______夢だった。
桜は静かにそれを見つめていた。いつからそうしていたかは自分でも分かりはしない。
川。いや、滝か。流れる水に二人の男。睨み合っていたその男たちは、やがて互いに向けて剣を構え走りだした。赤のマントと青のマント。二人を象徴するような衣装と、彼らの纏う魔力。その速度は大凡、人のなせる技ではない。しかし、桜はその光景をゆっくりと見つめていた。二人は何かを叫んでいた。何を叫んでいるのか、あるいはその言葉に意味は無いのか。
きっとそれはこれが彼の感覚だから。彼にとって、この剣戟にはそれだけの思いが詰まっていて、互いの言葉に意味は無い。伝えるべきことは剣を通してでしか相対する彼には伝わらない。構えた刃が奔り出す。そこに技は無い。策も技もすべて出し尽くし、残ったのは単純な切り払い。それは互いに同じ。二本の刃が交わる。苦しみ、憎しみ、そして、悲しみを乗せて____。
◇◇◇
「………遠坂、行こう」
薄暗い部屋の中、絞り出すようにシロウは呟いた。散らかった寝具。引き裂かれた障子。外れた戸。全てが終わりを告げたような空間で、シロウだけが静かに立ち上がった。
「………行くってどこへ?」
凛はその姿を目で追うことしかできなかった。目に微かに溜まる涙が月明かりを映す。立ち上がったシロウは、桜を抱きかかえると寝室へと運び入れ、数秒後には再び姿を見せるとふすまを静かに閉めた。
「行こう。さっきの様子ならセイバーはまだキャスターの呪いに対抗している。急がないと手遅れになる。セイバーたちを助け出すなら、_____今だ。」
凛はシロウを見た。決意の籠った表情だった。純粋。純真。愚直。それは透明で果てしなく硬い意思。思わず凛は気圧されていた。だが、魔術師としての彼女が誰よりも冷静に事態の分析を終えていた。目をシロウから逸らす。
「___無理よ、衛宮君。私たちはサーヴァントを失ったの。
_______もう、闘う術は無いの」
それは敗北。最早聖杯戦争での敗戦は紛れもない事実だった。
「いいや、遠坂。セイバーはまだ闘っている。今、助けに行かなきゃ、本当に手遅れになる」
「そんなこと………ッ!」
そんなことは凛も分かっていた。だからこそそれ以上は言葉にならなかった。セイバーは確かに呪術に抗っていた。それも時間の問題だ。だが、それを考慮しても。もう自分たちには彼女たちを取り戻せる術がない。この状況を打破できるカードが何も手元に残っていないのだ。
凛が言葉を飲み込み、シロウは表情を一層強張らせた。重い空気が部屋を包む。シロウの瞳は「それでも」と唱え続け、凛の口元は「だとしても」と歪んだ。
月が雲に覆われ姿を現す。そんな光景が数度繰り返された。
「あらまあ。こりゃ、お通夜状態だな」
沈黙を破ったのは第三者の介入だった。長く伸びた青の髪を夜風になびかせ、真紅の槍を担いだその男は、縁側に立ち部屋の中を見ていた。
先に反応できたのは凛だった。先ほどまで構えていた宝石を握る手に再び力が籠った。次いでシロウは部屋に備え付けていた木刀を手にし強化の魔術を施す。それを見ていた男は、ニヤリと笑みを作った。不思議と嫌みのない笑みだった。
「待て待て、俺はお前たちに協力しに来たんだ。とっとと戦意喪失して立ち直れないんじゃないかと心配もしたが、その様子なら大丈夫か」
そこで男、ランサーは言葉を切った。凛もシロウも依然警戒は解かない。そのことについて、ランサーは文句をいうどころか感心していた。
「分かっている。セイバーとアーチャーがキャスターに奪われたんだろ」
「何であんたがッ‼?」
「そんなお前たちのサーヴァント奪還の手助けをするために俺は此処に来たからだ。
協会がアーチャーの、いや、キャスターの襲撃を受けた。つい15分ほど前の事だ。俺のマスターはキャスターのところに戦力が集中することを快く思っていない。そこでお前たちのサーヴァント奪還を手助けして来いと俺は命じられている」
分かったか?という無言の問いかけに凛とシロウは顔を見合わせた。想定外の相手からの協力に面喰ったのが半分、ランサーを信用してよいものか判断できないのが半分だった。
シロウが静かに口を開いた。
「遠坂、この話受けよう。俺たちは何が何でもセイバーたちを奪い返さなきゃいけない」
敵の協力を受けることはシロウにとって苦渋の選択だった。だが、それ以上にセイバーを救うことが最優先だった。
「ええ、そうね。………ランサー、お願いできるかしら?」
「ハッ、潔いねえ。だが悪くねえ」
ランサーは担いでいた槍を下した。それに合わせるように凛が宝石をポケットに戻し、シロウは木刀を下した。ランサーは一息つくと再びシロウと凛を見据えた。
「それでキャスターは協会に居るんだな?」
「ああ、監督役の言峰綺礼がどうなったかは不明。おそらく奴らは次の根城を協会に構えるつもりだ」
「………だったら急ごう。協会だ」
シロウは一歩目を踏み出した。それを見たランサーが笑いを漏らす。陣を組み直されれば、協会のキャスターの攻略は困難になる。早ければ早いほど良いのは確かだった。たとえシロウに焦りを感じようとも。槍を担ぎ直すとシロウに道を譲る。シロウに凛が続いた。二人の背を見つめる形でランサーが屋敷を後にする。若き魔術師たちに向けられた目は彼らしい暖かなものだった。
三人が屋敷を出た直後、静かにふすまが音を立てた。壁に手を付き屋敷の門を見つめた少女は、静かに歩みだした。
◇◇◇
協会地下。キャスターはセイバーを縛る魔力の縄を完成させていた。協会襲撃は予想通りあっけない物だった。如何に監督役とはいえ、此方は英霊の位の存在。人間の魔術師風情に後れを取るわけがない。襲撃に要した時間はほんの数分。警備にアーチャーを配置し、キャスターが初めに手を付けたのはセイバーの対応だった。協会地下の中心に縛りつけ、気絶しないように魔力を注ぎ続ける。苦痛を与え、決して解放はしない。その力加減をキャスターは心得ていた。そして、そのセイバーの苦痛の声を聴きながら次に手を付けたのは、前回までの聖杯戦争の資料だった。キャスターが協会を手に入れた理由の一つだ。
魔術師の位のサーヴァントの自分ですらわからない疑問が、この聖杯戦争という大がかりな儀式にはあった。まずは聖杯を手にする権利。戦いに勝利したものに聖杯が与えられるのか、それとも聖杯が現界したときにはすでにそのサーヴァント以外が消滅しているのか。この聖杯戦争自体を儀式と考えれば、必要なのはおそらく時間。過去の聖杯戦争はどれも常に2週間ほどで決着している。つまり、この聖杯降霊の儀式には2週間の時間を要するのだ。だとすれば、聖杯の器をその前に手に入れてしまえば聖杯の所有権が確定する。ならば、その器はどこに存在するのか。その確率が最も高いのは此処のはずだった。これこそがキャスターの最大の目的だった。だが、此処に器は存在しなかった。ではどこに?此処以外の
保管場所にキャスターは心当たりがなかった。ならば、その手がかりを探し出すまで。
キャスターは考えるように振り返った。その先には縛りつけられたセイバーの姿があった。キャスターの口元が歪む。魔力が電流となり、セイバーの体に走る。セイバーの表情が一層苦悶に歪んだ。それを見るのがキャスターには愉しくて仕方なかった。セイバーの口からは呻きが漏れ、キャスターを睨み付けたのを最後に気を失った。
「キャスター、お楽しみのところ申し訳ないが敵襲だ」
気晴らしを終えたキャスターに伝わったのはアーチャーの警告だった。
「あら、どこのバカなサーヴァントかしら?」
「ふん、察するにランサーだ。単身乗り込んできたと見える。近くにマスターの姿も、他のサーヴァントの姿もない」
キャスターは一瞬思案した。この状況で乗り込んでくるということは何らかの勝機を見出したということだ。だが、それに見当を付ける前にそのサーヴァントを笑い飛ばしていた。大方、陣地を築かれる前に攻め込もうということなのだろう。つまり、勝機ではなく仕方なしの特攻。たしかに此方は近接での戦闘を苦手とするキャスターのサーヴァント。しかし、二つの駒を持ってすれば単身の敵など恐れることは無い。
「アーチャー、迎え撃ちなさい」
「………了解した」
協会の正門の前。キャスターに報告を終えたアーチャーは口元を真一文字に引き締めた。対照的に目の前にはニヤリと笑う青の槍兵。その目はギラリと飢えた獣のように輝いている。その風貌からアーチャーは学校での緒戦との決定的な違いを感じていた。
「報告は済んだかい?始めても問題は?」
ランサーが真紅の槍を構えた。切っ先が鋭く光る。アーチャーは静かに息を吐いた。この相手、推察が間違いでなければ彼の名高い半神半人の英雄。真名をクー・フーリン。ケルト神話にて崇め奉られた、紛うことなき真の英霊。
力、及ばず。
魔術、及ばず。
____疾さ、比べものにもならず。
しかし、闘いようならある。両手に描くは黒白の双剣。胸の前で交差するように構えた。
それをランサーは開始の合図と受け取った。風を切り裂き、神速の槍の応酬が始まる。槍術に対してアーチャーの得物は双剣。間合いを誤れば即座に一突きにされるが、逆に言えば間合いさえ保てば決め手となる攻撃は直線的。曲線を描く薙ぎは云わば捨て歩。往なし、受け、最小限の動きでカバーしつつ隙を探る。まるで示し合わせた剣舞。互いが最善の手を打ち続けるからこそできるわずかな拮抗。だが、やがて地力の差が剣舞に乱れを引き起こす。
“ヒュュュュ”
伸縮しているかと錯覚するほどランサーの槍術は巧みかつ疾い。誘いと知れても、すべてを躱すことは叶わず頬を槍がかすめる。しかしアーチャーに焦りは無い。無論、不利は承知。だが、それ以上に此方に有利な状況ではないことを十分に承知していた。一度、間合いをとる。ランサーは追撃しようとはせず、槍を軽く二度三度振り回した。
「何度か、殺すつもりの一撃を放ったつもりなんだがな。大した弓兵だ」
「お褒めの言葉、受け取っておこう。本来ならば、キャスターが此方への意識を向ける余裕がなくなるまでの時間稼ぎのつもりだったのだがな。やはりお前は此処で倒す他あるまい」
ランサーが掛け値なしの賞賛を口にした。それに対してのアーチャーの台詞はランサーにとって不可解なものだった。
「…………貴様、何を言っている?」
「何、簡単なことよ。大方今頃、凛と衛宮シロウが協会の中に潜入、キャスターとそのマスターと交戦中だろう?私もキャスターの隙を見てその助太刀に行こうかと思っていたのだがな。作戦は変更だ。幸い今私のマスターはキャスター。人間としてはいけ好かない女だが、魔術師としてのあれは稀代の魔女に違いない。ここはクー・フーリン、お前を迎え撃つに相応しい舞台だということだ」
「そこまで分かっていて、そして、この俺を誰だか知った上で口にしたな?」
ランサーの目つきが変わる。その思考中にもはや凛やシロウのことは無い。最初から足止めが目的だった。が、この場で殺して文句を言われる筋合いもない。
「彼の大英霊にこの贋作が届くかどうか、試してみるのも悪くはあるまい」
「………よく言った。ならばこの槍、貴様への手向けとしてくれてやる………ッ!!」
ランサーの構えが沈む。左手を地につけ右手で槍を構えた。体重が前に傾く。アーチャーはそれを真正面から見つめた。その表情には慌ても焦りも無い。ただ呟くように詠唱を始めた。
I am the bone of my sword.
――― 体は剣で出来ている
Steel is my body, and fire is my blood.
血潮は鉄で、心は硝子
I have created over a thousand blades.
幾たびの戦場を越えて不敗
Unknown to Death.
ただの一度も敗走はなく
Nor known to Life.
ただの一度も理解されない
Have withstood pain to create many weapons.
彼の者は常に独り剣の丘で勝利に酔う
Yet, those hands will never hold anything.
故に、その生涯に意味はなく
So as I pray, UNLIMITED BLADE WORKS.
その体は、きっと剣で出来ていた
世界が塗り替えられる。紅に____。
空には巨大な歯車。地は丘。無数の刃が身を埋め、地平線の先まで続いている。その世界の主は静かに目を開いた。
「固有結界_____ハッ!おもしれえッ‼
ならば、受けてみよ。この槍をッ!」
ランサーが雄たけびと共に駆け出す。そして跳躍。歯車を背負い、右手を振り上げた。鋭い眼光がアーチャーに狙いを定める。対するアーチャーは手を胸の高さまで持ち上げ目の前にかざした。
「我が全身全霊________‼‼
突き穿つ――――死棘の槍(ゲイ・ボルグ)‼‼‼‼‼‼」
「熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)」
ランサーが放ったのは魔槍ゲイボルグ。発動と同時に心臓を突き刺した結果が完成し、その後過程が結ばれる。それは最早槍としての性能の幅を超え、因果の逆転までも引き起こす。回避不能の呪詛の類。回避も防御も適わない。
一方、アーチャーが展開したのは七枚の花弁。かのトロイア戦争における英雄、ヘクトールの投擲を防いだ唯一の盾。その花弁の防御はそれぞれが古代の城壁に匹敵し、投擲物に対して無敵の力を有する。
まさに矛盾の拮抗。いかなる盾をも貫き、心臓に届くことを約束された槍と、いかなるものをも通さない、投擲に対しては無敵の盾。しかしその拮抗は次第に優劣を見せ始めた。
アーチャーの表情が歪む。既に7ある花弁の3枚は砕けていた。堪える様に歯を食いしばるアーチャーをランサーはただ見つめていた。アイアスの展開には驚いたが、ゲイボルグを放ったランサーにはもはや見守ることしかできない。ランサーにとってゲイボルグは唯一無二であり最強の宝具だった。ゲイボルグは防げない。その自信がランサーにはあった。
だが、その時アーチャーは笑みを浮かべていた。花弁が一枚、また一枚と崩れていく。そして、最後の一枚が砕けた時、ゲイボルグは勢いを失いわずかにアーチャーの頬をかすめるに留まった。力比べはランサーに軍配。しかし、必殺の一撃は必殺とはならなかった。そしてアーチャーにとってはそれで良かった。
瞬間、アーチャーに勝機が訪れた。如何に速いといえど、得物を持たぬ槍兵が一人。地に刺さる刃を無造作に抜き放つと、ランサーめがけて突進した。ランサーもただ座して待つわけではない。瞬時にゲイボルグは主の元へと戻る。ランサーは即座に手に取り構えを作るとして、間に合うかは一瞬の差。迫りくるアーチャーに気が遠くなるほどに時間を遅く感じながら、手元に戻ったゲイボルグを構える。普段よりも一握り短く持ち、速さのみに徹する。
__________だが、アーチャーの突撃はそこで止まった。同じように、ランサーから反撃の一撃が放たれることもなかった。二人が目にしたのは目の前を通り過ぎる真紅の花びら。丁度二人の真ん中を、邂逅を遮るように飛来したその花は、やがて力を失い、地に突き刺さった。真っ赤な薔薇だった。
両者が薔薇に目を向け、次に飛来した方向を見た。人影は無い。ここにきて両者は協会へと目を向けた。戦闘に気を取られ感覚することができていなかったからだ。協会の中には大きな魔力が3つ。一つはキャスター。二つ目はセイバー。もう一つは前者二つにやや劣る。おそらくは凛の物。そして、アーチャーとランサーは異変を感じた。協会内に4つ目の魔力の奔流を感じ取った。それは紛うことなきサーヴァントの物だった。
今夜、最後の踊り手が壇上へと上がった瞬間だった。