油と硝煙の香りがする。視界を煙塵が覆い、過敏になった神経は砂利を踏む音すら聞き落すことがない。通信回線が開かれ、機体の損傷率が表示された。
その情報を苦虫を噛み潰したような表情で確認、同時に周囲の状況もレーダーで把握する。敵の残存勢力と残りの残弾を逆算して、覚悟を決めるように深呼吸を繰り返す。
やがて、敵の接近を知らせるアラームが鳴った時、おもむろに120mm経口バズーカを発射し―――。
「じんたん」
「……」
癖のある髪を左右に結んでいる少女、安城鳴子が脚立上でぼんやりとしている少年に声を掛けた。しかし、少年は答えない。
「ねえ、じんたんってば。聞いてる?」
がしゃがしゃと脚立を揺らす。じんたんこと宿海仁太はバランスを失いかけてから、ようやく正気に戻った。何をするんだ、という抗議の視線を鳴子へ投げる。危ないじゃないか。
「危ないのはそっちでしょ。ポスターの前でぼんやりしちゃって。まあ、もう閉店時間過ぎてるからお客もいないんだけど」
鳴子は放課後にアルバイトをしているゲームショップ店内の様子を見渡す。据え置き用、携帯用、PC用、卓上カードゲーム用のスペースがそれぞれ目に入る。
流行は子供と女子高生が作るものらしく、卓上カードゲーム用スペースと、携帯ゲーム機用ソフトの周辺にはその年齢層の客の姿が多く見られるようになった。漫画とゲームが好きな鳴子からすれば子供と女性ユーザーの増加は嬉しい限りだが、同時に衰退していく据え置き用ソフトの将来を憂いる気持ちもあった。
「あなる、ちょっと画鋲持っててくれ。柱のポスター剥がすから」
頭上から指示が飛んできたので手を差し出す。ちょん、ちょん、と何か小さくて冷たいものが置かれる感触。仁太は脚立の上でポスターの絵面を見ながら感嘆のため息をついた。
「あー、やっぱスキュータムRDのロボット描写は最高だなー。もっと売れてもいいと思うんだけどなあ」
「ねえ、それってメカもののアクションゲームよね。面白いの?」
メカ、と言うだけで女子は引いていくのが一般常識だ。それが分かっていても、とりあえず訊いてみる鳴子はかなり良心的な存在と言える。イマイチその機微が仁太へ伝わっているのかどうか微妙ではあるが。
「ああ、面白いぞ。最初はユーザーを崖から突き落とすかのような難解な操作設計と冗談みたいなクリア条件に絶望するんだけど」
「…男の子のゲームね……」
「だからこそ困難を乗り越えた時の達成感が堪らないんだ。こう、持て余すばかりだった機体のスペックを最大限に引き出せた時の喜びとと言ったら、言葉では表しきれない」
「ふーん、そう」
「って、こら。誰かが喋ってる時にスマホ触るの止めろ」
「よく分かったから。じんたんは工具とかあったらとりあえず分解してもう一度組み上げる人だって分かったから」
はぁー、と仁太は嘆息する。
「これだから女ってやつは…。この興奮が分からないなんて」
「それはこっちの台詞。男の子のロマンってよく分からない。いつまで経っても変身ヒーローとか大好きだし」
「いや、ああ言うのは一度卒業してから一周して戻ってくるもんなんだ。中学の時なんて恥ずかしくて見られなかったけど、最近は親父と一緒に見たりもしてる。超カワイイって言ってる」
「おじさん…せめてカッコイイと…」
はぁ…と溜息を吐く鳴子の上で仁太が手をぽむ、と打つ。
「よし、ポスター取り外し完了」
「それ、もらっていいって店長と話してるんだっけ?」
「ああ。販促用に使ってたけど新しいソフトのポスターが届いたからもういいって」
仁太はふっふっふ、とスキュータムRDの絵面を眺めて変な笑いを浮かべる。
「よしよし、家に帰ったら壁に張ってもう一度ゲームするぞ。そうと決まれば仕事を終わらせよう。…あなる、そこの陳列棚に立てかけてある新しいポスター取ってくれ」
鳴子は脚立の上から仁太が指差した先へ視線を投げる。手に取って何となくビニールを解き、中身を確認した。
「これね。……うぇっ!?」
「どしたよ?」
突然の奇声に仁太が首を傾げる。鳴子の頬は赤くなり、耳たぶまで朱が差している。
「う、ううん、何でもない。はい、これ」
「お、おう」
仁太は受け取って「ははぁ」と理解する。
ポスターに書いてあるのは五人の高校生美形男子だ。いかにも俺様キャラで上から視線を投げている者、気が弱そうで視線を逸らしている者、その中間にいる人懐っこい笑みを浮かべる者、彼らが妙に耽美なタッチで描かれている。
つまり、乙女ゲーという奴だ。
「何、お前こういうの苦手なのか?」
意外にさらり、としたリアクションに逆に鳴子は戸惑った。
「いや、苦手って訳じゃないけど、大手を振って好きって言うものでもないって気が…」
「ふうん?俺も一回やってみるかな」
「え!?やるの?」
鳴子は目を剥いて仁太へ視線を向ける。
「いいだろ、別に。最近のは男子がやっても楽しいって聞くし。まあ、つるこ辺りが聞いたらすっげえ寒い目されそうだけど」
「あー、凍えんばかりのが来そうだよね…。前に冗談で『つるこって身持ち固いよね』って言ったら射抜かんばかりの冷たい視線が来た」
「お前なかなかチャレンジャーだな。俺ならこう、もっとオブラートに包んで『つるこって姑と揉めそうだな』程度に…」
「殺されるわよ、マジで」
「冗談だ。俺だって命は惜しい。『つるこは一途だな』って辺りが妥当な落としどころだろ」
実際その通りだし、と心の中で付け足す。相手は言わずもがな。
「よし、さっさと仕事を終わらせようぜ。あなるは下半分に画鋲打っておいてくれるか?上は俺がやる」
「了解」
ぱぱっと、済ませて仁太は脚立から降りる。それを畳んで店に隣接している物置へ運ぶ。鳴子が「手伝う」と言ったが辞退した。それほど大変な持ち物でもない。男の子だし。ちょっと、担いだ肩が痛かったが。
「あっちー…」
時は夏。夕方時になっても陽は沈まずアスファルトを容赦なく照り付けている。陽炎が上り、立ち止まっていても汗がだくだくと流れ落ちる。しかし、店内にいるならいるでクーラーが効き過ぎて身体が冷える。実際、鳴子などは休憩中にタオルケットでお腹から足の暖を取っており、冷え性の女子は大変だなあ、と仁太は生暖かい目で見ていた。視線がキモいと言われてすぐ止めたが。
しかし、やはり夏は暑い場所にいるのが心地いい、と仁太は思った。単純に汗を流すのは気持ちがいいし、風鈴は涼しげだし、女子は軽装になるしでいいことずくめだ。これも夏の風物詩の一つ、と勝手にカウントする。
「ちょっとじんたんー?レジ締めるから売上計算するの手伝ってー」
声が聞こえて仁太は店内へ戻る。一度だけ振り向いて燦々と輝く太陽を見上げた。
もう、あの日々から一年が経過しようとしていた。
あの花SS On your mark! その1
「よっ、お二人さん。バイトお疲れぃ」
バイトが終わり、仁太と鳴子が秘密基地に顔を出すと鉄道が外で夕涼みしている所だった。時刻は19時を過ぎて陽も沈んでしまった。しかし熱中症大国を侮ることなかれ、とばかりにうだるような蒸し暑さは残っている。外に出ていてすら暑さを感じるのだから空調のない秘密基地の中がどうなっているのかは推して知るべしだ。
「お疲れ、ぽっぽ。お前、今日バイトは?」
「今日は休みだ。一日フリー。引き続き高認試験のお勉強。ゆきあつとつるこは夏期講習だから来られないってよ」
「流石あの二人はそういう所、堅実ね…。まあそれはともかく、頑張ってるぽっぽにお土産だよ。はい、ガリガリ君」
「お、おお~、流石あなる。気が利くぜぇ。…ってコーンポタージュ味?」
「何、不服なの?」
鉄道は慌てて手を胸の前で振る。
「いやいや、とんでもない。ただ個人的にはソーダ味辺りがよかったかな、とか」
そんなことを言いながら封を破って口へ運ぶ。
「ん~、たまにはコーンポタージュもいいねえ。アフガニスタンで二週間飲まず食わずだった時に食べたカロリーメイトみてぇだ」
「いや、ぽっぽ、それ微妙に褒めてないぞ、多分」
考えるだけで口がぱっさぱさになりそうだ。って言うかアフガンで何があった?
仁太は持っていたマイバックからファンタを取り出して口に運んだ。
「っ、か~!」
やはり労働の後の炭酸は最高に痺れる。添加物と糖分に溢れているこの感じが堪らない。ビバ、不健康な思春期の食生活。一生の内で一番炭酸を愛せる世代だ。
「どお?ぽっぽ、勉強は?」
鳴子の言葉にかつ、っとガリガリ君を齧ってから鉄道は答える。
「ん~、流石に高校行かずに取り戻すのは難しいな。自分で放り投げた事とは言え、悔やまれることも無くもないしよ」
「う~ん、教えてあげたいのは山々だけど、ウチの学校はレベル低いしね…」
「俺も毎日学校行ってるわけでもないしなあ」
「そういやじんたんって朝から夕方までゲームショップのバイトしてる時ねえか?何でだ?放課後から入っても小遣い稼ぎとしちゃ充分じゃねえの?」
「あー…」
生返事してちょっと考える。確かに小遣い稼ぎとしては充分な金額を貰っていると思う。通帳の記帳に行ってもそれほど残高は減らない。寧ろ増えている。あるならあるで使わないタイプの人間なのかな、と最近思う。
CDやDVD、漫画はレンタルで済ませるし、特に不自由も感じない。最近食費は父親と折半にしたが、それでも知れている金額だ。その他で使うとすればゲームソフトくらいか。買う店舗がバイト先なのだからとんだ地産地消もあるものだと笑った。店の貸借対照表を見ればさぞ可笑しかろう。
「まあ、単純なところだとお金があるのって幸せだなって。自分でお金の管理が出来るってのも嬉しいし」
「じんたん…、主夫じゃないんだから」
「いやいや気持ちは分かるぜ。俺もここに腰落ち着かせるまではギリギリの生活してたからなあ。あれば旅行に使っちまってさ」
「んー、ぽっぽみたいに色々見たり、知ったりする為に使ってるならいいと思うぜ。俺なんて完全にタンス預金だからな。若者に金だけ与えて資産運用の練習させるどこぞの国家の方がまだマシかもしれない」
バイト先の店長も学校から出来るだけ勤務は少なくするように指導を受けているみたいだし、と付け足す。
「また吹っ飛んだ例えを出すのね、じんたん。でも、勉強を疎かにしてるわけじゃないじゃん」
「へ?」
ぎくり、と仁太は悪いことをしていたのを親に見つかった子供のような仕草をした。
「バイトのない日はさ、ちゃんと学校に来て真面目にノートなんか取っちゃって。…さっきも言ったけどウチってレベルの高い学校じゃないからさ、生徒も教師も適当にやってるのに」
「ま、まあ学生の本文は勉学って言うからな。それくらいは……」
何に照れているのか、鳴子は仁太から顔を逸らして続ける。
「嘘じゃないけど、言葉が足りないよ、じんたん。分からない所があったら職員室の先生に聞きに行ったりしてるでしょ?」
「し、知ってたのかよ…。いや、あれはな、その、ぽっぽが…」
今度は仁太が視線を外して頬を掻き、語気を弱める。すると鉄道が両手を上げていきり立った。
「さっすがじんたん!!つえーなあ!!そう言う所、ガキの頃よりずっと格好よくなってるぜ!!」
「よ、よせよ、ぽっぽ。恥ずいだろ。あなるだってさ、成績は悪くないわけだし」
「お、そうなのか?」
「え、わたし?わたしはノートに取ってその範囲しかやらないよ?だから平均以上でも平均以下にもならないの」
「うわー、つまんねー女。流石ラブホ顔」
「うっさい、引きこもり」
起こった小競合いを鉄道が「まあまあ」と取り持つ。ぽつり、と鳴子は言った。
「うん、でもさ、確かに、じんたんを見てると……」
仁太と鉄道が「うん?」と首を傾げる。そんな二人と対照的に鳴子の表情にはわずかな陰りがあった。
「ううん、何でもない。何でもないんだ、気にしないで」
鳴子は気弱に笑ってその場を流した。見上げれば青みがかった空に流れ星。見送るには不思議に長く、願いを掛けるにはあまりに短い光。
鳴子は白藍色の空へ向かって手を伸ばした。