<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

SS投稿掲示板


[広告]


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[4384] 腕白関白(完結)
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2012/02/28 05:16
※この小説は現在改定版を「小説家になろう」には連載中です。




目の前には無数の旗。

眼前に広がる山々には同じく無数の旗が突き出ている・・・あー、勝家のおっさん、気合入ってるなー。
まあ、負けるんだけどね、勝家のおっさんは。
この賤ヶ岳の戦い・・・確か、佐久間盛政が中入りして秀吉がいない間に本陣落とす!って作戦で引き際間違えてやられるんだったよな。
まー、俺も端っこのほうでこそこそしておこう。
別に無理に手柄を狙うつもりもないし・・・周囲はなんか色めきたってるけど、俺は無難にやり過ごそう・・・。



朝、起きたら戦国時代にいた。


いや、びっくりした。昨日までサラリーマンだったのに。零細企業の係長補佐だったのに。
色々葛藤や悩みもあったが・・・どうにもならんもんはどうにもならん。
このまま農民の子として一生を終えるのもいい・・・日本人は土と共に生きる農耕民族なのだ・・・とか思っていたら。
どうも、家族の話を聞いてると雲行きが怪しい。
最初にそう思ったのは、母親の話を聞いてからだ。
「私の弟は、武士になんぞなりおってな・・・」
ほほぅ、俺の叔父さんは武士になってるのか。それは初耳だ。
「言ってなかったかぇ? ほれ、今世間を騒がせとる織田様んとこだ」

何ぃ! 織田とな! この時代の織田っつったら信長! 子孫はフィギアスケーター!
「何をわけのわからんこと言っとる。その、信長様んとこで働いとる」
なんと、叔父は信長の家臣だったのか・・・有名な人ならいいけど、期待できんな。俺の家、ただの農家だし。
「まったく、大人しく畑でも耕してくれていれば・・・今頃お前にも少しは分けてやる田が多かったろうに・・・藤吉郎め」

・・・今、なんておっしゃいましたかな、母上様。

「何がじゃ」
いや、叔父の名前です。
「藤吉郎じゃが?」

・・・・・え? 木下藤吉郎? それってひょっとして猿っぽいっつーか鼠っぽい顔してますかね?

「猿じゃな」

ほほぅ・・・俺の叔父は木下藤吉郎・・・後の豊臣秀吉である・・・って待てぃ!
じゃあ、俺は・・・秀吉の甥! 後の天下人の甥! 天下人の血族ってことは・・・贅沢三昧!

って、ちょっと待て。秀吉の甥?

オーケー。落ち着いて考えよう。ていうか、思い出そう。
秀吉の血縁関係を思い出そう。
伊達に司馬○太郎の小説を全て読破したわけじゃない。
信長の野○も全てやりこんだ男だ。

確か・・・・・

秀長(これは確か異父弟だったはず)
秀秋(これはねねの兄の子だ。後の小早川秀秋)
秀勝(信長の子の一人だ。養子にしてたはず)
秀次(殺生関白とか言われて腹切らされた可哀相な人だw)

秀次は甥だったはず。確か秀吉の姉の息子・・・・。



ああ、俺か。

こいつはお先真っ暗だ。







[4384] 腕白関白~賤ヶ岳前哨戦~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/10/08 23:23
あれからもう何年たったのか・・・。
初めて秀吉と会って・・・第一印象は「猿だ! 猿がいる!」だったが。口には出さなかったけど。

その後、宮部継潤に養子に出されて。
浅井が滅んだら三好康長に養子に出されて。
教育を受けることはできたけど、まあ、いわゆる人質だからな。
ただ、俺に何かあると織田の有力武将を敵に回すわけだから、そんなに悪い思いはしなかったけど。
宮部継潤はいい人だった・・・今も秀吉の親父が信任していることからも判る。


さて、歴史は歴史通りというか、俺の知ってる歴史と大差なく動いていった。
天正10年。忘れもしないあの年。
そう、俺の知っていた歴史通り・・・本能寺の変は起きた。
そして、中国から神速の行軍で帰ってきた秀吉が明智を討ち、清洲会議で主導権を握り。
柴田勝家との間は決定的に悪くなった。
実際にその時代に立ち会ってみると分かる。柴田か羽柴か。どちらが織田の版図を継いで天下を狙うのか。
これは避けられない、必然の戦いなのだ。自分こそが天下を担う男であると示すための・・・。



だからと言って、三好の養子から呼び戻してまで俺を賤ヶ岳に従軍させないでくれ。

遠く、阿波の地から応援しておくつもりだったのに!

そりゃあさ! 秀吉には親族が少ないのは知ってるけど! それはあんたに子供がいないからだろうが!
秀長さん(超いい人だった)がいるからいいじゃん! 微妙に親族と言えんこともない程度の福島とか加藤とかもいるだろうに!
俺まで呼ばなくても!

まあ、別に俺は大名じゃないので、部隊を率いているわけじゃない。
後に『七本槍』とか言われることになる奴らと秀吉の側周りとしてうろちょろしてるだけだ。

一応、秀長さんの仕事手伝ったりしてるけど。七本槍の奴ら、血気盛んだけど事務方には向いてない奴らばっかで・・・。
色んなとこに養子に出されて(人質だけど)教育受けた俺は秀長さんの仕事手伝うにはうってつけだったらしく。
兵糧の数を数えて分配したり、連絡役として色んな部署に使い走りしたり。
途中、秀長さんに「この合戦、負けられぬのだ、孫七郎」とか言われたので、

「まあ、勝つでしょう。わざわざ美濃に別働隊率いて隙を見せるわけですから。佐久間辺りが乗ってきますって」

とか適当に歴史知識をひけらかしていたら、妙に関心されてしまった。
「なかなかの才気かもしれん・・・」とか呟いてたけど、気にしないでおこう。
実際、鎧が重くてまともに戦える状況じゃないし。槍とか貰ったけど、振り回す程度しかできん。


秀長さんとこでの仕事も一段落着いたので、本陣でぼーっとしてると七本槍が集まっていた。
いや、それ以外にもいっぱいいるのだが。ちょうどいいから歴史上の人物をしっかり観察させて貰おう・・・。

~福島正則~
まずはやっぱこいつだろう。武勇では秀吉子飼いの中では加藤清正と並んで突出している。
・・・でもアル中っぽいけどなぁ。目が血走ってるし。なんかわめいてるし。今にも誰か殺しそうだ。
まあ、あんまり近寄らないでおこう。どうせ何れは俺のほうが出世するしね! 一応秀吉の親族としては俺のほうが近いからね!
「荷駄頭でもやっておけばいい程度の男だ」とか俺を見ながら言ってた気がするけど聞こえないフリをしておこう。
タイマンで勝てる相手じゃない。

~加藤清正~
福島と並んで武断な男だ。
福島よりは若干常識人・・・か? まあ、ねね様のお気に入りでもあるから、まともな人だと信じたい。
「手柄は俺が一人締めよ。虎の如く敵の喉に喰らいついてやるわ」とか興奮してるので、こいつにも話しかけたくない。
でも体でかいし、いざ戦場になったらこいつの後ろに隠れているのもありかもしれん・・・。

~加藤嘉明~
『加藤の有名じゃないほう』とか後世で言われてしまう人だ。
実は七本槍の中では最もまともな能力では? と思っているんだが。
でも子孫があれだからなw

~脇坂安治~
貂の皮を持ってる人・・・・くらいしか印象がない。
『そこそこ優秀だけど、それだけの武将』と言ったらきっと怒られるだろうから言わない。

~平野長泰~
七本槍の中で実は一番マイナーな人じゃないだろうか。
この人だけ大名になってないんだよな・・・。
でもまあ、確か司○先生の小説で彼の子孫は明治まで続いているとか書かれてたからある意味幸せな人なのかもしれん。

~糟屋武則~
こいつも地味だ・・・小姓頭だったはずだけど。
てか、関が原で西軍についた奴じゃなかったっけ? よく覚えてねぇや。

~片桐且元~
大阪の陣で豊臣と徳川の板ばさみになった挙句に淀君のヒステリーで被害を受けた人だな。
なんつーか、ろくな人生が待ってないとこは俺と大差ないかも・・・。
思わず、ちょろまかしてきた酒を一緒に飲んでしまった。ちょっと仲良くなれたような気もする。
「なんだ、こいつ。馴れ馴れしい・・・」とか呟いてたような気もしたけど、スルーしておこう・・・。


そんなこんなで、秀吉が別働隊を率いて密かに美濃攻略に向かうことになった。
俺は秀長さんとこでお留守番だ。

そういや、佐久間の中入り戦法で中川清秀とか討ち死にしたような・・・まあ、俺にできることは今の時点ではないな。
秀吉本隊が帰ってくるまで、秀長さまのとこでせっせと点数稼ぎをしておこう・・・。












[4384] 腕白関白~賤ヶ岳本戦~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/10/09 19:43
歴史通り、美濃攻略に出向いた秀吉本隊の隙をついて佐久間が動いた。
あやうく本陣落ちるんじゃないかとか、ヒヤヒヤしたぜ。
丹羽様が琵琶湖から来てくれなきゃやばかったね。まあ、史実通りなんだが・・・。

そして、秀吉本隊が怒涛の勢いで帰ってきた。世にいう美濃返しである。

戻ってきた秀吉の号令の下、撤退を開始した佐久間の軍勢に襲い掛かる羽柴軍。

この後、佐久間が奮戦して手強かったので救援に来た柴田勝政に攻撃目標を変更。
それを逆に佐久間が救援して乱戦に・・・なったらしい。


最初の突撃で山を登ってる途中でバテて置いていかれた俺には関係なかった・・・。


皆はえーよ! ついて行けん!
鎧着て槍かついで急斜面を登るなんて、俺には無理!
一応、総大将の血族なんだが・・・後の関白なんだが・・・誰も助けてくれなかった。

ようやく登りきった頃、空が白み始めて。
前田利家が軍を動かしているとこだった。

あー、そういや途中で前田帰ったんだっけ。
その後、前田の行動を裏切りと誤認した勝家側が崩れた・・・まさに今の状況ですね。

ふっ、七本槍の活躍も先駆衆(石田三成とかいたはず)の活躍も俺には遠い世界の出来事だったぜ・・・。


その後、手ぶらで帰るのも何なのでそこらに落ちてた槍とか兜とか拾ってから秀吉に追いついた。

「やあ、孫七郎。そちもよう働いた」
うむ、さすが秀吉! 少ない血族を大事にしないといけないから見てないくせに断定だ!

「勝家を追うぞ。ついてまいれ」
一応、俺が羽柴家で一番跡継ぎに近い。今の所はだが・・・。
だから秀吉も山すら登れぬ俺を無下にはできんのだ! 情けない限りだが!

「途中、前田様に挨拶していきましょう、父上」
前田は戦場からほとんど敵前逃亡のように撤退している。
つまり、軍は無傷なわけだ。ひょっとしたら一戦交える可能性がある・・・と他の者は考えている。
だが俺は違う! だって結果知ってるからな!

「よう気づいた。又左に顔を見せてから行くかい」
稀代の人心掌握の天才、秀吉もことさら大きな声で言ってくる。
周囲の人間に「前田のことはまったく疑っていない。友人である」と宣伝しているわけだ。

そして、後越前・府中城へと軍は進む。前田利家の居城である。
秀吉は一人で逢いに行く、と言って周囲を驚かせている。危険です、降伏の使者なら拙者が、とか周囲が言ってる。
ここは点数稼ぎだ! 前田が秀吉をどうこうすることはないからな! 身の危険がないなら点数の稼ぎ時だぜ!
「私も共に行きましょう」
「おお、孫七郎。そちも共に行くか。さあ又左に会いにゆこうぞ」

うむ、周囲も驚いてるな。なかなかに豪胆な・・・とか、大丈夫なのか・・・とか聞こえてくる。
少しは賤ヶ岳で何もしてないのがごまかせたかな・・・。


前田利家は、なんというかイメージ通りの人だった。
豪快な武人で、いかにも実直で義理堅い人に見える。
でもこの人も元服前までは信長の小姓・・・衆道の関係にあったんだよな・・・。

「今日は俺とお前で桶狭間だ」「ああ、信長様。腹の中が天下布武でございます」とかやってたんだろうか?

くだらんこと考えてる間に、勝家攻めの先鋒が前田利家に決まってた。息子も従軍するらしい。

くそ、まつさんに逢いたかったがよく考えたらもう年増だな。どうでもいいや。



さて、前田利家軍を新たに加えて目指すは柴田勝家の居城、北の庄だ。

・・・なんか忘れてるような気がする。
北の庄・・・柴田勝家・・・嫁・・・市・・・って茶々!

しまった! このままでは茶々が秀吉のとこに来てしまう!
まずい、まずいぞ!
なんとかしないと!



[4384] 腕白関白~旗を折れ~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/10/09 21:07
俺は今、生涯で最も燃えている! そう、喉も裂けよと叫んでいる!
「行けーーーーーー! 撃て撃てーーーー!」
頑張れ! つーか頑張ってくれ!
北の庄を焼き尽くすのじゃーーーー!


前田利家が先鋒と決まったあと、秀吉に呼ばれたので何かと思ったら「一隊を率いよ」とか言われた。
まあ、しょうがないか・・・いつかはやれと言われると思ってたし・・・賤ヶ岳でやってたら大将が坂道でへばってるという失態を犯すとこだったぜ。


そんなわけで、200人ほどの人数を預けられた俺は、北の庄に攻撃をしかけたのである。
他の奴らはここで手柄をとか思っているかもしれん。だが俺は違う!

なんとか茶々を! あいつを殺さないと!

確か、柴田勝家は天守閣に火薬持ち込んでたはず!
三姉妹を秀吉に預けた後、その火薬で市と一緒に爆死したはずだ!

つまり! 今、なんとかして天守閣に火が届けば! 届けば! いや、届かせてやろうとも!
吹けよ風! 上り詰めろ炎!

「兵庫! やれぃ!」
「御意」
俺の興奮を冷静に流す、我が参謀・舞兵庫。
前田勢が奮闘してるとこで、巧みに200人を操って城に寄せていく。

「火矢だ! 火矢持って来い! 天守閣に向かって撃て! 撃つのじゃー!」
「いや、届きませんから。まずは前田隊と連携して大手門を・・・」
ちょ、おま、早くしないと俺の死神(の母親)がやってくるだろうが!
何冷静にやってんだ!

「柴田勝家殿は歴戦の将・・・事ここに到って死に際を汚すような真似は致しますまい・・・」
いや、勝家とかどーでもいいから。爆死でも憤死でも腹上死でも勝手にしてくれ。

「周りの重臣もここまでつき従った者たち・・・むしろ最後の刻を与えるが武士としての・・・」
最後の刻が迫ってんのは俺じゃ! この機会を逃したら!

「む、使者が出てきたようです・・・どうやら、これで・・・」
ああ、終わったようだ・・・俺の未来が閉じていく音が・・・聞こえる・・・。

「羽柴殿に申し上げる! 主、柴田修理亮勝家はただいまより自害致す! 天主には火薬があるので距離を御取りくだされ!
 なお、羽柴殿に言付けがありもうす! 故右大臣信長様の妹君、お市様の娘三人を・・・」
使者が声を張り上げて訴えているが、俺はもう聞いていなかった。


その後、あでやかな着物を着た三人の少女が秀吉の陣に送り届けられ。
直後、閃光と共に天守閣が巨大な炎に包まれた。


俺の・・・死亡フラグクラッシュ作戦が・・・今・・・終わった。
失敗したのだ、俺は・・・生き延びるチャンスが、一つ減った。
保護された三姉妹の長女は・・・茶々。後の淀君なのだ。


「せーかーいでーいちーばんおーひーめーさーまー・・・」
「何の歌ですか、それは? さあ、我らも撤収しましょうぞ。何、初の実戦での指揮にしては上出来でござった」
「そうか兵庫・・・ありがとうよ。
 これからも苦労かけると思うけど、よろしくな?」
「御意」
・・・ほんとに苦労かけると思うけどな。


その後、賤ヶ岳の論功行賞が行われ、七本槍が福島正則だけ五千石貰って加藤清正が怒ったり。
秀長さんが秀吉に「孫七郎は意外にやりますな。戦局をよく読み、部隊を率いてもよく人を用いています」とか言ってくれたり。
おかげで河内二万石を貰ったよ・・・まあ、俺くらいしか、今のところ手駒がないもんな、秀吉。

それも茶々が男子を産むまでだが・・・考えても仕方ない。
今の俺の立場で、柴田勝家と羽柴秀吉の交渉に割ってはいるなど、夢のまた夢だったわけだ。


とにかく、なんとかして生き残る術を考えよう・・・このまま秀頼が生まれて高野山で切腹は勘弁だ。

幸い、まだ時間はある・・・策はゆっくり練り上げればいいのだ・・・たぶん。

なんとかなるといいなぁ。



[4384] 腕白関白~閑話休題~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/10/10 21:47
河内二万石。
れっきとした大名である。
名を羽柴孫七郎秀次、と改め、秀吉の甥として正式にその傘下に加わった、と言えなくもない。
賤ヶ岳の戦いの時点では、まだ彼は三好孫七郎秀次だったのである。
本来、史実では来年以降に羽柴秀次になるはずであったが、秀長の褒め言葉と、秀吉の親類を取り立てて周囲を固めたい事情が、彼を羽柴姓にした。
史実より、少しだけ早く。

彼は今、大阪にいる。本来なら領地である河内にいって藩政をしきらねばならないが、今の彼には優秀な能吏も役人もいない。
舞兵庫に武略はまかせっきりだが、彼に藩政まで仕切らせるのは無理がある。
それに、どうせ長くいる場所ではない。そう、賤ヶ岳の戦いの後、やはり歴史通りの事があった。
徳川家康配下、石川数正が『初花』を携えて祝勝を延べに来たのである。
秀吉は喜んだ。秀次は緊張した。
歴史は史実とほぼ同じく流れている。つまり、来年には小牧・長久手の戦いが起こる可能性が非常に高い。

小牧・長久手の戦い。

徳川家康と豊臣秀吉。

”戦国時代”を代表する英雄二人がただ一度、戦った著名な戦いである。
そして、歴史上においては秀次の名が大きく登場する。不名誉な記録として。


徳川家康。東海の覇王。海道一の弓取り。江戸幕府を開いた男。
忍耐の人。権謀術数に長けた策謀家。あるいは、ただ長生きによって天下を取ったという人もいる。
俺はこのまま行けば、来年には小牧・長久手の戦いに行くことになる。秀吉の縁者として、一手の大将となるだろう。
あの戦いで、俺は別働隊の指揮官となり、三河を攻める役目になるはずだ。
そして、家康に看破されて負ける・・・というのが秀次の大まかな役目だ。
後の研究家においては、ここで秀吉が家康を屈服させることに失敗したため、秀吉は生涯家康に遠慮せねばならず、征夷大将軍の座も掴めなかった、とさえ
言われている戦いである。


さて、どーっすかなぁ・・・。

秀次は大阪にある自分の屋敷で横になりながら考えていた。
まず、河内二万石。いくら一年しかいないと言っても、内政をほっとくわけにはいかん。
自分の家臣の中で誰か・・・能吏として優秀そうな奴に、方針だけ言い渡してやらせるのがよさそうだ。
そう考えた彼は、田中吉政にとりあえず丸投げを決めた。
優秀だし、16歳の俺が頑張るより領民も言うこと聞くだろう、との判断である。
彼は、現代日本から戦国時代に来て変えたほうがいいと思ったこと、逆に変えないほうがいいと思ったことを纏めて田中吉政に言いつけた。

・治安を良くするように心がけてくれ
・罪を犯した者は勝手に裁くのではなく、取調べを行ってから裁くこと
・親の罪は子には及ばないようにすること
・検地を行って台帳を作ること
・楽市・楽座を作ったほうがいいと思う
・領地に新たに城を作る必要はない。よって領民に労働を科してはいけない
・税率は下げるように

主に、人気取りが目的だったが、検地を行って台帳を作るのはいずれ大きな領土を持った時の予行演習を能吏にさせるつもりであり、城を作らないでいいと
の項はどうせ一年しかいないから作っても無駄、と割り切ったからである。
税率を下げると軍費が不安だが、小牧・長久手の戦いに行くなら複数の大名をまとめる大将になるのだから、自分の軍費はさほど必要ない、とこれも割り切った。


今、考えなければいけないのは小牧・長久手の戦いだ・・・たぶん、奇襲されることがわかってるんだから、その回避はなんとかなる。
舞兵庫にまかせればなんとかしてくれる。「奇襲あるよ」と言っておけば奇襲にならんからな。

しかし・・・奇襲が失敗したら、たぶん秀吉が勝つよな。
小牧・長久手で勝ったら・・・家康は秀吉に屈服し、数ある大名の一人に落とされるだろう。
そうなったら、北条征伐の後に関東を与えるなんてことはしないだろう。関東八州がなければ・・・たとえば家康が50万石くらいなら、秀吉亡き後に何もできない。
それがほんとにいいのか、俺には判断つかん。
秀吉の後半生はなんというか・・・酷いしな。
死んだ後、絶対に俺が生きてれば俺が苦労するのは目に見えてるし・・・秀頼はガキだし。

じゃあ、やっぱ史実通りに家康が秀吉の後の天下を・・・だめだ、俺を生かしておく未来がみえません。

まあ、わからんし! 実際にやってみないと!

奇襲は避けれるなら避けよう。下手したら俺が死ぬ可能性まであるし。


なるようにしかならん! 今の俺は16歳だし!

小牧・長久手までに俺ができることも少ないし! 秀長さんに「雑賀と根来と長宗我部と佐々成政の抑えを今から置いておきましょう」とか言えないし!
「なぜ?」と問われたら「家康と来年戦う時に邪魔するから」とは答えられん!

今、俺がやることは一つ! 家臣の数を増やすことだ!
舞兵庫と田中吉政だけじゃ不安だからな。

よし、宮部の父ちゃんと三好の爺さんのとこでも挨拶に行ってくるか・・・。



[4384] 腕白関白~大坂城~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/10/13 03:32
壮麗にして巨大! すさまじき巨大な城!
大坂城である。
でかいね・・・迷うわ、こんなもん。
とりあえず「南の防御力に不安があるな・・・出丸でも作るべきか」とか呟きながら登っていこう。

控えの間とか探したけど、三好の爺さんはいなかった。
宮部の父ちゃんはいたけど。

「で、わしに誰か家臣として有能な者を紹介してくれ、と?」
「そうなんだよ、父ちゃん」


父ちゃん、という言葉に宮部継潤は少し頬を緩ませて微笑んだ。
思えば、不思議な子だった。養子という名目の人質として自分の所に来た男。
人質という立場をまったく感じさせないような立ち振る舞いで、周囲から貪欲に知識を習得していった。
穏やかな性格で人から好かれる、何か独特の雰囲気を持っている少年だった。



「二万石になったのじゃから、まあ、新しい武士は必要じゃろうが。
 ま、とりあえず優秀な若者を地元から選抜するのが普通じゃぞ」
「いや、それは吉政にまかせてる。
 問題は、将としての才能もある頭が欲しい」

次の戦いは小牧・長久手の戦いだからな。一人でも強い奴が欲しい。

「そうじゃな・・・一人、心当たりがおるから話しておいてやろう。
 ただ、禄は千石ほど与えてやってくれ」

千石取りか。まあ、父ちゃんが推薦する奴なら問題なかろう。

「わかった。そいつの名前は?」
「美濃出身で、元明智や柴田殿の下でも働いたことのある男じゃ。
 名を可児才蔵吉長」


こうして俺は可児才蔵を新たな部下として加えることになった。
まあ、大名になってないのに伝説に残るくらいの勇者だ!
部隊の先駆けを任せることにしよう。


父ちゃんと別れた後、秀吉と対面するために対面の間へ進む。
石田三成に取り次いで貰って対面である。
「上様がお待ちでございます・・・何か?」
いかん、こいつが将来あの家康とガチでやりあう男か~と思ってマジマジと見てしまった。
「なんでもないよ」
そういってさっさと奥に進む。
いまいち、関わり合いになりたくないんだよな。後の近江派閥というか文官派の筆頭だし。


見つめられた方の男は若干の緊張を強いられていた。
何せ、秀吉の甥であり、現在の羽柴秀吉の唯一と言っていい「跡継ぎ」の男子である。
他に秀俊という若者がいるが、三成は秀俊をそれほど評価していなかった。どうみても出来のいい男には見えなかったのである。

それに秀俊は上様の内儀であられるねね様とうまくいってないご様子・・・となると、やはりこの秀次殿か。

秀次の評価は大体どの人に聞いても同じである。
「心証穏やかにして、知に長ける。古典や故事に詳しいだけでなく、時に驚くべき洞察力を発揮する。
 そのうえ、下々の者から慕われており、誰とでも気さくに付き合っている」

まず、高評価と言っていい。
実際には、宮部と三好に養子に出されている時にテレビもネットもない時代の暇つぶしは勉強くらいしかなかったのだが。
古典や故事に詳しいのは現代に伝わる故事に詳しいだけである。
洞察力に到っては「最初から知っている」といういわば反則物なのだが、当然三成にはわからない。

なぜ取次ぎにすぎない自分を観察しておられたのか・・・?
衆道にはまるで興味がないお方と聞いている。この点は上様と同じ。
使えるか使えぬかを見極めようとしていたのか・・・彼は初めてあった人物の能力を正確に測ることのできる人物と聞いたが・・・。
彼の眼にかなう人物にならんがため、さらに研鑽が必要なようだ・・・。

三成は色々な勘違いにより、決意を新たにした。


秀次が能力を正確に測ることができているのは、出会った人物の信○の野望の能力値を思い出しているだけなのだが・・・。


秀次が対面した秀吉は上機嫌だった。
きっと大坂城が完成したので鼻高々なのだろう。
来年には信雄&家康の愚将・知将コンビとやりあうことになるのに。
信雄だけなら楽勝なのに。今から家康を懐柔しておけよ。無理だけど。

秀吉との話は近況や新たな家臣について、今後の方針などを秀吉に説明した。

そして、秀吉が切り出す。
「秀次、来月には諸大名を大坂城に招くぞ。出迎えの饗応を怠るな」
「はい」
「何か存念があるようだな、秀次」



秀吉は秀次の能力を買っている。
自分の血縁者の中では、秀長くらいしか使える者はいなかったが、秀次は違った。
宮部に人質として出した時、もし殺されても大して痛手には感じなかっただろう。
しかし、宮部からも後に養子に出した三好からも大きな賞賛を受けて帰ってきた。
聞いてみると古典を学び、政治を学び、両家の家臣からその人柄が好かれているという。
秀吉には親類縁者が少ない。この若い甥に期待をかけ、それに答えている秀次は秀吉の中ですでに重要な存在になっているのだ。

「織田信雄様も招かれるのですか?」

今も、諸大名を招く、といった一言で正確に目的を洞察している。
その上で、問題になりそうな人物を推測しているのだ。
秀吉は満足げに続きを促した。

「そうだ。お前だからあえて問う。信雄殿は来ると思うか?」
「来ないでしょう。招くという行為は主家が臣下に行うもの。あのお方は織田の後継者を自任しておりますゆえ」

くっくっく、と秀吉は愉快そうに笑った。
やはりこの甥は優秀だ。信雄が安々とこの秀吉の天下を認めるはずはないと洞察している・・・。

「そう思うか。わしもそう思う。だが、いつかは認めさせねばらん」
「一戦を覚悟した上で、ということですか?」
「聡いの、秀次。まあ見ておれ。奴は自分からわしに挑戦してこよう」

自信たっぷりな秀吉。
一方、秀次はこの先を知っている。信雄の重臣が秀吉に寝返った、との噂を流して信雄に斬らせるのだ。
それを口実に尾張に攻め込む。
しかし、その戦いがどうなるかまで知っている彼は難しい顔をしたままだった。

「何か不安でもあるのか、秀次」
「はあ、信雄殿と戦になった場合、徳川殿が信雄殿につくのではと思いまして」

それを聞いた秀吉は真顔になった。

「おそらくな。徳川殿は信雄につくじゃろう。だが、それでもやらねばならん。
 それにな、徳川殿は亡き上様の同盟者であった御方・・・天下を持つにはいつかはぶつかる運命よ」
「それはわかりますが、信雄殿と徳川殿の双方を合わせても我らに国力で劣ります。
 となれば、徳川殿は外交によって我らの周囲を脅かしてくると思われますが」
「そこまで読んでおるか。さすがは我が甥よ。北陸の佐々成政などはこれを絶好の機会として、頼まれなくても勝手に敵対してくるじゃろうの」

佐々成政の秀吉嫌いは有名である。草履取りとしか秀吉を思っていない男だ。天下人となど認めないだろう。

「我らの周囲を敵だらけにしても、まだ我らが有利。それはわかろう、秀次」
「はい。おそらく徳川殿もそうお考えでしょう。おそらくは・・・」

ある程度の勝利を秀吉本隊に対して挙げ、それを元に有利な交渉を行う。
それが徳川家康のとる戦略ということは秀吉にもわかっているようであった。

「これはの、秀次」
秀吉が鋭い眼光で秀次を見据える。

「織田亡き後の日ノ本を導いていくのが誰か、天下万民に示すための、必要な戦いなのじゃ。
 信雄殿は脇役に過ぎぬ。織田という名を持つからこそ、舞台に上がる資格がある程度のものじゃ」

秀吉は決意を持って秀次に命じた。

「気張るのじゃ、秀次。汝は我が甥、出迎えの接待だけでなく、秀長をよく補佐せよ」
「承りました」



こうして、小牧・長久手の戦いへと歴史が動いていく。
その中で本来の歴史とは違う結果をと、羽柴秀次の足掻きが始まる。



[4384] 腕白関白~小牧・長久手の戦い~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/10/15 20:31
やってきましたよ、楽田(現在の犬山市)!
目の前には小牧山! すでに家康が「これ、要塞?」ってくらい色々作ってるけど!
こっちの楽田も負けずに砦だの物見櫓だの堀だの柵だの作ってるからどっこいどっこいだけど。

俺の直参の部下、舞兵庫と田中吉政と新任の可児ゴリラ才蔵君も砦もどきから呆れて見渡しているくらいだ。
「なんだよ、ゴリラって? しかし、これは長引きそうだな」
ゴリラ・・・もとい可児がそんな感想を漏らす。まあ、誰が見てもそうだろうね。これじゃ互いに手出しできん。
「頂いたこの槍と千石分、十分に働いてみせますぜ、大将」
うん、すごく期待してるけど、その獰猛な猛禽類のような笑顔はやめてくれ・・・。
「来国俊の槍・・・万石級の大名が持つほどの槍を賜ったご恩は、家康の首で返しましょうぞ」
来国俊だったのか、あの槍・・・大坂城からの帰りに城内で迷って宝物庫みたいなとこに迷いこんだついでに、適当に持って帰ってきた槍なのだが。
いや、ほら、可児が部下になるって話になったから、いい武具を渡しておけば忠誠が20アップ! みたいなノリで・・・。


さて、楽田についたはいいが、みんなやることないね。
秀吉も家康も動く気なし。動かざること山の如し。
俺は今、本陣でキセルをふかしながら、周囲の武将達と話し込んでいる。
「いや~動く気配もないね」

「まったくですな。言葉合戦にも乗ってきませぬ」
穏やかそうなこの人は山内一豊。内助の功で有名な人だ。
千代さん元気? と聞いたら少し照れながら「息災です」とか答えてくれた。いい人っぽい・・・。

「秀次~、俺がカチ込んでくるって言ってるだろ~。お前からも上様に言ってくれよ~」
「ダメだっつーの、正則。黒田さんもダメだと言ってただろ?」
すでに出来上がっている福島正則。堪え性のない奴だ。昼間っから本陣で酒飲んでるし。
ちなみに、七本槍は一応俺の指揮下になっている。加藤清正と脇坂安治は現在哨戒任務中。
その他は自分の部署で守りを固めているのだが、こいつはただ守っているのに耐えられなくなってきているらしい。
昨日からしきりに「俺が行く」を繰り返している。動いたら負けるっつーの。
しかも、史実よりも秀吉が焦っていないので、まるで動く気配がない。それどころか、軍師の黒田孝高さんも全軍に動いてはならぬと布告している。
まあ、史実以上の膠着状態に陥ったのは、ちょっと俺のせいでもあるのだが・・・。



信雄が老臣を斬るかなり前から、家康と秀吉の攻防は始まっていた。
国力では秀吉が大きく上回る。家康はその差を外交で埋めるしかない。
秀長の元で補佐をしていた秀次は、自分の知識を生かしてできる限りの対策を取る。
北陸の佐々成政には前田利家と上杉景勝に任せ、淡路島に最初から千石秀久を置いておく。
また、秀吉の持つ水軍を大阪湾~姫路に展開させて四国からの渡海作戦に備えさせる。
雑賀に対しては中村一氏・藤堂高虎を当てて大坂に攻撃できないように先に防衛線を築かせておく。
根来衆に対しての手を打つ前に家康は同盟を結んでしまったが・・・先に金で雇っておくべきだったと後悔したが、それでも史実よりは遅れを取っていない。

これに対し、家康は信長もかくや、という神速の行軍で小牧山に出陣。
先に羽黒に着陣していた森可成を一蹴。すぐさま小牧山を要塞化する作業に入る。
秀吉も史実より早くに楽田に到着するも、家康の堅牢な陣を見て急戦を諦めた。
かくして、史実よりも少しだけ早く、小牧山と対峙した我慢比べが開始された。


家康は動かない。動く必要がない。
秀吉はできるだけ早く勝負を決めてしまいたい。これは九州から救援を求めている大友家が関係しているのだが・・・。
千石秀久が四国の長宗我部をうまく抑えているが、これもできるだけ早く片付けたい問題だ。

兵数では秀吉が上。布陣で互角。政治的な時間制約で秀吉が不利。
それでも、秀吉は今は動く気はない。動けば、全軍崩壊につながりかねない。
そして、できるだけこの戦いで戦力を消耗したくない。この後には四国・九州征伐を行うのだから。


秀次は一つの策を考えている。
このまま家康の陣と対峙して、時期を見て秀吉に信雄を攻めることを提案するつもりである。
史実では信雄を攻めて単独で降伏させ、家康を引かせている。秀吉の軍が局地戦とはいえ負ける前にそれをやってしまえば・・・。

俺は安全! 無事に大坂に帰還できるってもんよ!


そう思ってたんだけどね。

なんかさっきから池田恒興がえらく興奮して「今、三河を叩けば家康の肝を冷やすことが・・・」とか言ってます。
やめようよーあぶないよーという俺の呟きは全然届いてません。
史実では秀吉が言い出した策だとかいや池田が功にあせったとか言われてますが、俺の目の前では池田さんが頑張ってます。
秀吉も「中入りは危険が大きい」とか正論を言ってるけど、聞く耳持ってないね、あのおっさん!

結局、秀吉が折れて中入り作戦が決まってしまった・・・いいや、死んで来い、池田。
お前のことは忘れないよ、三日くらいは。


「さて、ゆきましょうか、秀次様」
そうだね、兵庫。地獄まで一緒に行こうか。
「縁起でもないですぞ」
・・・なんで俺が総大将なのさ、別働隊の。これじゃ史実通りになってしまうよ?
「総大将として一族の者が別働隊を率いるのは当然かと」
くっ、このままではまずい。秀吉からくれぐれも気をつけるようにと言われたが、気をつけてどーなる!
このままでは奇襲→壊滅の憂き目にあう! 史実通り逃げれるかどうかもわからんし!
兵庫! 兵庫!
「何か?」
奇襲されると思うけど、どーしよう?
「ほう、徳川殿はこの中入りを読んでいる、と? 殿がそういうのであれば逆に奇襲を逆手に取ってみせましょう」
マジで! なんて頼りになる男だ! ほら、采配持って!
「采を我にお預けくださるか、これは期待に答えねばなりますまい」
そう言って兵庫は伝令を走らせる。第三陣として先発した堀秀政に連絡して連携するつもりらしい。
あれ、池田はいいのかな?
「彼らには何を言っても聞きますまい。目先の巧妙に眼が眩んでおります。むしろ、彼らと我らの間に家康殿の奇襲部隊を誘い込むことが唯一の手となります」
なるほど、なんて頭いいんだお前。俺・堀秀政と池田親子・森可成で奇襲部隊を挟撃するつもりだとは。
あ~でも相手は徳川だし。三河兵と甲州兵は半端ないって話しだから、俺もなんか考えとこう。
可児と七本槍が一緒だし、こいつらと強そうな奴らを俺の周囲に配置しとこう。いざとなったら守ってくれそうだし。


一方そのころ、徳川家康は秀吉が別働隊を三河へ向けて出発させたことを掴んでいた。
これには彼の配下の伊賀者が大いに活躍しているが、ここでは割愛する。
丹羽氏次・水野忠重・榊原康政・大須賀康高を先鋒として出陣させ、自身と信雄の部隊もすぐに続いた。
途中、伊賀者からの諜報により先発した池田隊が岩崎城(現在の日進市)を攻撃するべく急進していることを知る。
その際、秀吉の別働隊の後詰は池田隊より速度が遅いこと、周囲への警戒を慎重に行っていることがもたらされる。
家康も歴戦の将である。史実では秀次の部隊の緩みをついて背後から急襲して壊滅に追い込んだが、相手が慎重に行動しているとなると急襲は難しいと判断。
急遽、岩崎城を攻めるはずの池田隊に標的を変更する。後詰が来る前に叩いてしまえば、後の戦も勝負の主導権を握れる。そう判断し、号令を下す。
このとき、舞兵庫は岩崎城を家康は救援に来ると読んで行軍を堀と共に遅らせているのだが、家康はその上をいった。

岩崎城を見捨てたのである。これは勇気のいる決断であった。
すでに岩崎城は落城寸前である、と味方に伝え岩崎城を落として一息ついている敵を討つ、と宣言。
全軍を岩崎城に直進させるのではなく、旋回させた。


結果、岩崎城は落城。その後、間髪入れずに家康勢が全力を持って落城した岩崎城をさらに急襲。
池田恒興・森可成はこの戦で命を落とした。


先行した部隊と後発の部隊で急襲してきた家康軍を挟撃する、との策が破られたと知った舞兵庫は堀秀政と共に岩崎城へ急行する。
そこには、陣を引いて家康が待ち構えていた。
野戦の名人、と言われた家康は鶴翼を引いて待ち構えていた・・・。


「池田隊は敗れた後のようですな。さすがに東海一の弓取りといったところでしょうか。もっとも、私の言を池田殿は聞いて頂けなかったようですが」
ああそうだね、あれだけ伝令に岩崎城を囲んでもいいけど攻撃はするな、と言っておいたのに、功に焦って攻撃しやがって・・・。
「抜け駆けは戦場の常、と言いますがこちらの都合も考えて欲しかったですな」
余裕だな、兵庫! 池田の敗残兵入れて相手をちょっと上回る程度の戦力しかないけど!
「敵は鶴翼。すでに対峙した以上、一戦もせずには引けませぬ。相手も引かせる気はないでしょう」
鶴翼の陣・・・三好の父ちゃんに習ったな。中央を薄くしてそこに敵を誘い込んで両翼で包囲殲滅する・・・。
「さよう、しかし中央に家康殿の馬印が見えます。おそらく中核は旗本部隊でしょう。うかつに中央に当たれば相手の思う壷です。」
鶴翼・・・現代戦闘ではあんまり使われない・・・それは火力が違うからだよな・・・火力? 火力か・・・。
鉄砲が火縄銃の世界じゃなぁ。
それでも鉄砲は鉄砲だ! 全部中央に集めて一斉に射撃したら俺の逃げる時間くらい・・・
「・・・ほう、大胆な策ですな。この兵庫、不覚にも感嘆しましたぞ」
え、何を言ってますか?
「中央に火力を一点集中し、その穴に精鋭部隊を斬り込ませる・・・そのために可児殿達を本隊の旗本と共に置いていたわけですか」


・・・もちろんだとも。
才蔵! 清正! 正則! 安治! 且元! 嘉明! 武則! 長泰!
出番だ!


やけくそになった秀次の号令の元、中央に集結した鉄砲隊が一斉に突貫する。
当然、家康の陣から鉄砲の洗礼を浴びるが倒れた者を乗り越え、鶴翼の中央に肉薄する。
もちろん、両翼が包囲を狭めてくるのだが、名人と呼ばれた堀秀政、稀代の戦術家舞兵庫が巧みに両翼の攻撃を逸らす。
肉薄した鉄砲部隊は一斉に片膝をつき、家康率いる中央部隊に向けて近距離から発砲。
約千丁ほどの銃が同時に発砲したのだ。さすがに瞬間的に中央の兵がばたばたと倒れる。
発砲と同時に飛び出した騎兵・・・可児才蔵を先頭に七本槍や秀次の馬廻りまでが投入され一斉に家康目がけて殺到する。
全てが騎馬で構成された部隊の突撃により、鶴翼の中央は大きく食い破られることになる。


突撃した部隊は雑魚を馬で蹴散らすように家康の馬印を目指す。機先を制された家康旗本部隊が討ち取られていく中、可児はついに家康に肉薄する。
ここで家康を討ち取れば、小牧・長久手の戦いは秀吉の完勝となり、秀次の後難の憂いは一つ消えることになる。
秀次が思わずガッツポーズを取り人生の勝利をも確信した瞬間、才蔵の視界に閃光が走った。
瞬時に槍を跳ね上げ、横合いから突き出された槍を受ける才蔵。

家康を死地から救った男は、ゆっくりと馬を進め、家康の前に立つ・・・。


ちょ、勝ったと思ったのに、なんだあいつは空気読め!
あれ、鹿角脇立兜だよな、あの兜。
そして、大数珠を肩から下げてるってことは・・・・・。



「名を聞いておこう」
鹿角脇立兜の男が問う。
「羽柴秀次が家臣、可児才蔵吉長」
油断無く槍を構える才蔵。
「ほう、貴殿が美濃にその人ありと言われた笹の才蔵か」
鹿角脇立兜の男がゆっくりと槍を回す。
「へっ、ここで出てくるのがあんたとはね・・・考えてみれば、当然か。家康あるところ本多忠勝あり・・・」

才蔵と本多忠勝。両者共に、同時に叫んだ。
『参る!』

空中で、来国俊と蜻蛉切が激突した。



[4384] 腕白関白~来国俊対蜻蛉切~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/10/17 00:46
長久手の戦いは史実とは大幅に異なる様相となった。
家康の本陣を餌に両翼が挟撃して潰す。その通りになるはずが、まさかの中央に向けての全鉄砲を一斉射撃。

その後、騎馬のみでの突撃とは・・・秀次という男、見誤ったか。この家康ともあろうものが!
家康の周囲では乱戦が続いている。一時、もはやこれまでかと覚悟した時、無二の忠臣、本多忠勝が救援に来た。
忠勝が率いてきたのはわずかに五十人ほどか。無理もない、あれほど鮮やかに本陣に乱入されるとは誰も思っていなかった。
それでも、忠勝が可児才蔵を抑え、廻りの五十人ほどが家康の周囲を囲んで壁を作っている。
左翼の榊原・大久保・水野は堀秀政に巧みに押さえ込まれている。さすがは名人久太郎と言わねばなるまい。
そして何より右翼の信雄殿だ。一応、酒井をつけているが秀次の参謀らしき男に押されている。鶴翼の片方の翼が閉じれないとは!
家康は全身から沸き立つ怒りを抑え、冷静に戦場を判断する。すでに鶴翼の効果は無きに等しい。中央が破られた時点で破綻している。
本陣が急襲されているのだ。周囲の将も冷静に指揮は取れまい。
・・・池田を討ち取った時点で引くべきだったか。いや、考えてもしかたない。ここは今を乗り切るのみ!
家康がここで討たれれば徳川家は終わる。なんとか軍としての体裁を保ったまま、引く必要があった。


一方、勝手に高評価されてしまっている秀次は釘付けだった。目の前の戦いに。
せ、せ、せ、戦国最強の漢、本多平八郎忠勝!
徳川本陣に居たのかよ・・・うかつだった。
可児才蔵とどっちが強いのかって、そんなグラッ○ラーバ○みたいな展開はいらんって!
やばいな、七本槍も頑張ってるけど、一番の豪傑が同じ豪傑に足止めされてる。
引き時を考えて、とっとと逃げるが良さそうだ。


乗馬したままの槍さばきを馬上槍という。
本来、まともに使いこなせる人間のほうが少ないと言われる技術であり、この時代でも豪傑と呼ばれる一握りの人間のみの技であった。
可児才蔵、本多忠勝。
後世まで伝えられる本物の豪傑であり、死ぬまでのほとんどの期間を戦場で過ごしたといっても過言ではない。
当然、互いに馬上槍は使えて当然の技であった。


来国俊を突き出し攻勢をかける才蔵。蜻蛉切でさばく忠勝。
互いに譲らぬ豪傑。膂力は忠勝が勝っているようで、鋭く突き出される槍先を力で強引に弾いていく。
覚禅房胤栄に宝蔵院流槍術を学んだ才蔵は、その外見と裏腹に細かいフェイントを織り交ぜて攻め立てる。
もはや余人が介入する隙もない戦いに昇華されていた。

忠勝の槍が才蔵の突き出した槍を跳ね上げる。
絶好の好機に忠勝の蜻蛉切が才蔵の首を正確に薙ぐ。
しかし、才蔵の次の行動は忠勝の予想を超えたものであった。
才蔵は槍が弾かれたとき、馬の鐙を外して宙に舞っていたのだ。
地面に降り立つと同時に必殺の一撃を外して体制を崩した忠勝を下から突き上げる才蔵。
これに対し、忠勝は自分で馬から転落することによって回避する。
才蔵と地面に落ちた忠勝の間には忠勝の馬が壁になっている。即座に立ち上がる忠勝。
驚いた馬が走り出し、両者の間に壁がなくなった瞬間、互いに踏み込んだ。


堀秀政は自分の部隊を巧みに操り、敵左翼を抑えている。
榊原の部隊を弾き返し、水野・大久保の部隊間連携を取らせぬように動きながらも戦場に注目していた。
「本陣に斬り込んだか! 秀次殿、噂通りやる!」
しかしさすがに家康旗本部隊。総大将に刃が迫っても総崩れになっていない。
眼前の敵左翼部隊もさぞ本陣の守りに加わりたいだろう。最も、そう簡単にそれを許すつもりはないが。
運良く家康の首が取れればいいが、このままでは消耗戦になる。その前に何らかの形でこの戦いに幕を引く必要があるな・・・。


舞兵庫は織田信雄の部隊を押しまくっていた。徳川配下の酒井の部隊もいるがとにかく信雄の部隊に何度も攻勢をかけていく。
「弱き部隊を叩くのが戦の常道。信雄殿、悪く思うな」
酒井部隊も信雄と連携して戦いたいのだが、何せ信雄の部隊がひたすらに叩かれている。これでは規模の小さい酒井の部隊が効果的に連携しようがない。
左翼では両軍譲らず、右翼では秀次軍が一方的に押している状況で家康本陣に突撃部隊が斬り込んでいる。
そんな状況の中、酒井忠次は一つの決心をした。信雄を見捨てたのだ。
自部隊を乱戦状態の戦場を迂回させ、本陣の救援に向けたのである。


家康本陣では忠勝と才蔵の一騎打ちが続いていた。
周囲では家康旗本と七本槍ら秀次の攻撃隊の戦いも続いている。
そこに、井伊直政率いる部隊が本陣の救援に駆けつけた。
家康はこれを機会に、旗本と井伊の部隊を中核にして退く決心をする。
一方、秀次も酒井の部隊が戦場を迂回して本陣へと向かっているのを遠望し、撤退の合図を送る。
傍から見れば絶妙のタイミングで互いに退いたように見えるが、何のことはない。
秀次の精神が限界だったのだ。


もう無理! なんか赤い軍団が家康の周囲に出現したし!
ほっといたら俺までやられてしまう!
「退くぞ! 合図を送れ!」
側にいた兵に退き鐘を鳴らさせ、全軍を下げる。
本陣に斬り込んだ部隊もまた、その合図で撤収してくる。
追撃する余裕は、家康にはなかった。


戦場に退き鐘が鳴っている。
忠勝と才蔵はその中で対峙していたが、才蔵がその辺りをうろついていた主のいない馬の手綱をつかむと背を向けた。
「楽しかったぜ、忠勝さんよ」
そう言って、馬を走らせた。
「可児才蔵・・・恐るべき手練であったな」
忠勝も馬を廻して家康の元へ急ぐ。
今は、主君を守り兵を退くべきであった。


史実と違い、長久手の戦いは緒戦は家康の大勝、その後の戦いで秀次の勝利によって幕を閉じた。
家康は秀吉配下の池田恒興・森長可を討ち取ったが、最終的な戦死者は家康軍のほうが多かった。
秀吉は武将二人を討ち取られるも秀次の巻き返しにより家康を撤退させることに成功する。


撤退した家康は小牧山の陣をも引き払い、清洲城へと帰還。その後三河へ戻る。
一方の秀吉は、今後の方針として家康を追わず大坂へ帰還すると宣言。
こうして小牧・長久手の戦いは幕を閉じることになる。



[4384] 腕白関白~小牧・長久手始末記~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/10/17 20:22
「ようご無事で帰ってきましたな、秀次殿」
俺に茶を出しながらそう言って微笑む女性。
豪華な城の一角にある茶室にいながら、着ているものはそれほど見栄えが良いものではない。
しかし、彼女自身の雰囲気によってなんとも安らいだ空気が流れる・・・。
「死ぬかと思いましたよ。もう家康殿とは二度とやりたくないですね」
苦笑する秀次。
「家康殿を打ち破った猛将とは思えぬお言葉ですね。上様もさすがは我が甥、と大変なお喜び様だったとか」
「勘弁してください、ねね様」


小牧からの撤退。それが秀吉の口から発せられた時、周囲は揃って反対した。
今、三河へ全軍を持って追撃をかければ家康を討ち取ることも可能ではないか。みながそう口にした。
しかし秀吉はこう言った。
「徳川殿は殺したくない。我が配下として存分に腕を振るって貰うつもりじゃ」
それでもなお、言い募る者もいたが、東海一の弓取りをほぼ同数で破った男、秀次も秀吉の意見に賛成し軍を退くことを進言する。
「徳川殿は信雄に頼まれてわしに弓引いたまでのこと。決して本意ではあるまい。
 それに、わしと徳川殿は金ヶ崎以来の付き合いぞ」
別に金ヶ崎から後、徳川家康と羽柴秀吉に特別な付き合いなどないのだが、みな秀吉は徳川家康と本気で戦いたくないのだ、と考える。
一度敵対した者を許し、自分の配下に加えるのは秀吉が何度もやってきたことである。
家康に痛撃を与えたことで良しとし、あらためて配下に加えるおつもりなのだろう、と勝手に心中を察していた。


秀次が家康を追撃したがらなかったのは、単純に怖かったからである。
長久手のような奇襲が何度も通じる相手とも思えないし、今度こそ殺されかねない、と本気でびびっていただけの話である。


秀吉は大坂への帰還途中、秀次と秀長を呼び今後の事を言い渡した。
「わしは手勢六万を率いて信雄を攻める。伊勢、伊賀、尾張のことごとくを切り取ってくれよう。
 もはや家康も信雄を救援する余裕はあるまい。三河から出てくれば今度こそ我らが本拠地へ乱入することは目に見えておるからの」
史実通りと言えばよいか、秀吉は自身が軍を率いて信雄の領地を攻めることを宣言する。
「秀長は秀次と共に大坂に戻り、城代として統率にあたれ。
 秀次は残りの六万を動かし、雑賀、根来、長宗我部の対策にあたれ。自由にしてかまわぬが、長宗我部は信雄と家康を降してからにするとしよう」
四国征伐は東がある程度落ち着いてから、ということである。
「秀長は毛利とも交渉を進めよ。大友から救援要請が届いておるしの」
「御意にございます。義兄上もお気をつけて」
こうして、秀吉は軍勢を率いて尾張方面へと進出していく。



「上様はもうすぐ帰られるそうな。昨日届いた手紙にそうありました」
ねね様にはマメだよな、秀吉って。そんなに怖いのだろうか?
つーか、あれから一月だけどもう清洲城以外の城ほとんど落としたのかよ。早すぎる。さすが秀吉。伊達に猿じゃねぇな。
史実では領地を半分くらい奪って経済封鎖に近いような状態にして降伏させたけど、今回は余裕あったからな。
半分どころかほとんどの領地奪ってしまって、清洲城しか信雄には残ってないらしい。報告によるとだが。
さすがですねぇ、上様は。
「秀次殿も大いに働いているではありませぬか。長久手から戻ってすぐに雑賀、根来を討ったのですから」
いや、俺がやったわけじゃないんだけど・・・。
雑賀は堀秀政に三万の兵を指揮させて中村一氏、藤堂高虎と共同で攻めさせた。
あの国は素直に従うような国じゃない。信長にすら歯向かい続けた国だからな。
大軍で押しつぶして滅ぼすしかないのだ。
根来も抵抗を続けていたが、面倒だったので「降伏すれば寺領は安堵する。金もやるから降伏しろ」と使者を出して降伏させた。
使者に一万の兵をつけたから話が早かったぜ・・・。
「根来に赴いた使者は山内殿と宮部殿だったらしいですが・・・ふふふ」
なんすか、ねね様。その含み笑いは?
「山内殿から聞きましたよ。降伏せねば、徳川家康を野戦で打ち破った羽柴秀次が大将として征伐に赴くだろう、と言うと青くなって降伏を受け入れたそうな」
一豊さんなんてことを! 宮部の爺さんも止めろよ!
「人はあなたのことを戦の天才、と呼んでいますよ」
あほばっかですね。
「謙遜しますね。そこがあなたの良いところですが。昔から優しいですからね、あなたは」
ほんとに勘弁してください、ねね様。


家康は秀吉から限定的な勝利を得たが、その後の戦いで敗れた。
勝利は得ることはできなかったが、なんとか引き分けを得た、と言える。
一方、秀吉もこの織田信長の同盟者でありこの時代最大の名声を持つ家康を大多数で打ち破るのではなく秀次がほぼ同数で退けたため、声望を失わずにすんだ。
秀吉は家康という男を配下に加え自らに膝をつかせることにより、自分の自尊心を満足させようとしていた。それほど、秀吉にとって家康は大きな存在だった。
長久手の戦いから一月と十日後。清洲城に追い込まれた信雄が剃髪して降伏した。
史実とは異なり、命は助けるが領地は全て召し上げとなった。
この後、史実では家康に臣下の礼を取らせるため、秀吉は卑屈ともいえる外交を取るのだが・・・すでにそんなことをする必要は秀吉にはなかった。
長久手から二ヶ月。家康が上洛し秀吉に拝謁することが決まった。
秀吉は上機嫌で家康と対面し、過大なほどの温情を家康に見せる。
家康の領土を安堵し、一片の土地も削らなかったのだ。
諸侯はその度量の広さに感服し、さすがは秀吉様よ、と褒め称えた。
これは秀吉の人心掌握術であると共に、これからは織田の時代ではなく我らの時代なのだ、と天下に宣伝しているようなものであった。


秀次はそれなりに忙しい。
ねねのもとで茶を飲んで休息していたいところだが、雑賀・根来を片付けてもまだやるべきことがあった。
まず、北陸の佐々である。家康が秀吉と和睦した後も、よせばいいのに全力で抵抗を続けていた。
そのうち泣き入れてくるだろう、史実ではそうだったしと思っていた秀次だが、なんかもうヤケクソ気味に戦っている佐々に対して一応降伏したら? と使者を出してみた。
返答は「人が猿に従えるか、ボケェ! 俺を誰だと思っている! 信長様の一の部下と言われた(ry」であった。
誰が一の部下だよ、そこまで重要な将でもなかっただろうが、と突っ込みたかったがどう考えても自棄になってるのが分かってそっと書状は燃やしてあげた。
その後、無謀な挑戦を続ける佐々の元から相次いで重臣が離反。前田を頼って次々と寝返ってくるようになる。
それでも抵抗を続ける佐々にいい加減付き合いきれない秀次は、秀吉の許可を取り前田・上杉両家に「佐々の領土は切り取り放題! 取ったらそのままあなたの領土に!」とお墨付きを与える。
哀れ、北陸は前田・上杉の陣取り合戦の舞台となってしまっていた。
そして四国の雄、鳥なき島の蝙蝠、土佐の出来人、長宗我部元親である。
淡路に配置している仙石秀久から「マジできついっす。そろそろ助けてください」との連絡があったので、四国征伐軍を編成しているところである。
ちなみに四国で秀吉に臣従している者に十河がいるが、小牧・長久手の前に「淡路に退いて仙石と共に戦うか、無理なら姫路に手勢を率いて退いてろ」と秀長から申し送ってあったのだが・・・。
長宗我部なにするものぞ、と讃岐で防戦してしまったため、手勢は壊滅状態。僅かな供に守られて必死に姫路に逃げ込んでいた。
怒った秀長に蟄居させられているが。
とりあえず淡路から秀長率いる本隊が、姫路から秀次率いる別働隊が攻め入ることになった。



織田信雄の領土を丸ごと手に入れた秀吉。
家康も臣従させ、一気に四国征伐へと動く。
四国を素早く落とし、その後九州征伐へと赴くつもりである。
発表された陣ぶれにより、秀長率いる本隊は総勢八万。秀次率いる別働隊は六万となる。
四国と九州では後方補給担当だと思ったのに! とぶつくさいいながらも、秀次は姫路へと出発する。



[4384] 腕白関白~四国征伐と論功行賞~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/10/18 06:22
「ああ、茶がうまい・・・さすが古田殿、絶品ですな」
抹茶がこれほどうまいとは。この時代に来て良かったことの一つだな。現代の抹茶とは比べ物にならん。
「お気に召されて恐悦至極です。秀次殿」
この古田織部守が入れるお茶がうまいのなんの。やっぱ名人っているんだな。現代では紅茶の良し悪しすらわからんかったけど。
姫路まで大軍率いてやってきたけど、今は渡海作戦が進行中である。黒田孝高が先に先行部隊を率いてわたってるけど。
黒田さんは先行部隊だけで十分落とせると言ってたな。まあ、なんせあの黒田官兵衛だ。楽勝だろう。
俺は姫路から兵站をしっかりやってればいいらしい。今回は楽だ・・・。黒田さんに感謝だな。
別働隊の総大将なんぞ俺には似合わんっつーの。
ちなみにこの古田織部守は俺が特に言って残って貰った。ゆっくり茶くらい飲みたいのよ、俺だって。
淡路から攻めてる秀長さんは生涯初の大軍の大将に大張り切りらしい。すごい勢いで阿波まで進撃してる。
「いや、古田殿の茶はまことにうまいですな」
同席してる前田利家のおっさんもご満悦だ。北陸切り取り合戦で領地が増えたから機嫌がいい。
しかし、姫路か。現代よりもこの時代のほうがより栄えてる感じがするな。
まあ、この時代は港がある街がやっぱり商業的には発展しやすいな。ここには姫路城があるし、守りも万全だしな。
今の姫路の主は木下家定だが、この四国征伐が終われば諸侯が待ってる論功行賞が行われる。
そうなると、誰かに播磨一国任せてもっと大々的に地域振興を行うのがいいだろうな。秀吉に言っておこう。
「前田殿も佐々の討伐、ご苦労様でした」
「いやいや、秀次殿からの切り取り放題の書状が来てから、家中の者たちが張り切りましてな。特に佐々から降ってきた者たちが旧領をどうにか確保しようと躍起でしたわ」
豪快に笑ってるが、上杉との切り取り争いは熾烈だったようだ。特に、景勝と直江兼続が先頭に立って進撃してきたらしい。
直江兼続に上杉景勝、それに前田利家か・・・ほんとに俺って今、安土桃山時代にいるんだな・・・。
秀吉の話だと、来年の春には九州征伐へと赴くつもりらしいから、四国征伐はさっさと終わらせないとね。
「毛利も伊予へと攻勢をかけているようですね」
古田さんが新たな湯を沸かしながら言う。
「ええ、小早川隆景が総大将となって攻めています。讃岐へは黒田孝高と宇喜田秀家が、淡路から阿波へは秀長様が自ら進軍しています」
動いてる軍の総数はおよそ十万ってとこか? 姫路の俺が持ってるお留守番部隊を合わせると十五万近い数になる。
長宗我部は諜報によると多くて四万ってとこらしい。それを三方から同時に進行してくる部隊の迎撃に当てないといけないとはね。
敵ながらちょっと可愛そうだ。まあ、しょうがないのだが。
秀長さんの部隊には三好の父ちゃんも加わってる。もうあんまり旧領を回復したい気分はなく、京で半隠居生活を送りたいようだが。
まあ、隠居生活の年金を稼ぐと思って頑張って貰おう・・・俺の相談役でもあるわけだし。
「失礼致します」
そう言って茶室に入ってきたのは田中吉政だ。
「吉政か、どうした?」
「小早川殿が金子元宅を討ち、伊予を平定したとの報が届きましてございます」
噂をすれば、だな。
「さすがに毛利の誇る知将じゃ。わしら留守居役の出番はないの」
がはは、と豪快に笑う前田のおっさん。
うーん、黒田さんがそんなに数は必要ないと言ってたから前田のおっさんと細川忠興を後詰に置いておいたんだが、出番はないな、こりゃ。
七本槍は勇んで黒田さんについていったけど、手柄立ててるのかね・・・特に且元とか武則とか地味な連中。
俺の直参連中は姫路でお留守番である。可児は戦場に行きたかったらしいが、俺の護衛でもあるからな。
兵力は温存したまま九州へ行けるな。島津はしゃれにならん。西国最強の兵だし。鬼だし。
俺も今から九州征伐を考えておくか。絶対に俺も行くことになるだろうし・・・。


秀次が姫路でぼんやりと過ごしている内に、小早川に続いて黒田考高率いる別働隊が讃岐を制圧。長宗我部は土佐まで戦線を後退させる。
阿波の白地城まで秀長に落とされた状況では、土佐の国境で食い止めるしか手はないだろう。最も、すでに戦線は決壊しているが・・・。
その後、一月ほどで長宗我部は降伏。史実通り、長宗我部元親の三男を人質に土佐一国のみを安堵されることになる。


長宗我部を降し、諸侯は大坂に集っていた。
大坂城、大広間にてこれから秀吉による論功行賞が行われるのだ。
この時代、主な報酬は三種類ある。すなわち、
・新たな領土(石高が増える。正し石高は増えても国替えにより重要な場所から追いやられる場合もある)
・報奨金
・名物・名刀などの価値ある物での報酬
これらが功績により渡されるわけである。
大きな手柄のあった大名クラスには主に領土が、同じく大きな手柄のあった直臣にも領土が与えられることが多い。
特に名のある将を討ち取った者や調略によって城を開城させた者などには報奨金や名物が送られることが多い。
今回の論功行賞は小牧・長久手から四国征伐までの長い期間でのものになるため、皆色々と期待していた。


「皆のもの、大儀であった。四国も落ち着き、いよいよ来年は九州ぞ。さらに励むがよい」
秀吉の口上により、一人ずつ発表されていく。
秀吉自ら行うことにより、ありがたさを増そうというつもりなのである。
まず、義理の弟であり長年秀吉の補佐を勤め、陰ながら支えてきた羽柴秀長。
紀伊・大和・和泉を与えられ、百万石を超える大名となった。
官位も従三位権中納言となる。
そして、次に評されたのが羽柴秀次。
秀吉の甥であり、長久手の戦いにより東海一の弓取りと言われた徳川家康を撤退に追い込み、その後雑賀・根来攻めを主導し四国征伐では後詰を勤めた。
秀次は史実では俺は近江か~とのんきに構えていたのだが、秀吉の中での秀次の重要性はいよいよ高まっている。
とくに長久手により軍事的名声をも得た秀次は、家中の要となる存在であった。
「秀次には尾張・美濃・伊勢・伊賀を任せる」
なんと、織田家が所有していた尾張や伊勢を含め、四カ国を拝領したのであった。
さらに名物十四種、名刀三振り、名器四種を下賜され、官位は従四位下右近衛権少将となった。


なんかめっちゃ出世した! すげぇよ俺!
尾張と美濃と伊勢と伊賀・・・総石高どれくらいだよ、想像もできん・・・。
てか秀長さんより多いじゃん! いいのかよ。まあ、京周辺三カ国を貰った秀長さんも凄いけど。
そういや今まで無官だったけど、いきなり少将様ですよ。朝廷を抑えてるとはいえ無茶するなぁ。
近江じゃなかったけど、問題なしだな! 少しは贅沢しても怒られなくなりそうだ! 果物とかいっぱい食べよう。


秀次が舞い上がってる間にも論功行賞は続く。
主なところでは、福島正則と加藤清正はそれぞれ五千石の加増。
他の七本槍は三千石の加増となった。
四国征伐にて得た国のうち、伊予は小早川隆景に、讃岐は仙石秀久に、阿波は蜂須賀家政が封じられた。
佐々成政の領地は上杉景勝と前田利家が切り取った分をそのまま領地に組み込み、他の地域は直轄地とした。
宇喜田秀家は備前一国を任される。
播磨は秀吉の直轄地として残った。
なお、信雄は秀吉の御伽衆として捨扶持五千石を与えられた。


思わぬ大封を得た秀次。
ひとしきり舞い上がった後、九州征伐の前に彼は領地経営に乗り出すことになる・・・。

そして、秀吉は一つのことを考えていた。
秀次の正室である。これまで、あえて秀次には嫁を取るように言わなかった。
秀次の才能を見た上で、ある程度政権が安定してからより政権を強化するために政略結婚させようと思っていたのだ。
秀吉にはすでに相手が内心固まっていた。それを秀次が知るのはまだ少し先の事である。



[4384] 腕白関白~九州征伐準備~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/10/19 05:56
四カ国。尾張に美濃に伊勢に伊賀か・・・。
貰ってテンション上がったのはいいけど、半年後には九州征伐か。
聚楽第の建造も始まったし、秀吉は関白になることが内定したし。
・・・征夷大将軍になるかと思ったけど、最初から関白になるつもりだったみたいだな。武家の頭領になっても所詮は百姓の子。
どうせ見下されるなら、公家の権威を利用して武家を統率するつもりか。面倒だのぅ、格式だの権威だの。
俺も九州征伐までには中将になるらしい。九州征伐では秀勝と家康の長男であり養子になってる秀康の初陣もある。
俺が面倒見ることになるんだろうか・・・秀康は将器があったという話だけど、まだ子供だしな。
さて、俺も九州に出発する前に領地経営をせねば。
その前に家臣を増やさないと。侍は信雄の浪人が山ほどいるからそのまま雇って問題ないけど。
問題は家老か。舞兵庫と田中吉政に五十万石づつ渡して解決! だめか・・・。
兵農分離政策が始まってるし、家康の抑えとして置かれたのは間違いないから清洲城も増築しないと。
やること多い。まあ、これも生き残るためだ。
秀吉が最近、茶々の元へ通い始めたらしいから、いよいよ俺の死へのカウントダウンも始まったのかもしれん・・・史実より功績あるからそう簡単には排除できんだろうけど。


結局、色々考えてもなるようにしかならんと割り切った秀次は、家臣集めに乗り出す。
とりあえず、舞兵庫の義父である前野長康とその息子、前野景定を家老として召し出す。
さらに史実では小牧・長久手で死んでいたはずの木下祐久・木下利匡兄弟を家老とする。
筆頭家老には田中吉政を置いたが、相談役として秀吉の御伽衆から宮部継潤と三好康長を迎えた。
舞兵庫には十万石を与え、戦場では采を取る役目を申し付ける。
可児才蔵も出世させようとしたが、現場で槍を振るうのが仕事、と固辞されたので禄は千石のままとし、代わりに秀吉より下賜された名刀・二つ銘則宗を与えた。
秀次は名刀だから喜ぶだろう、くらいの気持ちで与えたのだが、愛宕神社に奉納してあった刀なので愛宕権現の厚い信仰者である可児は落涙するほど喜び、この殿のためならいつでも死ねる、と朋輩に語ったという。
その他、三好康長の紹介で牧野成里、森九兵衛、安井喜内、高野越中、大山伯耆などを家臣団に加えた。


家臣団をある程度形にした秀次は、領地経営に取り掛かる。
まず彼は伊賀の道を整備する。秀長の大和国との交通の便を大幅に向上させ、尾張~大坂間の移動時間を短縮したのだ。
この道は商業的にも大いに役立つこととなる。
同時に伊勢・尾張の港を拡張。この時代、港によって商業規模が決まるのでこれは重要であった。
さらに尾張に京や堺から招いた鉄砲鍛冶、船大工、刀鍛冶、窯大将などを集めた工業都市というべき街を作る。
これは秀次が単純に作って運んで売ることを目的に津島港に隣接するように作られた。
また津島の港は拡張され大規模な造船所が作られることになる。秀次が単純に水軍が欲しかったのである。
大名である九鬼嘉隆の協力を得て、軍船の建造ができる技術者を移住させてもらったのだ。
安宅船のほかに、彼はバテレンの船を検分させガレオン船を作ることを命じる。
仙台の伊達政宗が慶長遣欧使節を江戸幕府初期に行っていることを思い出したため、たぶん作れるだろうとの目論見である。
最も、秀次はガレオン船を作っても何に使うか考えていなかったが・・・。


検地も順調に進み、清洲城改築にも着手した。津島港の拡張工事も始まったし、伊賀の街道整備も始まった。
工業都市も賑わい始めたから、今のとこ順調だな。
可児に新たに召抱えた信雄の浪人の中から腕の立つ者を集めて精鋭部隊も作らせてるし、新しい家臣団も機能している。
やっぱ、宮部の父ちゃんと三好の爺ちゃんを相談役に迎え入れたのは正解だったな。若い力だけでは組織はうまく機能しないのだよ。
現代の会社だってそうだったし・・・あの二人が人格者なだけの気もするが。
さて、九州征伐か。史実では秀吉本隊と秀長さんの別働隊という構成だったが、どうなることやら。


・・・あ、戸次川の戦い忘れてた・・・まあ、史実とすでに時期も異なってるから起こらないかも・・・。


新年明けて1585年。天正13年である。
秀吉は九州征伐を開始。自身が率いる本隊と秀次率いる別働隊の出発に先立ち、仙石秀久を軍艦とする先遣隊を九州へ送り込む。
毛利、長宗我部の部隊も大友と合流。九州征伐が開始される。
ちなみにここ最近体調を崩しがちな秀長は大坂留守居役となり、当然のように別働隊を率いるのは秀次となった。
秀吉本隊が十二万、秀次率いる別働隊が九万という、総勢は史実の二十万を超える二十二万に達するほどであった。
しかし史実通り軍艦の仙石が功を焦って暴走。これまた史実通りに大敗し、長宗我部信親が討ち死。先の四国征伐での失態を挽回すべく先遣隊に参加していた十河存保も討ち死。
激怒した秀吉は仙石秀久を蟄居させる。
一応、仙石に対して「本隊が行くまで戦闘は行わないように」と言っていた秀次も、それを無視して戦闘を開始し、大敗した仙石をかばうほどの度量は持ち合わせていなかった。
仙石秀久は秀吉が織田の一将校に過ぎなかった頃からの部下であり、譜代の家臣でもあったが、史実を知っている秀次はどうせ北条征伐で戻ってくるからいいか、と特に言及しなかった。


三月、秀吉本隊と秀次別働隊は九州へと上陸する。
世に言う九州征伐の始まりである。


ちなみに秀次は「島津と正面からぶつかるのはやだ」と舞兵庫に言っており、兵庫を呆れさせていた。
鬼とか西国最強とか言われる島津の兵と戦うのが怖かったのである。
逆に可児才蔵は新たな強敵とまみえる予感に胸躍らせていた。



とりあえずこの九州征伐が終われば北条征伐まで戦はない。その間に鶴松が生まれるけど、奴はほっとこう。
俺の最大の障害は秀頼だし。
北条征伐までは領地でのんびりできるかもな~。


そんなことを考えつつ九州に上陸した秀次。
九州征伐が終わったら秀次に嫁を取らせようと秀吉が考えてることなど、彼はまだ知らない・・・。



[4384] 腕白関白~九州征伐~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/10/21 21:09
日向方面から進撃中です。どうも、秀次です。
進撃っつっても島津は後退し続けているので、その後をゆっくりついていってるだけだが。
秀勝と秀康も初陣だが、俺の部隊にはいない。秀吉本隊にいるので俺は楽だ。
そう、楽は楽なんだけど・・・精神が持ちそうにありません。
「山田有信が高城を守っているようですな、秀次殿。おそらく島津は後詰に来るでしょうから、そこを叩くのがよろしいでしょう」
そ、そうですね、徳川殿。僕もそれがいいと思います。
「では、早速用意に取り掛かりましょうぞ」


そう、秀次が率いる別働隊には徳川家康が帯同していた。
史実では小牧・長久手の戦いから二年も臣従しなかったが、この歴史ではすでに豊臣の配下になっている。
当然、九州征伐に従軍しており、家康は一万ほどの兵力と供に秀次率いる別働隊の中にあった。
まさか家康が自分の配下として来る事になるとは想像もしていなかった秀次は、大いにうろたえた。
が、すぐに家康がいるなら指揮執ってもらえばいいやと考え、基本的に家康の意見を全面的に肯定して順調に進軍していた。
最も、島津は秀吉の大部隊が博多に上陸するとすぐに九州の北半分を放棄。
南九州に防衛線をはるべく、後退していった。
九州で大友宗麟を救援することに成功した秀吉は、そのまま島津を追って南下。
肥後方面から秀吉が、日向方面から秀次が薩摩に向けて進撃していた。


家康の戦は慎重かつ周到な準備を行うものであった。
物見を多く使い、島津義弘の位置を把握した上で高城を包囲。
包囲軍には秀次本隊、細川忠興、山内一豊、中村一氏、堀尾吉晴、黒田考高などがあたった。
一方、高城の南にある根城坂に徳川家康、小早川隆景らを主力とした防衛陣を構築。
陣の構築には土木に長けた藤堂高虎が中心となって行い、堅牢な陣をひいて待ち構えた。
高城を秀次本隊が囲んでから三日。
島津義弘の軍勢は高城を救援に向かい、秀次率いる別働隊との決戦を選択した。
島津義弘は軍の多くを日向方面に集中させており、秀吉の別働隊が秋月を降して肥後方面から来る、との報にもはや他に選択肢はない、と決戦を決意したのだ。

このとき、島津義弘の手勢は三万と五千。
根城坂に布陣している家康を中心とした防衛隊は約三万。
その後ろで高城を囲んでいる六万のうち、最初から根城坂へ救援に向かうように配置されている兵が三万。
高城は一万ほどの手勢がいれば十分に囲んでおけるため、その気になれば秀次の別働隊は八万近い戦力を投入できる。
それでもなお、家康に慢心はない。
歴戦の将たる家康は島津の兵の強さを肌で感じている。これまでの追撃戦で、退却する軍とは思えぬ逆撃を受けたこともあった。
ひょっとすると三河兵より頑強か。そう敵の強さを正確に読み取っていた。
家康は空堀や急増の土嚢を作り、相手を待ち構えている。
そして夜が明けるころ、坂の下に島津軍が現れる。


「あれが島津の矢の陣か。まさに正面から粉砕するためだけの陣。よほどの兵の強さの自身の現われか」
家康が坂の上の本陣から見下ろしながら言った。
矢の陣。
島津が得意とした攻めの陣形である。
文字通り、矢のような陣形を組み真正面から突き破る陣形である。魚燐をさらに正面攻撃力に特化した陣形と言える。
反面、魚燐以上に側面攻撃に弱い。島津の兵の強さを前提にした陣形である。
「来るか、島津」
家康が独語したとき、矢の陣を組んだ部隊がいくつも坂を駆け上がってくる。
さながら弓から放たれた矢の如く、すさまじい勢いである。
一気に敵陣を貫かんと迫る島津軍。そこに、最前線に陣を張っていた小早川から雨のような鉄砲が発射された。
またたくまに血に染まる根城坂。しかし、僚友の屍を超えて島津の兵は陣に迫る。
「鉄砲、弓兵、まだ次は撃つなよ! 堀まで引きつけよ!」
小早川隆景の大声が響く。その統率力によって完璧に制御された小早川隊は、鬼の形相で迫る島津に対して静かに構えていた。
ついに島津の先駆け部隊が堀に取り付く。その瞬間、短いがよく通る声で小早川隆景は叫んだ。
「撃て!」
一斉に放たれる鉄砲と弓。至近距離から受けた先駆け部隊はほぼ全滅していた。
「防げ!」
次の小早川隆景の命令で鉄砲部隊が退き、変わりに槍隊が前に出る。
隆景は先駆け部隊を討ち取っても次の射撃の前に島津軍が堀を超えに来ることを見抜いていた。あの程度の損害で止まる相手ではない。
まして、退くことなどありえない。
坂の下から上ってくる島津も鉄砲や弓で反撃しながらなんとか陣を崩そうと突撃してくる。
しかし、小早川隆景の熟練の指揮になかなか前進できない。
さらに榊原、石川の徳川の重臣率いる部隊が前進して小早川隊の救援に回る。
家康は後方から素早く指示を飛ばし、手薄になった場所を自らの兵で埋めていく。
前線で敵を蹴散らす小早川隆景、後方から支援する徳川家康。
島津の損害は加速度的に増えていったが、いまだに最初の空堀すら突破できずにいた。


戦闘開始からおよそ一刻。
島津の側面をつく形で黒餅の紋が翻る。
黒田考高の部隊が戦場に到着したのである。
さらにその後方より細川忠興の軍勢が現れ、戦場に乱入する。
ついに崩れたった島津軍に、家康は陣から出て追撃を命じる。
細川勢に島津忠隣が討ち取られ、全面壊走となった島津軍を家康と隆景は追撃し多くの戦果をあげた。


こうして、根城坂の戦いは秀次別働隊の大勝利となった。
最も、総大将の秀次は特に何もしていなかったが。


島津義弘の救援部隊が敗走したとの報を受けた高城は降伏。開城する。
開城の措置は山内一豊、堀尾吉晴らにまかせ、またも何もせずとも物事がうまく運んでいく秀次。
なんて楽なんだ! 俺いらなくね? 清洲で寝てればよかったなどと口走って舞兵庫に首筋に手刀を叩き込まれて眠らされた。


この後、ほぼ史実通りに島津義久が剃髪して降伏。
徹底抗戦を決めた島津義弘や新納忠元を説得し、秀吉に島津全てが服することが決まったのが四月下旬。
事後処理を石田三成や増田長盛が行い、五月の終わりには九州征伐が完了することとなる。

島津には薩摩、大隅の二カ国が安堵されることとなり、秋月は日向に移封。
大友宗麟には豊後が安堵される。


なお、大友宗麟はより豊臣との結びつきを深めるため、重臣の一人を豊臣直参として欲しいと秀吉に懇願。
豊臣との結びつきで島津や秋月などより政治的に優位に立つことを画策する。
中央への影響力を持ち続けるための大友宗麟の策であった。
これに対し、秀吉は秀次の重臣として受け入れることを受諾。
大友は最初、直参でないことに多少の不満を覚えたが先の短そうな秀吉より、若く名声があり大きな領土と力を持つ秀次に結びついたほうがおいしいと判断。
喜んで一人お使えさせていただく、と返事をする。
自分が最近病気がちでもう長くはないことを悟っていた宗麟は、息子の義統になんとかして家の行く末を託したかったのである。


かくして、秀次がまったく知らないところで、立花宗茂を家臣として迎えることになっていた。




[4384] 腕白関白~閑話休題その弐~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/10/21 23:53
「立花宗茂にござる。以後、お見知りおきを」
なんか怖いおっさんキター!
立花宗茂ですよ、立花宗茂! 立花道雪の義理の息子ですよ! まだ道雪生きてるけど。
嫁さん美人と評判の西国の傑物ですよ! 何考えてんだ、大友宗麟!
あれか! 大友義統がなんかしたら俺が弁護せなあかんのか! 立花宗茂になんか言われたら思わずハイと答えてしまいそうだからな!
しかし、秀吉の奴め、俺に立花宗茂つけるとは・・・なんかもう、お前に軍事的なことはまかせた的な感じがする。
俺、朝鮮とか行くはめになるのだろうか・・・いや、あれだけは断ってやる! 朝鮮侵攻の司令官なんぞ絶対イヤじゃ!


とりあえず立花宗茂が怖かったというか、腕は確かなので舞兵庫と同じ十万石を与えておく秀次。
むしろ百万石与えて俺隠居したい、と堂々と言い放ったら田中吉政に蹴り入れられたのだが。
かくして、後の世に【秀次の両翼】【豊臣最強】【必殺・立花の舞】と呼ばれることになる二人の武将、舞兵庫と立花宗茂が秀次陣営に揃った。


立花宗茂は秀次という人間を計りかねていた。
若くして大領の主になっているが、決して秀吉の身びいきだけではないという。
事実、長久手の戦いでは徳川家康を撤退に追い込んでいるのだ。尋常な男ではない。
その上、諸大名からその人柄を慕われ、秀吉に陳情するより秀次に陳情する者のほうが多いほどだ。
秀吉からの信頼も絶大なものがあり、病気がちな秀長に変わって豊臣家の中核を担っている。
彼の領地に来てその斬新な政策にも驚いたが、彼の言動にも驚いた。
いきなり百万石与えると言われた時は場をほぐす冗談かと思ったが目が本気だった。
後で筆頭家老の田中吉政に聞くと「あれは本気だったんでしょう。秀次様は能力のある人間には惜しみなく与えます。その分、働かされますが」と言っていた。
それが彼のやり方なのだろう。家柄やそれまでの経歴を問わず、能力のあるものにそれだけの仕事場所を。
のん気そうな顔をしているが、これはなかなか大物やも知れん。
家中にもおもしろい者が多い。あの舞兵庫という若者は若いながら戦術家としては一流だろう。
他にも馬を並べて戦うのが楽しみな者が多い。これはひょっとして大友家よりおもしろいかも知れんな。
一度、秀次様とゆっくり話して見たいものだ・・・。



さて、九州征伐が終わり、論功行賞が行われた。
七本槍の中では加藤清正が肥後半国を、福島正則が仙石秀久がいなくなった讃岐を拝領した。
加藤嘉明、小西行長らも躍進。脇坂安治や片桐且元、糟屋武則も一万石ながら大名に列した。
平野長泰はやっぱり大名になれず、五千石のままだった。ちょっといじけてる平野長泰が可愛そうだった秀吉は金子を褒美に与えたらしい・・・。
秀長の病状は落ち着いているが、史実を知っている秀次は気が気でなかった。世話になった人であるし、その人柄を失うのが惜しかったのだ。
しかし、現代ではしがない中間管理職だった秀次にできることは、見舞いの品を送る程度であった。


九州征伐より自領に戻った秀次。戦費が思ったよりかかったが、領地経営に精を出すことになる。
なんとか経費を切り詰めたり九州征伐の恩賞を金子で貰ったりして整備を進めていこうとするが、彼は一つの事を忘れていた。
天正大地震である。巧妙○辻などでも取り合えげられている、かなり有名な災害なのだが、彼はすっかり忘れていた。
結果、史実通りに甚大な被害を領地にこうむり、彼が秀吉から貰った恩賞は復興資金として全て消えた。


忘れてた、地震とかあったな・・・。
秀次は手元に届いた被害報告を見ながらため息をついた。
美濃は甚大な被害を受け、川の堤が崩れたりして今年の作物は期待できそうもない状況である。
尾張の工業街、伊賀に続く整備中の街道、その他様々な被害が起きており、その復興には時間と金と労力がかかるだろう。
ため息ばかりついていてもしょうがないので、田中吉政と木下兄弟に秀吉から貰った恩賞の金子を復興資金とすることを指示。
さらに今年は領地全ての年貢を免除するとの御触れを出すことを決めた。
さすがにこれには重臣が反対するが、「復興を優先しなければ来年の年貢も取れん」と秀次が押し切った。
これらの手を打ちつつ、京の豪商、津田宗久に名物を売りながらなんとか財政を維持していた。
もともと名物にさして興味がない秀次には茶碗が高値で売れるのを知識では知っていても実際に千貫文とかで売れていくのを見て引いていた。
ちなみにこの地震で山内一豊の一女、おねが亡くなっている。彼は長浜の城代にはなっていなかったが、歴史の修正力なのか、屋敷が潰れその犠牲となったとのことである。
秀次は一豊と千代のために比叡山の高僧を呼んでやり、その供養を手伝ったという。


明けて天正14年。新年の祝賀に諸大名は全て大坂に集まっていた。
秀吉の前に並ぶ諸侯には席次が決められており、中でも特に先頭に座る五人は家中で重い地位を持つ者と言える。
順に、豊臣秀長(大納言)、前田利家(権大納言)、徳川家康(中納言)、羽柴秀次(権中納言)、毛利輝元(権中納言)。
次列に小早川隆景、上杉景勝、宇喜多秀家、黒田考高、豊臣秀勝、豊臣秀康、細川忠興。
さらに次列に大友宗麟、堀尾吉晴、中村一氏、生駒正親、小西行長、島津義久、加藤清正、福島正則、加藤嘉明。
その後ろに小身の石田三成、増田長盛、長束正家、山内一豊、大谷吉継などがずらずらと続く。
関白たる秀吉を迎えるにあたって、壮観な眺めと言っていい。


一通り、儀礼通りの新年挨拶が終わると、おのおの退出していく。
が、公儀のことで決めねばならぬことがあり、先頭に座っていた五人は残された。
「まず、わしから触れを出すことを言い渡す。これからつげる触れを皆、徹底するように」
そう宣言した秀吉は彼らの前に一枚の書状を出す。
そこには以下のことが書かれていた。
・伴天連追放令の公布。ただし、民が個人の意思で改宗するのは黙認する。大名がキリシタンになる場合は許可制とする。
・刀狩の公布。兵農分離政策を本格化させる。
・大々的に検地を行う。隠し田などはこれを認めない。
・完成しつつある聚楽第に帝を迎える用意をすること。これは秀長に申し付ける。
・今後、大名同士の結婚は事前に公儀へと届け出ること。
以上のことを下々にまで徹底させるべく行動せよ、と秀吉が命ずる。
残っていた五人は深く頭を下げた。


実際にこの触れを全国へ展開し、守らせるのは石田三成や増田長盛などの文吏の仕事である。
彼ら五人は三成、長盛を別室へ呼び布告のための準備と実作業を命じた。


その後、城から帰ろうとした秀次を家康が呼び止める。
茶でもどうですかな、とのお誘いにとても断る勇気が持てなかった秀次は茶室へと向かう。
実は、これは秀吉が家康に頼んでいたことであった。そう、秀吉のおせっかいというか親心。
嫁取り話である。


大坂城には多くの茶室がある。その中でも大阪城の北、城の中の森に作られた茶室に秀次は案内された。
すでに茶席の用意は古田織部が整えていた。
驚いたことに、そこにはねねがいた。そしてもう一人。
幼いが気の強そうな、凛々しい美少女が一人。
なんだこれ、と思う間もなく、ねねが紹介する。
「こちらは家康殿の養女、小松姫です」


・・・小松姫? 思い出せ、俺。小松姫・・・本多忠勝の娘だ! 幼名稲姫!
で、なんで小松姫がここに? とりあえず挨拶しておこう。
「羽柴秀次と申します」
「・・・小松です」
なんか微妙な間があった上に睨まれた! 美人が睨むと怖いね。
つか、この時代の姫には珍しくほとんど化粧ッけがないな。眉もそのままだし、着ている着物も立派だけどえらく活発な印象を受けるのですが。
「このたび、関白様よりお話がありましてな。我が娘を秀次殿と娶わせてはどうか、とのありがたい申し出でありました」
今なんていいましたか、家康殿! 娶わせるってことは俺、この娘と結婚すんの!?
「私には娘が幾人がおりますが、あいにく歳が幼く妙齢の者は嫁いでおります、と申し上げたのですが、なんの徳川殿とわしの仲ぞ、だれぞ家中の者より良き娘を養子としてもよいとのおおせにて」
え、さすがに秀吉それはどうなの?
養女はあくまで養子。格として家臣である家康殿のさらに養女と自分の甥を結婚させるのか?
・・・待てよ、そういうことか。
徳川殿は今は臣従しているとはいえ、天下を狙っていたお人。今だに何か変が起これば・・・たとえば本能寺のような・・・最も天下に近い人と言える。
その徳川殿と甥を親戚にすることでより深く繋ぎとめ、なおかつ養女を嫁に取らせることによって相手にこれだけ信用していると見せると共に、甥には嫁とはいえ養女、それほど深入りさせないつもりか。
考えたつもりなんだろうが、なんか墓穴掘ってる気がするぞ、秀吉!
家康を恐れすぎ! いや、俺も怖いけどさ。
「仰々しく対面させるより、こういった場のほうがよいと思いましてな。ねね様と古田殿にお願いした次第」
そうですか・・・ねね様がにこにことこっちを見てるってことは、俺に選択権はないんだろうな・・・。
「な、なにぶん急なことで驚きましたが、家康殿を父とお呼び致したいと思います」
そう言って俺は頭を下げた。他にどうしろってんだ。二十歳前に人生の墓場とか。何も考えてなかった俺が悪いのかもしれんが。
「おお、お受けくださるか。いやこの家康、秀次殿のような俊英を息子に持てること、存外の極みですぞ」
嘘付け、この狸爺。
「さあ、まずは一服。婚礼のことはお互いの家の重臣たちが取り計らうことになりましょう」
くそ、古田さんのお茶でも飲んで落ち着こう。
なんか小松姫がじっと俺を見てるけど今は微笑みかける余裕もないから無視だ!


こうして精神をすり減らしまくった茶会が終わり、秀次は大坂の屋敷へ戻った。

戻ってきたら田中吉政と井伊直政が婚礼の日取り決めとかやってやがった・・・。
もう疲れたから適当に挨拶して奥に引っ込んで眠ることにした。
色々考えるのは明日にしよう。それがいい、と自分に言い聞かせながら。



[4384] 腕白関白~内政と婚姻~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/10/22 21:57
尾張・美濃・伊勢・伊賀。この四カ国を拝領している羽柴秀次(中納言になりました)。
天正14年から彼の本格的な治世が始まった。
史実では北条征伐は天正18年。それまでは大きい戦もないから俺も適当に暮らせるってもんよ! と意気込んで大坂から帰還した秀次。
小松姫との婚礼は重臣たちにまかせて、俺は食って寝て暮らす! と清洲城で高らかに宣言する。
「まず、現在の復興状況ですが・・・」
田中吉政に華麗にスルーされても泣かなかった。


天正大地震の復興を、九州征伐で得た恩賞と名器を売り払った金で凌いだ秀次。
他の地域は地震の被害があっても堂々と年貢を取り立てていたが、秀次は一年の年貢免除を打ち出して復興を優先する。
この時代、天災があっても領主は年貢を取り立てる。戦費が重んだあとなら当然である。それが領主の権利なのだから。
しかし秀次はそれをしなかった。あまりにも現代の感覚で普通に災害の後は税免除しなきゃ、と思ったからだ。
領民の秀次に対する評価はこれで極まったと言っていい。

彼が北条征伐へ出向くまでにやった内政を見ていこう。

伊賀街道整備
山に囲まれ「隠れ国」と呼ばれた伊賀。秀次はここに大和に通じる街道を敷設した。
美濃経由ではなくなぜ山国の伊賀に? と皆がその理由を図りかねた。
尾張~伊賀~大和の街道が出来上がると、これまで近畿圏ながら大坂の経済圏から外れていた伊賀にも商人たちが訪れるようになる。
荷を運べる道さえあれば、商魂たくましい商人たちはどこにでも行く。これによって伊賀も俄かに活気付く。大坂の経済圏に組み込まれたのだ。
それまで京の側でありながら片田舎だった伊賀を発展させ、さらなる利益を上げるとは、と周囲は秀次の先見性を褒め称えた。
実際は現代だと名古屋まで行くのに伊賀通ったほうが近いよね、と思ったから道を作っただけだが。
最も本人は想像以上に山道めんどくせ、とほとんど使わなかったが。


美濃治水事業
美濃は豊穣な土地である。しかし、河川の氾濫が古来より続く土地でもある。この河川の氾濫さえどうにかできれば安定した収穫が望める。
そのため、美濃の河川を調べ上げ堤防を築き時には河川の流れまで変えるほどの大事業を行った。
田中吉政が。
報告書に「美濃の治水事業完了に候」とあったのを見た秀次は覚えがなかった。
「こんなのいつ頼んだっけ?」と聞く秀次に田中吉政は「まさか忘れたのでは・・」と返すと秀次は、いや、覚えてるよ、うむ、ご苦労だったな吉政、と褒めまくった。
覚えてないのは当然で田中吉政がほとんど独断でやったのだが、怒られるのが怖かった秀次は覚えてるふりを必死で続けていた。
最近、譜代の家臣は秀次の操作方法を覚えてきたらしい。


津島港拡張工事
尾張・津島の港はその規模を大幅に拡張した。
港には船大工達が秀次の援助により立てられた巨大な造船所に数百人働くようになり、その他の職人たちもこの街に集められた。
鉄砲鍛冶、刀鍛冶、大工、宮大工、薬師、窯大将、酒職人、織物職人、染師、鉄鍛冶などである。
街の中心部に市場があり、年中賑わうことになる。
大友宗麟より譲り受けた「国崩し」を秀次は津島に持ち込んでおり、大砲の改良と製造を命じていた。
いつか誤射でまだ出来てない淀城に叩き込んでやる、と本気で思っていたのだ。
また、秀次の思いつきで建造が始まったガレオン船建造は足掛け四年を経て完成。
船体は白一色で統一され、帆は漆黒である。
「津島丸」と名付けられたその船を堺で見た秀吉は驚きと共に興味を引かれた。
もともと、目新しい物や巨大な物が好きな秀吉である。すぐさま秀次に金塊を渡して自分の船も作ってくれと依頼する。
かくして、天正17年より津島の造船所で「豊臣丸」の建造が始まった。


秀次の内政はこれ以外にも警察組織の整備を行ったり、奉行所を各街に建てたり、領内の盗賊団の討伐を可児才蔵とその配下の精鋭たちに命じたりと大忙しであった。
また、彼は徳政令禁止を打ち出す。秀次の領地では城主など権力を持つ者が商人から金を借りて徳政令を出しても無効、と決めた。
むしろ秀次にしてみればそれがまだまかり通ってるふしがあるだけで驚きだったのだが・・・。
こうして彼は内政に励みながら過ごしていく。


天正15年。京に聚楽第が完成。秀吉が帝を迎える準備が整った。
秀吉に従う全ての大名が聚楽第に集い、帝を迎えた。そこで、秀吉は全ての大名に誓詞を書かせる。
以後、帝には逆らわない、という誓詞である。帝に逆らわないということは、帝に代わって政治を行う関白にも逆らえない。
その誓詞を全ての大名が差し出し、秀吉からご覧の通り、今後身辺を騒がす者はこの者たちが成敗いたしましょう、と言上される。
秀吉の支配が今、始まったと言える瞬間であった。


聚楽第での盛大な催しから一月後、秀次の祝言が挙げられる。
花婿は羽柴秀次。花嫁は小松姫。徳川家康の養女である。
秀次十九歳、小松姫十四歳であった。



はっはっは。結婚しちまった。稲姫とな! 本多忠勝の娘ですよ。
相手十四歳って、俺はロリかっつーの! 現代じゃありえんなぁ。
しかし、美人っつーか美少女っつーか。現代日本に居たらいけないオジサンに狙われそうなくらい美少女だ。
親がヤ○ザより怖いけど。
それにしてもこの時代の武家の婚礼は長い! 丸二日がかりだぞ! ほとんど座りっぱなし!
途中で逃げ出そうかと思ったわ! 花嫁の義父と実父が来てるからそんなこと出来ないけどな!
ようやく終わったと思ったら、そのまま初夜ですよ! いやまあ、この時代なら十四で子供いる人もいたわけだし、いいんだろうけど・・・。
とりあえず、沈黙に耐えれないから何か喋ろう。
「疲れた?」
ふ、世のイケメンはこんな時どう会話してるんだろうか・・・俺には精一杯の勇気振り絞って今の一言が限界です。
「いいえ。私は大丈夫です」
なんかじっと見つめられてます。
「あ~、え~と、と、とりあえずこれからよろしく・・・」
もう、沈黙に耐えれないってば。


花嫁、小松姫は自分の夫となった人物を興味深く観察していた。
尊敬する父曰く、三方ヶ原以来初めて徳川に野戦で傷をつけた男。その武才は計り知れないと言う。
家康様曰く、飄々としているがその器量の底が知れないと言う。
九州征伐では家康様の言をほぼ無条件で取り入れ、全ての戦に完勝した。
「おそらく、秀次公なら自分の配下の将のみで勝てただろう。私に采を取らせたのは、我が武門の名誉を立てさせてくれただけのこと。
 それだけの余裕があり、また彼は恐ろしく冷静に戦況を見つめていた。かの人は人を知る。名将を名将たらせるために何が必要かを知っている。
 我らと小早川、他の大名にまで下知できるほどの権限を与えておいて、自らは超然としていた。我らがその気になれば九州で秀次公を討つことは可能だったかもしれん。
 そんなことをすれば徳川も小早川も破滅することを、彼は知りぬいた上で我らに采をまかせたのだ・・・」
家康様がこれほど恐れる将は武田信玄以来やも知れぬ、と父は言っていた。
この地に来る前に様々な話を聞いたが、民を慈しみ領内の領民から神の如く崇められる領主。
部下を信頼し、年上の部下をも問題なく使いこなす人使いの天才。
先見性を持ち、新たな戦略をも生み出す戦争の達人。
しかし、今目の前にいる何やら困った顔をしてこちらを見ている若者とはどれも結びつかないような気がする。
「秀次様、ふつつかものですが、これから末永くよろしくお願い致します」
そう言って布団に頭をつける。これから初夜、というのが妙に生々しく感じられた。
「あ、うん。仲良くしような。よろしく、姫さん」
少し照れながら笑う秀次様は歳よりも若く見えた。
優しそうな人でよかった。この人となら夫婦としてやっていけそうだ。


その頃、別室では家康が忠勝他数名と話していた。
「今回の縁談、我らにとっては願ってもない機会である」
家康が低い声で話し出す。
「秀次公は若くして名声を得ている御方。北政所様にも親しく、このまま行けば関白様の跡継ぎになられるかもしれん。
 最も、関白様に実子がいない現状ではだが」
謀臣、本多正信が口を開く。
「左様・・・将来的に秀次公と戦うにせよ共闘するにせよ、まずは徳川との結びつきを強めることが大事でございましょう」
「そうだ。我らが京へ出るには秀次公が障害となるが、私は戦で天下を取る気はない。
 今は力を蓄え、諸将との結びつきを強くする必要がある。それには秀次公と縁戚になるのは願ってもないことだ」
本多忠勝も口を挟んだ。
「稲には何も言っておりませんが、輿入れには当然実家より侍女と側廻りがついていくもの。
 特に小姓や侍階級の者は念入りに才ある者を選んでおりまする」
これに家康も頷く。
「が、何せ相手は秀次公だ。念には念を入れておく必要がある。彼を徳川家に取り込めれば、我が天下はすぐそこぞ。
 此度の機会は逃せぬ。しくじりは許されぬのだ」
家康が力強く宣言する。家康は本気で秀次を徳川寄りに取り込もうと画策していた。
「相手を取り込むためには相手を知らねばならぬ。奥のことは小松姫の侍女達に任せるとして、表向きのことだ。
 正信、何か存念はないか。小姓程度では安心できぬ」
目を閉じて考えている正信。やがてゆっくりと目を開いて家康に言った。
「我が家から武将を貸すのはどうでありましょう。古来より嫁入りと同時に重臣を配下として差し出した例はいくらでもあります。
 気の利いた小姓ではなく、決して上様を裏切らぬ男を一人、秀次公の側に送り込むのです。その者には徳川との戦以外では存分に働いて貰いましょう。
 うまく手柄を立てて取り立てられれば、何かとやり易くなりましょう」
名案なり、されど秀次公は承諾してくれようか、と家康が問うとそれは正信にお任せあれ、命に代えても口説いて見せましょう、と本多正信が言う。
「されど、誰を送り込むのだ、正信」
忠勝が問うが、正信にもこれといった案があるわけでもない。徳川四将と呼ばれる男達はさすがにやりすぎであろう。
かといって、三河侍に多い血気盛んなだけの槍武者を送りこんでも役に立つまい・・・。
すると、家康が傍らに控えていた男に向かって言った。
「おぬしがゆけ」
家康に影のように付き添っていた男は静かにこう言った。
「御意」
こうして本多正信に丸め込まれた(初夜のことを思い出してほとんど聞いてなかった)秀次の配下に服部半蔵が加わった。
最も、その忠誠心ははなはだ疑問だったが。




[4384] 腕白関白~小田原征伐準備~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/10/23 21:27
鶴松が生まれました。
別にどうでもいいけどね。数年後には死んじゃうし。
茶々が出産のストレスとかで死なねーかな、と密かに祈っていたのは秘密だ。
なんか周囲は「これで豊臣の安泰」だの「まことにめでたい」だの言ってますが、跡継ぎにはなれない運命なのさ、鶴松。
可愛そうだが。
秀吉は上機嫌で茶々に城作ってやるとか言ってた。淀城のことだな。秀長さんが普請奉行になってたけど、無理させんなよ。
しかし、今までなんとか順調に生き抜いてきたけど、本格的に死亡フラグは消えていないっぽいぞ。やはり、最大の敵は茶々か。
おのれ、茶々! お市と長政が草葉の陰で泣いてるぞ! 秀吉の側室なんぞになるとは!
というか、茶々って実際に逢ってみるとさ、美人だけど、どこにでもいる美人だよ? ちょっと派手な感じの。
あれは絶対、お市様の幻影っつーか、織田家への憧憬が強いな。それとなーく秀吉に茶々殿もどっかに嫁がせるんですよね? とか言ってた俺がアホみたいじゃないか。
というか、派手好きなんだよ、あの女! 淀城に黄金ふんだんに使った贅沢な作りしやがって! うちかけとかもなんつーか派手!
現実でいうと、金持ちのおっさん捕まえた夜の女って感じ? 名家の姫とは思えんな、まったく・・・。
俺の嫁さんのほうがよっぽど美人だしな! 大和撫子って感じで夫を立ててくれる出来た女だし!
十四歳だけど、結構胸も大きいんだぜ? ロリ巨乳ってやつか? なんつーか俺勝ち組! 今、俺は人生の主役!
「小松って呼びにくいなぁ」って言ったら「稲で結構ですよ、旦那様」とかもう可愛いったら!
ロリじゃないよ? 俺はロリじゃないよ? でももうロリでもいいよ!
・・・浮かれてないで秀頼対策でも考えよう。
とりあえず、ねね様にお歳暮ついでに便りを送っておこう。前略、稲は素敵な嫁です、と・・・・。


秀次と小松姫が幸せに暮らしながら、領民の暮らしも災害から立ち直り落ち着いて来た頃。
世間は動き出していた。
九州征伐を終え、聚楽第に帝を迎えた秀吉の出した「惣無事令」。
簡単に言ってしまえば、勝手に戦争すんな、帝の言うことに従え、従わないなら関白たるこの豊臣秀吉が相手だ、というお達しのようなものである。
惣無事令を出した相手は東の大名、北条家である。
小田原を中心に関東八州を支配し、今もなお勢力を伸ばすべく佐竹家や結城家にちょっかいを出している。
秀吉は北条と同盟関係にある徳川家康に北条へ使者を出させる。
「上洛して秀吉に従うか、さもなくば督姫を離縁させて戦か」という使者である。
督姫とは家康の実の娘であり、北条氏直に嫁いでいる。それを離縁して同盟を破棄、攻めつぶすというのである。
当然、北条では活発に議論が行われた。
戦か、臣従か。
臣従するのは業腹だが、戦をして勝てるか、と言われると難しい。
声高に戦を主張する者はなんの上方侍程度、我ら真の武士に勝てはせぬ、頼朝公の時代よりそうであったではないか、と主張する。
当主北条氏直は内心、今と鎌倉時代を比べるなよ、大体頼朝だって相手が数十万の大軍じゃなかっただろうが、と思ったが口には出さなかった。
北条氏直も悩んでいたのだ。関東八州を安堵してもらえるなら臣従すべきか? しかし、その保障はない。
それなら、戦いを選択して小田原の城に寄ってある程度の勝利を得て大幅な譲歩を引き出すか。
だが相手は大軍である。はたして「一定の勝利」が可能かどうかは怪しいところだ。
おそらく、戦となれば督姫を離縁した家康殿が先鋒として攻めてくるだろう・・・そこに情が入ることはない。
和睦・・・その考えが北条氏直を支配しかけているが、主戦派の将や親族が納得しまい。
北条氏直とて・・・一戦もせずに和睦・臣従ははらわたが煮えくり返りそうになる。しかし、彼は当主である。無理無謀な戦に家臣を道連れにはできない。
そこで、とりあえず一族の北条氏規を秀吉の下に派遣する。氏直と氏規は考えが近い。
秀吉に拝謁した北条氏規。彼は秀吉に上野沼田領を北条領土にして貰えれば、当主氏直が上洛することを約束した。
上野沼田領。真田昌幸が領地である。
もともと、七年ほど前に北条と徳川が戦った際、和睦の条件として北条へ譲渡されるはずだった土地である。
しかし、真田は徳川家康が上野沼田に変わる代替地を指定しなかったため、これを拒否。当然家康は上野沼田に侵攻した。
大軍を持って真田を押し潰すつもりだった家康は真田昌幸の小勢に散々に敗れてしまった。
家康が城攻めが苦手だったこと、さらに指揮官の真田昌幸が卓越した戦術家であったことが原因と言える。
家康の軍勢を破った後、真田昌幸は抜け目無く秀吉の庇護下に入った。家康も後に秀吉の配下となったのでもう互いに戦えない。
秀吉は真田昌幸の長男である信幸を家康の家臣とすることにし、この争いを収めたのだ。
予断だが、信幸は史実では秀次の正妻になっている小松姫の夫だった。今は榊原の側室の娘を娶っているらしい。
さて、この上野沼田だが、秀吉は真田昌幸と会談。領土の三分の二を北条へ渡すことを約束させる。
上野沼田は先祖伝来の土地であるため、全領土を差し出すことは真田昌幸にも出来なかったのだ。
こうして、北条氏規は小田原に帰還し、後は当主氏直が上洛するだけ、となったのだが・・・。


天正十七年、年の暮れ。
沼田の名胡桃城が北条勢に攻め入られ、守備をしていた鈴木主水が自刃に追い込まれた。
この報を聞いた関白秀吉は激怒。
一度は北条氏規を派遣して、さらには秀吉の仲介によって上野沼田の三分の二を得て納得したはずである。
この状況で沼田を攻めたのは、明らかに挑発である。関白など関係ない、弓矢を持って語ろうではないか。
そう満天下に宣言したと同義である。
秀吉は帝の下へ行き、勅命を得る。
北条討つべし。
秀吉は五箇条からなる弾劾状を勅命とともに北条へ叩きつけた。世に言う、小田原征伐はこんなややこしい事態によって始まった。


北条氏直は落胆していた。とりなしを頼んだ家康からは「督姫離縁」の返事が来ただけである。
氏直が名胡桃城を攻めさせたわけではなかった。
一族の主戦派であった北条氏邦が独断で部下に攻め込ませたのだ。秀吉との和議が進んでいたが、この和議を壊すには沼田を攻めればいい。
それだけで秀吉の面目は潰れ、なし崩しに戦となる。
事ここに到ってはしかたなし、と氏直も覚悟を決めた。彼も戦国大名である。名も惜しかった。


小田原か~遠いし面倒だなぁ。
「あんまり動かないでください、危ないですよ」
ごめんごめん、稲の膝枕が気持ちよくて・・・。
「耳掃除しているのですから、少しじっとしてください」
ん~極楽。でも小田原征伐ねぇ。義父と一緒に片付けに行くか~。
「家康様と行かれるのですか?」
うん、俺と家康殿が先鋒。別働隊は宇喜多秀家が率いるらしい。
あとは毛利と九鬼の水軍と上杉、前田、真田の北方方面軍だな。総勢二十三万くらい。
「まあ、すごい数ですね。関東は恐ろしい武者が住むといいます。くれぐれもお気をつけてください、旦那様」
まあ、家康殿がいるから楽勝じゃないか? 俺やることないかも。
「ふふ、父にも稲は元気に、とても幸せに暮らしているとお伝えください」
おう! じゃあ戦に行く前に・・・。
「きゃっ! もう、旦那様・・・まだ外が明るいですのに・・・」
子作りしてからだ!


結婚して二年経ってもいちゃつく二人であった・・・。


二月。
先鋒の家康軍三万と秀次軍三万三千が長久保城へ入る。
毛利と九鬼の水軍一万もすでに展開を始めており、北方軍もすでに動き出している。
宇喜多秀家が任された別働隊もまもなく関東へとやってくる。
さらに、その後には秀吉本隊が動き出すことになる。
なお、毛利水軍に秀次は津島丸を貸していた。速度が速く大量の荷を運べる津島丸は兵站を支えるために使われることになる。
そして、秀次は豊臣丸建造と同時にもう一隻、ガレオン船を作らせていた。
一度完成させているので、工房の人数を増やして同時に二隻作れるようになっていたのだ。
もう一隻のガレオン船は、ある目的で小田原征伐中に関東へと向かうことになる・・・。



[4384] 腕白関白~小田原包囲~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/10/24 22:24
まずは山中城だな、あれを一日で抜く。
「一日で、ですか。また無茶をいいますな」
兵庫、無茶じゃないぞ。一日どころか朝から攻めて昼には落とす。
「いつになく気合十分ですな、秀次様」
宗茂、俺はいつでも気合十分だ。
「まあ、秀次様がそこまでおっしゃるのなら・・・」「半日で落としてみせましょう・・・」
頼りになる二人だなぁ。


徳川家康と羽柴秀次。
先鋒を任された二人の将は、三月二日、眼前の山中城を攻略しに掛かる。
秀次の「昼までに落とせ」との命に舞兵庫、立花宗茂は見事に答えて見せた。
すさまじいばかりの攻撃を仕掛ける秀次勢。負けじと家康の手勢も大攻勢をかける。
秀次は秀吉から軍資金としてかなりの資金を貰っており、ここで気前よく恩賞を約束した。
どうせ他人の金、とばかりに「一番乗りに天正大判十枚、一番槍にも同じく十枚、松田康長の首に三十枚、間宮康俊の首に十枚」といったところである。
天正大判は秀吉が作ったかなり大振りな大判である。十枚といえば一兵卒には眼も眩むほどの大金である。
突撃合図と共に、まずは山中城の出城である岱崎を襲撃。後ろから見ていた榊原康政が「ただ河が流れるが如し」と評したほどの突撃であった。
岱崎の城主、間宮康俊は懸命に防いだが元々兵力がまるで違う。一刻もしないうちに岱崎はぼろぼろになった。
間宮康俊は最後に武士の意地、敵に突入して討ち死にせんと決意したが、その前に金に目が眩んだ足軽数十人が雪崩込んできて討ち死にしてしまったという。
岱崎を落としてる間、家康率いる徳川旗本部隊と秀次率いる羽柴旗本部隊が山中城に延々と射撃を繰り返していた。
尾張で生産された一万近い鉄砲を持ち込んできた秀次は、部隊を六段構えにわけ、間断なく城に向かって射撃させていた。
このため、岱崎に山中城からの援軍は出せず、一部の部隊がそれでもなお射撃の雨の中を岱崎に向かおうとしたが、家康旗本に軽く蹴散らされた。
岱崎で間宮康俊が討ち取られた後、兵たちはこぞって山中城へ殺到する。
一番乗りを果たしたのは秀吉の配下で先鋒に加わっている上田佐太郎という武士であった。
松田康長を討ち取ったのは、なんと平野長泰であった。秀次ですら「いたのか、七本槍一地味な男!」と叫んでしまったが。
こうして、戦意十分な兵を抜群の用兵で生かした舞兵庫と立花宗茂の活躍により、本当に太陽が真上に来る頃には山中城を落としてしまった。


さて、なんで秀次が山中城を一日で落とすことにしたかと言うと。
(確か史実では山中城を落として小田原まで一気に進軍。小田原城を包囲して相手に余裕を見せ付けるために様々なことを秀吉がやる。
 その中には大名が妻や側室を呼ぶってのがあったはず!)
稲を早く呼びたいだけだった。


不純な動機でやる気を見せている秀次だったが、一日で小田原城への最短ルートを確保したことは確かである。
その報が届くと、秀吉本隊も前進。「我が甥は九州での鬱憤を晴らそうとしておるようだ。北条も気の毒なことよ」と上機嫌な秀吉であった。
この本隊は豊臣秀吉を主将として、黒田考高、蒲生氏郷、細川忠興、池田輝政、堀秀政、浅野長政、石田三成、増田長盛、生駒親正、蜂須賀家政、大友吉統、島津久保。
先鋒は先に述べたように羽柴秀次、徳川家康に加えて福島正則、加藤清正、片桐且元、大名ではないが平野長泰。
別働隊に宇喜多秀家、吉川広家、大谷吉継、長束正家。
水軍に小早川隆景、長宗我部元親、加藤嘉明、九鬼嘉隆、脇坂安治。
北方方面部隊に前田利家、上杉景勝、真田昌幸、依田康国。
なお、小早川隆景は秀次より貸し出された「津島丸」に乗船しており、人一倍張り切っていた。
興味津々だった九鬼嘉隆も同乗していたりしたが・・・。
宇喜田秀家率いる別働隊は、秀次が山中城を攻撃した次の日、韮山城を攻撃したが、寄せ手の十分の一の兵力で韮山城は驚異的な粘りを見せる。
結局、史実通り包囲戦となり、戦線は膠着していた。


北条早雲以来の栄光を刻むために! 小田原よ! 私は帰ってきた!
「来たことがあったんですか?」
冷静に突っ込むな宗茂!
「山中城からここまで、大した抵抗もありませんでしたな」
小田原城の防御力に絶対の自信があるんだろ。ほとんどの兵をここに集めてるんじゃねぇの?
「なるほど、ここで時間を稼いで潮の変わりを待つ・・・ということですか」
だろうね。大方、こっちの兵糧切れとか狙ってんだろ。
残念だが、海路で山ほど米は運んでこれるんだけどな。
「二十万石分ほども関白様が米を買い占めたとか?」
うむ、主に尾張と美濃からな。港もあるし、近いし。
おかげで俺の領地には金が山のように!
「全国の金山、銀山を牛耳った関白様ですから、それくらいなんともないということですか」
凄いよねー。でも俺の領地にはろくな金山ないんだぜ?
「元々、尾張や美濃は十分豊かな土地ですから問題ないのでは?」
いやまあ、いいんだけどね・・・。商業は盛んだし。
「徳政令禁止が効きましたな。今や堺や京の豪商まで津島に店を構えています。
 此度の遠征も、商人達が兵糧や弾薬を提供してくれたとか」
先行投資に躍起なのさ。
関東を平定したら、また商売の機会が広がるから今のうちに他に先んじて俺に恩を売っておくつもりなんだろ。
「しかし、見れば見るほど堅牢な城ですな」
なんつーか、純軍事的な要塞なら大坂城より上かもね。
力押しは無理だし、やっても損害が広がるだけだな。
「何か策が?」
ま、関白様がすでに考えてるだろうさ。


三月二十一日。秀吉が本隊を率いて小田原に到着する。
本陣を早雲寺に置き、包囲網が敷かれた。
そして、秀次が秀吉に呼び出された。


「やあ秀次、山中ではようやった。さすがよのぅ」
「ありがとうございます、関白殿下」
秀吉が機嫌よく秀次を招く。
「さて、我が甥よ。小田原城をどうみた」
「天下の堅城、とは誇大表現ではないようで」
ふむふむ、と秀吉が頷く。
「されば、力押しは無益じゃろうな」
「そうですね、攻めかかって来るのを中の兵は今か今かと待ち構えているようですし」
なればよ、と秀吉が楽しそうに言った。
「諸大名には屋敷や書院を作るように触れを出せ。万事ゆったりと物事を進めようぞ。
 笠懸山から小田原は見下ろせるらしいな?」
「はい。城を築くならあそこかと」
さすがは我が甥、すでに我の策を見切っておるわい、と秀吉はますます上機嫌になった。
「普請奉行は黒田にまかせるとしよう。
 秀次、おぬしも屋敷を建てよ。あと、ここに集結した部隊から利家の別働隊へ合流する部隊を選んで出発させておけ」
「御意。早速取り掛かります」
うむうむ、と頷いてからさらに秀吉は付け加えた。
「兵を楽しませるため、遊女を呼ぶぞ。市も建てよう。
 大名達には妻や側室を呼ぶように言え。わしも茶々を呼ぶとしよう」
こうして、小田原城の周囲には大名屋敷、歓楽街、市場などが突然沸き立つように現れる。
海上はすでに水軍が封鎖しており、兵糧や物資は次々と運ばれてくる。
中でも津島丸は秀吉のいる笠懸山からも見え、「おお、我が甥の船ぞ。なんとも凄まじきものよ」と喜ばせた。
ちなみに豊臣丸はすでに完成して堺に入っているが秀吉は今回、その船を堺に置いてきていた。
船足が速く巨大なその船を何か大坂であったときのために置いてきたのだ。


小田原城包囲の方針が固まった秀次は、まず最初に稲を呼ぶ早馬を走らせる。
「疾風の如く走れ!」と厳命し、屋敷を建てる間に別働隊の編成を考える。
浅野長政、榊原康政、木下兄弟を抜き出して前田利家へと合流させるように動かす。
一方、石田三成、長束正家はここでおとなしくさせていようと思ったが、石田三成がどうしても武功を立てたい、と秀次に懇願してきたため、史実通り忍城を攻めさせる。
これには能吏として才を振るう三成を快く思わない武断派がいることから、三成は自分に軍才があることを証明しそれらを黙らせたかったのだ。
まーいーか、とあっさり許可を出した秀次に謝意を述べて三成と正家も出陣していく。


秀次は稲が来るまでの間、遊んでいたわけではない。一応。
まず半蔵を呼び出してある命令を言い渡す。


「風魔小太郎、ですか?」
そう、風魔小太郎。今何代目か知らんけど、北条にいるだろ?
「確かにいます。が、風魔小太郎に何用で?」
調略する。
「・・・!! 本気、でございますか」
ああ、どうせ北条じゃ大して優遇されてないんだろ?
「それはまあ、伊賀者と同じ日陰者。大した禄も貰ってないでございますが。
 徳川殿の元にいる伊賀者と違い、今の北条は忍びを使いこなせる人材もおりませんようで」
だったら調略できるんじゃないか? 俺の元に来たら一万五千石だ、って言ってきてくれ。
「い、一万五千石ですか・・・」
それだけの価値はあるよ、忍者の持つ技術って奴はね。


こうして現在の主君から無茶な命令をされた服部半蔵は部下の伊賀者を使いなんとか風魔に接触するために努力することになる。




四月中旬、稲が小田原にやってきた頃、奥羽から一人の大名が小田原に向けて出発する・・・。



[4384] 腕白関白~風魔調略と奥羽の竜~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/10/25 17:25
四月。完全に小田原を包囲し、その周囲に屋敷やら書院やら茶室やら城やらを豊臣方が建てまくっている。
遊女が歓楽街を開き、商人が市に店を出して兵たちは長い対陣にも飽きることがない。
糧食は消費できないほど積みあがっており、小田原城へはときおり適当に挑発してみる程度である。
そんな中、服部半蔵が必死になって接触した風魔が秀次と極秘に会談を持った。


初めまして、羽柴秀次だ。
「風魔小太郎にございます。以後、お見知りおきを」
うん、つーかでかいなぁ・・・。現代人よりでっかいぞ、こいつ・・・。
さて、風魔小太郎。俺に仕えてくれる気はあるかな?
「お聞きしてもよろしいですかな?」
なんでも聞いてくれ。答えられることなら答えるぞ。
「一万五千石、とのことですが正気ですかな?
 我らは忍。日陰者ですぞ?」
俺に取っては、侍も忍者も同価値だがな~。
戦にも経済にも外交にも・・・情報がないと負けるんだよ。その情報を集めるには、忍が一番いい。
そう思わないか?
「忍の使い方を理解なされておる・・・北条にあなたがいれば、我らを無為に過ごさせはしなかったでしょうに。
 しかし、忍の者が大封を得て反発を買うのでは? 我らは足軽以下の扱いしか受けておりませぬゆえ」
有能な奴には、有能な技能を発揮するだけの条件を整えてやるのが俺の仕事だ!
つか、領地を渡しておけば後は俺がなんもしなくてもいいからな! これは戦国時代のいいとこだ!
反発っつーなら、俺なんて農民の子だが?
「・・・我ら風魔一族、北条の元では敵に焼き働きをする夜盗崩れ程度の扱いでござった。
 その我らを、一万五千石という高禄で、養うとあなたは仰る」
おう、俺の直轄地はあまりまくってるからな! ほとんど人任せにしたいけど、それをやると田中吉政が怒るし・・・。
そうそう、風魔じゃなくて風間家って名前で俺の家臣に入ってくれ。風魔、じゃさすがに領民が怖がるかもしれんから。
「家・・・我ら、風魔に、家を・・・家名を頂けると・・・」
一応、一万石超えて大名になるから、関白様に頼んで官位の内諾も貰っといたぞ。
従四位下按察使だ。
諸国の民情などを巡回視察した官、らしいからいいかなーって。
「か、官位! わ、我ら風魔が朝廷の臣として認められると!」
まあ、大名だし。
「この風魔小太郎、いや、風魔忍軍全て、秀次様に永久の忠誠を!」
えーと、喜んで貰えたみたいで何より・・・。
ま、まあこれで優秀な密偵や情報機関が作れた、と。
死亡フラグを折るためには、とにかく考えられるだけの戦力を集めないと・・・もしかしたら、こいつなら茶々を暗殺できるかも知れんし。
やんないけどね、今の所。何が起こるかわからんし。


秀吉は秀次からの報告により風魔小太郎を新規に召抱えたと聞いて大笑いした。
あの甥はやることが突拍子もなくて面白い! 北条の忍を頭領ごと寝返らせるとはな!
これで北条はさらに追い詰められただろう。対陣している我らの糧食を焼き払うなど、撹乱の仕事ができる集団を丸ごと失ったのだ。
いや、失っただけではない。風魔なら城の構造や食料庫の場所も全て知っている。
今頃、氏直も顔を青くしておることだろうて・・・。


この時代の忍は待遇が悪い。
武士とは比べ物にならず、足軽以下の扱いを受ける者がほとんどであった。
それが突然、大名になり官位まで宣下された。
彼ら忍にしてみれば、人以下だった存在から一気に主人が大名となり自分達も武士階級として認められた。
風魔はこの先、「秀次のためならば敵陣に潜入して中で爆死する」と言われるほどの狂信的な忠誠を秀次に捧げていく。


小田原を囲む陣には当然徳川家康もいる。
自分の屋敷で家康は物思いにふけっていた。
徳川が天下を取るためには、手段は一つしかない。
関白秀吉が死ぬまではおとなしく忠誠を尽くし、その間に力を蓄える。
もはや秀吉に戦で勝つことは不可能。ならば勝つ方法はただ一つ。
寿命しかない。
世継ぎの鶴松はそのころ何歳になっているだろうか? おそらく、まだ元服しておるまい。
いや、たとえ元服していたとしても、自分に勝てるほどの才覚はあるまい。ならば隙はある。
今はひっそりとその隙を探ることだ・・・。
秀吉が執心している淀君。泣き信長公の姪だが、あれは富と権力が欲しい典型の女・・・秀吉が死去すれば必ず自らが子を使って権力を握ろうとする・・・。
そして、自分に従っていない者・・・譜代の家臣や尾張者を遠ざけるはず・・・そうすれば、北政所はどう動くか。
北政所は聡明な女性だが、情に厚い。自分が育ててきた、例えば加藤清正らを見捨てることはしないはず。
豊臣の生母として実権を握ろうとする女に対抗するには、北政所はただ一人に囁けばよい。淀をどうにかしろ、と。
そう、羽柴秀次。あの若者を動かせばほとんどの大名は動くだろう。
やはり、あの若者が鍵・・・あの若者を徳川寄りに取り込むためには、北政所にも接近しておく必要がある。
・・・小松姫とは仲睦まじくやっているそうだが、それだけで徳川に協力するほど甘い男でもあるまい。
さらに秀次殿の心を得るために手を考えねば・・・。


家康が自らの思考に沈み、少し考えが飛躍してきてしまっていたころ、鍵と思われる若者、秀次は。
ようやく到着した稲に往来で抱きついて、一緒に来た立花宗茂の妻立花誾千代に蹴り倒されていた。


「まったく、百万石以上を持つ大名とあろうお方が往来であのような・・・」
すんません、誾千代姉さん・・・。
「稲が恥ずかしい思いをするでしょうが! 少しは考えなさい!」
「誾千代様、もうよいですから・・・」
つーか、稲が恥ずかしい思いをするのはいけなくて、俺が皆の前で蹴り倒されるのはいいのかよ・・・ごめんなさい、反省してます。
しかし誾千代姉さんまで来るとは・・・。
「夫に呼ばれたのです。大体、稲一人じゃ不安でしょうが。仮にも戦場なのですよ」
そ、そうですね。
まあ、誾千代姉さんもなんだかんだ言って宗茂とよろしくやるために来たわけですよね!
「殺しますよ?」
すいませんすいません。
「では私は一応亭主の元へ顔を出しに行きますが、く・れ・ぐ・れ・も! 羽目を外し過ぎないように! 
 わかりましたね、秀次様!」
はっ! 御意にございます!


「誾千代様は私が心配で一緒に来てくださったのですよ」
わかってるって、稲。
相変わらず二人は姉妹みたいだなぁ。
「ええ、頼りになる姉だと思っております」
頼りになりすぎるけどな! 可児才蔵に「かなりの腕前ですな、誾千代様の薙刀は・・・」とか言われるってどんだけだよ!
「ふふ、秀次様も元気そうで何よりです。やはり、逢えないのは寂しいですね。
 便りが来たときは本当にうれしかったです」
稲~! なんて可愛いんだ!
じゃあ早速その寂しさを俺が埋めてあげ・・・「羽目を外すなと言いましたよね?」・・・すいません、障子の隙間から凄いプレッシャー感じるので自重します。


一応、夜まで我慢することにした秀次は、稲と共に来た領地からの報告を受け取ることにした。
ただ対陣して日々遊んでいればいいものではないのである。


ふむ、風魔からの情報では奥羽の伊達政宗は来るのを先延ばしにしているらしいが・・・結局は来ることになるだろう、って書いてるな。
領地から来た手紙に津島級三番艦を送り出しました、と書いてあったから予定通りに伊達政宗が来るまでに着くな。
奥羽の独眼竜・・・伊達政宗。俺の死亡フラグクラッシュのためにも是非とも懇意にしておかねばならん。
実力や交易以外にも、最悪奥州まで逃げるってことも考えないとね!
そのためにも、あの独眼竜のハートをキャッチ大作戦だ!
それはそれとして、領地からの報告では津島級四番艦と五番艦の製造も始まったし。
小田原が終わったら造船所を拡大しよう。津島級は役に立つ。俺が逃げないと行けない時とか。
国崩しの生産もなんとかなりそうだし、改造も職人達が頑張ってるらしいからどうにかなるかな?
関が原があるかどうかわからんけど、戦力は増強しておかんと・・・淀君が小細工しても正面からは攻めれない程度には!
そのためにはこの長い対陣が行われる小田原で色んな大名と親しくなっておかんといかんな。
一応、三成も失敗するよりはここに残したほうがいいと思ったけど、本人が武功に飢えてるからなぁ。
必死の形相で忍城を落とします! なんて懇願されたからつい許可したけど、どうなることやら。


秀次は秀次なりに色々と考えている中、時は進んでいく。
稲と久しぶりの閨を楽しんだり、一緒に風呂入ったり、家康に一緒に挨拶に行ったり、ついでに忠勝にも挨拶に行ったり。
そうこうしている内に、五月も中旬に差し掛かろうとしていた。
ついに、奥羽から独眼竜、伊達政宗がやってきた。
白装束で秀吉に面会して会津領没収だけで許された政宗。
その後の対陣中、政宗は小田原近くの港に秀次から招かれる。


羽柴秀次・・・豊臣秀吉の甥、かぁ。
えらく風変わりなお人らしいから逢ってみたかったもんよ。
招きとは嬉しいねぇ。しっかり観察させて貰おうかい・・・。
しかし、なんで港かねぇ?


傲岸不遜な考えを腹の中に持ちつつ、秀次の家臣に案内されて港へ入る政宗。
港に入った政宗は、そこで動きを止められた。
こ・・・こいつは・・・南蛮船!
でけぇ、俺が見てきた船なんぞ相手じゃねぇほど!
そう、港には津島級三番艦が泊まっていたのだ。
「よう、奥羽の独眼竜。羽柴秀次だ」
船の前にいた若者が声をかけてきた。
慌てて下馬する政宗。
「伊達政宗。お招きに預かり恐悦至極」
「まあ、固い挨拶はいいよ。奥羽とはこれから交易や何やで仲良くしてきたいと思ってるんだ。
 ついては、お近づきの印としてこの船貰ってくれ」


・・・今、この人は何を言った?
貰う、何を? 船、船は目の前にある。
この南蛮船か!


「い、いやぁ、ちょっと待ってくだせぃ。その、いきなり過ぎて何が何やら・・・」
混乱する政宗。
「んー、奥羽とは交易したいし、北の方とは俺も付き合いがまったく無くてさ。
 伊達殿なら今後色々とお互いの利益になりそうな付き合いができると思って。この船、いい船だぞ?」
「そ、そりゃぁ、くれるってんなら是非貰いたいシロモノだけどよ・・・」
政宗の眼は港に入ってきた時から津島級に釘付けだ。
「政宗殿は結構派手好みって聞いたからな。気に入ってくれると思ったよ。
 そうそう、帆はちょっと凝ってみたんだ。おーい、帆を下ろしてくれ!」
その声でメインマストから帆が下ろされる。
風を受けて膨らんだ帆には、巨大な刺繍がなされていた。
「こ、こいつは・・・すげぇ!」
そこに描かれていたのは、黄金の鷲。
金刺繍で帆一面に今にも飛び立つ寸前、といった風の黄金の鷲が描かれていた。


まいった・・・まいっちまった・・・。
俺は、この船にまいっちまった!
今まで、秀吉を油断させておいて天下を狙おうとか考えていたが、甘かった!
この秀次って人は、俺とは器が違う! こんなすげぇ船にこんなすげぇ帆を張る人だとは!
これが俺の船になる、と思うと歓喜が込み上げてきて抑えきれねぇ!
俺は、この秀次って人の大きさにもまいっちまったんだ!


夢見心地で船を見上げる政宗。それを見て秀次は「計算通り」と新世界の神っぽい笑いを浮かべた。

これで伊達との繋がりは完璧よ! 俺が排除されそうになったら他の津島級で奥羽まで逃げれる算段はついた!
仙台と言えばゴールデンイーグルス。やはり黄金の鷲を描いたのは正解だったな・・・安易な発想だったがうまく行くもんだ。
最初は網で焼いてる牛タンをでっかく描こうとか思ったが、さすがにやめて良かった・・・。
それにしても、この津島級、ガレオン船は色々役に立つ。
四番艦は毛利に、五番艦も誰かに上げて逃げる場所を増やしておくか・・・。


こうして秀次が政宗をうまく懐柔しているころ。
石田三成は忍城を攻めあぐねており、一つの策を閃く。
「忍城を水攻めにする。備中高松の伝説をこの地に再現してくれよう」
史実では秀吉から指示されて、しぶしぶ行った忍城水攻めだが、どうやら功に焦る余り自分で思いついて実行する気になったようであった。
秀次がそれを知るのはもう少し後の話である。



[4384] 腕白関白~小田原包囲中盤戦~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/10/26 17:57
小田原対陣中、秀次にとって心を痛める出来事があった。
五月、陣中で堀秀政が亡くなった。


堀久太郎秀政が・・・亡くなったか。史実通りだな・・・。
「旦那様・・・」
ん、稲か。
そんな顔すんなって。
堀秀政は、長久手の戦いで世話になった人でさ。
紀州征伐にも行って貰ったなぁ。名人って言われるほどの人だったから、惜しい人を亡くしたな・・・。
「ご病気だったそうで・・・」
うん、陣中で病没か・・・名人久太郎は最後まで戦では負けなかったって言えるかもな。
しかし、人の不幸ってのも続くな。
「・・・ええ、三好様も、先月」
三好の爺ちゃんにも世話になりっぱなしだったな。
まったく、不出来な養子だったかもなぁ。
「自慢の孫、と常々おっしゃられていましたではありませんか」
んー、まあ、少しは恩返しできたのかな。
色々と骨折ってくれる人だったから。苦労かけちゃったかな・・・。
「でも、本当に不幸が続いてしまいました」
うん、まあ、こればっかりは・・・な。
それでも・・・。
「それでも?」
いや、何でもないよ。


それでも、史実では既に亡くなっているはずの人が生きている。
秀次はその事を思った。
朝日姫。
史実ではこの頃すでに病没しているが、家康に嫁がなかったのが良かったのか、大坂で健在である。
祖母の大政所も大坂城で元気に暮らしている。
そして、何よりも秀長が健在だ。
体調を崩すことも多いが、九州征伐へ行かず療養していたのが良かったのか、今のところ死病の気配はない。
小田原征伐にも参加しておらず、大和の国で留守を守っている。
秀長さんが・・・長生きしてくれれば・・・秀頼が生まれても俺は安全かもしれん・・・。
そんな事を秀次が考えるが、すぐに思い直した。
持たない・・・だろうな。秀頼が生まれてくるまでは・・・。
歴史を知っていても人の死を止めることはそう簡単には出来ない。そう痛感している秀次であった。


さて、秀次が親しい人の死に少し感傷的になっている頃。
石田三成は忍城を囲んでいた。
忍城は周囲を湿地に囲まれている非常に攻めにくい城である。
なんとしてもこの城を落としたい三成は、力攻めを諦め水攻めに切り替えた。
秀吉が備中高松城で行った、堤防を築いて城ごと湖に沈める。
三成は早速周辺の住民に堤防を築くように命じた。


その報告を秀次が受けたのは、秀吉本陣でのことだった。
秀吉と茶を飲んでいる最中に、秀吉宛に三成から書状が届いたのだ。
それを読んだ秀吉は書状を秀次に投げてよこした。
「三成め、わしのかつての作戦を模倣しておるようだ」
「・・・備中高松の時とは状況も地形も違うでしょう。うまくいくとは余り思えないのですが」
むしろうまくいかないけどな! と思ったが口には出せない。
「わしもそう思う。しかし、作戦の司令官は三成じゃ。今はやらせておくほかあるまいて」
「まあ、そうですね・・・残る拠点は忍城と鉢形城くらいですし。ああ、韮山城も大谷吉継が囲んでるんでしたっけ」
韮山城は結局、攻め落とすことはできずに大谷吉継の一隊を抑えに残して放置していた。
「まあ、もはや大勢に影響はない。伊達という援軍も来ない。城内から外へ連絡することも出来ない。石垣山城が完成すれば相手も肝を冷やして降伏しよう」
「北方攻略軍も鉢形城に躓いていますが、それ以外をほとんど落とした様子。問題ないでしょう」
茶を飲みながらのん気に答える秀次。
「ところで秀次。今日おぬしを呼んだのは他でもない。北条が降った後のことだ」


北条が降った後? あ、そうか関東八州をどうするのかって事か。
徳川家康が史実では関東八州に移封されたんだよな。京から遠ざけて天下から離す代わりに大封を与えた。
二百万石以上だっけ? それで秀吉が死んだ後に結局天下取られたんだよな。
先祖伝来の地を離れてさらに箱根を越えて東へ・・・そこまでして家康を遠ざけて。
遠ざけたゆえに、力を蓄えられた。
あれ、でもそれって秀吉が家康に負い目があったからだよな、遠ざける代わりに石高を大幅に増やした。
別に今はそんなに負い目ないよな・・・長久手の後すぐに臣従したんだし。俺の義理の父だし。
「わしはのう秀次。関東八州をどうするか考えておる。何せ二百万石を超える大領じゃ。
 誰か一人に預けることはできん」
おお、史実と違う! 当たり前か。
「しかし、それなりの者をそれなりの力を与えて置いておく必要はある。
 奥羽の小僧に対する抑えとしてもな」
やっぱり信用してませんね、秀吉・・・。
政宗もなぁ、色々大変だな。
「お前が贈った津島級、あれで豊臣の財力と恐ろしさがわかったであろう。そうそう簡単に背くとはおもっておらん。
 が、あの小僧は隙があればまた野心が芽生える。そういう男だ、あれは」
確かに・・・。
「この戦が終われば、色々と諸大名に国替えをさせる。
 西を毛利が、大坂をわしが、京周辺を秀長が、東海道と東山道の中央をおぬしが抑えるのは変えぬ。
 わしが警戒しておるのは、伊達と徳川くらいよ。あとは野心があろうとも天下を狙える器の者はおらぬ」
言い切った! 凄い自信だ。合ってるけど。
では関東八州はいかがなされるので? と聞いてみた。
「それよ・・・実は悩んでおるのだ。誰を奥羽の抑えにするのか? 考えてみれば徳川殿の背後を突く役目もあるやもしれぬ。
 そう簡単に人事が決まらぬのだ」
む、確かにそう考えると難しい・・・。豊臣政権の中心者である程度才覚があって、百万石程度の領地を切り盛りできる人・・・。
いませんね。
「はっきり言うでない。その通りじゃが」
武辺者は辞めたほうがいい・・・政治力もある程度必要か。
それに忠誠心・・・才覚。
加藤清正と福島正則はまず却下ですね。
「関東へ移しても良いが、伊達、徳川を牽制する中心には出来ぬな。若すぎて道を誤る可能性もある。
 それに清正は肥後を任せ続けることにしておる」
才覚のみで見るなら黒田考高殿とかですが。
「よせよせ、官兵衛に百万石も与えてみろ、関東にもう一つ政権が出来てしまうわ」
警戒してんなー。わかるような気はするけど。
そう考えると一族の者ですか? 秀秋とか。
「秀秋か・・・優秀な家臣団をつければなんとかなるやもしれんな」
いや、なんともならないような気がする・・・。
「まあ、今すぐに結論を出すつもりはない。
 おぬしも考えていてくれ。先に行っておくが、おぬしなら関東八州を治められるのはわかっておるが、それはいかんぞ。
 おぬしには日ノ本の中央を抑えて貰う」
かしこまってございます。
「うむ、頼むぞ」
はあ、妙な宿題を抱えてしまったな・・・。


六月に入り、三成から書状で「順調に堤防を築いております」と報告が来た。
なんとなく不安になったので、風魔小太郎に様子を探らせて来ることにする。
表立って増援送ったり、堤防築いても無駄だからやめたら? と言ったら三成の面目潰すことになるしな・・・。
案の定、風魔からの報告では「堤防は確かに順調に築いていますけど、城が沈むほどの水が溜まるとはあまり思えません」と来たもんだ。
詳しく聞くと、元々あの辺りの土地は湿地帯であり土が軟らかく堤防を築くには適していないこと。
天候は快晴であり、しばらく大雨になる気配もないこと。
現地の住民を動員して堤防を築いているが、見たところ現地住民の中に相当数の忍城の足軽が紛れ込んでおり、報酬の米を城内へ持ち帰っていること。
そもそも忍城の足軽が参加してる時点でまともな堤防ができてるか怪しい、とのことである。
なんなら忍城の主だった将を数人殺してきましょうか、と言われたが却下しておいた。過激だな、風魔。
こりゃ、史実通りに堤切られて逆水攻め食らってぎゃー! なパターンか?
その後甲斐姫のカチコミ食らってさらにぎゃー! 三成哀れ。
秀吉の側室になるはずの甲斐姫か・・・凄く強い女性だったらしいけど。
あー、小田原にいる成田氏長の娘だっけ?
まあ、とりあえず「気をつけろよ。堤防できたからって勝てるわけじゃねーぞ」と返事出しておくことしか出来んな、今は。


六月中旬、史実通りに堤防が決壊。
三成軍に多くの被害者が出る。
その混乱に甲斐姫率いる部隊が切り込んできてさらに被害が拡大した、との報告を秀吉が受けた。
「三成め、しくじりおって」と呟いた秀吉は、忍城の勝利が小田原を活気付けると面倒だ、と判断。
自分の最も信頼する将へと忍城へ行き、短期で落として来い、と命じる。


かくして、史実にはない羽柴秀次による忍城攻略戦が始まる。
面倒くせぇぇぇぇ! ほっときゃいいじゃん! と叫ぶ秀次を兵庫と宗茂が引きずって連れて行く光景が小田原で見られたという・・・。



[4384] 腕白関白~忍城攻略戦~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/10/27 21:40
忍城! 平城なんだが、沼地に作られた珍しい城だ!
元々この辺りは湿地帯で沼地だったんだけど、埋め立てずに沼に点在する島に橋を渡して建てたらしいよ! 成田親泰すごいね!
何が言いたいかっていうと、凄く攻めにくい城ってことだ!
「中途半端に堤防で水を止めたため、城が水没するほどではありませんが城までの島がほとんど沈んでる状況ですな」
兵庫、力押しは無理だよな?
「無理ですな。大軍が近づけるようにするには、それこそ沼を埋めるしかないかと」
そんな暇ねーよ! 俺はさくっと落として帰るぞ!
「ほう、何か策が?」
うむ、宗茂よ、いいところに気がついた。
これから考える。
「・・・とりあえず、石田三成殿が先ほどから平伏したままお待ちですが」
あー、面倒くせぇ・・・。
まあ、何か考えよう。


今にも腹切るんじゃ? というくらい顔を青くしてる三成を慰めてから本陣から忍城を見渡す。
浮いてるなぁ。忍の浮き城ね。くそ、津島丸で国崩しでも持ってこればよかったぜ。
俺の本隊三万に元から居た三成が率いていた一万八千、それに徳川殿から借りた三千、しめて五万一千が俺の手持ちの戦力、と。
鉄砲が一万五千丁ほどあるけど、有効射程距離まで近づくのが難しいな。
点在していた島はほとんど水没してるままだし。島がない場所はちょっとした湖なみに深いとこもあるらしい。
船でも作って攻めるか? と思ったが船が渡れるほどの水深になる前に堤を決壊させられたからそれも無理、と。
うん、手詰まり感が凄い。
本気で埋めるか、この沼? 五万のうち四万が土木作業すれば・・・それでも時間かかりまくるだろうな。
しかも甲斐姫ですよ、甲斐姫。誾千代姉さんより強いんじゃね? てっきり創作上の人かと思ったらしっかり居ましたよ、甲斐姫。
しかも創作より強いぞきっと。手勢百で堤が切れた時に三成の軍に突っ込んで千人以上犠牲者出してるんだぜ。どんな女傑だよ。
もし出てきたら俺の頼れる用心棒、可児才蔵と家康義父さんから借りた嫁さんの父、本多忠勝を同時にぶつけちゃる。
てか、甲斐姫って秀吉の側室になるんだっけ? このまま開城せずに終わればだけど。
決壊した堤防は俺が来るまでに三成がとりあえず直したみたいだけど、雨も降らないのに城が沈むまで溜まるのはかなり先だな。
地元に詳しい風魔でも呼ぶか・・・。


秀次が三成を慰めたり風魔から詳しく地形を聞いたりしている時、忍城からは甲斐姫が豊臣軍を遠望していた。
三百ほどの将兵と二千人ほどの領民、それだけがこの城の戦力である。
しかし、彼女は負けるとは思っていなかった。
「たとえ援軍が来たとて、この城は落ちません」
将兵の前でそう宣言する甲斐姫。確かな意思の強さを感じさせる眼の光がそこにはあった。
「人数を増やして落ちるような城であればここまで持ってはいません。誰が来ようと我らは決して負けませぬ」
その美貌と武勇により勇気づけられた将兵はなお、意気軒昂である。
我らの姫! 甲斐姫ある限り忍城は無敵ぞ!
豊臣の侍に見せ付けるように雄たけびをあげる将兵たち。
忍城は開戦から二ヶ月、まったく衰えぬ戦意を持ち続けていた。


一方、秀次軍の兵は。
「城が浮いてるで、おい」
「秀次様も大変だなぁ。今度は人の尻拭いだとさ」
「相手はこっちを挑発してきよるぞ」
「ほっとけ、秀次様が動くなっつーんじゃ」
「そうそう、俺らは命令あるまで休んどくのが仕事じゃ」
一応城に向けて鉄砲の銃口は向けているが、適当に柵を立てたり寝床を作ったりしていた。
彼らは自分の大将が何か思いつくまで無駄な体力を使うべきではない、と知っていた。


秀次は本陣で風魔小太郎から詳細な地形を聞いていた。
周囲には舞兵庫、立花宗茂、田中吉政、本多忠勝、石田三成、長束正家もいる。
「なるほど、別に忍城が周囲の土地より特別低いわけじゃないのか」
小太郎の話を聞きながら、秀次は何やら考えている。
「さよう、特に低いというわけではありませぬ。ご覧になられた通り、池の如くなったこの地ですが、水流は動いておりませぬ」
確かに池、というか湖に近い状態になっているが水の流れはほとんど無かった。
「船が使えるほどの水深もないと?」
舞兵庫が問う。
「深い所なら十分使えましょう。ですが、点在する島は船で避けながら近づくしかありませぬ」
風魔が答える。
「それでは意味がないな。多人数で攻め寄せることができないのでは船を造る意味もない」
本多忠勝と立花宗茂も今のところ打つ手がないように唸る。
あーでもない、こーでもない、と皆が議論をしている最中。
突然、秀次が突然声を上げた。
「木材を組んで筏を作ってくれ。大きさは座布団より二廻り大きいくらいのを。百隻くらい」


秀次着陣初日。
城側の挑発を完全に無視する形で緩やかに布陣。
横に長い布陣を描き、鉄砲の射程はるか後方に柵を築く。
着陣二日目。
城側からは視界を埋め尽くすほどの兵。そして幟。
しかし何の動きもない。
そして三日目の夜。日が落ちて半刻。
秀次の命により部隊の一部が堤防と城を挟んで反対側に回る。
彼らは組み立てられた筏と樽を抱えていた。
そして、秀次の忍城攻略作戦が開始される。


深夜、突如として轟音が響く。
飛び起きた甲斐姫と兵士たちは物見台に登るが闇の中で轟音が響くのみである。
不安がよぎるが、やがてそれが水の音だと知る。
「堤防が壊れたようですね」
甲斐姫が呟く。
「無理な修理でもしたのでしょう。今度は勝手に崩れたようです」
兵士が城の塀から下を見ると、なるほど、敵の築いた堤防に向かって水が流れている。
どうやら決壊したのは間違いないらしい。
「上方の侍も大したことはありませぬな、姫。どうせ崩れるなら討って出る準備でもしておくべきでしたな」
軽口を叩きながら笑う兵。
「しかたありません。我らが崩したのではないのですから」
甲斐姫も笑う。
水の音はしばらく続き、やがて収まってきた。
「どうやらそれなりに大きく崩れたようですね。また彼らは堤防を修復せねばならないでしょう。
 しかし、この混乱に乗じて敵が攻めてこないとも言えません。警戒を怠らないように」
凛とした声で命令し、その声に兵士達が答えると甲斐姫も城の中に戻っていく。
私達は負けない。北条の名にかけて・・・。


堤防の決壊の音が聞こえてから数刻。
朝日が昇りかける時刻になって、忍城の兵の眼に異様な光景が飛び込んできた。
堤防の反対側の城壁に百隻ほどの小さい筏がひしめき合っていたのだ。
筏の上には樽が紐で固定されている。
「なんだ・・・??」
見張りの兵士が疑問の声を上げたとき、視界に揺らめくものが映った。
「炎?! 敵襲! 敵襲だ!」
いくつかの炎が揺らめきながら近づいてくるのが見える。
(たいまつ? いや、火矢だ!)
そう、近づいてくる兵は朝靄の中、全員が火矢を装備していた。
(城を燃やす気か? 城には水を引き込んでいるからそう簡単には燃えない!)
見張りの兵はそう確信して・・・ふと気がついた。
(なんで門じゃなくて城壁のほうに来る?)
そう、こちら側には門はない。大手門も搦手門も。
兵が疑問に思う間に、火矢を構えた敵兵が一斉に空に向かって火矢を放ち、全速力で反転して駆け出した。
よく見れば彼らは具足を身に着けていない。そのせいなのか、凄い速さで遠ざかっていく。
兵が火矢を見上げると、城壁までは届きそうにない。遠すぎたのだ。
失敗か? そう思ったが、城壁まで届かなかった火矢は彼の視界の下、城壁の真下へと吸い込まれていく。
そこにはひしめき合う筏。それに乗った樽。
(火薬!)
樽の正体に見張りの兵が気づいた時、いくつかの火矢が樽に突き刺さった。
「に、逃げろ!」
こちらに集まり出している味方に向かって叫ぶ。
兵の足元が白色に輝いて、彼の意識は途絶えた。


秀次の取った作戦は、単純なものであった。
自分たちで堤防を決壊させ、水の流れを作り出す。
あらかじめ城を挟んで反対に回りこませた部隊が火薬を詰めた樽を筏にくくりつけて水に浮かべておく。
その数、百樽。
後は勝手に筏が水流に乗って城へと流れていく。
城の城壁の下で筏はひしめきあって止まる。
樽には油紙を敷き詰めており、その中に火薬を入れて蓋をしている。
後は、夜明けと共に、水かさが減った浅瀬を伝って兵を進め火矢を大量に城壁下へと撃ちかける。
火矢を放つ兵はあらかじめ具足を脱いでおり、撃つと同時に全力で反転して逃げさせる。
ほとんどの矢は水に落ちたがそれでも数本は見事に樽に刺さった。
一つの樽には火薬が詰まっている。一つでも引火すれば全てに一瞬で誘爆する。
巨大な爆発は、城壁を抉り取るように吹き飛ばしていた。


「な、何が・・・」
すさまじい振動と爆音で目覚めた甲斐姫は状況がつかめなかった。
なんとか具足をまとって外に出る。そこで信じられない光景を見た。
「じょ、城壁が・・・」
城壁が吹き飛んで、崩れている。
崩れた城壁から立ち上る粉塵。この世の物とは思えぬ光景だった。
「負傷者を・・・」
なんとか声を絞り出すが、その声は幾千もの銃声にかき消された。
崩れた城壁目がけて、数千の鉄砲が放たれたのだ。
そのほとんどは誰にも当たらずに損害は与えなかったが、城兵の気持ちを折るには十分だった。


秀次の使い番が壊れた城壁の外から呼びかけている。
降伏せよ、城内の兵と将、並びに住民は助命する。
この降伏に従わない場合、直ちに総攻撃を仕掛け中の者全てを皆殺しにする。


甲斐姫に選択肢はなかった。


「終わりましたな・・・」
兵庫が砕け散った城壁を見ながら呟く。
「とんでもない作戦でしたな、兵庫殿」
宗茂が同じく城壁を見ながら頷いた。
「自分で築いた堤防を自分で切り、それによって生じた水流を利用するとは・・・」
忠勝もただ感心している。
「・・・・・・・・・・・・・・」
三成は、自分が落とせなかった城をとんでもない手段で三日で落としてしまった秀次を見て震えていた。
(このお人はどこまで凄いのだ)


ちなみに三成に震えながら見られている秀次は。
爆発の時に耳を塞ぐのを忘れて転げまわっていた。


秀次は城内の兵と住民をその場で解放。
甲斐姫を含めた将のみを捕虜として小田原に連れ帰ることにする。
鉢形城へは兵の一部を援軍として差し向け、彼自身は小田原へと帰還する。
「俺の火薬樽Gチート作戦、成功なり」
わけの分からない彼の呟きはいつもの事として周囲に無視された。


秀次が忍城を落としてから十日後。
石垣山城の前面にある林を伐採し、一夜で城を築いたかのように見せかけた、いわゆる石垣山一夜城の効果もあってか、小田原の北条氏直が降伏する。
ここに北条早雲以来、五代続いた後北条が滅んだ。



[4384] 腕白関白~関東始末~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/10/28 20:22
小田原から清洲城に帰って来てすぐに大坂に呼び出された秀次。
やべぇなんかやったかな? と思ったが秀吉の用は関東のことであった。
最近、秀長の体調が思わしくないので秀吉は何かと国政のことを秀次に相談している。
関東の巨雄、北条氏が滅んだ今、その領地だった二百万石以上の土地をどうするか決めねばならない。


「秀次、小田原ではご苦労だったな。忍城を爆破するとは、さすが我が甥、やることが大気よのぅ」
機嫌のいい秀吉。何事もうまく行っている今は機嫌がいいのも当たり前だが。
「さて、後は奥州じゃが。伊達の小僧も服従した今、大したこともあるまい。
 会津には蒲生氏郷を置く。ここまでは決まっておるのじゃが、関東をどうするかと思っての」
関東、北条氏の後である。
史実では徳川家康がそのまま関八州を拝領したが、それは秀吉が家康を中央から遠ざけるために、領土を増やす代わりに三河から追いやったと言える。
二百万石以上を与えなければならないほど、秀吉は家康に遠慮していたとも言えよう。
しかし、今では徳川はいくつかある豊臣政権下の大大名の一つに過ぎない。
信頼する甥の秀次と婚姻関係まで結ばせている。これ以上気を使う必要はないと秀吉は思っていた。
「関東ですが、少し考えました。豊臣には譜代の家臣や血族に徳川、伊達を抑えられる人材は見当たりません。
 そこで、かつて関東管領を目指した上杉はどうでしょうか?」
上杉景勝。あの上杉謙信の上杉家を継いだ男である。
「ああ、わしと同じ考えじゃ。上杉景勝なら、義に厚く部下も直江兼続ら俊英揃い。
 問題あるまい。して、他はどうする?」
さらに秀次が答える。
「上杉には安房、上総、下総、武蔵を持たせるのがよろしいかと。
 常陸には福島正則を移封してはいかがでしょう?」
おお、と秀吉は膝を打った。
「なるほど、正則ならば適任じゃろう。我が一族に連なるもの、伊達への抑えとしては適任じゃ」
多少、若く血気に逸るところはあるがの、と秀吉は付け加えた。
「徳川殿への抑えですが、上杉の前に相模があります。ここに今回別働隊で功のあった浅野長政を置くというのは?」
「それは名案じゃな。浅野長政ならわしも安心できる」
なにせ関東は遠い。昔、源頼朝が関東で挙兵できたのも京から影響力が及びにくかったからでもある。
「あとは下野と上野ですか」
これ以上は秀次にはあまり案はなかった。全部俺が考えなくてもいいだろう、と思っていたのもあるが。
案の定、秀吉が言った。
「下野は中村一氏、上野は加藤嘉明に任せるとしようか。佐渡は直轄地とする。越後は分割して片桐且元、山内一豊、増田長盛に分け与えよう。
 それでだ、秀次よ」
改まって秀吉が言う。
「又左(前田利家)じゃが越前と加賀に加えて能登を持たせる。但し越中に変えてだ」
ん? と秀次は考える。
越中は前田利家と上杉景勝が佐々を相手に取り合った土地。上杉が関東に移動するから確かに半国は空くが?
「では越中は空になりますな」
そう聞く秀次。
秀吉はにやりと笑った。
「忘れたのか、小田原でわしはお前にこう言ったぞ。日ノ本の中央をおぬしが抑えるのだ、と。
 秀次、おぬしの此度の働きまことに見事であった。山中城を一日で抜いたこと、忍城の城壁を爆破して北条の降伏を早めたこと。どちらも大功じゃ。
 よって越中と飛騨を持てぃ」
越中と飛騨。美濃から日本海へと続く国である。確かにこれで秀次は日本の中央を完全に抑えることになる。
「って、金森長近はどうなさるので?」
金森長近は今の飛騨の大名である。
「淡路と讃岐の二カ国を与える。正則が讃岐から移封するからな」
いいのかよ、それで。と思ったが決まったことに口は出せない秀次であった。


すげぇなんか出世した! 太平洋から日本海までぶち抜く領土貰ったぞ!
軽く計算してみたら秀吉の直轄領より多いんじゃね? あ、でも秀吉は全国の金山をほとんど自分のもんにしてたっけ。
領土なんかそらいらんわな・・・でもいつか金山って尽きるってことをあんまり考えてないよな、秀吉。
まあ有名な佐渡の金山も上杉関東移動に伴ってちゃっかり自分のもんにしてるし。佐渡に渡るための越後は分割して裏切りそうにない子飼いや譜代に分けたってことか。
史実では山内一豊は関ヶ原で、片桐且元は大坂の陣で裏切るけどナー。
あ、でも関ヶ原起こりそうにないのか? まあいいか、どうでも。
史実通りなら俺死んでるし。
しっかし、また家臣が足りんようになるぞ、俺。どっかに有能で何も言わなくても勝手に内政してくれる奴いねーかな?
「それとな、秀次。おぬし、そろそろ側室を持て」
・・・なんですとー? 小田原から帰って来て稲が妊娠してることが発覚してお祝いしたのが先週ですぞ?
あんたとねね様からも内祝い貰ったじゃん! そんなタイミングで側室ですと?
「いつまでも徳川殿の息女一人というわけにもいくまい、おぬしの立場を考えよ。
 ぜひ側室に、とわしのとこにも話が数多く持ち込まれて困っておるのじゃ」
・・・ええー。稲だけで十分なのにー。
「こりゃ、了見せい。まったく、わしの甥なのに妙に一途じゃのう」
からからと笑ってる秀吉。あんたが性欲強すぎるだけだっつーの! と思ったがさすがに口には出せない。
しょうがないのかなぁ。まあ、自分で選ぶ立場でもないのは分かりますけど。
「相手はわしが選んでやるわい、心配するな」
心配するわい、と思ったがこれも口には出せないな・・・。
「最上義光が新領土をくれと懇願してきておる。上杉と仲が悪いからな、あやつは。関東に置いておくこともできまい。
 そこでだ。因幡をくれてやることにした」
えらい西に来たなー最上義光。まあ、史実のような上杉とのガチバトルがなくなりそうで何より・・・。
「最上め、一国を与えてやるとなったら自分の娘をおぬしの側室に、と言い出したのよ」
手のひら返したわけですね、小田原には伊達並みに送れて来たくせに。俺の義父、徳川殿に渡りつけてたからあんまり怒られなかったみたいだけど。
てーか、最上の姫って誰?
まさか駒姫じゃないよね。あの姫は史実では俺が奥州仕置に行って見初めて脅して側室に持って帰るはず。
奥州仕置にまだ行ってないし、最上義光も奥州から出て行くことになってるしね。
「駒姫と言う姫だそうだ。器量よしと評判じゃぞ、最もまだ九歳じゃが」
おーい! いくらなんでもそれはまずいだろう!
犯罪レベルじゃねーぞ! この時代でも九歳と二十二歳が結婚って!
「まだ女になってないので手を出すのは後にせいよ」
わかっとるわ! つーかそれはあかんやろ!
最上馬鹿じゃねーの!
「最上義光も豊臣との繋がりを強化したいのじゃよ。まあ、手元で育てて十分に育ったら側室にするのはよくあることぞ」
そういえばあなたの摩阿姫とかもそうですね。
「突っ込むでない。わしにしては摩阿姫は我慢したほうじゃぞ?」
威張るとこじゃないです、叔父さん。
「とにかくそういうことじゃ。ああ、それとおぬしが忍城から連れて帰った甲斐姫と成田家の家臣団じゃが、おぬしが預かれ」
・・・・え。
「領地が増えて家臣もいるじゃろう。成田氏長を家老とせよ。弟も有能な人物らしいからちょうどよかろう。
 甲斐姫は側室として扱えよ」
あの、二人も増えたんですけど、側室。
「駒姫は育つまで閨を勤めさせるわけにも行くまい。ならば甲斐姫を側室にすれば良いではないか」
良くねーよ。
ああ、稲になんて言おう・・・。


こうして小田原後の論功行賞は発表され、秀次はさらなる大領を得ることになる。
秀次は秀吉に関東を商業的に発展させるために江戸に大規模な港を作ることを提案。
金を豊臣が出して上杉への褒賞の一部として江戸を開発することを決める。
また、奥州の仕置へと秀次に石田三成や直江兼続をつけて派遣することを決めた。
奥州の沙汰は全て秀次に任せる、と言い渡して。
秀次は稲姫になんて説明しよう、と頭を抱えながらとりあえず清洲城に戻るのだった。


秀吉は茶々の寝床で天井を見上げながら考えていた。
今、こうして共に眠っている茶々・・・淀君が生んだ子、鶴松が嫡男として成長している。
秀長の体調が思わしくないのは心配だが、豊臣の支配はすでに日ノ本全てに及んでいる。
甥の秀次は自分の代わりに日ノ本を治める器がある。鶴松が成人するまで秀次が日ノ本を発展させるだろう。
そう、自分はさらに先に行かねばならない。それが信長様から政権を引き継いだ者の宿命・・・。


見ていて下され、信長様。
猿は遥か朝鮮、明まで征服し大帝国を築き上げて見せますぞ。



[4384] 腕白関白~側室~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/10/29 21:13
奥州に行く前に。清洲城に帰って来ました。
奥州仕置については秀吉に全権任されてしまった。どうするかは、ある程度秀吉に言って許可貰ってるけど。
蠣崎氏(松前氏と言ったほうがいいのか?)と本来なら改易するはずの奴らをまとめて蝦夷征服へ向かわせるのさ!
大崎義隆、葛西晴信、和賀忠親、田村宗顕、石川昭光、白河義親などみんなまとめて蝦夷で大名になってもらう。
断ったら改易ってことになっている。まあ、金と武器は出してやるからみんなやるだろうさ。
伊達政宗にも兵を出させる。あいつは新領土を取れるなら頑張るだろ。改易されるはずの奴らも。
鉄砲五千丁と硝煙、それに政宗には国崩しを二門貸してやるからきっと大丈夫。
蝦夷は取っておいたほうがいいと思うんだよな。樺太まで取るかどうかは知らんけど。
秀吉に「蝦夷と琉球取りましょうか」と言ったら「蝦夷は伊達の小僧にやらせるか。夢中になって南に眼が向かなくなるわ」とか言ってたな。さすが豊臣秀吉か。
九戸政実は南部の家臣にしたら史実通り謀反起こす気がするので、俺の家臣に加えることを申し送ってあるし。七万石ですよ、彼に与える領地。
そういえば佐竹って東北じゃなかったっけ? と思ったが秀吉に聞いたら出羽国に移封させたらしい。
そして出来れば俺の家臣に加えたかった真田家・・・いつの間にか伊豆に移ってましたよ。
沼田の代替地として伊豆か。信州はいいのかよ、真田。現代人の俺にしてみたら幸村は欲しかったけどね! 有名人だし!
そして蝦夷と琉球。二十一世紀の俺にしてみればなんとなく日本ってイメージがあるからな。でもこの時代の琉球って洒落にならんくらい遠いけど。
ガレオン船で征服するつもりらしいけどね、秀吉は。
津島の他に伊勢湾にも造船所作ったし。秀吉から金出たから当初の予定より大規模な造船所になった。
これで津島級をさらに建造して・・・。
「お考えのところ申し訳ありませんが、早く城に入りませんか?」
うむ、兵庫よ、主君の考え事を妨げるとは何事!
「奥方がお待ちです」
考えないようにしてたのに! てめぇ兵庫! 二十万石じゃなくて五十万石くらい持たせたろか!
「脅しになってませんぞ、殿」
あとで泣くからな、覚えてろ。
くそう、今日は清洲城が霞んで見えるぜ・・・。


「お帰りなさいませ、旦那様」
稲~。体調悪くないか? 赤ちゃんどう?
「ふふ、平気ですよ。体調も問題ありません」
そうか、俺は問題ありだよ、まったく。
「甲斐姫と駒姫のことですか?」
ちょ、稲、なんでもう知って・・・。
「甲斐姫は明日到着されると使いがありました。駒姫はあと数日で到着するようです。
 お部屋を用意させていますからご心配なく」
え、えーとね、これはその、関白様が無理やりですね、その、稲が俺にとっては最高の嫁であることには・・・。
「ふふっ、ありがとうございます。
 あの、側室を持つことを私が気にかけると思っていますのでしょう?」
そりゃまあ、だってなぁ。
「ご配慮はうれしいのですが、私は気にしませんよ。ちょっとは寂しいですけど。
 立場もおありでしょうし、それに忘れていませんか?」
何を?
「私の母も側室でしたよ」
あ、そうだっけ? でもそれはあまり関係ないような・・・。
まあ、とにかく稲!
「はい」
俺の正室はお前! 俺が一番好きなのもお前だからな!
「・・・はい、旦那様。稲は幸せです。
 どうかそのお優しさを他の皆様にも分けてくださいませ」
あー、努力はするけど。
でも駒姫はないと思わないか?
「聞かない話ではありません。十歳の殿様に二歳の姫が嫁いだという話を聞いたこともあります。
 旦那様は大名同士の婚姻を多く見られてきたと思いますが、その下、家臣が主君の娘を貰う場合など、歳など二の次です」
そんなもんなのかな。
「駒姫は九歳で親元から離されてここに来るのです。その不安はいかばかりのものでしょう。
 私もできる限りのことはしようと思っております」
・・・そうか、人質って意味もあるのか。駒姫の場合。
「旦那様も幼少の頃は人質として宮部殿や三好殿の元で育ったと聞きました。
 どうか彼女の心を癒してあげてください」
俺の場合は別になんともなかったけどね。
宮部の父ちゃんや三好の爺ちゃんとこで勉強したり若い奴らと馬鹿やってただけだし。
「徳川様もご幼少の頃は今川家にて人質であったとか・・・旦那様と似ているのかも知れませんね」
俺と徳川殿が?
・・・それは買い被りすぎだよ、稲。


その後、秀次は稲の膝枕で横になった。
自分の人質時代を思い出して見る。
秀吉に言われて行った宮部家。浅井長政の家臣だった宮部家。主家を裏切って織田についた。
その後、阿波の三好に人質として行って、三好の爺ちゃんにこっそりと「明智光秀はいつか織田様を裏切るでしょう」とか言ったら驚いていたなぁ。
三好の家では若い奴らと一緒に酒飲んで騒いだり女ナンパしに行ったり柿を盗みに行ったり。
ばれて怒られたけど。
やることないから勉強もやったな。和歌とか書道とか。
その後は怒涛の如く、だったな。史実通りに本能寺の変。そして賊ヶ岳の戦い。小牧・長久手の戦い。
ああ、考えてみれば嫁さん貰って幸せに暮らしてるけど、俺の死亡フラグ折れてないんだった・・・。
淀城に隕石でも落ちねーかな。
なあ、稲・・・。
「はい」
丈夫な赤ちゃん産んでくれ。体大事にしろよ、俺ちょっと奥州まで行ってくるから。
「はい、旦那様」


甲斐姫は父に伴われて清洲城に入った。
父は自分を側室にすることで羽柴秀次の家老の座を貰ったのだろう。
それも戦国の習い。それはいい。
それよりも興味がある。自分が守っていた忍城を落とした男。
まさかあんな方法で落とされるとは思わなかった。城壁を爆破されるなんて。
と、謁見の間に男が入ってきた。
父が平伏するのに合わせて自分も平伏する。
「よ、初めまして。羽柴秀次だ」
気楽な声が掛かった。
「成田氏長と申します。此度の思し召し、真にありがたく・・・」
父が口上を述べている。弟と共に家老になる。そのことに礼を述べている。
「あー、越中に領地与えることにした。成田氏長、越中にて五万石を持て」
五万石。敗軍の将には過大な大きさだ。
父は感動して礼の言葉の限りを尽くしている。
「つきましては、娘を側に置いてくださるようにお願いを申し上げまする」
父が私を紹介する。
「娘の甲斐でございます」
私が顔を上げて挨拶する。
「甲斐にございます」
私はかの人を初めて見た。若い。二十二歳と聞いていたが、この眼で見るまで信じられなかった。
あのような大胆な作戦で忍城を落とした男がこんなに若いとは。
徳川家康と正面から戦い勝利したと言われている。
内政手腕は他に並びなく領地は彼が領主となってからみるみる発展しているという。
それが、この若者・・・。
「ん、よろしく、羽柴秀次だ」
豊臣秀吉という男は派手好みで金や銀をふんだんに使った衣装を好むと聞いたが、甥のこの人はなんというか・・・。
地味だ。
着ている物も普通。特に城内に何か凝った作りをしているわけでもない。
聞いた話だが、忍城を攻めているとき、彼は具足すらつけていなかったという。刀一本持たずに戦場に来て、そして勝った。
「まあ、色んな話もあるだろうけど、俺は奥州まで行かないといかん。甲斐姫の部屋は用意してるから、ゆっくりしていてくれ。
 何か要望があったら筆頭家老の田中吉政に言って貰えればいいよ」
あの好色関白と北条で呼ばれていた男の甥とは思えない。
・・・私はこの人に興味を持った。
「お願いがあります」
思わず私はそう言っていた。
「これ、甲斐!」
父が咎めるが、秀次という若者はいいよいいよ、と続きを促してくれた。
「奥州へと行かれるとのこと。私も連れて行ってくださいませ。
 従軍中の伽を勤めさせて頂きます」
私がそういうと、彼は口を開けたまま固まった。
・・・案外、純情な人なのかもしれない。


秀次の思考がフリーズしている間に奥州仕置に甲斐姫がついてくることが決まっていた。
なんとか再起動した秀次は、どうせ奥州仕置に行くんだから駒姫は帰ってから連れてきてくれたらいいよ、と最上に申し送っておいた。
奥州に行く前に、とりあえず秀次は領地のことをできる限り片付けていく。
北条から引っこ抜いた風魔は一万五千石与えると言っていたが、どこを与えるか考えるのが面倒だったので飛騨を一国全部与えておいた。
山ばっかだし忍者にはぴったり! とか思っただけだが。
九戸政実には伊勢の一部を任せた。舞兵庫と立花宗茂と九戸政実で俺の無敵軍団! とかちょっとテンションが上がった秀次。
伊勢湾では津島級の建造が始まっていた。秀吉の強力な後押しでフル稼働状態である。
でかいもの好きだね秀吉、と金を出して貰ってる秀次はのん気に考えていたが、当然秀吉はこの津島級で朝鮮・明を攻めるつもりである。
秀次は側室事件のせいでそこまで頭が回っていなかったが。
津島で建造された四番艦は毛利に譲渡した。帆には真赤な錦鯉が描かれていたが、なんで鯉なのかは秀次しか知らない。
五番艦には幾人もの職人達の努力によって製造された国崩しが搭載された。鋳造技術を大幅に向上させるために多額の金がかかったが、職人たちは見事に期待に答えた。
津島級五番艦の甲板には国崩しが四門配備された。秀次の提案で国崩しが配置される場所には円形の板が置かれていた。
この板は人力で回転するように備え付けられており、上に乗せて板に固定された国崩しの向きを変えられるようになっている。
この回転板と揺れても板から落ちないように固定するのはさらに職人たちを苦労させたらしい。
帆は一番艦と同じく漆黒である。


完成した五番艦を見届けた秀次は、石田三成らと合流して奥州へと旅立つ。
従うのは二万の兵と舞兵庫、風魔小太郎の選抜した腕利きの護衛、そしていつも側に控えている可児才蔵。
旅立つ前、秀次は風魔小太郎を呼び、ある密命を下す。
命令を聞いた風魔小太郎は驚いたが、その命の重大さと内容に緊張し自分の配下でも信頼できる者だけに指令を下す。
それは、現代人である秀次が常々考えていたこと。
今、羽柴秀次は風魔という優秀な忍びを手に入れたことによって歴史のミステリーに挑もうとしていた。



[4384] 腕白関白~閑話休題その参~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/10/30 20:01
秀次は甲斐姫を伴って奥州へと出発した。
仕置内容はすでに決定しており、検地などは石田三成が主として担当することになっている。
また、従わぬ者が現れて戦闘になったとしても、直江に任せればいいや、と気楽に構えていた。
徳川や大小の大名からの兵を合わせて四万。小田原征伐で余った兵糧と金、鉄砲と国崩し2門を持って奥州へと入る。
作業は順調に進んでいった。
時折、融通が利かずに揉めそうになる三成を「いーじゃん、それで」「真面目か、お前は」「細かいこと言うなよ、禿るぞ」とからかいながら。


津島は中日本最大の港であり、商業の街である。
堺や京の豪商が大店を開いており、あらゆる物が流通している。
津島級一番艦は平時は輸送船として堺との間を行き来しており、商人の物資をも運んでいた。
これは船員をガレオン船の操舵に慣れさせるために常に航海させる必要があったからである。
秀次が奥州へと出発したその日も、京から津田宗休が自分の持ち船で津島を訪れていた。
「しもうたな、秀次様は出発した後か」
津田宗休が舌打ちしながら船を降りてくる。すでに津島の店の手代や番頭が迎えに来ていた。
「昨日、奥州へと出発なされました」
番台が降りてきた宗休に答える。
「ちゃんと玉薬渡したやろな?」
「それはもう。飛騨の林業への参入の許可を貰っております」
「よしゃよしゃ。さっそく人をやって風間様に挨拶しておかんとな」
風魔小太郎、現風間家当主は秀次に言われた通り、林業に力を入れていた。
自分たち忍びの庭として山間部は適しているが、飛騨はその国土のほとんどが山である。
林業に注力すれば大きな利益になることは理解していた。
津田宗休や今井宗休などの豪商は津島と堺を結ぶ航路を使って大儲けしていた。
さらに徳政令禁止が敷かれているこの秀次領では金貸し業も大きな収益を上げている。
最も、余りにも高利な者や悪質な者には容赦なく罰が降るが。
ちなみにこの徳政令禁止は秀次の領土の商人から金を借りた他の大名にまで及ぶ。
勝手に踏み倒そうとしても訴えがあれば秀次自ら「この時代には自己破産なんてねーんだよ!」と訳の分からない言葉で返済を迫るという。
「秀次様の発案で関東の江戸、ちゅーところに新たに大きな港が出来るそうじゃ。
 わしらも今から江戸の開発に関わって関東へも商売を伸ばさないとあかんぞ、番頭さん」
「はい。すでに江戸への船を用意しておりますゆえ、手代の者を連れて私が行って参ります」
うんうん、とうなづきながら津田宗休は津島の街へと入っていった。
相変わらず、津島の街の活気は凄いの。堺以上かもしれぬぞ、と周囲の者に言いながら。
この街では腕のいい職人にはいくらでも仕事が舞い込む。秀次は津島を一大工業都市として作っており、この街では職人は手厚く保護されていた。
港ではあちらこちらで荷の積み下ろしが行われており、造船所では忙しく職人達が働いている。
「秀次様は津島級で北は奥羽から南は薩摩までを結んで商売する気らしいからの。
 乗り遅れないようにせんとな。この街はまだまだ伸びるで」


秀次の国の足軽にはきちんとした給金が払われている。
他の国にない制度としては秀次が決めた「遺族年金制度」がある。
これは戦に行った先で戦死した場合、本来支払われるはずだった給金の十倍が遺族に支払われる、という制度である。
この制度のおかげで秀次の国の足軽の集まりは非常によかった。
さらに秀次は伊賀者と風魔を絶えず領内を巡回させている。
不正に私腹を肥やす代官や役人を見つけると、すぐに報告され成敗されるのだ。
税の安さと相まって農民からの支持が高い理由である。
領民と商人と職人の支持さえあれば国は豊かになり勝手に軍事力もつくってものよ! と力説した秀次の政策は今のところ大当たりと言えた。


風魔小太郎は秀次より授かった密命を果たすべく暗躍していた。
腕利きの忍を選抜し、くのいちを淀城の奥へと潜ませることに腐心する。
「淀君の男関係を探れ」
それが主君からの密命であった。
関白の側室に間男がいるというのであろうか? 疑問はあったがありえぬ話でもない。
風魔は秀吉の経歴を知っている。数多くの女性を囲ってきたが、今まで子が出来たことがない。
長浜城主時代に子が生まれ死亡したとの話もあるが、はたして秀吉の子であったのか定かではない。
関白様には子種がないのか? そう考えるほうが自然であろう。
すると鶴松君は? 確かに慎重に調べる必要がある。
風間家として一国持ちの大名にまでしてくれた秀次の頼みとあれば、風魔忍軍は命をかけることができる。
調査だけで絶対に手を出すな、と仰せつかっているのでまずは入念に調査しなければなるまい。
幸い秀吉は子飼いの忍はいない。が、黒田配下の忍や真田忍者などが障害にならないとも限らない。
それに半蔵の伊賀者に知られるわけにも行かない。
伊賀者は風魔が国持ち大名になったことを羨んでいるだろう。自分達も家臣団として認められたいと思っているはず。
小太郎は考える。秀次様は忍の技術は大名に取り立ててでも欲しいものだ、と仰った。
伊賀者は領主は秀次様だが自分達の上に立つ者が徳川の者であることに不満を抱き始めている。
半蔵が徳川家に仕えていなければ、風魔の立場は自分達のものではなかったか? と。
伊賀の動きにも注意しながら動く必要がありそうだ。
飛騨一国を任されたこと、必ず忠義にて報いなければ。


秀次が清洲城を出発して最初の夜。
当然のように甲斐姫は秀次と同じ部屋に入ってきた。
布団に膝をつき、頭を下げる甲斐姫。
「何分、はじめてにて粗相があるかもしれませぬが、よろしくお願い致します」
「ああ~、まあ、そのこちらこそよろしくお願い致します・・・」
その言葉を聴いた甲斐姫が顔を上げる。
「・・・ぷっ」
そして、吹き出した。
まさか、側室に頭を下げるとは。
「なんだよ」
ちょっとふて腐れたように言う秀次。
甲斐姫は笑いを噛み殺して聞いた。
「いえ。ただ、新参の、しかも敗軍の将の娘を側室にして良かったのですか?
 他の重臣の方で娘が側室になっている方はいらっしゃらないのでは?」
あーそのことか、と秀次はなんともないように言った。
「成田殿を厚遇してれば、北条に使えていた奴らも俺のとこに来やすいとは思わないか?
 家臣足りないんだよ、俺。領土だけ増えてもなぁ」
それを聞いて甲斐姫は驚いた。この人は北条の生き残りを召抱えるつもりらしい。
「そういうお考えなのですね」
まーな、名付けて北条ホイホイ! という秀次の言葉には首をかしげる甲斐姫。
「変わったお方ですね・・・」
よく言われる。と笑う秀次。
甲斐姫は自然に秀次に寄りかかった。
この人の側室なら悪くないかもしれない、と思いながら。


奥州についた秀次はあらかじめ申し送っておいた大崎義隆、葛西晴信、和賀忠親、田村宗顕、石川昭光、白河義親に対して蝦夷開発を命じる。
案内役の伊達政宗を責任者として、蝦夷に移ってかの地を開墾せよ、と命じたのだ。
蝦夷にいる先住民達にはその信仰と文化を尊重し、時間をかけて日ノ本の民として取り込むように命じる。
決して武力だけで物事を解決しないように、先住民と争うと後々の禍根となることは間違いない、ときつく言い渡す。
「蝦夷の先には樺太がある。開発すれば蝦夷だけで二百万石にはなる。
 樺太はそれ以上の物がある。おのおの励め。蠣崎氏は本日より松前と名乗れ。開発資金として一万両を用意したので使うように」
そして、秀次は政宗に向き直る。
「先に言っとくが、鉄砲と国崩しは脅しの道具くらいに考えとけよ。先住民と争ったら蝦夷の旨みはかなり減るぞ」
釘を刺す秀次。
「わーってるよ、秀次さんよ。しかし、いいのかよ?」
「何がだ?」
にやりと笑う政宗。
「俺が蝦夷とその先を取ったら、豊臣に弓引くかもしれねぇぜ?」
そういうことを口に出すのがお前のいいとこだ、と思いながら秀次も答える。
「かまわんぞ」
「!!」
「上杉、徳川、俺に勝てると思ったら攻めてきて見ろ」
強気に言い放つ秀次。樺太まで攻略してその地から戦力を抜き出せるようになるまでどんだけかかると思ってんだ、と思いながら。
たぶん、政宗が生きてる間には完成しないさ、お前の王国は。
「へっ、なんかあんたには勝てる気がしねぇのよ。まあ、気張ってやらして貰うぜ。
 先住民と争わずに開拓していきゃいいんだろ?」
よろしく、と秀次に言われて快諾する政宗。どうもまだ見ぬ土地に思いを馳せているようだ。
他の者も平伏して秀次に肯定の意を示した。


秀次は奥州から帰還する。途中、上杉領に泊まる時、直江兼続に挨拶したりしながら清洲に戻る。


稲と甲斐姫はうまくやってるみたいだ。
同じ武家の出だし、どっちも史実じゃ女傑として有名だからなぁ。気が合うのかもしれん。
問題は駒姫だが・・・いや、別に問題はないんだけどね。
さすが九歳、稲と甲斐姫に妹のように可愛がられてるし、俺もお菓子とかあげたら懐かれたし。
でも九歳の女の子を側室として置いてかえるなよ、最上。決まった事とはいえさ・・・。
「ひでつぐさま」
む、どうした駒姫?
「いなさまがお茶をのみましょうとよんでるです」
そうか、じゃあ一緒に行くか。
「はい! いきますです」
くっ、可愛い・・・側室っつーか娘みたいだ。


秀次がそれなりに幸せに暮らしている頃。
大坂城で秀吉は一人、新田肩衝をその手に取って眺めていた。
信長が収集していた茶器の中でも最高の価値を持つ三肩衝。最も、信長は二つまでしか集めることが出来ずに本能寺で散ってしまったが。

新田肩衝を眺めていると信長様の事を思い出す。
「猿、毛利が片付いたら九州じゃ。その後は明・朝鮮をも征服して天竺までも我が手に入れようぞ」
他の人間は誇大妄想だと言うかもしれない。それでも、俺だけは、この秀吉だけは心の底から信じていた。
信長様なら、きっと。誰よりも高く登ると。
秀次の領地で作っている津島級。あれが十隻も完成すれば。
あと二年もあれば・・・そのときは。
「そのときこそ、信長様の遺志を継ぐ時・・・」
他の誰でもない、自分こそが、自分だけが信長の遺志を継げるのだ。
だからこそ、信長様の遺児すら打ち倒してきたのだから。
あの御方の壮大な構想を引き継げるのはこの秀吉だけなのだ・・・。


その眼には、狂信の輝きがあった。



[4384] 腕白関白~関白~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/11/02 02:43
蝦夷開発もなんとかなりそうだし、樺太までうまく統治下におけば、二十世紀の人から秀次すげぇ! と言われそうだ。
まあ、今の時期に日本の領土を増やせるだけ増やすのはいいことだよね。
琉球、台湾も統治下に置くために軍を派遣することになったし。
毛利、清正、小西、大友、島津で攻めれば対した戦にはならないだろう。
台湾取ったら、この時代いろんなとこに植民地作ろうとしている欧州とぶつからないかな? まあ、遠すぎるから大丈夫かな?
本気で出てきたら台湾を丸ごと売ってしまおう。欧州と戦争は後々考えてもやらないほうがいい。
奴らが本格的に東アジアを植民地にする気できたら台湾売って、中国大陸をターゲットにしてもうおう。
・・・その前に朝鮮出兵だっつーの。なんとか止めたいんだけど、なぁ。
今の朝鮮、荒地ばっかだし明は援軍に来るし利益ないんだよな。むしろ不利益しかない。
あ、そういえばこの時期ってもうヌルハチ居たんだっけ?
未来を知ってる俺からしたら、ヌルハチに武器を密輸して奴が皇帝になったら琉球を拠点に貿易で大儲け・・・。
面倒だな。手を出さないのが一番なんだが。
秀吉が朝鮮を諦めるわけないんだがな。
あれは先日、秀長さんの見舞いに行った時のことだ・・・。


「義兄上は焦っておられる」
秀長が布団から体を起こして咳をしながら言う。
頬はこけてかなり顔色も悪い。少し見舞ってから体に障らないようにすぐに帰ろうとした秀次を秀長が呼び止めた。
そして、彼は話し始める。
「義兄上は、信長様の夢を継ぐおつもりなのだろう。唐入りだ。
 だが、義兄上も歳を取ってしまった。だから焦っておられる」
水を飲みながら続ける秀長。
「誰になんと言われようと、その夢だけは義兄上は諦めないだろう。それが義兄上の天下を取った理由でもある。
 しかし、私は反対だ」
自分も反対です、と秀次も同意する。
「明は巨大な国だ。勝つにせよ負けるにせよ、日ノ本は疲弊する。たとえお前の作った津島級があっても、上陸してからの戦いで戦力は消耗する。
 だがな、秀次。俺には止められん。義兄上の気持ちを知っているからだ。信長様に泥の中から引き上げられた、義兄上の気持ちを知っている」
豊臣秀吉。その前半生はどのようなものだったのだろうか?
おそらく、ろくな人生ではなかったのだろう。それを信長の下、大名になり、天下人となった。
「それに俺はもう長くない」
苦笑しながら言った。
「自分の体のことは自分が良く分かる。おそらく、来年の今頃は生きてはいまい。そんな顔をするな秀次。こればっかりはしかたない。
 秀次、お前は有能だ。だから頼む。義兄上を止めないで欲しい」
これには秀次が驚いた。止めないでくれとはどういうことなのか。
「お前が反対し、理を持って義兄上を説けば誰にも反論できまい。だが、それでも義兄上は唐入りを行うだろう。そうなれば豊臣に亀裂が入る。
 無理な願いだとは分かっているが、唐入りは止めないで欲しい。そして、犠牲が少なく済むようにして欲しいのだ」
そんな無茶な・・・と秀次は言おうと思うが、言えなかった。
きっと、これが秀長の秀次に対する遺言だと思ったから。
「鶴松様も・・・体調が優れぬと聞く。お前が頼りなのだ。犠牲を少なく、そして出来れば早期に撤退させてほしい。
 一度撤退すれば、もう一度兵を送るのには時間がかかろう。逆に占領地を中途半端に得てしまえば引き時を間違えかねない」
頼む、と言って咳き込む秀長。
秀次はしかたなく、唐入りには反対しないこと、どうにか犠牲を少なくする術を考えてみることを約束した。
その前に鶴松が死んだ後、その年の終わりには俺は関白にされて四年後に切腹だっつーの、と思ったがさすがに言えなかった。


鶴松は史実通り、もうすぐ亡くなるだろうな・・・。
風魔によると茶々の周辺に今のところ怪しいことはない、とのことだ。
ただ、俺の考えではもし秀頼が秀吉の息子じゃないとすると・・・今は浮気相手は側にはいないと思う。
鶴松が生まれたあと、しばらくは遠ざけてるんじゃないか? と勘ぐっている。
鶴松が死んで、もう一人生まなければならなくわけだ、茶々は。それまでは男の気配が周囲にしてはまずかろう。
おそらく時期的にはもうちょいあとかな・・・秀吉以外が秀頼の親だとすると。
風魔には引き続き密かに監視するように言っておいた。ついでに伊賀者達が不満持ってるとか言ってたけど。
徳川殿に断りを入れてから半蔵を伊賀に三万石ほど与えておくか。対茶々工作には風魔を使うけど、それ以外の対外工作には伊賀者を使えばいいかも。
さて、茶々だが・・・誰かが間男だとして、それを秀吉に伝えていいものか? いや、伝えるとやばそうだ。
秀頼が生まれるのを止めたいけど、さすがに現場押さえるわけにもいかんし。現代なら写真とかあって楽なんだけど。
秀頼が誕生するのはほっとくか? 切腹回避だけならうまく立ち回ればなんとかなるかもだし。不慮の事故とかで茶々が死ねば問題ないのに。
ああもう、秀頼が誕生したら豊臣の後継者として全力で押していこう。俺は後見人って立場になれば問題なかろう。
秀吉が死んだ後はもー知らん! 俺が生き残ったらきっと徳川殿の天下も来ないよ!
別に徳川の天下でも俺が楽しく生きていられれば全然いいけどね。
今は朝鮮出兵が近いことが最大の問題だ・・・正直、征服して統治なんてムリだろ。
どうにかこうにか時間を引き延ばして、狙うは時間切れかな。
あとは・・・ん、誰か来たな。
「ひでつぐさま~」
おお、駒じゃないか。どうした?
「きょうは、こまがひでつぐさまといっしょにねるです」
・・・・なんですとー?
「こまも、ひでつぐさまのそくしつ、なのです。だから、いっしょにねるです」
誰だ、駒姫にいらんこと吹き込んだ奴!
まさかぎん千代姉さんか! 絶対楽しんでるだろう、あの人!
「だめ、ですか?」
潤んだ目で見つめないでください。色々だめになりそうです。
「だめじゃないよ。おいで」
自分の心の弱さに乾杯。
「はい!」
嬉しそうにとてとてと歩いてくる駒姫。
というわけで一緒に添い寝しました。
当然何もしてませんが、「秀次様」ではなく「お兄様」と呼ばせようか、と考えた俺は色々だめな奴です。
反省。


八月。
長く体調の悪かった鶴松が儚くも亡くなってしまう。
秀吉は深い悲しみに包まれ、しばらく呆然と暮らした。
史実とは異なり、いまだ健在な秀長と秀次が政務をサポートしていたが、秀長の体調もいよいよ悪くなった。
九月に入る頃にはついに大和の城で起き上がることすら出来なくなった。
秀次は大坂と京での政務、秀長の見舞い、秀吉の慰めと大忙しであった。
自領の治世を田中吉政にいつもどおり丸投げして、大坂での政務の実働部隊に五奉行を使う。
目の回るような忙しさであった。
九月中旬、深く激しい悲しみからなんとか精神の再建を果たした秀吉は秀次を呼ぶ。
自分の待望の息子が死んでしまったことは悲しいが、今は築き上げた豊臣家の危機とも言える。
築き上げた政権を磐石の態勢にするために、やらねばならないことは多かった。


「秀次よ、苦労をかけたな」
「いえ、もったいなきお言葉でございます」
秀次は秀吉と謁見の間で二人きりで話していた。
「鶴松は儚くも遠くへ行ってしまった。我が嫡男があのような不幸にあうのは痛恨の極み。
 じゃが、豊臣家は守らねばならん。天下を治めていくためにも、世継ぎが必要じゃ」
心配しなくても、あと数年で秀頼が生まれるけど、と思ったがもちろん口には出せない秀次。
「秀次、わしはお主を養子とし、関白職を譲る。
 以後、わしは太閤と呼ばれる身となろう」
その言葉に驚愕で眼を見開く秀次。
「・・・あ、その、今なんと?」
「わしはお主に関白職を譲る。これからわしは朝鮮・明を征服する。
 国内の統治はお主に任せる。わしが建築する名護屋城から渡海軍の指揮をとろうと思うておる。
 数十万の大軍に津島級、瞬く間に蹂躙してくれようぞ」
史実より時期が早い! 秀次に冷汗が流れる。
(まずいまずいまずいまずい。このままでは切腹の流れにそのまま入ってしまう!)
あせる秀次に秀吉は朝鮮討伐の構想を語る。
誰を先陣と考えているだのどこを最初に攻略するだの兵站の担当者がどうの・・・。
秀次はほとんど聞いていなかった。史実より早く訪れた、明確な死亡フラグへの道。
必死に頭を回転させてなんとか声を絞り出す。
「ちょ、朝鮮と明への討伐のお話は後でゆっくりと伺いたく思いますが、何分その、関白というのは急な話でして・・・」
そうかそうか、と秀次を見る秀吉。
「おぬしでもそれほどまでに驚くことがあるのじゃのう。まあ、聞くがよい。
 嫡男の鶴松がこうなった以上、誰かを世継ぎにせねばならん。家が保てなくなるからの・・・。
 それに、秀長の病床も、口に出すのも憚られるが、かなり悪い。今は豊臣家の危機ぞ。
 おぬしはこれまで我が甥として、羽柴姓を名乗っておったがこれより公にも豊臣秀次と名乗れ。我が養子とする」
明確な後継者宣言。秀吉としてはこの甥なら十分にその資質があると見ていた。
鶴松が生きていた時は、鶴松に豊臣家を継がせて秀次に後見させるのが最も良いと思っていたが、こうなっては仕方ない、と思っていた。
秀次は考える。必死に考える。
(ここで私には重荷ですと断るか? いや、だめだ。すでにこれは秀吉の中では決められた事。それに明らかに断ったらおかしい。
 天下を継承させてやるって言ってるに等しいんだ。断れるわけがない。断る理由も思いつかん。
 でもそのまま受けたら、たぶん、いや間違いなく死ぬ。明らかにそういう流れだ)
 秀吉は秀次に関白とする理由をまだ説明しているが、秀次は考えをまとめるのに必死だった。
(やばいぞ! このままでは高野山で僧になって切腹の流れに決まっちまいそうだ! 
 どうする? 一応受けて、風魔使って茶々を殺すか? リスクがでかすぎる。ばれたら切腹じゃすまん。
 とにかく、なんとかして口先で凌ぐしかない!)
秀次はとにかく口を開く。
「身に余る光栄ですが、その、ひとつだけよろしいでしょうか?」
「なんじゃ、言うてみろ」
「一族の中で、関白となり内政を取り仕切る役目、秀長様の病状が思わしくない以上、私が勤めさせて頂きます。
 ただ、世継ぎのことにございます」
ふむ? と秀吉は首をかしげた。
「鶴松がああなってしまった以上、お主以外に世継ぎはおるまい」
「いえ、茶々様がおります。正確に申しますと、茶々様が男子を産まれる可能性が残っております。
 恐れながら、上様におかれましては茶々様が男子を生まれる可能性をご考慮に入れられる事が大切かと」
なんで俺があの女の株上げるようなこと言わねばならんのだ! 秀頼が生まれるのが早まりかねんし!
盛大に文句はあったが、もはや彼に現状で残された手段は一つ。
今後、男子が産まれたらその子を豊臣の世継ぎとする、ということを確約して貰うことであった。
何かの間違いで秀頼が産まれなければそれで良し、史実通りでも自分が邪魔にならなければ助かるかも! との目論見である。
感激屋の秀吉は、ああそちはなんと心優しい、わしのことをそこまで労わってくれるか、と涙を流していた。
泣きたいのはこっちだ、と秀次は心の中で叫んだ。


その後、聚楽第の屋敷で灰になっている秀次を、稲が慰めていたという・・・。



[4384] 腕白関白~朝鮮出兵準備~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/11/02 02:42
名護屋城。肥前国松浦郡名護屋に秀吉が築かせている城である。
明・朝鮮へと出兵するための最前線基地とも言える場所であり、普請奉行となった加藤清正が忙しく働いていた。
完成は十ヵ月後を目指していた。
その間、秀吉は朝鮮に対して史実通りに対馬の領主宗氏に命じて李氏朝鮮の服従と明征伐の先導を命じようとしたが、秀次に「無駄です」の一言で止められていた。
どうせ李氏朝鮮が明に対して背くわけないし、と秀吉に進言して戦力・兵站の充実と忍を先に朝鮮に入れて調査をしておくことにしたのだ。
鶴松死去から二ヶ月、長く体を患っていた秀長の命がとうとう費えた。
秀次にとっても覚悟はしていたが、やはり受け入れがたいことではあった。
それを乗り越え、秀次は秀長の遺言を果たすために邁進する。
秀吉はその生来の建築好きにより名護屋城建築に注力しているため、軍の編成や渡海する水軍の船をまとめる作業は秀次が行っていた。
なお、秀長の領地は秀秋が継いだ。


津島と伊勢湾に建造された造船所からは次々と津島級が生まれた。
秀吉が惜しげもなく金銀を投じたおかげで秀次が考える以上に多くの津島級を建造することが出来たのだ。
秀次は完成した津島級六番艦~十番艦に国崩し四門と元から使われていた大筒三十門を装備させた。
李舜臣率いる朝鮮水軍への備えである。
焙烙火矢を放てるようにした大筒なら十分に使えると判断したからである。
これに一番艦と四番艦と五番艦を加えた十三隻のガレオン船が水軍の要となる。
毛利に送った四番艦が旗艦となり水軍の総大将は小早川隆景。
脇坂安治、長宗我部元親、九鬼水軍等、水軍兵力だけで二万。
ガレオン船以外の船舶も千以上の数を用意した。
上陸軍の総司令官は徳川家康。三河から四万の兵を率いて指揮を執る。
他に前田利長、宇喜多秀家、加藤清正、小西行長、細川忠興、黒田長政、大谷吉継、石田三成、増田長盛らが動員。
秀次の配下から家康への客将として舞兵庫、立花宗茂が総勢六万の兵を率いてゆくことも決まった。
陸軍の総数はおよそ十六万。
津島級一番艦と五番艦は砲門の数は他の半分以下だが、その輸送力で大量の兵糧と弾薬、国崩しに建築資材を搬送することになっている。
持ち込む鉄砲の数は実に十万丁。津島・堺で大量生産された鉄砲と大鉄砲、すなわち抱え鉄砲と呼ばれていた二十匁の弾丸発射用の鉄砲も千丁以上持ち込むことになった。
秀次の構想としては、釜山に上陸した後、史実と同じように速攻で漢城まで落とし、そこで進撃を止める。
漢城を落とした後、補給線を分断されないように水軍で制海権を握り、増援部隊で補給線を維持することにする。
平壌まで攻め込んで行って、深入りして明と戦うよりは漢城で防衛線を築いて戦ったほうが補給線も短くてよい、と思ったのである。
秀吉はその作戦説明を聞いた時、初めは難色を示すが「明の大軍を漢城で迎え撃って打撃を与えれば、後の明征伐もやりやすくなりましょう」との秀次の言を入れて了承した。


秀次は対馬に兵站基地を設営することにした。
大量の兵糧、弾薬等を積み上げておく。後は釜山~漢城の補給線を途絶えないように維持すれば負けることはないと思うが・・・。
国崩しを野戦砲として持って生かせているので、砲撃戦になっても戦えるはず。
そもそも鉄砲の数、つまり火力で圧倒して相手を撃退するのが基本戦略だが、ひょっとしたら明が史実以上の大軍を送ってくるかもしれない。
そのために後詰は名護屋城にある程度置いておく必要がある。いざと言う時は渡海させて補給戦の維持に投入できるように。
名護屋城には秀吉直属部隊一万に加えて秀次の弟である秀勝に兵を与えて送ってある。
秀勝には対馬での補給基地防衛を主な任務として、一万五千の兵を持たせて宗氏の居城に入らせることにした。
島津と大友は、現在琉球攻略中である。津島級十一番艦と十二番艦がその任についている。
琉球を攻略した後は台湾である。ただ、島津は最悪の時を考えて戦力の半分と島津義弘は薩摩に残した。
関東の大名は国換えを行ったところであり、戦には駆りだせない。
東北の大名は蝦夷・樺太へと勢力を伸ばしているところであり、これも出戦できない。
自然、近畿・四国・中部それに加えて元から秀吉が唐入りのために国を与えた肥後の加藤清正と小西行長らが動員されることになったのだ。
それでも秀次と秀吉の領地にはまだ余力があり、前田利家は大坂にあって政務を補佐している。
さらなる動員を行うことも可能だが、兵站の問題によりこれ以上の増員はできない、というのが秀吉と秀次の一致した見解であった。


秀次はそれ以外にも関白としての仕事も行わなければならない。
朝廷や公家との付き合いが主なものだが、おろそかには出来なかった。
中々の激務だったが、なんとか秀次は仕事を片付けていく。


あーもー、公家との付き合い面倒くせぇ!
俺の切腹迫ってる状況でなんで連歌会とか出なきゃならんのだ!
つーかさ、天皇陛下ですよ、相手。
二十一世紀の感覚だと、沿道から見るくらいしか実際に会う方法ない人だよ。
まあ、この時代の庶民だって普通は絶対会えない相手だが。
緊張するし、精神力使う・・・。
そういえば秀吉は名護屋城にも茶々を連れて行くんだと。
風魔が順調に侍女の中に紛れ込んだって言ってたから、どうにか歴史ミステリーを紐解いて貰いたいもんだ。
まあ、もし本当に誰かと浮気してたらどーする? と言われても何も考えてないけど。
秀吉に言ったら何が起こるかわからんし・・・でも俺は茶々は怪しいと思うけどなぁ・・・。
伊賀者と風魔の忍を朝鮮に送り込んだけど・・・どうなることやら。
この戦争自体、別に無理にやる必要ないと思うけどねぇ。
まあ、朝鮮の釜山~漢城くらいまでの地域を制圧できればいい程度で考えておこう・・・。


天正19年、秀次は多忙な日々を過ごす。
関白としての仕事と朝鮮出兵への準備、領内の政事とやることは山積みであった。
史実では朝日姫はすでに亡くなっているが、徳川に嫁いだりしなかったためか、副田吉成と幸せに暮らしており病気などにもなっていなかった。
大政所も健在であり、秀長と鶴松以外の豊臣家は概ね安泰と言えた。
秀次とあまり関係ないところでは、千利休の切腹などがあった。秀次の下にも古田織部らの助命嘆願はあったが秀吉はこの件に関しては聞き入れなかった。
背後関係が見えない秀次も強く言えず、結局史実通りに千利休は切腹。筆頭茶道は古田織部が継いだ。

そして文禄元年。
いよいよ文禄の役の幕が上がる。



[4384] 腕白関白~文禄の役~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/11/03 04:24
文禄元年、四月。対馬から釜山へと朝鮮出兵軍が渡海する。
率いるは徳川家康。副将は小早川隆景。
先鋒は加藤清正、小西行長、細川忠興。
彼らはまたたくまに釜山を占領。というか、朝鮮軍は有効な手が打てずに日本軍に釜山が占領されるままだった。
徳川家康は釜山に本陣を置き、漢城を目指していざ行軍・・・とは行かなかった。
先に潜入していた忍から、漢城までのまともな道がないこと、途中の土地は荒地ばかりで食料の現地調達は望めないことがわかっていたからだ。
小早川隆景は釜山に物資集積場を建設。十分な物資が揃うまでは、近隣の城や砦を制圧するに留める。
その役目は加藤清正、黒田長政、大谷吉継が請け負った。
立花宗茂と舞兵庫も活躍、またたくまに釜山周辺を制圧した日本軍は、釜山に物資集積場を兼ねた砦を築く。
その後、増田長盛を釜山に残して補給維持の担当者として進撃を開始した。
小早川隆景は水軍の統括者として釜山に残った。秀次から「朝鮮水軍が本格的に出てきたら叩け」との命令を受けていたためである。
東莱城、弾琴台などで朝鮮軍を打ち破った日本軍は漢城へと迫る。
その頃、対応が遅れた李氏朝鮮の水軍がようやくその編成を終え、釜山へと出撃してきた。
李舜臣率いる水軍である。
史実では備えのなかった日本軍は大きな損害を被って補給戦の維持が難しくなってしまったが、名将小早川隆景は津島級十三隻を全て投入して応戦。
その機動力と圧倒的な火力差によって勝利を決定付ける。
小早川隆景はそのまま朝鮮水軍を追撃、ほとんどの船を沈めてしまった。
李舜臣はなんとか離脱することに成功したが、海戦に参加した船の八割を沈められ、水軍としての機能を果たせなくなる。
その後も津島級と小早川隆景の活躍により、日本の水軍は対馬~釜山の補給路を維持。
とりあえず史実のように前線の将兵が飢え死にする可能性は減ったことに秀次は安堵した。


徳川家康率いる本隊が漢城を目指して進軍する。
途中の街などはほとんど無血開城していった。この辺り、史実と同じようであった。
一方で、秀次よりもたらされていた情報により、朝鮮の民衆飢えていること、支配層と一般階級に大きな溝があることを知っていた家康は進軍中に物資を分け与えていく。
民衆の心を掴めば占領もスムーズに進む・・・というのが秀次の言だったが、秀次も家康もゆっくりと進軍することで一致していたのだ。
家康はそもそも唐入りという事に対して余り乗り気ではないこと。
秀次は史実を知っていて、泥沼に陥るのがいやだったため。
兵糧や唐辛子(なぜか秀次から必ず現地に配るように、とのお達しがあった)を民衆へと配りながらじっくりと支配地域を増やす家康。
無理な進軍をせず、まずは足元から固めていく。
秀吉も現地からの忍の情報と、渡海軍の情報から朝鮮の現状を知っており、一気に漢城まで進撃しても揺り返しで思わぬ反撃を受けると思っていた。
秀次がかなり色々吹き込んだ結果ではあるが。
史実よりも行軍が遅いとはいえ、それでも五月中旬には漢城の周囲に日本軍が迫る。
朝鮮国王の宣祖は平壌へ避難。漢城は戦いらしい戦いもなく陥落した。
ここで史実では八道国割と呼ばれる制圧目標を決めて隊を分けて進撃するのだが、家康は漢城とその周辺に陣地を築き明を待ち受ける戦略をとる。
平壌へ進軍すべきでは? との意見も出るが家康は漢城での防衛を選択する。
漢城には占領後に釜山から国崩しが運ばれ、設置された。
石田三成、大谷吉継らが軍を率いて物資を運び、李氏朝鮮の反撃を待ち受ける徳川家康。
平壌へと退却した宣祖は冊封に基づいて明へと救援を求める。
明からの救援が到着するまでに、兵糧、弾薬と資材を対馬~釜山経由で大量輸送した渡海軍は備えを万全にしていく。
徳川家康が総大将となり、立花宗茂、舞兵庫が両翼に展開して守る布陣をひいた。
その兵数、十四万。
補給戦の維持に二万を使っているが、大量の弾薬と修復・増築した城壁に寄って大軍を迎え撃つつもりであった。


一方、渡海していない秀次は戦況の報告を読みながら、様々な国政をこなしていた。
関白として公家の相手をし、領内の政治を行い、渡海軍からの報告を読んでいく。
朝鮮渡海が始まってからも秀次の多忙さはかわっていなかった。
稲の生んだ嫡男、仙千代丸の相手も禄にできない日々であった。


朝鮮渡海軍は無事、漢城まで到達・・・釜山周辺にも砦を築いて補給の維持に努めている、と。
が、釜山周辺に敵の姿なし・・・周辺住民はこちらが戸惑うほど協力的・・・ねぇ。
まあ、これは今勝ってるからってのもあるだろう。物資を現地住民に配って人気取りしたのも良かったか。
漢城で明の救援軍と戦うなら、まあ負けはしないかな? ほとんどの戦力を防衛に当ててるし。総大将は徳川殿だし。
宗茂と兵庫も大変だね・・・まあ、現地では病気にならないように気をつけろって事と、兵には現地での女遊び禁止したから妙な病気になって帰ってくることはないと思う。
たぶん。
兵に女遊び禁止したけど、どうだろうね。うちの管轄の兵なら言うこと聞くだろうけど。
正直、全部が全部面倒見切れないんだよね、俺も。切腹迫ってるし!
「殿」
って、うぉ! 小太郎! 音も立てずに現れるのはやめてくれ、心臓に悪い。
「失礼致しました。茶々殿へと付けている手の者から連絡がありましてございます」
ほう・・・聞こうか。
「は・・・淀城では何の動きもございませんでしたのは、これまでの報告で申し上げた通りでございます。
 通ってらっしゃるのは、間違いなく太閤様だけでございました」
ふむ、淀城で間男が通うには、さすがにばれるだろうからな・・・。
「しかし、現在の名護屋城に移動されまして、状況が変化致しました。
 太閤様も現地で渡海軍の指揮を執られているために、ご多忙・・・淀城と違い、茶々様のために作られた城でもございませぬゆえ、警備も淀城とは違いまする」
・・・なるほどね。淀城では太閤様配下の兵や警備の者、それに何より侍女も全て茶々ゆかりの者ではない。
誰かが通うのは無理だが、名護屋城には少なくとも侍女は茶々が選んで連れて行ってるってわけだからな。
「御意。私の手の者も、近江出身となっておる者が二人ほど選ばれてついていっております。
 侍女頭の大蔵卿局殿が選びぬいた人選となっておりまする。さらに・・・」
さらに?
「大蔵卿局殿の息子、大野治長。どうにも茶々様に接近しやすくなっております。
 手の者の話によると、大野治長は太閤様以外で唯一、茶々殿の間に出入りできるお方だとか。最も、乳兄弟であられるので、それほどおかしなことではございませぬが」
大野治長・・・ね。
怪しいのは怪しい・・・わけだよな?
「左様。さがに実際に忍んでいるところを見た者はおりませぬが・・・知っているとすれば大蔵卿局殿くらいかと。
 多くの者が協力していれば、忍ぶのは楽になれど、いつかは漏れまする」
今は・・・文禄元年の六月。
文禄ニ年の八月となると・・・文禄元年の十月くらいが怪しいか・・・。
「は?」
いや、こっちの話。
そうだな、名護屋城での監視は続けてくれ・・・予算は追加しておくから。
「それほど金子がかかるような仕事ではございませぬ。お気になさらぬよう。
 何せ、動かしている者も少数、誰かに金子を渡して懐柔するような事もございませぬゆえ」
そうか・・・苦労かけるけど、絶対に他に知られないようにな。
「御意。それでは」
うむ、っていきなり消えるなよ。びっくりするだろうが・・・。


そのころ漢城では、偵察に出た小西行長隊から敵軍来襲の報が入っていた。
「ふむ、ようやく来たか」
家康が立ち上がる。すでに漢城の防御網は構築されている。
「敵が射程に入るまで手出しならん。各将に伝えよ、国崩しと鉄砲を中心に迎撃する」
すぐさま使い番が駆けていく。
敵の数は明の援軍を合わせて二十万程度との報告である。
それなら、十分に撃退が可能だと家康は判断していた。


敵軍を望む陣地。堀と柵が作られ、その中に日本軍がびっしりと鉄砲を構えている。
最前線に配置されたのは加藤清正と石田三成。
両将は国崩しを用意していた。
「才槌頭、いっちょ我らの武勇を見せてやろうかぃ」
清正が三成に呼びかけるが、三成は至極冷静に返した。
「討って出るのは敵が逃げ出してからだ。まともに戦う必要はない」
それを聞いた清正はわかってるよと言いたげに手を振った。
「へへ、秀次様からお借りした国崩し、撃って見たかったんだよな」
「それは分かるが、射程内まで引きつけて撃ってくれよ。それに秀次様の話では相手も同じような武器を持っているとのことだ」
秀次から相手は大砲を持っていて、それを野戦に使用してくると聞かされていた三成と清正は対策を練っていた。
最も、防ぎようがないのでこちらも相手以上に国崩しで連発するしかないとの結論だったのだが・・・。
ちなみに家康が総大将となり、三成も清正も前線指揮官として働いているので、史実のような文官と武官の確執は生まれようもなかった。
軍監は立花宗茂と舞兵庫が勤めており、三成は史実のような役割ではなかったので、加藤清正らと仲がこじれるようなことはなかった。
「用意はできたようだな」
三成が国崩し三門を振りかえって言った。
国崩しには、まず火薬を袋から入れその上に三十匁の鉛玉を入れる。さらに上から和紙の袋を十五袋ほど入れる。
この和紙の袋には石や釘が詰め込まれており、榴弾のように敵に降り注ぐのだ。
あらかじめ連続して打てるように火薬や鉛球は準備されており、この三門でまず敵に打撃を与えるのが基本戦術である。
「来たぜぇ、才槌頭!」
才槌頭とは三成の愛称である。本人はもちろん気に入ってなかったが・・・。
「ふむ、火を入れよ」
三成の合図で火縄が装着される。
「・・・・・放て!」
三門の国崩しが轟音をあげて弾を打ち出した。
漢城攻防戦の幕明けである。


日本軍は各陣地から一斉に砲撃を開始、迫り来る敵軍へと撃ち込んでいく。
さらに抱え鉄砲を盛り上がった地面に斜めに立て、焙烙火矢を放っていく。
命中するとは思っておらず、とにかく数を打ち込むことによって相手の混乱を誘い、攻めにくくするのが目的である。
三成と清正の陣地から撃たれた焙烙火矢は百個。ほとんどが誰にも当たらなかったが、落ちた場所で炎上するので効果はあった。
最も、可燃物がないのですぐに火は消えるのだが。それでも当たれば炎上する弾が頭上から降り注いではたまらない。
一方、左翼でも舞兵庫と前田利長が敵を迎え撃っていた。
国崩しを放って焙烙火矢を放つのは清正らと同じだったが、兵庫はさらに鉄砲隊の半数を柵の外に進め一斉に射撃させた。
「撃て!」
号令の元、一万丁の鉄砲が一斉に号発される。一撃を放つとすぐに鉄砲隊は柵の中に駆け戻った。
敵軍はその射撃で一時的に突撃が止められた状態になっている。すぐさま利長が国崩しの二発目を発射させた。
さらに混乱に陥る敵軍。
それでも進んで来るが、兵庫の指揮の下、五千人の鉄砲隊が横一列に並び射撃を行う。
後ろについている者が次の鉄砲を渡しつつ、受け取った空の鉄砲に弾を装填していく。
次々に放たれる鉄砲に救援軍は苦戦していた。
右翼では立花宗茂がその指揮能力と異才をいかんなく発揮していた。
宇喜田隊に鉄砲射撃を任せ、自らの部隊は一つの仕掛けを戦場に施していた。
忍城で城壁を爆破した彼の上司、秀次の火薬の使い方をみて、彼はあることを思いついていた。
あらかじめ打ち出した焙烙火矢が落ちる場所を確認しておき、地面に瓶を埋めてその中に火薬を大量に入れておいた。
上から木板を被せて蓋をし、さらに土を薄くかける。これを三十個ほど仕掛けておいたのだ。
立花隊から放たれた焙烙火矢が着弾すると、その瓶に入れられた火薬に引火して大爆発を引き起こした。
「・・・三十個はやりすぎだったか」
巻き上がる土煙を見て、立花宗茂は苦笑していた。


救援軍も野戦砲から砲撃してくるが、完全に後手に回っている。
先に砲撃されて大量の鉄砲での攻撃に晒されている状況では、なかなか効果的な反撃が出来ない。
そこに、家康本陣から本多忠勝の部隊とさらに細川忠興の部隊が野戦砲へと突撃攻撃を仕掛けた。
陣地からの鉄砲での援護を受け、一斉に襲い掛かった両部隊は防衛隊を蹴散らして野戦砲を鹵獲した。
鹵獲した野戦砲は一部だったが、これが決定打となって救援軍は撤退し始める。
大量の火力に守られた陣地の攻略が難しく、犠牲だけが大きくなっていたからである。
すぐさま、清正の部隊が突進。追撃戦を行うがほどほどで追撃を中止して陣に戻った。
深追いは禁物と家康からの命が出ていたからである。
こうして、第一次漢城攻防戦は完勝に終わった。
家康は勝利に浮かれることなく、さらに陣を強化すべく、鹵獲した野戦砲を加えて陣を再編成した。


救援軍は平壌まで一時撤退。
漢城の日本軍は追撃を行わずにさらに防備を固める。
救援軍は数を減らしたがまだ多くの兵力が健在であったがさすがにすぐには再攻撃できずに一旦軍を再編することになる。
こうして一時的に膠着状態が生まれた。
李氏朝鮮は明の援軍がある限り降伏しないし、明は降伏するわけもないことを秀次は知っていたので休戦のための交渉は一切行われなかった。
家康は慎重に事を進める男であり、まだ平壌を落とす時期ではないと判断。
漢城より南を維持することに腐心した。


李氏朝鮮も水軍を再編して釜山の日本水軍に攻撃を仕掛けようとするが、李舜臣は日本の南蛮船には生半可な戦力では通用しないと主張。
こちらの再編もまだ進んでいなかった。


戦線は一時的に膠着した。
秀次としてはこの辺りで手を打ちたかったのだが、秀吉は李氏朝鮮を完全に降して明をも降伏させようとしていた。
秀次はもう一度再編された救援軍を打ち破ってから平壌へと侵攻、これを落とすことを提案。
秀吉もこの言を良しとして、家康に申し送った。
秀次としては兵士の厭戦気分が怖かったので、釜山へと将を戻して新たな将を補給物資を送る目的で送り込み、入れ替えを行うことを提案。
新たに派遣された蜂須賀家政の軍が漢城へ補給物資と共に到着すると黒田長政の軍が釜山から日本へと戻った。


とりあえず戦線を膠着させ深入りしないようにすることには成功した秀次。
徳川殿と事前に打ち合わせておいて良かった、と心から思っていた。
秀吉も現地からの詳細な報告によって言語も習慣も違う民を治めるのは想像以上に難しいと判断したようで、とりあえず今は釜山周辺を安堵することに腐心していた。
次の救援軍の攻撃までまだ時間があると思われているので、今は獲得した土地の民を慰撫するのが大切であった。


こうして戦線が停滞している十月の終わり頃。
秀次の下に風魔から報告があった。
「大野治長に密通の疑い大いにあり」
これを聞いた秀次は何も答えず、ただこの件は一切漏らすな、全て忘れろと指示しただけであった。


そして明けて文禄二年の二月。
茶々の懐妊が発覚し、秀吉は狂喜して茶々を淀城へと戻す。
淀城でゆっくりと出産に備えよ、とのお達しであった。


この報を聞いた秀次は祝いの品を淀城へと送り、秀吉にも祝いの文と品を送った。
秀吉からの返事には「まことにめでたい。男子であれば良いのだが、女子でもわしはかまわん。しかし、やはり男が良いな」と嬉しさ百倍で書かれていた。
文を受け取った秀次は、その日自室から出てこなかった。



[4384] 腕白関白~運命の子~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/11/04 20:04
茶々の懐妊から二ヶ月。
秀次は密通を知り悩んでいたが、もう一人、疑っている者がいた。
北の政所。ねねである。
結婚して以来、彼女が最も秀吉と付き合いが長い。
彼が足軽のような身分だった頃から、長浜城主となり、毛利と戦い、明智光秀を討ち、柴田勝家を滅ぼして天下を取った。
すべてに立ち会ってきた女性である。当然、彼の華やかな――華やか過ぎることもあったが――女性遍歴も知っている。
側室を統括する立場にいるのが正室であり、今も多くの側室達の公式な上司となっている女性・・・それがねねである。
その彼女である。自分に子が出来ないのは納得できても、なぜ茶々殿にだけ? と思うのは当然であった。
他の女性達・・・側室や秀吉が今まで戦地や新たな領地で手をつけた女性達は誰も懐妊していない。
そう、誰一人として。
それが、茶々だけが二度も懐妊している。
通った回数の違いだけとは言えないだろう。それなら彼女より前、もっと頻繁に通っていた女性だっている。
まことしやかに奥で囁かれている噂・・・茶々殿には密通の疑いがある、と。
どうにも怪しいが、確かめる術はない。まさか本人に聞くわけにもいかない。
もし・・・もしも密通していたとして、男子が産まれたらその子が豊臣家を継ぐことになる。
豊臣家を継ぐということは天下を継ぐということだ。
秀吉の種なら問題ないが、そうではないならねねには耐えられることではない。
自分と秀吉、二人でこの家を作ってきたのだ。その自負がある。
一度秀次殿に相談してみようか・・・。
ねねはそう思った。


秀次は秀次で忙しい。
朝鮮渡海軍は今のところ順調だが、朝鮮を領土として支配するのは問題が多すぎる。
秀次も家康もとっとと撤退したいのだが、秀吉は明まで征服する気でいる。
李氏朝鮮は明へと救援を要請し、明はそれに答えたが、明は明で問題を抱えており朝鮮問題にいつまでも関わっていられないだろう。
すでに現地からの報告で明の救援軍と李氏朝鮮は住民から糧食を現地調達しており、元々飢饉だった朝鮮の民は悲惨な状況になっているらしい。
平壌方面から流民が漢城周辺に押し寄せてきているとの報告もある。漢城には日本軍が大量の食料を持っており、周辺住民に分け与えている情報を掴んだようだ。
それはそれで困り物だ。無限に物資があるわけでもないので、流民が流れ込んで来たら全てに食料を配ることは不可能だろう。
そうなると、優先的に配られるのは元から漢城周辺に住んでいた住民・・・下手をしたら流民と漢城周辺住民が激突しかねない。
これだから占領地統治は無理があるんだ、と秀次は頭を悩ませていた。
蝦夷、樺太なら現地住民を慰撫してその祖霊を尊重して付き合いを考えればうまくいく公算は高い。
琉球や台湾もその領地が広大でないから日本に組み込むのも可能だろう。
しかし、朝鮮・明は無理だろうと秀次は最初から思っている。無駄な努力はしたくないのだ。
送っている自領の兵には風魔の手のものが多く入っている。彼らには密命を与えてあった。
漢城、あるいは平壌を制圧したら部隊を一時離れて、女清族にコンタクトさせるのだ。
武器を売りつけて明の後方撹乱させて清の時代の到来早めてやる! とひそかに誓っていた。
貿易は清とすればいいや、と割り切っていたのだ。
一方で蝦夷開発は順調だった。
政宗からの報告で現在で言う函館に城を築いて開発拠点としたいとあったので、許可したのだ。
今は街道整備と入植、現地住民との交易が始まっているようだ。遠からず蝦夷は日本の領土として組み込まれるだろう。
送り込まれた東北の大名達も懸命に開墾している。自領を持つには開拓していくしかないのだ。
琉球もすでに降伏。台湾まであと僅かである。
秀次は将来の、未来の日本のために樺太~台湾までを日本領としておくつもりであった。
朝鮮にはこだわるつもりはない。今はいいが後の現地の反発などを考えるとあまり領地にしたくない。
そして、何よりも茶々のことであった。
大野との密通はほぼ間違いない。
あれだけ喜んでいる秀吉が悲しくもあり、哀れでもあった。
しかし、秀吉本人には言えない。おそらく、自分が世継ぎになるための諫言としか取られない。
秀次は秀吉には悪いが、秀頼が産まれてそれで天下が治まっていくのなら、それでいいとさえ思っていた。
自分の切腹と世の戦乱がなければそれでいい。秀吉が死んだ後のことまで責任は持てない。
そう考えていた。最も、茶々に嫌悪感は感じていたが。
大野はおそらくただの"種"だろう。そこに情愛があるとはとても思えなかった。
ただ茶々が男を産み、その子が豊臣の世継ぎになれば茶々は生母となる。
それで幼い幼児を権力の座につければ、後はなんとでもなると思っているのだろうと推測していた。
しかし、そうなると秀吉亡き後に秀次が邪魔になる可能性はある。
そこは考えないとまずい・・・と日々仕事をしながら悩んでいる時。
大坂の北の政所から招きを受けた。


秀次が招きに応じて出かけていくと、驚いたことにねね以外にも客がいた。
秀吉の母である大政所、秀吉の姉朝日である。
なんか豊臣女性陣に囲まれた! 俺なんかしたか! と焦った秀次だったが、おろおろしてる所に大政所から声がかかる。
「はよー座らんかい。何をもたついとんじゃーお前は」
す、すんません、と言いながら座る秀次。
この大政所には秀吉も秀次も逆らえない。最も、大政所は政治的な事には関心がなく、そのセンスもない。
昔ながらの肝っ玉母さんであった。
「こちらへどうぞ、秀次殿」
朝日姫に勧められるままに座る秀次。
この秀吉の姉は、いたって普通の女性であった。
史実では徳川へ人質として嫁いでいくために旦那と強制的に離縁され、そこで母と共に焼き殺されそうになったりと散々であったが。
秀次が長久手で家康を撤退に追い込んだことでそんな必要もなく、今も幸せに暮らしていた。
秀吉の母と姉と正妻に囲まれた秀次はなんとなく居心地の悪さを感じながら座っていた。


むう、ねね様からの招きだったからてっきり他はいないと思ったが・・・。
ばーちゃんと叔母さんまでいるとは、これは予想外。
史実では亡くなってるのだが、めっちゃ元気だよ。特にばーちゃん。
俺の息子を抱いて「ひ孫が見れるとは、生きていた甲斐があったっちゅーもんじゃ」とか言ってたけど、あと二十年は生きそうです。
むしろ子供あやすのが上手すぎて稲がちょっとへこんでた。自分が抱いても泣き止まないのがばーちゃんが抱くとすぐ寝ちゃったからな。
しかし、何の話なんだろう・・・この面子、豊臣の裏を支配してる面子と言っても過言ではないような・・・。
「茶々殿のことです」
いきなり切り込んでキター! いやまて、ねね様は茶々殿の事と言っただけ!
一言も子供の事とは言ってない・・・。
「誰の種ですか?」
政治的にやばい発言キター!
死亡フラグにどんどん近づいてるような気がする!
とりあえず茶でも飲んで落ち着こう・・・。
「おみゃーなんか知っとるな?」
ぶー。思わず茶を噴出してしまった。
ばーちゃん、何を言ってるか俺には全然分からない・・・。
「あのくそたわけに種が無いことくらい、知っとるわい」
何事も決めつめるのはイクナイ!
誰かに聞かれたら俺明日にでも死んじゃうかも!
「誰も此処には近づけませんよ。招待したもの以外通さないように言っております。
 万が一、それでも強引に近づこうとした者は、風魔の皆さんが抑えてくれます」
小太郎、いつの間にねね様の手下に!
「誰にも聞かれるわけにはいかない話があるので、周辺の警備を頼んだのですよ。
 秀次殿のお命に関わると言ったらすぐに了承してくださいました」
さすが風魔だ。ここに来るまでに誰にも合わなかったけど、きっと色んなとこに潜んでるんだろう。
なら安心って、果たして喋っていいものかどうか・・・。
「黙ってるということは、喋ってるのと変わりませんよ、秀次殿」
というか、俺が必死で風魔に調べさせた事をなんでこの人たちは・・・。
「奥には奥の葛藤や駆け引きがあります。私が何もしなくても、他の側室の方から色々と耳に入りますよ」
さすが他の側室(茶々除く)から絶大な信頼を集めるねね様だ。
まあ、そりゃあみんなおかしいと思うわな、普通・・・。
「で、何か知っているのでしょう?」
叔母さん、そんな率直に。
「秀次、わりゃー知っとること話せ」
だからばーちゃん・・・。
「殿下の・・・種ではないとしたら、それは問題なのですよ、秀次。あなたにも分かっているでしょう?
 最も、殿下に言っても聞き入れられることはないことも分かります。心の底から信じていますから、殿下は」
だからつらいというか、問題なわけでして・・・。


結局、洗いざらい吐かされた秀次。
だが、確たる証拠はないので茶々本人に追求もできない。
ねね達は秀次に改めて固く口止めして彼を帰す。
そして、ねねが口を開いた。
「もし、産まれた子が男子なら豊臣の世継ぎとなるでしょう。
 子に罪は無い。しかしそうなれば、殿下亡き後茶々殿とその取り巻きが権勢を握ることは必死」
そうなれば、自分達は過去の人として遠ざけられる。それだけではなく、譜代の家臣も同じ目にあうだろう。
それは譜代の家臣だけではなく、たとえば秀次などの残った親族にも及ぶことは疑いない。
「秀長も逝っちまったから、今は秀次しかおらん。
 それにわしゃ、あの茶々って娘が好かん」
ほとんど顔もみせねーしよ、と言う大政所。
「もし、産まれた子が男子なら、世継ぎとなることは止められません。
 しかし、殿下がいらっしゃる間は何事も起きないでしょう」
秀吉は秀次を信頼しており、世継ぎの後見人とするだろう。
そのまま、世継ぎの男子が元服するまで秀吉が生きていれば問題ない。
しかし・・・。
「殿下は最近体調が思わしくありません」
妻としては心配だが、立場上その先のことを考えなければならない。
「秀次殿に頼るしかないですね・・・結局、あの子には苦労ばかりかけてしまいます」
「かまーせんわ。そんなやわな奴じゃないでーよ」
「秀次殿なら、なんとかしてくれますよ」
三者ともに茶々が権勢を振るおうとしたら秀次側に立ってそれに対抗する、と心を決めたようである。
知らず知らずのうちに、秀次は妙な立場に追い込まれていた。


凄く疲れた秀次はそのまま今日の仕事を放り出して帰宅。
家で帰りを待っていた稲を勢いのまま押し倒して久しぶりに心の充電をすることにした。
色んな感情が混ざったまま、稲が前後不覚になるまでいちゃついた秀次。
なんだか昂ぶりが収まらなかったので、そのまま夜は甲斐姫と朝までコースの秀次。
起きてからちょっと自己嫌悪に陥ったという・・・。


文禄ニ年八月。朝鮮で明からの救援軍が決戦に出れずにぐずぐずしている頃。
淀君こと茶々は男子を出産。
男子は拾と名づけられた。
後の豊臣秀頼である。
秀吉は大急ぎで名護城から帰還。
その場で拾を世継ぎとすること、秀次は関白職に留まり元服するまで後見を行うことを発表する。
秀吉は上機嫌そのものであり、秀次に何度も拾を頼む、お前にとっても弟ぞ、この子が天下を持てるように育つまでよく補佐してくれと手を取って頼んだ。
史実と違い、優秀で豊臣家随一の弓取りと呼ばれる秀次を切腹などさせるはずもなく、家老の筆頭として補佐してくれと命じた。
秀次はとうとう切腹フラグを乗り越えたかも、と喜んだ。
史実では切腹が文禄四年なのでまだ半信半疑だったが・・・。


文禄ニ年十二月。
膠着した戦線を見かねた秀吉は前線司令官にある命令を下す。
李氏朝鮮と明に対して降伏勧告を行え、というものである。
聞き入れられなかった場合、直ちに平壌を攻撃、これを制圧せよとのものであった。


その命を前線へと伝える使者を立ててから、秀吉は名護城へと戻ろうとする。
しかし、その時秀次にすら予想できなかったことが起こる。


秀吉が倒れたのだ。



[4384] 腕白関白~それぞれの策動~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/11/05 19:35
秀吉が倒れた。一時昏睡状態になるほどの重症であった。
日付が翌日に変わる寸前に目覚めたが、法医の言によって絶対安静とされた。
城内も秀吉が目覚めたことによりほっとした空気が流れるが、秀次だけは険しい表情をしていた。
秀吉が史実で亡くなったのは、五年も後のこと。
こんな時期に命にかかわるような倒れ方をするとは、まったくの予想外だった。
朝鮮から入れ替わりで帰ってきた大名に石田三成がいる。
政務が滞らないように三成に指示を出してから、秀次は一旦屋敷へと戻った。
胸の奥に漠然とした不安を抱えたまま。


朝鮮出兵中以外の大名では前田利家が筆頭格である。
息子の利長は出兵中だが、それでも前田利家の威厳と声望はみなを落ち着かせるのに十分であった。
とりあえず大坂は落ち着きを取り戻したが、差し迫っての問題がある。
朝鮮に出兵中の諸将である。
秀吉が倒れ、しばらく動けない以上は一時休戦したほうが良いのでは? との意見が前田利家から出た。
秀次はこれを好機とみて、秀吉に休戦協定を結んで兵を引くことを提案。
秀吉は勝っているほうから、講和を申し出るのはいかがなものか、と渋ったが秀次が考えがある、と言ったのでまかせることにした。
秀吉は名代として秀次を派遣することに決定。
出発前に風魔から「茶々殿の周囲に不穏な気配あり」との報告を受けた秀次は伊賀者と風魔を大政所や北の政所の警備につけておくことにした。
(・・・ひょっとして、茶々の周囲が暴走し始めたのか? 俺が史実より力を持ってるからか?
 秀吉を排除して、その後俺が死ねば自分の思い通りとか思ってるんじゃないだろうな、あの女)
そんな予感はあったが、とりあえずまずは朝鮮問題を片付けなければならない。
大坂での秀吉の補佐を前田利家、石田三成へと任せて秀次は名護城へと出発する。


名護城から前線の徳川家康に事情の説明と先の平壌進軍を正式に取り下げて、新たな命を下す。
李氏朝鮮との講和。休戦交渉である。
日本が最初に示したものは、朝鮮南半分の譲渡、朝鮮半島全域における通行の自由、さらに補償金であった。
相手が交渉に応じない要求を出して、秀次は時間を稼いでいた。
当然飲めるわけのない李氏朝鮮は突っぱねるが、李氏朝鮮も落としどころを探っていた。
平壌以北では明からの救援軍への糧食供給のために住民からの搾取が続いており、漢城方面への流民はとまらずそれを押しとどめる朝鮮軍との間に小競り合いが起きていた。
遠からず暴動に発展しかねない状況に、李氏朝鮮もどうにか終結の糸口を探っていた。


秀次が釜山へと渡り、漢城へと入城する。
家康と久しぶりに再会し、共に李氏朝鮮との交渉を行うことにする。
秀次は家康に明とは交渉しないことを明言。あくまでも交渉相手は李氏朝鮮とした。
女真族のヌルハチへ極秘裏に武器を流すことによって、明が後に日本に関わっていられないようにするのだ。
すでにヌルハチの使者は漢城へと訪れており、秀次は大量の火器を渡すことを約束。
頑張って明を倒してくれ、そしたら日本は明が報復に来れないから安全だから、と心の中でエールを送る。
この時期の明は他にも問題を抱えており、とても船団を組んで日本まで報復に来るような余裕はないのだが・・・万が一を考えた措置である。
清が起こるのが早まっても、ヌルハチと貿易で互いに儲ければいいや、と思っていた。
ヌルハチの使者に『近く我々は漢城から撤退することになるだろう。その際に鉄砲を置いていくので女真族が取っていってくれ』と言いつけた。
こうして明への牽制を行う算段をつけた秀次は李氏朝鮮と改めて交渉。
前回とは打って変わって補償金と釜山周辺を求めるのみであった。
領土を削ることに朝鮮側はかなり渋る。結局、釜山周辺を買い戻す、という名目で補償金を上乗せして決着した。
攻めておいて補償金って何だよ、と自分でも思った秀次だったが、まあ現代の戦争も似たようなもんだよね、と納得した。
民主化とか正義のために攻め滅ぼすよりマシだよね、と自分を納得させた。
最も、補償金は分割で支払われることになり、たぶん踏み倒されるだろーなーと想像したが知ったことではない。
ヌルハチに武器を密輸しまくって清王朝さっさと作ってくれねーかな、とさえ思っていた。
領土を取れず褒賞を得られなかった諸将は不満があるだろうが・・・そこは金で解決しようと秀次は思っていた。
実際に出兵した大名は朝鮮滞在中に荒れ果てた地を見て、褒賞としてこの土地は欲しくないと思っていたのでそこを利用しようと思っていたのだ。
最悪、朝鮮じゃなくて南に目を向けてオーストラリアくらいまで行くか? とも思っていたが・・・。
先にアメリカ大陸押さえてやろうか、とかちょっとだけ本気で思い出している秀次であった。今はそれどころじゃないが。
ちなみになぜか朝鮮から引き上げる時に、地元の学者や職人がついてきたが・・・貧乏な国に嫌気がさしたのかもしれない。
この時代の李氏朝鮮王朝なら、確かにまだ日本のほうがマシかもな、と現地の、特に平壌周辺の惨状を知った秀次は思ったので特に止めなかった。


鉄砲二万丁に国崩し二門、抱え鉄砲三百丁を置いて漢城を出る日本軍。
撤退のどさくさにまぎれてそれらを抱えて去っていくヌルハチの手の者。
無事にヌルハチのとこまで辿り着けるかちょっと不安だったが、まあそれくらい出来ないならヌルハチも統一などできないだろう、と忘れることにした秀次。
釜山で待っていた小早川隆景の水軍と合流し、津島級の輸送力を生かして撤退は速やかに行われた。
港での喧騒の中、秀次はまったく気がつかなかったが、彼は銃口に狙われていた。
狙っているのはかつて豊臣政権に征伐された雑賀の者である。
彼はとある者に手引きされ、この朝鮮の釜山にやってきていた。朝鮮侵攻軍の一員として・・・。
運悪く釜山駐留軍の一員になってしまったが、今、彼の目の前には豊臣政権の重鎮、豊臣秀次の姿があった。
物陰から射線を定める。彼にとって外す距離ではなかった。
引き金をひこうとして・・・彼の意識は闇に落ちた。


刺客の意識を刈り取った男は一見して水夫にしか見えなかった。
男は手早く刺客を大きな袋に放り込み、刺客の持っていた鉄砲と石を共に詰めて静かに海に沈めた。
「完了」
そう呟いて男は他の水夫達の仕事に混ざっていった。
当然、風魔の者である。


報告を受けた秀次は騒ぎにならないように処理してくれ、と頼んで対馬への帰路へ着いた。
津島級に徳川家康と共に乗り込んでの帰国である。
周囲は徳川の兵ばかりだったが、特に気にしてはいなかった。家康がここで秀次に何かするような男なら、もっと早くに戦国の波に飲まれていただろう。
事実、家康は秀次と談笑しながら船旅を楽しんでいるようであった。


家康は考える。豊臣家の中で茶々が何かを企んでいるのは間違いないと。
果たしてその混乱に乗じて徳川家が天下を取れるだろうか?
秀次には声望と人望がある。もし茶々が幼児を押し立てて彼を排除しようとすると・・・彼がおとなしく殺されるはずもない。
おそらく兵を挙げるだろう。そうなれば徳川家は秀次につくべきである。縁戚であるだけでなく、茶々についても利益は無に等しい。
そんな軽挙に出るような女に自家の運命を託せはしない。
茶々についたとして、秀次を討てればよい。その後、茶々と幼児を排除して実権を乗っ取るのは不可能ではあるまい。
しかしまず秀次が討てるかどうかである。勝算は低い。その上、仮に討てたとしてその後どうなるか。
茶々と幼児を利用して権力を固める・・・それにはおそらく大きな反発が伴う。
奥州の伊達、九州の島津、関東の上杉、中国の毛利、その他の大名も徳川への反発を理由として領土拡張争いを再開しかねない。
先の四家と徳川の実力は石高だけならそれほど差はない。京に近いのが利点だが、伊達と島津は遠隔地開発が軌道に乗れば徳川だけでは手に負えなくなるだろう。
しかも、伊達などは自分より遥かに若いのだ・・・もう一度戦国時代に戻れば、若さが武器となろう。自分亡き後、秀忠では戦国時代を生き抜けない。
ならばどうするか。このまま座していれば徳川家は豊臣政権の中でも重さを失いかねない。
茶々にはつけない、ならば積極的に秀次を支援し、秀次に豊臣家を継いで貰うほうがよい。
秀次との結びつきは小松姫に嫡男が誕生したことでより強くなっているが、まだ足りない。
より絆を深める必要がある。そう、自分亡き後の徳川家を豊臣政権の中で筆頭格に保つために。
前田家などより先に手を打つべきだ・・・そう考えた家康は秀次に内々に話をする。
秀次の嫡男と秀忠の娘の婚姻はこうして船の上で決まった。
秀次が豊臣家を継げば、その嫡男は当然次の天下人である。
天下人の正妻の座を徳川が占めていれば、徳川家は安泰であろう。
この婚姻がなれば、徳川家にとって邪魔な者は一人。
むしろ積極的に追い込んで激発させるべきか。自分もどれだけ生きられるかわからないのだ。
家康はその夜、船室に本多正信を呼び遅くまで話し合っていた。


秀次が名護城へと戻った頃。
大坂城では秀吉の容態が少し悪化していた。
その様子を冷めた目で見ている女性が一人。
(早く死ぬがよい、猿・・・)
もう待てないのだ。このまま放っておけば、我が子が元服する頃には体制が固まってしまい、自分が権力を握ることなどできなくなる。
(お前が死ねば後は秀次だけだ。当主となったわが子の最初の下知として秀次を殺す。
 そうすれば最早我が天下も同然。我はもう誰にも縛られることはないのだ。私が天下人だ!)
冷めた目の中に僅かな炎の色がある。
(だから死ね、猿。私の体を十分に堪能したであろう。それだけでお前は果報者だ)
侍女の大蔵局が入手した南蛮渡来の毒を飲ませたのだ。助かることはないはず。
茶々は自らの勝利を確信していた。



[4384] 腕白関白~夢のまた夢~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/11/06 19:35
秀吉の体調が悪化している。
名護城で朝鮮侵攻軍を解散した秀次は、大坂へと帰路を急ぐ。
ちなみにこの期に及んで朝鮮と秘密外交をしようとしていた宗氏は改易。
対馬には代官を置いて直轄地とし、朝鮮への抑え拠点として扱うことにした。
国内だけではなく、今後は国外への備えも必要だと思ったのである。
秀次が大坂に入った頃、各大名も自分の国から大坂へと出てくる。
秀吉重体となり、全ての大名が集められたのである。
病床の中から秀吉は秀次を呼び、行政組織の整備を命じる。
大まかな骨組みは秀吉がすでに作ってあったので、それを秀次は肉付けして発表するだけであった。
世継ぎはまだ幼児ながら名を拾から秀頼に改めた豊臣秀頼。
行政組織の頂点に関白である豊臣秀次。
大老に前田利家、徳川家康、毛利輝元、上杉景勝、小早川隆景。
行政執行官に石田三成、浅野幸長、増田長益、前田玄以、長束正隆。
大老と執行官の繋ぎ役として宇喜田秀家、ちょうそかべ元親、最上義光を中老に。
北方開発監察官に伊達政宗。
南方開発監察官に島津豊久。
両開発監察官を束ねる立場に豊臣秀勝。
茶道筆頭は変わらず古田織部。
秀頼の家老として山内一豊や堀尾吉晴、中村一氏や生駒正親を置いた。山内一豊は北の政所の人選である。
対馬代官に脇坂安治。これは朝鮮情勢を睨んで津島級四隻を含む対馬水軍を統括する立場でもある。
それらを決めて秀吉に確認をとり、秀次は大坂城で政務に取り掛かった。


なんでしょうか、この書類の山は!
ええと、内示の書類に政宗からの蝦夷開発報告書、島津と大友からの琉球開発と台湾統治状況の報告。
俺の領地からの決済書類に上杉からの江戸開港の報告。対馬に配備する水軍の規模と予算案・・・。
各地の寺社からの寄進願いに朝廷への寄進、津島級の建造状況に各地の農作物の出来高。
風魔からの報告に北の政所様からの手紙、大政所様からの手紙。
筆頭茶道の古田織部からの窯大将への寄進願い、南蛮商人からの火薬買い付け状況。
ヌルハチからの密貿易の資料までありやがる。本人からの親書付きだよ。
くっ、とても一人では捌ききれない・・・しかたない、奴を呼ぶか。
三成ーーー!!
「石田様なら先ほど大量の書類を抱えて自分の仕事部屋へ入って行きましたが」
う、奴も忙しいか・・・。
もーどれから片付けたらいいやら・・・なんだこれ、茶々から大野を秀頼の家老にしろって書があるな。
燃やしておこう。秀頼の家老決めたのは俺じゃなくて秀吉だっつーの。俺に言うな。
しかたない、他は一個ずつ片付けよう・・・。
秀勝!
「なんでしょう、兄上」
蝦夷と琉球は?
「蝦夷は順調に開発が進んでいるようです。函館城もほぼ完成したそうです。
 琉球は島津が抑えました。台湾には大友が一番乗りで侵攻しています」
う~ん、そっちは順調でいいな、お前・・・。
「兄上から頂いた津島級を蝦夷と琉球に送ってありますので、交易も順調に進むかと」
ああ、蝦夷に送った戦士丸と九州に送った荒鷲丸な。
ホントはハム丸と携帯丸にしたかったけどねー。
「よくわかりませんが・・・」
気にするな。江戸の港はでかいから、橙兎丸と青燕丸を送っておこう。
堺には豊臣丸以外にも交易用に猛虎丸を配備っと。
作ったはいいがまだ津島に置いてある獅子丸と波牛丸、星王丸はどーしよーかな。
・・・あとはロッテと中日か? つーか獅子丸どーすんだよ、本拠地に海ねーぞ。
まあ、各地の大きな港には一隻は津島級を配備して交易に使う予定だけど。
仕事多いなぁ。
「頑張ってください、兄上。私もお手伝い致しますから」
いい弟持って幸せだわ、俺・・・。
「手伝えないことのほうが多いですが」
前言撤回。最近俺に歯向かうようになってきやがった。
「兄上の教育の賜物ですよ」
うるせぇ。あー窯大将への寄進願いと朝廷への寄進はやっといてくれ。寺社からの寄進願いはよく吟味してからな。
全部聞いてたらきりがない。
「承りました、兄上」
南蛮商人からの火薬の買い付けは?
「順調ですよ。兄上が行った、南蛮商人を一堂に集めての黄金披露の効果があったようで、先を争って大量の硝薬を持ち込んでいます」
うむ、ぶち抜き二階までの黄金の延べ棒積み上げて硝薬とか買うぞーと言ったからな。
朝鮮でもいっぱい火薬使ったし、鉄砲ももっと製造してヌルハチと密貿易せないかんからな。
どうでもいいが、フィリピンとかで現地住民からどれだけ搾取してんだろう、南蛮商人・・・ちょっと怖い。
日本国内では奴隷売買は完全禁止、破ったら南蛮商人だろうが死刑にしてるけど。
後はヌルハチとの密貿易か・・・鉄砲とかの武器を輸出して朝鮮人参とか馬を輸入してるけど、はやく清起こしてくれねーかな。
女真族統一が最初の目標になるだろうから、まだ先かな。
ああ、他にもやることだらけだ、頑張ろう・・・。
そういえば秀勝。
「はい?」
嫁さん可愛がってるか~?
「ええ、とても良き妻ですよ。兄上のところには負けますが」
からかっても反応が冷静過ぎてお前はつまらん。史実ではさっさと死んでるくせに。俺もだけど・・・。
秀秋はもっと純情になるように気をつけよう。毛利に養子に出す話がもう出たけど、俺が秀吉に言って潰したし。
秀長さんの分家継がせたからいいんだろうけど。
この件では小早川隆景にえらい感謝されたけど・・・そんなにいやだったのか、秀秋養子縁組。まあ、名家だしな、小早川。
まあ秀秋も幼い頃から宮部の父ちゃんの「武将の心得説教その一~その百三十」を受けてるから史実よりずいぶんまともだ。
願わくば、このまま素直に育ってくれ・・・秀勝は捻くれてしまったよ・・・。



秀次が政務に精を出しながら頑張っている頃、茶々は荒れていた。
自分の持ち駒である大野治長の秀頼家老就任がにべもなく断られたからである。
「雑賀の者もたいしたことのない。我がせっかく復讐の機会を与えてやったものを・・・」
正確には彼女は大野治房に雑賀の者を朝鮮渡海軍に紛れ込ませよ、と指示しただけなのだが。
彼女にとって秀次は邪魔者である。自分の邪魔をする存在、許しておける存在ではなかった。
大野治長を秀頼の家老にし、秀頼の命令として秀次を切腹させる。それが彼女の考えだった。
その命を拒めば天下の大罪人として討伐する。天下人となった秀頼の命令には誰も逆らえない。
「太閤様がお亡くなりになれば、後はどうにでもなりますとも」
大蔵局が茶々をそういって慰める。
彼女たちにとっての政治とはこの程度のことであった。


徳川家康も大坂城に詰めながら、謀臣の本多正信と話していた。
「どうも、下手に動かぬほうがよさそうだぞ、正信」
家康は茶々が大野治房を秀頼の家老に、との書を命令口調で秀次に送りつけたことを知ってそんなことを言った。
「左様ですな。もう少し何か考えあって動くかと思いましたが・・・あの方は軽挙に過ぎまする」
茶々の周囲を炊きつけ、焦らせ暴発させて秀次の天下を早める。そのために謀臣たる正信の腕の見せ所だったはずが。
・・・愚者には愚者の使い方があるが、あれでは手を出せばこちらまで巻き込まれる。
「早めに秀次様とのつながりを強化するが重要かと存じます。
 側室の甲斐姫が懐妊したとの報告も半蔵より届いておりますゆえ」
ふむ、と頷く家康。
「その産まれてくる子、男児であれ女児であれ徳川家の者と縁があればよいな、正信」
これは難しい事を仰られます、と返す正信。
嫡男と徳川家の娘との婚姻が決まっている状況でもう一人、とは。他家が黙ってはいまい。
「難儀な事柄と思いますが、この正信、骨を折ってみましょうぞ」
困難なことほど、陰謀家は燃えるらしい。


文禄三年、三月。
秀吉は遺言を大老と秀次の前で口述し、祐筆に記録させた。
そして秀次一人が秀吉に呼ばれた。
秀吉の病床はいよいよ悪く、明日をも知れない身であった。


床に横になったまま、秀吉が話し始める。
「秀次・・・お前にも苦労をかけた。いや、かけすぎたのかもしれん・・・」
そんなことを言い出した秀吉。秀次は黙って聞いていた。
「誰しもが天下を望むわけではない・・・栄達を望まぬもの、平穏を望むものもある。それはわかっている。
 それでも、わしは天下が欲しかった。信長様が本能寺で討たれた時・・・わしはどうしても天下が欲しくなった」
弱い息を吐きながら続ける秀吉。
「秀長にも悪い事をしたと思うておる。わしのために命を使い尽くしたようなものだ。
 秀次、おぬしも無理やり農村より引きずりだして、人質にやった。わしはあの時、悪いと思いつつもそうするしかなかった。
 いや、これも言い訳だな。わしはお主の存在がありがたかった。お主が宮部や三好に殺されていても、わしはそれを理由に信長様が攻め滅ぼすのを手伝っていただろう」
また少し咳をする秀吉。
「お前は期待以上の働きを見せてくれた。わしは嬉しかった。親類縁者の少ない、成り上がりのわしにとってお主と秀長だけが頼りだった。希望だったのだ。
 おぬしの人生はわしが決めてしまった。そして、そこまでおぬしを使っておきながら、わしは世継ぎを秀頼にした。お主からそれを言い出してくれたとき、どれほど嬉しかったか」
秀吉が涙を流している。
「秀次・・・わしの最後の頼みだ。秀頼を頼む・・・」
「・・・はい。わかっております」
秀次は頭を下げて答えた。顔は見られたくなかった。
「すまない、これで安心して逝けるわい・・・」
秀次の目にも涙が溢れてきた。
「・・・秀次・・・秀長・・・」
秀吉の意識が混濁としてきたようである。うわ言のような呟きしか聞かれなくなった。
「上様・・・・猿は・・・・・・・」
そのまま静かな寝息を立て始める。
秀次は音を立てないように退出した。


部屋から出て、誰もいない廊下を歩く秀次。
不意に握った拳を壁に叩きつける秀次。
(・・・このままでいいのか)
答えは出なかった。


その日の深夜、まだ夜が明けない頃。
豊臣秀吉は静かに息を引き取った。



豊臣秀吉逝去。

露と落ち
 露と消えにし
  我が身かな
   浪速のことは
    夢のまた夢


乱世を賑やかに登りつめた男の静かな最期だった。





[4384] 腕白関白~忠義の形~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/11/07 19:16
「では秀頼様はお出でにならないと?」
石田三成が大野治長に詰め寄る。
「た、体調がすぐれぬゆえに外には出せないと茶々様が・・・」
三成に詰め寄られている大野治長は冷汗をかいていた。
太閤秀吉の葬儀。当然ながら喪主は幼い秀頼である。当主であり世継ぎなのだから。
秀頼は誰かに抱かれて座っているだけでいい。名代の秀次が他は取り仕切る。それが当然である。
しかし、秀頼は体調が悪いので葬儀には出れないと大野治長は言う。茶々が秀頼を表に出したがらないのだ。
たとえそれが葬儀といえども、秀頼が害される危険があると茶々は癇癪を起こして聞かなかった。
なので大野治長が説明に来ているのだが・・・。
「動くことすら出来ぬほどの重症だと申すのか? それならば法医殿にお見せするのが当然ではないか」
それをしていないのはなぜか、と詰め寄る三成。
元々理屈が通らぬこと、ごまかしや嘘を嫌う男として有名である。
筋が通らぬ事を通すことは、ことこの男の前では不可能であった。
大野治長は必死に弁解するが、元々茶々の癇癪と被害妄想から出た秀頼の仮病である。
三成相手に通るようなものではなかった。
結局もう一度聞いてまいります、と大野治長は慌てて部屋を出て行った。


太閤秀吉が亡くなって、当然まずは葬儀を行わねばならない。
史実では最後まで秀吉の葬儀は行われなかったが、今は李氏朝鮮とも休戦しているので特に問題はない。
つつがなく葬儀は執り行われるべきである。
奉行の前田玄以が高野山など各宗派の名僧ばかりを集め、千人以上の僧が経を上げることになっている。
朝廷からも供養のための僧の派遣が決まっており、天皇陛下自ら葬儀に参列することが発表されていた。
武家、朝廷の貴人だけでどれだけの人数になるであろう。史上最大の葬儀と言える規模になることは間違いなかった。
関白として、秀頼の名代として秀次は悲しみに沈む暇もなく動き回っていた。
朝廷への挨拶だけで百人近くの人に合わねばならず、墓所は決まっているがそこに寺を新たに建立せねばならない。
全国の大名やその配下の武将、大商人などが続々と大坂に集まっておりその応対も秀勝と秀保、秀秋にだけ任してはおけない。
そんな時期に茶々は大野治長を通じて様々な要求をしてきていたが、全て石田三成が拒絶していた。
どんな要求であろうとも三成は筋が通らないことは受け入れない。それは彼の性格と奉行としての責任感でもあった。


結局、葬儀には秀頼は出ることになった。当たり前といえば当たり前だが。
大野治長は茶々を必死に説得。秀頼様がご出席なさらないのであれば、秀次様に名代として喪主になって頂くことになります、と説いたのだ。
秀次が名代として葬儀上とはいえ豊臣の権力者として振舞うのを嫌った茶々が、ようやく秀頼を出席させることに同意したのだ。
大野治長、石田三成共に無駄な労力であった。


大野治長は葬儀には出ない。正しくは出られない。官位もなく秀吉の馬周りの一員でしかなかった彼に参列の権利は無かった。
彼自身はそれを当然と理解しており、他の馬周り衆と共に大坂城や周辺の警備につくつもりであった。
秀頼は出席するが、母の茶々は出席できない。秀頼を抱いて喪主の席に座るのは北の政所である。
この辺りでも茶々の癇癪は爆発したのだが、どうすることも出来なかったので諦めたようだ。


葬式は壮大なものになった。
生前派手好きで通った秀吉の葬儀である。豪華で華麗な葬儀が執り行われた。
喪主の席に座る北の政所、その膝の上に秀頼。
その横には秀次がおり、豊臣家は健在であるということを内外に示していた。
葬儀が終わり、朝廷より神号を賜った豊臣秀吉。
一つの儀式が終わり、豊臣秀吉は豊国大明神となった。


秀次は葬儀の後、北の政所から出家の意向を聞きその手配をした。
太閤の側室だった者は出家するか実家へ帰るか・・・そのどちらかを選択するのが普通である。
北の政所が出家し、その菩提を弔うとした以上、茶々も出家させるべきであった。
形式上は秀頼の母は北の政所である。正室であった女性が世継ぎの母になるのは武家のしきたりでもある。
本来であれば茶々には秀頼の母として振舞う権利もないはずなのだが・・・彼女は決して秀頼を側から離さずにこれからも育てていくと宣言。
筋違いである、と他の側室から陰口を叩かれても彼女はその意を押し通そうとした。
秀次が何を言っても聞き入れられない状態であり、秀頼を引き離そうとしても「病気だ」の一点張りで拒み続ける。
乱心てことにして押し込めてやろうか、と秀次も思ったが自分の関与していなかった秀吉の奥向きのことなので強く出れなかった。
北の政所や大政所が茶々を説得しようと試みるが、大坂城の奥に篭ったまま誰からの面会も拒否してした。
関白である秀次や大老の家康や利家の説得にも耳を貸さずに、利家などは早々に穏便な手段を諦めて「踏み込んで秀頼様をお助けするべきではないか?」とさえ言っていた。
太閤亡き後にすぐに騒ぎを起こすのはよろしくない、と家康が穏便に説得していたが、事態は膠着しようとしていた。
茶々は奥で秀次殿には謀反心がある、秀頼は殺される、彼を切腹させよと騒いでいるようだが、表に聞こえないように大野治長が抑えていた。
大野治長としても茶々には尼となって出家して貰いたい。正直、このままでは茶々は殺されることになりかねない。
尼になれば残りの人生を不自由なく過ごしていけるだろう。彼は茶々からは唯の種として扱われた男だが、彼なりに茶々を理解していた。
彼女は子供なのだ。その内部はわがままな姫の頃から成長していない子供。肌を重ねた彼にはそれがわかっており、それがまた哀れでもあった。
大野治長は栄達などそれほど望んではいない。茶々の侍女である大蔵局、自分の母から秘事を打ち明けられた時、確かに一瞬欲に目が眩んだ。
それも「ゆくゆくは産まれた子の家老としてやる」とそれだけの約束である。母も茶々も自分を買ったのではなく、裏切らない男なら誰でも良かったのだ。
しかし、今は彼女に情愛がある。他から見れば馬鹿な男と見えるだろうが、彼はなんとかして茶々を救いたかった。
そのためには出家して尼になるのが一番良いと毎日説得に訪れているのだが、彼女の目的は豊臣家の権力を手中に収めるのが目的である。
秀吉が死んだ今、秀頼が世継ぎであり天下人のはず。なぜ秀頼を秀次や他のものが自由にできるのか、と怒るのである。
正室の北の政所様が養育を、秀次様は秀頼様の後見人であり元服するまでの間、政事を行うのは太閤様の遺言でございます、と理を尽くして説得しても無駄であった。
しかも茶々の周囲には茶々の意見を後押しするような人々が存在した。
織田信雄など、秀吉の御伽集として捨扶持を貰っていた人々である。
彼らは茶々から秀頼の名が入った御行書を貰っているらしい。信雄などは尾張を貰うなどという約束まであるという。
信雄などはあからさまに「秀頼様は茶々殿が育てるのが筋ではないかな」と言って周囲を呆れさせていた。


信雄などが秀頼様の御行書を持っている。
話を三成に持ち込んだのは信雄と同じ御伽衆だった織田有楽斎であった。
有楽斎は茶々の叔父にあたるが、信雄などとは違い、乱世の流れを読んで渡ってきた男である。
馬鹿な空証文に乗って踊るような男ではなかった。
「多少強引でもよい、茶々を押し込めたほうが良いと思うぞ、三成」
三成を茶席に招待した有楽斎は茶を勧めながらそう切り出した。
「俺は茶々の叔父だが、あの女はいかん。典型的な独裁者・・・いや、それ以下だな。
 ただのわがままな餓鬼だ。だからこそ、何をするかわからんぞ」
三成は黙って聞いている。
「秀次様は強く出れまい・・・徳川殿を含めた大老もな。
 葬儀の時に秀頼の身柄を押さえておくべきだったな。最もこんな事態になるとは誰も思っていなかったが」
あの女があそこまで馬鹿だったとは、と有楽斎は独白した。
「・・・有楽斎様、茶々殿を押し込めるのは簡単です。しかし、豊臣は今、太閤がお亡くなりになって間もない。
 もし茶々殿を押し込めるような真似をすれば、世間は必ず秀次様が政権を奪ったと見るでしょう」
世間とはそういうものです、と三成は言った。
「それに万が一・・・ということもあります」
それだけで有楽斎には分かった。
万が一、茶々を押し込める際にあの女が激情して秀頼を道連れに・・・などとなったらそれこそ一大事である。
つまり、茶々は自分の息子を人質に立てこもっているようなものであった。
「・・・なんとも馬鹿馬鹿しい事態になったものだな、三成」
さすがにそこまでしないだろう、とはまったく言えない有楽斎であった。
「だからと言って放っておくわけにもいくまい。
 お前は筆頭奉行なのだぞ」
まあとりあえず報告はしたからな、と有楽斎は言った。


茶室を出て三成は詰め間に戻る間に頭を高速で回転させていた。
今のまま放っておくわけにはいかない。が、現状では手詰まりである。
世間的に見れば茶々が我が子を手元に置いているだけ・・・決して自分の息子を人質に立てこもっているなどとは見ないだろう。
万が一、秀頼様に何かあればどれだけ秀次様が正当な行為を行っただけでも、豊臣政権に傷がつく。
太閤様が亡くなったばかりの今、それは避けねばならない。
茶々殿がどれだけ筋の通らぬことを行っていたとしても、秀頼様を手元に置かれている以上うかつに手は出せない。
大老と奉行を通していない御行書などいくら発行されても無効だが、それに踊らされる輩が出てくると面倒になる。
早くなんとかしなければならない。しかし、力押しが無理であり、大老と関白の命にも従わないとなると難しい。
どうするか。何が手を考えなければならない。
茶々殿を説得するのは不可能と見るべきである。それが可能ならこんな事態にはなっていない。
秀頼様を茶々殿から引き離す。それが出来れば苦労しないが・・・。
それが無理となれば発想を変える必要がある。
秀次様が忍城で見せた時のように。力攻めが無理であり、堤防を築いての水攻めも破綻した状況で自ら堤防を決壊させて城壁を爆破する機会を作った。
城攻めは兵糧攻めや水攻めのように時間をかけて落とすか、力押しなら城門を破るか城壁を乗り越えるしかないと思ってが、あの方は城壁を爆破して降伏させた。
前提条件を覆すやり方は太閤様も得意としたところ・・・豊臣政権の存続と天下泰平のために自分に何が出来るかを考えろ。
そこまで考えて三成にある閃きがあった。
これならいけるかも知れない。茶々殿の妄執を排除して尚且つ豊臣政権に傷がつかないように動ける可能性はある。
しかし問題もある。一歩間違えれば破滅への道、ようやく落ち着いた天下がまた戦乱に戻りかねない。
戦乱の世に戻さないように、秀次様が確実に動けるようにするには・・・。


事態がややこしくなってしまったため、大老や秀次が頭を悩ませている頃。
三成は秀次に一つの案を出した。
「大名達を国へ戻す? 大坂が空になるぞ、三成」
三成が秀次に言ったのは、国の政務が滞っている大名達をいつまでも大坂に置いておくことはできない。
よって一度国へと戻る許可を出すとの事である。
「確かに太閤様が倒れられて以来、ほとんどの大名は国に戻っておらず政務が滞っているが、今はそれどころじゃ・・・」
そもそも、それって家康が史実で関ヶ原の前にやったことじゃん、と思う秀次。
なおも三成は秀次を説得する。
このままずっと大名達を大坂に留めておいても事態が好転することはない。ならば落ち着かせる意味も含めて国に戻すべきだと。
「・・・まあ、確かにそうだが。一度帰国の許可を出さないと自分の領地が安定しないと不安になる奴もいるか」
そう考えて秀次も帰国の許可を出すことにする。
秀次は帰国願いを申し出た者だけ帰すことにしようとするが、それを三成が止めた。
全ての大名を帰国させるべきである、と。それは秀次様も例外ではない。秀次様が大坂にいる限り、遠慮して帰国できない大名が続出するだろうと説得する。
「それは分かるけど、今俺が帰国したら・・・」
茶々が何をするか分からない、と秀次が言うが三成は明確に答えた。
自分の領地は大坂に近いので、自分が大坂に残ります。奉行筆頭として政務を取り仕切り茶々殿の勝手にはさせませぬ。
国許での仕事が片付いたら、私が交代で自分の領土に帰ればいいだけです、と。
それに茶々殿がこの機会に何か事を起こせばそれを理由に今度こそ退かせればよいのです。それで世間にも理由が立ちましょう。
最も、私が残る以上何事も起こさせない所存であります、と三成は言った。
「・・・お前、何か企んでるだろ」
人聞きの悪い事を仰らないで下さい、と三成は苦笑した。
「まあいいけど・・・今の茶々は何するかわからんぞ。
 やばくなったら直ぐに大坂から退去しろ。前田殿の領地でも俺の領地でもさっさと逃げ込めよ」
お言葉、ありがたく頂戴いたします、と言って三成は退出した。帰国の許可を出すために自分の詰め間に戻ったのだ。
ほんとに大丈夫かなあいつ、まあ茶々に出し抜かれるような男じゃないか・・・と秀次は思った。
この時許可を出した事を、秀次は後に死ぬまで後悔することになる。


大名に帰国願いが許され、奉行筆頭の石田三成以外の者は各々国へと戻っていった。
秀次もいなくなり、いよいよ我の天下だと喜んだ茶々だが、彼女の要求は全て三成にはね付けられた。
信雄を大名に戻すことや秀次を蟄居させよとの命令があったがそれを恐る恐る伝えに来た大野治長に「茶々殿にそのような権利はない」と伝え、まるで相手にしなかった。
茶々は激怒して奉行の任を解く、これは秀頼様の命令だと言い募るが「秀頼様の命令というが、その下知聞いておらぬ」とこれも相手にしなかった。
三成はこの女はやはり取り除かねばならぬ、と心に改めて誓うのみだった。


ほぼ全ての大名を大坂から送り出した三成は北の政所と朝廷を動かす。
秀次様のご所望です、と京都の聚楽第で天皇主催による茶会を開かせたのだ。
当然嘘だったが、筆頭奉行の彼には秀次の名を使って朝廷に働きかけることくらい、その気になればいくらでも出来た。
招かれる客は大坂に人質として残っている大名の女房達と、北の政所、大政所を含めた豊臣家の女性達である。
当然茶々にも招待が届くが病と称して動かなかった。自分がいない間に三成が秀頼を奪うのではないかと疑ったのだ。
(かかった・・・)
大坂の町から僅か数日とはいえ、大名の女房と豊臣家の女性が消えた。そして、茶々だけが残った。
聚楽第での茶会の警備は腹心の島左近に任せてある。彼ならば安心できる。
(関白、大老の言に耳を貸さないばかりではなく天皇陛下からの招待も断った。もはや天下のためにも茶々殿を討たねばならん・・・。
 後は、秀次様と諸大名が動けるだけの大義名分のみ)
よほどの大義名分がなければ、秀次は動けない。茶々だけならどうにでもなるが、世継ぎの秀頼が側にいるのだ。
(その前提条件を覆すほどの変事ならば秀次様も動ける。そう、秀頼様を排斥するのではなく天下のために討つ大義名分があればよいのだ)
幼児である秀頼を人質に取られていると考えるなら、その人質の価値を失くすことで前提条件は覆る。
秀頼を討つのもやむなし、との世の流れを作ればよいのだ。
(大名達が秀次様に味方するのは間違いないが、それでも妻が大坂に人質に取られればまずいことになるかもしれない。
 秀次様に従って大坂を討っても、自分の家族が殺されれば恨みが残りかねない)
だからこそ、天皇陛下を動かしたのだ。
その日、まだ日が頂点に届かぬ頃。
三成は大野治長ではなく、それ以外の茶々の近侍の者を呼びつけた。


やってきた者に三成は要件だけを伝えた。
「今すぐに秀頼殿を引渡し、茶々殿は剃髪して尼になるべし。これは筆頭奉行としての命令である」
強い命令口調で伝える三成。呼びつけられた者は慌てて茶々に伝えに走った。
(これでいい)
大野治長では言葉をそのまま伝えずに手元で握りつぶしてしまうかもしれない。しかし、あの者ならそのまま茶々に伝えるだろう。
果たして報告を聞いた茶々と周囲の者は激昂した。
大老や秀次ではなく三成という彼らから見れば小物にそのように命令されたことも怒りに拍車をかけていた。
茶々は怒り狂い――いつものように切腹を申しつけよ、切腹じゃ、これは秀頼様の命ぞと叫ぶ。
近侍の者は急ぎ戻って三成にその件を伝えた。
いつもの癇癪だ、とその近侍の者は思って言葉を伝えてさっさと退出した。
三成は側にいた茶坊主にひどく落ち着いた声で言った。
「我はこれより切腹する」
茶坊主が眼を見開いた。
いつもの茶々様の癇癪でございます。お聞きになることはありませぬ、と言ったが三成はそれに答えずに言った。
「ついては、この書状を持って走れ。城下の関白様の屋敷には風間家の者がいる。その者に渡すのだ」
急げ、と茶坊主を追い出す三成。
一人になった詰め間で彼は置いてあった脇差を引き寄せ、ゆっくりと抜いた。
かつて秀吉から拝領した正宗である。
「秀次様、勝手ながら後を頼みました。
 清正、正則、すまぬが先に太閤様に拝謁しに行くぞ」


大野治長は近侍の者から事の次第を聞いて走っていた。
筆頭奉行の三成殿に弁解せねばまずい。はっきりとした命令を、その権利もなく拒絶したのだ。
なんとか弁解してとりなさねば・・・。
「大野治長でございます。石田殿、失礼いたしまする」
返事がない。この時間なら詰め間にいるはずである。
石田殿がいなくても茶坊主くらいいるはずであるが・・・。
「失礼・・・」
不審に思いふすまを開ける。
そこには、短刀で腹を切った三成が倒れていた。


大野治長の視界が絶望に染まった。



[4384] 腕白関白~翻る弔いの旗~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/11/08 21:24
清洲城、豊臣秀次の元に急報が届く。

石田三成自刃。

報を届けた早馬は、大坂の屋敷に常駐していた風魔の者であった。
その手には、三成から秀次に宛てた密書があった。
ひったくるように密書を取って読み始める秀次。
すでに重臣達が広間に集まっているが、誰も声を発しなかった。
やがて密書を読んだ秀次が震え出す。
「あの馬鹿が・・・!」
搾り出すような、激怒を含んだ声であった。

「秀次様へ。
 秀次様からの忠告を守れずに申し訳ありませぬ。
 不出来なるこの身、このような方法しか思いつかなかった私をお笑いくだされ。
 願わくは、私の死によってお立ちになられんことを。
 この命を糧に、豊臣を害する者を滅することだけを望んでおります。重ね重ね、ご迷惑ばかりおかけ致しました。
 申し訳ありませぬ、お先に太閤殿下のもとへ逝き事の次第を報告致してまいります。
 あなたに出会えて、私の人生は何か変わったような気がしています。本当に感謝しております。
 いずれ、来世でもご教授賜ることを願っております。
                       石田三成」

あの馬鹿、やばくなったら逃げてこいとあれほど言っておいたのに!
福島や加藤ともうまく行ってたじゃねぇか! 史実と違ってお前にも幸せになる権利はあったのに!
自分から放り出して、勝手に俺に押し付けやがった。くそ、馬鹿三成め。あの才槌頭め。


てめぇの死、償わせてやる。
先に秀吉のとこで待ってろ!


秀次は立ち上がった。
一斉に重臣達が秀次の方へ身を正す。
「大坂を、茶々を、秀頼を討つ」
静かな宣言であった。
「兵庫、宗茂、政実!」
『はっ!』
「全軍を召集しろ。今すぐにだ!」
『御意!』
「吉政!」
田中吉政を呼びつける秀次。
「ここに」
「全国の大名に陣触れ出せ! 大坂を討つ! 従わぬ者は大坂に味方してかまわぬと言え!
 まとめて俺が叩き潰す!」
「御意にございます」
秀次の全身から怒気が発せられている。
「風魔小太郎!」
「御前に・・・」
小太郎が進み出る。
「先に京へと侵入して帝を守れ! 各大名の女房衆もだ! 大坂方が手を出してきたなら、一戦してでも死守せよ!」
「御意」
次々に発せられる命令。
優秀な家臣団は迅速に行動していく。
(三成・・・許さんぞ、茶々!)
もっと前に殺しておくべきだった。
三成に全てを話しておくべきだった。
一人で大坂に残すべきではなかった!
彼の胸中には後悔が漂っていた。


四月三日。清洲城より全国の大名に対して檄文が発せられる。
三成を不当に切腹させた罪は重い。もはや豊臣家後見人として見過ごせぬ。
茶々と大野を討つ! 不服な者は大坂方へと付いてかまわぬ、但し覚悟せよ。
今回ばかりは容赦せぬ。
我が命に従わぬ者、全て滅ぼすと覚悟せよ。


加賀、前田利家。
檄文を受け取った利家は傍らに置いてあった刀を握り、床に突き刺した。
三成、あの馬鹿野郎が!
あれほど秀次様が身の危険を感じたら逃げろと言っていたものを。
自らの命を礎にするためにあえて残ったか。
不器用な男だ、貴様の死とあの女が釣り合うとでも思ったのか!
「利長! すぐに出陣じゃ!
前田家全軍、秀次様の下知に従う!」
待っておれ、茶々。貴様だけは許さん。


備前、宇喜田秀家。
驚愕に満ちた表情で書状を読んでいた。
あの義兄上がここまで怒気を発するとは。
それにしても茶々殿のやることの汚さか。豊臣家は茶々殿のものではない。
ねね様も秀次様を頼れと仰った。こういう事態を憂慮されていたのか。
「明石! 全軍に召集を! すぐに大坂へと登り街道を封鎖するぞ!」
義兄上、今参りますぞ。


関東、上杉景勝。
書状に目を通した景勝は天を仰いだ。
石田三成・・・義を通したか。
自らの命を持って道を正さんとするその心意気、無駄には出来ぬ。
我ら上杉、その志を継ごうぞ。
「出陣じゃ。秀次殿に合流して大坂の姦族を討つ」


奥羽、伊達政宗。
三成ってぇ奴が死んだかよ。
こりゃあ秀次公は怒り心頭だなぁ。
茶々さんよぉ、敵に回した相手が悪すぎるとは思わなかったのかよ?
俺は本気でこえぇけどよ、あの人は。
「片倉、俺らも出るぜ。借りを返す時だ」
天下があんな女に好き勝手されてたまるかよぅ。


中国、毛利輝元。
秀次からの書状を読み、深いため息をついた。
とうとうこんな事態が起こってしまったか。
秀次公がここまで怒気を発するとは、これは大坂の・・・秀頼殿の命運も尽きたな。
我らも出る必要がある。不実なる輩に天誅が下る時だ。
「出陣じゃ。海上から大坂を封鎖する」


伊予、小早川隆景。
石田三成が・・・自害だと。
しかも命を下したのが秀頼様・・・つまりは茶々殿か。
終わったな、茶々殿。筆頭奉行たる者を大老にも関白様にも相談無く処断するとは。
秀次様の怒りはいかほどのことか。
「全兵力を船に乗せよ。輝元様と合流して大坂へ向かう」


薩摩、島津豊久。
石田三成、天晴れと言わねばなるまいな。
そして豊臣秀次。とうとう立ったか。
元々、かのお人が豊臣の頂点に立つべきであったのだ。
これが恐らく日ノ本最後の大戦さになろう。
「すぐに出陣する。全軍、目指すは大坂じゃ」


土佐、長宗我部元親。
病に体が蝕まれていたが、起き上がって書状を読んだ。
すぐさま重臣を集めて出陣の用意を命じる。
これはすぐに出発せねばなるまい。
この戦に遅参すれば改易は必死。一族郎党全て賜死となろう。
ましてや大坂に味方するなどありえぬ。
「急いで出陣の用意を。私自ら行く。盛親は水軍を率いて大坂へ向かえ」


三河、徳川家康。
秀次殿が立ったか。
もはや徳川の天下は望めぬが、秀次殿の嫡男は我が息子でもある。
ゆくゆくは我が徳川家が政権を支える家となろう。
ようやく報われる時が来たな。
それにしても石田三成、忠義そのものであったな。
その散り様、長く伝えられることであろう。見事であった。
「秀次殿に合流する。全軍を清洲へ。先鋒の栄誉を賜ろうぞ」
婿殿、我ら三河武士団、存分にお使いなされ。

有力大名に加えて、それ以外の大名も急ぎ出陣する。
山内一豊、堀尾吉晴、中村一氏、生駒正親と言った秀頼の家老としてつけられた者も秀次の元へと参戦の意向を申し送った。
大坂近郊の大名達はすぐさま出発、秀次の命により堺を押さえ大坂と京都の街道を封鎖した。
その頃、京都にも三成自害の報が入っていた。


天皇陛下主催の茶会を警備していたのは島左近である。
三成の忠臣として文武に名高い島左近は、報を聞いた時にまったく表情を動かすことなく警備を強化することを申し付けた。
彼は三成から何の相談も受けていなかった。もし左近が計画を聞いていたら何を置いても止めたであろう。独断で秀次に急報したかもしれない。
それが分かっていたからこそ、この茶会の警備を任せて何も言わなかったのだ。
左近は三成の策を無駄にせぬため、聚楽第の警備を強化した。
もし大坂から人数がくれば全て切り捨てるつもりであった。
大名の女房達に不安を与えぬように笑顔で対応しながら、すぐに近隣の大名の軍勢が京に入りまする、それまではこの左近がおりますゆえ、と不安を解消して回った。
表情からは何も読み取れなかったが、握られた左拳から血が滴り落ちていたのは、誰にも気づかれなかった。


大野治長はもはや引き返せない状況になったことを理解していた。
秀次の檄文により全ての大名は敵となった。
茶々にはそれがわからない。秀頼の名で檄文を出せば秀次以外の大名など秀頼の味方になって当然と思っていた。
大野治長も僅かな望みをかけて秀頼の御行書を各地の大名に飛ばすが、何も期待していなかった。
それでも彼はなんとか状況を打開しようと足掻いていた。
京の聚楽第へ城にいる先手組の人数をやって大名の家族を人質に取ろうとしたが、島左近の警備と帝がいることにより手が出せなかった。
それでも強引に人質を確保すべきだと人数を掻き集めて一戦を覚悟して送ろうとするが、その頃には伊賀から急行した秀次の手の者が聚楽第を固めていた。
大名の家族も朝廷も抑えられた。大義名分はあちらにある。
それでも大野治長は足掻く。城の金子を使って浪人を集め、即席の軍を作る。
残っているのはこの大坂城のみ・・・か。しかも全てを守れるほどの人数もない・・・。
もはや秀頼すら謀反人として討つ状況が出来上がってしまっている。
石田三成殿の思惑通りというわけか・・・。
だが、ここまで付き合ったのだ。せめて自分だけは最後まで茶々殿に付き合うとしよう。


秀次に三成からの書状が届いてから十日後。徳川軍七万に秀次本隊十一万を加えた十八万が大坂へ進出。
すでに前田利家率いる前田軍六万が京都に入り、京の治安と帝の身辺を安堵していた。
西からは宇喜田秀家一万六千に長宗我部元親五千が着陣。
さらに上杉軍六万、伊達政宗三万三千、北方蝦夷国軍一万、島津軍一万三千も着陣する。
海上には毛利勢三万が船をびっしりと並べ、秀次より集められた津島級12隻で完全に海上を封鎖していた。
秀次は大坂城を囲むだけで全諸将が揃うのを待った。
三成の犠牲を無駄にしないために、茶々に従う者や日和見をしようとするものを全て討ち果たさなければならない。
だから待った。着陣しない大名は全て敵として討ち果たすために。
秀次着陣からさらに十日。大坂城を囲む兵力は五十万を超えていた。
朝廷は関白豊臣秀次に征夷大将軍の位を贈り、大野治長及び茶々を朝敵として公布した。
秀次が大坂に着陣する前に大坂城を出た者は味方として扱われたが、それ以降は城から出る者全てが斬られた。
大野治長が送った使者も何の弁も話さぬ内に斬り捨てられた。
結局、全ての国持ち大名が着陣。茶々に味方する者は皆無だった。


秀次の本陣には多くの将が集まっていた。
「み、三成、あの才槌頭がぁぁぁ!!」
秀次に三成から送られた書状を見て福島正則が号泣している。
「殺す、必ず殺してやる。絶対に殺してやる」
加藤清正が慟哭しながら叫んでいる。
「三成・・・なぜ勝手に・・・先に逝ってしまうとは・・・」
大谷吉継も泣いていた。
秀次は本陣に座ったまま、目を閉じて黙っていた。
「殿」
田中吉政が本陣に入ってくる。
「全大名が揃いました。着陣していない大名はおりませぬ」
その報告を聞いた秀次が立ち上がる。
「全ての将に告ぐ。これは石田三成の弔い合戦である」
一斉に皆が膝をつく。
「茶々と大野を捕らえよ。それ以外の者は全て斬れ。
 今、大坂城に残っている者、全て同罪である」
秀吉の御伽衆であった織田信雄などが残っていたが、秀次は誰も許す気はなかった。


茶々は大坂城内でパニックを起こしていたが、大野治長に侍女ごと奥に押し込められていた。
外を囲んでいるのは全て秀次殿の手勢であり、こちらには浪人が一万人もいないことを告げて無表情に秀頼と共に奥へと避難させた。
大野治長はもはやこの後に及んで助かろうとは思っていない。ただ、最後まで付き合うつもりである。
秀頼の本当の父親としての意地か、止められなかった負い目か。それは自分にも分からなかった。
天守閣から外を見ると、見渡す限り軍勢が埋め尽くしている。
「あれは・・・」
大坂城の大手門の前、馬に乗った男が進み出る。
具足を一切つけておらず、刀すら帯びていない。
「秀次公・・・」
豊臣秀次であった。


秀次が馬上で右手を上げた。
大坂城を囲む五十万の軍勢。その全ての部隊から、一斉に旗が揚がる。


それは弔い合戦の象徴たる旗。
翻るは大一大万大吉の旗。



[4384] 腕白関白~断罪の時~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/11/09 05:53
「秀次様が征夷大将軍か」
舞兵庫が隣にいる立花宗茂に話しかける。
「似合わぬな」
立花宗茂が苦笑して答える。
「良いではないか。史上最も似合わぬ征夷大将軍。我らの総大将殿だ」
九戸政実が豪快に笑いながら答えた。
「秀次様は征夷大将軍をお受けになりましたが、この戦いが終われば返上するお考えのようです」
田中吉政がそんなことを言った。
「幕府を開く気はないようです。秀次様には別の国家像があるようです」
「ならば、その新しい国家像を見届けるためにも・・・終わらせようか、戦国の世を」
立花宗茂がそう言って立ち上がった。
「先鋒は我らではないぞ、宗茂」
九戸政実が言った。
先鋒は福島正則、加藤清正の二人である。
友である三成を殺された二人の怒りは凄まじく、互いに先鋒を譲らなかったのだ。
結局、二人ともに先鋒を許されて今は大手門の前に部隊を移動させている。
「我らの役目は、武器を持たぬ者が大坂城に残っていた場合の保護か・・・」
舞兵庫が少し残念そうに言った。古今無双の城を攻めて見たかったようだ。
「茶坊主や城付きの職人が逃げ遅れているかも知れんからな。まあ、とりあえずそういった者は全て捕らえて集めておくつもりだ。
 紛れて逃げ出す輩がいないとも限らん。それに大坂の街の人々の治安を安堵せよとの仰せだ」
立花宗茂はそのための部隊編成を終えていた。戦うのは秀次の直轄部隊ではなく、他の大名の仕事である。
兵力に差がありすぎるため、最初から城の外堀にまで進出している包囲軍によって大坂の市街地は戦場にはならないが、それでも治安維持は必要であった。
秀次は何よりも民に犠牲が出るのを嫌う。そこは為政者として誰もが尊敬できる部分である。
「・・・先鋒と言っても、城に兵力はほとんどあるまい。浪人を集めたらしいが、一万に満たないはず。
 雑賀の者が多く入っているようだが、それ以外の者は戦意もあるまいて」
九戸政実はむしろ茶々と秀頼を生かして捕らえることの難しさを思った。
生かして捕らえて、白日の下で罪を裁いて斬首するのが最もよい方法だろう。
しかし、あの二人が先鋒では怒りに我を忘れて殺しかねない。
「大野治長は討ち取ってかまわんだろうが、茶々殿は捕らえて断罪せねばまずかろうな・・・」
舞兵庫がため息をついた。
「それについては、風魔小太郎殿が動いている。一応、秀次様からは茶々殿は討ち取られてもかまわないと仰せつかってはいるが・・・。
 やはり捕らえたほうが良かろうな。まあ、秀次様も少しは冷静になられたようだ。どうにか秀頼様は保護したいからな」
九戸政実は秀頼はなんとか保護して連れてきてくれ、と先鋒の二人に頼んでいた秀次を思い出していた。
「しかし、既に町人達の避難もほぼ完了し、治安を守るための人数も揃っておる。何よりこれだけの軍勢がある。いかに天下の堅城といえ半日もかからず落とせよう。
 秀次様はなぜまだ攻撃の下知を降さないのだ?」
立花宗茂がそう疑問を発した。
「待っておられるのですよ」
答えたのは田中吉政。
「京都の帝と大名のご家族は既に前田利長様の手勢により守られております。風魔の者も警護についておるので既に万端。
 ようやく、こちらへ来られるようになった、あの男を待っておられるのです」
「・・・そうか、そうだったな。彼の者が来ねば行くわけにもいかぬな。
 では、私は大坂と堺の維持に向かうとする」
そう言って立花宗茂は陣中を出て行った。


全ての大名が揃い、大坂城の周りを埋め尽くしてから三日後。
秀次が総攻撃を遅らせて待っていた男が本陣に向かって歩いていた。
無数の大一大万大吉の旗の下、一人ゆっくりと本陣へと向かう一人の侍。
本陣の周囲にいる誰も彼を止めようとしない。それほどに今の彼には全身から立ち登る鬼気があった。
本陣の天幕をくぐり、中へと入る。
奥に座る豊臣秀次の前まで、まったく歩調を変えずに歩みを進めると低い声で名乗った。
「島左近にございます」
三成の忠臣として、文武の誉れ高い島左近清興。
京都警備の任を前田利長につつがなく引き継ぎ、ここまで馬を走らせてきた。
もはや、抑えていた激情は外に噴出する寸前であった。


「すまぬ、左近」
左近の名乗りを受けていきなり秀次は頭を下げた。
「俺の失態だ」
苦々しくそう言う秀次。
「関白様に頭を下げさせるとは、我が主君はやはりまだ未熟者でありましたな。
 しかし、関白様と共に過ごす内に角が取れ、視野が広がっていた事は確かでございました。此度の事、関白様には何の罪もございませぬ。
 罪があるならばこの私、本来であれば私が我が殿のお心を察して動かねばなりませんでした。無用な心労をおかけしたこと、深くお詫び申し上げます」
その場で平伏する左近。
「それでも、すまない。お前の主君を、掛け替えのない人材を、三成を、くだらない事で失う事になった。
 全て俺の失態だ」
「痛み入ります。お言葉、我が殿がお聞きになれば本望でございましょう。重ねて申し上げます、関白様に罪はございませぬ。
 しかしあえて、一つだけお願いの儀がございます」
「わかっている」
秀次は立ち上がって、傍らにあった刀を左近の前に出す。
「北の政所様より、お主にと」
刀は三日月形の刃文が刻まれていた。
「これは、三日月宗近・・・」
現代では天下五剣として伝わっている名刀である。
「島左近。この刀を持ち福島、加藤の先鋒へ加わるべし。
 左近、お主が何を考えているか、俺は分かっているつもりだ。だがそれは許さん」
左近は秀次に先鋒に加えて貰うことを頼みに来た。自らの手で主君の仇を討つことが目的である。
そして、その後は主君に殉じようと思っていた。
それを秀次には読まれていたのだ。
「お主の忠義は分かる。だが、この件でこれ以上俺は犠牲を出すつもりはない。
 大野と茶々、その取り巻きに罪を償わせる。それで終わりだ。わかったな。主君に殉じるくらいなら、僧にでもなって三成の菩提を弔え」
「・・・御意にございます。我が主君の菩提、建立はお願い致しまする」
そう言って、左近は立ち上がって本陣を出て行った。
(大野治長、待っておれ)
馬に跨り大手門の方角へと走り出す。
(この島左近、貴様だけはこの手で斬る!)


翌日、攻撃の命が下る。
大手門より福島正則隊、加藤清正隊が門を破って殺到する。
大谷吉継隊がその援護を行い、次いで島津豊久の部隊と本多忠勝の部隊が城内へと入った。
抵抗は散発的であり、どうやら金で雇われた浪人のほとんどは逃げ散るか事が終わるまで大坂城で隠れているつもりのようだった。
唯一、雑賀の者がその鉄砲術で先鋒部隊に損害を与えるが、秀次の命により全兵に鉄砲を持たせた大谷吉継隊が射撃してきた雑賀衆へと十倍近い火線を叩きつけて沈黙させる。
それは城攻めとも言えぬ、一方的な戦いであった。
大野治長は最初から城壁や堀を頼りに防戦する気はなく、また一万人程度では巨大な大坂城に防備を引くのは不可能であった。
彼は手勢を奥の間の手前に集めており、そこに米俵や板塀で防御柵を作り待ち構えていた。
焼け石に水どころではない戦略だが、せめて最後まで茶々を守ってやりたい。その思いだけで彼はそこに立っていた。


奥の間へと進む部隊は福島・加藤の両隊だがそれ以外の部隊にもやることはあった。
本多忠勝の部隊は城の巨大な宝物庫へと急ぎ、名物や名刀を持ち去ろうとしていた浪人達を殲滅する。
そのまま彼は宝物庫の警備にあたった。
島津豊久の部隊は雇われた浪人達の立てた簡易な砦を攻め落とす。
城の中にある大名の屋敷の一部を強化して砦としていたのだが、島津勢の猛攻に一瞬で陥落した。
細川幽斎は手勢を率いて茶室や謁見の間を廻り奪われた物がないか、荒らされていないかを確認していた。
宇喜田秀家と上杉景勝は大手門が破られて先行部隊が全て城内へ入ってから自らの部隊を入れ、非戦闘員を広場に集めていた。
すぐに外に出さないのは、職人などに化けて逃亡する元御伽衆などを見逃さないためである。
その他の大名は大坂城を取り囲み、中から逃亡しようとする者を捕縛するのが役目であった。


奥の間へと続く廊下では、激戦となった。
大野治長の手勢は僅か五百。それだけでも残っていたのが不思議なくらいであった。
元浅井家の者、大野治長の部下、それにもはや栄達や金銭などに執着がなく死に場所を探していた浪人。
それらを指揮して彼は防衛戦を行っていた。
この後ろには茶々とその侍女団、それに秀頼がいる。
勝ち目は初めからない。それでも彼は戦っていた。


防御柵の内側から鉄砲を撃ちかけ、弓を次々に放つ。
相手は遮蔽物のない廊下を防御柵に向かって突っ込んでくるしかなく、かなりの損害を強いていた。
しかし、それも長くは続かない。福島・加藤両隊から凄まじい鉄砲の猛火を浴びて徐々に防御が崩れていた。
火矢を使えばもっと早く崩壊していただろうが、それは秀次から禁じられていた。
彼らも太閤の思い出深いこの城を焼くなど考えられず、相手がそうしようとすれば全力で阻止する考えであった。
両隊からの鉄砲により大野治長の指揮する防御部隊が反撃できずに身を潜めた時。
島左近が福島・加藤の精鋭を率いて突撃した。
力ある者たちが防御柵へと取り付き、押し崩す。その隙間から島左近が最初に飛び込んだ。
三日月宗近を抜刀すると同時に左右の敵を斬り飛ばす。
「くっ、防げ!」
大野治長の叫びに兵が左近へと殺到しようとするが、崩された防御柵から福島正則、加藤清正を先頭に手勢が流れ込んできた。
後は数の暴力である。瞬く間に防御側の兵が討ち取られていく。
大野治長の周囲にはほとんど兵がいなくなった。いるのは弟の大野治房、大野治胤、それに織田信雄くらいであった。
将を討てば勢いは止まる、と見た大野治胤は突出して加藤清正に挑みかかるが草を薙ぐように首をはねられた。
大野治房は福島正則の日本号に貫かれ、織田信雄は命乞いの間もなく鉄砲をその身に数発撃ち込まれて果てた。
そして、大野治長に島左近が突進する。
途中の兵などまるで物ともせずにほぼ一瞬で間合いを詰めていた。
大野治長には迫り来る島左近が巨大に見えるほどであった。
一刀で右肩から左脇腹まで斬られ、血が噴出す。
それでも大野治長は倒れずにいた。
(茶々・・・秀頼・・・!)
その執念ごと、左近の刀が首を刈り取った。


茶々は秀頼を抱いて震えていた。奥の前の廊下から怒号や銃声が絶え間なく聞こえてくる。
「なぜ・・・なぜじゃ」
彼女には分からなかった。三成という奉行を切腹させたが、豊臣家の長たる秀頼の命である。
なぜ全ての大名達は自分に、秀頼に歯向かうのか。まったく理解できなかった。
幼い頃に小谷城で見た光景、そして越前北ノ庄で見た光景。
そのどちらとも違う光景であった。どちらの時も落城前に彼女は城を出ている。
しかし今は違う。明確に彼女の命が狙われている。それは分かった。
「ひ、秀次・・・おのれ、秀次・・・謀反人め、大逆人め、おのれぇぇぇ!」
彼女が叫んだ時、ふすまが破られて返り血を浴びた左近が飛び込んできた。
「ひ、秀頼! 秀頼に触るなぁ!」
叫び声を上げて秀頼を抱きしめるが、左近は無表情に刀の柄で茶々の首筋を叩いた。
周囲の侍女、大蔵局を含めた者達も捕縛された。


大野治長、討ち死。
茶々と大蔵局、その他侍女は捕縛。
秀頼は無事保護したことが秀次の元にもたらされた。
秀次は立ち上がって、大坂城へ入っていく。
可児才蔵、舞兵庫、立花宗茂、九戸政実、田中吉政、成田氏長、それに徳川家康、小早川隆景、前田利家、毛利輝元も共に入城する。


応仁の乱を発端にして、北条早雲が幕を開けた戦国時代。
織田信長が目指し、豊臣秀吉が意思を継いだ天下人への道。
今、豊臣秀次の手によって幕が降ろされる時が来た。



[4384] 腕白関白~遠き時代の果て~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/11/10 01:25
大坂城へと入城した秀次。
朝廷へと戦勝の使者を送り、茶々とその侍女頭である大蔵局は一室に軟禁した。
そして、全大名を大広間に集めて秀次は語り出した。

「茶々、並びに大蔵局は秀頼の命を不当に発し、筆頭奉行たる石田三成を自害へと追い込んだ。
 よって斬首とする。秀頼は幼きゆえ、私が養育する」
そう宣言する秀次。
「私は征夷大将軍を返上する。もはや戦乱の時代は終わった。
 武家としての最高位は私には必要ない。今後、征夷大将軍は世襲ではなく国軍の最高司令官とする」
秀次は日本国に国軍を組織することを既に公布していた。
今までは各家が自領の民を組織して私兵団を持っていた。
それをより強大な力を持つ者がまとめて行使していたのが、日本の現状である。
それを日本国として、正規軍を発足させたのだ。
正規軍の規模は陸上兵力十五万。水上兵力五万。これを常時軍隊として存続させる。
兵力は各大名から石高に応じて供出され、日本全国から出身地に関係なく集められる。
初代の日本国軍征夷大将軍は徳川家康が就任。
水軍大将には小早川隆景が就任した。
陸軍副将軍には上杉景勝が、水軍副将には脇坂安治が就任する。
それら全ての地位は世襲制ではなく、次代の者は優秀な者を就任させることを決めた。
秀次は自身が関白として政治を行い、この地位は世襲制とした。
今まで幕府を開いてその地位を世襲することによって権力を維持してきたのが日本の伝統だが、彼は関白の地位を世襲して権力の移譲とした。
また豊臣家の直轄地はそのまま秀次が治める。
秀勝、秀秋、秀保を豊臣家の分家の長とすることも決めた。
「以後、豊臣家の者が天下を持つが、軍の最高司令官たる征夷大将軍と水軍大将には豊臣性の者は就任できない。これは国法である。
 軍の征夷大将軍と水軍大将の両名は関白の命に従うものとし、この両職の罷免は関白の権限とする」
軍のトップを政治のトップである関白が就任させ、罷免できるようにしたのだ。
関白は豊臣家の者が世襲するが、豊臣家の者は軍の司令官職にはつけない。権力を完全に独占できないようにしたのである。
現代人である秀次には、権力の世襲という概念がそれほど理解できなかったが、今いきなり民主主義や合議制が導入できないことも理解していた。
よって関白たる秀次は権力の座に残り、大老と中老、奉行によって合議を行って関白に献策できる制度は残した。
「石田三成の代わりとして、筆頭奉行は浅野幸長とする。
 また、山内一豊に新たに奉行を申し付ける」
その後、大老と奉行の連名により世継ぎは秀頼から秀次の嫡子たる仙千代丸に移った。
これは諸大名がこれからの権力者である秀次の嫡子のほうが世継ぎとして立てやすかったこと、生母の茶々が大罪人として裁かれたことなどが影響していた。
「以上である。皆、大儀であった」
一斉に平伏する全ての大名。
こうして彼は名実共に豊臣家の家長となり、権力の座についた。


秀次は蝦夷から台湾までを日本の領土とし、津島級を使った交易により商業を発展させる。
彼は軍の質を維持するために大坂、江戸、堺、津島、博多に大規模な士官学校を創設。
さらに各都市に学校を開校して、ある程度の教養を皆が平等に身に着けた世を目指すことになる。
彼の代には全ての子供達が学校に通うまでにはならなかったが、彼の孫の代にその学校制度は完成する。
また津島のような工業都市を他にも作って職人達の技術向上と生産力の強化を行った。
海外との貿易はヌルハチへの火縄銃や大筒の輸出が主となり、南蛮商人との貿易も盛んに行った。
居城は大坂城へと移り、尾張・美濃を秀勝に譲って豊臣の直轄地を治めることになった。
国内は安定しており、彼はようやく望んだ平穏な生活を手に入れていた。


ようやく、終わったのかな・・・もうさすがに切腹はないだろう。
三成は痛恨だったけど、結局はあれで蝦夷から台湾までの民が大坂という場所に一度に集まる機会があり、日本という国の意識が出来た。
そこまで考えてたのかな、三成は・・・それにしても、死ぬことはないだろうに、あいつも。
なあ、稲。
「なんですか、旦那様」
ようやく天下が治まったよ。まさか俺が天下人になっちまうとは思わなかったけど。
「旦那様は、太閤殿下のお世継ぎすら断ったお方ですからね。そんなに天下人はおいやでしたか?」
柄じゃないな。何より、面倒だ。
「ふふ、変わりませんね、旦那様は。昔から、ご自分を低く置く癖がおありですから」
柄じゃないのは本当だ。でも、三成がやれって言うからしょーがなくな。
「石田殿も、旦那様を動かす苦労を知っていますからね。今頃、もっと真面目にやってくださいと怒ってらっしゃるかもしれませんね」
あー。それはありそうだ。まあ、せいぜい頑張るさ。
「でも、徳川様を征夷大将軍となさったのは、皆驚いていました。いつか、徳川様が反旗を翻すのではと心配なさる声も・・・」
それはない。
「そう、なのですか?」
徳川家康という人は、無駄な事はしない人だよ。全軍を率いて大坂を襲おうにも、兵が従わないし、何よりも・・・。
「何よりも?」
あからさまに、謀反を起こすならどうぞ、って感じだからな。その気があっても動けないよ。
俺に謀反を起こすって事はどういうことなのか、茶々の一件で皆が見てるからな。
「左様ですか。それなら安心しました」
俺だって、義理の父親と戦争する気はないよ。仙千代丸の爺さんになるわけだし。
まあ、これからの日ノ本をどうするか、一緒に考えていくさ。
「どうなさるのですか、これから」
別に、特に何もって感じかな・・・。今は蝦夷まで開発してるけど、近いうちに樺太までその手は伸びる。
そして南は台湾まで支配している・・・これ以上は必要ない気もする。
李氏朝鮮は近いうちにヌルハチに滅ぼされるだろうし、明も同様だろう。
南蛮とは交易を続けて、そのうち技術者や識者を使者として彼らの母国へ送って見聞を広めさせるのがいいだろうな。
俺は、俺の代でやれることをやる。後は仙千代丸やその次の代に任せるさ。
海外へ目を向けるならそうすればいい。その必要がないならしなければいい。
その時の状況によって、必要な事は変わるんだから、俺が何かを今から決めておく事はないよ・・・。
「では、旦那様の代では何をなさるのですか?」
民の教育と商業発展、それに技術力の進歩と国軍の整備、街道や街の整備、港や船も増やさないとな・・・。
次代へと何かを残してやるために、俺の代で国内の充実はやっておきたいんだ。
「素晴らしいと思います。私も甲斐姫や駒姫と共に旦那様をずっと支えていきます」
うん、あんがと。
じゃあとりあえず・・・。
「とりあえず?」
子作りだな!


秀次は国内の充実と共に朝廷への配慮も忘れなかった。
秀吉の猶子であった智仁親王が史実と違い後陽成天皇の後を継いだため、朝廷との関係もうまくいった。
智仁親王に京都の土地の一部を寄進し、そこに皇族のための新たな別荘を作った。
親王と古田織部、本阿弥光悦などが参加して作られたこの別荘は、広大な土地の山野と森を生かしたまま庭にしたこの時代の傑作と呼ばれる建築物となる。


石田三成は大坂に石田寺を建立して葬られた。
秀次が建築した壮麗かつ荘厳な寺に忠臣の鏡として祭られたのだ。
僧になった島左近は亡くなるまで三成の菩提を弔ったという。
またこの寺には一つの役目があった。
新たに官僚として出仕するもの、大名の家を相続した者はこの寺に訪れて大一大万大吉の旗を貰って来ねばならない。
秀次がそうしたわけではなく、自然発生的にそうなったようであり、忠臣として名高い彼の墓を参ることによって国政に参加する者としての忠誠心を新たにする、との意味があるという。
寺の本殿には、切腹に使った石田正宗が安置されている。


稲姫の嫡男、仙千代丸は徳川秀忠の娘、千姫と婚姻。
仙千代丸の四年後に産まれた菊姫は上杉家へと嫁ぐ事になる。
甲斐姫の産んだ一ノ姫は毛利家へと嫁いだ。その後甲斐姫は土丸という男子を産み、彼は正室を島津より迎える事になる。
駒姫はニ男一女を産み、長男は前田家より正室を娶り、次男は皇室より正室を迎えた。長女は伊達家へと嫁ぐことになる。


秀次が現代人らしい感覚で行ったことの一つに名物・名刀・名器の一覧製作がある。
ただの名を記した一覧ではなく、当代の目利き達に解説を加えさせ、その製作者や言われなども克明に記録させた。
多くの写しが制作され、後の世に貴重な資料として残っていった。

それと共に彼は幼い頃より日記をつけていた。
遥か後世、その日記が発見されたときは世間を騒がせたが、すぐに贋作であるとの発表があった。
彼本人がつけていた日記だったのだが、研究者達は日記の中に「マジやべぇ」「可児はマジゴリラw」「切腹近いかも! 俺に精神安定剤、デパスとかくれ!」「稲姫はやばい、本気で美人すぎ」と書かれていたのを見てこう結論づけた。
「当時の生活や人々の営みは非常によく書かれており、おそらくはかなり当時の事を研究した者のイタズラであろう」と。







豊臣秀次、彼の墓はその生涯をほとんど過ごした大坂ではなく、尾張にある。
現在の愛知県春日井市にある豊国妙永寺がそれである。
彼の正室である稲姫、側室であった甲斐姫と駒姫も同じ場所に葬られており、家族中の良さを伺わせる。
彼の墓には、彼自身の辞世の句が刻まれている。

霞み行く
遠き時代の
果てに来て
ひとすじの夢
なにわともあれ


遠き時代の果てとは何のことを現しているのか、今もって研究が行われているが答えは出ていない。




   腕白関白、これにて終了に候。



[4384] 腕白関白~あとがきに候~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/11/10 01:27
腕白関白これにて終了に候。


どうも。作者のそるです。好きな武将は清水宗治。好きな城は讃岐高松城です。
こんな突っ込みどころ満載の駄作を最後まで読んでくれた皆様、本当にありがとうございます。

豊臣秀次なんていう、史実では碌な人生歩んでおらず、まったく有名でない人物への憑依物。
需要があったのが一番の驚きですw

いや、しかし、本当に後悔したことがあります。

俺、なんで一日一話更新とか言ったんだろww

仕事中に煙草吸いながら「あ~今日の更新どうしよう・・・しょうがない、小田原でぐだぐだするか?」とか思ったりww
残業が発生したら「やべぇ、更新できないかもww」とか思いながら仕事してました。
誤字脱字や史実と明らかに間違ったところもありますが、時間がないので修正できませんでした。読みにくかったと思いますが、申し訳ありません。
毎日話を考えるのが大変で大変で・・・途中から歴史上の出来事から逸脱したしw
しかし、感想を書き込んでくれた皆様の歴史知識に圧倒されます。
特に当時の技術や海外事情とか詳しすぎw
作者の私は戦国時代ファンですが、同じように戦国時代ファンって結構いるんだな、と改めて思いました。
感想だけで一つの物語になってるなぁ、むしろ感想のほうがおもしろいよと思いながら書いてましたw
皆様の期待に少しは答えられたでしょうか? もしそうなら幸いです。
皆さんのお気に入りの武将は活躍できたでしょうか? え、出てこなかった? すいませんw

なお、断っておきますが海外飛躍編はありませんw
この当時の海外事情とかまったく詳しくないので、不可能ですw

以下、とりとめもなく作品について。

結局、色々と考えて関ヶ原はなしとなりました。最初は関ヶ原の戦い→大坂の陣で大坂方に秀次がつく、と考えたのですが。
そもそも豊臣に成人男子が生きている(しかも優秀と思われている)時点で徳川に天下を取る手段はないかな、と思い直しました。
じゃあ物語のラスボスどーするよ? と考えて、やっぱり茶々にしました。僕は茶々があんまり好きではありませんw
明らかにお前だけ子供が出来るっておかしいだろ、と昔から思ってましたからw
茶々ファンがいらっしゃったらここで謝っておきます。すいません。
石田三成はどう扱うか迷いましたが、結局ああなりました。役どころとしてはおいしい役が回ってきました。本人は理不尽に殺されたけどw
まあ、秀次の切腹フラグを折った代わりに彼が切腹したとw 元々史実では斬首だからほんの少しだけマシ?w
しかし、三成の感想コメントでの人気にマジ嫉妬ww

駒姫はやりすぎた。反省してます。

稲姫の人気には驚きましたねw
史実では真田兄へ嫁いだのですが、ぱっと思いつく秀次と同じ世代の有名な美女が彼女くらいだったので・・・。
でも良妻として有名ですから、まあいいのかなとw
甲斐姫は小田原編を書き始めてから思い出したので、もう遅かったw 側室にしちゃいましたが。

秀吉が朝鮮出兵行った理由、さすがに鶴松が死んだからその悲しみを癒すため、はないだろうと思いましたので、信長への狂信としました。
実際はどうだったのでしょう。こればっかりは本人しかわからないと思いますが。
でも信長には崇拝に近い思いはあったんじゃないかな・・・とは思います。
本能寺の変の黒幕の一人、と言われることが昨今多いのですが、この作品では明智単独説を取ってます。
明智が謀反起こした理由? むかついたんじゃねぇのw
私も秀吉は怪しいと思っていますがw まあ、単独犯じゃないと思いますが。
史実よりも少しだけ幸せな人生・・・だったと言えるのでしょうか? でも史実より早く死んじゃったからなんともw

舞兵庫は秀次が何の力も持ってない時に一人くらい優秀な奴がいないと生き残れないな、と思い調べたら出てきた名前ですw
史実でもなかなか優秀な家臣団持ってたじゃねぇの、秀次さんよ、と思いながら書いてました。
後世では戦国時代を代表する名将扱いになっていることでしょうw

最近は漫画でも戦国時代物が結構あってうれしい限り。「センゴク」や「へうげもの」はおもしろい。
どっちも主人公は歴史上では地味な存在ですがw この作品の主人公だって、史実では地味ですがw

さて、タイトルの腕白関白ですが・・・なぜこのタイトルなのか、何が腕白なのか?
ぶっちゃけるとですね、ここまで長い話になる予定はなかったので、最初に投稿するときに適当につけましたw
殺生関白じゃなくて別の名で歴史に名を残すことにしようとか適当に考えていたような気もしますw
タイトルをつけるときはよく考えてからにしたほうがよい、と途中で何度も後悔しましたw

しかしこの後の日本史はどうなるのだろうww
蝦夷と樺太、琉球に台湾を領土にしてしまってるし。
その上、土佐に山内一豊が行ってない・・・坂本竜馬とか生まれてくるのでしょうか?w
その気になればもっと色んなとこまで征服できたでしょうが、この主人公ではここが限界でしょう。
自分の切腹フラグ折ることに必死だったしw
あ、最後の辞世の句は作者の私が五分で考えた適当なものなので、突っ込みなしでお願いしますwww

それではこの辺りで。

次回作
『起きたら明智秀満~殿、そのフラグは強烈すぎます~』
もしくは
『寝て起きて桶狭間~今川義元の息子の名前なんてしらねぇよ~』
でお会いしましょう(全部嘘です)


次はまたオリジナル板か、その他板に出没するかもしれません。
・・・XXXかも知れません(何)




[4384] 腕白関白~蛇足の外伝~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/11/10 21:49
大坂城は広大である。
その広大な城の主・・・豊臣秀次は今、謁見の間で伸びていた。
「あっちぃ~」
夏だから当然である。
「あっちぃ~よ~。も~無理だ~」
文句を言い続けてる秀次だが、目の前の田中吉政は軽く無視していた。
「領内の街道整備状況ですが、ほぼ整っており・・・」
そこまで言ってから伸びている秀次に脇差を放り投げた。
「いてぇ! おま、刺さったらどーするつもりだ!」
「ちゃんと聞いて貰えないなら、最初から言いましょうか? ゆっくりと」
「すいません、聞くから勘弁してください」
いつもの光景であった。


「終わった~。なげぇよ、吉政。風呂だ風呂!」
秀次は一仕事終えて奥へ引っ込んでいく。
「今日はなんでこんなに暑いのか・・・死ぬわ、こんな日に長い話しやがってあの有能政治家め」
それでもより一層仕事押し付けて来たのだが・・・。
怒りつつ居住空間である奥へ入っていく秀次。
一斉に侍女が平伏するが、どうもこの風習に慣れないのでやめて欲しいと何度も言っていたが、立花嫁に聞き入れられなかった。
威厳がないのはしょうがないが、示しは必要とのことである。


「昼間から風呂入って酒飲めるのが天下人の特権かもな~」
もの凄く庶民的な特権である。
ちなみに風呂は総檜作りの贅沢な物である。関白にしては質素かもしれないが。
普通、彼ほどの地位にいれば一人で風呂に入ることはない。
大名ならお気に入りの小姓(ケツの穴的な意味で)とかお気に入りの侍女(軽い浮気)と入るものだが、彼はほとんど一人で入る。
現代人の感覚が抜けてないので、他人に体洗って貰ってもなんだか綺麗になった気がしないのである。
しかし、この日は違った。というか、たまに彼は一人で入れないことがある。
そう、彼の三人の妻の一人が一緒に入る日は・・・。


脱衣所について服を脱ぎ出した時、ゆっくりと脱衣所の扉が開いた。
「失礼します、秀次様」
「こ、駒! な、何か用・・・」
三つ指ついたまま頭を下げて秀次にこう言った。
「お背中を流しに参りました」
そういって扉を閉めて、彼女も服を脱ぎ出す。
秀次の側室、駒姫。現在、十五歳である・・・。


断ると泣かれるので、そのまま風呂に入る秀次。
駒姫も後から着いてくる。
「秀次様、お背中お流ししますねっ!」
座った秀次の背中に湯をかけてごしごしと手ぬぐいで擦る駒姫。
どっちも当然全裸である・・・。
ざばーとお湯をかけてから、突然駒姫は秀次の背中に抱きついた。
「秀次様」
「な、何かな、駒」
どきどきしながら聞き返す秀次。
「最近、私の部屋に渡ってくれないので、寂しいです」
「そ、そうだっけ?」
むー、と背中で駒姫が不満を鳴らした。
「稲様と甲斐様みたいに、胸とか無いからですか・・・?」
「い、いやそんなことないぞ! むしろそれがいいと思える時があったり・・・」
何を言ってるんだ、俺は。と秀次は少し落ち着いたらしい。
「忙しかったっつーのもあるけど、まあ、悪かったよ、駒」
振り返って駒を抱きしめてあげる秀次。
駒姫はまだ幼い体を全身で使って秀次に抱きついた。
「わたしも、子供が欲しいです・・・稲様と甲斐様ばっかりずるいです」
よし! と秀次が声を上げた。
「じゃあ、今から・・・しようか、駒」
その声を聞いた駒はびっくりしたように顔を上げて・・・恥ずかしそうに顔を伏せた。
「・・・はい」


秀次が風呂から出たのはそれから半刻ほど経ってからだったという・・・。












作者の限界により寸止めですw
XXX板は無理でしたw


感想が1000行ったりしたら何かお礼でも書こうと思っていたら、会社から帰ってきてすでに超えていましたw
何が起こったんだろうw


まあ文字埋めついでに、感想で多かった疑問に答えたりその他設定のコーナーw

Q.明治維新あるの?
A.ないんじゃないかなw

Q.今後日本はどうなっていくの?
A.さあ?w 私以外の誰かが続きを書いてくれるのを百年待ちましょうw 後書きにも書きましたが私には無理過ぎw

Q.信長の野望での秀次の能力はどーなるの?
A.内政100とかになるんじゃないかな~。武力は部下任せだけど、忍城攻略戦が有名になって高いかもしれませんね。

Q.なんで樺太まで取ったの?
A.第二次世界大戦で石油がなくて苦労するのを防いであげたかったからw樺太あっても大して変わらんかもしれませんが。

Q.仕事しながら書いていたっていつ書いたの?
A.帰ってからですが、プロットは仕事の休憩時間とかに考えてました。

Q.茶々の最後は?
A.罵詈雑言を言う気力も無くなった後、首をはねられただけなので書いてません。

Q.この政権って金かからない?
A.豊臣家は当時、世界一の金持ちだったという説もありますし、秀次が商業重視政策を取ってるので金はあるんでしょう、きっとw
この作品の秀次は史実の豊臣家みたいに道楽や建築や寺の修繕にそんなに金使わないしw

Q.後世ではどう評価されるのでしょう、この秀次
A.機会があれば登場人物の現代Wikipedia風でも書きますかw

Q.茶々の妹達はどーなった?
A.秀勝は側室も持たずに二人仲良く暮らしたと手元の設定に書いてありましたw もう一人は考えてなかったなーw

Q.真田十勇士とか柳生十兵衛は無名のまま?
A.変わりに飛騨の国から赤い仮面の忍者が(ry

Q.結局、秀頼は大野の子? 秀吉の子?
A.この小説では大野の子です。秀吉は種無し設定です。後の秀頼は結局北の政所が引き取って育てていく設定になってる・・・と書いてますねw

Q.外伝は?
A.XXX板が作者の技量では無理なので、ないかもw あるとしたら、可児外伝とか七本槍が三成を偲ぶ話とか左近の話とか・・・立花夫妻の話とか?w

Q.信雄の扱いひどくね?
A.安土城を焼いた奴を俺は許せん。残ってたら! どれほどの素晴らしいものだったか!

Q.そもそもなんでこんな話書き始めたの?
A.秀次ファンを増やしたかったからw しかし増えたのは三成ファンという罠。おのれ石田三成、史実通り敵側にまわらせるべきだったかw


以上、完結マークをつけるついでの蛇足でしたw

今度こそ、また別の作品でお会いしましょう。




[4384] 腕白関白~現代Wiki風豊臣秀次~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/11/13 22:10
豐臣 秀次(とよとみ の ひでつぐ/とよとみ ひでつぐ)/羽柴 秀次(はしば ひでつぐ)は、戦国時代(室町時代後期)から安土・豊臣時代にかけての武将・戦国大名。「豊臣秀次」の読み方についての議論に関しては「豊臣氏」を参照。

概要
尾張国愛知郡中村の百姓として生まれ、叔父である豊臣秀吉に引き立てられ次第に頭角を現す。秀吉死後、茶々・大野治長を排して天下人となる。
長久手の戦い、忍城爆破戦など叔父の秀吉と同じく機知に富んだ逸話が伝わり、「農民の子」が天下を握った秀吉以上の出世頭と言われる。
日本で始めてガレオン級船舶を建造した人物としても有名であり、その政治力の高さから史上最も稀有なる政治才能を持つ武将と呼ばれている。

出自
尾張国愛知郡中村(現在の名古屋市中村区)の百姓の子として生まれる。生誕は1568年と言われる。織田信長政権下で宮部継潤に養子として送り込まれる。その後、信長の四国征伐において秀吉の影響力を強めるために三好康長に養子として送り込まれた。この頃から才気の片鱗を見せていたと言われ、宮部・三好ともに秀次の才気を賞賛する手紙を秀吉に送っている。
生母である秀吉の姉、瑞竜院日秀の日記によると彼が宮部継潤の元へ行くとき、まるで遊びに行く程度の気軽さだったと書かれている。
秀吉が天下を取るに従って、彼の数少ない親族として重宝されていく。

前半生
1583年の賤ヶ岳の戦いに参戦して武功を挙げたと言われるが、同時代の文書には彼の手柄は出てこない。賤ヶ岳の七本槍と呼ばれた者達の記録にも秀次の名はでていないが、少なくとも参加していたことは確かなようである。
1584年、小牧・長久手の戦いに参加。世に名高い「長久手の戦い」で鉄砲の一点集中砲火の後に騎馬を突撃させるという戦術により、当時東海一の弓取りとして有名だった徳川家康に勝利。一躍その名を天下に轟かせる。この新戦術とも言える戦い方は、秀次の案とも腹心の舞兵庫の案とも言われている。
家康を破った後は秀吉本隊が織田信雄の領地を攻略している間に紀州雑賀や佐々成益の攻略に手腕を振るった。同時期、大坂に秀長があったことから彼の補佐として手腕を振るったのであろうと推測される。
その後、四国征伐では姫路で後詰めを担当し、兵站業務についていた。この頃にはすでに秀吉の信頼を得ていたようで、秀吉が北の政所に宛てた手紙に「秀長の体が心配なので、秀次に九州征伐をまかせようかと思う。かの者であれば軽く片付けるであろう」との文章が見受けられる。
九州征伐では配下に徳川家康、小早川隆景を従えて島津義弘を根城坂で破っている。彼の戦争の特徴として、戦の名人が陣中にいる場合、大きな権限を与えて縛りなく活躍させることにより勝利を得るとのスタンスが目立つ。この根城坂の戦いはその一例として今も士官学校で授業に取り入れられることが多い。
またこの九州征伐後に秀次の両翼と呼ばれることになる立花宗茂を家臣に迎えている。
この時期に前後して尾張・美濃・伊勢・伊賀を秀吉より拝領する。
また、九州征伐後に徳川家康の養女である小松姫(稲姫)と結婚している。
小田原征伐にも参加し、山中城を一日で落とし風魔小太郎を調略するなど武功を挙げている。
(※忍城を攻略するさいに大量の火薬を使い城壁を爆破したとあるが後世の創作の可能性が高い)
小田原征伐後、側室に甲斐姫と駒姫を迎えている。
また秀吉の命により奥州仕置において改易されるはずだった大名を蝦夷開発に向かわせる。これにより蝦夷・樺太まで開発されることになる。
その後の文禄の役では後方担当として活躍。彼が製造を命じたガレオン級船舶が大いに活躍している。

秀吉死後
主君であり叔父である豊臣秀吉の死後は実質的に豊臣家の権力を握る。これは当初後継ぎとされていた秀頼が幼かったこと、実力・名声ともにぬきんでた存在だったことによる。
当初は秀吉は秀次を後継ぎにしようと思ったが、秀次が甥であることを理由に固辞したと記録されている。(前田家文書、秀吉から大政所への手紙等)
秀頼の後見人として大過なく天下を治めていたが、やがて秀頼の生母である淀君(茶々)と対立が深まっていく。
文禄五年、淀君と大蔵局、その息子の大野治長によって石田三成が自刃(大坂の変)、奉行筆頭であり忠臣であった三成の死を知った秀次は激怒。
全国の大名に檄文を飛ばして大坂城を囲み、大野治長は島左近によって討ち取られた。また、淀君と大蔵局は斬首となっている。
この時の檄文には「大坂に来なかった大名は全て自分が打ち滅ぼすであろう」と彼らしからぬ激しい一文が乗っており、彼の激怒が思われる。
このとき、大坂に集った兵は50万人。当然日本史上最大の動員であった。(大坂の陣)
これ以後、彼は関白として実際の天下人となり、以後豊臣政権が続いていく。

晩年
豊臣家記録によると84歳で死去。その亡骸は出身地である尾張に葬られた。
天皇より神号を送られるはずであったが、生前に辞退している。
政権はすでに嫡男である秀春からその子秀正に移っており、彼は太閤でもなく隠居の身であった。(朝廷から準親王という位を贈られておりこの位は秀次以外に用いられたことはない)

政治面・内政面での功績
・徳政令を廃止し、商人を保護した。今でも彼が寄進して増築した津島神社は商業の神として有名である。
・自領の足軽に遺族年金を払っていたことで知られている。
・ガレオン船の建造でも有名であり、彼の関白就任中に合計124隻作られている。
・全国の金山・銀山開発を進め巨大な財を成した人物としても知られる。国内の産業の活性化に力を注いでおり、当時の日本は世界でも有数の裕福な国となった。
・ルイス・フロイスは本国に「日本は巨大な財力と巨大な武力を持っており、海軍力も充実している」と書き送っている。
・国軍の設立と同時に士官学校を設立した。初期の講師は名前が確認される者で舞兵庫・立花宗茂・本多忠勝・細川藤孝・黒田孝高・大谷吉継・直江兼続・島左近などがいたようだ。
・官僚育成機関(石田塾)も設立しており、講師に増田長盛・長束正家・田中吉政などがいる。
・士官学校設立より十年後、海軍部門を新たに設立。講師に脇坂安治・毛利秀包などがいる。

外交面での功績
・清のヌルハチと文禄の役の頃から接触して支援しており、清が朝鮮・中国を統一する大きな役割を果たしている。
・ヌルハチとは当初は密貿易だったが、ヌルハチが釜山を抑えてからは大いに貿易で潤った。
・文禄の役より三十五年、清帝国が起こってからはさらに貿易を大々的に行っている。またヌルハチの子ホンタイジにガレオン船四隻を贈っている。
・南蛮貿易を広く行い、使節団を幾度か欧州へ送っている。

美術面での功績
・本人は目利きや美術品への造詣があまりなかったようである。しかし、秀次の命により作られた多くの美術品や目録は現代でも評価が非常に高い。
・名物・名刀・名器を目録にし全ての項目に当代の目利き達による解説を加えた「名目録」は多くの写しが作られて現存している。
・狩野派が十三年の歳月をかけて完成させた大屏風(全長25メートル)は当時の傑作として名高い。今は総理官邸に安置されている。
・古田織部・本阿弥光悦・長谷川等伯・小堀政一などを集めて京都に制作された「静月庵」は国宝。
・現在の軽井沢地方に別荘を持っていた。これも小堀政一の作品である。
・天下三肩衝を全て天皇家へと寄進した。

人柄・逸話など
・部下や臣下に対して常に気さくで親しみやすい人だったようである。
・領民や商人から絶大な支持を受けており、今でも商売の神として崇める地方がある。
・正室と側室二人との仲は生涯良かったようで、三人以外の女性とは関係を持たなかったという。
・上記のことからよく叔父の秀吉と比較される。
・刀や槍・鉄砲術などは全て並以下だったと腹心の可児才蔵が書き残している。もちろん、総大将である彼にそんなものが必要なかったのは確かである。
・仕事がしたくなくてわがままを言って部下に殴られたとの逸話が残っているが噂話程度のことなので史実とは言いがたい。
・死ぬ前に六畳間二階分の金塊を大坂に置き、「今から218年後(つまり1870年)に使え」と謎の遺言を残している。この遺言は豊臣家の公式文書として現存しており当時の天皇の署名が入って いる。

辞世の句
 霞み行く
  遠き時代の
   果てに来て
 ひとすじの夢
  なにわともあれ

「遠き時代」その果てに来たとはどういう意味なのか、今でも盛んに研究が行われている。












つ、疲れたw

というわけで現代Wiki風豊臣秀次です。
調子に乗って書くとかいうからw

たくさんの感想ありがとうございます。感想千越えるってw
初投稿ながら楽しんで頂けたのなら、腕白関白の作者としてこれに勝る喜びはありません。


感想欄で「二次創作を書きたい」と仰ってくださる方がいましたので、楽しみにしております。
え、お前も書けって?
んー、次も憑依物を書くとは思いますが(好きなので)歴史者はもういいかなw
たぶんですが・・・・
メタルサーガ~砂塵の鎖~
ACE COMBAT シリーズ
のどっちかになると思います。どっちもファン数が微妙そうですがw

では、またそのうちお会いしましょう・・・何回言ってるんだ、これw



[4384] 腕白関白~外伝:立花~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/11/30 06:38
秀次の大奥は、秀吉のそれと比べて慎ましやかである。
秀吉の側室は数多くいた。いや、秀次や他の諸侯から考えて居すぎた、と言えるかも知れない。
中には秀吉が渡って来たのは一度だけ、という女性すらいたという。
それに比べれば―――比べる対象が間違っているが―――秀次の奥には正室と側室二人しかいない。
正室は徳川家康の養女であり、本多忠勝の娘である稲姫。
側室は元北条家の重臣、成田親盛の娘である甲斐姫と最上義光の娘、駒姫である。
彼女らには当然のように侍女達がいるが、それでもすべて合わせて二百人程度である。
淀君と呼ばれた女性、茶々がいた頃は一万人近い女が彼女の世話として仕えていたという。
無論、一万人全ての女性が茶々の世話を焼いたわけはなく、彼女の近侍の侍女たちの世話を焼くための存在・・・侍女の侍女が多かったわけである。
それらが必要なくなり、秀次の妻たち三人が常識的な侍女団を連れて大坂城へ移ったので、一気に人数が減ってしまった。
「これはこれで問題ですね」
使われていない部屋の増えた大坂城の大奥を見てそう言ったのは、立花ギン千代である。
重臣、立花宗茂の妻にして、秀次の三人の妻達の頼れる姉役でもある。
女傑として甲斐姫以上に有名であり、秀次が頭が上がらない相手。それが立花の美しき姫であった。
「使っていない部屋がありすぎます。奥を少し狭くするにしても、まだ広大な空白ができてしまいますわね」
さすがは太閤様がお使いになられていた大奥。凄まじき広さです、とギン千代は嘆息した。
大坂の陣の後、名実共に豊臣の長者となった秀次に合わせて、彼の奥達も大阪城へ移ってきたのだが。
とにかく大坂城は広すぎた。清洲城も天下の名城だが、これは規模が違いすぎる。
テキパキと部屋割りや侍女達の住まいを決めたギン千代だったが、広すぎる大奥の使い道に困っていた。
普通、正室である稲姫が奥を取り仕切るのだが、稲姫達のたっての頼みでギン千代が取り仕切っていた。
秀次も「まあ、姉さんにまかせておけば大丈夫だろ。宗茂も大坂城に住むか?」と丸投げ状態である。
立花宗茂は大坂城の外堀の中に屋敷を建てて住んでいたが、ギン千代はもっぱら大奥の仕置きにかかりっきりである。
しきたりとして男は奥には入れない。近いのに単身赴任気分の宗茂であった。
と言っても、宗茂も常備軍の編成という大仕事に忙しいのでどっちにせよ余り二人きりの時間は取れそうもなかったが。


秀次の部屋はいくつかある。生前の秀吉が使っていた部屋に加えて彼自身が元々この大坂城に持っていた部屋もあるからだ。
とはいえ秀次が使っている部屋は自身の寝室と執務を取る大広間、それに湯殿と妻たちの部屋くらいである。
彼の馬周りや直属の親衛隊達が詰めている部屋もあるが、それでも大坂城の部屋は結構余っていた。
表向きの仕事をする部屋はいい。余っている部屋も常備軍の設立に伴って埋まっていく。官僚たちの仕事場は多いほうがいいので、部屋が余る可能性は少なかった。
奥の部屋を一部解放して使うのはいいが、それにしても大坂城の奥向きの広大さは尋常ではない。
さすがは味方にも敵にもその好色が知れ渡っていた豊臣秀吉というべきであろうか。
ちなみに茶々が住んでいた部屋は改装して奥の客間として使われている。
たまに大坂城に顔を見せに来る豊臣家の女性達・・・大政所や北の政所などの部屋も用意されている。
何より、秀次の生母たる女性が今は大坂城に住んでいる。清洲城は秀勝に譲ったので、彼女も大坂に来たのだ。
そうやって広大な部屋を消費しているのだが、まだ半分以上が空き部屋であった。
保安上の問題からも、早急に何か考えなければならない。
「・・・まあ、とりあえず風間様の手の者を配置することにして・・・それでも余りますわね」
なんでこんなに広いのよ! といらついてきたギン千代。
秀次がもっと側室を増やせば問題ないのだが、秀次にその気がない上にギン千代も余りいい気がしない。
「うちの人にでも相談してみましょう・・・」
そう言ってとりあえず城下の自分の屋敷へ戻っていった。


疲れて帰ってきた夫を捕まえて、奥の部屋が余りすぎていることを相談するギン千代。
「確かにそれは問題だな・・・空き部屋ばかりでは奥の警備がやりにくい」
夫の宗茂も問題視する。が、彼に妙案があるわけもなかった。
「私に聞かれても困るぞ。奥のことは関わっておらんのだから」
苦笑する宗茂。常備軍設立のために今日も田中吉政、舞兵庫たちと激務をこなして来たのだ。
正直、奥のことまで頭が回らない。
ちなみにもう一人の秀次直属の将である九戸政実は秀次の領地での兵の訓練や領内の治安に当たっていて大坂に不在であった。
正直、変わって欲しいと心から思っている宗茂だが、九戸のほうが新参とはいえ年上である。
なんだかんだといつの間にか九戸が領内治安維持の役に就いていた。逃げられた! と宗茂と兵庫が思ったのは言うまでもない。
「そう仰らずに、何か考えてください」
宗茂に酒を注ぎながらそう言うギン千代。
ちょっと胸元を見せ付けるサービス付きである。
「ん・・・しかし、侍女を増やすことくらいしかないのではないか? それか、秀次様に新しい側室でも出来れば別だろうが」
夫婦になって長い宗茂にはあまり通じていないようだが。
「秀次様に側室を増やす気はないご様子ですが?」
これだから男は・・・といった視線で夫を見るギン千代。
やばい、いらんこと言ったと後悔した宗茂は真面目に相談に乗ることにした。
「風間殿の手の者を奥の警備に配するとして、後は・・・潰してしまうわけにもいくまい。
 お三方にお子が産まれることを期待して置いておくことにするしかあるまいな」
「・・・お子、ですか。そうですね、稲も甲斐も駒も、たくさんの元気な子を産んでほしいですね・・」
そう言いながら、宗茂にもたれかかるギン千代。
「私もそろそろ子が欲しいですね・・・」


「と言う事が昨日ありまして」
秀次は宗茂の話を聞いてげんなりしていた。
昨日よりやつれていたので、理由を聞いたらこれだよ! 聞くんじゃなかった! と今は後悔していた。
「そこで秀次様にお願いの儀があるのですが」
「なんだよ」
ちょっと機嫌悪そうに聞き返すが、宗茂に効果はない。
「妻とも話し合ったのですが、子作り休暇を頂きたいと思いまして」
ぶー、と飲んでた茶を吐き出す秀次。
子作り休暇っておま、何を、そんな羨ましい・・・。
「最近、まったく休んでおりませぬゆえ、そろそろ休暇を取れと秀次様も前から仰っておりましたから、この際、妻と温泉にでも行こうかと」
こいつこんなキャラだったか? と疑問に思う秀次だったが、よく考えれば宗茂を休ませるいい機会だと思った。
「ま、まあいいか。ゆっくり休んでこい。
 ・・・子作り休暇だから、休めないかもな」
色んな意味でな~とからかうが、宗茂はまったく気にした様子もない。
「すまないが、しばらく兵庫殿にまかせるぞ」
「しかたありませぬな。戻られたら、私が交代で休暇を頂くことにいたしましょう」
そんな会話を聞きながら、田中吉政は静かにため息をついていた。
(しかたありませぬな、ではなくて兵庫殿もいい加減嫁を貰えばよいものを・・・)
舞兵庫の嫁を世話してやるべきか、と田中吉政は考えていたが、それはまた別の話である。


有馬にいっちゃったよ、立花夫妻。
「有馬ですか。良いですね。私も行ってみたい」
甲斐も温泉好きか?
「興味はあります。関東にも箱根など、いくつかありましたが結局行く機会はありませんでした」
そうか、関東にも有名な温泉多かったな。最も、本当に温泉が多いのは九州って感じがするけど。
「九州にはそんなに温泉が多いのですか?」
多いぞー。宗茂とかなら知ってるだろうけど。
島津とか清正に案内させて遊びに行くのもいいかも。
「遠出できるほどの暇もないのではないでしょうか・・・」
まあ、そうなんだが。
面倒だなぁ、天下人って。
「武人なら誰もが望む地位ですよ。そんな言い方をしては・・・」
俺は農民の子だ。初めから武人だったわけじゃないよ。
今でも武人といわれると違和感があるな。誰かと切り結んだ経験があるわけでもないし。
「あら、そのお方に敗れた私はどうなるのです?」
あれは、ほら、裏技というか、なんというか・・・。
大体、圧倒的兵力の差があったのに、最初は勝ってたじゃないか。
それだけでも十分凄いと思うが。山中城なんて半日で落ちたぞ。
「旦那様が来てから三日で落ちましたけどね」
む・・・昔のことをいつまでも・・・。
「ふふ、すいません。でも、もっと自信を持ってください。旦那様は十分、立派な武人ですよ」
そうかな。
全然実感がないのだけど。
まあ、それよりも甲斐。
「はい・・・え、あの、まだその、そんな時間では」
立花夫妻に負けないように頑張らないとな。主君として。
「そ、それは主君とかは関係ないのでは・・・あの、旦那様・・・」
えい。
「あ・・・もう、しょうがない旦那様ですね」



この後、休暇から帰ってきた立花夫妻はギン千代の懐妊に沸くことになる。
が、それ以上に甲斐姫が二人目を懐妊した事に家中はさらに沸くことになるのはどうでもいい話であろう。


















作者より
二次創作のほうが進まないので外伝w
本編でギン千代姉さんの登場をカットしてしまったので、ここで書いてみました。
ホントは三成の策で女房達が京都のお茶会に行ったとき、人質に取ろうとした大野の手勢と島左近と一緒に戦う描写があったのですが。
不自然な展開になったのでカットしたのですよw



[4384] 腕白関白~外伝:未来への贈り物~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2008/12/09 22:44
文詠十二年。夏。
大坂城のとある部屋に豊臣家の人間が集まっていた。
上座に豊臣秀次。現在の関白職である。
下座には各々席次を気にせず勝手に座っていた。
尾張大納言と呼ばれる豊臣秀勝。
大和中納言と呼ばれる豊臣秀秋。
故太閤秀吉の遺児(とされている)豊臣秀頼。

見事に男ばかりである。

「あちぃ・・・」
秀次がそう呟いて上座でぐったりしている。
「兄上、だらしないですぞ・・・」
呆れたように秀勝が言うが、大して気にしない秀次。
「変わりませんね、兄上は」
穏やかに笑っているのは、秀秋である。
今年で二十一歳になった。
温和な性格で素直に育っており、誰からも好かれる好青年になっていた。
柔和な秀秋、冷静な秀勝、傑物秀次。
世に言う豊臣三兄弟である。

そしてもう一人。
現在は北の政所の下で育成され、すでに出家している、かつての大坂城の主。
豊臣秀頼である。

「叔父上達もお代わりなく。何よりでございます」
秀頼がそう口上を述べた。
「おう、秀頼。北の政所様はご機嫌いかがだ?」
「相変わらず、すこぶる元気ですよ、義母上は」
秀頼はそう答えながら、茶を立てている。
古田織部を師に持つだけあって、中々堂にいったものである。

秀頼は豊臣家の中でも本来は微妙な位置にいる。
そうならないように北の政所は自分で秀頼を引き取ると、自分の手元で出家させた。
後の禍根にならないようにとの配慮である。

出家と言っても、北の政所の元でとりあえず頭を剃った程度である。本格的に寺に預けられて・・・というものではない。
この時代の大名など身分の高い物が出家するとなると、自分で寺を建てて頭を剃って法衣を纏えばそれでいい。
別に修行してお経を唱えられなければならないという事はない。
ただ、秀頼の場合、少し変わっている。
彼は書道、茶道、絵、短歌などと言った風流を好み、当代の名人達に教えを受けていた。
元々そういった素質があったのか、今はメキメキと腕を上げ、師匠達を驚かせている。

その道の名人、当代の頂点に立つほどの男が師匠であるわけだが、その師匠達が秀頼の事を書き残している。
茶道の師匠、古田織部曰く、
「基本に忠実であり、非常に素直な茶となっている。もう少しひょうげてもいいかも知れませぬ」
短歌、書道の師である細川幽斎曰く、
「歌は古典をよく学び、理解しておられる。書は力強く雄大であり、いま少しすれば歴史に名を残す名人となられます」
それほど評価されている。
(・・・秀吉の種じゃないってのが、ますます良く分かってきたな)
豊臣三兄弟は全員共通して芸術方面に才能がない。
というか、豊臣家で芸術方面に才能がある人間は皆無である。
どうも、政務や戦に才を見せても芸術や茶道に才能を見出す人間がいないのだ。
(まあ、そっち方面は秀頼にまかせてしまおう・・・)


久しぶりに集まったのだから茶でも飲もう、と秀次が誘って始まったこの茶会。
世は平穏であり、天下に取り立てて大きな問題はない。
国軍も創設され、仕官学校や官僚育成学校も順調である。
各地に学校の建設が始まっており、教育水準の向上という秀次の目標も達成されそうである。
ヌルハチが明の前に李氏朝鮮を倒してしまったので、釜山との間での交易が盛んに行われている。
北では南部氏が樺太に拠点を作った。南では大友と島津が台湾統治を大過なく努めている。
全国の金山、銀山から上がる金銀も膨大な量になっている。
学校の建設などでかなり金を使ったが、それ以上に貿易や国内の流通による商業で儲けているので、金はまったく減っていなかった。
むしろ毎年どんどん増え続けている。
「しかし兄上、何もこの部屋で茶を飲まなくとも・・・」
そう言ったのは秀秋である。
彼らが茶を飲んでいる部屋は、元々大奥だった部屋だが、余っているので今は別の用途に使われていた。
床が補強され、四つほどの部屋の壁を取り除いて一つの大きな部屋にしている。
部屋には、天井までびっしりと金の延べ棒が積まれていた。
「見てもらったほうが早いと思ってな。俺も信じられんが、この部屋の金塊は全て余剰金だ。
 金蔵に入りきらなくなった物をこっちに移したんだが・・・」
「新しい金蔵を作ったら、そこも直ぐに埋まってしまって戻せなくなったらしいですね」
周囲を完全に金塊に囲まれている状態で悠々と茶を飲む秀勝。
「うむ、困ったことにまだまだ金は増え続けている。清との取引が本格的に始まってさらに儲けてしまった。
 最近は南蛮人の商人も売れそうな物はなんでも持ってきやがる。思わずメイド服とシスター服を買ってしま・・・なんでもない」
ごまかすように茶を飲む秀次。
「・・・関白様が贅沢をされないからですよ。別荘として城でも作りますか?」
秀頼がそう提案する。
「いらんなぁ。大坂城でも広すぎるってのに。伏見城なんて、そのまま士官学校にしちまったし」
そう、伏見城は現在、仕官学校として使われている。今も各地から集められた俊英達が武の天才達に講義を受けているだろう。
ちなみに講師は持ち回りで、現在は直江兼続と大谷吉継、それに後藤又兵衛、明石全登らが教えているはずである。
「先に言っておきますが、北方開発と南方開発の資金も十分余ってますよ」
「尾張の津島港、伊勢湾の造船所もこれ以上大きくするのは難しいですよ」
秀勝と秀秋に先にそう言われてしまう秀次。
「む、なら北の政所様や大政所様のお住まいを・・・」
「北の政所様に三万五千石の化粧料付きで寺を建立したばかりでしょう。
 大政所様のお住まいは昨年改築したばかりですよ」
新たな茶を立てながら、秀頼がそう釘を刺した。
ちなみに他の豊臣の女性達の住まいも当然豪華な寺を建立している。
「じゃ、じゃあ朝廷に・・・」
「三肩衝の献上と共に帝の別荘をお建てになったではありませんか。あれも十分、道楽といえば道楽です。
 これ以上は必要ないのでは?」
秀秋に否定された。
いよいよ金の使い道に困る秀次。
(国軍の規模を増やすか? いや、数だけ増やしてもなぁ。仕官の数が足りない。
 将来的にはもっと規模を大きくできるかもしれんが今はそこまで大きな常備軍は人材がないな)
将が多くても、もっと小さな規模の長、小隊長クラスが不足しているのだ。
今までの足軽頭等では、根本的に考え方が違うので、今は地道に教育するしかなかった。
国内ではもう戦はないだろうが、常備軍と海軍を持っておかないと、対外的に戦えない。
(いつかは・・・この国も世界と戦って行かないといけない日が来る)
いわば二百年以上先の為に今からその土台を作っているのだ。
(定期的に欧州へ使節団を派遣することも続けてるし。この慣習を残せばたぶん産業革命に乗り遅れないと思う。
 たぶんだけど。まあ、明治から昭和にかけて苦労しないように今から出来る事はやっておいてあげよう。
 たまに忘れそうになるが、俺元々は平成から来たんだし)
そこまで考えて、秀次はふとあることを思いついた。
周囲に高く積まれた金塊を見て、ふっと笑った。
「兄上? 何か悪巧みでも思いつきましたか?」
「うっせぇぞ、秀勝。悪巧みじゃねぇよ。
 何、この金塊って全部余剰金・・・なら好きに使って構わないわけだ」
何を企んでいるのやら・・・と秀勝がため息をついた。
「・・・ふむ。一部の金塊は別の部屋、そうだな、新しく小さめの金蔵建ててそこに移す。
 俺が死んでから、二百年後まで開けないようにと遺書を残そう」
「何のつもりですか?」
訳がわからないといった顔の秀勝。
「そうだな、その蔵にはここにある金塊の三分の一程度を入れておこう。
 後の金塊は隠す」
「・・・隠す??」
きょとんとして聞き返す秀秋。秀頼も分けがわからないようだ。
「そう、隠す。隠し場所は後で考えよう。問題はただ隠すだけじゃ意味がないってことだ。
 黄金ってのは、どんなに年月が過ぎても価値は衰えない。時を越えて未来の日本に贈り物としよう」
明治維新後か、あるいは第二次世界大戦前くらいに発見されるように仕込んでおけば・・・と考える秀次。
これだけの金塊だ。かなり助かるに違いない。
(昭和に大恐慌があったな。確か・・・1970年。それだ、それにしよう!)
悪戯を思いついた子供のように笑う秀次。
それを見て秀勝はまたため息をついた。
(この兄は・・・また何を考えついたのやら)





1870年。秀次の不思議な遺言に従って、天皇陛下立会いの下、大坂の金蔵の錠が外された。
中には多くの黄金が積み上げてあり人々を驚かせたが、その黄金を運びだした後に、作業員が妙な事に気がついた。
床に文字が書かれていたのである。
年月が経っても消えないように、床に彫刻のように文字が彫られていたのだ。

「この金塊を運び出して後、60年後に我が墓所の地下を探れ  豊臣秀次」
そこには遺言の数倍のおびただしい金塊が埋蔵されていた。


これが豊臣埋蔵金伝説の真実である・・・。






作者あとがき

一発ネタ的なものです。
徳川埋蔵金伝説があるなら、豊臣埋蔵金伝説もあるだろう、とw



[4384] 外伝~豊臣家模様1:秀勝~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2011/12/25 04:05
「また何か思いついたのですかね、あの兄は・・・」
こめかみを押さえながら、青年はため息をついた。
彼の前には、一人の忍装束の者がいる。
彼宛に手紙を届けに来た、風魔の者である。
「・・・わたしも忙しいのですがね・・・」
それは当然である。
彼の肩書きは「北方・南方監査官」、「大納言」、「水軍統括」と多岐に渡る。
毎日、仕事は山積みであり、今も姫路に新たに築かれた港を見回り、様々な部署に指示を出しているところである。
そこに、兄である秀次から呼び出しである。
これから仕事を放り出してすぐに大坂に帰らないと行けない、というだけで気分が滅入ってきた。
「・・・なるべくお急ぎくださいとの仰せです」
風魔の者が急かす。
この使者は恐らく兄から直々に手紙を渡されてそう言われたのだろう。
風魔は豊臣家、というより秀次個人に絶対的な忠誠を誓っている。
その忠誠対象本人から出された指示は、この者にとって何よりも重いものだろう。
「支度をします。しかし、来て三日で戻ることになるとはね」
もう一度ため息をつく。
(何を考え付いたんでしょうね、兄は)


豊臣秀勝、後の世に「豊臣四兄弟」として伝えられる、豊臣家の次男。
主に治水、開墾、土木で功績が多くあった、と言われているが、それは蝦夷・琉球・台湾の開拓事業の責任者であったからであろう。
日本の北と南。その双方の開発を統括する責任者として、彼が水軍統括になったのは自然の流れであった。
最も、豊臣の軍制改革により、水軍は海路の防衛、維持等が主な任務になっており、戦闘集団としての機能は新設された海軍に移行していた。
後の日本海軍の基礎となる豊臣海軍は既にその姿を現しており、この頃から旗艦は津島級である。
現在の海軍将は小早川隆景。津島級19隻を中心とした、機動艦隊とも言える海軍を運用している。
秀勝の水軍は津島級のような巨大船はなく、小型・中型船で構成されている。
海路の要衝に支部を置き、海賊対策や海上での商船の揉め事の仲裁、難破した船の捜索・救助などに当たっている。

話が逸れた。

多くの部下に指示を出し、北方の伊達政宗や南方の島津・大友から挙がってくる報告を読み。
瀬戸内海の海路を整備するために様々な島に一時寄港可能な港を作り。
どこかで海賊が出たと聞けばそこに水軍を増派し、念のため海軍の一部も持っていく。
面倒な仕事はまさに山のようにある。

そして、時々届く兄からの呼び出し。
(たぶん、秀秋と秀頼にも呼び出しが届いているだろうが・・・)
京に住んでいる秀頼と大和に住んでいる秀秋はいいとして、本国が尾張であり、立場上様々な場所に行く彼はこの呼び出しがいつもこんな
タイミングで届くことにげんなりしていた。
(大坂にいる時に思いついてくれ)
何度そう思ったか・・・。
大体、兄が何かを思いついて弟を呼び出すのは、私的なことが多い。
つまり、豊臣家のことであり、天下国家のことではない。
天下国家のことなら、大坂にいる腹心たちと相談するだろうし、何より兄が自分で判断するだろう。
(とにかく、行くか)
待たせることになるが、それは私が姫路視察中に呼び戻すほうが悪い。
ついでに大坂で旧知の者達と会い、妻と子供にも会おう。
最近働きすぎていたところだ。少し休暇を貰うことにしよう・・・。

なんだかんだ言いながら、秀勝は秀次が何を思いついたのか、楽しみに大坂へと戻る。

豊臣秀勝。豊臣の四兄弟の中で、最も冷静かつ常識家であり皮肉屋でもあった。
彼の最も大事な役目は「兄への皮肉」だったと後に彼自身が語っていたという・・・。




豊臣秀勝(とよとみの ひでかつ/とよとみ ひでかつ)は戦国時代(室町時代後期)から安土・豊臣時代にかけての武将・戦国大名。「豊臣秀次」の読み方についての議論に関しては「豊臣氏」を参照。

概要
尾張国愛知郡中村の百姓として生まれ、兄である豊臣秀次によって引き立てられ、次第に国政に関わっていく。
主に蝦夷(現在の北海道)や南方(現在の沖縄・台湾)の開発に尽力したと言われる。
現在の海上保安庁の前身である国家水軍の初代総統でもあった。

半生
兄を補佐する役目として、豊臣秀吉によって秀次の配下に加えられたという。
秀次から多くのことを学び、官僚機構を大過なく運営していた。
全国の港を整備し、海路の要衝に水軍駐留の拠点となる港を建造している。
本人は船に乗ることは少なかったようだ。
領地として尾張を秀次から譲り受けており、居城は清洲城であった(最も大坂城にいることのほうが遥かに多かったようである)

人物
・秀次に遠慮なく意見を言える人物であり、時には厳しい意見も言ったようである。
・冷静沈着な人物であったとの評が同世代人に多い。
・妻は茶々の妹である江姫。夫婦仲は非常に良好であったという。
・江姫以外に側室などはいなかった。豊臣四兄弟はその義父とこの点で比較されることが多い。

辞世の句
伝わっていない。
一説には、死因が脳出血であり辞世の句を読む暇がなかったとも言われている。







あとがき
秀勝は地味過ぎるな・・・書くことないわw
彼はまっとうに官僚機構を統率しながら、秀次を補佐していったと思います。



[4384] 外伝~豊臣家模様2:秀秋~
Name: そる◆388a5b68 ID:f6eb2928
Date: 2011/12/25 04:05
大和中納言・豊臣秀秋。
豊臣秀長の養子という立場であり、秀長から領地を受け継いだ。
本人は知らなかったが、かつて小早川家に養子に出す話が挙がったことがある。
この話は挙がってきた時点で秀次が潰した。
「わざわざ他家に養子に出さずとも、豊臣の分家として所領を与えたほうが良いでしょう」
豊臣家はそもそもが武家の出ではない。秀吉に兄弟縁者が少ないので、豊臣家の名を持つ者を減らすことはないだろう、と進言したのだ。
最も、秀次は史実で小早川秀秋のことを知っていたので、止めただけだが・・・。
小早川家は隠れもなき名門である。そこに氏素性の知れぬ豊臣の者を後継ぎにするのは抵抗が大きいだろう、との配慮でもある。

秀秋は秀次によって英才教育を施された。
秀秋の相談役とも言える存在、宮部継潤によって。
宮部継潤から武将としての心得、大名としての心得、人を率いる立場としての心得、天下人の弟としての心得。
様々な教育を受けて、彼はしっかりと秀次を補佐する立場としての地位を確立した。

秀長から大和中納言を受け継ぎ、寺社・朝廷との調整や交流を主な仕事としている。
それ以外に重要な仕事として、秀秋は士官学校の運営を行っている。
講師や軍制、軍の編成などは大きくは秀次が行うが、金銭的な管理や資材の調達、士官学校以外の町民たちの学校経営でも責任者なのだ。
秀秋は今、士官学校の講師たちから意見を貰っているところであった。

今日、この場にいる講師は3人。
一人は直江兼続。上杉家の天才軍略家。
一人は大谷吉継。盲目の軍師。
一人は黒田官兵衛。『百万石あれば天下を取った』と言われる男。

「陸軍は順調です」
直江が茶を飲みながら穏やかに言う。
「秀次様のお考えのとおり、小部隊を4つで中部隊、中部隊を4つで大部隊、大部隊を4つで師団という形に持っていけそうです。
 最も、秀次様の懸念どおり、小部隊長と中部隊長がなかなか・・・大部隊や師団を率いる人材にはことかかないのですが」
大大名クラスになると、采を取れる名将を何人かは抱えているものである。
それらを大部隊長、師団長とすればよいのだが、小部隊長や中部隊長は士官学校で教育が終わるのを待つしかなかった。
「現在、日本国軍の最初の師団の編成が始まっております。大部隊長には真田信之、真田信繁、明石全登、それに私、直江が勤めます。
 師団長ですが、我が主君、上杉景勝が勤めることとなります」
この第1軍の主力兵は信濃・関東・北陸・東北から集められた者であり、総数は3万8千。
旧来の大名―家臣というつながりではなく、日本国の軍隊としての形。
「必要に応じて大名たちを招集する」のではなく、「大名たちから戦闘司令官を常時軍に配備し、兵は各地方から選抜する」という方式である。
小部隊を率いるのは士官学校卒の者達。そこで才を認められるか武功があったものは順次出世していく。
俸給は給料制。大部隊長以上は領地が与えられる。ようは貴族となる。
「後方支援部隊のほうも、訓練は進んでおります」
顔を白い布で隠している大谷が発言する。
「補給・後方支援専門の部隊を設立せよ、と言われた時は驚きましたが、確かに必要ですな。
 大きな規模の行動には、まさにこの部隊が命運を握っていると言っても言い過ぎではありますまい」
現代の知識を持つ秀次には「補給=勝利」という考え方があったため、大谷に命じて後方支援専門部隊を作られていたのだ。
「わしのほうは、なかなか進んでおらぬでな。申し訳ないことじゃが・・・」
黒田が秀秋を見ながら言った。
「黒田様のほうは、やはり人がいませんか?」
「うむ、竹中半兵衛殿やわしのような考え方を持った人間を集め、戦略を決定し戦局を動かす・・・そのような部署を考えたこともなかったしの」
基本、軍師は軍に一人である。優秀な軍師はそれだけで全軍を勝利に導ける。
秀吉に竹中半兵衛がいたように。
今川義元にかの黒衣の宰相がいたように。
それらの才を集め、師団を効率的に動かす部署を作れ、といわれたとき、黒田は思った。
(俺一人で十分だろうに)
が、確かに史上空前の規模で動かす時・・・大坂の陣の時のように・・・全軍の頭脳は必要かとも思う。
(が、それほどの才を持つものはそうはおらん・・・直江殿は大部隊長になってしまったからのう)
ようは彼の仕事は自分の後継者を多く育てよ、ということだ。
育てるにしても、まずは才ある人間を見極めることから始めなければいけない。
士官学校内の生徒から、軍略・戦略において才を発揮する者を。
「・・・ま、気長にやらせて頂く。わしのほうは講義をしながら人を見ているだけじゃ。予算は別にいらんですわ」
「私のほうは、これより本格的な訓練に入ります。馬、鉄砲、大筒、槍に火薬などをよろしくお願いします」
直江が秀秋に頭を下げる。
秀秋はそれを書き取っていき、手配していくのが仕事である。
「こちらのほうはより大量に、より迅速に兵糧や武具を運べるように様々な手段を講じているところであります。
 願わくば、海軍と合同で資材の輸送訓練を致したく」
大谷からの提案も書き留めていき、必要な資材や海軍との調整を検討する。

「わかりました。ではそのように」
そう言って秀秋はまとめる。
基本的に秀秋は事務処理能力は高いので、これくらいなら円滑に届けることが可能である。



豊臣秀秋。豊臣四兄弟の三男。
優れた事務処理能力と穏やかな口調と雰囲気で様々な調停や問題ごとの解決にあたった男。
彼が日本軍の開設に深く関わっていたのは、少し不思議である。



豊臣秀秋(とよとみの ひであき/とよとみ ひであき)は戦国時代(室町時代後期)から安土・豊臣時代にかけての武将・戦国大名。「豊臣秀秋」の読み方についての議論に関しては「豊臣氏」を参照。


概要
兄である豊臣秀次に引き立てられ、国政に関わっていく。
豊臣秀長の所領を継承し、「大和中納言」と呼ばれた。
朝廷や寺社との交渉や接待、対応などを主に行っていたとされる。

半生
朝廷や寺社との交渉以外に、仕官学校や全国学校に関する事務のトップでもあった。
「国軍創設の陰の立役者」と呼ばれる。
本人は戦場に出た事はなく、あくまで事務方として一生を過ごした。

人物
・誰からも好かれる穏やかで穏和な人柄だったという。
・幼少時代より宮部継潤に学び、多くのことを吸収した。
・中々結婚しなかったが、結婚後は妻のみを側に置き、側室などは持たなかった。

辞世の句
伝わっていない。
最期を看取った重臣の書に「下手な歌しか作れぬし、それが後世に残るのは気恥ずかしい」と病床で答えたとの記録が残っている。


あとがき
Q.クリスマスに何やってんの?
  どうせ仕事なんだよ。息抜きだよ。
  
えー、あと豊臣家模様は3~7まであります。
更新は気が向いたらw



[4384] 外伝~豊臣家模様3・秀頼~
Name: そる◆388a5b68 ID:13b89fe6
Date: 2013/04/30 05:46
豊臣四兄弟の末弟、豊臣秀頼は複雑な生い立ちである。
母は故太閤秀吉の寵姫、淀君。
父は豊臣秀吉……ではなく、淀君の乳兄弟であった大野治長である。
つまり、不義の子という事になる。
彼は生まれてすぐに、政争の道具となった。実の母の手によって。

結果として、彼の両親は謀反人として処断され、この世を去った。
その後は秀吉の正室であった寧々の手元で育てられた。
彼が秀吉の実子ではないと言う事は、公式に発表されている。
そうしなければ、誰かが秀頼を担いで再び騒乱の種を撒かないとも限らなかったからである。

不幸な生い立ちの少年は、それでもまっすぐに育った。
実子がいなかった寧々が我が子のごとく可愛がった事、そして秀次が「秀頼は血は繋がってなくとも我が甥である」と公言していた事もあり、
彼は謀反人の両親を持ちながらも、幸せに育った。

秀吉の母である大政所もその愛情を分け隔てなく注ぎ、秀次の兄弟である秀勝、秀秋も年の離れた弟を可愛がった。
後に秀頼は「我が母は寧々であり、父代わりは叔父の秀次であった」と周囲に語ったと言う。

成人を迎える前に出家していた秀頼は当代随一の学僧や、細川幽斎、古田織部などに師事し芸術方面にその才を見出していく。
天皇や公家の連歌会でその腕前を披露し、若くして茶の湯の名人として名声を確立していた。

史実の通り、立派な体躯に成長した彼を見て秀次は「武芸もやらせておけばおもしろかったかも」と漏らした事もあった。
最も、穏やかな性格の彼には武芸は似合わなかったかもしれないが。




彼は生涯一度も実の両親の墓前に立たなかった。
秀次も寧々も何度か勧めたのだが、その人生においてただの一度の墓参りすらしなかった。
そして、彼の口から実の両親について何か語られた事もない。
彼にとって家族とは寧々や秀次であり、物心つく前に自らを政争の道具とし、尊敬する兄の腹心を自害に追い込んだ自らの両親を生涯許せなかった
のかも知れない。



あとがき
書籍の発売日が決まったので記念に外伝を……と思ったのですが、秀頼書く事ないわw
と言うわけで稲姫もついでにアップします。

書籍の発売日は5/24。amazonで既に見れるようになってますので、ぜひ一度ご覧下さい。



[4384] 外伝~豊臣家模様4・稲姫~
Name: そる◆388a5b68 ID:13b89fe6
Date: 2013/04/30 05:46
関白・豊臣秀次は定期的に休暇を取る。
天下人であり日本の最高権力者である秀次だが、口癖が「働きたくない」であり、ことある事に「息子が元服したら隠居する」と口にする。
そんな秀次だから、連日休みなく働くなど考えた事もなく、勝手に「十日に一度は休む」と宣言して休みを取っている。
通称、稲姫休暇である。

正妻の稲姫と秀次の仲の良さは結婚当初から変わらず、関白になろうがそれは変わらない。
側室の甲斐姫、駒姫との仲も良いが、やはり秀次にとっての妻は稲姫なのである。
休暇の目的も「稲とだらだら過ごしたい」なのだから。

迷惑なのは重臣達だが、秀次は休暇に関しては押し切った。
「内向きの事は田中吉政、軍事の事は舞兵庫か立花宗茂に、公儀への相談や訴えは山内一豊に、それでも判断できなければ大老である徳川殿に
話を持って行け。いちいち全てを俺が判断する必要はない! 後で報告だけ上げてくれ、問題あるようだったらそこで言うから」
要は丸投げである。領地経営といい、天下の事といい、秀次は自分一人でやる気はまったく無かった。

(全体的な国家像だけを俺が提示して、現実を見る徳川殿が中心になって作っていくだろ。資金はあるんだから、多少の無茶も効く。
 何より毎日仕事ばっかじゃ俺の身がもたん。俺に必要なのは稲だ。定期的に稲成分を補給しないと動けなくなるからな)


こうして「稲姫休暇」の日、彼は一日奥で過ごす。

午前中は稲姫と朝食を取り、稲姫の膝枕で耳かきをしてもらう。
ちなみに秀次の耳かきは稲姫しか出来ない。側室含めた三人の暗黙の約束事として、耳かきだけは稲姫がする事になっているのだ。

「はい、旦那様。終わりましたよ」
「おっ、あんがと、稲」

耳かきが終わっても秀次は膝枕から起きない。
気持ちよさそうに眼を閉じている。

稲姫も秀次の頭の重みを膝に感じながら穏やかに微笑んで秀次を見つめている。
結婚当初から変わらない二人であった。


昼食は大体、側室の二人を含めた四人で食べる事が多い。
にこにこと明るい駒姫がせっせと椀にご飯をついで秀次に渡す。
それを微笑ましく見ている甲斐姫。

(なんつーか、凄い幸せな環境にいるよな、俺)

そんな事を思いながら昼食を食べる秀次であった。


昼食後、三人と共に茶室までの道のりを散歩しながら、様々な事を話す。
大抵は嬉しそうに喋る駒姫に他の三人が答える。
茶室で四人でまったりをお茶した後は、それぞれ自らの部屋に帰っていった。

風呂好きの秀次は夕食前に入浴する。

「旦那様、お背中を流させて頂きます」

そう言って稲姫が共に入って来る。
子供を産んだとは思えないプロポーションの稲姫の裸体に、秀次は今でもどきまぎしてしまう。

背中を流して貰っている間、我慢できなくなった秀次が稲姫を抱き寄せ、いつもより長い入浴になってしまった。


夕食はその日共に床に入る姫と取る。これもいつからか出来た暗黙のルールである。
稲姫と共に夕食を取った後、秀次は寝室に稲姫を誘った。


「旦那様、稲は幸せです。ずっとこんな日が続いて欲しいと思っています」
「続くさ。もう戦もない。俺はずっと稲と一緒にいるしな」


なお、この「稲姫休暇」の間、田中吉政や山内一豊は普段より忙しい。
次の日、秀次が公務に戻った時には山のような書類が待っているのはいつもの事である。











あとがき
正妻・稲姫との物語でした。
稲姫って史実でも美人で性格が良いと伝わってるので、きっと凄くいい妻だったんでしょうね。


書籍の発売日は5/24。amazonで既に見れるようになってますので、ぜひ一度ご覧下さい。
ちなみに絵師は「皇 征介」さんです。




感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.030839920043945