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[40522] 【艦これ二次創作 シリアス】貧乏くじの引き方【本編完結、外伝進行中】
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2016/02/02 00:18
 自ブログ、Pixivなどでひっそりと公開している艦隊これくしょんの二次創作です。曙の震え声が可愛いとか叢雲と元艦娘の提督でアレコレやりたい的な色々をごった煮した結果出来上がりました。

 ゲームの方で殆ど触れられていない部分に結構な独自解釈が入っておる事、女性提督、スケート戦闘、そういったあたりが苦手な方はブラウザバック推奨となりますのでご了承下さい。



2月2日:追編最終話投稿、これにて本編完結となります。



[40522] 艦娘(かんむす)及び深海棲艦(しんかいせいかん)の調査資料及び噂。
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2014/09/27 12:32
「艦娘及び深海棲艦」に関しての調査資料。

 以下の資料は、筆者が独自に集収した、生体兵器「艦娘」についてのものである。
一般に公開されている資料も少なく、伝聞や噂、匿名の情報によって構成される部分も存在するため、話半分、として目を通していただきたい。

 しかし、我々が深海棲艦という脅威にさらされていることは紛れもない事実であり、それの対抗策として「艦娘」と呼ばれる何かが存在することも、また紛れも無い事実といえるだろう。情報が入り次第、適宜更新していくとしよう。



「艦娘」について。

艦娘とは:ある時期を境に、日本を始めとした各国近海に出現した正体不明の勢力(同国では「深海棲艦」と呼称されている為、以下「深海棲艦」として統一)、それに対抗するために生まれた生体兵器を「艦娘」と呼ぶ。
出自その他は民間に公開されておらず、第一号艦娘「三笠」が何故生まれたのか、何故「三笠」だったのか等は一切不明である。
 また、今現在でも海軍省及び陸軍省は艦娘の成り手を公募しており、志願者は少なくないとされている。

名称:彼女らは大日本帝国海軍所属の艦艇を称し、その装備(以下「艤装」と表記)の元となったとされる艦艇の名前、記憶を語るが、過去数百年(国名を日本と改めたのは早くとも三百年程前と考えられている)の資料を確認した所、帝国海軍と名乗っていた時期の艦艇に艦種と艦名、経歴が全て一致する艦艇は存在せず、その出自が疑われている。
 ただ、彼女らの言う「艦の記憶」を原因としているのかは不明だが、戦死者に特定の艤装を持つ艦娘が偏る、特定の艦娘の負傷率が高いといった事例が報告されているらしく、記録として存在していない艦が居るのではないかといった説から、異世界の船の記憶ではないかといった言説も一部では存在する。

艤装:彼女らはそれぞれ、軍艦の武装や艦体を模した装甲などを装備し、生身で戦場へと赴く。出現した当初はプロパガンダの一種であろうとの論が多数を占めていたが、実戦投入が明言された時期を機に制海権が回復しつつある為、少なくとも深海棲艦への対抗策そのものは見つかったのであろうと言われている。

 筆者個人としては「艦娘」という非人道的な兵器が利用されているとは考えたくないが、ひょっとしたら、という一念は捨てることができていない。



※※※以下、極秘資料により持ち出し厳禁※※※

カテゴリ:艦娘にはその製造過程により幾つかの区分がなされているらしい。以下にその概要を示す。

【オリジナル】「もともと」艦娘であった者を指す。報告によると戦闘海域で意識を失い漂流している個体に遭遇することがある、とされている。匿名の情報によれば、「深海棲艦の亡骸、心臓部に当たるコアを建造資材とし、そこから建造する」「深海棲艦を殺傷し、その身体から引き摺り出す」といった話もあるのだが、甚だ信憑性に欠けるため、突飛な噂程度としてとどめておく。

【クローン】呼称通り、オリジナルと呼ばれる艦娘の細胞を元にクローン培養された者を指す。どういう訳か、一号艦娘「三笠」の登場前後よりクローン技術の急速な発展が起こり、それによる艦娘の複製、陸路での各戦線への輸送が可能となった。自身がクローンであることを認識しているらしく、オリジナルの複製直前までの記憶を保持している。
 また、クローンとオリジナルの艦娘が接近すると共鳴が起こると言われているが、今のところハッキリとした報告は受けておらず、それによりどういった現象が引き起こされるのかは不明である。噂では後述のシグ、オリジナル等と通信障害等を一切無視した意志の疎通が可能とも言われている。

【シグ(Cyg)】人間が適性検査を受け、調整を行われた結果艦娘となった者を指す。上記の公募と関係があると思われる。
 調整の際には艤装の仮装着、記憶の植え付けといった工程を経て、それに適応した者のみが艤装を扱うことが出来る。「艦娘である間」、彼女らは一部の自我を残して「艦艇」そのものであるため、自他を艦名で呼ぶ。艦娘、という名前の指す通り、男性は艤装の装着そのものが不可能とされ、仮に装備した所で神経接続が出来ず、重石同然となるとの調査結果もある。
 また、解体によって戦闘能力を失った者は監視の元で一般人に戻ると言われ、調整に失敗した者も、監視下に置かれはするものの民間に帰属する事が可能とされている。
 事実、我々は適正がなかったとされた者への接触にも成功している。

※呼称に関して。初期はサイボーグとされていたが、一部団体の大きな反発によりひと目でそれと分かりにくいように、更に省略したものとなっている。
また、この呼称の変化の裏には調整失敗に依る事故があったという噂もあるが、それらしい記録も存在せず、聞き取りでの成果もないため、此方の噂は信憑性に欠ける。



「艤装」について。

艤装:艦娘が身に纏う、艦艇の兵装や装甲を模した構造体。身体側に装着する「アダプター」に基部を接続し、神経接続及び脳波によって制御を行う。艦艇そのものの積載可能重量が基本的な閾値となっているが、艦種次第では閾値を超える兵装を装備することも可能と言われている。
搭載武装そのものは人類の技術でも複製可能なものであり、人間でもメンテナンスを行うことは可能である。
 逆に基部はブラックボックスとなっている部分も多く、特に艦艇の記憶に関係する領域は人間には手が出せない為、艤装そのものの総数はオリジナルの回収、または建造でなければ増やすことが出来ない。そのため、クローン技術の発展にも関わらず、艦娘の数は右肩上がりといかないのが現状であるらしい。
 実験として、記憶を司っていると思しき領域をカットし、戦闘能力だけを備えた艤装の開発も行っていたが、そのどれもが起動する事すら出来ず、計画は打ち切られている。



「深海棲艦」について。

深海棲艦:我ら人類の敵という事以外、現在のところ全く不明である。民間よりの再三の情報公開要求にもかかわらず、公開されたのは艦娘が撮影した(とされる)姿と、旧来の兵器が通用しない、ということのみである。その姿は多岐に渡り、ヒトとの差異がほとんど見受けられないものもあれば、不気味な化物としか形容出来ないものもある。
 上で兵器が通用しない、と形容したが厳密には誤りであり、実際の所は「当たれば殺せる」ということらしい。というのも、当の深海棲艦が非常に小型であることから既存の艦の兵装では接近時に射界に入れられないという事と、速度が現存の艦艇同様数十ノットを軽く超えるため、兵装の射界に入る距離ではとてもじゃないが直撃させられない、という事である。
そのほぼ全ては、「コア」と呼ばれる心臓部の破壊により殺害する事が出来、障壁を撃ちぬく為に、艦隊戦の際は徹甲弾を用いることが多い。
 そして、奴らの攻撃手段に関しても幾らか情報は入っており、基本的には艦艇と同じように砲撃、雷撃等を行うそうだ。ただ、近接戦闘能力も有しているらしく、小型の深海棲艦に艦体を食い千切られそうになったという報告も掴んでいる。証言によれば攻撃の直前、一瞬で巨大化したという。
今のところ大きな個体にしても、本体部分は人間より一回り大きい程度、と聞いているため、艦船を食い千切ることが出来るほど大型化する、と言われても怪しいものだと言わざるを得ない。



【追記】「船酔い」について

 艦娘やそれと共に戦場に立つ者の間で流れる噂に「船酔い」というものがあると聞いた。どうやら、艤装の元である艦艇の記憶に精神を蝕まれることを指し、軽症時は頭痛や不快感、吐き気等に苛まれる事からそう呼ばれるという。
 また、重症化する事を溺れると形容し、最悪の場合、多くは記憶を辿る形で命を落とすとの噂もある。前述の「戦死者が特定の艤装適合者に偏る」という噂と、なにか関係があるのかもしれない。



[40522] 第一話
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2014/09/27 02:40
「へっ? ボクに曙の面倒を見て欲しい、ってどうしたのさ。」
 ドッグへ向かう航空巡洋艦艦娘、最上を捕まえ、着任して日の浅い女司令官はすこぶる疲れた様子で項垂れた。
幾らか距離の近い最上の態度から想像のつく通り、彼女は少女と呼んで差し支えない程度の外見であり、この辺境の艦隊では、彼女一人が指揮を執っていた。
「……うん」
「二週間ほど前に秘書艦にして面倒見るって言ってなかったっけ、もうリタイアなの?」
「うーん……うちの面々に演習だけ、とか遠征、とかで任せてみたりもしたんだけど、どうも折り合い付かなくて」
「それでボクに? ……それは流石にどうかと思うよ」
 少女の眉間に皺が寄る。それもそのはず、艤装を外せばただの少女とはいえ、彼女等はみな「その名の元となった艦の記憶」がある。自身が介錯した相手に面倒を見て貰えと、自分を介錯した相手の面倒を見ろと、そう言われていい気はしないだろう。
「あーうん、渋い顔をする理由も十分わかるんだけど、あの子が自分も周りも否定する理由って主にそういうとこじゃない。」
「そりゃあそうだけど……」
「介錯だけの話なら他の子だって経験してるだろうけど、それ以上に関係ない事で色々言われ続けてたってのがかなり効いてるんだと思う。で、かなり捻くれちゃってるし私だけじゃ多分足りないの」
「……つまり、特に酷かった翔鶴さんやボクの件だけでもフォローしてやれ、ってこと?」
 まあ、そういうことになるわね、と複雑そうに彼女は話す。一通りの状況を聞き終えた後、「最期の貧乏くじ」を引かせた少女は苦笑いを浮かべた。
「ボクとしてもこのまま凝りを残したくはないし、協力するけどさ。……とりあえず胃薬貰っていいかな?」
「……経費で持つわよ」



「……はぁ、何で引き受けちゃったんだろ」
 自室でぽつり、とひとりごちた。記憶、という物はなんて残酷なのか、と。一頻り考えの纏まらない頭を抱えて後「翔鶴さんにぶつけるよりはまだマシか」と毒づいた。
「ああは言ったけど、曙、かぁ……」
「曙さんがどうかしたのです?」
 私用で部屋に来ていた暁型駆逐艦、電の不思議そうな声。なんでもない、と言いかけてベッドから体を起こし、改めて声のした方へと向き直る。
「うーん。電って曙と仲良かったっけ?」
「えーと、時々お話はしますけど、特別仲が良いというほどでは……いえその、嫌いというわけではもちろんないのです!」
「ああうんそこは分かってる。……その、ボクらの艦隊で引き受けるように提督に頼まれてさ」
 電の眉がぴくりと動く。嫌っている筈などない、とはいえ、少々気弱なきらいのある彼女としては、理由があっての事とは言え他者に心を開こうとしない曙を幾分か苦手としていた。
「……」
「やっぱり、嫌? ……ああ、ごめん、こんな質問するべきじゃなかったね」
 頷く事も、首を振る事も出来ない。「貧乏くじを引き続けた少女」の話は聞き及んでいるし、同情の余地なら掃いて捨てるほどある。ただ、それを理由にして親しく振る舞うなど彼女には無理であったし、恐らく曙自身が黙っては居られないだろう。
 他者を攻撃する事で辛うじて理性を保っている身で、憐憫のまなざしを向けられ、同情を理由に優しくされたとしても、それに縋る事などは出来ないし、かといってそれを撥ねつけてしまおう物なら、それこそ他者からの視線が憐憫から侮蔑に変わる。そう彼女は捉えてしまう。
 実際の所はどうであれ、依って立つ物のない少女にとって、誰かを頼る事の出来ない状況を続ける事は、最早限界に近かった。
「せめて普通に関われるようになればいいんだよね、今みたいに周り全部と距離を置かなきゃいけない状態じゃなくて。状況が違うんだからやり直せるって言えれば、良いんだけどね」
「……そう、ですね」
「ちょっと編成のことも掛け合ってみるよ。ボクだけじゃ難しいかもだし、遠征組の潮を引き込めれば少なくともチャンスはあるかもしれない」
「……電も手伝うのです」
「うん。ありがと」
 そういえばさ、と腰を起こしかけた電を呼び止める。
「なんで彼女が司令官なんだろうね」
「不服かしら?」
 鈴の音を伴い、扉の音を掻き消す声。挑発的とも取れる声色を気にするでもなく、二人は声の主、叢雲の方へ視線を向ける。
「そういうわけじゃないよ。ただ、今まで下士官だったような子がいきなり戦時特例、とか言って将官になった上、辺境とはいえ艦隊司令官だよ? おかしいでしょ」
「確かに、妙だとは思いますけど……」
「……機密保持のためと、一応の戦術指揮を知ってたから、じゃ駄目かしら。成り損ないなのよ」
「成り損ない、って」
 言葉通り。そうにべもなく答えた。どうやらそれ以上を話すつもりは無いらしく、最上の向かい、電の隣に腰を下ろす。いつになく険しい表情の彼女を見、話を本題に戻す。目下の問題は叢雲曰く「成り損ない」である司令官ではなく、彼女等の艦隊の一員である曙であったのだから。



「ねえ、曙、ちょっといいかな」
 秘書官としての雑務を黙々と続ける、黒髪の少女の手がふと止まる。大きな本棚の前に陣取り、書類を整理していた彼女の表情は固かった。
「……何、クソ提督」
 「クソ提督」、そう曙と呼ばれた艦娘は言い放つ。いつかの戦闘の際に電が発見、艦隊に迎え入れられてからずっとこの調子であった。別に司令官の少女が彼女に辛く当たったことも無ければ、他の艦娘が敵意を持っていたわけでもない。それなのに、曙は、貧乏くじを引き続けた少女は頑なであった。
「だからそのクソ提督ってのいい加減……、いや、そうじゃなくて。配置変更命令」
「……ふーん、別にどうだっていいけど。艤装の解体でも近代化回収の資材にでもなんなりと使えばいいわ」
「そう言うのじゃなくて、来週から第一艦隊に異動命令。秘書艦の業務との並行はどちらでも良いから、今週中に返事お願い。近辺の制海権は取れたから本腰入れて勢力を広げようと思ってるの、伊豆のこともあるしね」
「そう……他は誰が居るの?」
 曙の問いに答えることなく、彼女は一枚の書類を手渡す。話をするのがそんなに嫌かと嘯く少女だったが、書類での通知に留めた理由を直後に痛感することとなった。
「こ、の……クソ提督ッ!! そんなに私が気に入らないならとっとと外すなり解体するなりすりゃいいじゃない! こんな持って回った嫌がらせ考えるなんてどんだけ腐ってんのアンタ!?」
「命令って言ったでしょ。それに、フネの記憶を理由に周りを避け続けられるといい加減迷惑なの」
「なっ……!」余りに直接的な科白に反論を返すことも、嫌味を放つことも出来ず言葉を詰まらせる。今にも泣き出しそうに映ったか、小さく溜息を吐いて諭すように話を切り出した。
「今解体して戦線から外す、ったって相手は減る気配もないしそんな余裕もない。それに、気に掛けてくれてる相手から逃げて次は何処に行くの?」
「それは……」
「別にアンタが憎くてやってるわけじゃないし、今後も艦隊に居てもらう必要があるから、私はこの配置命令を出したの。やってくれるわよね」
 断ることは、できなかった。
「戦果を挙げろとは言わない。とにかく、死に急がない事」
 声色から、少なくともこの身を気に掛けているであろう事は読み取れた。故に尚更。
「言われなくたって生き延びてやるわよ、クソ提督……」
 頑なにならざるを得なかった。



「そらまたケッタイな話やなあ、司令はんも人が悪いゆーか」
「怪体、ですか?」
 せや、と黒髪の少女が頷く。彼女は黒潮、陽炎型駆逐艦三番艦の艤装に適応した艦娘である。
「司令はんはたぶん、長期戦をやってる暇はない、荒療治で片つけてまおう思てる」
「……」心当たりはあった。そもそも、横須賀からそこそこの距離があるとはいえ、本土から程近い海洋に深海棲艦が侵攻しているこの事態が既に異常なのだ。生体兵器『艦娘』の実戦投入により持ち返したとはいえ、だ。
「ショック療法、ですね」
「ウチ等が言うんもアレやけど、得体の知れん兵器で得体の知れん怪物と戦う状況なんか、さっさと終わらせたいからなあ」
「……ケッタイな話なのです」



 最上の胸中は決して穏やかなものではなかった。聞いたことのない海軍の記録に無い船、それらの記憶を持つ自分達『艦娘』。解析が進み、クローニングされるようになってもなお『オリジナル』である彼女は自分の生まれをすら知らない。
 そして、突然の編成の変更。司令官より手渡された指示書に、記憶として眠る『最上』が警鐘を鳴らす。
「因果は巡る、かぁ……博打打ちなんだ、提督って」
「何、曙の話?」
 鈴谷、そう呼ばれた少女がひょいと最上の手に踊っていた指示書を掠め取ってしまう。興味深そうにふんふん等と鼻を鳴らしていたのも束の間、みるみるうちに眉間へ皺が集中する。
「何コレ、ややこしすぎて訳解んないんですけど! 鈴谷ちんぷんかんぷんだよ全くもう!」
「無理に読まなくていいのに……まあ曙の話、っていうのは半分正解。もしかしたらボク等にも関係するかもしれない」
「何ソレ、艦娘全体ってこと?」
 ひょっとしたらね、と嘯き部屋を立ち去る。最上は毛色の違う『妹』を若干苦手としていた。
「……お姉ちゃんって呼べるのは何時になるのかねー」

 『その時』が思いの外早くやって来ることを、この時の鈴谷はまだ知らなかった。




[40522] 第二話
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2014/09/27 12:42
 あれから、数日の時が過ぎた。最上等と行動を共にすることとなった曙は、結局心を開くこともなく、翔鶴や他とも距離を取り続けていた。それでも少し、進展はあったろうか。
「……あ、の。コレ」
「ん? あっ、ありがとう。すっかり忘れてた、ちょっと提督に渡してくるね」
「どういたしまして」
 真昼の食堂。ステープラーで纏められた書類を受け取り、スプーンを咥えたまま席を立つ最上を見、ため息を吐く。打ち解けた、とまでは行かずとも必要な会話を最小限に行える程度にはなっていた。
「……まったく、最上の奴は相変わらずそそっかしいな」
「日向ー、頬にケチャップつけて言っても説得力無いからね?」



「あ、提督、コレ報告書……」
「……」
 『最上』の声が再び、聞こえたような気がした。
「……え? あ、ごめん報告書よね。有難う、後で確認しておくから」
 反論を許さず、手早く最上の手から報告書を取りつかつかと靴を鳴らす。呆気に取られている間に、彼女の姿は見えなくなってしまっていた。
「……何なんだよ、全くもう」
「最上じゃないか。どうした?」
 ため息をつく最上の後ろ、強く響く声が聞こえる。振り返った先に居たのは、戦艦『長門』。艦隊でも屈指の火力を誇る戦艦の艤装を纏う艦娘の姿であった。提督の前ですら咥えたままであったスプーンを口から外し、慌てて背に手を組む振りをして隠す。
「な、長門さん。いえ、少し提督の様子が変だな、って」
「状況が状況だ、仕方あるまい。……まあ、私達は時折道を正しつつ従うだけだよ」
「……長門さん? それって」
「気負うな。後詰には我々がいる」
 胸に拳を軽く当て、此方を真っ直ぐに見据える瞳を見て、思う。『最上』の記憶の時が近づいているのだろう、と。
 この大きな戦いを一つ越えれば、再び平和な辺境住まいに戻るのだから。そう考えれば幾らか気持ちは楽になったし、もとより生まれも育ちも知らない身である以上、護国の為に戦い母国の海に還るのであれば本懐であろう。そう考えた。
「……はい」
 そう、考えざるを得なかった。
「長門ー、そろそろ艤装のtestを行うネー! 大和が超ド級なweaponsの開発に成功したヨー!!」
「ん? ああ、直ぐ行く! 済まないな、そういう事だ」
 敬礼の姿勢のまま、長門と、彼女を呼びに来た金剛とを見送る。後詰の戦力を見ろ、この艦隊の切り札が居る。そう語る背中を見ていると、『きっと上手くいく』そう思えてしまう頼もしさがあった。その背中も見えなくなった頃、踵を返し歩き出す。そして、食べ掛けのカレーを思い出し、慌てて食堂に走ってゆくのであった。

 そして、カレーは余りに帰りが遅いため赤城にあげた、と言われ空きっ腹に追い打ちを掛けるような取っ組み合いを、しばらく天龍と繰り広げる羽目になった。その後間宮と鳳翔に延々と絞られたのも、言うまでもない。



「電、聞いた? 近い内に大きな反抗作戦に出るらしい、って話」
「は、はい……」
 特Ⅲ型駆逐艦、雷の表情は固かった。彼女は基本的に護衛任務、輸送任務を主として任されていた為、艦隊戦の経験に乏しかったのだ。しかし、大規模な作戦行動となれば前線に駆り出されることもあり得る。そう考えるといささか憂鬱であった。
「どうも陸地を占拠している個体が見つかったらしいのよ。それで艦隊の再編をして、複数の艦隊で攻撃を仕掛けるって」
「陸地、ですか?」
「そう。この辺りだと既に利島から神津島以南が敵の手に渡ってる。幾ら海洋の敵が減ったとはいえ、あんな所に陣取られちゃひとたまりもないだろう?」
 澄ました顔で電の問いに答える姉、響の声も重い。それもそのはず、今上げた島々は本土からさほど距離の無い島なのだ。そのような位置が敵の拠点となっている状況は異常でしかない。
 相手が積極的な攻勢に出てこないという一点のみが理由で助かっているという状態に、ため息しか出なかった。
「とはいえ、艦娘が主戦力となった事で、此方に戦局が味方しつつある。此処で勝てればかなり今後が楽になるよ」
「大島は、大丈夫なのですか?」
「うん、あそこはかろうじてこっちの手にある。とにかく先ずは利島、新島、式根島、神津島の四カ所を取り戻すところからだね」
「そうね、そこが空けば呉までの海路は少なくとも保証されるわ」
「そうですね。電たちが頑張ればきっと勝てるのです!」
 そうだね、と響は柔らかな笑みを浮かべた。ここ数週間、長門、金剛らを始めとした戦艦、正規空母などの大型艦が入れ替わりで開発室に出入りしていたのも、この時の為なのだろうと思い至る。それと同時に、基幹第一艦隊の配置変更が引っ掛かった。
「電、第一艦隊の様子はどう?」
「そうそう、確か編成変わったのよね? えーっと、電、最上さん、潮、曙、榛名さん、翔鶴さん、だったかしら」
「間違いないのです」
「……妙だね」
 二人が疑問符を浮かべる。確かに決戦を前にした編成の変更、というだけならわかる。曙個人の技量は決して低いものではないし、前線に慣れている榛名、最上達にフォローをさせれば少なくとも戦果を上げる事は可能だろう。しかし、今このタイミングで少なからず因縁のある艦を同一艦隊に組み込む理由が分からなかった。
「翔鶴さんはまだ艦隊に来て日も浅いし、潮は私達と遠征、護衛を共にしていた。この大型作戦で前衛を務めるのは荷が勝つんじゃないかな」
「うーん、でも一航戦の人たちが後詰に控えてるっていう話だし、切り札をとっておこうっていう算段じゃないのかしら?」
「……」
「い、いまあれこれ悩んでも仕方ないのです。司令官さんの指示が出れば意図も分かるはずですし、それまで待ってみるのです」
「それもそうだね。一応こっちからも確認はしてみるよ」



「諸君、よく集まってくれた。君らも知っての通り、近々大規模艦隊の編成による大島以南、伊豆諸島の奪還作戦が執り行われる。……」
 提督執務室、さほど広くない一室、司令官の座する執務机を挟み、幾人かの少女が並び立つ。その表情は一様に固く、緊張している様子が目にとれた。
「とまあ、堅っ苦しい口上はこの辺りにして。皆も大島を含むこの五島の重要性は理解してると思う」
「大島が我々の手にあるとはいえ、残りの四つが相手の物という状況では、横須賀から西への海路は危険極まりないな」
 長門の言葉に、険しい顔を貼り付けたまま頷く。大島が無事なだけ大分マシね、とは長門の横に立つ陸奥の言だが、全くもってその通りであった。
「とはいえ、今の状況じゃ何時相手に奪われるか分かったものじゃないわ。海路図を見てもらったほうが早いけど、大島が取られたら横須賀は終わり。詰みと言っていい」
「随分とterminallyな状況ネー。喉元に噛み付かれてるなんてコレまでに類を見ないくらいdengerousデース」
 ぴくり、と司令官の眉が釣り上がる。それに気付いているのか、金剛は口角を上げ、にやり、と笑った。
「……帰国子女は後で説教。で、長門に陸奥、大和、日向を加えた五名は各々艦隊を率いて各島の攻略。当然ながら、今回の作戦は横須賀本隊との合同作戦になるわ」
 本隊、という言葉を聞いて渋い顔をする面々。そもそも、横須賀鎮守府と言いつつ、その横須賀港からは大きく外れた地に営舎を構えさせられ、作戦指示や物資の補給ですら、直接のやり取りを一切出来ない相手との合同作戦と言われ、いい顔をする者が居るか、という話であるが。
「不服そうな顔しない。既存の兵器が今更どの程度通用するかって話もあるけど、上陸戦になった場合艦娘だけじゃ対応しきれないでしょ。ウチには『艦娘しか』戦力はないのよ?」
「わかっています。ですが、我々はともかく、駆逐艦の子達は……」
「向こうも向こうで色々ある訳。それに、本人が納得しているとはいえ『生体兵器』を主力にしている状況が好ましいわけじゃない、いい加減に『人間の手で』勝利したいのよ。……優等生を貫くのはこの先辛いよ?」
 表情に暗い影を落とすポニーテールの少女、大和の頭をポンと叩く。
「まあそう気に病むな。とはいえ、合同というのは私個人としても余り歓迎したい話ではないな。提督、どういう話で来ているんだ?」
「作戦進行を相手と合わせるというだけで、直接向こうと一緒に行動することは基本的にないと考えてくれていい。本隊の護衛は本隊の艦娘が、こっちはあくまで挟撃の為の布石ね」
「私達が布石の方か。やはり随分と焦っているようだな」
「むしろ今この状況で焦らないようなのが指揮官だなんて、考えたくないわね……」
「とにかく。作戦行動の開始は来週の木曜、◯三◯◯。出撃はその翌朝◯五◯◯、敵の動き次第では繰り上げる事もあるから準備は万全にね」
 敬礼。それぞれに礼を済ませ、執務室を出ようとする中、少女の声が響く。
「金剛、大和、長門。三人には話があるの」
 背を向けることもせず、俯いていたままの金剛が頭を上げた。
「私だけじゃなくて、二人にもするんデスね。……説教」
「ええ。ちょっと、長ーい説教になると思うわ」



[40522] 第三話
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2014/09/28 14:49
 金剛型戦艦一番艦、金剛。最上等と同じく『海上で回収された』艦娘の一人で、この艦隊に身を寄せて半年ほどになる。そして、彼女もまた、戦艦金剛の記憶を持っていた。
「……確かに、私達は皆、フネだった頃のmemoryを持っていマース」
「それに、その記憶がここの記録と合致しない、という話も聞いている。にわかには信じがたいが、『私達』はこの世界にいなかったらしいな」
「それで、提督、説教……というのは」
 ああ、と手を打つ。きょとんとした顔の大和を見て、司令官の表情が少し和らいだように見えた。
「アレは方便。ウチに来て長い金剛とこの手の話に信用のおけそうな長門、文字通り切り札となる貴女には話しておきたいことがあったの」
 続く言葉は、御世辞にも褒められた話ではなく、三人が三人とも、聞きたい内容ではなかった。



「曙、調子はどう?」
 一人の部屋。ノックの音に気付き扉を開けた少女を待っていたのは、僚艦であり、『自身が引導を渡したフネ』最上であった。
「ぼちぼちです。それでは」
「ちょ、ちょっと待ってよ。今時間あるでしょ? 話くらいどうかなと思ってさあいたっ!」
 ごつん、という音。閉めようとした扉に靴を差し込み、慌てて割り込もうとするあまり勢い余ったらしい。額をさすりながら瞳に涙を浮かべる様を見ては、無下に帰すわけにもいかなかった。
「はぁ……それで、話っていうのは何ですか?」
「……」
 曙の私室に迎えられ、落ち着かなさそうな様子の最上。特に話題を考えていなかったらしく、しばしの沈黙が続き、そして。
「……曙ってちゃんと丁寧な口調で喋れたんだね」
「何、ケンカ売ってる?」
「ああいや、ごめん、そういう事じゃなくて、提督にはずっと強い口調でしょ? だから意外だなぁって」
 悪かったわね、と悪態をつきながらも、その言葉にさほど刺はない。
差し出された麦茶に口を付けながら最上は笑った。
「ま、提督は提督で極端にどうこう言うつもりもないみたいだし、良いんじゃないかな? それにしても、部屋の雰囲気とか、色々と以外な一面が見えて面白いよね」
「……やっぱりケンカ売ってるでしょ」
「そ、そんなつもりは無いんだけど……それで、艦隊には慣れた?」
「……一応」
 素っ気ない反応に、困ったような笑みを浮かべる。あの提督は自分達の事くらいはフォローをしてやれ、と言ったが、その辺りの話には少女は頑なに踏み込ませようとはしない。正直言って手詰まりと言いたい状況であった。
「……でも、提督も分かんないよね。ボク達を急に同じ艦隊に入れるとか、それもこんな時期にだよ? しかも翔鶴さんまで編成に加えようなんて、ちょっとどうかと思う」
「やっぱり嫌なんだ」
「……そういう訳じゃない、けど。一朝一夕で気持ちの切り替えができる話じゃないと思うんだ。ボクにしたって、曙にしたって」
「私は別に気にしてなんかないわ。勝手に分かったような態度とって同情しないでくれる?」
「で、でも……」
「何の断りもなく人の傷口に土足でズカズカと踏み込んできておいてケンカ売ってるつもりはないって冗談じゃないわよ! お節介焼きなのか知らないけど、ハッキリ言って迷惑なの、良いから出て行って!!」
 虎の尾を踏んだと気付いたときには既に遅く、弁解も謝罪も聞き入れようとしない曙に、程無くして部屋を追い出されてしまった。張り上げた声は震え、目尻に涙を浮かべる様が見えたのは、幸運だったのだろうか。
「……ままならないなぁ」
 小さく呟き、とぼとぼと廊下を歩く。途中、曙と似た姿の少女とすれ違った事にも気付かなかった。



「……最上?」
 肩を落とし歩く姿を見掛け、慌てて駆け寄る。艦隊が異なるとはいえ、日向としては妹分のような相手である彼女を放ってはおけなかった。
「あ、日向さん。どうしたんですか?」
「それはこっちの台詞だ。何かあったのか?」
「やだなぁ、何もないですよ」
 頑なに何もない、なんでもないとと繰り返し足早にその場を去ってしまう最上を引き留められず、離れていく背中を見てため息をつく。
「……マズいな」
「何がマズいのさ?」
「伊勢か。最上のヤツ、“フネに酔って”る。あのままだと次の攻略戦で死ぬぞ」
「ホントに? てことは潮が曙を気にしてたのもそれかな……なんにせよこっちでカバーしないと不味そうね」
 ため息が重なる。伊勢や日向自身が患ったことはなく、艦隊内でも話を聞いていない、以前とある艦隊の艦娘から聞いた悪い噂が、今こうして目の前に顕現していた。そして、日向の脳裏にある推測が生まれる。
「……なあ、伊勢。提督が船酔いに気付いていたとしたらどうする?」
「いやいやいや、それはないでしょ。意図的に艦娘を殺すのと変わんないし、メリットがないわよ」
「それはそうだが……やはり気のせいなのだろうか」
 小さく首を捻る。しかし結論付けるには材料が足らず、今出来るのは、最上が溺れてしまわないよう祈るのみであった。
「とりあえず食堂行かない?そろそろ三時だしさー」
「……そうだな。最上にも声を掛けてやるとしよう」
「甘いもの食べて気分を晴らさないとね」



「どうぞ。……慌ただしいですね」
「……まあ、横須賀の出口を塞ぐ島を攻略しよう、というタイミングだからな」
 茶髪の少女からアイスクリームの乗ったグラスを受け取り、スプーンで一口。最上が頬を緩ませる姿を見て安心したか、自身が着任する前から食堂に居たらしい少女に視線を向ける。優しげな瞳に些か癖の強い髪、控えめな口調と、日向はどことなく既視感を覚えていた。
「そういえば、君は何時からこの食堂に? 横須賀とは名ばかり、というか立地としては掠りもしない僻地を選ぶ理由が気になってな」
「提督が着任してすぐ、ですね。始めは間宮さんも居なくて、二、三人しかいない艦隊の台所を預かっていた、んです」
「そーいや榛名から聞いたことあったわ、トラブルか何かで間宮さんの着任が遅れたって話」
 へえ、と相槌を打ちながらスプーンを動かすが、それでも何かが引っ掛かる。
「最上、食器はこちらで片付けておくから部屋に戻っていいぞ。大事な作戦前だ、前衛はきっちり体調を整えないとな」
「あ、ありがとうございます」
 頭を下げ足早に食堂を立ち去る少女を見送り、隣に立つ駆逐艦『電』に視線を向けた。
「ところで。艦娘を引退した理由、聞かせて貰えないかな?」
「……何の、事、ですか」



 夢を見た。同じ艦隊の仲間を、自分の手で殺す夢を。自分のせいで死ぬというのに、そいつは笑みを浮かべて、私の生存を喜ぶ。一頻り泣いて、喚いて。『彼女』の艤装を、身体を、有ろう事か私が撃った砲と魚雷が引き裂く。声が出なくなるまで泣いて、宙を舞う敵をがむしゃらに撃って、そこで目が覚める。
 艦娘が船の記憶を持っており、艤装が時折それを生体ユニットとなった少女に見せる、という話は聞いていたし、艦娘となってからというものの、周囲に対しての嫌悪感、悪い出来事を『私のせい』だと言われる恐怖をずっと味わっていた事もあり、正直な話、何度も艤装を捨てて逃げてしまいたいと思った。
 それでも逃げなかったのは、妹が『潮』として同じ艦隊に居たからだし、感情はともかく、理性では味方が居ることを認識出来ていたからだ。
 しかし、この悪夢にだけは、認めたくないが現実味があった。
 私は、仲間をこの手で、殺してしまうんじゃないか。そう考えると恐ろしくて、辛くて、悪夢から覚めたのにまた、私は涙を溢してしまう。
「ああ、クソ、無理矢理にでも寝なきゃいけないのに……最悪」



 悪夢を見る。それ自体は自分が「最上」と認識してからずっとであったが、ここ数日、立て続けだ。いつも、ミイラ取りがミイラになって、自分が助けなきゃいけない筈の相手が、此方に砲口を向ける。
悲鳴に似た声と、ぐしゃぐしゃに歪んだ泣き顔、君が無事で良かった、と。生き延びて、と伝えれば、その顔は更にひどく歪む。
 砲口が、魚雷発射管が作動すれば意識が遠退き、『ボク』はこの現実に引き戻される。そうやって、今は最期の時を待っている。きっと、この予感は当たるだろう。どう言い訳しようか、少しは鈴谷に優しくしてあげれば良かっただろうか、と考える程度には、悪夢は現実味を帯びていた。
「……最悪な寝覚めだよ、もう」

 作戦開始まで、あと二十四時間。



[40522] 第四話
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2014/09/29 13:01
「私は艦娘を沈めたことがある」
 大和、金剛、長門の三人を残した執務室。しばらくの沈黙と、大きな深呼吸の後、彼女らの指揮官はそう切り出した。
「……それは。意志疎通のできそうもない相手と戦争をしているんだ、過去の事を掘り起こしてとやかく言う気はないぞ」
「テートクー、私達はpenitenceを聞くために残されたんデスか?」
「故意に、って言ったら?」
「……What? jokeもホドホドにするネ」
「seriously.残念ながら事実よ」
 無言で踵を返す金剛を長門が制する。態とらしい舌打ちとため息、呆れたように髪をガシガシと掻きながら列に戻る。
「さて、事実とは言ったが真実とは言わなかったな。その辺りの説明を聞かせて貰おう」
「うちの艦隊、演習で特定の組み合わせを避けてるのは知ってるわよね?」
「はい。深雪さんと電さん、北上さんと阿武隈さんをはじめとして、演習では同一艦隊に配属されない艦娘がいる、と聞いています」
「……演習中の事故か」
「そう。最初は気付かなかったけど、決定的だったのは深雪と電の件かな」
「……ソレを確かめる為に艦娘を沈めた、という事デスか」
 返事はない。その沈黙を少女は肯定と受け取った。
「Dammit! 冗談じゃないヨ、よりにもよって自分の上官がserial killerだなんて知りたくもなかった!!」
「なっ、落ち着け金剛!」
「コレが落ち着いていられマスか?! いくら生体兵器と言ったって感情も記憶もあるんデス、それをこんなモルモットみたいに!!」
 モルモット、という言葉に長門の動きが止まる。不意に制止する力が無くなったことで姿勢を崩した金剛は、続く彼女の言葉に、冷静さを取り戻すこととなった。
「提督、まさかとは思うが、最上と曙を今このタイミングで同一艦隊に入れたのは……」
「半分正解」
「貴様、この期に及んでまだそのような態度を……!」
「す、Stop! ちょっと待つデス長門! テートク、今、半分正解と言いマシタね、その意図を……」
 どごん、という重低音が響く。その音を轟かせたのは長門でも、金剛でも、ましてや司令官でもなかった。
「意図? 意図って何ですか? 味方の艦娘を実験動物のように死なせて、また同じような事をするのにどこまでの価値があるっていうんですか!?」
「や、大和も落ち着くデス、それをこれからテートクに」
「自分の部下を実験動物にするような人の発言を信用しろと?」
 反論が出てこない。三人が三人とも同種の嫌疑を抱いたばかりで、肝心の提督は自己を正当化しようという言動を一切見せず。金剛、長門共に強い制止には出られなかった。
「とにかく、第一艦隊の編成は即刻変えていただきます! 艦娘は実験動物ではありませんし、わざわざ余計なリスクを高める必要なんてありません!!」
「却下。編成はこのまま変えない、でなきゃ意味がないの」
「あ、貴方は……!!」
「ッ!!」
「なっ、止せ金剛!?」
 重機にも似た駆動音、すぐさま反応した長門の目に写ったのは、背に負った大きな艤装、その砲口を提督に向けんとする少女の姿であった。
「今直ぐその煩い口を塞いでやりマス! その命でお前にモルモットとして殺された仲間達に償うのデス!!」
「やってみなさいよ。アンタに同類が撃てるんなら」
「ナ、何を……」
「撃ってみろって言ってんのよこのクソ英国被れが!!」
「……ッShutup!!」
 火器管制システムに神経を接続、感情に任せその引鉄に指を掛けたその直後。
「そこまでだ」
 世界が、反転した。
「ghaッあ……!?」艤装ごと地面に叩き付けられそうになるのをすんでの所で免れたが、慌てて装備解除した鉄の塊に頭をぶつけ、悶えることとなった。
 瞳に涙を浮かべて顔を上げた金剛の視界に入ったのは、呆れたような表情の日向と伊勢が、四人それぞれに砲口を向けている姿であった。
「……やれやれ、その口調から察するに提督は『元』曙か。髪色や顔つきで気づくべきだったな」
「全く、もうちょい遅かったら作戦前に艦隊が鎮守府内で壊滅してた所だったわ」
「伊勢、日向……お前たちが何故此処に」
「何、少し嫌な予感がしてな。此処に来る前に確認したいことがあって遅れてしまったのさ」
 確認、という言葉を聞いて提督の片眉がぴくりと動く。それを横目に見て、日向はやはりな、と笑みを浮かべた。



「提督、貴方は『フネに酔う』という言葉を知っているな」
「……ええ」
 数刻後、伊勢が必死に宥め倒した結果、ある程度の落ち着きを取り戻した三名の艦娘と提督、そして、伊勢、日向がテーブルを囲んで腰掛ける。日向の問に答える少女は、些か不愉快そうな表情であった。
「……確証を得たのは深雪と電の事故だったか」
「それが?」
「アナタッ……!」
「あーもー落ち着いて。三人にも説明しとくと、フネに酔う、船酔いっていうのは艤装の元になった船、私だったら戦艦伊勢とかの記憶に飲み込まれちゃう事を言うのよ」
 初耳だ、という表情を見せる三人を見て、だろうなという反応をする。明らかな不快を示す金剛、大和とは別に、長門は小さく考えこむような仕草を見せた。
「……つまり、深雪と電の事故もその船酔いが原因、と言う事か?」
「そう。初期症状は通称通り、それこそ船に揺られて酔ったような症状ばかりなんだけど、重症化すると、艦の記憶に引っ張られて、それを辿るように死んでいくのよね」
「だがちょっと待て、幾ら艤装を装備しているとはいえ、艦娘同士の衝突で死人が出るとは考えにくいぞ」
 はっとした表情で顔を見合わせる。彼女らの疑問に答えたのは、不遜な態度を崩さなかった提督であった。
「……実弾訓練での誤射が原因、だったの」
「誤射……いや、それでもだ。そもそも何故深雪、電が船酔いを患った?」
「それは、分からない。少なくとも電にはそんな兆候は無かったし、今でも確証は得られてないから」
「……両方が患う必要がそもそも無いんだ。片方が溺れてしまえば、それを再現させるように周りの艦娘を巻き込む。……先任の深雪は抱え込む質だったんだろう」
「それに、提督も数度の事故を軽く見てたわよね? 長門と同じように」
「その衝突が原因で、いつか訓練中に同じように死ぬんじゃないか、と悩むようになった。簡単にいえばトラウマのようなものだからな」
 言葉を返すことが出来ず、一様に硬い表情で視線を落とす。だが、感傷に浸ることを日向は許そうとしなかった。
「で、ここからが重要なんだが、最上が船酔いに罹り始めている。そして、戦略上重要な拠点とはいえ、小さな島々の攻略にわざわざ我々戦艦や一航戦、二航戦等をほぼ全て投入して後詰とするこの配置。……理由は分かるな?」
「……最上は実験台か。船酔いを越えられるかどうか、の」
 結局モルモットじゃないデスか、と金剛の辛辣な声が響く。それに否定を返すことは出来ず、提督は視線を合わせようともしない。
「でも、溺れる=死を覆すことが出来るとすれば見返りは大きなものになるわね。艦船の記憶に関しては決して他人事じゃないし、良い記憶に助けられてる子も居れば、KIAの報告が特定の艤装を持つ艦娘に偏っているのも事実。記憶もひっくるめて『フネ』だから、下手に触ることも出来ないしね」
「……異論はない。が、当の本人はどうなんだ」
 返事はこない。やはりか、と溜息を吐く長門であったが、伊勢、日向の表情は変わらず、「仕方がないだろう」という様子。それを訝しんで問いかけた結果は、ひょっとしたら、と考えていたが当たっていて欲しくないものだった。
「船酔いというものは自覚すれば収まる。しかしそれでは解決にならない上、一時的に鳴りを潜めるに過ぎないんだ」
「だから、何時再発するかわからないし再発したら手遅れ。ぶっつけ本番で超えるしか現状は対策が出来ないのよ」
「Baddestネ……」
 溜息。結局、提督に対してそれ以上を問い詰めることは出来ず、微妙な空気のまま、彼女らは待機を命じられるのだった。



「……まさか彼女が元艦娘だったとはな」
「でも、曙と言われれば全くあの口の悪さにも納得デスねー」
 長門に諌められ、唇を尖らせる。待機とは言ったものの、特に何処其処に居ろ、と指示されているのではなく、あくまで鎮守府内から出るな、というお達しである。提督の部屋を出た彼女等は、揃って長門、陸奥の私室に集合していた。
 ゴシップに弱い陸奥は長門の厳命により、榛名、霧島に連れられて部屋を追い出されている。
「ですけど、提督はどうして艦娘を辞めたのでしょうか……誰にも以前の話はしていないようですし」
「余計な詮索はしない方が良いだろうな。恐らくそれが互いのためだ」
「私も日向と同意見だ。彼女の思惑通りなのは些か癪だが、船酔いを脱する事を彼女が望むのなら、我々としてもその望みそのものには異論は無いんだ」
「……私も、榛名を一人ぼっちにさせるのはもう御免デス」
 思わず握った拳には、少し、血が滲んでいた。



「ふーん、艦娘だったこと、バラしたんだ」
「仕方ないでしょ、日向に電と深雪のこと知られてたし……」
 月明かりが執務室を蒼く照らす。時折吹き込む風に目を細め、髪留めに付けた鈴を指でなぞる。
「まあ、アンタがそれでいいならいいけど」
「大丈夫。五人が知ってるのは私が曙だった、ってことだけ。……これも嘘なんだけどさ」
「まだ、船酔い続いてるのね」
「引き摺り込む相手が居ないから平気よ。……たぶん、私に同類は居ないから」
 淋しげな瞳は、何処も見てはいなかった。



[40522] 第五話
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2014/09/30 00:06
 水曜日、作戦開始前日の午前三時を少し過ぎた頃。二人は運悪く廊下で鉢合わせてしまった。
 窓から入る潮の香りが鼻腔をくすぐり、汗に濡れた肌をより一層べたつかせる。
「あ、曙。どうしたの、こんな時間に」
「……寝苦しくて、シャワーでも浴びようかと」
「……ボクとおんなじだ」
 ふん、と鼻を鳴らして早足に歩いていこうとするのを呼び止め、隣に並ぶ。
「……着いてこないで」
「ボクもこっちに用があるの」
「……」
「月、綺麗だね」
 ぴたり、と小柄な少女が足を止めた。恐る恐るといった様子で此方に向けられた顔には、なんとも形容しがたい、呆れや怒り、それとは別に笑いを堪えるような、色々な感情が入り交じった表情が貼り付いていた。
「……今時漱石って」
「えっ?……あ」
 どうやら素で言っていたらしい、と気付いた時には既に遅く。慌てて弁解する最上と、よりにもよって『そういう解釈』をしてしまった事を必死に誤魔化す曙の姿があった。
「……夢を見たんだ。それもとびきりの悪夢。だから目が醒めちゃってさ」
「……そんな事まで一緒だなんてロクでもないわね」
 ホントにね、と小さく笑う。だがその瞳は虚ろで、どこか遠くを見ているようで。
「……平気、なの?」
「大丈夫。明後日の出撃もちゃんとやれるから」
 悪夢が本当になってしまうんじゃないか、という恐怖が強くなった。



「うはー、皆さん大忙しですね」
 強い日差しから瞳を守るように手を翳し、慌ただしく人の行き交うドックを眺めるのは工作艦、明石。普段はこの鎮守府と横須賀本隊との物資のやり取りを仲介したり、入渠ドックが埋まっている際の艦娘の手当、艤装のメンテナンスを担当している。
「明石、此処に居たか」
「長門さん。どうしたんです、艤装に不具合でもありました?」
「いや、良好そのものだよ。それより武装についてなんだが」
 手招きに応え、軽やかにタラップを駆け降りる。桜色の髪を靡かせ、長門の眼前まで降り立った。
「……足を踏み外しでもしたらどうする。急ぎというわけではないんだ、もう少し落ち着いたらどうだ?」
「ヘーキですよ。慣れてますから。ところで武装がどうかしました?」
 やれやれ、と息をつく。
「いや、大した事ではないんだが、もう少し艦隊戦の支援が利く装備に変えられないかと思ってな」
「えーと、長門さんは43cm連装主砲と対空砲、対地攻撃用の改良型三式弾でしたっけ」
「ああ。少し懸念があってな、第一艦隊のフォローに私と日向達で当たろうかと考えているんだ」
「戦艦揃って、とは随分穏やかじゃないですね……船酔い関連ですか?」
「……知っていたのか」
 考え込むような仕草を見せ、困ったように笑う。
「まあ、噂程度ですが、本隊でもちらほらとKIAが出ているとは」
「……士気にも関わる以上、こちらから誰がとは言えんが、よろしく頼む」
「お任せください」



「……伊勢、どう見る?」
 水平線を臨む海岸、偵察から帰ってきたと思しき偵察機の残骸と、持ち合わせの救急キットで手当てを受けた小さな少女を手に、日向は呟く。
「この子、大島から遠征に出るはずだった妖精よね……利島で迎撃されたにしては帰還が早すぎるし、そもそもこっちに来るなんて、嫌な予感しかしないわ」
 意識を取り戻したのか、日向の手を叩き、胸元から書状を取り出す。
「……予感的中だ。作戦の繰り上げを進言した方が良さそうだな」
 日向が回収した偵察機が持ち帰った情報は、大島の駐屯地が攻撃を受け、防衛隊が押され始めていること、敵のおおよその規模、そして。
「見た事の無い深海棲艦が艦隊を襲っている、って悪い冗談だわ」
「悪趣味極まりないが、事実と考えた方が良さそうだな、提督」
「分かってる。……全艦隊に通達! 大島の防衛隊が深海棲艦の襲撃を受け劣勢、敵艦隊には未確認の個体が居るとの情報もある。出撃時刻を二時間後、本日一六〇〇に変更、各自準備を急げ! 榛名旗艦の第一艦隊、長門旗艦の第五艦隊を先遣隊として出す、当該艦娘は擬装のチェックを済ませておくように!」
 営舎中に響き渡る放送、遅れて慌ただしくなる艦娘達。マイクを仕舞い、伊勢らの方へ振り返る。
「……曙達の事、お願い。私も後で出るから」
「分かっている」



「聞いたな、陸奥。私は先に出る、フォローは任せるぞ」
「ええ。仮に撃ち漏らしがあったとすれば、だけどね」
「前衛に出るのは二隊だ、流石に全て処理は出来んかな」
 冗談よ、と笑い手袋の感触を確かめる。相変わらず冗談の通じない姉だと思うが、あれで気負うところがない辺りは流石といった所だ。こちらも不安なく送り出せるというものである。
「それじゃあ、行ってらっしゃい。また後でね」
 軽く手を合わせ、足場から離れる。長門が軽く地を蹴り、注水されたドックへ身を投げ出した。
「……」
 数瞬の時を経て爪先が水面に触れる。長門は水中へ没する事もなく、二本の脚でその場に立っていた。潮の香りが呼び起こす高揚感。私は此処に在るべきだ、そう感覚が訴える。深く息をつき、吐いた。
「戦艦長門、抜錨。出撃するぞ!」



「榛名ー、ハンカチは持った? 弾薬や燃料のsupplyは忘れてないデスか?」
「大丈夫です、お姉様」
「気を付けてね、特Ⅲ型で一番練度が高いっていっても駆逐艦なんだから、無理しちゃダメよ?」
「もちろんなのです! 心配はいりません!」
 第一ドック。出撃準備を進める艦娘を見送ろうと姉妹艦が顔を出す、いつも通りと言えばいつも通りの光景。しかし。
「……どうかした?」
 艤装を確かめる最上と、それを見る鈴谷の表情は硬い。
「なんでもないって。気を付けて、ね」
「うん。……ありがと、鈴谷」
 鈴谷、そう呼ばれた少女には、その言葉が本心からなのか、ただ反射として発せられたものなのかは分からなかった。それでも嬉しい言葉には違いなかったし、此方から距離を埋める方法を知らない彼女にとっては、当たり前の会話が出来るだけでも大きな一歩であった。シグ【Cyg】である彼女と、オリジナルである最上との距離は、余りにも遠い。
 ちりん。鈴の音が小さく響く。既にドックへの注水は完了しており、隣では潮が既に出撃準備を済ませ、榛名の声を待っていた。
「潮、大丈夫?」
「私は、大丈夫。曙ちゃんは?」
 平気よ、と返し、右足を水面に下ろす。少し、地面が沈むような感覚。それが直ぐに反発に変わり、水面を波が荒らし始める。『艦娘』は、沈まない、大丈夫、そう口の中で呟き、ハンガーから吊り下げられた偽装に背中を預ける。
「……っ」
 金属が擦れ、ガコンという音を鳴らし、小さな体を微弱な電流が走る。生じた唾を飲み込み、動作の確認。間違いなく動く。
「バカみたい」
「えっ?」
「怖いのなんて当たり前なのに強がっちゃって、自分で自分を追い詰めて」
 自虐なんてキャラじゃないのに、そうやって態とらしく笑いでもしなければ、悪夢は振り払えない。必死だった。
『第一艦隊、出撃お願いします!』
 だが、戦場は待ってはくれない。大きく息を吸い込み、そして吐く。
「……綾波型駆逐艦、曙。出撃するわ!」



「彩雲が索敵に成功! 第一攻撃隊発艦始め! 榛名さん、座標を!」
 言うが早いか、航空母艦『赤城』が足を止め、弓を引く。続けざまに放たれた矢は航空機の姿へと変貌し、遥か先の敵艦隊へと向けて飛び行く。
「はい! 第一第二主砲、距離、速度よし! 撃ちます!」
 揺れる視界の先、赤城の放った航空機の爆撃、雷撃に先んじて水柱が上がる。至近弾。
「航空機隊に合わせて二射! 最上さん、潮さんは左翼、曙さんは右翼で榛名に続いてください!」
「電さんは私の護衛を。両翼への航空支援を行います、敵をこちらに近づけないで下さい!」
 のんびりと思考を回す余裕はない。潮と視線を交わし、それぞれ両翼へと散る。身体を傾斜させ、海面を滑るように動く。途中数発の砲弾が近くに着弾したが、それが何だ。相手は此方の正確な位置を掴んでいない。
「沈める……絶対あのクソみたいな悪夢を終わらせてやるんだから……!」
「大丈夫。生きて帰るよ。……だから、そんな顔しないで、鈴谷」
 二回、三回と引き金を絞る。座標は赤城の放った彩雲が教えてくれる。大丈夫。譫言のように繰り返す。
「敵艦隊の沈黙を確認、進撃します! 各艦弾薬の確認を、先程の敵は運良く孤立していた様ですが、大島までの距離を考えると戦闘の激化は免れません!」
「こちら第一艦隊! 長門さん、そちらの状況を教えてください!」
『電か、此方は敵艦隊後方へ到達、既に艦隊の半数は横須賀からの増援と共に撃破した。後は』
 ぷつん。耳障りなノイズにより、長門の声は途切れた。
 直前に笑い声のようなものが聞こえたのは、気のせいだったのだろうか。
「は、榛名さん……!?」
「聞こえていました。提督も準備の済んだ一次航空艦隊、第三艦隊を向かわせているとの事です……急ぎましょう」
 静かだった波は、徐々に荒れ始めていた。



[40522] 第六話
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2014/09/30 13:01
「第三艦隊、出撃準備しなさい。アンタ等よ、伊勢、日向」
 長門等の出撃から数十分。旗艦である伊勢、そして日向共に、未だに執務室を出ていなかった。
「伊勢、此方の分の艤装の最終確認も任せていいか?」
「……いいけど、あんまり時間ないからね?」
 敬礼、足早に伊勢が扉の向こうへ駆けてゆくが、見送る日向の表情は硬い。提督の表情は、不機嫌そのものだった。
「で、わざわざ伊勢に艤装の確認を任せてまで残る理由は何? 今から艦隊の再編なんて出来ないのよ、貴方に抜けられると他の子が余計に危険に晒されるの。分かってるわよね?」
「提督、電……いや、今は『羽柴 紫子』だったかな。彼女から聞いたんだが、あの子は深雪を撃った後のことは覚えていないそうだな」
 溜息をつき、椅子から身体を離す。部屋を立ち去る気なのかと勘ぐったが、そういうことではないらしい。扉に施錠し、窓際に腰を預ける。制帽をわざわざ脱いだ辺り、司令官として話をするつもりはない、という意思表示だろうか。
「あの子は深雪を撃った事に気付いて、気を失ったわ。まだ艦娘も全然数が居なくて、その時同じ艦隊だった天龍が抱えて帰ってきたんだっけね」
「深雪の亡骸は」
「……」
 黙って首を横に振る。数が居ない、というにしても相当少なかったのだろう、電を保護するだけで手一杯だった、と言いたげだった。
「……そうか。なら一つだけ頼みがある」
「……?」
「仮に、の話だが。紫子が前線に出ることを希望したなら許可してやって欲しい。恐らく艤装を使用することは叶わんだろうが、貴方が前線指揮の際に乗るイージスに乗員が一人増えるくらい問題ないだろう。どうせアレもウチで運用してる艦だ」
「仮に、ね。……分かった」



「やあ」
 日向に呼ばれ、びくり、と肩を竦める。『羽柴 紫子(はしば ゆかりこ)』、暁型駆逐艦「電」だったこの少女は、この鎮守府の食堂で手伝いとして住処を得ていた。
「あ、日向さん。出撃準備は良いんですか? 確か第三艦隊、でしたよね」
「ちょっと位時間はあるさ。少し良いかな?」
 小さく頷き、日向の隣の壁にもたれ掛かる。
「深雪の話なんだが、君は彼女の亡骸を見ていないと言ったな」
「ッ……はい」ぽつぽつ、と途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
 もともと病弱で家から出ることもままならず、艦娘になろうとしたのも半ば自棄の様なものだった事、たまたま適正そのものはあったものの、艦娘となってからも自信を持つに至れず、その折に今の提督の元へと配属になった事。彼女が艦娘となって初めての上官であったこと。そして。
「私、頑張ったんです。殆ど家から出られない様な体で、何も出来なくて。それでも艦娘になれて、私にもできる事があるって……でも、出来たのは人殺しだけで……!」
「事故だったんだ、自分を責め続けるものじゃない。それに、艦娘は人を殺める為に在るんじゃないさ。少なくとも君が武器を握っている間、友達を守ることは出来ていただろう?」
「……深雪ちゃん、本名だったんです」
「彼女もシグ【Cyg】だったのか?」
 嫌な、予感がした。出来る事なら先の言葉を撤回したいほどに。そして、その予感は的中する。
「初めて此処でできた友達でした。ひょっとしたら、人だった時を含めても、初めてだったかもしれません」
「っ……」
「私は」
 はじめての友達を自分の手で殺して、そしてここにいるんです。そう語る彼女の瞳は、涙で溢れていた。慰めの言葉など出てくる訳もなく、彼女の涙を拭える程綺麗な手を、日向は持ちあわせてなどいない。
それでも、言わなければならないことがある。
「……もう一度、深雪に会いたいか?」
「……え?」
「奇跡を、見せてやれるかもしれん」
 提督の言葉を信用するなら、深雪の遺体は回収されていない。そして、艦娘や前線に出ている関係者の中ではまことしやかに流れる噂がある。
『艦娘は死ぬと深海棲艦と化し、深海棲艦を上手く殺せば、艦娘に戻すことが出来る』と。
 そして日向は。
「来る気があるなら、提督にそう伝えるといい。此方から話はしてある」
 自らの姉を、そうしてその手に取り戻していた。



「日向ー、まだー? もうチェック済んでるわよー」
「今向かってる! 転送は使えそうか?」
 ドックへと向かい走る。耳には待ちくたびれたと言いたげな伊勢の声が聞こえている。何度かの電子音の後、伊勢の声が再び聞こえた。
「いけるいける、どうすんのさ?」
「ハンガーで装備を整える暇はないんだろう? 武装と状態をそのまま教えてくれ、転送してそのままドックから出撃する」
 了解、と答える声は何処か楽しそうだ。不謹慎ながら、気分が高揚しているのは日向も同じだった、此処では初めてといっていいほどの大規模な戦闘、軍艦として、決戦兵器たる戦艦として、これ以上の舞台が在るだろうか。曲がり角を抜け、開かれたドックが見える。
「出撃準備完了! 伊勢型戦艦、伊勢、出撃します!」
 強く地を蹴り、念じる。ハンガーに懸架されていた艤装が消失し、直後背中に伸し掛る重量。砲塔の回転、砲身の角度変更、異常なし。着水に伴う一際大きな波を立て、彼女は叫んだ。
「航空戦艦、日向! 出撃するぞ!」
 長門からの通信が途絶えたのは、この数分後であった。



「伊勢、日向、状況を報告」
「こちら伊勢、長門からの通信が途絶えた地点へ向け移動中、今のところ敵影は無いわね」
「日向、同じく。第三艦隊の通ったルートの敵は粗方片付いたようだ」
「……わかった、また何かあったら連絡して」
 通信が途切れる。まだ作戦に参加する艦娘の半数近くが出撃できていない。戦線を構築できるまでは自身が前線に出るわけにもいかず、募る苛立ちをテーブルに黙々とぶつけていた。
「司令官としてどうなの、その音。さっきからうっさいわよ」
「アンタも出撃準備しろっての。前衛の枚数未だ要るんだからね」
「わかってるわよ。私は単に頼まれて案内してきただけだし、言われなくてもさっさと退散させてもらうわ」
 ひらひらと手を振り、銀髪の少女は部屋を立ち去る。そこに残されていたのは、髪を下ろした『駆逐艦 電』の姿。
「……貴方」
「……」
「紫子ちゃん、よね。どうしたの」
 紫子と呼ばれた少女は俯き、声を発しない。数秒、数十秒、数分、沈黙を背に時計の針が時を刻む。しびれを切らし、小さな少女の側までつかつかと歩み寄り、そして見えた瞳は、涙を浮かべ、それでも硬い決意に彩られていた。
「司令官、さん。……お願いしたいことがあります」
「……何?」
「私を、前線に連れて行って下さい」
「……艤装は使えるようになったの?」
 苦虫を噛み潰したような顔で首を振る。
「でも、私も何か、皆さんのお役に立ちたいんです」
「……暁型、電の艤装は一つスペアが残ってる。直接出撃しろとは言わないけども、ひとまず私が出る艦に同乗。万が一の時は最悪出撃も考えて」
「司令官さん……」
 小さく溜息。
「過度な期待はしないで。同じ深雪に会える可能性は限りなく低いから」
 努めて抑揚を殺した声の裏で、少女は胃が握り潰されてしまいそうな感覚を味わっていた。



 水柱が立つ、夾叉。第三射。砲弾は駆逐級を貫き、大きな風穴を開けた。長門の通信途絶から十数分、第一艦隊は敵に阻まれ目的の場所まで進めずに居た。
「敵艦撃破確認、次っ!」
「最上さん、左舷に敵です!」
「くそっ……!」
 飛沫に紛れ、化物が口を開く。咄嗟に肩に下げていた航空甲板を突き立てる。みしり、と耳を引っ掻く音に眉を顰めた直後、甲板を支えていた腕が右に振れた。
「っ?!」
「そのまま!」
 続けて後ろに付いていた潮の砲撃。榴弾による爆風が、突き立てられた歯を緩ませる。開いた隙間に主砲を差し込み、三連射。黄色い炎を纏った化物は海の藻屑と化した。返り血と海水の混じる飛沫を頭から被り、口に入った物を慌てて吐き出す。気分は最悪だった。
「っはあ……くそっ、せっかくの航空甲板が台無しだよ……」
 爆風で拉げ、歯型を付けられ、煤に塗れたお気に入りの航空甲板を手で払う。塗装の剥げた姿を見、溜息が出た。
「……とにかく急ごう、潮」
「はい」
 潮の言葉を轟音が掻き消す。どうやら大島に近づいたらしく、敵味方の砲撃、雷撃による音が大きくなる。最上は慌てて叫んだ。
「赤城さん! 長門さんの通信が切れた地点は?!」
「この近く、目指できる距離まで来たはずです! 各自警戒を……ッ!?」
 息を呑む音、身体を目一杯後ろに倒し、眼前に立ち上る水柱を避ける。
「あ、赤城さん……?」
「……榴弾が至近に着弾、損傷は軽微。電さんも無事です!」
 体勢を整え弓を引き、右舷を睨む。砲火の見える先には、榛名と曙が居る。数が多く苦戦しているようだ。
「……全く、遠的は苦手なのですが」
 はあ、と白い息が風に乗って背中へと流れる。風向き、距離、速度、全て良し。チャンスは一瞬。一航戦の誇り、見せてやろうじゃないか。先陣を切る戦艦級が、防壁を思わせる外殻に覆われた砲塔をこちらに向け、砲身が覗いた。
「ッ!」
 大きく引かれていた弦が頬を掠め、鋭く矢を放つ。妖精を載せたものではなく、単なる麦粒の矢。それは風を裂き、数瞬の後、砲撃を行わんとした穴の一つに吸い込まれた。弾頭を撃ち抜き、逃げ場を失った爆薬が炸裂する。誘爆に次ぐ誘爆を繰り返し、ル級とカテゴライズされていた戦艦級の左半分を吹き飛ばす。続けて榛名の砲撃がル級を沈め、敵の陣形が崩れたことを目視で確認する。
 だが、息をつく暇など無かった。
「なっ……」
 爆風に小さな穴が開いた直後。赤城の右腕は水面に打ち捨てられていたのだから。



[40522] 第七話
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2014/10/02 01:09
「ぁあああああああッ!!」
 絹を裂くような音が響いた。悲鳴と言うより咆哮に近い赤城の声に耳を塞ぐ。
「電、何があったの、状況を報告!」
『あ、あ……』
 味方に情報を伝えようと、共有回線を用いて電に呼び掛ける。数秒の沈黙の後、状況を教えろって言ってるのと、最上が張り上げた声に慌てて気を持ち直し、震える声を上げる。
『あ、赤城さんの遠的により敵先陣ル級を撃破! ですが直後、煙の向こうから攻撃、あの、赤城さん、が……!』
 通信越しだというのに易々と伝わる動揺、そして強い恐怖。今にも泣き出しそうな息遣いが聞こえている。
『黙りこくってんじゃないわよ、さっさと赤城の状況をこっちに寄越しなさい!』
『っ……!?』
 ごくり、と唾を飲み込む音が聞こえた。
『あっ赤城さんは右腕を喪失、艦載機の発着艦不可能なのです!!』
『はっ、はぁ……提督、聞いての通りです。まぐれ当たりの可能性もありますが、射程距離、威力を考えると、榛名さん達と交、戦中の艦隊に……未確認艦が居る可能性があります』
 無線越しにようやく聞こえた赤城の声は、細く、弱い。右腕を失った事による激痛と失血に飛びそうになる意識を必死に繋いでいるようだった。
『聞こえてた!? 潮、日向は赤城の後退を支援、最上、電は伊勢達と合流、そのまま榛名達の援護を! 曙と二人だけじゃ幾らなんでも無理がある!』
「分かってるし今向かってるよ! 榛名さん聞こえる!? 戦列を整えるから何とかこっちに向かって後退してください!」
『了解しまし、きゃあっ!? 至近弾、損傷は軽微、直ちに後退します!』
 榛名の声が途切れる。一瞬通信が途切れたのかと考えたが、違う。通信の先の少女は言葉を失っていたのだ。
「……榛名、さん?」
『あ、曙さんっ、後退してください、危険です!!』
『第五の連中を視認したの! 後退なんかしてる場合じゃないわよ!!』
 ブツン、という音と共に通信が途絶。何度か通信を試みたが、何も言わせはしない、と言いたげな無機質なノイズ。完全に通信機能を停止しているらしかった。
「くそっ……提督、榛名さんと合流したら僕と電で先陣を切るよ。曙をフォローしなきゃ」
『日向にもなるべく早く合流するよう伝えておくわ、あの馬鹿をさっさと連れ帰ってきなさい』
「了解。……任せてよ」
 ぞくり、と背中が震えた。



「明石、聞こえてたわよね」
「ええ。念のため、第五艦隊全員分のクローンパーツも活性化準備しています。赤城さんの右腕は損傷度合いによっては腕を更に短く切るところから始めなきゃならないかもしれません」
「使わずに済むなら一番良いんだけどね」
「……そうも言ってられませんからね」
 ため息が重なる。そしてその直後、砂嵐じみたノイズが再び聞こえた。
『提督ゥー! 第二次航空艦隊及び直掩の第九艦隊出撃completesネ!』
「こっちでも確認したわ! 第二第四艦隊は作戦通り利島以南の攻略、シーレーンの確保に当てる! 大島に敵が集中してる今がチャンスよ、絶対に勝ってきなさい!」
『Aye,ma'am! 言われるまでもないデース!』
『お姉様のお背中は、この、比叡が、お守り致します!』
 通信を終了。制帽と襟を正し、不適な笑みを此方に向ける。あくまで振りでしかないと分かっていても、その自信を窺わせる表情に幾らか助けられるのだ。余計な口は挟むまい。
「明石は紫子と間宮さんを連れてイージスで待機。第十艦隊と臨時の第十一艦隊に合わせて私達も出るわ」
「了解しました。イージスのレーダーシステムは大丈夫ですかね?」
「長距離は相変わらずだけど、大島周辺位の距離ならECCMが勝てるわよ。実証済みでしょ?」
 そうでしたね、と笑い踵を返す。慌てて後を追う紫子の手を取り、振り向いて敬礼。不思議と、恐怖はなかった。
「明石、これより艦隊支援の任に着きます」



 砲弾の雨と海面から立ち上る水柱をかわし、少しずつ近付く。
「クソ、もう少しだってのに!」
『曙?! 他の艦隊はどうしたの!』
 聞き覚えのある声、夜戦バカか、と知った顔が生きている事に安堵し、瞬巡。どう伝えるべきかと悩み一言。
「コッチは大丈夫! 後続も近くまで来てるから!」
『なら良かった! こっちも全員生きてるけど、吹雪と阿武隈がダメージを受けてる! 急いで道を開けないと!』
 ちっ、と舌打ちを鳴らし魚雷を放つ。到底当たる距離ではないが直撃させる事が目的ではない。
「ッ!」
 数秒の間を置き、一ヵ所を目掛け潜行していた魚雷が焔を上げる。爆風は海面を押し上げ、高い波を作り上げた。
そして曙の姿は、既にその海上にはなかった。
「こん……のッ!!」
 ごきん、という音を立て、隊列を組んでいた重巡洋艦級の首が真下に折れ曲がり、重なる砲撃音が胴体に風穴を開ける。高所からの落下で屈んだ身体を砲撃の反動で捻り、側面へ向けて今度は『直撃する位置へ』魚雷を放つ。
遅れて上がる水柱が赤く染まるのを横目に確認し、砲撃を行っていた川内の側に付く。
「道が空いたわ、さっさと負傷者連れて包囲を抜けなさいよ」
「わかった! 吹雪と阿武隈は私が連れていくけど長門さん達の方はお願い、未確認級と戦闘中なんだ!」
「なっ、場所は!?」
「此処から更に南! 利島の方に向かっていった!」
 ほんとクソみたいな戦況、と呟き、砲撃。既に朱に染まった空に眉をひそめた。近付く砲火、陣形を崩す敵を見て遅いと舌打ちし、足元を確かめる。
「……さっきの着水、平気みたいね」
 すう、はあ、小さく深呼吸。そして大きく速度を上げる、長門等が戦っているであろう場所を目指して。



「熊野、そっち行ったわよ!」
「捉えてますわ、そこっ!」
 唸り声を上げて黒い塊が海中へ沈む。的確に撃破数を重ねていたが、数に勝る深海棲艦を相手にじわじわと距離を詰められる。髪を乱し、煤や返り血で汚れた頬を拭い迎撃を続けるのは重巡洋艦艦娘、熊野、衣笠の二人。そこに長門の姿はない。
「ッ?! 味方ですの?」
 自らが得意とする雷撃で敵を撃破、入り口を作り、閃光弾や砲撃による水柱で身を隠し味方と合流。すっかりパターン化した一連の動作を滞りなく行い、曙の口から飛び出したのは罵倒だった。
「……何で、また、一人欠けてるわけ!?」
「……駆逐艦一人が援護の艦隊ですの? 随分と軽く見られたものですわね」
「熊野。長門さんなら未確認……本隊が『レ級』と規定した敵と戦闘中よ、それより他の皆は?」
「近くまで来てるわよ! 川内達も後退させたから皆と合流って、え……」
 直後、目の前で警戒行動を取っていた熊野の姿が消えた。そして一際高い飛沫が視界を奪う。
「熊野ッ?!」
 続けて左手に聞こえる轟音に視線を向ける。衣笠の援護を受け、音の元を辿った先にあったのは、曲がってはならない場所が曲がってはならない方向へ向いた右腕を抱えうずくまり、悲鳴を噛み殺す熊野と、左腕、腹部の一部が削ぎ落とされ、艤装が半壊した状態で打ち捨てられた長門の姿だった。
「う、嘘……」
「曙、熊野は無事なの?!」
「長門さんも居る……生きてる、けど……!」
 けど何、言いかけたその言葉は出なかった。日が落ち辺りを暗闇が覆う中。ボロ雑巾のように荒れたコートを潮風に靡かせ、雪のように白い肌の小柄な少女が、不自然なまでに広角をつり上げ、ニタリと笑う。その背後には、所々欠損した様子の化け物の影。
 そう遠くない距離。『レ級』が、黄金色の焔を纏って佇む姿が見えてしまった。
「ぁぁああああッ!!」
 叫声と共に砲口が焔を上げる。とにかく当てなければ、殺さなければ、その一心だった。目標を逸れ、上がる水飛沫が恐怖、焦燥感を煽る。
「いきなり何?!」
 小さく悲鳴を上げ、遅れて曙が攻撃を合わせる。しかし既にレ級は衣笠の正面にまで迫っていた。
 慌てて振り上げた腕を化け物の顎が砕き、右手を小さく引く。近付いて『それ』が尾であることに気付けたのは幸運だったかもしれない。
「あぐッ……!」
 加速を乗せた蹴りで振り抜かれた貫手の軌道から衣笠を辛うじて外し、そのまま懐に滑り込む。砲を口付け放った攻撃は、尾から生えた口を開かせ、少女を海上へ投げ出した。
「……全然、って?」
 衣笠を庇うように距離を取るが、反撃は来ない。煙の晴れた先にあったのは、拗ねたような顔をして平然と煤を払うレ級の姿だった。



「榛名さん、今!」
「此方からも見えました! 榛名が周囲の敵を引き受けます、二人は曙さんたちを!」
「了解なのです!」
 閃光弾を放ち、一際大きな砲火に集い始めていた駆逐級等を怯ませ、続けての一斉砲撃。直撃、命中せず、夾叉、直撃、直撃。炎を上げた敵影を確認し、声を上げる。
「艦隊、夜戦に突入します!」



[40522] 第八話
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2014/10/02 13:29
 暗闇。近く、遠くに、砲火が煌めき、着弾により水面が荒れる。怒号や悲鳴、咆哮を子守唄に、長門はたゆたう。
「……さん、長門さん……かった、生きてますのね……」
 薄れる視界の中、金色の髪が光を受けて煌めくのが微かに見える。声の主が同一艦隊であった熊野だと気付いたのは、一部を失った脇腹に海水を満遍なく浴び、痛みに跳ね起きてからだった。
「ぐうっ!?……く、熊野か、ひとまずは、生きているようで何よりだ。戦況は?」
「……芳しくありませんわ。私は見ての通り。増援は到着しましたが、曙さんと衣笠さんがレ級に当たっている状況ですわね」
 それに、と辺りを見回す。
「何とか持ちこたえましたけど、まだ私達は安全圏まで到達できてませんの」
 激痛を堪え闇に目を凝らせば、赤、黄金色、そして蒼白い光が点々と光を放っている。
「……それはまた随分と嬉しくない情報だな」
 脇腹を抱え、ゆっくりと体を起こす。曙、衣笠、そして援護の艦隊に気を取られているのか、近くの光が此方に気付いた様子はない。
「熊野は動けそうか?」
「ええ、私は右腕以外戦闘に影響しそうな負傷も有りませんし、少し肋骨が悲鳴を上げてますけど、敵の数を減らしながら後退する位は出来ますわね」
「なら後退して援護の艦隊に曙達の座標を伝えてくれ、私は二人の支援に向かう」
「ですが」
「二人を死なせるわけにはいかないだろう?」
 それに、曙は今回の作戦のもう一つの目標だからな。呟いた言葉は熊野には聞こえなかったらしく、渋々といった様子で後退を始めた。血の滲む口角を拭い、再び両足に力を込める。通信越しに聞こえる二人の声、砲火、そしてレ級の纏う炎を頼りに索敵、そして呼吸を整える。真っ直ぐに伸ばした右腕に意識を集中すれば、数秒とないうちに巨大な砲塔がその姿を顕す。
「搭載艤装で駄目なら、こちらはどうだ……!」



 付かず離れず、何とか殺されないように、とレ級を攻撃していた曙、衣笠に向けて長門からの弾道データが送られる。慌てて射線を離れたのと、砲弾が空を裂くのはほぼ同時であった。
「あっぶなっ……殺す気かっての!?」
「曙着弾! 余所見しないで!!」
「分かってる!」
 悪態をつく間もなく、爆炎に向けて魚雷を放つ。既に主砲の弾薬は尽き、副砲はさして損害を与えられないことが分かってしまっていた。
 水柱が起こり水面をまた揺らす。暗闇に目を凝らし、敵を探す。次の行動まで数秒となかった。黄金色の火が揺らめくのを視界に捉えた直後、大きな爆炎が横殴りにその姿を隠す。弾道を此方に知らせていたのは、遅れて支援に駆け付けた榛名等であった。
「榛名さん?!」
『二人とも生きてますね! 最上さんと電さんが間もなくそちらに到着します、後退してください! それから、』
 榛名の声が一瞬途切れる。小さく息を吸い込む音が聞こえ、そして。
『作戦本部より入電! 味方の攻撃により利島以南の奪還に成功、残すはこの大島近海のみです!!』
 その声は喜色に彩られ、最前線に立つ者の指揮を高める。もうすぐ勝てる、その事実が艦隊を、艦娘を浮き足立たせた。そしてそれは、曙達と合流した二人も同様に。
「曙、平気?」
「見ての通り生きてるわよ、私より衣笠さんの援護を、あっちは右腕をやられてる」
「最上さん、レ級の状態がまだ……」
「わかってるよ、追撃する。電、援護して。衣笠と曙は後退、弾薬も補給しなきゃ」
「つつ……ごめん最上、任せるわね」
 軽く掌を合わせ、後退を始める二人を見る間もなく主砲を構える。長門や榛名の砲撃を受けて生きている以上、一発たりとも無駄にはできない。電と視線を交わし、砲撃開始。弾幕を張った中を続けて電が駆け出した。大きな錨をその手に提げて。
「電!」
「此処で食い止めるのです……二人が後退する時間を……!」
『電逃げてぇッ!!』
 耳を裂いたのは悲鳴。眼前に舞うのは血に彩られた花弁。少女の着ていた白の衣服が瞬く間に赤に染まる様を、最上はただ見ているだけだった。
「い……なず、ま?」
 答えはない。見えた砲火は二つ、その両方に腕を、脚を根本から吹き飛ばされ、四肢の半分を失った少女を抱える。生死を確かめる余裕はなかった。
「……ぁ、あ」
 目の前には、傷だらけの身体を晒し此方を嘲笑うかのように立つ化物の姿があったのだから。



「……紫子。今の、何?」
 イージス艦ブリッジ。通信機を鷲掴みにし、涙声で息を吐く少女に問い掛ける。最上等の声は聞こえていたし、電が不用意に前に出ようとした事にも気付いた。だがしかし、司令官である彼女よりも速く、何故か紫子はマイクを取ったのだ。
「……聞こえたんです、『お前だけは殺してやる』って。深雪ちゃんの、声が……」
 『電』の姿を見て殺意を顕にした事が余程堪えたか、その声はか弱く細い。
「……日向、今の聞いてたわよね、今一部の連中にだけ通信を繋いでる」
『……最悪のパターンという事か』
『つーことはアレか、俺があの時連れて帰り損ねた深雪が今やりあってるレ級なのかよ』
『まあ、そうなるな』
「……」
 胸糞悪い話だ、天龍の呟く声が聞こえる。
「二人とも、そっちの状況は?」
『龍田と木曽は金剛姐さん達の方に居るよ、残党に対して警戒中。伊号連中は先行してるぜ』
『赤城の後退支援を鈴谷に継がせた、それから今しがた伊勢と合流。翔鶴以下三名は後方より航空支援、及びその護衛だな』
「了解。最上達の方はモニターしてるけど正直かなりマズイ。急いで」
『了解した』
『任せろ』
 ブツリ、という音を立てて通信が途切れる。
「……紫子、電の状態か、レ級の様子は分かる?」
「意識を失ってるみたいなので……みゆ、レ級なら……電には、興味を無くしたみたいです」
「……別人って気付いたって事かしら」
「……わ、判りません。ただ、別の駆逐艦を探してるような……」
 紫子の言葉に慌ててレーダーを確認する。敵味方入り乱れている状態が続くなか、戦線を離脱し後退する艦娘を示す光点を確認できる。潮は赤城を連れて後退、叢雲は後方で翔鶴の護衛、吹雪は川内達と共に帰投し補給中。レ級が向かおうとする先にいたのは曙だった。
「長門、聞こえる!? レ級が後退する艦娘を狙ってる! ルートの先にはこの船、さっきの通信聞いてたんだから意味は解るわよね!!?」
『いったい何の冗談だ!! くそっ、榛名にこちらの場所を伝えてくれ! それに最上が戦意を失ってる、あのままだと電ごと海の藻屑だ!!』
「チッ……! 榛名、今送った座標に長門が居る、合流してレ級に当たって! 曙が衣笠と離れて孤立してる!! それから阿武隈と夜戦バカ、補給が済んだら最上、電の回収と長門達の援護、雑魚が居なくなってもあんな化物残したままじゃ制海権もクソもないわ!!」
 未だ艦娘達の声が飛び交う通信機を置き、提督はゆっくりと振り返った。
「紫子、腹括りなさい。……アンタの親友は『向こう側』にいるの」
 握り込むには少し大きな通信機を手に取り、クルーに声を掛け、少女はブリッジを後にした。通路を抜けて、甲板に出れば、血と潮の香りが鼻を刺す。
「……勝たなきゃ、意味がないのよ」



「この馬鹿、何時までへたり込んでるつもりなのよ?」
 ぐ、と腕を引かれる。此方への興味を失ったレ級を見送り、最上はただ恐怖に身体を抱え込むしかなかった。
「……あ、伊勢、さん? 電、が……」
「……辛うじて生きてるわよ。この子は阿武隈達と合流して回収させる。先ずはそこまで戻らなきゃね」
「……はい。あの」
「?」
 重傷の電を抱え、速度を落とすことなく、伊勢は此方に視線を向ける。
「アイツ、変な事言ってたんです、『コイツじゃなかった』って」
「……ゴメン最上、合流地点は送ったから、そこまで電をお願い!」
 理由を問い掛けてしまった。知らなければ、あんなことにはならなかったかもしれないのに。
「アイツは特型駆逐艦を、『電だった』子を狙ってる!」
「っ!?」
 身体が勝手に動いていた。身体を捻り、曙の位置を示す情報を頼りに速力を上げる。この暗闇で、砲撃が届く遠距離で、奴等は個体を識別できない。『特型駆逐艦の背部艤装』を見て電かそうでないかなど判らないのだ。
「ボクの方が速いから、だから!」
「ちょっと最上!? 日向聞こえる? 最上が曙の方に行った、そっちは?」
『衣笠を回収して川内達と合流した。衣笠の燃料は問題ないそうだ、阿武隈に任せて補給と応急手当を受けに後退させる』
「了解。川内をこっちにお願い、電が危険な状態なの」
『分かった』
 日向の声が聞こえなくなると、小さくため息をつき、速度を上げた。



「はぁ……はぁっ……クソ、やっと全滅させられたわ……衣笠さん、合流できたなら良いんだけど」
 深海棲艦の亡骸が浮かぶ海。艤装をがちゃりと鳴らし、曙は小さく息を吐いた。そして、踵を返し、後退しようとした脚が不意に止まる。
「え……嘘、燃料切れ?」
 軽く叩いてみたところで、うんともすんともいわず、速度は一向に上がらない。
「……最悪。弾も残り少ないし、あんまり長居したくないんだけど……」
 言い掛けた言葉は轟音に掻き消され、直後、少女の身体は大きく弾き飛ばされた。



[40522] 第九話(一部完結)
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2014/10/04 02:47
「馬ッッ鹿じゃないの!?」
 真っ暗な海に、泣き叫ぶような声が響く。声の主はその双眸を涙に歪め、頬を濡らし、罵倒にならない罵倒を繰り返す。
「こんな事して、アンタに何の得があるの。たかだか駆逐艦一隻の為に命張ってどうすんのよ、ほんと……馬鹿みたい」
「……はは、キッツいね、こんな時まで。コレでも、ボク、重傷なんだけど……なあ」
『曙! 状況を報告しなさい! 曙、答えろっつってんのよ!!』
『伊勢、日向! 此方は私と榛名で引き受ける! 早く最上と曙の二人を!!』
『くそっ、レ級を守るように敵が集中してる! 翔鶴、第六艦隊援護を頼む!』
『畜生ッ、埒が明かねえ……しおい、手伝え!!』
 曙が肩を抱くのは、彼女を庇い。身代わりに砲撃を受け、艤装を。そして両脚を失い、艤装の誘爆により背中を血で染めた最上だった。そして彼女は。
「艦娘って、ほんと、丈夫だね。人間だったら、とっくに死んでそうなのに」
「だったら、黙ってなさいよ……私のせいで死なれちゃ堪んないわよ……!」
「解ってる、ってば。静かにしてる、よ」
 脇腹に、赤黒く滲んだ拳大の穴を空けられていた。
『曙、後ろ!!』
「なッ」
 振り向きざまに放った砲弾は当たらず、左腕にレ級の尾がその歯を立てる。肘の外側と内側から力が入れられ、関節がみしり、と鈍い音を発する。しかし、千切れない。使い道のない玩具でも扱うかのように最上を足蹴にし、曙の腕を支点にして、人形でも摘むかのように持ち上げ、少女の顎を引く。その瞳は、それまでとは違う「怨み」とも呼べる感情を宿していたのだが、やがて落胆するような表情を見せる。
 そして、『オ前モ、紫子ジャナイ』と吐き捨てた。
「……何、それ」
『……』
「特定の人間を殺すために行動してたってこと? 私達は、その巻き添えでこんな滅茶苦茶な目に遭わされてる訳?」
 恐怖を覆い隠したのは、怒り。何故此奴が人と同じ言葉を話すのか、何故『紫子』という人物を殺そうとするのか。それらは最早どうでも良かった。
 ただ、曙は許せなかった。個人に対しての怨みの巻き添えを食うことが。その結果、自身を気に掛けてくれていた人物を失ってしまうかもしれないということが。
「逆恨みかなんだか知らないけど、そんなクソみたいな理由で人にケンカ売ってんじゃないわよ!!」
 残弾を撃ち尽くす。通用しなくても構わない、ただ怒りをぶつけられればそれでいい。理性はとうに無かった。だから気付かなかった。
 『化物』が動揺していることも、長門等の攻撃の結果、徐々に力を失い始めていることも。
「沈んでしまえ『化物』!!!」
 ぐらりと、視界が傾ぐ。左肘から先の感覚は無くなっている。そして、目の前には、大きな口を開けた『化物』が迫っていた。



「最上の反応が消えてる! 伊勢、日向、未だ着かないの!?」
『こっちもやっと防衛網に穴を開けたところよ! 今向かってる!!』
「司令官さん、電、衣笠さんの収容を確認しました! 衣笠さんは右手首以下を喪失、電、は……!?」
 全身を血塗れにした川内が抱えて来たのは、電だった少女の姿。左腕、左足を根本から失い、瞳を閉じたその表情に生気はない。
「此処にいたんだ、提督。電の回収、完了したよ」
「……お疲れ様、明石はなんて言ってたの?」
「良くて二、三割だって」
「あ、の……手当を……」
 解ってる、と呟く。帽子を右手で直し、重く沈んだ表情の少女を応急用のドッグへと促した。
「……最上さん、大丈夫なのでしょうか」
「さあ。……」
 レーダーを確認した際、最上と同時に、本隊から離れた位置に居た敵性の反応が消えた。味方の認識外であったが、後衛として出していた空母の艦載機が仕留めたのかと、その時は考えていた。しかし、彼女の胸中の違和感は消えない。タイミングが良すぎる、と。
「まさか、ね」
 ずきり、と右腕が痛みを訴えたような気がした。



 ここ数週間の、決して楽しかったとは素直に言えない記憶が蘇る。『クソ提督』と呼ばれて尚、自分を捨てようとしなかった女提督、かと思えば因縁の浅からぬ艦娘を揃えて艦隊に入れると宣い、ほぼその通りの編成を組まされる羽目となった事。電ら第六駆逐隊が気にしてくれたのか、翔鶴だけは編成から外れたこと。彼女は彼女で練度が低い事を理由として辞退してくれた、という話を後ほど最上から聞かされ、申し訳無さを感じた。
 その最上は端から見ている通りのそそっかしさで、度々苛つかされる事もあり、一度、逆上して辛く当たったこともあった。それでも歩み寄って来たのは、任務だから、だったのだろうか。そう考えかけてやめる。任務というだけで、私のために命を捨てられてたまるか。
 数瞬の間に浮かぶ情景に、これが走馬灯というやつか、と考える程度には、少女は生を諦めていた。
「……うおらああああああッッッ!!」
「えっ……」
 聞き覚えのある叫び声と、一際大きな水飛沫。頭部を食い千切らんとしていた化物の尾は、支えを失い上方へ舞い上がった。それを目で追った先に居たのは、『艤装を背負わず、両手で大きな剣を構える』天龍の姿。そして、その後方に、小麦色に焼けた肌を潮風に晒す、水着姿の少女、『伊四○一』が飛び込みの姿勢をとっていた。
「砲雷撃戦だけが、艦娘の戦い方じゃねえんだよッ!!」
 重力に任せ、縦に一閃。跳ね上げられた尾を真っ二つに裂き、確実に戦闘能力を奪い取る。
着地を狙う爪を捌き、小さく息を吐く。そして。
「姐さん達が弱らせてくれたお陰だな。悪いがお前は此処で終わりだ」
 一切のぶれもなく突き出された切っ先は、レ級の左胸を深々と貫いた。
「……大金星、ってか?」
「……メ」
「天龍さん、まだですっ!!」
「シズメ……ッ!」
「惜しかったな」
 背中側から突き立てられた日本刀。天龍が刺した左胸とは逆の、右胸を貫き、眼前に切っ先を覗かせる。震える声を押し殺し、静かな声で日向は続ける。
「ヒト型の心臓は右側だ、天龍」
「……日向の姐さん、助かったぜ」
 ゆっくりと剣を抜き、腹部にあてがわれた腕を振り払う。あと一瞬遅れていれば、少なからず傷を負っていただろう。その腕の持ち主の瞳に、もう炎は灯っていない。
「後もう一つ。……話では聞いているかもしれないが、一応見ておくといい」
 そう言って日向が刀を抜いた直後、レ級の姿が炎に包まれる。表皮がひび割れ、一回り小さくなった人影が、蒼い炎の中で崩れ落ちた。刀身の血を拭い、刀を収めた日向は何も言わず、水面に揺蕩う少女を抱き上げる。それは、特一型、吹雪型駆逐艦と呼ばれるカテゴリに属する少女であった。
「……はっ、ホント、冗談キッツいなオイ」
「誰が、こんな悪趣味な殺し合いを考えたんだろうな」
『こちら横須賀本隊所属、揚陸艦あきつ丸であります。数分ほど前、上陸部隊より入電『我、作戦目標ヲ達成セリ』との事です』
 あきつ丸、と名乗る艦娘からの通信。タイミングを見る限り、レ級の撃破ないし撃退を待っていたのだろう、とその場に居た者は考える。だが、それをとやかく言う前に、伝えるべきことがあった。
「こちらは第五艦娘駐屯地第五艦隊、旗艦の長門だ。此方も未確認級、いや、レ級の撃破に成功、残存の敵勢力も後退を始めている。伊豆諸島奪還作戦は成功だ」
『そのようでありますな。ともかく、互いの無事を祝いましょう』
「……ああ、今日の酒は旨いだろうな」
 違いない、と笑いあい、別れを言い合う。しかし、通信を終えた長門の表情は固かった。
「最上は、誰か見ていないのか」
「あー、多分伊号の二人が回収してる筈っす。しおい、イムヤとゴーヤはどうした?」
「先にイージスの方に向かってるよ、回収に成功してるならもうすぐ確認できるところまで到着してると思うけれど」



「提督、あれ最上さんっぽくない?」
「どれ?」
 返り血を拭い、ある程度落ち着いた様子の川内に呼ばれ、甲板の端まで歩を進める。手すりから身を乗り出し覗きこめば、明け始めた海に、確かに臙脂色の服が漂うのが見える。髪型や体躯を見る限り、おそらくは最上とみて間違いないだろう。
「ちょっと手伝って、今から引き上げるから」
「任せて」
 数分の後、救命具を落とし、それに掴まる最上の引き上げを始めていた。遠目に見ても体力を消耗しているように見えたため、回収には念を入れ、大きな衝撃を与えないよう務めていた。
「川内、通信機お願い。向こうからレ級の撃破報告は聞いたけど、他の状況が分かんないし、何かあったら教えて」
「あ、うん」
「……」
「……なんだ、対して怪我してないじゃない。最上、大丈夫?」
「あ、長門さん、どうでした? 作戦成功? やった、やりましたね! それで、そっちの負傷者は……えっ」
 ゴトリ、という音とともに通信機を取り落とす。その音に気づいた少女が振り返ったのと、『それ』は同時だった。
「提と、く……!?」
「……ふ、ふふッ……あっはは……そっか、やっぱりアンタだったんだ。私の同類。そっちにも『成り損ない』が居るなんて、ね」
 川内の目に飛び込んできたのは擬態を解き、提督に襲い掛からんとしていた『最上』を、同じ『深海棲艦と化した右腕』で、提督と呼ばれていた少女が貪る姿だった。程なくして、最上だったものはその活動を停止し、少女の右腕も人間のそれに戻っていた。亡骸を海に棄て、その少女は小さく祈りを捧げる。
「提督、さっきの、は……」
「ああ、アレ? ちょっとした事故でね。船酔い、って知ってるでしょ?」
 怯えるように問いかける川内を見て、軍帽を脱いだ少女は、哀しげに微笑んだ。

-貧乏くじの引き方- 了



[40522] 本編後書き及び追編前書き
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2014/10/04 02:46
 という訳で本編分は以上となります。提督が何だったのか、最上や電などの負傷者はどうなったのかなど、それらは後の追編で書くつもりですが、ネタばらしが無く、後を引くままでも良いという場合は此処で決着、とさせて頂きます。
ひとまず、お付き合いいただいて有難うございました。

 そして、次話は本編第九話の続き、という形でのエピローグパートその一です。鎮守府に帰るまでと、帰ってからのあれやそれやがメインとなっており、以後の戦闘予定は特にありません。基本的には本編で小出しにした要素の回収など、といった形です。

 これまでに輪を掛けてシリアス路線を突っ切る方向になるので、苦手な方はご注意下さい。



[40522] 追編一話(第十話)
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2014/10/04 02:46
 川内は、何も言えなかった。
提督が深海棲艦にしか見えない姿を現し、艦娘を、最上を喰らう姿を見て。
 掛けられる言葉など、何一つ持たなかった。
「それで、長門はなんて?」
「……あ、あの、最上が重傷、イムヤとゴーヤの二人が、回収して此方に向かっているそう、です」
 それから、と言葉を続ける。
「レ級の亡骸より艦娘『深雪』を回収したとの事、です」
 報告を聞く少女の表情は伺えない。帽子を目深に被り、意図的に表情を隠しているようにも見えた。
「そう。川内もお疲れ様、シャワーでも浴びてきなさい。最上の回収はこっちでやるから」
「……は、い」
 俯き、小走りに船の中へと駆けて行く川内の姿を見送り、小さく溜め息を吐いた。日の昇った青空を仰ぐように顔を上げたのは、徹夜明けの眠気を覚ますためではなく。
「……はは、敬語になってやんの」
 溢れそうになる涙を、瞳の内に留めておくためだったのだろうか。



「司令官、最上が危険な状態なの! 早く回収お願い!」
「っイムヤ?! 分かった、これに最上を掴まらせて。三人まとめて引き上げるから」
「……提督?」
 救命具を放り投げ、リールの準備に甲板の端から引っ込む姿を見て、潜水艦娘『伊五八』は首を傾げる。
「どうかしたの?」
「提督、泣いてたみたいでち……」
「……艦隊に欠員が出た、とかないわよね」
 同じ伊号潜水艦のイムヤこと『伊一六八』の問いかけに、まさか、と言い掛け黙り込む。双方の戦力が集中していた大島では、駐屯部隊や本隊に死者が出ているのだ、艦娘、人間共に。自分達の艦隊は大丈夫だと言い切れる訳もなかった。
「ゴーヤ、入渠ドックがまだ空いてるから最上はそっちにお願い。イムヤは明石に最上の状態を報告。両足の替えを用意する必要があるわ」
「了解でち!」
「分かった、行ってくるわ」
 水着の上からパーカーを羽織り、二人は甲板を後にする。幾らかの時間が過ぎ、不意に通信機がノイズを発した。
『提督、聞こえるか、長門だ。当海域の哨戒を行ったが敵性の反応は無い。戦闘態勢を解除する』
「了解。駐屯部隊の補充も始まってるはずだから引き継いで帰還して。最上以外に負傷者は?」
『……私と曙が少し大きな傷を負ったが命に別状はない。曙は燃料切れのため天龍に連れていかせる事にした、それほど帰還に時間は掛からないだろう』
「重傷者が峠を越えればウチの死者はゼロ、で良いのね?」
 ああ。紛れもない我々の勝利だ。そう答える長門の声は優しく、塞き止めた筈の感情がまた波を起こす。口をついて出た言葉は、涙に震えていた。
「……良かった」
『提督?』
「あ、いや、電と最上は明石達が処置を始めてくれてる。貴方達も気を付けて帰還して」
 訝しむ様子を見せたが、長門はそれ以上問いかけることはせず、態度を変えずいつも通りに通信を終了させた。



「第一第三及び第五艦隊、帰還した」
「ご苦労様です! あの、すみません、入渠ドックの空きが少なくて……」
 艤装をハンガーに懸架し、武装を持たない状態で陸に上がる。帰ってきた事を喜ぶ間もなく、明石が駆け寄ってくる。
「だったら曙を先に入れてやってくれ。帰投前に伝えたが左腕を失ってるんだ」
「わかりました、長門さんはそのまま救護班のところへ。傷口の洗浄が済み次第脇腹と上腕部の欠損を処置します」
「分かった。負傷者の状態は?」
「利島以南の攻撃に参加した艦隊及び空母機動隊の損害はごく軽微、掠り傷やちょっとした艤装の損傷くらいです。敵の練度が低かったことが幸いしたみたいですね」
 ですが、と言い澱む。その理由は他ならぬ長門自身も解りきっていたことだが、聞かないでいるという選択肢は無かった。
「最上さん、電さんを始めとした重傷者が多数、赤城さんや衣笠さんなど、命に別状がない方も居ますが、未だに意識を取り戻さない方も居ます。特に始めに挙げた二人に関しては予断を許さない状況となっています」
「高速修復は駄目なのか?」
「……アレは重傷には向かないんです。要はナノマシンを強制的に活性化させて体組織の修復を早めるものなので、電さんや最上さんに使うと体の方が持ちませんし、今入渠中の方についても同様です」
 ドーピングのようなものなので、私個人としては使いたくないんです、と苦々しげに語る。
「なら仕方ない、か。負傷者の事は明石に任せる」
「はい。あ、そういえば深雪さんを回収したとの事ですけど」
 その言葉を受けて長門が指差した先には、意識を取り戻さない少女を抱えドックを立ち去ろうとする伊勢の姿があった。
「不思議な話だ、深海棲艦を貫いて殺したというのに、中から出てきた彼女は傷一つ負っていないんだよ」
「……」
「まあ、私達が何なのかは戦いが終わってから考えるべきなんだろうな」
「そう、かもしれませんね」



「……司令官のクセに何そんな所で引きこもってるわけ」
 カーテンが閉ざされ、光が細く差し込む部屋。桜色の小物や小さなぬいぐるみ等が所々に配され、地味ながらも少女らしさを窺わせる提督の私室に、一人で膝を抱えて座っていた。
「ああ、叢雲か、お疲れ様。……明石が話してるとこ聞いたの。最上が、さ」
「知ってる。艤装全損したんでしょ」
「だったら分かってるでしょ。稼働中の艤装の記憶領域が壊れたらどうなるか」
「……で、私のせいだっつって膝抱えてんの?」
 少女は答えない。呆れたように溜め息を吐き、叢雲は扉に背中を預けた。
「大量の記憶の流入による昏睡、後は拒絶反応の結果艤装への適応性が大きく落ちる、ってだけじゃない。快復した後に引き摺るような症状なんて大してないんだから別に……」
「……記憶障害。気付いてなかったのね」
 私は此処で再会した時、貴方を覚えてなかった。その言葉に、思わず身を乗り出してしまう。彼女は今なんて言った? 私を覚えていない? 名前を呼び合うことだって何度もあった筈なのに。
「この子が遺した日記と写真で『知ってた』だけ。笑えるでしょ? 親友だと思ってた人間が記憶喪失で、しかも知識を頼りに必死でそいつの振りをしようとしてたんだから」
 それに。艦艇の記憶に溺れるっていうのはもう一つの悪夢を呼ぶ。涙声で必死に笑おうとする姿は哀れを通り越し、いっそ滑稽に映る。
 痛々しいと思う。しかし、止める事は出来ない。続く彼女の言葉、彼女の姿に言葉を失ってしまったから。
「……見てよコレ。私は、艦娘でも、ましてや深海棲艦でもない。……どちらにもなり損なった、ただの化物なの」
「ッ……!?」
「まあ、提督の振りだけは最期までやり通すから、安心してていいわよ。アンタに迷惑掛けないようにするから」
「最期って、何よそれ……」
 ぷつり、と心の中で何かが切れた。
「まさか、やることやったら一人で死ぬとか言うんじゃないわよね? 単なる逃げじゃないそんなの! それになんで相談しなかったの!?」
 化物のそれと化した肩を掴み声を荒げ、思う様を吐き出す。相手がどう思っていようが関係なく、ただただ少女は感情を爆発させた。
「親友でしょ、記憶がなくても、フリを続けてでも親友で居たいって思ってくれたんでしょ!!? だったら私を頼りなさいよ!! お願いだから、頼ってよ……!」
 床を濡らす涙がどちらの物かは分からない。カーテンの隙間から差す光の中で、二人はどちらともなく嗚咽を漏らした。
「……ごめん」
「……謝る位なら最初からんな事してんじゃないわよ」
「そうだよね……ごめん」
「ったく。向こうのといいこっちといい、曙って貧乏くじ引く趣味でもあんの? 自分から背負い込みに行くとかマゾの気でもあるんじゃない」
 さあ、と小さく笑みを浮かべる。涙に赤くなった瞼を袖口で拭い、小さく息を吐く。まだ自分は提督でいなければならない。貧乏くじだとしても、自ら引いた以上は。
『……』
 扉を挟んだ廊下。ノブを掴んだ手を離し、踵を返す。足音もなく小さな背中が遠ざかって行くのを、包帯などを抱えて歩く天龍が見送っていた。
「アイツ、鈴谷か? ……提督の部屋の前で何してたんだ」



「曙ちゃん? 曙ちゃん!」
「……ん」
 意識が朦朧としている。レ級と戦って、最上が瀕死の重症を負って、怒りに我を忘れて、それから。記憶がハッキリしないうちに、鈍い痛みが左腕を襲う。慌てて瞳を開ければ、其処は入渠ドック。損傷を負った艦娘と艤装をそれぞれ治すための場所だった。
「潮? 無事だったんだ」
「……良かった、目が覚めて」
「左腕やられただけなんだから当然、あれ」
 左肘から先の感覚がある。視線をそちらに向けてみれば、確かに肘から下はある。だが、上腕部に縫い目のような跡が見え、そこから下に新しい腕が縫い付けられていた。
「ああ……肘が砕かれちゃったからか」
「明石さんが用意してくれたの」
「……クローン技術様様、ね」
 気休めにもなるだろう、と面会に通された潮と話すうちに、明石に付き添われ、一人の少女が歩いて行くのが見える。それは食堂で働いている少女、名前は何と言っただろうか。
「あの子、名前なんだっけ」
「え? あ、紫子ちゃん。明石さんと何してるんだろう」
(『オ前モ、紫子ジャナイ』)
 ふと、その言葉を思い出す。最上や電を死の淵に追いやり、味方に大きな被害を与えた化物は、確かに紫子という人物をこの近くの海で探していた。
「あ、深雪ちゃん目が覚めたんだ!」
「みゆ、き……?」
 思い出した。忘れていた方が幸せだったかもしれない。
「……曙、ちゃん?」
 レ級を天龍と日向の二人が仕留め。
「……あ」
 焔を上げる亡骸から日向が救い上げた。化物の中に居た少女。
「あいつが……」
 すがる紫子を腕に抱き、泣き笑いを浮かべていた。

-貧乏くじの引き方 追編之壱- 了



[40522] 追編二話(第十一話)
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2014/10/05 13:41
「潮、ちょっと下がってて」
「曙、ちゃん?」
 戸惑う少女をよそにドックから体を起こし、曙は吼えた。
「……なんで、最上さんをやったアンタが笑ってんのよ」
 潮の制止を振り切り、動く右腕を掲げて艤装を召喚する。涙声で叫ぶ少女の目は怒りと哀しみに染まっていた。
「曙、お前何をっ痛!?」
「ふざけるなっ!! ……アンタなんか、アンタなんか……! アンタが代わりに死ねばよかったのに!!」
 ガラスの向こう、慌てて二人を庇おうとする明石と、こちらに気づき、悲しみに表情を歪める少女の姿が映る。そして、引き金を引き絞ったその時、剣を構えて割り込む天龍の姿が見えた。
「っ!!!」
 炎が、爆風が、割って入った少女の姿を覆い隠す。曙は言葉を失い、ただ立ち尽くすしか出来なかった。理性では、深雪を責め立てたところで無意味なことは分かっている。彼女が心の底から悔いるであろう事も。
 だが、感情が。深雪や紫子が笑みを浮かべることを許せなかった。明石が居るのも見なかったことにして、割り込んだ天龍を自分の意思で撃ったのだ。
「……あ、あ」
「天龍さん!? 天龍さん! だ、ダメです、その怪我じゃ……!!」
 煙が晴れる。入渠中で動けない艦娘を除いた面々が消火作業を始め、怪我人が居ないかを確かめる。ガラスは割れこそしたものの、明石が庇ったこともあり二人は切り傷程度で済んだらしい。
「……」
 折れた剣を血塗れの左手に提げ、迷い無く少女の前へと天龍は歩いてくる。眼帯が付けられていた筈の左目には、明らかな怒りの色が浮かんでいた。そして。
「がっ!?」
 強く握り込まれた拳が、少女の頬を力一杯殴り付ける。バランスを崩した少女は、ナノマシンと培養液に満たされた入渠ドックに打ち付けられた。
「テメェ今何処狙って撃ちやがった!!?」
「わ、わたし……だって最上が、最上さんがっ!!」
「そういう話してんじゃねえ! あのな、俺は別に今すぐ深雪を許せって言うつもりは更々ねえし、負の感情に飲まれて深海棲艦になったって、アイツがやった事そのものは変えられねえんだ! ……けどなあ」
 小さく深呼吸。そして、諭すようだった口調が一転。激しい怒気を孕む。
「瀕死の奴や怪我人が居る場所で艦娘ですらねえ人間に銃口向けて良い道理なんて一ミリもねえんだよこの大馬鹿野郎が!!!」
「……なに、それ」
 天龍の言葉に、唖然とした。聞き間違いだと思いたくて投げ掛けた問いは、最悪の答えとして帰ってくる。
「……深雪は艤装に拒否反応を示した、無理に装着しようとすれば最悪廃人になっちまう。紫子と同じだ、二度と艦娘には戻れねえよ」
「なによそれ……そうやって、人の事滅茶苦茶にして、自分は弱い立場に逃げるっての? 冗談じゃないわよ、ふざけないでよ……!!」
 少女の悲痛な叫びが騒がしくなったドックに響く。曙に何かを言える者はなく、ただ泣きじゃくる声を聞いているだけしかできなかった。その喧騒の中。
「はー……流石にちょっと無理しすぎたな」
 天龍の意識は闇に沈んだ。



「で、怪我の具合は?」
「いでででっ!? 突っつくなよ提督! 明石さん曰く全治二週間、腕を換えなくて済んだだけマシだと思えってよ」
 数刻後。医務室のベッドには入渠ドッグを開けられず、包帯で左腕を覆われた天龍の姿があった。曙の砲撃による施設の損害、散乱したガラスなどを一通り片付け、負傷者達は砲火を免れた病室へそれぞれ移されていた。
「で、曙と深雪達の様子はどうなんだ?」
「曙は泣き疲れて寝てる、左腕の怪我も響いてるみたい。深雪の方も似たような所ね。……譫言みたいに『ごめんなさい、ごめんなさい』って見てらんないわ」
 その言葉に、天龍は小さく溜め息を吐く。少し周囲を伺う素振りを見せたかと思うと、提督は後ろ手に鍵を掛け、ベッドの傍に腰かけた。
「長門から聞いた。あの子も『深海棲艦が艦娘に戻るところ』を見たのね」
「……ああ。それに、伊勢の姐さんもそうだったが、深雪もあの時見た感じだと覚えてる。最初こそああだったが暫く紫子ともギクシャクしちまうんじゃねえかな」
「船酔いは?」
「そっちは……多分大丈夫だろ。浮かぶか潜るか、最後の選択で水上を目指せた。何とかなるさ」
「あの怪我見てまさかとは思ってたけど『最上に止めを刺すかどうか』まで行っちゃったの?」
 言葉を濁し、視線を逸らす。
「全主力投入してコレじゃ、先が思いやられるわ……」
「……『船酔いを克服する』より『船酔いを防ぐ』方が現実味あるんじゃねえの?」
「……かもね、そっちも考え中」
「で、提督はどうなんだ? 前に叢雲から話は聞いてる、船酔い引き摺ってんだろ?」
 それを聞いた少女は、一瞬驚いたような顔を見せ。
「相手が居ないんだから平気よ」
 そう、困ったように笑った。
「あー……なり損ない、だっけか。悪いな、妙なこと聞いて」
「良いのよ。多分、何処かで話さなきゃいけない時は来るから」
 暫しの沈黙の後、少女は最上の様子を見てくると部屋を立ち去る。そして更にその後、見知った軽巡洋艦艦娘が病室へと足を踏み入れた。
「何だ夜戦バカじゃねえか、見舞いにでも来てくれたのか?」
「誰が夜戦バカだ誰が。その調子なら割と大丈夫そうなんだね」
 そう言って、少女は部屋を締め切った。
「……あの、さ。提督の事で、話があるんだ」
「……何かあったのか」
「私達の司令官がアイツらと同じ姿してるなんて言ったら、天龍はどう思う?」
 震える声で語られた内容は、にわかには信じがたいものであった。
「は、はは……何言ってんだよ、アイツは見ての通り人間の姿してんじゃねーか、深海棲艦と同じって冗談キツいぜ」
「見たの、私。提督が最上を、深海棲艦みたいになった腕で喰うところを」
「……本気で、言ってんだな」
 こんな台詞冗談で言えるわけない、瞳を潤ませそう訴える少女を見、天龍はガリガリと頭を掻いた。
「分かった、提督にはこっちから確認しとく。……一つだけ聞いていいか」
「……なに」
「本当に『艦娘の』最上だったんだな?」
「……艦娘かは、分からない。その最上も、部分的に深海棲艦化してたから擬態、だったかも」
 川内の科白を聞き、小さく考え込む。深雪が、伊勢がそうだったように、船酔いの結果死を迎えた艦娘達は深海棲艦として仲間を襲った。
 なのに提督は、なり損ないとはいえ船酔いが重症化しても死期が近づく様子もなく、平然としている。同類が居ないだけで? 曙の『死』そのものに他の艦艇はほぼ関わらない、なのに、だ。
 そこまで考えて、川内の言った『深海棲艦と同じ姿』が浮上する。
「あの馬鹿、なり損ないってそういう事かよ……!」
「なり、損ない?」
「……なあ、川内。お前、提督が『ヒト』でも『艦娘』でも『深海棲艦』でもないバケモノだとしたら。それでも艦隊に居れるか?」
「ちょっと待ってよ、流石にそんな事急に言われても」
「答えてくれ……頼む」
 明らかに狼狽しているのが分かっていて尚、天龍は問いを撤回しようとはしない。外していた視線を戻してみれば、眼帯の少女もまた、瞳を悲しみの色に染めていた。



「あ……」
「ん。鈴谷、お疲れ様。……二人の事は、ごめん」
 鈴谷と呼ばれた少女は俯いたまま答えようとはしない。頭を下げた提督も言葉を重ねる事が出来ず、二人、廊下で向かい合う。
「提督、まさか全員に頭下げて回ってんの?」
「……まあ、ね。指揮を執ったのは私だから」
「第六とか大変だったんじゃないの?」
 鈴谷の言葉に黙り込む。何かを思い出したか、その表情は酷く硬い。
「……暁に砲口を向けられたわ。雷と響が慌てて止めてたけど、二人も好意的な顔はしてなかったわね」
「あはは、そりゃ大変。明石さん達の事だから最善は尽くしてくれるだろうけど、色々落ち着かなさそうじゃん」
「……鈴、谷」
 言いかけた言葉を飲み込み、口をつぐむ。聞くべきではないと思ったのだろうが、それを見て鈴谷が躊躇うことはなかった。
「アンタは平気なのか、って? ……平気な訳ないじゃん、ぶっちゃけその場の勢いで銃口向けた暁が羨ましい位だよ。さっき、提督叢雲に言ってたよね、船酔いが引き起こす最悪の事態が死以外にあるって。それに、姉ちゃんが船酔いになってた事だって聞いたんだよ。……正直に言う。もし、最上姉ちゃんが提督のような化物になったり、死んじゃったりしたら、鈴谷はアンタを一生赦せない」
「……最悪撃たれてやるわよ。その代わり、私以外に憎しみをぶつけるような真似はしないで」
 すれ違うように提督は足を進め、振り返ることなくその場を立ち去る。鈴谷は追い掛けようとはしなかった。ただ、唇を噛み締め、嗚咽を殺し、立ち尽くすのみ。
「……お願いだから、鈴谷を人殺しにさせないで」
 その声は誰に向けたものでもなく、ただ虚しく廊下に響いた。

-貧乏くじの引き方 追編之弐- 了



[40522] 番外その一-天龍ちゃんの必殺技-
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2014/10/15 02:19
「う~ん、やっぱ必殺技とか欲しいよなぁ」
 隣で得物である剣の手入れをしていた天龍が、唐突に呟く。
「……必殺技?」
 姉妹艦である龍田の脳裏には、少しの不安と興味とが半々。軽巡洋艦、天龍。彼女は艦隊に入ってから期間の長い、『オリジナル』だった。



『貧乏くじの引き方』番外之壱-天龍ちゃんの必殺技-



「おう、必殺技だ。俺達は確かに艦艇の武装を主に使って戦うわけだが、俺や龍田、日向や伊勢の姐さん達だって近接戦闘の為の武器を持ってる。だったら人の姿だからこそ出来る戦い方とか技って欲しくならないか?」
「私にはそういう気分は分からないけれど、天龍ちゃんは欲しいの?」
ああ、と笑って答える。彼女を玩具にするにしろ、まともに取り合うにしろ、龍田には心当りと呼べるものが全くなかった。
「でも、ウチの鎮守府に必殺技なんて使えそうな人、居たかしら?」
「そうなんだよなぁ……木曾とか?」
 ああ、あの子も厨二病だったわね~、との言葉に『も』とは何だとは言えなかった。
「……だな、とりあえず話でも聞いてみるか」



「で、俺に必殺技を教えてくれ、と?」
「教えてくれ、って訳じゃないんだが、何かそーゆー心当りねえかなと思って」
 うーん、と顎に手を置き、首を捻る。裾の荒れたマントに眼帯、腰に下げたサーベルと、天龍に負けず劣らずの格好をしていた少女、木曾は諦めたように首を振った。
「済まない、特に思い付きそうもない。というかなんで俺なんだ?」
「……」
 天龍と龍田は、揃って顔を見合わせた。
「いや、まあ思いつかなかったんならいいや、悪かったな」
「ごめんなさいね~」
 とぼとぼと肩を落とし歩く天龍と、その少し後ろを付いて歩く龍田。よりにもよって出鼻をくじかれるとは思っていなかったのだろう、天龍の表情は暗い。
「どうすっかなあ……木曾が駄目となると思いつかねーよ……」
「そうねぇ……じゃあ、ちょっと方向を変えて、あら?」
「ん? あ、提督じゃねーか」
「天龍に龍田? どうしたのこんな所で」
 廊下で遭遇した少女を指さし、声をかける。その少女は天龍よりも背の高い、同艦隊に所属する曙を思い起こさせる出で立ちをしていた。
「ん、どうしたのって言われてもな……」
 言い難そうに口をつぐむ天龍をちらりと見て、龍田は笑みを浮かべた。
「天龍ちゃんったらね、必殺技を考えてるんですよ~」
 必殺技? と提督が怪訝な顔をするのと、天龍が慌てて龍田の口を塞ぐのはほぼ同時であった。
「いやなんでもない! なんでもねーよ!」
「……天龍。さすがに必殺技は無理があると思うわよ。てゆーか一太刀で海を割る位まで出来るっていうんなら協力するけどね……」
「……それだぁッ!!」
「はあっ?」
 二人の少女の間の抜けた声が重なった。



「で、天龍ちゃん。駆逐艦の子を引き連れて正面海域に出てきて、何をするつもりなの?」
「ああ、提督の言葉でふと思いついたんだよ。俺達ってさ、ある程度離れてても艤装を召喚できるし、長門型とか伊勢型とかの姐さん達なんか実際に43cm径の砲弾を扱える。だったらさ、俺達にもそういう事って出来そうだと思わねーか?」
 静かな波の音が響く海。龍田がにこやかな笑みを浮かべて問いかける。
「そうね~、天龍ちゃん、その剣の召喚って、どれくらいで出来るのかしら~?」
「ん? 大体一秒位じゃね?」
「で、この目の前に居る駆逐級を一掃するのに必要なサイズはどれだけ掛かりそうかしら~」
「ん~、大体四十びょ……ん?」
 水飛沫に慌てて剣を振るい、口を開けて飛びかかってきた駆逐級深海棲艦に一太刀。返り血を拭い、随伴していた味方の様子を確認する。
「龍田てめえ敵が来てるんなら先に言えよ先に!」
「あら~、言わなかったかしら~。とりあえず駆逐艦の子は私が援護してるから、剣の召喚、試してみましょうか?」
「チッ……持つのか?」
「終わってるかもしれないわねえ」
 だったらいい、と背中の艤装に装着された砲塔を展開、味方に迫る駆逐級を素早く制圧していく。数が少なかったことも幸いし、一分足らずで周辺から敵艦の姿は見えなくなっていた。
「……やっぱ失敗だな。次考えるか」
「でも、発想自体は悪くないんじゃないかしら。一太刀で薙ぎ払う方向じゃなくて、例えば……そうねえ、二、三倍位の大きさに抑えて、重力に任せる感じに縦に割るとか?」
 なるほど、と手を叩く。しかしそれではまだ地味ではないか、とも同時に思う。
天龍としては必殺技にはそれ一つで目を引くほどの派手さ、インパクトが大事なのだ。であれば半端な大きさの艤装を召喚した所で地味に過ぎるし、攻撃にも派手さが欠ける。
「何かもう一つ二つ要素が欲しいな」
「名前?」
「それも大事なんだが、技名を叫んでやることが兜割り、ってんじゃ名前負けだろ」
「そういうものなの?」
「そーゆーもんなの」



 自室に帰り、艤装の手入れ。剣を片手に、返り血を拭い、付着した油を拭き取る。汚れや傷が無いことを確認し、新しい油を小さな布に染み込ませ、薄く塗布した。艶やかに光を反射して煌めく刀身に頬を緩める。
 人手が圧倒的に足りない設立最初期からの、少女の日課であった。
「人手がせっかく増えたのに、天龍ちゃんったら相変わらずなのねえ」
「自分の愛剣くらいは自分で手入れしねーと。そういや龍田」
「なあに?」
「ちょっと考えてみたんだけどよ、さっき言ってた重力に任せて、っての」
 ああ、と手を打つ。龍田としては、必殺技とは行かないまでも戦闘を有利にする手段程度の案だったのだが、どうやら天龍はそこから何かを思いついたらしい。出来るのかどうかは知らないが。
「俺自身の落下速度を威力に上乗せできたら十分必殺技っぽくなんねえかな? 上昇した時に剣を大型化すれば三倍以上に出来るくらいの余裕できそうだし」
「……」
 実現出来なさそうな案が飛び出した。
「……天龍ちゃん、船は空を飛ばないわよ?」
「……なんでそんな可哀想な物を見る感じの目してんだ龍田」
「だって、実際にやろうと思ったら何メートルもの高さまで飛び上がらなきゃいけないでしょ? どうやって」
「馬鹿だなー、俺がそんな当たり前の事を考えてないとでも思ったのかよ?」
 頭頂部より少し上に浮かぶ輪っかが、紅く光ったような気がした。
「それじゃあ、どうするつもりなの?」
「伊号潜水艦だ」
「……え?」
 脳が理解を拒む。何処をどうすれば空を飛ぶ為に潜水艦の手を借りるなどという発想が出てくるのか。そもそもどうやって伊号潜水艦が空を飛ぶのか。
まだ日向などのカタパルトを借りると言ってくれた方が冗談にしても笑えそうなものである。
「えーっと、天龍ちゃん? 空を飛ぶのと伊号潜水艦とどういう関係が……」
「ん? だからよ」
 そして天龍がつらつらと語ったプランは、それまでの話を考えればなるほど納得出来てしまうものであった。



「しおい、ちょっといいか?」
「はーい、どうしたんですか?」
 潜水艦娘区画。艦娘の艦種毎に区分して建てられた寮の中では最も築年数の浅い建物である軽巡洋艦寮、その一部を借りて構築された区画である。該当する艦娘が少なく、個別に寮を建築する必要はまだ無いだろうとの判断により、ある程度年齢層の近い艦娘の多い寮を間借りする形となっている。
 そして、しおいと呼ばれた少女は艦名を『伊四○一』といい、この駐屯地に所属する中では最も大型の艦の記憶を持つ艦娘であった。
「聞きたい事があるんだが、お前艤装の召喚ってどの程度できる?」
「そうですねー。晴嵐とかカタパルト周辺の艦首位なら直ぐに呼び出せますし、一応この二つなら大型化も短時間で出来ますよ?」
「……じゃあ、その状態で緊急浮上って出来るか?」
「緊急浮上、ですか?」
 怪訝な表情を浮かべる。そもそも艦娘となってから一度も使ったことのない戦闘機動を使えるか、と聞かれても分からないとしか言いようがない。正確に言えば、出来ることは出来るのだが、生身で急速浮上しようものならそれは『的にして下さい』と言っているようなものである。だから、出来るとは言えなかった。
「艤装を急速浮上させて、それに乗って高度を取るんだよ。艦首が一定の高度になった時点で消してしまえば的にはならねえし、お前も上から飛び込むなり艦首だけ海上に出すなり出来るだろ?」
「あー……それだったら確かに出来るかも」
「で、だ」
 天龍の続けた言葉に唖然とする。
「あの、本気でやるんですかソレ」
「おう! ったりめーじゃねーか、合体攻撃、これぞ必殺技って感じだろ?」
「はあ、まあ……」
 この伊四○一、きっと何時ぞや出会った『帝国海軍艦艇のような何か』の真似事をすることになるのだろうな、と。日に焼けた小麦色の頬を人差し指で掻き、少女は苦笑いを浮かべるのであった。



 そして数日後、天龍の直談判により編成を変え、第一艦隊は伊豆諸島近海まで出てきていた。哨戒ないし威力偵察、との名目だが、天龍の語り口を見て大凡の想像は付いていた。
「どうせ必殺技のプレゼン目的なんでしょうね。あの艤装でそんな派手な事も出来ないと思うけど、なんで四○一も一緒なのかしら。龍田はなにか聞いてる?」
「さあ、私は何もー?」
「アンタ絶対知ってんでしょ、教えなさいよ」
『まあまあ提督、後のお楽しみってことにしとこうぜ。もうすぐ敵さんのお出ましだ』
「……仕方ないわね、各艦戦闘態勢。単横陣で接敵に備えて」
『了解。ま、大した敵も居ねえし油断しなきゃ平気だろ』
 レーダーに反応。光点が五つ増える。続けて旗艦である榛名の声が通信機越しに響いた。
『敵艦発見! 榛名、戦闘に入ります!!』
 砲口が炎を上げ、水柱が立ち昇る。砲弾が敵影を引き裂き、化物が唸り声を上げた。
正面に展開するのは四隻の駆逐級とそれに守られ立つ戦艦級が一つ。敵の練度は低く、相対する此方の艦娘達は皆高い練度を誇る主力、負ける理由はなかった。
『さて、お披露目と行こうぜ!』
『天龍さん、艤装パージ、潜っちゃいますよ!』
「はぁっ!?」
 無線機から聞こえる会話に耳を疑う。軽巡洋艦が潜水する。全くもって意味がわからない、としか言えず、呆然とレーダーに映る光点を見守る。後ろでは、全てを知っているらしい龍田がくすくすと笑い声を零していた。
「タ級の真下? 何を……」
『せーのっ』
 伊四○一の声が聞こえたか、と思った直後。艦橋から見える景色が一気に影に覆われる。一際大きな艦影と、瀑布と見紛うかのような飛沫。軍艦色の柱に見えたそれは、潜水母艦『伊四○一』それの艦首であった。
「え……えっ?」
 恐らく提督が艦娘として同じ海上に居たならば、きっと同じ艦隊の艦娘達が一様に同じような顔をしてそれを見上げている所を見ることが出来たであろう。その程度には、秘密裏に事を進めていたのだから。
 龍田は余程少女のリアクションがツボであったらしく、その笑い声はもはや声になっていない。
『飛竜之太刀【ワイバーンズ・バイト】オオォォォッ!!!』
「…………」
 大きな太刀が深海棲艦と海面を叩き切る姿を呆然と見守る艦娘達と、延々と床を叩いて笑い転げる龍田の姿がそこにはあった。



「で、必殺技ってアレ?」
 戦闘を終え、疲れた顔をしている少女らの帰還を見送り、妙にツヤツヤしている天龍を捕まえて問いかける。
「おう。飛竜之太刀、ワイバーンズ・バイトってんだ。カッケーだろ」
「……技名叫ぶの禁止ね」
「何でだよ!?」
「何でもよ! 出撃の度に艦娘の腹筋に被害与えられちゃ堪んないわ!」
 少し、拗ねたような表情をしている。即興にしては割と本気で格好いい名前だと思っていたのだろう、見るからにつまらなそうな様子である。
「技そのものはアリなんじゃない? 海中を抜けるリスクはあるけど、上下を使えるのは艦娘と深海棲艦の戦闘だと大きなアドバンテージになるわ」
「だろ!?」
「……でも叫んだらバレるし禁止は撤回しないわよ」
「ちっ」
 冗談の様な必殺技が、この後以外な局面で役立つ事を、この時の二人は未だ知らなかった。

-『貧乏くじの引き方』本編ヘ続く-



[40522] 追編三話(第十二話)
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2015/01/12 00:25
「調子はどう?」

 曙の砲撃による騒動が起こり、天龍が小さくはない怪我を負ってから数日後の朝。第一ドックから出てきた長門と偶然鉢合わせた提督は、経過の確認を兼ねて声を掛けた。

「提督か、見ての通りだ。奴にかじられた腕や脇腹も元通り、少し経過を見守る必要もあるが、然程気にすることもないだろう」

 そして長門の状態はといえば、歯形によって欠けていた部位に周囲よりもやや色白な肉が補填され、既に縫合跡もすっかり消えてしまっていた。血色の良い表情を見る限りでは、日常生活に支障は無いようにも見える。
 曰く、支障があるとすれば引きこもりの補填部位を他と同程度には健康的な色にしなくてはならない、程度らしい。

「そう、良かった。赤城と曙の方は?」
「赤城は上々だよ。まだ動かす事はできないが、右腕の接合は順調に進んでる。曙は、そうだな」

 言い澱む仕草。理由は分かっていた。
 五体満足な深雪の姿に逆上し天龍を撃ったその日から、曙の様子は目に見えて悪化していた。
 食事を頑なに拒否し、悲しげな視線を『自身が撃とうとした病室』へと向けたまま動こうともせず。夜になれば、罪悪感から涙で枕を濡らす。
 味方である筈の艦娘を撃ち、人間をその手に掛けようとした、その行為を罪として背負い、そして自らを罰するかの様に、その身を日に日に衰えさせていた。

「無理矢理食事を摂らせはしているものの、危険な状態だ。天龍を……いや、」
 それだけじゃないな、そう小さく息をつく。
「ヒトを自分の手で殺そうとした事実に大分参っているようだ。……なんとかしてやれないか?」
「そうしたいけど、私じゃ無理ね。多分、最上が駄目だったらあの子はもう立ち直れない」
「……随分決めて掛かった物言いだな。同じ『曙』だからか?」

 思わず何の事だと問い掛けようとして、思い止まる。同じ曙だから、最上を失うとどうなるのかが解るのかと、長門はそう瞳で語っていた。
 しかし、はっきりとした答えは返せない。同じ艦の記憶を持つからと言っても、艦娘『曙』と提督とは別人なのだ。個人としての記憶も、経験も、自我も、何もかもが違う。だからこそ、他人としての彼女の目に曙は危うく映っていた。

「そんなところ。私達に出来るのはあの子から目を離さないことと、神に祈ることくらいよ」

 神頼みとは随分とどうしようもない状況だと笑う。神様などいなかった世界のフネがすることじゃない、そう続けて。

「……で、曙は今は眠っているが、どうする?」
「……そうね、寝顔くらいは拝んでおこうかしら」

 長門に先導されて扉を潜り、曙が眠るドックの傍へと歩み寄る。カプセルを思い出させる円柱を横たえたドック、その蓋は固く閉ざされている。
 肩から上が見える程度に開かれた窓から覗き込めば、仄かに蒼白い光を放つ液体の中を、灰味がかった長髪の少女が瞳を閉じて漂っていた。

「潮。曙の様子は?」
「……あ、提督。今は落ち着いています。天龍さんのパンチが、かなり効いたみたいで」

 呟き、黒髪の少女はすっと視線を落とす。赤く泣き腫らした瞳に、頬に薄く残る板状の物を押し付けたような跡。此処で曙を待つように眠っていたのだろうか。姉妹揃って目元を腫らしている様を見て、不謹慎ながら、つい笑みを浮かべてしまう。そして。

「ずっとこういう顔してれば可愛いのに、口を開けばクソ提督クソ提督と……」

 死んだように眠る少女に視線を移し、思わず呟いた言葉に、傍に居た二人が小さく吹き出した。

「なんだ、結構気にしていたんだな」
「悪い?」

 慌てて普段の仏頂面を長門へ向けるが、時既に遅く。彼女の態度が変わることもない。

「いいや。私達の場合、事務的な話くらいしか出来ない程度には他人行儀だったからな、羨ましいよ」

 一頻り笑った後、長門はそう言って寂しげな笑みを浮かべ、切れ長の瞳を曙の方へと戻した。俯いていた潮は何かを思い出したか、はっとしたような表情を見せその小さな口を開く。

「でも、曙ちゃんは長門さん達の事を尊敬してました……憧れてた、のかも。」
「そうなのか?」

 少し、意外だった。幾度か同じ艦隊に配され、演習や実戦を共にしたが、言葉を掛ければ不機嫌そうな表情と返事をされ、指示や命令こそ聞くもののコミュニケーションを取ろうとは決してしない。
 彼女が知る曙は、ずっと他人を避け続けていた。

「その、演習や戦闘で戦艦や空母の方の戦い振りを見ると、帰ってきたら楽しそうにその事を話してくれてたんです。長門さんの勇姿がどうとか、加賀さんの遠的の精度がどうとかって」

 いつもそうやって前線に出る艦隊の活躍を話してくれた、そう語る少女を見て、口元が綻びる。仕草や表情から喜びが窺えるのは、それが紛れもない事実だからなのだろう。

「……だから、長門さんや皆さんを嫌っていた訳じゃなくて、その」
「分かっているよ。ほら、潮も部屋に戻ると良い。……どうせしばらく暇な身だ、曙の様子は私が見ていよう」

 ぽん、と、優しく髪に触れる。皆が無事に回復すれば、この子も同じように目を細めてくれるだろうか。ふと、そんな事を考える。隣に立つ提督も、同じ事を考えているのだろうか、と。

「そうそう。この子が回復した時に貴方が寝不足で倒れてたりなんかしちゃしまらないでしょ? ここは大人しくビッグセブンに甘えておきなさい」

 態とらしく付け加えた上官命令という言葉を受け、潮は申し訳なさそうにぺこりと頭を下げてドックを立ち去る。扉の向こうに消える少女を見送り、提督は小さく息を吐いた。

「……ゴメンね、長門。まだ完治してないのに」
「貴方が謝ることじゃないさ。私は好きで此処に居るんだ」

 答える口調こそ穏やかであったが、いつの間にか、傍らの少女に向ける視線は冷やかなものに変わっていた。その視線に提督は応えようとはせず、ドックを離れようと踵を返す。

「懺悔をして回るのは、私個人としては構わないんだが。今回の作戦について決して『しなければ良かった』という類いの科白は吐くな。無駄死にするために戦う者などないし、身内が無駄死にだと言われて平気な者も居ないんだ」
「……私のせいで死にかけてる艦娘への侮辱だって言うんでしょ。分かってる。ちょっと二人の様子見てくるから、曙の事はお願い」

 疲れたように小さく手を振り、第二ドックと書かれた扉の向こうへと、提督は姿を消した。

「……恨みを自分一人だけで買い占める真似をするな、という意味でもあるんだがな」

 呆れたように呟く言葉を聞くものは、誰も居ない。



 第二ドック区画。人間と比較して頑丈にできている艦娘の中でも、特に酷い傷を負った者を収容し、治療を行う場所である。第一ドックのベッドのようなものとは違い、此方では全面硝子張りの円柱にナノマシンと培養液を充満させる。
 瀕死の重症を負った最上、電の二人はそのカプセルの中を漂うのみであった。酸素や栄養を体内に送り込む為の管が身体から伸び、クローニングされたやや肌の白い四肢は既に縫合されている。曙達と同様にナノマシンによって修復が進められているが、その速度は明らかに他と比べて遅い。

「……死ぬんじゃないわよ」
「提督も見舞いですか?」

 柔らかな光に照らされ、歩み寄る影がひとつ。桜色の髪を揺らし傍に立った少女を提督は横目に声を掛ける。

「明石も? それで、二人の状態は……」
「電さんは、なんとか峠を越えました。時間は掛かるでしょうが、来月までにはひとまず意識を取り戻せるかと。それで、最上さんなんですが」

 ごくり、と思わず喉を鳴らす。収容時の状況を聞いてからこの数日、治療に当たっている明石らとの接触を意図的に避けていたことも手伝い、彼女の心中には恐怖が芽生えていたのだ。

「一命は取り留めました。電さんに比べて身体が成長していたことも助かったのでしょう、回復もいくらか早いとは思います。ですが」

 続けて発せられたのは、死の宣告にほど近い言葉。艤装の全損による意識への影響が分からないため、怪我が治った後目を覚ます事が無いかもしれないと少女は語る。しかし、そうではないのだ。

「目は、覚ますと思う。……ごめん明石、この子、もう『最上』じゃないかもしれない」
「……なんですそれ、何か知ってるんですか?」
「艤装の稼働中に記憶領域が重大な損傷を負うと、多量の記憶のフラッシュバックに襲われるの、船酔いと同じか、それ以上にね」
「それでは……深雪さんや伊勢さんのように、深海棲艦になってしまう、と?」

 明石の問いに、提督はゆっくりと首を横に振った。

「深海棲艦を艦娘に戻す為に破壊しなきゃいけないコアは艤装の方にあるから、別に向こう側になる訳じゃないわ」
「なるとしても部分的に、という事ですね。意識の方はどうなんです? 艦娘として意識を保てるならそれでも生活する分にはなんとかなると思うんですが」
「平気は平気だと思うけど、明石はどこまで聞いてるの?」

 顎に手をやり小さく考え込む。その姿を見る限りでは、少なからず知識があると考えても良さそうである。

「艤装に対しての拒否反応、伊勢さんは克服してますが、船酔いが原因であるなら最上さんも同様に『人であること』を強要されることになり得ますかね」
「他は?」
「いえ、特には……他に何か?」
「ねえ、人間ってさ。どうしようもなく辛い目に遭ったり、悲しいことがあったらどうなるか知ってる?」

 提督の言葉に眉をひそめながらも考え込む。特定個人ではなく、一般的にどういった防衛行動をとるか、を聞いているのだろう。であれば答えは単純だった。

「……記憶傷害や幼児退行など、辛い記憶そのものを『なかったこと』にしてしまうのが一般的、とされてますね。最上さんもそうなる、と?」

 返ってくる沈黙を肯定と受け取る。

「……そもそも、艤装を戦場で失うイコール死ですよね? 生きたまま回収に成功した例なんて聞いたこともないのに、提督はどうして」
「そんな事を知ってるか、って?」

 小さく明石は頷く。少し考えこむように視線を彷徨わせ、黒髪の少女は答えた。

「実を言うと、生存者の回収例は幾つか存在する。今のところ大半の『元』艦娘は人間として、それまでを忘れて保護監察下で生活してるわ」
「……何故そんな事を知っているんですか」
「一応海軍省高官の娘だからね」

 それだけで? その問には答えようとせず、提督は視線を逸らす。
そもそも彼女の言葉には始めから違和感があった。単に『知っている事を話す』口振りではなく、実感を伴う語調、例えるなら『自分の身に起こった出来事を振り返る』様な違和感が。
 故に明石は問う。明らかにしてはならない事もあると知っている、恐らくこの問いはそれなのだろうとも思う。しかし、一人の技術者として、直ぐ側で生死を彷徨う少女の仲間として、聞いておかなければならないと腹を括った。

「提督、つかぬ事をお聞きします。船酔いについて教えてくれた時、貴方は自身を『成り損ない』と表しましたね。……貴方も、その『元』艦娘と同じ存在なのですか?」
「……」
「答えて下さい」

 数刻を思わせる沈黙。最上らを護るカプセルから放たれる光が、暗闇に二人の姿を浮かび上がらせている。
余りに長く感じた静寂に痺れを切らし、トントンと指先で組んだ腕を叩き始めた頃、小さな声が聞こえた。

「……正解。『私も』保護観察対象の一人。ただ、他の子達と違うのは、私は『半分深海棲艦化』してる、ってトコかしら」
「……は?」

 耳を疑う。稼働中の艤装を失い、記憶に溺れ、そして艤装への適応を失い人間になったのではないのか。話の通りであれば、船酔いに近い症状を現したとしても深海棲艦に近づくなどということはあり得ないはずだ。なのに、目の前の少女は自分を『深海棲艦化している』という。何故だ?
 一つの疑問が解けたと思えば新たな疑問が増え、明石は戸惑いを覚える。しかし、此処まで来た以上引き下がることなど出来はしなかった。

「貴方は、本当に深海棲艦となった、と言うんですか。そもそも本当にあちら側に堕ちて尚自我を保てるとは……」
「ほら」

 背筋が凍りつく。声に反応して向けた視線は、ある一点を捉えたまま動かなくなっていた。
喉を絞ったところで声は出ず、乾いた呼吸音が闇に消える。
疑う余地など既に無い。少女が差し出した右腕は黒い塊を纏い、その肉塊は、青白く光る双眸で此方を睨め上げていたのだから。

「あ……」
「私は『三笠』が持ち込んだ資料と、初めて深海棲艦から手に入れたコアを元に建造された最初のシグなの。そして、失敗作」

 続けて少女は語る。初めて艤装を装着した際、記憶の流入に耐えられず意識を閉ざしたこと、後に『船酔い』と呼ばれる症状を示し、深海棲艦化した艤装に取り込まれる寸前で艤装を破壊したこと、次に目覚めた時には、それまでの記憶を全て失い、記録を頼りに人間であろうとしたこと。
 そして。

「船酔いの後遺症で、私は化物でも人間でもなくなった」



[40522] 追編四話(第十三話)
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2014/11/09 04:24
 二人きりの第二ドック。自嘲気味に笑う提督の腕は既に人間のそれに戻っており、衣類にも損傷は見られない。幻覚を見たのだと考えたかったが、視線が合ってすぐ、逃避は無駄だということに気づく。此方を見据える少女の瞳に、未だ小さく青い炎が揺らめいていたのだ。

「……驚かせちゃったわね。少なくとも最上がこうなる事はないと思うから、深海棲艦化は心配しなくていいわよ」
「気にしないで下さい……少し、不意を突かれただけです。最上さんの事も了解しましたが、記憶障害といった後遺症の覚悟は必要、との認識で構いませんか?」

 まだ平静を取り戻しきれていない明石の問い掛けに、小さく頷き肯定を示す。その様を見て、明石の脳裏にある疑問が過る。

「それはそれとして提督、貴方の身体の事を知っているのは何人居ます? 保護観察対象、と言うからには妄りに知られて良い秘密ではありませんよね?」

 暫しの沈黙。船酔いについて最低限の知識がある明石でさえ戸惑う様な姿をした者が司令官だという事実を、どれだけの艦娘が知っているのか。
特に、深海棲艦化を割り切れなかった曙や、電の姿に我を忘れた暁等がこの事を知れば。今この場で話をする事自体、本音としては避けたい。しかし、何時また邪魔の入らない状況を用意できるか、と問われると、二人を始めとした負傷者の事を考えれば、しばらくは無理だと答えざるを得なかった。

「私から教えたのは貴方と叢雲だけね、流石に相手は選ぶわ」

 では、知られてしまった相手は、との問いに対する答えは、川内と鈴谷の二人。問い質せば、川内には腕を変質させて深海棲艦を殺すその様を見られたと言い、鈴谷が知った経緯については知らないと答えた。恐らく、船酔いの結果こうなったと思っている節があるため叢雲と話している所を幾らか聞かれたのだろう、と。
 あわせて状況を聞いた限りでは、流石に彼女を迂闊だとは責め難かった。

「なるほど、鈴谷さんの方はそれこそ最上さんの容態次第ですか。……問題は川内さんなんですが、帰還してから姿を見ていないんですよね」
「……口は軽い方じゃないとは思うけど、こっちで探してみる。明石は電達の事をお願い。何かあったら知らせて」

 幾らか迷った様子を見せた後、小さく頷く。頭を下げて出て行った少女を見送り、明石は眠る二人の方へ視線を向け、溜息を吐いた。

「すみません。……お二人が目覚めた後も、あまり平和ではなさそうです」



「川内、天龍のところに居たのね」

 病室の扉を開け初めに目に入ったのは、此方に気付いた途端に硬い表情を浮かべる天龍と、恐怖心を隠せず戸惑う川内の姿だった。周囲を確認し、後ろ手に扉を閉めた後提督はゆっくりと歩を進める。一歩彼女が進む度、半歩川内が距離を取る。

「……はい」
「……提督か」

 それに気付いて歩みを止め、少女は小さく口を開いた。

「川内から何か聞いた?」
「何か、は無いだろ。なんで黙ってた、でも無いな……悪い。俺から掛ける言葉は見つかんねーや。まあ乗っ取られるとかそういう事が無いんなら気にすんなって。ああそれと、コイツの事はあんまり責めないでくれよ?」

 諦めたように小さく首を振り、そのままいつも通りに振る舞おうとする姿が、胸を締め付ける。天龍の言葉や仕草の端々からは、戸惑い、恐れ、怒りといった感情が断片的に見えていた。
自分達を指揮していたのが人間でも、あまつさえ同類である艦娘でも無いと知ったのだから、当然といえば当然であろう。それなのに、眼帯の少女はいつも通りであろうとしてくれる。
 だからこそ、それを彼女はどうしようもなく辛いと思った。

「……なんで、何も言わないの? 無理なんかしなくていい、いっそ化物だとでも言ってくれた方がこっちだって諦められるの、だからっ」

 言葉を詰まらせる少女を遮り、天龍ははっきりと言葉を紡ぐ。

「やめてくれ。俺がお前にやって欲しいのは『悲劇のヒロイン』じゃなくて『有能な指揮官』か『気心の知れた上官』なんだ。……悪いが仲間に銃口向ける趣味はねえよ」
「アンタはそれで良いかもしれないけど、川内は」
「私も。提督を撃とうと思っている訳ではないです、ただ……考える時間を下さい。貴方を上官として見ていられるかは、まだ、分からない、です」

 やっとの思いで絞り出された声は掠れている。顔を上げようとはせず、怯えた様子のままの姿を見て、思う。恐らく、此方から視線を合わせたところで無駄だろう、と。
 だから。

「……それならそれで構わないわ。答えも急がなくていい。気の済むまで考えて」

 あくまでも司令官として、彼女の上官として、突き放した物言いに留めた。

「なあ、一応聞いときたいんだが、他言無用って事でいいんだよな?」

 沈黙に耐えられなかったか、天龍が些か慌てたように声を張る。問としては至極真っ当なもので、尚且つ伝聞で知った以上、その情報がどのような物かが分からないのは彼女にとっても強い不安を抱かせるものだった。

「ええ。今全員に知られたらパニックでしょ。ほとぼりが冷めてから、何処かで皆には話そうと思う。……ずっと自我を保てるかは分からないからね」
「どういう事だ」

 天龍の問いに、わざとらしく考えこむ素振りを見せる。しかし、始めから回答は決まっていたし、特にそれを変える理由は無かった。

「成り損ないなんだから、ふとした拍子に完全にそれになる事もあり得ないとは言い切れないでしょ? 艤装が無いから大丈夫、っていうのも憶測でしかないしね」

 悪趣味極まりない、と毒突く少女に同意を示しながらも、その表情は真面目そのものだった。



 それから数十の日が過ぎ、ある日の夕方。いつものように執務室で書類を眺める少女の耳に、荒く扉を叩く音が聞こえる。軽く促してみれば、血相を変えて飛び込んできたのは桜色の髪。視界の先には、喜色に頬を染めた工作艦の艦娘が此方を呼んでいた。

「提督! い、電さんが……!」
「……目が覚めたの?」
「はい! 怪我の経過も良好、第一ドックへの移動も既に完了しています、提督もすぐ来て下さい!」

 その言葉が終わる前には、腰は座面を離れ浮きあがっていた。
道中で明石から詳細な報告を受ける。欠損部位の接合は大部分が完了、まだ歩く事は出来ないが、神経の再接続までは長くても二ヶ月程度で済むらしい。
意識、特に心的外傷に関しても大きく引き摺っている様子は今の所無く、シェルショックの兆候は見られないとのことだ。戦闘消耗に気をつけつつ待機させていれば、大きな後遺症もなく復帰することが出来るだろう、と明石は喜びを交えて語った。

「暁達はもう?」
「ええ。感極まって、という事がないように直接の接触は禁止していますが、顔を合わせて話せるまでには回復していますので」
「……だったら私は後でいいわ。あの子達の邪魔をするのも、ちょっとね」
「提督……」

 ぴたりと足を止めた少女を促す言葉を、明石は持っていない。少し考えれば分かったことだ、姉妹艦を死の淵に追いやった原因の一人が、今更どの面を提げて会おうというのだ。状況をある程度知っていた当人だけであればまだしも、瀕死の重傷を負い帰ってきた妹の力にもなれず、その場に在ることさえ出来なかった少女等がそれを許すとは到底思えない。事実、提督自身とはまともに話そうとせず、明石や長門、天龍などから声をかけても碌な返答は無く。彼女等は、特に長女である暁は頑なであった。

「ですが、今だったら直接話す機会を作ることだって……いえ、何でもありません」
「それで話ができればまだ良いけど、多分藪蛇だからね」
「すみません」
「……なんでアンタがここに居るの」

 幼くも低く、そして重い声。明石が振り向いた先には、先程まで自らが話していた特三型駆逐艦艦娘の少女、暁が立ち尽くしていた。

「……電の見舞いにね」
「そう」
「何も、言わないんですか」

 明石の質問に、態とらしく眉間に皺を寄せる。明らかに不機嫌そうな表情を見せ、怒りを隠そうなどとは微塵もせず、暁はその瞳をじっと見つめる。だが、少しの沈黙の後返ってきたのは以外な言葉だった。

「……明石さん達のお陰で、電は回復しました。それには凄く感謝してるし、正直、さっきまで話せてたのが信じられないくらい。それに、あの場所にいた電本人が、司令官を余り責め過ぎるな、って言ってたの。だから」

 くい、と四本の指を折り目の前に来るよう提督を呼ぶ。特に反抗する事もなく歩を進め目の前に立った少女を、今度はしゃがみこませた。整った顔が目の前に降りてくる。
そして、暁は小さく息を吸い込み。

「ッ!?」

 次の瞬間、勢い良く振り抜かれた右手が、提督の頬を力強く打ちつけた。

「これで許しておいてあげるわ。……暁は一人前のレディーだからね」
「暁さん貴方っ」

 身を乗り出す明石を右手で制する。彼女は反射的に「上官に手を上げるなんて」と続けようとしたのだろう、気恥ずかしそうに頬を掻き、小さく頭を下げた。

「……鞭打ちにならなかっただけ感謝しておくわ。それと、レディーは見境なく手を上げないものだからね」

 軽く首を捻り、左手で痛む筋を撫ぜる。冗談めかしてはいるが、鞭打ちになるかと思ったのは紛れもない事実だった。

「そうなの、知らなかったわ」

 口では許すと言いながらも、相変わらず暁が不愉快そうなのは変わらず、提督に対する怒りであったり、悪意であったり、そういった感情は然程消えてはいない。

 しかし少しだけ、それはそれ、これはこれと切り替えられるような、どこか吹っ切れた表情をしていた。



[40522] 追編五話(第十四話)
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2014/11/16 03:54
「……」

 第一ドックの一角。見舞いに来ていた姉妹艦や僚艦の姿も引き、一人何をするでもなくナノマシンのプールに身体を預ける。自分より先に此処に居た曙や赤城等は既に回復しており、周囲のドックには誰も居ない。

「電」
「あ、司令官さん。それに明石さんも。わざわざお見舞いに来てくれたのですか?」

 二人分の足音が近づく。呼びかけた声に反応して振り返った少女は、以前と変わらない、柔らかな笑顔を見せて提督に応えた。知らず知らずのうちに早まる歩調、数秒の内に電の居るドックの側へと駆け寄り、改めて声を掛けた。

「本当に、無事で良かった。怪我の具合はどう?」
「明石さん達のお陰で良好なのです。動かすのには少し苦労するので、まだドックから出ることは出来ないですけど……ご心配をお掛けしました、司令官さん」
「……良いのよ。こっちこそ、私のせいで大怪我させちゃって御免なさい。暁達の事まで押し付ける形になっちゃって」
「いえ……暁はどうでしたか?」
「ああ、さっきビンタ食らっちゃったわ。でも、一応許してくれるってさ」
「至らぬ姉で申し訳ないのです……」

 慌てて頭を下げる電を見て、苦笑いを浮かべて明石が声を掛ける。少しの間を置いて頭を上げたが、電は変わらず申し訳無さそうに眉尻を落としていた。

「暁さんがお怒りになるのも仕方ありませんよ。それに提督がそれでいいというなら、我々がとやかく言うことでもありません」
「そう、ですか」
「ま、私もアレ一発で水に流せるとは思ってないわ。それに、電の責任じゃないんだから、私が自分でどうにかするわよ」

 提督の言葉に、僅かながら安堵の表情を見せたが、次いで何かを思い出したか。何かを言おうとして、そして言えずに口を噤む。その様子に、二人は目を見合わせた。

「何か話でもある? どっちかだけに聞いて欲しい、って言うなら席を外すけど」
「い、いえ、その……お二人にお聞きしたい事があるのです。多分、私がこうして此処にいて、赤城さんや長門さんが帰ってきてるという事は、作戦は……」
「成功したわ。最上がまだ目を覚まさないけど、ウチの死者はゼロ」

 良かった、と小さく息をついたが、本題はそこではない。電はどうしても聞いておかなければならないことがあった。

「それで、幾つか教えて欲しいのです。私が砲撃を受けて気を失う直前、無線機より早く紫子さんの……いえ、電の声が聞こえたのです。何か、心当りはありませんか?」
「共鳴……」
「まさか本当にあるなんて」
「知っているのですか?」
「噂よ。同一の艤装を持つ艦娘同士は、時々共鳴現象を起こすことがあるって」

 続けて提督が語ったのは、オリジナル、シグ、クローンなどの出自は関係がないという事、意思疎通であったり記憶の共有であったり、意識が流れ込む、といった現象が幾つかある等といった噂話であった。二人共実際に共鳴現象を起こした艦娘と出会ったことは無く、正直な所、眉唾物だと思っていたと語る。

「でも、だとしたら……電、貴方もしかして」
「提督?」
「っ……」

 提督の問に、電は顔を伏せる。二人が何を知っているのか、何に勘付いたのか、明石には気付けなかった。

「紫子を何故『電』と言い換えたの」
「それは」
「提督、それってまさか……」
「……紫子さんの記憶が、少し見えました。それに、レ級の声も。レ級は、深雪さんは、どうなったのですか?」

 どう答えるべきか迷った。問いかけた電の表情からは感情は読み取れない。もしその疑問が憎しみから来ているのだとしたら、と考えると、口に出すのが怖く思える。だが、ここで嘘を吐く事の方が悪手だということも分かる。電は紫子の記憶に触れている、つまり深雪の姿を知っている可能性が十分にあるのだ。

「……生きてるわ。天龍達がレ級の轟沈を確認後、亡骸から回収してる。既に意識は回復してるけど、艤装に対して拒否反応が出てるし、艦娘には戻れそうもないわね」
「良いんですか?」
「誤魔化すだけ無駄よ。その様子だと深雪の顔も分かるんでしょ?」
「……はい。でも、無事なら、良かったです。誤解で相手を憎んで、その誤解を解くことも出来ないまま帰って来れないなんて、悲しすぎますから」
「……貴方は憎まないのね」

 その言葉を聞いて、きょとん、と目を丸くする。そして、数秒の間を経て、困ったように彼女は笑った。

「実は、艦娘に戻れないと聞いて、ざまあみろ、って思っちゃいました。駄目ですよね、こんなこと言っちゃうのって」
「……いいんじゃないの? 聖人君子であれ、なんて誰も思ってないわよ。ただ、どうしても駄目だと思ったら私に言いなさい。深雪がああなったのも私のミスが原因なんだから」
「まあ、綺麗さっぱり、というのは無理な話ですからね。深雪さんに関しては此方からも働き掛けるつもりですし、紫子さん同様、此処で落ち着く場所を見つけられれば、と思います」

 そう呟く明石の声は、優しい声色をしていた。



 第二ドックへと繋がる扉の前に、少女は立ち尽くす。扉の向こうには、自分を守ろうとして死の淵に落ちた相手がいる、そう考えると、それに呼応するように開閉用のスイッチに掛けた手が距離を置こうと筋肉を収縮させた。
少しの間を置き、再びその手が伸びかけたところで、背後から声が掛かる。

「関係者以外、というか少佐以上の権限がないと入れないわよ、そこ」
「……クソ提督か。分かってるわよ、それくらい」

 全く変わることのない呼び名に溜息をつきながらも、スイッチの横にある読み取り機にカードを通し、曙を連れてドックに入る。変わらず薄暗いままのドック、足元が危うい少女の手を引き、やがて一つのカプセルの前に到着する。


「……大丈夫なの?」
「明石から聞いてると思うけど、峠は越えたわ。後は目が覚めるのを待つだけよ」
「そう」

 視線はカプセルの中の少女に向けたまま動かさず。曙は、震える唇を小さく開く。

「クソ提督。……なんで、処罰しなかったの」
「したでしょ、浴場の清掃二週間。トイレの清掃も足した方が良かったかしら」
「そうじゃない! 私は生きて帰ってきた深雪に嫉妬して、我を忘れて、止めようとした天龍さんを撃ったの! 同じ艦隊の艦娘をよ!!」

 味方に銃を向け、あまつさえ発砲までしたのだから、軍規を理由に殺されたって文句は言えないのに、何故。そう怒るように荒げた声は震えている。疑問や、釈然としない感情が勝った故の問いでありながら、口に出して恐ろしくなったのだろう。
この場所で一番大きな権力を持つ人間に対して、私の罰は軽すぎるのではないか、と聞き、だったらそれに見合った厳罰を与える、と返されでもしたならば、たったそれだけのやりとりで命を失う可能性もあるのだ。
 名前を呼ばれ、返事をしたその声は消え入りそうなほどに小さかった。

「此処に来る前のこと、貴方覚えてる?」
「……覚えてないわ。気付いたら第一ドックの医務室、それより前の事は全然」
「じゃあさ、目が覚めた時明石がどんな顔してたかは?」
「っ……覚えてるに、決まってん、じゃない……!」

 そうだ。ベッドの天井を見、声を上げた明石に視線を移した時、その顔は喜色で溢れてはいなかった。確かに意識を取り戻したことに対する安堵や喜びもあった。だがそれ以上に、その瞳は『此方に敵意を向けるのではないか』という警戒心に彩られていたのだ。
 ずっと曙だから周りから距離を置かれている、と考えようとしていた。そうでなければ、何かが壊れてしまうような気がして、深海棲艦であったことを警戒された、とはなるべく考えないようにしていた。だが、だからこそ、深海棲艦であった事を覚えていて尚再会を喜ぶ相手が居た深雪を許すことが出来なかった。身勝手だと分かっている、それでも、彼女には自我を取り戻した時、それを為す相手が居なかったのだから。

「なんで私の居場所を奪ったアイツが笑ってるの!? 私が目覚めた時は一人だったのに、なんでアイツが!!」
「……深雪だけじゃないわ。アンタ達以外にも、うちには深海棲艦だった艦娘が少なからず居る。中には艦娘を沈めた子だっているし、人間の乗った船を沈めた子だってね。割り切れた訳じゃないけど、そういう事があったなりに折り合いを付けて、皆同じ場所に居るのよ。ただ、似たような境遇の相手が居るから我慢しろとは言わないわ。天龍も許せとは言ってなかったでしょ」
「でも、でもっ……!」
「アンタが心配してるほど周りはアンタを見下したりしてないわよ。ま、明石にはキツく言っておくけど、一応理解はしてあげて。何せ初めて深海棲艦の亡骸から艦娘を回収したのがあの時だったから」

 そう笑う柔らかな声色から一転、提督の声が重くなる。続く声を染めていたのは、目の前の少女に対する怒りだった。

「でもさあ、相手が生きてるのに居場所がなくなったって、何なのそれ。最上に対しても酷い言い草だし、そもそもアンタの後から配属された潮に対して何て言い訳する気? 自由時間の大半をアンタの見舞いに使ってた相手に失礼だと思わないの?」

 怒気を孕む声に気圧され、口を噤む。反論を許さないまま、提督は更に続けた。その結びの言葉に、曙は小さな違和感を覚える。

「……曙の記憶の大半が碌でもないのは分かるけど、もうちょっと冷静に周りを見る位はしなさい。居場所を作る気がない奴の面倒見切れるほど私も暇じゃないわよ」
「……ごめん、なさい。でも、どうしてそんな事知って」
「一応、元艦娘だからね。だから記憶の事は知ってる、でも、最上については少し覚悟してて欲しい」

 覚悟という単語に逃げ出したくなる身体を抑えて、次の言葉を待つ。少しの間を置いて少女が続けたのは、記憶に障害が残るかもしれない、という信じ難い宣告であった。



[40522] 追編六話(第十五話)
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2014/11/24 04:02
「記憶に障害って何」

 曙の問いに、少女は答えを返さない。なんと説明すればいいのか迷っているのか、その瞳は宙を彷徨うばかり。幾許かの時間を置いて、彼女はその重い口を開いた。

「アンタもオリジナルなら、艦娘の記憶が何処に依存してるかは知ってるわよね」
「……艤装でしょ、シグだろうとオリジナルだろうと、艦艇の記憶は全部艤装のブラックボックス部分に集約されてる」
「流石。何だかんだ言って真面目ね」
「茶化してんじゃないわよ」

 小さく溜息をつき、続けて語る。最上は戦闘の際に艤装を全損し、意識を失ったと。そして、稼動状態にある艤装を失った艦娘は、ほぼ例外なく多量の記憶の流入に襲われ、その結果記憶を封じるのだと。
 言葉が出なかった。口を開いても出てくるのは乾いた呼吸ばかりで声にならず、ただただ後悔の念が曙を襲う。最上が艤装を失った原因は私だ、と。私のせいで、彼女は彼女じゃなくなってしまうのではないのかと。

「もし、最上さんが記憶を取り戻さなかったら。戦力にならなくなったらどうするつもりなの?」
「……仮に記憶が無くなったとしても、彼女は此処に置いておく。深雪や紫子と同じようにね」

 まるで心配する必要はない、とでも言いたげに彼女は答える。戦えなくなったから捨てるなどといった行為をする訳がないだろうと、そう続ける少女の表情は些か不機嫌そうだった。
 とはいえ、曙にとってはこれ以上ない回答を引き出せたことは確かであり『いなくなる』心配をしなくていいと言われただけでも、気持ちは幾らか楽になったといえるだろう。

「それよりアンタは自分のことを優先しなさい。まだ完全とまではいかないんでしょ?」
「……そうさせてもらうわ、クソ提督」
「直す気は無いのね」
「どう呼ぼうが勝手でしょ」

 ああはいはい、とおざなりな返事をしながら、提督は曙の背中を押してドックを立ち去るのであった。



「長門ー、折角怪我が治ったんだしこの後traningでも付き合うデース」
「まだ食事前だぞ、というかその艤装は何だ金剛。病み上がり相手に戦闘演習でもやるつもりか貴様は」

 それから数日後。食堂で席を取ろうとしていた長門を呼び止め、態とらしく艤装を展開して見せびらかす金剛。思わず腰に手を当て、呆れたように溜息を吐いていたが、わざわざ自分を呼び止めた訳にその艤装を見て気付いた。

「ん、その艤装、近代化改修か?」
「That's right! テートクが戦勝祝いにもぎ取ってきてくれたのデース!」
「……あれだけ滅茶苦茶に言った割には切り替えが早いんだな」
「それはそれ、これはこれ、デス。Death marchではない事は分かりましたし、であれば私達艦娘がとやかく言うことではありませン」

 艤装を直ぐに仕舞い、したり顔で金剛は話を打ち切る。好意と信頼は別だ、と付け加えて。小さく舌を出すその姿に、長門は再び大きな溜息を吐くのであった。
 そしてその後ろでは、今一つ割り切れていない様子のポニーテールの少女が眉をひそめる姿。正面で怪我の事など忘れたとでも言わんばかりに平然と箸を動かす赤城が、提督の話題が原因だと気付き大和を宥めるのも、此処数日で何度か見た光景だった。

「全く、赤城さんも金剛さんも、どうしてそう簡単に許せるんですか」
「そう言われましても、戦場に出る以上負傷や死は付いて回るものですし、今回の件に関しては曙さんと最上さんの船酔いが絡んでいたという話ではないですか。対抗策が見つけられるなら、私は手を貸す事を躊躇いませんよ」
「赤城さんはそれでいいのかもしれないですけど……」
「大和、提督の選択が誤りだと思うなら是正しなさい。少なくとも進言できる程度の権限が私達にはあります。それを使わずに不平を漏らすだけなら、口を噤んで折り合いを付ける方が幾らかマシです」
「か、加賀さん、そこまで言わなくても」

 澄ました顔で茶碗を傾げる加賀を諌める赤城であったが、特にそれを気に留める様子は加賀にはない。恐る恐ると言った様子で赤城が視線を向けると、ぷるぷると頬を震わせ、俯いて涙を溜める少女の姿があった。

「あ、あの、大和、さん……?」
「私だってちゃんと言いました! でも提督が今回の件は強引に……!」
「感情で否定したのではなくて?」

 遠慮のない言葉に二の句を継げない。戸惑う大和を他所に、弓道着の少女は更に続けた。

「そ、それは」
「まあ、仔細を知らせる人員を誤った結果士気の低下を招きかねなかった、というところは褒められたことではないわね。でも結果として『船酔いを現実のものとしない』為に士気を上昇させたという事実はある。感情、正確に言えば士気は戦局を左右する上で重要ですが、感情論は作戦内容を否定する決定的手段には中々できない事は覚えておきなさい」

 反論らしい反論を返すことが出来ず、小さく「はい」と答え肩を落とす。あからさまに箸の進みが遅れたのを見、赤城が慌てて助け舟を出した。

「でも、大和さんの言葉で提督が曙さん達の援護に当てる艦隊を増強したのも事実ですから、あながち無駄だった訳でも……」
「赤城さん。余り彼女を甘やかしてはいけません」
「えええ……」

 静かに味噌汁の入った茶碗を置き、一拍置いて加賀の箸が前に伸びた。あまりにも自然に。

「ちょ、ちょっと加賀さん何をしようとしてるんですか!?」

 ほんのりと湯気を立たせる生姜焼きを掴もうとしたその時、白い両手が皿ごとそれを奪い取った。眉間に皺を寄せて皿の行き先を追えば、椅子から腰を若干浮かせた大和が生姜焼きの皿を頭上に掲げて息を荒らげていた。

「あら、箸が止まっていたのでてっきりいらないものかと」
「考え事をしていたんです! 食べるに決まってるじゃないですかもう! って」
「あ」

 赤城の間の抜けた声に釣られて振り返ると、匂いに誘われたか、先程まで近くで立ち話をしていた二人が頬を膨らませている。二人は気まずそうに口元をもごもごと動かし、ごくりと喉を鳴らした。金剛、長門、大和、三人の視線が交錯して数秒の後。

「……すまん、美味かったぞ」
「……あ、相変わらず鳳翔さんと間宮さんのお料理はDeliciousデース!」
「……わ、私の生姜焼きが……」

 がっくりと肩を落とし、着席しておかずのない白米に箸を伸ばす大和を見かねたか、近くで給仕をしていた茶髪の少女を赤城が大声で呼び立てた。

「すみません紫子さん、大和さんに生姜焼き追加でお願いします! あと私の分も!」
「は、はい!」
「ちゃっかり自分の分まで頼むとは相変わらずデスね……」

 厨房へと消える背中を見送り、赤城は小さく溜息を吐いた。隣を見れば、加賀が心なしか恨めしそうな表情を浮かべて此方を見ており、結局もう一度紫子を呼んで注文をする羽目になる。その後遅れて長門等二人が自身の食事を持ってきた際、それぞれ自分のおかずを分けることになった。瞳を輝かせる大和を見て、子供っぽいなあ、と保護者のような気分になる四人であった。



「ふッ! ……うし、上々だな」

 営舎の正面、木々が植えられた道沿いに面した入り口傍の広場で、眼帯の少女は剣を振っていた。左腕には包帯が数箇所に巻き付けられ、未だ傷は完治していないように見える。同様に手首にもバンデージが巻かれてはいるが、そちらは負傷ではなく、単に保護のためのものだろう。
 そうして何十回かの素振りを終え、木陰に背中を預ける。額を伝う汗を拭い、少女は持ち歩いていたペットボトルを呷った。

「ぷはーっ。腕も大分いい感じだし、この調子なら割と早めに復帰できそうだな」
「復帰したいならもうちょっと身体労りなよ……戦闘バカだよねホント」

 玄関から出てきた川内がやれやれ、と肩を竦めながら此方に向けて歩いてくる。先程まで素振りに使っていた剣を仕舞い、天龍はそちらに体ごと振り返った。

「ん? 夜戦バカにだけは言われたかねーなぁ」
「何だって?」
「お、やるか?」

 売り言葉に買い言葉、暫く睨み合いを続けていた二人だったが、諦めたように川内が首を振り、降参、というポーズを取る。

「……やらないよ」
「で、考えはまとまったのか?」

 先程までの空気から一転、天龍が突き刺すような視線を向ける。迷ったように視線を彷徨わせ、暫くの沈黙を経て、少女は答えた。

「一応、此処に残ることに決めたよ。提督が仮に敵だったとしたら、きっと伊豆で負けてるし」
「……あー、なるほど」
「天龍は?」

 小さく考え込む。回答はただ一言。

「抜けるったって今更過ぎるからな」

 その言葉に、川内は薄らと笑みを浮かべ、ただ「そっか」と相槌を打った。

「そういえば、電の事ってもう聞いてる?」
「ああ、もうじきドックからは出られるらしいな。まあその後は俺と同じ様にベッド行きなんだが」

 もう暫く完治しねーってのは辛いねえ、と零す天龍を見て、川内はつい口を滑らせてしまった。

「天龍みたいに落ち着きがないわけじゃないし、病室に移ってからも早いんじゃないかな」
「あ?」
「何?」

 再び視線が交錯。バチバチと火花を散らすように睨み合った後、天龍が声を上げた。

「上等だ喧嘩なら買ってやるよ夜戦バカよォ!」
「病み上がりで勝てるもんならやってみなよ、返り討ちにしてあげるわ!」
「じゃあ、今丁度お昼時だし、赤城さんのお昼ごはんを強奪できた方が勝ちにしましょうか~?」

 ずさあ、という砂を蹴る音。突然直ぐ傍で聞こえた龍田の声に、二人は慌てて距離をとった。視線を動かせば、ちょうど二人の立っていた中間地点ににこやかな笑みを浮かべて彼女が立っていた。何処から声がしたのかという疑問は氷解したが、一航戦の昼食を奪え、という自殺行為に等しい行いを勝負事の競技として出されては、普通は仲直りの振りでもしようものである。しかし。二人はそれなりに冷静さを欠いていた。

「っしゃあ! 天龍様が格の違いって奴を見せてやるよ!」
「はん、川内型ネームシップの実力舐めて貰っちゃ困るわ!」

 龍田が止める間もなく、先を競うように二人が営舎の入り口へと駆けてゆく。きっと二人共失敗した挙句加賀に正座させられて説教を受けるのだろうな、と考えながらも、龍田はゆっくりとそれを追いかける。天龍との会話を見ている限り、悩み事は一先ず決着がついたのだろうな、とそんな事もふと思った。



[40522] 追編七話(第十六話)
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2014/12/14 03:19
「叢雲、ちょっと良い?」

 大きく開いた窓から陽の光が差し込む。
西に太陽が傾き始めた頃、フローリングの廊下を歩く銀髪の少女を呼び止める声がする。振り返るとそこには、普段に比べるといささかだらしのないシルエットの軍服を着た司令官がファイルを片手に立っていた。

「ん、どうかしたの?」
「伊豆の件があったでしょ、それで艦隊の主力級メンバーの艤装改修案を今明石に投げてるのよ。一応現秘書艦からって事でアンタの分と、今回の武勲艦数人とを先に用意してもらってるからちょっと付き合って欲しくてね」
「曙はお役御免?」
「秘書艦だけ解任。後はあの子次第だしね。ああ、改装案自体は用意してるわよ」

 そう言って彼女は手に持っていたファイルを手渡す。それを受け取りパラパラと捲っていくと、各艦娘に合わせた艤装の強化案が二、三種程度ずつ纏められていた。どうやら曙と別れてからずっと執務室に篭っていたらしく、帽子から覗く髪は乱れ、目元には隈が薄らと見える。少女は強く差す西日に目を細め、小さく欠伸を噛み殺していた。
 その様に内心苦笑いを浮かべながらも中身を改めてゆく内、自分の名前が書かれた用紙に目が留まる。航行速度強化案、装甲強化案と、他の艦娘同様の基本的な改修案に紛れて一つ。

「近接補助案?」
「ああ、普段持ってる武器あるでしょ。アレ使ってるとこ見た事なかったから使いづらいのかなーって思って」
「それで薙刀、ねえ」
「確かやってたわよね?」
「化物を斬る鍛錬はしてないわよ」

 それもそうか、と笑みを浮かべながら歩みを進める。途中、ふと思い出したように叢雲が声を上げた。

「そういえば金剛さんが新しい艤装になってたわね、アレも?」
「ええ。改二装備の制式採用が決まってたからそいつを寄越せ、って明石経由で突っついてね」

 そう言って司令官はけらけらと笑う。どうやらそれなりに横須賀の連中とやりあったらしく、その口調はまるで愉快なものでも見たかのように明るい。暫く会話を続けながら歩いていると、曲がり角から一人の少女が飛び出してきた。

「うわ、提督!?」
「うわじゃないわよ、何やってんの川内」
「あ、叢雲も居たんだ」

 態とらしく視線を銀髪の少女の方へと向ける。やはり、未だに恐怖心を拭いきれていないのか、なるべく目を合わせないようにしているらしい。小さく溜息を吐き、司令官は肩を竦める少女に話しかける。できるだけ、優しい声で。

「で、何走ってたの? 全力で逃げてきてたみたいだけど」
「え、ええと、そのですね……実は」
「見付けました」
「ひっ」

 更に川内の後ろから、腹の底に響くような低い声。見覚えのあるサイドテールが見えたと思った次の瞬間、川内が二人を盾にするように背後に回り込んできていた。訳が分からず目を合わせる二人と、川内とを交互に見比べ、加賀は声の調子を全く変えずに続けた。

「提督、そこの夜戦馬鹿を此方に渡して下さい」
「事由次第よ。正当な書面、ないし説明はある?」
「……聞かなくても分かるけどね」

 不敵な笑みを浮かべて加賀を見遣る司令官に向かって、千切れんばかりに川内が首を横に振る。怒り心頭、といった様子の加賀と川内とを見比べ叢雲はおおよその状況を察した。そして、司令官の表情を見て、呆れたように溜息を吐く。こいつも分かっていてやっているんだろうな、と言いたげに。

「……いいでしょう。そこの夜戦馬鹿は昼食中の食堂にもう一人の馬鹿と一緒に押し掛け、あろうことか赤城さんの食事を奪い取っていったのです。天龍の方は捕まえて折檻を済ませましたが、そちらの軽巡が想像以上に逃げ足が速いため難儀していた所です」
「殺してないわよね?」
「まさか。行儀について暫く説教をした程度です」

 加賀はそう呟いて息を吐いた。恐らく言葉通りだろうし、川内を引き渡した所で彼女も説教を食らわされるだけだと想像出来る。正座の上で、という条件付きだろうが自業自得と言えようものだ。隣をふと見れば、自分より背の低い少女が「どうするつもり?」と言いたそうな視線を此方に向けていた。相変わらず背中にしがみつく川内は涙目である。
 少しの沈黙を経て、加賀は静かに背負っていた矢筒に手を掛けた。

「で、どうします? 大人しく川内を渡して頂くか、さもなくば……」
「……悪いけど、地獄と分かっている場所へ部下をやるほど落ちぶれてはいないわ」
「……そうですか、生身で艦娘と戦って勝てると考える程無能とは思っておりませんでしたが、仕方ありませんね、提督には此処で果てて頂きます」
「なんでそう二人して乗ってんのよ……」
「て、提督……?」

 静寂が廊下を支配する。数分にも思える沈黙、どちらともなく脚に力を込め床板を軋ませた直後、空を切る音が一つ響き渡った。数瞬後そこにあったのは、額に突き立てられた矢を掴み仰け反る少女と、弦から手を離し、残心する加賀の姿だった。

「なっ……!」
「嘘……」
「……ちょっと加賀アンタ本気で射ったでしょ結構痛かったんだけど!」
「本気で引かなければ飛ぶ物も飛びません。勉強不足ね」

 握った右手を引っ張ると、ぽん、という間の抜けた音と共に矢が額から外れる。そこには朱い円状の跡が残っており、本来鏃がある筈の場所には、直径二センチ程の吸盤が据え付けられていた。叢雲、川内の二人は何が起こったのかを今一つ把握しきれず、未だに戸惑っている様子が見える。

「まったく……川内にはこっちからちゃんと言っとくわ。どうせ龍田辺りがけしかけたんだろうし程々にね」
「赤城さん自身、さして気にしていませんでしたので私もこれ以上どう、とは」
「何やってんのよ……」
「何って、ねえ」
「ねえ」

 見ての通りじゃないか、とでも言いたそうな表情で加賀と司令官は顔を見合わせる。当然のことながら、その仕草に叢雲は頭を抱え大きく息を吐くことになった。

「そういう意味じゃなくてこんな阿呆みたいな事をやった理由を聞いてるの。ワザとやってんでしょアンタ等」
「加賀が結構乗ってくれるタイプだからつい、ね」
「まるで私のせいのように話しますね」
「そうは言ってないわよ……ってあれ、川内?」

 背中に掛かっていた手から力が抜けたのを感じる。続けて耳に入ってくるのは腰を抜かしたのか、床板をより強く鳴らす音。気になって振り返ってみれば、そこには瞳を涙に潤ませて座り込む少女の姿があった。

「あ……あ」
「……川内?」
「提督、生きてるよね、死んでなんかないよね?」
「生きてるに決まってんでしょ。ていうかなんで死んだなんて……」

 言いかけて、叢雲はああ、と気付く。彼女は司令官の背後にしがみついた状態で、加賀が矢を放つ所を見たのだ。真横に居た自分は握られた手の隙間から吸盤が覗くのを見ることが出来たが、川内の位置からそれに気付くのは不可能だろう。

「全く、大袈裟な追いかけ方をした事は認めますが、流石に心外ね。私が本気で提督を討つと思ったのですか」
「そ、それは……」

 視線を逸し言い淀む川内の姿を見て、加賀は小さく眉をひそめる。そして複雑そうな表情で視線を交わす叢雲、司令官の二人に視線を向け、少しの沈黙の後小さく切り出した。

「ひょっとして、提督が深海棲艦だから?」
「どうしてそれを……!?」
「あら、当てずっぽうだったのだけれど、本当なのね」
「……だったらどうする気」

 刺すような視線が司令官に向けられる。態とらしく敵意を向けてみれば叢雲が慌てて割り込む。川内の方を盗み見るが、そちらはまだ判断を付けられない、或いは踏み切れない、と言ったところだろう。
正面に立つ二人を交互に見比べ、加賀は小さく溜息をつく。どうもしない、と。そして、隠すならもっと上手くやってくれと、呆れたように続けたのだった。



「意外といえば意外です」
「赤城さん。……提督がですか、それとも」
「両方、ですね」

 空母寮。名前の通り空母、軽空母等の艤装適応を持つ艦娘等が暮らす施設であり、赤城や加賀なども此処で普段の生活を行っている。その中、二階の一室が一航戦二人の私室であった。

「そもそも提督が向こう側だった、というのも語弊はありそうですね。そちらもなのですが、加賀さんがそれを知って弓を引かなかったことも、私としては少しびっくりしています」
「結構失礼な事を言われている気もしますが……そうね。詳しく聞くことはしなかったけれど、それなりに前からの事だったみたいだし、仮に敵であったならば伊豆で我々は瓦解しているわ」
「確かにそれだけ大きな戦闘ではありましたが、少し安直に過ぎませんか?」

 赤城がぽつりと呟く言葉を聞き、不愉快そうに眉根を寄せる。対照的に彼女は何処か楽しそうだ、その声も何処か明るく弾んでいる。

「……というと?」

 明らかに不機嫌そうな声を発する加賀に対して、分かっているくせに、と湯のみに口付ける。遅れて聞こえた加賀の溜息に答えるように、赤城はその手を空にして話し始めた。

「今回の戦闘で出た重傷者は二人、どちらも艦隊内では高い練度を持っていますし、正直な所、生還できたのは半ば運に助けられたようなものです。そもそも、幾ら大きな作戦とはいえ、彼我の戦力差を考えれば一戦で瓦解するというのは不自然ですよね」
「……擬態して潜りこむほど頭が働くなら、疑いの目を向けられることも避けようとするはず、と」
「ええ。そして、今回の様に主力を担う艦娘を中心に戦線離脱させてゆけば、一気に全滅させても疑いが向かなくなるタイミングが来ます。二の矢、三の矢を考える場合私ならそうしますね」

 一通りの主張を終えたか、再び湯のみに手を掛け乾いた喉を潤す。赤城の主張そのものは確かに筋道が通っており、その発言だけを取れば、何故提督を討とうとしなかったのか、と問い掛けているようにも取れる。しかし、彼女の表情はそう語ってはいなかった。

「自ら前線に立ち、喉を枯らしてまでその二人を助けさせようと指揮を執っていた。それでは駄目ですか?」
「いいんじゃないでしょうか。そもそも既に知っている艦娘が居るあたり、内通者と呼ぶにはお粗末ですからね」
「まったく、人が悪いです。私の口から感情論を引き出したかったのかしら」
「まあ、たまにはいいじゃないですか。私は、貧乏くじを引きたがるあの提督は嫌いではないですし」
「……叢雲達に敵役じみた印象を持たれる羽目になった私の気持ちも考えて貰いたいところだわ」

 朱に染まる水平線に視線を向け、二人は小さく湯のみを呷った。



[40522] 追編八話(第十七話)
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2014/12/24 00:55
「外傷全ての完治を確認、脈拍も安定していますね」
「……本刻を以って最上の一般病室への移動を認める、ってね。意識は戻らないみたいだけど、そろそろ毛布が恋しい季節よ」
「……それもそうですね」

 肌寒い第二入渠ドック。カプセルの中を漂う人影を見ながら、二人の少女が佇む。クリップボードに留められた資料を持った明石が、その文面と人影とを見比べて口を開く。提督が移動を許可したのは、少女からそれを受け取り、一通り目を通した後の事だった。



 電が意識を回復してから二週間、そして、最上が一般病室へと移動されてから更に三週間。電は補填された各部位の神経接続なども一通り完了し、戦闘は不可能なものの第六駆逐隊と行動を共にすることが許される程度には身体の方も快復した。彼女自身は深雪等と和解することも出来たようで、互いに遠慮はあれど会話や食事を同じ席で取れるようにはなっている。深雪の方は未だに負い目を感じているらしく、積極的に関わろうとはしないが、少なくとも電に関してはそれも時間の問題だろう。しかし、あくまでそれは電に関しては、であった。
 艦娘が死によって深海棲艦に成り得る事を知らない響や暁からは距離を置かれてしまい、また暁型の中では面倒見の良い雷にしても、深雪に向かって気にするな、などとは口が裂けても言えなかった。当事者である電や顛末を知る天龍が手を貸してはいるが、そちらも暫くの時間を要するであろう。
 だが、それでも。救われた以上、歩みを止めたくはなかった。

「……あの」
「何」

 夕食を終え、浴場へと向かう紫掛かった長髪の少女を呼び止める。髪を下ろしているせいか、その表情は普段にも増して大人びて見える。正確には、普段から仏頂面を崩さないせいで歳相応の子供らしさに欠ける、というだけであるが。
 明らかに不機嫌そうな声を出しながら、曙はゆっくりと振り返った。しかし、月明かりに照らされたその瞳には、怒りの色は然程見えない。

「その、ちゃんと謝っておこうと思ってさ……あたしのせいだから。本当にごめん」
「で?」
「で、って……」

 思わぬ反応に気圧され、戸惑う深雪を見、曙は呆れたように溜息を吐く。少女は悲しげに笑みを浮かべ、それでも平常を装い、ガシガシと頭を掻いて言葉を紡ぐ。

「……そう、だよな。味方の艦娘を死の淵に追いやっておいて、今更頭下げたからってどうこうなる訳じゃないもんな」
「じゃあ、アンタは命を張って償ってくれる訳?」
「……それは」

 ごくり、と息を呑む音が聞こえる。当然だろう、分かりやすい言葉で彼女に死ね、と言ったのだから。謝ったから、頭を下げたからなどと勝手に話を終わらせて、それで手を取り合いましょうなんてあり得ない。だから、態とらしく強い声で少女は再び問いかけた。

「出来るの? 出来ないの?」
「……」
「答えなさいよ」

 数刻とも思える静寂が二人を包む。潮風が髪を揺らし、遠く聞こえた波の音が耳を擽る。ずっと俯いていた少女が顔を上げたその頬には、大粒の雫が線を引いていた。

「分かった」
「……ッ」

 深雪が伸ばした右手に、見覚えのある光が見える。それは、艦娘が艤装を喚ぶ時の光。深海棲艦から自分を、周りを守るための光が、今は、不完全ながらも自身を殺すために輝く。驚く少女を他所に、その手に小さな連装砲を抱えて、彼女は態とらしく笑った。

「へへっ、深雪さまを舐めんなよ? こんなんでも、ちゃんとした艦娘だったんだ、あたしは」
「……そんなの、見れば分かるわよ」
「何で、こうなっちゃったんだろうなぁ。そりゃあ、確かに他と比べれば大層な理由じゃなかったけど、あたしなりに必死だったんだ。なのに、気付いたら、あっち側にいて、親友を殺そうとしてて……電ちゃんとか最上さんとか、色んな人に大怪我させてさ……!」
「……」
「……でも、やっぱ無理だよ」

 自分を恨んでるだろうって相手に背中を押されても、やっぱり死にたくないんだ。そう呟き膝を付く、自分よりも小柄な少女を見ている曙の目は、或いは彼女以上に哀しげに月の光を受けて煌めいていた。今も続く波の音が、泣きじゃくる少女の声を隠して夜半に響く。
 何故。どうして。幾ら考えても答えの出ない問いでしか無く『深海棲艦』として人や艦娘に牙を剥いた事実は、今尚抜けない棘として胸を刺す。いつか赦せる時が来るのだろうか。いつか、棘が抜ける日は来るのだろうか。だが。

「自分で死にたくないなら、鈴谷が代わりに殺してあげるよ」

 感傷に浸る時間は与えられず、深雪の背中から酷く明るい声が聞こえる。まるで、そうでもしないと言葉を発することが出来ないのかと思える程。彼女は、重巡洋艦「鈴谷」は、空々しい笑みを浮かべていた。

「うあッ!?」
「……何のつもり?」
「それはこっちが聞きたい位よ。深雪に突き付けてるそれを外しなさい」

 数瞬後。曙の足元に、先程まで深雪が抱えていた連装砲が、驚くほど軽い音を伴い転がってくる。深雪を組み伏せ、その後頭部に月明かりを受けて煌めく一対の円筒を突き付ける鈴谷と、反射的に鈴谷のそれより一回りほど小さな主砲を構え、彼女の眉間へと仰角を合わせて口を真一文字に結ぶ曙の姿が廊下にあった。

「嫌に決まってんじゃん。コイツさえ居なきゃアンタだって大怪我する事もなかったし、最上姉ちゃんがあんな目に遭う事だって無かったんだから」
「早いか遅いかの問題でしょ。……深雪じゃない誰かが、私達から誰かを奪っていく事だって十分あり得るわ」
「鈴谷はそんな話してないよ、どうしてコイツがレ級の中身だったって黙ってたの? アンタが騒いだ時に初めて知ったよ、深海棲艦だった奴が我が物顔でこんな所にいるなんてさあ!」

 鈴谷はそう声を上げ、砲身を深雪の後頭部へと二度ほど打ち付ける。鈍い、鉄の塊が頭蓋を砕かんとする音が、耳を引き裂く。悲鳴を上げないよう唇を噛み締め、瞳に涙を浮かべる少女を目の当たりにし、反射的に指が別の引鉄を引き絞る。左手に召喚した副砲が火を吹き、鈴谷の足元を掠め床板に直径五センチ程の穴を開けた。

「……もう一度言う、深雪を放せ」
「……だからさ」

 呆れたように大きな溜息を吐いたその時、恐怖からか、悲しみからなのか、瞳が微かに揺れたのを曙は見逃さなかった。これなら、と内心安堵した直後。三度、深雪の呻き声が耳を裂いた。

「なんでっ、アンタがコイツなんかの肩を持つわけ!? 姉ちゃんと普通に話せるようになってたよね、自分だって、コイツのせいで色んな物を失くしちゃうかもしれなかったんでしょ!? それにアンタだって深雪に死ねって言ったじゃん! なのにどうして!!」
「……殺意を向けられた事を理不尽だと言わなかった。少なくとも、その程度には自分のやった事を悔いてるなら、私はそれでいいと思っただけよ。許せるかどうかの話じゃないわ」
「それがポーズだったとかは考えない訳!? はっ、思ったよりおめでたい頭してたんだねアンタ!」

 明らかに不愉快そうに眉根を寄せ舌打ち、そして、足元に転がっていた深雪の連装砲を正面に向けて蹴り飛ばす。反射的にそれを手元の砲で撃ち抜いた鈴谷の瞳は、二つの理由により驚愕で見開かれる事となる。
 一つは、その連装砲が外側のみしか構成できていない、張りぼてと呼んで相違ない代物だったこと。そしてもう一つは、反動で跳ね上がった張りぼての下を潜り抜け、菫色に近い髪を月夜に煌めかせ、曙が此方に肉薄していた事。

「ぐあっ!?」
「……今ので分かったでしょ。艦娘の艤装は召喚時、内部機構から生成される。ガワだけなんて器用な真似は出来ない、知ってるわよね?」

 ごく短距離の助走から放たれた蹴りが、鈴谷を数メートル先へと弾き飛ばす。受け身を取り損ない、蹴りつけられた胸を押さえ、少女が吐き出した声は震えていた。

「……それが何。ソイツが艦娘に戻れないから、許してやれっての?」
「その程度で許せるんなら、私達は悩む心配も無くて良かったんでしょうね」
「だったら……!」
「アンタは!!」

 それまでの会話からは想像出来ないほどに大きく張り上げられた、悲鳴にほど近い声。以前、深雪や紫子を天龍諸共撃ったあの日以上にその声は鼓膜を揺らす。言葉の続きを待つ必要は無かった。その怒鳴り声一つで、曙の心中がおおよそ理解出来てしまったのだから。

「仲間を自分の手で撃った事が無いから……そうやって好き勝手言えんのよ」
「……」
「確か、シグだったわよね。……人間でいられる内に抜けた方が良い、深雪を手に掛けちゃったら戻れないから」
「……抜けたって行くトコなんて無いんだから、どっちにしろ一緒だよ」
「アンタまさか……」
「結局、身体が完治しても最上姉ちゃんは帰って来なかった! 鈴谷には此処しか居場所がないのに、家族を奪われたんだ!!」

 涙に声を震わせ、少女は右腕に持った主砲を再び深雪に向ける。接近して艤装を解除させるには遠く、正面に抱えたそれのみを撃ち抜ける位置に曙は立っていない。自分の居る位置の悪さに内心毒づきながら、咄嗟に彼女は深雪を庇う位置に立ちはだかった。視界に此方を狙う砲口と、鈴谷の顔が映る。
 少女のその瞳は、既に理性の色を失っていた。あの時の自分と同じ、目に見える誰かのせいにしなければ心を壊されてしまいそうで、その行為が生み出す結果全てから目を背けて、ただ怒りに任せて力を振るうことしか出来ない。引鉄に掛かる指に力が入る様に、曙はその唇を噛むしかなかった。

「駄目えっ!!」
「えっ……」
「なっ……」

 鈴谷の背後から、一人の少女が主砲を構える腕に飛び掛かる。その両腕は砲の射線を大きく変え、弾みで放たれた砲弾は窓枠を掠めて、遠く離れた海上に水柱を一つ立たせた。腰を抜かし座り込む少女に遅れて、重力に引かれ落ちる黒の長髪。曙からはその顔を伺えず、見覚えのある白いワンピース型の病衣に、心臓が一つ、大きく脈を打つ。鈴谷の方からは顔が見えたのだろう、その瞳はかつて無いほどの驚愕に見開かれていた。
 まさか、とは考えた。確かに、身体の傷は癒えたと聞いていたし、面会が出来なかったとはいえ明石などから殆ど眠っているだけに近いとは聞かされていたのだから、ふとした拍子に目が覚めたところで、それ自体はおかしな話ではないだろう。目の前で身体を起こした少女は、確かに知った顔付きをしている。だが。

「私は、詳しいことは知らないけど。……それでも、味方同士で武器を向け合うなんて、悲しすぎるよ」
「……誰なのよ、アンタは」

 他人の空似だと思いたかった。司令官に言われた覚悟はまだ出来ていないし、そんな事など考えたくもなかったのだ。しかし、その希望は容易く砕かれてしまう。他ならぬ『最上』本人の口によって。

「……名札、最上っていうのが、多分私の名前」



[40522] 追編九話(第十八話)
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2015/01/03 03:30
「多分って何それ、自分のことじゃん! 此処のことも、鈴谷たちのことも、まさか分かんないなんて言わないよね!? ねえ!!」
「鈴谷?!」

 月明かりの差し込む廊下。名前を問われ「恐らく」と枕詞を添えて最上と名乗った少女に対して、鈴谷はより大きく声を上げる。既に冷静さを失っているのか、黒髪の少女が恐怖心から小さく瞳を揺らした事にも気付かず、彼女はその小さな肩に掴みかかる。

「ま、待って……!」
「鈴谷はもうずっと待ってたんだ、これ以上待たされるなんて絶対嫌!!」

 慌てて鈴谷を抑えようと腰を上げた曙の背中を、ひやりとした冷たい空気が撫ぜる。慌ててそちらに意識を向けた時には既に遅く。彼女と、最上を問い詰めようとしていた鈴谷の二人は、それぞれ別の人影に組み伏せられていた。痛みに顔をしかめ、うつ伏せになったまま鈴谷の方を窺えば、彼女は合わせて当身を貰ったのか瞳を閉じて倒れており、その身が動く気配はない。

「……制圧完了だ。天龍、深雪の方を頼む」
「了解、長門の姐さん。龍田も鈴谷の方ちゃんと見とけよ?」
「大丈夫よ、鈴谷ちゃんならお休みしてるし、このままなら朝までは起きないから~」
「な、なんでアンタ達が……」

 混乱している様子の曙にちらりと視線を向け、彼女を組み伏せたまま。長門は態とらしい溜息を吐いた。

「なんでも何も、あれだけの騒ぎで誰も気付かないとでも思ったのか、お前達は」
「それは……」
「話は後だ。最上、済まないがそこの龍田と一緒に病室まで戻っていてくれ。色々話もあるだろうが、ひとまずは落ち着いてから、という事にしたいんだ」
「は、はい」
「それじゃあ最上さん、私と一緒にベッドまで戻りましょうか」

 龍田に促されて、黒髪の少女はゆっくりとその場を離れる。やはり二人の様子が気になるのか、時々此方を気にするように振り返り、その度に龍田に軽く急かされて、という繰り返しを経て暗闇の中へと姿を消した。それを見て安堵の表情を浮かべ、長門は再び天龍へと声をかける。特別何かをしなければ押さえていられないという点をとっくに過ぎてしまっている故か、その意識は曙の方へは向けられていなかった。

「深雪の方はどうだ?」
「さっき明石さんを呼んだけど、結構ヤバい感じです。出血もそうだけど何か様子が変なんだ、呼吸も荒いし痙攣を起こしてる」
「……そのまま深雪を頼む。何かあってはまずい、明石の指示に従うようにしてくれ」
「……了解っす」

 深雪から視線を外さず答える天龍に礼を言い、長門はゆっくりと腰を上げる。少しの間を置いて身体の自由が得られたことを確認したか、小さく息を吐くと共に、スカートの埃を払いながら少女が立ち上がる。恐る恐るといった様子で二人に視線を向けるが、どちらも彼女を気にする様子はなく、天龍は深雪に視線を。長門は依然気を失っている鈴谷の身体を抱えて此方に振り返るところであった。

「……」
「どうした、曙」
「いえ」
「……そうか。お前も一緒に来い、少し話がある」

 その小さな声には、押し隠しているような怒りの色が微かに見えていて。曙は断ることも出来ず、ただ言われるままに首を縦に振るしか無かった。そのまま長門に促されて歩き始め、その場に残った二人の姿が見えなくなる辺りで、数人分の足音と切羽詰まったような明石の声が微かに耳に入った。
 そのまま暫く、二人連れ立って廊下を歩く。鈴谷を抱えたまま長門は言葉を発することも無く、曙は声を掛ける事も出来ず。ただただ沈黙を引き摺り、二人は仄暗い廊下を歩き続けた。
どれほどの時間歩き続けていたのか、そう考え始めた辺りで、長門はある扉の前でぴたりと足を止めた。釣られて歩みを止め、長門の視線を追った先にあったのは『食堂』の掛札。思わず首を捻る少女に、彼女は小さな笑みを浮かべて語る。

「こんな時間に食事をとる者も居ないだろう?」
「……そう、ですね」

 曖昧に言葉尻を濁し、少女は促されるままに無人の食堂へと足を踏み入れた。それを確認し、後ろ手にドアを施錠、長門はそのまま近くの椅子に鈴谷を座らせ、自らもその傍の柱に背中を預ける。彼女の表情に気圧されるように、曙は鈴谷の向かいの椅子へと腰掛けた。

「単刀直入に聞くぞ。何があった」
「それは……」

 一際強い語勢に怯み、曙は視線を左右に彷徨わせる。そしてゆっくりと口を開き、深雪と最初話していたことを伝え、少女は再び黙りこんでしまう。そんな中、わずかに鈴谷に視線を向けたことに気付いたか、長門はその切れ長の瞳を更に細めた。

「……鈴谷、か。深雪の事は落ち着いてから伝えようと考えていたんだがな」
「どうして、ですか」
「聞くまでもないと思うが。……まあいい」

 小さく溜息を吐き、未だに目を覚まさないままの鈴谷の肩を人差し指で叩く。薄らと目蓋を開く様を確認し、次の瞬間大きな音を鳴らし立ち上がった鈴谷をその腕で制する。万力の様な力で肩を押さえつけられ、鈴谷は抵抗を早々に諦めたか力なく背もたれに身体を預けた。

「……ビッグセブン様が鈴谷に何の用がある訳」
「抵抗の出来ない人間を砲塔で殴り付けるのは楽しかったか? まだやり足りない、という顔をしているが」
「なっ……!」
「確か、熊野とは実の姉妹だったな。戦火で家族を失い、妹のお守りをしている内に自分が持たない姉に焦がれたか、それとも姉であることを辞めたかったのか?」
「それは」

 言葉を詰まらせた鈴谷を省みること無く、長門は話を続ける。

「そうやって妹という立場を望むお前を、最上は苦手としていたよ。嫌っているという事はもちろん無かったが、何処かで理想を押し付けようとしている事を感じ取ってはいたんだろうな」
「……そんなはずない、最上姉ちゃんがそんな事考えるわけない」
「事実は事実だ」
「嘘だっ!!」
「……曙。これで理由は分かっただろう?」

 返事をすることは出来なかった。鈴谷は、艦娘として、艦艇として姉に当たる最上に依存していると、長門はそう言っているのだ。だから最上を撃ったのが深雪だと伝えるつもりがなかったと。そして曙にしても、彼女が深雪の姿を見ていたと知っていれば、曙を彼女と引き合わせないように動いていただろう。だが、曙は知ってしまっていた。紫子に対しての怨みや怒りを糧としてレ級が戦っていたことを、その巻き添えで最上はその命を危険に晒し、記憶を奪われてしまったことを。
 その誤算が、今のこの状況を呼んだ。曙の怒号で鈴谷は姉の仇敵を知り、そして、彼女が曙を赦した、その事実を許すことが出来なかった。

「……起こってしまった事はもうどうにもならんさ。無かった事になど出来ない以上、気持ちの整理は必要だ」
「……ごめん、なさい」
「だから、はいそうですかって。手を取り合えって、そう言うわけ? ……そんなの死んでもゴメンだよ」

 長門は答えない。何事かを考え込むように顎に手をやり、黙りこんでいた彼女は不意に聞こえた電子音に耳を傾ける。二人には長門の聞いている音が何なのかは分からなかった、しかし、みるみる内にその表情が険しくなっていく様に、ごくりと何方ともなく喉を鳴らした。

「だったら二人揃って死ぬか?」

 そして、十数分の沈黙の後、そう問い掛けた言葉に感情は無い。ただ事務的に、機械的に。艦娘『長門』は死刑宣告を口にした。



「何を」
「今しがた明石から連絡が入った、複数回の頭部への殴打で深雪は重態だそうだ。良かったな、お前達の仇敵は望み通り死に体だ」
「……ま、待って下さい。どうして」

 どうして? あからさまな侮蔑の表情を浮かべ、長門は問い返す。説明が必要か、と。恐怖を隠せず、ただ首を縦に振る二人に対して告げられた言葉は、これまでに聞いたことも無いほど、冷たいものだった。

「天龍が興味深いものを見付けたのさ。外装しか構築されていない、不完全な艤装の一部をな。……曙、お前は天龍から聞かされていた筈だな、彼女が艤装に拒否反応を示したこと、無理に艤装を扱おうとすればどうなるかを」

 底冷えするような声を受け、喉が一気に水分を失う。長門はあの場所に居て、曙の言葉も、天龍の話も、全てを目の当たりにしている。もう、彼女に出来る反論は無い。長門から向けられる侮蔑も、怒りも、それらは生まれるべくして生まれた感情なのだ。小さな少女は、ただ悔しさと後悔で唇を噛むしか出来なかった。

「やけに歯切れの悪い話し方をしていたから妙だとは思ったよ。答えろ、お前は何と言って深雪に艤装を使わせた? 自分の手を汚す覚悟すら放棄して、お前のような者が何をっ、誰を赦すなどと言える!!」
「ひっ……!?」
「直接……手を上げたのは、鈴谷、だよ……」
「それがどうした、言われなくともお前も同罪だ! 他人を庇う暇があるならどうやって罪を償うかを考えろ!!」

 恐る恐る声を上げた鈴谷の方を省みること無く、長門は曙へと向けて声を荒げる。彼女が怒鳴り声と共に掌を打ち付けた天板にはヒビが生じ、そのテーブルの損傷が怒りの程度を如実に表していた。
 椅子から腰を上げ慌てて後退る曙の襟首を捕まえ、そのまま近くの柱へと押し付けるようにその腕を振るう。背中を強打し呻き声を上げるのも無視して、怒りに染まった瞳を長門は向けた。

「負い目から反抗のできない相手に自刃を迫るのはそんなに楽しかったか? 拒否反応を示していた艤装を無理矢理に召喚する姿はそれほど滑稽だったか!? そのお陰で今彼女は生死の境目を彷徨ってるんだ、さぞかし気分が良いだろうな!!」
「ちが……違、う……っ!!」
「何が違う! お前がやったのはそういう事だと言ってるんだ!!」

 違う、違うと、大粒の涙を溢れさせ、ただただひたすらに首を横に振り続ける。長門の言葉を否定することは出来ない。曙は、引鉄を引けず膝を付いた深雪の泣き顔に罪の意識を感じ、鈴谷の直接的な行動を見て、ようやく自分の行いに気付いただけだ。天龍に殴られ、司令官に諭され、それでも周りを見直すことが出来ず、還ってきたことを喜ぶ相手が居る深雪に嫉妬して。

 彼女は取り返しの付かない事をしたのだ。

「……提督の手を煩わす迄も無い。苦しまないよう楽に眠らせてやる、覚悟を決めろ」
「う、あ……」
「……」

 呟く長門の声は、深い哀しみの色に染まっている。その瞳を見るだけの気勢すら失った曙は、彼女の感情が揺れたことにも気付けず力なく俯く。長門を制することも、曙を庇うことも出来ずに立ち尽くす鈴谷の瞳が、長門の目尻に雫が光るのを見た時、それは別の輝きに覆い隠された。それが戦艦長門の艤装だと気付いた時、彼女の身体は反射的に動いていた。

「……お休み」
「だ、駄目っ!!」
「お前ッ……!?」

 砲口に身体を被せるように飛び込んできた人影に慌てて後ろへ飛び退く。その手が曙を離し、体勢を整える間もなく少女は強かに腰を打ち付けた。指を掛けていたはずの引鉄を引くこともなく、砲口を二人に向けたまま、長門は低い声で問う。

「何のつもりだ、鈴谷」
「撃たせないよ。……長門さんは、鈴谷達の所に来ちゃ駄目なんだから」

 長く苦しい沈黙を経て、曙の前に立ちはだかったまま動こうとしない鈴谷から砲口を外し、大きな溜息と共に長門は大きく首を左右に振った。

「……気が削がれたな。どちらにしろ、そう簡単に片が付く話じゃないんだ。解体処分も覚悟しておくことだな」
「……分かりました」
「……はい」

 身を寄せ、声を上げる事無く涙を流す二人を見ること無く踵を返し、背負っていた艤装を仕舞い扉の向こうへと長門は歩いてゆく。後ろ手に扉を閉め、それに背中を預けて彼女はまた、大きな溜息を静寂に向けて吐いた。

「……皆揃って貧乏くじを引いてばかりだよ。なあ、提督」



[40522] 追編十話(第十九話)
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2015/01/31 02:50
 明くる日の朝。司令官の少女の機嫌は最悪だった。夕食、入浴と一通り済ませてさあ寝入ろうかという夜半に叩き起こされ、血相を変えて駆け込んできた明石と行動を共にしてみれば。天龍からは深雪が頭部から血を流して倒れていると言われ、長門からはそれをやったのは曙と鈴谷の二人だと報告を受ける。正直なところ、想定していた最悪の事態を簡単に口にされたせいでもう勘弁してくれ、と手を上げてしまいたかった。

「天龍」
「提督に明石さんか、状態は見ての通りだ」
「これを。……艤装に対しての拒絶反応も大きく、意識の混濁の原因は直接の殴打ではなく此方だと思われます」
「回復の見込みは?」

 それはまだ、と明石は言葉を濁す。ベッドに眠る深雪の頭部には包帯が巻かれ、その腕からは栄養剤のチューブが伸びる。その姿に小さく溜息を吐き、司令官はパラパラと明石から受け取ったファイルを捲った。外傷は幸いにも命に関わる程ではなく、脳へのダメージもほぼないと考えていいとの事。
 しかし、無理な艤装の召喚による記憶の逆流が少女を深い眠りへと突き落とした。本来、主砲一つの召喚程度であれば昏睡状態に陥るほどのフラッシュバックは起こりえない。だが、彼女には深海棲艦として味方や友人に銃を向けた記憶が、船酔いによって自身を飲み込んだ記憶が色濃く残っていたのだ。故に少女はその追い打ちに耐えられなかった。一通りの資料に目を通し、眉をひそめる司令官に天龍は問い掛ける。

「……どうするつもりだ?」
「どうって、考える時間を頂戴。一応、二人は懲罰房に入れておいて」
「提督。……こんな事、言いたくはありませんが。」

 言い掛けて、明石は小さく息を吸う。僅かながらの迷いを見せたが、彼女はそれでもハッキリと切り出した。

「艤装を下ろす事も頭に入れておいた方が、私は良いと考えます」
「……そうね」

 その言葉に肯定も否定もせず、ファイルを明石に返しそのまま司令官は病室から姿を消した。残された二人は顔を見合わせ、揃って何度目かの溜息。勘弁してくれと言いたいのは彼女等も同じであった。眠る深雪の布団を直し、軽く伸びをする天龍に明石は笑いかける。

「ともかく、天龍さんもお疲れでしょうし、軽くシャワーでも浴びて朝食にしませんか?」
「……そう、だな。龍田と長門姐さん辺りでも呼んでくるわ、ちょっと待っててくれ」
「はい」

 眠そうに瞳を擦り部屋を出る天龍を見送り、明石は深雪と、手元に残ったファイルとを見比べる。そこには、傍で眠る少女について記載された資料ともう一つ。重度の記憶の逆流に呑まれ、二年近く眠りに落ちた一人の少女の記録が纏められていた。
 時期は四年ほど前。建造による艦娘の戦力増強に翳りが見え始め、人間の少女を母体とした艦娘化、現在ではCyg『シグ』と呼ばれる分野の研究が実用段階まで秒読みとなっていた頃。その一人目の被験体となり、実験中の事故により死亡した、とされていた少女の記録。

 その被験体の名は『華見京香(ハナミキョウカ)』

 彼女等が成り損ないと称した、司令官と同じ名前がそこには記されていた。



 何度かのノック。返事があったことを確認して司令官は扉を開ける。殺風景な部屋の一角、シングルサイズのベッドに、上体を起こして此方に視線を向ける少女の姿があった。艦娘であった時より幾分か落ち着いた印象を受けるのは、その肩にまで伸びた黒髪が原因だろうか。

「起きてる?」
「あ、はい。ええと確か……」
「司令官とか提督でいいわよ。貴方には提督って呼ばれてたかしらね」

 身体に関しては既に完治していたこともあり、混乱状態にあった鈴谷と引き離す形で一先ずあてがわれた少女の私室。司令官の私室にほど近い一室が、記憶を失った最上の一人部屋として使われていた。

「それじゃあその、提督。私にどういったご用事で……」
「……大怪我から復帰した所でしょ、様子見というかお見舞いみたいなものよ。それで、長門や天龍から大まかな話は聞いてるけど、どれ位まで覚えてるの?」

 司令官の質問に、最上は小さく考え込む。その様子を見る限り、自己や艦娘に関しての大部分は覚えていないのだろう、そう考えた彼女の予想は的中していた。最上の口から語られたのはごくごく一部の、眼帯の少女と取っ組み合いをした事があるだとか、目の前の司令官に胃薬をねだった事がある等といった断片的な物でしかなかった。
 他の記憶や知識について話を進めていく内に判明したのは、失ったのはあくまで自分自身を観測する為の名や生まれといったパーソナリティ。艦娘、戦闘に関する知識といった限定的な記憶のみであること。生活する上で必要な記憶まで、全てがまっさらになってしまったという訳ではないらしい。それだけでも、司令官の少女にとっては僥倖だった。
 断片的な喪失であれば、刺激や知識によって必要な記憶を回復させることが出来るのではないか、忘れてはいけない相手を思い出すこと位は可能なのではないかと、そう思えたのだ。

「なるほどね。それでさ最上、貴方さえ良かったら改めて中の案内もするけどどうする?」
「……えっ? あ、良いんですか?」

 一拍遅れて反応する少女に違和感を覚える。どうやら彼女は、人名とは些か外れた自分の名前に馴染めないらしい。苗字ですらなく、最上という一単語で個人を示すのはやはり不思議に感じるのだろう。それがなんだか初々しくて、少し少女は吹き出してしまった。

「良いに決まってるじゃない。後で名前もちゃんと考えておくわ、もう艦娘じゃないのに最上って呼ばれるのもちょっと気持ち悪いでしょ?」
「そういう訳では無いんですけど、なんというか、中々慣れなくて……お願いします」

 扉を開いたままの姿勢で首を捻り、ふと何かを思い出したような声を上げる。それを不思議に思った少女が声を掛けるより先に、司令官は口を開いた。

「ああそうそう、言い忘れてたことがあるんだけどさ」
「……は、はい」

 元々艦娘という戦闘単位であったことは先の話で聞いていた。そして、今はそれに戻ることは出来ないことも、朧げな感覚ながら理解はしている。そういった点から、ひょっとしたら自分は此処から追い出されてしまうのではないか、という不安が胸を覆い、少女の表情を曇らせる。それとは対照的に、司令官の声は明るかった。

「ある程度此処の事覚えてもらったら、紫子達と一緒に食堂の手伝いとか雑用とかやって貰うことになるから。これからよろしくね」
「……え?」
「……なに間抜けな顔してんの? 働かざる者食うべからずって言うでしょ、艦娘じゃなくても例外じゃないわよ」
「……は、はいっ!」

 弾んだ声が返ってくる。直前の不安そうな表情は何処へやら、といった様子で最上は少女の後を着いて私室の扉を抜けたのだった。



 その後、司令官に着いて鎮守府内を歩く少女の表情は明るいもので、自己の記憶の大部分を失っているという不安は残っているが、自身の今後について取り敢えずの保障を得られたという事実が、彼女の足取りを軽い物にした。とはいえ、廊下を歩く途中、すれ違う少女等が驚愕や安堵といった感情の篭った視線を向けることに気付いて気まずいといった表情に変わるのも、それから直ぐの事だった。

「やあ、最上。怪我はすっかり良くなったようだな」
「え、あ……はい。ええ、と」
「お疲れ様日向、二人の様子は?」

 困惑していた様子の最上への助け舟。少々渋い顔をしながらも問われた二人、鈴谷と曙の様子について軽く報告を始める。その間に、最上は自分に声を掛けてきた彼女の名前が日向だという事を把握し、反芻する。勘付かれて困る、という事ではないが、自分から切り出さない内に理解され、残念そうな表情を見せられるのも、少女としては避けたいと感じていたのだ。

「……と、こんなところだ」
「もうちょっと時間は掛かりそう、と」
「まあ、そうなるな。それで、最上は平気なのか」
「は、はい。体の方はもう。それでその、私……実は、記憶が」

 気遣うような視線に、一先ず大丈夫だと判断したのか、おっかなびっくりという様子であるが、最上の口から自身の状況について語られる。異論や疑問等を挟むこともなく黙って話を聞いていた日向は、彼女の話が一通り済んだ後、優しい声で答えた。

「記憶を失っていようが、同じ艦隊の仲間である事に変わりはないさ。……お疲れ様」
「……ありがとう、ございます」

 ぽん、と癖毛のある頭部に手を置く。すっと細められた目を見て自然と顔が綻んだが、自我を取り戻したことをただ喜んでいられる状況でも無いことは日向も重々承知していたのか、適当な所で雑談を切り上げ、二人の様子を見てくると言って踵を返す。引き止めることもなくそれを見送り、司令官と最上は揃って廊下を再び歩き始めるのだった。

「……あの、提督」
「何?」

 食堂の方へと続く廊下。右斜め前を歩く司令官に向けて少女が声を掛ける。小さくそちらへ視線を向けるものの、足を止めずに彼女は次の言葉を促した。一つ迷って少女が口にした問は、彼女の置かれた状況を考えれば至極当然のものであった。

「どうして、私を此処に置いておこうと思われたんですか?」
「艤装を使えなくなった子は二三人いるし、今更増えたところで大した問題じゃないのよ。それに、艦娘だったアンタは立派な戦力だったからね」
「……そう、ですか」

 返事はするものの納得している様子ではなく、未だに最上は疑いの眼差しを司令官へと向ける。知識や経験からくる疑念というよりは無知からくる恐怖に近いその疑問に気付いたか、小さく溜息を付き、彼女は簡潔に答えた。

「機密を知ってる上に身寄りの無い人間を一人で野に放つ方がどうかしてるでしょ。監視って意味なら間違いなく手元においておく方が確実だわ」
「……ですよね。単純に厚意で置いてくれるなんて、虫が良すぎますもんね」
「無くはないけどね。……数少ない同類を他人の手に委ねられるほど、私は割り切れてないもの」
「同類?」

 最上の質問に、態とらしく考え込む素振りを見せる。その後、苦笑いを浮かべて少女は自分を指さし答えた。

「船酔いで記憶喪失。同じ境遇の娘が居ればちょっとは気楽になるし、記憶を取り戻すにもやりやすいでしょ?」
「は、はい」
「ま、細かいことは言いっこ無しよ。記憶をどうしたいのかも好きに決めればいいし、そのための時間は此処で用意するわ」
「有難うございます。……それでその、一つ、お願いがあるんです」

 続いた少女の言葉に、司令官は時間をくれと一言答え、それ以上は何も言おうとはしなかった。



[40522] 追編十一話(第二十話)
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2015/02/05 01:33
「で、提督は何と言っていたんだ?」

 食堂。朝食の時間も過ぎ、人の気配が無くなった事を確認した長門が正面に座る天龍に向けて問い掛ける。牛乳の入っていたマグカップを空にした天龍は、明石と視線を交わし、小さく頷き答えた。

「一先ずは懲罰房行きだと。まだどうすっかは決めかねてるみたいですね」
「提督の性格からして極刑、とは行かないでしょうが、曙さんは二度目です。……ある程度厳しい対応をせざるを得ないとは思います」
「……そうか」
「そういえば、この事を知ってる子はどれ位いるのかしら?」

 天龍の隣に座る龍田の疑問に、三人は目を見合わせる。深雪の昏倒そのものに関しては所属している艦娘の殆どが既に知っている。病床に伏せっている所を見ている者も多ければ、そこから口伝で話が広まるのも早い。
幸いと言えば、長門らが鈴谷、曙の二名を拘束する現場であったり、深雪との口論など、直接的な現場を目撃した者が居なかったことだろうか。恐らくそれを見られていた場合、二人の駐屯地内での立場は非常に危ういものとなっていただろう。

「一応医務室に来られる方に話を聞いてはみましたが、どうやら船酔いの後遺症の類で意識を失ったのだと噂されているみたいで、鈴谷さん、曙さんの関与を知っている方は居ないようです」
「私の方でも日向に確認を取ってみたが、どうやら提督が手を回してくれていたらしい。他に知っているのは直接話の出来る潮や熊野位だそうだ」
「だったらいいのですけど。天龍ちゃん、深雪ちゃんの様子は?」
「まだ目は覚まさねえ。外傷は二、三週間ってところだったか、明石さん」

 少女の問に頷き、明石は言葉を継いで語る。幾つかの龍田の疑問に答えた後、明石は大きくため息を吐いた。

「とはいえ、意識を取り戻せるまで私達がどうこう出来る事ってないんですよねえ。鈴谷さん達の方は日向さんと伊勢さんが様子を見てくれているんでしたか」
「……話でも聞いてみるか?」
「……いえ、今はいいです。それより、長門さんは船酔いのことについてはどこまでご存知なんですか?」

 藪から棒にどうした、と怪訝な顔を彼女は浮かべる。同様の疑問符を浮かべる龍田と、明らかに顔色が変わった天龍と、三様の反応に明石は何かしらの確信を得たらしい。長門等二人にやっぱりなんでもない、と笑って誤魔化し、深雪の様子を見るローテーションや、鈴谷や曙の事について、提督から伝えられていた艤装改修についてなど、明石が立場上引き継げる内容の話を適当に繋ぎ、その場をまとめた。そして解散、というところで長門に呼び止められ振り返った。

「さっきの船酔いの話がまだ終わっていないだろう?」
「ああ、そうでしたね」
「私の知識、だったか。知っているのは『艦艇の記憶が何かの拍子に艦娘の精神を喰う』『一度発症した場合、記憶そのものに打ち勝つ以外の対処法がない』位だ。他に何かあるのか?」
「深海棲艦化に関してです。艦娘は死ぬと深海棲艦化することがあるのはご存知ですね、今でも明確な基準は不明ですが、深雪さんなどの事例を見るに、一つ。深海棲艦化の条件が見えてきました」

 明石の言葉に、ごくり、と喉を鳴らす。

「船酔いです。より正確に言えば、船酔いに起因する『憎しみ』『怨み』『恐怖』そういった負の感情が、深海棲艦化の条件の一つになるのではないか、と」
「だから深雪がそうなった、ということか?」
「……はい。あと事実として言えるのは、艤装の主機、特にブラックボックス部分も深海棲艦化に絡んでいるだろう、というくらいですね。日向さんに聞いた話では、伊勢さんは船酔いには罹っていなかったらしいので」
「……それだけか?」

 それだけです、と強く言い切る明石に対し、長門はそれ以上を問いかけようとはしなかった。聞いたところで答えないだろうし、力尽くで聞き出したとして、それがいい結果を生むとは考えられない。興味や疑惑は尽きないが、此処は引いておくべきだろう、と結論付けて話を打ち切る。

「あ、そうそう天龍さん」
「……何だ?」
「川内さんから聞いたんですけど、完治していない腕で艤装を振り回してたそうですね?」
「げっ」

 天龍の頬が引きつる。にっこりと能面のような笑みを浮かべた明石に首根っこを捕まれ、そのまま二人は食堂の外へと向かう。それを見送り、残された長門と龍田は思わず顔を見合わせるのだった。やがて扉の前で立ち止まり、こちらへ振り返ることもなく明石は長門に尋ねる。

「長門さん。提督の名前って何でしたっけ、ど忘れしちゃいまして」
「……華見京香。それがどうした?」
「いえ。……ちょっと診断書が必要になりそうなので」



「まったく。平然としてるみたいだから良いものの、悪化したらどうするつもりだったんですか?」
「いや、悪い悪い。どうもじっとしてられなくてよ。……で、ご丁寧に鍵まで掛けて、本題は何なんだ?」

 鍵のかけられた医務室。向かい合う形でそれぞれ椅子に座る天龍と明石の二人。差し出された右腕に触れ、後遺症の類が無いのか簡単に調べる明石に対して低く抑えた声で問い掛ける。手元に落としていた視線をちらりと上げ、再び腕に視線を落として明石は笑う。

「いやあ、先程の貴方の反応が少し気になって、ちょっとカマをかけてみたんですが、やっぱり演技は苦手なんですねえ」
「……何の話だよ、俺は別に何も」
「提督が深海棲艦化しているのを知っていますよね? 更に言うなら、彼女が船酔いの結果そうなっている事も。もう一つ、気付いてますね?」

 否定を返すことは出来ない。明石が眉をしかめる様が気になって、彼女が見ていた資料を、そこに書かれていた名前を見てしまっていたのだから。最初のシグ被験体、適合実験の際の事故、死亡認定、そして、華見京香という名前。
材料が揃ってしまえば後は単純だ。故に天龍は彼女の現状に気付いた。司令官がその被験体であること、事故により船酔いを患い、恐らくはその際に深海棲艦化が始まったこと。それを『成り損ない』とぼかして語っていたのだと。

「提督は、事故の隠蔽のために死者として処理されたってのか」
「というよりは『華見京香』を二人にしたかった、という方が適当でしょうね」
「どういう事だ?」
「艤装適合実験の失敗によって提督が船酔いを患い、深海棲艦化が進行しているというのはほぼ間違いないでしょう。それに『深海棲艦になりかけている人間を傍に置く』ことがどれだけ周囲に不信感を与えるかは、説明するまでもありませんよね?」
「実際の危険性は置いといて、ってことだな」
「ええ。そして、艤装についての知識などを持つ人材の重要性や、艦娘の配備推進派筆頭である中将の孫娘という点を考えれば、軟禁や殺害などもなるべく避けたい」

 明石は視線を上げようとせず、淡々と言葉を続ける。

「そうした打算の結果『華見京香』は実験失敗による事故で死に、数年後に養子という形で身寄りのない彼女を『二人目の華見京香』として育て始める、というシナリオが出来上がる訳です。『本物』は既に死んでいる体ですし、思春期の少女の大きな変化を考えれば、どれだけ似ていようとさしたる問題にはなりませんからね」
「……なんでお前がそこまで知ってんだ、それにあんな資料何処から」
「さあ。船酔いについての研究を任されているので、その関係ですかね」

 くつくつと笑う声。はぐらかされた、と感じながらも、天龍はそこから問い詰めることは出来ない。彼女の声色は『聞いてくれるな』と、明らかな警告を発していたのだから。
小さくため息を吐いて、明石は天龍の腕をぽんと叩く。ようやく上げられた顔には、いつも通りの笑顔が浮かんでいた。

「これでよし、と。一応ちゃんとした検査もしますが、完治していると見て間違いなさそうですね」
「当然だな、無理な負担は掛けてねーんだから」
「体感をアテにし過ぎるのも危険なんで、経過観察はちゃんとしてくださいよ?」
「分かってるって。で、検査はいつやるんだ?」
「天龍さんの艤装も改装案が上がっているので、それの調整と合わせてですね」

 改装、という言葉を聞き天龍の顔が喜色に染まる。勢いづいて明石に詳細を尋ねたものの、まだ詳細は決まっていない、と曖昧な返事のみが返ってきたため小さく溜息を吐く。じゃあ検査もその分遅れないか、と迂闊に聞いてしまったのがまずかった。
 それもそうだと同意を示した明石にそのまま首根っこを捕まれ、休む間もなく精密検査に回される羽目になってしまうのだった。



 朱に染まる窓の外、懲罰房として使われている部屋の前で、少女は佇む。扉の向こうに人の気配を感じた。隣に連れていた私服の少女に視線を移し、考え込むような仕草の後、小さく頷く。

「最上、本当に良いの?」
「……大丈夫、だと思います」
「……鈴谷。居るんでしょ」

 扉越しに聞こえる衣摺の音。格子窓の向こうから顔を見せた少女は、不機嫌そうな視線をこちらに向けたが、直後最上の方を見て息を飲んだ。

「姉、ちゃん」
「この子が話したいってさ。一時間ほど経ったら迎えに来るから、最上は何かあったら呼んで」
「は、はい」

 ひらひらと手を振り、司令官はその場を離れる。扉越しに向かい合う姉妹の表情はどちらも硬く、無言のまま時が流れる。沈黙にも耐えられなくなったかという頃、鈴谷がその重い口を開いた。

「その、この前は御免なさい。つい、気が動転しちゃって」
「……いいんです。私も、覚えてあげられなくてごめんなさい」
「ううん、姉ちゃんは悪くないよ! 戦闘のせいだし、死ぬかもしれない怪我だったし、生きててくれてただけで、鈴谷は全然……!」
「……あの、最初に言われた時から気になってたんだけど、その……お姉ちゃん、っていうのは」

 最上の疑問に、鈴谷がその顔を大きく曇らせる。彼女はそれに対する正当な答えを持っていない。長門に指摘された通り、一方的に姉妹艦である最上を姉と呼び、妹という立場を求めていただけなのだから、記憶を失いやり直そう、という相手にそれをそのまま伝えるなど出来なかった。故に答えることが出来ず、鈴谷は視線を外し黙り込む。不思議そうな表情を浮かべる最上の背後から、また別の少女の声が聞こえた。

「あら、最上さん、話には聞いていましたが無事でしたのね。……良かったです」
「えっと、貴方は……?」
「? 最上型重巡洋艦四番艦、熊野ですわ。やれやれ、姉妹艦の事をお忘れとは、もう少しお休みになられた方が良いかと存じますが……」

 心配そうな視線を最上に向ける金髪の少女、熊野。曖昧な笑みを浮かべて最上が笑い返すが、それに違和感を覚えたか、改まったように最上に向けて問い掛ける。

「最上さん、貴方もしかして」
「……はい。私、記憶の大部分が無いんです」
「なるほど、それで提督と鈴谷さんに話を聞きに来た、と」
「ええ。それで、鈴谷さんが私の事をお姉ちゃん、と言っていたのはその……」
「……ああ、彼女も最上型の姉妹艦ですわね」
「ちょっと祥子!?」

 一体鈴谷は誰のことを呼んだのか、と一瞬疑問符を浮かべるが、目の前の少女が眉をひそめるのを見て、思わず納得する。提督の言う『艦娘じゃない名前』なのだろう。そう考え納得したように頷く最上をよそに、呆れたような溜息を吐き、熊野はつかつかと靴を鳴らし格子窓の前へと歩み寄った。

「はあ、今は熊野ですわ。……そういえば最上さん、艤装主機を喪失しましたが、今後はどうするおつもりですの?」
「それなんですけど、一通り覚えて落ち着いたら、紫子さん達と一緒に食堂などを手伝うように、と言われまして」
「名前も最上のまま、ですか?」
「……提督は新しい名前を考えてくれる、とは言っています」

 ふうん、と熊野は小さく頷く。暫く考え込むような仕草を見せ、その後、二人に向けて彼女は言い放った。

「物は相談なのですけれど。最上さんさえ良ければ、私達の家族になって下さいませんか?」



[40522] 追編十二話(第二十一話)
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2015/02/08 14:55
 熊野の言葉に、思わず最上の頬が引きつる。目の前の少女は自分が何を言っているのか分かっているのだろうか。提督から聞いた話を聞く限り、私『最上』は元々艦娘だった存在故に天涯孤独の身なのだろうという事は分かっているが、だからといって同型艦というだけの相手を家族として迎え入れようだなんて。
最上は、正面で此方を見据える少女の意図をはかりかねていた。

「あの、熊野さん、それはどういう……」
「ええと、最上さんがオリジナルだという事は知っての上でのお話です。ですので血の繋がり等が無い事も、単に同型艦の艤装を持つだけという事も重々承知しております。それに、言い難いのですが、私達の家族になったからといってして差し上げられることは殆どありません」

 そう言って、熊野は目を伏せる。語りたくない事情があるのか定かではないが、彼女の言っていることは紛れも無く事実なのだろう。相手は赤の他人であり、更には最上が申し出を受ける事で得られるメリットは持ち合わせていない、と。返答を捻り出すことも出来ず、少女はただ困惑を示す様に瞳を泳がせるしか出来ない。

「ですので、ハッキリ言って私達のわがままなんです」
「どうして」
「……さあ。でも、家族は減るより、増える方が嬉しいものだと思いますわ」

 変わらず迷っている様子の最上に対して、熊野は、困ったように笑った。その後、取り繕うように、苗字を揃えてくれる程度でも構わないと少女は話す。身寄りが無いままという状況よりは幾らかマシじゃないだろうか、というのが一応の理由であるらしい。
暫く最上は考え込んでいたが、やがて小さくため息を吐いて微笑んだ。

「……そう、ですね。じゃあ、お願いしましょうか」
「いい、の?」
「……有難うございます」
「それで、苗字、というのは?」
「そこからですの?」

 何と説明したものか、と暫く唸り声を上げていたが、どうにか説明を思いついたのか熊野が途切れ途切れに話を始める。ふむふむと頷きながら話を聞いていた最上もおおよそ理解は出来たのか、小さく頭を下げて礼を言う。

「なので私達の場合は『藤村(フジムラ)』ですわね。名前、は提督の方でも何か考えているでしょうし、此方で勝手につける、という訳には」
「……」
「最上さん?」

 顎に手を当て俯く少女を不思議に思ったか、熊野が覗きこむように首を傾げ問い掛ける。

「……あ、いえ、何でもないんです。藤村、ですか」
「あくまで家庭等の集団を指すのが苗字ですので、まだ最上さんの名前、と呼ぶには半分ですわね」
「半分、か……有難うございました。まだ色々思い出せないこともありますし、良かったら、また、力を貸して下さいね」
「当たり前だよ。鈴谷達の……家族、なんだから」

 涙声で答える鈴谷に礼を返し、最上はその場を離れた。司令官に会う前にもう一人、頼み込んで面会の許可を貰った相手がいる。此処に来る前に聞かされた話から、彼女と会わずしてやり直すことなど出来ないと、彼女は感じていた。小さくなる背中を見送り、熊野は扉に背中を預けてため息を吐く。

「良かったですわね」
「……うん」
「……姉さん。熊野は、重荷でしたか?」
「違う……そんな訳、ない」

 段々と語勢は弱まり、最後の方は殆ど耳に入ってこない。それを問い詰めることはせず、熊野はただ、扉の向こうで啜り泣く声を聞いている。

「……今は、ちゃんと支えてあげられますから」



「ッ……!!」

 格子窓から最上の姿が見えた途端、その少女は一足飛びに扉から離れ、部屋の隅に逃げていってしまう。綾波型駆逐艦、曙。艤装を奪われ身一つとなった少女は、憔悴しきった表情を浮かべ、最上の方を睨め上げた。

「……あ、あの」
「何しに来たの」
「えっと、提督から許可を貰えたから、話でもしようかと思って」
「……話?」

 曙の表情は未だに硬い。最上が記憶を失っている事は既に聞き及んでいるはずだが、それにしたって距離が遠すぎるし、何より彼女の表情は何かに怯えているようにも見える。一向に扉に近づいてこようともせず、少女は部屋の隅から抑揚のない声を発する。

「私なんかに今更何の用があるんですか」
「その、ごめんなさい……私のせいで」

 言い掛けた言葉を遮る大声。碌に食事を摂ろうとしていないせいか声は枯れ、時折乾燥した空気に咳き込みながら、少女はそれでもと声を張り上げた。

「なんでアンタが謝るのよ! 私のせいで大怪我して記憶を無くしたアンタがなんで!!」
「そ、それは……私がこうなったから、その、貴方が私のために怒って、それで……」
「違う、そんな立派な事じゃない!」
「でも……」

 最上の静止を聞こうともせず、曙は自らを責め立てるようにただ声を上げ続ける。違う、違うと否定を繰り返す声は段々と力を失い、いつの間にか扉の前に立っていた少女はその両手を力なくその冷たい鉄の扉に打ち付けた。

「私は、自分の力不足を棚に上げて八つ当たりしてただけよ……!!」
「曙……」

 震える声を発しながらも、その瞳から涙は溢れない。自分の手で引いた貧乏くじに泣くことは、他ならぬ彼女自身が許せなかった。扉に隠れた表情を伺うことが出来ず、最上はこつんと格子窓に額を付ける。その口からぽつりと発せられた言葉に彼女自身は気付いているのだろうか。

「……ごめんね、ボクのせいで」
「え、今アンタ……」
「えっ、私何か……?」
「……ううん、何でも無いわ」

 最上の問いかけにゆっくりと首を振り、曙は先程までより幾分か柔らかくなった表情を浮かべる。それでも直接顔を合わせることには抵抗があるのか、扉に張り付いたまま言葉を発するため、格子窓からはその頭頂部しか見えない。
幾らかまともに会話ができるようになったと判断したか、暫くの時を経て、最上は唐突に切り出した。

「ええと、私、艦娘には戻れないみたいで」
「……知ってる。艤装が全損したんだから、仕方ないわよ」
「一応提督は此処に置いてくれるって言ってて、名前も新しく付けよう、って話もしてたんですよ」
「良かったじゃない。紫子とか同じ境遇の子は居るし、馴染むのにそんなに時間は掛からないんじゃないの?」
「……それで、名前の事なんですが」
「……何? もう決まってるとか?」

 曙が背を向けたまま問い掛ける。心を決める様に大きく深呼吸をし、最上はゆっくりと答えた。

「……苗字は決まってます。けど、名前は曙に決めて欲しいの」
「はあっ!? な、なんで私が……それに提督が決めるとか言ってたんじゃなかったの!?」
「提督には話したんですが、好きにしろ、って言ってくれました」
「……なんで」
「……そうしたい、って思ったの」

 最上の言葉に反論できず少女は黙り込む。数刻にも思える沈黙の後、曙は渋々と言った様子で彼女の願いを聞き入れる。そうして最上から決まったという苗字を聞き、再び考え込む。
無言の時間が長引いたことに痺れを切らしたか、最上がそわそわし始めた頃。

「……良。」
「りょう?」
「『良い』って書いて良。どう?」
「藤村良……なんだか女の子っぽくないですね。でも、悪くないと思います」
「そう。気に入って貰えたなら良いけど。提督にでも伝えてきたら? 書類なり手続きなりあるんじゃない」

 曙の呆れたような声に嬉々として答え、礼もそこそこに最上は早足で駆けて行った。それを見送るでもなく、少女は何度目かの大きなため息を吐く。無意識だったのだろうが、彼女はあの時確かに『ボク』と言った。もし、失ったのではなく閉ざしてしまったとしたなら。
自分を知る彼女に償える時がいつかきっと来るのかもしれない。ほんの僅かな光明に、自然と口元が綻びるのを少女は感じていた。

 その数分ほど後の執務室。最上、もとい藤村良と自らを定めた少女の報告を受け、司令官は眉根を寄せる。最初に彼女の望みを聞いた時点では、まさか本当に名前が決まってしまうとは考えていなかったらしく、ため息を吐く彼女の手元には幾つもの案が書いては消されているメモ帳が握られていたのだ。

「……で、藤村良(フジムラリョウ)、か。ボーイッシュな名前だけど、元のアンタのこと考えればピッタリかもね。それで二人の様子はどうだったの?」
「ええと……そう、ですね。その、鈴谷さんも曙さんも、極端に手荒な行動にでる、といったことは有りませんでしたけど」
「……そりゃ何日か経ってれば落ち着きはするか。ま、名前はそれで書類を用意しておくわ」
「あ、はい、ありがとうございます」

 ぎし、と椅子を鳴らして少女は小さく伸びをする。窓の外に視線を向ければ、最上が目を覚ましてからもう何度目かの夕日が辺りを朱く染め始めていた。
一段落ついた、といった様子の小さなため息。所属の変更や、艤装喪失による戦線離脱の手続きが終われば、最上は晴れて人間としてここでやり直す事となる。それは掛け値なしに目出度い話であったのだが、まだ解決していない問題もある。机の引き出しから幾つかの書類を取り出し、少女は席を立つ。

「提督?」
「お疲れ様。後は書類上の手続きだけだから外してくれていいわよ。とりあえず施設に慣れたり、間宮とか鳳翔辺りに改めて挨拶でも行ってきなさい」
「は、はい。ええと、その、ありがとうございました」
「これからよろしくね、良」

 最上と揃って執務室から出、施錠の上最上と司令官は別れる。まだ部屋の配置などは慣れていないのか、キョロキョロと辺りを見回しながら歩いてゆく最上を見送り、司令官は書類をまとめたファイルを片手に懲罰房へと向かった。



「……何の用?」
「頭は冷えたかしら、鈴谷」
「まあ、それなりにね」
「……藤村良、あの子の名前だってさ。苗字はアンタ達が付けたんでしょ」

 司令官の言葉に戸惑いを隠し切れない。彼女の口から発せられたのは、最上が自分と同じ名字だと明確に決まったという証明だった。

「うん……そっか」
「どのみち、オリジナルだから身寄りも無いし良いんだけど、あんまりあの子に負担欠けないようにね。後、暫くはアンタを同じ名字で呼ぶ事はないと思うから」
「提督、それって」
「もうちょっとの間は鈴谷で居てもらう、ってこと。後で目を通しておいて。処分内容書いてるから」
「え、うん……」

 司令官から手渡された書類。三つ折にされていたそれに書いていたのは謹慎処分の文字と、三ヶ月という期間、その後の処遇についての概要であった。
端的に言えば、鈴谷に下されたのは後方支援艦隊への異動、敵味方入り乱れる前線への参加から除外するという旨のものであった。それなりに戦闘経験のある重巡洋艦艦娘を除隊させられるほど戦力に大きな余裕があるわけでもなく、一度目とはいえ味方の元艦娘に向けて暴行を働いたという事実、それそのものを無かった事にするには深雪に与えた怪我は大きすぎたのだ。しかし。

「……そっか。居てもいいんだ」

 用済みとして処分されなかったという事実は、少なくとも彼女にとっては救いだった。



「曙。話があるの」
「なに、クソ提督」

 それまでと変わらない、少女の憮然とした声。態とらしく吐いた息に肩を竦める気配が扉越しに感じ取れる。恐らく相当な後悔に苛まれたか、声質そのものも普段と比べると弱っているように見受けられた。

「アンタの処分が決まったわ。あと、一つ聞いておきたいことがあってね」
「……先に聞きたいことの方から話して」

 怯えた声。なぜその順番なのかと問い質すこともなく、少女は言われるがままに言葉を続ける。

「どうして良なんて名前を付けたの。アンタはその名前がどういうものか位知ってるでしょ」
「……そういう由来で付けたんだから、知ってるに決まってるじゃない」
「だったら」
「次の名前なんていらない。……最上さんは、あの名前のまま、戦場に戻ることなく死ねばいい」

 最後というのはそういう事だ、と少女は震える声でハッキリと答える。彼女なりの償いのつもりなのだろうが、それは自分自身が得た光明を自ら断つ選択だということに、曙は気付いているのだろうか。『最上』に戻る必要はない、と言い切るのはそういう事なのだから。

「……そう」
「それで、処分はどうなるの? ……極刑、って言うんなら私は従うから」
「……コレ」

 恐る恐る、司令官から差し出された書類を受け取る。黒で印字されていたのは『解体』の二文字、そしてその後の処遇は。

「……執務補佐?」
「大淀の事務仕事を半分引き継ぐ形になるわね。まあハッキリ言うと、私の監視の元、此処にアンタを拘留する。悪いけど、今後一切の艤装使用を禁止させてもらうから」



[40522] 追編十三話(第二十二話)
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2015/02/16 02:20
「これでよし、と。お疲れ様です、最上さ……ああいえ、もう藤村良さん、でしたか」

 ドックの一角にある処置室。重傷者が第二ドックの前に運び込まれ、欠損した部位の縫合や傷口の消毒、弾丸の摘出等を行う部屋。病衣の背中を大きく開き、スカートを捲った状態でベッドに寝そべる最上の背中をポンと叩き、桜色の髪の少女がにこりと笑う。身体を走る微かな電流に身を捩り、少しの深呼吸の後、藤村良、と呼ばれた少女は上体を起こした。
直前に明石が触れていた部位には、黒鉄色のフレームと、それに囲われていた穴を塞ぐ様に嵌められた金属板。円形のその板は、周囲のフレームと幾つかの太い金属線で繋がれており、その継ぎ目には溶接の跡があった。

「有難うございます。でも、これで艦娘ではなくなったと言われても、あんまり実感が湧きませんね」
「艤装を繋ぐためのコネクタを塞いで、機能を制限しただけですからねえ。オリジナルでもシグでも摘出にはちょっと大掛かりな手術が必要ですし、艤装に頼っていた身体機能を慣らすのにリハビリも必要になっちゃいますので」
「そんなに艤装って大きな影響があるんですか?」
「まあ、軍艦の事を全く知らない人が、艤装を付けただけでその艦の事や扱い方を『解る』程度には、大きく人格に影響を与えますね。シグが非人道的だと言われる大きな原因でもあるんですが」

 そんな物にも頼らなきゃいけない程度にオリジナルは貴重なんですよね、と明石は続けて自嘲気味に笑った。そんな事を言いながらも手は止まっておらず、明石から衣服を受け取り、少女は曖昧な表情を浮かべそれをただ聞いている。途中、促すような視線を受け、慌てて着替えを始める少女を見て明石はすっと目を細めた。

「すみません、この所ちょっと色々立て込んでましてつい。残りの処理については一通り片付いたら、落ち着いてやりましょう」
「あ、はい。それで、ええと……」
「着替えが済んだら今回の処置内容を纏めた物を貴方と提督のお二人にお渡しします。一度身体を動かしてみて、違和感や痛みなどがあればまた来てくださいね」
「はい……有難うございました」
「いえ。私はこれが仕事ですからね」

 小さく頭を下げ、部屋を出てゆく少女を見送り。大きく一つ、彼女は伸びをして息を吐いた。

「しかし、提督もいい加減診察を受けてくれないと、何かあってからでは遅いんですけどね……」



 『曙が艤装を解体される』その一言が鎮守府の艦娘達の間に広がるのはあっという間の出来事だった。入渠中、深雪に向けて砲撃を行ったという事は既に知れており、その後の経過を見た上で戦闘の参加は難しいのであろう、と大半の者は考えた。そして司令官にとってはその方が都合が良かったため、是正しようとはしていなかったのだ。
 鈴谷、曙の両名に処分を言い渡した翌日。昼食を済ませ、執務室でいつもの様に大淀から書類を受け取り、幾つかの世間話を済ませた叢雲が扉を閉めて司令官の傍に歩み寄る。

「色々と噂流れてるみたいだけど大丈夫なの?」
「……深雪の昏睡状態の原因とは見られてないし、入渠中の事も懲罰房入りもそもそも隠しようが無いんだから仕方ないわよ。それに鈴谷に関しては別の噂を流してもらってるから深雪に手を上げた、とはなってない。おかげで昏睡は事故として見てくれてるわ」
「……何やったのよアンタ」

 大きなため息。どうやら指示を出した当人にとっても愉快な話ではなかったらしく、明らかな嫌悪感が顔に出ている。書類を手渡し空になった両手に、また別のファイルが司令官から手渡される。そこに書かれていた文章に一通り目を通し、叢雲は呆れたようにため息を吐いた。
最上の負傷を理由に鈴谷が曙に対して暴言、曙はそれに逆上し、理由を得たとばかりに鈴谷が応える形で艤装を用いての戦闘を開始。偶然近場に居た天龍、龍田、長門の三名がこれを制圧したと、ファイルにはそう荒っぽい字で殴り書きにされていたのだ。

「鈴谷と曙が私闘、ね。曙が深雪を撃った訳を考えれば筋道は通るし鈴谷が手を上げる説明も付く、と。更に言えば嘘は言っていない、ね」
「悪趣味でしょ?」
「同感。で、コレに一枚噛むっていう新しい貧乏くじを引いたのは何人ほど居るの?」
「……」

 暫しの沈黙の後、幾つかの名前を上げる。天龍、龍田、長門、日向、明石、熊野、潮、後は当事者三人くらいね、と彼女は冷めた笑みを浮かべた。それを見て、叢雲が肩を竦める。

「わお、大漁大漁」
「……似てないわね」
「……余計なお世話よ」

 迂闊なことを言った、と叢雲が朱に染まる顔を背けるのを横目に、先程より温度の高い笑みを零す。ともあれ、二人の処遇も一先ずは決まり、最上は日常生活が問題なく可能な程度の回復は既に見せている。深雪の経過を見る必要はあるが、これで目下の問題ごとはほぼすべて片付いた、という事実に幾らか気分が休まった。それで、緊張の糸が切れてしまったのだろうか。ぐらり、と視界が揺れ、景色が霞む。

「う、ん……」
「な……」

 直後、どさりという音に反応した叢雲が視線を向ければ、執務机に座していたはずの少女の姿は既に無く。慌てて駆け寄った彼女が見たのは、身体を支えることも出来ず椅子から崩れ落ちた司令官の姿だった。

「ちょ、ちょっと何してるのよ、寝不足? 私が引き継いでおくから部屋に……ねえ、京香?」

 返事が無い事に訝しみ、身体を抱き起こした直後、その体温が非常に高くなっていることに遅れて気付く。身体を仰向けに抱え直し額に手を当てれば、その手が焼けるかと思うほどの高温。叢雲から内線越しに急かされ駆け込んできた明石の表情から血の気が引いたのは、それから数分後のことであった。

「叢雲さん、これは一体……!?」
「んな事私に聞かれても知ったこっちゃないわよ! 急に倒れたと思ったら凄い熱出してて……」
「熱?」

 叢雲の傍に駆け寄り、明石は司令官の額に触れた右手を、直後慌てたように離す。ひらひらとその手を動かす様に違和感を覚えたのも束の間、少女の胸が跳ねた事に冷静さは更に欠けてしまう。

「こんな体温で生きてる人間なんて聞いたこと有りませんよ……担架も持ってきてます、とにかくドックへ!」
「う、うん!」



 処置室に運び込まれた司令官の少女を仰向けにベッドに寝かせ、上着のボタンを戸惑うこと無く外していき、流れるように衣服を脱がせてゆく。露わになってゆく上気した肌に思わず目を背けた叢雲とは対照的に、明石の瞳は驚愕に見開かれていた。

「ちょ、ちょっとアンタ何を」
「熱ッ……ええと、背中と脇腹、太腿に外付けの大口径コネクタ……サイズも変に大きい上摘出も停止処理もされてない、まさかコレずっと起動状態だったんですか……!?」
「それって……」
「適合実験に失敗してから今の今まで、艤装の接続コネクタが放置されてた、ってことです。……肉体的成長を留める術も無かったらしいですね、露出部を皮膚が呑み込み始めてます」

 続けた言葉に青褪める叢雲を他所に、うつ伏せに寝かせたその背中、艤装と身体を繋ぐ端子の周囲の肌を指でなぞる。ところどころで指に力を込め、肌と艤装の正確な境目を探る瞳が、再び動揺に目蓋を動かした。

「……叢雲さん、少し席を外して下さいませんか。それから、大淀さん達と提督が残している業務の引き継ぎをお願いします」
「嫌って言いたい所だけど、そんなにまずい状態なの?」

 叢雲の問いかけに、数十秒ほど考え込む素振りを見せ、今はまだ断言はできない、と答える。

「詳しく見てみないことには分かりませんが、少なくとも今日明日の内に復帰とはいかないと思います。とにかく原因を突き止めないことにはなんとも言えませんね」
「そう……分かった。京香の事は任せるわよ」
「ええ」

 逃げるように部屋を飛び出す少女。その後直ぐに扉を施錠し、明石は書棚から一つのファイルを取り出した。それは、目の前で意識を失う少女が受けた実験の記録。それと彼女の今の姿とを見比べ、綴られている文章に目を通し、明石は何度目になろうかという溜息を吐く。手術衣に身を包み、手袋の感触を確かめた。
 心拍を把握するためのモニター機器、点滴と一通りの準備を早々に終え、痛み止めの充填された注射器を構えて呼吸を整える。

「金属部とも思えない感触……すみません提督、少し開かせて頂きます」

 高い体温で赤くなった背中に針を刺し、続けてカテーテルを挿入。身体から力が抜けていることを確認した上で、コネクタのすぐ近くにメスを入れ始める。呼吸のペースに変化が生じない事に安堵の息を漏らすが、それすら気休めにならない程に、眼前の状況は酷い有様であった。

「この子を、私に殺せって言うんですか。三笠さん……貴女方の失策の尻拭いを、私にしろと……!」

 皮膚の上から触れて気付いた違和感は、決して勘違いなどではなかった。背中にメスを入れ、目の当たりにするその時まで勘違いであって欲しい、と考えていた。金属のものとは明らかに異なる感触、皮膚や筋肉、脂肪のものとも違うその硬質な感触は、彼女の身体を今こうして蝕んでいる深海棲艦の物だったのだ。滴る赤い雫に紛れ、黒い甲殻が宿主とは異なるリズムで今尚脈動を刻んでいる。

「……プロトタイプ、か。もしかしたら、書面の通りに事故死していた方が幸せだったのかもしれませんね」

 その後も思いつく限りの手を試しては見たが、深海棲艦化している部位のみを切除するには根が深すぎるため手が出せず、麻酔や劇物をその部位に投与しても殺すことは出来ず。
 最終的に、冷却剤の投与により一時的に、深海棲艦と同質のものと化したコネクタ基部が稼働率を落とすことを確認できた。
そしてそれによって落ち着いた呼吸と体温をモニターで確認し、明石は一先ずの安息を得ることができたのだった。
 切開したコネクタ周辺の縫合を一通り済ませ、最上に使用したものとは異なる金属製のプラグを持ち出す。冷却性能に劣る一部の艦娘に対しての応急処置として用意していた、身体側のための外部冷却装置だ。既に艤装を着用する機会が無いとはいえ、切除も停止も出来ないとなると対処療法以外の選択肢が存在しなかったのだ。司令官が目を覚ましたのは、縫合を終えてから五、六時間ほど後、既に日が沈みきっている時間だった。

「お目覚めですか提督。いきなり高熱を出して倒れるものだからびっくりしましたよ」
「……あー、うん。心配かけてごめんね。……で、あちこちが痛むんだけど」
「……すみません、緊急だったものでコネクタ周辺の切開と冷却剤の投与を」
「冷却剤?」
「ええと、言い難い話なんですが。コネクタの方も深海棲艦化が進行しているんです。どうやら身体の芯の方まで侵蝕が進んでいるみたいで、劇物の投与も試してみたんですが、効果を表す間もなく解毒されてしまって」
「……アンタ事情はともかくとして上官に毒物盛るってどういう神経してんのよ」

 身体とは異なるリズムで脈動していたこと、身体に投与した麻酔が効果を見せなかったことから切り離されていると判断した、と言われ大きく溜息を吐く。文句の一つでも言ってやろうかと身体を起こそうとした所で、違和感が肉体を襲った。

「……?」
「ああ、艦娘用の冷却ユニットを使わせて頂きました。此方から直接稼働率を落としたり停止したりが出来なかったので、オーバーヒートだけでも、と」
「……それで腰が妙に重い訳だ」
「執務は叢雲さんと大淀さんが引き継いでくれています。提督は二週間、病室で経過を見て下さい」
「……了解」
「肩、貸しますんで」

 明石に連れられ、一人部屋の病室へと足を踏み入れる。殺風景な白一色の部屋、窓の外には月明かりが波に揺れている。深雪が倒れてから既に三日。多少落ち着きつつはあるものの、未だに鎮守府内は平穏を取り戻す事は出来ていない。
介助を受けてベッドに腰を下ろす。何をするでもなく傍に佇む明石に、黒髪の少女は声を掛けた。

「……そういえば深雪は?」
「今の所はまだ、ですね。曙さんと鈴谷さんは何時頃懲罰房から?」
「来月には一旦出そうかと思ってる。処分内容自体はもう通達してるし、後は段取り組むだけよ」
「その頃には深雪さんも目が覚めていて欲しいものですね」
「……全くもって同感だわ」



[40522] 追編十四話(第二十三話)
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2015/02/28 16:05
「まったく、艦娘の大半が戦線復帰したと思ったら次は貴方か、提督」

 ベッドで身体を起こす少女に向かい、諭すような口調で話しかける長門。提督と呼ばれた彼女はバツが悪そうに苦笑いを浮かべ、視線を逸らした。病室で安静を言い渡された次の日の朝の出来事である。

「過労って事らしいから、とりあえず二週間ほど休んでろってさ。一応叢雲と大淀に執務を引き継いでもらってるから、何か気になることがあったらそっちにお願い」
「ああ、心得ている。それより聞いたぞ、曙と鈴谷の処分も決まったそうだな」
「気が早いわね……懲罰房から出すのも来月の話。曙は書類の準備なんかもあるからちょっと遅れるかもね」
「余り無理はするなよ。過労で倒れたばかりだろう」

 テーブルに置かれていたバスケットから徐ろに林檎を一つ手に取る。それを見せ「食べるか?」と問いかけられた視線に気付き、少しだけ、と司令官は左手で示す。満足気に頷いたかと思えば、その数分後には綺麗に切り分けられた紅い兎が六羽、小皿に並べられていた。
膝の辺りに設置されたテーブルに小皿を置き、長門はフォークを手渡す。そのまま彼女はナイフを片付け、素手で一羽の兎を手に取った。

「へえ、器用なもんね」
「私はこういう単純な切り方くらいしか出来ないんだ、褒めて貰っても困る。……ん、それに陸奥や榛名らの方が器用だぞ。鳳翔達には敵わんが大体の飾り切りができるしな」
「マジで?」
「マジだ。というより、林檎の兎程度ならそれほど難しくもないだろう? 皮剥きで一本の皮にするよりは簡単だと思うが」
「いやー、実は私包丁使うの苦手なのよね。林檎の兎とかもあんまり上手く出来なくて」

 指を切ったり、皮剥きで身を削ぎ落としたりというのはざらにある、と苦笑いを浮かべる少女に相槌を打ちながら、二人は着々と兎の数を減らす。やがて最後の一羽、というところでふと少女が声を上げた。

「二人のこと、色々気を使わせちゃってごめんね」
「ん? ……ああ、どちらかから聞いたか」

 明確に口には出さないが、恐らく二人を糾弾した夜のことを言っているのだろうと、その言葉尻から察する。あの後自室で陸奥を相手に愚痴を吐く程度に気にしていたせいか、二人が『用済み』として処分されない事に安堵していたのは長門も同様であった。
 眉をひそめる彼女を見て心配するような視線を司令官は向ける。それに気付いたか、取り繕うように長門は笑みを浮かべて最後の一羽をその口に入れてしまう。少女が反射的に小さな声を上げたのは見なかったことにしよう、と頭の端で考え、空になった口を開く。

「あれは私が冷静さを欠いてしまっただけだよ。……曙が深雪を殺そうとするなら直接手を上げるだろうという事は分かっていたんだ」
「……曙には私の方からちゃんと言っておくわ」
「そこまで提督に頼るのも、なんだが」
「部下の関係に目を向けるのも上官の務めだからね」

 程々に頼むと長門は笑い、自らが空にした皿をそそくさと片付け始める。慣れた手付きで飲み物などの準備を済ませてベッドの傍へと戻ってきた。グラスに注がれた水で喉を潤し、少女は小さく息を吐く。暫しの沈黙、時間を刻む秒針が九の文字を指したその時、けたたましいサイレンが施設内に鳴り響く。遅れて聞こえてきたのは叢雲の怒声。どうやら緊急事態ということらしい。

『南東一五キロ地点、レーダーに反応あり! ルートを見る限り大島の連中の撃ち漏らしらしいのが接近中、第一艦隊出撃準備なさい!』
「……やれやれ、もう暫く暇を持て余せると思ったんだがな」
「……長門、」

 言い掛けた言葉をスピーカーのノイズが遮った。

『敵の数は三、艦種の特定には時間が掛かりそうだし第二波の可能性は捨てきれないわ、念の為に第二艦隊も戦闘態勢で待機ね! ああ、一応言っとくけど司令官は病室から出るんじゃないわよ!』
「そういう事だ。提督は先ず体を治すことから考えてくれ」
「……そうさせてもらうわ」

 手を振り足早に部屋を後にする彼女を見送り、少女は大きなため息を吐いた。少し重く感じる背中を預けるようにベッドへ仰向けに寝そべり、右腕を天井に向けて伸ばす。感じるのは微かな震え、そして、敵意にも似た視線を向けられたその腕は黒い甲殻を表出させた。
深海棲艦の物と変わらぬそれを見る目は冷たく、そして悲痛な色を浮かべていた。

「まだ、疼く」



「叢雲、敵の反応はあるか?」
『……もう無いわね。大島からも撃破成功の打電が来てるけど、警戒を怠らないで帰還して』
「了解した」

 潮風に髪を揺らし、長門は答える。結局最初の三体以上の撃ち漏らしも無く、第一艦隊はそつなく迎撃を済ませて帰路につくこととなった。同艦隊の赤城や榛名等の表情にも過度な緊張は見られず、その後も遭遇戦などが発生することもなく彼女等は無事に帰還を完了する。
 伊豆諸島奪還作戦から久々の出撃であったものの、一つとしてブランクと呼べるものを見せることはなかった。

「第一艦隊の皆さんお疲れ様です、負傷された方は先に傷口を洗ってから医務室、入渠ドックの方へお願いしますね」
「ああ、助かる……ところで明石」
「はい?」

 先程まで少女らが装備していた艤装のチェックを始めようと道具を持ち出す明石の背後、引き止めるように長門は佇む。その声が少し震えている事を知ってか知らずか、明石は視線をそちらへ向けようとは決してしない。少しの沈黙を経て、長門は改めて彼女に問い掛けた。

「どうして、お前は提督の名前をあの時聞いたんだ」
「……特にこれといった理由は有りません。深雪さんや曙さんの事であちこち走り回っていたので、ひょっとしたら、と思っただけです」
「他に理由は」
「……いえ、ありません」

 明石は依然として此方に振り向こうとはせず、黙々と手入れを始める。苛立ちを言葉の端々に滲ませる長門をあしらい続け、幾度かの押し問答を経た後、やがて諦めたように彼女は首を横に振った。

「……分かった。この話はやめにしよう、すまなかったな」
「すみません」
「此方が詮索しようとしたのが悪いんだ。……お前や天龍、叢雲程ではないとはいえそれなりに提督の信頼は得ているつもりだったからつい、な」

 自嘲気味に呟く長門に少女は答えない。小さく溜息を吐き、その場を後にする彼女を見送ること無く、明石は手を動かし続ける。そうして艤装の手入れが一つ終わり、からん、と乾いた音が彼女一人きりのドックに虚しく響き渡る。手にしていた工具を取り落とし、桜色の髪を吹き込む風に揺らして、少女はぽつりと呟いた。

「そういう事じゃないんですよ」

 長門を信用していない、という事は無い。最上と曙の件について事情を知っていたことを考えれば、寧ろ艦隊内でも特に信用されている人物の一人に上げられるだろう。しかし、司令官の身体の事はそういった次元の話ですら無いのだ。彼女がシグであったこと、何より公式に死亡したとされている一人目の被験体であることは、もう誰にも知られてはならない。
 天龍に資料を見られただけでも手落ちであるし、何より、既に数名が深海棲艦化に限っては気付いている。この上、彼女が『失敗作』である事が公になってしまえば、この鎮守府のみの話では済まなくなってしまうのだ。そうなれば彼女の末路は自ずと定められる。

「……上等。墓場まで持って行ってあげようじゃないですか」

 呟く声はそのまま、誰に届くでもなく風に掻き消された。その後も彼女は一人黙々と作業を続け、出撃していた艦娘等の艤装点検を完了させる。大きく腕を上げ、一段落ついたと伸びをしていると、背後から一人分の足音が聞こえてくる。振り返るとそこには、迷いが見える様子でマグカップを二つ手に佇む少女の姿があった。

「もが……良さん。どうかしましたか?」
「えっ。いえその、手持ち無沙汰になってしまったので鳳翔さんに何か手伝うことはないか聞いたら、明石さんに差し入れを持っていくように、と言われたので」
「そうでしたか。丁度一通りのチェックが終わったところですし助かります」

 明石の手招きに応じ、少女はドックの縁に腰掛ける。良からマグカップを受け取り、白く立ち上る湯気を吐く息で飛ばして、彼女はまだ熱いココアに口付けた。

「熱。……まだ此処には慣れませんか」
「……そう、ですね。名前も、まだあんまり馴染まないですし」

 既に良と名前を変えた少女はそう言って苦笑いを浮かべる。何でも、会う人会う人が先ず『最上』と口にするせいで、結局そちらの名前の方が直ぐに馴染んでしまったのだという。困ったように話すその口振りに相槌を打ちながら、彼女は胡桃色の熱湯もとい飲み物と格闘を続けている。ちらとそちらに視線を向け、意外なものでも見るようにその瞳を見開いた。

「あの、もしかして猫舌でした?」
「ええまあ……極端に苦手というほどではないんですけど」
「あの、良かったら交換しましょうか? 氷を入れてもらったので少し飲みやすいと思います」
「いやいや、それには及びませんよ」

 ぶんぶんと手を振り明石が笑う。特に食い下がることはせず、少女は自分の手に収まったマグカップに視線を落とした。どちらから声を掛けるでも無く、波の音を聞きながら黙々とココアを飲む二人。やがて思い出したように明石がその口を開いた。

「そういえば、身体の調子は如何ですか? その様子だと特に不具合なども無いようには見受けられますが」
「あ、はい。今の所特には……時々、身体が重く感じる事があるくらいです」

 小さく考え込むような仕草を見せたが問題は無いと判断したか、明石は笑顔を見せて良に答える。その反応に安心したか、少女は顔を綻ばせた。

「なるほど、でしたら心配することもなさそうですね……少し経過を見つつ、コネクタの稼働率を落としていきましょうか」
「わかりました」

 そうして再びの沈黙。いつの間にか空になったマグカップを揺らし、明石はその底に何を見るわけでもなく視線を落とす。最上、藤村良の『やり直し』は順調に進み始めた。提督の言葉や彼女の資料、曙の反応から考えても、恐らく深海棲艦化は無いと判断できるだろう。経過の観察は必要だが、彼女に重きを置く理由はこれでほぼ無くなったと言っていい。

「それでその、深雪……さんのことなんですけど」
「深雪ちゃん位フランクに呼んであげた方が彼女も喜びますよ」

 茶化すような言葉遣いだが、その声に軽さはない。

「……怪我は順調に快方に向かっていますが、目を覚ます気配は有りません。船酔いに関して此方でも調べてはいますけれど、待つしか無い、というのが現状ですね」
「そうですか……それに、提督が倒れたって聞いたんですけどそちらは……」

 明石の表情が明らかに歪む。何度か声を出そうとして止めて、とを繰り返し、やっとの思いで吐き出されたのは明確な嘘。

「単なる過労ですよ。安静にしていれば早い段階で復帰できると思います」
「本当、なんですか」
「やだな、嘘を吐いた所でメリットがないじゃないですか。ここ最近色々あって、その疲れが一気に来たんでしょうね」

 不摂生なんてするもんじゃない、と呟き、その後彼女は一度も口を開こうとはしなかった。



 それから数日。司令官が待機するように明石から言伝られている病室。呼び出しを受け、叢雲より改めて自室での謹慎を言い渡された鈴谷は、反抗すること無くそれに従い、熊野の監視の下で生活を続ける事となる。
 そして、入れ違いになるようにもう一人の少女が病室へと足を踏み入れる。菫色の長髪を揺らし足を止める彼女は、掌に掛かる白い袖を気にするように手首を抱えて司令官を呼ぶ。

「……これでいいんでしょ、クソ提督」
「ふふ、結構似合ってるじゃない」

 曙は、『華見 実莉(はなみ みのり)』と書かれた名札を胸に下げた少女は。

「じゃあ、改めて処分を言い渡すわ。第五艦娘駐屯地所属、駆逐艦曙改め華見実莉兵曹長は秘書艦を解任、以後は同駐屯地での執務補佐を命じる」
「……」
「表向きは拘留処分、という形よ。殺傷沙汰にならなかっただけ司令官に感謝しなさい」
「……解ってるわよ」

 眉間に寄せた皺を崩さず、ふんと一つ鼻を鳴らした。



[40522] 追編十五話(第二十四話)
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2015/03/22 01:50
 華見実莉(はなみみのり)という名前は、司令官である京香が考えたものである。元々が戸籍などを持つ人間であるシグとは異なり、オリジナルやクローニングによって生を受けた『元より艦娘であった少女』等は戸籍を、個を識別するための名前を持たない。
艦娘である間は多少の不便こそあれど大きな問題は無かったが、解体に伴い艦娘であることを辞めた時どうするのか、というのは戦線の拡大によって増えつつある艦娘達、全てに共通する問題として未だに明確な解決策は見えてこない。
 そして、曙の上官であり彼女と同じ艤装の記憶を持つ彼女は、少女を自分の家族とする事を選んだ。

「うっす」
「あら」

 司令官からの辞令を受けた二人は懲罰房を出され、それぞれの罰を課せられた。京香の意識喪失を受け、事情を知る艦娘らが鈴谷、曙両名の監督を買って出た事からの繰り上げである。お陰で曙の所属、名義変更に関しての手続きも早く片付き、司令官代理の登用も滞り無く終了したため彼女は休息に専念できる事となった。
 辞令を下してから一月ほど。既に明石の言う二週間を大きく越えて尚、ベッドで一日の大半を過ごす状態から脱せていない京香の元へ、扉をくぐり天龍が顔を出す。互いに軽く手を上げ、眼帯の少女はそのままベッドの傍に置いてある丸椅子へと腰掛けた。

「……まだ動けねえんだな」
「寝たきりって訳じゃないし軽く歩きまわる位は平気よ。流石にここまで長引くとは思ってなかったけどねえ」
「明石さんからある程度聞いてある。艤装ってかアレの侵蝕は抑えられそうなのか?」

 天龍の問いにううむ、と唸り声を上げる。しばらく記憶を辿り、やがて思い出したように首を振った。

「対処療法ではあるけど、鎮静化自体は出来てるわ。ただ、そのせいで身体補助の大部分が使えないから、そっちのリハビリが問題なんだってさ」
「あー、そういや紫子も艦娘辞めた時苦労してたもんなあ」
「そうね……最初はベッドから出ることすら嫌がってたし」

 どこか遠くを見るように、二人は瞳を細める。深雪を撃った日、紫子は電であることを辞めざるを得なくなり、良と同じ様に艤装の機能に鍵を掛けた。しかし彼女が良と違っていたのは、頑なにやり直すことを拒否していた点だった。寝たきりで居たがる少女と司令官等の戦いは熾烈を極めたが、最終的には明石達の説得に負けて人間として此処に居続ける事を選ぶ。
その結果、人間として帰って来た深雪と再会出来た点に関しては幸運と言っていいだろう。
 しかしそれも、無理な艤装の召喚、頭部への殴打によって意識を失った深雪がまだ目を覚まさないことを除けばの話であるが。

「それで、深雪の様子は?」
「経過は良好、怪我も治ったし何時でも病室からは出られそうだぜ。……目が覚めたら、の話だけどよ」
「……」
「ただ、明石さんが言うには精神的ショックで逃避行動をとってるから、声を掛け続けてやれば目を覚ます可能性は大きく上がるってさ。お陰で紫子も結構落ち着いてる」
「……そう」

 天龍の言葉に安心したように、少女はゆっくりと目を伏せる。波の音を遠くに聞きながら、眼帯の少女は再び口を開いた。彼女が語り始めたのは鈴谷と、彼女の姉という立場になった良の現状報告。長門の叱責が余程堪えたのか、良に対して過剰に依存を見せたりする事もなく、熊野の助けもあり安定している、と天龍は話を打ち切った。

「それなら大丈夫だとは思うけど、一日二日で簡単に変わる訳じゃないし、良の経過も気になるから目を離さないようにだけ気を付けててね」
「おう。そんじゃ俺は深雪の顔見てまた部屋に戻るから、何かあったら呼んでくれよ」
「レ級と陸棲型の撃破で制海権が取れたからって怠けないようにしなさいよ?」
「余計なお世話だよ。じゃあまた後でな」

 おざなりな返事をし、手を振り病室を出て行く天龍を見送る。力尽きたように身体を仰向けに倒し、天龍が置いて行った報告書に目を向ける。小さな文字の羅列に目を滑らせる内、睡魔が首をもたげたかというところにノックの音が三度響いた。思わず手を緩めたせいでファイルを顔面に取り落として悶絶する京香を他所に、一人の少女が扉を開け、白いマフラーを揺らしその顔を覗かせた。

「提督、起きてる……って何してんの?」
「……ちょっとね」



 モニター機器の置かれた病室。規則的に波打つ心電図は状態が安定している事を音と共に長門に知らせる。そちらに一度向けた視線を手元に再び戻し、二本の指が文庫本のページを捲った。紙の擦れる音を掻き消して聞こえる扉の音に振り向けば、小さな驚きの表情を浮かべた天龍が今まさに部屋に入ってきたところであった。

「長門の姐さん。来てたのか」
「……暇を持て余していたのでつい、な」
「提督にサボってんじゃないわよ、って言われちまいますよ?」
「その時はその時だよ。それに今はこの通り、休暇中だからな」

 そう笑って、長門はヒラヒラと一枚の紙を左手に取って揺らす。ああ、と頷いてから気付いたが、彼女は普段の格好とは大きく印象の異る私服であったし、艤装を身に着けてはいない。改めてその手元に目を向ければ、確かにそこには休暇届、の三文字が大きく印刷されていた。
用意がいい、となんとなく感心していた天龍だったが、ふとある事に気付き首を傾げる。それに同じ様に首を捻り、不審に思った長門が声を掛ける。

「どうした?」
「……いや、休暇届出してないなら意味ないんじゃねーかなー、と」
「控えの存在を忘れてないか、お前」
「あ、ああ! そういやありましたね!」
「……天龍、お前はもう少し書類の管理をキッチリとするべきだ」

 気を付けますと小さく呟き、気を取り直して長門の隣に椅子を持ち寄り腰掛けた。互いに何をするでもなく、モニターが規則正しく鳴らす音を聞きながら、ただ時を過ごす。深雪は未だに目を覚まさない。読んでいた文庫の本文がそろそろ終わりに近づいたか、というところで天龍が口を開いた。

「そういえば、それ何読んでたんです?」
「ん? 小説だが」
「そりゃそうですけど、どんな内容の本なのか気になるじゃないですか」
「よくある悲恋ものだよ。人である事をやめた少女と、人であって欲しいと願った少年の。……ごく有り触れた恋の話だ」
「……」

 長門の言葉は、何処か実感を伴う響きをしていて。その寂しそうな横顔に、思わず天龍は目を奪われた。夕日を受けて輝く黒髪がその美しさを殊更に際立たせる。

「……恋愛小説って意外と女の子らしい趣味してるんすね、てっきりバイオレンスものかと」

 しかし、彼女に気の利いた科白を吐ける程のセンスは無く。口をついて出たのはごくごく自然で、失礼な感想だった。丁度その後ろで扉を引く者がいた事にも、二人は気付かない。

「天龍」
「へっ?」

 一足で懐に飛び込み、腰を入れ、堂に入ったアッパーカット。女性らしい衣服に身を包んでいても、女性らしいと言われる趣味の本を読んでいようとも。やはり彼女は『戦艦長門』であった。薄れゆく意識の中で、長門と同じ頭飾りを着けたひよこが描かれた可愛らしい栞がふと目に入り、『雷があんなキャラクターのグッズ持ってたなあ』と天龍は思い出した。その直後、彼女の意識は一度途切れる。

「私を何だと思っているんだ貴様は!?」
「……長門さん、聞いてないと思います」
「……なんだ紫子、お前も見舞いか?」

 ええまあ、と曖昧な返事をし、すっかりのびてしまった天龍の傍へと歩み寄る。ぐるぐると目を回している少女の隣にしゃがみ込み、軽く頬を叩くと数分と経たない内に彼女は意識を取り戻した。

「つつ……お、なにやってんだ紫子。っていうか何で俺倒れてたんだ?」
「さ、さあ……」
「大方睡眠不足といった所だろう。少し明石に見てもらった方がいいんじゃないか」
「長門の姐さ……うっ」

 紫子に付き添われて身体を起こした天龍は、長門の笑顔を見た途端にその顔を真っ青に染め上げる。精神的なものか肉体的なものかはともかくとして、痛み出した顎に手を添え、唸り声を上げて俯いてしまった。

「あの、俺何か失礼なこと言いましたかね」
「何故そんなことを聞くんだ?」
「いえ、その、下顎に殴られたような痛みが……いえ何でもねーっす。ちょっと明石さんのトコ行ってきます」

 態とらしい非難の目を向けられ、逃げるように天龍が部屋を立ち去る。明石に手当を受けている内に記憶の方は戻るだろう、と深く考えず長門は大きな溜息を吐き、残された少女に視線を向けた。当の紫子はというと、状況が飲み込めていないらしく、未だに困惑した表情で丸椅子に腰掛けていた。

「……すまないな、少し騒ぎ過ぎたようだ」
「それは大丈夫なんですけど、何かあったんですか?」
「いや、その……だな。紫子は、私がこういった本を読むのはおかしいと思うか?」

 少し戸惑った様子で、黒髪の彼女は一冊の文庫本を見せる。駆逐艦らしき艤装を身につけた少女と、それと同じ年頃に見える少年が背中合わせに描かれた表紙。真偽はともかくとして、艦娘という存在が志願者を募る形で明るみになってから、こういった『それぞれの想像する艦娘』を題材とした娯楽作品などが雨後の筍の如く生産されるようになった。
長門が読んでいたのは、その中でもシグを題材としているらしく、その登場人物の関係性や描写の妙から艦娘達の間で流行している物であり、漫画化や映像化などの機会もあって一般的な知名度も同様に高い。
 とはいえ、余り小説という媒体に馴染みもなく、テレビや映画もそれほど見ない紫子は漫画化された所までしか知識を持っていない為、長門の知識とも幾分かずれがあった。

「私はおかしいとかは思いませんけど……その本、人気ですよね」
「ああ、陸奥から勧められて読み始めてみたんだが、中々面白い。だが、少し哀しい話だ」
「えっ、そうなんですか? 私、前線行きが決まった女の子を男の子が見送る所までしか読んでなくて」
「漫画版か。そっちはまだ前半なんだな、良かったら貸そうか? 前半部分は読み終えているしな」
「うーん、お気持ちは嬉しいんですけど、小説って私読むの苦手で……次の巻が出るのを待とうかと」

 此処で続きを明かしてしまうよりはその方がいいな、と二人は笑い合う。明石から聞き及んでいた事もあり、紫子の精神面について懸念もあったが、こうして話している限りでは、紫子が大きく気に病んでいるということも無いように見える。実際に、深雪の身体が完治していることや、教えられた通りに声掛けを続けており、此処数日で無意識的なものとはいえど反応を得られるようになった事などが紫子の精神を大きく助けていた。

「そういえば、その栞って艦娘ひよこ……ちゃんと長門さんなんですね」
「ああ、雷が少し前にくれてな。あの子は暁型全員分をコレクションしているらしい」
「金剛さんのひよこがつぶらな瞳で可愛くて好きなんです、私」
「ああ、金剛ひよこは良い具合に阿呆っぽいな。ウチのによく似ている」
「あー……でも、長門ひよこはキリッとしてますよね、凛々しいというか」
「私のひよこも、もう少し可愛いといいんだが」
「金剛さんが羨ましいんじゃないですか」
「そんな事はない」

 益体もない話をどちらともなく続け、どれほどの時間が経っただろうか。いつの間にか日が沈みきっている事に気付き、電灯を点けて時計に目をやれば、既に時刻は十八時を半ば程過ぎた所であった。持ってきていたハンドバッグに文庫本を仕舞い、丸椅子を片付けるように隅に寄せ、軽く息を吐いた後に長門が振り返る。

「……ふむ、結構いい時間になったな。そろそろ食堂にでも行こうか」
「そうですね。私今日はお休みを頂いているので、ご一緒してもいいですか?」
「ああ。そういえば良の様子はどうだ? ちゃんとやれているなら良いが」
「飲み込みも早いですし、追い越されちゃいそうでうかうかしていられないですね。最上さん、って呼んじゃうのが癖になってて、その度に困った顔をされちゃいますけど、良くお話させて貰ってます」

 そう言って『艦娘だった事のある少女』は気恥ずかしそうに笑みを浮かべた。



[40522] 追編十六話(第二十五話)
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2015/04/05 03:02
「明石さん、ちょっと時間良いか?」

 医務室。テーブルに向かい合い資料を見つめる少女の背中に、ノックと、遅れて彼女を呼ぶ声が聞こえる。視線を外さず承諾し、扉を開けて天龍が部屋に入った所でそちらに視線を向けた。後ろ手に鍵を掛ける動作にひそめた眉を直ぐに戻し、何事もなかったかのように笑顔で彼女を迎えた。

「どうしたんですか天龍さん、顎なんて押さえちゃって」
「いや、俺もよく分かってないというか、長門さんと話してたら急に意識失ってさ。気になるし見て貰おうかと」
「……は?」

 思わず声のトーンが一段低くなる。先の戦闘でも大きな怪我をしておらず、船酔いに罹った形跡もない。艦娘としては健常そのものである彼女が、平時に突然意識を失ったと言うのだから、天龍を診ていた明石からすれば恐怖にも似た感情が芽生えることもおかしくはないだろう。
慌てて腕を掴み少女を診察台へと寝かせ、天龍が押さえていた顎を調べた辺りで、彼女の瞳は恐れから呆れへとその色を変えた。

「殴られたんですよコレ。まったく、長門さんに何言ったんですか貴方……」
「なるほど道理で! ……いや、全然心当たりねーんだけど」

 じとり、と明石の翡翠の瞳に睨まれ、渋々といった様子で身体を起こし、記憶の糸を手繰る。深雪の居る病室に足を踏み入れ、珍しく私服姿であった長門と座って話し始めた所までは思い出せたが、話題が途切れ、長門が何かを手に取った辺りからの記憶が判然としない。それをそのまま明石に伝えれば、彼女はなるほどと一人得心がいった様子でそれ以上を聞こうとはしなかった。

「……今のでいいのかよ」
「恐らく割と失礼なことを言ったんだろうなあ、というのがわかったのでまあ」
「俺が思い出せてないんだけどなぁ」
「まあ、迂闊なことを言って殴られたくらいの認識でいいんじゃないですかね」
「……そういうもんかね」

 そういうもんです。そう言って明石は笑みを浮かべる。小さく溜息を吐いた天龍は、施錠された扉にちらりと視線を向け、その後再び明石の方へと、正確にはその背後の机の上、ある一点を見つめる。明石の表情は変わらない。
幾つものファイルの間に無造作に挟まれた書類を見て、今から口にしようとしているのも彼女が言う『迂闊なこと』なのだろうな、と内心溜息を吐いた。

「どうしました? 私の顔に何かついてます?」
「いや……なあ、明石さん」
「……?」
「三特艦なんだろ、お前」

 この一言の為に、明石と二人きりになるタイミングを作ったのだ。なるべくなら直接的な証拠を突きつけられる状況を作り上げたかったし、内容上他者に効かれる可能性を排除しておきたかった事もあり、偶然の産物とはいえ明石一人の医務室に立ち入る用事が出来たのは、天龍にとって非常に都合が良かったのだ。
 三特艦。正式名称を『第三特殊艦娘部隊』とする、海上以外の任務に従事する艦娘を集めた部隊であり、艤装を用いた戦闘は元より、その外見を活かした諜報や潜入など、彼女等の戦場は様々な場に存在している。
 例えば、『重要人物の監視、有事の際の処理』なども。

「……や、やだなぁ、三特艦って大本営直轄の精鋭部隊じゃないですか。そこの艦娘がわざわざこんな所で医務やら整備やらやってませんよ」
「明石さん、確か提督着任からずっと一緒だったよな? それにアイツは『艦娘推進派重要人物の孫娘』で『深海棲艦化しかけてる元艦娘』だろ、今にして思えば監視の目がない方がどうかしてるぜ。それにあのファイルにしたって普通持ってる筈がない資料だ」
「……」
「反論はあるか?」

 天龍の問い掛けには答えようとはせず、少女はゆっくりと視線を外す。自分達の上官を監視、或いは処分せんとしているかもしれない相手と向き合う緊張からか、思わず大きく息を吸い込む。遅れて明石が息を吐き、とんとん、と靴を鳴らした音に意識を向けた一瞬を、その直後、彼女は後悔することになる。

「なッ!?」
「ちっ」

 小さな風切り音に慌てて床を蹴りつけ、上体を大きく後ろに倒す。崩れ落ちないように座面の両脇をがし、と掴んだ。驚愕に見開かれた視線の先を、バタフライナイフを握る明石の右腕が通り抜け、その手首が今度は、『それ』を逆手に持ち替え重力に従い落ちてくる。
 地面と平行になっていた身体をそのまま右方向に捻り、床を転がりながら先程まで腰掛けていた椅子を明石に向けて投げ付けた。

「てめえッ……!!」
「この……!」

 左腕でそれを防ぎ、一足飛びに距離を詰めてくる桜色の髪を、その腕を注視。横薙ぎ、続けて返す切っ先を正確に払い除け、それに合わせて意図的に上体を軽く崩して見せる。狙いは対面している少女の焦り。
 そして、その餌に釣られて再び、彼女は初めに天龍を狙った際と同じ突きを繰り出した。

「ちったぁ、頭冷えたか馬鹿野郎!」
「えっ、ぐうっ!?」

 伸びきった右腕を両手で掴み取り、右足で大きく踏み込まれた明石の足を身体の内側に向けて払う。バランスを崩した少女はそのまま、天龍に仰向けの状態で引き倒された。慌てて起き上がろうとした彼女の鼻先には、紫掛かった光を放つ剣先が突き付けられている。
 腕の力を抜いてそのまま倒れこんだ少女に向かって、天龍は大きく鼻を鳴らした。

「ふんっ、戦闘艦なめんじゃねえ」
「はあ……降参です。すいません、色々考えが纏まらない状態だったので、つい」
「ついじゃねえよ……ったく、エンブレムといいコレといい、判断力鈍ってきてんじゃねーか?」
「エンブレム?」

 呆気にとられたような明石の問に、天龍は懐から一つのワッペンを取り出す。盾型の枠の中に描かれた錨、その左右にはそれぞれ『3』『§(セクションサイン)』の文字が刺繍されている。それは紛れも無く明石の、彼女が籍を置いている三特艦を示すものであった。

「どうして」
「前検査受けたろ、あの時落としてたのを拾ったんだよ。他の奴に見つかったら困るだろうと思ってな」

 やれやれと首を振って語る天龍を見つめるのは戸惑いに揺れる明石の双眸。そこまで気付いていて、何故、と言外に問う。

「イヤ、あのな、そもそもなんで俺がお前と敵対する必要があるんだって話なんだが」
「……えっ?」
「えっ? じゃねえだろ」



 時を同じくして、とある病室。京香は、彼女の元を訪れた川内をそのまま招き入れ、他愛もない話に花を咲かせていた。川内がやって来た用事そのものは然程大したことではなく、彼女が指揮を任されている水雷戦隊の近況報告くらいのものであった。
 それ故早々に事務的な話を済ませ、手持ち無沙汰になった少女に対し、茶くらいは飲んでいけと京香は引き止め、何かしら思う所があったようだが、断ること無く川内はその誘いを受けた。

「この前は悪かったわね、あんなのいきなり見せちゃって」

 怖かったでしょ? と自嘲気味に司令官の少女は笑う。

「……此方こそ、ごめんなさい。全然気持ちの整理付かなかったから」
「ま、タメ口で話してくれるようになったしあんまり気にしてないわよ。ていうか、アレ見ただけでどういう物かってのは教えてないんだったっけ?」

 ええまあ、と曖昧に言葉を濁す。事情が事情故に、ある程度内容を知る天龍や明石なども彼女の問に明確な回答を用意できず、川内自身、艦隊を離れる事はしないまでも未だに凝りは抱えたままであった。
京香が彼女を呼び止めたのも、自分に可能な範囲でそれを取り除けないか、と考えたが故の行動である。全てではないにしろ、疑問に思っている点が明らかになりさえすれば、気休め程度にはなるのではないかと。

「詳しい話はちょっと出来ないんだけど、概ね想像してる通りよ。私の身体は、少なくとも一部が深海棲艦化してる。今の所は自分の意志で制御できるから、伊豆の時みたいな事も出来るってわけよ。今回病室で引き篭る羽目になった理由もコレね」
「あの、深雪ちゃんのことも大まかな話は聞いたけど、やっぱり、深海棲艦と艦娘ってそういう……」
「どうかしら。相互に行き来できる辺り何かしらの関係はあるんだろうけど、こっちもよく分かってないから」
「詳しい話が出来ないっていうのも?」
「それもあるけど、そっちはそっちで重要機密だからねー」

 意地の悪い笑みを浮かべ、少女は膝の上に置いていたファイルに目を落とす。釣られて視線を向けた川内の頭上に疑問符が浮かび上がった。

「提督、それは? 入ってきた時読んでたみたいだけど」
「ん? ああ、天龍の持ってきた報告書。鈴谷のと深雪の経過報告とね」
「……深雪ちゃん、大丈夫なの?」
「……分かんない。体の方はもう何とも無いんだけど、未だに眠ったままだってさ」

 京香の言葉に、少女は微妙な表情を浮かべ、眉間に皺を寄せた。とは言え彼女が司令官に向けて言える言葉も無く、ただ瞳を伏せるのみ。それを見て思う所があったか、ベッドの少女は小さな笑みを零し、川内に向かって一つ、質問を投げ掛けた。

「そういえばさ、曙……じゃなかった、実莉は今どうしてるの?」
「え? ああ、大淀さんに色々聞きながら書類仕事とかやってるよ。元々艦娘だから最低限の運用は知ってたし、飲み込みも早くて助かってるってさ」

 そこまで言い掛けて、はた、と首を捻る。そういえば目の前の提督の苗字は何と言っただろう、と。その疑問は無意識の内に口をついて出ていた。

「そういえば、なんであの子、提督と同じ苗字にしたの?」
「んー」

 態とらしく考え込む素振り。川内自身、彼女の話や外見上の特徴などから大凡の当たりをつけた上での問いかけであるため、それが見せかけである事には気付いている。
 駆逐艦『曙』は、揃いも揃ってそういう奴ばかりなのだ、と。

「ま、他人事に思えなかったし、ほっとけなかったのよ」
「……提督も曙だったから?」
「……そんな所」

 そう言って二人は笑い合う。疑念や恐怖心というものが完全に消えたわけでは無かったが、それでも、それまで自分が従ってきた提督であることには変わりないと思える程度に、彼女のことを知ることが出来た。
しかし同時に、機密と称して隠している部分を知ることは叶わないだろうという事をそれまでのやりとりの上で理解出来てしまったことが、なんとなく寂しく感じる。所詮いち艦娘の持つ権限など、その程度に過ぎないのだと。

「提督、ちょっと深雪ちゃんの所行かない? 絶対安静、とまでは行かないんでしょ?」

 だから、気を紛らわそうと、彼女は無機質な病室を出る事にした。

「あら、結構いい時間になってたのね。じゃあちょっと顔見てから晩御飯にしようかしら」
「快気祝いには早いけど、たまには元気なトコ見せないとみんな心配するよ?」
「……皆、ね」

 何の気なしに言った言葉に引っかかりを覚えたか、ぽつりと少女は呟く。川内はそれに気付かず、扉を開けて既に部屋を出る準備は万端、といった調子だ。小さく肩を竦め、京香はベッドからゆっくりと抜け出す。椅子を支えに立ち上がろうとしたその時、膝ががくん、と力を失う。
突然姿勢を崩し、膝を着いて倒れかけた少女に駆け寄り、川内は声を上げた。

「て、提督大丈夫!?」
「へ、平気平気。ちょっと力上手く入らなかっただけだからさ」
「ごめん、肩貸そうか?」
「……ああうん、お願い」

 肩を貸して歩いている内に、幾つかのことを聞かされた。出自を問わず、艦娘は『身体側にあるコネクタ』によって身体機能を大きく助けられていること。実莉が平然としているのは、コネクタや扱者として紐付けされた主機の機能停止が済んでおらないため、補助を受けたままである、つまりは『未だに艦娘である』のが理由であるということ。
逆に主機を失った良は徐々にコネクタの稼働率を落とし、補助を切る段階に既に入っていること。
 そして、京香の身体に備え付けられたコネクタは、強制的な冷却により抑制できているだけで、未だに機能停止も出来ないまま深海棲艦化が進行し続けているということ。

「……ごめんね」

 悲しげに笑う彼女のそれは、既に『艦娘』と呼べる存在のものではなかったのだ。



「……」

 灯りの消えた別の病室。桔梗に染まり始めた空を、栗色の瞳がぼんやりと眺めていた。



[40522] 追編十七話(第二十六話)
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2016/07/14 22:08
 医務室の扉を揃ってくぐり、廊下へと歩を踏み出す。暮れてしまった窓の外と時計とを見比べ、明石と天龍の二人は夕食を摂ろう、という事で意見が一致したのだ。

「……ホントにすみません」
「いやまあ、別に良いけどよ……大淀さんと提督にも連絡して休み取った方が良いんじゃねーかな、ストレスでハゲちまうぞ?」
「やめてくださいよ、考えたくない」

 うわあ、と思わず頭部、正確には自身の髪を確かめるようにその手を動かす。一気に抜け落ちる、という事は当然ながら無かったが、その指通りの悪さに溜息を大きく吐き、少女はその足を早めた。慌てて天龍がそれを追う。

「お、おい」
「決めました、今日はガッツリ食べて明日から一週間程休養を取ります!」
「イヤ決めましたって……はぁ、勝手にしてくれ」
「ええ勝手にしますとも。よくよく考えたら最近ろくに眠れてませんでしたからね」

 態とらしくそう笑いながら少女は歩き続ける。休め、と言ったのは確かに自分だが、まさか今日明日からとは思っていなかったらしく、天龍の頬がぴくりと引きつった。とはいえ、先の判断力低下を重く見て休養を勧めた手前止める事も躊躇われ、その結果。
 意気揚々とした明石の足取りを後ろから追いかけながら、なるようになれ、と呆れたような笑みを浮かべるのであった。

「あれ、川内さんに……提督?」
「出歩いてて大丈夫なのか?」

 突き当りに到達し、左右に伸びる廊下で足を止める。右手を見ていた明石の言葉に振り向いた先に居たのは、未だ体調が優れないように見える京香と、彼女に肩を貸して歩く川内の姿。声を掛けようとした天龍を制し、明石はもう少し様子を見てみよう、と告げる。それに対して否定を返すこともなく、二人の様子に注意を向け、彼女は気付いた。
 いつの間にか、距離を取ろうとしていた筈の川内が京香に向けて笑いかけていた事に。

「やれやれ、やっと踏ん切りついたのかよ。……遅えなぁホント」
「……心の準備もあったもんじゃありませんでしたからね、私達と違って」
「それもそうだな。おーい、提督!」

 手を振って二人分の人影に向かい声を張る天龍、それに反応して振り向いた二人が呆れたような苦笑いを浮かべて手を振り返す。天龍と明石は目を見合わせ、歩調を速めて京香達に追いついた。

「あんた達も夕飯?」
「おう。お前、病人なんだからあんま気楽に連れ出すなよ?」
「提督が平気って言ったんだよ。ご飯済んだらまた送ってくしさ」

 提督のせいにするのかよ、などと軽口を叩き合う内、一番後ろを着いて歩いていた明石が声を上げる。食堂は反対方向だ、何処へ向かっているのか、と。言われてみればそうだなと首を捻る天龍に対し、京香は笑って深雪の見舞いだと答えた。

「……もう一ヶ月以上経ってんだな」
「……そうね」
「深雪さんが目覚めてくれれば気兼ねなく休めるんですけどねー」
「その間のドックはどうするんですか?」
「指揮は夕張さん辺りにでも任せますよ。私睡眠不足なんで」

 他愛のない話を続けながら、少女達は廊下を歩く。途中、窓の外の満月に目を奪われたり、月明かりに煌めく水面に視線を落としたり。軍務から外れたほんの一時である故か、潮の香りがやけに心地よかった。
 ある者は休暇の予定にああでもない、こうでもないと思索を巡らせ、ある者は未だ目覚めることのない少女を思う。四人はそれぞれに、自身なりの区切りを朧げながら見出していた。

「……あれ?」
「どうした提督……ってアレ、紫子に長門さんじゃねえか」

 天龍が指差した扉から、二人の少女が連れ立って出てくる。長身の一人は柔らかな笑みをその顔に浮かべて、そしてもう一人は、大粒の涙をその瞳一杯に溢れさせて。京香達は、その意味を無意識の内に察し、彼女等に問いかけざるをえなかった。この希望的観測が正しいのだとしたら、こんなに喜ばしいことは無いのだから。
 早足で駆け寄ってくる四人に気付いた長門と紫子は、喜色を湛えた表情でその期待に答えた。

「長門。深雪は?」
「今はもう眠ってしまっている。……一時的なものかもしれないが、さっきまで彼女と話していたんだ」
「本当……ですか」
「嘘じゃない、です、ちゃんと、話せたんです」
「……良かったね、紫子ちゃん」

 栗色の髪に優しく置かれた手の暖かさに、少女は堰を切ったように大声を上げ、しゃがみ込んだ川内の胸に飛び込み、そのまま涙を流し続ける。それを遠巻きに見守るように佇む長門の傍に、天龍が歩み寄る。彼女の直ぐ側の壁に背中を預け、彼女は小さく息を吐き出した。

「……深雪、どうでした?」
「深海棲艦化を引き摺っている、という事は無さそうだ。主機からの切り離しがまだだが、それが原因でどうこうなる、という事はないだろう」
「……だと良いんすけどね」

 ぽつりと呟いた言葉は誰の耳にも届かず夜に消える。眉間に寄せた皺を指で解し、一向に泣き止まない紫子を宥めすかして、すっかり遅くなってしまった夕食のために食堂へ向かうのであった。
 そして食堂では、間宮は既に後片付けの為に下がっており、今日は鳳翔一人が彼女等を出迎える。万全とは言えずとも笑顔を浮かべる京香と、深雪が目が覚めた事を嬉しそうに話す紫子の姿に、彼女はその日一番の笑みと『ささやかなお祝い』で応えてくれた。



「うっす提督」

 その翌朝。長門に送られ病室で夜を明かした京香の元へ、昨日の酔いなど何処へやら、といった様子の天龍が訪れる。明石と川内は酒に呑まれて酔い潰れ、天龍に介抱された後を京香は知らない。

「おはよう。明石と川内は?」
「ん? ああ、ありゃ二日酔いコースだな。川内は多分部屋でダウンしてんじゃねーかな」
「……つーかアンタも川内も未成年でしょ、今回は大目に見るけど次やったら懲罰房入れるからね」
「シグならともかく、オリジナルに年齢とか関係無くねえ? 艦齢で言ったら二十三だぜ俺」
「関係あるの。アンタ雪風とか多摩とかがお酒飲んでるトコ見たい?」

 真顔で問う京香に、思わず『明らかに十代にしか見えない少女らが平然と飲酒喫煙を行う』光景を思い浮かべ、露骨にげんなりとした表情を見せる。確かにこれは嫌な絵面だわ、と呟く天龍に対し、何故か京香の反応は得意げだった。

「そこ得意げになるトコじゃねーだろ」
「まあそんな訳でオリジナルだろうと外見年齢基準よ。そもそも登録書類見なきゃオリジナルかどうかが分かりにくいんだから全解禁は無理だしね」
「まあなあ」
「ちなみに言っておくとウチ禁煙だから」
「いや、そっちはそもそも吸わねえから良いんだけどよ……あ」
「何?」

 艦齢の話で思い出してはいけないことでもあったらしく、反射的に口をついた声を慌てて飲み込む。不審に思って問いただしてみればそれは大した話ではなく、しかしながらあまり看過したいものでもなかった。

「川内のヤツ艦齢でも未成年だったわ……」
「……どっちにしろアウトじゃない」
「ちなみに明石さんって五歳無いんだぜ」
「そうなの?!」

 一通り雑談の内容も尽きたのか、何方からともなく会話がぴた、と途切れた。やけに乾いた喉を潤そうとコップに手を伸ばし、京香はそれに口を付ける。黙々と持ち込んだ菓子に手を伸ばしていた天龍が、ふと考え込むような仕草を見せて、数分ぶりに口を開いた。

「こっち来るついでに深雪と会ってきた」
「……どうだった?」
「……起きてたよ。平気そうな顔してな」

 声のトーンこそ低かったが、そこには隠し切れない程の喜びの感情が滲み出ており、そこを指摘すれば少女は気恥ずかしそうに笑みを浮かべる。深雪は既に明石による診察も済んでおり、後遺症の類は考え難い、とお墨付きを受けていた。当の明石は二日酔いで大丈夫そうじゃなかったが、とは付き添っていた長門の言である。
 念の為病室で様子を見る事になるとは言っていたが、身体的な問題が無いことは既にハッキリしていたため、一二週間程度で病室から出られるだろう。天龍が一通り語った状況からも、不安視すべき箇所はほぼ無いと判断できる。意識を取り戻したという事実からくる安心感に、少女は大きく息を吐いた。

「……これでようやく、全員生還か」
「……そーゆーこったな。祝賀会でもやるか?」
「それも良いと思うんだけど、今一つ時期外れな感じはするわね」

 京香の言葉に同意を返しつつも、これといった案が浮かばず天龍はううむ、と首を捻り、京香も同じ様に眉間に皺を寄せる。そうして二人分の唸り声が暫く続いたかと思うと、不意に京香が口を開いた。集合写真なんてどうだろうか、と。
 当然断る理由など天龍にはなく、余り大掛かりな準備をしなくて済むことや思う所のある者でも参加に対してのハードルが低いことなどから、少なくとも先に挙げた祝賀会よりは向きではないか、と同意を示す。その反応に、少女は満足そうに笑みを浮かべた。

「それじゃあ適当な所で段取り組まないとね」
「俺の方で叢雲とか大淀さん辺りに伝えとくから、提督は体調整えるのを優先してくれりゃあいいよ」
「……了解。写真屋だったらウチのお得意様が居るし、大淀に聞いておいてくれるかしら」
「分かった。予算とか大丈夫なのか?」
「ま、そんなに安くはないけど理由が理由だし平気よ。そういえば明石ってどうしてるの? 昨夜休暇届渡されてから見てないけど」

 テーブルから一枚の書類を取り、ぴら、とそれを天龍に見せる。殴り書きの申請理由と、楷書体で印字された休暇届の文字。長門のものと同じか、となんとなくそれに視線を向けた少女の瞳が、京香の手にあったもう一枚に意識を取られる。
 それは外出許可証。有り体に言って機密の塊である艦娘等が、鎮守府や海軍の所有地を出る際に発行される書類であり、もともと家族などを持つシグの里帰りであったり、オリジナルでも外食や映画といった娯楽に興じる為に出願される事が間々ある。そして、京香に声を掛けて見せてもらってみれば、そこには明石の名前と、慰安のためという端的な出願事由が彼女の筆跡で残されていた。

「昨日の今日で出てったのか? 二日酔いっぽいって長門姐さん言ってたんだがなあ」
「……慰安、ねえ」
「……提督?」

 なんでもないわ、そう言って少女は笑う。そんなわけないだろ、と思いつつも口には出さず、天龍は大人しく相槌を打った。



 同日、第五艦娘駐屯地の敷地を大きく外れた街中の喫茶店。桜色の髪を小さく揺らし、煌々と照る日差しに瞳を細め、窓の外を眺める。店員によって運ばれてきたソーダフロートを前に、その大粒の雫が現れ始めた器で冷たくなった掌を濡らし、溶け始めたアイスの表面をスプーンで削ぎ取る。
仄かに蒼く染まったそれを口に入れ、バニラエッセンスの香りとわずかに口腔を刺す炭酸に頬を緩ませた。

「んんー、冬場に暖房の効いた室内で冷たいフロートというのも乙な物ですねえ」
「……炬燵でアイスを食うようなもんか、俺には良く分からんね。みかんだろみかん」

 その向かいには、ベージュ系のダッフルコートを背もたれに掛け、態とらしくコーヒーカップから立つ湯気を吹く三十代半ば程の男が座っている。その顎に蓄えた無精髭を指でなぞり、彼は大きく息をついた。

「とりあえずだ、お仕事ご苦労さん」
「有難うございます。でもどうしたんですか、いきなり休みを取って外に出てこい、って」
「ん? 報告書は読ませて貰ってたが、お前さん働き過ぎじゃないかと思ってな。嬢ちゃんの着任からだからそろそろ一年ほどかね」

 春ごろの着任でしたからもうすぐですね。明石は素っ気なくそう答える。それを意に介した様子もなく、男はそのまま言葉を続けた。

「……で、だ。そろそろ潮時だと思うがな」
「……何の話ですか」
「聞きたいか?」
「いえ。……ですが、まだ、時間はあるはずです」

 震える唇を噛み、少女は瞳を伏せる。何の話か、を問う必要はない。彼は、彼女が本来所属する『三特艦』の司令官は手遅れになる前に京香を人間に戻すか処分しろ、とそう言っているのだから。
 そして、明石はそのどちらも選べずにいる。前者を選んだとして、深海棲艦化し身体の芯の方まで侵食している艤装を除去するには、大掛かりな設備と手術が必要になる上に、彼女の心身に対しての保証が無い。それこそ負荷で命を失う可能性もあれば、良くて脊椎の切削等からくる半身不随がいい所だろう。
機能を失わず、生命活動を独自で行う化物を取り除くというのはそういうことなのだ。

「……ウチに入って間もないお前さんを嬢ちゃんの所に送った手前、あんまり強くは言えんが、見誤るなよ」
「提督……」

 腰を浮かせて身を乗り出そうとした少女を制し、耳元に男は顔を近づける。身を引く暇も与えられないまま、告げられた言葉を噛み締め、少女は握りしめた拳に血を滲ませる事しか出来なかった。

「『化物退治』に発展させて嬢ちゃんの尊厳を奪うような真似だけは絶対にすんじゃねえぞ。これは上官命令だ」
「……は、い」



[40522] 追編十八話(第二十七話)
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:f19a7663
Date: 2015/05/06 15:39
 空がすっかり朱に焼けてしまった。未だ疎らになる気配も無い雑踏を掻き分け、桜色の髪を靡かせ少女は歩く。時折道を確認するように首を振り足を止めるが、それも直ぐに止めて再び歩みを進めてゆく。何処へ行くとも知れぬ人の波は、明石の心情そのものであった。

「……どうすれば良いんでしょう」

 一言で言うなら、彼女は迷子になっていた。それ自体決して瑣末ではない大きな問題ではあったのだが、それ以上に、先程喫茶店で顔を合わせた『本来の上官』の放った言葉が明石の脳裏をずっと支配し続けていた。
『化物退治に発展させるな』これでも彼なりに直接的な言い回しを避けたつもりなのだろうが、報告書を渡している以上『華見京香』がどういう状態なのかは知っている筈である。
 それはつまり、明石に対して京香の命を背負え、と言うも同じなのだ。

「どれを選んだって、人殺しになるのは変わりないじゃないですか」
「久し振りに見たと思えば、随分と浮かない顔をしていますね」

 思いもよらない方向からの声に、はっと顔を上げる。二、三メートルほど先の正面には、明石より幾分か背の低い、薄紫色の髪に青い瞳の少女。休日の夕方近い街中でその制服姿は一際目に付きやすかった。

「……不知火さん、お久しぶりですね」
「区別は利くようで何よりです。その様子だと上司からセクハラでもされましたか」
「いやいやまさか」

 言い掛けて、明石は口を噤む。そして、考え込む素振りの後、彼女は神妙な面持ちで口を開いた。

「ええまあ、そんな所ですかね……」
「……少しお話でもしましょうか」
「そうですね」

 不知火と呼ばれた制服姿の少女は、明石の属する三特艦側での同僚であり、その名の通り陽炎型駆逐艦、不知火の艤装に適合した艦娘である。同型の艦娘と比較しても特に愛想のない個体で尚且つ、現在実戦配備されている艦娘でも珍しい『クローン』の一人だった。
 明石からしても、三特艦に配属されてから今の第五駐屯地へ異動命令が出るまでの短い期間しか付き合いはなかったが、そのつっけんどんな物言いと上官を上官と思わない司令官とのやりとりから、彼女は非常に強く記憶に残っていた。

「さて、とはいえあの男と話していたというのであればこれから喫茶店、というのも明石さんとしては好ましくありませんね」
「まあ二度目ですからねえ。じゃあどうしましょうか、ある程度腰を落ち着けて話ができると良いんですけど……」
「無難な所でカラオケなど如何ですか」

 え、と小さな声が返ってくる。不知火はどうやらそれを疑問に思ったらしく声の主に視線を向けてみれば、明石が「こいつは何を言っているんだ」とでも言うような表情を浮かべて此方を見ていた。何かおかしな事を言っただろうか、と少女は更に首を捻る。

「……不知火に何か落ち度でも?」
「い、いえ、まさか不知火さんの口からカラオケなんて単語が出るとは思わなくて……すみません」
「失敬な。不知火だって娯楽位は嗜みます」
「そ、そうですよね……」

 小さく頬を膨らませ、少女は不快そうに眉根を寄せる。とはいえ明石が頭を下げた時点でそれ以上とやかく言うつもりも無かったらしく、少し経ってしまえば先程までの無愛想な表情に戻ってしまっていた。内心それを残念に思いつつも、特に踏み込むことはせず不知火を促す。
 色々な意味で道に迷っている最中の明石ができるのは、落ち着いて物事を考えられる状況を作り出す為に、目の前に居る小さな先輩を頼ることだけであった。
 この辺りは自分の庭のようなものだ、と言いたげな態度をちらりと見せつつ足を止めること無く不知火は一メートルほど先を歩き続ける。人混みより頭ひとつ低いその背中を見失わないように追いかける明石の表情は硬い。一度はぐれてしまおうものなら、今度こそ自分は警察の世話にならなくてはいけなくなる、形式上成人している軍属の自分が、よりにもよって迷子などという理由で。
 そう考えると、不知火を追う足は自然と歩調を速めていた。



「さて、では手始めに何か一曲どうぞ。ドリンクバーを頼んでいますし、お菓子が来るまでは込み入った話もできませんので」
「……後半部分の理由から前半部分に繋がるのが理解できないんですけども」

 そうして二人連れ立って入ったカラオケボックス。慣れた様子で店員への注文などを一通り済ませ、話をするだけのはずが何故かカラオケ機器の機種まで指定して部屋へと案内される不知火と、呆気にとられながらもとりあえずその後ろをついて歩く明石。店員が部屋を出る際にも親しそうに会話を交わしていた辺り、彼女は此処に来たことが何度かあるのだろう、と思えた。

「カラオケに来たのだから歌うのは当然の事だと思いますが」
「……それはそうかもしれませんけど」
「……つかぬ事をお伺いしますが、ひょっとしてカラオケは初めてでしたか?」

 目を丸くして恐る恐る、といった様子で問い掛ける少女に対して、脂汗を浮かべて視線を逸らす。

「恥ずかしながら、生まれてこの方軍務に掛かりっきりでしたので余り娯楽の類は……」
「では映画や音楽などは」
「そ、そこまでではありませんよ。提督……ええと、今所属してる方の華見中佐ですね、彼女に連れられて外出したことは何度かありますし、その際に色々とおすすめの歌手やバンド等を教えてもらったりもしましたので」
「でしたら適当に教えて頂ければ後は不知火が」

 そう言いながら電子歌本の画面を見せ、最近好んで聞いている歌手や楽曲等を問う。カラオケがどういう場なのか、を忘れてその入力デバイスに食いつき、促されるまま楽曲を選択して機器へと送信、伴奏が流れてきた辺りで不知火から渡されたマイクに目を落とし、彼女はようやく自分が何をしたのかを悟った。

「ちょちょっと私が歌うんですかコレ!?」
「選曲したからには。ちなみに途中で中断することは出来ませんので」
「え、嘘、冗談ですよね!?」
「始まりますよ?」
「え、あぁっ!」

 画面に目を向けると、テロップが既に歌い出しの歌詞を表示しており、前奏も直ぐに終了してしまう、という所で。散々混乱した挙句、彼女は初めてのカラオケで『大サビを歌っている最中に店員が注文した料理を持って入ってくる』という通過儀礼をこなすことになってしまったのだった。

「余りお上手ではありませんね」
「……人前で歌うのなんて初めてなんですから仕方ないじゃないですか。そもそも鼻歌すら殆どないのに」
「とはいえ、大きな声を出すとスッキリしますでしょう。不知火はガス抜きという目的も含めて、この場所が好きです」
「……それには同感です」
「さて」

 コトリ、とマイクをテーブルに置き、少女の青い双眸が此方を射抜く。幾分か柔らかくなっていた表情も何処かへ消え去り、そこには戦闘兵器たる『艦娘不知火』の姿があった。小さく喉を鳴らし、明石は無意識の内に居住まいを正す。

「司令との話の内容というのも概ね察しはついていますが、華見京香中佐の処遇について、という話で間違いありませんか?」
「……はい。提督はそろそろ潮時だろ、と」
「別に好機でも何でもありませんが。とはいえ、明石さん自身時間が無いだろう、という事は当然ながら理解していますね」

 不知火の遠慮無い言葉に二の句を継げない。その後も反論を許すこと無く少女は言葉を続ける、深海棲艦化が進行している人物を軍籍に置き続けることが周囲にどのような悪影響を及ぼすのか、結果としてただ死を迎えるだけならまだしも、もし完全な敵となって牙を剥くことになれば、貴方が身を置く駐屯地の艦娘等はどうなるのか。
 そして万が一、自らの部下を手に掛けるという業を負い、人類の敵として京香が命を落とす事になったら、貴方はそれを招いた自分自身を赦せるのか、と。望む望まないに関わらず、明石は既に選択しなければならない立場に立っている、そう少女は締め括った。

「……不知火個人の感情としては、失敗作のシグといえど、同じ艦娘である以上可能であるなら深海棲艦化を食い止められれば、とは思います」
「ですから、時間はまだ」
「あるというのですか? あのような状態で、彼女がまだ、人間に戻れる猶予がある、と」

 息が詰まる。勢い良く伸ばされた右腕が明石の襟首を掴み、咳き込む彼女を気にもせずその額に自身の額を突き合わせる。此方を睨め上げる不知火の瞳を染めていた感情は、怒りだった。

「覚悟を決めなさい。……我々の前に人と出会った三笠や、彼女等オリジナル達が『バケモノに変えた』少女の命を背負うという貧乏くじを、貴方は引いたんです。今更、猶予が無くなったからといってそれを放棄することなど、不知火は決して許しません」

 直後、強い力で払われた腕が、行き場を失い力なく垂れ下がる。遠ざかる足音と、涙声で吐き捨てるように呟かれた『貴方なんかに聞かなければ良かった』という言葉が耳にこびり付いて離れない。その遥か遠くで、少女の心境には余りにも不釣り合いな明るい声が、これまた明るく前向きなヒットソングの紹介を続けている。
 紹介映像にちらと視線を向け、流れる曲に合わせて少女の口から零れる音は、酷くか細かった。



「お帰り、明石」
「……ただいま戻りました。出歩いていて、大丈夫なんですか、提督?」

 満天の星空。玄関先でコートを羽織り、寝間着姿の司令官が一人の艦娘を出迎える。優しい笑みを浮かべて此方に視線を向ける京香に、思わず目を伏せ問い掛けた。寒空に白い息を吐き出して、彼女は平気だと笑う。自分の体のことなどとっくに知っている癖に、何故そのような顔で笑えるのだろうかと、その日出会った二人の言葉を反芻する。
 明石自身、選択肢が複数ある時期などとうの昔に過ぎ去っていたことは分かっていた。だからこそ、直接の上官や先達の艦娘に縋りたいと考え、男の指示に従い助けを乞おうとした。当然ながらそれは許されるはずもなく、ただ、目の前に横たわっている選択肢一つを突き付けられただけでしか無かったのだ。

「それで、休暇はどうだった? と言ってもまだ初日だけど、二日酔いで出て行くのはちょっとキツかったんじゃないの」
「お陰様で、少し気が楽になりました」
「……」

 明石のおざなりな返答に、少女は小さく眉をひそめる。どうせロクな休みにもなっていないような振る舞いをしていることは分かっているが、一応の社交辞令として、そう返しておこう。そう、軽く考えたのがまずかった。

「デートは楽しかった?」
「なっ……」

 京香は、淡々とそう問い掛ける。その手から小さな機器と、そこから繋がるイヤホンをぶら下げて。考えの働かない今の頭でも、それが何なのかを彼女に問い掛ける事を必要とはしなかった。外出先の喫茶店で上官と話したことも、不知火に糾弾されたことも、筒抜けだったと分かりやすく少女は示しているのだから。

「……私、実は結構怖がりでね。鈴谷や暁と話した時とか、伊豆奪還戦の前、金剛相手に啖呵切った時とか、ひょっとしたら此処で死ぬんじゃないか、って内心ビクビクしてたのよ」

 執務室で結構物音してたのがそれなのよ、と金剛の話に少しばかりの補足を加え、彼女は自嘲気味に笑う。伊勢と日向が一歩遅れてたら執務室が火の海になってたわね、と。

「率先して、矛先を自分に向けようとするからですよ。今回は電さんや良さんが回復したからいいものの、もし、深雪さんの時みたいに……死んでしまったら、どうするつもりだったんですか」
「その時はその時、かしら。多分、直前まで振りは続けようとしたと思う。どこまで持つかは怪しいもんだけどね」
「……それで、その話が、デートとなんの関係がある、っていうんですか」

 途切れ途切れに紡がれる言葉に困ったような笑みを浮かべ、ううん、と京香は態とらしく首を傾げた。糾弾の意志はないと、命令ではなく、お願いしたい事があると、どう言えば正しく伝わるだろうかと。そうやって、一歩、また一歩と、ゆっくりと足を前に踏み出す。もつれそうな足で京香と距離を離そうとする明石の右腕が、反射的に自身の背中の方へと逃げる。
 距離にしていえばおおよそ五メートルにも満たない二人の立ち位置が、京香には余りにも遠く思え、そして、明石にとっては、余りにも近過ぎて。

「……言ったでしょ、怖がりなんだって」
「っ……!」

 来ないで下さい、そう言いかけた事を後悔した。口を開くその前に、見た目以上に軽い体重が、明石の左肩に伸し掛かる。その声は既に掠れていて、はっきりと聞き取れない程の声量でしか無かったが、耳元に寄せられた唇から、その言葉は明確に脳に届いた。

「もうちょっとだけ、私で居られる時間を頂戴」

 だが、それに対する明確な答えを明石は既に持っておらず。ただ、ごめんなさい、ごめんなさい、とうわ言のように繰り返すしか出来ない。
 その右手は、少しだけ、赤く染まっていた。



[40522] 追編十九話(第二十八話)
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2016/07/14 22:09
 冷たい夜風が涙に濡れた少女の頬を刺す。いつの間にか降り始めた粉雪が、膝を着きへたり込む少女に向けていた視界に紛れ込む。明石の右手に握りこまれていたのは一振りのバタフライナイフ、その刃は明かりに照らされ銀と紅の斑を描いている。
 ふと、涙を拭った少女はその瞳を空に向けた。蒼黒の空に疎らに映る白い雪と、時折雲間から覗く月の光。未だに頭にこびりついて離れない不快感の理由を問うても、空は答えを寄越すことはなく、無表情な光と冷たい雪を降らせるだけで、それに少女の眉間はさらに皺を深くする。

 降り始めていた雪は、やがて風を伴い強く大地を打ち始めた。



『貧乏くじの引き方-追編之拾玖-』



 京香は、胸元を押さえてその場に力なく膝を付いた。その指の隙間からは衣服が赤に染まるのが見え、彼女の息は痛みからか非常にか細い。声を上げることも無く、彼女はただ痛む傷口に意識を向けると、冷え込んだはずの手先が、焼けるような熱さに苛まれる一点に触れてほんの少しの体温を取り戻すのを感じる。だがその熱もすぐに失われ、痛みとは異なる理由から、間もなく意識がぼんやりと薄れ始めた。

「明、石……?」
「……こうするしか、なかったんです」

 そういう事を聞きたいんじゃないんだ、そう伝えようとした喉は血を吐き、意識を繋ぐため、ただ身体に酸素を補給しようと息を吸い込む。そもそも、あの時倒れた時点で自身の命については理解していた。そして、明石の身の上と彼女に課せられた任務を思えば、もう『時間切れ』となってしまっていたのだという事も同様に。
 それでも、猶予が欲しかった。自分のミスが原因で命を喪い、奇跡と言ってもいい偶然に救われて還って来た少女が、此処で再出発するまでを見届ける時間が。自身のエゴにより記憶を失った少女が、その巻き添えでヒトに武器を向けた少女が、今一度やり直す所を見届ける時間が。
 同じ死を迎えるなら、せめて、自分が犯した行いを清算するための時間だけでもと、京香は願った。
 二十を少し過ぎたばかりの女性であったとしても、京香は正面で立ち尽くす少女の上官であり、明石よりも幼い者もいる少女達の上に立ち指揮を執る司令官なのだ。

「ごめんね。手間……かけちゃって」

 無理矢理に笑顔を作り、強引に声を絞り出す。途切れ途切れで、自身でもきちんと発音できた自信は無いが、ちゃんと聞こえただろうか。ひく、と喉を鳴らす明石の姿を見る限り、聞こえはしたが笑えてはいなかったんだろうな、と目を伏せる。上体を起こしているだけの力もいつしか失い、気付けば冷たい雪が頬に触れていた。
 一番の願いは、最期のその時まで、きっと誰にも言うことは出来ないだろう。いつ叶うともしれない願いを待つように、やがて彼女の意識は暗闇へと沈んでゆく。

「てい、とく……?」
「……天龍、さん」

 積もり始めた雪を踏む音にも、京香は振り向くことが出来ない。だが、その声と明石の言葉で、誰がそこにいるのか、だけは分かった。京香と同じ、支給品のコートにタータンチェックのマフラーを身につけた天龍が、京香を挟む位置で呆然と立ち尽くしている。
赤く染まった京香の胸部周辺に積る雪と、明石の手から零れ落ちたそれとを交互に見、少女はざく、と雪を踏み鳴らす。理由も、言い訳も、問い質す必要は無かった。
 一瞬の内に間合いを詰め、天龍はその上体ごと右の拳を振り抜く。鈍い音が一つ寒空に響き、遅れて取り戻した視界に自分が殴られて転倒した事を知り、遅れて頬を刺す痛みで顔をしかめる。だが、身を起こす時間は与えられること無く、顎、続けて後頭部を激痛が襲う。
 腹部に掛かる体重と、振り上げられた拳に付着した血に、明石は自分の置かれている状況をようやく理解した。

「……なんでそんなモン握ってる、なんで提督が倒れてる、なんで、なんで……!!」
「……」

 それまで以上に大きく振りかぶった拳。髪に隠れていた天龍の瞳が微かに見えたその時、朧げだった意識が不意に鮮明さを取り戻す。少女が続けて吐いた言葉と合わせて、涙に揺れる瞳に映る自分の顔が、どれほどまでに酷い物なのかを思い知らされた。

「なんでテメエはそんな涼しい顔してられんだよ!!!」

 頭蓋が割れるかと思うほどの殴打に、引き千切られそうな意識をすんでの所で繋ぎ止め、再度振り上げようとした拳を、天龍の襟首をそれぞれ両手で掴む。力なくその二点を引き寄せる少女の頬や目尻などには血が滲み、その口内は何度噛んだか分からない程の切り傷が出来上がっている。明石の手を振り解こうとしたところでようやく、天龍は彼女の傷と、握り込むことさえまともに出来なくなった自分の拳に気付いた。

「貴方に分かるもんですか……私は、彼女が此処に着任した日から、ずっと一緒にいたんです、貴方よりも長く、貴方より、近くで……!」
「じゃあなんでこんな!!」
「見逃せっていうんですか! いつか人類の敵になることが分かっていて、その時まで彼女を、自分が深海棲艦と化してゆく恐怖に晒し続けろと!!」

 明石の震える声に、喉まで出かけていた言葉が止まり、脳がその言葉を理解する事を拒む。提督は言っていたじゃないか、鎮静化自体は出来ていると。なのに何故、目の前の少女はまるで『深海棲艦化するのは間違いない』ような言い方をする?
 天龍の疑問に、続けて吐き出された明石の言葉が解答を示した。

「仕方がなかった……もう、手遅れだったんです」
「……は?」
「深海棲艦化した艤装の基部は、既に身体の芯の方まで侵食していました。その部位だけを摘出することは出来ませんし、仮に出来たとしても、彼女の命を失うことには、変わりありません……遅かれ早かれ、私が彼女の命を断つことは決まっていたんです」
「もう一遍言ってみろ……テメエ今なんつった!?」
「何度でも言ってやりますよ、彼女は手遅れだった! あのまま放っておけばいずれ敵になるんです! だからそうなる前に、私は彼女を殺さなきゃならなかった!!」

 口内に溜まった血を吐き、時折咳き込みながらも、少女はありったけの声を張り上げる。その為に彼女の元に配属されたのだから、当然の結果でしかないのだと、震える声はそう続けた。言わんとする事は分かる、仕方ないことだ、というのも理屈としては否定は出来ない。だが、それ故に、天龍は彼女の態度にその神経を逆撫でされ、力の入らない右腕を再び振り下ろし始めた。

「っざけんじゃねえぞこのクソアマがぁ!! 何が仕方なかっただ、何がっ、手遅れだっただ!? 時間なら一年以上あったんだ、なんで、今になっていきなりこんな事しやがった!!」
「だったら!!」

 襟首を不意に強い力で引かれ、そのまま額を下にいる明石の額とぶつけられる。頭蓋を揺らす不快感と、じんじんと疼く痛みに意識を向ける間もなくか細い声が耳に入り、天龍の意識は一気に平静を取り戻した。

「私は、どうすればよかったんですか? 時間だって本来ならもっとあったはずなんです、なのに、伊豆での作戦から数ヶ月の内だけで、侵蝕速度が異常な程早くなって、提督が倒れた時にはもう……!」

 なんだよそれ。天龍が呟いたのは、たった一言。人の事を悪し様に言った割には、自分だって重要な事を見落としていたのだと、罪悪感が頭をもたげる。
 提督が自分で言っていたじゃないか、『最上に止めを刺すかどうかまで行ったのか』と。川内は目の当たりにしたと言ったじゃないか、『提督が最上の姿をした何かを殺した』と。そして、それを『最後の選択』だと言ったのは、他ならない自分だったじゃないか。
 水面へ浮かぶ事ではなく、深淵へと沈む事を選択してしまっていた事に、あの時気付かなくてはならなかったのは天龍自身だったのだ。明石は、その事を知らず『本来であれば間に合うであろう』ペースで対策を考えていたに過ぎない。

「……天龍、さん?」
「……悪かった。俺も、人の事言えねえわ」

 今更、たらればの話をしたところで、何も変えることなど出来ないし、今目の前に在る現実が好転することなどあり得ない。だが、もしあの時気付けていたら、と。際限のない後悔を覆い隠すように、雪はただ振り続ける。赤く染まった傷口や少女の掌、口角を汚す血、その全てを白く染めあげるように。



「なんだ、随分と遅かったな」

 正面玄関を入って直ぐの廊下を二人歩いていた長門と金剛は、扉の軋む音とそこから吹き込む風の音に、明石と彼女を迎えに出ていた京香の二人か、若しくはそれより前に買い出しに出て行った天龍のどちらかが帰ってきたのだろうと考え、冷たい風に羽織っていた半纏の襟元を手できつく巻き込む。
 久し振りに二人で酒でも、という金剛の誘いに乗って、食堂へとつまみなどを取りに行こうと連れ立って歩く最中だったのだ。しかし、その予定はあっけなく潰えてしまうことになる。

「……テート、ク?」
「天龍……何だ『それ』は」

 震える声で投げ掛けられた疑問に答える者は居ない。動かなくなった少女を背負い、脚にきたのか、自分で歩くことすらままならない明石に肩を貸し、その瞳を泣き腫らした少女は、何も答えずその目を伏せる。京香を支える背中や腕を鮮血が伝い、各所に赤黒い染みが出来ているのが見えた。そして、明石の胸ポケットから覗く、血に濡れたナイフが。

「テートク、何処か、怪我を?」

 誰もそれに答えようとはしない。

「どうして、テートクは……返事を、してくれないんデスか」
「質問の答えを聞かせろ」
「……」
「『それ』は何だ? 彼女に、何をした」

 襟首を掴み、何処を見ているとも知れない顔を引き寄せる。声を張らなかったのは、彼女なりに理性が幾許か働いた故の偶然だった。此処で大声を上げてしまえば、天龍は重い罰を受けることになり、そのまま真実を知る機会すらも失ってしまうのではないかと何処かで感じたからに他ならず、この状況で『自分個人の都合』を気にすることが出来てしまったことを、内心自己嫌悪した。
 震える指で引かれた裾が、その一線を超えまいとする一助となった事はせめてもの救いだろう。

「答えろっ……!」
「……長門、Try to move。此処で話すのは良くない、デス」

 金剛の言葉に小さく首を振り、医務室へ連れていく、と二人を促す。僅かに頷いた所を確認し、長門は明石を抱えて歩き始め、天龍らはそれを追って歩を進めた。既に日付も変わってしまっており、艦娘らの寮を通らずに移動したため誰かと鉢合わせるということもなく医務室へと到着し、助けはいらないと頑なに手を借りることを拒んだ天龍は、言葉通り、誰かの手を借りること無く京香をベッドに寝かせた。
 明石も既に意識を失ってしまっており、起こすことを諦めた長門は京香と別のベッドに少女を横たえる。

「鍵は」
「もう掛けてマス……誰かが入ってくるという事はありませン」
「有難う。……天龍」

 長門の問いに対して、天龍は幾つかの回答を選ぶことができた。一つ目は、包み隠さず、京香の身体を含めた全てを知る限りで伝えること。二つ目は、全ての罪を明石か天龍のどちらかが背負うこと。そしてもう一つは、居もしない第三者をでっち上げ、それに全ての罪を被せること。
 長い時間の末、少女は、京香の秘密を守るという名目で、自分達の保身を選んだ。結論から言えば、それ自体は過ちと言える選択ではなかった。明石か、天龍かがこれを為したとすれば、必ず理由が必要になり、そして二人のどちらか、あるいは、どちらもが事を起こすだけの動機を、京香が生み出したという形になってしまう。
 真実を明かすにしろ、仮初めの理由を作るにしろ、そのどちらを選んでも艦娘や、他の者が京香を見る目の質が変わってしまう。それを思えば、罪悪感一つで三人共の立場を守れるなら安いものだと、天龍はそう考えた自分に呆れてしまった。

「……それで、私が納得するように見えるか」
「……思わないっす。でも、そういう事にしといてくれなきゃ、提督に合わせる顔がねえんすよ」
「私達は、そんなに信用できないのか?」

 哀しげに目を伏せる長門と金剛の姿を見て、雪や涙に濡れた顔が、更にくしゃりと歪む。言ってはいけない、そう自分に言い聞かせ抑えこむのも、もはや限界だった。 

「アンタ等だって夜戦バカが提督避けてた事は知ってんだろうが……最上と曙の船酔いを教える程信用してたのに、ああなるのが分かってて言えるわけねえじゃねえかよ……!!」

 聞かなければ良かったのだろうか。それとも、出来るならば本人の口から聞きたかったのだろうか。そのどちらであったとしても、二人は間違いなく、天龍を問い詰めた己の愚を呪ったという事実に変わりはなかった。



[40522] 追編二十話(第二十九話)
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2015/07/09 12:18
 華見京香は、艦娘化実験最初の被験体であり、その失敗作である。そして、今ベッドで横たわっているそれは、不完全な艦娘の成れの果てであり、艦娘にも、人間にも、そして深海棲艦にも成り損なった哀れな『バケモノ』である。
 天龍を問い詰め、無理矢理口を開かせた結果がこれだ。長門も金剛も、眼帯の娘の言葉が信じられず、何度か繰り返し問いただした。しかし、語る内容は変わらず、幾度聞いても、同様の答えだけが返ってきたのだ。

「……」
「……だから、そういう事にしといてくれって言ったんすよ」

 吐き捨てるような天龍の言葉に、長門は掛ける言葉も見つからずただただ立ち尽くす。今にも泣き出しそうな顔をしている金剛からマグカップを受け取り、そこに満たされていたココアを一気に飲み干したが、何の味も感じない。
 何をすればいいのか、何と声を掛ければいいのか、考えてみたところで答えも出ず、困ったように、呼吸の止まった少女の髪に手をやる。頬や髪に残っていた雪を払い、その冷たい肌に触れ、探るように首筋に手を当てて、数秒の後諦めたように視線を逸らした。

「私達は、どうすればよかったんだ」
「俺に聞かれても知りませんよ……一応、この事は他言無用でお願いします」
「No problemネ。ただ、一応明石にも話を聞いておきたいのデスが」
「……そうっすね」

 ゆっくりと腰を上げ、京香と異なり穏やかな寝息を立てる明石の傍に足を進める。起きろ、と頬を何度か叩くと、やがて小さな唸り声を上げて少女が身を捩る。薄らと開けられた目蓋と、そこから覗く瞳が眼帯の少女を映し、明確な覚醒を示すように見開かれた。

「ん……あ、れ、天龍さん」
「おう」

 ずきり、と痛む頬に手を当て、やっとの事で上半身を起こす。軽度の記憶障害か、自分の身や所持品を確かめるように手を自分の体に這わせていた明石は、胸ポケットのナイフと、隣で眠っている少女に気付き、やがてその顔面を蒼白に染めた。わなわなと震える手を取り、優しく語りかけた長門に視線を向けたその時、彼女の中で何かが決壊した。

「あ……」
「大まかな話は天龍から聞かせてもらったよ。……力になれなくて、済まなかった」

 返事をする事もできず、ただ呆然と少女は首を振る。私が殺したんです、私が全て悪いんです、そうやってまくし立てる彼女をを止める術を持たず、長門も、金剛も、延々と続く明石の懺悔を聞くしか出来ないまま、ただ時間だけが過ぎてゆく。
 やがて喋り疲れたのか、小さく息を吐いた隙を突くように、長門は彼女に改めて問いかけた。

「何があった。なぜ、提督を手に掛けなければならなかったんだ」
「……それは」
「明石。私達にも、聞く権利はあるはずデス」

 二人の戦艦級の艤装を持つ艦娘に詰め寄られては、流石に口を噤み続けることもできず、しばらくして諦めたように明石の瞳が伏せられる。遅れてその口から語られたのは、工作艦として生まれ、艦娘として与えられた任を全うしただけの少女と、人として生まれ人として育ちながら、シグと呼ばれる艦娘の実験体として、その身を捧げた少女の話。

「お二人は、シグ、という物の生まれた理由を知っていますか?」



『貧乏くじの引き方-追編之弐拾-』



「人類が深海棲艦との戦いを初めて暫く、一向にそれらは姿を減らす気配を見せませんでした」

 くたびれた身体を鞭打つように、ゆっくりと居住まいを正して明石は口を開く。金剛、長門の二人も思わず姿勢を正して話に耳を傾ける。明石の言うとおり『一人目』である三笠との邂逅と、彼女の協力による深海棲艦の艦娘化が始まって、人類はようやく敵と同じ土俵に立つことが出来たのだ。

「そして、三笠さんと華見中将の指揮下で艦娘の戦力拡充が始まります。始めは海から、それこそ深海棲艦だったものを艦娘にする所からでした。ですがお二人も知っての通り、艦娘を生み出すための『資材』は、完全なものを手に入れるのが非常に難しかったんです」
「……確か、艤装と肉体と、それぞれに核が必要だったな。それに肉体側の核は特に希少だと」

 こくり、と少女は頷く。その後も彼女は続ける、艦娘が最低限戦力として成り立つ程の数に至るまででも一年以上の歳月を要したこと、局所的に艦隊運用を行ったところ、少なくとも頭数なりに一定の戦果を上げる事ができ、資材の回収に関しても一応の成果が出たこと。
 しかし、それでもなお絶対的な数の差を覆すには至らないまま、少しずつ制海権を失い続けていたこと。その焦りから、彼らは幾つかの案を立てた。

「一つは、無線制御による小型戦闘艇。艦娘同様の小回りの良さと、搭乗訓練や生命リスクを要さない水上戦力という意味で大きな期待を持たれていましたが、操縦における人的コスト、膨大な物量に対応する為の物的コストの問題から対深海棲艦用の量産は見送りとなっています」
「偵察に使っている隊を見たことがあるが、アレがそうだったのか」
「ええ。そして二つ目が、非生体ユニットを母体とした擬似艦娘。此方は肝心の艤装が反応しなかったこと、そして人類の技術ではオカルトに依存しない艤装を作り上げられなかったことから計画は頓挫しました。海上戦闘可能なパワードスーツ、という案もこれが原因で破棄されています」

 得体の知れないものに頼るより、自身が知る技術や武力などを扱う事を選ぼうとするのは、至極当然の話だと明石は話を打ち切る。そして、『理解できる』力で出来る事には限度があり、限界以上のものを求めんとすれば、『理解できない』何かの力を借りるしかないのも、また当然の帰結であった。

「だから、人間の少女を艦娘にしよう、と。そう考えたというのか?」
「此処に異動になる前、私はそう聞かされました。そして、中将の孫娘である彼女は、その一人目の被験体として志願した。提督がそうした理由については分かりませんが、少なくとも自身の意志による選択だった、とは聞いています」
「……孫娘?」

 金剛の口をついて出た疑問に、小さな溜息を返し天龍が答える。華見京香は、艦娘になり損なった日に死んだ事になっていて、今の京香は身寄りの居ない養子という扱いであり、身分を偽る事になった理由は深海棲艦化にあると。驚愕に彩られた二人の表情を見ることもなく、明石はその言葉を継ぎ、再び口を開く。

「艤装への適合実験失敗により船酔いを患い、深海棲艦化を隠して軍に入った彼女を監視するよう、そして、有事の際は私の手で処理するよう言われ、私は此処に配属されました」
「お前……」

 悲しげな笑みを浮かべた少女は、そのポケットから赤く染まったエンブレムを取り出す。医務室の机の上にそれを置き、それまでとは打って変わった凛とした声で、彼女はその身を明かした。

「横須賀第三特殊艦娘部隊所属、工作艦明石。それが、本当の私の名です」
「……有事、と言うのは」
「完全に深海棲艦化した、ということか……?」

 長門の科白に、明石と天龍の二人は言葉を失ってしまう。恐らく、彼女の隣で顔を蒼白にしている金剛も、同様の結論を得たのだろう。しかし彼女等の予想は半分誤りであって、明石は手遅れとなった時点で幕を引くことを選んだのだ。そして、表情から長門がそれを読み取るのに、然程時間は掛からなかった。
 乾いた音が、静かな部屋を引き裂く。自分の身に起こった事を理解できず、ただ目を見開く明石と、その頬を張ったままの姿勢で動けない長門。反射的な行いではあったが、彼女はその後を継ぐ言葉を持ち合わせていない。
 非戦闘員もいるこの施設内で京香が仮に深海棲艦化してしまったとしたら、そう考えるだけの理性は残っており。そして考えた結果、この桜色の髪の少女を糾弾するという選択は出来なかった。

「……済まない」

 誰のものとも知れない嗚咽が、四人しか居ない部屋で響き続けた。



 そうして医務室を空けることが、正確には、京香を一人にすることが出来ないまま、四人はそれぞれに時を過ごす。時折誰かが飲食物を取りに部屋を出たり、夜風に当たりたいと一人抜け出すことはあれども、結局日が昇るその時まで、彼女等は誰一人自室で夜を明かすことはなかった。
 その四人ともが疲れから眠りの園に落ち、それから暫くの時間が過ぎる。

「……ん?」

 時計の針が、静かな部屋で刻々と針を進める。短針が六を指したあたりで、右へ左へと寝ぐせの付いた頭部を上げ、天龍が小さく欠伸をこぼした。カーテンの隙間から差す光に日が昇り始めていることを確認し、まだ覚醒しきっていない頭で周囲を見渡す。誰も目を覚ましていないのを確認して、そのまま彼女は再び顔を伏せようとした。そしてふと、ある一人の姿が見えないことに気付く。
 眠気や疲れでまだ重い腰を上げ、ベッドの裏や、テーブルの下等、先程目覚めた場所からは見えなかった箇所を確認して、焦りか、不安からか、天龍は小さく息を飲んだ。

「あいつ、何処に行ったんだ」

 しかし、その疑問はすぐにノックの音とともに氷解する。静かに扉を開けて入ってきたのは、探していたその相手を含む三名の人影。一人は暁型の艦娘、響に似た姿の少女。銀色の髪や目付きは響のそれだが、天龍の知っている彼女より少し大人びて見える。彼女の帽子は、暁型のそれとは違い白く、そして特三型のそれとは異なるエンブレムが刺繍されていた。
 もう一人は、無精髭を蓄えた30代半ばに見える長身の男。ダッフルコートを羽織っているが、そこから覗く服は紛れもない海軍のそれであり、京香より恐らく一つか二つ上の階級のものと思われる袖章が見え隠れしていた。そして、二人に共通していたのは、昨夜身を明かす為に明石が見せたものと全く同じデザインをした部隊章を、その衣服に着けていた事。

「天龍さん」
「明石さん、そこの二人は……」
「はじめまして、と言うところかな」
「色々、うちの明石が面倒掛けたそうだな」

 白い帽子を脱ぎ、小さく会釈する響似の少女と、恭しく頭を下げる男。その口振りから、彼が明石の『上官』なんだろうな、と頭の端で考えながら少女は二人に合わせて頭を下げた。それを見て、男はばつの悪そうな笑みを浮かべる。どうやら眠っている内に大部分は終わってしまっていたらしく、二人揃って京香の横たわるベッド傍へと歩みを進めた。

「疲れて寝てる連中にも悪いし、さっさと片付けてお暇するつもりだったんだがね」
「そりゃ、ご苦労なことっすね。で、此処に何の用です?」
「態々聞くようなことでも無いと思うけど……」
「ヴェル、構わんよ。……華見京香中佐の遺体を引き取りに、な」

 予想通りの回答だったことを苦々しく思ったか、反射的に出た舌打ちに慌てて少女は口を隠す。それを見て、ヴェルと呼ばれた少女と男は目を見合わせて笑った。

「……気に掛けてくれる艦娘が居る程度にはよくやってたんだな、そこのお嬢ちゃんは」
「有能では無かったっすけどね。それに曙譲りの口の悪さも大概アレでしたよ」
「そうか? まあ後はウチの仕事だ、後任が来るまで養生するといいさ」
「彼女の遺体は責任を持って預かるよ。響のもう一つの名に誓って、ね」

 そうしてくれと呟く天龍に頷き、男が京香を抱え上げた後に残っていた赤く染まるシーツや帽子などの私物を抱え、『ヴェールヌイ』は足早に部屋を立ち去ってしまう。残された明石と天龍とを交互に見比べ、男は一段潜めた声で二人に話しかけた。

「すまないが、事情を知らん子らには大怪我をして搬送されたって話にしておいてくれるかね。最終的には通り魔の類として通達を下ろす予定なんだわ」
「はあ……」
「近隣で同様の被害が出てて、尚且つ目星もついてるらしいんでな、気の毒だがもう一つ罪状を背負って貰うことになった」
「……いいんすか、俺にそんな話して」

 天龍の問い掛けに、男はきょとんと目を丸くする。そして、少しの間も置かずに何度目かの苦笑いを浮かべて話し始めた。

「俺等と明石と見比べて察しがつく程度には事情は飲み込めてるんだろ? ……こう言っちゃなんだが、個人的な感傷としては知っておいてやって欲しいと思うところもあるんだわ」
「……」
「生体兵器を扱う軍隊ってんで、さんざ愉快な仕事をさせられてるんでね。……ああそうだ、天龍型一番艦。一つだけいいか?」

 去り際の問い掛けに対して肯定を返した天龍を振り返る事無く、良かったな、と。男はそう一言残して扉の向こうへと姿を消した。



[40522] 追編二十一話(第三十話)
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2015/07/19 15:52
 日が高くなり始めた頃、二人の少女は差し込む日差しに目を薄らと開ける。意識が覚醒した直後、ふと視線を向けたベッドに京香の姿は無く、何をするでもなく窓の外を眺めている天龍の姿だけがあった。先に身体を起こした長門に気付き、少女は小さく頭を下げる。

「おはようございます」
「ああ、おはよう。……提督はどうした?」
「……」

 一瞬、天龍は言い淀む。反射的に答えるには、上手い言い回しが思いつかなかったのかもしれない。しかし、金剛が身体を起こしたことに気付いたところで、彼女は一旦気を落ち着けるように深呼吸をし、その後はっきりと言い切った。

「提督は、三特艦の連中が引き取っていきました。一先ずは通り魔にやられて搬送されたって事にしとけってことらしいっす」
「明石は」
「アイツも同行してます」

 そう言って、少女は窓の外に視線を向ける。塀に囲まれた敷地内、あの後それなりに積もったらしい雪にはしゃぐ駆逐艦娘や、それに大人げなく紛れて雪合戦に興じる数人の女性らが目に留まり、同様にそれに気付いた長門等二人と苦笑いを浮かべた。
彼女等が振ってきた手を振り返し、天龍は再び二人へと視線を戻す。

「それで、向こうの司令官らしいおっさんからの伝言です。提督の身体の事、特にシグの実験体であったこととかは秘密にしておいて欲しい、と」
「……わかった」
「任せておくデス」
「で、他に何か話は?」

 長門の問い掛けに小さく悩む仕草を見せ、少しの時間を置いて天龍は回答をはぐらかした。問い詰めた結果拗れてしまう可能性を避けたか、目を完全に覚ますために顔を洗ってくると踵を返す長門に、まだ続いていた駆逐艦娘と数名の空母、戦艦艦娘による雪合戦に乱入を果たす金剛とをそれぞれ見送り、やがて天龍は大きな溜息を吐いた。

「……最期に立ち会えたからって、気休めにもなりゃしねえよな」



『貧乏くじの引き方-追編之弐拾-』



 長門達が解散したのとほぼ同じ時刻。横須賀港にほど近い場所にある建造物群、本棟らしき煉瓦造りの一つと、その脇に沿うように倉庫や営舎らしき建造物が並んでいる。雪に真新しい足跡を残し、煉瓦造りの建物の正面扉を開け、一人の少女がその中へと足を踏み入れた。
 水気を拭った靴で板張りの床を鳴らし、黒い尾を引いて廊下を歩く。途中、顔見知りの少女らと挨拶をかわしつつ歩を進める内に、ある一室の前で一人の少女と鉢合わせる。特三型、暁型駆逐艦艦娘のものとよく似た制服に、白の軍帽、そして陽を受けて煌めく白銀の髪。ぴたり、と足を止めた少女らは目を合わせ、にこり、と笑みを浮かべた。

「おはよう。執務室に何か用事?」
「おはよう、矢矧。華見中佐の搬送が終わったから報告にね」
「ああ、なら丁度よかった。私も彼女の件で報告する事があったのよ」

 疲れたような溜息を吐いて矢矧は執務室の扉をこんこんと叩く。遅れて返ってきた声にヴェールヌイと目を見合わせ、彼女はドアノブに手を掛けた。連れ立って部屋に入ると、椅子に腰掛け、外で買ってきたらしいファーストフード店の袋を机の上に広げて遅めの朝食をとっている男の姿があった。

「おはようさん。二人してどうした?」
「華見中佐の搬送完了したよ、今は処置室のベッドに寝かせてる。中将への報告はまだだから、非破壊検査なら十分な時間をとれると思う」
「……了解。それが終わったら肌と髪もちゃんと整えておくか。で、矢矧さんは?」
「私? 多分中佐絡みだと思うんだけど、ドック棟最奥区画で深海棲艦化が認められて凍結処理中だった艤装一基が動作を再開したそうよ」
「あぁ!?」

 男はがたん、と思わず身を乗り出し、その勢いで膝を強かに天板に打ち付け悶絶する。呆れたように溜息を吐く二人の艦娘は、男が一先ず落ち着くのを待って改めて説明を続けた。

「今のところ自律行動や攻撃は無いみたいだけど、深海棲艦化が進行するようなら突入できるように、技術クルーの後退と信用のおける娘達の展開は済ませてるわ」
「……ちっ、分かった。矢矧はそっちの監視を継続して頼む、俺はヴェルと一緒に嬢ちゃんの様子を見てくるから何かあったら無線鳴らせ、良いな?」
「了解、無茶は程々にするようにしておくわ」

 そう言って笑う少女に無理は厳禁だと軽口を返し、銀髪の少女を伴い部屋を出る。矢矧が続けて退室したのを確認して施錠し、拳を突き合わせて三人はそれぞれ別の方角へと向かい駆け出した。途中すれ違う少女や男達に程々に声を掛けつつ廊下を抜け、固く施錠された扉の前で立ち止まる。扉の前で見張り番をしていた艦娘、不知火と二三言葉を交わし、男は扉に手を掛けた。

「っさいな、平気だって言ってんでしょうが!!」
「ですが貴方はっ……ぐっ!?」

 その直後、扉の向こうから話せるはずのない者の怒鳴り声と、鈍い物音が聞こえる。遅れて聞こえたどさり、という音に慌てて扉を開ければ、そこには平気な顔をして立っている屍体の姿があった。

「……ええと、貴方が此処の責任者だっけ、三特艦の。確か上村謙治大佐だったかしら」
「ウチをご存知とは光栄だな、華見中佐。……で、ウチの艦娘に何しやがった?」
「朝潮? ちょっと気絶してもらっただけよ。人型相手は慣れてないのね」

 わざとらしく溜息を吐き、そう答えた少女は笑う。やれやれ、といった様子でヴェールヌイは気を失い倒れている艦娘を抱き起こし、警戒を解くこと無く京香へと冷めた視線を向ける。聞こえないように小さく舌打ちし、上村と呼ばれた男は乱暴に自身の頭を掻いて一歩、京香の前へと近付いた。

「明石の奴しくじったな」
「十分でしょ。人間だったら失血死くらいはしてるんじゃないかしら」
「……お前さん、心拍は?」
「止まってるわね。脈でも取ってみる?」

 差し出された腕を取り、その手首に指をあてがう。その肌の冷たさと、彼女の言葉通り一切脈を打たない血管に、思わず彼はその眉を大きくひそめた。その様子を見ていた京香の瞳に、一瞬哀しみの色が写ったのは気のせいだったのだろうか。銀髪の少女は、彼女が浮かべた苦笑いの意味を理解することが出来ず、ただゆっくりと視線を京香から外した。空いた右手に拳銃を取り、その銃口を額に向けたまま。
 目を背けること無くヴェールヌイを呼び、構えている銃を下ろせと口を開く。渋々といった様子で従ったのを確認できたか、男はそのまま京香をベッドに腰掛けさせた。そして、男の口から続けて出てきたのは、一際大きな溜息であった。

「心停止してる人間が平気な顔して喋ってるなんざ聞いた事ねえわ、なあ嬢ちゃん」
「そうね。私もビックリしてる」
「どう考えてもびっくりで済むようなレベルの話じゃないけど」
「ヴェル」
「……」

 不安そうに目を伏せる京香に肯定を示し、上村はゆっくりと首を振る。

「明石の報告も見させてもらってたが、手遅れってのは事実だ。流石に嘘にも限度はある」
「そう」
「上に知らせる前に色々調べとこうってことでウチに運んだんだが、まさか目を覚ますとは……」
「じゃあ、なんでこうしてられるのかは分からない、ってこと?」
「まあ、そういうこったな」

 何と言えばいいのか分からず苦笑いを浮かべる上村と、態とらしい溜息を吐いて目を伏せる京香を見比べ、ヴェールヌイは小さく肩を竦めた。京香からすれば分からないことばかりで、なるべく早くに二人から話を聞きたいところであったが、とはいえその二人からしても、死体となったはずの少女が目を覚まし、あまつさえ、脈拍が止まっているにも関わらず意思の疎通や活動が可能だという、この状況を説明出来る答えなど、持っているはずもなかった。

「とにかく、朝潮の事もあるし貴方が本当に『華見京香』だという証拠はない。悪いけど拘束させてもらうよ」

 そう言い掛けて伸ばした手が京香に触れたその瞬間、接触した部位の皮膚が突然その色と質感を変え、ばくん、という音と共に大きく割れた。ヴェールヌイの左腕を食い千切ろうとしたそれをすんでの所で躱し、一足飛びに距離を取る。そして右手を掲げた直後、三発の銃声が密室に響いた。

「……私の意志じゃない、なんで」
「……朝潮相手と随分対応が違うな、嬢ちゃん」
「敵対行動と認定、司令官、殲滅許可を」

 言うが早いか、ヴェールヌイの左手には召喚された砲塔が握られ、背中には艦艇の後部構造体を模した主機が背負われている。駆動音を鳴らし、その一対の砲身が立ちすくむ少女へと向けられた。対する京香の右腕は既に人の姿に戻っており、その足元には先程ヴェールヌイが威嚇として撃った銃弾の痕跡が残されている。三人がそれぞれ別の意志の元にらみ合いを続ける最中、不意に男の無線機が耳障りなノイズをかき鳴らした。聞こえてきたのは先程別れた矢矧の声。

『提督聞こえる? 資料貰って確認したんだけど、活動再開した艤装の型式が分かったわ。DD-AN08曙型、略歴見た感じ華見中佐の実験で使われたもので間違い無さそうよ。それに調べようとした子達が何人か捕食されそうになった、追い払われただけの子も居るあたり、何か目的があるんだと思う』
「なるほど、そういう事か。了解した、くれぐれも特型の艦娘は近づけるんじゃねえぞ」
『特型ってどうして……』
「ちょっとしたトラブルだ、後で説明するから監視を継続して頼む」

 無線機から意識を京香の方へと戻し、依然として砲口を外そうとしないヴェールヌイを制して一歩足を踏み出す。怯んだように後退る少女を見て、上村は困ったように首を振った。

「どうやら、完全な状態で蘇生できた訳じゃないようだな」
「……どういう事?」
「聞こえてたろうが、お前さんが実験でペアリングした艤装が搬送に合わせて活動を再開してる。ヴェルを狙ったのも同型艦が目的なんだろう、最期の足掻きってやつかね」
「放っておけばそのまま華見中佐はまた死ぬ、ということかな」
「まあそんな所だろうな。どうする?」

 男の問い掛けに鼻白む。放置していればその内また死ぬ、と言われて「わかりました」と納得できるはずもないが、かといってどうすれば生き続けられるのかも分からない状態には変わりはない。さらに言えば、今の時点で「人間として生きる」事はほぼ不可能に近い状態であることは明白である。
 生きたい、と願った所でそれを何の懸念材料も持たずに実現できる案は無く、どれだけ考えた所で、京香は男の問に対する答えを導き出すことが出来なかった。

「意地の悪い質問だったかね。まあ、一つチャンスが有るとすれば、もう一度艤装と接触する位だろうな」
「……矢矧も言ってたね、特定の艦娘が捕食されそうになった、って」
「主機が母体を探してるってこと?」
「恐らくな。上手くすれば艤装を心臓代わりとして命を繋ぐことは出来るかもしれんが、試してみるか?」
「……」

 考える余地など無かった。悩んだ所で一度死んだ身であることには変わりなく、そして何もしなければそのまま死に至る事が分かっている以上、京香が取り得る道は一つしか残らない。たとえそれが確信の一つも持てないギャンブルだとしても、その結果最悪の事態を引き起こす可能性があったとしても、少女はほんの少し見えた光明に縋らざるを得ない。

「艤装の所まで案内して」
「了解した。……一応言っておくけど、最悪の場合、司令官の指示を待たずに処理に移る事だけは理解していて欲しい」
「俺も、流石に全員を抑え込める自信はねえからな。一発限りの博打って事は覚えとけ」
「……分かってる」

 その後会話を交わすこともなく、三人は連れ立ってドック棟の最奥部、艦娘達が部外者の立ち入りを禁ずるように塞ぐその扉の前へと到着した。始めは三人ともを「矢矧の指示である」として押しとどめようとしていたが、彼女等の上官である上村の説明と、京香の示したドッグタグを見て納得したのか、渋々といった様子で扉を開ける。
 薄暗い室内、艤装を展開して臨戦態勢を取っていた艦娘達の一人が、彼女達に気付いて駆け寄ってくる。黒のポニーテールに整った顔立ち、矢矧と呼ばれ敬礼を返す少女が、京香の姿を見て青ざめた視線を向けた。

「あの、提督、彼女は……」
「ん? 見ての通りリビングデッドってヤツだが。そこの艤装が呼んだのか嬢ちゃんの方が原因かは知らんが一時的に意識を取り戻したんでな。このままだとまあ間違いなく死ぬだろ、ってんでやれる事はやっとこうって訳よ」
「……失敗した時は私達で幕を引く事になってる。矢矧も待機していてくれないかな」

 二人の言葉の意味するところを察したのか、少女は硬い表情で艤装だったものを見つめる京香に敬礼をし、扉の前へと下がるのであった。



[40522] 追編二十二話(第三十一話)
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2015/08/28 02:13
 しん、と静まり返る室内。上村とヴェールヌイの二人に案内されて入ってきた京香の姿を見、その場に居た矢矧や数名の艦娘達が一瞬ざわめきを見せる。司令官である上村に視線で制され、慌てて少女らは敬礼を返した。ひと通り状況の説明が済んだ所を見計らい、京香は一歩、部屋の中央に置かれたそれに近付く。
 暗闇の中で、主を探し求めるように唸り声を上げる鋼の塊。その軍艦色の外装を覆い隠す黒い甲殻は、紛れも無く深海棲艦のそれであった。近付くほどに強くなる身体の疼きが、それが自身の半身でありかつて彼女の記憶やその身を喰らおうとした艤装である事を教える。

「どうだ?」
「……多分、私を探してるのは間違いないと思う。でも、どうすれば命を永らえられるのかはよく分からないわね」
「そこは分かってくれると嬉しかったんだけどね」
「どうする、触ってみるか?」

 声を詰まらせ、遅れて少女は考え込む。触れずして調べるには限度もあり、そして、そもそも考えられる可能性というのが「艤装側に残っているかもしれないコアを奪い自分のものとする」位である。さらには、それを実行に映すのであれば遅かれ早かれ、彼女は艤装とそれを制御するコアに接触しなければならないという事に変わりはなかった。
どれほど考えた所で、命が惜しければルビコン川を渡らなければならない。それは彼女自身がよく分かっている。しかし。

「ちょっと、心の準備だけさせて。分水嶺になるんだから、それくらいはいいでしょ?」
「……ああ」
「矢矧、戦闘準備。残りは一度退出、絶対に此処には誰も入れないで」

 時間がないかもしれないとは言え、踏み出すには余りに勇気のいる一歩だった。暫しの間を置いて小さく首を振り、視線で意志を伝える。
それに応えるように、ヴェールヌイは一つ二つ指示を出し、それに従い少女達は扉の向こうへと姿を消す。武装を携え臨戦態勢を崩そうとしない矢矧とヴェールヌイ、そして、神妙な面持ちで見守る上村に視線を返し、京香はその右手を、黒く艶やかに光を反射する艤装だった『何か』に伸ばした。



『貧乏くじの引き方-追編之弐拾弐-』



 司令官不在の第五艦娘駐屯地。手持ち無沙汰となったとはいえ、何から始めたものか、と考え事をしながら廊下を歩いていた天龍は、正面の方から京香の代理人の姿を見つける。小さく手を上げて挨拶をすれば、銀髪の少女は合わせて右手を上げ、少し歩調を速めた。近付いてみれば分かる天龍の隈に疑問符を浮かべながらも、叢雲は特に気にすること無く普段通りの挨拶を交わす。

「おはよう、天龍。司令官の姿が見えないみたいだけど、何処に行ったか知らない?」
「あ、ああ……」

 声を詰まらせる姿を不審に思ったか、叢雲は姿勢を変えずその眉をひそめる。少し悩むような素振りを見せ、天龍は少女の肩を抱き寄せ、周囲を気にしながらも小さく口を開いた。

「……昨日の晩、通り魔にやられたんだ。今は横須賀で治療を受けてるが、ちょっとヤバイかも知れねえ」
「何それ、私そんな話聞いて」
「こっちだって急な話だったんだよ!」

 反射的に声を荒らげた事を天龍は慌てて詫び、改めて声を潜め話を続ける。

「ったく、後で本営から正式に容態やら何やらの通達来るはずだから、そっち任せるわ。集合写真の段取りもちょっと変えねえとな」
「……本当に、通り魔だったの?」
「通り魔に決まってんだろ。……軍人をターゲットにしちまった可哀相な奴だよ」

 おざなりに手を振り、そそくさとその場を立ち去ろうとする少女を慌てて呼び止めた。
しかし、聞くべきか、聞かざるべきかと迷い、悩んでいる内に人の姿が疎らに見えてくる。そうして暫くの沈黙の後、眼帯の少女は一度も振り返ること無くその場を歩き去ってしまった。
その後行き来する艦娘たちに適当に挨拶を交わし、やがて人の波が切れる頃、叢雲は改めて、一際大きな溜息を吐いたのだった。

「……通り魔なんかで死ぬなんて、絶対、許さないんだから」

 日差しが直上から降り注ぐ時間帯。正午を知らせる鐘の音の中、司令官代理の叢雲、大淀より通達され営内の掲示板に貼り出された知らせは、瞬く間に隊内の艦娘達ほぼ全てが知ることとなった。
ここ数日近隣を騒がせていた通り魔が逮捕、拘束され、そして京香もまた、その毒牙に掛かり生死の境を彷徨っているということ。
 事実との大きな相違はあれど、彼女が生命の危機により鎮守府を空けた、という情報は少女らの心に波紋を起こす。

「加賀さん」
「……彼女が留守だからといって我々全員が休養していて良い道理は無いわ。敵は待ってはくれないのだから」
「それは……いえ、私達が範を示さなければ、ですね」

 信用も信頼もそれなりにしていた指揮官の不在に波打つ胸中を隠し、あくまでも年長者として平静を装う者。

「ふーん、そう。ちょっとは姉ちゃんの辛さも分かるんじゃないの、コレで」
「鈴谷」
「ごめんって。本気で言うほど拗らせてるワケ無いじゃん」
「……そう思った、という点は否定はしませんのね」
「……出来ないよ」

 個人的感情を反射的に吐露し、吐き出された『それ』の薄汚さに対する嫌悪感と、実感として芽生えた感情との間で揺れ動く者。

「あ、あの、あのっ……司令官さんが、その……」
「……あたしも、さっき聞いた」
「大丈夫、だよね。ちゃんと帰ってくる、よね」
「……うん」

 平静を装うことが出来るほどの経験を持たず、また自身の無力をつい先頃痛感したばかりなのも相まって、ただ寄り添うしかできない者。

「……」

 そして、ある少女は怒りのやり場を失い、ただ整然と事実を突き付ける文字列を眺めるしか出来なかった。そこを偶然通りかかった一人の少女が、小さく震える手を見とめて立ち止まる。腰まで届く銀髪を揺らし、彼女は一歩、姉の傍へと近付いた。

「暁。……ああ、司令官か。横須賀に搬送されたらしいね」
「……そう」
「どうかした?」
「……どうもしないわ」

 響の問いにそう答えると、暁は足早にその場を歩き去ってしまう。未だに電の件を根に持っている事は分かっていたが、響は既にそれを理由に京香に当たる事をしなくなっていたため、長女の葛藤を理解すれども、共感は出来なかった。
 『作戦ミスや想定外の戦力との会敵』は誰の頭上にでも降り掛かりうる、という事実を諦めの理由に出来る彼女とは違い、暁はただひたすらに純粋であったのだ。
困ったように眉をハの字に傾け、少女は小さく息を吐く。

「……居ても居なくても頭痛の種になるのは変わりないんだね、司令官」

 誰にでもなく呟いた言葉に「悪かったわね」と投げやりな声が聞こえたような気がして、思わず左右に視線を向ける。しかし周囲に人の姿はなく、当然のことながらその声の主も存在しない。
少し考えた結果、疲れているんだと自分を結論づけて少女は再び歩き始めた。司令官不在の間は、皆で此処を維持しなければと意識を切り替える。
 伊豆諸島の奪還以後目立った動きが無いとはいえ、海域が安全と呼べる状態になったわけではないし、未だに各地で戦闘は続いているのだ。なおさら、ただ立ち止まっていられる状況ではない。

「お、響か。丁度よかった」
「天龍さん」
「急な話で悪いんだが、来週日曜に集合写真撮ることになったんだ。昼メシ食ったら玄関前集合になる予定」
「? 本当に急だね、でもどうして?」

 廊下でばったりと出くわし、そのまま話を始める天龍と響。突然の予定に浮かんだ疑問符に対して、天龍は困ったように笑いながら答える。

「あー、あえて言うなら伊豆での勝利と、ウチの戦死者ゼロを祝って、だな」
「……ああ、なるほど。最上さんも電も回復したから」
「色々あったからな。全員が復帰するまで、って話してたんだけどあんまり遅れても、だろ」

 十分遅れてる、と頬を緩ませる少女に違いないと同意を示し、天龍は一つ息を吐いた。

「ま、そんなわけだから当日は遅れんなよ? それにあんまり言いたかねーけど、暁の奴も提督居ないほうが気まずくならなくていいだろ」
「……どうだろうね」
「?」
「気にしないで、暁たちにはこちらから伝えておくよ。それじゃあ」
「お、おう」

 疑問を挟む余地を与えず、響はそのまま廊下の奥へと去って行ってしまう。小さく肩を竦ませ、天龍はそれとは反対方向へと踵を返した。響が呟いた言葉の意味を求めるように、どこか遠くを見ながら。



 深海棲艦化したものや、大きな損傷によって使用不可となった艤装を安置している室内。上村達の見守る中、黒光りする『それ』に手を触れた直後、視界が黒一色に染まった。背中にまとわり付く不快感、に身を捩ったのも束の間、そのまま引き寄せられるように体勢を崩す。
胸を何かに強かに打ち付け息を吐き、慌てて視線を上下左右に振る。変わらず真っ暗な視界と、背中から腕や脚を伝ってゆく感触に、一つ、小さな感情の火が生まれた。
 視界の一部を乗っ取られたように、真っ暗で見えないはずの目が幾つもの情景を映す。
不運としか言えない事態の責任を押し付けられ、度重なる非難や糾弾を受けて低い士気を押して戦列に参加し、その都度、自分とは対称的に戦果を上げてゆく妹を横目に見、そして。
炎を上げる僚艦を、自身の手で処分する。
 何度見ても慣れることのない、不愉快な記憶。決まって最後は、一つとして本懐を遂げられぬまま、冷たい海の底へと沈んでゆく。

「片割れが帰ってきたのが、そんなに嬉しい?」

 返事をするものはなく、その代わりとでもいうように肌を伝う何かが一際強い力を込め、みしり、と音を立てた。骨が軋む音に表情を歪ませ、背中のコネクタ越しに感じる異物感から息を荒げる。身体と、意識の両方が侵されてゆく感覚が嫌悪感をより一層増し、それに飲み込まれそうになる。
 だが、そうはさせない。口腔に歯を突き立て、抱える腕に十本の爪を食い込ませ、決して気をやらないようにと一人戦う。

「……でもね、アンタは此処で消えるの。艦娘にも、深海棲艦にも、なってやらない」

 どれほどの悪夢をを見ても、どれほど強い憎悪を浴びても。後続が皆記憶と戦って生きているのに、『一人目』である私がそれに負けて良い道理があるか。震える唇を拭い、やっとの思いで口角をにやりとつり上げ、彼女は小さく、しかしはっきり言葉を紡いだ。

「私は、私なんだから」

 刹那、身体全体が力を失い、まるで糸の切れた操り人形のように、五体が艤装に覆いかぶさるように投げ出される。途切れそうになる意識の中で、どうして、と。悲しげな声に問われたような気がした。
 上村、ヴェールヌイ、矢矧の瞳に映っていたのは、主機に触れた京香を一瞬で飲み込む黒い甲殻と、それが歪な、まるで卵や繭の様な球体を作り上げる光景。飲み込まれた少女の声は聞こえず、また、彼らが不安から呼びかけた声も、静かな室内に反響し、やがて何ら反応を引き出すこと無く消える。
 やがて数十分という時間がたったであろうか。痺れを切らした銀髪の少女が砲を片手に一歩、脚を踏み出す。それに気付いて留めようとした上村の視界の端で、甲殻の一部が、からんと音を立てて剥がれ落ちた。

「ヴェル」
「……万が一ということもある、司令官はそこに」

 両手で主砲を構え、一歩、また一歩と近付く。そして数十センチの距離まで近付いた直後、小さく息を吸い、少女は銀髪を揺らし右足を振りぬいた。唖然とする後ろの二人を他所に一メートルほど飛び退き、大きな音を立てて崩れ落ちるそれの様子を伺う。

「お前何やって……!」
「しっ、いいから」
「いいからってお前なあ……」

 呆れたようにヴェールヌイを諌めながらも、その目付きは険しいまま少女と同じ場所を見つめている。無意識に触れた冷たい金属の感触に内心ため息を吐きつつも、彼はそれから手を離そうとしない。
なるべくなら使いたくは無いんだが、と考えた辺りで、薄明かりにその姿が見えた。
 傷だらけの鋼鉄の塊、自らを蝕み続けた艤装の主機をあやすように抱えて、薄紫の髪の少女は眠る。
袖口から覗く腕や、首筋に微かに残る傷跡にヴェールヌイが気づくまで、そう時間は掛からなかった。
 携行武器を拳銃へと持ち替え、慣れた手付きで呼吸や脈拍を調べる。そして、少しの間を置いて、少女はゆっくりと首を左右に振った。それに対して態とらしく大きな舌打ちを返し、男は煙草を懐から取り出して一つ口に咥える。

「……火寄越せ」
「……」
「提督」

 こつん、と砲を伝わる感触。

「ヴェル」

 背後から突き刺すような視線に怯み、少女は悩み、そして。

 ぱん、と乾いた音が一つ、静かな部屋に響いた。



[40522] 追編二十三話(第三十二話)
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2015/10/07 02:40
 積もっていた雪の隙間から草花が芽吹く。肌を刺す日の光に目を細め、それから逃げるように、少女は先ほど自らが出てきた建物へと視線を向けた。ぼんやりと外壁を眺めていると、不意に背後から壮年の男性に声を掛けられる。
声のする方へと振り返ってみれば、よく手入れされたスーツ姿の、彫りの深い顔立ちの男が二、三メートルほど離れた位置からこちらを呼んでいた。

「すみません。第五艦娘駐屯地、というのはこちらでお間違いないですか?」
「そうだけど、アンタは?」
「申し遅れました、私はこういう者でして。華見京香様の代理の天龍様ですね」

 男に手渡された名刺とその穏やかな笑みを見比べ、ああ、と納得したように頷く。

「あー、提督が言ってた写真屋の。すんません、急な注文で」
「軍の方にはお世話になっておりますし、丁度予約もありませんでしたのでお気になさらず」
「そりゃ良かった。事前に注文内容は伝えさせてもらってますけど、哨戒サボる訳にもいかねーってんで三組ほどに分けて撮る形になるんすよ、面倒掛けます」
「ではそのように。雛壇を組ませてからになりますので、準備が済み次第、という形になりますがよろしいですか?」

 男の言葉に肯定の意志を示し、天龍は彼を連れて玄関の扉をくぐる。その途中、男は懐から携帯電話を取り出し、呼び出した電話口の相手に手早く指示を出して再び天龍との会話に戻った。
曰く、部隊設立時や大規模作戦前の集合写真は多く経験したが、作戦完了後というのは珍しい部類に入るだとか、此処第五艦娘駐屯地でも同じように設立時の写真を撮っただとか、その大体は益体もない雑談であった。
 しかし、男の口をついて出てきた疑問に、少女の瞳が曇る。

「しかし司令官不在での撮影というのも珍しいですな。ご用事か何かでしょうか」
「……まあ、そんなトコっす」

 天龍の返事に曖昧な反応を示し、男は案内されるがままに客室へと足を運ぶ。茶菓子を出そうとしているのに気付いてそれを制し、監督者一人だけもてなされている訳にはいかないと笑う。
そして彼は作業をしている人数分の飲み物だけを受け取り、腰を落ち着ける間もなく踵を返した。

「ああ、じゃあコレ組み立てやってる人等の分のジュースです。何か申し訳ないですね、無駄足踏ませちゃったみたいで」

 ばつが悪そうに頭を下げる少女を見、「写真撮影が終わってからお呼ばれしましょう」と人の良い笑みを浮かべる。一言二言会話を交わし、男は荷物を下ろす青年たちの元へと、天龍から預かった袋を提げて小走りに駆けて行った。
 雲ひとつない晴天の下、着々と形作られてゆく雛壇をぼんやりと見つめる。

 集合写真撮影の日。戦闘の音も聞こえなくなりつつあるこの場所に、居るべき司令官の姿は無い。



『貧乏くじの引き方-追編之弐拾参-』



 横須賀湾を抜け、伊豆半島にほど近い海上。西陽を受けてその船体を朱に染める数隻の輸送船と、それを守るように周囲を滑走する十名あまりの艦娘達。その先頭に立っていた横須賀本隊所属の少女は小さく声を上げた。

「時雨ちゃん、前方に艦影、第五駐屯地の艦娘っぽい?」
「んー……みたいだね。信号弾発射、反応を見て合流しよう」

 言いながら時雨と呼ばれた黒髪の少女は砲塔を構え、その引き金に指を掛ける。そして、ぐ、と人差し指に力を込めれば白煙を引いて一発の弾丸が空へと昇る。
遠く聞こえた破裂音と色の着いた煙、それに気付いたのか、周囲を警戒するように佇んでいた艦娘達の内一人が他の数人を呼ぶ。
 そして。先ほど時雨がそうしたように、少女は白煙を一つ空へ打ち上げた。

「やっぱり味方っぽい! ……こほん、夕立から各位、第五艦娘駐屯地所属部隊とのランデブーポイントに接近中、周辺の警戒を怠らずこのままバトンタッチするっぽい」
「そういう訳だから、貴艦もこのままの針路を維持して下さい、合流地点で第五駐屯地の部隊に引き渡します」
『了解した。短い区間だがこのままエスコートをよろしく頼む』
「任せてください」

 通信が終了したことを確認し、時雨は少し速度を上げる。先頭を疾走る夕立と幾らかの会話を交わし、彼女と入れ替わるように少女は艦隊の先頭についた。
遠くに見えていた人影に近付くにつれて、その姿がはっきりと形をとる。退屈そうに遠くを眺めているおさげの少女、『軽巡洋艦北上』と、こちらに視線を向け大きく腕を振る茶色い長髪の少女『軽巡洋艦球磨』が数名の駆逐艦艦娘を引き連れて海上に出ていた。

「お、来たクマね。こっちだクマー」
「球磨さん、お待たせしました。ええと、北上さんもご苦労さまです」
「んー、お疲れ。目的地までの航路も確認済みだから帰っていーよ」

 にこやかに二人に話しかける球磨と対象的に、やる気のない表情を崩さないままおざなりに対応する北上。いつものことだが、とは思いつつも時雨はつい苦笑いを浮かべてしまう。
大袈裟に悲しむような振りを見せて面倒くさがりな先輩に纏わり付く姉妹艦を、少女はやれやれと肩を竦めて眺めていた。

「北上さん相変わらず冷たいっぽーい」
「あたしあんまりウザいの好きじゃないんだよねー、ってくっつくなっての」
「ぽーいー!」
「それで、そっちの状態はどうクマ?」

 もつれ合う二人をそこそこに流し、長髪を翻して船団の先頭に位置する船に向けて手を振り返答を促す。足がそれ程速くないという特性上、接触時に速度を落としたものの停止すること無く彼女らは話を続ける。
数秒ほどの間をおいて、耳に着けた通信機器から男の声が聞こえてきた。

『ここまでの区間では戦闘もなく、機関、精密機器共に異常なしだ。駆逐艦ほどの速度は出ないが尻尾を巻いて逃げるくらいは出来る』
「それは上等クマ。まあ逃げる必要が無いのが一番良いクマねー」
『違いない。次は三河湾の中継地点だったかな、そこまでの護衛をよろしく頼む』
「で、段取りなんだけど。あたし達は三河湾で現地の引き継ぎ要員と交代、その後は普通に帰還していいんだよね」
『ああ、我々はその後瀬戸内海入り口で三隊に別れそれぞれ別の工廠へと向かう』

 その言葉に、球磨がふと足を止めそうになる。何事か、と視線を向けた北上に何でもないと返し、再び速度を上げた。そうしている内に、時雨達の担当区域の端へと近付いてゆく。
彼女らが守るのは前線への物資を運ぶ部隊ではなく、少女等をより強力な艦娘たらしめるための試作兵器を運ぶ部隊である。
それがどういう意味を示すのかは分かっていたし、もし運んでいる試作兵器が上手く機能するようであれば、後々自らの命を助ける糧になるということも理解はしていた。
 しかし、だからといって『人の身を得たにも関わらず、兵器として先鋭化されてゆくであろう自分』を気分よく迎えられるかと言われると、球磨個人としては甚だ微妙なところでもあった。

「ほら、ここからは球磨達の担当クマよ、出す物出して早く帰還するクマ」
「ええと、これが指令書の控えです。非常時のために各艦にも保管してますが、交代の方にはこちらを渡すようにして下さい」
「ん、了解したクマ」
「ありがとねー」
「北上さん夕立の時と態度違うっぽい!」

 頬を膨らませてあからさまに怒りをアピールする夕立に対して「時雨はウザくないからねえ」などと嘯きながら、少女はへらへらと笑う。そして、毎度飽くことのない戯言を交わし、彼女らはいつもの様に別れ、それぞれの任務へと戻るのだ。
何時また、行動を共にする顔ぶれが変わるとも知れない。今はそういった戦況ではないだけ大分マシだ、と頭の端で考え、北上は小さく肩を竦め外れかけた隊列に戻る。

「そういや球磨姉さー、伊豆の時に出た陸棲型の話って何処まで聞いた?」
「『鬼』『姫』級の話しクマ? 今までの海上型に比べて悪知恵が回るって話は聞いてるクマ。あとはその中に『生産拠点としての役割を担う個体が居る』事位クマね」

 球磨が平然と語る言葉に露骨に眉をひそめ、北上はわざとらしいため息を吐く。駆除から戦争に変わるのは流石に勘弁して欲しいと呟いた言葉に、同じようにため息を吐いて少女は同意を示した。
静かな海の上を、波を切って彼女らは疾走る。
何時になれば、深海棲艦との戦いは終わったと言えるようになるのだろうか、そんな益体もない事を考えながら。

「……しかし、提督が戦線離脱というのも難儀なものクマ、もう一週間以上経ってるクマよ」
「あー、通り魔、だっけ。横須賀に搬送されたんだよね確か」
「クマ。指揮官不在というのは結構辛い所があるし、どう転ぶにしろ早い段階で情報は欲しい所クマね」

 跳ねる飛沫を気に掛けることもなく、ただ正面を見据えたまま少女は呟く。その言葉の意味する所を捉えかね、問いかけてはみたものの、球磨は仏頂面を崩さず、返事らしい返事をすることもなかった。
あえてそれ以上踏み込むこともなく、北上も姉と同じように正面に視線を向け、その後周囲を警戒するように視線を彷徨わせる。交代要員との合流地点までは、まだ遠い。



「長門さん、俺等で最後だってよ」
「そうか」

 食堂で湯呑みを片手にくつろいでいた長門の隣で天龍が立ち止まる。空になったジュースの缶を弄びながら、何やら判然としない様子の長門を見て首を傾げる。

「どうしたんすか?」
「いや、明石の姿を見ていないと思ってな」
「ああ、帰ってきた様子もありませんし、まだ向こうに付き添ってんじゃないですかね」
「……にしては遅くないか」

 確かに、と考え思考を巡らせる。やがて少女が思い至った予想を口にしてみるが、それにも長門は納得がいかない、という反応を見せる。であれば、と考えた所で正確な状況を知る訳でもない二人が真相に辿り着ける事もなく、まさしく右往左往、といった様子で推論を続ける。
やがてそれにも飽きが来たのか、天龍は小さく欠伸をして手にしていた缶を小さく潰した。

「俺は解剖、というか死因とかの調査、って線だと思うんすけどね。アレが提督だけって事は幾らなんでもないでしょうし」
「それならこちらに正式な死亡の通達と交代要員の辞令を寄越すのが先だろう」
「まあそれもそうなんですが……とにかく他の連中は集合かけてるんで、先写真済ませちまいましょうか」
「……それもそうだな」

 二人連れ立って席を離れ、湯呑みを返却口へ返しそのまま出入り口の方へと歩いてゆく。途中天龍が放り投げた空き缶は、からん、と小気味よい音を立ててゴミ箱へと吸い込まれていった。
 途切れ途切れに他愛もない話をし、写真を撮り終えたらしい少女らと会話を交わし、やがて夕焼けに染まる赤煉瓦の壁を背にして立ち止まる。
眼前にあるのは、夕日を受けて煌めく雛壇と、それを狙うようにレンズを向けるカメラ。三脚に載せられたそれを見、二人は既に集合していた面々に視線を移す。
 思い思いに話をし、時折笑顔を浮かべる少女等に自然と頬が緩んだ。

「お待たせしました、すんません」
「天龍さん、と、そちらの方は?」
「彼女と同じく艦娘の長門と言う。貴方が撮影業者の方か、今日は宜しくお願いする」
「いえいえ、こちらこそよろしくお願いします。それで、撮影に参加されるのはこちらの方々で最後、ということでお間違い御座いませんでしょうか?」

 カメラの手入れをしながら周囲の青年たちに指示を出していた男を呼び止め、二人は小さく頭を下げた。にこやかに笑う男に答えながら、天龍は改めて待機している少女らの顔ぶれを確認してゆく。長門と二人、ポケットから取り出したメモ帳と艦娘の顔とを見比べ、一つ一つその名前にチェックを付けていった結果、最終的に全員の名前がそこから消えた。

「ああ、これで全員っすね。提督はさっき言った通り留守にしてるんで、また適当なタイミングでお願いすると思います」
「そうですか」

 そうして適当に段取りの確認をし、天龍と長門の二人は集合している面々に対して声をかけ始める。背丈の低い者を前に、そうでないものを壇上に上げる形で指示を出し、やがてその場に居たほぼ全員が雛壇に並び立つ。こうしていると艦隊と言うよりは完全に学生のそれだな、と笑う長門にそうですねと笑顔を見せ、眼帯の少女は男の方へと視線を向ける。

「さて、こんな感じでどうですかね?」
「ええと、赤城さんと金剛さんのお二人に入れ替わって頂いて……あとは全体的に半歩中央側に寄って貰って、ですね」
「だってさ、赤城さん金剛さんお願いしまーす」
「中央より、となると……全員もう半歩内側に寄ってくれ、叢雲が丁度センターに居るから合わせろ」

 男の指示に倣って調整を進める。十数分ほど経過した頃、男が頷くのを確認したところで二人はカメラの傍を離れて歩き始めた。後ろに聞こえる車輪の軋む音に気付くこと無く。
 そして、誰ともなく上げた声に反応して少女らの足が止まる。こちらを、正確に言えば二人の背後を見る者達の表情に共通していたのは驚き。そして、呆然としている数人の眼を、涙に瞳を潤ませる叢雲の姿を見て、少女らは慌てて背後を振り返った。そこに居るであろう彼女の姿を求めて。

「……明石」
「お疲れ様です。これから写真を撮る所だったんですね、丁度よかった」
「明石さん、それは……」

 それ、と言われて少女は自身が押す車椅子に視線を落とす。その瞳に映るのは、安らかな寝顔を浮かべ、力なく背もたれに身体を預ける一人の少女。どうして、と言いたげな二人の視線に、明石は声を潜めて答える。連れて帰ってきた、と。
訳も分からず天龍はその肩を引き寄せた。何故これほど時間が掛かったのか、そして、機密を抱えているであろう遺体を感傷で連れ帰るなど出来るのか、と続けて問う。

 それに対する答えは、思わぬところから発せられた。

「死に損なったから、かしらね」



[40522] 追編二十四話(第三十三話)
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2015/12/05 01:05
 天龍、長門の二人は、声の主をただただ見つめるしか出来なかった。金剛を含めた彼女ら四人は、京香が二度と目を覚ます事がないと知っていたのだから。事実、三特艦の面々が回収しに来た時点では血の気も引いており、その肌は冷たく、そしてその心臓は動いてはいなかった。

「……どういう冗談だよ」

 そう。端的に言って冗談としか思えないし、彼女の死を知る者からすれば悪夢と表現しても差し支えがないのだ。なのに、今こうして彼女は目を見開き、恐らく自身の意志で口を開いている。自嘲気味に笑うその声は、紛れも無く華見京香そのものなのである。
 口をついて出そうになる言葉を飲み込み、長門は大きく深呼吸をする。彼女が本物であるにしろ、三特艦あたりが『代理』として寄越した偽物であるにしろ、今この場で『華見京香の死』について声を荒げる訳にはいかないのだから。

「私に聞かれても、ね」
「……今問い詰める気は無いが、一つだけ聞かせてもらうぞ」

 長門の言葉に、ぴくりと眉を釣り上げる。怪訝な表情を見せる明石と京香の二人に視線を向け、顔を寄せて彼女は問いかけた。「お前は本当に華見京香なのか」と。
その問いに絶句する明石と、顔を俯ける京香と、目を細めたままの長門。その三人の様子を眺めていた天龍の耳に、小さなため息と、微かに動揺が伺える声が聞こえてくる。

「私は、私自身を本物だと思ってる。証拠らしい証拠もないし、それ以上の返事は悪いけど出来ないわ」
「……少なくとも、貴方は私が知っている提督のようだな。妙なことを聞いて済まなかった」
「そう持ち上げられても何も出ないわよ」

 ふ、と頬を緩ませ笑い合う二人に呆れたような視線を向け、天龍はわざとらしく肩をすくめた。それに気付いた明石と目を見合わせ、互いに乾いた笑みを浮かべる。そしてどちらともなく、他の皆を待たせるのは良くない、と京香の車椅子に手を掛け少女らの並ぶ雛壇へと押して歩いてゆく。
雪に細い轍を残し、ぎいぎいと軋む車輪の音を聞きながら、四人は進んだ。

「良く、お戻りになられました」
「全くです。制海権を確保したからといって無断で一週間強の休暇などされては、艦隊の子達に示しがつきません」
「あー、うん。流石にこれまで通りとは行かないけど、早い内に指揮に戻れるようにするから。赤城、加賀、もう少しだけ面倒掛けるけどごめんね」

 ばつの悪い表情を浮かべる少女にとんでもないと笑い返し、赤城はそのまま列に並ぶよう促す。他の艦娘等の反対も無かったため、明石はそのまま列の端に車椅子を停めて自身もその後ろで立ち止まった。直後、それを見ていた天龍が小さく吹き出す。
 曰く、提督が端っこに追いやられてちゃ様にならないだの、指揮官たるもの中央でどーんと構えて居るべきだ、などといった理由を述べてはいたが、要するに明石があまりにも自然に提督の車椅子を隅に押して行ったことが可笑しくて仕方なかったらしい。
呆れてものも言えん、といった調子でその後頭部をはたく長門や、天龍の言葉に同感だったのか叢雲の隣を勧める何名かの少女に気圧され、明石はやむなくといった調子で再び車椅子を押し始めた。インフルエンザなどで長期休養したあと登校する小中学生もこういう気分なのだろうな、とされるがままの京香共々下らない事を考えながら。

「……遅かったわね」
「一週間ちょっとでしょ、それより私のいない間に変なことしてないでしょうね」
「するわけ無いじゃない」

 ならいいけど、とお決まりの会話を交わし、二人は揃って正面へと向き直る。視線の先にはにこやかな笑みを浮かべ彼女らの準備が済むのを待つ男と、少女達の姿を残すためこちらに眼を向ける三脚に取り付けられたカメラ。
 少女の呼びかけに応じて、男は声を上げる。フレームに入る少女達はそれぞれに居住まいを正し、視線を一所へと向けてシャッターが切れる音を聞いていた。



『貧乏くじの引き方-追編之弐拾肆-』



「んじゃ、後はよろしく頼んます」
「はい。全員分の現像、という形になると数日ほど時間を頂きますがご了承下さい」
「あー、構いませんよ。取り敢えず揃い次第連絡くれりゃ取りに行かせますんで」

 全ての撮影が滞り無く終わり、雛壇や機材の撤去を始めている集団をよそに、天龍が男を呼び止める。メモ帳とペンを手に幾つかの事務連絡を済ませ、双方そこそこに礼を交わして数分の後二人は別れた。男を見送り、だんだんと姿を消してゆく雛壇を眺めながら、少女は小さくため息を吐いて大きな木に背中を預ける。
既に集合写真に参加していた艦娘達は思い思いにその場を離れ、幾つかのグループは営内へと入っていってしまっている。

「お疲れ、天龍」
「お疲れ様です。明石さんと提督は?」

 いつの間にやら近くを通り掛かった長門に声を掛けられ、同行しているものだと思っていた者達の姿を目で探す。その仕草に思い当たる所もあったのか、彼女は天龍と同じようにその幹に身体を預ける。

「ああ、あの二人なら営内だよ。何人かの艦娘に連れられてな」
「……大丈夫なんすか?」
「……大丈夫だろう」

 不安げな表情を浮かべる天龍に笑い返し、仕切っているのは金剛だと彼女は言う。その言葉を受け、なるほど、と天龍の顔色が変わった。彼女の性格からしても天龍が懸念しているようなことは起こらないだろうし、明石も付いている以上はそこまで迂闊な発言も飛び出さないだろう、と少女は考えた。

「それで、犯人は捕まりましたの? 艦娘だけならまだしも、紫子さんなどもおりますし……やはり不安ですわ」

 そして、長門らの考え通りとまでは行かずとも、京香、明石の二人とそれを囲む少女らの空気はある程度穏やかなものではあった。

「ああ、その点は大丈夫です。提督の怪我のあと徘徊している所を捕らえたと連絡がありましたし、大凡の容疑を認めているとの事です。証拠もある上、何より死者も出ていますから……厳罰が下ると思いますよ」
「……まあ、それなら良いのですけれど」
「しかし提督も災難でしたね、明石さんの迎えに出た先で通り魔と鉢合わせとは」
「あっはは。貧乏くじは引き慣れてる方だけど、流石に今回は焦ったわ」

 同じ死ぬ思いをするなら出撃中の方がまだ死に切れる、と苦笑いを浮かべる京香と、複雑そうに合わせて笑う明石。その意味を知っているが故に金剛も微妙な表情になるが、熊野の問いかけるような視線に何でもないデス、と強張った声が口から出た。
 そして、それを態々問い詰めるほど無神経でもなければ、少女はそこまでの興味を華見京香個人に持ち合わせてはいなかった。こちらを見つめる視線から目を逸らし、熊野は首をゆっくりと振る。

「……鈴谷のことも、暁達のこともあります。なるべく早くに戦線へ復帰できるよう努めて下さい」
「……急に耳が痛くなってきたわね」
「そのような使い方をするの慣用句ではないですわよ。それに、何か言いたいことがあるようですけれど」

 私に伝言を頼むより、自分で直接伝えた方がきっと早い、そう微笑んで重い腰を上げる。思わず引き止めた明石に「用事がある」と返し、少女は一足先に輪の中から姿を消した。それを見送り、少女らは再び取り留めのない話に花を咲かせる。
やれ手術を受けたのか、犯人の顔は見たか、横須賀の医療機関に行っていたと聞いたがそこの居心地はどうだったのかなど、キリのない質問に答えつつも京香達の表情には少しずつ疲れの色が見え始めてくる。
 ある一面では十代の少女に近い感覚を持つ艦娘達が、人間のそれのように野次馬根性を見せるのも当然といえば当然であるのだが、複数名に同時に迫られるのは勘弁してくれと言いたいのが本音であった。

「ったく、そろそろ解散しろ解散」

 呆れたような声が、輪の外からため息とともに聞こえてくる。振り返ってみると天龍ともう一人、京香と同じ色の髪をした軍服の少女が並んでいた。

「クソ提督も病み上がりで疲れてるだろうし休ませてあげなさいよ、話なら明日明後日でも聞けるでしょ?」
「そーゆーこった。急ぎの話あるし提督借りてくぜ」
「実莉、病み上がりにいきなり仕事の話とかはちょっと遠慮したいんだけど、どうなのその辺」

 助けを求めるように明石や金剛に視線を向ければ、溜まっていた分やらなきゃいけませんからね、などと苦笑いを浮かべて首を振るばかり。やがて抵抗もむなしく、車椅子ごと少女は連れて行かれてしまった。
見送る二人は、片手を上げて歩いてきた長門と三人揃って、他の艦娘や京香達とは別の方向へと歩いてゆく。人気の無い廊下を抜け、三人きりの私室で思い思いに腰を落ち着ける。沈黙を最初に破ったのは長門であった。

「……で、どういう事なんだ」
「明石、私達にも聞かせてくれマスか?」
「……彼女は、確かに華見京香である事に間違いはありません」

 夕日に染まる顔を俯け、明石は口を開く。

「ですが、生命活動を停止し、深海棲艦化の進行も認められない今のあの人を何と呼べば良いのかは、私にも分かりません」
「待て、生命活動を停止しているならアレは何なんだ? 何故彼女は当たり前のように口を利くことが出来る?」
「仮定の話になってしまいますが、今の彼女は艤装のコアを取り込み、それを心臓代わりとして活動をしている状態だと思われます。見ようによっては、より『艦娘そのもの』へと近付いたと言って良いのかもしれませんね」

 淡々と語られた言葉を聞き、金剛の歯がぎり、と軋む。一縷の望みを掛けて吐き出された問い掛けは、呆気無く潰えてしまった。

「では、テートクは元には……」
「もう、人としての彼女は死んだんです。今はコアのおかげでああしていられますが、これから回復するかどうかも、何時また進行が始まるかも……いつ『最後』の死を迎えるかも分からないのが正直な所ですね」
「……やれやれ、三特艦は私達に不発弾の処理をしろ、とでも言うつもりか」

 ため息とともに吐き出された長門の言葉を受け、少女はゆっくりと首を振る。そして、確固とした意志を湛えた双眸が長門を射抜いた。

「いいえ。処理をするのは、私一人です」



 執務室。京香が不在の間も実莉や大淀の出入りがあり、代行であった叢雲の手入れもあって室内は埃もなく、よく片付けられている。車椅子を押して入る天龍と、それについて室内に足を踏み入れる実莉。室内をぐるりと見回し、少女は後ろ手に扉に鍵を掛けた。

「片付いてるわね」
「そりゃまあ、大淀さんや叢雲がきっちりやってたからな。それに、コイツも手伝ってたしよ」
「……それが仕事なんだから、当然よ」

 ふん、と鼻を鳴らす実莉に視線を向け、京香は小さく笑う。

「そっか、ありがとね」
「礼ならアンタの不在を預かってた二人に言いなさいよ、クソ提督」
「……それもそうね」

 執務机の傍に置かれたままの、使用者のいない椅子を片付けて天龍は車椅子をその場に寄せる。少しばかり机が高いか、と背筋を伸ばす京香を待ち、二人はその正面に並び立った。
こほん、と一つ咳払いして彼女は口を開く。突然鎮守府を空けたことに対する謝罪と、急な事態にもかかわらず艦隊そのものを瓦解させることなく維持してくれた事への礼。
 照れ臭そうに頬を掻く天龍と、当然のことだと言わんばかりに鼻を鳴らす実莉。そして、それを微笑んで見ていた京香は、直ぐに表情を引き締めて小さく息を吸い込んだ。

「天龍、急ぎの用事って言ってたけど」
「……ああ」
「私の身体の事、で良いのかしら」

 神妙な面持ちで頷く天龍を見、実莉は眉をひそめる。ただ通り魔に襲われただけなのに、何故そんな表情をするのか、と。その疑問に対する答えは直ぐに京香の口から語られる。

「今の私は、艦娘『曙』の艤装……そのコアを心臓代わりにする事で生きてる。心臓はもう動かないし、こっちがダメになったらホントにお別れ、って事になるわね」
「……そっか」
「何、それ」
「ごめんね、致命傷だったみたいでさ」
「残り時間は?」

 天龍の問い掛けに、分からない、とゆっくり首を振る。何処か諦めたような表情を浮かべる少女等を見る『曙』の視線は、酷く哀しげなものだった。

「……アンタの勝手で家族にされて、付けてもらった名前にやっと慣れたと思ったらいきなり居なくなって、帰ってきて始めにするのがいつ死ぬか分からない体になったって、何なのよそれ」
「……だから、ごめんって言ってるじゃない」
「謝って済む話じゃ……!」
「その辺にしといてやれよ。……コレばっかりはどうしようもねーんだ」

 俯く曙の頭をぽんぽんと撫で、自分自身にも言い聞かせるように優しく口を開く天龍を見、すっと目を細める。残された時間がどれほどであろうとも、可能な限りはこの子の家族で居てあげようと。そう考えた京香の右手、その小指辺りに軽く爪を立てたような痛みが走る。
 ふと机に置いていた手を見てみれば、どこかで見たことのある、だが、彼女の知識には無い妖精の姿がそこにはあった。

「アンタ……」

 菫色の長髪をうなじで一つに結い、ミヤコワスレの髪飾りを着けた、何処と無く無愛想な表情の小さな少女。ふと目が合うと、その妖精は居心地悪そうに視線を外し、ぺたん、とそのまま座り込んだ。

「……人のこと言えないけど、随分と未練がましいのね」
「ん? どうした提督」
「なんでもないわ」

 ぎしり、とフレームを軋ませ背もたれに身体を預け、どうせならこのまま引き継ぎも済ませておきたい、と二人に伝える。妖精が見えていないのか、独り言に疑問符を浮かべながらも天龍は実莉を連れて部屋を退出した。一人きりの執務室、視界の端に映る悪夢に眉をひそめ、大きく息を吐き出す。

 叢雲達が来るまでの間、少し休憩でもしようか。そう軽く考え、彼女はゆっくりと瞳を閉じた。



[40522] 追編最終話(第三十六話)
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2016/02/02 00:17
 第五艦娘駐屯地。かつて彼女が身分を隠し在籍していたその地へと、京香を連れて帰還する前日の事。明石は、直属の上官である上村に呼び出され、一人司令官室の扉の前に佇んでいた。
 人気のない廊下を見渡し、誰も居ないことを確認して大きく深呼吸をし、呼吸を整える。誰かに見られて困る、という訳ではないのだが、彼女はこの瞬間が大の苦手であった。呼び出しを受ける、という行為に慣れていないこともあり、緊張からか高鳴る胸を落ち着けて、やがて手の甲を二つ、扉へと打ち付けた。

「工作艦明石、入ります」

 おう、と短い返事を受け一呼吸置いてドアノブに手を掛ける。ぐ、と力を込めてそれを捻り足を踏み入れれば、そこには見知った顔の男が一人、退屈そうに背もたれに体を預け書類の山と睨み合っていた。
相変わらずのようだ、と小さく息をつき、扉の直ぐ側で敬礼。直ぐに男も形式張った礼を返し、砕けた口調で明石にソファにでも座るよう促す。
逆らう理由もなかったためそれに従い、柔らかな感触に緊張が解けたところを待っていたのか、ぎしりと音を鳴らし男は居住まいを少々正した。

「先ずは、今回の任務お疲れさん。色々不測の事態もあったが、結果はまあ知っての通りだ。お前さんが集めた資料は船酔いについてもだが、華見中佐の件に関しても有為な情報になるとだろうよ」
「有難うございます。それで、私が呼ばれた理由は……」
「……まあそう急ぐなよ。嬢ちゃんが目を覚ました後の事はまだ知らんだろ、今後の処遇も含めて大体纏まったからそっちが先だ」

 男の言葉を聞いた明石の片眉が、歪に吊り上がった。



『貧乏くじの引き方-追編之終-』



「提督……いえ、華見中佐の容態は」
「今のところは安定してる、という感じだな。呼吸器系、消化器系、感覚系には異常なし」

 ただ、と一言付け加えて男は資料片手に話を続ける。
本人の意向もあったとはいえ、基部の除去を急いだ結果下半身の神経系に損傷が認められた。そのため障害が出ており、治るかは分からないと。それが、彼女が足掻いた結果得られたものだと、上村はため息混じりに呟いた。

「まあリハビリをしつつ様子を見てみんことにはなんとも言えん、ってのがウチの医療班の見解だ。それ以外は健康そのものだとよ」
「そう、ですか。……ですが」
「その割には浮かない顔をしている、か?」

 続く科白を先んじられ、明石はう、と言葉を詰まらせる。やがて不機嫌そうに頷いた少女を見、彼は先程よりも明らかに大きなため息を吐いた。
背もたれを軋ませ、なにか信じられないものでも見たかのように天を仰ぐ。一体どんな理由があるのか、と身構えた明石に突き付けられたのは、彼女が想定していた最悪よりも、一回りか二回りは異常な内容であった。

「……心臓がねえんだ」
「……は?」
「口の利き方がなっちゃいないな。ま、そういうリアクションも想定の内、だが」

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔でこちらを見つめる明石を意に介することもなく、上村は淡々と続ける。

「MRIを使った検査の結果、心臓があった位置は空洞になってることが判明。その代わり、と言ってはなんだが艦娘を建造する際使用されているコアに酷似した何かが収まってたんだと」
「それって、どういう……」
「俺に聞かれても知らんし、研究チームも見た事ねえ現象なんだから何とも言えんよ。恐らく『艤装側にあったコアをそのまま心臓代わりとして奪い取った』ってとこだ」
「そんな話聞いたこともありませんよ。それにコアを奪ったのが事実だとしたら、あの時回収した艤装はどうなったんですか?」
「あー、それな」

 身を乗り出して問いかける明石。上村は乾いた喉にコーヒーを通し、一呼吸の後「解体した」と平然と口走った。そして、少女が一足飛びに執務机に詰め寄ったのも言うまでもない。両手を天板に叩きつけ、彼女は声の限り叫んだ。

「なっ、なんて事をしたんですか!? あれはペアリングの解除すら出来ていなかったのに!!」
「ああ、そういやお前さん、嬢ちゃん連れて来てからずっと寝込んでたんだっけか」
「そうですが、それが?」
「……あの艤装なんだがな、嬢ちゃんが接触した後調べてみたら、コアを含めたブラックボックス部分がすっからかんになってたんだわ」

 ぽかん、と開けられた口をやっとの事で閉じ、恐る恐るといった様子で問いかける。男の放った言葉が、何かの聞き間違いであることを祈って。

「え……あの、それってつまり」
「ただの機械部品の塊になってた、って事だな。念の為調べてはみたが、結局ペアリングもクソもねえってんでウチの連中の装備に回せるもんは回しちまったよ」
「……本当に大丈夫なんですか?」
「多分、な。中身が無い、動作しないときてる以上そのままは使えんし、少なくとも本人と繋がってない事は確認済みなんだ。鋼鉄と電子部品の集合体をバラす以上の意味はないだろ」

 そう言って男は再び背もたれに身体を預ける。未だ釈然としない様子の明石を一瞥し、引き出しから一組の書類の束を取り出す。
辞令、と簡潔に書かれた表題と、そこから下に続く文章。その内容を一通り検め、少女に向けてついとそれを突き出す。

「? なんですかこれ」
「お前さんが聞きたがってた『理由』だよ」

 なるほど、と腑に落ちたように呟いて紙束の向きを直し、彼女の表情は凍りつく。そこに書かれていた内容を反芻する間もなく、目の前の男が『明石を読んだ理由』を高らかに読み上げた。

「工作艦明石、貴官は本日付けで第三特殊艦娘部隊を除籍とする。横須賀第五艦娘駐屯地への『正式』な異動命令だな」
「それでは、華見中佐の件は」
「お役御免だ。今後の調査研究はこっちで行う」
「でも、私には責任が……」
「結果はどうあれ、お前さんは任務を遂行したんだ。もう責任は果たしたろ」
「ですが……!」
「決定事項だ。覆らんよ」

 男の表情が険しくなる。その鋭い視線に気圧され、続く言葉を聞く。反論らしい反論は全くと言っていいほど出来ず、明石はそのまま上村の口から今後の身の振り方を聞かされるのみであった。彼の確認にも大きな反応を見せず、形だけの敬礼を済ませてふらふらと部屋を後にする明石の背中に掛けられた一言。
 その内容を噛み締めていたのか、暫くの間を経て少女は首を小さく横に振り、それまでよりは幾らか落ち着いた足取りで扉の向こうへと姿を消した。
静かになった部屋で一人煙草を取り出し、マッチに火をつける。咥えたそれに手を添え、先端に赤い火が灯った所で、こんこん、と扉を叩く音。

「入れ」
「失礼します」

 抑揚のない声とともに扉を開けて入ってきたのは艦娘不知火。扉の閉まる音以外聞こえないことを訝しみ視線を上げると、非常に不機嫌そうな視線が男を、そして彼の持つ書類を射抜くのが見えた。そして少女の腕には一束の書類が抱えられている。
おおかた、明石、華見京香両名の処遇について思うところがあるのだろう。そう考え再び視線を書類に落とすのを見てか、少女はつかつかと男の居る机の傍まで近づいてきた。

「司令。一体どういうおつもりですか」
「藪から棒になんだ一体」
「言わなくては分かりませんか?」
「……嬢ちゃんの事なら『現時点での脅威レベルはゼロ、コアに生命維持以上の機能は認められず、艤装に関しても深海棲艦化の恐れは無い』って事は少なくとも判明した筈だがね」
「……それは、今現在に限った話です」

 そう言った少女の眉間の皺が一層深くなる。しかしそれに対してさしたる反応も見せず、ただ決定事項だと断ずる男の耳に、一際大きなため息が聞こえてきた。

「そうは言うがな。今後の安全を保証できないからって、あの二人を此処にいつまでも置いとく気か? そりゃあ三笠の耳には入ってるだろうが、他の連中にどう説明する」
「それは……」
「嬢ちゃんの件については公に出来ない事情が多すぎる。それに彼処が曲者揃いなのは知ってんだろ? 『深海棲艦化を目の当たりにした司令官から恐れられ異動させられた戦艦』『船酔いで記憶を失った元重巡洋艦』『味方殺しが原因で艤装を使えなくなった駆逐艦』『元深海棲艦かつ、営内での私闘が原因で解体処分を受けた駆逐艦』そんで挙句の果てには『先の伊豆諸島奪還作戦で味方艦隊に少なからず打撃を与えたレ級の中身』だ」

 お前、あんな所に普通の人間寄越してまともに指揮官が務まると思うか? そう問いかける男の声は冷たく、感情の色は何も見えない。不知火が何も言い返せないのを確認したか、彼は続けて口を開く。それなりの指揮が出来、諸々の事情を知っていて、尚且つ口が固く、更に言うなれば三特艦や三笠、華見中将ら艦娘配備推進派に近過ぎない者。
 華見京香を外すのであれば、以上の条件を全て満たす必要があると。

「そんな訳で、現状一番マシであろう選択肢は『非常連絡手段を持たせて嬢ちゃんと明石を第五艦娘駐屯地へ送り返すこと』だ。代案が無いならその書類見せろ、仕事すんぞ仕事」
「……司令がそれでいいなら、どうぞ。大島の部隊が先の戦闘で回収していた陸棲型及び、漂着した深海棲艦の残骸に関しての経過報告です」
「ほー。で、詳細は?」

 受け取った書類に視線を走らせる男と合わせるように、少女はつらつらと詳細を読み上げる。ひとつ、耐衝撃実験の結果、少なくとも小銃程度では貫通させることは出来ず、効果的な打撃を与えるには重量級の火器が必要となること。ひとつ、駆逐級など大多数の深海棲艦と同様に、炭素質の外殻が殆どであること。ひとつ、今回の戦闘跡の調査で新たに、直径およそ四十センチ程度の歪な球形の物を発見したとのこと。

「おいおい……そりゃ卵かなんかじゃねえのか」
「その可能性を警戒し、現在は凍結処理の上、保護ケースに保管し二十四時間体制での監視を継続中との事です」
「なるほどね……で、肝心の中身に関してはいまだ不明、と。警戒はそのまま厳重に行うよう伝えておけ。安全が確認出来次第本土の研究班に回すが、最悪の場合研究は打ち切って破壊も視野に入れろってな」
「了解です」

 一際大きなため息を吐き、彼は背もたれを強く鳴らした。



「お疲れ様です、提督」
「ありがと、大淀。それで、私が居ない間はどうだった?」

 そして時は移り、第五艦娘駐屯地執務室。執務机を挟んだ京香の向かい側には、天龍らを介して呼び出された事務担当の艦娘『大淀』と、提督代理としてつい先日まで京香の居る場所に座っていた叢雲の二人が佇んでいる。
 少しの沈黙の後、京香の問い掛けに答えるように大淀は小さく首を傾げた。

「世は全て事もなし、ですかね。大きな戦闘やトラブルもなく、ここ数日ではごく小規模の遭遇戦があった程度です。報告書はこちらに」
「軽傷者が数名出た程度で艤装、艦娘共に損害は軽微、ね。他は?」
「代行権限で片付くことは大体やってあるわ。京香の承認が必要なのはそこの緑のファイル、赤い方が処理済みの分よ。……あとこれ、今日帰ってくる予定の子達が参加してる輸送作戦の概要書」

 アンタが前に言ってた改修関係じゃないの? と言いながら叢雲は一束の書類を差し出す。強襲型艤装輸送作戦、と銘打たれた一枚目を捲り、数十行もの概要に目を通す。端的に言えば、既に前線に投入されつつある改二型の戦闘記録を基に、特に損害が大きくなるとみられる近接戦闘、遭遇戦に対応するための能力を付与しようというものであるらしい。
既に改二化されている金剛型や川内型にも改修案が出ており、試験機が完成している数機を関西以南の主要基地へと移送するのが今作戦の目的であり、その護衛の為に幾つかの駐屯地、鎮守府から護衛艦隊を出した、との事だという。

「近接対応、ねえ。何処も考えることは一緒か」
「……確かに、共有されている戦闘記録を見る限りでも、接近を許した際の対抗手段不足は艦娘の負傷、轟沈などの直接的要因として一定の割合を示しています」
「それはそうなんだけど、私としては諸手を上げて賛成、という訳にも行かないのが難儀なところね」
「というと?」

 そう問いかけはするものの、理由を察しているのか大淀の言葉に疑問の色はなく、むしろ話の続きを促すような声色すらある。それに気付いているのか、コホンと一つ咳払いをして京香は続けた。

「確かに、不意の接近を許してしまった際の対策は必要だと思う。空母系の艤装適応の子達は特に自衛もままならない事が多いしね」
「まあ、確かに……」
「かと言って、そこそこの切れ味と強度を持ってる刀や槍なんかをぽんと渡して『もしもの時はコレで身を守ってね』っていうのもちょっと難しいんじゃないかな、って」

 何故? という顔をする叢雲に視線をちらと向け、大淀がその疑問に答える。誰も彼もが貴方のように武道、武術の心得があるわけではない、と。要するに、元々戦闘適正の高いオリジナルや、初期艤装として近接武器を拵えている一部の艦娘を除けば、自衛用の格闘武器を渡した所で大半の艦娘は持て余すのではないか、ということだ。
 現にこの叢雲は、薙刀に変わるまでの間、艤装として用意されていた槍をただの一度も使おうとしなかったのだから。

「刀は特に扱いが難しいし、金剛型みたいに近接対応能力を艤装に直接組み込むなら賛成なんだけど」
「アンタ自分の軍刀もまともに使えないもんねえ」
「……提督?」
「悪かったわね」

 前線に出ない指揮官に武術が要るか、と膨れっ面を晒す京香を見、叢雲と大淀は揃って顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。変わらず不機嫌そうな表情のまま、少女は大袈裟に息を吐き、天井を仰いで口を開いた。

「……それに、私が剣を抜く状況なんて本来あっちゃいけないのよ」
「……それもそうね」
「そう、ですね」
「さて、それじゃあ溜まってるお仕事でも片付けようかしら」

 そう言って大きく伸びをする。その後京香の口から出た、司令官代行を務め上げた事への謝辞を受け、二人は敬礼をして踵を返す。そして、叢雲が前に立ちドアノブに手を掛けた所で、二つノックの音が響き、硬く緊張した様子の声がその向こうから聞こえてきた。

「提督。少し、よろしいでしょうか」



 叢雲と大淀の二人を下がらせ、彼女は少女と机を挟み対面する。どこか申し訳無さそうな表情をしている京香と、険しい顔をしている明石。今この室内には二人以外誰の姿もなかった。

「それで、提督は何処まで……」
「……ほぼ全部、かしらね。自分の心臓が無くなってることも、艤装側にあったコアがその代わりをしてることも」

 そこまで言って、ふと口を噤む。やがて気持ちを落ち着けるように深呼吸をした後、京香は続けた。

「何時炸裂するかも分からない爆弾を抱えてることも」
「……」
「まあ、三特艦の連中が言うには深海棲艦化は認められていないらしいから、単にいつ死ぬか分からない、ってだけかもしれないけどね」
「それは……」

 何を言おうとしたのだろうか。思わず口をついて出た言葉が形をとれず宙に消え、その続きを紡ぐことが出来ないまま少女の瞳が揺れる。いつ死ぬか分からない、という点では戦場に出ている艦娘たちも同じことだと、そのような意図の叱責なのか。それとも、深海棲艦化などもう起こりえない、という根拠に欠ける気休めなのか。
 掛けるべき言葉も思い浮かばず、きゅっと結んだ口を開くこともできないまま、ただ拳を握りしめる。そうしている内、やっとのことで吐き出そうとした言葉を、京香の手が遮った。

「多分、貴方を上村大佐が此処へ戻した理由もなんとなく分かってる。貴方がどんな気持ちでそれを飲んだのかも」
「提督……?」
「……仮に最悪の事態になったとしても、自分一人で背負おうなんて考えないで」
「どうして」
「あの男は明石をそういうつもりで此処に残した訳じゃないわよ、多分ね」

 立場上、艦娘やらを残して自殺しますってわけにもいかないから。そう苦笑いを浮かべ、京香は申し訳ないと頭を下げる。やはり、見透かされているんだ。三特艦を抜ける際に言われた言葉も、明石が長門に対して伝えた意志も、全部。
 あの時明石が口にしたのは、そして全うしようとしたそれは『責任』ではない。『人間』であり『深海棲艦』となろうとしていた華見京香が『最悪の事態を引き起こす前に止める』という任務は、あの時既に終わっていた。その後目を覚ました『それ』は『華見京香』であっても既に『ひと』ではなく、事態の進行とともに彼女の手を離れた以上、既に明石が彼女の生死に責任を保つ必要は無くなっていたのだ。
 『最期の時には、京香の命を今度こそ自身の手で断つ』それは少女の心に残った意地であり、今となっては、ただの我侭に過ぎなかった。

「上村大佐の考えは分かっているつもりです。……ですが、すみません」
「……随分損な役回りね」
「……私も、貧乏くじは引き慣れている方ですから」

 ため息混じりの明石の言葉に、京香は小さく肩を揺らす。

 そして、ぎしり、と車椅子を揺らしその身を乗り出した。

「じゃあ、いい事教えてあげる」
「……なんですか?」
「上手な貧乏くじの引き方。……知ってる?」

 そして『命の残り時間』を知らない彼女は、悪戯っぽい笑みを浮かべてそう呟いた。





「……身に沁みて知っているので結構です」
「……なんでそんな露骨に嫌そうな顔する訳?」
「だって提督の振る舞いから考えたら『上手に自分の負担を減らしつつ貧乏くじを引いて評価を勝ち取ろう』っていうのじゃなくて『最小の手数で大量の貧乏くじを引いて心身ともに酷使しよう』じゃないですか明らかに! 絶対嫌ですお断りします上官命令と言われようとその講釈を聞くわけにはいきません!」
「そこまで言うならその『最小の手数で大量に貧乏くじを引く方法』とやらを教えてやるわ、其処に直りなさい明石!」

 迂闊な一言を口にした少女の額に紅茶のブリキ缶が命中し、すこん、と軽やかな音を立てた。



[40522] 番外之弐-蒼き鋼-【前書き】
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2015/03/02 21:50
追編の途中ではありますが、この辺りでアルペジオコラボネタの外伝など投稿させていただきます。追編優先の更新は変わらず、此方も複数話数になる予定です。

時系列としては番外之壱よりもさらに過去の話となっております。



[40522] 番外之弐-蒼き鋼-【Depth.001】
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2015/03/02 21:50
『提督、レーダーに反応あります』

 雪が暗い夜空に点々と映る冬のある日。執務室に炬燵を出し、秘書艦である特型駆逐艦艦娘の叢雲と暖を取っているところへ、聞き慣れた声が聞こえる。声の主は艦娘『明石』戦線には参加しておらず、工作艦として他の艦娘達の救護や資材などの仕入れなどを受け持っている。

「……数と展開状況を教えて。出られる艦娘は戦闘準備の上ドックで待機、迎撃戦を想定してて」
「はー、寒い中ご苦労なことね。こんな時ぐらい向こうもサボりなさいよ」
「アンタも出撃準備しなさい。全く炬燵出たくないのに……」
『それがですね、数は一、深海棲艦ではなく、中型の艦艇の様なんです』
「なんですって?」

 このような時間に艦艇が寄港するという話は他の駐屯地や鎮守府とも交わしておらず、深海棲艦側にそのような戦力があるとも聞いていない。更に明石から情報を引き出せば、識別信号は無し、艦影から察するに全長は百二十メートル前後、軽巡洋艦『夕張』より少し小さい程度ではないか、とのことらしい。逡巡を経て、真冬の夜の来訪者を出迎えに二人は執務室を出ることにした。



『貧乏くじの引き方』番外之弐-蒼き鋼-



【Depth.001】



「それで、状況は?」

 出撃ドックを横目に、妖精達に指示を飛ばす明石に声を掛ける。既に艤装の稼働が可能な艦娘は出撃準備を済ませ、司令官からの指示を待っていた。

「そうですね、今のところ向こうから攻撃を仕掛けてくる気配はありません。レーダーによる索敵の結果、レーダー妨害の類いはなし。深海棲艦の姿は見当たらず、例の一隻が此処から一キロ程沖に位置しているのみです」
「……移動も攻撃も無いの?」

 ええ、と桜色の髪の少女は小さく呟く。敵意があるという風には今のところ見えないが、かといって簡単に迎え入れる訳にも行かない。相手の目的が分からない状況である以上、迂闊に手の内を明かすということは出来そうになかった。

「そうね、それじゃあ先遣隊に金剛と榛名、響、叢雲の四人を。ただし、艤装は外してイージスに同乗して貰うわ。いざという時には召喚して海上戦へ移行という形を」
「……提督が直接?」
「来客の相手はちゃんとしなくちゃね」

 それも結構迂闊だと思いますよ、と呟く明石に視線を向け。黒髪の少女はでしょうねと笑った。
 そして数刻の後、数名の艦娘と提督を乗せた船が、沖合に浮かぶ艦影へと近づく。レーダーの反応を見、目視できる距離に入ったことを確認して停止。司令官は双眼鏡を手に、艦橋から周囲を見渡すが、それらしい姿を確認できず小さく首を傾げた。

「どうかしたの?」
「叢雲、レーダーだと正面の海上に反応あるわよね? それらしいのが見つからないんだけどさ」
「ええ……ちょっと貸してみなさいよ」

 窓際に歩を進めた少女に双眼鏡を手渡し、叢雲が覗き込む様子を見守る。先程までの自身と同じように首を捻っていたかと思えば、ある一点に双眼鏡を向けたまま硬直した。

「What's? どうしたデスか?」
「……居た。何あの色」
「色?」
「蒼い、潜水艦がいる」

 少女の言葉に耳を疑う。潜水艦、それも蒼などという傾いた色のものが目の前に居るなどと言われては、流石にはいそうですかと信じるわけには行かない。訝しむ表情を見て機嫌を損ねたか、叢雲は双眼鏡を提督の顔に押し付け、自分が見ていた方向へ無理矢理首を捻った。

「いだだだっ! って何、アレ……」
「四○一よ。なんだってあんな色のがこんな所に」
「四○一って」
「伊号潜水艦、伊四○一。潜水母艦とも呼ばれる大型の潜水艦で、航続距離は伊号の中でもトップクラスの性能を誇ります。ただ、私もあのような配色のものは見たことが無いですね」

 小波の音が響く夜の海上で、二隻の艦艇が対面して浮かんでいる。降り頻る雪の中、数十分と経っただろうかという時、小さなノイズが艦橋に飛び込む。ノイズに紛れて聞こえたのは、艦娘達とさほど年齢が変わらないであろう少女の声。

「……?」
『私は蒼き鋼、イ401。あなた達の所属は?』
「えっと、此方は第五艦娘駐屯地所属の艦娘、明石です。伊四○一、と言いましたが、今目の前に居る潜水艦が貴方、なのですか?」

 息をつく小さな音。どうやら返答に迷い、考えこんでいるらしい。しばしの沈黙を経て、自らを四○一と名乗った声の主は答えた。

『概ねそれで間違いないと思う』
「なるほど、分かりました。続けて聞かせて頂きたいのですが、貴方の所属と、目的を教えて下さい。返答如何では此方は迎撃体制を取ることになります。……提督、よろしいですね?」
「……ええ。目的が分からない以上油断はできないわ」

 三度の沈黙。ノイズ向こうで微かに話し声らしきものは聞こえるが、艦橋に居る面々は皆、何を話しているのかまでは聞き取れていない様子で、ある者は苛立たしげに爪を噛み、ある者は髪に手をやり暇を持て余すかのようにそれを弄る。明石からマイクを受け取り、提督が四○一を急かそうとした矢先、その無機質な声が聞こえた。

『信じてもらえるかどうかは分からないけれど、私達に敵意はない。……目的は、自分達の居場所を把握して、元居た場所に帰ること』
「どういう事? 此処は太平洋側の日本近海、伊豆諸島と本土の中間地点よ。海図なりがあればそれくらい分かるでしょ」

 苛立ちを隠そうともせず、少女は四○一に問いかける。大型の潜水艦一隻、しかも『艦娘達の同型艦』と思われる名称の艦艇がそんな目的のためだけにこのような場所へ紛れ込むとは考え難い。事実、彼女の名前を明石や叢雲などは相手が名乗る前から知っていた。
 そして、潜水艦の少女は動揺した様子もなく、ただ淡々と、信じられない言葉を放った。

『……此処は、私の知っている日本じゃない。横須賀港の防備が虚弱、他の霧も殆ど居なくなっている』



 艦艇用ドックに蒼い四○一を迎え入れ、乗船ハッチより姿を見せた二人の少女を出迎える。
一人は白と空色を基調としたセーラー服に、淡い水色の髪をした背の低い人形のような、そしてもう一人は、白衣に身を包んだ茶髪の、モノクルが印象的な少女であった。

「初めまして、伊四○一。私がこの駐屯地の責任者、華見京香よ」
「イオナと呼んでくれて構わない。少しの間お世話になる、よろしく」

 差し出した手を取り、軽く握手を交わす。その感覚に、艦娘とも人間とも違う何かを感じたが子細は分からず、判然としない違和感を横に話を進める。イオナ、と名乗ったセーラー服の少女は特に此方の様子を意に介さず、後ろに付いていた少女を呼びつけた。

「ヒュウガ、貴方も挨拶を」
「ええ、分かっています。私はヒュウガ、此方のイオナ姉様の同行者です。以後お見知り置きを」
「日向……?」

 提督が眉をひそめるのを、ヒュウガと名乗った少女は見逃さなかった。

「知り合いに同じ名前の方でも居たかしら?」
「……そんな所、心配しなくても直ぐ会えるわ」

 そう言って、二人の少女は視線を交わす。意図的に気勢を張っては見たが、はっきりいって目的どころか正体すら碌に分からない相手との会話というものは、とてもではないが心地が良いとは言えなかった。
 故に手短に会話を切り上げ、司令官は二人の案内を付き添っていた明石に任せて席を外してしまう。些かマイペースに過ぎる振る舞いに、明石は小さく溜息を吐いた。

「気難しい指揮官だこと」
「……否定はしませんが、此方からすればあなた方は得体の知れない存在ですからね」
「こっちも割とワケが分かんない状態なのよ。まあ、敵対するつもりは無いからそこだけは信用して欲しい所ね」
「まあ、善処はします。とりあえずは此処の案内からさせて頂きますね。今後どうするか、というのもまだお決まりではないかと思いますが、仮に此処で軒を借りるというのであれば基本的な施設くらいは知っておいた方が良いかと思いますので」
「助かるわ。代わりと言っては何だけどコレ、此方の武装の簡易資料よ、担保の代わりとでも思って頂戴」
「ええ、お預かりさせていただきます」

 二人はは互いに小さく頭を下げ、明石は桜色の髪を翻し二人を促す。それを受けた少女はイオナと目を見合わせ、少しの思考の後、特に逆らうこともなく明石の後ろを二人で着いて歩くことを決めた。歩いている途中で明石から聞いた艦娘らしき少女らと時折すれ違うが、そのどれもが、二人の居た場所では見た事のない格好をしていた。正確に言えば、彼女等が装備している形状の艤装に二人は全く見覚えがなかった。

「……ヒュウガ」
「ええ、分かっていますイオナ姉様。明らかに出自も性質も異なりますが、彼女達も私達と同じ『艦艇(フネ)』だと思われます」
「それもだけど、“そっち”じゃない」

 イオナの言葉に、ぴくりと眉根を寄せる。遅れてヒュウガと呼ばれた少女は、同類の存在に気付いた。捕捉できた限りでもタカオ、マヤ、ハルナ、キリシマ、コンゴウ。少なくともこの五隻、運が悪ければそれ以上の『霧』が此方に居ることになる。自分達がいる場所すら分かっていないのに、お世辞にも味方とは言えない連中が同じ場所に居るなど、彼女は考えたくなかった。

「……やれやれ、千早群像に惚れ込んでるタカオはどうにかなるとして、後はキリシマにハルナ、おまけに東洋方面旗艦のコンゴウか、全く骨が折れそうだわ」
「でもヒュウガ、その群像は何処?」
「……」

 ぴたり、とヒュウガの足が止まる。不思議に思いその表情を覗き見れば、そこには薄気味悪い、何か良からぬ事を考えているように見える笑みを浮かべるモノクルの少女が立っていた。瞬間、背筋を走った寒気に疑問符を浮かべながらも、イオナは一先ずヒュウガの表情の訳を気にしないことにした。数刻足らずでその目論見が崩れ去ることを知っていたのか知らずか。

「ああはい明石です、どうしました提督? え、来客、またですか? それで今度は何処から……正門? 分かりました、一先ず合流しましょう」
「……来客? 確か明石さん、と言ったわね。此処ってそんなに人の出入りが多いの?」
「いえ、普段はそんなこともないんですが……」
「私達は?」
「うーん、客室で待っていて下さい、と言いたいところなんですが正門前だとそれほど遠くもありませんので、一先ずご一緒頂けます?」

 特に反論や不満を見せること無く、二人は明石の指示に従い歩く。数分程廊下を進んだだろうか、正面玄関の扉の前には先程顔を合わせた少女の姿ともう一人。見間違えようのない黒髪の少年が談笑しているのが見えた。

「千早、群像……!」
「群像、あんなところで何を?」

 特段感情の見えないイオナの声と対照的に、何やら怒りに似た感情を孕んだ声を出すヒュウガ。少年を指して呼んだ事に気付くと同時に、ヒュウガのその低い声に明石は一歩後退る。遅れて、群像と称されていた少年と司令官の少女が揃ってこちらに視線を向けた。

「イオナ、それにヒュウガも。無事だったんだな」
「貴方こそ船を離れてどうして此処に?」
「ん、知り合い?」
「ああ。彼女がさっき話していた401のメンタルモデル、イオナだ」
「なるほど、やっぱり艦娘とは大分違うみたいね」
「そうらしい。オレも艤装を装着して海上で戦う女の子、なんてのは聞いたこともないよ」

 その黒髪の少年の名は千早群像。艦娘とは異なる出自を持つ、意思のある艦艇『霧の艦隊』の一隻、イ401の艦長であり、そのメンタルモデルであるイオナのパートナーとも言える人間であった。

「それじゃあ改めてよろしく、華見司令」
「こちらこそ。……蒼き鋼」



[40522] 番外之弐-蒼き鋼-【Depth.002】
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2015/06/28 00:55
「此処は一体……?」

 イオナとヒュウガが京香と別れた頃の事。打ち寄せる波の音を聞きながら、彼は埠頭で立ち尽くしていた。



【Depth.002】



「何処かの埠頭みたいだが、防衛設備や防壁の類も頑強とは言い難いな」

 そう独りごちて辺りを見回す。灯台の影が遠くに見えたが、どうやら機能を失っているということもなく、平然と光を放っているのが分かる。霧の潜水艦『イ401』の艦長であり、イオナのパートナーでもある少年、千早群像はそれを見て大きく首を傾げた。

「灯台が生きてる……防備が手薄なのに霧から攻撃を受けた様子も無い、奴等の手の届かない海岸があったという事か……?」

 うーん、と少年は唸り声を上げる。ポケットなどを漁ってみても、普段持ち歩いていた携帯端末と財布が見つかった程度。そして、肝心の携帯端末に関しては位置情報を取得することが出来ず、色々と考えこんでみたものの、自身の正確な位置は把握できなかった。画面を改めて確認して電波が立っている事に気付き、他の401クルーに対して連絡を取ろうとしてみる。
 しかし、そちらも不発。メールを送信するまでは出来たものの、返ってくるのは受取人不在を示す機械的な文章のみ。夜半を迂闊に歩きまわるわけにもいかず、彼は頭を抱える事になってしまう。

「……参ったな。杏平に僧、いおりに静もダメ、か。一通り見る限り、日本なのは間違いなさそうなんだが」

 そう呟いて、何度目かの溜息。動くにも動けず、かと言って人気のない場所で留まっている訳にも行かず、大きく首を振って少年は遠くに見えた建物へ向かって歩き始めるのだった。
 外灯の光を受けて暫く歩いていると、正面に見える壁が煉瓦造りだと判別できる程度に距離が近付く。敷地を囲う塀に沿って進み、正門があると思しき柱が目に止まった辺りで、背後から声が掛かる。

「そこの少年、こんな時間に此処で何をしている」
「……散歩のようなものですかね。オレが言うのもなんですが、女性が一人歩くような時間でもないと思いますよ」

 表情を崩すこと無く、群像は声の主の方へ向けて振り返り、直後に自身の目を疑う。そこに居たのは、艦娘『日向』。和装に近い衣服と腰に提げた刀、そして、何よりその背中に負われた大きな艤装、その主砲が此方に向けられている事に、少年は何より驚愕することとなった。

「まあ、そうだな。とはいえ、此方としては身分の知れない、謂わば不審者をみすみす鎮守府に近づける訳にもいかなくてな」
「……それはどうも。とは言え、オレからすれば貴方の方が不審者ですよ。いつの間にそんなパワードスーツなんて」
「パワードスーツ?……まさか艦娘を知らないのか?」

 聞き覚えの一切ない単語に、思わず間の抜けた声で返答をしてしまう。その姿を見て、日向は訝しむような視線を少年に向けた。

「……いや、ちょっと待ってくれませんか。此処は日本ですよね?」
「何を当たり前のことを聞くんだ? 正確に言うと此処は伊豆半島、下田の辺りだよ」
「だったらだ。どうしてこんな防備で埠頭や海岸線が維持できている? ここは霧の艦隊の手が届かない場所だとでもいうのか?」

 今度は日向が間抜けな声を上げることになった。二人は間違いなくこの場所を『日本』だと認識しているし、使う言葉も同じ、そして会話が概ね成り立つ程度に、知識も共通しているはずなのだ。なのに、こと海戦に絡む単語だけが噛み合わない。日向からすれば、海岸線に大仰な防備を敷かなければならない程にデタラメな脅威など聞いたことがないし、逆に群像からすれば、霧の艦隊相手に防壁も何も無い埠頭が残存していること自体が信じられないのだ。
 その辺りを考えれば、二人の会話が噛み合わないのも不思議ではなかった。

「……霧の艦隊という名前は初めて聞いたな」
「……オレも、艦娘という名称は初耳だ」
「やれやれ、何処の日本の話をしているんだ」
「それはこっちのセリフだよ」
「……まあいい、君には少し話を聞きたくなった。名前は?」
「千早群像。好きに呼んでくれ」

 そうか、と一息つき、日向は礼とともに自身の名前を名乗る。その名を聞いた直後、群像の瞳がこれまでで一番大きな驚きに見開かれるのだった。

「……ヒュウガ!? お前がか!?」
「初対面の割に随分と失礼だな、君は」



「とまあ、こんな事があってな。何故イオナと別行動になったのかはオレにも分からないんだ」

 そして時は現在に戻り、駐屯地本館内、応接室。テーブルを囲むのは此処の指揮官である華見京香と、隣に座る明石。向かい合う形で客人である千早群像、イオナ、ヒュウガの三人が横並びにソファに腰掛ける。それぞれに用意されたマグカップを手に、群像がこの場所に到達した経緯を改めて確認していた。

「それで、他のクルーとの連絡は?」
「今の所鳴かず飛ばず、だな。一応改めてメールを送ってみようとは思っているんだが」
「……そのクルーの特徴も一応聞いておきたいんだけど。敵対するつもりはない、と言っても身元を証明できないと色々厄介でしょ?」
「確かにその通りね。……構わないかしら?」
「ああ、オレも異論はない」

 艦長である群像の同意を得、イオナが指で机を数度叩く。遅れて銀色に煌めく砂が四つの人形をとった。其処にあったのは、金髪ツインテールの少女、ドレッドヘアーの日に焼けた少年、黒髪長髪、眼鏡の少女、そして、赤と白のツートーンカラーのヘルメットに頭部を包んだ少年と思われる男性の姿。京香の視線は、その内の一つに釘付けになっていた。

「ホントにこの格好してるの?」
「……僧のことなら間違いないが」
「何か特殊な装備なのでしょうか……」
「まあ、初見じゃ驚くわよねえ」
「気にしないでやってくれ、単なるマスクだ」

 マスク、マスクか……と反芻する京香とは別に、明石が四人分並んだ人型に指を触れる。触れてみるとわずかに抵抗があるが、先程形を取った時のような流動性は無く、寧ろプラスチック等の樹脂に触れた時の感触に近い。首を捻り、彼女は正面に居る二人の少女に問いかけた。

「あの、これただの銀砂じゃありませんよね? 流動性を持ってる上色や形状まで変化できるなんて……」
「ナノマテリアルのこと?」
「ナノマテリアル? フラーレンとかカーボンの事ですかね、それにしてはそのどれとも異なる性質を持っているように見えますが……」

 イオナの言葉に疑問符を浮かべる二人を訝しむ群像とヒュウガ。やはり、今話している相手と自分達との間にはなにか決定的な齟齬が存在する、と双方が明確な意識を持ち始めていた。

「ナノマテリアルを知らないのか?」
「……まるでそっちだと当たり前にあるみたいな言い方ね」
「……その通りだが、本当に此処は日本なのか疑いたくなるな」
「とは言え、思い通りに制御できるのは私達霧の艦隊くらいのものだけれど」

 ヒュウガの説明によると、霧の艦隊と呼ばれる者達の船体や武装、メンタルモデルを構成する物質をナノマテリアルと呼んでおり、それらは任意で構造を組み替えることによりあらゆる物体などを再現することが出来るらしい。だが、その生成にも限度があるため、群像等の乗る401は装甲や電算機器などの内、人類製の物に置き換えられるものはある程度そちらで代用しているのだそうだ。

「まあそんなわけで、私達メンタルモデルもホントの身体、って訳じゃないのよ」
「へえ……とてもそうは見えないですね。万能素材なんて羨ましいです」
「無尽蔵に生産できれば言うこと無いんだけどねえ。更に言えば私達は艦体やメンタルモデル、武器に至るまでほぼ全てでナノマテリアルを消費するのよ。代用が効かない万能素材、っていうのもちょっと考えものね」
「……じゃあ他の、というか貴方達が敵対してる霧はどうなの?」
「向こうはそれはもう潤沢に使ってくれているよ。オレたちがナノマテリアルをあまり使えない、というのは単純に生産力の差でしか無いからな」

 断片的な情報とはいえ、朧げながらも群像等の言う『日本』の状態が見えはじめる。
 イオナや日向を除く『霧の艦隊』の殆どは人類の敵として海洋を制圧しており、更に深海棲艦以上の制圧力、戦闘能力を持っているらしい。故に島国である日本を始めとした各国は既に海洋の大半を失い、今や細々とした反抗を行うのみで精一杯なのだという。だからこそ群像は埠頭の防備や戦闘の痕跡の小さな海岸線に疑問を抱いた。

「……地獄絵図ね」
「イオナ達のお陰で幾らかマシになりつつはあるけど、概ね同感だ。それに比べて此方は平和なんだな」
「霧ほど出鱈目な敵じゃないだけ助かっている形ですね。小さくて当たらないだけで、人類の武器が全く通用しない、というわけでは有りませんので」
「その深海棲艦とやらとの戦闘はいつから?」

 群像の問い掛けに、明石と京香は顔を見合わせ、小さく考え込む素振りを見せる。質問した群像らが首を捻るのを見てか、早々に思考を中断して菫に近い黒髪の彼女は答えた。

「えーと、記録としての初出は1950年代頃だったかしら、一人目の艦娘三笠と接触できたのが2000年に入ってからで、その辺りから両方共加速度的に数が増えてる」
「という事はもう100年以上続いているのか……こっちはこっちで大変そうだな」
「……えっ?」

 群像が思わず口にした言葉に対しての艦娘側二人の反応が余りに想定外で、少年は面食らう。ヒュウガやイオナも同様の事を考えていたらしく、リアクションはどちらも彼と似たようなものであった。流石に違和感を覚えたか、少年は改めて二人に問う。夢でありたい、と考えた疑問の答えを彼女等に求めるように。

「……つかぬ事を聞きたいんだが、今は西暦何年なんだ?」
「え、2014年だけど、それが?」
「という事はタイムスリップしてるかもと。でも14年ってことは私達は表立っては動いてなかった時期だし深海棲艦とかいうユニット群なんて聞いたこと無いわよ?」
「もう一つ、幽霊船の噂は?」

 続けた問いにも彼女らは明瞭な返答を返さない。情報が足りなかったか、と幾つかの補足を加えた辺りで、京香の眉がぴくり、と動く。第二次大戦、という単語に反応した理由を彼は嫌な記録ではあるから、と訂正しようとしたところで、彼女の口から聞こえた言葉に耳を疑うこととなった。

「それにさっき1950年頃から深海棲艦とやりあってるって言ったよな、第二次世界大戦はどうだったんだ?」
「その、第二次世界大戦っていうのさ。実は『こっち』じゃ起こってないのよ。だから艦娘の素性は最初に三笠と接触した時からずっと疑問を持たれてるの」
「うわ……いよいよもって白昼夢か何かだと思いたくなってくる感じだわ」
「……夢と呼ばれる幻覚や観念、心像のどれとも異なっている。現実と判断して間違いは無さそう」

 三者三様に違った表情を浮かべるが、その内二人に共通していたのは困惑、諦観。水色の髪の少女は何かしらの考え事をしているようだが、その胸中は窺い知れない。疑念の目を向ける明石と京香の二人に気付いたか、ヒュウガは不愉快だと視線で答えた。

「狂言の類とか思ってる?」
「悪いけど半信半疑、って所。少なくともナノマテリアルに関しては否定しようもないし、401みたいなオーバーテクノロジーの塊見せられちゃね」
「塊とは言うが、ある程度置き換えられるものは人類側の技術で置き換えてるぞ? そこまで驚くような事も多くはないと思うんだが……」
「……魚雷は空を飛ばないし構成因子から崩壊させるような能力は無いわよ。何この超兵器」

 明石から受け取っていた書類に、当たり前のように書き揃えられていた超兵器の数々を思い出し、京香は一際大きな溜息を吐くのであった。



[40522] 番外之弐-蒼き鋼-【Depth.003】
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2015/05/08 22:46
「とにかく、今日の所はもう遅いし客室を用意させるから泊まっていくといいわ」

 一通り、互いの持つ『日本』についての知識を摺り合わせ、双方の疑問に一応の回答を両陣営が教え、と繰り返す内にごく短い鐘が鳴る。誰ともなくそちらを見れば、応接室に備え付けられた振り子時計は夜の九時を指していた。

「ウチのは一時間おきに鳴るのよ」
「ああ、なるほどね」
「ふむ、良ければご一緒にお食事でも如何ですか? 艦娘の夕食時間はほぼ終わってしまっているので混み合うこともありませんし」
「そうねえ。私も姉様も此処に来る直前の状況についての記憶メモリーにはロックが掛かってるみたいだし、どうする?」
「オレは特に異論はないよ」

 ヒュウガの問に首を縦に振り、明石に同意を改めて示す。何時最後の食事を摂ったのか、という記憶はなく、大きな空腹感も無いとはいえ食べなくても本当に大丈夫なのか、という確証は得られない。更に言えば貨幣や通貨の類にすら不安が残っている以上、断るという選択肢は群像にはなかった。

「そうだな。……明石さんや華見司令さえ良ければ、ご馳走になります」
「使えるかはともかくとして401の武装資料は此方にとって大きな利益だからね」
「そういえば侵蝕魚雷と超重砲はまだしも、通常弾頭魚雷やらアクティブデコイにも驚いてたわね。そんなに技術力に差があるわけ?」
「そうですね。海中の航走と飛翔の両方に対応できる魚雷や、ユニットを換えるだけで取り得る戦術が大幅に変わる潜水艦など、技術レベルの差は中々大きいと言わざるを得ません。コストや威力、整備性など根本的な所で水を開けられてしまっている感じですね」
「ふうん……ならもうちょっと技術に関してはフォローしてあげるわ。代わりに401クルーの情報と、少し協力をお願いしたいの」

 ヒュウガのモノクルが光を反射して輝く。どのような無理難題を押し付けられるのか、と明石、京香の二人が眉をひそめるのも気にせず、彼女は横に座る二人に確認をとった後再び口を開いた。

「簡単に言うと私達が元の時間……世界って言った方が適当なのかしらね。そっちに帰る為の手伝いをして欲しいのよ」
「うーん……手伝いと言われてもね」
「今はオレ達の置かれた状況を正確に把握するのが先決ですし、世界情勢や周辺の環境だとか、さっきから貴女方が口にしている深海棲艦という敵の情報などを教えてくれれば構いませんよ。軒先を借りるだけの働きはします」

 余り活躍され過ぎても報酬には限度がある、と苦笑いを浮かべる京香に笑い返し、群像は再び手元の端末に視線を向ける。画面は相変わらず、いま現在の時刻と日時を表示しており、その辺りからも『電波が立つ』であろうことは確認できた。
 しかし、他のクルーへの連絡に関しては梨の礫、と言って相違ない状態で、今日だけで何度目かになるため息が、思わずその口から零れるのであった。

「でもアンタ達のトコも結構面白い発展の仕方してるのね、小型高機動の格闘戦用ドローンなんてこっちでも見ないわよ。ねえ?」
「オレ達の場合は、霧に海洋を抑えられているからこれ以上発展しようがないだけさ。造っても海上で直ぐに落とされるんじゃな」
「あれ、でも霧って軍艦で構成された戦力じゃなかった? 航空爆撃とか出来るんじゃないの?」
「私達霧の艦艇は対空迎撃能力も有している。大半が迎撃のための艦載機を持たなくなってはいるけれど、それも結果として艦載戦闘機は不要だと判断したから」

 イオナの遠慮一切無い発言に艦娘側の二人が呆れたような表情を浮かべる。この娘は平然と『対艦攻撃機を防ぎきるだけの防空能力、装甲をほぼ全ての艦が有している』と宣い、そして傍に居る二人は、それを否定しようという素振りは一切見せないのだ。
 京香、明石はそれぞれに、彼女等が敵対者でなくて本当に良かった、と目を見合わせるのであった。



「三人共お疲れ様ー。鳳翔さんに間宮さん、少し悪いんだけど今から来客の分って何か用意できるかしら?」

 食堂。調理場で作業をしていた紫子、鳳翔、間宮の三名に向かってカウンターから身を乗り出し、少女が声を掛ける。その内、カウンター近くの流し台で洗い物をしていた、京香より少し背が低い程度のポニーテールの少女が振り返り、柔らかな笑みを湛えて応えた。

「ご苦労様です、提督。まだ食堂は開けていますし、食券をお持ち頂ければ何なりとご用意しますよ」
「だってさ。えーと、メンタルモデルの二人は食事は?」
「問題ない」
「ご相伴に預からせていただくわ」

 京香の問い掛けに頷くイオナとヒュウガの声に、不思議そうな表情を浮かべて顔を覗かせる。少女の名は『鳳翔』、同名の軽空母を基とした艦娘であり、大規模戦闘への適正の低さから、普段は空母、軽空母艦娘等の教官役と、現在のように食堂の管理を間宮と共に担っている。

「紹介するわね。こっちの彼がイ401の艦長千早群像君と、401のメンタルモデル、イオナ。彼女も同じくメンタルモデルのヒュウガ。メンタルモデルってのは貴方達同様『意思を持つ艦艇』みたいな物とでも考えてくれればいいわ、明日改めて全員に紹介するから」
「はい。私は鳳翔、といいます。よろしくお願いしますね、皆さん」
「紹介に預かった千早群像です、よろしくお願いします」
「私はイオナ。よろしく」
「ヒュウガよ。どれ位の付き合いになるかは分からないけれど、よろしくね」

 それぞれに挨拶を交わし、京香の案内に従い券売機の前へと揃って並び立つ。これから何を食べようか、苦手な食べ物はあるか、と言った話の内にも、食文化、特に料理に関しては大した違いもないとか、合成でない食料は久し振りだとか、京香や明石にとって耳慣れない言葉もちらほらと飛び出した。
 よくよく考えて見れば、霧の艦隊による海上封鎖を抜けられない人類が沖合で取れるような海産物を得られるのか、気候などの問題から生産出来ない食料などをどうやって輸入するのか、そういった問題が解決されていない群像達にとって、天然ものの食材を珍しく感じる部分もあるのだろう。

「合成食料ってのもあんまり想像つかないわね。やっぱりSF映画みたいなブロックとかパックだったりするの?」
「ああ、そういうイメージなのねやっぱり。基本的な見た目はそんなに変わらないわよ」

 京香の問に、モノクルの先の瞳が緩やかなアーチを描く。どうやら既に彼女は、現在の状況を楽しむ余裕を少なからず得ているようだ。そしてヒュウガの言葉を継いで群像が説明を始める。ブロック等も存在するが、ある程度は既存の植物や食肉に近いものが用いられるよう努められている、と彼は話した。

「やっぱり見た目かー」
「まあ、ブロック食ばかりというのも味気ないしねぇ。最初はなんで栄養補給の度に七面倒臭い作業を挟むんだかって思ってたけど、変わるものだわ」
「……やっぱり艦娘とかとは出自から根本的に違うんですねえ……料理って形態に疑問を持ったことなんてないですよ私」
「オレも正直、イオナやヒュウガに聞かれるまで考えたことも無かったよ。ブロック食で済ませる事も少なくなかったから味気ないと思った程度だしな」

 取り留めのない雑談を交わしながら、各々が自身の食券を券売機から手に取りカウンターへと揃って歩いてゆく。人数分の半券を預かり作業に入る鳳翔を見送り、京香と群像は揃って三人を先に席に着くよう促した。他の面々との距離が離れたことを確認した少女の目が鋭く細められる。

「……イオナ、いえ401の装備一覧にカタログスペック、あれ本当に本物なの?」
「本物ですよ。少なくとも、オレ達が霧と呼んでいる艦はあんな兵器を普通に扱ってる」
「艦娘なんてオカルト紛いの戦力を持ってて言うことじゃないけど、信じられないわね」
「試してみても良いですが、生憎と住む世界が違うとはいえ人間に銃を向ける趣味は無いんでね」
「だったら、こっちの敵が出てきた時にでも証明してもらうわ」

 にこり、と二人は笑い合う。既に着席し、互いに打ち解けた様子で談笑し合う技術屋の少女二人と、我関せず、といった様子で何処か遠くを見るように視線を泳がせる一人。時折瞳が光を浮かべたり、頬にバイナルパターンのようなものが現れたのは気のせいだろうか。

「深海棲艦に関しての調査資料は後でコピーを用意するわ。ヒュウガに貰った資料の通りなら貴方達が苦戦することも無いと思うけどね」
「そうなのか」
「……一応聞いておきたいんだけど、歳っていくつ?」
「? 十八ですが、それが何か」
「私とそこまでは変わらないのね。しっかし、未成年者がそんなトンデモ兵器乗り回すなんてねえ」

 興味を示した彼女を避けるように、曖昧な返事をもって答えを濁す。それなりの事情を抱えていることを察したか、一言「不良少年め」と嘯き調理場の方へと視線を戻した。

「で、貴方は何歳なんです? 華見司令官」
「……二十。貴方と比べてどうなのかは知らないけど、大人の事情ってやつでね」

 女性にストレートに歳を聞くものじゃない、と諫めるような科白を口にしながらも、彼女の口調に怒りの感情は然程見えない。

「まあ、不愉快な話題だったみたいなら謝るわ。それに二つ違い程度ならタメ口でいいわよ」
「いいんですか?」
「ウチはそんなに厳しい訳じゃないからね、艦娘の子達にも駐屯地内やオフでは口調も縛ってないし」

 流石に公的な場でタメ口を利こうものなら処罰するけど、と笑いながら少女は語る。それに、来客ではあっても貴方は私の部下じゃないだろうと。その言葉に一応の納得を見せたか、群像は小さく溜息を吐き、彼女の言葉に従う。その直後、京香が「あの二人組は最初からタメ口だった」と冗談交じりに付け加えたのは聞かなかったことにしよう、と頭の片隅で小さく考えながら。
 久し振りに食べた天然物の海産物は、とても美味しく感じられた。



「姉様、どうです?」

 イオナ、ヒュウガの二人に充てがわれたのは、海側に面した二人部屋。艦娘達には明日改めて紹介すると言われ、時刻も時刻故特に反対する事もなく三人はそれに従い、それぞれ個室を与えられた。両側の壁に沿うように設置されたベッドにそれぞれ腰掛け、メンタルモデルの二人は言葉を交わす。

「んー……やっぱり記憶領域にロックが掛かっている。一応探れるだけ探っては見たけれど、確認できる一番新しいデータがヒュウガとの戦闘までしかない」
「やはり、ですか。だけど超戦艦級がいる訳でもないのに、私達二人共の記憶領域の大部分にロックを掛けるなんて誰が……」
「ヒュウガのメモリーは?」
「私の方は硫黄島でのタカオとの戦闘ログは見られます。ただ、それも断片的な上『何故』タカオを硫黄島で迎撃したのかは不明ですね。歯抜けの様な状態なので」
「……」

 ヒュウガの言葉を受けたイオナは、顎に右手を掛けて小さく考え込む。ヒュウガの言った『硫黄等での迎撃戦』に関連する記憶は見つけられず、同様に他の戦闘記録も全く見当たらない。正確に言えば、戦闘ログやその時期に関連する記憶メモリーらしき物は見つかったが、イオナ自身にもそれが何の記憶なのかが分からない、という状態であった。

「……どうやら私とヒュウガでも記憶メモリーのロック範囲に誤差が出ているらしい。それに此処に来た直後に言っていたけど、タカオが群像に強い関心を持っている、というデータも私の方では確認できない」
「……」

 イオナの科白に、ヒュウガが言葉を詰まらせる。たまたまロックされていない記憶の中に『タカオが群像に対して好意に近い認識を持つ』というデータがあったため楽天的に見ていたが、もし、イオナ同様に記憶メモリーの大部分をロック、ないし隠蔽されていたとすれば。

「……姉様、ピケットであるタカオの配備位置は覚えておられますよね?」
「……覚えてる」



 太平洋側の早期警戒艦としてタカオが本来配備されていたのは名古屋市沖合。そこにいるのがヒュウガの知る時期のタカオであれば、邂逅後に共同戦線を張ることは容易いだろう。それは彼女が見られる断片的な記憶からも確かであるし、千早群像を、今彼女等が置かれている状況を餌にすれば味方に取り込むことは可能である。
 しかし、イオナの様に、もしくはそれ以上に記憶のロックが厳重であったとするならば。

「……データにない戦闘群体だったな、アレに対応するならもう少し小回りの利く口径の砲とミサイルが欲しいところだけど。それに深海棲艦、というコードネームも聞いたことがないが……まあいいわ。どちらにしろ、私のする事は変わらない」

 彼女はまた『霧の艦隊』としてイオナ、そして群像等と対峙することになるのだから。



[40522] 番外之弐-蒼き鋼-【Depth.004】
Name: 秋月紘◆40946174 ID:ebccc0ce
Date: 2016/06/11 14:46
 明くる日の朝。イオナ、ヒュウガの二人は群像とは別行動を取っていた。窓の外から差し込む陽の光を浴び、ヒュウガは小さく伸びをする。そうしてある場所へと向かう内に、正面からやって来た人影に気付いて彼女等は足を止めた。イオナらの前で立ち止まったのは、ショートヘアの大人びた顔付きをした和装の女性。

「見ない顔だな? 千早少年以外にも客人が居たのか」
「あら、ウチの艦長を知ってるの」
「……貴方が艦娘の日向?」
「まあ、そうなるな」

 イオナの問に、彼女は柔らかな笑みを浮かべ肯定を示した。それに対して微妙な表情を浮かべるヒュウガにちらと視線を移し、もう一人の日向はなるほど、と神妙な表情を見せる。無意識に掛けられた右手が、腰に下げた刀の鍔をかちゃりと鳴らした。

「貴方が千早少年の言っていた『ヒュウガ』か。なるほど、私とは随分毛色が違うらしい」
「そうね。私も、ハッキリ言って此処まで共通項の見い出せ無さそうな相手だとは思わなかったわ」
「……あくまで艦艇をモデルとしているだけの我々と、艦艇そのものの記憶を持つ艦娘と、出自が明確に異なるのだからおかしいという程の事ではないと思う」

 そうには違いないが、と答える二人の歯切れが悪いのも無理はないだろう。同名の艦艇の名を持つ自分以外の人物がいることもそうだが、その相手の性質が大きく異なっていると言われれば、困惑する事自体はごくごく当然のことである。結局その後もギクシャクとした自己紹介を挟み、何方ともなく会話を打ち切り別々の方向へと別れる事となった。
 無言で歩く内に、ヒュウガが小さく口を開いた。

「……同姓同名の別人って結構気持ち悪い感じですね」
「……それには少し同意する」



【Depth.004】



 一通りの建物内の配置は把握できただろうか、適当に廊下を歩き回った二人は当初の目的の場所へと足を踏み入れる。そこは艦娘の整備ドック、待機状態で懸架されている幾つかの艤装に目を向け、そのうちの一つがクレーンによって地面に下ろされていることに気付く。
 そこに居たのは、昨夜自分達を案内していた明石と名乗った少女。背後から声を掛けられたことに気付き、彼女は明るい笑顔で二人に手を振る。

「お早うございます。どうしたんです、こんな朝早くに?」
「昨日言ったでしょ、技術に関してはフォローするって。それに私達以外の霧が居る可能性を考えると、流石にそのまま一緒に海上に出てもらうわけにもいかないしねえ」
「ああ……えーと、そんなにマズい感じですかね」

 ぴくりと頬を引きつらせる明石に対して、かなりと真顔で言い放つイオナ。書面でなんとなく感じていた戦力差を突き付けられて凍りつく少女を横目に、ヒュウガは彼女がメンテナンスしていた艤装に手を触れ、各所を調べ始める。最初こそさほど興味を持っていない様子であったが、段々と身を乗り出すようにのめり込み始め、数分後には艤装の大半の解析を進めてしまっていた。

「ふーん、こぢんまりとしてる割には結構ギミック多いのね。給弾機構に重力制御系、なるほど、こっちは記憶領域とは不可分な訳か」
「……え、分かるんですか?」
「私は重力子エンジンやら弄ってるからおおよそはね。まあ、こっちの人間でも重力制御系は実用化できてるわけじゃなくて、霧だけの技術ってレベルではあるけど」
「我々もそんな感じですよ。もっとも、技術によって生まれた兵器じゃないのでほぼ誰も触れないんですよね、バイタルパートは妖精さん任せです」

 明石の言葉になるほどね、と相槌を打ちながら、妖精、という妙な単語は聞かなかったことにして更に解析を進める。トントン、と人差し指を鳴らしながら作業を進め、一通りのパーツやギミックなどは調べ終わったのか、小さく息を吐いて腰を落ち着ける。ナノマテリアルを少し使って生成したレンチを片手に触れていたのは、金剛型の艤装。
 そうして一通り調べた結果。何を思いついたのか、明石の方へと振り返るヒュウガの表情は実に楽しそうなものだった。やがてその後、態とらしい溜息をついて、イオナはその艤装の持ち主を呼びに、長い廊下を一人歩くことになる。

「金剛、というのは貴方で間違いないだろうか」
「? 確かに私デスが」

 食堂で京香に付き添われ朝食をとっていた群像に、声を掛け、ちょっかいを掛け、としていた茶髪の少女を見て、『ヒュウガ』二人が微妙な顔をしていたのはそういうことか、とイオナは内心頭を抱える。同名の知人とのギャップというのは、思いもよらない違和感を呼び起こすものなのだなと。
 そのような失礼な感想を持たれているとは露とも考えていないのか、金剛は陽気な笑みを見せイオナの方へと向き直った。貴方もguestなのデスね、との質問に肯定の仕草を返し、ウチのヒュウガが呼んでいる、とやや強引に群像から少女を引き剥がし、足早にドックへ向かい戻っていった。
 金剛が呼ばれた理由に納得し、そして幾つかの実験を経て『霧』の技術力に慄くのは、それより十数分ほど後のことである。



 日が直上から差す時刻。煌煌と差す光が水面に反射し、白い光を上下からその船体に浴びせる。名古屋沖の海上に、漂い続ける一隻の軍艦。反射光に映える紅の船体と、その構造物や艤装は、帝国海軍重巡洋艦『高雄』と瓜二つと言っていい程に似通っている。しかし、それが発する機関音、そして何より船体に浮かび上がるバイナルパターンが、瓜二つの艦艇とは全くの別物であるという事をこれ見よがしに主張していた。

『タカオ』
「どうした、コンゴウ?」

 そして、その艦橋の上に少女は居た。

『そちらの状況はどうだ?』
「どうだと言われても。普段通りといえば普段通りだが……ああ、そういえば記憶にない戦闘群体と接敵した」
『深海棲艦、と呼称されているユニットか』

 コンゴウと呼ばれた人物の声に同意を示し、膝下まで伸びる蒼い髪を潮風に揺らす。彼女は、霧の艦艇『重巡洋艦 タカオ』のメンタルモデルであった。

「そう。人類側のデータベースを覗かせてもらったが、どうやら向こうもアレが何なのかは分かっていないらしい」
『そのようだな。……』
「それと、第一巡航艦隊旗艦殿は既に知っていると思うけど」

 そう言い置き、タカオは得意気に鼻を鳴らす。ネットワーク上でやり取りされている情報などを精査した所、間違いなく自分達は元々居た筈の年代とは別の年代にいるであろう、という事。自分から話を持ちかける事も億劫に感じたか、特に反応を見せる事無くタカオの言葉を待つ。

「それに、記録の何処にも我々のモデルとなった艦艇が存在しない。タイムリープ、というものとも異なる事象のようだ」
『……そうだな』
「それで、どうするの?」
『此処には千早翔像やムサシらも居ない。恐らくアドミラリティ・コードも存在しないとくれば、情報収集は必要だが殊更に急ぐことはないだろう、ハルナらにも既に伝えているが』

 ひとまずは確実性を優先して情報収集に当たれ、と。タカオが継いだ科白に頷き、コンゴウは概念伝達を断つ。そうして静かになった海を見渡し、タカオは再び機関を始動させる。波立つ水面に視線を向ければ、また、先程事を構えたものと同質と思われる敵影をソナーが捉える。
機銃を模した砲撃ユニットの一部をそちらに向けようとした直後、彼女の耳は別の音を聞き取った。

「……ピン、いや、ソノブイも打っておくか」

 遅れて、海中を走る音波が幾つかの反応を返してくる。水上型の深海棲艦と思われるサイズの反応は四、それと同様の大きさの潜水型の数が三の合計七つ。その全ての反応が艦体の右舷方向、沖合の方に現れた。そして、それとは別のとても小さな反応。合計数は六、その全てが水上艦のようだが、明らかに艦艇とは呼べない程小さい。
 深海棲艦の物とは異なる音紋を確認し、それらを規模毎に分類する。最小のものを暫定的に駆逐艦級と定め、大凡の編成を割り出す。駆逐二、巡洋艦一、戦艦或いは空母級二、といった所だろうか。

「艦艇でも深海棲艦でもないようだが……艦娘、という兵器の資料があったが、あれがそうなのか?」

 展開しかけていた艤装を仕舞い、タカオはその艦体を大きく回頭させる。そして、近付いていた深海棲艦から逃げるように海中へと姿を消した。

「……何かの冗談かと思ったが、本当に人類側の海上戦力なんだな」

 海中へと沈んでいった艦艇に首を捻る素振りを見せながらも、艦娘達は深海棲艦との戦闘に突入する。砲撃戦、雷撃戦、艦艇同様の戦闘方式と、時折携えた武器で格闘戦を行っているらしい音が確認できる。悲鳴らしい声がノイズに混じって聞こえたが、最終的に艦娘と思しき勢力が勝利を収めたらしい。深海棲艦の反応をソノブイは寄越さないのが、その証拠だろう。

「火力にしろ速力にしろ、あくまで深海棲艦に対抗するための戦力、ということか。此処でピケットを続ける必要性はともかくとして、脅威レベルは低いと考えて良いらしい」

 何度か停止と推進を繰り返し、此方を探しているような動きを見せていた艦娘達をやり過ごした後、海上に再び浮上したタカオは大きく溜息をついた。



「提督、名古屋港の駐屯部隊が紅い重巡洋艦を見たとの報告が呉から回ってきてます」

 その数刻後。駐屯地内の艦娘達ほぼ全員に群像らの紹介を済ませ、昼食を取っていた少女らのもとに明石が駆け寄ってくる。長机を囲み談笑していた京香や叢雲、群像らはその表情を険しい物へと変えた。イオナと反対側の群像の隣に陣取っていた金剛が、その様を見て眉をひそめる。

「What's? また妙に主張の激しい色の艦艇が出たのデスね」
「……千早君、心当たりは?」
「……オレの知っている限りで該当するのは重巡洋艦タカオ、イオナと同じ霧の艦だ」
「多分それで間違いないわね。戦術ネットワークにタカオが艦娘と深海棲艦の戦闘観測データをアップロードしてる」

 耳慣れない単語に疑問符を浮かべる少女達への説明も程々に、ヒュウガは自分の持つ端末に資料を表示する。画面には、タカオの三面図と艤装、基本的な排水量等の情報が記載されていた。明石が持ってきていたファイルを催促し、彼女はその端末を机上に置いて説明を始める。

「明石さん、それちょっと借りるわね。……第一巡航艦隊所属の重巡洋艦クラス、報告を見る限り配備位置は名古屋沖、堅物のコンゴウの事だからこの状況でも海上封鎖は程々に継続するでしょうし、恐らくタカオに関しては此処から動くことは無いと考えていいわ」
「そこのと違って、霧のコンゴウは生真面目だから」
「それはどういう意味デスかね」
「打ち解けたみたいで何よりだわ。それはそれとしてご苦労なことね……艦娘で直接当たっても明らかに勝てない気がするんだけど、さてどうするかしらね」

 あんなトンデモ兵器と戦うなんてNo thank youデース等と嘯く金剛に苦笑いを浮かべながらも、京香は思索を巡らせる。少なくとも察知していたはずの相手に対し、戦闘を仕掛けることもなく見逃した事には相応の理由があるのではないか、と。そして同様の疑問を持ち、京香と同様の解答に、向かいにいる群像らも至ったらしく、彼女らは声を揃えて笑う。相手もこの状況に困惑しているのだ、と。
 そうだとしたら、話は幾分か楽になる。正面切って撃ち合いをする事は避けられる可能性も生まれるし、もし戦闘に突入したとしても『敵を撃破する』以外の勝利条件を用意することが出来るかもしれないのだ。端的に言ってしまえば『元の世界に戻る為に協力する』という餌が効力を得る可能性が僅かながら生ずる。

「……にしても、最悪の場合随分とリスキーな戦闘になりそうね。金剛、多分前線出ることになると思うから」
「Oh shit!! 私達じゃ一発貰っただけで死にかねないfirepowerじゃないデスかー!」
「大丈夫だって、どうせ私が乗るイージスだって当たったら一撃だし」
「そういう問題じゃないデース!!」

 イオナ、ヒュウガの両名協力による、千早群像、華見京香主導の『対霧の艦艇戦』。その一戦目となる舞台の幕が、今まさに上がろうとしていた。



 同時刻。伊豆市の西側に位置する、人の手を離れ寂れきってしまった倉庫群。その一つの建物の中で、少女らは途方に暮れていた。

「なあ、400、402。……此処はどこなんだ?」
「……駿河湾港の倉庫街だな」
「付け加えて言うなら、2014年の、ね」

 霧の艦隊総旗艦『ヤマト』直属の巡航潜水艦、イ400、402。そして、海域強襲制圧艦、ズイカク。そのメンタルモデル達は横須賀から離れた海岸沿いの倉庫の中で、三人揃って今目の前で展開されている状況に首を捻ることになってしまった。



[40522] 番外之弐-蒼き鋼-【Depth.005】
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2016/06/11 14:54
「さて、全員揃ってるわね」

 ぱん、と一つ乾いた音が室内に鳴り響く。手を鳴らした張本人である京香が執務机に腰掛けており、その横に椅子を置き群像が腰掛ける。その傍らを守るように立つイオナと、それに倣うように腕を組んでいるヒュウガ。そして、正面でテーブルを囲むように金剛、榛名、叢雲、天龍、赤城、日向がそれぞれ指令を待つように座っている。

「名古屋の駐屯部隊から不審船の報告が周辺の鎮守府に回ったことは知ってるわね」
「はい、それは確かに伺いましたが、我々が此処に集められた理由は……それにそちらの三名は先程紹介して頂いたお客様、ですよね?」
「それは、榛名も気になります。不審船の目撃位置を考えれば、私達の艦隊よりも愛知の第六駐屯部隊、名古屋の方々の方が素早く対応出来るのでは……」

 当然の疑問を口にする赤城と榛名の二人に、群像らが反射的に眉をひそめる。取り急ぎ、と言う形であったため、初めに会った面々以外には名前やドック入りしている401の乗員である以上の話を出来ていないのだ。ならば何故そのような艦娘までが集められたのか、というと。
 話は数刻ほど前まで遡ることになる。



【Depth.005】



「お久しぶりです、少将。ええ、そちらもお変わりないようで何よりです。それで、お送りした資料は目を通して頂けました? はい、はいそうです、そうして頂ければ助かります。その件への対応も一先ずは此方で。……ええ、それでは失礼致します」

 執務室での、十数分ほどの長電話。受話器置きに指を乗せ、通話が切れたことを確認して受話器を置く。近くに居た群像、叢雲らと目を見合わせ、京香は一際大きな溜息を吐いた。

「ふーっ……とりあえず横須賀のお偉いさんには話を通しておいたわ。捜索を行うことは出来ないけど発見した場合は保護してこっちに連絡くれるってさ。中将閣下の娘って肩書に感謝しないとねえ」
「人は見かけによらないもんね、貴方がそんなお偉いさんだったとは思わなかったわ」
「そりゃどうも、褒め言葉として受け取っておくわ、ヒュウガ。ところでイオナは?」
「イオナ姉様なら記憶メモリーの確認中よ。私の方から此処での話は伝えておくわね」

 肩を竦める白衣の少女と笑い合う。二人の姿を見て、一先ず残りのクルーについて頼る当てが出来たことを実感し、少年は安堵の溜息をついた。それに気付いた叢雲が、一歩二歩と傍に歩み寄る。上目遣いにこちらを見る姿に一瞬目を丸くし、群像は何か用か? と問い掛けた。

「別に。貴方達の知り合いっぽいあの紅い重巡は結局どうするつもりなのかー、とか気になったりはしてないわ」
「……考え中、という感じだな。これまで同様にこっちでも海上封鎖を行おうとするなら戦闘も視野に入れなきゃいけないのは確かだが」

 そう、と小さく相槌を打ち、少女は壁に背中を預ける。同じように壁にもたれ、少年は天井を、少女は床にそれぞれ何を見るでもなく視線を向けた。戸棚から紅茶の缶とカップなどをテーブルに出し、いつの間にやら沸かされていた電気ケトルを持って再びテーブルの傍で紅茶を入れ始める京香に気付き、彼らはそれぞれのタイミングで席に着いた。

「はい、二人共ストレートで良かった?」
「ああ、ありがとう」
「シュガーも頂くわ」
「京香、私の分の砂糖もお願い」
「執務中は司令官か提督でしょ」
「はいはい」

 慣れた手付きで全員分の支度を済ませ、そそくさと茶菓子を取りにまた戸棚の方へと足を向ける。それをなんとなく目で追う群像と、特に気にすることもなく資料を纏めてゆくヒュウガと叢雲。お気に入りらしいクッキー缶を手に彼女が戻ってきた時には、一通りの下準備が終了しており、京香が着席したのを確認してヒュウガは早々に口を開いた。

「さて、それじゃ『司令官』に改めて説明しておくわね。さっきも説明した通り、十中八九タカオは名古屋沖での海上封鎖に入るわ、で、今後の事を考えるとどちらにとってもシーレーンを潰されるのは好ましくないし、向こうがこの状況に戸惑ってる内に仕掛けようと思うのよ」
「……向こうは重巡洋艦で、こっちは巡航潜水艦一隻と性能差に開きがありすぎる艦娘とよ。勝算は?」
「それはオレから説明するよ。ヒュウガとイオナにも確認したが、彼女達は現在記憶の一部ないし大半をロックされているらしい。で、累積されてる記憶量とヒュウガが断片的に見られる内容から察するに、タカオがオレ達の麾下に入っていたのはほぼ間違い無いそうだ」

 群像が始めた説明に、京香はなるほどと頷く。どういう事かと問い掛けた叢雲に対して彼女は、不敵な笑みを浮かべ『きっかけを作れれば味方にするのは容易だろう』という想定を口にした。そしてその想定に、ヒュウガと群像は微妙な笑みを浮かべる。それを見て京香も似たような笑みを見せるが、それも当然の事で。

「そのきっかけをどう作るか、が問題なのよね」
「そうねえ……やっぱ一回沈めちゃおうかしら?」
「……だからどうやってよ」
「そこはこのヒュウガ様の腕の見せどころってね」

 少女はフフン、と鼻を鳴らす。そしてそれまでとは全く異なる画面を手元の端末に映し、三人に向けて見せた。其処に描かれていたのは金剛型を始めとした艤装の三面図、そしてその中には侵蝕魚雷や推力偏向型スラスター等の文字が所狭しと踊っており、それを軽く見ただけで彼女のしようとしている事を察知し、叢雲の顔から血の気が引いた。

「あっ、アンタ私達の艤装魔改造して殴り合いさせようっての!?」
「ご名答。で、強化項目なんだけど、艦種問わず攻撃力と運動性に極振りしてるから」
「待ってなんで。一発貰ったら終わりなんだからむしろ防御力上げてくれない?」

 襟を掴んでガクガクとヒュウガの身体を全力で揺さぶるが、揺さぶられている当人は涼しい顔で改装箇所をつらつらと羅列し続けてゆく。二十分ほどそのような状態が続けられていたが、ついに諦めたか、少女はその腕を離す。特にそれを気にすることなく平然と襟を直し、ヒュウガは京香の方へと向き直った。

「さて、そういう訳なんだけど、どうする?」
「無理強いはしない、というより危険性を考えると余りオレも賛同したいやり方とはいえないし、駄目なら駄目で構わないよ」
「あら、いいの?」
「霧の艦隊はそもそもこっちの問題だからな」
「……乗らない、とは言ってないわよ? ただ、ウチの艦娘をデコイに使おうってなら今この場で降りさせて貰うけど」

 菫色の髪を揺らし、少女はそう不敵に笑った。



『赤城、偵察機を。ヒュウガ達の話を聞いてたら分かると思うけど、高度を取ると簡単に落とされかねないから注意してね? ルートは伊勢湾を突っ切るまで海に出ないで、大王崎を迂回する形で海上に。どれだけ効果があるかは分からないけど私達の場所をなるべく勘付かせないで。五分後に二陣、そっちは沖合を迂回する形で索敵ルートを』
「了解しました」

 伊豆半島を出、駿河湾を越えた辺りで動きを止める。後ろを付いて来ているイージス艦から司令官の声が聞こえた。大きく息を吸い込み、提げていた弓を引く。息を止め、精神を集中させて、彼女は姿勢を一つも崩さずそれを放った。遅れてその矢が艦載機の姿を取り、海面近くを滑走するように飛んでゆく。ヒュウガは出撃させる艦娘に実力者のみを指名するように言い、京香は断ること無くその条件を飲んだ。海上に出ているのは、赤城とその直掩である最上と天龍、そして榛名の四名のみ。金剛と叢雲は、というと。

「ほー、コレがイ401のBridgeなのデスかー、very very Neo-futuristicデース」
「……ホントに潜水艦のブリッジなのコレ」

 海中を静音航行中の401に、群像、イオナとともに同乗していた。艦長とメンタルモデル以外誰一人乗っていない艦艇が、一人の少女の意志に従い航行しているという状況に、何と形容すれば良いのか分からない質の違和感を覚える。

「オレ達はこのまま海溝に沿う形で静音航行し、上から情報が入り次第タカオの背後を取りに動く。先陣は上の華見さんに任せたが、それが失敗した場合はプランB、オレ達の仕事だ」
「プランBに入る前に終わってくれれば良いけど……」
「そう願いたいな」

 小さく笑い、群像は再びモニターに視線を向ける。画面に映る海図と、京香らの搭乗しているイージス艦『かぐら』そして目下の敵であるタカオの資料が表示されている。それを無言で見ていたイオナの瞳が光を放ち、その頬にバイナルパターンが浮かび上がる。

『ヒュウガ』
『聞こえております、イオナ姉様。そちらは今何処に?』
『座標を送った。我々はこのまま海底を這う形でタカオの側面を取る、そちらは作戦通りに』
『了解しました』

 イオナとの概念伝達を終了し、ブリッジで指揮を行う京香に視線を向ける。それに気付いた京香の手招きに応える形で、ヒュウガは少女の隣に並び立った。

「出撃前にも説明したけど、かぐらも艦娘同様出力系と攻撃装備を優先してる。バイタルパート周辺には強制波動装甲を拵えてるし、私が制御に参加するからクラインフィールドも張れないことは無いけど過信は禁物よ」
「了解。とりあえず相手の居場所を確認できたら勧告、その結果次第で戦闘に、という形で問題はないわよね?」
「ええ。戦闘に入る前に確認したいこともあるしお願いするわ」

 言いながら二人は窓の外を見続ける。今の所、敵影は見えない。暫く無言のまま航行していたが、不意に前を航走していた赤城が声を上げるのが通信機越しに聞こえた。その声の意味する所を察し、少女らは反射的に戦闘態勢をとる。直後、赤城の声が偵察機の撃墜と、そこから予想される敵位置の座標を教えた。

「各艦戦闘態勢。ヒュウガ、タカオへの通信ってコレで出来る?」

 そう言って、彼女はヒュウガの手により設置された小型の通信装置をぽんぽんと叩く。彼女の問に、多分出来るんじゃないか、という大雑把な回答を少女は返す。小さく唸り声を上げて考え込んだ後、京香は一つ頷き、量子通信機に再び手を伸ばした。

「さて。先ずは演説から、基本よね」
「……そうそう、一つウチの艦長の口癖でも教えておくわ。戦闘に入る前に入れとくとちょっと気が締まるのよ」
「気が引き締まるってのは嘘臭いわね。それで?」

 ああ、聞くだけは聞くんだ、という様な反応を示す乗員を気にすること無く、ヒュウガは少女に近寄り、耳打ちする。使いどころなどを一通り聞いたか、満足気な顔で京香はマイクを取った。受信先を探すノイズが暫く走った後、無音になった事を確認して口を開く。

「所属不明艦に告ぐ。此方横須賀第五艦娘駐屯地所属、イージス艦『かぐら』貴艦は我々の領海を侵犯している、直ちに機関を停止させ、此方の管制下に入られたし」

 その言葉への返事はなく、偵察機を撃墜したきり赤黒の艦艇はその場を動こうとしない。小さく溜息を吐くヒュウガと目を見合わせ、少女は榛名らに指示を幾つか飛ばした後、口調を変えて再び声を掛け始めた。

「霧の重巡洋艦、タカオ。間違いないかしら?」
『……そうだ、と言ったら?』
「一つ取引をしたいんだけど」

 通信の向こうの声が、小さくくぐもる。取引、という単語に虚を突かれたのか、科白の意味する所を探ろうと考えこんでいるようにも思える。考える時間を与えまいと、京香は間を持たず言葉を続けた。

「貴方達を元居た場所に帰す為に手を貸す代わりに、我々への攻撃を控えてもらいたいの。然程難しい話ではないでしょう? それに、此処は貴方達が海上を封鎖していた日本ではない」
『なるほど、我々のことをある程度知っているという訳か。……401と接触したか』
「あらご名答。それで、返事は?」
『次元や世界の跳躍について研究が進んでいない以上、敢えて人間の手を借りる理由はないな。それに断った所でそちらの戦力などたかだか知れて……』
「榛名、主砲平射!!」

 タカオの言葉に一つ舌打ち、そして、怒号。海上で待機していた榛名の背部艤装、その主砲塔が、砲身がそれぞれ展開され、海を割って二筋の光線を放った。数瞬遅れて遠くに光る防護壁が、少なくとも命中させたことを示す。

『貴様……!』
「ギャンブルをしましょう。私達が勝てば、貴方は麾下に入る。貴方が勝てば、私達の情報の全てを無償で明け渡し、貴方達の麾下に入る。単純な賭けは嫌いかしら?」
『……ふん。面白い、我ら霧に戦いを挑んだ事を後悔させてやろう!』

 通信が切れると同時に艦娘、かぐらがそれぞれ別の方位へ向けて舵を切る。そして、それぞれの機関が異質な音を立て、推力を大きく上げ始めた。互いに水面を大きく波立たせながら搭載砲やミサイルを放ち、その内の幾つかが迎撃を待たずに海面へと着弾する。水面を大きく荒らし、海中を掻き回すような爆音が戦いの始まりを告げる。

「群像、双方の機関音増大、ミサイル計六〇及び主砲の発射音確認」
「予想はしていたが、やはりか」
「プランB、ガチンコ……デスねー」
「イオナ、一番から四番に通常弾頭、五番六番に侵蝕魚雷装填、その第一射着弾と同時に仕掛けるぞ」
「了解。推力六〇パーセント、京香達が海中を荒らしてくれている内に一気に距離を詰める。深海棲艦が寄ってこない内に片付けよう」

 大きく溜息を吐く金剛らと、涼しい表情のイオナやヒュウガ。そして、眉間に皺を寄せて、レーダーに映るタカオを睨む京香と群像。

「かかるぞ!」

 二人の指揮官の声が、艦橋に響き渡った。



[40522] 番外之弐-蒼き鋼-【Depth.006】
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2016/06/12 13:50
「対艦ミサイル全門、赤城がマークした座標一帯へ斉射、それと対空迎撃システム起動! 続けてミサイル第二射準備、相手の意識を上に向けるわよ!」

 揺れるブリッジ。モニターを見ながら指示を立て続けに出す京香と、電算機器の様子を伺うように虚空を睨むヒュウガ。互いに目視出来ない距離での戦闘突入であり、偵察機が落とされてしまっているため相手の様子を知ることができないのだ。それ故、京香は弾幕による撹乱、そして401から意識を逸らすための陽動に出ることを選んだ。
 船上の発射管が次々と蓋を開き、ミサイルや魚雷を射出。海中や空中を走る白い線が曲線を描き、そして標的に届くこと無く爆炎を生じた。炎の横を抜けるように幾つもの弾頭がうねりを上げ、彼女達の乗る船へとその牙を剥く。

「ミサイル接近、タナトニウム反応感知。今の一射でこっちの居場所は概ねバレたと思ったほうが良いわね」
「分かってる、さっきの爆発音を抜けるルートで通常魚雷射出、十秒後に侵蝕魚雷パッシブで終末誘導! ヒュウガ、機関音と発砲音聞き逃さないようにね!」
「誰に言ってるんだか」

 にやり、と口角を釣り上げる少女の頬にバイナルパターンが現れ、淡い光を放つ。それに呼応するように、イージス艦『かぐら』の船体が唸りを上げた。甲板上に配置されたCIWSが向きを変え、ヒュウガの意志に従い迎撃行動をとる。朱く燃え上がる炎に紛れて、赤黒い稲光と光球が空中で炸裂し、海面を球状に削ぎ取ってゆく。

「群像、海面に着水及び爆発音五、続けて魚雷航走六。……タナトニウム反応二、侵蝕魚雷を早速使ったらしい」
「タカオの様子は?」
「迎撃行動を取りながら転身、沖に向けて進路をとっている。転回速度も速い、このまま此方に向かわれると接敵が少し繰り上がりそうだ」
「どうするの?」
「……そうだな、今こちらの居場所を知られるのも嬉しい話じゃないし、もう少し華見司令達とやり合ってて貰おうか」

 ふ、と気取った笑みを浮かべる群像を呆れるような目で見る叢雲と、どんな事をやらかしてくれるのだろうか、という期待のこもった視線をぶつける金剛。我関せず、といった調子でイオナはモニターに視線を向け、そして呟いた。

「迎撃弾確認、これは落とされるな」
「七番八番に音響弾頭魚雷装填、航走中の魚雷群迎撃確認後航路を合わせて発射、自爆タイミング任せる! 続けて侵蝕魚雷撃て!」

 群像の言葉に呼応するように、401の発射管がその口を開き幾つもの魚雷を放つ。炸裂音の響く海中に白い線が走り、赤黒の船体を食い千切らんと速度を上げてゆく。やがて数メートルの距離まで迫ったか、という所で401のブリッジが揺れた。
 かぐらの攻撃に紛れて放たれた音響魚雷が炸裂し、音の中を走っていた魚雷はタカオの船体に噛みつく前に迎撃を受け、そしてその尽くが水の中で徒花を咲かせる。

「音響魚雷炸裂を確認、このまま海溝に入る。戦闘からは一時離脱だ」
「アクティブデコイを後部から射出、かぐらの動きに追従させろ。こっちの移動が済むまではなるべく目立たせないよう頼む」
「了解した、401の操舵は?」
「オレがやる。二人も次のフェイズの準備を」
「Alright! 超兵器との戦闘、腕がなるネー!」
「鳴る腕が残ればいいけどね。……401」

 ブリッジを後にする金剛に続いて扉に向かっていた叢雲が、ふと足を止めて少女を呼ぶ。視線を返す事もなく、イオナは画面に視線を向けたまま答える。

「イオナでいい。何だ」
「アレ、本当に使えるの?」
「ヒュウガの用意した品だ、性能に関しては保証しよう。接続テストも一通り済ませてはいるのだろう?」
「まあ、ね」
「なら十分だ。分かっているだろうが射程も無限という訳にはいかない、くれぐれも距離を測り損ねないように、な」

 小さなため息。首を軽く振り、そうさせて貰うわと嘯き少女は扉の向こうへと姿を消した。ちらとそちらに視線を送り、再びイオナは正面を見据える。頬に走るバイナルが、一層強い光を放った。



【Depth.006】



「冗っ談じゃねえぞ何だよアレ!?」

 急旋回によって大きく傾く身体を抑え、海面に現れた壁と一瞬の内に蒸発した袖と、ひりひりと焼け付く左腕を交互に見比べ、天龍は力の限り声を上げた。ヒュウガによって拵えられた、霧の電子妨害を受けない量子通信システム、それを介して伝えられた着弾予測地点から全速力で離れ、すんでの所で被弾を避けた、その直後の第一声である。

『天龍さん、無事ですか?』
「赤城さん平気っすただ砲塔の直撃狙える距離はぜってー避けて下さいコレ掠っても終わりですマジで!!」
『……だからやめようって言ったのに。ほら天龍、一回距離とって立ち回り変えるよ! 榛名さんもなるべく近寄り過ぎないよう気を付けて下さい!』

 無線から聞こえてくる最上の呆れたような声を聞く間もなく、少女は慌てて転身、再び距離を大きく取る。射程外へ抜けた事を確認し一息ついていると、先ほどとは別のため息が聞こえてきた。

『ブリーフィングの時に砲塔の旋回速度とアンタ達の巡行速度を突き合わせた射界データ渡したでしょ? 無駄死されるとこっちが家なき子になるんだから気をつけてよねー』
「分かってるけどどうすんだよ、この調子じゃロクに近寄れねーしジリ貧じゃねえの?」
『まあ、イオナ姉様の方が本命とはいえあんまり安全圏に居過ぎるのもねえ。デコイに釣られてくれれば良いけど『ホンモノ』を探し始めちゃうとまた面倒な事になるし』

 それまでと変わらぬ口調ではあるが、その語気は若干荒い。依然として姿を隠しつつ潜航する401に意識を向けさせないためには、砲の旋回速度が追いつかない距離まで詰め寄り攻め立てるのが、最も手っ取り早い方法であるのは確かなのだ。
 しかし、「砲塔の最低旋回速度が艦娘の移動速度を上回る、狙いを定め難い距離」から「砲塔の最高旋回速度を艦娘の移動速度が上回る、照準の追いつかない距離」に移るまでの数秒の間に「砲塔の旋回速度の幅が艦娘の移動速度と噛み合う距離」が存在する。

 この数秒間を凌げない限り、彼女等がタカオに接近することは許されない。

『天龍、榛名。少しいいかしら』
「どーした、ヒュウガさん」
『何でしょうか』

 そんな最中、前線で囮を買って出た天龍、榛名へ向けてヒュウガの声が届く。砲火の中を疾走り続ける二人の返事を受け、簡潔に頼むと言われて、彼女は不敵な笑みを浮かべ答えた。タカオの懐へ飛び込む方法はある、と。

「どうやってだよ、水飛沫で姿隠してみたりはしたけどあんまり距離詰めらんねえし、無理矢理行こうとしたら消し炭だぜ」
『ま、小細工はあんまり通用しないでしょうね。距離が近いならともかく、この距離と巡航速度じゃ姿が見えた後に反応しても間に合うもの』
『でしたら、どうすれば?』
『ちょっと身体に負荷掛けちゃうけど、航行速度を大きく上げる手はあるのよ。体勢が崩れてる状態で使うとその後の戦闘が出来ないからリミッター掛けてるのよね』

 平然とその言葉を口にするヒュウガに閉口する二人。彼女の言葉の意味する所を知るのはそう難しいことではなく、またそれ以外に有用な手立てが現時点の少女らには無いことも、この膠着状態が明確に示していた。

「なるほど上等だ。で、リミッター解除時の航行速度は?」
『そうねー、ざっと60kn前後ってところかしら。派手目に狼煙上げたげるからぱぱっと取り付いちゃいなさい』
「人間よりは頑丈なつもりだけど、保つ気がしねえぞ……」
『……榛名は大丈夫じゃないと思います』

 悪態をつく天龍たちと、その言葉を聞き少し考えこむ素振りを見せていたヒュウガが、やがてその口を開く。
曰く、データ上では意識レベルも含めて問題無いと出たと。曰く、選択肢が存在しない以上、博打を打つ以外の道は現時点ではないと。その言葉は、二人の心を固めるのに十二分の働きを見せる。
 そうと決まれば後は早い。榛名と天龍それぞれが大きく両翼に広がり、それをフォローするように最上達が砲を放ち、艦載機を飛び立たせる。迎撃のために主砲を転回し、対空射撃に意識を向けたその一瞬が決め手となった。

『主砲、対艦ミサイル一斉射、速力上げつつ取舵!』
「合図だ、行こうぜ榛名さん!」
『……了解しました!』

 タカオによって迎撃され、ミサイルが大きな爆炎を上げる。波立つ海面を疾走る二人の背部艤装が大きく唸りを上げ、やがて、外殻が展開しその外観にはおおよそ似合わない推進器が姿を現す。青白い光を強く放ったそれは、一瞬の内に少女らの背面へと瀑布を思わせる壁を形作った。

「ぐっあ?!」
『きゃあっ!?』

 ぐん、と身体を強く押し上げ、艤装が、その推進器が大きく咆哮する。ブラックアウトした意識を持ち直した天龍の視界に一瞬、眩い光が映った。ヤバい、そう口を突いて出た言葉を気にする間もなく上体を大きく捻り、海面を跳ねるように転がってゆく。そして天龍が身を逃した直後に光条が水面を抉り、跳ね上がった水飛沫を蒸発させた。
 右手に提げた剣を水面に突き立て、体勢を立て直しそのままの速度でタカオへ向けて航走する。主砲の射程を外れた事に反応し浮遊、展開された副砲や機銃の迎撃をくぐり抜け、永遠とも思える距離を駆け抜けて、少女はナノマテリアルで補強された剣をぐ、と握りしめた。

「うおらぁッ!!」

 そして、渾身の力でその切っ先が紅の船体へと向けて振り抜かれる。しかし、天龍が突き立てた剣は、船体に届く前に『六角形の光の集合体によって作り上げられた防壁』に阻まれ、鋭い音を立てた。

「クラインフィールド、コイツがそうかよ!」

 思わず毒づき、目の前に燦然と輝く壁を一蹴り。そして宙を舞う身体を捻り、背面艤装から取り出した何本かの魚雷を全力で投げつける。五メートルほど離れた距離へと着水し、ちょうどクラインフィールドに衝突したそれらを目掛けて、少女は主砲を一斉に放った。
 ばち、と肌を焼く痛みに眉をひそめ、逃げるように距離をとる。眼帯で塞がった視線が向く先では、今自身が投げ放った魚雷が黒い光球を発して防壁と、その向こうにある装甲を食い千切らんとしている。

「……ホントに意味わかんねえ兵器だな……チッ!」

 続けて次弾を打ち込もうと腰を落とした直後、上空に聞こえた空気を焼く音に慌てて身を捩る。その直後、垂直に撃ち込まれた光線は水柱を二本、三本と立てて天龍を射抜かんと繰り返し放たれた。
明確な敵意を以って突き立てられる光の柱をまるでステップでも踏むかのようにくぐり抜け、再び二対の砲塔が炎を上げる。そうして突き進んだ二条の光は、先ほど侵蝕魚雷が残した爪痕を正確に撃ち抜き、クラインフィールドと呼ばれた壁が、僅かながらもその規則正しい姿を崩した。

「どうだ! ……って言いてえ所だったんだけどなあ」
『着弾をこっちでも確認。とはいえ小型弾頭だと大したダメージにはならないみたいね、やっぱり』

 不意に聞こえたヒュウガのため息に思わず声を荒げる。

「やっぱりって何だよやっぱりって!」
『言葉通りよ。無視できない火力になってくれればいいや位の物だったんだけど、分が悪そうね。……榛名と合流出来ない? 一艦だけで相手の脅威レベルを上げるのはちょっと厳しいから』
「……了解」



「クラインフィールド飽和率十パーセント、あのイージス艦の攻撃を幾つか被弾したせいか」

 水飛沫が舞う甲板の上、大きく揺れる船体を全く気にすること無く少女は佇む。少女の思考が向いているのは、いま足元にまとわり付いている艦娘ではなく、その向こうからこちらを狙う艦艇の事。

「401と接触した事で侵蝕魚雷等の兵器を得たとはいえ、付け焼き刃のみで我々霧に敵うと判断するとは思いがたいな。……であれば、どこかに401が潜んでいるはず」

 考える。先の艦娘と深海棲艦の戦闘時に展開していたソノブイは生きているはずだ。そしてその内の一つはちょうど、あのイージス艦の近辺を漂っている。霧の技術提供を受けているにも関わらず、事前に調べていたスペックと現在の速度に大きな変化は見られず、また別の方向からの攻撃を一度も受けていない。ならば。

「……何時までそのイージス艦と戯れているつもりだ、401?」

 ソノブイが一つ、イージス艦『かぐら』の足元で大きな音を上げた。

「ソナー音確認、401補足されました!」
「ソノブイ?! ……ヒュウガ、千早君に伝えて。向こうから食いついてきた、って」
「了解。ここからの行動は?」

 かぐらのブリッジ内部。スタッフの一人がソノブイが発した音に気付き京香へと報告し、それを受けて彼女は指示を出す。デコイに意識を集中させ、依然潜んでいる本物の401が牙を突き立てる最大のチャンスを作り出すために。

「401は恐らく目標地点に到達してない。デコイを動かすのが繰り上がる分こっちでもう少し時間稼ぎをやらせてもらうわ」



[40522] 番外之弐-蒼き鋼-【Depth.007】
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2017/01/25 23:12
「お。どうだった、402?」

 京香達とタカオが本格的な戦闘を開始したちょうどその頃。何処から費用を捻出したのか、自分達が意識を取り戻した沿岸の倉庫地帯よりほど近い市街にあるホテルの一室で三人は腰を落ち着けていた。扉を開けて入ってくる姿をズイカクが見とめ、湯呑みを両手に座るよう促す。

「近隣の住民に話を聞いてみたが、やはりこの周辺の人類は我々霧と敵対していない。いや、というよりは存在そのものを知らない様子だったな。……事実彼等は、物資などに困窮している様子もなく、海洋に出ることも可能な事だと考えている様だった」
「なるほど、やっぱり時間跳躍は間違いないと考えてよさそうなんだな」
「あまり考えたくない可能性だったのだけど、そのようね」

 既にローテーブルを挟んで座っていた400が、ズイカクの言葉を継いでため息を吐く。どうせ続く言葉も知っていると言わんばかりの態度と、それを裏切ることも無く淡々と402が話す内容とを見比べて、ズイカクは自分の茶を呷った。



【Depth.007】



「で、もう一つ悪い知らせなんだが、今回の事象、単なる時間跳躍ではなく平行世界や異世界の類に飛ばされた、俗に言う転移の可能性が高い」
「ネットワーク上に我々の元となった艦が見つからなかったという話に、深海棲艦や艦娘とか言うユニット群か」
「だが、そうなると戦術ネットワークが機能している点が気になるな。霧が存在しない世界であるなら、同様にコレも存在しないはずだ」
「代替となる何かを誰かが作り出したか、単純に切り離されずに済んだか、それとも……情報が少なすぎるし、知った所で大きな進展を得るとは考え難いわ」

 それもそうだ、と呟き少女は一つ湯呑みに口付ける。そして、いくつかの確認を経て話題を切り替えた。

「あとは……そうだな、我々以外の霧も、それぞれ記憶領域の状態に誤差というには大きな差異が出ているらしい。千早群像、401の麾下にあったはずのタカオが、その401と戦闘を開始している」
「どういう事だ?」
「コンゴウとタカオの通信を聞いていた限りでは、タカオの記憶メモリーは401との戦闘を行う前までで止まっているように思えたな。恐らく我々と同じようにロックが掛けられているんだろう」

 400の言葉に、二人は倉庫街で目覚めた時のことを思い出す。意識を取り戻した直後、ズイカクは400、402と行動を共にしている事を知らない様子であったし、自身と400にしても、ズイカクと行動するようになって以降の記憶に大きな差異があった。
幸いな事に、それぞれがそれぞれの記憶領域を解錠できるキーコードを持ち合わせていたからこそ情報共有も可能となっているが、そうでなければ、所属が違うこともありもう少し面倒になっていたことだろう。

「それはまた難儀なことだな。誰が何の目的で……」
「気になる所ではあるけど、正直な所あの位置で戦闘を継続されると動きが取りづらいというのと」
「せっかく霧が敵対勢力として認識されていない状態を得ているというのに、それをみすみす崩されては今後の情報収集の妨げとなりかねない」

 402の言葉を継いで400が口を開く。人間ないし人類の味方である艦娘として認識されているこの状況は、なるべく早くにこの異常事態を脱する事を目的としている三人にとっては非常に動きやすいものなのだ。故に、記憶メモリーのロックがあるとはいえ律儀に海上封鎖を行おうとしているコンゴウらの行動は、端的に言って勘弁願いたい類のものであった。

「しかし良いのか、400?」
「何がだ」
「確かに今後の事を考えれば人類の協力者を得る方が便利がいいが、かと言って霧同士で矛を交えるのが利口な選択か、と言われるとそうでもないだろ」
「別に、火器なりなんなりを持ち出して401に加勢しよう、というわけではないわ。居場所は悟られていない方が今は都合がいいしね」
「それに予想が正しいのなら今はアドミラリティ・コードや総旗艦の監督外だ、最優先事項を元の世界への帰還とするのが順当だろう」

 ずず、と音を立てて400は茶をすする。そして一息ついて、ズイカクの方にちらと視線を向けた。一瞬のアイコンタクト、その意味は過不足なく少女に伝わったらしく。

「総旗艦のお言葉でもあったな。臨機応変に行動せよ、というのは」

 ツインテールの少女はそう口角を釣り上げて笑った。



「榛名さん!」
「はいっ!」

 跳ね上がる水飛沫を気にする事もなく、二人の少女はタイミングを合わせて砲撃を放ち、クラインフィールドへ、上から自分達を狙う砲台へと火力を集中。直撃を示すように火花を散らす防壁と、それが一瞬の内に元の整然とした姿を取り戻す様に舌打ちし、天龍は再び侵蝕魚雷に手をかけようとした。
 しかし耳孔を叩く怒声に攻撃を中断し回避行動、その後も止む気配のない砲火の中で反撃を続けていたが、未だ明らかに見て取れる類の損傷は与えられずにいた。

「くそっ、全然効いてるように見えねー」
「防壁の揺らぎが目に見えるようになっているので効果は出ているはずなんですが……くっ」
「……分かっちゃいましたがやっぱ気の長え話っすね……」
『意外とそうでも無いみたいよ?』

 毒づく天龍や榛名に向けて、愉悦を含んだ京香の声が掛けられる。数瞬の困惑の後、彼女の声色の理由に気付き減退していた天龍の戦意が勢いを取り戻した。

『401ダミーが補足されたわ、ホンモノの目標地点到達ももうすぐだしここから一気に決めるわよ』
「っしゃ、待ってました!」
「了解しました、行けます!」

 司令官の言葉を受け、艦娘達が攻撃の手を再度激しくする。それと時を同じくして京香ら『かぐら』乗員に寄せられたのは、401がタカオの後方へと無事に到達した旨の短いメッセージと。

「ヒュウガ。これ、何か分かる?」
「……ええ。あんまり嬉しくない情報も増えたって所」
「手短にお願い」

 眉間にしわを寄せる京香に促され、画面を見たヒュウガはため息とともに口を開く。事前に打ち合わせていたキャニスターの展開図とは別に画面へ表示されていたのは、タカオ用と思われる記憶メモリーのロック解除コードと、ユニオンコアと呼ばれる核の位置を示しているであろう人物シルエットと光点。静音航行中の401との連絡は避けている中、突然何者かより送られてきたのだ。
 この戦闘状態の中、タカオ側に気取られることもなく、自身の居場所も気付かせずに接触を行える何者か、から。

「総旗艦直属の諜報型潜水艦、イ400と402。あの二人のどちらかか、その両方がこの海域を見てるって事になるわね」
「……この戦闘に関してはこっちに味方してる、って事かしら」
「さあ。総旗艦のお考えは分からないからなんとも。ともかくイオナ姉さまもこの情報を受け取っていると考えて行動した方が良さそうね、デコイに対して接触してこなかった辺り確実に両方の場所を把握してるわ」

 渋い顔をする京香と、小さく肩をすくめるヒュウガ。しかし突然増えた第三者の立ち位置に気を揉んでいられるほど余裕のある状況でも無く、前衛の艦娘を思えば、誰かによって提示された情報を利用する選択肢は非常に有用なものと思えた。

「必要な時に使えるよう準備だけお願い、ヒュウガ」
「ええ。私はこのまま姉様からデコイのコントロールを預かるから、くれぐれも位置取りには注意してね」
「任せて。さて、そろそろ動かせてもらおうかしら!」

 護衛艦かぐらの足元より機関音を上げて離れ、デコイの魚雷管から数発の魚雷が射出される。かぐらが放った物とは別の航路を取り、それぞれがタカオへと向けてその牙を突き立てんと唸りを上げた。

「やはりそこか、401!」

 タカオの頬、船体に刻まれたバイナルが紅い光を強く放ち、転回速度を上げ401ダミーへと向けて火力を集中せんと砲門やミサイルハッチを開く。ようやく見つけた本命に注意を奪われ榛名や天龍への警戒が疎かになったか、向けられる火線の数が減ったことを確認し、天龍はぴたり、と脚を止めた。

「今だッ!」
「ええ!」

 榛名の砲塔四基、天龍の砲塔一基が最大の火力を一処へ向けて放つ。その光条はクラインフィールドを波立たせ、一際大きな火花を上げる。効果は変わらず小さなもので、同時に放った侵蝕魚雷も大きなダメージにはならない。だが、それでいい。爆炎に紛れて放ったもう一条の光線が、海中に落とした一つの狼煙に火を付けるのだから。

「音響弾頭魚雷炸裂。音紋合致を確認、座標を出す」
「座標登録、指定座標からタカオの航路予測データに合わせてキャニスター起動! B、C二機を目眩ましに使う!」
「了解した。七番八番発射口注水、BCキャニスターと同時に発射開始」

 海底に複数設置されたコンテナ状の物体、それらの上面に設置されたハッチが注水を終えその口を開く。そして次々と、白煙が水を切る音と共に立ち上る。想像だにしていなかった方向からの攻撃に虚を突かれ、そちらを迎撃せんと浮遊砲台と化した副砲を再び下方へ向ける。その時だった。
 底部を襲う爆風や侵蝕魚雷の攻撃の中から、複数の弾頭がこちらを攻撃すること無く海上へと飛び出す。側面へと激突してくる弾頭も中には存在したが、その内の幾つかが命中すること無く上空へと舞い上がり燃料を喪い失速してゆく。

「無誘導弾? こちらの航路を予測して発射したということか」

 その予想を裏付ける様に、速度を落とせばその後発射される弾頭は艦首のわずかばかり前方を水飛沫を上げて飛び交うのみ。

「面白い手だったが、幾分か詰めが甘かったようだな」

 攻撃をやり過ごした事を確認し、速力を上げ回頭。未だに逃げまわる二隻の人類側艦艇に止めを刺さんと甲板上のハッチ全てが開かれてゆく。

「128発の侵食弾頭兵器。かわせないようなら、これで終わりだ」
『Buuuuur……』

 開かれたハッチへと弾頭が順に装填され、発射準備が着々と進行する。そして。

『ningゥ……』

 ハッチの使用可能状況を示すランプが全て、発射可能を示したその直後。

「Loooooveッ!!!」
「なッ!?」

 二つの人影が、タカオを、その胸に隠されていたユニオンコアを目掛けて拳を、武器を振り下ろす。慌てて飛び退いた直後、彼女らの攻撃はナノマテリアル製の甲板に、小さくはないヒビを入れた。
煙の中から姿を表したのは、些か青ざめたような顔をしている銀髪赤目の少女と、不敵な笑みを浮かべて拳を打つ茶髪の少女。
 戦艦艦娘・金剛と駆逐艦艦娘・叢雲は、メンタルモデル・タカオの前に立ちはだかり、小さく構えた。

「Check! 待ったは認められまセンよ?」
「……スティールメイトは無いから、そこん所よろしくね」
「……いいだろう」

 そう呟いてタカオが、叢雲が、金剛がそれぞれ甲板を蹴る。主砲を転回し砲撃を放ちながら槍を取り直し、タカオに向けて突き立てる。
最小限のサイズで防壁を張り砲撃を防ぎ、突き立てられた槍をタカオはその手でいなす。艦上に展開した副砲を二人に向けて攻撃を放ったが、金剛はクラインフィールドと思しき防壁を張り、叢雲はタカオの胴を蹴って飛び退き攻撃を防ぐ。
 微弱なものとはいえクラインフィールドを張った艦娘に警戒の目を向けたのもつかの間、体勢を立て直した叢雲の追撃に反応が遅れ、初撃をかわし切れず腕を掠めて姿勢を崩す。

「貰った!」
「ちっ!」

 叢雲の蹴りを両腕で受け、吹き飛んだ先に放たれる金剛の主砲。受け身をとったそのままクラインフィールドで防ぎ再度叢雲の懐へと飛び込む。握りこんだ拳をそのまま叢雲の顔面目掛け打ち込もうとするが、すんでのところで回避され、叢雲の回し蹴りが向かってくる。金剛の横槍を受けながらの戦闘を嫌がったか、叢雲の蹴りを避けた直後にタカオは標的を変える。

「Shit!」

 迎撃に放った主砲二発を防がれ、そのまま肉薄を許してしまう。そしてタカオは。追い詰められたはずの金剛は笑った。

「貴様の負けだ」
「私の勝ちデス」

 タカオが接近し、その腕で金剛を貫いた瞬間、予め直近を狙って回頭していた砲塔が放ったのは実弾だった。火力は全く問題ではなかったが、轟音と炎、煙に燻され視界を失った直後、何者かに足を払われそのまま床面へと叩きつけられた。

「くそ、それが狙いかっ……」
「ご明察。それから、チェックメイトよ」

 立ち上がろうとしたタカオの胸元に、槍の先端が突き付けられる。この程度で、そう言いかけて彼女は気付く。先程金剛を殺し、最期の一撃を受けた筈の場所に積もる銀砂に。

「……まさか」
「そのまさかよ」

 その直後、タカオの船体を激しい揺れが襲う。平衡感覚を失い、海が割れ、船体が海面より切り離される。揺れの原因など、確かめる必要はなかった。
背後に陣取る401が、こちらを超重力砲の力場内に捉えている事が相手艦のスピーカーより伝えられたのだから。

「この私が、巡航潜水艦と人間なんかに負けるなんて」

 激しく揺れる波間から顔を出し、『本物』の叢雲と金剛は天龍と榛名に担がれたまま、ぱぁん、と小気味よい音を立ててその掌を打ち合わせた。



[40522] 番外之弐-蒼き鋼-【Depth.008】
Name: 秋月紘◆6f6c0186 ID:a76c32a9
Date: 2017/02/16 01:01
「ていうかなんで狼の群れの中に羊をブチ込むような真似してんのアンタは! もし群像様と艦娘やらの間で何かの間違いでもあったらどうするつもりなのよええ!?」

 イ401とイージス艦かぐらによる降伏勧告を聞き入れ、反撃防止という理由でキーコードをイオナに奪われ、誘導されるがままに第五艦娘駐屯地へと到着。そうして案内された客室で京香らが何者かより受け取った記憶メモリーのロック解除コードによって封じられていた記憶を取り戻し。

 数瞬の沈黙の後、メンタルモデル・タカオは吼えた。

「いや群像様って……」
「……ちょっといいかしらヒュウガ。コレ本当にさっきまで戦ってたアレなの?」
「……ええ。ちょーっと変なプラグインが人格形成に影響を与えてるだけだから気にしないで」
「そこ、聞こえてるわよ」


 先の戦闘で見せた振る舞いからは予想だにしなかったタカオの言動に面食らい、京香と叢雲は困惑の色を見せる。ヒュウガ曰く『千早群像に敗北して以来、恋愛感情に近い方向で彼に好意的感情を抱いている』とのことらしい。
 戦闘前に群像が口にしていた『記憶がロックされている』という言葉の意味を、彼女たちはこの一連の流れで感覚として理解し、同時に『乙女プラグイン』などという至極どうでも良いプログラムがメンタルモデルには存在することを知る。

「……先程の戦闘では世話になったな。霧の重巡洋艦タカオだ、約束通りこの事象の解決まではお前達の麾下に入ろう」

 そして、数秒前からは考えられない威圧感のある振る舞いに、この切替の速さに慣れるのには少し手間取りそうだと、二人は顔を見合わせるのであった。



【Depth.008】



 タカオと話をしている内に、彼女もまた気付いたらあの海域に艦体ごと浮かんでいたということ、ロックを掛けられていた記憶メモリーとは別に何かの解除キーと思われるコードがメモリー内に存在していたことが分かった。そして、ヒュウガとイオナへ確認をとった所、そのコードは二人の記憶の一部を蘇らせる物である事も。

「……こっちはOKよ。硫黄島でタカオを迎撃した理由もハッキリしたし、一応その後の事も思い出せたわ。ただ、かと言ってヒントになりそうな情報は手に入らなかった、っていうのが辛い所だけど」
「そう、残念ね。イオナの方は?」
「こちらも似たようなものだな。……ただ」
「ただ?」

 口を噤むイオナの表情はどこか硬く、何か問題でもあったような素振りをしている。とはいえ京香や叢雲は、聞いた所で関係の無い世界の話で役に立てるとは思わず、深入りすることを避けてしまった。

「いや、何でもない。少し精査したいデータが出てきただけだ、貴方がたの手は煩わせないよ」
「……念のため結果だけこちらにも知らせて」
「……了解した」

 そう答えて執務室を後にするイオナと、それについて部屋を立ち去るヒュウガ。扉の閉まる音の後、数十秒ほどの静寂を経て、京香はタカオの方へと向き直る。

「さて、挨拶らしい挨拶はまだだったわね。私が此処の司令官、華見京香中佐よ、で、こっちが秘書艦の叢雲」
「よろしく。一応歓迎するわ」
「一応、こちらこそと言わせてもらおうか」

 イオナと同じようにぶっきらぼうな口調で答え、タカオはその長い足を組み替える。イオナら二人もそうであったが、どこからどう見ても人間の、それも美女や美少女にしか見えない姿をしているメンタルモデル達に若干の理不尽さを感じつつも、京香はそれを隠し笑みを浮かべる。

「貴方達の帰還、それに関係しそうな記憶メモリーとやらはイオナやヒュウガに任せるとして、貴方に残ってもらったのは別の理由があるからなの」
「……コンゴウとのやり取りや彼女の立ち位置か、それとも他の霧についての情報、そんな所か?」
「ご名答。察しが早くて助かるわ」
「尋問とか拷問ってあんまり意味無さそうだし、普通に質問して普通に答えてくれると助かるのよね、こっちとしては」
「……そうだな」

 叢雲の言葉に対して、タカオは小さく息を吐き考え事をするような仕草を見せる。あくまでポーズにすぎないそれを数秒維持していたかと思えば、結論がある程度決まっていたのか直ぐに顔を上げる。そして、眉根を寄せ、険しい顔を京香に向けて口を開いた。

「一つ条件がある」
「……物によるわね」
「千早群像の客室を艦娘寮から遠ざけろ」
「……」
「……」

 そんな事でいいのか、というか順当に行けば思春期真っ盛りの年齢でもあろう少年の部屋を、年頃の娘も多い艦娘達が寝起きする寮の直近に充てる真似をすると思っていたのかこの戦闘艦は。戦闘(隠語)艦とでも言う気か。危うくそんな台詞を口走りそうになるのを堪えつつ、至極真面目な表情を作る。どのようなものであっても、それがタカオの要求であり、京香達が霧の艦隊の情報を得るために必要な対価だと言うのであれば。

 既にやっている事であったとしても、さも『これから貴方の言うとおりにしよう』という雰囲気を醸し出しつつ頷くしか無かった。

「ならいいわ。それで、まずはコンゴウの事だが、彼女は我々と違い記憶メモリーの大部分を保持している可能性がある。あくまで私のメモリーで確認できるデータとその時の記録の照合だが、コンゴウの行動パターンが解錠されている記憶メモリーに残されているそれと僅かに違っていた」
「んー、それって悪いニュースじゃない?」
「なんで?」

 首を傾げる叢雲を見て、京香は痛む頭を抑え、タカオは肯定とも否定とも付かない表情を見せる。

「少なくともタカオ、それに残りの二人も、『コンゴウがどういう変化を辿ったのか』思い出せない可能性があるってこと」
「え? それって……」
「経験値の蓄積を経たコンゴウを知らない我々は、彼女がどういった目的、意図を持って行動しているのかが分からないということだ」
「……交渉の余地が見えないのよ」

 京香とタカオの言葉を聞いた叢雲の頬が引きつる。二人に共通している見解はこうだ、コンゴウが元の世界でどのような経験をしているかが分からず、それ故『今』太平洋上で人類側の様子を伺っている彼女が人類に対してどのような感情を獲得したのかが分からない。
 そしてイオナらのような記憶の封印を受けていない『例外』なら、転移してきた時点で原因等の当たりを付けている可能性すらある。

「今回タカオにしたみたいな『協力体制っていう餌をチラつかせて戦闘を避ける』ような仕掛けがそもそも出来ないかも知れないってこと」
「想定されるパターンの内最も都合よく事が運ぶのは『コンゴウが得た経験値が人類にとって不利益なものではなく、尚且つ彼女が帰る手段の目処を立てている場合』だな」
「……最悪は『人類を敵視している上に帰還手段に他の霧や人類の協力が必要無い』パターンってとこ?」
「……もっと下がなければ良いわね、ホント」

 京香の台詞に全くその通りだと同意を示すように、叢雲は大きなため息を吐いた。その後、宛がわれる客室の配置やドックなどの施設の案内、そして幾らかの確認事項を経た後、タカオは二人と別れる。
京香や叢雲は執務のためと言い、またタカオ自身に付き合う理由が無かった事もあり、ならばと都合よく自由の身を得た。

「……さて」

 記憶メモリーの確認と、艦娘についてのデータ収集、そして愛しの千早群像に群がる狼退治のついでに、タカオは一人駐屯地内を歩くことにした。



「……どうだ、キリシマ」
「すまん、駄目だ。やはり私達霧に関係する情報はないらしい」
「……こちらも、蒔絵の手掛かりは得られていない」

 北海道南部、遠くに津軽海峡を臨む海岸線を歩きながら、雪の中二人は話す。片方は黒いコートに緑の瞳、側頭部から長く垂れ下がる金のツインテール姿。そしてもう一人、もといもう一匹は、青い熊のぬいぐるみ。
霧の大戦艦『ハルナ』と『ヨタロウ』というぬいぐるみに身をやつした同じく大戦艦『キリシマ』のメンタルモデルは、一人の少女を探していた。

『ハルナちんー、キリシマー』
「……マヤか」
『ピンポーン! 賢いマヤがとっておきの情報を手に入れてきたよー!』
「ご機嫌の所悪いがマヤ、手短に頼む。感情シミュレーションがこの外気温と天候に対して不愉快という反応をし続けているせいでノンビリ話をする気になれん」

 キリシマの催促に露骨すぎるほどの不満を見せ、マヤと呼ばれた音声は返事を行う。

『ええ~~……じゃあ簡単に説明するよ? 一通り確認してみたけどやっぱり今は2014年って事で間違いなさそうだよ、それからマッキーと眞ちんだけど、二人共軍のデータベースには情報無し、この近辺を担当してる基地に聞いてみたけど二人の名前は聞いたこと無いってさ』
「……人間との接触は避けろと伝えなかったか?」
『手短にってキリシマが言ったのに……艦娘の亜種、とかそーゆーのだって方向で全体には通達されてるみたいだったから』

 色々と話を聞くことは比較的簡単だった、とマヤは笑った。その後彼女は、分散首都や北管区等の呼称や区分そのものが存在せず、日本国内外のネットワークも寸断されてはいないこと、横須賀の第五艦娘駐屯地という所が蒼い色の潜水艦や紅の重巡洋艦などを最近編成に加えたという噂話。
そして同行者であったデザインチャイルドの刑部蒔絵について、身の上を誤魔化しつつ話した所、今のところ心当たりは無いが、見つけ次第連絡をくれるという約束を取り付けた事などを喜々として話した。
 だがその直後、マヤの声が秘匿コードという単語を吐き出す。眉を潜めながらもそれを了承したハルナ達が聞いたのは、予想外の提案であった。

『そんな訳だからさ、マヤとしては一度横須賀で401達と接触してみた方が良いと思うんだよね』
「401か……確かに、アイツ等の方がこの転移現象に巻き込まれたのは早かったようだし、千早群像や401クルーの所在によっては蒔絵の捜索に対しての重要度を下げることも可能だろう」

 マヤの提案にキリシマはうむ、と顎らしき箇所に手を当てて頷く。

「それにまだ使用していない解除キーが残っているしな、使い道もそっちにあるかもしれん」
「蒔絵が『こちら側』に来ていない、という可能性は確かに捨てきれないな。……良いだろう、マヤはそのまま潜航、静音航行を維持し横須賀港へ向かえ。我々は陸路で移動する、道中である程度情報を確実なものにしておきたい」
『えー、じゃあハルナちんの本体はどうするのさ?』
「状況が不明な以上、なるべく所在を知る者は減らしたい。しばらくはこのまま海溝内に潜ませておく」

 ぶつくさと文句を言いながらもマヤはハルナの指示に従い、艦の機関を始動させる。そして航行を開始しようかというその時、キリシマの声がそれを遮った。

「いや、待てマヤ。海路で横須賀へ向かうなら、先にこの近辺の海軍基地へコンタクトを取れ」
「キリシマ?」
『良いけど、なんで?』

 刑部蒔絵の所有物であったぬいぐるみは、無表情な熊の頭の下でいたずらっ子のような悪どい笑みを浮かべた。

「シーレーンが生きているのなら海運も同様だ。どうせ401と接触するなら人間と対立していないというポーズを見せた方が話は早いだろう?」
『あー、海上輸送任務の護衛艦として参列するんだね。ハルナちんはどう?』
「……私も異存はない。恐らく艦娘との差異について突っ込まれるだろうが、そこは上手く躱してくれ」
『了解、心の旗艦』

 そう弾んだ声で返事を返し、マヤは通信を打ち切った。人の声も途絶えた夜の北海道。二体のメンタルモデルは津軽海峡を眺めながら歩き出す。刑部蒔絵の捜索、並びに自分達の身に起こった転移現象の原因究明ないし解決、以上二点の目的のため、ハルナ達は行動を開始した。

「心の旗艦、って何なんだ?」
「……刑部邸以来、時折マヤにそう呼ばれるようになったが、意味については正直分からないとしか言い様がない」
「タカオ型はユニークなのが売りなのかねえ。それとハルナ」
「……なんだ?」

 キリシマは数メートルほど先を歩くコート姿の少女を呼び止める。ハルナは足を止め、ゆっくりと声を掛けられた方へと振り返った。

「『心の旗艦』について思考を割くのはやめておけ。感情シミュレーションや言語についての経験値次第でドツボにはまるぞ」
「……そのようだな」

 姉妹艦の忠告を受け入れ、彼女は再び正面へと向き直り移動速度を上げた。向かうは津軽海峡を渡すトンネル、青函トンネルを走る鉄道駅。北管区、刑部眞の支援が存在しないこの地では、彼女らはその本体とも言える艦体を動かすか、公共交通機関を使用する以外の長距離移動手段を持たない。

「……この天候では青森駅も雪の中だろうな」
「……マヤは本当に節操が無いな」



[40522] 番外之弐-蒼き鋼-【Depth.009】
Name: 秋月紘◆40946174 ID:d91cf934
Date: 2017/05/18 11:32
 京香達と別れ、艦娘達と話をしていた群像と合流し、イオナは「話がある」と二人を自室へと連れて歩く。二人がそれぞれ椅子やベッドに腰を落ち着け、話を聞く体勢が整ったことを確認して、少女は明石から預かったタブレットに、自身のナノマテリアルで生成したメモリーカードを差し込んだ。

「イオナ姉様、話というのは……」
「一つ、確認してもらいたいデータが有る。二人はこれに心当たりはあるだろうか」

 イオナが画面に指先で触れ、メモリーカードを介して送ったデータをそれぞれ開いてゆく。日時、場所、会話記録などの文章データと、誰かの視界を介して保存されたと思われる動画が一つ。イオナの指がその動画を再生したその直後、二人の目が驚愕によって見開かれた。

「コンゴウ……?!」
「それにこの声と視点、イオナの記憶データなのか……これは」
「そうらしい。その様子だと、やはり二人もこの事は知らないようだな」

 イオナがタブレットを介して二人に見せたのは、群像やヒュウガ、そしてイオナが、黒の艦隊旗艦である大戦艦コンゴウのメンタルモデルとテーブルを挟んで会話をしている姿。さらにその会談の場として使われていたのは、あろうことか彼等の拠点である硫黄島の基地内部であった。

「メモリー上では、この画面に映っている人物やメンタルモデルが我々であると記録されている。だが、三人が知る硫黄島ではこのような事態は発生していない。……なら、ここにいる私達は、映像に映るあれは誰だ?」

 自分と殆ど変わらぬ姿をした誰かが、自分達の知る人物によく似た誰かと話すだけの動画。『イオナの記憶』として存在するそれは、彼女らにとっても、彼女らをよく知らない京香や艦娘達にとっても、異物に他ならなかった。



【Depth.009】



「司令官、アンタ宛に文書が届いてるわよ」

 まったくなんで今時アナログ媒体なんか使ってんのかしら、とブツブツ文句を言いながら叢雲が手渡してきた封筒を受け取る。早朝から表に出ての受け取りを運悪く押し付けられたらしく、その手先や耳に血液が集中して紅潮しているのが見受けられる。
軽く労いの言葉を掛けつつコーヒーを手渡し、京香はその包の封を切った。

「普段はメールなんだけど、イオナたちの進言で今回はちょっとね」
「何それ、傍受されてるってこと?」
「可能性の話よ」

 現に402、400かも知れない『誰か』は戦闘中を見計らってこちらにコンタクトを取ってきた、と京香は呟き自分のマグカップを揺らす。

「全部を覗かれてるわけじゃないだろうけど」
「そこまで行くとちょっと洒落にならないわ」
「始めっから洒落になってないのよねー」

 二人揃ってのため息。そうこうしている内に京香は取り出した文書に一通り目を通し終わっており、それを叩くように机へ放り出す。

「それで内容は?」
「……函館を出る予定の輸送隊から。護衛艦の編成変更、通常編成及び乙種艦娘『摩耶』を名乗る者の援護を受けて横須賀へと向かう、だってさ」
「……乙種、って」

 京香は、401を対タカオ戦に組み込む際に横須賀の本営へと二つの要請をしていた。一つは、他の艦隊、駐屯地などから艦娘や艦艇などの通常戦力を出さず、第五艦娘駐屯地の戦力のみで対応行動に出ること。そしてもう一つは、『霧』と名乗る彼女らを便宜上艦娘の亜種として扱い、民間へその存在が認知された際の混乱を可能な限り抑える事。
 そうして用意された呼び名が『霧の艦隊』改め『乙種艦娘』というものであった。そして、イオナとタカオ以外の接触が無い現状では、『霧』や『メンタルモデル』という呼称を使用する京香らにとっては書類上のものでしか無く、ましてや当の『霧』本人がその呼称を使用するなど考えてすらいなかったのだ。

「されてるかも、じゃなかったわね」
「そうみたい」
「仕方ない。『霧の艦隊』と思われるマヤへのコンタクトを取りましょう」
「大丈夫? 罠じゃないの?」

 叢雲が眉根を寄せて京香を睨む。

「その可能性も考えてはみたけど、輸送隊を人質に取られてる以上こっちから打てる手もそんなに思いつかないのよね……それに意図的に呼称をこちらに合わせてるのなら、目的はどうあれ交渉の余地があると考えた方が建設的かと思うのよ」
「難儀だわ……」
「一応イオナや千早君達にも話はしておいて。霧に関してはあの子達の力を借りるのが一番確実だし、一旦ミーティングはしておきましょ」
「了解。一体何が目的なのやら……」

 ぶつぶつと文句を言いながら部屋を去る叢雲を見送り、京香は再び机の上の封筒を手に取る。先程机の上に置いた一枚とは別に、その中からもう一枚の文書が出てきた。
そこに書いていたのは『ハルナ』と名乗る少女が熊のぬいぐるみを連れ『刑部蒔絵』という少女を探しながら南下している、という注意喚起。現時点では敵性行動は認められないが、軍事拠点を中心に聞き込みを行っていることから一応の警戒を、という旨の文面であった。
 そして、マヤの行動タイミングと『ハルナ』の大凡の移動速度、目撃情報の一覧から、その双方が第五艦娘駐屯地、ないし此処にいるイオナや千早群像などを標的としている可能性がある事も明白であった。

「うーん、陸上戦に慣れた艦娘ってウチ居ないし、街中でドンパチやるわけにも行かないし、どうしたものかしらね……」

 手にしていた書類を机上に投げ置き、丸まっていた背筋をぐぐ、と伸ばす。机にかじりついていたところでいい案が浮かぶわけでもなく、かといって群像らを呼びに叢雲を向かわせた手前、気分転換に営内を歩き回ろう、ということもできず。京香はひとしきり悩んだ結果、大人しく茶でも淹れながら彼等を待とう、という結論に至った。

「華見司令。いきなりで済まないが話がある」
「イオナ? どうしたの急に」

 そうしてしばらく時間を潰していると、ノックもおざなりに扉を開けてイオナが執務室へと足早に入ってくる。彼女の背後に視線を向けてみても群像らの姿はなく、どうやら彼女は何らかの目的があって一人きりで此処に足を向けたらしい。

「重巡洋艦マヤ、戦艦ハルナらのメンタルモデルがこちらに向かって来ている事は知っているな」
「なんでそれを……」
「別に難しい話ではないよ。厄介な話ではあるがね」

 眉をひそめ、露骨に嫌そうな表情を浮かべる京香を気にする素振りなど微塵も見せず、イオナは悠々とソファに腰を下ろす。次いでその口から出てきた言葉に、京香はマッサージでもしなければ取れないのではないか、という程に深い皺を眉間に彫り込む羽目になった。

「ハルナの方から接触があった。マヤを函館の輸送隊に付けてこちらに向かわせたという旨と、本日夜から明日の朝に掛けてのタイミングでハルナ、キリシマが陸路から此処に到着する、とな」
「用件は?」
「……話がしたいそうだ」
「……渡りに船といったところかしら」
「何のことだ」
「こっちの話」

 イオナの問いに簡潔に答え、京香は先程まで読んでいた書類をイオナに手渡す。渡されたそれを一通り検め、彼女はふむと小さく唸った。

「なるほど。それでコンタクトが取れれば、と考えていたと」
「ええ。イオナに向こうから接触があったのなら好都合だわ。私と一緒にハルナの方に対応してくれない? マヤにはタカオと何人かの艦娘を当てるから」
「それは構わないが、いいのか?」
「何が?」

 間髪を入れずに問い返してくる京香の言葉に、イオナは少し考え込む。私は何と答えれば、彼女がこちらの質問に答えを返してくるだろうか、と。
京香の表情を見てみれば、本心から疑問を持っている風でもなく、十中八九何かしらの意図をもっての問いかけなのだろう、とは思える。

「……質問を変えよう。確かにタカオは私の監督下にあるが、彼女を一人艦娘たちの中に残すことに対して警戒や不安の類はないのか?」
「そりゃあ不安もなくはないけど、メンタルモデル三人を一か所に固めて片方を手薄にはしたくないし。かといって戦艦榛名のメンタルモデルの方にイオナだけ、っていうのは少し戦力的に不安があるじゃない」

 ならばヒュウガを連れ、私をタカオの監督者にすればいいのではないか、そう言うイオナに対してうーむ、と唸り声を上げた後、京香は小さく首を振った。それも考えはしたが、ハルナは恐らくイオナ、千早群像らとの接触を望んでいるため二人を除外することは出来ないと言って苦笑いを浮かべる。
よって、イオナの麾下にあり反逆行為が不可能であるということを信用してタカオを残すくらいしか考えつかなかったという旨の科白を口にした。

「それに、同じタカオ型だし仲良くやれるんじゃないかなーって」
「……同型艦だったな、そういえば」

 京香の投げやりな物言いに、イオナもまた投げやりな同意を返して手に持っていた書類を机上へと置いた。



 そして同日の深夜。ほとんどの艦娘やスタッフが眠りにつき、宿直を担当する一部の者や、これまた一部の艦娘らが私用で起きているのみとなった頃。正面玄関を音もなく通り抜ける人影が一つあった。
照明の切られた室内、玄関扉にその人影がそろりと手を掛ける。

「こんな時間に散歩? 来客とはいえ外出届は出してもらわなくちゃ困るわね」
「……よく気付いたな」

 驚いたような表情を見せて、少女は声の主の方へと視線を向ける。その先には、壁に背を預けてこちらを見て笑みを浮かべる京香の姿があった。数刻ほどこの場所に居たのか、彼女の眼は時折眠気に負けるように瞬きを繰り返し、そしてこうして話している最中にも、京香は欠伸を嚙み殺して首を振ってみせている。
 開けようとしていた扉から手を離し、イオナは呆れたように肩を竦めた。

「何時間ほど待っていたんだ?」
「ざっと二時間くらいかしらね。一人で出ていくんだろうなとは思ったけどそれがいつかまでは分からなかったし」
「……一応貴方がたの世話になっている身だからな。もしハルナらが敵意を持っていたらと考えれば迂闊に前面に押し出す訳にもいかないだろう」
「まあそれは分からなくもないけど、だったらひと声掛けてって欲しいかなって」

 それもそうか、と納得を示し、再びイオナが扉に手を掛けたところで京香は慌ててその手を遮った。小さく首を傾げる少女に、彼女は軽く声を荒げる。

「で、いきなりなんで出ていこうとする訳?」
「先の会話で、私は貴方に外出することを知らせた事になるだろう、なら出て行ったところで問題は」
「大アリに決まってんでしょ。ハルナとの接触は私も立ち会う、それは覆さないから」
「……何故そこまでリスクを背負いたがる?」
「……逆に聞くけど、霧って今回みたいな搦手を使ってまで個人を狙うほど人間を憎悪してるの?」
「それはないな、人類に対しての敵対行動はあくまでもアドミラリティ・コードに従ってのみの事だ。霧の各個体が明確に敵意を持って行っているものではない」

 イオナの否定にほれ見ろと言わんばかりに頷き、京香は口角を上げて笑う。何かしらの意図はあれど、それらは私個人を狙ってのものではないだろうと。
あくまでも『偶然飛ばされた何処かの世界における、霧と接触を持った人間の一人』に過ぎない人物をわざわざ殺害する必要がどこにあるか、と考え始めた辺りで、その疑問は無駄なことだと悟る。
 現時点で確認できるハルナらの行動自体が、元の世界に帰った時点で一切の関わりが絶たれるであろう存在を始末するためだけに掛けるような手間ではないのだから。

「それに、気付いてないかもしれないけど、最初に会った時とかなり話し方が変わってるからね」
「……何?」
「どういう理由かは知らないけど。この間言ってた精査したいデータっていうの、ひょっとしたら関係あるかもしれないでしょ」
「ああ、なるほど。ハルナとの接触で新しいデータが増えるかもしれない、という事か」
「そういうこと。だから出来る限り直接確認したいのよ、そちらも長居する気は元々ないでしょうし、こっちとしても『技術力に開きのある敵性艦』に長居されると困るって訳」

 京香が話す内容を受けて、やがて諦めたようにイオナは首を振り、そして扉をゆっくりと開く。扉の隙間から吹き込む冷たい風に眉をひそめた京香が、街灯の下に佇む人影に気付くのに、さして時間は必要なかった。警戒心がごくりと喉を鳴らし、輸送隊の駐屯地到着を知らせるサイレンが、緊張感を耳から刺し入れる。
 やがて街灯の光を抜けて歩いてきたのは、銅鐸のようなシルエットのコート姿。金髪ツインテールのその少女は、京香、イオナと数mの距離まで近づいたところでぴたりと足を止めた。

「霧の艦隊、大戦艦ハルナだ。お前が此処の指揮官か?」

 京香の背筋を、恐怖心が強くなぞった。



[40522] 番外之弐-蒼き鋼-【Depth.010】
Name: 秋月紘◆40946174 ID:a8fe6c35
Date: 2018/02/09 00:44
 ハルナと名乗った少女はそこから一歩も動こうとせず、ただじっと京香の返答を待っているように立ち続けていた。即答する事もできず、順当に返事をするには長すぎる時間を無言で越え、京香は眉間に皺を寄せる。数分ほど前にイオナへああ言ったものの、いざ敵性かもしれないメンタルモデルを目の前にすると、流石に余裕ぶるにも限度はあったのだ。

「……ええ、そうよ。私がここの司令官、華見京香」

 そして、返答に不用意な間を作ってしまった以上ごまかすことも難しいと判断したか、隠し立てすることなく京香は彼女の問いに答える。しかしハルナはその答えに眉一つ変えることなく、じっと立ち続けていた。
しかし、不審に思った京香の手がそろりと腰の刀に触れた時、ハルナが動きを見せた。前でキッチリと閉じられていたコートが開かれ、黄色の光が電撃のように地面を打ち地面に不規則な傷を刻む。そして襟に隠されていた口元が見えれば、それは文字通りの警告を二人に向けて放った。

「命が惜しければ刀から手を離すことだ。今は事を荒立てるつもりはない」
「……分かったわ」
「……横須賀港で私たちと交戦した時から随分と心境に変化があったようだな?」

 京香を背に守るように半身を差し出し、イオナはハルナの方へとわずかに険しくなった視線を向ける。だが、ハルナは依然として表情を微塵も変えることなく、一歩、また一歩と二人の前へと歩み寄ってくる。やがて一足飛びで懐へと行けるほどの距離まで互いのつま先が近づいたころ、少女は小さく頭を下げた。

「先程の非礼を詫びると同時に、マヤの入港許可に対して礼を言わせてもらおう」
「……マヤとヒュウガ達が接触したか」
「まあ急な話だったからちょっとバタついたけど、一応叢雲たちにも話はしてたからね」
『ふ、やはり同じ霧の居る此処を選んだのは正解だったようだな。説明の手間も省けるというものだ』

 不意に、三人の物とは異なる声が耳に入る。驚いたように周囲を見回す京香と、どこか呆れたような視線をハルナの足元に向けるイオナ。隣に立つ少女につられてコートの裾へと目を向けてみると、その後ろから、のそのそとゆっくりした動きでピンクと白色の物体が姿を現した。
 雪にまみれた体を勢いよく震わせ、腕のような何かが全身にまとった雪を払い、やがて水分で黒く沈んだ色の熊のぬいぐるみが、わざとらしく胸を張った。

「私は霧の大戦艦キリシマだ。手短に言うぞ、我々はお前達と話をしにきた」
「それは良いんだけど、その熊がキリシマ本人ってことでいいの?」

 京香のもっともな疑問に、キリシマと名乗った熊はうむ、と鷹揚に頷いた。



【Depth.010】



「え、このぬいぐるみもイオナさん達の仲間なんですか?」
「ぬいぐるみじゃない、メンタルモデルだ。というかそもそも我々と401は仲間ではない」

 数十分の後、一人と一体は京香とイオナの案内を受けて客間へ通され、そしてハルナと同様、当たり前のようにぬいぐるみの方も茶や茶菓子を要求しそれを飲み下す。やがてマヤの接舷作業を終えたらしい明石がそこへ現れ、当然のごとく飲み食いを行うキリシマへと興味深そうににじり寄ったところで、彼女は司令官による制止を受けた。

「それで騒がしいのが居ないうちに話を進めたいんだけど、貴方達の目的について改めて聞かせてもらっても構わないかしら」
「……タカオ型は煩いのが特徴でな」
「風評被害はやめてもらえる?」

 眉間に皺を寄せて問う京香に同意を見せつつ答えるキリシマ、そしてその二人を相席しているタカオが不服そうに睨みつける。マヤのメンタルモデルはというと、彼女が随伴してきた輸送艦隊に合わせて入港し、出迎えた叢雲達の内数名と、ヒュウガの監視の元駐屯地内の一部区画を見学している最中となる。
はじめは全員を集めた上で話を聞くつもりであった京香だが、あまりに緊張感の無い振る舞いに相席を諦めざるを得なかったのだ。

「あー、そうだな、残りの二人は落ち着いているし全員が喧しい訳ではないな」
「私を喧しい方に含めるのをやめろと言っているんだが、大戦艦キリシマの演算能力も随分と地に落ちたものだな」
「ハルナとイオナだけ残した方が良かったみたいね?」
「……失礼ながら私も同感です」

 京香の言葉に恐る恐る頷く明石を見て、メンタルモデル二人の言い争いがぴたりと止まる。それを見計らってか、同じタイミングで湯呑から口を離したイオナ、ハルナの両名がゆっくりとそれをテーブルへと置いた。

「……我々の目的だが、一つはそこの401等と同じと考えてもらって構わない」
「我々霧が現在置かれている状況の原因究明および解決、ね」
「ああ。それからもう一つ、探してもらいたい人物がいる」
「人探し、ですか?」

 疑問符を浮かべる明石の手元のタブレットを見、ハルナはそれを寄越せと手招きをする。渋々彼女がそれを渡すと、ハルナは受け取ったタブレットに一枚の人物写真を表示させた。見覚えがない、と首を傾げる京香と明石の両名とは異なり、それを見たイオナの眉が、ピクリと小さく動くのをハルナは見逃さなかった。

「刑部蒔絵。我々の同行者であった少女だ」
「……なるほど、お前達の手に渡っていたか」
「否定はしないが、彼女自身の意思だと言わせて貰おう。とはいえこの事象に巻き込まれたのが我々霧のみである可能性も捨て切れてはいないのでな」
「もし同じようにこちら側に来てるのなら合流したいってことね。千早君の例もあるし、一応調べてみるようにはするわ」
「話が早くて助かる」

 ハルナはそう言って小さく頭を下げる。しかし、京香の発言に思うところもあったらしく、少しの時間の後上げられた顔には何やら複雑そうな表情が張り付いていた。

「千早群像も、ここにいるのか」
「……ええ、まあ。随分と話しやすかったから期待してたんだけど、ひょっとして貴方達も人類と敵対してる方なのかしら」
「……悪いが、今この場でその問いに対する答えを口にすることはできん。一つ言うなら、401の味方という訳ではないのは確かだがな」

 若き司令官の疑問に対し、いつの間にやらぬいぐるみの頭部部分を外していたキリシマが神妙な面持ちで答える。その言葉に表情を強張らせる明石を気にすることもなく彼女は再び湯呑を呷った。

「まあともかくだ。先程も言った通り、私達はあくまで私達自身の目的のために動くし、お前達と事を構えるつもりは現状ない。蒔絵の捜索、並びに本事象の解決に協力してもらえるのであれば、我々もそこの401のように力を貸そう」
「ただ、キリシマは見ての通り。それに私の船体は人目に付かぬよう隠してある、今この時点では戦力として出せるのはマヤのみと思ってもらえると助かる」
「過剰戦力だって言いたい所だけど、状況が状況だけにねえ……」

 どうするんですか、と言いたげに明石から向けられた視線を受けて、京香は唸り声を上げる。実際のところ選択肢らしい選択肢はなく、返せる答えは一種類しかなかったのだが。

「……分かった。霧の大戦艦ハルナ、並びにキリシマ、マヤ。貴方達三名を歓迎するわ」
「よろしく頼む。大戦艦の名に恥じない働きをしよう」
「それなら私から一つ提案がある」

 京香の言葉に頷くハルナを見て、イオナがぴし、と手を挙げる。何事か、と振り向いた京香に向けて少女が語ったのは、彼女にとってはいささか荷が勝ちかねない提案であった。

「正直なところ、口約束でしかない協調を信用出来るほどお前達とは仲が良かった記憶はない」
「奇遇だな、我々もだ。だから、お前は私たちのキーコードを領収しておきたいのだろう?」

 ハルナの問いにイオナは迷う素振りもなく頷く。考えることは同じだったようで、そしてハルナの返答もまた、おおよそ分かり切っていた内容であった。

「あいにく、キーコードを明け渡すほどお前を信用していないというのは此方も同様なのでな」
「だろうな。そこでこれを使う」
「それ、私のタブレットですよね?」

 困惑する明石を余所に、イオナはハルナ達に再度タブレットを見せる。そこには『蒼き鋼』のエンブレムと、イ401、そしてタカオの名前が表示されていた。
詳細を見るまでもなく、彼女はイオナの言わんとする意図に気付く。そして少しの逡巡の後、諦めたようにハルナは小さなため息を吐いた。

「……なるほど」
「あくまで限定的な機能のみだが、華見司令の持つ携帯端末と量子通信を使用したリンクを形成している」
「キーコードの一部を用いた最終安全装置という訳か。……良いだろう」

 そうしていくつかの操作を経て、京香の手元へとタブレットが預けられる。恐る恐るといった様子でその画面に表示されているアイコンに指を触れてみると、各メンタルモデルの艦名と、その横にボタンが表示されているのみのシンプルなインターフェースが現れた。

「我々双方のキーコードを同期したセーフティだ。ハルナ、キリシマ、マヤは私を旗艦登録していないので有事の際はそちらで動きを管理してくれ。貴方や群像が直接狙われた場合は、こちらでモニターしている内容を基に攻撃を抑制する」
「その攻撃行動っていうのは?」
「火器管制、クラインフィールドによる力場形成、直接的な戦闘行動を一括でだ。煩わしい事この上ないが、保険というなら仕方ない」

 やれやれ、と肩を竦めるキリシマを見て、ふと疑問が一つ浮かぶ。先程イオナは『同期』と口にしたな、と。

「……名前があるってことはイオナやタカオ、ヒュウガも対象ってことなのね」
「当然だろ。こう言っては何だが、我々は互いに互いを信用していない。……目的が共通しているとはいえ、本来の立場関係でいえば味方ではないのだからな」
「難儀なことね」
「……人間はもっと難儀だって聞くけど」

 ぽつりと呟かれたタカオの言葉に眉をひそめながら、京香はテーブルに置かれている煎餅に手を伸ばす。喉まで出かかった言葉を飲み込むようにかじったそれは、暖房の中、誰にも手を付けられず残っていたせいか、心なしかしっとりとしていた。



 その後、京香や明石による駐屯地内の案内と、私室の充当が終わったあたりで、ハルナが二人に対して口を開く。要求自体はそう変わったものではなかったが、とはいえ京香らにとっては即答できる類いの内容でもないのが問題であった。

「深海棲艦相手にわざわざ貴方達の船体を持ち出すのも過剰戦力なのよ。かと言って戦闘をせずに同行する、となればウチの艦娘の士気にも影響出ちゃうしちょっと、ね」
「映像記録ではダメなんですか?」
「タカオが名古屋沖での艦娘と深海棲艦の戦闘観測データを上げてはいたが、もう少し正確な物が欲しい。共同戦線を張る以上、知識があるに越したことはないだろう」

 それはそうなんだけど、と言葉を濁す。京香からすれば、霧の艦隊そのものが半分秘匿情報のようなもので、この営内でも戦力としての『霧』を知っている者は少数に限られる。ましてや、彼女ら自身が長期間の滞在を目的としていない、いわば訪客に過ぎない事を考えれば、京香達の問題である深海棲艦相手の戦いにメンタルモデルらを駆り出すのもいささか気が引けた。

「貴女方がこちらの問題に巻き込まれている以上、我々としては同じようにそちらの問題に巻き込んでもらっても構わないんだが」
「そうしたいのは山々なんですが……」
「技術力が完全に別次元な以上、あんまり目立たせちゃうと上とかがうるさいのよ。何で初めからそれを使わなかったー、ってね。そういうの相手に一から説明するのも面倒くさいし、納得できるか怪しいでしょ? せめてこっちでの公称通り艦娘に近いとか、極端に性能差がなければ言い訳も聞くんだけど……」
「……」

 京香の半ば愚痴のような呟きに目を細め、何事かを考え込むようにハルナは黙り込む。やがて何ごとかに思い至ったのか、彼女の周囲に黄色い光の円環が現れる。

『マヤ』
『はいはーい』
『函館の輸送艦隊に同行させていた時の事なんだが、戦闘は発生したのか?』
『んー、戦術ネットワークもどきにもアップロードしたけど、小規模な戦闘が一回だけだったよ。データいるんだったら共有しよっか?』
『助かる』

 無言で立ち続けるハルナを怪訝な目で見つめていた京香が、何をしているのかと声を掛けようとしたその時、円環の一部に長方形のフレームが現れ、そこに数枚の画像が表示された。

「……マヤは、どうやら我々が想像していた以上に経験値を蓄積していたらしい」
「……イオナを迎え入れた時からずっとトンデモだとは思ってたけど、まさかここまでとはね」

 そのフレームには、艦娘『摩耶』とよく似た形状の艤装を身に纏い、他の艦娘たちと同じように戦闘に参加しているマヤのメンタルモデルと、まるでマヤの搭乗艦でしかないと言いたげに『実弾』を用いて迎撃行動をとる船体とがそれぞれ大写しになっているのだった。


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