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[41012] 愛すべき未来へ(ドラゴンクエストⅥ・アフターストーリー)【完結】
Name: スネーク◆d7bf9510 ID:14971a14
Date: 2015/04/12 11:41
【始めに】

スクエニ板としては初めての投稿となります。宜しくお願いします。
このSSはドラゴンクエストⅥ(幻の大地)のアフターストーリーです。
拙作をお読みいただく前に、次の点に御注意下さい。

・舞台は本編終了(デスタムーア打倒)から一年後の「夢の世界」です。
・主人公(レック)とバーバラは恋人同士となっています。
・このSSは他サイト様(pixiv)にも投稿しております。

以上について問題ないという凄い方は先へお進み下さい。


初期投稿:2015年2月22日
最終投稿:2015年4月12日



[41012] 第1話
Name: スネーク◆d7bf9510 ID:14971a14
Date: 2015/02/22 20:19
自分用に宛がわれた部屋で、窓越しに昇る朝日を眺めていた。
ひょっこりと雲の海から顔を出す太陽の光。
天上に暮らす者にしか見られない、奇跡のような景色。
そんなものを前にしても、あたしの心はちっとも晴れてくれない。


あれから一年。
あたしの時は止まったままだ。
今でも、まざまざと蘇る光景。レイドックの王宮。
現実の世界から、今にも消え去りそうなあたし。
透き通った身体を抱きしめてくれる彼の力は、痛いほどに強くて。
だけど、堪らなく愛おしくて。
こんなにも愛されていたんだって、確かめさせてくれて。


あたしは笑っていた。
どうしようもなく笑っていた。
ボロボロ零れる涙に気にも留めず、笑っていた。
夢の世界へ完全に引き戻される瞬間まで、ずっと。
たとえ嘘でも、彼には最後まで笑顔を見せていたかった。


想いは通じたんだろう。
彼は縋るような声で応えて、でも涙は堪え切れなくて。
それでも、そう、それでも笑いかけてくれたんだ。


あの時、あたしはどうだったのかな。
ちゃんと、最後まで笑えていたのかな。












「ちょっと出かけてきます」

いつものように、ゼニス様の城から下界へ降りる。
朝食後の散歩といった感じで、気楽さを装って。
行き先は、いつも同じ。はざまの世界が消滅したあの日から、ずっと。
いるはずのない人を探して。あるはずもない奇跡を求めて。

「修練の時間までには戻って来て下さいね」
「分かってますって」

見張りに立つ兵士さんの言葉を背に、あたしは空間転移の呪文ルーラを唱えた。
緑の景色に赤が、黄色が混じる。秋に向けて色づき始めた木々の道を抜け、目的地に辿り着く。
レイドック城。かつては不眠王とまで呼ばれた若き君主が治める国。
お城は古びているけど、古臭いって感じじゃない。
一つ一つ、きちんと年を取ってきたというか。
歴史の重みみたいなものが、ひしひしと伝わってくる。


お城を正面から見上げ、いつものようにレックのことを思った。
彼の空よりも青い髪や、黒い瞳や、少し尖った頬骨や、大きな手を思い出した。
初めて彼があの手で触れてくれた時、とても嬉しかった。
レックの髪も、目も、頬骨も、手も。みんなみんな、消えてしまった。
もうどこにもない。記憶の中にしか、残っていない。

「駄目だ、バーバラ」

この城の最上階にある王の間で、二人きりで。
現実の世界に別れを告げる直前、彼が言ってくれたことは今もよく覚えている。

「行かないでくれ」

あの時のあたしは多分、世界で一番幸せな女の子だった。
そんなのは安っぽい少女の思い込みだと言われれば、正しくその通りだろう。否定するつもりはない。
確かに安っぽい思い込みだろう。夢見る少女の幻想に過ぎないだろう。
それでも、今でもはっきりと思う。

「俺には、お前しかいないんだ」

あの時、あたしは世界で一番幸せな女の子だったのだと。
魔王を倒して、世界が平和になって。
最後の最後で二人きりになれて、本当に本当に嬉しかった。
二人で世界中を廻って。いっぱいキスして。そして、いっぱい愛してもらえた。


楽しかった。すごく、すごく楽しかった。
だけど、そんな日々はあっさりと終わってしまった。
あたしを幸せにしてくれた彼の傍には、もう行けない。
思い出と、悲しみと。そんなものだけを残して、夢の世界に引き戻されてしまった。


我知らず、あたしは胸元に手をやっていた。
首から下げた木彫りのペンダントに。
リスを模ったそれは、木彫り細工を得意とする彼の手作り。
究極の魔法であるマダンテを継承する時、目の前にいながら大事な人を守れなくて。
目に見えて落ち込んでしまっていたあたしに、レックが贈ってくれた物だ。
手作りの小さなリスは彼のゴツゴツした手に似合わず可愛くて、温もりに溢れていた。
以来、肌身離さず身につけている。
何度もそうして少し黒ずんだペンダントを、これまでになく堅く握りしめる。


大丈夫。レックの声が聞こえた。
俺が守るから。レックの顔が浮かんだ。
これからも、ずっと一緒だから。そう言って、彼は笑った。


震える手で、あたしはペンダントを胸元にしまった。
どうして思い出はこんなにも強いんだろう。
これからなんて、あたしにはないのに。
そうだ、もう決してないのだ。
これからなんて、ないのだ。


みんなと一緒に、もっと冒険したかった!
あたしだって、レックの傍にいたかった!
ずっと、ずっと一緒にいたかった!


本当はそんな風に叫びたかった。
世界中に響き渡らせたかった。
けれど、叫んだところで現状が変わるわけでもない。


魔王を倒してから一年。
自分に出来る限りの努力を続けてきた。
魔法の修練だったり、世界の成り立ちについての勉強だったり。
全ては魔法都市カルベローナの長として相応しい人間になるために。
もしかしたら何らかの間違いが起きて、レックに再び会えるかもしれないと心のどこかで期待して。


でも、あたしの願いはどこにも届かない。
いくら叫んでも、あたしの声を聞いてくれる人はいない。
あたしは黙り込んだまま、ただ心の中で叫ぶしかなかった。
自分に向かって声を放つことしか、できなかった。


痛いよ、胸が。すごく痛い。
このまま壊れてしまうんじゃないかってくらいに。
ああ、視界が滲んできた。溢れる涙が止まらない。


悔しかった。何もできない自分が。
たった一つの願いも叶えられない無力な自分が。
もちろん分かっている。自身を呪っても仕方ないことぐらい。
でも、それでも自分を責めずにはいられなかった。












ふわあ、と大きな欠伸を一つ。
今日もまた、いつもと変わらず平和なものだ。
見張りなんて立っているだけ。
こう言っては失礼かもしれないが、必要性など全く感じない。
我々のように翼を持つ天空人か、大魔女であるバーバラ様。
天空に浮かぶ城に侵入できる者など、それぐらいしかいないのだから。
そう、だから仕方ないのだ。

「失礼、そこの方」

あまりにも暇で、再び大きな欠伸をしてしまったのとほぼ同時。
突如として響いた厳かな声に、危うく飛び上がりそうになったのは。

「ゼニス様にお目通り願いたいのだが」

そして声のした方に振り向き、絶叫を上げてしまうのも仕方ないことだったのだ。
赤い法衣を身に纏った巨漢が、いつの間にか真横に出現していたのだから。












「久方であるな」

金でも銀でもない輝きを放つ謁見の間。
その小柄な身体には、あまりにも大き過ぎる玉座に身を置くゼニス王に恭しく私は礼をする。

「しかし穏やかではないな」

首を垂れたままの私に、ゼニス王が語りかける。

「ダーマの預かり手である貴公が直々に出向くとは」

そう、余程のことがなければ有り得ないことだ。
私にはダーマ神殿を守る義務がある。
古より人の生きる道を司る神聖な場所を守る義務が。
預かり手である自分が神殿を離れることは、即ち義務の放棄を意味する。
それでも私はこの地に赴かねばならなかった。
事態は一刻を争うものになりつつあったから。

「面を上げるがいい、ダーマの預かり手よ」

静かな、しかし拒否を許さぬ強さを秘めた声。

「そして教えてほしい。何があったのだ」

顔を上げ、まず飛び込んできたのは神妙な面持ちでこちらを見つめるゼニス王の姿だ。
一見すれば、小柄の老人にしか見えない。
しかし腕に覚えのある者が相対すれば嫌でも思い知らされる。
枯れた年寄りという外見によって巧みに隠された、莫大なまでの魔力が。


そう、この方は間違いなく夢の世界を統べる者。
海底のポセイドン王、現実世界のルビス女王と並ぶ超越者なのだ。

「彼の者が目覚めました」

私は端的に告げた。
それだけでゼニス王は全てを理解した。
誰も目から見ても明らかなほど、その顔が強張った。

「本当なのか、それは」

十秒近くの間を置き、ゼニス王は訊ねた。
やはりと言うべきか、その声は少し震えていた。











[41012] 第2話
Name: スネーク◆d7bf9510 ID:14971a14
Date: 2015/02/28 12:23
瞼を閉じ、心の中でルーラを唱える。
目的地を思い描いて目を開けると、辺りは一変していた。
最初に目に入ったのは青い空。
眩い日差しに照らされた柔らかな草地。
しかし陽光は、あたしに直接は降り注いでいない。


あたしの上には影があった。
人の夢を支える神殿の長い影が、のしかかるように伸びていた。
ダーマ神殿は人目を避けるように、ひっそりとそびえ立っていた。
辺りは静かで、近くに生き物のいる様子はない。
古来より長く人里と隔てられてきた土地の、侵し難い気配ばかりが漂っている。

「ダークドレアム、か」

ぽつりと呟く。
それが破壊と殺戮をもたらす神の名前。
大魔王を遙かに凌駕する力を持ち、魔王すら糧とする伝説の悪魔。


気になってはいたのだ。
グレイス王によって現世に召喚されたはずの大悪魔が、どこに行ってしまったのか。
でもまさか、ダーマ神殿の地下に封印されていたなんて思ってもみなかった。
だけど意外だと驚く一方で、妙に納得している自分がいるのも、やっぱり事実なわけで。
あの魔神の存在は、言ってしまえば悪夢そのもの。
そんな奴を封印できるほどの力を持つ場所は、この神殿を除けばゼニス城ぐらいしか候補は残らない。


あたしは緊張していた。
堅牢な城を半刻も待たずに壊滅させた悪魔を相手に、たった一人で立ち向かう。
クラウド城を発つ間際、一緒に来たいと申し出てくれる人もいたけど全て断った。
何しろ今回の戦いは次元が違うのだ。
あの大魔王デスタムーアですら、その存在と強さを恐れた怪物が相手なのだ。
夢の世界を守護するだけの力を持つ彼らであっても、全然足りないのだ。
だから、あたしが戦うしかない。


真っ先に敵陣へと切り込んでくれたハッサンやテリーはいない。
戦局を見通して治療や援護に回ってくれたミレーユやチャモロもいない。
まるで本物の家族であるかのように、いつだって笑顔で温かく迎え入れてくれたターニアやジュディもいない。
それに何より、レックがいない。いかなる困難にも立ち向かう勇気を与えてくれる彼が、ここにはいない。
正真正銘、たった一人で挑むしかない。

「馬鹿だな、あたし」

そう言って、あたしは自分の頬を両手でパンパンと叩いた。
ここに来たのは不安になるためなんかじゃない。弱気になるな。
あの大悪魔に対抗できるのは、あたししかいないんだから。


よし、と頷く。

「行きますか」

大きな声で言った。
他でもない、自分自身を励ますために。


神殿は空っぽだった。
そこには誰もいなかった。誰一人。
みんな、どこかへ逃げ出してしまったのだ。
まあ、当然か。大悪魔が目覚めた今、この神殿が安全である保障なんてどこにもない。


しんと静まり返った神殿の中を、一人歩く。
青い炎が左右対称に六つずつ。巨大な燭台の上で燃え盛る祭壇の奥に、地下への入口があった。
迷うことなく、突き進む。しかし階段を降り切ったところで、

「え」

思わず、間抜けな声を上げてしまった。


目の前には、鮮やかな緑が広がっていた。
壁一面に生えた苔が、洞窟内部に辛うじて届いた光を浴びてぼんやりと浮かび上がる。
足元では透き通った水が、ひそやかに流れ過ぎていく。


この場所を、あたしは知っていた。
アモール北の洞窟。初めてレックと出会った思い出の地に、あまりにも酷似していた。












ひんやり湿った闇の中、あたしは目を覚ました。
すぐ横では透き通った水が心地良い音を立てて流れている。
清き水と謳われるアモール川だ。
身体に必要な栄養素を豊富に含んでいて、味も格別だという噂だけど。
残念ながら、今のあたしでは真偽を確かめることはできない。


透き通った身体は、何も触らせてくれない。
いくら話しかけても、誰にも気づいてもらえない。
どうにかしようにも、自分の名前以外は何も覚えていない。


先の見えない不安に怯えて、あたしは人里から逃げ出した。
アモールと呼ばれる町の北部にある、薄暗い洞窟に身を潜めた。
ここだったら大丈夫。少なくても、自分の存在に気づいてもらえないという現実から目を背けてはいられる。
入って程無くして行き止まりになる、何もない洞窟に好き好んで訪れるような人なんているはずがない。

「もうちょっと、寝よう」

唸るように呟いて、目を閉じる。


できることなら、ずっと眠っていたい。
突きつけられた現実は、直視するにはあまりにも厳し過ぎるから。
水のせせらぎに耳を傾けつつ、私はそっと目を閉じた。
意識が緩やかに遠ざかっていく。


――あれ?


完全に眠ってしまう直前、小さな疑問が意識の隅っこに流れた。


――そう言えば、今、何時なんだろう?












二度寝の時間はどれぐらいだろうか。
洞窟の中にいる以上、外の様子なんてほとんど分からない。
まだ少しばかり身体は眠っていたいらしく、動くのも億劫なので、あたしは横になったままでいた。
んー、と言葉にならない声を洩らして寝返りを打っていると、不意に規則的な音が響いた。
近くじゃない。洞窟の入口の方からだ。
ぼんやり霞んだ頭で耳を澄まし、聴き取ってみる。
足音だ。ゆっくりと、だけど確実に近づいてくる。一歩ずつ、一歩ずつ。
まるでホラーだな、と心の中で苦笑する。
やがて足音が止まる。あたしの前で。

「おい」

男の人の声。

「起きてくれ」


――ああ、あたしに言ってるのかな。


何だか、ふわふわしている。
薄く開いた瞳に映る景色には現実味がなくて。
もしかしたら、これは夢なのかもしれないなんて考えてしまう。


そのうち声が止んだ。
だけど足音は更に近づいてくる。

「起きろって」

その声は現実味を伴って、やけにはっきりと聞こえた。


疑問符が浮かぶ。
さっきまで、夢だと決めつけていたけど。
でも、本当に?これって、本当に夢なのかな?


程無くして、身体を揺さぶられた。ゆさゆさ、ゆさゆさと。
そう、揺さぶられているのだ。
夢じゃない。気のせいでもない。
その手は確かに、あたしの身体に触れている。


思いがけない事実に気づき、あたしは跳ね起きた。
勢いのあまり、起こしてくれた人影と互いのおでこをぶつけてしまう。
突然の痛みに悶えていると、件の人影が顔を覗き込むようにして正面に立った。


青年だ。
いや、ちょっと違うな。
身体つきは完璧に大人のそれなんだけど。
でも、彼の場合は男の子って言った方が、しっくりくるかも。
ありきたりな言い方をするなら、それなりに端正な面立ちをしている。
眉は少し細く、口元はしっかり締まり、こちらを見つめる黒い瞳はとても綺麗だった。
深い青を湛えた髪は無造作に整えられていて、清潔感がある。
ぱっと見た限り、身長は百八十ぐらいだろうか。いや、もう少し低いかな。

「おはよう」
「あ、うん、おはよう」

とりあえず挨拶を交わす。
平静を装っているけど、実のところ、あたしはメチャクチャ驚いていた。
だって彼には間違いなく見えているのだ。誰一人として気づいてもらえなかった、あたしの姿が。


ねえ、と声をかける。

「見えてるんだよね」

確かめずにはいられなかった。
ここにいるって。ちゃんと見えるって。
彼の口から、きちんと聞きたかった。
だけど彼は質問には答えてくれず、視線を落とした。
腰につけた革製の道具袋に手を突っ込み、小振りの瓶を取り出す。
硝子で作られたその瓶の中は、真珠のような光沢を放つ液体で満たされている。


何かをブツブツと呟きながら、ねじ込み式の蓋を引き抜く彼。
よし、と満足そうに一人ごちたかと思ったら、いきなり彼は瓶をあたしに向けて振ってきた。

「ちょっと、いきなり何」

するのよ、という文句は最後まで言葉にできなかった。


雫をまともに浴びた手が、見える。
半透明なんかじゃなくて、はっきりと。
異変はそれだけに留まらない。
腕が、足が、顔が。雫のかかった場所から、透明だった身体が実体を取り戻していく。
時間にして、ほんの数秒。たったそれだけの時間で、あたしの身体は全身くまなく見えるようになっていた。

「やったあ!」

あまりの嬉しさに、思わず叫ぶ。
ぴょんぴょんと、何度も何度も飛び上がる。

「危ない!」

はしゃぎ過ぎて川に落ちそうになったあたしを、彼が片手に抱き止め、引き戻してくれた。

「大丈夫?」
「う、うん」

彼と目が合った。
あと、ほんの数センチでキスができそうなくらいに近くで。
顔が真っ赤になったのが自分でも分かって、慌てて彼から目を逸らす。
逞しいんだなって思った。見た目は細いのに。
あたしのこと、まるで子猫みたいに軽々と抱いたりして。


火照りが収まるのを待つ傍ら、あたしの姿を見えるようにしてくれた彼のことを考えた。
おそらく彼も、あたしと同じ目に遭ったことがあるのだろう。
同じ境遇だったからこそ、あたしを見つけられたんだろう。


そっか、あたしだけじゃないんだ。
もう、一人ぼっちじゃないんだ。


あのさ、という声が重なる。
言うまでもなく、あたしと彼のものだ。

「ん、何」
「そっちこそ」
「先に言えよ」
「ううん、そっちからでいいよ」

お互い、なかなか切り出さない。

「あのさ」

結局、彼の方が折れた。

「その、一緒に来ないか」

おずおずと訊かれ、あたしは固まってしまった。
何を隠そう、あたしもお願いしようとしていたのだから。ついていきたいって。
寂しさから救い出してくれた貴方と、もっと一緒にいたいって。

「もちろん、無理にとは言わないけど」

困ったように目を泳がせながら、言葉を続ける彼。
なかなか返事を返さなくて、不安にさせちゃったかな。
違うのに。嫌なはずがないのに。丸っきり反対だよ。
誘ってくれて嬉しい。すごく、すごく嬉しいんだよ。

「あたし、バーバラ」

ニッコリと笑って、右手を差し出す。
彼は一瞬だけ戸惑って、でも、すぐに笑みを浮かべて。

「俺はレック」

そう、優しく微笑みかけてくれて。

「よろしく」

そして、あたしの手を握ってくれた。











[41012] 第3話
Name: スネーク◆d7bf9510 ID:14971a14
Date: 2015/03/08 14:40
不意に何者かの気配を感じ取り、顔を上げる。
前方の岩陰から、鍛え抜かれた筋肉を惜しげもなく晒す獣人が現れた。
その数、三体。氷の魔力を帯びた鋭い鈎爪を両手に、全員が例外なく填めている。
不気味な唸り声を上げつつ、彼らは徐々に距離を詰めてくる。
上半身を低く構え、今にも飛びかかってきそうだ。


油断なく近づいてくる獣人達を見渡し、あたしは心の内で息を吐く。


――良かった。この程度か。


実を言うと、自分の力が通じるかどうか一抹の不安があったのだ。
この一年、それこそ死に物狂いになって修練に励んだ。
おかげで魔力は段違いに上がったし、新しい魔法も覚えた。
これまで存在すらしていなかった魔法を生み出すなんて芸当もやってのけた。
苦手な体術にも取り組んで、近接戦闘だってこなせるようになった。
でも、それでも不安は尽きず、さっきまで酷く緊張していたのだけど。
どうやら嬉しいことに、杞憂で済んでくれたようだ。












目の前の華奢な娘を見ながら、俺は少し拍子抜けをしていた。
生意気にも俺達の前に立つこの娘は、あまりにもひ弱そうで頼りない。
とは言え、侵入者を始末せよとの命をダークドレアム様より受けている手前、見逃すわけにはいかない。


せめて一息であの世に送ってやろう。
そう決めて一歩を踏み出そうとした時、妙なことが起こった。
娘の前にある空間が、突如として歪んだのだ。
呆気に取られる俺達の前で、娘は当たり前のように空間のひずみに手を入れる。
ひずみから出てきた手は、何かを握っていた。それは一見すると錫杖のようだった。
短剣ほどの長さしかない、お世辞にも武器とは呼べそうもない代物。


あれは一体、なんだろう。
あんな物で、何をしようとしているのだろう。
分からない。分からないが、大した問題にはならないだろう。
この娘が、俺達の速さについていけるとは到底思えない。
いかなる攻撃手段を用いようと、当たらなければ恐れる必要などない。


そして俺達は動いた。
凄まじい絶叫と共に突進し、三方向から同時に爪を振り下ろす。
その一瞬、娘の姿がぶれた。


――何っ!?


そして、空振り。
確実に彼女を捕らえたはずの攻撃は虚しく空を切る。
まるで馬鹿にするかのように、ゆっくりとした動作で俺達の前を通る人間の娘。


――舐めやがって……!


爪で薙ぎ払い、またしても空振り。


おかしい。どうなっている。
ダークドレアム様の配下の中でも一、二位を争う速さを誇る俺達が翻弄されている。
それも、格闘戦に向いているとはとても思えない人間の小娘相手に。


同様の恐怖を同胞も感じていたらしい。
娘に向かって続け様に爪で斬りかかるが、結果は同じ。
幻影でも相手にしているんじゃないかと思い始めたその時、反撃が来た。
錫杖から金色の光が筋となって伸び、鞭のような動きで俺達に襲いかかってきたのだ。


光の鞭は重く、堅く、そして速かった。
たった一振り。それだけで鍛え抜いた俺達の筋肉を深く抉り、呆気なく骨が砕けた。
そんな馬鹿な。こんなはずでは。
戦いに敗れた理由を考える間もなく、俺の意識は闇に堕ちた。












ごく一部の者しかその入口を知らない秘密の部屋の中で、私は物思いに耽っていた。
巨大な黄金の玉座によって巧みに隠された長い長い階段を降りた先に、その部屋はあった。


床の中央には五芒星が刻まれている。
その右手には穢れなき純白の台に抱かれて、鈍く光る銀の珠。
そして左手には銀の珠と同じく座に安置された、燦々と輝く金の珠。
この城を天空に浮かばせるほどの絶大な魔力を持った二つの珠は、それは美しく輝いていた。
金と銀の輝きが私の身体を照らした。私の心の内さえも、容赦なく照らした。


今、この瞬間、バーバラは戦っている。
たった一人で。孤独の中、懸命に戦ってくれている。
しかし、しかしだ。おそらくバーバラは勝てないだろう。


一年前とは比較にならないほど、彼女は強くなった。
稀代の魔女バーバレラと同等、いや、それ以上の魔力を今の彼女は有している。
だが、それでも足りないのだ。
あらゆる魔法の頂点に行き着いた彼女を以てしても、あの大悪魔には届くまい。

「ここにいたのですか」

背後から声をかけられる。
振り返ると、ダーマの預かり手が心配そうな顔をこちらに向けていた。

「預かり手よ」
「はい」
「手伝ってはくれないか」
「手伝う?何を?」
「かなり難しいが、ここでならば可能なはずなのだ」

私は床の五芒星に目を落とし、言葉を続けた。

「夢と現実を繋ぐことが」

私は手順を事細かに説明した。
それはずっと考えてきたことだったので、淀みなく説明できた。
そう、頭の中で何度も何度も繰り返し思い描いてきた内容だったのだ。


ルビスには無理だと言われていた。
実際には、そんなことができるはずがないと。
でも、今は違う。できる。いや、すべきなのだ。

「無茶ですよ」

全てを聞いた預かり手は、顔を青ざめさせながら言った。

「下手をすれば、彼が死んでしまう」

私はニッコリと笑った。

「彼ならやってくれるさ。何せ、あの子が関わっているのだから」
「正気ですか」
「無論だ」

心はブレなかった。定まっていた。

「仕方ありませんね」

やがて肯く声を聞き、私は顔を上げた。
金と銀の珠が、力強く輝いていた。












久し振りに過ごしやすい気候だった。
空は澄み切って、雲なんて一つもなく、風は穏やかで。
まるで春のような陽気に誘われて、私はぼんやりと日向ぼっこをしていた。
日溜まりに座り込んでいると、身体の芯まで温まり、だんだん眠くなってくる。


ゲント族の村に弟と二人で身を置くようになって、三ヶ月。
山奥での生活にも慣れ、わずかながらも長老の役に立てるようになってきた。
夢と現実があるべき姿を取り戻して、もうじき一年が過ぎようとしている。
魔王デスタムーアが滅び、人々は少しずつ笑顔を取り戻していった。たった二人の例外を除いて。


現実の世界を生きるレック。
夢の世界の住人であるバーバラ。
二つの世界を守る戦いを通して深い絆で結ばれた二人は、しかし同じ道を歩むことを許されなかった。


二人が出会ってしまったのは幸せだったのか、それとも不幸でしかなかったのか。
分からない。おそらく本人達にすら。誰にも分からないまま、何もかもが過ぎ去ってしまう。
だが、それでも二人の愛は本物だった。幻などではない。
時を超え、世界を超え、二人は確かに愛し合っていた。
いや、今でも愛し合っているのだ。


半年前まで世話になっていたクラウド城。
そこで修練に励むバーバラの気迫は凄まじいものだった。


彼女は諦めてなどいない。
自らの力で再びレックに会おうと必死に足掻いている。
きっと今日も魔力の底上げを図ろうと自身を痛めつけているに違いない。
そんなことを考えていると、

「何をしているのですか」

という声が頭上から降ってきた。


眠気に霞んだ視界を上に向ける。
と、そこには私と全く同じ顔をした男が立っていた。
顔だけでなく、青い法衣という格好まで寸分の違いもない。
双子の弟であり、最も信頼の置ける相棒であるクリムトだった。

「少し陽に当たってみたくなってな」

ふむ、とクリムトは唸った。

「寒くなる前に引き上げた方がいいですよ。山の天気は変わりやすいですから」
「そうだな」

違和感に気づいたのは、頷いたすぐ後だった。
クリムトは確か、チャモロと共にレイドックへと赴いたはず。
二人を見送ってから、まだ一刻も過ぎていない。
だと言うのに、もう用件を済ませて戻ってきたというのだろうか。考えにくい話だった。
そんなに簡単な問題なら、わざわざ二人を呼びつけなどしないだろうに。


私の疑念に気づいたのだろう。クリムトが笑った。

「気づきませんか」
「何?」
「俺ですよ」

そして突然、クリムトの身体がふやけて歪んだ。


あっと言う間だった。
歪みが収まった時、そこにクリムトの姿はなかった。
そこには黒い瞳を持つ、海よりも青い髪の少年がいる。

「レック」

私は少年の名を呼んだ。

「そなただったのか」

レックはニヤリと笑った。

「そっくりだったでしょう?」

信じられなかった。
変化の魔法、モシャス。
対象の外見だけでなく能力までも投影するそれは、魔法都市カルベローナでも使い手の限られる扱いの困難な代物。
それだけの魔法を二十の齢にも満たぬ者が使いこなしてしまうとは。


そうなのだ。
バーバラだけではないのだ。
この男もまた、バーバラに会うために必死なのだ。
レイドックの復興に向け、目も回るほど忙しい日々を送っているにも関わらず。
ただでさえ少ない自分だけの時間を、山奥の村で独り暮らす恩人のために割いているにも関わらず。
それでも、無理やりにでも時間を作り出し、そして己を虐め抜いている。
全ては、たった一つの願いを叶えるために。

「試してみたかったんですよ」

頬を人差し指で掻きながら、レックが言った。

「伝説の大賢者に、自分の魔法がどこまで通じるか」

あはは、と笑うレック。
整った顔立ちをした男を、私はどちらかと言うと好きではない。
どこか信用のおけない、小狡い者のように思えてしまうから。
だが、この男だったら許せた。
唯一人の女性を一途に愛し続ける、この男だったら。

「見事だった」

だから、素直に打ち明けることにした。

「完璧に騙されてしまったよ」

思ったままに告げた、その時だった。
弾かれたように、レックが空を見上げたのは。

「どうした」

私は訊ねた。

「呼びかけでもあったのか」

相手の心に直接、自らの意思を伝える通信魔法。
それを受け取ったのだろうという推測は、果たして正しかった。

「参ったな」

やがて、彼は言った。

「いい知らせと悪い知らせが同時に転がり込んでくるなんて」












正直に言うと、気が引けた。
レックとバーバラ。伝説の大悪魔に対抗できるのは、この二人くらいしかいないのは認める。
しかし、だからと言って、二人が互いを想う気持ちを都合よく利用していいものなのか。


異世界の存在を呼び出す、召喚という技術。
本来であれば、実体を持つ者には使用できない秘術。
それでも条件さえ揃っていれば、決して不可能ではないだろう。
クラウド城を天空へと浮かび上がらせるほどの力を持つ、金と銀の宝珠。
そして世界に平和が訪れた後も、目的のために修行を欠かさず行なってきたレック。
この二つが揃っているならば、充分だろう。
でも召喚された者は役目を果たした時点で元の世界へ戻されてしまう。
ダークドレアムを倒せば、二人は再び別々の世界に引き離されてしまう。


召喚術の使用に踏み切ったのは、私ではないと思う。
あの二人の人生をどん底に突き落とす覚悟なんて持っていない。
しかしゼニスからの説得に応じた覚えもない。
自然に。そう言うしかない。けれどそれが言い訳でしかないことも承知していた。
自然に。なんて都合のいい言葉だろう。
自然に。そんな風に誤魔化して。


ふと気がつくと、私の足で二、三歩ほどの距離を隔ててレックが立っていた。キラキラと光り輝く床の上に。
かつて魔王ムドーの拠点であった地は、今では現実世界の神である私の住まいと化していた。
金でも銀でもない金属から成る城は、何もかもが淡い色を帯びて輝いている。


現実を統べる拠点であるからには、もちろん容易に侵入を許しはしない。
存在自体が気づかれぬよう、島全体に結界を張り巡らせている。
たとえルーラを使おうとも、結界の力によって無効化されてしまう。
しかしレイドック王家の後継ぎである彼は容易く入ってきた。
それはつまり、神が造りし結界の影響を受け付けないほどに彼の魔力が高いことを示す。


――ああ、やはり。


不本意でも、頼るしかない。
どんなに後ろめたくとも、託すしかない。
二つの世界を救った勇者と、究極魔法マダンテの継承者。
互いを想う二人の強さに、私達は賭けるしかない。

「事態は一刻を争います」

私は厳しい口調で言った。

「既にバーバラは大悪魔の下へ単身で向かっています」
「単身で?」

青い髪の勇者が訊ねる。

「魔王ですら恐れを抱いた悪魔と、たった一人で戦っているんですか」
「はい。ですから」

急がねばなりません、と言葉を続けることはできなかった。
レックは静かな顔をしていた。
これ以上の説明は無用。すぐにでも自らを愛する人の傍へ送ってほしいと、その瞳が語っている

「貴方を夢の世界に送ります」

努めて表情を殺し、私は手にしていた杖を天に掲げた。
途端、杖から真っ白な光が迸り、目に見えるもの全てを白く染め上げる。

「天に浮かぶ城を、ありありと胸に思い描くのです」

その言葉が終わらぬうちに、この世界から彼の気配は消え失せていた。











[41012] 第4話
Name: スネーク◆d7bf9510 ID:14971a14
Date: 2015/03/15 23:08
城が、世界が、ルビス様の顔が、引き裂かれるようにして真っ白に燃え上がった。音が、色が、匂いが、急速に遠ざかる。
そして次の瞬間、俺は自身の身体が果てしなく細かな粒子に分裂してしまうのを感じた。
微粒子と化した俺は、どこまでも遙かに拡散しながら、光のトンネルのような物の中をぐんぐんと駆け昇っていく。


分解された身体。
いつしか胸の内に渦巻き出す恐怖。
眩い光に視界はぼやけ、押しつぶされているかのように全身が痛む。
俺は本当に、夢の世界に辿り着けるのだろうか。
このまま光となって世界に溶けてしまうのではないだろうか。
不安に駆られた、その時。頭に浮かんだのは、現実の世界から消え去ろうとするバーバラの姿だった。
何よりも大切だったのに、この手から呆気なく零れ落ちてしまった最愛の人。
涙をボロボロ流しているくせに、それでも必死に笑顔を作ってみせたりして。


そうだ、恐れている場合じゃない。
こんなもの、痛みのうちに入らない。
このトンネルを越えて、俺はバーバラに会うのだ。
夢の世界に行き、彼女と共に大悪魔を倒すのだ。
だから、そう、だからこそ。


――こんな所、さっさと抜けてやる!


もう恐れない。
迷いはない。不安もない。一刻も早く、夢の世界へ。
ただひたすら願う。すると、たちまちトンネルが収束して輝くただ一点の光となり、俺はそこに吸い込まれていった。












洞窟は地の底深くに折れ曲がり、くねくねと入り組んで続いた。
階段を降りる度に、それまでと全く違う様相を見せて。
例えばそれは、壁一面に鏡が張り巡らされた塔であったり。
鮮やかな緑が飛び交う洞窟に出たかと思えば、てっぺんに一軒家とささやかな庭園を完備した細い塔をいつの間にか下っていたり。
この洞窟の奥深くに封印されているはずである大悪魔、ダークドレアム。
何者かなんて全く分からないけど、どういう性格なのかはここまでの道のりで知り尽くしたかもしれない。
はっきり言って、最低だ。他人の過去を断りもなく勝手に掘り起こすなんて。


月鏡の塔も、旅人の洞窟も、魔術師の塔も。
どれもこれも、レックと一緒に旅した場所だ。
世界に平和を取り戻すために、そして失った自身を取り戻すために。
今ではもう、二度と会えなくなってしまった仲間達と歩んだ道そのものだ。


細部まで完璧に再現された迷宮の中、否が応にも記憶は呼び起こされていく。
世界があるべき姿を完全に取り戻すその時まで、あたし達の気持ちはずっと一緒だった。
昼も、夜も、近くにいても、離れていても、あたし達は互いのことを想い続けた。
彼に話しかける時はいつも嬉しかったし、彼から声をかけてくれた時はもっともっと嬉しかった。


手を繋ぐ度に、心が震えた。
彼が笑ってくれると、あたしも笑えた。
互いの温もりを確認する時は、本当に幸せな瞬間だった。
何度同じことを繰り返しても、全く飽きなかった。
彼の声。彼の目。彼の髪。何もかもが大切だった。
何よりも、自分自身よりも大切だった。
あんなにちゃんと人を好きになったのは生まれて初めてで。
その初めての恋に、あたしは夢中になって。
彼がいればそれで良かったし、他には何も要らなかった。
あたしは、確かに、心の底から、レックを愛していたのだ。


――いや、ちょっと違うな。


愛していたんじゃない。
過去形なんかじゃない。


愛している。
今だって、レックのことが大好きだ。
ひょっとしたら、あの時よりももっと、ずっと。
愛している、なんて恥ずかしい言葉だけど、あたしはその言葉を使う。
決して躊躇いはしない。
誰かに訊かれたら、はっきりと言うだろう。
レックを愛している、と。


レックと過ごす日々は、幸せな瞬間の連続だった。
この先、どんな人と巡り合おうと、レックより素敵な人は絶対に現れない。
あんな時間を分かち合える相手は、レック以外には考えられない。
そのことを、あたしもレックも知っている。
それはとても幸せなこと。そして、残酷なこと。


揺れ動く気持ちのままで一体、何体の魔物を屠ってきただろう。
自身を王と名乗り、最強の爆発呪文を操る悪魔も。
筋骨隆々として逞しい、自らの意思で動く巨大な石像も。
海底に厳重に保管された宝物を守る番人として生み出された古代兵器も。
そのどれもが、今のあたしの敵ではなかった。
白熱球を投げつけ、雷を落とし、氷の矢で串刺しにし、魔力で作り上げた光の鞭を振るって。
八つ当たりでもするかのように、手当たり次第に魔物達を倒していった。


ふと我に返ると、周囲に魔物達の息遣いがまるでなくなっているのに気づいた。
心のモヤモヤを晴らすためとは言え、さすがに暴れ過ぎてしまったらしい。
レックに綺麗だと褒めてもらった夕焼けのように赤い髪は汗で額に張り着き、着ている服はあちこちが裂けてしまっている。
半ば無意識に送り込んでいた魔力を止め、手にしていたカルベロビュートを錫杖の形に戻す。
人差し指に魔力を込めて目の前の空間を四角く切り取って裂け目を作り、そこにカルベロビュートを放り込む。


静かだった。
どこかで水滴が落ちる音がする。
世界中で一番、寂しい場所にいるような気がした。
世界中の誰からも、遠い場所にいるような気がした。


馬鹿だな、と思った。
あたしって、本当に馬鹿だ。
ここまで来て、今更になって泣きたくなってしまうなんて。


あたしは少しだけ笑って、また一人、歩き出した。
袋小路かと見えた一区画から、更に下の層に降りる。
周囲を充分に警戒した上で進んでいくと、やがて一つの街に辿り着いた。

「え」

思わず、そんな声が洩れる。
澄み切った水を湛える運河を巡らせた街は、優しいミルク色に金をまぶした色合い。
全てがものすごく古いようにも見えるし、たった今、生まれたばかりにも見える。
時間を超越した不可思議な街を、あたしはよく知っていた。知らないはずがなかった。
魔法都市カルベローナ。あたしの生まれ故郷であり、彼――レックと、晴れて恋人同士となれた場所だった。












レックと付き合うことになったのは、マダンテを受け継いだ日だった。
カルベローナの長であるブボールが魔王に殺されてしまったその日の夜、あたしは川沿いの遊歩道にいた。
石造りのベンチに腰掛けて、目の前の風景を眺めていた。


すぐ側にいたのに、何もできなかった。
大切な人を殺されたのに、あたしはただ立ち尽くすだけだった。
非情なまでの現実を突きつけられて、ただひたすら落ち込んでいた。


ぼんやりと川の流れを眺めていたら、

「バーバラ」

と、あたしの名を呼ぶ声が聞こえた。
顔を上げると、すぐ横にレックが立っていた。
月の光に照らされて、切れ長の目や、筋の通った鼻や、少し尖った頬骨がよく分かった。

「何だ、レックか」

レックを見上げながら、あたしは言った。

「気づかなかったのか」
「うん。気づかなかった」

もちろん、嘘だ。
ちょっとからかってみただけ。
心から惹かれている彼の声を、聞き間違えるはずがない。

「ひどいな」

ちょっと拗ねたような感じで、レックは呟いた。
レックの前髪はやけに伸びていて、もともと俯く癖のある人だったから、彼の目が見えなかった。
それで彼が本気で拗ねているのか、洒落で拗ねているのか、判断しかねた。
どう対応していいのか分からず曖昧に笑っていたら、彼が顔を上げた。


彼の目は、悪戯っぽく笑っていた。綺麗な黒い瞳だった。
多分、その瞳を見た瞬間から、あたしは彼に惹かれ始めていたのだと思う。


あたしの隣をレックは指差した。

「隣、いいか」
「うん」

当たり前のように頷いていた。
あたしもレックと一緒にいたかった。
彼の温もりを、もっと近くで感じていたかった。


――あたし、知ってるよ。


真っ白な雪に包まれたマウントスノー。
寒さを通り越して痛みすら感じさせる風が容赦なく吹きつける。
こんな時、彼は必ず風上に立ってくれる。
一言も口にせず、そうすることが当然とでも言わんばかりに。


――知ってるんだよ、ちゃんと。


他にも、たくさん。
道が悪ければ、真っ先に注意の声を上げてくれること。
転びそうになったら、誰よりも早く手を差し伸べてくれること。
隣を歩く時、歩幅を狭めてあたしに合わせてくれていること。
どんなにつまらない話でも、わがままでも、きちんと耳を傾けてくれること。
レックが傍にいてくれる。それだけで、すごく心が落ち着いた。


川の流れを見ながら、あたしは隣に座る彼を気にしていた。
レックもチラチラとあたしを見ていた。
言葉は何も交わしていなかったけれど、あたし達は互いに意識し合っているのを感じていた。


それから、どれくらい時間が過ぎ去ったんだろう。
いつの間にか頭上に輝いていた星達は見えなくなり、空が明るくなり始めている。
新しい一日が、間もなく始まろうとしている。
あたしとレックは、もう遠慮なしに、互いを見ていた。
朝日のせいなのか、それとも他の何かのせいなのか、顔がひどく熱くなった。


どちらからともなく、あたし達は手を合わせた。
レックの右手と、あたしの左手が、しっかり合わさる。
互いの顔を見つめて、あたし達は微笑んだ。


最初に口を開いたのはレックだった。

「俺さ、こうしていられてすごく幸せなんだ」
「うん、あたしも」
「このままずっと、こうしていたいって思う」
「うん」

何故か、あまり言葉が出てこなかった。
あたしは頷いてばかりいた。
あの時は、普段無口なレックの方がよく喋っていた。

「ずっと傍にいてくれるか」
「うん。ずっと一緒だよ」

そっか、と恥ずかしそうに、だけど嬉しそうに呟く声。

「だったら、俺はバーバラを幸せにする」

さすがに恥ずかしかったのか、レックの顔が真っ赤になった。

「いつまでも」

あたしの顔も、きっと真っ赤になっているんだろう。

「ありがとう」

それだけ言うのが精一杯だった。
そして、それだけで充分だった。












街は空っぽだった。
そこには、誰もいなかった。
誰一人。呼んでも叫んでも、返事はなかった。
虚しくなりながらも、あたしは街中を駆け回った。


生まれた時から暮らした街だ。
懐かしい、馴染んだ、どんな隅々まで知り尽くした町だ。
でも、無人のそこはあまりにも辛く、寂しく、まるで見知らぬ場所のようによそよそしかった。


ぎり、と歯を噛む。

「許さない」

静かに、たっぷりの恨みを込めて、呟く。
沸き上がるのは凶暴な感情だけで、本当にいらいらする。
変わっていない。本当に。あたしは一年前から何も変わっていない。
どうあっても覆せない現実を前に、ただ泣くことしかできなくて。
目の前に広がるあまりにも寂しい風景は、あたしの心そのもの。


あたしは一人でもやっていける。
このまま一生会えなくても、何も痛まずに好き勝手生きていける。
そうやって現実から逃げ出そうとした、あたしの弱い心が具現化されたもの。

「絶対に許さない」

痛みにも似た憎悪が、そんな言葉を呟かせる。
息を整え、怒りに震える手を止め、ゆっくりと目を閉じる。
そして感じ取る。魔力の流れを。このふざけた空間を形成する一端を。
やがて心の目が見つけ出す。禍々しい気配を放つエネルギーの塊を。

「――そこ!」

目を見開き、魔力を込めた拳を叩きつける。
何もないはずである空間に亀裂が走る。
亀裂は瞬く間に街全体へと広がり、真っ白な光となって明滅。
そして、弾けるように爆発した。


気がつくと、景色が一変していた。
何百という燭台の灯った、広くそして美しい大広間。
天まで届かんばかりの円柱。大理石を惜しみなく敷き詰めた床。壁一面に散りばめられた数多の宝石。
そんな豪奢を極めた部屋の中央に、あたしは立っていた。

「さすがだな」

あたしの正面。何もないようにしか見えない空間から声がした。

「我が幻術を打ち破るとは」

何もないはずの一点が赤く煌めいた。
かと思うと、光が凝り固まるようにして長身の男が姿を現した。
一目見ただけで、この男が誰なのかが分かった。
コイツこそが、あたしに見たくもないものを眼前に突きつけた張本人。
大魔王すらも己の糧に変えるだけの力を持つ魔神、ダークドレアムなのだと。


筋骨逞しい褐色の肉体。
おそらく無意識の内に流れ出ている魔力によって靡く、赤いマント。
右手には馬の首でも一太刀に斬り落としてしまいそうな、巨大な両刃刀。
地獄の炎さながらに燃える瞳は、真っ直ぐにあたしを捉えている。


この光景を、あたしは以前から知っていた。
一年前の記憶が頭の中で点滅を繰り返す。
そうだ、あたしはコイツを知っている。
この男と、確かに一戦を交えている。

「アンタ、まさか」

男の返事は豪火球だった。
掌から放たれたそれは、大きさにして男の拳より一回り大きい程度。
その中に圧縮された途方もない量の魔力を感じ取ったあたしは、火球に向かって両手をかざす。

「マヒャド!」

最上級に値する氷結魔法を目前で展開、収束させる。
結果、行き場を失った吹雪はあたしをすっぽりと覆い隠す巨大な盾と化す。
間一髪で間に合った防御に、大悪魔の撃ち出した火球が着弾する。
そして次の瞬間、巨大な火柱が目の前で立ち上がった。


――う、嘘でしょ!?


ふざけているとしか思えない。
火柱は氷の盾を跡形もなく溶かし、ようやく猛威を収めた。
おそらく牽制を目的として放たれた火球で、これほどの威力を誇るなんて。
だとすれば、本気で放つ火球は一体どれほどの規模になってしまうというのか。

「今の盾」

と、男は言った。

「あの男の物だろう」

嫌らしい笑みを浮かべて、問いかける。
あたしは答えず、ただ桁違いの強さを持つ大悪魔を見つめていた。

「なるほど。あの男は今も貴様の心の中に在るというわけか」

再度の問いかけ。
それでも、あたしは答えない。
その考えは否定のしようがないくらい、大当たりだったから。

「そういうこと、か」

氷結魔法で作った盾のデザインは、レックが愛用するスフィーダの盾のものだ。
戦いの最中、この盾を使って彼は幾度となくあたしを守ってくれた。
あたしにとって、盾という言葉からまず連想されるのがスフィーダの盾なのだ。
だからだろう。魔法を使って盾を形成する際、無意識に彼の盾を模してしまうのは。

「まさか本当に生まれ変わってくるなんてね。デュラン」

あたしの冷たい声に、大悪魔は口角を上げて笑みの形を作る。
その楽しげな表情が告げていた。あたしの予想は、真実に行き着いているのだと。











[41012] 第5話
Name: スネーク◆d7bf9510 ID:14971a14
Date: 2015/03/22 21:51
彼らについて話をしよう。
今でも、あの時の戦いを思い出すと心が躍る。
身体中に痺れが走って、息をすることも忘れてしまう。
レックとバーバラ。脆弱な人間という身でありながら魔王である私、デュランを圧倒した二人。


どんな手を使ってでも、もう一度、二人の前に立ちたいと思った。
心底楽しいと思える戦いを、彼らと今一度繰り広げたいと強く願った。
地獄へと落とされた魂が破壊と殺戮の神に飲み込まれてからも、その思いが消え去ることはなかった。
そして一年もの時を経て、私の魂は神の肉体を凌駕した。
二人と戦いたいと願う私の意思が、はっきりとした自我を持たぬ神の肉体を乗っ取った。


かくして私は黄泉の国より舞い戻った。
破壊と殺戮を司る魔神、ダークドレアムとして。












強かった。あまりにも強過ぎた。
手にした刃を振るえば全てが例外なく切り裂かれ、魔法を放てばクレーターが生まれる。
その身は世界で最も硬い金属とされるオリハルコンよりも強靭で、いかなる攻撃魔法を物ともしない。
戦闘開始からわずか数分。たったそれだけの時間で、あたしは既に満身創痍となっていた。

「どうした。こんなものか」

デュランが刃を上段に構えて駆けてくる。
余りにも速過ぎるスピードに驚くも、あたしはすぐに迎撃するべく十本の指の一つ一つに炎系の最上級呪文、メラゾーマの火球を灯す。

「はああああっ!」

裂帛の気合と共に十の火球全てを叩き込むが、それでも相手は止まらない。
あたしの無駄な抵抗を嘲笑い、デュランが刃を振り下ろす。
その刹那、あたしは右手で氷の盾を生み出し、更に左手でスカラを唱える。
かつて大魔王の吐き散らした火球の嵐をことごとく防いでみせた盾はデュランの一撃の前に呆気なく砕け散る。
しかし守備力増強魔法によって強度を増したそれは、大悪魔の刃の威力と速度を大いに削ってくれた。
結果として、間一髪のところで刃をかわす。しかし、一瞬の間を置いて肩口が破れ、奥からじわりと血が流れ出てきた。
振り下ろされた刃の風圧だけで、皮膚が裂かれてしまったのだ。

「くっ!」

デュランから離れ、一旦距離を取る。
そしてピオリムを唱え、奴の周囲を高速で回り始める。

「敏捷性を高める呪文か」

デュランの指摘する通り、ピオリムとは術者及び味方の素早さを上げる補助呪文である。
この大悪魔と互角とまでは流石にいかないが、容易に追いつかれない程度の速度であれば出せる。


私は奴の周囲を旋回しつつ、指の一本一本に爆発の魔力を溜める。
動き回りながら攻撃するのであれば、そうそう捕らえられまいという判断だ。
まともな溜めができないのでイオナズン等の極大呪文は使えないが、援護の望めない現状では致し方ない。


旋回を続けたまま、右手をデュランに突き出す。
五本の指から次々とイオラの炸裂球が発射され、無防備に立ち尽くす相手に襲いかかる。
だが。炸裂球が当たる寸前で、デュランが動いた。


彼が行なったのは、別に大したことではない。
おぞましい雄叫びを上げ、全身から闘気を迸らせただけ。
たったそれだけの行為で間近に迫っていた全てのイオラを弾いたのだ。
跳ね返された炸裂球は壁や天井に激突。室内を瞬く間に破壊していく。
更に半分近くは術者である私自身にも跳ね返ってくるが、寸でのところで魔力障壁を作り出してそれらを遮断。なんとか無傷でやり過ごす。


間髪入れず、デュランが動く。
手にした両刃刀を天に向けて高々と掲げる。
すると天井の一部が吹き飛び、そこから雷光が降り注いでデュランの刀へと宿る。そして鳴動。
床が揺れ、辺りに散らばっている破片が宙に舞い上がる。


大悪魔が放とうとしている技を、あたしは知っていた。
使用する武器こそ違うが、あれは紛れもなくギガスラッシュ。
レックが最も頼りとする、全てを超える究極の必殺剣。
魔法障壁で防ぎ切れる代物では到底ない。
故に、あたしも相応の魔法で応じなければならない。


両手を広げ、あたしは身体中の魔力をかき集める。
用いるのは爆発系呪文における極地の、更に上。

「ギガスラッシュ!」

横一線に薙ぎ払われた刀から、目も眩むほどの雷が迸る。
しかし、そんなものに怯むあたしではない。
一切恐れることなく高々と掲げていた両手を相手に向かって振り下ろす。

「イオグランデ!」

轟音。轟音。ただ、轟音。
聴力を失ってしまうのではないかと思うほどの凄まじい音が響き、室内を衝撃が駆け回る。
天井が吹き飛び、上を覆うものが一切なくなる。
壁が吹き飛び、建築物としての役割を果たせなくなる。
大広間は見事に全て吹き飛ばされ、後には爆煙のみが残った。
そして、その煙の中からやがてデュランが姿を現す。全くの無傷で。
対して、こちらは肩で息をしている。
傷こそ負っていないものの、魔力の底が見え始めている。
このままでは近い内に魔力切れを起こしてしまう。
相手はまだ、余裕綽々だというのに。


勝者の笑みを浮かべる大悪魔を見ながら、あたしは唇を噛みしめていた。
強い。あまりにも強過ぎる。

「勝負あったな」

両刃刀を携え、デュランがゆっくりと近づいてくる。

「本当なら、あの男と共に戦う貴様を打ち倒したかった。だが、貴様らが同じ世界に存在できぬ以上は不本意だが諦めるしかない」

あたしの目の前で立ち止まるデュラン。


このままでは殺される。
なのに、あたしは動けない。
足に力が入らず、ガクンと座り込んでしまう。
まるで言うことを聞いてくれない足を見て、あたしは初めて、この戦いまでに溜めてきた疲労の濃さを知る。

「終わりだ」

両刃刀が振り上げられる。
あたしは最期の時を覚悟して、ぎゅっと目を瞑った。
程無くして、刀が床を盛大に砕く音が響く。


――あれ?


だけど痛くない。
いつまで経っても、やって来るべき痛みが来ない。
わずかな間を置き、あたしは今、自分が誰かに抱えられていることをようやく理解した。


――でも一体、誰に?


恐る恐る目を開ける。
そこにあった顔を見て、あたしは心臓が止まりそうになった。

「大丈夫か」

レックだ。
あたしの視線に気づいた彼は、わずかに顔を綻ばせる。

「う、うん」

突然の事態に混乱しかけたが、なんとか返事をする。
そうか、と呟いて彼は笑った。


夢ではない。
幻でもない。
レックがいる。
誰よりも会いたかった彼が、ここにいる。


急に涙が溢れてきた。
レックが慌てているのが分かったけど、抑えられなかった。
無我夢中で彼の首に腕を巻き付け、しがみついた。

「レック」

震える声で言う。

「レック」

あたしは同じ言葉を繰り返した。

「レック」

今まで呼びたくても呼べなかった彼の名前が、あたしの口から溢れ出してきた。
呼べなかった分を取り戻すかのように、ひたすら彼の名前を呼んだ。

「レック」

口にする度、想いも溢れ出してきた。
ずっとずっと、こうしたいと思っていた。
彼の声を聞きたかった。彼の笑顔を見たかった。彼の温もりを感じたかった。

「待たせてごめん、バーバラ」

あたしの名前を弱々しく呼んだ後、レックは頬にそっと口づけをしてくれた。
その温もりに心が落ち着くのを感じ、そして幾分落ち着いたところでようやく気づく。
今、あたしは抱きかかえられているのだ。レックに。
しかも所謂、お姫様抱っこと呼ばれるもので。

「れ、レック」
「ん?」
「離して」
「ああ、悪い」

ゆっくりと地面に降ろしてもらうと、あたしは顔を上げた。
当たり前のように、あたしとレックの目が合った。
頬を伝う涙を、指でそっと拭ってくれた。
笑ったら、笑い返してくれた。
なんでもないことなのに、その全てが特別に感じられた。

「バーバラ、手を貸してくれるか」

しばらくしてから、レックは勇者の顔で、勇者の声で、そう言った。

「アイツを倒したいんだ」

彼の視線の先には、こちらに向けて余裕の笑みを浮かべているデュランの姿があった。


あたしは涙をぐっと拭いた。
もう泣く必要なんてない。
レックと一緒なら、なんだってできる。
たとえ破壊と殺戮の神であろうと、倒してみせる。


涙を荒っぽく拭いた。

「もちろん」

拭いてから、彼が差し出してくれた手を取った。

「最初から、そのつもりだよ」

さあ、逆転劇の始まりだ。











[41012] 最終話
Name: スネーク◆d7bf9510 ID:14971a14
Date: 2015/04/12 10:43
互いの手を取り微笑み合う二人を見ながら、私は妙に落ち着いた頭で思う。
決して有り得ないと思っていたレックの出現。恐らくはゼニスの仕業だろう。
召喚術を用いてレックの存在を一時的に夢の世界へ引き込んだか。

「待ち侘びたぞ」

歓喜のあまり、私は叫んだ。

「この時を」

そして両刃刀を構え直す。


異世界を繋ぐ召喚術には何人にも捻じ曲げられぬ絶対的な法則があった。
召喚した者の魔力が尽きるか、術者の目的が全うされるか。
そのどちらかが満たされれば、呼び出された者は消えてしまうのだ。
本来は実体を持たない精霊に対して使う秘術で生身の人間を召喚しているのだ。
夢の世界を統べるゼニスでも、そんな無茶をいつまでも維持できるとは思えない。
欲を言えばバーバラの回復を待ち、互いに万全の状態で戦いたかった。
だがまあ、仕方あるまい。この二人が同じ世界に揃った時点で奇跡なのだ。
これ以上の贅沢を望むのは、虫が良過ぎるというもの。


現状の把握を行ないながら、レックとバーバラを油断なく睨みつける。
時間がないことを一番よく分かっているのはレックであるはず。
なのに何故、悠長に手を繋いだままでいるのだろうか。
よく見れば、二人の繋いだ手は淡い光を帯びている。


――マホトラ、か。


なるほど、と私は思う。
先の戦いで失った魔力を補給していたのか。
無抵抗の者にかければ、魔力の奪取は必ず成功する。
加えて、レックはバーバラほどには魔力を必要としない。


感心しているところに大火球が一つ、飛んできた。
先程の教訓から、量より質で攻める方向に変えたと見える。
あまりにも単純な解答に心の中だけで嘆息しつつ、手にした刀で火球を真っ二つに割る。

「っ!?」

そして、バーバラの本当の狙いを思い知る。
私の身体を包み込めるほどの大きさを持った火球の中に、数十発ものメラミの火球が仕込まれていたのだ。
獲物を振り下ろして無防備となった私は火球の全てをまともに浴びてしまう。
間髪入れずに行動を起こしてきたのはレックだった。
彼は素早く私の背後に回り込み、かつての私を屠った剣を振り上げる。だが、甘い。
振り向きざま、風の魔力を凝縮させた両手で十字を切る。
二つの真空の刃が十字架を描き、剣を振り上げた姿勢のレックへと叩きつけられる。
吹き飛ばすつもりで放ったグランドクロス。しかしレックはその場に踏み止まった。
かつて戦った時とは比較にならないほど、この男も成長しているというわけだ。
続けてレックに愛刀を振り下ろし、奴は真っ向から迎え撃ってくる。
甲高い金属音が鳴り響き、衝撃だけでレックの足は大理石の床へと埋まった。

「ぐ……!」
「受け止めたか。だが」

更に力を込めて両刃刀を押す。
このまま力づくで押し切ってくれる。
単純な筋力においては明らかに私に分がある。
あと数秒も経てば、伝説の勇者といえども力尽きるだろう。
だが当然のことながら、それを黙ってみているはずのない者がいた。

「はあっ!」

鍔迫り合いをしている私の腹に、バーバラが渾身の回し蹴りを叩き込んできた。
力を入れている箇所とはまるで違った部分への一撃により私の刀の軌道は逸れ、レックの真横、すなわち何もない空間に振り下ろされる。
それを好機と見たレックが突きを放とうとするが、刀身ごと素手で鷲掴みにすることで止める。
さすがは破壊神の肉体。ラミアスの剣を素手で掴んで尚、流血の一つもない。
しかし、そんなことに感心している場合ではなかった。
マダンテを受け継ぎし最強の魔道士に、隙を見せてしまった。


レックの元に駆け寄ったバーバラが囁く。バイキルト、と囁く。
そして、そのまますれ違うように走り去っていく。
力比べに苦戦を強いられる相棒への置き土産のつもりか。
だが置き土産にしては少し、いや、かなり性質が悪い。
補助呪文によって筋力を倍加されたせいで、形勢が逆転する。

「うおおおおっ!」

レックが叫ぶ。
力を振り絞ってくる。
刀身を持つ手が小刻みに震え出す。
このままでは力負けしてしまう。
そう判断した私は、レックの剣を離して後方に跳躍。体勢の立て直しを図る。
だが、跳んだその瞬間、バーバラはレックへと手を向け更に呪文を唱える。


その詠唱には覚えがあった、
ピオリム。対象を加速させる呪文。
その記憶に間違いはなかった。
予想を遙かに超えた速度で、レックが攻撃を仕掛けてくる。
斬りつけ、横薙ぎ、そして突き。一方的に攻められる。


反撃はしない。いや、できない。
動きが速過ぎて、防御するのが精一杯なのだ。
攻めに転じるなんて無謀な真似は、とてもではないができない。
飛躍的に増幅された戦闘力を解除すべく、私は指先から凍てつく波動を放つ。いや、放つはずだった。

「むう……!?」

しかし波動が構成される寸前、イオラの炸裂球が肩口に直撃。
見れば距離を置いたところでバーバラが炸裂球を幾つも形成していた。
無論、イオラ如きでは大した傷にはならない。
だが体勢を崩されては凍てつく波動を満足に撃つことができない。
このままではレックにかかった補助呪文を解除できない。
だがバーバラを狙おうにも、目の前にいるレックがそれを許すはずもなく。
見事な連携だ。この私が手も足も出せないとは。
ラミアスの剣から生み出される重い一撃を受け止めながら、私は思った。そうでなくては、面白くないと。


唇の端を上げて、私は笑った。
刀を持たない方の腕でレックの剣を受け止め、灼熱の炎を吐き出した。
炎は目の前にいるレックの頬を掠め、その後ろにいるバーバラへと真っ直ぐ向かう。
炸裂球を絶えず作り出していた大魔女に避けることなどできず、彼女の小さな身体は炎に呑み込まれる。

「……っ!」

レックが後方に気を取られた隙に剣を大きく弾いて距離を置く。
燃え盛る炎を油断なく見ながら、凍てつく波動を放つ。
これで、戦力的には再びこちらが有利となる。
数秒後に炎が止み、そこにいたのは光の衣に包まれたバーバラだ。
炎に巻き込まれる寸前にフバーハを唱え、直撃だけは免れたようだ。
防ぎ切れずに負った傷は傍に駆け寄ったレックが回復呪文で癒す。
そして最初と同じように私達は一定の位置を保ち、向かい合う形に戻っていた。

「いい腕だ。この私を相手にここまでやるとは」
「二人がかりでも押されてるって時に言われても、皮肉にしか聞こえないな」

レックと軽口を叩いている間に、バーバラが次の行動を起こしている。
レックの後ろに隠れて、自身に幾つか補助呪文をかけているようだ。


全く、油断も隙もない女だ。
恐らくレックにも強化を施すつもりだろう。そうはさせるか。
呪文の詠唱を終えたところで、凍てつく波動を見舞ってくれる。

「な……!?」

しかし、この女は絶えずこちらの読みを外してくる。
彼女は魔力を込めた両手をレックにではなく、私に向けたのだ。

「さすがのアンタも、その態勢じゃ回避も防御もできないでしょ」

彼女が両手に溜めていたのは補助ではなく、爆裂の魔力だった。

「イオナズン!」

大魔王デスタムーアのそれを遙かに上回る破壊の呪文が直撃する。
凍てつく波動の構えを取っていたせいで無防備のまま攻撃を受け、私は全身を焦がす。
そして唱えると同時、レックとバーバラの二人が転移呪文で私から距離を取ったのが感じ取れた。


恐らくは、それこそが二人の狙い。
爆風でこちらの視界を奪い、体勢を立て直す。
爆裂系における最強の呪文であろうと、私への決定打にはならない。
それはバーバラとて百も承知なはず。
故に、このイオナズンは次の攻撃への布石に過ぎないと見るべきだ。


さて、どう来るつもりだ。
やはり補助呪文で強化されたレックが先陣を切るのか。
そうなれば後方で支援するバーバラを狙うのみ
予備動作の一切を行なわずに扱えるのは灼熱の炎だけではない。
冷たく輝く息もあるし、ギガデインによる牽制でもいい。
私には同じ手が通用しないこと、その身を以て思い知るがいい。
そんな考えを巡らせていると、煙から人影が一つ、飛び出してきた。

「……!?」

直後、私は驚きに目を見開いた。
なんとバーバラが単身で飛び込んできたのだ。

「はあっ!」

予想外の事態に反応が遅れた頬をバーバラの拳が打ち据える。
当然ながら、痛みはない。
補助呪文で強化を施していようとも、非力な彼女の一撃で傷を負うはずもない。
しかし意表を突かれてしまったのも事実。
その隙を狙ってバーバラの拳が、蹴りが次々と私に命中する。
もちろん、痛みはない。だが彼女は自らの小さな身の丈を利用して私に肉薄。
体勢を崩され、反撃を全く許してもらえない。

「ちいっ!」

不安定な体勢から強引に反撃を行なうも、やはり当たらない。
たった一撃で沈めることができるのに、その一発を当てられない。


――なるほど、そういうことか。


後方支援に徹していたバーバラが何故、危険を顧みずに前線に出てきたのか。
答えは簡単。未だに姿を見せないレックの為に時間を稼いでいるのだ。
必殺の一撃を確実に当てられる機会を生み出そうとしているのだ。


心の中だけで、私はニヤリと笑みを浮かべる。
この場面でレックが選択する技など一つしかない。
かつての私を打倒した究極の必殺剣、ギガスラッシュ。
神の肉体を以てしても、直撃を許せば危険な技。しかし恐れることはない。
ギガスラッシュは確かに強大な力を持つ。
だが、それ故に魔力の高まりと派手な雷光で位置が丸分かりとなる。
発動前に潰してしまえば、それだけで対処としては充分だ。


私は結論づける。
最も注意すべきは姿の見えぬレックなどではない。
今もしぶとく私に食らいついてくる、目の前のバーバラなのだと。
私は確信する。何よりもまず、彼女を仕留めなくてはならないと。
さもないと、こちらの読みを悉く外してくる彼女に足元を掬われかねない。
補助呪文で強化されたバーバラは素早く、尚且つ懐に飛び込まれているので容易に手出しできない。


――ならば、その動きを止めてくれる。


「おおおおっ!」

咆哮を上げ、闘気を解放する。
周囲に生じた衝撃波がバーバラを吹き飛ばす。
その隙を逃さず、凍てつく波動を叩き込む。
地を蹴って再度、距離を縮めようとしたバーバラを大気をも震わせる波動が包み込む。


――これで終わりだ。


口元の端に笑みを浮かべたのは、しかし、ほんの一瞬だけ。

「なんだと!?」

波動の収まった先に立っていたのは、雷光の迸る剣を持つレックだった。

「バーバラじゃなくて残念だったな」

悪戯が成功した子供のような笑みを見せるレック。


――嵌められた!


自分が戦っていた相手はバーバラではなかった。
変化の呪文、モシャスでバーバラに化けたレックだったのだ。
いかに破壊と殺戮の神の肉体と言えど、発動準備の整ったギガスラッシュは避け切れない。
ならば迎え撃たねばならない。


レックの剣を正面から捩じ伏せるべく、剣を天へと掲げる。
両刃刀に雷光が落ち、私は両手でそれを構える。

「ギガスラッシュ!」

雷光の纏った剣を横薙ぎに振るうレック。

「ギガスラッシュ!」

ほんの一瞬遅れて、私も全く同じ剣技を放つ。
二つの黄金の光が正面から激突し、辺りを眩い光で覆い尽くす。
光は互いに激しくぶつかり合い、共に譲らず膠着状態を生み出す。

「惜しかったな」

撃ち合いとなれば、魔力量に余裕のある私に分がある。
このまま撃ち続ければ先に魔力が尽きるのは間違いなくレックの方。
無理に中断しようものならば、こちらの雷撃を無防備に浴びる羽目になる。
余裕を持って戦況を見つめながら、しかし私は視界にバーバラを捉え、

「決めろ、バーバラ!」

そして気づいた。レックは囮に過ぎなかったことに。

「任せて!」

レックに声をかけられたバーバラが両手を前に突き出し、魔力を高めている。
彼女の周囲に青色の輝きが次々と現れ、彼女の元へと収束していく。
まるで星空から流星が落ちるように、それらは集い、輝きを増していく。
その輝きはやがて、一つの巨大な光の玉へと姿を変える。


まさか、と私は思う。
戦慄すら覚え、バーバラに目を向ける。
彼女は私の創り上げた空間から魔力を奪い取っていた。
私の魔力で満ちたこの空間を、彼女はマホトラの対象としていた。
レックから譲り受け、尚も足りない分を私の魔力で補っていたのだ。
その事実に呆然としている間にも、バーバラの元に集まる流星は速度と量を増し、光球はますます輝きを強めていく。


有り得ないと油断していた。
少なくても、この戦いの最中でバーバラの魔力が全快することはないと踏んでいた。
なのにまさか、こんな方法で魔力を掻き集めてしまうとは。
膨大な魔力を蓄えた巨大な光球は最早、暴発直前の様相だった。
そこから放たれるであろう一撃が何であるかなど、初見であっても嫌でも理解できる。
稀代の大魔女バーバレラが生み出した究極魔法、マダンテ。
ギガスラッシュの撃ち合いで動きを封じられている私に避ける術はない。


あれを食らってはいけない。食らえば全てが終わる。
そう理解していても、動きを阻まれている今ではどうしようもない。


――今回も、私の負けか。


後悔はなかった。
むしろ清々しい気分だった。
口元に笑みを浮かべながら、私は迫り来る青白い光の柱を見つめていた。
轟音と共に巨大な光の柱が躊躇いもなく私に襲いかかり、そして、飲み込んだ。












目の前に広がる、夕焼けの赤。
気がつけば、その美しい景色の下で地に寝そべっていた。
首だけを動かし、辺りを見回してみる。
背の低い草しか生えていない、あまりにも見通しの良い草原。
そんな中で、私は一人ぼっちだった。他には誰もいなかった。
デュランだけでは飽き足らず、彼の構築した世界までもマダンテは破壊した。
どうして安全な場所に移れたのか、あたしにはさっぱり分からなかった。


きっとレックの手引きなんだろう。
そのレックは、どこにいるのか。

「レック」

呟いた。

「ひどいよ」

声を押し殺して、泣いた。
誰もいないのが、せめてもの救いだった。
泣きながら、それでも、あたしは悟っていた。レックはもう、この世界にいないのだと。
デュランを倒し、あたしを助け出し、召喚された理由の全てを満たして。
存在自体がイレギュラーだった彼は、元の世界へ旅立ってしまったのだ。
私の住む夢の世界から、彼が本来いるべき場所である現実の世界へと。
別れの言葉を交わす時間すら、与えてくれなかったのだ。

「レック」

両手で顔を覆って、あたしは泣いた。

「レック」

泣きながら、彼の名を呟き続けた。

「どうした」

返す声があった。
でも、まさか、そんな。
おそるおそる、顔から手を退ける。

「大丈夫か、バーバラ」

あたしの顔を、レックが覗き込んでいた。
その瞬間、あたしは全てを理解した。

「ここって、ひょっとして」

先の言葉が出てこない。

「現実世界だよ」

口にできなかった続きを、レックが代わりに言ってくれた。
デュランが何かしらの働きかけをしたに違いない。
三世界の神様でも、肉体のないあたしを現実世界に留めることはできなかった。
それでも、大魔王すら恐れさせる力を持ったアイツなら可能だったはずだ。


あたしは飛び起き、いきなりレックに抱きついた。

「ごめん、レック」
「え」
「ずっと一緒にいるって約束。破っちゃって、ごめん」

少しして、レックが耳元で囁いた。

「それ」

あたしの胸元を飾るペンダントを見て。

「大事にしてくれていたんだな」

一年もの間、彼の温もりを湛えてくれていた木彫りのリス。
少し黒ずんでしまったそれを見て、彼は目を細めた。

「もう離さない」

そして力強く、ぎゅっと抱きしめてくれた。

「絶対に」

もう耐えられなかった。
大声を上げて、あたしは泣いた。
一年もの時を経て、ようやく会えた想い人の胸に顔を埋めて。
あたしは本当に帰ってきたのだ。彼の元へ。












身体を失い、意識のみの存在となった私は彼らの前に現れた。
形もなく姿もなく、現実世界にあるレイドック城の最上階の様子を一望する。
最上階、王族の寝室にいるのはレックとバーバラだった。
同じベッドで眠るバーバラの寝顔を穏やかな表情で見つめるレック。
そんな二人の左手の薬指には、銀色に輝く指輪が填められていた。


やはりこうなったか、と私は頷いた。
まあ、こうなってくれなくては困るのだが。
この破壊神が自らの復活を犠牲にしてまで、望みを叶えてやったのだから。
事の顛末を確認して、私は意識をこの世界から引き離そうとする。
だが、それを奴は引き留めた。

「覗き見なんて褒められた趣味じゃないぞ、デュラン」

在りもしない私の姿を見るように、振り返ったレックがベッドから起き上がる。

「半年振りに会えたんだ。もう少しゆっくりしていけよ」

深夜の中庭はしんと静まり返っていた。
あらゆる音が真っ暗な闇の前に呑み込まれたかのようだった。
月明かりだけが、生きているようだった。
散歩でもしているような足取りで、レックは私をこの場所まで案内した。

「お前だろ。バーバラに肉体を与えてくれたのは」

レックの声に、私は答えない。

「これでも一応、感謝してる。お前の力がなかったら、俺達はきっと離れ離れのままだったから」
「神に打ち勝った者には相応の報酬が与えられる。それだけのことだ」

声だけが響く。
いや、それも音には成り得ていない。
私の言葉は夢の世界を二度も救ってみせた勇者にのみ届いている。

「破壊神でも、やっぱり神には変わらないってことか」
「もっとも、肉体を失った今となっては何者とも言い切れないがな」

レックと二人、顔も合わせずに語り合う。
鮮やか過ぎる月を、二人して見上げたままで。

「この意識ももう、限界だ」
「お前のことだ。どうせまた生き返るつもりなんだろ」
「当然。強者との戦いこそ我が喜び」

やれやれ、と言わんばかりに溜め息を吐くレック。

「神などと言う制約から解き放たれた存在となって再び舞い戻ろう。次はそう、地獄の帝王とでも呼ばれてみようか」
「当てはあるのか」
「全く。復活までは長い時を必要とするだろう。百年、いや、二百年はかかるか」
「その時には俺もバーバラも寿命でくたばっているよ。俺達の再戦はないってわけだ」

それでもいい、と私は呟いた。

「ならばお前達の子孫と一戦交えるまで」

不意に視界がぼやける。
まだ夜なのに、意識が白く塗り潰されていく。
破壊神と化した私をも打ち破ってみせた勇者との語り合いも、これで最後らしい。

「レックよ、実はな」

最後に私は、とある企みをダークドレアムとしての最期を見届ける好敵手に伝えた。

「蘇った際、どう名乗るかは既に決めてある」

世界が真っ白に染まっていく。

「エスターク。遙か未来の世界を脅かす存在だ」

何もかもが白く、私に見えるものは何一つとしてなくなっていく。
それでもレックがずっと見届けている、そんな視線を感じることはできた。

「いい加減、懲りろよ」

消えかける意識の中、それでもレックの声は私の内部に響いた。

「いつか独りになっちまうぜ」

自我が完全に崩れる直前、声にならぬ声で私は答えた。
構わぬ、と。満たされるならば、それも一興である、と。


もう何も見えない、何も聞こえない。
そのはずなのに、レックがやれやれと頭を掻く姿がありありと浮かんだ。










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