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[44273] 願いの神 01
Name: kanazsche◆d5103bc0 ID:630a7941
Date: 2026/03/22 18:39
夜。極寒。雪が舞う、大晦日の夜。
厚く降り積もった雪の上に刻まれた無数の足跡の中に、壁際に沿って残された小さな足跡があった。
一人の少年が力なく膝をつく。その手はとうに感覚を失い、斬りつけるような寒さで赤紫に腫れ上がっていた。
彼は不遇な身の上で、賑わう街を彷徨う。
冬の寒さに凍え死ぬべき下層の存在。通りは彼のような者たちで溢れているが、誰も目を向けようとはしない。
誰もが自分のことで精一杯なのだ。
不幸で、あまりに無残な人生。冷え切った人の心。
誰一人として彼を顧みる者はいない。
少年は再び立ち上がった。肌は凍傷で赤く染まっている。
体は限界を迎えていたが、魂はまだ屈していない。
もしこの寒さに耐えられず、家族を死なせてしまうようなことがあれば、それはあまりに罪深いことだ。彼の心は自責の念で死んでしまうだろう。
少年は歩き続ける。
裸足が雪に沈み込み、冷たい雪が痩せ細った足を包み込む。
歩くための両足は、すでに感覚を失っていた。
このままでは雪像になってしまう。
吐き出す息の一つ一つが凍りつき、空気に溶けていく。擦り合わせたのか、あるいは寒さのせいか、両手は赤く火照っていた。
肺は冷気に晒され、胸の中で破裂しそうなほどに喘いでいる。
歯の根も合わないほど全身が震える。
四肢はもはや空の殻のように、感覚が遠のいていく。
パンはとうにカチカチに凍りついていた。
家に帰るまでに火を焚き、親子二人が飢えと寒さで死ぬ前にこのパンを解凍できるだろうか。少年はそのことだけを恐れていた。
人で埋め尽くされた通りで、彼は独り。
孤独で、寒冷。
足は止まりそうだが、心がそれを拒絶する。
今日、炊き出しで手に入れたわずかなパン。
老いた父の期待を裏切らないためにも、この大晦日の夜を越え、必ず持ち帰らなければならない。
「寒い……」
少年は、言葉にならない呟きを漏らした。
煤けた木のドアが軋んだ音を立てて開き、継ぎ接ぎだらけの板に囲まれた、狭く、みすぼらしい空間が露わになる。
暖炉の前には、髭面の男が座っていた。
その暖炉は、春の陽光のような、温かな黄金色の光を放っている。
少年は無意識に腰を下ろし、凍てついたパンを取り出すと、火にかざした。
父は少年の手を取り、そのパンを解凍するために一緒に火へ向けた。
「今日はこれだけだ。もう全部なくなったってさ」
「ああ、構わん。食える」
父親は、長い間水を求めていたかのような、枯れた、乾いた声で答えた。
少年は自分のパンを父親に差し出す。この老いさらばえた男が、少しでも長く生き延びられるように。
人は誰もが死ぬ。
だが、少年は後に知ることになる。全ての死が平等ではないということを。
だからこそ、この父親がどれほど救いようのないクズであろうとも、少年は全力を尽くして世話を焼いた。
食事を終えると、男はだらしなく寝そべり、酒を煽り始めた。
敷物の上に転がったまま、喉に酒を流し込む。量が多すぎたのか、男は激しくむせ返った。
その飲み方は反吐が出るほど汚らしかったが、少年には日常の光景だった。
食べこぼし、溢れる唾液、口元に張り付いたパンの屑。
軽蔑すべき姿だった。
「気味が悪い」
老いぼれがこちらを向く。
「……ふん、あぁ」
少年は唇を震わせたが、それ以上は何も言わなかった。
「勝手にしろ、けっ。反吐が出る。……あんた、煙臭いんだよ。焦げ臭くてたまらない」
老いぼれは何も言い返さないようだ。少年は畳みかける。
「俺は外であやうく死ぬところだったんだぞ、クソ親父。この薄情な畜生が」
一通り吐き捨てると、少年は止まった。
パンの欠片を人差し指と中指の間に挟み、煙草を吸う仕草をする。
どこかで、煙草は心を晴らしてくれると聞いた。
今日の煙草屋はひどく混んでいた。誰もが阿片を奪い合おうと血眼になり、街全体が中毒者の群れのようだった。
少年も何度か試したことがあるが、今ではそれを断ち切るのが難しいと感じている。
「おい、クソ親父」
少年は向き直った。
「なんで灰皿の中身を自分にぶっかけてんだ? 火葬のつもりか?」
ただ眺めるだけで、止める気はなかった。
今日の男はやけに静かだ。不気味なほどに。
だが、少年はその静寂を好ましく思った。
男はまるで袋詰めの死体のように横たわり、何十個もの灰皿の中身を浴びている。
その姿は、まるで生きたまま焼かれているかのようだった。
この老いぼれは、いつも少年を殴り飛ばしていた。
だが、新しい年を迎え、心を入れ替えたのかもしれない。
息子に、幸せを分け与えたいと思ったのかもしれない。
しばらく考え込んでいて、ふと気づいた。
――ああ、なんて暑いんだ。
さっきまで外にいて、手足がもげそうなほど凍えていたのに。
ここは温かい。いや、熱い。まるで氷漬けの心がじわじわと炙られているようだ。
暖炉一つでは、これほどの熱は出せないはずなのに。
凍りついた手足の感覚が戻るどころか、今は火傷をしているような感覚だ。
まるで薪のように硬直した手足。熱かろうが冷たろうが、もうどうすることもできない。
突然、親父の毛布が燃え盛る綿の塊に変わった。
おいおい、あいつ、毛布まで燃やし始めたのか。
煙草を吸っているのか?
それともパンを食べているのか?
記憶が曖昧だ。
不意に空から何かが降ってきた。薪が俺のうなじに、頭蓋に叩きつけられる。
重い。頭蓋骨が陥没しそうなほどの衝撃。
振り返らなくても、背後に親父がいるのがわかる。
新しい年になっても、あいつは相変わらず人を殴る、俺を殴る。
だが、どうしてだろう。あの木材がひどく軽く感じられる。
俺の心が軽くなったからか? だから何もかもが軽いのか?
下層階級としての俺の人生も、風に舞う灰のように、軽やかに流れていくのか?
寒さが思考をかき消し、熱が意識を焼き尽くす。
脳が痺れ、外の音はもう何も聞こえない。
激しく燃え上がる廃屋の真ん中に、俺は座っている。
火の粉の匂い、死体が焼ける臭い、舞い上がる灰の気配。
きらめく残骸。きらめく火光。きらめく夜空の星々。
親父が隣に座り、小さな頭に薪を振り下ろして俺を慰めている。
瓦礫の中に横たわった親父が、まだ罵声を浴びせている。
燃え盛る袋のような親父は、生前の野望そのものだ。激しく、長く、だがちっぽけに燃えている。
三人の親父が、俺をどこかへ連れて行こうとしている。
慰める親父は俺を聖なる場所へ、罵る親父は俺を道連れに、燃える親父は……いや、何もない。
ふらつく体で立ち上がる。眠い。
燃え広がる炎が心臓と魂を炙り、俺を現実に引き戻す。
大晦日の鐘の音が響く。年の瀬。
輝かしい未来を叫ぶ、愚民たちの歓声が聞こえる。
その音が俺を呼び覚まし、硬直した足に走れと促す。
磁器のように白く凍てついた両足。
だが、空虚な温もりを前にして、俺は背を向けた。
熱気に赤く染まった視界の中で、世界がぐるぐると反転する。
一眠りしてしまいたい。体も、魂も、心も、すべてを軽くしたい。
だが、今寝れば、死ぬ。
パンを捨て、万物を捨て、ただ前へと歩み出す。
霧の中を、凍てつく冬を、そして家族の情愛と赤い血が燃え盛るあの家を、背にして歩み続けるように。
シトナラ(Chidnara)の街の関門。
凍りついた水面から足を上げる。
足はとうに限界を迎えていたが、意志がまだ折れていないのであれば、困難を前に挫ける理由などどこにもなかった。
関門を見つめるその瞳には、夢と悪夢、そして未来が同時に映っていた。
先ほど、路地裏から飛び出した時、見覚えのある老人たちの姿が目に留まった。
親父と自分を追い回していた借金取りだ。
奴らは何事か喚き散らしていた。
あの狂った親父は、借金を帳消しにするために自らを焼き尽くし、すべての負債を俺に押し付けたのだろう。
どこまでも薄情で、無慈悲な男だ。俺に苦しみを与えるためなら、自分を火葬することさえ厭わない。
あいつは、それほどまでに俺を憎んでいたに違いない。
そして、不意に借金取りたちが俺を見つけた。
心臓が口から飛び出しそうになる。眠気は吹き飛び、死に物狂いで駆け出した。
奴らは追ってくる。どこまでも、どこまでも。
頭を槌で叩かれたような衝撃が走り、脳髄から血が噴き出す感覚。
いっそ死んで楽になりたいと何度も思った。だが、魂は生きることを切望していた。
この惨めな日々を続けるために、死なないために、走らなければならなかった。
そうして、俺は逃げ切った。
道端の木陰に身を寄せ、泥のように眠りたかったが、目を覚ましていなければならなかった。
数時間が過ぎ、ようやく眠気が引いていく。
安堵とともに、言いようのない不快感が胸に重くのしかかる。
さらに数時間が経ち、遠くの山脈から朝日が差し込み始めた。
少年は、言うことを聞かない体を引きずって立ち上がる。
右に行くべきか、左に行くべきか。別の街へ続く道がどちらかもわからない。
もう戻ることはできない。あの街には、奴らが網を張っているはずだ。
遠くに、巨大な看板が見えた。シトナラと書かれている。
夜が明け、月が太陽に座を譲り、空はいつもの穏やかな青色を取り戻していた。
入り口には、激流のような人の群れがひしめき合い、押し合いながら門へと吸い込まれていく。
少年は列の傍らに立ち、やがてその中へと足を踏み入れた。
シトナラの人々の歩調に合わせ、隙間を縫うように進む。
新しい年の、新しい人生。
少年は門を抜けた。
古い街に置き去りにしてきた苦難を、ついに乗り越えたのだ。
少年は人込みの中に混じり、一歩を踏み出した。
目の前に広がる光景に、息を呑む。
シトナラ。
この王国の誇る、最大級の繁栄を極めた首都。
それは、彼がいたあの街とは何もかもが違っていた。
炊き出しの列、崩れかけの家々、孤独で悲惨な人々。
そんな場所とは、雲泥の差だった。
自分の視界がいかに狭く、この世界の全容を知らずにいたかを思い知らされる。
――俺は、思っていた以上に惨めだったのだ。
いつの間にか、辺りは明るく輝いていた。
空は深い海の色を湛えながらも、機械と不幸が混ざり合ったような灰色の影を落としている。
澄み渡った空を流れる、薄汚れた灰色の雲。
少年は無意識に手を伸ばした。溶けゆくその灰色を、すべて掴み取りたいと願うように。
門の周辺は人で埋め尽くされていた。
自分や親父と同じような、薄汚れた大人たちの群れ。
彼らはその醜悪な姿を晒しながら、繁栄の極みである首都へと押し寄せている。
剣を構え、刀を握り、盾を並べた衛兵たちが、狂乱する群衆を阻んでいた。
かつて、古巣の街の門でも見た光景だ。
だが、移民の列は、さらにこの首都の深淵へと向かって動き続けている。
何が起きているのか。
今の彼には、まだそれを理解する術はなかった。
門を潜り抜け、あの狂人どもから逃れた直後、少年は石畳の上に崩れ落ちた。
視界が激しく回転する。どこが天で、どこが地かもわからない。
意識が遠のき、体は無様に投げ出された。
薄れゆく視界の中に、軍靴を履いた誰かの足元が現れる。
低く、嗄れた男の声が小さく響いたが、少年には聞き取れなかった。
「このガキ、何者だ?」
「放っておけ。それよりあっちの狂った連中を食い止めろ」
別の声が答える。
放っておけ。外の喧騒と、地に伏した自分。
少年は弾かれたように起き上がると、力任せに腕を振り、目の前の男の足首を掴んだ。
男はわずかに眉をひそめる。
「おいガキ、何をする。早く離せ! 俺は正規兵だぞ。貴様のような薄汚い手で触れるな!」
男は嫌悪感を露わにし、罵りながら少年を振り払おうとした。
だが、衰弱しきっているはずの少年の手は、異様なほどに強く男を離さない。
少年は身を震わせ、瞼を痙攣させながら、言葉を絞り出した。
「旦那様、旦那様、お願いです……!」
無力に、縋り付くように声を上げる。
「中に入れてください、首都に入れてください! 何でもします! 何だってやりますから!」
中に入れてくれ。首都という名の、たった一つの夢のために。
少年はしゃくり上げながら泣き叫んだ。
「旦那様、俺は役に立ちます。中に入れてください……! ここに入れなければ、俺は死んでしまう。お願いします、お願いします!」
衛兵たちは沈黙した。
彼らがどんな表情をしているか、少年には見えない。
ただ惨めに、屈辱に塗れ、帰る場所を乞う犬のように頭を垂れるしかなかった。
「……なら、俺の靴を舐めろ」
……。
「はい! はい……っ!」
少年は嗚咽を漏らし、涙を流しながらも、男の足首を離さなかった。
口を近づけ、軍靴に舌を這わせる。
血の生臭さ、生肉の腐臭、反吐が出るような不快な味がした。
さらに舐めとる。鉄の味と革の感触が舌先に残り、悪臭が鼻を突く。
男は驚いたように、少年の顎を蹴り上げた。
手が足首から離れ、少年は後ろへ倒れ込む。
再び、海の色から灰色へと濁る空が視界に広がった。
直後、別の男によって髪を無慈悲に、乱暴に掴み上げられた。
頭皮が剥がれ落ちそうなほどの衝撃に、少年は宙に吊るされる。
「こいつ、恥というものを知らないのか。……まあ、雑用くらいには使えるだろうよ」
「却下だ。隊長の命は絶対だ。難民の受け入れは停止、最優先事項は首都市民の安寧。
……こんな骨と皮だけの出来損ない、連れてきたところで何になる?」
「違いねぇ。おいガキ、面を上げろ。
貴様をこの内側に引き入れる『価値』が、一欠片でもあるのか言ってみろ」
男が少年の顔を覗き込む。
無意識のうちに少年は身悶えし、目の前の面を殴り飛ばしたい衝動に駆られた。
だが、その拳を殺し、必死に抑え込む。
震える声で、少年は嗚咽とともに絞り出した。
「俺は……役に立ちます。工場でも、どこでも。何だってやります。
この国に、全てを捧げます……。
だから……どうか……首都へ……」
喉が詰まり、言葉は虚空に消えた。
やがて、男は少年の足を地面へと叩きつけた。
「歩け!」
怒号が飛び、少年は弾かれたようにその後を追う。
疲労で地面に這いつくばるたび、奴らは石畳の上で少年を引きずり回した。
少年が自らの力で、泥の中から這い上がるまで。

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日本人じゃない

「皆さん、すみません。現在、高校受験の真っ最中のため、更新ペースが遅くなってしまいます。
おそらく月に1話程度の更新になるかと思いますが、どうかご理解いただけると嬉しいです (⁠≧⁠▽⁠≦⁠)。」


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