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[4219] 王女様に憑依しちゃった(仮)
Name: なんやかんや◆5615cca5 ID:ae91f0b7
Date: 2010/03/09 09:50
注意!
この作品を読む前に目を通しておくといいことがあるかもしれません。

・憑依物(仮)です、あとTS要素も入っています。

・オリキャラが多いです。というか原作キャラ出せない(涙)

・独自解釈、オリジナル設定などが断りなく出てくる可能性が高いです。

・ひたすらに遅筆です。ごめんなさい

以上の事に我慢出来るという方はどうぞ


追記、
原作の十年前に憑依があったという設定です。
つまり原作開始時にイサベラは十九歳になります。
原作と違ってしまった。
…どうしよう…
とあせりつつこのまま行こうかなと思っています。


あと、感想、ご意見をくださった方々にこの場を借りて感謝します。
ありがとうございます。



[4219] 王女様に憑依しちゃった(仮)一話
Name: なんやかんや◆5615cca5 ID:b5adf181
Date: 2008/12/18 16:49

 少女は孤独だった。父親はいた。多くの侍女、騎士も彼女にかしずいていた。しかし、誰一人として少女自身を視ていなかった。贅を尽くした食事、豪奢な服や種々の余興では決して彼女の孤独を埋める事が出来なかった。
 故に彼女は祈り求めた。自らの救いを。
 そして…
 
 
 
 「は?」
 目覚めると知らない天井だった。酔いに任せて飲み仲間の家で眠ってしまったのだろうか。いや、昨日飲み過ぎたせいで記憶が曖昧だがこんな立派な部屋などあり得ないだろう。
 なら、いったい・・・
 「ぐ!!」
 起き上がって辺りを見回したところで突然、洪水のように記憶が流れ込んできた。ひどい悪酔いをしたような感覚かし、再びベッドに倒れ込んだ。大きな叫び声が聞こえる。幼い女性のものらしい高い声がひどく耳に響く。黙ってくれと叫ぼうとしてその声の主が自分自身だった事に気がついた。
 「っ!」
 驚きのあまり声も出ない。俺《私》は、男《女》であって、×××《イザベラ》であって、つまりこんな声ではないはずで・・・ってイザベラ!?
 頭が痛い。脳髄に鉛を流し込まれたかのような感覚とともに知らないはずの記憶が流れ込んでくる。流れ込んできた記憶が現状の推測を肯定していくに伴い気が遠のいていく。
 「大丈夫ですか、イザベラ様!」
 女性たち、おそらく侍女というやつだろう、が慌てたように部屋になだれ込んできたのを感じたところで俺の意識は闇に落ちた。
 
 
 「夢じゃないのか・・・」
 これは所謂憑依系というやつなのだろうか、等と考え(現実逃避)ながらつぶやいた。
 依然俺《私》は少女、イザベラだった。夢だと思いたいが直感がこれは現実だといっている。
 「夢ならさめてほしいのに」
 思わずつぶやいた。
 
 イザベラの記憶によるとここはハルケギニアと呼ばれる世界であるらしい。私《俺》の立場はハルケギニアにある国家のひとつ、ガリアとかいう国の王女であるらしい。とんでも設定だが、それ以上に驚くべきことにこの世界には「魔法」とか言うものが実在するらしい……こればかりは唖然とするしかない。
 イザベラの記憶をたどっていると、思い出したようにお腹の虫がなった。王女としてどうなのだろうか、と思案しながらベッドの横にある呼び鈴を鳴らした。
 「食事を。ここで食べるから」
 部屋に入ってきた侍女に命じて再び思考にふける。いったい何故俺が私《イザベラ》になったのか。何者かが仕組んだ事なのか、それとも偶然なのか、はたまた元々この身はイザベラだったのか、私《イザベラ》の記憶もあるのだから……いや、胡蝶之夢のように考えても答えのでない問題ではなく、今考えるべきは…
 「お食事をお持ちしました」
 思考を遮るようなタイミングで侍女が食事を運んできた。
 「ありがとう」
 「・・・いえ」
 とりあえず礼を言ったところ侍女は目をそらすようにして下がっていった。
 「ん・・・?」
 侍女の行動を引き金にしてイザベラの記憶がフラッシュバックした。
 『シャルロット様が・・・』『この無能王が!』『オルレアン公夫人は毒をお飲みになられて・・・』『かわいそうなシャルロット様!』『魔法の才能も豊でいらっしゃったのに』『それに比べてイザベラ様は・・・』『所詮無能王の娘・・・』『威張り散らすだけの・・・』
 侍女、騎士たちのうわさ声、ささやき声。聞こえないとでも思っていたのだろうか、しかしその声は確かに私《イザベラ》に届いていた。
 「やめろ、黙れ!静かにしろ!!」
 思わず叫んでいた。体が震える。憤懣で、屈辱で、恐怖で。思考が定まらない中、さらに叫ぶ。
 「ふざけないで!一人ただ私《イザベラ》を悪者にして!!ただかわいそうだといって、いうだけで何もする気がないくせに!!なんで、なんでっ!!」
 激昂に任せて自分でも何が言いたいのかわからないまま、そこまで叫んだところで言葉すらまとまらなくなった。ふと視線を横に向けると先ほど準備させた食事があった。小腹はすいているが、食べる気はしなかった。あれだけ叫んだにもかかわらず誰も部屋に入ってこない。いや、誰もはいりたがらないのだろうなと頭の片隅で思いながら倒れるように横になった。
 
 気がつくと俺はただ一人暗闇にたっていた。
 「ここは…」
 ふと泣き声が聞こえた。そちらを向くと美しい青い髪の少女がたたずんでいた。
 「イザベラか…」
 唐突な確信とともにつぶやく。目の前にいる幼くか弱い少女は確かにイザベラだった。誰一人として味方のいないひとりぼっちの少女だった。
 彼女の立場は確かに王女だが、彼女を心から王女と認めるものはいない。イザベラの父、ジョゼフ、は現在のガリア国王だが彼が王位につくに当たって、彼の弟のシャルル・オルレアン公の方がふさわしいとする動きがあったのだ。だが、ほんの一月ほど前、オルレアン公は何者か、間違いなく父ジョゼフの手のものだろうが、によって暗殺されている。同時にオルレアン公派に対する大規模な粛清が行われることにより王位継承問題は終焉を迎えたが、これにより現王はもとよりその娘、つまりイザベラの風評は最悪の状況である。
 さすがに直接何かをされることはない。が、影での悪意あるささやき声は否が応でも耳に入ってくる。曰く、簒奪者の娘、無能王の娘…
 陰でののしられ蔑まれながらも、力ない彼女に自らを守る事はでき無い。王女だといっても、多くの者がかしずいているといっても彼女はかごの中の鳥にすぎない。オルレアン公派が復権すればそれはすなわち彼女の死、よくて幽閉を意味する。おそらく彼女は本能的にそのことを理解している…
次の瞬間彼女は顔を上げて叫んだ。
 「助けて!お願い!つらいの!!」
 「っ!」
 彼女自身意に罪があるわけではない。こんな幼子に罪があっていいわけがない。だから、俺はイザベラに向かって手を伸ばした。いや、伸ばそうとした。
「え!?」
次の瞬間、イザベラが驚きの声とともに闇に飲まれるようにして消えた。いったい何がと思うまもなく、俺の意識も闇に落ちた。

 
 気がつくとやはりそこはイザベラの部屋だった。
 「お目覚めになられましたか。」
 ドアを開けて侍女が入ってきた。どこかほっとしたような様子を見せながら近づいてきて言った。
 「いったいどうなっている?今は何日だ?」
 現状がどうなっているのかわからず、混乱のままに尋ねた。
 「丸一日ほど眠っておられました。お加減はよろしそうですね。食事をお取りになりますか?」
 そう言われて、大層腹が減っていることに気がついた。考えてみれば、丸一日以上食事を取っていないことになる。
 「そうだな……ここに持って来きてもらおうか。」
 「…かしこまりました。」
 そう言って下がる侍女を見送りながら思考に耽る。あの夢はなんだったのか、この体の本来の主、イザベラが出てきたのはなぜなのか……
 「イザベラ」
 つぶやき声が口から漏れた。夢で彼女の姿を見て、声を聞いて、嘆きを知って守りたいと思った。あの時初めて彼女を見たにもかかわらず、どんなことをしてでもそうしたいと思わせるだけのものがあったのだ。
 「お食事をお持ちいたしました。」
 侍女が食事を配膳台に乗せて運んできた。台の上にはキッチンクロスが敷かれその上に贅を尽くした料理、さらにフォーク、スプーン、ナイフが並べられている。
 「お体が回復したばかりとですので、軽めのお食事とのことです。」
 「ありがとう。」
 「っ!失礼します。」
 侍女が退出するのを待って食事を始めた。王女に出す食事というだけあって非常に美味しい。舌触りもよく、また(イザベラの記憶によると)ハルケギニアでは貴重品である香辛料も使われている。ガリアはハルケギニアの国々の中でも最も豊かな国であるらしく、王女イザベラが望めば、大抵のものは手に入るだろう。
 しかし、彼女の本当の望みはそこにはない。確証はないが、心の中に閉じこもっているであろう彼女が今最も必要としているものは心の安らぎ、周りから愛されるとまではいかなくとも憎悪の対象になっている現状を打開することだろう。自分という存在が何故この体に憑依(…)しているのかは不明なままだが、この体の本当の持ち主が彼女である以上いずれ彼女の意識も復活すると思われる。いや、彼女の意識が戻らねばならない。彼女が理不尽の中に失われたままになるなどあってはならないのだ。たとえそれがこの俺という意識を殺すことになるとしても、だ。強い意志とともにそう決意を固めた。
 ……ともすれば、次の一手は……
 チリンと鈴が子気味のよい音を立てた。続いてドアの開く音がする。
 「何か御用でしょうか?」
 呼び鈴に答えて茶色の髪にそばかすが特徴的な侍女が部屋に入ってきた。
 とりあえず男口調を改め、王女の口調になるよう意識しながら口を開いた。
 「もう一人分の食事をもってきて欲しい。」
 「は?しかし、ご体調は回復したばかりですし、一度にたくさんの量をお召し上がりになるのはよろしくないかと…」
 「違う。私が食べるのではない。そなたの分だ。相伴を許す。」
 「しかし平民の私が!!前例のないことです!!」
 「構わぬ。これは命令だ。」
 「しかし、」
 「くどいぞ。」
 「は、はい!ただいま!!」
 少しにらみつけるような目で見ると、侍女はあわてて部屋を出て行った。
 「まったく…」
思わずつぶやく。イザベラの評価がそこまでひどいとは文句のひとつも言いたくなる。彼女自身は普通、むしろよい子であると思うのに……いや、これは貴族、メイジに対する評価だろうか……
「失礼します。」
「ん?」
部屋に入ってきたのは先ほどの侍女とそれに侍女長――イザベラの記憶によるとサビーネという名前だったか――だった。
「失礼します、イザベラ様。先ほどこのものにお食事のご相伴をするよう命じたなどといったことを耳にしましたので。」
「ああ、その通りだ。」
「失礼ながら申し上げます。貴族、ましてや王族が平民などとともに食事を取るなどあってはならぬことです。前例のあることではありません。どうかご再考くださいますようお願いします。」
言葉は丁寧だが、きっぱりとした拒絶の意思があった。しかし、このまま引き下がるわけにいかない。現状を放置したままにすることはイザベラにとっていい結果を生むとは俺には思えないからだ。
「……前例がないからといってやっていけないというわけではあるまい。」
「ですが、これはあまりにとっぴ過ぎます。侍女、しかも生粋の平民とお食事を共にされたなどといった話が広まればイザベラ様だけではなくガリア王国の権威を貶めることになります。ご相伴をされるのであれば貴族の子女を手配いたしますが…」
「…前例とは破られるためにある。それに下々の者のことを理解することは支配者にとって何よりも重要なことではないのか?自分の治めるべきものがいったいどうなっているのか知らずしてどうやって統治するというのだ?」
「…ご立派なお考えです。しかし、そういったことは騎士様方にご命令になれば、」
「しかし、それで全てが分かるというわけではあるまい。平民の視点から見た情報というものの中には貴族の視点では見逃してしまうものも多かろう。」
「……ですが、それでしたら何も侍女ではなくもっと功のある者を、」
「そなたの考えは興味深い。よし、私と相伴しながらサビーネ、そなたの考えを聞かせてもらおう。」
「は?し、しかし」
「食事をしながらのほうが改めて時間をとるよりもよかろう。サビーネ、これはガリア王国王女の命令である!」
「は、は!畏まりました。」
そう言ってサビーネともう一人の侍女はあわてた様子で部屋を出て行った。思わずため息もつきたくなる。ただ一緒に食事をしようと誘っただけであるのにこれほど説得に苦労する羽目になるとは。
「…あまりよい兆候ではないな…」
イザベラの記憶によるとハルケギニアに存在する四国家、ガリア王国、ロマリア連合皇国、トリステイン王国、アルビオン王国は始祖ブリミルの直系の王国として六千年の歴史を持つらしい。イザベラの知識があるとは言っても、さすがに単一の王朝が六千年とはデマや神話の類としか思えない。ひとつの王朝や政治体制はせいぜい数百年長くとも500年くらいが限度であった地球の歴史を鑑みるに王朝の正当性を知らしめるための「物語」であろう。
……それはともかく、先ほどの会話からこの国、少なくともこの城においては権威と伝統が大きな幅を利かせていると見るべきだ。また王国の継承者争いにおいて貴族同士での対立があったということは現在、ガリアでは王の権威がそれほど高くない、つまり大貴族が幅を利かせうる状況と見ることもできるだろう。情報が少なすぎるので断定は危険だが、こういった状態では下手に体制地盤がゆれるとそのまま一気に革命といったことも起こりうる、と俺は思う。
まあ、さすがに考えすぎか……それよりも、今は食事のことを考えるべきか……
「失礼いたします。」
ちょうど侍女と侍女長が部屋に入ってきて、彼女らのいす、台、それと食事を並べ始めた。侍女長はいつも(イザベラの記憶によれば)と変わらず厳格そのもののだが、侍女のほうは緊張しているのかぎこちない動きが目立つ。
「あ!」
侍女の手がすべり、スプーンやナイフが落ちてしまった。
「何をやっているのですか!王女殿下の前で!!」
案の定、侍女長の叱責が飛ぶ。しかし、侍女の様子を見る限り、叱れば叱るほどますます失敗しそうである。
「そう気にせずともよい。せっかく相伴をするというのだ。無礼講である。」
「はあ、しかし…」
「まあ、そのようなことはどうでもよい。それよりも早く食事を始めようではないか。あまり時間をかけると冷めてしまうであろう。」
さすがにサビーネがあきれたような声を出した。ここまで王権や権威を無視した者が今までいなかったということもあるだろうが、あまりに今までのイザベラと違うというのが最大の理由かな、などと想像しつつ、あまり突っ込まれても困るので話を逸らす。
「はあ…」
「あの、準備は整いましたが…」
どこか気の抜けた雰囲気を断ち切るように侍女のほうが声をかけてきた。
「そうか。では、早く食べ始めることにしよう。」
そういって二人に席につくよう促した。
「始祖ブリミルよ、このささやかなる糧に感謝します。」
「「感謝します。」」
略式の挨拶を済ませ、食べ始めた。ナイフとフォークが小さくカチャカチャと音を立てる。侍女長サビーネも侍女もかなり緊張した様子が見て取れる。そういえばいまだに侍女のほうの名前が分からない。とりあえず現状を打開するために口を開いた。
「ふむ、そなた名をなんと申す?」
「へ!?」
「そなただ」
「っは、はい!マリーといいます!」
緊張しているせいか、かなり大きな声で返事が返ってきた。サビーネがいらだったような表情を見せるが、彼女が何かをしゃべる前に口を開いた。
「ふむ、マリーか、よい名だな。生まれはどのあたりなのだ?」
「えっと、サンハイムという村です。リヨン地方にある村で、えっとそれで私は…
マリーはうまくほぐれてきたようだ。サビーネはまだだがまあ仕方あるまい。ゆっくりと親睦を深めていけばいいだろう。マリー、そして一応サビーネとの他愛のない会話とイザベラの記憶を通してこの国の現状は把握できてきた。
……まずいな。予想していたよりも酷い。侍女の話の行間から察せられる現王ジョゼフの人望のなさ、腐敗し私利私欲を肥やす貴族たちの存在、重税に苦しんでいる民衆、問題はいくらでもある。そして何よりも、ジョゼフが簒奪王とみなされているという致命的な問題がある。先導者、王権に反旗を翻す旗印さえあればすぐにでも叛乱が起きそうだというのは私の心配しすぎだろうか……
しかし、そうであろうとそうでなかろうと幼いこの身では何もできない。であれば、できる限り「イザベラ」が憎まれないように、少なくとも簒奪王の娘としてみなされないように周りの印象を変えるべきか……もし叛乱が起きたとしても憎しみを受けていなければ、そして叛乱の首謀者たちがある程度利口ならば幼子に対しては何らかの温情を下す可能性が上がる。それに今は心の中に閉じこもっている幼い「イザベラ」にとっても周りが暖かく接する事、憎しみ、恐怖の対象ではなく愛情を受けることは重要であろう。
「目的は定まった。後は突き進むのみ。」
食事が終わり、侍女たちが去った後、一人きりの部屋でつぶやいた。
「問題は山積している、しかし目的が定まれば解決できないことはない。やればできるのなら、わずかでも可能性があるのなら私は…」
決意をこめてつぶやいたのだった。




[4219] 王女様に憑依しちゃった(仮)二話
Name: なんやかんや◆5615cca5 ID:b5adf181
Date: 2008/09/30 10:39
 …ぐす……

暗闇の中で少女は一人泣いていた。どこまでも広がる、身を切り刻むような凍える闇の中でその幼い少女は震えながらいつまでも泣いていた。

おそらくこの闇は彼女の絶望なのだろう。あまりに暗くあまりに冷たい。

それが間違っていると思ったから、こんな幼子が笑っていられないのはおかしいと思ったから、俺は彼女を抱きしめた。

「え!?」

「泣くな!他がどんなに君を憎んでも、つらく当たったとしても俺だけは君の味方でいるから!だから、世界をあきらめるな!」

彼女は一瞬驚いたような顔をしたあと、ゆっくりと瞼を閉じた。泣き疲れたのだろうが、静まりかえった闇の中で彼女の寝息が聞こえる。

心持ち先ほどまでの身を切るような寒さは和らいでいる。

だが、これでは全く十分ではない。俺は彼女、イザベラが笑えるような未来を創らなければならない。そう決意を新たにした次の瞬間、全てが闇の中に消えた。





「ん…朝か……」

精巧なレース編みがなされたカーテンを通して優しい光が差し込んでくる。

「今日もがんばるか」

未来を手にしたいのであれば戦わねばならないのだから。





イザベラに憑依(おそらくそう呼ぶのが正しいだろう)してからすでに二週間がたった。また俺は何時もの暗闇の中にいる。

この二週間でわかったことがいくつかある。

例えば俺とイザベラが意思疎通、会話できるのはこの空間内でのみということだ。イザベラとして活動している時にどうにかイザベラと何らかの意思疎通ができないかと色々試したが結局不可能だった。故にイザベラを説得して現実の世界に目を向けさせるにはこの空間内で彼女を説得するしかないだろう。

存外簡単に魔法が使えるということもわかった。あまり人に見られるのも好ましくなかろうということで侍女も下がらせ、教師をつけずに呪文だけを唱えただけだったのだが。使用してみたのはコモンマジックと各属性のドットスペルのいくつかだが、あまりの出鱈目に何ともいえない気持ちになった。

というかファイヤーボールって何だ、燃焼は激しい化学反応のことを指すはずなのに理不尽に訳のわからない火の玉とか飛んでくし………練金に至ってはもはや発狂するしかない。質量保存の法則は?核融合でも起きているのか?こっちの世界では簡単に核融合発電ができそうである……わーいエネルギー問題なんてくそ食らえ……これは研究者の卵だった俺に対する神の試練なのだろうか………正直もう耐えられそうにない………話題が逸れた………

この二週間で周囲、特に侍女たちの「イザベラ」に対する印象、対応は相当に改善されている。

特に新人のマリーやカリーヌ、十代後半くらいの美しい金髪を持った侍女であるが、とはかなり打ち解けることができた。……つまり愚痴なども聞かされるようになったということだが。

他の侍女たちもさすがにそこまで親密とはいかず最低限の礼儀は守っているが、無能王、簒奪者の娘と見なされることはなくなったと思う。というかこの場合仮にも王女に向かって愚痴を零すマリーとカリーヌが凄いというべきであろう。

唯一侍女長のサビーネだけは厳格だ。マリーとカリーナは勿論他の侍女も礼儀がなっていない、不敬であるといって始終叱り飛ばしている。まあこれは彼女の性なのだろうからあまり気にすることでもないだろう。侍女たちの引き締めと取り纏めが彼女の侍女長としての仕事なのだから。

とはいえ、あまり長い期間俺がイザベラとして振る舞うのはよくない。俺の目的は彼女を救うことであって彼女の人生を奪うことではないのだから。

それにもう一つ、イザベラ自身が表に出るのを急がなければならない理由がある。イザベラの体の中に彼女と俺の両方がいることは問題があるのだろうと思うが、この空間内での彼女の存在が薄くなっているのだ。このまま俺が表に出続ければ彼女が消えてしまうかもしれない。

このことに気がついたのは二日前のことだが、彼女が消えてしまうかもしれないかと思う度に絶望的な気持ちになる。イザベラを守ろうとする俺が、彼女の消える、死ぬ原因になってしまうというのだから。

それに、イザベラが表に出ようと思えば本当に出られるのかという問題もある。仮にそれが不可能ならば何らかの対策が早急に必要になる。

「いけない、これは焦りだ……焦るだけでは事態は進展しない……焦りは苛立ちを、苛立ちは失敗をもたらす……」

自分自身に何度もそう言い聞かせても焦りと震えは収まることがなかった。





「イザベラ、また来た。」

「…こんばんは、****」

どこまでも深い闇の中で一人ぽつんと座っているイザベラに話しかける。優しく笑いかけながら。

「今日もまたマリーとカリーヌがサビーネに叱られていたよ。それで、彼女が言うにはね………

「うん…」

今日の出来事の報告を聞きながらも彼女は違うことに心を奪われているといった様子であった。

ふと、今彼女の心をとらえている事柄が彼女をこの空間に閉じ込めているものではないかと思いついた。根拠はないが、しゃべることをやめた。彼女は何かを言おうとしている。

「………あのね………あのね…私…いない方がいいんじゃないのかな……」

彼女の言葉に体が震え激高しそうになる。声が高ぶらないように必死に押さえながら言った。

「っ!そんなことはないよ、イザベラ。君は必要だ。がリアに、ハルケギニアに君の代わりはいないのだから」

「でも****がいるじゃない!私よりももっといい!」

「俺は決して君の代わりにはなれないよ。君の優しさは俺にはないよ」

「でも、…でも私のせいでシャルロットがいなくなっちゃんでしょ!シャルルおじさまも!みんな……みんな私の…」

「それは君のせいではない」

「でも、みんなが」

「みんなじゃない!」

とうとう押さえきれずに声を荒げてしまった。イザベラはおびえたように震える。何時もならすぐに声を和らげたのだろうが、今の俺にはそんな考えは欠片も浮かばなかった。

「みんなじゃない!ちゃんと君のことを見てくれている人もいる!」

「私じゃなくてあなたなんでしょ!」

「俺が見ている!それにマリーやカリーヌ達だってきっとわかってくれる」

憤りに燃える頭の片隅で何かがこれが彼女を説得するチャンスだと告げた。自制に自制を重ねようやく声を落ち着けることが出来た。

「だって私は………私は……優しくなんかない……私のせいで」

「そうやって悲しめると事実が君の優しさの証明だ。それは俺にはない物だよ、イザベラ」

そういいながら彼女を抱き寄せ頭をなでた。

「でも、私は何にも出来ないのよ!シャルルおじさまの時も!シャルロットがいなくなった時も!王女なのに!」

「……そうだね、今の君には出来ないだろう。でもあきらめても決して出来るようにはならないよ…」

頭をなで続けながら言う。

「でも、私は無能王の娘なのよ!みんな私のことも何も出来ない娘なんだって言っているのに!」

「俺はそうは思わない。自分に出来ないことが分かるということはとても重要な才能の一つだよ。」

「でも、……でも」

「君の悲しみも、優しさも俺にはない物だ。君に代わりはいないんだ。」

「私は……」

「出来ないことがあるならば出来るようになればいい。求め続ければ未来はどんなことだってあり得るんだから。だから君は君の幸せを掴まないといけないんだ。」

「……」

もう何も言わずに抱きついてくるイザベラを俺は優しくなで続けた。

「私は、」

しばらくそうしていると不意に彼女が言ってきた。

「私は、生きていてもいいの?」

あまりに単純な、そして当たり前の質問だった。そしてこれこそが、彼女がこの暗闇に閉じこもった原因なのだろう。

「もちろん。君は生きていなければならないよ。」
強い意志とともに言葉を返すと震えながら彼女は口を開いた。

「ありがとう……私…」

「うん」

「私、がんばるから。」

彼女は震えながらもそう言ったのだ。




[4219] 王女様に憑依しちゃった(仮)三話
Name: なんやかんや◆5615cca5 ID:b5adf181
Date: 2008/09/30 10:40

暗闇の中で一人思う。彼女はどのくらいこの闇の中にいたのだろうかと。かつて時間感覚が狂うような暗闇、凍てつく寒さに満ちていたこの暗闇の中で一人思った。

笑い声が聞こえる。この空間もかつての肌を刺すような寒さはなく暖かみが感じられるようになっている。

「もう、****遅いわよ。待ちくたびれちゃったじゃない。」

「すまないな」

彼女が、イザベラ自身が表に出るようになってからすでに一ヶ月近くになるらしい。

彼女が表、現実世界に出ることはあっさりとうまくいった。彼女が出ようと思えば簡単に出ることが出来たのだ。最悪の事態を想定していた俺はこの事実にほっと胸をなで下ろした。

初めは俺とイザベラの違いのために周囲も違和感を覚えたようだが、すぐに周囲は順応したらしい。あらかじめ現実での様子をイザベラに伝えておいたのがよかったのだろう。まあ、彼女の方がずっとイザベラだったのだから当たり前だろう。むしろ「イザベラ」を演じていたとはいえ違和感を覚えられたのは俺の方かもしれない。

先ほどから「らしい」、「かもしれない」と伝聞形なのはこの一ヶ月間俺は一度も表に出ていないからである。

この一ヶ月でさらにいくつか分かったことがある。一つは表に出ていないと現実の情報は一切入ってこないということだ。さらにイザベラの記憶も俺が彼女に憑依した時以降の物は一切ない。そのために現実で彼女がどうなっているのかを知るためにはこの空間で彼女から直接話を聞くしかない。

「ねえ、ちょっと聞いてるの?ねえ、****ってば!」

もう一つ、いやこれはずっと前からそうだったのではあるが俺は俺自身の名前を認識できない。このことが指す意味は分からないが、何か問題があるわけではないようなのでそのままにしている。

思考にふけっていると体に衝撃を感じた。お姫様はお怒りらしい。風船のように頬をふくらませて睨んでくる。そんな表情を見て思わず微笑みが漏れてしまう。少し前、ほんの一ヶ月前まではこんなことは考えられなかった。ずっと泣き続けていたそんな彼女がこんなに表情豊かになるとは。

「もう、何よ笑って!私は怒っているんだからね!」

「すまないな。」

「全くもう、サビーネがいたら不敬罪ですってさんざん叱られるわよ。」

「それは勘弁してほしいな。また、マリーやカリーヌを叱り飛ばしているのか?」

侍女長サビーネに俺が直接に接していたのはわずか二週間だが彼女の厳格さを理解するには十分だった。さすがに王女であるイザベラをどやしつけることはないが丁寧ながらも躾には手を抜かないといった感じだった。

「もちろん。それにマリーとカリーヌだけじゃないわ。アリスやリリーもよ」

「さすがに君は叱れないか…」

「うんうん、そんなことはないわ。『姫様、そのようなことでは下々の者には示しがつきません』、『姫様、あなたはガリア王国の王女なのですよ』とかまったく」

「そうか」

「ねえ、それよりも昨日の話の続きを教えて!民主主義って言うんだよね?平民も貴族もない平等な世界なんでしょ?早く教えてよ!」

彼女がこうやって文句を言えるようになったことが楽しくて、怒られると分かっていてもやはり笑いを抑えることが出来ない。案の定、彼女はますます、破裂しないのかと心配になるほどに頬をふくらませた。

彼女のそんな様子を見ながら、もう俺がいなくなっても大丈夫かと思った。すでに限界が近いことは感じている。イザベラが表に出るようになってから暫くして、といっても表に出ない俺には時間感覚が分かりにくいのだが、俺の右手に文字のようなもの、おそらくルーンだろうが刻まれていることに気がついた。イザベラの記憶を元に、これは使い魔契約の亜種の様なものなのではないかと推測している。気がついた当初からこの文字は目立つものではなかったが、最近ますます薄くなってきている。これが俺と彼女をつなぐものであって、そしておそらくこれが消えた時に俺も消えるのだろう。

俺が消えてしまうまでにせめて彼女のためになるようにと、彼女が為政者として立った時に役立ちそうな知識を教えてきた。地球の、俺の世界の歴史や思想、学問の基礎知識等々である。まあ、魔法という理不尽が存在する以上どこまで役に立つかは分からないがそれでも知らないよりはましであろう。為政者、特に絶対権力者の無知はそのまま国の滅亡につながりうるのだから。

ふとイザベラが黙り込んでいることに気がついて慌ててそちらに意識を向ける。どうも考え出すと他のことに注意が行かなくなるのが俺の欠点だなと思いながら。あまり起こらせて拗ねられるとやっかいだ。

しかし、イザベラは怒ったり拗ねたりといった様子ではなかった。少し不安そうな様子でこちらを見てくる。何か心配事でもあるのかと慌てて事情を聞こうとする前に彼女は口を開いた。

「ねえ、****、居なくなっちゃったりしないよね?」

彼女の勘の良さに内心驚愕しながらもそれを表さないように俺はゆっくりと口を開いた。

「どうしてそう思うんだい?」

「分かんない、でも怖いの、****が居なくなっちゃうような気がして。…心配のしすぎだと思うけど」

「………」

慌てるように付け加えられた言葉の内容とは裏腹に彼女はどこかでそれを確信しているようだった。どのみち居なくなるのだから今のうちに話しておいた方がいいかもしてないと思いしばらくの沈黙の末俺は口を開いた。

「大丈夫だよ、イザベラ。俺が居なくなったとしてもマリーや、」

「だめ!居なくなっちゃだめ!そんなこと言わないで!ずっと一緒にいてくれるって言ってよ!」

俺の言葉を途中で遮って掴みかかるように彼女が叫んできた。

「……マリーやカリーヌ、アリス、リリー、それにサビーネが居る。それに」

「だって言ったじゃない!ずっと私の味方でいてくれるって!嘘をついたの?あれは嘘だったの!?」

縋り付きながら彼女は叫んだ。……イザベラとこの世界だけでしか会うことが出来なくとも、ずっと一緒に居られたらよかったのに。現実には手出しが出来ないにしても、せめて彼女の心だけでも守り続けることが出来ればどんなによかっただろうか。しかし、それはすでに無理である。俺自身の消失を止める手段がまったく分からない。仮に手段が存在したとしてもそれを実行する時間はあるまい。

「…嘘をついたつもりはないよ、イザベラ。でもね、俺は結局君の心の中に寄生しているだけの存在だ。俺が消えてしまうのは仕方のない」

「そんなこと言わないで!私に生きなきゃいけないってあなたが言ったのよ!あなただって生きなきゃいけないのよ!違うの!?」

「……イザベラ、やはり君は賢いね。それにとても優しい。きっと立派な統治者になるだろうね」

「いや、一緒に居てよ!居なくならないで!私は、わたしは!」

「……すまない」

なぜ俺には消滅という道しかないのか、自分自身の無力感がいやになる。泣き崩れた彼女にかける慰めの言葉も思い浮かばない。

……いや、慰めるべきではないのだろう。俺が居なくなった時、そうでないにしても何時か彼女が自分自身の足で歩かなければならない日が来る。彼女の立場を考えればその日がいつ来てもおかしくない。ならば、厳しくとも彼女にそれを伝えなくてはなるまい。

「イザベラ、俺がこうして君と話せるのもあと数回と言ったところだろう」

「いや!そんなこと言わないで!」

駄々っ子の様に耳を塞いでイザベラは泣き叫んだ。彼女の手をつかみ耳から離した。暴れる彼女を押さえつけ目線を合わせて言った。

「聞くんだ!耳を塞いだとしても、見ないふりをしたとしても現実は変わらない。だから、イザベラ、君は向き合わなければいけない。向き合って自分に何が出来るかを知らなければならない!」

「何で!一緒にいてくれるって言ってくれないの!?お願い、それだけで、私は、****が味方で居てくれるって言ったとき嬉しかったのに!」

「俺も出来れば、一緒にいたい。……でも、もうどうしようもないんだ。」

「お願い!消えないで!」

「……君が俺のことを忘れない限り、俺の存在はなかったことにはならないよ。君の記憶の中には残る。消えはしないよ。」

「おねがい、おねがいだから…」

「君が生きて俺のことを覚えている限り、俺は消えないよ。」

こういう言い方は狡いのだろうかと思いながら話し続けた。だが、俺という存在が消えても彼女が生き続けるように言葉を続ける。死んだ人間、消えた者が何を考えていたのかは誰にも分からない。分からないからこその死なのだろう。だからこそ死者の遺言とは重みを持つ。生者を縛り付けるほどに。この言葉は彼女を生に縛り付け、苦しめることになるかもしれない。それでも俺は言葉を続けたのだ。彼女が幸せになることが望みならば、彼女が死んでしまうことは認められないのだから。

「……うん、私は絶対に忘れないから、絶対に覚えているから……」

すでに泣き止んだ彼女が小さくつぶやくのを聞いた。

「……あなたが、…****が私の味方だって言ってくれたことも、教えてくれたことも……」

「本当に君は強くて優しいね……」

もう大丈夫だろう。いや、初めから助けなど必要なかったのかもしれない。小さなこの少女は本当に強い。残り少ない時間で俺の知っている限りのことを教えよう、そう思った。

「……****、ありがとう」

その言葉に不覚にも目頭が熱くなるのを感じた。







リュティスのとある宿の一室で二人の男が議論を交わしていた。掃除もあまりされていないのか埃っぽく、壁や天井にはシミが多い。ハルケギニア最大の都と謳われるリュティスには様々な人、物が集まる。当然の結果として貧しい者も多いため、そういった人々を対象にしたこうした宿も多くある。

片方は若く声高に自らの主張を唱えていた。部屋の周りに「サイレント」がかけてなければ確実に周りに聞こえていただろう。優美な装飾がされていながらも実用的な服を着ている。ここリュティスの者がみればすぐに王宮ヴェルサルテイルの近衛兵の者だとわかるだろう。こんな宿に用があるはずの人間ではない。

「簒奪者ジョゼフを倒す機会は今しかないのです!あの無能王はシャルル様を暗殺し、シャルル様を支持した我ら全てを徹底的に弾圧するつもりです。このままあの無能者の存続を許せば二度と倒すことはできなくなるでしょう!かつて、あれだけ反乱を強行しようとしてきたあなたが何故、この期に及んで躊躇しているのですか!?」

もう一方は、黒いマントでみを包んだ年配で落ち着いた様子の男だった。むしろ老人ともいえるがその眼光は衰えを感じさせないものがあった。

「かつてとは状況が違う。シャルル公という旗印があったのならば、ジョゼフ王を倒すことも出来たじゃろう。しかし、我らだけで動けば我々が王権に反旗を翻した者となってしまう。そうなれば国中が混乱に陥るじゃろう。成り上がりのゲルマニアやロマリアの生臭坊主どもを喜ばせるだけだ。」

「シャルロット様がおられます。あの方を」

「戯けが!シャルロット様の身柄はジョゼフの支持者どもに押さえられておる。今動けばあの方の命が危ないのだぞ!それに我ら全てが地位を失えばシャルロット様をお守りできる者がいなくなってしまうのだぞ!」

「今動かなければ、シャルル様を慕う者は皆殺されてしまいます!王宮に勤めている私たちなら無能王を殺すことも可能でしょう。あなたは今更自らの地位に執着しているのですか!?」

「………」

「あなたに頼みたいのは、我々の配置をプチ・トロワ周辺に動かすだけです。かつてシャルル派の傾向があった我々をグラン・トロワの護衛に置くのはまずいと言えばこの話も通るでしょう。我らの数は少なく配置も散らばっているため個々で反乱を起こしてもすぐに鎮圧されてしまうでしょう。一カ所にまとまることが出来なければこの戦いに勝利することは出来ないでしょう。」

「………よかろう……しかし、うまくいくとは限らぬぞ……あの離宮にはかの者の娘がおる……」

「そのときはそのときです。反乱をせずともいずれ粛正される身。覚悟は出来ております」

若い近衛兵は相手の返事も聞かずに脇に置いてあったマントを被ると部屋を出て行った。近衛兵が去ったあと老人は深いため息をついた。

「今、反乱を起こしても失敗に終わるだけじゃろうに……いや、ここで彼らの反乱を密告すれば……」

誰に言うでもなく老人は独り言を続けた。

「あの者達にこの国の、ガリアの未来を担うことは出来まい……そもそも、わしがシャルル公に味方したのもこの国のため……ジョゼフ王では諸公や他国から侮られてしまうだろうからじゃ……しかし、今となってはもうかの者達が権力を手にすることはあるまい……わしがうまく立ち回れば、あるいはシャルル公派の者達に対する粛正を押さえられるやもしれぬ……いや、やらねばならぬ……あの者達の中には将来この国を背負いうる者達が多かったのじゃから……たとえ、裏切り者と呼ばれようとも……」

老人はため息とともに立ち上がった。彼には今更、権力や名声に執着するつもりはなかった。ただ、彼はガリアという国をリュティスの美しい町並みを愛していた。自分の家名に泥を塗ることになるとしてもそれを守る、その決意を胸に老人は部屋を後にした。




この三日後、後にヴェルサルテイル近衛兵の乱と呼ばれることになる一部の近衛兵の反乱が起こることになる。




[4219] 王女様に憑依しちゃった(仮)四話
Name: なんやかんや◆5615cca5 ID:ae91f0b7
Date: 2009/07/17 15:51
闇の中で俺はイザベラと向かい合って立って話していた。俺の世界の歴史およびそれに対する俺の考察についてだ。

「―という訳で、民主主義という物は自己浄化機能が非常に高いシステムといえる。君主の力量によって国の行く末が大きく左右される専制君主制と比べると安定した国家運営が期待できる。まあ、民主主義というのは衆愚政治に陥るという可能性も大きいし、どの政治システムが最もよいかという事は、その国、その土地によって異なる。ちゃんとした民主主義が成立するためには民衆の多くが一定の教育を受けていること、つまり民衆が力を持ちうること、情報や流通システムが整っていること、あと経済が安定していることが揃っている必要があるというのが俺の考えだ。これらがそろっていない場合、独裁者が台頭することが多い、というかまず台頭して民主主義は有名無実に陥る。だからこの国、ガリアの場合は民主主義の実現はまず無理だと思う。何せ、貴族が魔法という問答無用の力を握っている。故に、イザベラがこの国を良くしたいと思うなら啓蒙君主制的な物に絶対王政型の統治システムか、立憲君主型を組み合わせた統治方法を薦める。」

「……でも、絶対君主制って王様によっては国が大きく傾くこともあるんでしょう?みんなが苦しむことになっちゃうかもしれないのよね。マリーが、マリーの生まれた所の領主は税金をたくさん取るんで生活が苦しかった、って言っていたわよ。王様によっては国中のみんながそうなっちゃうかもしれないんでしょう?話し合ってみんなで政治を決めるのがいいと思うんだけど……本当に出来ないものなの?」

「……その通りだね、イザベラ。君は本当に賢い。絶対王政は為政者の無能による危険が非常に大きい。ただ、改革を強行できるという点でのメリットがある。共和制や民主主義では出来ないようなことも絶対王政なら出来る。為政者が優秀ならこのシステムは効果的と言える。だから絶対王政型の政治である程度の改革がすんだら、立憲君主制に移行してその後何代もかけて民主主義にまで持っていくのが一つのやり方だと思う。もしくは初めから立憲性に持っていくのもありだ……民主主義のためには平等と言った思想が必要だ。現在実際に貴族と平民では魔法という絶大な違いがあるから平等思想は広まりにくい。それにガリアはロマリア、ゲルマニア、トリステインに囲まれている。王制を真っ向から否定するような国家が生まれればこれらの国々が黙っていないだろう。だから共和制も難しいだろう。アルビオンのような地理的に独立した国家ならそういったことが出来るかもしれないが……」

「むー。それじゃ私の代では民主主義は無理だって言うの?やってみないと分かんないじゃない!」

「やってみないと分からない、確かにそうだ……そんな考えを持った君主事態が前代未聞だ。あるいは出来てしまうかもしれない……」

「でしょでしょ!」

可愛らしく自己主張してくる彼女の頭をなでながら言う。

「それが正しいと思うのならやってみてもいいと思う。」

そこまで言って俺は表情を引き締めた。

「でも改革を進めるときには犠牲も出てしまう。特に、民主主義は貴族の権利を大幅に奪うのと同義だ。確実に猛反発を食らうだろう。状況によっては彼らを殺す必要も出てくる。」

その言葉に彼女はおびえたような表情を見せた。

「でも、貴族にもちゃんと説明すれば分かってくれるんじゃないのかな…」

「いや、確かに話し合いが通じることもある。だけど、そう簡単にいくものではない。困っている人を助けることが良いことだというのは多分たいていの人が持っている考えだとは思う。でも、そのために自分の財産や権利を捨てられるかというと話は別だ。誰だって自分が幸せになりたいと思っているし、そのために財産や権力を得ようとしているのだから。」

これは俺の私見に過ぎないが事実とそう違うことはないと思う。民主主義と言っても腐敗はあるし、話し合いが出来ているかというと必ずしもそうではない。だが、彼女は真っ直ぐにこちらを向いて言ってきた。

「でも、あなたと話して私はいろいろなことが分かるようになったのよ。それに、マリー達とも話したら仲良くできるようになったのよ。……私のことを憎んでいるんだってずっと思っていたけど、話してみたらそうじゃないことが分かったの。話せば分かり合えないことなんてないと思うの。」

「………」

「だから私は話し合えるような政治をしたいと思うの。話し合わないと分かり合えないままだから。それは悲しいじゃない。…それに私一人では改革なんて出来ないと思うの。だって私には実際にみんながどんな暮らしをしているのか分からないじゃない。だからみんなの考えを聞かないといけないのよ。」

「……本当に……イザベラ、君に会えてよかったよ。そしてこれから偉大な統治者になる君に関われたことを誇りに思う。」

イザベラが本当にしっかりとした考えを持っていることに、驚きとうれしさを覚える。俺が居なくても卓越した政治家となるだろう。

しばしの沈黙を挟んで彼女は口を開いた。

「……ねえ、****……これでお別れなんだよね?」

「……そうだな。おそらくこれが最後だろう。」

右手にうっすらと残ったあざを見ながら言う。すでに文字の一部は完全に消えており、何が書いてあったのかを知るすべはない。そして今までのルーンの消える速度から考えた理性、また直感がこれが最後だと告げていた。

イザベラはうっすらと涙ぐみながら言ってきた。

「私……私、あなたに会えてよかった……色々教えてくれたし、それに……」

「……」

「それに、私の味方だって言ってくれて…凄く嬉しかった…だから…ありがとう…****……あなたの…ことは…絶対…忘れ…ない…から……」

思わず、涙を流しながら途切れ途切れに言葉を続ける彼女を抱き寄せた。彼女の頭をなでながらゆっくりと言う。

「……さようなら、イザベラ」

「……さよう…なら……****……」









鳥のさえずりが聞こえる。目覚めると、そこは何時もと変わらぬ寝室だった。南に向けて造られた大きな窓から繊細な紋様が編まれたレースカーテンを通して朝日が差し込んでくる。今日の天気は晴天のようだ。シルク製の布団をのけて起き上がる。

「さようなら」

私は小さくつぶやいた。とたんに表情が崩れる。涙が止まらない。もっとおしゃべりしたかった。ずっと一緒にいてほしかった。お礼の言葉も全然十分に言えていない。それなのに、もう会うことはない。それが悲しくて私は泣き続けた。

****はいろいろなことを話してくれた。魔法がない世界のこと、科学というもののこと、政治にはいろいろな形があるのだと言うこと、宗教もいろいろなものがあると言うこと、他にもたくさんのことを教えてくれた。限られた、残り少ない時間で出来る限り私の力になろうとしてくれたのだろう。それは分かる。理解できてしまう。けど、

「ばか、ずっと一緒に居てくれるだけでよかったのに…」

思わず恨み言のような言葉が漏れた。綺麗に晴れた空、小鳥のさえずりが今は恨めしく思えてしまう。

「…イザベラ様?」

ドアを開けてマリーが部屋に入ってきた。

「どうなさったのですか、ドアをノックしても返事がありませんし……っ、泣いているのですか?お体の調子は―」

何時もの通りのマリーはしかし私の様子を見て急に慌てたような調子になった。駆け寄ってきて私の手を握った。

「大丈夫ですか!?」

不安に満ちた彼女の声を聞いて、逆に私は落ち着きを取り戻した。涙にぬれた顔を拭う。

「……大丈夫よ。ただ、少し悲しい夢を見ただけだから……」

話していくうちに思考が澄んでくる。マリーや他の誰かに本当のことを言っても仕方が無い。夢で会った人間が実在しているとどうやったら証明できるというのか。私以外誰も****がいたということを知ることは無いだろう。

「ねえ、マリー」

「はい、姫様」

「私は、私はみんなが、貴族も平民も平和に暮らせるような国を創りたいと思うの」

でも、私が覚えている限り、そして私が教えてもらったことを忘れない限り、****がいなかったことにはならない。だから、私は****に恥じないような人になろう。****が私を救ってくれたように、今度は私がみんなを救おう。それが多分、****が私にしてくれたことに酬いることになるだろうから。そう思った。

「姫様ならきっと出来ますよ」

「……ありがとう」

マリーの言葉に励まされる。私にも出来るような気がしてくる。……だから、見ていてね****、私はきっとこの国をかえてみせるから、と口に出さずに私は誓った。

「……マリー、そろそろご飯の時間じゃないの?」

「あ、はい。もう準備もできています。」

「じゃあ、いきましょうか。あんまり遅くなるとまたサビーネに叱られちゃうし」

「はい、姫様」

まだ、私に出来ることは多くはない。だからこそ、色々なことを経験して学んでいくことが出来る。私はまだ力が足りないけど、まだ能力は足りないけれど、頑張って何時かこの国を変えるのだ。そのためにはいつまでも部屋に閉じこもっているわけにはいかない。

「「おはようございます」」

寝室を出て食堂に着くと、サビーネを先頭にみんなが挨拶をしてきた。

「おはよう」

返事をしてから、席に着いた。それに習ってみんなも席に着く。私、それと****の強い希望で食事のときは侍女が同席することになっている。サビーネ、そして家庭教師のポニャックはこのことに大反対したが、****の協力もあって彼らを言いくるめることが出来た。といってもポニャックは未だ苦々しげだけど。ブリミルへの祈りを捧げ、食事を初める。

「マリー、今日イザベラ殿下を起こしにいって食堂におつれするまでずいぶん時間がかかったようですけど?」

「……あははは、いつもと変わらないと思うのですけど…」

今日も炸裂するサビーネのネチネチ攻撃にマリーが隣に座っている私に助けを求めるような視線を投げ掛けてくる。……無視無視、と目を逸らす……正直あまり関わりたくない。下手にマリーを擁護すると照準がこっちに向けられる。

「そうですか?いつもより三十分も遅かったのにもかかわらずいつもと変わらないと、そう言うのですね?なるほど、ではあなたには窓磨きをいつもより三十分多くやってもらいましょうか」

「ひど!ていうかそんなに正確に計って、小姑かー!」

サビーネの冷たい物言いにマリーが抗議の声を上げた。しかし、言葉遣いがあまりよろしくない。

「侍女長です。それとマリー、あなたにはその言葉遣いを改めるよう何度も言ってきたと思うのですが……カリーヌ!あなたもです!」

案の定、サビーネはますます冷たい声音になった。ついでにカリーヌにもお叱りが飛び火した。

……言葉遣いを直すように何度も叱られているのに改善が見られないのはどういうことなんだろう。いや、叱られることを分かってやっているのかな……それなら私が口を挟むべきじゃないよね、と私は脳内で自己正当化を完了して心置きなく目を逸らした。

「いや、イザベラ様の寝室をノックしたんですけど返事がなくて」

と思ったらいきなり巻き込まれた。サビーネの視線がこちらに向けられた。まずい!

「ちょっと、マリー私はすぐに起きたわよ!」

慌てて訂正する。私まで叱られるのはごめんだ。最近、サビーネは私まで叱るようになってきている。****に言わせるととても気にかけられている、愛されているということだそうだけど、わざわざ叱られたいとは思わない。

「そんなことありませんよーだ。百回くらいノックしたのに全然返事がなかったんですよー。さっきから助けを求めている平民を無視する立派なお姫様は眠っていらっしゃったようですけどねー。」

「ちょっ、それは関係ないと思うわよ!サビーネだってあなたが嫌いだから叱っている訳じゃないのよ!あなたが立派な次女になれるように―」

「ご代弁ありがとうございます」

必死にマリーに反論しているところで、極寒の冷たさを伴った声が割り込んできた。慌ててサビーネの方を見やる。

「しかし、姫様、私としてはもう少し王族としての嗜みを身につけていただきたいのですが?食事を侍女と共にとることが間違っているのかもしれませんね。あまりこういったことが続くとこういうことも出来なくなりますが……それと、マリー、言葉遣いを改めろと何度言えば理解できるのですか?王女様とご相伴している以上、最低限の礼儀は身につけてもらわないと今度からあなたの席がなくなりますよ?」

「「ごめんなさい」」

サビーネの言葉に私とマリーは謝った。……確かにこんな状態だと教育係にこの食事会を禁止されてしまうかもしれない。****の言っていたことが少し理解できた気がした。叱るとはいっても彼女は私たちのためになるようにしている。

「私に謝られてもどうにもなりません。これはあなた方の問題なのですから」

「「はい」」

私たちはそう答えた。確かにこの食事会は今までの仕来り、伝統を無視している。それだけに粗があれば強烈な反発を受けるだろうと****も言っていた。だけど、食事会をやめるつもりはない。今の私にとってこれは安らぎであるとともに平民から直接話を聞く唯一の機会なのだ。

その後は滞りなく食事は進んだ。とはいっても朝だからそんなにたくさんある訳ではないが。食事は食べる量だけしか作らないように言ってあるので余ることはない。きれいになった皿が下げられた。すると、食堂のドアを開いて女性が入ってきた。誰だろうと思っているとマリーが耳元で囁いてきた。

「モリエール夫人です。陛下に取り入っている」

露骨に眉をひそめながら言う。見やるとみんなあまり歓迎していない様子だった。

「父上に?」

ということは父上の『愛人』というやつなのだろうか。しかし、そんな人物が私に何の用なのだろう。そんな風に考えていると、彼女はにこやかに話しかけてきた。

「初めまして、イザベラ様。私、モリエールと申します。」

「初めまして…」

「突然お訪ねしてごめんなさいね。でも、今日グラン・トロワの迎賓館で開かれる昼食会にご招待しようと思ってやってきましたの。リュティス、いえ、ガリアの立派な貴族の貴婦人達が集まる社交界の様なものですわ。イザベラ様はまだ幼いですけど、政治に興味がおありのようですしご参加してみてはどうですか?」

「はあ…」

どうやら社交界のお誘いらしい。しかし、今日は既に家庭教師を呼んで政治の勉強をすることになっている。モリエール夫人は社交界も勉強になると入っているが……でも

「申し訳ありませんがお誘い断らせていただきます。今日はポニャック卿を呼んで勉強することになっていますので。私はまだ社交界に出るには若すぎますし……」

侍女との食事をすることに反感を持つ者はそれなりにいるようだ。今さっき、サビーネに言われたようにこの年齢で社交界に出るとよけいに反発を受けるだろう。だから断ったのだが、私の言葉にモリエール夫人は肩を落として落胆の様子を示した。

「それは残念ね。では、また今度お誘いすることにするわ……それじゃあ失礼します」

そういって夫人は下がっていった。その残念そうな様子に悪いことをしたかなと思ったが、周りを見るとみんなは心持ち満足そうな様子だ。どういうことなんだろうと疑問に思っているとマリーがはしゃぎながら言ってきた。

「残念でしたね、ご夫人!姫様を陛下に取り入るための出汁に使おうとしたみたいですけど―」

「マリー!!あなたには頭がついているのですか!?何度言ったら言葉遣いを改められるのですか!」

こういうとき、マリーはみんなの、というか彼女の考えを正直に言ってくれる。その結果、いつもサビーネに叱られることになるが……

「っ!ごめんなさい!でも、サビーネ侍女長だってモリエール夫人のこと嫌いでしょう?陛下にはお亡くなりになったお妃様がおられるのに。それに姫様がいるというのに厚かましく―」

「そんなこと言うものではありません……仮に気に入らない相手であろうと侍女である以上仕事はこなしなさい」

「それって、やっぱりモリエール夫人が嫌いなんじゃ……それに、尊敬できる立派な人の方が一生懸命に仕えられると思うんですけど」

マリーの言葉に顔が熱くなるのを感じた。なんだか過剰に尊敬されている気がする。私はまだ九歳の小娘でしかないのに……

「……だったら、しっかり仕えることです。気に入らない相手であろうと、侍女がそれを露骨に示してはあなたにも仕える主の名誉にも傷がつくのですよ。姫様の侍女であることを誇りに思うならあなた自身も誇り高くあるべきです」

「……はい。分かりました。モリエール夫人の悪口を言うのは非番のときにします」

「まったく……あなたは―」

サビーネにも誉められた。それが嬉しくて恥ずかしい。……もし****がいなかったらこんな風にはならなかっただろう。私を暗闇から引っ張りだしてくれた。それがなければこんな風にみんなと一緒に過ごせることなんて考えもしなかったに違いない。そんな風に慕われることも。

この毎日は****がもたらしてくれた。しがし、肝心の彼は……ことを考えると涙が出てくる。

「「…イザベラ様?」」

でも、泣くわけにはいかない。泣いたところで、私を慕ってくれるみんなのためになるわけではない。泣いたところで****は還ってこないから。だから、私は涙を拭って言った。

「何でもないわ……そうなんでもないの。それよりもポニャック卿がもうそろそろ来ると思うから準備をしなくちゃ」

明日をもっと良い日にしたいなら、泣いている訳にはいかないのだから。



[4219] 王女様に憑依しちゃった(仮)五話
Name: なんやかんや◆5615cca5 ID:b34e9daf
Date: 2008/10/17 16:45

プチ・トロワの近衛兵の詰め所に二人の男が向かい合っていた。

腐敗、汚職が蔓延しているガリアでは普通家柄が非常に重視される。しかし、ガリアが誇る騎士団、そして近衛兵の登用に関して家柄はそれほど重要視されない。家柄が良いことはもちろん選出の際に一考されるが、トライアングルクラス以上のメイジでなければ問答無用ではねられる。逆に実力さえあれば家柄が低くとも採用される。最近は家柄だけで無理に騎士になる者もいるため必ずしも実力主義とは言えなくなってきているが、ガリアが高い軍事力を持つと言われるのはこの制度による所が多い。

この部屋にいる二人は若くそれほど格の高い家の出ではないがメイジとしては高い腕前を誇っている者ばかりである。貴婦人、そして勇敢な少年達にとっては憧れの的だ。そのうちの一方、柔らかな金髪の長身の男が口を開いた。

「……分かりました。あの方の協力は得られたのですね……」

それに対して茶色い髪を持つ男が不機嫌そうに答えた。

「あくまでもあの男が不利にならない範囲でだがな」

「しかし、あの方の協力が無ければ我々の計画は立ち行きません。かつてシャルル派だった者共の大半が今や無能王に従っている以上」

やんわりと長身の青年話に出てきた人物を擁護するが、もう一方はなおも不機嫌そうに続けた。

「ふん、どちらも不忠者であることに変わりはない。あの男、シャルル様がご健在の時にジョゼフの暗殺を主張していたのだぞ!それなのにシャルル様がお亡くなりになった後は手のひらを返したようにジョゼフに取り入っているのだ!」

「……ならば、あの方が我々を裏切ることも考えられるのでは?」

茶色い髪の青年の言葉に、金髪の青年は眉をひそめた。

「可能性としてはある。しかし、いずれにせよ近い将来我らは粛正される。失敗しようと、このままじっとしていようと結果は同じだ。多少の危険が在ろうと止める訳にはいかない。我々は他の不忠者共の様にシャルル様を裏切る訳にはいかないのだ!今こそ立ち上がり我々の忠義を裏切り者共に見せつけるのだ!我々が立てばかつてシャルル様についていた者共も本当に従うべきが何者か分かるだろう」

「……なるほど、分かりました」

「賛同者たちにその旨を伝えておいてくれ。あと、あの男が裏切った場合は、今プチ・トロワにいる者だけでことにあたることになる」

「あと、あの方が失敗した場合もですね」

「ああ、いずれにせよ予定通りに決行する。その場合は人数的に厳しいが……」

「分かりました。その旨をみんなに伝えます」

そういって金髪の青年は部屋を出て行った。残った青年は部屋にかけられたサイレントを解除しながら小さくつぶやいた。

「無能王め、勝ったつもりでいるのだろうが……シャルル様には忠義者がいることを知らしめてやる……」

そして、彼も部屋を出て行った。





同じ頃、グラン・トロワの一室でもまた二人の男が向かい合っていた。一方は六十位の男である。整えられた髪、口ひげを持っているがあまり顔色が良いとは言えない。しかし、その眼光は鋭く、長く政争を戦い抜いてきた彼の半生を偲ばせた。

「人払いはすませた。それで、マザラン、いったいどんな用件があるのだ?」

彼に向かってそう訪ねたのは蒼い髪に美しいひげの男である。頭には王冠がのせられている。陰では無能王とも簒奪者とも呼ばれているガリア王国の国王ジョゼフである。

「陛下の手を煩わせたこと申し訳ありません。しかし、緊急かつ極秘にお伝えせねばならぬ」

「また、謀反の計画があると。今度は東薔薇騎士団か、それとも近衛兵か?」

マザランの言葉を遮ってジョゼフが言った。自分自身の人望のなさへの皮肉ともとれるこの発言にマザランは一瞬動揺したような様子を見せながらもすぐさま話を再会した。

「お考えの通りです。近衛兵の一部が反乱を企んでいます。しかし、極一部にすぎません。プチ・トロワの近衛兵たちが中心になっていることから、イザベラ王女殿下を押さえてプチ・トロワに立てこもるつもりかと考えられますが」

「ふむ?直接余を殺そうとはしていないのか?」

「彼らは人数が少なすぎます。陛下に害をなすことは不可能と考えているのでしょう。しかし、イザベラ殿下は護衛が薄く、彼らは押さえられると踏んだのでしょう。」

「はははは!なるほど、イザベラを押さえればこちらもそう簡単には手出しが出来ぬ。その上で他の者たちに余に反旗を翻すよう促す訳か!余ではなく余の娘を狙う、よく考えたものではないか!」

「……ご推測の通りかと……」

自分に対する謀反の話だというのにジョゼフは愉快でたまらぬという感じで笑い始めた。マザランはそんな王の様子に沈黙をおきながらも賛同の意を示した。

「はははは……それで、それでどうするというのだ?」

「…幸いなことに多くの者は陛下の側にあり、彼らの協力で首謀者は判明しております。陛下のご決断があればすぐに捕らえられるでしょう」

「よかろう、謀反者どもを捕らえるのだ。殺してもかまわぬ」

「御意」

ジョゼフの言葉にマザランは深々と頭を下げ、踵を返して退出した。




部屋を出たマザランは自らに宛てがわれた部屋に戻ると腹心を呼んだ。長いこと彼に従って者で、荒事にもあたってきたこともある。身長は高くはないが、がっしりとした体付きで小さいという印象は持たせない。まだ四十代のはずだが顔に刻まれたしわや白髪の混じった髪などによって五十代にも六十代にも見えた。

「陛下に進言した謀反を企む者たちの捕縛が許可された。お前がこちら側の近衛を率いて事に当たれ。」

「はい。それと、一つ問題が……イザベラ殿下が昼食会への参加を拒否したそうです」

「……そうか、モリエール夫人に殿下を誘うよう勧めたのだが……まあ良い。上手くいかなかったことで悩んでも仕方ない……まあ、保険程度のことのことじゃ。彼らを確実に押さえれば問題はない……それより、陛下によると場合によっては殺害もやむを得ないとのことだ……儂もそう考えている……無論……抵抗があった場合じゃが……」

「……分かりました……抵抗が……あった場合はですね」

「そうじゃ。彼らの謀反の証拠は既に揃っている。彼らが死んだとしても問題はない……むしろ生きている場合、逆にあることないこと叫ぶやも知れぬ……」

「……分かりました、全力で事に当たります」

そう言って彼は部屋を退出しようとした。ドアを開けた所で部屋の主の声が聞こえた。

「すまぬの。お主には汚れ仕事を押し付けることになる」

「……」

その声に何も答えず彼は部屋を後にした。

部屋に一人残ったマザランは疲れたようなため息をつきながら椅子に深々と腰を下ろした。執務用の机に積まれた書類を脇に除けた。

「……本当に上手くいくと思っていたのか……そもそもイザベラ……あの娘はジョゼフにとって人質になるとは思えぬ……成功する見込みもない計画が誰に益をなすのかがどうして分からんのか……無能王とばかり見下して……本当に無能なのはどちらなのか……」

無能王、いや狂王の笑い声を思い出しながら彼はつぶやいた。ふと、老人は窓越しに空を見やった。朝はよく晴れていた空に灰色の雲がかかってきている。




天気が荒れてきている。午前中の勉強も一段落つき、侍女達は昼食の準備を始めている。最近の勉強はポニャック卿から何かを習うというより、私がいろいろな質問をするという感じになっている。後、私なりに考えた政策や法律を評価してもらうということもやっている。彼に言わせると、交通網の整備などとても興味深いものもあるとのことだ。いくつかは彼が修正を加えて父上やマザランのところに持って行ったそうだ。ただ、平民の教育を充実させる事や、奨学金制度、平民が参加可能な議会制、立憲君主制などはあまりにも非現実的だと言われた。内容は良いと思うのに一顧もしてくれないのは私がまだ子供だからだろうか。貴族制が大切だという考えも理解できない事はないが、苦しんでいる平民に手を差し伸べる事はそれ以上に大切だと思う。そういっても取り合ってもらえない事に苛立を覚える事もしばしばある。****にはゆっくりと成長すればいいと言われたけど私は早く大人になりたい。大人にならならなければ、力がなければガリアを変える事が出来ないから。

「お食事の準備が出来たそうです」

ポニャックが帰った後、新たに考案した政策を紙に書いているとカリーヌがやってきた。

「ん。分かったわ」

急いで書き上げて私は返事をした。ずっと頭を使っていたからかお腹がすいている。私は、紙の束を脇にやると食堂に向かって歩き出した。こんなにのんびりしていていいのかと思う。****の世界では民主主義が成立するまで長い争いの歴史があったそうだ。ガリアに民主主義を導入するのはそれ以上に困難だろうと****は言っていた。それでも私は****に言ったのだ、それを成してみせると。だからこんな所でいつまでも足踏みをしているわけにはいかない。もっと力が必要だ。信用出来る協力者も、優秀な人材も集めなければならない。そしてそれはスタートにすぎない。私はどことなく焦りを覚えていた。





何事もない日だった。決行日が目前に迫ってはいたがそれでも特に今までの日常が変わることはない。というより、怪しまれないためにもいつも通りの様子を見せる必要があった。だから、ついさっき突然の攻撃を受けるまでは何事もない日だった。

「いったい何が!?」

悲鳴がもれる。きわどい所で逃げきり王宮の一室に立てこもることが出来たが、ガリアの王宮で命の危険にさらされるなど普通では考えられないことである。言葉とは裏腹に彼は現状をほぼ把握しつつあった。発覚したのだ。そして、警告なしの数人がかりでの攻撃。十分な証拠があるのか、口封じのためか、理由は分からないが相手はこちらを捕らえるつもりはないようだ。

「くそ!」

今更毒づいても遅い。王宮プチ・トロワの壁やドアは魔法に対してもある程度の耐性を持たせた作りになってはいるが、部屋を破られるのも時間の問題だろう。それに、先ほど躱しきれなかったエア・ニードルによる腹部の損傷は致命的だった。助かるすべはない。

「……」

 深呼吸をすると動揺が治まってきた。確かにもう彼に助かるすべはない。逃げるだけの体力がない。しかし、まだ事態を知らないであろう者たちに状況を知らせなければ。彼は窓を見た。間に木々があり直接見ることはかなわないが、窓はプチ・トロワに向かって設置されている。幸いなことに窓は内側から割りやすい構造になっていたはずだ。

彼が窓に杖を向けるのと、ドアが破られるのは同時だった。部屋に侵入してきた者たちが彼にマジックアローを放つ前に、彼は窓にフレイム・ボールを放った。炎の玉は窓を容易く割り空に舞い上がっていった。その一瞬後に彼の体はマジックアローで打ち抜かれた。

動揺の息が感じられた。やはり、プチ・トロワの方にはまだ手が及んでいなかったらしい。ただ捕らえるのならばともかく、確実に口を封じるためには信用のおける者のみを動かさなければならない。失血によりぼんやりとしてきた頭を動かして部屋を見回すと四人の男が立っているのが見えた。その中心にいるのは、実質的なガリアの宰相であるマザランの側近ピエール・バールだった。

「マザ…ラン…が……裏…切…た…のか……」

絶え絶えながらも彼はそう呟いた。奇襲により今回の計画に加わっていたもの全員の口を塞ぐつもりだったのだろうが彼の思わぬ行動によりそれは難しくなった。そのことに満足を感じ彼はなんとか笑みを浮かべた。バールはそれに答えることなく、しかし、忌々しそうな表情で杖を振り下ろした。





「あれは……発覚したのか……!」

プチ・トロワの衛兵の一人が空にあがった火の玉を見て呟いた。このタイミングで空に打ち上げられたファイア・ボール、発覚したと考えるのが妥当だ。計画はその内容だけに様々なケースが考えられていた。誰がやったのかは不明だが、空に打ち上げられたフレイム・ボールのおかげで一網打尽に捕まるという最悪の事態は避けられた。しかし、

「まずいな……」

現在プチ・トロワにいる同士は五人、衛兵が全部で十五人だから、戦力比は五対十、奇襲をかければ勝てないこともないだろうが時間をかければ他から敵の増援が来る。確実に対象を押さえるためには出来るだけ時間をかけたくなかった。

「あれは、いったい」

隣で共に警護をしていた衛兵が疑問の声を上げる。無理もない。何も知らないものにとってここガリアの王宮で戦闘が起こるなど考えたこともないだろう。シャルル公が亡くなってからは特にそうだろう。元々、王宮はジョゼフ派が優勢であり、彼らが勝利して以降は完全にジョゼフ派のみとなっていた。少なくとも表面上は。

「すまないな……」

驚きの表情を浮かべている『元』同僚に彼、ポール・マルランはエア・ニードルを放った。

ほとんど同時にプチ・トロワの東館、南館で突然反乱を起こる。

空には鉛色の雲がかかっている。雨が降り出しそうだった。




「申し訳ありません。いかなる処罰も覚悟しております」

「…………いや、よい……もうすんだことだ……それよりもプチ・トロワの方はどうなっている?」

腹心の言葉に対しマザランは現状報告を促した。一刻を争う現状において功罪を審議する時間はない。ならば叱ったり、罰したりして士気を下げるべきではない。

「まだ、調査中ですが確実に彼らは現状を把握したものと思われます。ただ、遠目にはプチ・トロワの様子に変化はないですが、何人かの衛兵が倒れているのが確認されました」

「……そうか……彼らの目的は何だと思うか?」

「イザベラ殿下を押さえることでしょう。ここで逃げたところでどうしようもないことは彼らにも分かっているはずです」

彼らの目的はやはり王女を押さえることにあるようだ。彼らが逃げるということはない。逃げた上で捕らえられ旧シャルル派の情報が漏れるという最悪の事態にはならなかったようだ。しかし、事が大きくなれば確実に彼らを殺す事は難しくなる。間違っても捕らえられるような事になってはいけないのだ。

「……確かに、もしイザベラが押さえられたことが分かればこちらもうかつに手出しが出来ぬ……時間は稼げるじゃろう……しかし……ピエール、信用できる兵はどの程度いる?」

「二十名です」

「プチ・トロワの衛兵は十五人……ピエール……兵を率いプチ・トロワの謀反者たちを殺せ……遠目に変化がなければ騒がれずにすむ……一時間ほどなら人払いをさせておくことも出来よう……」

「イザベラ殿下はどうしますか?」

「可能ならば救出しろ……」

「分かりました」

そういってピエールは急ぎ足で退出した。それを見やりながら、いやそんな時間もなく彼もまた部屋を出た。プチ・トロワの事態が広まらないように工作、さらに事態が収束したときに罪を謀反者たちだけが被るようにしておかなければならない。だが、つい呟かずにはいられなかった。

「……王女を避難させる事の失敗がこれほどまでに響くとは……」

最悪、王女が命を落とすような事になれば確実に自らの首がとぶ。いや、それ自体は構わない。隠しているとはいえ元はシャルル派でありながらジョゼフに仕え続けている以上覚悟はしているし、必要であるならば死ぬ。しかし、それだけの事態になると相当の調査がなされるだろう。それによりマザラン達の努力によりようやく落ちつてきた旧シャルル派の粛正に再び火が着きかねないのだ。

「……これ以上政争が続けば、ガリアの力は大きく落ちる。そうなればゲルマニアが嬉々として我が国に進出してくるじゃろう……それが分からんのか……」

シャルル公がジョゼフの暗殺に躊躇しなかったら状況は全く違っただろう。しかし、既に旗頭は折れているのだ。ジョゼフが憎いという気持ちも分からなくはないが、これ以上の争いは泥沼にしかならない。仮に勝利したとしても、強引な手法で帝位を得たアゲルマニアの皇帝、ルブレヒト三世がガリアに攻め入る口実を得る事になってしまう。

「……何もこの時期に勉強熱心になられなくとも……」

溜息がもれるが、済んだ事は仕方ない。

「……いずれにしても結果がどうなるにせよ……王女が亡くなるといった事が起ったとしても旧シャルル派が一網打尽にされる事態だけは塞がねば……」

そう呟きながら、実質ガリアの内政を一手に握る老人はくたびれた様子で歩いていった。





ちょうど、昼食を摂り始めたときだった。何かが崩れるような音がする。続いて慌ただしい足音。いったい何がと思う間もなく食堂のドアが蹴り破られた。

「イザベラ様!!お逃げください!!」

駆け込んできた衛兵がそう叫んだ。続いて別の衛兵が駆け込んできた。肩に傷を負っている。

「反乱です!!マルランが中心になっている!!お逃げください!!ベッソ!お前は私とともに反乱者どもを押さえるのだ!!」

そこまで叫んだ所で彼は後ろから吹き飛ばされた。そのまま五メイルほど滑っていく。そして、二人の衛兵が部屋に駆け込んだ。

「イザベラを押さえろ!!」

「えっ!?」

「くっ!お逃げください!!」

一人がもう一方に指示をして最初に食堂に乱入した衛兵に飛びかかった。対する彼は私に向かって叫ぶと杖を振った。杖先から炎は生まれ対戦者に飛びかかる。対戦者が杖を振るのも同時だった。二人の中間で炎が爆発し周りに熱を放つ。彼らはさらに杖を掲げた。

「姫様!!」

二人に目を奪われたその一瞬にもう片方の乱入者がこちらに接近してきていた。既に彼は杖を振り上げる所だった。彼の顔は憎しみに満ちていた。

「あっ」

体が硬直する。回避も防ぐ事も出来ない。そして、そのまま杖は振り下ろされ、

「っ!」

視界がぶれた。何が起きたのか分からない。あわててあたりを見回そうとして、カリーヌに抱きしめられて倒れている事に気がついた。暖かい液体が顔を濡らしてくる。何なのだろうと見やり、

「っ!カリーヌ!」

カリーヌの肩は真っ赤に染まっていた。止めどもなく流れる血が私の顔を濡らしていた。そんな……

「馬鹿者!イザベラは殺すな!捕まえるのだ!!」

初めに食堂に来た衛兵と戦っている男が怒鳴る。衛兵の方は押されている様子だ。相殺しきれなかった風魔法が体のあちこちに小さな傷を作っている。私に向かってきた男に向かって氷の槍が飛ぶ。先ほど吹き飛ばされた衛兵が杖を振っていた。

「姫様!!早くこちらに!!」

サビーネが駆け寄ってきた。カリーヌの腕の中から私を奪うように掴み上げた。私をもう一つの出口の方に引っ張っていこうとする。カリーヌが倒れているのに。

「カリーヌ!!サジーネ、カリーヌが!!」

「逃げてください!」

カリーヌが叫んできた。だめ、そう叫びながら暴れた。侍女を、カリーヌを残して逃げるなんて出来る訳がない。してはならない。だって私が創りたいのはそんな国じゃない。カリーヌを見捨てるなんて嫌だ!杖を取り出して男達に向けて振った。……何も起きなかった。魔法は失敗した……

「姫様!急いでください!」

叫びながらマリーとリリーが駆け寄ってきた。カリーヌの肩を二人で支えてこちらに向かってくる。右手を掴まれた。杖を落としてしまう。振り向くとアリスが私の手を引っ張っている。

「あなた方も早く!!走りなさい!!」

サビーネが固まっている侍女達を怒鳴りやる。あまりの事態に硬直していた彼女達もようやく動き出した。

二人の衛兵の足止めは上手くいっているようだ。心配だが私が残っても仕方がない。私がいなくなれば彼らも自由に動けるようになるだろう。ここは逃げるしかない。

「逃がすな!!」

叫び声が追いかけてくる。ふとそちらを見やって、

「あ」

声が漏れた。男の杖から渦巻く風の槍が飛んできている。走っている私は急に方向を変えられない。躱せない。ゆっくりと槍が迫ってくる。本当は高速で飛んでくるはずなのになぜかそう見えた。私の頭を貫くだろう。…………****……ごめんね、せっかく私を助けてくれたのに…………




風の槍が肉を貫く音を聞いた気がした。

「え……」

訳が分からない。イッタイナニガ?

「……あ……」

……いや、簡単な事だ。

「あ…あ……」

あの攻撃はかわせなかったはずだった。それなのに私は傷を負っていない……つまり、誰かが私を庇ったという事だ……

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

……マリーが……倒れていた。腹部が真っ赤に染まっている……トテモタスカルキズデハ……

……タスケテ!****!オネガイ!!

突然の殺し合いを前に、私の決意は何の力も持たなかった。何も出来なかったのだ。





[4219] 王女様に憑依しちゃった(仮)六話
Name: なんやかんや◆5615cca5 ID:e5d93a88
Date: 2009/05/04 17:22
暗闇の中でもう会うはずのない少女の叫びを聞いた気がした。右手に痛みが走るのと同時に何か決定的なものが壊れる音を聞いた気がした。






「っ!」

突然の光景に引きつった口から短く悲鳴がもれた。サビーネを始め、カリーヌ、リリー、アリス、サザ、ジゼルが倒れている。サビーネは頭から血を流し、カリーヌは肩に大きな傷を負っている。そして、

「うそ……」

マリーが倒れている。腹部が真っ赤に染まり流れ出た血が小さな池になっている。

「……そんな……」

呆然と呟く事しか出来ない。夢に違いない、こんな事ある訳が無いと思い込もうとしても、頭の片隅で冷たいほど冷静な部分がこれは現実だと告げていた。致命傷だった。そしてイザベラはいったい……?周りを見やってこの身がイザベラ自身である事に気がついた。いったい、どういう……

「王女を押さえろ!!」

叫び声に我にかえった。衛兵が吹き飛ばされるのが横目に映った。衛兵の格好をした男がこちらに走ってくる。とっさに杖を構えようとして無い事に気がついた。杖がなければこの身は無力な少女にすぎない。慌てて辺りを見回して前方に転がっているのを見つける。杖を取るために走り出そうとした所で、男に体を押さえつけられた。血溜まりの中に叩き付けられる。

「くはっ!」

「姫様!!」

「全員、動くな!!王女を捕らえたぞ!!」

杖をこの身の咽に向け男が叫ぶ。侍女、衛兵全員の動きが止まった。男の手が首筋を押さえつけてくる。息が出来ない。暴れようとしても完全に抑えられて身動きが取れない。まずい……

「腕を緩めてください!!姫様が!!」

「動くな!!」

意識が朦朧とし始めた時、サビーネの声が聞こえた。男は叫び返しながらも腕を緩めた。ようやく気道が回復し激しく咳き込む。なんとか顔を動かして周りを見やると、一人の衛兵が風魔法で他の二人を拘束していた。

足音が聞こえる。人数は三人程度……おそらくこの身を拘束している男ともう一人の仲間だろう。彼らの表情からそう読み取りつつ、事態の悪化に強い焦りを覚えた。このままでは、マリーが……

「………ひ……め…さ……ま…………」

「っ!!マリー!!」

かすかな声が聞こえた。慌ててそちらに向かおうとするが全く動けない。

「……に…………げ……………………」

「くっ!!放せ!!」

マリーはまだ生きている。治癒魔法を使えば助かるかもしれない。藁にもすがる気持ちでそう思い、拘束を逃れようとして暴れた。返答は拳だった。視界が一瞬ブラックアウトする。

「黙れ、簒奪者の娘が!」

「イザベラ様!!やめてください!!手は出さないで!!」

「王女にはあまり危害を加えるな!!生かしておかなければ意味がない!!」

複数人の声が交差した。相手は相当興奮している。ざわめきの中で懇願の声を上げた。

「マリーを助けてください!まだ生きている!」

「黙れ!!」

再びの拳。しかし、来ると分かっていれば耐えられない事もない。わずかに頭をずらして威力を軽減する。

「やめろ!!」

もう一人が叫んだ。……やはり、彼らの目的はこの身か……そう思考した所で、さらに三人の男が入ってきた。まずい、最悪だ……

「押さえたか……上手くいったな」

「……マリーを、私の侍女に治癒魔法を!!」

叫ぶが、まるで相手にされない。一人がマリーの体を蹴って言う。

「もう死んでいる」

「……そんな……」

「今まで散々シャルル様に従った我々を殺した癖にそれを言うか!……ふん、少しは自分たちのしてきた事を思い知れ!!」

呆然としている私を押さえている男が叫ぶが、全く耳に入ってこない。話を無視された事に腹を立てたのか男が三度拳を振り上げた。

「やめろ!!」

「死ななければ構わないだろう」

仲間の静止の言葉に彼は反駁した。歪んだ表情……ジョゼフ派に対する恨みは相当のものらしい。いや、そもそもジョゼフ派が事実上勝利を収めたのにも関わらず、反乱を企てるという事は強烈な恨みがなければ出来ないだろう……忠誠というものはその主に相応の力があって初めて成立するものだ……全てを失うと分かっていてなお従う事の出来るものは普通いないだろう……シャルル派が壊滅している中でこの行動をするという事は、彼らには既に失うものがないという事だろう。つまり、説得、交渉が通じるとは考えがたい。

「我々は残虐な無能王に代わりシャルル様の……」

そこまでいった所で男の声が止まった。複数人の足音が聞こえる。男達の表情を見るに、彼らにとってもこれは予想外の事らしい。こちら側の衛兵だろう。まずい……この身が押さえられている以上、彼らは迂闊に手出しが出来なくなる。そして、手出しが出来ずに時間が経過したからといって事態が好転するとは考えがたい。彼らが自暴自棄になったらそこで終わりだ……

「落ち着け!!こちらは王女を押さえている!!むこうもそう簡単には手出しが出来ないはずだ!!」

男、始めからこの部屋にいた二人のうち命令を出していた方が言う。どうやら、この男が彼らのリーダーのようだ。

「時間を稼ぐのだ!時間が経てばシャルル様への忠義を忘れぬ我らの存在を貴族、平民が知る事になるのだ!そうすれば、彼らも真に忠誠を誓うべきが誰だか分かるだろう!!」

その彼が叫ぶ。しかし、その内容はあまりに非現実的だった。確かに生前シャルル大公の人気は貴族、平民の間で高かったようではあるが、既に亡くなったその人物のために何かをするものはいないだろう。他の男達もどことなくそう感じているのだろう。一応は従っている様子ではあるが、彼の考えに対しては懐疑的な様子だった。……しかし、それが今の私たちにとってアドバンテージにはなりそうにない。カリーヌ以外の侍女達は皆立ち上がって動けるようだが捕まえられてしまった以上……

一応ドアからの侵入者に備えて男達が陣形をとった。その数瞬後に武装した男達が部屋に踏み込んできた。部屋に入ってきた男達の人数は八人ほど、だが、他の部屋でも足音が聞こえている事から察するに、まだ他にもいるようだ……なんとか、侍女達だけでも解放させねば。そう思い侵入者達の方を見やり、目を見開く事になった。

飛び込んできた男達は皆杖を振り上げている。

「動くな!!こちらには王女がいるぞ!!」

反乱者達のリーダーが慌てたようにそう警告する。だが……撃ってくる!彼らの目を見た瞬間そう確信した。咄嗟に手足に力を込めるのと、彼らが魔法を放つのは同時だった。この身を押さえているというのに問答無用で攻撃された事に驚いていたのか、あっさり拘束を抜ける事が出来た。そのまま前方に滑るように転がり、杖を掴んだ。ほぼ同時にいくつもの魔法攻撃が体のすぐ上を飛んでいくのを感じた。怒声が上がる。さらに横に転がって立ち上がる。

「王女様を救出しろ!!他は殺せ!!」

新たな侵入者の命令に彼らのうち二人がこちらに向かってくる。残りは反乱者達に杖を向け、

「やめろ!!」

そう叫んで走り出した。この位置では反乱者の直線上に侍女達が固まっている。このまま攻撃すれば彼女達も巻き添えを食う事になる。そして、この身が殺される事になろうとも攻撃を加えた彼らだ。彼女達に配慮がされるとは思えない。

最初の攻撃は王女がいるとあってさすがに致死性のものではなかったようだ。それでも三人ほど吹き飛ばされ呆然と立っている二人の脇を走り抜ける。新たな侵入者達はこの身が攻撃の直線上に入ったためか一瞬動きが止まっていた。

「待て!!」

「っ!王女様を確保するのだ!!手荒になっても構わん!!」

反乱者と新たな侵入者がそれぞれ叫ぶ。その声を無視して呪文を唱えた。レビテーションを唱え倒れているカリーヌを浮かべた。

「走れ!!速く!!」

侍女達にそう言い放つ。一瞬遅れて彼女達も走り出した。反乱者達はこちらを追おうとするが、すぐに新たな侵入者に相対せざる終えなくなる。魔法が飛び交う。魔法の余波がテーブルを粉々にし、壁を破り、床に穴を開けた。まず致死性の呪文だ。

「かはっ!」

目標を外した魔法がアリスに当たった。あまりに呆気無くその体が倒れた。

「っ!アリス!!」

そちらに方向を変えようとした所で体を掴み上げられた。

「っ!放せ!」

「止まるな!!走れ!!」

 動きの止まった侍女達に男が叫ぶ。治癒魔法を使えば、そう叫ぶが相手にされない。持ち上げられたまま部屋を転げるように飛び出した。続いて侍女達が走り出てくる。宙に浮いたカリーヌも出てきた。しかし……アリスは……

「走れ!!」

そう叫ぶ男を見上げて、それが最初に部屋に入ってきた衛兵だと気がついた。どうやら無事だったらしい。

しかし、状況が分からずに混乱する。いったい何が。そう思った所で前方から足音が聞こえた。おそらく数名。敵か味方かは分からないが、侍女達がいる現状で敵と遭遇すればそこで終わりである。それに気がつかないのか男はそのまま走り続ける。

「向こうから誰かが来ている。足音が聞こえる。道を変えろ」

「はっ!?」

驚いたような声を上げる。慌てて止まり目を閉じた男は一呼吸おいて目を開いた。

「確かにそのようです。しかし、何故お気づきに?食堂の戦闘音と私たちの足音で聞こえるとは思えないのですが」

「?…いや、普通に聞こえたが……そんな事よりも道を変えろ……私の寝室の方がいいだろう……私の寝室への道は基本的に一本しかない。この道を曲がった道だ。反乱者達はあの五人で全てだったようであるし、もう一方の連中は外から入ってきた様子だ。あそこにはまだ連中はいないだろう……」

「はっ、は!」

若い衛兵はこちらの言葉に驚いたかのような表情を見せた。侍女達を促して廊下を曲がろうとする。

「あと、私を降ろせ。唯一の戦力の両手が塞がっていては話にならない」

「は、はい!」

そのまま進んでいこうとする衛兵に言う。慌てたように男は私を床に降ろした。侍女達の方を見やる。……浮かんでいるカリーヌは出血をかなりしていて危うい状況だった。サビーネ、リリー、見習いのミレーユも体のあちこちが傷ついている。ここにいるのはこれだけだった。……マリーも、アリスも救えなかった……そして……イザベラ……どちらが表に出るかは彼女の意思に依っていた……つまり、私がこうしてあるという事は……

唇を噛み破り、思考を元に戻す。今は悲観に暮れている場合ではない。そんな余裕はない。後悔する事も絶望する事もこの状況をなんとかしてからだ。そうでなくては……

走りながら、思考を現状分析に向ける。あの衛兵達はシャルル派の者達なのだろう。本人達もそういっていたし、それが嘘である必要性もない。反乱を起こしたという事は遅かれ早かれ殺されるだけだ。では、新たに来た彼らは何物なのか。反乱者と敵対していたから、こちら側のはずだ。それなのにこの身が人質になっているにもかかわらず攻撃を仕掛けた。何を考えているのか分からない。この身が無事だという保証はない。そして、何かがあったとき、彼らは地位どころか命が危ない。明らかに異常であった。いったい、

疑問に答えが出ないまま、いつの間にか寝室に着いていた。

「「王女様!!」」

こちらに向かって二人の衛兵が走ってきた。一方は老人というにはまだ若いという様な男だった。頭に傷を負っている。反乱者にやられたのか。ならば味方であろう。もう一方は対照的に十代半ばと言った様子だった。同行してきた衛兵に杖を降ろすように言い、廊下を封鎖するように指示した。カリーナを降ろし、治癒魔法をかけた。あまり上手くいかないが、なんとか傷が塞がった。傷が塞がった所で失った血液が戻る訳ではないが、ほっと一息ついた。他に応急処置が必要な者はいないのでサビーネ達に傷の手当をして休むように言い、この辺りの警護に当たっていた衛兵の方に向き直った。

「よくご無事で!」

ほっとした様子を見せながら老兵が言ってきた。少年の方は緊張した様子で立っている。

無事ではない、マリーとアリスが亡くなった。そう言おうとして、止めた。彼に言っても仕方がない事だ。それよりも、

「何があった?」

「反乱です!早くお逃げください!」

緊張に耐えられなくなったのか少年がそう叫ぶ。

「逃げられればとっくにそうしている。しかし、衛兵の他に何物かは分からぬが別のグループがいる。それの目的は分からないが私かいるにも関わらず攻撃を仕掛けて来た。人数も多く逃げようがない。故に、まず現状を把握する必要がある」

おそらく知らないだろう別の集団の事を手短に伝え、老兵に何があったのかを話すように促す。理解が早く、彼は口を開いた。

「は……突然、グラン・トロワの方で炎が打ち上げられのを見た直後ともに警護をしていた…」

「元、同僚が襲いかかって来たと……それが合図であった事は間違いないが……彼らは計画通りにやっていると思うか?」

老兵の言葉を遮り質問をする。

「……いえ……何らかの計画があったとは思いますが……この事態は彼らにとっても異常事態だったと思います……彼は、私と供に警護に当たっていた者ですが、驚いている様子でしたから」

経験豊富な衛兵の言葉に満足の意を示す。会話を通して段々事態が把握出来て来ている。

「なるほど。これは彼らにとってもイレギュラーだった、という事で間違いなかろう。では何故そうなったのかだが……」

「計画が発覚したためでしょうか……」

老人が言ってくる。と、そこで廊下にやった衛兵が戻って来た。ご苦労と一言告げて再び話し始めた。

「そうだろうな。私を狙っているという事が分かれば厳重な護衛がつけられ、彼らの目的は果たせなくなる。その前に強引でも計画を前倒ししたのだろう」

「何かあるのですか」

聞いてくる老人に考えをまとめながらしゃべる。

「何故、彼らの計画が発覚したかという事だ……」

「…それが問題なのですか?」

「……彼らはシャルル派だった…彼らの計画を知る者は同じシャルル派しかいないはずだ。という事はつまり、シャルル派の中に彼らを密告した者がいる。問題は、何故密告したのかという事だ……」

「…シャルル公が亡くなり、結束力が揺らいだのでは……密告すれば自分自身の地位は保証されるでしょうし…」

それは最も可能性が高く見える回答だ。だが、反乱者達の様子を思い出す限り、彼らの中に僅かな年金と地位のために裏切る者がいるとは考えにくかった。そもそも密告したからといって地位が保証されるとは限らない。密告したからといって嘗てシャルル派であった事に変わりはないし、「裏切り」という行為はここハルケギニアでは評価が低いのだ。つまり、密告者がその行為により利益を得られると考えたとは思えない。

「……それも、考えられるが……だが、第三のグループの動きから推測すると……」

「そうではないと?」

「第三勢力は私の救出もしようとしていたが、しかし、私がいるにもかかわらず攻撃をした……つまり彼らは反乱者を捕らえる……いや、殺す事を優先していた。口封じという事だな」

「なっ!」

こちらの推測に少年と若い衛兵と侍女達が驚きの表情を見せる。それを尻目にさらに思考を進める。

「そう考えれば、納得がいく。つまり、密告者、いや第三の集団を動かした者、者達は、元シャルル派で反乱者達はそれを知っていた……反乱者達の計画が成功するとは思えない……そして、失敗したときには彼らについて相当調査がなされる事になる。そうなれば、密告者達も殺される事になっただろう。だから、彼らは反乱者達の口を全て塞ぐ事にした。塞いでしまいさえすれば後はどうとでも出来る……偶然反乱の計画がある事を知って、首謀者達を捕縛しようとした所戦闘になり彼らは死んでしまったなどと……」

そこでいったん口を閉じたが、思考は続けた。口封じ、目的はそれで間違いない。しかし、どの程度まで口を封じる気だ?この身は出来る限り保護したかったようだが……それ以外は全て殺す気か、そうでないのか……

部屋を歩き回り、外からこちらが見えないようにしながら窓の外を横目で見やった。小雨が降っている中、数名の兵士がいるように感じる。だがそう多くはない。反乱が起きている事が分かればあちらこちらから兵が駆けつけるだろう。つまり、何物かがこの反乱を隠蔽しているのだろう。そして、動かせる者だけを動かした。人数は……多くとも三十人といったところ。これだけの無理をしてプチ・トロワを密室にしたのだ……私なら王女以外は皆殺しにするだろう。王女さえ無事ならばなんとでもなる……

「……」

呆然として言葉もない少年、若い衛兵と侍女達からどことなく青ざめた顔をしている老兵に視線を戻して聞く。

「第三の集団……彼らの主は反乱者の抹殺。その者はジョゼフ派の人物だが、嘗てシャルル派につながっていた。また、プチ・トロワから人払いが出来るだけの権力を今も持っている、動かせる私兵は二十から三十程度……心当たりは……?」

「はっ……は……いえ、ありません」

一瞬の躊躇を見せた後、老兵は否定の言葉を返した。……おそらく、彼もまた正確に現状を把握している。侍女達、若い方の衛兵そして少年は理解してはいない様子だが……だがその方がいいかと思い直す。パニックになられてはまずい。

「……知らないかどうか彼らが確かめると思うか……?私だけならば証言はそれほどの力を持たない…」

「……マ、マザラン卿ならば」

再び老兵に尋ねると返答が返って来た。……マザラン卿……直接あった事もなく、詳しく知っている訳ではない。知っている事といえばガリアにおいて事実上宰相ともいうべき人物だという事くらいだ。……知らないのであれば聞けばいいか……

「前王の頃から仕えている者だな……どう思う?」

「……やると……」

老兵にそう尋ねたところ観念したのか返答がかえって来た。予想通りとはいえため息もつきたくなる。

「そうか……」

逃げる事は不可能だろう。侍女達、特にカリーヌが貧血で倒れている。速度が得られるとは思わない。窓からの脱出も不可能、外に数人とはいえ見張りが着いている。立てこもりもだめだろう。味方が来る事はなくいずれ突破される。

「姫様!ここは姫様だけでも!それとこの者は見習いですが戦う事は出来ます!私が彼らを抑えますから!」

老人がそう言って少年を示した。私とこの少年だけならば逃げ切る事も可能だろう。老兵が援護をすれば可能性はさらに上がる。

「……逃げる必要などない」

「はっ?」

逃げる必要はないし、逃げる事は出来ない。この身を慕ってくれる者を見捨てる事は出来ない。彼女ではなく俺が表に出たのはきっとそのためだから……既に痛すぎるほど代償を払う事になってしまった。これ以上失うわけにはいかない……それが、せめてもの……

歯を食いしばり、手を握りしめる。感傷に耽る時間はない。

「反乱者達の使った合図……あれは使える……ただ、単に火の玉であれば無視される可能性がある。それに雨が振りかけている。だからプチ・トロワに火を放て!」

「「はっ!?」」

誰の発した物か、驚愕の叫びが上がった。




「時間がかかりすぎているな……」

そうバールは呟いた。今のところ無力化されていた「反乱者」は五人、反乱者は二人死亡を確認しているだけである。プチ・トロワの周りに見張りをおかねばならないためと、料理人などを誘導するために人数が制限されている事を含めても制圧に時間がかかり過ぎである。予想以上に反乱者が粘る。プチ・トロワで仕えていたというだけあって向こうの方がこの宮殿の構造を詳しく知っているという事も戦闘を長引かせていた。が、それ以上に

「死兵というのはこれほどまでに厄介か……」

幸い王女がこの戦闘に巻き込まれて死亡するという最悪は避けられた。最初にこちらで抑えられなかったのは痛手ではあったが反乱者さえ倒せば抑える事は容易いだろう。幸い時間的余裕はまだある。

「よし、体勢を立て直す!四人一組に分かれろ!数の優位を持って

突然の爆発音に次の言葉は掻き消された。

「な、何事だ?!」

あまり戦闘が激しくなれば人払いが出来なくなる。反乱者を確実に殺せない危険が出て来てしまう。慌ててそう訪ねたが、

「なっ……」

次の瞬間絶句する事になった。窓越しに見やると、プチ・トロワの東館が炎に包まれていた。







「……何だ」

「煙……?」

「燃えているんじゃあ……」

「!…大変だ、火事だ!」

「燃えているぞ、プチ・トロワが!」

「王女様は?!」

「急いで、衛兵を向かわせろ!!急げ!!」

グラン・トロワは混乱につつまれていた。ついさっきまでモリエール夫人の主催するお茶会が開かれていた事が嘘のような慌ただしさである。

「ああ、陛下…」

ジョゼフ王を慰めようとしているモリエール夫人を他所に、マザランは焦りを感じていた。今回の事は完全に彼らだけで解決しなければならないのだ。他の派の者が事態に関与すれば、彼らのつながりが漏れないとも限らない。決定的な証拠は出ないかもしれないが、プチ・トロワでの動きを見られれば、疑われる事は間違いない。

しかし、もう止める事は出来ない。現状は既にもみ消せる段階ではない。そして、事態が収束したとき、彼の政治生命、いや命は、

「……終わりか……」

気がつけばそう呟いていた。





[4219] 王女様に憑依しちゃった(仮)終
Name: なんやかんや◆5615cca5 ID:ae91f0b7
Date: 2008/11/14 15:56
炎が燃え上がり爆ぜた。天井の一部が燃えて落ちてくる。プチ・トロワはさながら地獄の業火に焼かれているようであった。

「王女を見つけ出せ!!急げ!!」

叫びはもはや命令というより自分自身に言い聞かせていると言った感じである。反乱を企てた彼らも既に三人のみであり、目的も目標も喪失していた。

「今更王女など、生きているのかさえ分からんのだぞ!!バール達に抑えられている可能性もだ!!」

「……くっ」

火が燃え上がった事でバール達の追撃は止まった。彼らも混乱している。火を放ったのは彼らではないという事なのだろう。だが、これだけの火事になれば、あちこちから兵が駆けつける。王女を押さえていない以上、捕まって殺されるか、戦って殺されるかしかない。だから、王女を見つけなければならないのだが、この炎の中生きているのかも分からない。

「王女を探すために逃げ回れというのか!!すぐにでも衛兵が駆けつけるだろう!!そのとき我らが戦わなくてどうするのだ!!シャルル様に仕えた我々が臆病に逃げ回って死んだなどと思われたらどうするというのだ!!」

「戦っても無駄死にになるだけだ!!」

「生きているかも分からない王女を捜す方が無駄だ!!」

時間がない。急いで王女を押さえなくてはと焦るが、付き従う二人のうち一方がそれに反対した。

「こんな議論で時間を無駄にしても意味はありません!リーダーの決定に従うべきでは?」

「そのリーダーとやらに従った結果がこれだ!!だから俺は反対だったんだ!!王女を人質に取るなどと言った事は!」

「……ですが、貴方もこの計画に参加した以上は従っていただかないと」

「その計画とやらはもう終わっている!」

「二人とも止めろ!!」

言い争う二人を静止する。不承不承と言った様子で二人は口論を止めた。

「……王女の部屋の方に向かう……あそこにいく道は一つのみだ……王女がいる可能性も高いし、戦闘になった時も戦いやすいだろう」

「分かりました」

「……わかった」

妥協案を示しなんとか同意を得る。あちらこちらで炎が燃え上がっているが幸いな事に目的の部屋に続く廊下はあまり燃えていない。道を塞ぐ瓦礫や炎は魔法で吹き飛ばして道を急ぐ。

「しかし…誰が火を……?」

「私です」

誰に対してでもなく呟いた言葉、それに間髪入れずに返答がかえって来た。あわてて見やると、そこには王女が立っていた。……違う…

「火を放つよう命じたのは私ですわ」

一歩こちらに踏み出しながらそう言い放った。つい先ほどとはまるで違う雰囲気をまとっている。存在しているだけで自然と頭を下げる気になるような何かがあった。……いや、先ほど王女を捕まえた時も同じように感じる時もあるにはあった。しかし、今の様に息をするのも苦しくなるような威圧感は無かった。嘗てのシャルル大公にもジョゼフ王にもこんな印象を受けた事は無い。

「イザベラ…殿下が…」

自分自身の口から漏れた呟き声で我に返った。いつの間にかあとずさっていた。慌てて思考を切り替え、一歩前に出る。

「……イザベラ…殿下…我々に従っていただく」

知らず、敬語を使っていた。

「……そうですか……しかし、その前に聞いておかねばならない事があります……貴方方はこの行動に何を求めているのですか?何が目的なのですか?」

そう、王女は訪ねて来た。







「王宮に火を放つなど…そんなむちゃくちゃな…!」

若い衛兵がそう叫んでくる。まあ普通は当然の反応だろう。年かさの衛兵の方は驚いた様子を見せながらも反対するという事はないようだ。

「ここで、防衛をしていればすぐに他から援軍が来ます!そんな事をせずとも、」

「援軍はこない。というより誰かが意図的にこの反乱を周りから隠蔽している。だが、プチ・トロワが燃えているともなればさすがにそう言う訳にはいくまい」

「っ!……ですが、」

「分かりました」

若い衛兵の言葉を遮り、老兵がそう言った。余計な事で時間を取られるのは避けたかったこちらとしては有り難い。

「……」

プチ・トロワの構造を思い出しながらしばし黙考する。火を放つにしてもまさかこの部屋でするわけにはいかない。この部屋はなるべく燃えないようにしなければならない。少なくとも救援がくるまでは。さらに言えば煙の事も考える必要がある。火事の死因の多くは焼死や火傷ではなく一酸化中毒なのだから。もっとも小雨とはいえ雨が降り出しているしから燃えすぎてしまう事より火がつかない可能性を考えるべきかもしれない。また、プチ・トロワはお世辞にも気密性がいいとは言えないため(冬は非常に冷え込むため暖炉をガンガンに炊き込む事になる)、煙もそれほど問題にはならないと思う。

「ふむ……ここで護衛、および囮をする者と、火を放つ者とに分かれる必要があるか……」

侍女達を守るために戦力を残しておく必要がある。戦力の分散は痛いが他に手はない。そうなると問題はどう分けるかという事になる。下手に火を放てばこちらまで危うくなる以上、私は火を放つ方に参加しなければならない。護衛の方は盤石を期すために二人は欲しい。こちらの戦力はイザベラ、若い方の衛兵、年かさの衛兵と三人のみであるから……

「卿ら二人はここでサビーネ達の護衛をするのだ。私はプチ・トロワを移動し火を放つ」

「っ!いけません!!姫様!!」

「姫様がそのような危険を冒すなど!!」

案の定、反対の声が上がった。だが、それについて議論をしている場合ではない。反対の声を黙殺して老兵の方に向き直る。

「出入り口、壁を錬金で塞げばどの程度持ちこたえる事が出来るか?」

「……半時ほどならあるいは」

つまり三十分は持たないという事だろう。まあ、それだけ持てば十分か、と独り語散る。

「ふむ……分かった。では私が出て行った後、卿らは錬金で入り口を完全に塞ぎこの部屋を死守するのだ。」

「いけません!!」

「殿下はここで隠れていてください!火を放つ役は私がやります!!」

若い衛兵がそう提案して来た。だが、

「そう言うわけにはいかない。理由は三つある。一つはこの部屋の出来る限り戦力を減らすわけにはいかないという事。いくら魔法が使えるとはいえ正規の戦闘訓練を受けていない私は防衛戦力として不適当だ。故に経験のある二人はこの部屋の防衛にまわさねばならない。もう一つは機動力の問題だ。人数が増えればそれだけ機動力も隠密性も下がる。戦闘が目的ではない以上、火を放つ役は一人で十分だ。三つ目は、私なら仮に見つかっても命までとられる事はないという事だ。反乱者も他方も私の身柄は確保しておきたいと考えているはずだ。」

説得の理由としては若干弱い気もするが強引に話を打ち切る。あえて口に出して言わなかったが最大の理由は他にある。構造や状況を性格に把握していなければ火を放つ役は任せられないという事だ。

「……しかし、」

「十分経っても何もなければそちらで火を放て。それでは幸運を祈る」

ドアに手をかけ部屋を出ようとした時、見習い兵の少年が口を開いた。

「あ、あの、わたしがお供します!」

「は?」

予想外の言葉に一瞬硬直した。見習いはおとなしくしているよう言おうとして、この身が少年とそれほど、いや、それ以上に幼い事に気がついた。反論は難しい。

「……しかし、危険だ」

「王女殿下だけを危険にさらすなど僕、い、いや私の名誉に関わります!それに私は危険など恐れません!!ご安心ください、殿下は私が命に代えてもお守りしますから!」

「……はあ、分かった。ただし条件がある。私の指示に確実に従う事だ」

「っは、はい!!私の名誉と命にかけて!!」

命にかけて、という言葉は気に入らなかったが、ここで承諾しておかないと二人の衛兵や侍女達からも猛反発を食らいそうだったので渋々ながらも了解した。少年、といってもこの身よりは年が上だが、と一緒に部屋を出た。

「では、付いてこい。静かにだ」

「はい」

プチ・トロワ、その構造を思い出しながら駆け出した。







突然、衛兵が攻撃して来た時は何が何なのか分からなかった。だが、王女殿下は瞬時に事態を推測してみせた。

(すごい……)

それだけでも十分にすごいのだが、殿下は自分よりも幼いのだ。九歳になったばかりと聞いている。十六歳になった自分にもそんな事が出来るとは思えない。その上、魔法も相当使えるらしい。傷ついた侍女をあっという間に治してしまった。自分に出来るかと言われれば確実に無理である。無能王の娘と嘲る噂話も聞いた事があったが、全くそんな事はない。プチ・トロワで見習いとして勤務するようになってから聞いた殿下の数々の逸話、そして今、目の前で皆を励ましている姿をからは、非常に聡明で慈愛に満ちている事が分かる。

(王女殿下をお守りするために僕も……戦えるんだ……)

戦いは怖くない。むしろ、少年は喜びすら感じていた。幼い頃からの夢、いつか騎士になって貴婦人や弱き者を救うという男ならば誰もが見るような夢。まして、救う対象は可愛らしい姫君である。彼の心は震えていた。

「卿ら二人はここでサビーネ達の護衛をするのだ。私はプチ・トロワを移動し火を放つ」

と、王女殿下の言葉に頭が真っ白になった。本来戦うべき衛兵ではなく王女殿下が戦いに出るというあまりに異常な発言である。二人の衛兵が止めようとするが聞き入れない。さらに同行すると言っても断っていた。

(そ、そんな……)

危険にすぎる。そう思って止めようとして、不意に気がついた。だから、

「あ、あの、わたしがお供します!」

王女殿下に向かってそう言った。初め渋るような様子を見せもしたが、了承を得、共に走り出した。

「錬金はどの程度出来る?」

しばらく無言で移動した後、殿下がそう尋ねて来た。

「あまり得意ではないですが、ラインクラス位なら……」

突然の質問に驚きながらも答える。

「ふむ……ではここからそこまでと、あそこからむこうまでの壁を錬金で砂状に出来るか?」

「えっ、は、はい!」

「では頼む。手早くだ。」

王女殿下はそう言って壁やら床やらに魔法をかけている。少年も慌てて行動を開始した。

(でも、いったいなんなんだろう……)

広い範囲ではない。作業自体はすぐに終わった。すぐさま別の場所に移動して、再び錬金をすると言った事を何度か繰り返した。

(つ、疲れた…)

肉体的には問題ないが精神力を相当に使っている。これ以上錬金の魔法を使えばろくに戦う事も出来なくなる。

「あの、これはいったい……?」

「ん……準備はできた」

王女殿下の言葉に戸惑っていると、彼女は杖を取り出し床に向けた。床をよく見ると濡れたような線が伸びている。次の瞬間、杖先に火が灯り、床の線が一気に燃え上がっていく。そのまま火は走っていき、通路の曲がり角で爆発した。

「なっ!」

「効率的に燃え上がるようにいくつか細工をしてある。簡単に消す事は出来ない……隠れるぞ。これを見て反乱者達がこちらに集まるはずだ」

促されるままに廊下の陰に移動した。殿下は隠れると言ったが少し気をつければ簡単に見つかってしまう場所だ。反乱者達をやり過ごすというには心もとなさ過ぎる。

「あの、隠れるならもっと別の場所に……」

「いや、ここで十分だ。彼らは相当動揺しているだろうから気がつくまい。それより何でそんなに距離をとっている?ただでさえ場所は狭い。もっとこっちに来い」

「え、あ、いや、でも…」

王女殿下の言葉に返答を詰まらせていると、業を煮やしたのか服を掴んで引っ張られた。急な事に体勢を崩して、王女殿下に寄りかかる格好になってしまった。

「わわわ、も、申し訳ありま」

「静かにしろ」

慌てて謝罪の言葉を述べようとしたが手で口を塞がれた。口を開くのを止めると手は離れた。

(あ、……残念だ……って、僕はいったい何を考えているんだ!王女殿下にそんな事!!……でも、王女様の手小さかったな……って駄目だ、そんな事考えちゃ!……冷静になれ、僕!王女様を今お守り出来るのは僕しかいないんだぞ!それに恐れ多くも王女様にこ……って何を考えているんだ、僕は、僕はああああ!!)

「…心配する必要はない。何かあっても私が守るから大丈夫だ」

こちらの苦悩を勘違いしたのか殿下はそう言った。立場が逆である。先ほど命をかけて守ると言ったのにまるで本気にしていないらしい。

(いやいや、違うんです、殿下!命は惜しくはないし、殿下のためなら全く問題なしで……っていうかどう考えても間違ってるよ……王女殿下が騎士を守るのも、九歳の女の子に十六の僕が守られるのも……)

勘違いされたままにしておく事は出来ない。訂正をしようと殿下に向かって口を開こうとしたところで、顔に痣が出来ている事に気がついた。思わず手を伸ばして触れると、ビクリと反応した。

「痛むのですか?……よろしかったら、私が治癒を……」

「大丈夫、いや……頼む」

王女殿下は初め断ろうとした様子を見せたが、結局了解の意を見せた。こちらに顔を近づけてくる。

(うわ、わ!体が……殿下の…駄目だ、そんな事考えちゃ!)

体が接触するほど近づいてきた事に動揺しながらなんとか呪文を唱えた。治癒は得意ではないが、懸命に精神力を込めるとゆっくりとではあるが腫れが引いていく。跡が残る事はないだろう。その事に少年は密かに安堵した。と、唐突に体を引かれた。その数瞬後、複数人の怒鳴り声と足音が聞こえてきた。

「で、殿下」

「大丈夫だ。彼らが私たちに気がつく事はない」

そうささやき声で言い交わした直後三人の男の影がすぐ脇を通り過ぎた。見つからなかったようだ。緊張が解けてほっとしていると、殿下が口を開いた。

「ここでしばらく待っていろ」

「は、あの」

何かを言う前に殿下はするりと通路に出て走り出した。






やはり、反乱者達はこの道を通って行こうとしている。王女がいる可能性が一番高いのは王女の寝室かその辺りだと反乱者達は認識している事に間違いはないようだ。そして、予想通りマザランの私兵は完全に動きが止まっている。完全に秘密裏にこの事態を解決するという目的が果たせなくなったことで、彼らは動けなくなっているはずだし、口封じをしようとも思わないだろう。つまり、イザベラの寝室に向かっている三人の反乱者達を無力化すればこれ以上死傷者が出る事はない。三人が通り過ぎるのを待ってから見習いの少年にここで待機するように言いつけ彼らを追う。そして彼らに向かい、

「火を放つよう命じたのは私ですわ」

そう言い放った。

「イザベラ…殿下が…」

中心に立っている男が呆然とした様子で呟くようにそう言い、あとずさった。が、すぐ気を取り直したのか一歩前に出て口を開いた。

「……イザベラ…殿下…我々に従っていただく」

「……そうですか……しかし、その前に聞いておかねばならない事があります……貴方方はこの行動に何を求めているのですか?何が目的なのですか?」

「何をぬけぬけと!貴様の父親がどれだけ我々シャルル派の者達を殺して来たのか考えた事があるのか!!」

右側の男、先ほどこの身を押さえていた者が叫び声を上げた。かすかに目を細めながら答える。

「では、自分たちの仲間が殺されたから自分たちも殺していいと、そうおっしゃる訳ですか?」

「だまれ!!失った事のない者が知ったような口をきくな!!これはシャルル様を不当に殺した貴様らに対する報いだ!!我らの忠義を侮辱する事は許さん!!」

「その報いのためには婦女子を人質にしても構わないし関係のない侍女、平民を巻き添えにしても構わないと……ずいぶんとご立派な忠義ですね。シャルル公も喜ばれるでしょう」

「っ!きさまぁ!!」

「よせ!」

「王女殿下!!」

こちらの言葉に激昂した男が杖をこちらに向けようとしたところで、中央の男が制止した。予想通りと思ったところで、背後からこちらに向かって見習い兵の少年が駆けてくる音に動揺する。今反乱者達が暴発すればこちらに有効な手段はない。慌てて向き直り、手振りで制止する。彼が立ち止まるのを確認してから向き直った。反乱者達も仕掛けてくる事はなく、こちらを向いて立っている。中央の男が口を開く。

「殿下、確かに私たちは卑怯な手段をとっています。しかし、多くのシャルル派が粛正された今、私たちには既に手段が残されていなかったのです……殿下、今ガリアではシャルル派に対する執拗なまでの弾圧が続いています。嘗てシャルル派であったというだけで不当に領地を没収される者、平民に落とされる者、そして殺される者は後を絶ちません。この状況を変えるために私たちは立ったのです。卑怯者と罵るならそれで構いません……私たちには名誉を失おうと犠牲を出そうと突き進む覚悟があるからです」

思った以上に冷静な様子だった。あるいは落ち着きを取り戻したのか。視線だけを上に向ける。

「……一つ……私にも覚悟があります。あなた方を殺してでも私を慕ってくれた者達を守るという覚悟が」

その言葉に、彼らは臨戦態勢をとった。だがもう遅い。

「それが、私のために死んだ者に対するせめてもの償いになるでしょうから!!」

同時に天井が爆ぜ、燃える木材や熱せられた石材が反乱者達の上に降り注いだ。

「っ!!」

悲鳴を上げる間すら与えずに、天井だった物は彼らを押しつぶした。轟音とともに床が揺れ、煙が舞い上がった。

穴の開いた天井から吹き込んでくる雨が火を鎮めていく。煙が晴れ上がるとそこには瓦礫の山があった。

「っ、殿下!!ご無事で」

少年が駆けて来た。そちらに向き直り、イザベラの部屋に戻り、衛兵や侍女達に終わったと告げるよう指示を出した。始め渋る様子を見せたが、もう脅威はないと強引に説得して部屋に向かわせる。それを、見送ってから、瓦礫の山に向かって数歩進んだ。



焼け落ちた天井から吹き込む雨が容赦なく体の熱を奪っていく。炎の勢いも弱まっている。戦闘は既に終わっている。しかし、その事実は安堵と喜びよりもむしろ虚しさと絶望をもたらしていた。

確かに戦いは終わった。だが、マリー、アリス、名も知らぬ衛兵、そして、その他にも多くの命が失われた。イザベラを守る為に死んだ者も多い。しかし、そのイザベラも……

もう居ないのだ。どんなにそれは嘘だと自分自身に言い聞かせても理性が、直感がそう告げていた。俺とイザベラを別れたままの不安定な状態で維持していた楔、ルーンは壊れてしまった。もう元には戻らない。

殆ど俺が殺した様なものだ。俺がイザベラの体を乗っ取った。俺がいなければ、こんなことにはならなかった。俺がいなければ、イザベラはモリエール夫人の誘いを承けてお茶会に参加していただろう。俺がいなければ、こんなことには巻き込まれなかった。俺がいなければ、侍女の死に彼女が絶望することはなかっただろう。俺はただイザベラを守りたかっただけなのに、彼女の為になるどころか彼女を殺してしまった。

「俺は、俺は……」

倒れ込む様に床に転がった。死のうか、そう思った。すぐ横に杖が転がっている。それを手にとって二言三言呟くだけでよい。とてもとても簡単なことのように感じた。

杖を手に取り呪文を呟き始めたところで、しかし、動きは止まった。

『………ひ……め…さ……ま………に…………げ……………』『王女様!!』

マリー、サビーネ、アリス、カリーヌ、リリーや衛兵達。彼らは或いは俺と同じように、イザベラを守るために戦った。そして、俺自身が彼女に言った言葉、伝えたかった事が脳裏をよぎった。

『泣くな!』『生きていなければならない』

その思いに、その思いを、

「……ごめん……なさい……ごめん……」

涙が止まらない。俺が泣くなと言ったのに。それでも涙が止まらなかった。

死ぬ訳にはいけない。そんなわけにはいかない。この身を守るために命を落とした者達のためにも。そして、俺がイザベラに言った言葉を嘘にしないために。イザベラの夢を嘘にしないために。

『私は、私はみんなが、貴族も平民も平和に暮らせるような国を創りたいと思うの』

誰かが聞いたら夢見がちの少女の戯れ言としか扱われないであろう言葉。ルーンが壊れたためなのか、イザベラのその言葉は俺の記憶にもあった。それはマリーにイザベラが語った言葉。二人がいない今、その言葉が本当にあったという事を示せるのは俺しかいない。

『姫様ならきっと出来ますよ』

どんな思いもどんな理想もそれだけでは何にもならない。それは分かっている。現実を変えるためには何らかの力が必要だ。力を持たない者が世界に挑んだ所で敗北が待っているだけだ。だが、だからといって平和な世界を望んだ幼い少女が間違って言えるのか。俺は、絶対にそれが間違いだなど言わせはしない。無垢なる少女の願いに何の価値も無いなどとは、決して。だから、俺は……私は、私は……嘘があろうと……矛盾があろうと……罪があろうと……彼女の夢を……それがせめてもの……



気がつくと雨が止んでいた。足音が聞こえる。

「殿下!!」

甲高い女性の声、見やるとモリエール夫人を先頭に衛兵や貴族達が駆けてくる。

「姫様!!」

反対からは侍女達と衛兵が駆けて来ていた。カリーヌも駆けてくる。顔色が悪いがそれほど問題はないのだろう。

「よくまあ、ご無事で!!いったい何が!?どうして!?こんなに濡れてしまって!」

そう叫ぶモリエール婦人越しに蒼白な顔をしている男を見やる。ジュール・マザラン、この反乱を隠蔽しようとした人物……

「旧シャルル派の衛兵達による反乱がありました。」

その言葉に、モリエール夫人を始めとしてこの騒ぎに駆けつけた衛兵達がどよめいた。

「なんと言う事でしょう!?いったい!それで、どうなったのですか!?」

答える前に一瞬蒼白な顔の男を見やり、それから口を開いた。

「彼らは私を人質に取る事が目的だったようです……ですが、全員既に討ち死にしました。危うい事態もありましたがマザラン卿が早期に事態を知り、精鋭部隊を送り込んでいただいたおかげでなんとか助かる事ができました」

男の顔が呆然としたものに変わる。その彼に対しモリエール夫人が向き直った。

「どうして、こんな事態を黙っていたのですか!!」

「え、あ……」

「私が人質に取られた以上、下手に多くを動かせば反乱者達は自暴自棄になりかねません。マザラン卿はそれを恐れたのでしょう……」

「えっ」

呆然としているマザランに代わりそう弁護した。驚きの声を上げた少年の脇に立っている年かさの衛兵にしっかりと伝わるか疑問だが話を合わせるよう目配せをした。

「そう…でしたの……かわいそうに、さぞかし怖い思いをしたでしょうね……こんなに濡れて震えているではありませんか!……体を拭くものを持って来なさい。それとここは危険ですからグラン・トロワの方に移動します」

夫人がそう指示を出した。廊下を引っ張られるように歩く。と、また兵士達の集団が駆け上って来た。こちらに近づくと兵達は二手に分かれて道を作った。その中央を一人の男が歩いてくる。『無能王』ジョゼフ、この体、私の父親にしてガリアの国王。

「おお、無事であったか、イザベラよ」

心配していた様子をまるで感じさせる事なく彼はそう言った。

「さぞかし怖い思いをした事であろう……気を紛らわすためにでも……何か欲しいものはあるか?何でも与えよう」

うるさそうな娘を何か好きなものを与えて静かにさせておこう、そんな事を考えての言葉だろうか。しかし、その言葉は私に好都合だった。

「では、一つ……私をガリアの宰相に叙していただけますか、お父様」

私はそう言い放った。






[4219] 宰相閣下に憑依しちゃった!?一話
Name: なんやかんや◆5615cca5 ID:ae91f0b7
Date: 2008/12/05 15:54

どんなことがあっても許せないことがある。許してはいけないことがある。人は皆それぞれに譲ることの出来ないものを持っている。それは親しい友だったり、親だったり、子供だったり、信仰だったり、あるいは過去だったり、それぞれ違うがそれぞれに拠り所、決して退くことが出来ない一線を持っているのだ。少なくとも、私はそう思う。

だから、その違いが互いに相反する時、人は争う以外の選択肢を持たない。自らが退けず、相手退けないのならば戦いは必然なのだろう。……その点において争い、戦争は必然なのかもしれない。憎しみが憎しみを呼ぶ連鎖を断ち切ることは不可能なのかもしれない。この世界でも、あるいはどこであっても。

しかし、争いは本当に全て必要なものなのだろうか。本当に譲ることの出来ないもの同士がぶつかり合って戦いが起きているのだろうか。争いの中には単なるすれ違いにすぎないもの、少し話し合えば戦う必要のないものもあるのではないだろうか。少しの話し合いと僅かな妥協で平和が、人が憎しみ合わない世界がもたらされるというのはくだらない考えだろうか……

この世界は狭い。ほとんどの人は外を知る事なく、他の文化を理解する事無く、あるいは他の存在の可能性すら考える事無く生きている。人々は伝統と歴史に縛られ生きている。それ故に憎しみは幾代も受け継がれ、積み重ねられた歴史故に許しは無い。しかし、もし彼らが別の可能性を知る事が出来たらなら……

だから、私は……





「ふむ、それで是が非ともこの計画を実行したいと」

「その通りです、陛下。その為に陛下にまず裁可をいただきたく、朝早くに参りました」

朝日が窓から差し込んでくる。逆行でジョゼフ王、私の父上の顔は見えない。だがその声は何処か面白がっているようにも聞こえた。昨日、炎と混乱が収まらぬ中で父上に願った言葉、当然却下されるとしか思えない内容は、この身を政務に関わらせるという譲歩を引き出すためのブラフに過ぎないつもりだった。しかし、この身を宰相にという願いは私自身が驚くほどあっさりと受け入れられた。今まで聞き知っている情報、自らの王権を強化する為に弟を暗殺し、反対する物を粛正していった、等と言った話から想像した父ジョゼフの人物像とはあまりに合致しない事に不気味さを覚える。私はこの父上を大きく見誤っているのかもしれない、そう思えてならない。首筋に鳥肌が立つのを感じた。

(恐怖……なのか……?底知れない何かに対する……我ながら度し難い……)

努めて自制する。最悪は十分に体験した。今更恐怖など。ジョゼフの人物像を見誤っていたとしても、別にこの現状に変わりはない。父上が何を考えているにせよ、私は私の目的の為に動くだけ。それは、既に誓った事だ。不気味であるにせよ、私にとって利となるならば積極的に受け入れるべきだろう。

「よかろう、余の名の下にこの案件を裁可する」

「感謝します」

そう言って、私は部屋を退出した。といっても、今までのようにのんびりとする時間はない。遅めの朝食を済ませた後、宮廷貴族達との会議が控えている。




好奇の、驚きの、そして嘲りの感情を織り交ぜたいくつもの視線がこちらに向けられている。グラン・トロワの執務室、全ての宮廷貴族達が集まっている。その視線の主達に向けて私は口を開いた。

「皆知っているでしょうが、改めて挨拶いたしましょう。この度、宰相に叙任される事になったイザベラです」

そこで一旦言葉を切った。あからさまに反感を顔に出している者が数人、彼らほど露骨ではないが快く思っていない様子の者が半分ほど、残りの殆どが取りあえず様子を見ようという感じである。まあ無理もない。歳が二桁にも満たない少女が突然宮廷貴族として権力を振るってきた彼らの上に立つことになったのだから。

彼らの顔を見回していくと、一人だけ他とは違った視線を向けてくる者がいた。ジュール・マザラン、長くガリアに仕えてきた重鎮であり、事実上宰相と言うべき地位にいた。今回私が宰相に就任したことでそれまでの地位を失うことになった人物である。そして、先日プチ・トロワで起きた反乱に対して、即座に兵を送り犠牲を出しつつも反乱を鎮圧して、王女を無事救出した者というのが一般の理解であろう。

「…」

一瞬視線が止まるがすぐに他の者に移る。全員を見回してから再び口を開いた。

「私が宰相に任ぜられた以上、皆これまでと違ったやり方になるでしょう。しかし、心配する必要はありません。過去の行いに関係なくガリアの為、力を尽くすのなら評価するつもりです。また、何か意見や不満があるのならば気兼ねなく仰って頂いて結構です」

そこで、また一呼吸。宮廷貴族達は心配しているし、不満だらけだという様子だ。

「では、早速宰相として命じさせていただきます。ガリア全土の状況を調査するのです。人口、作物の出来高は勿論、気候、宗派の比率、出生率、死亡率、経済の状況、各領の軍備、平民の識字率……あらゆる事も調べて下さい。この計画に当たっては私も各地の赴き、自らの目で調査をするつもりです。何か質問やご意見はありますか?」

そう言って周りを見回した。貴族達はしばらくお互いに視線を交差させていたが、やがて一人、先ほどから露骨に反感を示していた人物がぎこちない笑みを浮かべながら口を開いた。

「閣下」

彼は私を殿下ではなく閣下と呼んだ。普通、始祖ブリミルの直系とされているガリア、トリステイン、アルビオンの王族は「殿下」、王は「陛下」と呼ばれる。「閣下」はブリミルの血を引いていないとされる者に対する尊称で、皇帝、大公そして宰相等に用いられる。明らかに私が宰相の地位に就いた事に対する皮肉である。

「何でしょうか」

「その、あー、実に独特なお考えをお持ちのようですが、閣下は些か、あー、若すぎるかと。国政は私達がしっかりとこなしております。閣下が色々と頭を悩ませる必要はございません」

子供が政治に口出しするな、という想定内の質問に対し微笑みながら答える。

「一つ訂正をしておきましょう。これは考えではありません。命令です。既に陛下にも話を通してあります」

貴族達の作り笑いが凍りついた。

「さて、私が幼すぎるとの事ですが、幼いからと言って、その考えが必ずしも考慮に値しないわけでは無いでしょう。無論、至らない面も多いでしょうからその場合ははっきりとおっしゃっていただいて結構です。それと、国政はしっかりとなされているとの事ですが、実際がどうなっているのかに関しての情報は少ないのが現状です。貴方に聞きますが、各領地の人口や、面積、作物の出来高などそう言った簡単な事をご存知ですか……?」

「いえ、そのような事急に言われても……しかし、そのような細かい雑事など」

「しかし、それを知らねば国政がしっかりとなされているかの判断も出来ないのです。そのために全国的に調査を実施するのです」

「しかし、何もガリア全土で調査をする必要など……費用が嵩みすぎます。一部だけで行えば十分では……」

確かにサンプリングをするという選択肢もあるが、一度、ガリア全土の状況を把握する事は必須だ。それに、統計学が発展していない以上(というよりは概念がないという状況である)、そもそもサンプリングが出来ない。……学問の発展も大切か。幸いな事に、異世界の学問に関する知識はある。これと宰相の地位を使えば、強引に技術レベルを押し上げる事も可能だろう。と、逸れた思考を元に戻す。

「費用が嵩むのは承知の上です。繰り返しますがこの調査は決定事項です。これに当たって必要な予算を組んでください。この調査のために王宮の方でも予算を切り詰めます。それでも足りないというのならばあなた方を含め各領の貴族達に負担を求める事になります。もちろん、費用をうまく節約出来る方法があるのならその必要は無くなりますが。明日までに、概算をまとめてください。」

「しかし、」

なおもいい募る貴族達から、視線をマザランの方に向けた。

「…」

「……かしこまりました、明日までに概算をまとめましょう」

彼の言葉に貴族達は驚きの表情を見せたが、やがて渋々とではあるが彼らも次々に命令に従う旨を告げた。

「お願いします」

そう言って皆を下がらせる。

「……」




一人部屋に残り、しばし思考にふける。マザランをあの後庇ったのは正解だった。いくら、宰相に付いたと言え、下が従わなければ意味がない。マザランの同意があったからこそ貴族達は動いた。彼は少なくとも今回は私に協力した。プチ・トロワでの事件の後彼の部下から聞いた情報から、先ほどの視線の意味を理解したと見ていいだろう。今後もある程度の範囲で私に従うと見ていいか……

そう結論付け、思考を切り替える。マザランはひとまずいい……しかし、他の貴族達がどこまで従うかが現状最大の問題であろう。今回は重臣マザランが動いた事で渋々ながらではあるが従った。とは言え、そう何度もこの手を使えば次第にマザランが軽んじられる事になる。また、これから私がしようとしている政策にいつまでもマザランが従う保証もない。こればかりと言う訳にはいかない……

というよりは、貴族達をどのように従わせるか、か……ジョゼフ派が勝利した事でマザランのような例外があるにせよ宮廷はほぼ完全にこの派で占められている。彼らは現王のために尽くしたという事で権力が大きくなっている。無論それは王権が強まっているという訳ではあるのだが、王女である私のために彼らが働くかというと必ずしもそうではない。自分たちの力でジョゼフが王位に就いたのに早々にその娘の下に就かされるのは何事かという思いはあろう。

彼らに私を認めさせる事が必要か……少女として侮られ続けるわけにはいかない。分かりやすい手段だが貴族達の中であからさまに私に反対しているものを切るか……そして、私に協力的だったものを重用する。典型的な独裁者の手法、これだけでは不十分だが暫定的なものとしては良いかもしれない。それと、駆逐された旧シャルル派、逆に彼らを立てるべきか……恩赦を与える事である程度の忠誠は期待出来る……思わぬ掘り出し物があるかもしれない。あの男を使えば、彼らと接触を持つ事はおそらく可能だろう……まだ、確かめた訳ではない。早めに確かめておかねばならない事ではあるが、二人きりであの男と向き合って自分が冷静でいられる自身がなかった。ずっと表に出す事はなかったが、怒りは、憎しみは消えていない。

部屋をノックする音に我に返った。知らず握りしめられていた手を開く。

「失礼します」

サビーネが部屋に入ってきた。昨日の事件で疲れた顔色ではあるが、髪型、服装に一切の乱れはない。プチ・トロワは天井の一部が崩壊するなど大きく損傷した為、私と侍女達は昨日からここ、グラン・トロワに移動していた。あの事件で亡くなった者たちの埋葬は既に済ませたそうだ。

「お食事の準備ができました。グラン・トロワの第二食堂にご案内します」

彼女はいつも通りの口調でそう言った。その様子にズキリと罪悪感を覚える。マリー、アリス、衛兵達、私の親しかった者達が死んで一夜が明けたばかりなのにも関わらず、私は喪に服す事もなくこうして宰相となっている。まるで何事もなかったかのように、悲しみに暮れる事すらなく。

そして、私がそういう態度を取っている以上、サビーネを始めとした侍女達も同じようにしなければならない。少なくとも私の前では。あるいは責められればここまで罪悪感を覚えるような事はなかっただろう。しかし、いくら親しいからといって王女に向かって平民が文句を言う事など出来はしない。いくらプチ・トロワという小さな世界で親しくなろうとも平民と貴族、ガリアという国の中でその間には厚い壁があった。

「姫様……?」

サビーネの声に我に返る。慌てて見やると彼女は心配そうな様子でこちらを見ていた。顔を何かが流れるのを感じて、自分が涙している事に気がついた。慌てて拭う。

「大丈夫です、案内してください」

嘗てのような口調ではない。王女としての言葉。あるいは隔絶の意思。あのとき私には彼女達を守る事が出来なかった。そして、私は彼女達が守ろうとしたイザベラですらない。私にはもう彼女達と親しくする資格などないだろう。そして、私がこれからしようとする事を考えれば身近な者は作るべきではない。昨日のように戦闘に、殺し合いに巻き込まれて命を落としかねない。

「……かしこまりました。こちらへどうぞ」

一瞬の沈黙を挟みながらサビーネはすぐにそう答えた。彼女の後に付いて廊下を歩き、食堂に着いた。

「……」

私の食事が準備されていた。私一人の分だけである。その事について何も言う事なく席に着き、適当な祈りの言葉を呟き、食事を始めた。

不味い、そう思った。ガリア中から集められた選りすぐりの料理人達による物である。当然、美味しい物のはずである。それを食べている。しかし、美味しいとは感じられなかった。自然とフォークの動きが止まる。

「……」

席を立とうかとして、思い直した。……おいしくもない食事、しかし、そこには多くの金がつぎ込まれている。これ一皿にかかった金で何人もの平民が数ヶ月は暮らしていけるだろうと思う。

フォークとナイフを持ち直して、ひたすら料理を飲み込んだ。味もろくに分からない。それでもただ口に入れていく。だいぶ早く全ての料理を食べ終わった。相当量があったので多少の苦しさを感じる。口をナフキンで拭い席を立つ。

「次からは少し量を減らすようコック達に伝えてください」

料理を片付けにきた侍女、リリーにそう言った。返事を待たずに視線をそらす。一瞬、私の言葉に凍り付いた彼女の顔が見えた気がした。その表情にまた心が揺れるが努めて平静を保った。或は保とうとした。




「全く、陛下は何を考えておられるのだ。あんな小娘を宰相にするなど」

遅々として進まぬ作業に愚痴がこぼれた。無理もない。全例のない事に関する案件のため、作業は全くの手探り状態だった。

「殿下がそう願ったと聞いておりますが」

「閣下が?」

「あまりそのような事を言うのは……」

「そのような弱腰でどうする!大体陛下も陛下だ。いくら自分の愛娘の願いとは言え」

徒然と続くその愚痴を耳にしながら、マザランは一人小さくため息をついた。

(愛娘か……陛下にとってそのような……それに、イザベラ殿下……)

話題の宰相殿の事を考える。あのとき王女がこの身を庇わなければここでこうして執務をしている事は出来なかっただろう。バールの話からその事は確信としてあった。

(だが、何故……)

そう思わずにいられなかった。むしろ王女と侍女達との親密さを考えれば恨まれて当然だろう。まさか、あそこでこの身を庇った王女が彼のした事に気づいていないとは思えない。意図が分からない。だが、

(どうであるにせよ、陛下と同じく、ただ者ではない)

マザランは一人不気味さを感じていた。




部屋を出て、執務室に戻る。紙を取り出し、羽ペンで数式とそれについての説明を書いていく。その内容はこの世界の知識による物ではない。メイジが社会の頂点に君臨しているこの世界では、道楽貴族だけが携わり、あまり発達をしてこなかった知識。数学や物理学、化学といった所謂自然科学に関するものである。もちろんあまりに進みすぎた考えは理解されないだろうが、現在あるものから一歩二歩進んだくらいのものならば利用することは可能だろう。こういう知識を応用することでガリアの技術レベルを大きく向上させることが出来るはずだ。そうなれば、社会におけるメイジの重要性は下がることになるだろう。

しかし、これを私の名前で公表することは避けたい。昨日命じて取り寄せた科学に関する調査書の内容と比べると、あまりに進みすぎている。何となく思いついたというのは無理があるだろう。何故そのような事を知っているのかと聞かれれば答えようがない。さらにいえば、こうした地球の知識のなかにはブリミルの教えと相反する物もある。下手をすれば異端審問とまではいかなくても宗教家に睨まねかねない。

(適当な偽名……ニュートンでいいか)

まあ偽名で出しておけば問題ないだろう。別に誰の名で発表したとしてもさして違いがあるとは思えない。問題はそれをどう応用するかだ。

(こんなものか……)

基本的な物理、力学に関する考察を書き上げ次の問題に取りかかる。こればかりに取りかかっているわけにはいかない。これからの各分野における政策の方針を決めておかねばならない。

「平民も教育が受けられる制度作りが必要だが……ふむ……」

書類に目を通しながら呟く。教育制度の普及も急務である。ガリア全土の平民に義務教育を課す事は現状では難しいが、王国の直轄領のみであるならば可能かもしれない。それによって成果が出たならば他の貴族領でも受け入れられるだろう。優秀な者には奨学金を出すとすれば、彼らは進んで学ぼうとすると思う。農民などから働き手を奪われると反感が出る事も考えられるが、農法を改革して省力化をする事で問題ないはずだ。農業の問題も考えなければいけない。

(面積が違う事を考慮に入れても収穫高に異常な開きがあるな……)

各領からにおける麦の収穫量のデータを見ながら呟く。無論、この内容が実際と符合するかという点は甚だ疑問ではある。しかし、税を減らすために収穫量を少なく申告する事は考えられるにしても水増しするとは考えにくい。中央に税を取られればそれだけ自分たちの収入が減るのである。

(新農法が開発されたと見るべきか……)

土地の地質の問題もあるとは思うが、農法自体が違うと見るべきだろう。地球においても西洋では農業革命と呼ばれる一連の変革により生産性は五、六倍かそれ以上に跳ね上がった。仮にそれが正しいとすれば近年収穫量を飛躍的に増大させている領土の収穫量は二倍程度では済まないはずである。逆に収穫量を少なめに申告している可能性も高い。監査官に賄賂を渡すなり何なりで誤摩化しは可能だろう。

まあ、それはいい。今回の所謂「国勢調査」でそういった事の真偽も明らかになるはずである。とは言え調査が確実に行われなければ何の意味もない。調査によって税が増える事が確実視されれば、その領の者は進んで協力しようとはしないだろうし、妨害しようとする可能性も高い。宮廷貴族達の私に対する反感と相まって、この調査が失敗に終わる事もあり得る。

(まあ、明日概算が出されてから考えればいいか……)

新農法が開発されているのであればそれを全国に広げれば良い。生産性が確実に上がるとなれば、どの領の貴族も協力するだろう。また、これによって農業の省力化が進めば労働力が余る事になる。これを製造業などの労働者として使えば産業の促進も期待出来る。

(捕らぬ狸の皮算用をしても仕方ないわね……)

私一人が動いたところで出来ることはたかがしれている。一連の改革のためには多くの人材が要る。少なくとも、国政の情報を雑事と見なさない人材が、である。

(足りない……人も、知識も、私の経験も……いけない、これは焦りだ……まだ、一日しか経っていないのに)

何しろ情報が足りなすぎる。急いでかき集めるだけ集めたガリアの情報は内容という点でも、信用性という点でもまるで不十分だった。何も決められないのは当然で、焦っても何もならないと知っていながら、しかし、焦れる思いを止める事は出来なかった。その為か、先ほどから思考が一つに定まらない。あちこちにぶれては時間を浪費している。その事に対する自覚が更なる焦りを生んでいる。

ドアをノックする音に思考が現実に引き戻された。

「……どうぞ」

入ってきたのはサビーネだった。疲れた顔色、目には心配そうな感情が微かに見えた気がする。あるいは錯覚かと思ってしまうほどの間だけだったが。

「晩餐の準備が整いました」

そういわれて初めて日が暮れている事に気がついた。おそらく先ほどまでは窓から夕日が差し込んでいたのだろうが、いつの間にか太陽は森や山の向こうに隠れている。双子月がうっすらと空に浮かんでいた。

「……分かりました」

夕食も何事もなく終わった。さして美味しいとも感じられぬパンや肉を無理矢理口に詰め込んで終わらせた。その後湯船につかり、再び執務室に戻った。紙とインク、羽ペンを取り出しこれからの方策について思いついた事をつらつらと書き連ねていった。何にも集中出来ないでいるくらいならこうしている方がまだましだろう。

「官僚の整備……これも急務……官僚を教育する為の施設……教育する人材……その人材を育てる為の施設……優秀な者を集める方法……」

あまりにもどうしようもない現実に力を込めすぎたのか紙が破れた。見やると羽ペンの先も折れていた。ため息をつきながら新しい羽ペンを机の中から取り出し作業を再開する。力が抜けなかったのだろう、また、紙が破れた。当然のごとくペン先も折れている。

「……」

紙を観察するとどうも質があまり良くないようだ。このような紙の質に羽ペンを使えば破れやすいのも当然だろう。というより、こんな原始的なペンを使用しているのは問題かもしれない。

「ボールペンくらいなら作れるかな……?」

これ以上こんなペンで頑張っても仕方ならばいっその事、と思考を切り替え、ボールペンの自作を試みる。錬金で直系一ミリ程度の金属球体を錬金、さらに円錐状の部品を錬金してボールを固定、細長い円筒を錬金、インクを挿入………



時間はかかったが形だけは上手く出来た。途中、インクをこぼして汚れてしまった紙に試し書きをしてみる。

「……上手くいった……」

驚くほど上手く出来たようだ。羽ペンのように紙に引っかかる感触なく、ペンが滑る。インクののりが今ひとつのような気もするが。金属ボールの材質の問題かもしれない。

「いくつか作っておくか……」

まあ、これもいつ壊れないとも分からない。どうせ、何も思いつかないのならこんな物でも作っていようと思った。くだらない事で時間をつぶして……心のどこかでそう叫ぶ声が聞こえた気がした。しかし、激しい罪悪感と焦りを押さえつける様に黙々と私は作業を続けた。

三度目のドアノックの音、部屋に入ってきたのはやはりサビーネだった。

「姫様、もう夜更けです。お休みになられた方が……」

相変わらず、そう告げられるまで夜遅くなっている事に気づきもしなかった。かなりの疲れも感じる。この体でこれ以上起きていると体調を崩しかねない。

「分かりました」

作業に使っていた道具を片付けながら私はそう答えた。窓を通して外を見やると双子月が怪しく輝いていた。

明日からまた、宮廷貴族達と権謀術数に明け暮れる事になる。或は血にまみれる事に。夜の寒さに体が震えた。

「それでも、私は」

誰ともなくそう呟いた。

そう、既に覚悟は決めてある。その道が修羅の道であろうと止まるわけにはいかない。止まる事は出来ない。




[4219] 宰相閣下に憑依しちゃった!?二話
Name: なんやかんや◆5615cca5 ID:b34e9daf
Date: 2008/12/18 16:48
快晴である。空は青く、遠方に見える森は緑に萌えている。そして眼下には麦畑と農民達がいた。一般的な田園風景とも言うべきか。

「いやはや、姫様がわざわざこんな辺境にいらっしゃる日が来るとは思いもしておりませんでした。おっと、もちろん歓迎いたしますぞ。私の屋敷では晩餐会の準備をしております。片田舎ですが、姫様の口に合うように料理人には腕を振るわせております。このような不浄の場所にいつまでも居られてはなりませぬ。ささ、こちらへ」

「……いえ、大丈夫です……それにこうした風景を見るのは……勉強になりますし」

媚び諂うような口調で晩餐会への出席を誘う領主に丁重な断りの言葉をかけつつ、しかし、私はての震えを止める事は出来なかった。

私が現在「視察」しているのはガリア王国南西にある、穀物の収穫が他と比べ多い領地の一つだった。生産性の低い領地と比べ収穫率に倍程度の開きがあるため、何らかの新農法があるのかと思いこうしてやってきた訳である。

「いや、しかし、姫様がこのような下賎な場所にとどまられては私が困ってしまいます。屋敷では舞踏会も催されますし、」

「そうは言っても、我々の日々の糧を作ってくださっているのは彼らとこの地です。私は下賎であるとは思いません。それはそうとこの領地は非常に農作物の収穫高が高いと聞き及んでいます。大変素晴らしい事だと思います。いったいどのような魔法を使ったのですか?」

「おお、いやはや姫殿下のご慧眼にはこの私、感服いたしました。元々この地は森に覆われて農地は狭く貧しい土地でした。曾祖父の代などは、我が家は領地ばかりが広く、しかしその実は貧しく王宮で杖を振るう事など考えも出来ませんでした。それを私の曾祖父や祖父、父、そして微力ながら私も、が懸命に開墾してきたのです。おかげでこの領地はガリアでも有数の実り多き地となった訳です。いや、実に姫様はよく見ていらっしゃる」

こちらの賞賛に対し、領主の媚びるような口調はますます強くなった。言葉の端々に現れる中央へのあこがれ故だろう。嘗ての貧困から抜け出す事に成功し、さらにガリアで上にいきたいという願望が感じられた。現在ガリアの宰相である私の歓心を得る事で王宮貴族となる為の足がかりとしたい、というところだろう。

だが、この土地を開墾し、ここまで豊かにしたのはこの男やその血族ではない。それを成したのはぼろを着て畑で汗水を流している農民とその祖先だ。それなのにこれは何だ。これだけ豊かな土地でありながら、馬車の窓から見た農民の暮らしぶりは貧困そのものだった。或は、これが普通なのか。

「……なるほど」

なんとか震えを抑えながらそう返した。隣の男はその事に気づいた様子もない。気づけない。

視線を外し、近くにいる農民の方に歩いていく。

「姫様!そのような」

領主の悲鳴に近い叫びに農民が振り向いた。

「お忙しいところすいません。少しお尋ねしたい事があるのですがよろしいでしょうか」

「はあ、あの、あなた様はいったい?」

こちらに向かって駆けてきた領主と私の護衛、そして私と代わる代わる視線を移しながらその平民はそう言った。

「なんと言う無礼な口を!姫様、この者には私自らが」

「私は気にしていません。そのような事はなさらないで結構です」

平民の態度に領主が慌てた様子を見せた。それを押しとどめおびえた様子の男に静かに笑いかけながら話を再開した。

「そのように固くならないでも大丈夫です。と、申し遅れましたね。私の名前はイザベラと言います」

王女であるという事実はあえて伏せる。これ以上緊張しては何も話せなくなりかねない。

「へ、へえ、イザベラ様でございますか」

「はい。ところで、この領地は非常に豊かなようですね。何か特別な事はなさっているのですか」

私のその質問に平民の男はきょとんとした様子を見せ、次に笑いながら答えた。

「いや、何にもしちゃいませんよ、お嬢様」

その言葉に反応しそうな様子の後ろに立っている領主を手で制した。

「なるほど、しかし、この領土は他と比べて実りが豊かです。何か理由があると私は思うのですが」

「いや、そんな事はねえですよ。他と同じように土を耕し、麦を植え、収穫しているだけです。ただ、普通牛飼ってる家は少ないんですけれども、ここら辺は牛とか豚とか飼ってる家が多いですだ。実際むこうの畑は牛とか豚の糞を畑に蒔いていますんで」

と、彼は隣の畑を指差してみせた。麦はこの畑と比べて明らかに大きい。

「……貴方は牛や豚を持ってはいないのですか」

「いやあ、牛は畠仕事を手伝ったり、糞は肥料になったり、牛乳が摂れたり便利ですけんど、餌を用意しなきゃいけないんで普通の家では無理です。木の実や藁を買わなきゃいけないですが高いんですよ」

「ところで、あの辺りは何も植えられていないようですが」

「ああ、あそこは休閑地です。麦を毎年まいていると実りが悪くなっていくんです。まあ、土も休ませないといけないという事ですだ」

「あそこに、家畜の肥料になるもの、クローバーやカブを植える事は出来ますか」

「へ?いやあ、休ませている土地に何かを植える事は出来ませんよ」

「でも、雑草は出てきています。植えられないのは麦だけで他の物なら大丈夫かもしれません。それに……クローバーは土地を豊かにすると聞いた事があります。カブなどの植物は根を張り土を柔らかくすると聞いています。ただ休ませるよりもそのようにした方がより収穫量が上がるのではないでしょうか」

三圃式に始まる農業革命が全く起っていなかったというのは若干予想外であったが、考えてみれば当たり前かもしれない。この世界では貴族と平民の差は立場だけではなく、魔法というもっと直接的な絶対的な差がある。平民の事を顧みる貴族はごく少数に違いない。そして、それ故に彼らの生活や技術を向上させようとする動きは生まれない。私が見てきた限り、貴族はこういう概念を持っているか怪しい。

「へ!?へ、そんな事は考えた事もなかったですだ。いったいどうやってそんな事を知っておられるのですか」

「……思いついただけです」

まさか本当の事を言うわけにはいかない。といってもこの説明には無理があるが、まあ立場上追求される事はあるまい。

「では、これは有効だと思いますか?」

「やってみないと上手くいくか分かりませんが、家畜を飼えるようになったら実りはずっと豊かになりますよ!」

「そうですか。わざわざ質問に答えてくださりありがとうございました」

そう言って、私は馬車の方に歩いていった。護衛も領主も驚愕を顔に浮かべている。

「いや、姫様、その、先ほどおっしゃったことは」

どもりながら領主がそう尋ねた。この話が上手くいくのなら、彼の収入が大きく上がるのである。

「上手くいくかもしれないというのが、先ほどの農民の方の意見様ですね」

「いやはや、もし上手くいけば、さらにこの地は豊かになりますぞ!!姫様には感謝しきれませんな」

「まあ、このような小娘の浅慮を採用なさると?」

「小娘などとそのようなこと全くございません……聡明な姫様の話は万の金貨にも相当しますぞ!いやはや、姫様が我が領にいらっしゃったなど、私は幸せ者ですな」

そう領主が言ってくる。

「まあ、そのようにおっしゃってくれた方は貴方が初めてですわ……農業改革、期待しています。上手くいったら、今度は王宮でお会いしましょう。」

暗に収穫を上げることが出来れば中央に進出出来るよう取りはからうと告げた。

「!!ひ、姫様、それは!」

「では、名残惜しいですがお暇いたしましょう。晩餐会へのお誘いは嬉しかったですが、あいにく急がなければいけない身なもので」

驚愕に固まる領主を尻目に私は馬車に乗り込んだ。

「では、出発してください」

ゆっくりと馬車が動き始めた。




馬車の窓から外を眺めながら思案に耽った。先ほどの領主も、或は宮廷貴族のほとんどが同じような目をしていた。権力、金、名声、そういったものを渇望しているものの目。栄達欲、それは罪ではないだろう。より豊かになりたい、認められたいという欲望は人間本来のものだと思う。

だが、その豊かさの為に踏みにじられている者達がいる。この領地に限ったことではない。というよりもここはガリアでも有数の豊穣の地だ。農民の生活水準としては高いクラスであろう。収穫が少なくても領主はある程度の税はおさめなければならない。当然、その負担は農民にしわ寄せされるはずだ。それはつまり……

直接見たことはない。そもそも、私がこうして視察を実行に移すまでも苦労が絶えなかった。一ヶ月、それがこの視察の為に必要となった時間である。




「なにぶん急で前例のない事ですが、このような案件でいかがでしょうか」

宮廷貴族のその言葉とともに提出された国勢調査の概算書を読み、一ページ目で顔をかすかにしかめる事になった。内容があまりにお粗末すぎる上に、調査の範囲が大幅に縮小されている。しかも、各領主が自分の領の情報を申告すれば採用するという物だった。

無論、現地領主の協力は不可欠だろうが、その内容が最新の物であり、正しい事を監査する事は必須だ。そこで文句を言おうとして、思い直して最後まで読み終える事にする。

現在のガリア政府には独自調査をするだけの力があるか疑問だ。粛正の後である為、大きな反発があるとは思えないが、それ以前に調査出来るだけの人員が足りるかどうかが不明だ。それに完全にこの案を否定して宮廷貴族からこれ以上の反感や恨みを買うべきではない。少なくとも今はまだ。

「……数値が間違っていますが……」

「は……そのようなはずは……」

「いいえ、合計が一致していません」

読み進めていったところ、単純にこの調査における収支、といっても支出だけだが、の合計が一致しない。昨日自作したペンで間違いを訂正した。さらに、監査についての基本方針をいくつか書き込み書類を宮廷貴族に渡した。

「……大体はその内容で構いませんが、閣僚から提出される情報についての監査は必要です。ここに書いた通りに修正してください」

若干きつめの口調で呆然とした表情を浮かべた男に案件を返した。

「殿下……それはいったい?」

「はい?何でしょう?」

唐突に声が上がった。何の事か分からずに聞き返すと、その問いを発した男がこちらの手を指して再び聞いてきた。

「羽ペンではないですよね……インクも着けてないようですし……」

「?……昨日私が作ったペンですが……」

何を言いたいのか分からなかった。

「で、殿下が!?インクも付けないで書けるペンなんて見た事も聞いた事も」

「ああ、なるほど」

何が疑問だったのかがようやく分かった。インク壷が必要な羽ペンと比べればボールペンの使いやすさは圧倒的である。ボールペンの存在をあまりにも当たり前と思っていてその事には気づかなかった。

「なるほど、などと、大発明ではないですか!?いったい、どのようになっているのですか」

悲鳴に近い叫びを男が上げる。

「なら使ってみますか、いくつかありますし」

そう言ってペンを渡すと、彼は高価な物にでも触れているような様子でペンを調べ回した。他の貴族達も興味津々と言った様子である。書類の隅に試し書きをして、彼はこちらを向いた。

「これはすごい物ですよ!」

「いやはや、驚きましたな」

「これを大量に作れれば書類作業が大幅に楽になりますぞ!」

「……どうも」

予想もしていなかった反応に驚きながらそう返した。しかし、貴族達の表情を見ると半分ほどの者が昨日と違い、反感を示していない。むしろ、好感を持った者もいるようだ。時間つぶし程度に作ったペンだったが、意外な効果を示したらしい。

「以上で、会議は終了とする!よろしいですな?」

昨日、私に真っ向から口論を挑んできた男である。相変わらず、これが普通なのだろうが、私に対する反感を露にしている。よほど私のことが気に入らないらしい。私に対する評価が上がっていた場を強引に終わらせた。

「ええ、構いません。それでは案件の修正よろしくお願いします」

「……分かりました、閣下」

そう言ってその男は猛然と他の貴族達を押しのけ部屋を飛び出ていった。

彼は気がついていなかったようだがこの一連の流れは私の評価を上げ、彼の評価を下げることになった。強引さをあまり多用すれば他からいい顔をされなくなるのは当然であろう。それは国勢調査を強行させた私にも言えることではある。だが、まだ何も知らないと見られている九歳の小娘の我が侭と一人の強引な宮廷貴族、どちらがより批判されるかと言えば後者であることはこの場の雰囲気を見る限り間違いないだろう。

(思ったより……やりやすいですね)

心の中でそう呟いて、他の貴族達とともに私は会議室を出た。




「ディカス公爵についてお聞かせ願えますか」

昨日、今日と私に真正面から反対してきた者である。宮廷貴族の中で一つの勢力の中心人物ともいうべき男であるという他にはあまり知っている訳ではない為、王宮の人間関係に詳しい者から情報を集める必要がある。

「は、はい……」

「まあ、そのように緊張する必要はありませんよ」

「……わかりました」

執務室で私は一人の衛兵、昨日のうちに私の護衛に任命した老兵と向かい合っていた。この人物は早急に私の傘下に置く必要があった。宮廷貴族達にしてみれば自分たちの息のかかった者を置いて私を制御したいというところだろう、下級貴族だということでかなりの反対があったが、これも強引に任命した。

何しろプチ・トロワでの事件の真相を知っているのである。無論口止めはあのときしているが、普通の衛兵としておくことは出来ない。それに、あの極限状態の中で物事を見極めることができる洞察力と、宮廷での人間関係に関する正確な知識、情報は私にとって咽から手が出るほど欲しいものだった。そういったことがあって彼は私の下にいる。

それに今後のことを考えれば、こうした会話を通して人間関係の微妙な機微を学ぶことは必須であるだろう。結局一人で出来ることは限られる。それならば、部下の能力ややる気を引き出させる方が遥かに効果的で、その為の手段として社交術は学んでおかなければならない。

しかし、なかなか上手くいかない。老兵の緊張を解そうと意識して笑顔を作るがどうも逆に緊張させる結果になっている。鏡がないのでわからないが上手く笑えていないのかもしれない。作り笑いの練習も必要である。

(本当に、足りないことばかりね……)

衛兵の言葉に耳を傾けながら私は心の中でそう呟いた。




ただひたすら謝った。そうすることしか出来なかったから。全てはもう取り返しがつかないから

……何故、私のことは救ってくれなかったのですか!……ゴメンナサイ……簒奪者の娘が!……ゴメンナサ……あれだけ我々シャルル派を殺しておきながら貴様はのうのうと……ゴメンナ……ナゼ貴様が生きている、無能者が!…………

どれだけ謝っても許しはない。ただ、それに耐えられなくて、それでも逃げることが出来なくて

ナンデ!?




「はっ!」

うたた寝をしていたらしい。夢は相変わらず悪夢だった。ここ一ヶ月ほぼ毎晩のように見ているのに未だに慣れない。

体は汗ぐっしょりと濡れている。脇にある子棚から手鏡を取り出した。若干青ざめた顔色に目の縁には隈が浮かんでいる。

杖を取り出した。目を閉じて意識を集中する。意識する先は私の体、さらに言えば体中に張り巡らされた血管である。呪文を唱える。呪文の効果は迅速だった。顔色は回復し、隈もなくなった。別にそうたいしたことではない。ただ、魔法で全身の血流を促進しただけだ。それだけだが、短時間で身を取り繕うことが出来るので重宝している。

続いて、体の周りの水に働きかけて服を乾かした。取りあえずこれで良い。

丁度、馬車の動きが止まった。目的地に着いたらしい。宮廷につながりのある貴族の領地である。いくら私が宰相となって政治に口を出すことが気に入らないとは言え、王女である以上取り入ろうとするのは普通である。自然今回の調査で私が泊まる予定となっている領は全て宮廷貴族の所か若しくは彼らと関係のある所である。

ここ一ヶ月、私は直接的には政策を強行することはしてこなかった。いくつかの政策案を提案して入るがディカス公爵が強行に私と対立していること、さらに私が国勢調査をのぞけば基本的に彼に従う様子を見せていることから実行された物はない。そのため、九歳という年齢で政治に口出しをしようとする生意気な小娘という印象は、逆にディカス伯爵の強引な手法により打ち消される結果になっている。

「お初にお目にかかります、イザベラ王女殿下。このたびは――」

馬車を降り、着飾った領主とその護衛こちらに挨拶にきた。それに最近慣れてきた笑顔で答える。社交辞令が済むと彼らに促され私達は屋敷に入った。




「王女殿下の護衛として今回の旅行に同行出来るなんてすごいです!」

青年が興奮した様子で老兵に言う。実際に異常とも言うべきことだった。下級貴族と見習い兵が幼いとはいえガリアの王女の護衛に着くということは。彼はこの『旅行』中、いや、それが決まった時からずっとこのように喜んでいる。

「ああ、そうだね」

「貴方のおかげです。このような名誉を得られるのは。それに王女殿下から色々と相談を受けているのでしょう?」

青年は年かさの兵士に向かってそう言った。声には尊敬の念が溢れている。

老兵は身分がある訳ではない。当初少年が最初見習いとして彼の下に就くことになったと聞いた時は落胆したものだ。身分のある者、栄達の見込みのある者の下に就くことが出来れば、出世に際して口利きをしてもらえる可能性がある。しかし、年老いた下級貴族ではそう言うわけにはいかない。この人物の下に見習いとして入ると決まった時点で自分の将来は木っ端役人で終わると彼は考えていた。

だが、実際の老兵の言葉、立ち振る舞いは深い経験と賢さに満ちていた。会って一週間もすると少年はこの老人の虜になっていた。これだけの人物が何故こんな地位にいるのかと純粋な青年の心では嘆いた事もある。

それが今では王女殿下直々に相談を受ける身分になり、さらに護衛もまかされるようになっている。そして、自分もそれに付き従う形で王女殿下の護衛と言う名誉を受ける事が出来た。護衛に指名されるという事は王女殿下から高い信用を得たという事だ。老兵が望めば一気に栄達する事も可能だと青年は信じていた。




「ああ、そうだね」

少年にそう答えながら、老兵の顔色には何処か冴えない様子があった。いつもそばにいる青年ですら気づかないかすかな物でしかない。普通気づけるものではない。

下級貴族である彼は長く宮廷に勤務してきた。下級とはいっても王宮に勤める以上、政治の術数権謀と無縁でいる事は出来ない。時には知ってはならない事が耳に入ってきた事もある。或は、シャルル派に勧誘されると言った事もあった。それらを知らない振りをして、或は一歩引いて過ごしてきた。だからこそ見えるものがある。特に自分に他より優れた何かがある訳ではない。ごく普通の判断力と客観的な視点にいるからこそ宮廷の動向を正確に知る事が出来たのだ。少なくとも彼自身はそう思っている。

そして、長年宮廷を見てきたが今の王女殿下ほどの人物は見た事がない。現王ジョゼフも不気味さを持っていたが王女ほどではない。少なくともジョゼフの考えや思想は彼から見て理解出来る範疇にある。

だが、王女は違う。彼女の考案したボールペンや政策案などは彼の目から見ても九歳の子供に思いつくようなものではないのだ。しかし、誰かが教えた訳ではない。そのような事が出来る人物はガリアには、いや、ハルケギニアにはいないのである。

(いや、それは些細な事か……)

この一ヶ月で一般の宮廷貴族の王女に対する評価は最初と比べ格段に上がっている。根強く彼女に反発する勢力が敬遠された事が主な理由である。だが、それは決して偶然の産物ではない。

ここ最近、王女が提案した交通網の整備や運河の建設など一部の政策はディカス公爵の領土に負担を強いたり、権益を削いだりする内容になっている。始めから王女に対して持っていた反感と相まって、公爵はとても王女と和解するなどと考えられなくなっている。王女の意見ならそれが何であっても叩き潰している。それが、彼の評価を下げかねないと分かっていても、である。

(無理もない……)

老兵はそう思う。公爵にしてみれば自分が押し上げたおかげでジョゼフは王位に就けたという思いがある。その功績を持ってマザランを押しのけ宰相に就くのは自分だと取り巻きに言ったという噂もある。それが自分ではなく自分が押し立てた男の幼い娘が宰相になり、しかもその小娘が自分の権益を削ごうとしている、など認められる訳がない。

当然、公爵は王女に激しく反感、敵意を示すまでになっており、それに冷静に対応する事で王女は自らの評価を上げている。

(それを、完全に理解した上で実行している……)

何も知らぬ小娘などと公爵は言うが、老兵の目から見て彼は王女の手のひらの上で踊っているに過ぎない。大の大人をこうも簡単に操る能力、才覚、そして、その人物に目を付けられた事、その事が彼にとっては恐ろしくてならなかった。






ドアをノックする音が聞こえる。

「どうぞ」

その言葉にドアが開き、一人の男が入ってきた。プチ・トロワ件の後、私の護衛に任命した年かさの兵士である。ドアのまで直立不動の体勢をとっている。

「そのように緊張なさらずとも結構です。こちらにおかけになってください」

そう言うが、その言葉通り彼が私の前で緊張を解いた事はない。プチ・トロワから私を知っている以上無理もないかもしれないが。別にそれならそれで構わない。

「さて……何かおっしゃいたい事があるのですか?」

微妙な表情、特に緊張したときに指を無意識のうちに動かす彼の癖などからそう推測する。衛兵はかすかに驚きの表情を見せた。正解らしい。

「……ゴンドラン伯に殿下が王宮への進出に協力するとそうおっしゃったのは何故ですか」

今日視察したゴランドン伯爵領での言葉から、老兵は言及してきた。

「彼が農業技術を発展させる事ができればの話です。まあ早くても一、二年後の話です」

成功する事は分かっているとは言えわざわざ一から試行錯誤して技術を開発、実用化するには大きな労力と長い時間が必要となる。私にしても農業に関する知識は十分とは言えない。それならば技術のある所から成果を流用すれば良い。彼の領で農業改革が成功すれば、彼を中央に進出させる変わりに技術をガリア全土に普及させるというのが私の目論見である。勿論ここだけでは失敗の可能性があるので、他のいくつかの領主にも同じような事を言い含めようとは思っているが。

「その言葉を実行に移す事は難しいと思いますが」

私が彼を宮廷の役職に就けようとしてもディカス公爵を始めとした宮廷貴族が止めるだろう。現状では……だ。その事を私が理解している事は、この老兵は織り込んでいるだろう。

つまり、この老兵がわざわざ私に尋ねようとしている事は……

「そうですね。この話は明日までには確実にディカス公の耳に入る事になるでしょうし、そうなればあの方は私を阻止しようとするでしょう」

「……ディカス公とは対立するつもりなのですか……あの方の勢力はかなりのものですが」

「さて……ただ、むこうはそう考えているかもしれませんね。だいぶ私の動きには警戒しているようですし。まあ、あの方は目に見える敵ばかりに注目して、目に見えない敵の可能性を考える余裕はなかったようですが」

「それは……」

絶句する衛兵から目を逸らした。この一ヶ月で仕込みは済んでいる。後は実行に移す段階だ。この調査が終わり、私が王宮に帰った時、それがディカス公の……そして、王宮は私の手に……

「さて、聞きたい事はこれで全てですか……?」

月明かりに照らされ蒼白な顔をしている老兵に私は静かに笑いかけた。窓越しに見える夜空には二つの満月が浮かんでいる。




[4219] 宰相閣下に憑依しちゃった!?三話
Name: なんやかんや◆5615cca5 ID:ae91f0b7
Date: 2009/01/09 16:07
「わざわざお呼び立てして済みません。いくつか聞きたい事があるのですが」

「……勿論です。宰相閣下を補佐するのが私たちの役目ですから」

「まあ、そのようにご謙遜なさらず。あなたの様な方がいなければガリアはどうにも身動きが取れなくなってしまいます。王や宰相、トップに立つものだけでは国は動きません。あなた方のような優秀な方が居られるからこそガリアはこうして安定しているのです。普段口に出す機会はありませんが、いつも感謝しています。あなたにそのように謙遜されると私はどうしていいか分からなくなってしまいますわ」

そう言って、微笑んだ。男の顔に隠しきれない自負心と自慢が浮かぶ。掴みは十分なようだ。

私の目の前に立っている男はディカス公派宮廷貴族の一人である。ディカス公が私を毛嫌いしているため、始め彼の私に対する視線は好意的ではなかった。というよりほとんどの貴族がそういう態度だった。始めは無知な少女が無茶な要求をしてくるのではと思っていたようであるし、当然だろう。だが、国勢調査以外彼らの邪魔になるような事はしていない事や、逆にディカス公が政治を妨害する形になっている事、さらにボールペンの件などを通して次第に宮廷内での私の評価は高まっている。あくまで九歳の小娘にしてはというレベルでしかないが、人望は今の私にとってそれなりに必要である。

とは言え、今私にとって重要なのはディカス公の人望が急速に落ちているという事だ。まあ、私の提案した政策の中に二、三案ほど彼に明らかに不利益をもたらすものを混ぜた事もあるだろうが、彼はとにかく私に噛み付いてくる。そして、その事が彼の評価を大きく下げる原因になっている。僅か九歳の小娘に大の大人が対抗心、敵愾心をむき出しにするのは、周りから見て評価出来る事ではない。

その結果、彼は急速に求心力を失っている。ただ、本人は十分にその事を認識しているとは思えない。勿論評価が下がっているという意識はあるだろうし、それ故に余計焦りを覚えて私に噛み付いてきているのだろう。だが、自らの派閥からも白い目で見られる様になっているという事に考えが及んではいない様子だ。

老兵から聞いた話ではディカス公は自らの力量や権力をよく自慢するらしい。また、老兵がそう言った訳ではないが、私の私見では彼は他者の功績を認めたがらない傾向があるようだ。時勢に乗っている時、そのような性格は栄達を助ける事が多い。自信があるからこそ他よりも大胆な戦略がとれるようになるからだ。だが、逆に風向きが悪くなると、この性格は不利益をもたらす事が多い。一つには、こういう性格の持ち主は自らの誤りを認められずに、問題点を修正出来ない事がある。

そしてもう一つ、こういった性格では周りの者が個々の内に不満を覚える事になる。いくら頑張った所で評価を受けにくい為である。成功している時は良い。しかし、もし旗色が悪くなるとこういう性格の持ち主からはあっさりと人が離れていく事があり得る。

少し前までは、ジョゼフ王を補佐した功により王女を自分の息子に嫁がせる事になるだろうとまで噂されたディカス公は、しかし個々最近落ち目と言われるまでになっている。勿論公爵の地位を活用すれば十分に巻き返しは可能だろう。だが、口には出さないが公爵に対して不満を持っている貴族達は動揺している。そこに私が介入するチャンスがある。

「いやはや、そのようにおっしゃられると……さて、聞きたい事とは何ですかな。何でも答えましょう」

こちらの低姿勢に男は気を良くした様子である。

「そうですか、ありがとうございます。では、早速……ディカス公爵について聞きたい事があるのですが」

そう言うと、さすがに男は固まった。自分の派閥の長の話を他者、それも公爵と対立している私に話す事は、内容によっては彼への裏切りとも見なされかねない。実際に彼の派から私の派に移るという事は選択肢としては考えにくいだろう。

「すいません、答えにくい質問でしたね……勿論、無理なら答えていただかなくて結構なのですが、質問だけでもさせてもらっても構いませんか?」

「は、はい、どうぞ……」

答えにくい質問は答えないでも良いと言ったが、この男にとって何も答えないという選択肢は選びにくい。私の言葉で自負心を刺激された事、それとあらかじめ何でも答える、と言ってしまった事の二つによって自然彼の行動は制限される。貴族というプライドと過去に凝り固まった相手であるからこそ有効な手段だが。

「では、ひとつ……ディカス公爵は何故私に反対しようとしているのですか」

「それは……」

私の問いに男は口籠った。答えようがないからではない。目の前の貴族には理由は分かっているはずだ。もっとも理由なら私も既に知っているが。これは話の内容を選べば、私に言っても問題のない範囲で収まる。

しばらくの沈黙をはさみ彼は口を開いた。

「……公爵閣下は、宰相になりたいと望んでいます……しかし、殿下が宰相に就かれてしまったので……殿下に……協力するという事は納得しがたいのだと」

「そう、ですか……しかし、嫌いだからといっていつまでも対立している訳にはまいりません。私たち貴族にはこの国を導くという神聖な役割があるのですから……二つ目の質問ですが、ディカス公爵と話し合いの場を設ける事は可能ですか?話し合う事が出来れば公爵と私との対立を解消する事が出来るかもしれません」

そう言うが、実際にはディカス公が和睦や話し合いに応じる事はあるまい。

話は変わるが、プチ・トロワの件においてマザラン卿のとった行動は本来ならば失策とも言うべきものだった。事件を隠蔽し、自分の私兵のみで解決に当たろうとした。私のみに何かがあれば彼は全責任をとらされる事になる。成功したとしても、功績を独り占めにしようとしたと誹られてもおかしくない。これによって公爵は自動的に宮廷貴族のトップになるはずだった。

だが、マザランを持ち上げた私の邪魔のおかげでそれは実現しなかった。それどころか、その邪魔をした張本人が彼の狙っていた宰相職に就き彼に命令している。さらに、私の評価が上がる事に対応してここ二週間彼の人望は急速に下がっている。さらに、私は彼の不利益になる政策案を出している。

「殿下、公爵閣下が話し合いに応じる事は非常に難しいでしょう……」

公爵の性格ならここまでされて和解する事はあり得ない。そして、その事は彼の取り巻きの一人であるこの男が理解していない訳がない。

「しかし、あの方との和解は必要です。あの方と私が対立している為にガリアでは政務が滞っています。ガリアは今、陛下とシャルル公の争いの傷跡に苛まれています。早急に国家を安定させなければなりません。このままではガリアの王権は弱まってしまいます。そうすればゲルマニアを始めとした他国からの干渉を受ける事になってしまうでしょう」

「そ、それは……」

私の言葉に男は動揺を見せた。彼の領地はガリアとゲルマニアの国境沿いにある。両国間の交通の要所であり、戦争が起るとすれば確実に戦火に見舞われる事になる。

「その結果、最も虐げられるのはいつも平民です。私たち貴族には彼らを守り、導く義務があるはずです。それが始祖ブリミルから私たちに与えられた義務だと信じているのです。伯爵、ガリア王国王女の名の下に『懇願』します。ディカス公爵との話し合いの場を設けてください。公爵が私に頭を下げろと命じるならば下げましょう。宰相の座を譲れというのならば譲りましょう。公爵のご子息と婚約を結ぶ事を望まれるのならば喜んでその通りにするつもりです。名誉無き者と言われても構いません。私はガリアの王女としてこの身がどうなろうともこの国を守る義務があるのです。その為にはディカス公、マザラン卿、そしてあなた方宮廷貴族の皆さんの協力が必要なのです。どうか、お願いします」

「で、殿下、そこまで……」

ある程度本音も交えそう言った。この条件であれ公爵は話し合いに応じるだろう。というよりも喜んで宰相の座に腰を据えるだろう。

とは言っても現状でディカス公爵が宰相に就く事は難しい。繰り返すが公爵からは急速に人望が無くなっている。そのような中で彼が宰相に就いても実権はマザラン卿が握る事になる。だが、そうなったときに彼の性格を考えれば公爵は満足せず、名誉だけではなく実利も求める。マザラン卿から実権を奪おうとする事になるだろう。その結果として、ガリアが安定する事はない。

今までの会話から目の前の貴族はその事を考えつくだろう。私の案ではガリアは安定しない、と。そう意識させてしまうだけの事を公爵はしてしまった。私と対立しているからと言って片端から私の案件を破棄すべきではなかった。私の意見を怒鳴り散らして黙らせるべきではなかった。そこで耐えていれば、少なくとも強引に審議を打ち切る事を繰り返さなければまだましだっただろう。しかし、彼は強引な手法を繰り返した。

ガリアの不安定はこの男に明確な不利益をもたらす。彼の領地はゲルマニアの圧力にさらされる事になるだろう。そして、貴族は平民の為にあるという大義名分を与えた。

「……で、殿下、そこまで下々の事を……いや、しかし」

「お願いします。私にはこれしかないのです」

迷う男に対して頭を下げた。ディカス公爵は決してこのように下の者に頼んだり、礼を言ったりする事はない。このタイミングならおそらく彼はそれを意識するだろう。

「…………王女殿下……それでは、上手くいかないでしょう」

「……どうしてですか?公爵は宰相の座を望んでいると聞きましたが」

「今、公爵かっ、公爵が宰相の座についてもガリアの混乱が収まるとは思えません」

「何故ですか……?」

彼の公爵の呼び方が変わった事にはあえて言及せず尋ねる。

「公爵は……宰相に就いたとしても王女殿下やマザラン卿と協力しようとはしないでしょう」

「しかし、協力しなければなりません。そうでなければ、」

もう一押しと言った所だろう。そう思いながら、不安そうな表情を保ち言う。

「殿下、あの方は決して協力しないと思います……ですから……殿下の宰相の権限を持って公爵を宮廷から追うべきです」

(やっと、言わせる事が出来ましたか。ディカス公の周りは揺れている。一人動けば雪崩を打ったように崩れる。そして、私が裏切るよう勧める事無くできた……この造反はあくまで彼自身の自発的なもの……上々ですね)

内心の思いを顔には出す事なく、驚いた表情をつくる。

「しかし、そのような……理由がなければそのような事は出来ません」

「……私が作ります。いえ、公爵は元々強引なお方です。探れば理由も見つかるでしょう……この事は私がやります。公爵は王女殿下の身の回りを探っていますから、殿下自身が動くのは危険でしょう」

「しかし、よろしいのですか……?公爵は……」

「殿下、私はガリアに仕えております。公爵ではありません」

「そう、ですか……分かりました。では、そのように」

「御意」

そう言って男は部屋を出て行った。足音が遠ざかっていくのを確認してから肩の力を抜いた。

「ふう……思ったよりも疲れますね……」

彼を懐柔するのに時間をかけすぎれば、ディカス公に怪しまれる事になるだろう。そうなってしまっては全てが水泡に帰す所か、下手をすれば今後私が政治に口出しをする事すら困難になるかもしれなかった。だから、あくまで事務的な手続き程度の時間で全てを終わらせる必要があったのである。

(まあ、これでしばらくは私自身が動く必要はなくなった。公爵からの造反工作はあの男に任せておけばいい。それまではせいぜい囮をつとめるか。ディカス公の性格なら私という羽虫がたかれば周りへの注意を忘れるだろう……今の所、国勢調査以外の件では私は公爵に逆らった事はないのですが……どうしてもたたきつぶさなければ気が済まないのですね……まあ、だからこそ)

「公爵、貴方には感謝するべきなのかもしれませんね」

誰もいない空間に向かって私はそう呟いた。




「あちらに見えますのがアルビオンとガリアを結ぶ港です。アルビオンからは主として風石が、ガリアからはマジックアイテムが最も多く運送されています」

「……壮観な眺めですね」

馬車から下りて、路上に立った私に、この地の副代官が様々と説明をしてくるが頭には入ってこなかった。小さな物から大きな船までが何隻も空に浮かび、交差し合っている。壮観な眺め、まさにそう言うにふさわしい光景が目の前に広がっていた。

軍港の街サン・マロンに私は来ていた。ガリアの保有する「海空軍」の基地がある港街である。空中艦、水上艦の操作、保守、点検には熟練の経験と高い技術が必要となる為、ハルケギニアのどの国家においても「海空軍」は常備軍となっている。仕官以上は基本的に貴族のみが就く事になっているが、それだけではどうしても人員が足りなくなってしまうため、水平ならば平民もなる事が出来る様になっている。平民であろうと航海術、航空術を持つ者は重要であるため彼らに支払われる給金は普通よりも高い。仮に彼らが給金に不満を覚えれば、他国の軍や商船に移籍してしまい、人材がいなくなる為である。技術を持つ彼らにはそれが可能なのである。

結果として、この街では平民にも身振りのいい者が多く、彼らを相手として多数の商売が成り立っている。ここに来る途中で見た痩せた農民がひたすら農地を耕す光景とは別世界とも言うべき活気があった。

「景気がいいですね。様々な種類の店があるようですし」

「はい、この港には様々な商人が集まってきますからな。特にアルビオンとの交易はほとんどこの港で行っております。」

「……空中艦が泊まれるような港は少ないですからですか?」

「その通りです。ガリアにおいて空中艦が泊まる事の出来るこれほど大きな港はサン・マロンをおいて他にありませんからな。それにここからリュティスまでの道はよく整備されていますし」

「昔反乱があった時の教訓という訳ですか」

一見豊かに見えるこの港街も過去には血にまみれた事もあるそうだ。元々この地はガリアの領土ではなく一個の独立した都市国家であった。ガリアの勢力が強力になるに従い、その領土して組み込まれる事になったのである。しかし、組み込むときの仕方が上手くなかった為に後に反乱が起る事になったという歴史がある。

反乱自体は無事に収まったとはいえ、この間ガリア最大の軍港、貿易港は機能停止に陥った。その事態を重く見たガリア中央はこの地をガリア王国の直轄領として管理している。中央からの交通の整備もその一環だろう。これによって有事の際にはすぐに大軍を送り込めるという発想だろう。何にせよこの地の重要性は国防、交易の二点で非常に重要である。

「……は、はい、その通りだと思います。いや、しかし賢いですな、姫様は」

「そう、なのでしょうか?……勿論あなた方もご存知でしょう?」

このくらいなら誰でも、少なくとも歴史を聞きかじれば分かる範囲ではあると思う。勿論私に対する賛辞は多分に持ち上げられているだろうが、それにしても賢いなどと言われる事がとても多いのは何故なのだろう。私が宰相になった事からそれが最も効果的な賛辞だと思われているのだろうか。そう単純に疑問を覚えて副代官に尋ねた。

「は、……いや、そのような事は考えた事もありませんでしたな…いや、本当に姫様のご慧眼には―」

「本当に、考えた事もなかったのですか……?」

副代官の話を遮ってそう尋ねた。その口調に冷たいものを含めてしまった事を感じたのだろう、彼は慌てた様子で口を開いた。

「あ、いや……これからはサン・マロンの歴史も学ぶようにします」

「……」

どうやら本当に考えた事もなかったらしい。サン・マロンは領主が存在せず、数年の任期で代官、副代官が置かれる事になる。老兵によればこれらは有力な貴族の関係者が任じられるそうだがその為、その代官達がこの土地についてあまり詳しくない事も十分にあり得るだろう。だが、この街に住む人々や、その歴史については知っておく必要があると思う。

(それすらも出来ていないのに力によって副代官ですか……いや、そもそも歴史的背景を知っておくという事が重要視されていないと見るべきか……どちらにしても相当深刻ね……)

声には出さず心の中でそう呟いた。

「いや、今後は一層努力するように努めますので」

「いえ、お気になさらず。些細な疑問ですので」

(ここは、ガリアの重要地点の一つ……出来る限り早く代官を変えるべきですね)

焦ったように弁解を口にする男の言葉を遮り考えとは裏腹にそう言った。

馬の足音が聞こえてそちらを見やる。代官の紋章を身にまとった男を中心に数人が馬に乗ってこちらにやってくる所だった。

「おお、まだここにいましたか!遅くなってしまいましたが私の邸宅にご案内いたしましょう。料理人達には腕を振るわせてサン・マロンの料理を作らせております」

代官はこちらに来るなりそう言った。周りの男達がこちらを囲むように動く。

「わざわざ気を使っていただきありがとうございます。ですが、もう少しこの街を見ていきたいと思っているのですが」

「いや、宰相閣下が自らそのような事をなさる必要はありません。ぜひとも我が屋敷に」

代官達は慇懃無礼な物言いで強制的に私を屋敷に連れて行くつもりらしい。その言葉に私に従ってきた衛兵や侍女達が顔をしかめるのが見えた。それはきっと、彼らや彼女達がまだ私の事を……が、それを無視して口を開いた。

「しかし、今回私がここに来たのは自分自身の目でこの国のありようを見るためです。それに昼食までは、まだ時間があるようですし」

「いえ、そのような必要はありません」

私の言葉に代官はきっぱりと否定の言葉を発した。どうやら、私に視察をさせるつもりはないらしい。ディカス公のあまりにも露骨な嫌がらせだった。

(まあ、別に構わないんですけれどね……)

あきれながら心の中でそう呟いた。

「な、無礼な!」

「っ!?」

予期しない方向からの叫び声に気が動転した。サビーネの声だった。ここに来て初めて焦りを覚える。まずい……

「いやしくも王女殿下を取り囲み強引に連れて行こうとするとは!」

「ふん、平民が何を」

歩み出ながら叫ぶサビーネに代官はそう言いながら腰の杖に手を伸ばした。

「お止めなさい!!」

丁度二人の間になるように一歩前に出てそう叫んだ。二人の動きが止まる。

「……分かりました、それでは貴方の邸宅を伺う事にいたしましょう。……サビーネ、貴方が無礼だと思おうが、私は気にしていません。故に貴方が文句を言う必要はありません。以後、このような事の無いように。それと、代官に謝罪をしなさい」

代官にまずお招きに預かる宿直を伝え、続いてサビーネに向かって行動をたしなめた。

「……行き過ぎたまねをしました。申し訳ありません」

「……」

「……ふむ、ではお連れいたしますとしましょう」

数秒の沈黙を挟んで手を元に戻しながら代官がそう言った。

「ありがとうございます。港街の料理、楽しみですわ」

そう言いながら馬車に戻る。サビーネも何も言わずにもう一台の馬車、従者用のものに戻っていった。

(ごめんなさい……ありがとう)

直接言えるはずもない言葉を心の中でだけ呟いた。サビーネは私のために怒ってくれたのだろう。あの場面で数人のメイジに囲まれながらも私のために行動してくれた。あの状況のままであれば彼女は魔法で攻撃されていただろう。それが彼女に分からないはずがないと思う。それなのに彼女は……

(ごめんなさい、私はサビーネ、貴方達に酬いる事が出来ない……私の傍にいてはこの先真っ先に狙われる事になる……だから)

馬車の中で一人、蒼白になるほど拳を握りしめた。体が震えている。憤りなのか、悲しいのか、おかしいのか、自分の感情が制御出来ない。

(いや、制御しなくては……ディカス公派の代官の屋敷までそう時間はかからない。それまでに感情を鎮めなければ。余計な事をすればそれだけ目的が遠のく。冷静に、冷静に……)

「ふう……」

息をついた。備え付けられた棚から毎日のように使う事になった手鏡を取り出し、覗き込む。いつもの表情が移っていた。意識して笑顔を作る。ここ一二ヶ月で格段に上手くなった事である。

「問題はないようですね」

そう言って手鏡を棚の上に置いた。始めは一々棚の中にしまっていたが、段々と面倒になってきたのでここに置く事にしている。

ここで一泊して、明日はリュティスに帰還する事になる。一ヶ月ほどかかった『巡業』もこれで終わりになる。そして、

「わざわざ手紙とは有り難い事です」

先日密かに渡された手紙、そこにはディカス公を王宮から追放するに足る情報が書かれていた。汚職、贈賄、敵対派閥に対する恐喝、そして『秘密結社の結成』。勿論裏付けも終わっているそうだ。

「これでお膳立ては整った。さてここからは私自らが動かなければいけませんね……」

揺れる馬車の中で私は小さく呟いた。




「な、何のつもりだ、貴様ら!!この私を誰だと思っている!!」

王女の命令のもとのディカス公の捕縛、その前触れもなく起こった事態に王宮は大いに動揺した。公爵派もそうでない者も多くは右往左往することになる。一部を除いて。

「汚職があった以上たとえ公爵といえども罰なしに済まされる訳にはいきません」

「な、公爵が牢屋に入るなど、このような理不尽な事許される訳がない。罪状もあの王女がでっち上げたに決まっている」

いち早く冷静さを取り戻したのはディカス公と敵対していた勢力だった。ここ最近他勢力とも衝突を繰り返すようになった公爵の失墜を押し進めるように動いたのだ。公爵を排除出来ると言う事ですぐさま宮廷貴族の半数ほどが王女の側についたのである。

公爵派は大いに出遅れた。何よりも既に罪状が固められている事が痛手であった。これに対し王女は潜在的に公爵に不満を持っている者達数名を切り崩し、造反させ公爵派を機能停止に追い込む事に成功する。王宮が動揺から立ち直ったときには新たに「王女派」が宮廷において圧倒的な力を持つ事になっていた。




そして、

「なっ!公爵に反逆の計画が!?」

いつの間にか流れた噂は公爵派にとって致命的なものになることになる。




[4219] 宰相閣下に憑依しちゃった!?四話
Name: なんやかんや◆5615cca5 ID:ae91f0b7
Date: 2009/07/17 15:51
反逆罪、この罪に対する罰は通常の犯罪とは全く異なったものになる。勿論、為政者側から見ればそうあるべきである。何しろ反逆が成功すれば、その時は反逆とは呼ばれないだろうが、為政者は当然すべてを失う事になる。少なくとも私が知る限りどの国家でもクーデターや反逆に対する刑罰は最も厳しいものになっている。

だから例え公爵といえ、反逆罪が成立すれば本人は勿論、一族もろとも処刑される事にもなり得るのである。ただの汚職「程度」であれば公爵は精々王宮から追い出される程度だろう。彼は現ジョゼフ王政権の樹立に大きく貢献したという功績がある。さらに最近になって多くの敵対者をつくる事になったと言え、その権力を持って罪を帳消しにする事は可能である。普通の罪ならばだが。

だからこそ、公爵が反逆を計画していたという噂が流れた今、宮廷は大きく揺れている。反公爵、半ば私の勢力として固まりつつある勢力は公爵派に対する攻勢を一気に強め、対する公爵派は噂の元、つまり私のしっぽをつかもうと躍起になっている。

(……とは言え、反逆罪はまだ噂程度。この時期に流れるだけで公爵にとっては致命的になりますが、実際に罪を適応するにはそれなりの証拠が必要ですが……まあ、でっち上げはそれほど難しくないでしょう……それと)

思考を止め、執務室の机から一冊の手帳を取り出した。そこにはガリアの様々な貴族の名が簡単な説明とともに羅列されている。老兵から聞いた話や、ここ二ヶ月で私が実際に話し、或は見聞きした情報をもとにガリアの優秀と思われる人物についてまとめたものである。今後構築する予定の新たな統治体制、平たく言えば中央集権型の官僚制を運営する者として新たな人材の発掘は急務である。手帳には百名をこす名前が並んでいるが、

(……これだけでは全く不十分ですね)

人材を一から教育する事には時間がいる。理想的には平民も平等に政治に参加可能な形にする必要があるが、目下の所は貴族の中から有望な者を引き上げるしかない。それでも足りるかどうか。現在の所、中央にいくつかの省庁を置き、そこから地方の末端機関を使い改革、行政を行う構想を考えているが、そのためには数千の人員が必須である。

(いえ、商人などは平民でも教育を受けられるはず……ならば彼らの中でも有望な者がいれば引き上げるべきですかね……)

いずれにしても、人材を発掘するための手段を確立しなければならない。いくつかの方法を考えるが現状に置いて効果を上げそうなものは思い当たらない。

(いや、違うか……)

正確に言えば一つこの問題を解決する手段がある。おそらく選択としては今現在最も効果的なものだろう。大量の、それもある程度は優秀だろう人材を一度に確保出来ると期待出来る手段である。だが、私は意識的にその方法を考えないようにしていた。その手段が嫌だというだけで。それだけの事だ。

(だけど……)

分かっていても認めたくない事なのである。

弱さなのだろう。改革のために今まで手段を選ばずにやってきた私が、ただ、嫌だというだけでそれを忌避するのは。しかし、だからといってその手段を捨てる事も出来ていない。

(……いえ、今はそれよりも王宮の掌握が先ですね。丁度時間のようですし)

思考を切り替える。それが逃げだと分かってはいるのだが。

手帳を机にしまい、厳重に鍵をかけた。近づいてくる足音が聞こえる。部屋の前で泊まりドアがノックされた。

「どうぞ」

入ってきたのは衛兵二人と二人に連れられた一人の貴族だった。ここ数日の出来事が堪えたのだろう、疲れた表情をしている。その男が衛兵に促されて執務机を通して私の向かいに来るのを待って私は口を開いた。

「さて、貴方にはいくつか聞かねばならない事があります。よろしいですね?」

「で、殿下、わ、わたくしめは決して謀反など考えた事もありません。どうか、どうか、信じてください……」

私の言葉に小太りのその貴族は額に脂汗を浮かべながらそう弁解した。私の予想以上に噂は効果を上げているらしい。「公爵派」の貴族は自分の主格である公爵の擁護をしようともせず、ただ自分が無罪である事を主張した。最も、忠誠心の薄いと思われる人物をこうして呼んだ訳であり、公爵派全員がこのようであるという訳ではないだろう。ただ、目の前にいるような種類の男が公爵を見捨てたという事は、公爵派の結束を占うものになると思う。

(いずれにせよ、裏切り者がいると内部不信が発生した段階で結束力は無くなりますね……次の段階に移るとしますか)

「まさか……ディカス公爵が謀反を計画していたなど私は信じていません。おそらく誰かが悪意を持って流した噂でしょう。そのような戯言で証拠もなく公爵を罰するつもりはありませんし、貴方もこの罪状で罰するつもりはありません。」

「は、はい、信じていただきありがとうございます」

私の言葉に男はほっとした様子を見せた。ドアの前に待機している衛兵は顔を顰めている。この衛兵達は反公爵派に属しているためだろう。その様子を一見してから、視線を目の前の貴族に戻し口を開いた。

「ですが、汚職について言えば話は別です。私の所にいくつか証拠付きで上がってきていますが……貴方も関わっているようですね……?」

「あ、そ、それは……」

「始めの挨拶でも言いましたが、ガリアの為に尽くすならば、それが誰であろうと、過去がどうであろうと、私は評価をするつもりです。逆に誰であろうとガリアに仇成すならば厳しく裁くつもりです。勿論、見落としはあるでしょうから何かあれば言ってもらって構いません」

「あ、いや、私は―」

口籠る男の言葉を遮り、話を続ける。

「贈収、口利き、不正取引、主なものはこの三つですがこれについて何か言う事がありますか?」

「わ、わたくしは―」

脂汗を流しながら男は弁解しようとしたが口が回らないのか言葉を聞き取る事は出来なかった。相当混乱しているようだ。今これ以上会話を続けても何にもならないだろう。

「……何もないのであれば、これで終わりにしましょう。刑罰については高等裁判がありますのでそのときに決まる事になります……では、連れて行ってください」

視線を衛兵に移し、そう言った。彼らは私に頷くと、目の前の貴族の方を掴んだ。

「で、殿下、わ、わたくしは———!」

最後までいい終える事なく、男は衛兵に連れられて部屋を出て行った。

(さて、反公爵派は噂を機に一気に攻勢を決めようとしている。最もわざわざ罪を作ってまで陥れようとするものは少ないだろうけど……中にはそう言ったものもいるでしょうね……あの伯爵に公爵が組織した秘密結社を調べろと言っただけで噂が広まった。他に情報源があるかは分からないけど噂元は彼で間違いないでしょうね……とは言え、噂がいい加減なものであれば逆に彼の立場が危うくなる。だから、是が非でも公爵に罪を着せようとするはず……私が表立って動かない事で野心のある宮廷貴族は権力を握ろうと争いを始めた……お互いに潰し合ってもらうとしましょうか、私の為に……)

現状でも私の力は宮廷で最大であるが、他を圧倒するほどのものではない。当然、思い切った改革をしようとすれば反対する勢力が出てくるだろう。だから、私はこれを機に完全に独裁をしくつもりである。幸い宮廷貴族の動きはこちらから誘導した事もあって読みやすい。彼らの行動の後に私一人が得をするには、公爵の反逆罪が確定する事、その罪を告発した伯爵も失脚する事が望ましい。伯爵が本格的に攻勢を仕掛ける前に公爵派に情報を流せば彼らが伯爵を追放する為の罪状を探り当てるだろう。罪状に事欠く事はあるまい。まあ、それはガリアにおいて腐敗が骨の髄まで染みている事の証とも言えるのだが。

気を取り直して、机の中からいくつもの金属製の歯車等の部品を取り出す。勿論全て魔法で錬金したものだ。さらに別の引き出しから数枚の紙を取り出した。暇な時間を見つけて描いた図面である。これらを元に私は小さな時計を作ろうとしているのだ。単に便利そうだという事も制作の理由の一つだが、魔法がどの程度まで使えるものなのかを調べる事も目的である。時計は、仕組み自体は簡単だが部品の高い品質を要求する機械でもある。特に歯車は品質管理が難しい。僅かなずれがあればすぐに回らなくなってしまうのだ。魔法であってもこれを制作する事は難しいだろうと私は予想していたのだ。だが、

「ここまで簡単だとは……」

始めは苦労したが、一つ基準となる精度の高い歯車を作れば後は簡単だった。他の歯車と噛み合わせ上手く回らなければそこを錬金してやれば良い。その事に気がついてからはあっという間だった。幾つか足りない部品を錬金して設計通りに組み立てていく。ねじを閉めるのが面倒だったので錬金で接合していく。

小一時間ほどで懐中時計はあっさりと完成した。現在魔法を使わずに同じ事をやろうと思えばヤスリを使って一個一個調節していくしかない為十数時間はかかるだろう。

(魔法を過小評価していましたか……なるほど、メイジ中心に社会が回る訳です)

これならば、メイジ、貴族と平民との間に圧倒的な差がある事も当然と言えてしまうだろう。その事に落胆を覚えた。使える者と使えない者の溝は深い。

「いえ、落ち込んでいる場合ではないですね。これから父上に根回しをしておかなければ―、っ!」

突然寒気を感じた。体が震えている。

(さむけ……?)

しかし、意識するとすぐに症状は治まった。何も体に異常はないようである。

「いったい……まあ、気にしてもしょうがないですか」

分からない事を考え続けても何にもならない。特に今はそのような暇はない。実害がない以上、気に留める必要はないだろう。そう結論づけて私は立ち上がり、執務室を出た。




「イザベラ殿下、少しよろしいですか。例の件なのですが」

父上との話を終えて執務室へ向かって歩いていると、一人の宮廷貴族が話しかけてきた。歩を止めてそちらを見やるとディカス公が組織した秘密結社について調べるよう命じた伯爵、トゥールーズ伯がこちらに近づいてきた。内密にと目配せをしてくる。私は歩き出した。

「……分かりました。私の執務室で話を聞く事にしても構いませんか?」

「問題ありません」

そう言って彼は着いてきた。あまり良くない事になったようだ。私に内密に話があるという事はつまり伯爵が公爵の反逆の『証拠』を掴んだという事だろう。私の予想よりも相当早い。このまま罪状が確定すれば公爵派が伯爵のあら探しをする時間はない。結果として、公爵派を追放した後、伯爵とその取り巻きが力を持つ事になる。私がやろうとしている政策に賛同する貴族はまずいないだろうから、私の派と伯爵派で争う事になりかねないのである。

(先んずればこれを制し……ですか……公爵派の件が終わった後の伯爵の扱いを考えなければなりませんね……あの男を動かして……)

思考しているうちに執務室の前に着いていた。部屋に待機している侍女、カリーナに退出するよう指示を出し、伯爵に部屋に入るよう促した。

伯爵の後に続いて部屋に入り、ドアを閉めた。自分の机まで歩いていき椅子に腰掛けてから、目の前に移動した伯爵と向き合った。

「さて、話とは何でしょうか」






「さて、話とは何でしょうか」

年相応の幼い声色でイザベラ王女は彼に尋ねてきた。宮廷貴族がディカス公爵に対抗する為に祭り上げた旗頭。しかし、彼の考えが正しければ、彼女は異常なまでに優秀な人物であり、この現状も彼女がそうなるべく誘導した結果である。

「はい、実は……」

背中には汗がにじんでいる。不気味なまでに未知のものと向き合おうとしている事への恐怖感か。目の前にいる人物はただの少女にしか見えない。だが、その仮面の下にはほぼ間違いなく冷徹で老獪な人格がある……

(しかし……)

心の中で活を入れる。確かに恐怖はある。しかし、その事を認識している者が少ない今、彼にとってはチャンスにもなりうる。軽率になる事は危険である。しかし、怯えすぎてもいけない。そう意識し、冷静さを取り戻す。背中の汗が止る。そして、彼、トゥールーズ伯は話を再開した。




力、物心ついた頃から常にそれを求めてきた。父親もそうであったし、祖父も同様であったと聞いているから、そう言う血筋なのかもしれない。その血筋である事は表に出す事はないが自慢に思っている。そのおかげでガリアの王宮で杖を振るう宮廷貴族まで上り詰める事が出来たのだ。普通であればあり得ない事である。ゲルマニアの田舎貴族が三代で大国ガリアの高級貴族の一人まで上り詰めるという事は。

とは言っても、この身はマザラン卿やディカス公爵のような大貴族に従う一人の宮廷貴族に過ぎない。さらに、ゲルマニア出身という事実がここに来て彼の足を引っ張るようになった。何かにつけ、成り上がり、他国の者と言った目で見られるのだ。何時かはガリア宮廷の最高位、宰相まで上り詰めてみせる、とは思うものの道のりは果てしなく思えた。

プチ・トロワでの事件があったのはその頃である。二ヶ月前の事件で、始めは情報が出回らず流言と混乱が広まったが、事態が落ち着き、事件の真相が見えてきたとき宮廷貴族達のほとんどはマザラン卿が失脚するだろうと予想した。それどころか、処刑もあり得るだろうという意見まで出た。彼の行為は王女の危機を隠蔽しようとしたと見られても言い訳の出来ないものであったからである。当然、強力な競争相手がいなくなった事でディカス公が宮廷を牛耳る事になるだろうと誰もが思っていた。王女がジョゼフ王の気まぐれで宰相に就いた時も彼はそれを重視していなかった。子供の我が侭に過ぎない。どうせすぐに辞める事になるだろう、すぐに「鳥かご」の中にもどることになるだろうと。

しかし、事態は彼にとって予想外の方向に動く。マザラン卿は王女の保護によって多少力を失ったものの権力を保ち続け、さらに王女は就任してから彼の予想を遥かに超えて自らの力を伸ばしてきた。

その直接の理由は、王女と対立したディカス公がその性格の激しさの為疎まれるようになったからである。それにより公爵は、焦り、驚愕し、怒り狂った。自分の急速な失墜はイザベラ王女の所為だと。そして、他から見れば馬鹿馬鹿しい、の一言で済まされるその言動が、さらに人を公爵から遠ざける事になっている。対照的に王女は一部で予想されていたように自らの意見を強制するような事は最初を除いてなかった。それ故に、ディカス公爵に強い反感を持つようになった宮廷貴族達が、彼ら一人ではディカス公爵に対抗する事は出来ない為、王女の側につく事になったのだ。この「幸運」によって王女は自らの力を高めてきたのである。

だが、本当にそれは幸運の一言で片付けられるものなのか。彼、トゥールーズ伯はふと疑問に思ったのは王女が宰相になって二週間もした頃である。いくらディカス公爵が気性の荒い人物であると言っても、今まではこれほど煙たがられてはいなかった。公爵はさすがに最低限の限度は守ってきているのである。だからこそならば、にわかには信じがたいが、こう考える事は出来ないだろうか。すなわち僅か九歳の少女が公爵をそのように誘導したとは。馬鹿な考えだと始めは思った。彼でなくともそう思うだろう。しかし、その仮定と王女の行動とはあまりに一致していた。公爵の政敵マザラン卿の失権を妨害したのは王女である。王女の提案する政策はどれもが公爵にとって不利益になるものを含んでいた。そして、恐ろしい事に、それは偶然ではない。彼の考えが間違えでなければ、これらは全て計画の上に成り立っている。

その事を確信するにいたった時、彼はディカス公爵につくのではなく、自らを王女に売り込む事にした。公爵から長年成り上がりと見られてきた事への反感がある。そして、おそらく王女はこの先さらに伸びる。早い段階で彼女の下に就けば彼は大きく飛躍出来るだろう。ただし、その為には王女の寵を受ける必要がある。その為に彼はここ一ヶ月公爵と激しく対立してきた。

そして、ついにチャンスを得た。王女自身からディカス公爵の秘密組織について調べるよう要望されたのである。組織自体はただ不正に得た資金を管理するためのものでしかない。それをわざわざディカス公と激しく争っている自分に調べるよう言ったということは、つまりここから罪状を偽造させるつもりだろう。すなわち、証言を偽造して反逆罪に仕立て上げるのである。ここで彼は躊躇することになる。重要なのは公爵を告発するのは王女ではなく自分になるという点である。結果として公爵派から恨みを買うのも自分自身になる。そうなったときに王女の後ろ盾がなければ自分自身も破滅することになるが、果たして彼女が我のために動くかどうか自身がなかったのである。しかし、これを逃せば王女の政権の元で彼に再びチャンスが来るとも思えない。だからこそ彼は大きな賭に打って出ることにしたのである。




「殿下……ご要望通り、ディカス公爵反逆の証拠を揃えました」

その言葉は静かな執務室に消えていった。

「……」

「……」

沈黙が部屋に流れる。王女の表情には些かの変化もない。時が止まったような錯覚を覚える。しかし、

「……なるほど」

その言葉とともにざわりと空気が揺らめく錯覚を覚えた。止まったはずの汗が体中から流れる。圧倒的なまでの魔力の奔流、彼を襲ったのはそれだった。王女の表情に何時もの笑顔はない。猛禽類を思わせる攻撃的な表情、それが彼に向けられていた。

「それで……?」

驚くほど冷たく王女はそう尋ねた。鋭い視線は彼から片時も離れない。だが、それに呑まれていてはどうしようもない。短く息を吸い込み彼は口を開いた。

「つきましては殿下、私に公爵を起訴する役目をいただけないでしょうか?殿下ご自身でなさると多くの恨みを買うことになります。それでは今後に支障をきたすでしょう」

公爵の反逆を告白する事の了解を取り付けて置く必要がある。あらかじめ了承を得ておく事でいざという時も王女が後ろにつくようにしておかなければならない。

「……なるほど、それで貴方は公爵を弾劾する事で報賞を得る訳ですね」

皮肉に満ちた返答が返ってくる。そして、彼女はゆっくりと目を閉じ言葉を続けた。

「……いいでしょう。ただし、公爵を反逆罪に問うのは三日後にしてください」

「それは……何故ですか?……時間をかければ公爵派が巻き返してしまう事も考えられますが……」

理由が分からずに尋ねる。王女の目的は公爵を反逆罪に問う事のはずだ。普通の不正では公爵派を完全に王宮から排除する事は出来ないからである。しかし、「反逆罪」は完全にでっち上げに過ぎず、正式な調査をされれば簡単にそのような事実がない事が発覚してしまう。それはこの件に関わっている王女にとっても大きなマイナスになるはずなのだ。

「公爵派は裏切り者が出た事で疑心暗鬼になっています。三日程度で反撃に出る事はかなわないでしょう……」

「……そうですか……しかし、わざわざ送らせる必要はないのでは」

王女が公爵派の内情に通じているという暗喩に驚きながらもなお疑問を覚えた。早い方が確実なのである。

「公爵の身柄はこちらで抑えていますが、彼の子息などは公爵領にいます。噂によって公爵領の方では緊張が高まっていますから、今反逆罪を適応すれば公爵派、少なくとも公爵領の子息達は本当に反逆を起こす可能性があります。しかし、私が公爵の疑いを持っていないと言った事が伝われば、彼らは王宮まで釈明に来るでしょう。反逆など彼らにとっても寝耳に水でしょうから……それが三日後になると予想しただけです」

「なっ……」

身体が震えた。王宮で政略に明け暮れるうちに実際に貴族が反逆を起こすなど考えもしなくなっていた事に愕然とする。それとともに、これだけの政略を仕掛けながらも実際の反逆を想定出来る王女の能力に畏怖を感じた。

(予想通り……ではない……予想以上、私も殿下を見くびっていたか)

しかし、驚愕している時間はない。ここまで王女が話した以上、今更彼に退路はないだろう。もう彼には前に進むしかないのだから。

「分かりました、そのようにいたします」






「ふう」

トゥールーズ伯が引き下がった後、私は一人執務室でため息をついた。あまりにも上手くいきすぎていた為に慢心していたらしい。伯爵の言葉に頭が真っ白になる程度には。

(油断するな、いくら知識があると入っても経験がある訳じゃあないのだから……長年王宮に仕えてきた者なら私の策に気がついてもおかしくはない……しかし、このタイミングで公爵派が動いた所で対抗手段はないはずです……しかし、実際に反逆を起こされるのは厄介ですね……もう少し動いておきますか)

本音を言えば今後の政治形態の構想を練り上げておきたいのだが、さすがにそう言う訳にもいかない。取りあえずジョゼフ王と話をしに行こうと立ち上がった所で目眩を感じた。平衡感が保てずに転んでしった。




(何が……)

叫び声が聞こえる。誰かの名前らしい。何処かで聞いた事のあるような悲痛な声だった。

「———様!し———なさっ——————さい!!姫——————」

何処かで聞いた声だった。私にとって大切な……かけがえのない……

「……カリーヌ?」

気がつけば呟き声が漏れていた。

「姫様!気がつかれたのですね!」

「私は……いったい何が起こったのですか」

カリーヌが私のすぐ横にいる事に混乱と動揺、そして嬉しさと罪悪感を覚える。が、気を取り直して現状を尋ねる。

「姫様は倒れていました、私が部屋に入ったら、倒れていて……それで」

「……立ちくらみですか」

ようやく何があったのかが分かった。ここ最近、どうも体調が優れない。とは言っても今倒れるわけにはいかない以上、誤摩化しながらやっていくしかあるまい。

「……この事は誰にも言わないでください」

「そ、そんな……姫様は疲れているのです……お休みにならなければ……このままでは、このままではお命も!」

「いえ、大丈夫です」

いい募るカリーヌの言葉を断ち切った。確かに無理をしている自覚はある。睡眠時間も全く足りていない。それでも今止まる事は出来ない。混乱状態にある王宮はとうやく私の手でまとまりかかっている。ここで止めれば王宮の混乱はさらに酷いものになるだろう。そして、その犠牲になるのはいつも……

身体に力が戻ってきた。立ち上がれるほどに、戦えるほどに。そして、戦わない理由が私にはない。

「姫様!」

カリーヌの叫び声を耳にしながらも私は部屋を出てジョゼフ王へ謁見をしにいった。






豪勢な造りの応接間である。最高級とされるグリフォンの皮のソファー、黒檀の机、壁には金ばりの額におさめられた有名な芸術家による幾つもの絵が掛けられている。棚や机の上には精巧な装飾の施された装飾器が数多く、しかし決して上品さを失わない具合に並べられていた。しかし、ここを訪れる者にとって何よりも目につくのは壁にかけられた盾に描かれた紋章である。現在ガリアにおいて最も由緒正しく、最も力を持っている家の紋章、ディカス公爵の家紋である。

その応接間に怒りに震えた若い男の声が響いた。

「父上が反逆などするはずがない!そんな事は分かりきっているはずだ!それなのに、まるで罪人のように牢屋に入れられるなど、許される訳がない!!我々公爵家の名誉を侮辱されたのだぞ!!その上、至急王宮に出頭せよだと!!」

「しかし、拒否しては本当に反乱を企んだなどと見られてしまいますわ!」

蒼白な顔をしながらも横に立つ女性が叫ぶ。

「母上は黙っていてください!もとより向こうもそのつもりでしょう!マザラン卿達が王女を担ぎ上げ我が公爵家を潰そうとしているのです!」

「そんな、信じられませんわ、そのような事、まさか、マザラン卿が」

「そして、勝負を挑まれた以上、私は戦うまでです」

若い男は決意に満ちた声でそう締めくくった。

「お、お待ちください、このまま戦えば謀反の噂が正しかった事になってしまいます。そうすれば噂を流した者が得をする事になり、公爵家は潰されてしまいます!」

その様子に彼らの向かいの男が慌てて言った。何しろ謀反など彼らにとっても寝耳に水の話なのだ。反乱を起こすにも戦う兵がいない。国王には海軍を中心とする常備軍がある。戦えば結果は明白だった。

「もとよりそのつもりだ!無実なのに頭を下げられるはずがない!」

「しかし、王女殿下は謀反の噂など信じていないと言っておられます。この召喚もその事をはっきりさせる為なのです。どうか、もう一度ご再考ください」

「それが向こうの策でないと、油断させて我々を一網打尽にする謀でないと保証出来るのか!」

「私が命に代えても保証します。ですからどうか——」

怒りに満ちた若者の叫びに男は懸命に説得を続ける。若者、バジル・ド・ディカスの言う事は分かる。今回の事件は何者かの悪意によって引き起こされたものだ。彼らは無実であり、身に覚えのない事で謝罪をする事は心情的に苦痛だろう。しかし、これを断れば弁解の余地もないままに公爵家は潰されかねない。幸い、王女自身は噂など信じてもいないようである。そして、弁解さえ出来れば反逆罪については事実無根だと証明出来るだろう。その他の小さな罪状については買収工作で十分誤摩化せる範囲にある。だからこそ公爵家に恩のある彼は必死で説得を続けた。




そして、

「うらぎったかああああ!!!」

王宮に弁明の為に王宮に向かう途中、公爵夫人とバジルは衛兵によって拘束、同時に王軍が公爵領を制圧する。碌に弁論の機会も与えられぬ間に反逆罪が決まった。刑罰については様々な論が出たものの、王女の命令によって公爵一族は幼い子供を残し全員が火あぶりとなる。そのときに彼らが叫んだ呪いの言葉は長らく人々の記憶に残る事になる。旧公爵領をどうするかは様々な議論が出たものの結局天領となる事で決着を見た。

ガリアで最も力のあった公爵家でさえも潰された―この事件を通して王権は地方貴族などには逆らえない絶大なものとなる。




しかし、

(から……だ……が……うご……か……)

———ひ——ま—!—

その直後、王女は高熱を出し病床につく。人々は公爵家の呪いだと噂する事になる。




[4219] 宰相閣下に憑依しちゃった!?五話
Name: なんやかんや◆5615cca5 ID:b5adf181
Date: 2009/04/11 16:43
———夢を見ている。唐突に理解した。これは過去の記憶に他ならない。

「それで、司法特権が欲しいというのか」

「高等法院を通せば審議にどうしても時間がかかる事になります。しかし、公爵について例の噂が囁かれている今、時間をかける事は望ましくありません。噂が真実だと私は思いませんが、そのままにしておけば混乱はさらに広まるでしょう」

「……陛下、私も同じ考えです。この際、司法特権は必要かと」

横に立っている公爵派の男が私に同意を示す。事はうまく運んでいる。対立しているディカス公爵派からも同意が得られれば私が司法特権、つまり高等裁判を経ずに罪状を決定する権力を得る事になる。公爵などの高級貴族には裁判上の特権、高等裁判を受ける権利が存在する。この裁判官は王家と有力な貴族によって構成されている。この制度により王権が勝手に有力貴族を排除する事が不可能になっており、王が過剰に力を持つ事を防ぐ仕組みになっている。この制度によっても公爵はやはり失脚するだろうが、私の今後にとってはこの仕組みを介さず出来るだけ早く罪状を決めてしまいたい。

その為に公爵が反逆を計画していたという噂を流した。反逆罪が確定すれば公爵派は粛正され、それで終わりだ。噂が流れた以上、公爵派、反公爵派は反逆計画の有無を争う事になる。だが、事実無根とは言え反逆の計画が「なかった」と証明する事は非常に難しい。反公爵派が証拠をでっち上げる可能性は公爵派にとって脅威である。噂が流れてから時間が経てば立つほど証拠が創られる可能性も高くなる。彼らにとっても事態が長引く事は好ましくない。そこで、私がこの噂を信じていないという話に彼らはとびついた。証拠がない以上疑わしきは罰せずという私の言葉、今まで対立してきた公爵に何の強権も行使しなかった事もあって彼らはこの件については私と同調する事にしたのだ。

「今回だけの特例で十分です。宮廷の安定化はガリアにとって急務でしょう。これ以上混乱が続くのは絶対に避けなければなりません。」

「くくく、ははははは!分かった、よい、司法特権を与える。ああ、特例にする必要もないな。今後とも司法特権を行使して構わないぞ」

「……感謝します」




———場面が変わった。

「いや、本当に殿下のご協力には感謝の言葉もありません」

「……まだ終わってもないのに感謝をされても困ってしまいます」

「いや、しかし、本当に助かりました。感謝しています」

「……まあ、その言葉だけ受け取っておきましょう」

感謝されるような事はしてはいない。むしろ、これは目の前の男を始めとする公爵派への決定打の準備である。知らずして彼は自らの首を絞める手伝いをした。そして、それを実行するのが私である。だから、これは感謝に値しない。



プチ・トロワの反乱がなかったら彼らが私によって粛正される事はなかったのではないか。ふと、そう思った。あの事件の前、『イザベラ』が、私が望んでいたのはこんなものではない。みんなが幸せになれる世界、彼女が望んだのはそんな世界だったはずだ。しかし、その象徴とも言えた日常は失われ、私はさらに多くの血を流そうとしている。私は愚か者なのだろう。悲劇に悲劇を、憎しみに憎しみを重ねている。だが、私には他の手段が思いつかないのだ。少なくとも歴史はそうやって紡がれてきた。いや、それは言い訳に過ぎないのかもしれない。そうやって安易な選択肢にとびつき、犠牲が出ようと仕方ないと言って誤摩化している。

「公爵領の制圧に成功しました。公爵家の関係者は全て捕縛しております。反逆罪の適用により全員処刑という形でよろしいですか」

そう言って渡されたリストを見やる。ずらりと並べられた名前、これら全員が私の決定で死ぬことになる。それでも、ここまで来て目をそらすわけにはいかない。リストを見やっていくと、最後に気になる名前を見つけた。マリー・マドレーヌ・ド・ディカス、公爵の末女、齢八、書いてある情報はそれだけだった。

「……この、マリーというのは……まだ幼いようですが……」

気がつけば、そんな言葉が漏れた。しかし、目の前の男、トゥールーズ伯は表情を変えることも無しに口を開いた。

「いくら幼いといっても、『反逆を策謀した』家の娘です。生かしておく理由はないでしょう」

その通りである。生かしておけば、今後彼女を担ぎ出す者が出てきてもおかしくない。無実の罪で処刑された由緒ある公爵家の生き残り、御輿としては十分に魅力的だろう。後顧の憂いを断つために処刑するのが最良だろう。それでも意識してしまうのは名前が同じだからだろうか。あるいは彼女の立場が私と重なって見えてしまうからなのか。意味はない、名前が同じだからといって、状況が似ているからといって。そう思うが、しかし、知らずのうちに言葉が漏れていた。

「……しかし、殺す必要も……」

「……反逆者の娘です。生かしておけば必ずや王家に反旗を翻すでしょう」

伯爵は一瞬の沈黙の後、よどみなく答えてきた。彼の言葉は正論である。私が彼女の立場なら間違いなく……だが、理性とは裏腹に私の言葉は止まらなかった。

「彼女を処刑しようがしまいが、ディカス公爵の後継を名乗る人物が現れる可能性はあります。公爵家から嫁いでいった者の子孫も数多くいたはずです。まだ年端も行かぬ子供を殺したところで意味はないでしょう。親の罪があるとはいえ何も知らない子供にまで罰を与える事はやり過ぎと見なされ、他の貴族達にも無用の恐れを持たせることになります。マリー・ディカスは貴族の籍を除し、修道院預かりとするので十分です」

苦しい言い訳なのは分かっている。そもそも公爵はともかく一族を処刑する理由はないのだ。公爵の娘である以上、反乱を起こす可能性は他よりもはるかに高い。確かに、十にも満たない子供を殺すことはやり過ぎだろうが、反逆罪が決まった以上、慣例からは許容範囲だろう。伯爵と視線がぶつかる。

「他に何かありますか」

「……いえ、では失礼します」

私が強引に会話を打ち切ると、伯爵は一瞬口を閉じ、しかし部屋を引き下がった。

「ふう……」

ドアが閉まり、足音が遠のいていく。それを聞きながら私はため息をついた

(ここまで来て、もう後戻りは出来ないのに、分かっているつもりなのに……私は……)



———おのれ!我らをここまで侮辱するかあ!!

———私たちを無実の罪でさばこうというのか!!

———許さぬ!!我らが死のうと決してこの恨みは———

許さない、公爵のその言葉が耳に残った。この悲劇は私の手によるものだ。決して許される事はなく、私以外誰の所為にする事も出来ない。人体の燃える臭いに吐き気を覚える。だが、逃げるわけにはいかない。目をそらしてはいけない。あの日の誓いを実現するための第一歩として、私が選んだ、私が望んだ結果なのだから。



———貴様の父親がどれだけ我々シャルル派の者達を殺して来たのか———

———犠牲を出そうと突き進む覚悟が———

———許さない———

怨嗟の声が耳にはいってくる。逃げようとしても、耳を塞ごうとしても、あがこうとしても体が動かない。動けない。叫ぼうとしたが、呼吸が出来ない。暑い。炎の中にいるようにさえ思えた。

———誰か、助けて———

そう叫んだ。いや、叫ぼうとした。しかし、今になって私に助けを求めることが許されるのか。力を握るためだけにこれだけの怨念を振りまいて、だがまだ何も出来ていない。本当に何も。ならば助けを求めるなど———

「!」

突然に場面が切り替わった。体は相変わらず金縛りにあったかのように動かない。暑い。めまいがしているのか視界が揺れている。

「こ……こは……」

しかし、口だけは何とか動いた。

「姫様!お目覚めになったのですか?」

すぐ隣から声が聞こえた。どこかで聞いたような声だった。もう遠い過去のように思えるあの頃、私が大好きだった……

「カ…リーヌ……?」

「姫様!……よかった……今他の者をお呼びしますね」

そこまで会話を続けたところで、急速に意識が戻ってきた。多分風邪をひいたのだ。公爵家処刑の次の日に私は倒れたのだ。そこまで思考したところで我に返った。

「あれから、私が倒れてから何日になるの!?」

ドアを開けて部屋を出ようとしているカリーヌに尋ねた。すでに公爵家は処刑したとはいえ、いや、だからこそ私は休むわけにはいかない。起き上がろうとするが力が出ない。

「無理をなさらないでください……姫様は丸二日間、うなされ続けていました。しっかりと休まなければお体にさわります」

こちらの方に慌てて駆け寄ったカリーヌはそう言った。彼女の顔には疲労がありありと見えた。私なんかの看護のために疲れているのだろう。だが、私は……渾身の力を込めるとやっと起き上がることが出来た。

「行かなきゃ……」


「姫様、どうかお休みに……これ以上の無理を重ねれば……」

そう言うカリーヌの顔から視線を逸らし、私は再び口を開いた。

「私は、休むわけにはいかないから……」

「お願いです、どうか」

「姫様!」

突然の声に私とカリーヌの論争は止まった。見やると、サビーネがドアを開けてこちらを見ている。

「目を覚ましたのですか……よかった」

彼女の声は震えていた。心からそう思っているのだろう。しかし、私はその事実に罪の意識を感じずにはいられなかった。

「……食事の準備をお願いします。後、着替えも揃えておいてください。それと、トゥールーズ伯にこちらに来るよう伝えておいてください」

「……しかし、」

「姫様、無茶です!」

「サビーネ……これは、命令です」

カリーヌとは目を合わせないようにしながら言う。サビーネは優秀な侍女だ。礼儀作法に抵触しない限り私の意思を尊重してきた。他の侍女と違い元々は貴族だったと言うことも影響しているのだろう。誇りや名誉、自らの役割をしっかりとわきまえている。

「そんな、だめです。休まなければなりません」

「……」

沈黙を続けるサビーネに真っ直ぐ視線を向けた。しばらくの間をおいてようやく彼女は口を開いた。

「……姫様は……」

「なんでしょう」

「……マリーにこう言っていたそうですね……貴族も平民も一緒に笑える、平等な世界を作りたいと」

「!……それはっ」

かつて、マリーにだけ話した言葉だった。現状のガリアからは想像も出来ない世界である。しかし、あのとき、私もマリーもそれが出来ると思ったのだ。そして、その言葉を嘘にしない、その為にも私は止まるわけには、休むわけにはいかない。そう思うのだ。

「私たちは姫様と同じように戦うことは出来ません……しかし……しかし、平民である私たちも姫様とともに歩むことは、戦うことは許されないのでしょうか?」

「そ、それは……」

返答に詰まる。私をそれだけ慕ってくれたことを嬉しく思いながらも、同時に誰一人救えなかった自分自身に強い罪悪感を覚えた。

「だって、私は……私は……誰も、救えなかったのに、」

言葉の途中でサビーネに抱きしめられた。

「そのようなことをおっしゃらないでください。姫様は、出来うる限りのことをしました……私たちがこうして生きているではありませんか」

その優しさに今まで耐えていたものが溢れそうになった。だが、

「だって……私は……私は……」

———偽物に過ぎないのに

———だから、その愛情は私に向けられるべきものではない。それは……

「そんなにご自分を責めにでください。ずっとそうしていてはいずれ擦り切れてしまいます」

そう言ってサビーネは私の頭をなでた。

———だめ、そんなことをされたら私は、私は———

———寒いよ、助けてよ———

封印しておいた感情があふれ出してしまう。

「あ、ああ」

押さえ込もうとするが、到底とまらない。

———ずっと辛かった。これ以上失うのがいやで遠ざけていたけど、だけど私は心の奥底でずっと望んでいたのだろう。このぬくもりを。きっと、———がなくなってから———

「あ、あ、あああ」

涙が止まらない。あふれ出る感情に身をゆだね私は子供のようにみっともなく泣いた。

「ずっと、辛かったのですね……姫様、一人にしてすいませんでした」

そう言って私の頭をなで続けるサビーネの胸に顔をうずめながら私は泣き続けた。






「マザラン卿、このたびの陛下の決定、王女様に司法特権を与えるという話、我らは到底承服できませぬ……そもそもディカス公爵反逆の証拠は本当に正しかったといえるのでしょうか。あのように即断即決されては……」

「……」

貴族たちの嘆願にジュール・マザランは沈黙で答えた。マザラン卿の執務室に四名の宮廷貴族が押しかけてきたのである。彼らの目的は王女イザベラを宰相の椅子から降ろすこと、それがかなわなければせめて彼女の持つ司法特権の廃止である。

司法特権の使用することで王女は彼ら宮廷貴族生殺与奪権を握っていることを示したのである。異常な早さで行われたディカス公爵の処刑に彼らは震え上がっているのである。とはいえ、王女を権力から追いやる事は彼らの力では無理である。しかし、王女に対抗することのできた公爵は彼ら自身が王女に協力したこともあり処刑されてしまった。その結果として、現在王女を止めることのできる人物はジョゼフ王を除けば一人もいない。しかし、あの『無能王』が王女を止めるために動くことは期待できない。

「マザラン卿、あなたなら王女様を止めることができるはずです……」

唯一王女に対抗できる宮廷貴族がいるとすればジュール・マザランに他ならない。だからこそ彼らはマザランにこうして説得を試みているのであった。

「……だが———」

「失礼します」

彼らの圧力にようやくマザランは口を開こうとした瞬間に、執務室のドアが開いた。

「なっ、トゥールーズ伯!」

「伯爵……!」

部屋に入ってきた男を見て、宮廷貴族たちはどよめいた。入ってきたのは公爵反逆の証拠を示した人物だったからである。今回の一連の流れが王女の手によるものであると考えている彼ら宮廷貴族たちにとって憎たらしい相手である。王女の年不相応の動きからは裏で彼女に謀略を吹き込んだ者の存在すら想像されるのである。

「何を驚かれているのですかな、皆さん。まさか、あなた方までよからぬたくらみをしていたのですかな」

「なっ!」

「無礼な!」

「成り上がりがそのような口を!言っておくが我が家は十代以上ガリア王家に仕えてきたのだぞ!」

「ガリアに仕えるようになってから二代も経っていない貴様こそ王女様によからぬことを吹き込んでいるのだろうが!」

薄ら笑いとともに放たれた伯爵の言葉に彼らは激昂した。中には今にも飛びかかろうとする者もいる。

「そうですか……では、用がないならお引取り願えませんかな……私はマザラン卿と話さねばならぬことがあるのですよ」

「このっ!」

「よせ!」

皮肉めいた物言いをやめない伯爵に杖を向けようとした男を周りの三人が止めた。彼は興奮収まらぬ様子だったが、走るようにして部屋を後にした。残り三人もそれに続く。

「あの成り上がりが!」

乱暴に閉められたドア越しに聞こえてくる声と足音が遠のいていくのを待ってトゥールーズ伯はマザラン卿に向き合った。

「さて、王女殿下からのご命令を伝えにきました」






順調だ、そう彼、トゥールーズ伯は心の中でつぶやいた。目の前では公爵家の処刑が執り行われている。周りの宮廷貴族たちが青い顔で目をそらしている中、彼は火あぶりにされる公爵家を直視していた。これが戦いの結果である。

「酷すぎるのでは……」

「公爵家だというのに……」

隣からささやき声が聞こえた。何をいまさらと思う。彼ら自身公爵に対抗するために王女の側についたのだ。そして、『王女派』と公爵派の戦いの結果がこの処刑である。王女と公爵の対立が激しさを増していく中こういった決着になることは予想できるはずであった。ガリアの王宮には家柄だけでそれすらもできない愚鈍な者が多すぎると彼は思う。だが、彼には彼らを押しのけるだけの力はなかった。何しろ、彼は成り上がりである。下手に家柄のよい貴族たちから反感を買えば、彼らは結束して彼を排除しようとするだろう。しかし、今は違う。王女の下につくことで彼の地位は強固になった。少なくとも王女が権力を失うことがなければ、宮廷での彼の地位は今後上がり続けるだろう。そして、この処刑を持って宮廷における最大の権力者は他を圧倒して王女になった。よほどのことがない限り彼女を排除することはできないだろう。

やはり公爵家をまっすぐと見つめている王女に目を移す。顔は若干青かったが毅然と立っている。恐ろしい方だと思う。少なくとも策略に関しては宮廷の愚鈍な貴族どもとは比べ物にならない。公爵を手玉に取り、宮廷貴族たちを反公爵派に誘導してこの状況を作り出した。最も、公爵家の者を見逃すなど詰めに甘い所もあるようだが。そう言う面はまだ子供という所なのだろう。

(まあ、その分は他の者、私が埋めれば問題はない)

「おのれ!トゥールーズ、貴様だけは―!」

怒り狂った罵倒が彼に向けられた。その憤怒の視線を彼は真っ向から受け止める。それが彼なりのこの結果に対する向き合い方であった。その不遜な様子に周りの貴族たちは彼とも公爵とも目を合わせずにひそひそささやきあった。

(ささやきあったところで何ができるというのだ。今更になって……結局、伝統と過去にしがみつくしか出来ない愚物が……)

心の中で彼らを罵倒していると、やがて、処刑は終わった。青い顔をして多くの宮廷貴族たちは足早に引き下がっていった。ほとんどはすぐにでもこの場から離れたいという様子である。その中には、マザラン卿もいた。ここ最近急速に衰えたのか、かつて宮廷で宰相として貴族達をまとめあげてきた時の覇気が感じられない。プチ・トロワの件では王女を助ける為に奔走したという話だが、今になってその事を後悔し始めたとでもいうのだろうか。とはいえ、ディカス公爵亡き今、宮廷貴族たちが王女に対抗するためにマザラン卿を旗頭として担ぎ上げる可能性はある。ならば、十分に注意する必要があるだろう。

「いや……まてよ」

冷静になって考えればおかしい。本当にマザラン卿が王女を助けようとしたのなら、反乱者が動き出した段階で王宮の全ての近衛兵を差し向けるはずだ。優秀であるとはしても少人数で対応するにはリスクが高すぎる。

(ならば、マザラン卿の真の目的は王女の救出ではなかった……のか?いや、ならばなぜ王女殿下はマザラン卿をかばった……いや、逆に考えれば……そうか、そういうことか)

思いついた考えは荒唐無稽なものだ。あの王女でなければ自分自身この考えを笑い飛ばしていただろう。だが、おそらくこの考えは正しい。だとすれば、すでに宮廷貴族には王女に対抗する手段は残っていないのだろう。

「は、ははは」

思わず苦笑がもれる。同時に、激しい戦慄も感じた。彼自身が次の手を考えていたときにすでに王女はチェックをかけていたのだから。マザラン卿本人などごく一部を除き大部分はまだそれに気がついていないだろう。そのことがおかしくて彼は笑いが止められなかった。






「王女殿下……のご命令ですか……」

「ええ、どうやら王女殿下を宰相の地位から引き摺り下ろそうとする輩がいるようですが……そのような者たちが頼るのは貴方でしょう。そこでそういった話を持ってきた人物を全て教えていただきたい」

「なっ、これ以上王宮を混乱させたままにしておくわけにはいかないでしょう」

誰が王宮混乱の原因になっているのか、とこれまでのマザラン卿なら言い返していただろう。しかし、トゥールーズ伯の物言いに拳を握り締めるも、彼は反論することはできなかった。また、この命令を拒むこともできない。そうすればあの王女はすぐにでも彼を処刑するだろう。それを可能にするだけの証拠を彼女は持っている。だが、このままにしておくわけにもいかない。だから、彼は口を開いた。

「……剣に生きるものは剣に死ぬ……今いくら力があるからといって……」

「それは自分の力をわきまえない愚か者の話でしょう」

「……」

冷然と返す伯爵に、マザラン卿は言い返す言葉がなかった。いや、言い返しても無駄だと悟った。このような人間は自分が敗北することなど考えることもできないのだろう。ディカス公爵のように。王女が宰相についてから、王女とこれ以上対立するのは好ましくないと彼は秘密裏に公爵を嗜めようとしてきた。しかし、彼はそのような忠告を聞き入れることはなく結果として……

「よろしいですね?」

「……わかりました」

重ねるような伯爵の言葉にマザラン卿はうなずいた。うなずかざるを得なかった。






鳥の声が聞こえる。朝日がまぶしい。体を持ち上げてカーテンを開くと雲ひとつない青空が広がっていた。しばらくそれに見入っているとドアが開く音が聞こえた。

「失礼します」

入ってきたのはサビーネだった。ここ連日で心身ともに疲労がたまっているはずだが、それでも服装と髪型は見事に整えられている。不謹慎かもしれないが、そのまじめさがおかしくて小さくと笑ってしまった。

「……何か面白いことがあったのですか?」

「なんでもないの。でもなんだかうれしくって」

笑いの理由を尋ねてきたサビーネにまさか本当の訳を言うわけにもいかず、あわててごまかした。

「……そうなのですか……しかし、よかったです」

「何がよかったの……?」

「ここ二ヶ月姫様の笑う顔を見たことがありませんでしたから……」

だからよかったです、そういわれてはっとする。そういえば私はあの事件以来一度も心から笑えたことはなかった。マリーとの……約束を果たすことだけを考えてそんな余裕はなかったのだ。

でも、それでは私はいずれ壊れてしまったのではないか、そう思った。そのくらい私は弱いのだろう。心に、最愛の人にかけて誓った思いすら現実で揺らいでしまうほどに。でも、そんな私でも支えてくれる人がいるから、一緒に戦ってくれるといった人がいるから、だから私は……

「っ!姫様、大丈夫ですか?」

サビーネがあわてて駆け寄ってきた。目の端から涙がこぼれてしまったのだ。それをふき取って、久しぶりの笑顔で言った。

「大丈夫。それよりも、食事を……前みたいにしたいのだけど……いいかしら?」

「は、はい、すぐに」

そう言ってサビーネはすばやく部屋を出て行った。それを見てから、再び窓越しに空を見上げる。相変わらずの快晴だった。

私と一緒に戦ってくれる人がいる、そのことを思うと何でもできそうな気がした。



[4219] 宰相閣下に憑依しちゃった!?六話
Name: なんやかんや◆5615cca5 ID:b5adf181
Date: 2009/04/11 16:44
「「おはようございます」」

寝巻きから着替えて食堂に行くと、サビーネとカリーヌにかつてのように挨拶された。だが、足りないものもある。マリーとアリスはもういない。それに、

「リリーは……」

もう一人、リリーの姿も見えなかった。私が尋ねると二人は顔を合わせてから、おずおずと口を開いた。

「リリーは……一月前に王宮を去りました……ご存じなかったのですか」

「……いえ、そう、なの……」

呆然とつぶやいた。ここ二ヶ月彼女たちの様子を気にする余裕はなかった。だから、リリーが去っていったというのも無理はない。ただ、ひとつ聞いておかなければと思いまた口を開いた。

「リリーの仕事先は大丈夫なの」

「彼女は読み書きもできますし、教養も王宮に侍女として採用されるほどですから大丈夫かと」

「そう……よかった」

そう呟いて、微笑んだ。私のせいで収入源まで失うことはないようだ。

「姫様……」

「さあ、冷めないうちに食べてしまいましょう」

気まずい雰囲気を打ち破るようにそう言った。






「それで、マザラン卿に私に反対しようとしているものについてリストをあげるよういったのですか……」

あまりよくないとは分かっていながらもため息がこぼれてしまう。それを見咎めたのか、トゥールーズ伯は若干眉をひそめた。

「それが最良と判断したのですが……」

「……最良とはいいがたいでしょう。そもそも、私に反対するものを調べてどうするというのですか。まさか理由もなく処罰するわけにもいきませんし、強引にそれをすれば王宮で杖を振るう貴族はいなくなってしいます。私に人望はないのは分かりきったことです。わざわざ確認する必要もないでしょう」

「……」

「別に私に反意を持とうが持つまいが問題ではありません。形式的に忠誠を誓わせたところで内面まで支配できるわけでもないですし、無駄なことです」

「しかし、今になって殿下にあからさまに歯向かおうとするような無能を宮廷においておく必要はあるのですか」

思わず苦笑がもれる。トゥールーズ伯、この『成り上がり』は能力主義で相当に激しい性格のようだ。今まで宮廷で冷遇されていた理由もよく分かる。伝統や権威を重視する『立派な』貴族には認められない性格だろう。

「あなたの言う『無能』でもうまく配置すれば効果を挙げることは可能でしょう。人材がほかにいない以上、今後の改革のためには彼らも必要です」

「改革……?」

訝しげに伯爵は尋ねた。

「そう、改革です」

立ち上がり、伯爵に背を向け、窓から外の光景を見やった。よく整備された庭である。花壇には満開の花が見えた。

「今のガリアをどう思いますか、伯爵」

「……」

「ハルケギニア最大の大国とは名ばかりでその実、内情はばらばらです。大貴族たちは私服を肥やすことに熱心で国家というものを省みず、弱小貴族は彼らの取り巻きとしてその恩恵に与ろうとしています。大商人たちは彼らの庇護の下、富を蓄えています。その結果、最も苦しんでいるのは平民です……しかし、私たち貴族は彼ら平民があってこそこうやって存在していられるのです。私たちは彼らからその収穫を取り上げ、賦役を課しています。私たちの言う貴族の文化、優美と優雅は彼ら平民を踏みにじってその上にあるものです。このようなことはかつて私たちが平民を守り、導くという関係にあったときは許されたのかもしれません。しかし、現状では私たちはただ彼らから税を取り立て労働を課して、しかし十分に報いようとはしていません。少なくとも私がガリア。中を見て回った限りではこの現状は変えなければいけません。改革は必要なのです」

「……すばらしい考えです」

私の言葉にしばらく間をおいてそう返事が返ってきた。しかし、その声色に含まれるかすかな冷たさは言葉の内容とは逆の印象を伝えてきた。

「……別に私の理想に貴方が付き合う必要はありません。貴方が地位や名誉を望むならばそれでかまいませんし……初めに言った通りガリアのために尽くすのなら私はそれ以上を問うつもりはありません。国のために働けば富や地位、名誉は差し上げましょう……改革によってこの国を完全に統一するつもりはないのです。まとまりが無いことが必ずしも悪いことだとは言えないからです。通常とは異なった考えから見えてくるものもあるでしょう。ですから私は他の宮廷貴族たちとは違う考えを持った貴方の意見に耳を傾けるように努力するつもりです。と、同時に今までの貴族たちの考えにも耳を傾ける必要があるのです」

「……」

「まあ、いつまでも会話をしているわけにもいきませんし……」

振り返って執務机に備え付けられた引き出しから二冊の手帳を取り出す。

「先のガリアの調査、国勢調査中にまとめたものです。彼らと連絡をとって国政に協力するよう伝えてください。それと、こちらは今後の宮廷組織改造、省庁の設置と官僚制度制定の概案です。これを具体的なものに纏め上げてください……必要と思うなら他の方に助力を求めても構いません」

そういって手帳を渡した。それを受け取った伯爵はすばやく流し読みをしてから顔を上げた。

「これは……わかりました……しかし、省庁の設置ですか……」

「宰相に就いてから常々思っていたことですが、私や宮廷貴族たちだけの知識ではどうしても不足する面があります。それを補うためにより専門的な知識を持った人物が必要でしょう……もちろん専門家だけでは大局を任せることはできないでしょうが……専門家ですから登用は能力を最優先するようにしてください……私のほうでもできる限り働きかけをするつもりですが、能力があるならば平民でもなれる、なってもいいという雰囲気を作るよう心がけてください」

「平民の登用……ですか。必要なのですか?」

「……」

平静な、しかし不満を感じさせる声で伯爵は問いを発した。その問いにすぐに答えることをしなかったのはそこに絶対的な壁を感じたからだった。貴族の中では革新的な人物であろう能力主義の伯爵でさえも平民の登用に対しては否定的である。あるいは貴族制が貴族と平民の分離を基礎にしているということかもしれない。

「……改革において彼らの力は必要です」

「平民を登用したところで役には立たないでしょう。彼らのできることなら貴族にもできます。わざわざ彼らを引き立てても何にもならないと思いますが……むしろ、貴族の不満を作ることになるのでは」

私と相反する考えだったとしても伯爵はよどみなく反論してくる。後ろ盾となっている私がいなければすぐにでも王宮を追放される身であるのにそれをするとは、相当に激しい性格のようだ。まあ、だからこそ彼には価値があるのだが。

「なるほど、もっともです。しかし、私は貴族の人気取りをするつもりはありません……貴方も人気取りはお好きではないと思いますが……私に対しても間違っていると思うことははっきりといっていますし」

「それは……そう、ですね」

「貴方のそのあり方は私にとって非常に有用です。間違いは気づかなければ直すことはできません。貴方の率直な言葉は美辞麗句に飾られた他のどの言葉よりもためになるのです。ところで、平民の中にもそういった飾らない言葉を言う方がいないと貴方は言い切れますか?」

「……言えません」

「もうひとつ……貴方は平民の普段の生活やその問題について十分な知識を持っていると確信できますか?」

「……いいえ」

「ならば、もし、率直な意見を言うことができ尚且つ私たち貴族が理解していない平民の世界について熟知している者がいたとしたら、それが平民であっても登用する価値があると私は思うのですが、貴方はどう思われますか?」

「……私も、そのとおりだと思います」

しばしの沈黙の後に伯爵はそう答えてきた。もっとも本当に納得したのかまでは分からないが。

「……他になにかありますか?」

「いえ」

「……そうですか、ではこの件よろしくお願いします」

「分かりました」

そう言って伯爵は頭を下げた。

「……それと、それともうひとつ」

伯爵が退出しようと執務室のドアに手をかけた直後に私はあわてて、そしてやっと声をかけた。

「何でしょうか」

「……マザラン卿に私の部屋に来るように伝えてください」

「わかりました」

そう言って伯爵は部屋を出て行った。伯爵の足音が遠ざかっていく。ふと、その音を意識している自分自身が緊張していることに気がついた。

「はあ」

ため息が漏れる。公爵に謀略を仕掛けた時とは違い今特別気をつけなければいけないことはないはずである。にもかかわらずどうしても心がこわばることを感じる。ジュール・マザラン卿、プチ・トロワでの事件において私を、私たちを見殺しにした人物と向かい合うことになるからだろう。

「っ!」

無意識のうちに手を握り締めていた。あのことを考えると憤怒の念を抑えることができない。こうなるからこそ、私はこの二ヶ月可能な限りマザランとの接触を可能な限り避けてきた。どうしても向かい合わなければいけないときは他の貴族も必ず居合わせるようにしていた。そうしなければ自分を抑える自信がなかったからだ。

しかし、今後を考えればいつまでもそうしているわけにはいかない。宮廷貴族の私に対する反感、それとマザランの地位を考えれば、公爵と同様に殺すかもしくは私の側に引き入れる必要がある。それを怠れば今度は私が失権することになる可能性がある。

メリット・デメリットを考えればマザランは生かす方が好ましい。というより、その一手だろう。

第一に混乱した今の王宮でこれ以上血が流れ続ければ私にも収拾がつかなくなりかねない。現在宮廷内での私の力はほかの宮廷貴族を圧倒しているが、追い詰めすぎれば彼らは不利を知っても反撃に来る可能性がある。そうなればガリアは大混乱に陥るだろう。そして、それによってもっとも被害を受けるのは平民だ。それは絶対に避けなければいけない。

それに、彼には私が持っていない人脈がある。それを使えば今後必要となる人材をある程度そろえられるだろう。推測に過ぎないが、おそらくマザランは旧オルレアン公派達とも繋がりがある。現在日陰者となった彼らの中にも優秀な人材もいるだろう。それに、一度地に落ちた彼らなら順風円満だった今の宮廷貴族と比べて『常識破り』なやり方でも対応しようとするだろう。もっとも、最終的には宮廷にいるものは私のやり方を身に着けてもらうことにはなるだろうが。

殺さずに利用しろ、と理性は告げる。そのほうが、利点が大きいのは明らかである。マザランを殺そうと思えばいつでもできる。プチ・トロワでの事件についての証言、私、そして衛兵のものがあればすぐにでも彼を処刑することは可能だ。ならばこのタイミングでは彼を使ってみるほうが良い。

しかし、感情は到底納得できないと叫ぶ。理屈も損得も関係なく。激しい憎悪、憤怒が理性の出した答えをこの二ヶ月間拒んでいたのだ。

一昨日までの私ならマザランと会うことを選択できなかっただろう。それを拒んできた感情に打ち克てたのは、サビーネとカリーヌという味方を知って心に余裕が生まれたからだろう。この二ヶ月私は疲れ、冷静さを失い、目的まで忘れかけていた。その事に気がつけたのは彼女達のおかげである。私の側にいる事は危険だと彼女達も十分分かっているはずだ。それにもかかわらず、私と共に戦ってくれると彼女達は言った。ならば、その意思に応えない訳にはいかない。

そして、私の為に死んでいった者の為にも……前に進まなければ……






「マザラン卿、イザベラ殿下が執務室に参上するようにとご命令です」

「……わかった、行こう」

「確かに伝えました。ではこれで、やらなければいけないことがあるので」

そう言うとトゥールーズ伯爵足早に去っていった。

彼はふっと息をついた。

(とうとう来るべきものがきたということか。しかし、)

オルレアン公爵家に続きディカス公爵家潰れたことでガリアは大きく揺れることになりかねない。オルレアン公と違い人望の少なかったディカス公の処刑は今のところ大きな波紋を呼ぶまでにはなっていない。しかし、名門二家が消滅したことで王宮の権力のバランスが崩れた。今はイザベラが王宮を抑えているが事態が彼女の手に余るようになれば内戦が勃発してしまうことすら考えられるのだ。ジョゼフ王、イザベラ王女の上に位置するかの王がそれを防ごうと動くとは彼には思えなかった。

それだけは避けなければならないと思う。この命が尽きることがあろうとも。ガリアを二つに割った血みどろの内戦、それを避けるためにあの方は犠牲になったのだから。

あるいは、ふと思う。あの時公爵の意図に反してでもジョゼフの暗殺を強行していたらどうなったか。ジョゼフ、そして自分が多少の殺されることで、混乱はあるものの今は亡きオルレアン公の下でガリアは安定したかもしれない。そうすれば犠牲は避けられたのではないかと。

「今頃になって感傷か……いや……バリー」

「はっ」

すでにほとんどの力を失いなった自分ではあるが腹心の部下はいつも通りに応えた。

「お前は今すぐに私の屋敷に行って例の書類を焼き払うように。それと私が死んだ場合は……」

「……手はずの通りにいたします」

「そうか、感謝する」

「……では、御武運を」

そう言って深く礼をするとバリーは部屋を出て行った。

「武運か……」

苦笑が漏れた。彼は文官であり武運などとは無縁であるはずである。しかし、命を賭して結果を得ようとしている点では的を射ているといえるかもしれない。

(この命に代えても……これ以上の混乱は避けなければ)

そして彼も部屋を出た。






ドアをたたく音に我に返った。深呼吸をしてから言う。

「……どうぞ」

その言葉にドアの前に置かれた二体のガーゴイルが反応する。王宮のマナーに従って静かにドアが開けられた。よく整備された蝶番は少しの音を立てる事すらない。

「参上が遅くなってしまい申し訳ありません、殿下」

入ってきたのはジュール・マザランその人である。

「……」

「……」

しばしの沈黙が流れる。だが、いつまでもそうしているわけにはいかない。

「別に構いません、突然の話ですし……いえ、謝礼事項は無しにしましょう……ただ、ひとつ聞きたいのですが」

無駄な会話をする意味はない。私が憎しみを持っていることはマザランも重々承知しているだろう。これまで無視し続けてきたのだから。ゆえにわざわざ笑顔や友好の言葉を取り繕う必要はない。絶対に聞かなければならない事は一つだけである。自然と目が細まるのを自覚する。

「プチ・トロワの件ですが……何故ですか……?」

その返答によっては、言外にそう含める。

「……」

「……」

再び沈黙が流れた。数時間か数秒か、しかし、ついにマザランはしゃべりだした。

「……これ以上ガリアの混乱を続けないためでした。叛旗を翻した衛兵たちが生け捕りにされれば、彼らの口からかつてシャルル派に組みしていた者たちの名前が漏れることになったでしょう……そうなればようやく収まりかけた粛清が再び起き、ガリアの混乱はさらにひどくなりかねないと、そう考えてのことです。ガリアを二つに割るようなことはあってはならない……」

「……」

「だから、私はあの時、反乱者の殺害を最優先にしたのです」

「……そして、私以外の目撃者の始末も……ですか?」

目を冷たく細めながら問う。

「……反乱者の殺害が目的でした。結果としては良い方法ではありませんでしたが……いえ、殿下、見苦しいことかもしれませんが私の命に代えてでも一つだけ頼みがあります」

「……」

「これ以上旧オルレアン派への弾圧をなさらないでください。これ以上彼らを追いつめれば反乱が起きうるのです」

「……やはり貴方はオルレアン公とつながっていたのですね」

「……その通りです。そして……だからこそ申しましょう。旧オルレアン公派は限界が近いのです。プチ・トロワの件の衛兵のように強硬案を主張する者も増えています」

「それで、何故彼らを弾圧してはいけないのですか?」

「そっ、このままでは内乱が起こりかねませんぞ!」

私の返答が予想外だったのか顔色を変えてマザランは詰め寄ってきた。

「そのようですね。しかし、別に内乱が起きても構わないではありませんか。既にオルレアン公派に以前のような力はありません。あえて反乱を誘導してから潰すというのも手段の一つだと思うのですが」

「い、いったいそのような事をして何の利益が……他国の干渉を許す事にもなりかねませんぞ!」

「国内の統一を得る事が出来ます。どのみち国家が分裂していれば他国の干渉する余地は出来てしまうでしょう?逆に聞きますが旧オルレアン公への追求を和らげる事でガリアの得るメリットは何ですか?」

「それは……」

「弾圧をしなければ反乱が起こらない、それだけならば話にもなりません。彼らを生かす事でガリアに何の利益があるか、それが重要なのです」

「しかし、どうか私の命に代えても……」

この男を退ければ宮廷の掌握は完了する。しかし、

「旧オルレアン公派の扱いは貴方の命一つで購える問題ではありません。まさか貴方は自分の死がそれほどの意味を持つとでも思っていたのですか?」

冷たく言いきり、さて、と声に出さず続けた。ここまで誘導すればマザランの方から答えを出すだろう。考えていたよりも思考は冷静さを保っていることに安堵する。

怒りが無くなった訳ではない。しかし、この男一人を殺したとして何になるというのか。ならば———

「……殿下、しかし……彼らを弾圧すれば彼らの協力を得る事が出来なくなります。彼らの中には優秀な者も多いのです」

「確かに私は多くの人材を必要としています……しかし、どのみち彼らが私たちに協力しようとするとは考えがたいのですが」

「私が説得してみせます!ですからどうか機会を!」

「……」

そう懇願するマザランにすぐには答える事なくしばし黙した。マザランの表情は青ざめている。

「……分かりました、そこまで言うのなら彼らを使ってみる事にしましょう。旧オルレアン派で有用と思う者を明日までに全てリストで上げてください。それとトルールーズ伯に今後の王宮改革についての原案を渡してあるので、彼と協力して人事案をまとめるように」

「あ、ありがとうございます、殿下、本当に……それでは、至急取りかかりますのでこれで失礼します」

そう言い残してマザランは退室した。






足音が聞こえなくなってから肩の力を抜き一人呟く。

「上手くいった……か。これでオルレアン公派に恩を売りつつ、人材確保のめども立った」

さらに加えれば、彼らの登用は私が積極的に招こうという形ではない為に切捨てやすくもある。

「さて、組織改革のまとめと人材確保は取りあえず彼らに任せて……アカデミーへの手紙を書くか」

手紙を書くだけとはいえ、面倒な事である。モチベーションを保つ為にもあえて声に出して言った。まず下書きをして、書き終われば秘書官が文面をチェックし、それを基に清書してからようやくアカデミーへ送られる。数枚ならばたいした事はないのだがあちこちに毎日何十枚も送っているとさすがに面倒なのだ。

「書記官も足りてないし……タイプライターを作るのと、どちらが楽かな」

タイプライターを実用化すれば下書き、清書の二度手間の必要が無くなると思う。いや、結局書き損じれば同じ事か……

それに、タイプライターの存在は知っているが詳しいメカニズムの知識は十分ではない。作ろうと思ったら一から設計する事になるだろう。それは相当に時間がかかる。ある程度詳しい知識を持っていた懐中時計でさえ設計だけで一ヶ月以上かかっている。これからますます忙しくなるだろうし、とてもそんなことに回す時間はないだろう。

それでも、一回作ってしまえば複製を作らせる事は簡単だろう。道具もなく懐中時計の制作を可能にしてしまうほどの出鱈目、魔法が存在しているのだから。ならば誰かにアイデアだけ教えて作らせて見るのもありか……ガリアの技術レベルを直接調べることにもなるだろう。

「こうして、思いつくからまた仕事が増えるんだけど……分かっているんだけどね……ああ、単位の標準化も必要ね」

懐中時計で思い出す。あれは動作する事は動作したのだが、針の進み方が早すぎた。ギア比は弄るのが面倒なのでカムの形状を変える事になるのだが、それを計算で求めるには時間と長さ、質量の関係が必要である。これは私事だから重要ではないのだが、工業を押し進めるには標準の考えは必須になる。

だが、それには手工業ギルドなどあちらこちらからの反発が考えられる。これらについても調べさせておく必要があるだろう。標準の基準をどうするか、それによって利益を得るギルドと損失を被るギルドに分かれることも考えられる。そもそもギルドが一致団結して抵抗したら標準化の目論見は失敗に終わるだろう。ギルドの代表者と話し合いの機会を設けるべきかも知れない。いや、これは情報が集まってから決めることだろう。

それと、ディカス公爵領の処遇も決めなければならない。天領扱いなのでこちらから役人を派遣する事になるのだが、あまり適当な者にするわけにはいかない。私の考えを理解とまではいかなくても、あまりに意に反する事をされるのは困る。しかし、そのような人材ともなれば人手の足りない王宮においておきたい訳であり……まさか旧オルレアン公派に天領の運営を任せる事は出来る訳がないだろう。問題が多すぎる。

「本当に人手不足が深刻ね……どうしたものか……あ……」

そう言えば、旧オルレアン公派を宮廷に登用する前にジョゼフ王から認可を得ておく必要がある事を思い出した。既に宮廷貴族達は私の決定に逆らえるほどの力を持ってはいないが国王なら話は別だ。彼がこの案に反対すれば彼らを引き入れる事は出来なくなるだろう。そうなれば、今後の方針を変えざるをえなくなる。

完全に失念していたが悔やんでも仕方あるまい。今から話を通しにいかなければならない。しかし、

「ジョゼフ王……陛下が認めますかね」

あれだけオルレアン公派を弾圧して壊滅に追いやった張本人である。何を考えているのか掴みきれない所も多いが、それでもこの案を許可する可能性はあまりないと思う。

「まあ、それでも」

今後の為に必要ならば何としてでも認めさせるしかないだろう。

そう思い、私は執務室を後にした。



[4219] 宰相閣下に憑依しちゃった!?七話
Name: なんやかんや◆5615cca5 ID:b5adf181
Date: 2009/05/04 17:07
勝てない。反論を口に乗せようとする前にそう確信した。所詮この身は非力な少女である。口先だけなら或は対抗する事も出来なくはないだろう。だが、暴力という直接的な力を前に私は無力だった。しかし、それでも私は言葉を止めようとはしなかった。無駄だと分かっているのに何故なのか、と問われても答える事は出来ない。けれど、私はこのような状況に百回陥れば、百回異議を唱えずにはいられないのだろう。だから、

「あと半刻でいいの。もう少ししたら終わりにするから」

「駄目です。寝てください」

「ねえ、サビーネ、横になったからといってすぐに眠れる訳じゃないのよ。四半刻くらいなら変わりはないと思わない?お願い、一回だけでいいから」

「姫様、昨晩も同じ事をおっしゃいました」

「そう、昨日は認めてくれたんだから今回も」

「昨日一回だけという事で認めた時間、それが今です。ご就寝なさってください」

「そんな!?」

「そのように傷つかれたような顔をされても駄目なものは駄目です。また無理をして倒れたらどうするのです」

「……ちっ」

サビーネとカリーヌが呆れたような目を向けてくる。

「……取りあえず姫様、これは預かっておきますね」

そう言ってサビーネは先ほど私の手から取り上げた紙の束とペンを示した。

「ううぅ」

その断固とした意思に私はくじけたようなうめき声を上げて顔を伏せた。

(ククク、成功ね。これでサビーネは私がもう何も持っていないと思ったはず……甘いわ、インク瓶が必要な羽ペンならいざ知らず、ボールペンと紙切れだけなら布団の中に簡単に隠せるのよ)

「姫様……」

内心で笑い声を上げながら顔を伏せていると、沈黙を守っていたカリーヌがそう言った。

「なあに?」

「ご迷惑でしょうか、私たちは」

「そ、そんな事ないわ!サビーネとカリーヌが私の事を心配してくれているのは分かっているし、いつも感謝しているわ!だから、だから」

慌てて顔を上げてそう言った。この二人が一緒にいてくれる事、それはプチ・トロワの事件の後ようやく見つけた安らぎであるからだろう。そして、きっと私はこの心地よい時間を捨てる事は出来ない。それだけ私は弱いという事なのだろう。もし、彼女達が私の下から去ると言ったら、それを受け入れる事は出来るのだろうか。ふとそう思った。

「姫様、でしたら……こちらも預かっておきますね」

私が考えに夢中になった隙にシーツの下に隠してあったペンと紙を取り出してカリーヌはそう言った。

「な……ななな……カリーヌ、謀ったわねぇぇぇ!」

「では、おやすみなさいませ、イザベラ殿下」

あんまりな事に呆然とするも、なんとか怨嗟の声を上げる。しかし、サビーネもカリーヌも全く取り合わずに一礼をすると部屋の明かりを消して退出ていった。






真っ暗な部屋の中で横になるがしばらくは眠むれそうにない。もっとも、眠りに落ちる瞬間が何時かは覚えていないのだが。とりとめもなく浮かんでくるものから頭を振って思考を切り替えた。

私の概案を基にマザラン卿とトゥールーズ伯がまとめあげた新官僚制度、既存の仕組みをベースにしたとは言え全く新しいものになった、が制定されてから既に二ヶ月が過ぎた。いや、制定されたというのは語弊があるかもしれない。私を含め誰もが経験した事のないこの制度をなんとか形にしようと試行錯誤を重ねてきたというのが実際の様子を表しているだろう。

マザラン卿の推薦によって旧シャルル派と目された多くの人員が宮廷に登用された事に対する一部貴族の動揺は既におさまりを見せている。第一に騒いだ所で私の決定を覆す事は不可能だと言う事、そして第二に騒ぐ暇が無くなるほどに仕事が増えたというのが理由である。マザランがこちらについたため私に対抗しようとすればそれこそジョゼフ王でも動かさなければならない。国王に働きかけた者もいたのだが、私が予め陛下から了承を得ていた為に彼らの嘆願は徒労に終わることになったのである。







「ふむ、腐敗だと?」

「現在のガリアでは貴族の汚職が横行しています。こちらはこの前の一斉調査で得たある天領の出納表です。直接的な記載はありませんが、出納に食い違いが出ています。さすがにここまで杜撰なものは他にはなかったようですが、それでもよく調べれば用途不明金があるもが非常に多いという結果が出ました」

「ふ、はは、なるほど、これは問題だな……それで、どうしたいのだ?まさか不正を犯した者を全員裁く訳にはいくまい」

私の渡した資料一瞥してジョゼフ王、陛下はそう尋ねてきた。質問の内容は的確で問題の核心を抑えている。これだけ大規模な不正を全て裁く事は非現実的である。無能王、よく言ったものだ。

「王宮の改革を行います」

「ふむ、改革だと」

「はい。横行している不正の根底には貴族のモラルの低さだけではなく統治体制の不備があります。不正を監視するものは機能していませんし、それ故に不正が罰される事もないのが現状です。率直に申し上げまして今のガリアの王宮は統治を行えていません」

「はは、ずいぶんとはっきり言うのだな」

他人事のようにジョゼフ王はそう笑った。

いや、既に彼にとってガリアがどうなろうと関心はないのかもしれない。シャルル・オルレアン、父と叔父はかつて非常に仲が良かった。少なくとも私の記憶によればそうだった。ならば彼は実弟を殺した事を後悔しているのだろうか。それ以外の事がどうでも良くなるほどに。本当の所がどうかは確かめられる訳もなく推測する事しか出来ないが。

「現状では各地位にいる貴族一人一人の役割があやふやです。これを改め各々を専門化した組織に分けるというのが私の案の概要です」

「ああ、好きにするが良い。宰相はお前なのだ。この程度の事いちいち許可を取る必要はない」

「そうですか……しかし、ひとつ、お聞きしたい事があるのですが」

「何だ?」

「専門的な行政機関、省庁を設立する為には現状では人材が不足しています」

「ならば適当に登用すれば良かろう」

「はい、ですが登用する人材にはある程度専門的な知識や経験が求められます。普通に人材を捜したのでは十分な人数を確保するのが困難です」

「ほう、それで?」

その私の言葉に初めて興味を示したようにジョゼフ王は身を乗り出した。

「マザラン卿が旧オルレアン公派とつながりを持っています。彼を使って優秀な人材を確保するというのが私の考えです」

その言葉にガリアの国王は自慢の髭を撫で付けながらおもむろに口を開いた。

「……ふむ、すると余に旧オルレアン公派と和解せよと申すのか?反逆を企てた彼らに?」

「……そうは申しません。ですが、反逆を企んだのはオルレアン公とその取り巻き少数であって他の多くは関与していないでしょう。何も知らないままに反逆の片棒を担いだ者も多いはずです。勿論知らなかったからといって許されるわけはありません。しかし、かつてオルレアン公に味方したものに名誉挽回の機会を与えることは陛下の寛容さを知らしめることになるかと愚考いたします」

「ふむ、違うな。余の寛容さが知らしめられるのではない。イザベラ、お前の寛容さが示される、そうであろう」

その言葉に唇を噛んだ。この論理ではこの王を説き伏せる事は出来ないだろう。ならば別の理由を作らなければならない。今までの言動から最も効果的な言葉を吟味する。ジョゼフ王がオルレアン公暗殺後、あらゆる事に投げやりになっているのだとしたら利を説いても意味はないだろう。ならば……

「……全ては陛下の名の下に行われます……それに、陛下、彼らを葬ろうと思えばいつでも出来ます。ならば敢えて彼らを手元に置くのも一興かと。かつての忠誠と現在の権力のどちらにつくのか、試してみてはいかがでしょうか」

「ふ、ははは、はははははははははははははははははははははははは!」

「……」

「ククク……なるほど……それは面白いやも知れぬな……優秀な故オルレアン公に忠誠を保って服従を拒否するか、それともその敵である無能王に従うのか、はたまた面従腹背で余の寝首を掻く機会を窺うのか……よい、許可する。好きにやるが良い」

「御意」

その言葉に私は頭を下げてそう答え、謁見の間から引き下がった。






「———外務省局長、サン・マール伯、外務省補佐官、———」

淡々とマザラン卿が人事を読み上げる。それを聞きながら、宮廷貴族達の顔を見やる。ほとんどが驚愕の表情を曝していた。失権した旧シャルル派の貴族が突然閣僚級に登用され、彼らの多くの上に位置する事を考慮すれば無理からぬかもしれない。だが、それでも無様としか言いようがない。私のこれまでの言動からこうなる事は十分予想出来たはずである。彼らは成り上がりと悪名高いトゥールーズ伯を何の為にわざわざ起用したとは考えもしなかったのだろうか。

いや、苛立つ事ではない。首を振って気を落ち着かせようとした。逆に彼らがこうであったからこそ私が付け込む隙があったのだ。そう思っても心のざわつきは治まらなかった。何に苛立っているのか自分でもよくわからないのだが。

「———内務院補佐官、ダヴー卿。その他、一年以内に文科省、農務省を設立します。それぞれの人選については後日決定されます。以上です」

気がつくと人事の公布は終わっていた。内心慌てるが、さすがに身振りに示しはしない。その程度の処世術は当然身につけている。一呼吸おき一歩前に出た。マザラン卿が察して一歩後ろに下がる。

「さて、この人事に驚いた方もいるでしょう。また、不安を覚える方もいるかもしれません」

さらに一呼吸。

「今、かつて争い合った者達が隣り合っています。同じガリアの者でありながら血を流すほどの争いがありました……今になって互いに協力するというのは難しい事かもしれません。憎しみを持っている者もいるでしょう、私を決して許せないと思っている者もいるでしょう。私はそれを否定するつもりはありませんし、罰するつもりもありません。しかし、私はあなた方全てに手を結ぶよう要請し、また、命令します。なぜなら、今ガリアにはあなた方全ての力が必要だからです」

「……」

参列している貴族達の顔を見回す。不満に満ちた顔の者、俯いて手を握りしめている者、感動したような者、彼らの反応は様々だった。

「今、ガリアは、私たちの祖国はゆっくりと沈みつつあります。人々は進むべき道を失い、目先の利益の為に諍いが絶えません。他の国々が未来へと進む中、我が国は大国であるという事に驕り緩慢たる怠惰の中にあります。それでは駄目なのです。私たちは変わらなければいけません。そして、その為にはあなた方全ての力が必要です。故に私はあなた方全てに再び手を結ぶよう要請し、命令するのです」

「今、ガリアでは腐敗が横行しています。貴族はかつての様に国家の為に命を捧げるのではなく、自らの為にその努力を注いでいます。あなた方の中にも身に覚えのある方はいらっしゃるようですが……」

一呼吸置きゆっくりと周りを見回した。並ぶ貴族達のうち数名に視線を止めると彼らは僅かに動揺を見せた。

「過去の行いを責める事はいたしません。今のガリアにはあなた方に忠誠を求めるだけの理由を持ち得ないからです。横行する不正は国家もその責を負わねばなりません。しかし、だからこそガリアは変わらなければいけないのです。そして、その為にあなた方全ての力が必要なのです。故に私はあなた方に手と手を取り合うよう要請し、命じるのです」

「……」

「かつてメイジは誇りを持ち、民を導き、高く戦いました。彼らは明日を切り開くために自らの犠牲も厭いませんでした。故に彼らは貴族と崇められたのです。それ故の貴族です。それ以外の金銭、領土、権力は後から付加された物に過ぎません。誇りを失えば貴族は貴族でいられません。貴族たりなさい。先祖代々受け継いだその名に恥じぬよう。誇りを持つのです。貴族であり続けるために。ガリアに自らの力を捧げなさい。あなた方の誇りが真実であると示すために。そして、今のガリアを変え、未来を切り開くのです」






「……朝か」

ここ二ヶ月の事を思い出しているうちに眠ってしまったらしい。眠気の抜けない体を何とか持ち上げる。掛け布団から這い出ると寒さを感じた。暖炉はあるが真冬である。さすがに冷え込む。

名残惜しさを感じながらもベッドから抜け出すとほぼ同時にドアがノックされた。

「起きてるわ」

「おはようございます、イザベラ様」

「おはよう、カリーヌ……ええっと、今日の予定は」

「モリエール婦人から晩餐会へと招待されていますが、今日はそれだけですね。他はいつも通りです。それとこちらが昨日お預かりした物です。数式……ですか?」

「え、ええ、そうよ。あと、モリエール夫人のお誘いは断っておいて」

私がガリアの王宮を掌握した頃は連日のように晩餐会や舞踏会への誘いが沢山きたが、二ヶ月以上断り続けてきたため最近では殆どこない。

「畏まりました」

「あ、それと顔を洗いたいんだけど」

「どうぞ」

そう言って洗顔用に水の張られたボールを渡された。

「……昨日の事といい、察しがいいわね」

「お褒めに預かり光栄です」

呆れたようにそう言うが、カリーヌはまるで動じない。まあ、困る事ではないのだが、何でもお見通しというのは何となくこそばゆい。

「っ、つめた!」

水の冷たさに悲鳴を上げた。季節を考えれば当然ではあるが。

「目は覚めましたか?」

そう問いながらカリーヌは私の顔をタオルで拭く。

「ん」

「あまり無茶はなさらないでくださいね」

「……ありがとう」

カリーヌの言葉は胸に沁みた。是と答える事はなかったが。






「ええっと、こちらに示したような処理で南部都市の国勢調査のデータをまとめておいてください。あと、都市ごとに人口に対しての税収の推移を、そうですね……明日までにまとめあげてください」

「ぎ……御意」

引きつったような顔をしてその貴族は退出した。私を国政から退けようとジョゼフ王に讒言するなど色々と画策した事もあったようだが、山のような情報処理作業に今はそんな余裕もないようだ。

この二ヶ月ほどマザラン卿やトゥールーズ伯など一部を除き大部分の宮廷官僚は国勢調査やこれまでのデータの統計処理にまわしていた。国勢調査の結果、そして国立図書館などにはガリアの情報が十分にあるのだが、そのままでは使えないというのがその理由である。

そしてもう一つ、国政運営をスムーズにする為に私に反対する者を静かにするという目的もある。今、彼らが私に正面から対抗する事は不可能だが、搦め手ならば、それこそ私がディカス公爵に仕掛けたようにいくらでも手の打ちようがある。それに一々対処するのは煩雑に過ぎる。だから、何かを企む暇も与えぬようにしているのである。

後者は上手くいっているのだが、しかし情報整理自体は遅々として進んでいない。手計算ですると時間がかかり、しかもミスが多い為に何度もやり直す事になってしまうからだ。そもそも、貴族達の計算能力が低いというのも問題だった。会計官など計算の専門家もいるのだが絶対的に数が足りない上に彼らの計算能力でさえ十分とは言いがたい。少なくとも私の方が処理にかかる時間は短い。しかし、私は他の事が忙しく情報処理には手が回らない。コンピュータがあれば楽なのだろうが無い物ねだりはしていられない。欲しいと思っているデータ全部を手にする事はあきらめた方が良いだろう。

「しかも、ガーゴイルに情報処理をさせる事は困難か」

人手が足りないならば魔法で代用出来ないかとアカデミーに問い合わせたが、返答は「現状では不可能、また非常に困難」という物だった。人間に似て行動し簡単な状況把握も出来るというガリアの優秀なガーゴイルであるが、人間に似てミスを犯すなど不安定な部分も多い事から情報処理などを任せる事は薦められないとあった。研究を重ねればそう言った物も作れない事はないだろうが、実用化までの時間とコストは相当になるだろう。予算ぎりぎりで政体改革をしている今、すぐに完成する見込みのない研究開発に回す予算はない。

「はあ……彼を旧ディカス公領にやったのは失敗だったかな……」

プチ・トロワでの事件以降、私付きの衛兵とした老兵、コリニー卿は旧ディカス公の領土に代官として遣っている。本来なら王宮で要職に就けることも視野に入れられる優秀な人材ではあったのだが、下級貴族がいきなり役職に就くといらぬ嫉妬を買うかもしれないと考慮したのである。だが、改革に伴う膨大な量の仕事を前に既にそのような事を配慮する余裕は私にも、そしておそらく他の貴族達にもない。折りをみてこちらに戻した方がいいかもしれない。

いや、平民への義務教育普及への足がかりとして私の考えを汲み取れる人物は置いておかなければならないか。現状ですぐに平民への教育を行えるのは王国直轄領だけだろう。ここで一定の成果が出ないとガリア全土の領主に平民へ教育を施す事を納得させる事は出来ないだろうから失敗は出来ない。となると、やはりかの領には信用のおける者を配置するしかない。

つまり、この現状を動かす事は出来ないという事になる。

サン・マロンの商会ギルドへの手紙を書き上げる。国内の通行税を減らす代わりに商会ギルドの既得権益、商業の独占制度の廃止を提案しているのだが、当然というか彼らは反対している。それに対して再三の説得を重ねるために手紙を書いたのだ。国勢調査の情報から判断するにこれは彼らにとっても利益になるはずである。ならば、今後のために彼らの敵意を受けるのはできるだけ避けたい。

ちょうどそこでドアがノックされた。

「どうぞ」

「失礼します」

トゥールーズ伯が私の執務室に入ってくる。この二ヶ月間、彼も激務で疲れているのだろう、目元に隈が浮かんでいる。

「何でしょうか」

「コリニー卿からの手紙が届いています……それと」

「……それと?」

珍しくトゥールーズ伯は躊躇してみせた。つまりそれだけろくでもない話という事なのだろうと当たりを付ける。

「ブルダン侯爵をはじめ総務省の人員十二名が病を理由に辞意を伝えてきました」

「は……?」

身構えていたにもかかわらずあまりの内容に呆然としてしまう。総務省、この二ヶ月各都市と地方の情報整理を専門に行っていた部署の人員が一気に半分になったのである。

「……政策の予定を大幅に見直さなければいけませんか」

自分の口からそんな言葉が漏れるのを他人のように聞いていた。

「……それだけではありません」

「そうですね……この動きに追随する者が出て来る可能性は十分にありますし……ストライキなど想像もしていませんでした」

「ストライキ……?」

「ああ、気にしないでください……ただのぼやきです。それよりも、対策を練らなくてはいけません。空席を埋める人材を今日明日中に確保することはできますか?」

「……難しいと思います。辞意を表した彼らの話はすぐに広まるでしょう。体調を崩すほどの激務と聞けば進んで志願するものはまずいないかと」

「しかし、今になって方針転換をすることは彼らに屈するということです。そうなれば改革が大きく遅れることにもなるでしょう」

そうは言うものの解決は難しい。ハルケギニア一の強国ガリアには優秀な人間は多くいるだろう。しかし、どうやってその優秀な人材を確保するかというと有効な手段がない。人材を供給する機関として学校、大学の設立は計画しているがそれはだいぶ先の話になってしまう。そして、その先のために今すぐに抜けた穴を埋めなければならない。

ふと、手元のコリニー卿からの手紙に目を落とした。勿論現状への解決策が書いてあるとは思わない。だが、なんとなしに私は手紙の封を切った。そして、驚くことになる。

「んん!?」

「どうしました?」

「……コリニー卿はこうなることを予期していたようですね……」

「なっ!」

手紙には、現状の宮廷では職を辞する者が出てくる可能性があると書かれていた。見事に予見していたものである。少なくとも私は考えることすらしなかったことである。さらに手紙にはもしそうなった場合の対応についての提案が続いている。ざっと読み終えてから、トゥールーズ伯に渡した。手紙を伯爵は読み上げる。

「―――万が一、宮廷を辞する者が出た場合、私は対策を二つ提案いたします。ひとつは宮廷での仕事を減らし、彼らと和解をすることです。すでに後がない旧オルレアン公派や下級貴族たちと違い、既存の宮廷貴族は自らの領に戻ることができます。改革のためには彼ら大貴族の協力が必要です。彼らと決裂することは殿下にとっても不利益となると愚考いたします。もうひとつは、……平民、正確には王都の商人たちの子弟を採用することです。二ヶ月前の殿下の演説は平民の間でも広く語られており、殿下の人気につながっております。そして、平民の中でも教育を受けたものが多い商人の関係者であれば短い時間で王宮の仕事に対応できるようになるでしょう……ただし、これには多くの貴族から反感を買いかねません。できるだけ第一の案を用いるほうが望ましいと愚考します……」

「商人ですか……」

平民の登用はだいぶ先のことだと考えていた。貴族からの強い反発を受けるだろうと言うのがひとつの理由である。別にそれでも押し切ることも可能だが、そもそも今はまだ平民よりも貴族の方が優秀だからだ。登用に当たって最低限の条件として読み書きに計算が挙げられるだろう。だが、平民は識字率が低い。だがら、制度上可能としておくだけで実際に使うと言うことは考えていなかった。

しかし、商人の子弟ならばその条件を満たし得るとある。

盲点を突かれた、と言うのだろう。しかし、そう考えるとこの状況はチャンスになるかもしれない。「平民が貴族の地位を奪う」のではなく「貴族が職を辞したから代わりに平民が就く」と言う構図を描けるかもしれない。そうなれば、私の目的に向けて大幅に進むことも可能となる。

「トゥールーズ伯爵、各省庁の長官クラスに招集をかけてください。この案についての話し合いの場を設けます」

思わぬ一撃を受けた。しかし、それすらも利用して先に進まなければいけない。それで一々止まっていては私の目的を達成することなど夢のまた夢だろうから。



[4219] 宰相閣下に憑依しちゃった!?八話
Name: なんやかんや◆5615cca5 ID:b5adf181
Date: 2009/05/23 16:04
「だうあぁぁ」

叫び声を上げながらごろごろとベッドの上で転がる。

突然の集団辞職にさすがにこれ以上の政務は無理だろうと今日は午後から臨時の休日となった。やる事が無くなってしまった為、取りあえずベッドの上で奇声を上げているのだ。

「どうしたのですか、姫様?」

いい加減に見かねたのかザビーネが話しかけてきた。暇になったので久しぶりにのんびりお茶でもしようとカリーヌと一緒に私の部屋に来たのだ。部屋に持ち込まれた小さな机の上にはサビーネのプロの腕前でいれられた紅茶が湯気を上げている。

「あー、もういきなり辞めるってなによ! 舐めてるの? ふざけんじゃないわよお!」

「は、はあ……いや、しかしあの仕事の量は……」

彼らに託した情報処理作業は私なら四時間程度で終わらせる事が出来る物だ。仮に私の倍の時間がかかるとしても八時間あれば十分なはずだ。だから、決して無理な量ではないのだ。こんなに早くに音を上げるとは情けないにも程があると思う。

怨嗟の声を上げる私に気圧されたのか、普段なら行儀が悪いと嗜めるサビーネも気の抜けた返事を返して来るだけだった。さすがにきつ過ぎるのではとか、倒れかねないとか呟いているのが聞こえるが、それほど重要な内容ではないようなので無視しておく事にする。

因みに平民の者を登用するという案はあっさりと宮廷貴族達に受け入れられた。正確に言えば、最初は反対していた者もいた。だが、では人員が減った分仕事を増やす事にしますか、と提案すると全員が虚ろな目をしながら壊れたように首を縦に振って賛意を示したのだ。

ついでに虚ろな目をしている彼らに、これ幸いと、平民の登用をさらに押し進め平民をトップに据えた組織を作る案を通せた。だから、結果的に不満はないどころか喜ぶべきものなのだが、それでも文句の一つは言いたいのだ。

「うがああ、その所為でいろいろ見直しが必要になったし……まあ、元々リュティスの商会ギルドとは近いうちに話し合いの機会を設けるつもりだったからいいんだけど」

「商人と姫様が直接会うのですか?」

驚いたようにサビーネが尋ねる。確かに最近の多忙さを考えればそんな時間があるのかと思うのは無理もない。しかし、直接会わなければ分からない事もあると思うし、それに彼らを説得して動いてもらう事は私の考えている改革にとって非常に重要なポイントである。労を惜しんで協力を拒否される訳にはいかない。

「うん、お金を借りようと思っていたしね。だから、そのついでに彼らを王宮に招こうと考えたんだけど。リュティスの商会ギルド連合のトップはなかなか強かな人物って聞いているから会うのが楽しみね」

改革には莫大な資金が必要になる。その為の大きな収入を作る算段はあるのだが、その初期投資にもやはり資金は必要なのだ。その為に会合の予定は元々あった。商会ギルドの者を国政に参加させるという説得の材料になるかも知れない。

「商人からお金を借りる……のですか」

「うん、金貨一千万エキュくらい」

「ぶはぁ」

話には加わらずに静かに紅茶を飲んでいたカリーヌが唐突に吹き出した。

「げほっ、げほっ……」

「大丈夫?」

呼吸器に紅茶が入ったのか咳き込むカリーヌに慌てて尋ねた。サビーネが呆れたような目を私たちに向けながら、布巾を取り出して机を拭く。

「……い、一千万エキュ!?」

「少ないかなあ……当座はこれで十分だと思っているんだけど」

「いやいや、無理です。そんな大金。商会ギルドの総資産軽く凌いでいますから」

あっさりとカリーヌは無理だと言い切った。商家出身だけあってカリーヌはこういった事には詳しいのかも知れない。分からない事を聞いてみる事にする。

「ん、そうなの? 国勢調査の資料だと年間の利益がそれくらいと記されていたけど……利益がそれだけ見込めるなら他から借りるなりして資金調達は可能だと思ったんだけど」

「おそらくそれは利益ではなく、売り上げだと思います。実際に商業ギルドの懐に入るのは売り上げから仕入れ値や給金を差し引いた分だけですから……商業にあまり詳しくない者が間違えたのではないかと思います。それに商業ギルドはほとんどがその地域のみで活動していて、他の商会とは売買をする事はあっても資金を借りる事はまずありません」

「むむむ、じゃあどのくらいなら彼らは出資出来るかしら」

「確実に借りられるのは……そうですね五十万エキュ位ならなんとか大丈夫だと思いますが、それ以上となると」

「二十分の一じゃ足りなすぎるわ。確実な返済の当てがあっても無理なの?」

思わぬ話に頭を抱える。最優先の事業には最低百万はかかると見ている。だが、これに全て使うと他に回す資金が無くなる。連動して行う出資がなければそもそも計画が根底から覆りかねない。

「それ以上になると商会ギルド運営の資金もなくなってしまうので難しいでしょう。元手がなければ商売をする事も出来ませんから」

「銀行みたいな金融機関がないのね」

「? 銀行はお金を預ける所ですよ」

「預かったお金を融資する事はないのね」

「ない事もないですが、普通それは投資という形になりますね。ただ、ゲルマニアならともかく、ガリアではあまり一般的ではありませんね」

「それは、ガリアでは投資する対象がないってことなの?」

「そうですね。聞いた話ですが、ゲルマニアでは腕の良い職人などに貴族等が資金を援助する事は割とあるみたいですが、ガリアではそう言う話は聞いた事がありませんね」

「信用手形取引、お金を後で払うって言う約束をするような仕組みはないの?」

「商品を郵送する場合とかは手形を使う事が多いですね。アルビオンとの交易はまず手形で済ませていると聞きますし。しかし、それ以外の分野ではほとんどが現金取引です」

「……んー、じゃあ、私に投資してって言ったら商人ギルドはどのくらいの金額をかき集められると思う?」

「……商人ギルドに属している大商人達が自腹を切れば……二百万エキュくらいまが限度だと思います……でも、彼らはまず応じませんよ」

「それは大丈夫。私が説得させるから……それと、プチ・トロワに売れそうな物が残っていたかしら。取りあえず売れる物は何でも売って資金を集めないと。財務の方に連絡しておかないとね」

そう言って立ち上がる。商会ギルドだけでの資金調達が十分には行えないと分かった以上他で補わなければいけない。すぐに売れる物の資産価値を交渉の予定日までにまとめあげておく必要がある。

「姫様、せっかく今日はお休みになされたのですから……」

「そうね、気をつけるわ。まあ、大体準備はできているから会合まではもうそんなにやる事はないわ……今はまだ、これ以上動くわけにはいかないし」

心配そうに言うサビーネにそう返して笑いかけた。






「お会い出来て光栄です、イザベラ殿下。聞きしに勝る美貌ですな。殿下の為にバラの花を飾ったのですが、殿下の美しさには及びませんな」

「まあ、ありがとうございます、ミスタ・ベジャール。こちらこそお会い出来て光栄ですわ」

笑顔で私たちを迎える商会ギルド長にそう言って手を差し出した。彼、ベジャールは一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに跪いて私の手に口づけをする。

「こちらへどうぞ。高貴な方にもご満足いただけるように造られた応接間となっております。もっとも、さすがに王族のお方にご利用いただく事になろうとは考えたこともありませんでしたので、殿下はご不満を覚えになるかもしれません。何かあったら仰ってください。何としてでも対応いたします」

「まあ、ありがとうございます。ですがそのお気持ちだけで十分ですわ。私は十分に満足しています。これ以上畏まられると逆に戸惑ってしまいそうですわ」

笑顔でそう応対しながらベジャールに勧められた席に座る。私の椅子の前には他とは違い足台が置かれていた。

左隣にはトゥールズ伯爵が座る。対面には、ベジャールの他に商会ギルドから三名が座っている。

ベジャールは簡単に彼らの紹介を済ませると、まっすぐと私に向けて口を開いた。顔は笑っているが、目は冷徹そのものだった。他の二人はおおむね私に好意的な表情をしている。

「さて、それでわざわざこのような所に来た理由を教えていただきたいのですが」

笑顔で応じる。

「単刀直入に言いましょう。二百万エキュほどガリアに資金を援助していただきたいのです」

「に、二百……殿下はご冗談がお好きのようですな。

「いえ、冗談ではありません。金貨二百万、ガリアに融資していただきたいのです」

「……そのような莫大な金を払う事は私たちのような平民のギルドには不可能です。仮に可能だったとしてもおいそれとそれだけの資金をお貸しする訳にはいかないのです。殿下、お分かりください。十万エキュ位ならば喜んでご用意させていただきます」

「そうですか。しかし、十万エキュくらいならばわざわざ借りに来る必要はないのです。王家の保有する財を適当に売ればそのくらいにはなります。私が借りたいのは二百万エキュなのです」

「ですが、そのような大金は我がギルドには無いのです。そして、無い以上お貸しすることはできないのです」

「そうですね、確かにあなた方のギルドに今それだけの資金は無いでしょう。けれど、あなた方のギルドの高い信用があれば、商人や他のギルドなどから借りてそれくらいの資金を集めることも可能でしょう?」

「……確かに可能かもしれません。しかし、私たちは借りた以上返さなければなりません。殿下を疑うわけではありませんが、なんの保障も無しにそれだけの資金をお貸しするわけにはいかないのです。仮に、何らかの不都合があって返済がされないという事態になってしまえば、私たちのギルドは立ち行かなくなってしまうのです」

「なるほど……貴族相手に融資をした場合、返済を踏み倒されることもあるのですね」

話を聞く限りそういうことも割とあるのだろう。もちろん全てがそうだということは無いのだろうが、貴族と平民の力関係を考えれば在り得る話だろう。

「……その通りです。いえ、決して殿下がそうだと思っているわけではありません。しかし、ギルドの代表として資金をお貸しする以上、構成員を納得させる義務が私にはあるのです。残念ですがこのお話は受けることはできません」

そう言ってベジャールは頭を下げた。

「……ふむ、では二百万エキュの保障になる担保があればどうでしょうか?」

「担保……ですか? お貸しする額に値する担保があれば、こちらとしても手を尽くしますが……」

金額に値するほどの物がある訳がないという事を感じさせる物言いだ。

「そうですか。では、お聞きしたいのですが、ガリア王国の王宮、グラン・トロワとその一帯ならば担保として十分でしょうか?」

ガタリ、と椅子が音を立てた。対面の三人はいずれも驚愕の表情を浮かべている。ちらりと横に視線を飛ばすと、トゥールーズ伯爵は僅かに口元を引きつらせていた。

「正気ですか!?」

「王宮を!?」

「冗談でしょう!?」

ギルドの代表者達が悲鳴のような叫びを上げる。それが収まるのをまってから話を再開した。

「いえ、冗談ではありません。国王陛下からの裁可も既に受けています」

そう言って、伯爵を促した。

「こちらが、その証書です。イザベラ宰相殿下、ならびにジョゼフ国王陛下はこちらに」

「これは……」

食い入るように証書を凝視するベジャール達が顔を上げるのを待ってから、しゃべりだす。

「さて、これで資金を貸していただけますか?」

「……残念ですが、それは出来ません」

「何故ですか? 王宮には担保になるだけの価値がないと?」

「……有り体に言えばその通りです。担保とは、万が一資金が返済されない場合の保証であり金銭に替えられる物でなくてはなりません。王宮グラン・トロワに価値をつけるなど誰にも出来ないでしょう」

「……本当にそれが理由ですか?」

「ええ、その通りですが」

「そうですか? グラン・トロワに価値がつけられないと言うのが本当だとは思えないのですが。例え、特定の相手に売れないまでも、貸す事なら出来ますよね? 本当の事を教えていただかないとこちらとしても困ってしまいますわ」

笑顔でそう言う。ベジャールはしばらく躊躇していたが、やがて決心したのか口を開いた。

「……殿下、もし、資金の返済に不都合が生じたとして……ガリアの王宮を私たちが差し押さえることが認められるでしょうか……認められなかったとしても私たちに出来る事は何もないのです。証書が何の役に立ちましょう……」

「なるほど、あなた方は私、いえ貴族が信用出来ないと言う訳ですね。不都合になれば簡単に約束を破るような人間だとそう思っている訳ですか」

「! いけ、ベジャール殿は決してそのような事を言っている訳では——」

「殿下を批判している訳ではありません! どうか——」

私の言葉にベジャールの両隣に座った二人が必死に弁護する。しかし、ベジャールはその二人を手で制した。

「その通りです……殿下、私はあなた方貴族を信用出来ないのです」

「貴様!」

「お止めなさい、伯爵」

ベジャールの言葉にいきり立って杖を構える伯爵を制止した。

それに勢いづいたのか、それとももう止まる気はないのかベジャールの言葉は止まらない。隣の二人は蒼白になっている。

どのみち、王女が直々に金を貸してもらいたいと言った以上、それを平民が断る事は死を覚悟しなくてはいけないはずだ。私が殺せと言えば簡単にそうなる。それだけの力の差が貴族と平民にはある。ならば、せめてこれだけは言わないでは気が済まないのか。

「私たち平民は貴族によって亜人や幻獣から守られている、これは確かでしょう。しかし、だからといって横暴が許される訳ではありますまい。私たち平民から金を借りておきながら返さない、税金だと偽って金を巻き上げる、このような事ならいくらでもあります」

「……」

「そういくらでもありました。貴族の所為で破産した者もいます。一家で身投げをした者もいました……だから、私はあなた方貴族を信じはしないのです……無礼なもの言いをしてしまい申し訳ありません。しかし、今まで申した事は全て私の本心です。この二人は関係ありません。私を殺すというならご自由に」

噛み締めるようにそう彼は言い終えた。遠くを見るような目をしている。その目の先に何を見ているのか。

「……なるほど、よくわかりました。問題は貴族の信用にあるのですね。ふむ、では今後は貴族のそのような不正が無いように対応いたしましょう」

「それを信じろというのですか? ……信じるに値すると?」

「いえ、勿論この期に及んで私の言葉だけで信じてもらうというのは虫がよすぎるでしょう。ですから、この言葉を正しくする為にあなた方に協力してほしいのです」

「協力?」

「ええ、あなた方の言う貴族の不正が、それを禁止する法だけで無くなるとは思えません。禁止する以上それをチェックする機関が必要になりますが……それを行う人員をあなた方に出していただきたいのです」

「! 本気ですか?」

話の意味する所がすぐに分かったのだろう、ベジャールは驚きの声を上げた。

政治は貴族のもの、力有る者故、かつて民の為に血を流したが故。それは長くハルケギニアの不文律だった。ゲルマニアではそのような事ばかりではないようだが、始祖の正統を自負するガリアでは厳格に守られてきた。

「駄目でしょうか?」

「……何故、そこまでなさるのですか?」

「ガリアは変わらなければいけないと確信しているからです……過去にもこの国の改革の必要性を知っていた人はいました。ですが、一人だけではガリアを変える事は出来ませんでした。勿論、知識も経験も足りない私一人にそれを成し遂げるだけの力はあるとは思いません。しかし、貴族、平民、ガリアに住む全ての人々の力を一つにする事が出来ればきっとこの国を変える事は出来るはずです。王女イザベラとしてお願いします。未来の為に私に力を貸してください」

そう言って頭を下げる。ギルドの代表達は驚いたように息をのんだ。

「……」

「……」

長い沈黙が続く。一時間か、あるいは一分か、どれだけの時間が経ったのか分からなくなっていたが、ベジャールの声が静寂を破った。

「……殿下は私たちから資金を借りて何をするおつもりなのですか?」

「……道路の整備です。半分ほどは」

「道路ですか?」

「そうです。伯爵、あれを」

その言葉に伯爵は束になった紙を取り出してベジャール達に渡した。

「これは……」

「この前行った『国勢調査』のデータを元に作った資料です。ガリア全土にある商会ギルド、売り上げの多くは都市や村の間で商品を売買して運ぶ事で成り立っていますが、試算では売り上げの半分以上が運送費に消えています。しかし、各都市間で安全かつ関税の非常に低い交通網があれば、この運送費はギルドの利益となると考えられます」

「……残り半分は何に使われるのです?」

「申し訳ありませんが、今は言えません」

「何に使うかも分からないのに資金を融資しろと言うのですか?」

「ええ、お願いします。今更かとも思いますが信じていただきたいのです」

「……」

「……」

ベジャールは目を閉じて身体を背もたれに寄りかからせた。再び、部屋が沈黙に閉ざされる。

しばらくして、ベジャールは目を開くと机の上に置いてある冷めた紅茶のカップをとり一口啜った。ゆっくりとカップを机の上に置く。その手はかすかに震えていた。

「……分かりました。ギルドだけでは無理でしょうが、私個人や他の者の資産があれば足りるでしょう。金貨二百万枚お貸しいたします」

「ありがとうございます」

そう言って立ち上がり手を差し出した。ベジャールは一瞬戸惑いを見せたが、立ち上がって私の手を握った。






「商会ギルドとの交渉は上手くいきましたな」

王宮に帰る馬車の中で書類を整理しながら伯爵がそう呟いた。

日は既に暮れている。大筋で合意した後、諸々の詳しい条件について話し合っていたのだ。

「ええ、そうですね……道路工事の為の案も大体出来上がってきていますし」

「しかし、商人を王宮に登用ですか」

「ご不満があるのですか」

「いえ、ただ私の父がガリアの王宮に来た頃はゲルマニア出身の成り上がりというだけで騒がれたものですが……それが平民とは、時代が変わったものだと思いまして」

「まあ、そう言う事もあるでしょう。それよりも、伯爵、今のうちに次の任務を話しておきましょう」

現段階で公に出来る事ではない以上、王宮に帰ってからよりも人の聞き耳が立ちにくいと考えられる馬車の中で話してしまう方がいいだろう。

「三日後に私はロマリアに三日間の予定で行きますが……その間に交易商人を通してエルフ領と連絡を取ってください」

「……エルフ領ですか? ……しかし、ガリアがエルフと結んだなどという話が広まれば各国が我が国に進行して来ますぞ。始祖ブリミルが聖地を取り戻せと言った以上、その聖地を占領している彼らと和議を結ぶ事は——」

始祖ブリミルによって統治を正当化している以上、エルフ領と和平を結ぶことは出来ない。だが、かの国と全く交易がない訳ではない。非公認にエルフ領と交易をする商人達も細々とだが存在している。何故存在を知っているか言えば、彼らから税を取り立てているからだ。

東方からの茶や香辛料、絹(だと思う)は高値で取引される。これらの商品がハルケギニアにもたらされるルートは大きく分けて三つある。

最大のものが南ロマリアから船で内海を渡るルートである。海には海獣が出る為にこれらの船は水空両用間であるのが一般的なのだが、風石が非常に高価な事、低空を飛んでいるとたまに海獣に沈められる事があるなど、コスト、安全性ともに問題がある。

第二のルートがガリアからエルフ領を通って行われる非公式な交易である。エルフ領が安定している為か、第一のルートと安全性は高いのだが、公に認められてない以上あまり大々的にやるわけにはいかない。これを公認化すれば莫大な利益を上げる事が出来るだろうが、建前上それは出来ないのである。

最後の一つはゲルマニアからエルフ領の北を通っていくルートだが、このルートは山賊や騎竜民族によって通行税を取られたり略奪を受けたりする為にほとんど使われていない。

今後の改革の資金源として、この第二のルートの開発を狙っているのだ。そして、道路網の整備はこれらの高級品をガリアを通して各国に売りさばくという目的もある。勿論公式にエルフと貿易するわけにはいかないので、非公式に公式化することになるのだが。

「そのブリミルの教えを奉じる光の国、ロマリアが認めれば他の国も納得せざるを得ないでしょう……少なくとも建前上は」

「かの国が認めるとは思いませんが。というより認めるわけにはいかないでしょう」

「そうでしょうか。ロマリア出身のマザラン卿の話によればあの国も今ではそれほど始祖の教えに熱心ではないようです。和平を結ぶとはさすがに言えませんが、事実上の平和条約を正当化することなら出来るでしょう。ロマリアの商人から不満が出るかもしれませんが……連合国である以上あの国は簡単に軍事力を行使出来ませんし」

「だから、マザラン卿をトリステインにやったのですか」

「ええ、この問題に直接軍事力を行使しかねないのはトリステインとゲルマニアだと思っています。逆に言えばこの二国を抑えれば、とりあえずは問題ないとみています」

トリステインとガリア、国力を考えれば一国でガリアに向かって来る事はないだろうが連合を組まれるとガリアは負けてしまいかねない。そして二国が動くとなれば火事場泥棒的にまとまりのないロマリアも動く危険がある。だから、少なくとも一方、出来れば両方と同盟を結んでおく事が望ましい。

マザラン卿をトリステインに送ったのは、同じく始祖の血を引いているという神話があるため心情的にこちらに好意的だろうという判断、かの国で重用されている枢機卿マザリーニがマザラン卿と同じ家の出身であるため話し合いがスムーズになるだろうからだ。そしてガリア、トリステイン、アルビオンを結ぶ交易網の樹立――風石は高価なためできるだけアルビオンと近くなる港を使いたい――も狙いに含まれる。現状ではあの国も同盟を結ぶ事に異論はないだろうし、経験豊かなマザラン卿ならば上手くやるだろう。






「着きましたか」

伯爵と話し合っている内に馬車は王宮に着いた。元々リュティスにある商会ギルドと王宮にそれほど距離がある訳ではない。

「「おかえりなさいませ」」

私の事を待っていたのかサビーネとカリーヌがすぐ前に立っている。

「うん、ただいま。えっと、あとちょっとやる事あるんだけど、すぐに終わらせるから、それからご飯にしましょ」

働きすぎとは常々言われているが、多くの計画を同時進行で進めている以上、どうしても忙しくなってしまう。

「……畏まりました」

不満そうに、しかし、そう言って頭を下げるサベーネに小さくゴメンと呟くと私は急いで執務室に向かった。あまり遅くなるとまたサビーネに小言を言われてしまう。



[4219] 宰相閣下に憑依しちゃった!?九話
Name: なんやかんや◆5615cca5 ID:b5adf181
Date: 2009/06/11 18:47
「ああー、もう!」

「いきなりどうしたのですか、姫様」

寝室に入るなりベッドに飛び込んで叫びを上げる私にサビーネは呆れたようにそう言った。ロマリアとの交渉を終えて一週間ぶりにガリアの王宮に帰ってきていきなりこれだから彼女の反応は無理もない。

ただ、ストレスの溜まるロマリアでの外交からようやく帰ってきたのだから私の行動も無理がないのではないかと思う。

ストレスの原因は他にもある。トリステインとの同盟交渉は結局上手くいかなかったのだ。いや、先延ばしされたと見るべきか。同盟を積極的に結ぼうとしているのがこちらであって、向こうではない。この同盟はトリステイン側にも利益はあるはずだが、出来るだけ渋って自らにより有利な条件を引き出そうとするのも当然だろう。

それに、トリステイン側がこの同盟締結の利益を正しく認識しているかも疑問である。ハルケギニアの国々は基本的に農業に重点を置いているのだ。交易の拡大が経済の活性化につながる事を私が確信出来たのは国勢調査によるデータがあったからである。そもそも、交易の拡大が利益になると考えているならば彼らは自分から動いているだろう。

また、この利益を納得させることはマザラン卿には荷が重かったという事も失敗の理由のひとつだろう。本人が理解していないことを他人に納得させることは難しい。おそらく今現在、交易の拡大が上手くいけばガリアの税収が2倍以上になるであろう事を予測出来ている人間は王宮にもほとんど居るまい。

それを予測出来ずに始めから全ての条件を出してしまったのは私の落ち度だ。これでは上手くいく訳がない。幸いというべきか、この同盟は必須ではないから致命的な事にはならなかった。しかし、今後戦略上絶対に失敗出来ない事もある。この失敗には学ばなければいけない。たとえそれが正しいとしても説得が失敗に終われば受け入れられることは無いということ、説得するためのやり方。

「……まあ、それはいいのよ」

「は、はあ……」

頭を振ってそう言うと、サビーネは戸惑ったような返事をした。ふと思い返すと私の言葉だけを聞いたのでは何を言っているのか分かる訳がない。サビーネも戸惑うだろう。

「あのね、ロマリアで教皇と話をしたんだけどね」

「はい、教皇聖下と対談の席を設けられた事は知っております。それと……殿下が、その、エルフと交渉するという噂が流れていますが……」

「んー、それはするわよ。教皇の許可も取り付けたから」

その言葉に珍しくサビーネはぽかんとした顔をする。もしかしたら、初めて見るかも知れない。

「エ、エ、エ、エルフとですか!?」

サビーネが吃るのは初めて見た。前々から思っていたのだがハルケギニアではエルフという存在は化け物のように扱われている。そういうような噂ならいくらでもある。曰く、人を食べる、曰く、メイジ千人に匹敵する、曰く、魔法が効かない、曰く——

エルフと人間が接触する機会はそれこそ戦争くらいしかないことがエルフへの恐怖心を作り出しているのだろう。だけれど、果たしてそれが全て本当なのか。ならばエルフ領を通して行われる交易は何故存在しているのか、何が本当で何が嘘なのか、知りたいと思えば会って確かめるしかない。

「うん、だけど別にそれはいいのよ。そんな事より聞いてよね、教皇と会った時なんだけど」

そんな事よりも、と私はロマリアでの出来事をサビーネに愚痴り始めた。






「……大きな、荘厳な聖堂ですね」

馬車の窓を小さく開けて外を見やりながらそう呟いた。しかし、視線は聖堂には向けていない。見ているのはそのすぐ横の建物に挟まれた狭い空間である。そこに何人もの人々、平民がしゃがんでいる。贅をこらせて造られた数々の寺院とは対照的に彼らは痩せこけ襤褸を着ていた。これが『光の国』の現実である。

「あちらに見えますのが、聖ジョルノ大聖堂です。かの聖堂は二百年前に建てられました。先進的であった聖エイジス十六世がロマリア南部の自由都市から多数の職人を招き造られており、それまでとは違った新しい趣となっております。以降の聖堂建築は大体この様式のものが多いですな。そのさらに奥に見えますのが——」

馬車の中で向かい合って座った痩せぎすの枢機卿が止めどなく様々な寺院の紹介を続ける。ロマリアから案内人として派遣されて私の馬車に同席しているのである。私と隣に座った随行員、老齢のフェリクス・ド・グラス伯爵はほとんど話さない為か、延々と枢機卿は話を続ける。それを作り物の笑顔で聞きながら私は馬車が予定地に着くのを待っていた。

「ようこそ、あー、イザベラ殿下。噂に違わぬ美貌ですな。このたびはロマリアに金貨十万枚もの寄進をしていただいたそうで。神への信仰が蔑ろにされて久しいハルケギニアでこれほどの信仰をお持ちの方がガリアに居られたとは私たちの間でも噂になっています」

馬車を降りると豪奢な法衣を身に着けた、年老いた肥満気味の男を先頭に何人もの僧侶が近づいてきた。寄進の金額を口走る辺りその信仰とやらの対象は神ではなく金貨なのかも知れない、そんな皮肉が浮かんだ。

「お目にかかれて光栄です、聖下」

そう言って頭を下げた。グラス伯爵もそれに従う。やって来たのはロマリア連合皇国の教皇、聖エイジス31世、ロドリーゴ・ボルジアである。商人教皇などとあだ名され、悪い噂には事欠かく事はなく、歴代で最も人望のない教皇と言われている。金で教皇の地位を買ったという話が公然とされている。だが、にもかかわらず三十年以上ロマリアの教皇であり続けているのだから決して愚鈍であるわけではない。

「殿下がその若さで宰相位に就いたという話を聞いた時はどうなるものやらと気をもみましたが、こうして見ると年齢離れしてしっかりとしている様子ですな」

「いえ、そんな事はありません。いつも自分の未熟さを思い知らされていますわ。聖下には先達として色々と教えていただきたいと思っていますわ」

笑顔を作ってそう答える。この年齢で外交をするというのはさすがに前例のない事だ。教皇はともかく、後ろに付き添った何人かはこちらに白けたような視線を向けている。

「ほう。私に出来る事なら何なりとお教えしましょう。さて、長旅で疲れているでしょうからひとまずは休んでください。寝室は準備しています。おい」

教皇がそう言うと一人の少年が前に進み出た。私が言える事ではないだろうが、相当に若い。十代前半かそこらだろう。そして、美しい。目、鼻筋、口元、それら全てのバランスが芸術的にとれている。髪は流れるような金髪で、ぱっと見には少女とも間違いかねない。彼の着ている少年補助司祭用の服が、彼が少年である事を示していた。将来は相当な美男子になるだろう。しかし、教皇を除くロマリア側の司祭達の彼を見る視線には嫌悪の念があった。

それだけ嫌われる事、そしてこの年齢で国賓の相手を務めるというからには何らかの事情があるのだろうか。情報が足りないので判断のしようがないが。

「ヴィットーリオ・セレヴァレと申します。イザベラ殿下ご一行のお世話をするように命じられました。それでは寝室にご案内します」

容姿から想像される通りの涼やかな声でにこやかに少年はそう言った。

「ありがとうございます。それでは聖下、失礼いたします」

そう教皇に挨拶すると私は少年に案内されて寝室に行った。






「夕べはよく眠れましたかな」

「はい、ぐっすりと眠れましたわ。お気遣いありがとうございます。本当にガリアの王宮と同じように過ごせましたわ。それに美しい寺院の数々、感動しました。始祖の教えの偉大さを体現しているかのようです」

正面に座った教皇に答える。彼の左右には二人ずつ枢機卿が座っている。こちらも人数では同じである。私の年齢が異例という事を除けば国家同士の正式な外交である。

お互いに先ずは探り合いという所。

「それは良かった。後でヴィットーリオにもイザベラ殿下が満足していたと伝えておきましょう」

「ええ、お願いします」

そう言って笑顔を作る。教皇は笑い声を上げた。部屋に笑い声が響く。いや、笑い声のような声というのが正しいか。そんな事を考えていると教皇の右隣の枢機卿が口を開いた。

「さて、そろそろ本題に入るとしましょうか」

「分かりました」

その提案に同意する。

「あ、ですがその前に、昨日からお世話になっているアリエステ修道会に感謝と畏敬をもって寄付しようと思っているのですが、その事お許しいただけますか」

「ほう、いや、もちろん喜んでお受けいたします。因みにどの位の額になりますかな?」

私の言葉に教皇が顔をにやつかせながら言う。なるほど、嫌われる訳だ、と顔には出す事なく思う。善意の額をストレートに聞く事はハルケギニアでは礼にかなっているとは言えない。けれど、あからさまであるという事は一つの政治家のあり方として数えられると思う。

「ほんの二十万エキュほどを考えているのですが、少ないでしょうか」

「に、二十万……いや、素晴らしいですな」

私の言葉にロマリア側の代表達は驚きを見せた。この前に寄進した十万エキュと今回の寄付で合計三十万エキュになる。

現在のガリアの歳入が百万エキュ程度である。この額には地方領主の収入は含まず、王宮にはいって来る税収だけだから単純に比較は出来ないが三十万エキュはガリアの国家歳入の三分の一程度という事になる。決して安くない。という事は、ロマリア側は私の提案を断りにくくなるという事だ。

「喜んでいただけて嬉しいですわ。それでは、本題に入るとしましょう。東方の亜人……聖地を占有しているエルフについて話し合いたいと思っているのですが」

「エルフ!?」

私を除く全員にざわめきが走る。教皇でさえにやけていた顔を引き締めた。この話を聞かされていなかった私以外のガリアの代表達も困惑の顔を浮かべた。

エルフ、ブリミルの教えを信じるものにとっては敵としかなれない存在。ブリミルがこの世界に降臨した聖地に住む亜人である。情報がほとんど入ってこないため彼らについて詳しくは分かっていないが、人口が一万を超える事はないであろう少数亜人種である。それでもなお聖地がハルケギニア諸国のものになっていないのは彼らが強大な先住魔法の使い手であるからだ。その事はかつて何度となくエルフ領に向けて行われた遠征が証明してきた。

「ええ、エルフについてです。聖下、彼らを討伐する為に聖戦の宣言をいただきたいのです。そして、エルフへの遠征に当たってはガリア軍にロマリア軍も参加していただきたいと思っております」

「せ、聖戦……冗談も大概にしていただきたい」

忌まわしい事を蒸し返されたように教皇は言った。ロマリアにとっては思い出したくない事だろう。五十年ほど前の聖戦の強行、そしてその大失敗によってロマリア教皇勢力は連合国内外共に大きく力を失った。遠征により失った資金を取り戻そうとしての税率の引き上げは商業の活発な南部都市が連合からの脱連合運動をもたらした。結局、ゲルマニアからの資金援助を受けたが、その結果ロマリアはゲルマニア出身の枢機卿を受け入れることになった。

皇国の中心となっていた教皇勢力が力を失った事でロマリアはその後政情不安が続いきた。新教徒の台頭など宗教の総本山の地位が揺らぐなど多くの難題を何とか切り抜け、ようやく混乱から立ち直ったかに見える今のロマリアにとって聖戦は忘れがたい悪夢だろう。もっとも、聖戦による被害を受けたのは何もロマリアだけではないのだが。

「冗談ではありません。始祖の教えに忠実であろうとするならば私たちは聖地を取り戻すよう努力せねばいけないはずです。私たちハルケギニアに住む者の内に異端者を見つけ出すことは大切だと思いますが、それに傾注するよりも、聖地を汚し続けるエルフを倒すことのほうが重要なのでは? 違いますか、聖下? もし、間違いがあるのならば教えていただきたいのですが」

「い、いや、しかし」

言葉に詰まる教皇に右隣の枢機卿が口を開いた。

「聖地の奪還は我々ハルケギニアに住むものにとって聖務でしょう。しかし、エルフは強力です。無理に遠征を強行すれば私たちが受ける被害も相当になるでしょう」

「それでは、損害が怖いから始祖の教えを無視するというのですか?」

すかさず言い返す。その枢機卿は一瞬沈黙すると子供をあやそうとでもするかのような口調で話し始めた。

「確かに始祖は聖地の奪還を命じたという話があります。ですが、その為に何千何万人もの人々を犠牲にする事が果たして始祖の望みと一致するのでしょうか。また、遠征をしても聖地を奪還出来る可能性はゼロと言ってよいでしょう。これまで何度も行われてきた遠征は一回も成功した事がないのです」

「成功した事がないからあきらめるというのですか? 私の記憶が確かなら過去に一度アレクサンドロ大王によって聖地まで連合遠征軍が進攻したという話があったと思いますが」

エルフ領遠征で最も有名なアレクサンドロによる遠征の話を引き出した。話あらかじめ、エルフ領との歴史については調べている。

「……遠征をなしたアレクサンドロ大王の死後すぐに聖地は再びエルフの手に落ちました」

「しかし、エルフを打ち破ることは不可能ではないという事はこの話から示されていると思います。そして、可能性の可否で実行を決めるというのは議論のすり替えでは? やってみなければ結果が分かるわけがないと思いますが」

「……それだけの自信をお持ちなら、ガリアだけで聖地への遠征をすれば良いでしょう」

たまりかねたのか左端の司祭がそう言った。

「あら、ロマリア皇国は始祖の教えを体現する国家と聞いていますが……聖地奪還という大任を他国に任せるだけとは……思いもしませんでした。ロマリアの南部都市からは色々と批判が出ていると聞きますが」

その言葉にロマリアの発言者は青ざめた。今の言葉は失言に近い。

始祖の威光によって国をまとめあげている以上、聖戦となればロマリアは動かないわけにはいかない。そうしなければ、根本からロマリアの存在意義が覆る。しかし、南部都市と聖都間の対立が深刻化している今のロマリアに遠征軍を組織する余裕はない。聖都から騎士団がいなくなれば南部都市の連合軍が攻め込んで来る可能性もある。しかし、断っても逆にその事実が南部都市に聖都批判の実例となる。

了承する事は出来ない、しかし、断る事も難しい。寄付金があるから軍資金が足りないという事も出来ない。ロマリア側は厄介な話を持ちかけられたという思いだろう。

ざわめきが会議場を支配する。

「エルフ領への侵攻はロマリア連合皇国にとって悲願のはずです」

「しかし、犠牲が増えすぎる。今は遠征をすべきではない」

「ですが——」

私は身体を背もたれに寄りかからせた。私が発言を控えた事を察して、ガリアの交渉団達が私に賛成する積極的に発言を始めた。ロマリア側も各自の発言が活発になる。もっとも、議論がまとまる様子はない。私の意向に添い遠征への参加を求めるガリア側と、そのような余裕のないロマリア側、妥協の余地はなさそうに見える。

「……聖下、ならびにイザベラ殿下、もう昼時になっています。いったん昼食の為に会議を中断してはいかがでしょうか」

教皇の右隣の枢機卿が激しく交わされる議論を遮って言う。

「う、うむ、それがいいだろう」

「そうですね、ではまた後で」

教皇と私が同意した事で会議はお開きとなった。ロマリア側は焦ったように集まって早口で言葉を交わしながら部屋を出て行った。

「イザベラ殿下」

席を立ち退出しようとした所で先ほど会議の中断を主張した枢機卿に呼び止められた。

「何でしょうか、ええっと……」

「ガレアッツォ・オルシーニと申します。イザベラ殿下、本当にエルフと戦争をするつもりなのですか」

小声でオルシーニ枢機卿が尋ねる。

「ええ、もちろん。エルフ領はガリアの隣国の中で唯一交渉がない敵国です。いつ彼らが攻めて来るかも分からない。ならば出来る限り早くたたいておいた方がいいでしょう?」

「勝てると思っているのですか!?」

焦ったように枢機卿は尋ねた。

「貴方はエルフと戦えば必ず負けると思っているように見えますが。ずいぶんと弱気ですね。質問の答えですが、停戦の約束が出来ない以上、我々が奪還した土地にエルフが攻め入る前に、こちらから責める必要があるのです。言葉が通じない以上、力で解決するしかないでしょう?」

「……ですが——」

「すいませんが、昼食ですので。この話はまた後にしましょう」

オルシーニ卿がそれ以上何かを言う前に私は会議場から出て行った。






「ごちそうさまでした」

そう言って席を立った。外を見ると日はそれなりに昇っている。昨日の午後の会議でも何一つとして話の進展はなかった。ただ延々と同じ話をくし返すだけで時間が過ぎたのだ。時間の無駄と言えるが、必要なのだから仕方がない。

「ふああ」

あくびが漏れた。昨日の夜はザビーネとカリーヌの監視の目もなかった為にかなり遅くまで起きていた。おかげで相当に眠い。まさか会議中に寝る訳にもいかないから、相当に気をつける必要があるだろう。この身が幼い事を考えれば少し早く寝ておいた方が良かったかも知れない。

「イザベラ殿下、これを」

ぼんやりと歩いているとヴィットーリオがそう言って濡らしたタオルを渡して来た。冷たさに目が覚める。

「ありがとう、ヴィットーリオ」

「いえ、感謝するほどの事ではありません。それよりも、殿下、教皇聖下にエルフ領への遠征を求めたと聞きましたが」

唐突にヴィットーリオは話題を変えた。

「え、ええ、そうですね。だいぶ噂になっていますか?」

その話を振られた事に若干と惑いながらそう答えた。

「はい。ロマリアの司祭達でさえ忘れている私たちの義務を掘り起こした事、素晴らしいと思います。感激しました」

「……そうですか」

ヴィットーリオの言葉や仕草に何となく薄ら寒いものを感じた。何故そう感じたのかは分からない。思わずにヴィットーリオを凝視した。彼の目には一種の興奮が見て取れた。背筋に鳥肌が立つ。

「殿下、今の世界、ハルケギニアは心の拠り所を失っていると思うのです。そして、その結果、人々は争い、騙し、裏切り合っていると。だからこそ、私たちは信仰を取り戻さなければいけません。そう、始祖への信仰を。何としてでも。その為に聖戦は大きな効果を持つでしょう。人々は始祖の栄光を再び思い出すでしょう!」

ヴィットーリオはそう言った。その言い方は私に伝える為というよりは、自分自身に言い聞かせているように思えた。始祖の信仰に異様なまでに傾倒した思想が窺える言葉。光の国、ロマリアにおいてでさえもその発言は異常、歪だった。私が言うのもあれだが今エルフ領に侵攻するなど狂気の沙汰でしかない。

思い返してみれば、強硬に従った枢機卿達がヴィットーリオを見る目には嘲りと嫉妬の混じったような感情が見て取れた。何らかの理由がその裏にあるのだろう。いったい彼に何があったのか。何が彼をこのようにしたのか。そして、彼はいったい何者なのか。——何者か。止めどもなく疑問が浮かび上がる。なぜか既視感を覚えた。過去にも同じような事があった……

「殿下、大丈夫ですか? 顔色が優れませんが」

「っ! いえ、大丈夫です。それでは私は急がなければなりませんので失礼します」

心配そうにこちらを覗き込むヴィットーリオの目に先ほど見えた狂気の光はなかった。単に見間違えたのかとすら思ってしまうほどに利発で優しさ、心配に満ちた表情。しかし、私は逃げるようにして早足でヴィットーリオから離れた。何から逃げようとしているのか、ふと浮かんだ疑問はしかし、走るうちに消えてしまった。






「良い朝ですな、イザベラ殿下。今日もまた一段と美しい」

お決まりの挨拶。だが、昨日とはうってかわって教皇の口調には機嫌の良さが窺えた。

ロマリアが聖戦を発動しなければならないとなれば教皇にこんな余裕があるとは思えない。ならば、おそらく……

ちらりと年老いたフェリクス・ド・グラス伯爵を見やる。彼は五十年前に行われた聖戦に従者としてではあるが参戦している。ロマリアで唐突に私が主張した聖戦の発動にもガリアの交渉団の中では唯一反対していた。

他の者も賛成という訳ではないのだろう。しかし、公爵の事件以降宮廷貴族で私に反対意見を唱えるものは非常に少なくなっている。

昨晩、ロマリアとの交渉が終わった後に彼は私に聖戦の要請を撤回するように勧めてきた。私はオルシーニ枢機卿に言ったのと同じ理由でそれをはね除けた。その後私は見回りの兵等に休憩を取らせた。グラス伯爵が彼に割り振られた部屋を抜け出して散歩に出かけたとしても、そしてその散歩の先がたまたまロマリアの重鎮達の部屋だったとしてもそれに気がつくものはいない。

「ありがとうございます……では昨日の続きといきますか」

その言葉に議論の二日目が幕を開けた。






なんとかしなくてはいけない。しかし、どうしたら良いのか。彼は焦っていた。王女殿下に直談判をしにいったが退けられたのだ。

なぜ急に彼女がそんなことを言い出したのかは分からない。稚拙な感情の表れだろうか。そんな考えが浮かぶ。無理も無い。普段の毅然とした態度に忘れてしまいそうになるが彼女は今度ようやく十歳になるという年齢なのだ。彼女が宰相になるという異常は誰か――おそらくトゥールーズ伯爵とマザラン卿――が後ろにいるからだろう。どういう理由であの二人が手を組むにいたったのかは分からない。ただ、おそらく今ガリアで実際に権力を握っているのはあの二人だと思う。

しかし、そうだったとしても彼に不満は無い。オルレアン派だった彼はイザベラ殿下の寛容政策、旧オルレアン派の登用によって救われてのだから。再び貴族として名誉を取り戻すことができた以上、自分は王女殿下のために力を捧げなければいけない。無謀な行いを止めなければいけない。このまま、彼女が意志を曲げなければ政治的に致命的なダメージになりかねない。

それは絶対に阻止しなければならない。きっと殿下は歴史に名を残す偉大な政治家になるだろうから。言葉や仕草に垣間見える賢さ。今はまだ幼くても、稚拙でもよい。あせる必要はないのだ。自分と違い彼女には時間がある。彼はそう信じていた。

――貴族たりなさい――

貴族とも思えぬ不遇を味わい名誉を捨てようとさえ思い至るまでになっていた。その言葉を聞いたとき心が震えた。長らく忘れていた気高い精神。若き日には彼もきっと同じような理想を持っていた。

そして、そのために参加した聖戦で見た絶望。侵食を共にして将来を語り合った仲間は次々と死んでいった。あれは地獄だった。そしてあのとき自分は理想を失った。だからこそ、殿下には同じ思いを繰り返してほしくない。

ふと、ドアの外に意識を飛ばす。人の気配がしない。静かにドアを開けると本来いるはずの護衛兵がいなかった。何故なのかは分からない。

「……」

彼は廊下に出ると静かにドアを閉めると息を沈めて歩きだした。

ほんの数分で彼はある部屋のドアの前にいた。ドアの前にいる衛兵が驚いたようにこちらを見ている。

「聖下にお取り次ぎ願えますか」

「何を急に。こんな非常識な時間に教皇聖下と会わせろ、など認める訳がないでしょう」

「至急の件です」

「ここはロマリアだ。ガリアとは違うのだ。一介の貴族の要求を一々受け入れるわけにはいかない」

見張りの聖堂騎士に教皇との面会を求めるが彼らは取り合わなかった。それでも、必死に縋り付く。

「どうしたのですか」

騒ぎを聞いたのか部屋から一人の男が出て来た。確かオルシーニ枢機卿と言ったはずだ。

「この者が聖下に会わせろという妄言を」

「聖下と内密に話したい事があります。聖下にとって益となる話です」

聖堂騎士の話を遮るようにしてそう言う。オルシーニ卿は一瞬背後を振り返った。

「……分かりました、グラス伯爵、中へどうぞ」

唖然と事の成り行きを見守っていた聖堂騎士の前を横切り彼は教皇聖下の部屋に入った。

後ろでドアが閉められる音を聞きながら部屋を見回す。チーク材で精巧に造られた執務机と椅子そして背後にある本棚、部屋の中にあるものはそれくらいだった。予想外に質素だった。机の上には沢山の書類と本が置かれている。視線を移すと壁には、

「地図……?」

「その通り。ハルケギニア、世界の地図だ。治める以上、国家について知らなければいけないものでな。教皇になって以来ずっと壁にかけている……南部都市を押さえつける為には彼らの収入源……交易路をこちらで押さえなければいかん」

そう言いながら教皇は椅子から立ち上がった。

「さて、こんな夜分にわざわざ話したい事とは、グラス伯爵?」

「イザベラ殿下の事です」

「ふむ、その様子だと聖戦の話に伯爵は賛成ではないということか?」

「……ええ、というより誰もそのような話をするとは予想しておりませんでした」

そう答えると教皇は鼻を鳴らして言う。

「ふん。あのような少女を担ぎ上げたのだから、当然しっかりと手綱を握っておいてもらいたいものだが……そもそも、今ガリアを動かしているのは誰なのだ? おそらくジョゼフ王かマザラン卿だろうと予測は付けているのだが。その者が自分でロマリアに来るのが礼儀だと思うのだが」

「それは……」

答えられずに話に詰まる。

「まあ、そのような事はいい。それで、ここに来たという事はイザベラ姫の説得に失敗したという事か」

「……ええ、その通りです。ですが、聖戦を発動させる訳にはいきません」

「そのような事は分かっている。そして私がその話に乗らなければ済む事だ」

確かにロマリアがガリアの申し出に否と言えばそれまでだ。だが、完全に提案を蹴られる事は王女にとって汚点になる。

「ですが、ロマリアとしても殿下の申し出を完全に断る事は好ましくないのではないですか?」

「……それで、どうしろというのだ」

「聖下には断るのではなく代案を出していただければ……」

「あの王女を納得させられる代案があるのか?」

「……聖下、エルフとは名目上戦闘状態であるからというのが、イザベラ姫殿下が聖戦の発動を求めている理由です。ならば、戦闘状態でなくなればイザベラ姫殿下も文句をつける事はないでしょう」

「ロマリアがエルフとの停戦を宣言すると!? そんな馬鹿馬鹿しい話を受け入れろと!? 本気でそのようなことを言っているのか」

「それは……」

教皇の問いに彼が言葉に詰まっていると、ドアの前で沈黙を守っていたオルシーニ卿が進みでた。

「聖下、ならばガリアがエルフ領と交渉する事を認める……つまり、聖地を取り返す為にガリアが交渉することをロマリアが認めるというのはどうでしょうか……交渉の間は休戦扱いになります。これならイザベラ姫も反論しにくいのでは」

「ふむ……」

オルシーニ卿の言葉に教皇はしばらく考え込んだ。

「……分かった、それならば構わないだろう。グラス伯爵、後はそちらに任せてよろしいか」

「力の限りを尽くします……感謝します」

そう言って彼は頭を下げた。






「——しかし、ハルケギニアの国々はエルフへの脅威に対抗する為に毎年多くの労力を割いています。ガリアの場合、東方軍の給与が年十万エキュほどになります。それ以外のものを含めれば決して少ない支出ではありません。聖地の奪還は東方の安全、安定にもつながります。私たちの拠り所を取り戻す事が出来れば、人々の心の安寧ももたらすでしょう」

二日目の会議、始めからイザベラ姫が積極的に発言をしている。思考は稚拙だが、言葉には人を引きつける響きがあった。上に立つものとして必要なカリスマ性は既に持っている。だから、焦る必要はないのだ。ゆっくりと学んでいけばいいのだから。殿下によって救われた自分や他のオルレアン派がそれを手助けする事は出来る。そう思うのだ。

「……なるほど……しかし、エルフと当たるに武力を持ってしては目的を達するまでにこちらの払う犠牲も大きくなりすぎてしまうでしょう」

先ほどの王女の言葉に、今日長らく沈黙を保っていた教皇がゆっくりとしゃべりだした。

「しかし——」

王女が反論をしようとしたが教皇聖下は気にせずに話を進めた。

「現実を見定めなければいけません。そして、思い込みも避けるべきでしょう。東方の安全と平和はハルケギニアに益をもたらす、姫殿下の言う事はもっともです。しかし、その為に必ず武力が必要であるという証明はされていません」

「ですが、他にどのような方法があると言うのですか。教えていただきたいのですが」

思いもよらない言葉だったのか、王女は噛み付くようにそう言った。

「聖地の返還を求めてエルフと交渉すれば良いでしょう」

「……」

「……」

活発に議論が飛び交っていた会議室が一瞬沈黙した。ロマリアの教皇がエルフと対話を勧めるなど誰一人として考えた事はなかっただろう。しかし、この場合双方にとってこの選択は利益となる。だから、後は王女が話に応じるかである。

「……聖下、ご冗談はお止しになってください」

王女の言葉を皮切りにどよめきが部屋に広がる。ざわめきを上回る声で教皇は話す。

「いえ、冗談ではありません。ガリアがエルフと平和、そして最終的には聖地奪還の為に話し合うことをロマリアは容認します」

「……彼らが素直にこちらの言う事に従うと聖下はお考えなのですか?」

「いえ、そうは思いません。しかし、エルフは話の通じない相手ではありません。そして、話し合いを続ければ妥協点が見つかる事もあるでしょう。時間はかかるでしょうが……聖地をエルフに奪われてから六千年以上経った今、そのくらいの時間、待てない事はないでしょう」

「……」

再び、会議室は静まり返った。誰もが黙りこくる中、オルシーニ卿が身体を前に傾けて言う。

「聖下、そろそろ昼時ですし、いったん休憩という事にしては」

「ふむ、そうするか」

「……」

教皇がうなずいた事で会議は一時中断という事になった。ロマリア側が次々と退出していく中、王女は無表情に黙りこくったままだった。近づいて話しかける。

「イザベラ殿下、食事は出来ているそうですが」

「オルシーニ伯……伯爵はどう思われますか」

こちらの言葉に振り向いた王女はそう尋ねて来た。

「……現実的な選択かと存じます」

「では、受け入れるべきだと?」

「……はい、私はそう思います、殿下」

「……」

肯定の意を返すと王女は無表情に顔をそらして再び黙り込んだ。






「聖下のご提案、受け入れましょう。ガリアはロマリアの容認の下にエルフとの交渉を試みます」

午後の会議が再開された直後、王女はそう言った。会議室にほっとしたような空気が流れる。オルシーニ枢機卿はこらえきれなかったのか笑顔で立ち上がった。

「今日という日は歴史に刻まれる事になるでしょう。平和に向けてハルケギニアが大きく動き出した日として」

会議室に笑い声が響いた。その中で彼もほっと息をついていた。枢機卿の言葉に同感だからではない。歴史が今後どうなるかは分からない。ただ、イザベラ殿下が政治的なダメージを受ける事を避ける事が出来た。それが理由だった。






日課である夕の祈りを済ませた彼は、ふと神殿の外へ目をやった。目を向けたのはドアの合間から見えるロマリアの町並み。夕焼けに照らされて大理石造りの家や神殿は荘厳な光景をつくりだしている。だが、彼らの意識はその遥か先にあるはずの馬車隊に向けられていた。

聖戦の発動、今のハルケギニアでそれをする事は不可能だろう。大勢がそれを望まない。そこに持っていくには相応の準備が必要だ。だから、あの王女が何を思ってそう言ったのかそれを確かめる為に彼は誰にも知られた事のない一面を彼女に見せた。そのときの反応は拒絶。つまり彼女は聖戦を望んでいる訳ではないのだろう。では、あの言葉の目的は何だったのか。何の考えもなかったのだろうか。それとも……

(情報が足りないな……)

現状では判断のしようがない。それに、考える必要もないかも知れない。異例中の異例で宰相になったあの王女である。今回のような突発的な行動を繰り返していれば、後ろ盾となっている人物によって政治の舞台から身を引かされるだろう。そうなったとしても問題はない。もし、彼女が宰相のままでも、彼女ならこちらの都合のいいように御す事ができる。それがロマリアの首脳部の考えだ。

普通に考えればそうだろう。だが、彼女はいずれ強敵として彼の前に立ちふさがる、勘には過ぎないがそんな気がした。

(それでも、私は始祖の遺言を果たしてみせる……母上、私は貴方とは違う。この偉大な力から私は逃げるつもりはない)

口にはだす事なく、彼はそう呟いた。空は真っ赤に染まっている。






「疲れた……」

最近独り言が増えたなと思いながら一人馬車の中で呟く。作り笑顔で嘘と美辞麗句を重ね続けたこの三日間は考えていたよりも苦痛だった。ロマリアでの目的は達成したのだからいいのだけど。ガリアでもそれは同じなのだが。

(帰ったら……サビーネとカリーヌに甘え……愚痴をこぼそう……それから今度はエルフと……トリステインとの話は上手くいかなかったから、今度は失敗できないか……もし、失敗したら……)

開け放たれた馬車の窓から夕焼けを眺めながめ、つらつらと考えにふける。ふと後ろを振り返った。火竜山脈を越えたいま、ロマリアの町並みを見る事はかなわない……

頭を振って思考を切り替えた。馬車の中に頭を引っ込めて窓を閉める。秋が深まり寒さが増してきている。あくびをして目を通さなければいけない書類を引っ張りだした。先ほど思い浮かんだはずの考えは新たに入ってくる情報に埋もれていった。



[4219] 宰相閣下に憑依しちゃった!?十話
Name: なんやかんや◆5615cca5 ID:b5adf181
Date: 2009/07/17 15:50
「ようやく、エルフとの会合に漕ぎ着けましたか。トゥールーズ伯、ご苦労でした」

手元の書類をまとめながら、報告を終えたトゥールーズ伯爵に労いの言葉をかけた。エルフと会談を設ける為に動き出してもう二ヶ月、やっと、というのが実感である。すると、伯爵は不服の表情を微かに浮かべた。

「想定していたよりもだいぶ早く日程が決まりました……向こうもこちらの話にだいぶ興味を持っていたようです」

「そう、ですか」

伯爵の意外な言葉に目を瞬かせた。私は日程が決まるまでにだいぶ時間が掛かったと思ったのだが、伯爵の感覚では違うらしい。話し合ってみるだけなら割と簡単にできそうな気もするのだが。

「……今までほとんど交渉がなかったため、簡単に交渉の席を設ける事はできないと思っていました。エルフと交流する機会は、まあ一部の商人はともかく、戦争だけでしたから。ガリアでこの会談に批判が出ているように、エルフ達にも我々との交渉を快く思わない者もいるでしょう」

「そんなものですか……なるほど私が間違っていましたね。よくやってくれました、伯爵。貴方の力があればこそエルフと話し合う事ができるのですね」

「はっ」

そう言うと伯爵は頭を下げた。口元が微かに笑っている。伯爵の子供っぽい単純さに、ここ最近でつくられたらしい「血も涙もない冷徹な成り上がり」という蔑称の話を急に思い出して笑いそうになってしまった。カリーヌから聞いたそのあだ名はどうやらあまりこの人物の本質を表していないらしい。

頭を振ってどうでもいい事に逸れた思考をもとに戻す。伯爵の予想ではエルフを交渉の席に着けるのは難しい事だった。数千年にもわたって人とエルフは戦い続けて来た以上、簡単に和平を結ぶ事は心理的に難しいということなのだろう。

「本当に大儀でした、伯爵。ただ、そうすると、何故エルフがここまで早く交渉に応じるつもりになったのか……伯爵は何か心当たりはありますか?」

そう聞くと伯爵眉間にしわをつくりながら自分でも納得出来ないかのように答えた。

「どうやら、彼らは何かを……恐れているようなのですが」

「……エルフが恐れる、ですか……エルフを脅かす存在があるのですか?」

予想もしていなかった話に思わずそのまま聞き返す。私の知識ではエルフはハルケギニアでは最強の種族と言って差し支えない。私の知る限りの幻獣、亜人に彼らにとって脅威になるものがいるとは考えにくい。可能性があるとすれば長年戦い続けて来た人間くらいだが、二種族の戦歴を見る限りエルフにとって危険視するほどのものではないはずだ。伯爵自身信じ難いのだろう、いつもと違い言葉が不明瞭だった。

「いえ、彼らは直接そう言った訳ではなく、ただ私がそう感じたというだけなのですが……ただ、昔からエルフは『虚無』を恐れているという話は聞きますが」

「そんな伝説をエルフは信じているのですか?」

「それは分かりません」

「……」

伯爵の言葉に私はしばらく考え込んだ。

エルフは他を圧倒する力を持っていながら何かを恐れている、らしい。その理由は何か。本当に『虚無』などという与太話を信じているのか。……分からない。

他に理由は考えられるか。人間との戦争を望んでいない。人間とぶつかる事は彼らにも消耗を強いるのだろうか。エルフ一人で百人以上のメイジに匹敵すると言われているにもかかわらず? 彼らは人間より遥かに長命だと聞く。外敵が少なく、長生き、この二つがあれば普通その種族は数を増やすだろう。しかし、現実にはエルフの数は人間のそれよりも少ない。つまり、彼らは生殖力が低いと考えられないか。人口増加率が低ければ、可能性は低いとは言え戦争による死は彼らの社会に大きなダメージとなりかねないだろう。だが、それが正しいかは分からない。まずこの想定が正しいのか、さらに彼らがそれを認識しているか。別の理由はあるか?

そもそもエルフが何かを恐れているという仮定が正しくないとしたら、では彼らが予想以上に早く会談に応じた理由はどのようなものが考えられるか。エルフの政体は共和制だと聞いている。ハルケギニアではなじみの薄い政体であり、詳しい事は分かっていない。一口に共和制と言っても実際が私の考えているものと一致するとも限らない。が、仮に彼らに選挙というものがあるならば、その人気取りとして人間と講話を結んだという事は使えるのか。成立すれば数千年にわたる快挙だ。だが、エルフの間でこれが肯定的にとらえられるか、少なくともエルフ領の上層部がそうなると認識しているかは判断を下せない。

それ以外の理由は……エルフ領の東方はどうなっているのか。情報が碌に入ってこないのだがそちらに原因があるのか、ないのか。そもそも理由が一つとは限らない。様々な要素が複合した場合もあるだろう……いや、『虚無』についてはもしかしたら——

「殿下?」

「え、あ、ああ、すいません、少しぼんやりとしてしまいました」

伯爵の呼びかけに思考の渦の中から我に返った。

「ええっと、とにかくおつかれさまでした。それでエルフ領との会談は十四日後ですね。そのとき、伯爵にも同行してもらう事にしましょう。会談の代表は三名ですから、私と伯爵で二人。もう一人は……」

「グラス伯爵はどうでしょうか。前回の聖戦に参加した彼ならば適任かと」

代表の人選に頭をひねる私にトゥールーズ伯爵がそう提案した。意外な人物である。この会議の重要さから言えば、普通なら最後の一人はマザラン卿だろう。彼がガリアの重鎮である事は間違いないのだから。ただ、目の前の男とマザラン卿の仲が悪いのは薄々感じていたから、彼がマザラン卿を推薦しないというのは。まあ納得出来る話である。だが、グラス伯をわざわざ薦める理由は何なのか。ロマリアとの交渉をまとめる為に彼が一役買ったのは確かだが……

「この会議はとても重要なものでしょう、殿下。しかし、我々はエルフと今まで交流がありませんでした。少しでも彼らについて詳しい者が必要なのです。グラス伯にはそれがあります」

「……分かりました。ではそうする事にしましょう。彼に連絡を。その他会談の為の準備をしておいてください」

グラス伯を薦めた本音がどうであれ、交渉をまとめる為に役立つと言われれば断る理由はない。この男がエルフの交渉の席を用意したのは事実であるし、マザラン卿が必要不可欠かと聞かれれば必ずしもそうとは言い切れない。それどころか、彼以外に私が不在の王宮をまとめあげられる人材はほとんど思いつかない。コリニー卿では立場的に厳しいだろう。

「御意。ところで来週の誕生会の事ですが」

「誕生、会……? あ、ああ、そんなものもありましたね」

突然話を変えられて始め何の事か分からずに戸惑った。そう言えば明日は私、イザベラの誕生会がある。私は必要ないと言ったのだがサビーネとカリーヌに叱られてしまった。王族の誕生日にふさわしくなければいけないとのことで何とも豪勢なものになるらしい。沢山の貴族が私を祝うためだけにくると思っただけで気疲れしてしまう。仕事ともかく、プライベートでも彼らと触れ合うのはできれば避けたかった。どうせ、決まりきったお世辞を言われるだけの儀式だ。だけど、横暴な事にも明日は一日中パーティーで政務はしないと約束させられた。始めは断ったのだがサビーネに、受け入れてもらえないなら私はこの城を去る覚悟です、などと言われてしまっては首を縦に振るしかない。

「ドレスを新調したという話を聞いております。降臨祭、新年祭と殿下は欠席しておられましたからな。皆楽しみにしているようです」

つい先日あったその二つのパーティーは欠席したのだ。出席している時間はない、そんなに重要なものではない、と言ってなんとか周りを説得する事に成功した。政務が終わった後にサビーネとカリーヌと私で小さな祝いを設ける事で二人は引き下がったのだ。だから今回もそれで丸く収まると思ったのだが、どうやら先の二つであっさり引いたのは誕生会への出席を約束させる為の伏線だったらしい。やられたとため息をつく。

「誕生会は必要ない、と言ったのですけど。色々と忙しい事が増えてきているのに……さすがに自分の誕生会を欠席する訳にも行きませんし」

出席する貴族の内何人が心から私を祝うのだろうか。私、の唯一の肉親、ジョゼフ王はアルビオンへ物見遊山に行っていてこの誕生会には出席しない。誕生会で何を祝うというのか。誰も望んでいないのにも関わらず、この忙しい時期にこんな儀式に時間を費やす必要がどこにあるのか。

ため息をつきながら答える。伯爵は少し驚いたような様子を見せた。

「パーティーが嫌いとは、意外ですな」

「……別に嫌いという訳では無いのですけれど——」

伯爵に答えながら疑問が浮かんだ。人とおしゃべりをして楽しく過ごすのは好きだ。だから、パーティーが嫌いだという訳ではない。どちらかと言えば好きなはず。ならば何故私は今までパーティーを避けてきたのだろうか。ふと、思い当たる。

「多分——」

——私が心の底から貴族を嫌っているから

後半は口には出さずに心の中でだけ続けた。

「まあ、美しいなど心にも無いお世辞ばかり言われては疲れてしまいますし。日頃疲れているのでパーティーに出るよりもゆっくりしたいというのが本音ですね」

取りあえず伯爵には即席で理由を作り上げて答えておく。それでこの話は終わりだと私は思ったのだが、伯爵は予想外に粘り強く反論してきた。

「心にも無いなどと言った事は無いと思いますが。さすがにまだ幼すぎるとはいえ、殿下の顔立ちは将来の美貌を約束されています」

「そこまで持ち上げるほどのものではないでしょう。このくらい」

「いえ、持ち上げてなどいません」

私の言葉に伯爵は尚も反駁した。だが、このくらいの容姿なら探せばいくらでもいるだろう。お世辞でもなければ特に強調する必要もない。だが、以外にも伯爵は私に追従しなかった。

「……まあ、美しいならそれはそれでひとつの武器にはなるかもしれませんね」

政治の一手として政略結婚を使いやすくなるなどといったメリットはあるかもしれない。私がそう言うと伯爵はなぜか呆れたような様子を見せた。

「……まあ、殿下がそう思うならそうなのでしょうね。では、エルフとの会談についてはまとめておきますので」

「おねがいします」

伯爵は頭を下げると部屋を出て行った。

それを見送りながら、すぐに頭を次の仕事に切り替える。南部のある領主の行った脱税についての資料を取り出して流し読みする。明日行われるこの男の裁判には私も出席する。その為に必要な情報は頭に入れておかなければならない。すでに証拠は出そろっている。内容も信用でき、脱税はあったと見て間違いないようだ。

宮廷に登用した商会ギルドの商人達はよく仕事をしてくれている。このままいけばガリア王国の歳入は大きく上がるだろう。コリニー卿の提案、商人に統計処理など雑用を任せると言うもの、を数歩進めて彼らに貴族を監査する役職に就けたことには大きな反発があったので問題なく成果を上げていることにはほっとしている。商会ギルドの代表、ベジャールと話して、彼の推薦する人物なら成果を出すだろうとは思っていたが、ここまで上手くいくとは正直私も予想していなかった。

そして、とうとう数有力な領主にまで監査の手が行き届くまでになっている。この領主は年前までは王宮に詰めていた人物であり、彼が裁判にかけられるという話はあちこちで噂になっているらしい。大物相手という事で今回の裁判には私も深く関わっている。

執務室の上におかれてあった南花壇警護騎士団の資料を手に取って読んだ。3年前に領民の反乱が発生している。規模は小さいものだったが領主が王宮にいて領地に不在だった事もあって騎士団が出動する事態となったらしい。領地には居なかったから防ぎようが無かった、という理由でこの件について領主は罰を受けてはいない。

だが、領民が反乱を起こすというのはよほどの事だと思う。ハルケギニアでは貴族と平民という制度が定着しており、しかも両者の間には大きな力の差があるのだ。そうである以上限界まで追いつめられなければ反乱は起こらないはずだ。

ならば……いや、公正は期さなければならない。今まで私の行動は全て『合法』的に行われてきた。それが私の行いに正当性をもたらしていたのだ。合法という武器をこの時点で投げ捨てるのは得策ではない。判断を下すのも処罰を行うも証拠がはっきりとしてからだ。しかし、もし私の考えが正しいならば、この件はただの脱税では済まされない。脱税だけでは処罰をあまり重くはできないが、領地を統治できていないことが加われば家の取り潰しも考えられる。領地の安全を守る義務、これに反したとしての処罰は長く例がないが廃止された訳ではないのだ。証拠さえ揃えばこの法を適応できる。裁判に先立って領地に向かわせた調査隊の結果によっては大捕り物になる。

「……この領地のここを天領とすれば、南部都市まで真っ直ぐに幹線道路を敷けるか」

幹線道路の整備は予想外に地方領主からの反発が大きかった。もちろん、領内に道路をしく事を容認した領主も居たが、大きな道路を造る事は防衛力を下げる等の理由で拒否した領主も多い。今回問題になった領主は後者の方である。

彼らのいい分にも一理ある。今のガリアの軍事組織で幹線道路を敷けば防御力の低下は避けられない。領主がそれぞれ自分の軍を持ち、自領を防衛する制度では自ずとそれぞれの兵力は限られる。これに対し攻める側は防衛側より多くの兵力を持っている場合が普通である。そうでもなければ戦争を仕掛けない。敵が多勢である以上防衛側は決戦に臨むよりも篭城して敵に消耗を強いる事が多い。敵が戦闘継続不可能になるのを待つという戦略上、防衛側としては交通の便は悪い方が良い。悪路は行軍による疲労、補給の問題などをもたらし結果的に防御側に利する為である。だから、場所にもよるが領主達にしてみれば道路の施工は賛成し難い事だろう。

だが、私の目的の為にはそれでも押し通す必要がある。常備軍をつくる為の理由として、そして平民の力を上げる為にも必要な一手なのだ。

それに、私に逆らった事を理由に裁く事はできないが、ほのめかす事で今後の国政運営をやりやすくする事も期待できるかも知れない。そして、ほのめかしを有効にするには相手が大物である方が良い。この男ならその条件を満たしている。ならば……手段を選んではいられない。それは分かりきった事だ。

「……」







「いったいイザベラ殿下は何を考えておられるのか!オルレアン公派の者だけでは飽き足らず商人風情を王宮に登用するなど!」

リュティス郊外のある貴族の別荘、そこに集まった貴族の一人が吐き捨てるようにそう言った。

「王宮で商人、平民と椅子を並べるなど伝統と名誉を汚す事になりますな」

「全くです。オルレアン公、簒奪者に従った者どもの復権を認めるだけでは飽き足らずに」

「その通りだ。我々のような汚れなき貴族の名誉がこれほどまでに軽んじられるなど」

「前王の時代にはこんな暴挙がなされるなど考えもできませんでしたのに」

周りの貴族は口々に不平を述べる。王女イザベラが宰相に就任して以降行われた様々な政策、これらを喜んだ者は多かったが不満を持つ者もかなりの数になる。特に王女に不満を持っているのは以外にもジョゼフ王を指示している者達である。

「私たちが正統な王位継承者であるジョゼフ様をお守りしたというのに……その実の娘にこのような……くっ」

酒が入って感情の抑えが利かなくなったのか老齢の貴族が身体を震わせて涙を見せた。激しく言葉を交わしていた貴族達はその様子に押し黙った。

待遇、彼らの不満は結局そこにある。ジョゼフとオルレアン公、どちらが王位を継承するかという問題は必然的に多くの貴族を巻き込んだものとなった。長男であるジョゼフか、もしくは貴族の条件である魔法に秀でた次男か、前王が直前まで後継者の指名をしなかった事で中央の政に関わる貴族はすべからくどちらかの側につく事になった。

両陣営の勢力はオルレアン公派が有利と見られていた。次男であるという事を差し引いてでも明るい人柄、そして輝かしいばかりの魔法の才は、正反対のジョゼフがいたからこそ余計に人望に結びついていたのだ。オルレアン公派に寝返る事も彼らにはできた。寝返ったとして決して満足な待遇を与えられる事はないだろう。始めから公を支持していた者達がまず重席を占めるから。しかし、ジョゼフ派であり続ければオルレアン公が王位に就いた場合冷遇される事、悪ければ身の破滅を招く事すらあり得たのだ。だが、その不利にもかかわらずここに集まった貴族達はジョゼフを支持し続けた。忠誠は恩があるからこそ存在しうる。だからこそ、ジョゼフが王位に就いた暁には彼らは宮廷で力を持つようになったのだし、オルレアン公派は大いに冷遇され弾圧を受ける事になったのだ。彼らにしてみれば当然である。仕えるべき正統な後継者を軽んじ、その対立者についたオルレアン派は王国に対する裏切り者達なのだから。

にもかかわらず、宰相となった王女は、自らの父親を助けた過去を無視した人事を行っている。ゲルマニアの成り上がり、旧オルレアン派、そして商人。まるでジョゼフ王を助けた功績は自分には関係ないと言わんばかりに。

「私たちの忠誠はいったいなんなのですか……今までガリアの為に尽くして来たというのに……新しい仕事ができなければ必要ないと言わんばかりに」

「飲みすぎなのでは……」

「一体どうしろと言うのですか。わたし達は商人にはなれない。貴族なのです」

嗜める声に耳を貸さず、酔いに任せて老貴族は言葉を続けた。

今まで経験した事のない膨大な仕事を王女は次々に命じてきた。名誉ある仕事ではなく商人のするような計算を一日中やらされたり、一度とて足を踏み入れた事のない職人のギルドへ依頼をしに行く事になったり彼らの常識を覆すものばかりだった。そして、彼らにはそれらを上手くこなす者達が取り立てられていくのを指をくわえて見ている事しかできなかった。

けれど、真っ向から王女に反対する気概を持つ事は彼らにはできなかった。彼ら以上の地位、そしてジョゼフ王の即位に尽力したディカス公爵に起こった悲劇、それがより家柄の低い自分の身に同じ事が起こらないという保証はない。その事実を前に王女と表立って対抗する意思など持てる訳がない。

それでも、せめて自分たちの不服を示す為に彼らは宮仕えを辞めた。大人数がいきなり辞めれば王宮は麻痺状態になる。そうなれば、少しは彼らの事を顧みてくれるのではないかと期待を込めて。だが、その思惑は大きく外れる事になった。王女は彼らが辞めたのをこれ幸いとばかりに商人を王宮に召し抱えるという一手を打ったのだ。貴族を差し置いて平民を登用するという前例のない事態に、しかし、彼らは意を唱える事はできなかった。彼ら自身が辞めた穴を埋める為という名目だったのだから。

「……しかし、しかし、殿下は商人の下に私たちを置こうというのですか。私たちは一体どうすれば」

絶望と深い悲しみに彩られた声が部屋に響いた。

監査機関、ガリア全土の税収を調べ、不正があればその貴族を裁判に告訴する権利を持ったその組織は一ヶ月前新たに入った商人達のみで構成される事になった。王女の行った政策の中で彼ら、いや、ほとんどの貴族にとって最も評判の悪いものである。貴族が貴族を監査するのでは公正さが失われるというのがその大抜擢の理由だった。その言い分には一理あるだろう。確かに今までの監査組織はまともに機能していたとは言いがたい。徴税を行う貴族によって税率が勝手に上げられるという話や、領土における収入を低く申告して払うべき税を払っていなかったという噂は監査組織設立後も絶える事がなかった。だが、だからといって平民によって貴族が監視されるなど心理的に受け入れ難い。それに、商人は貴族よりも簡単に買収に応じるだろうという憶測もあった。所詮金の亡者であると。

だが、新たに組織された監査機関は大きな成果を上げている。金に汚い商人達なら簡単に賄賂に溺れて話にならないという多くの貴族の見込みを外れて。組織の設立からこの一ヶ月間でリュティスにおいて貴族が平民を強請るといった話は聞かなくなり、また不正にごまかされていた領土の税が徴収されることでガリアの歳入は増加した。各貴族の領土の収入調査は極一部しか行われていないので今後、調査が進めばさらにガリア王国の歳入を増やすことになるだろうと予測されている。

そして、彼らの力は有力な貴族をお家取り潰しにするまでになった。お家の取り潰し、ディカス公爵家を襲った悲劇に続けての事件に貴族達は愕然とし、戦慄した。それを可能にするだけの捜査権を王女は彼ら平民に与えているのだ。そして彼らは力の限りを尽くす事で王女の信頼に応えた。

結果論的に言えば、王宮に登用された商人達の意思の高さを見誤っていたのだ。誇り高くあるのに貴族である必要はない。貴族が卑しいと見下している商人であろうとも誇りを持つ事はできる。そして、見下されていたからこそ、王女に高い評価を受け大抜擢されたその恩に彼ら商人は酬いようと力を尽くしているのだ。誇りとは貴族だけがもつものではない。

そして、もう一つ王女が彼らから莫大な借金を持っている事も成功の理由にあげられる。融資した資金が返済されなければ彼ら商人のギルドは破滅する。そのため王女が失権する事は彼らにとって何としてでも避けたい事なのだ。商人を抜擢してまで改革した税収監査を失敗させる訳にはいかないと彼ら自身が感じているのである。

だが、それが上手くいけばいくほど、彼ら貴族は虚しさに襲われるのだ。統治してこその貴族、平民の上に立ってこその貴族、人々を導いてこその貴族である。それなのに平民が彼らの上に来て、しかも彼らが出してきた以上の成果をやすやすと上げている。ならば一体自分たちは何なのか。漠然とした思いが貴族たちの胸に迫る。

貴族として生まれ、貴族として育ち、貴族として必要といわれるものを身に着けて彼らは生きてきた。そして、貴族として国を導いてきたという自負がある。ガリアの為に血を流してきたという誇りがある。あったのだ。けれど、平民たちは、成り上がりは、王女は、自分たちの知らない方法で国家を動かし、なおかつ彼らでは到底届かない成果をあげている。それを理解できてしまうからこそ、それが有効だと認めざるを得ないからこそ彼らはやりきれない思いを感じているのだ。

「私たちは一体……」

己の無力を味わうごとに思わずにはいられない問い。ワインの飲みすぎか泥酔して倒れた老貴族の呟いたうわ言は他の貴族の耳にいやに残った。






「おはようございます」

「ふあ、おふぁよう」

欠伸をしながらカリーヌに答えた。ベッドから上半身だけ起き上がって大きく伸びをする。窓から朝日が差し込んできている。

すっと冷やされた濡れタオルで顔を拭かれた。

「今日はせっかくの誕生会なのですからしっかりとなさってください。朝食の準備はもうできていますから」

「フガ、フガ、プハ……なんか、カリーヌいつもより張り切ってる気がする……」

口元からなんとかタオルを押しのけてそう言う。

「そんな事はありませんよ」

だがあっさりと本人は否定した。

「そうかなあ」

「そうです。姫様がいつも政務ばっかりの灰色の生活をしていてこういう事は欠席ばかりしていたとか、私たちが何度も何度も勧めても無視し続けたとか、子供なんだからもう少し遊んだ方がいいとかそんな事は全く考えていませんわ。ええ全く、少しも、これっぽっちも」

「そ、そう」

疑わしそうに尋ねた所いきなり気炎を上げたカリーヌに、思わず顔をそらした。やぶ蛇だったらしい。確かに彼女達の提案を無視する事が少ない訳ではない。いや、けっこう無視している。でも、それは必要だからだと言い返そうかとも思ったが、カリーヌの顔を見て止める事にした。多分勝てない。理屈を並べても虎の尾をふむ結果になりそうな予感がした。それは嫌なので何も言わない事にする。

着替えを済ませて寝室を出た。

「おはよう、サビーネ」

「おはようございます。姫様」

朝食を準備して待っていたサビーネに挨拶をしてから席に着く。食事は何事も無く始まった。食事が一段落ついた所でサビーネが話しかけてきた。いつも通りの凛とした態度、けれど普段より張り切っている気がした。

「姫様、よろしいですか?」

「なに?」

「本日の予定ですが、誕生会は正午から始まります。それまでにドレスアップを済ませていなければなりませんから少なくともその前二時間は空けておいて下さい」

「そ、そんなに時間がかかるものなの!?」

「これでも短いほうです。普通ならもっとかかりますが姫様が嫌がるだろうと思いましたので、今回は簡単に済ませるだけにしました。そういえば姫様は正式にドレスアップしたことがありませんでしたね」

「幸いにもね。こんな大変なことがあったなんて……うう、これじゃあ今日は何もできないじゃない」

「……今日は宮廷貴族全員に休暇を許可していたと思いますが。泣いて喜んでいた彼らに今日も仕事を押し付けるのは……」

「……いや、それはしないけど。というか泣いた貴族がいたの? 冗談、よね?」

あまりの話に否定の言葉を求めて聞き返した。

「……」

「……本当なの?」

だが、サビーネは何も答えなかった。沈黙が部屋を満たす。逆にそれがこの話が事実である事を示していた。さすがに唖然とする。

「……もう少し仕事を減らした方がいいのかな」

「ええ、まあ、その方がいいと思いますが」

泣いたという話が表に出たという事は目撃者が居るという事だ。名誉を重んじる貴族がそんな醜態を人前で曝すとは相当な事なのではないか。そう思った。

彼らを使い潰してしまうわけにはいかない。ここ数ヶ月をかけて私の要求に応えられるだけになった人材なのだ。『研修』を最初からまたやり直すのは時間の無駄だ。

「でも、やらなきゃいけない事は沢山あるし。人を増やすにしても人件費がかかるからむりだし。ただでさえ資金難だから……申し訳ないけど耐えてもらうしかないかな。慣れてくれば楽になるだろうし」

私がそう言うと、サビーネはこちらを見据えて言ってきた。

「姫様、そもそもそんなに仕事があるのがおかしいのでは?」

「え? そんな事言っても全部必要よ」

予想外の言葉にそう言い返す。確かにやらなきゃいけない事は沢山あるけど、私の目的が目的なので仕方の無い事だ。だから、全て必要なのだ。言い返した私の声は若干大きくなっていた。

「姫様の言う必要の大部分は今すぐやらなければいけないものではなくて、何時かはやらなければいけないというものでしょう」

「……そんな事無いわ。今でもやらなきゃ行けない事のうちほんの少しし、アリの一歩ほどしかできてないのよ。これ以上減らせないわ。もうこの話はこれで十分よ」

何故だか焦燥を覚えた。これ以上この会話を続けたくない、そう思う。だから、いつもより強い口調でそう言い返した。

私の目指す世界の為にやらなければいけない事はそれこそ限りない。だけれど、絶対に実現させなければいけないから、これ以上仕事を減らすわけにはいかない。例え絶望的な壁があるにせよ、諦めなければ可能性はゼロにはならないのだから。だから、今、頑張らなければいけないのだ。

これでこの話は終わりだろう。そう思ったが、サビーネは躊躇しながらも反論を止めなかった。

「私は、私は……そう思いません。姫様、今そんなにしようとしなくてもいいではありませんか。姫様には未来があるのですから。もっと、ゆっくりと色々な事を学んでからでも遅くはないでしょう」

「そんなことないわ!!」

サビーネのその言葉に気がつけば私は叫び返していた。何故、自分がこんな風に叫んでいるのか分からない。何故、こんなに憤りを感じているのか。何に対して? 理由は? だが、浮かんだ疑問を考える余裕も無く私の叫び声は続く。

「明日じゃ遅すぎるのよ! 今じゃなきゃ意味が無いじゃない! 未来があるからって、いつかそのうちって言って、今戦えなければ、守れなければ何の価値もないわ!! いつだってみんなそう言うのよ! ゆっくりと学べばいいって、大人になったらできるようになるからって! でも、今力が無かったら結局何もできないじゃない! それじゃあ、だめなのよ! ……あのとき、あのとき私がもっと——」

「っ、姫様!!」

サビーネの叫び声に我に返る。私が叫ぶのを止めた事で急に部屋は沈黙で満たされた。誰も何も言わないまま時間だけが過ぎていく。

「ごめん、なさい」

長い静寂の後、私はサビーネと顔を合わせることなくそう呟いた。おそらく心配そうにこちらを見ている二人から顔をそらしたまま席を立った。

「姫様!」

椅子から立ち上がる音。震えを含んだカリーヌの叫び声が後ろから追ってきた。振り向きたい、二人の所に戻りたい、そう思う。同時に一人になりたいとも。

「……少し、休むわ。時間までには戻るから、大丈夫。気にしないで」

振り返ることなくそう言い放つと返事を待たずに私はそのまま部屋を後にした。






「何をやっているのかしら」

一人だけの部屋でそう呟いた。本当に何をやっているのか。らしくない、と思う。感情を爆発させた所で私にとってメリットにはならない。そもそも、何故私はあんなに——

——いや、これ以上考える必要は無いだろう。他に考えなければいけない事はいくらでもあるのだ。そう思い直して頭を振るとふと小さな机の上に放置された『懐中時計』が目についた。

便利かと思ってずいぶん前に試しに制作したものだが、ハルケギニアの時間と合わなかった為に碌に使えないものになった。少々大型のものだが魔法の時計が存在している事もあってその後放っておいたのだ。時計のずれからハルケギニアの時間に合わせることは可能だから何時かやろうと思っていたが、結局忙しい日々の中で放置されている。

ハルケギニアの、正しい時間を示す事のない時計、私はそれを手に取った。

「……」

ふたを開けて中のからくりをむき出しにする。数ヶ月間放っておかれた事で既に歯車は止まっている。その中から小さな部品を取り出した。歯車の進む速度を一定に保つ為のものだ。この形状を変更する事で時計の針の進む速さを変える事ができる。変更すべき形は既に算出して求めている。

杖を手に取ると私は呪文を唱えた。いや、唱えようとした。

「イル・アール・——」

——強烈な頭痛を覚える

——突如として暗転する視界






「王女殿下ももう十歳ですか。いや、しかし、その『少女』に大人がここまで振り回されるとは」

豪奢なドレスや美しい宝石類で壮麗に着飾った貴婦人達、そして彼女たちと談笑する貴族の男達、そしてその間を忙しなく行き交う給仕たち、そんな独特の熱気に包まれる中、一人のまだ若い男がそう呟いた。幼き『我が侭』王女のための誕生会、それが飾り立てられたグラン・トロワのダンスホールで開かれるのだ。本人はまだ来ていない。そもそも誕生会は始まっていないのだから。それにも関わらずこれだけの人間が集まっていることは、例え『我が侭』とか『無能』等と蔑まれようとも決して無視できないだけの権力基盤を王女は確立したという事を示している。王女が力を持っている以上、なんと呼ばれていようとも様々な思惑をもった者達が集まるのだ。明かりに群がる虫のように。

「貴方は随分と余裕がおありですな。流石は、王女殿下直々の『指名組』というべきでしょうか。姫殿下の信頼が厚い以上、彼らのように必死に媚びる必要は無いでしょうからな」

その呟きに面白みを感じたのか隣に佇んだ男が馬鹿丁寧に言葉を返した。精悍な顔立ちに金髪碧眼の二十代くらいの男である。その言葉に含まれた皮肉に呟きを漏らした男の口に苦笑が浮かぶ。地方を視察に来た王女によって地方の一役人に過ぎなかった彼はいきなり宮廷に召喚されたのだ。王女によって直接指名された所謂『指名組』の一人である。

今王宮に勤める者は大きく分けて三通りに分けられる。一つは元から王宮に居た者であり、ほとんどが有力な家の出身である。もう一つはマザラン卿などによって推薦された旧オルレアン公派であり、政争で敗れた事で地位を失っていたとはいえ、かつてはそれなりの地位を占めていた者が多い。そして最後の一派が、王女が自分自身で登用を決定した『指名組』である。最後の一つは他と違い、身分や家柄は全く考慮されていないと言える者達である。その証拠に平民ですら採用されているのだ。当然、既存の有力者達からは嫉妬と侮蔑の念を向けられている。不幸中の幸いというべきか、仕事の忙しさにそういったものは収まりつつあるのだが。しかし、いずれにせよ王女直々に引き立てられたという事で、周りから将来を有望視されているのだ。

「まさか。私自身、王女殿下のお考えが分かる訳ではありません。ただ……彼らのように高価な贈り物をした所であの方が喜ぶ事は無いと思いますが」

ちらりと男は離れた場所にいる集団に目をやった。豪奢な服に身を包んだ恰幅の良い男が姫殿下の誕生日の贈答品として5万エキュもの宝石を用意したという話で盛り上がっている。その他にもこの日の為に様々な贈り物を用意した貴族は数多い。少しでも王女の関心を得ようとしているのだ。王女が降臨祭、新年祭と欠席したので、この機会に何としてでも、という訳である。何しろお目にかなえば彼、氏名組のように地方の小貴族から一気に王宮に抜擢されたという前例があるのだ。

「確かにそうかもしれないな」

相方の男が同意を返す。

王女の発言や行動からは、彼女が宝石や装飾品などに執心するとは考えにくい。そもそも数ヶ月前に彼女が所有していた宝石類や装飾品美術品などは資金の為という事で売りに出されているのだ。化粧などにも無関心で、必要最低限しかしないと彼女に仕える侍女が嘆いたという話もある。おそらくわざわざ地方からやって来た彼らはその話を聞いていないのだろう。そして彼らの散在が報われそうにない事を思うと男は一種の憐憫さえ覚えた。もっとも、それなら何を贈ればいいのかという事については誰もはっきりとした答えを出せていないのだが。

突然群衆にざわめきが走った。二人がそちらに目を向けると一人の男がダンスホールに入って来る所だった。

「殿下の側近中の側近ですか」

ぽつりと指名組の男が呟く。

「トゥールーズ伯爵……」

応じる相方の言葉には苦々しさが混じった。彼が『成り上がり』は好きになれないとよく漏らしていたのを指名組の男は思い出した。その割に彼とは親しく接しているのだから、好きになれないのは相性の問題かも知れないなどと苦笑を浮かべながら考える。

「……何故、笑っているのだ?」

憮然とした様子で質問が飛んできた。

「いや、何も」

「……」

再び尋ねられなかった事で話題が止まった。互いに何を言うでも無くそのまま時が過ぎるに任せる。

「あら、殿方二人が部屋の隅で何をしていらっしゃるの? そんな所に居てはくさくさしてしまいますわ。それより、わたくし達のダンスのお相手をして下さらない?」

手持ち無沙汰な彼らに目を付けたのか二人組の貴婦人が話しかけてきた。一方は整った顔立ちに勝ち気な表情を浮かべており、もう一方は何も言わずにその後ろに付き従っている。主人に付き人の様である。あるいは有力者とその取り巻きか。彼は『主人』の方には見覚えがあった。

「ええっと、ダンスは苦手ですので、残念ですがお相手できません」

そう言って指名組の男はダンスの申し出を断った。元々下級貴族の生まれでダンスなどほとんどしたことはない。だから、正直に答えた。だが、どうやらその答えは彼女達にはお気に召さなかったらしい。踊れないというのは誘いを断る為の方便とでも思ったのか、あからさまに不満そうな顔つきになった。

「そう。踊れないという訳。でも、そちらは踊れますわよね?」

そう言って彼女はもう一方に話しかける。

「……気が乗らないのでお断りしますよ、ミス」

「なっ!」

そのあまりの無愛想さに空気が凍った。さすがに彼も唖然とする。

「……そう、よろしいですわ。いきましょう」

後ろに付き従う女性にそう声をかけると彼女は肩を怒らせながら大股で立ち去った。

「よろしかったのですか? あんな風に断って」

二人が人ごみに見えなくなった後、小声でそう尋ねた。もっとも答えは容易に予想できたが。

「構わんさ。それに成り上がりの娘と踊る気にはなれん。そちらこそ、断ってよかったのか? 一応彼女の父親は王女殿下のお気に入りだ。今の所はな」

「いや、私本当に踊れないので。どうやら彼女は信じてくれなかったようですけど」

彼がそう言うと、名門での男はぱちくりと目を真ん丸にした。名門の出である彼には踊れない貴族が居るなど考えたこともないのだろう。

「いや、地方の小貴族とかだと宴会も碌にありませんし、踊る機会なんてないんですよ。こんな立派なパーティーに出席したこともありませんでしたし。いや、でも王宮に勤めるようになった以上練習するべきですかね。なかなか時間は取れそうにないですけど」

苦笑しながらそう言う。

「ふん、あんな成り上がりと踊る為に練習する必要はあるまい。まあ、社交界では必須だから習得しておいた方がいいとは思うが。踊れないままだと社交界で爪弾きされる危険があるからな。感覚だけで身体を動かしてもいいのだが、やはり基本の動きくらいはできるようになっておいた方がいいぞ」

冗談のつもりでいったのだが、名門の男は本気にしたようで随分と真剣にアドバイスをした。

「分かりました。時間を見つけて習うことにしましょう。……でも、どこで習うべきですかね」

「普通はダンスの基礎は家族に習うか家庭教師を呼ぶかだが……」

「家族は地方で会いにいく訳にもいかないし……出費は痛いですけれど家庭教師を呼びますかね」

「そうか……だが、お前の借りている家ではダンスするだけの場所があるのか?」

「あー、厳しいですね。でもなんとかやれないこともないかな。必要ならもっと大きい部屋を借りれば何とかなりますかね」

「……ふむ。なら私の家で練習してはどうだ。ダンスできる場所は十分にあるからな」

思いがけない申し出に指名組の彼は思わず相手を凝視した。

「不満か?」

「い、いえ……ただ驚きまして。私のような人間を招待するとは驚きだったもので。一応、私も成り上がりになると思うのですが」

「……勘違いしているようだが私は身分にかかわらず出世や栄達は当然あるべきだと思っている。父上は卑しい家柄の者がと言っているが、たとえ誰であろうと功績には報いねばなるまい。中には新たに栄達したというだけで目の敵にしている連中もいるがな。私がトゥールーズ伯を嫌っているのはあの男が傲慢で驕り高ぶっているからだ。全く、あんな男がいるから、栄達した者が皆『成り上がり』として一括りに軽蔑されることになるのだ」

「そう、ですか」

「卿も気をつけるにこしたことはない。卿はあの成り上がりとはまったく違う男だが、嘆かわしいことにそんなことを一々考えようともしない連中もいる」

「そうですね」

ゆっくりとかみ締めるように答えた。実際に行動に移すということは無かったが、王宮に来てから冷たい視線を向けられたことは多々あった。忙しい仕事にそれほど意識する暇も無かったが。

「困るようなことがあったら私の名前を出せばそこそこの効果はあるだろう」

「っ! ありがとうございます」

「別にお前のためだけではない。同僚が居なくなれば私の負担が増えるからな。だから、遠慮する必要はないぞ。それだけだ」

「……感謝していますよ」

言い訳のような答えに微笑を漏らしながらそう答えた。王宮に来て以降の大変な事ばかりだった生活を思いだしながら。確かに辛いこともあったし、差別の視線を向けられたこともあった。それでも仕事にやりがいは感じられたし、何よりこの同僚がいるなら、王宮に勤務するのもそれほど悪くは無いか、と彼は思った。

「ん?」

「どうしたのですか?」

「いや、急に騒がしくなったな」

見やると、蒼白な顔をした女官がトゥールーズ伯に何かを話している。それを伯爵は険しい顔して聞いていた。彼らの周りには緊迫した空気が漂っていた。

「なにか、よくない事があったのでしょうか」

どこか確信を持って彼はそう呟いた。伯爵を中心に緊張感が部屋全体に伝わっていくかのように談笑が止んでいく。

「外れてほしいがな」

しかし、その希望はすぐに否定された。彼らの耳に王女が倒れたという話が伝わるまで、そう時間はかからなかった。



[4219] 宰相閣下に憑依しちゃった!?十一話
Name: なんやかんや◆5615cca5 ID:b5adf181
Date: 2009/08/30 12:03
道に転がった石に馬車が軋み音を奏でる。リュティスの道路は細く曲がりくねったものや袋小路も多い。しかし、今馬車が走っているのは日々整備が施されているはずの大道路だった。一昔前であればこんなことはありえなかった。王族の馬車も通る時この道に石など落ちていようものならリュティスの道路整備を任されていた官吏の首が飛んでもおかしくない。

けれど、一つ前のガリアの後継者問題に首を突っ込んだ整備者がその頭を失ってから、後継は決められていなかった。必要性が認識されなかったということもある。整備するものがいなかったところですぐに道路が使えなくなるわけではない。とはいえ、月日がたつうち次第に不都合な部分が見え始めつつある。この『立派な』道路は王族の馬車が石につまずくと庶民の間ではそれなりに話しの種になっている。王様の道路と俺たちの道路、どっちともにも石があるなどと謡う者もいた。昨今宰相に就いた王女が道路の大々的な整備を命じたのでそんなこともなくなってしまうのだろうという話は庶民にある種の喪失感をとともに語られている。

もっとも馬車に乗った男は馬車が揺れたことにすら気がつかなかったのだが。

「いったい、どうすれば……」

蒼白な顔を恐怖にゆがめ男は何度も繰り返した言葉をまた口にした。しわのよった額に汗がにじむ。しかし、いくら考えたところで答えは出ない。そして、すでに時間が無いかもしれない。武装した兵がすぐにこの馬車に押しかけてくる可能性も今の彼には否定できなかった。

発端はただの噂だった。誕生会当日に倒れた王女、その原因は毒を盛られたためでは、という。出所は不明であり根拠も無い。だが、それでも人は無責任に囁き返す。毒をもったのはあの男に違いない。王女殿下に冷遇されて不満を持っていたに違いないのだから、と。噂は虚構を作り上げ、憶測はいつの間にか確信を持って囁かれるようになったのだ。

噂の男には何の身の覚えも無いことである。冷遇されて不満を覚えていたことは確かである。しかし、大逆を犯そうとは到底考えられないことだった。けれど、噂が流れた今彼がそう主張したところで聞き入れられる確信は彼には持てなかった。

無意識のうちに爪を噛んでいた。ガリガリと指先から血が出るほどに強く噛む。

脳裏にディカス公爵の最期の出来事がよぎる。彼とは領土を隣とする公爵の時も最初は単なる噂に過ぎなかった。しかし、噂が広がるにつれ人々はそれを真実だと思うようになったのだ。王女殿下にあそこまで反発していたのはガリアの実権を狙っていたからに違いない。それが上手くいきそうに無いから反逆を企てたのだ、と。それと同じことが彼に起こらないとどうして信じられるのか。

王女に直接弁解しに行こうとしたが病気で臥せっているということで拒否された。しかし、本当にそうなのかと彼は疑ってしまう。もう、王女は自分のことを反逆者だと思い込んでいるのではないか。だから、理由をつけて会おうとしないのではないのでは、と。もしくは、初めから自分を失脚させる目的で今回のことを仕組んだのではないか、と。そして、そのような謀を仕組みそうな人物に彼は心当たりがあった。

妄想に過ぎないと思い込みたかった。彼は長く続いた名門の出なのである。また、今まで王国に忠誠を尽くしてきたという自負もある。必ずしも清廉潔白で通してきたというわけではないが、それでも貴族として守るべきことは破っていない。だから、事実無根の流言ごときに罪人の汚名を着せられるなどあっていいことではない。彼はそう、信じたかったのだ。

「旦那様」

馬車を止めて業者が声をかけた。王宮に詰める有力貴族達の住宅街、その中においても一際目立つ豪邸の前に馬車は止まっていた。彼にとって長年の盟友の一人の家であり、屋敷の大きさもあって彼とその仲間はここに集まることが多かった。――古きよきガリアの伝統が失われた――成り上がりが王宮を我が物顔で闊歩する――それを許した幼すぎる王女の軽断――話の種はいくらでもあった。彼らに共感する者達でよく語り合ったのだ。どこか、惨めさを感じながら。

「着いたか」

言葉に安堵の念を滲ませながら彼はそう呟いた。一瞬でも時間が惜しいかのように業者に命じた。

「私が来たと伝えよ」

「はっ」

素早く答えて屋敷の門へ駆けていく従者を横目で見ながら男は深く息を吐いた。馬車の中、焦りのせいでじんわりと湿った手のひらをハンカチで拭きながら男は屋敷の主に会うことを待ち続けた。同じ信条を持ち、長年辛苦を供にしてきた彼ならば、自分の擁護をしてくれるに違いないと信じていたから。

従者が門で彼の来訪を告げてからこちらに帰って来るまでが異様に長く感じられた。その表情が目に入った時嫌な予感がした。男は焦っているからだと自分に言い聞かせる。しかし、従者の言葉は彼の予感を裏切らなかった。

「いない……だと!?」

「そ、そのように申されました」

「馬鹿な!」

屋敷の主は不在だと言われて、追い返されてきたという従者を怒鳴りつける。

「彼が今日、この屋敷に居ることは知っているのだ!確かに確認した上でここに来たのだぞ!」

「し、しかし」

「ええい、もういい! 私が行く!」

しどろもどろに弁解しようとする従者を叱りつけ彼は馬車を降りた。彼ほどの貴族であれば、門番に来訪を伝えるのは従者の役目であって、自ら話すことなど普通はしない。

「私だ、門を開けろ」

門番にそう言い放つ。たかが召使、彼の言葉を無視できるわけがない。しかし、――

「っ、……申し訳ありませんが主の許可がない以上、屋敷に入れることはできません」

「なっ!?」

門番の返答は否だった。あまりにあっさりと。

「馬鹿な! 私が誰だかわからないのか!? 許可がない!? そんな馬鹿な話があるものか!!」

愚弄されたように彼は感じた。一介の召使ごときにこのような口の聞き方をされるのは。視界が白かった。頭に血が上りすぎたのか碌に不埒物の顔さえも見えなかった。

「主の許可がない以上――」

「もういい!」

木偶のように同じ断り文句を繰り返す男に怒鳴り返すと、彼はきびすを返して馬車に乗った。

屈辱だった。何もかもが。長年の盟友と彼が信じた男は、この窮地にあっさりと彼を見捨てた。そうでなければ、彼が強く命じなければ召使ごときが彼に歯向かえるわけがない。そして、その召使の見下すような目。そんな扱いを受けながらも頭を下げざるをえない自分。その原因を作った王女……

「あの……どうしましょうか」

「っ、とっとと出せ! こんなところにもう用はない!」

愚鈍にも分かりきったことをおずおずと尋ねてくる従者に男は怒鳴り返した。苛立ちを隠さない男に従者はそれ以上何も言わずに馬車を発進させた。

石に車輪があたったのか馬車が揺れた。

「おのれ……」

街路すら馬鹿にしているかのように彼には感じられた。怒りに震える手を握り締め、憤慨に歪む唇をかみ締め彼は呟いた。

このままでいいはずがなかった。いわれのない罪と罰を前に、何もしないで不名誉と死を待つことなど彼には考えられなかった。

また、石に躓いたのか馬車が揺れた。






「ようやく、帰ったか」

閉められたカーテンの隙間を通して馬車が屋敷から去っていくのを確認して男は呟いた。見送った馬車に乗っていたのは長年志を同じくしたかつての仲間である。そして王女ににらまれおそらくそう遠くないうちに消えるだろう他人だ。係わり合いになるべきではない。

男は、旧友を見捨てることにいささかのためらいも感じなかった。どうせ、彼を助けようとしても無駄だろうから。そして、その結果、男まで反王女の代表者とにらまれる危険すらあるのだ。ならば何もしないほうがよい。どの道、王女を止めることができない以上――

――ならば、彼を売ることで他の安全と地位を保証する方が良い

「仕方がないことなのだ」

弁解がましい言葉をそう男は呟いた。あの、伯爵に既に話は通してある。もう二度と彼の姿を見ることはなくなるだろう。ただ、それだけの話だ。






「それでは私が会談から帰るまでに幹線路開発の計画を纏め上げておいてください。それぞれの責任者、技術者、人員の必要数と賃金はもちろんですが、その後のメンテナンス等についてもなるべく詳しくお願いします」

椅子に深々と腰掛けながらそう言う。誕生会当日に体調を崩してから、まだ完全に回復していないだけに毎日の政務は辛く感じられる。余力がないため優先順位の低いものは片端から後回しにしている。それでもエルフとの会談に向けての、国内の各組織やロマリア皇国を始めとした外国との事前の調整、それに道路の敷設計画は後回しにすることはできない。それゆえにそれほど楽にはならなっていない。

「御意」

しなやかに輝く金髪と透き通るような碧眼、ロラン・ド・アルクール、名門の出では珍しく私が宰相になってから頭角を表してきた者の一人であり、最重要の政策である幹線道路『敷設』の責任者である。前例のない政策であるがロランは苦労しながらもよく纏め上げている。深々と頭を下げると、後ろに控えた黒髪にさえない顔つきの副官、アラン・ド・チャルトンを従え去っていった。

彼らが部屋を出ると同時に今度はマザランが部屋に入ってくる。

「例の手紙についてロマリアからの返書が来ています。それと各国にガリアにエルフとの交渉を委託することを告知したそうです」

そう言ってマザランは一枚の封書を手渡した。封を切って目を通す。

「……やはり、と言うべきなのですかね。……引き続きロマリアの動向を見守ることお願いできますか、マザラン卿?」

小さく息を吐く。彼らの立場からすればこちらの動きに対抗することは十分に予想できたことである。とは言え予想以上に対応が早い。この段階で動くというのは全く想定していなかった。これまでに彼らが得られる情報だけでは私が本当は何をしようとしているのか予想できるとは考えられないからだ。だからまだ動くことはないはず、と思っていたのだが。いずれにせよ、ロマリアが意思を変えて、エルフとの交渉を異端と認定すれば、私の戦略の柱の一つが崩れかねない。

「はっ……それと、お聞きしたいことがあるのですが」

珍しくマザランが私に質問を投げかけた。

「何でしょうか」

「殿下は、ロマリアとの交渉でこれを目的にしていたのですか?」

「……最重要の目的は東方の安全を確保することでした。幹線道路の敷設を決定した段階でこれが必要だと考えていました。大人数が往来可能な道路は軍隊が移動することも容易ということですから、周辺国家との関係は今まで以上に重視する必要があります。当然、何らかの手段を使って東方から攻め込まれるような事態が起こらないようにする必要があると考えていたのです」

「それならば……そこまでして幹線道路を造る必要があるのですか?」

「あります」

ためらいがちに疑問を呈するマザランに断定の言葉を返した。必要、そう私の目的のためにこれは欠かすことはできない。

「少なくとも、私はそう信じています」

「しかし、ガリアに攻め込む可能性があるのは何もエルフだけではありません。ガリアに隙ありとみればゲルマニアなどはすぐにでも攻めてくるでしょう。確かに商人の登用など殿下の行った政策は大きな成果を上げてきました。ですが、この度の殿下の計画は地方領主に反感を持たれています。事と次第によっては――」

「では、彼らが気に入らないことは何もしないようにするのですか?」

マザランの言葉を遮って尋ねる。

「もちろん、そうは申し上げておりません。しかし、今のガリアは王位継承者時の問題を引きずっております。その状態で地方貴族の反感を受けるような行為は、――」

「マザラン卿、私は人気取りをするために宰相になったのではありません。反感をもたれることなど初めから覚悟の上です。ガリアの問題を解決するために、それを避けて通れるなど思っていませんから」

「しかし……しかし、この計画はそれほどの結果を期待できるのですか」

「有ると私は確信しています。それにどの道、現状のままではガリアは衰退していくことは貴方も予想できるのでは? 国政に長く携わった貴方なら、今のガリアにはびこっていた不正、腐敗について知らないわけではないでしょう。もちろん、破産した農民の増加、都市の治安悪化、メイジや亜陣を含んだ盗賊団の存在など、この前行った国勢調査で明らかになった問題にも対処しなければなりません」

「けれど、これは前例のまったくないことです。必要となる莫大な資金を使ってまでやる価値があるのですか? うまくいく保障はどこにもありませんのに」

「前例のあるやり方ではうまくいかなかったのです。だからこそ、ガリアはここまでの危機的な状況に陥りました。これ以上問題の先送りは許されません。このままほうっておけばガリアは立ち直ることすら不可能に成るでしょう。今ならまだ、再生は可能です。ならば前例のない方法に頼るしかないでしょう」

「……」

「先の見えない道を進むことに恐怖を感じることは当然です。しかし、それでもその道を進むからこそ貴族で在れるのです」

「……御意」

額にしわを浮かべながらそう答えるとマザランは部屋を出て行った。私の意見に同意したというわけではないのだろう。だが、説得は無理だと諦めたのか。まあ、気にすることではない。内心どう思っていようと、私の要求に応えている限り問題はないし、余計なことを考えている時間もない。

マザランが部屋を出てすぐに今度はトゥールーズ伯が書類を携えながら入ってきた。

「エルフとの会談場所、アーハンブラ城へ移動する際の随行員の最終計画書をまとめましたので殿下にお目どうし願います」

「ご苦労様です」

そう答え渡された書類に目を通した。私が倒れたこともあって、会談の計画から決定までの時間はほとんど取れなかった。にもかかわらず、官吏、身の回りの世話をする人員、護衛兵、王宮との伝令法、不足の事態が起きても十分に対応できるだろう。ロマリアの支持がある以上、他の国々がこの会談にあわせて動く可能性は低いと思う。が、万が一が起きてからでは遅いのだ。

「それと、フルメルン侯爵が叛意を抱いているという噂が流れているようなのですが」

「はいい?」

不意打ちともいえる伯爵の思わず素っ頓狂な声を上げる。フルメルン侯爵、記憶が正しければそれなりの歴史を持つ名門の出である。典型的な名門貴族であったため、私が宰相に就いてからは冷遇されている。それを不満に思ってはいるだろう。だが、だからといって罰するつもりは私にはない。それを行っては政治が成り立たなくなる。

「伯爵、噂を気にする必要はないでしょう。私は噂だけで誰かを罰するつもりはありません」

「しかし、フルメルン侯爵が殿下をよく思っていないことは、日ごろの言動から明らかです。これには証人もいます。である以上、噂とはいっても――」

「トゥールーズ伯爵、私が何よりも大切にしていることは自分自身の考え、信念に基づいて行動することです。他者の考えに流されているだけでは結局何もできないと確信しているからです。そして、これは誰であろうと認められる権利であって当然でしょう。もちろんガリアに使える以上課された責務はこなさなければいけません。ですが、私を批判することが必要だと考えているのならば、それを罰するつもりは私にはありません」

「本当に……そうですか?」

含みのある声で伯爵は尋ね返した。ディカス公爵……の話だろう。理論的にはあの件での私の行動と今の話は矛盾している。とは言え、――

「もちろん、ガリアに損失を与えるなら相応の対応はするつもりです。……仮に、ある人物の言動で国政が動かなくなるようなことがあれば話は別です。しかし、これはあくまで非常時の……手段です。使わないで済むならそのほうが好ましい、と私は考えています」

私は権力を握るために粛清を利用した。だが、宰相になってからの付け焼刃な体験から、国家を運営するためには多くの人間が必要になることは痛いほど理解しているつもりだ。その人手が足りない以上、私をどう思っていようとも、使えるなら使うしかない。そして、使う以上、彼らのやる気を高めることも必要なのだ。いつかのように不満を解消する手段としてストライキに訴えられては政策が大きく狂ってしまう。粛清は反対派を容易に押さえ込める手段ではあるが、同時に、臣下のモチベーションや活発さをも失わせる欠点もあると思う。それに――

「……今はエルフとの会談を控えています。この時期に政情不安の種を作り出すことは避けるべきでしょう」

「……分かりました。殿下がそうおっしゃるのでしたらこの話は終わりにしましょう」

そういって頭を下げるとトゥールーズ伯爵はきびすを返し、執務室から出て行った。言葉には僅かながら不満の意が含まれているように感じられた。

「ふう」

椅子に深く寄りかかり小さくため息を吐く。書類の処理、計画のまとめなどはできるだけ他に任せるようにしているが、疲労感はぬぐいきれない。とはいえ、配下をまとめるなど、他に任せることのできない問題は私がやるしかないのだ。例えば、トゥールーズ伯爵は優秀なのだが反面、攻撃的な性向が強く、他者との協調性に難がある。そのため、私が彼らの間に入り互いに折り合いをつけさせるのだ。もっとも、伯爵の言いたいことも分かる。私自身、与えられた仕事を満足にこなしていないにも関わらず文句ばかりを言う彼らに苛立ちを覚えることがないでもない。それでも、今はまだ、彼らが必要なのだ。それに中には私の要求に応えられる者も出てきている。使わない手はない。

「……さて」

外を見ると日が暮れている。今日、やらなければいけないことは終わっている。明日はアーハンブラに移動することになるから早めに休んでおいたほうがいいだろう。そう思い、机の上に散乱した書類をまとめて整理した。

「それでは、何か緊急の連絡があればすぐに私に伝えてください」

「御意」

執務室の前に立つ近衛兵にそう言うと、私は夕食をとりに私室に歩いていった。






「不機嫌そうですね」

縮れた赤毛の髪にそばかすを持つ男が王女との最終確認を終えて彼らの執務室に戻ってきたトゥールーズ伯爵にそう話しかけた。

「ふむ、そう見えるか?」

伯爵がそう尋ね返す。

「ええ、気が付いていませんでしたか?」

「いや、そうだな、あまり気分は良くないな」

彼の言葉で機嫌を損ねたことをはっきりと自覚したのか、苦みばしった表情を浮かべながら伯爵は答える。

「また、王女殿下が伯爵の思い通りに振舞ってくださらなかったというわけですか」

そう言いながら、彼は自らの言葉に面白みを感じたのか口を歪めた。いくつかの噂を思い浮かべる。対する伯爵はさらに不快感を露にして言う。

「私が殿下の後ろで糸を引いている、か……連中はずいぶんと想像力があるのだな。それを他に生かすすべは持たぬようだが――」

王女イザベラが宰相になってから後のあまりに手際よく進んだ一連の出来事、それは裏で糸を引いている者がいるからだ、という憶測は広く噂になっていた。そして、決まって黒幕として挙げられるのがトゥールーズ伯爵である。

流石に王宮で王女と直接話をする者にこの噂を信じているものは少ないが、王宮から爪弾きにされている者達の間では事実であるかのように囁かれているという。

事実、王女が宰相になって以降、地方の貴族などから伯爵宛に金品等の贈り物が届けられるようになったと彼は聞いていた。真の実力者と信じている伯爵に取り入ろうという魂胆なのだろう。

「――殿下が私の言いなりになるなど……それこそ世界が崩れない限りありえないだろう。もし、――」

もし、の次に何を言うつもりだったのか。伯爵がそこで言葉を切ったのでそれは分からなかった。

ただ、王女が伯爵の言いなりでないということは彼にとっても明らかに見える。伯爵が王女を利用したということには彼も同意である。今の伯爵の立場は王女の後ろ盾によって成立したものだからだ。だが、王女を伯爵が操っているという話は彼には嘘にしか聞こえなかった。これまで王女の考えが伯爵のそれと違う場合、彼女はいつも自分の意見を押し通してきた。それも伯爵の演技と計算の内である、という陰謀論はありえないと彼は思う。部下として付いた彼から見て、伯爵はそんな器用な性格の持ち主ではない。裏で糸を引くというよりどちらかといえば自ら権力を振るう事を好むタイプだ。

それならば、とマザランが王女を操っているという噂もあるが、これは伯爵のそれよりも信用度が低い。王女が打ち出した奇抜とすらいえる数々の政策がマザランの考案によるとは考え難いからである。他の影で意図を引いているとされる人物についても、平民に徴税の監査を任せたり、エルフとの交渉を進めたりといった、大きな混乱を呼びかねない政策を推し進めようとするとは彼には思えない。

もっとも、誰彼が王女の裏にいるといった噂が絶えないという理由は彼も分かる気がした。怖いのだ。ようやく年齢が二桁に達したに過ぎない少女がガリアの進む道を決定しているということを認めるのは。他の人間が思いもよらなかったことを王女はあっさりと考え出すことが。それが失敗に終わるからと思っているからではない。その結果がどうなるかが予想もできないから、分からないからこそ怖いのだ。闇の中を歩く者が感じる恐怖と同じようなものを感じてしまうのだ。だから、好む好まざるは別にしても王女の後ろに誰かがいると信じたいのだろう。それならばまだ、王女が自分自身で動いているという理解し難いことより安心できるから。

ちらりと自分の上司を見やる。相変わらず不機嫌そうな表情で書類を書き上げていた。その顔を見ながらふと、怖くないのですか、そう尋ねてみたい衝動に駆られた。

「どうした?」

こちらの視線に気が付いたのだろう、伯爵が尋ねてくる。

「……いえ、何でもありません」

「ぼんやりとしていたか? 気を散らす暇があったら仕事に集中しろ」

まさか尋ねるわけにもいかず適当に言葉を濁すと、いつもどおりの叱責が飛んできた。

「はっ」

慣れきったその言葉にすぐに次の仕事に取り掛かると伯爵はそれ以上何も言ってこなかった。仕事を進めながらまた一瞬伯爵のほうに目を向けると、難解な書類に取り掛かっているのかこちらには気が付きもしなかった。

その様子を見て、彼はふと確信に似た考えを抱いた。伯爵はきっと恐怖などかけらも覚えていない。自らの力を振るえる機会に全精力を傾け、そしてその結果を信じている伯爵には怖れを感じる理由がないから。空を見ている者は足元など気にしない。たとえ全ては理解できないとしても。

(私はそこまで信じることはできない。ガリアに改革が必要なことは認めても、自分のやっていることが正しいと信じきることは……だからこそ怖いのだ)

彼は胸中でそう呟いた。






「ビダーシャルという」

唖然とするほど無愛想な言葉、それが目の前のエルフの代表が口にした最初の言葉だった。一瞬面食らう。今まで私が公的に接してきた人物は皆お世辞を言ったりごまをすったりに余念がなかった。例え臣従する相手でなくとも一国の王女、そして宰相である以上、腹の中で何を思っていようが一定の敬意は必ず払われる。しかし、エルフの言葉にはそういったものは皆無だった。

けれど、目の前のエルフは特に意識してそういったという様子ではない。エルフにとってはこれが常識なのかもしれない。

エルフ側はビダーシャルを含めて三人、こちらの代表は私とグラス伯爵、それにトルールーズ伯爵である。背後には他にも控えているが今回彼らに発言権はない。それらがアルハーブラの大広間に詰めている。

私に付き従った二人、特にグラス伯爵はその「無礼」を簡単に納得する事はできなかったようだ。不快そうな顔を見せている。が、敢えて無視した。ハルケギニアの常識を交流がほとんどなかったエルフに求めることは無駄に過ぎない。とはいっても――

「イザベラと申します。まず、聖地について確認をしておきたいのですが。エルフ領の国王には予め話はしてあったと思いますが」

私の言葉にビダーシャルは不快そうな顔を見せた。私を冷たく見据えて言う。

「……我々は王を持たない。お前達と違い我々は一人の人物に権力を集中させる事の愚を知った。故に我々は王を持たず任期を定めた統領を選出するのだ。我々は平和を望んでこの会談の申し出に応じた。しかし、お前達の侮辱を許してまで和平を結ぶつもりはない。そもそも短命の人間の中でもまだ子供のお前が代表などこちらは聞いていなかったぞ」

「無礼な!!」

さすがに我慢が限界に達したのか、机に拳を叩き付けてグラス伯爵が立ち上がった。それを片手で制した。

先ほどのビダーシャルの言葉は私にも容認しがたいものだ。この交渉でエルフに屈したという印象を国内の貴族や各国に持たれる訳にはいかないからである。とは言え、この会談を失敗に終わらせてはならない。

その為にはまず、エルフの目的を知る必要がある。これまでの会話から、エルフ側としてはハルケギニアとの共存を求める意思は少ないと感じられた。少なくとも、『蛮人』相手という侮りがあるのだろう。それなのに今、会談に素早く応じた。つまり、今ハルケギニアとの戦争は避けたいということか。そう見るならばトゥールーズ伯爵の推測は当たっているのかもしれない。

けれど、それだけでは困るのだ。ロマリアの許可があるとはいえ、リスクの伴うエルフとの交渉をすることにした以上、確固たる成果が必要になる。そして、もう一つ、今後の布石として……

「これは失礼。共和制、というものを良く知らないので誤解してしまったようですね。ですが――」






「ですが、誤解というのは双方に起こりうるものではないでしょうか」

静かに笑みを浮かべながら王女はそう切り替えした。

「……」

その反論が予想外だったのか一瞬ビダーシャルは押し黙った。硬直が解け反駁のためか言葉を口にするのを遮るようなタイミングで王女は話を再開した。

「私たちは確かにあなた方との平和を望んでいます。しかし、頭を下げてまで求めるつもりはありません。それは、あなた方も同じでしょう? 」

「……そうだ」

短い沈黙の後、ビダーシャルはそれだけ答えた。

「私はそれが当然だと考えます。自らの属する国に誇りを持つこと、それは政治を行うものにとって大切なことだと思いますから。ですから、それを愚弄されたと感じたあなた方の気持ちも想像できるつもりです。ですから、そのことについては謝罪します。しかし、――」

一呼吸。

「しかし、私たちは私たちの考える礼儀を尽くしたということを誤解しないでください。それが、残念ながらあなた方にとっては非礼に当たったということです。ならば、その逆は考えられないでしょうか?」

「どういう意味だ?」

「あなた方の振る舞いが私たちにとっては礼を失したものに感じられた部分があったということです」

「王である以上敬意を向けられないと気がすまないということか? それならば言っておくが、我々はそれが誰であろうと特定の人物をあがめるような事はしない。個人への過剰な尊敬は王を生むことを歴史から学んだからだ。さらに言えば我々はお前に仕えているわけではない」

「ええ、もちろん私はあなた方にそのような態度を要求はしません。しかし、平和が成り立つためにはお互いに敬意を持つことが大切だと思うのです。自らに誇りを持つことは良いことですが、相手は自分の下にあると見下しては本当の意味での平和は訪れないでしょう。一方が屈する形で結ばれた平和はその力関係が変わったと脆く崩れるものです。これは人とエルフの歴史からでも十分学べることでしょう。……人とエルフとの交流がほぼ全て攻防戦に終始していたことを考えれば平和を持続させるためには双方ともに努力が必要ではないでしょうか? 今までの関係では平和は実現しなかった、その歴史から私たちは学ばなければいけません」

そこまで言って王女は話を終えた。

「……何故、お前はそこまでして平和を求めるのだ?」

短い沈黙をはさんでビダーシャルはそう尋ねる。

「人とエルフは長く争ってきました。しかし、隣同士で生きていくしかない以上、いがみ合いは双方にとって不利益となるはずです。もちろん、これまでの歴史を振り返れば一時的な和平は結べても、恒久的な平和を構築することは極めて難しいでしょう。ですが、今、こうして話し合いの場を設けることができたからには、できる限りの努力をすることがよりよい明日を創ると信じているのです」

「……我々としては今回そこまで踏み込んだ話をするつもりはなかったのだが――」

ビダーシャルはそこまで言って少しの間息を止めた。

「平和が構築できるというのならば我々にとっても利益となる。イザベラ、お前となら話し合いをすることも可能だろう。本国のでもできる限り説得してみよう」

「感謝します」

ビダーシャルの申し出に王女はそう答えた。






「疲れた……」

個室で一人、そう呟いた。アーハンブラ城の一室である。会談は終わり、交渉団のエルフ達は既に東方に帰った。ロマリアとは違い直球で話をするエルフとの交渉だったがこれはこれで神経を使うものだった。結果はまあまあといったところだろう。公式に貿易を行うところまで合意を取り付けることはできなかったが、非公式での公益と、次回の会談の約束を取り付けることには成功した。いや、エルフの中には人間との和平に否定的な者もいる様であるから、話し合いの場の停止という最悪は避けられたことは喜ぶべきか。

それに、急に話を進めすぎるとロマリアなどから反発が出ることも考えられる。いずれは対立が避けられなくなるだろうが、今はまだそれは不味い。それを考慮すれば最良の結果といえるかもしれない。そう、あくまでこの会談の名目は聖地の返還請求なのだから。後はハルケギニアの動きに注意しながらゆっくりとエルフとの関係を深めていけば、東方については――

「殿下!」

唐突にドアが開けられ一人の衛兵が駆け込んできた。

「何事ですか」

まず間違いなく異常事態だろう。その確信とともに聞く。ノックもなしに一介の衛兵が私の部屋に入ってくるのはそれ以外にありえない。一体何が……ロマリアが方針を翻したのか。あるいはゲルマニアに何らかの動きがあったのか。それともトリステインやアルビオンが?

「反乱が! フルメルン侯爵が反乱を起こしました!」

「え……?」

予想外の言葉に一瞬思考が停止した。フルメルン侯爵、確かトゥールーズ伯爵が言及していた男……口さがないものの噂と気にも留めなかったのだが……

いや、今は考えるよりも――

「反乱の規模はどの程度ですか?」

「詳しいことはまだ分かっておりません」

「では、すぐに調べてきなさい。それとトゥールーズ伯爵をこちらに呼びなさい」

「御意」

そう言って礼をすると衛兵は駆け足で部屋を出て行った。

反乱の規模、賛同者は誰か、各国の関与はあるのか、できる限りの情報を集めなければいけない。できるだけ早く。場合によってはそれが結果を左右するだろうから。

そう思い、私は一枚の用紙を取り出すとすばやく手紙を書き上げた。それに封をしていると部屋のドアが開けられた。

「お呼びでしょうか」

いつもの礼を省き、そう問いながら伯爵が部屋に入ってきた。

「反乱のことは耳にしていますね?」

「はっ」

「では、あなたは早急に王宮に私の手紙を届けてください。それと、――」



[4219] 宰相閣下に憑依しちゃった!?十二話
Name: なんやかんや◆5615cca5 ID:e2426feb
Date: 2010/03/09 09:51
「状況はどうなっている!?」

「陛下はどこに!?」

「王女殿下は!?ご無事なのか?」

誰も予期していなかった突然の反乱にガリアの王宮は混乱の真只中にあった。もっとも普通ならこれほどまで王宮が混乱することはなかっただろう。しかし、国王であるジョゼフはラグドリアン湖に御幸に出かけており、そして実権を握る王女はエルフとの交渉のために王宮にはいない。つまるところこの混乱に収拾をつけられる者がいないのだ。少し前、先代の王の在命中はこのようなことは起きなかっただろう。王がいなければいないでマザラン卿やディカス公爵など力を持つ有力な貴族が事態の打開に動いただろうから。だが、ジョゼフ即位後の粛清、そして王女の集権化によってこれらの有力貴族は王宮での力を軒並み失った。結果、トップがいなければ王宮をまとめる者は居なくなり、このように右往左往することになるのだ。

「すぐにでも王軍を送るべきだ!」

「まずは陛下と殿下のご無事を確かめるのが先では」

「まずは状況を調べなければ」

各々が自分の主張を唱えるばかりで、会議は一向に結論を出せそうになかった。

ドアの開く音がしたのはその時である。混迷を深める会議室、そこに一人の男が入ってくる。

「トゥールーズ伯爵!」

一人が驚きとともにその名を口にする。現在王女とともにいるはずの人物である。アーハンブラから強行軍で王都に帰還したのだろう、髪や服装には若干の乱れが見られた。自然と貴族たちは口をつぐんだ。

「まったく不甲斐ない、反乱が起きたというだけでここまで浮き足立つとは」

部屋の全員の注目を受けながら、いつもと変わらぬ嫌味を口にしながら伯爵はまっすぐに部屋の中央に歩いてきた。静まり返った部屋に伯爵の声が響く。

「イザベラ姫殿下の命令を伝える。まず、――」

そしてそういうと伯爵は脇に抱えた手紙の封を切って広げた。会議室が再びざわめく。

「姫殿下はどこに?」

王女の不在に疑問を感じたのか金髪の男、ロラン・ド・アルクールが伯爵の言葉を遮ってそう疑問の声をあげた。

「……殿下は反乱の鎮圧に向かわれた」

若造ともいえる男に話を中断されたのが気に食わなかったのか、あるいは答えた後の反応を思ってか、短くない沈黙をはさみ伯爵が答える。

「な!?」

伯爵の言葉に部屋に動揺が広がる。

「伯爵、殿下のそばにいながら、なぜお止めしなかったのだ! 殿下の身に何かあったら一体どう責任を取るつもりか!」

詰問するかのようにロランは伯爵に詰め寄った。その様子に周りから追従の声が上がる。伯爵がにらめつける様に視線をやるとそれらの声はすぐに消えた。それでもなお、追求しようという様子をとり続けるロランに対し煩わしそうに伯爵が答える。

「殿下がお決めになったことだ」

「そうだとしても、危険があれば止めるのが臣下の務めであろう! 伯爵、貴方の行いは背信行為ではないのか!?」

勢いあまってか、血気盛んな若者はそう言い放ってしまった。その言葉に会議室は凍りつく。流石に言い過ぎたと思ったのか、ロランは僅かに顔を青ざめさせた。だが、意地があるのか、先の言葉を撤回する様子は見せない。

「……貴様」

しばしの間をおいて伯爵は唸るような声を出す。その手にはメイジの武器、杖が握られていた。反射的に対峙したロランも杖を構える。火種があればすぐにでも発火しそうな危うい雰囲気に周りの貴族たちは顔を青ざめさせた。

「やめないか!」

一触即発の二人の間に叫び声とともに割り込んだのはマザラン卿だった。

「争っている場合ではないだろう! アルクール卿、杖を納めよ。トゥールーズ伯爵、貴方もだ」

「……」

「……」

マザランの制止に二人は何も答えなかった。が、やがて渋々といった様子で、お互いに視線をそらすことなく、杖をしまった。それを見届けてからマザランは小さなため息をつくとトゥールーズ伯爵に向き直った。

「では殿下のご指示をお聞かせ願いたい」

「分かった……その前に言っておくが、反乱の規模についていろいろ流れているようだが、こちらで得た情報ではどうやらフルメルン侯爵が単独で起こしたものらしい。周囲の貴族に反乱に賛同するようにも求めているようだが、今のところ特に追随する勢力はないとのことだ」

「おお、それは」

「それならば容易に鎮圧も可能でしょうな」

伯爵の情報に部屋の緊張感が一気に緩まる。一時はガリア北方で大反乱が起きたというデマが流れたことも考えれば、彼らの安堵は当然だろう。一領主の反乱程度なら容易に鎮圧可能な規模だからである。とはいっても――






「今のところは、か」

マザランは小さく呟いた。反乱の規模についてのデマ情報でここまで王宮が混乱したのは、今のガリアはその嘘が現実のものと成ることを笑い飛ばせない状況にあるからだ。先代の時代には国内で反乱が起こるなど考えられなかっただろう。汚職や腐敗はあったにせよ、王権に反旗を翻そうとまで思う者はいなかったからである。しかし、王位継承争い時の大規模な粛清、それに続く王女による中央集権化への断行、それらは確実にガリアに不満と怨念をもたらしている。その結果としてガリアの汚職が大幅に少なくなったとしても、いや、だからこそそれによって利益を得ていた者達の怒りは大きい。

その上、ディカス公爵の処刑である。一応、処刑は正当な手続きを則って行われたが、多くの貴族はディカス公爵が嵌められたのだと信じているし、おそらくそれが事実なのだろう。トゥールーズ伯爵の入れ知恵があったのかは分からないが、この件に王女が深くかかわっていたことは間違いない。

それがマザランには惜しく思えた。何故他の選択を選ばなかったのかと考えてしまう。確かに王女が自由に権限を振るうためには対立していたディカス公爵を排除する必要があったのかもしれない。

だが、一度家臣を謀殺したという事実はこれからずっと王女に付きまとう。一度やったことなら、二度目もやるだろうと誰もが王女を見ることになるだろう。長期的な視点から考えたとき、そのリスクを被ってまでディカス公を退けることにメリットがあるのかと考えずにはいられない。それを王女は認識しているのか。あるいはトゥールーズ伯爵は考慮しているのか。おそらくは知っていても重要視していないのだろう。

だが、怨まれること、信用を失うことのデメリットは王女が考えている以上に大きいものだ。今のトゥールーズ伯爵の父親を初めとして多くの力のある貴族の末路を見てきた彼だからこそそう感じてしまう。王女の才覚があればもっと穏便な手法も可能であったと思えるからこそ、もっとゆっくりと事を進めることが許される時間、未来を持っているからこそ、余計に惜しく思われるのだ。

もっとも、マザランのやり方では抜本的な解決にはならない中途半端なものに過ぎないと見る者もいる。けれど、ガリアという大国を動かす以上、必要のないギャンブルは避けるべきだと彼は思うのだ。

(いや、今更か……)

首を振って思考を切り替える。もう起きてしまったことを後悔したところで何も変わりはしない。政治にかかわっている以上、上手くいかない事、思い通りにならないことなどいくらでもある。だから、今できる最善を行っていくしかない。今は反乱の早期鎮圧を急ぐべきだ。混乱が続けばさらに王権に叛旗を翻すものが出てくる可能性もある。そう思い、トゥールーズ伯の言葉に意識を傾注する。

「——花壇騎士団に国境ならびに主要な街道の検問行わせること、リュティスにあるフルメルン候の屋敷の捜索、それ以外のことは通常通りに執り行うよう。……以上だ」

そう言って伯爵は手紙を読み終えた。いつものことながら一切の修辞を省かれた独特の文である。必要な場面ではそつなく使えることを考えれば、この書き方は王女が修辞麗句を知らない為ではなく性格によるものなのだろう。この手紙の書き方一つとっても簡略で好ましいと見る者と、格式や伝統を蔑ろにする態度だと言う者もいる。

「騎士団を反乱の鎮圧には使わないのですか?」

「ディカス天領に派遣されている兵だけで十分だというのが殿下のお考えだ。反乱そのものは脅威ではない。それより、この反乱に乗じて動く勢力の牽制のほうが重要とのことだ」

王女の指示に疑問を持ったのか一人の貴族が問いを発した。トゥールーズ伯はそちらに一瞥をやってから答える。

「……」

疑問を呈した貴族は微かに躊躇したが、結局何も言い返さなかった。

いずれにしても、王女の指示に逆らう気はないのかトゥールーズ伯爵が説明を終えると、貴族達はすぐに動き出した。内心どう思おうが今は問題解決の為に協力する必要があると誰もが分かっていたから。






「反乱の総数はおよそ千、対するこちらは八百……微妙な戦力比だな……」

『早急に反乱を鎮圧せよ』、王女からの命令書を眺めて、ため息を吐きながらディカス天領——旧ディカス公爵領——の代官であるコリニー卿は呟いた。今の所、反乱はフルメルン侯爵領のみであることを考えれば千という兵力は多すぎる。集めた情報から考えて、おそらく傭兵や夜盗などならず者を傭兵として組み込むことでそれだけの兵数を確保したのだろう。というよりも、傭兵とは平時はならず者になるのだが。訓練の時間も無いであろうし、正直ろくに統制がとれる集団とは思えないが、それだけに次の行動を予測しにくい。

対するこちらは領主の処刑で不安定となった領土の治安回復の為に南花壇騎士団と平民兵による混成軍五百に、ディカス公領の兵八百、の合計千三百である。しかし、この領の治安維持のために兵を残しておく必要性と兵の錬度を考えれば実質的に動かせるのは八百程度であった。平民の割合が多い軍であり、士気が高いとも言えない。負けるとまではいかなくても、この人数で戦って必ず勝ちきる自信は彼にはない。

ならば、兵を増やせば良いと、周辺の領主には応援を申請したが、すぐに兵は出せないという返事が来ている。晴天の霹靂とも言える反乱に常備軍をそろえていない地方領主では仕方があるまい。もっとも、軍があったからといって彼らが必ずこちらの側につくかと問われれば、はっきりと答えることはできないのだが。

けれど、いずれにしても短期的に彼らが動くことはない。兵が揃わない以上、できないのだ。だから、可能な限り素早く反乱を鎮圧するという王女の方針は間違ってはいないと彼は思う。問題は確実に反乱を鎮圧する為には用意された兵力が少なすぎるということだった。少ない空き時間を利用して王女に彼は花壇騎士団からの援軍を求めたが返事は否だった。

「しかし、やるしかないか」

命令とあらば軍人である自分は従うしかない。そう思い再びため息を吐きながら立ち上がった所で、部屋のドアが開いた。

コリニー卿はノックがなかったことに微かな違和感を覚えながらそちらに目をやり——

「イザベラ殿下……」

——次の瞬間呆然とすることになった。

今ここにいるということはエルフとの会談の終了後すぐこちらに向かったのだろう。蒼の長い髪は若干乱れ、顔には疲労が見て取れ、しかし、それでもなお眼光の輝きは陰りを見せていなかった。

「何故……」

そう彼は呟いた。フルメルンの反乱は小規模なものであり、鎮圧のために王女がわざわざ現地に来る必要はない。破れかぶれとしか思えない反乱など、一個騎士団の派遣で十分すぎるほどである。

確かに今回のような反乱を再び起こさないために鎮圧後の対応は十分に考慮する必要があり、それを見越して王女がここまで来たということは十分に考えられる。状況を正確に認識した上で自由に処置を決められるだけの権限を持っている者は国王かあるいはこの王女だけだろう。そして、この少女ならばその必要性を認識できるだろうから。

だが、王女がわざわざ反乱の発生地に行くのであれば絶対に精鋭の花壇騎士団を投入するべきだ。練度の低い兵だけで鎮圧に向かうなどリスクが大きすぎる。そのことは伝えたはず。そして、それが理解できないとも思えない。ならば、何故、そう呟きが漏れたのだ。






「殿下、やはり騎士団を投入するべきでは? 小規模な反乱の様ですが殿下の身に万が一のことあってはいけません」

馬車の中、グラス伯爵の本日三度目になる諫言を聞きながら私は目を瞑っていた。

確かに、グラス伯爵の言葉は正しいのだろう。コリニー卿からの手紙にも同じことが書かれていた。だが、——

「この程度の規模の反乱に正規軍を投入することはガリアの威信を傷つけかねません。それに、この反乱自身よりもこの動きに乗じる勢力がでて来る可能性の方が脅威です」

そう対外的な理由を答えつつ、思考にふける。

私の目指す世界、その為には貴族だけが武力を担っているのでは都合が悪い。専制こそが固定階級を作り出すのだから。

もちろん、メイジと平民とで戦力を比べれば前者が圧倒的に勝っている。杖さえあれば全てが叶う魔法、持つ者と持たざる者との差は絶対的である。

……けれど、それで諦めるつもりはない。諦めてはならない。そう誓ったのだから。それが——の、——に、——……

ならば、どうするかといえば、答えは思想……になるだろう。本質的に差があるとしても、そのことを意識しなければ差はないものとなる——その為には幾つかの結果を積み重ねる必要があるが——言葉遊びといってしまえばそれまでの策とも言えないもの。だがそのくらいしか私には思いつかないのだ。仕方ないと思いながらも、自分の無力さを恨めしく感じてしまう。

——いけない、とネガティブ思考を振り払う。……今回の鎮圧戦の規模はそれほどのものではない。ディカス天領に派遣された平民の多い部隊だけで十分、とまでは言えないが対応可能であると今まで得た情報から私は判断している。だから、花壇騎士団を使わないことにしたのだ。

もっとも、これが成功したからといって、私の目的の為の一手ともならない。それでもゆっくりと、こういったことを積み重ねていくしかない。たとえ、その過程で——

「で、殿下!?」

コリニー卿の部屋の前までくるとドアの前に経っていた護衛の青年兵士が、こちらを見て驚きの声を上げた。

「コリニー卿にお会いしたいのですが」

「は、は、はいぃ」

気が動転したのかうわずった声をあげながら、彼は慌ててドアを開ける。その横を通り部屋に入った。

ドアの開く音でこちらに気がついたのだろう、口をあんぐりと開けたコリニー卿がこちらに視線を向けていた。

「イザベラ殿下……」

呆然とした様子で彼は呟いた。それを無視する形で私は問いを発した。

「コリニー卿、兵の準備は整っていますか」

「……は、いえ、まだです」

「では急げば後どのくらいで準備ができますか?」

「あ、いえ、しかし……どうして殿下がここに」

「もう一度聞きます、どのくらいで準備ができますか」

当然と言えば当然の疑問を呈するコリニー卿に、けれど、私は取り合わずにこちらの質問を繰り返す。

「急げば……二時間ほどでしょうか」

「分かりました、では二時間後に反乱鎮圧へと出軍することにしましょう。グラス伯爵、貴方はコリニー卿に従い鎮圧軍の準備をしなさい」

「……少しお待ちください、今の話だと殿下が反乱の鎮圧に向かわれるというように聞こえたのですが」

「ええ、その通りです」

コリニー卿の言葉に時をおかずにそう答える。

「いけません、殿下!」

後ろに立つグラス伯爵が声を発した。無視する訳にもいくまいと振り返り、伯爵と向き合う。彼の顔に浮かんだ固い決意に一筋縄ではいかないと直感した。現状、説得にかける時間すら惜しい。小さくため息を吐いた。






「何故止めたのだ、コリニー卿!」

王女が出て行き二人きりになった部屋で相手を睨めつけグラス伯爵は怒りの声を上げた。戦場に行かんとする王女を止めようとした伯爵を抑え、こともあろうに王女の意思に賛意を示したのはコリニー卿であった。王女はこれ幸いとグラス伯爵をコリニー卿に押し付けると部屋の前で控えていた卿の副官を伴い、出兵の準備へと向かっていった。

グラス伯爵がコリニー卿に対し一方的に追求の声を上げる。同じ年代の兵であるが、前者は司令官として軍を率い、後者は一兵卒として戦場を駆け抜けた。軍閥の名門として生まれた者と、領地も持たぬ下級貴族として生まれた者、両人の本来の立場の違いを鑑みればこの光景に疑問を感じるものはハルケギニアにはいないだろう。

「殿下が危険であるならばどんな場合でもお諌めするのが臣下の義務であろう!不興を買う事を恐れたとでもいうつもり――」

「伯爵、協力していただきたいことがあります。事は急を要するのです」

追及を続ける伯爵の言葉を遮ってコリニー卿はそう言った。

「――なんのことだ……そもそも卿が殿下に賛同しなければこのようなことには――」

「私が賛成しようと反対しようと、いずれにしても殿下はご自分の意を通されたでしょう。ならばいたずらに時間を浪費したところで、殿下にも私達にも害はあれど益はないでしょう。ですから、それよりも――」

ある種の確信を顔に浮かべてそう言うと、コリニー卿は伯爵に自らの提案を述べ始めた。






意外にもコリニー卿が私の意見に追随したことでグラス伯爵を説得する手間はかからなかった。なおもごねる伯爵をコリニー卿に押し付けると、すぐに私はディカス領在留軍の副官を呼び出軍の準備を整えるよう命じたのだが、

「――ですので、現在大砲の移動に必要な陸亀がいません。人力で砲を運ぶ場合ですと、我が軍では行軍速度は一日十リーグが精々です。隣領とはいえ、フルメルン侯爵の本拠地のあるレゼスタンまでは凡そ二十リーグあります。というわけでして、今日中に反乱の鎮圧に向かうのは――」

また、と言うべきか、やはり、と言うべきか、この白髪の副官は性急な出兵を止めるよう私に勧めてくる。

確かに治安維持のためにディカス領に送られた部隊は仮想する敵がゲリラ的に現れる山賊などということもあって数は多いが平民の割合が高い。そのため、メイジが主体となる騎士団などと比べ火力が不足してしまう。そういう場合、メイジの少なさを重火器で補うことが一般的である。主として携帯に適した小銃であるが大砲も数門配備されてある。とはいえ、

「ならば仕方ありませんね。大砲はおいて行く事にしましょう」

隣で現状を説明しているコリニー卿の副官に迷うことなく私はそう言った。数をそろえれば大砲は強力な破壊力を発揮するが二、三門では決定的な戦力にはなり得ない。そもそも火薬や砲弾が十分にないのだ。ならば、大砲を運ぶよりも時間や機動力を生かすほうが良い。

それに今まで入ってきた情報――周辺の貴族、王宮の混乱、反乱宣言後のフルメルン伯爵軍の異様な鈍さ――から考えるにこの反乱は計画的なものではなく突発的なものに近いはずである。

もちろんこれらの情報が伯爵によって故意に流されたものであるという可能性もゼロではない。だが、ディカス公の処刑によってガリアの貴族達が動揺している今、伯爵は賛同者がいる事実を伏せるよりも、反乱に多くの仲間がいると宣言したほうが有利である。

それに、反乱を起こした以上伯爵は間を置かずにガリア王国の要所であり、現在もっとも王国が統治に手を焼いているディカス領に攻め込むべきである。王国側によって処刑された記憶も生々しいこの地をその暴政に反駁する者が取り返すという名分が成り立つし、またこの地は防衛にも向いている。

にもかかわらず、伯爵は反乱が明らかになって一日以上が経過した今になっても動きを見せていない。自領に篭って篭城するという選択をした可能性も否定できない。が、ここへ向かう途中でグラス侯爵に聞いた話に依れば、かの伯爵領は要塞も無く防衛には向いていないそうだ。ならば、フルメルン伯爵はこの選択肢を選ぶまい。時間をかけてもよいのならば、王国は伯爵の兵の数十倍の規模で軍を編成できるのだから。

ゆえに伯爵は動かないのでは動けないのではないかという推測ができる。希望的観測で動くことは危険だが、相手を必要以上に大きく見る必要はない。そして、今回の相手はガリアをただ腐敗させることしかできなかった王宮貴族の一人である。反乱が明らかになってから反乱軍を集めだしたなどという滑稽な行為をしているのかもしれない。流石にまさかそこまでこちらに都合のよいことは無いだろうが、伯爵が軍をまとめるのに手間取っているならば当然準備のできる前に叩くべきである。そしてちょうど隣の領に組織された部隊がいるのだ。これを使わない手は無い。

何より時間をかければこの反乱に便乗して他の貴族や他国が動きかねないという危険はあるのだ。騎士団を国境付近に派遣したことで牽制にはなるだろうが、反乱の収拾をつけことに時間をかけてもガリアの益にはならない。

そして、何よりも、これは私の目的にも合致する……

そう思っての言葉だったが、となりに立つ男は焦燥の表情を浮かべた。

「っそ、それは、しかし、大砲の有無は戦力を大きく左右します。特にこのディカス領の在留軍では」

「事は性急な解決を要します。時間をかければ国内の動揺を呼び、各国に付け込む隙を与えかねません」

「しかし――」

「あれ、副長官殿、どうしたんすか? そこのガキは」

……

なおも諫言を続けようと副官の言葉を唐突に遮って一人の兵士が私達に声をかけてきた。話し方や仕草を見るにおそらく平民だろう。部隊の副官と見知らぬ少女という組み合わせに興味を持って話しかけてきたということだろうか。

……しかし……ガキ……

王宮では面と向かって――影では幾らでも怨嗟の声をあげる者はいるだろうが――暴言とも取れるような言葉をかけられたことは無かった。それだけになのか、非常に大きな私は衝撃を受けているのだと思う。もちろん、何も知らないこの男から見れば私は一人の、その、ガキであるのだろう。客観的に見れば私の容姿は確かにそう見えないことも無い。

――いや、しかし、何故これほどの衝撃を私は受けているのだろうか。罵声や陰口などいくらでも覚悟していたはずなのに自分は想像以上に打たれ弱かったのだろうか……そういえば、あの時も――

「っ! バ、バカモノ!! こ、この御方は」

隣の副官の大声で意識が現実へ引き戻された。はっとして下に向けられていた視線を二人のほうへ向ける。周りのことが認識できなくなるほど深い思考に私ははまっていたようだ。

いけない、と自らを戒めて次の行動を思索する。今考えなければいけないのはどうやって早急に部隊を纏め上げて、反乱の鎮圧へ向かうかだ。暴言――彼には無論そんなつもりではないのだろう――になどかまっている暇は無い。

「? このガキがどうかしたんすか?」

……

……そう、かまっている暇など無いのだ。ゆっくりと深呼吸をして気を落ち着けると私は副官に向き直り言う。

「この者の暴言もはや許しがたい。即刻処刑しなさい」

「! し、しかし、殿下、それはあまりにも」

「一度ならばまだしも二度にもわたりこの者は私の名誉を傷つけました。不敬極まりありません」

慌てて私を止めようとする副官に内心ほくそ笑みながらそう言う。目の前の兵士が気安く話しかけてきたということ、それに両者の態度から副官はこの兵士をかばうと思ったがその通りになった。






「殿下、そのことは私からも謝罪いたします。それでもなお、お許しくださらぬとあらば私の命を持って償いとさせていただきたい」

口元に微かに笑みをにおわせる王女に彼はそう言った。迷いは無かった。王女の目が僅かに見開かれる。

「なっ! ドニ副官、それは一体!?」

彼の言葉に旧ディカス公爵領治安維持軍の平民兵士であるギヨは驚愕の声を上げた。

「自分の罪も知らずに罰せられるのでは刑罰の本義に反しますね。もうそろそろ察してきたと思いますが、まずは名乗りましょう。私の名はイザベラ、イザベラ・ド・ガリア。ガリア王国の王位継承権第一位、王女であり、王国宰相にも就いています。あなたの罪は王女たる私への二度にもわたる不敬罪です。もっとも酔狂にもこの者があなたの代わりに首を差し出すと言っていますが」

ギヨに向き直ると王女はそう言って彼を指差した。

「そ、それは」

ようやく現状が理解できたのか、顔を青く、さらに土気色に変えてギヨは彼のほうに視線をさまよわせた。普通の貴族ならともかく、王国の顔の一人である王族に一介の平民が無礼な言葉を駆けた以上、命を持って購えと彼女が言えばそれを止める事のできる法はないし人間もいない。震える彼に冗談だと言ってやれればどれだけ良かっただろうか。自分のような下級貴族の隣にハルケギニア最大の王国の姫君が居る訳がないと。けれど、——

「殿下、私の意志に変わりはありません。この者を罰せられることをお望みならば代わりに私を――」

「駄目です! ドニ副官!」

ギヨが悲鳴じみた声で彼の言葉を遮った。王女の口がぽかんと開いた。

「じ、自分が、自分が——」

目に恐怖を浮かべ、身体は震えている。怖いのだろう。並の感性を持っているならば死を恐れない人間はいない。それでも、ギヨは懸命に彼を止めようとしていた。それが自らの死につながると分かっているのに。

「自分が罰を受けます」

そして、百回同じ状況に置かれれば、百回同じ選択をギヨはするだろう。相手がただの上官であっても……かつて、友を見殺しにした彼とは違い……だからこそ、彼はギヨをここで見殺しにしてはいけないと思うのだ。貴族よりも貴族らしい平民を前に自分が逃げる訳にはいかないと。

「はあ……」

そんな、彼のうちに秘めた意気込みを知ってか知らずか、王女が疲れたように小さくため息を吐いた。

「……せっかく、助かろうという命を捨てるとは……全く、よっぽど……まあ、いいでしょう。あなた方のその誠実さに免じてという訳ではないのですが、名誉挽回の機会を与えます。既に知っているでしょうが、今現在フルメルン侯爵領で反乱が勃発しています。その鎮圧の為に我々は火急に向かわなければいけないのですが、その際の功によって今回の事は不問としましょう」

そこまで言うと王女はいったん口を閉じた。一呼吸おくと再び話し始めた。

「……という事ですので、早急に出兵の準備をします。あなたは――」

と、ギヨに向き直り、王女は言葉を続けた。

「各部隊長に召集をかけなさい。十分以内にここに集合させるように……では、急ぎなさい」

「……え、あ、はい!」

急な展開に死を覚悟していたはずのギヨは展開についていけない様子だったが、王女に急かされて命令を受けたことを理解したのか、慌てて駆けていった。その様子をやはり呆然と見ていることしかできなかったドニのほうに再び向き直って微笑を浮かべた。

その笑みを見て、彼は何故コリニーが王女を止めようとしなかったのかを察した。あらゆる手段を利用して目的を押し通す意志――異常としか言いようのない――、そして彼女が王女である以上、この場にいる誰であっても、彼女を止めることはできない――リスクとリターンが明らかに釣り合っていない事であっても――ということなのだろう。

ドニは自分の肌が粟立つのを感じていた。






「さて、私のことを知らない方も多いでしょうから始めに名乗っておきましょう。私の名前はイザベラ、イザベラ・ド・ガリア。ガリア王国の王女にして第一王位後継者です」

ディカス領駐屯兵が拠点としている屋敷、その正面前にある広場に集められた兵士たちを前に王女は自らの名前を名乗った。暫しの間を置いて、壇上に立つ子供が雲の上としか言いようの無い人物であることを理解した彼らの間に動揺が起きた。それがざわめきへとなったとき、王女は手をまっすぐと天に掲げた。自然、兵士たちの視線がその手に集まっていく。全員の目が一点に向けられ、行動を他に移すまでの間、その僅かな時間に王女の手が静かに振り下ろされた。直前までのざわめきが嘘のように広場は静まり返る。

その広場に王女の声が響きわたった。

「さて、これより我が軍、ディカス領駐屯兵団はフルメルン侯爵領へ進軍し反乱の鎮圧に当たります」

唖然とする兵たちに王女は言葉を続けた。

「今回の反乱は綿密に計画されたものではなく、突発的なものです。故に、謀反を宣言したにも関わらず、反乱勢力は現在烏合の衆にすぎません。数は我が軍と同数程度とはいえ統制で遥かに劣っている彼らを打ち破るのは容易い事です。しかし、反乱勢力が軍として機能するようになれば時間をかければ彼らは勢力を増し、また、他国の介入を招きかねません。ですから、今すぐ動けるこの軍のみで鎮圧に向かうのです」

そこまで言うと王女は左右を見回し問を発した。

「質問を許します。疑問のある者はそれを述べなさい」

広場に凛とした声が響いた。

その半刻後、最低限の装備を整えたディカス領駐屯兵団は異例とも言える速さで反乱の起きたフルメルン侯爵領へと進み始めた。






「お頭ぁ、大丈夫ですかねぇ。あのボンボンたちろくに金も装備も整っているようにはみえねえんすが。一応、財布を預かっているからこそ言っておくんすが、負け戦に参加することだけぁ勘弁して欲しいっす。特に最近稼ぎが少ないっすから」

糸のように細められた目、高い鼻、身軽そうな体、全体的に狐のような印象の男が辺りを見回しながらそう言った。いつもなら農民が畑を耕しているであろう田園は、しかし、今は戦を前にした傭兵たちがたむろする場となっていた。叫び声が上がった。喧嘩でも起きたのだろう。ゴロツキ、ならず者、ヤクザもの、傭兵を端的に表した言葉の通り、そんな連中が集まれば珍しいことではない。さらに、今回は苛立の種――負け戦になるのではないかという――があるから尚更だろう。

しばらく、そちらを眺めやると、取っ組み合いをする三、四人の男たちとそれを周りではやしたてる野次馬たちに馬に乗った兵士たち――フルメルン侯爵の直参だろう――が静止の命令を発しながら駆けてきていた。けれど、傭兵たちは命令に臆することなく逆に何かを叫びかけた。おそらく侮辱の言葉だろう。馬に乗った男の一人が杖を引き抜くのが見えた。それを隣の男が諌めている。

傭兵たちに舐められる正規軍(この場合雇い主側の持つ私兵のことである)、足並みの乱れ。そして負け戦になるのではという不安――これはつまり彼らの生業に対して対価が支払われなくなるということだ――滑稽とすら言える不吉な様相を前に彼はそう尋ねたのだが、

「いや、聞いてますか、お頭ぁ?」

「ふん」

木に寄りかかり木陰でくつろいだ様子の頬の大きな傷跡とが特徴的な男は鼻を鳴らしただけだった。

「いや、最近収入が全く無いんで大赤字は避けたいんすが。お頭も知ってるんでしょ」

「……今までさんざん貯めてきた分でなんとかなるだろう」

再度の質問に木陰の下の男は煩わしそうにそう答えた。キツネ顔はその言葉に慌てた様子を見せる。

「いや、『商売』の取締も厳しくなっていますし、当分収入が無くなりかねないんですよ。今まで仲良くやっていた官吏の奴は罷免されたとか聞きますし、新しい奴はどうも俺たちと仲良くやろうというより追い出そうと躍起になっていますし――」

「その、取締が厳しくなった理由は知っているか」

頭はそう言って部下の言葉を遮った。

「っと、王様が変わったからじゃないっすか」

「それもあるが、首になった奴の話だと『宰相閣下』の影響が大きいらしい」

「ええっと、今の王様の一人娘の事ですよね。……ガキだと聞いていたんですが、単なる飾りじゃないんですか」

「ふん。まあ、そうなのかもしれんがそんなことはどうでもいい。問題はその宰相閣下が国中を見て回りたいと言い出したことから始まったのだからな。不都合なところを見られて難癖をつけられてはたまらない、という訳で領主どもは慌てて散らかったゴミ掃除に奔走したのさ」

「そのゴミってのが自分たちの事っすか……いや、まあ否定はできないっすけど。でも、それなら、もう姫様の散歩は終わったんだし掃除する必要もなくなるはずじゃないんすか。それなのに、最近ますます官吏の追求が強くなっているじゃないっすか。それにかなり有名なところでも処罰が下ったって聞いているんすけど」

「そうだな。名門中の名門である公爵家の処刑、そして商人を使うという貴族のボンボンには考えつかないような…突飛な決定で、今この国では腐敗への追求が強い。そして、だからこそ近いうちにこの国を二つに割った戦が起きる」

「は……はいぃ?」

キツネ顔はポカンとした表情で彼のボスの顔を見やった。その傭兵団のリーダーは木に寄りかかっていた体を起こすと未来をも見通そうと言わんばかりに鋭い目で先を見やった。

「プライドだけは高い貴族が飯の種を奪われれて黙っていられるわけがないさ。ここだけじゃない、何らかの高貴な理由をつけていずれ多くの連中が王国に反旗を翻す。だから、だ。今のうちに名前を売っておけば、この戦は負けようとも今後必ず利益を生むさ。多くの貴族が俺たちを求める事になる……それだけの装備は揃えてきただろう」

「いや、そう上手くいけばいいっすけど……でも、それ全部お頭の予測じゃないっすか! 上手くいかなかったら目も当てられない事になるっすよ!」

「どの道、大規模な反乱が起こればこれまでの『商売』は当分できなくなるさ。大仕事に的を絞った方がいいだろう」

再び木に寄りかかりながら頭領は断定的にそう言った。

「いや、お頭ぁ、前にもおんなじようなこと言って大失敗したじゃないっすかぁ。もっと堅実に行きましょうよ。お頭はギャンブルは得意じゃないんすから。何時だったか生意気なキザ野郎にポーカーをふっかけられた時も――」

キツネ顔の男は諦めきれないのか未練がましくおしゃべりを止めなかったが、頭領は面倒そうに何も答えず黙殺した。






――そう、反乱勢力の様相はほぼ王女の予想した通りだったのである。この時は――


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