案内いたしましょう」




こうして、ガリア側から用意された馬車に乗り込みカレーを出発。ぱっからぱっからガタゴトガタゴト、馬のひずめと車輪の音を響かせながら、ガリアの首都パリを目指して田舎道を進む。

「あ、あれ何の畑だろう。木が植えてあるぜ」
「ん? ああ、ワイン用のブドウの木らしい。この本に書いてある」
「へぇ、なんか買おうぜお土産的な」

ユウが参考資料として渡されていたガリア王国に関する本から解説する。その姿はまるっきりドライブ中といった風情であった。遠く澄み渡るような青空が広がるなか、一行はそれなりに道中の景色を楽しむ。

「はへぇ……」

オリ主が、ボケっとした顔で息を吐き、背もたれに身を預けて頭上を見上げる。

……そういえば、こんな観光しているような旅は異世界に来てから初めてか。

思い返せばこのオリ主。護送から始まって戦争が日常と化し、こんなゆとりのある日々は初めてだった。これも一種のワーカーホリックとでもいうべきなのか、まるで生き急ぐような日々を送っている。武勲を上げて出世して、オリ主らしく俺TUEEをする。そんな(勝手な)使命感に突き動かされていた。

ま、たまには休暇も必要だろう。ワークライフバランスってやつ?

どこかで聞いたような単語を思い浮かべながら、再び窓の外を眺める。ぼんやりとした目に、ヨーロッパの空を飛び回る鳥の姿が見えたのだった。

さて、そんなふうに観光気分で幾日か。それでも馬車は道中何のトラブルもなくスケジュール通りに進み、ついに大使一行はガリア王国の首都パリを視界に収める。

「ご用意した大使館の方はパリの北東にございますので、このまま向かいますがよろしいですか?」
「それで構わない。こちらも早く荷物を置いてしまいたいので」
「だな。パリ観光は後でもいいし」

カレーから着いてきたジョゼフが、先行する馬車から下りてユウに尋ねる。後半一名が完全に旅行者気分であったが、できた案内人は苦笑いを浮かべることなく華麗にスルー。だが、案内されるままに向かった場所に建つ大使館を一目見た大使一行は、スルーと言うわけにもいかなかった。


「えっと、こちらになります……」
「うーむ……」
「えぇ……なにこれ廃屋?」
「もとは由緒正しい教会でして。一応、作りはしっかりしておりますので掃除をすればすぐにでも……あ、目の前に川が流れておりますので、暖かくなったら休日に魚釣りなどいかがですか?」
「へいへい案内の人さぁ……」
「や! や! 違うんです!!」

カレーで見せた優雅なイメージを崩しつつ弁解するジョゼフ。それもそのはず、目の前にはドアが吹き飛び、ステンドガラスは砕け、建物の中にまで植物が侵入している廃教会が。流石に「ああ、リバーサイドとかいいね!」とはいかないオリ主。額に青筋浮かべながら案内人に詰め寄る。だてに実戦経験を積んでいないオリ主の迫力に焦る案内人は、とつとつと事情を話し始めた。

「……その、パリ市内には多数の国の大使館がひしめいておりまして。何分急な話でしたのでここ以外ですと本当に家畜小屋のような建物しか…………」
「にしたってよぉ……」

あまりにも申し訳なさそうな顔するものだから、オリ主も若干の罪悪感を抱く。そもそもこの人がこの建物を選定したわけではないのだから、脅したところでどうにもならないだろう。だが、人間よりも野生動物が住むほうが相応しかろう建物を寝床とすることは、そう簡単に受け入れられないというのが人情だろう。


「――――ま、しかたないだろう。ジョゼフ殿、近所の者に声をかけて、片づけや食事の用意を頼みたいのだがいいだろうか? もちろん礼金はこちらから出す」
「そうしていただけると、はい。助かります大使殿」

が、結局折れたのはユウたちの方だった。ユウの性格的にこうなることが予想できていたオリ主は、仕方ないこととはいえガックリと肩を落とす。内心、大使館ということでちょっと豪華なものを期待していたのだ。

「いいのか? 文句言えば向こうに金を出させることもできたんじゃねえのか?」
「いいんだ、見ろ」

ユウが目配せした方向をちらりと見れば、近所の住民らしき人々が遠巻きにこちらを観察していた。突然見知らぬ外国人が近所に来れば、こうもなるだろう。みな、興味と警戒の色を瞳に浮かべている。

「まずか近隣住民に受け入れられることから、だ」

ユウは、朗らかに笑った。



「終わらないと寝れないとはいえ、よう頑張ったぜ俺……」
「ふふ、おい顔にすすがついてるぞ」
「え、マジ? どこ?」
「いや、もう少し左……いや行き過ぎ……ああもう、少し待ってろ」

オリ主が顔の汚れをユウに拭ってもらう。その間、オリ主は掃除が完了した建物を内側から眺める。
礼拝に訪れた信者用の長いすは撤去され、代わりに来館した人を受け付けるための机やいすが置かれた元礼拝の場。本来は説法する神父が立つための講壇には、神聖オリーシュ帝国の国旗が鎮座している。割れたガラスを新しい物に交換する時間はなかったが、応急処置として木の板を穴に打ち付けているので当座はしのげるだろう。

――――ホント、頑張ったよ俺

程よい疲労と達成感に身をゆだねる。オリ主がこれほど真剣に掃除したのは、学校の大掃除以来だろうか。だがなんにせよ、近隣住民の力を借りてなんとか夕暮れ前に掃除を終えることに成功。そして教会の地下に物置があったのでそこをユウの私室に、屋根裏をオリ主の部屋とした。それぞれの部屋にベッドやタンスといった生活用品と私物を持ち込めばどうだろう。ちょっとした秘密基地の完成だ。

お、いいんじゃねえの?

当初は不満がありありと浮かんでいたオリ主の表情にも、何となく満足感の色が。

「――――うん、取れた。子供じゃないんだから変なところを汚すなよ」
「……それで今更なんだけど、何すんだろうね大使って」
「そ、そんなことも知らないでついて来てたのか……ま、いいか。一言でいえば、その国の出先機関の代表として国家間の交渉を代行することなんだが……」
「正直、そういった案件が来ることはほとんどないと思っていいでござるよ」
「……! だれだ!?」

唐突に話に割り込んでくる声がした。案内人のジョゼフはいつの間にか帰っているから違う。いま二人がいるのは中央のホール。そのため、入り口かと目を向けるがそこには誰もいない。混乱するオリ主が目をあちこちに向けるが、一向に声の主は見つからず。だが、焦るオリ主とは対照的に、ユウはひどく落ち着いていた。

「落ち着け。彼は父の部下で私について来てくれた人員なんだが……」
「茂武影と申します。ぶっちゃけていえば諜報員でござる」
「うわっ! いつの間に!?」

少し目を離していた隙にか、オリ主の目の前に片膝をついて控える全身黒ずくめの人間が出現していた。そしてこのどこからともなく現れた黒子のような存在は、なんだかその辺にいそうな感じの名前を名乗る。

「え、諜報……あ、スパイか?」

全身が真っ黒で、スパイというより忍者だった。それも、時代劇に出てきそうな感じの。

「実はパナマからずっと一緒だったんでござるよ?」
「え、うそ!? だったら出発前に顔だせよびっくりしたじゃん!」
「でもほら拙者、いないはずの人員な訳ですし? 他の人の目があるところでは、ね?」

忍者スタイルの茂武影はケラケラ笑った。口元を覆った布のせいで詳細な表情までは分からなかったが、それでも目を見る限りどうにも無邪気さが垣間見える。本当に、忍者やスパイと言われても全くそうは思えない雰囲気だった。

「はあ、まあいいや。で、やること無いってのは?」
「多分、ガリアも他の国々も我々を警戒してまともな交渉事などろくにもってこないだろうと思われますゆえに」
「オリーシュ人の知名度は、このヨーロッパにおいては限りなく低い。まずは、私自身が各国大使が集まるパーティーに顔出しするところから、だな。というわけでこの大使館は表向き二人、実際には三人でやっていく」
「はぁ、そんなもんなのか」

オリ主はよく分かったような、分からないような心持で返事をする。いや、実際問題として理解できていなかった。この男にとって大使館など、なんか外国から来た偉い人がいる場所くらいにしか思えなかったのだ。事実、異世界トリップする前の現代日本において外国の大使館に用事があったことは一度もなく、大使館の仕事とは何ぞやと言われても実感が全く湧かないでいたのだった。だからこそ、「大使館の人員がたったの三人」という異常に気付かない。

「ああそれと、拙者の寝床は不要でござるよ。基本的にパリに寝泊まりしつつ色々と後ろ暗いところでちょっと……でござる」

忍者がパチリとウインクを飛ばしてお茶目に言う。そんな軽い感じ言うことじゃねえだろこの忍者が、と思ったものの口には出さず苦笑いで返す。

でもスパイか……うーん。

人知れず闇に暗躍する正体不明のシルエット、報われることもなく散る滅びの美学的なものにそこはかとないカッコよさは感じる。が、やはりオリ主的にはキャーキャーいわれてなんぼな訳で、アリよりのナシという判定を下さざるを得ない。残念ながら、007の世代ではないのだ。
さて、それぞれの活動内容はともかくとして、暫定的な方針は決まった。ユウはパーティーで各国の要人に顔を覚えてもらうためのあいさつ回り、茂武影はダーティーな忍者活動である。だがここで一つ、浮かんで当然の疑問が浮上する。

「――――そういえば……俺の仕事は? 護衛って聞いたんだけど」
「そうだな、外出時には付き添ってもらうことになる」
「それ以外は? 別にずっとパーディーな訳じゃないだろ」
「…………ガリア国民との交流かな?」

いやいや、こういう地味な仕事が重要になってくるでござるよ、という忍者スタイルからのフォローがあったが、つまりは「付き添い以外、仕事としては特にない」という最大限オブラートに包んだ発言であったことくらいは理解できた。

「ま、まあアレだよな、今まで忙しかったわけだしこういうのも良いよな!」

最大限の強がりを言うが、歯切れが悪く。こうして一人、遠い地でほぼ窓際となるのだった。



その後、三人は近所の住民に作ってもらった夕食を食べ、食器の片付けもそこそこに各人の部屋へと戻っていった。さすがに、長旅直後の大掃除は負担が大きかった。体力の限界に加えて腹が満ちたことで襲い掛かる急激な睡魔は強烈であった。

「ふぁぁぁ……ねむ」

大あくびをしつつ、ランプの灯を落としてベッドにもぐりこもうとするオリ主。だがそれをノック音が待ったをかけた。屋根裏ゆえに、階下へと通じる床がパカリと開く。

「もし、煉獄院殿。すこしよろしいでござるか?」
「あぇ? なに……?」
「なに、男同士の密談でござるよ」

すっかり寝るタイミングであったオリ主は眠気眼のまま、床からひょっこりと顔を出した茂武影を招き入れる。ユウも男じゃね? と何となく思ったがすぐに流す。

「よっと。ではさっそく……」

茂武影は相変わらずの忍者スタイルのまま、屋根裏部屋に入ると声を落として話し出す。

「……大変今更でござるがご注意を。情報というものは、知るべき者が知るべき時に知っておけばよいもので。これは決して意地悪というわけではござらん。単純に、そっちの方が誰にとっても幸せであることが多いという事情でござる」
「はぁ……」
「なので、自分の仕事に関係のないことは気にしない、聞かない、と。自己防衛のためにもこれは徹底してほしいのでござるよ。具体的には、ユウ殿の部屋には入ったりしないなど」
「あぁ……えっと、外交機密的な?」

睡魔で鈍くなった頭であったが、そうあたりを付ける。いまは顔繋ぎの前段階という状態でも、いずれは色々と機密情報を扱わなければいけなくなるからかな、とオリ主は納得した。

「おけ、見ざる言わざる聞かざるってやつでいく」
「いいこと言うでござるなぁ、今度からそう言う風に説明するでござる」
「そりゃ――ふぁああ……どうも」

カラカラと忍者は笑った。オリ主としては、いい加減重くなったまぶたを持ち上げるのに苦労する。

「じゃ、いい夜をでござる。いやあ、昼間ちょっとのぞいただけでもパリ、というよりこの国は色々と見ごたえがあるでござるからなぁ」
「あ、いくのね――――俺はもう眠くて……」
「おお失礼。ではではこのあたりで」

オリ主は手を振りつつ階下へと戻る茂武影に背を向け、ベッドに潜りこみ速攻で寝息を立て始める。それを床の扉の下から確認した黒ずくめスパイは、やれやれと胸を撫でおろす。聞き分けが良くて助かった、と。

「味方を謀殺するのは、気乗りしないでござるからなぁ……」

諜報員が振るう冷たい刃や毒が、敵国人のみを対象とするとは限らない。知ってはいけないことを知ってしまった同国人を、機密保持の名のもとに処分するのもまた彼らの仕事。国家の裏側で人知れず活動する彼は、誰にも聞こえないつぶやきを残して影のように消えた。あとには何も残らなかった。













あとがき
何とか五月中という約束が守れてほっとしています。ちなみに次回は未定ですが夏をめどに頑張ります。



[40286] 近代編 処刑人と医者~死と生が両方そなわり最強に見える~
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:650343a9
Date: 2020/09/12 09:37
花の都パリとは、いったいいつごろから言われ始めたのか。少なくとも今この時代のパリは、衛生観念上から考えれば工事現場の簡易トイレ並みの清潔度であった。

「いやー無理だわ!」

引っ越しの日の翌朝。まだ日が昇って久しい時間帯にさっそくパリ市内へと観光がてら繰り出したオリ主は、早々にUターンに追い込まれた。「マジかぁ……パリってこんなんなのかぁ……」とぶつぶつ言いながら廃教会改め在ガリアオリーシュ大使館へと引き返していた。そして、眼前の川にてせっせと服を洗い始める。冬の朝の、冷え切った空気と水が身に染みた。

「寒っ冷たっ汚っ臭い……ああもう!!」

衣服に付着した茶色くて黄色い汚物が川に広がって流れていく。
この時代のパリには各家庭にトイレが存在せず、みな汚物を桶に入れて溜まったら窓から放り投げるという方式であった。このあたりの事情を知らない地方出身者や外国人は、空から飛来する糞尿のシャワーを被ることになる。いわば手荒い歓迎ならぬ「手洗い歓迎」であった。
道を歩いていたら頭に鳥の糞が、というアクシデントは未来の世界でもたびたび見られるが、ここまでのインパクトはないだろう。鳥の糞は許せても人の糞は許せない。オリ主は「はぁ……何やってんだろう俺」と気落ちしながら上着を絞っている。すると、土手の上から声がかかる。

「もしもしそこのおにーさん! もしかしてこれからパリ市内に入るの? だったらいいこと教えてあげよっか?」
「あん?」

いったん手を止めて上を見上げれば、そこには10歳くらいのエプロンドレスを身に着けた少女が立っていた。すこしくすんだ金髪と、賢そうでありつつも少し生意気な顔つきが印象的であった。

「…………いま行ってきたところだよ」
「知ってるよ。初めての人は大体そんな風になるもん」

と、少女はクスクスと笑った。

「今度からは、帽子か傘をもって行ったほうがいいよ! じゃあまたね、おにーさん! あ、みんなぁ!」

少女は、遠くに遊び仲間らしき少年少女たちの姿を見て駆けて行った。合流した少年少女たちは皆一様に、川で着衣を洗濯するオリ主の姿を見て先ほどの少女と同じくクスクス、あるいはゲラゲラと笑いながらどこかへ行ってしまった。

「――あれ、どうしたんだ? パリ市内に行くとか言っていたと思ったんだが? って、なんで川の中に入って泣いているんだ?」
「――――あ、なんか死にたくなってきた……」

大使館から出てきたユウに尋ねられ、オリ主は割と本気でベソをかいた。冷たさ以上に身に染みる悲しみが流した涙は、洗濯物からこぼれる雫に紛れて落ちていったのだった。






近代編 処刑人と医者~死と生が両方そなわり最強に見える~


数度の挑戦の果てに、糞尿シャワーは防げても地面に落ちている汚水の水たまりは避けようがないことを察したオリ主は、もうパリ市内に入ることを諦めた。そして無駄に発生した余暇を潰すべく、遠い昔に林間学校かどこかで習った簡単なおもちゃ作りに手を出した。この男、暇で暇で仕方がないのだった。

「本当は竹があればいいんだけどなぁ、木しかねぇや」

大使館前に椅子を出して座り、借りたナイフを駆使してプロペラ部分に角度を付けていく。手にもって回す部分は可能な限りまっすぐかつ細く、木を丁寧に削って軽量化を図る。出た木クズが足元にこぼれていく。

「ねーねー」
「あ?」

親指でナイフの背を押すようにして細かい作業に精を出していると、以前にパリ市内に入るなら帽子か傘を用意するようにと忠告した少女がいつの間にやら隣にしゃがんでいた。少女は好奇心に目を輝かせてオリ主の手元を見つめている。

「なにそれ?」
「あ、これか? これは竹とんぼ――じゃないや、木トンボだな」

少女の顔に浮かぶ「で、何に使うの?」という感情を読み取って、補足説明する。

「俺の地元のおもちゃで、飛ぶんだよ」
「うっそだあ!」
「はあ、これだから科学技術を知らぬ時代のキッズは困るぜ。見てろよ見てろよぉ……ほ!」

異世界オリ主三大義務の一つ、「現代知識無双」である。小学生くらいの女の子を相手に竹とんぼもどきで何を……と思いたくなるかもしれないが、本人は結構ノリノリで手のひらを擦り合わせ、竹とんぼもどきを飛ばした。

「わっ! え、翼もないのに!」
「回転することでも飛ぶんだなぁこれが!」
「すごいすごい! ねぇ! 私のも作ってよおにーさん!」
「はっはっは! まあ? 乞われたのならば吝かでもないな!」

大きな瞳でせがまれて、子供相手に鼻高々である。さっそく一つ作って手渡し、受け取った少女は駆けてゆく。
そしてどうせならばよりいいものをと考えれば、もっと角度かいやそれとも軽量化かと試行錯誤を行い始める。そしてそうしていれば時間はあっというまに経過して、いつの間にやら夕暮れ。

「ああああああああああ、なんか脳みそが馬鹿になる! これあれだ! 夏休みの暇で暇でしょうがなくなるヤツと同じだ!」

最後にようやく完成した最優秀竹とんぼもどきを掲げたオリ主は、正気に戻った。これが暇の魔力かと頭を抱えてうなる。
陽光は陰りを見せ、あたりは段々と藍色に染まっていく。黄昏時、すれ違う相手の顔すら判別できないような時間帯は、当然の如く自身の足元を見えにくくする。
――――突如として甲高い悲鳴が聞こえてきた。

「きゃあああ!!」

そしてにわかに響く、質量があるものが水中に落下するときの音。

「え?」

とっさに声と音の方向を見れば、100メートル程度先の川にかかる橋の上で子供たちが騒いでいた。作っていたものを放り出し、慌てて駆けつける。

「お、おいおいどうした!?」
「空飛ぶオモチャを追いかけてたら川に! お、溺れて! それで……!」
「!?」

眼下4メートル下の川の中、そこにはピクリとも動かない子供の背中らしき部分が浮かんで流れていく様が目に映った。そして何よりのオリ主の目を引いたのは、頭部付近から流れる血のような赤。落下時に頭を打ったのは明白であった。

「誰か大人呼んで来い!」

その場で上着とズボンを脱ぎ捨て、川に飛び込む。浅くて腰、所によって頭までどっぷりつかるほどの水嵩。凍えるような温度の水は秒刻みで体温を奪い、水をかき分けて進めば水草がまとわりついて身体を重くする。しかしそれでも懸命に手足を動かして前進する。水流で流れていく背中を追うが、じわりじわりとしか近づけないことに苛立つ。
だが、オリ主本人は預かり知らぬことであるが、ここしばらく雨が降っておらず水流が急でなかったのは大きな幸運と言えた。

「――--とどいたああ!」

オリ主か、それとも少女に運があったのか。オリ主の突き出した右手が少女の服を掴んだ。そして寒さに震える手に活を入れて、小さな肢体を強引に岸へと引っ張り上げる。

「はぁ……さ、寒い……! 火を、たいて……」
「大丈夫だ! 待ってろ直ぐに用意してやるからな!」

子供に呼ばれたらしきユウが、手にもっていた火鉢を下ろして火をおこそうとしていた。事情を聴いて、直ぐに用意して駆けつけてくれたのだろう。肩で息をしながら火薬で着火する。

「い、息が……そんな……!」

子供の誰かが悲痛な声を出した。そして、泣き崩れる。騒ぎを聞きつけて来たのだろう帽子姿の紳士が、「主よ、いま御許に少女の魂が――」と祈りの言葉を口にしていた。

「バカ! まだあきらめるんじゃない! で――――ええっと、まずは意識確認……? 次に呼吸の確認で――――顎を持ち上げて……?」
「お、おい?」
「人工呼吸すんだよ! ってもしかして知らない? いやまだ無いのか?! なら俺が……! ふーー! ふーー!」

少女の顎を持ち上げ、鼻をつまんで息を二回大きく吹き込む。そして次に胸の部分を重ねた両手で力強く何回も押し込む。これを何度も何度も繰り返す。周囲からみれば奇怪な行動であった。

「いち! に! さん! し!……」

息を吹き込み、終われば即座に体制を整えて力いっぱい胸を押すを繰り返す――単純作業ではあるが軽くはない運動量であった。心肺蘇生法は複数人で行うのが望ましい。それは、行う側の体力の消耗が激しく、交互でなければ長時間行えないからである。だが、行えるものが一人である以上、単独でやり続ける必要がある。


「いち! に! さん! し!…………フー! フー!…………いち! に! さん! し!…………フー! フー!…………(つ、疲れてきた……いつまでやればいいんだこれ?!)」


もはや自分が酸素を欲しいという状況であった。だが、息も絶え絶えながらも行った素早い心肺蘇生法は、ついに実を結ぶ。

「っけほ! ごほっ!」
「そんな、生き返った?!」

周囲で心配そうに事の成り行きを見守っていた少年少女、ユウ、そして謎の紳士からどよめきが起こる。とりわけ、紳士の驚きっぷりは大きかった。

「しょ、少年。いまのはいったい……?」
「はぁ――はぁ――じ、人工呼吸って言って、ああいう風に、呼吸や心臓が動かなくなった人にやる応急処置……みたいなやつだよ。はぁ、すぐにやれば結構な確率で助かる……とか」
「……君はもしや、医者なのか?」
「まさか! 昔、学校の授業で習ったんだよ」

紳士はむむむと考え込む。そうこうしていると、少女の両親らしき男女が駆け寄ってくる。両親はオリ主たちに何度も感謝の言葉を送り、少女を背負って帰っていった。幸いなことに、頭の傷は大したことはなかったらしい。もっとも、脳の怪我までいくと素人では対処できないが。
その晩。ユウはまるでオリ主の労をねぎらうかのように、ガリアに来て以来で一番豪勢な夕食をふるまってくれた。

「まさかこんな特技があったとはな。言ってくれればよかったのに」
「別に、未来じゃ大体の奴が知ってる技術だからなぁ……特技ってほどじゃないし何ならすぐにできるようになるぜ」
「……なんというか、出会ってから助けられたり驚かされてばかりだ。君と知り合えたのが私の人生最大の幸運なんだろうな、きっと」
「いや、そんなしみじみ言われるとなんか照れるな……」

流石っス! マジリスペクトっす! キャア素敵! みたいな感じの称賛なら「まあ? それほどでも……あるかなぁ!」と鼻高々になれるオリ主であったが、こうも感慨深く言われると返しに困り、結局、目の前の食事を掻っ込むことしかできなくなった。そんなオリ主の様子を、ユウが優しいまなざしで見つめていた。

翌朝。

「こんにちは」
「君は、昨日の。体は大丈夫なのか?」
「あ。お前、寝てなくていいのか?」

朝食時、オリ主から送られた竹とんぼもどきを追いかけて溺れてしまった少女が尋ねて来た。頭には包帯が巻かれていて、昨日の事件を思い起こす痛々しい姿であった。

「まだお礼言ってなかったから」
「ああうん、俺の責任でもあるし……」

ちょっと後ろめたい気持ちになるオリ主は、視線を少しずらす。少女は両手をいじりつつもじもじするが、すぐに意を決したのか大きく一歩踏み出す。正面には椅子に座ったままのオリ主がいて。

――――チュッ

「あ」
「!」
「へへ、ありがとう! おにーさん! わたし、シャルロット!」

少女――シャルロットは顔を朱に染めながら名乗る。そして頬に走った柔らかい衝撃に唖然としているオリ主を後ろにして、エプロンドレスを翻して駆けていった。

「海外は進んでるって、マジだったのか……」

最強オリ主(笑)は、ただただ突然の事態に放心するしかなかった。ユウはしばし呆けたままであった。

――――さて、この件をきっかけにオリ主たちは近所のガリア人たちに溶け込んでいく。そしてオリーシュ本国へと本件が美談として尾ひれがついて伝わり、後年恥ずかしい思いをするのであるが、実はこの話には、後日談的な話がくっついていた。



シャルロットからお礼のキスを貰ったその日の昼。なぜか機嫌が悪いユウから逃げるようにして外出したオリ主が、今日は何をしようかと考えながら近所の道を歩いている時だった。

「ちょっと、よろしいですか?」
「??――――あ、もしかして。あの時の人?」

オリ主はその人物が、シャルロットがおぼれていた時に自分を医者と間違えた紳士であると気づく。

「私はサンソン……その、副業で医者をやっているものです」
「はあ」
「近くに私の家がありますので、もしよろしければあの時少女に施した処置についてお教え頂きたく……」
「あ、全然ダイジョブです、はい」

帽子を胸に当て、真摯な顔つきで相対するサンソン氏。馴染みのないタイプの人間かつ丁寧な招きに、オリ主はとっさに是と答えた。まさに、雰囲気に流されるとNOと言えない日本人である。そうしてサンソン氏についていった先は、庭付きの立派な邸宅であった。

「こちらです」
「えっと、個性的な色ですね……シャア専よ……いえ何でもないです」

植木があり、立派な門があり、パーティーでも出来そうなくらいの大きな屋敷である。だがそれも、血をぶちまけたような赤く染められた外壁があらゆる印象を「不気味」の三文字に変換させてしまう。動揺のあまり変なことを口走るオリ主であった。

「あ、首切りサンソンだ!」
「しっ! ダメでしょ!」

道行く親子が、サンソン氏を見てそんなようなやりとりをする。

ああ、子供ってよくああいう事言うよなぁ……

近所に住んでいるキャラの濃いおじさんにキツイあだ名を付けるというのは、オリ主の周りでもよく見られた。時代も場所も違えど、子供のこういう無邪気な残酷さは変わらないらしい、と納得する。

でも、首切りって物騒だなぁ。

「……申し訳ありません。あなたまで不愉快な気分にさせてしまいましたか?」
「ああいえ、ああいうのはどこでもあるもんですから」
「しかし、真実でもあります」
「……え?」
「…………ああ、まだ私のことを知らなかったのですか。てっきり知っているものかと……申し訳ありません。決して騙そうというつもりはなかったのです。では改めて自己紹介を――――」

――――私の名前はシャルル=アンリ・サンソン。医者は副業、本業はパリで処刑人をやっております。





門をくぐり宅内へ。屋敷内はよく整理されているとは言いにくいが、決して汚いという程ではない。言ってみれば、掃除されている男所帯、といった風情である。

「薄暗いですがご勘弁を。日光に当ててしまうと本の痛みが早くなってしまうので」

促されて入った部屋は、十畳程度の広さがある書斎であった。ぎっしりと本が詰め込まれた本棚がすべての壁にあるため、そして窓が締め切られているためにどうにも窮屈に思えてしまう。

「それで、さっそくで恐縮ですが例の処置について……」
「ああ、いいですよ」
「確か最初に息を吹き込んでいたようですが――――」

処刑人を名乗ったサンソン氏。だが、その落ち着いた物腰と瞳からは、決しておどろおどろしい印象を受けなかった。ゆえに約束通り、オリ主は学校で教わったことを何とか頭から掘り起こし、説明していった。サンソン氏はつたない説明を熱心に聞き取る。

「ええ、胸を押すのは一分で百回? くらいです。でも大切なのは間断なくやること……です、はい。出来れば二人以上で分担するのも」
「ふむ……息を吹き込む処置については、スイスのパラケルスス医師がふいごを使って空気を送り込んでいたという記述がありましたが……それを口でおこなうと」
「あ、昔からそういう技術はあったんですか?」
「残念ながら廃れてしまったようです。ふいごがすぐそばにあるという場合もなかなか……」
「すぐにやる、が大事ですからねえ……」
「ですが、ムッシュー.レンゴクインに教えていただいたこの方法は誰でもすぐに行えます。これは、とても素晴らしい技術です。このような技を広く教えているとは、オリーシュ帝国という国はずいぶんと医術が進んでいるようです」
「は、はは……」

本当は未来の日本で学んだ技術なんだけど……

蘇生法という知識チートであるのだが、こういう立派そうな人に普通に褒められるとなんだか言い知れぬむずがゆさを感じるオリ主であった。昨晩のユウの時といい今回といい、相手が美少女ではなかったのもあるんだろうきっと――と勝手に納得する。
サンソン氏は、聞き取った内容を紙に書とめていく。後々、本にまとめて保存するらしい。

「もしかして、これ全部、ですか?」
「私だけのではありませんが、はい。代々の蓄積というものです」

サンソン氏は憂いを含んだ目で本棚を見る。それは水底のような、穏やかながらも熟成した諦観を感じさせる瞳であった。

苦しそうだ。でも、じゃあこの人は、なんで?

「処刑人がなんでそこまで、ですか」
「あ、いえ……」
「処刑人は引き取り手のない死体を引き取ります。ですので、解剖して人体の構造を学ぶ機会には事欠きません。また、長年の所見から人体のどこの部分をどのように傷つければ後遺症が出るのか、または出さずに済むのかということも知ることができます。もちろん、医者をしているのは生活の糧を得るためでもありますが」

サンソン氏は、落ちくぼんだ目で淡々と語る。いつしかその語りは、氏の歩んできた人生に及んだ。オリ主はしばし、その事情に耳を傾ける。決して気分のいい話ではなかったが、粗略に扱っていいとは到底思えなかった。処刑人の子であることを理由に学校をやめさせられた話、初めて処刑に立ち合った日の話、職業が分かるように目印を付けろと裁判を起こされた話……色々であった。オリ主は、じっと話を聞き続けた。
気づけば、陽が落ちる時間であった。

「――――おや、もうこんな時間ですか。すいません、書斎に入ってしまうと日の様子もわからなくなってしまうものですから」
「まあ、別に暇なんでいいですよ」

時計を確認し、そろそろお暇するということになった。玄関に出てみれば、空は茜色を通り越して藍色になっていた。
玄関に足をかけた瞬間、なぜか聞いておかなければ後悔するという確信めいた予感が背を押した。その衝動が、口を開かせる。

「あの……最後に良いですか?」
「はい、なんでしょうか?」
「その、あなたの本業を聞いても、なんというかシックリこないというか……」
「もっと恐ろし気な人間のほうがらしい、と思っていたからですか?」
「明確な処刑人のイメージを持っていたわけじゃないですけど、多分、あなたがおっかない顔つきをしてたら、ああなるほど、って思えたと思います」
「私は、家業として今の仕事を受け継ぎました。決して自ら望んでいたわけではありません」

自ら望んだわけではない――それは、先ほどの話からも、明言していなかったがひしひしと伝わる感情であった。

「辞めたいと思ったことは?」
「あります。何度も」
「なら、どこか別の町で医者として働いては?」
「一族の中でも、かつては別の職につく者もいました。ですがどこからか前職のことが漏れ伝わり、結局は廃業においこまれてしまったのです」
「そんなことが……」
「世に死刑制度がある限り、それを行う人間が必要です。社会がそれを望んでいる限り、私が逃げても他の誰かがやらなければなりません。今いる者たちがすべて逃げてしまえば……きっと最後には知識も技術も未熟な者が金に困ってやらされるのでしょう。処刑人の家に生まれた者は、処刑人として生きて死ぬしかないのです……」

諦めがにじんだ声を聞き、オリ主がふと頭上を見る。玄関の上に彫り込まれた、壊れた鐘とそれを見る犬のマークがあった。伝えるべき音を伝えられない鐘は、いったい何を意味しているのか。

「……」

オリ主は何も言えず、静かに一礼して立ち去るしかなかった。サンソン氏は自宅の前で、オリ主を見送るように立っていた。

「なに聞いてんだよ、俺……」

自己嫌悪と共にかすれたような小声で吐き出す。

「……社会が望んでいる――――」

社会が望み、逃げることができない。それではまるで機械の部品だ。本人の意思も何も無視して、ただ昔からそういう役目を担っていた家の出であるからやれと求められて。文句もある、逃げ出したくもある。

「……」

でもきっと、サンソン氏は死ぬまで役割を全うするだろう。逃げず、投げ出さず……ただ
悲痛な軋み音を響かせて。

じゃあ――――自分は? トリップした俺にも何か役割があるのか?

ふと浮かんだ疑問はいつ以来か。その根本的な疑問に、答えられるものはいない。少なくとも、この場には……



シャルル=アンリ・サンソン。死刑執行人でありながら死刑反対者として知られる男であったが、運命はそんな彼の考えなど一切考慮せずに回り始める。おそらくは心安らかに医学を語り合える最後の機会となる事を、オリ主もサンソンもこの時はまだ気づいていない。
西の空に、日が落ちる。そして朝にはまた新しい日が昇り、一日が始まる。ゆっくりと、だが確実に時は進む。
寒さ厳しい年末。運命の1789年は、もう目前だった。







あとがき

1789年って覚えやすいなって受験の時に思いました。次回の更新時期はちょっと未定です、ごめんなさい。

追記
超大事な年号を間違えてしまっていました。感想版で指摘して頂いた方に、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。



[40286] 近代編 パリは燃えているか(確信) 1 【加筆修正版】
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:6e339e4b
Date: 2021/06/27 09:57
ガリア王国の財政は、何十年も慢性的な赤字に悩まされてきた。しかしどうにかやってこれたのは、傭兵派遣による収入に助けられてきたからだ。しかし、この度の事件はガリア王国に致命的な一撃を与えた。
その事件とは、オリーシュ帝国への敗戦――のことではない。そもそもあの戦いは極めて局地的なものであり、戦費という意味ではさほどの負担にはなっていなかったのである。問題は、アステカ帝国が領土を大量に奪われたことにある。
当時、ガリア王国はアステカ帝国から多くの物資を輸入していた。当然安価とは言い難かったが、それでも安定した輸入量は確実にガリア全土の民衆と経済を根底から支えていた。しかしブリタニア王国のアステカ侵攻により、アステカ帝国は輸出品の生産地――特に綿花を栽培する大農業地帯――を失った。アステカ帝国は諸外国への輸出が不可能となり、その影響はガリア王国を直撃することとなった。
市場から品物が目に見えて減り、市民生活は悪化していった。とは言うものの、このとき消滅した物の多くは綿を筆頭とした品々であり、国内で生産できる品物については最低限賄えていた。この点だけを見れば、最悪の状態は回避可能な状態であったと言えよう。しかし、残念ながらこのような状況を奇貨とした者たちがいる。

「せや! 物資不足を煽って値段を吊り上げたろ!」

――富める者たちである。
小麦をはじめとした自給可能な品々ですら彼らは買い占め、不安を煽りつつ売り渋る。こうすることであらゆる物資の市場価格は徐々に上昇していった。本来ならば、このような方法で儲けた者から税金を徴収することで民衆に還元することができただろう。が、ここでガリア王国が抱える最大の弱点が最悪の形で露呈した。なんとこの富める者たち、多くが税金支払いの免除特権を有していたのである。だが、この問題に対処しようとする動きがあった。
時の国王、ルイ16世は長年の財政問題を根本的に解決しようと模索していたのだ。そこにきて今回の騒動である。

「これ以上ない最高な判断でしょう! ワ~タクシに全部お任せくだサーイ!!」

国王はとある男を財務長官として指名した。ジュネーヴで生まれ、パリで銀行家として成功した外国人、ネッケルである。デキる男として民衆からの信頼が厚い男でもあった。
ネッケルは抜本的な改革として、いきなり本丸である免税特権に切り込む。そして大々的にこれの停止を行うことを宣言した。すると、市民の歓呼の声が響くと同時に――――

「はあ?! 何様?!」

当然の如く、特権階級の大反発を招いた。

免税特権の廃止に反対する勢力は、あらゆる場面で抵抗する。

「そもそも事は重大でありますムシュー。たかが財務長官の意見ではなく、国民を含めた公明正大なる場で議決することを求めるウィ」
「然り然り」

そして、貴族・僧侶・平民という王国を構成する三の身分から広く意見を集める評議会――全国三部会の開催を要求した。

「彼奴らは……そこで免税特権廃止を正式に否決させるつもりだ……国王である余をなんだと思っているんだ!」

会議において各身分の構成員は同数だ。すなわち、貴族や僧侶が共に免税特権の廃止を否決すれば、いくら平民代表が廃止を訴えたところで「免税特権の廃止はなし」となる。
だが、民衆は自分たちの声が届けられるこの三部会で貴族や僧侶に要求を飲ませようと気炎を上げ、国王に開催を要求した。奇妙なことに、敵対すべき両派の意見が一致を見せたのだった。さすがにこうなっては拒絶できない。例え袋小路だと分かっていても。

「国王がうまいことやってくれると、民衆どもは赤ん坊のように信じているのですねぇ。なんでそんなにピュアなのか、ワ~タクシには理解出来まセーン!」

見え透いた罠に突っ込まざるを得なくなったネッケルは吐き捨てるように皮肉を言い、1789年5月に全国三部会を開催することを宣言した。
そして年が明けて1月。全国三部会の代表を決める選挙戦が始まり、身分の隔てなく影に日向に政治的会合が開かれた。

一方、そのような俗世界とは切り離された空間がパリから徒歩半日程度南西に行った先に一箇所存在した。目の前には、冬の森を意識させる静謐な空間に白亜のテーブルとイスのみがあるだけ。そこに、近衛ユウとオリ主は案内される。

「まもなく陛下がお越しになりますので、椅子に座ってお待ちください」
「あ、どうもです……」

リアルメイドさんに素になるオリ主。というのも、今の彼らの服装は一味違う。前裾を大きく斜めに切った形状のスーツを着込んでおり、パッと見はまさに紳士。

「んっ、ちょっと襟元が窮屈なんだけど」
「まったくしょうがないな……少しだけだぞ」

今まで縁がなかったようなフォーマルなスーツに身を包んだオリ主は、首元を緩めてふうっ、と一息。やはり、本物の貴種であり一国の大使であるユウと比べてしまえばすぐにボロがでる模様。七五三の子供だろうか。

「……普通に室内で会っちゃダメなんかね」

一息つけば、思わず漏れる愚痴。少し遠くに目を向ければ、そこには豪華絢爛たる宮殿が鎮座している。

「政治情勢的な理由もあるのかもしれないが、この国の作法に疎い我々のことを思ってのことだろう。ここは好意と思うべきだと私は思うぞ。……それよりも、今回相手側にこちらの資料を渡す際に気づいたが、なぜ名前が違う。なんなんだ煉獄院とは? 山本という名前はどこに行った?」
「え、今さら聞く? まあいい、気づいてなかったのなら改めて言おう! 煉獄院朱雀とは、魂の名前! 山本某とかいう平凡な名前はオリ主には似合わないからな……!」
「軍の正式な書類に偽名で登録するな……お前、もう私以外の他人には絶対山本だと名乗るなよ。面倒な事になるから」

そう言ったユウは呆れたような顔をして忠告した。普通に考えて、大使館にいるような軍人が偽名を持っているなど、疑ってくださいと言っているようなものである。
さて、そんなヤバ目なやり取りが行われているここはガリア王国の中心。王城たるヴェルサイユ宮殿の中、小トリアノン宮殿近くの庭園であった。つい先日、いろいろなゴタゴタから延期になった国王との謁見が急遽決まり、こうして二人は罷り越すこととなった。しかしどのような意図があったのか、外国からの賓客と謁見する鏡の間ではなく、このような場所に呼び出される事態となっていた。

……あ、やべ。もう帰りたくなってきた。

どのような意図があるかはさておき。慣れない服装でいろいろ窮屈な思いをしているためか、面倒な学校行事をサボりたくなっている学生のような心境になるオリ主。すると、誰かがこちらに近づいてくるのが見えた。手には、湯気が出ているカップを乗せたお盆(?)を携えている。

「やや、申し訳ない大使殿。暖かいカフェでもいかがかね?」

そこには40歳手前くらいの、頭にいくつもカールを乗せたおっさんがいた。

「最近はすっかり、カフェも品薄が続いているらしいね」

そして、まるでそうするのが自然とでもいうべきスムーズな動作で、空いている椅子に座ってカップを配り始める。

「どうもありがとうございます。えっと……モーツァルトっぽい人!」

頭髪の特徴から、昔見た音楽室のモーツァルトの肖像画を思い出して突発的に口走るオリ主。クソ失礼なことをほざきながら、配られたコーヒーに手を伸ばそうとして。

「陛下!」
「うわっ熱っ!」

突如立ち上がったユウの声に驚いて、手にコーヒーを零してしまう。オリ主は手についたそれを口ですするという下品極まりないことをやっているが、本来それを注意すべきユウはそれどころではない。

「な、な、なぜこのようなことを……」

ユウはとんでもない失態を犯してしまったという風に焦っていた。だが、当人はどこ吹く風。

「私はこの宮殿の主人なのだ。なら、ご客人にこうしてカフェのひとつも出すことはむしろ礼にかなうというもの。それに、今日は茶会として招待したのだからあまり細かいことは気にしなくてもよいではないか」

「え、あの。茶会……ですか?」
「む? もしや連絡に不備があったかな。はは、なるほどだからそのような格好であるのだな!」
「――――ごめん、よく話がのみ込めないんだけど。」

オリ主は、何が何やらといった風に戸惑う。そして、「それで、このヘイカさんはどちら様なの?」と暢気な問いを口にする。

「おお! 自己紹介がまだだったね、失敬失敬!」

たはは! とコミカルにおどける眼前のおっさん。

「余はブルボン朝ガリア王国の国王、ルイ16世である」

コーヒーを持ってきてくれたおっさんは、職業:国王を名乗ったのだった。そしてそのまま、まあそれは置いておいてと一言。改めてオリ主たちに向かい合う。

「それでどうだね、我がガリアは?」
「あ、はい。そうですね。いい国だと思います」
「ほう……具体的には?」
「うぇ?!」

一国の王様に「うちの国どう?」と面と向かって聞かれて「いやーあんま良くないっす」と答えられる人間がどれほどいるだろうか。大抵は社交辞令的にでも良いと言うしかない。そしてそれは質問する側も当然承知しているべき事柄である。

オイオイオイ……そういう事聞くか普通!? つーか性格悪くないか?

戦場でオリ主無双(笑)は出来ても社交まではそう都合よくはいかない。悪戯が成功した悪ガキのような意地の悪い顔で答えを待つルイ16世に心の中で毒づいた。

(おい……無難に良い所を上げるんだ)

目でユウが語り掛けてくる。だが変に間が開けばますます答えにくくなるのがこの手の質問である。兵は拙速を貴ぶ――オリ主はこの言葉を実践して、最初に頭に上った言葉を言った。

「お、女の子が可愛いことですかね? まあ最初はなんだこのガキ大人ぶって生意気だなって思ってたんですけど、あ、これは近所に住んでる子なんですけどね。でも生意気な事言ってても慣れてくるとけっこうそういう点も含めて可愛い感じで将来美人に――」

グシャ! という擬音が聞こえてくるような痛みがテーブル下の足から脳に駆け上がる。

(それは無いだろう! それは!)

俺は悪くねえ! 俺は悪くねえ! こんな質問、急にするほうが悪いんだよ!!

ユウからの無言および物理的な非難に対して、理不尽を叫びたいのを我慢して何とか堪える。顔は痛みをこらえて軽く微笑んだままを維持する。オリ主、TPOをわきまる。ついでに発言内容的にロリコンが匂い立つが本人にその趣向は全くない。

「ッチ……なかなかいい答えだね」

いま舌打ちしなかったこの人?!

目の前の王様の顔には、田舎者をからかって遊ぼうとしたら思わぬ答えを返された、という感情が浮かんでいた。オリ主の中で、王様の威厳やブランドイメージが急速に落ちていく。

(もういい。もうこの辺で切り上げろ頼むから!)

とここで、ユウが焦りを抑えて必死に目配せをしてくる。隙を見て話を切り上げろということだ。
だが、当のルイ16世は会話を切り上げるタイミングを与える気はなかったらしい。

「そう言えば君、さきほどモーツァルトといったが……それはアレかね? 作曲家の?」
「え、あ。はい。そのぉ、変な事いってスイマセンでした、はい。」
「ハハハ! いいよいいよ! それより、彼の名前がまさか遠い外国のお客さんから出てくるとは思わなかったね! まさか海を越えるとは」
「はっはは……」
「たぶん未来の東の果ての国でも有名になると思われ……ハハハッ」
「未来とは! 君面白いこと言うねえ。でも彼、余の奥さんを子供の頃に口説いたことがあるらしいんだよ。まったくとんでもない男だ! できるならそういった話も含めて未来に伝わってほしいものだよ」

微妙な嫉妬心をのぞかせながら、ルイ16世は言った。

いい年したオッサンの嫉妬なんて見苦しいだけだろそんなもん見せんな!

心の中だけだが、うっかり口にすれば不敬罪は免れないレベルの暴言を吐く。

(気配を、気配を消すんだ……!!)

気配って無茶言うなよ忍者じゃないんだから。つーか俺だってもう嫌だよしんどいし!

目で会話する主従。しかしここで、「さて」とルイ16世は軽く一呼吸を置いて、ここからが本題だと言いたげに、先ほどとは変わって落ち着いた声色になって話しかける。幾分か、声を潜めて。

「すまないね、こんなところに呼び出してしまって。いま宮殿内はちょっと、ね」


「選挙、のことですか陛下」
「はは、いやいやお恥ずかしい話だ!」

たはは! と笑うが、目は決して笑っていない。むしろ、憔悴の色が見て取れる。先ほどまでとは違った意味での、国王らしからぬ雰囲気だった。追い詰められつつある、切羽詰まった人間のそれだった。

……王様って大変なんだな

と、内心で思いつつ、その後はただユウとルイ16世のやり取りを見守るだけとなる。手に持ったカップを口に付け、いくらか冷めたコーヒーを喉に通す。
ゴーン……ゴーン……
――――遠くのどこかで鐘が鳴った。





冬に訪れた冷たさがすっかりなくなり、春も終わろうという頃であった。一台の粗末な馬車がパリへと向かう街道沿いに留まっていた。そのそばで、馬車の主と思わしき男性が知り合いと談笑していた。

「選挙だなんだって、それでなにか変わんのかよって話だ!」
「だな!」

ゲラゲラと笑い、ついでに痰を道端に吐く男二人。どうやら、先日行われた全国三部会に送り込まれる議員を選ぶ選挙に対して思うところがあるらしかった。男たちは口々に日頃の不満や愚痴を言い合う。しかしそんな馬車に、貧相ながらも身なりのいい青年が歩いてきた。

「失敬。君、この馬車はどこへ行くのかね?」

青年は、その恰好に見合った品の発音で言った。

「ああん? ああ、パリだよ。なんだよ兄ちゃん乗りたいのか?」
「ええ。頼めるかね? 急ぎなんだ」

青年の対応は始終丁寧なものだった。それこそ、いまこの田舎道では浮くような。ゆえに、馬車主の顔に微妙な渋みが走る。それは端的に言えば「スカした若造の態度が癇に障った」といったところか。

「別に構わねえよ。ただ急ぐなら料金は――だがね」

この時提示された金額は、急ぎであったとしても相場の倍であった。だが、若い紳士はそれに即答する。「それでいい。よろしくたのむ」と即金で手渡す。
馬車主の顔はますます渋くなる。そして軽く目が泳ぎ、はっと気づいて改めて向き直る。

「へっへ……そんじゃあ、明日ここに来てくれよ」
「今からではダメなのか?」

紳士は空を見上げる。まだ太陽は登り切っておらず、昼前である、

「準備ってもんがある。明日だ」
「私は急いでいる。明日では遅いのだ。別の業者を探そう、返してくれ」

紳士はため息を吐いて手を出すが、馬車主は鼻で笑って取り合わない。

「おっと悪いがそうもいかねえ。いいから明日にしな若いの」

「……私は急ぎといった。そしてそのうえで、相場の倍支払っている。料金を受け取った以上あなたは仕事をする義務があるというのに、明日出発などと言い料金を返さない。それは道理が合わない、というものではないかね?」

紳士は噛んで含んだように、わからず屋に教え諭すような口調で言うが、馬車主はそれが心底気に食わないと言ったように声を荒げる。

「てめえ俺に説教かまそうってのかよ!! ちょーしに乗るんじゃあ――――」

だが、その罵声は途中で切れる。青年の仲間たちが――否、のちに歴史に名を残す男達が集まってきていた。


「おいおいロベスピエールよ、なに揉めてんだよ」

顔面のあばたが醜い。しかし、大柄で筋肉質な体格とそれに見合った迫力を持つ男、ミラボー。

「我々は使命を帯びています。つまらない諍いなど起こさず早急にパリへ向かう義務があります」
クールな顔で鋭い声色を放つ色男、サンジェスト。

その他複数の人間が、馬車を取り囲んでいた。その誰もが、一癖二癖もある。

「あ、どうぞ今すぐ出発しますんで、ハイ」

馬車主は、先ほどまでの態度を一転させた。ちなみに、馬車主の連れは早々に何処かへ逃げていた。

「あ、あ、あの――それで旦那方はいったい……」

一変した態度で、ロベスピエールと呼ばれた青年に尋ねた。

「我々が何者か、ですか」

ゆっくりと馬車に乗り込もうとしたロベスピエールは答えた。

「ガリアを救う者――ですよ」

全国三部会が開催される直前のことだった。




追記

感想欄でご指摘を受けた通り、こちらの手違いで同じ話を投稿していることが判明しました。昨年12月に投稿したものを消去し、今年の6月に投稿したものを残すことにしました(6月に投稿したのは12月に投稿したものに加筆修正を加えたものなので)。ご指摘ありがとうございました。



[40286] 近代編 パリは燃えているか(確信) 2
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:c09ef79a
Date: 2021/06/28 00:45
まえがき
前回こちらの手違いで同じ話を2のラベルで投稿してしまいましたが、こちらが正しい続きになっております。ご迷惑をおかけしました。




国王とのお茶会からしばし時が流れ。当初の予定通りに選挙が行われ、全国三部会が開催された。そう、予定通りに開催そのものは達成された。

「ユウ様」
「ああ、報告書かご苦労」

大使館の一室にて、訪れた黒ずくめの男から手渡される報告書をざっと見たユウは、やっぱりという結果にめまいを覚えた。
理由は、現在開催中の全国三部会が事実上の分裂状態にあり、機能不全を起こしていることが報告されていたためである。結局のところ、開催ができただけで問題解決には一切寄与していないというのが現状であった。
貴族や僧侶の免税特権を廃止するか否かを審議すべく開催された全国三部会。だが順当というべきか当然というべきか、貴族と僧侶を代表する議員の大多数によって採決は「特権廃止は否」となった。こうして特権階級は特権を有したまま、平民は相も変わらず重い税に苦しむという事になった。だがこれで終わるような状況ならそもそもここまで事態はひっ迫していない。平民代表の議員たちはテニスコートにて真の国民を代表する議会として、「国民議会」の設立を宣言。全国三部会に絶縁状を叩きつけ、特権を享受し続けたい貴族と僧侶に対して徹底抗戦の構えを見せる。が、ここからの展開がさらに問題をややこしくさせる。

「貴族と僧侶代表の議員の一部が、国民議会に合流。一方で、平民代表の議員が特権維持派の議員に接近とは……」

この戦いは一見、貴族&僧侶VS平民という構図である。だが実態は明確に異なる。というのも、貴族は貴族階級内で裕福か貧乏かで歴然とした差があり、僧侶も実入りのいい地位にいるか素寒貧な地位にいるかで異なり、平民も特権階級と癒着して甘い汁をすすっている者もいれば貧乏暇なしな者もいるからだ。要するに、貴族も僧侶も平民もそれぞれで勝ち組負け組がいたという話であった。

「いやはや困った事態ですな。しかしもっと困った方々もいるのでござるよ」

そしてユウは報告書の最後に書かれている部分に目を通す。とある場所、とある日時にパリに滞在する大使の集まりを秘密裏に行いたいというものだ。話し合いの内容は言うまでもなく、現在のガリア王国の情勢についてである。が、紙面に書かれている文面的にはより踏み込んだ内容を含む事を匂わせている。

「これは……陰謀というものではないのか?」
「いいえ殿下。外交というものでござります」

苦言を呈するユウに、スパイとして暗躍中の茂武影は悪びれた様子もなく答える。

「現在のパリの現状については、欧州中の国が緊張感をもって注目しておりまする。誰もかれも、もしもの事が頭を掠めて仕方がないのです。なればこそ、利害を一致させた者たちが力を合わせるべく話し合おうというのは至極当然のことであるかと」

もしもの事――現在の騒ぎが欧州中に波及する――に困る国は多い。だからいざとなれば団結してその原因を手段を問わず叩き潰そうという事だ。だからこそ、各国のスパイ同士が奇妙な連携を見せているのだ。そうでなければ、密偵の上げる報告書を経由して大使の集会が開かれるわけがない。おそらくは今、パリにある各国大使館ではそれぞれ忍ばせている「大っぴらには居ないはずの人員」が秘密のパーティーの招待状を配送していることだろう。大使館付近の住人とも友好的な関係を築き、先日は国王とも友好的な面会を果たした。だというのに、一転外国と組んでいざという時にはこの国に武力干渉するための根回しに与するなど、罪悪感を抱かざるを得ないというものだった。

「……父上には?」
「もちろん。ガリアの状況について詳細に」

父上はこの事態を静観するのか? それとも……

どうにも考えが読めない父。思惑が分からないことに不安を感じるユウであった。しかし不安だろうが何だろうが、事態は止まってくれない。

「だがなんにせよ、こうして悩んでいたところで何も変わらない。ならば、招待されてみるしかないだろう」

そうしてまた一つ、薪が積み上がった。






国王はただ、年中燃え上がっている火の車のような財政をどうにかしたかった。ガリア王国の毎年の収入は軍隊とインフラ設備の維持で精いっぱい、しかし軍隊の装備更新を行わなければ国土の防衛も傭兵仕事もままならない以上何とか費用を捻りだす必要がある。先のアステカ帝国との傭兵契約や敵への略奪で目論んでいた金額が得られなかった以上、もはや抜本的な国内への手入れ――すなわち特権階級が保有する免税特権を取り上げなければならなかった。繰り返しのことだが、待ったなしなのだ。だからこその全国三部会であり、話し合いであったのだが、それがどういうわけだか事態が複雑化し、国民議会なるものが誕生してしまう。
免税特権について話し合う場を作る事すら困難な状態に、国王は両者に苦言を呈す。が、帰ってくる言葉は異口同音「王は奴らの肩を持つのか」である。
こうしている間にも、食料品の価格は上昇していく。小さな暴動が頻発し、治安維持能力を強化する必要が生じた。

「軍隊を呼び寄せ、治安を維持させよ」

国王はそのように命令を下した。すると、パリ市内および郊外に国軍の兵士が目を光らせるようになる。兵士たちは自分たちの職務を遂行し、暴動を見事抑え込んだ。しかし民衆の目にはそうは映らなかった。

「陛下は国民議会を認めていない……?」

民衆の生活を守り不道徳な金持ち連中から特権をはぎ取ってくれるのが国民議会だ、暴動だって売り惜しみをして値段を吊り上げようとする悪徳商人を襲っているだけで間違っていない、と信じている民衆にとって治安維持の軍は威圧としか思えなかった。続いて、不幸な行き違いが追加される。

「ネッケル。お前を解任する」

財政改革のために招いたネッケルを、国王は解任するに至った。これはただただ単純に、ネッケル自身がすでにこの分裂状態で遅々として進まない財政改革に対し匙を投げたという事情もあった。そして事実、現状はすでにネッケルの力量でどうこうできる領域ではない。が、そんなことを知らない民衆にとっては、自分たちの代弁者であるネッケルが国王によってクビになったという側面しか見えない。
この現状に対して民衆はこう思った。王は民衆の味方ではない、と。このままでは軍隊が鎮圧に動くと恐怖した一部の民衆が、パリの武器庫に押し寄せ自衛用の武器を要求した。武器庫の責任者が民衆の血走った目に押されて多数の銃火器を民衆に開放。が、数が足りなかった。すると誰かが言った。

「あそこの牢獄にならあるんじゃ?」

そして、最後の行き違いが重なる。



「起きてください、陛下」
「こんな夜にどうした?」

とある牢獄の責任者が武器の提供を拒否し、激高した民衆がそのとある牢獄に殺到した。切迫した事態にパニックを引き起こした門番が命令を待たずに発砲したことで、最後の防波堤が決壊する。

「ん……? なにやら騒がしいな。また暴動か?」
「いいえ陛下……革命でございます」

これが後世において呼ばれるバスティーユ牢獄襲撃事件であり、ガリア革命の始まりであった。そして、ガリア王国の実権が議会に移る契機であった。




現在パリには複数の政治グループが存在したが、今もっとも勢いがあるのが「ジャコバン・クラブ」と呼ばれる集まりであった。議員だけでなく一般のパリ市民も参加しているため規模は拡大し、かつ、非常に主張が尖っていた。数を力にするべく多くの民衆の声を集めた結果である。こうして当初の財政改革という目的が、いつのまにやら国そのものへの改革――憲法問題へと発展していった。


「事の始まりを忘れるなよオイ。憲法の前に財政だろうがそうだろ!」

やれ国家改革だ、憲法だと盛り上がる議会に対して、ミラボーという醜いながらも偉丈夫がそう水をさした。当初の目的に立ち返り、憲法云々の前に財政の方が危急であり優先すべきという意見である。この冷や水のおかげか、議題は財政問題に立ち返る。そして国王に解任されたネッケルは議会に呼び出され、改めて財政問題に対して言及した。

「スッカリ忘れられたと思ってマーシタ」

この時、憲法にお熱になっていた議員たちに皮肉を言うのも忘れなかった。
さて、ネッケルは改めて国の財政について報告し、もはや貴族や聖職者から徴税しても手遅れなまでに火の車であると説いた。いわゆる「どうしてこんなになるまで放っておいたんだ!!」である。
場に重苦しい空気が満ち始めるが、その時である。

「我々は知っているはずだ、国有数の大金持ちを――」 

どうすれば良いのかと顔をしかめている議員たちの前で、ロベスピエールは口を開いた。
大金持ち? 誰だよそれはと野次が飛んだ。

「それは教会だ。議員の方々、そも教会の土地や財産とは誰のものか。所有者は信者全体――すなわちその集合体である国家だ。決して僧侶の私的財産ではない」

教会に対する徴税、あるいは財産の接収案。
このロベスピエールの提案は当然の如く、財産ある上級聖職者たちの反発を生む。その一方で、下級の聖職者――元々大した財産があるわけではない層は賛成を表明する。年収面において、両者の間には10倍以上の差があるのだ。ここでもまた、富める者と貧しい者との対立構図だ。
だが、何はともあれ議会は財政問題に終止符を打つ特効薬を見出す。上級聖職者の強烈な反感を代償にして。





議会の後。パリにあるジャコバン修道院にて、ロベスピエールたちはカップを片手に交流を行っていた。

「何はともあれ財政改革!! いやいや流石ですミラボーさん!」
「へっ! 弾をぶち当てるのと一緒だ。遠くの的ばっか見てるんじゃいけねえ、調整するのは手元なんだからよ」

オノーレ・ミラボー。伯爵家に生まれたのに素行不良から勘当された男。選挙では平民として立候補するも雄弁な語り口で当選を果たした。なお、天然痘の治療で黒い斑点が顔に残っているため醜い容貌だが、市民からの人望がある。昔、軍人をしていた。

「どうでしょうミラボーさん。私のグループで今度ミラボーさんを招いて勉強会を行おうと思っているのですが……」
「勉強会? 別に――――ごほっごほっ」
「おやミラボーさん、体調が悪いのですか?」
「なあにただの風邪だ大したこたねえ。我らがガリア『王国』を立て直すためってんなら、こんくらい。で、勉強会はいつだ? いつでも行くぜ」


「…………フン」

ロベスピエールは、近くで談笑しているミラボーに対して聞こえないように悪態をついた。
今最も勢いがある「ジャコバン・クラブ」であったが、内部でも当然の如く意見の対立は存在する。
改革を機に王制を廃止してしまいたいロベスピエール派と、王権の存続を望むミラボー派は、水面下で緊張状態であった。そしてその緊張は、何も政治グループ内部だけではない。議会の中はもちろん、パリの外にもこの手の対立は存在した。それら無数の緊張が導火線として張り巡らされ、ついには爆発したものもあった。
「ヴァンデの反乱」である。信仰が厚いガリア西部の農民が生活苦と教会への罰当たり行為(国による教会財産の没収などを指して)に対して一揆を起こし、それが巨大化して反革命を主張し始めたのだ。
一報を受けた議会はすぐさま対策を講じようとした。反乱を収束させる最もわかりやすい方法はインフレの抑制であったため、とにかく買い占め行為をやめさせようとした。だが、それに失敗する。
買い占めによって利を得ていた者達が議会内にも一定以上いたためで、その影響を排除できなかったからである。

「飢えた人間の苦しみを平気で金に変換する悪党……未だ王にこの国のかじ取りをやらせようとしている愚かな能天気ども。すべからず害悪だ……!」

ロベスピエールが仄暗い炎を瞳に宿らせる。そしてその視線の先には、同胞であるはずのミラボーの姿が。ロベスピエールが身内の議員にも敵愾心を持ち始めたのはこの頃であった。


数か月後。その日の「ジャコバン・クラブ」はどこかよそよそしい雰囲気に包まれていた。先月から続く体調不良がようやく安定してきて、久々にクラブ内に顔を出しに来たミラボーは入り口でその雰囲気に気が付いて足を止める。そしてミラボーは、直ぐ近くに見知った顔の人間がいることに気づき、声をかけた。

「おう。すまねえな結局勉強会に参加できなくてよ。で、なんか雰囲気が――――」
「え、あ。ミラボーさん……すいません、ちょっと……」
「?」

以前ミラボーを勉強会に誘っていた人間が、何やら気まずそうな顔でそそくさと立ち去っていく。見回せば、クラブ内の人間の数が減っていた。具体的に言えば、以前から懇意にしていたメンバーがそろって不在だったのだ。

「久しぶりだなミラボー。体調はいいのか?」
「おう、ロベスピエールか」

そんな時、遠巻きにされていたミラボーに声をかける男がいた。ロベスピエールだった。

「聞いたぞ。随分と災難だったな」
「まあ、質の悪い風邪だ、心配するな」
「いや、そっちのことじゃあない」
「は?」

ミラボーはロベスピエールの言葉に首を傾げた。てっきり、先日までこじらせていた風邪のことについて言っているのだと思っていたのだから。

「君が近ごろクラブに顔を出さなくなったのは体調不良ではなく王宮に出入りして何やら陰謀を企てているから、などという噂が流れていることだよ」
「は、はあ?!」
「こんな時流だ。例え根も葉もない噂であっても慎重にならなければならない、しばらく謹慎してほしい。ちょうどまだ体調も万全ではないようだし、もうしばらく自宅で療養していたまえ」

ロベスピエールは労うようにミラボーの肩を叩いて去っていった。だが、一瞬見せた勝ち誇ったような酷薄な目をミラボーは見逃さなかった。そして、自分が嵌められたことを瞬時に理解した。

「てめえ嵌めやがったな! 待てやロべスーーーーゴホッゴホッガハッ!! クソッ――ゴホッゲホっ……アアアア!!」

咳込み、自力で立っていられなくなって膝をついたミラボーは、担がれるようにして部屋から連れだされた。

「さらばだ、ミラボー」

ロベスピエールは囁くように、別れの言葉をかつての同志に捧げたのだった。



革命の年ももうすぐ終わりという冬の日のこと。相も変わらず物価は下がらず、すきっ腹に寒風が染みて心が荒む。ガリアを覆う暗雲は未だ晴れる気配はなく、また事態を収束できない国王への不信感は危険領域に突入しつつあった。そんなある日、宮殿へ訪れていた男がいた。

「陛下……誠に不敬とは存じますが、パリを脱出してくだせえ……」

体調不良を押してやってきたミラボーは、国王に対して逃げろとの言葉を口にした。亡命計画の提案である。土気色の顔と小さく丸まったその姿は、かつてのエネルギッシュなミラボーとは大違いだった。

「時期尚早だと思うよ、ミラボー。そう、まだまだ情勢は分からない。悪いけど、ダメだ」
「……」

ロベスピエールによって失脚させられ、結局体調も立場も回復できなかったミラボー。当初宮廷も、王に好意的な議員であるミラボーと「上手く付き合って」いこうとしていたが、宮廷はすでにミラボーのことを終わった人間とみなすことにした。そんな終わった人間の持ち込んだリスキーな計画など、到底頷けなかった。
王に見捨てられたミラボーは、そのまま表舞台から消えていった。そして――――





「なあ、サンソン。今日は、どんな天気だ?」
「青空に太陽、いい天気だよ。いま、カーテンを開けよう」

病室として用意されていた処刑人サンソンの邸宅の一室。やせ衰えたミラボーにサンソンは答えた。落ちくぼんだ目と、起き上がる事すら困難になったミラボーは、まるで宮廷から見放されたショックも合わさったのかと思われた。

「――――なあ、お前も国王陛下に会ったことがあるんだったっけか?」
「ええ。処刑道具について、より苦しまないような刃の工夫について話し合いました」

サンソンは部屋のカーテンをひとまとめにしながら静かに答えた。対するミラボーは、乾いた唇を舌でゆっくり湿らせながら、目を閉じる。
カーテンによって遮られていた日光が、ミラボーが身を横たえるベッドを暖かく照らした。

「へ……ここは、暖かいぜ――――政治はもう、うんざりだ……」

光に包まれながら、ミラボーはベッドの上でそのまま息を引き取った。



「ミラボーが死んだ……? そうか、うん……葬儀は、ぜひ盛大に――」

ミラボー死去の一報は即座に駆け巡る。
国王の指示により、葬儀は万の民衆が参加し大砲による弔砲も行われた。教会のガラスを割ってしまうほど盛大なもので、多くの者が彼の死を嘆いた。だが……

「同志であったミラボー、いやすでにそう呼称することはできない。奴は『本当に』王家に擦り寄り市民に背を向けていた。反革命思想を持った裏切り者だ」
「国王に亡命を進めていたという情報が宮廷内の同志から証拠と共に……外国と組んでガリアの革命を潰そうとしたと考えることが合理的でしょう。彼の行動は到底ゆるされることではありません」

葬儀の真っただ中。ロベスピエールに対してサン=ジェストは小さな声で会話した。
ルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュスト。底辺貴族の家に生まれた色男である。恋人の裏切りをきっかけに、性癖をこじらせたような内容のエロ同人を出版。その罪で逮捕状が出される羽目になるが、それはもう昔のこと。今は革命闘士でありロベスピエールの腹心的立場である。

「だが事を起こすにはもう一息だ。民衆が王そのものへの敬意を完全に捨てるまで……好機を待つしかない」

王制廃止の最大のハードルは、国民の王への敬意であった。長きにわたって続いた伝統からくる王政への支持はなんだかんだ言っても強固であり、国民に「王殺し」を承認させるには決定的な何かが必要であった。
だが、幸運なことにロベスピエールの望みは、すぐに叶うことになった。ロベスピエールにとっての大好機にして、ガリア王国にとっての致命的な凶事。国王夫妻が亡命するという事件が発生したからだ。




国王逃亡の噂は巷には以前より広く流布されていた。それでもそれが現実にならなかったのは、王妃であるマリー・アントワネットと実家であるオストマルクとの打ち合わせに時間を消費してしまっていたからであった。ただ逃げるのではなく、革命を潰すことを目論んでいたため、実行に至るまで難航したのだった。

「こちらに逃げて来てくれれば保護できる、とはなんと無体な! いつも民衆に監視されていて私たちは囚人のような有様であるというのに、そんなことをよくもまあ!!」

オストマルクも決してマリー・アントワネットを見捨てたいわけではなかった。ただ、国境を接するカールスラントや、中東の異教徒国家への備えにも手を抜けない以上、ガリアとの戦争になりかねないリスクは可能な限り回避しなければならなかった。つまり、ガリア王国に武力干渉出来るだけのリソースが不足していたのだ。それどころか、傭兵国家として悪名高きガリアが革命により内輪もめして、ほどほどに疲弊したところで……という皮算用すら立てていた。だが、これは決してオストマルクのみの思惑ではなかった。誰だって、周囲の仮想敵国の混乱はむしろ望むところだった。そこには、王制国家に囲まれていてまさか王制を国王もろとも殺すなどという愚かな選択肢は取らんだろうという、奇妙な信頼感があった。

――しかし、当事者たる国王一家は身に迫る危険に対して、不確かな信頼感などというものをもつ余裕はなかった。

「母上、どうしたのですか? どこへ行くのですか?」
「むぅ~~眠い……」

突然ベッドから連れ出された王女マリー・テレーズと王太子ルイ=シャルルは、それぞれ不安そうな顔と眠そうな顔を両親に向ける。まだ幼い子供であったが、年上の王女は何となく尋常ならざる空気を察していた。

「お母様の実家に帰るのよ。きっと気に入るわ」
「そうだぞ。はは、家族旅行だ……楽しもうじゃないか」
「……」
「む~~ねむ……」

月もない夜のこと。
国王一家はそれぞれ変装し、夜陰に紛れて宮殿から密かに脱出した。

「おお、お待ちしておりました。フェルセンでございます」

しばらく行った先。物陰からフェルセンと名乗る男が現れた。死んだミラボーに代わり、国王一家の亡命計画を企画した男であった。

「むっ……こいつか」

フェルセンの顔を見た国王が顔をしかめる。というのも、マリー・アントワネットの愛人と噂されていた男であったからである。美しい妻に気やすい美男子など、夫としては不愉快極まりない存在だ。
が、渋い顔をしたのはフェルセンも同様であった。

(おいおい……なんで兵士じゃなくて侍女を連れて行くんだ? それに、あの荷物は……)

フェルセンの計画では、荷物は最小限度かつ護衛を付けた状態で、という手はずであった。だが実際に現れた馬車の荷台には、金銀財宝やドレス類がたくさん積まれていた。明らかな積載量オーバーであった。万が一馬車の中身を見られでもしたら、亡命は失敗に終わる公算が高かった。

「……では、その……私が先導いたします……」

既に先行きが不安になってきた。だが、荷物を置いて行けと言っても決して自分の意見は通らないだろうなと国王の様子から察したフェルセンは、何も言わなかった。亡命計画はすでに狂い始めていたものの、王権神授説にうたわれる神が味方したのか国王一家は市街地からの脱出にも成功したのだった。




あとがき
何とか今年中にエンディングまで行きたい、その気持ちは継続していますがすいません、あくまで予定とさせていただきたく……



[40286] 近代編 パリは燃えているか(確信) 3
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:6e339e4b
Date: 2021/11/09 00:20

「食料品まで本国から運んでもらうなんてなぁ。通販かよ」
「ツウハ……ン? っと、仕方ないっスよ。パリじゃ何でも値上がりしてますし。こんな時に外国人が普通に買い物してたら揉め事になりますって。」

パリの郊外にて、オリ主はユウに代わって大使館に搬入されていく荷物を見届けていた。月がない、星のみが空に輝く静かな夜であった。本来の大使館の主であるユウが最近大使館にいる事の方が少なく、今日も不在であったため、オリ主が対応することになったのだ。
一国の大使であるユウたちの懐事情は暖かいが、もしパリ市内で満足な量の食料を購入してしまった場合、困窮するパリ市民がどのような感情を抱くのか。その点に配慮した上での行動であった。しかし、現代日本のような物流システムが完備されていないため、手続きのトラブルや輸送船の到着の遅延などで、とんだ時間外配達になってしまっていたのだった。

「それじゃあ、我々はこれで帰ります。お勤め、頑張ってくださいっス」
「ああご苦労さん。カレーの港まで気を付けてけよ。すまんな泊めてやれなくて」
「いやあ物騒ですし、遠慮しますっス」

手の掌をヒラヒラさせながら帰りの馬車に乗り込んだ配達人は、そのまま馬を走りださせる。だが、食料品を満載して来た方の馬車はそのままであった。黒鹿毛の馬が別れの挨拶のような声を上げた。

「って、おーい! 馬車! 馬車忘れてるぞ!」
「ああ! それは大使館に置いておくものらしいんで!!」

「おう、なんだお前?」とばかりにこちらをまじまじと見てくる馬を眺め返しつつ、その先の馬車本体に目を向ける。多少の装飾はあるが、それでも地味だった。夜という環境のせいで見えにくいというのもあるだろうが、暗色を多用した闇夜に沈むような配色である。

「――――オイ馬、なんで頭の匂いを嗅ぐんだよ。やめろ……ってあれ……ん?」

警戒か好奇心か匂いを嗅いでくる馬面をワシャワシャ撫でまわしながら苦情を言っていると、どこからともなく人の声が聞こえてきた。

「……!!――!……!」
「――っ!!」

暗闇の奥に耳を傾けて集中すると、それはどうやら言い争いの声であった。星明りを頼りに音の方向を探せば、そこには停車した馬車の傍で言い争う男女三人の姿があった。

「もういい。フェルセン君、先導はここまでで結構だ帰りたまえ!!」
「ご冗談を! では一体だれが馬車の手綱を握ると?」
「そうよあなた、彼以外に任せられる者はここにはいないのよ!? どうしていきなりそんなことを言うの!」 
「なぜ? なぜと言うのかマリー! 夫の目の前で妻に色目を使う男がいたら目立ってしょうがないからだ! 手綱くらいいざとなれば自分で握る!」

男は金切り声で叫んだ。発言内容から考えればまるで彼女の間男と同席してしまった男のようなやり取りであった。普段のことなら「勝手にやってろ!」と吐き捨てて帰るところだが、どうにもその中の一人の顔に見覚えがあった。

「……え、王様?」
「!?」
「あ、君は確かオリーシュ帝国の」

ただならぬ雰囲気と知りつつもつい近寄り声をかけてしまったオリ主。そしてそれは予想通り、揉めていたのはこの国の国王のルイ16世その人であった。

「見られた……! 恨みはないが覚悟――!」

オリ主が声をかけた途端、国王と言い争っていた方の若い男が突然腰のサーベルに手をまわした。にわかに剣呑な空気が漂う。

「待て彼は友人だ! 斬ることは許さん!」
「しかし!」
「そうだ彼に手伝ってもらえばいい! 君、頼めないかね? そうだな、そこの君の馬車と一緒についてきてくれないか? 荷物が多すぎて難儀していたんだ」

国王がそうとりなすと、サーベルに手をかけていた男がギョッとした様子で国王を見た。その顔には「正気か!?」という文字がありありと浮かんでいた。

「は、はあまあ、暇なんでいいですけど……でも、夜に……それにどうしたんですかこんな大荷物で」
「ハハ、何、気晴らしに星を見ながらピクニックさ」
「ぐぬぬ……もう私は知らん!」
「あ、フェルセン!」

え、なに……どういうこと??

何やら国王のピクニック(自称)に付き合う事になったオリ主。顔を真っ赤にしている若い男、その様子を心配そうに見つめる美人、そして至極スッキリした顔をした国王を交互に見ながら、首を傾げるしかなかった。心情的には痴話喧嘩に巻き込まれた被害者であった。



巻き込まれ被害者を一名追加した国王一家の逃亡劇が進行している頃。日が昇って国王が不在であることが判明したパリは騒然となっていた。怒りや困惑で頭をいっぱいにする多くのパリ市民とは裏腹に、ロベスピエールは手を叩いて喜んでいた。

「アデューだ愚かな貴族の首領よ! そうだ、もはや市民と国王の対決は決定的になったのだ! 共存などナンセンス! 王は市民の生活を破綻させる圧政者と新聞で告発してやれ! サンジェスト、国王が市民を見捨ててパリから逃亡したことを喧伝しろ!」
「では並行して裁判の準備もしておきましょう。今から被告人席に座るルイの姿が楽しみです」
「ああ! どうせ死刑だ、処刑人に準備をさせておくというのはどうだ手間が省ける! ハハハハっ!」

ロベスピエールは大声で笑った。それだけ、ロベスピエールにとってこの事件は好機であった。
なにせ王が亡命するということは、国と市民への裏切り行為に他ならないからだ。市民が今まで抱いていた王への敬愛の念は一気に反転し、民衆と王は敵対関係になるだろう。

「ルイ、全ては君が国王だったのがいけないのだよ。ハハハッ!」

明確な形での王制廃止。ロベスピエールの目的にとってこれ以上のアシストは無かったのだった。





国王一家を乗せた馬車はその後も大きなトラブルに見舞われることなく、ガリア東部の国境近くまで進むことに成功した。直接の上司であるユウにも知らせず、あのまま直で亡命の旅に出てしまったため、この亡命の成否はかなりの部分を素人であるオリ主に依存している。

――――亡命の片棒担がされてるっておかしい、おかしくね?

国王たちの不審な様子に流石に事情を察する。そしてこうなったからには、無事に亡命を成功させなければ自分も捕縛されて連座させられると理解する。こっそり行ってこっそり戻るしか生きる道はない。
途中、村などの人目が多い場所を通りかかる際には、外国人であるオリ主(貿易商であるが不慣れな外国で道に迷った設定で振舞った)が表立つことで国王夫妻やその子供たちが人目に付くことを最小限にするなど、計画に助力した。自分の命がかかっているので真剣であった。
そんな行き当たりばったりの有様であったが、あるいはそれでも成功しつつあったのはオリ主の分の幸運のおかげか。
さて、今はいないフェルセンの計画では、そろそろ協力者の貴族と合流できる手はずになっていた。だが、その合流地点ギリギリで国王が近くの草原で休憩しようと提案する 。
時間を浪費することに対して焦る気持ちもあったが馬にも休憩が必要で、かつ決定権は国王にある以上、否やは言えなかった。



「――――ふう、今更だが巻き込んでしまってすまないね」


オリ主が馬車の馬(名前はクロにした)に川の水を飲ませてやっていると、王妃たちを草原で休憩させていたルイ16世が声をかけてきた。手には、豪奢な宝石が握られていた。

「あの、それは?」
「迷惑料だよ。とっておきたまえ。なにせ君の上司である大使殿にも内緒で危険な逃亡劇に連れ出してしまったから。なに、どうせ持っていたとしてもパリの連中に奪われるだけだろうから遠慮する必要はない」
「……」

黙るオリ主に対して国王は笑った。キラキラとする宝石に目を向けるが、素人目でも相当な値打ちものであることは明確に理解できる品物であった。
だが、それ以上に気になる発言があった。


「あの、このまま亡命するんでしょ? なら、どうして『パリの連中に』奪われるんですか?」
「……」

ルイ16世は「しくじったなぁ」とつぶやくと、力ない顔で微笑みながら頭を掻いた。

「もしかして、戻るつもり……とか……」
「はは、バレたか」
「ここまで来る前にちょくちょく寄り道してたのって……亡命するか迷ってたからですか?」

道中、なぜか国王は時折寄り道をしていた。思い出の場所が近いから、あるいは昔の知人が住んでいる場所があるからと言って。その度にオリ主は妙に暢気な国王の態度に若干のイラ立ちを抱いていた。逃げる立場ならばそれに徹するべきなのに何を旅行感覚でいるんだ、と。

「やっぱり、国王が国から逃げちゃいけない……散々迷ったけど。でも、そう、子供達だけはこんな義務に付き合う必要は……ない……と思いたい」
「王妃様はどうするんスか?」
「妻の母国に亡命するんだ、妻がいなければ話にならんだろう? ちゃんと、話は通してある……」

ルイ16世は感情の高ぶりを抑え込むような顔でいずこかを見る。その方向には、遊んでいる王子と王女とそれを涙目で眺める王妃がいた。国王としてはどうかは知らないが、少なくとも立派な父を連想させる横顔だった。

この人はいい人なんだ。ただ、王様の才能がないだけだ。

この時まで、いや今の時点でおいてもオリ主は革命や国王に対する態度を決めかねていた。オリ主がこの世界に飛ばされてくる前に読み漁ったその手の物語において、貴族や国王は大抵、「無能なくせに威張り散らしている、主人公にイイ感じにやられるための踏み台」であった。そして、そのような貴族を打倒する革命は「良いこと」として扱われていた。実際、このガリアという国の王や貴族は、自国の経済的危機を納めることができず暴動も止められないどころか、国王はついに逃げ出そうとしていた。なら、事態を収束できる者に国のかじ取りを譲り渡すこととなる革命を擁護するのが、オリ主を自称する自身のあるべき立場ではないかとの思いがあったのだった。

まあ、主人公側が国王側だと革命を潰す側になるんだろうけど……

だがオリ主は顔見知りになってしまった。そして知ってしまった。国王としては落第で、初めて会った時のお茶会のように人をからかう様な真似をして、亡命とかいうヤバイことに人を簡単に巻き込んで、しかも今になってやっぱり自分は戻るとか言い出す……人としても大分アレで、でも、少なくとも親としてはセーフであることを。

もし、戻ったらこの人はどうなるんだろう……いや、分かってるはずだろ俺

革命が何を意味するのか、一応は現代日本で歴史に触れてきたオリ主は知識として知っていた。小説なら断罪の瞬間を素直にザマアアア! と出来るだろうが、どう考えてもいま目の前にいる人物がそこまでの罰を受けなければいけないほどの悪人とは思えなかった。
だから、今まで革命万歳とも、革命反対とも言えなかったのだった。そして、結論はこの段階でも出なかった。


しょせん俺は、外国人だし……その……


そんな言い訳を頭に浮かべながら、オリ主は国王が差し出した宝物をポケットにねじ込む。言葉を発せず、そうするしかできなかった。その後、子供達と王妃だけでも早く安全を確保したほうがいいという意見だけを何とか絞りだし、子供達と王妃、そして最小限の荷物だけを載せたオリ主の馬車で目的地まで飛ばすことにした。軽くなった馬車は、国王を残して快速で去っていった。
途中、王子が王妃に、どうして父が一緒でないのかと不安そうな声で尋ね続けるのが、嫌に耳に残った。

その後、国王を乗せた馬車が来た道を戻り、検問が敷かれたヴァレンヌという町に入った時のこと。手綱を握る国王の姿に村人が気づき、進路はすぐさま封鎖された。なぜパリからの方向ではなくパリに行く方向から国王が現れたのかと、その場の誰もが疑問に思っていたことだろう。


「ガリア国王ルイ16世の通行を妨げるとは何事か。王は今よりパリに戻るのだ!」

自らパリに戻ると宣言する国王に返した民衆の回答は、困惑の声と包囲の維持であった。
そして、パリの議会から派遣されていた役人が兵隊を引き連れて慌ててやってくるのを見ながら、ルイ16世は天を仰いで祈る。

「主よ……御心のままに――――」



結局、国王は犯罪者としてさらし者にされながら、パリに連れ戻されることになった。ここには、どういうわけだか自らパリに出頭しようとした国王を「貶めるべき立場」でい続けさせたいという意図があった。

「情状酌量の余地ありなどとされては困るからな」

王を罪人として連れていくことを決定した役人の言葉がすべてを物語っていた。
こうして国王逃亡計画は失敗に終わった。
通称「ヴァレンヌ逃亡事件」と言われたこの事件が、王国に止めを刺すことになる。
それでも唯一の救いがあったとすれば。


「おお……ブルボン王朝が……ガリア王国が……」
「…………すんません、俺は、もうそろそろ……すんません……」

王妃一行が無事オストマルクに亡命できたことだろう。





国王がパリに連行されたその翌日のことであった。まず議会はこの逃亡事件に関する公式見解を決めることを迫られていた。というのも――

「常識的に考えて、逃亡した者が自ら戻ってこようとしたのはおかしいでしょう。つまり、これは王妃による国王の誘拐ではないでしょうか?」

亡命ではなく誘拐である、ゆえに国王は被害者なのだから処罰するのはおかしいとして事件を決着させたい動きがあったからだ。

「そ、そうだ。どうせあのオストマルク女が道中の人質にしようとしたんだ。そう考えれば、国境付近で解放されて国王が来た道を戻ってきたのも筋が通る!」
「ふざけるな罪には罰を! 国王に断罪を!!」
「万が一国王に責任を取らせるというのならば、それは処刑しようと言っているに等しいんだぞ!」
「それがどうした革命万歳!!」
「そうなれば周辺諸国すべての王制国家が攻め込んでくるぞ! そうなったら誰が責任をとるというんだ!?」

もし国王が自主的に亡命しようとしたとすれば、それはいよいよ、現実的に王制の破壊に踏み込まざるを得なくなる。そうなれば、欧州中の国が敵に回る。そのリスクが頭をよぎれば、いかに改革だ革命だと気炎を上げていた議員たちも尻込みしてしまうのだった。そのため、全体としてみれば、国王無罪説に着地させようという流れができていた。これもある意味、建前や妥協という名の必要悪である。
断罪や処刑といった機運は陰りを見せ、革命は一応の終着を見せつつあった。国王が誘拐されたとされれば、全ての罪を元々評判が良くなかった王妃に押し付けられる。市民の怒りを無難に鎮火させられる。頭が冷えた市民に、これからは民衆の意見もしっかり取り入れる体制にすると言って説得し新体制――ガリア立憲王国へと穏便に移行することができるだろう。
結局のところ、理想論や原理原則論のみで政治が回ると思うほど大多数の議員たちは純粋ではなかったのだ。

「ふん、化けの皮が剝がれたな偽革命家ども。……貴様らは全員悪党だ――――容赦はしないぞ……」

そう……大多数の議員は。
何となく国王を助命しようという雰囲気が漂う議会のなか、ロベスピエールは吐き捨てるよう言った。純粋なる革命の遂行に妥協は不要であり、純粋な革命により生まれる新国家に国王は不要という考えを強固にしていたのだった。









「ふざけんなバカヤロウ!!」
「断固処刑! ギロチンを用意しろ!!」

市民生活は継続する物価上昇の影響をもろに受けていた。物価と共に上昇する不満のヴォルテージは、解放する相手と時を待っていた。そんな時にもたらされた、国王の亡命未遂事件の処置を巡る議会のやり取りが何者かによってリークされた。自身を苦しめる何かへの怒りは社会全体への攻撃性となって牙をむく。

「国王も貴族も全部くたばれ!」


そう叫ぶ市民が過半数を占めた。王制と貴族制の否定は、ガリアの亡命貴族や外国の思惑と真っ向から戦う道を突き進ませるものであった。自らの苦しみの原因を現行制度に求めた民衆は、戦いを望んだ。世論に押され、議会の空気は完全に入れ替わり、強硬論が主流派となった。だが、この状況に最も喜ぶべきロベスピエールとその一派はあえて沈黙を保つ。
彼は革命の過激な信奉者であるが、一方で今のままでは諸外国との戦争に突入しても勝利できないことを理解していたからだ。だからこそ、自分からは開戦を主張しなかった。革命を成功させるという目的のため、いつ戦端を開くかという議論を黙って見ているだけであった。拳を振り上げ戦争への熱意を語る議員を、養豚場の豚を見るような瞳で見つめながら。
そして草花が青々と茂るようになった夏の頃。ついに議会は周辺諸国に対して宣戦を布告した。




「世界をひっくり返し、この世に自由と平等をもたらせ! 愛国者たちは革命の烈士たれ!!」

このようなビラが堂々とバラまかれ、革命を志す多くの市民は歓喜した。が、その勢いは長く持たなかった。
元々の国軍は相次ぐ混乱でその多くに士気低下が顕著だった。また、軍の士官層を構成していた貴族たちも多くは亡命して不在だ。つまり現在のガリアの国軍はその実力をほとんど発揮できずに敗走を強いられ続けていた。
そして、凶事は重なる。

オストマルク王国・ロマーニャ王国・ブリタニア王国などなど、欧州の王制国家連名での宣言がガリアに衝撃をもたらした。

「我々欧州王家連合は、革命の存在そのものを認めない。ガリア国王ルイ16世を即時解放せよ。その間、パリを除くガリアの全都市はルイ16世に代わってしかるべき国々が代行して管理することとする」

この宣言により議会は震えあがったが、民衆はむしろ外国への敵意を募らせた。民衆は負け続きのガリアの軍隊を見限り、ついでに議会も見限った。連中が頼りにならないのなら、自分たちが立つべきだ、と考えるようになった。



度重なる敗走と先の宣言によって、議会はロベスピエール一派の独壇場となった。

「戦いを知らぬくせに宣戦布告だなんだと熱を上げ、今ガリアは諸外国から責め立てられて風前の灯だ。この責任は、開戦に賛成したすべての議員に等しくあると思うべきであろう」
「くぅ…………!!」
「まったく、結果的にはもはや利敵行為! 反革命的とすら言える」
「どうせお前がリーク元だろロベスピエール!」
「最初からこれが狙いか汚いぞ!」
「地獄に落ちろクソ野郎がぁ……」

壇上で発言するロベスピエールに苦々しい表情と呪詛ぶつけるしかなかった議員たちと、得意満面の顔になっているロベスピエール派の議員との対比が顕著であった。

「だが、ここで諸君らの責任問題を議論したところで、問題は解決しない。だからここではいっそ、今まで棚上げされてきた大事な事柄を解決したいと思う」
「「「……!」」」

てっきり厳しい追及がなされると思っていたところに、まさかの棚上げ発言。これには議会に困惑が広がった。だが、ロベスピエールは続ける。

「諸外国はまだ革命を認めていない。いや、革命そのものを無かったことにしたくてたまらないのだ。あの不遜な宣言で問われているのは我々の覚悟だ。そう、革命を次の段階に進めることをもってそれを示さなければならない」
「いや、待て……それはあまりにも――」
「黙れド腐れチキンが!」

不穏な気配を察した一部の議員が、ロベスピエールの発言に待ったをかけた。だが、止まらない。

「その甘い覚悟が今日の苦境を作りだしているのだ! 分かるか諸君? いま我々が倒されれば、過去に逆戻りだ。再びガリアに王が立ち、あの苦しみの日々が始まる。その時、我々はどこにいるかは容易に想像できる。みじめで薄暗い、敗北者にふさわしい墓穴だ。革命を守れ、革命を進めろ、革命を台無しにしかねないものを排除せよ……それを示せば、市民たちもまた立ち上がり戦列に加わってくれることだろう。敗北なんてひっくり返せる! 我々は我々の革命に対する断固たる覚悟を示すだけでいい、そして方法も知っている。それは、ギロチンにあると!」」
「「「!?」」」

議会はその発言に戦慄した。

「もし戦争に負けて、その上国王殺しの罪が加わったら……」
「死刑以外にないぞ!」

欧州王家連合との戦争で敗北が現実味を帯びてきて、負ければその罪を負わせられる――――そこに国王殺しが加われば、如何なる手段を用いても極刑は免れない。いざとなれば賄賂でもなんでも使って最低でも国外追放処分で助命をと考えていた議員たちにとっては、いよいよ退路を断つ決断だったからだ。だが同時、ロベスピエールの発言が途絶えたことでできた静寂に、外部の絶叫が入り込んできた。

「「「革命万歳! 革命万歳! 国王を殺せ! 国王を殺せ!」」」

「マ、マジで言ってるのか……!」
「あの野郎、民衆に今言った事を事前に流していたのか?!?」

誰かの悲鳴は、民衆の熱狂によって塗りつぶされる。もはや議会は完全にロベスピエールの手に落ちた。民衆の支持という強大な力によって、ついに革命は最終段階を迎えようとしていた。すなわち、『国王の処刑』である。








あとがき
もうすぐ一年が終わります。今年中に完結まで持っていくという発言をウソにしないよう、何とか頑張りたいと思います。もう少しだけお付き合いください。




[40286] 近代編 パリは燃えているか(確信) 4
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:6e339e4b
Date: 2021/12/16 00:04
「は? 軍籍取り消し……?」

カリブ海で捕虜になるピンチから逃れ、そのままコルシカ島で休暇を楽しんでいたヴオナパルテは唐突に自分が無職になっていたことを知る。

「うん。失職してるよ」
「……いやいやいや?!」

故郷からパリに帰ってきた彼を待っていたのは、軍の人事課による残酷な宣告であった。「国に帰ったら、軍人なんてやめて故郷に引っ込むのもええかもなぁ」などと以前言っていたものの、本当に失職となれば洒落にならない。
唖然とするヴオナパルテを前に、人事課員はご愁傷様と言わんばかりに理由をつらつらと述べ始める。

「あんた休職しすぎだよ。いない期間が長すぎて、いつの間にかもう辞めたって扱いになってたみたいだね。ところで、再就職のアテはあんの?」
「そんなんあるかい!! 何でそないなことになっとんねん!」

唾を飛ばして吼えるヴオナパルテ。人事課員は服の袖で顔を拭うと、失職に至った詳細を憶測を交えながら説明し始める。

「ただでさえ革命でどこも混乱してるもんだから、多分誰かに出された解雇通知か何かが誤認されてそのまま受理されたんじゃない? 普通に働いてたらすぐに発覚して修正されるんだろうけど、あんたの場合はねえ……。一応、間違いなら取り消しの手続きも出来るけど時間かかると思うよ? 一年くらい気長に待って――グエェ!」
「そない待てるかアホたれがあ! その間の給料は誰が払うねん!」
「ちょ、貯金で生活しなさいよ! あ、やめなさい!」

ヴオナパルテは目の前の人事課員の胸倉をカウンター越しに掴んで揺さぶる。基本貧乏な彼には、一年間の無職状態は看過できなかった。ゆえに何が何でも早く軍に復帰しなければならない。あるいは、金を貰えるアテが必要だった。

「生活費をよこせ! もしくはさっさと復職させえ!」
「そんなこと私に言われても知らないよ!」
「それを何とかするのが仕事やろコラ! 仕事せえや仕事!!」
「……おいおい何の騒ぎだこりゃ。前の通りにまで聞こえてるぞ」

絶体絶命のヴオナパルテ。しかし、彼の運はまだまだ捨てたものではないらしかった。
たまたま通りかかった、羽振りのよさそうな男が声をかけてきたからだ。若干どころか大分胡散臭い雰囲気をぷんぷんさせていたが、今この瞬間では救世主足りえた。

「なんだお前、軍人になりたいのか?」
「誰やアンタは? そもそも本職の軍人やコッチは! 事務手続きの不備でいつの間にか失職させられてただけで!」
「ほお……」

良い掘り出し物を見つけたという様な顔でヴオナパルテを見つめる胡散臭い男。そしてそのまま、「ならちょうどいい」と言って手を叩く。

「ワシが何とかしてやろうか?」
「は?」
「ワシはバラス! 何と何と! 今をときめくロベスピエール一派の議員様だ。まあそれは置いといて――今、南のトゥーロン要塞がブリタニア海軍に占領されててヤバイ状況だ。でまあ、奪還のためには優秀な軍人がいくらでも必要なんだわ」
「ほうほう! そりゃあ……渡りに船で!」
「ああそう言えば、今は貴族階級出身の士官が大量に亡命して士官が足りんのだったなあ。し・か・も・人事課は混乱状態だから階級の一つや二つくらいならゴホンゴホンしてもいいんだけどなあ。----あっと、この後昼飯でも食いに行きたいんだけどちょうど小金が無いんだよなあ」

バラスは、チラチラと流し目を送る。そして「なあ、分かるだろ?」と囁きながらヴオナパルテをじっと見つめる。その際、顔にはニタニタとした下品な笑みが浮かんでいた。議員と言うよりもチンピラの方が似合いそうな男である。
「うわぁ……」と内心でバラスを軽蔑するものの、失職がかかっているヴオナパルテはそこを我慢。努めて表情に出ないようにしつつ、自身の財布をそのままバラスのポケットにねじ込んだ。
「……これ、夕食分もぜひ」
「くけけっ! いいぜぇアンタ出世するよ間違いない!」
「あーあー私は何も見てない聞いてない」

目と耳をふさいで知らぬ存ぜぬを通そうとする人事課員を尻目に、ヴオナパルテは無事、階級を大尉に昇進させての復職を果たしたのだった。
ちなみに財布の中身は大した金額は入っていなかったが、それにバラスが気づいた頃にはすでに全部終わった後だった。



1人のガリアの軍人がダーティーな方法で昇進を果たしたその一方、政治の場所でも動きがあった。欧州中が注目する一大事件――――国王裁判である。
ロベスピエールの演説により国王処刑は決定事項かのように思われていた。それだけの熱量があったからだ。だがガリアという国には法律があり、裁判制度がある。裁判なくして処刑は無いという理屈のもと、国王の処遇を決める裁判が開かれることとなったのだ。当初、これは国王の処刑を反対する勢力による悪あがきに思われた。だが蓋を開けてみれば、国王処刑に賛成する者と反対する者は市民の間でもほぼ拮抗していたことが分かった。新聞などで実際に死刑だ、裁判だという具体的な言葉が飛び交い始めると、尻込みする者が多く出たためだ。大衆も一枚岩ではなかった。あるいは、想像以上にうつろいやすかったか。
 
そして、国王が法廷に立たされるという前代未聞の事態が始まった。

「彼を暴君であったのか……否だ。そもそもの事の発端は財政改革であり、国民にのしかかっていた負担を解消するためであった。彼はそれに尽力したが、それが貴族や聖職者の妨害により頓挫してしまった。ただ、力が及ばなかっただけなのです」

改めて国王の行いを時系列に沿って説明すれば、ロベスピエール一派が抱いていた当初の流れが狂いだす。国王が意図的に国民に害を与えようとした事実はないのであるから、処刑に相当する罪を見出せないのだった。その場に、国王無罪の雰囲気が漂い始める。

「処刑は不適当! せいぜい退位だ!」
「反革命思想だ誰かアイツも裁判にかけろ!」
「お前がギロチンで死ねよ! 裁判長、一人追加だ!」
「静粛に! 退場させるぞ!!」

法廷は野次と怒号で荒れ、ロベスピエールは渋い顔をした。ここで間違っても国王が助命されてしまえば、今度は国王を殺そうとした一派としてロベスピエール達の立場が危うくなる。だからこそ、何が何でもこの空気をひっくり返す必要があった。

「――――いけ、サン=ジュスト……国王を処刑台に送るのは君だ!」
「ええ、見ていてくださいロベスピエール……」

法廷に立ったサン=ジェストは、国王であるルイ16世を前に主張を開始する。

「……皆さんは大いなる前提を見落としている。我がガリアには、国王を裁判にかけるなどと言う事態は想定されていません。だが、実際に国王は被告人席に立っている。これは如何なる理屈によるものか……この裁判はすなわち、法を超越した裁判であることをぜひ念頭に置いて頂きたいのです」
「はあ?」

いきなりの主張に、出席者は全員が耳を疑う。法廷に立って法廷を否定するなど、大きく矛盾しているからだ。そんな観衆を前に、朗々とその真意を説き始める。

「法律によるならば……我々こそが罰せられる立場にあります。革命は非合法であるから。だがそうなっていない。それこそが、我々が法を超越している根拠でしょう。であるならば、この目の前にいる男の罪も法を超越したものになるのは自明です。違いますか?」
「え……?」
「いや、でもそれは――」

再び騒然とした雰囲気に包まれる。だが、対象であるルイ16世はそれでも超然とした態度を崩さず、サン=ジェストの発言を黙って聞き届けた。そのさまを見て、思わず野次を飛ばそうとしていた議員も再び腰を落ち着けるしかなかった。
段々と、潮目が変わり始めていた。

「では如何なる罪で以て彼に裁きを下すのか。それは――国王であったことそのもの――です! 国王とは、人民が本来所有していた権利を奪い、独占する悪しき存在! 革命と王制は共存不可能なのですどちらかが死ななければならないのです! 私が主張する法を超越した原理により彼を処刑するか、王権神授説の原理を受け入れて神の前に我々が処刑されるか……どちらかしか選択肢はありえません! これらの中間は認められない!! そうでなければ、これまで革命に命を捧げた烈士たちに申し訳が立ちません!!」

最後、サン=ジェストは涙声で叫んだ。議員たちは改めて、これまでの自分たちの行いやこれからのことに想いを馳せる。死んでいった仲間がいて、そいつらに果たして顔向けできる結果を自分たちは得られたのか。もちろんそういった思いもある。だがそれ以外にも、王制が残ったことで国王を逮捕し裁判にまでかけた自分達がいずれ復讐されるのではないかという恐怖をも抱いてしまったのだ。恐怖……これこそがその場に居る国王含めた大部分の者が抱いた共通の思いだった。これにより、法廷の大勢は決した。そして


「死刑が多数につき、死刑」

結論が、出た。助命は結局認められず、国王の運命が決定した瞬間だった。そしてそれは同時に、ガリアという国そのものの運命も。

「フン、せいぜい死の恐怖に震えてな」
「……君は、出来るだけ長生きできるといいね」
「はあ?」

退廷の時、ルイ16世が近くを通りかかった時に吐き捨てるように野次を言った議員がいた。その議員は小さく驚いた。てっきり、恐怖で震えていると思っていたルイ16世がむしろ憐みの表情を浮かべていたからだ。発言内容に関しては良く意味が理解できなかったが。

「この首一つだけで終わって欲しいってことだよ、君」
「……」

国王が、自分を殺そうとしている者たちに向けた最大限の情けだった。だがこの慈悲深い王の発言は、残念ながら実現することはなかった。
ルイ16世は、処刑まで牢に入れられることとなる。人ひとりが入れる程度の薄暗い牢獄――それが一国の王が最後に領有した土地であった。




国王の処刑は翌日、パリの広場で行われることとなった。湿り気を帯びた曇の下、処刑台に立たされたルイ16世は、堂々とした足取りで自らギロチンの前に立った。

「おぉ……今日ほど処刑人の家に生まれたことを呪います……自らの主君を手にかけるなど、なんと罪深いことか……!」
「すまんね。出来るだけ、苦しまないように頼むよ」

ルイ16世は、震える声でつぶやく処刑人サンソンに対し、気遣いの言葉をかけた。とても、これから首を落とされる前の人間には思えない態度であった。だがそれが、一層サンソンの心を苛んだ。

「陛下……その、遺言があれば……」

もはや正面からルイ16世の顔を見ることができないサンソンは、青ざめた顔で尋ねる。処刑される側でもないのに、ひどくおびえたように目が泳いでいた。

「私は私の死を願う者を許す。そして、これ以上の流血が無いことを祈っている……それと」
「はい、なんでしょうか?」
「手紙を書いた。家族と……とある大使館付きの青年に。必ず届けてほしい」
「神に誓って……」

サンソンはそう答えると、首がギロチンの刃の真下に来るよう、国王の身体を固定した。かつて、ルイ16世は罪人が不必要に苦しまないようにという配慮から、ギロチンの刃に工夫を加えた。これにより、受刑者の首を落とし損ねてしまうという事態を防ぐことに成功した。

「ふう……ふう……」

その刃が、鈍く陽光を反射する。いよいよとなり、国王は心の奥底に必死に押し込んでいた何かが溢れ出してくるのを感じる。

「やはり、こわ――――」

ダンッ
刃が落ちる。改良されたおかげで、ガリア国王ルイ16世の首は何の滞りもなく落とされた。
国王は、自らの本音を吐露しきることもなくこの世を去った。そのうえ最後の言葉すら民衆には届かなかった。広場には国王の死を喜ぶ民衆の大歓声が轟き、その余韻すら瞬く間に霧散した。

「さらばだルイ……あなたはかつて、私が作った詩を良いものと言ってほめてくれた。嬉しかった。きっと、あなたはよい人だったかもしれない。だが……どうか生まれの不幸を呪ってくれ。ガリア共和国誕生のため、王制による長年の搾取と圧政の罪を一身に背負って死んでくれ」

かつて、国王夫妻がロベスピエールの在籍する学院に訪れたことがあった。その際、学生から選ばれた代表として若き日のロベスピエールが、ラテン語で詩を朗読したことがあった。
ロベスピエールは、乱痴気騒ぎを起こす民衆そっちのけで、過去に想いを馳せるのだった。

この日を境に、ガリアは共和国を名乗り改めて周辺諸国に対して反王制を掲げる。また、ガリア共和国政府の覚悟に感銘を受けたのか、多くの市民が志願兵として名乗りを上げた。それらの志願兵たちに少ないながら存在する革命支持の元貴族(貴族制は廃止されたので)士官を優先して付けることで、共和国は一挙に士気にあふれたまとまった兵力を確保することに成功。負け続けていた戦争は、ロベスピエールが示したように好転し始めたのだった。







国王が処刑された熱が未だ冷めない夜のパリ。まるでお祭りのような熱気の余波が辛うじて伝わるような郊外にて、オリ主は眠れない夜を過ごしていた。

『前略。突然手紙を送りつける非礼を許してほしい。そしてついでに、今まで君の名前を尋ねておらず、名も知れない相手を振り回してしまったことにも謝罪の言葉を送りたい。現在、私はこの手紙を処刑を待つ牢の中で書き綴っている。自分でもまとまりがないことを書いている自覚はあるが、どうか恐怖のためであると笑わないでほしい。やはり、死は恐ろしい。しかし、妻と子供達が無事であることだけが、私を毅然とさせてくれるように思う。君が無事に妻たちを送り届けてくれたことは、議会の連中が悔しそうな顔で教えてくれた。その一点のみであるが、私は連中に勝利を上げられたのだと心の中で喝采を送った。
さて、あまり長く書いても詰まらんだろうし、更にみっともないことを書いてしまうだろうからまとめることにする。私は自らの運命を受け入れ、それに殉ずる。それを素直に受け入れられたのは君のおかげである。どうか、君の人生に幸多からんことを心の底から祈る。
ガリア王国国王 ルイ16世』

国王の処刑が行われることを知っていても、その場に行くことも反対のために突入することも出来ず。事が終わってもただモヤモヤとした気分だけを持て余し寝られなかったオリ主は、夜間に思わぬ訪問を受けた。
相手は、昼にルイ16世の処刑を行ってきたサンソンであった。青い顔をした男は、国王が最後に書いたというオリ主あての手紙を手渡した。そしてその手紙の内容を読み、今に至る。

「…………ああああああっ! 何なんだよおおお!!」

心の底に溜まったやるせない気分を吐き出したいがために叫んだ。何なら、ベッドを蹴飛ばす。小指で蹴ってしまったので、悶えるような痛みが足を駆け上がってきたが、それでも心の中の重い何かは全く紛れることはなかった。



ガリアの宣戦布告により、既に周辺諸国すべての大使館は閉鎖し、大使たちは国外へと退去していた。だが、ユウと各国の大使達が連日会合していたおかげで形成された大使達のネットワークは十全に機能していた。そのネットワークに乗って、超特急で各国首脳へ国王処刑の情報は運ばれていく。当然、この男のもとにも。

「天運はまだ、あるらしいな」
「イヒッ! まあだ諦めないんかい、しつこい男だねぇアンタは」
「黙れ! まだまだ挽回可能だ!」

都市パナマで療養しているハズの近衛元帥は病床の上で叫んだ。回復後も面会謝絶を続け、秘書を通してのみ外部とやり取りしていた元帥であったが、彼は正確に今の自分の立場を把握していた。

「どいつもこいつもたかが一回敗北しただけで何だというのだ。結果を見れば我が帝国は領土を新たに増やし、欧州への足掛かりを手に入れたというのにその功労者へ向けて非難を浴びせる。クズどもが恥を知らないとはこのことだ」

アステカの首都を攻略するという一世一代の作戦の失敗は、元帥の今までの立場を一転して不利にしていた。本国からは、病状の回復を待って帰国し、説明責任を果たせという要求が来ている。そしてこのままでは間違いなく失脚させられる、と元帥は考えていた。

「だからってまーた仮病なんて手を使うなんてねぇ、芸が無いよ。……医者としちゃあ色々とねぇ」
「安心しろ。熱病は今日で完治だ!」

元帥はベッドから飛び起きる。

「密約通りガリア以外の欧州各国と連携してガリアに攻め込む。ただしそのどさくさに紛れて新たに領土を獲得すれば小言をいう連中も口を閉ざすだろう! ハッハッハッ!!」
「――――結局、役者不足だったってことかねぇ……」

大笑いを上げる主をしり目に、老医師は残念そうにつぶやいて静かに病室を出ていった。





あとがき
今月に入り初投稿です。年内完結という宣言を守るため、全力を尽くす所存です。というわけで、31日までしばらく短い間隔で投稿が続きます。(が、それでもダメなときは、どうかご容赦を)



[40286] 近代編 パリは燃えているか(確信) 5
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:6e339e4b
Date: 2021/12/16 00:02




「山本。外国が発行している新しい新聞だ、読むか?」
「いや、もう別にいいよ、だいたいわかったし」

この時、ユウとオリ主はガリア北西部はカレーの港にある宿にいた。
ルイ16世が処刑された翌朝、オリ主たちは朝日を待つことなく大使館を退去した。例の馬車を使用出来たことと、既に一度逃亡劇を成し遂げていたオリ主の手腕により(国王夫妻の亡命に手を貸していたことはユウには告げられなかった)大きなトラブルもなかった。
この時点では本国とガリア共和国が戦争状態に突入したわけではなかったが、欧州諸国と共同で革命を封じ込むことが決まっていたので、開戦前に脱出しておく必要があったのだ。
そして脱出より一か月。ユウたちはガリア国内の新聞も、外国発行のものも取り寄せて読んでいた。それによれば、対革命戦争は予想に反して膠着状態にあるらしい。普通に考えればガリア一国で周辺諸国すべてを相手にできるハズなどないのだが、どうにも反革命の欧州王家連合の足並みがそろっていなかったのが原因のようだった。事実として、現在実際に砲火を交えているのは、ブリタニア王国とオストマルク王国のみで、他の国は極限定的派兵か、もしくは準備不足を理由に宣戦布告はしたものの派兵まで行っていなかった。オリーシュ帝国が参戦すれば、一気に情勢は傾くことが予想されたが……

「革命……か」

オリ主は、椅子に座って町行く人々を窓から見下ろしながらつぶやく。今に至っても、革命に対する態度を決めかねていた。国王処刑により革命をぶっ潰してやろうという気持ちは高まったと言えば高まったが、シャルロットをはじめとする仲良くなった大使館近所の住民達を敵に回すことへの忌避感などがブレーキをかける。もしも国王がしっかり逃げられていれば、あるいはこんなに迷うこともなく革命万歳とでも言えたのだろうか。それとも、やっぱり悩むのか。

「……俺もお前も、王様や大使館の近所の人たちとはいい関係だったよな? なのにその裏で、攻め込むために外国と手を組む話をしてたって……どんな気分だよ」
「……いやな気分だ」
「…………悪かったよ。嫌味みたいなこと言って」
「いや、事実だ。構わない」

ユウは大使館を退去した後、自分がガリアに来てから見聞きした事や裏の活動を可能な限り話した。各国の思惑、革命が起きた際には革命を抑え込むために共同して宣戦布告をする密談のこと等。それは国の意向を代表する大使という立場では当然の行いであったが、ユウ個人としてはガリアの住民を裏切るような後味の悪さを感じずにはいられなかった。

「だが、決して悪いことばかりではない。今頃、本国では革命を抑え込むための軍が派遣されている頃だ。圧倒的な戦力を揃えれば、ガリア共和国政府も交渉で決着をつけようとするハズ。そうすれば、穏当に革命を放棄させられて、シャルロットたちもいつも通りの生活ができるさ」

密約では、各国はそれぞれが占領したガリアの都市を管理する権利が与えられるとされているが、首都であるパリだけは例外的に戦闘および占領を禁止していた。
すでにルイ16世は処刑されてしまったが、王太子が生きている限りガリア王家の滅亡は回避可能だ。であるならば、欧州王家連合がこの革命に介入する大義名分であるところの、「ガリア王家の救援」は最低限守らなくてはならない。そのため、未来の王の居城であるパリへの侵攻禁止は未だ生きていることになる。まあ、単なる牽制合戦の結果という面もあるが。

「……そうだ、パリだけは何とか守られるハズだ」

だがそれでも、ユウの心の奥にある不安はぬぐえない。
国王の処刑まで行ってしまったガリア共和国政府。敗北不可避な状況に追い込まれても交渉などと言う穏当な手法で止まれるのか、義勇軍という形で政府と民衆がつながってしまったため民衆が戦争に巻き込まれるリスクが跳ね上がったのではないか、各国がまじめにこの密約を守るつもりがあるのか……そして自分の父はどのように動くのかが不透明である等、不安材料が山ほどあるためだ。だが、希望的観測を信じなくては心の痛みを抑えられなかった。

「……そうだな」
「……」

ユウの心を見透かしたのか否か、オリ主の返事は素っ気ない。
ユウは、オリ主が国王一家の亡命事件に直接手を貸していたこと(隠し事が思いっきり態度に出ていた)を察し、そのあまりにも軽率な行動に烈火のような怒りを抱き、だが直ぐに頭が冷えてしまうという奇妙な体験をした。国王一家に対する同情心もあったが、それ以上に亡命事件後のオリ主の様子があからさまに異常であったからだ。単なる秘め事がバレないように振舞っている以上の異質な様子であった。放っておけば、それこそ日がな一日うんうん唸って悩んでいて、精神の状態を不安視するほどに。


「早く船に乗って帰ろう……帰ったら、休暇を貰って、それで――――」

窓から町を見ているオリ主。その肩に手を置いて話しかけようとするユウだが、その言葉を言い切ることは出来なかった。現在宿泊している宿の一室に、ノック音が響いたからだ。

「……誰だ?」
「失礼します。元帥閣下からのご命令をお届けに」

ユウは扉を開けず、そのまま扉の下に目をやる。すると、封筒がスッと床と扉の隙間から差し込まれた。それを拾って中を改め、書かれていた内容に声を上げて驚いた。

「そんな!!」
「……なんだよ?」

あまりにも大きな声だったので、オリ主は思考に没頭できずにユウの方へ顔を向ける。

「父は……元帥は欧州の国々との間で結んだ密約を反故にするつもりだ。隙を見て、パリを制圧すると……」
「――――!!」 

パリには侵攻しないという密約破り……それを自国がやろうという。
オリ主は、パリに攻め込んで自分に懐いていたシャルロットたちを殺す様をとっさにイメージしてしまい、頭を鈍器で殴られたような衝撃を味わった。目の前が、真っ暗になった。





近衛元帥は、本国から正式な召喚状が届けられるまでに大きな戦果を挙げたいと考えた。

「海軍はジブラルタル海峡を通って他国海軍と協力してガリア海軍を地中海から駆逐! パナマにいる本国兵の五個歩兵連隊を動かし、海軍の援護下で南ガリアに橋頭保を築かせろ。そしてパリへ攻め上げると見せかけ防御を南に偏らせたところを私が指揮する精鋭部隊がブリタニア海峡側からカレー港に上陸し一息に進軍してパリを制圧する!」

元帥は自身の権限で動員可能な最大限の兵力をヨーロッパへと向けさせることにした。アステカ帝国と和平したばかりで最低和平期間に余裕があったこと、および国土の半分を失ったアステカは数十年にわたって国の立て直しに奔走しなければならなくなるだろうという予想があったためだ。
こうして、本当に最低限の防衛力のみを残して多くの戦力がこの戦役に投入されることになった。後世に言う、ガリア革命戦役である。

「閣下。現在カレーの港では、こちら側の大使と駐在員の二名が帰国のための船を求めておいでですが……」
「ああ?! ッチ! しかたない輸送船を……いや、例の志願兵連隊の充足率は確か回復していたな」
「ええ、補充が完了した一個歩兵連隊が現在パナマに駐留しております。ちょうど現地の駐在員がかつて指揮していた部隊ですね」
「よし! 先んじて両方とも地中海側の適当な港へ行かせろ。そしてそのまま地中海方面の軍を合流させて、敵の目を引き付ける囮として使う! 命令書を書いておけ。」
「え、あ、はい……」
「ハハハ! やはり運がいいな! あ、おい。本国へはちゃんと報告を送っておいたか?」
「あの、本当に大丈夫ですか?」
「現場判断だ! このような予期せぬ事態になった場合は仕方がない! こうして事後報告だけしっかり送っておけばそれでいい!」

近衛元帥は青年秘書の義古にそう言うと、手を叩いて大笑した。
元帥は万事根回しを行った。オストマルク、ブリタニア、ロマーニャなど、欧州各国に「主力は地中海側から、陽動をブリタニア海峡側から」というシンプルな作戦を(そのままパリまで攻め落とすことは当然伝えなかったが)各国に認めさせた。すべては順調に進んでいたのだ。だが、そうそう上手く事が運ぶなら現在このような窮地には立たされていないだろう。


ジブラルタル海峡にて。
「おいおい! なんだよアンタらは!」
「何って……俺たちの国もこの戦争に加わるんだよ。聞いてないのか?」
「いやこんな大軍とは聞いて……って何勝手に通行しようとしている!」
「そんな事言ったって、期日に間に合わなかったら俺たちは軍法会議だ! 通してもらうぜ!」

ジブラルタル海峡にオリーシュ海軍が先行して進んでいく。その戦力は欧州諸国の想像を超えていたのだ。実はこの時、オリーシュ側は送る戦力の数を少なく見積もって通達していたのだ。これは、いざ派遣しようとした時に事故などで実数より少なかった場合見くびられるかもしれないという心配から、保険をかけたもののそれが空振りしたためであった。
続々と地中海に入っていくよく知らない国の艦隊。その戦力は、隙を見せれば致命傷を負いかねないほどであった。そして――――

「連中はこれを機に欧州を征服するつもりだ!」

最初に領海を通られるイスパニア王国が音を上げた。自国にこの軍隊が差し向けられる可能性に耐えられなかった結果、同国はジブラルタル海峡を通過中だったオリーシュ艦隊に突如として砲撃を仕掛ける。これにより、イスパニア王国と神聖オリーシュ帝国は交戦状態に入る。また、イスパニア王国と軍事同盟を組んでいた他欧州諸国とも自動的に交戦状態に。不意を突かれた形のオリーシュ欧州派遣軍はこれに大打撃を被った。

「ななな、なぜ……なぜそうなる!!」

まさかのガリア共和国以外から届く宣戦布告。意気揚々であった元帥は持っていたペンを机に叩きつけ、粉砕した。
当然のことながらブリタニア海峡に回す予定だった軍は派遣中止。封鎖されたジブラルタル海峡を奪うための戦力に回された。欧州派遣軍は分断され、先行してしまっていたフリゲート艦2に志願兵連隊3の彼らは地中海の中に取り残されることとなった。




南ガリアの地中海側にある港町。小勢力と化してしまったオリーシュ欧州派遣軍の地中海方面隊の一時的な占領地である。名前をマルセイユという。
マルセイユは王党派――すなわちガリア内でも反革命的都市として革命以降は半ば独立状態であった。そのため、革命鎮圧のために来たということでオリーシュ軍という外国軍が駐留しているにしては穏やかであった。もっとも、後の行動でマルセイユ市民の反応はひっくり返ることになるが。

「では会議を始めよう。まず、ジブラルタル海峡を挟んだ先の沖合にある本部から送られた『あらゆる手段を用いてでも地中海での生存権を獲得せよ』という命令についてなのだが……」
「はい。よろしいでしょうか?」

ユウの説明の後、挙手にて発言を求める者がいた。オリ主はその見知った顔を見て、相変わらずだなという暢気な感想を抱いた。

「現状、我々は地中海の中に取り残されている状況です。現在ジブラルタルは激しい戦場となっていますが、ジブラルタルの陥落がなされなければ、我々は袋のネズミとなります」

意見を述べたのは、もはやオリ主との腐れ縁が確固たるものとなってしまった感がある北是大尉(昇進した)であった。派遣された志願兵連隊の一つを率いる指揮官として参加していた彼は、そのまま会議に招かれていたのだった。

「もともとは勘違いゆえに開いた戦端。あらゆる手段を用いて、なのですから交渉を用いてもよいでしょう。ここは積極的な攻勢を避けましょう。さすれば、外交交渉で穏当に終戦を迎える目もあるのではないかと具申します。最悪なのは、他の欧州諸国とも全面的な砲火を交えてしまう事です。幸いなことに、現時点において我々と実際に戦闘に至ったのはイスパニア王国のみです。他の国々とは一発の銃弾も打ち合ってはいません」

不幸な行き違いから発した、悪夢がごとき欧州王家連合との戦争であったが、実際に戦っているのはイスパニア王国一国のみであった。元々がイスパニア王国の勇み足であったため他国はほとんど義理で宣戦布告をしただけで、実際に戦う事態には至っていなかったのだ。

「……道理であると思う。だが、残念ながら本部はそのイスパニアと交渉すらするつもりがないらしい」

欧州派遣軍の総司令官である近衛元帥が怒り心頭で、外交交渉での決着は絶望的であった。一応、和平が成ったとしてもジブラルタルが万が一封鎖されたら現在と同様の危機がいつでも再現されるため、確実に確保しておかなければならないという事情もあるが。

「うっ――――ではせめて、他の欧州地中海沿岸諸国に事情を説明して安全を保障してもらう、あるいは我々の方からもジブラルタルを挟撃して自力で退路を確保するというのは――」
「会議中失礼します! 報告します!」
「よい。なんだ」
「ロマーニャ王国の艦隊が、我が方を目標に派兵準備を進めているとのことであります!」

ロマーニャはかつてこの欧州に大帝国を築き上げていた国家である。だがそれは過去の栄光。今では落ちぶれ、オストマルク王国のほぼ属国に成り下がっている現状だった。

「ロマーニャ……ええっと、イタリアのことか。で、強いのか?」

今まで言葉を発していなかった男が口を開いた。オリ主だ。

「弱い。だが、いまだ地中海を自分たちの庭と言っているように海軍に関してはかなり力を入れている。加えて、かつては欧州を征服していた国家だ。ふむ……単に宗主国から命令されたか、あるいは我々を追い出すことで復権を果たそうと思っているのかもしれんな」

ユウが解説を入れる。

「それともうひとつ報告が。南ガリアにあるトゥーロン要塞をガリア共和国軍が奪還したようです」

トゥーロンは革命初期にブリタニアが海軍にて占領していた場所である。だが、これは単純に土地の主が変わったという問題ではない。

「ガリアがいよいよ息を吹き返したということか……」
「――そっか……」

オリ主が、どこかほっとしたような声で息を吐いた。


「……閣下、こうなればガリア側と同盟、とまではいかずとも不戦の密約を結んだ方がよろしいのでは」
「おいおい。それだと、俺たちは何のためにここにいるんだかわからなくなるんじゃないのか?」

オリ主が北是の発言に待ったをかける。

「一応、俺たちは王様殺してまわり全部にケンカ吹っ掛けた連中を叩きつぶして目を覚まさせるってのが目的だろう。それがなんで協力なんて話になる?」
「状況が変わったからだ」

北是は訥々と説明し始める。

「ガリアの革命はすべての王をいただく国家に対する挑戦だ。実際、ガリア革命を自国で、なんて考える民衆も周辺諸国では出始めている。これを鎮圧するというのは、確かに当初の目的だった。だが――」
「当初考えていた他欧州国家と協力してガリアを叩くという構想が破綻した。イスパニア軍は我々を分断するため今もジブラルタルを堅守しようとしている。時間があれば、誤解を解いて改めて欧州諸国と協力関係を築けたかもしれないが――」
「地の利も投入できる戦力量も、こちらが劣っている。ロマーニャの動きに触発されて他の国々も我々に対して攻勢をかけてきた場合、あっという間に全滅させられるだろう。ジブラルタルで戦っている友軍よりも、地中海にいるこちらが先にな」
「……ガリア側が了承するのか?」
「幸か不幸か、カリブ海の一件におけるガリア軍との最低和平期間が残っている。前の国のことと反故にする可能性もあるが――――少なくとも交渉の余地はあるだろう」

ガリア軍との提携を説く北是であったが、当の本人もあまり有効な手だと信じ切れていないらしく、段々と声はすぼんでいった。オリ主はそんな様子を見ながら、淡々と疑問を口にするだけであった。

「……飲むと思うか、同盟」
「だから密約だ。たまたま同じ国家に対して戦争しているだけ、戦場で鉢合わせしても見なかったことにする、という風に」
「なんだそりゃ」

オリ主は呆れたという顔で、両手を頭の後ろに組む。

「だが、我々の判断でここまで来てくれた兵士たちの運命が決まる。苦しい言い訳だろうがなんだろうが、この窮地を脱することができるのならば……と判断する」
「……そうか。ま、俺には大した考えがあるわけじゃないから方針に従うさ。それに……ちょっとホッとしたところもあるし」
「……? なんかお前さっきから変じゃないか? いつもだったら喜び勇んで戦争だ突撃だとか叫んでそうなのに」
「あ~~北是大尉? ええっと、こいつも在留武官として色々成長したということだ」
「はあ……それは良いことかと思います閣下。いえ申し訳ありません。久々に見る知人の様子がおかしかったもので妙なことを言いました。」

北是は、そんなものかという風に引き下がる。カリブ海以降、久方ぶりに見たオリ主の静かな? 元気のない? 様子に違和感を抱いていたものの、だからと言ってそれで食い下がるつもりは彼にはなかった。成長したとユウに言われてしまえば、納得するしかなかった。
それを確認したユウは、咳を一つして話を続ける。

「さて、それでは密使を立てて交渉に行かせる。それと、ロマーニャの方は先手をとる」
「……向こうの海軍が出発する前にこっちから殴り込みをかけて港を攻め落とすのか?」
「そうだ。先制して一艦たりとも海に出させない。その前に沈める」

凛とした声色でそう言い切る。
客観的事実に基づけば、神聖オリーシュ帝国が欧州諸国の一つであるロマーニャ王国に対して主体的に攻撃を加えることになる。イスパニア王国の時のような、向こうから攻撃を仕掛けて来たので仕方なく、という言い訳は使えない。欧州の地中海沿岸諸国は、オリーシュ帝国に対して砲火を交える関係へと進む。そして戦力に劣るこちら側は、先手を常に取り続けなければ圧殺される厳しい戦いを行わざるを得なくなる。だが、もはやこれ以外の手は誰も思いつけなかった。

「ぁ…………」

少なくない時間を共有したからこそわかった。どう見ても無理に毅然とした顔を作っているようにしか見えないユウに、オリ主は気遣いの言葉をかけようとして思いとどまる。

俺自身が踏ん切りついてないのに、なんて言えばいいってんだよ。くそ、前まではこんなんじゃなかったのに……!

この世界に来た初期の頃にあった蛮族との戦い、オリーシュ本国でのアステカ軍との戦い、カリブ海でのガリア軍との戦い……あの何の気負いもなくただ目の前の敵と戦えばよかった当時を思い出して、なんでこんな風になったんだとオリ主は目を閉じ黙るしかなかった。





会議後、オリ主は食事ができるまでの時間を利用してマルセイユの街中を散策することにした。大通りは比較的平穏を保っていたものの、少し裏通りを行けば、現在が非常時であることを明確かつ端的に理解させられる光景が広がっていた。

「またか。これで何件目だ?」

そこには、煙が細くたなびく半焼した複数の民家があった。壁が一面焼け落ちて、すすだらけの家の中が外から丸見えになっていた。外壁には、「王党派は出ていけ」「革命万歳」「自由と平等をガリアにもたらす革命を支持せよ」等の文字が書きなぐられていた。家の住人がどのような人物達であるのかは簡単に予想がついた。
現在のマルセイユでは、このような放火事件が立て続けに発生している。だがこの問題の根深いことは、これが反革命=王党派の町であるマルセイユで発生していることだ。町全体としては反革命であるものの、住人すべてがそうではない。革命を支持する者と反対する者が混在しており、住人同士が思想の違いで激しく対立しているところにこそ問題の厄介さがあった。おそらく、オリーシュ軍という外部戦力による抑止が結果的に現在の町の平穏さを担保していることになっている。そのため、オリ主達が去った場合には町全体で火の手が上がることが予見された。

「自由と平等で幸せになれるのか?」

オリ主は、煤けた外壁に書き連ねられた単語を見つめながらぼやいた。そのぼやきは、大通りの騒がしさから隔離されたこの裏通りではひどく大きく響いた。そして、首筋の毛が一斉に逆立つ。

「――――っ!!」
「おいそこのニーチャン。今、なんて? 革命が……ああん?」

後ろから剣呑な声がする。どうやら、革命支持者がいたようだ。

「自由と平等なんて立派な言葉使ってやったのは単なる放火じゃねえかって言ったんだ……よっ!」

オリ主は勢いよく振り返りつつ、腰元のサーベルを抜き放つ。誤って殺傷してしまわないように峰が相手に当たるよう手首を捻る。だが、帰ってきたのは肉や骨を打つものではなく金属を叩いた感触であった。相手も剣を抜いて攻撃を防いだのだ。

「ッチ!」
「共和国軍の将軍の前でよー言うたぁ! 根性あるで王党派……!」
「そりゃお前だ! ここは反革命の町だってんだ……よ? 」
「……ってあら?」
「なんか見覚えあるなお前……?」

攻撃を防がれ、あわやこのまま斬り合いになることも覚悟したオリ主であった。だが、振り向いた際にそこにいたのは、軍服の方が似合いそうな見覚えのある私服姿の男。

「前にウチの将軍人質にしてへんかった?」
「おう、前にちょっと。でお前は、何でここに居んの?」
「……家族がマルセイユに引っ越したんや」
「共和国の将軍って言ってたけど、その家族……え、マジ?」
「これでも、もっとヤバイところから引っ越してココなんだなぁ……」

より具体的には、かつてカリブ海の島で戦ったガリアの軍人であった。




「ほーん、あの無能将軍まだ捕虜やっとんのか。ざまあ!」

その後オリ主達は今更斬り合う空気でもなかったため、マルセイユ市内にある男の家に招かれていた。男は自らをガリア共和国軍将軍のブオナパルテであると名乗った。私服なのは、共和国の将軍であることを隠して家族を守るためらしい。ならさっさと引っ越せという話だが。

「いやしっかし驚いたで! 路地裏とはいえ街中で反革命発言なんて、熱心な連中に聞かれたらそりゃもうエライことになっとったわ。隠れ革命支持者なんてパッと見で分らんだけでいくらでもいるんや」
「なんだよ、お前はその熱心な連中じゃないのか?」
「あったり前やあんな乱痴気騒ぎ! でもまあ今の立場上、無視するわけにもいかんのや。しゃーない!」

ブオナパルテはゲラゲラ笑いながらオリ主の肩をバンバン叩いてくる。妙な気安さだった。

「と言っても、おおむね革命には賛成や。無能な馬鹿に生まれがなんだのでメチャクチャなこと命令されるなんざアホクサイ話や。まあでも、そのやり方がもうダメダメやなっちゅーのが本音やな。ちょい前にパリにいたんやけどな? 金持ちの家がしょっちゅう暴徒に襲われるわ政府は派閥抗争の真っ最中でギロチンが渇く暇もないわでなぁ……同志がなんだと言っておいて裏切り連発とか笑えるわ」
「そう……」

――サンソンさん

オリ主は、死刑執行人でありながら死刑廃止を望んでいるサンソンの顔を思い浮かべる。きっと内心での嫌悪感を隠して、義務感から淡々と刑を執行していることだろう。
サンソンのことは気になるが、それでも聞かなければならないことがあった。

「それで、お前これからどうすんの?」

色々気になる事はある。例えばカリブ海では下っ端のような感じであったのにどうしてこの短時間で将軍などを名乗っているのかだとか。だが、最初に会った時からずっと気になっていたことがあった。

こいつ、明らかに雰囲気が以前よりも鋭くなってる。私服なのが違和感ありすぎで気持ち悪いくらいだ……!

目の前の男の目は、カリブ海で初めて見たあの時以上に剣呑としているのだ。そのためか、ずっと首筋の毛が逆立っている。すなわち、警戒心がけたたましくアラームを鳴らしているのだ。


「ん~~? そりゃあ勿論――」

ブオナパルテがニッ! と歯を見せて獰猛に笑った。だがその時、バンと扉が開かれる。

扉の奥から現れた買い物帰りらしき女性と目が合う。その目はどこか眼前の男に似ていて。しかしそれを考えている暇もなく女性の顔が赤くなる。そして…

「――これでも手柄立てて一躍将軍やで? とことん上り詰めて――って痛ぁ!」

不敵な笑みを見せるブオナパルテの後ろに立ち、女性は大きく振りかぶって拳を振り下ろした。

「ナブリオ! あんたお客さん呼ぶんだったらそう言いな!!」
「あ、兄さんお帰り。それで兄さん、お土産は?」

ブオナパルテをナブリオと呼んで殴った女性の傍を通って、小さな女の子が寄ってくる。やはりブオナパルテと何処か似た顔をしていた。兄と言うのだから妹なのだろうが、良く似ていた。

「ごめんなさいねこの子気が利かなくって? いま何か持ってくるから!」
「母ちゃん! ちょ、やめーや恥ずかしい!」
「なにが恥ずかしいだ親に向かって!」
「ねーねー! 兄さん! 可愛い妹がお土産って!」
「何が可愛い妹やポリーヌこら! 裾が伸びるやめえ!」

母親に頭を小突かれ、ポリーヌと呼ばれた妹に足の裾を引っ張られ。ブオナパルテは顔を恥ずかしそうに赤くしながらコチラをチラチラ見てくる。

「悪い! 今日はもう帰って――」
「あらごめんなさい忘れてた! いまなんか作っちゃうわね」
「あ、その、お構いなく……」
「若い子が遠慮しなくていいんだよ、夕飯食べていきな!」
「あ、はあ……」

なんだろう、この……友達の家に遊びに来た感じは……

オリ主は、久しく感じてこなかった微妙な居心地の悪さが先ほどまでの危機感を押し流していったのを体感する。そして、ブオナパルテ母の圧に負けて「じゃあ、頂きます」と、頷くのだった。




「じゃ、そろそろお暇します。お邪魔しました」
「またいつでも来なよ!」

夕暮れの中を去っていくかつての敵を見送って、ナブリオは母の方を見つめ声をかける。ポリーヌは何処かへ行き、今は自分達しかいない。

「なあ母ちゃん。あのさ、今の奴は……」

ナブリオは母であるレテツィアに、いま家に来ていた人間が敵側の軍人だということをどう伝えようか思案した。下手に伝えれば「あんたそれでも兵隊か! なに敵とおしゃべりしてんだい!」

と激怒することが容易に想像できたからだ。だが、そんなナブリオの心を読んだかのように、レテツィアは微笑む。

「知ってるよ。いまこの街を占領している外国の軍隊の人間だろ」
「……なんや、知ってたんか」

だがそうなるとなぜあのような友好的な態度をとったのか。ナブリオにとって母は、男以上に男らしい女傑である。その昔、故郷のコルシカ島がガリア王国時代に独立戦争を仕掛けた際、兵士として男以上に勇敢な戦いっぷりをしていたという。侵略者どもめと言って包丁片手に突っ込んでいかないばかりか、わざわざ歓待するなどイメージに合わない、とナブリオは頭をひねる。

「でも、なんでや?」
「そりゃお前のためだよ」
「?」

素直に聞けば、そんな回答が返ってくる。ますます頭に疑問符が浮かぶナブリオ。そんな息子の様子に、微笑んで母は語る。

「デキる男ってのはね、敵の中にも味方をつくれるもんなんだよ。あの子はきっと偉くなるよ。勘ってやつだけどね」
「ふーん……」

そういうものかと、母の優しい顔を見ながら妙な納得をするナブリオ。とここで、今なら大丈夫な空気だろうという直感から、ナブリオはいつ言おうかと悩んでいた事柄をこのタイミングで母に告げてしまおうと思いついた。

「あ、そういえば母ちゃん。実は言っときたいことがあるんや」
「何? どうしたんだい?」
「いやさ、ワイも将軍になったわけだから名前もガリア風に変えたって話」

ああそういえば、あいつにも今の名前で名乗ってなかったなぁ、と暢気に言う。そんな息子にレテツィアは剣呑な顔で詰め寄った。

「ちょっと待ちな、え? 聞いてないんだけど」
「そりゃいま言ったからな。今日からワイはナポレオン・ボナパルトや。母ちゃんもこれからはボナパルトって家名を名乗って―――って痛い痛い母ちゃんちょっと?!」
「なに勝手に故郷の名前捨ててんのよこのバカ息子が!」
「そんなこと言ったってワイにも立場ってもんが……」
「母さんただいま」
「ちょっと待ってな、今はこの親不孝者を……!」
「ポ、ポリーヌ! 兄ちゃんを助け……!」
「ところでさっきのお兄さんってエライ人? お金持ち? だったら紹介してよ!」

ブオナパルテ家改め、ボナパルト家の騒ぎはしばらく続いたという。









[40286] 近代編 パリは燃えているか(確信) 6
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:6e339e4b
Date: 2021/12/19 22:46



ガリア共和国政府との密約が成立したことを無事確認できたその翌日。速攻あるのみと判断した地中海方面軍は即座にロマーニャ王国へと進発した。密約の条件に、マルセイユからの退去を要求されていたためである。またこれにより、地中海方面隊は安全な拠点を失ったことになる。すなわち足を止めることは即、死につながるという綱渡りな状況を強いられる。
そんな止まったら死ぬマグロじみた真似をする地中海方面隊の攻略目標は多数の軍艦が集結しているという都市ナポリだった。ナポリは半島以北をオストマルクに事実上占領されているロマーニャ王国にとって貴重な有力都市であったのだが……

「停泊中の艦艇を狙え! 歩兵はそのまま上陸戦闘よーい!」
「あああああああ!?」

出撃準備中であったナポリの艦隊は、突如襲来した地中海方面隊の攻撃を受け、初撃で半壊した。そして、宗主国であるオストマルクによる指示で碌な防備設備もなかったナポリはあっさりと陥落してしまう。

「寛大な処置を……」
「こちらの要求は三つ。一つ目は現存する艦の自沈処理もしくは戦闘能力の喪失。二つ目は大使館の設置。三つめは、今後五年間はこちらに宣戦布告をしないこと」
「ぬぬぬ……!」
「受け入れられない場合は、自力にてこれらの要求を満たす」

ローマからやってきた和平の使者を相手にユウは要求を突き付けた。これらの要求が受け入れられなかった場合、徹底的な略奪をすると付け加えて。

「そちらの宗主国には、脅されたと言えば言い訳もつくだろう」
「……わかった。受け入れよう」

こうしてロマーニャ王国はオリーシュ帝国(実態はユウたち地中海方面隊とだが)と和平を結び、ついでに戦争継続が困難として対ガリア共和国との戦争からも離脱した。占領されていたナポリはどうせ維持できないという理由でさっさと元の持ち主へと帰り、ロマーニャとの戦いはあっけないほどたやすい幕切れを迎えた。だが、これは前哨戦も良い所だ。


「報告します。ガリア軍がオストマルク軍に対して攻勢を仕掛けるため、戦場で会えばよろしくと」
「ふむ」
「率いるのは、ナポレオン・ボナパルトという青年将軍とのこと」
「!」
「知っているのか?」
「…………多分?」

オリ主がユウと北是と共に出発の準備をしていると、そこへ報告の兵士が飛び込んで来た。
超有名な名前だが、残念ながらオリ主は世界史に弱かったので反応が鈍い。さらに、発音が異なっていたので先日あった人物であると気づけなかった。

「それと別口の情報ですが、オストマルク海軍がロマーニャ半島に向けて動き出す徴候あり、と」
「はやいな。だが、その頃にはここに我々はいない」
「おう、分かってるよ」
「はい閣下。すでに我ら三個志願兵連隊、準備は完了しております」

ユウの発言に、オリ主が頷く。全身はすでに遠征に向かうための装備で身を固めており、良く研いだサーベルを鞘の上から拳で軽く叩いて見せた。そして北是はいつものように淡々とした口調で報告を上げる。

「よし。では我々は自らの生存権を地中海で確保するため、これより欧州大陸を駆け巡りオストマルク王国を叩く」

寡兵の地中海方面隊は、守りに入ればあっさりとすり潰される。仮にどこかの拠点――ナポリなど――に籠ろうとも、ロマーニャやオストマルクに大軍で包囲されてしまえば叩き潰されることだろう。ならば生き残る策はただ一つ、ガリアと組んで地中海に面した最後の主要な欧州国家であるオストマルクと戦い和平を結ばせ、地中海での安全を確保するのみ。
ナポリの大使館経由で相互に連絡がつくよう手配した上で、友軍であるフリゲート艦は単独行動を行わせる。そして地上部隊はすべて引き連れた、オリ主たちの過酷な欧州横断ツアーが始まった。



「あーあー、コルシカ島の出身、ナポレオン・ボナパルト! 今日からお前らの将軍や!」

ガリア共和国軍ロマーニャ方面軍の指揮官に任命されたナポレオンは、さっそく部隊がいるオストマルク領との境に近いニースに赴いて、約3万人の兵たちの前で演説をかますことにした。
兵たちは、目の前にいる将軍に対して、あからさまに見下した目をした。なぜならこの時のナポレオンの姿は、随分と貧相であったからだ。小柄で痩せていてパッとしない風貌だ。

「どいつもこいつも服はボロボロ、しけた食べ物しかない有様や。だが安心しーや、これからお前らを世界一のリッチなところに連れていく! 一応聞いとくが、お前らやる気は十分か??」

兵士たちはザワザワとしだす。新任の将軍が演説をするというから、てっきり革命の意義や祖国への忠誠を駆り立てるようなことを言うと思っていたのに、どうにもそういう事ではないらしかったからだ。

「パリの議員連中は国庫はスカンピンと言い腐る。ならこっちも自給自足せにゃあならん。兵糧も、そして給料も! オストマルクから有り金全部ふんだくって全員で幸せになろうや!! あとついでに女も!!」
「……これってもしかして……?!」
「略奪許可かいいねえ!!」
「やっぱり貴族の女っていい匂いすんのかなぁオイ!」
「そりゃお前、おすまし顔の貴婦人様をだな、フフ……それだけでたぎるっ」



「へ、単純やなあ。でもそんな単純なお前らが大好きや」

ナポレオンは、自分の演説の効果を見て呆れ気味にほほ笑んだ。そこには、これから待ち受けるだろう激戦ではなく略奪に目がくらんでいる集団への憐みがあった。だがなんにせよ、ナポレオンはさっそく兵たちの支持を取り付けることに成功したのだった。
そして兵の掌握が済めば、次はその上官たちの番だ。

「さて、最初に宣言しとくが命令違反は厳罰や当然やけども! で、まずそこの、そうお前やマッセナ!」
「俺かい将軍閣下殿?」
「聞いてるでぇ物資を勝手に徴発してるってな。次無断でやったら軍法会議やからな覚悟しとけ!!」
「ゲッ何でもう知って……ッチ! ああはいはいわかりましたよ怖えなぁもう」

マッセナと呼ばれた男は頭をガリガリ掻きながら、しかしそれでもナポレオンの気勢に押されて承服する姿勢を見せた。

「で次、経理担当!」
「はっ、自分であります。ベルティエと申します」
「軍の懐事情はおおよそ把握しとる。兵の給与は未払い、軍事物資の納入業者は詐欺師で不良品在庫をつかまされたそうやな」
「その、お恥ずかしい限りで……」

ベルティエは叱責を受けていると感じ、身を縮こませた。

「とにかく兵隊の士気を上げにゃどうにもならん、つまりは給料を満額払うことや! 借金してでも一回でもいいから兵士にシッカリ報いてやるっていう姿勢を見せることが大事や。あと商人やけども、金が無いなら無いで借用書でもなんでも書いてキッチリすること。その代わり、まともな商品を卸すようにさせること。渋るようなら銃をチラつかせい!」
「は、はい!」

「ほんで、次! 部隊単位で反乱を起こされたとかいうオージュローは誰や?」
「俺っちは被害者だ給料の支払いができないパリが悪い!」
「同情はする、だが直接の責任者やろお前が!」

ナポレオンはこのロマーニャ方面軍を連れまわし、確固たる地位を築くことを目論んでいた。過酷な遠征を成功させるその前提条件としての、兵の掌握とその上官である幹部陣の引き締めはとりあえず果たした。だが、これはひとまずでしかない。所詮は口でああだこうだ言っているだけで、とどのつまり現段階では将軍としての力量を示せていないのだ。論より証拠が尊ばれるのはいつの時代も変わらないだろう。そのため、早急に将軍としての結果を出すことがナポレオンの至上命題であった。


「ほんじゃあもろもろの準備も出来たし早速行くか! 狙いはロマーニャ王国――の宗主国たるオストマルクが占領中の都市ミラノや!」
「あれ、ロマーニャ半島に行くんじゃ……?」
「そういえばさっきもオストマルクから略奪するって言ってたな」
「金足りるかなぁ」
「俺っちは知―らね」

ナポレオンのロマーニャ遠征改め、ロマーニャ方面遠征が始まった。



パリからの大本の命令はロマーニャを『解放』してロマーニャ共和国を樹立することであった。だが半島入りしようにもその道中にある要塞都市ジェノヴァが邪魔であった。さすがに、ブリタニア海軍に援護された要塞都市を攻略するのは過酷過ぎた。そこでナポレオンは一時目標を変更し、現在地である南ガリア地中海沿いのニースより北東へ進路を取った。オストマルク王国の支配下にある都市ミラノを攻略対象にそえて。
スパイによりロマーニャ方面軍の動向をロマーニャ半島への南下であると考えていたオストマルク軍はこの動きに対応できず、連携に不備が生じて戦力の集中に失敗、各地の戦力を各個撃破されてしまう。なお、着任時に兵士の欲望を煽ったため一部の部隊が勝手な略奪行為に及び一時危機的状況に陥ることもあったが、それでも破竹の勢いと言って差し支えない快進撃だった。
この勢いは、それと歩調を合わせようと考えていたオリーシュ軍の地中海方面隊にも伝わる。ナポレオン麾下の共和国軍への合流を目指し、北ロマーニャのロディへと進軍する途中でのことであった。

「現在ガリア軍はオストマルク軍を蹴散らしつつ、ポー川に沿ってミラノに進軍中とのことです。すでに複数の戦闘を行っておりますが連勝中だとか」
「うーん、いったいどんな魔法を使ったのかわからないが好調のようだな」
「閣下、我々もこの流れに乗るべきかと」


今後の話し合いをしながらの、天幕の中での食事中。協力を申し出る予定のガリア共和国軍部隊の好調な戦況にユウと北是はそれぞれの感想を抱く。ユウは元々ガリアに敵対するつもりであったために内心では釈然としないものを抱えて、北是は単純に友軍候補の優勢っぷりを良いことと考えて。


「はああああああああああっ――これ、一本まるごと貰うぞ」
「あ」

そんな二人の様子を見たオリ主は唐突に大きくため息を吐いて、テーブルにあったワインを瓶ごとあおる。グビリグビリと喉を鳴らして酒を飲みこんでいくその様は、あからさまなヤケクソであった。

「れ、煉獄院? どうした……?」

突然の事態に、北是が若干慌てる。だが、それをオリ主は座った目でにらむ。

「それだよそれ。俺は天に愛されたオリ主、煉獄院様だ。ったくよ、だっていうのにどうしてこう悩ましてくんだよ……敵は100パー悪党で、味方は完全に善人サイドじゃなきゃダメだろが……敵にも事情がありますとか、味方も問題がありますとか、そういうのがあるとスッキリ戦えないだろうが! そこんとこ配慮しろよお!!」
オリ主は叫ぶ。アルコールが回って来たのかどんどん言っていることが(普通の人には)分からない内容になってくるが止まらず叫ぶ。
結局のところ、オリ主の心はこの戦争をどう捉えるかで踏ん切りがついにつかなかったのだ。面識があるルイ16世を殺した現在のガリア共和国政府は潰したい、しかし現在の欧州各国に協力して武力で以て攻め込んでしまうと、仲が良かったシャルロットのような子供達がヒドイ目に合うかもしれない。そんな風に悩んでいる時に、自分たちが死なないためにガリア共和国政府に協力して欧州各国と戦え、である。つまりは「もう何もかも面倒臭い!!」というのが偽らざる本心だった。

「飲まなきゃやってらんねえ!! もういいよ! 悩むの面倒だから! 死なないために戦えばいいんだろオラア!!」

現代日本に生まれ、のほほんとした人生を送っていたこの男に、急に提示された「なぜ戦うのか。正義はどちらにあるのか」などという難しい命題に主体的な立場に立って答えることは土台無理であった。だから、酔いに任せて棚上げすることにした。

「うおおおお!! そうと決まれば全速前進! 合流を急ぐぞおお!!」

オリ主はテンションのままに天幕を飛び出していった。

「あの……閣下。あいつ本当に何があったんですか……?」
「本当にその、なんというかだな……」
「この戦いが終わったら、長めの休暇を与えたほうがよろしいかと思います……」
「それは同感だ」

その場に取り残されたユウと北是は、情緒不安定としか思えない同僚のことでお互いに頷き合った。



軍事的には遠征ができる程にまで持ち直したガリア共和国。すなわち、それを成功させたロベスピエール派への民衆の信任が爆発的に高まることを意味していた。信任は権力の源泉となり、救国の立役者となったロベスピエールに強大な力をもたらす。ロベスピエールが心待ちにしていた瞬間であった。
だが、その一方でガリア経済は危険水域に達していた。他国との交易路が機能しなくなった影響が顕著に表れはじめ、失業率が急上昇していたのだ。それに対しガリア共和国政府が命じたのは力づくな解決策だった。

「我々は『物価の最高価格法』を制定するとともに、不当な利益を得ようとする反革命主義者を可及的速やかに処刑する革命裁判所を設置する。悪党どもはすべからず恐れるべきだろう!!」


端的に言えば、市場で売買される商品の事実上の値段を政府が決定し、それに反対する者を処刑するという宣言だった。だが、火種はそれだけではなかった。

「市民のわずかな貯蓄から金を搾り上げ不正に蓄財しようとしている者がおります。それは――」
「なんだお前この野郎、俺を告発しようってのか金を稼いで何が悪い、お前だってやってることだろう!」
「よく言うぜお前のおかげで何人首をくくった! ああ?! 俺の新聞で告発してやるぞ!!」
「静粛に! 静粛に!」


議会は罵り合いの場となりつつあった。お互いに、革命という社会的大変動で時流に乗り権力を得て唐突に財を築く好機に恵まれた。そのせいで、汚い手法での不正蓄財が横行するようになっていた。

「そこにいるエベールと言う男は、穀物価格を下げることを要求する暴動を誘発した。これは反革命的行為だ。ロベスピエール、判断を」
「おいおい……冗談キツイぜ、反革命的? それってつまりは――――」
「それだけではない。エベールは、自身が発行している猥雑な新聞でマリー・アントワネットのゴシップネタを……神聖なる議会では言えないような事柄を書きたてた。革命を俗物的な領域に貶めた。処刑に値する」
「てめえ!!」

議会内での派閥抗争が激化。反革命的とされた者は処刑されるため、議員はそれぞれ自身の命をロベスピエール派から守ることに必死になった。だれもが告発を恐れ、告発されるくらいなら先に――という風になっていく。



「ロベスピエール、お前、セーヌ川を血の川にするつもりか!!」

勿論、そのような状況に異議を唱える者もいた。
だが、救国の英雄たるロベスピエールの権勢を押しとどめるには足らず、むしろその罪人をかばうかのような寛容的姿勢を糾弾される。
ロベスピエールは自身に反対する全ての諸勢力を敵に回しても勝てるだけの自信をもって、演説する。

「いわゆる穏健派、そして革命を金儲けの種にした者たちの暗躍のおかげでガリアは危機的状況に陥った。財政はひっ迫し、反乱が多発している。いくら外国からの侵略をはねのけていても限界がある。もはや容赦や寛容などは毒にしかならない。革命を守るためには、大量のギロチンを用いてでも意識を統一せねばならない! 皆が等しく平等に革命的意思を胸に抱くようになるにはそれしかないのだ!!」
「「「……」」」
「全員が法を恐れる必要はない! 恐れるべきは悪党のみなのだ……!!」
「おお、ブラボー! 素晴らしい! 素晴らしい!!」

その時、ロベスピエールの片腕でもあるサン=ジェストが歓喜の声を上げた。そしてそのまま、熱っぽい顔で語りだす。

「平等、そうだ! 平等の精神こそが革命の本質にある。そのためには、現在の不平等かつ不道徳的な制度・風習はすべからず廃止しなければならない。不平等こそが悪徳の源だ! 不平等が貧富の差を生み、不正蓄財を誘発する。諸君、あらゆる資産を平等にするんだ!! そうすれば誰も悪徳に手を染めて金儲けにいそしんだりしない!! 楽園が作れるぞ!!」
「「「賛成! 共和国万歳! 賛成! 革命万歳!」」」

地主からは土地を取り上げ、小作農に分配する。資産家からは財産を取り上げ貧民に分配する。あらゆる資産を平等にする、という言葉に嘘偽りはなかった。ロベスピエール派は本気で、この世界に真の平等社会を築き上げようとしていた。聖なる書に記述されたエデンの園のような理想郷を現世に出現させようというのだった。

「革命は自由と平等をガリアにもたらす。しかしこれらは現在、ただの理念にほかならず、ただの単語に過ぎない。なぜか、そう、貧富の差だ。貧者は明日のパンを得る為に富める者に媚びることを強要される。貧しい者に選択肢などない、ただ強制された道を選ばされるのみである。自由と平等の対義語は、貧困である。ゆえに、それは是正されるべきことである。さて、誰か意見のある者は?」
「「「…………」」」

ロベスピエールはサン=ジェストの言葉を引き継いで尋ねる。が、ロベスピエールに答える者はいなかった。
他の議員は沈黙した、沈黙せざるを得なかった。ここに、ロベスピエールによる恐怖政治が完成した。





財産の平等化と言う強烈な要求がなされたその夜。

「クソ……あの堅物マジでやる気か……?」

1人の議員が渋い顔をして自宅で酒を飲んでいた。
富者の財産を奪い取りガリア国民全員に等分するというあまりにも途方もない、ゆえに今のロベスピエールにしかできないような要求は衝撃をもって議員たちに伝わった。そこには、同志であるはずのロベスピエール派の者も含まれていた。この男、ナポレオンを復職させたバラスという議員も、そのうちの一人であった。

「せっかく貯めたのに…………」

バラスは深いため息を吐きつつそう言うと、絨毯によって隠されていた地下室への扉を開き、潜っていく。そしてランプに火を灯す。金貨や銀貨が乱雑に詰め込まれた箱や、棚に所狭しと並ぶ装飾品が主人であるバラスを出迎えた。
バラスはロベスピエールの派閥に属する議員であるため、本来ならばパリで最も大きな顔ができる者の一人である。だが、今ランプの光を怪しげに反射させている宝物の存在が、バラスの頭を悩ます原因となっていた。というのもこれらの財物はすべて、バラスが議員という立場を使って得たワイロ――いわゆる不正蓄財の物的証拠の山だからだ。露見すれば首が飛ぶ。


「潮時なのか…………?」

事実として、今ならまだ助かる可能性が高かった。ここにある財産をもってどこかに逃亡、名前と身分を偽り幸せに暮らすというのは悪くない手であった。ここにある分をすべて現金化すれば死ぬまで遊んで暮らせるだろう。バラスは当然それを考える。だが――――

「やだ……もっと金が欲しい!! ったく糞がぁ……美味しい立場を簡単に捨てられるかバッキャロウ!!」

バラスは口汚く、自らの内に抱いた弱気な心を吐き捨てた。強欲由来のものであったが、それでも臆病な自分を抑えこむことができたのは褒めるべき事柄なのかもしれなかった。だが逃げない以上、バラスに残された道は一つしかなかった。

「やるっきゃねえ……ぶっ殺してやる、クーデターだ……!」

強欲がゆえに選択肢を狭める――貧者に選択肢はないというロベスピエールの言葉は、まだまだ付け足す余地があるらしかった。
この日からバラスはロベスピエール派でありながら、ロベスピエールに反感を持つ議員と連絡を取り始めるのだった。




[40286] 近代編 トップ賞は地中海諸国をめぐる旅、ただし不思議は自分で発見しろ 1
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:6e339e4b
Date: 2021/12/31 23:58
「小癪な……ガリア軍の狙いはミラノか。貧民軍隊はここで叩き潰してやる……!」

オストマルク軍の老将軍、ヨハン=ピエール・ボーリューは快進撃してくるナポレオンの軍勢に対して闘志を燃やした。ボーリューはナポレオンがポー川を渡って都市ミラノを攻撃すると予想する。そこで早速、予想される渡河であるバレンツァ・パヴィアの付近に4万の軍を配置した。川を盾に防衛線を貼れば、いかに勢いがあろうとも防衛はたやすいという考えである。

「なんて敵は考えとるやろうが甘いな! バレンツァで渡河するように見せかけて分隊にバレンツァを素通りさせて更に東の地点から渡河させぇ! 回り込んで背後から奇襲や!」

バレンツァとパヴィアを攻め落とし北進するのがミラノへの最短距離であった。だが、最短距離であるがゆえに敵の妨害が予想されるので、分隊を派遣して東へ半円を描くように敵の背中を突くというのがナポレオンの考えだった。奇襲効果は見込めるが、ポー川に加えてミラノ東の南北に流れるアッダ川を渡河しなくてはならないというリスクもあった。渡河に襲撃を加えられれば大打撃である以上、複数回の渡河を必要とする作戦は危険な賭けでもあった。だが――――


「ブハハハハ! ヘボ指揮官のおかげで助かったわ!!」

作戦は見事に成功した。ボーリューが目の前で渡河しようと攻勢をかけている部隊が大規模な陽動であると気づいた時には、既にナポレオンによって派遣された分隊はバレンツァから遠い東にあるピアチェンツァにて渡河を完了させていた。こうなってしまえば、オストマルク側は防衛どころではない。南と東から包囲されて大損害を出してしまう可能性が出てくる。

「……ミラノを捨てる」

ピアチェンツァでの出来事を知り、自分たちの危機的状況を把握したボーリューはミラノの防衛を諦めた。そしてガリア軍に包囲されることだけは阻止しようと、ポー川の防衛を放棄して東に進路を取る。すなわち、アッダ川を越えての防衛線の再構築である。これによりナポレオンはポー川を渡り、ミラノまでの最短ルートを確保する。このまままっすぐ北に進めば、攻略目標の都市ミラノは目の前である。だが、敵の撤退はナポレオンにとって不幸な知らせであった。

「……何? オストマルク軍がロディに向かっている……?? 逃げ足だけは早いなクソ!」

ミラノの東にあるアッダ川。その川岸に建てられた都市ロディ―にはアッダ川を越えるための大きな橋があった。オストマルク軍の狙いは、この橋を越えてアッダ川を盾にガリア軍を押しとどめる事である。もしこの橋を越えられ、その後に破壊されれば攻撃は難しくなる。
川を挟んで膠着状態になれば、ボーリュー側が有利であった。オストマルク本国からの増援を得てから再度ナポレオンに対峙するという手が取れるからである。貧乏なガリア共和国側に、援軍を出す余裕はない以上、時間経過はボーリューにのみ味方する。ボーリューの軍をいま叩き潰さなければ、一時ミラノを占領できても維持はできないのだ。


「急げ急げ野郎ども、マジやでコラ!!」

ナポレオンは手早く部隊をまとめると駆け足で撤退したオストマルク軍の後を追う。そして目の前に現れた都市ロディに猛然と攻めかかり、一息に市内を制圧してみせた。しかし、一連の迅速な行動にもかかわらず、あと一歩のところで目当ての橋を退却したオストマルク軍に占拠されてしまう。速度を優先して大砲をあまり持ち込めなかったのが原因だった。

「あああああああもうクソが!!」

橋の向こう側。アッダ川の東岸で渡河を防ごうと待ち構えるオストマルク軍の姿を見たナポレオンは、人目もはばからず地団太を踏んだ。橋の上を狙う正面左右大砲陣地と無数のマスケット銃は、狭い橋の上を渡ろうとするガリア軍を一瞬でひき肉に変えてやると言わんばかりである。
ナポレオンに出来るのは、せめて橋を破壊されないようにアッダ川の西側から妨害の射撃を行うことだけであった。状況は、一本の橋を挟んで両軍が対峙するという状態で固定されつつあった。そんな時であった。

「オリ主様の到着だこの野郎!! 敬えコラぁ!!」

オリ主たちオリーシュ軍が到着した。そこは偶然にもガリア軍が布陣している西側であった。



「ナポレオン・ボナパルテというそちら側の指揮官に会見を望む」
「……しばらく待て。取り次ぐ」

見知らぬ軍隊の出現に周囲がざわつくなか、先陣を切ってガリア軍側に接触を持ったのは北是であった。北是は周囲からの奇異の視線も表面上は涼しい顔で受け止めて、実に堂々とした立ち振る舞いで最も手近にいたガリア軍の士官に会見を望む旨を伝えた。北是はこちら側の身分や目的も簡単に伝えたが、取次までには時間がかかると予想していた。誰だって知らない国の軍隊は警戒する。まさか、海の向こうのそのまた向こうの国家の軍隊と面識があるわけがないと思ったからだ。だがその期待は良い意味で裏切られ、会見はスムーズにセッテイングされた。


「あ」

本来ならば最高位であるユウがこの会見に臨むべきなのだろうが、なぜか向こう側の指揮官の指名で招かれたオリ主は、目の前にいるガリア軍の指揮官たる男を見てぽかんと口を開けた。

「よー会うなあ! もしかして自分、ワイのファンか?」
「偶然だよ偶然! むしろお前が俺のファンだ! ツーかなんだナポレオンってよ。パクリか? パクリなのかこの野郎!」
「なんや人の名前に無理くりなケチつけるとか……こわっ」

歴史に詳しくない一般人でも、ナポレオンという人物のことは知っているだろう。だが、残念ながらその一般人以下の世界史の知識しかないオリ主は、ナポレオンという言葉を聞いても「え、昔の外国のすごい人だっけ?」くらいの認識しかない。そのため、その昔の偉い人にあやかったペンネーム的なものとしか思っていなかった。以前聞いた本名と発音が違っていたのも補強材料となっている。

「まあそれはええわ。で、用件はあれやろ? 本国も黙認してくれるから戦場で協力しよってやつ」
「そうそう。いやあ話が早くて助かる! さっきなんて部下のヤツが絶対拗らせるなとかキレててさぁ、交渉くらい楽勝ってんだ!」

北是は、向こうの指揮官がオリ主を会見の相手として指定した事を心底恐怖していた。実際、よりにもよって会見相手の名前についていきなり文句をつけている。これが通常の会見ならば致命的であった。結果オーライと言えばそれまでだが、北是の心配は実際的中していたのだった。

「まあ細かいことはええやろ。で、この先攻略目標がかぶったら?」
「早い者勝ちで良くね? 妨害と横取りなしで」
「よし! あとはそうやなぁ――――」

顔見知りであることからか、それとも双方の性格の問題か。協力関係の具体的な中身は順調に詰められていった。両軍の衝突という最悪の事態を回避できた上に驚くほどスムーズに話が進むことでオリーシュ側(ユウと特に北是)が胸を撫でおろす一方――

「なんたることだ敵側に援軍とは! どこの軍だ!?」
「あれはたしか……近年話題になっていたオリーシュ帝国という新大陸の向こうの国です。政府の方では協力してガリア革命を鎮圧するという風な話があったはずなんですが……」
「裏切られたというわけか……汚いな!」

川を挟んで対峙しているオストマルク側の心中は穏やかではなかった。敵にまさかの援軍など、時間はこちらの味方というオストマルク側の大前提が崩れたからだ。

「マズイぞ……援軍があれだけとは限らない。もしもすでに回り込まれていたら――」

想定していなかった敵。目の前にいる分ですべてと思えるほどボーリューという老将は楽天家ではなかった。ゆえに考えて行動し、それが両陣営の明暗を分けた。








「黙ってみていろ、ねぇ。」

話し合いに戻ってきたオリ主は、さっそく協議した内容を持ち帰った。話し合いが上手くいったこと、そしてその内容も突飛な物でないことに心の底から安堵したユウと北是であった。そして、オリーシュ軍はさっそく協議内容の履行を行うために待機状態に入る。すなわち、先に現場にいたガリア軍による対岸のオストマルク軍への攻撃を見守る、ということである。最も、そこには協議内容の履行を求める以上にナポレオン個人の思惑が透けて見えて仕方がなかったが。

「大方、自分たちの実力を見せつけて優位をとろうという考えだろう。なんせあのナポレオンという男は、カリブ海で我々に負けているのだろ?」

北是が持論を述べる。共闘関係にはあるがまだまだ関係が浅い以上、そう考えることは自然な事ではあるが、なんとしてもオストマルクに欧州でのオリーシュ軍の安全を保障させたい側としては、そんなことをしている余裕があるのかと思わざるを得なかった。
北是が今後どうやって足並みをそろえたらいい物かと思案している一方、オリ主はと言えば、いつの間にか手に酒瓶を握っていた。

「……なぜ酒を飲みだしているんだ?」
「お? アイツが上手くやるなら今日はもう仕事無いだろうし?」
「やま――ごほん、煉獄院は向こうの作戦が上手くいくと?」

先の会見で、ナポレオンは対岸に陣取るオストマルク軍へ、さっそく攻撃を行うと宣言していた。すでにいくつかの戦いを経験しているオリ主は、割と常識的な思考で迂回でもするのかと思っていたが、そんなオリ主の思考を読み取ったらしいナポレオンは否と言い、堂々と言い放つ。曰く「橋を渡って最速最短で蹴散らしたる」と。
橋は幅10メートルで長さは200メートルほど、敵の目の前で行くのは集中砲火を浴びることを意味する。
流石のオリ主もマジかこいつと唖然とするが、まあこいつらが痛い目見るのは別にいいか、とドライに割り切り追及はしなかった。あと、対策くらいあるんだろう、とも。だがこの無謀ともいえる作戦(らしきナニカ)を前提に改めてガリア軍側とオストマルク軍側を観察すると、これがなかなかどうして、成功の目があると感じとれるのだ。

「敵側の気配が『ゆらゆらしている』な。で、あのパクリの方は『尖ってる』から。イケるかもなあって感じなんだよ」
「抽象的だな……やはり飲みすぎだ」
「なんだよぉ、よく見ろよそうすりゃ分かる! ゆっらゆっらしてるじゃん! でこっちはピキーンって感じじゃん! 分かるだろ?」
「「いや、分からない」」
「わかった、なら結果を見てろって見てろって!」

北是は酔っぱらいのたわごとだと切り捨て、もしガリア側が泣きついてきたらどうしようかと考える。ユウは、どうにかして止めてやれないものかと思いつつも介入するわけにもいかないため、努めて冷静になろうとして腰を落とす。オリ主以外のどちらもが、ナポレオンの作戦失敗を前提に考える。そんな中、ガリア軍に動きが見える。一部の部隊が、こちら側から見て橋の左横にある建物の裏で橋の幅に合わせた縦隊を組みはじめているのだ。
そして、いよいよその時が来た。

「第一部突撃隊……突撃イイいいいい!」
「おおおおおおおおお!!」
「行けイケいけええ!!」

号令。と同時に縦隊の第一陣は橋サイドの建造物の陰から飛び出した。川向うにある大砲陣地では狙えない死角から飛び出し、そのまま橋に向かって猛然と左カーブ。

「走れ走れ走れえええ!!」

ガリア軍の兵士たちが咆哮を上げながら橋へと一気になだれ込んだ。そんな男たちの蛮声を消し飛ばすような轟音が響く。ちょうど、突入した部隊が橋の中間あたりに来た時だった。

「うぅ……こいつは……!」
「ああ足が!!」

打ち出された砲弾は橋をめちゃくちゃに蹂躙した。欄干が消し飛び、その破片が突入した兵士たちの肉体に突き刺さる。これでまだ、火を噴いたのが大砲だけというのが絶望的だ。すぐにマスケット銃の弾幕が来るという恐怖が走り、兵士たちの足が止まる。停止している方が危険だと分かっていても、身体が動かないのだ。
だが動揺していたのはオストマルク側もであった。

「ほとんど命中しておらんではないか!」
「やはり全ての大砲を橋に向けたほうがよろしいのでは……?」
「ダメだ、これが敵の陽動……ポー川の時の再来の可能性がある」

オストマルク側は、予期せぬオリーシュ軍の出現に合わせて大砲陣地の大砲の照準を自分たちの背後――橋の反対側――にも向けていた。ポー川の防衛の際、目の前で渡河しようとするガリア軍の陽動に引っ掛かり、背後からの奇襲を受けかけた経験がそうさせたのだった。そのせいで橋への火力が不足していても、「後方のどこかに潜んでいるオリーシュ軍が背中を狙っている」という可能性がある以上、ボーリューは安全策を取らざるを得なかった。
しかし、そのような火力不足の状態であっても橋の上でガリア軍の突撃部隊を止められた以上、ボーリューの判断は間違っていなかった。あとは、恐怖で足が止まった橋の上のガリア軍にマスケット銃の弾幕を浴びせかければそれで決着がつく――そう思われた。

「くそビビりどもが! そこで見とれや!!」

縦隊の後ろで様子を見ていたナポレオンが軍旗を握り飛び出した。足を止めておろおろする兵士たちの列をかき分け縦隊の最前列に躍り出ると、そのまま橋を駆けた。まさかの司令官による単身突撃であった。

「馬鹿か?!」
「あ、あいつまさか……」

北是が叫ぶ。ちなみに、北是もカリブ海でガリア軍相手に同じようなことをしていた。だからこそ、オリ主は気が付いた。これは、俺たちへの「見せつけ」でもあるのだと。

「もしもこれで司令官だけ死なせたら……二度と表通りを歩けねえ!」
「お、粋だね!」

司令官が勇気を示した以上、その部下が動かない訳にはいかない。それをすれば、そいつは一生臆病者の誹りを免れない。臆病な男は生きる価値ナシと言わんばかりのメンタリティは、司令官の無謀な単身突撃に自らを追従させた。

参謀が、部隊長までもが兵士たちをかき分けて走りだす。すると、止まっていた兵士たちが再び走りだす。今この瞬間、この橋の上に階級差などなかった。皆が見な、決死の覚悟を胸に足を動かす。

「撃てえええええ!!」

続いてのマスケット銃による弾幕――――が不自然にばらけた。元々命中率の悪いマスケット銃であったが、橋の上を命がけで爆走してくる敵に恐れをなした結果手が震え、集弾率が最低レベルにまで低下してしまったのだ。

「死に晒せええええええ!!」

先頭を征くナポレオンは、銃剣をぶん投げる。それは大砲の発射準備を行っていた兵士の肩に突き刺さった。その様子を見て動揺した装填役の兵士が砲弾を取りこぼす。その様を見たナポレオンの後続の兵士たちも、手当たり次第に身に着けたものを投げ飛ばす。きわめて稚拙な行動だが、それがオストマルク軍の大砲部隊に効果を表した。

「あああああああああああああ!」
「ひぇ!」

死に魅入られたような狂気を発するガリア軍の圧はオストマルク軍全体に広がる。
恐怖にやられたオストマルク軍兵士はその瞬間、烏合の衆に化した。そうなってしまえば、もはやガリア軍を止められない。

「ははは! なんぼのもんじゃああああ!!!」
「司令官一生付いていきますううううう!!」

ナポレオンとその背後の部下たちがサーベルを振りまわし、腰が引けているオストマルク兵たちに切り込んでいった。

「な! 言っただろうイケるって!!」
「むむ……まさか成功するとは……!」
「つーかお前も似たようなことやっただろうがガハハ! って俺より目立つなこらこのパクリ野郎!」
「む、そうなのか北是大尉……人は見かけによらないな……」

オリ主が憤慨して酒瓶をぶん回し、ユウが一見知性派の北是の意外な側面に若干引く。そんなやり取りが行われている一方で、対岸では戦闘の大勢が決していた。
異常としか思えない苛烈な突撃に陣形を崩されたオストマルク軍は大混乱に陥り、兵は勝手に持ち場から逃走してしまったのだ。



「ボーナスタイムや! ミラノで無礼講といこか!」

決死の攻撃を終えたボナパルトは散々に追撃を行うと振り返り、遠く散り散りになって逃げるオストマルク兵を背景に自軍の兵をねぎらった。
こうして、ロディでの戦闘はガリア軍の勝利に終わり、ここに都市ミラノの命運はナポレオンの手に落ちる。そして同時に、このロディの勝利によりガリア共和国の将軍、ナポレオン・ボナパルトの名声は一気に高まったのだった。





あとがき

以前、今年で完結と宣言しましたが……すいません無理でした! と言うわけで、来年も続きますのでよろしくお願いします。それではみなさん良いお年を。



[40286] 近代編 トップ賞は地中海諸国をめぐる旅、ただし不思議は自分で発見しろ 2
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:4d7aab14
Date: 2022/06/07 23:45
長年他国の支配下に甘んじていた都市ミラノをあっさり「解放」してみせたナポレオンは、負傷者の手当てや護送に着手した。そしてそういった戦後処理も終わると、全兵士に遅延していた給料を満額現金で支払う。つまりは、これで遊べということである。もちろん将校にもボーナスが支払われ、ミラノは一時ガリア軍による乱痴気騒ぎの会場となった。しかし、少し前まで金欠であったナポレオン配下の遠征軍にそんな大盤振る舞いができるだけの貯蓄があるわけではなく……当然その金には出どころがあった。

「あーあー。都市ミラノのお金持ちの皆々様! オストマルクを追い出した我々は、自治と自由をあなたたちに与えます! が、当然タダとはいかんのです、悲しいけども!」

軍事賦課金の徴集であった。一応、ナポレオンは民心の安定と治安維持にも意識を向けていたので無茶な回収はしなかった。解放者としてのふるまいを忘れなかったのだ。そしてミラノの人々も拒否して暴れられては困るという事で、妥協して支払うこととなったのだった。
さて、そんなミラノで一時的に休養することとなったガリア軍に先行する形で、オリーシュ軍は東進する。敗走したボーリューに代わって新たに送り込まれたであろうオストマルク軍の逆襲部隊を迎撃するためであった。ご丁寧に周囲に触れ回っていたため、指揮官の名前も把握できていた。敗走したボーリューに代わってロマーニャ方面の指揮官として送り込まれてきたのは、ダゴベルト=ジギスムント・ヴェルムゼルという男であった。戦場と予想される場所は、カスティリオーネと呼ばれる丘陵地帯――ミラノから徒歩2日程度の至近距離であった。

「丘の上に陣取られたかっ」
「突撃したら……ああ、上から撃ちおろされるなぁ」

行軍においてはやはり現地の地理に明るくないオリーシュ軍が圧倒的に不利であった。補給に時間がかかり、かつ道と伏兵を確認しながら進んだ結果、先に戦場と想定されていた地点にたどり着いたのはオストマルク軍であった。目の前の丘にはすでにオストマルクの軍旗が堂々とはためいており、それはオリーシュ軍側が陣地攻めを強要されることを意味していた。ユウの発言に焦りの色がにじみ、酒に酔ったオリ主でも自身たちの不利な状況を理解するレベルの危機であった。

「こちらからは手を出さず、にらみ合うという手はいかがでしょう?」

北是が献策した。敗北した将軍の代わりに送り込まれた男が消極的であるハズがない。国のメンツもあるため、ヴェルムゼルは大勝利を欲しているし要求されていると考えられた。ならば、膠着状態に陥れば先にしびれを切らすのは相手であろうという思惑からの作戦であった。しかし、それに待ったをかけたのは以外にもオリ主であった。

「別にそれでもいいけどよ、うかうかしてたらどんどん増援呼ばれるんじゃねえの?」
「む……」

オストマルクは大国であり、長大な国境線を抱えている。そのため、国境防衛のための兵力を融通してミラノ方面に回そうとしても時間がかかる。だから目の前のヴェルムゼル将軍の軍も、今すぐ投入できるまとまった戦力分を無理して回してきた、と考えるのが妥当であった。つまり、黙って見ていればいずれは敵の増援が参集する恐れがあるのだ。そしてそれは明日かも知れないし明後日かもしれない。一方こちら側はどうか……。時間経過が味方にならない陣営には、短期決戦しか活路はなかった。ナポレオンを当てにするのもいいが、無力で無能な連中と判断されれば後ろから撃たれかねない。今ある兵力で何とかするべきだった。

「……彼らにはこちらに降りてきてもらおう。作戦は――」

ユウが口を開く。提示された作戦案は、確かに成功すれば敵の地の利を逆に不利に変える妙手であったが、その代償として危険も相応に大きかった。最も、リスクを取らずして現在の不利を覆せるのかと問われれば、誰も答えることは出来ないだろうが。

「正直言ってこの作戦が成功するかどうかはただ一点にかかっている。その一点を担うのが誰かというと――」
「大役です。すでに似たようなことを行っている者が良いでしょう」
「いや、やはり言い出した者の責任として――」
「ダメです。生きることもまた上位者の義務なのです」
「だが自分が言い出したことだ!」

作戦を詰めていくユウと北是は、今作戦案における主役――最も危険な任務を担うべき者は誰かという点で意見の不一致を見せた。
だが、北是の視線ですべてを察したこの男は、むしろノリノリで立候補した。

「まかせろ!」

親指を突き上げ、自信満々の表情で了承するオリ主。その能天気な言い様になおも反対するユウであったが、北是によって最終的に説き伏せられた。
かくして、オリーシュ軍とオストマルク軍が初めて砲火を交えるカスティリオーネの戦いが始まった。




戦場はガルダ湖と呼ばれる湖の南である。オリ主が左翼、総大将たるユウが中央、右翼を北是がそれぞれ指揮。正面にそびえる丘の上のオストマルク軍に圧を加えた。しかしこの時、ガルダ湖の南岸の直ぐ近くに布陣していたオリ主率いる左翼だけが動きが悪く、もたついた印象を見るものに与えた。それは、丘の上から眺めていたヴェルムゼルには特に。

「見よ、湖寄りの指揮官は素人臭いわ! オストマルク軍が弱卒の集まりでないことを野蛮人どもに見せつけよ!」

ここで、オストマルク軍は防衛に徹して援軍を待っての攻勢という堅実な手を放棄。現有戦力での決戦を決意する。敗退したボーリューによって落ちた威信を取り戻したいという本国の意向を強く意識したという点もあったが……戦力的には現時点でほぼ互角、地位的優勢も取っている、加えて敵の一部は稚拙とあっては、むしろ攻めかからなければ後ろ指を指されるとのヴェルムゼル個人の思惑も加わっていた。





「来たきたキタ!! いま首筋がビリッて来た! お前らぁあああ! 気合入れてバックしろぉお!!」
「またデスかああああ!!」
「カリブ海の島でもこんなことやったな確か!」
「ってか誰か隊長の酒瓶を取り上げろよ! 最近飲みながら戦ってるだろあの人!」
「でも普通に冴えてんだよなワケわかんねえ!」

ヴェルムゼルはほぼ同数の兵力をまずオリ主の部隊に向かって前進、牽制ではなく本気の攻勢を仕掛けてきた。同数であるが丘から撃ち下ろす分によって攻撃力を増したオストマルク軍の勢いは、オリ主の左翼を後退させ、結果的にオリーシュ軍の布陣そのものを乱す。ゆえにその様子を上から眺めていたオストマルク軍の将兵は敵の壊滅を早くも予見した。

「むむむ……まさか舐めているのではないだろうな?! 一息にとどめを刺せ!」

だが、その決定的な光景がなかなか訪れない。しびれを切らしたヴェルムゼルは、さらにもう一部隊をオリーシュ軍左翼への攻勢に向ける。これで左翼視点での彼我戦力は1対2だ。さすがのオリ主も二倍の敵にはなすすべもなく敗走、あわれ異世界に散る……かに思われた。しかし、ヴェルムゼルの判断はオリ主のところ同様の彼我戦力1対2の場面をもう一つ生む。

「総員、目の前の丘を登れ! 全力で取るぞ!!」

今の今まで、丘のふもと付近で防御を固めつつ圧を加えるだけだったユウと北是の部隊が一気に丘に向かって駆けていったためである。

「ヴェルムゼル将軍っ!」
「うろたえるな! 地の利はこちらにあるのだ落ち着いて迎撃せよ! それにすぐに丘を降りた味方が稚拙な敵部隊を踏みつぶして戻ってくるだろう!」

ヴェルムゼルがいる丘の上の本部に動揺が走るも、直ぐに立て直す。確かに、高地をとった状態で守りに専念すれば、たとえ二倍の戦力で攻められても味方部隊が戻ってくるまで持ちこたえるのは難しいことではなかった。ヴェルムゼルはいくらかの精神的余裕を取り戻せていた。
だが、丘を下りて意気揚々とオリ主の部隊を攻めていたオストマルク軍の一団はそうはいかなかった。丘の上にある自分たちの本部が危ないと見た彼らは、急いで戻ろうとしてしまった。そして、ここで思わぬ邪魔が入る。

「クソが、まだ攻撃する元気があったのか!?」
「馬鹿野郎が、こちとら同じようなこと前にやってんだよ!」
「死にぞこないの野蛮人どもが! なら先に前らを始末してやらあ!!」

壊滅寸前だと思われたオリーシュ軍左翼部隊であった。てっきりそのまま逃げ散ると思われた左翼部隊が、まさか気力十分に逆襲を開始したのだ。流石に丘を駆け上がりながら背中を撃たれるのは許容できなかった。これにより、オストマルク軍本部は自分達のみで丘を防衛せざるを得なくなる。

「丘の上に戻るか敵を倒すか迷ったのがよく分かるぜ。一瞬お前らの空気が『ばらけた』からな。それが無ければ……つっても勝てないよな。……んん? あの丘の上の派手な服着たヤツ、あれがもしかして向こうの大将か?」

直ぐに立て直したとはいえ、オリ主率いる部隊を前にして背中を向けようとした隙は大きく、そこを付け込まれてしまったことで丘の下の戦いはほぼ拮抗状態になってしまった。そんな時、敵本陣で動きがあったためか、オリ主の目に敵大将と思われる人物の姿が目に映った。小高い丘の上に相手がいるから目立つというのもあるが、不思議と視界に飛び込んできたのだった。

「おい。おいお前! それ狙撃ができるライフル銃とかいうやつだろ、ちょっと狙え。あのなんか目立つ服着た偉そうなやつ!」
「エエ……ちょっとキョリありすぎデスよぉ」
「いいからいいから! はずしても怒らないから! やったれ!」
「じゃあ……----っ」

オリ主が近くにいた兵士に無茶ぶりをする。内心ではたとえ外れても近くに着弾して動揺が誘えれば儲けものという思いからだったが、兵士が荷物を支えに狙いをつけて大きく息を吸い、止めてから引き金をゆっくり引き始めるのを見て、まるで直観のように「理解」できた。「あ、これは当たるな」と。

「ア……」
「うん、命中したな。すっげえ痛そうに足を抱えてる」

狙撃は見事に成功した。その後戦闘はその日の日暮れまで続いたが、狙撃による敵本陣の動揺は抜群で、丘を南と西で挟まれ大将が負傷してしまったオストマルク軍は撤退に追い込まれた。さらにそれと連動してオリ主が引き付けていたオストマルクの部隊が、丘を降りてくるユウと北是の部隊に挟まれ、なすすべもなく降伏してしまう。ここに、カスティリオーネの戦いはオリーシュ側の大勝利で幕を下ろした。

「ほー! なかなかいいモン見せてもらった。ま! ワイならもっとうまくやれるがな!」

ミラノから近いという事でこの戦いを観戦していたナポレオンは、そう漏らした。



「マントヴァに逃げ込んで徹底抗戦だ!!」

足に包帯を巻き、部下に抱えられるようにして逃げたヴェルムゼルは残存兵力を率いて都市マントヴァへ逃げ込む。戦力は単純計算で三分の一以下に低下しており、もはや援軍を待ち反撃する以外の手は残されていなかった。ユウはこの好機を逃がさず一気にマントヴァへ追撃する――としたかったが、そうはいかなかった。

「オストマルクの援軍がすでにマントヴァに向かっている……!? 早い!!」
「敵将はヨーゼフ・アルヴィンチという男です!」

これは完全に結果的にではあるが、もしもあと少しカスティリオーネでのにらみ合いが続いていたら敗走していたのはオリーシュ軍の方であった。まさに九死に一生である。

「ッチ! おうおう、ワイらはその援軍の方を処理しに行くわ!」
「なら気にせず追撃できるな、ヨシ!」
「へっ! マントヴァは固ったい要塞や! 後で援軍に行くからせいぜい包囲だけにとどめとくんがええわ!」
「どうでもいいけどお前ら……いや、なんでもないわ。----あ、酒が切れた……」
「?」

ナポレオンは怪訝な顔を一瞬だけすると、兵士たちを率いて颯爽と出撃していった。随分と派手に遊んでいたのか、ガリア軍の兵士たちのほとんどが煌びやかな装飾品の類を身に着けていた。戦争をしに来たというよりも、金稼ぎと買い物に来たと言った方が良いかもしれない様子に、革命とは何かという根源的な問いを発しそうになったオリ主であった。





オストマルクにとってロマーニャ半島は地中海支配における重要な拠点である。そしてそんなロマーニャ半島の入り口にあるのが都市マントヴァであるといえば、その都市の価値は理解できるだろう。ここを落とすことでオストマルクを地中海から締め出すことができる。それは、オリ主たちの戦略目標そのものだった。なので、いつかはここに来る必要があったのだろう。そんなマントヴァの包囲そのものはある意味では順調で、籠っている少数の兵は恨みがこもった目線を浴びせてくることはあっても出撃してくる気配はなかった。しかし逆にこちら側から攻撃を加えることもできず、オリ主たちは都市からの砲撃が届かない位置に陣取りプレッシャーを加える以外に手が無かった。
野戦に持ち込めば勝てるが、向こうが引きこもっていてはそうはいかない。無理攻めするには戦力が心もとない。以上のことから完全に状況は膠着状態に陥っていた。陥落させたいけどそれができない、そんな思いを抱きながらの包囲は、すでに数日が経過していた。停止することそのものがリスクであるオリーシュ軍にとって、じれったい日々であった。救いはナポレオンという援軍を期待できることか。

ところで、成人が一日に飲むべき水の量は約1.5リットル程度である。兵士の肉体のコンディションを保つためにも水の確保は重要であったのだが、幸いなことにマントヴァ周囲には川や湖といった水場が多数存在したため水の確保は比較的楽であった。そうなってくると、色々と我慢していた用途にも水を使いたくなるのが生活水準の高い日常を送って来た者の心情だろう。
にらみ合いが続いたある日のこと。その日の周囲の気温は高く、夜になっても気温はなかなか下がらなかった。兵士たちの多くはそれでも体を濡れたタオルで拭いてさっさと眠ってしまったが、風呂を愛し求める習性を持つ日本人として生きてきた山本はそれでは満足できなかった。元々、この世界にやってきた以降風呂に入れる機会と言うのはほとんどなかったのだ。加えて、寝汗で寝にくいと来てはいよいよ我慢ができなかった。

ぱぱっと行って服を脱いで湖にダイブ……よし

一度決めたらフットワークがメチャクチャ軽いオリ主。こっそり天幕を抜け出し周囲を警戒する番兵の目を避けて少し遠くの湖まで赴いた。本当は薪を用意し火を焚き、熱いお湯につかりたかった。だが流石に無理であったために妥協した形であった。ドラム缶もないことだし。

やべえ、深夜に学校のプールに忍び込んだ時みたいで興奮するぜ……!

普通に捕まりそうなことを過去にやらかしていたオリ主。ちなみに、寝苦しい夜に泳いだ水の感覚はスリルも合わせて過去最高だったとの事。そのため、風呂ではなくプールと思えばそれはそれで良しとポジティブな気分でやって来た湖のほとりで服を脱ぎ始める。
周囲には人がいなかったため静かであった。だがそれ以上に、満月が湖面を黄金色に照らす、美しい湖畔だった。その光景に見惚れて、自身のパンツを脱ごうとした時ですら視界の中に湖を捉えていたためであったか。そこに先客がいることに気が付く。

「……!」

月光に照らされた白い肌と、そこに張り付く水滴が砂金のように輝く。首筋から腰、そして水面からギリギリ出ている臀部に至るラインはスラリとしていて、柔らかさを内包した美しさを無防備に晒していた。角度の関係から後ろ姿しか見えなかったが、もはやこの世の者とは思えない……いわばファンタジーな存在がオリ主の眼前に存在していた。

「美しい……」
「――――!!」

知らず、声が出ていた。言おうと思って言った訳でもなく、本当に心の底に浮かんだ感想がそのまま吐息の中に混ざってしまった感じだった。声の大きさは本当にささやかであったが、静かな夜の湖畔では大きく響く。オリ主の眼前にいたファンタジー存在は、びくりと肩を震わせ、そのまま水しぶきを上げて湖の沖へと泳いで行ってしまった。

「に、人魚……? いや、ここ湖だし……なら妖精か?!」

オリ主は、改めてここが異世界であることを実感する。あのような美しい存在が現実のものであるとは到底思えなかったからだった。
妖精さん、ここはもうすぐ戦場になるかもしれないからどうか遠くへ逃げておくれ……そんなことを祈るようにつぶやいたオリ主は、そのまま回れ右して帰ることにした。汗はすっかり引いていた。
そして、感動を引きずったその翌日のこと。


「昨日湖で妖精さんにあった!」
「はあ?」
「…………」

朝食の時にオリ主は興奮気味に昨夜の出来事をユウと北是に話した。あのような美の極地を体現した存在を目撃できたことを単純に自慢したかったのだ。ちなみに、現代でUFOを見てもおそらくは同じようなことをしていただろう。

「マジだよマジ! 水浴び中だった! スッゲーキレイだった!」
「近所の女性では? というか覗きだぞこの変態が。恥を知れ」
「違うって俺もたまたま水浴びに行ったんだよ、暑かったから! マジマジ! あと人間じゃないねあれは!」

北是が呆れたような顔で冷やかした。ユウは、顔を伏せてモグモグと食事を取っていた。一言もしゃべらず会話に交ざらない。

「だってよ、こんなもうすぐ戦場になるかもしれないところに一般人が来るか? いいやそもそもだ、もうほんとキレイだったから、この世のものとは思えないくらいキレイだったんだよ……知らず知らずのうちにため息っていうか誉め言葉がでるなんて生まれて初めての体験だった……!」
「誉め言葉の語彙が貧困だな……というか酔ってたんじゃないのか?」
「いや、普通にシラフだったから現実だね」
「あぁ、そうはいはい……ってあれ、閣下?」
「も、もし戦闘になった時の準備をしてくる!」

ユウが顔を耳まで朱に染めて足早にその場を立ち去った。あとに残されたのは、思案顔の北是と、暢気で夢見心地なオリ主のみだった。

「……顔が赤かった。風邪かもしれん。養生して頂かねば」
「ああ、また会いたいなぁ妖精さん!」
「うるさい、じゃあ寝て夢で見ろ」

オリ主たちのマントヴァ包囲は一応、順調であった。





オリ主たちがマントヴァを包囲している一方。
ナポレオン率いるガリア軍は、マントヴァの北東に位置するアルコレの湿地帯でヨーゼフ・アルヴィンチの軍とぶつかった。アルコレに群生している背の高い草は前方の視界を遮っていたが、逆にそれがナポレオンに味方した。

「待て……待て……今だ撃てぇ!」
「待ち伏せだと馬鹿な!? ガリアの国王殺し共はミラノで遊び惚けているのではなかったのか!」

ミラノかミラノ周辺でガリア軍と戦うと考えていたオルトマルク軍は、ガリア軍の待ち伏せに浮足立つ。油断に加え、視界が効きにくい周辺環境がガリア軍による奇襲を成功させ要因になった。

「最も強い軍は最も早く移動できる軍ってことやな! なんせこっちはオストマルク軍と違って少数なもんで初動はアホ早いで!!」

弱点を長所に変えて見せたナポレオンは得意顔でそのようなことをのたまった。だが、流石に奇襲が一回成功した程度で崩れる程オストマルク軍は弱くはなかった。アルヴィンチは軍の動揺を鎮め、防衛体制を整えかつ反撃の準備を進めていた。一転して、追い詰められつつあったのはナポレオンの方であった。どう取り繕っても兵数は絶対的なアドバンテージであった。

「…………よし、増援を作るで。しかも1万人の大増援をな」
「予備兵力を投入するのですか? あの、3千にも届きませんが……」

すっかりナポレオンの参謀が板についたベルティエがそう進言する。しかし、ナポレオンは自信満々で何かをベルティエに突き出した。それは、薄汚れたラッパやくたびれた太鼓だった。

「三千人の増援がいつもより三倍騒がしく歩いてくれば、そりゃ1万の増援になるやろ。どうせ草が邪魔してよく見えんだろうし、オストマルクの連中は音で判断するしかないわけや。ウソをホントに、ホントをウソに見せるのが指揮官の腕ってもんよ」

場当たり的な発想だろう。だが、この企みは見事に成功した。本来ならば殺傷能力を持たない楽器が最大の武器となったのだった。草の向こうで盛大に演奏された進軍ラッパの音はオストマルク軍に居もしない大軍を見させる。想定していなかった大増援に動揺したアルヴィンチは指揮を誤りオストマルク軍は総崩れ。将軍であるアルヴィンチ本人も捕虜となる。

「……なるほど。将軍は性格の悪いことで」
「正直者に大将がつとまるかいな! 騙される間抜けが悪いわ!!」

ナポレオンはゲラゲラと笑い、自らの勝利を誇った。
そして――――

「こ、降伏する。だからどうか、市民には慈悲を……」
「承った」

ヨーゼフ・アルヴィンチの敗北はマントヴァにも伝わる。当初は虚報だと突っぱねていたマントヴァ側もナポレオン率いる新たなガリア軍の登場で心が折れた。援軍の来訪からの逆襲という望みが断たれたことを悟り、マントヴァは無血開城となった。
この戦いを契機にオストマルクと神聖オリーシュ帝国(当然主体になったのはユウとそれに率いられた遠征軍)との間で和平が成立した。それに加えて、南ロマーニャの割譲を受ける。これにより、孤立無援であった遠征軍に一応の、より安定した拠点ができた。もっとも、脅威である隣国のオストマルクは隙を見せれば奪還に動くだろうし、敵対的な欧州の国は残っている。そのため、南ロマーニャを維持できる保証は一切なかった。
なお、この後しばらくしてオストマルク王国とガリア共和国との間でも和平が成立した。ガリアはローマを含む北ロマーニャの土地と多額の賠償金を得る。

「できれば、直接領土を隣にする相手はロマーニャ王国のままが良かったのだが……」

ガリア共和国による北ロマーニャ併合の一報を聞いて、ユウは若干の不安をにじませながらつぶやいた。そのそばでオリ主は「あれ、イタリアなくなってない?」と地図を眺めて暢気な顔で言っていた。お前のせいだぞ、と言うものはどこにもいなかった。














あとがき
続きが遅れてすいませんでした。今年度から忙しくなりまして、でもこうなることを見越して去年で完結させる予定だっただけに、申し訳ないです。でも、完結まで頑張るのでよろしくお願いします。



[40286] 近代編 トップ賞は地中海諸国をめぐる旅、ただし不思議は自分で発見しろ 3
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:6e339e4b
Date: 2022/12/13 23:53


地中海の出入り口であるジブラルタル海峡。その戦略的に重要な土地を現在領有しているのは、イスパニア王国であった。その国土はヨーロッパ大陸の西方にあり、かつては大航海時代における主要国家として新大陸へ乗り込んでいったこともある。だが、アステカ帝国をはじめとする新大陸国家によってはじき返されて以後、その国力は大きく落ちていた。ゆえに元大国。そんなありさまで、何の準備もなく神聖オリーシュ帝国と場当たり的に戦争状態へ突入してしまったイスパニア王国は、絶対的な兵力の少なさからいくばくかの時間の後にジブラルタル海峡を失った。海峡防衛のための戦いで戦力を払底したイスパニア王国はその後次々に領土を占領されてしまった。そしてついにはイスパニア王国の首都であるマドリードまでもが陥落した。ほぼ国土の中央に位置するマドリードの陥落をもって、イスパニア王国の半分がオリーシュ帝国の手中に収まったことになる。この大武勲を前に、戦いを指揮した近衛元帥はひどく上機嫌……とは残念ながらいかなかった。

「またか」

元帥はマドリードの王宮、その玉座に座り、うんざりするような顔で耳慣れた惨劇の報告を受けた。最初はなんという真似をしてくれたのかと憤慨していたものの、何度も繰り返されれば気が滅入るだけになる類の報告というものは確かに存在した。

「はい。巡回中の兵士が数名行方不明になり、その後焼死体で発見されました。ヒドイものになると、体の中から焼かれたような痕跡がある者もいました。犯人は元兵士の老人、およびそれに協力した住民です。すでに処刑しておりますが……その」
「なんだ」
「犯人集団には女性や子供まで含まれておりまして、それも特に強要されたわけでもなく金品を渡されたわけでもなく自発的に虐殺を行っていたことが取り調べで……」

元帥は手元のグラスをつかんで静かに握りつぶした。ガラスの破片が周囲に散らばるが、それには一切気にもかけなかった。これまでも自軍の兵士が無残な方法で私刑にされてきたが、その多くは成年男性によるものだった。それなのに、共犯とはいえ本来庇護されるべき非力なはずの者も積極的に参加するようになるなど、正気とは思えない。これでは、もはやこの国の人間すべてが信用できない。

「愚かすぎて何も言えんな、これは……」

ジブラルタル海峡を占領した際、イスパニア軍のほとんどを消滅させた。これでもう大丈夫だろうとほっとしていると、住民が武装して襲い掛かってくるようになった。ジブラルタルに近い都市を攻め落とし、慰撫に努めてこれでこちらに対する敵意がマシになるだろうと再びほっとした。住民の襲撃は止まらなかった。首都を占領し、これまで以上に住民への慰撫に努めた。それでも襲撃は終わらない。それどころか、とうとう女性や子供まで武器を手に襲い掛かってくる始末だ。安定化などほど遠い。だが、まさか今更占領を解いて撤退することなどできやしない。

「物資を相場以上の値段で買い、兵士にも乱暴を厳禁にしておりますが、効果があったとは……土地の宗教組織が徹底抵抗を煽っておりまして、もはや我々が撤退する以外に収める手はないといった状況です。子供にオリーシュ兵を殺せば殺した分だけ家族が天国にいけるなどと説く僧侶もいると聞きます」
「……」

元帥は怒りすら通り越したといった表情で、手の傷への手当てを行い始めた。誤解から戦い、撃退し、ついには首都さえ奪って見せた。本来ならば謝罪するべきは相手であるのにも関わらず、やさしくしてやった。それでもなおつけあがってくるイスパニア王国の民衆に、うんざりした気分以上の感情を抱けなくなっていた。もはや理不尽への怒り炎さえ燃えすぎて鎮火しかかっている。最も、イスパニアの住民にとっては国土を侵略されているから抵抗しているだけで、うんざりされるいわれはサラサラないと言うだろうが。
だがそもそもの話として、彼ら神聖オリーシュ帝国の人間は自分たちが戦っている国の歴史というものに無頓着過ぎた。イスパニア王国はかつてアフリカからジブラルタル海峡を経由して渡ってきた異教徒によって征服されるという憂き目にあっている。それを700年近い時間をかけて国土を奪還し今に至っているのだ。ジブラルタルから上陸して国土を北へ北へと奪っていくオリーシュ軍の姿は、まさにかつての異教徒による征服そのものであった。つまり、イスパニア王国にとっての最大級のトラウマを全力で刺激していることに他ならない。イスパニア人の老若男女がオリーシュ軍への苛烈な抵抗を行っているのは、そういった事情があったからであった。存在意義とまで化した国土の保全意識は強烈で、もはや慰撫だのなんだので止まる領域になかった。
だがそんな事情に考えを巡らせることができなかったオリーシュ軍人二人は、それはそれとして話を変える

「あ、あと元帥閣下。先に地中海に侵入し、そのあと我々と遮断されていた友軍部隊の動向が、ガリア共和国政府からもたらされました」
「……なに?」

その時、元帥の顔色が変わった。目に剣呑とした雰囲気が宿っている。先ほどまでの手を焼かされてうんざりだという、気だるげ様子が一瞬で消し飛んだ。

「あ、その。情報が錯綜していてはっきりしていないのですが、オストマルク政府と戦い停戦に持ち込み、現在は南ロマーニャに滞在して、ある程度安全を確保していると。……我々も住民の暴動に手を焼いていてすっかり失認していましたが、どうでしょう、合流命令は出しましたのでそのまま治安維持に投入して----っひゃあ!!」
「ふざけるな! あいつにこの無様な有様を見せろというのか……恥をさらせと、そう言いたいのか貴様ぁ!!」

進言した兵士の胸倉をつかみ、唾を吐きながら近衛元帥は叫んだ。顔を真っ赤にさせ、先ほどまでと様子を一変させた上司のその有様に、兵士は目を泳がせる以上の行動ができなかった。

「勝手に出された合流命令など知らんぞ、とにかくユウにイスパニアの地を踏ませるな! 来ようとしても追い払え!!」
「し、しかしそれではどこへ……?」
「そんなものはお前が自分で考えろ!」

突き飛ばすように兵士を玉座の間から追い出した元帥はそのまま扉にカギをかける。兵士はこの後のことを考えようとするも、混乱し呆然としたまま立ち尽くすしかなかった。残ったのは、玉座の間に一人残された近衛元帥のみだった。






神聖オリーシュ帝国に、新たな領土として南ロマーニャが加わった。加わったのだが、完全に飛び地であり、かつ本国との海路がいつ遮断されてもおかしくはないという立地であることからその維持は不可能であると考えられた。そのため、そのような土地に投資したり防衛したりすることは採算が合わないためパージするのがベターであるのだが、しかし、さすがにそう簡単に手放すには価値が高すぎた。
加えて、検討するための時間も不足していた。というのも……

「元帥閣下がジブラルタル海峡を占領することに成功し、早急にジブラルタルにて合流すべしとの命令が届いた。……というわけで、予期せず手に入れてしまった南ロマーニャの処遇について皆で話し合いたい」

瓢箪から駒的に自分たちのものになってしまった土地をめぐり、ユウの音頭で会議が開かれることになったのだった。

「元帥閣下がジブラルタル海峡を安定化させればこの南ロマーニャの価値は一気に高まります。ここを拠点に地中海への影響力を持てますから。しかし、もしもジブラルタル海峡が寸断されれば袋のネズミ。ちょうどほんの少し前までの我々の立場に瞬時に落ちます。ならば最初から高望みせず、最高でもジブラルタル海峡の保持だけに専念すべきです。仮に失敗してもパナマへ退却できますから」

北是は南ロマーニャの維持は行わず、余計な手間をかけずに切り捨てて即時退却するのがよいと考えた。なんならその際、返還の対価として安全に地中海を通行できるような何かを要求して。

「でもよ、もしも維持出来たら凄くね?」

オリ主がそれに反対意見を出した。反対意見と呼べるほど大層な中身ではないが、それでもその理由を述べていく。

「というかさ、一応保持したままにして、あとのことは全部向こうに丸投げしようぜ。売るなりなんなりは本国の偉い人が決めてくれる。だろ?」
「いや、まあ確かにそうなんだが……」

これには北是がうなる。確かにそれが本来のスジだろう。むしろ、現場レベルでせっかく得られた大きな占領地を勝手に返還してしまえば、あとから何か処罰を受けるかもしれない。元々は具体的な命令に依らず自分たちの力のみで得たものだが、それでも南ロマーニャという土地の大きさはそういった道理を蹴とばすだけの力がある。本当に始末が悪い。これが島規模ならよかったのだが。

「撤退した後にもこの土地の領有を主張し続けるなら、いくらかでも兵とそれを統率する指揮官が必要だ。その点はどうするつもりだ?」

ユウが維持する場合に必要な点を挙げる。現状の戦力不足状態で貴重な兵と指揮官を南ロマーニャに残していくなどキツい。道中なにがあるのかわからないのだから、できるだけ兵力は確保しておきたのだ。さらに、ここに残していった人員はほぼ孤立するため危険度も高い。「土地を全部返して戦力を維持して退却か、維持のために戦力を目減りさせて退却かの二択ってか……」とオリ主がぼやく。

「兵はまだしも、指揮官を失うのが痛すぎるな。能力や格からいって、最低でも我々三人のうちの誰かが残る必要がある。」
「……んん?」

さらに北是が追加で言うが、オリ主が怪訝な顔をした。

「兵は別にいいのか?」
「あくまで比較的にだ。例えば海軍のみならいざというとき素早く脱出できる。問題は代表となる人間のほうだ。武功でも実績でも、とにかく一目置かれるような人間でないと統率できないだろう。住民にも舐められ、反乱が発生する可能性が高くなる」
「……前のカスティリオーネ? とかいうところで戦った時、敵の大将を狙撃したやつがいるんだが、そいつじゃダメ?」
「むむ」
「実際あれはすごかったぜ、その場で見ていた俺が言うんだから間違いない。そうだ、ならいっそのこと今から宣伝しようぜ! 百発百中の超絶スナイパー的な感じでさ!」
「むむむ……戦場で武勲を挙げて、その報酬としてという筋書きはわかりやすくはあるが……」
「もともとは先祖がヨーロッパの出なんだろ、パナマ出身のあいつら。もしかしたらこの国出身かもしれんし。もしそうだったら、短期間程度ならうまい事いけるんじゃね?」
「……ユウ様、その、いかがいたしますか?」
「……本人に確認しよう、話はそれからだ」

こうして、カスティリオーネの戦いで大きな功績をあげた青年、カルカーノが呼び出され、先祖の出身について聞くと……

「あ、ハイ。ロマーニャだそうデス」
「はい決まり! よかったなお前大出世!」
「エ?」
「俺たちすぐにジブラルタルに戻んなきゃいけないのよ、味方と合流するために。でもそうするとここが空になるじゃん? 分捕った土地をどうするのか問い合わせようにも時間がないし。で、海軍と代表になる人間を残して本国の偉い人が判断するまでとりあえず南ロマーニャを確保しておこうって話になったの、で、つまりはその代表を君にやってもらおうかなって」

困惑するカルカーノに、オリ主がざっと事情を説明し、ユウが結論を端的に述べた。

「つまり君は、オリーシュ本国が南ロマーニャの権利を放棄するなり代わりの人間を送るまでの間の代表、いや土地の大きさから言って王がふさわしいかもしれないな。つまりなんだ、王様をやってほしい」
「え、ソンナむりデス! あぶないし――――」
「なあに、いざとなれば船に飛び乗って逃げればいい。別に死守命令とか出さないからさ、それに多分本国も放棄するだろうし、失敗しても怒られないって。しかも――――ワンチャンそのまま王様になれるかもしれない」

オリ主は、事のヤバさにしり込みするカルカーノに甘い言葉をちらつかせながら説得する。なんだかんだ言ってロマーニャ半島は地中海の奥にありすぎて、維持は艱難であるから領有権の放棄が行われる公算が高かった。しかしそれでも、もしもを考えてしまうのが人間だ。そしてその時、現地にすでにいてかつその国の人間の末裔が玉座にいたら――そのまま任せてしまえとなる可能性がある。そういったことを懇切丁寧に言った結果----

「じゃあ、あの、やりマス……」

堕ちたな……!

欲望にツケむことがすっかり得意になったオリ主が、そう内心でつぶやくのだった。ちなみにその時、北是とユウは詐欺の片棒を担がされたかのようないたたまれない顔をしていたのだった。

あれ、でも俺、どうして立候補しなかったんだろう……? 俺ならこういう時真っ先に王様やろうとするはずなのに……

そんな時、オリ主の胸にふとそんな思いがよぎったが、疑問に思ったところで答えが見つからないためすぐに霧散してしまう。答えを見つけるには、もう少し時間が必要になるのだった。




「バカなバカなバカな! なぜだあり得ないそんな何かの間違い……!」
「「……」」

ルドルフは憤怒に顔を真っ赤にさせながら自分あての手紙を握りつぶす。ぶつぶつと呪いの言葉でも言っているかのような様に、彼の周りの部下たちは恐れおののいていた。昼間からやっている酒場にて、周りで兵たちが多く楽しんでいる中その手紙を見たものだから被害者は多く出てしまった。現在の南ロマーニャではこのような占領軍向けに臨時営業をしている店が多くあったのだ。
さて、みなルドルフの性格を理解しているがゆえに何も言わず、固唾をのんで祈りながら彼を見る。それは嵐が過ぎ去ることを神に祈る船乗りのような真剣さだった。

「不合格……この未来の天才音楽家が……? あり得ない……あり得ない……」

どうやら手紙は不合格通知であったらしいと、周りの人間は漏れ聞こえてくるうめき声ともいえる発言から察した。ルドルフーー彼こそはカリブ海でのガリア軍との戦いで功績をあげ、中隊長に抜擢された優秀な兵士である。だが、ルドルフ本人はその評価に不満であった。彼は、信仰ともいえるレベルで音楽に対して敬意を持っており、その音楽の道で身を立てることを切に願っていた。だが悲しいことに、彼に音楽の才能は欠片もなかった。

「あの……俺たちは中隊長がその――っ!?」

その時、勇気ある部下がルドルフに慰めの言葉を何とかかけようとして音にならない悲鳴がもれた。急にルドルフが振り向き、かっぴらいた瞳孔でその部下をまっすぐに射抜いたからである。その眼は濁った水底のように暗くよどんでいた。

「ヨーロッパに来れたとき、主が与えた好機だと考えた。パナマなどという田舎では好この身に宿った音楽の才を正しく理解できるものなどいなかったから……芸術がわかるものはヨーロッパにこそいる、と思ったから……」
「は、はい……」

ルドルフは唐突に語りだした。部下は正直にいえば「いやそんなの知らないし」と思ったが、黙っているだけの分別はあったので黙って聞くことにした。言って癇癪を起されるのが嫌だったから。

「それもここ南ロマーニャに国有数の楽団が来ていると来た時、いよいよ主が音楽で生きる道を示したと思った……この楽団に入れという神託だと」
「あ、その手紙はそういう」

つまりは軍隊をやめてその劇団に入ろうとして不採用になって落ち込んでいるんだと部下は推測した。だが、ルドルフの続く発言でそうでないことに気づく。

「ただ楽団に演奏者として入れば、それはその場にいる限られた人間のみにしか音楽の神髄を伝えることができない。そこでこれが必要だった」
「あ、楽譜ですか」

ルドルフは手紙が入っていた封筒に同封されていた紙の束をそっとテーブルの上におく。音楽の知識がない部下は、とりあえず記号がいっぱいあるなくらいにしかわからなかったが。

「ゆえに作曲家になることを考えた。これでより広く多くの人々に音楽の何たるかを教えることができるから。思い立ったその日に専属作曲家として参加したいと連絡をとると実力が見たいというから何曲か作って送った。結婚式のための曲と指定されていたので、それ用のものを。そ……そしたら……そしたら……!!」

ルドルフは真冬に全裸で放り出されたかのように全身を震わせ出した。声もかろうじて聴きとれる程度に乱れている。やばいと部下は思ったが、もはや逃げられない。

「け、結婚式に葬送曲を、つ、作る馬鹿がいるかと……侮辱されたうえで突き返された! 何もわかっていない! 何も! 結婚式とは新郎新婦が死が二人を分かつまでの旅路の第一歩であるというならば! 葬送曲こそが相応しいと!! 祝いの席だから明るい曲を用意するなど馬鹿にもできる!!」

どうやらそういうことらしい。試験官が意図したものとは違う回答を自信満々に答え、結果不合格になった――つまりはそういうことだった。理屈はまあ、一応、ひねりがきいているといえば面白いかもしれないが……さすがに試験でやるのは勇気というより蛮勇であろう。それでも、いつまでも怒りに震えられても面倒なので、部下は言った。「きっと文化が違ったのだ」と。あなたは悪くない、ただ文化的な違いでしかたがなかった、と、もうそういうことで話を締めたい思ったのだ。


「……文化? あ、そうかなるほど!!」

ただ、ルドルフはこの文化の違いという指摘に偉く感銘を受けたようだ。何ども文化、文化といって自分の中で思考をまとめるようにつぶやく。

「つまり、結婚式に葬送曲を流すような文化を自分で作り愚かな者どもに真なる音楽とは何かを啓蒙すれば……いやいっそ自分の国を持ちそこでそういう布告を出して……ふっ! どうやら主のお導きを勘違いしていたようだ。これこそが主の御心……!」

いやそれは違うだろうと言いたくなるような願望に、酒場にいたものは全員がもう嫌だと思った。酒はすっかり抜けていた。そしてタイミングが悪いことにその翌日。功績目覚ましいカルカーノという兵士が代理であるが王として南ロマーニャを預かり、他の兵士たちはジブラルタルまで撤退するという命令が通達された。大きな手柄があれば国を持てるという実例に、ルドルフは本格的におのれの野心を燃え上がらせるのだった。




「うむ……ようやく国内品の経済は安定に向かい始めたようだ」
『オストマルクからの賠償金が国庫を潤したおかげでしょう。あとは国防体制を強化しなければ』
「ああ、ヴァンデか」


ランプが一つだけ灯っている窓のない執務室で、ロベスピエールは一人言葉を発していた。まるで、誰かの声を自分で発して会話をしているかのようであったが、当然ここには他者はいない。


『考えを改めるよう促し、猶予も与えました。それでも態度を変えないならば、軍によって対処しなければならないでしょう』

ロベスピエールの1人会話の中で出てきた「ヴァンデ」。それは現在、口に出すことがタブーとされている土地の名だった。
ヴァンデ地方は現在進行形で、共和国政府に対する頑強な抵抗運動が発生している。より率直に言えば暴動、内乱である。田舎ゆえか保守的で王と神を敬愛しているというのがヴァンデの特徴であり、そのためそれらを完全否定する共和国政府を目の敵にしていた。そしてついにヴァンデ地方の農民たちは一斉蜂起で以て共和国政府に答え、今に至る。ロベスピエールたちの存在意義を根底から揺るがしかねないこの反乱は、『ヴァンデの反乱』と呼ばれた。

「ふむ……」


少しの間頭をひねり、何事かを思考したロベスピエールは、ゆっくりと席を立つと人を呼びつけた。

「おおロベスピエール議長。ワイは何をすればよろしいので?」

現れたのは、先の戦いでオストマルクを屈服させるという戦功をあげ、天才とパリ市民に持ち上げられているナポレオン・ボナパルテだった。そんなナポレオンに相対したロベスピエールは、冷めた目であっさりとその命令を口にした。

「ヴァンデ地方を地図の上から抹消しろ。全て破壊だ。動くものは全部。石器時代に返してやれ。同志ボナパルテ」

ロベスピエールは執務室を訪れた若き天才将軍に一息に言った。
ヴァンデ地方の完全なる破壊。それを、対オストマルク戦争の英雄たるナポレオンにやらせようというのだった。

「了解しました、すぐにでも取り掛かります。しかし、その、ロベスピエール議長。先ほどの『同志』というのは何でっしゃろか?」
『そうか君は外国から帰ってきたばかりでしたね』
「おお、そうだったのかサン=ジェスト。教えてくれてありがとう。少し前に議会で決まったことだが、これからはすべてが平等。敬称はすべてこの同志という言葉だけにということになった。」
「なるほど同志ロベスピエール……こんな感じでっか?」
『素晴らしい!』
「ああ、いつ聞いてもいい言葉だ。なあサン=ジェスト」

ナポレオンは、努めて笑顔を維持した状態で内心で唾を吐いた。

(アホくさ! ワイは普通に将軍って言われたいわ! それになんやこの一人芝居みたいなんは!あのバラスとかいう議員がクーデター未遂を起こして相方のサン=ジェストが死んでからああなったとか言うが……ホンマ、哀れやな)

ナポレオンは顔の筋肉が不格好に歪みそうになるのを悟られないようにした。軍人であるナポレオンは、やれと言われればやるだけだった。信仰も王室への敬愛も持たないナポレオンは、ヴァンデに対する同情心を抱かなかった。ただ一方で、懸念はあった。

「しかし、対岸のブリタニアに関してはよいので? ヴァンデよりもそちらのほうが脅威度は上かと思いますが」
「ああそれか、なに心配はいらない。王政時代の遺物にちょうど使えるものがある」
『ブリタニアは自らの罪によって裁かれるのです。殺人教唆ならぬ侵略教唆の罪で』
「?」

ナポレオンは疑問を抱いたが、深くは考えなかった。だがその答えは翌日の新聞で明らかになる。アステカ帝国が行った神聖オリーシュ帝国への侵攻は、ブリタニアによる指示によるものであったことが暴露されたのだ。そうすることで空き巣のように新大陸に攻め込んでいったのだと。こうなると、ハメられた側も黙っているわけにはいかない。心情的にも面子的にも。

「ブリタニア王国は信頼するに値しない海賊の国に等しい! 今までどのような顔で私と会ってきたのか、ぜひ聞かせてもらいたいほどだ!!」
「そのようなことを面と向かって言うなど……後悔するぞ大使殿」

ブリタニア王国に駐在していたオリーシュの大使は公然と国王に対して非難をぶつけた。さらにそのことを新聞にして各国に事の詳細を流す。これにより両国の関係は一気に悪化した。こうして、ブリタニアはガリアのみに注力することができなくなったのだった。
これだけでもブリタニア王国は頭が痛い事だろうが、さらに事態は急展開を迎える。アステカ帝国の国土の多くを占領していた新大陸のワシントン将軍がブリタニア王国本国に対して独立を宣言したのだ。まさに格好のタイミングでの宣言に、ブリタニア王国は苦しい局面を強いられることとなった。

だが、頭が痛いのは何もブリタニア側だけではなかった。それは現在もっともブリタニアに近い距離に展開しているオリーシュ軍、すなわちイスパニア王国(の住民)との終わりが見えない戦いを抱えている近衛元帥もであった。今までは占領した土地と未占領の北部に意識の大部分を向けておけばよかったのが、急にブリタニア軍への動向も注意しなければならなくなったからだ。特に、精強でしられるブリタニア海軍に。このままブリタニアとの関係が悪化すれば、海峡が奪われ海路を遮断されてイスパニアに閉じ込められるという最悪のリスクを想定しなければならなくなった。

「在ブリタニア大使め、やってくれたな……!」

思わぬ味方からの仕打ちに、近衛元帥のいらだちはとどまるところを知らなかった。












[40286] 近代編 トップ賞は地中海諸国をめぐる旅、ただし不思議は自分で発見しろ 4
Name: 瞬間ダッシュ◆7c356c1e ID:6e339e4b
Date: 2024/01/04 19:20
「エジプトって国名はこの世界でも同じなんだなぁ……違いは何なんだろ? うーん、謎だ……」

地中海の日差しと潮風を甲板で感じながらオリ主は、海に浮かぶ雄大なアフリカ大陸を眺めていた。天高く輝く太陽は強烈であるが、日よけのための砂漠の民の服を着ているため、体感温度はいくらかマシだった。貫頭衣仕立てで袖口と裾がやや広がっているから風通しがよく色は白、ガラベーヤと呼ばれるものである。ほとんど使うことはないだろうが、港で売っていたので土産感覚で買ったのだった。
南ロマーニャを出発したユウ率いるオリーシュ軍はジブラルタル海峡を目指して航海を開始。しかし、海軍を駐留部隊としておいてきてしまったおかげで、現在オリ主たちが乗っている輸送船団を護衛する軍艦が存在しないという割とキツイ弱点をさらす羽目になってしまった。そのため、進み方に工夫が求められた。

「アフリカ大陸北岸をなぞるように西進し、アフリカ側におけるジブラルタルの最寄りのタンジェという土地を目指す」

というユウの計画にのっとり、船は進行方向左にアフリカを見ながら進むこととなったのだった。これならもし万が一ブリタニア海軍(ブリタニアが引き起こした謀略の暴露はすでに新聞によってオリ主たちの耳にも届いていた)に発見されようとも即座に陸地へ上陸することが可能という目論見であった。オストマルクとガリアが突如裏切ってこない限り、現状最も警戒すべきはブリタニア海軍とイスパニア海軍の残党であることは明白であった。だが

「おっ! 三時の方向、何か見えます!」
「こちらでも確認した……。む、軍旗も国旗も掲げていないな……だが漁船でも商船でもないぞ」

輸送船を動かすための船員たちのやり取りが聞こえてきた。なんだなんだと思ったオリ主は船員たちが指さす方向を自分でも見ようとして、目を凝らす。たしかにそこには船の影が見える。

「なあおい、もしもあの船が敵国の軍艦だったとすると俺たち逃げられんの?」
「まぁ……そこは腕の見せ所ってことで」

近くにいた船員に訪ねると、そんな答えが返ってきた。
海は広いため、目視できる距離から船体同士が触れ合うほどまでに接近するのにかなりの時間がかかるからとのことだった。「なるほど、これだけ距離があればこのままぶっちぎれると」とオリ主は解釈した。そしてある程度リラックスしてその船の動向を見守っているのだが……

「海賊船だ!! 海賊のフリゲート艦が接近中だ!」
「おい、どんどん近づいて行ってるじゃん!」
「……逃げ切れるとは言っていないってことで」

あわただしくなる船上。先ほど頼もしい答えを出した船員を見つけて再び問いただすと、がっくり来る返答が返ってきた。そうこうしているうちに船はどんどんと南へ進んでいく。アフリカの陸地どころか、そこにある岩の形までもが今でははっきり見えるようになっていた。

「上陸用意!! 物資の運び出しは予定通り最優先! 樽詰めにしてあるものから落とせ!」


誰かが発した大声は、アフリカ大陸上陸を不本意ながらも宣言するものとなった。オリ主が購入したガラベーヤは無駄にならなかったらしい。




「どういう経緯でそうなったのかはよくわからんが、何百年か前の戦争でめちゃくちゃにされて、今みたいな状態になってそれっきりらしい」

そう言ったのは、現在地アフリカ大陸はトリポリで一番長く生きているという老人だった。軍隊を引き連れて現れたオリ主たちに一番最初に堂々と相対した人物だった。

「西のオアシスに交易拠点となっている都市はあるが、まあ、基本ここいらは荒地ばっかりだ。見ての通り、岩と砂ばっかでろくに金にならんからな」

老人はヤケクソというか、むしろもう失うものなんて何もないという態度で吐き捨てた。
オリ主たち一行が上陸したトリポリという名前の土地は、エジプトの支配をかつては受けていたことがあるらしい。が、現在は少数の集落が身を寄せ合っているだけで、どこの国にも属していないという特殊な地域であり、そんな地域が西方にはさらに広がっているという状態だった。原因は一言で言うと戦争で、土地を取って取られてを繰り返し、人口が目減りしてもはや維持する旨味もないと思った当時の戦争相手の国が焼き払ったという。以降再建されることなく、当時の住民の末裔たちは国家に頼るすべを失い、いまは交易路の維持をすることで細々と暮らしているとか。
そんな人物に我々はタンジュに陸路にて行きたいと言えば、失笑された。

「ここからタンジェまで歩いて行くだってぇ? さっき言った都市を経由しないで急いでも二か月ってところだな。素人だらけでろくな準備もないまま砂漠に突入して干からびなきゃな」

ここトリポリより西は砂漠地帯が多く、ほとんどが不毛の大地でありほぼ無人である。一応、北岸の一部では普通に農業ができるレベルにまで肥沃な場所もあるらしく、それを頼りに地中海交易の拠点となっている場所もあるにはあるが、基本的にはやはり、ここのような小規模な集落が点在するのがせいぜいとのことだった。

「まあ、それでも行くってんなら、ここで装備を整えな。金……あんだろ?」
「……期待を下げて上げるとはこのテクニシャンめ! で、いくら?」

提示された金額は、まあまあの金額であった。おそらくは足元を思いっきり見ているのだろ。

「……買わないという選択肢はない。すべて買うと伝えてくれ」

こうして、異世界でも普通に言語が通じるというチートをフルに活用して、ユウの通訳を務めて砂漠越えの装備を整えたオリ主たちであった。どのような言語であろうとネイティブスピーカーになれる――社会的動物である人間にとってコミュ力こそ最強なのかもしれない。ただ最後、去り行くオリ主の背中に向かって投げられた「道中、『砂漠の孤児』には気をつけろよお!!」という言葉の意味は、読み取れなかった。

「砂漠の孤児って言っていたが……わかるか?」
「さあ?」

普通に考えてネガティブな言葉であることはなんとなくではあるが理解できた。そして
その言葉に含まれるなんとも言えない「重さ」を感じながらも、オリ主たちはあまり深く考えず意味を尋ねることはしなかった。理由は道中を急ぎたかったからか、それともその意味を知るために現地の事情を詳しく知ることを躊躇ったからなのか……誰にも分からなかった。






ところで、当然ながら北アフリカの気候は日本とは大きく異なっている。それは気温といった想像しやすくわかりやすいものから、思考の隙を突くような違いまでさまざまである。今回オリーシュ軍を悩ませたのは、「夏なのに雨が少ない」という特性だった。北アフリカでは、冬に雨が多く振り、反対に夏には少ないのだ。すなわち、北アフリカを徒歩で横断する者にとっては暑い上に水もないという生きることすら困難な環境となる。雨が少なければ川や池が見つけられない。あってもほぼほぼ干上がっていて水筒を満たすことができない――――喉が渇く苦痛が常態化していく。

遠い大陸の西を目指して出発した部隊は、もはや殺人的と言う以外にない酷暑中での行軍を避け、なるべく日差しのなくなる夕暮れから夜間にかけて行軍を行うことにした。その分到着までの時間が長くなるが、不満を言うものはいなかった。差し当たっての目的地は、北西に向けた2週間程度の距離にあるスファックスという名の遺跡群、さらにそこから北に1週間少し歩いて交易都市チェニスを目指して歩くこととなった。全行程3週間程度の砂漠越えである。

「一日のうち歩ける時間がだいぶ少ないな」
「朝から晩まで歩けるのって、普通じゃなかったんだなぁ……パナマもバカみたいに暑かったけどここほどじゃなかった」

兵士たちがそんなふうにぼやきつつ、手で西日を遮り歩く。最速で行くことを考えるのなら太陽が照りつける日中の砂漠を突き抜ける行軍が要求されるが、いくら準備しようともそんな真似をすれば全滅することは目に見えていた。人類はいまだ、地上すら完全制覇できていないのだ。

「食い物より水の値段が高いってすげぇよな……」

一歩を踏み出すたびに、身体に何かがぶつかる。その正体は各員が持てるだけ体に括り付けた水筒である。その上この時、荷物を運ぶためにラクダを購入したが、その背には持ち込んだ食料をいくらか交換して得た水を持たせていた。優先度が食料よりも水というのが、オリ主含めすべての将兵たちには衝撃だった。日本生まれのオリ主もカリブ海で育った兵士たちも、ここまで水に困った経験がほとんどなかった。そのため、最初はこの過剰なまでの水偏重装備を鼻で笑っていた。もっとも、その後すぐに考えを改めることになるのだが。とにかく水がすべてと言わんばかりの装備は、この後待ち受ける環境がそれほどきついのだと言外かつ端的に教えてくれる。だが、決して砂漠越えの敵は暑さだけでもなければ、水を大量に運ばなければいけないことによる重量だけでもない。答えは、あれほど忌々しいと思っていた太陽が沈んだことで判明する。

「寒いんだけど! ふざけんなよオーブンからだして冷蔵庫に直行される食材かよ俺たちはよ!!」

叫ぶオリ主に、周囲からうるさそうな、それでいて同意の意が込められた目が向けられた。日差しを避けて日中は移動を控える、そして夜に動くというと何やら夜はイージーモードのように聞こえるがそんなことはなかった。夜は夜で昼の気温が嘘のように寒いのだった。
それでも日中よりはましである。日暮れから出発した後は深夜まで寒さに震えながら歩く。乾燥した砂の大地を今度は月が寒々しく照らし、歩くべき道を心細く教えてくれている。月光と砂漠と旅人……一見すれば旅情あふれる光景であろうが、行っている側にしてみればしんどいだけだった。そしてくたくたになりながらも明日に備えて野営して、毛布にくるまって眠る。すると朝、気温の上昇に伴う寝苦しさで目が覚め、けだるげに毛布を剥ぐとその表面は露で濡れているのだ。

「砂漠なんて人間が生きる場所じゃねえ!!」

誰かが叫び、それを聞いた誰かが重く頷く。一晩ですでに、砂漠の環境がいかに過酷であるのかを、分からせられたのだった。




自分でも何が何だかわからないうちに南ロマーニャの王になったカルカーノは、とりあえず急ごしらえで用意された紛い物の玉座にて物思いにふけっていた。一日中座っていることが多くなったが、それがどうにも慣れない。今も尻のあたりがモゾモゾと違和感を感じることに、カルカーノは落ち着かない表情を浮かべる。あるいは何かデスクワークでもあればよかったのかもしれないが、あいにくとお飾りの王である彼に任せられる仕事は権限的な意味でほぼなかった。あるとすれば、そこに座って形ばかりのサインを入れるだけ。ほぼほぼ尻で椅子を温めていれば済むという、ある意味でうらやましい任務のみだった。

「ハタラカないことが、こんなにも苦しいとは……」

思わず、ワーカーホリックみたいな言葉が出てくる。そして、改めて考えを巡らせるのだった。元アステカ領であったパナマにて徴兵され、その後オリーシュ軍の志願兵として祖先の地であるロマーニャへ王としてたどり着く――どこでどう作用すればこうなるんだと言いたくなるくらい、随分と奇妙な人生だ。どんな奇縁・宿命があったらこうなるのか、と。あるいは、自分の家名がそうさせたのではとロマンティックに考えるべきなのか、と。原隊から離脱し、一応とはいえ国王代行的な仕事をしていると、どうしてもとりとめもない考えをしてしまうのだった。

さて、オリ主たちがジブラルタルの地に旅立ってから数週間。そろそろたどり着けただろうかとカルカーノは思っている一方で、当のオリ主たちがアフリカの地にて過酷な砂漠行軍を行っているまさにその時であった。日々を椅子の上で過ごすカルカーノのもとによくわからない知らせが届いた。曰く、パナマから南ロマーニャ行きの交易船に強引に相乗りし、こちらを目指している子供がいるという知らせ――というか噂である。船乗りたちが仕入れた面白おかしい噂話が、人づてに自分のところにまで来たようであった。どうやら暇なのは自分だけではないらしい、とカルカーノは思いつつ、随分と行動力がある子供だと、そんなふうに呑気に思っていた。だがその無茶な行動に自分の妹の顔がちらついたその瞬間、カルカーノの背中にツーっと冷汗が流れた。それは、オリ主が最近覚醒(笑)した危機察知能力だったかもしれない。

「イヤイヤ、そんな……」

流石にそんな馬鹿なことがあるかと頭を振り、カルカーノは仕事を再開した。といっても、椅子を尻で温めて上がってくる報告書に目を通して認印代わりにサインを書くだけのきわめて単純な動作であったが。
もしも彼の立場にオリ主がいたなら、四の五の言わずに即座に仕事を放り投げて逃げ出していただろう。ゆえに、それが出来なかったカルカーノは唐突に開いたドアより飛来したパイナップルを顔面で受けることになった。

「お土産ですわお兄様! ってあらあら。よける動作もできずにまともに受けてしまわれるなんて弛んでませんか? 兵士になって出世したと聞いたというのにそれではいつ暗殺されるか分かったものではありませんわね。か弱い乙女の投擲など軽く受け止めてほしかったものです。それでわれらが一族の悲願を達成できると? なんたる油断! なんたる怠惰! お兄様には偉大なるロマーニャ帝国復活という大義をなす覚悟がおありなのですか?! どうなんですの?!」
「テ、テオドラ……なぜココに!?」
「質問に質問で答えるんじゃありません!!」

テオドラと呼ばれた少女は、倒れたカルカーノを頭上から𠮟りつけた。身長は低いくせに、存在感で身体がその分大きく見える。背中に何か強大なプレッシャーを放つ存在を背負っているかのようである。

「我らが一族が背負った名をお忘れですか? パレオロゴス家! そうロマーニャ帝国最後の皇帝一族の名前! お兄様にはその血が流れているのに気が付いたらすっかり新大陸の庶民に毒されて……そのような訛りが相変わらず抜けていない! 旧領にて王になったと聞いた時はさすがはお兄様やるときはやる男だと尊敬申し上げたのに……うっ……うっ! 庶民に混ざりパナマ運河の工事に参加までして一族の再興を助けようとしているというのに……」

ひとしきり怒鳴ったあと、怒りから一転して悲しげに目元を抑えて嗚咽を漏らしだす。見ると、少女らしく柔らかそうな手には、血豆がつぶれたような跡が。事情は分からないが、妹は妹で真剣であるらしかった。それもあってか、カルカーノはもう完全にこのテオドラという妹に圧倒されて、どうにもならなくなっていた。
だが、これでも死線を潜り抜けてきた兵士である彼は、言わねばならないことはキッチリ言う。

「テオドラ、ここはアブないんダ。いまスグかえりなさい」

カルカーノは自分がお飾りの南ロマーニャの王になったことを聞いて、勘違いしてすっ飛んできたんだと考えていた。いくら賢かろうと真剣であろうと、所詮は子供なのだと。だが実際はここは全然安全でもないし、自分に安全を守るだけの力はない。だが口に出した段階で、不自然さに気づく。自分がここで王になってその知らせがパナマに行き、そこから即座に船に飛び乗ってここを目指してもどう考えても期間が短すぎる。まさか――――

「? そんなのとっくに覚悟しておりますわ。お兄様の所属部隊がヨーロッパに派遣されると知った瞬間から、ヨーロッパ行きの交易船を探して乗れるように手はずを整えてましたから。戦場まで会いに行く気満々でしたわよ!」
「えぇ……」

あっけらかんという妹にカルカーノは言葉を失った。

「本来であれば武功を挙げられるように私が影に日向に手助けする予定でしたが、すでに王を任されるほどの活躍をされていたのはうれしい誤算でしたわ。さあ、さっそく南ロマーニャを我らの兄妹の手で盤石の根拠地としましょう! その訛りもおいおい直していきましょうね?」
「いや、ショセンはあくまでイチジテキなオウサマで……」
「はあ? そんなのもちろん知っていますわ!!」

胸を張って答える。そして、目をギラギラと光らせて微笑みかける。正直、カルカーノは獰猛な獣に相対しているような気分にさせられて今からでも逃げようと考え――--どうせ無理だとあきらめた。人間は、時にあきらめが肝心になることがある。今がその時であった。

「いずれオリーシュ人の正式な主がくるなり放棄されるかまでの暫定的な立場だってその辺の兵士に聞きました。でも王は王でしょう? 今のうちに既成事実化しておけばいいのですわ! 例え正式な主が来ても先に根付いておけばいずれ実権を奪い取るチャンスは訪れる。それは放棄された場合でも同じですわ!」

妹の口から随分ときわどい発言が飛び出して、瞬間カルカーノはドアの方を見た。だれもいなかったが、もしかしてそういうのを知っているからこその発言だったのではないかと考えたカルカーノは悟る。もはや何を言ってもどうにもならない、自分よりよく考えた上で(その内容はともかく)発言しているのだと。

「さあ忙しくなりますわよお兄様! まずはこの土地で今現在一番お金を持っている人間を教えてくださいまし! どうせ元々の一番はとっくに資産を移して別の国に逃亡済みでしょう? 他国に占領されてなおも残っているということはよほどの暗愚かさもなけば愛国者ということ、そこから切り崩しましょう!」

イキイキと策謀を計画し、獰猛な瞳でその内容を語っていく妹の姿を見て、自分の人生はいったいどういう方向に進み始めているのかと改めて思うカルカーノ。ただ、決して平凡とはいかない人生が確定したということだけはハッキリしていたのだった。まあ、今更の話ではあるが。





あとがき
新年あけましておめでとうございます。更新しなければと思いつつも、結局できずに年が明けてしまいました。改めて抱負を。完結目指してかんばっていきたいと思います。


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