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[4317] 堕天使ユリエルの異世界奮闘記(旧題:ドラゴンクエスト~竜の勇者と異世界の天使)(百合・オリ要素多数)
Name: 安藤龍一◆8077f055 ID:5f3e393a
Date: 2010/10/22 21:38
作者です。
リメイクするに当たり、タイトルを変更しました。
以下は注意書きになります。必ずお読みください。

 本作品は大魔王ゾーマの出現より千年後のアレフガルドを舞台としたオリジナルストーリーです。
 主人公は作者のオリジナルファンタジー世界から本作の舞台となるアレフガルドにトリップしたという設定です。
 ドラクエに関する独自解釈の他、オリジナルの人物や呪文、アイテム、町やモンスターなどが多数出ます。
 ジャンルとしてはオリジナルX半オリジナルドラクエ世界となりますが、オリジナル部分についてはすべて作中で描写しますので、クロス元の作品を読む必要はありません。
 また、本作は18禁ではありませんが、女性同士の恋愛や過度のスキンシップを描写した部分がありますので、そういうのが苦手な方は読むのを控えてください。
 本作は氷瀬浩様のサイト、PAINWESTとの二重投稿となっております。
 上記をお読みの上、納得いただけた方のみ本文へお進みください。
 なお、この注意書きを無視して本文を読まれた結果、不快な気分になられたとしても、作者は一切関知いたしませんので予めご了承ください。
  追記
 作者は目と耳の両方に障害があり、執筆は音声読み上げソフトによる音声を補聴器を通して聴きながら行っております。
 視覚情報は一切得られませんので、誤字脱字等をご指摘いただいてもすべてに対応しきれない可能性が高いです。
 もちろん、可能な限り対応していくようにしたいと考えていますが、予めご了承いただけますようお願いいたします。



[4317] アレフガルド編 第1部 第1章 気がつけばそこは異世界
Name: 安藤龍一◆8077f055 ID:5f3e393a
Date: 2010/10/31 13:39

 ――結界都市新東京上空……。
 今、ここに一つの戦いの幕が下ろされようとしている。
 舞台に立つのは、共に十代半ばに見える少年少女。互いに満身創痍の身体を引きずりながら一歩も退かない構えを見せている。
「まさか、君がここまでやれるとは思わなかったよ。ついこの間まで何も知らない小娘だったくせに、本当によくやる」
 闇の波動を槍状に集束させて放ちながら、少年が忌々しげに吐き捨てる。
「わたしにも譲れないものがあるの。悪いけれど、このまま勝たせてもらうわ」
 飛来した闇の槍を光の波動で相殺し、腕を伝う血でぬかるんだ手に無理やり剣を握ると、わたしはボロボロになった翼をはためかせて宙を翔けた。
 ――創世神の遺産、世界の破壊と再生の理を司る神器……。
 世界への反逆の足掛かりとして、一人の魔族がその力を欲したのがそもそもの発端だった。
 世界は存在の意志力によって絶えず干渉を受けている。
 人間の強い意志が時に奇跡を起こすことがあるのがその良い例だろう。
 だが、そのすべてを許容していたのでは、いずれ世界のほうが歪められてしまう。
 だから、世界は思念を魔物という形で実体化させ、それを排除させることで均衡を保ってきた。
 でも、それでは魔物たちはどうなるのか。
 世界の都合で生み出され、殺されていくだけの彼らはやがて自らの在り方に疑問を抱き、その理不尽さに憤怒する。
 そもそも、世界に影響を与える程の意志力を持てるものなら、己自身のうちに生まれたそれときちんと向き合うべきではないだろうか。
 ――天地創造より数十億……。
 もうそろそろ目を背け続けた付けを払う時ではないだろうか。わたしもいい加減、そんなシステムの管理者なんて辞めて、普通の女の子に戻りたかった。
 そんな時だった。覚醒を始めたばかりのわたしに都合良く彼がちょっかいを出してきたのは。
 わたしは表向き被害者を装いながら彼がわたしから神器のうちの半分、破壊を担当する力を抜き取るのを待った。
 神器を完全破壊するには、全く同じ破壊と再生の力を正面からぶつけ合わせて相殺するしかない。わたしにとって、これはそのための戦いだった。
「君の思惑なんてどうでも良いのさ。僕らはただ、覚えていてもらうために、僕ら自身を世界に刻み込む。破壊の闇よ、すべてを混沌に還す力と成れ!」
 少年が闇を握り込んだ拳で自身の心臓を貫く。その瞬間、圧倒的な破壊の本流が彼を中心に波紋を広げた。
「……を待ってたんだ」
 わたしは誰にも聞こえないようにそう呟くと、自分の内側に残っていた再生の力をすべて解放する。
 ――鬩ぎ合う光と闇……。
 世界の理さえ歪めかねない力と力の激突はやがて局地的な次元の裂け目、フラクチャーを引き起こし、直下にいたわたしは結末を見届けることなくその中へと落ちていった。
 ――ああ、ついにわたしは世界から弾き出されてしまったんだ……。
 もう生まれ変わることもない。この魂は永遠に次元の狭間を彷徨い続けるだろう。
 これが天地創造以来の定理に逆らい続けた報いなのだろうか。
 ――こんなことなら、もう少し大人しくしておけばよかった。そうすれば、例え仮初の平穏であっても、家族と一緒にいられたかもしれないのに……。
 楽しかった思い出を走馬灯に見ながら、最後に取り止めもないことを思考し、わたしの意識は永遠に途絶えた。
 その、はずだったのだけど……。

 気がつくと、わたしは何処とも知れない森の中に倒れていた。
 大気に満ちる濃厚なマナ。
 木々の間からこちらを伺う動物たちに混じって、幾つもの魔の物の気配を感じる。
 それらは決して強くないものの、世界の命運を賭けた戦いの果てに消耗し尽くした今のわたしでは退けることも出来ないだろう。
 そこまで思考したところで、わたしはようやく違和感に気づいた。
 感覚が、リアル過ぎるのだ。
 次元の狭間は生命の存在を許さない。
 ただ虚ろに満たされたそこで、わたしの肉体は朽ち果て、魂だけの存在と成り果てた後に眠りに就いているはずだった。
 だというのに、この生々しさは何だ。
 背中に感じる土の固さ。
 霞んだ視界に映る空は何処までも青く、高く、降り注ぐ陽光の眩しさに、わたしは思わず目を細めた。
 痛みに麻痺しかけた神経は、それでもわたしに肉体の存在を伝えてくる。
 留血と共に下がっていく体温の具合からして、傷は処置が早ければ助かる程度だろう。
 しかし、一度突き放してから掬い上げるというのは、相手を従属させる常套手段だと知っていたけれど、まさか、自分がそれをされるとは思わなかった。
 感覚が、意識が遠退いていく。
 程無く落下するような浮遊感が加わって、終焉の闇へと引きずり込もうとする。
 わたしは別段それに逆らうでもなく、ぼんやりと思考を巡らせていた。
 わたしは死ぬのだろう。
 こんな森の中だ。
 例え、奇跡のような偶然から誰かが通り掛ったとしても、必要な処置を施すことの出来る施設までは遠いはず。
 だが、構わない。
 例え肉体が滅びても、魂は永劫不滅。
 閻魔の庁にて裁定を下され、束の間の霊界ライフを経て、新たな肉体に転生するだけなのだから。
 そう、人間であれば初期化される前世の記憶も、わたしたちには魂のそれとして来世へと持ち越される。
 だから、わたしにとって肉体の死は意味を持たなかった。
 心残りがあるとすれば、今回も巻き込んでしまった家族や友人たちの安否を確認出来なかったこと。
 後はそれなりに気に入っていた現世の身体を野晒しにしてしまうことくらいだろうか。
 ――魔物のエサとかになるのは、嫌なんだけどな……。
 そんな益体も無い思考を最後に、わたしの意識は再び闇へと溶けた。

  堕天使ユリエルの異世界奮闘記
  第1章 気がつけばそこは異世界

 不意に意識が浮上する感覚に、わたしは自分がまだ生きていたことに驚いた。
 まさか、奇跡が起きたとでもいうのだろうか。
 処置が早ければ助かる程度の損傷だったとはいえ、あんな森の中を人が通るとは思えない。
 出欠もあったので、血の臭いに誘われて集まってきた肉食獣か、モンスターにでも食べられて終わりだろうと考えていたくらいだ。
 しかし、肉を食いちぎられる激痛で覚醒したにしては、この目覚めはあまりに穏やか過ぎた。
 目覚めて最初に目に入ったのは、知らない天上だった。
 お約束として、口に出してみようかとも思ったけれど、状況が分からない以上、迂闊に声を出すわけにもいかないだろう。
 意識は今一つはっきりとしないけれど、どうやらその程度の冷静さは保てているらしかった。
 背中に感じるそこそこに柔らかな感触と、身体に掛けられた毛布の暖かさ。
 嗅覚が女性の生活臭を嗅ぎ取るに至って、わたしはようやくここが誰かの家の中なのだと理解した。
 どうやら、本当に奇跡が起きた。
 あの場所を誰かが通り掛って、傷ついたわたしを介抱してくれたということなのだろう。
 その結果として、わたしはまだこの身体を失わずに済んでいる。
 そのことに安堵すると共に、これからのことを思うと、助けてくれた人に対する申し訳なさで胸が一杯になる。
 特に善意からの救済であったなら、わたしは確実に恩を仇で返すことになってしまうだろう。
 かといって、今すぐここからいなくなれる程、回復しているわけでもなかった。
 傷自体は既に塞がっているものの、血を流し過ぎたらしく、体力がほとんど底を尽いている状態だ。
 魔力による瞬間回復のスキルも、体力の枯渇までは面倒を見てはくれない。
 仕方なくそのまま大人しくしていると、不意にドアが開く音がして、誰かが室内に入ってきた。
 わたしはとっさに身構えようとして、すぐにそれが意味のないことだと悟った。
 身体が動かせないのだ。
 本当に、幾ら力を入れようとしても、指先一つ満足に動かせない。
 しかも、相手はそれでわたしが起きていることに気づいたらしく、ホッとしたような気配を零すと、こちらに近づいてきた。
 程無くして、わたしの視界にその人物の姿が入ってくる。
 少女だった。
 年はわたしよりも一つか二つ、下といったところだろうか。
 肩口で切り揃えられた髪と、こちらを覗き込んでくる瞳は共に日本人にはない色彩を帯びている。
 まあ、わたしの銀髪碧眼も大概日本人離れしているので、あまり他人のことは言えないのだけれど。
 それよりも気になるのは、少女の恰好だった。
 ショートパンツにノースリーブのシャツはまだ良い。
 その上に羽織っている革製らしいジャケットもファッションと実用性を兼ね備えた感じで中々センスが良い。
 問題は、彼女の腰に下げられた二振りの短剣だった。
 銀製と思われるそれらは、明らかに何らかの魔法的処置の施された品だ。
 世界が魔の侵食を受けてから二十年が経過した現代の日本では、自衛のための武器の携帯が許可されていたけれど、魔法処理をされたものとなると、それなりに高価な上、軍や警察に優先して回されるため、一般人が手に入れるのは相当難しいはずなのだ。
 わたしの視線に気づいたのか、少女はナイフを二本とも外してサイドテーブルの上に置くと、丸腰であることをアピールするかのように、両手をひらひらと振って見せた。
「まあ、警戒するなってほうが無理だよね」
「当然……。武器を持っているということは、それが自衛のためでも他を傷つける覚悟があると見るのが普通でしょ」
「違いないね」
 わたしの言葉に、少女はそう言って軽く肩を竦めた。
 別段気分を害した様子も無い。
 この年頃の少女なら、警戒されたことに傷つくか、恩着せがましく怒るかのどちらかだと思うのだけど、どうやら彼女は武器を取ることの意味を理解しているようだった。
「さて、お互い聞きたいことはあるだろうけど、まずは自己紹介といこうか」
 椅子を引いて腰を下ろしながらそう言う少女に、しかし、わたしはそれを拒否した。
「その必要は無いわ」
「どうして?」
「わたしの素性を知ることで、あなたの身が危険に曝される可能性があるから。恩人にこちらの事情で迷惑を掛けたくはないもの」
 そう言って口を閉ざすわたしに、少女はやれやれといったふうに溜息を漏らす。
「厄介事に巻き込まれるのが嫌なら、最初から死にかけの行き倒れなんて、拾ったりしないって」
「それでもよ。助けてもらったことには感謝するけれど、でも、いいえ、だからこそ、これ以上わたしに関わろうとしないで」
 呆れたようにそう言う少女に、わたしは少し強い口調で拒絶の意を示す。
 失礼だとは思ったけれど、こればかりはしょうがない。
 今のわたしと関わるということは、国際指名手配犯と関わるようなものなのだ。
 命の恩人である彼女がわたしの名前を知っていたことで、共犯者扱いされたのでは堪らない。
 いや、残留魔力による捜索が出来る以上、既に手遅れなのかもしれないけれど、それでも、なるべく少女が不利になるような情報は残さないようにしなければならないだろう。
 そのあたりのことを説明すると、少女は少し首を傾げた後、ジャケットの胸ポケットから何かを取り出して操作し出した。
「はぁ、訳有りなのは最初から分かってたけど、どうせ吐くならもう少しマシな嘘にしなよ」
「なっ、わたしは本当に……」
「はい、これ。冒険者協会が発行してる最新のブラックリストだよ。あなたを手当てした後に一応一通り調べたけど、犯罪者とその被害者の両方に該当なし。森で倒れてたあなたを連れてきてからもう三日経つけど、未だに何の情報も入って来ないよ」
 そう言って、見せられた電子手帳のようなもののディスプレイには、犯罪者だという人物の顔写真と共にわたしの知らない文字らしきものの羅列が表示されていた。
「まあ、名乗りたくないって言うんなら、今はそれでも良いよ。今時ただの善意で赤の他人を助ける人ってのも中々いないだろうし、信じられない気持ちも分かるから」
 少し寂しそうにそう言って笑う少女に、わたしは咄嗟に手を伸ばそうとする。
 こんな、まだ十代半ばにも達していなさそうな少女が人を信じられないと言う。
 ここはそんな世界なのか。
「……ユリエルよ」
「えっ?」
「わたしの名前。助けてもらったし、これからまだもうしばらくお世話になりそうだから。そんな相手に名乗らないってのは、あり得ないでしょ」
 ここが何処で、何故わたしの知らない文字が使われているのか。
 そんなことは回復した後で調べれば良い。
 今はただ、わたしを助けてくれた少女に笑顔でいて欲しかった。
「ユリエルか。きれいな名前だね。あたしは、ミリィ。よろしくね、ユリエル!」
 戸惑いから一転、屈託のない笑顔を浮かべてそう言う少女、ミリィに、わたしもなるべく優しい笑顔を作って、こちらこそ、と返す。
「この服、それに、怪我の手当てはミリィがしてくれたのよね。改めて、お礼を言わせてもらうわね。ありがとう」
「そんな、良いって。全部あたしが勝手にやったことだし。その、倒れてるのを見つけて、ほっとけなかったから」
「あら、今時ただの善意で赤の他人を助ける人なんて、中々いないんじゃなかったの?」
 顔を赤くしてあたふたするミリィに、わたしは少し意地悪な笑みを浮かべてそう聞いてやる。
 泣き顔なんて見たくはないけれど、基本的に可愛い女の子をからかって遊ぶのは好きなのだ。
「もう、ユリエルって実は結構意地悪なんだね」
「知らなかった?」
「そりゃ、こうして話すのもこれが初めてなんだし。でも、そうだね。疑われるのも癪だから、何か考えとくよ」
 ニヤリと似合わない悪党笑いを浮かべてそう言う彼女に、わたしは思わず噴き出してしまった。
「可笑しな子ね。普通、そういうのは前提としてあるもので、後から考えるものじゃないわよ」
「かもね。でも、良いんだ。ユリエルにあたしのことを信じてもらえるならね。だって、悲しいじゃない。せっかくこうして会えたのに、信じ合えないなんてさ」
「そうね」
 そう言って笑うミリィに、わたしは思わず見惚れてしまいそうになるのをごまかすように短く頷くと、そっと彼女から視線を逸らした。
 きっと、たくさん傷ついたのだろう。
 そして、それでもまだ彼女は信じようとしている。
 そんな、とても綺麗で、尊い微笑……。
「ねぇ、ミリィ。さっき、いろいろ聞きたいことがあるって言ったわよね」
 気づけば、わたしはそう口を開いていた。
「うん。どうしてあんなとこで倒れてたのかとか、差し支えない範囲で良いから聞かせてもらえると助かるかな」
 信じたいと、信じてほしいと言った少女の、その想いに、わたしも答えたいと思ったから。
「なら、わたしの話を聞いてくれる?」
  とても、とても長い話。
 さあ、語ろう。
 そして、わたしはまたここから続きを始めるのだ。
 ――そう、それは、ただの少女に憧れた天使が魂の解放を求めて足掻き続けた物語……。

   * * * 続く * * *

 というわけで、リメイク版第1章をお届けしました。
 作者です。
 いろいろな方の作品を読んでいるうちに、自分でもまたファンタジー物を書きたくなり、以前からリメイクを試みていた本作を公開させていただくことにしました。
 改訂前の作品でいただいたご指摘を元に、パワーバランスとストーリー構成に気をつけながら、出来るだけ丁寧に描写していけるよう心がけたいと思います。
 相変わらず突っ込みどころの多い作品になるかとは思いますが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。
  2010/10/31
 友人からの指摘を受けて冒頭を修正しました。



[4317] 第2章 異世界の少女ミリィ
Name: 安藤龍一◆8077f055 ID:ed24611f
Date: 2010/11/09 11:32
 ――仕天使ユリエル。
 神族魔族に限らず、世界の裏側を知るものなら一度はその名を耳にしたことがあるだろう。
 いわく、創造主の力を現世に伝える巫女にして、最も神に近いとされる、天使の階級第一位。
白銀の戦乙女。見通す者等、様々な異名で呼ばれる、裏では知らないもののいない有名人。
 そして、これからはこうも呼ばれるのだろう。
 最終戦争の引き金を引きかけた女。反逆者。堕天使。
計画に手を貸した彼女の義姉は第二のルシファーなどと呼んだらしいが、本人にそんな人望があるとは思えないので、それが定着することはないと思いたい。
 何にしても、ユリエル自身が他人からそれらの異名で呼ばれることはないだろう。
 ――何故ならここは既に彼女の知らない世界であり、彼女を知らない世界なのだから……。
「何を人事みたいな顔して、解説してるのかなこの人は」
 良い感じに逃避しかけたわたしの意識を、ミリィの呆れを含んだ声が現実へと引き戻す。
 彼女は今、動けないわたしの身体をタオルで拭いてくれているのだけど、現世では誰かにそんなふうにされたことのないわたしは何というか、その、戸惑ってしまうのだ。
「でも、こうして触れてると、全然普通の女の子だよね。肌はきれいだし、手触りも抜群だけど、とても人間じゃないだなんて思えないよ」
 タオルを置いて、直接肌に触れながらそう言うミリィに、わたしは思わず笑ってしまった。翼を見たって言うから、わたしは自分の正体を包み隠さず全部話したというのに、彼女はまだそんなことを言うのだ。
「この数百年は、ずっと人の輪廻の輪に紛れ込んでいたから。最初は人として生まれて、魂が目覚めるにつれて少しずつ身体のほうもそれに合わせるように変わっていくの」
「へぇ、そうなんだ」
「まあ、ある程度成長すると外見が変わらなくなったり、人間じゃあり得ないくらいの大魔力を運用出来たりするようになるわ」
「永遠の若さと美しさって、女性の夢を体現するわけだ」
「そんなに良い事ばかりでもないわよ。事情を知らない人には気味悪がられたりもするわけだし」
 羨ましそうにわたしの肌を指で突付いてくるミリィに、わたしはそう言って眉を顰める。
「ごめん、痛かった?」
 実際にそういう経験をした時のことを思い出して不愉快になっただけなのだけど、ミリィはそれを傷に触れたのと勘違いしたらしく、慌てて手を引っ込めると誤ってきた。
「大丈夫よ。ちょっと、そういう経験をした時のことを思い出しちゃっただけで、別に傷が痛んだってわけじゃないから」
「そう、なら、良いんだけど」
「だからって、人の素肌に悪戯しても良いってわけでもないんだけど。ほら、そこ、胸を突っ突かない」
「うわっ、ぷるぷる震えちゃってるよ。それに、この指を押し返してくる程好い弾力に柔らかさ……。良いな……」
「ああもう、まじまじと観察しながら感想言わなくて良いから」
 指先で何度も胸を突付きながら羨望の眼差しを向けてくるミリィに、わたしは居心地悪そうに身動ぎして見せる。まあ、女の子同士の軽いじゃれ合いなので、本気で嫌なわけではないのだけど。
「まあ、でも、傷が残らなくて良かったよ。あたし、回復系の呪文はあんまり得意じゃないから、そのあたり結構不安だったんだ」
「そうなの?」
「うん。だから、傷を塞ぐだけで精一杯だったんだと思う。本当はすぐにでも動けるようにしてあげられれば良かったんだけど……」
 申し訳なさそうにそう言うと、タオルを取って身体を拭く作業を再開するミリィ。
 心なしか、その手付きが先ほどより丁寧に感じられる。
 思えば先のちょっかいも表情を曇らせたわたしを気遣ってのものだったのだろう。本当に優しい娘だ。
「はい、おしまい、っと。着替えはあたしのだから、サイズ合わないだろうけど、そこは我慢してね」
 そう言ってYシャツのようなものを渡してくれる。って、これだけなの。
「は、裸ワイシャツ……」
「えっ、何?」
「な、何でもないわ。恥ずかしいから、あまり見ないで」
 わたしは間接に無理をさせないよう、ゆっくりとそれに袖を通すと、上から二番目までを開けてボタンを留めた。
「じゃあ、あたしはもう寝るけど、何かあればすぐに呼んでくれて良いからね」
「ごめんなさい。……いえ、こういう時はありがとうよね」
「分かってるじゃない。あたし、そういう人って好きだよ」
 少女の顔に優しい笑みが広がる。それを見たわたしの心にも暖かなものが灯るのを感じた。
 こんなふうに誰かに心を許したのは何時以来だろうか。
 戦争を始めてからはずっと何処かで張り詰めていたものだから、安堵感も一入だった。
「じゃあ、おやすみ」
 だからだろう。そう言って、不意打ち気味に頬にキスしてきたミリィを、わたしが別段抵抗もなく受け入れることが出来たのは。
「え、あ、わわっ」
 これには逆にミリィのほうが驚いたようで、彼女は慌ててわたしから離れると、逃げるように部屋を出て行ってしまった。
 うふふ、やっぱり可愛いわ。
 そんな少女の背中を見送りながら、わたしは感触の残る頬に触れて小さく笑みをこぼす。
 時折わたしのことをからかっては、楽しそうに笑っていた義姉さんの気持ちが少しだけ分かったような気がする。
 ――兄さんはそんな義姉さんのことを呆れながら見ていたけれど……。
 不意に肌寒さを感じて毛布を引き寄せる。
 魔法仕掛けの品なのだろう。サイドテーブルの上に置かれていたこの部屋唯一の明りであるランプは、わたしが手を伸ばすまでもなく勝手に消えていた。
「…………」
 暗闇と共に部屋に満ちる静寂。
 森の中だけに、耳を澄ませば、遠くに狼らしき獣の遠吠えが聞こえる。
 ――異世界、か……。
 一人になってみて、今更のように込み上げてくる感情があった。
 寂しいなんて感じたのは、一体いつ以来だろうか。
 家族や友人たちとの日々を護るために戦って、敗北したわたしは今度こそ永遠に失ってしまったかもしれないのだ。
 心を占める感情と共に、じわりと湧いてくる実感に寒気を覚え、わたしは頭から毛布を被った。

  堕天使ユリエルの異世界奮闘記
  第2章 異世界の少女ミリィ

 ――翌朝。
 ある程度動けるようになったわたしは、リハビリを兼ねてミリィの家の周囲を探索してみることにした。
 結界魔法のようなものなのだろう。ログハウス調の家を中心に、十メートル四方が清浄な空気に満たされているのが分かる。
 なるほど、これでは邪気の強い魔物は迂闊に近づけないだろうけれど、果たしてこれ程のものを用意する必要があるのだろうか。
 昨日、意識を失う前に感じた魔物の気配を思い出し、次いで知覚領域を広げて結界の外の気配を探ってみるが、やはり、そこまで強い魔性を拾うことは出来なかった。
 寧ろ、このあたりに生息しているのは普通の野生動物に近い、魔性の薄いものたちなのだろう。
 そう、例えば、そこの茂みから興味津々といった様子で、こちらを見つめている小さな君など、本当に魔物なのかと疑ってしまう。
「……出ておいで」
 なるべく警戒させないようにそう声を掛けると、少しの間を置いてガサガサと茂みを揺らす音。
 出て来たのは、ぷるぷるした水色の身体に口と二つの目がついているだけのモンスター、所謂スライムというやつだった。
 わたしはしゃがんでスライム君と目線を合わせると、そっとその頭に手を伸ばす。
 逃げられるか、噛み付かれるかするかと思ったけれど、意外に彼は大人しくわたしの手を受け入れてくれた。
 スライム君の身体は少しひんやりとしていて、指で突付くとぷるぷると震えるのが面白い。
 もしかして、昨夜わたしの胸に悪戯していたミリィもこんな気持ちだったのかしら。
 空いているほうの手を自分の胸に当て、目の前のスライム君と見比べてみる。いや、止めよう。
 顔に熱が集まるのを自覚して慌てて首を横に振ると、邪念を追い出すようにスライム君と戯れることに意識を集中させる。
 そのまましばらく堪能していると、彼は急にびくりと身体を震わせて何処かへ跳ねていってしまった。
 少し調子に乗り過ぎたかと一瞬反省するも、すぐに別の理由に思い至ると、わたしは立ち上がって背後を振り返った。
 そこには面白そうにこちらを見ている少女、ミリィの姿。
 いや、十分くらい前からいたのは気づいていたけれど、気配を消していたので、何かあるのかと様子を伺っていたのだ。
「おはよう、ユリエル。昨夜はよく眠れた?」
「ええ、おかげさまで。それと、服を貸してくれてありがとう」
 何食わぬ顔で挨拶してくるミリィに、こちらもごく普通にそう返すと、わたしは服の裾を摘んで自分の姿を見下ろした。
 今のわたしは、紺色のワンピースにジャケットを羽織った姿。動きやすさを重視してか、若干きつめのスリットのせいで、太股が見え隠れするのが恥ずかしいけれど、借り物なので文句も言えなかった。
 まあ、何故かサイズのほうは余裕があるし、彼女以外に見ている人もいないので大丈夫だろう。
「その服、よく似合ってるよ。サイズのほうも、うん、大丈夫そうだね」
 主に胸のあたりを見てそう言うミリィに、わたしはさっと両腕で胸を庇った。
「ちょっと、視線がいやらしいわよ」
「ええ、そんなことないよ」
「信じられないわ。昨夜は人が動けないのを良いことに、散々弄んでくれたくせに。わたし、もうお嫁に行けないわ」
「じゃあ、あたしが責任を持ってもらってあげる」
「結構よ」
 妖しく手を動かしながら迫ってくるミリィに、わたしはバッと顔を上げると、軽く飛び退って距離を取る。
「あら、残念。ユリエルって美人だし、スタイルも良いから、あたしとしては大歓迎なんだけどな」
「ありがとう。でも、性格は極悪かもしれないわよ」
「そのあたりは、これからじっくり調教……じゃなくて、話し合って、お互いを知っていけば良いと思うよ」
 ミリィは冗談めかしてそう言うけれど、わたしはどうにも身の危険を感じて仕方がなかった。
 もしかして、彼女は同性愛者で、回復するのを待って食べるためにわたしを助けたのではなかろうか。
 にこにこと機嫌良さそうに笑顔を見せる目の前の少女に、わたしはそんな疑惑を抱かずにはいられなかったのだった。

「で、ユリエルはこれからどうするの?」
 ミリィが用意してくれた朝食を二人で食べ、食後のティータイムとなった頃、彼女が唐突にそう聞いてきた。
 それはわたしも考えていた。動けるようになったとは言え、限界を超えて酷使した身体に魔力が戻るにはまだまだ時間が掛かる。
 とはいえ、いつまでも彼女の家にお世話になっているわけにもいかないだろう。
 ここは異世界で、異邦人のわたしには右も左も分からないけれど、魂に蓄積された記憶と経験を駆使すれば、どうにか生きてはいけるはず。
 そう思って、口を開きかけたわたしをミリィが手で制した。
「ああ、大体考えてること分かったから、言わなくても良いよ。ついでに、それ、却下ね」
「なっ!?」
「別にあたしとしては、何日いてもらっても構わないんだ。異世界の人と話せる機会なんて、普通ないから、寧ろ歓迎するよ。だから、さっさと出ていくだなんて、寂しいことは言わないでね」
 何処か必死さを感じさせる笑顔でそう言うミリィに、わたしは反論の言葉を呑み込んだ。
 年頃の娘がこんな森の中に一人で住んでいるのだ。それは寂しくもなるだろう。
 それならば、近隣の村か町にでも移住すれば良さそうなものだけど、きっと、そうすることの出来ない事情が彼女にはある。
「はぁ、あなた、バカでしょ」
「むっ、失礼な。これでも、中級くらいまでなら僧侶と魔法使いの呪文を両方とも使えるんだぞ」
「いや、そっちの基準は分からないけど、わたしが言いたいのはそういうことじゃないの」
 わたしがおそらく自分はこことは違う世界の出身だという話をした時、ミリィはそれを一切疑わなかった。
 それはもう、拍子抜けするくらいにあっさりと信じたのだ。
 もちろんわたしは嘘は言っていないし、そんな必要も感じなかったのだけど、それにしたって、こんな森の中で一人暮らしをしているにしては少々無用心過ぎはしないだろうか。
「あはは、何を言い出すかと思えば、そんなこと。あたしだって、それくらい分かってるって」
「本当かしら」
「これでも人を見る目は確かなつもりだよ。大丈夫、少なくとも、ユリエルはあたしにとって、信じるに足る人だから」
 そう言って、真剣な表情でまっすぐにこちらを見てくるミリィに、わたしは大した時間も経たずに根負けすると、疲れたように溜息を漏らした。
「わかったわ。正直、助かるし、もう少しだけ甘えさせてもらうわね」
「本当、やった。ありがとうユリエル!」
「お礼を言うのはわたしのほうでしょうに。でも、本当に良いの。右も左も分からないから、きっとたくさん迷惑を掛けることになるわよ」
「望むところだよ。毒を喰らわば皿までって言うしね」
「後悔しても知らないから」
 ミリィは屈託のない笑顔でわたしという“悪”に加担すると言う。
 ――本当、参ったわね……。
 全身で喜びを表現しそうな勢いの彼女を見ながら、わたしは内心でもう一度溜息を吐いた。

   * * * 続く * * *

 リメイク版第2章をお届けしました。
 作者です。
 まだ序盤ということで、大きな変化はありませんが、ユリエルとミリィのやり取りを中心に少し変更、加筆しています。
 まあ、初筆から大分経っているので、改訂前のほうを既読の方でも違いに気づかれるかどうか(汗)。
 ともあれ、ここまでお読みいただき、ありがとうございました。次回もよろしくお願いします。



[4317] 第3章 少女遊戯
Name: 安藤龍一◆8077f055 ID:ed24611f
Date: 2010/11/06 11:17

 三杯目のお茶に口を付けた時だ。
 舌先に微かに感じた鋭い刺激に、わたしは思わず眉を顰めた。
 血とともに失った体力の回復を促すのに良いからと、ミリィが朝食後に淹れてくれた彼女特製ブレンドのハーブティー。
 だけど、滋養強壮、体力回復の効果を持つ成分の多くは古来より優れた媚薬としても重宝されていたのではなかったか。
 森に育まれた新緑の葉が醸し出す深い味わいに、すっかり心身を弛緩させてしまっていたわたしは、身体の内側から沸き起こる熱を持て余しながら、ぼんやりとそんなことを思い出していた。
「どうかした?」
 そんなお茶を振る舞ってくれた当の本人は、同じものが注がれたカップを傾けながら不思議そうに首を傾げている。
 ――確信犯……。
 いや、わたしがしばらくこの家にいることにしたのが嬉しくて、気づいていないだけかもしれないけれど。
「ん?」
 カップを置いて、じっとミリィの目を覗き込む。極上のサファイアを思わせる澄んだ青は、思わず吸い込まれてしまいそうだった。
 そんなわたしを、ミリィは可愛らしく小首を傾げて見返してくる。
 その目元はほんのりと朱に染まり、笑みの形に細められた瞳の奥には微かな情欲の光が見え隠れしていた。
「ねぇ、ミリィ。このお茶なんだけど……」
「美味しいでしょ。冷え込みの厳しい日には身体を内側から暖めてくれるし、疲れた時の体力回復にも効くから重宝してるんだよね」
 そう言ってにこにこと笑う少女の顔に邪気はなく、それを見たわたしは一つ嘆息すると、ゆっくりとカップの中身を飲み干して立ち上がった。
 浄化の魔法を使えば一瞬で平常に戻すことは出来た。だけど、そうするのは何だか負けのような気がして、嫌だったのだ。
 それに、せっかくミリィのほうからアプローチしてきてくれたんだもの。応えなければ失礼というものよね。
「ごちそうさま。さすがにまだ本調子じゃないから、少し寝室のほうで休ませてもらうわね」
「一人で大丈夫?」
「ええ、ありがとう」
 身体を蝕む熱にふらつく足元を気力で立て直しながらそう言うわたしに、同じく椅子から立ち上がったミリィが心配そうに寄ってくる。わたしはそんな彼女から逃げるように一歩後退ろうとして、思わずバランスを崩してしまった。
「危ない!」
 背中から床へと倒れ込むわたしに向かって、ミリィがとっさに手を伸ばす。
 しかし、そこは小柄な少女の細腕。
 例え森の中での生活で鍛えられていたとしても、自分より背丈も体重もある相手を支えて踏み止まるには、あまりに力が足りていなかった。
「あ……」
 結果、逆に引き寄せられた少女の身体は、すっぽりとわたしの腕の中に納まることになった。
「…………」
 布越しに伝わる鼓動。お互いの体温が触れた箇所から混ざり合い、ほんの少しだけわたしと彼女の境界をあいまいなものへと変えていた。
 いけない。何か言わないと雰囲気に流されてしまいそうだ。
 そう思って口を開こうにも、胸元からこちらを見上げてくるミリィと目が合った途端、凍り付いたように喉から言葉が出なくなってしまってはどうしようもなかった。
「ねぇ、ユリエル。あたし、何か変なんだ。ユリエルのこと考えると、身体が熱くなっちゃって……」
「そう。でも、少なくても今熱いのは、わたしのせいじゃないわよね」
「あはは、やっぱりばれちゃってたか」
「いけない娘ね。人が弱ってるところに、エッチなお薬を飲ませて快楽漬けにしようだなんて。そんなにわたしが欲しいの?」
「うん、欲しい」
 即答だった。しかも、まっすぐにこちらの目を見ながらそう言うものだから、思わず薬の効果とは関係なく頬に熱が集まるのを感じてしまった。
「良いわ。あなたには手当てしてもらったし、これからお世話になるにしても代価は必要だもの。でも、その前に……」
 自分の上に乗った少女の背中に両腕を回して抱きしめながら、わたしは彼女の耳元にそっと囁いた。
「ん……」
 小さく首を傾げて、吐息するミリィの唇に吸い寄せられるように、まずは優しいキスから始める。
 驚きに見開かれた少女の瞳に浮かぶのは、歓喜。
 まるで待ち侘びた恋人との逢瀬のように、彼女は積極的にキスを返してこようとする。
「……続きはベッドでしましょうか」
 唇を離してからそう言って立ち上がると、わたしはミリィを抱き上げて彼女の寝室へと向かう。
 立ち上がった拍子に背中から何枚か羽根が抜け落ちたみたいだけど、まあ、後で片付ければ良いだろう。
 今はただ、この腕の中の愛しいお姫様と蜜月の時を……。

  堕天使ユリエルの異世界奮闘記
  第3章 少女遊戯

 ――気がつけばもう夕方だった……。
 窓から差し込む陽光を受けて黄金色に輝く少女の髪を指で梳きながら、わたしは事後の心地良い疲労感に身を委ねる。
 思えばずいぶんと夢中で愛してしまったものだ。
 戦いの中で身に付けたリジェネレイト、動きながら体力を回復するという技術を最大限に活用した結果、先に力尽きてしまったミリィは、今はわたしの腕の中で規則正しく寝息を立てている。
 まったく無防備にあどけない表情を曝すその様子は、わたしの知る限りでは年相応の女の子のものだった。
 ――可愛い……。
 ぴったりと寄り添って眠る少女の愛らしさに、思わずだらしなく頬を緩めてしまう。
 寝顔は誰でも天使だと言うけれど、ミリィのそれはわたしなんかより余程素敵だ。
 ミリィのこんな顔を見られただけでも、少ない体力をやり繰りして頑張った甲斐があったというものである。
「……ん……」
 微かに呻き声を漏らしながら、ミリィが小さく身動ぎする。
 その様子に少女の目覚めが近いことを見て取ったわたしは、彼女を起こさないように身を起こすと、そっと寝室を後にした。
 起きるまで隣にいてあげようかとも思ったけれど、先程までの行為の激しさを鑑みるに、失った体力を回復するには暖かな食事が必要になるだろう。
 わたしは先に述べたようにリジェネレイトしながらだったし、性的な交わりによってミリィから魔力を補充することが出来た分、寧ろ回復している。
 このまま毎日同じことを繰り返せば、案外早く魔力を回復させられるかもしれないわね。
 尤も、そうした場合、ミリィが中毒になりかねないけれど。
 ――閑話休題……。
 まあ、そんなわけで、その日の夕食はわたしが作ることにした。
 魔法で動いているらしい冷蔵庫の中にはわたしの世界にあったような食材もちらほらと見受けられたので、それらを使って手早く仕上げてしまうことにする。
 事後の後始末にも使った水の精霊魔法、リフレシュアミストの清めの光を部分的に発動させて手を洗浄すると、まずは献立を考えながらの食材選別。
 メニューは鶏肉と野菜のスープに、きのこと海草のサラダ。メインディッシュは、川魚のムニエルだ。
 さすがに白米はなかったので、主食は生地の状態で寝かされていたパンを適当に丸めてオーブンで焼くことにした。
 それにしても、厨房にオーブンや冷蔵庫を見つけた時には驚いた。
 しかも、わたしの世界では金属製だった部分が石や木で出来ていたり、機械的な配線の代わりに魔法陣や魔術式が組み込まれているなどの相違点はあるものの、それらの基本的な使用方法についてはほとんど同じだったのだ。
 いや、使用者の魔力を消費して稼動する分、災害等による影響を受けない点でこちらのほうが優れているとさえ言える。
 魔力に反応して組み込まれた陣や術式が作動するので、使用者が魔法使いである必要すらない。
 消費する魔力も、魔法を行使するのに比べれば微々たるものなので、消耗した状態の今のわたしにも楽に使えるのが嬉しかった。
「あれ、何でユリエルがうちの厨房で料理してるの?」
 わたしが上機嫌で料理をしていると、匂いに釣られてか、ミリィが起き出してきた。眠たそうに目を擦りながらこちらを見てくる様子は、子供っぽくて何だか可愛い。
「もう夕飯の時間でしょ。でも、ミリィがあんまり気持ち良さそうに寝てるものだから、起こすのも悪いと思って」
 そう言ってくすくすと笑うわたしに、ミリィは顔を真っ赤にして叫んだ。
「だ、誰のせいだと思ってるんだよ」
「わたしのせいね。だから、このご飯はそのお詫び。分かったら、ほら、いつまでもそんな格好してないで、風邪を引いちゃうわよ」
「あ、う、うん……」
 わたしに言われて自分がまだ裸のままだったことに気づいたミリィは、赤い顔を更に赤くすると、慌てて寝室のほうに戻っていった。

 ――さて、世界が違えば文化も違う。
 だから、わたしの作ったものがミリィの嗜好に合うかは正直、不安だったのだけど、驚きと賞賛を以ってそれらを評する彼女の表情は終始笑顔だった。
 うん、満足だ。
「それにしても、よく作れたね。コンロとか、ユリエルの世界にもあるものだった?」
 食後のお茶、今度は普通のを飲みながら感心したようにそう聞いてくるミリィに、わたしもカップを傾けつつ答える。
「ええ、似たようなものが多くて驚いたわ。おかげで、軽く解析魔法を掛けるだけで普通に使えたし、これなら食事を当番制にしても大丈夫そうね」
「へぇ、そうなんだ。って言うか、料理当番とか、別に気にしなくても良いのに」
「あら、ただで置いてもらうつもりなんて毛頭ないわよ。これでも家では家事全般を任されてたんだから、寧ろ何もしないでなんていられないわ」
 戦争を始める前の生活を懐かしく思いながらそう言うわたしに、ミリィは心底意外そうな顔をする。
「でも、ユリエルって天使の中じゃトップだったんでしょ。そういうのって、侍女とかに任せたりするものじゃないの?」
「仕事が忙しい時だけはね。そもそも、魂が目覚める前は普通の女の子だったんだもの」
「そっか」
「安心した?」
「うん、何だかぐっと距離が近くなった気がするよ」
 そう言ってわたしに摺り寄ってくるミリィは、本当に嬉しそうに笑っている。
「最初から遠慮なんてしてなかったくせに。そもそも、そういうことを気にするくらいなら、初対面の相手を媚薬で手篭めにしようとしたりなんてしないでよ」
「うっ、あ、あれはほら、乙女の嗜みって言うか」
「何処の世界にそんなことを嗜む乙女がいるって言うのよ。冗談じゃ済まないから、他の人にはしちゃダメよ」
 甘えてくるミリィの目を覗き込みながらそう言って窘めるわたしに、彼女は意外にも素直に頷いた。
「あら、意外と素直なのね」
「だ、だって、あんなふうにされたのって、あたし初めてだったんだもん。もう他の子となんて寝られないよ」
「そ、そう……」
 面と向かってそんなことを言われたものだから、わたしもつい思い出してしまった。
 薬の勢いがあったとはいえ、数時間にも及ぶ交わりは、十代半ばの少女が体験するには聊か刺激的過ぎたように思わなくもない。
 というか、やり過ぎだ。
「責任、取ってよね」
 赤い顔でそう言うミリィに、わたしはただただ頷くばかりだった。

 軽くじゃれ合いながらのティータイムも終わり、わたしは食器を片付けるために席を立った。
 ミリィは暗くなる前にと今朝に干した洗濯物を取り込みに掛かっている。
 窓の向こうから無造作に室内へと放り込まれる衣服の中には、わたしがこの世界に落ちた時に着ていたものもあり、洗い物を終えたわたしは、何気なく取り込まれた洗濯物の山の中からそれを発掘して、驚いた。
 激しい戦闘の中で、ほとんど襤褸切れのようになっていた服が、まるで新品のように糸の解れ一つ無くなっていたのだ。
 復元魔法を使ったのだとしても、ここまで来れば完全に神秘の領域だ。
 わたしが自分の服を手に呆然としていると、最後の洗濯物を取り込み終えたらしいミリィが部屋に上がってきて説明してくれた。
 何でもこの世界には、ラナルータと呼ばれる昼と夜を逆転させる魔法があるらしいのだけど、その正体は術者を含む対象を十二時間過去か未来に飛ばす時間移動の魔法なのだとか。
 ミリィはその魔法の応用で、ボロボロになったわたしの服の時間だけをきれいだった頃まで戻したのだという。
 それを聞いたわたしは驚愕に目を見開き、実際に目の前で実演されるに至っては、しばらく開いた口が塞がらなかった。
「あなた、実は高名な大魔法使いだったりする?」
「ううん。あたしはただのしがない盗賊だよ」
 賢者を目指してた時期はあったけどね。
 そう言って手の中に納まっていたカップの時間を中身があった頃まで遡らせると、ミリィはそれを一気に飲み干して洗い終わった直後まで戻して見せた。
 その様子を目の当たりにしても、わたしはまだ彼女のしたことが信じられない思いだった。
 わたしの世界でも魔法による時間移動の理論は完成していたのだけど、それを実証して見せた人物はわたしの知る限り、一人もいなかった。
 まだすべてを見たわけではないし、標準的なレベルがどの程度のものかは分からないけれど、もしかすると、この世界の魔法はわたしの知っているものより遥かに高度なものなのかもしれない。
「ねぇ、ミリィ。その魔法、わたしにも覚えられるかしら」
 気づけばそう尋ねていた。わたしの大魔力を以ってすれば、十二時間と言わず戦争を始める前まで遡ることも不可能ではないだろう。そう思ってのことだったのだけど。
「……やっぱり、帰りたいんだね」
 ハッとした。だけど、わたしに問われたミリィは寂しそうにそう漏らしながらも軽く首を横に振ると、それに答えてくれた。
「多分、覚えること自体は出来ると思うよ。こっちじゃほとんど失伝しちゃってるけど、ユリエルの魔法で解析出来るなら大丈夫じゃないかな。……ただ」
 そこで一度言葉を切ると、ミリィは僅かに躊躇うような素振りを見せながら話を続けた。
「さっきも言ったけど、ラナルータは基本的に時間移動の魔法なんだ。だから、対象を別の場所の過去や未来に贈ることは出来ないよ」
「そうよね。さすがに時間移動と空間移動を同時に行えるわけないわよね」
「期待させちゃってごめん」
「いいのよ。わたしこそ、責任取るって言った側から不安にさせるようなこと言って、悪かったわ」
 申し訳なさそうにそう言うミリィに、わたしも謝罪で返す。正直、浅はかだった。
「そうだ。ユリエル、ゲームをしようよ」
「ゲーム?」
「そ。ユリエルはこれから自分の世界に帰るための方法を探すんでしょ。なら、あたしはユリエルがどうするにも絶対あたしから離れられないようにしてあげる」
 自己嫌悪に陥ったわたしを慰めようとしてくれているのだろう。明るい調子のミリィのその言葉に、わたしは思わず俯き加減になっていた顔を上げた。
「タイムリミットはユリエルが帰る方法を見つけるか、諦めるまで。負けたら勝ったほうの言うことを何でも一つだけ利くってことで、どうかな」
「それは、何とも魅力的な話ね」
「でしょ。ね、やろうよ」
 そう言って朗らかに笑って見せる少女の顔はとても眩しくて、わたしは目を細めると黙ってそれに頷いた。
 互いを貪るように求め合った交わりの中で、本当は人恋しかったのだと吐露した彼女。
 だけど、芯には確かなものを持っていて……。
「あたし、負けないからね」
 その後は順番にお風呂に入って、その日は何事もなく就寝となった。
 勢いに乗って早速仕掛けてくるかと思ったけれど、さすがの彼女にもそこまでの余裕はなかったようだ。
 ただ、ミリィの明日は食料の調達に行くからという言葉に、密かに胸を高鳴らせたのはわたしだけの秘密である。

   * * * 続く * * *

  ~~~ オリジナル呪文解説 ~~~
 ・名称:リフレシュアミスト
 ・消費MP:2
 ・属性:水・光
 ・範囲:指定・小
 ・主な使用者:ユリエル
 ・解説:水と光の属性を持つ治癒系統の精霊魔法。
  本来は毒や病気を浄化する魔法で、術者の指定した範囲内に存在するあらゆるものに対して有効。ユリエルはこの特性を利用してシャワーを浴びられない時等に身体を清めるのに使っている。
  ~~~ * * * * * ~~~

 リメイク版第3章、いかがだったでしょうか。
 作者です。
 今回は独自設定の一発目、ラナルータについてです。
 ルーラ、リレミトでの瞬間移動、ザオラル、ザオリクによる死者蘇生も可能なドラクエ世界ですが、さすがに昼夜逆転を個人が行うのは難しいのではないかと考えました。
 昼と夜を逆転させるということは、周囲の時間を巻き戻すか進ませる。または、地球の自転を加速させるということになるわけで、さすがにそんな大魔法を人間が一人で使えるわけないだろうと思ったのです。
 それならまだ限定範囲内の時間だけを操作するほうが無理がないのではないかと、本作のラナルータを範囲指定型の時間移動とした次第です。
 同じ消費MP20のザオリクと比較しても、奇跡の度合い的に同じくらいだと作者は思うのですが、いかがでしょうか。



[4317]   第4章 豊穣の戯れに
Name: 安藤龍一◆8077f055 ID:ed24611f
Date: 2010/11/12 21:56

 ――我が魔力は一陣の風と成りて薙ぎ払え。……ウィンドスラッシュ!
 呪文詠唱によって風の属性を付与されたわたしの魔力が、蒼色の真空の刃となって有象無象の影を薙ぎ倒していく。
 それは、いつかの戦争の記憶。
 大天使以下の兵士のみで構成された軍団の先頭に立ち、僅か数名の部下を率いて味方に数倍する敵陣を駆け抜けた。
 白銀の戦乙女の異名の元にもなった、今はもう、記憶の彼方に色褪せかけている暴挙を、何故わたしは今更夢に見ているのだろう。
 神剣の白が煌く毎に、津波の如く押し寄せていた影の一角が崩れ、暗雲立ち込める空さえも白く染める神聖魔法の光は確実にその圧力を押し返していった。
 そうして切り開いた戦場を突っ切って、わたしが辿り着いたのは小さな村の教会だった。
 そこにはかつて、地上を視察した折にお世話になった人間の少女が暮らしていて、激戦の末に精魂尽き果てたわたしを優しい笑顔で迎えてくれたのだった。
 そう、当時、天上議会最高幹部集団であるところの十二神将の半分を預かる立場だったわたしは、たった一人の人間の女の子を助けるために、自身を含む四人までもを一つの戦場に投入したのである。
 名目上は地上視察の最中に戦闘に遭遇し、現場の判断で民間人の保護を優先したということになっている。
 実際、わたしは戦場視察を予定していたし、同行してくれた部下のうち二人は休暇中だったので、かなり苦しかったけれど、これで押し通すことが出来たのだ。
 ちなみに、救出した娘は後日、わたしの権限で神格化した上で、秘書として迎えている。
 ――わたしが現在の世界の在り方に疑問を抱く遥か以前のことだった……。

  堕天使ユリエルの異世界奮闘記
  第4章 豊穣の戯れに

「……ユリエル。ねぇ、ユリエルってば。起きてよ。狩りの時間だよ」
 この世界で目覚めてから二度目の朝。ぼんやりとまどろみの中を漂っていたわたしは、そんなミリィの声で意識を浮上させた。
「狩りって、獲物はわたし? それとも、あなたが狩られる側かしら」
「あたしが狩る側に決まってるでしょ。……って、そうじゃなくて。もう、昨夜朝になったら森に食料の調達に行くって言ったの、忘れたの?」
 ベッドから起き上がって身体を伸ばすわたしに、ミリィが少し拗ねたようにそう聞いてくる。しかし、何気に自分の立場を主張しているあたり、昨日のことを根に持っているのだろうか。
「ちゃんと覚えてるわよ。待って、今支度するから」
 そう言って立ち上がると、わたしは寝間着として借りているワイシャツを脱いで全裸になった。
「ちょ、幾らあたししか見てないからって、いきなり脱ぐかな」
「急かしたのミリィでしょ。ほら、魔法使うから目を瞑ってなさい」
 慌てて目を逸らすミリィに、わたしは呆れたようにそう言うと、軽く目を閉じて魔法を発動させた。
 リフレシュアミストで身体を浄化し、その残滓である水滴をタオルで素早く拭き取ると、枕元に用意しておいた着替えに袖を通す。
 温泉大国日本で育った身としては、相当味気ないけれど、今からお湯を沸かして入っていたら本気でミリィに怒られそうなので、今回は自重することにした。
「へぇ、そんな魔法もあるんだ。水と、それにこれは光かな。なるほど、浄化の魔法で体を清めてるんだね」
 わたしの発動させた水の精霊魔法を見て、ミリィが感心したように声を弾ませる。初見で解析して見せるのはさすがというべきか。
「元々は毒や病気を治す魔法なんだけど、そこそこ熟練度を上げればこんな使い方も出来るのよ」
「ユリエル。ひょっとして、自慢してる?」
「まさか。それに、これくらい、ミリィなら簡単に出来るでしょ」
「そうかな」
「初見で大体見抜いてるんだから大丈夫よ。っていうか、こっちにはそういう魔法はないのかしら」
 少し照れたように頬を染めるミリィに、良い機会だからとわたしは気になっていたこの世界の魔法について尋ねてみることにした。
「あー、うん。こっちの世界じゃ、魔法って言えば実戦的なものがほとんどだね。元々が他種族との生存競争の中で発達してきた技術だから、どうしても戦闘向けのものが多くなっちゃうんだよ」
「そう。でも、オーブンや冷蔵庫は生活に密着したマジックアイテムよね。使うのに軽く解析を掛けたけれど、あれらに使われてる魔法技術の熟練度だって、一朝一夕のものじゃないでしょ」
「うん。技術自体は昔からある武器や防具に魔法の効果を付与するってものの応用だからね。おかげで信頼性は抜群だよ」
 流血によって培われた技術に思うところでもあるのか、生存競争と言ったあたりでミリィの声が暗くなる。
 学ぶものは少なからずその本質に触れ、理解することを求められるものだけど、それが必ずしも本人にとって幸福なこととは限らない。
 況してや魔法が闘争に勝ち抜くための手段であったのなら、その負の性質は心優しいものに毒となることは想像に難くないだろう。
 彼女が賢者を目指さなくなったのも、何かそのあたりに理由があるのかもしれなかった。
 そう思って、なるべく平和的な方向に話を持って行こうとしたのだけど、それに対するミリィの返事は案外明るいもので、フォローするつもりだったわたしは思わず拍子抜けしてしまった。
「どう取り繕ったって、あたしたちが恩恵を受けてることに変わりはないもん。なら、せめて、先人がその技術や力に託した想いを無駄にしないようにしなきゃって、考えるようにしてるんだ」
「先人が託した想い……」
「そ。例えば冷蔵庫なら、新鮮な食材を長く保存出来るようにすることで、少しでも食事を安定させようってところかな」
「確かに乾物や穀類だけじゃ限度があるものね」
「でしょ。人はいつだって、便利さを求めて新しいものを発展させるんだよ。なら、あたしたちがそれを使うことで、その人たちの努力がちゃんと報われてるって証明してあげないとね」
 前を向いたまま、おどけたような調子でミリィはそう話を締め括る。歩きながらの会話のため、わたしから彼女の表情を伺うことは出来なかった。
「さて、着いたよ」
 そう言ってミリィが足を止めたのは、天然の果樹園のような場所だった。
 辺りには甘い匂いが立ち込め、色取り取りの果実が目にも鮮やかに見るものの視界を楽しませる。
 家を出てから南に二キロばかり歩いただろうか。道中見かけた川には魚も多くいたし、これほど豊かな土地なら、少女一人が食に困ることなどありはしないだろう。
「これは、凄いわね……」
 森の恵みに感嘆の息を漏らすわたしに、ミリィが採取用の籠とはさみを取り出しながら頷いた。
「でしょ。このあたりに成ってるのは全部食べられるものばかりだから、好きなのを採って良いよ。ただし」
「あまり同じ場所からばかり採らないこと。若い実は避けて、実自体が少ない木からも採らないこと。採る時は素早く、かつ枝や蔓を傷つけないように、でしょ」
「後、お互いに視界から外れないこと。この森って結構広いから、一度逸れると見つけるのが大変なんだ」
 とりあえず、思いついた注意点を挙げてみたわたしに、ミリィが割りと真剣な顔でそう言って追加してくる。
 季節によっては、近道しようと街道から外れて入ってきた人が、そのまま帰って来なくなるなんてこともあるという。
 この世界に来たばかりで土地勘もないわたしは、黙ってそれに頷くしかなかった。

 リンゴにぶどう、名前は分からないけれど、クルミに似た硬い実も栄養価が高くて健康に良さそうだ。
 それらの果実を枝や蔓を傷つけないよう、気をつけながら手早く採取して回っていると、足元に一羽のウサギが寄ってきた。
 ――ウサギ、よね……。
 わたしのいた世界のより大分大きいし、額に角が生えていたりもするけれど、こちらを見上げてくるその円らな瞳は、間違いなく寂しがり屋の彼らのものだった。
 好奇心に負けて寄ってきたのだろうか。
わたしは篭の中からリンゴを一つ取り出すとその子の前に置いた。
 ウサギはしばらくわたしとリンゴとを見比べていたけれど、やがて、リンゴを加えると何処かに走り去ってしまった。
 魔物が住んでいるとはいえ、辺りに満ちる空気は平穏そのものだった。
 しかし、ミリィはこれを狩りだと言っていたけれど、あの子みたいな小動物を食用として捕獲するつもりなのだろうか。
 だとすれば、今のは少し軽率だったかもしれない。あの子にも悪いことをしちゃったわね。
 食べ物をくれた相手が今度は捕食者として自分に牙を剥くとなれば、これほど酷い裏切りもないだろう。
 いえ、それとて人間側の勝手な感傷かしら。
 賢い生き物は人間の感情に訴え掛けることで糧を得る術を知っている。
 単純に襲い掛かるよりも安全に餓えを満たせるとなれば、積極的にそうした手段を選ぶのは寧ろ当然だろう。
「あれ、ユリエル。今そこにアルミラージがいなかった?」
 そんなことを考えながら採取を続けていると、ミリィが不思議そうにそう尋ねてきた。
「アルミラージって、あの紫色の一角ウサギのことかしら。それなら確かにいたけれど、リンゴをあげたら何処かへ行っちゃったわ」
 わたしが少し残念そうにそう答えると、ミリィは何故か驚いたように目を丸くした。
「はぁ、よく襲われなかったね。アルミラージって臆病だから、下手に近づくと危ないのに」
 ミリィが言うには、アルミラージというのはそれなりに危険な魔物らしい。動きが素早く、後ろ足の筋肉が発達しているので突進力もあるとのこと。
 知能も高く、一定範囲の対象を眠らせるラリホーという魔法まで使えるというのだから、確かに並の人間にとっては脅威となるだろう。
 だけど、それとて悪戯に相手を刺激すればこそ。接し方を間違えさえしなければ、先のウサギなどは可愛いものだった。
 わたしの世界の魔物たちは、人間が置き去りにした感情を起源として発生するため、帰巣本能に基づいて人間を襲うけれど、こちらの魔物たちは寧ろ野生動物と大差ないように見える。
 もちろん、殺戮本能の強いものは別だろうけれど、この森に生息している程度の魔物なら、無闇に刺激しない限り、こちらを襲ってくることもないだろう。
「魔物だからって、皆が皆恐ろしいわけじゃないわ。寧ろ悪戯に警戒して、相手の攻撃本能を刺激するほうが余程危険よ」
「それは、そうかもしれないけど。あんまり無防備に近づかないでよ。今は魔界からの影響も大分薄れてるけど、中には凶暴な魔物だっているんだからね」
「ありがとう、心配してくれて。今度からは気をつけるわ」
「本当だよ」
「ええ。ところで、もう篭も一杯でしょ。そろそろ一度戻らない?」
 見ればミリィの籠も果物で一杯になっている。途中の川で魚釣りをするにしても、嵩張るからと置いてきた道具一式を取りに一度戻らなければならなかった。
「そだね。じゃあ、帰ろうか」
 わたしの言葉にミリィも頷いて籠を背負い直すと、二人は来た道を戻り始めた。
 しかし、自分の肩幅よりも大きな籠にあふれる程の果実は、下手をすれば二十キロ近い重さになっているのではないだろうか。
 ミリィは小柄な身体で上手くバランスを取っているようだけど、傍から見ているとどうにも危なっかしくてしょうがなかった。
「少し引き受けましょうか?」
「平気。それよりも、一応気をつけておいて。そろそろ朝の遅い魔物たちも起き出してくる頃だから」
「分かったわ」
 ミリィに言われて自分の知覚領域を確認する。つい数日前まで戦争をしていただけに、無意識のうちに気を張っていたらしいけれど、時にはそれだけでは拾いきれないものもあるのだ。
 まあ、動物の気配は結構雑だし、敵意や殺気などの強力なものなら、僅かでも見逃さない自信があるので大丈夫だろう。
 寧ろ気になるのは、先程から付かず離れずの距離でわたしたちを追ってきている気配があることだった。
 立ち止まって振り返ると、慌てて隠れたような茂みを揺らす音が聞こえる。
 視界の隅に映った見覚えのアル毛色に、わたしは思わず苦笑した。
 野良猫にエサをやったら懐かれてしまったという経験は何度かあったけれど、これもそういう類のものなのだろうか。
「出ておいで」
 昨日のスライム君にしたようになるべく優しい声色を作って呼び掛けると、茂みを揺らして先程のウサギが姿を現す。
「本当に大丈夫みたいだね」
 ミリィは一瞬腰の短剣に手を伸ばしかけたけれど、わたしの足元に擦り寄ってくるアルミラージを見て、肩の力を抜いた。
 元来、生き物は無用な殺生はしないものだ。それが自然界の掟でもあり、従わないものは遠からず破滅する。
 人間のそれが緩やかなのは、あくまで生産が死滅を上回っていたからで、その関係も逆転したわたしの世界では未来に滅亡が確定したと言えるだろう。
「いや、そんな可愛い生き物を抱き抱えながら、人類滅亡とか考えられてもコメントし辛いんだけど」
「ミリィ、ずっと疑問に思っていたんだけど、あなた、どうしてわたしの考えてることが分かるの?」
「ん、秘密」
 まるで心を読まれてでもいるかのようだった。いや、ある程度許しているのは確かだけど、それにしたって、わたしに気づかれずにそういうことを出来るのは余程の熟練者でもなければ不可能なはずだ。
「良い女には秘密がたくさんあるんだよ」
 部屋の隅に籠を下ろしながらそう言ったミリィは、何か意味深そうな笑みを浮かべている。雰囲気を演出しようとしているみたいだけど、正直、あまり似合ってはいなかった。
「小娘が生意気言わないの」
 きっと、背伸びしたい年頃なのだろう。そんなミリィを微笑ましく思ったわたしは、自分も抱えていたアルミラージと背中の籠を下ろして彼女に近づくと、その額を軽く指先で突付いた。
「むっ、これでも今年で十五歳。立派な大人なんだよ」
 わたしに子供扱いされたミリィは不服そうに頬を膨らませるけれど、そんな仕草も可愛いと思ってしまうのは、惚れた弱みというやつだろうか。
「大体、ユリエルだって、あたしと一つしか違わないじゃないの。それなのに、おっぱいはこーんなに立派に実っちゃってさ」
「あ、こら、真昼間から何処触ってるのよ!?」
「うふふ、ちょうど良いからこれも収穫しちゃおっか」
 いつの間に回り込んだのか。ミリィは楽しそうにそう言って、背後からわたしを羽交い絞めにしながら胸へと手を伸ばす。
 くっ、何て早業。このわたしが反応すら出来ないだなんて……。
 これが本能の力か。
 なんて、バカなことを考えながら身を捩って逃げようとしていると、不意にミリィの手が止まる。
 これ幸いとばかりに彼女の腕から抜け出したわたしも遅ればせながらそれに気づいた。
 本能が警鐘を鳴らしているのだろう。わたしの足元でアルミラージがそわそわとしながら玄関のほうを見ていた。
 ――森の、精霊たちのざわめきが聞こえる……。
 殺気が渦巻き、波紋のように濃密な魔性が広がる感覚。
「……世界が、食われる」

   * * * 続く * * *

 今回、調子に乗って書いていたら、いつの間にか丸々一週間費やしてしまってました。
 作者です。
 心理描写ばかりが一人称で続くのは口説くなるという指摘をいただいたので、ミリィとのやり取りを増やしてみたのですが、いかがでしょうか。



[4317] 第5章 家族
Name: 安藤龍一◆8077f055 ID:ed24611f
Date: 2010/11/21 14:43
  堕天使ユリエルの異世界奮闘記
  第5章 家族

 サソリのような長い尾の先に人間の身体など一突きで貫けそうな針を備えた巨大な昆虫型モンスター。
 異変を察知して外へと飛び出したわたしたちが見たのは、そんな魔物が十数匹掛かりでこの家に張られた結界を突破しようとしている光景だった。
 鋭い針を何度も虚空に付き立てながら、愚直なまでに前へと進もうとするその様子には鬼気迫るものを感じる。
「ポイズンテイル!? しかも、あんなにたくさん……」
 特徴から魔物の正体を判別したらしいミリィが顔を蒼褪めさせながらそう言葉を漏らす。どうやら相当危険なモンスターのようだ。
「まずいよ。あれに刺されたら、ドラゴンだって物の数分で死んじゃうんだ。早く何とかしないと」
「まあ、普通の蜂でも人間があの数に刺されれば余裕で死ねるわね」
「落ち着いてる場合じゃないんだってば。ええーい、こうなったら近づかれる前に大火力で一気に焼き払うよ。炎の霊よ、閃光と成りて敵を焼き尽くせ。ベギラマ!」
 そう言って早口に呪文を唱えると、ミリィは結界に群がる巨大な蜂たちに向けて魔力を解放した。
「しょうがないわね。我が魔力は閃光に、閃光は矢と成りて射貫け。スプラッシュアロー!」
 ミリィの手から彼女の胴回り程もある熱線が放たれ、それを追ってわたしが放った十数発の光の矢が弾幕を形成する。
 これにポイズンテイルたちは慌てて散開するも、数匹がベギラマの閃光に呑まれて蒸発し、更に初動が遅れた数匹が光の矢の弾幕に絡め取られて地に落ちた。
 だけど、喜んでいる暇もない。敵はまだ半数以上残っているし、結界だって今の魔法の干渉を受けて幾らか揺らいだことだろう。
「ミリィ。相手はまだ結界を越えられないみたいだわ。落ち着いて、今のうちに確実に仕留めていきましょう」
「わ、分かったよ」
「大丈夫。あなたの結界がある限り、わたしたちの勝ちは揺るがないわ」
 幾らか落ち着いた様子のミリィにそう声を掛けると、わたしは続け様に三度、同じ呪文を唱えて矢の弾幕を形成する。
 それにしても、精度が甘い。放たれた矢の数は三桁に迫ろうかというのに、どうしても数匹の回避を許してしまっている。
 普段であれば複数の対象に同時に当てるのも難しくないというのに、この無様はどうしたことか。
「炎の霊、イフリータ。四代が一角を担いし汝が輝きを我が前に示せ。誓約の下、ユリエルが命じる。焼き払え!」
 そうこうしているうちに、段々とイライラしてきたわたしが今度はミリィの細い光線の連発で出来た隙を衝いて大威力魔法を叩き込んでいた。
 ある時、大きすぎる力の運用に難儀していたわたしは、自分の魂の一部に自我を与え、一つの属性に特価させた上で術式を肩代わりさせることで魔法の運用効率を飛躍的に高めることに成功した。
 イフリータはその中の一体。召喚に応じて魂の内より現世に顕現し、教えた術式に従ってわたしの魔力で魔法を行使してくれる四人の分霊のうちの一人だ。
「精霊召喚!?」
 わたしの背後に浮かび上がったオレンジ色の炎を纏う少女の姿に、ミリィが素っ頓狂な声を上げる。だけど、驚いたのはわたしも同じだった。
「これは、この世界の精霊と干渉し合っているの。でも、それなら!」
 戸惑いは一瞬。すぐに気を取り直すと、わたしは普段よりも多くイフリータへと魔力を送ることで彼女の力を上乗せした。
「行きなさい」
 わたしの言葉に少女は頷いて上昇すると、何処からともなく増え続けるポイズンテイルたちの頭上に無数の火の玉を降らせる。
 一匹に一発ずつ。一つ一つはピンポン玉くらいの大きさしかないけれど、そこに込められた熱量は毒虫一匹焼き殺すには十分だった。
 だけど、わたしのイフリータが爆撃火炎、ファイアファランクスの魔法でポイズンテイルの群れを一掃したのも束の間、立ち昇る黒煙を掻き分けるようにして、今度はその向こうから体長三メートルを超える巨大な熊が姿を現した。
「くっ、戻って!」
 熊がその鋭い爪をイフリータ目掛けて振り上げる。魔法を使った直後の硬直状態を狙われた彼女は辛うじてその攻撃を避けると、急いでわたしの傍らまで後退した。
「なんて腕力。あれじゃ、近づくのは危険ね」
 振り下ろされた熊の腕が地面を陥没させたのを見て、わたしは冷たい汗を頬に伝わせながらそう呟く。しかも、鈍重そうな見た目に反して体勢を起こす動作も俊敏だ。
「ユリエル。あたしが踏み込むから援護して!」
「大丈夫なの!?」
「狩には慣れてるんだ。行くよ、マヌーサ、ピオリム!」
 幻惑の霧が熊野頭部を包み込み、弾かれたように飛び出すミリィの背中を敏捷性を高める風の魔力が後押しする。
 その瞬発力は魔法で強化されているにしても驚異的で、彼女は一気に熊の頭上まで飛び上がると、振り上げられた巨腕を掻い潜って手にしたダガーを一閃。
 補助呪文の効果で動きの鈍った熊にそれを避けられるはずもなく、熊はあっさり首を落とされて絶命した。
「ミリィ、離れて!」
 叫ぶと同時にわたしはスプラッシュアローを放ち、ミリィが反射的に熊野胴体に蹴りを入れる。
 直後、傾いだ熊の死体を貫いて伸びた閃光と、わたしの閃光の矢がミリィの目の前で衝突して弾け飛んだ。
 それに驚きながらも、蹴りの反動で距離を取って着地した彼女の足を、突然地面から生えた土色の手が掴む。
「きゃっ!?」
 バランスを崩して悲鳴を上げるミリィの脇を、一条の閃光が走った。まさか、魔物同士が連携しているとでも言うの。
 彼女は自分の足を捕まえている手首から先だけの魔物にダガーを突き立てて拘束から逃れると、急いでわたしの隣まで下がる。
 わたしは護身用にミリィから借りた短剣を油断なく構えながら、閃光の飛来した方向へと目を向けた。
「ハンターフライに、マドハンド……」
 新たに出現した魔物たちを見据えてミリィがそう言葉を漏らす。
 ハンターフライはポイズンテイルと同系の蜂型モンスターらしく、身体や羽根の色が違う以外はほぼ同じ姿をしている。
 マドハンドは魔術師が使役するゴーレムのようなものか。魔力を擬似的な生命として与えられた無機物が動いているように見える。
 ということは、この土塊を差し向けた何者かがいるということになるわけだけど……。
 いや、それよりも今はミリィだ。今の攻撃が掠っていたのか、彼女は右手で左の二の腕あたりを押さえて回復呪文を唱えている。
「平気、ちょっと掠っただけだから。それよりも、問題なのは今の一撃で結界に穴が空けられたってことだよ」
 そう言ってミリィが指差した先を見てみれば、なるほど、ほんの小さなものではあるけれど、確かにそこには穴が開いている。
 その事実が示すのは、敵に結界を貫通出来る威力の攻撃手段があるということだ。正直、これはまずい。
 時間を掛ければ集中照射で結界を完全破壊されかねないし、そうでなくても先のミリィのようにマドハンドに捕まったところを狙われれば避けるのも難しくなるからだ。
「ハンターフライに毒はないけど、この数にギラの一斉掃射でもされたらさすがに持たないかも」
「相手の魔法を封じる呪文とかはないの?」
「あるけど、完全じゃないから何処まで効くかは未知数だよ」
 そう言いながらも呪文の詠唱に入るミリィに、わたしも近づいてくるマドハンドを閃光の矢で牽制しつつイフリータへと魂の繋がりを通して指示を送る。
 もう一度ファイアファランクスを使えれば楽なのだけど、絶えずこの世界の精霊から干渉を受けている今の彼女にそれをさせるのは酷というものだろう。
 案の定、イフリータは首を横に振ると、代わりに閃光の矢に炎を纏わせてハンターフライの迎撃に加わった。
 こちらの魔力残量も心許ないし、ここは出来るだけ素早く各個撃破していくしかないか。そう結論し、わたしが再び魔法を発動させようとした時だった。
 不意にそれまで遠巻きに様子を伺っていたハンターフライたちの動きが鈍くなり、そのうちの何匹かが地面に落ちた。
「これは、ラリホー」
 ミリィが驚いたように声を上げ、その拍子に詠唱途中だった魔封じの呪文を破棄してしまう。
 魔力の高まりを感じてそちらに視線を向けると、そこにはわたしに付いてきたあのアルミラージが身体を光らせながらこちらを見ていた。
 なるほど、これがミリィの言っていた催眠の魔法なのね。あの子が手を貸してくれたんだわ。
「ミリィ、今のうちに一気に片付けるわ。風の霊‐シルフィード‐。真空と成りて、大気に満ちよ!」
「うん。炎の霊よ、閃光と成りて敵を焼き尽くせ。ベギラマ!」
 わたしの放った真空波が眠りに落ちたハンターフライたちを切り裂き、それに慌てて仲間を呼び集め出したマドハンドをミリィの閃光呪文が薙ぎ払う。
 倒されたマドハンドは土に還り、後には最初に倒したポイズンテイルと巨大熊、ハンターフライの死体だけが残された。
 ポイズンテイルやハンターフライの死骸にはすぐに何処からか巨大な蟻のモンスターが群がってきて、数匹掛かりで何処かへ運んで行ってしまったけれど、熊のほうは、さて、どうしようか。
 わたしが頭の無くなった巨大熊を見て考えていると、ミリィがその死体に近づいて何やらごそごそとし出した。
 近づいてみると、何と彼女は熊の死体から毛皮を剥ぎ取っていた。
「大型の肉食獣の毛皮は結構良い値段で売れるからね。後、肉は昼ご飯のおかずにしようよ」
 驚くわたしにそう言うと、ミリィはダガー一本で手際良く熊の巨体を解体していった。いや、森の中で生活していれば、仕留めた獲物をその場で処理することなんて珍しくもないのだろうか。
 何にしても、この場でわたしに手伝えることはなさそうだった。知識はあっても、それを活かせるだけの経験が現世のわたしにはまだなかったからだ。
 うちは猟師じゃなかったし、幾ら家の食事を担っていたとはいえ、現代日本で普通に生活していて捌く機会があるのは魚くらいのものだろう。
 無論、だからといって、何もしないわけじゃない。
 働かざるもの食うべからずと言うし、今のうちに土塊に戻ったマドハンドから魔力の発生源を辿っておけば、次は奇襲されることもないだろう。
 その後はミリィと二人できれいに解体された熊肉と毛皮を運び込み、警戒も兼ねて外で昼食を摂ることとなった。メニューはその熊肉と新鮮な野菜を使ってのバーベキューだ。
 結界の修繕にはそれなりに時間が掛かるらしく、機材も必要になるとのことなので、二人で相談して先に食事と休憩をしてからじっくりと掛かることにしたのだ。
 ちなみに、昼食ではアルちゃん、わたしに懐いているアルミラージもしっかり熊肉を食べていた。
 ウサギは雑食だから別段不思議でもないのだけれど、あまり食べさせると凶暴になるらしいから、今後は控えさせたほうが良いかもしれないわね。

 石材の上に置かれた金網の隙間から脂が滴り落ち、その下で燃える焚き火を小さく爆ぜさせる。
 辺りには白い煙と共に肉の焼ける芳ばしい匂いが立ち込め、戦闘で消耗したわたしたちの食欲を絶えず刺激し続けていた。
 火加減を調節しているのはリータちゃんこと、炎属性担当のわたしの分霊イフリータ。
 先の戦闘で頑張ってくれたお礼も兼ねて一緒にお昼を食べようと呼び出したところ、彼女のほうから手伝いを申し出てくれたのだ。
 ただ、魔力消費を抑えるために1/6スケールで顕現させたため、その作業は本人が思っていたよりも聊か大変なものになってしまっているようだった。
 小さな身体で必死に釜戸の周りを飛び回りながら火力調節をしているリータちゃんの姿はとても微笑ましいのだけど、これは追加でご褒美をあげないといけないかしら。
 キッチンのほうでは同じく1/6スケールで呼び出したディーネちゃんこと、水の精霊ウンディーネとシルフちゃんこと、風の精霊シルフィードの二人が協力して食材の下拵えをしてくれている。
 この二人、同時に生み出したからか双子の姉妹のように仲が良く、呼び出している時は大抵一緒だ。属性的にも相性がよく、協力してよくわたしの要求に応えてくれる。
 そして、最後の一人、ノームお姉さんこと、大地の精霊ノームは、ミリィについて魔除けの効果を持つ聖水を撒きにいっていた。
 お姉さんの呼称から分かるように、彼女は分霊たちの纏め役だ。性格的にも穏やかで気配り上手。
 今も一人だけ呼ばないのはどうかと思って召喚したら、逆にこちらの負担になるのではないかと心配されてしまった。
 こうして召喚してみて気づいたけれど、わたしはまだ本当の意味で独りになったわけじゃなかったのだ。そう、この子たちがいる。
 少し気が短くて熱くなりやすいリータちゃんに、クールぶっているけれどおっちょこちょいなところのあるディーネちゃん。
 属性的にも反発しやすい二人の間で右往左往するシルフちゃんもそれ以外の時には風の子らしく天真爛漫だ。
 そんな三人の様子を、わたしはノームお姉さんと一緒に姉のような、あるいは母のような気持ちで見守っている。
 兄や義姉たちに会えないのは寂しいし、ミリィとの時間も心地よくあるけれど、それと同じくらい、彼女たちもわたしにとっては大切なのだ。
「嬉しそうだね」
 手を滑らせて野菜をぶちまけたディーネちゃんにリータちゃんが文句を言っているのを微笑ましく眺めていると、聖水を撒き終えて戻ってきたらしいミリィがわたしに話し掛けてきた。
「ひょっとして、嫉妬してくれてるの?」
「ううん。ただ、あたしにもあんな子たちがいてくれたらなって」
 そう言って、彼女たちを見るミリィの表情には強い羨望の色が浮かんでいた。
 仲裁に入ったシルフちゃんも含めてキャイキャイと騒いでいる三人の間には、確かに絆と呼べるものがあるのを見て取れる。
 それは、わたしやノームお姉さんとの間にも言えることで、ずっと独りだったというミリィにはそれが羨ましくて堪らないのだろう。
「ミリィにはわたしがいるわ。それに、あの子たちとだって、きっとすぐに仲良くなれる」
 寂しげに笑う彼女の肩を抱き寄せながら、そっと耳元に囁く。暗い顔なんて、ミリィには似合わないもの。
 だからって、ずっと笑顔でいろなんて無茶を言うつもりもない。ただ、彼女を笑顔にするのがわたしで、その笑顔を守るのもわたしというだけのことだ。
「うん。ありがと……」
 わたしの肩に頭を預けながら、そう言って微笑むミリィの顔は少し赤い。きっと、まるで恋人同士のようなこのやり取りに気恥ずかしさを感じているのだろう。
 自分でも我ながら気障な真似をしたものだと思うし、そう思うと途端に身体が熱くなるのを感じて、わたしはなるべく自然な動作を心掛けながら彼女から離れる。
 いや、離れようとしたのだけど……。
「えへへ、せっかくだからもう少しだけこのままで」
 気づけば、ミリィがわたしの腰に両腕を回して抱きついていた。
 しかも、感触を味わうかのように全身で摺り寄ってくるものだから、離れるに離れられなかったのだ。
 その後、気づいて寄ってきた分霊たちにいろいろ言われたりしたけれど、まあ、偶にはそんなのも良いということにしておこう、うん。

   * * * 続く * * *

  ~~~ オリジナルモンスター紹介 ~~~
 ・名称:ポイズンテイル
 ・LV:38
 ・HP:128
 ・MP:  0
 ・攻撃:118
 ・守備: 78
 ・敏捷:68
 ・使用特技:連続攻撃・猛毒攻撃・仲間を呼ぶ
 ・解説 : サソリ蜂系最強のモンスター。ハンターフライの上位種に当たり、長い尾の先に生えた鋭い針にはドラゴンでさえも数分で死に至らせる程の猛毒を備えている。
 ただし、昆虫系の例に漏れず炎に弱く、更にヒャド系等で低音に曝されると途端に動きが鈍くなる。遭遇した場合は近づかせず、遠距離から魔法で倒すようにしたい。

  ~~~ オリジナル呪文解説 ~~~
 ・名称:閃光の矢‐スプラッシュアロー‐
 ・消費MP:2~15
 ・属性:無属性・物理
 ・主な使用者:ユリエル
 ・解説 : 使用者の魔力で精製した矢を目標に向けて撃ち出す物理系統の無属性攻撃呪文。
 ユリエルの世界でも最も初歩的な魔法の一つで、威力は込める魔力によって左右される。構成が単純故に拡張性が高く、術者の技量次第で様々な属性や効果を賦与することも出来る。

  ~~~ オリジナル設定解説 ~~~
 ・ユリエルの分霊たち
 今回登場したイフリータ、シルフィード、ウンディーネ、ノームの四人は、ユリエルが彼女自身の魂の一部を用いて生み出した使い魔のような存在である。
 名前から分かるように四代精霊をモチーフとしており、それぞれの属性の魔法を専門に運用する役目を持つ。
 また、ユリエル本人が行う精霊魔法行使に於いては、大気中に満ちる本物の精霊への取り次ぎを担うが、アレフガルドの精霊にとっては主人共々異物なためか上手くいっていない模様。
 各自の詳細については、おいおい説明していくこととする。
  ~~~ * * * ~~~

 リメイク版第5章、いかがでしたでしょうか。
 作者です。
 初めての大きな変更です。ドラクエ世界にも四代精霊は存在しますし、省エネモードの1/6スケールも妖精のいる世界なのでさほど違和感はないかと思うのですが。



[4317] 第6章 結界に必要なものは?
Name: 安藤龍一◆8077f055 ID:ed24611f
Date: 2010/12/03 14:50

 結界とは、世界に対して自己の領域を提示するものである。
 他者に対して線を引き、そこより内側に踏み入られることを拒む。結界という魔法は、そんな誰もがしている行為の延長線上に位置する。
 精神、心の壁とでも言うべきものを魔力を用いて構成することで、魔法的に術式による制御をある程度可能にしたのが魔法使いが使用する結界だ。
 詠唱によって任意に展開が可能であり、また術者の精神によって状態を大きく左右されるのもこの特性故である。
 この欠点を補ったのが固定型もしくは設置型と呼ばれるタイプのもので、結界に持たせる性質を予め術式に織り込むことで発動から消失までの間、一定の状態を保つことが出来るようになっている。
 術式を最初に固定するため、状況に応じて結界の性質を変更させられるという本来の利点こそ失われるものの、こちらは一度発動させてしまえば後は放置することも出来るのでその点が有利に働くこともあるだろう。
 主に前者は戦闘時に敵からの攻撃を防ぐため、後者は町等の拠点を魔物の襲撃から守るために使われる。このあたりは何処の世界でも同じらしく、ミリィの家に張られていたのも設置型だった。
「こっちだよ」
 そう言ってミリィが案内したのはこの家の地下。ログハウス調の地上部分とは異なり、直方体の石材を積んで作られたそこはしっとりとした冷たい空気に満たされていた。
 壁際に並べられた樽の中身は果実酒だろうか。ほのかに香る甘い匂いに、わたしの視線はついそちらに向いてしまう。
 午前中に採集した果実もそのまま食べるには聊か量が多かったようだし、きっと、あれらのうちの幾らかはお酒にしてここで寝かせることになるのだろう。
「ユリエル様。今は有事です。嗜好品にうつつを抜かされていては困りますわ」
 思わず酒樽を凝視してしまっていたわたしに、一緒についてきていたディーネちゃんが窘めるようにそう言った。
 常に冷静でいようと心掛けているせいか、彼女には少々神経質なところがある。
 透明感のある水色の長髪とやや切れ長のマリンブルーの瞳が素敵な美人さんなのだけど、それも眉を顰めて睨んでいては突付き難さのほうが際立ってしまっていた。
「もったいない」
「そんなことをおっしゃられてもダメなものはダメです。そもそも、あなたはまだ未成年でいらっしゃいますでしょう」
「お酒のことじゃないわ。もちろん、そっちは後でミリィに掛け合ってみるつもりだけど。それよりも今はディーネちゃん、あなたのことよ」
「は、はぁ、わたくしがどうかしましたか?」
「ええ、ディーネちゃんはもっと笑ったほうが良いわ。そんなに顔を顰めてばかりいたら、せっかくの美人が台無しよ」
 そう言って、わたしの肩の上に腰掛けているディーネちゃんの頬を指で突付いてやると、彼女は顔を真っ赤にして黙ってしまった。
 下手に反論すると余計に恥ずかしくなるのは経験済みだから、あえて沈黙しているのだろうけれど、わたしにしてみればこの表情だけでもそれなりに満足だったりする。
 彼女の淑女然とした整った美貌は見る人にきつい印象を与えがちだけど、こういう仕草はかわいいと思う。況してや今の姿は1/6だ。
 さて、少し真剣になるとしましょうか。
 魔除けの聖水による簡易結界があるとはいえ、いつまた魔物が襲ってこないとも限らないのだ。
「あちゃぁ、やっぱり壊れちゃってるよ」
 地下室の中央あたりの床をペンライトのようなもので照らしながら調べていたミリィが、参ったなというふうにそう声を上げる。
 わたしも横に並んで彼女の手元を覗いてみると、幾何学模様の敷き詰められた床の一部が内側から爆ぜたように崩れてしまっていた。
 一時的な過負荷に術式が耐え切れなかったのだろう。今は非常用の予備術式に切り替わっているらしく、結界自体は辛うじて維持されているようだけど、その構成は酷く不安定で、強度も著しく低下してしまっているのが見て取れた。
「まあ、術式に魔力を供給するための触媒も大分古くなってたし、面倒だからって簡易メンテナンスもしばらくサボってたから自業自得ではあるんだけどね」
 嘆息しながらそう言って立ち上がると、ミリィはわたしたちを促して地上へと戻った。
 欠けてしまった術式を直せないかと苦心していた彼女だけど、どうにも手持ちの知識や技術では上手くいかないようだ。
 わたしの魔法で解析しようにも、結界自体が相当古いものらしく、完全に理解するには数日から数週間単位で時間を掛けなければならなくなりそうだった。
 結局、その場では応急処置に留まることとなった。
 ミリィが痛んでいた触媒を代わりのものと交換し、わたしに出来たことと言えば、術式に供給されているこの場の魔力流を整えてやるくらいのものだ。
「とりあえず、うちにあったもので使えそうなものを代わりの触媒として置いてみたけど、効果はイマイチだね」
「直径二十メートルのドーム結界を張り続けるのに、触媒があんな小さなミスリル一個じゃ全然足りないわよ」
「増幅の術式と組み合わせても元の半分以下だもんねぇ」
 二人してソファに身を沈めながら深く嘆息する。今朝は強固過ぎると感じた結界も、なるほど先のような魔物が襲って来るのなら必要になるわけだ。
 そして、今はその守りもない。しばらくは冒険者用に市販されている簡易設置型結界で凌げば良いとミリィは言うけれど、仮にも結界を張れるマジックアイテムが安価なはずはないのだ。
 それに、ずっと家から出ないというわけにもいかない。ミリィには稼業があるだろうし、わたしも自分の世界に帰る方法を探すためには各地を回ることになるだろうから。
「こうなったらもう、一から新しく結界を作るしかないかしら」
「でも、それってものすごく大変なんじゃ。うちにはろくな触媒もないし、必要になる魔力だって……」
「背に腹は変えられないわ。魔力のほうは大気中から取り込む方式を採用すれば何とかなるし、触媒のほうも幾つかの素材を掛け合わせて錬金すれば大丈夫でしょう」
 心配してくれるミリィに、わたしは努めて明るい調子でそう言うと、休憩中はそれぞれ好きにさせていた分霊たちを呼び集めた。
 気持ちは嬉しいし、大変なのも確かだけど、これからのことを考えればこれは必要なことだ。
 旅をするにしても、帰る場所があるというのはとても大きな意味を持つ。そこに思い出があるのなら、尚更失うかもしれない可能性は減らしておきたかった。
「ミリィにとっては自分の家だし、それに、その、もしかしたら、わたしたちの家になるかもしれないわけだから、セキュリティは今から万全にしておかないといけないわ」
 わたしが頬を染めながらそう言うと、無理をすることに渋っていたミリィも表情を綻ばせながら頷いてくれた。
「まったく、見せ付けてくださいますわ」
「エル姉、あたしたちのこと、忘れちゃってるんじゃないのかな」
「まあ、マスターのあんな顔なんて滅多に見られないんだし、良いんじゃないの」
 腰に手を当てながら呆れたように溜息を漏らすディーネちゃんに、シルフちゃんが頬を膨らませて同意する。リータちゃんはフォローのつもりなのかもしれないけれど、そういうことを言われると余計に顔が熱くなってしまう。
「お二人の愛の巣を守るために、私たちも頑張らないといけませんね」
 そして、ノームお姉さん。そんなにこにこしながら恥ずかしいことを言わないで。いや、間違ってはいないのかもしれないけど。
「とにかく、いつまた魔物が来るかも分からないんだし、早速始めるわよ」
 恥ずかしさをごまかすように少し大きめの声でそう言うと、わたしたちはミリィの許可を得て家捜しを開始した。まずは触媒を錬金するための材料集めからだ。
 ミリィはそう大したものなんてないと言うけれど、こういうのは何かわくわくする。子供っぽいところのあるシルフちゃんは特にそうらしく、一番にリビングを飛び出して行った。
 その後をリータちゃんが慌てて追いかけ、そんな二人にディーネちゃんは呆れたように、ノームお姉さんは微笑ましそうにしながらそれぞれの担当場所へと散っていく。こういう時、人手になってくれる分霊は本当に助かるわ。
「大丈夫かな」
 何か無駄に引っ掻き回されそうな予感でもしたのか、ミリィが冷や汗を浮かべてぽつりとそう漏らす。
「ちゃんと言い聞かせてあるわ。悪戯したら晩ご飯抜きにするってね」
「そ、そうなんだ」
「ほら、わたしたちも行きましょ」
 何事かと見上げてきていたアルちゃんの頭を一撫ですると、わたしはそう言ってミリィを促した。
 まあ、捜索と言ってもそんなに広い家じゃないし、ミリィの言った通りになる可能性も低くはないだろう。
 ――そう、この時は思っていたのだけど……。

  堕天使ユリエルの異世界奮闘記
  第6章 結界に必要なものは?

 さて、家捜しするならまずはベッドの下からだろう。
 秘蔵の物を仕舞っておくのは昔からそこだと相場が決まっているものだと兄も言っていたし、何かあるならここが確立が高いはず。
 そんなわけで、真っ先に寝室へと向かおうとしたわたしをミリィが慌てて止めに入った。
 いわく、ベッドの下にお宝を隠すのは男の人だけで、それも相場ですぐに見つけられてしまうため、最近では逆に囮や罠を仕掛けてあることのほうが多いのだとか。
 彼女の慌て様はどうにもそれだけじゃないようにも思えるのだけど、とりあえずわたしや分霊たちが罠に掛からないよう注意してくれたということで納得しておくことにした。
 まあ、わたしも半分は冗談だったし、慌てるミリィもかわいかったので、今回はこれでよしとしよう。
 ちなみに、寝室には他にクローゼットや机もあるのだけど、ミリィは自分で身に着けるアクセサリーの類はほとんど持っていないと言うので、あえてそこを探そうとはしなかった。
 心なしかホッとしている様子の彼女を尻目に、家捜しを続けるわたしたち。
 とりあえず、魔力の通りの良さそうな素材ということで、探すのは純度の高い貴金属か、それに類する物を含んだ物品だ。
 とはいえ、調理器具や水道管等を素材として使ってしまうわけにもいかず、ミリィのダンジョン探索用の装備にもあまり余裕はないとのこと。
 結局、秘蔵の宝物の中から幾つか見繕うということになり、最後にミリィに案内されたのは、結界の魔法陣が設置されていたのとはまた別の地下室だった。
 同じような石造りの空間で、広さは十畳程はあるだろうか。酒樽があった壁際には大きな宝箱が並べて置かれており、いかにもといった雰囲気を醸し出している。
 壁や床には注意深く触れなければ分からない程度の凹凸が縦横無尽に走り、魔力に反応して石材の強度と魔力耐性を高める効果が賦与されていた。
「あ、手前の宝箱二つはミミックだからね。食べられたくなかったら、開けちゃダメだよ」
 目を輝かせながら宝箱へと突貫しようとしたシルフちゃんに、ミリィがさらりと恐ろしいことを言ってくれる。勢い込んでその宝箱の縁に手を掛けていた彼女は、冷や汗を浮かべるとすごすごと戻ってきた。
「今の稼業を始めたばかりの頃にね。気づかずに持って帰ってきちゃったんだ」
 何でそんな魔物がダンジョンでもない個人の家の地下室にいるのか疑問に思っていると、ミリィが奥のほうから袋を引っ張り出しながら教えてくれた。
「しょうがないでしょ。その頃はあたしもその子たちもまだ小さかったし、初の獲物で思い入れもあったから手放せなかったんだよ」
「まあ、気持ちは分からなくもないけれど、でも、大丈夫なの?」
「盗難防止の役に立ってくれることもあるし、定期的に魔力と食事をあげてるからこっちから悪さしない限りは無害だよ」
 あっけらかんとそう言うミリィに、わたしは思わずしげしげとその宝箱を見つめた。見つめられたミミックは居心地の悪さでも感じたのか、鍵穴の両側を少しだけ赤くしている。何というか、シュールだ。
「さて、とりあえずは宝石類だったね。この袋だったかな。よいしょっと」
 そう言って、ミリィは引っ張り出してきた布製の袋をひっくり返した。途端に逆さまにされた袋から色取り取りの宝石や腕輪等の宝飾品があふれ出す。
 何とも乱暴な扱いに、わたしは思わず眉を顰めて注意しようとしたのだけど、それらは何故か床にぶつかる前に空中で静止してしまった。
 そのままミリィの手にした袋の周りを漂い出した宝石たちに、わたしが呆気に取られていると、今度はその袋がもぞもぞと動き出した。
「驚いたでしょ。踊る宝石って言って、こんな顔だけど、結構知能の高いモンスターなんだよ」
「よろ……しく……」
 布袋こと、踊る宝石はミリィの手から抜け出してくるりと縦回転すると、何処となくいやらしくも見える緩み顔をこちらに見せながらそう言って挨拶してきた。
「こいつは集めた宝石を魔力で操って遊ぶ習性があるんだ。それで、操られてる宝石はその間はこいつの一部になるから絶対に持ち出せなくなるってわけ」
 偶に気に入ったものがあると手放してくれなくなったりするけどね。そう言ってミリィは笑うが、なるほど魔物の習性を利用した上手いセキュリティだ。
「この踊る宝石も昔のミリィの戦利品だったりするのかしら」
「あー、うん、まあね。見習いだった頃はとりあえず好きなのを取って来させられて、危険を身体で覚えさせられてたからさ」
「宝石に目が眩んで魔物だと気づかなかったわけね」
 あははと乾いた笑みを浮かべるミリィに、わたしは少しだけ白い目を向けると、緩んだ口元を隠すように溜息を吐いた。
 まあ、若気の至りというか、初心の頃の失敗の一つや二つは誰にでもあることだ。わたしも人のことは言えないし、わたわたと弁解するミリィの姿は見ていて微笑ましかった。
 さて、触媒とはある特定の反応を促進するものであり、魔力関連のそれとしては宝石等の鉱物が特に適しているというのは、魔法に携わるものたちの間では常識だ。
 長い年月を経た宝石はそれ自体が魔力を溜め込んでいることも珍しくなく、それぞれが属する要素を明らかにしていることもあって、錬金の素材としても優秀である。
 ただ、今回はその汎用性の高さが逆にわたしの頭を悩ませることとなる。一口に触媒と言ってもその形質は様々で、まずはどのような形に仕上げるかの方向性を決めなければ始められないのだ。
「ルビーにサファイア、エメラルド……。それに、これは黒水晶ね。凄いわ。これ一つ売っただけで数年は遊んで暮らせるんじゃないかしら」
 目の前を漂う宝石を一つ一つ解析しては、その純度の高さに驚かされる。粒こそ小さいものの、自然界で採掘可能なものとしてはどれも最高級品と言って差し支えなかった。
「まあ、この純度になると逆に高すぎて、王族か一部の大貴族くらいにしか買い手がつかなくなっちゃうんだけどね。後、魔法使いとか」
 わたしの漏らした感想に、実際に換金しようとした時のことでも思い出したのか、ミリィは苦笑しながらそう言うと、魔力を帯びて淡く発光している宝石の一つを手に取った。
 おそらく、踊る宝石という魔物の持つ魔力に長期間曝されたことで分子結合が強化され、不純物が排出されたことでこの純度まで高められたのだろう。おかげで魔法の触媒としては、これ以上ないほど優秀になっている。
 ただ、これらは錬金の素材としては使えない。物質としての完成度が高すぎて、他と掛け合わせても却って劣化してしまうだろうからだ。
 では、単一の触媒としてはどうかと言えば、それもダメだ。短期間の使用にはどれか一つでも十分耐えられるだろうけど、触媒自体の劣化速度を考えるとどうしても質量が足りなかった。
 とりあえず、他に使えそうな物はないか辺りを見渡してみると、シルフちゃんが宝石を取ろうとして頭から踊る宝石の袋の中に突っ込んでいた。
「武器や防具の類はあまり置いてないのね」
 抜け出そうとしてじたばたともがいているシルフちゃんはとりあえずそのままに、ざっと見回しての感想を口にする。いや、見たところ無害そうだし、反省させる意味も込めてのことだ。
「あたしはスピード重視だから、嵩張るのはすぐに換金しちゃうんだ。気に入ったので使わないのは町のほうにある協会の貸し金庫のほうに置いてるしね」
「じゃあ、ここにはどういったものがあるのかしら」
「うーん、まあ、ユリエルになら良いかな」
 少し考えるような素振りを見せてから頷くと、ミリィは奥のほうから一振りの剣を持ってきた。
「抜いちゃダメだよ」
 そう言って手渡されたのは、銀糸で細工の施された鞘に納められたやや細身の剣だった。柄は天井から逆さまにぶら下がっているコウモリを模ったもので、目の部分が怪しい光を放っている。
「吸血剣ドラキュリーナ。攻撃した相手の血を吸って切れ味を増す魔剣だよ」
 剣の持つ禍々しい雰囲気に思わず息を呑んだわたしに、ミリィがそう言って正体を教えてくれた。
「ここにあるのは、呪われてたり、そうじゃなくてもいわくつきだったりで世に出せないようなアイテム。本当は教会で解呪してもらわないといけないんだけど、そうすると大抵のものは壊れちゃうから」
「造られたものに罪はないって言いたいのね。でも、そこに蓄積された負の概念は同質のよくないものを呼び寄せるわ」
「うん。だから、この地下室にはそういうのを封じるような仕掛けもしてあるんだ」
 なるほど。そのための魔法陣でもあるわけだ。
「でも、やっぱり呪われた品物を溜め込むのは感心しないわ。わたしなら、壊さずに解呪出来るはずだから、処理させてもらっても良いかしら」
 物を大切にするのは良いことだけど、それで不幸になったのでは本末転倒というもの。幸い、この吸血剣程度のものなら、わたしの側に置いておくだけで数分もすれば勝手に浄化されてくれる。
 堕落しようともこの身は天使なのだ。それに呪い化する程の概念を蓄積出来る物なら、きっと触媒としても優秀だろう。剣や鎧ほどの質量にもなれば、そこに置いておくだけでも十分だ。
 ――鎧……。
 はて、そんなものあっただろうか。
 壊さずに解呪出来るというわたしの言葉に、喜び勇んで頷くミリィのその背後。両刃の戦斧を携えた静養甲冑がその手にした得物を振り上げた体勢で佇んでいた。

  * * * 続く * * *

  ~~~ オリジナル人物紹介 ~~~
 ・名前 : ウンディーネ
 ・愛称 : ディーネ
 ・性別 : 女性
 ・解説 : ユリエルが魔法運用の効率化を図るために生み出した四人の分霊のうちの一人で、主に水属性の魔法を担当する。
  透明感のある水色の髪を腰のあたりまで伸ばし、やや切れ長の目にマリンブルーの瞳を持つ知的美人。冷静沈着を心掛けるあまり、少々神経質になりがちなところがある。
  努力家だが、力が入りすぎているためかその努力が空回りして失敗することも多い。同じ熱変化系のイフリータのことを一方的にライバル視しており、割と器用に何でもこなす彼女を羨ましく思っている。
  ~~~ * * * * * ~~~

 今回は完全な新規書き下ろしのため、これまでよりも時間が掛かってしまったことをまずはお詫びいたします。
 作者です。
 ・結界について。
 本作では城や町に魔物が侵入してこないようにしているのが設置型、
 移動中に魔物との遭遇率を下げるものが携帯型という分類です。
 ドラクエ原作ではトヘロスや聖水が後者に該当するでしょう。
 ミミックについて。
 登場当初は設置型のトラップモンスターだったミミックですが、ドラクエ6以降は普通にフィールドマップでも遭遇することがあります。
 そのため、宝箱に魔力を込めて魔物にする(最初からあの大きさ)のではなく、
 カタツムリのようにああいう生き物(宝箱も身体の一部)なのではないかと考え、本作ではそのような扱いとしています。
 魔物の生態に関しては原作でも詳しく描写されていないため、ここではそういうものなのだと思っていただければ助かります。



[4317] 第7章 強襲、カースナイト
Name: 安藤龍一◆8077f055 ID:ed24611f
Date: 2010/12/10 14:14

 ――ラダトーム王国北西の森
   ミリィの家 1F リビング――
  * * * side ウンディーネ * * *

「――暇ですわ……」
 思わず漏らしたわたくしのその呟きに、ソファの上で毛繕いをしていたうさぎの魔物が顔を上げた。
 確かアルミラージといいましたか。ユリエル様たちはアルと呼んでいましたわね。
 そのアルさんが小首を傾げながらつぶらな瞳でわたくしのことを見てきています。もしかして、サボタージュしているとでも思われたのでしょうか。
 わたくしとしては既に割り振られた場所の探索も終わり、今はノーム姉様と二人で警戒待機の最中なのですけれど、少々手持ち無沙汰なものでして、そのことについてつい愚痴をこぼしてしまったに過ぎませんのに。
 暇といえば、この子もそうなのでしょうか。うさぎは寂しいと死んでしまうと言われるくらいですし、構ってもらいたいのかもしれませんわね。
「いえ、何でもありませんのよ。どうぞ、お続けになってくださいな」
 今はわたくしのほうが小さい手を伸ばして顎の辺りを撫でてやると、アルさんは気持ち良さそうに目を細めて一鳴き。それから毛繕いを再開しました。
 魔法を使える程の知能があるのです。おそらくはこちらの言葉もある程度理解しているのでしょう。
 それにしても、本当に愛らしいですわ。毛並みも美しいですし、人を怖がらないところを見るに、誰かに飼われていたのかもしれませんわ。
 ユリエル様は別れが辛くなるからと動物を飼われませんけれど、こんなに愛らしいのであれば、……いえ、だからこそですわね。
 ――お別れする悲しさも、それを何時か忘れてしまう寂しさも避け得ないものなら、なるべく感じずに済めば良い。そう思っても、我慢出来なくなっちゃうのは、きっと、わたしが弱いからね……。
 いつか、自嘲するような笑みを浮かべてそう仰られたユリエル様は、一体どれ程の出会いと別れを繰り返してこられたのでしょうか。
 魂を重ねていても悟り得ない主の内心に、不意に疎外感のようなものを感じて溜息が漏れる。もっとお傍に、そう願うのは従者の身では過ぎた望みなのでしょうか。

  * * * side out * * *

  堕天使ユリエルの異世界奮闘記
  第7章 強襲、カースナイト

「ミリィ、避けなさい!」
 わたしがそう警告を発したのと、気づいたミリィが横に転がったのはほぼ同時のこと。
 それに一瞬遅れて、リータちゃんの放ったファイアボルトの魔法によって僅かに軌道を逸らされた戦斧が床を叩いた。
 だが、振り下ろされた重量武器が石材を粉砕することはなく、代わりに魔力場同士が接触した時特有の燐光が辺りに飛び散る。
 跳ねるように身を起こしたミリィに追撃を浴びせるべく、弾かれた戦斧を引き戻す襲撃者。
 その動作からは生物的な躍動感はおろか、物体が移動する際の大気の乱れすら感じられず、その事実からわたしはこの敵をゴースト系のアンデットだと判断した。
「こいつ、怨念の集合体だわ」
「うん。それも、こっちに攻撃する時だけ実体化するタイプの奴。だから、タイミングを合わせないと打撃は全部すり抜けちゃうよ!」
 嫌そうに顔を顰めるリータちゃんに、ようやく踊る宝石の袋から抜け出したシルフちゃんが追随する。怨念なんてものには大抵ろくでもないエピソードが付いて回るから、わたしも出来ることなら相手をしたくはないものだ。
「それでも、あたしの武器なら少しはダメージを与えられるはずだよ。ユリエル、援護して。あ、でも、なるべく物は壊さないでね」
 ミスリル銀の淡い輝きを放つダガーを手に、今度は横薙ぎに振るわれた戦斧を掻い潜って敵の懐へと飛び込むミリィ。まったく、無茶な注文をつけてくれるわ。
「はぁっ!」
 気合一閃、鎧の右足の膝から下を切り飛ばし、ミリィはそのまま反対側へと駆け抜ける。
 堪らず傾いだ鎧の足元を目掛けてわたしとリータちゃんの放った魔力の矢が降り注ぎ、シルフちゃんの巻き起こした突風と合わせて彼女を追撃しようと振り返りかけた敵の動きをその場に拘束する。
 その隙を逃さずターンし、今度は左の足を狙ってダガーを振り抜くミリィ。だけど、相手もそう何度も食らってはくれないようで、鎧は自分から足を分離すると、ゴーストらしく宙に浮き上がって彼女の攻撃を避けて見せた。
「……ちっ、さすがにそう簡単にはいかないか」
「来るわ!」
攻撃を避けられたことに舌打ちするミリィへと短く注意し、わたしは彼女を庇うべく前に出る。直後、再び横薙ぎに振るわれた戦斧の軌跡を追うように放たれた衝撃波が、わたしの展開した魔力障壁を打ち据えた。
「くっ……、思った以上に重い……」
 衝撃を受け止めたまま障壁、ヲールから盾、シールドへと移行して受け流す。面積を減らした分だけ厚みの増したシールドは格段に強度を増したけれど、それでも片手で支えるには少々厳しかった。
「ミリィ、行きなさい!」
 攻撃を放った直後の硬直を逃すわけにはいかない。わたしは苦痛に表情を歪めながらもミリィに攻撃を指示し、彼女もそれに頷くと再び駆け出す。
 姿勢は限りなく低く、右の大振りな一撃を囮に、左手は本命を放つべく懐へと偲ばせる。人間とは思えない程の瞬発力に、彼我の距離は一瞬にして詰められた。
 だけど、ミリィの攻撃が届くより僅かに速く、鎧のアンデットは戦斧を腰溜めになるよう引き寄せると、それを手の中で回転させながら鋭い突きを放ってきた。戦斧の先端から放たれた衝撃波が螺旋を描きながら直進し、先の一撃の上からシールドごとわたしを突き飛ばす。
「ユリエルっ!?」
「ダメ、戦闘に集中しなさい!」
「えっ、きゃぁっ!?」
 攻撃を受けて弾き飛ばされたわたしに気を取られ、ミリィの注意が敵から反れる。その僅かな隙を逃すまいと、いつの間にか再生されていた鎧の足が彼女の華奢な身体を蹴り上げた。
「マスター、ミリィさん!?」
「この、風よ、切り刻んじゃえ! 逆鱗真空‐ウインドブレス‐!」
 壁に叩きつけられたミリィは意識を失ったらしく、そのままぴくりとも動かない。防御よりも回避に重点を置いている彼女のこと、今の一撃は相当堪えているはずだ。
 それを見て顔を蒼くするリータちゃんをミリィの下に行かせ、わたしはシルフちゃんを見る。一瞬にして昂ぶった感情と、それに引きずられるようにごっそりと魔力を持っていかれる。
 ――風竜の息吹。逆鱗真空‐ウインドブレス‐。わたしの使うことの出来る精霊魔法の中でも上位に君臨する風属性最強の攻撃呪文だ。
「あ、バカ、そんな大技使ったら……」
 風がうねり、幾つもの極小の竜巻が生まれては鎧へと殺到して行く様を目の当たりにして、ミリィの安否を確認しようとしていたリータちゃんが悲鳴を上げた。
 屋内で使う魔法じゃない。それに、これは今のシルフちゃんの1/6の身体で制御出来る限界を大きく超えてしまっている。
 吹き荒れる圧倒的な暴力に魔力抵抗を高められているはずの地下室が軋み、天井からパラパラと小さな破片が降ってきていた。
「……はぁ、はぁ、はぁ、……や、やったの……」
 暴風が収まり、激しく肩で息をしながら地下室の床へと降り立つシルフちゃん。既に飛んでいられるだけの余裕もないのか、震える足でどうにか立っているという様子だ。
 それはウインドブレスの発動と制御に魔力を持っていかれたわたしも同じで、壁に手を着いて支えていなければへたり込んでしまいそうだった。まったく、とんでもない無茶をしてくれたものね。
 とりあえず、おしおきをどうするかは後で考えるとして、今は目の前の敵に集中しなければ……。
「……っ!?」
 驚愕が表情に出るよりも先にシルフちゃんの顕現を解除させ、同時にミリィの前へと転移してもう一度障壁を展開する。
 直後、立ち昇る粉塵を突き破って植物の蔓のような黒い何かが連続して障壁を叩き、魔力場の干渉光を辺りに撒き散らした。
 先の衝撃波のような重さこそないものの、こうも暴れられては押さえつけるのにも一苦労だ。だからって、通すわけにもいかない。後ろにはミリィがいるのだから。
「このぉっ!」
 壁を盾に圧縮、気合を込めてそのまま押し出すと、わたしは魔力の盾を内側から爆発させた。
 所謂バリアバーストと呼ばれる、防御から攻撃に転じる魔力運用技術の一つ。呪文を唱え、奇跡を起こすだけが魔法じゃないのだ。
 衝撃で吹き飛ぶ何か。粉塵が晴れ、明らかになったそれは黒い蔓の塊だった。
「……ウインドブレスを受けて鎧の形態を保っていられなくなったようね」
「マスター、ミリィさんは大丈夫。気絶してるだけで、命に別状はないわ」
「そう。でも、出来るなら早く終わらせて、ちゃんとベッドで寝かせてあげたいわ」
 痛みにもがくようにのた打ち回る黒い塊を見据えてそう漏らすわたしの耳に、リータちゃんからの報告が届く。わたしはそれに頷くと、最後の一撃を放つべく魔力を練り上げる。
 ミリィから渡されてからずっと左手に握ったままだった吸血剣ドラキュリーナを支えに立ち、呼吸で外気から取り込んだ自然魔力と血流に乗って循環させている内在魔力を混ぜ合わせる。
 生体が気で行っている生理的合成を意識して魔力でも行うことで、瞬間的に自己の自然回復量を大きく超えて魔力を生み出すオーバーブースト。身体への負担が大きく、多用出来るものではないけれど、現状を打破するには躊躇ってなどいられなかった。
 ――詠唱はこっちでするわ。だから、マスターは魔力の制御に集中して。
 魂の繋がり、ソウルリンクを介して届けられたリータちゃんの声に頷き、わたしは自分の中で練り上げた魔力を圧縮、精錬し、これから発動させる魔法に最適の形へと持っていく。
「炎は光に、迷えるものには一筋の光明を。今、我と我が主の御名に於いて、汝が囚われし闇を祓わん。聖地への道標、シグナルサンクシアル……」
 リータちゃんの声で小さくも厳かに告げられる祝詞。高まる魔力と聖波動に、脅威を感じたらしい黒い塊がこちらに向かって再度身体を伸ばすがもう遅い。
 術の完成と共に、わたしは支えにしていた剣の柄から右手を離して振り上げると、こちらに突っ込んでくる黒い塊に向けて振り下ろした。
 救済を意味する詠唱とは裏腹に、そこには一片の容赦も慈悲もなく、後にはただ、災害に見舞われたような惨状を曝す地下室だけが残されていた。
「……先に行くわよ」
 敵の消滅を確認して振り返ったわたしに、リータちゃんは臨戦態勢のままそう言って地下室を飛び出していった。
 そう、まだ終わりじゃない。こちらの戦いが始まったすぐ後くらいから地上で警戒待機させていたノームお姉さんとディーネちゃんに流れる魔力の量が戦闘レベルにまで増えていたのだ。
 あの二人に限って、一応は静養中の身であるわたしを省みないなんてあり得ないから、必要に迫られるような何かがあったのだろう。そして、それは今も続いている。
 供給魔力量が平常値に戻りつつあることから既に事態は終息に向かっていると思われるけれど、相手は本気の分霊二人を足止めしていたのだ。
 ソウルリンクで状態を確認出来るとはいえ、ちゃんとこの目で無事な姿を見たかったわたしは、気を失ったままのミリィを抱きかかえると、足早に地下室を後にするのだった。

「……ん……」
 小さな呻き声と共に、閉じられていたミリィの目が開く。ぼやけていた焦点がこちらに合わせられたのを感じて、わたしは知らず止めていた呼吸を再開した。
「よかった。目が覚めたのね」
「ユリエル……。あ、あたし、あいつにやられて……」
「大丈夫。敵は倒したし、ミリィもわたしも怪我はちゃんと痕が残らないように治療したから」
 慌てて起き上がろうとするミリィをやんわりと押し留めながら、まずは安心してもらうためにそれだけ伝える。ベッドに押し戻されたミリィは急に動いたのがいけなかったらしく、腹部を押さえて痛みに表情を顰めている。
 まったく、目覚めてすぐに状況把握に努めようとするのは、有事の際の対応としてはとても正しいのだけど、気絶するような攻撃を受けたのだし、少しは自分の身体も省みてほしかった。
 そこに生殖器官があるからか、女性の腹部への打撃は受けた者に本能的な恐怖を呼び起こす。一撃で意識を刈り取るような衝撃を受けて無事だったとはいえ、彼女も列記とした女の子なのだ。
「ごめん、あたしが余所見したばっかりに、ユリエルや分霊の皆にも無理をさせちゃったんだよね」
 横になったミリィは改めて気を失った際の状況を思い出したのか、申し訳なさそうな顔をして謝ってきた。
「まあ、戦闘中に余所見をするなんて言語道断と言いたいところだけど、あの程度の攻撃を捌ききれなかったわたしも不甲斐ないわけだし、今回はお相子ってことにしましょう」
「そんな、ユリエルはまだ全然本調子じゃなかったわけだし。それなのに、あたしの治療にまで魔法使わせちゃって……」
 何かに怯えるように涙に潤んだ瞳で、それでも視線を逸らさないのは自分に否があることを事実として受け止めているからだろうか。まったく、こんな表情をさせたくて頑張ったわけじゃないのに。
「わたしは、ミリィが無事ならそれで良いの。もちろん、笑顔でいてくれるにこしたことはないし、わたしのために泣いてくれるならそれはそれで嬉しいのだけど」
 悔しさに噛み締められた少女の唇にそっと人差し指を添えて、わたしはただ心にあるがままを言の葉に乗せる。彼女の表情から力が抜け、吐息するように開かれたその唇に素早くキスを落とす。
「自分から率先して痛い思いをしたいわけじゃないから、次にわたしが危なくなったらミリィが守って」
 早口にそう捲くし立てると、わたしはミリィに背を向けて横になった。赤くなった顔を見られるのは恥ずかしかったし、体力的にもそろそろ限界だったのだ。
「……ユリエル、ありがと……」
 意識が眠りに落ちる直前、ミリィのそんな声が聞こえたような気がした。

  * * * 続く * * *

  ~~~ オリジナルモンスター紹介 ~~~
 ・名称:カースナイト
 ・LV:43
 ・HP:650
 ・MP:  0
 ・攻撃:158
 ・守備:135
 ・敏捷:91
 ・使用特技:薙ぎ払い・螺旋衝・自己再生(一定感覚でHPの10パーセントを回復)
 ・解説 : 怨念の集合体。見た目はさまよう鎧のような全身鎧だが、実体を持たず、攻撃する時のみ存在の密度を高めることで実体化する。
  強力な打撃系特技を二つ持ち、僅かだが自己再生能力もあるため、積極的に攻めていかなければ倒し切ることは難しいだろう。
  また、ある程度弱らせると、植物の蔓が絡まったような黒い塊に変化し、無差別に暴れ出すため、被害を抑えたければ変化後は一気に仕留めよう。

  ~~~ オリジナル呪文解説 ~~~
 ・名称:逆鱗真空‐ウインドブレス‐
 ・消費MP:20
 ・属性:風・精神(精神集中の阻害、魔力結合の破壊/悪魔・アンデット系にダメージ)
 ・主な使用者:ユリエル・シルフィード
 ・解説 : 魔力で生成した極小の竜巻を対象にぶつける風属性最上級攻撃呪文。別名、風竜の息吹。
  生成する竜巻の数によっては広範囲を攻撃可能で、術者の制御次第でその破壊力を一点集中させることも可能な極めて強力な魔法。威力はバギマ二発分からバギクロス程度。
  強力な分制御が難しく、魔力の消費も多いため、1/6スケールのシルフィードでは小さな竜巻を二つ制御するのが精一杯である。

  ~~~ オリジナル特技解説 ~~~
 ・名称:バリアバースト
 ・消費MP:使用中の障壁の消費MPの10パーセント
 ・属性:物理・拡散(扇状に衝撃波が広がる)
 ・主な使用者:ユリエル・他
 ・解説 : 展開中の魔法障壁に魔力を送り込み、外側に向けて爆散させる技術。
  相手にダメージを与えるだけでなく、距離を稼いだり目くらましにしたりとその応用範囲は広い。特にアレフガルドでは同系の魔法が存在しないため、奇襲性も高く大変危険である。
  ~~~ * * * * * ~~~

 今回は初の強敵との戦闘ということで、苦戦する様子を演出しようとしてみたのですが、いかがだったでしょうか。
 作者です。
 前回に続いて新規書き下ろしとなりました今回。相手は中ボス的な何かのつもりですが、応酬が少ないせいか、イマイチ締まらない感じです。
 三次元的な描写の不足は、作者が盲目のため、リアリティを出すに足るだけの情報を得られていないせいもあるかと思います。おかしなところがあれば、ご指摘いただけると助かります。
 では、また次回で。ここまでお読みいただき、ありがとうございました。



[4317] 第8章 団欒
Name: 安藤龍一◆8077f055 ID:ed24611f
Date: 2010/12/17 10:40

 ――ラダトーム王国北西の森
   ミリィの家 1F 寝室――
  * * * side イフリータ * * *

「……二人ともよく眠ってるね」
「邪魔しちゃダメよ。それと、あんたももう寝なさい。そんなボロボロのままじゃ、マスターのおしおきに耐えられないでしょ」
「平気だよ。オーバードライブしたって言ってもほんの数秒だけだし、それに、せっかく久しぶりにリータちゃんと二人きりになれたんだもん」
 寝ちゃうなんてもったいないよ。はにかみながらそう言って、わたしの側に寄ってくるシルフ。その頬はほのかに朱に染まり、瞳は何かを期待するかのように潤んでいる。
「珍しいわね。シルフはそういうの、あんまり好きじゃないかと思ってたんだけど」
「エル姉たちを見てたらうらやましくなっちゃって。その、ダメだったかな」
「まさか。わたしはいつだって、あんたのこと捕まえたいって思ってるんだから。寧ろ望むところよ」
 不安そうな上目遣いに、思わず抱きしめながらそう答えると、わたしは彼女の唇を奪った。夕日に照らされ、長く伸びた二つの影が一つに重なる。
「ありがと。でも、リータちゃんは前もそう言ったくせに、あたしのこと放しちゃったじゃない。嘘は悲しいよ」
「嘘なんかじゃないわ。わたしがあんたを放すのは、あんたが風だからよ。風は自由なほうが輝いて見えるもの」
 唇を離して不満を吐露するシルフに、艶を帯びて滑らかになったわたしの唇はするりと口説き文句を紡ぎ出す。
「だから、あんたはそのままで良いの。その代わり、わたしが何度でもあんたを捕まえてあげるから」
 頬の朱色を深めたシルフの唇をもう一度、今度はもっと深く重ねて情熱的に奪ってあげる。わたしは炎の精霊イフリータ。火は風に抱かれて熱く燃え上がるの。
 だけど、その後、調子に乗ったわたしがシルフをサイドテーブルの上に押し倒したところを、哨戒任務から戻ってきたノームお姉さんに見つかってしまい、良い笑顔でごゆっくりとか言われてしまった。
 逆にそれで正気に戻ったわたしたちがその通りに出来るわけもなく……。ああ、もう、せっかくのチャンスだったのに。

  * * * side out * * *

  堕天使ユリエルの異世界奮闘記
  第8章 団欒

 二時間程の睡眠を経て活動を再開したわたしが最初にしたことは、またしても食事の支度だった。
 今回のお手伝いは水属性担当の分霊、水の精霊ウンディーネ、ディーネちゃんだ。ノームお姉さんはお風呂の準備。
 シルフちゃんにはミリィの監督の下、無茶をした罰として地下室の掃除をやらせている。
 補佐にリータちゃんを着けてあげたから、今頃はきっと気まずい思いをしていることだろう。もう、人が寝ている側で情事に及ぼうだなんて、何を考えているのかしら。
 反省の意味も込めて、羞恥に悶えると良いわ。なんて考えていたら、実はわたしとミリィの時は逆の立場だったらしく、却って自分のほうが恥ずかしくなってしまった。
 とりあえず、お詫びも兼ねて二人には今度プライベートな時間を作ってあげるとして、わたしも次からはリンクを切っておこうと心に誓うのだった。
 ――閑話休題……。
 さて、皆疲れているだろうから、手っ取り早く作れて精力の付くものをということで、今夜のメニューはお鍋にした。お昼の熊肉の残りに、白菜、ニンジン、玉葱を加えたチャンコ風だ。
 肉の臭みを取るための下拵えと山車を取るのが少し面倒ではあったけれど、後は食べながら具財を追加していけるのでそこまで手間も掛からない。
 野菜の下拵えも包丁を使う練習をしたいと言ったディーネちゃんにほとんどやってもらったので、わたしがしたことは本当にその二つくらいのものだった。
「悪いわね。疲れてるのに手伝わせちゃって」
 皿やコップをテーブルの上に並べていくディーねちゃんに、わたしは具財の載った皿を置きながら労いの言葉を掛ける。
「いえ、ちゃんと仮眠はいただきましたし、他の皆さんも頑張っていらっしゃるのに、わたくしだけ休んでなどいられませんもの」
「ありがとう。でも、無理はせずに、必要だと思ったら一度戻りなさい。休むべき時を見極めて休むのも、大切なことだから」
「お気遣い、傷み入りますわ」
 意地を張って無茶をしたこともあるディーネちゃんだ。あまり説教臭くなってしまってもいけないけれど、気に掛けていることくらいは伝えておきたかった。
「はぁ、やっと終わったよぉ……」
 そうこうしていると、疲れきった様子の声音と共に、煤だらけになったシルフちゃんがリビングに顔を出した。
「こら、先に手とか顔とか洗ってからにしなさい!」
 きっと、夕飯に間に合わせようと全力で取り組んだのだろう。そのまま食材に飛び込もうとするシルフちゃんの腕を後から来たリータちゃんが掴んで引き戻す。
「二人ともそれなら先にお風呂入っちゃいなさい。ノームお姉さんが準備してくれてるから、そろそろ入れるはずよ」
「はーい。行こ、リータちゃん!」
「あ、待ちなさいって」
 わたしの指示に元気よく返事をすると、シルフちゃんは逆にリータちゃんの腕を掴んでリビングを飛び出していった。消耗したところに働かせてしまったのを気にしていたのだけど、どうやら杞憂だったようだ。
「まったく、あの方は無茶をして罰掃除をさせられたというのに、本当に反省してらっしゃるのかしら」
「まあまあ、シルフちゃんだっけ。会ったばっかのあたしが言うのも何だけど、あの子はああやって元気なほうがらしいんじゃないかな」
「はぁ、まあ、くよくよと落ち込まれているよりは良いのは確かですけれど」
 騒がしく通り過ぎて行った姉妹の様子に呆れたように嘆息するディーネちゃんに、ミリィが苦笑しながらフォローする。その様子じゃ、罰掃除中もあの子は明るく奔放なその性格を遺憾なく発揮したようだ。
「ほら、ディーネちゃんも。ここはもう良いから、ご飯前に一風呂浴びてきたら」
「あら、わたくし、そんな無粋な真似はいたしませんわ」
「いや、行ってあげたほうが良いんじゃないかな。あの二人、片付けしてる間も微妙に居心地悪そうだったし」
 さも自然な流れで入浴を薦めるわたしに、心外だとばかりに眉を顰めるディーネちゃん。もちろん、お互いに分かっていての発言だ。
 埋め合わせをすることに関してはディーネちゃんも了解してくれている。というか、いい加減に落ち着くところに落ち着いてもらいたいというのが本音のようだった。
 ラブコメ的なじれったさを見せられるようになってからもう大分長いのだ。ミリィもあの二人の関係には気づいているらしく、頷き合うわたしたちに少々湿度の高い視線を向けてくる。
「そうはいうけど、ミリィ。あの二人がああなっている原因の幾らかはわたしたちにもあるのよ」
「どういうこと?」
「わたくしたち四人がユリエル様の分霊、魂の一部であることはミリィ様もご存知ですわよね」
「様は止めてって言ったでしょ。って、まあ、今はそれは良いとして、それで?」
「この身体はユリエル様の魔力を用いて実体化しているのですけれど、別段外に出ていなくても意識が覚醒している状態であれば外界の様子を知ることは可能なのです。ですからして、その、つまりですわね」
 視線を逸らしたわたしに代わって、ディーネちゃんが説明してくれたけれど、その言葉も普段より大分歯切れが悪くて、ミリィは益々首を傾げてしまう。
「要するに、見られていたのよ。うかつだったわ。皆と過ごすようになってからもう長いのに、血でも流し過ぎてたかしら」
 自分のやらかしたうっかりに頭を抱えたくなるのを堪えて嘆息するわたしに、言われたミリィも小さくあ、と声を漏らして硬直する。二人ともきっと顔は真っ赤だろう。
「こほん。と、とにかく、そういうわけですので、わたくしは皆さんが揃うまでソファでゆっくりさせていただきますわ」
「あ、うん。クリスタルビジョンのチャンネル、そこのリモコンで変えられるから適当に観てて良いよ」
 空気を換えるように軽く咳払いして、それから早口にそう言うディーネちゃんに、我に返ったミリィがテーブルの上を指差しながら応える。
 クリスタルビジョンというのは魔法式のテレビで、台座に設置された野球の球くらいの大きさの水晶から壁に掛けられた長方形のクリスタルパネルに映像を投影しているものだ。
 オーブンやコンロがある時点である程度は予想がついていたからそんなに驚きはしなかったけれど、これを見た時には世界が違えど人は大体似たような発展をするんだなと、妙な感心を覚えたものだった。
「ねぇ、ユリエル。あたしたちも後で一緒にお風呂、入ろうか」
「そうね。……って、え?」
「あ、いや、別に嫌なら良いんだけどさ。その、庇ってくれたお礼に、背中でも流してあげようかな、なんて」
 赤い顔のまま、ちらちらとこちらに視線をやりながらそう言うミリィに、彼女の思惑を察したわたしは簡素に了承の意を伝えるに留めた。
 最初のような強引な誘いは望むところ。相手が最初からそのつもりであると明言しているのなら、真っ向から受けて立てば良いだけなのだから、至極簡単なものである。
 だけど、逆に恥らいながらの控えめな誘惑にはどうも弱い。こう、自分の急所を押さえられたような感じで、ずるずると相手に引き込まれてしまって、気づけば抜け出せなくなっているのだ。
 さすがにディーネちゃんは何か言いたそうな、というか、実際に今度は見られないようにしてほしいってリンクを介して伝えてきたけれど、これにはわたしも頷くより他なかった。
 妹か娘のような彼女たちにこれ以上、自分や恋人の痴態を見せるわけにもいかない。羞恥プレイにしても、それはわたしだけが彼女に与えるから良いのであって、つまりはそういうことだ。

 ぐつぐつと鍋の煮える音。立ち昇る湯気が肌寒さを感じる晩秋の夜気を緩和し、食卓に心地よい暖かさを提供してくれている。
 結局、今回もシルフちゃんとリータちゃんの間には何もなかったようだ。
 引き上げるタイミングを逸したノームお姉さんが巻き込まれて、三人での入浴になってしまったからだと言うけれど、あの人に限ってそんな失敗をするものだろうか。
 バーベキュー用の串を加工して作った箸を使って自分の顔よりも大きな白菜に四苦八苦している彼女の表情は、普段の笑顔からは幾らか崩れてしまっているようだけど、それでも何かしら企んでいるようには見えなかった。
 まあ、見えないだけで、本当に企てがないかは分からないのだけど。分霊にだってプライバシーはあるから、覗いて確かめるわけにもいかないし、そんな必要もないと断定出来る程度には信頼もしているつもりだ。
 それはさておき、こうして全員で鍋を囲いながらおしゃべりをしていると、自然と今日一日の出来事を振り返ることになる。
 思えば今日は朝からずっと動いていた。明日以降の行動指針を定めるためにも、このあたりで一度状況を整理しておくべきだろう。
 ――まず、早朝、ミリィに誘われて森に狩に出掛けて、そこでアルちゃんと出会った。アルミラージで雌だからアルちゃんだ。
 アルちゃんは森に生息しているにしては人間に慣れすぎているような気がするけれど、わたしが動物に懐かれること自体は珍しくないので別段問題もないだろう。
 ――次に突然の魔物の襲撃。直前に感じた邪悪な闇の気配もこれと無関係ではないだろう。
 襲ってきた魔物の中に魔法生命体と思われるマドハンドが含まれていたことからも、襲撃が何者かの意思によるものである可能性は高かった。
 なお、この襲撃に対する迎撃で、こちらに来てから初めて本格的に魔法を行使したわたしは、その出力が大幅に低下しているという事実に戸惑うこととなった。
 具体的には同じ魔法で同じ結果を出すのに通常の五割増から二倍程度も多く消耗している。これはわたしの魔力がこちらの世界のそれと干渉を起こしてしまっているからで、調整次第では何とかなる問題ではあった。
 その後はわたしの分霊たち四人を呼び出しての昼食を挟んで戦闘後の後始末に奔走することとなる。主には敵の魔法で貫通されてしまった結界の修繕だったのだけど、これが思った以上に大変だった。
 結界の魔法を構成する術式を刻んだ魔法陣が破損していて、応急処置をするも根本的な解決にはならなかったため、わたしが一から新しく結界を構築することになったのだ。
 そのために必要な触媒作りの材料を求めて家捜しをしている最中、またしても魔物による襲撃を受けた。しかも、今度は忍び込まれるはずのない地下室での奇襲だ。
 分霊のうちの二人を警戒待機させていたし、敵の性質からしてそもそも呪い封じと浄化の仕掛けが施されたあの場所では満足に動けるはずがなかった。
 相手は怨念の集合体が騎士の形を取ったもの、カースナイトとでも呼ぶべきアンデットだったのだから。にも関わらず、奇襲を受けたのは何故か。
 その答えはカースナイトとの戦闘中に明らかになった。
 この時、待機させていたノームお姉さんとディーネちゃんのほうにも襲撃があったのだけど、その敵の中に離れた場所から怨念を呼び寄せ、操ることの出来る術師がいたのだ。地下のカースナイトはそいつの差し金だったというわけだ。
 他にも全身鎧のアンデットが二体と六本腕のガイコツの剣士が八体、そのうちの半数が術師を護衛する布陣で攻めてきており、相手が足止め目的だったこともあって随分と梃子摺らされたようだった。
「申し訳ございません。わたくしたちがもう少し上手く立ち回っていれば、ユリエル様たちがお怪我をされることもありませんでしたものを」
 話が先の戦闘のことに及ぶと、ディーネちゃんはそう言ってわたしとミリィに向けて深々と頭を下げた。
「あ、いや、聞いた限りじゃしょうがなかったと思うし、ユリエルもあたしも結果的に大丈夫だったんだからさ」
「はい。いえ、ですけど」
「ほら、ミリィもこう言っていることだし、それでも悔しいって思うのなら、次に活かしなさい」
 良いわね。そう念を押すわたしに、ディーネちゃんは小さくはい、と頷いた。まったく、この娘は誰に似たのか。頑張ったのだから、もっと胸を張って前を向いていれば良いのに。
 少なくとも今回の結果に関して、彼女に否はないはずだ。寧ろ合計十一体もの敵を相手に、二人だけでよく持ち応えてくれたと思う。
 逆にそれだけの物量で攻めてきておきながら、積極的に押し潰そうとしてこなかった敵の動きが不可解だった。
 報告と合わせて戦闘中の二人の記憶も見せてもらったのだけど、こちらが奇襲に浮き足立ったところを押し潰すでもなく、分断して各個撃破するにしても、ああも本隊の動きが緩慢では話にならない。
 結局、二人が協力して鎧一体、ガイコツ剣士三体を倒したところで敵は撤退した。その少し前にわたしたちがカースナイトを滅していたから、それを引き際と見たのだろう。
 強さ的にもあれが向こうの切り札だったのだろうし、おそらく予めそういうふうに決めていた。そう思わせる程度には迅速な撤退ぶりを敵は見せている。
 しかし、最大戦力を投じての奇襲に、その後の別咆哮からの攻撃による戦力の分断。敵の物量も考えると、本気で攻勢に出られていたら押し切られていたかもしれなかった。
「うーん、死霊術師から恨みを買うような覚えはないんだけどな」
「呪われたアイテムを集積しているのを知られたんじゃないの。呪術を扱うものにとっては垂涎物だろうし、物が物だけに、盗られても訴え難いでしょ」
 鍋の後に試作した麦雑炊を蓮華で掬いながら首を傾げるミリィに、わたしが思いついた可能性を指摘する。
 しかし、やっぱりついこの間までお米が主食の日本人だった身としては、穀類が麦だけというのはどうにも味気ないわね。
 欧州では野菜として米を扱うところもあるし、この家にある食材を見る限りではこの辺りの食文化もそちらに近いように思える。なら、やはりお米もあるのではないだろうか。
「まあ、何にしても、皆大した怪我もなくて良かったよ。新しい結界用の触媒も、地下に出た奴が落としたので何とかなりそうだし」
 初めて口にする麦雑炊の食感に首を傾げながらも、そう言って笑うミリィの表情には明らかな安堵の色が浮かんでいた。まるで、この件はこれでお終いとでも言う様だ。
「何言ってるの。肝心なのは寧ろこれからでしょ。結局敵の狙いが何だったのかも気になるし、そうでなくてもこのまま黙っているつもりはないわ」
 自分や家族を殺されかけたのだ。報復することで却ってこちらが危険になるのならともかく、相応の力があるのに黙っている程、わたしは臆病でもお人好しでもない。
「つまり、追い掛けて行って殴り返すと、そういうわけですね」
「当然。というか、最初からそのつもりでマーカーを打ち込んでおいたんでしょ」
 いつもの笑顔のままでそう言って確認してくるノームお姉さんに、わたしは不適な笑みを浮かべて頷いて見せる。何、自分の家の庭に造られた蜂の巣を駆除するようなものだ。
 今回は一応安全なはずの家の中という意識が働いていたために不覚を取ったけれど、そういう可能性があると分かっていれば二度は通じない。ましてや相手はアンデットなのだ。
 もちろん、それなりの準備も整える。油断はなく、種族的にも優位に立てるとなれば、そうそう遅れを取ることもないだろう。
「まあ、あたしもやられっぱなしってのは癪に障るし、放っておいてまた攻められても嫌だしね」
「決まりね。それじゃあ、まずは結界を作って家の守りを万全にしましょう。留守にしてる間に他の魔物に荒らされでもしたら大変だもの」
 賛同を示してくれたミリィにこの後のことを提案し、それにも了解をもらうと、わたしは空になった食器を手に立ち上がった。

  * * * 続く * * *

 今回はインターミッションといったところでしょうか。
 作者です。
 状況整理の回は説明文が多くて退屈でしょうが、進行上必要なためご容赦ください。



[4317] 第9章 真夜中の邂逅
Name: 安藤龍一◆8077f055 ID:ed24611f
Date: 2010/12/24 11:37

 ――ラダトーム王国北西の森
   ミリィの家 1F 浴室――
  * * * side ミリィ * * *

 細くしなやかな指が肌の上を滑っていく。繊細なタッチで触れてくる指先からは気持ちが伝わってくるようで、あたしは思わず溜息を漏らした。
「……はぁ……」
 思いがけず艶っぽくなってしまった自分の吐息に、頬に熱が集まるのを感じる。何ていうか、ただ身体を洗ってもらうだけのことがこんなに恥ずかしいとは思わなかった。
 とは言え、先に提案したのはあたしだ。白地のような彼女の肌を見て、スポンジじゃ刺激が強すぎるかもしれないからって。たぶん、少しくらいは建前も入ってたと思う。
 傷の手当てをした時はもちろん、抱かれた時にも余裕なんてなかったから、あたしはこの時初めてじっくり見ることになった彼女の裸に緊張し、興奮していたのだ。
 ボディソープの泡越しに触れた堕天使様の素肌は思わず溜息が出ちゃうくらいに滑らかで、とても戦場なんて過酷な環境にいたとは思えなかった。
 こんなきれいな人があたしの恋人なんだって思うと嬉しくて、つい調子に乗って弄り倒しちゃったんだよね。その逆襲を今は受けているわけなんだけど、うん、これはすごいね。
「うっ……、はぁ……」
「うふふ、気持ち良いのね。良いわ、さっきのお返しも兼ねて今度はわたしがミリィのこと、たくさん気持ち良くさせてあげる」
「ひゃっ、……はぁぁ……」
 彼女の爪先が敏感なところを掠めるたびに、喘ぐような声が漏れちゃう。羞恥に火照った身体の熱さを触れられた箇所から知られているかと思うと、幾ら抑えようとしても無理だった。
 だけど、嫌じゃないんだよね。
 危ないくらいに加速してるこの心臓の鼓動も、くすぐったいような快感も全部、大好きな人からの贈り物だと思うと寧ろ嬉しくて、逆にもっとして欲しいっておねだりしちゃいそうになるんだ。
 あたしからのちょっと乱暴なアプローチで結ばれたこの関係はまだ始まったばかりだけど、ずっと続いて欲しいと心の底から思ってる。例え何が立ちはだかろうとも、あたしから離れたりするもんか。
 ――そのためにも、まずは明日、頑張らないとね……。

  * * * side out * * *

  堕天使ユリエルの異世界奮闘記
  第9章 真夜中の邂逅

 夕食後のことについてはこれといった問題もなく、すべて恙無く終了することが出来た。
 僥倖だったのは、やっぱり壊された結界に自己修復機能が備わっていたことだろう。
 新しい結界を作るために再び魔法陣の設置されているほうの地下室に降りたところ、ほんの僅かずつではあるけれど、破損した術式の一部が直り始めていたのだ。
 あまりに微々たる変化だったために先に調べた時には気づけなかったみたいだけど、これなら数ヶ月か数年後には完全に元の強固な結界を展開出来るようになることだろう。
 新しい結界はその修復と再展開を邪魔しないようにやや外側に、天上界の宝物殿にも使われている強力な物を二重に張っておくことにした。
 後、おまけとばかりに、ディーネちゃんたちが倒した地獄の鎧にミリィの家の地下にあった不幸の兜を被せ、破壊の剣と嘆きの盾を持たせたものにわたしの魂の欠片を埋め込んで自動迎撃ユニットに仕立ててみたり。
 物品はすべて呪われていたので、きちんと浄化した上で見た目の禍々しさを消すために変装用に覚えていた染髪魔法で明るい系の色にリペイントしてやったわ。
 装備だけでも元の地獄の鎧とは比較にならない凶悪さだとはミリィの談。ペイントマジックにも色が落ちないように保護と衝撃吸収の効果が付加されているから、胴体部分の守備力も多少向上しているだろう。
 これで襲撃者が結界を壊そうとしてもそう簡単には手が出せないはず。少なくとも今日戦った程度の相手なら問題なく撃退出来ると思われた。
 さて、防衛の準備はこれで整った。次は戦うための装備の調達だけど、こちらはミリィの手持ちで揃えられるとのこと。
 とは言っても、彼女の家にある戦闘装備は彼女自身のものを除けば地下室の呪われたアイテムくらいだと思ったので、そこを聞いてみると、何とこれから取り寄せるのだと返された。
 ミリィも登録している冒険者協会が運営している預かり所では、オクルーラという物品転送魔法を利用した転送サービスを実施しているのだという。
 完全予約制の上、予め登録した場所にしか転送してもらえないらしいのだけど、それでも町から離れたところに住んでいるミリィのような人には重宝されていることだろう。
 ちなみに、年間利用料は3000Gで、転送してもらう物品の重量によっては別途費用が掛かる。
 オクルーラを使える魔法使いが限られているので昔はもっと高かったらしいのだけど、利用者が増えるにつれて料金が下がり、十年ほど前に今の価格に落ち着いたとのこと。
 予約事態は冒険者に配布される手帳の通信機能で出来、受付も二十四時間してもらえるとのことなので、寝る前にでも皆で相談して決めようということになった。
 そして、いよいよお待ちかねのお風呂タイム。今回はミリィのほうから誘ってくれたけど、わたしだってこういうのは大歓迎なのだ。
 背中を流すついでと言うか、背中を流すのがついでと言うか、とにかくそんな感じで全身撫で回されたりもしたけれど、まあ、気持ち良かったし、偶には良いわよね。
 ただ、明日のことを考えて本番行為はなしにしておいた。
 きっと、今日よりも激しい戦闘が予想されるし、楽しみは後に取っておいたほうが頑張れるもの。
 ――ねぇ、ミリィ。あなたもそう思うわよね……。

  * * * side ???? * * *

 皆が寝静まった頃を見計らい、そっと窓から外に出る。
 こういう時、小さな身体は本当に役に立つ。
 食事を恵んでもらった恩を返さないまま、黙っていなくなることに申し訳なさを感じないわけはないのだけど、今のわたしにはそれよりも優先すべき使命があった。
 敵は慎重で狡猾。
 きっと、人間たちは誰もまだ奴らの企みに気づいてはいないのだろう。
 急がないと。手遅れになる前に、このことを仲間に伝えて、反撃のための戦力を整えてもらわなければこの世界、アレフガルドは再び闇に閉ざされることになる。
 そう、闇の大魔王が現れたあの時のように……。
「こんな夜更けにどちらにお出掛けですか?」
 窓枠を蹴って、音もなく着地。そう、わたしは音など立てていない。だというのに、そのまま走り出そうとしたところを、頭上からの声に止められた。
 声のしたほうへと視線を向ければ、そこには小さく羽ばたきながらこちらを見下ろしている妖精が一人。確か、ノームと呼ばれていた女性だ。
 ノームというのは人間の言葉で大地の精霊種、もしくは大地の精霊そのものを指す言葉だったか。
 ただの妖精に付けるには随分と仰々しい名だと思ったけれど、それも昼間アンデットどもを相手に披露したでたらめな強さを見れば頷ける話だった。
 どうでも良い。今のわたしは崇高な使命を帯びた神の使徒。幾ら強かろうと得体の知れない異界の来訪者などに構ってはいられないのだ。
「答えられませんか。いえ、その呪いのせいで言葉を話せないのですね」
 黙って行こうとしたわたしの耳に、再びノームの声が届く。分かっているなら聞くなと言いたいけれど、彼女の言う通りに今のわたしは呪いによって多くを封じられている。
 言語もその中の一つで、ユリエルという名の異世界の天使が持つ聖波動を浴びたおかげで人の姿こそ取れるようになったものの、震わせた声帯が形作る音は未だ動物のそれだった。
 しかし、それでも筆談で意思を伝えることは出来る。ならばこそ、こんなところでもたもたしている暇はないというのに。
「我が主なら、あなたに掛けられたその呪いも解くことが出来るでしょう。何なら、わたしからお願いしてみましょうか」
 わざわざこちらの正面に回り込んでからそんなことを言うノームに、わたしは即座に距離を取りながら首を横に振った。信用出来ない。そもそもそうする利点があちらにはないのだ。
「でも、今から森を通って近くの町だか村に行くのは危険では。狼もいるみたいですし、食べられちゃいますよ」
 あなた、美味しそうじゃないですか。そう言ってこちらを指差してくるノームに、中途半端に解けた呪いのせいで頭に残っていた長い耳がぴくりと跳ねる。聞こえたのは狼の遠吠えだった。
「…………」
 頬に一筋、冷たい汗が垂れるのを自覚したわたしは、彼女に言われるまま、すごすごと家の中に戻るしかなかった。
「信用出来ないんでしたら、とりあえず明日一日わたしたちを見ていれば良いです。それでどうするか決めてもらえれば」
 背後から掛けられたその言葉には返事をせず、動物の姿に戻ったわたしは不貞寝するようにソファの上で丸くなるのだった。

  * * * side out * * *

 ――朝が来た……。
 新しい、だけど、希望に満ちているかはまだ分からなくて、人によっては期待と不安に動揺する心を抱えながら迎える、そんな一日の始まる時間。
 世界を越えた拍子に狂ってしまっていたらしい体内時計も三日目ともなれば大分元に戻ってきたようで、今朝のわたしはかつて自宅で家事をこなしていた頃とそう変わらない時間に起きることが出来ていた。
 ただ、目が覚めただけで、実際に起き出すまでにはそれから幾らか要したのだけど。
 ところで、ミリィの家に客間は存在していない。より正確に言うのなら、ベッドは彼女の寝室にあるセミダブルのものが一つだけだった。
 他人を泊まらせる気がないのか。それとも、泊まらせる相手とは必ず同衾するという意思表示なのか。
 それ以前に、わたしが気を失っていた間、ミリィは何処で寝ていたのだろう。気になって尋ねたところ、予備の毛布を出してリビングで寝ていたという答えが返ってきた。
「怪我人を床で寝かせるわけにもいかないし、遠出の際の野宿に比べれば全然平気だったから」
 気にしなくても良いよ。そう言ってミリィは笑うけれど、わたしとしてはやっぱり申し訳なくて、だから、彼女のお願いを一つ聞くことにした。
 この同衾はその結果でもある。
 寂しいから一緒に寝て欲しいだなんて、可愛いじゃない。もちろん、一も二もなく了承したわ。
 例え、一緒のベッドなら気分が高まっても逃げられないからというような邪な思惑があったとしても、期待されているのだと思えば悪くなかった。
 そもそも、ミリィが言うほど遊んでいないどころか、色事に関してはまだまだ青い果実であることは最初の夜の営みで分かっていた。誘い方が露骨というか、節々に見栄を張っているような感が否めないのだ。
 背伸びをしたい年頃なのかもしれないけれど、わたしだってこの身体で関係を持つのはミリィが初めてなのだから、別に無理をしなくても良いのに。
 ――まあ、それもわたしを繋ぎ止めたいがための行動だと思えば嬉しくはあるのだけど……。
 隣で眠る少女の寝顔を見ながら、胸の内に灯った暖かなものに自然と笑みがこぼれるのを感じる。初体験の時も含めて同じベッドで目覚めるのはこれで三度目になるのか。
 別に連日事に及んだとか、そんなことはないのだけれど、こうして目が覚めた時、傍らに愛しい人の存在を感じられるのはとても幸せなことだった。

「じゃあ、出掛ける前にもう一度装備の確認しとこうか」
 そう言うと、ミリィは一度身に着けたものを全部外して下着姿になった。
 今日の彼女の下着はミントグリーンのショーツに同色のブラジャー。どちらも控え目なレースに縁取られたおしゃれな一品だ。
 ミリィはショーツの上にショートパンツを履き、上半身はノースリーブのシャツと同じく袖のないベストに長袖のジャケットという、一見、普段着と変わらない出で立ちだった。
 しかし、よくよく観察してみると、その装備のほとんどが魔法的な効果を備えた魔道具、アーティファクトだということが分かる。それも、極めて完成度の高いものばかり。
 例えば彼女が頭に巻いている虎柄のバンダナは、身に着けたものの敏捷性を大きく向上させてくれるという。見たところ、右手に填められたシンプルな指輪にも同様の効果があるようだ。
 スピード重視の戦闘方法を取るミリィにはどちらも相性抜群の装備だろうけれど、うちの世界で同じものを作ろうとして出来る人間が果たしてどれだけいるだろうか。
 聞いてみるとこちらでも製法は失伝しているらしく、ミリィのそれらは遺跡からの出土品をそのまま使っているのだとか。
 彼女はこの他にも履くと脚力を強化してくれる韋駄天ブーツと装備者の素早さを二倍にする星降る腕輪を所持しており、これらすべてを装備した時のスピードは魔物の最速種族であるメタル属にも追いつける程だという。
 そのメタル属の速度が分からないから何ともいえないけど、少なくともそれらの品々に使われている魔法技術がとんでもないということだけはわたしにも理解出来た。
 ミリィが着ている今日の下着にしても繊維の一本一本に魔力を通しながら織られた特注品で、ナイフくらいなら止められる程度の防御力を備えている。
 そのくせ、下着としての機能性や肌触りの良さもまったく損なわれていないというのだから、この世界の魔法技術の高さが伺えるというものだ。
 いや、魔法が表社会に普及し始めてから高々二十年少々のうちの世界と比較すること自体、意味のないことか。
 うちで科学が占めていた部分がこちらでは魔法だと考えれば、そんなに不思議なことでもないわけだし、魔物という脅威が身近な分、身を守る手段に特化した発展を遂げているのだろう。
 話を戻そう。シャツやショートパンツが特殊な繊維で作られているのは言うまでもないとして、ポケットのたくさん付いているベストは何とスカイドラゴンという飛竜の翼幕で出来ていた。
 更にその上に羽織っているジャケットには鋼鉄の繊維が編み込まれていて、上手く受け流せれば同じ鋼鉄製の剣にも切られることはないという。これに先程の加速装備四つ。
 武器はミスリル銀製のダガーを腰の両サイドに一本ずつ下げ、ジャケットの袖と内ポケットには投擲用のスローイングナイフを持てるだけ隠している。
 その他にも今回の敵がアンデット中心になることを考慮してだろう、ベストのポケットには魔除けの効果を持つ聖水の小瓶を多めに入れてあるようだった。
「ねぇ、そんなにたくさん持って大丈夫なの?」
 ともすればアーティファクトまで使って増幅した速度を殺してしまいかねない程の装備の量に、わたしは思わず心配になって尋ねていた。
「大丈夫。遺跡に潜る時の装備に比べれば全然軽いし、ちゃんと動きを邪魔しないように考えて仕舞ってるから」
「なら良いんだけど」
「ほら、ユリエルも早く準備して。今日のうちに済ませちゃうつもりなら、そろそろ出ないといけない時間だよ」
 ミリィに急かされ、わたしも自分の装備を確かめる。とは言っても彼女に比べれば微々たるもので、わたしたちはそれからそう時間を掛けずに出発することとなった。

 ・ミリィの装備
 武器:ミスリルダガー(攻撃力+68/悪魔・アンデット系モンスターにダメージ1.25倍)
 頭部:しっぷうのバンダナ(守備力+21/素早さ+30)
 胴体:アーマージャケット(守備力+48)
   :ワイバーンベスト(守備力+25/炎・吹雪のダメージ25㌫減)
   :シルクのブラジャー(守備力+11)
 腰部:ショートパンツ(守備力+14)
   :シルクのショーツ(守備力+8)
 脚部:韋駄天ブーツ(守備力+18/素早さ+45)
 装飾:はやてのリング(素早さ+30)
   :星降る腕輪(素早さ×2倍)
  :聖銀のロザリオ(魔封じ・混乱・幻覚・催眠・即死立25㌫減)

  * * * 続く * * *

 思ったより物語が進まないリメイク版第9章。
 作者です。
 本当は死霊術師が工房にしている場所での最初の戦闘まで描く予定でしたが、長くなりすぎそうだったので一旦ここで切りました。
 ・ナイフを止められる下着について。
 ドラクエIXに登場する女性用下半身防具のブラックガード(黒い下着)の守備力が14で、これは銅の剣やブロンズナイフの攻撃力よりも高いです。
 ・装備について。
 ドラクエIXでは装備可能な身体の部位が頭、腕、胴体、下半身、足と細かく分かれています。
 また、いろいろなドラクエの二次創作で服系統の装備の上に鎧系統の防具を重ね着している描写を見かけます。
 これらのことから、本作では物理的に可能な場合は装備を重ね着出来るものとしました。
 装備一つ一つの能力に関しては、webサイトのDQ大辞典を作ろうぜ(第2版)に掲載されている原作情報を参考にさせていただいています。
 これらについてご意見、ご指摘等ありましたら、感想掲示板のほうにお願いします。



[4317] 第10章 蠢動(修正版)
Name: 安藤龍一◆8077f055 ID:ed24611f
Date: 2011/01/14 11:17

 ――ラダトーム王国北西の森
   東側 街道付近――
  * * * side ???? * * *

 ――一つ、二つ、三つ……。
 銀色の刃が閃くたびに、兜を被った頭蓋骨が、騎士鎧の首が宙を舞い、切断面からそれらを動かしていた怨念がまるで血しぶきのように噴き出す。
 まだ動いているアンデットどもが倒れ込む仲間の死骸を押し退けながら敵の姿を探して忙しなく目玉を動かすけれど、その動きはあまりに緩慢。
 そうしている間にもまた一体、いや、二体、残像すら残さない程の速さで駆け抜けた二振りの銀線によって呆気なく屠られる。
 戦闘とすら呼べないそれは、酷く一方的な虐殺だった。
 更に別の場所では実体を持たない影の魔物、ホロゴーストとシャドーの集団が纏めて光の波動に薙ぎ払われる。
 魔法ですらないただの聖波動だけど、闇の眷族である影どもには一溜まりもないのだろう。実際、光が通り過ぎた後に残っている影は一つもありはしなかった。
 そこに上空から二匹のキメラ、そして、ガイコツ剣士の上位種族である地獄の騎士が一体、弧を描くように回り込みながら堕天使へと迫る。攻撃直後の硬直を狙っての強襲だろう。
 しかし、そのどれもが彼女には届かない。
 強襲降下しようとしたキメラのうちの一匹が斜め下方から飛来したスローイングナイフに翼を貫かれてバランスを崩し、もう一匹のキメラは無数の小さな石と氷の礫による十字砲火で蜂の巣にされて絶命する。
 そして、六本の手に握られた剣による連続攻撃を仕掛けようとした地獄の騎士は、一瞬早く硬直から立ち直った堕天使の抜き放った魔剣によって仮初の生命を絶たれていた。
 魔剣の刃が赤紫に鈍く輝く。切り付けた相手の魔力を取り込み、自らの力に変換する略奪の刃によって、地獄の騎士の決死の特攻は敵に更なる力を与えるだけに終わらされたのだった。
 森の中での奇襲を警戒して、あえて迂回して街道を行くことにしたわたしたちを待ち受けていたのは、五十を越えるアンデットの集団だった。
 素早い動きと多数の腕による連続攻撃を得意とするガイコツ剣士に、その上位種族である地獄の騎士。攻守共に優れ、熟練の身のこなしが脅威となる脱け殻の騎士鎧。
 そして、死と氷結の力を操り、実体を持たない影の魔物たち。
 しかし、その大群も既に半数を切っている。戦闘開始から僅か数分でこれなのだから、改めて彼女たちのでたらめぶりが良く分かるというものだ。
 ――脳裏を過ぎるのは、昨夜のノームの言葉……。
 正直、この身のことも含めて力を貸してもらえればありがたい。ただ、圧倒的な力で敵を蹂躙する様は、奴らに通じるものがあるように思えてならないのだ。
 見極めるには、もう少し時間が必要なようだった。

  * * * side out * * *

  堕天使ユリエルの異世界奮闘記
  第10章 蠢動

 ――ロト……。
 かつて、アレフガルドの空が闇に覆われた刻、異なる世界より降り立ち、仲間たちと共に闇の大魔王ゾーマを打ち倒した伝説の勇者の名前だそうだ。
 その話を聞いた時、わたしは自分より遥か以前にも異世界からの来訪者があったことに驚き、同時に歓喜した。
 まさか、こんなにも早く手掛かりが見つかるとは思わなかった。
 その勇者は結局は元の世界には帰れなかったそうだけど、それは異世界同士を繋いでいた大魔王を彼が倒してしまったからに過ぎない。大魔王について調べ、どうやって異なる二つの世界を繋げていたか分かれば、わたしも同じ方法で自分の世界に帰れるかもしれないのだ。
 ミリィは千年も前の大魔王に関する記述なんて残っているはずないって言うけれど、わたしの使う解析魔法は僅かな手掛かりでもあればそこから過去に遡って情報を得ることも出来る。
 しかし、そのためにはまず調査対象であるロトの洞窟に居座っているらしい死霊術師に退場してもらわなければならなかった。
 そもそも、ノームお姉さんが撃ち込んだマーカーを辿った先がそこだったから、わたしはその場所に関する情報をミリィに聞いた時点で勇者ロトという前例を知ることが出来たのだ。
 そんなわけで、今、わたしたちはロトの洞窟の中を歩いている。
 魔力を燃料に明りを灯す松明を手にしたミリィを先頭に、わたし、アルちゃんの順で隊列を組み、分霊たちには奇襲を掛けられるようにわたしの中に戻ってもらっている状態だ。
 しかし、ラダトーム王家が管理しているこの場所は、普段であれば事前に許可を得たもの以外が立ち入ることは叶わないはずだった。
 仮に強盗などが押し入ろうとしても、余程腕の達ものでなければ見張りの兵士によって返り討ちに遇うのが関の山。
 洞窟自体にも聖なる力の守りが働いているため、そもそも森に生息している程度の魔物では近づくことすら出来ないとなれば、自ずと現在の状況に対する答えも見えてくる。
 即ち、王国側の想定を大きく超えて強力な敵対存在による襲撃を受けたということだ。
 わたしたちが洞窟の入り口まで来た時、二人いるはずの兵士は一人しかおらず、その一人も既に物言わぬ骸と化していた。
 状況からして一人が敵を食い止めている間にもう一人に援軍を呼びに行かせたのだろうけれど、ここまでに襲ってきた魔物の規模を考えるとそれが成功したかどうかは微妙なところだった。

 周囲を警戒しつつ、進むこと暫く。洞窟自体はさほど深いわけでもなかったようで、わたしたちはすぐに最深部と思われる場所にたどり着くことが出来た。
 洞窟に入ってからは魔物に遭遇することもなく、また最近になって魔道に携わるものの手が加えられたような痕跡も見られなかったのが気掛かりではあるけれど、その理由も詳しく調べれば分かることだ。
 最深部には石碑があり、そこには魔の島と呼ばれる場所に渡るための方法が記されていた。
 しかし、虹の橋とはまた何ともロマンチックなことだ。
 石碑自体は魔法によって維持されているらしく、伝説の時代から存在しているにしては朽ちた様子もない。まるで、この石碑が持つ時間の流れだけが止められているかのようだ。
「見て、石碑に動かした痕がある」
 碑文を読むわたしのために松明を傾けてくれていたミリィが、石碑と接している箇所の地面を指でなぞりながらそう言った。
 ほんの小さな隙間だった。下の空洞から上がってくる空気の流れを感じ取れなければ、わたしじゃ気づけなかっただろう。
 わたしがそう言ってミリィの観察力を褒めると、彼女は照れながら盗賊には必須のスキルだからと目を逸らした。
「それで、どうする? この分だと相当な数のアンデットが待ち伏せしてると思うけど」
 漏れ出る空気から感じられる邪気とこれまでに遭遇したアンデットの質から推測するに、この先に待ち受けている敵の数は下手をすれば二桁じゃ利かないかもしれない。
 しかも、日中の地上での遭遇戦とは違い、暗闇からの奇襲も警戒しないといけない以上、真っ正直に正面から殴り込むのは危険だった。
 それとは別に、広大な地下空間に犇めき合う死霊の群れに突っ込むのは生理的に厳しいものがあるし、普通に考えてここは霍乱も兼ねて先制攻撃で数を減らすべきだろう。
「先制頼めるかな。洞窟を壊さない程度に派手で、なるべくたくさん敵を殺せる奴」
 ミリィのその質問に、わたしの足元で慄然とする気配が一つ。まあ、どちらにしても叩き潰すこと前提なのだ。
 彼女がまるで今晩のおかずを何にするかというような気軽さで聞いてきていることもあり、臆病な性格だというアルちゃんには酷く物騒に聞こえたことだろう。
 しかし、それを分かっていて、あえてわたしは即答する。ノームお姉さんから話は聞いているし、ならばこそ、わたしたちのスタンスを明確にしておかなければならないと考えてのことだった。
「分かったわ。……皆、あれを使うわよ」
 わたしが魂の内側にそう呼び掛けると、皆からそれぞれ微妙な反応が返される。
 ――うわっ、マスターえげつないわね……。
 ――ま、まあ、相手はほぼ無機物ですし、恐怖を感じることもないのでは?
 ――あたし、あれ疲れるから嫌なんだけどなぁ……。
 ――あらあら、まあまあ。
 まあ、わたしも理解はしているし、本格的に生き物相手には脅し以外の目的で使うつもりもない。それくらい、これから使おうとしている魔法は凶悪なのだ。
 ここを拠点にしている死霊術師にはトラウマになるかもしれないけれど、呪うならわたしたちを敵に回した自身の不幸を呪うべきだろう。

 超高温の蒸気が吹き荒れ、鋼鉄よりも硬い石の弾丸が降り注ぐ。それによって描かれるのは、阿鼻叫喚の地獄絵図。
 侵入者へと剣を突き立てていたガイコツ剣士は最初の爆発で背骨を砕かれ、とっさに盾を構えた地獄の鎧は、頑丈な鋼鉄製のはずのその身体を盾ごと鈍い輝きを放つ石の弾丸に貫かれてばらばらにされてしまった。
 同時に視界を焼いた強烈な閃光が影の魔物を掻き消し、同じように光を浴びた他のアンデットたちもまるで糸の切れた人形のようにその場から動かなくなる始末。
 他の魔物たちも多くが蒸気に肺を焼かれ、あるいは石の弾丸に身体を貫かれてもがき苦しみながら絶命していった。
「うひゃぁ、とんでもないね……」
 薄れ始めた蒸気の向こうに見えた惨状に、ミリィが口元に手を当てながら感嘆の声を漏らす。アルちゃんに至っては驚きのあまり声も出ないようだ。
 炎の爆発で周囲に石の弾丸を撒き散らすと同時に水を蒸発させて蒸し地獄を作り出し、それを風邪の渦が攪拌する。四代精霊すべての力を合わせたとてもえげつない魔法だ。
 これに合わせて、わたしの聖波動を最大出力でプレゼントしてあげたのだから、中にいたアンデットどもは一溜まりもないだろう。
 ちなみに、最初にガイコツ剣士に刺されたのは待機状態の魔法の上から被せたわたしの幻影だったりする。
 殺したはずの人間が凶悪な爆弾として弾け飛ぶ光景は、後に続く地獄絵図と合わせてまともな精神の持ち主であればトラウマになること必須だ。だけど、それでもすべてが死に絶えたわけではない。
 死霊術師らしきローブ姿は魔法によって何処かへ転移し、仲間の影に隠れて攻撃を免れた魔物たちが一匹、また一匹と犠牲になったものの死骸を押し退けて這い出してくる。
 それらとは別に、浄化の光を浴びてなおこの世に留まり続ける怨念が次第に一箇所へと集まり、新たな姿を形成しつつあった。
「皆、突入するわよ!」
 奇襲は成った。なら、後は敵が浮き足立っているところに全力で切り込んで殲滅するだけだ。
「鎧の魔物はなるべく壊さないようにね。後で回収して売り払うんだから」
 ミスリルダガーを抜いて崩れ掛けの地獄の騎士に切り掛かりながらそう言うミリィに、わたしは思わず苦笑した。
 冒険者という命懸けの職業だからこそ、一回の戦闘で得られる利益を少しでも多くしたいと考えるのは分かるけれど、敵はまだそれなりの数が残っているのだ。
 そんな状況で既に勝った後のことを考えているというのは、わたしたちへの信頼の現われと取るべきか。なら、こちらもそれに応えないと。
「リータちゃん、ディーネちゃん、シルフちゃん、ノームお姉さん。顕現と同時に散開、残った敵を各個撃破。一番多く倒した子にはご褒美をあげるわよ」
「オーケイ、マスター。……焼き貫け、ファイアボルト!」
「お任せを。……穿て、ウォーターバレット!」
「やった。よーし、負けないんだから。撃ち抜いて、エアーズブリット!」
「あらあら、では、わたしも頑張るとしましょうか。……砕け、ストーンブラスト!」
 わたしの合図で四人が飛び出し、それぞれの担当する属性魔法の中から速射性に優れたものをチョイスして解き放つ。
 無詠唱発動も可能なこれらの魔法は単発または少数の弾丸を精製して撃ち出すだけの単純なものだけど、それ故にほとんどタイムラグもなく連射することが出来、また攻撃呪文にありがちな派手な爆発も起こらないため、こういう乱戦状態で使用するには最適だ。
 炎の、水の、風邪の、石の弾丸がガイコツ剣士や地獄の騎士の剥き出しの脊柱を正確に貫き、暗闇に紛れて不意打ちしようとしていたシャドーやホロゴーストを霧散させる。
 これを見てさすがに近づくのは危険と判断したか、残った数匹のシャドーが壁際から中級氷結呪文のヒャダルコを撃ってきた。
 幾つもの氷塊が周囲の水分を取り込んで肥大しながら飛来する。その時、ミリィがわたしたちと飛来する氷塊との間に割り込んだ。
「させないよ。魔鏡の盾よ、我に向かいしすべての魔法を跳ね返せ。……マホカンタ!」
 詠唱と共に突き出されたミリィの右手を中心に巨大な円形の障壁が展開され、飛んで来た氷塊をすべて敵へと跳ね返す。複数の呪文を纏めて返されたシャドーたちは、周囲にいた他のアンデット共々氷塊に押し潰され、霧散して消えていった。
「助かったわ」
「影の魔物は魔法が怖いから優先的に倒したほうが良いよ。後、地獄の騎士は相手を麻痺させるブレスを吐いてくるから気をつけて」
「ありがとう。リータちゃんとノームお姉さんはミリィと協力してその二種類の相手を。ディーネちゃんとシルフちゃんはわたしについて来なさい。大物を仕留めるわ」
 皆にそう指示を飛ばすと、わたしは吸血剣ドラキュリーナを抜いて駆け出した。狙うは、今にも実体化しようとしている怨念の集合体だ。
 その姿は不恰好だけどドラゴンに見えなくもなく、相応に巨大なそれが動き出せばこんな閉所ではこちらが圧倒的に不利になる。カースナイトの時の二の舞を避けるためにも、こいつは今ここで仕留める。
 必殺の意思を込めて剣に魔力を流し込む。刀身に触れたものから魔力を取り込む性質を持つこの剣は、直接注ぎ込まれるわたしの魔力に歓喜し、貪欲にそのすべてを食らい尽くそうとする。思った通り、触媒としても優秀だ。
 ――ユリエル様、詠唱を。制御はこちらでいたします。シルフさんも、よろしいですわね。
 ――うん。昨日の汚名返上のチャンスだもん。ばっちり決めて見せるよ。

 ――汝が立つは永久(とこしえ)の闇、明けぬ白夜に踊る風に血潮は凍り、水は魂さえも凍てつかせる。
   求める程に望むものは遠く、その身は孤独の内に永久(とわ)の眠りに沈むだろう。
  さあ、今こそ断罪の刻。その身に受けよ、因果切断の刃……。

 解き放つは、水と風の複合属性である氷の魔法の究極奥義。二人からの頼もしい言葉を受けて、わたしは詠唱を開始する。
 この場に集積されていた怨念の量は昨日の騎士の比じゃない。形成されつつある竜の巨大さからしてもそれは明らかだ。
 おそらく、力を十全に振るうことの叶わない今のわたしでは、シグナルサンクシアルでも消しきれないだろう。だからこその絶対氷結だ。
 長い詠唱の末節にもあるように、輪廻の因果すらも断ち切るこの魔法なら、残った怨念が新たな災厄を引き起こすこともないはず。
 吸血の魔剣が多すぎる魔力の流入に悲鳴を上げ、吸いきれなくなり始めた魔力が火花となって散る。お願い、後少しだけ持ち堪えて。
 その時、吸血剣ドラキュリーナの柄部分のコウモリの目が光り、その羽根で自身を握るわたしの両手を包み込んだ。同時に暴れていた魔力も大人しくなる。
 それを見てミリィが驚いたように何か叫んでいたけれど、今はこの期を逃すわけにはいかなかった。
 怨念の竜が産声のように咆哮を上げ、鈍く禍々しいその眼光でわたしを捉える。
 それと時を同じくして、わたしの絶対氷結も完成した。

 ――解放の言葉と共に発動した魔法が生み出すのは、白く凍てついた世界……。
 長らく積み重ねられ続けた怨念によって形成された竜は、生まれたままの姿で氷のオブジェと化し、二度と目覚めることはないだろう。
 後はこの怨念が少しでも早く晴れるように、浄化の魔法陣を敷いておけば……。
「終わったの?」
 地獄の騎士の最後の一体を切り捨てたミリィが、わたしの傍らに寄ってきてそう尋ねる。
 超高速戦闘による身体への負担からか、彼女も多少息が上がっているようだけど、一見して分かるような傷を負ってはいなかった。
 そのことに安堵しながら、ミリィに頷こうとしたその時だった。不意に身体を貫いた痛みに、わたしは思わず胸を押さえて蹲った。
 ――これ、は……。
 例え呪文の一節にでも含まれていたのがいけなかったのか。あるいはもっと単純に、この場にあるよくない物に触発されたのだろう。
 それはあの戦いの中で殺しきれなかった自らの内包する闇。
 神器の片割れが齎す黒い破壊の衝動が、今再びわたし自身の心の殻を食い破って現れようとしていた。
「ちょ、ユリエル!?」
 慌てたようなミリィの声が遠くで聞こえる。それとほぼ同時、顕現させていた四人の分霊全員がわたしの中に戻って来てくれたのが分かった。
「大丈夫。……悲しき大地に癒しの風を、寂しき闇には安らぎの光を、今はただ、その胸に抱き眠れ。……揺り篭の囁き‐カナリア‐……」
 ふらつきながらも立ち上がってそう言うと、わたしは聖句を唱えて陣を敷く。かざした手の平から光が伸び、氷像の竜を囲うように六紡星を形成すると、胸を刺すような痛みも徐々に引いていった。
「……今はこれが限界ね。完全に浄化するには、わたしの魔力が回復するのを待つか、聖属性の力を大幅に増幅出来るアイテムがないと無理だわ」
「じゃあ、とりあえず今日は戻ろうよ。ユリエル、顔色悪いし、早く休まないと」
「ええ、そうしましょう……」
 心配そうに声を掛けてくれるミリィにそう答えたのを最後に、わたしは今度こそ意識を失った。

  * * * 続く * * *

  ~~~ オリジナルアイテム紹介 ~~~
 ・名称:吸血剣ドラキュリーナ
 ・分類:武器(剣)
 ・効果:攻撃力+83/攻撃力上昇(自分)・MPダメージ(相手)
 ・解説:最高級のミスリル銀と上級悪魔の血を錬金して作られた魔剣。切り付けた相手から魔力を吸い取る性質を持ち、その際に刀身が赤紫色に妖しく輝くことから吸血剣の名が付けられた。
   :奪った魔力をそのまま切れ味に転化するため、剣自体の重さはやや細身であることを差し引いてもかなり軽く、女性にも簡単に振るうことが出来る。
   :魔力を吸い取るのは剣自身の意思のようなもので、この剣を抜いたものは剣自身が満足するまで闘争本能を強く刺激され続ける(剣に憑依されるとも言う)。
   :また、剣自身が持ち主を選ぶとも言われ、選ばれたものは憑依されることなく吸血剣の性能を十全に発揮させられるが、過去にマスターになった人間がいるという記録は残されていない。
   :攻撃力上昇・MPダメージ共に与えたダメージの25パーセント。

  ~~~ オリジナル呪文設定 ~~~
 ・名称:炸裂幻影‐エレメントクラスター‐
 ・属性:土・水・火・風
 ・効果:敵全体に150前後のダメージ
 ・消費MP:38
 ・主な使用者:ユリエル or 分霊四人全員
 ・解説:四つの属性の初級攻撃呪文に幻影を被せた半自立行動する爆弾を作り出すユリエルのオリジナル魔法。
   :四人の分霊全員が連携することで初めて使用可能な多重複合魔法で、効果は本編中で記した通り。
   :幻影とはいえ、人間爆弾のようにしか見えないため、今後は倫理的な観点から使用は控えられることだろう。

 ・名称: 絶対氷結‐アブソルートプリズン‐
 ・属性:氷結(水+風)
 ・効果:敵1体・即死
 ・消費MP:68
 ・解説:水と風の複合属性である氷結属性の最強呪文で、対象を空間ごと氷付けにする。
   :相手を一瞬のうちに絶対零度の氷の中に封じ込めることから、攻撃よりも寧ろ封印に分類される。
  :またこの魔法自体は空間を対象に発動するため、相手に氷や即死への耐性があろうと関係なく氷付けにされる。
   :なお、膨大な魔力と針の穴に糸を通すような精密さでの制御を要求されるため、ユリエルはこの魔法に他よりも長い専用の呪文を用意している。
   :時すら凍る世界からの絶対的な隔絶。故に彼女はこの魔法に絶対氷結‐アブソルートプリズン‐の名を与えた。
  ~~~ * * * * * ~~~

 皆様、新年明けましておめでとうございます。
 作者です。
 昨年中はわたしの拙作にお付き合いいただき、ありがとうございました。読んでくださっている皆様のおかげで、わたしも頑張って書き続けることが出来ています。
 まだまだ拙い部分も多くあるかと思いますが、一人でも多くの方に少しでも楽しんでいただけるものを作っていけるよう、より一層精進したく思います。
 今年もよろしくお願いいたします(2011年1月)。



[4317] 第11章 表裏
Name: 安藤龍一◆8077f055 ID:ed24611f
Date: 2011/01/14 11:19

 ――ラダトーム王国北西の森
   東北東 ロトの洞窟付近‐‐
  * * * side 死霊術師 * * *

 ――森の中を走る、走る、走る……。
 枯れ枝を踏み折り、魔物の死骸を蹴り飛ばしながら、縺れる足をただただ動かし続ける。身体は重く、荒く乱れた呼吸に喉が渇いた痛みを訴えるが、そんなことを気にしている場合ではなかった。
 とにかく一刻も早くあの場所から離れなければ、死霊どもを駆逐した本物の死神がこの俺の命を刈り取りにやってきてしまうのだ。
 このような恐怖、あの方に連れられて大魔王様に謁見した時以来だ。
 たかが人間の小娘一人に何をバカな。そう思ってみたところで、背筋に張り付いた悪寒は消えることはなく、寧ろ一掃粘着力を増しながら絡み付いてくるようだった。
 何故こんなことになったのか。足を動かしながらも疲労と焦燥感に鈍る頭で思い出してみる。
 与えられたのは簡単な任務のはずだ。
 来るべき日に備え、地上のものどもに悟られぬよう密かに戦力を蓄える。素材さえあれば半ば無限にアンデットを作り出せる俺にとって、それこそ朝飯前の仕事だった。
 早速拠点を確保し、手持ちのコマで周囲の偵察をさせていた時だ。森の中に場違いなほど強力な結界に守られた家を見つけたのは。
 何故こんな森の中にとは思ったが、浄化能力のあるらしい結界はアンデットにとっては天敵だ。こちらの任務の妨げとなるやもしれず、早々に破壊させることにした。
 だが、これがいけなかった。
 今思えば、地上侵攻のための戦力増強という重要な任務を任されて舞い上がっていたのだろう。結果、確保したばかりの拠点を放棄し、こうして無様に逃げ出すハメになっている。
 だが、しょうがないじゃないか。あれは本当にしょうがない。
 透き通るような銀の長髪を揺らして現れた侵入者は、まだ成人したばかりと思しき少女だった。震える手に抜き身の剣を携え、吸い込まれそうなディープブルーの瞳は隠しきれない不安に揺れている。
 何も知らないものが見れば庇護欲か嗜虐心のどちらかを刺激されそうなひ弱な姿。だが、そんな女なら、そもそも死霊が犇めく洞窟などに足を踏み入れたりするものか。
 案の定、手近なガイコツ剣士に襲わせたその少女は凶刃に身体を貫かれても表情を変えることはなかった。
 それにこちらが驚愕する暇もあればこそ。少女を中心に広がった閃光と轟音に視覚と聴覚を奪われ、気がつけば一人洞窟の外に投げ出されていた。
 敵を挟撃するために唱えていたリレミトの呪文が暴発した結果のようだが、運の良いことだ。生き残ったアンデットの視界を通して見た光景に、俺は心の底からそう思った。
 肺を焼く高温多湿の空気が吹き荒れ、鉄より硬い石の弾丸の雨が降り注ぐそこは正にこの世の地獄だった。
 侵入者を最深部まで引き込んだところで脱出呪文のリレミトで外に出て、別働隊と共に背後から襲い掛かる算段だったが、あの様子では逆に返す刀でこちらが殲滅されかねない。
 その別働隊とも連絡が途絶えて久しく、例え合流出来たところで、いるのがガイコツ剣士系のアンデット十数体では、どんな使い方をしても焼け石に水だ。
 一体どれだけ走っただろうか。まるで時間が引き延ばされたような感覚に、そろそろ心が折れそうになってきたその時だった。不意に視界が開け、目の前に一つの影が立ち塞がる。
「ひっ」
 引き攣った喉から短く悲鳴のような呼気が漏れる。ついに年貢の納め時かと半ば諦めかけた俺だったが、よくよく見ればその影は味方のものだった。
 そうだ。別働隊を預けていた魔狼族のガキだ。安堵すると同時に沸々と怒りが込み上げてくる。
 このクソガキ、無事だったんなら何故連絡しやがらない。こっちはありえねぇバケモンから必死こいて逃げ回ってたってのによ。
「無様だね」
「なっ!?」
「仮にも方面軍の幹部クラスなら、せめて一矢報いるか、逃げ帰るにしても冷静に責務を果たしてもらいたいものだよ」
 侮蔑しきった態度でそう言って嘆息するガキに、俺は思いつく限り並べ立てるつもりだった罵詈雑言のすべてを凍り付かせて黙ることになった。怒りが振り切れて上手く喋れなかったのだ。
 ――こ、この、俺はあの方直属の死霊術師だぞ。ぽっと出の犬ころ風情が口を慎め!
 怒りに任せて練り上げた魔力で極大火炎呪文のメラゾーマを放つ。鋼鉄だろうと一瞬で蒸発させられる威力だ。
 俺の下に付けられるくらいだから多少は実力もあるんだろうが、さすがにこいつを食らってはただじゃ済まないだろう。
 だが、信じられないことに、このクソガキは俺の放ったメラゾーマをただの腕の一振りで掻き消してしまった。
「相手との実力差も測れないか。まあ、所詮は間に合わせの幹部だって聞いてるし、しょうがないのかもしれないね」
「くそっ!」
 中級爆裂呪文のイオラを目くらましに、その場から逃げ出す。今度は掻き消されることはなかったが、同時に奴の気配が揺らぐこともない。つまりはそういうことだ。
「知らなかったのかい。この世界じゃ、……からは逃げられないそうじゃないか」
 そして、耳元に囁かれる言葉。それが、俺が俺として聞いたこの世での最後の言葉となった。

  * * * side out * * *

  堕天使ユリエルの異世界奮闘記
  第11章 表裏

 ――何処までも広がる闇、闇、闇……。
 陽を浴びたものに影が寄り添うように。あるいは逃げる昼を夜が追いかけるように、それは遥か昔に世界が始まった時から変わらずそこにあった。
 暗闇にぽつんと浮かぶテーブル。テーブルには白いクロスが掛けられ、その上に載せられたティーセットと共に何時訪れるとも知れない客を待っている。
 用意された席は二つ。
 わたしがそのうちの一つに手を掛ければ、まるで最初からそこにいたかのように、もう一方に座る先客の姿を見つけることが出来た。
「遅かったね。待ちくたびれちゃったよ」
 傾けていたカップを戻しながら眉を顰めてそう言うのは、周囲の闇に溶け込むような漆黒のドレスに身を包んだ黒髪黒目のわたし。そう、わたしだ。
 ここは我が魂の最深部。創世神より賜わった神器を納める神殿にして、わたしという存在が始まって以来の記録と記憶の集積場でもある。
 故に、何千枚もの心の壁と神器自体が作り出す強固な守護結界に覆われたこの場所には、わたし以外が入り込む余地がない。
 わたしの魂から分かれた分霊たちはここのことを知ってはいるけれど、最早別個の人格として確立している彼女たちに、ここまで立ち入る権利はなかった。
 では、目の前にいるこのわたしは何なのか。
「そう思うんなら、偶にはあなたのほうから会いに来れば。事前に教えてくれれば、お茶くらいは用意しておくわよ」
 対面の席に腰を下ろしながら、言外にそろそろ席を替われと言ってみる。そもそも、そこは本来わたしが座るべき場所なのだ。
 蓄積され続ける情報と神器の管理運営を円滑に行うべく、記憶領域に保存された最初の人格。それが何の因果か、今の肉体を運用するはずの主人格と入れ替わって表層に出ている。
 それと言うのも、元々内向的な性格だったこのわたしは、ある出来事が切欠でこうして魂の最奥に引き篭もって外に出ようとしなくなってしまったのだった。
「嫌だよ。外はモンスターがたくさんいるんでしょ。それに、わたし媚薬入りのハーブティーなんて飲みたくないもん」
「……見ていたの。いえ、ここはわたしの記憶と記録を残すための場所。それを管理してるあなたが知らないわけがないものね」
 即答しながら肩を竦めるわたしに、その時のことを思い出したわたしの頬に熱が集まる。ディーネちゃんに指摘された時の比じゃなかった。
「まあ、あなたの趣味をどうこう言うつもりはないよ。ミリィちゃんだっけ。あの子が良い娘なのは、わたしも同感だしね」
 そう言って優雅な仕草で再びカップへと手を伸ばす。上流階級の出身でもないのにやけに様になっているのは、それだけ繰り返しているからなのか。
「ずっと放っておいたことは謝るわ。これからはなるべくこっちにも顔を出すようにするから、出来ればあまりプライベートな記憶は覗かないでもらえるかしら」
「本当だよ。自分で引き篭もっておいてあれだけど、独りは詰まらないし、その、寂しくなることだって、あるんだから」
 プライベートじゃない記憶なんてものがあるのかと思いつつも軽く睨みながら頼むわたしに、意外にもわたしは真面目な顔でそう言って聞き返してきた。
 その思いを伝えるように闇が蠢き、そろりそろりとわたしの身体を抱くように触れてくる。
 ――捕まえておきたくて、でも、強く触れると壊れてしまうんじゃないかというような、そんな不安……。
 わたしが目覚めるまではほんの少女だったし、その後の経緯を考えれば臆病にならないほうがどうかしているのだろう。
 引き篭もりたくなる気持ちも理解出来る。だから、向き合うことを促しながらも、決して強制はしなかった。

 久方ぶりのわたしとの邂逅を終えて目を覚ますと、そこはミリィの部屋の彼女のベッドの上だった。
 目を開けて最初に見えたのは、見慣れたというにはまだ日が浅く、されど知らないということもない天井……。
 ああ、そういえば倒れたのだったか。闇の力まで引き出した絶対氷結は、わたしの想定以上にこの身体に負担を掛けたらしく、危うく神器を暴発させるところだった。
「良かった。目が覚めたんだね」
 記憶領域から引き出した倒れる前の状況に、わたしが内心蒼褪めていると、視界の隅でミリィが立ち上がるのが見えた。
「そのセリフ、昨日わたしが言ったわよ」
「茶化さないでよ。もう、急に倒れたりするからすごく心配したんだからね」
 半ば怒鳴るようにそう言ってから、そっと両手で包み込むようにわたしの手を取る。ミリィは泣いていた。泣きながら怒っていた。
 心のままに感情を爆発させられるのは、子供の特権だ。大人になるといろいろなシガラミのせいで、泣くことすら出来なくなるから。
 あるいはそんなものを無視して有りのままの自分を曝け出せるくらいには、彼女はわたしを特別に思ってくれているということか。
「昨日の今日だし、あたしはユリエルみたいに強くないってことも分かってる。だけど、それでも出来ることはあるはずだよ」
 だから、もっと頼ってと懇願する。握ったわたしの手を胸元に抱き寄せながら、涙を流して訴えるミリィに、わたしは胸が締め付けられる思いだった。
「ごめんなさい。それと、ありがとう」
 ベッドの上に半身を起こし、嗚咽を漏らす彼女の身体を抱きしめる。掛けるべき言葉も他に見つけられないわたしには、ただただそうすることしか出来なかったから。
 どれくらいそうしていただろうか。泣き疲れて眠ってしまったミリィに押されるように、わたしももう一度ベッドに横になる。
 しかし、またわたしは大切な人を泣かせてしまったのか。何万年分も蓄積された情報の中で何度となく繰り返した覚えがある。
 結局、増えていくのは戦うための力ばかりで、本当に大切なところでは何一つ成長出来てはいないのだろう。
 救済の使徒が聞いて呆れる。この分では、わたしに天使の資格なんて最初から無かったのかもしれないわね。
 つい浮かべてしまった自虐的な笑みを見られないように、胸元に抱き寄せたミリィの耳元を重い溜息が掠めて消える。
 そんなわたしの心情を表すかのように、窓から見える空には灰色の雲がどんよりと立ち込め、今にも雨が降りそうだった。

   * * *

 翌朝、魔力の使いすぎから来る筋肉痛にベッドの上で四苦八苦していたわたしのところに、ミリィが冒険者手帳を片手に駆け込んできた。
「ねぇ、ユリエル。ちょっと、これ見てよ」
 先に起きて朝ご飯の支度をしてくれていたらしく、部屋着の上にエプロンを着けた彼女は、そう言って何事かと目を瞬かせるわたしに開いたままの状態で持っていたそれを差し出す。
 魔法式の通信端末だったかしら。この世界のギルドである冒険者協会が登録冒険者に対して発行・支給していて、身分証の役割も果たしているとか。
 大きさは手帳としては一般的なB5版。見開きの右側がキーボードで、左側一杯を使ったクリスタルパネルに情報が表示されるようになっている。
 ミリィが見せたいのは、そのクリスタルパネルに表示されているもののようだった。
 写真と、縦書きと横書きが入り混じった文字らしきものの羅列。雰囲気からしてどうやらこの世界の新聞のようだけど、あら、この写真、何処かで……。
「ごめん、ユリエルはこっちの文字読めないよね」
 じっと画面を見つめるわたしに、ミリィがバツが悪そうにそう言って頭を掻く。どうも、慌てていたせいか、わたしが異世界人であることを失念していたようだ。
「大丈夫。解析魔法を使えばこれくらい……。うん、いけそうね。この際だから、こっちの文字体系も登録しておきましょうか」
 恋人の見せてくれた新しい一面を可愛く思いながら、網膜の表面に魔法のフィルターを展開して記事の翻訳を開始する。まあ、体系化された文字の法則なんてそう幾つもあるものじゃないので、作業自体は数秒と経たずに終わってしまったのだけど。
「解析魔法の一種ね。大きく言語体系の違う種族は軒並み滅んでしまったから、今じゃ古い文献を読み解くか、遺跡の調査くらいでしか使われていないけれど」
 興味津々といった様子で見てくるミリィにそう答えつつ、わたしは改めて彼女が見せに来た記事へと目を通す。さて、何が書かれているのやら。

  ――伝説の遺産に強盗、警備兵一名死亡!?

 見出しに踊るその一文に、わたしは思わず眉を顰めた。
 記事を読み進めていくうちに、何故ミリィが慌てていたのかが分かった。
 書かれていたのはロトの洞窟を警備していたラダトーム王国軍の兵士一人が何者かの襲撃を受けて殺害された事件のことで、共に警備に当たっていたもう一人が命辛々近隣の警備隊支部に駆け込んだことから事が発覚したとのことだった。
 不可解なのはここからで、報告を受けた警備隊支部では直ちに部隊が派遣されたものの、現場からは一切の痕跡を見つけることが出来なかったというのだ。
 昨日わたしたちが洞窟を訪れた時には入り口に殺害された兵士と思しき死体があったし、中ではあれだけ派手に暴れもしたのだ。にも関わらず、何も残っていなかったということは、誰かが隠蔽したとしか考えられなかった。
「昨日はあたしたちもあの後すぐに引き上げたからほとんど何も回収出来てないんだ。それをたった一晩で根こそぎ持ち出すなんて、よっぽど大きな集団でもなきゃ無理だよ」
「大方、逃げた死霊術師が新しく手勢を召喚して戻って来たんでしょう。あれだけの惨状を放置して治安機構にでも知られれば、目を付けられて動き辛くなるだろうから」
「それだ!」
 わたしの口にしたその可能性に何か閃くものでもあったのか、悔しそうに唇を噛んで俯いていたミリィがバッと顔を上げた。そのままの勢いでわたしの手から手帳を引ったくると、何やら凄い速さでキーボードを叩き出す。
「昼に仕掛けてきた時にもそれっぽい奴がいたんだ。特徴あったから良く覚えてるよ」
「それで、ミリィはどうするつもりなのかしら」
「協会のネットワークを使って手配してもらうんだ。人間なら殺人犯だから捕まえて国に突き出せば報奨金もらえるし、魔物だった場合も危険指定されるだろうから、倒せばそれなりの額が協会から出るようになるはずだよ」
 言いながらキーを叩くミリィの表情には、転んでもただでは起きないという気概が見て取れる。
 なるほど、法制度が発達し、ネットワーク整備の行き届いた時代であれば、直接殴りに行くよりも却ってこういう報復のほうが有効だろう。
 合法だし、運が良ければお金だって手に入る。というか、幾ら頭に血が上っていたとはいえ、最初にこういう手段を考えなかったわたしはかなり拙いのではないだろうか。
 やられたらやり返すという発想自体も野蛮で、知性ある存在としては大いに問題なのだけど、自衛のためともなれば止むを得ないこともある。
 問題なのはその手段で、こちらとしては安全を脅かす脅威を取り除ければ良いのだから、わざわざ相手の土俵に上がって罪を犯すこともない。
 それでこちらの社会的立場まで悪くなろうものなら本末転倒も良いところだ。
 過剰防衛とか、そんな罪状で法廷に立たされている自分たちの姿を想像して蒼くなっていると、どうやら情報を送信し終えたらしい彼女が手帳を閉じてこちらに顔を向けてきた。
「とりあえず、後でもう一度洞窟のほうにも行ってみる? 軍の捜査が始まっちゃってるから中には入れないだろうけど、話を聞くくらいなら出来ると思うし」
「止めておきましょう。余計な詮索をされても困るし、それに、……いえ、何でもないわ」
 軽く頭を振って浮かんだ考えを打ち消すと、途中だった着替えを再開する。ミリィが乱入してきたせいで、半裸といって良い状態で止まっていたのだ。
「わわっ、ユリエルってば、何て格好してるの!?」
「人が着替えてるところに乱入してきておいて、今更何を言ってるのよ。ほら、脱ぐから」
「あ、うん」
 出ていきなさいと言おうとして、じっとこちらを見てくるミリィの視線に思わず言葉を止めてしまう。えっ、こういう時、普通は視線を逸らすか出て行くかするものじゃないの。
 いやまあ、既にお互いの身体で知らないところなんてない間柄ではあるのだけれど、着替えを見られるのは何というか、それとはまた違った恥ずかしさを感じてしまうもので、……。ああもう、しょうがないわね。
 頬に熱が集まるのを感じつつ、結局は最後まで見せてしまうわたしだった。

  * * * 続く * * *

 一つの事件が終わり、日常へと戻った感のある第11章でした。
 作者です。
 日常に戻ったという割には、冒頭から思わせぶりな展開だったり、ユリエルに中の人がいたりといろいろあれですが(汗)。
 とりあえず、これからはユリエルの目的である彼女の帰還方法を探す方向で物語を展開していくつもりです。
 では、今回もお読みいただき、ありがとうございました。次回もよろしくお願いします。



[4317] 第12章 白き翼への布石
Name: 安藤龍一◆8077f055 ID:ed24611f
Date: 2011/01/26 10:42

 ――ラダトーム王国北西の森
   ミリィの家 1F リビング――
  * * * side ノーム * * *

 主の羞恥プレイ、もといミリィさんに見られながらの着替えも無事に何事もなく終わり、それから幾許かの時間が流れました。
 途中、主が何度か例の筋肉痛に顔を顰めて、ミリィさんに怪訝そうにされていましたけれど、そこは上手く取り繕っていらっしゃいました。
 もし、無理をして痛い思いをしているのだと知られてしまったのなら、今度は泣かれるだけでは済まないかもしれないと戦々恐々とされてらしたようですけど、幸いにも筋肉痛は一過性のもの。
 なので、そんな時間もすぐに終わってしまいました。わたしとしては途方に暮れる主の姿という非常に貴重なものを見る機会を逸してしまって、少々残念ではあるのですけれど。
 ――閑話休題……。
 さて、ミリィさんの用意してくださった朝食を皆さんでいただき、掃除や洗濯等の家事を手分けして済ませてしまうと、後は昼食の支度を始めるまでの空いた時間を各々自由に過ごすこととなります。
 とはいえ、一昨日、昨日と戦闘続きだったこともあり、お昼まではのんびりしようというのが全員の一致した考えのようでした。特に主は倒れられたのですから、お昼までと言わず、一日安静にしていてもらわなければなりません。
 主から褒賞をいただけるとのお言葉もあり、わたしも昨日は聊か頑張りすぎてしまいましたし、紅茶でもいただきながらのんびりとさせていただくとしましょうか。
 ミニチュアサイズのティーセットの中からポットを取り上げ、自分用のティーカップに中身を注ぐ。さて、他の方々はどうしているのでしょうね。
 琥珀色の液体から湯気と共に立ち昇る芳醇な香りを楽しみながら、それとなく室内の様子を見渡してみます。
 主はミリィさんから本を借りて読んでいらっしゃいます。何でもこれからのことを考えて、今のうちにこの世界の一般常識に関する知識を収集しておきたいのだとか。
 ちなみに、今主がお読みになられているのは、冒険者入門というタイトルのそれなりに分厚い参考書のようなものです。主が歴史と地理、大まかな法律を知るのに良いものはないかとお尋ねになられたところ、ミリィさんからこれを薦められたのでした。
 冒険者の資格が協会による身分保障にもなっている以上、有資格者は一定の教養を身に付けていなければなりません。その資格を取るための参考書であるからして、必要な一般教養についてもある程度簡単に纏めてあるのでしょう。
 わたしも少し見せていただきましたが、なるほど初心者向けだけのことはあり、分かりやすくよく纏められていました。
 しかし、既に冒険者資格をお持ちのはずのミリィさんの手元に何故このような参考書があるのでしょうか。
「この世界で旅をするのなら、冒険者資格は必須だからね。ユリエルにも近いうちに試験を受けてもらおうと考えてたんだ」
 様々な施設を利用する上で冒険者は優遇されますし、伝説に関連する場所ともなれば身分が不確かなものでは立ち入らせてもらえないところも少なくないとミリィさんは仰います。
 ちなみに受験資格は協会が認定した教育機関での一定以上の単位取得か、または一定以上のランクに達した有資格冒険者に推薦されることで得られるそうです。
 今回はミリィさんが推薦権利をお持ちであるとのことで、彼女からの推薦で受験する運びとなりました。
「そういうことだから、頑張ってね」
 そう言って朗らかに笑うと、ミリィさんは必要なテキスト一式をテーブルの上に置いてリビングを出て行かれました。
 彼女は彼女で、昨日までに消耗した装備の点検やら戦利品の分別やらで忙しいようでした。
 ディーネさんやリータさんも主を手伝うと言ってそれぞれ別のテキストをめくっていますし、本当にゆっくりしているのはわたしとシルフさん、アルさんくらいのものです。
 まあ、戦闘をすることに比べれば全然楽ではあるのでしょうけど、あまり根を詰めすぎるのも良くはありません。なので、適度に休憩を挟めるようフォローしてあげませんと。
 何と言っても、わたしは皆のお姉さんなのですから。

  * * * side out * * *

  堕天使ユリエルの異世界奮闘記
  第12章 白き翼への布石

 森を南に抜けたところにガイリアという名前の港町がある。
 王都ラダトームからも近く、古くより諸外国との貿易の窓口として栄えるこの町には常に多くの人や物が集まるようになっていた。
 町の中心を貫くメインストリートには様々な店舗が軒を連ね、そこかしこから客を呼び込む威勢の良い声が聞こえてくる。その声の訛りも多種多様で、本当にいろいろなところから人が集まっているのだと実感することが出来た。
 今、わたしはそんな賑やかなガイリアの町の通りの一つをミリィとリータちゃん、アルちゃんの四人で歩いている。目的はこれまでの戦闘で溜まった戦利品の売却と買出しだ。
 魔法による障壁があるからと防具らしい防具を身に着けていなかったわたしだけど、その考えは実際にこちらで戦ってみて改めさせられた。
 カースナイト戦では相手を侮って痛い目を見たし、地獄の鎧や騎士とも刺しで戦うことになっていたら正直、どうなっていたか分からない。
 わたしは最強かもしれないけれど、絶対無敵ではないのだから。これまでは、あくまで一方的な力押しが出来たからこその圧勝だった。
 だから、ミリィから買出しに行こうと誘われたのを機会に、そこそこの装備を整えられればと考えていた。
 それとは別に、服などの必要なものも買わないと。リフレシュアミストによる洗浄は完璧だけど、さすがにいつまでも一張羅というのはよろしくない。わたしだって女の子、おしゃれの一つもしたいのだ。
 というわけで、買出しである。
 ちなみに、今のリータちゃんは等身大の姿で身長は168センチとわたしより5センチ高い。すらりとした長身を下はブルージーンズ、上はクリームイエローのタートルネックセーターに包み、凛とした美貌で道行く人の視線を集めている。
 燃えるような赤毛に紅蓮の瞳を持つ彼女がパーソナルカラーとは対照的な青や緑といった明るい色を好むのは、その理由も含めて身内には周知の事実だった。
 そのリータちゃんに手を引かれて歩く小さな女の子。薄紫の長髪の先のほうをリボンで纏めて顔の両側に一本ずつ垂らし、大きな帽子を目深に被っているのは、変化の杖という魔道具で人間の姿に化けたアルちゃんだ。
 隣国ドラファルナが魔物も含めた多種族混合国家であり、民間レベルでの交流もそれなりにあることから近年では魔物であるというだけで危険視されることも少なくなってきているという。
 しかし、国家に属さない所謂野良魔物による被害の大きな土地ではその限りではなく、知らずに訪れた隣国の民が虐殺されて国際問題になったこともあるそうだ。
 ラダトームには過去に何度も魔軍の侵攻を受けたという歴史的背景もあり、魔物といえば敵と考える国民は決して少なくないのだろう。
 そういった人々との間に無用なトラブルを起こさないための彼女の変身だったのだけど、これはもしかしたら失敗だったかもしれないわ。
 背の高いリータちゃんに手を引かれながら、小さな歩幅で一生懸命ついて行こうとしているその姿の何と愛らしいことか。ミリィなんて、わたしと手を繋いでいるっていうのに、さっきからちらちらとアルちゃんのほうばかり見ている始末。
 まあ、わたしも可愛い女の子は好きだから気持ちは分からないでもないけれど、だからって、恋人が隣にいるのに他の娘に目移りするのはどうだろうか。
 気が付けば、二人の距離がより近くなるように手を繋ぎ直していた。指と指を絡めて、俗に言う恋人繋ぎというやつだ。
 ただベッドの上で肌を重ねるだけの関係じゃないのだから、こうしてそれっぽいことをしたって構わないはず。わたしからというのはその、恥ずかしくはあるのだけど。
 ミリィはすぐに気づいてこちらを見てきたけれど、わたしはもちろん知らない振りをして彼女と目を合わせようとはしなかった。
「ユリエル、どうしたの?」
「ああ、マスターってあれで子供っぽいところもあるから」
 首を傾げて不思議そうにするアルちゃんに、リータちゃんが苦笑しながらそう答える。やっぱり子供っぽいだろうか。
 いや、独占欲が強いって自覚はあるから反論したくても出来ないのだけど。
 周囲から向けられる視線がそこはかとなく生暖かいような気がして、わたしはそれらから逃げるように歩調を速めた。

「ねぇ、これなんてどうかな」
 そう言ってミリィが広げて見せたのは、やたらと布面積が小さな下着。両端を紐で結んで止めるタイプのもので、色は薄い紫。
「悪くないわね。でも、その紐じゃ、戦闘になったらミリィの動きに耐えられないんじゃないかしら」
 戦闘後に着替える段になって下着が落ちてしまったら笑い話では済まない。わたしもミリィにその類の恥をかかせるのは忍びないし、ここは一つ実用に耐えるものを選ぶべきだ。
「うん。だから、これは夜の運動の時用。戦闘も含めて普段はこっちかな」
 言いながらミリィはその薄紫のショーツを買い物カゴに入れると、別のを手に取る。
「どれどれ。……乙女の純潔守ります。ブルーガード(守備力+8)……って、何よこれ」
 ミリィが手にしたショーツのパッケージを見て、わたしは思わずそこに書かれていたキャッチコピーを声に出して読み上げてしまった。
「これ、履き心地良い割には長持ちするんだよね。三枚で1000G、お一人様一セット限りだってさ」
「いや、そういうことを聞いてるんじゃなくて」
 思わぬセール品に得をしたと喜ぶミリィ。わたしとしてはただの下着に身を守る程の耐久力があることに驚いたのだけど。
 どうやらこちらの世界では当たり前のことらしく、誰も気にしていないようなので、あえて突っ込まないことにしておいた。
 さて、ここまでの会話から分かるように、わたしたちは今はランジェリーショップで新しい下着を物色しているところだ。
 日用品なら大体ここで揃えられるからということで、ミリィの案内で入ったデパートの一角にその店はあった。
 品揃えもそれなりに良く、まずは満足のいく買い物が出来そうだった。
「ねぇ、マスター。こんなのはどうかしら」
「うわっ、真っ赤だ」
「マスターはお肌白いから、こういう鮮やかなのが栄えると思うのよね。同じ色のブラとセットで1980Gって値段も手ごろだしね」
 手にした真っ赤な下着とわたしの顔とを見比べながらそう言うリータちゃんに、ミリィが頷いて同意を示す。顔が赤くなっているけど、何を想像したのかしら。
「わたしのは良いから、リータちゃんも自分のを選びなさい。こういうところ来るのは久しぶりでしょ」
「わたしは見るだけで良いわよ。デザインさえ覚えておけば、実体化する時にイメージで再現出来るんだから」
「そういえば、そうだったわね」
「ってわけだから、これはマスターのね。大丈夫、きっと良く似合うから」
「さり気なく自分の好みを押し付けないの。わたしにはこんな派手なの似合わないわよ」
 言いながら試着室のほうへとわたしの背を押していくリータちゃんは実に楽しそうだ。しかも、他にも幾つか持っているあたり、これだけで終わるはずがなかった。
 彼女、実はこうやって事ある毎にわたしを着せ替え人形にして楽しむのだ。
 服のセンスは悪くないから最終的には良い物を選んでくれるのだけど、それまでがとにかく長い。おかげで買い物が終わる頃にはいつもくたくたになってしまうのだった。
 とはいえ、今回のリータちゃんの同行はロトの洞窟での戦闘のご褒美なので、断るわけにもいかなかった。当然、その時点でこうなることも分かっていたわけで……。
 まあ、ミリィやアルちゃんもいることだし、リータちゃんもわたしばかりに構ってもいられないだろうから、大丈夫だとは思うのだけど。

 ――それから数時間……。
 服や小物も含めて結構な量を買い込んだわたしたちは、それらの荷物を置くために、ミリィの瞬間移動呪文ルーラで一度家に戻ってきていた。
 わたしの転送魔法を使えればわざわざ戻る必要もなかったのだけど、座標を指定するためのデータがほとんどない現状では無理だった。
 協会の転送サービスを経由して送ってもらうことも出来たようだけど、ミリィがそれなら自分で戻ったほうが早いと言うので今回は利用しなかった。
 寝室に買って来たものを置き、再びガイリアの町へと転移する。向かうのは、ミリィも懇意にしている冒険者協会提携の武器・防具の専門店だ。
 丁度、こちらの買い物が済んだタイミングで先に預けておいた売却予定の物品の検品作業が終わったとミリィの冒険者手帳に連絡が入ったのだ。
 今回の目的の一つである戦利品の売却だけど、その数の多さから実際の取引にはかなりの時間が掛かることが予想された。
 何せ、剣だけでも四十本近くあるのだ。仮に検品のための魔法があったとしてもすぐに終わるとは思えない。
 自ら検品をしているという店主の話でも数時間は掛かると言われ、わたしたちは話し合った末に先に他の買い物を済ませることにしたのだった。
「 鋼鉄(はがね)の剣(つるぎ)が三十八本に、鋼鉄(はがね)の鎧兜が五セット。鉄の盾が八つにダースリカントの毛皮一頭分で占めて79260Gになりますが、よろしいですか?」
 まだ若い武器屋の店主が提示した買取金額に、ミリィは少し考えるような素振りを見せてから頷くと、承諾書にサインをして取引を完了させた。
 買い取り価格のリストを見せてもらうと、鋼鉄の剣が一本1500G、鋼鉄の鎧と兜が一セットで3200G。鉄の盾は一つ680Gで、巨大熊の毛皮は800Gだった。
 これらは相場にもよるけれど、大体販売価格の3/4程度の値だという。つまり、鋼鉄の剣なら販売価格は2000Gということになる。
 そう、さっきミリィがデパートの下着売り場で買ったブルーガード二セット分、つまりは特価品の女性用下着六着分と同じ値だ。
 魔物という脅威が身近にある以上はそれに対抗するための武具の値段が下落するということは考え難いので、あの下着の値段のほうが異常なのだろう。
 いや、守備力の数値表記があったからあれも防具の一種なのか。
 一着あたりの通常平均単価が450Gであることを考えると、下手をすれば鉄の盾より優秀ということになってしまうのだけど、果たしてそれで良いのだろうか。
「お待たせ」
 わたしが陳列棚を見ながらこの世界の物価に関して思考を巡らせていると、取引を終えたミリィが戻ってきた。大金を手にホクホク顔の彼女は実に機嫌が良さそうだ。
「どう、何か良さそうなものは見つかった?」
「そうね。これなんてどうかしら」
 問われたわたしは、陳列棚から銀の胸当てを手に取った。銀と言ってもミスリル銀で、その守備力は軽量ながら鋼鉄の鎧を上回る。
「これなら服の上から装備出来るし、魔法との親和性も高そうでしょ」
「うん。どれどれ、お値段は……5800Gか」
「高いのかしら。こっちの魔道士の服は2980Gだけど、守備力は大分落ちるわね」
「ああ、これは着ている人の魔力を消費して守備力を高める仕様だから、布地自体は普通の服と同じなんだよ」
「それでも基本守備力は18もあるのね」
 厚手の布で作られたこの魔道士の服は、数値の上では例え鋼鉄の剣であっても易々とは切り裂けないことになる。それでいて、装着者の動きを阻害しない柔軟さも兼ね備えているのだから、大したものだ。
 それにしても、やはり相場が分からないと判断に困る。ミリィは余裕があるから気にしなくて良いって言ってくれたけれど、だからと言って無駄遣いをするわけにもいかないだろう。
 わたしの受験にだって幾らか掛かるだろうし、それでなくても冒険者という職業は収入が安定しないのだから、貯蓄は多いに越したことはないはずだった。
「この服、実際にはどれくらいまで守備力を上昇させられるの。それに、強化する度合いやタイミングは任意で選べるのかしら」
「そうだね。着ている人の身を守ろうとする意思に反応して瞬間的にスカラの呪文が発動するみたいだから、効果の発動タイミングは任意で消費魔力と上昇幅は一定ってところじゃないかな」
「なるほど。それならわたしの防御障壁と変わらないから、普通に守備力の高い装備を身に付けたほうが良さそうだわ」
 ミリィの説明に頷き、わたしは魔道士の服をハンガーに戻して代わりに銀の胸当てを手に取った。
「となると、後はインナーだね。さすがにさっき買った服だけじゃ心許ないし、何か良いものがあれば良いんだけど」
 そう言って店内を見渡したミリィの目がある一点で止まる。つられてわたしもそちらに目をやれば、そこには一着のレオタードがあった。
 差し詰め、天使のレオタードといったところか。綺麗な純白の生地。背中には天使を思わせる一対の大きな白い翼が付いている。
 胸元の切れ込みが深いのが気にはなるけれど、インナーとして着込むのなら問題はないだろう。
「ね、ねぇ、ユリエル。あれ、買わない。お金はあたしが出すからさ」
 我に返ったミリィが勢いよく詰め寄りながらそう言ってくる。目の色を変えてという表現があるけれど、今の彼女は正にそんな状態だ。
「ちょ、ちょっと待ちなさい。……っ!?」
 尋常ではない様子のミリィを押し留め、件のレオタードへと近づいたわたしは、値札と一緒に付けられたその商品説明を見て思わず息を呑んだ。
 思った通りの天使のレオタードという名前らしいその衣装には数値の上では鋼鉄の鎧(守備力+30)の三倍以上の耐久力があるというのだ。
 しかも、炎や冷気に魔法、受ければ死に至るような呪文への耐性も非常に高い、正しく天使の加護を受けたようなレオタードだった。
 間違いなく一品物。それも、伝説級の品に違いない。これのことを知っていたのだとすれば、ミリィのあの反応も頷けるというもの。
 品物が品物だけに、値段のほうも三倍どころでは済まなかったけれど。
 ま、まあ、高い守備力に加えて、これ一着で複数の耐性を強化出来ることを考えれば、決して高すぎる出費でもないだろう。
値札に記された金額に覚えた目眩を堪えながらサイズを確かめると、わたしは天使のレオタードが掛けられたハンガーを手にミリィと二人でレジへと向かった。
「お買い上げいただき、ありがとうございます。天使のレオタード一点で29800Gになります」
 伝説級のレオタードは、その値段も伝説級だった。

  * * * 続く * * *

 女の子の買い物シーンは、男が描写するには難易度が高すぎると思います。
 作者です。
 ・DQ世界の謎、物価について。
 二次創作を書かれている方はもちろん、原作をプレイしたことがある方なら一度は考えたことがおありではないでしょうか。
 例えば序盤の宿屋には一人あたり2~4Gで泊まることが出来ます。その一方で、回復アイテムの薬草は1個8G、DQIIIの勇者の初期装備である銅の剣は200Gくらいしたと思います。
 HP・MPが満タンになることから食事や風呂付きで一人一泊2G。
 銅の剣一本の値段と百日分の宿の宿泊代が同じとは、幾ら魔物のせいで武具の価格が高騰していたとしてもあり得ないでしょう。
 ちなみに、作中でのリータちゃんの1980Gがお手ごろ価格だという発言は、1G=1円のつもりで言ったものです。
 鋼鉄の剣が一本2000Gすることからも分かるように、決して安い値段ではありません。
 ・天使のレオタードについて。
 デザインはDQVに登場したものを、性能に関してはDQVIの物とリメイク版DQIVの物を合わせたような感じで、更にオリジナル要素を加えてあります。
 値段はVの物が21000Gだったので、性能アップに合わせて値上げしてみました。参考はDQIIIに登場する勇者の最強装備王者の剣(35000G)。



[4317] 第13章 ルイーダの店
Name: 安藤龍一◆8077f055 ID:ed24611f
Date: 2011/02/04 20:23

 ――ラダトーム王国西部 港町ガイリア
   冒険者協会ラダトーム支部・ルイーダの店ガイリア支店1F 食堂兼酒場――
  * * * side アル * * *

 等間隔に配置された木製の丸テーブルの間を、同じ格好をした少女たちがトレイを手に忙しく動き回っている。
 出来上がった料理を厨房から客の下に運ぶものがいれば、メニュー表を置いて他のテーブルに注文を取りにいくもの、客の去った後のテーブルを片付けるものと様々だが、その動きは何れも流麗で淀みがない。
 中には不慣れなのか、他の少女やテーブルにぶつかりそうになって周囲に頭を下げているものもいないではなかったけれど、それもご愛嬌ということなのか、客から文句が出ることもなかった。
 ここは冒険者協会が経営する冒険者のための施設の一つ、名をルイーダの店という。
 ここでは協会が登録している冒険者にクエストと呼ばれる仕事を斡旋したり、逆にクエストを登録して冒険者に仕事をしてもらったりすることが出来るそうだ。
 また、冒険者が情報や仲間を自然な形で集められるよう、一階は食堂兼酒場となっている。
 そんなルイーダの店の一角、わたしとリータ、ミリィにユリエルの四人は少し早めの夕食を摂っていた。
 協会支部も兼ねているこの店では受験願書の受付もしているらしく、ユリエルの手続きを済ませるついでにここで食べていこうということになったのだ。
 酒場を兼ねているとはいえ、そこは多くの冒険者が集う場所。協会経営の店ということもあり、わざわざ率先して騒ぎを起こすバカもいないのだろう。
 おかげでそれなりの喧騒の中にあっても、落ち着いて食事を摂ることが出来ている。久しぶりに訪れた人間の町に、少々疲れを感じていたわたしにとってはありがたいことだ。
 港町ならではの新鮮な海の幸に、近くの森で採れた山菜や果物。森で猟をしたものもこちらに肉を下ろすらしく、食材の多くが良好な鮮度を保ったまま安価で手に入るそうだ。
 それらをふんだんに使った料理の数々はどれも美味でありながら値段も安く、収入の安定しない冒険者の懐に優しい店と言えた。
 だからだろう。まだ少し早い時間であるにも関わらず、たくさんあるテーブルのほぼすべてが満席になっている。そのほとんどが軽装だが武具を携えた冒険者だ。
 彼らの会話に耳を傾けていると、達成したクエストの内容や出向いた土地の情勢等について聞くことが出来た。これもわたしが本日彼女たちに同行した目的。
 ユリエルを始めとする彼女たちの人と成りを知るには今しばらくの時間が必要ではあるが、その間に情勢が悪化するようなことがあればそうも言っていられなくなる。
 シビアな判断を要求される以上、そのために必要な情報は少しでも多く得ておきたかったのだ。
 幸いと言えるのかどうかも定かではないけれど、話を聞く限りでは魔物にも人にも今のところ大きな動きはないという。
 強いて挙げるとすれば、冬支度をする魔物の動きが活発になってきているくらいだが、これも例年のことではあった。
 あれだけの大攻勢の後だ。奴らもすぐには動けないのだろう。
 安心など出来ないが、今出来ることもそう多くはない。後はここの掲示板に仲間へのサインを残しておくくらいだろうか。

  * * * side out * * *

  堕天使ユリエルの異世界奮闘記
  第13章 ルイーダの店

 注文した料理が届くまでの間を利用して、提出する願書に必要な書類の記入を済ませてしまうことにする。
 ここで役に立つのが自動書記の魔法だ。
 データベースにある文字体系の中から必要なものを選択し、書きたい内容を思い浮かべる。すると、魔法を掛けたペンがこちらの指定した場所に選択した文字体系でその通りの記述をしてくれる。
 自動翻訳とワープロを兼ね備えたような魔法だと言えば分かりやすいだろうか。
 実際にはまだ公用語の整備が十分ではなかった時代に用いられていた翻訳魔法に、巫女が神託を受ける際に用いる自動書記を組み合わせて利便性を高めたものだ。
 統合編集が完了した術式はさほど難しいものではなく、書類作成の手間を大きく省けるということで、事務系の職場を中心に爆発的に広まることとなった。
 そうなることを予想して早々に特許を取得していたわたしが纏まった額のお金を手にしたのは言うまでも無いことである。
 ――閑話休題……。
 最後の項目に記入し終えたのを確かめると、わたしは偽装のついでに文字の書き順を覚えるつもりで握っていたペンから手を離す。
 こちらの世界に同系の魔法かマジックアイテムがなかった場合、勝手に動いて字を書くペンというのは普通に超常現象だ。
 冒険者協会という組織の経営する店で騒ぎを起こすわけにもいかないし、そこまで行かなくても多くの視線を集めてしまうのは避けられないだろう。
 わたしやアルちゃんのことを考えるとそういうのは拙いし、下手を打ってミリィの協会内での立場が悪くなりでもすれば目も当てられない。そういうわけで、偽装である。
 ――尤も、近くで見ていて気づいたらしいミリィが別段何も言ってこないのを見ると、杞憂だったのかもしれないけれど……。
 書き終えた書類を提出用の封筒に納め、丁度運ばれてきた料理に手を付けながら、ミリィたちとの会話に花を咲かせる。
 店内には流行歌なのだろう音楽が流れ、人々の話し声や食器の触れ合う音と共に独特の喧騒を作り出している。
 前世も含めれば数十年ぶりになるだろうか。料理に合わせて頼んだ果実酒の注がれたグラスを傾けながらふと思う。
 付き合いもあって、いつの間にか嗜むようになっていたお酒も、今生ではまだノンアルコールのシャンパンくらいしか口にしたことがなかった。
 年齢的な問題もあったけれど、何より当時は目まぐるしく変化する状況に対応するのに精一杯で、とてもそんな余裕などなかったのだ。
「ユリエル、どうかしたの?」
 気づけば食事の手を止めてしまっていたわたしに、ミリィが心配そうにそう尋ねる。
「何でもないわ。ただ、久しぶりに出歩いたものだから、少し疲れただけ」
 軽く頭を振って意識を切り替えると、わたしはそう言って手元のグラスに口を付ける。
 あからさまだけど、全くの嘘というわけでもなかった。特にデパートでの着せ替えで。
 リータちゃんはさすがにわたしの心情を察したらしく、複雑そうな表情をしていたけれど……。
「そっか。ごめん、あたしも誰かと出掛けるなんてしばらくなかったから」
「はしゃぎすぎちゃった?」
「うん。これからの生活とか、考えながらいろいろ見てたら楽しくて」
 えへへ、と照れたように笑うミリィに、わたしも思わず口元を緩めた。
「わたしもよ。服屋で着せ替え人形にされたのは、さすがに恥ずかしかったけれど」
 そう言って横目で首謀者を見ると、リータちゃんは目を逸らしながら渇いた笑みを浮かべていた。反省はしていても、後悔はしていないのだろう。
 そして、機会があれば、彼女は必ずまた仕掛けてくる。最早一種の発作のようなその趣味に、わたしは何度羞恥心が振り切れそうになったことか。
 嘆息してグラスの中身をまた一口。
 家族の楽しみを奪うつもりはないけれど、一度くらいは立場を逆転させてやりたいとは思う。リータちゃんだって、そこらのモデルよりはずっと美人で可愛いのだから。
 わたしから向けられる視線に不穏なものを感じてか、自分の身体を抱きしめるようにしてこちらを見てくるリータちゃん。
「ま、まあ、結果的に良いものが買えたんだし」
「じゃあ、次はわたしがミリィの服を選んであげるわ。今日のお礼も兼ねて、じっくりとね」
「あ、あう……」
 自分も一緒になって楽しんでいたミリィがとっさにリータちゃんを庇おうとするけれど、それこそわたしの思う壺だった。
 即座に標的を本命に切り替え、勢いでそのまま約束を取り付けてしまう。
 そんなことをしなくてもミリィは普通に付き合ってくれるだろうけど、せっかくお酒が入っているのだし、こういうおふざけも偶には良いだろう。
 そう思えるくらいには、今のわたしは落ち着いていられている。戦争をして、ただ駆け抜けるしかなかった頃には望むべくもなかったことだ。
 着けるべき決着もまだの身では束の間の休息かもしれないけれど、それでもこうして誰かと笑い合っていられることが嬉しかった。
「はぁ、今度はあたしがユリエルに弄ばれる番か。でも、それってよく考えたらいつものことだよね」
「あなたが可愛い声で啼いてくれるからよ。おかげで新しい世界が開けそうだわ」
「それはこっちのセリフ。あたし、自分はタチだとばかり思ってたのに」
 意地悪っぽく目を細めて笑うわたしに、ミリィは半ば諦めたように大きく溜息を漏らす。活動的な印象を受ける彼女もベッドの上では可愛いネコになるのだ。
 そのことを知っているのはわたしだけ……でもないけれど、そんな彼女を可愛がれるのは少なくとも今はわたしだけのはず。これぞ恋人であることの特権だ。
 彼女も口では嘆いているようなことを言っているけれど、内心はまんざらでもないのだろう。その証拠に、潤んだ瞳の奥には期待しているような色が見える。
「ほら、落ち込んでいないで飲みましょう。お酒も料理もこんなに美味しいんだから、味わわないと損よ」
 向けられる視線に込められた熱にあえて気づかないふりをして、わたしは空になったミリィのグラスに果実酒を注ぐ。ちなみに、既に三杯目だ。
 カクテル等を飲んだことがある人なら分かるだろうけど、この手のお酒は甘くてとても飲みやすい。反面、アルコール度数は結構高めだったり。
 要するに、気をつけていないと飲みすぎてしまうのだ。久しぶりのお酒に気分をよくしたわたしは、そのことをすっかり失念してしまっていた。
「はぁ……」
 じんわりと身体に広がるアルコールに、自然と漏れ出た吐息も熱っぽいものになる。果実酒特有のすっきりとした喉越しも手伝って、わたしたちはすぐに一本空けてしまったのだった。
「ちょっと、二人とも飲みすぎよ。特にマスターはその身体で飲むのは初めてなんだから、少しは控えないと」
「大丈夫よ。いざとなればリフレシュアミストで全部浄化しちゃえば良いんだし、久しぶりなんだから大目に見なさい」
 顔を顰めながら注意してくるリータちゃんをそう言って宥め、わたしが新しいお酒を注文しようとしたその時だった。
「止めてください!」
 突然上がった悲鳴に、それまでとは違うざわめきが店内に広がる。何事かと声のしたほうを見てみれば、わたしたちと同年代と思しき少女が数人の男たちに絡まれていた。
 こういう場所では珍しくもないナンパだ。それだけに、誰も助けに入ろうとはしないし、そんな必要もないと考えているのだろう。何せ、ここは協会の支部でもあるのだ。
 だが、ナンパされている当の少女はそんなことも知らないのか、必死になって視線で周囲に助けを求めている。
 きっと、酒場という場所に来ること自体、今日が初めてなのだろう。如何にも育ちの良さそうな、お嬢様然とした少女だった。
 自分の身体を庇うように抱きしめながら、嫌悪と恐怖に表情を歪める少女。その姿に強い既視感を覚えたわたしは、気づけば席を立っていた。
「ちょっと行ってくるわ」
 急に立ち上がったことで、ミリィが少し驚いたような表情を見せたけれど、わたしがそう言って視線で現場を示すと、彼女は頷いて送り出してくれた。
「遅かったじゃない。ほら、皆待ってるんだから、早く席に着きなさい」
 ツカツカと少女に歩み寄ってそう言うと、わたしは彼女の手を取って自分たちのテーブルへと戻る。あくまで自然に、流れるように。ナンパ男どもなど最初からいないかのように振舞ってやる。
「お、おいおい、嬢ちゃん。俺ら、その娘とまだ話してる途中なんだが」
 あまりに自然に無視されたためか、呆気に取られた様子で固まっていた男たちの内の一人が我に返って慌てて呼び止めようとしてくる。
「話ね。とてもそんなふうには見えなかったけれど」
「うっ、こ、これから盛り上がるところだったんだ」
「そ、そうだぜ。なのに、嬢ちゃんが水を差すもんだから興醒めだ。どうしてくれんだよ」
 立ち止まって冷たい視線を向けてやれば、何やら喧しく絡んでくる。ナンパ師としては三流、嫌がる女の子に無理やりって時点で男としても論外だ。
「おい、おまえら。その辺にしとけ」
 これ以上、絡んでくるなら実力行使も止むなしか。酔いも手伝って、早々に思考が物騒な方向に傾きかけた時だった。横手から男たちに制止の声が掛けられた。
「嬢ちゃんたち。うちの舎弟どもが迷惑を掛けたみてぇだな。どれ、詫びと言っちゃ何だが、ここの支払いは俺が持つんで、一つ水に流しちゃくれねぇか」
 がっちりとした身体を鎧に納め、大剣を背負ったその男は、堀の深い顔に人好きのする笑みを浮かべてそんなことを言ってきた。
「お、ロ意の兄貴。上手いっすね。そうすりゃ、この二人にその連れって言う娘たちともよろしくやれるってもんだ」
「おまえは少し黙ってろ。で、どうだ」
 だらしない笑みを浮かべるナンパ男の一人を黙らせ、ロ意と呼ばれた男が改めてそう聞いてくる。わたしはそれにあえて少し考えるような素振りを見せると首を横に振った。
「せっかくだけど、お断りさせてもらうわ。ただ、今後わたしたちを見かけても関わらないでくれさえすれば」
「そうかい。おい、おまえら、行くぞ」
 わたしの返事にロイは軽く肩を竦めると、何か言いたそうにしているナンパ男どもを引き連れて去っていった。

  * * * side ロイ * * *

「兄貴、どうしてすんなり引き下がっちまったんですか」
「そうですよ。あんな上玉、滅多にいやしませんぜ」
 席に着くなり早速文句を言ってきやがった舎弟どもを視線で黙らせると、俺はウェイトレスのねーちゃんが持ってきた水を一気に飲み干した。
 正直、やばかった。こいつらの手前、何とか意地で耐えたが、仮に俺一人だったら目を合わせた瞬間に終わっていたことだろう。
 逃げようとすれば殺され、逃げなくても殺され、刃向かえば殺される。それは、そんな絶対的な死の具現のように俺には見えた。
 くそ、ドラゴン相手にも平然と勝ちに行けるこの俺が、対峙しているだけでがりがりと精神を削られるってのはどんなバケモンだ。
 九死に一生を得たとも知らず、暢気に愚痴を漏らしてやがる舎弟どもに聞こえないよう、小さく舌打ちする。こいつらみてぇに分からずにいられたら、どれだけ気が楽だったか。
「あー、もううっせえよ。奢ってやるから、おまえら少し静かにしやがれ!」
「マジっすか!?」
「よーし、今夜は飲むぞ」
 バカどもが。吐き捨てたい気持ちを何とか抑え、痛む胃に顔を顰めながら、俺は普段は飲まないような強い酒を注文した。
 こうなったら、もうさっさと酔い潰れちまうとしよう。明日の二日酔いが辛くなりそうだが、この恐怖を忘れちまえるんなら安いもんだ。
 ――幸いというか、向こうから係わり合いになりたがられてるわけでもねぇしな……。

  * * * side out * * *

  * * * 続く * * *

 酒場のシーンで丸々一話使ってしまった第13章でした(汗)。
 作者です。
 最後のは、軽い威圧のつもりが、存在の格差に気づけるものにとっては軽く死ねる程度の殺気を向けられたように感じてしまうというお話。
 しかし、今回は難産でした。作者自身は酒場とか行ったことないもので、他の創作物で描写されているのを参考にしたのですが。
 やはり、経験に勝るものはないということですね。では、次回もよろしくお願いします。



[4317] 第14章 呼び方
Name: 安藤龍一◆8077f055 ID:ed24611f
Date: 2011/02/14 11:28

 ――ラダトーム王国西部 港町ガイリア
   冒険者協会ラダトーム支部・ルイーダの店ガイリア支店1F 食堂兼酒場――
  * * * side ミリィ * * *

「あの、ありがとうございました。わたし、男の人って苦手で、特にああいう人たちだとどうして良いか分からなくて」
 ユリエルに連れてこられた女の子は席に着いているあたしたちを見ると、そう言ってぺこりと頭を下げた。育ちの良さを伺わせる、礼儀正しい良い娘だ。
 きっと、酒場なんて場所に来るのも初めてで、心細かったんだろうね。笑うと可愛いだろうその顔も今は恐怖と緊張に強張っちゃってる。
 ロイの奴、女の子にこんな顔させるなんて、今度会ったらとっちめてやるんだから。
「とりあえず、その杖でぶん殴るか、攻撃呪文の一つでもお見舞いしてやれば良いと思うよ」
「えっ、でも、これ理力の杖ですよ。それに、わたしの魔力で放つと下級呪文でも大惨事になりかねませんし……」
「あはは、そりゃ良いや」
 きょとんとした顔で自分の持っていた杖を示す女の子に、あたしはテーブルを叩いて笑い声を上げる。使用者の魔力を打撃力に変換する理力の杖はそこらの重量武器よりもよっぽど強力だ。
 そんなもので殴れば確かに冗談じゃ済まないだろうし、それを武器として選択している彼女も並の術者じゃないはずだ。それこそ下級呪文で大惨事という本人の言葉にも嘘はないんだろう。
 だからこそ、引き起こされるだろうあいつらの惨状を思うと笑えてしまうんだ。
「まあ、さすがに実力行使は最後の手段だろうけどね。基本、荒事は起こした側が罰せられるから、本当に身の危険を感じた時以外はこっちから手を出しちゃダメだよ」
 笑いを納めて少し真剣な顔でそう言ったあたしに、女の子は神妙な表情で頷いた。さすがに協会の支部で荒事は拙いでしょ。
 見た感じじゃ大人しそうな娘だし、追い詰められてパニックにでもならない限り、そんな凶行に及ぶこともないだろうけど。
 さて、彼女も良い感じに落ち着いてきたみたいだし、ユリエルがここからどうするのかお手並み拝見といこうか。
「本当に助かりました。このお礼はいつか必ず」
 そう言って、女の子は足早に立ち去ろうとするけれど、ユリエルはそれに気づかない振りをして言葉を返す。その手はまだしっかりと彼女の腕を握っていた。
「気にしなくて良いのよ。だって、わたしたちもあなたを狙ってたんだもの」
「えっ?」
 妖艶な笑みを浮かべて投下されたユリエルの爆弾に、女の子の表情がぴしりと音を立てて固まった。
「ちょっと、マスター。冗談にしてはタチが悪いわよ」
「あら、わたしは割りと本気よ。だって、こんなに可愛いんだもの。見逃すなんてもったいないじゃない」
「いやいや、恋人を前に堂々と浮気とかダメすぎるから。ほら、ミリィ、あんたも何とか言いなさいよ!」
 さも当然だとばかりに肩を竦めるユリエルに、リータが焦ったようにそう言ってあたしを見た。まあ、確かに浮気はダメだよ。浮気は。
「ユリエルの言う通りだよ。それに、同じ女として、傷心の女の子を優しくベッドの上で慰めてあげるのは何もおかしくないんだから」
「その手段が問題だって言ってるのよ。ほら、あんたも早く行きなさい。でないと、この二人にあんなことやこんなことされちゃうわよ」
「は、はぁ、あんなことやこんなことですか?」
 立ち去ろうとしていたのを見て早く行くように促すリータだけど、それに対する女の子の反応は鈍かった。いきなり逃げろって言われても、どうすれば良いか分からないんだろう。
「そうね。例えば、こんなこととか」
 よく分かっていないのか、きょとんとした様子で首を傾げる彼女の腰に手を回しながら、その耳元に囁くユリエル。擽るような吐息に、女の子の顔がかぁっと赤くなった。
「あ、あのあの、えっと、わ、わたしはそういうのはちょっと……」
「大丈夫。ユリエルは激しいけど、ちゃんと気持ちよくなれるようにしてくれるから」
「ええ。だから、力を抜いて、全部委ねてしまいなさい」
 あわあわと逃げ出そうとする女の子の頤に指を掛けて上向かせ、視線が視線を絡め取る。こうなると、あたしでもユリエルからは逃げられないんだよね。そうして今正に乙女の唇が奪われようとした瞬間だった。
「いい加減にしなさい!」
 リータの怒声と共に、辺りにスパンという渇いた音が響き渡った。
 彼女が手にしているのは、赤く燃え盛るスリッパ。炎属性の魔力で構成されているらしいそれを、リータは自分の主の頭目掛けて勢いよく振り下ろしたのだ。
 そんなもので突っ込みを受けたユリエルは、頭から煙を立ち昇らせながら少々恨みがましい視線をリータへと向けている。
「切れの良い突っ込みをありがとう。でも、出来れば普通に、素手の手刀あたりでやってほしかったわ」
「自業自得よ。幾らその娘の恐怖心を和らげるためとはいえ、乙女の唇を無許可で奪おうとするなんて」
「もしかして、妬いているの?」
 憤慨するリータに、ユリエルがニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。その表情にはあたしも見覚えがあって、思わず遠い目をしてしまった。
「まさか、あたしにとってのそういう対象はシルフだけよ……って、何言わせるのよ!?」
「そう。そうよね。あなたはシルフちゃん一筋だものね」
 ほら、とっさに反応するからこうなるんだ。リータは純情だから、特にこの手の話題でからかわれるのは分かってるだろうに。
 分霊たちの中じゃノームお姉さんとはまた別の方向でお姉さん的立ち位置のリータだけど、さすがに生みの親には叶わないみたいだ。
 そのあたりも見越して、わざとからかっているように見えるのは、あたしの深読みしすぎかな。
「ああもう、こうなるのが分かってたから飲ませたくなかったのに」
「なに言ってるの。わたしはまだまだ全然酔ってなんかいないわよ。ほら、あなたもそんなところで立ってないで、座りなさい」
「は、はぁ……」
 頭を抱えるリータに構わずそう言うと、ユリエルは呆然と立ち尽くしている女の子を自分の隣に座らせる。少し強引過ぎる気がしないでもないけど、多分今はそれが正解だ。
 その証拠に、女の子の顔からさっきまでの恐怖は消えていた。
 代わりにあるのは困惑。妖しい雰囲気から一転して酒場らしい混沌とした喧騒に戻ったわけだけど、不慣れな様子の彼女はそれについていけずに混乱しているみたいだ。
 怖い思いをしたのなら、とりあえずそのことを意識しないで済むようにすれば良い。混乱させてっていうのは、ちょっと荒っぽい気がしないでもないけど。
 それにしても、ここまでの流れを含めてアイコンタクトだけで通じ合えたのは正直、嬉しかったな。それだけお互いを理解し合えているってことだもん。
 女の子を口説くユリエルの姿が妙に手馴れているように見えるのが少し気になるけど、関係を持つのはあたしが初めてだって言ってくれたし、信じよう。
 ――それに、これくらいのじゃれ合いなら、あたしも何度か経験あるわけだし……。

「それじゃあ、君も試験を受けに来たんだ」
 新しい果実酒の瓶を空けながら、あたしは件の少女にそう尋ねる。エリスと名乗った彼女は、自分のことをダーマ神殿で修行をしている賢者見習いだと言った。
「はい。修行の最終段階として、冒険者資格を取得するようにお師匠様に言われたもので」
「エリスはあたしより一個下なんだよね。すごいな、その年で賢者だなんて」
「いえ、まだ見習いですし、それに、わたしはきっと試験には合格出来ないでしょうから……」
 あたしが感心と羨望の混じった視線を向けながらそう言うと、エリスは小さく頭を振って俯いてしまった。
 あ、あれ、あたし何かまずいこと言っちゃったかな。そう思ってユリエルのほうを見るけれど、彼女も首を横に振るばかりだ。
 そのうちに酔いも手伝ってか、彼女はポツリポツリと話し出す。自分がある名家の出身であること。賢者には家名を継ぐためにならなければならないこと。才能を期待され、それを重荷に感じていること。
 きっと、不安だったんだ。不安で不安で、でも、それを誰かに打ち明けることも出来なくて、こうしてお酒の席で初対面のあたしたちに吐き出している。
 やっと成人したばかりだもんね。社会的な責任は別にしても、何かを背負わされるには未熟すぎるよ。
 決壊したようにポロポロと涙をこぼすエリスをユリエルが抱きしめ、あたしは頭を撫でる。
 同情されたと怒るかもしれないけど、だからって、目の前で泣いている女の子を放っておくなんて出来なかったから。

  * * * side out * * *

  堕天使ユリエルの異世界奮闘記
  第14章 呼び方

 ――翌朝も目覚めは爽快だった。
 リータちゃんに言ったように、寝る前にリフレシュアミストの魔法で体内のアルコールをすべて浄化したからだ。この魔法のおかげでどんな酒豪に付き合わされても翌日二日酔いになる心配は無くなった。
 ただ、今朝は隣にミリィがいないのが少し寂しかった。こちらの世界に来てからほぼ毎日一緒に寝ていたから、いつの間にかそれが当たり前のようになっていたのだろう。
 嘆息。身支度を整えてリビングに行くと、酔い潰れて眠ってしまったらしいミリィとエリスの二人が折り重なるようにソファに寄り掛かっていた。
 女の子の泣き顔を衆目に曝すのも酷だろうということで、昨夜はあの後こちらに場所を移して飲み直すことにしたのだった。
 一度本音を暴露してしまったからか、一頻り泣いた後のエリスは饒舌だった。
 普段何をしているのかから始まって、自分なりに賢者を目指した動機など、まるで親しい友人にでも接するかのように実にいろいろなことを話してくれた。
 わたしはさすがに初飲酒ということで先に休ませてもらったけれど、二人はあの後も随分飲んだのだろう。
 室内に充満する酒気に顔を顰めつつ、まずはそれを追い出すために窓を開ける。新鮮な空気を取り込み、降り注ぐ陽射しに向かって大きく伸びをした。
 早朝の空気は魔法でリフレッシュするのとはまた違う爽やかさを感じられるから好きだ。
 ――さあ、今日も一日頑張ろう。
 窓に背を向けて室内を見渡せば結構な惨状だ。床には空き瓶が何本も転がっているし、テーブルの上もビーフジャーキーや大王裂きイカの袋が無造作に放り出されている。
 住人が酔い潰れた翌朝の風景としてはごくありふれたものではあるのだろうけれど、それを片付けるのが一番大人しくしていた人間というのはどうにも理不尽な気がする。
 まあ、それも昨夜の段階で半ば予想出来たことではあった。
 分霊たちを呼び出して昨夜の宴会の後始末と朝食の支度を手伝ってもらう。
 それに若干一名、風の子が文句を言ってきたけれど、皆彼女がわたしが寝た後にこっそり顕現して飲んでいたのは知っているのだ。
 わたしがそれとなくそのあたりを指摘すると、シルフちゃんは慌てて自分に割り当てられた作業に取り掛かった。
「まったく、ああいうところはいつまで経っても子供なんだから」
「でも、そこがシルフさんの魅力でもありますし、いけないと思ったらあなたがフォローしてあげれば良いじゃありませんか」
「分かってるわよ。ほら、あたしたちもさっさと片付けちゃいましょ」
 呆れたように嘆息するリータちゃんに、ノームお姉さんからのフォローが入る。家族皆のことを一歩下がって見ているお姉さんらしい言葉だ。
 しかし、一向に進展しない二人の関係にやきもきしているのは彼女も同じらしく、いつものにこにことした笑顔の中に少々からかうような色を混ぜている。
 それに気づいたリータちゃんは、こちらも逃げるようにそう言って片づけを始めてしまう。赤面しながらも否定しないあたり、彼女も自覚はあるのだろう。
 ゴミを片付け、食器を下げて、空いたテーブルの上を布巾で拭く。地と風と炎の三人がそれらの作業をしている間に、わたしとディーネちゃんで簡単に食べられるものを作ってしまう。
 そうこうしているうちに、喧騒に気づいたらしいエリスがミリィの下から這い出してきた。
「ふあぁ……。おふぁようごさいますぅ……」
 眠そうに目を擦りながら呂律の回らない挨拶をしてくる彼女に、わたしは思わず笑みをこぼす。
 天界の妹たちの中にも多く見られたそんな姿に、懐かしくも微笑ましいものを感じたのだろう。
 気づけばつい、あの頃のようなお姉さん口調でエリスに挨拶を返してしまっていた。
「おはよう。もうすぐ朝ご飯だから、先に顔を洗ってらっしゃい」
「はい、お姉さま」
「えっ?」
「あ、い、いえ、何となくそうお呼びするのが自然な気がして……」
「そう」
 他意はない。エリスは顔を赤くしながら慌ててそう言うけれど、その時点で既に説得力などあるはずもなかった。
 まあ、わたしはわたしで、それに気のない返事をするのがやっとだったのだけど。お姉さまか。
 そう呼ばれるのはいつ以来だろうか。わたしを姉と慕うシルフちゃんですら、わたしのことはエル姉と呼ぶのだ。
「あの、ダメでしたでしょうか。よろしければ、これからもそうお呼びしたいんですが」
「ダメだよ」
「ミリィ」
 いつの間に起きたのか、不安そうに聞いてくるエリスに対して即答したのはわたしではなくミリィだった。
「ユリエルはあたしのなんだから。妹になりたいんなら、まずはあたしに認めさせないとね」
 そう言って笑うミリィに、エリスはハッとしたように顔を上げた。彼女の言葉を呑み込むにつれて、曇りかけていたその表情にも笑みが浮かぶ。
「はい、わたし頑張ります。お義姉様」
「うなっ、だ、だから、まだ早いってば!?」
「うふふ、ごめんなさい」
 不意の一撃に赤面しながら叫ぶミリィ。エリスはそれに悪戯っぽくぺろりと舌を出して謝ると、洗面台のほうに消えていった。
「ありがとう。助かったわ」
「良いよ。いろいろあるのって、あたしやあの娘も同じなわけだし。でも、いつか話してくれると嬉しいかな」
「ええ、そのうちにね」
「そう言って、いつまでもはぐらかすのは嫌だよ」
「そんなことしないわ。その代わり、ミリィのこともちゃんと聞かせてちょうだいね」
 笑ってそう言うわたしに、ミリィも微笑を添えて頷いてくれた。人に歴史ありじゃないけれど、それなりの事情や過去を抱えるのは生きていれば当たり前のことだ。
 記憶を記録として蓄積しているわたしは言うに及ばず、冒険者なんてものが職業として成り立つ時代に生きるミリィやアルちゃん、エリスにも。
 それを他の誰かに話すも話さないも個人の責任であり、自由だ。
 ただ、愛する人への誠意と信頼の証として求められたのであれば、わたしは出来る限りそれに応えたいと思う。
 ――わたしがわたしとして生きていくためにも、きっとそれは必要なことだから……。
「ところでミリィ、一つ聞きたいんだけど」
「何?」
「どうしてエリスの服はあんなに乱れていたのかしら」
 本人は気づいていなかったようだけど、エリスの着衣はソファに寝ていたという事を差し引いても少々乱れすぎていたのだ。
 特に胸元などは大きく肌蹴ていて、下着に包まれた豊満なバスとが覗けてしまっていた。乱れた着衣に、寝汗に光る肌……。
 そういえば、服を着たままというのはまだしたことがなかったわね。
「ユリエルが何を考えているか大体分かるけど、そういうのはなかったからね」
「本当に? 後ろから抱き付いて手を入れたり、あの大きくて柔らかそうなおっぱいを下着の上から弄んだりしたんじゃないの」
「してません! 大体、おっぱいならユリエルのを触らせてもらえば良いんだし、わざわざエリスに手を出す必要もないでしょ」
 そう言ってわたしの胸へと伸ばしてきたミリィの手に、それもそうかと納得したところで捕まった。そのまま、やわやわと揉みしだかれる。
 ミリィいわく、瑞々しい弾力と程好い柔らかさを兼ね備えたFカップの双丘は、彼女の手から送り込まれる刺激をむず痒いような、もどかしい快感としてわたしに伝えてきて……。
 思わず自分から胸を押し付けそうになったわたしは慌ててその手を振り払うと、逃げるように朝食の支度を再開した。
「自分から聞いてきたくせに。でも、確かに着たまま、ってのはなかったね」
「何を考えてるの?」
「ユリエルとの初着衣エッチの衣装は何が良いかなって。昨日買ったレオタードは外せないとして、他には何かあったかな」
 そう言われて少し想像してみる。まず思い浮かんだのは、背中に翼の生えたレオタードを着たわたしに押し倒されるミリィの姿だった。
 うん、シュールだ。ボンデージ風な黒い悪魔の衣装ならまだしも、背中にあるのが天使の純白の翼では場にそぐわないだろう。
 ならばと逆に、ミリィが件のレオタードを着てわたしに押し倒される図を想像してみるけれど、こちらも何となくイマイチだ。
「ミリィは天使よりも妖精って感じだものね」
「何か言った?」
「いいえ。衣装選びも良いけど、まずはあなたも身支度を整えないと。寝癖立ってるわよ」
「嘘!?」
「本当よ。ほら、直してあげるからこっちにいらっしゃい」
 指摘されて慌てるミリィを座らせ、わたしはリフレシュアミストの魔法を掛けた手櫛で彼女の髪を梳いていく。
 きれいな金髪。しっとりと濡れ光るその金色は手触りも滑らかで、思わず没頭してしまいそうになる程だった。
 髪に触れられるのが気持ち良いのか、ミリィは目を細めて何処かうっとりとした様子で溜息を漏らしている。
 ――特に言葉を交わすわけでもなく、静かに過ぎていく愛しい人との時間……。
 こういうのも悪くないと思った、ある朝の一コマだった。

  * * * 続く * * *

 新キャラに見習い賢者のエリスを加えての第14章でした。
 作者です。
 今回はナンパ騒動のその後。
 お酒が入ると普段は言えないことも吐き出せるってこと、ありますよね。
 そして、お互いに事情を隠しながらも親密になっていく少女たち。作者の技量では雰囲気を上手く描写出来ているか不安ですが(汗)。



[4317] 第15章 試験に向けて
Name: 安藤龍一◆8077f055 ID:ed24611f
Date: 2011/03/18 20:52

 ――ラダトーム王国北西の森
   ミリィの家1F 脱衣所――
  * * * side エリス * * *

 洗顔のために洗面台の前に立ったわたしは、正面の鏡に映る自分の顔を見て思わず溜息を漏らした。
 ――酷い顔です……。
 赤く泣き腫らした目。薄く施していたお化粧は見る影もなく、お母様譲りの金髪も大きく乱れてしまっています。
 とんだ醜態を曝してしまいました。いえ、それを言うなら昨夜初めてお会いした時からずっとじゃありませんか。
 何せ、初対面の方たちを前に大泣きした挙句、ご招待に与かった人様のお宅で酔い潰れて眠ってしまったのです。
 怖い男の人たちから助けていただいただけでも感謝すべきなのに、一体どれだけ迷惑を掛ければ気が済むのかと。
 家の娘としてあるまじき失態。しかも、お酒の勢いに任せて、いろいろとぶちまけてしまったような気がします。
 ――もし、このことがお父様のお耳に入ったら……。
 脳裏を過ぎるのは、自分を見下ろす冷たい目。わたしにはどんな厳しい罰を与えられるよりも、あの目を向けられることが恐ろしかった。
 羞恥に赤らんでいたはずの鏡の中のわたしの顔は、いつの間にか病人のように蒼褪めてしまっていた。血の気が引く音を聞いた気もする。
 ただでさえ、試験に実技があると知って絶望していたというのに、これじゃ何かの弾みに合格出来たとしても叱責を受けるのは必至です。
 救いを求めて胸元に手を彷徨わせ、それが今は隠しておかなければならないものだったことを思い出す。こんな時こそと思ったのですが。
 若い頃の苦労は買ってでもするものだと言われますが、日頃から苦労の絶えないわたしには、これ以上許容出来そうにありませんでした。
 ――いっそ、このまま逃げてしまいましょうか。
 そう思ってみたところで、この年になるまで教皇自治領から出たこともなかったわたしが他の土地で生きていけるはずもなく……。
 出来る事といえば、ただただ神に祈るばかり。ああ、主よ。精霊神ルビスよ。せめて、この苦境を無事に乗り越えられますように。
 上着のポケットの上からそれを握りしめ、当初の目的であった洗顔を果たすと、わたしはお姉様方の待つリビングへと戻った。
 その後、肌蹴たままになっていた胸元をお姉様に指摘されて、悲鳴を上げることになったのはまったくの余談です。はぁ……。

  * * * side out * * *

  堕天使ユリエルの異世界奮闘記
  第15章 試験に向けて

「さて、それじゃあ、まずは状況確認といきましょうか」
 ミリィに用意してもらった紙とペンを手に取ると、わたしは対面のソファに座るエリスへとそう声を掛けた。
 時刻は午前十時を少し過ぎた辺り。
 朝食後に一度解散して、それぞれの用事を済ませた後にわたしたちは再びミリィの家のリビングへと集まっていた。
 目的は受験対策。エリスの賢者を目指す理由を聞いたわたしは、彼女に何としてもその夢を掴んでほしいと思うようになっていたのだった。
 そのためにはまず、昨夜の酒場での発言の真意を聞かないといけないのだけど、これはエリス本人がミリィと飲み明かす中で吐露していた。
「わたし、魔物が怖いんです」
 その言葉を聞いたミリィは、思わずグラスを傾ける手を止めて聞き返したという。
 それはそうだ。わたしだって、その場に居合わせていたなら同じことをしている。
 彼女は賢者。それも師から見習い卒業のための課題を与えられる段階にいるのだ。
 エリス自身は確かに華奢で気弱な少女にしか見えないし、魔物を怖がるのも無理はないだろう。
 でも、賢者を目指して修行をしていたのなら、彼女も少なからず実戦経験を積んでいるはずだ。
 短時間なら堪えられるのか。それとも他に何かやり過ごせていた要因があるのだろうか。
 克服の糸口を見つけるためにも、わたしはまずはそのあたりからエリスに聞いてみることにした。
「魔物が怖いって言うけど、修行ではその魔物と戦うこともあったはずよね。その時はどうしていたの?」
「はい。修行の際はいつも先生と一緒でしたから。怖かったですけど、本当に危ない時には助けていただけると思うと、何とか頑張れたんです」
「なるほど」
 エリスの答えに頷くと、わたしは更に質問を重ねていく。信頼出来る強者が傍らにいることで、安心して戦うことが出来たのだろう。
 更に日中、慣れた場所であれば、一人でも問題になることはあまりなかったとのこと。
 つまり、見知らぬ場所、暗がりの中で一人、魔物と相対するのが恐ろしいということになるのだけど、それは誰しもそうなのではないだろうか。
 もちろん、程度の差はある。怪談話を聞いただけで震え上がる人もいれば、実際に心霊スポットに立っても平然としていられる人もいるだろう。
 とはいえ、軽視出来るものでもなかった。恐怖はその人の判断を狂わせ、パニック状態ともなれば弱い魔物にすら命を奪われかねないのだから。
「あの、やっぱりダメですよね。冒険者になろうっていうのに、魔物が怖くて試験が受けられないだなんて……」
 自分で言っていて情けなくなったのか、弱々しい声でそう言って俯くエリス。皆から向けられる視線に、居た堪れないという様子ですっかり縮こまってしまっている。
「そんなことないわ。誰にだって、怖いものの一つや二つはあるもの」
「そうだよ。ダンジョン内に偶に仕掛けられてる致死性の高い罠とか、あたし未だに怖いもん」
「わたしの場合、怒った時のマスターね。リンゴをデコピンで粉砕するのを見せられたのなんて、トラウマ物だわ」
「ミリィ、その例えはちょっと。後、リータちゃん、あれはちゃんと魔力を使っていたでしょ」
「あわわ、そ、そうだったかしら」
 今にも泣いてしまいそうなエリスに、とにかく慰めようと声を掛けるわたしたち。状況改善のためのカウンセリングで相手を泣かせてどうするというのだ。
 しかし、こちらも焦っていたのだろう。
 ミリィの例えなんて最悪の部類だし、場を和ませようとしたのだろうリータちゃんの言葉もあまり笑えるものじゃなかった。
 ああもう、しょうがないわね。こういうのはあんまり良くはないんだけど、このまま泣かれるのを黙って見ているなんて無理だもの。
 わたしはしまったという顔を見合わせている二人に嘆息して席を立つと、いよいよしゃくり上げ出したエリスの傍らへと身を寄せた。
「あ……」
 不意のことに小さく声を漏らすエリス。わたしはそんな彼女に出来得る限りの優しい笑みを浮かべて見せると、そっとその身体を抱きしめた。
「ほら、頑張るって決めたんでしょ。なら、これくらいで泣いてちゃダメよ」
「ひっく、……で、でも、わたし、全然ダメで、賢者になるんだって、あの人みたいに皆の笑顔を守れるように、頑張るって決めたのに……」
「大丈夫。怖いと思うのは何も悪いことじゃないの。だから、まずはそこから逃げないで、向き合うことから始めましょう」
 優しく、だけど、甘えさせるのじゃなく、立ち向かうことを促す。そうすれば、エリスは涙に瞳を潤ませながらもちゃんと顔を上げてくれた。
「わたしに、出来るでしょうか」
「ええ、このわたしが保証してあげる。だから、もう少しだけ頑張ってみましょうか」
「……はい、お姉様」
 わたしが確信に満ちた表情でそう言うと、エリスはぎこちなくも笑顔でそれに頷いた。
「ねぇ、ユリエルって、いつもあんな感じなの?」
「そうよ。ああやって、泣いている娘に手を差し伸べて、ちゃんと自分で立てるまで傍らにいてあげるの」
「優しいんだ」
「マスターはそれが仕事だったからって言うけど、明らかに趣味と実益を兼ねてるわよね」
 複雑そうに微苦笑するミリィに、困ったものだと言わんばかりに嘆息するリータちゃん。
 性分か。あるいはわたしという在り方のせいで、傷つけてしまった人たちへの代償行為。
 弱った心に甘い囁きは劇薬だ。中毒性を秘めたそれは、時にあっさりと少女を狂わせる。
 迷える子羊を導く使者は、一つ間違えれば人心を惑わせ、堕落させる堕天使となるのだ。
 ――エリスにとってのわたしが、そういう存在にならなければ良いのだけど……。

 話を戻そう。冒険者資格試験は筆記と実技の二種類から成り、両者の得点の合計でその合否が決定されるという。
 筆記は良い。
 一般教養に加え、冒険に必要な知識の多くを高いレベルで習得しているエリスなら楽にクリア出来ることだろう。
 問題は実技試験のほうだ。
 こちらは実際に冒険させることで、必要な技術の習熟度を測るのだという。なるほど、合理的だ。
 要綱によると、協会が管理しているダンジョンに潜って、期間内に目的を達成すれば良いようだ。
 他にも行動の指針となるよう、具体的な採点項目が書かれている。
 魔物に遭遇した際の対応や、所持している道具の使い方、情報収集能力に、パーティーメンバーとの連携……連携……。
「ねぇ、エリス。あなたこの要綱をちゃんと最後まで読んだかしら」
「い、いえ、実技試験があることに驚いてしまって」
「それどころじゃなかったと?」
「済みません……」
 やや呆れ気味にそう尋ねるわたしに、エリスは叱られた子犬のように小さく項垂れる。
 まあ、彼女にとっては青天の霹靂だったのだろうし、しょうがないか。
 わたしは小さく嘆息すると、無言で開いていた要綱の一部を指差した。そこには注釈としてこんな一文が記されていたのだった。
 ――なお、当実技試験に於いて受験者同士でパーティーを組む場合は、別添の申請用紙に必要事項を記入の上、事前に提出すること……。
 時が止まった。場を支配するのは、何とも言えない沈黙だ。
「あ、あの……」
 どれくらいそうしていただろうか。やがて、堪えかねたというようにエリスがおずおずと口を開く。その顔はまるで熟れたトマトのように真っ赤だった。
「良いわ。一緒に実技試験を受けたいんでしょ」
「はい。で、でも、わたしなんかがご一緒させていただいて、ご迷惑じゃありませんか?」
「そう思うなら、わざわざ要綱の見落としを指摘したりなんてしないわよ。大丈夫、一緒に頑張りましょう」
 そう言って笑いながら手を差し出したわたしに、エリスは深々と頭を下げるのだった。
「よろしくお願いします」

  * * *

 距離を取って対峙し、一礼するエリスに、わたしは右手を剣の柄に添えることで応えた。構えろという合図だ。
 パーティーを組むことになったのは良いけれど、それにはまずお互いのことをよく知らなければならなかった。
 役割を決めようにも各自の能力を把握していなければ始まらず。これから行うのは、そのための模擬戦だった。
 エリスは足を肩幅に開き、両手で握った杖の先端を右斜め下に向けて構える。それは、杖を打撃武器として扱う者の構え。
 彼女の得物である理力の杖は使い手の魔力を打撃力に変換する。その特性を活かすのに近接戦闘の訓練も積んだのだろう。
 その立ち姿はまだ所々粗が目立つものの、重心にぶれがなく、視線もしっかりとこちらを捉えている。正直、意外だった。
 てっきり魔法の応酬ばかりになるかと思っていたのだけど、これなら最初からいろいろ織り交ぜて戦えそうだ。
 ここはミリィの家からも十分に離れた森の中の一角。結界で隔離し、周囲への被害も気にする必要はない状況。
 記録の中の戦いを好むわたしが歓喜する。教導官だった頃の性分が、見込みのある新人を前に刺激されたのだ。
 思わずニヤリと唇の端を吊り上げたわたしに、エリスは息を呑むと弾かれたようにこちらに向かって来た。
 牽制に無詠唱で下級火炎呪文のメラを三発、それぞれ微妙に着弾点をずらしてわたしの足元を狙ってくる。
 彼女自身はそれらを追って一気に距離を詰めると、右斜め下から掬い上げるように理力の杖を振り上げた。
 魔法で相手の体勢を崩したところに、魔力を乗せた杖での一撃を見舞うか。自ら向かってくる気概はよし。
 ――だけど、まだ甘い。
 わたしは空いている左手に魔力を集めると、それを無造作に横へと薙いだ。刹那、腕の動きに従って発生した衝撃波が空間を薙ぎ払う。
 結果、純粋魔力の波動による干渉を受けたメラは術式崩壊を起こして霧散し、エリス自身も波動の圧力に勢いを殺がれることになった。
「えっ!?」
 鼻先を掠めた理力の杖を見送りながら一歩前へ。
攻撃を避けられたエリスは慌てて杖を振り下ろそうとするけれど、そこはもう彼女の間合いの内側だ。
 右から左に払った左手を今度は上へと跳ね上げ、エリスの杖を弾き飛ばす。非力な彼女がそれに抗しきれるはずもなく……。
「ま、まだです!」
 小さく呻くようにそう言うと、エリスは杖から放された手を強引に振り下ろした。それと同時にわたしの腹部に衝撃。
 殴られたようなそれは、しかし、拳ではなく見えない力、純粋魔力の塊だった。
 なるほど、杖へと供給していた流れをそのままに、魔力を解き放ってきたのか。
 魔力放出はわたしの専売特許というわけじゃないし、彼女に出来たとしても何ら不思議ではなかった。
 エリスは更に拳を握ると、そこを基点に残った魔力を集束させていく。その量は先程のメラ三発分程。
「行きます、我流・聖拳突き!」
 瞬間、エリスの拳を蒼白い炎が包み込む。拳に魔法を纏わせて放つ、所謂魔法拳という奴だ。
「上手く繋げるものね。だけど、そう正面からばかり打ち込んできていては、わたしは崩せないわよ!」
 エリスの右拳を同じく魔力を集束させた左手で受け止め、衝突の反動で距離を取る。左による追撃が脇腹を掠めたけど、ダメージは無かった。
 最初から牽制と割り切って、届かないのを承知で放ってきたのだろう。
 さっきも受けきれないと見るや、自分から杖を手放していたし、ずいぶんと思い切りの良い娘だ。
 感心しつつエリスを見れば、彼女は最初の立ち位置に戻って回収した杖を構え直すところだった。
 軽く息を乱しているようだけど、その目に宿る闘志はまだ少しも萎えていない。面白いじゃない。
 今の拳、実際に燃えていたわけじゃないのか、爆ぜた炎に大気が焼かれることはなく、立ち込めているのは衝撃によって巻き上げられた薄い砂煙のみ。
 それとて視界を遮る程のものではなく、大気やマナの揺らぎが伝えてくる情報も合わせてわたしに死角はない。
 彼女にもそれが分かるらしく、最初のように突っ込んでは来なかった。ただ、じっとこちらの隙を伺っている。
 いや、誘っているのか。
 時折わざと自分から隙を曝して見せては小さく息を吐き、わたしが乗って来ないと見るや微妙に力の入れ具合を変えたりしている。
 その間にも魔力を練り上げ、エリスは本命ともブラフとも取れる微妙なラインの魔法行使を匂わせる。
 攻め込みたい誘惑と、攻め込まなければ危ないという焦燥。正反対の二つの感情に背中を押され、相手はかなりの高確率で乗ってくる。
 人間の心理を利用した巧みな誘導だ。
 なるほど、好みではあるけど、あいにくわたしには通用しない。なぜなら、こちらにはそんなもの関係ないとばかりに全部纏めて叩き潰せるだけの力があるのだから。
「っ、炎の霊よ、集いて爆ぜよ。イオラ!」
 高められた魔力が渦を巻き、蒼白いオーラとなって立ち昇るのを見たエリスは、早口に呪文を紡ぐと、ストックしていた魔力を爆発させた。
 確か、中級爆裂呪文だったかしら。略式の詠唱はテキストには載っていないものだったけれど、最後のキーワードはその名を刻んでいた。
 驚くべきはその威力で、彼女がとっさに放ったイオラは僅かな時間とはいえ錬成して密度を高めたわたしの魔力をしっかりと相殺して見せたのだ。
 驚愕に目を丸くするわたしに、エリスが好期とばかりに再び杖を振り下ろす。だけど、そこからじゃ後一歩が届かないはず。
 そう思ったのも束の間、今度は杖の先端から放たれた衝撃波がわたしの身体を捉えた。
 理力の杖は持ち主が魔力を込めれば込める程、そこから変換されて生み出される打撃力も大きくなる。なるほど、魔力に任せて空間を叩いたのね。
 そして、実際に質量を伴う打撃武器とは異なり、振るった人間への反動は恐ろしく小さい。
 空中で制止した状態から身体に捻りを加えて放たれた追撃の突きを、魔力を纏った左手で捌きながらわたしは考察する。
 自分の武器の特性を理解し、それを中心に据えた戦いの組み立て方も上々。
 複雑な制御を要する爆裂系呪文を略式詠唱で発動させられることから、魔法使いとしての腕も相当なものだと思われる。
 そんな彼女が魔物を恐れる理由とは何なのか。正直、わたしには分からなかった。
「はぁぁ、はぁぁ、あ、あの、次で、お、お終いに、しま、せんか……。正直、こ、れ以上は、体力が持ちそうにない、ので……」
 小手先の勝負では幾らやっても決着が着かないと悟ってか、エリスが大きく息を切らせながらそう提案する。本人の言うように、体力も限界のようだ。
 とはいえ、ここまでよく動けたと思う。実力を測るための模擬戦とはいえ、人の、弱冠十四歳の少女の身で本気のわたしとまともに何合も打ち合えた。
 それだけでも驚くべきことだというのに、彼女にはまだ取って置きがあるというのだ。
「良いわ、乗ってあげる。あなたのすべてをわたしに見せなさい」
 最高に良い気分でそう応じると、わたしはこれまで右手を軽く添えるだけだった剣を腰の鞘から引き抜いた。
 魔力を食らって切れ味に転化させる吸血剣ドラキュリーナ。理力の杖との相違点は、この魔剣が魔力を食らうというその一点にある。
 そこに自他の差別はなく、その刀身に触れたものは一部の例外もなく魔力を食われるのだ。故に略奪者の意を込めて、この剣は吸血の伯爵婦人の名を背負わされた。
 妖艶な光沢を放つ赤紫の刀身に、エリスが思わず目を細める。まるで咎めるようなその視線に、わたしは苦笑しながらこれは大丈夫だと頷いて見せる。
 エリスの魔力が高まっていく。納得したかどうかはともかく、急速に膨れ上がるそれに迷いはなかった。
 そこにあるのは、ただただ純粋な、破壊の力……。
 ――そして、

  エリスはすべてのまりょくをときはなった……。

  * * * 続く * * *

 まず、今回の地震の被害にあわれた方に心よりお見舞い申し上げます。
 作者です。
 東日本大震災の発生から一週間、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
 わたしは幸いにも被害を受けずに済み、何気ない日常が本当にありがたいものなのだと噛み締めながら日々を過ごしております。
 被災地の皆様の日常が一日も早く戻ることを祈るばかりです。



[4317] 第16章 力の向く先は
Name: 安藤龍一◆8077f055 ID:ed24611f
Date: 2011/04/11 15:11

 ――ラダトーム王国北西の森
   ミリィの家南西の広場・結界内
  * * * side ミリィ * * *

 魔法のカテゴリーに、古代禁呪と呼ばれるものがある。
 地獄の雷と呼ばれる黒い雷を呼び出すジゴスパーク。極大爆裂呪文のイオナズンを上回る大爆発を引き起こすビッグバン。
 ――そして、術者の魔力をすべて純粋な破壊の力として解放するマダンテ……。
 それらは彼の伝説の勇者ロトが天より与えられたという裁きの雷ギガデインに匹敵、あるいはそれを上回る威力を秘めていた。
 今となっては御伽噺でも稀にしか聞かなくなった、当然、使える人なんているはずのない幻の超強力魔法。まさか、そんなものをこの目で見る日が来るなんて、夢にも思わなかった。
「あ、あの、天然ボケ娘は、うちのマスターになんてもの使ってくれちゃってるのよ!」
 尋常じゃない魔力の高まりを感じて、文字通りすっ飛んできたリータが顔を真っ青にしながらそう叫ぶ。マダンテのことは知らなくても、あれだけの魔力が全部破壊力に転化されるところを見れば誰だって叫びたくなるだろう。
 さすが、究極破壊呪文だとか言われてるだけのことはある。かく言うあたしも、驚きすぎて尻餅を着いた体勢から動くことが出来ずにいた。
 発動の直前に閃いた直感に従って退避したおかげで、ぎりぎり結界の外まで逃げられたから良かったものの、もし、巻き込まれてたらと思うと生きた心地がしなかった。
「はっ、そ、そうだ。ユリエル、ユリエルは無事なの!?」
 取り乱すリータの姿を見て我に返ったあたしは、慌てて結界の中へと呼び掛けた。姿を確かめようにも、爆発で巻き上げられた砂のせいで視界が利かないんだ。
 マダンテは唯一勇者以外の人間が単独で魔王を打倒し得る手段として、時の魔王の一人によって開発者ごと海に沈められた経緯を持つ。
 彼女が如何に最高位のセラフィムだったとしても、そんなものを受けて無事でいられるとは思えなかった。
「……はぁ、まさか、ここまでとは思わなかったわ」
 だけど、そんな言葉と共に立ち込める砂煙の向こうから現れたのは、ほぼ無傷のユリエルの姿だった。
 いや、服はボロボロだし、きれいな肌もあちこち煤けちゃってはいるんだけど、本人はそんな自分の格好を見下ろして困ったような顔をしてるだけで、全然堪えた様子はなかった。
 そんな彼女の様子に安心するのと同時、何だかよく分からないものが込み上げてきて、気づけばあたしは飛び出していた。
 立ち上がってからはほんの一足。持ち前の脚力を活かして一息に迫ると、そのままの勢いで彼女を押し倒す。
 ユリエルは避けなかった。ただ、受け止めようとしてくれたところを見ると、反応出来ていたんだと思う。あ、あたし今抱きしめられてる。
「バカ、心配させないでよ……」
 愛しい人の温もりがくれる安堵に、あたしは思わず脱力して押し倒した彼女の上に突っ伏す。やっとのことで漏らしたそんな呟きも、柔らかな双丘の谷間に埋もれて消えてしまった。
「ごめんなさい。でも、大丈夫だから」
 そっと回した腕でポンポンとあたしの背中を叩きながら、ユリエルは申し訳なさそうな声音でそう言った。きっと、困った顔をしているんだろう。
 でも、ダメだよ。大切な人がいなくなるかもって思うと、それだけですごく怖かったんだ。だから、当分は許してあげない。
 その後、我に返ったエリスに謝り倒された。幾ら興が乗っていたからって、個人の模擬戦で戦略級魔法を使うなんてどうかしてるって。
 あんまりにも必死に謝るもんだから、こっちが居た堪れなくなって許してあげたけど、エリスはまだ気にしているみたいだった。
 ちなみに、彼女の分のペナルティもユリエルに負ってもらうことにしたんだ。うふふ、楽しみだな……。

  * * * side out * * *

  堕天使ユリエルの異世界奮闘記
  第16章 力の向く先は

 結局、エリスとの模擬戦は引き分けということになった。最後の一撃を放った彼女はその反動で動けなくなり、それに耐え切ったわたしもその後に乱入してきたミリィの不意打ちによって戦闘続行不可能になってしまったからだ。
 そのミリィはといえば、模擬戦が終わった直後からわたしの腕を抱え込んで放さない。何でも、エリスが使った魔法は魔王も恐れる程のとんでもない代物だったらしく、それに気づいた彼女は生きた心地がしなかったのだという。
 まあ、他人の模擬戦の巻き添えで殺されかけたとなれば、普通は怒るか怖がるかするものだ。
 そんな恋人の言い分に頷きながらも、彼女が本当は何に怯え、怒っているのか知っているわたしは内心の喜びを表に出さないようにするのに苦労していた。
 一応は怒られている身のわけだし、腕に伝わる微かな震えを思うと、あまり不謹慎なことも出来なかったのだ。
 一方、わたしに究極破壊呪文を放ったエリスは、分霊四人総出で怒られたこともあってすっかり萎縮してしまっていた。自分から言い出したことでもあるため、わたし自身は全然怒ってはいなかったのだけど、わたしを好いてくれているあの娘たちはそうはいかなかったようだ。
「本当に申し訳ありませんでした」
 俯いたままもう何度目か分からない謝罪の言葉を繰り返すエリスに、最初は怒っていた分霊たちも困ったように顔を見合わせる。まあ、やれと言ったのはわたしなのだ。
「もう良いわ。勝負に乗ったのはわたしのほうだし、被害もほとんど服だけだったんだから」
 小さく嘆息すると、わたしはそう言って彼女に顔を上げさせた。正直、そこまでしてもらうようなことをされたという気もしていなかった。
 模擬戦であろうと本気で戦うからには、怪我の一つもして当たり前。特に今回は理力の杖の代わりになるような模造品がなかったこともあって、お互いに武器は本物を使っていたのだ。
 まさか、魔法のほうで、それも反則っぽい避け方を強制されることになろうとは思いもしなかったのだけど。
「まあ、どうしても気が済まないっていうのなら、今度ダメになっちゃった服の代わりを買う時にでも付き合ってくれれば良いから」
「は、はいっ、謹んで弁償させていただきます」
「別にそういうつもりで言ったんじゃないんだけど……って、聞いてないわね」
 服を弁償すると言ったエリスは、何故か冷や汗を流しながら貯金がどうとか、足りない分は身体で、とか言っているけれど、さっきの模擬戦でわたしが着ていたのはただの量産品のトレーニングウェアだ。
 上下セットで1000ゴールドもしない安い奴。子供のお小遣いでだって楽に手が出せるし、そもそも洗い替えに予備も含めて同じものを後二着は持っているから急いで買い足す必要すらなかったりする。
 買い物に付き合う云々も、彼女にこれ以上、頭を下げさせないための口実に過ぎなかったのだけど、何か失敗だったかしら。
「それにしても、よくあれだけで済んだね。本当に下手な魔族なら瞬殺しちゃいそうな威力だったのに」
 混乱するエリスを尻目に、ミリィが感心とも呆れともつかない調子でそう言った。その声音に彼女を責めるような色は既になく、単純な興味から聞いてきているようだった。
 一応、エリスに聞こえないよう配慮しているのだろうけれど、身体を寄せて耳元に囁くように小声で話しかけてくるものだから、密着度がすごいことになっている。特に胸。
 人を羨む割には、彼女も決して小さくないものを持っている。特に今は二人ともお風呂上りで薄着のため、よりダイレクトに感触が伝わってきていた。
「わたしも驚いたわ。まさか、人間相手の模擬戦で位相反転を使うことになるなんて思いもしなかったもの」
「空間を引っぺがして壁にするんだっけ。それはそれで、でたらめも良いとこな気がするんだけど」
「まあ、普通は人間に敗れるものじゃないのは確かね」
 それだけに、突破されると分かった時の驚きも一入だった。思わず硬直してしまって対応が一瞬遅れ、その結果があの様だ。
 とっさに空間転移の応用で亜空間に退避出来たから良かったものの、もし、仮に直撃していればこの身体じゃ持たなかった。
 空間位相の表裏をひっくり返すことであらゆる物理干渉を受け流す位相反転フィールド。
 その多重展開を越えて尚、セラフィムの器たるこの身を滅ぼすだけの威力があの魔法にはあったのだ。
 侮っていたつもりはなかったのだけど、この世界の魔法がそれほどのものだと思っていなかったのも確かだ。今後はもっと慎重になるべきだろう。
「ところで、ミリィ。わたしはいつまでこうしてれば良いのかしら」
 甘えるように摺り寄ってくるミリィに、わたしは腕に押し付けられている柔らかな感触を気にしつつそう尋ねる。
「嫌かな?」
「まさか。ただ、そろそろお夕飯の支度始めないといけない時間じゃない。さすがのわたしもこのままの体勢で料理するのは難しいわ」
 そう言って、刺激してしまわないように注意しながら彼女に抱え込まれている腕を示す。全部念動力で動かせば出来ないことはないのだけど、料理と呼ぶにはそれは何か違う気がするのだ。
「無理だとは言わないんだね。でも、それだったら今日はリータたちが代わりにやってくれるって」
 そうだった。元は魔法運用の補助をさせるために生み出したこともあって、分霊たちはよくわたしの世話を焼きたがる。
 与えた人格を成熟させる過程で、母親との思い出を参考にしたこともあるのだろう。その時のわたしもそうだったから。
 しかし、わたしは誰かを頼るということに関して酷く不器用だ。ミリィには最近言われたばかりだし、一応自覚もある。
 原因は明白で、もちろん、改善する努力だってしているつもりだけど、今のところ上手くいってはいないんでしょうね。
 だからこそ、今回のように無茶をすれば、彼女たちはここぞとばかりに構ってくる。いや、嬉しくはあるのだけど……。
「こんな程度で当番を代わってもらうわけにはいかないわよ。それに、あの子を元気付けるためにも今夜は自分で腕を振るいたいの」
 そう言って、わたしがまだ幾らか落ち込んでいる様子のエリスに目をやると、ミリィはバツの悪そうな表情でああ、と呟いた。彼女がああなっている原因の幾らかはミリィにもあるのだ。
「正直、ちょっと大人気なかったかなって思うよ。でも、リータたちもう始めちゃってるみたいだし」
「みたいね」
「それに、あたしもユリエルが自分でやるって言い出したら止めるように言われてるんだ。だから」
 ごめんね。そう言ってぎゅっとわたしの腕を胸元に抱え直すミリィは、申し訳なさそうにしながらも内心の嬉しさを隠しきれないようだった。
 まあ良いか。こんな可愛い彼女を振り解いてまで通すようなことでもないし、それに、せっかくの家族の好意を無碍にすることもないだろう。
 結局、シルフちゃんがご飯出来たと呼びに来るまでずっと二人でいちゃいちゃしていた。

  * * *

 美味しいご飯は人を笑顔にする。老若男女、古今東西どころか世界すら越えても変わることのないそれは一つの真実なのだろう。
 落ち込んでいたエリスも、夕飯に振る舞われたディーネちゃんの特製シチューを口にしてからは表情に明るさを取り戻している。
 現金と言うなかれ。時間を掛けてじっくりと煮込むことで、野菜の甘みを余すことなく溶け出させたシチューはとにかく絶品だ。
 そもそも、水に干渉することで物体の組成を知ることの出来る彼女の料理は、使われている食材からしてすべてが一級品だった。
 調理中によくお皿を割ったり、包丁で手を切ったりするディーネちゃんだけど、こと水が絡む作業に関してはほとんど隙がない。
 彼女が厳選した食材をシルフちゃんとノームお姉さんが調理し、火を加える段になればリータちゃんに制御された炎で仕上げる。
 そうして出来上がった料理は絶妙な調和の上に成り立つ至高の一品となるのだ。
「はぁ、あれ程の高度な魔法技術を使ってやったことがお料理だなんて……」
 スプーンを口に運びながら、エリスは何とも言えない表情で溜息を漏らす。幸せそうな笑顔の合間に覗く魔法使いの顔には、どうにも納得がいかないというような感情が多分に含まれているようだった。
「お気に召さなかったかしら」
「いえ。ただ、もったいないと思いまして」
 チラリ、ミニチュアサイズの食卓を囲んで談笑している分霊たちを見やりながらエリスは言う。技術の無駄遣いだとでも言いたいのか。しかし、そんなのは当人の自由だろう。
 力の価値を決めるのはそれを使う個人の意思。善悪もまた然り。例外があるとすれば、昇華された力自身が意思を持った場合だろうけれど、その意識体とて一個の人格である。
 それとも単純に消費された魔力を惜しんでの発言か。お嬢様然としていて案外倹約家なのかも。合理主義に偏りがちな魔法使いという人種からすれば、寧ろらしいとも言えた。
「使った魔力は微々たるものよ。それこそ、あなたのメラ一発分にも満たないわ。それに、精霊に働きかけるなんて、魔法が使える人なら誰でも日常的にやってることでしょ」
 要は、方向性の問題なのだ。そう言うわたしに、しかし、エリスは表情を変えることなく首を横に振った。そういうことではないのだと。
 何故その力で一匹でも多くの魔物を殺さないのか。そうすれば、それだけ苦しむ人も少なくなるというのに。彼女の目はそう語っていた。
 そこにあるのはよく言えば若者らしい、青臭い正義感か。それとも視野狭窄に陥りやすい人間特有の被害妄想なのかは分からないけれど。
 どちらにしても、あまり良い傾向とは言えなかった。他者を慮ることの出来る娘がこうもあからさまに攻撃的な意思を顕にしているのだ。
 魔物を怖いというこの少女は、それと同じくらい彼の存在たちを憎んでいるのだろう。おそらくは、大切な何かを奪われた一人として。
 アルちゃんに変化の杖を使い続けてもらっていて正解だったわね。もし、魔物の姿で出会っていたら、どんな惨事になっていたことか。
 内心安堵しつつ、足元で食事をしている一羽のウサギへと目をやる。
 皿に顔を突っ込んで一心不乱にシチューを食べている彼女の額に今角はない。
 その原因は先に述べたように、使用者の姿を一時的に変化させる件のマジックアイテムにあった。
 魔物が怖いというエリスのために、彼女の滞在中はなるべく人の姿でいることにしたアルちゃん。
 ところが、変化の杖が変化させる姿はランダムで、いつでも望んだ姿になれるわけではなかった。
 それが今回はこれというわけ。おかげで少し大きいだけのただのウサギにしか見えない。
 思考が物騒な方向に向きかけていた様子のエリスも、そんな小動物の見せる微笑ましい光景に毒気を抜かれたようだ。
「お代わり!」
 そして、元気にそう叫んでお皿を差し出すのはミリィ。その発言も三度目なら、それを受け取ったわたしが鍋の中身を掬って注ぐのも三度目だ。
 旅をしたりダンジョンに潜ったりしていると、まともに食事にありつけなくなることもある。
 それは魔物に襲われた拍子に荷物を紛失したりだとか、目算を誤ってダンジョン内で孤立したりとか、指折り数えればきりがない。
 森に入って狩をしたところで必ず獲物を狩れるとは限らないし、悪ければ逆にこちらが狩られるなんてことにもなりかねないのだ。
 だから、冒険者は食べられる時に食べておくようになる。なるほど、彼女は自分だけが大食いなわけじゃないと言いたいのだろう。
「エリス。何も直接的な脅威を退けるだけが守るということじゃないわ」
 満面の笑顔でシチューを食べ続けるミリィを見ながら、わたしは彼女に言葉を送る。冷たい涙を流させないようにするのは難しいけれど、暖かい笑顔を作るのは案外そうでもないのだと。
「そう、ですね。わたしもシチューのお代わり、いただけますか?」
 たった一杯のシチューと、それを囲う賑やかな食卓。ありふれた団欒に咲く笑顔はきっと、掛け替えのない大切なものだから。
 柔らかな微笑を浮かべて皿を差し出すエリスに、わたしは満足げに頷くと席を立った。

  * * * 続く * * *

 ひらめきが作品の方向性を縛ることもあるんですね。
 作者です。
 今回、細かい部分で何度か修正をしたんですが、どうあっても最後のやり取りで終わってしまいます。本当はもう1シーンあったのですが、何度書き直してもしっくり来ないため、思い切って次回に回しました。
 ・古代禁呪について。今回作中で挙げたジゴスパーク・ビック版・マダンテはドラゴンクエストVIから登場している特技です。
 これに同じくVIからの登場であるグランドクロスを加えた4つを本作では古代禁呪として位置づけることとします。



[4317] 第17章 鍛錬模様
Name: 安藤龍一◆8077f055 ID:ed24611f
Date: 2011/05/08 20:57

 ――ラダトーム王国・北西の森
  ミリィの家

  * * * side エリス * * *

 ――お姉様たちと冒険者協会の支部で出会ってから数日。今、わたしはミリィさんのお宅にご厄介になっています。
 お互いの命を預け合う関係になるのですから、少しでも多くの時間を共有して親睦を深めておくべきなのでしょう。
 それとは別に、宿代を浮かせて少しでも準備に当てられる金額を増やすという目的もあります。
 ミリィさんが仰るには、例年、実技試験では本格的なダンジョン探索をさせられることになるらしく、万全を期すのなら協会が用意する支度金だけではどうしても心許ないのだそうです。
 特に筆記試験だけのつもりだったわたしは最低限のお金しか持ち合わせていなかったこともあり、彼女からのその提案はとてもありがたいものでした。
 宿代を浮かすために、パーティーメンバーの誰かの家に泊まる、ということ自体はよくある話らしいので、わたしもそこは気にしないことにしました。
 もちろん、滞在中の家事等は分担制で、食費も割り勘。それでも宿に泊まるよりはずっと安く上げられるので、わたしに文句等あるはずもありません。
 実家では特別扱いが過ぎて家事等させてもらえませんでしたが、知識だけはあるので大丈夫なはず。……そう思っていた時期がわたしにもありました。
 包丁で指を切ること数回。煮物を任されれば鍋を焦がし、割ったお皿の枚数は十数枚に上ります。
 共同生活を始めてからまだ数日。ほんの数回、キッチンに立たせてもらっただけでこの有様です。
 他にも薪を割ろうと斧を振り上げてはその重さに振り回されて転んだり、
 ハーブに水をやるミリィさんを手伝おうとして、彼女をずぶ濡れにしてしまったりと数え上げればきりがありません。
 相変わらず魔物は怖いままですし、こんなことで本当に冒険者になれるんでしょうか……。

  * * * side out * * *

  堕天使ユリエルの異世界奮闘記
  第17章 鍛錬模様

 大国は一日にして成らず。日々の地道な積み重ねがあってこそ、彼の国は今日の繁栄を築けているのだという。つまり、成功したければ努力を怠るなということだ。
「というわけで、鍛錬するわよ」
 目の前で眠そうに目を擦るエリスとやけに肌艶の良いミリィに向けてわたしは言った。時刻は早朝五時。今の季節はまだ太陽も顔を出す前の時間だ。
「何がというわけでなのかは分からないけど、良いよ。ここ何日か動いてなかったし、偶にはちゃんとやっとかないと鈍っちゃうもんね」
 ミリィは乗り気のようだ。元気よくそう返事をすると、彼女は早速準備運動を始める。金属製の重たい装備一式を身に着けたままで行うストレッチはそれだけで身体が鍛えられそうだった。
「鍛錬って、具体的に何をするんですか?」
 対して、ミリィに習ってストレッチをしながらそう聞いてくるエリスの動きは何処か緩慢だ。神殿なんてところで修行していたのだから、早起きに慣れていないということはないだろうに。
「最初の三十分は基礎体力を向上させるための走り込みね。その後は仮想敵を使っての連携訓練をしようと考えているんだけど、大丈夫?」
「はい。昨夜は少し夜更かしをしてしまって、起きるのが辛かっただけですから」
「なら良いんだけど。あまり無理をしちゃダメよ」
 慣れない環境に体調を崩したかと心配になって尋ねるも、エリスは軽く頭を振ってそう答えると、気合を入れるように両手で自分の頬を叩いた。
 大陸北西部に位置するとはいえ、この辺りは平地に近く気候も比較的温暖だ。対して、彼女のいたダーマは高山地帯で南には砂漠もあるという。
 両者の気候の違いに慣れてもらうため、最初の模擬戦から今日まで数日、間を空けたのだけど、果たしてどれほど効果があったかは分からない。
 若い間は適応力も高く慣れるのも早いというけれど、それにだって個人差はある。何よりボディコンディションはメンタルの影響を受けるのだ。
 エリスを見ると、何故か両手を頬に当てたまま涙目になっていた。どうやら少し強く叩き過ぎたらしい。何というか、お約束に忠実な娘である。
「う、うう……、頑張ります」
 わたしの視線に気づいたエリスは顔を真っ赤にしてそう言うと、先にストレッチを終えて走り出したミリィを追って結界の外へと出て行った。

 ミリィの家の周りを結界の外周部に沿って走る。いつ魔物に襲われるか分からない緊張感に身を曝すため、内側ではなく外側を走るのがポイントだ。
 遭遇戦を想定するなら、もっと離れた森の中のほうが良いのだけど、それにはまずエリスが実際に魔物相手にどれだけ動けるか把握する必要がある。
 今日の訓練はそれが主目的であり、そのために適度な緊張感を保ちつつ身体を暖めてもらっている。まあ、普通に体力作りのためでもあるのだけど。
 知識を武器にする人種は持久力に乏しい傾向がある。エリスもマダンテを唱えたとはいえ、魔力が枯渇した程度で動けなくなるようでは問題だろう。
 まあ、あんなものを使うような事自体、そうあるとは思えないけど、何をするにも体力はあるにこしたことはないので、この機会に鍛えてもらおう。
 身体を慣らすように少しずつ走るペースを上げていく。わたし自身は体内に流れる気や魔力を意図的に阻害することで負荷を掛けてのランニングだ。
 エリスは結界の張られていない左側を気にしながらも、ちゃんと安定した正しいフォームで走っていた。普段のドジっぷりからは信じられない事だ。
 いや、最初の模擬戦じゃ短時間とはいえ、接近戦でわたしと互角に渡り合ったのだ。そんな彼女が今更ただのランニングで無様を曝す等あり得ない。
 きっと、あれだ。戦闘中の集中力が素晴らしい分、普段の生活では気が抜けてしまっているのだろう。それはそれで、問題ではあるのだけれど……。

   * * *

 静かな室内にカリカリとペンが紙に文字を刻む音。テーブルにはライトスタンドが置かれ、足りない分の照明を補っている。こうして机に向かうのも高校受験以来になるかしら。
 致命的なまでの一般知識の不足は、鈍器として使えそうな程の分厚い参考書を何冊も流し読みして、解析魔法で強制的に内容を記録領域に叩き込むことで何とかなりそうだった。
 魂に直接情報を書き込むのは、試験会場に大量のカンニングシートを持ち込むようなものかもしれないけれど、人間にだって完全記憶能力なんてものを持っている人はいるのだ。
 それに、過去の問題の傾向を見るに、知識を丸暗記しただけで解けるような問題は全体の四割にも満たない。求められるのは設問の意図を正しく読み取り、解を導き出す応用力。
 こればかりは数をこなさなければ磨かれることもなく、わたしは参考書をコピーする傍ら、ひたすら問題集を解き続けるということをかれこれ二時間以上も続けているのだった。
「ふぅ……、とりあえずはこんなものかしら」
 持てる処理能力を総動員して勉強し続けることおよそ三時間。合間に何度か小休止を挟んではいたものの、さすがに集中力が落ちてきた。
 解析の魔法を止めると、中のわたしからあからさまな安堵の気配が伝わってくる。記録の管理者たる彼女にも大分無理をさせてしまった。
 時計を見れば短針が示す数字は十一。長針は六を越えてもうすぐ七に差しかかろうとしているところだった。皆はもう寝ちゃったかしら。
 布団を敷くからテーブルを退かすと言われて、わたしがミリィの部屋を出てから一時間以上は経っているし、それでなくても良い時間だ。
 特にエリスは昼間の鍛錬の疲れもあることだし、明日も同じことをするつもりだから今夜は早めに休むように言っておいたのだけど……。
 初めての早朝鍛錬は最初のランニングの途中から襲ってきた魔物を相手に戦闘、そのまま三人でのパーティー戦に縺れ込むこととなった。
 なお、襲ってきたのは足に頭蓋骨を挟んだ巨大なカラスのモンスター、デスフラッターに、熊野ような巨体を持つアリクイのアントベア。
 赤い身体のスライムベスに、魔力を吸い取る能力を備えたワーム系モンスターのサンドマスター。そして、六本腕のガイコツ剣士の計五種。
 この内、結界に近づける程の力を持っているのはガイコツ剣士だけだったので、残りはこっそりミリィに口笛を吹いて呼び寄せてもらった。
 肝心のエリスだけど、予め奇襲の可能性を想定していたこともあってか、怯えながらもしっかりと対応して見せていた。
 まあ、スライムベスの群れが現れた時に森ごと纏めてベギラゴンで焼き払おうとしたのには肝が冷えたけれど、それ以外は概ね冷静に動けていたのではないだろうか。
 一方でパーティー戦の錬度を上げるというもう一つの目的はまるで果たすことが出来なかった。
 こちらのレベルが高いこともあり、わたしが何か指示を出すまでもなく、個々人がバラバラに戦っただけで戦闘が終わってしまうのだ。
 意識して合わせようにも、ミリィの早さにエリスが着いていけず、エリスに合わせれば、今度はミリィの持ち味が殺されてしまうのだ。
 ミリィが敵を霍乱・誘導したところに、エリスの大魔法で一気に吹き飛ばせれば理想的なのだけど、それも場合によっては効率が悪い。
 ちなみに、その場合のわたしの役目はエリスの護衛とミリィの援護。問題はそこまでしないとならない状況になることがあるかどうか。
 試験当日はわたしとエリスの二人だけなので、状況に応じて前衛後衛を入れ替えていけば良いだろう。いざとなれば、分霊たちもいる。
 朝の鍛錬は二時間ほどで切り上げ、その後は朝食と家事を挟んで昼まで勉強。
 午後からはこの間模擬戦をした場所まで行って、各自トレーニングを行った。
 途中、お花を摘みに行ったミリィが出くわしたグリズリーから蜂蜜をもらって帰ってきたりしたけれど、概ね問題なく終えることが出来た。
 総じて初日の結果としては上々。考えなければいけないことはあるものの、しばらくは様子を見ながら続けていけば良いだろう。

 参考書に栞を挿んで閉じ、テーブルの上に広げていた物を手早く片付ける。長時間集中し続けていたせいか、気がつけば酷く喉が渇いていた。逡巡。寝る前に何か飲もうかしら。
 冷蔵庫の中身を思い出しながら、わたしが席を立った時だった。がちゃり、ドアノブを回す音がして、リビングに誰かが入ってきた。エリスだった。
 薄いクリーム色の寝間着の上にカーディガンを羽織った彼女は、今の今まで勉強をしていた様子のわたしに気づいて驚いたように目を瞬かせている。
「ずっと勉強してらしたんですか?」
「ええ、切りの良いところまで終わらせておきたかったから。あなたこそ、こんな時間にどうしたの」
「皆さんとお喋りしていたら喉が渇いてしまって。何か冷たい物はありますか?」
 軽く伸びをしながら聞き返したわたしに、エリスは少し申し訳なさそうにそう答える。自分たちだけ遊んでしまったことを気にしてでもいるのだろうか。
「アイスティーで良いかしら」
「あ、いえ、自分でしますから」
「良いから座ってなさい。ちょうど、わたしも飲もうとしていたところなの」
 慌ててこちらに来ようとするエリスを声で制し、わたしは冷蔵庫からペットボトルを取り出した。
 プラスティックに似た何かで出来ているらしいそれは、内容物の組成を長期に渡って保つことの出来る優れものだ。
 わたしの解析魔法でも完全には正体を把握出来ないところに釈然としないものを感じないでもないけれど、一々気にしてはいけないのだろう。
 おかげであちらにいた頃とそう変わらない生活を送れているわけだし。
 お盆に二人分のグラス。放り込んだ氷がからんと涼やかな音を立てる。手ずから注いだ琥珀色を見ていると、ミリィに振舞われたハーブティーのことを思い出して思わず苦笑した。
「はい、どうぞ」
「いただきます」
 わたしからグラスを受け取ると、エリスはそっとストローに口を付けた。良家のお嬢さんらしくそんな些細な仕草にも何処か上品さを感じさせる。
 仕事上の付き合いで覚えたわたしのような外面を取り繕った似非淑女には真似出来ない、自然な優雅さが彼女にはあった。さすが本物、一味違う。
 そんなエリスの様子を眺めつつ、わたしも彼女の対面に腰を下ろしてアイスティーを飲む。そういえば、二人きりになるのはこれが初めてだった。
「どうかされましたか?」
 こちらの視線に気づいてか、エリスはストローから口を離して小首を傾げる。そんな仕草も可愛らしくて、わたしは思わず頬を緩めた。
「何でもないわ。ねぇ、エリス。皆とはどんなことを話していたのかしら」
「あ、はい。主にミリィさんの冒険での体験談についてでしょうか。後はそれぞれの普段の生活のこととかですね」
「へぇ、どっちも気になるわね。具体的にどんなだったか聞いても良いかしら」
「はい。あ、でも、わたしからお話出来ることはあまりないかと」
「あら、どうして?」
 少し困ったようにそう言うエリスに、わたしは表情に疑問符を浮かべて首を傾げる。
「ミリィさん、お姉様がいらっしゃらないからって、肝心なところは少しも話してくださらないんですよ」
「もう、仕方ないわね。ミリィもそんなにもったいぶらなくても良いのに」
「構いませんよ。その代わり、お二人の馴れ初めについて聞かせていただきましたから。その、随分と衝撃的だったと……」
「あの娘は何てことを話しているのよ」
 照れ隠しに少々の呆れを含んだ調子でそう言って、再びストローに口を付けたわたしは、続いてエリスから投下された爆弾に思わず咽そうになった。
 エリスを見ると、彼女は素知らぬ顔でアイスティーを飲んでいる。しかし、その頬が赤くなっている辺り、ミリィが何を話したかは一目瞭然だった。
「あ、あの、それで、そのうちわたしもお姉様の毒牙に掛けられてしまうんでしょうか……」
 内心で羞恥に頭を抱えて悶絶するわたしに追い討ちを掛けるように、エリスが顔を真っ赤にしながらそう尋ねる。いやいや、潤んだ瞳で上目遣いとか破壊力ありすぎるから。
 まあ、本人に面と向かって聞いてくる辺り、からかいの類なのは明らかなのだけど、こうもそそられる表情を見せられては何というか、思わずその気になってしまいそうだ。
 とはいえ、冗談と分かっていて襲い掛かる程、わたしもおろかではないわ。こういう時は年上らしく余裕を持って合わせてあげるのが正解。レディはエレガントに、である。
「お望みとあらば、今夜これからでもお相手してあげるけれど」
「い、いいえっ、え、遠慮させていただきます!」
「あら、残念」
 妖艶な笑みを意識しながら返したわたしに、エリスは慌てたようにそう言って首を横に振った。
「あ、あまりからかわないで下さい。わたし、そういうのに免疫がなくて、困ります」
「そっちから話を振ってきたんじゃないの。まさか、こういう流れになるって予想出来なかったとでも言うつもりなのかしら」
「い、いえ、ただ、ミリィさんにしてもお姉様にしても、想像していたのよりも聊か刺激的過ぎたと申しますか……」
「まあ、あなたも軽い気持ちで聞いたんでしょうし、今回はいきなりそんなところまで話したミリィが悪いわね」
「あ、あの、否定なさらないってことは、本当にお二人はそういう関係で……はぅぅ」
 羞恥が限界に達したらしく、言葉の途中で可愛らしく呻いて目を回し出すエリス。苦手と言う割には、人並みに興味もあるのだろう。
 彼女の場合は、下手に思考の展開が速いせいで良からぬ考えまで加速して、あっと言う間に危険域に達してしまうと言ったところか。
 幾ら賢者として悟りを開きかけていると言っても所詮人は人。殊にこの年頃のお嬢さんとしては、こちらのほうが余程健全と言えた。
「ほら、しっかりなさい。あなた賢者になるんでしょ。なら、これくらいの思考の一つも御せなくてどうするの」
「は、はい、済みません……」
「良いわ。あなたの精神修養はその妄想を制御するところから始めましょう」
 赤い顔のまま項垂れるエリスに、わたしは名案を思いついたとばかりに手を打った。方向性こそ違うが、羞恥体験がトラウマになることだって十分にあり得るのだ。
 それ程の感情なら、理性を以って激情をコントロールする術を身に付けるための訓練相手としても適切。それに、これなら彼女のトラウマを直接刺激せずにも済む。
「もうそうをせいぎょ……って、ええっ!?」
 その言葉から何を連想したのか、エリスは素っ頓狂な声を上げた。どうも言っている側から早速思考を暴走させているようだ。
 鍛錬中の冷静さは何処へ行ったのか。そんなエリスの様子に一つ嘆息すると、わたしは立ち上がって彼女の傍らへと移動する。
 それに気づいたエリスは慌てて席を立とうとするが、もう遅い。身体ごとすっぽりと腕の中に納め、彼女の耳元に唇を寄せる。
 そうして、二言、三言と囁いてあげるだけで、あたふたと逃げ出そうとしていたエリスは今度こそ完全に目を回してしまった。

  * * * 続く * * *



[4317] 第18章 ふたりの時間
Name: 安藤龍一◆8077f055 ID:ed24611f
Date: 2011/06/13 19:06

 ――ラダトーム王国・北西の森
   南東部

  * * * side ミリィ * * *

 速さは武器だ。
 戦うにしても逃げるにしても、自分が相手よりも速ければ速いほど有利になる。
 例えばトロルのようなパワー自慢だけど鈍重な魔物から不意打ちを食らった場合。
 素早く動ければ、相手が攻撃モーションに入った後からそれに気づいたとしても避けられることもある。
 上手くすれば、そのまま相手の横か後ろを取って反撃だって出来るだろう。
 相手は自分ののろさを自覚していて一撃で仕留めようとしてくるから、自然とその攻撃は大振りになる。
 当然、そんなのを空振りすれば、大きく体勢を崩すわけで……。
「つまり、こうなるわけだ」
 目の前で倒れ伏す魔人の背中を見下ろしながら、あたしは離れた木の陰からこっちを見ているエリスに向かってそう言った。
 その顔は蒼く、まるで快速馬車に初めて乗った人みたいだ。まあ、何度か空気の壁を突き破っちゃったし、無理もないかな。
 思考の高速展開が出来るって言っても、周りの動きがそれについて来るなんてことはそうそう体験出来るものじゃないから。
 ほら、思考が加速してる時に周りの動きが遅く感じたり見えたりすることってあるじゃない。
 でも、その状態で周りも同じように動いていたら、それは普段の思考速度の時と変わらないよね。
 そういう状況で、普段通りに考えられるようになれば、加速した思考を暴走させちゃうことも少なくなるんじゃないかな。
 だから、まずは速さに慣れてもらうために彼女を負ぶって森の中を全力疾走してみることにしたんだ。無茶が過ぎるって。
 そんなことは百も承知だよ。あたしだって、これと同じ方法で今の領域に達するまでに何度も死にそうになったんだから。
 でも、一ヵ月後の試験当日までにそれなりの形にしたいのなら、これくらいはやらないと。幸い、下地は十分に出来てる。
 そう、どうしてか、エリスの身体は華奢な外見からは信じられないくらいに頑丈というか、物理的な衝撃に強かったんだ。
 おかげで音の壁にぶつかっても潰れることはなかったんだけど、それだけで踏み入れる程、超速の世界は甘くはないんだ。
 世界がひっくり返るっていうか、内臓全部纏めてシェイクされる気持ち悪さは一朝一夕でどうにか出来るものじゃないよ。
 なまじ気絶出来なかったせいで、あれを最初から味わうハメになっちゃって、それでも、その、最悪の事態だけは避けて見せたんだから大したものだと思う。うん、本当に。
 超速領域から抜け出して、適当な木陰にエリスを下ろして休ませる。ベホイミ二回に、リラックス効果のある特製ブレンドのハーブの香りも渡して、あたし自身も軽く一服。
 そうして休憩している時だった。鈍重な足音を響かせながら近づいてくる魔物の気配に、あたしとエリスは思わず顔を見合わせた。一瞬、また熊でも出たかなと思ったんだ。
 だけど、麗らかな陽気に誘われたにしては、その気配はあまりに殺伐とし過ぎていた。まるで隠す気のない殺気に、流れてくる空気にも血臭が混じったような錯覚を覚える。
 そんな嫌な空気を引き連れて現れたのは、三メートルを越える巨体の魔人だった。丸太みたいな巨腕に発達した筋肉を盛り上がらせ、大きな棍棒を振り回す力自慢の怪物だ。
 トロル。大魔王が討伐されると同時にほとんどが魔界に引き上げて、今じゃ隣国の労働者層に少数見られるだけになったはずの魔物がどうしてこんな森の中にいるんだろう。
 不思議に思ったのも瞬き半分程の間。明らかにこっちを狙って来ているそのトロルに、あたしは嘆息すると腰の両側に下げたダガーを抜いてもう一度超速領域に踏み込んだ。
 仮に相手が隣の国の民だろうと、問答無用で襲ってきたのならそれを撃退するのは正当防衛だ。ちょうど良いから、エリスに実際に速さの有用性を見てもらうことにしよう。
 ――そして、話は冒頭へと戻る。
 両手で握った棍棒を振り上げながら、猛然と突っ込んでくるトロル。巨体の割には大した速力だけど、超速領域に入ったあたしの目には止まって見えた。
 ぎりぎりまで引き付けて、相手が棍棒を振り下ろすのに合わせて後ろに回り込む。奴の目には置き去りにしてきたあたしの残像が映っていることだろう。
 さて、殺すのは簡単だけど、そうするとこいつがドラファルナ帝国の民だった場合に国際問題になりかねない。あたしは一応、ラダトーム国籍だからね。
 幸いと言っちゃ、彼らに悪いけど、帝国籍のトロルは全員が下級市民の労働者層で、腕に市民ナンバーの刺青が彫られているはずだから、見れば分かる。
 まずは、五、六回ダガーの峰で首筋を叩いて意識を刈り取る。トロルはタフだから、十分に速度が乗った打撃でもこれくらいやらないと気絶しないんだ。
 これも超速度の成せる業。速さを力に変換出来るからこそ、純粋な腕力じゃ比べるべくもないあたしが、怪力自慢の怪物の生殺与奪の権利を握れるんだ。
 巨体に見合った轟音を立てて地に倒れ伏すトロル。敵が完全に意識を失ったのを確かめてから振り返ると、エリスは無言で首を横に振った。
 いやまあ、時間にして瞬き一回分もなかったんだ。今日初めてその領域を体感したばかりの彼女に目で追えって言うのも無理な相談だよね。
 苦笑して頭を掻こうとして、その体勢からまた加速。そうしてエリスの背後に迫った影をダガーで貫いた。けど、手ごたえがない。外した!?
 驚く暇もあればこそ。背筋に走った悪寒に、とっさにエリスを抱えて飛び退く。直後、それまであたしたちがいた場所を死の気配が貫いた。
 ――呪殺呪文!?
 声に出さずに驚くあたしの目の前でゆらりと立ち昇る黒い影。シャドー属と呼ばれるその魔物の手元には、まるで死そのものを凝縮したような、不吉な気配が漂っていた。
 その正体は、対象を高確率で死に至らしめるザキ系呪文。単発での致死率七十五パーセントっていうふざけたその呪文が今正にあたしたちに向けて放たれようとしていた。
 シャドー属の代名詞とも言われる死の呪文。基本的に遭遇したら使われる前に瞬殺しちゃうから、最近じゃめっきり見ることもなくなってたけど、これが中々おっかない。
 誰だって死ぬのは怖いからね。どんなに場数を踏んだ冒険者でも、自分は死ぬんだって感じたらその瞬間は硬直しちゃうものだよ。ザキはその恐怖の目に見える形の一つ。
 だけど、本能に強く訴えてくるっていうのは、それだけ存在を掴みやすいってことでもあるんだ。だから、ある程度勘の働く人なら不意打ちされても避けられる事もある。
 そもそも、シャドー属は魔封じに弱いから、その手段さえ持ってれば怖くも何ともないんだよ。寧ろ、問題なのはこんなに近づかれるまで気づけなかったってことのほう。
 影の気配自体掴み難い上に、トロルの殺気を隠れ蓑にしてたんじゃ仕方ないかもしれないけど、こっちだって鍛錬中で意識は戦闘モードだったんだ。言い訳にならないよ。
 連続して放たれる致死の塊を危なげなく避けては、詠唱のいらない初級呪文を撃ち返し、あるいはスローイングナイフを投げて影を構成している何かを削り落としていく。
 ザキは確かに怖いけど、詠唱から発動まで少しのタイムラグがある上、直進しかしないのに離れたところから撃って来るから、エリスを抱えたままでも余裕で避けられる。
 こっちも片手が塞がっちゃってるせいで手数が半減して思うように攻められないんだけど、今回はそれでも問題ない。だって、あたしたちには頼れる仲間がいるんだから。
 エリスの唱えたマホトーンの呪文が影魔の呪詛を縛り付け、仰け反ったところに四方八方から様々な色の魔力弾が降り注ぐ。ユリエルの分霊四人による全方位攻撃だった。
 一発一発の威力は小さくても、絶え間なく撃ち込まれる攻撃は影魔をその場に縫い止めて逃がさない。ザキの呪文も上手く封じられたみたいだし、こいつはこれで詰みだ。
 そして、高められ、集束されたユリエルの聖波動が一条の光となって宙を翔る。それは狙い過たず影魔へと迫り、そして……。

  * * * side out * * *

  堕天使ユリエルの異世界奮闘記
  第18章 ふたりの時間

 戦いに於いて最も注意しなければならないのは、勝利を確信した瞬間だという。そこに生まれる無意識の油断という名の隙はどれ程の熟練者であっても完全に無くすことは出来ないからだ。
 逆に追い詰められたものはどんな小さな隙も見逃さずに食らいついてくる。敗北を悟って尚一矢報わんとする執念は凄まじいものがあり、逆転されないまでも思わぬ痛手を被ることになる。
 そのことを失念していたわたしたちは、影の魔物が反撃に吐き出してきた猛烈な吹雪を浴びて雪塗れになってしまったのだった。
「くしゅん。……うう、まさか、あのタイミングで吹雪を吐かれるなんて思わなかったよ……」
 震える身体を両手で抱きしめながらそう言うミリィに、反撃を許す直接の原因となったディーネちゃんが申し訳なさそうに縮こまる。彼女が攻撃するタイミングを誤ったために、一瞬だけど弾幕が途切れてしまったのだ。
「済みません。わたくしがタイミングを誤ったばかりに……」
「別にディーネを責めてるわけじゃないよ。助けてもらったし、それに、これはこれで、中々……」
 そう言って周囲を見渡したミリィの表情がにへらとだらしなく緩む。やらしいことを考えてる顔。
 致死性の雪を浴びたわたしたちは、とりあえず着ていたものをすべて脱がなければならなかった。
 わたしの使う浄化の魔法は水属性のため、そのままでは余計に身体を冷やしてしまうことになる。
 そんなわけで、我が家のリビングでは現在進行形で肌色の多い光景が繰り広げられている。目福。
「……はい、エリス。朝のスープ、温め、直したから」
「ありがとうございます……」
 ソファでは毛布に包まったエリスが、一人留守番をしていて無事だったアルちゃんから差し出されたマグカップを受け取っていた。
 両手で受け取ったマグカップを包むようにして嘆息する彼女。心なしか蒼白だったその表情にも僅かに赤みが差したように見える。
 そんなエリスの様子に、誰知らず安堵の息が漏れる。吹雪を浴びた当初は唇の色が悪く、意識ももうろうとしていた様だったから。
『マスター、お風呂沸いたわよ』
「ありがとう。今日の入浴剤は?」
『マイラの名湯百選から身体の芯から暖まれそうなのをチョイスしたわ』
「分かったわ。すぐに行くから、先に入ってて良いわよ」
『了解』
 お風呂の準備をしてくれていたリータちゃんからの思念通話に応じると、わたしは着替え一式を手に腰掛けていたソファから立ち上がった。
「お風呂沸いたの?」
「ええ、今リータちゃんが知らせてくれたわ。エリス……は、まだしばらく安静にしていたほうが良さそうね」
「うう、済みません。わたしのことは構いませんので、どうぞ温まってきてください」
「わたし、見てるから。心配、いらない」
「そうね、じゃあお言葉に甘えちゃいましょうか。ミリィ、ディーネちゃん、シルフちゃん、ノームお姉さん、行きましょう」
 皆に声を掛けて脱衣所へと向かう。エリスやアルちゃんには申し訳ないけれど、今は一刻も早く身体を暖めたかった。
「ふんふふーん、ユリエルとお風呂♪」
「言っておくけど、今日は一緒に入るだけよ。リータちゃんたちもいるんだから」
「わかってるって」
 すぐ後に着いてきたミリィは、鼻歌混じりに上機嫌でそんなことを言う。そういえば、一緒に入ったことはまだなかったのよね。
 情事の後は大抵リフレシュアミストで洗浄してそのまま寝てしまうし、朝はわたしのほうが早いから一緒に入る機会もなかった。
 エリスが来てからは二人きりになるのも難しかったし、鬱憤が溜まっているんじゃないかと思って一応釘を刺してみたのだけど。
 身体に巻いていたバスタオルを取って引き戸を開けると、白く立ち込める湯気の向こうにおかしなものが見えた。
 何というか、宙に浮かぶ斜めに傾いた桶に、妖精姿のリータちゃんがくっついている。
 いや、掛け湯をしようとして桶を持ち上げたところなんだろうけど、今はミニサイズなものだからそれだけで一杯一杯になってしまったのだろう。
 しかし、この状況、何となく後の展開が見えた。
 桶の重さによろけたリータちゃんと目が合う。
 その手から離れた桶が弧を描きながらこちらに向かって飛んで来て……。
「一番、シルフ。行きまーす……って、うにゃぁぁ!?」
 いきなり湯船にダイブしようとして勢いよくお風呂場に飛び込んだシルフちゃんと激突した。
 見事なクリーンヒットに、べちゃり、という嫌な音を立てて壁にへばり付く妖精姿の風分霊。
 桶が床に落ちた音でハッとしたリータちゃんが慌てて駆け寄るも、彼女は完全に目を回して気絶してしまっていた。
「な、何をしてくれちゃってやがりますかあなたはっ!?」
 ぐったりとして動かないシルフちゃんを抱えておろおろするリータちゃんに、ディーネちゃんがもの凄い剣幕で詰め寄る。
「わ、わざとじゃないのよ。つい手元が狂っちゃって。ど、どどうしたら良いのよ」
 詰め寄られたリータちゃんはたじたじになりながらそう反論するけれど、さすがに事故とはいえ、自分のやらかしたことを思うと強気には出られないようだった。
「――金盥じゃなかっただけ良かったと思うべきかしら……」
 一気に騒がしくなったお風呂場に、ノームお姉さんの漏らしたそんな呟きがやけにはっきりと響いた。

「――で、結局、二人きりで入ることになるわけね」
 ポツリと漏らしたわたしの呟きに、ミリィが困ったようにあいまいな笑みを浮かべる。嬉しいのだろうけど、あからさまに喜ぶのも不謹慎だと思って自重したようだ。
 シルフちゃんを回復させるために戻し、それに付き添う形でリータちゃんとディーネちゃんも戻る。そうなると、皆のノームお姉さんが一人だけ残ることもなく……。
「とりあえず、お風呂入ろっか。これ以上、身体を冷やすのもまずいしさ」
 ミリィの勧めに是非もなく、わたしたちは手早く掛け湯をすると並んで浴槽に浸かった。
 熱めのお湯が身に沁みる。
 全身の疲れが溶け出すような心地良さに、思わず身体を弛緩させて吐息する。お風呂は命の洗濯だと言う人がいるけれど、確かにこれ程良いものもそうはないだろう。
 わたしもお風呂は大好きだ。
 温泉大国日本に生まれることが出来た現世に感謝し、次元を超えた異世界にも入浴の文化があると知った時には心の底から安堵するくらいには、この風習を愛していた。
「ふぅ、良いお湯ね」
「うん、身体の芯から暖まるっていうか」
「これでもう少し広ければ、言うことはないんだけど。……暇な時にでも拡張しちゃっても良いかしら」
 元々一人暮らしのミリィの家のバスタブだ。広さも一般的な家庭のそれで、二人で一緒に入るには少々手狭だった。
「あたしはこれくらいのほうが良いかな。ほら、こうやってちょっと動いただけで触れ合えるから」
 そう言って身体を寄せてくるミリィの肩を抱き寄せ、胸元に抱え込む。そのまま身体の向きを変えると、わたしは空いたスペースに足を投げ出した。
「……今日はしないんじゃなかったの?」
 遮るものもなく触れ合う肌の感触に、お湯に浮かぶ胸の谷間からこちらを見上げてくるミリィの顔に期待の色が浮かぶ。
「ええ。でも、これくらいなら良いでしょ。わたしもミリィ分が不足しているんだもの」
「何かダイエット出来ない女の子みたいなこと言ってるね。ていうか、あたし分って何?」
「良いから。あなたは大人しくわたしに抱かれてなさい」
 少し呆れたような顔でそう言うミリィに、わたしは構わず抱きしめる腕に力を込めると彼女の感触を堪能した。
 ダイエット出来ないとか、体重じゃないけれど少し身に覚えがあるのをごまかす意味もあったかもしれないわ。
 本当にただのスキンシップ。エッチほど激しくなくて、でも、わたしにはあなたが必要なのって伝えたかった。
 訳もなく、そんな気持ちになることってあるわよね。
 わたしに抱きすくめられたミリィは、しょうがないなとでも言いたげに軽く身動ぎすると、黙って身体を委ねてくれた。
「ごめんなさい。変に期待させちゃって」
「別に。ただ、その分は次に上乗せしてくれるんだよね」
「もちろん」
「なら、良いよ。それに、偶にはこういうのも悪くないしね……」
 そう言って目を閉じると、ミリィは完全に身体から力を抜いた。
 ――密着した肌を通して伝わる鼓動……。
 穏やかに脈打つそれは、彼女が安らぎを得ている証拠だった。
 このまま眠ってしまったら、きっと良い夢が見られることだろう。
 そんな、確信めいた予感に誘惑されながら、わたしたちは暫し至福の時を過ごしたのだった。

  * * * 続く * * *


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