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[42519] 【ゼロの使い魔】シュバリエ─革命詩篇─
Name: 男装女子アニエスちゃん◆3e44700d ID:cecac172
Date: 2017/01/06 11:37
フランス革命の後に処刑台に消えたマクシミリアン・ロベスピエール。革命を先導した男の死によって時代は一つの終わりを迎える。
彼が携えていた革命の詩は、かつて王朝を守護していた王家の詩であった。詩篇と呼ばれし神の言葉は呪いと力であり、それらの力を用いる者を詩人と呼んだ。
詩篇は彼の死の後この世界から消え去った。恐ろしき詩人の存在は闇の中に葬り去られ、フランスは現代へと続く長い道を歩き始めることとなる。
だが詩篇は消えていなかった。ロベスピエールの死の後、何者かが持ち去ったのだ。
革命の詩は滅びず、新たなる革新をもたらすべく別の世界へと渡ったのだ。
6千年の安寧の中で揺蕩うハルケギニアへと。
そして二百年の歳月が流れた──

冲方丁原作、シュヴァリエ 〜Le Chevalier D'Éon〜(アニメ版)完結後、革命の詩は時空を超えてハルケギニアの世界に出現する。
詩篇が求めるのは革命。
滅びと再生。
歴史は再現される。
だがこの世界にはもう一つの詩篇が在った。
始祖ブリミルが残した王家の詩との対決。

歴史を再現しようとする詩篇は我らに見覚えのある名を現す。
サンジェルマン伯爵。
ポンパドール夫人。
マクシミリアン・ロべスピエール……
ストーリーはアニエス=ギーシュ=ワルドを中心に描いていきます。

Arcadia寄稿ハーメルンでも投稿中



[42519] 詩編【01】はじまり
Name: 男装女子アニエスちゃん◆3e44700d ID:cecac172
Date: 2017/01/06 11:41
 詩篇と呼ばれる存在がある。それがいつこの世界に現れたのかは定かではない。
 それはこの世界を変える力だと伝えられている。その力は大いなる流れとなって革命を起こすのだと。
 巷でまことしやかに噂されるのは奇跡の力。民は彼らをただ詩人とだけ呼んだ。
 伝承の詠み手。違う世界の言葉を操り、不可思議な力を操る。ハルケギニアにあって異端の奏者。 
 呪いを振りまき、また呪いを破壊する者。人すらも思うがままに操り、時代の陰で暗躍してきた。
 誰もがまだ気が付いていない。彼らはすぐ隣にいて普通の人々に交じって暮らしている。
 もし街で演奏する者。歌を歌う者。詩を諳んじる者。または演説する者がいたら気を付けるがいい。
 そう、彼ら詩人はどこにでもいて街中に溶け込んでいるのだから。
 だが、人々はいつしか気が付くことだろう。革命は今すぐそこに迫っていることを──
 


──トリステイン王国

「これで五人目か」

 夕刻前に降り始めた冷たい雨を頬に受けてワルドは呟いた。王の騎士たるグリフォン隊を表す銀の肩章が鈍く光を放つ。
 トリステイン王国の輝かしい実績を誇る魔法衛士の隊長であるジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドはその日は非番であった。
 が、事件の報告はいつ何時といえど避けられるものではなかった。それが彼が今追いかけている事件でも特に不可解で謎が多いものであれば尚のことだ。
 本来ならばグリフォン隊の職務から外れる殺人の捜査に首を突っ込んでいるのもその余計な好奇心からだ。
 グラモン警視には睨まれているが、彼とは昔からの仲だ。
 ワルドは降りしきる雨を制服に受けながら白い布をかけられた死体の元に跪く。
 その手が布をめくると女の顔があらわになる。まだ若い少女ともいえる顔つきだ。歳はまだ十七か十八ほどだろう。服装と化粧から娼婦と分かった。
 この界隈では若い娼婦は珍しくない。特に貧しいこの地区の女たちが娼婦となって夜の街に立つのを見ることができる。
 雨足は次第に強くなっていく。石畳の路面は黒く濡れて川へと流れ落ちる。
 事件の現場は川辺だ。目撃者はなし。死体を発見した者はすでに尋問されており怪しい点はない。
 
「ワルド隊長。聞き込みを完了しました。他に目撃情報はありません」
「そうか」

 警官の報告にワルドは生返事を返す。注意を払うべきものは目の前にあった。指先が女の額をなぞる。そこに刻まれた文字を。「H∴O」とある。
 そしてもう一つ現場に残された証拠があったがこの雨で半ば霞んで赤い染みが溶かした絵の具のように流れている。
 それは血文字だ。その単語をすでにワルドは知っていた。これまでに発見された死体の傍に描かれた文字は鮮烈なまでに印象に残っている。

「PALMS。また、この文字か……それにこの額の文字。何の関連がある」

 ワルドは眉をしかめる。
 今月に入って五人目の犠牲者が出た。いずれも若い女性が被害に遭っている。
 遺体の傍に勝利の意を刻む。犯人は猟奇的な精神異常者か。殺し方があまりにも儀式がかっている。被害者の血でメッセージを描きつけているのだ。
 額に残されたH∴Oは何らかの暗号か、いたずらなのかさえわからない。ただ、これまでに上がった死体のいずれにもこの文字は記されていた。
 警察隊が担架を馬車から降ろしてやってくるとワルドは立ち退く。女の死体が担架に乗せられる。運ばれる先は安置所だ。
 これまでに発見された死体はすべてそこにある。これらの死体は腐らず検察官の首を傾げさせた。解剖の結果、水銀が出たという。
 死体の発見現場には物見遊山の男女が集まっている。仕事帰りの男たち。引いた粉を入れた壺を雨に濡れないよう抱える女。母親に手を引かれた子ども。
 ごく普通の市民たちだ。
 だが、その中に一人険しい眼光で現場を眺める者がいた。雨よけのフードをかぶり立ち尽くす。そのコートの下には剣があった。
 布をかぶせた女の死体が担架で運ばれるのをただじっと見つめている。

「ほら、行った、行った」

 警官たちが民衆を追い払う。流れる足に紛れて観察者も背を向けて歩き出す。雨降る雑踏と人に溶け込むように。 
 そして建物を曲がり、追っ手がいないか確かめると、今度は足取りを変えて逆方向へ歩き出す。貧民街がある一角へと。
 大きな通りからぬかるみを踏むのを構わずに脇道へと入る。そこから続く緩い細い坂道を上がる。
 ひび割れた石畳から雑草が生えところどころ土をさらしている。建物のしっくいは剥がれ、こんな路地裏にはつきものの下品ないたずら書きが記されている。

「どうぞ、お恵みを……」

 物乞いだ。一枚の貨幣が落ちて乞食が手を伸ばす。コインを拾うと同時に物乞いの背後で木戸が閉まっていた。
 暗い細い道からコートの「男」が現れ井戸のある小さな庭に出る。壊れた押し車の横をすり抜けて向かいにある建物に通じる扉の鍵を開く。
 一度、背後を見回してから建物の中へと身を滑り込ませる。そしてまっすぐに向かい左手にある部屋の扉を開いた。
 一息つくようにその唇からため息が漏れた。滴った滴が乾いた床に染みを作っている。
 フードに手が伸びて後ろに払うと「女」の顔があらわになった。濡れた前髪を指先で軽く絞るとコートを脱ぐ。
 男物のコートは女の身には武骨で柔らかな曲線を覆い隠す。その下にまとうのもまた男物の服装で、ベストにシャツ。ズボンからブーツに至るまでが男の装いだった。
 意志の強い瞳。その目つきは油断なく、その瞳に捉えたものを容赦なく裁く。そんな激しさを見た者に感じさせるだろう。
 茶色がかったブロンドは、陰に入ればその色を茶色にも見せるが日の下に出れば濃いブロンドにも見せた。
 女は窓辺に立ち中庭の草花を眺めた。薄汚れた窓ガラスにその顔が映る。向かいの屋根から覗く空は灰色一色だ。 
 前髪は眉毛の上で切り揃えていて、豊かな長い髪は背中の腰の上まで届く。赤いリボンでうなじにまとめていて、唯一それが最も女性らしい部分となっていた。
 腰にあるのは剣だ。女が扱うには重く長い剣は護拳付きでその柄元にはいくつもの傷がある。丸い護拳には蛇と果物が実る樹木のレリーフが施され浮かび上がっている。
 歴戦の勇士が持つに相応しい剣を少女期を脱したばかりの娘が携えている。

「アニエス」

 その名をしわがれた声が呼んだ。振り返るとアニエスは戸口に立つその人物の姿を認める。

「院長先生」
「探し物は見つかったかね?」

 上下共に黒衣をまとった老人が柔らかな口調で尋ねた。
 髪は白く、その太い眉毛も同じ色だ。顔に刻まれたしわが彼が生きた歳月を物語る。

「いいえ」

 アニエスは頭を振って応える。その探し物のためにトリスニアへ戻って半月余り。思いもよらぬ形である事件を追っていた。
 詩人と呼ばれる異形の怪物たちの──

「感謝しているよ。お前が傭兵に身をやつしてまで稼いだ金を送ってくれたおかげでここはやっていけた。だが、もう自分の幸せを考えるべきではないだろうか……」
「すべてが終わったらそうしようと思います。今はまだ、あの日我が身に背負ったものを返すことしか考えられないのです」
「いまだにお前の中では報復の炎が燃え盛っているのだね。その炎を月日が鎮めてくれるかと願ったが、今はもう成るがままに任せるしかあるまい」
「例え主が私を罰しようとこの身の炎を収めることはできますまい。生きたまま焼かれようと、この身に宿した獣を止める術を私は知らないのです。この蛇のように罪は消すことはできない」

 剣の鞘を強く握りながら、アニエスは左手を自らの心臓に当てる。
 まっすぐ院長を見つめ返す瞳の奥には燃え盛る炎の獣がいる。それは幼き日に背負ったアニエスの闇だ。復讐という戻れぬ道への。
 そのアニエスの決意に院長は悲しげに見つめ返すと言葉なく頷いた。
 
「夕食の準備ができている。来なさい」
「はい」
 
 アニエスは従い、剣を粗末なベッドの脇に立てかける。院長に続いて部屋を出て扉を閉めた。



「主よ、われらが父よ。今日も生きる糧を我が家族と分かち合えることを感謝します。また、あなたの娘が私たちの元へと戻り神の食卓に在ることを感謝します。主イエス・キリストの御名において、アーメン」
「アーメン」
 
 院長が指で十字を切り、いくつかの声が祈りの最後の言葉を復唱する。それにアニエスも倣って復唱する。アーメンと。
 十字を切り、主イエス・キリストの名を唱えるのは新教徒の証だ。信仰深い者は十字の印を持つか、その証を自らの肉体に刻む。
 トリステインにおいて新教徒であることを明かすのは危険を伴う。始祖ブリミルが築きし世界にあって異教の神を信奉すれば弾劾され、ときには捕縛され改宗を迫られる。
 今より百年ほど前に当時のロマリア教皇が教徒新案によって異教徒を受け入れる大改革をなした。
 その法により異教徒とされたキリスト教も弾圧から解放されたが、キリスト教の唯一神を信望する教議が仇となってロマリアの宗教政策とは乖離することとなった。
 従わぬ者には制裁がなされる。これはかつて数多の神に寛容だったローマ帝国がキリスト教を弾圧した流れと同じである。
 比較的異教徒に寛大であったトリステインにおいて、キリスト教が断絶することになった事件は今から約二十年ほど前に起きたダングルテールの乱に事を発する。 
 キリスト教徒による王家へ反乱とされているこの事件が後世に残した傷跡は今なお深い。ことの真実がどうであれ勝ったのは体制派の王家である。
 これにロマリアが深く関与したとされているが真偽は定かではない。
 ゆえにわずかに生き残った新教徒はその信仰を地下に閉ざすように隠した。ひっそりと普通の人々と同じように暮らしながら、その信仰を心の内に秘める。
 この孤児院の人々のように。
 食卓に同席するのは十人ほどの子どもたちとアニエス。そしてこの孤児院の院長だ。細長いテーブルは元より足りない分に机を足してクロスをかけて食卓としている。
 食卓を照らすのは三本のろうそくと暖炉のカンテラ。薄暗い光に照らされて家人たちは分け合ったパンと粉を溶かしてとろみをつけたスープをすする。

「ねえ、アニエスお姉ちゃん、また旅のお話聞かせて」

 隣に座る六歳のアンがアニエスの裾を掴んでせがむ。スープを口へ運びかけていたところでアニエスは少女に微笑み返す。
 アニエスはアンの一番のお気に入りだ。アニエスも幼い頃はアンと呼ばれていた。この食卓で院長と、恵まれぬ、親から見捨てられた、もしくは親と死別して引き取られた子どもたちとで囲んだ。
 今はその当時の子どもらは大人となって巣立っている。
 院長の限りない献身の愛は成人した今となっても遺児らの足をこの孤児院へと向けさせる。彼は父親であり教師であり家であった。 
 ここはアニエスにとってかつて奪われたもの以上に拠り所となるものであった。

「何を聞きたいの?」
「悪いやつをやっつけた話! 続き聞かせてよ!」

 アニエスの向かいに座る活発な少年がスプーンを立てて剣に見立てて振るう。名はヨアンだ。

「シー、食事中は喋っちゃダメなんだぞ。神様が罰をお与えになるぞ」
 
 ヨアンの隣から口を出すのはミカエルだ。ここの子どもたちの中では一番の年長だがまだ十一歳だ。
 ミカエルは一年前にここへやってきた。彼をここへ連れてきたのはアニエスだ。
 賢く勉強熱心だが少し真面目で面白みに欠ける。学ぶことに熱心で、すでに院長も教えることがないとミカエルを教育係に任じたほどだ。

「じゃあ、ミカエルはお仕置きされるね」
「されない」
「お仕置きだ!」
「おっしおきだ~~」

 途端、子どもらが囃すように皿をフォークで叩きだした。
 その音にアンがびっくりして口からスープをこぼす。アニエスのナプキンがその口元を拭う。

「静かになさい。皿は叩くものではない。罰を与えますよ」
 
 しかめ面を作った院長が厳かに告げると騒動はすぐに収まる。恐る恐るといった風に少年たちがフォークとスプーンをテーブルに置く。

「悔いるのであれば許しましょう。騒いだ者は寝る前に告解室へ来るように」
「はい」

 バツの悪い顔でミカエルが返答を返した。その後ろでヨアンがにやけて他の子の肩をつつく。
 その日一日の罪を告白し許しを得るのが孤児院でのルールだ。院長の言葉によって罪は洗い流される。罰はたいがいが掃除当番と決まっていた。

「さあ、お片付けしましょう」
「お姉ちゃん、寝る前にお本読んで」
「私にも読んで~」

 アンの要求に他の子も便乗する。アニエスの取り合いはいつものことだ。
 そして夜は更けていく。アニエスは燭台を持ち子ども部屋から薄暗い廊下に出る。
 アンも他の子どもたちもアニエスの読み聞かせの後にベッドに入った。今はぐっすりと寝静まっている。
 まだアニエスの用事は済んでいない。今夜動くのだ。部屋に戻りベッドに立てかけた剣を手に取る。護拳に月の光が当たって銀色に反射する。
 すでに乾いたコートを羽織り双月の下へと出る。すでに雨雲は過ぎ去り星も見える。

「詩情を感じる……おぞましくも醜い詩(うた)」 

 目を細め呟くと夜の街へと足を踏み出していた。その後ろ姿を見つめる二つの幼い瞳がある。胸に抱くのは拳銃。言葉には祈りを携える。

「天に召されし我らが父(イエス)よ。世には悪がはびこりあなたの楽土を汚す。我らは悪賊が楽土を踏み荒らすことを許さぬ。しかるに我は銃弾を持ちてあなたに仇なす我らの敵に等しく滅びをもたらさんことを」

 アーメンとは続かず、十字の印が指で切られる。これは神に捧げる詩ではない。悪にたむける滅びの詩(うた)だ。
 その少年はミカエルだった。アニエスの姿を見失ぬうちにその後ろ姿を追って走り出す。



[42519] 詩編【02】動き出した死体
Name: 男装女子アニエスちゃん◆3e44700d ID:cecac172
Date: 2017/01/06 11:37
──時間は夕刻前まで遡る

「諸君、近頃、錬金術師を名乗るペテン師が詐欺を働き。並びに怪しげな地下文字を刻む輩が多発している。さらに今月に入ってから若い女性の誘拐が増加傾向にある。当局はこの件を最重要案件とし、再発を防ぐべく犯人の逮捕を最優先するものとする。以上であるっ!」 

 その日、ギーシュ・ド・グラモンはトリスタニア市警の青い制服に身を包んでいた。上着はぶかぶかでズボンの丈も間に合わせの仮縫いだ。
 中庭での警察局長の演説はこの待機室までも聞こえてくる。安普請の建物ゆえによく響くのだ。
 ギーシュは鏡の前で襟元を直す。サイズがいまいちなことを除けば見た目は立派な警官の一人だ。
 柔らかな金髪を撫でつけながら、女性とも見まがう整った顔で笑って見せる。宮廷のご婦人方が寵愛してやまぬ笑顔はギーシュが五歳になる頃に会得したものだ。
 母親譲りの美貌のせいか、八歳のときには同い年の少年に求婚されたこともある。男だと知ってそれは撤回されたが。
 母曰く、この子は将来とんでもないたらしになるわ、というのはまさに予言であった。美しい女性には特に微笑まずにはいられない性質なのだ。
 そのギーシュが警官に扮しているのは仮装のためではない。社会勉強の一環として体験を申し出たのだ。
 兄のベルトランが警察隊の警視であるのでそのコネで仮入隊する運びとなった。
 来年にはトリステイン魔法学院への入学が決まっている。その前にグラモン家の儀式としてギーシュが選んだのが警察隊への仮入隊だった。
 武門の家柄という重圧は楽観的なギーシュでも逆らえない。両親に嘘でも実績を見せておかねばならない。これは兄たちも受けた試練であった。
 トリスタニア警邏隊を基盤として創設された警察隊は王都の秩序を守る一員として認知されている。創設したのは今は亡き前国王だ。
 警察隊の多くは貴族の子弟やその類縁で構成されている。不運にも魔法の才に恵まれずとも、身一つあれば就職できるとあって人気は高いが、女性警官がいないので男ばかりの集団となっている。
 手柄でも立てれば魔法衛士の道が開ける。近衛隊も夢ではない。最も、そんな幸運を掴むのは奇跡に等しい。エリート中のエリートだけがその道を歩む。
 男ならば竜騎兵だ。グリフォン隊やマンティコア隊も花の騎士だが、やはり竜こそが男の夢だ。
 分不相応な夢は夢に留めておけばよい。もっとも、ギーシュ・ド・グラモンにとっては手を伸ばせば掴める道でもあった。父の引いた道を歩んでいけば。 

「だらしなくにやけるのはよしなさい。新人君」

 声をかけたのは警視だ。いつの間に待機室に入ったのかベルトラン・ド・グラモン警視がそこにいた。
 制服はギーシュと同じもののはずだが、極めて洗練された着こなしで体に収めている。
 面差しはギーシュに良く似て、見た目は細身ではあるが切れ者と評判だ。ベルトランはギーシュの七つ上でグラモン家の次男に当たる。
 それに比べて長兄は凡庸な人物でマンティコア隊にいたが怪我が元で引退している。それが父を失望させたのか、この次男には両親の期待が寄せられた。
 しかし、ベルトランは警察隊に留まった。これにはもっと良い選択があったはずだと父を怒らせた。この次男ならば王を補佐することもできたのにと。 
 魔法も剣も天賦の才を持つと、十五の頃には宮廷でもてはやされた兄を見ながらギーシュは育った。その兄が実家に何の不満があるのかを知らぬまま兄を羨んだものだった。
 先日、五年ぶりに再会してそのことを問うと、本人はせっかく警視になったのだから自由にやるさ、と家の重圧から逃れたさっぱりした顔で言い切ったものだ。
 そして末弟にかかる期待と不安など素知らぬ顔をしてみせるのだ。
 今やギーシュはグラモン家の跡取りとして期待される身だ。魔法学院への入学も本人の意思など無視して取り決められた。
 今回の仮入隊を父は快く許しているが、それも将来の人脈形成と出世のためだ。息子が軍人として王国を背負うことが父の悲願なのだ。

「兄上」
「警視だ。グラモン警視と呼ぶように。お前に見せたいものがある」
「わざわざ何ですか?」

 警視に向かって無礼な態度だ。それを気にすることなくベルトランは言葉を続けた。

「死体だ。見目麗しき女性のな」

 死体に麗しいもない。ギーシュは生きている女性を見ている方が好きだ。死体は微笑むこともないのだから。

「それはまずいのでは……僕は見習いですよ」
「仮であろうが今はお前は警官だ。それに今のうちに慣れておくといいだろう。この王都で何が起きているのかを」
「何だというのです?」
「見ればわかる」
「僕は兄上のように頭は賢くありませんから」

 兄へのささやかな抵抗が反抗的態度に出る。

「では考える頭を身につけろ。でなければ一生その制服のままだ。軍人になるのだろう?」

 ベルトラン警視に促されて言い返すことなくギーシュはその後に続いた。
 死体があるのが地下と誰が決めたのか、かび臭い匂いをかいでギーシュは地下にある霊廟のアーチをくぐった。
 冷たい空気が頬を撫でる。灯したカンテラの明かりだけが頼りだ。警視の背中を眺めながら、婚約者への話のネタにでもなるかと気持ちを切り替える。
 
「これが誘拐事件の被害者?」
「最初の被害者だ。あちらに並んでいるのもそうだ。一番古いのが十二日前、新しいのは二日だ」
「腐食していない?」

 覚悟していた腐臭がないことには霊廟に入ったときから気が付いていた。独特の薬品の匂いが鼻につくが、腐乱した死体を嗅ぐよりはマシだ。
 目の前にまるで今死んだばかりのような死体がある。
 トリスタニアで起きている事件。腐らない死体。局長の演説を思い出す。何者がこれを成したのか?
 誘拐されたという女性はいずれも若い。見た目傷はないが何らかの方法で殺害されたのだろう。

「また死体が出た。今現場に向かわせているが、おそらくは……」
「誘拐された女性だと?」
「PALMS。そしてこの額の文字。我らが追っている犯人は奇怪な技を使う。我らの知る魔法とは異なる力だ」
「何者……なのです」

 カンテラの揺らめく火を見ながらギーシュは尋ねる。 

「詩人だ」

 ベルトランの瞳が貫くようにギーシュを見つめ返す。
 詩人。それだけではわからない。問いかけた口元を引き締めギーシュは物言わぬ死体に視線を投げかける。

「その詩人がなぜ女性を誘拐して殺すのです? その……文字を刻んで」
「市警は全力を挙げて詩人を追っているが、まず捕まるまい。我らの動きは筒抜けだ。おそらく内通者がいる」
「内通者!? なぜ僕に明かすのです」

 最後は声を押し殺して兄へ尋ね返す。無視された問いかけは内通者の言葉でどこかに行ってしまった。 

「我が弟だから。では不満か? 私のもう一つの肩書は秘密警官(ムシャール)の長だ。私の秘密を握ったな、弟よ」
「知ってはならぬ秘密を打ち明けられれば僕に選択肢などないのでしょう……」
「動きが筒抜けであれば、最も信頼できる者を頼るものだ。お前の入隊を歓迎するよ。心からね」

 ベルトランが差し出した握手の手は悪魔との契約のようだ。
 まるで全部が仕組まれたことのようにも思えるが、兄の秘密の密偵になるというのはギーシュに軽い興奮を呼び覚ました。
 謎の殺人事件に関わる詩人を捕まえるという大仕事だ。犯人を捕まえれば婚約者にも自慢できるかもしれない。
 いや、それどころか退屈な学院生活を飛び越えることも可能かもしれない。現にベルトランは自分より一つ上の歳でシュバリエの称号を贈られたのだから。 
 そんな甘い夢想を引っ込めるとギーシュは兄との握手を交わしていた。



「その最初の任務が墓守とはね……」

 ギーシュは深くため息を吐き出す。牢の番ならず死体安置所の番とは初日から運が悪いとしか言いようがない。
 安置所の上には待機用の椅子と机。同伴する相棒は痩せた目つきの悪い男でごろつきのように見える。同じ警官とは思えないくらいだ。
 運ばれてきた新たな遺体は安置所に収まっている。
 日が沈んだ頃には外の雨は止んでいた。夜の交代が来るまでのしばらくの時間を婚約者に当てる文面を考えながら過ごす。

「何だラブレターか? どこのマダムだよ、カワイ子ちゃん」
「婚約者です」

 下種な詮索をギーシュはやんわりと訂正する。インクのノリがいまいちなのはペンのせいか、インクのせいか、ツボにいったん付けたペンを紙で包んで拭う。

「はは、せいぜい励めよ」
「そうします」

 空腹には耐えた。この番が明けたら熱いシチューと塩のパンを頬張りたい。相棒の不愉快さを別のことで紛らわす。
 普段は達筆な文章もここでは全く振るわない。死体置き場で女性の琴線に触れる手紙を執筆できるのであれば、悪魔さえも丸め込めることだろう。

「お、交代の時間だぜ」

 向かいの席の相棒が告げてギーシュは顔を上げる。やっとかとほっとしたところで、こちらに伸びた影を見てぎょっとする。

「伏せて!」
「あ?」

 その瞬間、同僚の頭部が割れた。振り下ろされたのは刃。飛び散る鮮血にギーシュは停止する。
 音を立てて彼が倒れこむ。あまりにもあっさりと目の前で人が死んだ。目の前の賊が着るのは青い制服。警官だ。
 ギーシュは初めてまともにその顔を見て戦慄する。

「バケ……モノ」

 黒く変色した肌。正気を失ったような目。泡を吹いた口元。異様なのは体の関節が制服の下で軋みを上げていることだ。
 人間がここまで変貌する様を見たことがない。その襟元を見てギーシュは驚愕に包まれる。
 「H∴O」。死体にも刻まれていた文字が男の首筋にある。その文字が光り輝いている。その光に力を得たように人の姿をした怪物が叫ぶ。
 ギーシュが懐に差し込んだ手を出すとその手には杖があった。魔法でこいつを止めるしかない。だがその判断も剣の一閃で断ち切られる。

「杖が!」
 
 凄まじい速度で剣が振るわれて手元の杖が根元から断たれて落ちる。わずかでも狂えば手首が落ちていた。
 呼吸が荒くなる。次に剣が振るわれれば死ぬ。その時間を、あまりにも短かすぎる間をギーシュは永遠に長く感じた。
 霊廟に金属音が響き渡る。ギーシュが目を開ければ剣は虚空で停止している。その剣をもう一つの剣が受け止めていた。

「な……」

 声にならぬ声がギーシュから漏れる。怪物の間に割って入った人物が女性とはすぐに分かった。

「行きなさい。死にたくなければ」

 僕は警官だ。そう言おうとして霊廟の奥で蠢く影を見て声を失う。そこからやってくるもの。すなわち死者の行進だ。
 今やはっきりとこの世ならぬできごとが起きていると自覚できた。だが、体は思うように動かず、もたついてしまう。
 怪物が叫び声を上げて力任せに剣を振るって女へと打ちかかる。それを打ち払い、流し、いなして返す刃で男の首筋を切り裂いた。
 相当な技量がなければ力で勝る相手にそんな芸当はできない。
 だが男はまだ倒れない。その切り裂いた傷口からは血液に混じった銀色の液体がこぼれる。
 その間にも冥土から甦った女の死者たちが階段を上ってすぐそこまでやってきていた。

「何をしているんです早く!」

 この場には少し高すぎる少年の声が響く。我に返ってギーシュは這いながら立って戸口へと辿り着く。

「行って、応援を呼ぶのです」

 自分よりも若く、眼差しもはっきりした目で告げる少年の手には銃がある。

「君は……」

 ようやく言葉になった言葉は間が抜けていた。
 少年が銃を構えて撃った。銃弾が迫る女の額を撃ち抜く。その瞬間、傷つけられた「H∴O」の文字が崩れてただの死体へと戻って崩れ落ちる。

「さあ!」

 その言葉にギーシュは走り出す。応援を呼ぶ。応援を呼ぶ。それだけを繰り返して警察隊の舎へと走っていた。
 己の不甲斐なさと向き合うのが怖くて、応援を呼べばどうにかなると信じるしかなかった。
 ギーシュを助けた人物はアニエスだ。怪物化した男は腕を失って、いたずらに暴力をかき回す。再度振るわれた剣が正確に首の文字を切り裂き男は勢いを失って倒れる。

「ガーゴイルの初期段階。詩を植え付けられただけの雑魚でしかない……もう下がりなさいミカエル」
「弾はもうありません」

 撃ち止めとミカエルが銃を掲げる。だが一つ獲物を仕留めた。
 
「残らず殲滅する」

 正眼に構えたアニエスの剣に光が宿る。まだ四体のガーゴイルと化したゾンビが残っている。
 
「主よ憐れみたまえ。私は悲しみに蝕まれ、骨は疼き、魂は業火の炎に包まれ、嘆きの野にて叫ぶ哀れな子羊──」

 炎が上がる。同時にアニエスのリボンがほどけ波のように髪が広がった。赤い炎が金髪を赤い色に染め上げる。その瞳には炎が宿り灼眼へと変貌する。

「主は私の苦悩を私から救い、私を責める者を悉く打ち砕く。その真実と炎の名において──」

 剣に赤い文字の詩が刻まれていく。報復の炎を現す言葉たちが。同時に動く死体たちが叫び、さらなる変身を始める。

「私はお前に──報復する!」


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