初めまして、sawaと申します。
正規の投稿版に上げるだけの実力は無いと自覚しているため、テスト版にて失礼させていただきます。 ※2
さて、本作品は原作知識持ちのトリップ召喚もので御座います。
また、ご都合主義的な展開と独自解釈も多少は含まれているかと思います。
そういった作品が苦手な方は、ご遠慮くださいませ。
因みに、本作品は物語の展開上ルイズの"デレ"が欠片も御座いません。ツンデレでなければルイズで無し、と思われる方はご注意下さい※1。
加えて、本作品には多少"痛い"描写も多いようで御座います。その点も御留意して頂けます様、お願い申し上げます※3。
もし、暇潰し代わりにでも読もうと思ってくださった方が居ましたら、"やつがれ"の技術向上に、御協力して頂けますと幸いです。
※1 11月1日(土)に追記致しました。この注意事項が無かった為に気分を害した方がいらっしゃった事、深くお詫び申し上げます。
※2 12月29日(月)に恐れ多くも"ゼロ魔"板へと移動させて頂きました。ご了承下さい。
※3 12月29日(月)に追記致しました。
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壁を背もたれにして地面に座り込み、男は空を見上げていた。
身なりはお世辞にも良いとは言えない。薄汚れたパーカーに、所々黒い染みのついたズボン。どちらもこのトリステインでは見慣れない格好である。
尤も彼を見た人間は、その服装よりも顔の方を記憶に残すことだろう。
何故なら男は、顔の半分以上を白い包帯で覆っているからだ。しかも痛々しいことに、清潔そうな包帯にも係わらず、そこには赤黒い血の跡が幾つも拡がっている。
空の高さに目を細める男の顔は、しかし痛みに歪んだりしていない。痛みが無いのか、それとも痛みに慣れたのか。
暫し空を眺めた後、男はそのまま身体を横に倒す。続く男の小さな溜め息と腰の後ろで鳴った僅かな金属音が、冷たい朝の空気を微かに揺らがせた。
金属音の発生源は、腰の後ろに括り付けられた短剣だ。包帯の滲みとはまた違った赤黒い――鉄錆び色の刀身は、何に包まれる事無く剥き出しにされている。
とは言え、武器と呼ぶのもおこがましいほどにびっしりと錆びの浮いた刃はお世辞にも切れ味が良さそうとは言えず、その刃が男自身を傷付ける危険性は低いと思われた。
事実それは、廃棄される予定であった薪割り用の鉈を拝借したものであり、それまで薪割りに使われていた事さえ信じ難い程に切れ味が悪い代物であった。
男は何度か短剣の位置を直してから、ゆっくりと目を閉じる。ともすれば寒さに鳴り出しそうになる奥歯の存在も、熱を生み出すべく震えだそうとする身体も、意識の外へと放り出す。
寒さはまだ厳しい。早朝の冷え込みで目が覚めるのも無理からぬ事かもしれない。そのまま凍えて永眠する危険性が無いだけ、男の状況はまだ幸運なのだろう。
だがしかし――
「何でこんな事になっちまったんだろ」
少し前の男の生活を考えれば、自身の不幸を嘆きたくなるのも当然の話。
ハルケギニアに来て――正確には召喚されて――今日で十日目。男の状況は悪くなる一方であった。
『最初のゼロから間違えて』
第一話「最初の一言間違えて」
物語としては良くある話だろう。
それが現実に起こり得るかは兎も角として、斬新なアイデアも奇抜な展開も何一つ有りはしなかった。
「あんた誰?」
日常に起きた突然の異世界召喚。そしてそこが偶々、元の世界で小説として知られていた世界だった。それだけだ。
ファンフィクションでは、原作知識持ちのトリップ召喚とでも呼ばれる部類に入るのだろう。
「感謝しなさいよね。貴族にこんなことされるなんて、普通は一生無いんだから」
原作の主人公"平賀才人"宜しく狼狽えはしても暴れだしたりしなかったのは、男の許容量を超える事態に頭が付いて行かなかったに過ぎない。
「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール、五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔と成せ」
このコントラクト・サーヴァントの呪文と接吻で漸くここが何処かを、そして続く左手の痛みで不本意ながらこれが夢ではないことを、男は理解させられた。
だが男は"平賀才人"ではない。当然物語も、最初の一ページ目から原作と異なっているのだ。
僅かに剥離した物語の流れは、男が上手く立ち回れば或いは良い方向に動き出したことだろう。
しかし男は間違えた。間違えてしまった。
意図した事ではない。只の偶然。別の物語であれば、間違いではなかったその一言。
「勘弁してくれ、まさかゼロの使い魔かよ」
魔法学院の生徒とコルベール、そして男の主人たるルイズが注視する中で男が呟いたその一言。
その一言は、周囲の嘲笑と、主人の怒りと、そして男の不幸を一気に呼び寄せた。
"ゼロの使い魔"という小説の世界であることを嘆いた男の言葉は、"ゼロ"というメイジの"使い魔"であることを嘆いた言葉として受け取られたのである。
嘲笑と主人の声の震えから漸くそのことに思い至った男だったが、生憎と弁解どころか声を上げる事さえ叶わなかった。
男に出来たのは、顎を狙って振り上げられた彼女の蹴りを上体を反らして交わすことだけであり――
続く踵落し――正確には蹴りの勢いと彼女の全体重が併せ込まれた強力な踏み付け――には反応することも出来なかった。それどころか頭部に落された一撃を記憶することすら叶わず、召喚一日目の記憶はそこで途切れることとなったのである。
次に男が目覚めた時には、既に召喚二日目の朝が始まっていた。
丸々一晩、居住用の塔の前に転がされていたことを、ルイズの蹴りで起こされてから理解する破目になったのである。
……どうやら完全に嫌われたらしい。召喚直後に"ゼロ"扱いされたと思っているのだから当然なのかもしれないが。
扱いは原作の平賀才人への"犬"扱いよりも酷いものだった。
ルイズは自分の要求だけを一方的に述べ、男の言葉には何一つ耳を貸さなかった。
いや、そもそも発言を許さなかった。男が言葉を発しても、ルイズは蹴りや鞭、時には魔法という暴力で返事をするだけ。
部屋への寝泊りは許されず、それどころか居住用スペースの用意さえ無い。無論、食事の用意もしてもらえる訳が無い。
しかし使い魔として仕える事だけは要求された。尤も、使い魔の仕事と言うよりも召使いとか奴隷の仕事と言った方が正しいのかも知れないが。
その結果、寝る場所にも食べる物にも男は困った。追々詳細を語ることもあるだろうが、取り敢えずは一文で済む。
『男は、十日たった今でも星空の下で夜を過ごし、しかしまだ生きている』
朝、塔の入り口から吐き出される人の流れを見ながら、男は自身の状態をチェックする。
正直、体調は芳しくない。ガンダールヴの力が無かったら、召喚数日目で屍を晒していただろう。身体能力を上げるルーンの恩恵が免疫能力にも及んでいることを、男は身を以って体験していた。
だがそれもそろそろ限界に近い。ガンダールヴの能力を考慮しても、既に命の危険を感じずにはいられない状況になってきている。
体力的には、今のままでも何とか生きていけるだろう。疲れ果てていようと十日間生き続けてきたことが何よりの証左だ。
だが、精神的なものを含めるとそれは不可能だった。日本では当たり前のようにあった"平穏"や"安寧"を感じなくなって久しく、気力が回復する気配が感じられない。精神力が尽きればガンダールヴの恩恵も失せ、やがては死に至る結果となることだろう。
安心出来る場所でなくとも良い。せめて不安に苛まれずに済む場所が必要だ、それも早急に。
どかっ!!
男の視界が突然横にぶれた。続いて痛みが、傷口の開く感触が、男の脳へと届く。
思考の海に潜りすぎたらしい。"ご主人様"の接近に、男は気付けなかった。
「今日の予定よ」
男の後頭部に押し付けられた足をぐりぐりと動かしながら、ルイズが今日の予定を語り始める。
がりがりと擦られる靴底の感触と口に入った土の味に、男は自分の精神力もがりがりと削られていくのを感じた。
「……で、その後の予定は無しだから。今日はアンタの顔を見ずに済みそうよ、犬」
最後につま先で男の顔に蹴りを入れ、ルイズは立ち去った。
腰の後ろに手を回し、男は短剣に触れる。一時的にだが傷の痛みが消失した。開いた傷口から染み出した血が、包帯に拡がっていくのを感じる。
立ち上がり、唾を吐き、口元の泥を拭う。
ルイズの暴力にも慣れた。
折角の包帯が汚されてしまったことへの不快感。男が感じたのは精々そんなことである。ルイズによって削られていく精神力に思い悩むようなことは、既に無意味だと諦めていた。
「取り敢えずメシだな」
気分を切り替えて、男は歩き出す。
先程のルイズの言に由れば、今日は彼女の後ろを付き従う必要は無い。ならば、住居を探すのにも新しいことを始めるのにも、もってこいの状況の筈だ。
不安は数知れず、安心は程遠く。されど死を選ぶには状況が温く、諦めるにも絶望が無く。そんな環境下だが、男は腐っていなかった。
平賀才人程ではないにしろ、男の環境適応能力も悪くはない。
考え方一つで状況は変わる。雨露を凌げる場所さえ見付かれば、自分はもっと生きられるのだ。一日自由な時間があればきっと何とかなるだろう。
――そんな事を考えて生きる気力を生み出せる位には、嫌でもなっていた。
火中の小枝が爆ぜる音を聞いていると、途端に周囲が騒がしくなる。集まってきたのは肉食の使い魔達で、目的はまず間違いなく火の上に吊るされたウサギだろう。
「お前等はお前等のご主人様から貰ったメシがあんだろう? 俺に集るな」
近づいて来た使い魔の一匹を、手を振って追い払う。が、手の届かぬ位置で遠巻きにこちらを眺め、離れる様子は無い。他の使い魔にしても同様で、一向に視界から消える気配がなかった。
「毎度の如く言ってやるが、俺のメシを盗みやがったら只で済ます気はねぇ。死にたいヤツだけチャレンジしな」
周囲の使い魔を睨み付けながら、男は胡椒の瓶を振った。胡椒の焼ける良い匂いが男の食欲を刺激する。
「きゅいきゅい、きゅい」
ついでに彼女の食欲も刺激したらしい。どすどすと音を立てて青い鱗の幼竜――シルフィードが近寄ってきた。
幼竜と言っても、体長はおよそ六メートル。人など丸呑みに出来そうな大きな口とその巨大な体躯は、常人に恐怖を抱かせるには十分だった。尤も男は、臆した態度も見せずに肉の位置を調整したりしているのだが。
顔を擦り付けてくるシルフィードに対して、男は先程別の使い魔を追い払った時とは違い、呆れた様子を見せながらも笑顔で対応する。
「お前はご主人様のメシが少なくても、マルトーの親父からメシ貰えんだろ? 俺に集らないでくれよ」
召喚三日目、男は空腹に耐えかねて食堂を訪ねたことがある。その時は乞食扱いされて散々罵られ、少々手荒な方法で追い出される不幸を味わう結果となった。
その後、空腹と傷の痛みにへばっていた男を助けてくれたのが、目の前にいるシルフィードである。その時恵んでもらった林檎の味を男は決して忘れず、シルフィードには好意的な態度を示していた。
反対にあれ以来、厨房を尋ねたことは一度も無い。今使っている調味料にしても、彼らに貰った物ではなく食堂からくすねてきた物だった。
「きゅいきゅい、きゅい~♪」
シルフィードは胸を張ると、蔓で編み上げられた籠を男の前に差し出した。籠の中に有るのは、大量の肉の切れ端に数匹の魚、そして野菜が少々。成る程、男は納得がいった。
「俺に調理をしろと? 生で食べないとは中々に美食家だな、シルフィード」
調味料のストックは残り少ないんだが、等と言葉をこぼしながらも、男は手早くもう一つたき火を用意した。
火が安定するまでに、魚に塩を振り、肉に胡椒をかける。
隣で歌いだすシルフィードの声を聞きながら、下拵えの終わった材料を火に掛け、焼き終わったウサギ肉を切り分けた。
「鍋なり鉄板なりがあれば、もうちっと料理の仕様もあるんだが……」
ウサギ肉を一切れシルフィードの口に放り込みながら、男が呟く。
男の所持品は多くない。召喚時に持っていた鞄には、当たり前だがサバイバル用品など入っていなかった。日々の生活において役に立つのは、精々が火を点ける際に使うジッポー・ライターくらいである。
そして当然の如く、ルイズより何一つ与えられていない男には、現地で手に入れた私物も数えるほどしか存在しない。
打ち捨てられた薪割り用の鉈に、食堂からくすねた調味料の瓶が幾つかと調理用のナイフが一本。そして、顔を覆う包帯。
「う~ん。鉄板はともかく、鍋くらいならあったかも……」
突然の声に男が顔を上げると、正面にメイド服を着た黒髪の少女がいた。顎に手を当てて、なにやら考え込んでいる。
別に声に出したわけじゃないが、噂をすれば影が差すとはこういう事を言うのだろう。
包帯の贈り主である少女――シエスタは男の視線に気付くと、穏やかな笑みをその顔に浮かべた。
「おはようございます、使い魔さん」
「ああ、お早うシエスタ。今日の洗濯物もなかなかの量じゃないか」
「あ、はい。何でもやたらと溜め込んだ貴族の方がいらっしゃったみたいで……」
召喚五日目、いよいよ酷くなったルイズの暴力により血と傷に塗れた顔を晒していた男を、心配し、治療してくれたのが彼女だった。
心優しい少女はそれ以来、度々男の世話を焼いてくれている。と言っても、既に自力で食料調達が出来るようになっていた為、原作と違って怪我の治療以外で世話になったことは無い。
「……なので、使い魔さんに教わった鍋に水を貯めてぬるま湯にする方法は、すっごく助かっているんです」
また、男は一方的に恩を受けるのを良しとせず、見返りと言っては何だが、原作の風呂イベントを利用した洗濯時のぬるま湯作成法を教えたりもしている。
故に、男はシエスタに負い目を感じる必要などなかった。無い、筈なのだが――
「あの、また酷いことされたんですか? 血、滲んでます」
シルフィードに魚を放る際に横を向いたことで、男の新たな出血に気付いたらしい。シエスタが男の顔に手を伸ばす。
「ん? ああ、問題ねぇよ」
その腕を避ける様に男は身体を捻った。
男の視線は意図せずシエスタの右腕へ――彼女の知らぬところで男を悩ませる"負い目"へと向けられた。
シエスタの右腕は、二の腕から先に包帯が巻かれている。
何でも食堂で貴族の不興を買い、投げ付けられたシチューの皿で火傷をしたとのこと。ついでに割れた皿で出血もしたそうだ。
召喚八日目、何でもない事のようにそれを告げるシエスタの話を聞いた時、男は頭をハンマーで殴られたかと思うほどの衝撃を受けたのだった。
原作でのギーシュとの決闘イベントは発生していない。つまりはそう云うことなのだろう。
自身が歪めた物語の結果を、まざまざと見せられた思いだった。誰かが死んだ訳でもなく、只少女が傷付いただけだったとは言え、不意打ちのように襲ってきたその事実は酷く男を打ちのめす。
以来、男はそれを負い目と感じるようになってしまった。
包帯が取れたとき、痕が残らないことを祈るばかりである。
「それじゃ、時間が出来たら顔を出してくださいね。包帯、新しいのに替えますから」
暫しの雑談を続けた後、シエスタは洗濯籠を抱えなおして去っていった。
「きゅい~、きゅい~♪」
男の横では上機嫌なシルフィードが食後の歌を口ずさんでいる。
大量の食料を口に出来てご満悦のようだ。気付けば保存用に加工しようと思っていた二羽のウサギも、シルフィードの腹に収まっていた。
どうも最近――と言っても出会って一週間も経っていないが――シルフィードにも遠慮が無くなってきたような気がする。恩ある身とは言え、少し対応を考える必要が有るのではないだろうか、と男は思った。
「お礼の歌の最中で悪いが、俺はそろそろ行くぜ」
火の後始末を終えると、男は腰を上げ、尻に付いた汚れを掃う。
「きゅい」
てっきり何時もの様に飛び去るかと思ったが、シルフィードは男の後ろをくっ付いて来た。
今日の授業に使い魔は必要ないとルイズが言っていたから、シルフィードの方でも似た様なことを言われたのかも知れない。
「シルフィード。お前の意見を聞きたいんだが――」
楽しげに後ろを歩くシルフィードにふと思い立ち、男は訊ねてみた。
「宿無し、金無し、身元保証無し、無い無い尽しのこの俺でも雨露を凌げる場所、知らねぇ?」
勿論、名案など期待していないことは言うまでも無い。確かな当てなど無かったから、何とはなしに聞いただけだ。
だから――
「きゅい!!」
力強い答えを返して、先を歩き出したシルフィードの後ろ姿を見ても、正直大した希望は抱かなかった。
事実、最初のうちは無駄足ばかりだった。
中型使い魔用の厩舎――
「生憎と此処は許可がなきゃ駄目らしい。四日目の夜に此処を使って、警備兵にしこたま追い駆けられた」
まさか他の使い魔の目を通して発覚するとは思わなかったぜ、と男はシルフィードにぼやく。
翌朝、怒れるルイズから初めての失敗魔法を頂戴し、男は血の海に沈んだ。そのお陰でシエスタと知り合えたのだが、果たしてこれは幸運と呼べるのだろうか。
学院生徒達の居住用の寮塔――
「いや、問題外だろ。三日目の夜に忍び込んで寝たら、魔法攻撃喰らって気絶。気付けば全身痣だらけで塔の外だぜ?」
勘弁しろってんだ、廊下の一スペース位使っても良いじゃねぇか、と男はシルフィードにぼやく。
だが、男を見つけた魔法使いが"土"系統だったのは不幸中の幸いだったのだろう。もし"火"や"水"だった場合を考えると、痣だけで済んだとは思えない。
衛兵達の寝泊り用の小屋――
「此処も駄目だ。浮浪者を泊めるスペースなんか無えって、近付いただけで槍向けられたぜ」
三日目の昼、此処を訪ねたが無下に断られ、ついでに六日目の夜に偶然通りかかった際の彼らの対応を思い出す。
学院の雑具が仕舞われている物置――
「一応雑具でも学院の備品だかんな。お前は知らねぇだろうが、夜になると鍵閉まってんぞ」
五日目の夜、苦し紛れに学院施設の施錠を全て確かめたことを思い出す。
教員用の当直室――
「ある意味ロシアンルーレットだな。誰も居ないかと思えば、強力な魔法攻撃が飛んで来たりする」
五日目の夜はここに世話になった。が、六日目の夜は当直の教師から風の刃を放たれ、慌てて逃げた記憶がある。
昼間は授業が行われている教室――
「確かに盗まれるような備品は置いてねぇけど、ここも夜は閉まってんだ」
学院貸し出し用の馬が居る厩舎――
「意外なことに、此処も夜は鍵掛かってんだぜ。貴族御用達の高級馬はスゲェっつーか……」
広場の片隅にあるトイレ――
「雨露は凌げるだろうが、流石に此処は……」
こんな調子で本塔から五つの塔、果ては馬小屋や物置と言った明らかに居住用ではない所まで、シルフィードに案内してもらった。
だが残念ながら、昼を過ぎる時刻になっても、宿に使えそうな場所は見付からない。
半日歩き回って得た収獲は、金さえ有れば平民用の宿舎を利用できる、という情報くらいだった。
これはもう、結論が出たも同然だな。
男は胸中で頷き、シルフィードにその旨を告げるべく切り出した。
「さんきゅう、シルフィード。もう良いぜ」
薪を保存する為の掘立小屋の前で、男はシルフィードの足に手を掛け、彼女の歩みを止めさせる。
いい加減諦めるべきなのだろう。恐らく、この学院の施設内に今の自分が泊まれるような都合の良い場所など無いのだ。
「きゅい?」
シルフィードが首を捻り、男の顔を覗う。
「流石にお前に言っても仕様がねぇことだもんな。時間取らして悪かった」
その顔を優しく撫で、駄賃代わりだ、と男は林檎を取り出してシルフィードの口に放った。
そう、土台無理な要求だったのだ。
例えるなら、現代日本においてホームレスが学校に住めないのと同じ。前提からして不可能な条件が揃っている。
金が無い者が既存の建物を利用しようと言うのが、そもそもの間違い。
公園でダンボールハウスを作る浮浪者宜しく、咎められぬ場所を探して自分で自分の住居を用意するしかないのだ。原作の平賀才人のように、テントでも調達出来たなら僥倖だろう。
そう言えば、原作で才人はどうやってテントを調達したのか。
やっぱりコルベールだろうか? 困ったときの物品調達と言えば、あの人の良さそうな中年教師しか思いつかない。
先程訪ねた時、コルベールの研究小屋は無人だった。だがテントの一つや二つ、あの小屋にならありそうな気が……
そんな事を考え込んでいたら、突然襟首を掴まれた。
すわっルイズか、と驚いて振り向いた男の顔に映ったのは、青い鱗の幼竜の顔。どうやら襟首を咥えられているらしい。
「きゅいっ、きゅい!!」
そして何やら随分とご立腹の様子である。
男を自身の背中に放り投げ、シルフィードは素早く空へと浮かび上がった。
「お、おい、シルフィード?」
慌てて背中にしがみ付いた男が疑問の声を上げた時には、シルフィードは学院を見下ろせる高さにまで上昇していた。
そして数秒と経たず、急降下を始める。
男の口から思わず呻き声が漏れた。
ファンタジーの世界でも、基本的に物理法則は変わっていない。
魔法の加護がない身では、固定具のないジェットコースターに耐えられるはずも無く、掴んだ背ビレから右手が放れ――
「……成る程、こう言う訳か」
森の中に建てられたログハウス――シルフィードの住処を見ながら、男は額の汗を拭った。
流れる汗は、当然冷や汗である。放れた右手が偶然短剣の柄に触れなかったら、そのまま空中に投げ出されて死んでいたかも知れないのだ。
不本意ながら、ハルケギニアに来て初めての、直接的な命の危機であった。
あのシルフィードの急降下に表情一つ変えずに対応しているタバサを、男は素直に凄いと思う。
「きゅい!!」
そんな男の横で、シルフィードが得意気に胸を張っていた。
「確かに此処なら、宿無し、金無し、身元保証無し、の俺でも雨露を凌げるな」
その言葉に、シルフィードがきゅいきゅいと嬉しそうな鳴き声を上げる。
木で作られたその建物は、小屋と言うより格納庫と言う方が近い。シルフィードの大きさに合わせて作られた大きな入り口が、竜と言う存在も手伝って、小型の飛行機を収容している修理工場のようにも見えた。
シルフィードの乱暴な飛行の所為で正確な位置は分からないが、木々の隙間から見える学院の塔の大きさを見る限り、それ程遠い距離でもないだろう。
「助かるよシルフィード。住居の問題が解決するまでは、此処を利用させてもらうな」
感謝の言葉と共に、その首元を優しく撫でる。そうすると、シルフィードは目を閉じて喉から高い音を出した。普段の鳴き声もイルカのような高い音だが、それとは違う、管楽器を吹いたような、優しく空気を震わすキレイな音だった。
森に設置した罠から確保した数匹のウサギと、もぎ取った数個の果実を使い、男はシルフィードに昼食をご馳走した。
その後、気持ち良さそうに昼寝をし始めたシルフィードの下を離れて、学院へと戻る。
住居の問題は完全に解決したわけではない。何時までもシルフィードの世話になるわけには行かないだろう。
「第一、あの小屋の中でシルフィードに寝返りでも打たれたら潰されそうだしな」
竜が人間のように寝返りを打つかは知らないが、シルフィードだけでも結構ギリギリな大きさの小屋であったため、強ち冗談とも言えない。
だが、それでも十分な話だった。シルフィードの厚意が、男には素直に嬉しいと思えた。
それだけで、今を生き抜くための気力が生まれてくるような、そんな気がする。
「次は金か……」
森の中、学院へ戻る道すがら、男が一人呟く。
胸中だけでなく、大事なことは声に出して確認するのが男の癖だった。
言葉にすれば、より具体的な認識が可能になる。と言うのが男の持論である。
生きる為の"取り敢えず"については何とかなった。
足場を作った後に必要なのは、その足場を固めることだ。
金があれば、テントも買えるし服も買える。そして何より――
「デルフリンガー」
ガンダールヴの相棒にして、魔法吸収能力を持つインテリジェンスソード。
原作通りの荒事に巻き込まれるかは別として、これは確実に手に入れておきたい。
「学院に居る限り、メイジとのいざこざは嫌でも体験するだろうから……」
男は、腰元の短剣を手に取ってガンダールヴの能力を発動させた。
向かう先には学院を囲む高い壁がある。しかし男は速度を緩めない。
「原作とは関係なしに、生き残る為の保険は欲しい」
男はそのまま、強く地面を蹴って跳び上がった。壁面を、庇を、雨樋を蹴って更に高く、上へと身体を押し上げる。
いとも容易く壁の上に辿り着いた男は、そのまま下も見ずに学院の内側へと身を躍らせた。
膝だけでなく、全身を使って落下の衝撃を逃がし、男は塔の裏側――普段は余り人の寄り付かない広場の隅に着地する。
「……例えば今みてぇな時に、特にそう思うぜ」
そのまま立ち上がり、逆手に持った剣をだらりと下げてから額に手を当てた。
男の背後には一人の少女。前方には多数の少年。どちらもが、誰もが、杖を構えている。
「成る程、解り易い構図だ」
飛び込んじまったからにゃ、知らぬ存ぜぬじゃ通らねぇわな。
胸中で自身の不幸を嘆きながらも、男の目に迷いは無い。
「多勢に無勢ってのは、ちぃっとばかし男らしくないと思わねぇ?」
無視は出来なかった。平賀才人ほど考え知らずでは無いが、男はこれで結構熱血漢なのだ。
他人のことなど如何でも良いような態度を取っているからと言って、他人が放っておいてくれるとは限らない。
誰もが一目を置く実力を示してみたところで、誰もがそれに納得してくれるとは限らない。
嫉妬に駆られた生徒に徒党を組まれて襲われる。
嬉しくはないが、この程度のトラブルはタバサにとって日常茶飯事だ。
大抵は杖の一つも振って見せれば大人しくなる。キュルケ辺りが感づいて、トラブルになる前に潰すことも多い。
だが、今回は少し不味かった。
(数が多い……)
タバサはトライアングル級のメイジである。しかも、とある事情により実戦経験も数限りなくある。
ドット級の一人や二人、どころか十人相手であろうとも、容易く退ける自信はあった。
だが今、タバサの目の前には三十近い数のメイジがいる。当然迎撃は可能だが、これだけの数を無傷で退けることは難しい。
因みに、この場合の無傷とは、"タバサ"だけではなく"相手のメイジ達"も含めたものである。
トライアングル級の広範囲魔法は、本気で撃てばドット級が受けられるものではない。しかしそれ故に、中途半端に撃つことが出来ない。下手をすれば殺してしまうからだ。
かと言って、一人一人を撃ち落とすには些か敵の数が多い。殺さずに相手を制することの難しさや、中途半端な手加減が招く死の危険を知らぬほど、タバサは未熟ではなかった。
(……ここは敵地)
傷付いても、傷付けられても、良い結果にはならない。
だが、逃げることもまた無意味なのだ。
だからタバサは覚悟を決める。
この程度の危機が何だというのだ。この程度の脅威を払えぬようでは決して届かぬ場所に、タバサの"望み"はある。
強く、杖を握り締める。
広域魔法が使えぬならば、使わず勝利すれば良い。
中途半端な手加減が死を招くと言うなら、完全に制御された手加減をしてみせよう。
「ラグース・ウォータル……」
殆ど口を動かさず、小声で詠唱を開始する。
心を研ぎ澄ませ。揺らぐこと無き氷のように、全てを切り裂く刃のように。
こちらに杖を向けて一斉に詠唱を開始したメイジ達を見据え、今まさに第一射を放とうと――
――したところで、影が落ちてきた。
大きな音はしなかった。微かに草を踏む音だけが、タバサの耳に届く。
「成る程、解り易い構図だ」
ちらりと一瞬タバサに目を向けると、影は――顔を包帯で覆った奇妙な出で立ちの男は――タバサを庇うように立ち上がった。
舞台に立つ役者のように堂々とした態度で、大仰に額に手などを当ててみせる。
「多勢に無勢ってのは、ちぃっとばかし男らしくないと思わねぇ?」
悠然と言葉を放つ男の手に握られているのは、杖ではなく錆びた短剣。身なりを見ても判断できる。この男、メイジではない。
「な、なんだ貴様!! 平民が貴族に意見して良い法など無いぞ」
「そうだ!! 平民如きが僕達に歯向かうなっ」
なのに、この男の落ち着き様は何なのだろう。
「生憎と法律関係にゃ疎くてね。良ければ第何条第何項がそれに当たるのか教えちゃくんねぇか?」
その言葉に、言われたメイジが顔色を変える。
"平民が貴族に○○して良い法など無い"と言う言葉は、貴族に於いて半ば常套句と化している。
しかし実際に法律としてその一文がある訳ではないのだ。強いて言えば"侮辱罪"や"政界に於ける平民の発言権"について述べた条文が、それに当たるのだろうか。
「オイオイ何だ? まさか知らねぇで使ってんのかよ」
勉学に長けたタバサは極自然に頭の中でその条文を思い浮かべたのだが、他の者には無理だったらしい。話を向けられたメイジだけでなく、周りにいた全ての貴族達の顔が朱に染まっていく。
「じ……十一条第三項だっ!!」
顔を真っ赤にしたまま、最初に質問されたメイジが怒鳴った。が、その顔色を見れば容易に嘘だと見抜けるだろう。
「十一条第三項ねぇ…… さてお姫様、答えは合っておりますか?」
「間違い。十一条は全て対外政策に関する条文」
"お姫様"と言う言葉にピクリと反応を見せたが、元よりタバサは無表情。冷静そのもので男に返す。
「何? ひょっとして知らねぇ癖にその言葉使ってたの? うっわ~」
こりゃ駄目だわ、と男は大げさに首を振った。
「無意味な嫉妬心燃やしてねぇで、少しは勉強した方が良いんじゃねぇの?」
男の嘲りに、貴族達は何も言葉を返さない。只顔を紅潮させ、ぶるぶると震えるのみである。
(……不味い)
この状況に、タバサは危機感を抱いた。メイジに臆さぬ姿は評価できるが、男は平民である。
彼を守りながら戦うのは更に難易度が上がることだろう。
しかしここまで罵倒されて、彼らが引き下がるとは思えない。寧ろ今にも――
「足並みは乱してやる。シルフィードも心配すっから怪我なんかしないでくれよ」
ぼそり、と男がタバサに呟く。
「き、き、貴様らぁーー!!」
そしてタバサが何か返すよりも早く、逆上した貴族の詠唱によって、戦いの幕が切って落とされた。
冷静さも、連携も、当初の目的さえも見失ってしまったメイジの相手など、実に容易い。
「下手な魔法ってのはさぁ、数撃ってもやっぱ当たらないと俺は思うんだよねぇ」
言葉通り数だけは多い――しかしそれ故に脅威となり得る魔法の数々を、あっさりと交わし、去なしていく男の動きは驚嘆に値する。
加えて彼が放つ数々の罵倒に、貴族達は連携の"れ"の字も思い出すことが出来ないようだった。
「デル・ウィンデ」
タバサが放つ風の刃が、また一つメイジの手から杖だけを切り落す。
これでタバサが落した杖の数は七本。
「大体空飛びながら攻撃魔法を使えないんだったら、最初から飛ぶなよな」
地面に降りたメイジの横をすり抜けざま、男の手刀がメイジの意識を闇に落した。
これで男が昏倒させたメイジの数は十二、付け加えて、男が杖破壊だけに留めたメイジの数が二になった。
残りは十一人、しかし全員が空を飛び、攻撃魔法を放つのを躊躇っている。
理由は簡単。最初の頃ならいざ知らず、こうも数が少なくなっては、地面に降りる前に男に捕捉されてしまうからだ。
「あのなお前ら、空にいれば絶対安全なんて馬鹿なこと考えたりしてね?」
そう、その通りだ。空にいようと関係なく、彼らを攻撃できる存在が此処にいるというのに。
男の意を酌み、素早くタバサは風の刃を生み出す。
フライの最中に杖を切り落とされ、二人のメイジが地面に落ちた。
そして、空が安全ではないことを知った残りのメイジが逃げ去ろうと身を翻した所で――
残りの九人が端から順に、全員合わせても五秒と掛からず、地面に落ちる。
「ましてや余所見なんてしちまったからには、コイツは避けらんねぇだろう?」
右手で小石を玩びながら、男は楽しそうにタバサに向けて同意を求めた。
どうやら数秒の間に、九人ものメイジの手から、投石で以って杖を落したらしい。
(恐るべき技術……)
タバサとて実戦経験は豊富だ。メイジ殺しと戦った事も一度や二度ではない。
しかし幾らドット級が相手とは言え、これだけの数を相手に、これだけ鮮やかに勝ちを浚う平民がいただろうか。
(そもそも彼は何者?)
無関係、ではない筈だ。少なくとも、自身の命をベットしてまで無関係の人間を救うような御人好しが存在するとは思えない。
善意を語るブリミル教の神官戦士とて、領民に施しを与える善良なる貴族の領主とて、その善行の裏には思惑があるものだ。
何処かの絵本に描かれたような英雄の存在を信じていられるほど、タバサの世界は甘くはない。況してや、魔法も使わずに命の危機に立ち向かう剣士の存在など……
知らず、彼女の心臓の鼓動が速くなる。杖を握る手にも力が篭った。
そして――
無条件の味方でないのなら、自分は彼と戦うこともあるかもしれない。
そのことに気付いたタバサは、自身の背筋に走る戦慄を、こめかみを伝う汗を、止めることが出来ないのだった。
「さて。俺がお前らの意識を刈り取らずに放置していた理由だが……」
その技量の高さにタバサが驚いている間にも、男は戦いの後始末を行っていた。
『杖を折られたヤツは大人しく地面に伏せてな。じゃねぇと意識を刈り取るぜ?』
戦いの序盤にて男が叫んだこの声に従って、地面に伏せたまま身体を震わせているメイジの数は九人。男に意識を刈り取られ、完全に意識を失ったままでいるのが十二人。
そして先程地に落とされた者の内、呆然と男を見上げて座り込んでいるのが二人と、落下時の衝撃で何所か痛めたのか苦しげに呻いている者が九人。
「自分を害しようとしたヤツを医務室に連れてってやるほど、俺はお人好しじゃねぇ」
数歩足を進め、呆然と見上げるメイジの一人に短剣を突き付けた。
「お前等は運搬係だ。奇しくも一人当たり二人の人間を運べば事足りる」
男の脳裏に、昔読んだ漫画の一場面が思い浮かぶ。
「良かったな、運ぶのが死体じゃなくて」
調子に乗って付け加えた台詞は、思った以上の効果を上げた。
地面に伏せていたメイジ達が一斉に立ち上がり、そのまま背を向けて逃げ出――
「因みに、自分の仕事も満足に出来ねぇ馬鹿をそのまま行かせる程、俺が甘ちゃんだと思わねぇ方が良いぜ?」
――そうとして、その身を凍らせた。
杖を拾い直した者は魔法で、杖の見付からぬ者は無理な体勢で二人の人間を抱えて、貴族達はこの場を去っていった。
これくらい怖がらしときゃ復讐する気も起きねぇだろう、と誰も居なくなった広場を見ながら、男が安堵に息を吐く。
かさり、と男の後ろで草を踏む音がした。
訂正。誰も居なくなった、では無い。まだ彼女が居た。
「お姫様、お怪我は御座いませんか?」
戦闘で気分が昂ぶっていた事もあり、男は仰々しい仕種でタバサへと振り返った。
「……誰?」
男に向けられたのは三つ。彼女の杖と、誰何の声と、そして困惑と警戒が入り混じりながらも氷の鋭さを失わぬ強い視線。
男が思ったのも同じく三つ。
蒼髪なんて実際にいたら気持ち悪いと思っていたけど、そうでも無かったこと。
その鋭い視線が、小説を読んで"雪風"に抱いたイメージとピッタリであったこと。
そして、訊かれた事は多々有れど誰もが勝手に納得し、結局こちらに来て一度も名乗ったことの無い自分の名前のこと。
「斉藤平太、サイトー・ヒラタだ。好きに呼んでくれ」
サイト・ヒラガじゃねぇからなと、この世界の誰にも解らない注釈を付けて、男はニッカと笑みを溢した。
ハルケギニアに来て――正確には召喚されて――十日と半分。男は――斉藤は漸くこの世界で、自分の名前を声にしたのだった。