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[43975] Y=NTR×(ワイネトラレイヤ)~NTRゲー風の異世界で弱男が陸女の恋路を死守します~
Name: つくも◆4a7702b0 ID:75a4f467
Date: 2023/03/13 08:16
『奇跡をあげるから、奇跡を起こして!』

歩道橋の階段から転げ落ち、現実によく似た港町『狭間市』へ転移した薄毛の青年『Y(ワイ)』。彼は街に呼び込んだ張本人、ドット絵の少女『ネトリ』に頼まれ、女子陸上部のエース『真挿・玷(まがさし・かける)』とその幼馴染である『振内・純(ぶれない・きいと)』の仲を取り持つ『間漢』になる。

 しかし二人の仲を取り持つ前に間隙を縫うようにして、狭間市の有力者である陸上部のコーチが玷にちょっかいを出してくる。それを見てYはネトリにインストールされたスマホアプリ『トリガー』を駆使し左腕と髪の毛を失うも無事に撃退。
 これにて一件落着かと思いきや、玷が学校に伝わる伝説の一つである不幸の象徴『間像(まぞう)』に触れてしまい、NTRゲー特有の間男(まおう)たちが狭間市に解き放たれ世界の法則に抗えない玷の心をもてあそんでいく──。

 盲目のホームレス、段取り重視のチャラ男先生など。『間漢』が他人のため全てを犠牲に『間男(まおう)』をやっつける!
 すべての薄毛族に告げる……現代風ファンタジーY=NTR×(ワイネトラレイヤ)開幕。

【NTR】・・・この世界では好きな人を第三者にとられることを指します。BSS込みです。そして15禁です。

小説家になろうさんにもとうこうしています。



[43975] プロローグ 臨死“経験”
Name: つくも◆4a7702b0 ID:75a4f467
Date: 2023/03/12 10:12

 世界には法則がある。
 生命は生まれ堕ちた瞬間から死の淵へと向かっていく。スタートからゴールまで、の法則だ。

 それが一直線であろうが曲線を描こうが点と点は絶対に結びつく。
 仮にスタート地点で盛大にズッコケてしまっても、始まれば『結果』にたどり着くようになっているんだ。

 そしてもう一つの法則。
 走り出してしまったのなら、スタートラインへ『かえる』ことはできない。例え他人より幸せになれない『結果』だと分かったとしても、レーンは一直線だ。
 撃ち込んだ銃弾が戻れないように。抜け落ちていく髪の毛が頭皮に戻らないように。

 もしも法則を歪め未来の『結果』を変えたいのだとしたなら。
 もしも法則を歪め過去へ『かえる』のだとしたなら……。


『──Yさんって、初めて話しましたけどケッコー“軽い”ですよね』


 ご機嫌に酔っぱらいながら発した女の言葉がアタマの中で響きわたっている。

 会社での飲み会に誘われた夜、俺は二次会から逃げるように店を去り駅前の喧噪から離れた歩道橋の上で手すりに寄りかかって夜景を眺めていた。

「くっそぉお゛……」
 
 口を閉じたままうめくように声を上げ、突如として沸き立つやるせない気持ちを腹から吐きだす。

 “軽い”ですよね?
 “かるい”……ですよね?
 カルイ……デスヨネ……。

 ときたま聞こえるハイブリット車独特の乾いた人工音、かすかに聞こえる踏切音が一定のリズムを刻み、そして消える。
 この静けさだ。この静けさがいけない。繰り返しやってくるこの穏やかな静けさが。

 俺はその静けさのせいで胸の奥に刺さった言葉が残ったままだ。

「悪いのかよ……」

 軽い。
 もちろん体重的な意味じゃない。立ち寄って、歩いてきた『道筋』が軽いんだ。あっちへこっちへ浮ついて、人としての『厚み』という足跡がなければ、絶対にゆずれないという『芯』もない。男としての魅力ゼロ♡。ザコザコ社会人♡ 

 何度も言われてきたことだ。
 つまりこの世界でいう適切な言葉としては、ヒトという種のなかでももっとも価値のない『弱者男性』にあてはまる。生まれの環境などで絶望的なまでに他人より走るのが遅いヒト。

 ひねくれてるわけじゃない。実際に同い年くらいの……三十近くになる人で結婚してたり恋人がいる人間ってのは明らかに活気というか……生きるエネルギー量が違うんだ。ただまっすぐどしん、と進んでいく意志を感じる。
 ふところの中にたくさん守るモノがあって、そのために生きている全うな強者。生まれながらにして、俺とは違ってどう生きていけばいいのか理解している。

 小学生のときから何故か他人の気持ちに触れるのが怖くてツラくて、でも友達という関係を保っていたいから俺という人間性に歯向かいながらがむしゃらに駆けまわって人と接して生きてきた。
 けど、やりたくないことを一生けん命にやったとこで良いことは何もなかった。誰にでも良い顔をしている俺を気に食わないと他人に拒絶され、自身も心と体のバランスを崩してしまい髪の毛が薄くなってしまった。

 複雑な異性関係なんてのも今更ムリゲー、そもそも恋愛対象に含まれないベリーハード……前向きな言葉とおどけた態度で接して薄暗い性格を隠していても女性は見抜いてくる。
 ただ死ぬためだけに生きている俺を。他人に合わせて生きているだけの俺の本性を。さっきの飲み会でもキツいのに、俺が言い訳探しのとんだ甘ちゃんだってのが知られてしまったのなら、どれだけの精神力を消耗するのか……逃げてしまえば楽だ。

 そう、本当は分かってた。
 俺は人生を生きてきたんじゃない。逃げてきたんだ。大事なモノから目をそらして。

 だからと言って、俺も毎度毎度こんな後ろ向きなわけじゃない。もう三十近いんだし、隣のレーンで走っていくヒトを冷静に見つめて応援するくらいの気持ちはある。
 いい加減な言葉が飛び交う飲みの会で他人の発言をいちいち真に受けてる俺がおかしいんだ。独身でいると周りに対してカビンになってくるのかもな。なに、ちょっとすれば情緒も安定してくるハズさ。

 他人というのは見てないようで意外に見てるが、見てるからと言って興味があるわけじゃない。俺に対してはそうさ。
 深く気にしてても仕方ない。気にしてたらこの年齢まで生きてないし、これからだって生きていられない。

 ただ生きてくのに理由なんて要らないのだから──。

 『ヒーローになるんだぞ、Y』

 このままマイナス思考のドツボにハマりそうな時、ふと父さんの声がよぎった。
 小さい頃、遊びにいったどこかの浜辺で先行く母さんを見届けながら、逆光で表情の隠れた父さんは俺のアタマを撫でた。
 何のハナシで俺にヒーローになれっていったのかは忘れたけど、あの頃はどんな景色よりも輝いていた気がする。

 ヒーロー。ヒーローって……。
 
 俺のヒーローは人生のヒロインとあっさり別れて、俺をサラって俺を知らない土地の学校に転校させた。ずっと思い入れのあった秘密基地という名の家からは引っ越して団地住まい。やってることは悪党もいいとこだ、と子供ながらにあの人がイヤになった。
 今思えばイロイロ大人の都合ってのがあったのにノリが悪かったと反省してる。新しい場所での新しい出会いを『きっかけ』と思えていたのなら、人生が変わっていたのかもしれない。
 
 もう、過去を責めても前に進めないんだ。
 俺みたいなヤツは深く考えないでテキトーに生きてりゃいい、フツーを目指してな。生きるための信念だとかヒーローの条件なんて難しいハナシは、マンガやゲームの主人公が代わりに見つけてくれる。可愛いヒロインが寄り添ってな。

 俺は平和歩いていたい。誰も傷つけたくないし、傷つきたくない。こうやって歩道橋から見下ろして、どこかへ向かう走者を眺めてるのが俺の人生──。

 ぅゥウウウウン……
 ぅゥウウウウンン──……

 ポケットから振動が伝わってくる。くそ、先輩か。
 あぁ面倒くさいな、二次会に誘うときはホンっとしつこい。ムシだムシ! もう今夜は帰って寝るぞ。イヤな気分を忘れたいんだ。

 俺は深くため息をついて、ふらつく足取りで歩道橋をわたり階段に足をかける。

 ぅゥウウウウン……
 ぅゥウウウウン……

 まだ鳴ってるよ。
 ま、スマホのマナーモードなんて気づかないことも多い。最悪「寝てました、すんません!」で通せる。言い訳なんてどうとでもなる。ウソにウソを重ねるのだけは得意なんだ。

 ぅゥウウウウンンン゛──……!!
 ぅうンウンウ゛ウ゛ン゛ン゛……!!

 おかしい。どんどん強くなってる。
 生き物みたいな独特のリズムだ。バイクふかしてんじゃねぇのかってレベルだぞコレ!?
 
「なんだよ、クソ!」

 羽織っていたコートに手を突っ込みスマホを取り出す。

「……え?」

 名前の表示が文字化けしてて読めない。非通知とかならまだしも、なんだこれ。
 米印やら得体のしれない造形文字ばっかじゃ──。

「あ゛……っ」

 一瞬だった。
 よそ見スマホをしていたら、踏み下ろす距離間違えた。

 しかも、これ……ヤバ。
 前に倒れ……!

「あ……ぁ!」

 助け──。

 せめてもの抵抗で俺はとっさに眼を閉じると、倒れる前の顔面にあたる風圧を感じつつ頭部への衝撃を『きっかけ』に世界から意識を絶った。

プロローグ 臨死“経験”



[43975] 一話 オン・ユア・マーク
Name: つくも◆4a7702b0 ID:75a4f467
Date: 2023/03/12 10:13

 からぁん、かららぁん──。

 どこからともなく聞こえてくる乾いた鐘の音によって、俺の意識は世界にかえってきた。
  
 目を開けば薄雲ひとつない快晴の青空が広がっていて、同時に差し込んでくる強烈な直射日光が俺の目をくらませた。 

「あっづ……」

 たまらずギュっと俺は目を閉じる。
 なんだよ、朝になってんのか。ひょっとして、もう昼すぎ? 今は何時なのか分からないが、寝過ごしてしまった時の不安な気持ちと、どうにもならない体の倦怠感がせめぎあっている。

 俺はどうなった。何があったんだ。
 飲み会の後、何もかもイヤになって歩道橋にいたとこまでは覚えてるけど……ぶっ倒れたままか。

 熱い……全身が焼けるようだ。
 目を閉じててもまぶたの上からまぶしい太陽光線が降り注いでいる。
 頭痛が過去一ひどいし、目が回ってきて吐き気もしてきた。

 何か思い出そうとするたびに目の奥の鈍い痛みが一定間隔で攻め立ててきて、気力が削られる。

 なんにせよ、お外で一夜を過ごしてしまったみたいだな。
 どうせ会社には間に合わないし、どのみち俺の体は出勤モードに変わってくれそうにない。
 連絡がつながらなかったら俺ん家に安否確認しにくるんだろうか? 部屋も片付けてないし、会社が契約した部屋だからスペアキーで入られでもしたら、あられもないマイルームをのぞかれてしまうではないか。
 あっ、でも今日は出勤の振替休みだっけ……いや明後日か。いやぁ、考えるのめんどくせぇし、あったまいでぇ。

 じぃじぃじぃ……。

 どこからともなく聞こえてくるセミの大合唱がアタマに響いて割れそうだ。

 セミ? セミだって。
 うそだろ、もっと山奥ならともかくこの時期に鳴いていていいもんじゃない。
 それに、さっきから妙だと思ったが気のせいじゃない、ほのかに潮の香りもする。俺は山にいるのか、海にいるのか、現実にいるのか? はたまた夢でも見てるのか。
 
 もしくは酒呑んでやられた脳みそが幻覚を……? 
 その答えを知るためにもさっさと目を開けて確かめればいいだけのハナシなんだけど……。

【おーい、死んどるのかー】

 あどけなさが残る女の声だ。おそらく子供だろう。フリー素材のデータから引っ張ってきたようなザ・女の子みたいなキレイすぎる声だもの。
 わざわざ倒れている怪しい酔っ払いに優しく声をかけてくれるなんて……まだまだこの世界は捨てたもんじゃないな。
 
 でも、だからこそ──

「大丈夫……ほっといて、ください……」

 みよ。
 コレが酔いつぶれた大人の全力返事だ。さすがに子供を利用してタクシーだの救急車だの連絡させるのはいたたまれないからな。
 別に子供だって確証はないけど、親御さんが近くにいようもんなら面倒に面倒を重ねる事態になるし、善意に対して申し訳ないが追っ払ったほうがココは正解だ。
 
【いーから起きろー!】

 ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛んんン──

 あんま器なみの強力なバイブショックが脳天を突き抜けた。

「オ゛ッ! それ吐グ゛ッ!」

 悪酔いしてダウンしていたところに俺の脳は縦横無尽にゆさぶられ、うーうーとうなって警戒していた胃液逆流警報により、脳から緊急指令を出し上体を強制的に起こす。

「くっ……──」

 視線を落とせども衰えない太陽光の反射に目がつぶれそうだ。
 俺は腕を上げて陽をさえぎってからおそるおそる目を細めながら開いた。

 ここは……

 どうも古民家が建ち並ぶ道のど真ん中で寝ていたようだ。正面のはるか先は急な下り坂になっていて、透き通る海といくつも停泊している船にソレを迎え入れる港が視界に入る。
 
 わー、こりゃ味のある街並みで……じゃない!

 え? どゆこと?
 残暑が去っていく時期なのに、夜が明けたらサマーシーズンが再到来かよ。内陸にいるのに海が見えるってのも変だ……ここどこだよ湘南のどっか? 
 
「つーか熱っ!」

 熱せられたアスファルトに考え事をさえぎられ、反射的に手を跳ねさせる。

「あっやべ……」

 さっきの脳内バイブ攻撃でスマホを地面に落としていたようだ。
 はやく拾わないと高温で使えなく──。

【あーあー、どんくさいぞー。スマホがやけどしちゃうー】

 だるそうにブーたれている声がまたした。
 そういや、さっきから聞こえる声はなんだ。スマホから聞こえるみたいだけど……。

 落としたスマホを拾いのぞきこんで見ると、画面のど真ん中にドット絵で構成された白いワンピースの娘が怒りマークをアタマに浮かべピコピコ音を立てていた。
 レーダー上の背景のままそのドット娘はジト目で両腕を上げたり下げたりするえらく単調な動きで感情を表現している。

 メッセンジャーアプリの機能みたいに画面下には吹き出しがあって、そこには彼女のセリフだったと思われるメッセージが発信されていた。

【助けてあげたのに失礼な『ハゲ』だなー】

 『ピロン』、と電子音が鳴ると先ほどのメッセージが消えて新しいセリフが吹き出しに描かれれる。
 
 つーか、ちょっと待て!

「まだ『予定』だから! 『まだ』髪に見捨てられてないからね!」

 いちアプリでしかないとは言え子供相手に無茶な言い訳だと分かってはいるけど、無えんりょな子供にはきちんと説明しておかないと、すぐ蔑称を名前呼びにする。

【なんだって、それはほんとー? 気の毒だなー……】

 まったく感情のこもってないなぐさめだ。一滴も心にしみてこないぞ。壊れたコンピュータのたわごとみたいに無意味な発言だ……。

「まぁ、別に気づかいはいいよ。第一印象は見た目だってのはしょうがないもんな」

【それは……気の毒になー……】

「くりかえすな」

 文末に大きな水滴マークがおまけでスタンプされている。
 土足で心を踏みにじる子供め。っていうか、こども、だよな?

 この娘はなんだ、何もんなんだ。何とかチュウバーってのとはちょいとビジュアルが古すぎるし、落とした衝撃で変なゲームアプリでもインストールしちゃったのか……。
 それにこれ、似てるけどよく見りゃ俺のスマホじゃないぞ……。落としたりして欠けてる部分がきれいになってる。
 どういうことだ。失くしたならまだしも、別のスマホに『入れ替わってる』なんてコトあんのか? 俺のスマホが他人の手に渡ってるのは困るぞ。
 キャッシュレス決済は出来ないかもしれないが、それよりもブックマーク見られたら人生終わりなんだが。

【すぐ黙る男だなー、よく聞けー……】

 カオスな状況にテンパっている俺を察したのか、人間……のようにドット絵でへの字を浮かばせ笑顔を見せた。

【ワタシさまは狭間(はざま)市の秩序と平和を守るナビアプリ『ネトリ』だー】

「はぁ、ね……とり?」

 なんと……誤解をまねく名前だ。

【ほれー、これが狭間市のデータだぞー】

 自己紹介するネトリの隣に航空画像データが表示され、自動的に画面いっぱいに拡大された。
 なんだよ。山と海に挟まれてんじゃないか……。電車とかの新幹線の路線みたいなのは……なさそうだな。

 山を切り崩したセンスというか扇? みたいな地形に、海岸に沿って造られた港の街か。漁業がさかんな街ってことならそれなりに場所を絞れそうだけど……。
 
 こんな街、知らないぞ……。
 もっと細かい地図を見ないとなんとも言えないけど、他県につながる道が山々に囲まれていて見当たらない。
 港から江の島とか初島とかが遠くに見えたりすれば、あるいは家に戻れるかもしれないけどそもそも関東圏ではないようだし。間違いなく一夜でたどり着ける距離なんかじゃない。ましてやスーツに革靴じゃあ物理的に不可能だ。

「……ネトリちゃん? でいいのかな。具体的にさ、日本のどの辺りなのか教えてくれない? 俺、スマホ失くしちゃってさ」

 あのフリー音源から引っ張ってきた安っぽいポップなBGMを流れると、ネトリは淡々と足踏みする。

【それにねー、AIとうさいのちょーぜつハイテクさまで、マップ探索にオジャマ虫アラーム、ケンカど素人でも使えるバトルサポート機能とカレンダーに対応した記憶連結システムなどなどを引き出せるアプリ『トリガー』と連動してる有能司令官さまなんだぞー】 

「……」

 なんだ、このクソアプリ。話が通じないぞ。
 ウダウダとジマンしてるがうさん臭い名前のもんばっかじゃないか。学生とかは面白がるかもしれないけど、これじゃ、広告タップしてダウンロードしたクソゲーアプリ並みだな。少しワクワクしてたのに、あほくさ。

 なんだか分からんが、やっぱり落とした拍子に変なアプリでも入れてしまったのだろう。流行りのウイルスアプリなんだろうか。どうやら範囲外の質問は受け付けないらしい。このスマホ自体も使い物になりそうにないな。

 俺はそっとズボンの後ろポケットに手を入れる。サイフの確かな手ごたえがそこにはあり、とりあえずはホッと安堵する。

 いよいよ土地勘がない、とか言ってる場合じゃない。この歳で迷子の上に遅刻なんて最悪だ。今どきの学生でもしないってのに。公衆電話を探して会社に連絡しておかないとマズい。幸い六時ちょっと過ぎだ。まだあわてるような時間じゃない。
 ムダかもしれないが、念のためこのスマホ自体の電話機能も試してみるか。

「……くそ」

 スマホを見た感じ……航空画像やネトリとかいう女の子をタップしてみても何も起きない。中途半端な音声認識で操作するぐらいしかできないのか?
 どうやってもホーム画面に戻れない。拡大縮小もできない。コイツさっきマップ探索に長けてるみたいなこと言ってなかったか。使い勝手悪すぎんだろ。

【チッチッチ。『必要』な時に『必要』なモノを提供するだけ。それがワタシさまのスキルなのだよー】

 んあ~不必要なアプリを消すモノが欲しいなァ~ッ

 だんだんこのゆる~い感じの受け答え、無性に腹が立ってきた。こちとら無断欠勤になるかもしれない瀬戸際だってのに、他人に俺の性癖をのぞかれてしまうかもしれないのに! ことの重大さをAIは理解できないようだな!

「ウイルスソフトのクセして調子に乗ってんじゃない! 普通のスマホアプリの方が有能だっての」

【はぁー、ウイルスじゃないってばー『ネ・ト・リ』。何一つ試してさえもないのに、すぐキレるんだからハゲはー】

「まだハゲじゃねぇ! つーかYって名前あるんだよ! ちゅーか! 何一つまともに機能しないんだよ! このヘルプ以下が! 緊急電話ぐらい使えるようにしとけ!」

 俺はビッと指を画面に指すとネトリは線状の目になって、その目じりからは一ドット分の雫をぽろぽろこぼし始めた。

【ひどいー、『ワニ』は女の子にざんこくなこと言うなー。モテないぞー】

「ワニじゃねぇY(ワイ)だ。二文字なのに間違える手間をとるな」

【やる気なくしちゃったからだぞー。ワタシさまの機能はすべてモチベーションに直結しているー。クエストに適した人材だと思って転送してやったのにー……】
 
「機械がメンタルヘルスか。ジョウダンも休み休み言え」

 気づけばアプリごときに怒りの矛先を向けてため込んでいたものをぶちまけていた。

 にしてもこいつ、クエストだのバトルだのゲームのチュートリアルみたいな機能説明だな。現実で使えそうにないワードばっかなのに。
 この何もかもつじつまが合わない状況に合わせて、まったく見覚えのない場所。んでポンコツAIファミコン娘が俺を選んで『転送』させたってまるで……。

 まさか。転……。
 そんな、まさか。

 ま……さか……。ありえない。
 ラノベだとかアニメも見たりはするけど『アレ』はフィクションで……そんな。

【まー、ずっと混乱されても困るし『必要』みたいだから答えてやるかー】

 ──ドクン。
 
 期待していたわけでもないが、心臓の鼓動が高鳴った気がした。
 俺がちょうど『ある』答えにたどり着いたとき、ネトリのだらしない口調が少し真面目寄りになって緊張感が漂いだす。

「な、何をだよ」

 答えは知っているのに、俺はしらじらしくもネトリに問いただす。

【Yー、悪いけど元の世界に帰すわけにいかないんだー。ワタシさまが『重大な目的』の為にこの世界に転送させたからなー】

 やっぱり……そう……か。『転送』か。聞き間違いじゃない。
 これが……異世界転移なのか。
 
 他人が別世界に行くだけなら他人事だし、眺めるなりプレイするなりエンタメ感覚で満たされてたものだけど、俺自身がこうなると……どう感情表現していいのか。何の覚悟もなかった。もう、帰れないのか……。

 いや、これでいい。心残りなんて、何もないだろ。
 新しい場所に、新しい出会い。『きっかけ』ってのはこう唐突にくるもんなんだ。肝心なのはこれをチャンスとして行動できるかだ。

 このネトリってアプリが何なのか、それは大した問題じゃない。
 大事なのはどんな時もテンパらず、冷静に事を運ぶ。そうすりゃ第二の人生をやり直せるんだ。これはきっと神様の気まぐれが生み出したスキマに違いない。
 
 幸せになれる権利を、俺は今つかみかけている。

「何を……すればいい」

 もっとも、バトルだ探索だ言ってたくらいだ。魔王だの神だのと戦うことになるんだろう。いいさ、なんだってやってやる。
 『俺自身』の力だけで敵をやっつけて、証明してやるんだ。この『世界』ではすでに俺という存在がいるだけでも特別。あの現実よりも努力が確実に報われる、もっと甲斐のある『何か』が手に入るはずだ。

 『幸せ』に──。

【あれー、ずいぶん素直になったなー。ハナシが早くなるからありがたいけど】

「……だから何をやってほしいんだ」

【うむ、潜入任務で超超高難易度のS級クエスト……】
 
 ああ、だからなんだってんだよ。じれったい!
 前置きをタラタラされんのは昔からイヤなんだよ、せっかちでさ。

【そーれーはーなー……】

 まさか生唾を呑むなんてほど、相手からの返事をいまかいまかと待ったことなんてない。

【──ある女子学生の想いを成就させてほしいんだ】

 ………………。

 …………。

 ……。

「……ぉぁ?」

 ふぬけた声だ。
 声にもならないくらい小さな一言。
 
 言葉ですらない、何かの拍子でちょっと声帯が震えたぐらいのただの人体が起こした誤作動の音。

【いやなー。真挿・玷(まがさし・かける)っていう十七歳になったコなんだけどさー。アイツが気になってるヤツがモテモテ過ぎて近寄れないみたいなんだよねー。恋愛相談をしてやってキューピットになってやることが大事だと思うんだー。ちなみに相手ってのは幼馴染の……】

 なにか、ネトリが何かごちゃごちゃ言ってる。うるせぇ、知るか。
 脳内の処理がやっと追いついてきたのに、また引き離されたぞ。

 そうだん? なにそれ。
 婚活コンサルタントになれって……そゆこと?
 俺だって婚活したいのに。異世界にまできてさ。

「やだよ」

 感情や理屈でハナシを呑み込む前に、俺の口から返事が先走っていた。

【なにィィイイイ!!】

 いままで平面だったネトリの表情が立体の濃ゆい迫真顔になってスマホの画面に顔を押し付けている。

「よそ様の恋愛事情に首突っ込むもんじゃないだろフツー」

 しかも学生だろ、十歳下ぐらいの離れた。
 俺が相談にのるって、パパ活か。近寄るだけでも金のやりとり疑われるわ。

 もっと、世界を救うほどの大きな使命を期待してたのに……。

【フツーじゃない事態になってきたからYを呼んだんだぞー! 護衛任務って言い換えても過言じゃないんだー】

 モノは言いようってヤツだな。でも──。

「『この状況』以上にフツーじゃないことあんのかよ。ならわざわざ俺じゃなくても警察に通報なりしとけば解決できるだろ」 

 うぅっ、とんだ肩透かしだ。
 寄りによって異性の恋バナに付き合うとは。上辺でしか話してないヘタレ経験しかないのに。一番関わりたくない案件じゃないか。
 せっかく体調が落ち着いてきたのに、異世界に召喚された理由を聞いたら頭痛がぶり返してきたぞ。

【玷を狙ってる学校の体育教師、狭間市の栄誉市民になるスゴいヤツなんだー……力も、権力(ちから)の方もある有力者なんだぞー、事実だってもみ消される……他の世界の……『法則の外』にいるヤツじゃないと太刀打ちできないんだー】

「あぁ?」

 法則の外? 現実から来た俺のことか。

 ネトリは画面から顔を引っぺがし再び味のあるドット絵に戻ると、隅に残っていた狭間市の航空画像から、身長二メートルはあるニコやか筋肉隆々マッチョマンのヘンタイ画像に差し換わり自動拡大される。

「なんだよ……」

 俺はスマホの画像に注目する。

 自信に満ちてる表情とポージングをした男だ。そう評価せざるを得ないシンプルな写真。
 『努力は裏切らない』ってのを体現したような自然な筋肉の仕上がりで、もともと優れた遺伝子をもっていて、それをどう活かせばいいのか子供の頃から分かっていたんだろう。ザ・ヒーローって肩書が似合いそうだし、精悍な顔つきでモテそうだな。
 しかし今のハナシを聞いた後に見ると、服装がタンクトップに赤ジャージのパンツって見慣れてるけど……いかにもやらかしそうな教師のイメージがあるなぁ、俺の偏見だけど。

【コイツが最近、玷のいる陸上部の顧問になってなー、玷にセクハラしてるんだ……いたいけな彼女の心と体を守ってほしいー。玷が学生らしく『誠実』な恋愛活動にいそしめるように……それが狭間市の平和と秩序にもつながるんだぞー】

 まぁ、魔人でもなんでもない性犯罪者が相手だけど彼女を守るって響きは悪くない。
でも、それにしたってなぁ。

「あのな、こちとら三十路近くのいたいけな半オッサンだぞ。何ができるってんだ」

【だから最強アプリ『トリガー』を使って無双して、彼女を幸せにするんだぞー】

「だから! そうするにしても俺には彼女との接点が…ぐっ」

 なんだ、急に視界がぼやけだした。

 興奮気味に応答してたら何かがはじけたように気分が悪くなってきた……少し横になろう。ほんの数十分のやり取りで本格的に参ってきてるぞ。どっと疲れてきた。

【おーい、どうしたー『トリガー』のスキル使ってみるかー?】

 トリガー?
 ああ、ネトリがさっきいってたアプリか。

「バトル……にしか使え……っ」

 言葉が出なくなってきた。圧倒的水分不足。
 やばいな、コレかなり悪化してきたかも。

【まかせろー、日常に使える回復スキルも『トリガー』に保存されてるはずだー。はやく使用許可だせー、もしくは持ってるスマホの先を自分に向けるんだー】

 声も手も出せないんだっての。

「っ……あ……」

 ダメだ。吐き気が止まんねぇし、いまネトリのグダグダなしゃべりに付き合ってられるほど余裕ない。マズい、何か非常に『マズい』ことになってないか。チュートリアルなんか受けてる場合じゃなかったんじゃ……。

 横になって目を閉じても血の気が引いてくのがわかるし、呼吸も荒くなってる……二日酔いじゃなかった……これは、いわゆる『熱中症』の症状だ。年間五百人は確実にあの世へ送ってる真夏に潜む悪魔だ。

 意識がとおのく……うそだろ。近づいてきたばっかなのにもう遠くにいっちゃうのか……異世界と現実を電車感覚で往復しすぎだろ俺。

 
「──オジサンだいじょぶ!?」


 女性の声が、した。
 今度は電子的な……造り物じゃない。元気がよくて、活きている女性の声。

 ネトリがボイスチェンジャーでも使ったのかと思ったけど、駆け寄ってくる足音と安否を気遣う掛け声が『現実』の人間だと証明している。

「熱中症……だよね?! ちょ、ちょっと待ってて……」

 すると声の主がどさっ、と荷物か何かを地面に置いてからファスナーを開けて漁っている物音がした。
 救急車を呼んでくれるのかな。ありがとうございます。

 振り出しに戻ってしまったわけか。最初からネトリなんかと会話してないでどこかで飲み物でも買っとけば良かった……。
 お手を煩わせて申し訳ないけど、ここは彼女に任せて救急車にきてもらおう。異世界で税金は納めてないが、これから頑張りますから……。

「すみ、ませ……たすかりま……──」

 ぐらぐらする意識の中で、うわごとのように俺は感謝の言葉を口にする。

「気にしないで、アタシもう一本持ってるから!」

「……」

 えっ、なにが?
 
 そんな俺の疑問をよそに、声の主が明るく言い放つと俺のアタマをつかんで口に何かを無理やり突っ込んだ。

「どがぼっオ゛ッ!!??」

 なんだこれ! 何か飲まされてる!!
 激流の勢いでさらさらしたのどごし、さわやかな口当たりが襲ってくる。

 これは、あの有名な清涼飲料水の味がする某有名メーカーの『アレ』だ。
 『アレ』を喉に流し込んでいるのか!? 

 く、くるし……。呼吸するたびにエネルギーが喉の奥に入ってくる。

「一リットルくらいスポドリ呑めば治るよね!」

 いや治らんでしょ。
 もう無理、死んじゃうっ!

 ネトリは何やってんだ……ナビアプリのクセしてしゃべれない俺の代わりに話してくれないのかよォ!!

 看病するような穏やかな口調で古式な拷問をかます声の主に、優しさを感じる前に恐怖を覚える。

「いグッ! オッブ! オォオっ!!」

 汚い雄たけびがスポドリとともに吐き出る。

 キンキンに冷えてやがる飲み物が俺の口からはみ出しても容赦なく顔にぶちまけられている。必死に水分補給してくれてるんだろうけども! もういいよ、おぼれてるよ俺は!
 
 どうなってんだこの異世界……善意と殺意が同時並行しているのか。

「オッごッ!!!!」

 俺は押し込まれたスポドリのせいでむせかえったと同時に、噴水のように吐き出してから飛び上がると、せき込みつつ拷問官との距離をおく。

「おっふぉえ! おごっ けほっ」
 
 殺されるかと思った。
 一体どんなヤ……。

「たはー……ちょっとやりすぎたかな」

 その眼で捉えたのは、バツが悪そうにアタマをかいているショートボブの女の子だった。

 首元のチェック柄のリボン、ほんのり小麦色に日焼けした肌を際立たせる白いシャツ。手首に巻かれた空色のリストバンド。『DASH』とつづられた大きな筒状のスポーツバッグ。
 学生で、部活をしている子だということが容易に想像できた。

 この子。この子は……。

 ネトリが言っていたことなんて8割も聞き流していて、どんな容姿なのかもしらないのにハズなのに、俺は何をいったい気色悪いストーカーみたいな思考から確信を得たんだ。
 でも、俺の心にうったえかけてきている。

 まがさし、かける。

 腐敗した人生を送るだけの俺に課せられた『使命』そのもの。
 そう察するに十分の可愛さと生きるエネルギーが満ちた『まぶしさ』が、彼女にあった。

 「結果オーライだったね、オジサン!」
 
 そういって彼女は立ち上がり、「にししっ」と太陽のように無邪気な笑顔を俺に見せた──。

 
 一話【オン・ユア・マーク】



[43975] 二話 間男(まおう)
Name: つくも◆4a7702b0 ID:75a4f467
Date: 2023/03/20 07:34

 俺が行き倒れになっているところを荒療治で救ってくれた女学生。
 偶然とは思えない未知なる引力によって俺たちは鏡のように向かい合った。

【おー紹介の手間が省けたー。アレだ、Yー。アレが真挿……】

「うぉっ……!」

 どうやら本当に彼女が玷って子だったようだ。最高で最低なタイミングで鉢合せたな。
 ネトリが得意げに話している途中で、彼女が映ったスマホを素早くズボンのポケットにしまった。

「え、今アタシの名前……?」

 玷が首を傾げながら俺のズボンに指を指す。
 少し遅かった。ネトリはこういう間が悪い時にぺちゃくちゃとおしゃべりになるようだ。この状況でスマホから個人情報を流してたら、警戒されるのは俺なんだぞ。初対面で人の名前なんて知ってたら恐怖の対象でしかない。

 どうする……。
 言い訳は……。

「……スポドリありがとうって言ったんだ」

 おー……何の言い訳にもなってねぇ。そんなすぐにごまかすための言葉なんて浮かぶか。
 ただでさえ女学生となんてまともに話してないってのに。そもそもどうする、タメ口? は失礼だから敬語で話すべきなのか。逆に舐められるのか……?
 くそ、ネトリみたいなクソアプリだったら遠慮なく悪口はいても罪悪感ないのに。

「え、いやぁ。アタシこそ人助けなんて経験ないからやれて良かったよ、あはは」

 玷はそう照れくさそうに両手をアタマの後ろに回すと、彼女自身もクルクルと歩き回りだした。

 わー、すっごい可愛い。
 達観した感情でそう思っていればいいものの、しょせん俺は美少女に免疫のない男。つい控えめに張っている胸元とか、肉付きのいい腰回りとか邪な視線を配らせてしまう。ミニスカってのもヤバい。助けてもらってこれって俺もすでに『予備軍』ってヤツなんじゃないのか。

 最低だ、俺って……。

 しかしまぁ、俺の無茶苦茶な返しに「なにそれ皮肉?」とかキレられるかと覚悟していたが、本当に健気で良い子なんだな。

「そうだ……えと……」

 何か、何か気の利いたことを。
 って別にそんな気持ち悪い意識をもたなくてもいいんだよ、クソ!
 俺みたいな通りすがりはフツーに接して当たり障りなく話すのがベストなんだよ。

「うん」

「まぁ……あれだ」
 
 あれ?
 っていうかフツーってどんなだっけ。『誠実』にしていればいいのだろうか。
 誠実? 仕事の話をする時みたいな話し方か? 紳士的に接してたつもりだった事務員さんには当たり障りあったみたいだし、こんな考えこんでる時点でもうすでに詰んでる気がしてきた。

「──どしたの?」

 俺の卑屈的な自問自答をさえぎって、玷ははにかんだ笑みで顔を覗き込んでくる。
 あまりにも無警戒、そしてあまりにも無防備な彼女。人の善性を信じている真っすぐな瞳。彼女のそんな目を見ていると、俺の中にあった不純な心が許せなくなる。
 
「ちゃんと恩返しするので」

 ひねり出した答えが、コレな。がちがち脳みそが導き出した面白味もない内容だ。めちゃくちゃ重い男だと思われてるだろうな、恩返して。
 とことんつまらないヤツだよ、お前は。

「あっはは、なにそれ! イイね!」

 彼女は腹を抱えて笑った後、俺の顔の前にしゅっと拳を出してサムズアップする。
 ふわっとシャンプーのいい香りがした。

「じゃ、今度アタシが困ってたらさ、オジサンが助けてよ。で、おあいこ」

 彼女が「グッドアイデアー」とウキウキな表情でつぶやいている。

「はは……」

 乾いた笑いがでた。
 オジサンなぁ、否定したいけど俺の見た目じゃできないよなぁ……くそ。

 この子の曇りない笑顔を見ていると、だんだん自分への劣等感とセクハラコーチのあのニヤケ顔画像が脳内をよぎる。

 胸のうちで熱くなってるこの気持ちはなんだ。
 義憤に駆られるってヤツなんだろうか。
 それとも単なる下心か、みにくい嫉妬か。

 でもこの子に対してケガれた行いをしている人がいるのなら、報いを受けるべきだと心底思うし、この子が誰かに惚れているのなら報われて幸せになってほしいとも思える。
 それほどフィクション越しにしかみない明るく真っすぐな人に見える。少なくとも俺の人生の物語にはいなかった登場人物だ。

「分かったよ」

 約束する。
 異世界にまで来てなんで他人のカップリングに力をいれなきゃならんのか納得しきれなかったけど、受けた恩は重さに関係なく返したい。不義理な大人でいたくない。

「オッケ! じゃ、アタシ朝練だから……ちゃんと病院で診てもらいなよー?」

 そう告げてから俺の肩を軽く叩いてきびすを返し、置いていたバッグを担ぎ上げ風のように坂道を駆け上って行った。
 忙しない子だ。後ろを見ているヒマなんてないほど前向きな性格なんだ。けつまずいて足を止めている時間もないんだろう。

【──どうするんだYー。体調もノリも悪かったけど、やってくれるのかー?】
 
 ポケットにしまっておいたスマホがぶるぶる震えると、アタマの中にネトリの声が響く。

 コイツを忘れてた。
 ケツポケットから骨伝導って、どんだけ強力なんだよ。
 
「放課後とか休日じゃないと、俺はあの子に関われないぞ。いや、関わらないぞ」

 まさか用務員だの先生に変装して潜入するなんてバカなマネは出来ないしな。中途採用されるには厳しい職歴だし、住所も存在しないだろうから就職は不可能。教員免許だって取得してないのだから下手打てば逮捕されるのは俺の方が先になっちまう。
 
 こうなれば、学校付近で彼女自身か陸上部に会えるのを待って陸上部のコーチに関する黒いウワサのウラをとり、それから距離を詰めていくか。いやもしくはセクハラしてるヤツ自身に詰め寄るかして言質を取ってしまうのも悪くない。
 
 ってどっちにしてもやり口が完全にストーカー行為そのものじゃねーか。自分を正当化しているというか、正義の化身と思ってるところがヤバさ増し増し罪固め!

 やっぱ一般人が学生に絡むこと自体がムチャなんだよ。

【出待ちなんてセコいぞー、常に玷を見張れる天才的な方法があるんだー】

「天才的だぁ」

 ネトリが上から目線で妙案があると俺に話す。画面は見えないが【ふふーん】と一言添えているのでえばっているのは確実だ。

「方法って?」

 疑いの目で画面をにらみつける。

 コイツまだロクな活躍も機能も見せてないのに、よく自信ありげに作戦を持ち掛けられるよな。逆に尊敬するわ、不安の気持ちの方が勝つけど。

【Yが『学生』になって学校に潜入すればいいんだぞー】

「……」

 コイツ。


 二話【間男(まおう)】

 
 狭間高校への道筋は俺が気絶していた急坂を上り、途中【狭間高校入口】の看板が見えたなら指示にしたがい右へ道にそれて進むだけ。

「あーぢぃ……」

 暑さを演出するセミの合唱、蒸した空気と焦げたアスファルトのにおい。遠くの景色を歪めるかげろう。すべてほんの一か月前くらいに味わったものの繰り返しだ。夏をもう一か月以上体験するなんて学生の頃なら喜んだけど……しんどい。
 
 うだるような暑さに、ため息交じりに弱音を吐いてばかりだ。
 ったく、朝っつっても六時半くらいなら早朝の枠なのに湿気だの日差しだの強すぎやしないか。木漏れ日程度の弱さでもアタマがくらくらしてくる。それとも俺が弱ってるからなのかな。またぶっ倒れんじゃないかしら。

【がんばれー、ワタシさまみたいに行進をおこたるなー、いっち、にー、いっち、にー】

 ネトリがスマホ画面の地図上で狭間高校までの経路の線を現在位置に合わせてなぞるように踏み歩いている。

「おめぇのはただの足踏みってんだよ、ドラクエ野郎」

【ワタシ様は女の子だー】

 そう……聞けて良かった。

 はぁ……それにしてもホントに学生に変装できるんだったら、いっそ俺も運動部入ってみようかな。ずっと立ち仕事だったもんなぁ。こんな山道めいたトコ通いで往復すんならやる価値は大いにありそうだけど……息が上がってヘトヘトだし。

 くそ……なぜ俺はあんなムダな仕事を……。

 後悔の涙を頬に伝わせながら、緩やかにカーブする山道のコンクリート壁に沿って歩いていく。
 ちょくちょく背後から教師と思わしき人物が乗った自動車や朝の部活練習に向かう学生たちが追い越していく。その中で特に目立っていたのは、必死こいて自転車をこぐスポーツマンタイプの学生。すごいな、どっからあんな体力と気力が湧くんだよ。

 待てよ、そういや学生……服ってどこで調達すんだ。

「ネトリ……そろそろ服とか……このままでいいのか……学校も近いぞ」

 スマホを耳に当てて、通話している体でネトリに小声でしゃべりかける。
 のほほんとスーツを羽織ったまま通学してる場合じゃない。これじゃ通勤だ。

【問題ないぞー。さっきも言ったが着替え程度なら『トリガー』のお試し機能で一瞬だー】

 一瞬で着替えが終わるなんて言ってたか? いや、それよりも……。
 人目につかないタイミングも場所も腐るほどあったってのに、いつ着替えんだよ。
 んなツッコミ入れてもコイツのことだ、どうせまたロクでもないアイデアがあるんだろうから先に話を聞こう。

 ネトリのアプリと連動している『トリガー』アプリ。コイツにはバトル機能だの記憶管理だの何かと便利なモンだとは聞いてる。ハート型のアイコンが死ぬほどダサいが、本物の力を秘めているのなら無視はできない。極力自身の力で問題を乗り越えたいが、学生服を蒸着できるってんなら、ネトリが信用に足る存在かどうかお手並み拝見させてもらわないと。

【スキルおひろめだー、ワクワクすっぞー】

「しねぇよ」

 思い切り音割れしているテンションと音量の高さ。コイツはなんでたかが野郎の着替えに楽しそうにしてるんだよ。デスゲームでムダに権力持て余した人形みたいなテンションだな。
 周りに聞こえたところで内容がちんぷんかんぷんだろうが、下手に注目されても今後が動きづらくなるだけだぞ。

 そもそも『学生』になるんだったら、それこそ魔法の『トリガー』さんで若返らせてくれれば青春のやり直しが出来るし、めちゃくちゃ期待してたんだけどな……なぁにが【異世界に来た時間からしか記録されてない】だよ。ガッカリしたぞ。
 せめて『転生』させてくれよ、髪の生えた自称さえないイケメンにさあ。

 そんな不平不満を抱いている間にネトリが説明を続ける。

【Y~前を歩いてる学生にスマホの先を向けてみろー、他のヤツに見られないよう背後には気を配ってくれよなー】

「……こうか?」

 俺はネトリに従い一応後ろに誰もいないことを確認した後、先に行かせた男子学生にスマホを向けた。

 どうせまた変な理屈持ち込んでさ、何も起きないんじゃないの。
 
【いいかー、奇跡を起こすには『対価』を支払う必要があるんだー。今回は特別だぞー、本格的に『トリガー』を使う前に見せてやるー】

 ネトリが【はっ】と掛け声を出すと、『ピロン』と小さな電子音が聞こえた。
 とたんに目の前で歩いていた男子学生が瞬く間に素っ裸に変わり、俺の姿が夏服仕様の平凡な学生服へ切り替わった。

「あっ」

「ん?」

 一部始終を見ていた俺が一言発すると同時に、男子学生も自身の変化に気づき硬直するように歩みを止めた。
 やがて己がとてつもない不条理に襲われたのだと気づき、わなわなと全身を震わせる。
 
「なんだとぉオオーッ」

 一糸まとわぬ姿で絶叫する男子学生は、理解できない状況を目の当たりにし、どうしようもない自身のあられもない姿を手で隠しながら猛ダッシュでこちらに引き返し、去っていった。

 すまない。
 タクトを振ったのは俺だから、正直こうなるとは……。
 サイズも俺に合わせたものに変化している。なるほど、『トリガー(きっかけ)』か

【どーだー、持たざる者が『何か』を得るには『何か』を失うんだぞー。世界の法則だー】

 追い剥ぎがカッコいいこと言ってるし。

「『リスク』か……」

 白シャツに、黒ズボンのシンプルな制服。
 だったら上着脱ぐだけで解決してたんじゃないか。ズボンの色は、少し濃いめでごまかせるか微妙なトコだったかもしれないが今更だよな。あの学生から奪ってしまった以上はきっちり役立てなくては。

 しかし『トリガー』アプリは本物……っぽい能力を秘めているのは確かみたいだな。
 実際にこの目で見るまでは半信半疑だったが、テレビのチャンネルみたいに服装が変わったのは十分に現実離れしていておどろいた。
 対価ってのが気に入らないが、まぁ今回代償を払ったのは制服と尊厳を奪われた彼というわけだし……。
 いや、考えようによっちゃあ俺のスーツだって消え……。

 そこまで考えてから反射的にズボン後ろのポケットに手を突っ込んだ。

 ……ない。

「ネトリ、サイフ消えたぞ」

 持っていたスマホに冷めた口調で話しかけると、ネトリはニコニコしながら足踏みを淡々と繰り返す。

【そうだなー。服を奪ったから、スーツは上書き消失するぞー】

 へぇ。

 ……。

「なんだとぉオオーッ!!」

 持っていたスマホを両手でがっちり握りしめ、血走った眼でネトリを睨みつける。

「てめー今回は『特別』とか言っといて! サイフには免許証だとか保険証だとか大事なモンがいっぱい入ってんだぞ! 返せ!」

 怒りに任せ俺はスマホをぶん回し、ぐるぐるの目を描いているネトリに怒鳴り散らす。

【お~、おお、おちつけ~。こここ、これはいわゆる、コラテラル・ダメージ……致し方ない犠牲だー】

 ぶつん、と俺の中にある堪忍袋の緒が切れた。

「ワケの分からんダメージを与えんじゃねぇ! 闇深なヒトのスマホみてぇに液晶画面叩き割ってやるぞ!」

 あぁ~もうガマンならねぇ、ちょいとおどかしてやろう。

【よよ、よせぇ~、『トリガー』が使えなくなったら後悔するぞー】

 いまだにメニュー画面すら見てもないアプリが消えてもどうでもいい。
 同意なき犠牲に対して報いを与えてやらねば。

 生意気な2Dメスガキへの調教が必要だ。
 投げ落とす手前で止めてビビらせてやる!
 計画を実行に移す覚悟を決めると、スマホを持っていた腕を振り上げる。

【おいやめろッ! はやまるんじゃない!】

 やめないぜ。
 そう、賽は投げられ──。

 ……。
 
 ん? なんかまたスマホがブルブル震えてるぞ。

【カウション……カウション】

 スマホから妙な声も聞こえてきた。命乞いか? 
 違うな、聞きなれない言葉を発しているだけか。

【カウション……カウション】

 ネトリの声っぽいな、ネイティブの発音で英語話してるよ。
 なんだ気持ち悪い。日本語で『注意』と言ってるようだ。おいおい『ビービー』警告音までしてきたぞ、なんだよ充電切れか?

 脅す気満々だった俺は苛立ちながらスマホ画面を確認する。

【間男(まおう)が玷に接近しています……間男が玷に……】

 今度は真面目なネトリの声がする。なんだなんだ。

「間男(まおう)?」

 俺が目を丸くしていると、スマホの画面がいつものレーダーのような背景になり真ん中には玷をデフォルメした愛らしい笑顔が映っていた。
 そして、その右斜め上からニヤニヤと気味の悪い笑顔をした陸上部のコーチのアイコンが近づいてきている。

 『御目下・秀一(おめげ・しゅういち)』とニタついたアイコンの下に追尾するようにして表示されている。
 そういえば興味なかったから話半分にしか聞いてなかったが、例の陸上部のコーチ、名前そんななのか。

 ひでぇ名前……。

 ってそれどころじゃない! これヤバいってことなんだよな。
 彼女の想いを成就する前に『敵』が動き出したってことだ。ネトリに仕返しするのは後にしなくては。

「ネトリ、これどの辺りの──」

【間男が玷に接近……いまアナウンス中だからしています……ちょっと話せなカウション……】

「なに一人でわちゃわちゃしてんだよ」

 相変わらず俺が操作しようとしても、どうにもならない。レーダー画面のままネトリの姿も見えなくなってしまっている。もっとも、ワンオペアナウンスで忙しいのだということは察しがつくが。
 せめて音量操作だけさせてほしいのだけど、このジャングルで散歩しているようなノイズのスコールは止みそうにない。

【ビービー……ちょっと待カウション……にワタシ様が接近しています】

 ……いいや、もう。



[43975] 三話 犠牲の犠牲
Name: つくも◆4a7702b0 ID:75a4f467
Date: 2023/03/23 06:58
 
 
 ネトリの知らせによって玷の危機を察し、俺は狭間高校の正門に到着した。
 
 山沿いを伝ってきたから当然だが、狭間高校も山に沿って階段状に建っていた。自然に囲まれた環境を大事にしているんだろう、生命を囲う緑々しい(あおあおしい)山々を背に海沿いを見渡せるっていうのも悪くない。
 空から落ちる白光が底の見えない海に彩りを与え、とても優しい画に仕上がっていた。
 俺が待ち望んでいたあの頃の取り戻せない夏を垣間見た気がする。

 こんな事態じゃなければゆっくり観光していきたいんだよなぁ。
 
【ウォウニング……ウォウニング】

 早口でまくしたてるようにネトリが英語であおってくる。
 『ガーガー』と警告音がひどくなってるんだけど、爆発すんのかなコレ。

 このスマホ本当にカンベンしてくれ。こういう警告音こそさっきみたいな骨伝導というか、脳内通信で知らせてくれよ。っても水害とかの緊急アラートみたいなもんなんだろうけど……。

 これじゃあ「薄毛の男子学生が騒音出して登校してます。皆さん! 注目~」
 ってノコノコ捕まりに来たようなもんじゃんか。

「ねぇあの人……」「髪やば……」
 
 何人か朝練で登校しにきている学生が俺を横目にひそひそと話している。
 
 そりゃそうだよ、うるせーもん。
 誰か俺の頭皮に触れてる気がするが、自意識過剰だな。

 くそ、とにかくスマホのせいで急き立てられる感じがして……いや急ぐんだけどさ。
 彼女を探すのに集中できないんだよ、レーダーの示す方向にしか居場所のヒントがないからテンパってしまう。
 方角も位置もあってるのに拡大できないから、ナビ上の学校に玷のアイコンがかぶさったままでお手上げ状態だ。
 ネトリに詳しく聞きたいが──。

【玷が間男とガーガー、二人きりになりました……ウォウニング……ウォウニング】

 俺を一人きりにしてくれ。
 このうるさい空間から逃げ出したい。

「──キミ、スマホが鳴ってるようだけど」

「っあはは、ごめんやっぱりうるさ……い」

 背後からとげとげしい口調で指摘されてしまい、俺は申し訳なさそうに振りかえった。
 すると、いつの間にかスイカ模様みたいな縦線の髪と剃りこみした少年がおり、俺の持っている爆音スマホを覗き見ていた。

 すげぇのに目をつけられてしまったようだ。八百屋さん志望?
 険しい表情してるとこ見ると、よほど気に食わない出来事があったに違いない。
 
 はい。
 俺のせいだね。

 早く黙らせろ、と言いたいんだろうけど俺にはどうしようもない。操作方法どころか、いじれないんだもの。
 こうなったら仕方ない。社会人十年目を迎えた俺の十八番をくらわせてやる。

「いやー、俺のじゃなくてね……誰かの落とし物みたいなんだ。参ったよなぁ」

 これがウソにウソを重ねてきた俺の奥義『ごまかし』だ。
 重ねれば重ねるほど人からの信用を失うからリスクが伴うぞ。厳密にいえば俺のスマホではないからウソではないが、こうすることでヘイトをスマホだけに向けさせるのだ。

「ちょっと貸してくれないか?」

 スイカヘアーの少年が手を差し出してきたので、俺は轟音を奏でるスマホを渡す。

 ははぁ! これで注目されるのはこの少年になったな。

「……なるほど」

 彼はスマホの画面と向き合い、何かに納得しながら真剣な眼差しでスマホをタッチしている。

 ウソだろ。
 音量ボタンすら機能しないスマホをいじくって何をうなずいているんだ。一体何が分かったんだい。ポンコツAI付きのジョークスマホに何を見出しているんだい。
 俺だって毎日スマホいじくってるつもりだけど、十年も歳の差があるとやっぱり時代についていけてないのか、悲しい。

 そういや、スマホいじってるこの子も『トリガー』を使えるようになるのだろうか。アプリさえ起動すればいいのなら、異世界から来た俺だけの専売特許ってわけじゃなさそうだけど……一見して恥の産物と冷めた評価しかもらえなさそうだ。

「うん。大丈夫だ、問題ない」

 スイカヘアーの少年が横のボタンを同時に押すと、スマホが静かになり、彼に押し付けられるようにスマホを手渡される。
 その手は包帯が巻かれていて、彼がケガをしていたことに俺は気が付いた。

 独特なヘアースタイルの方に意識持ってかれてたけど、結構ひどいケガしてるな。どこかで手を挟んだのか……その割には流れるような手さばきだったけど。

「助かったよ。すごいね、ケガしてるのに……手慣れててさ」

 俺がほめると少し気恥ずかしそうに「いや……」と彼は手を引っ込める。

「適当にいじれば、たいていどうにかなるものだよ」

 えっ、適当なの。そんな雰囲気ではなかったよ? あなたはスマホの開発者さんか何かですかね。

 玷のレーダー機能は損なわれていない、何よりもネトリがマナーモードみたく黙っている。どんな時でも画面の隅に白ワンピ少女のアイコンが表示されてわめいてるイメージでしたけど、こんな良いとこどりの最強スマホへ劇的にビフォーアフターしてくれて非常にありがたい。

「カケルンのこと、気にかけているみたいだ」

「かける、ん?」

 は、はぁ。カケルン?
 玷? 友達なのかな?

 そんな表情をしていたのだろう、俺がきょとん、としていると彼は察したように説明を続ける。

「ああ、真挿・玷のことだ。彼女を知ってる人はみんなそう呼んでいる。そのスマホの持ち主、カケルンのスマホにGPSアプリでも入れて居場所を常に把握しているようだ」

「そ、そっか~彼女のファンがつくったスマホ……」

 適当にごまかしを重ねて上辺だけの返事を返す。
 
 するとさ、このスマホの持ち主はかなりのストーカーってコトだよな。
 あぶねー、他人のスマホだって言っといて良かった。
 一体どんなヤツだよ、こんなヤベースマホ持ってた主は。

「この先のグラウンドに運動部が使っている備品倉庫がある……そこにカケルンが御目下といるだろう」

 そういうとスイカヘアーの少年は校門の奥に向かって首をくいっと振った。

「はぁ」

 グラウンドかぁ……もうすでに朝練で熱心な学生は集まっているはずだ。注目されればされるだけ俺の存在に違和感を覚える連中も増えるだろう。

 っていうか何であんな七個ぐらいのボール探しで使うようなレーダーで場所まで分かっちゃうの? アレと比べもんならないくらいひどい性能なのに。

「『キミ』が状況を確認しに行くんだろ?」

 知った風な口調で俺をジッと見定めるかのように視線をぶつけてくる。
 なんか出方をうかがう上司みたいで苦手なタイプかもしれない。

「ど、どうかな俺は別に……」

「行くべきだろう。ひょっとしたらスマホの落とし主も見つかるかもしれない」

 な、なんだよ、さっきから。
 変につっかかる物言いだな。何もかも分かったような口ぶりだ。
 もしかして、このスイカを模した髪の少年はゲームでいうお助けNPCってやつか?
 何にでもゲームに当てはめるのは良くないが、ずいぶんと都合がいい登場だったし。

 ってこんな時に深読みしてるヒマなんてないぞ。
 彼は貴重な時間を割いてくれたんだ、感謝しないとな。

「そうしてみるかな。俺はY(ワイ)、キミは?」

「……御神・有(みかみ・ゆう)、さぁ行くんだ」

 十代には見えない、落ち着きがある子だな。こういうのがモテたりするんだろうな。

 俺は御神にアイサツを済ませ用済みになってしまったスマホをポケットにしまい、正門を通過してグラウンドに向かう。

 あっけなく学校の門をまたいで侵入してしまったな。
 そりゃそうか、国会議事堂に入るわけじゃないんだ、何かとするどい先生に捕まらなければ自由に動ける。
 少なくとも御目下をどうにかするまでには持つだろう。知らんけど。

 そうこうして散策しているうちに、下へ降りる階段が目に入ったので近づいてみる。
 すると眼下には陸上競技場さながらの広大なグラウンドがあり、四百メートルトラックから少し外れたところの、隅っこの壁際に備品倉庫があった。

 当たりだ。でもこの階段……グラウンド行くのにコレしかないのか、欠陥構造だろ。よく探せば別の入り口もあるんだろうか? 
 仮にあったとしてもいちいち探しに行ってる時間もない。

 とはいえなぁ……エスカレーターが欲しい長さだ。 
 ヒザを的確に破壊するための階段の角度に嫌気がさす。
 肉体的なダメージの心配だけじゃない。まさに俺がこの真夏の異世界に来ることになった原因をたどれば、否が応でも階段からの転落を意識せざるをえない。

 慎重に、かつ前進あるのみ、だ。
 俺は注意力を尖らせ角度のキツい階段を下っていく、今度は転げ落ちないように──。


 三話【犠牲の犠牲】


 アリバイ作り、なんて大それたことをするわけじゃないが、学生服を着ているとはいえ見慣れないヤツが真っすぐ備品倉庫に向かうのもマズい。
 そうも言ってられない事態ではあるが、何人か陸上部チックな準備運動やらジャージを着てる連中がいるし、誰かしらに一言話してからでも損はないはずだ。

「ちょっとキミ、御目下先生は……どこかなっ?!」

「えっ……御目下……?」

 グラウンドで屈伸をしていた『走快(そうかい)』と描かれたシャツの女子に声をかける。
 
 理由は、一番階段から降りて近くにいたから。それでも五十メートルは走ったからな。死にかけだ。
 トラックで走ってる学生には話しかける勇気も体力もないし。それにさ、走快だぜ? もう字面が間違いなく陸上部関連の子だろ。気恥ずかしさだとか会話が苦手だとかで敬遠している場合じゃないよな。
 
 肩を上下に動かしてへばって返事を待っていると、走快女子は考え込むようなしぐさをして、ぼそぼそとつぶやきだした。

「……ほうがいいよ」

「え、なに?! 備品倉庫に行った方がいい?!」

 すっとぼけた顔を上げて再度走快女子にたずねる。
 上っ面だけの、何の意味もない会話。
 俺としては声をかけ、返事が来た。それで会話終了。

 誰が何の目的なのかを教えておくだけでも相手は勝手に想像してくれる。最悪、急いでいるという意思が伝わればそれでいい。
 これも俺の会話スキル『ごまかし』だ。噛み合わない会話はもちろん嫌われるぞ、女性には特に。

「一時間くらいは近寄らない方がいいよ、って言ったの。誰も『直接指導』の時には備品倉庫には近づかないから……って御目下がいるの知ってた?」

 でたよ、体育教師だとか顧問特有の『指導』。リンパマッサージかな?

「ども、つまり……備品倉庫にいるんだね!」

「ふぇ?! 質問ガン無視?!」

「さよなら!」
 
 俺の若干食い気味に返事をぶつけてから戸惑っている彼女に礼を一言告げ、九十度に方向転換しダッシュする。
 ぺちゃくちゃ話してる時間が惜しいし、さっさと目的の場所へ行くべきだ。部活の見学にきたわけじゃない。

「──よし……っ、ついた……っ」

 ぜぇぜぇと何度も走って、自分でいうのもなんだが俺も忙しいヤツだ。
 
 ついに決戦の刻が来た。運動部の備品倉庫だ。
 だんまりしてるネトリを起こすか、いや『トリガー』はあくまで保険だ。どんなことまでがスキルとして実現可能なのか操作がまともに出来なかったから確認できてないが、サイフが消失した現象から判断するにうかつに手を出しちゃいけないアプリだ。

 それにネトリからの情報で御目下を悪漢だと断定してスキルでぶっ飛ばすってのは、ちょっと気が引ける。走快シャツの子の反応見る限り九割はパワハラ野郎かセクハラ野郎だってのは感じ取れたが、それを赤の他人である俺が判断して取り押さえるには現場を見てから動くしかない。

 あくまで一般人として出来る最大限の努力をして彼女を助けるスタンスを大事にしなくては。
 
 さぁて、刑務所にぶち込まれる覚悟の準備をしておくんだな、御目下。
 って、このスマホ電話機能が使えないじゃん。警察に連絡できないぞ。

 ……。
 なぁに、学校の電話を借りれば良いだけさ。誰かに通報してもらうだけでも。
 って俺も捕まる可能性もあるんだよな……。
 
 ……。
 な、なぁに、尊厳優先だ。
 俺はこの世に存在しない人間、事が終わればどうなってもいい覚悟くらいある。それが漢ってもんだ。

「ふーっ、ふーっ、ふー……」

 呼吸も整ってきた。おそらくセクハラ中の御目下への対処も完璧だ。
 後は扉の一つや二つ蹴とばしてでも乗り込んで、野郎をぶっ飛ばせば万事解決……。    

 よしやるぞ。いますぐやるぞ。絶対やるぞ。
 
 ……。

 さっきからなんだ、俺は。
 アタマの中で言葉遊びして、さっきから何を足踏みしてる。ネトリをバカにしておいて、いざとなったら俺もその場で棒立ちかよ。 

 くそ……俺はずっと弱腰だ。
 誰かがケンカしてるのを眺めてても何でか緊張してるノミの心臓なんだ。

 視線を落として俺の足を見下ろしてみれば、前へ前へと行こうとする意思を拒むようにびくんびくんと震えていた。

 それでも行くしかない。
 
 止まらない足の震えをどうにかしようと二、三回ほど殴って、意を決した俺は扉に手をかける──。

「ちょーしに乗るなっ!」

 あの子だ。出会った時の玷の声とは違って、激しい怒声を誰かに浴びせている。

 しまった、遅かったか。
 そう後悔する間もなく「まぁまぁ」と玷をなだめている男の声までしてきた。
 
 幾人もの女との修羅場をくぐってきたのだろうか、落ち着き払った男の声だ。
 間違いない、御目下・秀一!
 
「──オレ様は狭間市の三代目有力者だぞ? 他の候補者を退ける権力(ちから)を持ってるし、秋にはオレ様の間像(まぞう)が建つ。そんなオレ様の間像とペア銅像になれる女ってのは前代未聞だ。お前がオレの女になればおウチで寂しい思いをせずに幸福の『絶頂』をずっと味わえるぞ」

 写真で見ていたイメージとまったく同じ声の感じ。
 確かな努力で結果を残してきたんだろうが、それを傲慢なふるまいが許されるチケットかなんかだと思ってそうな……女を、弱者を、己以外すべてを見下している、そんな口調だ。会話の感じだけでもセクハラ冤罪ということはなさそうだ。

 コトを致している最中ではないのも幸いか。

 っまさかもう終わっちゃったなんてことは……いや、せいぜいオマケしても十五分経ったくらいだ。
 本で読んだことがある……あのいかにも変態プレイが好きそうなヤツが短時間で終わらせるわけがない。さっきの子が一時間近づくなって言っていたってことは、個人差があっても八時ちょいすぎぐらいまではかかるはずだ。

「幸福? 服従させてるだけじゃない! 暴力も不幸をばらまくアンタの間像の隣にアタシの銅像?! ぜぇったいにイヤだ!」

 と突っぱねる玷だが、それをさらに呑み込むような御目下の高笑いが上回って倉庫の外にまで響いてきた。
  
「あのなぁ、間像(アレ)が不幸の象徴だってウワサがたってはいるが、本当は『対価』の象徴なんだぞ。初代の間像に触れて願えば確かに何かを失うが、必ず何かを得る……初代と二代目間男の由緒ある銅像になれるんだ。ヤキモチ妬かずに素直になれよ。お前のほどよく締まった身体にだらしないケツを撫で回してきっちり寸法を測ってやるからさ、もちろん内側の具合も、な」

 下卑た笑いが倉庫内に響く。

「こんの下衆……!」

「あのなぁ、そもそも矛盾してるぞ。突然お前がオレ様の女になるって誘ってきたんじゃないか、他の女に手を出さない条件でな。今日はやけに積極的でおどろいたんだぞ? 黙々と走ってばかりの武骨なヤツだと思ってたがな。さすがエースと呼ばれるだけあって、率先してオレ様に飛び込むとは、正直狙ってたから嬉しいぞ」

「ッそれはアンタが……」

 玷は押し黙ってしまう。
  
 そういうことか。
 ネトリが彼女を守ってほしいと口やかましく言っていたのは、ここまで他人の為に自分を犠牲にしてしまう子だからか。
 確かにあの献身的な子だったから、そこまでしてしまうのかもしれない。こんな追い込まれた状況で、俺なんかを助けてる場合じゃなかっただろうに……。

「ちょっと……どこ触って……っ」

 物音が大きくなってきた。玷が抵抗しているんだ。

 やれよY……リスクを取らずにグチだけの人生で……そんな俺が嫌いだったんだろうが! やれよ! お前自身の力で彼女を救うんだ!

 足の震えが、止まった。

「今更カマトトぶるんじゃない。オレ様の『女』になるってのはそういう行為もするってことだ。なに、あのスケコマシの幼馴染のことなんか考えられないくらいメチャクチャになろうぜ」

「やめ……っ」

「──開けろッ! 狭間市警だッ!」

 うんと声を低くして凄みながら倉庫の扉をガンガンと叩く。
 邪魔が入れば御目下を萎えさせることは出来るだろう。

「通報があったぞ、さっさと開けろ!」

 さらに大げさに声を張り上げると倉庫内がしんと静まり返る。
 ざまあみろ、御目下め。権力さえあれば通報されるとは思いもしなかったんだろう。報復を恐れるココの生徒や先生たちには難しいかもしれないが、俺ならやれる。

 なぜなら、異世界人だからさ!

「くそ、新米警官か……ちょっと待っててください! 何かの間違い……」

 御目下が明らかな苛立ちと焦りを含んだ声で扉に近づき、開錠している物音がしてきた。
 切羽詰まっていると見たぜ。覗き窓は無いんだ、せいぜい冷や汗流して慌てるがいい。

 二十年もの間、テロ対策妄想をしてきた俺の『奥義』を喰らわせてやる。

 ガラッ、と扉が開いた。

「──いやウチの部員がケガしちゃい……なんだこのハゲ?!」

 むわっと熱気をまとった御目下の目の前に、学生服を着た『薄毛』の俺がいるわけだ。
 さすがの有力者といえどもまったく脈絡のない人間がいるってのには完全に意表を突かれたのか、目をギョッとさせている。
 
 倉庫奥のマットで横たわっていた玷はオレンジのランニングシャツを脱がされそうになっていたようで、少し衣服がズレて腰回りが露出していた。l
 また、蒸し風呂に近い空間で暴れていたせいか、短く整っていた髪も乱れのぼせたような表情でうつむいていた。

 ごめん、遅くなって……。
 その分、ヤツに報いを受けさせるからな。

 乱暴されるまで秒読み、といった彼女の姿を目の当たりにし、俺は人生の中で経験したことのない強烈な怒りと彼女が無事だった安堵感に包まれ、血管ピクピクの歪んだ笑みに変貌する。

 「……えっ、オジサン? オジサンなんでっ!?」

 玷が俺の存在に気づき、顔を上げた。
 意外な来客におどろきを隠せなかったようで御目下の背後からキツネにつままれた顔でのぞいていた。

「『叔父(おじ)』……っ、このコスプレ野郎、オレ様のジャマをするとは分かってんだろうなぁ!?」

 もちろん、分かっている。
 ココで這いつくばるのはお前だってことがな。

 御目下と俺との間にある、ほんの数十センチの空間が『ぐにゃあ』と歪んだ気がした。
  
「いやね先生、急ぎの用事で──」

 そう会話を切り出してから俺は「ふん゛ん゛ん゛ん゛」とうなり、ありったけの力で御目下の股間目掛けて右足を振り上げる。

 ぐしゃり、と完膚なきまでに破壊する音と感触がした。 
 そして足の甲からはじけ飛びそうな苦痛もおそってきた。
 
 これはヤツにダメージを与えた手ごたえではない、すべてのダメージが俺に返ってきている。
 
「~~~~~~~~ッッッ」

 硬ぇし痛ぇ……素足で岩を蹴とばしたみたいだ……っ!

 声すら出ない痛みにたまらず俺は右足を抱えしゃがみこんだ。
 その際、ヤツが股間の前に構え持っていた砲丸がちらりと視界の端に入り、激痛の理由に合点がいった。

 野郎……っ、ターミネーター並みの鋼鉄のタマを持ってるのかと思いきや、こんな防ぎ方で俺の足を……ぐっ。

 ダメだ、先手を打ち損じた。完全に読み敗けたっ!
 妄想のテロ対策じゃカンペキな不意打ちだったのに。

「御目下のレッスンだ、『有力者にひれ伏せ』」

「な……にっ」

「不審なヤツは始末しないとなァ……」

 御目下は十六ポンドはある堅固(けんご)な球体をポンポン手の上で軽々投げた後、ピッチャーのごとく大きく振りかぶった。

 マジかよ、野球ボールじゃねーんだぞ……?!」

「ゴアァアア──」

 龍の咆哮とでもいうような、階段上の校舎全体にまで響きそうな御目下の叫び声がビリっと耳を突き抜ける。
 そして次のまばたきをする瞬間には俺の左肩からゴシャ、という骨の砕ける音が突き刺さる痛みとともにやってきて、そのまま大きな衝撃に流されるように体を左回転させグラウンドに吹っ飛ばされた。

「ん~四十メートルは堅いな」

 ヤツが得意げにつぶやきながら肩を回し、俺に向かっておもむろに近づいてくる。

 四十?! ウソだろ……三十メートルもムリなもんを飛ばすんじゃねぇよ!
 コイツ、明らかに人類を超えてる……。世界陸上総なめしちゃうパワーを俺にぶつけちゃうっ!? 

 御目下の凶悪な暴力性と強烈な痛みに俺の全身の毛穴からは汗がふきだして止まらない。
 
 遠くで玷が「オジサン!」と呼びかけてきているのがわかる。
 こんな時までオジサン呼びキツい、心まで折れそうだ……。

「ね……どり……」

 右肩を下にグラウンドの土に額をこすりつけ、うわごとのようにネトリに呼びかける。

【……】

 左の肩には触れて押さえることすらできない鈍い痛みが残され、呼吸がどんどん浅く、短くなっていく。声の振動でさえ痛みがやってくる。
 この感じは骨折どころか粉砕されてしまったんじゃなかろうか。

 あなどっていた。異世界にくればどうにかなるさ、と。
 『コイツ』、人を殺めるのに何の抵抗がない。こいつぁ俺自身の力で解決だとか出来るレベルの問題じゃないぞ。
 『有力者』ってそういうことなのか?! バケモン並みのスペックを持ってる人間って意味なのかよ!

 『対価』を恐れている状況じゃない。甘々だった。
 『トリガー』で対抗しなければ、俺一人の力じゃ到底守りきれない……!

「ねど……り……っ」

 意識を手放してしまいそうな中で、ネトリを表示させるためもう一度声をひねりだす。

 たのむよ……こんな時まで悪ふざけすんのはよしてくれ……遊んでる余裕ないんだ。

【……なんだー、もう話して……おまっ、大丈夫かー?】

『ピロン』と電子音がすると、脳内にネトリのだるそうな声が聞こえてくる。こういう時は音声認識で助かるな。

「と……りがーを……『トリガー』……を!」

 長話しているほど意識ははっきりしていない。

【なるほど御目下と対峙したんだなー……だから、言っただろー、ヤツはとんでもない『有力者』なんだぞー】

「せっきょうは……いい……はや……はやく!」

【ああ、分かったぞー。なんとか右手でワタシさまを取り出してすんだー】

 なんで今んなことを……。

 そうか、着替えみたいに『対象』を選ぶ必要があるからか……っ
 俺は歯を食いしばり、額を地面に押し当ててケツを上げどうにか右手でスマホを取り出すことに成功する。
 
【トリガー解除だ! メニューからヒールと肉体強化を選べ!】

 ネトリがハート型アプリ『トリガー』にしがみついて、俺にタップをせがむ。
 AIに人間の痛みなんて学習できないんだろうが、左腕まとめてイカレてるかもしれないのにスマホいじくらせるなんて何という鬼畜の所業。

 でもやらなきゃやられるぞ……ああくそ。

 ぼやける視界でスマホ画面を見ながら、『トリガー』をタップする──。

【よしー、もうちょっとだー、『対価』は後払いだから恐れずにチート無双してくれよなー】

 心無い言葉で……イライラさせんじゃねぇ……ネトリさんよォ~……俺は今死にかけてんだろうがよォ!

「ぐ……ぐぅ……っ」

 アプリが起動するとネトリが右上の隅に追いやられ、ピンク色の背景に安っぽいグレーのボタンが浮かび上がる。
 
 一覧には肉体強化、ロード、時間加速、対象減速、時間回帰、ファストトラベル、などなどだ。スクロールして全部みている余裕もない。
 一つ一つのボタンにはあらゆる能力の詳細が書いてあり、あわせて該当の能力の下部に赤文字で必要な『対価』が記されていた。

 『肉体強化:左腕、ヒール:大切なもの』



[43975] 四話 対価
Name: つくも◆4a7702b0 ID:75a4f467
Date: 2023/04/03 17:54
   
 超人類並みの最強スペックをもつ御目下に対抗するには……。
 持たざる者がモテる者を打ち負かすには……。

 なすべきをなすには……!

『肉体強化:左腕、ヒール:大切なもの』

 スマホに映っている文字が理解できない。
 外傷による意識低下が原因だとか、枠にはめるピースを探しているんじゃない。到底承諾できない条件だから本能が拒否している。
 冷たい現実が、その荒い画面に映されている。

「ながらスマホしてんじゃねぇぞォ、今更本物の警察に連絡か? オレ様が『ナニ』をしようが来ない手筈だ、そういう『法則』なんだよ」

 おぞましく醜悪な笑みを浮かべた御目下が丸太のような両腕にハードルを引っ提げ、倒れ伏す俺のそばへ迫ってくる。
 周りにいる学生たちは俺に近寄らずただの野次馬と化していて助力は望めない。
 
 そりゃそうだ、俺が勝手に始めたケンカだ。
 こんなバケモノに逆らったらどうなることか……今この場において法を破ったのは俺だということを私刑によって知らしめるんだ、口だって聞きたくないだろう。

 味方がいないのは百も承知だったが、まさかネトリの言うように警察が機能しないだなんて異世界ファンタジーを信じられなかったが、いよいよもって御目下という有力者の存在が現実味をおびてきた。
 国家を抱きこむなんて大それたこと、何の競技でどんな活躍をしたのか正直さっぱり聞いてないし興味もないが、こっちの世界でいう文化功労者だの将棋棋士だのに与える『勲章(くんしょう)』レベルの輝かしい栄誉があると、ヤツはそれで思いあがっていたんだ。
 
 まさに下げるアタマを持たない本物の強者男性ってわけか、逆らうには権力も実力も不足している。

 くそ、左腕。本当に左腕か!? 
 この左腕を捨てろって?! 左の袖とかじゃなくて?
 
 それに回復の方の、この、大切なものって……なんだ。
 今の今で俺が大切にしてるものを捧げろってのか。ゆいいつ持ち込んできた大切なサイフが消失したってのに、そんな形見みたいなモノなんて俺にねぇよ。
 
 どうする。
 いやどうもこうもあるか、とっくにスタートは切ってる。
 ここでもたついてたら全然かっこつかない、いいからチーティングだ!

 ……。
 俺は承認画面のOKからタップした手を離せない。

 肉体強化だけを取引しても左肩は戻らないんだろうし、多分この痛みも治まらない。だからネトリはヒールを勧めてきた。
 少年漫画じゃないんだし、粉砕された左肩をハンデにしたまま戦う根性なんてない。強化が成功したとしてもやられはしないという保証もないし、治療は不可欠だろう。
 かといって回復(ヒール)だけしても今の俺じゃあ、またすぐにやられるだけ。むしろ復活すればするほど、よりコテンパンにされてしまうのが目に見えている。
 
 ネトリの言ってたトリガーを使うための『対価』、イヤな予感がしていたが……。
 飲み会帰りに異世界へ転がりこんだだけなのに、どうしてここまで重いリスクを負わせるんだ。頭おかしいんじゃないの。
 
 ヤツを倒したとしても俺の腕と何か大切なものが、もう二度と戻ることは──。

 
『Yさんって、“軽い”ですよね』


 ここに来る前、飲み会で総務課の女性が酔いどれて言い放った、なんの悪びれもなく俺の本質を突いた言葉。
 どうして、こんなタイミングで思い出すんだ……どうだっていいだろうが。
 なんなんだよ、胸の奥でざわめいてる。俺が俺という人間の枠から脱したいと、形の見えない『何か』があがき、もがいてる。

 二度と……か。
 二度と自分の選択に後悔したくない……。

 ひょんなことから異世界にきて、俺の最低な人生を上り詰めるきっかけが出来たんだと……散歩するくらいの軽い気持ちで玷の問題を『俺自身』の力だけでこなすつもりだった。甘かったんだ。
 
 どんなモノを利用してでも、俺は俺の為にこの意志をウソにしてはならない。
 弱者が強者にふみにじられる『法則』そのものを打ち砕きたいのなら、俺に相応の覚悟が求められるのは当然なんだ。

 どうせこのまま何もしなけりゃ血祭りだし、もうすでに片腕喪失に近い、悶絶ものの痛みを喰らわされている。俺がやられたら彼女だって何されるか分かったもんじゃない。

 ここは異世界。
 現実に限りなく近くても、俺の戸籍(こせき)すらない異世界。報われるかどうかは俺の行動にかかっている。
 信じるんだ。大きな代償がともなっていても、さっきみたいに勇気を出せば前に進める。

 投げられたコインの結果はウラかオモテ、『間』なんてない。
 やるか、やられるかだ!

「──やめて!」

 遠くから駆け寄ってくる足音がする。
 ソレが俺の耳元にまで来るとザッと立ち止まり、土埃が舞い上がった。

 「もしや」と脂汗のにじむ額で地面を擦り見上げると、玷が横たわる俺の前で両手を広げ御目下の前に立ちはだかっていた。

「この人は関係ない!」

 玷が強気に言い放つと御目下の片眉がひくついた。
 
「ほー、その関係のないヤツがオレ様のジャマをして、その関係のないヤツをお前はかばうのか? このオレ様に逆らっていいのか?」

「かばうって……ホントにこれっぽっちも関係ないケド」

 そう玷は困惑しながらちらり、と俺の方へ少し振り向く。

「真挿(まがさし)よォ、生意気にしらばっくれてんじゃねぇぞコラッ」

 御目下は次第に苛立ちを含んだ声になり、ずんずんと肩を怒らせながら俺たちに近寄ってくる。

「逃げてろ……俺が……」

 もういいんだ、覚悟は完了したから。
 俺なんかかばって攻撃(いかり)の射線上にいたら巻き込まれるぞ。

「ムリ、足動かないもん……はは」

 そうぎこちなく笑顔を作る彼女の身体は、かすかに震えていて、目尻に涙を溜めていた。

 何させてんだ、俺は。
 十歳下の学生を盾にしてんじゃねぇよ。これで助かっても、『対価』よりもっと大事なものが俺の中から消えてしまう。
 抱えきれない後悔だけしか残らないじゃないか……。

【おーい、とっととスマホ自分に向けて承認しろよー。左腕だけだろー、間に合わなくなっても知らんぞー】

 痛みをこらえるために握りしめていた右手のスマホから、ブルブルとネトリがバイブレーションで催促してくる。

 あ~、小憎らしくごちゃごちゃとよォ! 
 決意は固まってんだよ、おかげ様で。こうなりゃ腕や足の二本や三本でも何でも持っていけ!

「う゛……あぁあ゛あ゛あ゛!」
 
 心の底から雄たけびを上げながら俺はスマホを自分に向け手を離すと、警告画面にタップしていた指も離れ『対価』が承認される。
 スマホが地面に落ちた瞬間『ピロン』と電子音が脳内に響き、劇薬でも呑まされたような、即効性の浮遊感が俺の全身の細胞から噴き出し視界があたかも光に包まれ──。

「──叔父(ソイツ)といい、あの幼馴染といい男をたぶらかす淫売の娘がっ、とことん調教してやる」
 
 御目下の強固な肉塊が放つ圧迫感と威圧感に玷はまけじとにらみ返し拳を構えるが、ヘビの眼光の鋭さにカエルは弱弱しく立ち尽くすことしかできない。

「や……やってみろ変態ヤロー!」

 口だけ威勢のよさを出しても隠せない彼女の弱さ。
 それを見越していた御目下は鼻で笑い、片方のハードルを肩に掛けてもう片方のハードルを棒立ちになっている玷の身体に潜らせると腹部のあたりで止めて、指をパチン、と鳴らす。
   
「あっ……ぐ!」

 するとハードルのバーがギロチンの刃のように迫り、スタンド部分との間に玷の身体を挟んで締め上げていく。

「オラッ、まずは『締め』の練習だ、ハッハッハ!」

 玷の苦悶する表情を眺め御目下は高笑いしている。
 そこには『陸上競技界の英雄』とでも示唆するような驕り高ぶり女をいたぶる男の姿があった。

 その高慢ちきな鼻をへし折ってやる──。

「あ? お、お前!」

 御目下は平然と立ち上がる俺にたまげて、わが目を疑うといった調子で玷を捕えていたハードルを離す。
 
 リスクを冒してまで取引して正解だった。
 肉体的な外見に変わりはないが全身が羽毛になったような身軽さと合わせて、左肩の傷の痛みも氷のように溶けて消えてしまっている。
 それに副産物と呼べるものなのか、俺のアタマん中のモヤモヤもすっきりしていて熱中症の症状も肉体の外へ完全に取り払われていた。

 なるほど、俺の精神状態も含めて完全回復(ヒール)か。

 神経も研ぎ澄まされていて集中すればさざ波の音まで感じ取り、視ようとすれば筋肉の『おこり』からどう動くのか、肉体に重なっている影で予測できる。
 力をこめれば天地を裂くことも不可能じゃない、無敵の人外へと進化した確信がある。

「どうなってるんだ、お前! お前も『候補者』の一人だったのか!?」

 聞こえるぞ、ヤツの鼓動が……思った通りにいい反応してやがる。
 女のケツばっか追いかけてる暴力コーチにはキツいサプライズじゃないかな。
 
 候補者の意味が何を指しているのかは知らんが、『有力者』という意味でノーマークだった弱者の俺が土俵入りしてきたのだから、踏みにじるだけで覚悟もしてないオマエが動揺するのも無理はない。

「みっともないぞ御目下、これで公平になったんだ」

「な、んだと……!」

 俺は御目下の顔面を貫き刺すように一睨(いちげい)すると、いまだに状況を呑み込めていないヤツは俺のまとっている異常な『気配』に後ずさりしてしまう。
 
 ざまぁ、と立場逆転にいい気になるのもここまでにしよう。
 まずは彼女を助けないと。

「待ってろ!」

 すぐさま玷のそばに寄って背中から俺の腕をバーに挟みこみ、「ふん」と力んでハードルを紙のストローみたくへし折って彼女を謎のサバ折り状態から解放する。
 狂人に近い御目下からのプレッシャーに耐えていたせいなのか、彼女はその場でせきをしながらへたり込む。

「お、おじさ……いったい」

「俺はY(ワイ)だ」

「え……?」

 異様なオーラを放つ俺が意味不明な言語を使った。玷は宇宙人が話した程度にしか思っていないのだろう、首をかしげている。

 まぁいい、俺の存在を刻んで恐れおののくのは御目下ただ一人だけで十分だ。

「おい……クソハゲっ」

 御目下の震えた声に反応して目線を配らせると、ヤツは拳銃をこちらに構えていた。
 というよりは、競技に使うスターターピストルだろう。先ほどの妙な方向に振り切った能力を見る限り、アレも実弾に近い何かが入っていると考えてもいいだろうな。

「ハードルぶっ壊した程度で得意そうにしてんじゃあない、オレ様には間男(まおう)の血が流れているんだ! 見せかけの筋肉がオレ様の血統に勝てるかァ!」

 マオウ、か。魔王ね……。
 もはやどうでもいい、そんなガキみたいな肩書き。
 さっさと終わりにして、玷を守れればそれで。幼馴染とやらの恋路ってのにはコイツが最大の障壁なんだろうから、御目下さえいなけりゃ後はどうとでもなる。
 
「撃てよ」

 ヤツの向けている銃口が震えている。ほんの一メートルほどしか距離が空いていないが、ソレでは俺に風穴を空けることはできない。
 いや、俺の視力が未来視レベルに到達しただけのこと。ヤツがきわめて冷静に俺を射殺しようとする意思があろうと銃弾を避けるのは容易だ。

「なめんじゃねェエエ!!」


 ──たん、たん。

 
 銃弾の火薬がはじけた。
 怒りに任せて撃ったように見えたが……二発も俺に銃弾をぶち込むなんて意外にも明確な殺意をもってして引き金に指をかけたんだな。

 案の定、無意味に終わったようだが。

「キャアアアア!」「うわあああああ」

 御目下の放たれた凶弾によって、野次馬だった学生たちは一斉に悲鳴を上げて散って行ってしまった。
 ちょうどいい、御目下がヤケになって人質とらんこともないだろうからな。
 もともと朝早くの時間だから人目も少なかったが、余計なギャラリーはいないに越したことはない。

「お、オジサン!?」

 すっかり腰を抜かしてしまっていた玷は、上半身を精一杯に伸ばし俺の安否を気遣った。
 俺は無言で手のひらを彼女に向けて「大丈夫」だとジェスチャーし、そのまま御目下の眼前にまで歩み寄る。

「お、お前なんなんだよ!」

 銃弾を二発捉えた俺の異様な能力を目の当たりにし、御目下はツバを飛ばしながら俺をけなし、隠せないほど気が動転している無様な姿をさらす。
 ムリもない、俺も正直驚いている。てっきり鋼の肉体で弾道をそらすとか指で挟み込んでカッコつけようかと思っていたのに……。
 
 秒速五センチメートルで舞い落ちる俺の『髪』こそが武器になってくれるとは。
 髪、というか詳細な部位でいうところの『もみあげ』が自動的に音速を超える銃弾を捕捉し、タコのように絡めとったのだ。こりゃ普通の髪だったら自然なカールに仕上がってしまうだろうな。
 自分で言うのもなんだが、ものすごく映える曲芸をやり遂げてしまったようだ。
 
「近寄るんじゃない! このハードルで真挿の首を跳ね飛ばすぞ!」

 そう言って肩に掛けていた二台目のハードルを玷に向けようとする。
 が、あまりに判断が遅い。いまや互いに拳の届く距離にいるんだ、彼女は俺の背後にいる以上、威嚇にも脅しにもならない。
 もっと早くに捨て身の弱者に恐怖していれば玷を人質にすることも、決定的な攻撃を俺に与えることも出来たろうに。

「ハードルは飛び越すものだろう、御目下」

「ッ知った口をきくんじゃ……オ゛っ──」

 返事を出す余地は与えない。ブルースリーのジークンドー並みの速さで手を突きだし御目下のふさふさに生えそろった髪をむんずと掴む。

「なに……をしやがる……はなせっ」

 頭皮をひっぱられる痛みに御目下は一生けん命に手を振り回してもがく。
 時には俺の顔面を殴ったり足を踏んづけたり目を突いたりするが、俺の肉体の頑強さに敵わず逃れることができない。
 俺自身もここまでの肉体硬度になるとは思いもしなかったよ。髪の毛で銃弾を止めたのだってチリチリに焼けこげるのを覚悟していたんだ。残り少ない大切な髪の毛だから神経質にもなってしまう。

 が、もう不安はミジンもない。勝負はここで幕引きのようだ。
 強者である御目下、お前ひとりだけの敗北でな。

「御目下よォ、俺はお前を暴力で押さえたりしない……かといって聖人の器量で許す気もない。だから俺の目に入らない場所でお前はお前の権威を振るっていればいい」
 
「……んだとオ!」

 よほどシャクに障った言い方だったのか、目を血走らせ顔を怒りに歪めている。
 
 御目下・秀一、今の俺になら分かる。
 強者になる前のコイツはまさしく本当の英雄だったのだろう。俺のスマホで得た偽りの力ではなく、本物のアスリートとして地道に努力しめざましい活躍をしていたんだろう。

 掴んでいる髪の毛を通してコイツの肉体の記憶が俺に語りかけてくる……生きていたい、と。
 その気持ちに善悪を感じさせない。生物の本能的なもので死を免れたいという細胞の叫びを俺に知覚させる。

 安心しろ、今度からは合意を得た女性と好きなだけ楽しめ。
 お前ならいくらでも需要あるんだからさ……努力は裏切らない。

「じゃあな」

 一言御目下に告げると、俺は目を見開き歯を食いしばってぶん投げる体勢に入る。

「オ゛っ! やめ……ッ」

 砲丸投げの世界記録保持者──。
 それがお前のプライドなんだろう? 教えてくれたよ、お前の肉体が。
 壊してやるよ。今回の一件を高い勉強代にして、それを対価に新しく生まれ変わるんだ。根っからのスポーツマン精神を持っているお前なら大丈夫だよ、しょーじき暴行犯の行く末なんて知らんけど。

 耳元で御目下の最後の命乞いを聞き流しながら、俺はその場で腰をひねると九十キロはあるであろう御目下が足からふわりと宙に浮かびだした。

「お、オレ様がわる──……」

「イヤーッ!」と俺が心の底から湧き上がる興奮の気張り声の後、

 どぼおッ

 と背後にいた玷が軽く吹っ飛ぶほどの戦艦主砲並みの轟音(ごうおん)と共に、御目下という男の存在は空の彼方へと消えて行ってしまった。

「終わった……」

 一人の罪を犯した子羊が初速千メートル毎秒でぶっ飛ぶのを見送り、少なくともこの狭間市の領空おそらく二十キロ先の上空まで、焦げ付いた全裸姿のスーパーマンみたく空を飛んでいる御目下を視認すると、俺は目を閉じてひざを折り母なる大地に抱きつくように眠りについた。



[43975] 五話 夢
Name: つくも◆5c3608ec ID:6d015de7
Date: 2023/04/13 18:09
 
 霧の立ち込める病室。
 窓外を遠目に眺めても雨雲を塗りたくったように一面がコンクリート色だ。

 いつ訪れた頃だったか、忘れてしまった。
 昔のことのようだけど、最近起きた出来事のような気もする……あいまいな時の中で過ごした現実の記憶だった。

 気が付けば俺は何の変哲もないイスにかけていて、病院のベッドに横たわるやせこけた男と話していた。その男は静かで穏やかなしゃべり方で、どこか会話の節々に弱弱しさを感じさせる。

 なんのハナシをしていたっけか。
 そんな疑問を抱いても引っ張ることはせず、すぐに切り替えて冗談をまじえ男と中身のない会話で談笑していた。
 一つもおかしくもないのに、ただ互いに沈黙した時、俺にイヤな考えがよぎらないようごまかしていた。

 イスが冷たい。パイプのイスでも学校の堅いイスでもないのに、一向に温もりを感じない。俺の体温がケツを通じてイスに吸い取られてしまっているようだ。

「──覚えてるかなぁ。昔、父さんがしゃっくりが止まらなかったことがあっただろ?」

 心ここにあらずの俺にその人は妙なハナシを振ってきた。
 しゃっくり? そんなちょっとした拍子で起こる現象に、いちいち一回一回記憶しているわけがない。
 
 俺が反応に困っていると、その人は力なくほほ笑んでしゃべり続ける。

「ほら、百回しゃっくりしたら死んじゃうってウワサ、アレ友達から聞いたのか? 本気にして泣きじゃくってたよな……」

「そうだっけ、忘れたよ」

 子供の頃のたわいないハナシだ。
 ヒーローだなんだってハマってた、向こう見ずだったあの頃の。

 こんな話題、俺にとっては苦しいだけだ……話している男が楽になって喜んでくれるなら、ムダな時間じゃないからいいけど。
 こんな棺桶みたいで鬱屈(うっくつ)してしまいそうな病室に、陽気な話題っていうゴキゲンな『BGM』を提供してくれるのはありがたい。

 あれ、そもそもどうして苦しいんだろう。どうしてこんなに目の奥がワナワナしてるんだ。
 何でもない普通の会話を何でもない人と話しているだけなのに、ひたすらにツラくていたたまれないという感情で胸がいっぱいになっている。

「何度も父さんが死んじゃうよってさ、なんだかおかしくて……ホント人の言うことを信じやすいよな。からかうと『早く大人になってダマされないようになりたい』って……」

 そう男は遠くを見るような眼差しで物思いにふけっている。俺はソレに対して茶化そうともせずに乾いた笑いで応える。

「どうだったかな」

「泣いてたよ、すぐ泣くのは今も昔も変わってない……」

 何を言っているんだ。俺がアンタに泣いてすがりついているとでも。
 涙なんて中学生くらいから見せてない。現に今だって頬には何も伝ってこない。

「もう大人だし、悲しいけど泣きはしないって」

 子供のころからどれだけ苦労したと思ってんだ。
 アンタらのせいでどれだけ歪んでしまったと。

 俺の内には怒りがあれど悲哀なんてこれっぽちもない。そうだこれっぽっちもないんだ。
 なんなら今だって俺はアンタを──。

「……迷惑ばかりかけて、ごめんな」

 その人は謝る言葉に慣れていない様子で、気まずそうに目を伏せた。

「お、れは……」

 ……。
 遮るための言葉がでない。喉の奥でつまった。

「■■、あのな……」

 やめてくれ。俺が何か別の話題を考えるから、少し待ってくれ。
 こんな気が滅入るハナシにするから俺も、そこの男も現実が目につくんだ。

 何でもいいからあいまいなやりとりに戻さなきゃ。もうその人にしゃべらせてはいけない。

 俺に真実を打ち明けないでくれ。
 俺を孤独にしないでくれ。

 アンタしかいないんだよ、この世界に俺という人間を理解し愛してくれる人なんて……俺みたいな卑屈で歪んだヤツが真っすぐに信頼できる人なんて……。
 男も女もなく偽りだます必要もない、本当の俺が俺(こども)でいられるゆいいつの居場所が……消え失せてしまう。

「父さん、もう長くないんだ」

 男は……悟ったような口調で一言、この先に待ち受けている現実を俺に告げた。


 五話【夢】


「──オジサン、オジサン!」

 意識を取り戻すと、一人の若い女性が目の前で俺の肩をゆすっていた。

 こんがり太陽の光で自然に焼けた顔の肌、整っている中世的な顔立ちに、わずかに女性らしさを感じさせる唇の艶の色っぽさと、さっぱりとした短髪の毛先が揺れるたびに香るシャンプーのにおい……。

 俺は、この人を覚えている。
 ついこの間もこうして起こしてもらったっけ。 

 たしか名前は──。

「まが……かけ……る」

 なんの気なしに右手を彼女に向けて上げると、怯えるかと思いきや両手で力強く握り返し「そうだよ」と俺の呼びかけに応えた。

 そう、真挿・玷(まがさし・かける)。
 俺が異世界に呼ばれた原因となる女性であり、つながりでもある。

 なぜ彼女が? 
 なぜ俺がベッドで横たわっているんだ。倒れていたのは……。

「あっ、動かないでっ!」

 玷がベッドに身を乗り出そうとするが、構わず俺は寝ぼけたまま無意識に起き上がる動作をする……はずだったのだが、バランスが取れずひねるように左にステン、と寝転がってしまう。
 手を握って支えてくれたので派手に顔面を強打、なんてことにはならなかったが、そのアンバランスな身体によって生まれた違和感が俺に求められた『対価』の内容を思い出させた。

 あ……。
 俺の、左う……で。
 
 左腕が完全に消失していたのが目に入ってしまった。
 肩を残して切断面が肉で溶接をしたような肌色の絶壁になっている。能力の代償とはいえ、あまりにあっけない俺の腕の最期。
 
 本当に消えてしまった。
 『対価』として、俺の肉体から永遠に離されてしまったんだ。
 肉体は強化されたままなのだろうか……いや、それなら俺をここまで担ぎ込めるわけがない。筋肉バカの御目下ですら退ける究極の肉体だ、玷どころか救急隊員だってどうしようもないはずだ。

 何より『感覚』がある。
 元の、自分だけの世界で自分に吐き気をもよおし、悲しみに浸って自分を諦めているだけの……無能に戻ったのだと。

 使い切りの最強チートと引き換えに取返しがつかないリスクを背負った現実に、おかげでボケたアタマが稼働し始めた。

 そうか、さっきまで俺は夢を見てたんだ。
 不条理が襲いかかってくるイビツな世界、脳が見せた苦しみに満ちた『まやかし』の世界を。
 
 まぁ、でも悪い夢でも夢は夢、いずれ覚めるものだ。
 この現実へと覚めてしまえば不思議と悪い気分じゃなくなってきた。悪をこらしめてやったという確かな経験は、俺に勇気と自信をくれる。
 左腕が無くなっちまったというのは正直かなりの痛手だけど、完全回復というスキルの余韻(よいん)によるものなのか、早朝でいの一番にケヤキ風呂に入ってからコテージでくつろいでいるような、穏やかであり何一つ心にシミのない爽快な風が俺の肉体と精神に幸せが満ちてきている。

 こんなにも晴れやかで充実した気持ちを得たのはいつ以来だったか。
 とにかく気分が良くなってきたからには次は行動だ。

 行動行動、これからの俺は行いで自分を創り出してやる。いままでのささいな悩みなんてものはもう捨ててしまうんだ。

「──ここは……病院か?」

 四方を仕切るカーテンがさっきから視界に映っている。
 病室ならもっと騒がしいとまでは言わなくとも同室の患者さんとか看護師さんの声がしなさすぎる。

「ううん、保健室。救急車は友達が呼んでるから、安心して……」

 俺を心配してくれているのか、どこか彼女の顔には不安の影が差している。

「……そうか、ありがと」

 まだ病院じゃないのは助かった。親切してくれたのに申し訳ないが、サイフのない『異国人』としては少しでも負債を抱えたくないからな。

 警察も来るのだろうか。御目下はコネがあるから来ないような言い回しだったが……ヤツが『遠く』に行ってしまった以上、街のパワーバランスも崩れただろうし相手が一般人なら事情聴取もするだろう。
 せいぜい『不法侵入』ってな感じで済めばいいが……とある学生の制服が消えて、身寄りのない人間が制服を着ているという事実がマズい。盗みの方が罪が重そうだし。
 もっとも、制服の件に関しては大半が『トリガー』とネトリというポンコツAIのせいだけどな! ろくな操作もできないスマホいじってただけの俺が犯罪者にされてしまうとは、コレが新たなサイバー犯罪の形か。

 とはいえ、法律には逆らえない。下手すれば俺が盗みの指令を出しただのなんだので教唆(きょうさ)犯にされちゃうかも。
 法にのっとって俺を裁くとすれば窃盗罪に暴行……いや傷害になるのか? 不法侵入、身分証もないし下手すりゃ不法入国って線もあるよな。

 疑いようもないスーパーギルティ。背筋が凍り付いてきた。

 『トリガー』という異能が異世界に浸透していない今の内に学校から離れないと。
 玷の想いを叶えようぜ~、とかいう昔の携帯小説みたいな甘々ミッションは俺がキチンと安全を確保してから、のんびり幼馴染の身元を調べて玷と引き合わせまくってやればいい。

「軽い頭痛だったからもう平気だよ、何度も悪かったね」

 俺は精一杯の爽やかフェイスで「さよなら!」と告げ手首のスナップを利かせて彼女の手を優しく退けようとする。
 だがその素振りを見せた途端、ひたむきな陸上女子から目の色が変わって目にも止まらない速さで俺の手首をひねり、もう片方の手で俺の胸を突き押した。

「おっぐ?!」

 ガシャン、と激しくベッドのスプリングに跳ね上がりながら俺は強制的にベッドに寝かしつけられる。

「ダメだよ! 安静にしなくちゃ!」

 玷は俺が動かぬよう右肩を押さえつけ、しかりつけてきた。

「確かにめまいはしてきたし腰も痛い……でもホントに問題ないから」

 いつまでも学校にいるわけにはいかないんだ。
 保健室の先生に顔を見られているだろうし、この騒動で何人が俺の存在を知ったんだろうか。美少女に看護してもらったのはラッキーだが、急いで立ち去らないと厄介なことになる。

「ぜぇったいダメ!」

 うおぉ、手首をさらにひねってきた。
 片手の人間に容赦なくないですか。これほどの体術があるなら一人で戦えたろうに……。

「ちょ……あ゛っ! 今が一番痛い!」

 わりとホンキで手を放すように訴えるが、彼女は哀れみを含んだ眼差しで俺をにらみつける。

「どうして無茶なマネをしたの……」

「お゛っ! ホンとにナ゛」

 なんで急に無茶苦茶してくんだよっ!
 ぜっんぜん力弱めないんだけど、この子!
 
 俺が何度か奇声をのような「降参!」という叫びで、ようやく玷は俺を放してくれた。

「大丈夫なわけないじゃん……『転校初日』なのにアタシのせいで巻き込んじゃって……」

 彼女は声が震えだし、すっと顔をうつむかせてしまった。

「う……そうだな……手が折れるかと思った」

 転校? 何を言ってるんだか分からんが手首が死ぬ。

 俺がぜぇぜぇと息を切らしていると、玷もそれに合わせて声を殺しながら肩を上下に動かし泣き始めてしまった。

「いや、冗談だってゴメン……ホントに何でもないんだ」

「そんなワケないじゃん!」

「……」

 なんか、イヤだな。この『暗い』雰囲気は。
 余計な考えまで浮かんでくるし、物事だってろくな方向にいきやしない。
 悲しくさせてる原因の俺がいけないんだけど……この子が泣いているのを見て、『参った』という感情が前に出てくるのは、情が薄くなってきてるのかな。

「──だって……!! オジサン……腕が!!」

 彼女はガマンできずにベッドのシーツにしがみついて、ワンワンとしゃくり上げている。
 
 そりゃそうか、そうだよな。普段の学生生活で腕がぶっとんでるヤツを見たことなんてないだろうし……彼女も彼女自身のせいで俺が左腕を失くしたんだと勘違いしてしまっている。
 流れ的には玷を助けたことによって名誉の戦傷を負ったっていうのは正しいんだろうが、能力の代償ってことで別に左腕に関しては痛みなんてないし、それ以上に守りたいものがあったからこれくらい耐えられる。

「安いもんだ、腕の一本くらい……」

 泣いている彼女のアタマに手を当ててなぐさめようとすると、俺の言葉に反応してか玷は涙に濡れた顔を上げて、足元に置いてあったバッグを開けて漁りだし小さな丸い手鏡を手に取った

「髪だって!!!」

 そう彼女は俺に真実の鏡を向かい合わせた。

「え?」

 保健室の照明が俺の頭皮で反射している。非常にまぶしい。
 これは、どう、どういうことだ。何者なんだ、このハゲは。
 つるつるてんになった俺が、俺を見ている……俺か?

 俺はさっと抵抗のないスキンヘッドのアタマを一撫でした後、恐れから確信に変わり小刻みに震わせた右手で彼女から手鏡を借りる。

「なんじゃあこりゃあ!?」

 うそだろ。
 大切なもの……完全回復の『対価』は、薄髪(誇り)だった!
 何もかも失わないよう小学生の頃からドライヤーでセットし、毎日クシを使って頭皮マッサージして念押しに銀座のヘッドスパに八千円払ったりして抵抗したのに。

 き、えた。毛根から毛先まで、なけなしの俺(かみ)が──。

 一本どこじゃない、全抜けしてんじゃねぇか!



[43975] 六話 願望
Name: つくも◆4a7702b0 ID:75a4f467
Date: 2023/04/25 06:28
 終わりだ──。

 俺はおもむろに背をそらし、天井の虫食いの跡のような模様を無気力に見つめた。

 さよなら、二十年積み上げた俺のささやかな努力。
 つゆと落ち、つゆと消えにし我が毛かな。せっかく頂点に上り詰めた鋼の感情数値がみるみる内に下落していく。

「オジサン……」

 玷は瞳を潤わせ悲痛さを物語った表情で、俺からそっと手鏡を取りバッグにしまう。

「半端にしてるよりは……良いと思う」

 三十間近の大人が女子高生にフォローされてる。泣けるぜ。
 情けなさ過ぎて冷静になれそうだ。

 くつがえしたかった俺の現実(やくわり)に、玷は『きっかけ』をくれたんだ。
 失った誇りよりも、彼女を助けたという新しい誇りを向いて生きていこう。

「も……もとより覚悟の上だ」

 平静を保っていたつもりだが、そういう時に限って格好がつかないものだ。
 心配かけないよう言ってみたかったセリフなのに明らかに噛んだ。彼女に動揺を悟られたくないのでそっぽを向くと、ぐずっていた玷が「ふっ」と笑いをこぼしているのが聞こえた。
 
「あははっ、サムライみたい! この、粋だねぃ!」

「だっ!?」
 
 突然玷が俺の後頭部をペシンと叩く。
 視界がぐらつき叩かれた部分がヒリヒリする。加減の知らない強烈な威力でおみまいされた。

 えっ、なんで??

 彼女は顔をぐしぐしと空色のリストバンドで拭って涙の雨で湿らせると、先ほどまでの曇っていた表情はなくなり目を丸くさせている俺の頭頂部に手を置いた。

「なんとか……しないと、ね」

 天然でやっているのか、ただおちょくってるだけなのかは分からんが、今度はよしよしとアタマを撫でてくる。

 おいおい。何にもしなくていいんだぞ。
 何かバカな考えを巡らせてる顔だって、コミュ力足んない俺でも分かるんだけど。

「他人が他人と勝手にケンカして勝手にこうなったんだ。キミは関係……」

「あるに決まってんじゃんっ!」

「い……っ」

 弁護したつもりだったが玷の一声でぴしゃり、と黙らされてしまった。
 あっけに取られている俺の様子にハッとした彼女はイスに腰を下ろし感情的になったのが恥ずかしくなったのか、もじもじと落ち着きなく身体を揺らしている。

 玷の言う通りだ、反論の余地もない。
 どう取りつくろっても一番関係のない立場で首を突っ込んだのは俺だ。
 だからって無用な責任を負わせたくもない……玷に近づいたのも、髪の毛や腕を失ったのも元々はアホみたいにお節介な目的のせいだからな。自業自得なんだ、だから……。

 …………。
 ……。
 
 しばし沈黙が俺たちの間を埋め合わせる。
 乱暴されそうになり心に傷を負っているであろう少女に、かたやその少女を助けるために一生の傷を負った俺。
 見た目だけで判断するなら俺が最も深手を負っているし、えも言われぬ罪悪感を玷に植え付けてしまったのかもしれない、それが俺自身に対しても罪の意識を強くさせた。
 さらに言えば、この妙な関係性に合わせて詮索(せんさく)されたくない俺の態度が原因か、玷と「あの」だとか「えっと」だとかツギハギの会話というか、探り探りの嫌なこうちゃく状態が続いた。

 会話のレパートリーが尽きるとアブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシ、いつもの混声三部の合唱と風鈴の音色を合いの手に、パーテーションの向こうから積極的に夏を伝えにきた。

 だがこうしていつまでも夏の風物詩を拝聴しているわけにいかない。
 俺は一秒でも時間が惜しいってのに、どうにも彼女と話していると調子が狂ってきてしまった……こういう待ち受けてる悪い出来事に対処が鈍くなるのって、心理学で用語かなんかあったな……せい、せいしょうバイパス?
 なんにせよ、ただの陸女かと思いきや、なかなかどうして武の心得がある。
 俺が片手しかないってのもあるが、まず正面突破は難しい。この軟禁されてる現状から逃げるための隙やら口実をどうにかしないと……。


 ぐぅ。


 静寂のやぶったのは、風情もへったくれもない俺の腹の虫だった。慣れないことに脳みそを回転させていたから体力が消耗し、緊張を解けと指令が下ったのかもしれない。

「あ、いや……はは」

 本能とはいえ女性の前で、みっともない。
 俺は言い訳もできずに玷にヘラヘラと笑顔を見せることしか出来なかった。
 社会で学んだスキルも自己利益のために突き放そうとした慇懃(いんぎん)無礼な態度も、生物の欲求を前にすればあまりにもろくて無意味だ。

 そういえば昨夜? から何にも食ってないな。異世界に来た衝撃に呑まれてたってのもあるが、空腹をどうするかなんて考えてる余裕がなかった。
 金もないし、口座もおそらく異世界じゃ使えないから引き落としもできない。何よりまずサイフがないのが深刻なんだよ、これじゃ世捨て人と同じじゃないか。同じか。
 
 とするならば、あれ?
 もういいんじゃないか? 俺はお役御免だろ。
 
 学校関係者だろうが警察だろうが、敵は排除したんだし玷の色恋沙汰にムキになってまで介入する資格も意味もない。
 むしろ身柄を確保してもらわないと、マジでこの先のたれ死にするぞ。
 ああ、でも犯罪者として捕まって俺の身辺調査してもらっても、クレジットカードやら現金が戻る保証もない。不法侵入に傷害容疑なら刑務所暮らしもワンチャンありか? だけど住所不定無職が出所してもハードな人生確実だぞ。よりによってここはナンチャッテ中世でも現代風魔法都市でもないみたいだし、モンスター狩って食うにもフェンリル飼って食ってく道もない。
 どうする、逃げおおせてビクビク野良犬暮らしをするか、大人しくこの世界の法に身を委ねるか? どちらにせよ玷に関わるのはコレが最後になるか、だいぶ先になりそうだよな。
 もっと頭よけりゃスマートな立ち回りが出来るのに、なんで異世界に来てもっと追い詰められないといけないんだよ。

 ああくそ、ますます腹が減ってきた……。
 理性的に展望を描こうにも、裏付けのない未来に自暴自棄になりたくても、俺の本能がメシを食えと命令してくる。
 
 抑えが効かない食欲にたまらず腹をさすっていると、玷が「あっ」とつぶやき、またもやバッグを漁ると水筒と、水玉模様の布で包まれた『何か』を取り出してベッドの上でソレを広げた。
 姿を見せたのは小さなヨットの絵文字がスタンプされている楕円形の箱だ。

「え、ソレ……」
 
 もしかして……と俺は胸がおどる。
 だって、こんなん期待してしまうだろ。お腹ぺこちゃんなんだしさ。

 でもまさかそんな、『アレ』のワケがない、きっと……中には最小のボトルシップコレクションが入っていて俺にジマンしたいだけかも。

「余分に作っててさ……良かったら、食べる?」

 彼女がフタを取ると、中身の正体は白飯五割、唐揚げ三個、卵焼き二個にブロッコリーとプチトマトが小ぎれいにまとまっていた。
 その『箱』は期待を裏切らず、正真正銘の手作り弁当だった。素朴ながら温かみのある、幸せでお腹が満たされるの確定な王道のお弁当だ。

 うわお、マジ!? やったぞ、いただきます! ありがとう!

 飛び跳ねてでも喜びを表したかった、素直にはしを取って胃袋に厚意を流し込みたかった。
 余分にあるってのは……と俺は際の際で察し、食欲と感情を無理やりとどめた。

「っ気持ちは嬉しいけどさ、それ幼馴染のカレに作ったんだろう? もらえないよ」

 と首を振って俺は彼女の厚意をやんわりと断る。
 名前は忘れたが、確かネトリが言っていた意中の相手ってのは幼馴染の子だったはず。ならこの一生けん命に手間をかけて注がれた愛を、俺がいただくわけにはいかない。
 愛から望まれ生まれ出たモノは、真っ当でいて向かうべき道に降り立つのがスジなんだ。朝練前から作ったのならさらに朝早く起きて、彼の好みに寄り添って想いを伝えるために用意されたんだ、野暮なマネをするものじゃない。

「き、純(きいと)は関係ないってば! もう、ぜったいミカミンに聞いたでしょ、ホントよっけーな……」

 日に焼けた頬をほんのり紅潮させ、大きく見開いた目で手をぶんぶん振った後になにやらぼそぼそとミカンだかについてグチっている。
 
 しかしこれほどまでに喜怒哀楽に真っすぐな彼女を見ていると、玷は全力で生きているんだな、とつくづく初対面での印象がさらに強固なものとなった。
 生きながら心が腐り、目がにごって映る景色の色も失い、表面だけ形成された人格の冷め切った俺にとっては彼女は太陽の『光』だ。彩りを与えてくれる明かりのまぶしさもそうだが、瞳を閉じていても温かさが伝わってくる情の厚さが人を惹きつける。
 きっと幼馴染も玷に釣り合う、いい子に違いない。

「俺、近くで何か買ってくから、その幼馴染と食べな……」

 ぐぐぅぅ。
 
 俺のスキル『ごまかし』に反応し、あからさまに空腹をうったえてくる音量がアップした。
 欲を殺した渾身のポーカーフェイスがこれじゃ台無しだ。
 くっそ。俺はクズだが、下衆じゃない。心は貧しいが、人様のメシに集ってまで生きていくつもりはないぞ。ましてや異世界でならなおさら、自分の生き方も死に方も自分で選ぶ、そう決心したんだ。

「もう、無理しなくていーよ!」

 玷は呆れながらも弾みを含ませた明るい声で、アタマのてっぺんを打ち下ろすようにバチン、と叩いた。

「でっ!?」

 真上からきた衝撃がそのまま九十センチ下の尻を通過する。

「あの、頭皮を叩かれると衝撃も直にきまして……」

「ん! いーから!」

 玷が弁当を持つとはしで唐揚げをつかみ、俺の口元に持ってくる。

 え……?

「んー!」
 
 こ、これはまさか……!
 これは『マズい』ぞ……! ぜったいに『マズい』……シチュエーションはおいしいが!
 なんだよ、まさか見ず知らずの隻腕ハゲに伝説の技をかけるってのか。さすがに距離つめすぎだろ真挿・玷、節操ないのか真挿・玷、それでいいのか真挿・玷ゥゥゥ!

「いや、ホントに俺は……」
 
「とうっ!」

 拒んだ俺の口が開く一瞬のスキに乗じて唐揚げをぶち込んできた。
 空きっ腹にたっぷり肉汁のボリューム感あるザ・鶏肉は身に染みる。

 んほ〜たまんねえ。
 噛めば噛むほど次に進みたくなる、白飯の期待を裏切らない圧倒的な強者の味。
 俺の胃袋が『先』を求めてしまっている。そりゃもう喉から手が出るほどに。

「さあダンナ、ご飯も、どぞ」

 おいおい、一口目は事故で済むが、二口目に移行するのなら明確な裏切り行為だぞ。おかずどころか白飯にさえ行くんだもんな。王様だけじゃなく息子にまで手を掛ける非道な行為だ。

 しかし――。

「んぐ」

 ためらいなく、肯定。
 俺はちぎれてしまいそうな背徳感を胸に幼馴染の愛情弁当を食い散らかしている。その幼馴染とは面識すらないのに、本能のままむさぼり、口を開け二口目を切に望んだ。

 一度欲求を受け入れた俺の心は底の底まで堕ちてしまった。もはや抵抗する気もなく彼女の言葉を聞き入れ次から次へとはしで運ばれたモノをせっせと口にする。
 途中水分を補給しながらも徹底的に、米粒残さずにものの数分で食を終えた。
 
「ど、どうっスか?」

 俺が「ごちそうさま」と一気にベッドに背を預けてから脱力していると、玷が目を輝かせ味の感想を求めいまかいまかと待ち侘びている。
 
 どうかって? どうもこうもあるか、最高だよ。
 胃袋よりも満たされる多幸感でお腹はふくれ、何一つ悔いはない。
 
 現代の行き遅れた弱者が資本主義国のクズみたいなサービスでしか受けられない純然たる癒しの時間を、取り戻したくてやまない青春の時間を! 俺は享受したのだ。
 また翌日に作ってあげれば幼馴染のハートも胃袋もすぐに掴みとれるだろう。

「ありがとう……」

 それしか言う言葉がみつからない……一生の思い出だ。
 足りなかった人生のピースがそろった、そんな清々しい気分だよ。とは言えないので。

「めちゃくちゃ美味かったぁ」

 どこか寂しい眼差しで俺を見ていたが、心からの笑顔でお礼を伝えると彼女は吹っ切れたように弁当箱と水筒をしまっている。

「たはー、大げさ……あー、でも朝っぱらから倒れてたくらいだもんね。作った甲斐があったね」
 
「幼馴染の……」

「いいの! いつでも作れるし、きっと今日はオジサンに食べてもらう運命だったんだね。初日なんだし!」

 くどかったようだな。
 一言だけでも謝っておきたかったけど釘を刺されてしまった。

 つーか初日ってなんだ。異世界に移送されて一日目ってことか? まさかな。

「それに、オジサンも聞いたでしょ。どのみち純には、渡せないよ……アタシには遠すぎる人だし」

「んなことないさ……」

 彼女の瞳が切なげに揺れていた気がした。
 表面では笑っているようだが、どこか乾いている。純とかいう幼馴染に毎日弁当を用意しては他の子にジャマでもされているのだろうか。
 結局はどの世界でも競争率激しいモテ男が存在し、苦悩する娘たちもいるわけだな、
うらやましい限りだ。

 ん? 
 おかしかぁないか。
 
 彼女の言葉の節から俺がクラスの事情をさも知っているかのような口ぶりだ。
 そもそも玷の認識からじゃ俺はスーツを着たサラリーマンだ。御目下も指摘してたことだが、そんなヤツがコスプレまでして学校に来たストーカーだぞ。
 仮に助けてくれたからって、ここまで学生服着たオッサンに警戒心を抱かないなんてことあんのか? 
 フツー、御目下以上の有力者がそばにいたら気味が悪くて距離置くだろ……どうも受け入れられすぎてやいないか。
 まるでクラスメイトにでも向けたような友好的な接し方だ。なのに一貫して『オジサン』呼びだし……わけわからん。

 それともこれが十代における『フツー』なんだろうか。俺のコミュ力が壊滅的なまでに低すぎて一般的な高校生との距離感に戸惑っているだけ……いや絶対おかしいって!
 
「あっ! 渡すと言えば、忘れてた!」

 俺がふつふつと疑念を浮かばせていると、彼女は思い出したようにポケットから俺のひざ元にスマホをぽんっと投げ入れた。

「その、スマホからキミのコト調べたの、勝手にいじってゴメンね」

「や、ぜんぜん。っていうか……」

 えっ、こ、これ、は……忘れていた。玷が持ってたのか……。
 自覚のない邪悪、俺の力の根源でもありリスクでもある破滅を呼ぶ『2D娘』。
 
【おー元気そうだなYー、イメチェンかー?】

 ぱっとスマホの画面が明るくなると、あおり腐った無気力声がして画面全体にチャイナドレスのドットが打ち込まれた団子アタマの娘が姿を現した。

 そう、電脳悪魔ネトリだ。

「てめぇ!」

 俺はさっとスマホを手に取り眼前に持ってくる。
 白ワンピの純朴気取った恰好から、ずいぶんとご立派な服装になってやがる。

【ワタシさまもイメチェンだー、いい具合にエネルギーも充填されたからアップデートだぞー】

「知るかよ! 俺をダマしやがったな!」

【ダマすー? ウソは言ってないぞー。願いが叶っただろー、お前の『対価』でさー】

 このクソアプリが。屁理屈ばかり抜かしやがる。
 人に対価を支払うように強要しておいて、肝心なパワーアップの条件だのなんだの細かい説明は全部後回しだ。

「お、オジサン……?」

 たかがスマホに目を血走らせている俺に玷が目が点になっている。
 マズい、どっから説明すればいい。下手すりゃマジで危ない人だ。

 俺の『スキル』を使うか。社会人スキル『ごまかし』をな。

「あ~……とまぁ新作のスマホには複雑な会話にも順応するAIが搭載されてまして……」

【心配するなよYー、玷にはお前が寝てる間『すでに』話してあるんだぞー。十年落第していたお前は親に見捨てられ、最後のチャンスで狭間市の高校に転校してきたんだってなー】

 ネトリが扇子(せんす)を両手に持ち出しピコピコ音を立てて腕を上下させ、紙吹雪を舞散らす。

「なん……っ」

 十年!? 
 それはもはや高卒ではなく大卒を目指す年齢じゃないのか。
 ただでさえ身分証もないのに、アポ無し受験無しで大の大人一名様を迎え入れる高校があるものかよ! 

 タコが、いくら学校に潜入するからってふざけたキャラ設定にしやがって。
 どうりで玷から哀れみを感じたわけだ……つーか信じるなよ!

 じゃあ、やけに呑み込みがいいのも、俺に対して気味悪がることもなくイヤに距離が近いのも全部ネトリの筋書か……コイツ、『何を』『どこまで』玷に吹き込みやがった。

「聞いてくれ、かけ……真挿さん。コレは俺のスマホじゃなくて、ジョークスマホっていう……」

「大丈夫だよ、オジサン。ネトリちゃんのデータからキミのこと『全部』知ってるから。恥ずかしいことじゃないよ、半年ちょっとだけどお互い勉強がんばろー!」

 終わりだ──。

 何も知らずに玷が「おー!」と掛け声を上げるのでノリを合わせると、感慨(かんがい)深く目を閉じているように見せかけ再び押しよせる絶望に心を曇らせていった。
 
 



[43975] 七話 五里霧中
Name: つくも◆4a7702b0 ID:529c29c4
Date: 2023/05/08 12:39
 
 異世界にきて女子高生のノリに合わせるハメになるとは。
 何やってんだ俺……何しにココに来たんだ、俺。
 
 こんままネトリのハナシに乗っかってもムダに終わるのが見えてる。
 俺の存在を玷に受け入れさせてたようだが、転校生一人分の『席』がない事実は変えようがないし、この後に警察だの先生だの到着すれば辻褄(つじつま)が合わなくてバレるだろ。
 玷の幸せにこだわっているわりには、目的を遂行させる『コマ』の扱いがぞんざいだな。
 ネトリが何かしら対策はしてるんだろうか……スマホの一アプリでしかないコイツが? まさかな、不可能だ。

 ましてや出来るなんて期待してないし、信頼なんてもっとしたくない。合法的に学校に通えるってのは利害が一致するが、やすやすとシナリオ通りに動いてたまるか。

 俺を部品扱いしているように、あくまで『トリガー』アプリの付属品か何かだと割り切って付き合わないと、コイツ主導だと俺だけじゃなくて周りにも迷惑がかかってしまう。


 ──こんこん。


 過ぎたことに思いをはせているとノックが二度、保健室に響いた。

「カケルン、そろそろ先生たちが……代わろう」

 どこかで聞き覚えのある男の穏やかな声が、暗号のような伝え方で玷を呼び出す。

「あっ、りょーかい! はぁ、めんど……」

 玷は「ね?」と小首を傾げて同意を求めてきた後、ぎぃ、とイスをひきずり席を立つ。

 交代要員まで抜かりないとは、完全に俺を保健室から脱走させないようにまでしてるし。
 そこまでして俺を閉じ込めておく理由も……あるよなぁ。

 今まで権力の影で行われていたであろう、御目下がしてきた悪行の数々。
 それを彼女の勇気が暴きよそ者である俺が裁いた、御目下去し今、事実の確認やら手続きやら俺たち二人に関しては厄介な存在でしかない。

「じゃ、オジサン。センセーとか説得してくるから……大人しくしてるんだよ? 精密検査して一日でも早く、一日でも多く学校に通わなきゃ」

「お、おお」

 子供をあやすような言い方しなくても、逃げるのはやめたよ。なるようにしかならんだろうし。

 しかしなぁ、腕と毛が蒸発してるヤツってフツー登校なんてまともに考えられる状態じゃないでしょ、どんだけ学校好きなんだよ俺。
 異世界からスマホで召喚されました、よりは隻腕のスキンヘッド転校生の方が現実的だけど、痛みはないのに負傷兵みたいに扱われるのがどうも申し訳ないなぁ。

「真挿さん」

「んー?」

 カーテンの向こうへと去り行く彼女を一度引き留める。

 最後かも知れないだろ? 
 このまま事の成り行きに身を委ねたならば、スケジュール的に病院か警察に御用になるんだし。
 悪あがきはしてもバチなんて当たらない……やっぱり俺の名前くらい、彼女にちゃんと知ってほしくなった。

「俺さ、オジサンじゃなくてY(ワイ)って名前があるんだ」

「えっ、ワイ、Y。ふ〜ん……」

 玷はさほど関心がなさそうに返事すると、小さなアゴに指をあてて考え込む。
 そしてどこか不満気な顔でこめかみをポリポリかくと、
 
「しっくりこないかなぁ、短くて……」

 と、聞こえるか聞こえないかギリギリの声量でつぶやいた。

 しっくりこない?!
 唯一無二の俺だけに与えられた名前なんですが。

 まぁ……今はしっくりこなくとも伝わればそれでいい。

「ねぇそういえばさ!」

 玷が何かに気づいたのか急に前のめりになって会話にノッてきた。

「どうした?」

 おぉ、実は二度目の自己紹介なんだって気づいてたり……。

「アタシってさ、『オジサン』の名前知らなかったんだ、へんなの!」

 彼女はささいな違和感の正体に気づき、その何でもない過程にくすくすと笑い流す。

 ですよねー。
 名前にこだわってない、と言いながらも破廉恥な期待を寄せていた俺がみっともない。
 ただ名前を伝えるだけ、それだけのつもりで引き留めたのに。
 
 それにこの純真な笑顔を見ると、もっと話していたい、お節介な気持ちが抑えられない。

「真挿さんは、もっと他人を疑ったほうがいいよ」

「ん……んー?」

 一応声のトーンの低さから真剣な話になっている雰囲気を察してくれたが、俺の急降下した態度に困惑しているようで眉をひそめている。

「あんなゲスなコーチと取引したのもそうだけど、俺だってどんな悪いヤツかもしれないんだぞ。会った時なんてスーツのオッサンだったろ。それがホラ、学生服着て現れた上に腕と毛が消えたんだぜ?! もうなんかヤバいオーラ出てんじゃん」

 あー、何言ってんだ。会話のネタが無いからって。
 得なんてひとつもないのに、要領悪いってのは……。

「別に?」

「だろ……え゛っ?!」

 俺の忠告に対し、今度は悩む素振りもせずに秒で返事を返してきた。

「転校初日で制服がないなんて珍しくないし、あらたまった格好で学校にアイサツに来るのはおかしくないよ。年上の人なんだし……それに、そんなになってまでそのゲスから助けてくれた人を、『フツー』疑わないから」

「それは……まぁ……」

 フツー気持ち悪いと思うけど、どう返していいか分からない。
 俺が勝手にやったんだと突き放すような子じゃないし、あんまり卑屈になって俺自身をおとしめても不自然な流れになるだけか。

 くそ、誠意の皮をかぶったクズなんて世の中が腐るほどいる……それを分かってほしいだけなんだ。まっすぐ自分の幸せだけを目指して追い求めてほしいんだ。
 押し付けがましいのは百も承知だけど、純愛の道を妨げる目に見えた障害は避けて通るべきだろ。

【おぜんだてしてやったのに余計な口すべらせるなー、説教くさいオヤジはモテないんだぞー】

「……ッ」

 ごちゃごちゃうるせーんだよ、混乱させやがって……さっきから。
 余計な口を滑らせたのはオメーだ。そして俺はまだオヤジじゃない……二十八のぎりぎり青年枠に入る、はずだ。

【ワタシ様がいないとお前ホント……】

 ネトリへの反論は喉元に留めスマホをポケットにしまうと、気にも留めてないようなフリを貫く。

「──アタシのこと、ダマしてるの?」

「ん……ああ、そうだ」

 あっ、ちが!

 小細工を取っ払った直接的な言葉選びに、俺は呼ばれて応えるようにうなずいてしまった。

「えぇ?! アハハっ、やっぱり根っからの『サムライ』だね、オジサンっ」 
  
 俺のうっかりした発言にツボった彼女がまたもや一人で大笑いしている。
 
「な、なんだよ。笑うとこじゃないだろ」

「だってさ、バカ正直に人をダマしてるって認める人いないでしょ……ぷふ、ははーはは!」

「いるかもだろ、詐欺師は巧みな話術で油断を……!」

「分かったってば、も……もう笑わせないでよ~っ」
 
 あまりにツボに入っているのか目じりにたまった涙を指で拭い、そしてまたひとしきり声を立てて笑い、身体を波打たせて瞳から涙のしぶきをはじかせていた。

 もはや俺の言い訳なんて聞く耳すら持っていない。
 なんだか無性に恥ずかしくなってきた。この歳になってまでからかわれてしまうなんて、恥はかき捨てったってこんなに恥を晒してばっかじゃ異世界でも道化者だ。

「ひぃひぃ……」

 よっぽど楽しんでいただいたようで、彼女の涙と汗の友『リストバンド』でふき取り、集中豪雨の去った太陽顔で、ムスッとしけている俺をご覧になっている。

「『他人』の作った弁当をもぐもぐおいしそ~に食べたオジサンはさ、アタシに『借り』が出来ちゃったもんね? サムライなら一宿一飯の恩は忘れないっていうし……つまりさ、アタシへの恩を返すチケットは一枚残ってるわけなのさっ」

 なにそのサムライ理論。
 
「それ半分真挿さんが無理やり……さ?」

 玷は俺のことをじぃっと挑発するような目つきでこちらに視線を送っていた。

「なんだよ。ウソじゃないだろ、さっきだって……」

「……『かける』でいいよ」

 グチグチ文句をたれる俺に指さしながら、彼女はニヤリ、と口角を上げた。

「アタシさ、『真挿さん』じゃなくて玷(かける)って名前があるから」

 そう声を低くしてダレのモノマネかも分からん渋い声を出し、親指を立ててカーテンの向こうへと姿を消した。

「ミカミン来るから、『オジサン』仲良くしてあげてね~。借りはちゃんと返すんだよ~!」

「っおぃ……」

 彼女の残した呪咀とともに保健室の扉がぴしゃり、と閉じられ封印された。

 呼び止める前に行ってしまった。
 しかもオジサン呼び続行かよ!

 行動力の化身め……若さゆえ素早い。
 こちとら良心との葛藤で意思決定を二転三転させたってのに。

 …………。
 ……。

 で、どうするか。
 今度はミカミンってのと面会しないといけないの? ダレだよソイツ。

【ガッカリだぞーYー】

 ポケットからぶるぶると弱弱しい振動とともに不快なロリボイスが聞こえた。

「うぉっ」
  
 そうだ、忘れてたよ。
 ミカミンとやらが来る前にさらっと聞いてしまうか。

 俺はスマホを取り出し、すっかり怒りマークを浮かべご不満のチャイナっ子に説明を求めた。

「ガッカリしたのは『お互い様』だろうが、ネトリ。情報の後出しには限度ってものがあるだろ。よき信頼関係を結ぶにあたって、お前は人心ってのを理解する必要があるぞ」

【器が小さいなー、無敵の『トリガー』パワーを実感しただろぉ、リスクにビビってんのか能無しー】

 コイツはコイツでスネているのか、両目を横棒にして口が3になっている。

 この熱い『トリガー』推しはなんだ? 致命的な欠陥を与えるスキルなんてホイホイ使えないし、今後の異世界ライフで数回使うかどうかの諸刃の剣だろ。
 人の尊厳を軽く見てるのか、不愉快にもほどがあるぞメスガキドットめ。

「玷が困ってるなら助けるつもりだし、常識の範囲内でなら『トリガー』も使うさ。でもそれはな、俺自身の意思で、タイミングで、覚悟して『トリガー』を使うんだ。協力してほしいのなら『対価』についてもっと詳しく聞かせろ」

【……『必要』なコトだから答えてやるー】

 しぶしぶと『トリガー』のメニュー画面を広げ、淡々と能力名のタグをオートで俺に見せた。
 御目下にやられている時だからそんなに見れてなかったけど、ずいぶんと突貫工事のアプリだな。開発中のモノなのか? 単色のピンクとグレー、文字が黒、Web開発を最近やってみましたって感じだな。能力特化なデザインなのは構わないが。
 
 上から下にスワイプして、グレーのボタンに刻まれたスキル名から気に入った能力をタップし、対価を承認して発動。この時だけは操作も音声だけじゃなくなる……単純で分かりやすいことこの上ない悪魔的なアプリだ。
 なるほど、ダレでも手が付けられるからこそアプリの起動までは『ネトリ』に管理させているわけか。このスマホの開発者はぜぇったい見る目がないな。
 
【奇跡を起こすための『対価』、それには人の強い意思が関わってくるんだー。負の感情からでも正の感情からでもいいー、人並み以上の『想い』に応えて発動するのが『トリガー』なんだぞ~】

「……大切なものとか左腕とか、対価にする条件も俺が無意識に選んでいたってことなのか」

【『無作為』かなぁ、Y自身の力量だったりー、欲しているスキルの『概念』が分かりやすいかで対価が自然に算定されるんだー】

 御目下を退けるための『対価』が俺の左腕だった理由がそれか。

 ……。
 
 スマホを眺めてると……『思い出』と『色彩感覚』を犠牲にロードと透明化ってのが使えるな……たしかに一見して能力が分かりやすいか分かりにくいかで対価で取られるものの複雑さが違う気がする。
 しかし間男(まおう)とか呼ばれてた御目下も、追い詰められていたのなら対価を使って俺より強くなれば良かったのに。そうしなかったのは、やっぱり間男(まおう)ってのは根本的に力の出どころに違いでもあるんだろうか?

「……なぁ、御目下も同じ類の力を持ってたけど、まさかアイツも『トリガー』を使って強くなったのか?」

【むむ……その説明をする前に人類誕生の歴史を理解する必要がある、少し長くなるぞー】

「手短に話せよ、人来るのに」

【すみません、よくわかりません】
 
 機械的な女性の声が聞こえると、ネトリの頭上にデカい文字で謝罪の言葉が出て並んでいく。

 なんだよ、コイツめんどくせぇな。
 長ったらしい説明はやだってのに……。

「説明しようか」

「えっ……ッうわあ!?」

 先ほど玷と話していた声の主が割り込んできた。
 バッと顔を上げてみると、カーテンのスキマからぬぅっとスイカ模様の髪型をした少年が顔を出していた。

 なんつー絵面だ。ホラーゲームかと思った……。

 一度見た人なら決して忘れないであろう、十代とは到底思えぬ特徴的な髪型と厳かな顔。
 御目下に会いに行く前に出会った数少ない俺の目撃者、『御神・有(みかみ・ゆう)』が現れた。

 ミカミン、お前だったのか……玷の友達ってのは。
 そうか、名前がミカミだからか。ミカンみたいなあだ名だったから、スイカヘッドとイメージが合わなかった。

「さ、さっきはありがとう、おかげで彼女を……」

「礼はいらない。外で話そうか、カケルンが戻る前に」

 有は首をくいっと明後日の方へ動かし、俺を外へ誘導しようとする。
 なんだ、この子もせっかちだな。
 ネトリのヤツ、ちゃんと事情を話しているのか、玷と同じ設定なんだろうな
 外に連れて行こうとしてる時点で、俺への扱いも彼女とずいぶん違うが……もしかして説明した後に逃がしてくれるのか?
 
 でも玷には先にサムライ理論で釘を刺されてしまったからなぁ。
 
「ありがたいけど、保健室から出ない約束でさ。玷に借りがあるし、良かったらここで聞かせてくれない?」

 諦観(ていかん)の頂にいるかのような姿勢を見せると、あからさまに彼の表情に不満が宿る。

「キミは知りたいんじゃないのか? なら踏み出す他ない。ワタシとよき『信頼関係』を結ぶには、ね」
 
 かなり凄みを感じさせる顔で俺に選択を迫ってくる。
 顔だけ出されて来いと催促されてもシュール過ぎて反応に困るんだけど、しょうがないからコクンと頷いた。
 いつの間にかネトリもチャイナ服から屍(しかばね)の絵になってるし。
 死んだのかツッコミ待ちなのか? ずっとやってろ。

 ごめんな玷、情報を掴むためだ。
 彼と仲良くすることも約束の内だしな。

 ぬぽっとカーテンの向こうに引っ込んだ有を追いかけてるため、致し方なく俺はベッドから起き上がる。



[43975] 八話 チンタマ
Name: つくも◆4a7702b0 ID:75a4f467
Date: 2023/05/29 23:06

 保健室を出ると廊下を駆け走る女子たちが数人、風を切っていった。
 
 さっき部屋から出るときに時計見たけど、八時ちょいすぎだぞ。
 御目下との一件でにぎわってるなら分かるが、その割には俺の方にはわき目も振らず一方向に向かっているようだし……かといって男子はかったるそうに歩いていて、御目下どころか今日一日の授業すら興味がなさそうだ。

 異質なモノとして俺は学校という囲いに身を置いているが、俺自身の行為は、存在は何一つ影響を与えていないのか。

 俺の行いをほめたたえて寄り付く生徒も、悪徳だと責めたて取り押さえる者すらいない。
 つい数十分? か前に少女一人を襲っていた悪漢と戦っていた時には取り巻きが数人いたのに、人外が人外を吹っ飛ばし、その人外が隻腕のスキンヘッドになったというのに奇異なる存在に視線すら送らないほどの歪な無関心さ。
 
 それ自体は俺にとってありがたいことなのかもしれない。玷にとっても触れられたくない事件だったし、いたずらに盛り上げられても困るだけだ。

 が、この現実とたがわぬ異世界だと信じていた俺も、覚めているのに夢幻を見ているような世界観のズレに、だんだん気味悪く思えてきた。
 
「……報していない」

「え?」

 人間観察に夢中で、隣で肩を並べていた有がつぶやいたのを聞きもらした。

「悪い、なんて?」

 有は苛立ち、不愉快さに顔をゆがめることはなく俺の方へと体を向き直して正面から答える。

「原子とエネルギーで構成されるこの世界で『見えざる意思』に反応する粒子がある……すべて解明はされていないオカルトのたぐいだが、ワタシは『トリガー』の真価をキミを通して再確認したよ」

 彼は観察するように俺の頭部と左腕に視線を移しながら言葉を並べている。

「……『トリガー』に詳しいんだな」

 そうスマホをポケットから取り出して有に詰め寄る。

「ひょっとして俺の持ってるこのスマホ、おたくのなんじゃないのか」

 別に敵探しをしてまで戦いに飢えているわけじゃない。疑心にかられていると言われば否定はしないが。
 ネトリが不自然にだんまり決め込んでいる以上スマホが使えないんだ、いまやハンデしかない俺の身体で当たり構わず敵を増やすのは得策ではない。

 だからこそ単純な好奇心の目を向けて純粋な気持ちで問いかける。
 こんな独特なスマホの扱いに慣れてたし、管理者権限みたいなのでネトリを制御しているのだとしたなら、俺が異世界に来た本当の原因は……何かこの子にも関係あるのかもしれないからだ。

「どうなんだ」

 仮にそうだとしたなら、俺の持ってたスマホを返してもらいたいんだよなぁ。

「その情報は『必要』じゃない。『トリガー』の起源を知りたいんじゃないのか?」

 相変わらず、全く動じていない。眉すら動かさず固定させた表情のまま質問を返してくる。

 そのまま有は返事待たずして包帯の巻かれた左手を俺の目線の高さで止めて、とんぼを捕まえるように人差し指を俺に向けてクルクルと指をまわし始めた。

「ワタシがそのスマホの主か否か、キミのスマホが無事か否か、それは重要じゃない。キミにとっての『最重要』はカケルンのサポートであり『必要』なのは情報だ。意思エネルギーのルーツを探る、それが今のキミが優先すべき『目的』のはずだ」

「それは……」

 スマホ、なんで俺が失くしたって……。

 まぁ、現実に戻れるわけでも有が敵として俺を苦しめるわけでもないし、これ以上追及しても意味のないことか。ネトリの性格設定とかいじれたら今後の異世界ライフも楽しめそうなのに。

 俺の心情を察したように有は手を下ろして説明を再開させた。

「聞け、『対価』による願望の成就は狭間市では珍しくもない、ウワサとして有名なんだ。願えば失う、失っても願えば叶う。質量とエネルギーの関係のように有名な『法則』だ……身体、知識、技術に根差した潜在エネルギーが、もし強い『意思』によって引き上げられるとしたら、対する反動も相応に大きくなる──」

 なんだこの下り……物理学か宗教哲学? それとも魔法雑学か?
 
 ちょっとよく分かりません、という俺の呆けた顔に有は少し肩の力を抜いて駆けている女子生徒たちに目配せする。

「人の意思は常に『目的』にしばられ、『目的』に向かってエネルギーを消費させ生きている。目的(ゴール)を目指して走れば体力や精神力を消耗するように。モノを製作する時も同じ原理だ。それに意味があろうがなかろうが、大なり小なり生きとし生けるものには考えがあり、それを形にするため行動する。そのエネルギーの源を称するならば、『チンタマニウム』。『トリガー』によって質量を超えたエネルギーを引き出した結果、キミは相応の反動をくらったんだ」

「そういやネトリが……え、チン、なんだって?」

「『チンタマニウム』だ。サンスクリット語からの由来で、思考を成就させようとする力、見えざる意思の正体だ。以下『チンタマ』と略称する」

「略すなよ」

 ずいぶん真顔で小難しいこと言ってると聞いていれば、コイツ何を学校の廊下でとんでもないこと言ってるんだ。
 ふざけてるわけじゃないし、周りの学生も関心ないから平気でしゃべるんだろうけど。

「──はるか昔、人類誕生の歴史で諸説あるうちの一つだ。それはたったの一匹の精子が卵子に到達する確率と等しく、暗闇にただよう未成熟の地球に大型の隕石が追突した。その隕石に含まれていた未知なる粒子と地球のエネルギーが混ざり合い、『チンタマ』が生まれたとされている」

「う~む、壮大なのかそうでないのか……」

 内容に集中できないよコレ。
 しかし名称は置いておいても、分からないでもない。非現実的な境界線を越えてきた俺だから受け入れられるファンタジー理論だな。

「強大な『チンタマ』は、己の『チンタマ』を犠牲に無から創造するエネルギーを発し、周囲の弱き『チンタマ』を隷属(れいぞく)させたり取り込んだりする性質をもつ。もちろん細胞の中にも『チンタマ』はあり、細胞の集合体である人類もその性質を持っている。その中でも優れた『チンタマ』を持つ『有力者』は空気や水だったり、近くの物質に含まれた『チンタマ』を意思によって駆使したり創りだすことができる」

「神話みたいな荒唐(こうとう)無けいさだけど……御目下みたいな有力者はチート野郎ってことは分かったよ」

 チンタマチンタマって俺のアタマん中がおかしくなりそうだ。
 
 なんとか必死に脳内処理をフル回転させて俺なりの答えを出すと、ようやく仏頂面だった有が笑顔を見せた。呆れたような笑い方だけど。
 
「キミもその『チート野郎』を体感しただろ? そのスマホには『高純度のチンタマ』がCPUに組み込まれている。『トリガー』アプリは試作の段階だが、命を落とさないよう『ネトリ』に制御させ、なおかつ有力者以上の『チンタマ』を使い手に呼応させ増幅できる装置なんだ」

「そ、そう……」

「問題は記憶や心を『対価』にした場合、大きく人間性に影響が出てしまうのが玉に瑕(きず)。それは新しいスマホで記憶や心の保存ができるように改良していこう」

 ぐいぐいと本性を明らかにしたなオイ。試作? ネトリに制御させる? 改良だぁ?
 学生の身分でスマホを作り上げたなんて一言も言ってはないが、有のこの口ぶりはまるで技術者……『ネトリ』や『トリガー』の生みの親だって告げているようなもんだ。

 …………。
 ……。

 だからどうしたということもないか。
 俺の目的は玷を助けることだ、それ以外は気にする意味もない。

 俺が寝ている間に騒動を納めてくれたんだ、仮に黒幕であっても敵でなければいいさ。
 
 ネトリ……いや彼失くして俺は彼女のヒーローになれなかった、感謝しないと。
 特別な能力なんて俺にはなくとも、授けてくれたスマホさえ俺に使わせてくれるなら彼が悪魔だろうが神様だろうが構わない。

「俺に何をさせたい」

 彼は片方だけ口角を上げ、皮肉でもなんでもなく初めて純粋な喜びを俺に見せた。

「まずはリラックスしろ。それから、歩こうか『転校生』Yくん……カケルンが戻る前に純の元へ案内して紹介するよ」

 玷、戻ってくるのか?
 さっきもそう言って俺を保健室の外へ引っ張り出したような……。

「さあ、共に使命を果たしに行こうか」

 有は俺の肩を叩き、女子生徒たちが引き寄せられている元へと俺を誘導する。

 そうだ、逃げるだけのくだらない思考遊びは止めるって決めたろ。
 なすがままでもいい、前に進むんだ──。


 八話【チンタマ】


 有についていき階段を上ったところ、踊り場で女子高生の壁に阻まれた。
 それも横じゃない、縦長で百メートルはゆうに続いている列だ。

 どうも有の話では教室にまで続いているらしいが、なんでこんな暑苦しくてたまらない日に、夢の国のアトラクションみたいな行列に並ぶのさ。
 端から端までワイドな窓ガラスからはまんべんなく日光が降り注いできてるし、長時間ここにいたくないんだけど。

「ウグわ! ワギャオ!」

 で、俺たちの目の前で吠えているこの三つ編み娘はなんだ。
 背丈はだいぶちっこいが、はだけたワイシャツからのぞかせるへそや肩回りからは色っぽさというよりもしなやかに鍛えられた無駄のない肉体が俺の視界に入ってくる。
 
 しかもシャツの袖を肩まで剥いで、野生児アピール全開かコイツは。

 行列のしっぽで並ぶわけでもなく、乱れた女子の列を正したり待機してたり妙だとは思ったが交通誘導員的な存在なのか?

 こんな強烈なキャラがいるなら御目下の一人や二人ぶっ飛ばしてくれよ。
 『チンタマ』の法則があるから一筋縄ではいかないのかもしれないが……ああくっそ、気の抜ける名前だ。
 
「彼女は……どうすんだ、有」

 このまま踊り場で足止め喰らってても二進も三進もいかないので、この状況ですら余裕で構えている有を試すように尋ねてみた。

「どうもしない。待つだけだ」

「なんで振内くんと会うのに待つ必要があるんだよ」

「む! どぅわう!」

 俺が『振内』というワードを出すと、途端に食って掛かるように眉を吊り上げ俺の方に集中して吠え始めた。

「な、なんだよ。さっきより怒ってるぞ」

「彼女は『スイカ野郎と一緒だから何かと思えば、てめぇもキートンに用かよ。ハゲ野郎』、そう言いたいようだ」

 有のヤツ、バイリンガルなのか。この娘が何語をしゃべっているのかは見当もつかないが、ホントに何でも出来るな。
 しかしガラわりぃ発言だ……つーかちゃんとした翻訳なんだろうな。過度な意訳は心を傷つけるぞ、お互いに。

「それで、キートンって? ばすたー?」

「純(きいと)の愛称だ。カケルン以外は同学年の女子がそう呼んでる」

「へぇ」

 玷は幼馴染だから、そういう呼び方はしっくりこないんだろうな。
 パパをいきなりお父さんって呼ふのに抵抗あるのと同じだ。

「そしてワタシだけがカケルンにミカミンと呼ばれている」

「その情報は別に『必要』じゃねぇ」

「わぎゃ、ぐぅあ」

 おお、少し落ち着いた様子で何かをうったえかけている。

「ああ、構わない」

 何が!? 
 くそ、またもや俺は蚊帳の外か。
  
「今度はなんだ?」

「こうだ、『キートンに会えるのはこの握手会が終わってから、いつもみたく予鈴ギリギリまでは待つことになるぞ』とな」

「……だから大人しく待つのか」

 おいおい、タレントに会いに来たわけじゃないんだぞ。
 御目下とのいざこざがなかったことになったのなら焦ることもないが、さすがに九時近くまで待機しているのはキツいな。

 そりゃ、玷も遠い存在だって敬遠しちゃうに決まってる。
 まさか物理的な問題だとは思ってもみなかったけど、これは想い以前に弁当を届けるだけでも一苦労だ、先が思いやられる。

「待つだけってのも退屈だしさ、純について教えてくれよ。どういうヤツなんだ? 玷との仲を取り持つ俺を助けるくらいだ、親友ポジくらいの情報はあるんだろ」

 ネトリからは名前しか聞いてなかったからな。
 もっとも、この女子の列に玷を射止めるレベルだ、相当な人格者に違いない。
 もしくはロックスター並みのイケてるヤツか。
 
「平凡で特徴のないヤツさ。『幸せになりてー』が口グセだ」

「……」
 
 え、そんだけ? さらっと紹介して、五秒で終わり? 
 必要な情報以外は流さないヤツだって知ってるけど、友人についてはもう少し長く語ろうぜ。

「他にもさ、なんかあるだろ?」
 
 俺が食い下がって見せると、有は瞳を閉じておもむろに顔を見上げた。

「両親は海外旅行で住まいは一軒家。妹と二人で暮らしていて、仲は良好。カケルンとワタシとは保育園からの絡みでよく防波堤でかけっこしたり、浜辺で砂遊びをしていた。それによく灯台近くの『街子鐘(まちこがね)』広場で遊んだっけな」

「ははー、ごく一般的な最高の青春を送ってきたわけだ」

 なるほど、ダレもがうらやむ『フツー』の男子学生だ。
 男女の恋愛関係なんて映画じゃあるまいし、激しい起伏ばかりのえぐい恋愛劇なんて求められてないもんな。玷も純もこの自然あふれる穏やかな港町で惹かれあったのか。

「マチコガネって、この街の観光スポット的なヤツ?」

「そんなトコだ。この街は漁業が盛んでね。ちょっと前には刺し網漁法といって魚の通り道に……とにかく、男たちが海から無事に帰港した際に鐘を鳴らしていたのだが、さすがに早朝四時に鐘を鳴らすのは苦情が入ったようでね。今は時間をズラして出荷作業が終わった六時ぐらいにしか鐘をならさない」
 
「鐘か……」

 たしか、俺が目覚めた時も鐘の音が聞こえたような。聞こえなかったような……。
 しっかし、ネトリよりもナビしてくれるなぁ。純に関してよりも狭間市について少し詳しくなれた気がするよ。

「ちなみに街子鐘も高純度の『チンタマ』で出来ているんだ、デートスポットにもなっている。もっとも間像よりもタチの悪いウワサが流れている……男の帰りを願う鐘だから、不吉でないにしろ縁起は良くないからな」

 うわ。そりゃあチンタマの鐘だもんなぁ……。
 でもカイシャクによっては男の無事を祝う鐘なんだし、いいデートスポットだと思うのに。

「そういえば御目下のヤツも間像について縁起でもないウワサがどうとか言ってたな。アレも濃いチンタマニウムがあるんだろ。一般の人がアレに近づいて願いなんてしたらさ……」

「『アレ』はべつだ」

 先ほどまでちょっとエンジンかかったように声の調子がよかったのに、俺の選択が誤ったのか『間像』と聞いて神妙な面に戻り、突き放すような口調にもなってしまった。

 情緒が極端なんだよ、ついていけなくなる。お前は俺か。

「何が別なんだ?」

「アレは……確かに『対価』を求める銅像とされているが、ワタシの見立てではアレは『生物』だ」

「……はぁ?」

 何を言ってんのか、俺にはまだよく分かんねーが……暑さのせいからイカれたのか怯えているのか、有の顔に脂汗がにじみ出ているのを俺は見逃さなかった。

「あの『二人』の銅像は狭間市に貢献した有力者とされているが、どの書物にも詳細は記されていない。ありえないんだ……あらゆるデータが消されている。一度だけ調査のために像を削って成分を確認したのだが……」

「器物損壊じゃないの?」

「銅に近い……だが限りなく人体に近い。細胞にたんぱく質、この世の機材では検知できないほどの『チンタマ』を含んだ銅像。アレもゆくゆくはキミに破壊してもらわないとな」

「俺に罪をなすりつけるな!」

 ただの銅像ってだけで有が「むむっ」と深く考え込んでしまう。

 御目下と玷との会話もそれとなく聞いてはいたが、銅像になることを光栄に思っている節がヤツからは感じたけど、それは自分の功績を称えられるからだと……まさか『銅像自体』になるなんて……玷の口ぶりからしても……。

 なんかイヤな予感がする。
 それがどういうことにつながるのか分からないが……有が気味悪いこと言うから怖くなっただけかもしれない。

「有、その像は願をかけたりする縁起物なのか?」

「触れる者もいるが……生き物とは違って間像は『スマホ』のように自分から何をするわけでもない。仮に、何かあっても特別な『トリガー』でもない限り、『チンタマ』が反応するなんてことは……」

 有が何かを言いかけた時、三つ編みの野生児は俺たちの間に割って入り窓に張り付いた。

「──ウワゥ! あぐお、あぐお!」

 なんだなんだ!? 鳥でも見て捕食したくなったのか?!
 野生の血がたぎってやがる!

「バカな……なぜ」

「あ?!」

 気づけば有は窓の外の光景に目を奪われていた。
 俺はその後すぐに差し込んでくる光が自然な太陽光ではなく、どこからか反射してくる虹色のプリズムだと分かり、異常が迫っているのだと肌で感じた。

 俺も有に続いて窓の外を覗いて辺りを見回してみる。
 空からではない、反対側の校舎からでもない。中庭の方から……。

 中庭のすっかり緑々しさ(りょくりょくしさ)が映える桜の木の下に玷がいた。
 銅像二体の前で腰を抜かして……。

 どうし……どうして?

「おい、有! 玷が、なんなんだよ!」

 どうなっているのか理解できない。
 言葉が上手く選べず、分からない、ということを投げかけるしか俺にはできなかった。

「『マズい』、なぜこんなことが……まさかコイツのせいか…?」

「何をぶつぶつ言って──」

 有が窓から目を放し、憤怒の形相で俺の胸倉をつかむ。

「やかましいぞ、カケルンのもとに急ぐんだ。時間が惜しい……時は簡単に戻せないんだぞッ!」

 俺を見下すような物言いや冷めた表情とは打って変わり、激情にかられた有の顔には余裕もなく熱したトマトのようだった。

「来い! 純は後回しだ、カケルンの身に危険がせまっている!」

 有は手をぶん回して俺を突き飛ばすと、階段を下りて行ってしまう。

「ちょ、おいっ! なんだっつぅんだ?!」

 ただごとじゃないと察するには十分だが、いかんせん病み上がりで振り回されてばかりじゃ身体も意識も追いつかない。
 ましてや並んでいた女子たちも異常な虹の光に興味をひかれたようで窓にびっしりと虫のように張り付きだし、「きれー」だの「バズル」だの「エモい」だのはしゃぎだした。

「くそ……」

 玷が危ないってんなら、『トリガー』の出番か。 

 群がる女子を何人か押しのけ、俺はポケットで眠るスマホを握りしめて有の後を追うため中庭を目指す──。



[43975] 九話 フ×ック・ユー
Name: つくも◆4a7702b0 ID:75a4f467
Date: 2023/06/12 12:00
 次から次へと……栓を取ったみたいに!
 どうして、よりにもよってあの子が厄介ごとの中心にいる。

 有は俺のせいだって責めてたが、異世界にきて半日すら経ってない俺に何を求めてる、どうすりゃよかったんだ。
 やっていいこととやっちゃいけないことだって区別つかねぇし、トラブルを防ぎたいならご自慢のネトリか正攻法の警察を通じてでも俺を止めてくれれば良かったのに。

 なんだこの、胸の奥で留まってるモヤモヤは。
 有にはまだたくさん聞かなくちゃいけないことがあったはずなのに、嵐みたいに吹き荒れる状況がそれを許さない。
 道を示す女神や師匠も現れないし、ナビを名乗るお助けキャラだって反応なしなわけで。

 ムダに意識を寄り道させてるヒマはないのに煮詰めた思考がたまりにたまって、心ん中がヘドロみたいになってる。

 最悪の気分だよ、クソっ。
 有に言われるがまま中庭に来たが、あの切羽詰まったカンジ……『トリガー』が必要になるほどの『何か』じゃなきゃいいが。

「真挿さ……うぉ!」

 中庭にたどり着くと、間像があった場所のそばで有が身を挺して玷を虹色の可視光線からかばっている。
 とてもじゃないが長時間見てたら頭痛モンだ……溶接作業じゃないんだぞ。

 それよりも有だ、アイツがこのスマホ開発したんなら責任持って保守点検させてやる。 
 あらゆる疑念を胸の内に押し込めて盲目的なまでに不問にしてやってるんだ、協力を仰ぐくらい構わないだろ。

「有、スマホを……ちょっと──」


 ぎょおおお゛お゛ッ!


 金属の張り裂ける前の悲鳴、とでも表現するしかない空気を振動させる奇怪な音が光から発してきている。

 あ゛ぁあ、うるせえっ。 
 声が遮られるし、妙な叫びがきんきんと響いてきて耳が痛む。

 どうなってるんだ、化学反応でも起こして爆発でもすんのか。
 異常が重なると悪いことが起きる前兆な気がしてならない。

「聞こえてるか! 有!」 

 だめだ、二人の方からうんともすんとも言ってこない。フラッシュバンをくらったようなもんだし、大事には至らないと思うが心配だ。
 
 この正体不明の光のせいで身動きが、足が出ない。
 踊り場で見た時よりは威力が弱まってきてるが、ビル群の反射光並みの突きさすようなまたたきに目がくらむ。

「おい! 返事くらいしてくれよ!」

 手を前にかざしながら耐え忍んでいると、光の明滅が徐々に弱まってくる。

 チャンスと見て足元だけに視線を向け歩みを進めていると、うずくまっている玷と覆いかぶさるようにかばう有が見えた。
 
 良かった、かすかに身体が動いているとこ見ると、二人とも気絶しているワケじゃなさそうだ。
 安堵したタイミングと時同じくして鮮烈な慟哭(どうこく)も止み、やがて銅像の建っていた位置に二人の人影がゆらりとうごめく。


「──だっはっは、匂う臭う……生意気に『チンタマ』だけは活きのいい小童(こわっぱ)どもが。任を果たしたな、ハザマ」


 陰影をまとう二人のうち、片方が豪快でにごった笑い声を響かせる。
 そこからぬんと顔を出して正体を現したのは、無精ひげを生やしたチョンマゲ頭のオッサンだった。

 ボロ切れみたいな甚平(じんべい)を着たそのオッサンは人体に必ずセットされている眼球がなく、底のない二つの空洞で辺りを見回していた。

「『人の祖』よ、食事にも許可がいるのか。儂(わし)の『チンタマ』が飢えているのだが」

 オッサンがふところに手を突っ込みぼりぼりと腹をかくと、もう片方の何かに話しかける。

 何か、というより『ダレか』だろうか。
 ソレはヒト型にくり抜かれた銅色の流体……としか見えない。スライムみたいにぷるっぷるに震えているバケモノだ。

 なんなんだアイツらは、二人ともどういう立場なんだよ。
 しかも食事、食事っつったよな。不穏な言葉出しやがって……コイツら、ホントに市の功労者か? 侵略者って言われた方が納得できる風体なんだけど。

「ぎょぉおおお──」

 ヒト型のバケモノは口のあたりをへこませて返事なのかどうかも取れない、先ほど奏でていた機械の断末魔みたいな異常音を発声した。

「なんじゃい、解らん!」

 大口開けて「かっかっか!」と笑い返している。あのオッサンはジョークが通じそうだが、銅色のペプシマンは完全に関わったらマズいタイプだな。
 間像って……こんな化け物たちを銅にして中庭で保管してたのか? スターウォーズかよ。

『──アレは生物だ』

 有がぶつぶつと呪文のように唱えていた言葉がよぎる。
 冗談じゃない……目の前にいるコイツらが生物? 

 肌にハリがあって呼吸もしてる、脈拍も正常。そんな次元の話じゃない。像が人間になったんだ。
 少なくとも異世界からきた俺が見ても、そこの二人は俺たち人間の、生物としての純粋な血が通っているようには見えない。
 
 それにいかにも解放されましたってコリをほぐす口調……こういうパターンのヤツが『こちら』側の味方であった試しがない。

「うぉっ、銅像が汚いオヤジと宇宙人になったぞ! 真挿と……御神もいる」「え、間像から人が出てきたわけ!? 転校生もいるし、またトラブル?」「うぐわ、がう!」

 俺の背後からどたばたと生徒が駆けつけ、日常に現れたバグを見て危機感もナシに大盛り上がりだ。

「ぎょぉおおお──……んん」

「キャアア! ねぇ今の聞いた?! やっば!」

 化け物の咆哮(ほうこう)を耳にした女子高生たちが、背後の渡り廊下でキャピっている。

 ああそうだ。
 やばいんだよ、得体のしれないヤツらなんだから何しでかすのか読めない。

「ちとうるせぇな」

 ボソッと近くにいたオッサンがつぶやくと、「しっしっ」と払うように手首を振って渡り廊下へ目掛けて何かを飛ばした。

 しまった、酸でも飛ばしたのか?!
 エイリアンみたいに!
 
「きゃぁああ、キッタなっ。あのクソジジイ変なの飛ばしてきたよっ」「ぎゃう、ぐるるぐあ!」「うわ汗じゃねっ、変態の不審者じゃんか、キモ!」

 女性陣の黄色い声、というか生理的嫌悪感マシマシの悲鳴がしてくる。

 水滴みたいな小さな粒だったからまさかと思って損した……ただの汗か。
 たんなる嫌がらせ程度のものならいい。
 凡人である俺には今は背後にいる彼女らまで気を配っていられない。

 異様な二人組のオーラに当てられ俺は、早急にバランスの取れない身体を稼働させてカメのように身を固めている玷たちの傍に寄る。

「大丈夫か二人とも!」

「っ……え、オジサ……痛っ!」

「ぐっ」
 
 声をかけた俺に反応して不意にアタマを上げた玷が、かばってる体勢だった有のアゴにヒットする。

「ありゃあ……ごめんねミカミン!」
 
 かなりいいのを有におみまいしたみたいで、彼はそのまま仰向けにひっくり返ってしまい、玷は頭を撫でながらペコっと謝った。

「なに遊んでんだお前ら」

 有にスマホ診てもらうつもりだったのに、KOしちゃってどうすんだよ。

「オジサンが呼ぶから……じゃなくて!」

「うぉっ」

 こんなはちゃめちゃな事態だってのに、玷はムッとした顔で俺に詰め寄ってくる。

「約束!」

 今そこ気にしちゃう?
 半ば無理やりのサムライ理論で押し付けられた約束なのに……有の監視の下、保健室で安静になんかしてられるかよ。

「そんな場合じゃないだろ! どういうことだよコレは?!」

「えっそれは、その、オジサンを……」

 玷は何やらぶつぶつと呪文を唱えていると、バツが悪そうに目をそらしてから次第に声が小さくなっていってしまった。

 玷を責めても一般人の学生である彼女にこの状況が説明出来るわけないか……彼女には恩義も感じている。素直にあやまって信頼の回復をはかろう。

「約束破ったのは謝るよ。でもさ、もう半分の約束は守ってるぞ。そこのペテン野……ミカミンと仲良くしてるだろ?」

 仰向けで気絶している有にシュビッととっさに指を差して話をすり替える。

「そ~ですケド……そうかな?」

 じと〜っとした眼差しで俺をにらみつけている。
 どうも半信半疑ってカンジか。ごまかしスキルも限界か……。
 
「──彼が寝ている間に話はつけたじゃないか、カケルン。もう必要以上にソイツに関わるな」

 気まずい沈黙の合間に有がつぶれたカエルみたいな状態から口をはさんできた。
 
 なんだよ腫れ物に触るような言い方しやがって。玷を守るためだから話を合わせるが、あまり当人の前でおとしめるマネをするのはおススメしないぞ。

「彼の気持ちを尊重するなら一日でも、いや一秒でも早く勉強に復帰させてやるのがベストだ。その根回しも『ボク』が請け負ったと言ったはずだろ?」

「……え、そうだっけ」

「ああそうだ、つまり余計な真似はしないでくれ」

 バケモノそっちのけで俺の学習相談してる場合か。
 しかも噛み合ってないじゃんか。

「アタシだってこんな大ごとにするつもりは……もう」
 
 玷は不満げにため息をついてから有に手を貸し、ゆっくりと起こしてあげていた。

 体勢を戻すと有が軽く咳払いしながら俺の方に「おい」と一声かけ、彼女にチラッと視線を送る。

「カケルンを避難させる。ココにいたらマズい」

「アイツら、やっぱり敵なのか。『トリガー』を使いたいんだ、でもスマホが……」

「『今は』使えない、まずは安全確保だ。カケルン!」

 有が玷を急かしながら手を取ろうとするが、彼女は差し出された手を華麗にスルーし、不審者二人組に近寄っていく。

「おいカケルン!?」

 呼び止める有だが、すでに遅かった。
 玷は勇猛果敢にも見ず知らずの二人組の前に相対する。

 そうだ、この子……とりあえず対話してみる子だった。
 未確認生命体に近づくクセは直した方がいいな……みんながみんな善良なE.T.じゃないんだぞ。助けられた俺がこんな冷めたこと思いたくもないが、彼女は悪漢のカモと言ってもいいだろう。

「なんじゃい、小娘」

 じょりじょりとヒゲを撫でながらオッサンがたずねると、彼女は深々と頭を下げ俺の方に指を差した。

「お願い、間像さん! あそこにいるオジサンの『全部』を返して上げて! 代わりにアタシが対価を払うから」

 …………。
 ……はい?

 なん、なに? 全部って??
 俺が失ったものを返し……なんで玷が。

「何を──」

「何をバカなこと言っているんだカケルン! 正気か、自分の言ってることを理解しているのか?! 命をどぶに捨てるに等しい行いだぞ!」

「おい」

 有がここ一番に汗を浮かべ取り乱した表情(かお)になっている。
 ああそうだ、彼女の行いには意味がないし、俺の努力を、覚悟を拒絶するようなもんだ。

「俺のこと気にすんなってさっき……」

「真剣に話してるんだから、二人とも黙ってて」

「いや真挿さ──」「ソイツに──」

「いいからっ」

「「……」」

 有も俺も玷を引き止めようとするが一蹴されてしまい、その場で立ち尽くす。
 
 どうして玷のヤツ間像から出てきた怪物に対価の話を持ち掛けて……。
 と、間像について考えた時、御目下と玷が話していた間像のウワサと有が言っていた高純度『チンタマ』の話がつながった。
 
 まさか俺が間像に願って対価を支払ったと勘違いしてんのか? だから間像の対価は間像に返してもらおうと? 
 ネトリと有のどっちが玷に事情を説明したのかは知らんが、『トリガー』に興味を持たせないようにしたのは裏目に出たんじゃないのか、コレ。

「そこの『かたわの禿』はお前の想い人か?」

「え?」

 オッサンの問いかけに玷は頭を上げた。

 ウォオ! 何聞いてんだあのオッサンは!
 知りたくもないのにずけずけと玷によぉ!

「やめろそれは!」
 
「他人です。タイプでもないです」

 わァ……ァ……。

 そうきっばりと告げた彼女の背中を、言葉を俺は忘れない。
 間接的にフラれたみじめな思い出を。
 ちなみにタイプでもないんだね。死にたいね。

「──でも大きな恩があるんです。助けてあげたいんです」

「……」

 玷、義理堅いのはおたくの方だ。

 御目下とのことなんて災害に巻き込まれたようなものなのに、彼女の方がよっぽどのサムライソウルを宿している。

「しかし他人程度ではなぁ。貴様のチンタマが反応する『対価』となると……っ」

 あのオッサン。自分から質問しておいて、すでに遠い昔話みたいに興味を失っている。
 真面目に考え事しているようで、さっきからあの空っぽの目で彼女のカラダを値踏みしている。野郎である俺には分かる、鼻の下伸びてるし。

 ただでさえ面倒そうなヤツらなのに、注意を引いてしまったようだ。
 案の定、下手に出て懇願する玷を見て次第に下卑た笑みへと変わっていく。

「あ、あの〜……ちんたま?」

「……」

 玷の疑問を無視しながらオッサンは吟味し続けている。

「女にしてはさっぱり髪だが、なかなか質のいい雌よ……」

 両目のない面でジロジロ凝視してきて、気圧された玷は怯えるウサギのように縮こまっている。

「うむ、ちょい乳は抑え気味だが……形好し。尻は張って特に善し、白粉も口紅もなく顔の素材も良し。熟れてはいないが久方ぶりの優れたおぼこか……」

「は、はい?」

 こっちまで聞こえてんぞエロオヤジが。
 ド直球すぎて玷が体のけぞらして引いてんじゃねぇか。いつの時代の変態ジジイだよ。

「真挿さん、もうよせ! 学んだことを活かすべきだ。御目下と同じ状況だぞ、やすやすと信用するな。二秒前も俺に裏切られたろ!」

 俺の忠告に彼女は振り返り、へんに真剣で、それでいて酷く引きつった顔を向けてきた。

「お、オジサンは引っ込んでてよ! アタシだって分かってるから」

 いや絶対分かってない、そのマジな顔は。
 なんか間像から出てきたヤツらをランプの魔人かなんか友好的な存在だと思ってないか。
 ソレは願いを叶える為の試練だとか、神聖な儀式の下準備的な真面目なモンじゃないぞ。どう見てもよくある最低なセクハラだ。

 ご経験済みの彼女なら「バカバカしい」とビンタして去ってしまいそうなもんだが……ムダに愚直で頑固すぎるぞ。

 あの性格上、言い争っても埒(らち)が明かない。悪いが玷を無理矢理連れていく。

「とにかく俺と──」
 
 玷に近づこうとほんの少し脳からの電気信号が足に行き渡り、右足の爪先を出した時だった。
 ざん、と重くしなやかな『線』が真上から俺の視界に落ちてきて、足先のレンガのタイルを斬った。

「なっ……だ!?」

「オジサン!? 大丈夫!?」

「あ……あ……」

 なんだ、ダレがやった。
 どうやった……なにした。あのオッサン……か?

 ど素人にでも分かるようなハッキリとした斬撃痕の警告に俺は情けなく腰を抜かした。
 もう少し早く右足を出していたら、俺は……。

「かっかっか! 情けないハエよ」

 とぼけた笑い方だ、おちょくっとんのか。
 手を広げていたところを見ると、何か魔法の剣みたいな異能を……。

「鈍く(にぶく)、鈍い(のろい)。そして弱い! 言葉さえも意気地が無い。弱者は思考がもたつき、戦う覚悟すらできない。『チンタマ』の薄い腰抜けは強者に奪われるだけの存在よ」 

「意気地なし!? 覚悟がないって……?!」

「うむ」

「ふざ……ふざけんなよ変態野郎がッ!」

 おたくらのお仲間っぽいヤツを、強者を国外追放したのは俺だぞ。それも右腕を失ってまで……その俺を──。

「じゃあ、対価で奪われたオジサンの腕と髪は戻せないの!?」

 おぉ、そこに食い下がるか真挿・玷。
 オッサンが言いたいのはそうじゃないよ。

「戻せんこともない」

「ホント!? どうすれば、あの人を……」

「儂の女になれ、さすれば願いを叶えよう」

 オッサンはニッコリと「よくぞ聞いた」と言わんばかりに欲望百パーセントの顔で最低な条件を玷に提示する。

「お、んなって……か、カノジョってこと、ですか?」

 呆気に取られたようで、玷はオッサンが言った言葉の意味を理解するまでに時間がかかっている。

「視ればそこの虚弱坊主、己の器にそぐわない対価で肉体欠損している。ちょい肉体を戻すには難儀するのでな、身体を戻すなら貴様のカラダを儂にささげろ。身籠るその時までな」

「……」

 いや黙るトコじゃないだろ玷!?
 ふざけてる。根拠のないデマカセで彼女をオモチャにする魂胆が見え見えだ。

 ジジイ、人を馬鹿にするのもたいがいにしろ!

 そう不条理な出来事に叫ぶだけなのに、歯向かえない。
 あ、足が震えて喉の『詰まり』が取れない。言葉にして出せなくなってる。
 スマホが機能しないだけで、俺は簡単に恐怖してしまう……御目下の時に見せた勇気は……覚悟は……っ。

「『玷』……もう、いい」

「えっ」

 彼女は不意を突かれたように、尻もちをつく俺に視線を向けた。

 そうだ、俺は弱い。
 どう取り繕っても弱い心は隠せない。
 
 なら玷にそれを知ってもらえばいい。
 そうすればこんな大人のビデオの導入みたいなやり取りなんかしなくていい。

「もういいんだ、こんな下らない茶番劇はさ……お前を助けたのは、こんな俺にも何か出来ればって、口だけじゃないんだぞって証明したくて……正義感からじゃない、身勝手にお前を利用して、満足して……ここまでされる筋合いはない」

「……」
 
「薄い髪は自前だし、いつかはスキンヘッドになる運命よ……転校生ってのもウソだし、この学生服も他のヤツから剥ぎ取ったから左腕がなくなったんだ……俺は出来てる人間でもサムライでもない、ウソまみれの罪人なんだよ」

 俺はうつむいて、何もかも自白した。懺悔(ざんげ)に近い思いだ。多少の脚色はあれどウソじゃない。こういうのはさっさと吐き出してしまった方が、後腐れなくていい。有やネトリの都合なんて知るかよ。

 異世界人ってのも突飛すぎるから伏せるが、いちいち心に矛盾を抱えたまま彼女の善意に触れたくない。

「オジサン」

 玷が俺を呼んでいる。
 おそるおそるサビついた関節の動作で見上げると、玷は屈んでいて俺の目線に合わせてくれていた。

「アタシにとってはさ、オジサンはヒーローだから……それだけはホントだから、オジサンの力になりたいって思ったの。他のことはどうでもいい……服はきちんと返してあげてね」

「だから、『だから』ヒーローってのは……」

「アタシも良い子でもなんでもないし、身勝手な気持ちで助けたいと思ってるの……自分を閉じ込めて自分ばっかり責めて、自分を苦しめないで」

 玷こそ俺に無用な罪悪感を抱いて苦痛を受けているんだ。
 
 俺の存在が彼女の苦痛の種になっている。
 俺にとってそれが一番苦しい。

「俺は苦しめてなんか……納得してるって言いたいだけで」

「ウソ、初めて会った時から苦しんでたもの」

 んだよ、そんな哀れんだ目で見ないでくれ、何も言えなくなる……。

 
「──ふあぁあぁあ~~~」


 突如オッサンがわざとらしくあくびをして割って入り、首筋をカリカリかいてから鼻をほじくり始める。

「つまんね。なぁに弱者同士で慰めあっとるか、儂のを慰めんかい」

 この野郎、水差しやがって。
 てめえのしょうもない条件なんか呑ませたくねぇから玷を追い払うつもりだったのに、失敗だ。

「いっそ……むっ?!」

 オッサンが何かを言いかけた瞬間、空いている手を真横に出す。
 が、それよりも早く伸びてきた銅色の触手がオッサンに対する『害』を振り払ったようだ。

「あ……っぐぅう」

「有!?」「ミカミン!」

 俺が少し視線をずらすと有の身体が宙に浮かんでおり、あの胴色のペプシマンの身体から伸びてくる四、五本の管みたいな触手に肢体が突き刺されていた。

 どうりで静かだと思ったら、アイツ不意打ちをたくらんで。

 足元には御目下のスターターピストルが転がっており、俺と玷のやり取りで気を逸らしたオッサンに奇襲を仕掛けるつもりだったのかもしれない。

「キサマらにカケルンは……渡さん……神の御名によりて」

 そんな状態でよく神だのなんだの……有のヤツ。
 こんなピンチの状況でも黒歴史をつづっていくとは、逆にカッコいいのかもしれん。

「神なら貴様を刺しとる」

 退屈そうに目を横に流し、オッサンは鼻に詰まっていた胴の鼻くそをピンと指で弾いた。

「んな……なに……?」

「ぎょおぉおッ」

 不可解な言葉に有が引っかかるが、再び気味の悪い金属音が爆音で流れ出す。

「うぉぉあああ゛あ゛!!」

 串刺しにされてる有も声に合わせて叫び出した。
 よく見れば胴の管みたいなのが、一定の間隔でふくらみを帯びており、有の身体から『何か』を汲み取っている。

「有ゥ! 何やってんだお前ェ!!」

 後も先もいらない、力も無いが知るか!
 立て、立つんだY! お前も戦うんだよ。

 あの子の前でみっともない姿をさらせるかよ! 体当たりしてでも凶行を止めねばならない!
 俺の行いをヒーローだって言ってくれた玷のために、アイツの友達を助けてやれ!

「こんのペプシ──」

 ……。

 ふと、俺の腹に軽い衝撃が抜けた。
 風でも当たったのかと思うくらいの、弱々しい……。

「オジ……」

 玷が言葉を失い、たたずんでいた。

 あれ、声がでない……だけじゃない。足の力も、ふんばれない。

「ぐぶっ」

 筋力が無くなったのか、口元から何かこぼれて……鉄の味が、する。
 せっかく自分を奮い立たせて起き上がったのに、そのまま立ち上がった勢いでひざが折れ、ずきんとふとももに痛みが走る。

 何が起き……。

「『あゝせ成る』」

 あのオッサン、何を、汗だくで忍者みたいな印を結ん……。
 
 そう玷の背後にいるオッサンの行動に気付いた時、とめどなく俺の口からふき出しあふれてくるヨダレの正体を察して見下ろした。

 数滴、タイルに見慣れない血紅の雫がぽたりぽたりと落ちていく。
 原因は身体の腹部と両脚の三か所、血を弾いている透明の、液体みたいな棒がゆらめき、ささって──。

 襲いくる痛みに思考がおぼつかなくなり、俺は倒れ伏した。

「かぁっ、こんな雑魚に『技』を。貸し借りはナシだぞ人祖」

 顔だけ擦り上げると、有はとうに搾り取られてぐったりとのびている。
 血が滴っていないところを見ると命に別状はない、と思いたいが……。

「──むやみに人を狩るな『汗かき地蔵』。私の蒔いたチンタマだ」

「貴様もそこの餓鬼を殺ったろう。これからココの人間を喰らうのに堅いことを言うな」

「取り戻しただけだ、殺してはいない。それに、あくまで目的はそこの娘だ」

 聞きなれない渋い声とのやり取りが耳に入る。
 俺は首をそらしてさらにごみを見るような嫌悪感ある眼差しの甚平のオッサンの隣に、純黒のトレンチコートを羽織り身だしなみがきっちりとしたオールバックのオッサンがいた。

 狙いは、やっぱり玷なのかよっ。
 それにあの変態野郎、人間を喰らうだと……想定内すぎて驚きもしないぞ。

「済まないな、ぼうや。私の『知識』は私のものなのでね」

 流し目で有を見ると、挑発的に両眉を上げて誠意のこもっていない謝罪の言葉をかけていた。
 有から何かを吸い取った銅の物体があんなダンディなオッサンになったってのか? もう人間業じゃねぇ。

 最悪だ……残された玷はどうなる。茫然自失になってるぞ、好き放題されちまう。
 と、いよいよ他人を気遣っている場合でもない。

 寒い。
 寒くて、生きる意思が身体から抜けていく。
 御目下の時は違う、圧倒的なまでに迫る死の実感に、死にゆく俺への絶望。

 結局俺だけじゃ何一つ為すべきことをやり遂げられなかった。
 玷の想いを、俺の意地を守り通すことも出来ず、みじめに死んで──。

【遠隔操作が解除されました】

 …………。
 ……ん?

 今の通知の声と電子音、どこかで……。

【おぉー、ワタシ様の復活だぞーY-。会いたかったかー?】

 この呑気で間延びしたような口調、間違いなくアイツだ。
 どこだ、どこに落としちゃったんだっけ。さっきまで俺、持ってたのに。
 
 あっ、足元に転げ落ちている。角度的に画面は見れないがネトリが足踏みしてるピコピコ音が聞こえるぞ。

 壊れていたんじゃないのか。それとも有が倒れたから……。
 んなことはどうでもいいか! 早く『トリガー』を……!

【まぁたこっぴどくやられてるな~Y~。それじゃ『トリガー』メニューに触れないぞー】

「そ……なんだ……はや、く」
 
【慌てるな~慌てるなぁ~、使用履歴でショートカット無双が出来る機能があるんだぞー、しかも音声操作が可能なのだー】

 ああ、知ってるよ相変わらずうざったいな! もともと音声でしか動かせなかっただろ。
 対価はいくらでもくれてやるから早く力を俺に!

【対価の内容を承諾しろよ~】

「OKだ……しょう、にんだ……」

 どの道このままじゃ死ぬだけだ。
 肉体のどれかと、大切なものだろ? 見るヒマなんかあるか。

「『トネリコ』?」
 
 トレンチコートのオッサンがネトリとの会話をいち早く察し、俺に近づいてくる。
 
 だが、間に合ったな。脳内に電子音がピロンと響いたぜ。
 玷を守り切る、相手が推定無罪だろうが知ったことか、こちとら歪んだ弱者だ。

 お前ら強者の足をとことん引っ張ってやる──。


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