新暦76年初夏、俺はミッドのベルカ自治領にあるグラシア邸のテラスで、カリムとハヤテと3人、丸テーブルを囲んでお茶会を開いていた。
ゆっくりと身体を伸ばし、天を仰ぐ。中天を過ぎた太陽が、一段とまばゆい光を放っている。
頂点を越え、沈みゆくなかでいや増す光。人生を一日にたとえるなら、午後こそがもっとも長く事象の多い人生の本番。どこかで聞いたそんな言葉を思い出した。
「なに黄昏とるんや? 時空保安局・個別次元世界対策局本部直下・統合武装隊本部幕僚会議・主席幕僚長、高町なのは少将殿?」
笑い含みの声で堅苦しい言葉を言ったはやてに、俺もとりつくろった態度と声音で返した。
「失礼しました、時空保安局・多次元世界対策局・統合幕僚会議幕僚 ハヤテ・Y・グラシア一等佐官待遇殿」
顔を見合わせて数瞬。同時にぷっ、と吹き出して、俺もハヤテも笑いはじめた。カリムも口に手を当てながら、鈴の転がるような声で笑っている。
時空管理局は解体され、各次元世界の代表と聖王教会から派遣された理事とで構成される次元世界連盟、その管理下の組織、時空保安局として再生された。
時空保安局は、個別次元対策局と多次元世界対策局、査察局の3局から成る。大雑把に言うと、かつての陸と空、及び各世界の治安組織の一部が個別次元世界対策局、海と教会騎士団、及び各世界から派遣された文官達が多次元世界対策局を構成する。前者がアメリカで言う州警察、後者がFBIだと考えれば、おおむね間違いではない。
もっとも、例に出した組織のような対立感情まで持たれてはかなわないので、組織間の流動性はかなり高めになるよういろいろと工夫し、幾つかの条項は組織内規に明文化してある。陸・空を階級につけることも止めた。どうせ、空戦資格の有無の判断にしか役立たん。そんなもの、魔道師ランクの確認時に一緒に確認すれば十分だ。普段からひけらかして、違いを強調して対立を煽るようなことじゃない。
法務関係の各部門は保安局とは別組織となり、同じく理事会の管理下に置かれた。立法・法修正の決定権も次元世界連盟に移行。素案の立案、審議などの補佐機関として法制委員会が、連盟の下に置かれる。また、裁判関連の部門も、時空保安局と同格の組織として分離した。これにあわせ、執務官の権限の縮小も行なわれ、彼らは捜査権と逮捕権だけ持つ、独立広域捜査官となった。
査察局の設立と独立に伴い、査察官が大幅増員され、執務官及び次元航行艦には必ず最低1名は付くようになり、これまで執務官が作成・上司に提出していた事件報告書は、査察官の審査と承認を必要とし、かつその写しが査察局にも提出されることになった。武装隊の指揮権も武装隊の隊長が持ち、執務官は協力要請しか出来ない。武装隊の指揮官と捜査官は、階級の上下に関わらず、同格として任務にあたること、と明文化している。
これらの措置で、事件対応への即応性は大きな制約を受けるが、その分、現場の暴走は抑えられる。執務官の独善による現地との摩擦や、規律を歪めての犯罪者への対応は、減るだろう。
大雑把だが、以下のような形である
次元世界連盟-法制委員会-法制局
-治安委員会(議長:カリム・グラシア)-統合司法本部-各裁判局
-施設装備管理本部-各収監・隔離施設部門
-ロストロギア管理部門
-兵器・艦船管理整備部門
-時空保安局統合幕僚会議(議長:レジアス・ゲイズ)-個別次元対策局
-多次元世界対策局
-査察局
裁判と保安がともに治安委員会の下にあるのは、裁判関係を聖王教会の管理下から離せば、現在の次元世界では紛争の種になって物事が進まない、と判断したためだ。10数年のときが過ぎて、ある程度、各世界の力関係が安定してきたら、分離独立し、治安委員会と対等の次元世界連盟下の組織の一つになるだろう。
数年がかりの構想とは言え、よくここまで求めていた結果を達成できたものだ。地道に有力な次元世界と連絡をとり、これまでの実績と教会の権威を背景にして、後ろ暗いところをつついたり利を示唆したり時に武力をちらつかせたりして交渉を進め、政治的な状況をまとめあげたレジアスの手腕には脱帽する。あいつの本質は軍政家だ、とつくづく思った。
軍事に関する政治的環境を整える、政治に半分首をつっこんでいる軍人。そういう奴が上にいるおかげで、下っ端は戦力整備や戦闘に関する実務などの軍事的業務だけに注力できる。俺も「暴力」をまとめあげることに集中できた。
独自の地位を持って孤高を保っていた教会を、積極的に次元世界のまとめ役に乗り出す方向で意見をまとめてくれたカリムにも感謝は尽きない。無論、教会騎士団に対して、ヴォルゲンリッターを通じて影響力を行使してくれたハヤテにも。
旧「海」の残存部分は、クロノとフェイトが中心になって必死にまとめている。未だにろくに家にも帰れないとかで、この前も愚痴を言われた。まあ、旧「海」の戦力を再編してまとめあげる作業と並行して、教会騎士団や各世界の意向を受けた文官たちとの打ち合わせや駆け引きを続けてるんだから、身体がいくつあっても足りないだろう。
あの2人は鋭いし頭もいい。性格的に身内を疑うのに向かないフェイトはともかく、クロノは体制がある程度安定するまで、仕事に忙殺される状態でいてもらいたい。
あいつなら、いつかはあの2日間とそれに至る過程のところどころで、あまりに都合よく事態が進んだことに気づくだろう。後ろ暗いところがあることに気づく。それはもう俺とレジアスの間では織り込み済みのことだが、政治状況が安定するまでは、発覚は引き伸ばしたい。
旧「海」関連の部門や人員は、実質、戦犯に近い目で見られていることもある。今まで与えられていた、大きな独自裁量権・行動権を取り上げられて、査察局の人員が大量に投入されているから、なおさら、動きがとりにくい。さらに組織改変により、自分の一存か上司の事後承認で済ませられていたことも、いちいち許可を求めたり筋を通さなければならなくなった。仕事量が増えて当たり前だ。
もっとも、俺から言わせて貰えば、今の状態こそが組織として正しい姿で、独立した軍事力に、大きな裁量権と行動権を無造作に与えてた今までがおかしいんだが。まあ、おかげでクーデターも楽だったわけだが、欠点とわかっていることをほっとく気にもなれなかった。ほっておいて、今度はこちらがクーデターで転覆した、なんてことになったら、世紀の笑い話として次元世界中で語り継がれるだろう。さすがにそれは勘弁してほしい。
「海」の権限縮小に伴い生じた権力と武力の空白地帯は、各次元世界が、連盟会議で調整しながら埋めている。なかなか激しい権力闘争を繰り広げているようだ。一時的な治安の悪化は避けられまい。まあ、違法武装組織が顔を出したら、即、保安局統幕議長直属の専任特務部隊が、発生地近隣の次元世界と協力して殲滅してるから、あまり派手なことにはならないだろうが。
この半年ほどの間だけでも、20を越える違法武装組織が蠢動し、そのことごとくが、動きを見せて10日以内に殲滅されている。微妙な動きを見せて、カリムやレジアスの遠まわしな脅しをうけた政府も少なくないらしい。俺も何度か、明らかに正規の軍事訓練を受けた、所属不明の部隊を潰す作戦に従事した。
一時的な混乱で、甘い汁を吸おうとする奴らが出てくるのは簡単に想像できたから、クーデター直後、専門の特務部隊の編成だけは承認させておいたのが、モロに図に当った感じだ。教会関係に根回しはしてあったし、各世界間での政治的な混乱や裏取引が始まっていたので、隙を突いた形になって、あっさり承認された。治安関係の責任者になるカリムに権力が集中する形になるが、数年は大丈夫だろう。
それに、そんなに時間をかけるつもりはない。来年には、部隊は解散させる予定だ。
早すぎる、という声もあるが、こういうものは、惜しまれてるうちに無くしたほうがいい。うっとうしがられはじめてからじゃ、遅い。時空管理局も、数年とは言わないまでも、10年程度で、時代に適応した体制に定期的に作り変えていくようにしていたら、うまく回っていたかもしれんな。そんな、らちもないことを思った。
管理局解体が、犯罪組織を誘き出すいい罠になったのは皮肉ではある。地下に潜った犯罪組織の対応までは手が回らんが、その辺は、権限を取り戻した各世界が対応するだろう。対応しきれないような事態になれば、自分達の代表もいる連盟に協力要請を出せばいい。
これまでと違って、連盟が、明確に最上位意思決定機関として明文化されてるから話はしやすい。治安関係の全権限が返却された政府と、純粋武力になった保安局なら、従来のような面子にこだわっての、連携や情報交換の不手際は起こりにくい。広い意味でいえば、保安局は各政府の傘下にある武力と言えなくもないのだから。
だが、別の問題は残っている。旧体制への回帰の動きだ。
本局の主な有力者は、過去の行為を掘り返して裁判沙汰にもちこんだり、査察官を貼り付けたりすることで、動きを押さえた。現在は、ある程度の落ち着きを見せはじめているが、水面下の抗争は、これからさらに激化していくだろう。権力に執着するのは世の常だ。旧「海」の連中は、このまま黙って引き下がりはすまい。
クロノやフェイトは体制側とみなされてるだろうし、根本的に人のいいあいつらの懐柔や統率では、おそらく旧勢力の策謀を抑え切れん。
数年内に反乱騒ぎの1つや2つは見込んでおくというのが、俺とレジアスの共通見解だ。もっとも、レジアスは、それを逆手にとってさらに旧勢力の力を削ぐべく、いろいろと仕込みをしてるようだが。収集した情報は、各世界政府や保安局内部に対しての有効なカードになる。別に敵対的とか非協力的とかでなくてもだ。協力関係だとしてもその裏では、どっちが主導権を握るかという駆け引きが常に行われている。
権力の分散を選んだ以上、避けられないことだ。そのデメリットを含んだ上で、クーデター後の体制は、これが最適だと結論したのだから。最高評議会の体制が別の方式であれば、あるいは時代が違えば、別の体制も採りえたかもしれんが、言っても詮無い事だ。
もっとも、俺はその辺には深く関わっていない。武装隊の掌握と改革に専念するという名目で逃げている。レジアスも、わかって見逃してくれているフシがある。悪いとは思うが、どうも、いまさらの感が抜けきらん。
クーデターの達成とその後の体制の基盤作りの先は、俺は想定していなかった。恐らくレジアスもだ。放っておけば発覚するだろう、様々な欺瞞と罪を、俺たちの身柄と各種の政治状況、各世界政府間のバランスや弱みなんかで相殺し、新体制の基礎を固めるつもりだったのだから。まあ、俺とレジアスは良くて飼い殺し、悪くて事故死とみていた。もっとも、いまさら、飼い殺しに戻る気もなかったから、そのときは、適当な理由をつけて大暴れして新組織の邪魔になりそうな連中を道連れに地獄に直行予定だったんだが。
時空管理局で、俺が望む形にするために、俺が為すべき最大の役目は為し終えたのだから。
いまさらながら、ゆりかご戦とその後を通じて、どうも、そちらに踏み切りにくくなった。俺の命が俺独りでどうこうしていいものじゃないんじゃないか、なんて、俺らしくもない考えにとりつかれてしまっている。ハヤテやフェイトの想い、スカリエッティの最期。
それに、未来をみてみたい、という欲が生まれたのも確かだ。見れなくなった奴らの代わりに、なんてことは言えはしない。言えはしないが……今更だが、命が惜しくなったというのが、正しいんだろうな。前世からの俺ならともかく、純粋な「高町なのは」としては、俺はまだ生まれて1年も経っていない。その目で見る世界は、今更ながら、驚異と様々な感情に溢れ、俺をして、喪うのを惜しいと思わせるものだ。
勝手な話だ。裏切りとさえいえる。だが、ほんとうのことだ。
ふ、とハヤテの顔を見る。彼女はカリムと談笑していたが、すぐに視線に気づいてこちらを向いた。思えば、コイツもゆりかご戦以来、明るくなった。時折、見え隠れしていた陰や無理が消え、自然な表情を浮かべるようになった。やたら、女性の胸を揉みたがる悪癖はどうにかならんかと思うが。
「どしたん、なのちゃん?」
そういえば、いつのまにか定着したな、その呼び名。出会った当初、言われる度に訂正を入れてたのが嘘のようだ。そんなことを思いながら、ぼんやりと口を開く。
「いや、今がまるで夢のようだと思ってた」
「ああ、そうやなあ。なんせ怒涛の一年やったもんなあ。ほんま、こんな大変革になるなんて、予想外やわ」
うんうん、とうなづきながら、ハヤテが言う。あ、そっちね。悪い、俺の考えてたのは、ちょっと方向が違った。思いながらも、わざわざ話題を切り替えるほどのこともないかと、ハヤテの言う一年を思い出す。
「新築の隊舎、新品の制服、慣れないメンバー。あれがあの時点での限界だったとは言え、よくもまあ、最後まで戦死者も出さずに戦い抜けたもんだ」
率直な思いを口にすると、ハヤテが顔をしかめた。
「うわ、ノリ悪ぅ。冷たいわ、なのちゃん」
「知らん」
「ひどっ」
軽口を交わす俺とハヤテを、あらあら、と言いながらカリムがにこやかに見守る(でも手は差し伸べない)。
カリムとハヤテには、カバーストーリーしか告げていない。
つまり、2人は、罪を都合よく「海」に被せて彼らを生贄にしたことを知らない。
だが、俺は誓ったのだ。俺は願ったのだ、自分の意志で。
世界を変えてみせようと。
俺には未だ、理想は無く。理念も無い。だが、俺の全てを賭けてもいいと思った男の夢を知っている。
夢を夢で終わらせず、奴を孤独に置き去りにせず。その想いを胸の片隅に、俺は道を歩きはじめた。魔王の道を。
俺は、クーデター時に、参集した各局員にぶちかました激のことを思い返した。
――――――――――
自分の足が震えるのを感じ、俺は危うく失笑しかけた。
覚悟を決めたつもりでもこれだ。だが、ヒトである以上、どうにもならないことではあるんだろう。いくら魔王を名乗り、気概を誇ろうとも、己の全てを瞬時に変容させられるわけでもない。
正義で身をよろう輩を嫌いながら、俺も前世の影に隠れていただけだった。なんの守りもなく、素のままの自分で人々の前に立つことの、なんと恐ろしいことか。
だが、俺の後ろに、おおきく、暖かく、厳しい男の存在を感じる。俺の左右に、俺を心配しつつも信じてくれる友の存在を感じる。スカリエッティの最後の表情が、瞳が、魂に灼きついている。
自然に俺の背筋が伸びる。
胸を張り、顎を引く。
怖れはまだこの身にあるが、もう体が震えることはない。
俺を隠していた影は去ったが、代わりに支えてくれる幾本もの腕がある。
ならば俺は、いままで同じように戦える。
理不尽に対して戦える。
わずかにでも可能性があるなら、そこに己の全てを賭けて挑むことができる。すこしでも今日より良い明日のために。
俺が間違っても、俺が倒れても、引き戻し、あるいは引き継いでくれる奴らがいると、いまの俺は知っているから。
さあ、はじめよう。俺にできる最善を。
俺はクーデター参加者の意志を固め、まとめるべく、声を張り上げた。
「諸君。今や、私は多くを語らない。すでに語るべきことは語られ、知られるべきことは知らされたからだ。
ただ一つ。諸君に伝えよう、私のありかたを。
彼らが正義を名乗って、我々に命じるなら、私は魔王を名乗って、諸君らに語りかけよう。
彼らが秩序の名のもとに我々を管理しようとするなら、私は魔王の名のもとに、諸君に抵抗を呼びかけよう。
私は届かぬ天で輝く星であるよりは、地に堕ちて共に泥を啜ろう。
栄光に包まれた座から諸君に命じるよりは、共に現実という荒野を歩く戦友としてあろう。
矛盾と指さされようとも、偽善と嘲笑われようとも、それらすべてを飲み干し、踏み潰し、言ってみせよう、“それがどうした?” と。“そんなモノでは私の歩みは止められない”と。
故に諸君。私の呼びかけに応え、共にこの戦いに挑まんとする諸君に告げる。
なすべきことをなすために。
往こう、戦友諸君!」
「「「Ma'am! Yes, Ma'am!!」」」
主義も主張も痛みも願いも関係なく――「正義」をこの手で打倒する。
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あの2日間を越え、はじめて観えた、俺の行くべき先。
義務や感情で戦う者に、正論も理屈も何の価値も無い。闘いのために戦うものに、生の意味を問うても仕方ない。
スカリエッティの歪で狂気に塗れた、それゆえにこそ無垢で透明な微笑みが思い浮かぶ。
そう、俺は俺として生きればいい。
俺はもう、陰陽師じゃない。理を正し、世を整える気概はすでに忘却の果てだが、新しい生には、新しい気概があってもよかろう。
それに、俺にはハヤテがいる、カリムがいる。フェイトがいる、レジアスがいる。今生の俺は独りじゃない。
なら、一度は諦めた遥かな理想に、今一度、手を伸ばしてもいいかもしれない。
俺はハヤテとカリムに微笑んだ。全てを守ることなどできるはずもない。だが、それでも全てを守りたいと願うことはけして間違いじゃない。素直にそう思うようになった自分に、心の中で苦笑した。
■■後書き■■
遅くなりました。最終編「継承編」開幕。
次話「見つめるさき」。なかった筈の未来を手にしたとき、彼女はなにをそこに見るのか。