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[4610] 魔法少女リリカルなのはReds(×Fate)【第二部完結】
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2011/07/31 15:41
はじめまして、やみなべと申します。

この小説は「Fate/stay night」シリーズと「魔法少女リリカルなのは」シリーズのクロスオーバー小説です。
タイトルのRedsというのは完全に造語です。赤いの二人がやってくるので、このようなタイトルにしました。
設定の上ではUBWルートのTrueエンドになっております。
独自設定や独自解釈が多いに入っておりますので、そのようなものが駄目な方はご注意ください。
今回が初の投稿であり、初作品でもあるので至らないところは多々あると思いますが、寛容な心で見守ってくだされば幸いです。特に戦闘の描写力には不安しかないので、あまり期待しないでください。その戦闘も結構先になるのですが。できれば注意や指摘をしてくだされば、少しはましな作品になると思うので、ご指南いただけると助かります。
名前のとおり、自分の妄想をこれでもかといわんばかりに放り込んだ代物なので、それでも構わないという方は見てやってください。

初投稿2008/10/29


*1/27 6話と10話、そして設定を一部改訂しました。
変更点としては、主に士郎の空戦に関してです。独自設定を盾に、苦しいとは感じつつも無理矢理進めようかと思っていましたが、やはり違和感が拭えないのと、皆さんからのご意見を参考に変えることにしました。
士郎の空戦を期待してくださっていた方々には、伏してお詫びを申し上げます。


*6/18 第二部A’s編に突入しました
 2011/7/31/ 第二部A's編完結しました



[4610] 第0話「夢の終わりと次の夢」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2009/06/18 14:33
第0話「夢の終わりと次の夢」
 
I am the bone of my sword.
体は剣で出来ている

Steel is my body, and fire is my blood.
血潮は鉄で、心は硝子

I have created over a thousand blades.
幾たびの戦場を越えて不敗

Unaware of loss.  Nor aware of gain.
ただ一度の敗走もなく ただ一度の勝利もなし

Withstood pain to create weapons.  waiting for one's arrival.
 担い手はここに独り       剣の丘で鉄を鍛つ

I have no regrets.This is the only path.
ならば、我が生涯に意味は不要ず

My whole life was“unlimited blade works”.
この体は、    無限の剣で出来ていた


早いものだ。もうあの剣戟から十年が経った。
思えば、ただ我武者羅に駆け抜けてきた十年だった。
憧れたものがあり、なりたいものがあった。
地獄の底から拾い上げてくれた、「正義の味方」。
それが自身から零れ落ちたものでなくてもよかった。

それしかなくて、真っ当な感情なんて作れなかった。どれほど破綻していたとしても、借り物だとわかっていても、偽善と罵られても。なお追い続けてきた。
だって誰かを助けたいという思いも、その理想をきれいだと思ったことも、決して間違ってなどいないんだから。

切り捨てることも、取りこぼすこともなく十すべてを救おうと駆けてきた。
たいていの場合、九を救うことはできても残りの一が救えなかった。
それが切り捨てたのか、それとも取りこぼしてしまったのかはさして違いはない。
十を救えなかったそれが全て。

それでもそうして駆けてきたことには、価値があると信じて意地を張りとおした。
気がつけば、俺の姿は奴のそれと同じになっていた。白く脱色した髪、黒く焦げた肌、鉄色に変色した瞳。
そして今、奴と同じ最後を迎えようとしている。

そこはいつか見た赤い剣の丘。
そのことに後悔はない。もとより衛宮士郎にそんな複雑な感情はないのだから。
それに違いもある。それが少しだけ誇らしくもあり、また申し訳なくもある。
俺を絶対に幸せにしてやると、そう宣言した彼女がいま、あの夜のように俺の背に体を預けている。
お互いに虫の息、そう長くないのはわかりきっているので、言っておかなければならないことがある。

「凛」
「なに?」
「ごめんな」
「だから何よ? くだらない事ならはり倒すわよ」
言葉のとおり不機嫌そうで、本当に殴ってきそうだ。
でも、せめて言っておきたい。単なる自己満足だとしても。
「俺は結局、奴の言うとおり正義の味方にはなれなかった。
それはいい、残念だし、悔しくはあるがそれは俺の問題だ。
でも、お前は違う。
俺になんか付き合わなければ、こんなことにはならなかったし、あるいは魔法にさえ届いたかもしれない。
だから…」

ゴスッ!!

もうロクに体も動かないくせに、やけに力の乗った拳が飛んでくる。
「何するんだ!!」
「くだらない事なら殴るって言ったでしょ!
馬鹿にしないで、そもそも私は好きで付いてきたんだから、アンタにどうこう言われる筋合いはないわ。
それにね、私は幸せだった。そりゃ苦労もしたし、厄介事だらけの十年だったけど、私は楽しかった。
知っているでしょ? 私は快楽主義者なの、やりたくもないことを十年もやるようなもの好きじゃないわ」
「む」
そう言われては反論のしようがない。そもそも口で勝てたためしもなかったか。
「だいたい、だからアンタは馬鹿なのよ」
「何がさ」
「正義の味方になれなかったって言うけどねぇ。
少なくともアンタに救われてきた人たちにとって、アンタは間違いなく正義の味方だった。
好き勝手言う恩知らずもいたけど、アンタに感謝している人たちだってちゃんといた。
士郎にとって衛宮切嗣がそうだったように、彼らにとっても衛宮士郎は正義の味方なのよ。
それでもなれなかったなんて言う気?」
その言葉は、俺にとっては衝撃以外の何ものでもなかった。
思い返してみる。今まで必死になって戦ってきた。そこで出会った人たちのことを。
罵倒してくる人たちや、恨み言を言ってくる人たちは大勢いた。でも、同時に目に涙を浮かべて感謝してくれる人たちも確かにいたのだ。俺は何故それを忘れていたのだろう。凛の言うとおり、俺なんかに救われた人たちが、たしかにいたのだということを。

俺もあいつも、できなかったことばかりを数えて、できたことに目を向けていなかった。
そんなだからあいつは、苦しむことしかできずに擦り切れてしまったのだろう。
そのことを知ることができたのが、同じ道程を歩んだ、俺とあいつの一番の違いなのかもしれない。
「そうだな。本当に俺は、大馬鹿だ。
取りこぼしてばかりだと思っていたけど、俺はそこばかりを見て、逆側を見ようとしていなかった。
救えなかったものは多くあるけど、救えたものもたくさんあったのにな。
……無念も心残りもあるが……俺は、よくやったな……。
ああ、なら……これで……良しとしよう………」

ああ、でももし次が許されるのなら、その時は……
「今度は『俺』がお前を幸せにしたいなぁ」
そうして、俺は意識を手放した。



Interlude

SIDE-凛

「はぁ、だからアンタは馬鹿なのよ。今更そんなこと言うなんて。
でもまぁ、これなら保険をかけておいた甲斐もあるかな。
桜、後は任せ…た……」
微かに聞こえる忙しない足音を聞きながら、遠坂凛は息を引き取った。

残されたのは二人の死体と、微かに輝きを宿す二つの赤い宝石。

Interlude out


*  *  *  *  *


そして、場面は移る。
 
気がつくと、そこには見なれた天井があった。

「ああ、朝か…って!
待て!! 俺は死んだはずじゃ…」
そう俺は確かにあの赤い丘で凛と一緒に、なのにどうしてこんなところで寝ているんだ。
それもここは 俺 の 家 じゃないか?

「あっ! やっと起きたんですね先輩」
そこには懐かしい妹分の姿があった。

「桜!?
どういうことだ、おれは死んだはずじゃ?」
「ああ、それはですね「今の体が人形だからよ」…あう」
「え? 凛?」
そこには、間違いなく俺の最愛の人が以前のように自信満々の様子で立っていた。
「そぉよ、なにか文句ある?」
「いやそうじゃなくて。人形? どういうことだ」
わけがわからないと尋ねる俺に、凛は
「時間もあれだから簡潔に言うと、私たちの持つ宝石にちょっと細工しておいて、死んで魂が抜けかけるとそれをからめ取って保存するようにしておいたのよ。まぁ、一時しのぎなんだけど」
「それを私が回収して、あらかじめ用意しておいた人形に定着させたんです。
お爺様のこともあって間桐の魔術には魂に関する事柄もあったし、私自身ロンドンではそっち方面の研究をしていたのは、先輩も知っているでしょう」
そういえば桜は、ロンドンでは魂関係の研究をしていたな。
以前は魔術にそれほど乗り気ではなかったのだが、ある日突然猛勉強を始めたのだ。
何度尋ねてもその理由は教えてくれなかったが。
凛はだいぶ前からこの計画を立てていたのだろう。
そして桜はこの計画を凛から持ちかけられ、それに乗る形で積極的に魔術を修めたのだろう。

「あ、ああ一応事情は呑み込めた。
 でも何でおしえてくれなかったんだ?」
そう、そんなことを準備していたのなら教えておいてほしかった。
一人だけ蚊帳の外というのは、あまりいい気分ではない。
「教える意味なんてないもの。
あくまで保険で使わないのが一番だし、桜が間に合うとも限らない、成功する確率だって低い。
それにアンタのことだから、知っていたらより一層無茶しただろうし。
何より命を粗末にするわけにはいかないじゃない、こんな反則もう一回やろうたってできないんだから」
成功率が低いのはわからないでもない、自分の行動を省みれば無茶などしないとはとても言えない。

だがなぜもう一回はできないのだろう、と思い聞いてみることにする。
「なんでさ」

問いただすと……
「その人形は蒼崎製で、資金的にもう余裕がないんです」
「な、なるほど…」
世知辛い理由でした。


「で、この後のことなんですけど」
「この後?」
「アンタねぇ、今の状況わかってる?
私らはもう死んだ人間なの、そんなのがうろうろしてみなさい、教会や協会が黙ってるわけがないでしょうがー!!」
久々にあくまが降臨しました。

「じゃ、じゃあどうするんだ?」
「性に合わないし、癪に障るけど逃げるわよ!」
「逃げるってどこに? 連中の目をごまかすのはただ事じゃないぞ」
そう奴らの目は世界中にある。
そのうえやっと始末したと思った厄介事が、のこのこ動き回っているのを放置してくれるとは到底思えない。
「簡単よ。並行世界にいけば問題ないでしょ?」

……はい? 我が敬愛なる御師匠様は何をのたまっていますか?
「何よその眼は」
「いや待て、睨むな、殺気立つな!!
並行世界へってどうやってさ、宝石剣で出来るのは小さい穴を開けて向こう側を覗くぐらいだろ?
 そんな大事まではできないはずじゃ」
そう宝石剣は確かに魔法の一端を体現するが、あくまで一端だ。
それは並行世界を観測できる極小の孔をあけるぐらいで、人が通れるほどのものではないはずではなかったか。
通れるとしたらラインや魔力くらいのもののはずだ。
「宝石剣だけならね。
でもこの冬木には大聖杯がある、それを利用するのよ」

大聖杯、それは5度にわたった聖杯戦争の大本。十年前俺と凛が関わったちっぽけな、それでいてこれ以上ないくらいに絢爛とした戦争の根幹だ。
「利用って、大聖杯は壊したじゃないか。
なんで大聖杯が出てくるんだ?」
そう第五次聖杯戦争から半年後、俺たちは遠坂家の資料を漁りその本質を知るにいたったのだ。
まだ聖杯戦争は終わっていないことを知った俺たちは、その危険性を知る者としてこれを破壊した。
なのにそれを利用するという、それはいったいどういうことなのか。

「いいから聞きなさい。確かに壊しはしたけど機能の一部を修復しておいたのよ。
ああ、安心しなさい。別に聖杯戦争は起きないから。
私が利用しようとしているのは、大聖杯の地脈から魔力を集める機能だけだから」
凛が言うには、せっかく膨大な量の魔力を工面するあてがあるのにそれを使わないのはもったいないということで、いずれ研究にでも利用しようと考えていたらしい。
だが今回はそれどころではないので、かねてより温めていた実験を利用して並行世界にトンズラしようということらしい。

それは……
「宝石剣であけた孔に膨大な魔力を一気に流し込んで、孔を無理矢理押し広げて人が通れるようにするというものよ。
孔をあけるのは魔法の域だけど、開けられた孔は一種の空間の歪み、ならそれを拡張するのは人が通れる孔を直接あけるよりも容易なのよ」
理屈は一応わかった。容易なのかどうかは俺では判断できないが、凛がそういうならそうなのだろう。

ただ……
「危険性はどれくらいなんだ?」
これは聞いておかなければならない。俺一人ならともかく凛も一緒なのだから。

「はっきり言って、不明よ。
なにせ並行世界への移動なんて、大師父以外やった人なんていないし。完全に至ったわけじゃない私がすることで、どんな修正を受けるか見当もつかない。それでもこの世界にいるより悪くなることはないと思う。ここにいたんじゃいつ殺されてもおかしくないけど、逃げれば希望がつながるしね」
ならば是非もないか。
ようは遠からず死ぬか、生きられるかもしれない可能性に賭けるか、ということなのだから。

「わかった。その賭けに乗った。
チップは命で、それを凛にかけるということなんだな」
そうだ、俺はもう十年前から凛に命を預けているんだ。なら今更臆する理由もない。
「そういうこと。こっちも準備しているけれど、終わるのは2・3日後ね。それまでに体に不具合があったら桜に言って調整しなさい、向こうに行ったら帰ってこられないんだから」
「あ、桜はいかないのか?」
それは少し寂しかった。つまり、これが永久の別れになるということなのだ。

「はい。どのみち大聖杯や術式を管理する人間が必要で、姉さんか血の繋がっている私でもないと、それはできないんです。冬木の土地との相性の問題もありますから」
そう、桜も寂しそうに告げる。

「そうか……」
「じゃ、他に質問はない?」
「あ、そうだ。鞘はどうしたんだ?
それと、俺の礼装も」
そう、あの聖杯戦争で何度も世話になり、最後まで忠義を尽くしてくれたもう一人の相棒の失われた鞘「アヴァロン」。
アーチャーの言っていた「彼女の鞘の加護」の意味と、それが俺の中にあったのはすでに分かっている。
それがどうなったのかが気にかかる。

「その点は大丈夫。ちゃんとアンタの中にあるわよ。
 協会の連中にくれてやるのなんかごめんだし、何よりいつかあの子に会うことがあったら、お礼と一緒にそれを返したいんでしょ?
それと礼装の方だけど、全部荷物の中に入れてあるから大丈夫。
なくてもある程度どうにかなる物もあるとはいえ、やっぱり有った方がいいしね」
それを聞いて安心した。
鞘もそうだが、俺の礼装の中には親父の形見でもある、トンプソンセンターアームズ・コンテンダーと起源弾がある。
えげつない代物ではあるが、それでも俺の切り札の一つだし、親父の残してくれたものである以上無碍にはしたくない。
また残りの礼装にしても、魔力の少ない俺には増幅機は必須だし、もう片方も投影の補助があった方が負担は減る。
聖骸布は論外、これがなきゃ俺の守りはないに等しいのだから。

「士郎、アンタもう一つ大事なこと忘れてるでしょ」
凛が「むーっ」とむくれている。なんだろうか?

「はあ、その様子じゃ完全に忘れてるわね。まぁ、らしいと言えばらしいけど。
 いい?アンタの左腕だけど呪的に奪われているのは憶えているわよね」
「当然だろ、記憶喪失じゃあるまいし。黒のお姫様が持って行った時にそんなことを言っていたし。
 でも、だからってどうしたんだ?」
いぶかしむ様にたずねてくるが、いくら俺でもそこまでボケちゃいない、失礼な。


そう、あれは6年程前。

偶然にも27祖の一角でもある死徒の姫君と遭遇し、周りの人たちを逃がすために戦って成す術もなく敗れた。
いや、あれはそもそも戦いともいえなかったのだが。
とにかく、俺は負けてその時に左腕を吹っ飛ばされたのだが、姫君は何を思ったのか……
「人間にしては楽しめました。
まさかこんな所、こんな時代で守護者になる資格を持つ者と会うとは、思ってもみませんでした。
月が綺麗だったので散歩に出たのは正解でしたね。
褒美を取らせましょう。
あなたの存在・能力ともに稀有なものですが、何よりも貴重なのはその在り方。
あなたがどのように生き死ぬのか興味があります。今宵は、腕一本を代価にその命を見逃しましょう。
精々あがきなさい人間。あなたの望みは、ある意味魔法にさえ匹敵する」

そうして、俺の腕を持って去ろうとしたのだが
「ああ、それと私との契約を望むのならいつでもいらっしゃい。世界などに渡してしまうのは少々惜しいもの。
そうですね、その時はあなたの腕も返してあげましょう。この腕は私が魂レベルで奪っているので、たとえ腕を復元させたとしても機能は戻りませんよ」
そう言って、今度こそ姫君は俺の前から姿を消した。
俺はあの件で、本当の化け物の力というものを実感した。あれ以降、姫君には会っていない。


「そう、魂のレベルから奪われているせいで、人形に移っても機能は戻っていないの。
それじゃあ只のお飾りどころか邪魔でしかないわ。だから今のアンタの腕は、人形の体とは別に以前から使っていた「蒼崎」特製の義手をつけてあるの。
ギミックもそのままだから、うまく使いなさい」
そうだった。並みの義手では機能を取り戻せないどころか、そもそも動かすことさえできない。
燈子さんが作ってくれた特注の義手だから、失う前同様、いやそれ以上の性能を出すことができるんだった。

「ああ、そういえばそうだった。確かに腕の状態を確認するのをすっかり忘れてた」
ポンっと手を叩く俺を見て、凛も桜も何とも言えない微妙な表情をする。
これは完全に呆れられているな。まぁ、仕方ないけど。

「じゃあ、これで大まかな話はおしまい。
士郎は新しい体に早く慣れて、私と桜は術の準備をするから。ああ、荷づくりはもう終わってるわよ」
「俺は手伝わなくていいのか?」
何もかも任せきりというのも、居心地が悪いので聞いてみる。
「?? じゃあ聞くけど、手伝えるの?
 アンタ知識はあるけど実践はからっきしのへっぽこ魔術師じゃない。
これからやるのは、力技とはいえ魔法への挑戦でもあるのよ。それにアンタが役に立つとでも?」
心底不思議そうに尋ねる偉大なるお師匠様。
どうせ俺には才能がありませんよ~だ。


  *  *  *  *  *


そしてその時が来た。

凛は「遠坂の当主」として、桜に伝えるべきことを話している。
「じゃあ桜、こっちのことは任せたわ。
 あとはアンタのいいと思うようになさい。弟子をとるもよし、養子を迎えるもよし。
冬木の全権はアンタに任すから」
「はい、姉さんたちも気をつけて」
「未知の領域に挑むのに、気をつけるも何もないけどね」
そういって凛は肩を竦める。
桜は今にも泣きそうだ。

「ああ、それとこれあげるわ」
そう言って凛は、件の赤い宝石を渡す。
「え、でもこれって……」
「いいから持ってなさい。
それはもう一欠けらの魔力も魔術も込められていないただの宝石だけど、士郎の持っているのと共感させれば道標くらいにはなるから、もしかしたら戻ってこられるかもね。
ああ、あとそれの代金貸しだから、そのうち取り立てるわよ」
この期に及んでも遠坂凛は遠坂凛ということらしい。
「はい。必ず返済します。いつか……かならず」
そういって桜は泣きそうな顔で笑う。
おそらくはこれが今生の別れになるとわかっていて、それでもなお再会を誓って笑う。


次に桜は俺のもとに来て尋ねる。
「先輩、無事にたどり着いたらどうするんですか?
また、正義の味方を目指すんですか?」
「……いや、夢はもう十分に見た。
 なら、ここらで次の夢を見る頃合いだと思う」
「それは、どんな?」
桜は意外だったのか、少しだけ不思議そうな顔をして聞いてくる。

「凛は、俺といられて幸せだと言った。
でもそれは俺が幸せにしたんじゃなくて、凛が自分で俺との時間を幸せだと感じてくれただけなんだ。
だから俺は。今度は『俺自身』の手で凛を幸せにしたい。凛のための『正義の味方』になりたいと思うんだ」
それが、すべてをかけて俺と共にいてくれる凛に対する、俺が返せる精一杯の思いだから。

「それは…とても素敵ですね。
 あ~ぁ、結局最後の最後で完全に振られちゃったなぁ。みんなのための正義の味方なら、まだ私も範疇だったんですけど、これで姉さんの勝ち決定です」
いくら鈍い俺でも、いい加減桜の気持ちには気づいていた。でも俺はその思いには応えられない。
そんな俺が桜にかけてやれる言葉はないと、そう分かっていても何かを言いたい衝動に駆られる。

「……桜……」
「先輩、約束してください。
 必ず姉さんと幸せになってください。一緒にですよ」
そんな俺に桜は機先を制するように、「一緒に」を強調して言ってくる。

「ああ、約束する」
だから、俺に返せるのはこれだけ。彼女との約束を絶対に果たす。かつて親父の願いを継いだ時と同様に、この神聖な誓いを胸に刻みつけて。


「それじゃあ、大聖杯の魔力を一気に解き放つので」
「それで一瞬広がった孔に飛び込むわけか。わかっているさ」
「では、姉さんそれに先輩……いえ、兄さんいってらっしゃい。
 お幸せに」
そう言って桜が極上の笑顔で送り出す。ならこちらも笑顔で返さないと
「「……行ってきます。桜」」

そうして、今度こそ本当に、衛宮士郎と遠坂凛はこの世界から消えた。




あとがき

いきなりの独自設定満載です。そのうえ、まあよくある展開ですね。
わかってはいるのですが、なかなかこれ以外の移動方法でしっくりくるのがないので勘弁してください。これでも少しは違いを出そうとやってはみました。
並行世界への自力移動となると、ゼルレッチの爺様ぐらいしかできないわけですが、そこへ無理矢理凛にもできるようにするにはどうすればいいかを考えて、この設定となりました。これなら何とかなりそうな気もします。
士郎の腕の設定は、あんな生き方している人間が、いつまでも五体満足でいられるはずがないと思いでっち上げました。一応この設定が役に立つこともある予定なので、気長に待っていてください。
桜の方は、聖杯戦争後に慎二の方からの情報提供で知り、夏ごろには決着がついたということにしています。
次からはなのはの世界で生活することになりますが、魔法と関わるのは幾分先になるので、これまた気長に待ってください。
待ってもらってばかりで申し訳ございません。
できれば、感想をいただけると幸いです。
最後に稚拙な文ではありますが、読んでいただきありがとうございます。



[4610] 第1話「こんにちは、新しい私」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2009/06/18 14:34

SIDE –士郎

俺たちは光に向かって進んでいった。
それがどこに繋がっているかはわからない。
それでも、とにかく走った。いつ道が閉じるかわからない以上、何としても閉じきる前に外に出なければならないのだから。
そして、一際強い光にのまれて俺の意識は途絶えた。


気が付いてみると、俺は頭を抱えたくなった。いま眼に映る情報は俺に困惑しかもたらさない。
まず状況を確認してみよう。
俺こと衛宮士郎は、元いた世界から逃げてきた。
それは一人ではなく、最愛の人であり、尊敬する師であり、最大の天敵でもある遠坂凛と一緒にだ。
最悪の可能性は避けられて、辿り着くことさえできなかったり、ついた所が生きらない環境じゃなかったりはしないので、生きていく上で問題はなさそうだ。

いま俺がいるのは森の中、時刻はおそらく深夜。
周囲を見渡しても人の気配はないが、遠くには街の明かりが見えるので、それほど人里から離れているわけではないようだ。
意識を集中してみると、何やら妙な感覚だ。いや、俺にとっては慣れ親しんだものなのだが、どうやらここは大層な霊地のようで、大気中のマナが尋常ではない。
冬木と同等、あるいはそれ以上の霊地かもしれない。

荷物の方はおそらく大丈夫。
中身の確認はしていないが、少なくとも入れ物には見た限り、破損はなさそうだし、紛失した荷物もないので一安心だ。
さて、いい加減現実と闘わなくてはいけないらしい。
俺を困惑させている元凶は、目の前で幸せそうに眠る我が相棒と、そして俺自身……。

一体何がどうして、こんなことになるのか!?
気がついてとりあえず立ち上げってみると、やけに視点が低い、服もダボダボしている。
手を見てみるとマメだらけの武骨な手ではあるのだが、やけに小さく幼い印象を受ける。
恐ろしい想像を振り払うように横を見てみるとそこには、顔立ちに見覚えはあるのだが、知らないはずの美幼女が俺同様に大きすぎる服にくるまって寝こけていたのだ。
「……な…なんでさぁ~~~!!!!」



第1話「こんにちは、新しい私」



そういえば凛が「世界からどんな修正を受けるかわからない」とは言っていたが、これはあんまりだ。
何が悲しくて、体は子どもで頭脳は大人を地でいかなければならないのか。
そのくせ御丁寧に体とは別物の義手まで縮んでいて、妙に親切だなぁとも思う。

そうして悲嘆に暮れていると、俺の絶叫を聞いて目を覚ましたのか、凛が幽鬼のような眼つきで起きだしてきた。
それにしても、いつまでたっても寝起きの悪さは変わらないなぁ、などとどうでもいいことが頭をよぎる。
とりあえず今ある情報の共有から始めたいところだが、その前に機能停止寸前の相棒の頭を活性化させなくては話にならない。

なので、効果のある言葉の中で被害の少ないものを選択するべく、心眼をフル稼働させる。
いやみったらしい口調も忘れない、長年の経験でこちらの方が効果的であるのは実証済みだ。
「凛。さっそくですまないが、資金難だ。てっとり早く、凛の宝石を売り払お「ダメよそれは!!」…ふむ、素早い回答だな。まさか、ノータイムとは」
「ってあれ? 士郎、なんか縮んだ?」
凛も早速気づいたか。俺のように現実から目を背けないあたりさすがだ。

「ああ、俺だけでなくお前もだよ。
これが話していた世界からの修正らしい、で体の具合はどうだ?
俺の方は縮んだ以外に特におかしな所もないんだけど」
「っと、ちょっと待ちなさい。いま走査してみるから」
しばし額に指をやり、自身の体を走査する。数秒でそれは終わって、顔をあげる。

「うん、こっちも今のところ問題はなさそう。
この後どうなるかはわからないけど、さしあたって急を要する問題はないわ」
「そうか。まぁこの程度ですんでよかったのかな」
そう見た目はあれだが、中身に深刻な問題や障害が発生していない以上まだマシなはずだ。

で、いまはこれからのことを話し合っている。
「とりあえず日が昇るまでは、ここに身を潜めましょう。
 見た限り私たちのいたところとあまり変らなさそうだけど、実際どうかはわからないし。大事をとって、明るくなってから動いた方がいいでしょ」
まぁ妥当なところか。いまのおれたちの見た目は十歳に満たない。
こんな姿で夜中に歩き回っていたら、補導されてしまう。

二十半ばを越えて職質ならともかく、補導は痛い。
そのうえ、保護者はおろか身元すら不明の子供では、あっという間に警察の御厄介だ。
宿は確保できるが、あとが面倒だ。

「そうだな。じゃあ明日になったら、まずは資金の調達とあるとしたら戸籍の偽造を手配する。
その後は街の様子を見がてら、情報収集と衣食住の確保ってところか」
「うん。戸籍はすぐに手に入るとは思えないけど、それでも時間をかければ何とかね。
 それと平行して、魔術関連の存在の確認ね。
これだけの霊地なら、この世界に魔術師がいれば必ず管理してる存在がいるはずだし。
管理者の有無と在り方で、ある程度そのあたりの事情もわかるはずよ」
そう、魔術師の存在は非常に重要な要素だ。
場合によっては、元の世界同様に追われる身となってしまうことだってある。
理想は、こちらの存在がバレずに相手の情報を得ることなのだが。そう上手くいくかどうか。

「まぁ、そのあたりは明日以降に悩むことだし。今は別にいいわ」
このあたりの切り替えの早さは見習わなければいけないな。
解決しないことをいつまでも悩んでいても仕方ない。

「それで、話は変わるけど」
と、突然凛の様子がさっきまでと変わる。

「どうしたんだ、なにかまずいことでも気づいたのか?」
さっきまで気づかなかった大変なことにでも気づいたのだろうか。

だが、その様子は深刻というよりも恥ずかしそうといった感じなのだが。
正直、その言いづらそうにモジモジする姿は、非常にかわいらしくて顔が熱くなる。
俺は別にロリコンではないはずだが、相手が凛だからか?
それともこれがよく聞く「肉体に精神が引っ張られる」というやつなのか。

「ほら、若返ったせいで服のサイズが合わないじゃない。
……だから………その……」
ああ、凛の言わんとしていることがわかった。
俺自身さっきから服がずり落ちてきてしまい、落ちないように手で抑えているような状態だ。

男の俺でさえこうなのだ。
女性の場合は、特に肉体的に起伏のあった状態から、それがほとんどない状態になってしまう。
そうすれば、当然服も落ちやすくなる。
「なるほどな。確かにそのままじゃ、服が落ちて裸になっちまうもんな。
 でも困ったな。
資金を調達するまでは服も買えないし、そもそもこんな恰好をしてちゃ碌に街を歩くこともできないぞ」
うむ、これは由々しき問題だ。せっかく行動方針が決まったのにいきなり頓挫してしまった。
そう思い凛の方を見ると、あれ? なんで拳を握って震えてるんだ?
それも顔が真っ赤だ、風邪でも引いたのか。

「……人がせっかく遠まわしに言ってんのに、アンタはまたそれかぁ!!
少しはデリカシーってものを弁えろー!!!」
器用に服を手で押さえながら、全身を使いきった理想的な右フックが頬に突きささる。


「服の事なら一時的に何とかする方法があるから、それを使いましょ」
そう言って、凛は改めて腰を落ち着ける。
その間俺は、ヒビが入ったんじゃないかとさえ思える頬さすりながら起き上る。

「一時的ってどうやって?手持ちの中に子ども服なんて入ってないぞ」
そもそもこんな事態をだれが予測できるというのか。
「そんなものがあったらさっさと着てるわよ。
 そうじゃなくて、士郎が私たちの服を投影すればいいのよ。
それなら今すぐ用意できるし、まぁどこかに引っ掛けて破けたら目も当てられなくなるけど、それにさえ注意すれば大丈夫だし。
 服なんて無意識とはいえ、今までいくらでも見てきたんだから、何か一つくらい投影できるものがあるでしょ。
がんばりなさい」
たしかに俺の投影は、破損さえしなければほぼ永続するから、破けないように注意すれば大丈夫ではある。
それに服なら中身が空っぽでも問題ない。

問題は実際に投影できるかで、布の投影はともかく、服というのは初めての試みではないだろうか。
いざとなったら明日の朝にでも、木の上から街を歩く子どもの服を視認して、そこから投影すればいいか。
「わかった。確かにそれなら急場しのぎにはなるな。
 じゃあ順序を変えて、資金を調達したら次に服の調達だな。とにかく明日は生活に必要なものの工面が課題か。
魔術師云々はこの際後回しだな」
重要事項ではあるが緊急の用件でもない以上、先に生活できる状態を確保しなければならない。

「あっ!?」
「ん? どうしたのよ突然」
「投影で思ったんだが、俺たちって今魔術は使えるのか?
魔術的な感覚はあったから忘れてたけど、世界が変わったら法則や常識だって変わるかもしれない」
そう、場合によっては魔術が使えなくなるかもしれないし、使えるものとそうでないものが出てくる可能性もある。そこの確認を忘れていた。

「あちゃあ、うっかりしてたわ。
そうね、この先何があるかわからない以上、自分の戦力の確認は必須ね。
ないとは思うけれど、もし寝込みを襲われて何もできずにやられました、じゃ笑い話にもならないわ」
そう、それでは桜との約束も果たせなくなってしまう。そんなことは許されない。

「今すぐすべて確認するってわけにもいかないわね。
下手に魔力を漏らすとそれだけで危険だし、まず私が簡易式だけど魔力遮断の結界を張ってみるから、その中でいくつか確認しましょ。
残りはちゃんとした拠点ができてから確認するから、今はもしもの時、生き残るのに必要なものの確認だけで済ますべきね。
というか士郎の場合、投影に強化ぐらいしかないわよね。実戦レベルで役に立ちそうなの」
こんな時までこき下ろさなくてもいいだろうに、まったくもって性質が悪い。

結論から言うと、特に問題はなかった。
凛の結界やガンドに宝石魔術、俺の強化と投影はかつていた世界と変わらずに行使できた。
強いて言うなら、服の投影は明日の朝になるようだ。
服、それも子供服など、とてもではないがまともにイメージできないし、そんなものが剣の丘にあったらシュールにもほどがある。緊張感が台無しになること請け合いだ。

当面の問題は何とかなりそうだ。だが、俺としては大変心配なことがある。それは……
「なあ、凛。俺このまま成長していったら、義手が合わなくて隻腕になるしかないのかな?」
俺の義手は、いま体と一緒に縮んでいる。
いまは助かっているが、この先体が大きくなれば、サイズが合わなくなってしまう。
そうなれば、俺はまた隻腕に逆戻りだ。いろいろ不便になるし、いざという時凛を守れなくなるのが怖い。

「たぶんその心配はいらないわ。
本来、アンタの腕が義手を使おうと動くことがないのは、魂の中からその部分が失われてるからよ。
なのに、その義手がちゃんと動くのは、おそらく魂の代わりになるものが、そこを偽装しているせいね。
足りないのなら他所から持ってくるのが魔術師よ。
欠損があるのなら、別の何かでそこを埋めればいいと考えたんでしょうね」
どうやら、俺が思っているよりもこの腕はすごいらしい。
魂の不足部分を補完するなんて、ほとんど魔法じゃないか。

「その偽装能力のせいで、一緒に腕も縮んだんだと思う。
それをアンタの本当の腕と、世界が誤認したんじゃないかしら。
それこそ世界さえもだませてしまったんで、同様の修正を受けたんでしょうね。
この理屈なら、そいつを世界はアンタの腕と認識して、一緒に成長させるかもしれない。
体は大きくなってんのに、なくしたわけでもない腕が小さいままなんて、それこそ矛盾してるもの」
あくまで仮説の域をでないが、希望があるのはうれしい限りだ。こればっかりは時間と共に観察するしかない。
たしかに、本当の腕と変わらない動きをし、同じように感触や痛みを伝えるこの義手は、正しくもう一つの俺の腕なのだろう。
なんせ、付け外しをするだけで、とんでもない痛みがある。
それこそ、腕を切り落とすような錯覚さえ覚えるほどだ。


凛が周りに人払いの結界を敷き、もう今できることはないので英気を養うために眠ることにする。
戦場暮らしが長いせいで寝床の製作はすぐにできる。
季節的には春のようだがまだ肌寒い、あとは投影したマグダラの聖骸布を被って眠る。
「……士郎」
「うん?」
「おやすみ」
「ああ、おやすみ凛」
こうして、俺たちの平行世界へ渡って最初の夜が更けていく。


  *  *  *  *  *


夜が明けてからの行動は迅速だった。

先に起きていた俺は、千里眼で街行く子供の服を確認して投影しておき、今日の活動の準備を済ませておいた。
街に出てわかったことだが、どうやらここは日本らしい。
並行世界といっても、表の基本的なところは元いたところと変わらないようだ。
行き着いた世界によっては、地球の言葉が通じない可能性もあるので、言葉が通じるのはありがたかった。
本屋によって調べてみたが、冬木は存在しないことが確認できた。どうやら本当に並行世界らしい。

宝石は凛が許さないので、向こうで用意しておいた貴金属を売り、予定通りに資金を調達した。
その後は街で服の調達となったのだが、未婚の身で子ども服を選ぶことになるとは思わなかった。
その際に凛にどれが似合うか質問されたが、そのあたりのセンスを俺に要求されても困ってしまう。

どんな世界でも非合法の商売をする連中というのはいるはずなので、戸籍の手配も済ませたかったが、さすがにそう簡単には見つからない。
この点も時間をかけて探すしかない。
今日のところはもっと優先させたいこともあるので、これに関しては明日からの課題になる。

戸籍がないことには、家を借りたり買ったりもできないのには困ってしまう。
いつまでも森の中でホームレスは優雅ではない、と凛が主張し、せめて廃墟で勘弁してくれ、ということで妥協してもらった。
途中で見つけた無人の家屋に、夜になったら荷物を持って潜り込み、当面の間の拠点とすることで合意をする。
一応人払いの結界を張るが、それにしたって敷地内だけだ。子どもだけで暮らしいては、近所の人たちに不審に思われるかもしれない。
まぁ、そこは凛に暗示の一つでも掛けてもらうことになる。
できれば魔術を使うのは避けたいが、不審に思われて調べに来られるよりかはよほどいいので、この手で行くことになった。

戸籍の件を除けば、思いのほかスムーズに事が進んだ。
昼過ぎからは日が沈むまで個別に街の様子を見がてら、地脈のポイントや魔力を持つ人間の有無を確認することになった。
結論からいえば、この街に魔術師はいない可能性が高い、というのが俺たちの見解だ。
街の名は「海鳴」というそうだが、地脈のポイントとなる地点には、大きな建物が多い。
しかしそのうちの一つは「さざなみ寮」というらしく、まさか魔術師が寮暮らしというのもないので却下。
ただ妙に禍々しい雰囲気はあったのだが。

一番それっぽかったのは「月村」というお屋敷で、日本の住宅事情を完全に無視したその規模は圧巻だった。
だが、機械的な警備システムこそ充実しているが、結界の一つさえ張っていない。
機械を用いる魔術師もいるだろう、しかし結界の一つすら張っていないのはあり得ない。
晩年の親父でさえ、一つは張っていたのに。
巧妙に隠している可能性もあるが、確認したのが俺である以上結界がないのは間違いない。
いまだに魔力感知は苦手だが、世界の異常には敏感なので見過ごしはしない。

残りのポイントにもそれらしいところはなかった。
うち一か所は洋館で、雰囲気はばっちりだが無人の廃墟らしい。
ここが俺たちの正式な拠点の第一候補であり、いま俺たちが潜り込んでいる家屋でもある。


今日中に当面の衣食住が確保でき、情報面でも成果があった。
本日の活動は満足のいく結果と言えるだろう。
俺はとりあえず荒れ放題になっている家の掃除から始め、凛はライフラインの途絶えた台所で食事の用意をしている。
こうしていると衛宮家での平穏な生活を思い出す。

食事を終えてからは、互いの情報を交換し今後の方針を決める。

「とにかく、この街に魔術師が住んでいる様子がないのは一安心ね。
管理者が混血や異能者の一族だったりしたら、詳しく調べないとわからないけど」
そう混血や異能者の中には、ほとんど魔力のない者もいる。
魔術師がいないからといって安心はできない。

俺たちは互いに椅子に腰をかけつつ、思案にふける。
「そうだな。それにこの街にいないからといって、この世界にいないとは限らない。
ただ、もしそうした条理の外の存在がいれば、そいつらは徒党を組んでいる可能性が高い以上、それの情報を得るのが一番なんだが…」
それにはリスクが伴う。
相手のことを探る以上、こちらのことも知られるかもしれない。
できれば存在を知られたくない俺たちとしては、それは諸刃の剣でもある。
また、組織に知られれば大勢にも知られるかもしれないので、さらにリスクは高まる。

「それ以前に、そういったのがいないことも考慮に入れないと。
 むしろこっちが厄介よ。
いればいずれ見つけられるかもしれないけど、そもそもそんなのがいなかったら、いくら探しても徒労でしかないし。
それを確認するのにどれだけかかるか、考えるのも嫌になるわ」
そう、それが問題だ。
いないならいないではっきりした証拠があればいい。

でも何のコネも、情報網も持たない俺たちでは、地道にやっていくしかない。
その際に必要な労力と時間は生半可ではないし、それが徒労だったらあまりに馬鹿らしい。

「そうね、こうなったら……」
思案にふけること数分、凛の目が細まる。
そこには決意の輝きが見て取れた。

「なんだ、何かいい案でもあるのか?」
思わず俺は身を乗り出す。
何かこの苦しい状況を打開する妙案に期待する。

だが、凛の口から出たのは、あまりに予想外な一言。
「細かいことは気にせずに、日常を楽しみましょう。
 そうね、さしあたって学校にでも通ってみましょうか。そのほうが怪しまれることもないはずよ」
思わず突っ伏す。
いくらなんでもそれはないだろう。場合によっては命にかかわることなのに、それを一切無視してしまおうというのだ。

しばし硬直してしまうが、必死に再起動して問いただす。
「おいおい! そんないい加減でいいのか?」
「別に調査をしないと言っているわけじゃないわ。
ただ、それこそ一月やそこらで結論の出せる問題とは限らない以上、長期戦になることも覚悟しなきゃいけない。
それならその間、私たちの身分を明確にできるものがあった方がいいでしょ?」
「だからって学校はどうだ? その場合は、俺たち小学生だぞ」
そう。これは、体は子どもで頭脳は大人に匹敵する、シュールな展開だ。
この年になって小学生からやり直すなど、悲しすぎる。

「子どもは学校に行くものよ。中身はともかく、外見が子どもである以上それが一番自然なはずよ。
 ここに住むことになるかはともかく、しばらくはこの街で生活するんだから、怪しまれないに越したことはないわ。
下手すると、その怪しい点から余計なものを引き込んじゃうかも知れないし」
むう、一応筋は通っている。
親もいない子どもが学校にさえ行っていないのでは、ご近所の方々から余計な疑念を招いてしまうかもしれない。
そういったことはできる限り避けるべきだ。

実際俺たちは、怪しいどころの騒ぎではないくらいに不審の塊なのだ。
「じゃあ、魔術方面の調査はどうするんだ?
しないわけじゃないって言ったけど、片手間にやって成果が上がるかな?」
「それだけど、今はできる限り大人しくして様子を見ましょう。
現状私たちの体は、いろいろ不便な子どもなんだから。
成長して行動の幅が広がってからでも遅くはないはずよ。
私の方も魔力を貯めた宝石は、向こうでほとんど使い切っちゃっているから、改めて用意する時間も欲しいしね」
なるほど。
いまの状態ではいろいろ不便なのは確かだ。
ならば当分は、こちらの態勢を整えることに力を注いで、いざという時に備えて力を蓄えるべきか。
それに今急いで調査をしようにも、子どもでは信用もされにくいし、触れられる情報もたかが知れている。

「そうだな。派手に動いたりしない限りは、外部の人間に俺たちの存在がバレる可能性は低い。
 ならば成長するまでは、水面下で情報網の整備や足元を固めることに専念しよう。
 特に「月村」の家が管理者なのかどうかを確認する方が先決か」
もし管理者であるのならそこからだいぶ情報が得られるし、敵対関係になるのは避けたい。
この場合俺たちは不法侵入者になってしまうのだから。
可能なら友好とまではいかなくても、相互不可侵の関係に持っていきたい。

「じゃ、それでいきましょう。
戸籍ができ次第、家の購入と学校の手続きを済ませて、ちょっと特殊な家庭環境の二人、ということで通すことにするわ」
言いながら、その様はどこか楽しそうだ。
別に不満ではないが、こうノリノリの時の凛は何かうっかりをやらかしそうで不安が募る。

しばらくしてその不安は的中し、凛ではなく俺がうっかりをやらかしていて、ちょっとした窮地に陥るのだが、それはまた別の話。



Interlude

SIDE-忍

控え目なノックの音が部屋に響く。
「忍お嬢様、少々お時間はよろしいでしょうか?」
どうやら相手は私の最も信頼する、寡黙なメイドのようだ。

彼女に対して閉ざす扉はないので、入るように促す。
「ええ、手は空いているから大丈夫よ。入って頂戴」
「失礼します」
そうして、いつもどおり完璧な所作で扉を開け入ってくる。
いつもと変わらない凛とした顔つきは、私を穏やかな気持ちにさせる。
彼女のいつもと変わらない様子は、私が普段と変わらない穏やかな日常にいることを実感させてくれるのだ。

だが、今日はその顔に少し怪訝な色が浮かんでいる。どうやらあまり楽しい話ではなさそうだ。
「どうしたの、そんな顔して? 森も近いし、狐にでも化かされた?」
空気を和ませようと軽口を叩いてみるが、あまり効果はなさそうだ。

「実は本日の夕刻、正門の前に不審な少年が立ち寄りまして、年の頃はすずかお嬢様と同じくらいなのですが……」
困った様子で、また妙なことを言う。
肩の力が抜けた。すずかと同い年くらいということは十歳に満たないはずだ。
そんな子がこの家の前を通ったからといってどうだというのか。

「不審ってどんな風に?
この家は普通より少し大きいから、物珍しくて立ち寄る人はよくいるわよ。
あるいはすずかの学校の友達とか、ってあの子はあんまり男の子得意じゃなかったっけ。
さしずめ、すずかのことが好きな男の子が様子を見に来たってところじゃない?
あの子引っ込み思案なところはあるけど、見栄えはいいし」
少し姉馬鹿なセリフを口にする。
恋人のシスコンが移ったのだろうか、とも思い苦笑が漏れる。

実際には普通より少しどころではないくらいに、広大な屋敷と庭なのだがここはあえて無視する。
某あくまがいれば、暴れだしそうな金ピカぶりだ。

「それが、門前に設置していた監視カメラを視認していた様子で。
それも一つや二つではなく、念入りに隠してあるカメラにさえも視線を向けていました。一つも残さず」
元の凛とした顔で、予想を上回るとんでもないことを口にする。

「それほんとうなの!?
だってうちの警備システムには、恭也だけじゃなくてお義父さんからの意見も反映させてるのよ。
一つや二つなら普通の子どもが見つけても仕方ないけど、それを全部? あり得ないわ!」
そうだ、それはあり得ない。
もう引退して久しいとはいえ、歴戦の御神の剣士に協力してもらい、私が作り上げたこの家の警備システムは並ではない。

そもそも、どこに何が仕掛けてあるかさえ判別は困難なのだ。
それは私の恋人が身をもって証明している。
それをカメラだけとはいえ、十歳にも満たない子どもが全て見つけるなど、異常でしかない。

「刺客の可能性があるわね。ここ一年はそんな動きがなかったから、もう諦めたかと思ったけど。
その子の特徴は?」
そう、お義父さんの昔のコネまでを借りてそんな不逞の輩は排除してきたが、まだ生き残りがいたようだ。
存外にしぶとい。

だが、だとすると疑問がある。
いまそんな過激な行動をしそうな連中に心当たりはない。
そういったことをしそうな奴らは、真っ先に潰したのだから当然だ。
少なくとも、今この段階で行動に移しそうな奴はいなかったはずだ。
では誰が……?

「一応映像は残っていますので、後ほどご確認ください。
服装は黒一色で、靴に至るまで全て黒でした。
髪は短めの逆毛で、色は珍しいですが白。
背丈は年のころを考えれば特別高いわけでもなく、また低いわけでもありません。
すずかお嬢様より5センチほど高いくらいでしょう。
顔つきは特別整っているわけではありませんが、精悍な印象を受けます。
褐色の肌がその印象を強めていますね。あと眼は、鉄色…とでも言えばいいのでしょうか? くすんだ灰色をしていました」
服の趣味がまるで恭也のようだ、と思いつつ分析する。
特徴を聞く分には、どうにも目立つ風貌のようだ。
海鳴は外人も多いので、目や髪の色が黒以外でも別におかしくはない。褐色の肌の人も少なからずいる。

だが、それにしても白髪というのはなかなかいない。
こんなにも目立つ刺客を放つなど、正気だろうか?
それともその少年は捨て駒で、そちらに目を向けさせるのを目的として、伏兵でも用意しているのかもしれない。
それなら、子どもの刺客というのも、うなずけはする。

だが、しかし…………
「だったら、カメラを全て見つけられる様な、有能そうなのを捨て駒にするのはおかしいわよね。
 う~ん、いまいち意図が読めないなぁ。
とにかく、すずかにはそんな子がいたら注意するように伝えて。
恭也には私の方から伝えて、協力してもらうから。あとしばらくは警備システムのレベルを上げておいて」
矢継ぎ早に指示を出して、この先の事態に備える。
いまある日常を絶対に侵させてなるものかと思い、気合いを入れる。

「かしこまりました」
そう言ってノエルは部屋を後にした。

残されたのは一人で思案する、若き「夜の一族」の当主だけだった。

Interlude out



こうして本人たちの知らぬ間に、事態は厄介な方へと流れていく。
未だに一人の少女の物語は、始まってさえいないのだが……。





あとがき

来るなり早速縮んでもらいました。
こうでもしないと、からませにくいというのが本音です。正直言いますと、STSとどっちからスタートにするか考えていましたが、結局こちらにしました。このほうが書いていて楽しそうだから、という思いっきり自分の好みの問題ですが。
hollowでアーチャーが服も投影していたので、士郎にもできなくはないだろうと思いやってもらいました。腕の方は、今もしくは未来で隻碗なのもあれなので、強引に世界からの修正でごまかしています。自分で作った設定のくせにいきなり苦しくてごめんなさい。
文末にも書いたとおり、まだなのははユーノと出会ってもいません。次回でやっとなのはが登場しますが、魔法と関わりだすのは、もう少し先なので待っていてください。
しかし今回は犯罪っぽいことばっかりやっています。戸籍の偽造に、住居の不法占拠とは。
これから先は(たぶん)犯罪に手を染めることはないと思います。
しばらく間が開くかもしれませんが、次回もよろしくお願いします。

あとがき パート2

早速改正させていただきました。
感想でいくつかご指摘いただき、それほど重要な点でもないので弄ることにしました。
訂正箇所としましては、戸籍の手配を遅らせたのと、ご近所さんに暗示をかけることですね。
あと補足としまして、士郎があっさり監視カメラに見つかったのは、はじめは結界の方に注意を向けていたからです。近づいてみてもまったくその様子がなく、不審に思い辺りを見回してみると、非常に巧妙に隠されたカメラがあるのに気づき、つい一通り探してしまったという具合です。
その後立ち去ったと忍たちは思っていますが、実を言うとそのまま屋敷の周囲を隠れながら見て回っていたんですよ。そこでとりあえず、内部までは確認していませんが、外壁部分に関してはセキュリティの穴も見つけてあるので、不法侵入もできます。まぁ、使う予定のない設定ですが。

今回、早くも感想と御指摘をくださった皆様には、心よりお礼を申し上げます。



[4610] 第2話「はじめての友だち」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2009/06/18 14:35

SIDE-士郎

なんだかんだと忙しい日々が過ぎていき、この世界にきて一ヶ月がたった。

さすがに街の様子にもなれ、目新しいものも減ってきた今日この頃。
少々日数はかかったが、その手の非合法業者を発見することができた。
凛の暗示で誤認させ、何とか戸籍の手配は済ませることができたので一安心だ。

凛は渋っていたが、ちゃんと金は払っている。
新天地でいきなり犯罪を働くなど、何としても避けなければならない(住居不法占拠のことは置いておく)。
出来上がるのにはそれなりに時間がかかったが、それも先日出来上がった。
これでやっと、法的に一切の問題なく住居を確保できる(偽造のことを考えてはいけない)。

現状一番の問題は資金面。
こちらに来る際に持ち込んだ、いくらかの貴金属を換金したことで、それなりにまとまった資金は確保できた。
だが、それにしたってそれほど高額ではない。
遠くないうちに資金は底をつくだろう。なんとかして収入源を確保したいが、子どもの姿では難しい。
いくら戸籍を確保できても、家を買う資金がないので、当面は相変わらずの無断占拠になる。
職に就けない以上、株かギャンブルにでも手を出そうか、という話も持ち上がっている。

ライフラインに関しては、水はその辺の公園で汲んできているし、電気やガスは結界を張った上で魔術を使って代用している。
例えば、食材の保存や加熱なんかに、魔術を利用している。
生活用品のうち、服のようにその場で消えると困るモノはさすがに購入しているが、食器や一部の家具は投影で賄っている。

ただ、日用品ぐらいなら投影で何とかなるが、中・大型家電製品の投影なんていくらなんでも無理だ。
精々が電動巻き上げ式のリールくらいかな。
小さいし、機械的な部品はモーターと液晶に内部の僅かな電子機器だけだから、魔力の消費は激しいしがなんとかなる。
これ以上は試したことがないのでわからない。
だが、できたとしても相当に負担が大きいことは想像に難くないので、とてもではないがチャレンジする気にはなれない。

しかし、いつまでもこのままというのも問題だ。
電気ガス水道が止められているというのは、文明人としていかがなものかと思う。
早く文明の恩恵が受けられる生活を送れるようになりたい。


で、現在俺は世にも珍しい、小学生のやり直しをやることになった。
こんなのは、某天才少年率いるバカレンジャーですら回避した珍事だというのに。人生とは深淵だ。

そういえば転入するというのは、切嗣に引き取られて新しく学校に通うようになって以来の経験だな。
もうかれこれ二十年近くが経つ。
あの当時のことはもうよく憶えていないので、それが本当に転入だったのかさえ分からない。

衛宮の性を名乗り、それまでとは違う自分として通うようになったのだから、そう間違ってもいないと思う。
いろいろと思索に耽っていると、もう教室の前に着いていた。

さぁ、いい加減覚悟を決めろ、衛宮士郎。
もう何を言っても後戻りはできない、あとはただ進むだけだ。
そう決意を固めて目の前の扉を開き、黒板の前で挨拶する。

「はじめまして。今日からこのクラスの一員になります、衛宮士郎です。よろしくお願いします!」



第2話「はじめての友だち」



SIDE-凛

「はじめまして。今日から皆さんと一緒に過ごさせていただく、遠坂凛と申します。
こちらに越してきて日も浅いので、いろいろ教えてくださると嬉しいです。
みなさん、仲良くしてくださいね」
と、当然のように猫を被って、満面の優等生スマイルで挨拶をする。

ちなみに髪型は、最近ではご無沙汰で学生時代はお馴染みのツインテールにしている。
それを見た士郎は、やけに懐かしそうにしていたものだ。

学校の名前は「私立聖祥大付属小学校」という、それなりにお金のかかるところ。
この私立学校を選んだのは、第一に近いからというのもある。
だが、すでに小学生を15年以上前に卒業した身としては、新鮮なものが欲しいと思い、独自性が高そうな私立校のほうが期待できそうだったからだ。

本当ならば、収入のない身では節約すべきところなのだが、せっかくの機会を棒に振るのも癪なので多少無理をした。
要は資金が尽きる前に、収入源を確保できればいいのだ。
幸い持ち込んだ貴金属はそれなりの量だったので、子ども二人が暮らす分には、半年程度生活できるくらいの蓄えはある。

多少リスクはあるが、いざとなったら士郎の投影品でも売ればいい。
派手に稼ぐのは楽しそうだが、魔術師がいないという確信がない以上、それなりに危険を伴う。
元手のかからない商売だけに、地道にコツコツやるだけでも十分な稼ぎになる。

まぁ、できれば使いたくない、最後の手段なのは確かだ。
たとえ魔術師がいなくても、半ば詐欺に近い商売だ。大金の代わりに指名手配などされてはたまらない。

また、この学校に街の名士でもある「月村」のお嬢様が通っているということで、それを見定めるためだ。
年齢の設定も、その月村の人間に合わせている。
やはり、同い年の方が接触しやすいはずだ。

今の私たちの外見は、十歳前後というくらいしか分からないので、適当に設定した。
魔術師の可能性は薄いが、混血や異能者の可能性もあるのでそれと接触できる所にいるのは都合がいい。

正直、いちいち試験を受けなければならなかったのは面倒だったし、書類のうえでもいろいろと不審な私たちなので、多少苦労した。
試験で落ちることなどあり得ないが、書類の方で落とされるかもしれなかったので、場合によっては強硬手段に出ることもあったが、無事入学できたので一安心だ。

新年度が始まったばかりのこの時期に、転校生というのは珍しいのか最初はざわついていたが直ぐにシンとなる。
ところどころからひそひそと話し声が聞こえるが、気にしない。気になるのは隣のクラスの様子。
やはり同じ時期の転校生となると、両親がおらず同居しているとは言っても同じクラスになることはないらしい。
結局、穂群原時代は士郎と同じクラスになることはなかったので、少し期待していたのだが。

だからといってそんなことはおくびにも出さない。
なにせ、「余裕を持って優雅たれ」が遠坂の家訓だ。たとえ世界が変わってもそれを怠る気はない。

担任の女性教師に促されて、自分の席に向かう。
よく見るとこの先生、私より年下なのではないだろうか?
自分より年下の人間から教わることになるとは、改めて自分の境遇に呆れかえる。

まぁそれでも、それならそれで、そんな状況を楽しまないのは損だ。
滅多にないどころか、まずあり得ない経験なのだから大事にすることにしよう。
遠坂凛は、自他ともに認める「快楽主義者」なのだから。

そんなことを考えていると、他とは違う視線を感じる。
そちらを見てみるとそこには、長いきれいな金髪をした、気の強そうな女の子がこちらを不審そうな眼で見ている。

なんだろうか、この記憶の片隅に引っかかる感触は。
私は以前にもあんな視線を受けたことがある気がする。
別段、敵意というわけでもないので気にしないことにするが、どうやら私の席はあの子のすぐ近くらしい。


授業は当然ながら、今更聞くまでもないことばかり。
ただ歴史や社会に関することは、聞き逃すわけにはいかない。
小学生の授業とはいえ、私が知る情報との誤差があるかもしれないので、油断はできない。

まぁ、それ以外でも手を抜く気はない。
かつては「ミス・パーフェクト」と呼ばれた身で、そのような失態は許されない。

授業が終われば、当然ながら怒涛の質問タイムが待っていた。
その程度でうろたえる私ではないが、隣のクラスの士郎は大丈夫だろうか。
アイツは基本不愛想なくせに律儀でもあるので、この勢いに押されてしまっているのではないかと思う。
心配はしていない、むしろ残念なくらいだ。
アイツが困り果てている姿は、ぜひとも見たかった。

そんなことを考えながら私は、周りの子たちが繰り出す質問に的確に、時にはぐらかして答えていった。


昼休みになっても状況に変化はない。
私も、相変わらず怒涛の質問攻めに苦もなく返答している。
できれば士郎とお昼を共にしたいが、そんな暇は貰えそうにないので、仕方なく諦める。

というか、そもそもお昼を食べる暇さえもらえなさそうな勢いだ。
小学生のバイタリティを侮っていたかもしれない。

すると、先ほどの少女が友人らしき、二人の女の子を連れてやってきた。
小学生のくせに妙に堂々した態度をしているせいで、周囲の囲いに穴があく。その様は、まるでモーゼのようだ。
少し呆気に取られているところで、連れの二人が自己紹介をしてきた。

うち一人は「月村すずか」といい、あの大邸宅の人間らしい。
管理者、あるいはその関係者かもしれない者との突然の遭遇には驚いたが、幸運だとも思う。
同じクラスなら接触の機会も増えるし、そちら側の人間かどうかも探りやすい。
でも、あまりそういった気配は感じない。
長い黒髪にカチューシャをつけた、おとなしそうなかわいい子だ。

だが、ほんとうに驚いたのはもう一人の方。
名前は「高町なのは」というらしいが、なんて出鱈目な魔力。
様子からして、自覚さえもしていないようだが、その貯蔵量は私さえも超えている。
さすがにあのカレー司祭程ではないようだが、それでも破格だ。
これで魔術師でないなど悪い冗談にしか思えない。

しかし本人は人好きのする笑顔をしていて、血の匂いもしない真人間だとわかり警戒を解く。
こんなのが放置されているところをみると、この地には管理者さえおらず、またそういった組織もないのではないかと思えてくる。

そう思考の海に沈んでいると、さきほどの金髪の少女、たしか「アリサ・バニングス」といったか。
以前街を散策していたときに、そのファミリーネームを見た覚えがある。
こちらも大層な邸宅を構えていたはずだ。私の嗅覚が告げる。この子は、私の人生で三人目の「金ピカ」だ。

しばらく黙りこんでいたが、その子が満面の笑みと共に懐かしくも物騒なセリフをかけてきた。
「あんたとはきっと、殺す殺さないの関係になりそうね」
などと、とんでもないことを言うだけ言って去っていった。
周りの人間は唖然とし、友人であろう二人も慌てて追いかけていく。

そこで私は確信する。
先ほどの視線、あの子は綾子の同類だ。そして私の被っている猫に気づいている。
どうも私の行く学校には、常に女傑がいるものらしい。

だが、それくらいでないと張り合いがないと感じる私がいる。
彼女は小学生だからといって、侮っていい相手ではない。
これからの学校生活が楽しみだ。



Interlude

SIDE-なのは

変な時期であるけれど、今日わたしたちのクラスに新しいお友達がやってきた。
名前は「遠坂凛」ちゃん。
すずかちゃんみたいなきれいな黒髪をツインテールにした、翠の瞳の、アリサちゃんみたいに意志の強そうな女の子。

その立ち振る舞いには、まるで隙がなくて完璧そのもの。
きっとクラスのみんなが思ったはず「凄い人が来た!」って。
でもそういえば、アリサちゃんだけなんだか変な眼で凛ちゃんのことを見ていたけど、一体どうしたんだろう?

最初の印象どおり、凛ちゃんはすごい人で、休み時間にみんなが集まってすごい速さで質問してきても、慌てることなく落ち着いて答えを返していた。
わたしたちと同い年には思えないくらいに落ち着いた、大人の女性を感じさせる人。

お昼休み、私はすずかちゃんと一緒にアリサちゃんに連れられて、凛ちゃんの方へと向かって行った。
アリサちゃんが近付くと、みんな突然道をあけて、まるで王様のようだった。

わたしとすずかちゃんは、凛ちゃんに自己紹介をする。
だけど、アリサちゃんが一向に話そうとしないので、わたし達の方からアリサちゃんのことを紹介した。

そうすると、アリサちゃんはなんだか怖い笑顔で、いきなり……
「あんたとはきっと、殺す殺さないの関係になりそうね」
なんてことを言う。

わたしを含め、みんなが驚いた。
だけど、アリサちゃんはそのまま教室を出て行こうとするので、すずかちゃんと一緒に追いかけてわたしたちも教室を出る。

アリサちゃんは気が強くて、ちょっと強い言葉遣いをすることもあるけれど、本当はとても優しくて責任感の強い女の子だ。
そんなアリサちゃんがどうして初めて会った子に、突然あんなことを言ったのかわたしにはわからない。
「凛ちゃん、アリサちゃんのこと誤解していないといいけど」
そう、すずかちゃんが心配そうに言ってくる。

「そうだね。なんであんなこと言ったのか、ちゃんとお話聞かせてもうんだから!」
わたしも同じ気持ち。
凛ちゃんにはこのクラス、ううん、この学校をいっぱい好きになってたくさん友達を作ってほしいのに。
アリサちゃんともお友達になれたら素敵なのに、どうしてあんなことを言ったの? アリサちゃん。


そうして追いかけているうちに、アリサちゃんに追いついたのは屋上。

そこでわたしたちは、アリサちゃんからお話を聞くことにした。
「アリサちゃん。さっきは何で凛ちゃんにあんなこと言ったの?
 凛ちゃんまだ転校してきたばっかりでお友達だっていないし、あれじゃ可哀そうだよ」
すずかちゃんが諭すように尋ねている横で、わたしはちゃんと答えてくれるまで動かないという思いを込めて、アリサちゃんを見つめている。

するとアリサちゃんは……
「あの子は、みんなが思っているような子じゃないわよ」
と、またしてもとんでもないことを口にした。

信じられなかった。
アリサちゃん決して人の陰口を言うような子じゃないはずなのに、なんでこんなアリサちゃんらしくないことを言うのだろう。
「なんでそんなこと言うの!? 今日のアリサちゃんおかしいよ!」
「別におかしくないわ。ただわたしはあの子を見てそう感じただけ」
わたしが問いただすと、まるで聞く耳はもたないというようにアリサちゃんは言う。

でも何か変だ。
もし凛ちゃんのことが嫌いならもっと嫌そうな顔をするのに、今のアリサちゃんはどこか楽しそうに見える。
それは相手を傷つけることを楽しんでいるような暗いものじゃなくて、もっと純粋に今の状況を歓迎しているような。

「いい、あの子はあなたたちの思っているような子じゃない。
 あの子はね、猫被ってるのよ。あの子の本性がどんなのかまでは分からないけど、油断ならない相手よ。
気付かなかった? あの子、わたしが話しかけたら一瞬驚いた顔をした後に、すごい顔で笑ってたわよ。
まるで何時でもかかって来いって言うような」
と言って、アリサちゃんは私たちも見たことのないような、やる気満々な表情をしてすごく楽しそうにしている。

やっとわかった。
アリサちゃんは凛ちゃんのことを嫌いなわけじゃなくて、対等のライバルとして見ているんだ。
それはきっと、勉強でもスポーツでもない別の何かの……。

Interlude out



SIDE-凛

唖然としているクラスメイト達を置き去りにして、私は今屋上に向かっている。

特に理由ない、だが確信はある。
あの子は間違いなくそこにいる。

私の猫を一目で見破った幼い女傑は、きっとあの友人たちと一緒にいるはずだ。
この際二人にもバレてしまうがそれは問題外、あの子とは一度はっきり話しておいた方がいい。
おそらくはあの子は、綾子・ルヴィアに次ぐこの私、遠坂凛の新たな強敵だから。


屋上の扉を開けるとそこには、案の定あの三人がいた。
たぶん友人の発言を問いただしに来たのだろう。
だけど、空気がよどんではいないところからすると、すでに二人には話しているかもしれない。
それなら話は早い。てっとり早くいくとしよう。

「よろしいですか?」
まずは猫を被っておく。
それに対する彼女、アリサとその友人たちの反応を見てみるとしよう。

「ええ、いいわよ。もうこっちの話は終わったから」
何の気負いもなく返すアリサ。
本当にこの子は小学生かと疑いたくなる。
残りの二人は、私の存在に驚いているが、どこか観察するような眼つきだ。
やはり猫のことは聞いているようね。

とりあえず今はまだすを出すところではないので、相変らず表面上は穏やかなやり取りを続ける。
「先ほどの言葉の意味をお聞きしたくて」
あくまでも表面上は穏やかなやり取り。
だがその実、お互いに腹の探り合いをしている。

さすがに年季が違うので、こちらの優位は揺らがないし、小学生に腹を読まれるようなヘマはしない。
それでもこれから先が楽しみだ。
「意味もなにもそのままよ。ところで、いい加減本性を出したら?
二人とも、もうあなたの猫のことは知ってるわよ」
「そうね、じゃあお言葉に甘えさせてもらうわ。まさか一目で見抜かれるとは思わなかったなぁ。
 どうしてわかったのか、教えてもらえない?」
そう言って猫を脱ぐ。
すると当然ながらすずかとなのはの二人は驚いているが、意外にもアリサも驚いている。

「そう、それが地なんだ。
理由なんてないわ、ただそんな感じがしただけ。
でもまさか、こんなに簡単に本性見せるとは思わなかったわ。どういうつもり?」
これにはこちらも驚いた。まさか純然たる勘とは。
方向性こそ違うけれど、セイバー並の直感ね。

「ただの勘で気づいたの? それじゃあ隠しようがないわ。今回のことは運の問題ということね。
 良いか悪いかはわからないけど。
それと、見抜かれちゃった以上、いつまでも取り繕ってても見苦しいでしょ。
 それが理由よ。少なくとも、あなたたちの前では猫を脱ぐことになるでしょうね」
そういって猫ではない、本当の笑みをアリサに向ける。ただし、挑戦的という言葉がつくが。

「ふ~ん。みんなの前では相変わらずなんだ。まぁ別にいいけど。
 ところで、これからは凛って呼びたいんだけど、いい?
わたしとしてはこっちの方が呼びやすいんだけど」
そう尋ねてくるアリサ。

当然だ、もう私たちは宿敵なのだから。
そんな他人行儀なのはよろしくない。
「ええ、もちろん。
 ああ、月村さんと高町さんもそれでいいわよ。
私もあなたたちのことは、呼び捨てにさせてもらうから」
二人に対しては、同じ本当の笑みでも余計なものはくっつけない。
こちらは、純粋な意味での友人なのだから。

それに対し、二人は少し呆気に取られていたようだがすぐに復帰する。
「あ、はい。それじゃあ、凛ちゃんって呼いんでもいいかな」
「うん! わたしも、凛ちゃんって呼ぶよ。これからよろしくね。凛ちゃん!」
すずかとなのはがそれぞれ応える。
すずかにはどこか桜に似たしとやかな印象があり、心が暖かくなる。
対して、なのはは元気一杯に、全身で嬉しさを表現している。
ここまで喜んでもらうと、苦笑を禁じ得ない。

「ええ、こちらこそよろしく。それじゃあ、教室に戻りましょうか。もう次の予鈴が鳴るわよ」
そう言って、私たちは屋上を後にする。



SIDE-士郎

想像していたより、ずっとハードな一日がやっと終わった。
ただ一言、転校ってこんなに大変だったんだな。今日はそれに尽きる。

教室ではずっと質問攻めで、いちいち返答に四苦八苦していた。
この辺り、凛なら大層うまく対処するのだろう。

そんな質面攻めをしてくるクラスメイトに、見知った人がいた。
いや、俺の知るその人と同一人物というわけではないだろうが、あまりに似すぎている。
その名は、後藤劾以。
名前まで同じで、前日に見たテレビの影響を受けて、妙な古風口調をする点もそっくりで懐かしかった。

世界、いや並行世界の広さと可能性を垣間見た気がした。
あんな妙な個性を持った人に、また出会うとは。
この分じゃ虎や黒豹もいそうで、会いたいのか複雑な気持ちだ。
などと思いながら、校門で凛が出てくるのを待つ。

別々のクラスになり、質問攻めにあってしまい学校に来てからは一度も会えていない。
あいつのことだから心配はいらないだろう。
だが、同時に妙なところでうっかりが発動するので、そっちが心配だ。


そうして待つこと10分。

見覚えのあるツインテールが見えた。
見えたのだが、これは一体何ごとだ?

凛は、基本的に優等生の仮面を被っているが、ある一定ラインから先には巧妙に踏み込ませない。
いままで一般人でその領域に入ってこられたのは、美綴と藤ねぇの弓道部女傑コンビと、藤ねぇと同じ野生動物の薪寺ぐらいだ。
あとは例外で一成か。
一成の場合仮面を見破ってはいたが、あれは対立関係だったのでちょっと微妙。

その凛があろうことか、三人の女の子と親しそうに話しながらやってくる。
正直信じられん。
今は仮面を被っているようだが、その実あの三人に対しては仮面の被りが浅いのがわかる。
十年もの付き合いで、あいつが仮面の着け外しをするところを見続けてきたからか、その被り具合が手に取るようにわかる。

あれは、もし彼女たちだけになったら仮面を脱ぐぞ!
まさか凛の仮面を、一日で脱がせるようなのが三人もいるとは、ここは魔窟か!!
と、俺が慄いているうちに世にも奇妙な四人組がやってきた。

「士郎、あんた一体何をふるえているのよ?」
とは、ことの元凶たる遠坂凛。
というか、この時点ですでに仮面を外している!
何が彼女をここまで開放的にしているのか。

「ちょっと凛! この人誰?」
ちょっと強い口調で話すのは、きれいな長い金髪をした気の強そうな少女。
あれ? この子、凛や美綴となんか似た匂いがする。

「あれ~? 見たことのない人だねぇ。
同じ学年みたいだけど、凛ちゃんわたしたち以外にお友達いたんだ!」
こちらは、栗色のこの中では珍しい短めな髪をした、すごく明るい女の子。
って、おいおいなんだこの馬鹿魔力! 感知能力の低い俺でさえ気づくぞ。
一体どういう貯蔵をしてるんだ?

俺とじゃ、比べるのも馬鹿馬鹿しいほどの差がある。
雲泥の差、あるいは月とスッポンといったところか。
しかもそれが垂れ流しって……一体どうなってるんだ。

「???」
そして最後の一人。
長い黒髪のおとなしそうな子だ。
ところがほかの二人と違って、黙り込んでしまっているし、不審そうな眼を向けてくる。
俺この子に何かしたっけ? 初対面のはずなんだが。

そんなカオスな空間となりつつある俺の周囲。
どこに行っても形は違おうと、妙な境遇陥るのは俺の天命らしい。

すこしナーバスになっている俺を余所に、凛が紹介してくれている。
「こいつは、衛宮士郎。私の同居人よ。
そういえばまだ話していなかったけど、私たち両親がいないのよ。
こいつとはもうずいぶん昔からの付き合いで、まぁ、今じゃ家族みたいなものね。
なのはが見覚えがないのは当然ね。こっちには一緒に越してきて、今日一緒に転入してきたのよ。
クラスは別になっちゃったから、話すのが遅れたわね」
真実を大雑把に解説し、近況のみに限定して話す。
プライベートな部分を聞きにくくすることで、一切虚言を用いることなく真実をぼかしてしまう手際はさすがだ。
彼女たちも両親がいないと聞き、申し訳なさそうにしている。

いないのは事実だし、本当のところを話すわけにはいかない以上仕方がない。
だけど、本気で悲しそうにされると良心の呵責が……。
「ああ、それはぁその、ごめん」
「あの……その………」
「…………」
特に、おとなしそうな子など今度は俯いてしまった。
上手くいってよかったのだが、なんか複雑だ。


その後、途中までは一緒なので帰路を同じくすることに。
その途中お互いに自己紹介をしあい、さっきのことは気にしないように言っておく。
少しだけ表情が軟らかくなってよかった。すずかは相変わらず、黙ったままだが。

何でも、三人ともこれから塾があるそうだ。
特にアリサとすずかは、それ以外にも習い事があるらしく、なかなかハードなスケジュールをしているらしい。
なのはも家は街で有名な喫茶店だとかで、時折手伝っているとのこと。
最近の小学生は忙しいのだなぁ、と他人事のように考える。

そうやって話しながら歩いているうちに、分かれ道だ。
ここで俺と凛は三人とは別の道になるので別れることに。
帰りは気をつけるように言うのは忘れない。
女の子が夜道を歩くのは危険なのだから。


家に帰ってから凛に詳しい話を聞き驚嘆する。

まさか一目でそれも勘で、凛の仮面を見破る猛者がいようとは。
だが納得もいった。それならあの様子もうなずける。

美綴に対してそうだったように、見破られた以上見苦しいまねをする凛ではない。
潔く当人の前では仮面を脱ぎ、相応の態度をとるのが礼節だと考えている節もある。
なので驚きはしたが、うん、それはとても凛らしい。

ところでなのはだが、彼女は魔力の貯蔵こそ尋常ではないが、本人はただの一般人のようだ。
まぁあの性格では魔術師にはむかないだろう。
凛の見解ではシエルさんのように、唐突に発生した天才なのだろうとのこと。
あれほどの魔力があって、今までそちら側からの干渉が一切なかったことを考えると、もしかしたら本当に魔術師はいないのかもしれない。
いたとしても、俺たちのところほどえげつないのは少ない可能性が高くなった。
まずあり得ないが、魔術師がいながら、本当に誰も気づかないなんて奇跡があれば話は別だが。

それとすずかの方だが、自己紹介を聞いて彼女が「月村」の人間だと知り、それはそれで驚いた。
そりゃあ、月村のお嬢様が通っているとは知っていたし、それもあそこを選んだ理由なのだが、何という偶然なのかと呆気にとられる。

また、俺の方を不審そうに見ていたのは、見慣れない男というだけではないのだろう。
俺はこちらに来た初日に、月村邸の視察をした。
中に入ったわけではないが、非常にハイテクな防犯設備をしていたので、ついカメラを探してしまった。
あれほど巧妙に隠したカメラを、こんな子どもが見つければ、それは警戒するだろう。

おそらくすずかには、俺の容姿に関する情報がいっていて、気をつけるように言われていたのではないだろうか。
あれだけの豪邸に住んでいるんだ。
管理者云々がなくても、身代金目的の犯罪などの被害があっても不思議はない。
今回は俺がうかつだった。

その時のことを話したいが、なんて言い訳すればいいんだ?
俺の行動が不審だったのは事実。
それをうまくごまかす方法が思い浮かばない以上、日々の行動で信用してもらうしかない。



Interlude

SIDE-すずか

今日、凛ちゃんと友達になった。

初めに思っていた印象とは違ったけれど、それでも凛ちゃんは素敵な女の子だ。
その本当のところを見破ったアリサちゃんもすごいと思う。

でも、同時に困ったことになった。
お姉ちゃんが気をつけるように言った男の子。
それが凛ちゃんの、たった一人の家族である士郎君だった。
会って話してみる限り悪い子じゃなさそうだけど、どうなんだろう?
もしかしたら凛ちゃんも仲間かもしれない。わたしたちを騙しているのかもしれない。

そんなことを考えてしまう自分が、すごく汚く感じる。私こそみんなを騙している嘘つきなのに。
そもそもわたしは人間じゃない。ただの「化け物」でしかないのに。
そんな私が人を疑ってしまうのは、どうしようもなく汚らわしい。
わたしには人のことを言える権利なんてないのに。

それでも、わたしはいまからお姉ちゃんに士郎君のこと、凛ちゃんのことを話す。
もし本当に二人がそうで、私の周りの人たちを傷つけるんだったら許せない。

ううん。違う、わたしは怖いんだ。
二人がそうなら、わたしの秘密をバラすこともできる。
そうなったら、今あるすべてを失ってしまうかもしれない。
受け入れてくれる友達、暖かい世界、そのすべてを。

もしかしたら、知っても受け入れてくれるかもしれない。
でも、そうじゃなかったら?
そんなことを考えること自体、なのはちゃんやアリサちゃんを侮辱しているのはわかってる。
それでも怖い、失いたくない!
二人はわたしの初めての友だちなんだから。だから、わたしは………。

Interlude out




あとがき

初めに、第一話を一部改正したので、冒頭のところで一部改正前と重複するところがあります。
ですので、もう一度第一話を読んでから、こちらをお読みになった方がよろしいかと思います。
お手数おかけしまして、申し訳ございません。

今回、なのはの魔力量についてシエルさんと比較しました。
シエルさんは特別な家系でもないのに、異常に高い資質のせいでロアの転生先に選ばれましたからね。
突然変異的な天才という意味では、なのはやはやてとは似通っている気がします。
あの人の魔力量は、並みの魔術師百人分に相当するとのことらしいので、さすがにそこまでぶっ飛んではいないだろうと思い、(現時点では)なのはの方が低いことにしました。

この先シエルさんを超える予定は、一応ありません。
まだ魔法技能の開発もされていない段階ですが、凛以上シエル未満というかなり幅のある設定です。
ちなみに士郎の魔力量のみのランクは、管理局基準でDにプラスがつくかどうかの辺りを考えています。
Cってなんか平均のような感じですし、基本スペックでは平均以下が士郎だと思うので。

何回か後の方でも出す予定ですが、リンカーコアと魔術回路は別物で、それぞれ特徴があることにしています。
端的に言うと、魔術回路は隠密性と瞬間放出量に長けており、大気中の魔力(マナ)をくみ上げることができるのが特徴です。
リンカーコアは、最大貯蔵量とチャージした場合の威力では圧倒的ということにしており、魔術回路と比べてリスクが低いのが特徴ということにしています。

士郎を主要メンバーとは別のクラスにしました。
今後の流れで、あまりなのはと接点が多すぎるのもどうかと思っての処置です。
登下校時と、昼食を一緒にするくらいしか接点がないと考えてください。

感想掲示板でご指摘のあった外国へ逃避した方がいい、というご意見にもこの場で返信しようと思います。
戸籍の偽造をやっておいてなんですが、密出入国はリスクが高いと思いますし、下手に動き回るのも得策ではないと考えています。
せっかく手掛かりがありそうな所でもありますし、管理者がいないならそのまま自分たちのものにしてしまおうという考えでいます。
霊脈の流れに関しては、いくらか先の回で出すつもりでいます。

早めに次回の更新もしたいですが、おそらくは不定期の上に間が開くことも多々あると思います。
とりあえず無印の完結までは行くつもりなので、根気強く待っていてくだされば幸いです。



[4610] 第3話「幕間 新たな日常」
Name: やみなべ◆d98e0cb7 ID:94acabce
Date: 2009/11/08 16:58

衛宮士郎の朝は早い。

とにかく、現在朝の5時。
たいていの人間はまだ夢の中の時間に、目覚ましの手助けなしに起き上がってくる。
これはつまり、彼にとってこの時間に起きるのは何の苦もないどころか、当たり前であることを示している。
遅刻という言葉からは、果てしなく縁遠い男である。

そんな早朝に起きて何をしているのかというと、ひとまず身支度を整え、その後は早速掃除と洗濯に入った。
しかも、箒で軽く掃くなどという簡単なものではなく、はたきや雑巾までもちだしてきての充実した掃除だ。
一般の一軒家よりも確実に広いのだが、その家を隅々まで掃除していく。

さすがにプライバシーというものがあるので、同居人の部屋には入っていかないし、先日整備した工房も手をつけない。
後者の方は掃除をしようと思えば、丸1日かかるくらいの覚悟がいる。
広さはそれほどでもないが、とにかく物が多い。
それもかなりヤバい代物もあるので、迂闊に触ることができないせいだ。
ここの掃除には、工房の主でもある師の助けが必要だろう。

掃除にかかった時間は約30分。
これだけの広さを、どうやったらこの短時間でこなせるのか、甚だ疑問である。
また、洗濯に関しては手洗いであるにもかかわらず、洗濯機も顔負けの速度でこなしていき、わずかに20分で片づけてしまった。
いくら洗濯物のいくつかは相方の担当とはいえ、どうやればこのペースでこなせるのか。
一家に一人衛宮士郎、というキャッチコピーが十分に成立する男である。

とにかく掃除に一段落がつくと、今度は庭に出て鍛錬を始める。
そう込み入ったことをしているわけではなく、精々体をほぐすための柔軟と少々の筋力トレーニング。
体が硬くては、そもそも戦いなどできるはずもないので、ほぐすためといってもかなり念入りにやっている。
筋力トレーニングの方は、現在の体が小学生くらいであることを考えれば、あまりやり過ぎるのはよくない。

過度のトレーニングは成長を阻害する可能性があるとも言われている。
昔は背のことでコンプレックスがあった身として、またあのような思いをしたくないのだろう。
人形の体とは言え、限りなく生身のそれに近い以上、あまり無理をするわけにはいかない。
必要最低限と考えるトレーニングで済ませている。

柔軟とトレーニングを終え、そこからは剣の鍛錬に入る。
投影で作り上げるのは、最も手に馴染んだ干将・莫耶。厳密にはその縮小版。
子どもの体になったことに合わせ、その状態でも使いやすいようにやや全体のサイズを縮めてある。
ただし、意外にその変形が面倒だったため、完成するまでに三日かかっていたりもするが。

それはともかく……。
魔力を漏らさない結界が張ってあるので、魔術を使ってもまず外部に気づかれることはない。
はじめのうちは体の動きを確認するように軽く振っていた。
だが、だんだんとその動きは勢いを増し、一心不乱に振っていく。

少し時間が経つと、当初の動きを確認するかのような様子は見受けられず、一瞬の遅滞もない剣舞となっていた。
もう人形の体になり、若返ってから一月以上たつが、まだこの体になれたとは言えない。
身長180㎝台だったのが、かなり縮んでしまったのだ。
間合いの測り方や、そもそもの視点からいっても激変している。
こればかりは慣れるしかないようで、日々鍛錬を積んで感覚を修正するしかないのだろう。

しばらく剣を振っていたのだが、それが突然止まる。
息を整えるように二・三度深呼吸すると、今度は一転して動きを止め、剣を持った手をだらりとさせる。
先ほどまでの激しさはなりをひそめ、かわりに空気には一種の緊張が走る。
まるでそこに敵がいるかのような緊張感が辺りを覆う。仮想敵を相手にしての鍛錬に移行した。

少々の静寂の後、再び動き始める。
だが先ほどまでと違い、攻めるような動きはほとんどなく、受けに回っているような印象が強い。
それは、それだけの相手を想定しているのだろう。
やられっぱなしというわけではないようで、隙を見つけては攻撃に転じている。

時折動きを止め、そのたびに想定する相手を変えているようで、わずかではあるが動きに違いがある。
そのまましばらくの間、区切りと相手を変えてのシャドーを繰り返す。

7時が近くなってきたところで、鍛錬を終え家に戻っていく。
一度軽く汗を(冷水で)流して、今度はキッチンに向かっていく。
同居人である遠坂凛は、起こしに行かなければまずこの時間では起きてこない。
そのため、朝食は彼の担当になる。

凛の場合は、朝は食べない主義などと昔は言っていた。
しかし、今ではすっかり士郎の習慣に染まり、朝食を所望するようになっている。
あくまでも所望であって、自分で作ることはまずないことをここに記す。

本日のメニューは、焚きたての白米に、わかめと玉ねぎの味噌汁、昨晩作った肉じゃが、目玉焼き、ふろふき大根、そして漬け物。
実に和風な朝食である。

朝食の準備が一段落ついたところで、今度は相方を起こしに行こうとエプロンに手をかける。
そこへ……
「………うぅ~……。士郎、牛乳ぅ~……」
髪はぼさぼさで、眼はすわり、ふらふらとした足取りで遠坂凛がやってきた。
学校のクラスメートたちがこの光景を見れば、たいそう驚くだろう。
まぁ、凛がこんな無防備な姿を見せるのはここだけのことなので、その心配はいらないのだろうが。

「ほら。まったく、いつまでたっても朝が弱いのは変わらないよな」
半ばあきれ混じりに士郎が言うが、凛は受け取った牛乳の入ったコップを口につけ、気にせずに中身を飲み干す。
いっそ清々しいまでの一気飲みのあとに、凛が返事をする。

「…ぷはぁ。ふん、他のところではこんなみっともない姿、絶対に見せないから問題ないわよ。
 ほら、さっさと食べて学校行くわよ」
さっきまで寝続け、一切の家事を押し付けていた人間の発言とは思えない。

そのまま二人は、食卓に出来上がったばかりの料理を並べ、椅子に座って手を合わせる。
「「いただきます」」

こうして、並行世界の魔術師たちの1日がはじまる。



第3話「幕間 新たな日常」



SIDE-士郎

現在、俺たちは学校に登校している真っ最中。
そのメンバーは、俺と凛になのは、すずか、アリサの5人。
凛が3人と初日から友人関係になって、待ち合わせをするようになったので、こうしてみんな揃っての登校となる。
話題になっているのは他愛もない話ばかりで、勉強のことや習い事のことが中心だ。

だが、ここでアリサが唐突に話を変える。
「ところでさ、今日の放課後みんなで翠屋に行かない。
 まだ凛たちは行ったことないだろうし、あそこのシュークリームは絶品なんだから」
翠屋というのは、なのはのご両親が経営する喫茶店で、海鳴で大人気のお店らしい。
なんでもなのはのお母さんは昔、パティシエとして働いていたそうで、その腕前は大層なものだとか。
連日翠屋は、ケーキを求めるお客さんで大変混雑する。
だが、経営者の娘であるなのはと一緒ならいろいろ優遇してくれるらしい。

俺も話には聞いていたので、常々行ってみたいとは思っていた。
どうやらそれは凛も同じらしい。
「いいわね。私もなのはのお家のお店には興味があったから、ちょうどいい機会かな。
 シュークリームとかだけじゃなくて、紅茶の方でもかなりレベルが高いんだったわよね。楽しみにしてるわ。
 ところで士郎。そういうわけだから、アンタ今日は用事入れるんじゃないわよ」
とんとん拍子で話は進んでいき、今日の放課後翠屋に行くのは決定らしい。

俺だけくぎを刺されるのは、転入してからというもの、よく学校の備品の整備や用務員さんの手伝いをしたりして、一緒に帰れないことがあるせいだ。
みんなには悪いとは思うけど、整備や手伝いをするとみんな喜んでくれるので、やりがいはある。
もう二十年近くになる習慣のようなものでもあるので、そう簡単には抜けないだろうし、特に抜く気もない。
今の俺の最優先は凛の幸せではあるけど、これは多分一生なくならないだろう。
別に凛の幸せとぶつかるわけでもないし、可能な範囲でやっていこうと思っている。
やっぱり誰かの助けになれるのは、嬉しい限りだ。

まぁ、さすがにこんな時に用事を入れるほど無粋ではないつもりなので、もちろん承諾する。
「ああ、わかってるって。俺としても、その絶品シュークリームってのには興味があるからな。
 まぁクラスが違うから、多少待ってもらうことになるかもしれないけど」
HRの終わり方はクラスごとに違うので、俺だけみんなに待ってもらうことになりかねないが、これぐらいは問題ないだろう。
今日は特に予定も入れていなかったので、よっぽどの事態が起きない限りは大丈夫だ。


ところで、正直言ってさっきから肩身が狭い。
別に、女の子に囲まれているせいというわけではない。
いや、あながち間違ってもいないのだが。

凛たちは気づいていないのか平然としているが、俺としては非常に居心地が悪い。
その原因となっているのは、周りからの視線だ。
奇異の視線から嫉妬を含むものまで様々な視線が向けられ、どうにも落ち着かない。

理由はわかっている。
俺がこの4人と一緒にいるせいだ。
4人ともタイプこそ違えど、幼いながらに将来有望な容姿の持ち主たち。
この4人と仲良く登校しているような男がいれば、それは良くも悪くも興味の対象になるだろう。
俺だって、自分が当事者でなければ一瞥くらいする。

そういえば、高校時代にも似たようなことがあった。
俺が凛と桜の二人と一緒に登校した時も、似たような感じだった。
まぁあの時は、嫉妬の割合はこの数倍の上、中には殺気さえ混じっているものもあった。

それに比べれば、幾分ましだとは思う。
だがこの先、中学・高校と上がっていくにつれ、この視線はかつてのそれに近づいて行くのは想像に難くない。

俺と凛が付き合っていることがばれて以降は、凛のファンたちの襲撃をうけたこともあった。
またあんな目に会うのかと考えると、どうしても鬱な気分になる。
幸いなのは、まだその時までだいぶ時間があることか。
しかし、時間があるからといって、特に対策があるわけでもない。
回避方法が思いつかないせいで、ある意味確定した未来のようなものなので、より気落ちしてしまう。
凛に相談しても、特に対策を講じてくれるとは思えない。
あの時も、俺に直接的に攻撃をしてこない限りは傍観に徹し、ニヤニヤしながら見物していたものな。
本当にやばくならない限り、助けてくれないだろう。


そんな嫌な思考をしていると、いつの間にか校門をくぐり、靴をはきかえ、教室の前に来ていた。
ここで凛たちとは別れ、俺は自分のクラスに入る。

「おはよう」
開口一番挨拶をするが、返事はない。

別にイジメにあっているというわけではなく、単に俺がクラスに馴染めていないせいだ。
理由としては、登校時の視線と同じようなもの。
他クラスの凛たちと仲良くしているせいで、どうにも自分のクラスの人たちとの交流は薄い。それも、特に男子。

女子の方は、俺のこの容姿が近寄り難い雰囲気を出しているのだろう。
褐色の肌に白髪というのは、外人の多い海鳴でもまずいないせいだ。
こればかりは慣れてくれるまで待つしかない。
まぁしょうがないとも思うので、そのまま自分の席に着く。

そこへ、聞き間違うことのない珍妙な口調で声をかけられる。
「相変わらずのようでござるな、衛宮殿。
 いや、同じ男として羨ましい限りでござるよ」
かっかっかっ……と、やはり小学生らしくない口調で話しかけてくる後藤君。
そりゃあね、外野から見ている分にはうらやましいことだろうが、当事者としては勘弁してほしい。
今はまだいいが、この先のことを考えるといつまで笑いごとで済ませられるか、非常に心配なのだ。

「そんなに羨ましいなら、代わってくれないか……。
 喜んでみんなに紹介するぞ」
「いや、結構。拙者とてまだ命は惜しい。
 ここは謹んで辞退させていただこう」
迷いなしか。まぁそうだろう。
役得もあるが、それ以上に不利益を被るのだから、誰だって勘弁してほしいはずだ。
一時の感情で、取り返しのつかないことになるのは誰だって避けたい。
道連れにされるとわかっていて受ける奴なんて、よっぽどの馬鹿か、度の超えた女好きだ。

「薄情者」
恨みがましく言ってやるが、こんなものは負け犬の遠吠えと変わらない。
そうこうしているうちに予鈴が鳴り、後藤君は席に戻っていく。


  *  *  *  *  * 


現在は3時間目の体育の時間。
隣のクラスということで、凛たちのクラスとドッジボールで試合の最中。合同授業というやつらしい。

チームわけはわかりやすくクラスごとに、男女混合で2チームに分けての総当たり戦だ。
だが、向こうの戦力の集中具合には本当に作為はないのだろうか。
いや戦力よりも、そのメンバーに作為をヒシヒシと感じる。

向こうのメンバーは、凛になのは、すずか、アリサと他多数。
さすがに交流があるとはいえ、他の人たちの名前なんてわからないので、ここは割愛する。
どう見ても、俺に対する何らかの作為があるように思えてならない。

試合が始まってわかったことだが、凛とアリサのコンビはなかなかに相性がいい。
どっちもどんどんリードしていくタイプなだけに、衝突になるかもしれないと思っていてのだが、甘かった。
この二人、性格以上に考え方が似通っているようだ。

意見がぶつかるどころか阿吽の呼吸を発揮して、主語を抜かした会話を成立させている。
最低限のやり取りだけで意志の疎通をなしているのは、相当に長い付き合いを感じさせる。
その実、まだ付き合いは半月に満たないのだから驚きだ。

意外というのでは、すずかもそうだ。
普段おっとりしている方なので、あまり運動とかは得意ではない印象が強かったのだが、違ったらしい。
むしろ積極的にボールを取りに行き、味方をフォローしている。
凛とアリサが指示を出し、すずかが二人と一緒に果敢に攻めるという図式が成立している。

というかだ、何で小学生が飛んでくるボールを「キャッチ」という動作を抜きにして、ダイレクトに投げ返すなんて離れ業ができるんだ?
一体どこのプロの技術だよ。しかも結構余裕だし。
混血か異能者の一族の可能性もあると思っていたけど、ここまであからさまに並外れたことをされると、逆に違うような気がしてくる。
だって本当にそうなら、こんなわかりやすい形でそれをさらすなんておかしいだろ。

なのはの方はノーコメント。
開始早々に外野に移動し、その後ほとんどボールに触ることがなかったことをここに記す。
いや、運動音痴っているんだな。

他のメンバーも善戦しており、確実にこちらの戦力は減らされている。
要の3人のうち、誰か一人でいいから討ちとって、流れを変えないと勝ち目はない。
幸いここで俺の手にボールが渡る。狙いはアリサ。
起死回生の一投で、流れをこちらに引き寄せる。

「いくぞ!」
あまり強く投げるわけにもいかないし、ここはコントロールで討ちとろうと、太ももの辺りを狙う。
首から上は論外だし、腕や足と言った末端部分は避けやすい。
胴体部分なんて、取ってくださいと言っているようなものだ。

だけど、ここなら結構取りずらいし、よけようにもかなり大きく動く必要があるので、そう簡単にはいかない。
何よりアリサの性格上、逃げるなんて選択肢はないだろう。

「来なさい!!」
案の定アリサは取る気満々のようで、若干腰を落としてボールに備える。

振りかぶって投げる。
それなりに勢いはついているが、威力はそれほどではない。そのかわり狙いは完璧。
これならば、と思っていた矢先に、その考えが甘かったことを思い知る。

バシッ!

思いのほか威力を弱くし過ぎたのか、それとも俺がアリサの身体能力を見誤ったのか。
とにかくボールはねらいに反し、危なげなくキャッチされる。
反撃される前に体勢を立て直そうとするが、そこでとんでもない光景を目にする。

アリサはホールドしたボールを、突然後ろに向かってほうる。
全員が呆気に取られている中、アリサはそのままその場で屈み込む。
すると、アリサの体で死角になっていたところから、ボールを振りかぶった凛が姿を現した。
そしてそのまま、勢いよく振りかぶっていたボールを、思い切り投げる。
呆気に取られていた俺は、そのまま飛んでくるボールに対する反応が遅れ、逆に討ちとられてしまった。

あまりのことに、全員がそのまま唖然とする。
すずかの個人プレーもとんでもないが、この二人が今見せた連携は何なんだ。
いつの間にか凛がアリサの後ろに回り、その凛に向かってアリサはキャッチしたボールをパスしたのだ。
その上で、狙い澄ましたかのようなタイミングでアリサが屈み、凛が攻撃する。
まさか、こんな連携を用意しているとは思わなかった。完全に裏をかかれてしまった。

「く!? してやられた。
 だけど、どうやってこんな手を申し合わせたんだ。
これは、少しでもタイミングがずれたら成立しない連携だぞ。
よっぽど念入りに打ち合わせしないとできないはずだ」
どうしても釈然としないので聞いてみる。
打ち合わせをしている暇などなかったのに、いつの間にこんなことを申し合わせたんだ、この二人は。

「打ち合わせなんてしてないわよ。
 凛のことだから、きっと後ろにいるだろうと思ったから投げただけだもの」
「はい?」
それはつまり、当てずっぽうということか。
打ち合わせなしで、きっとそこにいるという一種勘のようなもので、これだけのトンデモプレーを成功させたというのか。
いくらなんでも、そんなデタラメな。

「アリサを狙っているのはわかっていました。でも、衛宮君はそう簡単には討ちとれないでしょう。
 だからこうして、奇襲をかけようとアリサの後ろに回ったんですよ」
凛は相変わらず猫を被ったままで解説する。
メガネこそないが、その右手は人さし指を立てて、すっかり解説モードに入っている。

つまり、凛の方はアリサなら必ず自分の意図に気づくと確信して、後ろに回ったということか。
息が合っているにもほどがあるぞ。
十年の付き合いがある、俺より息が合っているのだけは間違いない。
お前ら、実は双子とかじゃないのか。

こんなとんでもないコンビに、やたらとクオリティの高い技術を持つすずかのいるチームに勝てるはずもない。
4チーム総当たり戦は、凛チームの優勝で幕を閉じた。
いやもう、あれは反則だろう。
この3人は絶対に別のチームにしなければならない。
これが今回の体育で、2クラスの全員に共通した認識だ。


その後、各自で今日の感想を書くことになった。
校庭で書くわけにもいかないし、紙が汚れてもいけないので、いったんクラスに戻ってから書くことになる。
そこで、代表者が職員室から用紙を取りに行くことになった。

で、俺は今職員室から感想記入用の用紙を持って、自分のクラスに向かっている最中。
そこで、見知った後ろ姿を見かける。
あの長い黒髪は、すずかだな。

どうも、感想用のプリント以外にも配布物があるらしく、かなりの量を抱えている。
すずかの運動神経は今日のことで思い知ったが、あれだけの量は重いだろうと思い声をかける。
「すずか。俺も手伝うから、こっちに乗せろよ」
そう言うと、すずかは一瞬驚いたような顔をする。

そのまま少し考えこみ、遠慮がちに返事をする。
「えっと、大丈夫だよ、これくらい。ほら私、体動かすの得意だし」
出会った当初は黙り込んでしまっていたが、最近では段々気兼ねなく話してくれるようになってきた。
監視カメラの一件もあるので、警戒していたようだが少しはそれが解けてきているのだろう。
まぁ、このあたりの遠慮してしまうところは、性格のせいなのかもしれない。

「それでもだよ。女の子に重いものを持たせたままっていうのも、やっぱり問題だろ。
 二人でやれば少しは軽くなるんだし、その方がいいさ」
たぶんこれ以上言ってもきっと遠慮し続けるだろうし、ここは少し無理矢理にでも手伝わせてもらう。
空いている片手で、すずかの抱えているプリントの束のうち半分くらいを、こっちの持っている分と向きを変えて乗せる。
これならごっちゃになることもないだろう。

「あ!? もう、強引なんだから。
先生や用務員さんはよく士郎君のこと褒めてるけど、用務員さんのお手伝いとかもそうやって、無理矢理やってるの?」
むぅ、無理矢理やっているつもりはないが、もしかしたらそうなのかもしれない。
気づいたものには、とりあえず手を出してしまうこともあるしな。

「でも、ありがとう。少し軽くなったからね。ちょっと嬉しかったかな」
「そうか、なら無理にでも手伝ってよかったな」
まぁ、こうして一応喜んでもらえているわけだし、別にいいんじゃないかな。
すずかも少し笑ってくれているようなので、特に迷惑でもなさそうだしやっぱりやってよかった。
そういえば、すずかの笑顔を見るというのは初めてのことだな。
いつもどこか強張ったような感じがしたから、こうして笑ってくれるのは違った意味でもうれしい。

そうして、俺たちは自分たちのクラスに向かっていく。
先にすずかたちの教室の前に着いたので、預かっていたプリントを返し、自分のクラスに向かうことにする。
「ねぇ、士郎君。士郎君、本当は……」
去り際に、すずかがためらいがちに、何かを聞いてくる。

「うん? どうかしたのか」
小声だったこともあり、よく聞こえなかったので振り返って聞き返す。
そこで見たのは、先ほどまでの小さな笑みではなく、どこか悲しそうな表情をしたすずかだった。

「ううん。やっぱり……何でもない」
そう言って、そのまますずかは教室に入っていく。
結局何が聞きたかったのかはわからなかったが、さっきのすずかの表情はどこか心に引っかかっかった。
まるで、今にも不安に押しつぶされそうなあの表情はいったい何だったんだろう。

相談しようとしたのか、それとも何かを伝えようとしたのか、それすらも判然としない。
改めて聞き返すというのも手ではあるが、あの様子だと聞いても答えてはくれまい。
ただでさえ俺たちは付き合いが短い。そう込み入ったことを話してはくれないだろう。

無力な自分に歯噛みしつつ、俺も教室に戻ることにする。


  *  *  *  *  *


場所は変わって屋上。時刻は昼食時の正午。
俺たち五人は、ここで弁当を広げての昼食をとっている。
はじめは凛たちのクラスで食べたのだが、その際に俺の弁当のおかずをわけたのがきっかけで、お弁当争奪戦に移行してしまった。
またあんなトラブルは御免なので、こうして場所を変えることになった。

そういえば、穂群原時代にも似たようなことがあり、よく一成と生徒会室で食べたものだった。
今の状況は場所が違うだけで、あの当時に近い。

そう、あの当時にそっくりなのだ。
こうして弁当の中身を略奪されるところなんて、もうそっくり過ぎて既視感どころではないくらいに。
「なあ、なんで俺の弁当からおかずを持って行くんだ」
別に量が足りないというわけでもないだろうに。
さっきからかわるがわる、四膳の箸が俺の弁当箱に飛び込んでは、おかずを持っていく。
というかだ、何で凛までもっていくんだ。基本的に俺たちの弁当の中身は同じだぞ。

「にゃははは。ほら、士郎君のお弁当って美味しいし」
「そう言ってくれるのはうれしいがな。昨日少しつまんだ限りだと、なのはの弁当だってかなりうまいぞ。
 別に物足りないということはないはずだ。それは……すずかやアリサにも言えることだけどな」
実家が飲食店のなのはや、そもそもお金持ちで食材から言って厳選されているすずかやアリサのお弁当は、俺から見たって相当なものだ。というか、売り物になるくらいのできと言える。
これだけのものなら、俺の弁当からおかずを持っていく理由はないはずだ。

そこへ、他の三人と違って相変わらずおかずを持って行こうとする、凛の声がかかる。
「そりゃあ、レベル的にはそう大差はないけどね。
やっぱり他人のお弁当から持ってくるおかずほど、おいしいものなんてないってことよ」
なるほど、それがお前が今なお俺のおかずを略奪する理由か。
他の連中も同意なのか、俺が睨みつけると目をそらす。
まったく、女の子がこんな意地汚くていいのだろうか。
他の男連中がこれを見たら、泣くんじゃないかな。
うん、夢はきれいなままの方がいいから、このことは俺だけの秘密にしておこう。

「はぁ、この分じゃ、俺の弁当はもっと多めに作っておかないと駄目だな。
 それと、多少つまむくらいならかまわないから、あまり意地汚いことは慎む様に」
『はーい』
元気良く返事をしているが、さてどこまで信用できるやら。
どうせ止めろと言ったって、聞くような連中ではないだろう。特に、凛やアリサなんてその典型だ。
なのはやすずかだって、あれこれ言いつつも結局つまんでいる。

これからは、低カロリーのヘルシー路線で言った方がいいかもな。
俺の弁当のせいで太ったなんて言われたくないし。


  *  *  *  *  * 


俺たちは下校中にもかかわらず、喫茶店に寄っている。いわゆる道草だ。

場所は今朝決めたとおり、なのはの両親が経営する「翠屋」という喫茶店。
店内の雰囲気は心地よく、満員御礼状態にもかかわらず、決して騒々しいという印象は受けない。
この包み込むような温かな感覚は、ここで働いている人だけでなく、来客も含めた上で出来上がるモノなのだろう。
それだけここが良い店だという証明だ。

そう良い店のはずなのだ。
なのに俺はいま、大変居心地が悪い。今度は凛もそれに気づいている。
これは今朝のようなくだらない理由からではなく、かなり切羽詰まった理由からだ。
どういうわけかは知らないが、さっきから何本かの警戒の視線を感じる。
それも只者ではない。警戒されているのはわかるのだが、その視線の出所が判然としない。
おそらくは店内にいるのだろうが、それ以上のことがわからない。
生半可ではない相手に警戒されている。今わかるのはそれだけだ。

そこへトレイを持った、なのはと同じ栗毛の、ただし髪型はロングの美人さんがやってくる。
どこかなのはと顔立ちが似ているところを見るに、おそらくは近親者なのだろう。
ここはなのはの家の店らしいから、親戚か家族が働いていても不思議はない。
この人はいたって普通のようなので、警戒しているのは別の人間か。
もしも擬態だったら、という想像は怖いのでしたくない。
まあ、さすがにそれはないだろうけど。

トレイを持ってきたお姉さんは、なのはたちと二・三話をすると、こちらに向かって話しかけてくる。
「いらっしゃい。あなたたちがなのはの言っていた、新しいお友達ね。
 はじめまして、なのはの母の桃子です」
近親者だとは思ったが、母親だったのか。似ているのも当然か。
俺自身は母親のことは全く覚えていないので、どんな様子だったかはわからない。

だが、この人から零れる雰囲気は、まさしく母親のイメージそのものだ。
慈愛・包容力、そういった言葉を象徴するかのような雰囲気を、自然と身にまとっている。
俺の母親もそうだったのだろうか。

まぁ、驚くほどではないかな。確かに若いけど、なのはの年齢を考えれば別にあり得ないというわけではないし。
……だが、次は本当に驚いた。

次にやってきたのは長い黒髪を三つ編みにし、メガネをかけたこれまた美人のお姉さん。
だが今度は、立ち振る舞いが並みではない。足運び一つとっても、相当なものだ。
正中線に揺らぎはほとんどなく、隙を見つけるのも手間だ。
よく見ると、暗器を持っているのがわかる。服の何箇所かが不自然に重そうだ。
普通、店の中で武装はしないだろうに。常時臨戦態勢を旨としているのかもしれない。
あまり戦いたくない手合いだな。技量以上に、その心構えが厄介だ。
血の匂いを感じさせないところから、実戦経験はほとんどないだろう。
それにもかかわらず、実戦を視野に入れた心構えを叩きこまれている様子から、この人を仕込んだ人は、相当な熟練の使い手であることが想像できる。

自分の持つ技術・経験・知恵を余すことなく伝えているのだろう。
この人の師とは、特に戦いたくないな。
少なくとも警戒している様子はないので、おそらく警戒しているのはこの人でもない。
もしかしたらこの人の師か、それに準ずる人なのかもしれない。

そんなことを考えていると、この人も自己紹介をしてきた。
そして明かされる衝撃の事実。
「はじめまして、なのはの姉の美由紀です」
え、姉? ということは、桃子さんの娘ということか。

いや、あり得ないだろう。
どう見たって桃子さんは、二十代後半以上には見えない。
ところがこの美由紀さんは、すでに高校生。
一体いくつの時の子供で、現在あの人は何歳なんだ。

あまりのことに放心していると、正面に座るアリサから声をかけられる。
「いや、気持ちはわかるけど事実よ。
 ちなみに、さらに上にお兄さんもいるわ」
さらに明かされる、天変地異モノの事実。
考えるのはやめよう。
きっと俺の預かり知らない、壮大な何かがあるんだ。たぶん遺伝子あたりに。
ある意味、あらゆる女性のあこがれの的だな、この人。
人間、生病老死からは逃れられないものなのだが、この人は老いを克服したのだろうか。

忙しい時間帯らしくちょっと挨拶をしたら、二人はそのまま仕事に戻っていった。
かわいい末娘のために、忙しい時間を割いてまで挨拶に来るなんて、なのはは良い家族を持ったらしい。

一応なのはから、お父さんの士郎さんと、お兄さんの恭也さんを遠目に紹介された。
そこで確信する。さっきから俺たちを警戒しているのはこの人たちだ。
さっきの美由紀さんも相当だったが、この二人はさらに上だ。
美由紀さんにあった、動きの甘さが全くない。
何で警戒しているのか気になったが、その疑問はすぐに溶けた。

なんでもすずかのお姉さんと、その恭也さんは恋人関係らしい。
警戒されている理由はわかったが、このレベルの高さはいったい何なんだ。
ただ監視カメラを見つけてしまっただけにしては、ちょっとどころじゃないくらいに異常だ。
一つの迂闊な行為から、どんどん事態が悪くなっていっているような気がしてきた。

とりあえず、害意のないことを証明するためにも、すずかと接する時と同様に誠意ある行動を取るしかないか。
その後は、噂どおりのおいしい紅茶とシュークリームを堪能させてもらった。
いや、噂どおりというのはむしろ失礼か。ここは噂以上と言うべきだ。
あの味は、今の俺では到底出せる代物ではない。
忙しいということは分かっていたのだが、思わず桃子さんにレシピを聞いてしまった。
この十年でさらに腕を上げたつもりだったが、まだまだ甘かった。
その後少し人が減ってきたところで、改めて話をすることができた。

いや、実に充実した時間だった。
あそこまで料理について熱く語ったのは、いつ以来だっただろうか。

お近づきのしるしにいくらか茶葉を分けてもらい、俺たちはそこでなのはたちと別れ帰路についた。
さすがにレシピはそう簡単に漏らせないらしく、今回は断られてしまった。
こうなったら何度でもアタックしつつ、あのシュークリームを独自に研究するしかない。
ふふふっ、腕が鳴る。


  *  *  *  *  *


夕飯は当番制なので、今日の晩飯は凛特製の中華だった。
いや、相変わらずいい腕をしている。和食なら勝てるが、中華はまだまだ及ばない。
この点でも精進するしかないな。

しばらくの間団欒を過ごした俺たちは、9時近くなったところで互いに部屋に引き払った。
どうも体が子どもになったせいで、夜更かしができなくなってきている。
俺が朝のうちに家事を一通り済ませてしまうのは、どうも夜に起きていられないからだ。


自室に戻ってすぐに寝るというわけではなく、少しやることがある。

それは、魔術の鍛錬とガラクタの修理だ。
魔術の鍛錬はそれほどかからないので、主にガラクタの修理に時間を割く。
たかがガラクタと思うなかれ。我が家にとってはそのガラクタが、今後を左右しかねない。

俺が今修理しているのは、テレビ。近くで粗大ゴミとして出されていたのを、三台ばかり貰い受けてきたのだ。
なぜ三台かというと、壊れた部品があれば無事な部品もあるので、それを相互にやり取りするためだ。これなら、かなり直る可能性が出てくる。
家は収入源がないので、節約できる所は節約しないと。
ただでさえ私立校なんて通っているせいで、出費がでかい。これ以上の出費は抑えないと。

まだライフラインさえ復旧していないが、何時か復旧させたいとは考えている。
その時に利用するためにこうして直しているわけだ。
情報社会の現在、テレビに新聞、インターネットもなしというのはさすがに問題だ。
現在は直したラジオに電池を入れて、それが情報源と言えなくもない。

「さすがにこのままというのはなぁ。
学校でテレビの話題なんて出た日には、まったくついていけないし。せめてニュースぐらいは見たいしなぁ」
そういうわけで、こうしてテレビの修理に勤しんでいるわけだ。
今後の予定としては、冷蔵庫に電子レンジ、夏の前にエアコンか扇風機も直して使えるようにしておきたいな。
その前に電気を通さないとそもそも使えないのだが、こっちも何とかしないとな。

さすがに住人のいないことになっている家に、電気やガスを通してくれるはずもない。
「つまりは資金を稼いで、この家をちゃんと購入するしかないということか。
 調べてみたけど、やっぱり結構高いんだよな、この家」
立地もいいし、これだけのお屋敷と土地の広さだ。当然値が張る。
どうにも不気味な雰囲気があるせいで、買い手がつかなかったらしいく、少しは安くなっている。
だが、それでもそれなりの金額だ。
まだ、手が出せるレベルじゃない。

「資金が何とかなる前に取り壊し、なんてことにだけはならないでほしいものだけど」
買い手がつく可能性は低いが、こちらはかなりありうる。
厄介な不動産なんて、何をされるかわからない。
雰囲気が悪いというのなら、いっそ取り壊して新しくしようと考えるかもしれない。

「本当に、前途多難だよ」
まぁ、それでも何とかやっていくしかないのだから仕方がない。

適当なところで修理を打ち切り、眠ることにする。


いろいろと不安なことも多いが、この穏やかな日常がこの先も続くように祈りながら、眠りについた。





あとがき

幕間シリーズは、基本本編とはそれほど関係のない、日常に関する一幕をやっていくつもりです。
無印の間に、もう一回くらいやる予定です。

今回は士郎の学校生活を中心に据えてみました。士郎の朝の行動を第三者視点で見てみたり、クラスに馴染めなくてちょっと困っていたり、凛とアリサが妙に息が合っていたりと、とりあえず思いついたものを一通りやってみました。

翠屋の方にも今回顔を出して、なんだかよくわからないうちに、とんでもない人たちに目を付けられてしまっています。些細な出来事から、どんどんぬかるみに嵌まって行っていますね。
桃子さんのお菓子作りの腕にはまだまだ及ばないのは、士郎の天職はあくまでも執事であって、料理人ではないからと考えています。レパートリーは多いんですけどね、和食以外は質の上では超一流には敵いません。

感想の方で、凛のうっかりを希望された方もいらっしゃいましたが、凛は学校では非の打ちどころのない優等生を演じるので、今回は見合わせました。うっかりが発動するとしたら、本編中の重要な場面か、あるいは家庭生活の中を予定しています。

士郎の魔力量に関して、ランクの設定が低すぎるのではないかという意見がございました。現在の士郎の魔力量は、並みの魔術師と互角かそれ以上ではあります。ですが、魔術回路とリンカーコアの性質の違いで、魔術回路の方が貯蔵の上では劣る設定にしています。よって、魔導師の平均をCと仮定した上で、それよりは若干劣るDの上位くらいに設定しています。
ただし、これはあくまでも貯蔵のみのランクなので、瞬間放出量などの要素を加えれば、ほぼCと見て問題ないでしょう。

次回はついに荒事になります。正直言って、書いていて描写の上手い下手どころではなくて、そもそも内容が貧弱な気がすごくします。がんばって工夫を凝らすつもりですが、やはり期待はしないでもらいたいです。
当作品は、基本シリアスとほのぼの中心で、バトルはおまけ、ギャグ?それあるの?ぐらいの気持ちで読んでくださるのが適切かと思います。

できれば早めの更新を目指していますが、あまり自信がありません。
少しでも早い更新ができるよう、頑張らせていただきます。では、これにて。



[4610] 第4話「厄介事は呼んでないのにやってくる」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2009/06/18 14:36

SIDE-凛

この世界にやってきて、しばらくは一応平穏な日常が過ぎていった。
だがここにきて、おかしなことが起こり始めた。

ある日の深夜、突如魔力を感知した。
量はそれほどではなかったが数が多く、この街全体に散っていった。
士郎が言うには、同時に空間のゆがみのようなものを感じたらしい。

だがその後は、一度とある住宅街の道路で派手に争ったような形跡が発見されたこと以外、目立った動きは見られない。
もう決着がついている可能性もあるにはある。
しかし、それでも警戒するに越したことはないので、夜は見回りをすることにしたが、今のところ成果はない。


時を同じくして、なのはの魔力に変化が生じた。
それまで、ただ垂れ流しの状態だったのが、制御されているようなのだ。
そういえば最近なのはが持っている、赤い首飾りに魔力が宿っているようなので、なんらかの魔具の可能性がある。

それと、なのはの魔力に変化が起きるのと前後して、ペットを飼い始めたと言っていた。
いつもどおり私たちと別れ、塾に向かう途中に拾ったフェレットらしいのだが、そいつからも魔力を感じるので魔獣か使い魔の類なのではないかと思う。
放課後、頻繁に通うようになった「翠屋」に行ったときに見せて貰った。

余談だが、士郎が料理をするのは周知の事実で、屋上でこの五人で食べる際には、必ず士郎のおかずは略奪される。
そのことをなのはから聞いていたのか、その後は二人で料理談議に花を添えていた。
その様は、まるで井戸端会議をする主婦(夫)の如く! アイツ、ほんとに所帯じみてるわね。

士郎の家事能力はもともと高かった。
しかしロンドンで金ピカ二号こと、ルヴィアの下で執事のバイトをするようになってからは、味にうるさい雇い主の要求でさらに料理の腕は上がった。
特筆すべきはそのレパートリーで、世界中を回ったせいか、その内容は料理百科事典のようだ。
執事スキルに至ってはすでにプロの領域、骨の髄まで従僕根性が染みついている。

ただ気になったのは、士郎が店にやってくるとなのはのお父さんと紹介されたマスターと、お兄さんだという店員さんが、ひどく警戒しているようなのだ。
それも警戒の仕方から、只者じゃないことが分かる。

正中線に揺らぎはないし、足運びも熟練の武芸者のそれだ。何かの武術の達人たちらしく、警戒の仕方もさりげなく、それでいて一部の隙もない。
正直、気づいても迂闊なことができないので、見つけるまでが大変だった。
同時に、紹介された時は耳を疑った。
なのははあんなに運動音痴なのに……。

そういえば最近では、士郎は翠屋に行くと進んで給仕をしている。
なぜ翠屋で給仕なんかしていたのかというと、女の子に囲まれているのはどうも落ち着かないのだと言う。
翠屋はいつ行っても繁盛しているので、あまり私たちにかまけていられないこともあり、桃子さんはありがたがっていた。
私たちの世話だけでなく、いつの間にか注文を取っていたり、ウェイターの真似事をしたり、時には厨房の方で何やらゴソゴソやっていた。
半ば以上店員と化していると思うのは、私だけだろうか。


そんなある日、翠屋で士郎が私たちのお茶の世話をしていると、あまりに様になるその姿から、すずかのお姉さんという人がある依頼をしてきた。
なんでも彼女たちの屋敷には何人かメイドがいるらしいのだが、その中の一人は大変なドジっ子らしく、その人に見習わせたいので来てほしいと言う。

こちらとしては願ったり叶ったりだ。
いろいろとすずかを探っているが、一向にそれらしい様子がない。
強いてあげるなら、年不相応の運動神経の持ち主なことだが、それだけでは弱い。
ここらで核心に迫りたかったので、都合がいい。
もちろん私も同行したかったのだが、予定の関係で訪問は夜になるというので、欠席。

もしも当たりの時は私もいた方が都合はいいのだが、この街の異変となのはの関連を調べるためには毎日見回ることが大切だ。
よって、今回は私だけが見回りをすることになる。
まぁ、アイツならいざとなれば一人でも切り抜けられるくらいの力はあるし、万が一の場合にはラインから様子もわかる。

士郎は最後まで私一人で見回りをすることに反対していたが、とりあえずそれぞれできることをしようということで押し通し、その話を受けた。



第4話「厄介事は呼んでないのにやってくる」



SIDE-士郎

太陽は沈み、夜の帳が街を覆う。

一般家庭では、夜の食事と団らんが最盛期のはずだ。
いま俺は、すずかの家の門前にいる。万が一を考えて、聖骸布製の外套を着こんでの訪問だ。
こんな時間を指定した以上、あちらがこの土地の管理者ならば、なにかしらの行動に出るかもしれない。

気分はこれから工房攻めをするかのように緊張している。
場合によっては荒事になるかもしれない以上、準備は怠れない。
さすがに銃は持ってきていないが、それ以外は抜かりない。
友人の家に行くのに、こんなことをしなければならないことに一抹の罪悪感を覚えつつ、チャイムを押す。

「いらっしゃいませ。申し訳ございませんが、どちら様でしょうか?」
少しの間をおき、若い女性の声で尋ねられる。
聞き覚えのない声なので、おそらくは使用人の人なのだろう。

「お招きにあずかりました、衛宮士郎です。月村忍さんは御在宅でしょうか?」
人間第一印象は大切だ。できる限り丁寧な口調で返す。
すると、やはりかなり高度な機械的セキュリティを施しているらしく、勝手に門が開いた。
入れ、ということだろう。



Interlude

SIDE-恭也

窓からターゲットの姿を確認する。
辺りも暗くなってきたので見え辛いが、門前の監視カメラから姿を確認できる。
例の少年で間違いないようだ。今日は深紅の外套を羽織っている。
その姿には、年に似合わぬ威風すら感じる。

初めて見たのは、うちの喫茶店「翠屋」になのはたちと一緒に来た時だ。
それとなく監視していたが、驚いた。
常人ではまず気付かないように監視していたのに、家族だという女の子と共にあっさりそれに気づいてしまった。

さすがに、すぐには俺と父さんが警戒していることには気づかなかったようだが、警戒されていることに気づかれただけでも驚きだ。
向こうの方でも、気付いていないふりはしていたが、人間ならば一瞬の違和感まで消しきるなど不可能だ。
だが、それだけでも只者ではないことはわかる。忍たちが刺客ではないかと警戒するのも当然だ。

しかし、あんな子どもを刺客として送り込むなど、虫唾が走る!

見たところそれ以外は普通の少年……、いや、あの年で母さん相手にあれほど料理の話ができる以上そちらも只者ではない。
なのはから料理上手な子と聞いてはいたが、まさかいきなりレシピを教えてほしいと頼み込んでくるとは……。
そういえば、事情を知らない母さんは彼のことを大層気に入っていたな。

まぁそれは置いておいて、いま月村邸には俺や住人たちだけでなく、美由紀もいる。
月村家の詳しい事情は話していないが、念のため協力してもらった。
本当は父さんにも来てもらいたかったが、片割れの女の子のこともあり、それに対する対策のために残ってもらっている。

杞憂で終わればよし。
だがその可能性は低い以上、万全の態勢で事に当たるべきだ。
あちらも、それ相応の用意は済ませているはずなのだから。

どうやら伏兵はいないらしく、一人のようだ。切り捨てられたか、それとも一人で十分なのか。
本当に見た目通りの子どもかさえ疑っておくべきだ。
あの年齢から考えれば、あり得ないほどに立ち振る舞いには隙がなく、手にはマメができていた。
尋常ではない訓練をしてきたのだろう。
あまり才能は感じられなかったが、油断すべきではない。
油断は死に繋がると、徹底的に叩きこまれてきた。

「恭ちゃん」
美由紀が小声で話しかけてくる。

「あの士郎君が、本当に忍さんたちの命を狙っているの?
 そりゃ只者じゃなさそうだけど、あんな子どもが……」
美由紀の気持ちもわかる。俺にだってその思いはある。しかし忍たちのいる世界ではそれも通じない。
たとえ子どもの姿でも、条理の外の力を持っているかもしれない。

「それを確かめるためだ。もし違っていれば笑い話ですむが、そうでなかったら笑えないぞ」
「……うん、それはわかってるんだけど……やっぱり、ね」
この態度を甘いととるか、優しいととるかはそれぞれだ。
しかし、この場に限っては甘い! 甘いのだが、その甘さを忘れないでほしいとも思ってしまうから、矛盾している。

「おしゃべりはここまでだ。
ターゲットが門をくぐるぞ! 絶対に目を離すなよ、少しでも情報が欲しい」
そうして、衛宮士郎は敷地の中に足を踏み入れた。


そこからは驚愕の連続だった。
敷地内に入った直後に門が閉まり退路が絶たれる。
それに驚いているうちに、起動したセキュリティは、ゴム弾の掃射による奇襲をしかける。
もし杞憂であったのなら、ここでケリはつくところだ。
しかし、ギリギリのところで気づいたようで、それを慌てて回避した。
それだけなら、ある程度訓練を積んだ者なら可能だ。

だが、異常なのはその後。
状況を確認するように一度左右を見回してから、一気に走りだす。その速さが尋常ではない。
スピードそのものはそれほど驚くものではないが、十歳に満たない子どもが、大人顔負けの速さで動くなんて普通はあり得ない。
一体どんな体で、どう鍛えればこの幼さでこれほどの身体能力を得られるのか。
また、懐から出した双剣は中国のもののようで、遠目にも名工の作だとわかる。
こんなものを用意していたのだから、はじめからそのつもりということか。

それだけではない。はじめは罠が動き出す前に通り抜けようと考えたのかと思った。
だが、それが間違いであったことはすぐに判明した。
なんと彼は、あらかじめ罠がどこに、何が設置されているのか分かっているかのように、全て難なく回避、ないし双剣で迎撃していく。

いくらなんでもそれはあり得ない。
ただでさえ暗くて視界が悪いのに、軽く見まわしただけで遠くにあるものも含めて、すべて発見するなど不可能だ。
しかし彼は、その不可能を可能にしている。

「これで決まりだな」
静かにそう言う。どうやって罠を見つけたのかはわからないが、彼が刺客であるのはまず間違いない。
ならば俺が打って出る!
美由紀には伏兵として待機してもらいつつ、すずかちゃんの護衛を任せ、俺は一対一を挑むことにする。
先ほど確認する限り仲間はいないはずだが、どんな時も例外はある。念のために余剰戦力は残しておくべきだ。

Interlude out



SIDE-士郎

どうやら歓迎はされていないらしい。俺は完全に敵とみなされている。

門をくぐってすぐの奇襲には驚いた。
まさか、ここまであからさまに排除しにかかるとは思わなかった。
何か仕掛けるとしても、もっと内側に引き込んでからだと思っていたので、意表を突かれた。

一度辺りを見回して解析の眼を向ける。
構造はわからなくても、罠の位置と種類の概要ぐらいはつかめるので戦場などでは重宝する。
それから、懐に手を入れ投影で干将・莫耶を作り上げる。これなら懐から出したように見えるはずだ。

あとは足を強化し最短コースを走りつつ、邪魔なものは切り捨てる。
速度は一般の成人男性の全力疾走くらい。
子どもの体では、強化をしてもそれほどずば抜けた能力に至れるわけではないが、少し軽めにしておいた。
本気で排除しにかかっている以上、手の内をさらし過ぎるわけにはいかない。

助かったのは、悪くてもすぐに殺されることはなさそうなことか。
突然の奇襲といいその後も、本物の鉛玉をはじめとした致死性の高い武器は使われていない。
生け取りが目的なのだろうか?

それにしても、罠の中に妙なものが混ざっている。
陳腐ではあるが落とし穴は有効なので別にいいが、なぜロボットが配備されているのか?
魔術によらない、完全な機械というのがまた驚く。
「日本のロボット工学って、こんなに進んでいたか?
これも世界の違いなのかもしれないけど、それにしたってロケットパンチはないだろう」
この警備システムを作った人は、文字通り紙一重なのではないだろうか。
まぁ、遠野家地下王国の例もあるし、日本の金持ちの家というのはこういうものなのかもしれない。


  *  *  *  *  *


微妙に頭痛を覚えつつ、一気に屋敷まで駆け抜ける。
おそらくは中もトラップハウスの類だろうと思い、建物全体を直接解析しようと扉に触れようとする。
驚いたことに触れる直前で扉が開き、危うくバランスを崩しかけるが、何とか踏ん張る。

殺気と共に、白銀の一閃が目の前を通り過ぎる。
峰うちのようだったが、もう少し前に出ていたら頭をかち割られていた。
前方には二振りの小太刀を構えた、漆黒の剣士がいる。
翠屋でウェイターをしながら、こちらを監視していた人の一人だ。
確かなのはのお兄さんだったはずだ。

さすがにここでは互いの距離が近すぎるので、お互いに数歩引く。
いつでも斬り合いができる間合いだ。
できれば一度体勢を立て直したいが、外に出ても罠だらけなので迂闊に逃げることもできない。

「ずいぶんな歓迎だな。こちらでは客人に向かって罠を仕掛け、刃を突き付けるのが礼儀なのかね?
 それに、君はこの屋敷の住人ではあるまい。
出迎えさえ寄越さずにいきなり攻撃とは、家主の度量が知れるというものだ。
 せめて刀を向ける理由くらいは教えてほしいな。身に覚えのないことで殺されたのではたまらない」
頭を戦闘用に切り替える。
この口調はあまりいい気分ではないが、話術もれっきとした戦術である以上使えるものは使い尽くす主義だ。
挑発や皮肉で相手が冷静さを欠き、隙を見せてくれるのなら安いもの。
たとえ効果がなくても、ありそうなものは片っ端から使うのが俺のやり方であり、そうでもしないと生き残れないかった経験則でもある。

「……単刀直入に聞く。目的は何だ? 何のためになのはやすずかちゃんに接触した。
家族といったあの子も仲間なのか? それとも、カモフラージュのつもりか」
冷静だな。
まともに取り合わず、場の主導権を確保するため俺の質問にも答えず、高圧的な態度で聞いてくる。

だが、それをわざわざ表立って称賛してやる義理はない。
むしろ、せっかく手に入った挑発のネタを存分に使わせてもらおう。
「質問にも答えないか……。まったく、一から礼儀というものを学ぶべきだぞ。
その年で礼節をわきまえないなど、恥ずかしくはないのかね? それも小学生に注意されるなど……」
肩をすくめ、呆れたように溜息をつく。
それらの動作と言葉の一つ一つを、できる限り嫌味にふるまう。
相手が答えない以上、こちらが答える義理はない。ここは丁重に無視させてもらう。
この様子では、俺が魔術師であると知って仕掛けてきたわけではなさそうだ。
しかし、ではなぜこうまで殺気立っているのか。

多少警戒されているのは知っていたし、ここに来るまでに魔術で足を強化したので、その際の身体能力を脅威ととるのはわかる。罠を見抜いたのも異常だろう。
だが、俺はまだこちらにとって不利益な行動は取っていないはず、ならば脅威ではあっても危険ではないはずだ。
何か後ろ暗いことでもあるのだろうか?

「俺の質問に答えろ!! そうしたら答えてやる」
このままでは一向に進まないので妥協したらしい。
あまりこういったやり取りは得意ではないのかもしれない。
見たところ純粋な剣士のようだし、性に合わないのだろう。

「質問したのは私が先なのだが……。まぁよかろう。
目的と言ったな。それならば知っているはずだ、従者の心得というものを教授しに来たのだよ。
さあ、こちらの質問にも答えてもらうぞ。とりあえず、改めて刀を向ける理由から聞こうか」
質問には答えた。相手が聞きたがっている方ではないが、特に指定もされなかったことだし問題ない。
そもそも先に質問したのはこちらだ、相手に気をつかってやる理由はない。

「くっ、そんなことを聞いているんじゃない!!」
「おや? 答えれば教えてくれるのではなかったのかね? それでは話が違うのだが……。
 まったく、困ったものだ。
約束すら守れんとは、つくづく一般常識というものが欠けているな。
剣よりも先に、マナーというものを身につけるべきだぞ。
それでは社会に出てやっていけない。社会不適合者になるだけだ」
やはり実直な剣士らしく、あんないい加減な答えは許せないらしい。
だが、おかげで精神的に隙ができてきた。

ここから揺さぶっていくとするか、と考えていると……
「待って恭也。無礼をお許しください、これは月村の当主たる私の責任です。
 私たちが聞きたいのは、あなたが当家の者に接触してきた理由です。
現在当家は少々複雑な状況にあり、場合によっては命の危険もあります。
多少過敏になるのは致し方ないと思いませんか?」
そこへすずかの姉の忍さんが姿を現し、話に割って入ってきた。
恭也さんは一瞬驚いていたが、すぐに俺に視線を向け警戒する。いまので冷静さを取り戻してしまったか。

それはともかく……
「ふむ、潔く謝罪するのは感心だがね。ならその魔眼を引っ込めてくれないか?
 どんな効果があるか知らんが、私には無意味だよ。この外套には、中身への侵入を防ぐ効果がある」
そう、この女性は口では謝罪を述べているが、その実魔眼で何らかの暗示か催眠でも掛けようとしていた。
だが、これでこの人は黒だ。
少なくとも、条理の外の力の持ち主であることは間違いない。二人は驚愕に顔を歪ませる。

「夜の一族のことを知っているようだな。やはりそうか! 答えろ、何が目的だ!」
再び刀を向けてくる。
これでは碌に話もできそうにない。一度こちらが優位に立ってから、もう一度交渉すべきかもしれないな。
それにしても「夜の一族」、やはり混血か何かなのだろうか?

「交渉は決裂のようだな、理想的ではないが致し方ない。無理にでも口を割ってもらう!!」
そう言って、干将・莫耶を手に疾駆する。相手は間違いなく、俺よりも剣士としては格上。
そのうえ巧妙に隠してはいるが、美由紀さん同様に暗器の類も装備しているところをみると、やはり殺し合いを前提とした剣術を修めているのだろう。
ここからは命をかけた死合いだ。油断はない。
元より衛宮士郎が戦うべきは常に自分自身なのだから、そこには一切の妥協も許されない。


小太刀は、元来守りのための刀で攻撃力では通常の刀剣よりも劣るのが常だ。
なのに、この恭也という人は、それでいて十全な攻撃力を発揮する。

初めこそ、俺が相手の体勢が整う前に仕掛けたことで優位に運んでいた。
だが、今ではすっかり逆転し基本防戦一方だ。
だがもともと俺の剣術は守りを得意とし、そこからのカウンターこそが持ち味なので、一番俺らしい状況であるともいえる。
それにこの展開は予想通りだ。
玄関で対峙した時から、一挙手一投足に注意を払い分析していたのだから。

「はぁ!!」
気合いと共に、袈裟から振り下ろされる。
この若さでその鋭さに感嘆しつつも、干将で受ける。

「ふっ!」
すかさず胴を切り払ってくる。一瞬のよどみもない連撃だ。日々の精進の賜物なのだろう。
これは受けずに、バックステップでかわす。

さて、感心ばかりもしていられない。
およその力量は掴めた。まだ暗器もあるので迂闊なことはできないが、そろそろ反撃に移るとしよう。



Interlude

SIDE-恭也

只者ではないことはわかっていたはずだ。
俺は手加減などしていない。
だが、心のどこかで侮っていたのかもしれない。
こんな子どもに負けるはずがない、そんな風に考えていたのかもしれない。

この年齢でこの錬度、打ち合っている今でも才能を感じさせないこの少年の強さは、純粋な鍛錬の賜物だ。
日々愚直に振り続けてきた剣、その成果。

特筆すべきは防御のうまさだ。
守りの堅牢さなら美由紀はおろか、俺よりも上かもしれない。
それを可能にしているのは、年の頃に不釣り合いな卓越した剣技と、あの猛禽のような眼だ。
彼は俺の剣だけでなく、足運びから視線まで俺のすべてを視認している。
相手の動きをみるのは基本だが、およそ相手の動きを全て把握するなど、そうそう出来ることではない。

その防御はまさに鉄壁。
これを崩すのは簡単ではない。
しかし骨こそ折れるが、このまま押していけばいずれ押し切るだろう。
鋼糸や飛針もまだ使っていない。使おうとすれば気づかれるだろうが、要は使い方だ。
わかっていようと関係ない。動きに変化をつけて、そこから崩していくこともできる。

だが、その必要はなさそうだ。
いま徐々に隙ができ始めている。

右のわき腹!
いま致命的な隙ができた。
ここを狙って小太刀を振りぬく。
一応峰を向けてあるので、死にはしないだろうが、これで終わりだ!

キンッ

「な!?」
だがそんな予想は覆される。
確実に取ったと思った一撃が、難なく防がれ驚愕する。
一度は読み違えたかとも思ったが、違う!!

その後も、何度か隙ができては打ち込み、防がれるを繰り返す。
時にはカウンター気味に反撃もされた。
それは、綺麗な弧を描いて俺の胴を薙いで来る。
寸でのところで身を引き、それを避ける。

信じがたいことだが、わざと隙を作っているのか? そうでなくては説明がつかない。
ある意味では理にかなっているが、正気か?
確かにこれなら攻撃箇所が読めるので、より長く持ち堪えられる。
だが、些細なミスが即命取りだ。そもそも、隙の作り方に違和感がない。
こいつは一体、どれほどこんなことを続けてきたのか。

そんなこちらの内心はお見通しと言わんばかりに、奴が嫌味ったらしく声をかける。
「どうした、顔が引きつっているぞ?
 そんなに自分の剣が防がれるのが不思議かね?」
などと、わかっていてわざとそんなとぼけたこと言ってくるこいつに腹が立つ。

「ふざけるな!!
お前、正気か!? これは一か八かの賭けのようなものだ。勝てば戦い続けられるが、負ければ死ぬぞ!」
そう、こんなことは認められない。
まるで自分の命をギャンブルのチップのように使うなど、守るための剣を使う俺達には絶対に許されない。
守るということは、同時に自分も生き残らねば意味がないのだから。

俺の怒声に、特に感銘を受けた様子も見せずに一応肯定の意を示す。
その冷静さのせいで、まるで小馬鹿にされているような気さえしてくる。
「ふむ、正論だな。
だが格下が格上に勝つにはイカサマを使うか、賭け金を上乗せするしかあるまい。
 なに、要は賭けに負けなければいいのだよ!」
そう言って、奴はまた隙を作る。
今度は首、それが狙っているのだとわかっていても、剣士としての本能が隙を攻撃してしまう。

いいだろう。
ならば、防げない一撃を加えてやる!

Interlude out



SIDE-士郎

敵の雰囲気が変わる。
先ほどまでは意図的に作られた隙に動揺していたが、腹を据えたか。

天才、といっても過言ではない剣士であり、才能の上に胡坐をかいてきたわけではないようだ。
だが、どうやら人を殺した経験はなさそうだ。
しかし、動揺してもなおキレを失わない剣技は見事だ。
腹を据えた以上、何か仕掛けてくるだろう。

先ほどまでと変わらない剣戟、首に隙を作りそこに攻撃を誘導して防ぐ……防ごうとした。
「なに!?」
防いだはずの剣が防御を抜き、首に迫る。
体勢が崩れるのもかまわずに、全力で離脱する。
薄皮一枚をかすめていったのには肝を冷やした。
もし直撃していれば、それだけでケリがついていただろう。

後先考えないでの離脱だったせいもあり、バランスが崩れる。
体勢を整えつつ、今起こったことを分析する。
(防御を抜けるとは、どういうことだ?
いや、そんなことを考えるのは後だ。そんな時間をくれるほど、生易しい相手ではない。
重要なのは防御できない攻撃があるということ)
大急ぎで思考をまとめ、対策を練る。

(だがどうする?
すべて回避していてはジリ貧だ。原理はわからないが、おそらくは繊細な技のはずだ。
なら、いっそ力技を仕掛けるか)
しかし、崩れた体勢を整える間もなく、間合いを詰め次の剣が横一文字に振るわれる。
また抜けてくるのではないかと思いつつも、この体勢では回避することもできないので、とにかく受ける。

ギンッ!!!

今度は受けられた。
おそらく一連の流れの中で仕掛ける類の技で、単なる振り払いでは使えないのかもしれない。
だが、今度は別の問題が生じた。両手で双剣を交差させて受けたのが不味かった。
今度の剣戟は、受けるととんでもない衝撃を受けるらしい。
不十分な体勢で受けたせいで、倒れないようにするので手一杯になり、両手の剣を弾かれてしまう。
敵は勢いをそのままに、回し蹴りを見舞ってくれる。

ゴッ!

小学生の体は面白いように飛んでいき、二メートルほど間を開けることになる。
戦っているうちに、少しずつ移動していたので、すぐ後ろには壁があり、出入り口までは結構ある。
これでは逃げるのも難しい。

これは厄介な相手を敵にした。
場合によっては、代行者級の実力かもしれない。
身体能力は強化である程度補えるが、この体にまだ慣れ切っていないのが痛い。
まあ慣れていたとしても、基本性能と技量では間違いなく劣っているが。

「もう武器はないぞ。潔く降参したらどうだ。悪いようにはしない」
優しいことだが、このまま負けるわけにはいかない。
いくつか伏兵の気配もする以上、すでに状況的には負けている。
今までのことを考えると、投降したとしても、非人道的な扱いを受ける可能性は低いようだ。

だが、俺の後ろには凛がいる。
凛のための正義の味方を謳う以上、敗北は許されない。
幸いなことに状況を打開し、交渉に持ち込む方法はある。
こうなったら先ほどの案を実行に移すとしよう。

再び懐に手をいれ、詠唱をする。
「『投影、開始(トレース・オン)』」
作り上げるのは、かつてアインツベルンの城の壁に飾られていたハルバート。
レニウム製で、その重量はとても人間に扱える物ではないが、俺の左腕の義手に限って言えば問題ない。
こいつにはいくつかのギミックがあり、その一つが魔力を通すことでの膂力の増強だ。

非常識な重量の武器という意味では、バーサーカーの斧剣といい勝負だが、俺の左腕はそれさえも振り回せる。
故にこのハルバートも問題なく扱える。
振るたびに、体が流れてしまうのが難点だが。
実際に使おうと思えば、いくら膂力が上がっていても上下の動きぐらいでしか使えない。
横に振ろうものなら、その瞬間に致命的な隙を作ることになる。

「なんだと!? いったいどこから……」
さすがに驚いているようだ。
当然か。どう見たって懐に入れていられる大きさじゃない。

こいつの特徴でもあるあまりの非常識さで、相手の判断を鈍らせるのも目的。
いまの内にケリをつけてしまおう。
ここで戦闘経験の差が出たようだ。むこうは、あまりのことにまだ立ち直っていない。

上段に振りかぶり一気に間合いを詰め、力の限り振り下ろす!!

ズンッ!!!!

非常識な武器で、非常識な攻撃を行う。
やはり最強の攻撃の一つは相手の考えもしない攻撃だな、と再認識する。
小太刀で受けたようだが、そんなもの小枝と変わらない。
両方とも、真二つに折れてしまっている。良い刀だが、業物ではないようだ。それでは荷が重すぎる。

恭也さんは腕を抑えている。
あんなものをいなすこともせずに受けたのだから、相当痛むはずだ。
振りおろした際の感触からして折れてはいないようだが、捻るぐらいはしているかもしれない。
さっきの一撃がかすめたのか、出血もしている。
大事ではないが、床にちょっとした血だまりくらいできている。まぁ知ったことではない。

ハルバートを突き付け宣言する。
「紆余曲折はあったが、私の勝ちのようだ。
御当主、一つ取引といこうではないか。こちらの要求をのむのであれば、彼の命は助けよう。
ただし、もし受け入れられないようなら、この場で彼には死んでもらうことになる……」
できる限り酷薄な笑みを浮かべて要求する。要は人質だ。

「聞くな、忍!!」
威勢よく吠えているが、彼にはそもそも発言する意味はない。
決めるのは彼女だ。

「黙っていてくれないか。話が進まん。
 こちらの要求は三つ。私の質問に答えること。私たちのことを他者に漏らさないこと。
そして、凛と私の身の安全の保証だ。ああ、聞いたことは私と凛だけの秘密にすることを約束しよう。
人の秘密を吹聴するような、下劣な趣味はないのでな」
この二人が恋人同士なのは、既に聞き及んでいる。
それでもなお切り捨てる者もいるかもしれないが、彼女も馬鹿じゃないだろう。
俺の要求の意味するところもわかるはずだ。

「あれ? 安全の保証って、それだけ?」
どうやら気づいたらしい。
内心で安堵する。もし突っぱねられたらどうしようかと思ったが、上手くいったようだ。

とはいえ、今はまだ交渉中。
外面では、相変わらずの鉄面皮を維持する。
「そうだ。『夜の一族』とやらが何かは知らないが、君がこの地の管理者なのだろう?
私は君たちに聞きたいことがあっただけだ。
ただ、迂闊にそのことを聞くのは危険なので、こう回りくどいことになってしまったのだが。
 何を勘違いしているのか知らんが、私に君たちを害する意志など元からない」
二人揃って、唖然としている。
まったく、勘違いで殺されては堪らない。

空気が凍りつく中、慌ただしい足音が二つやってくる。
「恭ちゃん今の音は!?」
大急ぎでやってきたのは、なのはの姉の美由紀さんだった。
この人も待機していたのか。

隣にはすずかもいるが、様子が変だ。
怯えているのかとも思ったが、そうではなさそうだ。俺も恭也さんも、少なからず怪我はしているがそれほど深くはない。
せいぜい少し出血したくらいか。

だがすずかは硬直し、その目は潤み、顔は紅潮している。
その視線の先には、恭也さんの血だまりがある。

魔眼に、血への反応、「夜の一族」という名。
いくつかのピースが合わさり、一つの推論を導き出す。


  *  *  *  *  *


場所は変わって、応接室。
あのあと、美由紀さんが騒ぎ出してしまったが、伏兵として隠れていたノエルさんというメイドさんが落ち着かせてくれた。
いまは席を外している。
どうやら彼女には聞かせられないようだ。

とりあえず今は、当主である忍さんから大まかな状況説明を受けている。
つまりは刺客に狙われることがある立場にいて、俺をその刺客と思ったらしい。
まぁ自分で言うのもなんだが、確かにそれらしくはあるか。

疑惑の原因は以前予想した通り、俺が門前の監視カメラを見つけてしまったことらしい。
警戒されているのは分かっていたが、ここまでの危機感を覚えていたのは予想外だった。
不審なものがあるとつい観察してしまうのは、長いこと戦場にいたためにできた癖のようなものだ。
まさかこんな形で裏目に出るとは。

「……というわけで、勘違いしていたことは謝ります。
でも、あなたにも非はあるわよ。誤解を招くことばかりして、それを解かないのだもの。
多少過激な応対になっても仕方ないわ」
「そんなことは私の知ったことではないが、まあ理解はできる。こちらにも非はあろう。
これが多少かというと疑問ではあるが……まあいい。
とにかく私たちは、あなた方とことを構えたいわけではない。
この地に流れ着いたのも偶然からだ。他意はない」
嘘ではない。この地に来たことは偶然でしかない。
こちらに不利益がない限り、誰かと敵対するつもりもない。

ただ、すずかたちに脅威が迫れば排除することになるだろう。
こちらに火の粉がかかっては困るし、彼女らはすでに俺たちの日常の一部なのだから。

「じゃあ、私たちや周りの人たちの命、あるいは安全を脅かす気はないと?」
当主は改めて尋ねる。
彼女たちにとって最も重要なのは、身内を中心とした関係者の平穏らしい。
しかし、別に他人がどうなろうと知ったことではない、というわけでもないようだ。
一番気にかけているのが身内だというだけで、そこまで冷酷ではなさそうだ。

元の世界だと、不法侵入しただけで殺そうとしてくる輩も多かったが、できれば人死には出したくないらしい。
これらの点は、一般人のような感覚が強いように思う。

「無論だ。むしろ私たちは、平穏をこそ望んでいる。
詳しくは言えんが、命からがら逃げてきたといったところだ。
ああ、追手の心配はいらんよ。もう奴らがこちらを追うことはできないからな。
そちらに迷惑をかけることもない」
「一応信用するけれど、もし何か妙なことがあったら真っ先に疑われるのは覚悟して欲しいわ。
 それで、聞きたいことというのは? 残りの条件を飲むのは問題ないけど」
こればかりは仕方がない、あまり多くを話していない以上こんなところか。
疑われたとしても、こちらにはその妙なことを起こすような人脈もコネもない。
冤罪でも掛けられない限りは、とりあえず問題はない。


「では、魔術というものを知っているか?」
いい加減疲れたので、早速本題に入る。
さっきの戦闘では、だいぶ危ないところまで追い詰められたので、精神的な疲労が並みじゃない。
あまり根気良く腹の探り合いや駆け引きをする余力はないので、率直に聞くことにする。

俺の手札は大半が奥の手のようなものなので、そう滅多に使えないものが多くある。
使えばもっと楽に勝てたかもしれないが、その場合恭也さんの致死率も跳ね上がるので、さすがに使えなかった。
まったく、経験不足であるとはいえ代行者にも迫るほどの力の持ち主相手に、宝具抜きの通常戦闘などするものではない。軽く二・三回は死ねた。

「魔術? あの呪文を唱えたり、魔法陣を使っておどろおどろしい儀式をしたりする?」
「当たらずとも遠からずと言ったところか。
厳密にはそうとは限らないのだが、概ねそうだ。
私たちはその魔術を継承する者で、命を狙われることになったのもそれが原因だ。
その様子だと知らないようだな」
それなりに裏に精通している以上知っていそうだが、知らないということはそもそも存在しないか、失われたといったところか。
これで魔術師が存在しないことは確実と言っていい。
最大の心配事項がなくなったので、これでやっと枕を高くして眠れるというものだ。

「少なくとも私たちにとっては、ファンタジーの領域を出ない話ね」
おそらくは自分だってその領域の人間だろうに、知らぬふりか。
さすがに伊達に当主の座にいるわけではない。

一応こちらもそれに合わせておく。
知っていて当たり前という風に対応するのは、変な疑惑を招きかねないからな。
「そうか、知らないのは無理もない。
基本一子相伝で、外には漏れないからな。
個人主義者が多いせいで、魔術師同士でもあまりつながりを持たないので、私も自分たち以外に魔術師がいるか知らないのだ。
これほどの土地を管理する者なら何か知っているかとも思ったのだが」
それに一番聞きたかったことは聞けたので、あとは適当にはぐらかせばいい。

仮に詳しく説明すると時間もかかるので、それはまた後日、凛のいるときにでもすることにしよう。
あくまでも、話すとしたらだ。わざわざすべてを話さなければならないわけでもないので、それが答えられる範囲なら、聞かれた時に教えればいいか。

「管理って、別にそんなのしてないわよ。
 というか、ここってそんなにすごいの?」
これ程の霊格の土地に住んでおきながら、知らないのか。
まぁ、魔術の存在そのものを知らない以上、しょうがないのか。

この家に入ってからというもの、どうりで少しよどんでいるような気がしたわけだ。
たいていの場合、川などと同じで、人間が余計なことさえしなければ滅多に異変は起こらない。
それでも、適切な処置をした方がより流れがよくなるのも事実。
よどんでいるというよりも、流れが悪くなっているか、不純物でもたまっているのだろう。

「ああ、この海鳴というところは素晴らしい霊地だ。なかでもこの家のあるところは、一番のポイントだぞ。
 うまく管理してやれば、悪運や災難、霊障の類も避けられる。ふむ、どうもここは少しよどんでいるようだな。
なんなら、凛に頼んで管理するのもよかろう。
彼女のことだから報酬を請求するかもしれんが、何、安いものだろうよ」
気のない感じで薦める。
だが、内心何とか受けてもらいたくて、焦る気持ちを抑えるのに必死だ。

魔術師が存在しない以上、誰にも魔術による違法を裁けないことになる。
このままそのことが凛に知れれば、俺はかつて冗談で済んだことが現実になってしまう。
それは、投影による複製品の売り逃げだ。ただでさえ後ろ盾はなく、金銭的にも余裕があるとは言えない。
いざとなればかなりヤバい手段に出ることも必要だが、できればそんな犯罪に加担したくないので、何とか受けてほしい。
だが、弱みを見せるわけにもいかないので、こうして適当な口調で提案している。

「あれ、あなたはできないの?」
痛いところを突いてくる。
一応凛からオーソドックスな魔術は一通り習ったが、錬度はどれも「一応できる」程度だからな。
魔法陣を敷いたりするのは得意なのだが、つくづく作る人間でしかないということか。

「あいにくと非才の身だ。
私にもできないことはないが、はるかに時間がかかるし、精度も悪い。やるとすれば凛の手伝いだろう。
なんなら、私の方から話を通しておくが?」
「あ、じゃあお願い。専門技術だからね。相応の報酬は出すわよ。もちろん成果があれば、だけど」
どうやら挑発されているらしい。
それほど即効性を期待されても困るが、せっかくの収入源だ、大切にするとしよう。
こちらは自分の未来がかかっているのだ。いい加減な仕事などするはずもない。


あとは「夜の一族」とやらのことか。
どうやら特殊な一族であるようだから、できれば知っておきたい。
知ったからどうこうするわけではないが、もし他のそういった存在と敵対するようになった場合を考えると、情報はあった方がいい。

忍さんから聞く限りでは、推論通りある種の吸血鬼のようなものらしい。
だが、こちらのように真祖や死徒がいるわけではない。
特別な力を持っているらしいが、それでも元の世界の吸血鬼たちのような、超越的な能力を持っているわけではないようだ。
俺が相手にしてきた連中に比べれば、かわいいものだ。
あれらを比較対象にするのが、そもそも間違っているのかもしれないが。

ピンきりではあるが、中には一度殺したくらいでは殺しきれないようなのもいるからな。
本来向こうの吸血鬼というのは、真っ当な人間の手に負えるような存在ではないのだ。

忍さんたちのことは、俺の感覚では吸血鬼なんて、仰々しいモノとはとらえられない。
吸血鬼らしく血こそ求めるが、血を吸われた者には特に異変はなく、精々が貧血を起こすくらいとのことだ。
もちろん吸い過ぎれば、命にかかわることもあるそうだが。

先ほど、すずかが血に反応していたのはそのせいか。
普段、そう血を見る機会はあまりないから、反応したといったところなのだろう。
最近では血を吸うとしても、吸うのは輸血用血液らしい。
輸血パックから血を吸う吸血鬼というのも、なかなかにシュールな光景だ。
そんな状態で、新鮮で活きのいい血液が目に入れば、反応してしまうのは当然だろう。
その血を求める衝動にしたところで、死活問題ではないらしい。
おそらく美由紀さんは、このあたりのことを知らないので席を外したのだろう。

一通り話を聞き終えて、すずかがつぶやく。
「わかった? わたしね、人の血を吸う化け物なんだよ」
とても寂しそうに、自己嫌悪を感じさせる声で言う。

よく見れば、膝の上で握りしめられた手はわずかに震えている。
それはおそらく、怯えからくるものなのだろう。
畏怖・拒絶・嫌悪、それらの感情が向けられることに対する恐怖。
人は他者を拒絶するとき、とてつもなく冷たく恐ろしい目をする。

すずかはそれが向けられるのが、怖くて仕方がないのだろう。
自身を化け物なんて呼ぶのは、それに対する防壁でもある。
自分をそういうものと思い込むことで、心を固くし、少しでも傷つかないようにしている。

すずかはずっとそのことを悩み、苦しんできたのだろう。
自分は人間を食い物にする化け物だと、責め続けてきたのかもしれない。すずかの性格ならありそうだ。
だが、すずかは化け物の定義を勘違いしている。
血を吸うから化け物なのではない。化け物を化け物として成立させる要因は、もっと別のところにある。
本当の化け物を知る身として、そのあたりを訂正しておかなければならない。
的外れな悩みで、感じなくてもいい罪悪感を覚えているのはよくない。

「すずか。君は勘違いをしている。君は化け物じゃない。
そもそも、化け物の定義をまちがっている」
「え? 化け物の、定義?」
すずかは慰められることは予期していたのか、それには反応せず、少し顔をあげてもう一つの方を聞き返してくる。

「そうだ。それは人間社会を端から端まで否定する、殺戮機構。ただいるだけで害悪となる、毒のことだ。
 怪物は本能、あるいはあらがえない欲求で人を襲うのではない。それは、優れた理性で人を襲う。
 人間以上の力で、喜悦をもって人に害をなすのが化け物だ。
 すずかは、自分がそんなものだという気か?」
これはずるい聞き方だ。そんな風に聞かれて、そうだと答えられる人間はまずいない。
逆にいえばそう言えるそいつこそ、本当の化け物かもしれない。

少なくとも俺の知る化け物連中は、人間に危害を加えることに何の罪悪感も持ってはいなかった。
持っているとして、人間の脆弱さに対する侮蔑や憐れみくらいか。
あとは、そこに何の感情も持っていないかだ。

黒の姫君はどちらかというと、後者の方だったように思う。
血を吸うことに快楽のようなものは持っていたようだが、その対象である人間には、特別な感情はなかったように感じられた。
人間は、あくまでも食料であり嗜好品。
さまざまな意味で娯楽として見ている節があった。
俺が見逃されたのもそのせいだろう。

化け物との間には、能力以前に精神的な位置づけとして、越えられない壁がある。
すずかにはその壁が感じられない。
こうして罪悪感にさいなまれている時点で、すずかはそんな化け物たちとは違うと断言できる。
「ち、ちがう! わたしはそんなものじゃない!!
……でも、それでもやっぱりわたしは、人の血を飲む化け物なんだよ」
一度は語気を荒げて否定するが、すぐにまた消え入りそうな声で勘違いを口にする。
どうやら筋金入りらしい。

他者、あるいは世界のせいにしないのは立派だが、あまり自虐的になっても意味はない。
ずいぶん昔、どこかで似たようなやり取りをした気がするが、覚えはない。
だけど、確信はある。その時の相手も、最後には自分の願いを思い出し、踏みとどまっていたはずだ。
そうだ。これはきっと、伝えなければ、気付かせなければならないことだ。
このままでは、すずかはいつかなのはたちから離れ、他者との関わりを拒んで生きていくことになる。
失わないために、拒絶されないために、進んで孤独になろうとする。……なんて矛盾。
それは、あまりに悲しすぎる。

すずかにそんな生き方をさせないためにも、絶対にこのままでいさせるわけにはいかない。
さぁ、最後のひと押しをするとしよう。
「なるほど、確かにすずかの体は、血を欲するのかもしれない。
じゃあ聞くけどさ。すずかには、望むものはないのか?
心を開ける友人、友達と過ごす時間、それすらもいらないっていうのか?」
すずかが息をのむ。いつの間にか、俺も元の口調に戻っていたが、気にしない。
いまの反応だけで十分だ。それだけで、すずかがどれほどなのはたちのことを思っているかがわかる。

ここまで意固地になってしまっていると、ちょっとやそっとでは崩せない。
ならばからめ手にでも出て、情の方から崩すことにしよう。
付き合いの短い俺の言葉では、すずかの心には届かない。
だが、心を通じ合わせた友人たちへの思いなら、この殻を破ることができるはずだ。

「血を欲する本能、みんなを大切だと思う心、どちらも真実だ。否定なんてできるはずがない。
 でもな、重要なのはそれを持っているということだ。
大切に思える人がいる。それこそが、すずかが人間である証拠に他ならないんだ」
その心があれば、本能に抗うことだってできるし、大切な人たちに助けを求めることだってできる。
たとえ本能にのまれそうになっても、その心と大切な人たちが、すずかをこちらに引き留めてくれる。

それなら、すずかが化け物になることなんて、あるはずがない。
「大丈夫だよ。すずかの悩みは、この先もずっと付いて回るかもしれないけれど、誰かを大切だって思える心があるのなら、化け物になんてなることはない。
世界のすべてが否定しても、俺が認めるよ。その心がある限り、すずかは間違いなく、みんなと同じ人間だ」
俺に言えることはここまでだ。だが、ちゃんと伝えたかったことは伝わったようだ。
表情は、さっきまでの暗く沈みこんだものではなく、とても穏やかなものになっていた。
同時にその目から零れる涙は、今まで心にため込んできたあらゆる感情を押し流しているように見える。


俺が締めくくってから少し間を開けると、すずかは声を上げて泣き出してしまった。
正直、女の子に泣かれるのは非常に困る。
でもその様子は、ただ悲しいから泣いているのとは違うことが分かる。
まあ、慰めたり謝ったりできない分、よけいにどう対処していいかわからないのだが。

ただ、これですずかの心の重石が軽くなったのなら、こんなガラクタの心しか持てない俺でも、役に立ててよかったと思う。
すぐになのはたちに話すことはできないかもしれない。
だが、いずれ話せるようになるだろうことは確信できた。
それだけ泣き終わったすずかの顔は、泣く直前の穏やかなものとも違う、憑き物の落ちた晴れやかな顔をしていたから。

凛には今回の事情を話さなければならないので、すずかのことも話すことは了解してもらった。
あいつにしても、だからといって態度が変わるはずもないので、それはまたすずかの背中を押すことになると思う。


こうしてやっと一つの課題に区切りがついた。
……ついたというのに、今度は凛から、別の問題が発生したことを知らされるのだった。




おまけ

その一 すずか編

とりあえず交渉の方は一段落ついた。

情報交換から協定の取り決めまで、大まかなことが済んだのは、もう日付が変わる直前だった。
夜の一族では、自分たちのことを明かすときは契約のようなものをして、秘密を守ることを誓約するらしい。
それは今度、凛と一緒に来た時にでもすることで合意する。

あとは家に帰って、凛に今回のことを報告するだけだ、と思って肩の力を抜く。
「士郎君」
すずかはまだ起きていたのか。応接室から出てきた俺に話しかける。
彼女は途中で退席しており、もうとっくに眠っていたと思ったのだが。
目とその周りが赤いのは、眠いからだけでなく、さっき泣いたのもあるのだろう。
そのことを思い出し、少し居心地が悪い。
あれは俺が泣かせたようなものだし、理由はどうあれ、女の子を泣かせたのには変わらない。
罪悪感とは違うが、どうにも落ち着かない。

そんな若干挙動不審にそわそわしている俺に、すずかが話しかけてくる。
「あの、今日はごめんね。わたしが話しちゃったせいで、こんなことになっちゃって……」
すずかが申し訳なさそうに謝ってくる。
先ほどのことには触れてこないし、俺の方があまり気にし過ぎても仕方がないので、頭を切り替える。

たしかに、危うく完全に敵対関係になってしまうところだったが、結果的には進展もあったので、よかったと考えている。
こちらとしても強力な後ろ盾ができ、今後は何かとやりやすくなるはずだ。
少なくともちゃんと購入できるまでは、現在の住居は月村家の預かりとなるので、突然ホームレスになる心配はなくなった。
これでライフラインの方も確保できるので、やっと憲法にもある健康で文化的な生活を送ることができる。
せっかく直したテレビが無駄にならずにすんで、嬉しい限りだ。
他にもいろいろ便宜を図ってくれるらしいので、一気に事態が進展したという意味では、今回の事は結果的にプラスに働いたと言える。

「別に謝ることはないよ。
まぁちょっと大変なことになりそうだったけど、おかげでこうして繋がりを作るきっかけになったんだ。
結果オーライだよ」
ここまで来ると、俺もいつもどおりの話し方に戻す。あれは肩がこるんだ。

「そっちが本当の話し方なんだ。いつもと違う話し方をしてて、まるで別人みたいだったよ」
「あれは無理してそうしてるだけなんだ。あっちの方が交渉や駆け引きには向いてるからな」
そう言って、肩をすくめる。
まったく、アーチャーの奴はずっとこんな話し方をしていて、疲れなかったのだろうか。


そうして話しながら玄関に向かう。
先ほどの戦闘で壊したところはすでに直されていて、手際の良さに感心する。
「それじゃあ帰るよ。今度来るときは、ちゃんとした歓迎をしてほしいな。
 見送り、ありがとな」
わざわざこんな時間まで起きていて、ここまで見送ってくれたので礼を言う。

だけど、なんですずかの顔は赤くなってるんだ?先ほどの血への反応とは違うようだ。
そもそも俺の血はすでに止まっている。
「どうした?顔が赤いけど……」
「な、何でもないの!?ちょっと聞きたいことがあって」
聞きたいこと? なんだろう。
もしもさっきの泣かせてしまった時の話だとすると、非常に不味い。
ここを追求されると、俺には反論のしようがない。ある意味、弱みを握られたのと同じだ。
これから先、すずかには一切頭が上がらなくなってしまう。

それでなくても、今夜はだいぶ疲れたので、できれば後日に回したい。
だが、女の子の頼みを断るのも気が引けるので、余程厄介なことでもない限りはちゃんと答えるつもりでいる。
「え~と、ね。凛ちゃんとは、その……恋人なのかな? って」
うつむきながら、そんなことを聞いてくる。
予想していたのでは、化け物云々の話以外だと、魔術をはじめとした俺たちの能力や、生い立ちのあたりだと思っていたのだが……。

やっぱり女の子だからか、そういった話に興味があるのだろう。
「………ああ……そうだな。一緒に暮らしている家族なのは確かだけど。
 うん、恋人って言って差し支えないと思う」
ただ、改めて言うとなると気恥ずかしいので、頭をかきながらそっぽを向いて答える。

そういうとすずかは、少しの間じっとしてから大きく深呼吸をして、口を開く。
「そっか…。あのね、凛ちゃんに伝えてほしいんだけど」
一瞬悲しそうな顔をしていたが、すぐに気合たっぷりの熱血した顔になる。

むぅ、すずかにしては珍しい表情だ。
「これからは、チャンピオンに挑む挑戦者の気持ちでいくから。油断してると貰っちゃうよ、って伝えて」
確かにあいつは、我らがチャンピオンではある。でも、何を貰っちゃうのだろう?
その質問には、結局答えてもらえないまま帰ることとなる。




帰宅してからそのことを凛に話すと、非常に冷たい視線で……
「ふ~ん。よかったわねぇ、衛宮君。すずかと仲良くなれて。
こっちが戦っている最中に、そんなことしてたんだぁ」
笑っているのに不機嫌という、高等スキルで返される。
闘っていたのは俺もなのだが。その夜は、話すべきことを話すと、後は無言で睨みつけられた。
……なんでさ。

ただ小声で「油断も隙もあったもんじゃない。これからは首輪でもつけようかしら」などと、物騒なことを呟いていた。
俺が何をしたというのか。





その二 恭也編

帰り道は途中までは恭也さん、美由紀さんと一緒だ。

そこで、俺が恭也さんにどうやって勝ったのかを、美由紀さんがしきりに聞いてくる。
自分よりも完成された剣士である恭也さんが、俺のような子どもに負けたことが信じられないのだろう。

気持はわかる。
この人の力量を知っていれば、悪い冗談にしか聞こえない。
決着のついていた場面を見ていなければ、美由紀さんも信じられなかっただろう。
とはいえ、夜の一族に関しても部外者であるこの人にそれを言うわけにもいかず、「秘伝です」と言って口を紡ぐ。

恭也さんもそれに乗ってくれて、
「他人の秘技を詮索するものじゃない! 本人が言いたくないのだから無理強いするな」
と言ってフォローしてくれる。
それに対し感謝をこめて目礼する。

だが、俺はこの人の人となりを勘違いしていたらしい。この言葉には続きがあった。
「詮索はするものじゃないが、戦いの中で見切るのなら問題はない! そこでだ士郎君、いや士郎!!
今度俺と稽古をしないか? 家には道場もある。
負けた俺が言うのもなんだが、君と俺の間にそう差はないと思う。
力量の近いもの同士で鍛錬した方が効果的だし、互いに刺激し合えるのはいいことだ。
君さえよければ、是非相手をしてほしいのだが」
言っていることはわかる。
技量ではあちらが上だが、実際に戦えばそう簡単に決着はつかないだろう。
俺は守勢に長けるので、そう簡単には負けない自信はある。
まぁ、通常戦闘の範疇内だと、俺が勝つ可能性なんて一割に満たないだろうが。
今回使ったあの二種類の剣戟も、そういうものがあるとわかっていれば対処のしようもある。
たがいに磨き合うのは、俺もいいことだと思う。

ですが恭也さん……その表情はどうかと思いますよ。
実にうれしそうに笑っていますが、その目は全く笑っていない。
俺が猛禽なら、この人の眼は飢えた狼だ。
それも飢えているのは、練習相手なんて生易しいものではない。
ギリギリのラインまで追い込み合える強敵だ。
おそらくこの人と稽古をすれば、その都度地獄の底を垣間見ることになるだろう。
まさかこんなバトルジャンキーな人だったとは……。

道場の存在には惹かれるが、そんな命知らずなマネはしたくない。鍛錬よりもまず命が大事。
「申し出はとても嬉しいし、俺自身興味はあります。
ですが、あいにく俺たちは二人で暮らしているので家事とかも分担していて、あまり時間が取れないんですよ。
 いつか機会があったら、そうさせてもらいます」
刺激しないようにできる限り丁重に、また非の打ちどころのないように返答する。
こんな方法でいつまでもつか疑問だが、少しでも時間を稼いで対策を練らなければならない。

恭也さんは、舌打ちこそしないが心底残念そうだ。
美由紀さんはやけにテンションの上がっていた恭也さんを、不思議そうに見つめているが、あの目は見ていないらしい。
またも厄介なことが増えてしまい、いい加減にしてほしい思いで帰路についた。




あとがき

……ついにやってしまった。
戦闘パートがこんな体たらくで、本当にいんでしょうか。
あらかじめ期待しないでほしいとは言いましたが、自分で読みなおしていて凹みました。
できれば、あまり突っ込まないで下さるとうれしいです。ただでさえ鬱なので。

気を取り直して、すずかとのやり取りなんかもどうでしょう。
できる限り、士郎の思いや考えなんかを描写してみたつもりです。
フラグに関しては、別にハーレムにする気はないです。全編やりとおしたと仮定して、おそらく(凛を除いて)6人くらいですかね。それでも十分に多いというのは、この際気にしない方向で。
そもそもフラグが立ったとしても、それは決して回収されないのですから、酷い話です。

あと、なのはの夜間外出に関しては、恭也たちは最初のユーノを助けに行った時以来、気づいてはいません。
これは、なのはがユーノに頼んで、外出する際には気づかれないように対策を講じてもらったためです。
なので高町士郎の方は、なのはが家にいるものと思って警戒しているのです。


次回にやっと「魔法」と関わります。
ちょっと詰め込み過ぎな展開になることが予想されるので、ご容赦ください。


最後に感想に寄せていただいた疑問に対する、返信をさせていただきます。

光獅様、感想および疑問点を寄せていただきありがとうございます。

一つ目は多くの方も指摘された、保護者に関する問題です。
それは今回のことで、一応の解決を見たと考えています。月村家がバックについてくれるので、保護者ではありませんが、強力な後ろ盾ができたので、はやてに近い生活環境になりました。資金の方も、月村家の雇われ管理人となり、給金も出るので何とかなるでしょう。日常生活を送る分には、これで問題はだいぶ解消されたことにしています。あっ、それとA‘sに入って少しすると、便宜上の保護者ができます。

二つ目の魔術の威力や効果の変動についてです。
多少なり変化はあるのですが、今までは外部に魔術師がいる可能性も考えて、最低限の出力での魔術行使で済ませていました。そのため、もしかしたらそうなのかもしれないとは思いつつも、確信が持てていませんでした。次回あたりで、そのあたりにも触れることになりますので、それまでお待ちください。

三つ目のアリサの精神年齢に関することです。
確かに高過ぎるのではないかと、私も思います。ですが個人的には凛との絡みをさせたかったので、苦しいとは思いつつもこのような形になりました。
厳密には、アリサは頭のいい子ではありますが、天才(IQ200以上)というほどではありません。凛の本性にしても、本能的に察知しただけで、頭を巡らせてのものではありません。設定上似た者同士ですから。
また、凛の方は特別合わせているという意識はありません。よくある設定ですが、体の若返りに影響され、精神の方も引っ張られていて、そのせいもあります。この姿になって日も浅いですし、経験も知識もあるので、スイッチで切り替えるかのように、非日常時には精神的な意味での切り替えができます。士郎も似たような感じです。

四つ目に士郎の魔力についてです。
士郎が単独で固有結界を展開できるのは、万全の状態でも一・二分が限度で、凛が万全の状態でバックアップして、やっと十分に届くくらいです。その意味では魔力量はそれなりなのですが、世界が違えば基準も違うので、士郎のランクが量のみでDの上位なのはその基準が高いせいです。凛でだいたいAAを予定しています。前にも書きましたが、リンカーコアの方が貯蔵量は多いための基準としました。
アーチャーの腕に関しては、一度HFを見直してみました。厳密には食いつぶされるまでに十年の猶予があり、その間に一人前になって腕を御することができれば、何とかなるというものでした。
なにせ士郎とアーチャーの組み合わせだからこそできたことなので、前例は言峰も知らないでしょうから、生き残る手段としての解説のように解釈しています。「これならば生き残れるかもしれないぞ」くらいの感じだと思います。士郎のスペックがそう高くないのは各所で言われていることでもあり、当方の士郎もそれほどスペックは高くないことにしています。


以上で、この場は失礼させていただきます。



[4610] 第5話「魔法少女との邂逅」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2009/11/08 16:59

遠坂凛は、自他ともに認める天才である。

ここ一番でうっかりをやらかす血の呪いこそあるが、いや、それがあるからこそ物事を完璧にこなし、うっかりの入る余地をなくそうと努めてきた。
大半の場合は、それでもなおうっかりをやらかしてしまうわけだが。

いかに「魔法使い」の弟子の家系でもある名門とはいえ、わずか六代目にして魔法のきざはしに手をかけた、彼女の才能を疑う者はいない。
無論、才能だけで至れるほど、魔法とは生易しい領域ではない。

彼女が幸運だったことも事実だ。
弟子の特性があったからこそ、そこへと至る手掛かりを得られた。
だが、その手掛かりを解き明かすためには、才能だけでは足りなかっただろう。

そのまばゆい才能に目を奪われがちだが、そこに辿り着けるだけの、厳しい修練も積んできている。
五大元素複合属性という、奇跡に等しい天賦の才におぼれることなく、さらなる高みを目指して自己を磨きあげてこられたことも、彼女が天才たる所以。
先代たちがヒントさえ掴めていなかった領域に踏み込めたのは、類稀な才覚だけでなく、幸運とたゆまぬ自己研鑽の賜物だ。

その結果、彼女は元いた世界において、若輩の身で「王冠」の階位を得た。これだけでも、十分に異例なことだ。
さらに、その時代最高の魔術師の称号である原色でこそないが、最高位の術者として「緋(カーディナル)」の色名も授かった。
遠坂凛は「魔法使い」の称号を除く、あらゆる名声を手にした稀代の魔術師であったのだ。
また、それらを紙屑同然に捨ててしまえるほどの器の持ち主でもある。


それ程の度量を備えた遠坂凛が、現在珍しいことに頭を抱えてうなっている。

弟子にして、相棒にして、恋人である衛宮士郎の問題行動と、十年にわたり付き合ってきた彼女でも、目の前の光景には頭を抱えるしかないようだ。
むしろ、トラウマのようなものが引き出されて、現実逃避に走ってさえいる。
珍しいどころか、彼女の本性を知るものが見れば、明日は季節外れの雪どころか、槍が降るのかと危惧するはずだ。

だが、この場に衛宮士郎がいれば、凛の奇行と目の前の光景、どちらに驚くかは想像に難くない。
むしろ凛を慰め、その奇行には理解を示すだろう。
彼にとってもそれは、忘れたくても忘れられない出来事なのだから。

要は、何が言いたいかのというと。
いま凛の視線の先には、クラスメイトにして友人であり、監視対象でもある高町なのはがいる。
そして、その姿を見た者は十人中十人が、口を揃えて言うだろう。

「魔法少女!!」と。



第5話「魔法少女との邂逅」



SIDE-凛

時刻は深夜に差し掛かろうとしている。
私は予定通りに、今日も見回りをしている。

しばらく前に、士郎からはパスを通じて連絡が入り、ひと悶着あったがなんとか交渉の席をもうけられたそうだ。
アイツもこの十年で腹芸を身に着け、駆け引きにも長けている。おそらく問題ないだろう。
交渉時に、多少魔術のことを明かすことになるのは仕方ない。
それで友好関係が築けるのなら安いものだ。
本当に重要な、アイツの力の本質や宝石剣のことさえバレなければ、あとはどうにかなる。


これまで深夜の調査をしているうちに、妙な感触の魔力の残滓を感じることはあった。
だが、場所に脈絡がなく、次の発生場所が予測できない。
なかには、昼間に魔力を使用したと思われるところもあった。
下手をすると、秘匿を完全に無視した輩の仕業かもしれない。

なのはを監視すれば何かわかるかもしれない。
しかし、その家族に監視されている以上迂闊なことはできないので、今日も当てもなく深夜の散歩となる。
士郎の方が一段落つけば監視も解けるかもしれないので、それまでは地道に足を使うことにする。


そこへ覚えのある魔力を感じる。
量は見違えるが、あの夜やこれまでの調査で感じたものと同質だ。
秘匿というものを、完全に無視した力の解放。一体何を考えているのか?
正直怒る気にさえならず、呆れてしまう。
そう思って現場に向かう、そこは学校。

「発生源はここだったみたいだけど、残滓はあってももう源はないのかしら。
あちゃあ、逃げられたかなぁ?
 あ、これって!?」
突如魔力が消え、治まったのかとも思うが、すぐに否定する。
消えたのではなく、これは遮断だ。
目の前に結界が張られている。強度、範囲ともにそれなりだが、いかんせん隠密性が低い。

「士郎の張る結界ほどひどくはないけど、丸わかりなことには変わらないわね。
さすがに一般人に気づかれることはないでしょうけど、結界としては二流以下ね」
調べてみるが、これなら破るまでもなく侵入できそうだ。
効果はあくまでも、内部のものを外に漏らさないためのもの。侵入を防ぐことはできない。


  *  *  *  *  * 


そして今に至る。
「……何やってんのよ、あの子」
なのはがここにいるのは別にいい。
彼女が関わっている可能性は高かったし、結界があった以上だれかがいるのはほぼ確実。
だから、それがなのはかもしれないとは思っていた。

だが、あの恰好はいったい何なのか。
別にセンスが悪いわけではないが、その様はまさにまごうことなき魔法少女。
「はぁ、私って魔法少女とかいうのと、前世で何かよっぽど奇妙な縁があったのかしら?」
溜息と共に、そんな感想が思わずもれる。なんだか、頭が痛くなってきた。
というか、なんで学校の制服を改造したみたいな格好なのよ。

あのバカ杖が言うには、お供のマスコットキャラは一流の魔法少女の証らしい。
で、ちゃんと例のフェレットがその役目を担っている。
そのうえ喋って、生意気にもアドバイスしている。
はじめは外見から、野性味あふれる小動物系かと思ったが、どうやらそれ以外の要素も持っているらしい。
時に励まし、時に助言を送る王道的マスコットだ。
やり取りを見る限り、なのはの素養を引き出したのはあれの仕業か。

さらに杖の方も喋っている。
だが、あのバカ杖のような放射能ばりの禍々しさはない。むしろ清澄なくらいだ。
なのはもあれには信頼を置いているようで、いっそ羨ましくさえある。
あのバカ杖になんとか見習わせられないだろうか、と思考が横道にそれたので引っ張り戻す。

「……確かに杖ではあるんだけど、妙に機械的なのよねぇ」
言葉は英語のようで、構造も礼装にしては機械的だ。
私たちの使うものとは、根本的に方向性が違うのかもしれない。
などと、痛い頭をなんとか起動させて考察する。

「で、その魔法少女のお相手が、あれってことか……」
対する例の魔力の源は、なのはを威嚇しているやけに攻撃的なフォルムをした、ウサギのような魔獣。
こんな街中にあんなのがいるなんて、一体どういうことなのだろう?

なのはは多少緊張しているようだが、落ち着いた様子で対峙する。
この様子だと、こういった事態は初めてではないようだ。
とりあえず物陰から様子を見る。
「さあ、お手並み拝見させてもらいましょうか? 白い魔法少女さん」


さっきからなのはは、動き回るばかりでなぜか攻撃しない。
体毛をより合わせたような触手での攻撃を避けながら、足を止めて何かをしようしている。
攻撃が出来ないんだったらそもそも戦わないだろうし、多分別の理由だろう。
もしかしたら、攻撃以外の方法であれを沈める方法があるのかもしれない。
だが、思い通りにさせてもらえるはずもなく、触手は縦横無尽に動き回って、動きを止めたなのはに襲いかかる。

回避行動を取ってこそいるが、あまり上手い動きとは言えない。
行き当たりばったりで、とにかく避けているという印象が強い。
この調子では、運動神経の悪いなのはがいつまでもよけ続けられるはずもない。
だが、当たりそうになる攻撃は、肩のユーノが魔法陣のような障壁で防御している。
おかげで、何とか対抗出来ていると言ったところか。

「見たことのない術式ね。
異世界だから当然かもしれないけど、いくら結界が張ってあるからとはいえ、あんまり派手にやり過ぎるのは問題じゃないかしら? 別に、侵入できないというわけじゃないんだから……」
そうしているうちに、なのはが相手の触手に捕まる。運動神経の切れているあの子では当然の結果だ。
ユーノからのサポートがあったためとはいえ、よくいままでかわせていたと思う。

一瞬ためらうが、結局手を出すことにする。
「しょうがないわね。せっかくの手掛かりだもの、みすみす失うわけにもいかないか。
割と心の贅肉だけど、友人を見捨てるのも後味が悪いし」
溜息をつきながら、羽織っている外套の懐から小箱を取り出す。

そのなかには、一つ一つが異なる宝石をはめ込まれた、五つの指輪が収められていた。
それらを取り出し、右手の五指に指輪をはめていく。
これは、それぞれが五大元素に対応した私の礼装だ。
他の宝石のような一回でなくなるタイプではなく、決められた効果を発揮する魔術品。
これを作ってからは、宝石の消費が減りありがたい。
ただでさえ今は収入がないせいで、ストックが少ない。
魔力を貯めているのもまだそれほどではない以上、この場はこれで凌ぐ。

心臓をナイフで刺すイメージで、魔術回路を起動させる。
同時に、左腕に刻まれた魔術刻印も淡い光を灯す。
これで臨戦態勢が整った。あとは詠唱と共に魔力を運用するだけだ。
「『――――Anfang.(セット) Wind(風よ)』」
遠くの何かに囁きかけるように詠唱する。
それと同時に薬指の宝石に魔力を注ぎ、術式を呼び起こす。
起動した式が風の呪を編み、刃状にして飛ばす。
狙いは触手!
あまり狙い撃ちは得意ではないが、長く伸びた触手のどこかを切れればいいので、大雑把でもいける。

これが終わったら、なのはやユーノから情報を絞り出さなければならない。
有無を言わせないためにも、貸しを作っておかないとね。
魔獣の方はわからないことが多いので、とどめはなのはに任せるのが無難そうだ。

さあ、ひとつ戯れてみましょうか。



Interlude

SIDE-なのは

今日のジュエルシードは、深夜の学校。
わたしの通うのとは別だけど、比較的近くにあるところだ。
こうして封印をするのにも少し慣れてきたけど、今日は勝手が違う。
封印のために、足を止めて集中しようとすると攻撃されてしまい、上手くいかない。
そうしているうちに、ウサギさんの毛で出来た触手に捕まってしまう。

「なのは!」
ユーノ君が叫んでいる。
でも、きつく縛られて抜け出せない。

どうしようと焦っていると……
「『―――――――――――Wind(風よ)』」
……そんな、小さく囁くような声が聞こえた。

すると、わたしを縛る触手が見えないナイフで断ち切られ、自由になる。
声の方を見ようとすると
「よそ見をしない!! 前を向いて、相手を見る。
サポートするから、その間に体勢を整えてとどめを刺しなさい。
あんなのを相手にしようとした以上、対処法は知ってるんでしょ? なら、そっちに集中なさい。
それまでは時間を稼ぐから」
そう叱られてしまいました。
確かに今は封印が先、終わったらちゃんとお礼を言いたいな。
でも、どこかで聞いたような声としゃべり方なんだけど……?

「『Zwei(二番),Brennen Sie(炎の剣), erschießt einen Feind!(撃ち抜け!)』」
いつの間にか出てきていたその子が、聞いたことのない言葉で何かを言っている。
日本語や英語じゃないみたいだし、どこの国の言葉だろう。
結果は、炎が矢のようになってウサギさんを襲う。

それはだめ! あの子は、本当はそんなことがしたいんじゃない。
傷つけるのは可哀そうだ。
「やめて、その子はわざと暴れているんじゃないの……。
 ただそうなってしまっているだけだから、傷つけないで」
そうお願いをすると、呆れたように溜息をついている。
暗くて顔は見えないけど、あからさまに肩をすくめているのはシルエットだけでもわかる。
というか、わざと聞こえるように溜息をついているのではないだろうか。

「はあ、それじゃあ無抵抗にやられるのを待つ気?
 向こうが攻撃してくるんだから、無抵抗でいたらやられるわよ、っと。
『Brennen Sie(劫火よ), verbrennt alle Schmutzigkeit!(不浄を焼き尽くせ!)』」
そういって今度は向かってくる触手を、壁のようにした炎で燃やしてしまう。

あれも魔法なんだろうか?
ユーノ君におしえてもらったのでは、わたしの持ってる魔法のイメージとは少し違うところもあった。
だけど、この子の使う魔法はそのイメージ通りだ。
呪文を唱えて、不思議な現象を起こす。その姿は、まさに魔法使いのよう。

「あれは、ジュエルシードというものが原因なんです!
 それさえ封印できれば、倒す必要はありません」
そうユーノ君が答える。
そう、だから封印さえできれば傷つけなくていいんだ。

暗いせいでよく見えないけど、あの子は話を聞きながら、どうやら左手の人さし指を向けている。
その先から、黒い弾丸みたいなものを撃ち出しているみたい。
左腕の大部分からでる緑色の光で、かろうじて様子がわかる。
それをウサギさんの前に撃ち、動きを抑えている。
わたしよりもずっと動きが洗練されていて、場違いだけどかっこいいと思ってしまう。

「ジュエルシード? まあ、詳しいことは後で聞くわ。
 ならその封印とやらをさっさとやって頂戴。動きはこっちで抑えるから。
『Funf(五番), Ein Fluß wird schwer gefroren!(凍てつけ 冬の川!)』」
そう言うと、今度はウサギさんの足元が凍りついて身動きができなくなる。
たしか相手を拘束する魔法があって、バインドとかケージって言うんだっけ?
でもやっぱり、ユーノ君から聞いたのとは違うみたい。

とにかく、やっと動きが止まったので、大急ぎで封印に入る。
「いくよ、レイジングハート。リリカル、マジカル………」




そうして封印は完了して、さっきの子と顔を合わせて驚く。
「り、凛ちゃん!!?」
そう、わたしを助けてくれたのは、わたしの一番新しいお友達の遠坂凛ちゃんだった。

Interlude out



SIDE-凛

なんとか封印とやらを終えて、今なのはと顔を合わせたところ。
暗いせいで、こっちの顔まではわからなかったようだ。素っ頓狂な声を上げている。
その慌てる顔が面白くて、ついからかいたくなるが、今は我慢。
先に聞かなければならないことがある。

「こんばんは、高町さん。
さてこれはどういうことか、重箱の隅をつついて壊してしまうくらいに、詳し~~~く、教えてもらいましょうか?」
そう言って、一切のごまかしは聞かないという意味を込めて、笑いかける。
対するなのはは、顔が引きつっている。
肩でこちらの様子を見ていたユーノも、地震にでもあったように震えている。


要約すると、ユーノは異世界の住人らしい。
パラレルワールドのようなものかと聞くが、違うらしい。
それは並行世界とは別の次元世界というくくりの中らしく、並行世界のようなIfではなく、完全に別の世界、あるいは別の星を指しているとのこと。
この場合の世界間転移は、通常の空間転移の延長のようだ。

次元世界の司法機関であり、時には警察や軍隊的役割を担う管理局という組織があるそうだ。
そこの規定によると、地球は管理外世界という区分にあり、魔法技術のない世界とされているらしい。

ユーノの説明によると、彼らの使う魔法は魔力を一つのエネルギーとみなした、科学に近い力のようだ。
つまり未来へ向かって疾走するもののようで、私たちの行使する魔術とは真逆の方向性。
それなら秘匿を考えていないのも納得がいく。
みんなが使う技術である以上、秘匿する意味はない。

結構すんなり受け止められるのは、ひとえに士郎のおかげだろう。
昔アイツの土蔵を見た時から、そのデタラメぶりに幾度となく殺意を覚えてきたが、人間は慣れるものらしい。
いつしか、あきらめにも似た心境になった。
そのおかげか、今聞いたこともこれがこの世界の常識ということで、諦観してしまえる。

郷に入っては郷に従え、とは昔の人たちは素晴らしい言葉を残してくれた。
これがこの世界の常識であるのなら、それに受け入れるのが筋なのだろう。
それに合わせるかはこちらの自由だし、水が合わないのに無理に合わせる必要はない。
合わなかったのなら、その時は互いに関わらないようにすればいい。

そんなユーノが、何故ここ地球にいるかというと。
本業は遺跡発掘で、滅んだ世界の調査をする若き考古学者らしい。
だが、ジュエルシードなるものを発見し、それを輸送している最中に事故か何かで紛失。
責任を感じて一人、回収にやってきたのだと言う。

なのはが関わっているのは、一人でやろうと無理をして失敗。
そこで現地の才能のある人間の助力を請おうとして、なのはが引っ掛かったらしい。
まぁこれほどの貯蔵を持つ子だ、資質的には申し分ない。
なのはもやる気らしいので、とりあえず特に問題はないか。
当の本人が自発的にやっている以上、余程のことでない限り外野がとやかく言うことではない。

だが、あの詠唱はどうかと思う。
そもそも、この世界においてリリカルだのマジカルだのいうもので、マトモなものはないのである。
これは実体験からくる確信だ。

ジュエルシードの性能は「願いを叶える」という私にとっては懐かしい響きだった。
ただ、叶え方は妙にずれているらしく、騒動になりやすいらしい。
かなりの魔力を内包しているため、取り扱いには注意が必要とのことなので、ちゃんとした封印のできるなのはに最後は任せるのが得策のようだ。


「あなたは魔導師なんですか? でも初めて見る魔法でしたけど」
今度は、逆に向こうから質問される。

下手な嘘や黙秘は怪しまれるので、当たり障りのない返答をする。
「魔導師じゃなくて魔術師、魔法じゃなくて魔術よ。
そっちがどう判断したかは知らないけど、こっちもそういう技術はあるわよ。
 私はその継承者。
私自身、他所にまだ魔術を伝えている人間がいるかさえ知らないけど、この世界にそういった技術が存在するのは確かよ。
まぁ、こっちのは基本秘匿されているし、使う人間も少ないから外から調べたんじゃわからないのかもね」
嘘は言っていない。他所のことは知らないし、士郎は私の弟子だから除外。
ないとされた技術があることの辻褄を合せる。

「そうなんだぁ。そういえば凛ちゃんに魔力があるって、ユーノ君も言ってたもんね。
そういえば、士郎君にもちょっとだけあるって言ってたっけ。
あれ、じゃあ士郎君も?」
肩の上にいるユーノに視線を向けながら、確認している。
ユーノの方でも、小さな頭を縦にコクコクと動かして同意する。

士郎のことは可能な限り隠したい。
ジュエルシードはロストロギアと呼ばれるもので、管理局はこれの回収・管理もしているとのことなので、後で出張ってくるかもしれない。
私のことは、すでになのはたちは知っているから仕方がないが、士郎のことも知られてしまう可能性が出てくる。
管理局が聞く通りの組織なら、非人道的なことはしそうにないが、用心すべきだ。
あいつは保護指定動物だから、下手に本質がばれると厄介なことになりかねない。

何より、組織というものがどれほど信用できない存在なのかは、前の世界で骨身に沁みて知っている。
魔術協会や聖堂協会から追われるようになると同時に、いろいろな組織から誘いを受けた。
聞こえのいい言葉を使っていたが、利用しようという下心が見え見えだった。
そのせいか、組織というモノに関わること自体に、生理的な拒否感がある。

まぁ、管理局のような秩序を守るための機関が必要なのは否定しないし、組織という存在が何かとメリットが多いのも事実だ。
詳しい活動内容は知らないが、一応人々からの支持を集めている以上、それなりに正当性のある組織なのだろう。
ユーノの話から、真っ当な正義感から所属する人間も多いことがうかがえる。
だが、組織とはそれ自体が独立した生き物だ。構成する人間の考えとは別に、独自の考えを持つ。
それは大義だったり、そもそもその組織が発生した際の目的だったりと色々だ。
問題なのは、その考えの前には個人のことなど容易く切り捨てる事。
どれほど建前が立派でも、その性質は変わらない。

別に、それが間違っていると言うわけではない。むしろ組織としては当然のことだ。
また「普通」の人間なら、まずそんな目に会うことはない。
けれど、私たちは群を抜いて「普通」からかけ離れている。そのため、人一倍その危険にさらされやすい。
特に問題のない情勢ならそんなマネはしないだろうが、危機的な状況ともなればその限りではない。
個人を犠牲にすることで何とかなるのなら、間違いなく利用される。

否定はしないが、そんなのは御免被る。
大義を振りかざして、必要なことだからと実験材料や生贄にされてはたまらない。
絶対に魔術協会のような事はしない、とは誰にも言えないのだ。

色々あって、私たちの基本方針は「個人は信用しても組織は信用するな」が原則。
更に言えば、信頼する相手は徹底的に選別する。
私が全幅の信頼を置いた人間なんて、前の世界では五人に満たないだろう。
士郎は安易に人を信用してしまうところがあるが、さすがに滅多なことでは相手を信頼することはなくなった。
向こうでは、裏切りや利用することを前提に近づいてくる連中がほとんどだったせいだ。そんなことが続けば、必然私たちの人を見る目はシビアになる。

ただでさえ私たちは、組織なんてものとは肌が合わない。真っ先に切り捨てられるタイプだ。
関わるとすれば一員になるのではなく、外部からの協力者が限界だ。それ以上に近づくのは危険すぎる。
まあ、私にとって組織とは身を預けるものでなく、利用するためのものだし。
もし関わることになったら、精々体よく利用して使い潰してやるつもりだ。
こんなだから肌が合わないんだろうなぁ。

それにユーノが他の世界の住人である以上、そこから情報が漏洩しない保証はない。
なのはのことも、その人柄から少しは信頼しているが、重要事項を教えられるほどではない。
うっかり口を滑らせることもあるだろう。そうなれば、物騒な連中が動く可能性も出てくる。
そんな連中には、子どもの口を割る方法などいくらでもある。
ならば、私たちに「教えない」以外の選択肢など元からない。

だからといって、正直に「教えない」なんて言うのは馬鹿のすることだ。
当然、解答にはそれなりに配慮する。
「なのは。アンタだったら自分の家族に、そんなことを教える?」
と、答えにもならない答えをする。
なのはは家族には伏せているので、私もそうなのだとミスリードを誘うのが目的だ。

私の問いに対し、なのはは少し申し訳なさそうな顔をする。
おそらくは、家族に対してのものだろう。
「そっか、そうだよね。あんまり心配とかさせたくないし」
上手く乗ってくれたようだ。
秘匿するものとも言ってあるので、一応納得したらしい。


話は今後のことに移る。
あまり関わりたくないが、放っておくと士郎が関わろうとするのは間違いない。
なら、いっそ懐に入ってしまうか。私のことは、もうなのはたちには知られている。
もし管理局が関与してきても、なのはたちに協力していたという方が印象もいいだろう。
それにこの子は、どこか危なっかしくて放っておけない。

そもそも士郎には、関わるなという方が無理!
この手のことが身近に起こっていたら、間違いなく首を突っ込む奴だ。
だったら完全に外部の者を装って、私たちとは無関係の魔術師ということで、危ない時のフォローを任せよう。
士郎は魔術師ではないと思わせているし、回路を閉じると魔力は感知しにくいらしい。
それでも漏れることはあるが、私のことでさえ魔力が多めの人、という程度の認識だったようだ。
ただでさえ魔力が私ほどの量でない士郎なら、上手く誤解してくれるだろう。

これには他にもメリットがある。
他所に魔術師がいると仮定して、そいつらが関与してくる可能性は低い。
士郎が外部の者を装ってくれれば、他にも魔術師がいるという証言を補強する材料にもなる。
仮に管理局が介入してきても、これで少しは私たちに向けられる目が弱くなるだろう。
「じゃあ、今後は私も協力はするわ。あんなのがごろごろされてちゃ落ち着かないもの。
さっさと終わらせて、平穏な生活に戻りましょ」
一応今後の方針を心の内で決め、それを悟らせないように笑顔で協力する旨を伝える。

だが、なのはとユーノはそれにたいへん驚いている。
「で、でも凛ちゃん! とっても危ないんだよ!!」
自分のことを棚にあげて、そんなことを言うか。士郎みたいなことを言ってくる。

「あのねぇ、アンタがそれ言う? 危ないのはアンタも、お・な・じ!
 それに私はちゃんとものを修めてるから、アンタみたいな素人よりはマシよ」
そういうと黙り込んでしまう。
言っていることは皆事実、自分が素人だという認識もあるのだろう。
先ほどの戦いでも、私が効率よくやっていたのを見ていた。
なら自分が心配できる立場ではないのもわかるはずだ。

「う~ん。それじゃあ……手伝ってくれる?」
控え目に訪ねてくる、私が譲る気がないのはわかっているのだろう。
巻き込んだことに対する罪悪感もあるようだが、秘密を共有する友人の存在が嬉しくもあるようだ。
なんとか抑えようとする顔には、少しだけ笑みのようなものが浮かんでいる。

ここに協力関係が成立した。
向こうは知らないが、幾ばくかの打算と思惑を潜ませて。


  *  *  *  *  *


その後、士郎に事の顛末を話し、互いに今日あったことを交換する。

なのはにはああ言ったが、どうやらこの世界には本当に魔術師はいないらしい。
混血のような人間や、超能力じみた能力の持ち主はいるようだが、それはまた別だ。
少なくとも、こちらから積極的に関わりたい相手ではない。

しかし、同時に納得もする。
以前から感じてはいたが、今回の戦闘で確信したことがある。
それは、私の使っている魔術、一つ一つの性能が向上しているのだ。
今までは周りを警戒して、最低限の魔術の行使で抑えてきたので、気のせいかもしれないと思っていた。
だが、本格的に攻撃呪を編んでみたことで、通常以上の威力が出ていることがわかったのだ。

これは魔術基盤を用いる存在が、この世界では私と士郎の二人しかいないせいだ。
魔術を秘匿するのは、使う者や知る者が増えることで、力が分散することを防ぐため。
元が十しかないものを二人で使えば、当然一人が使える分は半分の五になる。
ところが、この世界で魔術を扱える存在は私たちだけ。
力の源泉を独占してしまっているために、全体的な性能が向上したのだ。

これは、魔術師的には最高の環境と言える。
基盤を完全に独占するなど、元の世界では魔法にでも至らない限りは不可能だった。
だが、ここではそれが当たり前だ。私たちの方から漏らさない限りは、力が分散する恐れはない。
まさか並行世界を渡ることで、これほどの恩恵が得られるとは思わなかった。
本来は身を守るために逃げてきたのだが、怪我の功名というやつだ。

まぁ、実を言うと士郎の場合、それほど影響はないようだ。
アイツの主要魔術は、そのすべてが自身の固有結界からの副産物にすぎない。
UBWを使えるのは、その持ち主であり創造主である士郎だけ。
ならば、元から基盤は独占されているも同然だ。

固有結界という魔術を用いる者は他にいても、自身の心象風景を具現化するという性質上、同じものは二つとない。
そのため、固有結界という括りの中にありながら、それ自体が独立した魔術でもある。
他に使える者がいない以上、力の分散もおこらない。
こちらの世界に来たところで、士郎にとってはあまり変化がないのだろう。


ジュエルシードに関しては、士郎は私の提案を承諾した。
できる限りなのはたちには関わらず、こちらに任せること。
もし関わるのなら、ちゃんと変装することを確約させる。
ま、前者の方はそれほど期待していないけど。

変装は投影で手足をすっぽり隠す格好をし、帽子を目深に被り、サングラスをかけ手袋もはめる。
さらに黒髪のカツラをつけて、個人の特定ができないようにする。
本当はマスクも付けさせたいが、それでは完全に不審者なので妥協する。
士郎は目立つ風貌をしているので、やり過ぎということはない。
白い髪や褐色の肌は、特徴として十分すぎる。外套も今回は投影品だ。
あれは目立つしかさばるので、余計な情報を与えてしまうかもしれない。

設定としては、たまたまこの辺りに魔力を感じて調査にきたということでいく。
本来秘匿すべきものなので、大っぴらになるのは困るから手を貸したことにすれば大丈夫だろう。
私がいるときは、特に発言は控えるように言い含める。
何かのはずみで、普段のやり取りが出てきてしまうのは避けたい。

こうしてとりあえずの形は決まった。

ついでに、月村忍からの土地の管理を委託したい、という申し出は受けることにする。
収入がないと宝石も買えやしないので、これはいい機会だ。

この世界には魔術師がいない可能性が高かったので、いざとなれば、士郎の投影品を足がつかないように売りさばこうかとも思っていた。
いくらばれ難いものとはいえ、危ない橋を渡らなくて安堵する。
ただ、私がそう言うと、士郎の方も心底安心したように息をついていた。

まぁ、多少交流があった方が向こうも安心するだろう。
やはり見えるところにいて、言葉を交わすほうが信用してもらえる。

街の名士でもある、月村家とのコネクションができたのはありがたい。
いろいろ怪しいとこだらけの上に、不便なことも多い私たちとしては、強力なバックがついてくれるのは助かる。
それにせっかくの霊地なので、有効に利用したい。
一番のポイントであるあの家のあたりがよどんでしまうと、こちらにまで影響が出るので困る。

なにやら、すずかからの宣戦布告のようなものを伝えられたが、士郎はいったい何をしたのか。
アイツは意識しないで殺し文句を言うところがあるから、時折よその女を引っ掛けてくる。
あるいは殺し文句とまではいかなくても、無駄に好感度を上げるようなことを言ったんだろう。
おそらくは今回も似たようなことをしたに決まってる。
毎度のことだが、どうしてこいつはいつもこうなのだろう。ホトホト呆れ果てる。

まぁ、これは仕方がないのかもしれない。
アイツに好意を抱く人間というのは、特殊な境遇にいることが多い。
普通人にはあまりモテないが、出自や経歴に特徴のある人間にこそモテる。桜やルヴィアがいい例だ。
士郎から聞いた話だと、すずかもその例に漏れない。

士郎は他人が内に抱えているものを、無理に理解しようとはしない。
理解した気になっているとしたら、それは思い込みだと解っているからだ。
同じ事柄に対しても、受け止め方は人それぞれだし、何より同一人物でもその時々で変わってくる。
そんなものを完全に理解してやれるはずがない。

だからといって、それを気にしなかったり、否定したりもしない。
ただその人が持つ属性の一つとして受け入れ、付き合っていく上で必要な配慮をするために聞くべきところをしっかり聞いてくるのだ。
士郎自身が特殊な境遇にいたせいか、先入観が入ってこない。
そもそもアイツには、そういった観念がない可能性もあるけど。
私に対しても、魔術師だということも含めて一人の女として扱った。
頑なに強くあろうとしていた私に、弱さを表に出すことを教えたのは、ほかならぬ士郎だ。
おかげで、士郎限定だが弱さを出すのに抵抗がなくなってしまった。

すずかが惹かれたのも、士郎のそういうところなのであろうことは理解できる。
やろうと思ってできることではなく、本人も無意識にやっていることだからこそ、惹き付けてしまうのだ。

だが、相手がだれで、理由が何であろうと関係ない。
いつもどおり、返り討ちにしてやればいい。
なにせ士郎は私のものだ。他人に持って行かれるなど、決して許さない。
すずかには悪いが、新しい恋を探してもらうことにしよう。

まぁ、これまでの問題のほとんどが一気に解決に向かったのは良かった。
だが、何で入れ替わりに新しい問題が浮上するのか、心底納得いかない。
私たちは、そういう星のもとに生まれてきたということだろうか?
愚痴を言っても始まらないが、そうでもしないとやっていられない心境だ。

とにかく、この新たに出てきた問題を解決しないことには、私たちの平穏は回復されない。
そういうわけだから、さっさと片付けられるといいのだが。



SIDE-士郎

俺は今、街を散策している。別に暇なわけではない。
凛からジュエルシードなる物の存在を聞き、その捜索のためだ。
凛の感じた魔力はてっきり魔術師か何かの仕業だと思っていたので、深夜に絞って見回りをしていた。
だが、それでは不十分なことがわかった。

「そいつがいつ発動するかわからなら、昼も夜も関係ないもんなぁ」
そんな危険物を放置しておくわけにはいかない。
なのはや凛と違い、俺では魔力をたどって探すことはできない。
よって、こうして足を使い地道に探している。

だが、正直鬱になる。
この広い街で、石ころ一つを探すなど気が遠くなる作業だ。
見つかればめっけもので、ほとんど気休めでしかない。
さらに、偶然見つけても迂闊に手だししないように言われている。
願いをかなえるという性質上、生き物が触媒になる可能性が高く、俺がそうなるかもしれないらしい。

「ところで、俺みたいな願いのやつでも、発動したりするのか?」
俺の望みは、凛との平穏な生活であるから、こいつらが発動しないことが願いでもある。
そういった場合はどうなるのか、興味はある。

また発動したものを下手に攻撃して、致命傷を与えてはシャレにならない。
ジュエルシード自体も、未知の部分が多いのでしかるべき手順で封印するのが無難だからだ。
とすると、俺自身は暇なつもりではないが、実際にできることはほとんどないので、あまり変らないのかもしれない。

発動した時は、凛が念話なるもので位置を聞き、それを俺に伝えることになっている。
「念話か、便利ではありそうだよな。
今度凛に習ってみるか。まったく別の様式らしいし、もしかしたら出来るかもしれないしな」
これは魔導師の技術らしいが、さすがに凛はすぐに身につけたようだ。
凛から魔法の存在を聞いた時「魔術は駄目でも魔法なら」と、つい思ってしまったのは秘密だ。
まぁ、俺はどのみちなのはたちに知られていないので、その情報を直接は聞けない。
まったく、清々しいくらいにできることのない受身状態だ。

一応凛との間でなら、似たようなことはできる。
オーソドックスな魔術に「共感知覚」というものがある。
魔力のパスが繋がった契約者との間で、感覚器の知覚を共有することが可能なものだ。
これの応用で、繋がったパスを通して思念を送ることができる。
俺たちは、これを十年前の聖杯戦争の終盤、ギルガメッシュとの決戦に際しUBWを使うのに必要な魔力を賄うため、凛から魔力供給を受けられるようにこれを繋いでいる。
それはこの体になってからも健在だ。

おかげで、元の世界にいたころから「念話もどき」ならばできていたのだ。
そういえば昔これを繋いだばかりの頃「魔力をもっていったんだから使い魔のようなもので、絶対服従が当然」なんて、とんでもない無茶を言われたっけ。

それと、念話がどうかはわからないが、俺たちの使うそれは基本的に傍受も妨害もできない。
直通回線を設けているようなものなので、まず外部からの割り込みがかけられない。
もし思念がつながらなくなるとすれば、よほど特殊な環境に置かれているか、どちらかがパスを閉じている場合だ。
そのかわり、当然のことだがパスの繋がっていない相手には思念を送ることはできない。
よって、こいつは俺と凛専用の秘匿回線でもあるわけだ。


凛たちは、今日は地元のサッカーチームの観戦に行っている。
なのはのお父さんである、高町士郎さんがオーナーと監督を兼務するチームの応援を頼まれたらしい。
俺も誘われたが、その後は翠屋に行くらしく、恭也さん対策の出来ていない現状での遭遇は避けたい。
それに士郎さんは、俺と恭也さんの戦いのことを知っている可能性がある。
恭也さんたちの師でもある以上、恭也さんのプランに乗り気かもしれないので、この人も危険だ。

「こっちも早く対策を練らないといけないのにな。なんでこう俺は厄介事に好かれるのか。
 凛にうっかりの呪いがある様に、俺には厄介事の呪いでもあるのか?」
かなり本気で心配になる呪いだ。ぜひとも杞憂であってほしい。
桃子さんとの料理談議はとてもためになるので会いたかったが、翠屋に行けないのでそれも当分は無理。
あれ? 俺案外、本当に暇を持て余してるのかもしれない。


そんなことを考えつつ、当てもなくさまよう。
すると、俺でもわかるくらいの魔力の奔流を感知する。
報告は来ないが現場に向かって走る!
すると見えたのは、巨大な樹。
「おわ!? 妙な願いの叶え方をするって言っていたけど、これはどんな願いが発端なんだ?」
あまりに現実離れした光景に圧倒される。
これはもう植物と呼んでいいレベルではない。

ある意味では、噂に聞くアインナッシュの森よりとんでもないかもしれない。
あれほどの人外魔境ではないが、高層ビルより巨大な樹が根を張り、辺りに甚大な被害を出している。
さすがに高さ数十mの樹木など、あの吸血森林にもあるかどうか。
実際に見たことがあるわけでもないし、もしかしたらあるのかもしれない。
しかし活動期間以外は、普通の森に擬態しているらしいし、基本的な姿はそこまで異常ではないと思うのだが。
そのかわり、活動期間中の内部は異常の極みだろうな。

そんなことは、今はどうでもいい。
とにかく、現状の把握を優先すべきだ。
「人的被害が少ないのが救いか……。見たところ、軽傷がせいぜいのようだし。
これだけの大事で、この程度で済むことこそ奇跡だな」
俺は大急ぎで近くの高層ビルの屋上に上がる。
その際に投影で変装するのも忘れない。
樹の成長はすでに止まっているらしく、これ以上被害が拡大することはなさそうだ。

俺の解析は構造を理解するものだが、生物相手にはできない。
相性の問題らしく、無機物なら一応問題ない。
しかし、複雑な構造や巨大なものは直接触れる必要がある。
月村邸では罠が解析に引っかかり、その表面的な構造から種類を特定するという変則を使った。

今回もそれを試す。
樹の解析はできないが、その中にある核となる部分にはジュエルシードがあるはずだ。
それが解析にかかることを期待する。

結果は、発見できたが攻撃できないというもの。
発動したのは人間らしく、攻撃すれば巻き込んでしまう恐れがある。
ジュエルシードだけを狙おうにも、発動の触媒になったであろう少年が、胸に抱えるようにしている。
いくらなんでも、射線上にいられては避けようがない。

ここは、なのはに任せるしかなさそうだ。
『まずいことになったぞ、凛。ジュエルシードが発動した。それも、とんでもなく派手な形で』
魔力供給用のパスを使っての念話もどきで凛に報告し、なのはにつないでもらう。

パスを閉じていたらどうにもならなかったが、打ち合わせどおりちゃんとオープンにしていたようだ。
すぐに返事が返ってくる。
『わかってる、こっちでも確認した!
さっき別れちゃったんだけど、もうなのはが動いてて、封印に向かってるみたい。
アンタはなのはの護衛について。
いまは大人しいけど、封印しようとしたら、何かアクションがあるかもしれない』
それに同意して、早速捜索に移る。

屋上から千里眼で辺りを見渡す。
俺の眼は、4キロ先の人間の顔も識別できるのでこれを利用する。
しかしそれだけでは不十分。こうもビルの乱立しているところでは、どうしても死角ができる。
そこで、あらかじめ用意しておいた低級の使い魔で、その死角を埋める。
俺が使っているのは目立たない3羽の雀。
魔術全般に才能のない俺でも、それなりに使える初歩の術だ。

まぁ雀といっても、外見がそれに近いだけで、厳密には生物ですらない。
材質は鋼で、嘴の部分は針のように鋭く尖り、翼は鋭利な刃物になっている。
俺の属性は「剣」なので、使用する使い魔もそれと相性のいいものの方が、少しは上手く扱える。
凛が翡翠で出来た使い魔を用いるのと同じことだ。
鋭利な翼は、一般的なナイフ程度の切れ味は持っているので、攻撃に使用することもできる。
俺が使うにしては、意外と使い勝手のいい物だ。

この二つを利用して、死角をなくすように探す。
見つけるのにさして時間はかからなかった。
俺がいるビルより少々低い建物の屋上に、人影を発見する。
後ろ姿だが、あれはなのはで間違いなさそうだ。
凛から聞いていた衣装とも一致する。
距離は十分射程内、何が起きてもサポートできる。

(しかし、本当に魔法少女してるなぁ。
あの呪いの杖が凛を洗脳してお披露目したのは、途方もなく痛々しかったのに。
やる人間とその理由だけで、こうも変わるのものなのか?)
聞いていはいたが実物を見ると、また違った感慨が沸く。
つい思考が脱線してしまったので、切り替えることに。今はそれどころではない。

なのはは今まさに巨樹に向けて、行動に出ようとしていた。
もし反撃があった場合に備えて、弓を投影し備える。
これも干将・莫耶同様に体に合わせてサイズを縮めたものだ。
封印作業は滞りなく進み、特にトラブルもなく終わった。
なのはの手際は、あの年で、それも素人であることを考えれば驚異的で、疑う余地のない天才だ。
やっていることがやたらと派手なのは、魔法とやらがそういうものだからだろう。

ただ、終わった後にいつもの元気がなさそうだったのが、少し気になる。
使い魔を介して見た横顔から推察するに、対応が遅かったことに責任を感じているのだろう。
むしろ、突発的事態に対してよくやったと思う。
しかし、俺には声をかけることはできないので、凛にフォローを頼むことにする。

「『投影、消去(トレース・カット)』」
事態は一応終結したので、変装を解き街に降りる。


  *  *  *  *  * 


巨樹は消えたが、怪我人はまだいるので救助に参加する。
今回俺は、特に何もしていないからな。
せめてこれぐらいはやらないと気がすまない。

先ほど見た限りでは軽傷者ばかりだった。
しかしちゃんと探せば、落下物にぶつかったり転んだりして、骨折などをしている人もいる。
道具のない状況で対応しきれない重傷者は、混乱の中やってきた救急車に乗せるのを手伝う。
逆に、その場の応急処置で済む人たちには、もはや手慣れてしまった手当てを施していく。

とにかく目につく怪我人たちの治療をしていると、眼の端にある光景が映る。
それは、一人の女の子が転んで倒れている姿だった。
本来ならもっと優先しなければならない怪我人もいるのだが、どうやら彼女は車イスらしい。
見たところ、今の騒動で一緒に倒れてしまい、車イスが起こせなくて困っているようだ。

急いで駆け寄り、手を差し伸べる。
「大丈夫か? 怪我はしてなさそうだな」
見たところ、怪我らしい怪我もなくて安堵する。
女の子が怪我をするのは、やはりよろしくない。

「あっ、おおきにな」
ショートヘアの女の子が、軟らかい笑顔と関西圏の独特の発音で感謝してくる。
あまり語気の強さがないので、先入観だが京都とかの出身かと考える。

車イスも起こして、その上に座らせる。
「いや、たいしたことはしてないよ。こんなの当然のことだろ?」
そう、この程度は当然だ。
災害や事故現場での救助活動は、人として当たり前のこと。

「そうやね、当然や」
俺の言ったことに同意を示す女の子。
でもその顔は、さっきよりもなお嬉しそうにしている。
どうしたのだろうか?

「? 聞いてもいいかな。なんでそんなに嬉しそうなんだ?」
「う~ん、特に理由はないんやけど、そやねぇ。
 恥ずかしいんやけど、わたし、あんまり男の子と話したことなくてなぁ。
 それで、ちょう珍しい体験ができたからかなぁ?」
そう言って、女の子は照れたように頬を掻く。
なるほど、普段あまり接しない種類の人との関わりが新鮮なのか。

……そうだな、これも何かの縁か。
「俺は衛宮士郎。君は?」
「え?」
いきなりの自己紹介に驚く女の子。

「いや、これも特に理由はないんだけどな。
 強いて言うなら、お互い名前を知っていたら、この先もしすれ違ったりしたら、相手のことを思い出すかもしれないだろう?
 せっかくの珍しい経験だからな。思い出に残る方がいいと思ってさ」
そう、理由なんてそのぐらいでしかない。

「……確かにそうやな。わたしは八神はやて。平仮名で、はやてや。
 よろしゅうな、士郎君!」
名前を呼ぶときに、少し気合いのようなものを感じた。
お互いに名乗りあったのだから、もしかしたら覚えていて、次の機会があるかもしれない。

「こちらこそよろしくな、はやて。
 どこかですれ違ったときは、声でもかけてくれ。
 じゃあ、俺はほかの人の手伝いに行ってくるから、これでな」
俺はそう言って、あるいはあるかもしれない再会を願って、その場を後にする。
もし次があったら、それはとても素敵なことだと思う。



Interlude

SIDE-はやて

「また声をかけてくれ、かぁ。
 う~ん、残念やなぁ。それやと、士郎君の方から声はかけてくれへんのかなぁ?」
たった今この場を去っていった少年の言葉を反芻して、苦笑する。

普段なら初めて会った男の子の名前を、姓ではなくいきなり名の方で呼ぶことはしない。
彼の言うとおり、いい思い出になるように頑張って名の方を呼んだのだが、帰ってきたのは予想外の言葉だった。

「よし! じゃあ、次に会ったら絶対に声かけて、今度は向こうから声をかけるように言ったろ!!」
そう考えて、この日の出来事を決して忘れないように、胸に刻む。


誓いは固く、この願いは成就し、いずれ再会することになる。

Interlude out



SIDE-凛

昨日のことはすでに、士郎から聞いているが、そんなことはおくびにも出さずになのはの話を聞く。
場所はなのはの部屋、表向きは遊びに来たことにしている。

話の内容は、報告の形をした懺悔に近い。
もっと自分が早く動いていればや、あの時気づいていたのに、など自分の失敗を責め続けている。

たいていの場合、ジュエルシードは発動でもしない限り見つけるのは困難だ。
そのことから、私たちはどうしても後手に回りやすい。
そんな中で、今まで被害らしい被害が出なかったことは僥倖だったが、いつまでもそうはいかない。
ついに来るときがきた、というのが私の感想だ。

「はぁ、あのねぇ反省するのはいいけど、あんまりネガティブになっても仕方ないでしょ?
 気持ちを切り替えて、今回の失敗を活かしなさい」
そう言ってフォローするが、あまり効果はなさそうだ。
どうも他人を慰めるのは得意ではない。
私は結構すっぱり切り替えられる方なので、どうすれば他の人がそうできるのかは、いまいちわからない。
そこで話を変えることにする。

「ユーノ。ちょっと教えてほしいんだけど、魔導師たちはどうやって魔力を生成しているの?
 なにか、そのための器官があると思うのだけど」
この中で唯一、まともな知識のあるユーノに尋ねる。
魔法関連の話なら、なのはも興味をひかれるだろう。

ユーノはなのはの様子を気にしつつも、私の質問に答える。
「……えっと。はい、確かにあります。
 リンカーコアと言って、だいたい心臓のあたりにある器官で、それが魔力の源です」
特定の部位にあるという時点で、魔術回路とは違うようだ。
魔術回路にも核のようなものがあるが、それはいくつかあり、核を結ぶバイパスのようなものが全身に張り巡らされている。
少なくとも一か所に集中しているということはないので、完全に別物とみていい。
それなら魔力を行使するときに、なのはが平然としているのもうなずける。
魔術回路の場合は苦痛を伴うので、素人のなのはが表情一つ変えないのは、不思議だったのだ。

他にも、厳密には魔力を生成する器官ではないと言う。
正確には、大気中の魔力を体内に取り込んで蓄積し、それを外部に放出するための器官であるらしい。
あくまでも一度蓄積しなければならないので、魔術回路のように直接大気中の魔力をくみ上げて、そのまま行使することはできないようだ。
おそらくは、マナ(大源)をオド(小源)に変換しているようなものだろう。
魔術回路を使用すると苦痛を伴うのは、人である肉体がそれを拒むために起こる拒絶反応だ。
リンカーコアで魔力使用する際に苦痛がないのは、拒絶反応がないせいだろう。
魔術回路は独自に魔力を生み出せるが、リンカーコアにはそれができない。
拒絶反応の有無はそこが原因かもしれない。

「ところで、魔術師は違うんですか?」
ユーノからも質問が返される。専門は違えど、学者のはしくれとして興味があるのだろう。
別に、それほど重要なことを聞かれているわけではないので、教えてもいいか。

なら、これは必須だ。
「あの……何でメガネをかけるんですか?」
「その方が気分でるでしょ?
そうね。私たちのは魔術回路って言って、ほぼ全身に張り巡らされてる疑似神経がそうよ。
 これは本数で表現されて、もちろん多い方がより魔力を多く生成できるわ」
毎度お馴染みの、メガネを着用しての説明に入る。やはり、これがあった方がしっくりくる。

フェレットの表情などわからないが、何やら呆れているような声音で納得する。
「はぁ、そうですか。
魔術回路?
それはこの前学校で助けてくれたときに左腕が光ってましたけど、それのことですか?」
よく見ているようで、魔術刻印にも気づいていたようだ。
いや、暗い所で発光しているものがあれば、気づいて当然か。

「それは魔術刻印ね。
形になった魔術で、ある魔術を極めるとそれをカタチに残すことができるようになるの。
それを刻印にして、後継者に譲るわけ。
そうすることで、その術を学ぶことなく行使できるようになる、一種の魔導書ね」
魔導師には技術を伝えることはあっても、術そのものを継がせるということはないらしく、しきりに感心している。
聞いた限り魔力さえあれば、適性の違いで得手不得手はあれど、大抵の術は修得できるものらしい。

そういった誰でも「頑張れば使える」術とは別に、レアスキルと呼ばれる、その人あるいは一部の人しか使えない術もあるらしく、これを持つ人はいろいろと優遇されるらしい。
士郎など、間違いなくこれに該当する。
それに魔術は適性によりできることが大きく異なるので、ある意味私もそうかもしれない。
というか、この世界で宝石魔術が使えるのは私だけのなのだから、十分該当するのかも。

「へぇ、便利ですね。じゃあそれがあれば、すぐにでも魔術が使えるんですね」
「一概にそういうわけでもないけどね。それの使い方がわからなきゃ使えないし。
ただし、譲ることができるのは身内に限ってよ。
血の繋がりのある人との間じゃないと、譲っても刻印が無力化するから。
それに形になっているといっても、それは一つしかないから継承できるのも一人だけ。
魔術が一子相伝なのも、これが理由の一つね」
ピッと人さし指を立てて解説する。
狙いどおりなのはも興味があるのかこちらを見ている。

この程度なら別に知られても問題ない。魔術の具体的内容や私の秘儀にも触れてはいない。


少し気持ちに区切りがついたのか、なのはが質問してくる。
「凛ちゃん、わたしにも魔術って使えないかなぁ?」
まぁそう言うだろうとは思っていた。

予想はしていたので、答えは決まっている。
「聞いてなかった? 魔術は人にぽんぽん教えるようなものじゃないの。
 それにあんたは今、ジュエルシードで手一杯でしょうが。
余計なことをしてる余裕あるの?」
もとより教える気はないが、理詰めで却下する。
なのはは結構強情だ。
一度決めるとごり押ししてくるので、その前に阻むことが必要だ。

「うぅ、確かにそうだけど……」
「だいたいね、魔法と魔術両方とも。なんてのは虫が良すぎるのよ。
方向性が違うって言ったでしょ。
上手くかみ合えばいいけど、そうじゃなかったらかえって扱いづらくなるかもしれないんだから」
そう、魔術は過去に向かって疾走するもの。
なのはの使う魔法は、科学に近く未来へと向かうものである以上、方向は正反対。
上手く組み合わせればかみ合うかもしれないが、そうでなかったら目も当てられない。
最悪どっちつかずになり、両方の足を引っ張ってしまうかもしれない。
まぁ、興味のあるテーマではあるので、いつか試してみたいところだ。

「そもそも、リンカーコアとやらで魔術が使えるかもわからない。
使えない場合は魔術回路が必要だけど、それを持っているかもわからないんじゃ、試しようがないわ。
調べる方法はあるけど、今のところそれにかまけている時間もない。
 手を出すなら新しい魔法にしなさい。それなら使えるのはわかってるんだから」
不明な点や未知のところも多く、これはこれから調べていくことだ。
今はまだ手を出すべき段階ではない。
ついでにもっと精進して、今ある技術を発展させるように言う。
これはいずれ必要になるかもしれないからだ。


  *  *  *  *  * 


なのはは今、切れてしまったお菓子と紅茶を取りに行っている。
この家のお茶は、経営している喫茶店で出しているものと遜色なく、私の舌をうならせるほどだ。
当然ではあるが、近所の店ではここで出している茶葉は購入できない。
お金は払うので、また茶葉を分けてもらいたいところだ。
その場合、士郎は翠屋に近づきたくないらしいので、私から頼むことになる。

思考がそれた。なのはが席を外しているうちに、ユーノに聞きたいことがあったのだ。
「ユーノ。アンタこの件が片付いたら、ここを出ていくのよね?」
これは質問ではなく確認。
悪く言えば、彼は異物だ。
本来魔法という技術のない世界に、それを持ち込んだ招かれざる者なのだから。

「はい、そうなります。管理外世界に無断で来訪すること自体、犯罪というほどでもないけれど、褒められたものではないですから」
まぁ当然だ。
世界を管理するなんて大仰なことをしている連中がいる以上、秩序はきっちり保たねばならない。
本来ないものを、持ち込んだりすれば秩序が乱れる。

「そう。そうなったらなのはのことはどうするの?
 きれいに別れて、今回のことはちょっと変わった思い出にしてもらう?」
意地悪く聞くと、ユーノがうつむく。
正直、意気消沈してうつむくフェレットというのは妙な光景だ。

それと女の勘だが、こいつはなのはに気でもあるのだろうか。
フェレットと人間の恋など、どうやって成立させるのか見当もつかない。

「そのつもりです。
ただ、もちろんお礼はするつもりです。
僕にできることなんて「レイジングハートをわたすくらい?」……ええ、そうです」
やはり予想通りのようだ。彼はまじめで責任感が強い。
なのは自身の意志でもあるとはいえ、巻き込んだのは彼だ。当然、罪悪感もあったのだろう。

そして、そんなユーノにできるお礼は一つだけ。
それが、魔導師の杖「レイジングハート」を感謝の気持ちとしてわたすことだ。

ま、とりあえず期待通りの答えがきけたいし、これで良しと言ったところかな。
「ふぅ。……そう、安心したわ。そうじゃなかったらどうしようかと思ったもの」
これで一安心と、安堵のため息をつく。

ユーノは、何故私がそんな反応をするのかわからないのか、首をかしげながら聞いてくる。
「なんで安心なんですか?
 今までのあなたを見ていると、むしろ逆に渡さずに帰るように言うと思ったんですけど」
普通に考えればそうだが、ちょっと事情が異なる。

ここはこいつにも協力してほしいところだし、ちゃんと説明した方がいいか。
「本当はそうして欲しいんだけど、そうもいかないのよ。
 なのはは間違いなく天才よ。それも天賦の才なんて域に収まらないほどの。
あれほどの才能だと、逆に力がないのは危ないのよ。
 知ってる?魔性は魔性を招き寄せる。あれだけ突出していると、もう才能ではなく呪いの領域よ。
眠ったままだったならまだしも、もうなのはの才能は目覚めている。
そうすると、余計なものを呼び込んでしまう可能性がある。今回みたいにね」
そう、なのはにこれほどの才能がなければ、今頃はかつてと同じ日常を謳歌していたはずだ。
それが並外れた才能で、魔法なんてものを引っかけた。
これでユーノと別れ、私も魔術師ではなくただの友人として接するようになったとしても、またどこで魔法と関わるかわからない。

それがユーノのような相手ならいい。だが、そうでなかったら。
もし命にかかわる出来事や、相手に遭遇するとしたら、身を守る術が、運命に抗うための力が必要になる。
私や士郎がいつまでも守る、というわけにはいかないのだから。

「だからなのはには、魔法をちゃんと身につけておいてほしいのよ。
 あの子の性格なら悪用はしないだろうし、本人も結構乗り気だしね。
 それに未来の可能性が広がるのは、そう悪いことじゃないわ。それに縛られるかは、あの子次第だけどね」
そう、結局最後に自分のあり方を決めるのは自分自身だ。
その結果、才能に縛られ不幸になっても、冷たいようだが、それは本人の責任でしかない。

「……そうですか。
じゃあ僕の役目は、別れの時がくるまでに、なのはに魔法を正しく身につけてもらうことなんですね」
話が早くて助かる。なのはがこれから何かあったときに、自分の力で前に進めるようにしなければならない。
心の贅肉も甚だしいが、やるからには徹底的にが私の流儀。
もう関わってしまったからには、ちゃんと面倒見てやらないと、遠坂凛の名折れだ。


そうしてなのはのいないところで、「その後」のことを取り決める。
この予測が見事的中することになるのだが、それはまた別の話。






あとがき

やっぱり、何だか詰め込み過ぎな気がします。
もう少し一つ一つの部分に厚みを持たせられるといいのですが、これが今の筆者の限界です。勘弁してください。


早速ですが、とりあえず凛の礼装に関する説明をしたいと思います。
主な礼装は、五種類を考えてあります。作中に出た五つで一組の指輪、Fate本編にも出てくるアゾット剣、魔力を貯めている使い捨ての宝石、虎の子の宝石剣です。他にも一つあるのですが、それはそのうちに出そうと思います。
ただし、現在の状態だと使い捨ての宝石は、まだ時間もそれほどたっていないのであまり多くは貯められていません。威力が低く、当分は派手なことはできないでしょう。
アゾット剣の方は、言峰から貰ったものはもう使ってしまったことにしているので、別の新しいものになります。こちらも、まだそれほど強力なものではありません。
魔術とはお金と時間がかかるのです。

ここからは指輪の説明をしようと思います。
作中にもあるとおり、五大元素に対応している五つの宝石を用いた指輪です。指輪型なのは、やはり武装というのはそれなりに携帯に便利でないと、使い難いだろうと考えたからです。
属性に関しては、地水火風までは割と分かりやすいのですが、最後の空がいまいちわからないので独自設定になります。一応は純粋魔力を運用する属性で、使い方としてはなのはたちの通常の魔力弾に近いものを想像して下されば、よろしいかと思います。
他にも独自設定はあり、例えば地属性だと質量操作や重力関係の魔術も使え、風属性は雷の類も操作可能で、水属性の場合は氷なども操れることにしています。
一応それぞれに番号がふられています。親指が一で属性は地。人さし指が二で属性は火。中指が三で属性は空。薬指が四で属性は風。最後に小指が五で属性は水になります。
ちなみにこの礼装は、ガチの殴り合いもできます。敵を殴る度に、燃やしたり、凍らせたり、電撃で痺れさせたり、風で切ったりします。これはこれで物騒な礼装です。

他の魔術品としては、遠坂邸にあった宝箱を参考にして作ったトランクがあります。
礼装は魔術行使をサポートする武装、というのが定義らしいので、これはそれとは別の魔術品として考えています。なので、五つの礼装とは別物だということを明確にしておきます。
イメージ的には、青子さんが志貴に会った時に持っていたトランクが近いと思います。
これはこちらに来る際に、いろいろと荷物を入れていた入れ物の一つです。宝箱の方は遠坂邸に置いてきてます。あれは重いし嵩張るので、持ち運びには不便でしょうから。
ライフラインが確保できるまでは、半ば冷蔵庫扱いをされていました。あの宝箱の中が、外部と時間の流れが違うという性質を利用したもので、下手な冷蔵庫よりも保存性能が高いからです。たしかhollowでは、中で一時間が経つと、外では一日が経過していたはずです。一月放置しても、中では三十時間程度しかたっていないのですから、素晴らしい保存性能でしょう。そのうえ、入れれば入れるほどに内容量は上がるので、食品ぐらいならいくらでも入れられますね。
欠点は、入れるモノと保存の仕方によっては、中が非常に生臭くなることです。生肉や魚介類・野菜の匂いのするカレイドステッキってどうでしょう。魚臭いステッキを持った魔法少女、なんか嫌です。

主だったところは、こんなところでしょうか。以降、作中でも補足していこうと考えています。


凛の位階や色名には特に意味はないのですが、宝石剣を作ったのならそれくらいにはなっているだろうと思ってのものです。少なくとも凛ならば「王冠」くらいにはなれるでしょうし、橙子さんも若くして色名を授かっているので、これらを得ることもなくはないはずです。
なぜ「緋」なのかというと、「魔法使い」の青子さんが原色なので、そこを基準にし「魔法使い手前」ということで、原色に近い色を選びました。「緋」は「濃く明るい赤色」で、近いけど違うモノ、という意味で考えています。


今回、少々フライングしてはやてを出しましたが、特別な意図はありません。
強いてあげるなら、このまま巨樹の件を終わらせてしまうのも、少し淡泊過ぎる気がしたからです。まぁ他には、A’sへの足掛かりになればいいなと思ったからですね。フラグの方もどうしようか検討中で、あるいは惚れるのではなく、親友(悪友)になる可能性もあります。むしろ、こちらの方が高いくらいですね。
早い話が特に決めていません。もう少し時間をかけて考えようと思います。


結界に関しての説明もしようと思います。
魔法の方は強度や範囲には優れているのですが、作中にもある様に結界に長けるユーノでさえ、それほど隠密性は高くありません。鋭い一般人なら、違和感に気づくこともあるくらいです。つまり、その道の人(魔術師)には丸わかりということです。ただこの世界には凛たち以外には魔術師がいないので、それでも特に問題はないんですけどね。
魔術の方は、本来なら強度・範囲ともに魔法には及ばないのですが、時間をかけて入念な準備のもと行えば、十分追い越せます。隠密性に関しては凛の結界を基準にすると、補助に長けるユーノやシャマルが集中すれば気づけるというレベルで、特に意識していないとまずわかりません。

同じ様な術でも「汎用性と即効性に秀でる魔法」と「隠密性に長け、入念な準備の上ならば魔法以上の効果も期待できる魔術」という関係でいいと思います。礼装なども、ある意味では入念な準備をした成果なので、この括りで大丈夫なはずです。



質問への返信をさせていただきます。

kkk様。正式なルールではそうなのですが、まだ小学生なこともありますし、そこまで厳しくルールに縛られていないことになっています。私自身このルールを知ったのは、「ネギま」を読んでからだったので、学校の体育のレベルなら、それほど気にしなくていいと考えました。

アナゴ様。できればとらハの話も書ければいいのですが、あくまでもメインは「なのは」なこともありますし、申し訳ございませんがその予定はありません。私自身、あまりとらハの設定やキャラクターを把握しきれていないので、書いても中途半端なものになり、ご期待に添えることができそうにないのも理由です。夜の一族を出したのも、4話の騒動や繋がりを作るために持ってきたのが目的なので、あまり重視していません。
訪問の口実に関しては、そのうちでてきます。ですが、それほど詳しくやる予定はありません。
ノエルの自動人形の設定に関しては、ファリンのこともあって非常に困りました。いくらなんでもファリンが(あのドジさで)自動人形なはずはないですし、姉妹関係らしいので二人とも人間ということにしています。上記のように、設定等を把握しきれていないというのも理由です。
ついでに、月村邸やさざなみ寮が地脈のポイントとしていますが、冬木にあてはめるなら、月村邸は柳洞寺、さざなみ寮は言峰教会、士郎たちの家が遠坂邸のような位置づけです(いろいろな意味で)。


次回はフェイトとの遭遇です。
フェイトは特に好きなので、上手く書けるといいんですが、試行錯誤の連続です。
ご期待に添えるよう頑張っていきますので、今後とも宜しくお願いします。

ご意見・感想だけでなく、ご要望もお気軽に寄せてください。
どの程度こたえられるかはわかりませんが、参考にさせていただきたいのでお待ちしております。
それでは、失礼いたします。



あとがき パート2

前回まではなかったドイツ語の詠唱を加筆しました。
るしふぁー様から教えていただいた無料翻訳サイトのおかげで、ドイツ語詠唱も表記できるようになりました。
二度目になりますが、重ねて御礼申し上げます。
用法や意訳の入れ方がこれで合っているのかなど、まだまだ不安は尽きませんが、一応はこの形で進めていきます。
何かおかしな所がありましたら、是非お教えください。

他にも、巨樹の事件時における士郎と凛の会話が描写不足というご感想をいただき、手を加えました。
今後士郎と凛の間で交わされる『』内の会話は、特別な描写がない限りはパスを利用しての「念話もどき」とお考えください。
『』を使う時は、複数人同時の発言の場合か、魔術の詠唱や念話もどき、及びなのはたちの使う「念話」になります。
わかりにくい文章になってしまい、ご迷惑をおかけしました。申し訳ございません。

皆様の感想やご指摘によって、少しずつましになっていると思いますので、これからもお願いいたします。



[4610] 第6話「Encounter」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2009/06/18 14:37
第6話「Encounter」

SIDE-凛

いま私たちは月村邸にいる。
理由は、以前士郎が取り付けた協定の詰めと、互いの秘密を守る契約を結ぶためだ。

別段特別なことは何もない。
私たちはこの地での居住権と一般人に害を与えない範囲での研究が保証され、ここの霊地を利用できればよく。
向こうは、もし敵対者が現れた際には助力が欲しいのと、霊地の整備をしてほしいくらいだ。
互いの利害にぶつかりがない以上、駆け引きもいらない。
交渉はスムーズに進み、今契約を済ませたところだ。

この後には、アリサやなのはとそのお兄さんが遊びにくるらしい。
士郎は恭也さんという人と会いたくないらしく、逃げるか隠れるか本気で思案している。
士郎をここまで逃げ腰にさせる人に興味があるので、私は残って合流するつもりだ。
ついでに、すずかには釘を刺しておかなければいけない。

「すずか、ちょっといいかしら」
士郎には聞かせられない。
アイツはこういったことに関しては、シナプスが切れているんじゃないかと思うほどに鈍い。
その代り、相手の好意には誠実で、きっと必要以上に気を使うはずだ。
悪いことではないが、正直それは気に入らないので、こっちで話をつける。

「え? どうしたの」
すずかは私の手招きに応じてやってくる。
本来ならこんなに素直な子の恋は、余計な手は出さずに応援するところなのだが、相手が士郎ではそうはいかない。
あれは私のものなんだから。

「士郎から聞いたわ。これからは挑戦者らしいけど、譲る気はないから。
 あれは未来永劫、私の所有物よ。
あいつに必要なのはね、その微妙にずれていく軌道を、蹴り飛ばしてでも矯正する相棒よ」
そう言って牽制する。
こう言っては何だが、すずかにそれは無理だ。
この子は、一歩下がって控え目に相手を立てる、古き良き良妻賢母タイプ。士郎とでは相性が悪い。
どこまでも突っ走っていくアイツに、置き去りにされかねない。

何より、私があいつを手放すなどあり得ない。
元いた世界で一度死ぬ間際に「凛を幸せにしたい」なんて嬉しいことを言ってくれた。
あの弓兵から十年前に朝焼けの中で託された思いを、少しだけ達成できた気がする。
生意気だとも思うが、同時にどう幸せにしてくれるのか楽しみでもある。
ならば絶対に譲れるはずがない、あの誓いはまだ生きているのだ。

「むっ、士郎君は物じゃないよ! 所有とか言うのはおかしいと思う」
少し不機嫌そうに言ってくるすずか。この子は大人しいが、だからと言って意気地なしではない。
悪いことは悪いと、ちゃんと言える強さも持っている。
なのはたち三人娘はかなり個性にばらつきがあるが、この点は全員に共通している。

「そうかしら? でも重要なのはそこじゃないわ。
 いい、やるからには徹底的に、が私の流儀よ。
相手がだれであろうと、例え優位に立っているとしても、手を抜く気は全くないから、そのつもりでいなさい。
 それでも来るなら、完膚なきまでに叩き潰すだけよ」
自信たっぷりに言って最後の慈悲を施す。
ことが始まる前か後なら慈悲はあるが、この先には決着がつくまでそんなことが入る余地はないことを告げる。

「……いいよ。わたしだってそう簡単には諦めないんだから」
すずかもこれを受ける。こうして私たちの間で、戦いの火蓋が切って落とされた。


  *  *  *  *  *  


しばらくしてアリサが、少し遅れてお兄さんに連れられたなのはがやってきた。
士郎は結局、隠れることを選んだらしい。
今は、「ただ隠れているのは悪い」と言って給仕を申し出て、奥に引っ込んでいる。

決して遭遇することのないように細心の注意を払っており、忍さんと恭也さんが私たちから離れるまでは、近寄ってさえ来なかった。
もしかして屋敷の中を解析して、位置を掴んでいるのではないだろうか?
そこまでして逃げるとは、余程警戒しているらしい。
天才的な剣士らしいが、先日の訪問の時に何があったか聞いてみようかな。
戦闘になって、それに勝利したくらいしか聞いていないので、詳しいところは知らない。
その時に、なにかまずいことでもやらかしたのだろうか。

今は安心して給仕に勤しんでいるが、本当に手慣れている。それもどこか生き生きとしている。
もしかしてルヴィアは、こいつを洗脳したのではなかろうか?
もし会っていたと仮定すると、英霊エミヤが家事を趣味にしていたのは、あの女が原因なのではないかと推理する。

ちなみに今の恰好は、来た時の上下を黒で固めた微妙にホストっぽい格好ではなく、現在の生き生きとした様子にふさわしい執事服だ。
なんでこんなものがあるかというと、忍さんが「せっかくだし、はじめの申し出のとおり、うちのメイドにいろいろ教授してもらおうと思って用意したわ」と実に楽しそうな笑顔で言っていた。
そのメイドはというと噂以上のドジっ子ぶりで、さっきから何度も何もないところで躓き、慌ててフォローに入った。
正直、そう簡単に改善されるようには思えない。

「別にあんたが、料理が出来て、洗濯ができて、掃除ができる家事万能小学生だろうと文句はないわ。
それが必要だったんだろうし。
 でもね、何でそんなに様になってるのよ!?
わたしのところの鮫島と比べても、おかしいところがないのがおかしいわ。一体家では何してるのよ?」
アリサが頭を押さえながら聞いてくる。
鮫島とはアリサのところの執事さんで、本職の人と遜色がないとは筋金入りのようだ。
しょうがなく出した奉公だったが、これはこいつの天職なのだろう。
アーチャーのように一々皮肉を言うこともなく、嫌みでないのがポイントを上げている。

「家で何をしているって言われてもなぁ。
格好が違う以外はそう変わらないぞ。
朝食と弁当は俺が担当で、夕食は当番制。紅茶も今じゃ俺が入れることが多いな。
掃除は、凛の部屋以外は基本俺がやってる。洗濯はさすがに別々にしているけどな。
まぁ、ほとんど朝のうちに済ませてるから、夜は結構暇なんだけどさ」
そう、家事の大半は士郎がやっている。
別にやらせているわけではなく、勝手にやられているのだ。
朝起こされると、すでに家事の大半が終わっているので、手の出しようがない。

「はぁ。それならもう十分本職みたいなものよ。
どうりで、妙にその格好が似合ってるわけだわ。
 普段から給仕までやってるんじゃ、それが日常なのね。それも朝のうちに全部って……。
 あれ? でも凛も夕食を作ったりしてるんだ。いつもお弁当が士郎製だから、できないと思っていたけど」
まったく失礼なことを言ってくれる。
この私に限って、苦手なものなど(機械を除いて)ないというのに。

「それはこいつが起きるのが、異常に早いせいよ。
全部朝のうちに済ませようってんだから、当然なんだろうけど。
それと料理なら得意よ。うちは得意料理が違ってて、私が中華、士郎は和食ね。
特に士郎は、それらと洋食以外にもいろいろできるし、スイーツも得意ね」
本当に料理の鉄人だ。
これで本業にする気がなく、本人は趣味じゃないといわれても信じられない。

「へぇ、ちょっと意外。全部士郎に任せっきりで、怠けてると思ってたんだけど」
「そうだねぇ。凛ちゃん、あんまりお料理とか水仕事とかしそうにない感じなんだけど。
でも士郎君のスイーツかぁ、ちょっと食べてみたいかも」
「えっと……わたしも食べたいかなぁ」
アリサが失礼なのは今更だが、なのはまでそんなことを言うとは。
でも、今士郎のスイーツを食べているのは私だけ……。
うん、これは気分がいいので、この子たちにはあげないことにしよう。

「そうか? じゃあ今度作って「私が腕をふるってあげるわ。とびっきりの一品を用意するから、楽しみにしてなさい」……こようと思ったけど、まぁそのうちにな」
士郎が返事をする前に割って入る。ついでに士郎には、眼で余計なことを言わないように牽制する。
意図は伝わったらしく、最後の方は蚊のなく声のようになっていた。

なのはとアリサは残念そうだが、すずかはこっちを睨んでくる。
私が独占しようとするのが、気に食わないのだろう。
それでも、こうした士郎をめぐった場面以外では、私たちは友好的だ。
まぁそれはそれ、これはこれというやつだ。



SIDE-士郎

俺は相変わらず給仕に勤しんでいる。

うん、実に平和だ。
この平和を長続きさせるためにも、一日でも早く恭也さん対策を確立しなければならない。
忍さんと恭也さんは、今部屋でイチャつているがそれでも警戒は怠れない。

「何かの用事で出てきた恭也さんと鉢合わせしたら、元も子もないからな」
例えばトイレに行って、ばったり顔を会わしたとしてもこれだけで不味い。
給仕をする暇があるのなら戦え、なんて言われては堪らない。

忍さんから、最初は俺を呼び出す口実だったメイドさんへの教授を頼まれたのは意外だった。
てっきりあれは、ただの口実でしかないと思っていたのだが……。
いや、いっそ見事なまでのドジっ子だ。
これでは教授を頼みたくなるのも無理はない。

この家にはノエルさんという、この上なく優秀なメイドさんがいるが、この人がいくらやっても治らなかったらしいから筋金入りか。
もしかして、この人の起源は「ドジ」とか「転倒」とかいうものなのではないのか。
そう思えるくらいによく転ぶし、他にもいろいろとドジをしている。
それをどうにかするなど、恐ろしく困難なことを頼まれてしまったものだ。
まぁ、ある意味で俺たちは、この家の世話になっているわけだし。
それに相手は霊地の管理を任せてくれる雇い主でもある以上、しがない被雇用者として雇い主に従おう。

俺としては、この家には来たいような来たくないような、複雑な気持ちだ。
ノエルさんは桃子さんとは違った意味で、話していて楽しい。
桃子さんとは料理談議、ノエルさんとは従者の心得を共感し合えるので、仲良くできる。
ただ、どちらも恭也さんと深くかかわっている人たちだ。
会おうと思うと、恭也さんと会うリスクを背負わなければならないのが問題だ。

「なんで俺の行くところには、恭也さんの影が付いて回るんだ?
そんなに縁があるのか、それとも世界が関わる様に後押ししているのか。
これじゃあ、そのうち行けるところがなくなるかもしれないな」
どちらも恭也さんのフィールドなので迂闊に近寄れないし、下手をすると住人たちが敵になる。
本当に、どこに行っても恭也さんの影が付きまとうので、いい加減何とかしないとノイローゼになりそうだ。
最近焦ってきたのか、夢でもあの飢狼の眼が出てきてしまう。
早急な対策が必要だが、こんな時に限って心眼も経験も何の答も出してくれない。


そうして周囲に細心の注意を払いつつ、淹れた紅茶のおかわりをもって凛たちの所へ向かう。

正直こちらの方が気は楽だ。女の子たちの和気藹々とした場にいても、どうも居心地が悪い。
不快ではないが、正直会話に入っていきづらい。
早く男の友達を作りたいが、俺は学校でも指折りの美少女達とかかわりがあるせいか、男たちの間で除け者にされている。
別にイジメがあるわけではなく、俺が近寄るとクモの子を散らすように離れて行ってしまうので、そもそも話ができない。
ユーノはオスらしいので、この際フェレットでいいから友達になってほしい、なんて思ってしまう今日この頃だ。

俺が紅茶の乗ったトレイを持ってやってくると、そこには凛もなのはもいない。
気になってすずかに聞いてみる。
「凛たちはどうしたんだ? そういえばユーノもいないな。
さっきまで猫たちに襲われていたのに、もしかして……食われたのか?」
フェレットのユーノは、遊び盛りの子猫たちの格好の標的だ。
キューキュー鳴いて逃げていたのを思い出す。
結構ありそうに思える事態を想像し、真剣に聞いてみる。

「もう、うちの子たちはそんなことしないよ。
なのはちゃんはユーノ君が走って行っちゃったから、連れ戻そうと追って行って。
それを凛ちゃんが、なのはちゃんの運動神経じゃ夜になっても連れ戻せないからって、手伝いに行ったよ」
すずかは俺の発言を困ったように訂正しつつ、事情を教えてくれる。

「すずかの家は猫屋敷だから。いい加減オモチャにされるのに耐えられなくなって、逃げ出したみたいね」
アリサが呆れたように、それでいて楽しそうに話す。
やはりこの子は、凛たちと同じ「あくま」の類らしい。
他人、もとい他フェレットが困っている姿を見て楽しむなど、いい趣味をしている。

ところで、人間並みの知性を持つらしいユーノが走り出すような事態とは、つまりジュエルシードか。
凛から連絡がなかったのは、自分が近くにいるからフォローは必要ないと考えたのと、いざとなってもラインを通じてわかるからだろう。

とはいえ、何が起こるかわからない。
常に悪い方のことも考えておくべきだが、その辺凛は甘いところがある。
だから、そこをカバーするのが俺の役目なのだろう。
と考えて、適当に理由をつけて様子を見に行くことにする。
おそらく結界が張られているはずなので、一般人であると思われている俺が、すべて終わった後に合流しても怪しまれないだろう。

「じゃあ、俺も手伝ってくるよ。
木の上にいたりしたら、女の子に登らせるのもアレだし、男手があった方がいいだろ」
そうして走りだす。目的地は結界があると思われる歪みだ。


  *  *  *  *  *


「これがその結界か、本当にわかりやすいな。
一般人ならまず気付くことはないだろうけど、勘のいい奴なら違和感くらい感じるかもしれないぞ」
結界は凛から聞いた通り、侵入を阻むものではなく、中のものを出さないのが目的らしい。
そのおかげで、ちゃんと楽に侵入できた。

前回あった、巨樹の件と同じ恰好をして聖骸布の外套も忘れずに投影する。
もし攻撃されても、魔力によるものならある程度防いでくれるし、強化をかければ概念も増すのでさらに効果は高い。
さすがにオリジナルのそれには及ばないが。

森の中なので視界が悪い。
少しでも高いところから探すために、木の上を飛び跳ねながら移動しつつ捜索しようと思い行動に移す。
だが樹上に上がった時点で、すぐに対象を発見することができた。
場合によっては、相当な範囲での捜索もいるかと思ったが、どうやらその必要はなさそうだ。

だってあれだけ目立つのがいて、それから魔力が感じられるなら、今回のジュエルシードはあれが起動させたのは明白だ。
しっかし、俺がこの騒動にかかわってまだ2回目だが、またいい加減な叶え方をしたものだ。
今回の願いはわかりやすい。だってある意味正解だ。

少し遠目に見えるのは、クジラと同等かそれ以上の巨躯の「子猫」という矛盾存在。
大方、月村邸の子猫が「大きくなりたい」とでも願ったのだろう。
確かに大きくなっているし、一応間違っては……いない?

だが、この願いの叶え方には溜息が出る。
ある意味、カレイドステッキのような代物だ。
正確にはその管制人格とでも言うべき、人工天然精霊マジカルルビーだが。

あの不良精霊が、一生会話の成立しないエイリアンのような存在であるように、ジュエルシードは決してまともに願いを叶えない、愉快型ロストロギアなのだろう。
そのくせやることが派手なもんだから、騒動や被害は大きくなる。まったくもって性質が悪い。
まぁ、別に凶暴化しているわけでもないので、危険もないのだろう。
と考えつつ、念のため二人の様子が見えるところに行こうとした。

「にゃぁ!!?」

その時、子猫(?)が悲鳴を上げる。
「!! 今のは攻撃か? くっ、一体どこから……」
どうも攻撃を受けたらしい。
ちょうど視線を外していたので、正確なことはわからない。

だが、数発の金色の矢の様なものを目の端で捕らえた。
大人しくしているし、なのはや凛がそんなことをするはずがない。
そもそも攻撃の方向からして二人ではない。
つまり第三者の仕業になる。聞いた話では、捜索しているのは俺たちだけのはずだ。
そこに、別の何者かが動いたということ。
とにかく姿を確認するべく、急いで木の上から辺りを索敵する。

「………見えた!!」
それほど離れたところからの攻撃ではないらしい。
印象は黒、次に金。漆黒のマントを羽織、動きやすさを重視したような装束を華奢な体に纏っている。
というか、ベルトのせいもあって体の線が強調され過ぎ
特に上半身。まだ成長し始めたところだからそれほどでもないが、あと数年したらエライことになりそう。

まあ、とりあえずそれはおいとこう。凛に知られたら「変態」呼ばわりされそうだし。
それ以外だと、ツインテールにした金髪と真紅の瞳が特徴的な女の子だ。
友人関係のせいで美少女は見慣れているが、彼女たちに劣らぬほどに整った顔立ちをしている。
その顔に表情はなく、端正な顔立ちと相まって、どこか冷たい印象を受ける。
形は違うが、なのは同様に機械的な印象が強い杖とも戦斧とも取れる漆黒の武器を持っている。
おそらく魔導師で間違いない。

その子が子猫に攻撃を加えているが、すぐに移動する。
その速さが並みじゃない。
あっという間に、子猫のいるところに近づいていく。俺も急いで向かうが、出遅れた。
凛たちもそこにいるだろうし、急がないと……。

凛がいるから大丈夫とは思うが、万が一ということもある。
少なくとも戦闘になれば、なのはに勝てる相手ではない。
実際の力はわからないが、ちゃんとした攻撃ができ、あれほどの移動スピードが相手では結果は決まっている。
恭也さんたちと違って剣の心得さえないなのはでは、そもそも戦いにならない。
凛もなのはをかばいながらでは、やり辛いはずだ。
ここから狙撃してもいいが、木が鬱蒼としていて凛たちの姿は確認できない。
周囲に特別大きな木もないので、すぐに向かう。


俺がたどり着いたとき、凛が左の人さし指を向け、魔術刻印を光らせながら牽制していた。
右手には礼装の指輪も装着し、完全な臨戦態勢だ。

なのはにはユーノが付き添い、凛が前に出る格好だ。
経験不足のなのはを守るためだろう。
さらに後ろに、まだ大きなままの子猫が倒れている。

「一体何が目的? いきなり攻撃してくるなんて、随分なご挨拶じゃない」
凛が相手の目的を尋ねる。
素直に答えるとは思っていない。
だが、全く情報のない相手である以上、些細なことでもいいので情報が欲しい。
運が良ければ、何かの拍子に情報が得られるかもしれない。
邪魔をして情報を聞き出せないと困るので、パスを使って凛に到着を告げ、とりあえず静観する。

『凛、遅くなってすまない。いま到着した』
『士郎? ナイスタイミング! 状況はわかってるわね。とりあえずアンタは隠れてて。
一応私が何とかするつもりだけど、魔法のことはまだよく知らないし、万が一というのもあるわ。
その時は、援護頼むわよ』
凛からの指示に従い、とりあえずここは任せることにする。
同時に、援護のしやすい黒い少女の背後に移動する。
相手にも気づかれにくいし、逆に凛からは俺のことが分かるので連携が取りやすい。

「答えても……たぶん、意味がない………」
ほとんど感情を感じさせない声で、黒衣の少女は対話を拒絶する。
移動した俺からは見えないが、たぶん今もその顔に表情はないのだろう。
元から穏便に済ませる気はなく、話し合いの余地はないということか。

だが、俺も凛もここのところの平穏な生活で平和ボケしたのか、初歩的なことを失念していた。
なのはやユーノは知らないが、二人には凛の他に「俺」という味方もいる。
それと同じように、相手にも「仲間がいる可能性」を忘れていたのだ。

頭上から木々の擦れる音と共に、何かが降ってくる。
俺は直前で気づき身をかわす。真横を落下していったのはオレンジ色の大型犬。
いや、あれは狼か?

とにかくこれで、黒い少女にも俺のことがバレた。
狼の方は、俺に向かって威嚇するように唸り声をあげている。
少女と狼は俺と凛の間に入り、若干距離が開いているが、互いに背中を向けるような位置づけになる。
この様子からして、まず間違いなく黒い少女の仲間だろう。

とっさに判断を下し、言葉を発する。
「まったく、妙な魔力を感じて来てみれば、これはいったい何事かね?
 様子を見ていれば突然頭から襲われるし。どうもそちらの黒いのと狼は、交戦する気でいるようだ。
 どうかね?そちらの白いのと、赤いの。いまいち状況はわからんが、ここは共闘するとしようじゃないか。
 詳しい事情は、後で聞かせてもらおうと思うのだが……」
万が一にも、俺と凛が身内であることに気付かれてはならない。これは凛から厳命されている。
ならば、素知らぬ振りをして共闘を申し出る方が自然だ。
なのはたちは俺のことを知らないので、不自然な点もない。これで双方を騙すことができるはずだ。

「わ、わかりました!? ありが「礼は後でいい! この場にいるのなら、そのやけに大きい猫への対処手段も知っているのだろう? ならばこちらは私が請け負おう。君たちはそちらをなんとかしたまえ」……は、はい!?」
礼を言おうとするのを制し、早く封印するよう促す。
それに少し戸惑いながらも、ユーノが返事をする。

「なのは、こっちへ」
「……う、うん!」
ユーノに声をかけられ、止まっていた思考が動き出したのか、弾かれたようになのはも動き出す。

だが動き出そうとしない凛に気がつき、どうしたのか尋ねている。
「え、凛ちゃんは?」
「私はそこの女を相手にするわ。あっちは狼の方を相手にするみたいだしね」
二人同時にかかってこない限り、俺が両方を抑えることはできない。
当然残った片方は、凛が担当することになる。

それを聞いたなのはが口を開くが、それを凛に制される。
「でも……「私が心配なら、さっさと封印を済ませなさい。向こうの目的もジュエルシードだろうし、こっちの手に渡れば諦めるでしょ。わかったら早くしなさい!」は、はい!! 気を付けてね」
心配そうに凛の方を見ていたが、強い口調で命令されそれに従う。
そうして、凛を除いた一人と一匹が、子猫の方に向かっていく。

その間に凛との打ち合わせを行う。
『こっちは俺が何とかする。下手に一緒に戦うと、連携がとれていることを疑われるかもしれない。
早く片が付いて援護することになるのなら、適当にガンドをばら撒いてくれ』
『了解よ。そっちこそあんまり無茶するんじゃないわよ。
向こうはなのはと違って、一応戦闘訓練を受けているみたいだし、気をつけなさい』
決めることは多くないので、すぐに打ち切る。
ただこの場では、まだ予定通りに部外者を装う方向でいくことにするので、あまり一緒に戦うべきではないことを確認する。

また、子どもだからといって侮るべきではない。
魔法のことは多少ユーノから話を聞いているが、どんな戦闘手段があるのかまでは聞いていない。
ジュエルシードを紛失するに至った経緯を聞いた限りでは、少なくとも魔導師と戦う可能性は考えていなかった。
当然対策もない。
思いもよらない技術もあるかもしれない。
何をしてくるかわからない相手である以上、慎重に対応するべきだ。
それは俺が相手になる狼に対しても言えることだ。

俺の言葉を聞き、黒い少女が動き出すが凛のガンドの弾幕で足止めされる。
今のうちに、狼の方を処理してしまおう。
魔力を帯びているところから、おそらくは魔獣か使い魔のようなものと思われるが、拘束する手はある。
それに殺すのは不味い。聞きたいこともあるし、なのはたちがいるところでの流血沙汰は避けたい。
干将・莫耶を懐から取り出すようにして作り上げ、向かってくる狼を斬りつける。


獣らしく爪と牙を用いた攻撃が得意らしく、少々やり難い。
むしろ、僅かに押されてさえいる。

考えてみると俺の戦闘経験は、人間か人型をしたものとが多く、こういった動物型は要領が掴めない。
俺の戦い方は、なのはのような天性の才能を頼りとするモノではなく、積み上げてきた鍛錬と多くの経験が頼りだ。
対人以外の戦闘などまるで想定してこなかったし、相手をする機会もほとんどなかった。

どこぞの武芸者のように、山に籠って熊の相手をしたり、サバンナでライオンと取っ組み合いをしたり、そんなことをする気は全くなかったからな。
この場の不利は、ある意味当然だ。

基本は小細工なしで全身の力を貯め、突進と共にその鋭い爪牙で攻撃する、というものだ。
これがますますもってやり難い。
突進なんてされては、いなすかかわすぐらいしか俺には選択肢がない。
下手に斬りつけると、そのままバッサリと殺ってしまいかねないからだ。

魔導師たちは魔力での防御が充実しているらしいから、こいつもそれなりの防御力を持っているのだろう。
だが、俺がふるっているのは贋作とはいえ、オリジナルと遜色ない力を有する干将・莫耶だ。
ランクこそC-と低いが、こいつは紛れもない宝具のひとつ。
相応の魔力と概念を有している以上、その防御を切り裂いて致命傷を与えるぐらいは容易い。
おかげで、こちらは攻撃できる場面でも下手に攻撃できない。
隙を見つけても、剣の腹か、あるいは峰を使っての攻撃になる。
だが、これだとほとんど打撃に近くなるせいか、衝撃の大半を殺されてしまい、多少当てたくらいでは決定打にならない。

それに、どうやらこいつも魔法が使えるようで、時折魔力弾を放ってくる。
数もそれほど多くないし、威力は脅威というほどではない。
弾速も、俺からすればたやすく視認し反応できるレベルだ。
向かってくる魔力弾を難なく切り払ってはいるが、放つと同時に牙をむいて襲いかかってくる。
この波状攻撃は、なかなか上手く出来ている。
魔力弾にばかり気を取られていると、気がつけば懐に入られてしまう。
単純だが、かなり厄介な戦法だ。

中近距離戦を主体とする、スピードを活かした戦闘が持ち味のようだ。
俺の戦い方との相性自体は、そう悪くない。
しかし、やはりこういった存在との戦闘が不慣れな上に、殺さないように配慮しながら戦わなければならないのが、形勢不利の最大の原因だ。

「ふむ、どうもやり辛いな。まあ、別に倒す必要はない以上、拘束すれば十分か。
 そろそろケリをつけさせてもらうぞ」
向こうが使い魔や魔獣の類であり、あの黒い魔導師の仲間である以上、こちらの言葉がわからないはずはないが、返事には期待していない。
そもそも人語を発声できない可能性の方が高い。
どのみち拘束するのに必要なのは、一瞬の停滞だ。それを作り上げる!

狼が魔力弾を放ち、俺がそれを叩き落とす。
その間に、こちらが迎撃の態勢に移行する前に突進を仕掛けるという、さっきから何度もしてきた攻撃を繰り返してくる。
どの程度の知性を持っているかは知らないが、こう何度も同じことを繰り返していれば、対策の一つや二つ容易く練れる。
有効な攻撃手段ではあるが、もっと他の攻撃も織り交ぜた方がより効果的だろう。
どの攻撃に対し反撃しようか、狙いを付けさせないためにも、さまざまなパターンでの動きを取り入れた方がいい。

形勢が有利だからといって、同じことの繰り返しでは芸がない。
能力は高いようだが、経験が足りない。
喉笛に噛みついてきたところを、腰を落としてかわす。
そのまま狼に渾身の蹴りをくれてやり、蹴り飛ばすことで間合いを広げる。

まずは、干将を相手に向かって投げつける。
当然これは避けられるわけだが、投げる際に少しだけ右寄りに投げた。
手持ちの武器を投げるとは思っていなかったのだろう。とっさの反応で避けやすい左側に逃げた。
身体能力が高かろうと、動きが読めていれば対処は容易い。

避けるであろう方向には、すでに駆けだしている。
相手からしたら動いた先に敵がいたのだから、やられる前にと考えて攻撃してくるだろう。

特にこいつは、さっきから押せ押せで攻撃してきたところを見るに、性格的に攻撃が好きなことがうかがえる。
予想通りに噛みついてきた。前足はまだ動いたばかりで、動ける状態ではないので無視していいし、魔力弾も用意されていない。
こちらの狙い通りに動いてくれているので、感謝の一つでもしたいくらいだ。

大きく開いた口に向かって、残った莫耶をこれまでと違って刃を向けて振る。
別に斬るつもりはないので、力も込めてないし振りも早くない。
案の定、斬られてはたまらないと莫耶を噛んで抑える。元から防いでもらうための一撃なのだから、これでいい。

さぁ、これで詰みだ。
莫邪を咥えたままの頭部を、ギミックを使って膂力を増した左腕で力任せに押し、体勢が仰け反る。
そのまま半身になり、干将を手放した右半身をこいつの懐に入れる。
震脚を利かせ、凛仕込みの崩拳を渾身の力で叩きこむ。

もちろん手加減はしていない。
魔獣にしても使い魔にしても、それなりにタフだろうし、魔法による防御だってある。多少ダメージは与えられただろうが、おそらくは無傷だろう。

後方に吹っ飛ぶ狼に向けて、懐に手を入れながら詠唱する。
「『投影、開始(トレース・オン)』」

取り出すようにして作り上げた鎖を、狼に向かって投げつける。
「―――天の鎖よ!」
放たれた鎖は生き物のように動き、四方から狼にからみつき拘束すると、勢いよく上に向かって引き上げる。

「うわぁぁっ!!?」
どうやら話せたらしい。厳密にいうなら、これは叫び声だが。
どういった身体構造をしているのかはわからないが、人語を喋っている。
狼の声帯では、構造的に人間の発音などできないはずだ。これも魔法の力なのかもしれない。
ずっと唸っていたので、てっきり喋れないと思っていたのだが。
まぁユーノも喋るらしいので、似たようなものなのだと考えることにした。

これは本来、神を律するための鎖なので、神性などあるはずもないこいつ相手には、真の力は発揮されない。
だが、これが鎖であることに変わりはない。当然、それなりに頑丈だ。
それに通常の鎖と違って、ある程度思い通りに動いてくれる。これでなかなか重宝している武装の一つだ。
それに鎖は金属製なので、比較的「剣」の属性にも近い。近接戦闘用の武装に次いで、負担の少ない武装だ。

少し強力な魔法を使えば、断ち切るのにそう苦労はしないだろう。
しかし、多少体を強化したくらいの力で引きちぎるのは、まず無理なはずだ。
一応軽く強化もしてあることだし、たぶん大丈夫だろう。
もし危なくなったら、その時には鎖で雁字搦めにしつつ、思いきり強化をかけてやればいい。
目的は拘束して人質にし、向こうの魔導師にねらいをはかせることなので、今のところはこれで十分だ。

宙づりにされながら、なんとか脱出しようと狼がもがく。
「くそ! 一体、どうなってるんだい。こんな鎖で、あたしを捕まえるなんて」
いくら抵抗してもビクともしない鎖に対し、悪態をつきつつ、疑問の声を上げている。

こちらの方は、これで片がついた。
まだもう一人もいることだし、そちらの方も手早く片付けようと、凛の方を向こうとする。

「アルフッ!!」
振り向こうとする方向から声が聞こえる。
どうやら、凛が相手をしている黒衣の少女のものらしい。
さっきの狼の叫び声に反応したようだ。

鎖か抜け出そうともがく狼が、大声で警告の声をあげる。
「ダメだフェイト、後ろ!!」
何事かと思い、今度こそ凛のいる方を向く。

あるいは、俺が手を出すまでもなく決着がついたのかもしれないな。



Interlude

SIDE-フェイト

わたしの後を追いかけて来たアルフが、赤い外套を着た以外特徴の掴めない男の子に襲いかかった。
男の子とわかったのは、声が聞けたからだ。そうでなかったら、性別すらわからなかったと思う。
それくらいに、外見から得られる情報が少ない。


危なかった。
いつの間にか、隠れて後ろを取られていた。
あのまま不意打ちされていたら、たぶん抵抗すらできずに倒されるか、捕縛されるかしていたと思う。

目の前にいる二人の女の子、白い少女と、赤い少女。
初めはこの二人の仲間かとも思ったけど、さっきのやり取りを見ると、初対面らしい。
だけど、そんなことは関係ない。
いまわたしたちは二対三、いやあの使い魔らしきフェレットも入れると、二対四で不利。
白い少女がジュエルシードの封印を担当し、フェレットがそのサポートをしている。
残りの二人は、それぞれ別々にわたしたちを抑えている。初対面では連携が取れないからだろう。

逆にわたしとしてはアルフと連携して、早くジュエルシードを回収したい。でも、そうさせてもらえない。
目の前に立ち塞がる赤い少女は、魔法陣もデバイスもなしに魔法を使用している。
デバイスは本来補助のためのものだから、使わずに魔法を行使するのはわたしでもできる。
だけど、魔法を使っているのに魔法陣が出ないなんて聞いたことがない。
一体、どういうことなんだろう?

「あら、どうしたのかしら? いつまでも逃げていては進まないわ。そろそろ次の行動に移ったら?」
赤い子が、こちらに向かって挑発してくる。
だけどそれに乗るわけにはいかないし、何より今はこの子の使う魔法を分析するので手一杯だ。

魔法陣が現れないことから考えて、私の使うミッド式とはまるで違う魔法体系を使っているはずだ。
今の魔法の主流はミッド式だけど、それ以外がないわけじゃない。
たぶん、そのうちの一つなんだろう。
左手の指先からは、黒い魔力弾が飛んでくる。これが彼女の魔力光なのだろうか?
直射型で狙いは甘いが、とにかく数が多くて近寄れない。

それならこっちも、射撃系で応じるか、一番の武器であるスピードを活かし、正面以外から攻撃するという選択肢がある。
あの直射弾は、数こそ多いけど威力はそれほどじゃない。
だから、防御魔法を使いながらの強行突破、というのも手だ。

だけど、あの子は並行して他の魔法も使っている。
直射弾に対応しながらだと、そちらを撃ち落とすのは難しそうだ。
スピードに任せて外側から攻撃しようにも、それをしようとする度に広範囲への攻撃をされて、思うように動けない。
受けていないから絶対じゃないけど、おそらく直射弾よりずっと威力が高いように見えた。
迂闊に受けるのは得策じゃない。また、その魔法の多種多様さには圧倒される。
どうやら、完全に動きを支配されてしまっているみたい。

「『Vier(四番、)Drei-gezinkter(奔れ) Donner greift es an!(三叉の稲妻!)』」
ガガガガガガガガガガッ!

あの子の右手にある指輪が詠唱と共に光るのと同時に、大きく横に移動する。
回避行動は間に合い、ギリギリのところでかわす。
私のすぐ横を通り過ぎていったのは、途中から三条に割れた雷撃。
さっきは巨大な氷の塊が頭上から降ってきたし、その前は広範囲への炎による攻撃だった。
時折見えない攻撃もされる。

魔力変換によるものだと思うけど、その場合習得しているのはたいてい一種類のはずだ。
なのにこの子は、「炎熱」や「電気」だけでなく、まれとされる「凍結」まで使っている。
見えない攻撃の方は、おそらく幻術と併用しているのではないかと思うけど、確信が持てない。
それに、こんなにいくつもの魔力変換を身につけるなんて、聞いたことがない。
これだけの種類があると、得意なものとそうでないものとの間には、かなりの差があるはずだ。
しかしこの子の攻撃には、どれも優劣がない。
三種類の魔力変換は、それぞれが非常に強力だ。

魔法を使おうとして動きを緩めれば、きっと狙い撃ちにされる。
防御に自信のない私は、動き回るしかない。
直撃を受ければ、最悪の場合わたしの防御力では落とされるかもしれない。

このままでは、あの白い子に持っていかれてしまう。
焦ってはいけないのはわかっているが、多少当たってもいいから、ここは防御魔法を盾代わりにして無理矢理突破しようとする。

だが、後ろで何かを殴るような音がしたかと思うと、アルフの驚愕の声が聞こえる。
「うわぁぁっ!!?」

その声に驚いて、後ろに下がりながら振り向いてしまう。
そこには鎖のようなもので全身を縛られて、宙づりにされているアルフの姿があった。

「くそ! 一体、どうなってるんだい。こんな鎖で、あたしを捕まえるなんて」
今は、何とか脱出しようと必死にもがいている。
だけどその鎖は、まるで意志でもある様にアルフに絡みついたままだ。
どうやら脱出できずにいるらしい。奇妙な魔力も感じるし、ただの鎖じゃないんだろう。

「アルフッ!!」
わたしの意識が一瞬アルフに集中し、赤い子への警戒を解いてしまう。

助けに行くべきか迷っている私に、アルフが大声で警告する。
「ダメだフェイト、後ろ!!」
「そうね、戦いの最中に敵から目を離すべきじゃないわ。
 これは授業料として受け取りなさい」
そんな声に反応して、すぐに振り返る。でも、もう遅かった。
先ほどまで、足を止めて魔力弾を撃ち出していた赤い子が、目の前にいた。
すぐに離れようとするけど、その子の拳がわたしのお腹に向かって飛んでくる。

ズンッ!

「かはっ!?」
見た目が、わたしとそう変わらない子が殴ったとは思えない衝撃だ。
バリアジャケット越しにも関わらず、かなりの衝撃が伝わった。

わたしの防御は薄いが、それでもこれが異常なのは間違いない。
たぶんだけど、身体能力を魔法で強化しているはずだ。

でも、それだけじゃない。
空中にいた私との距離を、僅かな時間で詰め、あの威力の攻撃を素手で出せるのは脅威だ。
これでさらに威力を上げられたり、今と同じゼロ距離で拳と一緒に魔力弾や、他の魔法を使われたりすると厄介だ。
もしかしたら、バリアジャケットを完全に抜くこともできるかもしれない。

わたしは腹部の痛みに耐えながら、そのまま空中に退避する。
見ると、今白い子が封印を終えたところだった。
これではジュエルシードは手に入らないので、もう逃げるしかない。

なら、アルフを助けないと。
そう考えて、バルディッシュを鎌に変形させて鎖を断ち切ろうとする。
「バルディッシュ!!」
《Scythe Form》
バルディッシュがわたしの意図を察して、形態を斧から鎌に変える。
迂闊に近寄ると危ない。
またあの魔力弾があるかもしれないし、外套の男の子も何ができるかわたしは知らない。
安全のために、離れたところから断ち切ることにする。

「アーク!」
《Saber!》
鎌の魔力刃の部分を飛ばす。
それなりに頑丈なようだけど、魔法で作った刃を防ぎ切ることはできないみたい。
ちゃんと切れて、アルフも脱出する。
同時に、斬られた鎖が初めからなかったかのように消えてしまう。
一体どういうことなんだろう?

あの子たちもこちらを追おうとしているが、飛べないのか予想外に簡単に離脱できた。
ただ逃げる際に、あの魔力弾がいくつか体をかすめていった。

この先もジュエルシードを探していけば、あの子たちと戦うことになる。
白い子は戦闘訓練自体を受けていないのか、一度は呆然と立ちつくしていた。
だけど、残りの二人は強い。

今度からはちゃんと作戦を考えておかないと、負けてしまうかもしれない。
そんなことになったら、母さんの頼みに答えられない。それは駄目だ。

絶対に次は負けない。そう誓ってこの場を離れる。

Interlude out



SIDE-士郎

やはり魔法を受けても切れない、というわけにはいかないようだ。
これなら、可能な限り強化をかけておくべきだったか。
手を抜くべきじゃなかったな。

それに、空を飛ばれては追うことはできない。
飛行用の宝具や礼装など持っていないし、空を飛びまわって攻撃してくる相手というのも初めてのタイプだ。
ちゃんとした対策もなしに戦うのは危険すぎる。頭上と足元は、地に足をつける生き物全てにとっての死角だ。
頭上から攻撃してくるだけなら、今までにも経験はある。
だが、自由に空を翔る敵を相手にするのとは勝手が違う。
相手は地上に降りてくることはないのだから、対空用の戦術が必要になる。
それができる攻撃手段はあるが、それをどう活用するかが課題だ。
遠距離攻撃は得意な部類だが、それでも手が届く範囲に引き摺りこめるにこしたことはない。

追おうと思えばできないこともないが、その場合は俺一人か、足手まといになるなのはを連れてと三人で追うことになる。
戦力として、なのはは論外。連れて行くのも良策とは言えない。
そうなると凛になのはを任せて俺一人で追わなければならないが、二対一というのは望ましくない。
敵の情報もほとんどないし、二人を同時に相手にすれば、負けることもありうる。
なによりその場合は、俺や凛は走って追わなければならない。
空を飛べる相手を追跡するのに、それはあまり意味がない。
入り組んだ路地や高い建物を飛び越えて行かれれば、簡単に見失ってしまうだろう。
それに動きも速いし、走って追うのは難しい。

それに次の機会もあるはずだ。
なぜジュエルシードを欲するかは知らないが、探していれば、また遭遇する可能性は高い。

瞳に決意と覚悟の光があった。おそらく、簡単には諦めないだろう。
今回わかったことといえば、競争相手の存在と、その名前。
確か黒いバリアジャケットを纏った金髪の少女が「フェイト」で、オレンジの狼の方が「アルフ」だったか。

これまでとは事情が変わったな。
なんとか彼女たちの情報が欲しいところだが、今は無理だろう。
あとで凛と相談するか。

それはそれとして、演技の続きをしないとな。
なのはたちから適当に話を聞いて、この間の設定を話さないと。
やれやれ忙しくなりそうだ。


お互いに一通りの話をし終え、演技を継続する。
「……ふむ、おおよその経緯は理解した。
本来なら世迷言と切って捨てるところだが、それでは先ほどまで体験していたことを否定することになるな。
まだ頭が整理できんが……良いだろう。信じることにしよう」
俺にとっては今更の内容だが、この場では知らないふりを通す。
設定上、俺は異常に気づき様子を見に来た第三者なのだから。

「信じてくださって、ありがとうございます。
それに、先ほども助けていただきました。重ねてお礼を言います。ありがとうございます」
はじめて聞いたユーノの声は、非常に礼儀正しく好感が持てる。
凛の言うとおり、責任感の強い奴なのだろう。
そのことが、より俺の中の罪悪感を強くする。
必要なこととはいえ、こんないい子たちを騙すのはやはり気が咎める

「礼には及ばん。
だが、ジュエルシードと言ったか。完全に秘匿など考えられていない代物だな。
あんなものが野晒しにされては、こちらにとっても迷惑だ。さっさと封印してもらいたいものだ。
 だが、郷に入っては郷に従うという言葉もある。聞いていると思うが、こちらではそういったことを秘匿するものだ。
くれぐれも一般人に知られることのないようにな。その場合、相応の対処をすることになる」
これ以上一般人を巻き込まないように釘を刺しておく。
俺としてはなのはが関わっているのも、あまりよくないと思っている。
だがもう関わってしまい、才能が開花しつつあるのだから、こうなっては凛の方針が得策だろう。
せめて、これ以上巻き込まれる人間が増えるのだけは、避けなければならない。
彼らの技術は万人に向けての物のため、そのあたりがごっそり抜けおちている感がある。
用心に越してことはない。

そのあたりはユーノもわかっているようで、申し訳なさそうにしている。
「そのことは、本当に申し訳ありません。
この世界の人々にご迷惑をおかけしているのは、重々承知しています。
責任を持って回収することをお約束します。
 ところで、あなたも凛と同じ魔術師なのですか?」
ユーノは怪訝そうに聞いてくるが、当然の反応だ。
極力情報を与えないようにしているせいで、眼さえも合わせていない。
こんないかにも不審者な男のことを、手放しで信用できるものではない。
最低限、聞かなければならないことがある。

「答えはイエスだ。そこの赤い少女とではできることが違うが、私は確かに魔術師だ。
 この地には比較的最近来たのだが、異常を感じて調査していた。
今回は結界を見つけて、様子を観察しようと思い来たのだが、こんな場面に出くわすとはな。
君たちは運がいいようだ。私がいなければ、あれはあちらに奪われていただろう」
すべてがバレた時に備えて、嘘を含まずに話す。
もし追求されても、嘘は言っていないと主張すれば、強くは出にくくなる。
こちらは単にグルになって真実をぼかし、本当のことを言わなかっただけなのだから。
咎められるいわれはない。

凛はさっきからだんまりで、こちらを睨んでいる。
下手に言葉を交わすのは避けたいし、この方が警戒しているようで怪しまれないだろう。

「僕たちは、これからもジュエルシードの回収を進めるつもりです。
危険が増しましたが、放っておくわけにもいきません。
 彼女たちがあれを集めて、何をするつもりかはわかりません。
ですが、これ以上こちらに迷惑をかけないためにも、早急に済ませるつもりです」
方針に変更はないようだ。だが、早急に済ませるというが、不安要素だらけだな。
ユーノはまだ拾われた時の傷から、万全の状態ではないらしいし、なのはは戦力として期待できない。
戦闘訓練をしたらどうかはわからないが、モノになるのにはしばらくかかるはずだ。
そうなると、戦力は凛だけだ。

そもそも、発見すること自体が容易ではない。
これでは、どれだけやる気があっても思うようには進まないな。
俺なりに今後の動きに考えがあるが、それは後で凛と相談することだ。
きっと「何考えてんのよ、この馬鹿!!」と言われて、怒られるのだろうな。

それはそれとして、俺は表立っての共闘はできない以上、別行動をとる旨を伝える。
「そうか、まぁ気を付けたまえ。私は私で勝手にやらせてもらう。
こちらで回収した場合には、最後にはそちらに委ねることになるはずだ。
興味がないわけではないが、危なっかしくていかん。とても使おうとは思えんよ」
肩を竦めて言う。
元来、俺の願いは他者に叶えてもらう類のものではなく、自分で叶えてこそ意味があるものだ。

「あの、でしたら僕たちに協力してもらえませんか?
ジュエルシードにかかわることに違いがないのでしたら、一緒の方がいいと思うのですが」
戦力的に不安があるのはわかっているのだろう。
相手が戦闘訓練を積んでいるのは明白なのだからか、それに対応するものが欲しくなるのも頷ける。
ユーノとしては善意から協力している(と思っている)二人を、危険にさらしたくないはずだ。
戦闘に長けた俺がいれば、危険はぐっと減る。
俺がこの先も動く以上、一緒の方が助かると考えたか。

「生憎だが、慣れ合うつもりはない。
君を通じて管理局とやらに私の存在が知れるのは、好ましくないのでな。
 こうして正体を隠して話すのが、精一杯の譲歩だ。
共闘などしては、私の素顔が知れてしまうかもしれない。
 厄介事は減らしたい。手助けすることもあるかもしれんが、それ以上は期待せんことだ」
突っぱねて後ろを向く。もう話すことはない、という意思表示だ。
このまま立ち去って、適当なところで合流するとしよう。
と考えていると、黙っていたなのはが声をかけてきた。

「あの……名前を、教えてくれないかな?」
そうだな、呼び名くらいはないと困るだろう。
下手にわけのわからないものを付けられてはたまらない。

そう思考して、自分に合った呼び名を考えるが、思いのほかすぐに出てきた。
あまり気分のいい呼び名ではないが、これが最も俺に合っているはずだ。
「アーチャーだ。これからはそう呼べ」
振り返らずに言って、今度こそこの場を離れる。



Interlude

SIDE-なのは

わたしたちは今、すずかちゃんたちの待つお家に戻っている最中。

アーチャーさんと名乗った赤い外套を着た、顔の見えない男の子は、森の奥に消えて行ってしまった。
手助けしてくれるらしいけど、なんだか少し冷たい感じのする人だった。

あのフェイトちゃんという子も、はじめはどこか冷たい感じがしたけど、眼を見て気付いたことがある。
あの子の眼は、とても悲しそうで寂しそうだった。
初めは戦うのが嫌だからなのかと思ったけど、それだけじゃないような気がする。
わたしが守られているのを、なんだか寂しそうな目で見ていた。
何かを悲しい、寂しいと思えるということは、きっと大切なものがあって、そのことが原因じゃないかと思う。
大切なものがある以上、ただ冷たいだけの子じゃないはずだから。

今回のことにも、何か理由がある気がする。
あの子とお話をしてみたい。
そんな思いが、いまわたしの中に芽生えている。

いろいろなことを考えながら歩いていると、森の出口近くで士郎君に会った。
ユーノ君を捕まえるのを手伝おうと思って、探していたらしい。
今はその士郎君を先頭に歩いている。

士郎君は少しぶっきら棒なところがあるけど、本当はとても気配りのできる優しい子だ。
人が困っていれば助けるし、頼まれたことは本当にできないこと以外、まず断らない。
凛ちゃんはそのあたりが心配らしくて、士郎君が騙されたり利用されたりしないか、いつも気にかけている。
この二人は本当に仲がいい。

たぶん、一緒に暮らしているという以上に、お互いのことをとても大切にしているんだと思う。
士郎君も凛ちゃんのことが最優先らしく、頼み事を断るときは大抵凛ちゃんが関わっている。

すずかちゃんは士郎君が好きみたいだけど、この二人の間に割って入るのは、きっとすごく大変だ。
ただでさえ士郎君は人の好意に鈍いようで、凛ちゃんもよくヤキモキしている。
そんなときはアリサちゃんが、よく凛ちゃんをからかっているのが最近のわたしたちの日常だ。

なのに何故だろう?
今、一瞬士郎君の背中が、さっき森の中に消えた背中にダブって見えたのは。


  *  *  *  *  *


その後戻ってきたわたしたちは、かなり時間がかかったことを心配された。
お兄ちゃんにも少し怒られちゃった。

でも、わたしの頭は別のことを考えている。
さっきアーチャーさんは、自分がいなければ負けていた、と言っていた。
二人は何も言わないけど、その原因はわたしだ。
わたしは闘い方を知らない。さっきもどうすればいいのかわからず、動くことができなかった。
今のわたしでは、この先あの子と闘うことになれば負けてしまう。

それだけならともかく、二人の足を引っ張ってしまうかもしれない。
それは駄目。ユーノ君を助けたくて協力しているのに、それで迷惑をかけてはわたしがいる意味がない。
だってそんなことになったら、ユーノ君と凛ちゃんはきっとわたしを置いて行く。弱いわたしを守るために。
だから、強くならなくちゃいけない。

いまわたしが考えているのは、どうやって二人に戦い方を教えてもらうか。
自分は運動が苦手なのは自覚している。そんなわたしが戦うというのを、二人は許さないかもしれない。
でも、足手まといになるのはイヤ。
何としても教えてもらうことを決意する。絶対に折れてくれるまで退かない。
二人を困らせてしまうかもしれないけど、そうしないとフェイトちゃんともお話ができそうにない。

でもこのわたしの気持ちは、予想に反してあっさり認められてしまうのだった。

Interlude out





あとがき

初めに、タイトルの「Encounter」は「敵との遭遇」や「交戦」なんて意味があります。
場に大きな変化が起こるきっかけになる話なので、今までとはちょっと趣向を変えてみました。
エンカウントって、和製英語なんですね。全然知りませんでした。


フェイトとの初戦は、こんな形になりました。
別に最強ものをやる気はないのですが、当面なのはやフェイトでは士郎や凛に太刀打ちできません。クロノがいいところまでやれるでしょうが、それでも難しいと思います。互角以上に渡り合うには、もう一・二年は必要かな。それだけ、積んできた経験と力の差は大きいはずです。特に経験。

相手にしていたのが正真正銘の化け物で、それ以外もやることがえげつないですからね。
型月世界はいろいろな意味で上限がはるかに上、なのは世界は戦力の平均値では高水準としています。あとは、こちらの方は圧倒的に数が多いですね。桁外れの力を持つ少数がいる世界と、平均して能力の高い大勢がいる世界、という感じだと思います。

A’sに入り、ヴォルケンリッター達を相手にすると相当苦戦し、StsではUBWや宝石剣なしだと、隊長陣を相手にするのは非常に分が悪い、という設定を考えています。
あの2つは反則ですから、既存のパワーバランスも覆せるでしょう。その代りに、敵の致死率が跳ね上がります。

宝具の真名開放は、使うモノによりますね。上手く使えば生け捕りができるものと、どうやっても殺してしまうものがありますから。例としては、カラド・ボルグとゲイ・ボルクでしょうか。前者なら上手く外せば殺す心配はないですが、後者は必ず死にますからね。
殺しご法度の世界なので、どうしても使えるものは限定されます。制限されている中での使用だと、勝つのは結構難しいと思います。士郎は問答無用の殺し合いになれば、かなり優勢なんですけどね。


それと投影品はたいてい誰でも使えますが、宝具の真名開放だけは別です。
Zeroやhollowで所有権の話が出ていたので、それを独自解釈し、所有権の持ち主でないとできないことにしています。基本的には士郎にあるのですが、しかるべき手続きをすれば移行できます。ただし、恐ろしく時間と手間がかかり、数日がかりの作業になります。
また、所有権が移行していても「壊れた幻想」は使えます。あくまでも投影品を構成しているのは、士郎の魔力だからです。


ちなみに作中にもありますが、士郎は投影品の効果で飛行可能ということにしています。
そんなものを持っている詳しい事情は、近々出しますので待っていてください。
ただ型月世界では、あまり飛ぶ必要がなかったのでほとんど未経験の領域ですから、当分は空戦をすることはないでしょう。

凛はその必要もなかったので、現在のところ飛行用の術も礼装もありません。
なので、空戦はできない設定でいます。
遠距離攻撃が中心なので当分は大丈夫でしょうが、A’sに入ったら必須技能でしょうから、何とかするつもりです。


士郎と凛がいるせいで、パワーバランスをとるのが大変なのですが、頑張って一方的な展開にならないようにしたいと思います。
これが次回からの課題です。

次は、海鳴温泉の前に一つ話が入ります。
士郎たちの方針に変化が起こる大事な話なので、雑にならないように注意しつつ、早めに更新したいと思います。
具体的には、来週前半が目安ですね。
士気がかなり上がっているので、多分実現できるでしょう。

今回もこのような拙作をお読みいただき、ありがとうございました。
今後もよろしくお願いいたします。




あとがき パート2

さんざん悩んだ挙句、結局飛行方面に関して改訂することにしました。
元々思いつきの部分が多かったので、はじめのうちは自分でもそれでいいと考えていましが、皆さんからのご意見も参考にしてこの結論に達しました。
改めて考えてみると、士郎が自由に空を飛びまわるというのは違和感がありますね。世間様に出すからにはそれなりに筋が通っているべきでしょうし、よくないと思う部分を直すのも作者の勤めだと思います。プロの方では途中で変えるというわけにはいきませんが、素人が趣味で書いているからこそできることですね。

この先は今回のような設定変更をしないように、もっと熟考して書いていきます。
最後に大変ご迷惑をおかけしたことを、お詫び申し上げます。



[4610] 第7話「スパイ大作戦」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:94acabce
Date: 2009/06/18 14:38

SIDE-凛


場所はお馴染みとなった、なのはの部屋。
いま私の前で、なのはが気炎をあげている。

私とユーノに話があるという。
予想はつくがその理由を問うと……
「わたしに戦い方を教えて!!」
まぁ、案の定だった。
別にそれは構わない。元からこっちはそのつもりだ。

てっきり相手はジュエルシードだけだと思っていたが、前回予想外の敵と遭遇した。
目的を含め不明なことばかりで、わかっていることは名前ぐらいだ。
相手が二人(?)組である以上、どちらかとはなのはが戦わなくてはならない。
少なくともなのは本人はそう思っている。
士郎が味方であることは知らないし、ユーノは戦闘ができそうな外見ではないから仕方ない。
この先もジュエルシードの回収を続けていく上で、戦闘技術の習得は必須と考えたのだろう。

「ええ、別にいいわよ。初めからそのつもりだったし、そっちから言い出してくれて助かったわ」
そう言うとなのはは、一瞬肩透かしを食らったような顔をした。
どうも断られると思っていたらしい。
こっちとしては、ありがたいくらいだ。
どうやってなのはをその気にさせるかが、課題だったのだ。

先日のユーノとの相談で、近いうちからなのはに戦闘訓練をさせる気でいたので、問題が勝手に解決し助かった。
本来なら、なのはに向いているとは思えないので断るところだ。
なのはは才能はともかく、性格的にも肉体的にも戦闘に向いているとは言い難い、というのが私の評価だ。

なのはは、自分が他者に迷惑をかけるのを人一倍嫌う。
そんな彼女の性格は、誰かを傷つけることを前提とする戦闘とは、根本的にあわない。
また、運動神経もバッサリ切れているので、本来ならやめておくべきだ。
しかし、これは競争相手のことがなくても、避けて通れないことでもある。
選択肢など初めからない。やらなければ万が一の時に、自分の身さえ守れない以上、これは決定事項だ。

「わかってると思うけど、相当ハードに詰め込むわよ。
アンタの才能は買ってるけど、だからってすぐに強くなれるわけじゃない。
本来ならそれなりに時間をかけるはずのものを、すぐにできるようにするんだから。
 地獄を見る覚悟はあるかしら?」
表面的には笑みを作っているが、その実、眼で威圧し様子を窺いながら問う。
時間さえあれば、いくらでも仕込んで見せるが、今はその時間がない。本当に地獄になりかねない。
決意は固いらしく、私の威圧を受けても揺らぎを見せない。

「うん! 手加減はいらないから、思いっきりやっちゃって!」
威勢のいい返事をするなのは。
では、こちらもを相応の対応をしなければならない。
客のニーズには、しっかり応えないとね。

「じゃあそうね。大まかな予定としては、朝はユーノと魔法の練習で、放課後はそれにプラスして戦闘訓練ね。
戦闘訓練の方は私が担当。最低限の動きは教えてあげる。
それとあの黒い子、フェイト対策くらいはしてあげるわ。」
神経が切れていようと関係ない。覚えの悪い奴を教えることにかけては、第一人者という自負がある。
神経があてにならないのなら本能、あるいは遺伝子レベルにまで徹底的に叩き込めばいい。

対抗策の方だが、本来そういったことは士郎が向いている。
経験を生かしての対応力の高さが、アイツの持ち味の一つだ。
経験に基づいて構築された戦闘理論で、相手への対処を瞬時に導き出すのは頼りになる。
たぶん、人に教えるのもうまいはずだ。要領が悪い分、いろいろ苦労しており的確な助言もできる。
まぁ、士郎の奴が直接教えるわけにもいかない以上、密かに二人で検討して、それを実践させていくしかない。

思考を切り替えて、続きを話す。
「魔法の方はユーノに任せるわ。そっちのことなんかわからないし。
方針は私が出すから、それに必要な魔法を教えてやって。
 まずは防御ね。生き延びられなきゃ話にならない。第一に負けないことを考えなさい。
 いざとなったら、私たちが手助けするから。最優先目標を忘れるんじゃないわよ」
そう、手段と目的を取り違えては意味がない。
少し不満そうにしているが、反論は認めない。

それに勝つ方法は、この後だ。
自分に限らず、勝てない勝負はしない主義。
なら勝てる手段がなければ、そもそもやらせない。

技術的なことは心配していない。
なのはは予備知識がない状態で、いくつかの魔法を編みあげた天才だ。
ユーノが手本を見せれば、驚くべきスピードで吸収するはず。

「シールド系やバリア系だよね? 任せて! 僕は攻撃とかはほとんどできないけど、そっちは得意だから。
攻撃はどうするの?」
ユーノがきびきびと返してくる。
いつまでも敬語ではうっとおしいので、これからはタメ口で話すように言ってある。

「この前の様子だと、相手は色々使えるみたいね。だけど時間がないから、そうたくさんはいらない。
 むしろ、一つ一つの錬度を上げなさい。
相手は速いけど、こっちが合わせる必要はないわ。弾幕張って抑えるのがいいわね。
緊急避難用に高速機動はできたらいけど、あくまで避難用だからそこまで力を注がなくていい。
スピードが出てもそれを制御できそうにないし、事故って自滅したら馬鹿みたいでしょ?
絶対にしちゃいけないのは、接近戦。
それ用の武器があって、一応使えるみたいだもんね。
引き換えこっちは運動神経切れてるから、そもそも勝負にならないし」
運動神経がバッサリいっている自覚はあるのか、大人しいものだ。
少し恨めしそうに見ているが、気にしない。
悔しかったら、見直すくらいの働きをしてみることだ。

「先にあげたのを充分に満たすことが条件で、ここからが勝つための方策よ。
 相手は防御が薄そうだし足自慢みたいだから、弾幕で隙を作ったうえで捕まえて、一気に吹っ飛ばすのが一番ね。
そういう魔法ってないの?」
なのはの顔が明るくなる。どうやら本気で勝つ気でいるようだ。
今までのは負けないためのものだったから、不満だったのだろう。

この間殴った感触では、それほど強固という印象はなかった。
一応、魔力で身体能力を水増ししていたので、それなりにダメージは与えられたようだ。
手ごたえのようなものもあった。
戦いを決する、というほどではないようだが、少なからず驚き苦悶の表情もしていたので、ちゃんと効果があったのだろう。
それならば、礼装を併用しての一撃か、もしくは宝石と一緒に殴ってやれば倒せたと思う。

「えっと……捕まえるとなるとバインド系かな。
これは相手を拘束するもので、一時的に相手の動きを封じられる。
なのはも一つ使えるし、相手も使えるのは間違いないと思うから、注意がいるよ。
 吹っ飛ばすのは問題ないよ。もうなのはには、そういうのがあるから」
聞くところによると、「ディバインバスター」というもので、砲撃魔法と呼ばれるものらしい。
なのはのそれは、すでに一撃必倒の威力がある代物、とユーノがお墨付きを出した。

なのはには戦闘が向かないと言ったが、これは向いている気がする。
気合十分のなのはが、相手に向かってオーバーキルをかますのは、どこか絵になっている気がした。


当面の指導方針を決め明日に備える。
最後に戦闘の心得を三つほど伝える。
本当はもっといろいろ言いたいことはあるのだが、手初めにはこんなところか。
「いい? これから言うことは、戦っていく上で絶対に守りなさい。できないと勝つどころか、即負けるわよ。
 一つ、躊躇しない。躊躇して動きが鈍れば、攻撃は当たらない。相手に反撃のチャンスを与えることになるわ。どれだけやっても死ぬわけじゃないんだから、遠慮はいらないわ。慈悲はその前か後にかけてあげなさい」
これは私の流儀でもあるので、仮にも私の教えを受けるのだから必須だ。

これが後に、管理局における「白い悪魔」や「魔王」を生み出す原因となるとは、思ってもみない私だった。
いや、ホントごめんなさい。
まさか、あそこまで容赦なく殴っ血KILL(ぶっちぎる)ようになるとは……。
う~ん、我が教え子ながら恐ろしい子。

ちなみに魔法とやらには、非殺傷設定なる親切なものがあり、どれだけやっても死ぬ危険はほとんどないらしい。つまりは、やりたい放題に攻撃しても心配ないということ。これは、少し気分が良さそうだ。
まぁ、物事には限度というものがあるので、ほとんど命の危険がないとは言っても、あまりやり過ぎるわけにもいかない。
それに、厳密に言うとひどい外傷を負うことを避けられるだけで、実際にはそれなりの衝撃や痛みはあるようだ。
場合によっては、気絶や昏倒などの危険もあるので、絶対安全というわけでもない。
不慮の事故があっては、さすがになのはが可哀そうだ。
私たちと違って、命のやり取りをするなど考えてもいないのだから、相当なショックを受けるだろう。

「次に、目を閉じない。目を閉じたら何も見えないでしょ、そんなの自殺行為だもの。
 で、絶対に近づかない。接近戦は論外なんだから、絶対に距離を取り続けなさい」
この二つは今更だ。目を閉じないのは当然。
勝つ見込みがあるのは、距離を取っている間なのだ。
何があろうと、距離だけは保たねばならない。
中途半端に近くても詰められてしまうので、間合いには細心の注意を払うべきだ。

「うん、わかった。特に三つ目は意識して、注意しなきゃいけないんだよね」
残りの二つは心の持ちようと訓練で何とかするものだから、そうなるか。

「最後に二つ。助言と勝つための必須事項よ。
 自分で勝てないのなら、勝てるものを用意しなさい。また、足りないのなら、別のところから持ってきなさい。
 どこで役立つかわからないけど、この考え方が役に立つかもね。
 あと必須事項だけど、相手の動きを少しでいいからコントロールしなさい。それができれば勝機があるから」
前半は、魔術師の間でよく言われていること。
後半は、弾幕をうまく使うことで出来るはずだ。
そうすれば、バインドをかけやすくなるし、砲撃も狙いやすくなる。
これができれば、勝つ可能性はかなり上がる
まぁ、それができれば苦労はない。これからの訓練で、動きの縫い方を教えていくしかないか。

そうして今日のところはお開きとなる。


実を言うと、無理に相手に勝つ必要はなくなるかもしれないのだ。
士郎の発案で、ジュエルシードを奪還する手立てがなくもない。
上手くいけば、経過はともかく最終的には全てを回収できる。

むしろ私の頭が痛いのは、その案だ。
士郎の無茶にはだいぶ慣れたと思ったが、今度は極め付けだ。
下手をするとこれまでの配慮が、全て水の泡になる。
だが同時に、士郎の提案の有効性と必要性も理解できるので、却下できない。

そういうわけで、結局渋々その案に同意したのだった。



第7話「スパイ大作戦」



それは、フェイトという魔導師との初邂逅を遂げた日の夜だ。

夕食を終えた後、士郎が私に相談があると言ってきた。
「どうしたのよ、相談って。
あのフェイトとか言う魔導師のことなら今まで通りの方針でいくつもりよ。
 アンタの立ち位置は、正体不明だけど解決に協力してくれる存在、ってことで通して行くわ」
これが現状での私たちの最善だ。こいつが他者に知られることなく動くには、これが一番。
イレギュラーがあったが、この方針に変更はない。
敵の情報も不足しているのだから、現状特に打てる手もない。

そこに士郎からの提案が入る。
「そのフェイトのことなんだが、俺があっちの協力者になろうと思うんだ」
なんてわけのわからないことを言い出す。

一瞬の思考停止、そして復帰と共に激情が溢れ出す。
「………何考えてんのよ、この馬鹿!! あっちは言っちゃえば泥棒よ! 犯罪者よ!
なんでそんなのを手伝うのよ!
 だいたい目的もわからない相手につくなんて、正気?」
向こうは敵だ。それも、目的も所在も不明の相手だ。
そのうえ、一応ジュエルシードの所有権は、発見者であるユーノにある。
にもかかわらず、それを無理やり強奪しようとしたのだ。それだけでも敵とするには十分すぎる。
そんなのを信用して、協力しようというのか。とても正気の沙汰とは思えない、まさに愚行だ。

「待ってくれ、とにかく詳しいところを聞いてくれ~!」
襟首掴んで振り回す私に、士郎がぐるぐる振り回されながら訴える。


少し落ち着いた私は士郎を放し、話を聞く。
「さっき凛も言ったけど、向こうの目的が分からない。それが問題なんだ。
 ジュエルシードはまともに願いを叶えない。少なくとも、今回でそのことはわかったはずだ。
なのに、あの子はまだそれを集める気でいる。そうまでして必要な理由があるはずだ」
あんな確実性の欠片もないものを、集めたがる理由か。
確かに気になるところだが、何が問題だというのか。

そう考えて士郎の話を聞くべく、眼で先を促す。
「それがあの子自身のものか、それとも別の誰かのなのかはわからない。
 必要な数も不明だけど、様子からして複数必要らしい、くらいしか分からない。
もしかしたら、いくつか手に入れたら逃げるかもしれない。
だが何をするにしても、発動させても碌なことにならない。複数ならなおさらだ」
たしかに、今までは一つしか発動してこなかったが、意図して複数を発動させれば、どんなことになるかはわからない。警戒しておいた方がいい。
必要個数の方も、一つで十分なら、わざわざ私たちの前に出ないでも別のを探せばいい。
他にも回収されていないのはまだたくさんあるのだから、危険を冒す必要はなかった。
それを冒したからには、一つでも多く回収したいのだろう。

だが、それだとなおさら渡せないはずだ。
「危険だってのはわかるけど、それと協力するのじゃ矛盾するわよ」
「だからこそなんだ。
邪魔をすればこちらを避けて探すはずだ。
そうなれば、向こうがねらいを達成してしまうかもしれない。だったら、懐に潜り込んで情報を得たい。
ジュエルシードが出揃うか、必要数確保できた時点で不意を打って奪うこともできる。一石二鳥だろ」
なるほど。確かにそれは効率がいい。
態々邪魔者と同じものを狙う必要はない。
避けて通って探すほうがリスクは減る以上、当然向こうはそれをするはずだ。
協力関係ならば所在がつかみやすい分、まだ逃げられる可能性が減る。
それに協力者と思われていれば、警戒も少しは緩む。なら奪うのもその分容易だ。

「そしてこれに適任なのはアンタだけね。
ユーノは問題外、私やなのははユーノ側だからやっぱり協力は無理。
 でも、私たちとちゃんとした繋がりを知られていないアンタなら、まだ言い訳が立つわね」
今回の接触では、結果的に敵対しただけのような形になる。
警戒や脅威の対象になっても、明確な敵としては認識されていない可能性が残っているのが士郎だ。
まぁ、それもあまり高くはないのだけど。

「ああ、言い訳の方は「いきなり襲われたから」というのと、「優秀そうで、効率がいいと判断した」で通るはずだ。
俺自身はジュエルシードには興味がなくて、さっさとそれを回収してくれれば文句はないって立場がいいな」
一応これで筋は通るだろう。
上手くいけば情報も得られてやりやすくなる。

ただ、それをしては隠そうとしていたことが、あの子たちから漏れてしまうかもしれない危険をはらむ。
「確かに有効なのは認めるけど、せっかく隠してることがバレたら、意味ないわよ」
ちょっと不機嫌そうに睨んでやる。
どうせ言っても、それをやるのはもうわかってる。
いい加減長い付き合いだ。一度こうと決めたら、こいつはまずそれを譲らない。
だがそのあたりの対策がないようなら、問答無用で却下してやる。

「魔法の方でも転移系のものがあるらしいじゃないか。
俺の能力はそういうことにすればいい。
まさか、本人の魔力以上のものを作れるなんて、普通は思わないしな。
そっちの方がよっぽど真実味がある」
ユーノから空間に関する魔法については、既に聞いた。
そういった魔法があるというのも聞いている。
確かに多少不自然でも、そこは術の違いにすればそちらの方が信じやすい。

「でも、私とあんたは同じ学校に行ってる同居人よ。
協力する以上顔は見せるんだから、絶対に信用されないわ」
そうだ。どこの世界に敵対者の家族で、同じ術者と協力する馬鹿がいるのか。

「学校に関しては、なのはの監視が目的ってことにすればいい。
なのはの異常な魔力気づいて、様子を見ることにしたってことなら、あながち嘘でもないしな。
俺たちの間柄は、そもそも戸籍上に繋がりがないから、口頭の証言が全てになる。
関係ないと言えば問題ないって。
ただしばらく、俺はここ以外のところで暮らすべきだな。まぁ、適当にまた空き家にでも潜り込むさ」
向こうが、偶然にも私たちが同じ家で暮らしているのを目撃してしまっては、本末転倒だ。
当然の配慮だが、いい気分はしない。なにせ私は女なのだ。
自分の男が他所の女に会いに行き、家に帰って来なくなって、機嫌がよくなるはずがない。

「問題は管理局が介入してきた時に、あの子たちが捕まった場合だな。
そこから俺の素性が知れてしまうのは、防ぎようがない。
できれば、管理局が介入してくる前にケリをつけてしまうのがいいな。
すべてが終わった後でも、あの子たちが管理局を頼ることはできないはずだ。
それなら、俺のことが知られる可能性はかなり減る」
つまりは、どれだけ早くことを進めるかにかかってくる。
あの子たちに協力することで、事態の進行を早めることも期待できるから、分は悪くない。
下手に時間をかければ、協力していなくても管理局が出張ってきて、士郎のことを調べられる恐れが出てくる。
組織の力なら、士郎に行きつくのにそう掛からないかもしれない。なら、いっそ虎穴に入ってしまうか。

「わかったわ。それが現状じゃ、一番の得策ね」
不承不承その案を承認する。なのはたちに協力しているとはいえ、私自身のことも知られたくはない。
早急に事を終える方針で動くことにするのなら、その意味でも、この案は魅力的だ。

それに、こいつがこんな危なっかしい案を出したのは、さっき言った理由だけじゃない。
私のことも闇の中にするために、この案を出したのだとわかるので、不満はあるが文句は言えない。

「でも、アンタも戦上手になってきたわよねぇ。
獅子身中の虫って、まるでアーチャーみたいなやり方よ。
 やっぱりアンタ達って、同一体なのね。
 でも、本当にいいの? きっと相当恨まれるわよ」
そう、思ったことを口にする。
聖杯戦争中にアーチャーがキャスターにしたやり方と、今回の作戦は酷似している。
あそこまで悪辣ではないが、向こうからすれば騙されて、裏切られるわけだ。
間違いなく関係は破綻し、憎まれることだろう。

「言わないでくれ……。思いついたとき同じことを思って、かなり自己嫌悪したんだから。
 それに、恨まれることも憎まれることも覚悟の上だよ」
苦々しそうな顔で言っている。やはり一人で背負いこむ気らしい。
全く、重いのなら一緒に背負うくらいはしてやるのに。
まだこの辺は、直っていないらしい。

「馬鹿言ってんじゃないわよ。
私はその作戦を知っていて承認した以上、共犯なんだから。
アンタ一人で背負うことじゃないわ。私の分の責任くらいは背負うわよ」
「……悪いな。いつも苦労をかける」
士郎が申し訳なさそうに、でもどこか嬉しそうに言ってくる。
そう私たちは共犯だ。ならば、罪も罰も一緒に背負ってやる。
こっちこそ、その覚悟はずっと昔にできている。

「……別に気にしなくていいわよ。
士郎風に言うなら、気兼ねなく迷惑や苦労をかけるのも、家族の特権でしょ」
それが私のためだとなれば、なおさらだ。
要はお互いに、相手のことを考えて無茶を言っているだけなのだ。
そのことが少し嬉しくて、私はまた少し弱くなったように思う。
だが悪くない。弱くなったなら、その分こいつを頼ってやればいい。それも家族の特権だ。


  *  *  *  *  * 


SIDE-士郎

情報収集のためにフェイト達を探し始めて、少し経った。

以前の巨樹の事件の時と同様に、千里眼と使い魔の二段構えで捜索する。
異世界の住人である以上、本拠地はここにはないだろう。
しかし探し物がこの地にあるのだから、効率の観点から見ても、いちいち行ったり来たりを繰り返しているとは考えられない。
当然、海鳴かその近辺に拠点を設け、そこから捜索に出ているはず。
それでも、捜索範囲は広大だ。地道に毎日、場所を変えて探すしかない。

俺はもう家には帰っていない。
今は周りに怪しまれないように、登下校時はなのはたちと会う前に凛と合流している。
学校では一緒にいるので、隙を見て近況を報告し合うのが日課になっている。

なのはは順調に訓練をしていて、凛の地獄の特訓によく耐えているらしい。あれはキツかった。
やっていることの違いがあるとはいえ、妥協する凛ではない。
間違いなく、相当ハードな要求をしているはずだ。

聞いた限りだと、予想通りのスパルタな訓練を課しているようだ。
素人のなのはを、短期間で実戦に耐えられるようにしようというのだから、その密度は並ではない。
本来であれば、怪我などしないように最大限に安全を考慮するところなのだが、それだと間に合わない。
怪我をする寸前のところまで追い詰めるのが基本らしく、このあたりのさじ加減は相当難しいらしい。
だが、うまいことバランスを取っており、今のところ怪我らしい怪我はないし、心が折れる素ぶりもないと聞いている。
まぁ、トラウマになる可能性は否めないが。


具体的なところをいくつかここに抜粋する。

一つ。ユーノから習得した防御系の魔法を、凛のガンドや礼装の攻撃を受けることで強度の確認をするのと、攻撃されることへの耐性をつける。
礼装による攻撃は、もちろん危険だ。
さらに凛のガンドは、物理的な破壊力を持つ凶悪なものだから、なのはとしても必死になるらしい。
それでなくても、受ければ病気や体調不良くらいにはなるので、なかば背水の陣に近い心境だろう。

一つ。凛がよく使う翡翠で出来た鳥型使い魔を、最近習得した誘導操作弾とやらで撃ち落とす。
あれは小さいうえにかなりすばしっこいからな、後を追うだけでも一苦労だろう。
それを一体だけでなく、複数相手にしているのだ。はじめのうちは眼を回していたと聞いている。
それも、撃ち落とせなかった数に応じてペナルティを課しているらしい。
ここまでなら多少きつい訓練なのだが、使い魔に気を取られていると、凛の方からガンドによる奇襲を受ける。
目の前のことだけに意識を向けるのではなく、周囲のことにも気を配る訓練も並行するためだとのこと。
これも防がなければならないのは、素人のなのはにはきつすぎる。
きつすぎるのだが、必要なことであることもわかるので、文句など出るはずもない。
そもそも、アイツが文句なんて聞くわけがないか……。

最後に、接近戦の訓練もやっている。
接近戦といっても実際に戦っているわけではなく、クロスレンジからスタートし、どうやってそこから間合いを取るかの訓練らしい。
間合いの取り方は、戦闘において非常に大きな要素を占めている。
特になのはは距離を取ることが前提なので、これの訓練は急務だな。
ただでさえ動きの速いフェイトが相手だと、一瞬で距離を詰められることもある。
そこからの脱出は避けて通れない課題だ。ただ、現状良いようにボコられているらしい。
バリアジャケットとやらがあるので、怪我をする心配がほとんどなく、凛も思う存分にやっているのが原因の一つだ。

他にもいろいろやっているようだが、主だったところはこんなところらしい。
後は毎回最後の締めに、模擬戦を行っているそうだ。
いささかハードすぎる気はするが、素人のなのはをすぐにでも戦闘できるようにしようと思うなら、これぐらいは必要だろう。
ただ必要なことだけに限定しての訓練のせいで、どうにも穴が多く、そこを突かれると弱いらしい。
本来はもっと時間をかけるものなので、こればかりは仕方がない。


俺の方でも、作戦が成功か否かの結果を早く出さなければならない。
ダメならそれで、別の策を講じなければならない以上、無駄に時間を費やすわけにはいかない。
「とは言うものの。こう範囲が広くちゃ、一苦労だな。
 人海戦術でも使えれば効率も上がるが、俺ではそう多くの使い魔は使えないし……あれは!?」
日が傾き、夕方に差し掛かってきた。
ここでの成果はないかと思い別の場所に移ろうとしたところで、使い魔の視点からある光景が目に入る。
ここからでは他の建物で死角になるが、少し離れた高層ビルの屋上に目当ての人物を発見する。


  *  *  *  *  *


俺は場所をかえ、先ほど発見した高層ビルの屋上に入るための扉の前にいる。

一応使い魔はそのまま待機させていたので、彼女が移動していないのは確認済みだ。
今は何やら集中しているようなので、一段落ついてから声をかけることにする。

少し時間が経つと、漆黒のバリアジャケットに身を包んだ金髪の少女が、集中を解いて口を開く。
「……やっぱり見つからない。そう簡単に見つかるものじゃないけど、早くしないと。
 またあの子たちとぶつかるのは避けたいし、必要な数までまだ大分あるんだから」
暗い面持ちで一人つぶやく。なかなか成果が出ない現状に、焦りもあるのだろう。
だが、必要な数か。やはりある程度、どういうものか知っていて集めているようだ。
一つの可能性として考慮していたが、それなりにまとまった数が必要なようだ。
もしかしたらこちらよりも、詳しく知っているのかもしれない。

特に何かを探しているような素振りもなかったが、集中して探ってみたら魔力の発動が感知できた。
ジュエルシードの捜索をしていたようだし、それ用の魔法もあるのだろう。
一段落ついたみたいなので、声をかけることにする。
「ふむ。何やら急いでいるところ申し訳ないが、少し話を聞かせてもらえないかね?」
扉を開け、背後から話しかける。

すると、驚いたように振り返りデバイスを構える。
「なんであなたが!? いったい何の用ですか」
思い切り警戒して聞いてくる。今回、アルフはいないらしい。
見晴らしもいいし、さっきから気配を探っているが隠れている様子もないので、別行動をしているのだろう。

「別にそう警戒する必要はない。いま言ったとおり、私はただ話が聞きたいだけだ。
 強いてほかの目的を上げるのなら一つ提案があるが、それは話の後だ。
 とりあえず、矛を収めてくれないかね?」
弓兵口調は相変わらずだが、あまり刺激しないように皮肉は言わない。
今回の交渉で、それはマイナスにしかならない。何事も臨機応変だ。

「わたしには別に話はありません。闘う気がないのでしたら、帰ってください」
取りつく島もなく拒絶される。この前は敵だったのだから、仕方がないか。

「そう言わずに、話を聞くくらいはしてもいいはずだ。そちらにとっても悪い話ではない。
 提案は後にしようと思ったが、順序を変えるか。
 単刀直入に言う、私と協力関係を結んでほしい」
回りくどい言い方をしても逃げられるかもしれないので、すぐに本題に入る。

当然、予想外の申し出に驚いて、困惑している。
「?? どういうつもりですか? あなたは、あの子たちと手を組んだと思っていましたが」
ちゃんと俺たちが仲間でないと誤解してくれているようで、安心する。

「一通りの話を聞いただけだよ。
何、簡単な理屈だ。私はジュエルシードなどに興味はないが、あれには迷惑している。
 さっさと回収してくれさえすれば、別に誰が持とうと興味はない。
 君はなのは……あの白い少女よりも優秀そうなのでな。
こちらに協力した方が、早く片がつくと踏んでいる。それが理由だ」
それらしい理由をでっちあげる。
まぁ、これにしたって嘘じゃないしな。
余計なことさえしなければ、誰が持とうと知ったことじゃないし、早くケリをつけるためにこんなことをしているのだ。
ただ肝心なところを言っていないだけだ。

現状では彼女の方が、なのはよりも魔導師としてのレベルが数段上なのは確かだ。
本人もその自信はあるのだろう、一応理解の色を示す。
「確かにそうですね。でも白い子ともかく、赤い子はわたしより劣っているとは言い切れないはずです。
知らない魔法でしたから、正確なことは言えませんが」
冷静に分析している。頭のいい子だ。
不確かな情報から希望的観測はせず、相手を過小評価しないように注意している。

「赤い方は凛というが、彼女の使うのは魔法ではなく魔術だ。この世界独自の技術と思えばいい。
私も、大別すれば同様のものを習得している。
だからこそ言えることだが、私や彼女にはあれの封印はできん。
 ならば、能力の上下は関係ない。封印できる者の中で君が最も優秀だから、この申し出をしている」
魔術というところに、かなり反応している。
未知の力の情報を持っている俺に、興味が出たのだろう。
この先、また戦う可能性がある以上、少しでも情報は欲しいはずだ。

「同じ力を持っているのなら、仲間じゃないんですか?」
「我々は魔術師と呼ばれる人種だが、あまり横のつながりはない。元来、個人主義者が多いからな。
私も、自分の身内以外の魔術師は知らない。私に魔術を教えた父ももういない、いわゆる天涯孤独だ。
 この地には最近になって訪れた。そこに今回の騒動があり、平穏を取り戻したくて早期の解決を望んでいる」
凛は師であるから、身内になるので問題ない。また、俺に最初に魔術を教えたのが切嗣なのも本当だ。
真実を知る者が聞けば、詭弁だと言われそうなことばかり口にしているな。

「あなたと協力することで、何かメリットがあるんですか?」
やっと話を聞く気になったらしい。
これを断れば、俺が敵に回る可能性を危惧しているのかもしれない。

「まず、第一に情報だ。話せる範囲で魔術のことは教えよう。また、私はあの二人と同じ学校に籍を置いている。
 それなりに良好な関係だが、向こうは私が魔術師なのを知らないのでな、行動を把握し易い」
敵方の情報をかなり手に入れられるとなれば、かなり魅力的なはずだ。

だが、俺たちの関係に驚き、不審の目を向ける。
「!? なぜ彼女たちと良好な関係なのに、こんなことを?」

当然の疑問だ。仲間でないと言いながら、良好な関係などと言われては信用できるものではない。
「それとこれは話が別だ。私情を挟むつもりはない。
言ったろう? 効率がいいからだよ」
できる限り不敵な笑みで返す。

向こうは、それに一瞬たじろいでいた。
「あなたが迂闊に信用できない人だということが、よくわかりました。続きを聞かせてください」
言い分は理解してもらえたようだが、納得はできないらしい。
こういった汚いことは嫌いなのだろう。
その子どもらしい潔癖さは嫌いじゃない。
俺だって、こんなやつを信用する気にはならない

これは、嫌われてしまったかもしれないな。
だが、その方がいい。
最後に裏切る際に、気が楽になる。

「第二に、すでに分かっていると思うが戦力の向上だ。
向こうは少女二人にフェレットが一匹。戦力となるのは、現状凛だけだ。
だが、フェレットが足止めに参加すれば数的には不利になり、相手にブツをくれてやることになる。
 だが私が加われば、数の上では拮抗するからやりやすくなるはずだ」
俺のする説明に、納得の表情を浮かべている。
実力が上でも、数の上で不利ならそれは戦力の不利になる。
数の力を甘く見てはいけない。数に勝る力はないのだから。

「確かに、メリットは大きいですね。
………わかりました。その申し出を受けます。
わたしも、絶対にジュエルシードを集めたいので、多少信用できなくても、確実な方がいいと思います。
ところで、あなたの望みは事態の早期解決だけですか?」
信用しきれない相手と組むことも辞さないとは、よほど集めなければならない理由は重いらしい。
やはり信用されていないので、念を押して聞いてくる。

「他には、もし管理局とやらが動いた際に、こちらの情報を絶対に漏らさないことだな。
 私としては、そんなものに関わって厄介事になるのは御免だ。
 万が一漏らせば、相応の報復は覚悟してもらうことになる。気をつけることだ」
捕まった際に、どこまで黙っていてくれるかは疑問だが、釘を刺して威圧する。
こんな子どもを脅すなんて、自分のやっていることに対する自己嫌悪の念が強くなる。

「……わかりました。わたしもそんなことになるのは困ります。
漏らすつもりはないし、あなたを敵に回すのはとても危険そうだから、決してそんなことはしないと約束します」
目が恐怖に竦むが、すぐに立て直すところを見ると、意志も強いがそれ以上に覚悟がいいのだろう。
これは実力差以上に、心の面でなのはの勝ちは薄いようだ。

「では、協定成立だな。
私の名は、衛宮士郎だ。士郎と呼んでくれればいい。姓の方で呼ばれるのは、あまり好きではないのでな。
ちなみに本名だよ。あの子らに知られるのは困る。
 遭遇した時は、アーチャーと呼ぶように。あちらにもそう名乗っている」
最後に、交渉成立の証に名前を名乗る。その際に帽子とサングラス、そしてカツラを取る。
もう顔を隠す必要はないし、少しでも信用して貰うためには必要なことだ。

性の方を呼んで欲しくないのは、いつしか自分がアーチャーに近づいているような気がしてきたからだ。
戦場に出て戦っているうちに、だんだんと奴に近づいてきているように感じることがあった。
奴は自らを「エミヤ」とは名乗っても、「士郎」の方は使わなかった。
だからこれは、子どもっぽい幼稚な抵抗だ。俺はあいつとは違う、と強調するためのささやかな抵抗。
それにいつの間にか「魔術師殺しの衛宮」という、親父と同じ呼称をされるようになっていたのもある。
「衛宮」の姓そのものには、愛着も思い入れもあるのだが、やはりこの呼称は好きになれない。
自分がそれにふさわしい所業を行ったのは自覚しているが、これは感情の問題だ。

すると、向こうも返してくる。
「……変装なんかしてたんですね。
魔導師フェイト・テスタロッサです。今はいませんが、この間の狼はわたしの使い魔のアルフです。
 好きなように呼んでください」
こちらの周到さに、あきれたように言ってくる。さすがにカツラはやり過ぎの感があるとは、俺も思う。
名前の交換は、何も使い魔との契約で重要なだけではない。
お互いに名乗ることで認め合い、信頼への第一歩になる。
俺たちの間にそれが成立する可能性は、かなり低いけどな。
少なくとも、彼女の信頼を勝ち取るのは容易じゃないだろう。

「それではフェイトと。……ああ、この響きは実に君に似合っている」
フェイト、つまり「運命」か。
あまり馴染みのない名前だが、これは俺の率直な感想だ。

特に意識したものではなかったが、どういうわけかフェイトの顔が赤くなる。
「な、なにを!?」
怒っているのか、どもってしまっている。
好きに呼べというから、ファーストネームで呼んだのだが。
その方が親しみを持てる。いずれ裏切るにしても、それまでは友好的でありたい。
そう思うのは偽善なのだろうか。

「うん? どうかしたのか。もしかしてイヤだったか。好きにしろって言ったのはお前だぞ」
いきなり拒絶されるのは、気分のいいものではないので、少しムッとなって言う。
口調は普段に戻した。ここからは一時とはいえ、仲間として過ごすのだからあれで話すのは止めた。

「イヤというわけじゃありませんけれど。というか、話し方が変わってますよ? どういうことですか」
とりあえず否定してくれるので、安堵する。
だが今度は、突然の変化に戸惑っているようだ。
まったく、忙しいことだ。

「ああ、これか? こっちが地だ。意識的に自分の状態を切り替えているんだ。
何事も、メリハリをつけなくちゃな。
 じゃあまずは、どこか落ち着けるところで今後の話をするか」
そう言って歩き出す俺に、フェイトも慌てて追いかけてくる。

「ちょ、ちょっと。勝手に話を進めないでください!」
なんと言うか、さっきまでとはだいぶ印象が違うな。
もっと怜悧な子を想像していたのだが、思いのほか愉快なところがあるようだ。
こんな状況・関係でなければ、もっと普通に親しくできたらよかったのだが。

いや、所詮はないものねだりでしかない。この関係だって、結局はうわべだけのものだ。
俺は彼女を利用し、裏切る。そんなことを思う資格なんてない。
「まったく、無様だな……」
フェイトに聞こえないように、小声でつぶやく。
その時が来るまでは、どうかこの子と良好な関係でありたいと思ってしまう自分に、自嘲する。

さあ、とにかく作戦の第一段階は無事達成した。
これからは出番も増えるし、うまく立ち回っていかないとな。


  *  *  *  *  *  


場所は変わって、俺は今フェイト達の拠点にいる。
拠点と言っても、高級そうなところ以外は変わったところのない、普通のマンションの(やけに広い)一室だ。
特徴をあげるなら、生活感がないことが特徴だな。
所詮、彼女たちにとっては仮宿なのだから、当然と言えば当然か。

落ち着いて話せるところということで、この場所が選ばれた。話す内容が内容なので、適当な選択と言える。
着いて少しすると、アルフが帰ってきて一悶着あったが、主の決定には従う気のようだ。
というか驚いた。こちらの使い魔は、人型になれるのが当たり前らしい。
そんなのは、向こうでは殺人貴の連れているレンくらいしか知らない。
この様子だと、ユーノも人型になれるのかもしれない。


いま俺は、通信手段としての念話を教わっている。
ある意味当然かもしれないが、彼女は携帯や設置式の電話は持っていないので、こちらが合わせるしかない。

事前に凛から習ってはいたが、少々不安がある。
俺と凛はパスが繋がっているので、この手の通信はパスを使ってやっていた。
それとの区別がつきにくく、練習していてもどっちを使っているのか分かりにくいのだ。

今は、事実上の魔法初体験といってもいいだろう。その成果はというと……
「えっと、ほら。得手不得手ってあるし、これまで全く違う技術を使ってたんだから、感覚が違うのも当然だよ。
これから練習すればできるようになるよ! たぶん……おそらく……きっと………」
話し方がさっきまでと違うのは、俺が敬語はやめるように言ったから。
協力関係は対等なものだ。そこに敬語などいらないし、俺も落ち着かない。

どんどん尻すぼみになっていく励ましの声。
いっそ凛のように貶してくれた方が、まだ傷は浅かった。
中身を伴わない励ましが、これほど残酷なものとは知らなかった。
先ほどまで不機嫌をあらわにしていたアルフは、現在大爆笑している。
念話は基礎の基礎で、魔力があってできない者はいない技術。それに悪戦苦闘する、俺。

夢や希望を持って何が悪い!!
せめて人並みにはできるんじゃないかと期待していたが、見事に裏切られた。

「はぁ、何とか受信は問題ないところまで来られたか。
あとは送信だが。どうも今の俺では、眼で確認した相手にしか送れないみたいだな……意味あるのか、これ?」
抗魔力の低いことが影響しているのか、受信だけなら比較的早い段階からできた。
だが送信がうまくいかない。
俺がやるには、明確にイメージできるように相手を見ながら飛ばさないといけない。
これでは念話の意味がない。

どうやら凛との練習で使っていたのは、パスの方らしい。
つくづく自分の才能の無さに、呆れを通り越して感心する。
ここまで来ると、それこそ才能ではないかと思えてきた。

「まぁ一応連絡手段は確保できたし、良しとするか……。
俺が発見する可能性はまずないから、連絡する必要もおそらくないしな。
これからは、時間の許す限りはジュエルシード探しには俺も同行する。やっぱり人手は多い方がいい。
次は情報交換だが、何か聞きたいことはあるか?」
これまでの打ち合わせの要点をまとめると、こんなところだ。
俺から提供するのは、情報と実行の際の戦力だ。
それ以外では役に立たないし、信用できない俺にあまり頼りたくないのだろう。

「あの赤いほうの子が使ってた、魔術だっけ? それってどんなものなの」
最初の質問は敵戦力の確認。現在向こう唯一の戦力を知りたいらしい。

「あれはガンドだな。
呪いの一種で、効果は被弾者を病気にするというモノ。
ただ、あいつのはフィンの一撃クラスだけど」
隠すほどのことでもないし、正直に答える。
まぁ、たいていの質問には答えるつもりでいる。
もちろん俺が知らないはずのことになっている点は話さないし、こっちの秘奥は絶対に漏らせないけどな。

質問に答える俺に向かって、素っ頓狂な声が向けられる。
「の、のろい~? そんなオカルトなもの、ホントにあるのかねぇ?」
アルフがひたすらに胡散臭そうな声で聞いてくる。
仕方がないが、科学に近い魔法では、呪いなど眉唾なのだろう。

「実際に見たものを否定する気か?
なんなら受けてみればいいじゃないか。
生の呪いを体験できる機会なんて、そうあることじゃないぞ」
そう言われて口を噤むアルフ。
まぁ、好き好んで呪いを受ける奴などいるはずがない。
当然の反応だな。

「フィンの一撃って?」
「簡単に言うと、ガンドの上位術かな。
これになると、物理的威力を持たせられる。
それをガトリングのように連射するんだから、腕前はピカ一だよ」
一応納得したのか、これ以上この件の質問はない。

「じゃあ次は俺から。なんでジュエルシードが欲しいんだ?
わかってると思うけど、あれはまともな願いの叶え方をしない、不良品の願望器だぞ」
騙してまで協力関係を結んだ理由の一つである、目的の調査のために聞いてみる。
もし俺が知らない事実があるなら、それも聞きだしたい。

「わたしたちが何のために集めようと、関係ないんじゃなかったの?」
先ほどの言葉を思い出して突っ込まれる。
思いのほかガードが固いようで、なかなか骨が折れそうだ。

「そりゃ、俺や周りに迷惑が掛からない範囲ならな。
碌な叶え方をしない以上、場合によってはこっちまで被害を受ける。
それは勘弁してもらいたいんだ」
ただ少し話してみて、気付いたことがある。
フェイトはあまり、余所様に迷惑をかけるような性格には思えない。
少なくとも彼女が使う分には、そうひどい願いを託すことはなさそうだ。
まぁあれの性質上、真っ当な願いでも碌な結果にはならないと思うし、使わないのが一番なんだけどな。

「実は、わたしも理由は知らないんだ。母さんがどうしても必要だって言ったから集めてる。
あ、でも母さんは厳しいところもあるけど、ほんとは優しい人だから。シロウが心配するようなことはないよ」
これでは理由を聞き出すことはできない。
欲しがっている本人がいなくて、集めてる者はその理由を知らないのでは、聞き出しようがない。

だが、何でフェイトは途中焦ったように付け加えたのだろう。アルフも一瞬、厳しい顔になった。
それは俺に向けられたものではなく、別の誰かに向けられていた。
もしかしたらそのフェイトの母親、何か後ろ暗いことでもやっているのかもしれない。
これはフェイト達よりも、そっちを警戒した方がよさそうだ。
そもそも自分の娘にこんな危ないことをさせている時点で、印象はマイナスだ。

「今度は私ね。
あの赤い子、炎や氷、それに雷も使っていたけど、魔術ってそういう風に魔力を変換するのが得意なの?」
フェイトによると、そう数は多くないらしいが、魔力のエネルギー変換を無意識に行うことができる術者が存在し、彼女自身も「電気」への魔力変換ができると言う。
一応学習によって習得も可能だが、効率の面から考えても一人で何種類も持つことはない。
特に「凍結」という変換資質を持つ者は、非常に少ないらしい。

「変換というか、あれは属性の問題だ。
 魔術師には、生まれ持った属性がある。それは世界を構成する一元素を背負うもので、そっちで言う魔力変換みたいなこともできる。
地水火風空とか、木火土金水とか、そういうモノなんだが、わかるか?」
「えっと……うん、何とか。
つまり、自然の物とか現象なんかを操ることができるってことでいいんだよね」
どうやら一応納得できたらしい。
元素変換(フォーマルクラフト)のような五大元素をそのまま使う術は、ある意味最もわかりやすい形だからな。
馴染みのない概念であっても、自分の持つ知識に当て嵌めて、似たようなものを想像したのだろう。
これがウィッチクラフトのような陰性の魔術だったら、相当に理解しにくかっただろう。
科学からはかけ離れたことをするし、あれは所謂黒魔術みたいなものだからな。

幸いにも魔力変換というのは、物理法則に則したものでこそあるが、その結果自体は似通っている。
その意味で言えば、変換資質というのは魔術師で言えば、属性のようなものともとれる。
理解はできなくても、どういうことができるのかを想像するのは容易らしい。

「でもあの子は、いろいろ操っていたけどそれはどうして?
 属性が決まっているんだったら、それ以外はあまりうまく使えないんじゃないのかな」
先日の凛との戦いを思い出しながら、フェイトが思案するように聞いてくる。

凛は礼装の性質上、五大元素をフルに使うのが基本スタイルとなる。
つまり、世界を構成するすべての要素を用いて戦うということだ。
魔導師たちから見れば、この上なく非常識な戦い方に映るのだろう。
魔術師として見ても、あんなことができる者はまずいない。
あれは他の者には真似できない、凛の稀有な才能のなせる業だ。

「ああ、稀に複数の属性を持っている者もいるから、それが理由だろう。
少なくとも、三つ以上持っているのは確実だ。
もしも五大元素複合属性だとすれば、もう奇跡に等しい才能だな」
正確には「もしも」ではなく「本当に」そうなのだから、実にとんでもないやつだ。
俺のことをさんざん非常識だと言っているが、あいつだって人のことは言えないと思う。
この世の理を構築する全ての要素を自在に操れるのだから、それこそ反則というものだ。

「参考までに聞きたいんだけど、魔術師は何かしらの属性を持っているんだよね。
じゃあ、シロウはどの属性なの?」
俺の説明に、一応理解の色を示しているフェイトが、思いついたように聞いてくる。

むう、これは困った。
俺の属性は、五大元素に連なるような偉そうなものじゃない。
多分、話したらまたアルフに笑われそうだ。
それにこの属性で出来ることを説明するのも、結構難しい。
投影のことは教えるわけにはいかないので、このあたりはどうにかして誤魔化さないといけない。

とはいえ、教えないという選択肢に出るわけにもいかないので、ここは正直に教える。
気は引けるが、嘘をつくとしたらこの後だ。
「俺か? 俺の属性は“剣”だけど」
「「……………???」」
沈黙が痛い。
さっきまで言っていた属性にそんなものはなかったので、どういう意味なのか考えているようだ。
二人とも頭に「?」マークが浮かんでいるような顔で、首を傾げている。

「えっと……それってどういうこと?
 確か属性って、五つだけなんじゃなかったっけ?」
結局、意味がよくわからなかったらしい。
フェイトが確認するように聞いてくる。

一応他にも「架空元素(虚数)」というモノもあるが、今は関係ないので特に説明はしない。
「基本的にはそうなんだけどな。中にはさらに分化した属性があって、俺の“剣”もそういうものだ。
 この手の属性は、多様性には欠ける傾向がある。俺の場合だと、できるのは剣の属性に近いものに限られるな。
比較的に相性がいいのが、白兵戦用の武器とか金属製品だ。それ以外もできないわけじゃないんだが……」
思わず眉をしかめて口籠る。
最後の方はあまり口にして楽しいことでもないので、察してもらうことにする。

ピンポイントな属性は一点にのみ特化していて、それ以外のことは全くと言っていいほどにできない。
だが、その点に関しては、頂点を狙えるというモノだ。
俺がUBWという反則を持てたのも、ある意味この属性があってこそだ。
こいつのおかげで、俺はこの手の分化属性持ちの中でも、特に特殊な部類に入る。
なにせ身に付けているのが、魔法に最も近いとされる大禁呪だ。特殊どころか、異常と言う方が正しいだろう。

まぁ、この属性だから持てたのか、それともUBWがあるからこそこの属性なのかはわからない。
一つ言えるのは、俺の魔術師としての性能はその大半をUBWにあてており、ただでさえできることの少ない属性なのに、さらにその幅を狭める原因でもある。
その代り、本来なら数百年に及ぶ研鑽の果てに手にするはずの固有結界を、一代で身につけられたのもこのおかげだ。

「つまり、それ以外はほとんどできないってことかい?
 アンタ魔法だけじゃなくて、魔術にも才能がないんだねぇ」
笑いこそしないが、呆れたようにアルフが身も蓋もないことを言ってくれる。
大きなお世話だ。今更言われなくても、随分昔から自覚している。
というかだな、その同情するような眼はやめてくれ。なんだか惨めな気分になってくる。

修業時代、時計塔には俺も籍を置いていたが、周りの連中は誰もが俺を見下していたものだ。
そのためアルフのような反応は、俺にとってはすでに慣れてしまい、新鮮さに欠けるとさえ感じる。
慣れたからといって、それで気分が和らぐわけではないけどな。

まぁ、才能のある者とは、多才であることが条件だと一般的には考えられている。実際、それは間違っていない。
フェイトやなのは、それに凛といった天才たちも、その方面に関しては非常識なまでに多才だ。
一点特化型の天才というのもなくはないが、俺は違うだろう。
才能とは磨くものであって、はじめから完成されているものではない。磨くためには、それ相応の努力がいる。
俺のあれは、生まれ持った特性というか、一種の異能だ。
生物としての衛宮士郎が持ち合わせていたものを、魔術という形で発現させているにすぎない。
鳥が空を飛ぶことができ、魚が泳げるのとおなじだ。
はじめから備わった機能を才能というのは、少し違う気がする。
むしろできて当たり前で、それさえもできなかったらその機能を持つ生物として失格だ。
固有結界のことは、単に運が良かったのか、もしくは偶々だ。
俺が何もしていないうちから存在していた完成品である以上、鳥が飛ぶための翼を持っているのと変わらない。

「もう、アルフ! そんなこと言っちゃ悪いよ。ごめんね、あとでちゃんと言っておくから」
フェイトがアルフに代わって謝罪してくる。
まぁ、普通本人の前で言うことではないか。
だが、俺としては新鮮さにこそ欠けていたが、アルフのような思ったことをはっきり言うのは嫌いじゃない。
時計塔の連中と違って見下していたわけではなく、あれは単に呆れていただけだ。
そこに陰湿なものはないので、どちらかといえば好感さえ持てる。

まぁ、あそこの連中のそれは、アルフとは比べ物にならないぐらいに陰湿だった。
凛という天才には敵わないので、その弟子である俺を見下すことで自尊心を保とうとしていたのだろう。
早い話が、典型的な小物が俺にちょっかいを出していたわけだ。
俺でさえ相手をするのが億劫になり、いつしかほとんど無視するようになっていた。
そんなことだから、凛やルヴィアに路傍の小石のような扱いを受けると、なぜわからなかったのだろう。

「ん、別に気にしなくていいぞ。
俺の師匠なんて、人のことをしょっちゅう「へっぽこ」って罵倒してくれたからな。
 それに比べれば、かわいいものだよ」
凛の奴は、一切遠慮なく罵倒してくれるからな。おかげで、才能の話にはもう慣れた。
腹を立てるとすれば、余程失礼な言い方をするか、陰湿な気持ちを含んでいる場合だ。
そうでないのなら、一々気にするほどのことではない。

「あ、うん。……ありがとう。
 そういえば、アルフを捕まえたときに鎖が動いて、強度も普通じゃなかったって聞いたけど、それもシロウの属性のせい? それに私が斬った後、跡形もなく消えちゃったけど……」
俺が答えると、フェイトの方でも礼を言う。少しだけ赤くなっているのは、照れているからのようだ。

月村邸での戦いのときに、俺が使ったのは干将・莫耶と天の鎖だけ。
本来の使い方ではないにしても、普通と違う動きを見せたのは天の鎖だけなので、そのことを聞いてくる。

「ああ、あの鎖は俺が転送魔法のようなものを使って、手元に持ってきたんだ。あの時使っていた剣も同じだ。
 あれは特別な鎖で、気付いたかもしれないけど魔力の宿ったものだ。
動いたのも、あれ自体がそういう特性を持っているからだな。頑丈なのは、俺が強度を強化したせいだ。
 普段から持ち歩いているのは面倒だし、残骸をそのままにしてるわけにもいかないからな。
用が済んだら、その場所からは消している。
当然剣の属性から離れるほど難しくなるし、消費する魔力も多くなるな」
俺の説明に、フェイトは特に違和感を持つことなく聞いている。
実を言うと、今の説明には内心ハラハラしていた。
使い終わった武装の処遇に関して、「戻す」ではなく「消している」なんて、結構ギリギリの表現も使ってしまった。
これは捉えようによっては、武装を使い捨てにしていることに気付く糸口になるかもしれない。

本来なら、もっと徹底して嘘をつくべきなのだろうが、ただでさえ騙しているのに嘘をつくのは気が引けた。
いろいろと汚いものも見てきたし、さんざん手を汚してきて、今更こんな虫のいい考えをする資格なんて俺にはない。
その自覚もあるだけに、自分の身勝手さに自嘲してしまう。

言葉の違和感や俺の心情には気づかれなかったようなので、小さく安堵のため息をついた。
俺の説明に対し、フェイトは魔導師としての知識から似たようなものを探して、それと同様のものと解釈したらしい。
フェイトが言うには、召喚魔法という括りの中に、無機物を召喚するものがあるそうだ。
さらにそれを、「無機物自動操作」の魔法と組み合わせたような感じだろうと教えてくれた。
別段間違っているというわけでもないし、特に訂正はしなかった。

そのまま話は進んでいき、お互いにできることの確認や得意な距離の話など、この先協力していく上で必要なことを話し合っていった。


*  *  *  *  *


その後、一通りの情報交換を終えたところで、これからの段取りを決めた。

俺は日中学校に行っているので、放課後になってからジュエルシード探しに合流することになる。
一応、なのはたちの様子に変化があった場合には、それを伝えることになっている。
捜索においては、もし俺が発見した際には使い魔を使って連絡し、逆の場合は念話で報告を受けることになる。
発見し封印作業に入る時は、必ず俺が同伴することになった。
万が一を考えれば、万全の態勢で事に当たる方がいいと説得し、了承してもらったのだ。


今回の接触で当初の目的は達したが、それほど多くの情報は得られなかった。
わかったことは、ジュエルシードを欲しているのはフェイトではなくその母親で、その母親がきな臭いというくらいだ。
できればその母親に会いたいが、ここではない本拠地にいるらしい。
ある程度集めて報告に行くときに、口実をつけて同伴させてもらうことにしよう。

夜も少し更けてきたところで、あまり長居しても悪いので今日は帰ることにする。
今のところは上手くいっている。
このまま、最後まで順調にいってくれるといいのだが……。




あとがき

というわけで、今後はなのは組に凛がつき、フェイト組に士郎がつくことになりました。
これで双方の戦力は、表向きは拮抗することになります。
士郎となのはの接点を少なめにしたかったのは、これが理由です。あまり接点が多いと、正体がばれそうですし。

とにかく、今後士郎はフェイトとの接点が多くなります。
表面的には色々とフォローしつつ、凛に情報を流したり裏でこそこそ画策したりするのが、無印での士郎の役どころです。

それとなんと言うか、士郎はまた住居不法占拠することになっちゃいました。はじめの方で「これ以上犯罪に手を染めることはない」なんて言いながら、またやってしまいました。嘘ついてごめんなさい。

士郎の天才観は、少なくとも自分を天才とか才能がある部類とは考えないだろうと思い、あのような形になりました。

次回の更新はかなり空くかもしれません。unlimited codesを購入予定なので、当分はそちらに集中しそうです。
どれぐらい空くかはわかりません。ですが、ちゃんと続けるつもりなので、気長に待っていてください。



[4610] 第8話「休日返上」
Name: やみなべ◆663ea70e ID:fd260d48
Date: 2009/10/29 01:09

SIDE-士郎

現在俺は、この世界に来てからかつてないほどの危機感に襲われている。
理由は簡単。
俺の横に座る恭也さんと、運転席に座る士郎さんが原因だ。


話は少し間にさかのぼる。
俺たちは、高町家と月村家主催の温泉旅行に参加し、目的地に向かう車の中だ。

参加者は、両家の他にアリサと凛、そして俺。
俺たちが参加することになったのは、保護者のいない俺たちに気を使ってくれた、桃子さんが誘ってくれたから。
せっかくの申し出を断るのも悪いので、ありがたく参加させてもらった次第だ。ただ、旅費くらいは出そうと思ったのだが、子どもに出させるほど困っていないから、と快く出してくれたのは恐縮だった。
凛は出費が減って喜んでいたけど……。

人数が多いので、車二台に分乗して向かうことになった。
当初は高町家夫妻に恭也さんと忍さんの組と、その他の面子に分かれていた。
だが、俺が女性ばかりの空間は居心地が良くないのと、人口が密集しすぎているという名目で車を移った。
正直、凛とすずかに挟まれているのは、命の危険を感じた。

さすがに恭也さんも車の中では戦わないだろうし、今回は旅行なので稽古の話もでないだろう、と思ってこちらに移った。確かに予想通り、そういった事態にはなっていない。
しかし恭也さんは俺との再戦が待ち遠しいのか、車に乗ってすぐからこちらに向かって闘気を放っている。
いつまでたっても返事はおろか、顔さえ合わせようとしない俺に業を煮やしているのかもしれない。
だが、さすがに場の空気は弁えているのだろう。あからさまな態度に出てこないのがせめてもの救いだ。

そう思っていると、桃子さんが話しかけてきた。
「ねぇ、士郎君?」
「はい! なんですか?」
俺にとっての救いの声がかけられる。
この胃に負担の来る空気を少しでも変えてくれるだけで、天使が手を差し伸べているようにさえ思えてくる。
でもそれが錯覚だったことを、すぐに思い知ることになる。

「なのはと結婚して、翠屋継ぐ気ない?」
「「「「………………」」」」
突然爆弾が投下される。
さっきまで(俺と恭也さんの間を除いて)和やかだった空気が凍りつく。

「士郎君料理上手だし、接客というか執事もできるのよね。
 うちの子たちは皆、そういうことに明るくなくてね。
士郎君が後を継いでくれると、安心なんだけど」
「ああ、なるほど。
 確かにいいですね、それ」
桃子さんは空気を読まずに続ける。ついでに忍さんがそれに同意する。
別に悪意があるわけではなく、単に思いついたことを言っているだけなのだろう。
その無邪気さが今は憎い。

忍さんの方はちょっと微妙。
だって、声がすごく楽しそうなのだ。
何か思惑でもあるのではないか、と勘繰ってしまう。

しかし、今の俺はそれどころではない。
「「……士郎(君)」」
ものすごい殺気を孕んだ、地の底から響くような二つの声が聞こえる。
ただ今ライブで大ピンチ!! この世界に来てから一番の危機が、いま俺に迫っている!

俺はフリーズしていた思考を必死に再起動させる。
「な、何言ってるんですか!? 俺にその気はありません!
というか、そもそもなのはは友達で、そういうものの対象じゃありませんから!!」
生き延びるために、全力で説明する。このままでは恭也さんだけでなく、その師である士郎さんまで敵になる。この師弟を敵に回して生き延びられる人間が、この世界に何人いるだろうか。

「あら、そう。残念ねぇ。ま、士郎君には凛ちゃんがいるもんね。浮気は駄目よね、やっぱり」
この話はここで終わってくれた。
だが、前と横から向けられる殺気には微塵の衰えもない。

このとき俺は確信した。
この旅行は俺にとってだけは、慰安どころか胃に穴の開くストレスとの、戦いの場になるだろうことを。



第8話「休日返上」



出だしから胃がキリキリと痛むが、なんとか旅館に到着した。
この先俺は、士郎さんか恭也さんが背後に立つだけで、条件反射で身構えてしまいそうだ。
俺に味方はいないのだろうか。……なんだか本当にいなさそうだな。

とりあえず温泉に来たのならば、温泉に入るのは当然だ。
荷物を置いて、早速温泉に向かう。
高町夫妻は散歩に行ったので、俺と恭也さんで向かうことになる。
恭也さんと一緒に風呂に入ることに危機感を覚える。俺の過剰反応に過ぎないことは分かっていても、どうしても警戒してしまうから仕方がない。

入り口となる暖簾が見えてきたところで、凛たち女性陣と合流する。
なのはの手には、ジタバタ暴れるユーノがいる。この様子では、一緒に女湯に入れる気のようだ。
いかにフェレットとはいえ、男(オス)である以上は女湯に入るのは気が引けるのだろう。
あそこは全男性にとっての全て遠き理想郷だが、辿り着けない方がいいところでもある。
このメンバーなら眼福だろうが、その分罪悪感やら背徳感に苛まれそうだ。
同じ男性のよしみで助けてやることにする。

というか、そもそもここの温泉は、ペットを湯に入れていいのだろうか。動物も入れられる温泉というのもなくはないが、そうあるモノでもないはずだ。
気兼ねなく連れてきている辺り、特に問題はないのかな。小動物くらいなら、多めに見てもらえるのかもしれない。

「なのは、ユーノは俺が預かるよ」
「え~!? 一緒に入ろうと思ってるのに~」
やはり思った通りだ。本人は特に気にしていないかもしれないが、それが男の心を傷つける。

凛から聞くところによると、このフェレットはなのはに気があるらしい。危ないところを助けてもらい、その後も善意で協力してくれる相手に好意を持つのはおかしくない。たとえそこに、人間とフェレットという越えられない壁があろうとも。
なのに、まるで相手にされていないとなれば、さぞかし傷つくだろう。いずれ打ち砕かれる思いでも、それはかわいそうだ。

「ユーノはオスだろう? いくらフェレット相手でも、慎みを持て。女の子なんだから。
それにユーノも嫌がっている」
もしかしたらこいつも、アルフ同様に人型になれるかもしれないのだ。その姿を見て、まだそんなことが言えるとは思えない。これは、なのはたちのためでもある。
正直言って、凛の裸を人型になれる奴に見せたくない、というのもある。
というか、これが一番重要なんだけどな。
でもユーノが人型になれるとしたら、その場合にはなのはへの恋心は成就しうるのかな?う~ん、わからん。

「む~…わかった。じゃあお願いね」
一応納得したのか、残念そうにユーノをこちらに渡す。
ユーノは俺に向かって、何度も頭を下げている。こいつにとって俺は、救「生」主のように見えているかもしれない。
うん、実にいいことをした。


  *  *  *  *  *


現在風呂に入って、くつろいでいる。
よかった。恭也さんも、さっきのをいつまでも引きずっていないようだ。
向こうがくつろいで闘気をださないので、俺もやっと人心地つける。

だって言うのに、今度は別の意味でくつろげなくなる。
「わぁ、やっぱり凛ちゃんって肌きれいだよねぇ」とか。
「そういうなのはだって、きれいな肌してるわよ。ほら!」とか。
「きゃ!? や、やめてよ、くすぐったいよぉ」とか。
「あぁ~!? 何そっちで勝手にいちゃついてるのよ。私たちも混ぜなさ~い!」とか。
「え!? それで何でわたしのところに来るの? なのはちゃんたちはあっち…」とか。
なんてやり取りがなされてからは、壁を隔てた女湯からはかしましい声が響いてくる。
時々嬌声やら、妙に艶っぽい声が聞こえてきて落ち着きません。一体何をやっているのだろう?

詳しい状況なんて、音声だけでわかるはずもない。
一つわかったのは、率先してアリサと忍さんがセクハラに及んでいることだ。
なにせ二人の声は、他の面々に比べ非常に楽しそうだったのだから、多分間違ってはいないだろう。

やはり俺には、安息の地はないらしい。ええ、とっくに覚悟は出来てましたよ、もちろん。
だがやはり、ユーノを助けて正解だったか。あんなところにいては、心労と緊張で大変なことになっていただろう。改めていいことをしたと思う。

それとすずかの疑問の叫びには、ちゃんと答えが返ってきた。
「う~ん。たぶん手近なところにいたからじゃないかな~」
その解答は、やけにくつろいだ美由紀さんの声だった。
あの人の周りだけ妙に空気が違う。
はじめのうちは皆と同様にかしましくしていたようなのだが、いつの間にかまったりしているのが印象的だった。


「ところで士郎。その胸の傷はどうしたんだ?」
居心地の良くない環境で、少しでも気分を切り替えようと思ったのか、恭也さんが俺の心臓のあたりを見て聞いてくる。単に気づいたことを口にしただけのようで、そこには特に好奇心のようなものも感じられない。

そこにあるのは、幼い子供の肉体には不釣り合いな小さな傷跡。
今の俺の体は、人形に乗り換えたことで、元の体に刻まれた傷のほぼ全てがリセットされている。左腕のことを除けば、これが唯一前の体から引き継がれたものだ。
見る人が見ればわかるだろう。これは鋭利な刃物を用い、常識はずれの技量で貫かれた跡だ。

十年前。まだ聖杯戦争の存在そのものを知らなかったとき、夜の学校で目撃した赤き弓兵と蒼き槍兵の戦い。
迂闊にも気づかれてしまったために、俺はランサーに口封じのため命を狙われた。当然、人間ごときが英霊から逃れられるはずもなく、俺はこの心臓を血のように紅い魔槍で貫かれた。
真名解放をして、その呪いを全開にしての刺突ではなかったが、それでもその不治の呪いの一端ぐらいは、その効果を発揮した。おかげで、凛が父親の形見の宝石を使い治療してくれたにもかかわらず、傷跡は残った。

それは人形の体になっても、変わらずこの身に残っている。
姫君に奪われた腕と同じように、あの呪いも肉体ではなく、魂に刻みつけられたもののようだ。だけど本来なら、担い手と共にあの槍が失われた時点で、この傷の呪いもなくなったはずだ。呪いが消えた以上、体を乗り換えた時点で傷が引き継がれることもなかったはずなのに、なんとも不思議なことがあったものだ。

まあ、別に傷が残ったからといって、特に気にしているわけでもない。
この傷はあの戦いに身を投じることになる、最初のきっかけだったとも言える。
この傷を見るたびに、あの二週間にも満たない戦いの情景を思い出す。
年を経るほどに、日が経つにつれ、あの戦いの光景は薄れていく。
もはや、ほとんど思いだすこともできなくなった。
それでも心に残ったモノはある。この傷跡は、それを思い出させてくれる。

「昔未熟だったころに、いろいろありまして。これは、その頃につけられたものですよ」
右手の指で傷跡をなぞりながら、あの槍兵のことを思い出す。

一度は殺されたにもかかわらず、不思議と奴に対して反感や憎悪といった感情は沸いてこない。
相手が仇であろうと、気が合うなら膝を交えて語り明かすのが情だ。なんて、さもそれが当たり前のことのように言う、そんな奴だったせいかもしれない。
あるいは、その命と引き換えに、約束通り凛を助けてくれたからだろうか。本人は、自分の信条に肩入れしているだけだ、と言っていたが、今でも感謝している。

聖杯に託す望みなどなく、ただ強敵と思う存分、力の限りに戦うことがアイツの望みだった。
開戦すらしないうちにマスターを倒され、不本意な令呪によって主替えに賛同させられ、結局望む様な戦いができなかったあの男。
だが、あいつに対して負の感情を持たないのと同様に、同情しようとも思わない。結果はどうあれ、それがアイツの進んだ道なら、同情なんてしようものなら殺されそうだ。

昔のことを思い出し、感慨にふける俺に、恭也さんも特にこれ以上何も聞いてはこなかった。
「……そうか…」
そう言って、そのまま会話は途切れてしまった。
別の話題を探すのもなんだが気が引けて、お互いに黙り込んでしまう。
だがその空気は悪くなく、むしろ心地よくさえあった。

しかし、それも長くは続かない。相変わらず壁一枚隔てた女湯からは、かしましい声が聞こえてくる。
その声と内容に、あらためて居心地の悪さを感じつつ、穏やかに時間は過ぎて行った。


  *  *  *  *  *


ただ聴いているだけでもバツが悪いし、すぐにのぼせてしまうので、長湯せずに上がることにした。
今は浴衣を着て、廊下で涼んでいる。

しばらくすると凛たちも上がったのか、またかしましい声が聞こえてきた。
凛もだいぶみんなに馴染んできた。いままではずっと戦場暮らしで、こんなに穏やかで温かい日々はご無沙汰だったからな。これからはこの世界で、こんな日常を謳歌できたらいいと思う。
そのためにも厄介事に早く決着をつけて、この日常に戻りたいな。
そんなことを思っていると、気がつくと凛たちの声がやんでいる。一体どうしたのかと思い向かってみる。


あれ? なんでアルフがいるんだ?
こいつがいるということは、フェイトも来ているのか。

今はどうも、凛となのはにちょっかいをかけているみたいだ。敵戦力を改めて確認しているのかもしれない。
しかし、戦力確認のためとはいえ、単独で様子を見に来るのはリスクがある。ならば、念のためにフェイトも同行しているはずだが。

ただ、アルフの無礼な態度に凛とアリサが怒り気味だ。せっかくの気分のいい時間を邪魔されて、不機嫌になっている。
快楽主義者を自認するあいつからすれば、今のアルフは街のナンパ男と大差のない、耳の近くを飛ぶ邪魔な蚊のように感じているのかも。

話を聞きたいが、この場では知り合いのようにふるまうのもよくないか。
仕方ないので、覚えたての念話で注意する。
『はぁ、何やってるんだ? アルフ』
『え!? アンタ士郎?』
やはり俺のことは知らなかったのか、驚いたように聞き返してくる。

『なんでアンタがここにいるんだよ?』
尋ねてくる声には、溢れんばかりに不信感が満ちている。
無理もないのだろうが、ここまであからさまな態度に出られると、さすがに気持ちのいいものではない。
アルフの率直さは気に入っているが、少しは隠そうとしてもいいだろうに…。

『それは俺のセリフだ。
俺がいるのは、なのはの親御さんに誘われたからだよ。
俺に両親がいないのを気にしてくれたんだ。断るわけにはいかないだろう』
それに呆れたように返してやる。
こちらとしては、気分的に針のむしろなところもあるが、それでもせっかくの旅行だ。
荒事は忘れて、ゆっくりしたいのが人情だ。

『ふ~ん。そういえば、結構仲良くしてるんだったっけ。
 よくそんな相手と敵対できるよな、アンタ』
ふむ、懐疑的な物言いだな。
まぁ、仕方がないか。いくら効率がいいとは言っても、普通なら無防備に信じられるような行動ではない。
実際に騙しているわけだし。

『そんなことはどうでもいい。で、本当に何やってるんだ?
 フェイトはどうした、一緒じゃないのか?』
戦力確認は必要なことだが、俺からある程度の情報を貰っているので、そこまで重要な案件ではない。
それに、フェイトがそういうことに乗り気になるとも考えにくい。
少なくとも、積極的になのはたちに関わろうとはしないはずだ。

だとしたら、本命は探し物か。
だが、ジュエルシードの捜索自体は二人別行動をとることもあるが、それなら人目につかないように動いているはずだ。
もしフェイトが一緒だとするなら、こうして出てきたところを見ると、すでに捜索も封印も終わっているのかもしれないな。アルフがいるのは、ついでにこっちの様子を見に来たのだろうと思う。

『ああ、ここじゃないけど、近くにいるよ』
『目的はジュエルシードか?』
やはりそうか。封印に関しては、万全を期すために二人一緒に行動している。
こいつ一人ならともかく、フェイトまでいるのならかなり高い確率であるのだろう。

『そういうこと。この辺にあるみたいでね、いま詳しい位置を探してる。
 私はその子らがいたんで、様子を見に来たんだよ』
予想では、すでに封印までこぎつけているかとも思っていたが、今は最後の詰めをしているところらしい。
ならば、今夜にでも動くだろう。それなら凛にも教えておくか。
なのははまだ勝てないだろうが、負けても経験を積ませた方がいいかもしれない。

『もしかすると、向こうが動くこともありうるな。
 見つけたら俺にも教えろ。手伝うし、邪魔が入るなら足止めくらいはする』
まだ信用されていないこともあるのか、今回は連絡がされなかった。
今後もこれでは困るので、早めに信用されるようにしないといけない。
そのためにはいっそ荒事になって、頼りになる存在とまではいかなくても、せめて「味方」なのだとアピールすることが必要だな。
なのはが出るかの判断は凛に任せることにするつもりだったが、足場を固めるためにも、ここは出てきてもらった方が俺としても都合がいいか。

『あいよ! じゃ、そんときは頼むわ』
近くに競争相手がいることもあり、実際に動くときはちゃんと連絡はあるはずだ。
まさか、俺から情報が漏れているとは思っていないようで、頼りにされるのは望み通りの展開なのだが、そのことに一抹の罪悪感を覚えてしまう。
余計な思考はカットし、そこで念話を終える。

「いやぁ~、なんでもないよ。ちょっと知っている子に似てたから話しかけたのさ」
アルフはそう言って去っていく。
凛とアリサは見えなくなるまで睨みつけていた。ただ、なのははアルフの奴が何かしたのか、どこか怯えたような様子だった。

さて、凛にこのことを伝えておくか。せっかくの旅行だが、こうなっては仕方ない。俺がなのはに協力していないことをアピールするうえでも、どこかでぶつかっておきたかったわけだし、ちょうどいい機会かな。


凛に伝えた結果、俺の考えに同意してくれた。まだ勝つのは無理だが、ちゃんと負けと向き合ってどうして負けたのかを考えれば、それは大きな経験値となって次につながる。凛がいる以上、その点には心配ない。徹底的に洗い出して、次につなげてくるだろう。だがその際に……
「まぁ、私は負けたことなんてほとんどないし、励まし方なんてわからないけどねぇ~」
と言って、励ます役をユーノに押し付ける気でいるようだった。

飴と鞭とは言うが、あいつ自分から飴をわたす気はないな。


  *  *  *  *  *


今は大勢の旅行の定番、宴会に参加している。

大人組は当然ながら酒が入っている。
凛もご相伴にあずかろうとしたが、桃子さんにやんわり止められてしまった。その後で、なのはとすずかに「お酒は二十歳になってから」という一般常識を注意されていた。

みんなは知らないことだが、俺と凛の実年齢は、この場で上から3番目と4番目。二十歳なんて、随分前に通り過ぎている。酒を口にするのには、何の問題もないのだ。
でもあの法律って、肉体年齢に課せられたものなのか、それとも実年齢なのか、どっちなんだろう。こんな特殊例は想定されていないから、誰に聞いてもわからないことだが。

他にもあげるなら、俺は車は勿論船や飛行機、というか乗り物全般を「並み」くらいには操縦できる。
でもやっぱり、やっちゃいけないんだろうなぁ。
取得可能年齢になったら、すぐに試験を受けに行こう。
取れないうちは仕方がないが、取れたら凛に馬車馬の如く使われるのは目に見えている。でも取らないと怒りだすので、どのみち取るしかない。
あいつ機械関係はからっきしだから、全部俺にやらせる気だ。携帯にしてもメールは勿論、電話帳さえも使えないアナログぶりだからな。正しく携帯する電話だ。

話がそれた。
現在宴会と言えばお馴染みの、かくし芸大会に移行している。
皆さん思い思いのことをやっているが、あまり芸とはいえないものもあるので、それほど力む必要はなさそうだ。
小学生は基本的に参加しなくていいのだが、俺は今、芸を披露するべくみんなの前に立っている。
別に出たかったわけではない。凛に無理矢理やらされているからだ。

「さぁ次は、衛宮士郎の出番です! 皆さんご期待ください。こいつは無駄に器用なところがあるので、きっと素晴らしいけど、あまり意味のない芸を見せてくれるはずです」
なんでハードルあげて、それもやることを絞るようなことを言うのだろう。おかげで選択肢が非常に狭まってしまった。

そう思って凛の方を見ると、口元を片手で隠しながら笑っている。ああ、なるほど。俺がやれることが減って、困っている姿が見たかっただけね。あの、あくまめ!!
周りは期待のまなざしでこちらを見ている。凛の思惑は成功のようだ。
何をすれば期待にこたえられるか考えるが、いいものが思いつかない。
(さて、どうしたものか。…………そうだ!!!?)
そこで閃いた。あるぞ、この要求を満たすかくし芸が!

「では、ここに一組のトランプがあります。これの束の何番目に何のカードがあるかを当てます!」
『おおぉ~~~!!』
酔いのせいもあって、みんながちゃんとリアクションを返してくれる。モノとしては陳腐だが、実際にやるのは本当に魔術だ。タネも仕掛けもいらないから、そんなものは存在しない。誰にも気づかれないしわからないので、素晴らしいとも言える。
また、できるからといってあまり意味もない。俺以外の人にとっては、だが。

「じゃあ、ファリンさんシャッフルしてください」
「は~い!」
俺の要請に、どこか間延びした声で返事が返ってくる。
切ってくれるのは、典型的ドジっ子メイドのファリンさん。この人ではきっとトランプをばら撒いてしまうが、その方がいい。そうすれば完全にシャッフルされるから。

「あ、あれぇ~~!!?」
案の定ばら撒いてくれた。期待を裏切らない人だ。

「じゃあ何番目か言ってください。俺は束に手を置く以外は、一切何もしませんから」
言ったとおりに手を置く。俺にとってはこれで充分。
手で触れたモノなら解析ができるので、そこからトランプの全容が分かるという仕組み。触れなくてもできるのだが、やはりこちらの方が確実だ。剣や武器関係の以外の物を解析しようとすると、つい目を細めてしまうので、怪しまれるかもしれない。まぁ、怪しまれたからどうという事でもないんだけど。
僅かに魔力を使うが、この程度ならなのはたちにも気付かれる心配もない。

けれど実際に昔これを使った時に、その点で追及を受けたことがあった。別に目を細めたくらいで罰せられることもないので、結局無事に解放された。
なんでそんな追及を受けたかというと、ロンドンでの修業時代にさかのぼる。あの頃は、宝石剣製作のための資金調達や借金返済のためにいろいろやった。
とある御屋敷での執事のバイトから、カジノに行ってのギャンブルまで、内容は多岐にわたる。特にギャンブルでは、命がけになることもあった。イカサマを身につけるというのもあったが、身につけるまでが大変なので、急を要する場合だったこともあり別の方策をとった。

それがこれ。解析で札の配置を読んでしまえば、負けることはない。
生き物や複雑な機械が相手では無理だが、単純なトランプ相手なら眼だけでも可能だ。俺の解析が、こんな形で役に立つとは思わなかった。見るあるいは触れるだけだから、文句の言いようがない。
ただ、これのせいで凛が調子に乗り、さんざんカジノを荒らして回ったのは今やいい思い出だ。そのせいでしばらくすると、ほぼすべてのカジノから「エミヤ・トオサカお断り」の立て札が立てられた。

「上から17番目は?」
「スペードの七」
外野で見物している美由紀さんからの問いに即答する。
今度はばら撒かないように、ファリンさんは慎重にトランプをめくっていく。

外れているはずもないが、結果はというと…
「あ、当たりです!?」
『おおぉ~~!?』
みんなしっかり驚いてくれるので、ちゃんと期待にこたえられたようだ。
アリサが一般的な手品と思ったのか、タネ明かしをしようとこちらにきた。だがそんなものは元からないので、さんざんトランプや俺を調べ、シャッフルの手順を確認し、あらゆる角度から観察するも、最後には悔しそうに退場していった。

そうして出番を終え、戻るときになって視線を感じた。そちらを向くと、仕組みを知っている凛が不機嫌そうに睨んでいたのだ。
魔術を使っていることに対してなのか、それとも俺が期待に反して難なくハードルをクリアしたことなのだろうか、判断がつかない。
もし魔術の方なのだとしても、無理難題を押し付けるお前が悪い、と思いつつ場は進行していきお開きとなった。


さぁ、そろそろフェイト達が動くころだ。
俺も準備を済ませて、さっきアルフから伝えられた合流地点に向かうとするか。



SIDE-凛

なのはがジュエルシードの存在を感じて、ユーノを連れて一緒に向かう。

そこには士郎からの情報のとおり、金髪の魔導師フェイトとその使い魔アルフの姿があった。
ただし、アルフの姿は士郎から聞いていた人型の方だ。
士郎の言うとおり、さっき私たちに絡んできた女だ。そいつが狼の姿に変身していくのを見たが、知っていても驚くわね。
なのはの方は、ユーノから使い魔のことを説明されていた。

士郎は見える範囲にはいないようだけれど、さっき呼ばれたと言っていたから、どこかに隠れているはずだ。
そして、すでにジュエルシードは回収済みらしい。
なら、競争相手として言うことは一つだ。
「そのジュエルシードを渡しなさい。
それは本来ここにいる、ユーノ・スクライアが発掘したものよ。現状では、その所有権は彼にある。
アンタ達のやっていることは、ネコババと同じよ。大人しく渡せば手荒なことはしないわ」
聞くはずがないとわかっている警告をする。同時に左手の人さし指を向けて威嚇する。

「その必要はない。邪魔をしないでもらおう」
森の中から声がする。すると案の定、隠れていた士郎が姿を見せる。

「ア、アーチャーさん!?」
「何であなたが!? それに邪魔って、どういうことですか!!」
当然ながら、なのはとユーノが驚いたように声を上げる。
つい先日、手は貸してやる、なんて言っていた奴にいきなり邪魔と言われては、驚くなという方が無理な話だ。

「どうもこうもあるまい。単なる方針変更だよ。先日の戦闘で、彼女たちの方が優秀だと判断した。
 私の望みはこの騒動の早期解決だ。そのためには君たちに協力するよりも、彼女に協力した方が効率がいいと判断し、私から協力を申し出た」
私から、という点を強調して話している。なら私の方でもそれに合わせないとね。

「つまり、私たちは見限られたということね。
でも今言ったとおり、それの本来の持ち主は、ここにいるユーノよ。それを勝手に、自分のものにしていいと思っているのかしら?」
これは茶番だ。私たちは仲間で、互いの考えていることを知っている。それを知っていて、お互いにとぼけながら周りにいる子供を騙している。それこそ三文芝居もいいところの、誠実さの欠片もないやり取りを続ける。

「そんなことは私の知ったことではないな。
言っただろう。私の望みは、事態の早期解決だ。結果として解決すれば、経緯は問わん。
所有権云々は、君たちで勝手にやりたまえ。私は一切関知しないが、こちらの邪魔をするのなら相手になるぞ」
それにしても、完全に悪役のセリフだ。
かつては正義の味方を目指していた奴が、ここまでわかりやすい悪役を演じているのだから、ある意味滑稽ではある。

「こっちとしても、見過ごすわけにはいかないのよね。
 いいわ、相手になってあげる。なのはは予定通りフェイトを、ユーノはアルフの方を相手にしなさい。私がアーチャーの相手をするわ! 訓練通りにやれば、戦いにはなるはずよ」
言ってすぐに走り出す。今の段階ではなのはに勝機はないが、相手の力を肌で感じるのが今回の狙いだ。ジュエルシードは奪われるけど問題ない。予定通りに事が進めば、最後に帳尻は会う。

私は士郎を連れて、適当に戦ってるふりをするために、森の奥に引き付ける。
同時に、この場における行動に関して打ち合わせをする。
もちろん声に出すわけにはいかないので、パスを使っての密談になる。
『わかってるわね。あんまり手加減しても怪しまれるから、それなりに本気で来なさい。
それと、邪魔をしないように、少しこの場から離れるわよ』
ガンドを乱射しつつ、森の奥を目指して走る。
その間に、士郎にこれからのことを確認する。

『ああ、俺と凛じゃ間合いが違うからな。魔術を防ぎつつ前に出ようする俺と、それをさせまいと距離を取る凛という構図でいくんだろ。向こうが流れ弾に当たっても困るしな』
十年を共有したパートナーだ、今更細かく説明する必要はない。
すぐに意図を察して返してくれる。

さぁ、あっちのケリがつくまで、色気のない深夜のダンスといきますか。



Interlude

SIDE-なのは

この間助けてくれたアーチャーさんが、あのフェイトちゃんという女の子と一緒にいたのは驚いた。
でも、あの人の言葉に納得する私もいる。
弱い私よりも、強いあの子の方がきっとうまくできる。それはわかるのだけど、そのことが無性に寂しく感じる。

でも、今はそれどころじゃない。ジュエルシードはもう封印されちゃったけど、あの子と話すことはできる。
だから、初めは話し合いで何とかしようとしたけど、フェイトちゃんは聞く耳を持たない。

凛ちゃんの言った通りだ。
ちゃんと魔法を修めている人が、ジュエルシードの危険性がわからないはずがない。それでも集めようとするからには、きっとフェイトちゃんには何かそれが必要な理由がある。
そして、それがあるからこそ、説得には応じないだろと凛ちゃんは言っていた。

できれば話し合いで何とかしたかったけど、聞いてくれないなら仕方がない。
フェイトちゃんの方から、聞くように仕向ければいい。
そのために、二人には悪いけど、勝手なことをする。
「お互いのジュエルシードを一つ賭けて戦おう」
「いいの? 勝手にそんなことをして」

本当はいけないけど、このままだとこの子はすぐにでも逃げちゃうから、こうすればきっと相手になってくれる。
「ごめんね、ユーノ君。勝手なことしちゃって…」
「ううん。いいよ、なのは。そもそも巻き込んだのは僕なんだから、それくらいする権利はなのはにはある」
そう言って許してくれるユーノ君に、心の中でお礼を言ってあの子と向き合う。

「チャンスだよ、フェイト! ここでその子を倒せば、またもう一つジュエルシードが手に入る」
この間も一緒にいたオレンジの毛色をした狼さんが、そう言ってフェイトちゃんを駆り立てる。
フェイトちゃんは答えないけど、その目は乗り気みたい。

ユーノ君が言うには、使い魔という存在らしい。昼間に旅館で会ったお姉さんが、狼の姿に変身するのを見た時はかなり驚いた。
声や髪の色が同じだけど、変身するところを見た今でも、ちょっと信じられない。
狼と人間両方の姿になれるというのも凄い。魔法はこんなこともできるんだ。

ちょっと余計なことを考えちゃった。
今は目の前のことに集中しなきゃ。ただでさえ私は素人で、凛ちゃんからも戦っている最中は余計なことを考えないように言われている。
さあ、練習の成果を見せよう。


誘導操作弾「ディバインシューター」を三つ使って、相手の動きを制限しようとする。
作戦では、動きが鈍ったところをバインドで拘束し砲撃を当てる、これはそのための布石だ。

アルフさんの方は、私に飛びかかったところをユーノ君に邪魔された。そのままユーノ君がアルフさんを連れて魔法でどこかに消えてしまったので、今私たちは一対一で戦っている。

でも、ユーノ君のことを「使い魔」って言うなんて失礼だ。
ユーノ君は、私の大事な友達なんだから。

最初は凛ちゃんみたいな戦い方をしようと思ったけど…
「アンタの武器は、その砲撃なんだから。それまでに消費する魔力は少ない方がいいわ。
 誘導弾とやらで動きを制限して、バインドで止め、そこに砲撃がコンセプトよ」
ということで、今のスタイルになった。
一応誘導弾で追いかけながらも、いつでも砲撃が撃てるように準備は進めている。できれば確実に当てるために、バインドで捕まえてしまいたい。効果の方は凛ちゃんからお墨付きをもらっているので、一度捕まえてしまえばそう簡単には逃がさない自信はある。だけど今のわたしだと、バインドは準備に時間がかかるし、高速で動いている相手を捕まえるのは難しい。
だから、狙うのは動きが鈍った瞬間に砲撃を撃ちこむこと。もうシューティングモードにすれば、すぐにでも撃てる状態だ。

でも、そう簡単にはいかなくて、フェイトちゃんの動きに合わせて動かすので精一杯。
さっきからフェイトちゃんは、蛇行したり唐突に制動をかけてディバインシューターをやり過ごしたりするので、動きの変化に対応しきれない。

わたしも後手に回りながらも、何とか誘導弾で追いかけている。
速いのは分かっていたけど、ここまでその長所を生かせるとは思っていなかった。純粋なスピードだけならディバインシューターの方が速いのだけど、たびたび進路を変え、動きに緩急をつけてくるので、それを追いかけることしかできていない。

だけど、蛇行したり制動をかけたりする分、少しずつだけど追い詰めて行っている。
しかし、徐々に追いつかれ当たりそうになっても、高速機動の魔法で大きく左右に動いて結局かわされる。
動きの変化に目がついていかない。辺りが暗いこともあり、一瞬見失いそうになる。

とてもではないけど、凛ちゃんの言うような「敵の動きを操作する」なんてできそうにない。
凛ちゃんからは「誘導弾をそれぞれ別々に動かして、思うように動けないようにしてやりなさい」と言われているけど、わたしではまだそこまで細かいコントロールはできない。こうして後を追いかけ、こちらに向かう余裕を与えないので精一杯だ。

すると、今までの前後左右だけの動きから、突然急上昇した。これまでの前後左右の動きに目が慣れていて、まったく違う動きに反応が遅れ、そのまま誘導弾もおいていかれる。

「撃ち抜け、豪雷―――サンダー…スマッシャー!!」
そんな声が聞こえ、反射的に防御する。

「ラウンドシールド!」
右手を掲げ、その前面に円形の楯を作り出す。
防御用の魔法は、攻撃以上に力を入れて練習してきたおかげで、ちゃんと防ぐことができた。
だけど危なかった。いまのを直撃されてたら、間違いなく負けていた。
凛ちゃんが、真っ先に守りを教えてくれた意味がわかった気がする。

フェイトちゃんの攻撃を防御した時点で、あらかじめ準備していた砲撃を撃つ体勢に移行する。
急いでレイジングハートをシューティングモードにし、お返しとばかりに砲撃を返す。
「ディバイン…バスター!」
打ってきた方向に向けて撃ち返す。いくらなんでもあれだけの攻撃の後に、すぐに動けるとは思えない。
これで倒せなくても、少しくらいダメージを与えることはできるはず。

…でもこの高さからもし落ちたら、とそんな考えが一瞬だけ頭をよぎった。
そのことに意識が行き、砲撃を防御した際の閃光に目が眩み、相手を見失った。

そのためらいが勝負を決めた。凛ちゃんに、あれほど躊躇するなと言われていたのに。
気付くと後ろに回られていて、鎌を首に突き付けられていた。
「わたしの勝ち、だね」
静かな声でそう宣言する。

ここに初戦の負けが決まった。

Interlude out



結果は当然ながら、なのはの負け。

訓練の成果か、それなりに戦いにはなったが結局は負けた。
経験の差で隙ができ、そこを突かれる形になった。

誘導弾ディバインシューターを使っての戦闘をメインにし、動きを制限して隙ができたところに砲撃を打つのが基本戦略だ。
しかし、まだ相手のスピードに対応しきれないのか、それとも場が暗かったせいか、一瞬相手を見失ったところで隙ができた。
そこへ相手の砲撃がきて、防いで反撃をしたまでは良かった。落としたと思って油断したのか、動きが止まったところで間合いを詰められて負けた。

ジュエルシードを餌にして戦ったらしく、今相手に一個持っていかれたところだ。あとで帳尻を合わせるつもりだが、全く勝手なことをしてくれる。

ユーノの方もアルフの足止めをしていたようだ。小さい体を生かして逃げ回りつつ、要所で防御魔法を使い、うまいこと凌いでいた。
まぁ、負けこそしなかったが、元から戦闘タイプではないので勝てるはずもない。
決着がついたのを察して、戻ることにする。

目的のものを手に入れたフェイトがこの場を去ろうとするが、そこへなのはの声がかかる。
「わたしはなのは。高町なのは!! あなたの名前は?」
負けても見苦しくしないのは立派だが、なぜ名前を聞くのだろう。

「もう、知っているみたいだったけど?」
そうだ。初見の時になのはたちも、アルフが叫んだ名前はしっかり聞いていたはずだ。ファーストネームである「フェイト」という名前はすでに知っているのだから、今更聞くことでもないはずだが…。
なのに、わざわざこうして名前を尋ねている。ファミリーネームでも聞きたいのだろうか? でも、それだってそんなに重要なものでもない。
まぁ、あの子のことだから難しいことなど考えずに、聞きたいから聞いたのかもしれない。

「でもわたしは、まだあなたの名前を、ちゃんと「あなたの言葉」で聞いていない! だから、教えて」
これだけは譲れない、という気概を感じさせる言葉が響く。
「あなたの言葉」ね。本人の口から聞かなければ意味がない、と言いたいようだ。
確かにあの子らしいと言えばらしいかな。

「フェイト。フェイト・テスタロッサ。もうわたしたちの邪魔はしないで、この先も怪我をさせない自信はないから」
本気でそう思っているのか、それとも戦いを避けたいのか、いまいち判然とはしない言葉を残して去っていく。

私に少し遅れて戻ってきた士郎は、フェイトとは逆になのはの前に立ち口を開く。
「君の気概は買うし、才能も認めよう。潜在能力の上では、そう差があるとは思えんしな。
 だが、今の君ではどうやってもフェイトには勝てない。あの子には覚悟があり、君にはそれがない。
 覚悟の有無は、戦場では命にかかわる。先ほど、君は一瞬だが躊躇した。それが最大の敗因だ。
 この先もそれでは、いつまでたっても勝てんぞ。覚悟が持てないのなら、もう手を引くことだ」
そうして士郎も森の中に去っていく。アイツ、私と闘いながらそんなことまで見ていたのか。さっきなのはの動きが止まったのはそのせいみたいね。

お互いに全力からはほど遠いが、この鬱蒼とした森の中で様子を見ていたとは、つくづくいい眼をしている。
それに、手を引くようなことを言っているが、実際にはアドバイスだ。
こいつも結局は面倒見がいい。


私はなのはの様子を見に行く。まぁこの子とはまだ付き合いが浅いが、性格は把握している。
「で、手を引けって話だけど、どうするの?」
「もちろん、絶対にあきらめない。まだ回収してないジュエルシードはたくさんあるから、探していればまだ会えるはずだもん。
わたしは、フェイトちゃんとまだちゃんとお話できてないから」
当然こう答えるとは思っていた。負けたのはショックだったろうが、それでどうこうなるほど諦めのいい性格はしていなものね、アンタは。

ただ、これからの訓練は気をつけないといけない。今回のことで力の差はわかったはずだが、そのせいで焦りが生まれるかもしれない。
なのはには、士郎に通じる危うさがある。アイツのように歪みはないと思うけど、程度の差はあるが平然と無茶をやらかすところに共通点がある。無茶が必要な場面はあるが、それは選ばないといけない。少なくとも、今はその段階ではない。
しっかりと手綱を握ってやらないと、見てないところできっとこの子は無茶をする。正式ではないが、まがりなりにも師である以上、監督するのは私の責任だ。

やれやれ、厄介な奴の面倒ばかり見ている気もするけど、それが充実しているんだから、私も筋金入りかもしれないわね。



Interlude

SIDE-フェイト

いま私たちは、競争相手たちが後ろから追ってこないか警戒しながら、森の奥へと進んでいる。

今回はかなりの収穫があった。
封印回収したジュエルシード以外にも、あの白い子から勝ちとった一つも加えて、合計で二個を手に入れられた。
これも競争相手の中で最も厄介な赤い子を、シロウが引きつけてくれたおかげだ。背中を気にする必要がなかったし、少し手間取ったけど落ち着いて戦えたのが大きいと思う。
シロウからの情報や以前の様子からの推察通り、まだ戦いには不慣れみたいで不意を突くことができた。

どうやら、士郎の方は決着がつかなかったみたい。
どんな戦いだったかはわからないけど、あの赤い子はかなり強いはず。間違いなく、そう簡単には勝たせてくれない相手だ。
その子を相手に、シロウは怪我ひとつ負うことなく戻ってきた。アルフを簡単に拘束したことからわかっていたけど、やっぱりシロウはすごく強い。
戦いが始まる前に、シロウから「足止めする」という内容の念話を受けた。たぶんだけど、今回もシロウは全力で戦っていないはずだ。知り合いらしいし、怪我をさせないように手加減くらいしていたんだと思う。
はじめて会った時の印象からは想像できなかったけど、話をしてみて、あれで結構優しいところがあるのがわかった。

でも、向こうがそれをする理由はない。
本気で倒しにかかってきたはずの相手に、お互いに怪我をすることなく戦うのは簡単なことじゃない。
少なくても、わたしにはそれを狙ってやる自信はない。
今回は運が良かっただけだ。
あの子に言ったとおり、次もそれができる保証はない。

それと、以前互いの戦力を確認するために軽く模擬戦をした。
高威力の魔法も使わなかったし、全力でやったわけではない。だけど、わたしは結局最後まで一撃も入れられなかった。捌かれたりかわされたりで、すべて防がれてしまったのだ。わたしがスピードが持ち味のように、シロウは防御に長けているみたい。
わたしは空中で距離を取っていたこともあって、余程接近しない限りシロウの方から攻撃はしてこなかった。遠距離攻撃ができないわけではないらしいけど、本人は「できるなら接近戦の方がいいな」とも言っていた。

あと、なんだか動きを完全に読まれているような気がした。
なにせ、いくら速く動いて背後を取ろうとしても、完全に対応されてしまうのだ。
純粋な速さなら、わたしの方がずっと上なのは間違いない。なのに、わたしの動きを正確に把握して、素早く体の向きを変え、背後から迫る魔力弾が振り向きざまに叩き落とされてしまう。
接近戦も同様で、近づいてバルディッシュで直接攻撃しようとしても、両手に持った双剣で簡単に捌かれてしまう。時には、振るう腕をつかまれ投げ飛ばされたこともあった。

技をかけられた時は、すごく奇妙な感覚だった。
それほど力を入れているわけじゃないはずなのに簡単に投げられるし、バリアジャケット越しに攻撃することのできる技というのもあった。
なんでもバリアジャケットを破るのではなく「衝撃のみを貫通させる技だ」と言っていたっけ。そういうものがあるということで、試しに軽くやってもらったのだけど、本当にそんなことができるとは驚いた。あの赤い子がはじめて戦った時にやったのと、同じものかもしれない。

この世界では魔法が発展していない分、そういった技術が磨かれたらしい。
何でも四千年をかけて培われた技術で、その深さはわたしには想像もできない。
新鮮な体験だったこともあり、少し興味が湧いた。もし時間があれば、少しシロウに教わってみようかな。
そうすれば、シロウに勝てる可能性が出てくるだろうし、わたし自身も得るものがあるはずだ。
シロウは、まだまだ人に教えられるレベルじゃないって言うけど、シロウ以上ってどれだけすごいんだろう。

ただそういったこととは別に、模擬戦の間終始シロウは余裕そうだった。
なんだか軽くあしらわれているようで、すごく悔しい思いをした。
何度、砲撃や「奥の手」を使おうと思ったかわからない。
ジュエルシードの捜索や封印の為にも、あまり魔力を無駄に使うわけにはいかなかったので、さすがに使わなかったけど…。

まぁ強いのは事実だし、頼りになるから別に問題はない。
そういえば、わたしがシロウに「強いね」と言うと、シロウは……
「俺は別に強くないよ。単に小細工がうまいだけ。
 スピードや魔力はフェイトと勝負にならないし、術の体系は違うけど術者としても間違いなく格下だよ。
 剣技はそれなりだけど、一流にはほど遠いしな。フェイトは接近戦にも光るものがあるし、俺なんて軽く抜くと思うぞ。まぁ、さすがにまだ負ける気はしないけど、それも時間の問題だな。
俺がフェイトに勝てるのって、腕力くらいじゃないか? ああ、あとは経験か」
なんて、力なく苦笑いしながら否定していた。
どんな「小細工」を使っているのか気になったけど、それを聞いても「教えたら負けそう」と言って教えてくれなかった。

教えてくれないなら、別にそれでいい。
何としても解き明かして、必ず勝って見せるんだから。


かなり森の奥深くまできたところで、シロウが立ち止まって話しかけてくる。
「さて、俺はこれで戻ることにするよ。布団の中にいないのがバレたら心配される」
そう言って、シロウは旅館の方へ向かって歩き出す。
今回のことで、シロウがあの子たちの味方ではないのはわかった。
シロウの姿を見たとき、とても驚いていたのは演技には見えなかった。
完全には信用できないけど、その点は大丈夫だと思う。

深い意味はないけど、気になったことを聞いてみる。
「なんで最後に、あんなことを言ったの?」
それはさっきわたしが戦った白いバリアジャケットの子、たしか「なのは」っていったっけ? その子に対して、シロウが言った言葉。理由はわからないけど、なんだか頭の隅に引っかかった。

「私情を挟む気はないけど、やはり知り合いと闘うのはいい気分じゃないよ。
 できれば引いて欲しいと思ったから言っただけだ。といっても、あれで引くような性格とも思えないけどさ」
苦笑するようにしてシロウは答える。
相手のことを知っているからか、あまり期待してはいないみたい。
つまり、またあの子と戦うことになるのだろう。できればそれは避けたいのだけど。

「ふ~ん。アンタにもそんな、真っ当な感情があったんだねぇ」
「…あのな、人を何だと思ってるんだ。失礼にもほどがあるぞ」
アルフの言葉にムッとなって言い返している。
はじめて会った時に使っていた、戦闘用の口調とのギャップが少し面白い。
もっと感情のない、機械みたいな人だと思っていたけど、本当は結構感情豊かでそれを無理に抑えていたみたい。
この辺りは、私も見習った方がいいかもしれないな。

「でもあの子、思っていたよりも強かった。シロウの話だとまだ初心者らしいのに、この短期間で強くなったとしたら、次も勝てるかはわからないと思う」
「何言ってんだい。あんなのにフェイトが負けるはずないじゃないか。だってフェイトは、あたしのご主人様なんだよ!」
わたしの少し弱気な言葉に、アルフが自信たっぷりに言ってくる。
そうやって信じてくれるのは、とても嬉しい。

「そうだな、現状でフェイトが負けるとは思えない。勝負に絶対はないが、それでもまず負けはないだろうな。
 ただ成長著しいのも事実だ。気をつけて当たる方がいいぞ」
シロウが第三者としての客観的な意見で、賛同と注意をしてくる。

「うん、そうだね。油断しなければまず負けないと思うよ」
「当ったり前だろ!」
いつの間にか、以前あったような警戒がなくなっていた。こっちのシロウの言葉はまっすぐで、素直に信じてしまえるから不思議だ。いつもこうの方がいいな、なんて思ってしまう。

そんなやり取りをするが、そこでシロウが思いついたように言ってくる。
「ただな、本当の強者っていうのは、それがたとえ万分の一の勝機でも手繰り寄せられる奴だ。
 なのはがそうかはわからないけど、それは憶えておいた方がいいぞ」
シロウの言う強者の定義。それにはどこか遠い昔を思い出すような響きがあった。

「そういうものなの? もしかしてシロウ、そんな人のこと知ってるとか」
「ああ、強い奴って言うならタイプは違っても、色々見てきたからな……」
その先はシロウも言わないけど、懐かしそうに答えてくれた。

もっとたくさん話を聞いてみたい、そんな風に思った夜だった。

Interlude out




あとがき

新年、明けましておめでとうございます。
おかげさまで、なんとか先に進めそうです。

今回は、少し過去に思いをはせるお話でした。
士郎が裸になる機会なんてあまりないですし、せめてランサーから受けた傷は残しておきたかったのでこんな形になりました。あれがある意味一つの始まりでしたから、やはり大事なものだと思います。

言峰伝来のマジカル八極拳は、ちゃんと凛を通じて習得しています。
他にもバゼットからキックボクシングを習ったり、ルヴィアからレスリングを習ったりもしていますけど、使う機会はあるかわかりません。このままフェイトに少し教えたり、Stsで新人組に教えたりしてもいいですね。



では、感想の返信をしようと思います。

緑一色様へ。
とらハとのクロスに関しては、作者の不勉強もあり、これ以上は踏み込まないつもりです。外伝で少しくらい関わることもあるかもしれませんが、それでもあまり深くは関わらない予定です。そもそも外伝ができるかも怪しいですが。
魔力量に関しては、凛がバックアップできることですし、それほど多くはしないことにしました。あまり魔力量の多い士郎だと最強モノになりそうですし、どこかで「戦闘中に魔力切れになる」という展開を入れたいと考えています。そのため、あまり多くない方がいいと考えました。
飛行宝具に関してはいくつか制限というか縛りを設け、あるけど使い勝手の悪いモノ、という位置づけにするつもりです。
あと士郎の狙撃の腕を考えると、やはり相手の攻撃の届かない距離こそが士郎の独壇場ですよ。何も酸素ボンベを抱えてまで、そんな高いところから攻撃しなくても、単純な超遠距離狙撃で十分かなと思います。
当SSの士郎の最大射程は、三キロから四キロの間位を考えています。十分すぎるくらいに異常です。
普通に考えて、リリなの世界でこれに対抗できそうなのって、はやてだけなんですよね。他の面子だと、よけるか防御しながら自分の射程距離まで近づくしかないでしょう。
そういえば、A’sでなのはが「ディバインバスター・エクステンション」でヴィータを攻撃した時の距離ってどれくらいなんでしょうか? 「常識外の遠距離」くらいしか調べてもわからないんですよ。移動時間も考えると、個人的には一キロくらいかなと思うんですけど、それだと常識外と言っていいのかどうか? とりあえず、当SSでは士郎には及ばないという設定でいきますので、少々先の話になりますがご了承ください。

るしふぁー様へ。
両陣営の強化、という展開にはならないでしょう。士郎は裏では凛と繋がっていますので、結局はなのはの味方です。ただでさえ不利なのに、これ以上分が悪くなるようなマネはしないでしょう。もしフェイトが強化されるとすれば、A’sに入って正しく味方になってからになると思います。
あと、文章のアドバイスありがとうございます。確かにその方が読みやすそうですね。いつもお世話になってしまい、申し訳ございません。今後はそのような形でやらせて頂きます。

白いクロ様へ。
楽しんでいただけているのなら幸いです。せっかく二人いるのだからこういう展開もありだろうと思い、思い切ってやってみました。いろいろと心配だったのですが、思いのほか好評で安心しました。


応援ありがとうございます。
無印完結目指して頑張っていきますので、これからも応援宜しくお願いします。



[4610] 第9話「幕間 衛宮士郎の多忙な一日」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:fd260d48
Date: 2009/11/29 00:23

衛宮士郎の朝は相変わらず早い。
本人としては特別な意識はなく、単に起きてしまうからでしかない。
朝の五時という早朝に起床し、身支度を整える。
一通りの家事を終えてから、朝の鍛錬に移る。

本来は、立派な洋館に師匠兼家族兼恋人の遠坂凛と暮らしていたのだが、今は別居中だ。
喧嘩をしたわけではなく、必要に迫られたからだ。いまは、崩れてこそいない程度の空き家を仮住まいにしている。
ライフラインなど生きてはいないが、そこはスキル執事A+の主夫。いくらでもやりようはあるらしく、家の中はしっかり片付いていて、客を招いても不法占拠を疑われないだろう。

今は台所で、せっせと弁当を作っている。ガスや水道などをどうしているのか甚だ疑問だが、それは彼の特技の投影が何とかしてくれている。水は近くの公園から汲んできているが、それ以外の家電製品やガスは、全て宝具と魔術で代用している。足りないのなら、別のところから持ってくるのが魔術師とはよく言ったもので、その点でいえば優秀といえなくもないかもしれない。

ある意味、これ以上ないくらいに贅沢な生活をしている。魚を焼くのに伝説に名高い魔剣を使うなど、もったいないどころの話ではない。
当人は、使えるものは何でも使う主義らしく、特にそこに感情はなさそうだ。
一応結界は敷いてあるので、魔力は漏れていない。結界そのものは、勘のいい人間なら違和感に気づくレベルだが、効果は十全に発揮している。
決して腕がいいわけではないが、才能の欠片もないと評されていることを考えれば、これだけできるようになっただけでも十分だろう。この辺り、師の教育の成果と言ったところだ。

ちなみに弁当の数が二つなのは、彼の相棒である遠坂凛の分。彼女としては、本来なら朝昼は必ず、晩は交代で士郎の食事なのに、それが食べられなくなるのが不満らしい。あるいは、作る手間を惜しんでいるのかもしれないが…。
「せめて昼は作ってきなさい!!」
家を出る際には、そんな命令をされている。彼としても料理をはじめとした家事は、半ば以上趣味なので文句は言いつつも、こうして律儀に作っている次第だ。

彼としては、自分がいない間に徹底的に散らかるだろう我が家が心配でならないので、これで少しはそれが防げるなら、という淡い希望もあるのかもしれない。
それは、士郎の凛への評価に「片づけに不自由」という項目があるせいだ。


そうして準備を終えた衛宮士郎は、一度遠坂凛と合流してから学校に向かう。



第9話「幕間 衛宮士郎の多忙な一日」



SIDE-士郎

いま俺は凛と一緒に登校している。

当初は、朝に弱い凛がちゃんと起きられるか心配したが、それは杞憂だったようだ。
おそらくは、いつものように幽鬼のような顔で起きてきているのだろうが、それをおくびにも出さずにいるのはさすがだ。
考えてみれば、聖杯戦争前は凛も一人暮らしだったのだから、これぐらいは当然か。
少し歩いたところで、なのはたちとの待ち合わせ場所が近付いてきた。

「あ! おはよう。凛ちゃん、士郎君」
「ええ、おはようございます。高町さん」
「おはよう。なのは」
先に来ていたなのはとあいさつする。
なのは相手には凛も猫を被らないのだが、人目のあるところではその限りではなく、いつもどおり優等生を演じている。

「う~ん。ねぇ凛ちゃん、もっとみんなの前でも普段通りにした方がよくないかな?」
なのはとしては、ほかのクラスメイト達とも壁を作らずに接して欲しいのだろう。
注意するわけではなく、純粋な善意から言ってくる。

「ああ、なのは。言っても無駄だ。俺も前々から思ってたし、何度か言ったことがないわけじゃないんだが…。
何と言うか、凛のこれはもう習性だ。気にしない方がいい」
「なんだか失礼な物言いですね、衛宮君。
習性なんて言ったら、あなたが他人に無償奉仕するのこそ、習性だと思いますけど。
知ってます? 最近ではあなたのことを「聖祥のブラウニー」「バカスパナ」と呼んでいる人たちもいるんですよ」
やばい、凛が俺を「衛宮君」という時は碌なことにならない。大切な話の時も使うが、今回は違う。
この場合は暗に「余計なことを言うな」といっている。これ以上この話題に触れていると、きっと何らかの制裁が下される。早急に別の話題に切り替えないと。

「あ、それ聞いたことある。士郎君、よく学校の壊れたり、故障したりした備品を直してるんだよね。
 すごいよねぇ。わたしも機械とかは得意な方だけど、電子機器の方だから、備品を修理したりとかはできないもん。
 先生が言ってたよ。士郎君には本当に助かってるって。料理とかだけじゃなくて、こんなこともできるんだねぇ。
 そういえばこれを聞いたとき、アリサちゃんがすごく笑ってて、すずかちゃんは納得してたけど、どういう意味なの?
でも、「バカ」は酷いんじゃなかなぁ……」
なのはが俺の珍妙な二つ名に反応して話題を変えてくれる。助かった。正直、どう話題を変えても苦しくなってしまうので、困っていたのだ。ただ、今度は逆に俺が触れてほしくない話題になってしまった。

しかし、「バカスパナ」ね。どこぞの黒豹がそんな呼び方をしていたが、こちらの世界に来てまでそんな呼ばれ方をするとは…。大方、俺が備品の修理をする時にスパナを持っていたから、安易に付けたんだろうな。
たぶん、俺の交友関係に対する嫉妬…とまではいかないまでも、ヤキモチの感情から出たモノだと思う。
いや、華やかなのは確かだから無理もないけど、これがエスカレートしていく事を思うと気が滅入る。なのははこのあたりには気づいていないようだ。単純に、表面的なところしか見ていない。なのはたちがその背景にある感情に気付くのは、いつになるのかね。

ちなみに「バカスパナ」の話には続きがある。俺をそう呼んでいた連中の一部が、つい最近俺に謝罪に来た。その時の表情は、一人残らず憔悴し切っていたし、同時に怯えていた。
犯人は凛で間違いないな。俺が困っている分には放置することが多いが、悪意があってそういうことをする連中には容赦がない。悪意なんて大袈裟なものではないが、アイツは陰口のような陰湿な手が大嫌いだ。黒豹のように真っ向から言っているのであれば違うだろうが、それをしなかったのが彼らの不運。
どういう手を使ったのかは知らないが、彼らには同情したくなった。
まぁ、そうしてかばってくれるのは嬉しいが、もう少し加減をしてほしいものだ。小さい子どもの心に、一生モノの恐怖を植え付けるのは、さすがにやり過ぎだと思う。
ホント、一体何をしたんだろう?

そんなことを考えている俺を余所に、凛がなのはの質問に答える。
「ブラウニーというのは妖精の一種で、家主の寝ている間に勝手に家事をしてくれる、とても助かる妖精なんですよ」
凛が実ににこやかな顔をしている。その際にこちらをチラチラと横目で見て、俺はまさにその通りの存在だと言いたいらしい。

「ああ、なるほどねぇ。うん、それはとっても士郎君らしいね」
なのはが、実に無邪気にうなずいてくれる。俺としては、そんな呼ばれ方は不本意なのだが、こうも邪気がないと怒るに怒れない。

そうしている、アリサとすずかもやってきて学校へ向かうことに。ただその間、話題はずっと俺の学校でのブラウニーとしての活動話だったが。


  *  *  *  *  *  


学生にとってはお馴染みのチャイムが、校内に鳴り響く。
今、お昼休みに入ったところだ。

普段ならここで少し待ち、別クラスのなのはたちと一緒にお弁当を食べるところだ。
だが、俺と凛は今回それを欠席する。登校時になのはと合流する前、昼休みに体育館裏に来るように言われているのだ。
体育館裏といえば呼び出しと喧嘩の定番だが、別にそんな荒っぽいことをするわけではない。家にいない俺との情報交換の場として、最近よくこの時間が利用されており、なのはたちとのお昼をすっぽかすのも初めてではない。
別にパスを使ってのやり取りでもいいのだけど、やはりこういったことはちゃんと会って話すべきだろう。

「後藤君、俺は別に用事ができたから一人で食べる、となのはたちが来たら伝えてくれ」
「承知した。必ずやお伝えしよう」
また変な番組の影響を受けたのか、しゃべり方が小学生らしくない。

俺は交友関係のせいで、未だにクラス(特に男子)に馴染めていない。そんな俺と、唯一親しくしてくれている後藤君に言伝を頼んでクラスを出る。
話の内容はお互いの近況報告だ。俺としても、なのはの成長具合には興味がある。

急いで向かうとしよう。昼休みは長くはないのだから。



Interlude

SIDE-なのは

今日も士郎君はクラスにはおらず、一人で食べるらしいということを後藤君から聞いた。
いつもどおり変なしゃべり方をしていたけど、何度もこのクラスに来たのでもう慣れてしまった。

横ではアリサちゃんが、またすっぽかされたことを怒っている。
「あーもう、あいつはまたいないの!? これで何度目よー!!」
何度もというほどではないけど、以前はちゃんと毎日一緒に食べていたのでちょっとさみしい。

「そういえば、また凛ちゃんもいなくなってるもんね。さっきまで一緒だったはずなのに、いつの間に消えちゃったんだろう? 注意してたはずなのになぁ」
士郎君がいないときは凛ちゃんもいないので、一人でというのがウソなのはわかってる。
凛ちゃんと士郎君は恋人同士みたいだから、二人っきりで食べたいのもわかる。でも、お家ではいつも一緒なんだから、こんな時くらいわたしたちも一緒でもいいと思うのになぁ。

「それは無理もないでござろう。衛宮殿としても、そう度々オカズを略奪されては、たまらぬというもの。
 うむ、恋人と逃げるのもやむなし。いや、仲良きことは美しき哉。カッカッカッカッ…」
確かに士郎君のお弁当は美味しいけど、そんなに貰っているつもりはないんだけどなぁ。
それと、その笑い方お爺さんみたいだよ。本当に同い年?

それにね後藤君、口は災いのもとだよ。もう手遅れだけど。
「うふふ…。そう、また凛ちゃんは抜け駆けしてるんだ。ずるいなぁ。許せないなぁ。うふふふ……」
「ひ、ひぃぃ~~~!?」
あぁ、またすずかちゃんが怖(黒)くなってる…。後藤君も、今は口を押さえて震えている。
すずかちゃんの前でその単語(恋人)はタブーなのに。

士郎君と凛ちゃんが二人で食べるようになってから、すずかちゃんが怖い笑みを受けべるようになってきた。
以前から、二人が恋人であるという話をすると機嫌が悪くなったり、少し悲しそうに暗くなったりはしていた。
けど、二人が抜けだすようになってからは、一気にこれに拍車がかかった。
ただし、それまでの沈んだ様子はなくなった。むしろ反転して、外見の上では気にしていない素ぶりさえしているのに、まったくそうは見えない。
声も口調も、それこそ顔も笑っているのに、眼だけが全然笑っていない。
そのうえ全身からは、わたしたちも見たことのない暗黒のオーラが噴出してて、ジュエルシード以上に危険な感じがする。

辺りを包む暗黒のオーラに気圧されて、背筋が凍る。
(どうしようか、アリサちゃん?)
アリサちゃんに、何とかならないか目で聞いてみる。

アリサちゃんの方でもこの空気には耐えるだけで必死らしく、眼にはいつもの覇気がない。
よく見ると、手や足の一部が少しだけ震えている。
ああ、こんなに気の強いアリサちゃんでも、やっぱり今のすずかちゃんは怖いんだ。
普段おとなしい人を怒らせるのが、一番怖いというのは本当なんだね。
厳密に言うと怒っているわけではない。だけど不機嫌な状態でこれなんだから、もし本当に怒ったらどうなっちゃうんだろう。
うん、絶対にすずかちゃんは怒らせちゃいけない。

(どうするも何も、できることなんてないわよ!
対策は一つ、もうあの二人だけでお昼を食べさせないことだけよ。今日も諦めて、耐えるしかないわ…)
いつもどおりの結論に達して、わたしたちは生贄になった。

うう、恨むよ~。凛ちゃん、士郎君。

Interlude out



ぞわっ!?

…またか。なんだか最近、よくお昼に悪寒が走るな。
とても嫌な予感はするが、考えるのはよそう。どうせ考えたって何もできやしないんだから。
たいていの場合、この結論が間違いないのは経験からわかっている。ならば大人しく、理不尽がやってが来るのを待とう。
そんな全力全開で後ろ向きな思考を振り払って、凛の話を聞く。

「なのはの方は順調よ。魔法の方もだいぶ扱いに慣れてきたし、それほど多くはないけどレパートリーも増えてきたわ。元からその予定だったし、種類が多くないのは当然だけどね。
 この前の負けで少し焦ってきてるけど、ちゃんと手綱は握ってるから無茶はさせないわ。安心して」
凛がそう言うなら問題はないか。こいつは嘘と冗談を言うべきタイミングは弁えているし、意味のない見栄を張ることもない。言っていることは事実なのだろう。

「ただ最近、私に隠れて新しい魔法の練習をしてるのよね。一応、ユーノも一枚噛んでるわ。
まぁ、それほど睡眠時間を削ってるわけでもないし、空いた時間を使ってるだけだから気にするほどでもないわ。自分で現状をどうにかしようとするのを妨げても意味ないしね。当面は好きなようにさせるつもり」
「そうだな。何でも人に言われたことしかできないんじゃ、いざという時に役に立たない。
自分で考えようとしてるんだから、それの有効性はともかく、その姿勢を崩してもメリットはないな」
実際になのはの考えた手段が有効かはわからないが、今はやりたいようにやらせておくことで合意する。

何事にも限度というものがあるし、やり過ぎる様なら、その都度注意していけばいい。
よっぽど無茶なことを考えている、あるいはしているのでもない限り、わざわざ口を出すこともない。

「それになのはは知らないけど、一応使い魔を使って監視しているし、ユーノを締め上げて一通りの話は聞いてるわ。
なんと言うか、とんでもない事を考えてるけど、今のところ問題はなさそうよ」
どうやら「好きなようにさせる」とは言っても、完全に放ったらかしするつもりはないようだ。
無理をし過ぎないか、影ながら監督している。

様子の方は、焦って我武者羅にやっているというよりも、喜々として楽しんでいるらしい。
これなら、それほど心配することもないだろう。
ユーノに関して不穏当なことを言っている気もするが、ここは無視しておこう。

それと、才能のない俺にここまで魔術を仕込んで見せた時点でわかっていたが、やはり凛は師としても一流だな。
教え子の成長を促すために、手を出すべきところと、そうでないところをちゃんと弁えている。手を出さないとしても、それが度を越さないか、あるいは間違った方向に向かわないか、しっかり見極めている。
これなら、なのはが体を壊したり、無茶な訓練をしたりするなどの悪い方向に進むことはないはずだ。

ただ気になるのは「とんでもない事」というのは一体どういうことだろう?
止めに入らない以上それほど危険なものではないのだろうが、表現が穏やかではない。
「ところで、具体的に何をやっているんだ?」
それが向けられるのは間違いなくフェイトだろうし、少し心配になる。
凛がここまで言うのだから、相当ぶっ飛んだことをしようとしているのだろう。

「ああ、今はあんまり気にしなくていいわよ。
 この一件が片付くまでに形になるかだって怪しい代物だし、結構使いどころも難しいものだから。
 一言で言うなら、あの子の新たな一面を垣間見ることになるでしょうね……」
なんだか、妙に顔が引きつっているな。
それに「新たな一面」って、そんなになのはのイメージから離れたことをしようとしているのだろうか。

結局、そのまま詳しいことは教えてもらえなかった。
不確定な情報を出しても意味がないと考えているみたいだし、短期間でモノになるような事でもないと言う。
少なくとも、凛の言葉通りならこの一件が片付くまでに完成するようなモノではないみたいだし、フェイトに矛先が向くことはなさそうだ。
緊急の用件でもないから、別に急いで聞かなければならない事でもない。
何をしようとしているのかは知らないが、その時が来るまでのお楽しみということにしておこう。


「こっちの方は、今までとあまり変化はないな。俺の時間の許す限り、フェイト達の探索に同行してる。
だけど、今のところ成果は上がっていない。わかってることだが、なかなか見つからないな」
そう、温泉の一件以来まだ新しいジュエルシードは見つかっていない。
フェイト達は探索系の魔法も使っているが、なかなか発見できていないのが現状だ。

「さっさと見つけてくれる方が、こっちとしては事が進んでありがたいんだけど……。
そう思惑通りにはいかないわね」
こればかりは仕方がない。
フェイトはあの年齢を考えれば、望み得る限り最高レベルの能力を有している。
そんなフェイトですら思うようにはかどらないのだから、高望みが過ぎると言うものだろう。

ただ、気になることがあるので、そのことも報告しておこう。
「……ああ、そうだ。
それとフェイトのことなんだが、最近どうも調子が悪いみたいだ。顔色も良くないし、相当無理をしているんだろう。今日は下校したらすぐに行って、様子を見てこようと思う」
不調の原因がわかれば、改善もできる。
なのはとしては不調の方がいいのかもしれないが、それだと思わぬ怪我をするかもしれない。
やはり騙しているとはいえ、怪我はしてほしくないし、無理をしている姿を見ているのも気が引ける。なんとかしてやりたいのだが……。

「ふ~ん。衛宮君は優しいのねぇ。まぁしょうがないけど、あの子かわいいもんねぇ」
なんでそう生温かい目で見るかな、コイツは。別に他意はないぞ。
単に、俺じゃ女の子のことなんてほとんどわからないから相談してみただけなのに、どうしてそんな目で見るんだ。

「あのなぁ、そんなことは関係ないだろ。どっちみち、フェイトには頑張ってもらった方がいいんだから、そのためのサポートはするべきだ。
 それと、俺にロリコンの気はないから、そんな目で見るな!」
まったくもって心外だ。俺にはあの英雄王のような偏愛趣味はないというのに。
身体こそ縮んでしまい、若干精神年齢が下がり気味な気がしないでもない。そのせいか、時たま凛たちの何気ない仕草にドギマギすることもあるが、断じてそんな趣味はない。

「ふ~~ん」
それでもなお、凛の眼は生温かい。
まったく信用されていないな。

この後も報告は続くのだが、その間ずっと凛の眼は変態でも見るようなものだった。
なんでさ…。


  *  *  *  *  * 


放課後。

俺は一度仮宿に荷物を置いて着替えてから、予定通りフェイトの家に向かっている。
手土産として、翠屋で購入したシュークリームと桃子さんから分けてもらった茶葉を持参している。
女の子なのだから、甘いものは好きだろうと思っての選択だ。
これで少しでも張り詰めているものを緩めて、リラックスしてくれるといいのだが。


それと、最近になって恭也さん対策がたったので、今では気兼ねなく翠屋に行くことができる。
対策というほど大層なものではないが、要は恭也さんを制することができる人を味方につければよかったのだ。
その制することができる人というのは、桃子さんのこと。外部から観察していてもわかったが、高町家の力関係の頂点に君臨しているし、剣に詳しいわけでもないので、俺を擁護してくれる。

先日翠屋の前を通った時に恭也さんと遭遇し、案の定稽古の件で迫られていたところを助けてもらったのがきっかけだ。
外見は子どもの俺に、いい年した恭也さんが勝負を挑むなど、どう考えても異常だ。ある意味、弱い者いじめのように映らないこともない。そのあたりを叱ってくれたので、桃子さんのいる前では恭也さんも強く出られないでいる。
さすがに道場のある高町家に行くのは危ないが、商売の場でもある翠屋でなら心配がいらなくなった。
おかげで、気兼ねなく翠屋に行くことができるようになったし、安眠もできるようになったので万々歳だ。


玄関の前に到着して、チャイムを押す。
一応鍵は預かっているが、それでも人様の家に無遠慮に入っていくのはよろしくない。
親しき仲にも礼儀あり、だ。親しいかというと少々不安があるが、俺としては親しくしているつもりでいる。

少しすると扉があき、中から黒髪で小柄な日本人女性が出てくる。
最近では見慣れてきたが、これはアルフが魔法で変身した姿だ。
本来の人間形態は髪の色などが結構目立つし、こちらの格好の方が何かと都合がいい。大家さんや訪問販売の人が訪ねてくる時のために、一々変身しているのだ。
「はい、どなた?…って士郎じゃないか。
どうしたんだい? 今日はやけに早いねぇ」
それはそうだ。今日はお茶を飲む時間を捻出するために、凛たちとは別に帰り、大急ぎで来たのだ。
普段はもう少し遅く、夕方あたりから合流しているので、少し驚いているようだ。
しかし、相変らずこの姿でこの口調は違和感があるな。典型的な日本人女性の姿なのに、こんな荒っぽい口調は明らかに不自然だ。人を見た目で判断するべきではないが、やっぱりどうかと思う。
玄関を開けたら俺がいたからなのかもしれないが、もう少ししゃべり方にも気を使った方がいいんじゃないか。

そのことに関しては後でゆっくり話せばいいので、早速用件に入る。
「特に理由はないんだけどな。ほら、これはお土産だ。捜索に入る前に一緒に食べようと思ってさ」
若干息が乱れていることを隠すように、早口に提案してみる。
ついでに、手に持っていた翠屋のロゴの入ったビニール袋を掲げてみせる。

「ああ、悪いね。しっかし、アンタも妙なところでマメだねぇ」
最近ではアルフにも、以前のような警戒や猜疑の眼で見られることも減ってきた。良い兆候なのだが、実際にはその信頼を裏切っているのだから申し訳ない。
もしかしたら今回の土産は、無意識に謝罪の意味を持たせているのかもしれない。そんなことは単なる偽善でしかないのにな。つい自嘲してしまうが、とりあえず中に入ることにする。

「フェイト、士郎が来たよ。なんかお土産があるとかで、一緒に食べようってさ」
ソファーに座るフェイトは、やはりあまり顔色が良くない。
昨日、一応ちゃんと休む様には言ったが、どうやらあまり休まなかったようだ。
まったく、頑張るのと無茶をするのは違うというのに。

まぁ、俺が言っても説得力に欠けるのかもしれないな。
俺も今まで、さんざん無茶をやらかしてきた人間だ。
人のことを言う前に、まず自分のことを何とかしろ、とは常々凛に言われてきたことだ。
事情を知らなくても、何か感じるものがあるのかもしれない。

「あ、ありがとうシロウ。でも、すぐに探索に入ろうと思うから、あとで食べるよ」
予想通りの反応をするフェイト。
贈り物を無碍にする子ではないが、本来の目的である休息を取ってくれるとは思えないので、無理にでも勧める。

「そう急いでも仕方ないだろう。簡単に見つかるものじゃないんだから、気長にやるしかないさ。
 たまには、一度リラックスしてからやるのもいいさ」
「ほら、士郎もこう言ってるんだから、そうしようよ」
俺の言葉にアルフも賛意を示す。こいつとしても、フェイトの不調が気になるのだろう。

すると、アルフの方から念話が送られてくる。
『助かったよ。あたしが言っただけじゃ聞いてくれないんだ』
『まぁ、ああいう性格だからな。自分が無理をする分には耐えられてしまうんだろう。ここは無理にでも少し休んでもらおうと思うんだが……』

俺からの提案に、アルフは即座に同意する。
『賛成。あたしからも言うから頼むよ』
念話での密談で一致団結し、フェイトに休みを取らせる方針が決定する。
この後、俺とアルフに押し切られる形でフェイトも消極的ながら応じてくれた。


早速、翠屋自慢のシュークリームと茶葉で、お茶会を開くことにする。
フェイトを休ませるのが目的である以上、そのフェイトに準備をさせるわけにはいかない。
まだこの家の食器の配置なんかは知らないが、そこは二人に聞きながら荒らさないように丁寧にやればいい。

ところが……
「ああ、悪いんだけどそういうのないんだ。
あたしもフェイトもその辺はからっきしで、たいていは買ってきたのをそのまま飲んでるからさ」
まぁ、仕方がないか。
彼女たちにとってここは、仮宿にすぎない。
ちゃんとした茶器一式をそろえる必要もなかったんだろう。

「わかった。じゃあ俺の奴を使うことにしよう」
さすがに投影魔術のことは教えていないが、俺が物を取り出すことができるのはフェイト達には教えている。
俺の特性を知られるのは避けるべきなので、投影時にはカモフラージュの意味も込めて、懐から取り出すような仕草をする癖をつけた。
しかし、今更二人に対してそんなことをする必要もないので、そのまま両手の間に投影で作り上げる。

剣の概念にかすりもしないが、これの投影は問題なく行える。
形状・材質・その他もろもろ、全て把握させられたからだ。
なにせ戦場でもおいしい紅茶が飲みたいという、わがままを言ってくれる奴がいたからな。
紅茶の入れ方とセットで、茶器の投影の訓練もさせられた。

「前から思ってたんだけど、それって物質転送みたいなものなんだよね。
 そういうのが得意なのに、自分自身の転移とかはできないの?
剣とか、アルフを捕まえた鎖とかも出してたはずだし、それなら自分のこともできるんじゃない?」
以前のことを思い出して、フェイトが聞いてくる。
天の鎖に関しては、一種の召喚魔法を利用した上で、無機物操作をしたようなものとフェイトは解釈している。

「まぁ、それはそうなんだけどな。俺専用の倉庫みたいなのがあって、そこから取り出してる。
でも、俺にできるのはそこから出し入れするだけで、他のところから引っ張ってくるのはできないぞ。
それと同じで、他のところに持っていくのも無理だ。俺の周辺と、その倉庫の間だけの限定的な転位なんだ」
厳密には倉庫ではなく、俺の心象世界からなのだが。俺以外には使えないのは同じなので、これでいいだろう。

「ずいぶんと融通がきかないんだねぇ。不便じゃないかい?」
「別にそんなことはないな。俺にとってはこれが普通だから、特にそんな意識はないぞ」
紅茶をいれながらやり取りをする。話をしながらであろうと手は抜かない。細心の注意を払って、タイミングを見極める。一瞬の違いで味わいが変わってしまう、ここはある意味戦場だ。

「よしっと。さあ出来たぞ! シュークリームを皿に乗せて、テーブルに出してくれ」
話を打ち切り、お茶会を開くことにする。


お茶会は成功し、フェイトも今はまったりとしている。
やはり、おいしいお菓子とお茶があれば、人間は幸せな気分になれる。

「ふむ。ふむふむ」
「……あの、何を笑っているんですか、あなたは」
俺の様子にフェイトが反応して、いぶかしむ様に聞いてくる。
少し不満そうな表情をしているのが、年相応で実にかわいらしい。普段の様子とのギャップがあるから尚更だ。
普段が年齢に対し不相応なくらいにしっかりしているからな、こうして年相応の様子を見られたのには安心する。
こんな時くらいは、張り詰めているものを緩めて欲しいと思ってのお茶会でもあるので、成功して何よりだ。

「なに、感想を聞きたかったが、その顔では聞くまでもないと思っただけだ」
一気に顔を真っ赤にして黙り込む。相当に恥ずかしかったらしい。
今までに見たことのない、実に満ち足りた顔をしていたのは事実だ。感想は、その表情が何よりも雄弁に語ってくれている。

「今日のところは休養だ。根を詰めても、能率は上がらないぞ。
ちゃんとした休息とのバランスが大事なんだからな」
俺の注意を聞いて少し不満そうにするが、その正しさもわかっているんだろう。
今は大人しくうなずいてくれる。

「わかりました。たぶん、無理に行こうとしても絶対に止められるだろうから、今日は大人しく休みます」
無理をしようとすれば、先ほどと同様にアルフと二人がかりで止められるとわかっているらしい。
せめてもの反抗なのか、最近では聞かなくなった敬語で話してくる。こうやって不貞腐れる辺り、まだまだ子どもでかわいいものだ。

「それがいいな。さて、じゃあ休んでもらうんだから、食事も俺が用意するとしよう」
そうして台所に向かい、冷蔵庫の中身と相談しようと中を見る。
そこにあったのは驚愕だった。

「ちょっと待て!! これは一体どういうことだ!?」
あまりの惨状に声が大きくなる。

「どういうことって、何かおかしな所でもあったかい?」
不思議そうに尋ねてくるアルフ。
ああ、おかしいところなどない。なんせ何もないのだから、おかしいところを見つけようがない。

「そんなことを聞いているんじゃない! なぜ冷蔵庫の中に何もないのかと聞いているんだ!」
人が生きていく上で食事は欠かせない。にもかかわらず、ここにはその欠かせない物の材料がない。

「一応、戸棚にインスタントをいれてるし、あとは冷凍庫に冷凍食品とかあるから、普段はそれだけど。それがどうしたんだい?」
最悪の可能性である、コンビニ弁当は回避されていたのはよかった。あんな添加物まみれの食事を若いうちからしていては、碌なことにならない。だが、こちらもそれと大差ない。早急な対策が必要だ。

そういえば、以前アルフの奴がスナック感覚でドッグフードを食べていたな。初めてそれを見た時は唖然とした。人間が、バリバリと音を立てながらドッグフードを食べている姿はかなり異様だった。狼だから一応犬の仲間だし、よく考えればおかしいことではない。だが、あれはやはりびっくりするな。
こちらの使い魔のことなど知らないし、こいつはそれでもいいのかもしれないが、フェイトはその限りではない。

「どうしたかじゃない! 待ってろ、今すぐ材料を買ってきて、まともな食事をさせてやる!」
返事を聞く前に走る! 目指すは近くのスーパーだ。こんなものを食事と認めるものか。俺が食事の素晴らしさを教えてやる。

「え? あ、ちょっと待っ…」
後ろからフェイトの声がかかるが、気にせず家を飛び出る。
この件に関して、フェイト達の意見を聞く気はない。
いいから、大人しく待っていろ。すぐにこれまでの行いを後悔させてやる。


全速力でスーパーへと向かい、可能な限り早く、なおかつ選ぶ食材が雑にならないよう細心の注意を払い、買い物を済ませて戻ってくる。
手抜きなど一切なし、それに時刻もまだ夕方だったので時間があるのは幸いだ。
これなら、かなり手間をかけることができる。

メニューは、俺が最も自信のある和食にした。
フェイトは食が細そうだし、一品あたりの量はそれほど多くはしていない。
その代り、せっかく時間もあるので、少し時間をかけて手の込んだものを作った。
内容は、豆腐とわかめの味噌汁、ふろふき大根、ほうれん草のおひたし、鶏肉の照り焼き、そしてメインに特性の炊き込みご飯。炊き込みご飯の方は、かつて凛にも「別格」と言わしめた一品だ。基本はキノコの炊き込みご飯だが、油物を混ぜるかわりに柚子で香りを取っている。フェイトは異世界人なので、こちらの味には不慣れな可能性が高いが、クセが少なくなるように工夫を凝らしている。余るようなら明日の朝食に回せばいい。
狼のアルフには、フェイトとは別に大きな牛肉の塊を用意した。もちろん骨付き。味付けはシンプルに塩と胡椒のみで、食材の持つ味を引き立てる。

そして、今全ての工程を終え、料理を食卓に並べ終わったところだ。
「さぁ食べろ。まったく、調子が悪いのは無理をしているからだと思ったが、こっちが原因だったんじゃないか?」
そんな気さえしてくるほどに劣悪な食事事情に、呆れ果てる。
フェイトは返事をしない。別に人の話を聞いていないわけではない…と思う。この子がそんな失礼なことをするはずがないが、今の様子だと少し怪しい。
さっきから一口食べては、コクコクとうなずいているだけだ。
返事がないのは、単に食べるのに夢中で他のことにまで気が回らないせいだ。それが手と口だけなのか、それとも頭の方にまで及んでいるのかは判断できない。

しかしその様子は、俺を懐かしい気持ちにさせる。
無我夢中で食べるその姿には、剣の師でもあった騎士王の姿を思い出す。そういえばアイツも、生前の食事には不満一杯で、苦々しい顔で「雑でした」なんて言っていたもんな。
フェイトの中にある感情も、それと同じなのかもしれない。

「そうは言うけどねぇ、これ本当に美味いよ。まあ、あれだけおいしくお茶が入れられるんだから、これくらいできても不思議じゃないけどさ。これと比較されちゃたまらないよ」
アルフがそんなことを言ってくるが、そういう問題ではない。単純に料理の質が問題なのではなく、あれでいいと思っていた姿勢の問題だ。
それと肉専門かと思っていたが、どうやら他のモノもいけるらしく、少しずつだがフェイトのおかずを分けてもらっている。
まぁ、圧倒的に肉の比率が多いのは素体を考えれば当然か。やっぱりアルフって狼なんだな、と改めて実感した。

「そういうことを言っているんじゃない。要は、食事にもっと意欲を持てと言ってるんだ。
 食事は一日の活力源であるとともに、楽しみの一つのはずだ。それを怠るということは、わざわざ喜びを制限しているようなものだぞ」
今ならば言われていることの意味もわかるのか、二人揃ってうなだれている。

「だいたいだな。使い魔のアルフにどの程度食事が必要なのかは知らないが、フェイトは育ちざかりなんだから、しっかり食べなきゃダメだろ。当然バランスのとれた、添加物の入っていない食事が望ましいに決まってる。
 せっかくフェイトは器量よしなんだから、今の食事のせいで成長が滞ったり、肌や髪が荒れたりしたらもったいないぞ」
つい説教をしてしまうのは仕方がない。フェイト達の食事環境は、それだけ俺にとっては許しがたいものだった。
しかし、早めに改善できて本当によかった。
ジュエルシードのことがなくても、この年の女の子がこんな生活をしているのはよくない。将来的には、間違いなく極上の美人になれる資質があるのに、本人の為にもそれを棒に振ってはいけない。

凛の奴だって、未だにスタイルのことを気にしたりしているのだ。食事のせいで発育不良になっては、きっと…いや、間違いなく後悔する。「美」は全ての女性が持つ、永遠のテーマだ。

俺の説教に対し、アルフがおずおずと手を挙げて謝罪と質問をしてくる。
「ああ、この件に関してはあたしらが悪かった。反省してる。
 ところで「器量よし」ってなんだい? こっちの言葉にはあんまり詳しくなくってさ」
そうか。そういえばフェイト達は外国人どころか異世界人なんだった。
日本語があまりにも堪能なんで、すっかり忘れていた。
日常用語で「器量」はあまり使わないし、知らないのは仕方がないか。

「「器量よし」というのはだな、顔立ちや容貌が優れているということだ。
 まあ、美人とか、かわいいとか、そういうものと思ってくれればいい」
俺の解説を聞いて、フェイトの顔がみるみる赤く染まっていく。
はじめは呆然としていたのだが、だんだんと挙動不審になっていく。

十秒もすると、顔をキョロキョロさせ、手はワタワタし、口はアワアワしている。立っていたら、部屋の中をウロウロしていたんじゃないだろうか。
う~む、面白い。

「シ、シロウ!? かか、からかわないでよ!!」
俺が面白そうに眺めているのに気づいて、フェイトが注意してくる。
その顔は相変わらず真っ赤で、いくら怒ってみてもかわいらしくて迫力に欠ける。

「いや、別にからかったつもりはないんだけどな。
 それに、フェイトがかわいいのは本当だぞ。十人中十人が肯定するのは確実だ。
 将来は、間違いなく美人になるな」
そう、俺に人をからかうような趣味はない。
今の発言だって、至って真面目だ。

しかし、凛から聞いたが、アーチャーの奴はよく凛をからかっていたらしい。一応俺の未来の可能性でもあるアイツが、何でそんな趣味を持ったのか未だに不可解だ。
もしかすると生前散々凛にからかわれていて、その意趣返しでもしていたんじゃないのか?
それだったら、是非俺もしてみたいと思う。ただし、こんなこと口にしようものなら、どんな目に会うかわからないので、絶対に口を滑らせるわけにはいかないな。

俺の発言に、フェイトはこれ以上顔が赤くなりようがないので、今度は体まで赤くなってきた。
服を着ているのでわかり難いが、首筋や手が真っ赤になっている。
顔は真っ赤なままだが、恥ずかしいのか俯いてしまった。ただ、頭から湯気のようなものが出ている。何がそんなに恥ずかしいんだ?

アルフの方を見ると、こちらは冷静に頷いている。
やはりこいつもそう思うか。アルフのご主人様贔屓を抜きにしても、間違いなくフェイトは美少女だ。
性格だって、本当は穏やかで優しいことが、この短期間の付き合いでもわかった。
見た目だけでなく、心まで綺麗なのだ。成長すれば、周囲の男が放っておくはずがない。

「で、でも、わたし結構うっかりしているし、内気なところもあるし……」
フェイトはうつむいたまま、慌てたようにまくしたてる。
そんなに恥ずかしがらなくてもいいと思うのだが、これも性格なのだから仕方がないか。

「そうか? まぁ、そうだとしても少しくらいのうっかりなら、そういうところもかわいいと思うけどな。
 それに内気だって言うけど、俺はフェイトのそういうところも好きだぞ」
うっかりと言えば凛だ。
あれがやってくれるうっかりに比べれば、余程のことでもない限りたいしたことではない。
それに多少抜けているくらいの方が、愛嬌もあってかわいいと思う。

内気なところだって、別に悪いことではない。
戦闘時の思い切りのよさとのギャップもあって、こういうところもフェイトの魅力だと思う。
実際フェイトは、少し無理をし過ぎるところがあってそこが心配だが、それを含めて好感を持っている。
無茶をするのも母親への思いの結果なので、無理に抑えることもできないのが困ったことではあるけど…。
だが、そうやって頑張る姿勢は、やはり好ましい。

フェイトの頭から出る湯気は、さらに勢いを増している。
今度は完全に黙り込んでしまった。
どうしたものかと思い、アルフに助けを求めようとすると、向こうから視線が向けられていることに気づく。
そちらを向くと、さっきまでの俺に対する肯定のまなざしは消え、探るような眼でこっちを見るアルフがいた。

「……どうかしたか?」
なんだか居心地が悪くて、何でそんな目で見ているのか聞いてみる。

アルフの方は俺から視線を逸らし、今度はフェイトの方を見る。
「いや、別に…。ただアンタって、ある意味かなり性質が悪いな、って思っただけだよ」
結局、何が言いたいのかよくわからない答えしか返ってこなかった。
その後アルフも黙り込んでしまい、しばし無言の時間が過ぎて行った。


しばらくして、フェイトが顔を上げてくれたが、それまで大分かかった。
ただ、顔を上げてからも顔の赤さは相変わらずで、この話題にこれ以上触れるのはよした方がよさそうだった。
そこで話題を変えたのだが、時々赤い顔のまま俺の方をチラチラ見ていて、まだ恥ずかしがっているようだ。
だがそんな俺を見て、アルフがため息をついているのが気になった。
なんでそんな呆れたような眼で見るんだ、こいつは?

現在の話題は、再び食事の話に戻っている。
「まあいい。これからは、俺がお前たちの食事の面度を見る。夜は毎日俺が作るし、朝食の用意もしていく。もちろん昼食もだ。弁当を作っていくから、残さず食べるように。
 協力者が力を発揮できないと、俺も困るしな。何より子どものうちからこんな食事を取るなど、神と世界が許しても俺が許さん!」
そうして、今後の協力関係に一部変更が加えられた。

すると、さっきまでの微妙な雰囲気は消し飛び、幸せそうな空気がとってかわる。
その際の二人の顔は、今まで見たことのない喜びに満ちていた。ただ小声で、「アンタだって子どもだろ」というのが聞こえるが、それは無視。
俺としても、仮宿で一人食事を取るのは寂しかったので、ちょうどよかった。


その後俺も食事に加わり、他愛のない会話を楽しみつつ時間が過ぎていった。

食後も交流を深めたいところだったが、することもある。食事が終わり次第、残念なような楽しみなような複雑な顔の二人を置いて、キッチンで洗い物を終えてからもう一度料理を始めた。
さっき言ったとおり明日の朝食の下ごしらえと、昼食の弁当を作らなければならなかったので、食後から帰るまでの時間のほぼ全てをそれに費やした。朝食の方は、後は火を通すだけというところまで仕上げているので、いくらなんでもここまでやってあれば大丈夫だろう。
弁当の方はジュエルシードの捜索中でもつまめるように、サンドイッチをメインに色とりどりの食材を用いて、見栄えもいいように工夫している。もちろん傷みにくいように調理にも気を使い、出来上がったものは冷蔵庫にしまった。

フェイトが言うには、少しぐらいなら料理ができるそうだ。魔法を教えてくれた母親の使い魔から基本的なところは習っており、刃物や火の扱いは少し得意だと言う。料理ができると言ってきた時のフェイトの顔は、心外だと言わんばかりだったので、おそらく言葉の通り多少なりとも自信があるのだろう。
しかし、やらなければできないのと同じだ。
少なくとも自分たちだけならば、最低限の食事で済ませようとするだろう。先ほどの冷蔵庫の惨状が、そのことを如実に物語っている。
だが、人が作ってくれたものを粗末に扱う子でもないので、これぐらいがちょうどいい。これぐらいの時の食事環境というのは、体の発育や健康に大きく影響するので、将来のことを考えてもこれは必要だ。

これは勝手な想像だが、フェイトはそれが自分たちだけなら、いくらでも無駄な部分を削ぎ落とせるタイプのように思う。その無駄こそが人生の潤いだと知ったのは、戦場に出て殺伐とした生活を送るようになってからだ。
人間、日常にある幸福というのはつい忘れがちになるが、あの地獄を思い出すたびにそのことを再確認する。
もしかすると今のフェイト達も、それと似たような心境なのかもしれない。今まではただの燃料補給でしかなかった行為が、本当はこんなにも幸せな気分にさせてくれるものだと感じているようだ。
食事の余韻に浸るその様子は、遠目に見ても幸せそうな空気がにじみ出ている。

その様子に、俺自身笑みが漏れる。たぶん今の俺の顔を見たら、またフェイトは不満そうな表情をするんだろうな。
自分の本当の目的も忘れて、またその顔が見てみたいなとも思ってしまう。

そういえば、帰り際にフェイトから「じゃあ、また明日ね」と言われたのは、少し嬉しかった。
別れの挨拶は今までもしてきたが、「また明日」というのを、フェイトの方から言葉にするのは初めてだったはずだ。
これは、明日も会おう、という一種の約束だ。これまではそっけなく別れを告げるだけで、先のことに触れることはなかった。少しは、距離が縮んだのかもしれないな。


そんな、ささやかな変化のあった一日だった。




あとがき

今回は、完全にほのぼの路線でした。
でも、きっとタイトル通り士郎は忙しいでしょうね。朝は家事をやって学校に行って、休み時間に凛と相談して、放課後はフェイト達の食事の世話をするんですから。ただそれなりに充実していると感じて、生き生きしていそうですけど。

もう無印も折り返しで、この先はほのぼのの機会も減っていきそうです。あぁ、でもあと一回は半分以上ほのぼのな話があるはずですけど。
その話を除くとシリアスや苦手なバトルが多くなるので、苦戦しそうです。
応援にしてくださる皆様の期待に応えられるよう、頑張っていきます。



[4610] 第10話「強制発動」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:fd260d48
Date: 2009/06/18 14:39
SIDE-士郎

俺は、どうしようもない勘違いをしていた。

今まであの歪な願望器のことを「愉快型ロストロギア」などと評していた自分を殺してやりたい。
あれは、そんなかわいいものではなかった。
あれを作った奴は、間違いなく神域の天才だ。
聖杯に勝るとも劣らないほどに悪辣な代物ではあるが、その分性能はピカ一といえる。
邪魔ものに対する対策もされている。上手く使えば、十分に届く可能性を秘めている。
だがあれが真の発動を見れば、周囲に対して甚大な被害をもたらすはずだ。
下手をすれば、その場の全てを消滅させてしまうほどの……。



第10話「強制発動」



ジュエルシード探しをして大分経つが、最近では進展がない。
この広い街の中から、小さな宝石を見つけ出すのが大変なのはわかっている。
全21個あるというジュエルシードも、すでに半分近くが見つかったことを考えれば、仕方のないことかもしれない。
フェイトの食事および生活を改善したことで、効率が上がるかと思ったがそう上手くはいかないらしい。
凛の方でも、なのはの訓練を重視するあまり、最近で発見したジュエルシードはないということだ。

「そろそろ煮詰まってきたし、何か起死回生の方策が欲しいところなのよねぇ」
凛もこのまま時間が過ぎて行くのは困るので、何か状況を打開するものが欲しいらしい。このままでは、管理局とやらが介入してくるのも、時間の問題かもしれない。
切迫しているわけではないが、そう猶予があるわけでもない。早く進展するのに越したことはないのだが、それができていないのだから、もどかしい限りだ。

「そうだな。こっちの方では、いっそ強制的に覚醒させてしまう案が出てきてる。
 かなり危なっかしいが、こうも事態に進展がないと強硬策に出るのも仕方がないと思う」
これは広範囲に魔力を放出し、それに反応したジュエルシードを回収するというものだ。確かに、当てもなく探すよりかは確実だ。言わば逆転の発想で、「発動した」のを見つけるのではなく、「発動させて」見つけるのだ。発動すれば、放出される魔力だけでもかなり派手なことになるので、見つけるのははるかに容易になる。
ただし、封印の前から魔力を大量に消費してしまうので、当然リスクも上がる。
できれば最終手段にしたいところだ。

ジュエルシードや管理局以外にも不安要素はある。凛もそちらが気になるらしい。
「それに、まだフェイトの母親ってのと接触を持ててないんでしょ?
いったい何を考えているのか、早く突き止めたいんだけど……」
「そもそもいる世界が違うらしいからな。俺の方から探して会いに行くってのは無理なんだ。
 近々、フェイトが集めたジュエルシードを持って報告に行くらしいから、それに付いて行こうと思ってる」
思っていた立ち位置には持ち込めてはいるが、欲しかった情報も望んだ進展もない。正直、上手くいっているとは言えない状況だ。こちらも、いい加減煮詰まってきている。

「それって、集めたのはみんなそっちにいくってことでしょ?
 それじゃあ最後の最後で強奪するってのも、士郎だけじゃ難しいかもしれないわ。
いざとなったら、ユーノに私たちも連れて行かせて、そこから奪うしかないわね」
なんとか状況を有利に持ち込もうと相談するが、いい案は浮かばない。
これにしたって、臨機応変といえば聞こえはいいが、要は行き当たりばったりだ。

それに、ユーノに連れて行かせると言っても、俺たちはその正確な位置を知らない。
最低でも、ある程度目星をつけないことにはどうにもならない。フェイトに同行する時にでも、正確な座標を把握するか、あるいは目印となるモノを設置する必要があるな。

と言っても、これはまだ少し先の話だ。
今はとにかく、少しでも早くジュエルシードを発見することだ。
「こうなったら近いうちに、そのフェイトの案を実行にうつしちゃった方がいいかもしれないわ。
 アンタが近くにいて結界も張ってあれば、そう大きなミスもしないだろうし、状況を変える一手になるかもね」
そうなってくると、結局はこの強硬策になるわけか。
これは、なのはにはできない方法だ。まだ初心者の彼女では、上手く加減できるかわからない。
下手すると必要以上に魔力を使ってしまい、ジュエルシードの発動を強力にしてしまう可能性や、魔力が枯渇して封印に支障をきたす可能性もあるので、これには相当な技量が要求される。
いくら天賦の才に恵まれているなのはでも、今のレベルでこれを要求するのは無茶だろう。
つまり、現状これはフェイトにしかできない方法ということだ。

「わかった。今夜あたりにでもやることにしよう。
やればなのはたちも気づくだろうから、この前と同じ配置でいいな」
前回の戦闘と同じ、魔導師同士、使い魔同士、協力者同士の対戦が一番無難だ。

「そういえば、なのはの最近の仕上がりはどうなんだ?
 フェイト相手にいい勝負できそうか?」
直接事態には関係ないが、やはり気になるので聞いてみる。
もちろん、勝てるとは微塵も思っていない。
ただでさえ、フェイトは年齢を考えれば最高レベルの能力を持っている。いくらなのはに類稀な才能があるからと言って、そんな短期間で二人の差がなくなるとは到底思えない。
それに加えて、どんな人物かは知らないが、師がよかったのだろう。決して油断や慢心をしないように、フェイトは自身を戒めている。

俺たちからすれば心技体のどれも未熟ではあるが、これはキャリアが違うのだから当然だ。俺や凛は、フェイト達の三倍は生きているのだから、そもそも、比較するのが間違っているのだろう。
それに、遠からず未熟なところも消えていくのはまず間違いない。あるいは数年のうちに、戦闘方面に限定すれば、追いつかれる、ないし追い抜かれることもありうる。
とにかく、今のところなのはが付け入る隙はかなり少ない。この一件が片付くまでに一勝できたら驚きだ。

「だいぶ上手くなってきたけど、勝負になるかはわからないわ。
 この前みたいに躊躇すれば負けるし、そもそも経験が不足してるから、不安要素も多いのよ」
まあ、それは仕方がない。最近までただの小学生だったのだから、いきなりそれは酷というものか。
フェイトはなにも奇抜なことをする必要はなく、手堅くやっていればまず負けることはないのだ。対して、なのはは上手く事が運べば勝てる可能性が出てくるが、そうでなければ勝ち目がない。

以前俺が言った覚悟のことにしたって、なのはにはそれを持つだけの理由がない。絶対に譲れないものがあるわけではないのだから、こればかりはどうしようもないことだ。
他に覚悟の要因となりえるとしたら、絶対に避けたい何か、かな。例えば、身内が犠牲になる、みたいな。
現状はそこまで切迫したものではないし、これは難しいだろう。一応、なのはなりに戦う理由を見出しているらしいが、その重さは他人の俺には量れない。もしかしたら十分な爆発力を持たせるかもしれないが、不確定なことを考えても仕方がない。これも凛の言う不安要素の一つだな。

まあ慣れてくれば躊躇することもなくなるだろうが、ここ一番で力を絞り出すのには、やはり何かしらの強い思いが必要不可欠だ。それがあるに越したことはない。
俺としては、ムラが少なく安定している方がいいと思うのだが、ただでさえ地力で劣るなのはの場合、そのムラこそが勝機を開く可能性になる。
二人の勝敗自体はそれほど重要ではないし、フェイトの敗北を望むわけではないが、これだけ頑張っているのなら報われてほしいとも思う。

「…避けたい何か、か。そのあたりに、あの子の向う見ずなところの理由があるのかもね」
凛が言うには、なのはには危なっかしいところがあるらしい。
あまり目立たないが、いざとなったら相当な無茶をやらかすだろうと心配しているようだ。
俺にはわからないが、俺の歪みに気づいた凛だから、何かに気づいたのかもしれない。
人として壊れている、というわけでもないだろうし、その傾向が強いというぐらいか。

凛の分析では、なのはの根本には譲れない、あるいは絶対に避けたい何かがあるらしい。
それは他人を傷つけることではなく、自分が傷を負うことに対する覚悟の要因となるモノだろうと言う。
この二つは必ずしも同一ではない。どちらか一方しか持っていない場合もある。
他人を傷つけておいて、自分が傷を負う覚悟のない者は、戦う者としては下の下だが結構いる。
逆に、傷ついてもかまわないが傷つけたくない、というのは稀有だ。根が相当なお人好しであり、自分の痛みに強く他人の痛みに弱いタイプだ。なのはがこちらなのには、俺も同感だ。

さすがに、俺のように壊れていない限りは、自分の命よりも他人が大事、ということはまずあり得ない。
しかし、たしかに普通ならただ手伝いたいからというだけで、身の危険のあることに踏み込んだりはまずしない。
たとえしても、敵対者が出てきた時点でこの先の自分の身の安全を心配し、躊躇を見せるはずだ。
なのははフェイトと戦うことに関しては、多少迷いを見せたらしい。だが、このまま続けていくことには、特に迷ったような様子はなかったという。
この辺は確かに、向う見ずといわれても仕方がないか。

そうして今日の昼休み秘密会議を終えた。
今日の行動で、何か進展が起きないか期待したが、俺はそこでとんでもない勘違いに気づくのだった。


  *  *  *  *  *    


いま俺は高層ビルの屋上にいる。
目の前には、バリアジャケット姿のフェイトと狼形態のアルフがいる。

だんだん日も長くなってきたが、すでにあたりは暗くなっている。一般家庭では、そろそろ夕食の時間だろう。
フェイト達は朝から、俺は途中から合流し一通り捜索してみたが、案の定成果はない。
こうなってくると、やはり例の案を実行するしかないか。

そう結論し、フェイト達に指示を出す。
「それじゃあこの前の案を採用して、強制発動による探索に入ろう。
 ただし、あまりやり過ぎるなよ。手に負えないほどの発動をされても、意味がないからな」
釈迦に説法な気もするが、念のために注意する。
危なっかしい方法なのは確かなので、やり過ぎるということはない。
そういえば、いつの間にか俺がこのメンバーのリーダーのような役割に収まっているな。
実年齢や経験値を考えれば不思議なことではないが、外部の人間のはずの俺が指示を出すというのも、なんだか妙な感じだな。

それと、上手くすれば発動するもののほかに、近辺にあるジュエルシードがわずかに反応して、位置を知ることもできるかもしれない。その点でも、これは有効な作戦だ。
いくつかが同時に発動する可能性もあるので、力加減には注意が必要だが、フェイトなら大丈夫だろう。

「うん、わかってる。それじゃあ「ちょっと待っとくれ。ここはあたしがやるよ」……アルフ?」
いざ実行というところで、アルフの待ったが入る。

「ん? できるのか?」
「あたしをだれの使い魔だと思ってるのさ。それぐらい楽勝だよ。
 フェイトには、ジュエルシードの封印をしてもらわなきゃならないんだ。
 今は魔力を温存しておいた方がいいだろ」
確かにその通りだ。場合によっては複数の封印をすることも考えられる以上、フェイトの魔力は多い方がいいに決まっている。
こいつの場合、単に主に無理をしてほしくないからかもしれないが、その方が都合がいいのも事実だ。
俺としても、フェイトにはあまり無理をしてほしくないしな。

「わかった。それで頼む。フェイトはジュエルシードを発見次第、すぐに封印に移ってくれ。
 発動して暴れる様なら、俺が追いつくのを待ってから封印に移ること。いいな」
飛べない俺では、二人について行くことはできない。だからと言ってそんな俺に合わせていては、せっかく見つけたジュエルシードをなのはたちに取られてしまう。向こうだって探しているのだから、俺からの情報がなくても、これだけ派手なことをすれば気づくのは間違ない。

それに発動すれば、周囲に何かしらの影響が出るだろう。フェイト達も周りに迷惑をかけるのは良しとしていないし、それはできれば避けたい。となると俺のことは置いておいて、可能な限り早く回収するのがベストだ。
ただし、危険な発動の仕方をしている場合だと、下手をすれば怪我をする危険もあるから俺も一緒の方がいい。
何事も、臨機応変に対応しないとな。

それにしても、飛べるというのはやはり便利だな。
移動手段としても障害物が少ないので効率がいいし、戦闘時にも敵の上をとれるというのは何かと有利に働く。あらゆる局面で適応されるわけではないが、飛べるというのはそれだけで圧倒的なアドバンテージになる。
敵が飛べたとしても、自身も飛べれば不利にはならない。
落ちた際の危険は無視できないが、それでもメリットは多い。戦術の幅を広げる意味でも、できると何かと都合がいい。

だがそうとわかっていても、おそらく俺には無理だろう。
UBWには様々な宝具や礼装が登録されており、攻撃用以外のモノも一応ある。
しかし、残念ながら飛行能力を持つ物はない。

こちらの魔法にしても、俺が習得するのはかなり困難だ。フェイトから聞いた話だと、よほど先天資質に恵まれていない限り、飛行訓練は相当大変らしい。
俺が魔法に関しても資質と才能の両方に恵まれていないのは、基本中の基本である念話にすら悪戦苦闘していたことからも明らかだ。見込みはかなり薄い。
出来るようになったとしても、多分それに手一杯で他のことをする余裕はなさそうだ。飛ぶことだけが目的ならともかく、戦闘をする上でそれは致命的だ。それならいっそのことできない方がいい。使いものにならない手札など、持っていても意味がない。むしろ、迷いを生み足かせになるかもしれない。

とはいえ、こちらの魔導師たちの間では、空中戦をするというのはそう珍しいことではないようだ。
この先のことを考えると、また魔法関連の存在に関わる可能性もゼロではない。
凛も空中戦用の礼装なんて持っていないから、その際にはお互いに対処するのは難しくなる。
だが、困難だからといってそれの対策をしないわけにはいかない。
トラブルというのは、こちらの都合を気にはしてくれない。来てほしくもないのに勝手にやってくるのだ。

それに、一応俺なりにいくつか対策は講じている。
一つは、投影した「天の鎖」を縦横無尽に張り巡らして、足場の代わりにするというものだ。どうしても不安定になりやすいが、戦うこと自体は可能だろう。
これには他にも利点があり、飛んでいる相手の動きを邪魔することもできる。障害物の代わりになるので、飛んでいる方からすればさぞかし動きづらいだろう。
それに、ある程度は使用者の思うように動いてくれるので、何本か束ねて使えば、道のようにすることもできるし、編み込んでやればちょっとした台を作ることもできるはずだ。落ちそうになっても、鎖を移動させれば手で掴むなり、ネットのようにするなりして落下防止にも使えるだろう。
ただこの方法は、俺より殺人貴の奴の方がうまく使えそうだな。アイツの使う妙な体術は、屋内とか、あとは森のようなゴチャゴチャしたところで真価を発揮する。
俺も使えれいいのだが、あれは人間技ではないので使えない。
あんな蜘蛛みたいな動き、なんでアイツはできたんだ? 眼もそうだったが、あの動きだけでも十分すぎるくらいに人間離れしていたぞ。

それで、もう一つが「熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)」を利用するという方法だ。
元が盾なので、地面と水平にすれば足場になる。少なくても天の鎖を足場にするよりかは、安定するだろう。
それに、アイアスは俺の手元から飛ばすこともできる。試してみないことにはわからないが、上手くいけばアイアスに乗って移動することもできるかもしれない。
当面はこれらが空を飛んでいる敵への対策であり、接近するための手段だ。
しかし赤や青の円盤に乗って空を飛ぶというのは、SFとかファンタジーというよりも特撮っぽい気がする。
乗るだけならともかく、それで空を飛ぶというのはかなり恥ずかしそうだな。

あとは射出した投影品に乗るのも手だが、それだと一直線にしか移動できないので狙い撃ちにされやすい。
また、もし失敗すれば真っ逆さまなので、危なっかしくていかん。タイミングを間違えれば、自分が串刺しになることもありうる。
さすがにそれは間抜けすぎる。

俺の投影可能な武装は、アーチャーの固有結界や英雄王の「王の財宝」を見たことで、完全には活用しきれていないくらいの種類がある。
とにかく種類が多いので、使うモノと使わないモノがはっきり分かれるのだ。
あの時は、特に意識しないで見えるものを片っ端から解析したせいで、いろいろ取り揃えている。
だが、それらは全て武器ばかりなのだ。
ところが昔と違って、今の俺には武器以外の宝具の投影もできる。
つまり、そういったものを見る機会があったということだ。
それは主に二つ。

一つは、魔術協会の本部「時計塔」。
修業時代には、俺も一応在籍していた。厳密には、協会に属さない学徒という何とも微妙な立場だったけど。
とにかく、そこで保管されている武装もいくつか見ることができた。まあ、本来俺のような下っ端ではたいしたものは見せてもらえない。というか、そもそもどこに倉庫があるのかすら教えてくれなかった。
だが、凛が裏でいろいろ手を回してくれたので、決して多くはないがそれなりに見させてもらった。
そういえば、ルヴィアも一枚噛んでいるみたいなことを聞いたことがある。あの二人には、本当に世話になりっぱなしだったな。

で、もう一つの方は、素直に感謝する気にはなれない。
こちらは凛たちとはあまり関係のない、俺個人のコネだ。
では、そのコネとは一体何なのかというと……。
あの胡散臭い似非ピーターパン、メレム・ソロモンのことだ。
27祖のくせに教会、それも埋葬機関の第五位なんてやっているとんでもないやつだが、俺はその能力が原因で、妙にこいつに気に入られていた。

こいつと出会ったのは、封印指定を受けてすぐ後のこと。
俺の能力が公になり、それを知って会いに来たと言っていた。そのとき既に姫君に腕を持っていかれていた俺は、どうやってこいつから逃げようか必死で考えた。

その時は周りに人もいないので、実際にそれが可能かはともかく、気兼ねなく逃げられるはずだった。
姫君ほどの力はないらしいが、それでも俺の敵う相手ではないのは明白。姫君との邂逅で次元の違いを思い知っていた。

だが逃げようとする俺に、奴は子どもらしい無垢な笑顔で…
「逃げる必要はないよ。君の知る宝具を見せてもらいたいだけだから」
そう言って、あのバカデカイ飼い犬で脅しやがった。必要がないのではなく、最初から逃がすつもりはないらしい。ひでぇ話である。

すでに能力のことはバレているので、別に減るもんじゃないし、それで命が助かるなら安いモノ。
結局俺は観念して、いくつかの宝具を投影した。
「いやぁ、いいものを見せてもらったよ。これとか、お土産として持って帰ってもいい?
え? 僕が持ってても使えない?
別にいいよ。時々鑑賞したいだけだから。贋作とはいえ、ここまでくれば立派だよ」
俺が作り上げた宝具を見て、奴は手放しで称賛してくれた。
その姿は、見かけ通りの子どものようで、その直前とのギャップで頭が混乱しそうだった。
しかし贋作とはいえ、少し格が落ちる以外は本物とほぼ同等の性能を持つ俺の投影品を「鑑賞用に欲しい」とは…。
俺たちとは、根本的にどこかズレている。二十七祖クラスにとっては、宝具ですらその程度の認識でしかないのだろうか?
いや、単にアイツが「コレクター」なだけかもしれないけど。

「そうだね、たまに宝具を見せておくれよ。そうしたら等価交換ということで、僕の秘宝も見せてあげるよ」
で、その礼として、メレムは自慢の宝物庫を開放してくれた。
さすがは齢千歳以上の死徒が誇る宝物庫。その中には現存する宝具もあった。

けれどせっかく手に入れた品々も、たまに結界返しの能力を持つ「世界を裏返す袋(キビシス)」の世話になったぐらいで、他の見せてもらった品は死蔵されているも同然だ。
う~ん、実はかなりもったいないことをしているのかもしれないな。このあたりはほとんど使う機会もなかったので、宝の持ち腐れという気もするが、使い道もないのだから仕方がない。

いつか使う機会もあるかもしれないという凛からの勧めもあり、眼につくものを無節操に固有結界に登録していったのだ。
今思えば、結構無意味に労力を割いていたのかもしれない。
別に武器庫ではないので、当然「剣」の属性から離れたモノも多かった。
あの時は、頭痛に苛まれながら苦労して登録したけど、こうも使う機会がないと、当時の自分に呆れてしまう。
凛の口車に乗せられただけでなく、実を言うと少し楽しかった。もしかするとあの時の心境は、コレクションを収集するコレクターのそれだったのかも。
これでは、俺もあの似非ピーターパンの同類なのかもしれない。
けど、なんだかそれは……すごく、嫌だな…。

何より相性の問題で、どうしても投影の構成が甘い。
そのせいで、真名開放をすると崩壊をはじめてしまい、あまり長持ちしない。
使っている最中に消えてしまう可能性もあるので、危なっかしくて頼りにできないのだ。

そういえば、凛の奴が宝物庫の中のモノをいくつかちょろまかそうとしていたのには、本気で焦った。
そりゃあ、どれもこれもとんでもない秘宝ばかりで、山ほどあるのだから少しくらい貰っても、という気持ちはわからんでもない。売れば、きっと見たこともないくらいの金額になっただろう。なんか凄そうな宝石もあって、万年金欠の凛からすれば、のどから手が出るくらい欲しくても仕方がないとも思う。
だが、相手が悪い。二十七祖相手にそんなことをすれば、命がいくつあっても足りやしない。
引き摺るようにして外に出た時は、心の底から安堵した。生きているって、素晴らしいな。

しかし、どこで俺の居所を知ったのか、ブラッとやってきては人を博物館や美術館のような感覚で利用するのはやめて欲しい。
抗議するとその度に「食べちゃうぞ~」と脅してくるので、もううんざりだ。
今となっては、その心配はなくなったので清々したが。

俺が少し昔のことに思いをはせていると、フェイトが力強く先ほどの俺の言葉に同意する。
「うん、それでいいよ。アルフ、無理しないでね」
ちょっとした予定変更こそあったが、滞りなく作戦を実行に移す。

今回もジュエルシードをめぐって戦いになるのは知っていたが、これが後の事態を大きく動かすことになるとは思っていなかった。



SIDE-凛

学校で聞いた士郎の話では、今夜にでもジュエルシードの強制発動による捜索を行うらしい。

それをすればなのはも気づくだろうし、そうなれば戦いになるのは間違いない。
できれば、余波に反応するかもしれないジュエルシードの位置特定もしたいのだが、さすがにそんな余裕はないだろう。
いまはなのはやユーノと一緒に夜の街で捜索に当たっている。放課後の訓練の後の捜索なので、若干消耗しているが、問題はないだろうと思う。

「ところでユーノ」
「なに?」
「なにかもっと他に探す手段ってないの? ここのところなかなか当たりがないでしょ。
 いい加減、何か別の手段を講じるべきじゃないかしら」
昼間に士郎と話し合ったことを聞いてみる。
こうして足を使って地道に探すのは別に間違っていないが、人手がない以上あまり効率的ではない。
やはり、もっと効率よく探す手段を講じたいところだ。

「そう言われても…。特別な設備やそういった魔法を習得していれば別だけど、今僕たちにできるのはこうして地道に探すくらいだよ」
やっぱりそうか。別の方策があるのなら、サッサとそれをしているはずなのだから、当然ね。
未知の技術でもある魔法に、少しばかり頼り過ぎているのかもしれない。
なにせ、できる事とできない事の範囲がよく分かっていない。どのあたりまで要求できるのか、もう少しちゃんと聞いた方がいいかな。
最近ではなのはの訓練にかまけて、戦闘に役立ちそうなことばかり聞いている。そのため、それ以外のことがおろそかになっている。
とはいえ、落ち着いて話を聞いていられる状況でもないし、暇を見つけて聞いていくしかないか。

「それは向こうも同じだろうから、やっぱり根気良くやるのが一番の近道じゃないかな」
実はその向こうは、今回強硬策に出るのだがそれを知らないので悠長なことを言っている。
それでなくとも、あまり時間をかけたくないのが私の心境だ。
焦らせたところで成果が上がるわけではないが、もう少し危機感を持つべきだろう。

「あっちがその特別な設備や魔法を持っているかもしれないわよ」
なので、注意を喚起するためにも言っておいてやる。
思い込みは一番の大敵だ。いつでも「もし」を考えておく必要がある。

「それはそうかもしれないけど、どっちみち僕たちにできることに変わりはないんだから、今まで通りやるしかないよ。それに何か大きな動きがあれば、間違いなく僕たちにだってわかる。
 それにこの街全域に、凛の張った魔力感知の結界があるんでしょ? ジュエルシードが発動すればわかるって言ってたよね」
まぁ、ユーノの行っていることにも一理ある。
できることが限られている以上、その範囲でやるしかない。ないものねだりをしたところで意味はない。

それと、この街には一応そういった結界を張ってある。結界などに長けるユーノでさえ、よほど集中しないと気づけないようで、もともと秘匿を前提にしていることもあり、その隠密性には驚かれた。
ただ、ジュエルシード探しにはあまり役に立っていない。本来そのために張ったものではないし、あれは発動するまで、ほとんど外に魔力が漏れない。
近くにいれば感知できるが、これだけの広範囲に張った結界では、微弱なものまで感知することはできないのだ。

それに、以前ならこれほどの広範囲に結界を張れば、綻びや荒さが出てくるところだ。それが無いだけ、良しとすべきなのだろう。
何故そんなことになっているかというと、魔術師のいないこの世界では、魔術基盤は完全に私たちで独占されるためだ。そのおかげで、一つ一つの術の精度や効果が向上しているので、そういった問題が発生し難くなっている。燃費も良くなっているので、本来なら十の魔力が必要なところを、モノによっては半分の五で済ませるとも可能だ。

ただし、効率が上がったのはありがたいが、まだその状態に慣れていない。
考えなしに多くの魔力を使うと、制御を誤る可能性がある。最悪の場合、魔力の暴走や自爆することもありうるので、以前以上に慎重な魔力運用が必須ではある。

この結界は、ことが起こった際に少しでも早く反応するための処置だが、その意味でもあまり役に立っていない。
これを張ったのは、フェイト達と遭遇した後だった。それからの進展がほとんどないために、結果的には無駄になっている。だが、発動があったことだけは確認できるので、お互いの持っている数は把握できると教えている。
そんなものがなくても、士郎から聞けるのだけど。

今日の捜索も、結局成果はなかった。もうじき、高町家の夕食の時間になろうとしてきている。
士郎の話だと、そう遅くならないうちにやるだろうと言っていたが、具体的な時間は決まっていないこともあって、聞いていない。場合によっては、なのは抜きで事に当たるかもしれない。
一度家に戻った方がいいとユーノが言い、私とユーノで捜索しようと思っていたところで、事態が動いた。
「え? これって」
なのはが反応する。突然かなりの魔力を感知したのだ。
だがその波動は、ジュエルシードのものとは明らかに違う。

この街でそんなことをできるのは限られている以上、すぐに誰の仕業か思い至る。
「もしかして、あの子たちの? なんて無茶を、無理矢理魔力をぶつけて発動させる気だ!」
ユーノがすぐに事態を飲み込む。
まったく、何とも嫌なタイミングでやってくれる。
こちらはこの事態を見逃すわけにはいかない。これでは高町家の人々になのはの行動を怪しまれる、いい材料になる。もしかすると、今後のなのはの行動に多少制限がつくかもしれないな。

とはいえ、放っておくわけにもいかない以上、やるべきことをやるしかない。
このことを知っていた私から、あまりのことに呆然とするなのはに指示を出す。
「なのは! わかってるわね、向こうが無茶をやらかして強硬策に出たわ。
 アンタはユーノを連れて、すぐにジュエルシードに向かいなさい! 私もすぐに追いつく」
すでにジュエルシードは発動している。万が一強力な発動をした場合を考えて、すぐになのはを向かわせる。

向こうで対処できなくても、なのはを協力させれば何とかなるはず。
「もし発動が手に負えそうになかったら、向こうと協力しないさい!
 第一に封印で、戦闘はその後。いいわね」
最優先目的を見失わないように言っておく。いくらなんでも時と場合は弁えるだろうし、向こうには士郎もいるから、いざとなれば説得してくれるだろう。

「うん、じゃあ先に行くね!!」
そう言って、バリアジャケットを展開し飛び去っていく。

さあ、私も急がないと。



SIDE-士郎

俺が到着した時点で、すでになのはとフェイトの戦いは始まっていた。
慣れてきたのか、なのはの行動が迅速になってきたことに感心する。

発動したジュエルシードは一つ。せめていくつ反応したか確かめたかったが、競争相手が思いのほか早く来たことで、それどころではなくなった。
発動したといっても、予想ほど強力なものではなかった。
アルフがうまくやったということなのだろう。細かい制御とかは苦手そうな印象が強いので、ちょっと意外だ。
それに場所もよかった。近くに発動の触媒になるモノがなかったせいか、今は単純に魔力を放出しているだけだ。
これならしばらく放置しても大丈夫そうで安心していると、そこへ遅れて凛もやってくる。

「へぇ、こんな発動の仕方もするんだ。毎回こうの方が、楽でいいんだけど」
まったくだ。いちいち幻想種じみたのと戦闘になるのは、勘弁してもらいたい。

「向こうはもう始まっているようだが、こちらも始めるかね?」
「当然ね。なにせ私たちは、競争相手なんだから。出会った以上は戦うのは必然でしょ?」
前回から思っていたんだが、結構楽しんでないか?
思えば、俺と凛が戦闘になったのは聖杯戦争の序盤だけで、それ以降は同盟相手だったり仲間だったりで、敵対したことはない。
まあ、そのはじめのも戦いなんて呼べるものではなかったから、なかなか新鮮な体験かもしれない。

「…なるほど。違いない」
ならばせっかくだ。こうすることで、相手の違う面が見えてくるかもしれない。
相互理解は、深く長く付き合っていく上では必須だ。
ちょうどいい機会と思って、少し戯れてみるか。



Interlude

SIDE-フェイト

向こうでは士郎も戦いを始めたみたい。
アルフはあのフェレットと闘っている。
なら奇襲の心配はない以上、私は目の前の敵に集中する。

やっぱり、この前より強くなってる。

あの赤い子に教わっているのなら、てっきり直射型の弾数優先の攻撃をしてくるかと思っていた。
でも違った。あの子の戦い方は「ディバインシューター」という誘導操作弾での攻撃だ。
たぶん、あの戦い方はどんどん魔力を消費するからこの方法にしたんだと思う。
しかし、わたしの防御が薄いとはいえ、誘導弾が多少当たったくらいならまだ何とかなる。経験も技術も未熟なこの子では、長引くほどに不利になるのは明白だ。そうなると、きっと何か大きいのを狙っているはず。

以前彼女が使った砲撃からも、それに力を入れているのはわかる。
だから、この攻撃はそのための布石なんだろう。
その考えが正しいことは、前回と今回の戦いが証明している。

向こうの射撃にわたしも応じる。
「フォトンランサー、ファイア!」
でも案の定、こっちの直射弾による攻撃をよけるようにして誘導弾が向かってくる。
それでも撃ち落とされたわけではないので、ランサーはあの子に向かっていく。到達するまでには幾分猶予があるので、当たるとは思っていない。予想通り、僅かに移動することで避けている。

でも、それでいい。今の一瞬でわたしへの注意が少し逸れた。
この間に一気に間合いを詰める。
「Sonic Move」
高速移動の魔法で詰め寄って、サイスフォームで斬りかかる。

(とった!!)
「Flash Move」
そう思ったが、私の攻撃は空振りになる。

(同系統の魔法!?)
前回は使わなかった、新しい魔法でかわされる。
すでにわたしの頭上に移動しており、前回のような砲撃が撃たれる前にこちらも位置を変える。

「また、新しい魔法を覚えたんだ」
その習得のはやさには驚きを隠せない。
普通、一つの魔法を覚えるのには、それなりに時間がかかるモノなんだけど。
そのあたりの常識が通用しないので、警戒を強める。
一体どんな訓練を積んでいるんだろう?

「はぁ、はぁ……危ないところ、だったよ。やっぱり、絶対に近づかせちゃ、ダメ、みたいだね。
 それと、わたしが勝ったら、お話、聞かせてもらうからね」
息を切らせながら言ってくる。きっと同じ手はもう通じない。
これからは、また近づくのが難しくなる。
近づいても、今の方法で逃げられるだろうし、どうやって捕まえようか。

それに、「お話」か。そういえば、この間も戦いになる前にそんなことを言っていた。
シロウからは、見た目に反して結構頑固な子だって聞いていたけど、本当にそうだ。
あの子の言うとおり、言葉にしないと伝わらないことはあるけど、それだけでは何も変わらない。
言っていることは正しいけど、理想論でしかない。変えるためには、伝えるためにはそれだけじゃ足りない。
何より、わたしは別にこの子にわかってほしいとは思っていない。だからわたしたちは、どこまでいっても平行線でしかない。

考え事をしているうちに、誘導弾が後ろから迫ってくる。
それをかわすけど、かわした先に後ろから襲ってきたのとは別の一発が回りこんでいる。

以前はどれも同じようにしか動かなかったのに、今はそれぞれ別々に動かしてくる。
大半は追いかけるように動いているけど、それとは別に一発だけ回り込んでくるせいで、思うように動けない。
この前受けて、あの子の砲撃が強力なのはわかった。あの時はよけながら受けたおかげで、それほどダメージにはならなかったけど、このままだと直撃されるかもしれない。
防御の薄いわたしだと、あれの直撃はかなり不味い。下手をすれば、一撃で落ちることもありうる。

(少しくらい当たってもいいから、無理にでも突っ込んで、接近戦持ち込む!!)
覚悟をきめて、相手に向かって一気に突っ込む。
ダメージの大きいのを入れられるぐらいなら、今わたしを追いかけてきている誘導弾を受ける方がいい。
少なくともこれらが少しぐらい当たっても、決定打にはならない。

向こうも一瞬驚いているが、すぐに砲撃の構えを取る。
撃つのが先か、届くのが先か、勝負!!

Interlude out



なのはとフェイトの戦いは、実にいい勝負になっている。
特に、なのはの成長には驚かされる。前回のことで肝が据わったのだろう、躊躇する場面が見られない。
むしろ、積極的に攻めている。

前回までできなかったことが、今回では多くできるようになっているな。
一体どんな訓練をさせたんだか。余程スパルタで叩き込んだな、凛の奴。
とりわけ誘導弾の使い方がうまくなった。あの分なら、いずれ捉えることもできるかもしれない。
フェイトも動きづらそうにしている。

だがそこで、フェイトも非凡さを見せる。このままではまずいと判断し、一気に懐に向かって飛び込んでいく度胸はたいしたものだ。勇気と蛮勇は大違いだが、その境界は思いのほか難しい。一歩間違えば無謀な行動になるが、上手くいけば形勢を決められる。
そして、フェイトのそのあたりを見極める嗅覚は天性のものだ。

思えば、凛と戦ったときにもそんな素ぶりがあったと聞いている。
フェイトは性格からは想像しにくいが、結構攻撃重視の傾向が強いのかもしれない。アルフもその傾向がみられるし、使い魔と主は似るということか。

結果は砲撃をさせる前に到達し、勝負を決めるほどではないが、なのはにダメージを与えている。
その後も一進一退の攻防だが、やはりフェイトが押してきている。さっきの一撃が効いているせいで、なのはは動きが少し消極的になっている。
このままいけば、今回もフェイトの勝ちだろう。

アルフとユーノの方を横目で見てみる。
攻めるアルフに、守るユーノ。膠着状態に陥っていて、千日手っぽくなってきているな。
とりわけ、ユーノの防御の固さは目を見張る。さっきからやられっぱなしなのに、まったく防御が揺らがない。
もしユーノがフェイトの相手をしても、そう簡単には負けないだろうと思う。
配役が違えば、こっちがジュエルシードを取り逃すかもしれないな。

「『Zwei(二番), Die Flamme(敵影) verläßt auch den Staub nicht(一塵残さず火葬に処せ)』」
ゴウッ!!

使い魔組の方を見ていると、目の前を炎が横切って行く。
「どうしたのかしら? よそ見をする余裕なんかあげないわよ!」
凛の奴もノリノリだ。

(というか、いまのは本気で殺す気だったんじゃないか?
直撃していたら、消し炭にされていたぞ)
本気で心配になってくる。やるからには徹底的にがアイツの流儀だが、ここまでやることもないだろう。
油断していると、本当にやけどではすみそうにないので、凛に意識を集中する。

ガトリングのように飛んでくるガンドを時に干将・莫耶で叩き落とし、時に強化を施した聖骸布で防ぐ。
こちらは、直接被弾しない限り特に問題はないので、気安いモノだ。

だが、もう片方の手から放たれる攻撃はそうはいかない。
こちらは回避・迎撃ともに細心の注意を払わないと、痛い目で済まない可能性が高い。
五指にはめられた指輪が輝くたびに、炎や氷、あるいは雷が放たれる。
こちらは威力が高いので、基本的には回避が中心だ。叩き落とせるモノもあるが、凛のことだからどんなトラップが仕掛けてあるかわからない。放たれた攻撃の動きが突然変わったり、接触すると爆発したりする、くらいはあるかもしれない。
直撃などされてはただではすまないので、迂闊な対応ができない。
必死というわけではないが、気が抜けないので少々辟易する。

「ほら、次いくわよ!!
『Funf(五番), Ein Speer des(大地より) Eises wächst vom Boden(氷牙を突き立てる)』」
凛の詠唱と共に、足元から「ピシッ」という異音が聞こえてくる。
その音が耳に入ると同時に、反射的にその場から飛び退く。

俺が離れるのに僅かに遅れて、地面から先端の尖った氷柱が突き出してくる。
あの場所にとどまっていたら、下から串刺しにされて、今頃は悪趣味なオブジェにされていたな…。
いくら怪しまれないように、手を抜き過ぎないようにしているとはいえ、限度というものがある。
少なくとも、今使った炎や氷の魔術は身内に使うようなものじゃない。

こっちは宝具の投影は控えているので、迂闊には防御できない。
凛の礼装を用いての攻撃は、オリジナルの聖骸布でも完全には防ぎきれない威力がある。
安全な距離を保ちながら、回避に専念するのが得策だな。

しかし、これがアベレージ・ワンの恐ろしさか…。
本当に何でもかんでも飛ばしてくる。レパートリーが多いというのは、それだけで厄介だ。
味方だと心強いが、つくづく敵に回すと恐ろしい奴だ。
あの礼装が出来てからは、資金の心配が緩和され、歯止めがなくなった感もある。
あれほどの攻撃呪を、ガンドのように連発されてはたまらない。


これが失敗だった。俺も凛もこの時目の前のことばかり意識して、周りの変化に気づかなかった。
そして、それは唐突に訪れた。

ジュエルシードから発せられている魔力が一気に膨れ上がり、同時に目も眩むほどの光が放たれる。
「ちょ、一体何が起こったのよ!?」
凛も驚いている。周囲の急激な変化に誰もが戸惑っている。
そんな状況をチャンスと見たのか、フェイトがなのはを無視してジュエルシードに向かおうとする。
元々なのはとの戦闘は成り行きでしかないのだから、その判断は正解だ。
それと前後して、なのはも後を追う。
位置関係では、なのはの方が僅かに近かったこともあって、出だしが多少遅れても二人の間には差がない。

二人は、急激に魔力を膨れ上がらせるジュエルシードに向かっていき、その手のデバイスをジュエルシードに向けて突き出した。
そして互いのデバイスがジュエルシード越しにぶつかりあう瞬間、限界にまで膨れ上がっていた魔力が、暴発した。

肌で感じられるほどの魔力の奔流が、辺りを渦巻いている。
「……不味いな、派手にやり過ぎたか。
最後のひと押しになったのは今の接触だが、私たちがまき散らした魔力に反応して、飽和状態になっていたようだ。
どうもそれが一気に解放されて、ある種の暴走状態になっているようだな」
「うう、またうっかりしてた。
ジュエルシードが魔力に反応するなら、こういう事態になるのもわかったはずなのに…」
俺も凛も自分のうかつさを呪っているが、今はそれどころじゃない。
中心の近くにいたフェイトとなのはは吹っ飛ばされたようだが、見る限り怪我はなさそうだ。アルフとユーノも、それぞれのパートナーの元に駆け寄っているようだ。
それに、まだ暴走は続いている。ジュエルシードからは、輝きと共に膨大な魔力を放たれている。このままでは、結界の外にまで影響が出かねない。

そんなことを考えていた矢先に、違和感に気づく。
(なんだ? 魔力の解放だけじゃなく、空間まで歪めているのか?
だが、それにしては妙な感じがする。歪みだけでハンパじゃないが、これはまるで、英雄王が飲み込まれた黒い穴のような…)

そう思った瞬間に、頭の中を様々な単語が駆け巡る。
(…願望器…聖杯…空間の歪み…黒い穴…滅びた世界の遺産…抑止力…原初…。
まさか、ジュエルシードって!?)
今の今まで、俺たちはとんでもない勘違いをしていたかもしれない。
ギルガメッシュを飲み込んだ孔は、聖杯によるモノだ。
そして、聖杯は「あそこ」への道を通すことが本来の使い方の一つ。
ならば、よく似た気配がするということは、それと同一の働きをするかもしれない、ということだ。
確実にそうだと言える確証があるわけではないが、その可能性があるだけで十分だ。
もし、あれの目的が願いをかなえることじゃなくて、それはカモフラージュでしかなかったとしたら、一応辻褄は合う。

「ユーノ・スクライア!!」
もしそうだとしたら大変なことになる。俺は全力でユーノに向けて声を上げる。

「あれを危険と判断し、早急に破壊する! かまわんな!!」
有無を言わせない口調で、質問の形をした宣言をする。
今すぐに破壊しないと、この辺り一帯どころかこの街が消滅するかもしれない。
一刻の猶予もない、急がないと手遅れになる。

「え? それって、どういう…」
周りにいる全員が、わけのわからないという顔をするが構っていられない。

手に握っている干将・莫耶を大急ぎで投げ捨てる。
そのまま呪文を唱え、全速で自己のうちに埋没する。
「『投影、重装(トレース・フラクタル)』」
手に弓を投影し遠距離狙撃を敢行する。距離は200m、この程度なら容易い。
俺のやろうとすることに気づいた凛が何か言っているが、それどころではない。

「『I am the bone of my sword.(我が骨子は捻じれ狂う)』」
新たに投影するのは、刀身から柄に至るまで全体がねじれた剣。それを弓に番える。
そこにありったけの魔力を注ぎ込み、引き絞る。
あたりが騒然となる。宝具のことなど知らない魔導師たち、凛を除く全員がけた外れの魔力に息をのむ。

「全員衝撃に備えろ! 相当なバックファイアが予想される、全力で防御しろ!!」
警告はした。せめて、自分の身ぐらい自分で守ってもらわなければならない。ことは一刻を争う。
後は俺が中るイメージを見出し、矢を射ることですべてが終わる。

遮蔽物をはじめ、荒れ狂う膨大な魔力を除けば特に邪魔なものはない。
イメージを見出すのに、それほど時間はかからなかった。
「『偽・螺旋剣(カラド・ボルグ)!!』」
真名と共に、限界まで引き絞った弓から、歪に捻じれた剣を放つ。

捻じれた剣は周りの空間をねじ切りながら進んでいくが、これだけでは足りないかもしれない。
ダメ押しの一手をねじ込むために、まだ気を緩めるわけにはいかない。

剣がジュエルシードに届く、その瞬間に追い打ちをかけて、渦巻く魔力ともどもすべてを吹き飛ばす。
「『壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)!』」
剣がジュエルシードに届いたのと同時に、内なる幻想を膨らませて爆発させた。
その際に宝具の爆発とは別にかなりの衝撃があったが、凛や俺は距離が遠かったせいかそれほど影響はなかった。
ほかのみんなにしても、あらかじめ衝撃に注意するように言っておいたので、ちゃんと防御したようで怪我人はいないようだ。


あとには、何もなかったかのような静寂だけが残っていた。
「目的のものを破壊してしまった以上、ここにいても仕方がないな。
 フェイト、アルフ。戻ることにしよう」
内心の驚愕を覆い隠して、この場を去る。今は、少しでも早く凛と話がしたい。
今後の方針を、大きく変えなければならないかもしれない。

「えっと、ちょっと待って」
「あ、こら!?」
二人の反応を無視してこの場を後にする。
なのはたちはまだ状況を掴めていないのか、呆然とこちらを見送る。



Interlude

SIDE-フェイト

わたしたちが打ち合ったせいで、ジュエルシードが暴発してしまった。
シロウが使ったあの捻じれた剣でジュエルシードを壊すことで、事態は終息した。
バルディッシュもだいぶ破損しちゃったけど、これなら直すのにそれほど時間もかからないので安心する。

でも、さっきシロウが使ったのは、いったい何だったんだろう。
それからは、今まで感じたこともないような異質な、それでいて膨大な魔力が感じられた。シロウが普段使っている剣や外套からも似たような魔力は感じるけど、それとはケタが違う。あれから放たれる魔力を感じた時、全身に怖気が走った。

それに形状も変だ。剣のようにも見えたけど、歪に捻じれていたので確信が持てない。
あの剣の様な矢を放ち爆発させると、周囲を荒れ狂っていた魔力が全て散らされてしまった。
つまり、それだけの威力を持たせた、あるいはあれ自体が持っていたということだ。

剣を弓に番えるというのも異様だったけど、それ以上に不思議なのは放たれた剣が爆発したこと。
あれほどの武器を持っているのもそうだけど、それを使い捨てにするような使い方をするのは明らかに変だ。
それとも、あれと同等のものをいくつも持っているのかな?
魔術は秘匿するもので、門派ごとにできることが違うらしい。そうすると、あれがシロウの家が伝えてきた物なのかもしれない。あるいは、それを作る技術だろうか。
それなら、使い捨てにしたのもうなずける。

できればどういうことなのか聞きたいけど、隠すものだって言っていたし、さすがに教えてはくれないかな…。
協力関係とは言っても、単に利害が一致しているだけなわけだし。
たぶんだけど、そこまでは踏み込ませてくれないだろう。
聞いて欲しくないことを無理に聞くのも悪い気がするし、シロウはそれだけの力を持っている、ということでいいんだと思う。

だけど、今のわたしにはそれよりももっと気になることがある。
それは、シロウ自身のこと。
さっきからシロウは厳しい顔で何も言わない。
暴発した時も突然大声をあげて、有無を言わせずに破壊してしまった。
確かにすごい魔力の暴走だったけど、なんだかあの時のシロウは焦っていたように見えた。
一緒に行動するようになってまだ少ししかたっていないけど、シロウがこんなに余裕のない状態は初めてだ。
なんで壊してしまったのかも気になる。だけど、それ以上にどうしてこんなに焦っているのか聞きたい。
でも、このこともきっと答えてくれない、そんな気がする。
それにそのことを聞くことで、この協力関係が終わってしまいそうだから、聞くことができない。

あれ? おかしいな、何でわたしはそのことがこんなに不安なんだろう。
ジュエルシードを集めるのが終われば、シロウとはもう無関係になる。
今はそのことに、たまらなく不安を覚える。
わたしは士郎のことを警戒していたはずなのに。
わたしには聞かなくちゃいけないことがあったはずなのに、シロウと別れるまでそのことで頭が一杯で、結局何も聞くことができなかった。

Interlude out




あとがき

とりあえず次回は、ジュエルシードの解釈と時の庭園でのお話です。
今回のことで、大よそどういう扱いなのかは予想できると思います。結構よくある解釈だと思うのですが、やっぱりそういうものとしか思えません。
当然、アルハザードもそういう扱いです。
まぁ、あくまで士郎たちがそう予想するだけで、実際どうなのかは誰にもわからないんですけどね。


ちなみに、士郎たちがメレムの宝物庫に行った時のことを簡単に書いてみました。

「しかしよくもまぁ、これだけ集めたものだな」
「…………ゴクリ」
「どうしたんだ、り…ん?」
「これだけあるんですもの、一つや二つなくなってもわからないんじゃ………」
「待て待て待て!!! 目が据わっているぞ! 正気に戻れ!!」
「一つくらい、そう一つくらいなら……いいわよね?」
「いいわけあるか!! そんなことをすれば、間違いなく殺されるぞ。頼むから、正気に戻ってくれ~~!!」

たぶん、こんな感じではないかと…。



あとがき パート2

以前はこのまま進めると言いましたが、結局タラリアの投影はなしにすることにしました。
主体性がないと思われるかもしれませんが、皆さんのご意見を参考に自分なりに悩んだ結果です。
今回士郎なりの対策として、「天の鎖」と「アイアス」の変則使用を出しました。

これ以上の設定変更はしないつもりですし、そんなことにならないよう熟考して書いていきます。
特に、士郎の空戦に期待してくださっていた方々、大変ご迷惑をおかけしました。
誠に申し訳ございません。

あと、メレムとのことは残しておきたかったので、攻撃用以外の武装を手に入れた経緯の話は残しました。
キビシスの方は、eclipseで「自己封印・暗黒神殿」の中とはいえ一応使ってはいましたし「精度に難があるけど出来なくはない」というのなら大丈夫かな?
ごめんなさい、これなくすとメレムの話も残せないので、こんな形になりました。



[4610] 第11話「山猫」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:fd260d48
Date: 2009/01/18 00:07

interrude

SIDE-???

私は、待ち続ける。

いつか、誰かがこの庭園にやってくるのを。
私では主も、その娘でありわが子も同然の教え子を救うこともできなかった。

いや、そもそもあの子を救うだけなら出来たかもしれなかったのに、私にはそれを選ぶことができなかった。
どちらかを助ければ、もう片方がひどく悲しい末路を迎えることになるのがわかっていたから、私には答えを出すことができなかった。
両方を助けるには、私に残された時間は少なすぎたのだ。
私にできたのは、悪あがきをする時間を捻出し、限りなくゼロに近い可能性に賭けることだけ。


私は…卑怯だ。

私にできなかったことを、見ず知らずの誰かに任せようというのだから。
でも、私に残された時間では、もうこうするしかなかった。
だから私は待ち続ける。
私に勇気がないばかりに出せなかった答えを出してくれる、誰かが来るのを待っている。

この冷たく、誰も知らず、誰も訪れることのない棺の中で…。

interrude out



第11話「山猫」



SIDE-凛

「で、どういうことなのか説明してくれるんでしょうね?」
いま私の目の前には、当分は家に帰って来ないはずだった弟子兼家族兼恋人の衛宮士郎が座っている。
場所は私たちの家。万が一を考えて帰って来ない手はずだったのに、わざわざ帰ってきたからにはそれなりの理由があるはず。

「昨日のジュエルシードの暴走のことだ」
やはりその話か。
昨日街中で暴走したジュエルシードを、こいつは宝具だけでなく「壊れた幻想」まで使って破壊した。
あれをそのまま放置しては大きな被害は出ただろうが、あれはやり過ぎだ。
だが、そのやり過ぎをやるほどの何かがあったはずだ。こいつが話そうとしているのは、そのことなのだろう。

「それで、何であんなことしたの? いくらなんでも宝具なんて使ったら、変に警戒させるかもしれないことくらいわかってたはずよ。それでも使ったからには、納得できる理由があるんでしょうね」
士郎は神妙な顔で俯いている。
こいつがこれほどに思いつめるほどの何かに気づいたのだろうか。

「結論から言うと、俺たちはジュエルシードのことを勘違いしていたかもしれないんだ」
「勘違い?」
いきなり奇妙なことを言ってくる。勘違いとはあの暴走のことだろうか。
だが、あれはある意味当然の結果だ。大量の魔力を内包し、魔力に反応するジュエルシードが濃密な魔力にあてられて暴走するのは必然ではないのか。

「ああ。俺たちはあれのことを、妙な願いの叶え方しかしない歪な願望器だと思っていたんだけど、それは間違っていた。あれが願いを叶えるのはカモフラージュでしかなくて、本当の狙いは根源の渦に至ることかもしれない」
なんて、とんでもないことを言ってくれる。

「な……根源って、それ本当なの!? それにカモフラージュって、どういうことよ!」
そうだ、根源は全ての魔術師の目指す、最終到達点でもある。ジュエルシードがそれに至るためのものとは、どういうことなのか。

士郎の言うことを要約するとこうなる。
ジュエルシードは根源に至るためのものであり、願いをかなえるのはカモフラージュで通過点にすぎない。
あえて曲解や拡大解釈をすることで使用者の望みとずれた叶え方をし、より強く願うように仕向けている。
それは、ジュエルシードが外部からの働きかけによって力を解放する仕組みになっているためだ。正しいかなえ方をするのではなく、間違ったかなえ方をすることで、正しくかなえさせようとより力を解放するように誘導している。
そうして限界まで力を開放し、その魔力で空間の歪みを作る。最終的には、その歪みが根源への道を通すだろう。
そうすることで、至る直前まで別の目的で事を起こしていると、世界に誤認させて抑止力を防ごうとするのが狙いのようだ。
さすがに一つくらいでは無理だが、最低でいくつ必要なのかまでは分からないけれど、複数個を用いれば十分可能だろう。

もしまともに願いをかなえようとするなら、それは根源に至るという願いでしか無理だろう。しかし、その願いではカモフラージュの意味がなくなってしまうので、本末転倒になる。
理想は、強い願いをもつ誰かに持たせ、自分は黒幕に徹することだ。つまり、根源への道が通ったところで漁夫の利を得るのが、本来の用法だと思われる。

ただしその方法でも、大規模の空間の歪みを作ってしまうので、結局抑止が動く可能性がある。
確かに、道は通るかもしれないだろうがやり方が乱雑過ぎる。限り無く力技に近い。
これでは潰してくださいと言っているようなものだ。

最後に「これを作った奴は、おそらく神域の天才だ。しかし、どうして神域の天才なんていう連中は、どいつもこいつもこうやり方が悪辣なんだ」という、士郎の愚痴とも取れる感想で締めくくられた。

おそらくは、聖杯のことを思い出しているんだろう。
ギルガメッシュもそんなことを言っていたし、英霊を生贄のように捧げるなんてことをするわけだから、あれも相当に悪辣だった。
なるほど、そういう意味で言えば士郎の言うことはもっともだ。

「それなら、今までの妙な願いのかなえ方にも納得がいくわね。
 もしそれが真実なら、確かに有望ではあるわ。実際に届く直前までは悟られないだろうから、かなり高い確率で抑止力の発動を防げる可能性がある。なにせ使っている本人にそんな気がないんだもの、気付くも何もないわ。
 だけど、そんな荒っぽい方法でそのレベルの歪みを作れば、根源に至ることじゃなくて、そっちに反応して世界が潰しにかかるかもしれない。
そうであるなら、昨日のアンタの判断は正解よ。下手したら、この街が地図から消えてたかもしれない」
ただの抑止力で済めばいいが、最悪の場合、守護者が動く可能性もある。そうなれば、その場には何も残らない。
あれは滅びと無関係に過ごす者たちを救うために、滅びの要因となる者たちを殲滅する。
善悪も何も無関係に、だ。
呼び出された土地にいる全ての人間を殺すことで、人間全体を救う以上、海鳴が消えていたかもしれない。

「ああ。仮説でしかないけど、その可能性があるだけで十分すぎるほどに危険だ。
フェイトの母親とやらがこのことを知っているかはわからないが、警告するべきだな。
 明日にでもフェイトが一度戻って報告するらしいから、それに同行して伝えようと思う」
使った後に、なにも残らないのではあまりに不毛だ。いくらなんでもそんなことを望むとは思えない。
目的をはじめ、わからないことだらけの相手ではあるが、警告だけはしておくべきだ。
もしかしたら、この一件から手を引くかもしれない。

「うん、お願い。
もし信用しなかった場合を考えて、この宝石を持って行きなさい。これなら目印くらいにはなるから。いざとなったら、ユーノと協力して突入することになるとしても、位置の特定は必要だし。
あと、内部の構造もしっかり把握してきなさい。土壇場で道に迷ったらシャレにならないから」
考えていたのとは段違いの危険度を持つことが判明した以上、手抜きはできない。
最悪の場合には、巻き添えを食って何もかも消え去る。何としてもそれだけは防がないと。


士郎が出ていくのを見送ってから、ソファーに座りユーノから聞いたことを反芻する。
「ロストロギアは、滅んだ世界の遺産って話だったっけ。もしかしたら、ジュエルシードを作った世界が滅んだのは抑止力が動いたせいかもね。他の世界の中にも、それが原因で滅んだ世界があってもおかしくないか」
まさかこんな大事になるとは思ってもみなかった。聖杯戦争の時といい、世界の存亡なんて柄じゃないのにな。
それでも、私のいる世界を壊されちゃたまらないんだから、何としても防がないといけないんだけどね。
士郎の言うとおり、厄介事の呪いも身につけたかもしれないわね、これは。

とにかく今は、士郎が向こうの黒幕と接触してその結果次第ね。
場合によっては、なりふり構っていられなくなる。
覚悟だけは決めておくことにしよう。



SIDE-士郎

いま俺は、フェイトのマンションの屋上にいる。もちろんフェイトやアルフも一緒だ。
フェイトの手には、この前持ってきたのと同じ翠屋のお菓子がある。前回のお茶会で食べたのが、いたく気に入ったようだ。
母親へのお土産として持っていくために、俺が頼まれて買ってきたものだ。

「こんなもの食べるかね?」
アルフがいぶかしむように言っている。以前から思っていたが、アルフはあまりフェイトの母親に言い感情を持っていないようだ。

「気持ちだから」
フェイトは囁くようにそう返す。
その声からは確かに愛情が感じられ、二人の同一人物への感情の違いから、どうもその母親のことがわからない。
アルフは嫌い、フェイトは愛情を持って接する相手。親子なのだから当然だが、ならばなぜアルフはその人物を嫌うのだろう。
主が好きだから、なんて理由で相手を好きになる必要はない。しかし、こうもあからさまに嫌うのならば、それ相応の理由があるはずだ。
俺自身、あまりフェイトの母親とやらにはいい印象を持っていないが、アルフのこの様子がそれに拍車をかける。

「さて、行くか。ジュエルシードを壊したのは俺なんだから、ちゃんと謝らないとな。
 フェイトが責を追うことじゃないんだから、俺が行けば問題ないだろう」
同行するにあたっての口実は、こんなところだ。
俺が一緒に行くことで、フェイトがいらぬ叱責を受けることもなくなるだろう、と言って説得した。
「ごめんね、こんなことさせちゃって。別に無理についてこなくてもいいんだよ」

フェイトとしては協力者である俺に気を使っているようだが、それは違う。
「あのな、実際に壊したのは俺なんだぞ。なら、俺がその説明と謝罪をするのは当然だ。
 俺は自分の責任を果たしに行くだけなんだから、フェイトが気にすることじゃない!」
これで話は終わりとばかりに、少し強めに言う。
フェイトは責任感の強い子だから、はっきり言ってやらないといつまでも自分で責めてしまう。
なので、ここはきっぱり言い切る。

「ほら、いつまでもここでのんびりしてても仕方がないだろ。行くぞ」
そうしてフェイトの転送魔法が発動し、俺は初めての次元跳躍なるものを体験した。


  *  *  *  *  * 


フェイトが俺にはよくわからないことを呟いたかと思うと、光に包まれた。
あれが詠唱なのか、それとも座標でも設定していたのかもしれない。

光が消え目を開くと、もう到着していた。場所は「時の庭園」というらしい。
思っていたほど何か特別な影響はなかったので、少し肩透かしを食らった気分だ。
次元跳躍なんて言うぐらいだから、もっとなにか感慨深いものかと思っていたのだが。

しかし、今の俺はそれどころじゃない。
「うっぷ!? き、気持ち悪い」
さっきまでとあまりに違う環境に、腹の奥から嘔吐感がせりあがってくる。
別に跳躍のせいで酔っているわけじゃない。俺が酔っているのは、この空間だ。

「え!? どうしたの?」
突然顔を青くし、その場に膝をつく俺にフェイトが心配そうに聞いてくる。

片手を振り、一応は大丈夫であることを告げようとするが、口を開くだけで億劫になる。
「俺が世界の異常に敏感なのは教えたよな。異常ってわけじゃないんだが、どうもこの空間は今までいたところと違うみたいで、乗り物酔いみたいな感じになってるんだ。
 しばらくすれば慣れるから、ここで少し休む。先に行っててくれ、あとで追いつく」
そう、どうもこの時の庭園のある空間は通常の空間ではないらしく、慣れない環境のせいで体調を崩してしまっている。慣れれば何とかなりそうだが、今はその慣れることに集中したい。

「ああ、ここがあるのは高次空間内だから、違うといえば違うのかもしれないねぇ。
 あたしらは特になんともないけど、あんたの場合敏感なせいで影響を受けてるのかもね。
 わかったよ。じゃあ、先に行ってるから後から来な。ほらフェイト、先に行こう」
「あ、うん。じゃあシロウ、わたしたち先に行ってるから。落ち着いたらでいいから、無理しないでね」
そう言って二人は、母親とやらのところへ向かう。
フェイトは最後まで心配そうにこちらを見ていたが、アルフに連れられて先へと進んでいく。

フェイト達の姿が見えなくなってから、その場にある壁に寄りかかり、深呼吸をして体を落ち着かせる。
こんな感覚は初めてだが、思いのほか早く落ち着いてくれる。
「別に狙ったわけじゃないんだけど、ちょうどよかったな。
 これで内部の調査ができる」
少しだけ休んで行動に移る。
まだ慣れたとは言えないが、動く分には問題ないので宝石の仕込みと、内部構造の調査に入る。
あまり時間をかけても怪しまれるし、手短にしないと。


中を歩きながら、時々位置確認の意味もあって手を当てて解析をする。
「しっかしずいぶん広いな。これじゃあ完全に調べきるのは、すぐには無理だな」
困ったことに、内部があまりにも広いので解析しきれない。さらには機械的な部分も多すぎる。何か地図のようなものでもないか探してみるが、そんな気の利いたものはないようだ。
せめて主要な通路や部屋ぐらいは把握したいのだが、それもあまり期待できそうにない。

そうやって歩いているうちに、どこからともなく声が響く。
『………す…て…』
「ん? 何だ、今の?」

『…た…け………』
その声は耳にではなく、頭の中に直接響いていることに気付く。
頭の中に響く声である以上、方向も何もないはずなのに、なんとなく右手側から声が聞こえた気がして振り向く。
そこにはやはり何もないが、相変らず響く声が幻聴ではなかったことを知らせる。

『…たす……て…』
声だと思っていたのは、どうやら微弱な念話らしい。
俺は送信の方はてんでダメだが、フェイトが言うには受信に関しては並み以上にできているそうだ。
というか、むしろ感度が良すぎるくらいなんだけどな。まぁ、両方ダメなのよりはマシなんだけど…。
しかし、時々俺に向けられたわけではないモノまで聞こえるのは勘弁してほしい。盗み聞きをするような趣味はないのだが、考えようによっては便利でもあるので複雑だ。

おそらく俺でなければ、この念話には気づかなかっただろう。それほど、今受信したモノは微弱なのだ。
とりあえず当てもなく動いていたので、何か収穫があるかもしれないと思い、声の方に行ってみることにする。

進むほどに声ははっきりと聞こえてくるようになるので、たぶん近づいてはいるのだろう。
それと同時に、その声が言ってくることもだんだんわかってきた。
「助けて、か。それに、あの子、救って、なんて言っている以上は救援要請なんだろうけど。
 一方通行なせいで、何を指しているのかよくわからないな」
確信は持てないが、場所を考えれば、「あの子」はフェイトを指している可能性が高いな。
これは、思わぬ拾いものができるかもしれない。未だに判然としない、フェイトの母親の目的を知るきっかけになるといいのだが…。

ただ、どうにも内容が単調で画一的なのが、少し気になる。誘い込もうとでもしているのだろうか?
だが、今の俺は敵対者というわけではないし、罠を仕掛けているとは考え難い。しかし、罠の存在を完全には否定できない。魔術師の工房であれば、不審者には容赦しない。こんなところを歩いていること自体が、ある意味では不審である以上、気をつけなければならない。
あるいは、厄介な状況に置かれていてバレないように慎重になっている、という事もありうるな。それだと念話が微弱なのも、一応は納得がいく。

まぁどちらにしても、他にどこを調べていいかさえ分からないのだから、選択肢など元からない。
罠ならば蹴散らすし、それなら向こうの在り方ややり口もわかる。
逆にそうでないのなら、求める情報を手に入れられる可能性がある。
形は違えど、何かしら得られるものはあるはずだ。
それならば、意味もなくウロウロしているよりかは余程マシだろう。


そうして俺が行きついたのは、何もない壁の前だった。
「って、おいおい。ここまできて見当違いの方に来てたなんて言わないでくれよ。
そろそろフェイト達の方に向かわないと、いい加減怪しまれるだろうし」
そんな愚痴を言いながら壁に手をつく。

すると違和感に気づく。壁の感触が、さっきまでのとは違う。
念のため解析をしてみると、違和感が確信に変わる。
「あれ? ここってまさか、隠し扉か! ずいぶんと手の込んだことをしてるなぁ」
とにかく、もうあまり時間がないので力を込めて押してみると、思いのほか簡単に扉は開いた。

キィ

そんな音を立てて開いた扉の向こうには、殺風景な部屋があった。
部屋はその人の心象らしいが、この部屋には人の息吹が感じられない。
俺の部屋も大概だが、ここも相当なものだ。ま、隠し部屋なのだから、内装に凝っても意味はないのだろう。

あるのはやたらとゴツイ機材と、中心には人間さえも納められそうなガラス張りの大きなケースが安置されている。
一応罠に警戒しつつも、その中を覗き込んで見る。
「ん? これって山猫か。
あれ? でも微弱だけど魔力があるってことは、アルフと同じ使い魔なのかな。
じゃあ、何でこんなところで眠ってるんだ」
入れ物の大きさの割には、ずいぶんと小さいのが入っている。
集中して探ってみると、やや魔力があるのがわかる。誰の使い魔かは知らないが、こんなところで隠れるように眠っているのはおかしいはずだ。

「とはいえ、魔力不足でだいぶ弱っているみたいだし。俺じゃ、無理やり契約を結ぶこともできやしないからな。
 さて、どうしたものか…」
連れ出そうにも、こうも弱っていては下手に動かすとそれだけで死にかねない。
せっかく情報源っぽいのを見つけたが、これでは迂闊なことができない。

さて、どうしたものかと思案していると、人が近付いてきたのがわかったのか、さっきまでよりも一層積極的に念話で語りかけられる。
『…おね…い……フ……イ…トと………レ…ア…をす……て……』
この調子で、こいつはさっきからずっと俺に向かって助けを求めてくる。
こんな、まるで縋りつくような求めをされては、俺でなくとも折れるだろう。
というか、元から見捨てる気などない。ただ、どうやってここから連れ出したものかと思案していただけだから、そんな風に語りかけるのはやめてくれ。
何もしてないのに、なんだか悪いことでもしたかのような気分になってきて、故のない罪悪感が沸いてくる。

「ああもう、わかってるよ! 見捨てたりなんかしないから、安心しろ。
 ちょっと手荒になるけど、我慢してくれよ」
使い魔であるなら、魔力さえあればある程度どうにかなるはずだ。
こうなったら仕方がない。多少手荒らではあるが、これぐらいしか思いつかないし、我慢してもらおう。
そう考えて、投影したナイフで二の腕を切って出血させる。

山猫をケースから取り出し、出血している方の懐に入れて血をなめさせる。
生存本能からか、無意識にでも血に宿った魔力を取り込もうとなめてくる。これでしばらくは持つはずだ。
懐に入れたのは、人目につかないようにするためでもある。こうして隠れている以上、あまり人に知られたくないのだろう。
魔力を帯びる聖骸布も、隠すのに一役かってくれる。こんなにも僅かな魔力しかなければ、聖骸布自体の魔力にまぎれてしまう。
かなり弱っているのが幸いしたな。これなら、まず気付かれることもなさそうだ。
そうして、このまま連れて行くことにする。

さぁ、一応収穫はあった。こいつが何を知っているかはわからないが、少なくともここの案内くらいはできるはずだ。あとは凛に預けて、ちゃんと契約させて回復するのを待つとしよう。
そうして、俺はこの隠し部屋を後にする。


  *  *  *  *  * 


一度元いた場所に戻り、フェイトから聞いた道順にそって二人がいるであろう場所に向かうことにする。
指示された場所に向かっていると、やけに大きな扉が目に入る。その前には、耳を押さえてうずくまるアルフの姿があった。
同時に、中から聞こえてくる音と声にも気づく。
それは鞭で何かを叩く音と、わずかに漏れるフェイトの苦痛の声だった。

「……おい。これは、どういうことだ」
感情のメーターが振り切れ、一気に心が冷めていくの自覚する。
きっと、今の俺の声はそれを反映して、ひどく冷たい響きをしているだろうことを他人事のように知覚する。

「どうもこうもないよ! あの鬼婆、フェイトが持ってきたジュエルシードだけじゃ全然足りないって言って、あんなことをしてるんだ!!」
アルフが悲鳴のような声でそんなことを言っている。

「なぜ止めない!! お前はフェイトの使い魔だろう!」
思わず声を荒げてしまう。アルフが、フェイトを何よりも大切にしているのを知っている。
それだけに、なぜこんなことを許しているのか理解できない。

「あたしだって止めたいさ! でも、あたしが止めに入ると、もっとひどいことになるんだ。だったら…こうするしかないじゃないか!!」
アルフも怒鳴りつけるように言い返してくる。そのおかげで、少しだけ冷静になれた。
なるほど、確かにそれじゃあアルフには手が出せないだろう。
だが、俺は違う。あいにくと、こんなことをしている場面に遭遇して落ち着いていられるほど、自分を統御出来ているわけではない。

後のことなど知ったことではない。
この馬鹿なマネをやめさせることしか俺の頭にはない。
「わかった。じゃあ、俺が何とかする」
そうして扉に手をおくが、鍵かあるいは魔法で封でもしているのかビクともしない。
解析してみるが、別に魔法を使っているわけではないようで、単に鍵をかけているだけのようだ。
投影した剣で破壊してやってもいいし、魔術でもって解錠するというのもあるが、今はそれらすらももどかしい。

手をそのまま扉に押し付け、詠唱と共に一気に魔力を注ぐ。
「『強化、開始(トレース・オン)』」
本来強化などしても扉が強固になるだけだが、限界以上の魔力を送り込むことで崩壊させる。
昔ロクに強化さえできなかった頃は、よく練習対象を壊したものだった。だが、こと壊すだけならこれの方が効率はいい。投影だと、いちいち作ってから切らなければならないが、これなら魔力を注ぐだけで事足りるのでてっとり早い。解錠なんてもってのほかだ。そんなことをしている場合ではない。

思惑通り、扉は突然数百年の時間が過ぎたかのように瓦解していく。
中には、腕を縛りあげられ宙づりになったフェイトと、鞭を持った長髪黒髪の女がいた。
「アルフ、お前はフェイトを連れて行って治療しろ。俺はあの女と話がある」
そう言うが早いか、アルフはフェイトに駆け寄っていき、拘束を引きちぎってフェイトを連れていく。

「……ぇ…シ……ロウ…?」
フェイトの方はすでに意識がもうろうとしているのか、なすがままになっていた。
アルフが連れて行く時に少し目が合うが、その目にいつもの生気はなく、どうしようもなく虚ろだった。

「突然扉を壊したと思ったら、今度は勝手にあの子を連れて行かせるなんて、一体どういうつもり?」
まるで、虫けらでも見るかのような眼でこちらを見てくる。
なるほど、アルフが嫌うのもうなずける。この女には、フェイトを暴行していたことに対する罪悪感の欠片もない。その姿に、間桐の妖怪爺を思い出す。

「どうもこうもあるまい。あの子は貴様の娘だろう。
懸命に母親の頼みに答えた娘に対して、それが親のすることか!!」
正直言って腸が煮えくりかえっているが、この女を殴りたい衝動を必死に抑えて話をする。
この場でこの女を倒せば、すべて解決するかもしれない。その誘惑に、何とか抗って言葉を発する。

ここは相手の本拠地だ。地の利は向こうにある以上、迂闊なことをすれば何が起こるかわからない。
闘うならば、それは必勝の好機であり、必倒を誓った時だ。もし焦ってここで取り逃がすことになれば、最悪の事態になりかねない。
そう理性ではわかっているが、感情を抑制するのに苦労し、にぎりしめた拳からは血が滴っている。その痛みで、なんとか感情にブレーキを利かせている。

「あの子は、この大魔導師プレシアの娘。この程度のこと、できて当然よ。
 それどころか、あれだけ時間があったのにこの程度の成果しかないから、こうして叱っていたのよ」
悪びれた様子もなく言ってくる。この女は、本気でそんなことを思っているのか。
ジュエルシードの回収は、言うほど簡単な作業ではない。
捜索は著しく困難で、見つけたとしても発動した場合には戦闘になる。この二つをこなしたうえで、さらに封印までしなければならない。本来こんな少人数ですることじゃないし、誰にでもできることではない。
フェイトやなのはは、生まれ持った天賦の才があるからこそ、あの年で可能にしているのだ。
少なくとも「この程度」などという評価は、不適当の極致といえる。

「ところで、あなたがあの子たちの言っていた現地協力者ね。
 未知の術式を使っていると聞いたけど、扉を壊すのではなく瓦解させるなんて、奇妙なことができるのね」
もうそのことには興味がないとばかりに言ってくる。
この女はフェイトに対して全く興味がないことを確信し、驚愕する。
そういう親がいるのは知っているが、ここまで来ると化け物じみている。俺は戦慄以上に、怖気を覚えた。

「それこそどうでもいいことだ。私の方から技術を伝える意思はない。
 私の用件はただ一つだ。それが終わったら、早々に立ち去るよ。
ここはあまりに空気が悪くてな、反吐が出る!」
せめてこれくらいは言ってやらないと気がすまないので、吐き捨てるように言ってやる。

だが、向こうも特にそのことに感じることはないらしい。
「では、その用件とやらを早く済ませてくれないかしら。私も暇じゃないわ」
さっさと済ませて出て行け、とばかりに言ってくる。
この女はとことん他人に興味がないらしい。
同時にプレシアからは、この世界に来て初めて血の匂いがすることに気づく。

これは、実際に血を浴びたためについたものではなく、あくまでも比喩表現でしかない。
しかし、だからこそ厄介だ。つまりこの女は、この先目的のために血を浴びることを躊躇していない。
邪魔ものを排除するために、目的を成就するのに必要ならば、無関係の人々さえも犠牲にするだろう。
まるで、野に下りタガの外れた魔術師を前にしているようにさえ錯覚する。
最悪の場合、殺し合いに発展するかもしれないな。

「貴様が、なぜジュエルシードを求めるのか聞きたい。別に何に使うおうが知ったことではないが、先日のように暴走されては、こちらにまで被害が及ぶ可能性があるのでな」
単刀直入に聞く。駆け引きなど、この女の前では意味をなさないだろう。
そもそもそんな気がないのだから、無駄な時間を使うべきではない。

「教える必要はないわ。
でも安心なさい。私はあれのちゃんとした使い方を知っているし、制御する方法もある。
 無様に暴走させるようなまねはしないわ」
やはり話す気はない、か。
これは予想通り。たとえ、どれだけ聞いても話すことはないだろうと思っていた。
この女と対峙した時点で、そんな期待は捨てている。

それに、今やっているのは明らかに違法行為だ。その目的をわざわざ漏らすなどあり得ない。
問題なのは、プレシアの言う「ちゃんとした使い方」だ。本当にそれを知っているのなら、この女の目的は最悪の予想が的中したことになる。

「そうか。では貴様の言う「ちゃんとした使い方」とやらが、私の考えるそれと同じと仮定して言う。
 やめておけ。あれを使えば、その後には何も残らない。また本来の使い方を知るが故に、必ず失敗する。
 世界は動き、貴様を排除しようとするだろう。
 今ならまだ間に合う。早々に手を引くことだ」
言うだけ言って、この場を去る。
警告はした。この先なお進もうとするのなら、俺がお前を倒す。と心のうちで宣言する。

去り際に、プレシアの方から声がかけられる。
「驚いたわね。私以外に、あれの本当の使い方を知っている人間がいるなんて。
それが未知の技術の知識ということかしら。
 でも、憶えておきなさい。人に干渉するのはいつだって人よ。
 世界はどうしようもなく冷たく、無慈悲なもの。世界は私たちに何もしてくれないわ」
そんなことはとうの昔に知っている。
世界は俺たちに何もしてくれない。だが、俺たちが世界になにかをする時にはそれを排除する。
それが世界という存在だ。

この瞬間、俺たちの間柄は決定した。
ここから先、俺たちは命のやり取りをする敵同士だ。
だが、今はまだその時ではない。いまは取り逃がすほうが危険だ。
時が来たら、俺がお前を阻みに行く。
それまで、そこで待っているがいい。


  *  *  *  *  * 


俺はプレシアのもとを去った後、フェイトを抱えて行ったアルフを追ってきた。
先ほど庭園内を探索しているうちに通りがかった場所でもあるので、思いのほか簡単に見つけられた。

今いるのは、プレシアのいた部屋から大分離れた大広間のような場所だ。
それだけ、アルフはあの女を恐れていたということか。厳密には、フェイトを傷つけられることが、だが。
そうでなければ、ここまで遠くに来る前に軽い手当てぐらいしていたはずだ。

俺がついた時には、やたらと縦に長いテーブルの上にフェイトを寝かせ、アルフが全身に手当てを施している最中だった。
どうやらフェイトは眠っているようだ。規則正しい呼吸を繰り返し、穏やかな顔で眼を閉じている。
だが、鞭は全身をくまなく叩いており、無傷なところを探すほうが難しいぐらいだし、顔色も悪い。

あらためて、プレシアの行動に激しい怒りを覚えると共に、その内面への警戒心を強める。
あの女はジュエルシードを制御する方法があると言ったが、それでも危険であることには変わらない。
暴走させなくても、一定以上の力を解放してやれば、あれは本来の目的のために動き出すだろう。
その目的とプレシアの目的がイコールとは限らないが、複数のジュエルシードが必要ということは、それだけ大規模な発動をさせる気だということだ。
そうなれば、抑止力が動く可能性が高まる。

現在はその存在を知らないのか、障害を気にしている様子はない。
だが、たとえその危険性を知ったとしても、プレシアは止まろうとはしないだろう。
その眼には、確かに狂気の光があった。何が根本にあるかは知らないが、止まる時は動けなくなった時しかあるまい。
穏便に済む可能性は皆無と言っていい。それがわかっただけでも収穫だ。
相手がそういう存在であるとわかっていれば、最後の最後で詰めを誤ることもない。

思考を切り替えて、目の前で眠っているフェイトの様子を見る。
全身傷だらけだが、深刻な外傷は見受けられない。ちゃんと治療すれば、跡が残ることもなさそうなので、一安心だ。
男なら勲章などと言えるが、女の子の場合はその限りではない。勲章だと言うタイプの人もいるだろうが、少なくともこんなことで付いた傷が誇りになるはずがないし、やはり女の子体に傷が残るというのはいいことではない。
そうならなくて……本当に、よかった。

一通り手当てが終わったところで、俺には詳しいことはわからないが、治療系の魔法を使っているようだ。
ただ、アルフはあまり治療系の魔法が得意ではないようで、なんだか悪戦苦闘しているように見える。
こう「ああでもない、こうでもない」と、ぶつぶつ独り言が漏れている。
「アルフ、正直言って見ていられない。失敗しそうで見ているこっちが怖い。
 治療系なら俺が何とかできるから、ちょっと下がってくれないか」
いくらなんでも危なっかしいし、俺も手を出すことにする。

「…士郎。でもあんた、剣に関することしかできないんじゃないのかい?」
アルフ達にはそう説明しているし、実際にそうだ。
治療なんて高尚な魔術、俺には使えない。できるとすれば、「治す」ではなく「直す」ことだ。
ただでさえ外界に働きかけるのは苦手なのに、自分以外の人体に働きかけるなんてできるはずがない。

そういえば、言峰の奴があんな性格して、霊媒治療が得意だったらしい。正直言って、全く信じられなかったな。
いくらイメージしようとしても、喜々として傷口を抉っている光景しか想像できない。

とにかく、俺がすべきことは直接治療することじゃなくて、できるものを用意することだ。
「確かに、俺には無理だ。でも俺の持っている道具の中には、そういうことができるものがある。
 だから、それを使う。一気に全快はしないけど、治療魔法と併用すれば少しは早く治るはずだ」
「了解。それで頼むよ。あたしもこういうのは苦手でさ、手伝ってもらえると助かる」
俺がさまざまな道具を用いて戦うのは教えている。詳しいことを言わなくても、そういうものがあっても不思議じゃない、と納得したらしい。

アルフの方からも頼まれたことだし、早速投影に入る。
「『投影、開始(トレース・オン)』」
これを作るのには、コンマ一秒もかからない。本来なら、俺の限界を超えるほどの宝具なのだが、これに限っては下位ランクの宝具より容易に投影できる。
なにせ、二十年も共にあった俺の半身だ。その存在のすべてが、この身には刻まれている。
今更、踏まなければならない工程などない。

宝具は隠すべきなのだが、こんな姿のフェイトを前にして、そんなことを気になどしていられなかった。
というか実を言うと、後になって隠すべきだったということを思い出したのだ。
もう完全に忘却の彼方だったし、それを思い出しても「ま、しょうがないか」という結論に達したので、俺はこのあたりちっとも進歩していないらしい。そんなことを思って少し苦笑したが、まったく反省していないのだから、この先もこのままなんだろうな。
不用心だとは思う。だがそうやって利口になって、今回みたいな時に、自己保身ばかり考えるようになるのは……やっぱり嫌だな。

作り上げたのは、今の若返った体には少々大きすぎる鞘。
それを、テーブルの上で横になっているフェイトに抱かせる。
魔力を注ぐと、わずかに光を放つ。ちゃんと起動してくれたようだ。

セイバーがいれば、それこそ復元とも言えるレベルで治癒していくだろうが、俺ではそこまではできない。
作れると言っても、あまりに強力すぎる代物であるせいか、その力の十分の一も引き出せない。
真名開放はできるが、それなしだと少し治癒能力を高める程度の効果しか出せない。
つまり、スイッチを切り替えることしかできない、1と0の二択なのだ。こいつの存在に気づいて10年近くたつが、それでもこの程度。
真名開放をする場合も、どういうわけか自分しか対象にできず、他人に向けての解放ができない。
だからこの場で真名開放をしても、俺が元気になるだけでフェイトには何の益もない。
力は引き出せないしロクに制御もできないので、強力なのに使いどころが限定される武装なわけだ。
俺では、この鞘の担い手には到底足りないと言われているようで、少し残念だ。

治療魔法に加え聖剣の鞘を渡されて、フェイトの顔色が少し良くなってきた。
一度僅かにまぶたが動いた気もするが、その後特に変化もなかったので、たぶん気のせいだろう。
体の傷は、両方がうまく作用したようで、さっきよりずっと早く治っていく。
この分ならあと数分で、見える範囲の傷は消えそうだ。

治療が終わったところで、フェイトが目覚めればいいが、そうでないならそのまま帰還することでアルフと合意する。鞘の方は治療が済み次第、消滅させた。

そして、治療が終わり時の庭園を離れるときになっても、フェイトは起きなかった。

interrude

Side-フェイト

なんだろう? 体が、温かい。

わたしはさっきまで母さんの所にいて、言われたことをちゃんとできていないことを怒られて、それでその後……えっと、ダメ、上手く思い出せない。
わたしはどうしたんだろう。頭がぼんやりして、思考がまとまらない。

わかっているのは、体が少し痛くて、でもその痛みが少しずつ薄れていっていること。
それと、全身を温かい何かに包まれているような感じがする。
まるで、以前陽だまりの中で昼寝をしていた時のようであり、リニスが優しく抱きしめてくれた時みたい。それらとよく似ていて、とても安らいだ気持ちになれる温かさだ。すごく……気持ちがいい。
ただ背中に少し冷たくて、固いモノの感触がある。ベッドの上だったらもっとよかったのに、それが少し残念。
けれど、気持ちがいいのは本当で、なんだかこのまま眠ってしまいそう。

でも、まだ眠れない。
この温かさが、どこからくるものなのか確かめたい。
今のわたしは眼を閉じてしまっているけど、頑張って重いまぶたを開けようとする。

それだけのことが、とても大変。
眠ってしまいたい欲求が強くて、全然目が開けられない。
苦労して少しだけ目を開けると、陽の光とは違う光が目に入る。治療系の魔法の光とも違うし、一体何だろう? よくわからないけど、とても優しくて柔らかな光だ。
同時に、こちらを見つめるアルフと、そして…シロウの顔があった。

この光はアルフの魔法によるモノじゃないから、たぶんシロウが何かをしてくれているんだろう。
ご飯を作ってくれている時もそうだけど、シロウがわたしのために何かをしてくれるというのが、少し嬉しいな。
今度は、わたしがシロウのために何かをして上げたい。
そうしたらシロウは、喜んでくれるかな。

ただその顔は、とても心配そうで、悲しそうだ。
理由はよくわからないけど、すごく心配させてしまったみたい。
「ごめんね、心配かけて。私は大丈夫だよ。だから、そんな顔をしないで…」
そう言って謝りたいけど、まだ体が思うように動かない。
だから、体が動くようになったらちゃんと謝らないと。
それにせっかく開けたまぶたが、どんどん下がってくる。
二人には申し訳ないけど、一度休んでそれから謝ろう。

最後に、シロウの顔を目に焼き付ける。
シロウって、そういう顔をもするんだ。わたしの知らない顔が見られて、少し新鮮。
でも、今度はこんな悲しそうな顔じゃなくて、もっと楽しそうな、嬉しそうな顔が見たいな。
だって、シロウが悲しそうにしていると、なんだかわたしまで悲しくなってくる。

アルフもそうだけど、シロウのこんな顔はもう見たくない。
絶対に、これ以上心配させないように頑張らないと。

そのままわたしは、ゆっくりと眠りに落ちた。

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アルフの転送魔法で、俺たちは海鳴に帰還した。

ちなみに、アルフは転送魔法の制御もあるので、フェイトは俺が背負っている。
背負ってみて再確認したが、こんなにも軽く華奢な体で頑張っているんだな。

そのことが、より一層俺の罪悪感を強くする。
母親からあんなつらい仕打ちを受け、慣れない土地で奮闘する少女を、俺は騙している。
必要と思ってのことだし、実際に今のところこの策は功を奏している。
間違っているわけではないのだろうが、やはり罪悪感がぬぐえない。

贖罪のつもりはないが、せめて僅かな間でもいい、この子を支えていてやりたい、そう思う。
だがこの関係にも、遠からず破局の時が来る。その時を思うと、どうしようもなく心が苦しい。
凛の言うとおり、絶対に許されることはないだろうし、フェイトは俺に憎悪と怨嗟を向けるだろう。
だが、それは俺が背負うべき罪であり、受けなければならない罰だ。
この苦しみもまた、その一つ。

こうして、フェイト達と過ごすことができる時間も、そう長くはない。
今はただ、その時のための覚悟をしていよう。それしか、俺にできることはないのだから。


フェイト達の拠点に戻り、ベッドに寝かせようと向かっている途中で、背中から振動が伝わってくる。
どうやら、フェイトが目を覚ましたようだ。

はじめのうちは寝起きでボーっとしていたようで、体を起こしたことで少し重心が移動した以外には変化がない。
意識がはっきりしてきて自分の状態を確認すると、手足をばたつかせて声を上げる。
「……え? え~~~~!!?
 な、何で! どうしてわたし、シロウに背負われてるの~~!!」
フェイト、とりあえず耳元で叫ぶのはやめてくれ。
鼓膜どころか頭が痛い。今の叫びは、もはや衝撃波の域だ。
頭の中で鐘でも鳴らしているように、ガンガンする。

だが、そのことにばかり意識を傾けているわけにもいかない。
フェイトが暴れるものだから、今にも二人揃って倒れそうだ。
「フェイト! 驚いたのはわかったから、とにかく落ち着け!
このままだと倒れそうって…うわ!?」
結局バランスを保っていられなくなり、後ろに向かって倒れ込む。

ゴッ!!!!

実にいい音が辺りに響いた。
理由は簡単。倒れる途中で、俺が近くにあった家具と衝突したからだ。
ぶつけたのは俺の頭。ぶつかったのは近くにあったテーブル。
角でなかったのが不幸中の幸いだ。もし角にぶつかっていたら、死んでいたかもしれない。なにせ、ぶつけたのは後頭部だ。当たり所はすでに最悪と言っていい。冗談抜きに、打ちつけた場所が悪ければ、一滴の血も流すことなく安らかに死んでいても不思議じゃない。

それでも勢いよくぶつけたことには変わらないので、俺は右手で後頭部抑え、若干仰け反りながら悶絶している。
「ぐ、ぐぉ~~~……!」
痛いなんてものじゃない、痛すぎる。今にも涙が出そうだ。
何度も経験したので、斬られたり撃たれたりするのには慣れた。
だが不意打ちで、しかも急所をぶつけるのは、何度経験しても慣れない。ついでに、右足の小指もテーブルの脚にぶつけたようで、そこから伝わる鈍痛が地味に響く。さっきから右足はピンと伸びたまま、痛みに耐えるように僅かに震えている。

本当なら頭や足を抱えたり、転げ回ったりしまいたいところだが、今はそれもできない。
なぜなら、仰向けになっている俺の体の上には、咄嗟にかばったフェイトがいるからだ。今は、ちょうど俺が左手で抱きしめるような形になり、フェイトは俺の胸板に顔を埋めている格好だ

あのまま倒れていたら、テーブルとぶつかっていたのはフェイトだっただろう。
倒れそうになったとき、無我夢中で互いの体を入れ替え、フェイトを抱きかかえたのだ。
位置の入れ替えは成功し、フェイトは無事なようだ。そのことに安堵しつつも、後頭部と右足に残る鈍痛に悶えてしまい、言葉が出ない。

「ちょ、フェイト大丈夫かい!? ……あと、ついでに士郎も」
俺はついでか? という突っ込みを入れたいが、こっちはそれどころではない。
痛みもあるが、それよりもフェイトが俺の胸に顔を埋めたまま、動かないのだ。
一切のダメージは俺が引き受けたはずだが、もしかすると気付かないうちにどこかぶつけたのかもしれない。
あるいは、先ほどの傷が痛むのかも。一応表面的な傷は消えたが、まだ完全に治りきっていない可能性は否めない。

とにかく状態を確認しようと、痛む頭を擦りながらフェイトに声をかける。
「いっつ~~。…フェイト、大丈夫か?」
涙目になりつつも、上体を起こしフェイトの様子を見ようとする。
見えるのはフェイトの綺麗な長い金髪と、その隙間から見える背中だけで、特に気になる点も見られない。
ただフェイトは、相変わらず俺の体の上で微動だにしない。

頭を擦っていた右手で、起こした体を支える。同時に、フェイトの背中に回っていた左手で、軽く背中を「ポンポン」と叩き反応を窺う。そして、改めて声をかける。
「おい、大丈夫かフェイト?」
やはり反応は返ってこない。
本来なら、ここで引き離してでも様子を確認するところなのだが、気になることがある。

今気がついたのだが、フェイトの手が俺の服を鷲掴みにしている。
倒れる時に驚いてつかんだのかもしれないが、だったらなぜ今もこんなにホールドがきついのだろう。
絶対に離さん、と言わんばかりの握り方だ。意識がなかったら少しは手も緩むはずだが、その様子もない。

俺が少し困惑していると、フェイトの方でやっと動きがあったことに気がつく。
いまは顔を上げ、上目遣いでこちらを見ている。目が合うと「あっ」なんて、小さな声で呟いていた。
その様子を見て、なんだか縋りつく子犬のようだな、と結構失礼なことが頭をよぎる。
それと、顔が妙に赤いのが気になった。風邪は引いていなかったはずだし、痛みに耐えるような表情をしているわけでもないので、怪我が原因というわけではなさそうだ。
怪我の心配は杞憂だったようなので、とりあえず一安心か。

そのままフェイトが俺を見上げること数秒。なんだか気まずい空気が場を支配する。
とりあえず、このままの体勢でいるのはよくないだろう。見た目、フェイトが俺を押し倒そうとしているように見えなくもない。
未成熟な体とはいえ、それでも女性特有のやわらかさや甘い匂いが伝わってくる。特に、俺の腹の部分に感じられる、他とは若干違うやわらかな感触なんか、色々と不味いだろう。最近の子は発育がいいんだな、なんて口にしたらセクハラになりそうなことが頭をよぎる。
比較的に冷静でいられるのは、俺がいろいろと経験済みだからだろうか。
とはいえ焦りこそしないが、やはり落ち着かない。
ロリコンの気など「全く」ないが、この状態でいるだけで心労モノだ。

とにかくこの体勢を何とかしようと、フェイトに三度声をかける。
「あぁ~…その、なんだ。フェイト、悪いんだがそろそろ降りてもらえないか?
 体はそうでもないんだが、心が苦しい」
フェイトは軽いので、上に乗られていてもそれほど苦ではない。
問題なのは心の方で、いつまでもこのままでいるのは精神的によろしくない。

俺の言葉に、フェイトは自分の状態を確認している。
そのまま、今までどこか夢心地のようだった瞳に、徐々に理性の光が戻る。
「……え…えっと、ごめんなさい!!」
今まで思考が停止していたのか、思い出したかのように謝罪の言葉を述べ、弾かれたように俺の上から離れる。
これだけ動けるなら、とりあえず心配はなさそうだ。
熟したリンゴのように顔が真っ赤だが、あんな体勢になれば無理もないな。

フェイトは俺から離れた後、しばらく無言だった。
そのままでは埒が明かないし、俺の方から提案して、アルフと共に自室に戻り怪我の確認をしてもらった。
フェイトはバリアジャケットを着たままだったので、そのまま着替えもしてくることになった。

もちろん俺は同伴していない。
フェイトは全身くまなく鞭で打たれていたので、怪我の状態を確認するためだけでも服を全て脱ぐ必要がある。
その場に平然と立ち合えるほど、厚顔無恥ではない。

フェイト達が怪我の確認と着替えをしている間、俺はすでにこの家の備品となりつつある投影した茶器で、全員分の紅茶を淹れる。同時に、プレシアに持って行ったのとは別に用意していたケーキを出して、お茶会の準備を整える。
フェイトはあんなことがあってスグだし、落ち着く為にもこういった場は必要だろう。


着替えを終えて降りてきたフェイトやアルフと共に、夕方のお茶会をする。
フェイトはまだあまり元気とは言えないが、それでも紅茶やケーキを口に運ぶたびに、少しだけ頬がほころんでいたのには安心した。あれほどの仕打ちを受けたが、まだ笑顔になれるだけの精神的余裕はあるようだ。

そこでは取り留めのない会話が中心だったが、少しだけフェイトがプレシアへの思いを語った。
フェイトのプレシアに対する愛情は本物で、そうであるが故に痛々しい。
きっと、彼女の思いは届かない。それでもなお…
「ずっと不幸で、悲しんできた母さんだから、わたし、何とかして喜ばせてあげたいの……」
そう言って、彼女の言う昔の優しい母親に戻ってくれることを願う姿は、とても尊いものだ。

その願いがかなってほしいと思う反面、俺の冷徹な部分がそれは叶わぬ願いだと否定している。
最悪の場合には、俺がプレシアを殺すであろう可能性が、さらに罪悪感を煽る。
今の俺には守りたい一がある。そのために、プレシアと彼女の思いを切り捨てよう。
俺にできるのは、この罪と彼女の憎悪を背負うことだけなのだろうと覚悟する。

また、懐の山猫には気づいていないようなので、安心する。一緒に倒れた時に気付かれなかったかと、紅茶を淹れながらずっと戦々恐々としていた。
こいつはもしかしたら、俺たちの切り札になるかもしれない。
俺と凛では向こうに行けないし、内部も完全にはわからない。
もしかしたら、こいつがそれを解決してくれるかもしれないし、俺たちがまだ知らない情報を持っている可能性もある。
今はこいつを凛に預けて、意識が戻ったら役に立ってもらうとしよう。




あとがき

とりあえず、リニスに関することの補足をしようと思います。
こちらの使い魔は契約破棄するか完全破壊されない限り存在し続けるらしいのですが、魔力の供給止まっても死ぬらしいので、契約破棄と供給のストップを同じものと考えています。つまり、魔力さえあればある程度は存在していられると考え、契約の切れたサーヴァントと似たような状態としています。
そこで、リニスはプレシアに隠れて特別な装置を作り、自身を保存していたという設定になっています。これは中にいる者の魔力の消費や流出を減らし、なおかつ大気中の魔力を送り込む装置となっています。こんな大がかりな物を作ってもプレシアが気付かなかったのは、単にリニスの行動に興味がなく、Fの研究とアルハザード以外のことは気にかけていなかったためです。
またリニス自身も、最低限の生命維持と極微弱な思念の送信以外はすべての機能を落とすことで、少しでも長く自分を保存しようとしていました。ただし、色々とギリギリだったので相当に苦しい状態だったのは当然でしょう。

そんな苦しいことをしてまでこんなことをした理由は、作中にあるとおりです。
やはりアヴェンジャーの言うとおり、愛こそが基本にして最強なのですね。大切なフェイトのためなら、この程度なんてことはないのです。


次回は、ちょっと皆さんの反応が怖いです。せっかく(型月との)クロス作品なのだから、こんな展開をやってみたいという作者の妄想の極限かもしれません。と言っても、それに少し触れるだけでしかないんですけど。
受け入れてもらえるといいのですが、お手柔らかにお願いします。



[4610] 第12話「時空管理局」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:fd260d48
Date: 2009/01/31 15:22
カリム・グラシアという少女がいる。

まだ幼さを残すが見目麗しく、頭脳は明晰。古代ベルカ式という、今や伝える者も少ない魔法技術を操る才媛だ。天より一物も二物も与えられた、実に将来が楽しみな少女である。

だが、この少女が次元世界を管理する時空管理局の上層部に多大な影響力を有していることを、いったい何人が信じるだろう。いかに優れた知性と、希少な技術を有しているからとはいえ、本来ならあり得ない。
その理由は、それらとは別に彼女が保有するレアスキルにある。

その名を「プロフェーティン・シュリフテン(預言者の著書)」。これは、次元世界で起きる事件をランダムに書きだし、詩文形式の預言書を作成するというものだ。上手く条件が揃わないと発動できないため、預言書の作成は年に一度限りとなる。また、難解な文章で構成されるその預言内容は、解釈違いなども含めると的中率はよく当たる占い程度。
しかし、それでも当たる可能性がある以上無視できるものではない。過去様々な預言がなされ、時には世界の危機を防ぐきっかけとなるほどの貴重な能力だ。その重要性は言うまでもないだろう。

その彼女の預言に、一年前、危険極まりない一節があらわれた。その内容は以下の通りだ。


『かつては栄え、今は滅びし都にて、夜に蠢く化生が目を覚ます。
彼の者は、長き時を経て蘇りし、死者を統べる屍の王。
その瞳は生の綻びを見抜き、その爪を以てすべての生者に終焉を強いる。
 王は不老にして不滅。命の雫を吸い上げ、屍の山と偽りの命を築く。
時が満つれば、王は亡者を率い遍く世界へ侵攻する。
これを止める術はない。死者の軍勢は、何者も恐れることなく、尽くを蹂躙せん。
いずれ世界に死が満ち渡り、現し世は冥府へ堕ちる』


この預言は、管理局上層部を震撼させた。同時に混乱を恐れ、これを隠匿し秘密裏に対処することが決定された。
これまでにない内容の預言は、一つの世界の危機を伝えるものではない。「現し世」、すなわち次元世界全体の危機を伝えている。

問題なのは、預言が的中しているとして、「不滅」の存在相手に、一体どう対処すればいいのか見当もつかないことだ。しかもこの存在は、死者が増えれば増えるほどにその勢力を増すことが予想される。文字通り、生と死の鬩ぎ合いになるのかもしれない。

そうだとすれば、「生」の側が圧倒的に不利だ。死者を殺しても、それが死者であることは変わらない。つまり、「死」の側は勢力を増やすことはあっても、減らすことがない可能性もある。
だが、これはあくまでも推測にすぎない。情報が不足しているので、現在も管理局の誇る超巨大データベース「無限書庫」で情報収集に当たっている。しかし中身がほぼ全て未整理なこともあり、一年経ったが手掛かりの一つも発見できていない。

預言の成就には最長で数年の余地があるが、最短で半年でそれは現実となる。
すでに預言が出て一年が経過しており、いつそれが起こっても不思議はないのも事実だ。なかには、一向に情報面に進展が見られないことや内容そのものの不明瞭さから、預言自体が間違っているのではないかと考える者も少なくない。

だが今年、さらなる前代未聞の事態が起こった。
これまで、一度出た預言に変化が起こったことはなかった。ところがおよそ一月前、発動のための条件も揃い、毎年の恒例となりつつある預言書の作成を行ったところ、先の預言に新たな一節が加わったのだ。
その変化は、この預言がかなりの高確率で成就する事を窺わせた。だが同時に、そこには未だ僅かな情報さえ引き出せていない現状を救う、希望が記されていた。


『王を阻むは、遥か遠き地より訪れし紅き稀人。其は原初の探究者と、それに従う異端の騎士。
彼の者達は世界を穿つ者、世界を侵す者。虹の宝石と虚構の剣が織り成すは、無限を体現せし奇跡の御技。
古に置き去りにされし神秘の輝きが、深遠なる六重の闇を祓い、王の首に刃を突き付ける。
彼の王とて、同胞たる禁忌の力には抗ぬ。
再度黄泉路は開かれ、真の滅びに直面せん』


新たに書き加えられた預言は、この「王」を滅ぼせる存在が現れることを示唆している。
しかし、預言ではあくまでも「直面」するだけで、実際に滅ぼせるとまでは出ていない。だが、「異端の騎士」と「原初の探究者」という二人を見つけ出せば、「王」の詳細や弱点がわかる可能性がある。ならば、その情報が得られれば、管理局の方でもこれに対処できるようになれるはずだ。
管理局の理念と在り方として、できれば逮捕したいが、最悪の場合には「王」の抹殺も考慮しなければならない。世界全体の存亡がかかっている以上、優先すべきは世界を守ることだ。

しかし、騎士と探究者が管理局に対し友好的である保証はなく、その能力を示しているであろう記述も、「神秘」や「奇跡」のような、曖昧な表現が多く見られる。「無限」という表現にしても、限り無き力など存在するはずもなく、何らかの比喩表現であると考えられている。おそらくは管理局が知らない未知の技術か、ロストロギアを用いる存在だと予想されている。
特に、世界に対し何らかの干渉が可能と思われる記述もあり、「同胞」という表現からも、「王」とは別に危険な存在であるかもしれない。そのため、場合によっては手荒な手段に訴える必要がある、との意見も出ている。

同時に、この預言は新旧双方ともに表現に理解不能な点が多く、いまだに内容そのものに疑問を挟む者も多い。だが、万が一事実であった場合の対処は欠かせない。再解釈をおこなう者もいるが、現在これ以上有力な解釈はなされていない。

本局上層部は、これを一部の提督級以上の高官たちに公開することを決定した。
主だったところは、本局次元航行部隊の前線提督だ。
騎士と探究者は「遥か遠き地」、おそらくは管理外世界か、未知の世界の出身である可能性が高いためだ。
前線勤務の提督は、さまざまな世界をめぐるその職務上、この存在の探索には適任だ。
そこで、通常の任務と共にこの存在の捜索に当たるよう、極秘のうちに指令が出された。
また、緊急時に迅速な行動ができるよう、一部の後方勤務の高官にも公開されている。


ここ、次元航行艦アースラのブリッジに座す提督、リンディ・ハラオウンもその一人だ。



SIDE-アースラ

今アースラは、小規模次元震を観測した第97管理外世界、現地惑星名称「地球」付近に到着したところだ。
「ここが、小規模次元震を観測した世界なのよね」
そう言って、リンディ・ハラオウンは手に持った砂糖とミルクのたっぷり入った「緑茶」に口をつける。
この異常事態に対して反応を見せるクルーはいない。つまりは、これがこの艦の日常風景なのだ。

「そうですね。資料によると、特に魔法技術のない世界らしいです。
 スクライア一族から報告のあった、紛失したロストロギアの仕業の可能性が高いですね」
それに答えるのは茶色の髪をした少女で、名をエイミィ・リミエッタというオペレーターだ。
手元にある資料を見て、現状を確認している。

「小規模とはいえ、次元震の発生は……ちょっと厄介だものね。
 この分だと、またそのロストロギアが次元震を起こす可能性もあるし、できる限り早く対応すべきでしょうね」
少しばかり思案するように口もとに指をやり、そう自分の考えを話す。

「発見者でもあるスクライア一族の少年が行方不明になっていますから、そのロストロギアの捜索にあたっているかもしれませんね」
リンディの声に返すようにして、発見者の少年の顔写真をモニターに投影する。
まずこの少年に話を聞くべきだ、という意見も込めているのだろう。
そこには、ユーノ・スクライアの顔があった。

「そうね。ロストロギアの捜索もそうだけど、この少年を見つけるのも必要ね。
 捜索者は二組いるようだし、片方に彼が関わってる可能性が高そうね。
そうすると、すでにいくつか回収しているかもしれないわ。
 クロノ。そういうことだけど、頼める?」
そうして今後の方針を決定したリンディは、やや下にいる黒服の少年に向けて声をかける。

「もちろんです、艦長。僕はそのためにいるんですから」
そうきびきびとした声で返すのは、漆黒のバリアジャケットを纏い、黒髪のまだ年若い少年だった。



第12話「時空管理局」



SIDE-凛

先日のジュエルシードの暴走から数日が経った。

その間、私はあまりなのはの訓練に付き合っていない。なのは自身、今は新しい魔法の構築はしていても、訓練やジュエルシードの捜索はほとんど休止状態だ。
理由としては、あの時になのはのもう一人の相棒であるレイジングハートが破損してしまい、今はその修復に集中すべき、というのが表向き。
素人のなのはにとって、レイジングハートの補助がないのは少し不味い。いずれは補助なしでも問題なく魔法を行使できるようにならなければならない。だが、現状あの危険物を相手にしなければならないので、少しでも万全に近い状態で事に当たらなければならないからだ。
余計なことに労力を割くよりも、少しでも早く修復を終えるのが急務だと言うと、二人とも納得してくれた。

それとは別に、私自身今はあまり手が離せない状況でもある。そして、それこそがなのはにあまり付き合っていられない本当の理由だ。
フェイト達の本拠地、時の庭園から戻った士郎からもたらされた情報と、あの山猫。
多くの情報を有するであろうあの山猫を、何とか回復させようと八方手を尽くしているが、なかなか進展しない。
かなり長期にわたって衰弱していたようで、無理矢理簡易的な契約状態にはできたが、いくら魔力を注いでも意識が戻らない。
「これは、思っていた以上に時間がかかりそうねぇ」

まだ表立ってはいないとはいえ、プレシアと私たちの利害はぶつかるので、戦いになることが予想される。
今回は逃げられた方が危険と判断し、戻ってきた士郎は正しい。
逃げたとしても、諦めるとは考えにくい。ならば別の拠点から集めようとされるよりも、居所がある程度分かる今の方がマシだ。
戦うとしたら、逃げる隙を与えず確実にしとめられる時でなければならない。

その時になって、少しでも迅速に行動するためにも、この山猫の力を借りられた方がいいのだが…。
「何事も、そう思い通りにはいかないか。
 今のところはこれまで通りに動いて、あの子が目を覚ますのを待つしかないかな。
 しばらくはジュエルシードが出そろうこともないだろうから、多くはないけど時間はあるし」

根源に至る試みとなれば興味はあるが、その結果すべてが消えるのでは元も子もない。
仮に成功しても、その瞬間に別のものに反応した抑止が動いて、こっちまでやられるかもしれない以上、あまり良策とは言えない試みだ。
やはり他人頼みではなく、自力で至る方がいいのだろう。


  *  *  *  *  *


時刻は夕方。

私たちは、相変わらずのジュエルシード探しをしている。
レイジングハートの修復は終わり、これで改めて捜索と訓練に集中できることになった。
ここからは何かしら理由をこじつけて、あの山猫の様子を見る時間を捻出しなければならない。
ところが、こんな時に限って特に上手い理由が思い浮かばないのだから困ったものだ。

そして、修復が終わり動けるようになったのは向こうも同じはずだ。
少なくとも、なのはより技量が上のフェイトが、こちらより時間がかかるとも思えない。
おかげで、より一層私が別行動を取るのが不自然になる。
ホント、何かうまい理由はないものかしら。

それに、どうやらこの子たちはあれの危険性に気づいていないようだ。
そうすると場合によっては、また前回のような事態になりかねない。
前回のことで気づいたことを言えればいいのだが、それだとあまりに規模が大きくなり過ぎる。
不安を煽るようなことを言うのもよくないし、これはうまく手綱を握ってやらないといけないな。

そういう意味も込めて、少しなのはに釘を刺すことにする。
「なのは。わかっていると思うけど、あまりフェイトとの戦いに固執し過ぎちゃダメよ。
 前回みたいなこともあるし、あれを暴走させるようなマネだけはしないようにしなさい。
 私たちの最優先の目的は、あれの回収であって、フェイト達を倒すことじゃないんだから」
なのはは決して頭の悪い子ではないが、まだまだ幼い子どもでしかないのも事実だ。
目の前のことに集中するあまり、本来の目的を忘れてしまう可能性は十分にある。
それにこの子の場合、覚悟云々はともかく、自分なりの戦う理由が持ててきた事で、当初の目的が疎かになりかねない。

そんな私の言葉に、なのはが困ったように聞いてくる。
「にゃはははは……。えっと、わたしってそんなに信用ないのかなぁ?」
「人柄や才能に関しては信用しているわよ。
でもね、アンタこうと決めたら一直線と言うか、ゴリ押しすると言うか、結構突撃思考でしょ。
 そのあたり悪い癖だから、早めに直しなさい」
集中力があると言えば聞こえはいいが、この子の場合少し違う。
いや、確かに集中力はあるが、それが猪突猛進な思考とセットになっている。

今後のためにも、もう少し後先考えて広い視野で動くことを身につけるべきだ。
この年齢の子どもにする要求ではないが、一応は戦いの場に立つ身。これを疎かにするのは非常に危険だ。

そんな私の心配をよそに、なのはの方はその点に関して自覚が薄いようだ。
「う~ん、そうかなぁ? あんまりそんな気はしないんだけど……」

「それはアンタが気付いていないだけ。
自覚がなくても、自分にそういったところがあるってことは憶えておきなさい」
「はーい」
返事はしているが、多分わかっていないだろう。
こういったことは、得てして本人はわからないものだ。

それに、別にわからないならそれでもいい。私たちの師弟関係は、この一件が片付いてもしばらく継続するはず。
ならばこの一件が片付いてから、ゆっくりかつ厳しく教えていけばいい。
無茶をするのは士郎だけで十分だ。これ以上増えては、私の身がもたない。
士郎のあれは筋金入りだから、そう簡単にはどうこうならないけど、せめてなのはは何とかしたいな。


そうしていると、すでにお馴染みとなりつつある魔力の波動を感知する。
「なのは、ジュエルシードが発動したよ!」
なのはの肩の上にいたユーノが言ってくる。

経験を積んだせいか、私から指示を出さなくても動き出す。
「うん。凛ちゃん、先に行ってるから!」
言いながら、修復の終わったレイジングハートを起動させて、飛び立っていくなのは。

「さて、前回みたいなこともあるし、私も急ぎますか」
また暴走して、抑止力の心配をするのは勘弁してほしい。
そんなことにならないように、ちゃんと見張っていないと。


  *  *  *  *  *


今回の発動場所は海のそばにある公園。
すでに封印状態にまでもって言っていたが、そこにはフェイトもいた。
どうやら二人がかりでやったらしい。それにしても、手際が良くなったものだ。

それはいい。その方が効率はいいのだから、その判断は正しい。
だが場所をわきまえずに、またその近くで取り合いをするというのは、二人ともまだまだ子どもということか。
「ああもう!! あんなところでやりあったら、また暴走するじゃないの!
 前回の教訓ってものがないのか、あんたらは!!」
そう声を張り上げるが、二人揃っていい感じにヒートアップしているようで、まったく聞いていない。

そこへ士郎もやってくる。
「おそい!! 自分の相方の手綱くらい、しっかり握ってなさい!」
八つ当たりだが、この後に起こることを考えると言わずにはいられない。

「む。そうは言うがな、それはそちらも同じだろう。
 それに、こんなところで言い争っている場合ではない。急いで止めないと、また面倒なことになるぞ」
それにきっちり返してくるが、すぐに思考を切り替えて対策を講じている。
だが、それでは遅い。あの二人はまた打ち合おうとしている。
ジュエルシード越しでないのが救いだが、それでも何がきっかけで暴走するかわからない。

というかそれはそれとして、あの子はなに接近戦をやっているのか。それだけはするなと何度も言ったのに。
「わかってるわよ!! 急いで止めるわよ、手伝いなさい!」
こうなっては隠すも何もあったものではない。急務はあの二人を止めることだ。

そう考えて、ガンドを撃とうと左手を出すがそこで止まる。
二人が打ち合う瞬間に、割って入ってきた人物がいたからだ。
そいつは蒼い魔法陣から出てきて、二人のデバイスを止めて宣言した。
「ストップだ!!」
いきなり現れた少年は、二人に向かって命令する。

…というか、あんた誰? 突然のことに、この場にいる全員の動きが止まっている。
まあ、おかげで暴走の危険がなくなったようなので一安心だが、また新しい要素が加わるようだ。

おそらく、当人を除けばこの場にいる全員が共有している疑問に、向こうの方から答えが与えられる。
「僕は時空管理局執務官、クロノ・ハラオウンだ。
その権限で、これ以上の戦闘行動の停止を命じる。
両名とも速やかにデバイスを収めるように。詳しい事情を聞かせてもらおうか」
どうやら、一番来てほしくない連中が来たらしい。

(まったく、なんでこう厄介事ばっかり増えるのかしら。
ただでさえややこしくなってきてるのに、ここにきて管理局が出てくるなんて)
どんどん悪くなる状況に、頭を抱えたくなる。
いきなり止められた二人は、しばし呆然としている。
そうして、気圧されたように少しだけ後ろに下がった。

そこからのリカバリーの早さは、さすがにフェイトの方が早かった。
すぐに思考を切り替えたフェイトがジュエルシードに飛びつく。
だが、さすがに「執務官」という偉そうな肩書は伊達ではないらしく、クロノとかいう方もフェイトに向かって即座に魔法を撃つ。
「「!!?」」
フェイトに向かって放たれた魔力弾を、さらに士郎が投影した両手の黒鍵の内、片手分で撃ち落とす。
よくもまあ、あれだけ小さく動きのはやい的に正確に当てられるものだと、改めて感心する。狙いの粗い私には、まずマネできない芸当ね。

「何の真似だ!?」
魔法を撃ち落とされたクロノが、士郎に向かって叫ぶ。
突然の事態の変化に、なのはは付いていけていない。

「突然攻撃してきたのは、そちらではなかったかね?」
「戦闘行動を停止するように言ったはずだ」
先ほど現れた時と同一のことを、あらためて言ってくる。
あまりまともに取り合う気はないらしい。場の主導権を握るという意味では有効だが、印象はマイナスだ。

「いきなりやってきて、動くなと言われてもな。
こちらにも事情があるのでね、無条件に君に従うわけにはいかんよ。
そういえば権限などと言っていたが、どんな法的根拠があって言っているのかね?」
管理局の人間らしいが元から身柄を預ける気はないので、従ってやる義理もない。
権限とやらにしても、私たちは執務官という役職にどの程度の権限があるのか知らない。
でっち上げの可能性もないわけではない。身分詐称だってありうる以上、警戒するのは当然だ。

「管理外世界での戦闘自体が違法行為だ。子どもとはいえ、この場で君たちを拘束してもいいんだぞ」
補足するように付け加える。全てを鵜呑みにするなら、一応これで私たちを拘束する大義名分があることになる。
それにしても、あまり脅し文句を言うのは感心しない。権力を誇示しているようで、不快感が募る。

「……ふむ。そもそも私を含めてこの場の何人かは、君のいう法そのものを知らないのだがね。
 それに命令に違反すれば即攻撃、というのは野蛮ではないかな。
せめて、警告なり威嚇射撃なりからでもよかったはずだが。
それに子どもと言うがな、君とてそう変わるまい。見たところ、十一・二歳くらいか?」
まあ、普通の警察ならそのあたりから始めるか。
危険物があるとはいえ、マフィアや戦争屋ではないのだから問答無用で攻撃などするものじゃない。
それにあんな危険物をいつまでも放置していないで、さっさと回収すればいいだろうに。どうも穴が目立つ。
今の私たちとそう変わらない年齢のようだし、子どもだということを考えれば仕方がないか。

「君たちが管理局の法を知らないだって?
悪い冗談だ。君たちは魔法を使っていた以上、次元世界の魔導師のはずだ。
それなのにそんなことも知らないなんてあり得ない。
それと、僕は十四だ! 訂正しろ!!」
まぁそう思っても仕方がないのかもしれないが、あまり自分の考えを押し付けないでもらいたい。
実際に詳しいところを私たちは知らないのだから。

それと、あの身長で十四歳か。平均より結構低めだ。
あの様子だと、かなりコンプレックスを持っているみたいね。仕事のことそっちのけで訂正を求める辺り、かなり必死だ。
う~ん。この様子だと士郎と同じで、からかったら面白そうなタイプかも…。

「ああ……それは、悪いことをしたな。済まなかった。悪意はなかったんだ」
昔は士郎も身長を気にしていたので、目の前の少年の気持ちは他人事には思えないのだろう。
変装をしているせいで顔はわからないが、声には心からの申し訳なさが滲んでいる。
駆け引きとか抜きで、本心から謝罪しているのが伝わってくる。
というか、口調が若干戻ってない? そこまで申し訳なさそうにしなくても……。

そんな士郎の心からの謝罪を、クロノ執務官は素直に受け取れないようで、かなり激昂している。
「誰が同情しろと言った!!
 もういい! あとでじっくり反省させてやるからな、覚悟してろよ」
なんか少し目が据わっているような気がするけど、気のせいよね…たぶん。

士郎も気を取り直して、話を進めようとしている。
「まあ、なんだ。それは置いておくとして、君の言い分こそ悪い冗談だな。
この世には君の知らないことなどいくらでもあり、今まさにそれが目の前にいるのだよ。
勝手な思い込みで決めつけるのは、やめてくれないかね」
そういう意味でいえば、私たちはあり得ないことのオンパレードともいえる。
それはこいつの世界が狭いのではなく、そもそも世界が違うのだから仕方がないのかな。

お互いに歩み寄る気はないらしく、話は平行線をたどっている。
しかし士郎はともかく、あのクロノというのは管理局とやらの人間なのだから、もう少しやりようはないのだろうか。いくらコンプレックスを感じている点に触れてしまったとはいえ、あまり感情的になるのはどうだろう。
その上、こうも居丈高では第一印象がいいとはとても言えない。
一応公務員のような職らしいが、せめて説明責任はあるだろうに。
こっちとしては、十分な説明をされているとは思えない。
それを怠っている時点で、職務怠慢と言われても仕方がないだろう。

それに、今の私が言うのもなんだが、そもそもこんな子どもを単独で動かすのはどうだろう。
ユーノの話だと、向こうは就業年齢がこちらよりかなり低く、能力さえあるなら年齢はたいした問題ではないらしい。実力主義と言えば聞こえはいいが、いくらなんでも単独行動はやり過ぎじゃないのかな。
管理局は慢性的な人員不足らしいが、それでも子どもを危険な前線に立たせるというのはいただけない。

せめて、仲間を数人連れて来るくらいはしておくべきだ。悪くすると、私たちの両方から袋叩きにあう可能性だってあるのだから、もう少し用心した方がいい。
まあ、私は別に他所の世界の在り方に口を出す気はないし、そんなことは知ったことではないので、何も言う気はない。ただ、本人がもろもろの覚悟をしていたとしても、士郎にはきっと受け入られないことだろうな。

そうして二人は互いに睨み合っている。
周りの人間も迂闊に動けない。この一触即発の空気の中、何がきっかけで事態が動き出すかわからないのは、だれの目にも明らかだった。

先に動いたのは士郎だった。厳密にはそれは発言だが。
「フェイト、ここは退くぞ! 私が足止めする。君たちは先に行け!!」
このままではらちが明かないと判断したようだ。
とりあえず離脱することにした士郎が、指示を出す。

それに対しフェイトは、戸惑いを見せる。
「シ……アーチャー!?」
「早くしろ! 先に逃げてくれれば、私も逃げられる。
 案ずるな。単独行動は弓兵の得意分野だからな、適当なところで切り上げるさ」
フェイトの不安を払拭するように、士郎は不敵な声で促す。
どっちみち今の段階では、管理局に捕まるわけにはいかないのだから当然だ。
フェイト達が捕まるのも防がなければならない。あちらが捕まれば、芋蔓式で士郎のことも知られてしまう。

「……うん。気を付けて」
僅かな逡巡の後、フェイトは意を決して離脱しようとする。

「待て!!」
クロノもそれに反応し、動き出したフェイトを攻撃しようとするが士郎の邪魔が入る。
手に持っていた残りの黒鍵を投擲して牽制する。すぐに懐に手を入れ、もう一度黒鍵を投影して構える。
牽制のための攻撃だったこともあり、元から当てる気はなかったようだ。
目の前を通り過ぎる黒鍵に機先を制され、クロノの動きが鈍った隙に、フェイトとアルフは離脱する。
さすがに足自慢なだけはある。見事な引き際だ。

「やってくれたな。だが、君は逃がさないぞ!」
フェイトに逃げられた以上、この執務官としては士郎を逃がすわけにはいかない。
露骨な敵意を向けているあたり、今ので相当ご立腹のようだ。
対する士郎としては、まだそれほどフェイト達も離れていないはずなので、少しばかり時間を稼ぎたいらしく、相手になってやるつもりか。

私となのはは、もう完全に蚊帳の外。
とりあえず傍観者に徹して、執務官殿の腕前を見せてもらいましょうか。



Interlude

SIDE-クロノ

こちらの戦闘停止命令に逆らい、ロストロギアの封印をしようとした魔導師の仲間らしき男と戦闘になる。
一応、アースラに逃げた魔導師を追跡するようには伝えてある。ならば、今は目の前の敵に集中すべきだ。

懐に手を入れたかと思うと、そこから指に挟むようにして、先ほど投擲してきたものと同じ、三本の柄の短い細身の剣を出してくる。それが両手にあり、合計六本の剣を持つという、奇妙な構えを取る。
「アーチャー」と呼ばれていたが、弓ではなく剣を使うのか。

構えの様子や先ほどの使用方法を見るに、投擲用の剣なのだろう。
それに柄も短いし、手に持って振るうのには向かないように見える。
しかし、一体何本隠し持っているんだ?
さっきまでのも合わせれば、出した剣の数はすでに二桁になる。さすがに、もう出てくることはないと思うが、一応警戒しておいた方がいいか。

それにしても、他の子たちは素顔をさらしているのに、こいつだけは隠している。
それだけでも、後ろ暗いことがあると言っているようなものだ。
あるいは、別件で追われている次元犯罪者の可能性もある。
魔法を使えば姿なんていくらでも偽装できるし、背格好の通りの年齢とは限らない。注意して当たるべきだ。

今僕がいるのは足場のない海上。彼とはそれなりに距離がある。
彼に空戦ができるかはわからないが、これだけの距離があれば大抵の事態には対処できる自信がある。
まだロストロギアの方を封印もしていないこともあるし、できる限り早急にケリをつけたい。

しかし、目の前にいる敵には隙が見当たらず、どうしたものかと攻めあぐねてしまう。
全く情報のない相手に突っ込んでいくほど無謀ではない。
僕はあまり才能に恵まれているとは言えない。慎重に事を進めるべきだ。

互いに牽制し合うように睨み合っていると、何を思ったのか外套の男が口を開く。
それと同時に、剣を挟んだままの彼の右腕が上がる。何かをしたのかと思い気配を探るが、特に変化はない。
「策もなく敵に向かってこないのは感心だが、もう少し周囲に注意を向けるべきではないかね?
 そうだな。例えば、頭上などがら空きだぞ」
突然わけのわからないことを言ってくる。
僕の注意をそらすのが目的だとしても、あまりにお粗末すぎる。
もっと厄介な相手だと思っていたのだが、買い被っていたということだろうか。

黙ったままでもいいのだろうが、このまま睨み合っていても仕方がない。
何かのきっかけになればと思い、応じてやることにする。
「…何を言い出すのかと思えば。
あまり、姑息なマネはしない方がいい。程度が知れるぞ」
挑発の意味も込めて言ってやるが、どうも様子がおかしい。
まるで、こちらの発言にあきれたかのような仕草を見せる。

「まったく、そう邪推するものではない。今のは心からの善意で言ったのだがね。
 その様子だと、そちらもきっかけが欲しいようだな。ならば、こちらからくれてやろう。
『投影、開始(トレース・オン)』」
その言葉と共に、上げられていた彼の右腕が、勢いよく下ろされる。
同時に、僅かに魔力の発動を感じる。

魔力の発動に警戒を強めるが、特に変化はない。魔法陣もなければ、魔法弾やバインドも使っていない。
何をしているのかといぶかしんでいると、僕の周囲の変化に気づく。
いつの間にか、僕の周囲に影ができていた。気付くのと同時に何かが風を切る音が聞こえ、本能が警鐘を鳴らす。
それに従い、弾かれたように前に飛ぶ。
すると、僕のすぐ後ろを何かが通り過ぎ、海に落ちて飛沫をまき散らす。

「な、何だ!?」
落下して行ったものはすぐに海に沈んでしまったが、一瞬斧とも剣ともつかない無骨な石器が見えた。
あやうく、石器もろとも海に叩きつけられるところだった。

(彼がさっき言っていたのは、これのことか。
あんな物、いつの間に用意したんだ)
魔力の発動こそ感じたが、魔法陣も現れていなかったし、デバイスを使っている様子もない。
おそらくは転送魔法を使ったのだろうが、転移してくるまで感知できないのは厄介だ。一流の術者が行ったとしても、転移する前に予兆くらいわかるはずなのに。
それに、デバイス抜きであれほどの魔法を瞬時に使えるのならば、相当な手練だ。

混乱しそうな思考を何とかまとめあげ、敵に意識を向ける。そこへ、またも声がかかる。
「既に戦闘は始まっているというのに、余所見とは余裕だな。
 では、これならばどうかね?」

両手を弓のように引き絞り、指に挟んでいる剣を投げてくる。
初めに右手、次に左手の剣が放たれる。
かなりの速度で飛んでくるが、まだ距離があるおかげで十分対処できるものだ。

「プロテクション!」
S2Uを突き出してバリアを発動させ、飛来する剣を防御する。

ほんの僅かに魔力が感じられる以外、特に目立つ点はない。魔法が発動した様子もない。
それなら、さほど警戒することはないだろう。
スティンガーレイを使って撃ち落とすのも手ではあるが、ただ投擲されただけの剣にそこまでする必要はない。
簡単な防御魔法で十分に事足りる。彼とて、精々牽制くらいにしか思っていないはずだ。
それに不意をつかれたせいで、まだ体勢が整っていない。こんな状態で魔法弾を放っても、あまり威力は期待できない。それなら防御しながら体勢を立て直すほうがいい。
今のうちに術を構築し、剣を弾いたら即反撃に出られるように準備を進める。
だが、そんな悠長な判断が大間違いだったことを、すぐに思い知ることになる。

ドドドン!!!

「ぐあっ!?」
受けた瞬間に、見た目に反するとんでもない衝撃が叩きつけられ、後方に弾き飛ばされる。
それだけじゃない。後に投げられた三本はバリアを貫通し、こちらの体をかすめていった。
バリアジャケットがあるとはいえ、あれだけの威力があれば、直撃していたら今頃は串刺しにされていたかもしれない。バリアに当たったことで切っ先が逸れたのが幸いしたな。
だが、待機させていた魔力と術式が崩れてしまう。意表を突かれ、思わず取り乱してしまった。
もう一度組み直さないと、魔法行使は無理だ。

しかし、なんて非常識なマネをする奴だ。
普通なら投げつけられた物体の威力は、その物体の重量と速度で決まるはずだ。
にもかかわらず、あれらはその決まりを完全に無視した威力を持っている。
多少は魔力で威力を水増ししているとは思っていたが、予想外の威力だ。あんな僅かな魔力でこれほどの威力を持たせるなんて、どんな術式を使ったんだ。

なんとか体勢を立て直しながら、改めて魔法を構築していく。
今度はこちらの番だ、と思って敵に目を向けると、そいつはまたも同数の剣を構えている。
いくらなんでもありえない。どう考えても、あの外套にしまっておける数はとうに越えている。
だとすると、あの剣も転送魔法で呼び寄せているはずだ。懐に手を入れる動作は、それを隠すためのものということか。

そのまま、彼は構えていた剣を投擲しようとする。
撃ち落とすか、それとも回避するか。さっきの威力を考えると、並の攻撃では落とすのは難しそうだ。
それなら、砲撃でまとめて吹き飛ばすというのもあるが、今からでは間に合わない。
得意なバインドにしても同様だ。それに馬鹿正直に使っても、大人しく捕まってくれるような相手ではない。

結論は回避。結論を出すと同時に、すぐさま回避行動を取る。
そんな僕の行動に構わず剣を投げてくる。それとほぼ同じタイミングで僕も直射弾を使い反撃する。
僕が放つ魔力弾を三度手にした剣を今度は投擲せず、そのまま振って叩き落としていく。

その動きに無駄がない。投擲だけでなく剣技の方もかなりの技量だ。
一見しただけでも、生半可ではない鍛錬を積んでいることがうかがえる。
だが、その剣技は一切の余分を排しているが、そこに華麗さや優美さはない。
余計なものを排すれば、残るのは機能美だけのはずだが、彼のそれはどこまでも無骨な剣捌きだ。

一応厳しい師匠たちから接近戦の指南も受けているが、僕の方が不利だろう。
今の動きだけでも、彼の方が僕より接近戦では数段上なのは間違いない。
迂闊な接近は命取りになりかねない。ここは、距離を取って戦うのがいいだろう。

だが、奴のこの精度は一体何だ。
動いている相手に、ここまで正確に当てられるものなのか。思うように動かせる誘導弾ならともかく、まっすぐに飛ぶだけの攻撃が吸い込まれるように僕に向かう。
それも僕が動いたのは剣から手を離す直前だった。そんなギリギリのところで調整してこの精度とは、とんでもない奴だ。

あれの威力を考えると、下手な防御では意味がない。防御力の高いラウンドシールドを使いつつ、その面を斜めにする。正面から受けるより、こうして弾く方が確実だ。
実際それは上手くいき、先ほどのように弾き飛ばされることもなかった。

「ずいぶんと、妙な魔法を使うんだな。
 わざわざ手を塞いでまでそんなことをしなくても、普通に魔力弾を撃つだけで、同じような効果は得られるだろうに」
少なくとも魔力弾を使う分には、手がふさがれることはないし、一度に放てる数が手に持てる分だけ、という縛りもない。やろうと思えば手ぶらで、一度に十以上の弾を撃ちだすことも可能だ。
それだけでも十分すぎるメリットになるし、一々投げなければならない分、その動作も無駄と言える。
あまり効率のいいやり方とは言えない。メリットといえば、今の僕のように威力を読み違えて不意を突くぐらいだ。
あるいは、それこそが目的なのかもしれないな。

動きながらでも彼の攻撃は恐ろしく正確にこちらに当たる。
だが、さすがに誘導性でもない限りは、一度放たれれば進路を変えることはできない。
それなら、投擲されたすぐ後にその場から移動するしかない。
少し危ないが、それしかなさそうだ。

いつまでも受け身でいても仕方がない。決して近づかないよう注意しながら、今度はこちらから攻撃する。
ただし今放ったのは、直射弾ではなく誘導弾「スティンガースナイプ」だ。それを五発。
彼が投擲で撃墜しにかかっても、こいつなら回避行動を取って直接狙える。
それまでは直射弾のようにまっすぐ飛ばし、誤認させる。
今度は、そちらに驚いてもらう番だ。

案の定、彼は両手の剣を投擲して撃墜しようとする。
それに対し、予定通り誘導弾を散開させ、挟み撃ちにする。
たとえ回避行動をとったとしても、誘導弾ならば落とされない限りどこまでも追い続ける。

だが奴は、それに驚いた様子も見せずつまらなそうに鼻で笑う。
「…ふんっ」
まるで、そんな小細工など意味がない、と言わんばかりだ。

今まさに着弾しようとしたところで、予想外の方向からの攻撃が誘導弾を襲う。
真上から降ってきた五本の剣が、寸分の狂いなく誘導弾に当たり地面に突き立つ。
回避か剣を使っての迎撃、そのどちらかだと思っていたので、これは完全に予想外だ。
気付いた時にはすでに手遅れ。回避は間に合わず、五つ全てが破壊される。
彼は指一本動かさず、僕の攻撃を叩き落としたのだ。

そう、奴は少し離れた場所にも転送できる。
ならば、彼の動きにだけ注意を払っていては駄目だ。どの程度の距離まで可能かはわからないが、彼の間合いは思いのほか広い。
さっきのような不意打ちを受ける可能性もある。一瞬たりとも周囲への警戒は怠れない。

先ほどの僕の発言に彼が答えを返してくる。
「そういえば、私の攻撃を魔法などと言っていたな。
まったく、勘違いもほどほどにしてくれんかね。私はそんなものを使ってはいないよ。
 鉄甲作用といってな、通常の数倍の威力を持たせることができる。純然たる投擲技法だよ!」
その言葉と共に、地面に刺さった剣を取り投擲してくる。

意表をつかれてばかりだが、冷静に彼の行動を分析しつつ口では彼の答えに対し否定の言葉を吐く。
「なんだと? そんなバカな話、信じられるものか!」
あれほどの威力を持たせる攻撃が、魔法によらない単なる体術だなんて、とても信じられるものではない。
もしそうだとすれば、一体どんな馬鹿力があれば、あれだけの威力が出せるというのだ。

「信じる、信じないは君の自由だよ、クロノ・ハラオウン。
それと、生憎だがこのまま終わらせてもらうぞ。なにせ、私の役目は足止めだ。
 それもすでに果たした。あとは、逃げるだけなのでね!」
その通りだ。こいつの目的はすでに達成されている。
僕に少しでも隙ができれば、こいつはすぐにでも逃げるだろう。

あれが体術だなんて言葉を信じる気はない。おそらくは、こちらを混乱させるための嘘だろう。
…いや、それも今はどうでもいいことだ。
問題なのは、相手の剣は尽きることがない事だ。
投げるたびに、いつの間にかその手には新たな剣が握られている。

奴は剣、僕は魔法弾で撃ち合っていると、奇妙な光景が眼に入る。
それは、彼の周りに何本もの剣が滞空し、こちらに照準を向けるというものだった。
「『全投影連続層写(ソードバレル・フルオープン)!!』」
素手ではあるが、先ほどのように上げていた右手を、またも勢いよく振り下ろす。
まるで主人の命令に従うかのように、滞空していた剣がこちらにすさまじい勢いで飛んでくる。
その数は十を超える。

最小限の動きでかわそうとするが、それが不味かった。
ギリギリのところで見切ってかわす。だが、僕のすぐ後ろで剣が「爆発」した。
「うわっ!?」
爆風にあおられ、斜め前方に吹き飛ばされる。
これでもっと威力があったら、それだけでこの戦いは決まっていたかもしれない。
爆発自体が小規模だったのと、バリアジャケットのおかげでダメージはほとんどない。

だが、予期せぬ方向からの衝撃に対応できない。
体勢が崩れたこともあり、なかなかブレーキが利かずかなりの距離を飛ばされる
ようやく止まった時には、彼の姿を見失っていた。逃げたのかと思い、大急ぎで周囲を探そうとする。

しかし、探す必要はなかった。
氷のような悪寒が、僕のすぐ真下にまで迫ってきていたのだから。
反射的に悪寒のする方を見ると、そこにはすでに彼が懐に飛び込んできていた。
彼はそのまま(今更驚くまでもないことだが)いつの間にか手に持っていた双剣で、僕を切りつける。

ブンッ!

かろうじて身を引き、彼の持つ黒白の双剣をかわす。
わずかにバリアジャケットを切られただけで、体にまでは届いていない。
しかし、バリアジャケットを容易く切り裂くなんて、あの剣は一体…。
つくづく謎の多い男だ。

先ほどの爆発で耳が痛いが、警戒を緩めず一気に後方へ飛び間合いを広げる。
いつの間にか、陸地の上まで誘導されていたらしい。
彼の先ほどまでの投擲や剣の射出は、僕をここまで引きずり込むためのものだろう。
そして、最後のダメ押しがあの爆発。結局、彼の狙い通りに動かされていたとことか。

「ちっ、外したか。気配を消しきれなかった私の落ち度か、咄嗟に反応した君の機転か。
まあ、どちらでも構わんがね」
軽く舌打ちした彼は、そのままをその鷹のような眼で僕を見据える。
初めから、逃げるなんて考えていなかったらしい。
逃げれば追われる以上、追ってこられないようにするのが目的だったということか。

しかし、僕にとっては好都合でもある。
僕がやられない限り逃げられる心配がない以上、余計なことに気をまわさないですむ。
それに今の一撃で仕留めるつもりだったようで、追撃がない。

この降って湧いた場の停滞に、僕は改めて海上に移動する。こちらの体勢を立て直し、乱れた息を整えるためだ。
ペースを奪い返したわけではないが、すでに敵の手を離れ宙に浮いている状態だ。
戦いは振り出しに戻ったとも言える。

ならば、ここからは僕が主導権を握らせてもらう。
今の攻防で、ある程度彼のスタイルはわかった。
なぜ魔法の発動時に、魔法陣さえ出てこないのかはいまだにわからない。
剣が爆発したのは、何かしらのレアスキルによるものかもしれない。

いや、確信の持てないことに、一々気を取られていても仕方がないな。
とにかく、状況に合わせた瞬間的な武装の換装が、彼のスタイルなのだろう。
他にも、武器を任意の場所に転送させたり、転送してきた武器を直射弾のように射出したりすることでの、中距離戦闘もできるようだ。脅威なのは、それが恐ろしく静かで、転送しただけで気づくのは至難。
また、すべてに該当するかはわからないが、武器を爆発させることもできる。
最後のとどめに接近戦を仕掛けてきたことから、おそらくはそれが最も得意な戦い方なのだろう。

隙は見つけられないし、どこか貫禄がある。先ほど考察した通り、今の僕では余程上手く奇襲をかけない限り、何度やっても勝てる気がしない。
それならわざわざ相手の間合いで戦ってやる必要はないし、ただでさえ僕は接近戦が得意ではない。
決して安全なわけではないが、僕が有利に運ぶためには、剣の届かない遠距離での戦闘が望ましいだろう。

これだけ間合いが開いていれば、さっきのような剣の投擲や射出にも、十分余裕を持ってあたることができる。
そういうものがあるとわかっていれば、対処のしようもある。
剣の爆発も大きくよければ問題ない。
さっきのような無様なマネはしない。

さあ、反撃に移らせてもらおうか。
「スティンガーレイ!」
放つのは、数とスピード重視の直射弾。
だからといって、威力が低いわけではない。
弾数を多くすることで、面による制圧を行うのが目的だ。

彼は両手に持った双剣を投げ捨て、今度はその手に弓と矢を持つ。
僅かなよどみもないスムーズな動作で、一度に複数の矢をつがえ引き絞る。
そのまま放たれた矢が、次々に直射弾と衝突し相殺する。

(しかし、凄まじい技量だな)
決して声には出さないが、内心舌を巻く。
僕は弓のことなど知らない素人だが、それでも彼の行う一連の動作が並外れていることはわかる。
それは、動作の一つ一つがこの上なく洗練されていて、一切の余分な要素を排した清流を思わせる。
ほとんど照準をつける暇さえないほどの連射で、次々とこちらの攻撃を落としていく。
それも一つも外すことなく、だ。剣技と違って、こちらは芸術的ですらある。

思わず見とれてしまいそうになるが、頭を切り替えてスティンガーレイの回転を上げる。
時がたつほどに連射・弾速共にその速度が上がっていく。
いくら彼の弓の腕が抜きん出ていても、一度に番えることのできる矢には限度がある。
限界を超えるには手の数を増やすしかないが、そんなことは不可能だ。
当然、撃ちだされる弾の数が増すにつれ、彼は押されていく。

それに対し、またもその手に持つ武器を放り投げ、再び黒白の双剣を手に取る。
もはや、懐に手をやるというカモフラージュをする余裕もないのか、直接その手に転送している。
よく見れば、先ほど投げ捨てた双剣はなくなっているので、それを呼び戻したのだろう。

そのまま双剣を構え、スティンガーレイを見据える。
「ふっ!」
襲いかかる直射弾を、両手に持った黒白の双剣で、気合いと共に叩き落としていく。

正面から間断なく飛来する直射弾を、危なげなく叩き落とす。
相当な数を連射しているのだが、体に当たるモノだけを選別して、正確に打ち落としている。中には当たりそうになるモノもあるが、それらは外套で払い落している。
やはり、予想通り接近戦の力量は相当なものだ。少なくとも僕の技量では、接触距離になれば勝ち目がない。
このまま、間合いをとって戦うのが最良だ。

「ちっ。馬鹿の一つ覚えのように直射弾の連射か、うっとうしい!
 ずいぶんと消極的ではないかね、執務官殿。この程度では私を捕まえることなどできんぞ」
言っていることはもっともだが、別にこんなことで捕らえようとは思っていない。
これは囮。直射弾に気を取られている間に準備を進める。

「ああ、確かにその通りだ。では、そろそろ本気で行かせてもらうとするよ」
準備が整ったところで、最後のひと押しをする。
空中に待機させておいた誘導弾「スティンガースナイプ」を彼の左右からぶつける。
その数は十。これだけなら、さっきのように剣を落とせば潰せるだろう。

だが、それだけで終わらせるつもりはない。
「ブレイズキャノン!!」
それと同時に、砲撃を撃ちこむ。
同時に複数の魔法を使用するのはなかなか堪えるが、これだけやれば本当の狙いに気づかれることもないだろう。そのための弾幕であり、派手な魔法を積極的に使っている理由だ。

敵に逃げ場はない。左右に逃げようにも、誘導弾が向かってきているのですべてをかわすことはできない。
剣を落として潰すのも、この場では得策とは言えない。
今やれば、周囲を取り囲む剣が邪魔で砲撃をかわせないし、その後の動きの妨げになる
選択肢は二つ。正面から防御するか、多少被害を受けても左右に逃げるか。

誘導弾を撃ち落としながら逃げることも彼なら出来るかもしれないが、その場合僕への警戒は緩むことになる。
それに、どちらか片方に対し背中を向けることになる。
またどんな防御魔法だろうと、砲撃と誘導弾の直撃なら一瞬動きは止まるはずだ。
どっちを選んだとしても、捕縛するための用意はできている。これで詰みだ。

そう思っていたが、予想外の出来事に驚愕する。
いや、やったことそれ自体は予想通りだ。ただそのために使ったものが、デタラメだったのだ。

「『――――I am the bone of my sword.(体は剣で出来ている)』」

そんな呪文の後に、それは発動した。
「『熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)!!』」
目の前に現れたのは、今まで感じたことのないような異質かつ膨大な魔力を放つ、四枚の花弁だった。
花弁はそれぞれがバラバラに動き、二枚は彼の左右に、残りの二枚は正面に陣取り彼を守る。
正面に二枚が展開されているのは、砲撃の威力を警戒してのものだろう。

そして、彼の防御が完成するのに僅かに遅れて、僕の放った攻撃が着弾する。
砲撃・誘導弾の双方が、一つ残さず直撃しているにもかかわらず、ヒビ一つ入れることさえできずに防がれる。

なんてモノを使うんだ。
あれらすべてを防ぎ切る魔法は、あっても不思議はない。
相当な力量の持ち主ならば可能だろう。だが、あれはそんなものじゃない。
詳しくはわからないが、おそらくあれはロストロギアの一種だ。
そうでなければあの異質な魔力はあり得ない。

これでアイツが堅気の人間でないのは確定だ。
ロストロギアの無許可所持というだけでも、十分逮捕できる。
これで、ますます彼を逃がすわけにはいかなくなった。

「まったくなんてものを持っているんだ、君は。
 これで罪状が追加だな。ロストロギアの不法所持で逮捕する!」
そう言って杖を向けた瞬間に、彼は僕のしようとしていることに気づいたのか、横に飛び退こうとする。
だが、密かに用意していたリング状のレストリクトロックで左腕を拘束される。

「ち、しまった!」
これが本当のねらい。これまでのは確実に拘束するための囮でしかない。
あれだけ派手にやってやれば、これに気づくのは至難の業だ。
人間だれしも、目立つものに気を取られるものだからね。

「向こうの方は逃げられてしまったが、君は逃がさない。危うくかわされるところだったけどな。
さあ、一緒に来て話を聞かせてもらおうか」
勝利を確信して宣告する。

ロストロギアに気を取られ、タイミングを外すところだったがぎりぎりで間に合った。
本当は四肢と胴体を拘束するつもりだったんだが、タイミングが遅れたのと、どうも見る限りではあの外套がレジストしたようだ。おかげで腕一本しか抑えられなかった。
まぁそれでも、これを外すのは少し手間がかかる。いま直ぐ外されるということもないだろう。
一応念を入れて、全身に拘束を施しておいた方がいいか。
こいつの能力は、わからないことが多すぎる。警戒し過ぎる、ということはないはずだ。

先ほどのロストロギアのことや逃げた魔導師のことなど、聞きたいことは山ほどある。
バリアジャケットだと思っていたが、先ほどの楯ほどではないにしろ、あの外套や手に持つ双剣からも異質な魔力を感じる。
所持しているのが一つとは限らない以上、あるいは、あれらもロストロギアかもしれない。
ひとつ残らず話してもらうとしよう。

「ぐっ!? なかなか頑丈なようだな」
「そう簡単には外れないよ。このために、とりわけ丁寧に構成しているからね。
 無駄な抵抗はやめることだ」
拘束された左腕を引っ張って何とか脱出しようとするが、その程度ではずれるものか。
改めて、より強力なバインドを施すために魔法を発動させようとしたところで、相手の様子に変化が見られた。
先ほどまでと同様に、左腕の拘束を外そうともがいているなかで、思いきり腕を引っ張った。
そこで一瞬相手の顔が歪み、大人しくなる。左腕に奇妙な揺れがあったが、諦めたのか?

警戒しつつ接近する僕に向かって、彼から声がかかる。
「くくく…。たわけ! 腕一本押さえた程度で、私を捕らえたつもりか!!」
抑えたような笑いを浮かべたと思った瞬間、信じられない行動に移る。

斬!!

右手に持った剣で、肘のやや上を切り裂く。
「「「えっ!!!?」」」
全員の顔が驚愕に歪む。
当然だ。突然自分の腕を切り落とせば、誰だって驚く。

「戦場で動きを止めるなど、君は正気かね?」
腕を切り落とした痛みでやや顔をゆがめながら、一瞬の隙を突いて腕に鎖を絡められる。これも転送したものか。
鎖の逆側は握られていないが、残った右腕に絡めるようにして固定されている。
それなりに距離を取って空中にいたが、そのまま力任せに引っ張られ、バランスを崩しながら引き寄せられる。

「うわぁっ!!?」
そのまま、引っ張るために振りおろした右手の剣で、今度は僕を下から切り上げてくる。
なんとかデバイスで防御するが、剣の勢いにやられてデバイスを弾かれ、無防備になる。
そこへ力のこもった蹴りを入れられ、弾き飛ばされる。
バリアジャケット越しなのでダメージはないが、さすがにうまく着地できず地面の上を転がる。

そこへ追い打ちをかけられる。
「立て直す隙はやらんよ。『凍結解凍(フリーズ・アウト)、投影連続層写(ソードバレル・オープン)!!』」

ダダダダダダン!!!

詠唱と共に轟音が響く。降ってきたのは、十を超える大剣の群れ。
そのままを囲む様に突き刺さり、剣の檻に閉じ込められる。
「……やられた。こんな手で来るなんて」
まさか、腕を切り落としてまで逃げるとは思わなかった。

上から逃げようとも思うが、御丁寧に剣は斜めに突き刺さり、上にも隙間はない。
檻を壊そうにも、剣には魔力が感じられる。そう簡単には壊せないだろう。

口惜しいが……手詰まりだ。

Interlude out



管理局との初戦闘は、士郎の勝利に終わった。

昔アーチャーが使ったのと同じ拘束技で、体勢の崩れたクロノを閉じ込める。
逃げ場をなくすように上を閉じた剣群からは、そう簡単には抜け出せない。
格は低いが、それでもそれなりに魔力のこもった魔剣だ。
脱出には手間と時間がかかるだろう。管理局の少年も脱出しようとあがいているが、士郎が逃げるまでに出てくるのは難しい。

しかし、完全な形ではないとはいえ「熾天覆う七つの円環」を見せてしまったのは不味かった。
下手によけようとして着弾し、聖骸布が破損するのを防ぐためだったのだから仕方がなくはある。
元来、魔法を受けた際のダメージ削減のために投影までして装備している聖骸布だが、それにも限度はある。
いくら士郎の聖骸布が魔力を遮断できるものとはいえ、威力の低い誘導弾程度ならともかく、砲撃クラスの威力を完全に防ぎ切るのはオリジナルでも無理だろう。
ただでさえ今使っているのはオリジナルではなく、投影による複製品だ。剣の属性からはかけ離れているせいで、どうしても精度が甘く、本来のそれには数段劣ってしまう。当たる数によっては、威力で劣る誘導弾でも破損するかもしれない。
多少なら破損しても投影を維持できるが、それをしたところで長くはもたない。
破損により投影が消滅して、正体がばれる方が遥かに厄介だ。
今のように、腕を拘束されでもしない限り、そんなリスクを負うのは避けるべきなのは間違っていない。
まあ、結局は腕を拘束され、自分から破損させてしまったのだけど。

だが、それでも宝具を知られるのは避けたかった。
今更悔やんでも仕方がないが、この後には管理局と本格的に接触することになる。
そこで私があいつと同種の術式の使い手とわかれば、相当追求されるだろう。
全く、つくづく面倒なことになった。

士郎は、もうクロノには興味がないとばかりにこちらを向いてくる。
なのはは、先ほど士郎が義手を切り落としたことのショックで、まだ呆然と立ち尽くしている。
「すまないが、君たちに追ってこられても困るのでね。
 一応拘束させてもらう。『工程完了(ロールアウト)、全投影連続層写(ソードバレル・フルオープン)』」

ダダダダダダダダダダダダン!!!!

「きゃぁぁぁぁ!!?」
再び轟音が響き、私となのはも剣の檻に閉じ込められる。
あまりの迫力に、なのはが悲鳴を上げる。
やはり脅威のレベルでは、実体のある剣の方が魔力弾などよりも上なのだろう。
多少経験を積んだくらいでは、これで悲鳴を上げるなという方が無理か。
私も拘束したのは、あとで怪しまれないようにするためだろう。
全く手が込んでいる。

「では、これで失礼させてもらうよ。なにぶん、時間がないのでな」
右手の袖から出ている鎖で、斬り落とした義手をからめ捕って引きよせ口にくわえる。
ついでに空いている右手でジュエルシードも回収し、そのまま走り去っていく。

時間というのは、投影が消えかかっているのだろう。
義手を切り落としたときに、投影で作った外套の袖も切ってしまっている。
本来なら、アイツの投影でも破壊されたりすれば消滅する。
今は無理矢理にイメージを保って、何とか維持している状態か。
このままここに長居すれば、投影した服などが消え正体がばれてしまう。それを恐れたのだろう。
宝具を知られた上に、正体まで知られてしまうのだけは避けなければならない。
正直、肝が冷える思いだった。


  *  *  *  *  *


アイツが見えなくなって少しすると、役目を終えた剣が何事もなかったように霧散する。
解放された私たちは、自然集合する形になった。
「…逃げられてしまったか。完敗だ。
完全にしてやられた。まさか、あんな方法で逃げるなんて」
クロノは弾かれたデバイスを回収し、悔しそうに述懐する。
対して、なのはは顔を青くしている。

9歳という年で、腕を切り落とす場面に遭遇すれば仕方がない。
どのみち、少し冷静になって考えればわかることだし、フォローしておきますか。
「なのは。アンタ何か勘違いしてるみたいね。
アイツ、別に腕を切り落としてなんかいないわよ。だってどこにも血の跡がないもの」
言われて気づいたのか、辺りを見回している。
腕なんて切り落とせば、出血も半端ではすまないのだから軽く見るだけでもわかる。
経験不足もあるが、それに気付かないくらい動揺しているのだろう。

「え? あ、本当だ。どこにも血の跡がない。じゃあ、本当に…」
「ああ、そのようだ。どうやらあの腕は義手らしい。
 さっき無理やり逃げようとしたように見えたのは、義手を外すためだったんだ」
クロノも気づいていたようで、冷静にさっきのことを思い返す。
さすがに経験豊富なのか、すぐに気づいたようだ。

初めの印象は良くなかったが、肩書きに見合った能力は持っているらしい。
先ほどの戦闘もなかなか見事なものだったし、はじめのは若さ故の狭量と言ったところか。
あの士郎が、危うく捕まるところだったのだ。もし拘束されたのが左腕でなかったなら、本当に捕まっていた可能性もある。
今回は、珍しくアイツにも運が回ってきたようだ。基本的に運がないからなぁ、士郎は。今日のアイツの運勢は大吉かしら。

競争相手には逃げられてしまったので、余計な誤解のないように、とりあえず互いの身分を確認することになった。
「改めて自己紹介しよう、管理局執務官クロノ・ハラオウンだ」
「…えっと、高町なのはです。こっちは友達の」
「ユーノ・スクライアです」
ユーノの名前を聞いてクロノが反応を示す。

「君がそうか。話はスクライア一族から聞いている。君がジュエルシードの発見者だな」
すでに話は通っているらしい。おかげで余計な嫌疑をかけられる心配はなさそうだ。
管理外世界での魔法行使自体が褒められるたものではないらしいので、どう説明すべきか考えていたが、これなら大丈夫そうだ。私が使うのは魔術だからこの法には当てはまらないが、それでも面倒事は避けたかったので一安心だ。

「はい、そうです。やっぱり管理局に話がいってたんですね」
本当は自分で何とかしたかったらしいので、少し気落ちしている。
だが、本来は最初からこうすべきだったのだ。
そのための組織があるのだから、そっちにちゃんと任せるのが安全確実だ。

「そのことは後で話そう。君たちには、これからアースラに来て話を聞かせてもらうからその時にしよう。
 で、そっちの君は?」
「あら? 初対面の人間に向かって、「で」や「君」というのが管理局の礼儀なのかしら。
 なにぶん田舎者でして、礼儀の何たるかもわかりませんの。ごめんなさいね」
あ、顔をしかめている。一応無礼だったとは思うのだろう。
知らないとはいえ私は年上だ。そんな私に向かってこの物言いを許す気はない。
こいつは、少し礼儀というものを学ぶべきだ。
いつも自分が優位にいると思っているのは、増長というものだもの。

「ぐ!? 申し訳ない、無礼は謝ります。
 改めて、あなたの名前を聞かせていただけませんか」
よしよし。今度はちゃんとできたようね。
初めからこうすればいいのよ。
「私は二人の協力者で、遠坂凛よ。
 よろしくね、ハラオウン執務官さん」

そうして私は、管理局とのファーストコンタクトをとった。



Interlude

SIDE-フェイト

管理局の執務官から逃げて、わたしたちはあらかじめ打ち合わせていた集合場所に到着した。

今は、士郎が追い付いて来るのを待っているところ。正直、こうして待っている間も、落ち着いていられない。
あの執務官はかなり強い。魔法が発動するまでの早さやその威力、どれをとっても相当な錬度だった。
シロウは強いから大丈夫だと思うけど、相手が相手だからやっぱり心配だ。

当初、わたしとアルフはもしもの時の集合場所は決めていなかった。
そもそもこれらの集合場所は、シロウの提案により決められたものだ。
直接拠点に戻るのは危険だと以前シロウに言われ、こんな時のための集合場所をいくつか決めてある。
わたしがいるのは、そのうちの一つ。高層ビルの使われていない一室だ。
はじめは競争相手がいるなんて思っていなかったし、その後はシロウが協力してくれるようになったから、自分が追い詰められて撤退するなんて考えてもみなかった。
シロウの提案で決められた集合場所にしても、使う時が来るなんて思わなかった。

シロウがこのことを提案した時も、わたしたちは「別に必要ないだろう」と答えた。
それに対しシロウは…
「自信があるのは結構だけどな、戦場に限らず世の中何が起きるかわからないし、絶対なんてどこにもない。
 だから、考えられるあらゆる状況を想定しておくんだ。「もしも」が起こってからだと、間に合わないことの方が多い。その前にやれることはすべてやっておかなきゃ、手遅れになりかねない。
できれば、他にもいくつか隠れ家を用意しておいた方がいいし、逃走時の経路も工夫すべきだぞ。特に集合場所は、一度使ったら二度と使わないくらいでいないと。
戦闘っていうのはな、戦う前からはじまっているものだ。訓練だってその一環。
それを疎かにする気か? そんなのは自殺行為だよ」

これを聞いたときは、さすがにそこまでやるのは考えすぎではないかと思った。
集合場所や経路を決めるためにも、一度念入りにこのあたりの地理の確認をしておくべきということで、丸一日使って街中を歩き回ったりもした。
いくらなんでも心配し過ぎだし、無駄に終わる可能性の方がずっと高いと考えてあまり乗り気にはなれなかった。
そんなことをしているくらいなら、ジュエルシードの捜索をしている方がいいと提案もした。
だけど、シロウが強引に推し進めて、いろいろなことが決められた。
ただ、一緒に街を歩くのが少し楽しかったのは、恥ずかしいので秘密だ。

いま使った逃走経路も、ただまっすぐ集合場所を目指していたわけではない。
わざと遠回りをしたし、追跡されている可能性も考えて、アルフが魔法でジャミングもかけた。念のために、何度か追跡がないかの確認もしたから、多分追跡の心配はないはずだ。
途中で以前目星を付けておいた建物に入り、そこからは飛行を止めバリアジャケットも解除し、魔力を極力隠蔽して人ごみの中を歩いてきた。

わたしが考えたものではなくて、全部シロウの指示によるものだけど。
それらが、こんな形で役に立つとは思わなかった。
他にもシロウからは、マンホールから地下に入り、下水道を利用するのも手だと言われている。
次があるかもしれないし、それを使うのも考慮しておかないといけないな。

変装のこともそうだけど、シロウは強いだけじゃなくて、とても用心深い。
戦力だけでなく、こうしてシロウの知恵にも助けられている。
彼と協力関係を結べたのは、本当に幸運だった。

わたしとアルフだけだったら、こうもうまく逃げられなかっただろう。
シロウにはどれだけ感謝しても足りないほどに感謝している。
だからこそ、どうか無事に戻ってきてほしいと切に願う。


  *  *  *  *  *


少し遅れてシロウがやってきた。

でも、その姿にわたしたちは驚きを隠せない。
だって変装がなくなっているだけじゃなくて、シロウの左腕はちぎれ、口にくわえられているのだから。
「シ、シロウ!!? う、う、腕、ど、どうしたの?」
驚きのあまりどもってしまう。それだけその姿は衝撃的だった。
あの強いシロウが、こんなひどいことになっているなんて。

シロウは口を開いて、咥えていた腕を離す。
そのまま腕が「ドサッ」という音を立てて地面に落ちたのを見て、わたしは血の気が引くのを実感した。
「ん? ああ、これか。そんなに慌てるなって。
こいつは義手だ。心配いらない。急いできたからつけなおす余裕がなかったんだ」
わたしの驚きに、今気づいたかのような軽い口調で言ってくる。
そのまま自分の左腕を拾い上げ、切断面をくっつけ「ぐぅ!!」という呻き声と共に押し込む。

「ふう。これでくっついたぞ。」
確認するように左手を握ったり開けたりしながら、何事もなかったように話しかけてくる。
シロウは自分がどれだけわたしを驚かせたか、自覚していないようだ。
そのことに少しムッとなる。わたしはあんなに驚いて心配したのに、そのことに全然気づいていない。

「しっかし、アンタ義手だったんだねぇ。全然気づかなかったよ」
アルフはあまりのことに驚きを通り越したのか、呆れたように言っている。
それはわたしも思った。
あれだけ違和感なく動いていた腕が、実は義手だったなんて信じられない。

本物の腕と変わらず動く義手というものは、すでに次元世界では珍しくもない。だからその技術ではなく、腕を失うだけの事態に会い、これだけ動かせるように訓練したであろう士郎に圧倒される。
腕を失ったのが戦闘によるものなのか、それとも別の原因があるのかはわからない。だけど、いくら性能的には問題がなくても、義手を料理みたいな繊細な作業と、戦闘のような激しい動き、その両方で本物と遜色なく動かせるようになることが容易じゃないのは確かだ。
それは、どれだけ大変なリハビリだったんだろうか。

「まあな。わざわざ言うほどのことでもないから言わなかったんだけど、ちゃんと言っておくべきだったかもな」
悪びれる様子もなく、左手をあげて「ごめん、ごめん」なんて言ってくるので、怒る気も失せてくる。
何だか、そんなことを考えてるのが馬鹿らしくなってきた。
シロウは気にしていないみたいだし、わたしがそのことで気を揉んでも仕方がないのかも。

「ああそれと、これさっきのジュエルシードだ。
 俺が持ってても危ないし、渡しとくよ」
思い出したようにシロウはジュエルシードを渡してくる。

「あ、うん。ありがとう」
あの執務官と闘って足止めするだけじゃなくて、ジュエルシードまで取ってくるなんて。
つまりシロウは、私が手も足も出なかった執務官に勝ったということなのだろう。
やっぱりシロウは強くて、とても今のわたしじゃ勝てるとは思えない。
彼が味方で本当によかったと、改めて思う。


「気にするな。礼を言われるほどのことじゃないさ。仲間なんだから、これぐらい当然だよ。
しかし、ついに管理局が動いたか。できれば関わりたくなかったんだが、こうなっちゃ仕方がないか」
仲間、か。そう言ってもらえるのはすごくうれしい。
だけど、諦めるように言うシロウを見て、私もそろそろ覚悟を決めなくちゃいけないと思う。

『ねえ、アルフ』
『ん? どうしたんだい、フェイト』
念話で、シロウに気づかれないようにアルフに話しかける。

もし管理局が動いたら、そうしようと思っていたことを話す。
『シロウとはここで別れよう。シロウはもともと、この事件を早く終わらせるために協力してくれてたんだから。
これ以上協力してもらうことはできないよ』
そう、シロウの目的は事態の早期解決だ。管理局が動いた以上、それはもう時間の問題。
この先、シロウが私たちを手伝ってくれる理由はない。
それにこれ以上わたしたちと一緒にいたら、シロウまで管理局に目をつけられちゃう。
それは、ここまで手伝ってくれたシロウに申し訳ない。

『だから、ここからは私たちだけでやろう』
そう、決心して言う。

『で、でもさぁ。士郎がいた方がこの先もやりやすいし、管理局とぶつかることもあるかもしれないんだから、少しでも戦力は多い方が……』
アルフの言ってることは正しいけど、やっぱりこれだけは駄目。
戦力の上では不安になるし、シロウからの情報や知恵を借りられないのは痛いけど、もうシロウに迷惑をかけられない。
これまでたくさん助けてくれたけど、わたしにはお礼さえできない。
だからせめて、ここで手を切るのがわたしにできるたった一つの感謝だと思う。

『心配してくれてありがとう、アルフ。でも大丈夫だよ。わたし、強いから』
強がりだってことはわかっているけど、少しでも安心してもらうために言う。
わたしはアルフのご主人様だから、使い魔のアルフをあんまり心配させちゃいけない。

わかってくれたのか、渋々納得してくれる。
『フェイトがそう言うんだったら、しょうがないけどさ…』
『ありがとう、アルフ』

これで話はおしまい。後はシロウに別れを言うだけ。
でも、きっとシロウは納得しない。短い付き合いだけどそれくらいはわかる。
だから、本当のところは何も言わずに行くことにする。
「シロウ。私たちこれで行くね。今日も助けてくれてありがとう」
本音をシロウに知られないように、精一杯の笑顔でお礼と別れを告げる。
シロウは鈍いから、あとになって私たちと連絡が取れなくなって、やっと気づくのだと思う。
はじめてシロウの裏をかいた気がして、少しだけ嬉しくもある。

「…ん、ああ。別にたいしたことはしてないけどさ。どういたしまして。
 でも、どうしたんだフェイト? 何か様子がおかしいけど、どこか怪我でもしたのか?」
そう思ったのに、気付かれる。
全く、こんな時だけ鋭いなんてずるいと思う。
やっぱり、そう簡単にはシロウは勝たせてくれないみたい。本当に、敵わないな…。

「え? 別にそんなことないよ。シロウのおかげで、怪我ひとつないんだから」
元気なことをアピールするように体を動かす。
少しわざとらしいけど、仕方がない。どう誤魔化していいか、わからないんだもの。

「それならいいけどさ。何かあったら言えよ、俺たちは協力者なんだから」
最後まで私の心配をしてくれるシロウに、心から感謝する。
これでお別れなのはさびしいけど、本当は関わることなんてなかったんだから、ただ元に戻るだけだと自分に言い聞かせる。

「うん、わかってるよ。さようなら!」
手を振ってアルフと一緒にシロウから離れていく。

それにシロウも返してくれる。
「ああ、じゃあな。また明日」
明日という言葉が、こんなに残酷なものとは知らなかった。
もう私たちが会うことはないから、明日なんてないのに。
今はその明日が欲しくて仕方がない。


  *  *  *  *  *


いまにもあふれそうな涙をこらえて、家に戻る。
これからはもうシロウのご飯も食べられないし、声を聞くこともないのだと思うと、どうしようもなくさびしい。
リニスがいつの間にか消えてしまって、もうどこにもいないのだと悟ってしまって以来、こんな強い感情は初めてだ。もしかしたら、その時以上かもしれない。

今になって、やっと気づいた。
わたしはいつの間にか、こんなにシロウのことを好きになっていたんだ。
「はは、わたしもシロウのことは言えないかな」
自分の気持ちにさえ気づけないんじゃ、シロウのことを「鈍い」とは言えない。

わたしはこの日、ずっと枕に顔をうめていた。
アルフは何も言わずにただそっとしてくれて、それが嬉しかった。

明日からわたしたちだけでやっていくために、この日だけは弱いままでいてもいいと思った。

Interlude out




あとがき

さて、どんな反応が返ってくるか不安が尽きない12話でした。

前回のあとがきで「せっかくの(型月との)クロスなのでやってみたい展開」というのは、冒頭の預言です。
伏線にすらなっていませんので、ほとんどの人が何を指しているのか分かると思います。魔術基盤があるのですから、ああいった存在が発生する可能性もあると考えました。
本格的に動き出すのは、A’sとStsの中間の時期になります。……随分先ですね。それまでは預言をチマチマ使って、少しずつ管理局を近づかせようと思います。
中間期では、それまでのようなリリなの世界の展開ではなく、型月世界の展開にもっていきたいと思います。流血や人死の連続を予定。あくまで予定です。
まあ、大方の設定は決まっていても、そこまで辿りつけるかわかりませんし、上手くやれるかもわかりませんけど、やるだけやれたらいいですね。

この預言のせいで、士郎と凛は管理局から目をつけられるわけです。
せっかくの手掛かりをみすみす手放すわけもないので、いろいろ手を打ってくるはずです。
士郎たちもいずれはこの預言を知り、嫌々ながら協力するのか、それとももっと別の動きを見せるのかは未定です。
あと、基本的には預言に関する質問等はネタばれになりますのでお答えできません。予めご了承ください。


今回のクロノ戦について少し補足を……。
まずはアイアスについて。厳密には七枚一組のアイアスを四枚バージョンで投影してから、バラバラに動かしたのではありません。一枚ずつを二つ、二枚セットを一つ投影し、その上でバラバラに動かしての防御です。元が別々なので、これなら各個に動かせるはず。
特に制限もなくアイアスをバラバラに動かせると、なんだか反則な気がしての設定です。重要なのは三度投影したことで、本来一回で済むものを三回している分非常に燃費が悪く、脳にかかる負担も三倍になるのでかなり苦しいのです。その上での真名開放ですから、使い勝手の悪さは相当なものでしょう。

黒鍵は、それ自体の攻撃力はたいしたことはないのですが、鉄甲作用を用いれば相当なものになると考えています。少なくとも真正面からぶつかる分には、魔法相手でもそう簡単には力負けしないと思います。
特に、今回のクロノは威力を見誤っていたので、完全に不意をつかれた形です。
普通飛んでくるだけの剣に、そんな威力があるとは思いませんよ。


あと、今回士郎が義手を活用しましたが……これがやりたかったのです!!
同じ相手に二度は使えないし、使えば隻碗になる非常に危険な奇襲です。でも初見での効果は抜群なはず。
とはいえ、同じネタを何度も使うわけにはいかないので、今後二度と使われないかもしれない不意打ちでした。
やりたかったことの一つがやれたので、少し満足してます。


これでフェイトとの繋がりが絶たれ、士郎たちの優位性はないも同然です。二人ともまだ知りませんけど…。
その上管理局まで出てきたので、士郎たちとしてはとても嫌な展開でしょうね。

次回はほとんど士郎の出番はありません。凛とアースラ組がメインです。
あまり凝ったことはしませんが、“凛らしさ”を出せるよう頑張ります。


最後に、感想でも書きましたが、士郎の飛行宝具に関して今更ながら非常に迷っています。
主体性がないような気もしますし、すでに本編で多少出しているのに変えるのもどうかとは思うのですが、違和感が沸々と……。
こんなことを聞いていいのかわかりませんが、皆様の声を参考にさせていただきたいので、感想のついでにでもご意見をくださるとうれしいです。よろしくお願いします。

では、これにて失礼します。



[4610] 第13話「交渉」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:fd260d48
Date: 2009/06/18 14:39

SIDE-凛

互いの自己紹介を終えたところで、私たちの前に映像が浮かんだ。
なのはたちの使う魔法が科学よりなのはわかっていたが、ここまで来ると本当にSFだ。

「クロノ、お疲れ様。怪我はないかしら?」
映し出されたのは緑色の髪をした女性。この様子だと、クロノの上司と言ったところのようだ。

「はい、大丈夫です。ですが、申し訳ありません。
 片方は取り逃がし、ジュエルシードも奪われてしまいました。
 追跡の方はどうでしょう?」
若干気落ちしたようにクロノは報告する。
同時に、逃げた士郎たちのことを追跡していたようで、その結果を聞いている。

映像に移る女性の顔は芳しくないことから、どうやら上手くいかなかったことがわかる。
「振り切られてしまったわ。女の子の方はジャミングが強くて見失ったし、赤い外套の子の方は途中で反応が消えてしまったの。かなり注意深く逃走したみたいね。
ジュエルシードまで持って行かれてしまったのは痛かったけど、終わったことを悔やんでも仕方がないわ。
それよりも、そちらのお嬢さん方からお話を聞けるだけで良しとしましょう。
いまゲートを開くから、案内よろしくね」
あちらの方でも追跡に失敗したこともあってか、特に咎める気はないらしい。
それよりも、現状の確認を優先するようだ。

念のため、士郎に「魔力殺し」の魔術品を持たせておいて正解だったな。魔術回路を閉じていればほとんど魔力は漏れないが、それでも完全ではない。完全な隠蔽のためには、それ専用の道具がいる。
高位の術者ならそんなものはいらないのだが、固有結界なんて持っていても士郎の位階は文句なしで下位だ。魔術使い、あるいは戦闘者としては超がつく一流だが、魔術師としてはいつまでたっても半人前でしかない。
もしユーノあたりが追跡しようとした時のために持たせておいたのだが、それが功を奏したようだ。

むしろ、問題は私の方。ついに管理局が出張ってきて、その上思いっきり関わることになってしまった。
本音を言えば関わりたくないのだけど、ここで拒絶するとその方が面倒になりそうだ。
ここは安全確保のためにも従ったほうがいいか。
下手に挑発するようなことをしても、いいことなどないのだから。

「了解」
クロノはそう返事をし、私たちはアースラとやらへ向かうことになった。



第13話「交渉」



で、そのアースラにやってきたわけなのだが……
「全くつくづくSFね。ここまで違うと、いっそ感心するわ」
中途半端に違ったならもっと他の、殺意が沸くなり、拒絶するなりあったかもしれない。
だが、ここまでくれば全然違うものと認識できるので、むしろ簡単に割り切れる。

向こうは科学で、こっちは神秘。共通しているのは、使っているエネルギーが魔力というものなだけ。
ああ、この方がわかりやすくてありがたい。

「? 君だって魔導師なんだろう。別に感心することなんてないはずだが…」
「そのあたりは後で説明するわ。さあ、さっさと案内してもらえないかしら?」
この場で説明してもいいが、あとでまた同じ説明をしては二度手間だ。
どのみち、先ほどの上司にも説明するのだから、その時でいいだろう。

「まあ、いいさ。ちゃんと説明してくれるのなら文句はない。
 ところで、もう君たちはバリアジャケットを、そっちのフェレットは魔法を解除してくれないか。
こちらとしても、そんな格好をされていては警戒せざる負えない」
まあ、確かにそうか。自分たちの懐で暴れられてはたまらない。
せめて武装解除くらいしてもらわないと、危なっかしいのだろう。

だが、私は別にそういったものは使っていない。
おそらくは、私の羽織っている外套のことを言っているのだろう。結構な魔力のこもった代物でもあるし、勘違いしても仕方がないか。
「一応言っておくけど、これはバリアジャケットなんてものじゃないわ。
 魔術品ではあるけど、なのはみたいに収納なんてできないし。
あなたたちのことも完全に信用したわけじゃないんだから、脱ぐ気もないわよ」
本当に管理局の人間だからと言って、それだけで信用する理由にはならない。
魔術のことを知ればどんな行動に出てくるかわからない以上、警戒を解くことはできない。

私の纏っている外套はミスリルの聖外套に匹敵する、とまでは言わないが、非常に優れた対魔力、および対物理の効果を有している。
製作の際には、秘蔵の宝石のいくつかを溶解させて練り込んでいる。その上で、さらにいくつもの宝石を裏地に仕込んでいるので、生半可な攻撃では傷一つつけられないだろう。また、長年の研究の成果も盛り込んでいる。
当然それ相応の魔力も有しているので、クロノが警戒するのも無理はない。

「どういうことだ? バリアジャケットじゃないというのなら、それは一体……。
いや、そのことも含めて艦長のところで話を聞かせてもらうことにするさ。
僕たちの方から仕掛けるなんてことはないから、別にかまわないよ」
一応、このままの恰好でいることは許可してくれた。
私だって、向こうから仕掛けてこなければ特に何もする気はない。
お互いに警戒しながらも、あまりその警戒に意味がないというのだから、なかなかに滑稽だ。

「それで、君たちはどうする?」
クロノは頭を切り替えて、なのはたちの方を向き、改めてどうするかを聞いている。

「えっと、わたしは特に問題ないですから、解除しますね」
なのはは特に警戒する様子もなく、バリアジャケットを解除する。
このあたりの素直さは、実にこの子らしい。

「ああ、そうですね。ずっとこの姿なんで、すっかり忘れていました。
 じゃあ僕も……」
ユーノもそんなことを言って体が発光する。
光が止むと、そこにいたのは……金髪の少年だった。
ふ~ん。つまり、これがユーノの人間形態ということか。見た目は…今の私と同い年くらいね。
まあ、どの程度私たちの年齢換算が当て嵌まるか知らないし、もしかしたらこんな見た目で百歳以上、ということもあるかもしれない。

「え? 嘘? な、何、どういうこと~?」
なんだかなのはが、よくわからないことで驚き混乱している。

「何驚いてるのよ、なのは。アルフだって人型になれるんだから、別に驚くほどのことは……。
 ちょっと待ちなさい! 「僕も」って、まさかそっちが本当の姿なの?」
そういえばさっき確かに、「じゃあ」と言っていた。それはつまり、今までユーノ自身も何かしらの魔法を行使していたということだ。
てっきりフェレットの姿が基本だと思っていたけど、こっちが本来の姿ってこと?

「あれ? なのはは知ってたはずだよね。凛もなのはから聞いてないの?」
ユーノはユーノで驚いている。何か認識に齟齬があったようだ。
いま二人は、お互いの記憶を突き合わせて確認している。


結局は最初からフェレット形態で会っていたが、本当のことを伝え忘れていたらしい。
一応ユーノが謝ることで向こうは決着したらしいが、私には聞かなければならないことがある。
「ふ~ん。
つまりユーノは、男のくせに女風呂に入ろうとしたり、女の子の胸に抱かれて喜んでいたってことよね」
それを聞いたユーノは硬直し、なのはは自分がしたこととしようとしたこと、両方に赤面している。
全く危うくのぞかれるところだったということか、士郎には感謝ね。
そしてこの淫獣には、しかるべき制裁が必要ね。

「え、いや、別にわざとってわけじゃ…。それにあれは不可抗力で、ちゃんと士郎さんが止めてくれたし……」
後退しながら、必死に弁明するが聞く耳などない。
未遂だろうと、それをしようとしたことには変わらない。
何よりこっちの腹が収まらない。

こんな駄犬ならぬ、駄フェレットにふさわしい制裁といえば、あれだ。
私は士郎から預かっているものを懐からだす。本来投影品は士郎以外には使えないが、それは宝具の真名解放に限った話。ただの概念武装なら、問題なく扱える。

「別に逃げてもいいわよ。私も鬼じゃないもの、生き残るために努力する権利くらい認めてあげる。
それじゃあね、あなたの人生に殺・血・悪・霊(さ・ち・あ・れ)。
『私に触れぬ(ノリ・メ・タンゲレ)』」
そう言うと同時に、ユーノは私の手から放たれた赤い布で拘束される。
私がしゃべっている間にすでに逃げ出していたが、それも無駄に終わった。

もちろん決め台詞を忘れるわけにはいかない。
「……ふふふ、フィッシュ!!」
宙を舞うのは赤い布とそれに縛られた少年。言葉の通り見事に釣りあげられる。
これは、あの悪魔憑きのサドマゾシスターが使っていた「マグダラの聖骸布」だ。男性拘束専用の聖遺物なので、女の私が持っていた方がいいということで預かったが、こんな形で役に立つとは。
いや、ある意味これこそ本来の使い方か。少なくともカレンはこんな感じで使っていた。
……まあ、大半が濡れ衣ではあったが。

宙を舞っていたユーノは、うまい具合に私のすぐ眼の間に落下する。
こっちに引っ張ってくる手間が省けた。
「いたたたたた!! な、何これ? 体に絡みついてほどけない!?
それに魔法も使えないし、どうなってるの!!?」
少し強く締めすぎたのか、ユーノは驚きの他に悲鳴をあげている。

「詳しいことはあとで教えるけど、それは男性拘束専用の聖遺物なの。
 本来は丈夫な布程度でしかないんだけど、男性が捕まった場合抵抗できなくなるのよ」
そうして浮かべるのは、極上の笑顔。
ユーノはおろか、なのはやクロノも壁際によってガタガタ震えている。

さあ、楽しいひと時を始めましょう。


そうして残ったのは、真っ白に燃え尽きたユーノの抜け殻だった。
今回は趣向を凝らして、カレンみたいにやってみたけどこれが悪くない。
ネチネチやるのは性に合わないが、それなりに楽しめた。今度士郎で試してみようかな。

その後、艦長を待たせていると言う若干震えるクロノに先導されて、私たちは移動を開始した。
同じ男性であるクロノにとっても、先ほどの光景は他人事ではすませられないらしい。
ちなみにユーノは真っ白なままなので、聖骸布で包んだまま引き摺って行った。
時々壁にぶつかったり、曲がり角に引っかかっていたので無理やり引っ張ったりもしていたのだが、全く反応がなかった。ちゃんと生きてるわよね?


*  *  *  *  *


ついた部屋で、私は主の頭の中身を疑いたくなるような光景を目にした。

なんでSFに出てくるような宇宙戦艦の艦内に、畳やら盆栽やらが置かれているのか。
特におかしいのは獅子脅し。そもそも屋内に設置するようなものではない。
なんだか、日本を勘違いした外国人の家に来た気分だ。

その部屋にいたのは、先ほどの緑の髪をした女性。
部屋はその人の心象だから、これがこの人の心象ということか。
まともそうな人に見えたが、そうでもないらしい。半ばあきらめに似た感情が生じる。

「ご足労、ありがとうございます。私が時空管理局提督でもある、艦長のリンディ・ハラオウンです」
つまりは、それなりの地位にある人物ということか。大仰な役職の割には、クロノと同じように「若い」という印象を受ける。高く見積もって、二十代半ばから後半といったところだろうか。
管理局の体制なんて知らないけど、提督なんて言うぐらいだ。それなりに権力や個人的なコネも持っているんだろう。この若さでその地位につけるだけで、相当に優秀かあるいは何らかの強力なコネを持っていることになる。
あまり情報を渡したくないが、下手に動かれる方が厄介か。

「ユーノのことはすでに知っているようですね。
 私は現地協力者の、遠坂凛です」
優雅に一礼して名乗る。好印象を与えた方がいろいろやりやすくなる。
気が緩んだなら、つけいる隙も出てくるかもしれない。
すでに駆け引きは始まっているのだから、油断はできない。

「えっと、わたしも同じくユーノ君を手伝ってる、高町なのはです。よろしくお願いします!」
「二人に手伝ってもらっている、ユーノ・スクライアです」
一応復活したらしいユーノも名乗る。どうやらちゃんと生きていたらしい。乱暴に扱ってもピクリともしなかったので、もしかしたら天に召されていたかもしれないと思ったが違ったようだ。
その顔には、まだどこか憔悴の色があるが、何とかなるだろう。


その後の話の内容としては、時空管理局とはロストロギアとは、そしてジュエルシードが起こすことのできる「次元震」と、そこから発展して発生する「次元断層」について説明された。
ユーノは責任を感じて回収しようとしたことを、クロノに「無謀」と責められて俯いている。

まあ、実際モノを考えればその評価は妥当か。
私はこれらの情報の前半はユーノから聞いていたが、なのはは時に感心し時には深刻そうに聞いていた。

それにしても、次元震やら次元断層やら、詳しい意味はわからないが聞いていて物騒な単語ばかりが出てくる。
やはり、これがこの世界の抑止のやり方なのかもしれない。
一つの世界ぐらい滅んだところで、いくつもあるなら問題ないとしている可能性は高い。
一つの世界を丸々消滅させてしまった方が、てっとり早く確実だ。
世界はその場にいる人間のことなど関知しない。
するのは、世界の存続のために必要なことだけだもの。それ以外のことは余分でしかなく、そんな余分なことは決してしない。
それが世界を守る力、抑止力のあり方だ。


しかし驚いた。
なんとこのリンディという人、抹茶に多数の角砂糖を入れて飲んでいる。

人の嗜好をとやかく言う気はないし、綺礼やカレンが食べていたような、激辛マーボーよりかはマシだから別にいいが、士郎はきっと許容できないな。私も試したいとは思えない。
実家が喫茶店のなのはも最初は驚き、そのうち「うえ~」という顔をしていた。
士郎には、藤村先生のお好み焼き丼に匹敵する暴挙として認識されるかもしれない。
この二人は会わない方が、双方にとっては幸せだろう。

それに比べればたいしたことではないが、この人こう見えて一児の母らしい。ちなみに、その一児はクロノのこと。つまり、この二人は親子なのだそうだ。
直属の上司と部下が身内って、それでいいのか少し疑問である。

リンディさんのことは、まあ桃子さんの例もあるので、二度目ともなれば驚きはそれほどではない。
ただ、やはりこの人も老いを克服しているかのような若々しさの持ち主だ。
一度、血液サンプルを提供してもらえないかな? どんな遺伝子をしているのか、魔術師としてではなく、一人の女として興味がある。
テロメアが異常に長かったりするのかしら?
それとも、消耗分を修復できたりするのかな?
でもそれって、本当に人間?


さて、ここからが本題だ。

この先の流れ次第で、こっちの立場が変わってくるし動き方も決まってくる。心してかからないと。
「これより、ロストロギア『ジュエルシード』の回収については、時空管理局が全権を持ちます」
なのはとユーノは驚いているが、まあ当然だ。
クロノも言っているが、民間人に任せておける事態ではないのも事実だ。
ちゃんとした訓練を積んだ連中がいるのだから、素人に任せる必要も意味もない。

「君たちは今回の事は忘れて、それぞれの世界に戻って、元通りの生活に戻ると良い」
クロノの言うとおり、ここで手を引いてしまえればいいのだが、先ほどの次元震云々の話やプレシアのやろうとしていること、そして抑止力のことを考えると不安が残る。
向こうはすでに、頭がだいぶイカれている様子らしいから、何をしてくるかわからない。
最悪の場合、アースラが失敗し私たちにも被害が及ぶ。
ここで手を引くのは、かえって危険か。

「まあ、急に言われても気持ちの整理もできないでしょう。
一度家に帰って、今晩ゆっくり三人で話し合うといいわ。その上で、改めてお話ししましょう」
リンディさんは無理強いすることなく、柔らかい笑顔を浮かべて話を終える。表面的には…。

何と言うか、ずいぶんと嫌な言い方をしてくるものだ。
考える時間を与えられたことで、なのはたちは自分たちの気持ちに配慮してくれていると感じるだろう。だけどそれは勘違いだ。配慮などではなく、明確な目的があっての発言なのはまず間違いない。配慮というなら前半部分だけで十分、後半はいらないのだ。
それに、実際にはこの時間はそれほど意味がない。危機感を煽るようなことを聞かされたことで、二人の思考は半ば制限されている。こんなことを聞いては、一晩という短い時間で出てくる話題など一つしかない。
時間に制限を設けられていることで、早く結論を出さなければならないという焦りも生まれる。先にこの一件に関わっていた身としては、こんな中途半端なところで一方的に降ろされるのは納得いかないだろう。そんな不満も混じり合えば、でてくる結論は予想がつく。
いや、むしろそこに誘導しようとしているのだろう。すべてはそのための布石だ。
おそらく、なのはたちは自発的に協力を申し出るはずだ。つまり、それが狙いということ。

そもそも本当に手を引かせようと考えているのなら、話し合う必要などないのだ。そんなものを与えようとしている時点で、魂胆が見え透いている。こちらを子どもと思って甘く見たわね。
見た目はともかく、中身はすでに二十代後半よ。そんな温い手に引っかかるほど間抜けじゃないわ。

自分たちから申し出てこないのは面子の問題か、それとも人道的な問題があるからかもしれない。
だが、仮にこちらから協力を申し出たとしても、少しは楽になるだろうが、これらの問題が完全になくなるわけではない。それでもなお協力させたいといことは、それだけこの事件は厄介な案件、ということか。

素直に乗ってやるのも癪だし、少し反抗してみようかな。
向こうに主導権が行きっぱなしというのも性に合わない。
結局は協力なり、情報提供なりを求めてくるのだ。
私の表向きの素性がわかれば、自分たちと違う術式の使い手であることは容易に知れる。
その時には魔術のことも聞かれるだろうから、どっちみちここで縁が切れるはずもない。
それを私から申し出るのはいい気分じゃない。せめて、それくらいは向こうに言わせないと気がすまないな。

「別にそんなもの必要ないでしょ。
 私たちはここまで、あとはあなたたちが勝手にやってくれる。それでいいと思うけど?
こっちは別れの挨拶と、少し思い出話をするだけで十分だし、一晩なんていらないわ」
なのはとユーノは驚いている。二人としては、ここで手をひかせられるのは納得いかないのだろう。
責任感が強いのはいいことだが、それを利用されることを考えていないのは、どんなに優秀でも子供ということか。

クロノはただうなずいているだけ。こいつは本心から手を引かせようと考えている。
このあたりの実直さは嫌いじゃないが、もう少し策謀を身につけないとこの先やっていけないし、騙されるかもしれないな。まあ、知ったことじゃないが。

「……そう、わかってくれたようでよかったわ。
 ところで、あの黒衣の少女と赤い外套の少年のことを聞かせてもらえないかしら?
 特に赤い子の方は、ロストロギアと思われるものを使っていたから詳しく聞きたいわ」
あてが外れて口惜しそうにするが、それも一瞬のこと。すぐにそれを消して、リンディさんが聞いてくる。
提督の肩書は伊達ではないか、やはり誘導しようとしていたようだ。

「黒い子はフェイトといって、ミッド式の魔導師です。
 赤い外套の人は名前を聞いても教えてくれなくて、アーチャーと名乗っていました。
 それと彼は、魔術というこの世界独自の魔法技術を習得しているようです。詳しくは同じ魔術師でもある凛から聞いた方がいいと思います」
代表してユーノが話す。
これで完全に興味を持たれてしまったか。
まあ、関わってしまった以上いずれは聞かれることだ。こればかりはどうしようもない。

「この世界には魔法技術はないはずだけど…。もしかしてさっき使っていた布や、彼の楯や外套、それに双剣もその技術によるものなの?」
「まさか!? あれほど異質な魔力をもったものが……いや、僕たちの知らない技術だからこそ異質に感じるのか。既存の魔法技術には多かれ少なかれ類似する点があるけど、共通点がほとんどなければ、それを異質に感じるのは当然かもしれない」
なるほど。彼らにとって宝具や概念武装から放たれる魔力は異質に感じるのか。
無理もない。「神秘」の具現とも言うべき宝具や概念武装では、魔導師の力とは完全に方向性が逆だ。
異質に感じるのも当然だろう。

共通点云々と言っているが、それも異質に感じる理由の一つだろう。
他の魔法技術のことは知らないが魔力を使うために必要な器官も違うので、魔力の感触とでも言えばいいのだろうか、それが違うこともありうる。実際、私もなのはたちから感じる魔力には少なからず違和感を覚えていた。魔力の質そのものが違うのだろう。
また、魔術ではあんなあからさまに魔法陣が出ることもない。
方向性以外にも色々と違う点もあるので、クロノの考えは多分正しいはずだ。

ただ、クロノは自分なりに士郎との戦闘を考察しているようで、一人でブツブツ言っている。
あれは完全に自分の世界に入ってしまっているな。
このままでは話が進まないので、横槍を入れることにする。反省や考察は後でゆっくりやってもらうことにしよう。
「なんだか一人で納得しているみたいだけど、説明に入っていいのかしら?」
「…え? ああ、すまない。
また対峙する可能性も高いし、少しでも情報は欲しい。できる限り詳細に教えてくれないか?」
やはり自分の世界に没入してしまっていたようで、声をかけると思いだしたように返事をする。

「ふう。それじゃあ一番の疑問点みたいだし、私たちの使っている道具のことから始めるわね。
あれらは概念武装というものよ。
 歴史を積み上げ、決められた事柄を実行する固定化された魔術品、と定義されているわ。一応物理的な干渉力もあるけど、それ以外に影響を及ぼすのが主目的でしょうね。
 まあ、そんなことを言われてもよくわからないか……。そうね。簡単に言えば、長い年月を経て魔力を帯びるようになったもので、特殊な能力を持つものもある。そう考えてくれればいいわ。
武装って言うだけあって一概に攻撃用の武器とは限らない。私が使った布は拘束用だし、アーチャーの外套は身に纏っているところからすると、防御用みたいね」
あまり隠してばかりでも信用されないし、下手な嘘は矛盾を作る。
当たり障りのないところで、本当のことを言うのが一番か。

簡単に理解できるよう、できる限りかみ砕いて説明する。「魂魄としての重みで相手を打倒する」なんて言われても、科学的な見方しか知らないこの人たちにはいまいち理解できないだろう。
重要なのは「魔力を帯びるようになった」ことと、「特殊な能力を有する場合がある」の二点だ。これさえわかっていれば十分だ。
それに概念武装は摂理や意味柄、空間にも影響を及ぼすモノがあるけど、そんなことまで説明してしまうと余計な危機感を持たせてしまうかもしれない。「特殊な能力」の一言で括ってしまった方が安全だ。詳しく聞いてくるようなら、あまり危機感を煽らない例を上げて教えればいい。

それと、やっぱり宝具のことを説明するのも避けるべきね。
ここでは宝具と概念武装の違いには触れないことにする。
士郎は今回両方とも使ったが、クロノたちは違いがあると思っていないらしい。つまり、向こうでは区別が付いていないということだ。
せっかく向こうが気付いていないことに、わざわざ触れることもない。このまま知らないままでいてもらおう。

贋作ではあるが、士郎のあれは真作とほとんど遜色ない。神話や伝承に登場する代物であり、伝説上の能力を再現すると知ったら、どんな手を打ってくるか知れたものじゃない。
伝承を詳しく調べればどんなモノか簡単にわかってしまうし、ゲイ・ボルクの様な運命干渉系の宝具など特に欲しがるだろう。
士郎さえいれば、登録されている物なら魔力がある限りいくらでも作ることができる。その魔力も時間をおけば回復する。事実上、作れる数に制限はないということになる。
管理局が知れば、最悪の場合何らかの形で封印されるか、徹底的に絞り取られるかもしれない。
絶対に、そんなことをさせるものか。

それにあまり詳しく教え過ぎると「知り過ぎている」ということで怪しまれる可能性がある。
詳しいところを知られていない方が私たちにとっては都合がいい。
それに今回使った「熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)」は、概念武装としての側面も持つ代物だし、別に嘘は言っていないしね(干将・莫耶については考えないことにする)。
それにしても、本来の姿が七枚一組だと知ったらどんな反応するのかしら。今回のクロノの砲撃は、一枚目にすら傷一つ付けられなかった。つまり、本来の七分の一以下の力で容易く防がれたわけだから、真実を知ったらかなり驚くでしょうね。

私を除く全員が、言っている意味がよくわからないのか首をかしげている。
「こんな言葉があるわ。『科学は未来に向かって疾走し、魔術は過去に向かって疾走する』。
 この場合の『科学』は、あなたたちの『魔法』に置き換えることができる。私たちとでは、根本的な方向性が真逆なのよ。
 あなたたちの常識で考えていても、理解なんてできないわ」
人間、まったく考えもしなかったことをいきなり理解することなどできるはずがない。
それが自分の常識の範疇外ともなればなおさらだ。

「いまいちよくわからないが、とにかく僕たちにとっては完全に未知の技術、ということでいいのか?」
「ええ、今はそんなところね。詳しく話すと時間もかかるから、それは後にしましょう。
 で、他に聞きたいことは?」
クロノは意外にも柔軟な思考もできるようで、少し感心する。わからないものはわからないということで割り切り、簡潔にまとめている。「理解」するのは後でいい、必要なのはそういうものがあると「知る」ことだ。
どうもリンディさんが「過去」や「未知の技術」という部分に反応しているのが気になるが、単に興味を持っただけだろう。

「もしかして、彼の反応がなくなったのも貴方達魔術師の特性なの?
 出来れば大雑把にでもいいから、違いを教えてもらえないかしら」
まあ、当然聞かれるだろうと思ってはいた。
向こうにとっては完全に未知なのだから、少しでも情報が欲しいところだろう。

そして、それに対する私の答えは決まっている。
「別にかまわないけど、それならユーノが説明した方がいいでしょうね」
「えっ!? 僕ぅ!!??」
振られた話をそのままユーノに任せる。
突然のことにユーノが素っ頓狂な声を上げる。

「当たり前でしょ。私が説明してもいいんだけど、それだと理解してもらうのがいろいろ大変なのよ。
 アンタのときだってそうだったし、「魔導師として魔術を理解している」ユーノが適任よ。
 間違っているところがあったら補足するなり訂正するなりしてあげるから、気軽にやってみなさい」
実際、ユーノに魔術のことを説明する時は苦労した。
両者が全く逆の方向性なこともあり、理解させるのは結構難しい。
それなら、すでに魔術をある程度理解しているユーノに説明させた方がいい。どうすれば魔導師にとって理解しやすいかわかっているのだから、これが一番だろう。
一通り聞いているとはいえ、私も次元世界の魔法に関して詳しいとは言えない。ユーノに説明した時のことで、ある程度どこが理解しにくいかはわかっているが、それでも万全とは言えない。
やはり、この場で一番の適任はユーノだ。

「うぅ、わかったよ。じゃあ、補足の方はお願い」
一応私の言い分が正しいと思ったようで、ユーノは諦めたようにうなだれる。

そこからは魔術回路のことや、秘匿のこととその理由を中心にユーノが説明し、私が不足部分を補うという形で進められた。
すでに一度時間をかけて説明したこともあり、学者のはしくれでもあるユーノの解説は的確だった。
そうしてこれといった問題もなく、ユーノによる説明会は終わった。

クロノも一応、理解の色を示しているし大丈夫そうだ。
「基本的なことは一応わかった。いろいろ言いたいこともあるけど、それは後にすべきだろう。
ここからは君に聞くところだな。まず、彼はどんなことができるんだ?
 それと、他に魔術師はいるのか? 君たちを管理する組織はあるのか?」
堅実に聞いてくるし、割り切るべきところも弁えている。
いま重要なのは相手の戦力と、そんな存在がほかにいるかどうかだ。
私の中で、クロノの評価が少しずつ上がっている。この若さで、たいしたものだ。

「魔術は家門ごとで違うし、この世界では魔術の存在が秘匿されているのは言ったでしょ。だから、他所のことは知らないわ。
そもそも、私のところ以外に魔術を伝えているところがあるかさえ知らないもの。アイツは唯一の例外。
組織の方も同じ。有るなら情報収集のために接触したいところだけど、今のところは不明よ。
 私の師である父は、もうずいぶん前に死んでるしね。そこから聞くのも無理」
私の「弟子」だからこそ例外なのだけど、多分クロノたちは「はじめて他所の魔術師と遭遇した」からだと思っているでしょうね。
仕方がないとはいえ、いちいちこんな言い回しをしなければならないのは、いい加減面倒になってくる。
表現の仕方に注意しなければならないので、本当に疲れる。

私がそんなことを考えていると、何やら場に妙な空気が満たされていく。
よく見るとみんな暗い顔をしている。一体どうしたというのだろう?
「……いや、そうかすまない。悪いことを聞いた」
ああ、なるほどね。クロノの言葉でやっと合点がいった。
すでに父が死んでいると知らなかったとはいえ、不味いことを聞いたと思っているのだろう。
だけどこの程度は序の口だ。
まさか父は自分の弟子に殺され、その弟子が私も殺そうとしたなんて聞いたら、何を思うのやら。

その後は、士郎とフェイトの情報で、なのはたちが見てきたことを教えた。
ジュエルシードを破壊した時の様子にはかなり驚くと同時に脅威も感じたらしい。
普通、小規模とはいえ次元震を止めるなんて簡単にできるものではないらしいので、無理もない。
全く、つくづく反則の塊のようなやつね。やはり無関係を装って、注意をそらすのが吉か。

「で、リンディ提督。何か言いたいことはあるかしら?
 そうね、例えば協力要請とか」
一通り話すことは話したので、聞いてやることにする。いつまでも先延ばしにしていても仕方がないし、どうせ早いか遅いかの違いでしかない。

それに、さっきまでの冷静さをかなぐり捨てて、クロノが声を荒げて反応してくる。
「何を言ってるんだ!! 君も、さっきこの件から手を引くことで納得したはずだ。
 それを、協力させろというのか!!」
まったく、勘違いしないでほしい。なんで私が、わざわざ協力を申し出なければならないというのか。

「違うわよ。私じゃなくて、『あなたたち』が協力を求めるの。
 クロノはどうか知らないけど、リンディ提督はそのつもりだったみたいだけど?」
初めからそっちの腹は読めているぞと、不敵な口調で言ってやる。

クロノは呆気に取られ、リンディさんは平然とした様子で答える。
このあたりは、やはりクロノのようにはいかないか。
「一体何のことかしら。あなたの情報は貴重で興味深いけど、だからと言って民間人のあなたたちに、そんな危険なマネさせられないわ」
正論ではあるが、今更そんなことを言っても遅い。
すでに言質は取ってある。それは自分の首を絞めることにしかならない。

「じゃあ聞くけど、何で時間を与えようとしたりしたのかしら。
 民間人を危険にさらせない以上、協力なんて論外よ。
なのにそっちは、わざわざ最悪の例を出してから相談の時間を与えた。
この場合時間を与えたら、出る話なんて今回の事件のことしかないと思わない?
そもそも、なのはたちの思い出の大半が今回の一件に関することなんだから、その話が中心になるのは当然よ」
そのことを言われて、私とリンディさんを除く全員の表情に変化があらわれる。

そこへ、さらに追い打ちをかける。
「そうなったらあとは簡単。
 自分の身の回りに危機があって、それを何とかできるかも知れない力があれば、少しでも役立てようと考えるのは当然でしょうね。ここまで協力していたんですもの、今更手を引くのを良しとするとは考えにくいわ。大人しく手を引くような人間だったら、そもそもここまで関わろうとはしないでしょ。
結果は考えるまでもないわ。なのはたちは、自発的に協力を申し出る。
こんな回りくどいことをしたのは、民間人、それも子どもを危険な目に合わせるのは体裁が悪いからかしら。自発的協力ならまだマシだもの。
なのはの潜在能力は相当なものだし、あれの封印をさせるのにはもってこいね。他にも魔導師はいるはずだろうけど、クロノが単独で動いていたことを考えると、それほどレベルは高くなさそうかな。
なのはやってくれれば、クロノは万が一のためのバックアップに回って、フェイト達との戦いのために力を温存できるしね。その方が都合がいいんじゃない?
後は、もしも管理局に所属してくれたらって考えもあったんじゃない? 今となっては、私の技術や知識にも興味があるでしょうし」
ジュエルシードの封印にはかなりの魔力を消費するので、余程魔力量の多い術者でなければ難しい。要は技術よりもパワーがモノをいう作業なのだ。
なのはクラスの魔力保持者は少ないらしいし、この人たちにできないということはないだろうが、それでもなのはの存在は貴重だろう。
他にも優れた戦力がいるのならば、さっきの戦闘で一緒に行動していたはずだ。仮に待機していたとしても、フェイト達が逃げた時点で追っ手をかけるだろうし、クロノがやられそうになった時に援軍として派遣したはずだ。それがなかったということは、他の戦力はクロノに比べてかなり劣るのだろう。
足手纏いがいる方が厄介だものね。

そこまで言ってリンディさんを見やる。
そこには諦めとも感嘆ともつかない表情があった。
「確かに、あなたの言う通りよ。少なくとも私の方から要請するわけにはいかないから、そんな手を使いました。
 理由の方も大方正解ね。なのはさんの才能もあなたの技術も、私たちにとっては有用で貴重なものよ。
 こんな性質の悪い事をしたことは謝罪します。ですが、どうか協力してもらえませんか。
 外套の少年はわからないことが多いし、魔導師の子もかなりの力があるようで、こちらとしてもジュエルシードと平行して対応するのは至難なの。できれば戦力の補強をしたいというのが本音よ。
でもこれだけは約束します。もし本当に危険になったら、絶対にあなたたちを守ります」
開き直って洗いざらい喋ってくれる。ちゃんと引き際は心得ているようだ。
それに最後の言葉には、嘘はなさそうだ。

士郎と付き合ってると、いろんな形でだまそうとしたり、利用しようとしたりする連中を見てくることになった。
おかげで人を見る目には自信がある。
アイツは無条件で人を信用してしまうところがあるから、その分私が見極めることが多かった。
そこから言って、この人は「一応」信用できる人だ。
それに弱みを握られた以上、これで向こうとしても強くは出られないはずだ。
交渉材料もできたし、これで少しはやりやすくなるかな。

「どっちみちなのはたちは協力するだろうし、それは私もやぶさかじゃないわ。
 ただし条件がある。私から提供するのは戦力と知識だけ、技術は勝手に盗みなさい。
 アーチャーが何をやったのかは教えてあげるけど、私の術を含めてどうやっているかは教えない。
 次に、魔術関連のことは公表しないこと。魔術は秘匿するのが原則だから、それに従って貰うわ。もちろんこれには私のことも含まれる。
 もし公表するなら、誘導して利用しようとしたことをユーノあたりでも使って、次元世界のマスコミとかにばら撒くから。そうなったら困るでしょ?」
戦っていれば何をしているかはわかってしまうが、こっちから教える気はないのでこれは当然。
まあ、方向性が真逆なのだから、たとえ教えてもそれができるとは思えない。むしろ、理解することさえ出来ない可能性の方が高いくらいだ。
秘匿にしてもどこまで守られるかはあやしいが、一応脅迫もしているし少しはマシかな。
公的機関である以上、スキャンダルは困るはず。

「お互いの立場だけど、そっちの方が専門家だし、一応従ってあげるわ。でも、ある程度はこっちの判断で行動する権利は貰うわよ。言いなりってのは性に合わないし、こっちにも都合があるからね。
それと、この件が終わったら一切干渉しないこと。私は今の生活が気にいってるの。そっちと関わる気はないわ」
矢継ぎ早にこちらの条件を話す。
所詮、私たちは魔法に関しては素人に過ぎない。また、唯一まともに知識のあるユーノでさえ、ロストロギア関連の事件になど関わったことなどあるはずがない。

技術・能力共にあると自負はしているが、絶対的に対魔法関連への知識や経験がない。突発的な事態が起これば、私たちでは判断ができない場合もある。
他人の下につくのは癪ではあるが、下手なことをして事態を悪化させる方が危険だ。ここは管理局のもつノウハウに期待して、原則向こうに従った方が利口だ。

「できれば技術提供もしてほしいんだけど、ダメかしら?」
リンディさんが未練がましく聞いてくる。
知識や技術というものはあって困るということはまずないので、それが欲しいのはわかる。
だが、そんなことは私の知ったことじゃない。
魔術協会みたいなえげつないことはさすがにないだろうが、それでも大義名分の元、何をされるかわからない。
絶対にこれ以上近寄るわけにはいかない。

そもそもこの連中に、魔術なんて必要ないのだ。
魔術だからこそできることというのもあるが、魔術はどうしようもなく採算性というものが欠如している。
せっかく効率的な術式を持っているのだから、こんなものに手を出す必要も意味もない。
魔法でたやすくできることでも、魔術で同じことをしようとすれば、無駄にコストがかかる。
研究派も当然いるだろうが、基本的には実用重視である以上、魔術を手に入れてもあっと言う間に廃れるはずだ。
だったら、初めから知らないのと同じだ。

それに、こっちが何百年とかけて積み上げてきた物を、簡単に廃れられてはさすがに不愉快だ。
そうとわかっているからこそ、教える気など毛頭ない。たとえ破格の好条件が提案され、力の弱体化を無視したとしても、それは変わらない。

「言ったでしょ、勝手に盗めって。
そもそもこっちとではできることだって違うんだから、自分たちなりにアレンジしてみることね。
あんまりしつこいと嫌われるわよ。ばらされてもいいんなら、別にかまわないけど」
本当は強制(ギアス)の魔術の一つでも掛けてやりたいが、この艦の乗組員全員にかけるのは不可能だ。
おそらくは人数をごまかすだろうから、やる意味もない。

それなら、弱みをちらつかせて、あまり踏み込めないようにした方が、幾分効果的だ。
さすがにこれは困るらしく、これ以上の要請はされなかった。
うん、状況はよくないが、とりあえずカードが増えたのは良かったかな。この先も大事に使っていこう。

それに詳しいことを隠しておくのには、別の理由もある。
これはなのはたちにも教えていないが、魔術はいつだって命がけだ。一瞬の油断が、死に繋がる可能性を孕む。
魔術回路は使うだけで苦痛を伴うし、制御を誤って魔力を暴走させれば最悪死ぬことだってある。
一応魔導師たちにとっても魔力の暴走は危険らしいが、こちらよりも危険ということはないはずだ。もし危険なら、ちゃんとした知識のない素人に使わせるのは危険過ぎる。なのはが魔法を使うのにだれも文句を言わないことからして、暴走する危険は相当に低いか、してもそれほど深刻な事態になり難いのだろう。
魔導師はどうか知らないが、魔術師が魔力を暴走させて生き残る可能性は非常に低い。暴走した魔力は神経や筋肉だけでなく内臓さえも破壊し、生命の維持さえ困難になる。幸運にもそれを避けたとしても、何かしらの障害を残すだろう。

また、限界だって簡単に越えられる。車のエンジンと同じで、アクセルを踏み続ければ限界以上の速度だって出せる。そのかわりエンジンは焼きつき、二度と使いものにならなくなる。これが人間ならば、神経が焼き切れ、悪くすれば暴走と同じ結果になる。

まぁこれに関しては、超えた限界の程度による。
上手く制御して超え過ぎないところで抑えれば、限界以上の力を出しつつ、致命的な状態はおろか深刻な影響がないこともある。さすがにそれをした直後は別だが、少し時間をかけるか、ちゃんとした治療をすれば影響を消すことも可能だ。
士郎は、この辺りを見極めることに異常なまでに優れている。死と隣り合わせの苦痛の中、ギリギリのラインを見極めて魔術回路を運用できる。これは、アイツの破綻した人間性だからこそできる芸当だ。
他の誰か、例えば私がやっても十回やって十回とも失敗するだろう。
限界を超えるということは、それだけのリスクを伴うのだ。

魔術の持つこれらの性質を知れば、きっとこの人たちは「そんな危ないものを使うな」と言うはずだ。
だが、はいそうですか、と言って従うなんてあり得ない。私にしても士郎にしても、この道を歩むと決めた時点でそれらのことに対する覚悟は決めている。ならば、他人に口出しされる筋合いはない。
そうなったら、どれだけ話し合っても平行線になるのは目に見えている。
それでは不毛なので、こうして情報を選別し必要なことだけ話しているわけだ。

それはそれとして、仮にも協力してやるわけだから、それ相応の見返りはあってしかるべきだろう。
「あと、こんな危険な事件に協力してあげるんだから、もちろん謝礼はあるんでしょ?
 まさか、天下の時空管理局が人の善意に付け込んで、無償奉仕させようなんてせこいことは考えてないでしょうね」
魔術の基本は等価交換だが、これはそれ以前の問題だ。労働には、しかるべき対価があって当然。
これだけ危ない橋を渡るのに、働きに見合った報酬がないのでは、あまりに不誠実というものだ。
まさか、感謝状なんてありがたみの欠片もないもので済まそうなどとは考えていないだろうが、念のため釘を刺しておく。

「ちょっと、凛。それは…いくらなんでも……」
「…凛ちゃん。さすがにそれは、不謹慎なんじゃないかな」
なのはとユーノが何か言っているが、そんなことは知ったことじゃない。
いくら後ろ盾と収入源が確保できたからといって、片手うちわでやっていけるほど豊かなわけではない。
ただでさえ私の魔術はお金がかかるのに、この先今までためてきたまだ僅かな貯蓄を切り崩す可能性を考慮すると、貰えるものはしっかりと貰っておかなければならない。
なのはたちと違って齧ることのできる脛だってないのだから、これぐらいは当然の権利だ。

「アンタ達がいらないんならそれでいいけど、私の魔術にお金がかかるのは教えたでしょ。
 こっちはただでさえ生活が楽じゃないんだから。出費の分くらいは何とかしてもらわないと、割に合わないの!
 せめて必要経費として使った分くらいは出してもらわないと、懐が厳しいのよ……」
これからのことを考えると、加速度的に鬱になる。
拳を握りしめてうなだれる私に向けられるのは、憐れみとも同情ともつかない生温かい視線。
そんな目で見られても一銭にもならない。ここは景気よく「出す!」と言って懐の広さを見せてほしい。

「ああ、その、何だ……。どうしましょうか、艦長」
クロノが困ったようにリンディさんに聞いている。
執務官といっても、経費に関する発言権があるわけでもないようで、この艦における最高責任者にお伺いを立てている。十歳に満たない少女が、金銭のことで頭を抱えていることに、少なからず心動かされるものがあるようで、できれば出してやってほしいというニュアンスが含まれる。

この姿になって、一番のメリットはこれかもしれないな。
今までは交通機関の料金や、施設への入館料が安くなるのが一番得することだと思っていた。しかし、子どもの姿というのは、他人の心に訴えかけるのには非常に効果的だ。これなら、他にもいろいろと得することがありそうだ。その考えに、少しだけ沈んでいた気持ちに活力が戻る。

リンディさんはしばし目を閉じて熟考していたが、目を開くと懐の広さを見せてくれた。
「わかりました。今回の件で出た経費と報酬に関しては、可能な限りアースラの予算から出しましょう。
 幸いうちの経理は優秀だから、それなりに余裕はあります。ただ、あまり出費が多くてはこちらも困りますので、お手柔らかにお願いね。
 もし上の方で却下されるような、私のポケットマネーから出すことにします。これなら、経費が落ちなくてもある程度何とかなるわけだし、信用してもらえるといいんだけど。
それと一応希望を聞くけど、どれぐらいがいいのかしら?」
正直、これには驚いた。
お役所仕事は、往々にして動きが遅いものだ。それにそれなりの地位にいる人は、明言を避ける傾向にある。
それを経費だけでなく報酬までこの場で確約し、もし経費が下りなかった時には自分の懐から出すとも言ってくれる。
提督だの艦長だのともなればそれなりに給料もいいだろうが、それでもここまで気持ちよく出してくれるのは予想外だった。この言葉には、心からの誠意を感じる。いま私の中で、リンディさんへの評価がものすごい勢いで上がっている。断じてお金に釣られているわけではないのであしからず。
心なしか表情が暗いのは、予想外の出費が出ることに対してだろう。この先どれくらいの出費があり、どれほどの報酬を要求されるかわからないのだから仕方がない。

報酬の方は現金でもよかったのだが、異世界人のこの人たちに地球の通貨が調達できるのか怪しいので、避けることにする。実を言うと欲しいというか、興味のあるモノがあるのでそれを報酬にする。どれぐらいのお金がかかるのか知らないが、そう安くはないだろう。
だが、個人の懐から出せないものということもないはずだ。それだと、ユーノがそれを持っていたのは普通ならばあり得ない、ということになる。せっかく管理局から報酬を貰えるのだから、これはちょうどいい機会だ。

「報酬の方は、無理難題というわけでもないはずよ。用意するまでに少し時間もかかるだろうから、この件が終わった後にしばらく時間があいてもいいわ。私の要求は、デバイスを一基プレゼントしてくれるってことでお願いね。
 これだけだとちょっと弱いけど、こっちのことを秘密にするって条件も呑んでもらうわけだし、それも含めてなら妥当だと思うけど、どう?」
てっきり、高額の報酬でも請求されると考えていたようで、みんな少し驚いた様子でこちらを見ている。
私はそんなに「がめつい」と思われているのだろうか、もしそうだとしたら非常に心外だ。私は単に常識でモノを言っているだけなのだから、別にお金に汚いわけじゃないわ。

もとからこちらの魔法には興味があったし、魔術との併用ができるかは試してみたいことだった。
だが私としては、せっかく基盤を独占できているのに他人に魔術を漏らすなんてもったいないまねをする気はない。
となると、なのはに魔術を教えて試すというわけにもいかない以上、それは自分か士郎で試すしかない。
士郎は、初歩の初歩である念話にさえ四苦八苦していた。これではあまり期待できないので、必然自分で試すしかない。
そのためにも、魔法使用の補助などもしてくれるデバイスがあった方が都合はいい。デバイスなしでも使用は可能なようだが、やはり一通り道具があった方がいいだろう。

魔術回路からの魔力でこちらの魔法を使用できるのかは不明だが、もしできなくてもリンカーコアさえあればそこからの魔力で使用はできる。少なくとも、念話というこちらの魔法が使える以上、どちらかの条件は満たしているはずだ。
ならば、手に入れておいて損ということはない。手に入れる機会があるのだから、せっかくなので利用させてもらうことにした。

「まぁ、それぐらいならかまわないわ。結構値は張るけど、報酬に関してはすべて私の懐から出してもいいぐらいね。
 さすがに完成品はすぐに用意できるものでもないし、あなたの言ったとおり、事件が終わってから少し間を開けることになるけど、必ず渡すことを約束するわ。せっかくだし、インテリジェントデバイスにしましょうか。もし相性が良くなくても、その時はその機能を外せばいいだけですものね」
それなりに高価なものではあるようだが、やはり個人で工面できないほどのものではないようで、この提案は心よく引き受けてもらえた。

何でも、なのはの使うインテリジェントデバイスという、自立行動し思考能力を持つモノの他に、そういった機能を持たないストレージデバイスとやらもあるらしい。
私はリンディさんの提案する、インテリジェントデバイスを贈ってもらうことにした。デバイスはあまりに機械的すぎて、一から十まで自分で何とかするのは私では無理だろう。そこも含めて補助してくれるインテリジェントデバイスの方が、私としては大助かりだ。
後ほど魔術回路での使用が可能かのテストや、なのはを含めてのリンカーコアの検査をすることで合意する。

大体の取り決めが終わったところで、最後に言っておかなければならないことがある。
「じゃあ、これでお互い特に問題はなさそうね。さっきの要求と報酬のことさえしっかりしてくれるなら、私の方からはこれで最後よ」
そういう私の周りに、今日数度目になる周囲からの注目が集まる。
この短時間の間に、私が発言するたびに大なり小なり場に影響を与えた。だが、今回の発言が今日の中でも、一番の衝撃をもたらすことになるのは、容易に想像できる。

「…もし、私の家族に手を出したその時は――――――殺すわよ」
ありったけの殺意と殺気を込めて言葉を紡ぎ、睨み据える。
これは、こちらが本気であることを示すものだ。
加減抜きの私の殺気を受けて、さすがのリンディさんも少し息を呑んでいる。
この様子だとちゃんと効果があったようだし、こちらの本気も伝わっただろう。

さっきまであった柔らかい空気は消し飛び、今までにない凍りついた空気が場を支配する。
言いたいことはこれで終わり。いざとなったら行方をくらませばいい。

逃げきるのは難しいだろうが、聞く限り向こうは万年人手不足らしいので、いちいちこんな些事に力を入れるほど暇ではないはずだ。
向こうの法に引っかからない限りは、不干渉になる可能性が高い。
だが士郎に手を出して、私を脅迫しようと考える可能性はある。
その場合には後先のことなど知ったことではない、問答無用で殺す。
本気の殺意を向けてやったので、さすがに冗談ではないとわかったのか神妙にうなずく。

一瞬の静寂の後に私は立ち上がり、クロノやなのは、ユーノを促し検査とやらに行く。
凍りついた空気を残したまま、私たちはこの部屋を後にした。



Interlude

SIDE-リンディ

こちらの意図は完全に読まれていた。

個人としては、このようなやり方もあの子たちを危険な目に合わせるのも反対だ。
しかし、事に次元震が関わり、未知の技術を持つ人間を相手にするとなっては万全を期したかった。
私は管理局の提督として、それを選択するしかなかった。

「結局は、言い訳でしかないんだけどね」
そんな自分の思考に自嘲する。
何を言ったところで、あの子たちの善意を利用しようとしたことには変わらない。
凛さんは初めからこちらの意図を読んだ上で、私が誘導しようとしたことを認めるように仕向けていた。
おかげでこちらとしては、彼女に強く出ることはできなくなった。
管理局としても、そんなスキャンダルが公表されてはたまらないのだから、彼女の要求をのむしかない。

しかし、先ほど彼女が最後に言った「家族に手を出せば殺す」というのには戦慄した。
私も、それなりに修羅場をくぐった経験はある。
その経験が告げた。彼女は本気であり、実際にそうなったらどんな手を使おうと、どれだけ時間がかかろうと私やクロノを殺すだろう。
すでに天涯孤独で家族はその少年だけらしいが、その子を守るためなら躊躇なく彼女は人を殺せる。
あの言葉と共に発せられた殺気は、それを容易に実感させた。

「まだ、親に甘えていたい年頃なはずなのに。いくらその相手がいなくて、絶対に失いたくない人のこととはいえ、あの年であれほどの殺意が出せるものなのかしら」
魔術師の詳しい在り方は知らないが、他の魔術師も彼女のような存在なのだろうか。
一瞬だが、彼女が全身を血で染めている姿さえ幻視したほどの殺気だった。

一つわかったことがある。
あの子は、すでに殺す覚悟と殺される覚悟を持っている。
それも形だけの薄っぺらなものではなく、内実を伴う覚悟だ。
実力はわからないが、こと精神面や頭脳においてはクロノ以上に完成されている。
一体、どんな修練を積んできたのだろう。
それを思うと、先ほどとは違った恐怖がよぎる。


それにこの艦では私しか知らない事だが、あの預言も気になる。
彼女には、あの預言と合致する部分がいくつかある。
彼女が使っているものは、魔力を封入した「宝石」、その力は「神秘」という方向性を持つ。そして、預言にある「古に置き去りにされた」とは、すなわち「過去」のものということ。同時に、私たちが知るどの技術とも共通点が見いだせないことから、それは紛れもなく未知の技術だ。

あの預言が事実なら、彼女にはその可能性がある。
そうすると彼女は「原初の探究者」ということだろうか。少なくとも「騎士」という印象ではない。
いや、結論を急ぐべきではない。これはまだ可能性の域をでない。
「原初」という点をはじめ、まだ不確定で意味のわからない事柄も多い。そうである以上、焦れば間違った解に行きつくかもしれない。

それに預言の対象は、「遥か遠き地より『訪れる』」らしい。「遥か遠き地」というのは、ここが管理外世界であることから、十分要件を満たしているだろう。だが、今回彼女との接触はこちらからしたもので、預言のそれとは食い違う。
遭遇することになるとすれば、形はどうあれ向こう側から接触してくるだろうと予想していた。これは上層部も同じだろう。だからこそ、次元世界を広範囲に移動する前線提督の一部にあの預言を公開し、極秘の指令まで出したのだ。少なくとも、こちらから見つけられるとは考えていなかったはずだ。
まぁ、この程度なら解釈ミスとも考えられるし、それほど気にすることではないのかもしれない。

また、「異端の騎士」のこともわからない。あの外套の子がそうかもしれないが、やはり予言と違っている。「騎士」は「探究者」に従う者らしいが、現在その候補たる二人は敵対関係にある。
もしかしたら、他の魔術師のことを指しているのかもしれない。
幼くして師でもある父を失い、彼女は外部への情報網を持たない。そのため、他に魔術師がいるかは知らないらしいから私たちで調べるしかない。だが、かつての調査でも発見できなかった存在を見つけるのは、相当に困難だろう。
やはり彼女を管理局に引き入れるか、協力してもらえるのがいいが、これも簡単にはいきそうにない。
彼女はあまり管理局に関わりたくないようだ。迂闊に強引な手に出ては、逆効果になる可能性が高い。
今は焦らず、じっくり信頼関係を築いてそれから交渉するのがいいか。


それにあの子は頭もいいし、駆け引きも心得ているので、そういったことを抜きにしても欲しい人材ではある。
「欲張っても仕方がないけど、何とかならないものかしら」
広大な次元世界を管理するには、どうしても人材が足らない。
おかげで、あまり優先度の高くない案件は後回しにされがちだ。
それでいいとは思っていないが、どうしようもない現実なのも事実だ。それを改善するには、より優秀な人材を多く発掘していくしかない。

「なのはさんも優秀な魔導師になれるけど、やっぱりただの兵士よりも、有能な指揮官の方が貴重ですものね」
前線をかける兵士も必要だが、そうなる前に事態を解決できる人間の方が望ましい。
凛さんにはその適性があると思うし、今のうちに少しでも管理局にいい印象を持ってもらい、こちらに来る選択肢を持ってもらいたい。

下手に出ればいいものではないが、彼女たちに悪い印象を与えるようなことは避けないといけない。
目の前の事態だけでなく、その後のことも考えないといけないのは頭の痛い限りだ。

Interlude out



なのはと一緒に一通りの検査を終え、これから私たちはアースラに身を寄せることになる。だが、家族に無断というわけにもいかないので、一度戻って互いに家の人間に話を通すことになった。

少し時間をおいたことと、場所を変えたことでリンディさんの部屋から引きずられていた凍りついた空気は、一応解消されたようだ。今はさっきの様子がウソのように、和気藹々とした空気に戻っている。

検査の結果は思いのほか早く出た。なのはの魔力は、管理局全体でも5%ほどしかいないというほどのもので、管理局の定めるランクとやらではAAA相当とのこと。
映像から見るにフェイトもほぼ同等か、それ以上らしい

それに対する私の感想はというと……
「そんなランクなんて言われてもよくわからないわ。
 ところで、クロノはどのくらいなの?」
馴染みのない評価の付け方なので、いまいちよくわからない。なんとなく、相当凄いのだろう、と思う程度だ。
なのはくらいが標準だったら殺意が沸いたかもしれないが、やはりなのはは稀有な才能の持ち主らしいので少し安堵した。
こんなのがゴロゴロしてたらたまらない。
それでも管理局の規模を考えれば、それなりの人数がなのは以上のレベルにいるのだろうが、これは気にしても仕方がないか。どれほど割合が低くても、大勢いればそれなりの数になる。それだけのことだ。

「クロノ君のランクはAAA+だよ。ただ魔力量はなのはちゃんたちには及ばないけどねぇ」
そんなことを言っているのは、いつの間にか私たちの横を歩いている、いたずらっぽい顔をした茶髪の少女だ。

「えっと……あなたは?」
とりあえず誰なのか聞かないことには始まらない。
ユーノが代表して質問する。

「ああ、彼女はオペレーター兼僕の補佐の…」
「エイミィ・リミエッタよ。気軽にエイミィでいいから」
クロノの紹介を引き継いで名乗ってくる。
何かしら、この子とはアリサとかとは違った意味で、私と似た匂いがする。
きっと私と同じように真面目な奴、特に気に入った奴を弄るのが好きに違いない。
目が合った瞬間に、今までに感じたことのないシンパシーが走ったのだ。理由などこれで十分だろう。
私の直感は、今まで外れたことがないのだから。

「ええ、よろしくエイミィ。私と趣味が合いそうだし、なんだかあなたとはとても仲良くできそうね」
彼女は今までにいた強敵たちとは違う、いうなれば朋友のようなものになれそうな予感がある。
魔術師としてはどうかと思うが、やはり同好の士というのがいると、同じことをするにしてもより楽しめそうだ。

「本当ね。私もそう思うわ。もしよかったら、今度(クロノ君で)一緒に遊ばない?」
言葉には出していないが、その裏にある思いはなぜか手に取るようにわかる。

「いいですね、ぜひお願いします。その時は一緒に(士郎も使って)遊びましょう」
向こうも私の言葉の裏にある意味に気づいたようで、実に楽しそうに笑っている。
固い握手を交わし、予感は確信に変わる。ああ、やはりこの人は遠坂凛のお仲間だ。

その時、クロノがやけに不安そうな顔をしていたのは、何か私たちのやり取りの中で気づくことがあったのだろう。
言ってしまえば、獲物の直感といったところかもしれない。

絶対に逃がす気はないけどね。



Interlude

SIDE-士郎

ぞわっ!!?

「な、何だ、今の!!!?」
たったいま、かつてないほどの悪寒を感じた。
それこそ、ゲイ・ボルクや乖離剣を前にした時以上の悪寒だった。
凛のことが心配で、意味もなく仮宿の中をうろうろしていたら、突然とてつもなく嫌な予感がしたのだ。

こんな時の予感は、まず外れたことがない。そう、どうやっても外れないのだ。
「結局は、天災のようなものということか。
 ああ、人間ごときにそれを止める力なんてないもんな。
 なら諦めて、その時が来るのを待つか…」
俺にできることなんてないんだから、ただ大人しく被害が最小になることを祈るしかない。
きっとこの願いがかなうことはないんだろうけど。

今は歪んでても危険でもいいから、聖杯やジュエルシードが欲しくなってきた。
「はぁ、こんな事ならフェイトに渡さなきゃよかったな……」
せめて愚痴でも言って、仮初でもいいから心の平穏を保つとしよう。

Interlude out



わずかな間気圧されていクロノが、気を取り直して様に口を開く。まだ若干動揺しているようだけどね。
「ふ、ふん。魔法、特に戦闘ともなれば魔力自慢だけじゃ勝てはしないぞ。
 大切なのは制御と応用力、それに判断力だ。どんなに威力があっても、当たらなければ意味はない」
言っていることはまったくもって正論だ。
ただ撃ちまくるだけじゃ無駄が多いし、状況を見極める判断力や臨機応変な応用力がなければ、ただの力任せになる。
戦闘に無駄なことをしている余裕などない。効率的に、より効果的な戦いをした方が勝つものだ。

これを突き詰めたのが、アーチャーや士郎の戦い方になる。いや、ある意味その究極は衛宮切嗣か。
士郎が土蔵で発見した封印の施された小箱には、彼の遺言や礼装である起源弾、そして手記があった。そこには衛宮切嗣の、魔術師殺しとしての半生が書かれており、そのえげつなさには息をのんだ。
効率という観点で見れば、あれ以上のものはないだろう。その意味では、守護者となったアーチャーでさえも衛宮切嗣には及ばなかったと言えるかもしれない。

クロノは魔力量ではやや劣るらしいが、今の反論から効率的な魔力運用という点では、相当な自信があるのだろう。
本人は、培った経験とこれまでの修練こそが自分の武器と考えているようだ。魔術師から見れば、十分すぎるくらいに恵まれた魔力の持ち主だと思うのだが。比較対象がなのはクラスでは、誰だって見劣りしてしまう。
まぁ、本人がそう判断しているのだから、私がとやかく言うことではないか。実際にクロノは、その劣っている点を補って余りあるほどの努力と修練を積んできたのだろう。
だから、なのはがこいつに勝てるようになるのは当分先だ。それはフェイトにも当てはまると思う。

それと、クロノは士郎と気が合いそうだ。お互いにいろいろ苦労して強くなった分、共感し合えるかもしれない。
まあそれでも、士郎の才はクロノとは比べるまでもなく遥か下だ。
アイツは基本的にはそう強くないくせに、いざ戦えば最後には勝っているというとんでもないやつだ。

「凛ちゃんの魔力量だけど。魔術回路っていったっけ。それが起動してる時は、だいたいAAランクくらいかな。
宝石にためてるっていう魔力も合わせれば、相当な量になるね。
 それと瞬間放出量だと、なのはちゃんに引けを取らないみたい。
魔術回路ってのは、そっちに長けてるのかもね。まあ、質が違うみたいだから断定はできないけど……。
これなら十分即戦力だよ」
意外だったのは一度に放出できる魔力量で、私となのはにそう差はないとのこと。
厳密にいえば、今回の検査では多少手を抜いているので、私の方が勝るはずだ。
最大限での使用可能量では及ばないようなので、タメをすれば話は変わってくるだろう。だが、ノータイムで撃ち合う分には、短時間に限定すれば優位に立つこともできるだろう。

この場合の問題はスタミナだ。
蛇口から出せる量が同じかそれ以上なら充分に拮抗できるので、あとは貯蔵の問題になる。
こちらは瞬間放出量が大きい分、底をつくのも早い。はじめのうちは優位に進められても、底をつくまで持ちこたえられれば負けは確実。大威力攻撃のチャージタイムを取られると、余程魔力を貯めた宝石でもない限りその威力に対抗するのはまず無理だ。総合的には不利になるだろう。

しかし、宝石剣を使えばまず負けはない。何せこっちは無制限だ。私の圧倒的有利は揺るがない。
逆を言えば、宝石剣なしだと今はともかくそのうち勝つのは難しくなるということだ。
ただでさえ私は戦闘向きではないので、戦闘方面ではすぐに追い越されそうかな。

「それとリンカーコアの方だけど、一応凛ちゃんの体内に確認されたよ。少しだけど活性化しているみたいだね。たぶん、念話みたいなこっちの魔法を覚えて使ったせいじゃないかな。
 ただ、こっちの方はなのはちゃんほど強力じゃないみたいで、ランクにしてBくらいかな」
いくつかの検査をしてわかったことだが、魔術回路とリンカーコア、それぞれで生成される魔力はその質が微妙に異なり、互換することができないらしい。つまりは、魔術回路で出来るのは魔術だけ、リンカーコアで出来ることは魔法だけになる。

イメージ的には水と油だろうか?
両方とも液体なので同じ基準で量を測ることができるが、その性質は全く別だ。水は燃えないし、油では火を消すことはできない。また両方を混ぜることもできないので、結構的を射ていると思う。
リンカーコアの魔力は次元世界の魔導師の魔法に、魔力回路の魔力は私たち魔術師の魔術に、と云った具合に二つはそれぞれの“出鱈目な出来事”を起こすために最適化された全く別のエネルギー源ということだろう。
あるいは、その逆かもしれない。
それぞれの魔力がそういう方向性を持っていて、その方向に向けて魔法と魔術は発展した可能性がある。

まあ、今はこんな考察をしても意味がない。
この組み合わせを変えることは現状できそうにないので、ロクに魔法を習得していない私は、リンカーコアからもたらされる魔力は基本的に使用不可。それだけわかっていれば十分だろう。
詳しいことは、この件が終わってから考えればいい。
少しもったいない気もするが、できないことを考えても仕方がないので、これは後の課題ということにする。

この件に関しては一応の決着がついたので、話を変えることにする。
「まぁ、当分は魔法に手を出す気はないから、それはあんまり関係ないわね。
さしあたって、ジュエルシードの回収や戦闘の方が重要ね。私はなのはみたいに飛べないから、この先やるとしたらサポートが中心になるわ。
 それと、ジュエルシードの中には海に落ちたのもあるだろうから、その時は何もできないし。
 そこはユーノとクロノに任せるわ」
新たにクロノが戦力として加わったことで、私の役目は情報提供が主になる。

「だが、アーチャーが出てきたら手伝ってもらうぞ。
 何せわからないことが多い。少しでも多くの戦力で当たって対処するのがいい」
魔術に関しては私しか知らない以上、当然この先もアイツの相手は私になる。
最もわからないことが多く、かなり危険な武装を持っている士郎がアースラチーム目下最優先の標的になった。
これからは士郎もやり辛くなるだろう。艦を降りたら、そのことは士郎に伝えておかないといけない。
もし本当に捕まっては、今までの苦労が水の泡だ。それだけは何としても避けないと。


これからはアースラにいることが多くなるので、士郎との連絡は難しくなる。
今もパスを使って連絡しようとするが、つながらない。
さすがにこれだけ離れてしまっては、効果はないらしい。あるいは次元を隔ててしまっているせいか。
そもそも私たちの間で通したパスは、魔力をやり取りするものであって、念話もどきは副産物にすぎない。
魔導師の念話の技術を応用すれば何とかなるかもしれないが、時間も無いし今は無理そう。
今のうちに伝えることは伝えておかないと、連絡が取れなくなってしまう。

ジュエルシードを探して、艦を降りたときにしか連絡はできそうにないので、作業中の情報交換もありそうだ。
管理局が介入してきたから、ここからは一気に事態は進展するだろう。
早いとこあの山猫には目を覚ましてもらって、詳しい事情を聞きたいが、私は当分家に戻れないので士郎に世話を任せるしかない。
まだ私にはフェイト達の動向を知る手段があるので、一番状況を把握しやすいはずだ。
何としても、最後にはすべてを出し抜いて勝利を収めてやる。


だが、まだ私たちはフェイトのつながりがなくなっていたことを知らなかった。
おかげでアドバンテージを一つ失ってしまっていることを知るのは、少々後のこと。




あとがき

う~ん、今回は無難かな?
特に奇をてらったものはなかったと思います。

強いてあげるなら、凛の報酬請求ですかね。少なくともタダ働きをする柄じゃありませんし、しっかり貰えるものは貰うと思います。
ただ、デバイスとは別に金銭も要求させた方がよかった気もします。
凛にはせっかくなので魔法と魔術の組み合わせにチャレンジしてもらいたいと思い、デバイスを持たせることにしました。二つの長所を両立できたらすごいですね。

交渉はアニメの方でも、そう長々とやっていた様子ではありませんでしたし「詳しいところは改めて…」みたいな感じで一度降りたのだと思います。実際、なのはたちが降りた時はまだ夕方でしたしね。
まあ、交渉のあたりは感想を見て、手を加えるか考えます。

チヒロ様が感想の方で色々と案を出して下さりましたが、魔術回路のことや結界のことはもう出してしまったことですし、二度も書くのはどうかと思い省きました。


では、今回はこれで失礼します。



[4610] 第14話「紅き魔槍」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2009/02/21 22:51
SIDE-凛

いま私たちはアースラの会議室にて、主だったクルーに自己紹介をしているところだ。
ユーノはがちがちに緊張している。
管理局に関してちゃんとした知識がある分、どうしても固くなってしまうのだろう。
その点、なのはは結構余裕だ。生来の性格もあってか、物怖じすることもなくしっかりとあいさつする。

ところで、以前からユーノがなのはに気があるように思っていたが、これで確定のようだ。
あいさつの際になのはがクロノに笑いかけ、それにクロノが赤面するのをユーノが嫉妬にまみれた顔で見ていた。
フェレットと人間の恋は、さすがに実らないだろうと思っていたが、実はユーノは人間だったので問題はない。あとは当人たちの問題だ。
しかし九歳の少女に赤面する十四歳の少年というのは、ちょっと危険な気がする。
五歳差というのはそう大したものではないが、差よりも年齢が問題だ。
クロノは結構、気が多い性質かもしれない。
さすがにロリコンということはないだろうが、このネタでしばらくはエイミィと一緒にいじれそうなので、いい暇つぶしになりそうだ。

「そして彼女が、この世界で独自に発達した技術である「魔術」の継承者の」
「魔術師の遠坂凛です。短い間でしょうが、よろしくお願いします」
非の打ちどころのない所作で挨拶をする。
こちらを見るクルーの面々に、好印象を与えたようで満足する。
猫を被るわけではないが、こんな得体のしれない技術を使う人間を、そう簡単に信用できるものではない。
あまり疑われているのも居心地がよくないので、好印象を与えた方が信用されやすい。

「ジュエルシードの回収は、主にこの三人にしてもらいます。
 みんなも、よくサポートしてあげるように」
その言葉のとおり、当面は相変わらず私たちが回収を担当する。
クロノとはまだ付き合いが短いので、うまく連携が取れるかはあやしいためだ。
無理に合わせるよりも、クロノは有事の際の戦力として温存することになった。

こうして新体制の下、私たちはそれぞれの思惑を持って行動することになる。



第14話「紅き魔槍」



ジュエルシードの位置特定はアースラ、その後の行動は私たちというのが基本になる。
学校の方には、なのはの事情に私も付き合うということで連絡している。
まあ、詳しい言い訳は士郎が何とかしてくれるろう。
急ぎのことだったので、うまい言い訳を用意する暇がなかったのだから、仕方がない。


現在私たちは、ジュエルシードの封印作業中。
と言っても、私は特に何もしていない。なのはたちの手に負えない事態になっても対処できるように、近くから様子を見ているだけだ。アースラにはなのはの訓練のためにも、私は手を出さず経験を積ませる方がいいだろうと言ってある。

まあ、さぼっているようなものなのだが、実際にはその裏で士郎とパスを使っての交信をしている。
『一応こっちは順調にいってるけど、そっちはどんな感じ?
 やっぱり慎重になり過ぎて、はかどりそうもない?』
横眼でなのはとユーノが、協力してジュエルシードで幻想種みたいな姿になった相手の動きを封じようとしているのを見る。
一度動きを封じ、その上からユーノがより強力なバインドで拘束する手筈だ。最後になのはが、その状態の相手にでかいのを撃ちこみ封印する。
今のところうまくいっているので、このまま二人に任せても大丈夫だろう。

そんなことを考えながら現在のお互いの状況を話し合っているが、ここでとんでもないことを知らされる。
『それが、フェイト達と連絡がつかない。
 拠点にも行ってみたけどいないし、預かってた鍵で入ってみたら、手紙があっただけだった。
 それも、内容的には協力関係を破棄するっていうものだった』
どうやら状況は悪い方へ移行しているらしい。
管理局は出てくるし、フェイト達は見失ってしまうし、最近いいことがない。

それと、その手紙というのは……
「今まで、ありがとう。
 管理局も出てきてこの件はもうすぐ片付くから、シロウは安心して元の生活に戻って大丈夫。
 これ以上私たちに関わっていると、シロウまで管理局に追われちゃうから、それは困るでしょ。
 これからは私たちだけでやるよ。
 たくさん手伝ってくれて、たくさん心配してくれて、本当にありがとう。
これでもう会うことはないと思うから、さようなら」
このような内容だったらしい。

文面をそのまま信じるなら、士郎に気を使ったのだろう。
だが、果たしてどこまで本当なのかは、本人にしかわからない。
あるいは、管理局が出張ってきたことで士郎が口実に使った「効率」が失われ、もう協力関係を維持されることがないと考えたのかもしれない。
または管理局に鞍替えして、自分たちが売られる可能性に思い至ったのかもしれない。
どれにしても、推測の域をでないものだ。

『うわぁ……。それじゃ、あの子たちの動きはもちろん、プレシアの方のこともわからなくなったってこと?
 最悪。事態が一気に進展して終盤が見えてきたところなのに、ここで一番の情報源がなくなるなんて…』
思わずうめき声が漏れそうになるのを、何とか抑え外面を整える。
アースラの連中も現場のことは見ているので、あまり挙動不審でいると怪しまれる。

『ああ。俺もいろいろ探して回っているけど、手掛かりはまだない。
 たぶん、まだジュエルシード探しを続けているはずだから、そっちで遭遇することもあるかもしれない』
フェイト達の動向を把握できていたのは、大きなアドバンテージだったが、それが失われては私たちの優位性はないも同然だ。
最後にすべてを出し抜くためには、より多くの情報が必要なのに…。

『いいわ。どっちみちこっちでも探してはいるから、何かわかったら連絡する。
 ただ、私が艦を降りる回数もそう多くはないから、結構間が空くかもしれない。
 アンタの方でも引き続き探して頂戴』
こうなっては、私たちにできるのはフェイトを探すことだけだ。
こっちで見つける前に、士郎の方で見つけてもう一度繋がりを回復できるのがいいのだけど。

『了解だ。なんとか探してみる。
 それとあの山猫だけど、まだ起きる気配はない。フェイトとの繋がりもなくなっちまったから、今は家に戻ってる。あそこの方が魔力は充実してるから、回復も早いはずだ』
どうやら、これまでの休眠期間が長すぎて、なかなか意識を回復できる状態まで持ち直せないようだ。
この分だと、意識が戻るのはいつになることやら。

できれば、プレシアが動く前に起きて欲しい。
フェイトからの情報もない今となっては、あの子が頼みの綱なのだ。
結局士郎にも完全には把握できなかったので、せめて本拠地の案内ぐらいはしてもらいたい。

そんなやり取りをしているうちに、なのはの封印作業が終わったようだ。
以前よりも効率的にやっているので、だいぶ腕をあげてきたように思う。
今はアースラからのゲートが開くのを待っている。
この子たちはクルーの面々とも仲良くなってきていて、すっかりマスコット扱いになっている。
リンディさんとしては、このまま欲しい人材なんて思っているかもしれない。

まあ、管理局に関わる分には割とマシな方なので、所属するかはともかく、なのはがコネを持つのは悪くない。
私は御免ではあるけど。

『こっちは終わったから戻るわ。交信終了。また出てきたら連絡するから、そっちもがんばりなさい』
士郎の方から連絡しようにも、アースラにいるうちはラインを使っても連絡が取れないので、必然私が下りた時に連絡することになる。
そうして私たちはアースラに戻った。


  *  *  *  *  * 


いま私は、クロノやエイミィと共に管理局のデータベースから情報を検索している。

実際に検索しているのはエイミィだが、そこへ私とクロノがそれぞれの意見を交えている。
「フェイト・テスタロッサ。かつてのSランクオーバーの魔導師と、同じファミリーネームだ」
フェイトの名前から、管理局側もプレシアとの関連性には気づいてきている。
そこから得た情報だと、かつてのプレシアは大の付く魔導師で、きな臭いこととは無縁だった。
昔大きな事故を起こし、それからは中央を追放されたらしいが、そこで何かあったのかもしれない。

「仮にその大魔導師ってのと繋がりがあるとして、その目的は何だと思う?」
管理局のデータから、何かわからないかと思って聞いてみる。
プレシアがやろうとしていることはわかっているが、何故それをしようとするかがわからない。
ジュエルシードの性質を考えれば、たとえ成功したとしても後には何も残らない。
私たちで言うところの「魔法」か「根源」に至ろうとしている可能性もあるが、元がまともな魔導師であったので、それは低いと思う。そもそもあれらは魔術師ならではなので、そういった存在そのものを知らない可能性が高い。

自分が巻き込まれる危険を冒してまでそれを使う以上、明確な目的があるはずだ。
その目的によっては、出そろった時点で発動させる可能性もある。

「う~ん。よくわからないなぁ。中央を追放された後の詳しい資料を探すには、まだ時間がかかりそう」
「やはりフェイト自身を捕まえて、直接聞き出すのが一番なんだが、居所がわからなければそれもできない、か」
実際には、たとえ捕まえてもわからないのでプレシア本人から聞くか、詳しい資料を見つけてそこから推察するしかないのだが。
こちらの方も当分進展はなさそうなので、少し落胆する。


  *  *  *  *  *


私たちがアースラに常駐してジュエルシードを探し始めて十日かが経った。
これまでの成果は三つ。

今までのことを考えれば、比較にならないスピードアップになる。
さすがに、設備と人員が整っているだけあって効率がいい。
だが、そう喜んでばかりもいられない。ペースが上がればその分、最終局面も近づいてくる。
結局、まだフェイト達の行方はつかめていない。

あの手紙が本心なのか、そうでないのかは不明だが、とにかく士郎はフェイト達との繋がりが切れてしまっている。
今やプレシアの動向を知る術はない。できれば情報が出そろうまで、最終局面が来るのは遅らせたい。
ただでさえ分かっていないことが多いのに、情報源まで失っては手の打ちようがない。
フェイトの方でも変わらずジュエルシードを捜索しているようで、すでに二つが持って行かれた。
動いている以上は士郎が見つける可能性もあるので、今はそれを待つしかない。

私にはプレシアの居場所はわかるので、いざとなればアースラを使って向こうに突入することはできる。
だが、そもそもどのタイミングで使うかわからないと、いつ乗り込んでいいかさえ分からない。
今すぐ突入して捕まえるというのも手だが、万が一逃げられると厄介だ。そうなったら、こちらが居所の分からない状態でジュエルシードの回収をするか、最悪の場合はそのまま無理にでも使うかもしれない。
できれば、不安要素をすべて潰した上での突入が望ましい。

士郎がフェイトから聞き出したジュエルシードの必要数には、残るすべてを集めたとしても足りない。
制御する方法はあるらしいが、もし必要数に届かない場合でも無理矢理行使することもありうる。
予期しないタイミングで使われれば、出遅れてすべてが終わってしまうかもしれない。

動機が分かれば、慎重に使うのか、それとも必要ならば無理にでも使うのかがわかる。あるいはいつ使用するかわかる情報源が必要だ。なのに、今はその両方がない。
先行き不安な状況に焦りが出てきたところで、事態は急展開を見せる。


現在私たちは、食堂でクッキーをつまみながら待機している。

ジュエルシードが発見されれば動くことになるが、それ以外では基本的に艦内の自由行動が許されている。
ただし、いつ出動要請があってもいいような状態でいることは必須だが。
ここのところ空振りが続いていて、思いのほか時間がかかりそうらしい。
私としては好都合だ。このまま情報が出そろうまで、しばらく停滞してくれる方がいい。

話題となっているのは、互いの身の上話。
なのはもユーノもなかなかに、寂しい幼少時代を過ごしていたようだ。

なのはが幼いころに父親である士郎さんが仕事で大怪我をし、当時は家族全員がそれぞれに忙しかったせいで、一人で留守番をすることが多かったという。桃子さんと恭也さんは始めたばかりで、まだ今ほど繁盛していなかった翠屋の切り盛りで忙しく、美由紀さんは士郎さんのお見舞いに行って、みんなよく家を空けていたそうだ。
この子が人に迷惑をかけるのを、人一倍避けようとするのはそのせいか。周囲の人たちが大変な時に、当時のこの子にできたのは迷惑をかけず、手を焼かせないことだけだ。それがいまでも影響しているのだろう。
このくらいの年なら、もっとわがままに生きていてもよさそうなのに、なのはは自分を抑える傾向が強い。周りに心配させないように、「良い子」であることを自分に課している。
まだ子どもだというのに、面倒な生き方をしているものだ。

それに、その時のことを話すなのはの表情は、いまも当時の寂しさを引き摺っているのがうかがえる。
僅かな間だが、表情が曇っていた。すぐに笑顔になり、いまはもう平気と言うが、さてどこまで本当なのやら。あるいは、本人さえも気付いていないかもしれないな。

以前から感じていたが、どうもなのはは家族の中で浮いている。
剣で繋がっている父と兄や姉。結婚してかなり経つのに、新婚気分丸出しの両親。兄と姉は剣以外にも頻繁に店を手伝うことで、母とのつながりも深い。だが、まだ子どものなのははほとんど店も手伝えないし、剣の道に生きているわけでもない。強いてあげるなら桃子さんとの繋がりが最も強いが、それでも他の家族のそれに比べると、どうしても弱い印象がある。
家族同士の繋がりが強いせいで、その中に入っていきにくいのかもしれない。幼少時代のさびしい経験や、今も家族の輪の中に上手く入っていけないことが、他者との繋がりを強く求めさせるのだろう。そのことが、今のなのはの在り方に影響を与えているようだ。
繋がりを失わないために、迷惑をかけず、他人に頼ってもらえる自分を作り上げている。戦い方を教えてくれと言ったのも、身を守るためというよりも足手まといになり、この一件から身をひかせられることを恐れたからかもしれない。この子の向う見ずなところは、もしかするとこれが原因なのかも。

士郎ほど根が深いわけでもないし、深刻な欠陥を抱えているわけでもないが、やはりこのままというのは良くないか。
私が何とかするという手もあるが、それもさすがにお節介が過ぎる気もする。
これはなのはの心のかなり深いところに関わることなので、安易に手を出すべきではない。
やるなら一生面倒見るくらいの覚悟がいる。
知らないのならともかく、それが必要とわかっている身で覚悟もなしに手を出すのは、かなり無責任だ。
中途半端が一番してはならないことなのだから。

それになのはに必要なのは、私のようなタイプよりも、くじけそうになった時にそっと支えてくれるような相手の方がよさそうに思う。言うなれば、縁の下の力持ちタイプだろう。うん、私には一番向かないな。
ただでさえ士郎のことで手一杯なのに、これ以上背負い込むのは苦しい。適任者が出てくるまでの間、無茶し過ぎないように見張っておくぐらいが、ちょうどいいかな。
それに適任そうなのに心当たりもあるので、私の出る幕もないかもしれない。

対して、ユーノには物心ついたときから両親がおらず、遺跡探索を生業とする一族全員を家族として過ごしてきたという。
だが、そのことはあまり気にしていないようだ。両親こそいなかったが、周りには支え、守ってくれる大勢の家族がいたのがよかったのだろう。
なのはのように引き摺っているような印象はないし、今までの様子からも、特に危うさのようなものは感じられない。責任感が強いことや、一人で物事を何とかしようとする傾向は、幼いころから遺跡発掘の現場などで働いてきたために養われたものだろう。
よく言えば自立心が強く、悪く言えば背伸びをし過ぎているといった程度だ。

ユーノは性格だけでなく、能力的にもサポートに向いているので、なのはとは相性がいいだろう。ユーノ自身もなのはに好意を抱いているようだし、なのはもどの程度かはわからないが好意的だ。互いに信頼関係も出来上がっているし、恋心云々がなくても、いいパートナーになれるだろう。
それならば、私がでしゃばる必要もなさそうだし、なのはのことはユーノに任せておくのが一番かな。何かあった時は、ユーノを手伝ってやればいい。

そんな考察をしていると、私にも話が振られる。
「ねぇ、凛ちゃんってお父さんから魔術を習ったんだよね?」
なのはたちには、魔術は基本秘匿し一子相伝するものと教えているので、確認するように聞いてくる。

「はじめは父さんから習っていたわよ。ただそれも、基礎の基礎ってところね。
 ちゃんとして指導は兄弟子から受けたから、ある意味アイツも私の師になるのよね」
その兄弟子が父さんを殺した張本人であり、素知らぬ顔で父さんの葬儀や私の指導をしていたことを思うと、つい苦い顔をしてしまう。
全く、とことん性根のひん曲がった奴だったわ。

「あ、そうだったんだ。じゃあその人も魔術が使えるんだよね。どんな人なの?
 それに、その人からほかの魔術師さんのことを教えてもらえないの?」
もっともな質問だが、正直アイツのことを思い出すのは気が引ける。
父さんのことがなくても、綺礼のことは嫌いだったし。
あまり人を嫌うということのない士郎さえ、即嫌ったほどの性格の悪さだ。

「本業は神父だったけど、魔術を使ってた似非神父だったわね。
 人の心の傷をネチネチいたぶるのが好きで、神父としては非の打ちどころはなかったけど、人間としては性格最悪だったわ。もう死んでるから、今頃は居心地の悪い天国で針の筵じゃないかしら」
あまり思い出したくないが、そういえばそんなことを昔言ってやったことがあった。
もし天国なんてものがあれば、本当にそうなってるかもしれない。
是非その光景は見てみたい、さぞかし溜飲が下がるというものだろう。

「あ、そうなんだ。でも神父なのに性格最悪って、それでいいのかな?」
ユーノが心底不思議そうに聞いてくる。
聖堂教会の方の所属だったとはいえ、あれでよく神父になれたとは私も思った。

「だから、神父としての仕事や振る舞いには問題なかったの。
 ただ趣味というか、嗜好が最悪だったのよ」
禁欲的で信心深く、人の相談に嫌な顔一つせず応じ、他人には平等に接し、罪深い者に対しても慈悲深かった。
これだけなら、確かに神父として問題はなかったが、人として根本的なところが破綻していたのだ。

なのはとユーノは、いまいち釈然としない顔をしている。
神に仕える神父に、そんなのがなっていいのか考えているようだ。


そうして、穏やかな時間をまったり過ごしているところで、無粋なアラートが鳴り響いた。
やれやれ、お仕事に行くとしましょうか。

私たちは急いでブリッジに向かい、詳しい状況を確認しに行く。

そこで目にしたのは、海上で竜巻と雷相手に大立ち回りを演じる、フェイトとアルフだった。
海上ということは、向こうも手詰まりになってきて、起死回生に海に以前のように魔力を送り込んで強制発動させたのだろう。

「どうやら先を越されたようね。で、幾つ発動してるの?
 この様子だと、今までと違って一個ってわけじゃなさそうだけど」
あまりの光景に、絶句しているなのはたちを余所にクロノに問う。
一つや二つが発動しているくらいなら、多少消耗していてもフェイトなら封印できるはずだ。
これだけ手こずっていることと、今までの比ではないこの様子からして結構な数が発動しているのは間違いない。
出ていくにしても、情報が必要だ。

「数は残りすべての六個だ。まったく、なんて無謀なマネをするんだ。
 あれすべてを封印するなんて、個人が出せる魔力の限界を超えている」
せっかく事態が停滞していたのに、ここにきて最後まで突っ走ってくれたわね。
これで最終局面まで、あと一歩じゃないの。

それにクロノの言うとおり、あれをあの子たちだけで何とかするのは無理だ。
一つを封印しようとしている間に、他のやつに襲われている。
さっきから避けるだけで精一杯のようだ。

「あの、アーチャーさんはいないんですか?」
絞り出すようになのはが聞いてくる。
フェイトが動く以上士郎もいるはずなのに、なぜ二人だけでやらせているのかと聞きたいのだろう。

「いや、今のところ現場、およびその周辺に彼の姿は確認されていない。
 君たちの話だと、彼は効率を考えて協力していたようだし、もしかしたら見限られたのかもしれない」
効率というなら、組織で動くこちらの方が優れている。
その上、管理局と敵対するのはリスクが高いので、そうしたと考えているのだろう。
実際には手を切ってきたのはフェイト達だが、その可能性はないとしているようだ。

「そんな!? じゃあわたし、今すぐ現場に……」
信じられないという風に、なのはが反応する。
まだ幼いこの子には、協力者を見限って見捨てるなどというのは信じたくないことなのだろう。
ただでさえなのはは、人一倍思いやりのある子だからなおさらだ。

「その必要はないよ。放っておいても自滅する。
仮にしなかったとしても、消耗したところを捕らえればいい」
そんななのはを制するように、クロノの冷静な声が響く。
当然だ。わざわざ敵を手伝ってやる必要はないし、このまま待っていればジュエルシードとフェイトが一度に手に入る。まさに一石二鳥の好機、これを逃す手はない。
この間にも、フェイトのデバイスからは刃が消え、アルフは雷に拘束され窮地に陥っている。

「残酷に見えるかもしれないけど、私たちは常に最善の方法を取らないといけないの。
 それだけ大きく、重いものが私たちの後ろにあるの」
リンディさんの言っていることは正論だ。
アーチャーがそうだったように、多くを救おうと思うのなら小数を切り捨てるのも必要だ。
管理局が公的な組織である以上、アイツのように徹底することはできないだけマシかもしれない。
だが、まだまだスレていないなのはには、そんなことは納得できないようだ。何とか反論しようと前に出るが、これを否定できる言葉が出てこないようで、「でも…」と言ってその口を閉ざす。

「確かにそのとおりね。せっかく好都合な状況なんですもの、フェイトには精々がんばってもらうのが一番ね。
……ところでなのは、アンタはどうしたいの?」
だが、それはあくまでも管理局側の理屈にすぎない。私たちは管理局の人間ではない、ならばそれに従わなければならない義務もない。
こんなことは心の贅肉どころか税金なのはわかっているが、それでも今のうちは子どもらしく、少しはわがままを通してもいいはずだ。

「え?」
突然かけられた言葉に、なのはは何を聞かれたのかわからないようだ。
こんな状況でなければ、鏡でも見せてやりたいな。それだけ間の抜けた顔をしている。
全く、やっぱりまだまだ子どもね。女の子が、人前でそんな顔をするもんじゃないわよ。

「アンタはもっとわがままを言うべきよ。
 子どものうちは周りに迷惑を思いっきりかけて、大人になったらそれを返済すればいいわ。
 もう一度聞くけど、アンタはどうしたいの?」
リンディさんをはじめ、アースラのスタッフたちが驚いた様子でこちらを見ている。
なのはたちはともかく、私がこんなことを言うなんて思ってもみなかったのだろう。

別にその認識は間違っていない。実際、私は別にフェイトを助けようとは思わない。
どうせそのうち、士郎が気づいて出張ってくるはずだ。
空を飛べないアイツでは援護は難しいが、遠距離攻撃は士郎の得意分野だ。何かしら手を考えて、うまくやるだろう。

その意味で言えば、管理局側にとっては放っておく方が面倒になる。
なのはを行かせた方がいいと思うが、私がそれを言うことはできない。言えば、士郎との繋がりを曝け出すことになる。
そうならないようにするには、なのは自身の意思でいかせるしかない。私にできるのは焚きつけることだけだ。

それに、どうもなのはは自分を抑え過ぎる傾向がある。
やはり、人生楽しまなければ嘘だ。
このあたりで、一度単純に自分の思うようにしてみるのもいい。

「なのは、行って!! 君の思うとおりに。ゲートは僕が何とかする!」
そう言って、ユーノはゲートを無理矢理に開く。
こいつは今までなのはに助けられてばかりだった。
だからこのあたりで、その恩返しでもしたいのかもしれない。
まあ、単になのはにいいところを見せたいだけかもしれないが。
その言葉に後押しされて、なのはがゲートに飛び込む。

「君たちは!!?」
クロノが驚いたように叫んでいる。
アンタの判断は正しいし、私でもそうするでしょうけどね。でも、この子たちがそれに縛られる理由はないわ。
子どもでいられる時間は短いのだ。今のうちでなければできないことは多い。
なのはたちは、今まさにそれをしようとしている。
悪いけど、その邪魔はさせないわよ。

「あら、邪魔はさせないわよ。
それに契約にもあったでしょ? ある程度はこっちの判断で動くって、今がその時よ。
ユーノ、アンタも行きなさい。私は飛べないし、ここで足止めでもしてるわ」
魔術回路を起動させてゲートの前に立つ。
子どもが子どもらしくしていられるように支えてやるのが、大人の務めだろう。
裏方なんて性に合わないけど、飛べない私が行っても仕方がない。向こうのフォローは士郎に任せよう。

ユーノも、なのはに続いてゲートに飛び込んでいく。
「ごめんなさい! 高町なのはとユーノ・スクライア、指示を無視して勝手な行動をとります。
 あとでちゃんと謝りますし、怒られもします。でもわたしは、フェイトちゃんを見捨てるなんてできません!」
しかし、本当に律儀ねぇ。別に今そんなことを言わなくてもいいでしょうに。
自分で正しいと思ってやるんだから、胸を張って堂々としてればいいのよ。
後でこってり絞られるでしょうけどね。まあ今回は私も共犯だし、付き合ってあげるわよ。

そうして、光と共に二人の姿は消えた。



Interlude

SIDE-フェイト

残る六個のジュエルシード。
そのすべてを相手にしての封印作業は、全く上手くいっていない。

こんな時にシロウがいたら、そんな考えを必死に振りはらう。
シロウはいない。わたしから手を切ったんだ。そんなことを考えても意味はない。
今はとにかく、目の前のジュエルシードの封印に全身全霊を傾けないと。

「フェイト、危ない!!?」
アルフの声が響く。
気がつくと、ジュエルシードのおこす竜巻がわたしのすぐ目の前にまで迫ってきていた。
迎撃も回避も間に合わない。左右も竜巻でふさがれている。
こうなったら防御魔法に魔力を思いきり注いで、力任せに受けるしかない。
これだけの魔力の宿った竜巻を受けて、無事でいられる保証はないけど、できることはそれしかない。

だから今のうちに、ちゃんとみんなに謝っておかないと…。
「母さん、アルフ、それにシロウ。ごめんなさい。わたし、ここまでかもしれな……」

『いいから前に出ろ。そのような泣き言、聞く耳持たん』
そんな、もう聞くことのないはずの声が聞こえた。

「…え?」
諦めかけ、ただ身を縮め強張っているだけだった体に、再び力が戻ってくる気がした。同時に、心には温かいモノが満ちていく。
この耳ではなく、心に伝えてくる思念は、間違いなくわたしから手を切った、協力者のものだったはずだ。

「ちょっ…、ま……」
戸惑っている場合じゃない。
彼の性格はよく知っている。
彼は前に出ろと言った。なら彼は、もう前に出るしかないことをしでかしたということになる。
混乱している場合じゃない。わたしは弾かれたように、形振り構わず全速力で竜巻に向かって突っ込む。
この竜巻に突っ込むなんて危ないどころの話じゃないけど、彼がそう言った以上、それをしない方が危険なのは間違いない。
わたしが動き出したのと、それが目の前を通り過ぎて行くのはほぼ同時だった。

ヒュッ!

わたしが竜巻と接触する直前、目の前を赤い閃光が通り過ぎる。
目の前にまで迫っていた竜巻は、その凄まじい力にもかかわらず、赤い一矢で容易く両断されその形を崩す。
崩れた竜巻がそよ風となり、わたしの頬を撫でる。場違いだけど、それがすごく優しくて気持ちよかった。
まるでシロウがそこにいて、わたしを安心させようとしてくれているかのような、そんな錯覚をした。

わたしは前へと進みつつ、目の前が突然開けたことに呆然とする。
その直後、轟音と共に無数の矢が降ってくる。

ダダダダダダダダダン!!!!

上空から降り注ぐ矢は、まさに豪雨。
数え切れないほどの矢が降り注ぎ、わたしの進路上以外の全てを矢が通過する。

後ろを振り向くと、先ほどまでわたしのいたところを通って行くモノもある。あのまま留まっていたら、きっと巻き込まれていただろう。シロウが言っていたのはこういうことか。
でも、もしわたしが動かなかったら、どうするつもりだったんだろう…。きっと、動くと信じてやったんだろうけど、それにしたって危ないことには変わらない。
信頼してくれてるのは嬉しいけど、なんだか複雑だ。一言ぐらい文句を言っても、罰は当たらないと思う。
それだけ後ろを見た時には蒼褪めたんだから。

空から降り注ぐ無数の矢を横眼で見ると、その中にさっきわたしの目の前を通り過ぎて行ったものと同じ、赤い矢があることに気づく。それらは他の竜巻へと向かい、当たると竜巻を紙の様に引き裂き散らしていく。
残りの矢も周囲で猛威を振るう雷へと向かい、すべて打ち払っていく。

鳴り響く雷の轟きでさえ霞んでしまうほどの轟音が周囲を満たす。
雷であろうと竜巻であろうと、わたしの行く手を阻み、追いすがってくる全てを撃破していく。

いつの間にかわたしの周りは、竜巻や雷の真空地帯となっていた。

Interlude out



SIDE-士郎

『ふう、何とか間に合ったようだな。
まったく、無茶もほどほどにすることだ、フェイト。寿命が縮むかと思ったではないか』
フェイトはまだ事態の変化に対応しきれていないようなので、俺の方から改めて念話を送る。

フェイトやアルフの手掛かりを探して、今日は森林地帯を中心に捜索していた。
そこへ、今までにないほどのジュエルシードの発動を感知した。
いつもの発動なら気付かなかった可能性もあるが、これほどの大規模ともなれば感知能力の低い俺でもさすがに気づいた。

そこから、大急ぎで近くにあった見晴らしのいい小高い丘の上まで駆け上がった。
発動を感知した方向を見ると、そこには竜巻や雷を相手に悪戦苦闘するフェイト達の姿を確認したのだ。
あまりの無茶に僅かな間呆然とするが、思考を切り替え、警告から少し遅れて遠距離狙撃を敢行したわけだ。

距離はせいぜい二キロ程度。これくらいなら、問題なくフェイトたちを外して狙うことができる。
手始めに、フェイトに迫っていた竜巻をかき消すため、「破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)」を放った。
どうやらジュエルシードの影響を一番受けているのが六本の竜巻らしく、並の攻撃では対処できそうになかったからだ。ジュエルシードによって引き起こされている竜巻なら、それを支えているのは魔力だろう。それならば、穂先に魔力を遮断する効果を持つ槍でその魔力の流れを断ち切ってやればいい。

魔力の流れが断ち切られた竜巻は、ジュエルシードからの支配を逃れ雲散霧消していった。ただ、それは断ち切られた先からなので、海から伸びる根元の部分は健在だ。おそらく、ジュエルシード本体はまだ海中にあるのだろう。
これではこちらからは手が出せない。

魔力の発生源でも攻撃しない限り、ゲイ・ジャルグでは竜巻を完全に消滅させることはできない。
あくまでもその能力は魔力の遮断でしかなく、破戒はできないからだ。「破戒すべき全ての符(ルール・ブレイカー)」ならできるだろうが、それも一時的だ。竜巻を生み出しているのはジュエルシードなので、根本をどうにかしなければ、また竜巻が発生する。

五回も六回も真名開放するよりかは、こちらの方が消費する魔力は少ない。この後の展開次第では、さらに魔力を使うこともあるので、できる限り消費は押さえておきたかった。そのためにゲイ・ジャルグを使ったのだ。
だいたい、遠隔での真名開放なんて器用なマネは俺にはできない。よって、ルール・ブレイカーの使用はこの場では元から無理だ。

しかし、放っておけばいずれ竜巻は復活する。そこで二射目からはできる限り根元近くを狙うようにして、その時間を稼ぐことを念頭において攻撃した。その間に、何とかして封印しないと……。
直接ジュエルシードを攻撃できれば、発動そのものを止めることもできるかもしれない。だが、正確な位置もわからず当てずっぽうに攻撃しても意味がないので、確固撃破に終始したのだ。
そのまま、フェイトの進行方向とその近くで暴れまわっていた竜巻にも同様の攻撃を加えて蹴散らし、比較的に力の弱そうな雷は通常の矢で粉砕した。

ついでに、アルフを拘束していた雷もかき消した。
まぁ、こんなことができるのもするのも俺ぐらいだろうな。はずして攻撃したといっても、アルフの時など体から1mも離れていないところを射たわけだし。
普通に考えれば、フェイト達の行動以上に無茶な狙撃をしたことになる。
緊急事態だったし、このことは時間もなく絶対にミスはしない確信があったということで、許してもらえるといいのだが。

俺の場合、視認することができて矢が当たるイメージさえ見えれば、ノータイムで射ても決して外さない確信がある。
そして、そのイメージが見えたからこそ、何のためらいもなく射ることができたのだ。

むしろ不安だったのは、念話の方だ。
俺の念話は、思念を送るためには対象を視認することが必須だ。
一応フェイトのことは見えていたので、理屈の上では通じるはずだったが、さすがにこれだけ離れていては届くか心配だった。

迷っている時間はなく、警告を送るのと同時にゲイ・ジャルグを放ち、道を作った。
また残りの狙撃は、念話を送るのより少し遅らせるくらいしかできなかった。
位置的に、どうしてもフェイトのいたところも射る必要があったし、目の前の竜巻以外にも、周囲に脅威が迫っていた。
そのため念話で警告するので精一杯で、フェイトが動き出すのを確認せず狙撃を行うしかなかった。

これは賭けだった。
もし届かなかったら、フェイトが離脱することもないので、俺の攻撃に巻きまれていたかもしれない。
たとえ届いても、フェイトが動かなければ結果は同じだっただろう。
だが、賭けにでないなど論外。グズグズしていたら、今頃フェイトはよくてもボロボロ、最悪の場合命にかかわる事態になっていても不思議じゃなかった。
だから俺は、危険と知りつつ賭けにでた。
そして俺たちは、その賭けに勝った。

どうやらちゃんとフェイトに届いていたらしく、俺の思念に反応し前へと進みだしたのには安堵した。
フェイトの方も、俺が何かをしようとしているのには感づいたのだろう。一瞬の停滞のあと、大急ぎで開いた道を通り、その場から離れてくれた。
前に出るように指示はしていたので、それに従い無事危険地帯を離脱した。
まだ事態は解決していないが、とりあえず窮地は脱したのでこれで一安心だ。

気づくとフェイトの頭上から、なのはと知らない少年が下りてきた。
凛から聞いた特徴だと、あれがユーノということになるのだろう。
管理局が動かない可能性もあったが、ずいぶんと甘い考えの持ち主がいるのかもしれない。
もしくは、あの二人が無理を通してやってきたか。そちらの方が可能性は高そうだ。

「だが、ちょうどいいな。これならすぐに封印できそうだ。
『聞こえるかねフェイト、それに高町なのは。邪魔なものは私が蹴散らす。その間に、君たちで協力して封印にあたれ。残りの者は二人のサポートと、私の攻撃の余波を防御しろ。できるな!』」
二組の魔導師たちに指示を出す。
なのはも協力するために来たのだろうから、大人しく言うことを聞くはずだ。
フェイトはかなり消耗している様子だが、なのはと協力すれば問題はないだろう。
ゲイ・ジャルグでは点の攻撃しかできないが、確かめたことはないが、あの二人なら広範囲に向けての封印もできると思う。それだけのスペックは持ち合わせている。
ならば俺がすべきことは、二人が邪魔モノなしに封印ができる状況をセッティングすることだ。

『『は、はい!!』』
有無を言わせぬように少し強めに言ったが、二人とも元気良く返してくれる。
残りのお付きの者たちも問題はなさそうだ。

一応今は小康状態だが、徐々に竜巻はその力を回復してきている。
さっきの状態に回復するまで、それほどかからないだろう。
中途半端な攻撃では意味をなさないし、いちいち各個撃破していては、時間と手間がかかり過ぎる。
ならば弱っている今のうちに、対軍宝具の一投で全てまとめて吹き飛ばすのがいいと結論する。

「『投影、開始(トレース・オン)』」
創りだすのは、かつて一度はこの心臓を貫いた必殺必中の槍。
ケルト神話に名高い大英雄、クランの猛犬「クー・フーリン」が用いた因果逆転の魔槍。
こいつの本来の使い方で、一気にケリをつける。

俺はそこで、獣のように大地に四肢をつき、目標を見据える。
狙うは、規模を取り戻しつつある六本の竜巻。フェイト達を巻き込まないように慎重に狙いをつける。
魔力を紅き呪いの槍に込めていくのと同時に、周囲の魔力が魔槍に喰われていく。
この場に魔術師か魔導師でもいれば、そのあまりの異常さに恐怖すら覚えただろう。

腰を上げ、全身の力を足に溜める。
頭のなかで号砲を撃ち、一気に走りだす。
足に強化を施しての疾走は、常識的に考えれば人間にはあり得ないはずの速度を可能にする。
約50m。短いながらも充分な助走の後、思いきり跳躍する。速度が異常なら、その跳躍も異常。
一般で、人間の限界値と考えられるギネス記録をたやすく凌駕している。

高く舞い上がり、目標を視界に収めたまま、弓を引き絞る様に大きく振りかぶる。
「『突き穿つ(ゲイ)――――――――死翔の槍(ボルク)』!!!!!」
紡がれる言葉に因果を逆転させる“原因の槍”が呼応し、それを全力で投擲する。

音速を超える速度で、槍が目標めがけて飛んでいく。
俺が着地する前に槍は着弾し、炸裂弾のような爆発が起こすのが見えた。
その馬鹿げた威力で、周囲にある竜巻や雷を吹き飛ばす光景を確認しながら俺は着地した。

後には、先ほどまでの荒れようがウソのように凪いだ、海と空があった。
ゲイ・ボルクを回収されても困るので、そのまま投影を破棄し消滅させる。

見てみると、あまりのことに呆気に取られるフェイトとなのはの姿があった。
『何をしている。竜巻と雷は治まったのだから、さっさと封印したまえ。
 また、いつ動き出すかわからんのだぞ』
念話で言ってやると、やっと弾かれたように動きだす。
はじめは協力することに戸惑っていたフェイトも、意を決して行動に移る。


「しかし二人とも、なんて出力をしているんだ。
 これなら俺の手助けなんてなくても、何とかなったんじゃないか?」
あの子たちの成長と潜在能力には驚くばかりだ。
二人が順調に作業を終えるのを確認して、立ち去ることにする。
このままここに長居しては、管理局が動くのは間違いない。早めに移動する方がいいだろう。

前回相手にしたクロノだけなら逃げるくらいは問題ないが、向こうには他にも戦える人員がいるらしいし、それ全員を相手にするとなると厄介だ。
戦力的にはクロノにだいぶ劣るらしいが、それでも数が多いのは面倒だ。あまり明確な敵対はしたくないし、状況が苦しくなれば怪我をさせないで済ませるのは難しくなる。この先彼らの戦力が必要になることもあるかもしれない以上、それは避けたいのでさっさと逃げることにしよう。

しかしそれだけの戦力があるのなら、何もなのはのような子どもに協力させなくてもよさそうに思う。ジュエルシードの封印ができるほどの術者は向こうにもクロノくらいしかいないらしいが、それにしても俺としてはやはり納得がいかないな。数にモノを言わせて何とかならないのだろうか?

戦う意思があるのなら幼くても、非力でもそれは紛れもない戦士だ。戦いの場にあって無意味だとは思わないし、言わない。だがそれとは別に、やはり子どもを戦わせるのには賛成しかねる。
戦いがおこれば多かれ少なかれ犠牲が出るし、必ず何かしらの爪痕を残す。それらは、その場に立ち会った者全員の心と人生を縛る枷となる。
あの子たちはまだ幼く、多くの可能性に満ちた未来がある。それを縛るようなことになるのは避けたいし、体だけでなく心にもいらぬ傷を負ってほしくないのだが。

戦うかどうかを決めるのはあの子たち自身の問題で、俺がとやかく言えることではないのはわかっている。俺のこの思いも、大きなお世話かもしれない。
そもそも多くの命を奪ってきた俺に、今更そんなことを願う権利などないのだろう。この手で殺めた者達には、戦場に立つ意志などなく、問われるべき罪のない人たちもいた。その中には大人だけでなく、守られなければならない子どももいた。「仕方がなかった」と言ってしまえば少しは楽になるのかもしれないが、そんな言葉で許されることではない。どんな理由があれ、俺がこの手で奪ったことには変わらない。

そんな俺があの子たちのことを案じるなど、偽善もいいところだ。フェイト達が俺の過去を知れば、軽蔑するか、それとも恐れるか……。さて、どちらだろうな。
だがせめて、自身の歩んできた道筋を後悔することなく「間違っていなかった」と誇れるような生き方をして欲しい。
そう、アーチャーのような思いだけはしないでくれること。それぐらいは、望んでもいいはずだ。

最後に見た様子だと、なのはが「友達になりたいんだ」ということを言っていたのが、唇の動きから見てとれた。
もしそうなれば、あの二人はいい友人になれるだろう。
先ほど視認した六個のジュエルシードをどう分けるかは、二人に任せてよさそうだ。

そうして背を向けて歩き出すと、またしても大規模な魔力を感知する。
ジュエルシードが再度発動したかと思い、振り返る。
そこには、さっきまでとは違った魔力を帯びる、紫色の雷光が降り注いでいた。

「フェイト!!? なのは!?」
思わず叫びにも似た声と念話で呼び掛けるが、返す余裕がないのか返事がない。

このタイミングで、味方もろとも管理局が攻撃するとは思えない。
だとするとやったのは、当然一人しかいない。
「くっ! プレシアめ、本当になりふり構わずか」
無意味と知りつつも駆け寄ろうと走り出す。向こうは海上、助けるには飛んで行くしかない。
そもそも俺は飛べないし、たとえ飛べたとしても、今まさに落ちようとしているフェイトの救出には間に合わない。そうとわかっていても駆け寄らずにはいられない。
あのまま落下すれば大怪我ではすまない。
それを、何とか間に合ったアルフが抱きとめる。

その後、アルフがジュエルシードを回収しようとしたところをクロノが妨害し、互いに半分ずつ回収した。
アルフはそのまま逃走し、俺もとりあえず家に戻ることにした。

これで舞台は、最終局面を迎えることになった。



Interlude

SIDE-クロノ

海上での一件から数時間が経った。

あの時回収できたジュエルシードは六個中三つ。
なのはたちが余計なことをしなければ、あるいは凛が邪魔をしなければ、すべてを回収することもできたかもしれないのに……。

いや、今更悔やんだり三人を責めたりしても仕方がない。
すでに過ぎたことだ。今は、今すべきことをしなければならない。
三人には今まさに艦長直々にお叱りを受けているし、僕がすべきことは別にある。

それは、先の戦闘でアーチャーがとった行動の検証だ。
わからないことだらけの奴なのだから、少しでも情報が欲しい。
今回かなり派手なことをしていたし、何かしら得られるものがあるといいのだが。

「しかし、以前使った楯といい、今回の二種類の槍といい、まったく出鱈目な威力だ」
僕たちが能力を確認した、彼の使う概念武装とやらは三つ。
前回戦った時に使った、とてつもなく高い防御能力を持つ楯。
それに、今回フェイトを助けるために最初に使った槍と、竜巻を薙ぎ払うために使った槍がそうだ。記録された映像から、二つの槍は色こそ似ているが、細部が異なるので別の槍であることが分かっている。

他にも双剣や外套、それに僕を引き寄せる時に使った鎖もその可能性が高いが、これらは今のところ詳しいところはわかっていない。
僕たちが確認していないのだと、ジュエルシードの破壊に使われたという歪な矢もその可能性がある。一体いくつ持っているのやら。

「そうだねぇ。今回竜巻を吹き飛ばしたのなんて、二キロ近く離れたところから投げて、しっかり届いてるし。どういう腕力とコントロールをしてるんだろう。この人、本当に人間?
 その上、破壊力はオーバーSの最大攻撃にも引けを取らないし、速度は軽く音速越えてるって……。いくらなんでもあり得ないでしょ、これ」
エイミィはもう驚く気すらしない心境らしい。
人間云々はともかくとして、それ以外の点に関してはまったくの同感だ。
僕達魔導師の常識からは、明らかに逸脱している。

長い年月を経たことで、通常とは違った魔力を帯びるようになったのが概念武装らしい。
理解はできないが、そういうものがあると無理にでも納得するしかない。
詳しいことは、この件が終わってから調べればいい。
中には特殊な能力を持ったものもあるらしく、今回使用していたのもその一種かもしれない。

「それだけじゃない。一撃の破壊力もそうだが、通常攻撃でも恐ろしく正確に狙撃していた。
 普通なら視認することだって不可能なはずなのに、アーチャーと名乗ったのは伊達ではないみたいだ」
弓兵を名乗っていたし、僕との戦闘では、その名に恥じない弓の名手であることも示していた。
当然、遠距離攻撃を得手としていることは予想していた。

しかしどういう視力をしていれば、二キロ先の出来事を正確に把握できるんだ?
あの距離では顔どころか、人がいるかの判別さえできないと思う。精々何かが閃いていて、竜巻が発生しているのが辛うじてわかる程度だろう。
いくらなんでも肉眼ではないだろうし、特殊な魔術でも習得しているのか、それとも望遠鏡のような道具でも使ったのだろう。そうでなければ説明がつかない。

それに、これほどの離れ業をやって見せるとは思っていなかった。
まるで、吸い込まれるように矢が当たる。もちろん外したものなどない。
神憑っている、としか言いようのない技量だ。

これでは状況によっては、こちらの射程外から襲撃されるかもしれない。
そうなっては手の出しようがない。
何より、あれだけの距離があって、その狙撃は強力かつ正確無比。管理局の中でも、あんな真似ができる人は数えるほどしかいないだろう。いや、もしかしたら本当にいないかもしれない。狙いすましての一射ならともかく、彼はそれを僅かな遅滞もなく連射していた。

人間の感覚は、時に機械以上の精密さを可能とする。だから、機械にもできないことを可能にする、というだけなら別に不可能ではない。
だが、それにも限度がある。彼は使い魔を捕らえていた細い雷さえ、正確に撃破している。わずかにずれただけで、使い魔にも当たっていたかもしれない。そんな状況では、誤射なんて許されない。
それでも迷いなく射てたということは、自分の狙撃にはあの神業が可能だ、という自信があったのだ。それは、もはや確信と言っていいレベルのはずだ。
それだけじゃない。あれはできて当然だとしても、ミスをしてもおかしくない重圧がかかるはずの場面だ。技術的に、また精神的にもこれ以上ない程困難な状況下にあって、まったく揺るがない鋼の精神力を彼は備えている。

少なくとも、僕にそれを可能とする技量があったとしても、絶対にマネはできないし、しようとも思わない。臆病と言われるかもしれないが、あれはまともな神経をした人間にできることではない。
武装も技術も規格外だが、一番の規格外は彼の心そのものだ。

これだけも十分脅威なのに、もっと厄介な事実が判明した。
「最悪なのは、初めに使った槍だ。こちらは弓で射たようだけど、問題はその能力だよ。
 詳しいデータがないし、映像から推測するしかないけど、おそらくAMFのように魔力の結合に干渉できるんじゃないかな。
 そうでないと、あの竜巻を簡単に貫いて、なおかつ散らしてしまった理由が説明できない」
もしこの推測が当たっていたなら、彼は僕達魔導師の天敵だ。
魔法を使うために欠かせない魔力の結合を、あの槍は散らすことができる。
ジュエルシードの魔力を散らした以上、最高濃度のAMFに匹敵するだろう。

それの意味するところは……
「うわぁ……それってつまり、防御不可ってこと? それに大威力の魔法も無力化されるよね…やっぱり。
 接近戦なんて危なすぎるし、距離を置いての戦闘も、あの槍があったら余程手数を多くしないと意味がない、か。
もし広範囲に影響が出せたら、本当に逃げるしかないよ…」
エイミィの言うことは正しい。効果範囲にもよるが、一対一での戦闘は自殺行為だ。
魔法の使えない魔導師は、その戦力の大半を失う。
こちらの攻撃は掻き消され、その刺突は容易くバリアジャケットを貫き致命傷を与える。
僕達魔導師にとっては最悪の相性だ。魔導師を殺すうえで、これ以上ない武器を彼は持っている。

それにエイミィの言う「もし」が現実に起これば、こちらは無力化される。魔法そのものが完全に使用できない状態になれば、僕らには勝ち目がない。機動力は低下し、攻撃力は貧弱、防御魔法は無意味、これではそもそも戦うことができない。

仮に彼自身も槍の影響を受けると仮定しても、はじめから槍とは別に強力な武装を用意していれば、結果は見えている。そもそも、あの槍だけで事足りるだろう。
以前の戦いの時に見た彼の剣技を考えれば、おのずと白兵戦のレベルも知れる。自分の持つ武器を扱えないなんて間抜けなことがあるはずもないし、やろうと思えば人数次第で、対峙する者全員を殺すことだって不可能ではない。
あの槍はそれだけ危険なものだ。

そして、それがあり得ないと断言できないのが、あの男の一番厄介なところだ。
「それに、こいつの行動はどうも不自然だ。
 何を考えているのかわからない不気味さがある」
この男の戦力は確かに脅威だ。
だが本当に怖いのは、ここにきて目的が不鮮明になったこと。
本当の目的がわからないことには、この先の行動も予想がつかない。
こいつは一体、ジュエルシードをどうするつもりなのだろうか。

僕の言うことに、エイミィが首をかしげている。
「どういうこと? この人って、相当な合理主義者なんじゃないの?」
確かに、表面的にはそう取れる言動をしている。
いや、事実僕たちが介入するまでは、合理的な行動を取っていた。

「それにしてはおかしいんだ。今回の様子だと、彼女の方から手を切っていたようだ。そうでなければ、はじめから封印作業に参加している。仮に彼の方から手を切っていたのなら、そもそも手を出すはずがない。
 フェイト達との繋がりが切れたのなら、こいつには僕たちと対立する危険を冒してまで手を貸す理由はない」
合理的というなら、管理局が介入してきた時点で身を引き、あとは事件が解決するのを待つか、僕たちに鞍替えすればいい。
なのにアーチャーは、そのどちらでもない危険な選択をした。これでは辻褄が合わない。
いくら彼が相当な実力者で、魔導師の天敵だったとしても、管理局という巨大組織を敵に回すのは危険すぎる。
つまり、その危険を冒す事も厭わないほどの、何か隠された目的があるはずだ。

フェイトはそのために利用されている可能性が高い。
なのはたちに手を貸さなかった理由は、彼女たちでは利用価値がないのか、それか利用し辛いと判断したのかもしれない。少なくとも、凛がそう簡単に利用されるようなことはないだろう。

「なるほどねぇ。確かに不気味だ。私たちが介入してきてからの行動は、言ってることとあわないもんね。
 一見合理的だったのが、ここにきて非合理的になってきたわけか」
「ああ、まるでフェイト達とのつながりを保とうとするように。
 こいつもジュエルシードで何かを狙っているのか、それとも……」
結局は答えのでない疑問だ。
本人から聞きだすしかないが、その本人の容姿すらまともにわからない。
その目的によっては、こちらもかなりの被害を覚悟しなければならない。

プレシアと共に、またはそれ以上の要注意人物だ。

Interlude out




あとがき

さーて、物語も終盤に入ってきました。無印編ももう少しでおしまいです。
あと、残り3話位を予定しています。

それにしても、なにやら凛の立ち位置が段々と保護者になってきている気がする。
姉御肌で面倒見のいい人ではありますが、母性でもくすぐられるんでしょうかね。
それに引き換え、士郎はなんだが暗いなぁ。
過去のことを引き摺っていて、お子様方が心配なのに踏み込めない感じです。

今回はおそらく大半の方が予想されていたであろう王道をいってみました。
いや、一度はやってみたいじゃないですか。

それとは別に、今回は宝具の大盤振る舞いでした(と言っても使ったのは二つですけど)。
士郎が気付いた時にはすでにかなり危ない状態でしたから、後先考えずにやってしまったんでしょう。
ゲイ・ボルクは能力が能力なんで、使える場面が少ないんですよね。人間相手に使ったらまさしく必殺ですから。
それと違って、ゲイ・ジャルグは使い勝手がいいのでこれからも出番は多そう。
目標はFateで出てきた武器系の(乖離剣を除く)全ての宝具を出すことですね。
無印の間にあとどれだけ出せるかわかりませんが頑張っていきます。

あと、来週からしばらく忙しくなりますので、今週中にもう一回更新できなかった場合は、月末くらいでないと更新できそうにありません。
そういうわけなので、楽しみにしてくださっている皆さんには少し待っていただくことになります。ご容赦ください。
では、15話でお会いしましょう。



[4610] 第15話「発覚、そして戦線離脱」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2009/02/21 22:51

SIDE-凛

いま私たちは、リンディさん直々にお説教をされている。
まあ命令を無視しわざわざ競争相手を助けたのだから、当然と言えばそれまでなのだけど。

お説教の内容は、私からすれば今更言われなくても分かっていることばかりだ。だが反省の色が全くない私と違って、なのはとユーノは神妙そうにうなだれている。
一応覚悟はあって飛び出したようだが、迷惑をかけたことには変わらないので、しっかり反省している。
リンディさんもそのあたりは察しているようで、そこまで追い詰めるようなことはしていない。
だがその点で言うと、反省する気が全くない私は、さぞかし厄介な問題児と思われていることだろう。
私は間違ったことをしたなんて「微塵」も思っていないので、反省も謝罪もしていない。

だが、後になって思う。あまり自分に正直過ぎるのも、時と場合によっては問題だ。
少しは「演技」というものをすべきだった、と。


「本来なら厳罰に処すところですが、結果としていくつか得るものもありました。
 よって、今回のことは不問とします」
二人へのお説教はこれで締めくくられた。
二人としてはもっときつく叱られると思っていたようで、ちょっと拍子抜けしたような表情でお互いの顔を見ている。
実際私も、説教が軽いのはともかく、まったく処分なしというのは甘いと思う。
理由としては、終盤が近付いてきて貴重な戦力でもある二人の士気を下げるようなことをしたくない、というのもあるのだろう。

「ただし! 二度目はありませんよ」
さすがにこんな温情がそう何度もあるはずもないので、少し語気を強めて二人に警告する。
少し場の空気が緩んできていたが、二人もその言葉に気を引き締めて頷く。

そして、二人へ釘を刺したリンディさんが、こちらを向く。
その顔は、なのはたちに向けていたものよりも厳しくなっている。
「そして凛さん」
やはり私は別ですか。まあ二人を先導したようなものだし、そこまで甘くないか。

「なにか?」
「確かにあなたたちには、ある程度の自己判断での行動を認めています。
ですが、それで甚大な被害が出てしまっては元も子もありません。
 今回あなたは二人を先導した、いわば主犯です。相応の処分は免れませんよ。
 しばし、アースラの自室にて謹慎を命じます」
この口ぶりだと、なのはたちは一度家に返すつもりのようだ。
説教をしても反省するそぶりさえないのだから、処罰されても仕方がない。仕方がないが、やはりその内容は軽い。これは事件が終わった後にも、何かしらのペナルティを課されるかもしれないわね。

だが、リンディさんが思っている以上に、この処罰は私にとって非常に困るモノだ。
せっかくアースラを降りる機会があるというのに、士郎との情報交換が必要なこの局面で艦を降りられないのはつらい。当分は相変わらずの艦内生活だと思っていたので、この状況で降りられるなんて期待していなかった。
隠れて艦から降りられればいいのだが、自力で降りられるわけでもないし、大人しくするしかないか。
処罰を受けるとしたら、この件が一段落してからだと思っていたのだが、あてが外れた。

こんな事なら、演技でもいいから反省しておけばよかったな。時すでに遅しなので、この思考も無意味なのだが。
なのはとユーノは何とか処罰を取り下げてもらおうとしているが、さすがにここを譲ると他への示しがつかないので、そうはいかないようだ。

話はそのまま、今回の雷撃の犯人と断定されたプレシアに移る。
これでフェイトとプレシアの関係は明確になった。
プレシアに関しては、追放後しばらくの動向はわかっているが、その後に行方不明になった。
それ以後のことや、家族関係のことなどはわかっていない。
アースラでも本腰を入れ、本局にも問い合わせてプレシアの情報を調べることにした。
一両日中にはわかるらしい。

なのはが言うには、攻撃が当たる直前にフェイトは「母さん」と口にし、そこには怯えているような響きがあったらしい。
士郎から聞いた通りなら、かなりの折檻、というか虐待を受けているということので、無理もない。

その後、なのははユーノと共に一度帰宅することになった。

私たちはまだ、アルフがプレシアに反抗し、重傷を負わされ逃亡したことを知らない。



第15話「発覚、そして戦線離脱」



SIDE-士郎

時刻は正午。
俺は今日もしっかり学校に通っている。

凛たちが管理局と接触し、向こうに滞在するようになってからも相変わらず俺は学校に通っているのだ。
この際だから俺も学校をサボって、フェイトの捜索に当たった方がいいとは思った。だが、それだと後々怪しまれる可能性があるので、それまで通り捜索は放課後に限定されることとなったのだ。

いや、世界には通いたくても学校に通えない子どもは大勢いるのだから、サボろうと思うのは非常に彼らに対して悪いな。だがそうとわかっていても、この切迫した状況ではそれを考えずにはいられない。
特に、先日の一件でまたフェイトがプレシアから虐待を受けているのではないかと心配でならない。
まず間違いなく、フェイトは心身ともに傷ついているだろう。そうとわかっていても、何もできない自分がもどかしい。

正直、今もこうしてのん気に昼食を食べているのには焦りを感じている。
そんな俺と違って、凛を除いたなのは・アリサ・すずかの三人娘は楽しそうに食事をしている。
三人からすれば、こうして一緒の時間を過ごすのも数日ぶりなので嬉しくて仕方がないのだろう。

今朝学校に来た時、なのはがいたのでてっきり凛も来ているかと思ったのだがそうではなかった。
向こうで何かあったのか気になるが、それならなのはがほとんど普段通りにふるまっているはずがない。
良くも悪くも、その時の心情が表に出やすい子だ。凛に何かあれば、あんな風に落ち着いてはいられないだろう。
ならば、凛の身はとりあえず無事なはずだ。

なのはが言うには、凛はまだ向こうで用事があって今日は戻ってこられなかった、という話だ。なのは自身、明日からはまたしばらく学校を休むことになるだろうと言っていた。
これは俺だけでなく、すずかやアリサをはじめとする周囲の人たち全員に対して与えられた情報だ。
ただそれとは別に凛からの伝言を預かってきたらしく、朝会った時に伝えてくれた。
その内容は、実にシンプルでわかりやすかった。

ただ一言「心配いらないから、安心しなさい」だそうだ。
やたらと多くの言葉を使うのではなく、簡潔に言い切ってくれたおかげで少し気が楽になった。
ここまではっきりと言えれば、余計な心配はいらないだろう。
まあ、そうとわかっていても心配なものは心配だし、不安がなくなるわけではない。
ただ、少しだけ安心できただけでも良しとしよう。

この前のことで、全てのジュエルシードが出そろった。それはつまりこの一件が、最終局面に向かいつつあることを示している。今日帰ってこれたのは、最終局面の前のお休みといったところだろう。
しかし、結局は予想にすぎない。それならばなぜ凛が帰ってこれないのか、これでは説明がつかない。
俺は一応表面上今回の一件とは部外者という扱いになっているから、正体を隠している身としては、直接本当のことを聞くことはできない。
つまり、俺に出来るのは今まで通りフェイトのことを探しつつ、凛が帰ってくるなり、何らかの連絡が来るのを待つだけだ。

ただ待つ事しかできないというのは、何でこんなに不安を煽るのだろうか。せっかく凛からの伝言のおかげで少しは不安が和らいだというのに、結局すぐに元に戻ってしまった。
不安に思っていても仕方がないとわかっているのに、上手くいかないモノだ。

そんなわけで、俺が微妙に暗い雰囲気を出しているのにいい加減がうっとうしくなったのか、アリサがこんな提案をしてくる。
「ところで!! 昨日帰る時にすごい大型で、毛並みがオレンジの額に赤い宝石みたいなものをつけた犬を拾ったのよ。よかったら見に来ない?」
確か、アリサの家はすずかの猫屋敷に対して犬屋敷だと聞いている。
拾った犬が大半らしいが、かなりの数を飼育しているらしい。
さすがはお金持ち。ペットというのは一匹や二匹でも結構大変なのに、たくさん飼うとなるとかかる負担は無視できない。
積極的に保護し、貰い手がつかないようならそのまま飼ってしまえるのだから、たいしたものだ。

それにしても、今聞いた情報だとどう考えてもアルフだよな。
なのはの方でも気づいたらしく、一度驚いた顔をした後何か考えている。
おそらく、なぜアルフが保護されるような状態になっているか考えているようだ。アリサの話だと、かなりの大怪我をしていたらしいし、そのことが気になるのだろう。

俺の方は少し向こうの状況を知っているだけに、大方の予想がつく。
十中八九、アルフがプレシアに反抗したのだろう。フェイトがひどい目にあわされているのを、あいつが黙っていられるはずがない。今までよく我慢していたとさえ思う。
そして今回、ついに我慢の限界に達したのだろう。
つまり、それだけフェイトがひどい目にあわされている可能性が高いことを意味している。

確かに会いたいとは思うが、なのはたちと一緒に行くと話をすることができない。
直接会話をすることができない以上、念話を使うしかない。だが、さすがにすぐそばで使えばなのはが気づくかもしれない。それは避けなければならない。

となると、俺の答えは必然こうなる。
「ああ、悪いんだが今日も用事があるんだ。
 俺は後日改めて、ってことでいいか?」
もちろんアルフに会わないわけではない。
申し訳ないが、バニングス邸に不法侵入させていただいて直接会わせてもらおう。
これなら、なのはのことを心配することなく話ができる。

俺の答えに対し、アリサはあからさまに不機嫌そうだ。
「え? またなの?
 なのはたちもそうだけど、アンタも最近忙しそうね。
 一体何やってるのよ」
最近放課後はずっとアリサやすずかとは別行動だったので、そう思うのが自然だろう。
実際、放課後から深夜まで駆けずり回るのはなかなかに大変だ。
子どもの体なので体力がないし、下手に夜の街を歩いていると補導されてしまうので注意がいる。
うん。忙しいというよりも、大変という方が正しいな。

ジト目を向けてくるアリサに、すずかが困ったような表情で話しかける。
「アリサちゃん。士郎君、今は一人暮らしだもん。きっといろいろ大変なんだよ」
そんなアリサに、すずかがフォローを入れてくれる。
こういう時、人のさりげない優しさが身にしみる。
アリサとしても、すずかにやんわりなだめられては強く出れないようで、渋々ここで追及は終えてくれる。


放課後、スグに俺は学校を飛び出し、準備を整えてバニングス邸に向かう。
出来る限り早くアルフと話したいが、話している最中になのはたちが来られては困る。
こちらは直線距離を進めるので先に着くことはできるだろうが、それでもたいして時間に余裕があるわけではない。詳しい話を聞こうと思えば、それでは足りないだろう。
話は夜になってからか、あるいは最悪の場合になるまでお預けだな。
とはいえ、なのはたちの動きも気になるし、様子を見るくらいはしておくべきだろう。
どうせ、今できることなどそれだけのなのだから。

それに一番嫌な展開になった時のことを想定するなら、その場にいた方がいい。
願わくは、今想像した嫌な展開にはならないでほしい。
まあ、多分無理だろうけどさ。



SIDE-凛

本来は謹慎中の身だが、私はクロノやエイミィと共にモニタールームとやらにいる。

なんでも怪我をしたアルフを、犬好きのアリサが見つけて保護したらしい。
そこへ一時帰宅していたなのはとユーノが、すずかも交えて遊びに行っている。
いまはなのはが二人に怪しまれないように一緒に遊びに行き、ユーノが話を聞いている。

ちなみに、向こうにいるなのはやユーノ、それにアルフはもし突然人が来てもいいように念話での会話だ。
なのははアリサやすずかと遊んでいる最中だし、フェレットや狼がしゃべっていたら地球では大騒ぎになるので、怪しまれないためにもこれは不可欠だ。
いくら近くに人がいないと言っても、これだけのお屋敷なのだから使用人が通りかかる可能性は否めない。下手に騒ぎを起こすリスクを負うべきではないだろう。
せっかく念話という一般人では聞くことのできない通信手段があるのだから、それを使うのは当然だろう。

そして、その様子をこちらのモニタールームで見ているわけだ。
重大な情報が聞ける可能性があるので、私の謹慎も解かれて同席させてもらっている。
現在はクロノが話しをしており、なのはもそれを念話で聞いている。
アルフは、フェイトの身柄の安全と保護を求めクロノもこれを了承した。

そこで語られた内容は、なのはたちにとっては驚くべきことであり、私にとってはすでに知っていることだった。
何か目新しい情報でもないかと期待したが、どうやらこの子たちも相変わらず多くを知らないらしい。
『これから、どうするのかな?』
なのはが不安をにじませて聞いてくる。

「プレシア・テスタロッサを捕縛する。アースラ攻撃だけでも、逮捕するには十分な理由になる」
クロノの返答は簡潔だ。海上でフェイトが攻撃された時、同時にアースラも攻撃されていた。
大義名分がある以上、もはや足踏みする理由はない。
こうしてアースラは、その任務にジュエルシードの回収だけでなく、プレシアの捕縛が加わることが決定した。

その後はなのはの意志の確認を行い、フェイトのことに関してはなのはに一任されることが決まった。
なのははフェイトに言った「友だちになりたい」という申し出の返事を聞きたいと言う。
そんななのはにアルフも、今独りぼっちになっていしまっているフェイトを助けてほしい、と懇願していた。

そこへ、クロノが別の話題を持ち出す。
「ところで、もう一つ教えてもらいたいことがある。
 君たちの協力者、アーチャーは何者なんだ?」
アルフの身柄を手に入れた以上、当然聞かれることだ。
できれば最後まで隠し通したかったことだが、こうなったらアルフはきっとしゃべるだろう。
最後にはすべてを出し抜くつもりだったが、どうやら失敗したらしい。
アイツの特異性に関しては、アルフ達も知らないのがせめてもの救いか。

『そ、それは……』
士郎との契約があるからか、それとも多少なり世話になった恩義があるからか、言いにくそうにアルフは黙り込む。

しかし、確実にフェイトのことを助けるには、情報の出し惜しみなどできる立場ではない。
管理局が手を抜くとは思えないが、それでも少しでも戦力を確保するに越したことはない。
今、士郎と連絡を取る手段が、アルフにはない。
そうなったら管理局に士郎を見つけてもらい、そこから協力を要請するのが確実だ。
結果士郎との約束を破り、その命を狙われる(少なくともアルフはそう思っている)ことになっても、フェイトの無事を優先させるはずだ。
彼女のことを詳しく知っているわけではないが、士郎から聞いた話と今の様子から、主を大切にする良き使い魔であることはわかる。それこそ、フェイトを救えるのなら自分の命とて惜しまないだろう。

「もし彼に脅迫されているのなら、心配はいらない。
君も、それにフェイトにも決して手を出させないことを約束しよう」
管理局からその保証があれば、もう話す事をためらう理由はなくなった。
できれば防ぎたかったことなのだけど、これでは手の打ちようがない。
いっその事、私の方からばらしちゃった方がいいかもしれないな。そうすれば、少しは追及も軽くなるだろう。

私がどうしようか考えていると、一瞬の逡巡を経てアルフは決心を固める。
『……わかったよ。アイツのことを教える。
 だから…お願いだよ。必ず、フェイトのことを助けて…』
「もちろんだ。約束する」
クロノは力強く答え、アルフも俯きながらも、僅かに頭を上下に動かして頷く。
士郎に対しての申し訳なさはあるようだが、それでも決心が固いのは見て取れる。

アルフが口を開こうとするところで、別の声が割って入る。
「……困るな。それでは契約違反というものだよ、アルフ」
アルフのいる檻の裏にある林から、変装した士郎が出てくる。
手には干将・莫耶があり、いつでもアルフを切りつけられる状態だ。

「君は、アーチャー!?
 やめろ!! 彼女は重要参考人だ。もし手を出すならば、この場で君を捕縛する」
クロノが焦った様子で警告する。
向こうに、以前使ったような映像を出す。
これで士郎も、この会話に参加することになった。

そういえば、たしか士郎には念話の傍受ができたんだったっけ。
アルフやユーノ、それになのははずっと念話で話していたのに事情を把握しているのはそのせいだ。
声に出していなかった以上、内容を把握するには念話に聞き耳を立てるしかない。

以前聞いた話だと、比較的近くで発信される念話に限定されるけど、ノイズ混じりの通信、あるいは盗聴でもしているような感覚で、それを聞くことができるらしい。外部から内側への魔力干渉に弱いアイツの特性が、こんな特技につながるとは…。
短所と長所は表裏一体、とはまさにこのことだ。アイツって、こんなのばっかしだなぁ。この能力の偏り具合は、実に士郎らしい。
拾える内容は断片的になることもあるが、誰にでもできるような事でもないらしいので、これはこれで貴重の技能だと言える。

ただしこの場合、聖骸布を着ているとかなり制限されるらしいので、傍受することを考えるのなら外套は脱いでおく必要がある。
一応欠点もあり、特に意識していなくても念話を拾ってしまうらしく、意識して拾わないようにしないと相当うっとうしいと言っていた。
おそらくは、学校でアリサからアルフの話を聞いていて、その場では誘いを断ったが、林に隠れていたのだろう。
アルフは特徴的な毛色をしているから、かなりわかりやすい。推測するのは簡単だ。
こちらから送られる念話はさすがに聞こえていないはずだが、アルフから送られた念話を盗み聞きしていたようだ。

「ふん。だが、どうやって拘束するというのかね?
 君はここにおらず、いるのは手負いと戦闘に向かない補助型が一人。高町なのはもすぐには動けまい。
 早急に始末をつけて離脱すれば、何も問題はない」
そう、今のクロノたちに士郎を捕らえる術はない。
士郎がこの場から逃走するのは容易だ。
逃げても追跡されるかもしれないが、伊達に元の世界で数年に渡りあの二大組織から逃げていたわけではない。
ただでさえ、魔術回路を閉じれば発見しにくいのだ。そう何度も通用することではないが、一度や二度振り切るくらいはできる。「魔力殺し」を使えばなおさらだ。
それがわかるからこそ、クロノの声には焦りが出る。この警告には意味がないのだ。

一応アルフは、この場に士郎が出てきたので、管理局との共闘を頼むことはできる。だが、管理局と共闘するということは、士郎の正体を知られるということになる。
士郎が管理局と関わり合いになり、正体が知られるのを恐れていたことをアルフは知っている。
どんなに譲歩したとしても、それは管理局とは別行動での活動までと考えているだろう。
だからと言って、この局面では管理局と関わらずに、士郎に手伝ってもらえることなどほとんどない。

ならば、アルフには選択の余地がない。
士郎にどんな事情があるとしても、管理局と共闘をしてもらうしかない。そのためには、士郎の本心がどうあれ、管理局と共闘するしかない状況に追い込むことだ。ならば、することは決まっている。
正体を明かし、どうやっても逃げられないようにすることで、管理局側につかねばならなくする。
正体が知られてしまえば、個人が巨大な組織から逃げ続けるのは至難だ。その瞬間に、士郎の選択肢はなくなる。

アルフもその結論に至ったらしく、躊躇いがちに口を開く。
「アンタには悪いと思う。たくさん世話になって、感謝もしてる。
 でも、あたしはフェイトの使い魔だ! 主を守るのが生きがいであり、存在意義なんだ。
 だから、殺されるとしても……死ぬ前に、アンタのことを伝えるよ」
実際アルフは殺されるとしても、息絶える最後の一瞬で士郎のことを教えるだろう。
念話があれば、死にかけでも情報を伝えることはできる。

こうなっては隠すことはできないので、いい加減諦めるしかなさそうだ。
「アーチャー、もういいわ。茶番は終わりにしましょう。
 アルフ、アンタの覚悟に免じて、私がそいつの正体を話すわ。
 それなら契約違反にはならないでしょ」
私の言葉に、士郎を除く全員が呆気に取られる。
私が言ったことの意味が分からないのだろう。

「む。いいのかね?」
よく言う。
元から、さっきのは駄目でもともとの脅しでしかなく、本当にそうする気なんてなかったくせに。
だいたい「いいのか」なんて聞いている時点で、ほとんどバラしているようなものじゃない。
このやり取り自体が今更だ。

「仕方がないわ。これ以上は隠しようがないもの。
 それとも何? 私の決定に、なにか文句でもあるの?」
確認するように聞いてくる士郎に、見えてはいないだろうが思い切り人の悪い笑みを浮かべてやる。

長い付き合いだ。いま私は映像に移っていないが、声の様子だけで、私の表情の想像がついたのだろう。
肩をすくめ、観念するように言ってくる。
「ふっ、まさか。君に逆らうなどあるわけがなかろう、マイ・マスター(我が師)。
 承知した。では、改めて自己紹介といこう」

そう言って士郎は、変装用の帽子とカツラ、そしてサングラスを取って素顔をさらす。
「はじめまして、でいいかね。遠坂六代当主凛が門弟、アーチャーこと衛宮士郎だ」

それに、一応知り合いのなのはとユーノが驚愕の声を上げる。
『「…………え? ええぇ~~~~~!!!?」』
なのははアリサ達といるのだが、声に出て怪しまれていないのか心配になるくらいのリアクションだ。

士郎のことは資料でしか知らないクロノが、問い詰めるように聞いてくる。
「どういうことだ! 確か君は、他所の魔術師のことは知らないんじゃなかったのか?」
「ええ、そうよ。だからあいつは私の弟子、つまりは身内よ。どこにも嘘はないはずだけど」
詰問にさらりと悪びれもせずに返され、さすがに怒る気もなくなったようだ。
他の面々は、相変わらず驚愕から復帰できていない。

「彼は魔術師ではないんじゃなかったのか?」
「そんなこと一言も言ってないわ。私はただなのはに、アンタだったら家族に教えるのか、って聞いただけよ」
ただ真実をぼかしたり、詭弁を使ったりしただけで、虚偽などしていないのだから責められる点もない。
勘違いするようなことは言ったが、実際に勘違いしたのはこいつらだ。まずは自分のうかつさを悔いるべきというもの。

「ぐっ。なるほど、つまりは最初からグルだったわけか。
 確かに、それなら納得がいく。彼のあの不可解な行動は、フェイト達を監視するためだったんだな」
やっと真実を知り、これまでいいように騙されてきたことに苦虫をかみつぶしたような顔をする。

だけど、士郎の行動に多少でも違和感を持っていたことは純粋に褒めてやろう。少なくとも、なのはやフェイト達はまったく気付かなかったわけだしね。
「へぇ、何がきっかけかは知らないけど、気付いてたんだ。さすがはクロノ執務官ね、たいしたものよ。
ついでに言うなら、ジュエルシードが出そろった時点で向こうの持ってる分を、全部強奪する手はずだったんだけどね。予定が狂ったわ。
ああ、それと別にジュエルシードで何かを企んでいたわけじゃないから、そんなことを疑っているとしたら勘繰り過ぎよ。あくまで万全を期するための作戦だったんだから」
ここまで知られてしまったのだから仕方がない、本来の予定を教えてやろう。
どうせこれは狂いに狂ってしまっているので、教えても問題ない。

ただし謂れのないことで疑われても困るので、ちゃんとそのあたりは説明する。
こっちでクロノが、私を敗北感一杯で睨んでいる中、向こうでも話が進んでいるようだ。


「つまり、あたしたちは騙されていたってわけかい?」
アルフは信頼していた仲間に裏切られたことで、悲しそうに聞いている。

「ああ、そうだ。だが勘違いしないでくれ。これは俺の発案であり、独断だ。凛は一切関与していない」
こんな時に罪を一人で背負おうとするのは、こいつの悪い癖だ。
前にも言ったが、承認した以上私たちは共犯だ。
こいつの罪ということは、私の罪でもある。
それくらいは一緒に背負ってやるというのに、まだわかっていないらしい。

「いや、いまはそのことはいいよ。フェイトを助けるのを手伝ってくれるのなら、文句はないさ。
ただ、一つだけ答えとくれ。フェイトのことを心配して、世話をしてくれていたのは、それも騙すためのウソだったのかい?」
アルフが、聞こえのいい嘘をつくことだけは絶対にやめてほしいという目で聞いている。
こんな目をされては士郎に嘘などつけるはずがないし、アイツはそんな器用に割り切れる奴じゃない。

「こんなことを言っても信じてもらえないだろうが、せめてその時が来るまでは、仲間としてお前たちに接しようと思っていた。
 フェイトへの配慮に、一切のウソがなかったことだけは確かだ」
士郎が悲しそうに返している。
本心を言えば罪悪感で一杯なくせに、それを我慢しどんな罵倒も侮蔑も甘んじて受けると言うように、目を閉じている。

「…………わかった、信じるよ。
アンタのことは信じられないけど、今でもアンタのことを信じているフェイトの人を見る目を信じる。
だから、絶対にフェイトを助けておくれ」
「ああ。誓って、必ず……」
アルフの言葉に、士郎は胸に手を置いて誓いを立てる。


これで士郎のアースラチームへの参加が決まった。

その際に、家で回復させている山猫をアースラに移し、専門的な治療を受けさせることになった。
それを見たアルフが大層驚き、山猫の名前と素性を明かした。名前は「リニス」といい、元はプレシアの使い魔だったらしい。フェイトの育ての親であり、魔法の師にして彼女のデバイス「バルディッシュ」の製作者だそうだ。ある日忽然と姿を消したので、てっきり使い魔としての役目を終え消えたと思っていたらしい。
これでは驚くのも無理はない。アルフとしては、幽霊でも見た気分だろう。

だが、そんな位置にいたのなら、何かまだ私たちの知らない情報を持っているかもしれない。
士郎が発見した時の様子から考えても、外部の人間に何か伝えたいことがあったことがうかがえる。
その情報がどう役に立つか分からないが、アースラの方でも全力で治療に当たるそうだ。

士郎は、そのままアースラに乗り込むのではなく、なのはの護衛についている。
プレシアが必要としているジュエルシードの数には届いていない以上、おそらくフェイトはなのはの持つ分を狙ってくるはずだ。
その際にフェイトの相手をするのは、本人の強い意向もあって、なのはが担当になった。

だが、どう決着を見るとしても、二人とも相当に消耗して余力がなくなるのは確実だ。
なのはが勝てば問題はないし、フェイトが勝っても消耗しているなら確保は容易い。
フェイトが動いた時点で、彼女の確保は確定すると言っていい。

だがそうなると、この前のようにプレシアからの攻撃を受けることも予想される。
なにせこちらは餌として手持ちのジュエルシードを使うのだから、勝負の結果とは別に、最低限それだけでも確保しようとするだろう。
フェイトが確保されれば、勝っても負けてもジュエルシードはプレシアの手には渡らない。
当然、その場から何とか強奪しようとするはずだ。
こちらに隙を作らせようするのなら、以前のような大威力での攻撃をするのが手っ取り早い。
そうなった場合に備えて、士郎には二人が攻撃された際の守護を任せられた。

あと、士郎の方は特に罪に問われることはないらしい。一応管理局側にとっても有益な情報を提供したし、今後は協力していくことも確認した。
あくまでも、事態をいい方向に進めるための潜入捜査の一環として扱ってくれるそうだ。



SIDE-士郎

時刻は明け方。

予想通りにフェイトがあらわれ、二人は互いの持つジュエルシードすべてを賭けて、最後の勝負をしている。
俺は海辺近くの林の中に隠れている。
万が一のための護衛である以上、存在を知られては意味がない。
ただし、俺はフェイト達の決闘に関与する気はない。
俺が警戒しているのは、もっと別のことだ。

こちらの思惑通りに事が進めば、プレシアが何かしらのアクションを起こすはずだ。
今回の俺は、そのアクションが起こった際に二人を守るのが役目。
ここのところ、気配を消して物陰に隠れるのが日常的になってきた。
なんか最近こんなことばっかりしているので、影が薄くなってやしないかと心配になってくる。


今回の勝負自体はどう決着がつこうと、さして大勢に影響はない。
重要なのは勝負がついた後。
プレシアが起こす行動こそが、時の庭園突入の足掛かりとなる。

時の庭園は高次空間内にあっても常に位置を変えているらしく、正確な位置を知ることはできない。
ただ、それだとフェイト達が時の庭園に戻ることができない。そのため、向こうにゲートを設置しそれを使っていたのだ。これを利用するには、専用の鍵が必要だ。
アルフもそれを持っていたのだが、プレシアから逃げた時点でそれは失効され使いものにならない。
動きやすさを考えれば地球の近くだろうが、それでも範囲が広い。これだけでは、絞り込むのはほぼ不可能だ。
そのためアルフから提供された情報は、時の庭園内部の地図だけとなる。

だが、その問題はすでに解決している。
時の庭園には、凛によって特殊な処理の施された宝石を俺が預かり、向こうに置いてきている。おかげで凛にはその位置がわかるので、時の庭園の位置はすでに判明している。
本来、凛のそれは多分に感覚的なのだが、今はそれを共有し座標に置き換えることができる奴がいる。そのおかげで、向こうの位置を掴むことができた次第だ。
全く、本当にここ一番で抜けている。「アイツ」が目覚めていなければ、危うく徒労に終わるかもしれなかったし、改めて時の庭園の位置を探さなければならないところだった。

とりあえず、凛にはプレシアの居場所は分かっているし、アルフからの情報提供もある。
すでに向こうの本拠地の位置と、内部構造の方はほぼ把握できている。
必要な情報がそろっている以上、すぐにでも突入したいところなのだが、二つの問題がある。

一つは、時の庭園に張られている防壁だ。
向こうだって馬鹿ではない。定められた正規のルート以外でやって来る者がいるとすれば、そいつはあからさまな侵入者だ。
それを阻むのは当然なのだから、あの防壁には相当な強度があると同時に、何らかのトラップが用意されている。
詳しいところは現在防壁を解析中だが、総合Sランクオーバーの魔導師が張っている防壁を抜くのは容易ではない。防壁の解析が終わり、侵入するための穴を開けられるようになるまでどれくらいかかるか、今のところ見通しは立っていない。
位置がわかっているにもかかわらず、こちらから打って出ることのできない理由がこれだ。

だが、向こうから何らかのアクションがあれば、一時的にその防壁に穴があくことになる。防壁を素通りすることもできるかもしれないが、それでも多少は防壁に影響を与えるだろう。
その瞬間を狙って防壁に干渉し、道を通すのが最も手っ取り早い侵入方法だ。
だからこそ、対戦の結果が大勢に影響がないにもかかわらず、少なからぬリスクを背負ってまで戦わなければならないのだ。

そして、二つ目はフェイト自身のことだ。
できるなら、ここでフェイトを確保してしまった方が、突入した時にやりやすくなる。
何よりも、プレシアがフェイトに余計なことを吹き込むかもしれない。
これだけは、何としても防がなければならない。

なのはには知らせていないが、すでにリニスは目覚めている。
凛が感知した宝石の位置の感覚を共有し、座標に置き換えたのもリニスだ。
保護してから大分経つし、これまでできる限りの治療はしてきたので、目覚めるまであと一歩だったようだ。
それでも相変わらずベッドの上で寝たきりだが、話はできるようになった。そこで、アルフも知らなかった秘密の通路や部屋などの情報も得られた。
だが最も重要なのは、リニスの知るプレシアとフェイトのこと。彼女からの情報と、本局から送られてきた情報を総合することで、俺たちはフェイトの真実を知り、プレシアの目的をある程度推測することができた。

しかし、まだ幼いフェイトやなのはが知るには、その真実はあまりに残酷で、俺たちも教えることをためらっている。
勝負の前に迷いを持たせたくないというのもあるが、何よりあの子たちはそんなことを知らなくてもいいのではないかと思う。
こんな真実は、だれのためにもならないのだから。

けれど、いざ突入した時にフェイトが立ちはだかると厄介だし、何より追い詰められた時にプレシアがフェイトに何をするかわからない。
プレシアはフェイトのことを、使い捨ての道具程度にしか考えていない。いや、むしろその感情は憎悪に近いだろう。
使い捨ての駒扱いなら、まだいい。しかし下手をすると、真実を突き付けフェイトの心が壊されるかもしれない。
もし真実を知るにしても、それにはもっと成長し、真実を受け止められるだけの強さとアイデンティティが確立されてからの方がいい。
少なくとも今の段階でそれを知るのは、あまりに酷だ。

勝っても負けても、フェイトは相当消耗するだろう。そこを確保し同時に時の庭園への道を通すのが、この戦闘のねらいだ。
そうすれば、フェイトがプレシアからいらぬことを吹き込まれる心配はなくなる。
また、ジュエルシードはプレシアを捕まえてしまえば何とでもなるので、こちらの持ち分さえ奪われなければそれほど重要ではない。
できればなのはが勝ち、フェイトとジュエルシードの両方を確保できるのが一番なのだが……。


戦闘は白熱し、互いに一進一退の攻防を演じている。
「しかし、この短期間でよくもここまで仕込んだものだ。
 本人の才能にも呆れるが、どんな手品を使ったのかね?」
本格的に戦闘訓練をするようになってからの時間を考えると、まるで魔法でも使ったかのような成長ぶりだ。
本来接近戦など論外なはずなのに、それも問題なくこなしている。
魔法の才はともかく、運動神経は壊滅しているなのはをこれだけやれるようにするのは、至難の技のはずなんだけどな。

「別に、そうたいしたことを教えたわけじゃないわよ。
 接近戦に関しては心得程度しか教えてないけど、あの子の家族は相当な剣士なんでしょ。
 普段どの程度見ているかは知らないけど、そこから学んでいることもあるんじゃないかしら」
いまはモニター越しに、アースラにいる凛と話をしている。
見ることも修業とは言うが、あれだけレベルの高い人たちのを見ていると、相応の影響があるのかもしれない。
一応、俺の方からフェイトのできることは一通り教えてあるとはいえ、それでもここまでやれるのは凛にとっても驚きらしい。
さすがにアルフは主を裏切るようなまねをしたくないのか、その点については情報を出そうとはしなかった。

「この分だと、一番弟子の座をおわれることになるかもね~」
あのあくまの笑みを浮かべながら、凛がそんなことを言ってくる。
別に正式に弟子にしたわけじゃないだろうに、こんなことを言って焚きつけてくるあたり、人が悪い。

「いやいや、出来の悪い弟子で申し訳ない限りだ。
 なに、先達はいずれ追い越されるものだ。これは、喜ぶべきことだと思うがね」
本音を言うと結構焦っているのだが、それを悟られるのも癪なのでこう返す。
まあ、それでもまだまだ俺の方が優位ではある。伊達に年と経験を積んではいない。
だが、今は負ける気はしないが、いずれは確実にあの二人には追い越されるだろう。というか、基本的な攻撃力や防御力・機動力では、すでに勝ち目がないかな?
これは、俺もうかうかしていられない。

しかし、元来衛宮士郎は「戦う者」ではなく「作る者」。
普通に戦って勝てないなら、勝てる状況と手段を作り上げればいい。
幸いにも二人の戦い方はよく知っているので、いくらでも対抗策は出せる。
俺はいつだって、そうやって勝利をおさめ生き延びてきた。

実際に追い越されても、そう簡単には負けはしないという自負もある。
多少の戦力差など、俺からすれば取るに足らない瑣末なことだ。
過去に戦ってきた相手には、多少どころか桁違いの戦力を有している奴もいた。そんな連中と命のやり取りをしてきたのだ。勝ったこともあれば、手も足も出ずに負けたこともある。それらに比べれば、あの二人はまだまだ「かわいい」と呼べるレベルだ。
勝てる可能性が1%でもあるのなら、その可能性を必ず手繰り寄せてみせる。
それが、衛宮士郎の戦い方なのだから。


戦いも終わりが見えてきた。

なのはを強敵として認識したフェイトが、切り札を切ってきた。
「ファランクスシフトか。フェイトのやつ、ここで決める気か」
以前聞いたフェイトの手持ちの魔法の中の、最強の一が発動する。
それを迎撃しようとするなのはは、バインドにとらわれて身動きが取れなくなっている。

「どうやら、これで終わりのようだな。やはり、元からある力の差を埋めきれなかったか。
 たとえ受け切っても、もう魔力はほとんど残るまい」
アルフやユーノが手を出そうとするが、それをなのはに止められる。
たしかに、これは戦闘ではなく「決闘」だ。ならば横槍を入れるのは、無粋というもの。
なのは自身、フェイトの全力の攻撃を受け切るつもりのようだ。
だがこれを受けては、なのはに勝ち目があるとは思えない。
何か秘策でもあれば別だが、それを実行する力すら残らないだろう。

驚いたことに、なのはは見事全弾受け切ってみせた。
驚愕し、動きを止めるフェイトの真上を取ったなのはは、最後の魔力で「ディバインバスター」を使った。
一体どういう防御力をしているのか。たとえ受け切ったとしても、反撃する余力などないと思ったのだが。
しかし起死回生の一撃も、フェイトに耐えきられてしまった。

これで、お互いに残った魔力はわずか。
これなら接近戦に秀でるフェイトの勝ちか、と思った矢先に、これまでで一番の出鱈目をなのはがやらかす。

「な、なに考えてんだ、あいつ!?
 周囲の魔力を使って、足りない分の攻撃力を補う気か?
 おい、凛! お前、こんなことまで教えたのか!?」
フェイトの頭上に移動したなのはは、そこで周囲に散らばった魔力をかき集めている。
その様は、天空の星々が集結していくかのようだ。
なのはの前にある光球は、加速度的にその大きさと輝きを増している。
一体、どれほどの威力を持たせる気でいるんだ。

「ああ、あれね…。ほら、前に言ったでしょ、なのはが私に秘密でやっている訓練があるって。
まさか本当にこの短期間でモノにして、あまつさえ実戦で使えるレベルになるとは思わなかったわ。
私が訓練を始める前に言っていた事と、以前見せた魔術師の技術をヒントにして、ユーノに協力して貰って編みあげたのよ……」
説明する凛の声は、呆れるような響きを含んでいるが、どこか投げやりになっている。
まぁ、無理もないか。俺だって、なんだか馬鹿馬鹿しい気分になってくる。
それだけなのはの成長は、予想外どころの騒ぎではないくらいに急激なのだ。もう進化と言っていいレベルだと思うぞ、これは。

それと、足りないのなら別のところから持ってくる、というのは魔術師にとっては常識だ。
一応、魔術がどういうものか教える際に、大気中の魔力を汲み上げるのも見せたことがあるらしい。
それを魔導師流にアレンジしたんだろう。まさか、それをこんな形で実行するとは…。

たしかに、以前なのはが凛には秘密で魔法を練習していると聞いたが、こんなものを考えていたのか。
あの時、凛の顔が引きつっていたのも納得だ。
ユーノから提供されたのは、あくまで理論だけだ。自力でこんなデタラメなことを考えて、それを見本もなしにほとんど独学で身につけようというのだ。呆れてモノも言えない心境になって、当然だろう。
しかも、それを本当に完成させてしまったのだから、呆れるのを通り越して馬鹿馬鹿しくなっても仕方がない。

普段の訓練とジュエルシード探しの合間を縫っての訓練の上、なのはの体調に変化があった場合には、凛から注意もされていただろうし、そう時間をかけて身につけたものではないはずだ。
短期間でこれほど戦えるようになったことだけでもすさまじいのに、それよりもずっと少ない時間でこれを編み出したのか。
なんでもこれは、ランクにしてSに届く高等技術らしい。
ヒントがあったとはいえ、それを教えられるのではなく、自分で身につけるなんて本当に天才だな。

「これがわたしの全力全開! スターライト・ブレイカー!!!!」
なのはがありったけの魔力と、周囲の魔力を用いた一撃を放つ。
あんなの、宝具の真名開放でもしなければ防ぐことも、かき消すこともできやしない。
なのは以上のランクの魔導師の中には、同じタイプの人もいるだろうから、これ以上の攻撃をできる人だっているかもしれない。魔法というのは、俺が思っていた以上にとんでもないようだ。

収束砲というらしいが、人間が出せる攻撃という意味では、最大級の威力を持っていると言ってもいいかもしれないな。宝具クラスでなくては比較対象にもできないなんて、まったく、なんて規格外。
あまりの光景に唖然としてしまう。

「本当の強者は、たとえ万分の一の勝機でもものにしてみせるとは言ったけど。
その点で言えば、なのはは本当にそうなのかもしれないな」
あまりの出鱈目ぶりに嘆息する。
いくら非殺傷設定があるといっても、あれでは殺しかねないのではないかと心配になる。
なのはは正しく「やるからには徹底的に」が流儀の、遠坂凛の弟子であることを確信した。
あれは将来、凛に次ぐ「あくま」になること間違いなしだな…。


勝敗は決した。海に落ちたフェイトを救出して、いまはなのはがフェイトを抱きかかえている。
バルディッシュからジュエルシードが出され、なのはがそれを取ろうと手を伸ばす。
動くとすればそろそろだな。
そんな予想は見事に的中し、先ほどまで晴れていた空から、膨大な魔力を帯びた紫電が降ってくる。

「やはりか! 『熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)』!!」
林から出て、二人に向かってあらかじめ待機させていた楯を飛ばす。
今回はクロノとの時に使ったような半端なモノではなく、七枚すべてを投影した完全な形だ。
鞘を除けば、これが俺の持つ中で最強の守りだ。
そう簡単に破られはしない。

だが、同時に不安もある。
プレシアはジュエルシードを制御できると言っていた以上、その魔力を利用することができる可能性が高い。
それによって行われる攻撃は、生半可なモノではないはずだ。実際、雷撃から感じられる魔力は尋常ではない。

また、自然現象が相手ではアイアスといえども分が悪い。
如何にその花弁の如き守りの一枚一枚が古代の城壁に匹敵するとはいえ、その真価を発揮できなければどこまで耐えられるかわからない。
アイアスは、投擲兵器に対する絶対の防御力を誇る宝具だが、それはあくまで投擲兵器に対するものでしかない。
自然現象である雷は、これに該当しないのだ。
もし本物の落雷を相手にしたら、破られる可能性は十分にある。

落雷といっても、こいつの根底には魔力と人間の意思が通っている。
すなわち自然現象の姿を借りただけの、人為的なモノだ。
概念武装をはじめとした神秘側の武装は、物理的な意味合いよりも、そのうちにある本質こそ重視される。
形の上では落雷でも、その実明確な敵意や害意が宿っている。
そもそも魔法によって放たれている以上、他の魔力弾と同じモノと判定されるはずだ。
もしそうなら問題なく防ぐことができるはずだが、確証があるわけじゃない。

それこそが、俺の感じる不安だ。
それに、相手は神秘の欠片もない攻撃だ。
神秘同士のぶつかりあいならまず宝具に負けはないが、神秘性なんて全くないし、あの威力と雷という属性だ。
その上、投擲された攻撃かというと「そうだ」と言い切れない。
不確定要素が多すぎて、どんな結果になるかわからないのだ。
だからこそ、七枚すべてを投影し万全の守りを敷いた。

そして、念を入れて正解だったようだ。
アイアスは確かに雷撃を防いでいるが、徐々にヒビが入っていく。
雷撃という属性を帯びているせいか、それともデタラメな魔力が込められているせいかは不明だが、とにかく楯に亀裂が入っていく。

一枚目が破壊されてもまだ六枚あるが、この雷撃がいつまで続くかわからない。
そうなると、たかが一枚と妥協することはできない。
いや、すでに一枚目も限界だ。すぐにでも二枚目に到達する。
先ほどまでよりなお多くの魔力を楯に注ぎ込み、雷撃に対抗する。

しかし俺は、ここで致命的なミスをやらかした。
「え、ウソ!? 第二波来るよ、気を付けて!!」
エイミィさんからの警告が聞こえる。

「第二波だと!? ちっ、こちらの考えを読まれていたか」
先ほどの一条の雷光とは違い、広範囲に落雷が降り注ぐ。
範囲が広い分威力は第一波よりかは劣るが、それでもかなりの力だ。
これの直撃を受けてもただでは済まない。

ここで楯を引いては、二人の守りがなくなる。
二人とも消耗していて、とてもではないが防ぎきれるものではない。
アルフとユーノも、今は自分の分の防御で精一杯。二人に回す余力はない。
となれば、ここで楯を退くわけにはいかない。

だがそうなると、当然俺はあぶれることになり直撃を受ける。
もう一つアイアスを投影すれば防げるが、時間が足りない。「剣」の概念から外れる分、通常よりも作り上げるのに時間がかかる。今から投影しても間に合わない。
これほどの魔力を帯びた雷撃が相手では、聖骸布の守りも気休め程度にしかならないだろう。

もはや俺にできることはただ一つ。聖骸布に可能な限りの強化を施し、覚悟をきめてこの攻撃に耐えるしかない。
「が、ああぁぁぁぁぁ……」
高出力の電撃を受けて、意識が遠のいていく。
同時に楯が揺らぎ、ヒビ割れがどんどん侵食していくのが感じられる。

このままでは不味い。体を走る稲妻のせいで、楯の維持に集中できない。
体を苛む痛みと身を焼かれる灼熱感を無視して、楯の維持と魔力を注ぐのに全身全霊を傾ける。
意地でも二人を守りとおさなければ、俺がここにいる意味がない。そう自らを鼓舞し、意地を張りとおす。

攻撃そのものは一瞬で、すぐに雷撃はやんだ。
だが、それでもなお受けたダメージは甚大だ。僅かだが、何かが焦げる匂いもする。
とりあえず、命に別条はなさそうだ。過去、死にかけたことは何度もあるし、実際に俺は一度ならず死んでいる。
その経験から言って、今までにはもっとヤバい状態になったこともある。それよりはマシなので、多分大丈夫だ。
あれだけの雷撃を受けて、致命傷でないのがせめてもの救いだな。
全く、つくづく悪運が強い。

朦朧とする意識の中、最後の力を振り絞って二人の安否を確認する。
楯はなんとかその役割を果たしたらしく、四枚目までが破られ五枚目もヒビだらけだが、二人は無事なようだ。
あのデタラメな第一波に続き、多少劣るにしても、それでもなお強力な第二波まで受けたのだ。こうして防ぎ切ってくれただけでも、感謝すべきだろう。
ジュエルシードは………持って行かれたか。あの雷撃は、回収する間の目眩ましだったのだろう。
そこまで確認したところで、力尽きた俺はその場に倒れ伏す。

どこからか声が聞こえる気もするが、俺の意識はそこで途絶えた。




あとがき

半月ぶりの更新ですが、予定より少し早く更新できました。

結構あっさり士郎のことがバレてしまい、不満がでないか心配です。
まあ、アルフがアースラに保護された時点で士郎のことを隠すのは無理なので、こんな展開になりました。
その代り、士郎は合流早々に戦線を離脱してしまいました。
次回は凛が大暴れ………の予定です。

皆さん期待していらっしゃるであろう、うっかりは発動するのでしょうか。でも「ここ一番で凡ミスをかます」と言いながら、UBWの終盤はミスらしいミスがないので、案外ピンチやクライマックスに強いのかな? なんて思います。少なくとも、父親である時臣のように「本当に命にかかわるほど重大な局面」でうっかりエフェクトが発動することはないのでしょう。
でも案外、士郎が無茶してプレシアと対峙したりするかもしれません。

今回アイアスが少し壊されましたが、正直結構迷いました。いっそ無傷にしてしまおうか、それとも守りきったけどかなりギリギリにしようか、いろいろ考えた結果です。
このほうが緊張感がありそうというのと、パワーバランスを取るためですね。ジュエルシードの魔力を利用しての攻撃を無傷で防いでしまったら、さすがにバランスがとれないでしょう。
まだ「最強の守り」である鞘だってあるんですから。これくらいがちょうどいいと思います。
ちなみに破壊されてしまった一番の理由は、純粋に威力が半端ではなかったせいです。
下手に神秘性が入ってこない分、単純な力勝負になった結果だと思ってください。

次回は、多分初めての外伝になります。
今回やっと士郎がアースラと合流したので、外伝を解禁できるようになりました。
先月終わりには書き上がっていたのですが、内容的に少しネタバレになってしまうので、今まで出せないでいた話になります。これでネタバレの心配がなくなったので、安心して皆さんの前に出すことができます。
最後の推敲をして、今月中にでも出せたらいいと思います。

それでは、今回はこれにて失礼します。



[4610] 外伝その1「剣製」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2009/02/24 00:19

SIDE-士郎

ジュエルシードをめぐる一件が解決を見て、早いモノで数ヶ月が経った。
いま俺たちは夏休みの真っ只中。

宿題の類は別になんてことはないのだが、厄介なのは読書感想文や自由研究だ。
テーマを決め、かなり真剣に取り組まねばならない。
算数の宿題なら欠伸が出るほど簡単なのだが、こちらの方はあまり力を入れ過ぎると子どもがやったにしては、不自然なモノが出来上がってしまう。
いや、むしろどのあたりまで力を抜けばいいのか、そのさじ加減が難しい。そのため、普通とは逆の意味で悩んでしまうのだ。
子どもの中に紛れ込むのも大変だ。

だが、やはり一日の大半を自由に使えるのはありがたい。
どれだけ年をとっても、長期の休みというのは嬉しいモノだ。

俺や凛、それになのははこの有り余る時間を利用して、本格的に魔法の練習に勤しんでいる。
リンディさんの計らいでそれぞれの適性などを調べてもらい、それに合った教本や資料をもらっている。
ユーノはすでに高町家を離れアースラに移っており、俺たちは互いに試行錯誤しながら独自に魔法の勉強中だ。
凛はなのはと同じミッド式に適性があり、飛行の方も問題ないことがわかっている。

本来、フェイト達のような先天資質でA以上といった素質に恵まれた人間でないと、飛行訓練はかなり大変らしい。
飛ばない魔導師を陸戦、空を主戦場とする魔導師を空戦と呼ぶのだが、当然優れた資質を求められる空戦型よりも、陸戦型の方が数は多い。
空戦魔導師になる場合でも、陸戦魔導師として訓練や実績を積んでからという人も多いらしい。

凛の先天資質はBなのだが、それ以外の制御や術の構築に関しては魔術同様、優れた才能を発揮している。
なのはの飛行魔法を参考にし、いつの間に自分なりに編み上げてしまっていた。
多少時間はかかったが、一ヶ月もすれば自在に空を飛べるようになっていたのだから驚きだ。
現在は、他にも転送系を中心にいろいろ練習している。
あり余る才能がうらやましい限りだよ、本当に。

それに引き換え俺はというと、前々からわかっていたことだが魔法に関しても才能の片鱗すら見られない。
俺は凛たちと違ってミッド式ではなく、かつてミッド式と勢力を二分したベルカ式とやらに適性があることがわかった。現在はやや衰退しているが、それでもなお根強い使用者がいるそうだ。
管理局の方でも、ミッド式に次いで使い手の多い魔法体系である。
おかげで、資料などはかなり整っているそうだ。
こちらはある程度遠距離戦や複数戦闘を切り捨て、近接での個人戦闘に特化しているのが特徴だ。
まあ、俺らしくはあるかな? 少なくとも俺の好みとは合致する。

厳密に言うと俺が使うのは「近代ベルカ式」と呼ばれるもので、かつてミッド式と勢力を争ったベルカ式とは若干異なる。そちらは「古代ベルカ式」と呼ばれ、これの使い手はレアスキル持ちとして扱われるほど数が少ない。
近代ベルカ式はミッド式をベースに、古代ベルカ式を再現した魔法だ。
ミッド式と相性がよく、併せて習得する術者も多いらしい。
ただ俺も少し試してみたのだが、どうもミッド式とは相性が良くないらしく、全然うまくいかないんだけどな。
飛行も同様で、俺の資質では仕方がないのかもしれないが、まったく適性がないと太鼓判を押されてしまった。

そもそも、ベルカ式お得意の魔力付与を習得するのにすらかなり時間がかかった。
これは魔術の強化とはだいぶ違い、魔術のように内側に魔力を通して存在意義を強化するのではなく、武器や肉体の外側を魔力で覆い補強するのに近い。「作る」人間である俺の領分ではないが、他の魔法に比べれば俺の使える魔術と一番近いのがこれなので、まだ感覚がつかみやすかった。
一応、どちらも起こす結果としては対象の性能を高めるという意味で類似しているので、何とかなったのだろう。

また強化とは完全に違う形なので、上手く併せれば魔術で内側を、魔法で外側を強化することができると考えて、真っ先に覚えようとしたのだ。二つの特性が合わされば、今まで以上の身体能力の向上が見込める。
魔力の互換はできないが、それぞれを別々に使うのは問題ない。

時間はかかったが一応習得自体はできたので、今は魔術を使いながら魔法を使う練習中だ。
しかし、一ヶ月近くやっているにもかかわらずほとんど成果がない。
いいアイデアだと思ったのだが、なかなか難しい。他に前例などいないのだから、完全な手探りだ。

他の魔法にも手を出しているが、今のところそちらも成果はない。今までに手を出したのだと、バインドにシールド、ケージ、と多岐にわたるがどれもしっくりこない。
デバイスがあれば、少しはましになるのだろうか。

一応、リンディさんから俺にもデバイスを進呈されることになっている。それは凛との間になされた契約なので、本来俺はその対象にならない。そう思ってはじめは断ろうとしたのだが、俺も協力者の一人なのだから相応の報酬を受け取る権利がある、と言って半ば無理矢理に近い形で押し切られてしまった。
あの綺麗な笑顔で迫られると、どうしても断れない。男って、悲しい生き物だなぁ。

俺たちのデバイスの製作にはリニスも参加している。フェイトのバルディッシュを作ったのもリニスらしいし、かなり期待できる。今は、凛のデバイスの最終調整に入っていると聞いた。
だが、俺の方はまだあまり進んでいない。俺がどんなタイプの魔法をメインに据えるか決まっていないので、基本構造の製作から先に進めないそうだ。

やはり、俺の属性などに合ったものでないと難しいのかもしれない。
詳しいところは知らないが「剣」や「作る」といった点に該当する魔法ってあるのかな?
クロノがそれに近い魔法を使うらしいが、アイツの使うのはミッド式なので俺には無理そう。

オーソドックスな魔法は一通り試したので、今度はあまり使い手のいないのを試してみるか。
魔術でもそうだけど、俺はそういうあまり一般的でないモノに適性があるように思うし。
投影なんてまさしくだからな。


それはそうと「剣」や「作る」で思い出したのだが、実を言うと俺には工房がない。
一応家には工房に使えそうな地下室があるのだが、そちらは凛が使っていて俺の入る余地がない。
すでにアイツ独自の法則で物が置かれていて、俺でも迂闊に手が出せない状態だ。
そのため、現状自室が俺の工房となっている。

魔術の探究などにはあまり興味がないので、それはそれで構わないのだが、やはり昔使っていた土蔵のようなところがあった方が鍛錬などはしやすい。
部屋数は多いのだが、どれも工房には向かない。
それに俺の工房を作ろうと思えば、できれば用意したいものがある。

それは鍛冶場。もちろん剣を鍛えるために必要だからだ。
本来俺は贋作者(フェイカー)なので、複製するならともかく、完全な俺のオリジナルを作るなんてできるのか不安はあった。
だが、俺は「作る」人間だ。ならば何かを作るのが本分だろう。
それも属性が「剣」となれば、作るものなど一つしかない。

時計塔時代、ただ魔術の鍛錬をするだけでなく何かやってみたいことはないか、と凛に問われたことがある。
色々と悩んだ末に出したのが、自分の剣を鍛ってみたいというものだった。
不安はあったが、それでも何をしたいかと問われて唯一浮かんだのがそれだ。

それを聞いた凛は、あっという間に必要なモノを揃えてしまった。
そこまでしてもらった以上やりもせずに放棄するわけにもいかないので、俺はその手に鉄槌を握ることになった。
俺の不安は杞憂だったようで、初めて作った剣は拙いながらもそれなりに様になっていた。
そして、俺の中には確かに喜と楽の感情が生まれていた。
俺が何かを「楽しい」と感じるのはかなり珍しい。それに気を良くした凛が、しばらく上機嫌だったのが印象的だった。
我がことのように喜んでくれるのだから、本当に頭が上がらない。

それからというもの、俺は機会さえあれば剣を打つようになっていた。
もし俺に趣味と言えるものがあるとすれば、これのことだろう。
追われる身になってからは鉄槌を握ることもなかったが、今はこうして平穏な生活を送っている。
せっかくなので、また挑戦したいと思う。

そう考えた俺はある夏の日、一歩を踏み出すことにした。



外伝その1「剣製」



いま俺がいるのは、この地での後ろ盾であり雇い主でもある人の住む月村邸。
この街で俺が頼れる人となると、ここの人たちくらいだ。

なのはと恭也さんを除けば、ここの住人だけしか俺たちが魔術師であることは知らない。
高町家には優れた剣士が3人もいるし、家長の士郎さんはかなり顔が広いらしいので、俺のしようとしていることのために頼るのにはうってつけではある。
だが、あそこは魔術のことを知らない人の方が多い。そもそも士郎さんは魔術とは無関係の人だ。
俺のやろうとしていることは「鍛冶」であり、同時に「魔術」でもある。
前者だけなら問題ないのだが、後者が絡んでくる以上頼ることはできない。
そこで、月村家を頼ることにしたのだ。


さすがに手ぶらで来るわけにもいかないので、家で作った菓子を持参しての訪問だ。
ノエルさんが紅茶を淹れてくれ、俺の持ってきた菓子がテーブルに並べられる。
今日の俺は客なので、今回のところは給仕はお預けだ。
ノエルさんたちの仕事を取ってしまうのも申し訳ないし、それでは話が進まないので今日は我慢だ。

軽い世間話などをしながらどのタイミングできり出そうか考えていると、忍さんの方から聞いてくれる。
「それで、今日はどうしたの?
 折り入ってお願いしたいことがあるってことだけど、貴方達にはいろいろお世話になっているし、気兼ねなく言ってちょうだい」
お世話というのは、霊脈の管理のことだろう。
ちゃんと成果は出ているようで、月村家の金運をはじめとした運気は向上の一途をたどっている。
それだけでなく、霊脈上の要所にある会社などは事業に成功し、街の景気も良くなっている。
他にも霊脈は人の精神状態にも影響を与えるので、事故や事件も減少傾向だ。
そのため、治安もよくなり街には活気があふれている。

全てが霊脈を管理するようになったためとは言わないが、少なからず影響を与えているのは間違いない。
だが、実際にやっているのは凛であり、俺はおかしな所がないか街を歩いて確認する程度しかしていない。
ちゃんと報酬も受け取っているし、お世話にもなっている。こちらこそ礼を言いたいところだ。

とはいえ、せっかく向こうから聞いてくれたので、ここで遠回りな言い方をしても仕方がない。
単刀直入に言うことにする。
「実はですね。鍛冶場を探して欲しいんです」
「鍛冶場って……あの刀を打ったりする?」
さすがに恋人が一流の剣士なだけあり、鍛冶場という普通なら耳慣れない単語にも理解がある。

「ええ。士郎さんにでも聞ければいいんですが、子どもが剣を鍛えたりするなんて普通はないですからね。
 変に興味を持たれても困るんですよ」
一応普通に剣を鍛えることもできるが、やはり俺の鍛冶は魔術の一種だ。
特にそれらしいことをしないとしても、魔術を知らない人に見られるのはよろしくない。
ましてや、本格的に魔剣を鍛とうとするなら尚更だ。

そんな俺に、すぐ横に座っているすずかが不思議そうに聞いてくる。
「というか士郎君って、そんなことできるの?」
イメージとしては鉄槌を何度も振るうかなりの力仕事であり、長時間炉の前に居続けるハードな作業だ。
自分と変わらない子どもがそれをするというのは、違和感を覚えるのだろう。

「まぁな。久しくやっていないけど、それなりの腕だと思うぞ。
 俺は魔術全般に才能がないけど、そういうことは得意なんだ」
すずかの問いに、苦笑しながら答える。

「へぇ~、そんなこともできるのね。やっぱり、それって魔術的なものなの?」
忍さんも興味があるらしく、眼を輝かせて聞いてくる。
その様子は二十歳近い大人の女性というよりも、新しいおもちゃを与えられた子どものようだ。
興味のあることには思い切りのめり込んでいくタイプなのだろう。

「そうなります。一応普通の剣もできますが、やっぱり魔力を宿す魔剣の方が本分ですね。
 そういうわけなんで、できればもう使う人のいない、廃れた鍛冶場がいいんですけど」
普通の人に見られるわけにもいかないし、この時代鍛冶場というのは需要がない。
探せば、山奥などに廃れた鍛冶場の一つや二つくらいあるだろう。
俺としてはその場所を教えてもらい、しばらくの間篭って集中してやれたらと思っている。

「ああ、そうだ。ちなみにこれが以前、俺が鍛えたものです」
そう言って手元に投影するのは、昔俺が打ったなかでも特に出来のいい一振り。
剣に関して詳しい知識を持っているはずがないが、それでもこうして頼む以上、俺がどんな剣を打つのか知っておいて貰うべきだ。
忍さんは一種のスポンサーだからな。ちゃんと誠意を見せないと。

「へぇ、どれどれ」
忍さんの手に、鞘に入ったままの剣を渡す。
すずかも興味があるのか、忍さんの後ろから覗き込むようにしている。

正直、人に見せるのは恥ずかしいのだが、前の世界ではそれなりの評価を受けていたし、たぶん大丈夫だろう。
そんな俺の心配をよそに、二人はマジマジと鞘から抜かれた剣を見ている。
「「……わぁ」」
そして聞こえてきたのはそんな声。
一体どんな感想を持ったのか、聞きたいような聞きたくないような複雑な心境だ。
素人目に見て、俺の剣は言ったどんな風に映るのだろう。

出した剣はとことんシンプルで、ロクに飾りも付けていない無骨な西洋剣だ。
飾りなんていうのは後からでもつけられるし、それは渡す相手の要望次第というのが俺の方針だ。
なので、基本的に俺の剣には飾り気というものがないのだが、いま俺の剣を見ているのはおしゃれに敏感な女性。
せめて、少しだけでも飾りを付けておくべきだったか。

じっくり五分ほど俺の剣を眺めていた忍さんは、剣を鞘におさめて口を開く。
「なるほどね。私じゃ詳しいことはわからないけど、言うだけのことはあるってことかな。
さっきの頼みだけど、問題ないから任せてちょうだい。
 あ、でもそれなら………ふふふ」
一応納得してくれたようだが、何やら怪しい笑みを浮かべていらっしゃる。
すご~く不安を覚えるのだが、一体何を考えているのだろう。

いつまでたっても戻ってこないので、おずおずと声をかけてみることにする。
何かとんでもないことを言われないか不安だが、このまま放置する方がもっと不安だ。
今のうちに止めてしまった方が、被害は少ないはずだ。
「……えっと、忍さん?」
「え? ああ、ごめんね。すぐに手配するから、わかり次第連絡するわ。
 それでそのお返しってわけじゃないんだけど、ちょっとお願いしてもいいかしら?」
まあ、別にそれは構わない。
よほど無理難題でもない限りは、たいていの頼みには応えるつもりでいる。
こちらから頼んだことなのだから、それに対するお礼をするのは当然だろう。

「ありがとうございます。
それで、お願いって何でしょう?」
俺の返事を聞くと、忍さんの頬が赤らむ。
何やら照れているような感じだが、一体何を考えているのだろう。
その姿はまさに「恋する乙女」といった様子だ。

問題なのは、身を捩じらせてクネクネしていることだ。
色っぽいとか言うよりも、なんか不気味だなぁ。


  *  *  *  *  *


月村邸で、鍛冶場を探すのをお願いして一週間が経った。

その日の朝にすずかから連絡が入り、月村邸に来てほしいと言われた。
俺としては場所さえ聞ければよかったのだが、もしかして地図で詳しく説明しないとわからない場所にあるのだろうか。
ただ、すずかの声が何やら引きつっていたのが気になる。
その声には、あまりの馬鹿馬鹿しさからくる呆れのような響きがあった。

月村邸に着いた俺は、そのまますずかに連れられて敷地の奥に移動することになった。
しかし、本当に広いな、ここは。
外から見ただけでは分からないが、奥ゆきが半端ではない。
だというのに芝はきれいに刈られており、手入れが行き届いている。
たぶん専門の業者に委託しているのだろうが、普通その費用はかなりのモノになるはずだ。
さすがはお金持ち。金の使い方が庶民とは違う。

だが、その考えが甘いことをすぐに俺は思い知るのだった。


月村邸の庭の奥。
外からでは、どうやっても見えない位置にそれはあった。
そこにあったのは真新しい二階建ての小屋。いや、小屋というには少しい大きいか。
家というには小さいし、俺がかつて使っていた土蔵よりは大きい。それぐらいの大きさだ。

だがこんなところに連れて来て、一体何をしようというのだろう。
すずかは苦笑を浮かべながら扉に手をかけ開ける。

扉が開いて中を見た時、やっとわかった。なんですずかの声があんなに引きつっていたのか、これで納得がいった。
いくらお金持ちの家の娘であるすずかといえど、これには呆れるしかないだろう。
普通、こんなことをするなんて誰も思わない。

扉の前で呆然と立ち尽くす俺の先にあるのは、石造りの「炉」。
これは…まさか……。
「あら? いらっしゃ~い!
 どうどう? とある山中に有ったのを移してみましたぁ~。
 いろいろ傷んでいるところもあったけど、それも全部修復済みよ!」
中から出てきたのは、とても楽しそうな声を発する忍さん。
だがあいにく、俺は呆れてものが言えない。
口は開きっぱなしだし、思考は停止している。

確かに鍛冶場を探してほしいとはいったが、まさか丸ごと持ってくるとは……。
さすがに鍛冶場を設ける家屋自体は新しく作ったようだが、中身の鍛冶場はかなり年季が入っているのがうかがえる。
よくもまぁこんなものを見つけた上に、移してしまうなんてとんでもないことをしたものだ。
それもわずか一週間で、だ。どれだけのお金をこんなことにつぎ込んだんだ、この人は。

止まっていた思考を何とか再起動させ、言葉を紡ぐ。
「……あのぅ、忍さん?」
「ん? なぁに?」
俺の呼び掛けに、すごくうれしそうな声で応じてくれる。

「何で、こんなところに鍛冶場があるんですか?」
「え? だから、移してきたのよ」
いえ、そんなことはわかっていますが、俺が聞きたいのはそういうことじゃなくて……。

「ですから、何でこんなものを持ってきたのか聞きたいんですけど。
 俺、確かに探すのは頼みましたけど、こんなことまで頼んでませんよ」
「ん~と、もしかして不味かった?」
首を傾げて、お茶目に聞いてくる忍さん。
いや、不味いとかじゃなくてですね。ここまでしてもらうのは悪いというか、きっと大変だったろうなとか、迷惑だったんじゃないかなとか、いろいろ考えてしまうわけでして。

いや、早とちりはよそう。
別にこれが俺のために用意したモノと決まったわけではないはずだ。うん、きっとそうだ。
だがそんな俺の願望は、脆くも崩れるのであった。
「なんだったら士郎君達の家に移してもいいわよ。これ君のだし」
やっぱりか!!
というか、いつの間に俺のモノになっているんだ。
こんなもの貰うわけにはいかないし、そもそもどうお返しをしたらいいか見当もつかない。

そう思って固辞しようとする。
「でも、さすがにこんなもの貰えませんよ!
 それに、どうやってお礼をすればいいか……」
魔術師の基本は等価交換だ。それでなくても貰った分のお礼はすべきだろう。
探してもらう程度ならどうとでもなるから頼んだのに、これでは返済しきれない。

「別に気にしなくていいわよ。これは私が勝手にやったことだもの。
 どうしてもお礼をしたいって言うなら、これをしっかり使ってくれることこそが、一番のお礼よ。
 それなら私もこれを用意した甲斐があるってものだしね」
それを言われると弱い。
そう、すでにこれは用意されてしまったのだ。ここで断っては、そのすべてが無駄になる。
さすがにそれは失礼どころの話ではない。この人たちにはこれの使い道などないのだから、俺が使わなければ誰が使うというのか。

「それに凛ちゃんから聞いたけど、士郎君まだ工房っていうの持っていないのよね。
 ここは他にもスペースがあるから、好きに使っていいわよ」
いつの間にそんなことを聞いたのだろう。
もしかしてこれは、凛と一緒になって画策したんじゃないかと勘繰りたくなる。

それに以前すずかが家に来た時、地下の工房に行かないよう注意した事がある。ならば、忍さんも工房がどんなものかは聞いているはずだ。
俺の場合そんなヤバいモノは置かないし、そうたいしたことをするわけでもないので危険ということはない。しかし、それでも得体の知れないものを自分の家の敷地内に置かせようとするなんて、剛毅というか何というか、とんでもない人だな。

だが、仕方がない。忍さんの言うとおり、ありがたく使わせてもらうのが礼儀というものだろう。
それに工房のことだけでなく、一々山奥などに行く必要がなくなったのは助かる。
剣を鍛えるのには結構時間がかかり、数日がかりの作業になる。これに往復の時間までかかっては、さすがに大変だ。体力的にもかなりキツイだろう。
それがなくなるので、忍さんのこの配慮は確かに助かるのだ。

「はあ……。わかりました。せっかくですので、使わせていただきます。
 それと、さすがに俺の家に移さなくていいですからね。くれぐれも、そんなことはしないでくださいよ」
失礼な気もするが、あらかじめ釘を刺しておかないとこの人は本当にやりかねない。
ここではっきりと止めておかなければ、明日起きてみたら家の庭にこれが建っているかもしれない。

「ええ、もちろん♪」
なんかさらに嬉しそうな声になっているが、この人の考えていることはよくわからない。

「で、どうするの? 必要な材料とか道具はもう用意してあるけど、今日からはじめる?」
確かに中を見ればモノはそろっている。これなら今すぐにでもはじめられるだろう。
俺はこの人を侮っていたかもしれない。この短期間でこれだけのことをしてしまうのだから、俺が思っていた以上にこの人の能力は高い。たぶん人の使い方とかも上手いのだろう。
そうでなければ、いくらなんでもここまで完璧に仕上げられるものではない。

「そうですね。一応周りに迷惑をかけないために、最低でも遮音の結界とか張りたいですし、他にも持ってきたいものがあるのでそれはまた後日にします。
 それに久しぶりに打つので、何度か軽くやってから本格的に鍛とうと思います」
剣を打つ音というのは結構響くので、すずかたちの迷惑にならないようそれぐらいは必要だ。
それに一応工房として使うのなら、それなりに必要なモノや準備がある。

剣を鍛えるにしても、ここがこの街一番の霊脈のポイントであるのだから、それを利用しない手はない。
この土地に満ちる魔力を利用するための陣を張るのも必要だ。
諸々を含めると、本格的にやることになるのは早くとも来週になる。

「わかったわ。他に必要なモノがあったら言ってね。
 私の頼みも聞いてもらうんだから協力は惜しまないわよ」
「そんな何から何までお世話になれませんよ。ここからは自分で何とかします。
 それと、今後普通の剣とかも作っていきますのでそっちの処遇はお任せします。
 売ればそれなりのお金になるはずですし、その利益は受け取ってくださいよ。せめてそれぐらいは貰ってくれないと、俺の立つ瀬がないんですから」
そう。このままでは俺が一方的に貰ってばかりになってしまう。
それでは申し訳ないので、俺が打った剣で出た利益は全て譲ることにする。
元から金が目当てではないし、ここの賃貸料と思って無理にでも受け取ってもらう。

まあ、さすがに魔剣の類を市場に流すわけにもいかない。
いくら魔術師がいないからと言って……いや、いないからこそ世に出すのは避けるべきだ。
別にこの時代、非常識に優れた剣があったところでそれほど影響はないが、これは節度というものだろう。
鍛えた魔剣はすべて俺の方で一括して管理してしまおう。なんだか、アトラス院の連中みたいだな。

ああ、この例えは案外的を射ているかもしれない。
あの連中も別に目的もなく武器を作っては廃棄しているわけじゃないし、「成果を外部に向けて公開しない」という意味では同じだろう。
それに、剣を打つのには俺なりに目標がある。

「宝具に匹敵する剣」というのもいいが、俺が望むものはそんな大層なモノじゃない。
それは、ただひたすらに「斬る」という点にのみ特化した剣を作ることだ。
俺は今まで多くの剣を見てきたが、今までそんなものにお目にかかったことがない。
どんな剣でも、必ず何かしら別の要素が紛れ込む。剣は確かに斬るための道具だが、用法は様々で、その分の多くの要素を内包することになる。
剣に切っ先があるのはなぜか、答えは斬るだけでなく突くこともできるようにするためだ。なぜ装飾がなされるのか、それはそこに美しさを求めるからだ。
そのため、斬ることのみを突き詰めた剣というのはまず存在しない。
その内には「斬る」以外の要素も内包しているのだ。

だから俺が作りたいのは、あらゆる要素を排し「斬る」という概念のみを内包した剣だ。創造理念の段階から斬ることのみに焦点を絞り、すべてをそこに集約させる。
とはいえ、自分で考えておきながら情けない話だが、俺自身それがどんなモノになるか想像できないでいる。
なにせ今まで一度もそんなものは見たことがないのだから、明確にイメージするのは難しい。

昔凛にこのことを話したら、一頻り笑われたあとこう言っていた。
「もし本当にそんなものが作れたら、それは「斬る」という概念の通じるあらゆる存在を斬り捨てることのできる、概念武装に限りなく近い剣になるでしょうね。
 逆を言えば、あらゆるものを断ち切れるようになって初めてそれは完成するってこと。道は険しいわよ」
あの当時はまだ「正義の味方」目指していたし、できればそんなものを作ってみたいくらいの気持ちでしかなかった。そのためそこまで力を注いでいたわけではなく、ある意味片手間でやっていただけだった。

今の俺には凛を幸せにするという願いはあるが、凛からは「だったらアンタも幸せになることが絶対条件よ」なんて言われている。俺はどうすれば自分が幸せになれるのか見当もつかないし、そもそも俺にとっての幸せとはどんなものなのか上手くイメージできない。
だから自分なりに目標を定めて、とりあえずそこに向かって進んでみることにした。
そうしているうちに、自分の幸せというのが何なのか気付くこともあるかもしれない。

とりあえずは、まずやってみることだ。
何がきっかけで気づくかわからない以上、いろいろなことに手を出してみよう。
時間はある。今まで見てこなかった多くのことを見て、その上で考えていけばいい。
これがその手始めだ。



SIDE-すずか

お姉ちゃんが士郎君にあのとんでもないプレゼントを贈ってから三週間がたった。

今日も士郎君はうちの庭にあるあのお家、「士郎君の工房」にいる。
一通りの準備を終えると、士郎君は一日のほとんどを工房で篭ってしまっている。
ここ何日かは、たぶん家にも帰っていない。

だってわたしが夜に部屋から見てみると必ず明かりがあるし、朝様子を見に行くとやっぱりいる。
あそこには一応台所もあるらしいし、そこで食事を作っているのだと思う。
今頃凛ちゃんは、きっと凄く不機嫌になっているだろうな。

そういえば、士郎君が以前作ったという剣を見せてもらった時は、その輝きに魅了された。
「魔剣」と聞いた時は、もっとこうおどろおどろしいモノをイメージしたのだけど、その予想はいい意味で裏切られた。
特に凝った装飾が施されているわけではないし、剣の良し悪しなんてわたしにはわからないけど、それでもその剣には人を惹き付ける何かがあった。
むしろ、そのシンプルな中にも力強い輝きがあることが、士郎君が作ったことを実感させた。

それにしても、詳しいことは知らないけど剣を作るのってやっぱり大変なんだ。
普通、剣を一本……でいいのかな? 作るのに、こんなに時間がかかるモノとは思っていなかった。いくらなんでも一日で出来るとは思わかったけど、ここまで時間がかかるというのも驚きだ。

まあ、ずっと剣を作っているわけじゃないし、時々休憩のために外で休んでいるのを見かける。
その時はよく一緒におしゃべりをしたりするので、士郎君と一緒の時間は以前よりも増えていると思う。
夏休みに入って、凛ちゃんに引き摺られて一緒に遊んだことは何度かある。でも、今のように二人っきりというのはこれまでほとんどなかった。
いつもは凛ちゃんが一人占めにすることが多いけど、今はその逆。
これが嬉しくないわけがない。

そして、多分それがお姉ちゃんの狙いだろう。
工房のお披露目が終わった後、士郎君は一度お家に戻った。だけどその後お姉ちゃんが「よかったわねぇ~」ってすごく楽しそうな笑顔で話しかけてきた。
その時は意味がわからなかったけど、こういうことだったのか。
うぅ、なんだかいいように乗せられている気がするけど、それでもうれしいのだから仕方がない。


いまわたしはノエルに教わりながら頑張って作ったお菓子を持って、士郎君のところに向かっている。
ファリンがとっても残念そうにしていたけど、わたしに教えたかったのだろう。
でも、ファリンだとなんか凄い結果になりそうで不安だった。
なので悪いとは思いつつ、ノエルに教わった。あとでノエルにはまたお礼を言って、ファリンには何かフォローしてあげないと。

外にはいないので、多分まだ中で剣を作っているんだと思う。
音が外に漏れないようにするための結界が張ってあるらしく、中からは特に音は聞こえない。
他にも色々と手を加えているらしいけど、凛ちゃんの工房と違って罠とかはないらしい。
せいぜい侵入者を感知して士郎君に知らせる、防犯装置みたいなものがあるだけだと聞いている。
ちゃんと教わった通り正規の手順を踏めば、士郎君のいない時でも問題なく入れるのだそうだ。
さすがにいない時に忍び込もうなんて思わないけど、そうやって信頼してくれるのはすごくうれしい。

でも、それって凛ちゃんの工房には普通に罠が仕掛けてあるってことだよね。
あの凛ちゃんが設置した罠だもの、きっと相当凄いものに違いない。
それに、嬉々として新しい罠を考案し設置する凛ちゃんというのは、容易に想像できてしまう。
そのイメージに、なぜかお姉ちゃんが新しい防犯設備を考えている姿がダブってしまう。
あの二人は、間違いなく似た者同士だ。

そんな怖い想像を振り払い扉の前に立つ。
「お邪魔しま~す」
言われた通りの手順を踏み、入る前にノックをしてから中に入る。
そういえば、士郎君が作業している時に中に入るのは初めてだ。
どんな風なことをしているのかとても気になるので、扉の前に立った時から胸がドキドキしている。

扉を開けると中からものすごい熱気と、何かを叩く力強い音が聞こえる。
夏の暑さよりもなお熱い空気にさらされて、一瞬目をつむってしまった。

目を開けてみるとそこには、とても真剣な顔をしてハンマーを振るう士郎君がいた。
わたしが来たことにも気付かないくらい集中しているようで、一心不乱に手のハンマーを振り下ろす。
よく見ると全身汗だくで、頑丈そうなエプロンのようなモノと短パン、それとバンダナ以外には何も身に付けていない。
特徴的な褐色の肌は汗に濡れ、とても珍しい白髪はバンダナから僅かにこぼれている。
その体は筋肉の鎧で固められているというわけではないが、とても引き締まっているのが印象的だ。

思わず見とれてしまうが、士郎君がわたしに気付いたみたいでその手を止める。
「ああ、すずか。どうしたんだ?」
「……え、えっと、邪魔しちゃったかな?
 ごめんね。すぐに出ていくから!」
あんなに集中していたのに、わたしのせいでそれを乱してしまった。
そんなつもりはなかったけど、今の様子だとそれしかない。

これ以上邪魔をしないように立ち去ろうとするが、士郎君に呼びとめられる。
「別にそんなことはないから、気にするな。
昼からずっとだったし、ちょうどいいきっかけになった。
先に外に出ていてくれ、お茶の準備をしてくるよ」
そう言ってエプロンとバンダナを外す士郎君。
近くにあったタオルを取って、頭や体をふいている。それだけたくさんの汗をかいたのだろう。
でも、上半身だけとはいえ、そうやって無造作に裸になるのはやめてほしいい。
つい目がそちらに行き、観察しそうになってしまう。それは失礼だし変な子だと思われそうなので、大急ぎで背を向ける。

着替えとかもあるかもしれないので、わたしはそのまま一足先に外に出て士郎君を待っている。
いま私は木製の椅子に座っているのだけど、お姉ちゃんが用意したモノの中にこれはなかったはずだ。それに家でも見たことがないから、多分士郎君が自分で持ってきたか作ったものだと思う。

本当に、いろいろなことができる人だなぁ。
お料理に運動、お勉強も完璧だし、物の修理だけでなく自分で作ったりもできる。
士郎君一人いれば、どんなところでも暮らしていけそうだ。

中がものすごく熱かったので、暑いはずの夏の日差しですら気にならない。むしろ、そよ風が一層心地よく感じる。そうしていると、中から士郎君がお盆を持って出てくる。
「お待たせ。今朝ファリンさんが持ってきてくれた麦茶があるから、それを飲もう」
お姉ちゃんはこの中に電気やガス、それに水道まで通したようで、冷蔵庫も設置されている。
結構凝り性なところがあるのは知っていたけど、ここまで来ると呆れるのを通り越して感心してしまう。
もしかして、士郎君をここに住まわせる気でいるのだろうか。

「あ、これさっき焼いたクッキーなんだけど、一緒に食べない?」
「ああ、ちょうど小腹が空いていたところだから助かる」
わたしが差し出したクッキーをつまんで、士郎君は口に運んで行く。
士郎君は料理が得意だし、わたしの作るモノよりもそれらはずっとおいしい。だから食べてもらえるのは嬉しくもあり、心配でもある。
もしかしたら失望させちゃうかも……。

「うん、美味いな。ちょうどいい焼き加減だと思うぞ」
だがその心配は杞憂だったようだ。
ああ、ノエルには感謝しなくちゃ。わたし一人だったら、きっとこうもうまくはいかなかったはずだ。

良い評価を得られて安心した。緊張も解け、自分でもクッキーをつまみながら士郎君と他愛のない話をする。
話は次第に今わたしたちがいるこのお家の話になる。
「ごめんね、お姉ちゃんが無理言っちゃって。
 いきなりこんなもの用意されちゃって、迷惑だったでしょ」
疑問に思うまでもない。間違いなく迷惑だったはずだ。
普通、いきなりこんなものを渡されても困ってしまうだろう。

「まあなんと言うか、助かってはいるよ。おかげで工房も何とかなったし、感謝はしている。
 ただ、あらかじめ了解くらいは取っておいてほしかったけどな」
士郎君は空を見上げながら、力のない笑いを浮かべている。
うう、本当にごめんなさい。わたしがもっと早く気付いて、止めるなり士郎君に知らせるなりできたらよかったのに、これのことを知った時にはすでに手遅れでした。

「それに今作っている剣のことだって……」
「いや、そっちの方は俺としてはありがたい位だ。
 以前のこともあるし、弁償でもした方がいいかと思っていたんだ。こういう機会をくれたことには、本当に感謝しているよ」
それは元をただせばわたしたちが勘違いしていたのが原因で、士郎君はもともとそんな気はなかったのだ。
だから、やっぱり士郎君にはいろいろ申し訳ない。

「ふう、だから気にするなって。すずかが責任を感じるようなことじゃないよ。
 まあ、忍さんには少し位気にしてほしいけどな」
そう言ってわたしの頭を優しく撫でている。
その感触は気持ちいいのだが、士郎君がすぐ近くにいるのが感じられてどうしても顔が熱くなる。
きっと、今のわたしの顔はすごく赤くなっているはずだ。それがとても恥ずかしい。

士郎君は、時々こうやってわたしたちを子ども扱いする。
アリサちゃんは何度も抗議しているけど、今のところあまり効果はない。
確かに士郎君はわたしたちよりずっとしっかりしているし、同い年というよりも年上のお兄さんといった印象がある。
なんだかいつでも見守ってくれているようで、すごく安心できるのだ。
これでは、わたしも抗議することはできそうにない。

「ああ、剣の方は明日にでも出来上がるから、忍さんにそう伝えてくれ」
士郎君は立ち上がりながら、わたしに伝言を頼む。
そろそろ最後の仕上げに取りかかるところだったのだろう。
これ以上邪魔をしては悪いし、わたしも立ち上がる。

「うん。ちゃんと伝えておくね」
「頼む。それとクッキーありがとうな。おかげで元気が出たよ」
そう言ってもらえると、頑張って作った甲斐がある。
それに好きな人に自分の作ったものを食べてもらえて、それを喜んでもらえるのは本当に嬉しいし幸せだ。

また今度作ってみよう。その時は、もっと美味しいのを作れるようになりたいな。
そのまま士郎君は工房に戻り、わたしも家に戻ることにした。



SIDE-士郎

剣が仕上がった翌日。
俺は今日も月村邸にいる。

最近家にいることが少なかったので、凛の不快指数が急激に上昇している。
このままだと、いつ爆発してもおかしくないな。
幸い、明日からはまた生活の中心が自宅になるので、せいぜい媚を売ってお怒りを沈めてもらえるよう努力するしかないな。
さしあたって、久しぶりに肩でも揉んでやるか。

いま俺の手には細長い二つの包みがある。
どちらも俺が作ったもので、忍さんからの「お願い」とはこれらのこと。
とあるお客に向けてのプレゼントだそうだ。

で、そのお客はというと……
「いきなり呼び出して、一体どうしたんだ?
 それに何で士郎まで」
こちらに怪訝そうな顔を向ける恭也さんのことだ。

「うん。実はね、今日は恭也に渡したいものがあるの」
忍さんは、もう今まで見たことがない位に嬉しそうに顔をほころばせている。
恋人のために何かしてあげたいと思うのは当たり前のことであり、それができれば嬉しいのは当然だ。

「渡したいモノって、その士郎の手にあるモノか?」
うん、見える範囲でそれらしいのは俺の手にあるモノだけだからね。
忍さんのことだから他にも何か用意している可能性は否めないが、一応今日のメインはこれだ。

「ふふ~ん、そのとおり。
 じゃあ士郎君、渡してあげて」
ん? てっきり自分で手渡すと思っていたのだが、俺が渡してしまっていいのだろうか。
まあ、本人がそうしてくれと言うのだから、俺がとやかく言うことではないのだろう。

今日の恭也さんは武装が「軽め」なので、いきなり勝負ということにはならないはずだ。
この人のことは嫌いではないというか、むしろ好きな部類だが、バトルジャンキーなところは何とかしてほしい。いつ戦いを挑まれるかわかったものではないので、危なっかしくて近づけない。
今日はその危険はなさそうなので、比較的に安心して近寄れる。
完全に安心できないのが、この人の厄介なところだけどな。

「どうぞ」
特注の執事服に身を包んだ俺が、うやうやしく包みを差し出す。
恭也さんはその片方は手に取り、忍さんに目配せをする。
ここで開けてしまっていいのか、と確認したのだろう。
忍さんもそれに首肯で返す。

それを確認した恭也さんは、ゆっくり包みを取り払い中のモノをあらわにする。
そこにあったのは一振りの刀。それも、恭也さんが以前俺と戦った時に使っていたのとほぼ同じサイズの小太刀だ。
もちろん、以前見た恭也さんの小太刀を基準にして作ったからだ。間合いというのは剣士に限らず戦う者にとってかなり重要で、武器が変われば間合いも変わる。
そうなると一から間合いを測り直さなければならないので、結構大変なのだ。
これは少しでもその苦労を減らすために、できる限り以前のモノに近づけた結果だ。

「これは……」
「士郎君が作ったものよ。ほら、以前士郎君と戦った時に恭也の刀折れちゃったでしょ。
 で、新しいのを私の方でも探していたんだけど、やっぱり素人にはよくわからないのよ。変なの引いちゃってもアレだしね。そこへ士郎君がやってきて剣を鍛てるって聞いたのよ。
 刀もできるって話だったし、それならって思って頼んでみたんだけど、どう?」
つまりはそういうことだ。
忍さんから頼まれたのは、恭也さんのために二振りの小太刀を作ること。
俺は西洋剣を打つことが多いが、刀もできる。というか、刃の付いた武器なら一通り何でもできる。
刀に限らず剣を打つのは久しぶりだが、それでも今回の出来はかなりのモノだ。
自信はあるが、それでもこれを気に入るか決めるのは恭也さんだ。その結果が出るまで気は抜けない。

恭也さんは早速鞘から抜き放ち、その刀身に目を向ける。
そして、感嘆したように言葉を発する。
「………凄いな。これほどの業物を士郎が…」
それだけ言うと、そのまま恭也さんは黙ってしまった。
だが、ジッと小太刀を見ていたかと思うと、おもむろに構える。
別に振るわけではなく、感触を確かめているのだろう。

ふう、どうやら満足してもらえたか。
まあ自分で言うのもなんだが、恭也さんが感嘆するのも無理はない。
俺の鍛えた武器は反則の塊だからな。この反応は、ある意味当然だ。

何故反則なのかというと、俺の得意とする魔術の中に「解析」というものがあるためだ。
主に物体の構造などを把握したりするものなのだが、俺の場合対象が「剣」の属性に近いとその先も可能だ。
すなわち構成材質や基本骨子だけでなく、その前段階である創造理念の鑑定や製作技術を読み取ることさえ可能とする。

つまり俺は相性さえ良ければ、解析した武器がどのような技法で作られたかわかってしまうのだ。
俺は今までに様々な武器を見て、それらを解析してきた。それこそ古今東西の名品から、宝具に至るまで。
さすがに宝具を作るには製作技術がわかっただけでは無理だし、今の俺では投影以外で複製することはできない。
だが、それでもその製作技術を知ることができたのは大きい。

俺は知ることのできたあらゆる技術を混ぜ、分解し再構築してきた。
おそらく、現代で俺以上の知識を持っている鍛冶師はいないだろう。

今回は魔力を込めていない普通の刀だが、それ以外に関しては俺の持てる技術と知識の全てを注ぎ込んでいる。
現状、俺に鍛てる最高レベルの一振りだ。
これに満足してもらえなかったらもうお手上げだったが、そうならなくて一安心だ。

恭也さんは一度小太刀を鞘におさめると、もう片方の包みも開ける。
そちらにも同様に小太刀があり、今度は両手に小太刀を構える。
屋内なので、さすがに振り回すわけにはいかないが、外だったら今頃演武くらいしていても不思議じゃないな。

そんな恭也さんを見て忍さんも嬉しそうだ。
俺としても以前恭也さんの小太刀を折ってしまったので、少し後ろ暗くはあったのだ。
今回のことでそれも解決できたし、いやよかったよかった。

そう、ここで終わってくれれば本当によかったのになぁ~…………。

「じゃあ恭也、新しい刀も手に入ったことだし、早速士郎君と勝負してみたら」
「……はいぃ!!??」
忍さんの唐突な発言に、素っ頓狂な声を上げて振りむく俺。
え、なにそれ? 聞いてませんよ!?
というか、何でいきなりそんな話になるの?

「だってほら、やっぱり一度試合形式でやってみた方が、その刀のこととかよくわかるでしょ。
 それに恭也は以前士郎君に負けているわけだし、その雪辱もはらせるしね♪」
「「ね♪」じゃないですよ!!
 もしかして、はじめからそのつもりで俺に渡させたんですか!?」
可愛らしく言っても騙されんぞ。
なんか変だなとは思ったが、まさかこんなことを考えていたとは……。
早い話が生贄にじゃないか!!

不味い、不味いぞ! 今すぐ逃げなければ命が危ない。
扉は、駄目。恭也さんの方がわずかに近い。この人なら俺が動き出した瞬間に反応して、立ち塞がることができるだろう。
窓は、少し遠いか。それに御丁寧に強化ガラスをはめ込んでいる。突撃して割るのはかなり痛そうだ。
それにここは二階だが、普通の家より全てのフロアの天井が高いので、ここも三階くらいの高さがある。上手く着地しないと、体勢を立て直している間に襲われる。

距離があればまだ他の選択肢もあっただろうが、恭也さんは俺のすぐ眼の前。これでは取れる選択肢は限られる。
忍さんが俺に渡させたのは、これが狙いか。
とはいえ他に逃げられそうなところもないし、こうなったら渾身の体当たりで突破するしかない。
人の家の窓を割るのは気が退けるが、こんなことを仕組んだ忍さんが悪い。

これらを思考するのにかかった時間、わずかに0.2秒。
極限状態に追い込まれた人間の能力は凄まじいな。

だが感心してばかりもいられない。
強化も用いて全速力で窓に向かって走り出すが、突然窓にシャッターが下ろされる。
「なんだとぉ!!??」
横を見ると、忍さんの手にはリモコンがある。
そうまでして生贄にしたいのか、あなたは。

これでは体当たりで窓を破るのは無理だ。見た感じかなり厚いし、特殊合金程度なら使われていても不思議じゃない。
それに忍さんのことだ。高圧電流くらい、当然のように流している可能性がある。あるいは、衝撃が加えられた瞬間に爆発して弾き返す、どこぞの戦車の様な機構を備えているかもしれない。

いや冷静になれ、俺。一度解析してみればわかることじゃないか。
その結果は……全部ある!! どんだけ悪質なんだあの人。表面には高圧電流が流れ、内側には爆薬が仕込まれているし、シャッター自体が厚さ十センチの特殊合金でできている。

突撃なんてしては自殺行為だし、剣を投影するにしても接触すれば感電し、衝撃が内部に伝われば爆発して弾き飛ばされる。そんなことをしては、絶対にただでは済まない。
戦闘不能になるという意味では有効な手だが、俺に被虐趣味はない。断固として却下だ。
こうなったら弓を投影し撃ち抜こうかと思ったが、そんなことをしていては背後から迫る恭也さんに捕まってしまう。

どうする、どうすればいい!

「!!?」
そのとき天啓の如く閃いた。前後左右どれもダメならば、下だ!
幸いにもこの下には部屋がある。床をぶち抜けばそこへ一直線だ。少なくとも、この部屋にいるよりかはマシだ。
床に大穴をあけることになるが、自業自得と思って反省してもらおう。

大急ぎでそれを実行に移そうとするが、体に異変が起きる。
なんだ? 体に力が入らない。
「うん。ちょうど時間ぴったりね」

まさか……。
「さっき、恭也が来る前に紅茶を飲んだでしょ。
 あれにちょっとね~」
毒なんて盛ってたんかい!!
アンタ本当に何考えてんだ!

いや待て、今はその方が安全なのではないか。
これなら勝負を辞退する理由になるし、恭也さんも体調の悪い俺と戦いたいとは思わないはず。
そうだ。色々と釈然としないが、これならとにかく一番の危険は脱することができるはずだ。

「ああ、大丈夫よ。別に毒なんて盛ってないから」
じゃあ、何をしたと? というか、俺の思考を普通に読まないでください。
それとも、それがあなたの異能なんですか? たぶん魔眼の類だろうと思っていたのだが、それ以外にもあるのだろうか。
まあ、それはともかく。いまの俺は、完全に倒れてしまっている。これで毒じゃないと言われても信じられん。
意識ははっきりしているが、体に力が入らない。

「ちょっと特殊なお薬でね。別にそれだけだと何の意味もないんだけど、他のあるお薬を摂取すると、一時的に脱力してしまうの。ちなみに他のお薬は、ついさっきからこの部屋の中に少しだけ噴霧しているのよ」
手の込んだまねを……。
シャッターを閉じた時かその少し前から、それをこの部屋の中に撒いたんだな。
時間ぴったりというのは、それを撒き始めてから効果が現れるまでの時間を言っているのだろう。
確かに嘘は言っていない。単体では無害な薬でも、他の薬品と組み合わせれば有害なガスを発することがある。
それと同じようなモノだろう。

「さーて、ノエル例の場所に運んじゃいましょ。あそこならいくら暴れても大丈夫だからね。
 この前みたいに、屋敷の中を壊されちゃたまらないもの」
そのためにこんな面倒なマネをしたのか。
初めからここで戦わせるつもりじゃなかったんだな。

「なぁ忍。士郎があれじゃ、戦うのはまずいんじゃないか?」
もう色々なモノに絶望しかけていたその時、恭也さんが至極まともな意見を出してくれる。
そう、それがせめてもの救いだ。こんな状態では、すぐに戦えるようになるのは無理。
再戦は、また後日ということになる。

「ああ、それなら大丈夫。この薬ね、別のお薬を飲ませてあげると簡単に効果がなくなるのよ。
 向こうに着いたら飲ませてあげて、十分もすれば元通り。影響が後に引くこともない、すごく安全なモノなんだから」
何がどう安全なのか激しく問いただしたいが、正直疲れた。
もうなるようになればいい。人間諦めが肝心だ。

だってほら、恭也さんも……
「そうか、なら大丈夫だな」
思いっきりノリノリだしね。


その後、俺はなんだかよくわからない部屋に連れて行かれ、一日中恭也さんの相手をさせられたのだった。
今までに幾度となく死線を越えてきたが、ある意味一番命の危険を感じたな。
一度決着がついたら、すぐに次の勝負を求めてくるんだもの。命がいくつあっても足りやしない。

生と死の狭間にかいま見た光と闇……そしてその先に待っていたのは「道場」だった。
気がつくと道場のようなところにいて、もう会うことのないはずの懐かしき二人の姉に会った。
なんだか塗りがスイートで、やけにテンションが高く言っていることが意味不明で支離滅裂だったけど、会えたのは嬉しかったなぁ。
突然アッパーカットを食らったり、虎竹刀で理不尽にはたかれたり、唐突に改造されそうになったが気にしてはいけない。

そんな騒がしくも穏やかな(?)夏の日だった。




あとがき

おかしいな、何でこんなことになってしまったのだろう。こんなはずじゃなかったのに……。
初めはすずかとの絡みをするつもりだったのが、終わってみればなぜか忍さんに遊ばれる話になっていました。
どうしてこんなことになったのか、作者にもわかりません。何故だろう?

時期的には、冒頭でも出したようにジュエルシードの一件の後の夏です。まだ冬なのにこんな話を書く作者は、季節感というものを完全に無視していますね。
私は寒いのが嫌いなので、気分だけでも暖かくしようと思っての選択です。我ながら、一体何を考えているのか意味不明です。
あとは4話の方で恭也の小太刀を折っていたので、ちょうどいいと思ったからですね。

多くの作家さんが書いていらっしゃいますが、やはり士郎は鍛冶が似合うと思います。
ですがそれ以上に、士郎の解析を持ってすればどんな剣の製法もわかるので、それらをうまく合わせればとんでもない剣が作れると思ってのお話でした。イメージ的には「史上最強の弟子ケンイチ」の香坂しぐれの父親でしょうか。
リリなの世界に士郎のような「魔剣鍛ち」がいるか知りませんが、いても士郎はおそらく世界最高レベルの鍛冶師でしょうね。「刃金の真実に最も近い刀匠」って、(少なくとも知識面では)士郎以上はあり得ないでしょう。
なにせ持っている知識に関しては、神代を除けば史上最高クラスなはずです。知らない技術があっても簡単に盗めますから、そういう意味でも反則です。
あくまでも知っているだけなのでその技術を活かせるかが問題ですが、一応「作る人」なわけですし何とかなるはず。

管理局と本格的に付き合うようになったら、きっと士郎の元には依頼が殺到すると思います。
魔導師でなくてもバリアジャケットを抜いて攻撃できるようなナイフとかあれば、少しは人材不足が解消されるかもしれませんしね。それにベルカ式の使い手で刃物を扱う連中からすれば、士郎の鍛えた刃を使うのはさぞかし魅力的なはずです(刀身部分に変形機構があったら無理かもしれませんが)。
そうなったらユーノとは違った意味で多忙を極め、工房で生ける屍にでもなってるんじゃないですかね。

しかし、考えてみると当SSではアリサがどうしようもなく地味ですね。なのは言うに及ばず、すずかも魔術関連で使いやすいのですが、アリサだけは完全に蚊帳の外なのでどうも使いにくいです。
でも逆を言うと一番の日常の象徴でもあるので、その立ち位置を利用すれば何とかなるかも。
そのうちアリサを中心に据えてのお話もやりたいですね。

それでは失礼いたします。



[4610] 第16話「無限攻防」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2011/07/31 15:35

SIDE-凛

その人が現れたのは、聖杯戦争が終わって半年がたった、十年前の夏だった。

その名は「キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ」。「魔道元帥」「万華鏡(カレイドスコープ)」「時の翁」「宝石」などの二つ名を持つ五人の魔法使いの一人であり、死徒二十七祖の四位に位置する、掛け値なしの怪物だ。
また俗世に頻繁に関わり、気紛れで弟子を取り破滅させることで、味方であるはずの魔術協会からすら厄介者扱いされる変人でもある。
そして、六代前に我が遠坂家を魔術の世界に引き込んだ張本人。つまり、私や弟子の士郎にとって大師父に当たる人物だ。

吸血鬼のくせに、一年で最も陽の出ている時期に現れるなんて非常識もいいところ。
ちなみに、最後に訪れたのが大聖杯の製作に立ち会った時のことらしいので、二百年ぶりに冬木にやってきた事になる。その二百年越しの訪問は、たまたま通りがかった士郎を強引にガイド役にすえ、案内させての登場だった。
一目見て遠坂の関係者と判断したという話だが、どんな眼力があればわかるのだろうか。

ついでに、襟首をつかまれ半ば引きずられる様な格好だった士郎が、恐ろしく憔悴していたことを追記する。
「燃え尽きたぜ………まっ白にな」なんてセリフが似合いそうなくらいに、ボロボロになっていた。
一体どんな観光案内をさせられたのか、あの爺さん元気にもほどがあるだろう。

まあ、それは置いておくとして。
唐突にやってきた大師父の目的は、単純に聖杯を壊したという私に興味をひかれたかららしい。
今までの四度にわたる儀式で、一度として明確な勝者が出ていなかった。
そこに現れた勝者は、始まりの御三家の一人。
にもかかわらず、本来の目的である根源への道を通すわけでもなく、第三法を再現するでもなく“破壊”を選択した。それとこちらは報告していないのだが、秘密裏に大聖杯の機能も停止させていた。すでに家の書庫を荒らしまわって聖杯戦争の本質とその基盤の存在を知っていた私たちは、その年の春にはそれを実行していたのだ。
つまり冬木の地での聖杯探究の道は、完全に閉ざされたことになる。

そんな魔術師としては奇特を通り越し、発狂しているのではないかと思える所業をした私を、見てみたかったのだと言う。なぜ私だけで士郎は範疇外なのかというと、協会の方には士郎のことを報告していないためだ。冬木の管理者として、また儀式の勝者としても報告の義務があったのは、実に面倒なことだ。

さらに言えば、私が召喚したサーヴァントもセイバーということにしてある。
アーチャーを召喚したことが知られ、そこからその真名を探られるのを避けるためだ。現代の英霊候補なんて、協会の連中が放っておくとは思えない。ただでさえ異端の極みともいえる奴なのだから、用心に越したことはないので、こういった面倒な措置をとった。

そこで私は大師父に事の顛末と、聖杯戦争が異常をきたしており管理者としてこれを基盤諸共破壊したことを報告した。
協会に対するものよりも幾分詳細だったのは、下手に機嫌を損ねると何をされるか分からないからだ。
それと、それでもアーチャーのことは黙っていた。トラブルの原因になるようなことをわざわざ口にする必要はないのだから、いくら相手が手に負えない化け物でも隠すべきことは隠さなければならない。

その報告を聞いた大師父は……
「よいよい。そんな壊れたものをいつまでも残していたところで、意味はない。
 しかし、一切の未練もなくそれを行った意気やよし!」
そう言って、大師父は私たちを呵呵大笑して誉めてくれた。
頭を撫でられるなんて、父さんが死ぬ前に一回撫でてくれて以来だから約十年ぶりになる。
あの年で頭を撫でられるなんて恥ずかしいどころではないが、それ以上に痛かった。
あのジジイ、とんでもない力でそれをやってくれるものだから首がもげるかと思ったわよ。

だが、それだけでは終わらなかった。
この爺さんは少し思案したかと思うと、事もあろうに……
「………ふむ。せっかく勝者になったというのに、何も報酬がないのでは物足りなかろう。
 そこの小僧はなかなか面白いようじゃし、お前たちに一つ褒美をやろう」
なんてのたまって下さりやがりました。
で、その褒美というのが宝石を刀身とした珍妙な剣。

だがそれこそが、遠坂が二百年かけて追い求めてきた第二魔法の能力を持つ限定魔術礼装「宝石剣キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ」。というか自分の礼装に自分の名前をつけるって、一体何を考えているのかしら?

まあ、それはともかく。
まさについでと言わんばかりの口調で、遠坂に出された宿題の実物をポンと見せてくれたのだ。
私たちのこれまでの苦労は、一体何だったのか……。

とはいえ、あくまでも見せてくれただけで、指一本触らせてくれなかったけどね。
そんなわけで、起動させたところも見られるはずもない。
そこまでやったのだから、ケチケチしないで、もっとサービスしてくれてもいいだろうにこのジジイは、と思ったのは私だけの秘密だ。

本来であれば、手に取ることも、起動の瞬間を見せてくれたわけでもないので「いいものが見れた」で終わるところだ。
要は、ありがたくもあまり意味のないご褒美なのだが、私たち、というか士郎に限っては違う。

どうも大師父は、一目で士郎の特異性に気づいたらしい。
このあたりの慧眼は、さすがは魔法使いといったところか。
しかも、それをただ「面白い」で済ませてしまうあたり、感覚がぶっ飛んでいる。
真っ当な魔術師なら、ピン刺しの標本か、あるいは脳髄引きずり出してホルマリン漬けにする可能性さえあるというのに。
なんと言うか、「気に入らない」なんて理由で月の王様に喧嘩を売ったのは、伊達ではないらしい。
魔法の前ではこの程度は些細なこと、と言わんばかりだった。……別に、羨ましくなんてないわよ。

そして、解析能力を持つ士郎がそんなものを見てただで済むはずがない。
宝石剣を見るや士郎は、無意識に解析してしまい頭を抱えて呻きだしてしまった。
脳に相当な負荷がかかったようで、私が慌てて駆け寄るとそのまま意識を失った。
だが、その手には完全に投影された宝石剣があった。

しばらくして気が付いた士郎が言うには、わかったのは「理解できない」ということだけだったらしい。溺れる者が藁にもすがるような感覚で、必死に手を伸ばしてみたらその手に握られていたのだとか。
そんなギリギリの中で投影した宝石剣を見ての士郎の感想は「ショボイ」だったけどね。
こいつはそれまでの半年間一体何を学んでいたのかと、頭痛で頭を抱えたくなったわよ。

おそらくは、アーチャーとの剣戟の際に流れ込んできた知識や経験、それに自分の本質に気づいていなかったら発狂していたと言う。
UBWに登録は出来ていないので、もう一度投影するにはまた実物を見る必要があるらしい。
それは、訳もわからずにただ見えたものを写し取ったに過ぎず、何一つ理解できなかったためと思われる。
顔を青くしながら「そんなマネはもう二度とごめんだ」と言っていたが。

実際に出来上がった宝石剣を見て、大師父は……。
「ふむ、一応形にはなっているようじゃな。性能的に見ても問題はないようだが、どうも構造的に非常に脆い。
 これでは二・三度使っただけで砕けるじゃろう。
まあ、お前は才能の欠片もなさそうじゃし、よくやったと言ったところかの」
あちこちの並行世界を旅する爺さんは、実に懐が広い。
魔法使いは自分の魔法を他者には漏らさない。
自信の奇跡に近づいた者は容赦なく排斥すると、私は本能でそう考えていたのだが……その考えを斜め上どころか、はるかに凌駕していた。

大師父は投影された宝石剣をこちらに放り、にやりと笑って言葉を紡いだ。
「ほれ、とっておくがよい。トオサカは最も芽のない弟子だったが、お前ならば辿り着けるやもしれんな。
 確か、トンビがタカを生んだ、というのはこの国の言葉だったか。お前はまさしくそれじゃな」
どうやら大師父は、はじめからそのつもりだったようだ。
そういう意味で言えば、これはサービスのしすぎではないだろうか。
言わば、自分で出した宿題の答えを自分で教えているようなモノだ。

何故こんなことをしたのか、と問うと……
「どいつもこいつもいつまでたっても辿り着けんのでな、ちょうどいい暇つぶしじゃ。
 これでは、後継者が出る前にわしの寿命が尽きてしまうわい」
なんて愚痴を言っていた。
ところで「寿命」? 寿命もへったくれもないくせに、何かの冗談だったのだろうか……。
この爺さんなら、人類が滅亡するまで生きていたって私は驚かないのに。


そのまま大師父はしばらくの間遠坂家に逗留し、私や士郎に様々な迷惑をかけて下さりやがりました。
不必要に元気な御老体なんて、迷惑以外の何物でもないわね。短期間ではあったが、そう実感するに十分すぎた。

そうして、一通り興味の対象を観察の名のもとに引っかき回して、大師父は帰って行った。
二人揃って肩を撫でおろしたのは言うまでもない。士郎なんて、胃薬のお世話になっていたくらいだ。
その苦労は推して知るべし。

飾っていても仕方がないのだから当然のことだが、士郎の作った宝石剣を徹底的に調べ上げてから使用した。
大師父の言葉の通り、それはわずか二回の使用ですぐに砕けてしまった。
こんなことまで見抜いてしまうとはね、本当にとんでもない人(?)だ。
だがその二度の使用だけでも、私が宝石剣の全容を把握するには十分だった。

その後ロンドンに渡り、私はいくらかの時間をかけて宝石剣の再現に成功した。
またそれとは別に、協会から「緋色」の称号を受け「ミス・カーディナル」だの「緋色の魔女」だの呼ばれるようになった。だって、再現できたからって協会の連中に教えてやる義理などないのだから、隠しておくのは当然だろう。
だから連中がそのことを知ったのは、私が士郎と一緒に奴らに追われるようになってからだ。
そういえば、士郎につきあって世界中でドンパチやっているうちに、いつの間にか「堕ちた緋」や「血濡れの魔女」なんて呼び名も追加されていたっけ。

ちなみに最も苦労したのが、宝石剣の製作費用を調達することだ。
あの頃は必死だったからね。助けた貸しを慎二に請求し、間桐の私財を売り払いもした。それに、士郎が協会などからの依頼を受けて稼いだ資金で賄った。
ルヴィアから一銭も借りなかったのは、私自身よくやったと思う。

こうして遠坂凛は、ロンドンに渡って数年で魔法のきざはしに手をかけたのだ。



第16話「無限攻防」



場所はアースラのブリッジ。

士郎とリニスを除いた、この件の当事者全員がこの場にいる。
士郎は、先ほどの雷撃の直撃を受け重傷。
今回身につけていたのは、以前のような投影品ではなく正真正銘の聖骸布だった。

しかし、いくら魔力遮断の特性を持つとはいえ限界はある。その限界以上の魔力で攻撃を受ければ、ダメージを軽減するので精一杯だ。
自分の身を守ることに切り替えていれば、こんなことにはならなかっただろうが、二十年かけて培った性格はそう簡単には治るはずもない。

命に別状はないようだが、鞘を使っても完全な状態になるまではかなりかかるだろう。
本物の鞘を直接使えれば違うのかもしれないが、あれはセイバーの持ち物なので、契約の切れた士郎では加護を得ることはできない。
今は、体の中にあるのとは別に投影した士郎でも使える方の鞘で治療している。
さすがに、体内に二つも入れるのは無理らしい。また、分解してしまうと維持できないので、使うたびに投影しなければならない。
さすがに二十年以上も共にあり、もはや体の一部と言っていいほどに馴染んだ半身である。他の宝具よりも負荷は少なく、重傷の士郎にも無理なく投影できた。

検査を受けるのは少々心配だが、蒼崎製の人形であるこの体なら、ばれる恐れはないだろう。
私の時も大丈夫だったのだ。その点に関して心配はいらないはずだ。
これで安静にしていれば大丈夫だろうが、この局面でアイツがいつまでも大人しくしているはずもない。
早めに決着をつけるのが望ましいか。


今、アースラを出た武装隊が時の庭園の制圧と、プレシアの確保に向かっている。
このまま何事もなく終わってくれるのが一番だが、これまでのプレシアの行動を考えると、そう上手くはいかないだろう。
母親が逮捕される瞬間などフェイトに見せない方がいいと思うのだが、フェイトは自身の意思でここに残っている。なのはが連れ出そうとしたが、頑として受け入れようとしない。
この結末を、見届けようというのだろう。

武装隊は問題なく制圧と確保に成功する。
そして、玉座の奥に通路があるのを発見し、そこに突入する。
『ぐぁーー!!?』
「私のアリシアに、近寄らないで!!」
通路に突入した者だけでなく、庭園内の全隊員を一瞬にして沈めたプレシアの声が響く。
リンディさんは大急ぎで、隊員たちの送還を命じる。
モニターに映っているのは、フェイトとよく似た少女が浮かぶ、巨大な試験管の様な物体だった。
あれは、まさか…………!!??

そんな私たちの驚愕を無視してプレシアが口を開く。
「たった八個のロストロギアでは、アルハザードにたどり着けるか分からないけど。
でも、もういいわ。これで終わりにする。
この子を亡くしてからの暗鬱な時間も、この子の身代わりの人形に、アリシアの記憶を与えて娘扱いをするのも、これで終わり。
聞いていて?  貴方の事よ、フェイト」
「なのは!! フェイトを連れて早く下がりなさい!!」
なのはにフェイトを連れて行かせようとするが、すでに遅い。
フェイトはもう、この映像を見て、プレシアの言葉を聞いてしまった。

まさか、こんな所に安置してあるとは思っていなかった。
あるとすれば、もっとも堅牢で奥深い場所にあると思っていた。こんなに早く発見することになるのは、完全に予想外だ。
少なくとも、プレシアを捕まえた後に確保することになると思っていた。
だからこそ、フェイトがこの場にいることを放置していたのだが、それが裏目に出た。
この子にだけは、知られてはならないことだったのに。
こんなことなら、甘い事を言っていないで無理矢理牢にでも閉じ込めておくべきだった。

「最初の事故の時にね、プレシアは実の娘、アリシア・テスタロッサを亡くしているの。
彼女が最後に行っていた研究は、使い魔を超える人造生命の精製…「プロジェクトF.A.T.E」。
そして…その、目的は……」
エイミィが、これまでの調査とリニスからの情報提供で分かったことを沈痛な声音で話す。
だが、最後の言葉は口にできないでいる。
それは、フェイトの命そのものを否定するのに等しい。言葉にすることをためらうのは、人として当然だ。

しかし、ここまで聞けば言わずともその先はわかる。
「プロジェクトF」とも呼ばれるこの研究が、フェイトを生みだし、そしてその名の由来。
まともに名前をつける気にすらならなかった、ということだろう。

逡巡するエイミィと違い、プレシアはその最後の言葉を何でもない事のように口にする。
やはり、プレシアはフェイトのことを人間としてすら見ていない。
「よく調べたわね。私の目的は、アリシアの蘇生、ただそれだけよ」
フェイトへと向けられる目には、嫌悪と侮蔑、そして憎悪が漲っている。

そんな目とは対照的に、語られる言葉からは感情が感じられない。
「でも駄目ね、ちっとも上手くいかなかった。作り物の命は、所詮作り物……」
これが、この女がその研究の果てに至った答え。
ある意味当然であり、わかりきっている結果だ。
だからこそプレシアは、奇跡に縋ろうとしているのだろう。

死者の蘇生。確かに、そんなことを目指していたのでは根源にでも行くか、魔法を得るしかない。
だが……
「はぁ? 何を当たり前のことを言っているんだか。
 うまくいくはずないじゃないの。そんな魂の入っていない抜け殻なんかで。
 入れ物があっても中身がないんじゃ、望むものができるはずないでしょ」
私の呆れたような発言に、全員が驚いたような顔をする。
あんまりばらしていいことじゃないんだけど、この女は妙に気に障る。
やることなすこと、全て気にくわない。この女は、完膚なきまでに叩き潰さねば気が済まない。

それに、何を当然のことを言っているのか。
いくら出来のいい入れ物でも、それに入れるものがなければ意味はない。
そのまま放置していれば、別のものが入ってくるのは必定だ。
記憶とは所詮は記録にすぎない。確かにその人間を形作る重要な要素ではあるが、同じ記憶でもそれをどう感じどう解釈するかは人それぞれだ。その感性とでもいう部分は、記憶だけでは再現しきれない。
それはもっと根本的な「魂」の領域にかかわる部分だ。

それを無視している時点で、プレシアの試みは徒労でしかない。
「死者の蘇生には、無の否定、時間旅行、いずれかの魔法が絡んでくる。あとは、魂の物質化でも可能かもね。
 そのどれも使わずに、そもそも中身になる魂すらなくては、本末転倒もいいところよ。
 せめて魂だけでも確保してあれば、器に移しかえることもできたのにね」
そう、例えば私たちのように。まあ、本当はこれに私の目指す「並行世界の運営」も関わってくるのだけど、この人たちの前でそれを言うのはさすがに不味い。
なので、丁重に秘匿させていただくとしよう。

それに私も士郎も完全に死ぬ前に魂を確保し、それをこの体に移したからこそ、こうして第二の人生を生きることが出来ている。もし保存していたのが記憶だけだったら、こうもうまくはいかなかったでしょうね。
いくら同じ記憶があっても、人格や性格が異なってしまえば当然それは別人になる。
魂の概念を知らなくても、その程度のことには気づきそうなものだが、この女はそんなことにさえ気づかなかったのか。これでは程度が知れるというものだ。

「確かに根源の渦に至れば、それらを手に入れることもできるでしょうね。
 でもね、ここにきて確信したわ。アンタじゃ、どうやっても至れない。だってその器じゃないもの。
物事の本質すらも解せないアンタこそ、ただのできそこない」
挑発の意味も込めて肩を竦め、呆れたと言わんばかりのポーズを取る。
本物を知っている身として言わせてもらえば、どう見たってその器には見えない。
あの化け物と比べるのがそもそもの間違いといえばそれまでだが、こいつが目指すのはその化け物と同じ領域だ。
これに限っては、あの爺さんを基準しなければ意味がない。

それにこの女の場合、至る至らない以前の問題だしね。
「ま、それでなくてもここまで派手にやったんだから、世界はアンタを潰しにかかる。
どっちみち抑止力対策すらしていないんじゃ、失敗は確実ね」
そう。数多の魔術師を阻んできた抑止力の壁は甘くない。
ジュエルシードは正しく発動させようとすればするほどに、本来の使い方からは外れていく。
まったく、何のために願いをかなえるなんてカモフラージュがあると思っているんだか。
だからこいつは器じゃないというのだ。

いい加減我慢がならないのか、プレシアが語気を荒げて反論しようとするのを制する。
「あの少年にも言ったけど…「世界は何もしない? それこそ勘違いよ。世界は矛盾を嫌う。外側に至るなんて、その最たるもの。嫌がることをすれば、阻まれるのは当然ね。その程度のことさえ分からないから、アンタは三流なのよ」…くぅ!?」
プレシアの顔が屈辱に歪む。
こんな小娘に、自分のすべてともいえる研究や行いを全否定されては、当然の反応か。
そこへ、新たな闖入者が現れる。

「プレシア、もうやめてください。
 こんなことをしても、何も返ってなんかきません!」
声の方には、壁に手をつきながらやってきた士郎と、その肩にいる山猫形態のリニスだった。

プレシアとの通信回線が開いているのに気づいたみたいね。
まあ、これだけ大騒ぎをしていれば気づくのは当然か。
それにしても、動けるような体じゃないはずなのだが、また無理をしているわね、あの馬鹿(×2)。
士郎もまだまともに動けるほど回復していないのは明白だが、その目は何か言いたいことがあるようで、言っても聞きそうにない。
文句の一つも言ってやりたいが、無駄だということもわかる。仕方がないし、ここは見逃してやろう。
もちろん、後でちゃんと罰は与えるけどね。

「驚いたわね、リニス。あなたまだ生きていたの」
特に感情を感じさせない声でプレシアが言ってくる。
本当に驚いているのかさえ疑問だが、あるいは単にリニスには何の関心もないからかもしれない。

そんなプレシアの冷淡な反応を気にしないように努め、リニスは言葉を紡ぐ。
「……はい。恥を忍んで、こうしてしぶとく生きています。
 今ならまだ引き返せます。あなたは一人ではありません。まだ間に合うんです、だから…もう……」
最後の望みを託すように、リニスは必死でプレシアに訴える。

だが、そんな心からの希求は、冷徹な声で否定される。
「何を言っているのかしら? これが私のすべてよ。
 それ以外のことなんて、どうでもいいゴミ同然。私は取り戻す、私の過去とアリシアの未来を!!
 あなた達も失ってみればわかるわ。本当に大切なものを失えば、何を犠牲にしてでもそれを取り戻したいと、そう願わずにはいられない」
確かに、それは誰もが願わずにはいられないだろう願い。
理不尽に失ったものを取り戻したい、というのは誰もが持つであろうものだ。

だが、ここにそれを否定する者がいる。
「戯け! 死者は蘇らない。起きたことは戻せない。貴様の願いは、失われたものを否定する。
 失った悲しみも、大切な人の死を悼んだ時間も、その重みも痛みも全てウソになる。
 その痛みに耐え、悔いることこそが、失われたものへの鎮魂に他ならないということすらわからんか!」
士郎がボロボロの体でありながら、渾身の力でプレシアの願いを否定する。

そう、こいつは誰よりもそれを知っている。
街一つを焼き尽くした、大火災の生存者。
生き残るために多くの助けを求める声を振り払い、置き去りにしてきたからこそ、こいつの言葉は誰よりも重い。
自分のすべてに匹敵する程度では足りない。こいつはそこで、真実自己のすべてを失ったのだから。

「俺にも失ってきたもの、切り捨ててきたものがある。
 だからこそ、置き去りにしてきた物の為にも、そんなおかしな望みを……持つことは、できない」
声には苦渋がにじんでいる。
今まで犠牲にしてきたモノ、置き去りにしてきたモノ、そのすべてに対し頭を下げながら言葉を紡いでいる。
たとえその手に、それを可能とする「奇跡」があったとしても、衛宮士郎は決してそれを使わない。
これは、それを宣言する言葉でもある。

士郎の心の中で渦巻く感情が走る痛みが、僅かだけどパスから流れてくる。
その感情はどうしようもなく悲痛で、心に走る痛みの、何と狂おしいことか。
その痛みに耐えるように、私はいつの間にか胸に手をあてていた。
アイツだって、それを夢見なかったことがないわけではない。
だが、それを夢見てなお、衛宮士郎はそれを否定する。
それは、決してしてはならないことだから。なかったことにしてはならないものだから。

いつ以来だろうか、こんなにも激情を露わにする士郎は。
ここ数年は、心に渦巻く感情を表に出すことはほとんどなかった。

「貴様は、自分の身勝手な理想をフェイトとアリシアに押し付けている!!
 貴様がどれほどアリシアを理解しているかは知らない。
だが貴様の思い描くそれは、真に迫ることは出来ても本物には届かない。
どこまでいっても、貴様にとって都合のいい理想でしかない」
士郎の言っていることは正しい。
親子だろうが夫婦だろうが関係ない。他者を完全に理解しきることなんて、実際には不可能だ。
人間は、自分自身のことさえ理解しきれない生き物だ。それが、自分以外の者を一から十まで理解しきれるはずがない。だからこそ、相互理解は難しく、また尊いものなのだ。
気の遠くなるような時間を共有し、どれほど相手を理解したとしても、なお十分にはほど遠い。
なら、プレシアが思い描くアリシアは、必ずどこかで本物とは食い違う。
故に、それが本物になることはない。なると思っているのは、当人だけだ。

つまり、本物を直接引っ張ってこない限り、プレシアの望みがかなうことはない。
そして、その本物はすでにいない。
もしそれ以外でプレシアの満足のいくアリシアが生まれたとすれば、それはプレシアにとって都合のいいだけの、それこそただの人形だ。
この女の願望は、そもそもの根本が破綻している。

「そんな理想は妄想と同じだ。真実にはほど遠い。
そんな、愚かな理想を持ってしか生きられないと言うのなら……理想を抱いて、溺死しろ」
言いたいことはすべて言ったとばかりに、士郎はそこで崩れ落ちる。
本来なら到底動ける状態ではないのだから、多少回復していても当たり前だ。

それにしても、「理想を抱いて溺死しろ」か。こいつがこんなことを言うとはね。
あれは、こいつが一番嫌っていた言葉だったはずだが、それだけ腹に据えかねたと言うことなのだろう。

士郎の言葉でプレシアの時間が僅かに停止していたが、その時間が動き出す。
「……面白いことを言うのね。
 だったら、あなたの大切なその娘達を殺しても、まだそんなことが言えるのか、試してあげるわ」
そう宣言した顔には、今まで見せてこなかった殺意に満ちた表情があった。
おまけに、士郎ではなく私たちに向けてなかなかに気合の入った殺気をぶつけていく。
そして、そこで通信は切れた。

はあ、これは完全なとばっちりだ。だが望むところでもある。
いま動けるメンバーの中で、プレシアと渡り合えるのは私だけだろう。
それに先ほどプレシアの悲願を否定したことで、私が最優先の抹殺対象になっている。
なのはに向けられた殺気に比べ、私に向けられたそれは比較にならないほど、深く重いものだった。
こちらに集中してくれる分には都合がいい。
なのはもその対象にされているが、要はプレシアの前に出さなければ問題はない。

改めて後ろを見てみると、崩れ落ちた士郎とその肩のリニス、それに心神喪失状態のフェイトが運ばれていく。
フェイトの方は、あれだけ存在を全否定されたのだから無理もない。

だが、今すべき事はフェイトの精神的ケアではなく、プレシアを止めることだ。
なのはが心配そうにしているが、ここにいても仕方がない。
励ましも慰めも、すべてが終わった後でもできることだ。

ここからは総力戦だ。
プレシアの相手以外にもすることは幾らでもある。
クロノだけでなく、なのはやユーノも駆り出さなければならない。

クロノもそれがわかっているのだろう。
何も言わなくてもこの場から移動する。
だが、なのはたちはまだその場で立ち止まったままだ。
「なのは、ユーノ。いつまでもそうしていたって仕方がないでしょ。……行くわよ」
私もなのはたちを急かし、共にその後を追う。

そこへなのはが躊躇を見せる。
「でも、フェイトちゃんが……」
「優しいのはいいけどね、今はそれどころじゃないわ。フェイトの方は、後回しにしてもなんとでもなる。
 でも、プレシアの方は今すぐ何とかしないと手遅れになるわ」
冷たいようだが、今はフェイトを優先するわけにはいかない。
あの女は足りないとわかっていながら、それでもなお無理矢理目的を達成しようとしている。
それこそ、次元震が発生することも辞さないだろう。
時間に猶予はない。いま直ぐ止めに行かないと、本当に全てを失うことになる。

「それに、向こうにはアルフやリニス、士郎もいるわ。
アンタよりよっぽど付き合いが長いんだから、きっとうまくやれるわよ。信じて、任せてやりなさい」
なんだかんだ言っても、なのははフェイトのことをほとんど知らない。
知らないからこそ言ってやれることもあるが、よく知る者の言葉が効果的な可能性の方が高い。
どうせリニスと士郎は動けないのだ。アルフも主の元を離れようとはしないだろう。
だったらあいつらに任せて、今はすべきことをしなければならない。

ユーノもフェイトのことは心配なようだが、それでも優先すべきことはわかっているらしい。
なのはの肩に手を置いて、静かな声で先へ進むように促す。
「……なのは。凛たちと一緒に行こう。僕たちにもできることがあるはずだ。
 フェイトのことは、すべてが終わった後に出来る限りのことをしよう。僕も手伝うから」
「ユーノ君………………うん、わかった。今は、わたしたちにしなくちゃならないことをしよう」
ユーノ言葉にわずかな時間迷いを見せたが、無理矢理にでも納得したのか、意志を固めて一歩を踏み出す。
まだその声と顔には悲しそうな色があるが、それでも進むと決めた以上この子はちゃんとやれるだろう。
その程度の信頼ができるくらいには、この子を知っているつもりだ。
そうして私たち三人は、ゲートに向かって走り出す。


ゲートの前に着いた時、私たちを待っていたのかクロノがそこで立っていた。

武装隊が半壊滅状態である以上、猫の手も借りたい状況なのだろう。
本心では私たちを前線に出したくないとその表情が物語っているが、私たち抜きでは戦力が足りないのはわかりきっている。クロノもそのことには何も言わず、これからのことを話している。
すぐ後にはリンディさんも出てくるらしいが、それは次元震を抑えるのが目的だ。
プレシアの逮捕は、私たちの任務となる。

厳密にはプレシアの逮捕をする役と、時の庭園の駆動炉を封印する役、この二つがある。
そして、その役は今更論議するまでもなく決まっている。
クロノは納得いかないだろうが、それでもこれは動かしようがない。
他のだれかではどうしようもないが、私ならどうにかなるのだから。
「じゃ、私がプレシアの相手をするから、あなたたちは駆動炉の方を何とかしなさい」
簡潔に要点のみを口にする。
時間もない以上、無駄なことをしている暇はない。

そう考えての私の発言だったのだが、なのはやユーノは驚きクロノはくってかかる。
「何を言っているんだ!! プレシアの逮捕は僕がやる。君は、なのはたちと駆動炉の封印にあたれ」
一応民間人である私に、あまり危険なことをさせるわけにはいかないという配慮だが、そんなものに意味はない。
封印を手伝うと言っても、私にできるのは露払いくらいだ。

この場には私にしかできないことがあるのだから、それをするのが道理だ。
「ねぇ、クロノ。聞くけどアンタ、プレシアと戦闘になって勝てると思ってるの?」
私の言葉にクロノの顔が凍りつく。
こいつだって馬鹿じゃない。戦いになれば、どんな結果になるかとっくに想像できているはずだ。
それでも自分が行こうとするのは、私たちのことを慮ってのことか、それとも管理局の人間としての矜持だろうか。

どちらにしてもお優しく御立派なことだが、それは時と場合による。
事実は事実として突き付けなければならない。
「アンタだって、アレが大人しく捕まるなんて思ってはいないはずよ。なら、戦闘は避けられない。
その上乗り込むのは向こうの本拠地。地の利は向こうにあるんですもの、確実に待ちかまえているわ」
奇襲か不意打ちでもできれば別だが、地の利が向こうにある以上それはあまり期待できない。
おそらく、中に入ればこちらの動きは筒抜けになるだろう。
これでは奇襲のしようがない。むしろ罠の中に飛び込むのと同義とさえ言える。
どれだけ上手くいっても、正面きっての戦闘になればいい方だろう。

さらに、以前士郎が聞いたことが事実なら、真正面から戦うのはかなりのリスクと伴うことになる。
「挙句の果てに、向こうはジュエルシードを制御できるらしいしね。場合によっては、魔力の供給を受けることもできる可能性もあるわ。
それが可能なら、プレシアの魔力量は人の限界を超える。
無尽蔵に近い魔力の持ち主の相手が、アンタにできるのかしら?」
言われて、クロノの顔が苦渋に歪む。
分が悪いどころの話ではないことくらいは、分かっているのだろう。
どれほど高度な技術を持っていても、圧倒的物量の前では勝ち目はない。
ジュエルシードという反則に対抗できるのは、同等の反則を有する私だけだ。

「なら決まり。私にはプレシアに対抗する術がある。
クロノこそ、ユーノと一緒になのはのフォローに行きなさい。こっちは私が何とかするわ」
私一人で行くのには理由がある。
私なら拮抗するが、初期段階で別の人間がいれば、そいつを狙われると不利になる。
同等の反則を持つ者と戦うのだから、私にも他に気を回している余裕はないからだ。
正直クロノたちがいても、足手まといになる可能性が高い以上これしかない。

「もし自分の手で何とかしたいと思うなら、タイミングを計って奇襲してやりなさい。
 私なら対抗できるけど、捕まえるのは難しいし、それが一番確実ね」
ある程度戦いが続き、こちらに意識が集中してきたところで奇襲をかけてくれるのが一番いい。
他所に意識を向ける余裕がなくなれば、動きが筒抜けでもそれを把握することができなくなる。
そこで初めて、奇襲という選択肢が発生してくる。
つまり、私がその余裕を削ぎ落とし追い込もうというのだ。

クロノは僅かに逡巡するが、答えなど初めから決まっている。
「……わかった。本当に手があるのなら君に任せる。
 ただし、決して殺すなよ。目的は逮捕なんだからな」
以前私が出した殺意を思い出したのか、そんな心配をしてくる。
管理局としては、犯罪者に死なれては困るのだろう。
ちゃんと法の下で裁いて罪を償わせることこそ、管理局の存在意義であるのだから。

「わかってるわよ。保証はできないけど、手加減はしてあげる。
 駆動炉の封印が早く済めば、もしかしたら向こうも諦める気になるかもね」
正直言って、諦めるなんて到底思えない。だが、納得させるためにはこう言うほかない。
もしプレシアを止められるとしたら、それは私の言葉ではない。嫌悪ではあるが、唯一プレシアが関心を向けたフェイトの言葉でなければ無理だろう。それにしたところで一縷の希望があるだけだ。止まる可能性は皆無に近い。
フェイトが立ち直るか分からない以上、こちらに出来るのは腕尽くで拘束することだけだ。

出来れば殺すことは避けたい。下手に殺しなどしては、管理局にどんな目にあわされるか分からない。付け入る隙を作るわけにはいかないのだ。
だが、それもこちらが先に限界がくればその限りではない。本当にどうしようもなくなれば、殺すことも視野に入れている。
一応殺さないように加減はするが、それもどこまでできるか分からない。

私だけでプレシアの捕縛は、おそらくできない。そうである以上、なのはたちが早く来て奇襲をかけてくれなければ、それだけプレシア死亡の可能性(もちろん私のも)は上がっていく。
ここから先は今までのようなきれいな戦いではなく、血の匂いを纏う魔術師の殺し合いの場にもなりうる。
あの子たちが見るには、凄惨なものになるかもしれない。
できれば、あまりなのはには見て欲しくないと思ってしまう。
(まったく、こういうのを老婆心って言うのかな?)
そんな自分の思考に、思わず自嘲する。


  *  *  *  *  *


相談を終えた私たちはゲートを通り、庭園の門の前に立っている。
目の前には、プレシアが呼び出したやたらと大きい人形がウロウロしている。

圧倒的数の差に、なのはやユーノは怯んでいるようだ。
確かに数は多いが、質の方はそれほどでもなさそうだ。このメンバーなら、突破するのはそう難しいことじゃない。
だが、なのはたちの経験不足を考えると、勢いをつける意味も込めてここはちょっと派手に蹴散らした方がいいかな。

そう結論して、人形どもに意識を向ける。
「さて、いつまでもここにいても仕方がないし、さっさと行くわよ。
『Herausziehen(属性抽出)―――Konvergenz(収束),Multiplikation(相乗)』」
五指にはめられた宝石が輝きを放ち、その光は掌の中央、その一点に収束され光弾を作り上げる。

それだけでなく、逆の手に握っていた宝石を宙にばらまく。その数は七。
どれもまだそれほど多くの魔力が込められているわけではないし、石の質もたいしたことはない。事実、一つ一つの力は微々たるものだ。
だが、それでも数を揃えればそれなりの力になる。詠唱と共に込められていた魔力を解放し、その力も掌にある光弾に加える。

光弾は輝きを強め、その力は臨界に達する。
そして、溜めこんだ力を一気に解放する。
「『―――Rotten(穿て) Sie es aus(虹の咆哮)!!!』」

なのはのSLBにはさすがに及ばないが、これが魔導師たちで言うところの砲撃にあたるだろう。
あれに匹敵する威力を持たせようと思えば、年単位で魔力を貯めた宝石を使用するしかない。
今のはそれぞれが相関関係にある五大元素を、互いに干渉させ力を増幅して放ったもの。
その上で、禁呪とされる「相乗」まで行っているので、制御には細心の注意がいる。並みの術者では暴走させて当然の術式だが、私なら手を抜かない限りは問題ない。

七色の光を放つ閃光は一直線に門へと向かい、射線上にある全てを飲み込んでいく。
目の前にいたデカブツたちは粉々になり、道が開けそこを進む。

さあ、待っていなさい。今から本当の魔法の一端を見せてあげるわ。



Interlude

SIDE-士郎

医務室に運びこまれた俺とフェイト、それにリニス。
付き添ってきたアルフは、フェイトを心配そうに見つめている。

今のフェイトは、まさしく抜け殻のようだ。
今まですがってきた母親に、完全に捨てられたのだ。誰にも責めることはできない。
せめてこれだけは回避したかったが、結局は遅かったと言うことか。

俺に、フェイトの気持ちを分かってやることは、きっとできない。
俺もかつては自分のすべてを否定されたことがあるが、似たような状況でもその受け止め方はそれぞれだ。
俺は必死に否定し、フェイトは絶望した。強いとか弱いという問題ではない。位置づけだって違う。

だから、俺が言ってやれるのはこれだけだと思う。
「なぁ、フェイト。お前は俺の言葉を聞くのも嫌だろうけど、聞いてくれないか」
鞘を抱えたまま身を起し、フェイトの方を見て言葉を紡いでいく。

「………」
フェイトからの反応はない。
騙して、裏切った俺を許せるはずもないのだから、この場で罵倒されても仕方がないと思っていた。
しかし、それさえもないのが、かえって悲しい。

でも、せめて俺のような思いだけはしてほしくないから、このことを話す。
「俺には、姉がいたんだ。それを知ったのは親父の遺言を見つけた時だった。
 そこには、その人を救ってくれという親父の願いが書かれていた。
でも、俺にはそれを叶えてやることはできなかった」
俺がもし、魔術師としてそれなりの腕になったのであれば、ひらける仕組みになっていた小箱に入っていた遺言。
そこには、思ってもみないことが書かれていた。あの雪の少女、イリヤスフィールが切嗣の娘であるという事実。

だが、それを見つけるのはあまりに遅すぎた。見つけた時は、もう何もかもが手遅れだったのだ。
「俺は、その遺言を見つける前にその人に会っていた。
 でもその人は、俺の目の前で殺された。
間にあったかもしれないのに、あの時の俺にもう少し力があれば、救えたかもしれなかったのに!
 ろくに、言葉を交わすことさえできなかった」
英雄王の手で殺されそうになった時、俺は飛び出したが、結局間に合わなかった。

今なら、なぜ彼女が俺に対して執着していたのかわかる。
どれほど寂しかっただろう、どれだけ憎かっただろう。
自分のたった一人の肉親を奪っていった、俺のことが。
ついに、恨み言の一つも聞いてやれなかった、謝罪の言葉も伝えられなかった。
どれほど悔やんでも悔やみきれない。なぜあの時の俺はあんなにも弱く、この手は届かなかったのか。
あとほんの少しでも早くこの手を差し伸べていれば、あの人を救えたかもしれないのに。

だが、フェイトは違う。
フェイトの思いが、伝わることはないかもしれない。
もっと残酷な言葉や、現実が待っているかもしれない。
それでも、俺のように何もできなくて後悔するよりはきっといい。
プレシアはまだ生きていて、言葉と思いを伝えることができるのだから。

「フェイト、お前はまだ間に合う。今ならまだ、伝えることができる」
少なくとも、それをできないよりはきっといいから。
例えそれが、ただの自己満足でしかないとしても。

俺は立ち上がり、フェイトのベッドの横に立ちその手を握る。
どうか俺の言葉が届くように、そう願って手を取り言葉をかける。
「それにな、フェイト。
 お前が自分のことを何だと思っても、それはお前の自由だ。
だけど、少なくともフェイトは人形なんかじゃない」
さっきのような感情に任せての言葉ではなく、できる限り穏やかな声で告げる。
これは励ましや慰めではなく、ましてや同情からの言葉ではない。厳然たる事実だ。

「…………」
フェイトからの反応は、やはりない。
最愛の母から投げつけられた言葉と比べ、俺のそれがフェイトに与える影響なんて程度が知れている。
それが否定の言葉ともなればなおさらだ。
俺がなんと言ったところで、聞こえのいい綺麗事にしか聞こえないのだろう。

「プレシアは、フェイトを人形だと言った。アリシアの記憶を与えただけの、出来損ないの人形だと。
 だけど、それはおかしい。記憶と感情は別物だ。いくらフェイトの中にアリシアの記憶があったとしても、それがたとえどれほど幸せで優しい記憶であったとしても、今のフェイトがプレシアのことを好きな理由にはならない。
フェイトはどれほどプレシアから酷い目にあわされても、それでもなおプレシアのことが好きだったはずだ」
そう、フェイトはプレシアから酷い虐待を受けていた。
にもかかわらず、フェイトはプレシアを「喜ばせたい」と言った。
それは間違いなく、フェイト自身の心から零れた気持だったはずだ。
そうだ。フェイト・テスタロッサは「エミヤシロウ」と違って、自身から零れ落ちた想いでそれを願い、目指していた。

多かれ少なかれアリシアの記憶の影響はあるだろう。
確かに、フェイトがプレシアのことが好きだった要因にそれは深くかかわっているはずだ。
だが、植え付けられた記憶から端を発した想いとはいえ、それはあくまで原因でしかない。
あれほどの苦痛を受けても想い続けたということは、苦痛を上回るほどに想っていたと言う事だ。
元がアリシアの記憶でも、そこからそれほどまでに強い感情を生みだしたのはフェイト自身。
フェイトが受け継いだのは、あくまで「記憶」だけで「感情」までは継いでいないのだから。
ならばそれは、紛れもなくフェイトの心から零れ落ちたものだろう。

「自身から零れ落ちるものがあるのなら、それはフェイトが人形なんかじゃないことの証明だ。
 本当に人形だったのなら、そんなものが出てくるはずがないんだから。
だから、その記憶が借りモノだったとしても、零れ落ちた気持ちは本物だ。
 それはプレシアにも否定できない、紛れもないフェイトの中にある真実なんだ」
全てが借りモノだった俺と違い、フェイトのそれは偽物なんかじゃない。
あれほど純粋で綺麗な思いを、一体誰に偽物と断ずることができる。
そんなことは誰にもできないし、絶対にさせない。

そもそも俺たちだって、フェイトのことは言えない身だ。
今の俺や凛の体は、文字通り「人形」だ。それに、魂という得体のしれないものを定着させているだけにすぎない。これに、記憶を与えられたフェイトと何の違いがあろうか。どちらも見ることも触れることもできない、曖昧なものという点では共通している。
俺は自身を「衛宮士郎」と認識しているが、本当にそうなのだろうか。ただ「衛宮士郎」という人間の情報が宿っただけの、まったくの別人である可能性を否定する材料は、あまりに乏しい。

だが、それにいったい何の問題があるのだろう。俺が「あの時に死んだはずの衛宮士郎」でなかったとしても、ここに俺がいることは変わらない。
俺たちはすでに「そういう存在」なのだから、今更そこを思い悩んでも意味はない。
俺たちがこれからも生きていかなければならず、生きねばならない理由がある以上、事の真偽なんてどうでもいい。仮に全くの別人だったとしても、俺がこれからやっていくことに変化があるわけじゃない。今の俺が望むままに生きていくのだから、偽物でも本物でも結局は同じことだ。

それは過去に対しても言える。俺がこの体になってからしてきた事、フェイトが生まれてきてからしてきた事は、すべてが俺たち自身の意思でしてきた事だ。ならば、その行為と思いのすべては、俺たちだけのモノだ。
人形かどうかなんて問題じゃない。ここにいるのは、紛れもない「フェイト・テスタロッサ」という個人なんだ。
そのことを、何とかフェイト伝えたい。

「それにな、フェイト。
フェイトはプレシアのことが好きだったことが、間違っていたと思うか?
やり方の是非はあるけど、それでも今までの自分が抱いていた想いが、間違っていないと信じられるか?」
「っ……」
僅かに、フェイトからの反応があった。
間違っていたと思うのなら、こんな反応はしない。
それはつまり、あれほど拒絶された今でも、フェイトはプレシアのことが好きなのだろう。
そして、その想いが間違っているとは思っていないはずだ。

「それが信じられるのなら、胸を張れ。お前が歩んできた道のりは、誇っていいものだ。
それにプレシアの答えは悲しいものだけど、まだすべてが終わったわけじゃない。
報われないかもしれないけど、それをすることにはきっと、意味があるはずだ」
俺に言えるのはここまでだ。ここから先は、フェイトが自分で決めるしかない。
俺はフェイトの手を離し、ベッドに戻す。

抱えていた鞘を消し、そのまま扉を目指して一歩を踏み出す。
ある程度回復してきたし、これなら走る程度は何とかなる。
いつまでもここにはいられない。凛が心配だし、何か俺にもできることがあるかもしれない。
だから、俺は行く。もう、何もできなくて後悔するのは嫌だから。

「ちょ、士郎!? いくらなんでも無茶だよ」
アルフが止めようとするが、手で制して先に進む。

そこへ、制止とは違う声がかかる。
「待ってください……私も行きます。このままゲートまでいっても、きっと行かせてはくれませんよ。
 でも、私が転送すれば行けます。その代り、連れて行ってください」
リニスが苦しそうにうめきながら言ってくる。
こいつはまだ自力では動けないが、魔法を使うこと自体は可能だ。
当然体には相当な負担がかかるだろうが、それでも使用に指一本必要ない以上向こうに行くことはできる。
だからこその交換条件。リニスが道を作り、俺が足となる。

「できるのか?」
「多少無理をすれば、なんとか。それに、私には責任があります。
 すべてを押し付けた責任が。なら、最後を見届けなければなりませんから」
「多少」か、「思い切り」の間違いだろうに。まあ、俺も人のことは言えないがリニスも止めたところで聞かないだろうな。
それにリニスは、遠からずプレシアが死ぬことを知っている。
プレシアは病にむしばまれているらしいし、どのみちもう長くない。
殺されるのか、それとも死ぬのかはわからないが、それでも託した側のものとして責任を果たしに行くと言う。
ならば、それを否定することはできないな。

「わかった、頼む。ついでに道案内の方もな」
そうして、俺はリニスを肩に乗せ医務室の出口に向かう。

俺から言えることはもうない。あとは、フェイトが決めることだ。
「先に行くぞ。立ち上がれるなら追って来い。
その心に、まだ伝えたい想いがあるのなら」
どうか、フェイトが俺のような後悔に苛まれることのないように願って、言葉を残す。

俺の言葉に、フェイトからかすかに声が返ってくる。
「まだ……わたしのすべては何も始まっていない。…そうなのかな?」
今までのフェイトの生は、プレシアのためのものだ。
そういう意味で言えば、俺とフェイトは似ているのかもしれない。
俺は切嗣との誓い、フェイトはプレシアへの思い、それだけを支えに生きてきた。

「俺も、かつてはただ一つの誓いのために生きていた。
それを捨てたら、もう自分ではいられなくなると思っていたからだ。
でも、今はそれに区切りをつけて、やっと俺は、自分のために生きているんだと思う」
ある意味では似た者同士な生き方をしてきた先達として、いま新たに前に進もうとするフェイトに話す。
これが、一歩を踏み出す後押しになる様に。

それがいいことなのか、そうでないのかはわからない。あの生き方が、間違っていなかったという自負はある。
今でも、この生活は俺には不相応だという気持ちはある。幸せなのに苦しいなんて、全くつくづく歪んでいる。
それでも今の俺は、自分自身から零れ落ちた思いのために生きている。それもまた、間違ってはいないはずだ。

同様に、今までのフェイトが間違っていたというわけではないが、もうそれに縋っていくわけにはいかない。
だからここからは、別の生き方をしていくしかない。
「認めてもらえないかもしれないけど、それでも伝えたいことがあるから、わたしも行くよ。
 今までのことに、区切りをつけなきゃいけないから。このまま終わるなんて…いやだから」
一筋の涙と共に、フェイトはバルディッシュを抱きしめる。
そこにはさっきまでの表情がウソのように、覇気のある顔があった。
いつものフェイト、いや、それ以上の力強さを感じさせるその様子に安堵する。
大丈夫。結果はわからないが、少なくともフェイトは俺のようにはならないだろう。

「そうだな。一度ちゃんと終わらせないと、先には行けないものな」
俺が死を区切りにしたように、フェイトはプレシアに想いを伝えないと前には進めないのだろう。

そこでフェイトは、ずっと黙って見ていたアルフに顔を向ける。
「アルフ、また迷惑かけちゃうけど一緒に行ってくれる? 本当のわたしを始めるために」
その言葉に、アルフは泣きそうな顔で「当然だ」と答える。
主がこんなにもがんばって前に進もうとしているのに、情けないことは言っていられないのだろう。

「リニス、わたしも手伝うよ。みんなでやれば早いし、確実だから。
 それにシロウ。あとでシロウにも、たくさん文句を言うから、覚悟してね」
「ああ。文句くらい、後でいくらでも聞いてやるよ。じゃ、行くか」
バリアジャケットを纏ったフェイトが、笑いかけるように言ってくる。
本当はもっと嫌われるなり、侮蔑されるなりすると思ったのだが、そうでないのが少し嬉しい。
すべてが終わったら、もっといろいろ話をするのもいいかもしれないな。


  *  *  *  *  * 


「え、シロウはいかないの?」
時の庭園に転移した俺たちは、そこで別れることにする。

「いや、ちゃんと後を追っていくけどさ。俺よりもフェイトとアルフの方が早い。
 リニスを連れて先に行ってくれ。俺に合わせてると、間に合わないかもしれないからな」
凛は先ほど俺が運ばれる時に、あるものを俺の懐から持って行った。というか、強奪していった。
いきなり人の懐に手を突っ込み、その中を探すのはやめてもらえないだろうか。くすぐったいやら恥ずかしいやらで大変だった。せめて一言言ってくれれば自分で出し……はしなかったか。

アレが使われないに越したことはないのだ。正面から言われても、かなり渋ったと思う。そういう意味では、凛の判断は正しかったのかも。
そして、もしアレを使うことになれば、それで全てが決する。
凛だって面倒事はごめんなはずだからまず使うことはないだろうが、万が一ということがある。
そうなる前に、何としてもフェイトを行かせないと。

「わかった。先に行ってるから、無理しないでね」
心配そうにこちらを見ていたが、もっと優先させることがあるのでフェイトは飛んでいく。
俺もあまりゆっくりしていられない。場合によっては、宝具が必要になる可能性もある。
できる限り急がないと。

Interlude out



リニスから聞いていた隠し通路を使うことで、大幅に時間の削減ができた。
隠し部屋まで用意していたからには、このくらいはあると思っていたが案の定だった。
目の前には時の庭園の最下層、ここにプレシアがいる。
三流にはもったいないけど、こちらの秘奥を見せてやるとしよう。

最下層に入ると、予想通りプレシアが待ち構えていた。
「あら、どうやら待たせてしまったみたい。ごめんなさいね」
洞窟のような開けた空間には、プレシアと水槽に浮かぶアリシアによく似た空っぽの人形。

「それにしても、まだそんな人形を後生大事に持っているなんて、未練がましいわね」
特に意味があったわけではないのだが、思ったことを言ってやるといい感じに殺意が漲ってくる。

「私のアリシアを、あんなできそこないの人形と一緒にしないで!!
 私はアルハザードにたどり着いて、すべてを取り戻す……」
この女は、この期に及んでまだこんなことを言っているのか。
あれだけ無理であり、無意味だと言ったのにわからないのだろうか。それとも…わかりたくないのか。

まぁ、どちらでも構わない。やることは同じだ。
私は士郎と違って、自分と関わりのないところで起こった不幸に心を痛めることなんてできないし、する気もない。こいつの「これまで」には同情してもいいが、それはこの際関係ない。
私にとってのプレシアは同情すべき相手ではなく、こちらに迷惑をかける邪魔モノだ。そんな相手に便宜を尽くしてやるほど、私はお人好しではない。向こうも、私のことを邪魔モノと認識しているだろう。
ならば、すでに私たちは敵同士。かわすべきは言葉ではなく、もっと殺意のこもった攻撃であるべきだ。

私は外套の懐に忍ばせてある、礼装のうちのひとつを左手に取り開放する。
左腕に刻み込まれた魔術刻印が発光し、礼装の発動を今か今かと待っている。
「ありがたく思いなさい。
これはあなたごときが目にするには過ぎたものだけど、冥土の土産と思ってその目に焼き付けなさい。
本当の魔法ってものをね!!」
この場で殺すつもりは一応ないが、リニスの話ではどうせプレシアはもう長くない。
だったら、そう間違った言葉でもないだろう。

私の手にある、とても剣としての機能を果たせるとは思えない代物を見て、プレシアがあざける。
「そんなもので、一体何ができると言うのかしら。
 一片の魔力すらない、そんなできそこないの剣で。
そもそも、私に近づいて斬りつけることもできないわ。
化けの皮が剥がれたわね。このまま、一瞬のうちに消えなさい!」
プレシアの手には膨大な魔力がほとばしっている。
やはり、ジュエルシードからの魔力供給を受けているらしい。

上等! それなら条件は対等だ。思う存分にやるとしよう。

プレシアの手に圧縮された魔力が解放され、桁外れの威力を持った雷撃が襲いかかる。さすがに、こんなものを受けるなんて私にはできないので、全速力で離脱する。
それと同時に外套の能力を発現させる。
「『Nähern Sie sich nicht(不可視の幕が) von einer Grenze(凶弾を逸らす)』」
詠唱と共に、私の体の周囲に特殊な力場が出来上がる。
プレシアから放たれる雷撃は範囲が広く、完全には回避しきれない。だが、当たりそうな雷撃も外套から発生する力場に触れそうなところで突如向きを変え、見当違いのところに当たる。
正確に言えば、これは力場ではなく「歪み」だ。自分の周囲の空間を歪め、近づくものを逸らしている。

この外套は防御用だが、これまでの研究の成果を惜しむことなく注いでいる。
第二魔法は、空間干渉系の究極だ。これに手をかければ、この程度の効果を発生させる礼装を作るのは難しいことではない。
物理的・魔術的な防御力もかなりのものだが、これこそが私の外套の本領だ。
本当なら、これほどの威力がある攻撃を完全に逸らすのは無理だ。だが、当たりそうだったのが中心部分から外れた余波であり、上手く角度をつけてやれば比較的に用意だ。

そこへ、詠唱と共に剣を振るう。
「『Es last frei.(開放、)Werkzung(斬撃)!』」
無色だった刀身は七色に輝き、その中心から桁外れの魔力を提供する。

私は供給された魔力を剣に乗せ、一切の加工をせず力任せに放つ。
すると、開放された魔力は光を放ち、辺りをまばゆいばかりの黄金で照らしあげる。

「な!?」
驚きの声はプレシアのもの。
先ほどまで、何の魔力も感じさせなかった剣から発せられる膨大な魔力と、自分に向けて放たれる攻撃に驚愕する。
聞いていたとおり、実戦慣れしていないわね。
研究畑の人間だったらしいし、戦闘経験そのものがないのだろう。
素人では、わかっていても攻撃されれば僅かに怯む。それがこれほどの魔力となれば、この反応は当然だ。

それを迎撃するために、瞬時にジュエルシードから引き出した魔力を放つ。
ろくにタメも加工もする暇すらなく、向こうもただ力任せに魔力を放つ。
それだけでもかなりな威力だが、ギリギリのところで自分に迫る極光を相殺する。

あの驚きようからすると、今のがあの一瞬で出せる威力の上限なのだろう。
咄嗟に放った以上、相殺するのに必要な最低限の威力を持たせる、なんていう細かい制御をしていたとは思えない。
そして、その上限でもってやっと相殺ができるのなら、この先も拮抗することになる。

ただ厄介なのは、ほとんど加工する暇さえ与えていないはずなのに、しっかり電撃を帯びている事だ。
先天的な魔力変換資質持ちは、無意識レベルで変換できると聞いてはいた。だが、魔力を行使すると自然に電気に変換できるとはね。
ただの魔力の塊ならそれほどではないが、電気を帯びているとなると少しまずいかな。少し当たるだけでも、電撃の影響で動きが鈍くなる可能性がある。そうなれば、私の負けは確実だ。
可能な限りすべての攻撃を完全に相殺していくか、多少大げさなくらいによけるのが無難だろう。

突然の出来事に一瞬驚いたようだが、問題なく相殺できたことで、その驚きも消える。
だが、そこへさらなる攻撃を加える。
「ほら、ボーっとしている暇はないわよ。
『Gebuhr, zweihaunder(次、接続)――――Es last frei.(解放、)Eilesalve(一斉射撃)!!』」
先ほどとは違った、幾筋かの光条が襲いかかる。
それをまたロクに細かい制御をすることもなく、けれどしっかり電撃を帯びた魔力の塊で撃ち落とす。
反撃の隙を与えず、たたみかけるようにさらなる攻撃を加えていく。

(ま、これも防がれるんだろうけど、やっぱり瞬間的な放出量ならこっちが有利みたいね。
最大火力では勝ち目はないけど、これなら問題なく撃ち合える。
問題なのは、私の方が先にへばる可能性だけど、病人相手なら大丈夫かな。貯蔵に関しちゃ負けはないし)
案の定、私が仕掛ける攻撃はことごとく防がれる。だが、向こうからの反撃も防げないと言うほどのモノではない。
撃ち合いは、タメなしの早打ちの様相を呈している。
当然、交わされる攻撃を作り上げる術式は、かなり大雑把な編まれ方をしている。

本当は魔術師らしく、同じように宝石剣を使うにしても、もっと精緻に術を編んでの攻撃がしたいところだ。だが、ちゃんとした魔術として運用しようとすると、礼装の指輪に魔力を通したり、丁寧に術を編んだりしなければならないのでその分手間がかかる。
ここではそれが命取りになる。万人に向けての技術である「魔法」は、その分術式の効率化が図られているようで、こちらよりも出が早い。
だからこうして、宝石剣から力任せに魔力を叩きつけているのだ。

受け身になってはいけないし、向こうにタメや精密な加工、制御をする時間を与えてもいけない。
リンカーコアは貯蔵と最大出力に長けているから、全力攻撃などされては勝ち目がない。
だが、このまま単純な力比べをしていれば、かなりの時間拮抗する。

むしろ相手が病に侵され、体力が減退していることを考えれば、こちらの方が有利とも言える。
腕の筋肉が断線していくのはきついが、それより先に向こうが潰れる可能性が高い。
プレシアが万全だったらと思うと、ゾッとするわね。
もしリニスからの情報がなかったら、別の手を講じていたかもしれない。
でも、このまま主導権を握っていれば、最後に立っているのは私だ。


「そんな……ありえない…」
プレシアからそんなつぶやきが聞こえたかと思うと、幾条かの雷光が放たれる。
威力はそれほどでもないが、数が多いのが厄介ではある。

しかし戦闘経験が少ないせいか、それとも構成が荒かったのか、ねらいは甘く当たりそうなものだけ撃ち落とす。
もう幾度目になるのかさえ、数えるのが億劫になってきた。
すでに互いに撃ち合って、五十合を超えているのは確実だ。

今度は、四十本に及ぶ雷光が放たれる。
「…また大盤振る舞いね。もう少し節約することを考えみたら?
 さっきから使っている魔力量の総和は、並みの魔導師の数十人分に相当するってのに……。
 管理局の連中が知ったら卒倒するんじゃないかしら?
『Es wird beauftragt(次弾装填)――――Es last frei.(解放、)Eilesalve(一斉射撃)!』」
こちらも同じ数の閃光をぶつけ、相殺する。

呆れたように言ってやると、向こうがいらだたしげに返してくる。
「それをすべて斬り伏せる、あなたは一体何者なのかしら!
 ジュエルシードから引き出している魔力は、もはや無尽蔵とも言えるレベルよ。
あなたの貯蔵なんて、すずめの涙ほどにもならないのに。
 あなたは、とうに限界を超えているはずよ。一体どうやって……」
プレシアの声には焦りがにじんでいる。
こちらの限界はすぐに来て、そうして終わると思っていたのに、その当ては外れ今なお撃ち合っている。
私の限界がわからないのが、焦りの原因なのだろう。

「私の今の魔力は、あなたとは比べ物にならない。
 そう何度も相殺なんてできるはずがない。なのに……どうして」
先ほどまでとは違う、数より威力を重視した雷の砲撃が放たれる。
威力重視といっても、瞬間的にかき集めた魔力をより合わせただけのものだ。

ならば、こちらも同様に魔力を束ねて迎撃する。
「『Es wird beauftragt(次弾装填)――――Licht versammelt sich(収束),Alle Befreiung!!(一斉解放!!)』
どうしても何も、純粋な力勝負をしているだけよ。
 あなたの電撃を、私の魔力で打ち消しているだけ。その程度見てわかるでしょ?
 ああ、一度の量だったら私たちに大差はないわ。だから相殺できるんだけどね。
 それにこっちもこう見えて飛び道具だからね、無理に近づく必要もないわ」
別に攻撃そのものは特別なことはしていない。
特別なのは、その源泉からの引き出し方なのだから。

「その剣ね。でもそれには、さっきまで全く魔力はなかった。
 おそらくは、増幅機のようなものなのかしら」
信じられない光景に焦るのは勝手だが、あまり的外れなことは言わないでほしい。
こっちのやる気がなえるというものだ。

「残念、はずれよ。こいつにそんな機能はないわ。
 これはね、私の家に伝わる宝石剣で、ゼルレッチって言うの」
およそ、こちら側の魔導師たちには聞き覚えのない名前だろう。実際、わけがわからないと言わんばかりに不思議そうな顔をしている。
むこうで出せば、それだけで卒倒ものなんだけどな。

「いいことを教えてあげる。私たち魔術師はね、大気中の魔力を汲みあげて自分の力として使用できるの。
 私が自分の貯蔵を超える魔力を行使できるのは、そのせいね」
これでは全体の半分程度しか話していないが、知らない人間からすればそれだけでも驚愕ものらしく、プレシアは愕然とした顔になるが直ぐに立て直す。そういえば、ユーノ達も初めて知った時は驚いていたっけ。
魔導師的には、相当驚くべき技術なのだろう。

どうやら、一個人の貯蔵量と大気に満ちる魔力量の違いくらいはわかるらしい。
「…いいえ、たとえそうでもありえない。
大気中の魔力量がどれほど膨大でも、そんなもの既に使い切っているはずよ。
増幅しているのでないとすれば、あなたは、もっと別のどこかから魔力の供給を受けているはず」
ふむ、その程度のことには頭が回るようだ。
もしこれさえもわからなかったら、種明かしをする気もなかったんだけどね。

言葉を交わしながらも、互いに攻撃の手を休めない。
フェイトのフォトンランサーに似た、魔力球から幾度も魔弾が放たれる。まあ数は比較にならず、魔力球は約五十。まったく面倒な攻撃をしてくれる。力任せの砲撃の方が、こっちは楽なのだが。

それに対し一つ一つを迎撃するのではなく、魔力を一気に解放し薙ぎ払う。
「『Eins,(接続、)zwei,(解放、)―――――― Hohe(力の) Wellen!(波濤!)』」
解放された魔力は、津波のように魔弾を飲み込んでいく。

撃ち漏らしがないのを確認し、改めて口を開く。
「正解よ。この場に満ちる魔力はそれなりだけど、それでも数度の供給で使い切ったわ。
それじゃ、後が続かない。
 でもね、もしここにもう一つ『同じ場所』があったら、対抗できる回数がもう数回増えることになると思わない?」
こちらをあり得ないものを見るような眼で見てくる。
当然だ。魔法とは不可能を可能とする、奇跡のことなのだから。

「もうひとつ? 一体何を言って…………?
 っ………! その歪みは、ジュエルシードのモノと同じ――――――まさか貴方!?」
言っている意味がわからなかったのか、途中まではいぶかしむ様な声音で私の言葉を反芻していた。
だが言葉の途中で、その顔に驚愕が現れる。
さすがに私の言っている意味まではわかっていないようだ。だが、それでもジュエルシードと酷似した歪みがあるだけで、何らかの反則をしていることに気付くには十分だろう。

ジュエルシードを制御しているこいつならば、それによって生まれる歪みと私の剣から生じる歪みが似ていることに気がつくのは当然だ。むしろ、気付かない方が鈍すぎる。
どちらも世界に向けて孔を開けるもの。ならば、その方向性に違いはあっても類似する点は確かに存在する。

合格よ。それに気付けたのなら本当のところを教えてあげる。
「ええ、察しの通りよ。こいつはある意味、ジュエルシードのお仲間ね」
その言葉に、プレシアの驚愕が増す。
そんなモノをこんな小娘が持っていて、その上完全に制御しているとなれば当然の反応だ。

「けど勘違いしないでね。私のはそんな無駄に増えた魔力じゃないわ。
こいつはね、無限に連なる並行世界に向かって、人も通れない小さな孔を穿つだけの代物。
 私はあくまで、並列して存在するここから魔力を拝借しているだけ」
そう、そんな馬鹿みないに肥大した魔力なんて持っていても、一度に運用できる量には限界がある。
その瞬間に使えなかった分は、無駄であり宝の持ち腐れでしかない。
たしかに、より長くそのレベルの術を維持できるだろう。
だが、それならば別に常にその量を維持する必要はない。その都度、必要量をかき集めれば事足りる。
むしろ、こちらの方がよっぽどスマートだ。

「私はね、合わせ鏡に映った無限の並行世界から魔力を集めて、力任せに斬り払っているだけよ。
つまり、あなたが無尽蔵だと言うのなら、私は無制限ってこと!!」
区切ると共に、貯め込んだ魔力を放つ。それは光りの津波となってプレシアを襲う。

今まで考えたこともないようなことを言われ、プレシアの動きが鈍っている。
慌てて障壁を展開し、何とか防ぎきる。
「くっ!? 並行世界なんて、そんなあるかどうかもわからないものから、本当に……」
五つの魔法は、この世界の破格の技術を持ってしてもいまだ至れない領域だ。
存在さえ不確かなものを出され、明らかに動揺している。

一応並行世界が存在する可能性に関しては、こちらでも議論の対象になっているらしい。だが、それはあくまで可能性を論じているにすぎない。
私のように、実際にそこへむけて何らかの干渉をする方法を彼らは持たないのだから、存在を確かめることもできない。
そうである以上、今目の前で起こっていることを信じるのは簡単ではないだろう。

同時にできた隙を狙い、宝石剣を振るい大威力攻撃を放つ。
「『Eins,(接続、)zwei,(解放、)RandVerschwinden(大斬撃)――――!』
ありえない、なんて言葉は聞きたくないわ。
 私がアンタと撃ち合っていられるのが、何よりの証拠よ。現実を認めなさい。
 それに、これはアンタが目指す先にあるモノでもあるんだから」
魔法とは根源に至る道であり、逆に根源から魔法を持ち帰ることもできると言われている。
どちらが先かは、卵と鶏の問答でしかないのだろう。

プレシアが捕まれば、今この場で私が話したことも管理局側に知られることになる。
だが、連行する時にでも魔術的に口封じをすれば問題ない。
ここには今、私の他になのはとクロノしかいない。捕まったプレシアに接触する機会は、十分にある。
その時ならば悲願も潰え、心も折れているだろう。それならば、強制(ギアス)の一つもかけるのは容易い。

私の放つ光の断層を雷属性の砲撃で相殺し、疑問を投げかけてくる。
「……あなたは、アルハザードに至ったと言うの?」
アルハザード、それがこちらで言うところの根源の呼び名なのだろうか。
先ほどまでと違って、その目には驚愕ではなく、希望が写っている。

そういえば、さっきクロノも言っていたが、それはこちらではおとぎ話でしかないらしく、不確かなものへの不安もあったのかもしれない。
まあ、アルハザードと根源の渦が同じモノという証拠はないし、もしかしたら違う可能性だってある。
ただ、どちらも複数のジュエルシードを最大レベルで発動させることでいきつける可能性が出てくる以上、同じものを指している可能性は十分にある。
だったら、別に断言してもいいだろう。どうせこの女は行き着けないのだ。
同じでも違っていても変わらない。少しくらいは夢を見せてやろう。

「私は別に至ってはいないわ。私は単に、魔法のまねごとをしているだけよ。
でも、それがあることだけは保証してあげる」
私が手にしているのは、あくまでも一端にすぎない。
大師父のように自由にわたることも、アサシンのような多重次元屈折現象を起こすこともできない。
できることはただ一つ。向こう側に向かって、魔力がかろうじて通れる程度の穴を開けるだけ。
それだけで拮抗するのだから、魔法がどれだけ飛びぬけているかわかるというものだ。

私が一度に放てる魔力は、この女の瞬間放出量よりも上回っている。そうでなくては、この均衡がそもそもあり得ない。
リンカーコアは、貯蔵できる分に比べて一度に体外に出せる量がそう多くはない。だが、魔術回路は一度にかなりの量を外に出すことができる。
一度に扱える魔力量となると話は違ってくるが、ここでは関係ないので無視していい。というか、溜めありでの力比べになれば負けは確実なのだから、それをさせないのが前提だ。

とにかく、リンカーコアはタンクが大きいくせに蛇口が小さいのだ。魔術回路はその逆で、タンクは大きくないがその代わりに蛇口が大きいと言ったところ。ある意味、消費が激しいとも言える。
今の私が放っている量は、瞬間最大放出量の八割強。ここがプレシアの限界ラインなのだろう。

全開で放ったとしても、比較的タメの短いディバインバスターの幾らか上といったところだ。
簡単な術式に乗せ、単純に魔力を放っているだけなので攻撃自体のレベルはそう高くない。
当然「虹の咆哮」のような増幅もされていないので、純粋な威力ではそれにはかなり劣る。
それでも最大出力で使えば、プレシアを圧倒するには十分。

つまり私は、いつでもプレシアを殺せるということになる。こっちの魔術には、非殺傷なんて優しい仕様はない。この均衡をこちらから打ち破るというのは、プレシアを殺すのと同義だ。
本来ならあと腐れないようにすぐにでもケリをつけたいのだが、今回はそういうわけにもいかない。

プレシアの注意は、もう私にしか向いていない。ここで他の連中が来れば、すぐにでも確保できる。
殺してしまえば、管理局に後で何を言われるかわかったものではない。あまり目をつけられたくないのが本音だ。
ここは連中の顔を立てた方がいい。だからこうして、らしくもない足止めをしている。

「『Es last frei.(解放、)Eilesalve(一斉射撃)!!!』」
とはいえ、手を抜いて隙を見せれば、その瞬間に蒸発されかねない。
向こうに一瞬でもタメをする時間を与えれば、それだけでこちらの最大火力を凌駕することもできるのだ。
プレシアも非殺傷設定をしていないのは明白。確認したわけではないが、この殺気がすべてを物語っている。
余裕に見えて、実のところかなりの綱渡りをしている。息つく暇のない攻防こそが、この均衡を保つ唯一の方法であり、数少ない私に勝機のある状況でもある。


そんな、お互いにとってギリギリのところでの攻防が繰り返されている。
迫りくるプレシアの雷光を切り払って次弾を装填しようとするところで、最後の役者がやってきた。

互いに撃ち合っているうちに天井に開けた穴から、フェイトがアルフとリニスを伴って下りてくる。
プレシアもそれに気付いたようで、一時その手が止まる。

私たちの動きが止まったことを確認し、フェイトが口を開く。
「…母さん、あなたに言いたいことが有ってきました」
その口から出たのは、拒絶されても変わらない、親愛の情を感じさせる声だった。
プレシアは、先ほどまでの戦闘でだいぶ体力を消耗したらしく、杖をついて何とか体を支えている。
フェイトが来なくても、あと三合と持たなかったかもしれない。
その点でいえば、絶好のタイミングとも言える。

「あなたの言うとおり、わたしはただの人形なのかもしれない。
 それでも、わたしはあなたに産み出してもらった、育ててもらった、あなたの娘です!
 あなたさえ望むなら、わたしはどこまでもあなたと共にいて、あなたを守ります。
わたしがあなたの娘だからじゃない。あなたが……わたしの母さんだから」
フェイトは力強く、真摯な言葉で告げる。

まったく、こんないい娘を持ったというのに、何が不満だったのか。
アリシアに固執していなければ、それなりに幸せな、新たな生きがいをえられたかもしれないのに。
…いや、それこそ本末転倒か。そもそも、アリシアに固執していたからこそ、フェイトが生み出されたのだ。それを否定すると、フェイトの誕生すらなくなる。
なんと言うか、本当に複雑ね、この親子は…。

しかし、その言葉はプレシアの嘲笑とともに拒まれる。
「あははは……!! 今更あなたを娘と思えとでも?
 ……くだらない。言ったはずよ。私の娘はアリシアだけ、人形になんて、用はないわ」
差し出された手に何の未練もなく、それを拒絶する。
もう長くないせいか、それとも長年固執してきたせいか、どうも思考が固まっている印象がある。
もう、ほかの考え方ができなくなっているように感じる。

「でもね、フェイト。私は今、初めてあなたに感謝しているのよ」
そこで、これまで聞いたことのない優しさを含んだ声を、プレシアが発する。
フェイトの言葉に、何か心動かされるものがあったのだろうか。

「え!?」
その声に、フェイトがわずかに身を乗り出して反応する。
もしかしたら、自分の思いを受け止めてくれるかもしれないと思ったのだろう。
しかし、多分それは違う。この女はもう止まれない。
だが万が一の可能性はある以上、その結果が出るまで動くわけにはいかない。

そして、私の悪い方の予想はやはり当たっていた。
「あなたのおかげで、やっと準備が整ったわ。
 その子と撃ち合っていたせいで、最大値での発動をさせる準備ができなかったのだけど。
 今の時間で、それも可能になったわ。ありがとうフェイト。人形にしては上出来よ。
 だから、あなたはもういらない。その子と一緒に、消えなさい!」
その言葉と共に、プレシアの手にこれまでと桁違いの魔力がほとばしる。
ジュエルシードの最大発動とは別に、私たちへの攻撃のための魔力を貯めていたのだ。
その威力は、SLBさえも遥かに上回る。

私の最大火力でも相殺は無理。それにこの様子だと広範囲への攻撃みたいだし、回避もできそうにない。
まあ、プレシアが準備を始めた段階でわかっていたことだ。
このあたりを満たす使用済みの魔力に紛れ込ませて上手く隠していたと思っているようだが、こと隠すことに関して私たち魔術師は魔導師よりずっと上だ。当然、隠しているものを見つけるのにも長ける。
一見すれば絶対絶命だが、この状況を打開する手はある。だからこそ、気づいていたのに放っておいたのだ。
これは、私にとってもチャンスなのだから。

プレシアは自分で自分の運命を決定させた。
今のフェイトの言葉が最後のチャンスだったのに、この女はそれを自ら捨てた。
自分から止まることのできる最後のラインを越えてしまった以上、力ずくで止めるしかなくなった。

プレシアが極大の一撃を用意してくれたおかげで、やっとこの戦いを終わらせられそうだ。
本来、私が直接力ずくでやれば殺してしまう可能性が高いが、他の誰かではそもそも止められない。当然私がやるしかない。
だが、管理局の眼の前で殺人をするのはリスクが高すぎるので、これは避けたい。
ではどうするか。簡単だ。私の攻撃が危ないというのなら、プレシア自身の自滅を誘えばいい。

「確かにたいした魔力ね。でもそこまでの量になってくると、制御も大変なんじゃない?
 ちょっとでもバランスが崩れれば自滅するわよ」
そう、魔力の量が多くなれば確かに威力は上がる。だが、それに比例して制御も困難になる。
さすがにこの女が制御を誤るなんてことは期待していないが、こっちからバランスを崩してやれば簡単にケリがつく。

幸いなことに、プレシアの防御陣は今も健在だ。
いや、むしろ邪魔をさせないために自分の周囲を先ほどまでよりもずっと固い守りで覆っている。
あまり防御魔法の類は得意ではないとリニスから聞いていたが、あれだけの魔力を使って力任せに守りを固めれば苦手でも相当なモノになる。
だが、それこそ私にとって都合がいい。

今プレシアが使おうとしている魔法は魔力量こそ膨大だが、その量ゆえに構成が粗く、形を保つので精一杯だ。
あれなら少し穴を開けることができれば、そのまま一気に崩壊する。並みの攻撃では飲み込まれてしまうが、絞りに絞った針の一刺しなら貫通できる。
そうなれば風船が破裂するようにして、全方位に対して魔力が解放されるだろう。それが私のねらいだ。

プレシアの動きに気付いた段階で、こっちもそのための準備は進めていた。
宝石剣から供給した魔力を切っ先に集中させ、プレシアが撃ち出すと同時に一気に貫く。
穴があけばそこから崩れていき、漏れる魔力の余波によって周囲のモノは吹き飛ばされる。

だが、それは明確な目的を持たないただの解放にすぎない。
術式に載せて使われるのに比べれば、周囲に与える影響はずっと少ない。
プレシアはその余波をもろに受けることになるが、あの固い守りがその大半を受け切ってくれるはずだ。
さすがに無傷とはいかないだろうし、あれだけの魔力を受ければ間違いなく昏倒する。
これが唯一、私が自力でプレシアと生け捕りにする方法だ。いや、我ながらかなり荒っぽいわね。

プレシアが魔法を発動させるタイミングを見計らい、放った直後を狙い撃つ。
近すぎてれば意味がないし、離れ過ぎていても決定打にはならない。そのギリギリに合わせる。
全く、こんなことは本来士郎の領分なんだけどな。狙い撃ちは苦手だし、ましてやこんな風にタイミングを合わせるとなれば尚更だ。
とはいえ、これしかないのだから仕方がない。

そう考えながらプレシアの動きに注意を向け宝石剣を握る手に力を込めていると、自分の周りに魔力の発動を感じる。
それと同時に、プレシアの方から言葉が発せられる。
「何を狙っているのか知らないけれど、迂闊過ぎるわね。
 ここは私の庭よ。トラップの一つくらい、あるとは思わなかったのかしら?」
「………え? あ!? しまっ……」
気付いた時にはすでに手遅れ。
私の足元には紫色の魔法陣が浮かび上がり、そこから伸びた同色の光の縄が左腕に絡みつく。
そのまま腕を締め上げ、完全に拘束される。

おそらくはバインドの一種。
あらかじめ設置しておくタイプで、術の構築も魔力を貯める必要もない、ただ発動させるだけで事足りる代物。
撃ち合っている間、特にそんなものは使われなかったのですっかり失念していた。
こんなところで呪いが発動するなんて……私のバカ~~!!
この展開を心配していたからこそ、あの時士郎は何もせずに戻ってきたのに、思いっきり台無しにしてしまった。

左腕はビクともしないし、これでは狙いをつけることができない。
御丁寧に、いつの間にか両足も拘束されている。
右腕だけは、ギリギリのところで礼装を発動させたおかげで何とか自由に動かせる。
だが宝石剣を右手に持ち変えようにも、手がそちらまで届かない。左腕の手首も拘束されているので、放ることさえできない。

「万策尽きたようね。
 安心なさい。せめて、安らかに死なせてあげるわ……」
ああ、確かにあんなモノを受けたら痛みを感じる前に粉々だろう。
本当に、なんでここぞというところで凡ミスかますかなぁ、私。
よく見ると、フェイトたちも拘束されている。
私と同じで虚をつかれたようだ。これでは解放してもらうのを期待することはできない。

だが、右手が無事だったのがせめてもの救いか。
「フェイト、悪いけど手詰まりよ。このままだと最悪の事態になるし、何より私たちは、ここで殺される。
 だから、その前に私がプレシアを殺す」
こんな状態で言っても格好がつかないけど、ここで殺されてやるわけにはいかない。
士郎から預かってきた物が役に立つ。

できれば使いたくなかったし、リンカーコア相手にどれだけの効果があるかわからないけど、理論上は問題ないはずだ。
後でクロノたちに何を言われるかわからないし、殺人の罪で拘束されるかもしれないが、正当防衛ということで言い張るしかない。
殺されては、文句を聞くことさえできないのだから。

自由な右手を懐に入れ、今の私が持つには大きすぎる代物を取りだす。
あまり使いなれているとは言えないものだが、ねらいをつけるくらいはできる。
プレシアは、ジュエルシードの制御とこちらへの攻撃で、すでに臨界近い力を使っている。
ちゃんと効果があるのなら、確実にしとめられる。

子どもの体で持つには重すぎる銃を何とか右手だけで支え、狙いをつける。
「さようなら、プレシア・テスタロッサ」
その言葉と共に、引き金を引く。

そうして轟音と共に、必殺の魔弾が撃ちだされた。





あとがき

とりあえず、士郎が宝石剣をまがりなりにも投影で来た事の補足をしようと思います。
HFでアーチャーの腕を利用していましたが、アーチャーの知識を用いても宝石剣を理解できないという内容がありました。そこで、宝石剣の投影そのものは士郎が自力で成功させたが、士郎だけでは投影の構成が甘い旨が本編中よく出ていたので、そのあたりの甘さをアーチャーの腕で補強したのではないかと解釈しています。今回もHF同様、ギリギリの中で自身の本質(固有結界)を知っていたことやアーチャーとの剣戟の中で流れてきた知識や経験・記憶の助けもあってそれなりの精度の宝石剣の投影に成功したとお考えください。ただそれでも、直接腕の力を借りられたのに比べればその精度ははるかに劣ります。
こんな感じで納得していただけるでしょうか。

「虹の咆哮」は凛の礼装である指輪の最大用法で、五つの属性を干渉させたうえで純粋な魔力の塊にして放ったとお考えください。今回はそれに加えて、通常の宝石も用いて補強させているので、軽くディバインバスター以上の威力になっています。SLBに匹敵する威力を出そうとすれば、年単位で魔力を貯めた宝石が必要となります。なのはの砲撃の威力がこの先も向上することを考えれば、現状はこのあたりが妥当だと思います。

起源弾の方は以前感想でお返事しましたが、製造はともかく使用に際しては特に切嗣かその関係者ではなくても大丈夫と解釈しているので、別に凛が使うのもありだと思います。だって、魔術回路や刻印を起動していたり、詠唱をしていたりする描写もないですから。概念武装としての面も持つらしいので、大丈夫なはず。

最後の礼装である外套ですが、これは第二魔法の研究から生まれた副産物です。第二魔法は、空間干渉系の極致のようなモノですし、その研究を進めていけば通常空間に干渉する術式などには事欠かないと思います。この外套はその機能を発現させた時に、周囲の空間を歪めて攻撃などを逸らすことができます。外見的には像が歪んで見えるので、一種の蜃気楼や陽炎じみた様子をイメージするとよろしいかと。もちろんある程度以上の攻撃ならこの歪みを超えることもできますが、上手く角度をつけてやればより効果的に攻撃を逸らすことができます。同時に対物理および対魔術にもかなりの防御力を持っているので、たとえ歪みを突破されても大ダメージは受けにくいというかなり優秀な防御用礼装です。

問題なのは、凛が色々情報を漏らし過ぎなことですかね。
わかってはいるのですが、並行世界の運営以外は凛もよく知りませんし、別にバラしたところでたいして問題はないでしょう。少なくとも他の魔法や、根源の渦及び抑止力のことは知られたところで凛にデメリットはないはず。

最後まで悩んだのが第二魔法の説明を出すかどうかで、結局宝石剣を使うわけですし、別にいいかなと結論しました。それにいい加減少しヒントを出さないと、預言の対象と推察させられなくなりますからね。あとは、次元世界の管理にさえ人手不足で四苦八苦している管理局にとって、並行世界の運営は貴重ではあっても有用なモノではないので、そのあたりに油断があったというのもあります。
実際は、非常に重要な情報なんですけどね。凛はまだそのこと知りませんから。
プレシアのあまり考えへのあまりの反感から「うっかり」言ってしまったということで一つご勘弁を……。いや、こんな都合よく使うようなものじゃないんですけどね。

それにしても17話、解説が長くて多い! それも今更なものばかり。
それ以外もありますが、結構割合が大きいんですよね。
早めに出せるようにするので、無印最終話しばしお待ちください。



[4610] 第17話「ラストファンタズム」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:fd260d48
Date: 2009/11/08 16:59

SIDE-士郎

フェイト達の後を追っている最中、俺はプレシアが放った傀儡兵に襲われていた。

だが、接近戦ができるほどには回復していない。
こうして走りまわるだけでも体が軋む。
こんな状態で接近戦など、自殺行為だ。
距離を取り、剣弾や弓での遠距離攻撃に徹するしかない。

いや、仮に接近戦ができるコンディションだったとしても、こんなデカブツ相手に斬りかかるのは得策とは言えないか。
普通に戦っていては足しか攻撃できないし、思い切ってジャンプしても空中で移動できない俺では格好の的だ。
飛びあがっても、虫のように叩き落とされるのが目に見えている。

そうなると、やはりこうして走りまわっての遠距離攻撃くらしか有効な手はない。
宝具を使えばその限りではないが、こんな状態では負担が大きすぎる。
この後にまだ何があるかわからない以上、できる限り力は温存しておかなければならない。

だが、それもすでに限界が近付いている。
体に強化をかけて走り回っているが、傷が響いて動きに切れがない。
痛みに耐えるのは慣れているが、体の方が反応についていかない。
いくら動かそうとしても、体が言うことを聞かないためにどんどん追い詰められていく。

それも向こうには命の心配がないせいで、だんだんと追いつめられてきている。
一応天の鎖で拘束したりはしているが、こいつらには神性なんて欠片もない。
そうである以上、奴らにとっては多少頑丈な鎖でしかない。
これだけのデカブツが相手だと、強化をかけたくらいでは気休めにもならない。
当然、簡単に引きちぎられてしまう。

全く、罰当たりな。仮にも神代において天の雄牛を捕縛した、世にも珍しい対神兵装だというのに。
数ある宝具の中でも、対神兵装なんてそうはない。
如何に俺の作った贋作とはいえ「少し遠慮しろ」と声を大にして言いたい。
その上、あの英雄王が「友」と呼んだ代物だ。もしこれを見られたら、ここは一瞬で消滅するな。

って、あれ? 俺そんなのいつ聞いたんだ? 
少なくとも、奴が黒い孔に呑まれそうになった時は、そんなこと言ってなかったはずなのだが……。

ズンッ!!!

「ふっ!」
そんなことを考えていると、目の前に非常識な大きさの槍が叩きつけられる。
直撃を受けていれば、轢殺された蛙にも劣らないほどぺしゃんこにされてしまうところだった。
それを、寸でのところで飛び退くことで回避する。

動きのキレは悪いが、こんな大振りが簡単に当たるほど間抜けではない。
しかし向こうは、数を頼りに玉砕を前提とした突進をしかけてくる。
その勢いに押され、後退を強いられる。
せめて、まともに動ければ違うのだがな。
このままでは、そう長くは持たないだろう。

ドンッ

そんなことを考えているうちに、背中に固いモノが当たる。
不味いな、いよいよ壁際だ。これ以上は下がれない。
そこへ剣を手に持ったタイプが接近し、俺を叩き潰そうとしてきた。

いくら俺が纏っているのがオリジナルの聖骸布製の外套とはいえ、相性が悪い。
本来は魔力遮断の聖遺物なのだから、物理攻撃こそが弱点だ。あんな巨大な剣の直撃など防ぎようがない。
この体では左右への回避も難しい。
半包囲状態なので、逃げてもその先には敵がいる。
根本的に解決するには、敵すべてを倒すしかない。

この体でそれをしようと思うと、手段など一つくらいしかない。
できれば避けたかったが、こうなったら宝具の真名開放でまとめて薙ぎ払うか。
体に掛かる負荷が並みじゃないけど、それでもここで潰されるよりかはマシだ。

ところが、今まさにひき肉にされそうになっているところへ、図ったかのようなタイミングで救援が来た。
ただし、それは人間ではなく、桃色の光を放つデタラメな威力の砲撃だった。

突然の閃光に目が眩む。
閃光は一瞬だったので、すぐに問題なく見えるようになった。
襲いかかってきた傀儡兵がどうなったのか確認しようと、眼を擦りながら前を見る。

そこには、見事な大穴が空けられていた。
目の前まで迫っていた傀儡兵の姿はない。頭上から降り注いだ桃色の閃光によって、粉々にされたのだろう。
ついさっきフェイトとあれほどの勝負をしたばかりだというのに、もうここまで回復したのか。
回復力も一撃の威力も、何もかもがデタラメだ。「若い」の一言で済ませていいレベルじゃないぞ。

あまりの光景に呆れていると、上から人の気配を感じる。
振り仰いでみると、ユーノやクロノを伴ったなのはがやってくるところだった。
「し、士郎君!? 動いて大丈夫なの?」
なのはは重傷のはずの俺が動いていることに驚きつつ、心配そうに聞いてくる。
砲撃によって傀儡兵が吹き飛ばされるのに少し遅れてきたところからすると、少し離れたところから撃ったのだ
ろう。威力が半端ではないのは知っていたが、狙いと判断力も悪くない。
そのうち、本当に射撃・砲撃戦のエキスパートになれるかもな。

それはそうと、とりあえずスカートを押さえろ。
地に足をつけている俺は、当然なのはの下にいる。
降りてくるまではいいが、滞空していると直立の姿勢を取ることになるので中身が見える。
いくら九歳とはいえ、もう少し恥じらいというモノを持ってくれないかなぁ……。
無論覗きなどする趣味はない。
若干頭痛のする頭を押さえながら、なのはの方を見ないように余所を向く。

心配そうにしているなのはを安心させるために、相変らずそちらを見ないようにしながら答える。
「走る程度なら大丈夫だ。やろうと思えば戦闘もできる。
でも、いまのはさすがにやばかったからな、正直助かった。
 その様子だと、駆動炉の封印は終わったみたいだな。なら、凛たちのところへ向かっているところか?」
鞘の加護のおかげで回復してはいるが、相変らず順序がめちゃくちゃで、動くところと動かないところがばらばらだ。治り具合も違う。
もう少しちゃんと制御できるようになれば、任意のところから治せるようになるのだろうか。
便利ではあるが、うまくコントロールできないのが欠点だ。

そんな俺に向かって、クロノが呆れたような表情で答えを返す。
「ああ、その通りだ。
 だが、君も無茶をするな。さっきエイミィから連絡があったから急いできたんだが、そんな体で来るなんて……正気か?」
この程度で正気を疑うようでは、元の世界での俺の行動を聞いたら一体どんな反応をするのかな。
興味はあるが、クロノの精神的平穏のためにも知らない方が幸せだろう。
それに俺が無茶をするのは、もう条件反射のようなものだ。
こんなのと関わってしまったことを、不運と思ってもらおう。

「生憎と、本気だよ。
向こうにはフェイトも行っている。焚きつけた身としては、放っておくわけにもいかないしな。
それに凛が心配だ。あいつ、ここ一番でポカするから、また何かやらかしてないか気がかりだ」
あの呪いは本当に厄介だ。これまでも、大なり小なり被害を受けてきた。
笑い話がほとんどだが、ここで発動しては笑えない。
いざとなれば、宝具による殲滅攻撃だってするつもりでいる。
単純な攻撃力で、宝具の真名開放を上回るものはそうはない。
なら、俺にしかできないことがあるかもしれない。

「わかった。事態はほとんど終結に向かっている。駆動炉は抑えたから、最悪の展開はないはずだ。
下手に君を連れ戻すほうが、戦力を減らすことになってかえって危ない。同行を許可するよ。
ただし、邪魔だけはしないように」
俺を戻らせようとすれば、護衛の意味も込めて誰かをつけねばならない。
こんな怪我人に自力でリンディさんのところまで行け、なんて言うのは普通に考えれば非常識だ。
誰かについてきてもらうしかない以上、そんなことに人手を割く暇はないのだろう。
駆動炉を抑えても、ジュエルシードが暴走すれば一気に事態が悪くなることもある。
それを抑えるには、少しでも人手を確保しておくべきだ。


怪我をしていることもあり、俺単体では遅いのでユーノに抱えられながらの移動になった。
正直、なのはに抱えられるのは恥ずかしい。また、クロノと一緒に周囲の傀儡兵を倒しているので、手をかけさせるわけにはいかない。
そこでデバイスなしで攻撃も得意でない、現状一番身軽なユーノにお鉢が回ってきた形だ。

「悪いな。なんだか足手纏いみたいで…」
体はロクに動かず、移動のために抱えられているのでは、まさにその通りだ。
手伝いに来て結果として邪魔をしているのだから、まったくいい迷惑だろう。
分かってはいるのだが、それでもこの状況下では居ても立っても居られないのが俺の性分でもある。
自覚がある分、かえって性質が悪い気もするが俺も譲る気はない。

申し訳なさそうにしつつも、俺が断固としてこの先に進んで行こうとする意志を感じたのか、ユーノから出たのは同意の言葉だった。
「ううん、別に気にしないで。僕だってそう役に立てているわけじゃないし、待っていられない気持ちもわかるしね。
僕はなのはやクロノみたいに攻撃は上手くないし、今はできることを精一杯やっておきたいから」
俺の謝罪に、嫌な顔一つせずユーノが答える。

自分の特性に多少コンプレックスのようなものがあるようだが、卑下することではない。
戦場においては前線の兵力もさることながら、後方のサポートがしっかりしていないと戦っていられない。
物質的な意味だけでなく、いわば心の支えのような役割もある。
ユーノはしっかりその役割を担っている。二人が気兼ねなく前を向いて戦えるのは、ユーノのおかげともいえる。いっそのこともう少し偉そうにしてもいいと思うが、それはユーノの性格上無理な相談だろう。

とはいえ、今はあまり話しこんでいる場合でもないので、このことは後日伝えればいい。
そのまま会話をやめ、俺たちは前を行く二人とその周囲にいる敵に意識を向ける。
二人が何とかしてくれているとはいえ、いつ予想外の行動に出てこちらにまで攻撃が及ぶかわからない。ここから先、余所に意識を向けている余裕はないので、俺たちも周囲の様子を警戒しながら先を急ぐ。

そして、俺たちが最下層にたどり着き中に入ったところで、銃声が鳴り響いた。



第17話「ラストファンタズム」



中に踏み込む同時に、薄紫色の突風が体に叩きつけられる。
いや、違う。これは魔力だ。
方向性持たない、あるいは制御を失ったとんでもない量の魔力が無差別に発散され、風のようなモノになっているだけだ。
色を帯びているのは、使おうとした人間の魔力光が残留しているからだろう。

同時に、この場で俺だけがこの突風が何を意味するのかすぐに理解する。
この風は、さっきの銃声が原因となって発生したモノだ。
回数こそ少ないが、それでも過去に何度か聞いたその音。
それ聞き間違うはずがないし、それによって何が起こったのかは確認するまでもない。

それは親父の形見にして、魔術師殺しの礼装。
凛が俺の懐から拝借していった、「切断」と「結合」の起源を内包した魔弾。
出来れば使う前にと思ったが、使ってしまったのか……。


リンカーコアといえど、力を流す道はあるはずだ。
血が血管を通るように、あるいは電気が回路を通るように、魔力を通す道がなければならない。
そうでなければ理屈に合わない。
体の内外を問わず、力を行使することにはそういったものが必要不可欠だ。

切嗣の起源弾は、その道を断ち切りデタラメにつなげ、魔力を道筋から外す。
道から外れれば、魔力は勝手に暴れ回り周囲を破壊することになる。
その際の破壊は、使用していた魔力に比例する。

非殺傷設定を用いようと、肉体に傷がつかないだけで痛みと衝撃がなくなるわけではない。
過負荷を瞬間的にかけた場合などでは、魔力だけではなく身体的にもダメージが及ぶこともあるそうだ。
ならば、魔導師にとっても魔力の暴走は肉体を傷つける危険性がある。

プレシアがジュエルシードを使っていようと関係ない。
アレに魔力を制御したり、使う者の望む方向性を持たせたりするなんて、気の利いた真似はできない。
ジュエルシードを利用しようと思えば、魔力だけ引き出してあとは自分で制御するしかないのだ。

そして制御するからには、たとえ外部から引き出した魔力であろうとリンカーコアが少なからず作用する。
なのはの収束砲が外界の魔力を利用していながらも、自身の魔力光に染まっているのが何よりの証拠だ。
ならば当然、リンカーコアも起源弾の影響で発生するフィードバックを受けるはずだ。

その際の破壊は、使用していた魔力量に比例する。
ジュエルシードなんて使っていたら、使用される魔力量は尋常ではないはずだ。
普通に考えれば、確実に死に至るダメージを受ける。


そう、理屈ではそういうことになる。
だが今のは、結局俺が立てた仮説でしかない。
その可能性は高いが、本当に効果があるかは実際に使ってみなければ確かめようがない。
万が一にも無事であれば、すぐにでも全員まとめて蒸発させられる。
ジュエルシードから魔力を引き出せるということは、そのレベルの攻撃をするのに必要な魔力を、容易に調達できるということだ。

警戒を怠ることなく周囲を見渡すと、赤い水溜りとそこに仰向けに倒れている人影を発見する。
例の試験管のような容器からは、ずいぶんと離れた壁際だ。
この場には凛とプレシア、そしてフェイト達一行といま到着した俺たちしかいない。
凛とフェイト達は、向こうで紫色の帯に拘束されている。いや、それも今し方粉々に砕け散った。
破られたようには見えなかったので、たぶん自壊したのだろう。

姿が見えないのがプレシアしかいない以上、あそこで倒れている人影は彼女以外あり得ない。
おそらく、さきほどの突風をもろに受け、あそこまで吹き飛ばされたのだろう。
敵がすぐ近くにいる状況で、あれほど固執していたアリシアの肉体の入った容器から離れるとは考えられない。
容器の位置から壁際までかなりの距離がある。つまり、これだけの距離を吹き飛ばされたのか。
一体、どれだけの魔力をつぎ込んだんだ。その際のフィードバックは計り知れない。

その口腔からは、夥しい量の血が流れ出している。
倒れてもなお血は止めどなく溢れ出し、体を血の海に沈めていく。
この時点で確信する。プレシアが身を浸す血の海は、すでに致死量だ。
これだけの血を失えば、失血死するのには十分すぎる。

よく観察してみれば、それだけではないことに気付く。
目、鼻、耳からも血が流れ出し、毛細血管がやられたのだろう全身を血に染めている。
起源弾の効果を考えると、中身も破壊しつくされているのは間違いない。
内臓は見る影もなくなっているだろう。

また、胸部は特に酷い。
まるで、小型の爆弾でも炸裂したかのようだ。辛うじて原形をとどめているが、見るも無残な有様になっている。
皮膚は跡形もなくはじけ、ところどころに申し訳程度に残っているだけだ。
そのかわり、筋肉や神経が露出している。場所によっては骨さえ見える。
あるいは、肺や心臓も露わになっているかもしれない。
原形をとどめていればの話だが……。

このあたりが特に酷いのは、リンカーコアの位置が原因だろう。
リンカーコアは心臓付近にあるらしいので、胸部の破壊が著しいのは当然だ。

いや、運用していた魔力によっては胸部に風穴が開いていたかもしれない。
それに比べれば、マシな部類だろう。少なくとも、人としての体裁は保たれている。
プレシアがジュエルシードを使っていたのなら、決してあり得ない可能性ではない。
アレから引き出せる魔力は、それだけの量になるのだから。

だが、どちらにしても致命傷であることには変わらない。
ただでさえ、プレシアは死病に侵されている。
かなり衰弱しているのは、リニスに確認しているので間違いない。
リニスがまだ普通に活動していた頃の情報であることを考えれば、今はさらに悪化しているはずだ。

昔、嫌というほど人の死を見たせいか、俺は人の生死に対し言葉にしにくいが、妙に勘のようなものが働く。
その勘は、プレシアはまだかろうじて生きていることを告げている。
しかし今すぐ最高の治療を施し、延命に努めたとしても十分もたないだろう。
即死でないのが不思議なくらいだ。

拘束から解放されたフェイトは、その場に力なく膝をついてプレシアの方を見ている。
「母……さん…」
フェイトの口から弱々しい声が漏れる。
こちらからでは顔は見えない。泣いているのか、それとも……。
思いを伝えられたかはわからないが、やはりこんな形になってしまったか。

本来なら、俺がプレシアの死を背負うつもりだったのに、それを凛にやらせてしまった。
アイツは「なんてことはない」と言うだろうし、事実それほど気にしないかもしれない。
人を殺したのも、初めてではないのだ。

それでも、凛はたとえ苦しくてもそう言うやつだ。
だから、もしアイツが無理をしているようなら弱音を聞いてやるのが、俺にできる唯一のこと。
俺にだって、背中を貸してやることぐらいはできる。一緒に重荷を背負ってやることもできる。
俺の方からはなかなか任せることができないが、それはお互い様だ。
アイツも大概強がりだからな。無理に背負ってやらないと、いつまでも言わないだろう。

あらためて、プレシアの方に目を向ける。
俺は彼女を許すことはできないし、やろうとしたことを肯定することもできない。
それでも、こんな無残な死に方をして当然と思えるほど、嫌うこともできない。
プレシアは単純に、失った苦しみに耐えられなかっただけなのだ。
やり方は間違っていたが、その苦しみは人として当然のモノだ。
だからだろうか、あれほど心を満たしていたプレシアへの怒りは鎮まり、代わりに憐憫の情が芽生えている。

俺はプレシアを否定し、彼女を阻む手伝いをした。
同情する権利など俺にはないのはわかっている。
だがせめて、プレシアの遺体だけでも確保した方がいいだろう。
ここにいては、いつ虚数空間とやらに落ちるかわからない。
やはり、死体のない棺は悲しすぎる。気休めだが、あるのとないのでは大違いだ。

フェイトの肩に手を置いて話しかける。
「フェイト、プレシアを連れて行こう。ここで落ちてしまえば、本当に独りになってしまう。
 俺が言えることではないけど、丁重に弔ってやろう。そこの…アリシアも」
たとえ中身のない入れ物でも、それがアリシアという少女の姿をしているなら、やはりちゃんと弔ってやるべきだ。

プレシアは彼女の死を許容できなかった。まともな葬儀もされていないかもしれない。
俺たちにできるのは、失われたものを覚えていることだけだ。
葬儀という一つの区切りをつけ、決して忘れない記憶としてこの胸に刻むのが、せめてもの弔いだろう。



Interlude

SIDE-プレシア

私は、一体どうなったの?
気がつくと、全身の感覚がなくなっていた。
何も見えないし、聞こえない。今の自分が立っているのか、それとも倒れているのかさえ判断できない。
苦しみはない、痛みもない。あるのは、久しく忘れていた不思議と安らかな心だけ。

こんな穏やかな気持ちになったのは、いつ以来だろう。
あの人形が形の上だけでも完成した時か、それともアルハザードの存在を確信した時だろうか。もしかすると、アリシアの生きていた時まで遡らなければならないかもしれない。

そんな心境だから、だろうか? 体の感覚はないのに、妙に頭が冴えているように感じる。
周囲の様子すらわからない私だけど、一つの確信がある。
それは、私はあの少女に負けたのだろうということ。
私が極大の魔力を使って放った攻撃をどうやって防いだのか、どうやってあの強固な防御を抜いたのか、分からないことだらけだ。
でも、こうして私が自分の状態すらわからず、長年にわたってこの体を蝕んでいた病からくる苦痛からも解放されているところからすると、それしか考えられない。

私の病は末期に達しており、すでに手の施しようのない状態まで進行しているのは間違いない。
医者は本業ではないが、プロジェクトFの過程で人体に関する研究も行っていたので、並の医者よりよほど人体には詳しい。
いや、違法研究にも手を出したのだから、真っ当な医者では知りえないことまで知っている。その私から見ても、この体は限界に達している。

苦痛とは、人体が発する一種の危険信号だ。破損や不具合のある場合などに、それは発信される。
それがないということは、どこにも問題がないか、あるいはもう機能を停止しようとしているからだ。
生命として限界に達している私には、後者しかあり得ない。
世界はいつだって冷酷だ。ここにきて、突然体が全快するなどという奇跡が起こるはずもない。


つまり、私は長年の悲願に届かなかったということ。
本来ならば、私を阻んだ者を呪い、世の理不尽を恨み、望みがかなわなかったことを嘆くはずだ。
だけど、今の私にそんな感情はない。むしろ「やはり」という、予想通りの結果になった気持ちだ。

あの子たちに言われなくても、多分、私はどこかで自分の望みがかなわないとわかっていたのだろう。
だけどそれを認められなくて、アリシアのいない世界が許せなくて、自分でもわかっているのにそれを否定し続けた。
だから、ずっと心が軋んでいた。それを忘れるために、私は徐々に狂おうとするようになっていった。
そうしているうちに、いつしか正気と狂気の区別がつかなくなっていった。

私があの子たちの言葉に激昂したのは、図星をさされたからに他ならない。
わかっていて目を背けていたことを指摘され、それでもなお受け入れられなくて、存在そのものを消し去ろうとした。
これでは、どちらが子どもかわからない。

全てが潰えた今なら受け入れられる。私は、ずっと駄々をこねていたのだろう。
アリシアがいなくなってからの生活は、どれほど研究に没頭しても空虚だった。
それでも、それをしていないよりはずっと楽だった。
少なくともその間だけは「アリシアが帰ってくるという」決してかなうことのない、だけど甘い夢を見ていられた。
いつしかその甘さだけが支えになり、都合の悪い現実から目を逸らし、都合のいい夢を拠り所とするようになっていた。
まったく、これでは本当に思い通りにならないことに駄々をこねる子どもではないか。

私は現実を否定するだけでなく、自身が生み出した命を拒絶し、心身ともに虐待し尽くした。
だけど、私が現実を受け入れられたとしても、おそらくフェイトのことは拒絶しただろう。
あれは、アリシアへの愛情を、アリシアの過去を奪い取ろうとする、怪物にしか見えなかったのだ。

今思えば、なんと滑稽なことだろう。自分で生み出しておいて、その存在を恐れるなんて。
今の私に恐れはないが、それでもアレは受け入れられない。
私にとっては、どこまでいってもあれはアリシアのミスコピーであり、失敗作だった。
それはこの先も変わらないし、変えられない認識だ。
自分で作ってしまったために、どうしても見方が変えられない。
自分でも知らなかったけど、私は、ここまで頭が堅かったのか。

あれがこの先どう生きていくかは知らないし、勝手にすればいいと思う。
私はあれを道具として見て、これからはその道具を使うこともできなくなるのだから、道具の行く末になど興味はない。
しかし、見た目はアリシアと寸分違わない。
せめて、アリシアに恥をかかせるようなマネだけは、しないでほしいモノだ。

ああ、こんな事なら、あれの事などさっさと放り出してしまえばよかった。
そうすれば、あれのことで不快感を覚えたり、恐れを抱いたりすることもなかっただろう。
全く、何もかも今更だ。もっと早くに気付いていれば、別の未来もあっただろうに。

私は…愚かだった。
それでも、アリシアとの日々を願わずにはいられなかったのだ。


悔いがないわけではないが、多分、これでよかったのだろう。
ここまでやって悲願が成就しなければ、私はきっと本当に壊れていた。
最後の望みが潰えれば、これまで私が閉じ篭っていた夢は終わる。
そうなったら私は、ずっと目を背け続けてきた絶望と、これまでに自分がしてきたことの重さに耐えられなかったかもしれない。
あの赤い少女に阻まれたことで、私はそれと向き合うことはなくなった。

それに、次元震を引き起こすという、最後の一線も越えずに済んだ。
もしここを越えていたら、多くの犠牲が出ていただろう。
私はどれほどの犠牲が出ようと関心はないが、アリシアは違う。
アリシアは優しい子だ。
自分のために途方もない犠牲を出したと知れば、あの子はどれほど傷ついた事だろう。
そうならずに済んだ事だけは、あの子たちに感謝してもいい。

そう、きっとこれはなるべくしてなったのだ。
だから私は、この結果に僅かに安堵している。


ああ、私はもうじき死ぬ。何となくだが、それはわかる。
だって、段々と意識に靄がかかってくる。
この靄で意識が覆われた時が、私の死ぬときなのだろう。

そういえば、死んだ後、人の精神はどうなるのだろう?
消えるのか、それとももっと別の結果があるのだろうか? 思えば、そこを考えたことはなかった。
私は曲がりなりにも科学者、死後の世界などという非科学的なものを信じていはいない。
でも、もし本当にそれがあるのなら……そして許されるのなら、アリシアに会いたい。
あの子が私を許してくれるかはわからない。
むしろ、これまでやってきた事を振り返れば、考えるまでもない。
あの子がいた頃も、いなくなってからも、私はいい母親ではなかった。

この願いも、愚かな駄々にすぎないのかもしれない。
だけどひと目でいい、もう一度あの子の笑顔が見たい。
生き返らせたいなどと、贅沢なことは言わない。
一瞬でもいいから我が子に会いたいという願い、これだけは誰にも否定できないはずだ。

消えかかる意識の中、私は最後の力を振り絞ってその願いを口にしようとする。
「…ア……シ…ア………に……い……た…」
最後まで言えたかわからないけど、私は終わりの瞬間までアリシアを愛し続けることができた。
それだけは、誇っていいモノだと思う。

Interlude out



フェイトの肩に置いていた手を離し、改めてプレシアの方を向き直おる。

すると、プレシアの腕がほんの少しだけ地面から浮いているのが目に入る。
見方によっては、宙に向かって手を伸ばそうとしているようにも見える。
意識の有無はわからないが、あんな状態でまだ動くことができることに驚愕する。

それと同時に、ある考えが頭をよぎる。
(いっそ、楽にしてやったほうがいいのかもしれないな)
もうプレシアは助からない。今はかろうじて生きているが、あんな状態では苦痛しかないだろう。
それに、プレシアにこんな無残な死を強いた一因は俺にある。
俺が起源弾を凛に渡したからこそ、プレシアはこんな結末を辿ることになった。

ならば、俺はプレシアを死に追いやった人間の一人。
そんな俺がプレシアにしてやれるのは、この苦しみを断ってやることだけだ。
そして、この瞬間のことを決して忘れず心に刻みつける。
それが、この人を殺す手伝いをした俺の責任だろう。
言葉にはせず、一つの決意と覚悟持って歩みを進める。

プレシアのすぐ傍まで歩み寄り、剣を投影しようとする。
その時、死に至ろうとしているはずのプレシアの口が、僅かに動いていることに気付く。
俺は、大急ぎでプレシアの口元に耳を寄せる。

今際の際の言葉だ。
何を言い残そうとしているのかはわからない。
だが、それが誰かに向けてのモノならば、俺はこれをその人に伝えなければならない。
これは、一人の人間の最後に立ち会う者としての責務だ。

「              」
……どうやら、間に合ったようだ。
あまりに弱々しいそれを、何とか聞きとることができた。
不明瞭なところは多々ある。
大半が擦れていたが、聞きとれた音からそれが何を伝えようとしたものか推測することはできる。

それは、今まさに消えそうな命の灯を精一杯に燃やしての願い。
愛娘との再会を望む、一人の母親の穢れ無き愛に満ちた言葉だった。
俺がそれを聞き届けたところで力尽きたのか、プレシアは動かなくなった。
(それほどまでに…取り戻したかったのか……)
あまりにも無垢なその願いは、プレシアの愛情が計り知れないほどに深いことを容易に悟らせる。
それを知った俺の心を占めるのは憐憫ではなく、言葉に出来ないほどの感嘆。

ああ、今確信したよ、プレシア。
貴方は、確かに決して許されない行いをしてきた。
フェイトへの度重なる虐待。悲願と引き換えに、一つの世界さえ犠牲にしようとした。
どちらも許されることではない。第三者が知れば、誰もが貴方は罰されるべきだと口にするだろう。
だが、それらすべての罪と比してなお劣らぬほどに、貴方の愛は深く尊い。
俺ごときでは、それを推し量ろうとすることさえおこがましい。
認めよう。俺が今貴方に抱くのは、紛れもない尊敬の念だ。

プレシアが最後に紡いだ言葉とその内に秘められた想いに、俺はしばし圧倒されていた。
だが、いつまでもそうしていられるはずがない。
俺は血に濡れることも構わずその場に跪き、首を垂れる。
大層な理由なんてない。見下ろしていることが、どうしようもなく罪深く感じたからだ。
そのまま手を合せ、心から祈りを捧げる。

これまで持っていた、怒りや憐憫など全て消し飛んだ。
これほどの想いの前には、そんな感情など塵芥にすぎない。
貴方の行いは肯定できないけど、貴方が守り続けたその想いは、比類なく美しい。
その一端に触れることができたのは、つまらぬこの身には過ぎたる幸運だ。

(どうか、安らかに………)
俺に冥福を祈られても、プレシアからすれば迷惑でしかないだろう。
それ以前に、死に追いやった俺にはそれをする資格などない。

だが、それでも祈らずにはいられない。
もし死後の世界とやらがあるのなら、愛娘と再会できることを……。



SIDE-凛

士郎がプレシアの傍で祈りを捧げて、すでに一分以上が経っている。

その前にプレシアの口元に耳を寄せていたことから、何か聞いたのだと思う。
あんな状態で言葉を発せるとは思えないが、そうでなければ士郎の行動が説明できない。
何かを聞き、それ故にああして祈りを捧げているのだろう。
その姿には、どこか神聖な雰囲気すらある。

フェイトは相変わらず膝をついたまま、呆然としている。
ただしその目には涙が溢れ、幾筋もの線を描いて頬を伝い落ちる。
声を上げないのは抑えているから、というわけではないようだ。
ショックが強すぎて、声を上げることさえ忘れているのだろう。

そんなフェイトにどう声をかけていいのか分からないようで、なのはやユーノは心配そうに見守っている。
アルフはフェイトの肩を抱きながら、士郎の方を見ている。
その瞳には、主に非道を重ねてきたプレシアに祈りを捧げることへの怒りはなさそうだ。
ただ、眼に宿る光は複雑すぎて、そこに渦巻く感情は察することができない。

リニスは無理が祟ったのか、体を力なく横たえている。
アルフは手が空いていないし、フェイトもあんな状態だ。
今は私の腕の中だ。目こそ開いているが、こいつも一言も発さない。
一体、何を思っているのかしらね。

クロノは士郎に意識が向いているが、これといって行動に移る様子もない。
祈りを捧げる士郎の姿に、何か思うところがあるのだろう。
本来ならこの場にはもう用がないのだから、全員を促し脱出を指示すべきところだ。
まあ、プレシアが倒れた以上ことを急ぐ理由はない。
各人が納得いくまでやらせるつもりなのだろう。


私自身はというと、いい気分ではないのは確かだ。
プレシアのことは嫌いだが、だからといって殺したのは成り行きというか、こうするしかなかったからだ。
あのまま起源弾を撃たなければ、私もフェイト達も跡形もなく消えていた。
殺されるか、それとも殺すか。あれはそういう選択だ。
そして私は、殺す方を選んだ。

今まで奪ってきた命の数は、すでに三ケタに上る。
魔術とはあまり関係ない戦場に出たこともあるので、大勢での殺し合いの経験もある。
三ケタになんてなっているのは、これが原因だろう。

しかし、何度やっても殺しは気が滅入る。
必要ならそれをすることに躊躇はないが、それとこれは別問題。
いかに魔術師が血の匂いを纏う者とはいえ、これに「快」を感じるようになるのはよろしくない。
私にとって「殺し」は手段でしかなく、目的としたことは一度としてない。
私は別に殺人鬼や殺戮者、あるいは殺人快楽者になりたいわけではないのだから。

それにしても士郎の奴、余計な責任を感じていないでしょうね。
アイツのことだから「嫌な役を押し付けた」なんて思っているかもしれない。
そりゃあ、気分のいいことじゃないのは確かなんだから、嫌な役を担ったのは事実だ。

だが、それを「押し付けられた」なんて微塵も思っていない。
これは私が自分の意思で選択し、自分の意思で行った。
アイツが責任を感じるなど、御門違いもいいところだ。

初めプレシアに近づいていたのはとどめを刺すためみたいだったし、その役を肩代わりしようとしたのだろう。
そんな余計なマネをさせなかったという意味では、プレシアのしぶとさに感謝しよう。
もし士郎があそこでプレシアのことに気がつかなかったら、本当にそれをしていたはずだしね。

あとで念のため、士郎にはちゃんと言い含めておかないと。
これはアイツが気にすることではなく、一から十まで私の責任なんだから。
ただ、それだけだと士郎は納得しないわね。

……そうね、これを口実に久しぶりに少し甘えてみようかな。
ここ最近はずっと別行動だったし、アイツの温もりが少し恋しくなってきたところだ。
その時は精々照れて赤くなるアイツを、からかってやるとしよう。
そうすれば士郎も、余計なことをウダウダ言わなくなるはずだ。

けれど、不意打ちには注意が必要ね。
士郎は特に意識しないで殺し文句とか言うから、おかげでこっちが恥ずかしい思いをすることになる場合がある。
はぁ……無意識だからこそ腹が立つのよねぇ。

まあ、これで一応今回の一件は一段落かな。
長かったけど、一人も欠けることなく終わったのだから、文句を言うと罰が当たるわね。
士郎のことや宝石剣ことなど、できれば最後まで隠しておきたかったことがばれたのは、この際仕方がない。
幸いにも宝石剣を使っている光景は誰にも見られていないし、士郎の本質も知られていない。
最良ではないが、そう悪くもなかったのだ。
悲観するほどのことでもない以上、これで良しとしておこう。

プレシア殺害に関してはまだどうなるか不明瞭だから、考えても仕方がない。
状況などを鑑みれば、まだ十分弁護の余地はある。
また、今回使った宝石はそうたいしたものではない。
だけど、貰えるものはしっかり貰わないとね。
宝石代の請求と合わせて、まだ全てが終わったわけではない。

だが、一番の山場は越えたのだから少し位気を抜いてもいいだろう。



SIDE-士郎

どれぐらいそうしていただろう。
万感の思いを込めて祈りを捧げていると、周囲の異変に気づく。
「え!?」
思わず顔を上げ、辺りを見回し異変の出所を探す。
目にとまったのは、いまだ中空に浮かぶ八つのジュエルシード。

そこからただならぬ気配と、空間の歪みを感じ取る。
「これは、どんどん空間の歪みが大きくなってきているのか……。
 まずい、まだ何も終わっていない! 早く離れろ、巻き込まれるぞ!!」
それの意味するところを悟り、弾かれたように立ち上がる。
そのままプレシアの体を抱え、投影した鎖でアリシアの入った水槽を引っ張る。
決してジュエルシードのそばを通らないよう、壁沿いを走って凛たちのところに移動する。

それと前後して、ジュエルシードを中心にとてつもない魔力が放たれる。
間一髪間に合ったか。あと少し気がつくのが遅れていたら、巻き込まれていたかもしれない。
俺がついたところで、クロノが問いただす。
「どういうことだ!? 使用者のプレシアが死んだんだから、もう発動しないはずじゃ…」
紡がれるのは、あり得ないという驚愕混じりの否定の言葉。
だが、いくら否定しても現実として発動している以上、何とかしないと本当に次元断層に発展しかねない。
それぐらいにとんでもないレベルで起動している。

俺なりに一つの仮説はある。
いや、あの状況からしてこれしかあり得ない。
「……おそらく、原因はプレシアの願いだ。
死ぬ間際の願いともなれば、それこそ余計なものが入り込む余地がない。
ならば、その願いはこの上なく強力なはずだ」
プレシアは、最後の最後まで娘との再会を願っていた。
その願いにジュエルシードが反応したのだろう。

あらゆる生物は、第一に自身の生を望む。「生きたい」というのは、最も基本的で強い欲求だ。
だがプレシアは、それよりもアリシアとの再会こそ求めた。
それは、生存本能をも上回ったということを意味する。これに勝る願いなどあり得ない。

疑問の視線が俺に集中する。
あれを聞き取れたのはすぐ近くにいた俺だけから、無理もない。
俺は、先ほど聞いたことを簡潔にみんなに伝える。
「なるほど、ね。ジュエルシードが願いに反応する以上、これが一番強力に発動できるってことか。
 ただしあまりに強力すぎて、願いをかなえるっていうプロセスすらすっ飛ばしているわ。
この様子だと、一気に道を通そうとしているみたい……。
 死の間際までそんなことを願うなんて、いっそ見事ね」
凛が呆れたように、同時に讃えるように言っている。
そう、死ぬときまで揺るがずに願い続けられるともなれば、それはある意味称賛に値する。
もしかするとプレシアは狂っている以上に、俺のように人としてどこかが壊れてしまっていたのかもしれない。
それだけアリシアへの愛情が深かったのだろう。
母親としては見事としか言いようがない。だが、それ故に耐えられなかったのか。

「まずいよ、みんな!!
さっきまで落ち着いてた次元震が再度活性化して、いつ断層が発生してもおかしくない状態になってる。
いま何とか艦長が抑えているけど、それもいつまでもつか……。とにかく、早く脱出して!」
エイミィさんから、悲鳴のような報告が来る。
確かに、今すぐ離脱すれば何とかなるかもしれないが、それは俺たちに限った話。

海鳴、あるいは地球はこの影響をもろに受けることになる。
高次元空間内とはいえ、座標の上では地球のすぐ近くだ。十分に影響を与えられる。
そうなったら、滅んだ世界のようになくなってしまう可能性が高い。
離脱の方も間に合うかは分の悪い賭けだ。

「凛。今、魔力はどれぐらい残ってるんだ?」
本来ならここで手詰まりだが、たった一つだけこの事態を打破できる方策がある。
方策はあるが、可能かどうかは凛の魔力の残量次第だ。
ただ大きな声で言えることでもないので、小声で話しかけ確認を取る。

俺の方から魔力の確認をする必要がある手段など、二つしかない。
そしてその一つなら、ジュエルシードだろうが、次元震だろうが、まとめて吹き飛ばすことができるはずだ。
十年前にも、似たようなことをしてあの呪いの塊を一気に薙ぎ払ったことがある。
まぁ、あの時やったのは俺じゃないけど。
しかし、蓄えられているエネルギーが尋常ではないので、吹き飛ばしても多少なりとも余波は出るかもしれない。
だが、今はこれぐらいしか手がない。

「プレシアの相手はほとんど宝石剣でしてたから、かなり温存できてるわ。って、まさか…アレやる気?
魔力自体はまだ8割近くあるから、やろうと思えば最大出力も出せなくはないけど…。
いくらなんでも、それは見せ過ぎよ」
それに凛も思い当たったのか、引きつったような声で聞いてくる。
気持はわかる。あとで何をされるかわからないので、これを見せるのは非常に不味い。
だが、この事態を打破できる手はほかにない。選択の余地がない以上、これはどうしようもない。

「それしかないだろう。このままだと地球がなくなりかねないし、それに比べれば安いものだ。
 もし何かあっても、俺一人なら鞘を使えば何とかなる。
 これが現状では、よりベターな方法だろ?」
もし地球がなくなれば、本格的に管理局と関わらなければならなくなるし、それに比べればましだ。
何より、失うものが多すぎる。
せっかく手に入れた平穏な日常も、友人も、すべてなくしてしまうなど論外だ。
なら、迷っている暇はない。

凛とてそれはわかっているのだろう。観念したように溜息をついている。
「はぁ、わかったわ。確かにそれしかなさそうだし、下手すると私たちも巻き込まれかねないもんね。
 いいわ、思いっきりやっちゃいなさい。あと腐れないように、完全に吹き飛ばすこと」
他に手がないのは分かっているので、しぶしぶ了承してくれる。
そこで密談を終え、みんなに提案する。


内容としては、俺にはこの事態を打破できる手があるので残るから、みんなは先に避難するようにと話した。
鞘を使えば大抵のことは大丈夫だが、あれは個人を対象としている。なので、もし不測の事態が起こった時みんなにまでは手が回らない。
俺以外に向けての発動もできないので、いつものように俺が犠牲になるなんてマネもできない。
故にこの場に残るのは、俺一人でなければならない。
ただ時間が少しかかるので、リンディさんにはその間、少しでも事態の進行を抑えてもらうことになった。

「本当にできるんだな。それと、君もちゃんと生き残れるんだろうな。
 これ以上の犠牲者は出したくない」
クロノが念を押すように聞いてくる。
このままでは、周辺への被害が大きすぎるのはわかりきっている。
俺の提案に乗るしかない以上、聞くことはそれぐらいだ。

「大丈夫だ。万が一の時の保険もある。
 それより、早く行ってくれ。俺もすぐに準備をしないと間に合わない。
 詳しいことは、生き残った後に話せばいい」
俺の言葉にしぶしぶ頷いて、みんなを先導し、プレシアやアリシアを連れてこの場を離脱していこうとする。

そこへ、凛がこちらに向かって歩みよってくる。
「どうしたんだ? 早くしないと、本当に間に合わなくなるぞ」
急かそうとする俺の前まで来て、凛は唇を噛み俯く。
どうしたのかと思い、俺が顔を覗き込もうとすると、凛はぐっと表情を引きしめ顔を上げる。
その鋭い視線に気圧され、わずかに体が仰け反る。

そして、両手で俺の顔をがっちりと掴んだと思ったら、いきなり唇を重ねた。
『――――――っ!!!?』
……驚いた。
この十年で、凛の不意打ちにはいい加減慣れたけど、やっぱり驚くし内心は混乱の極致だ。
「何故?」という単語が頭の中を駆け巡り、そこから先に進行しない。

慣れのおかげか、少しすると徐々に冷静になってきた。
疑問への答えは出ないが、その代わり羞恥心が沸き上がってくる。
別に行為自体は初めてというわけではないが、人前でするのは初体験だ。
ああもう、とんでもなく恥ずかしいぞ!!!
まったく、少しは時と場合をわきまえてくれないか。

じっくりたっぷり、舐るように舌まで入れてくる。
時間にして十秒程の接吻の後、凛はそっと唇を離す。
なのはたちは突然のことに、完全にフリーズしてしまっている。
「…き、君たちは…………い、いきなりな、何を……」
唐突な凛の行動に、一早く復帰したクロノが何とか声を絞り出している。
まあ目の前でいきなりキスシーンを見せられれば、当然の反応か。
ただでさえクロノは、そういった色恋沙汰に不慣れに見える。後ろのメンツも同様だろう。

しかし凛は、そんなクロノの声と、未だに固まったままのギャラリーを無視して口を開く。
「…後は任せるわ。……念のためパスは補強したから、これで大丈夫なはずよ」
凛はこちらの眼を見据えて、小声で話しかけてくる。
ああ、そういうことか。

パスをつないだのは、前の体の時のことだ。
この体に移ってからも、パスを通じての交信には特に問題はなかった。
なので、あまり意識していなかったが、どこかに綻びがあるかもしれない。
これからやることのためには、かなりの魔力を凛から貰う必要がある。
その途中でパスに異常をきたし、失敗してしまっては最悪だ。それを防ぐための補強なのだろう。
それならそうと初めに言ってくれればいいのに、おかげで年甲斐もなく慌ててしまった。


用件を終えた凛は、フリーズしているなのはたちの頭を叩いて再起動させ、この場を離れる。
まあフェイトはアルフに、なのはは凛に、そしてユーノはクロノに引っ張られているようなものだったが。
それだけショックが大きかったのだろう。小学生に見せるようなモノじゃないからな。
とりわけフェイトの顔が赤かったが、フェイトは純粋だからな。仕方がないか。

クロノたちが動き始めるのを確認し、すぐに俺も準備を始める。
右手に嵌めてある銀色の腕輪から、一本の視認さえ困難な糸を引っ張りだして、額にさす。
これはアトラス院の次期院長、シオン・エルトナム・アトラシアが用いる礼装である「エーテル・ライト」を利用した小型の演算装置のようなものだ。

エーテル・ライトとは、エルトナム家に伝わる第五架空元素を編んで作られた、ミクロン単位のモノフィラメントだ。
これは生物と接触することで、神経とリンクし疑似神経となる。

俺の持つそれには、俺の脳髄との間でのみ情報のやり取りができる機能を持たせている。
本来はエルトナム家の人間か、余程才能のあるものでなければ扱えない。
だがここまで機能を限定していれば、才能のない俺でも一応扱える。
そうなるようにシオンさんが調整してくれた。

こんなものを持っているのは、俺の投影が通常かなり脳を酷使するのが理由だ。
こいつは、それを少しでも軽減させるための礼装として、縁があって貰い受けた。
詳しい経緯は省くが、とある事情からシオンさんに依頼され、俺が倒した死徒を研究のために提供することになった。

それ以前から死徒の相手を頻繁とは言わなくても、それなりにしていた。
なので、倒した死徒を引き渡すこと自体は別にかまわなかった。
俺は連中の保有する神秘には興味がなかったし「その研究で吸血鬼化を治療できるようになるのなら」と思い可能な限り協力していた。

こいつはその対価として、俺の投影の性質を知ったシオンさんが製作してくれた品だ。
依頼を受けた際にシオンさんの方から「何かしら対価を払うがどうする」と聞かれはじめは断ろうと思った。
俺としては別に対価などいらなかったし、依頼内容は「死徒を倒す」ことではなく「倒した死徒の提供」なので、対価をもらうほどではないと考えたのだ。

まあそんな俺の考えとは別に、あの人は勝手にこれを作り、無理矢理押し付けてくれたけど。
さすがにそこまでしてくれたものを受け取らないわけにもいかないので、大人しく受け取った。

それに、正式に凛の弟子になってからというもの、事あるごとに「魔術師が相手の時は、特に貸し借りはしっかりしろ」と言われていた。
等価交換が原則の魔術師相手には、俺がどう思っていようと関係ない。
向こうがそれを貸しと取ることが多々あった。ならば、受けた貸しは必ず返すのが彼らの流儀だ。
それを断る方がかえって失礼になるし、迷惑をかけることになる。

そういうわけで、俺の方から対価を要求することはなかったが、いつの間にか「くれるものは貰う」ようになっていた。
受け取った対価の内容にもよるが、その一部は凛が宝石剣を作成するための費用にしていた。
これで少しは、凛から受けた借りを返せていたらいいんだけどな。
いつまでも借りっぱなしじゃアレだし、いつかはこちらから貸し付けてやるのが俺の密かな目標だ。
署名捺印の入った借用証書とか必要だけどな。それぐらいないと、生半可には借りたことを認めないし。

そういえばシオンさん、やたらと人のことを不思議動物扱いしてくれていたっけ。
論理的思考の極致とも言えるアトラスの錬金術師であり、そこの次期院長だ。
俺の行動は、理解不能どころの騒ぎではなかったのだろう。
だけど、ああもあからさまに「珍獣」でも見るような眼で見なくてもよかったんじゃないだろうか。

まあそれは置いておくとして、この腕輪には俺の脳への負担を軽くし、なおかつ投影の補助をしてくれる機能が備わっている。それをエーテル・ライトで脳と直接リンクさせている。
これのおかげで、それ以前より投影の速度が上がり頭痛も減った。

だが、恩恵はそれだけではなかった。
かつてアーチャーは、セイバーの聖剣を投影しようとしても完全には無理であり、仮に真に迫るものを作ったとしても自分が破綻すると言っていた。
それは俺にも言えることで、衛宮士郎個人では聖剣の投影は不可能だった。
それを、この礼装が解決してくれた。

いまだ完全には無理だが、真に迫るものを作るぐらいなら破綻せずに可能となった。
しかし、最大の問題が解決されたからといって、いつでもどこでも使えるようになったわけではない。
投影するだけで足を止めた状態で2分必要だし、そこから魔力を注ぐのにさらに1分かかる。
その必要量は、最低で凛の総量の7割、最大出力を出すなら8割は必要だ。
さらにとんでもない頭痛を伴うので、投影後しばらくすると気絶してしまう。
そのため、とてもではないが実戦では使えない。
だが、必要な魔力を確保でき、投影にのみ集中できるなら使用は可能だ。そして、今がその時だ。

「『投影、開始(トレース・オン)』」
詠唱と共に、二十七の撃鉄を引き上げる。
目を閉じ、自己に埋没しながら、思考のすべてを剣製に回す。
空間の異常も、荒れ狂う魔力も、体や脳にかかる苦痛も、全て意識からはじき出し全身全霊で作り上げる。

引き上げた二十七の撃鉄を連続して叩き落とす。

創造の理念を鑑定し、

一切の妥協をせず、一部の隙もないよう丁寧に、渾身の力で『それ』を鍛ち上げていく。

    基本となる骨子を想定し、

ある瞬間から、頭を砕かれるような痛みが走る。

     構成された材質を複製し、

だが、それでも立ち止まることなく工程を踏んでいく。

     製作に及ぶ技術を模倣し、

難しい筈はない。

     成長に至る経験を共感し、

不可能なことでもない。

     蓄積された年月を再現し、

もとよりこの身は、

     全ての工程を凌駕し尽くし―――――――

ただそれだけに特化した魔術回路―――!

――――ここに、幻想を結び剣と成す――――――!!

「はぁ、はぁはぁ…」
出来上がったのは、彼の騎士王が振るいし、星々の輝きを集めた黄金の剣。
星に鍛えられた神造兵装。あらゆる聖剣の頂点に君臨する、まさに王の剣。
俺ごときが振るうには過ぎたものだが、俺にとってはある意味、最も思い出深い剣。
剣の師であり、ともに戦った戦友であり、契約が切れてもなお忠義を尽くしてくれた彼女が振るった剣。

贋作とはいえ、今それをここに再現し手に取るとなると、感慨深い。
「あんまり、感傷に浸っている場合でもなかったな。
 急いで魔力を注がないと、間に合わなくなる」
アーチャーのやつを相手にしたときにも劣らない頭痛に、手で頭をおさえながら前を向き魔力を注ごうとする。

その瞬間、周囲の空間に異変が起こっているのを感じ取る。
あえて表現するなら、周囲の空間が鳴動している。
何が起ころうとしているかはわからない。だが、ロクなことじゃないだろう。

こういう時の勘は、当たる当たらないなんて問題じゃない。
何かが起こるかもしれない以上、それに対する可能な限りの備えが必要だ。
杞憂に終わればよし。そうでなかったら、最悪の展開になるのだから。

ただでさえエクスカリバーの投影で負担がかかっているというのに、つくづく運が悪い。
「ちぃ、『投影、開始(トレース・オン)』!」
舌打ちと共に、再度投影開始の呪文を口にする。
その瞬間。それは、あらゆる工程を省いて完成した。
一から作る必要などない。完全に記憶し、一身となった、それは衛宮士郎の半身なのだから。
精神集中も八節を踏むこともなく、すべてすっ飛ばして作り上げたそのカタチを左手で握りしめる。

そこで、光が爆ぜた。
膨大な魔力と、次元震のエネルギーが波濤となって襲ってくる。
膨大な力の奔流が体に届く直前……真名を告げる。
「『全て遠き理想郷(アヴァロン)』」
囁くようにその名を呼ぶと、その瞬間鞘が四散した。
鞘は数百のパーツに分解し、この身を包みこむ。
そこで世界は一変し、外部からのあらゆる干渉を防ぎ切る。

否、それは「防ぐ」などという領域ではない。
それは「遮断」。
外界からの一切の干渉を寄せ付けない、妖精郷の壁。
この世とは隔離された、何人たりとも辿り着けぬ一つの世界。
それはあらゆる物理干渉のみならず、六次元までの多次元からの交信さえもシャットアウトする。
無論、五つの魔法さえも例外ではない
すなわち、この世界における最強の守りであり、なにものも寄せ付けぬ究極の一。
それはこの一瞬のみ、この身が現世の全ての理から断絶されることを意味する。

だから、この程度は驚くに値しない。
この世界を、ロストロギアや次元震などが侵犯するなど不可能だ。
騎士王が追い求めた理想郷の具現が、この程度の力に遅れを取るはずがないのだから。

それだけでなく、体を苛んでいた軋みや痛みも嘘のように消えていく。
さすがに頭痛までは消えてくれないが、それでも先ほどまでよりよほどコンディションは良くなった。
聖剣の真の能力は、この鞘による“不死の力”。所有者の傷を癒し、老化を停滞させる能力がある。

本来の能力である「遮断」からすれば、それは「おまけ」にすぎない。
だがそれでも、信じられない速度で俺の体を癒してくれる。
普段の微弱なそれとは違う。真の力を解放したために、こちらの能力も完全に近い形で引き出されている。

外で荒れ狂っている魔力がやや落ち着いてきたところで、周囲の様子を確認し、再度ジュエルシードの方を向く。
見たところ周囲はかなり破壊されているが、最悪の状態ではなさそうだ。
正直、間に合わなかったのかと焦った。
だが、どうやらまだ完全に解放されたわけではなく、あふれた力の一部がはじけただけらしい。

しかし余波に過ぎないとはいえ、こんな至近距離でそれを受ければ、一瞬のうちに体は消滅しただろう。
一部ではあるが、ジュエルシードという膨大な魔力の塊から解放された魔力や、次元震のエネルギーが炸裂したのだ。「普通」ならただで済むはずがない。
鞘はそこから放たれた衝撃も魔力も受け切ってくれ、昔から助けられてばかりのなのには苦笑する。

みんなを避難させておいて正解だった。
俺一人だから何とかなったが、ほかの人間がいたらほとんどが死んでいたはずだ。
俺が庇える数だって、たかが知れている。

最悪の事態には至っていないが、このままではいつ完全にはじけてしまうかわからない。
「この様子だと、もう本当に時間がない。急がないと不味いな」
手にした剣に、凛から供給される魔力を丁寧に注いでいく。
できればもっと急ぎたいが、完全に投影出来ているわけではないので、あまり乱雑に注ぐと崩壊しかねない。

「ぐぅっ!?」
しかし、本当に底なしだ。
竜の因子と膨大な魔力を持つセイバーの愛剣であり、種別は対城、ランクはA++という破格の宝具なのだ。
この程度は、当然なのかもしれない。
それでも、まるでむさぼるようにこちらの魔力を持っていくので、あまりのことに怖気すら走る。
同時に、魔力を注いでいくほど剣が放つ輝きは強まっていく。

剣が満足いくだけ魔力を注いでやると、その時には剣から放たれる光は最高潮に達していた。
それはもはや光などと呼べるものではなく、極光という表現が正しいだろう。
この輝きの前では、太陽すら霞んで見える。
鞘の作る異界の外で荒れ狂う魔力も、この剣から放たれるそれには及ばない。
ジュエルシードの方も、もうすぐ臨界を迎えようとしているが、何とか間に合った。

まだ僅かに軋む体に鞭打って、剣を構える。
標的は、斜め上方に浮かぶジュエルシード。
一刀で八個すべてを飲み込めるよう、狙いをつける。
目標を見据え、真名を告げ全力で振り抜く!


「『約束された(エクス)――――――――勝利の剣(カリバー)』!!!!!」


渾身の一閃と共に、黄金の極光が放たれる。
斬撃の正面にあるすべての存在を切り裂き、極光の中に飲み込んでいく。
それはジュエルシードや、それらを中心に発生する次元震も例外ではない。
その場にあるすべてが一刀のもとに両断され、完全に消滅した。

結果、聖剣はジュエルシードを次元震ごと薙ぎ払い、最悪の事態だけは防ぐことができた。
それを確認したところで、役目を終えた聖剣が砂のように崩れていく。
聖剣が崩れていく感触を感じながら、俺は激しい頭痛と共に気を失った。



Interlude

SIDE-リンディ

私は時の庭園の門前で、次元震を抑制すべくディストーション・シールドを展開している。
士郎君が何とかするという話だが、一体どうするつもりだろう。
これはもう、一個人でどうこうできるレベルではないというのに。

クロノをはじめとした他の突入部隊はすでに帰還し、アースラへの転送も済ませている。
子どもたちは多少の怪我こそあるモノの、およそ無事と言っていい状態だ。
そのことには安堵する。まだ完全に気を抜いていい段階ではないが、子どもたちが無事なのは何よりだ。
あとは、一人残った士郎君が無事戻ってくれば、現状望み得る最良の結果になるのだが……。

つい先ほど、プレシア・テスタロッサの死亡が確認された。
あの傷を見れば、素人目に見ても即死は確実だ。
そういう意味では、この報告自体は当然のこととして受け止められる。

詳しい死因はまだ判明していないが、おそらく魔力の暴走による自傷ではないかと報告を受けている。
通常、魔導師にとって魔力の暴走というのはかなり珍しい例だ。私自身、そんな経験は今までに一度もない。
仮に暴走したとしても、致命的な傷を負うことなどさらに稀だ。
いくらプレシア女史の病が末期で運用していた魔力が尋常ではないとはいえ、そう簡単にどうこうなるはずがない。

おそらく、凛さんが最後に使ったあの銃が原因だろう。
あれはプレシア殺害の証拠品になるので、後で提出を求めるつもりだ。
これに関しては大義名分があるので、彼女も出し渋ることはあるだろうが、最終的には提出するしかない。

犯人が死亡してしまったのは、この際仕方がない。
密かに放ったサーチャーでモニターしていた光景を考えれば、凛さんを責めることはできない。
あの状況では、ああするしかないだろう。
アレならば十分正当防衛が成り立つ。そうしなければ、死んでいたのは彼女の方だったのだから。

むしろ、彼女でなければ生き残ることすらできなかっただろう。
ほぼ無尽蔵に近い魔力を行使する、オーバーSランク魔導師。
そんな存在の相手を出来る者が、次元世界に全体にいったい何人いるか……。
プレシア女史の戦闘経験の少なさを考慮しても、三桁に届くかどうかだ。
私たちでこれをどうにかしようと思えば、管理局内の最高戦力を投入するか、トップエースのみで編成された特殊部隊が必要になる。

そんなもの、事前にわかっていなければ用意することすらできない。
もしやろうとすると、手続きだけで気が遠くなる。
つまり私たちだけだったなら、今回の事件は最悪の事態になっていても不思議じゃなかったということだ。

それにしても、九歳の女の子があそこまでやれるというのは完全に予想外。
彼女が年に似合わぬほどに完成されているのは知っていた。
だが、まさかあんな真似が出来るなんて……。

プレシア女史が無尽蔵なら、彼女は無制限。
持久戦においてほぼ負けはない。またその瞬間放出量は、すでにSランク魔導師に匹敵する。
最大運用できる量ではそれにかなり劣るが、そんなものさせなければどうということもない。
今回のような息をつかせぬ撃ち合いになれば、その不利もなくなる。
十歳に満たない少女が、次元世界でも指折りの戦闘能力を持っているのだ。
そんなこと、この目で見ていなければ私だって一笑に付して信じようとはしないだろう。

凛さんがそれを可能とした方法は、これ以上ないほどに非常識な反則だ。
「並行世界」なんて、次元の海を渡る私たちにすら、いまだ存在を確認出来ていない未知の領域。
そこに向かって孔を穿ち、向こう側の魔力をくみ上げる。
彼女の技術力は、次元世界の最先端といわれる管理局のそれをはるかに上回る。

これをモニターしていた他のクルーたちは、一様に信じられないと言わんばかりの顔をしていた。
私たちとて、世界の全てを知っていると言うほど驕ってはいない……そのつもりだった。
だが、私たちがこれまで疑ったことさえなかった常識は、容易く覆された。
まるで、石器時代に飛行機でも持ち込まれたかのような心境だ。

しかしその時、私だけは違った反応をしていた。
その時私の中に有ったのは「そういうことか」という納得だった。
「世界を穿つ」とは、並行世界に向けて孔を空けるということだったのだ。
預言の中でも特に不可解だった部分の一端の意味を知り、私の中に有った予想は限りなく確信に近いモノに変わる。
十中八九間違いない。彼女こそが「原初の探究者」だ。

さすがにあの宝石でできた剣は直接プレシア女史の殺害には関係ないので、徴発するための大義名分がない。
できれば銃同様調べたいが、多分無理だろう。要求しても、断固として拒まれるのは目に見えている。
あれほどのモノを、無条件に渡すなど考えられない。
それにあんな非常識なモノを調べて、私たちに何かを掴めるかも分からない。
こちらは、そんなものがあるということを知れただけで良しとしよう。
私たちにとっては、十分収穫があったのだから。


いま私は、責任者としてギリギリまで時の庭園に残っている。
現在ここに残っているのは、私と一人の少年だけだ。

私が残っている、理由は二つ。
一つは、次元震を抑え次元断層に発展するのを少しでも遅らせるため。
もう一つは、最深部に残ってジュエルシードの後始末をすると言った士郎君を待っているからだ。
彼が、一体どんな方法でそれを成そうとしているのかはわからない。
だが凛さんが渋々とはいえ戻ってきた以上、それができると確信しているからに他ならない。

ならば私は、それの準備が整うまでの間、何としてでも最悪の事態になることを防がなければならない。
あんな子どもがたった一人で頑張っているというのに、それを守らなければならない大人が情けないことを言っていられるはずがない。

同時に、管理局の提督としての私は、決してそれを見逃すわけにはいかない。
私の考えが正しいのなら、彼こそが預言の人物の片割れである「異端の騎士」なのだから。
預言の内容を考えれば、彼の能力は凛さんのそれに匹敵する反則だ。
一応サーチャーを放って記録しているとはいえ、できる限りこの目でそれを確認したい。

ここを放り出すわけにはいかないのだから、直接見に行くことはできない。
だからせめて、少しでも近いここから彼のやろうとしていることを観測する。
こんな時まで仕事を優先しようとする自分には呆れてものも言えないが、それでも怠るわけにはいかない。
彼らは、次元世界全体を守る上で重要なカギになるかもしれないのだから、私心は捨てなければならない。

だがつい先ほど、時の庭園そのものを揺るがす轟音と震動が発生した。
それと共に配置していたサーチャーは全滅、最下層の様子を知る術がなくなった。
最後に見た映像では、士郎君の手には眩い輝きを放つ黄金の剣と、彼が傷を癒すのに使っていた鞘が握られていた。

鞘の方は治療用らしいし、おそらく未だ万全とは言えない体で無理をするための保険だろう。
だから、本命は剣の方のはずだ。
どんなものかはわからないが、この局面で出した以上相当に信頼を置いている武装だろう。
同時に、この状況を打破できるだけの力を秘めているのは間違いない。
少なくとも、彼らはそれができると確信している。そうでなければ、あの場に残ることなどできない。

しかし、今はそんなことに気を回している場合ではない。
一度はジュエルシードがはじけ、次元断層が起きたのではないかと危惧した。
だがまだ事態はそこまで進行しておらず、ギリギリのラインで均衡を保っている。
とはいえ、それとて長くは持たない。
あとほんの少しで全てのエネルギーは解放され、この周辺は次元断層に飲み込まれるだろう。

いま私は迷っている。
今からでも遅くないから、士郎君を連れだしこの場を離れるべきではないか。
もしかしたら今のですでに死んでいるかもしれないが、生き残っている可能性はゼロではない。
少なくとも、死亡を確認されてはいないのだ。
ここで彼を失えば、預言が成就してしまうかもしれない。
そんなことになれば、一体どれほどの命が失われるか想像することもできない。
世界のことを思うなら、今すぐ彼のことを無理やりにでも連れ出すべきだ。

そんな自分の思考に、言葉にできないほどの嫌悪感が生まれる。
それはつまり、より多くの命と引き換えにこの世界とそこに住む人々を見捨てるということだ。
この世界の人口は約六十億。他の動植物の命も含めれば、計り知れない命が失われることになる。

書類の上で見れば、次元世界全体の数%に満たない微々たる犠牲だろう。
だが、それで失われるのは次元世界にいくらでもある、しかし決して同じモノのない尊い六十億の命だ。
天秤にかけられるものではないし、かけていいものでもない。

それをするのなら、命を一つの単位とする血も涙もない計測機械にならなければならない。
それは、全ての命を等価のモノにするということだ。あらゆる命を平等に尊び、平等に諦める。
最愛の息子と憎むべき仇を天秤にかけたとしても、それでもより多ければ仇の方を救う。
そんな、無謬の天秤の計り手となる。その覚悟もなく、それをするわけにはいかないのだ。

けれど、私にそんなことはできない。
息子を見捨てるなど、母としてできるはずがない。
だから私には、そんな覚悟を持つことなどできない。

だが私は、唇を切るほどに噛み締めて言葉を紡ぐ。
「………ごめん、なさい……」
…………出来ないが、それでも選ばなければならない。
ここで、彼を失うわけにはいかない。
この世界で生きる全ての命を見捨てることをこの心に刻みつけ、多くの大切な人がこの世界で暮らしているであろうなのはさんや凛さんの怨嗟を背負う。
せめて、その覚悟だけはする。

おそらく今の私は酷い顔をしているだろう。
涙が頬を伝うのがわかる。両手は血が滲むほどに握りしめ、口惜しさから震えている。
これから自分がしようとすることを思えば、今すぐにでも全てを投げだして逃げてしまいたい。
だが、それをするわけにはいかない。この道を選んだのは他ならぬ私自身。
だから、いつかこんなことが起こることもわかっていた。
ついに来る時がきた。ならばすべきことをするのを、躊躇うわけにはいかない。

私は、士郎君がいるはずの最深部に向けて広範囲の転送魔法を起動する。
彼の具体的な位置が分からない以上、そのあたり一帯をまとめてアースラに転送する。
これなら、生きてさえいれば彼を助けることができるはずだ。

今まさにそれを行おうとしたところで、異変に気付く。
「え!? いったい、なにが起こっているの?」
異質だが、同時に途轍もないほどの魔力の波動。
ジュエルシードから放たれるものと比べても、なお異質。
それだけじゃない。こんな魔力は、人間に出せる出力ではない。

発生源は足元、いや、そのずっと下。おそらく、時の庭園の最深部。
つまり、士郎君がいるはずの場所。
ジュエルシードとも違う何か。あそこには士郎君しかいないのだから、彼が何かをしている以外に考えられない。
彼は生きている。その確信に、状況も忘れて思わず安堵の溜息をつく。

そして、それは眼も眩むほどの輝きと共に放たれた。

それは、文字通り光の線。
とてつもない魔力を伴う光の奔流は、あらゆるものを飲み込んでいく。
あまりの出力に恐怖を覚えるより前に、私はその輝きに魅せられていた。
神々しささえ感じられるその輝きを、どうして恐ろしいなどと思えようか。
そう、私は確かにその一瞬「恐怖」という感情を忘れていたのだ。

やっとの思いで口から出たのは、今起こった光景に対する純粋な感想だった。
「な、なんてデタラメな…………」
時の庭園の外壁を容易く突破し、彼方に消えていく光の奔流を見送りながら、私は茫然と立ち竦んでいた。
アレはもう人間技ではない。例えるなら、アースラのような戦艦に搭載されている艦砲とかのレベルだ。
技術とか才能とか、そういったものすべてを無視する圧倒的なまでの力。

これが、彼の持つ反則ということだろう。
預言にある「世界を侵す」や「虚構の剣」とは全くつながらない。
だが、それでも反則どころの騒ぎではないのは確かだ。
いや「剣」なら持っていたが、それのどこが「虚構」だというのだろう。
あれは、確かにそこに存在した。
そもそも、「虚構」の剣に一体何ができるというのか。
そこに実在しなければ、何もなすことができないではないか。

そんな答えの出ない疑問とは別のところで、幾分冷静さを取り戻した私は、彼の放った一撃に戦慄を覚える。
あんなモノの直撃を受ければ、為す術もなく飲み込まれて跡形も残らないだろう。
もし地上で放っていたら、そこには見るも無残な大断層ができていたはずだ。

本当に、謎の多い子たちだ。
魔術師の在り方を思えば、そういうものなのかもしれない。
だが、彼らはその中でも群を抜いて異質なはずだ。
他の魔術師までこんなデタラメな存在だったら、私たちの常識など跡形もなく粉砕されてしまう。

そんなことを考えながら棒立ちしている私に、エイミィから通信が入る。
「……えっと、艦長」
その声には未だ困惑というか、状況を飲み込めていないような響きがある。
無理もない。私自身、一番近くでこれを見ていたのに頭の中が混乱している。

私はその声に、弾かれたように応じる。
「え? ……あ、ああ、何かしら?」
我ながら間抜けな質問だ。
この状況下で「何かしら」もないモノだ。
聞くべきことなどいくらでもあるのに、一瞬何を聞けばいいのか分からなくなっていた。

「ジュエルシードの反応が消失しました。
 それと共に次元震が鎮静に向かっています。
完全に治まるまで少しかかるでしょうが、事態が終息に向かっているのは確かです」
つまり、士郎君が本当にそれを成したということだろう。
転送魔法を発動するのがもう少し早ければ、彼の邪魔をしてしまうところだったわけだ。

あの迷いが、辛うじて私の首をつなげた。
それは管理局内での私の地位とか出世とか俗な話ではなく、本当にそのままの意味だ。
もし彼を転送して逃げていたら、最悪の場合、凛さんたちに殺されていたかもしれないわね。
そうなったら地球はなくなっていたのだから、あの子たちがどんな手に出るか分かったモノではない。
私も悪運が強い。自分の甘さで命拾いをした。

すると右手を押さえた凛さんが、少し痛そうにしながらエイミィを押しのけて通信に割り込んできた。
彼女が最後に使った銃の大きさを考えれば、その反動は想像がつく。子どもの体には負荷が大きすぎるだろう。
捻挫くらいしていても不思議じゃないし、あるいは骨にヒビくらい入っているかもしれない。
彼女もあとで医務室に行かせなければならないな。

その後ろでクロノがなにか文句を言っているが、それを聞く気はないようだ。
「どうやら士郎がうまくやったみたいね。命拾いしたわね、リンディ艦長。
 それはそうと、あの馬鹿今頃気絶しているはずだから、ついでに回収してきてくれないかしら」
どうやら、私がしようとしていることに気が付いていたらしい。
どうして私がそれをしようとしたのか、その全てを把握しているわけではないだろうが、本当に聡い子だ。

それにしても、やはりあの光は士郎君の放ったものか。
そうとしか考えられないとわかってはいても、本当に彼がやったのかいまだに信じられない。
それだけ馬鹿げた威力があったのだ。詳しい計測ができる状態ではなかったけど、それでよかったかもしれないわね。
もしちゃんと計測できていたら、そのあまりのデタラメさに卒倒していたかも。

それはそれとして、あれだけの一撃を出したからだろう。士郎君はいま動けないようだ。
それくらいの影響がなければ、あれは強力すぎる。それを聞いて少し安堵したくらいだ。
「わかりました。今から彼の元に向かいます。
 発見次第、一緒にアースラに帰還します。
それと、彼は怪我を押して無理に出て行ったんですもの、治療の用意をしておいてね」
現場には今私しかいないし、今更他の誰かを呼び付けるのも気が退ける。
それに、すぐに行けば彼が使ったであろうあの「黄金の剣」がまだ残っているかもしれない。
誰かが来ようとすれば凛さんも同行しようとするだろうし、それだと回収するのが難しくなる。
最後には返すことになるだろう。だが、それまでに少しでも調べることができれば、彼の能力の秘密にも迫れるかもしれない。

「了解。お気を付けて」
私からの指示に、再び通信に復帰したエイミィが応える。
その顔にはわずかに笑顔がある。わけのわからないことだらけだが、ひとまず決着がついたことに安堵したからだろう。私も同感だ。

全く、最後まで波乱続きだったけど何とか一段落ついた。
最悪の事態は回避され、とりあえずこちらには重大な被害は出ていない。
プレシア女史の死は痛いが、事件の規模を考えれば上出来と言える部類だろう。

さあ、早く士郎君を回収して、残っていれば彼の使った何かも拾っていこう。
戻ったら、まず熱~いお茶に、たっぷりのミルクとお砂糖を入れて一服入れたいわね。

Interlude out






あとがき

まず、以前予告した17話で終わらせるというのを破ってしまったことをお詫びします。
さんざん悩んだ挙句に、予定を変更して最終話を二話に分けることにしました。
なにせ今までで一番長いですし、さすがにこれは長すぎだと思いました。

プレシアの死に様はもう少し無残さを出せればよかったのですが、そういったことは作者が苦手なモノでして……。
描写がいまひとつかもしれませんが、ご容赦ください。
私の表現力ではこれが限界です。

あと、プレシアをただの「悪役」や「やられ役」にするのが嫌だったので、なんだか大仰なことを書いてしまいました。
多少誇張はしていますが、あれはおおむね作者の持つプレシアへのイメージです。
「愛ゆえに狂った人」であり「失ったために壊れた人」というのが私の持つ印象です。

なんだか「Interlude」がやたらと長いですが、あまり気にしないで下さるとうれしいです。
元は次回の話と一つだったので、それと合わせれば適切な状態になるはず……。

では、エクスカリバーについて少し補足をしておこうと思います。
エクスカリバーの投影は、士郎と凛双方にとってやたらとコストの掛かる使い勝手の悪い手段です。
確かに、あらゆる武装の中で最高の攻撃力と攻撃範囲を誇ります。
ですが、使おうとすれば投影するのにやたらと時間がかかるし、魔力を注ぐのにはさらに時間がかかります。
実戦の場で一分や二分も足を止めているのは、自殺行為ですからね。
でも足を止めて集中してやらないと、そもそも使用できないので、余程好条件がそろった時しか使えません。
その上、投影してしばらくすると士郎は頭痛に耐えられずに気絶し、凛の魔力の大半を使い切ってしまいます。
使うための準備段階と使った後、両方で色々危ないために滅多なことでは使えません。
エーテル・ライトを出したのは、アーチャーがエクスカリバーを投影しようとすると破綻するなんて言っていたので、なら投影を補助する物があれば可能になるのではないかと考えたからです。
士郎の投影は脳に大きな負荷をかけるので、それが限界を超えるために破綻するのだと解釈しています。
エーテル・ライトの性質なら、脳に直接つなげることができるので、あとは補助する機能を別に持たせれば何とかなるはずです。


次回こそは本当に無印編最終話になります。
次回はアースラ組への解説なんかが半分近くを占めていますが、それ以外もありますのでそちらを重視してください。
だって、解説の方は皆様からすれば今さらでしょう。
でも、話の流れ上入れないわけにもいかないので……。

きれいに終われるよう頑張りますので、しばしお待ちください。

P.S ちなみに、「エーテライト」の正式名称が「エーテル・ライト」なので間違いではありません。今回は説明文の中での使用だったので、こちらを使用しました。



[4610] 第18話「Fate」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2009/08/23 17:01

SIDE-士郎

一連の事件が一応終結してから、数日が経過した。

俺が目覚めたのは、リンディさんに救出されてから丸二日以上が過ぎた翌々日の深夜。
ずいぶんと長い間意識を失っていたらしい。

まあ、ここで終われば何も問題はなかった。
だが目が覚めてすぐ、いつものニヤニヤ笑い共にある写真を凛に見せられた。
そこには、リンディさんに「お姫様抱っこ」された俺が写っていたのだ。

何が悲しくて、この年でそんな目に会わなければならないのか。
知らない人間が見れば、さぞ微笑ましく、あるいは綺麗な光景に見えるだろう。
極上といっても差支えない美人さんが、幼い子供を抱きかかえながら優しい笑みを浮かべているのだ。
それには、宗教画のような神々しささえある。

俺も、それが自分でなければ同じ感想を持ったはずだ。
しかし、実際に抱えられているのは二十代後半の男。
それはあまりにもイタイし、何よりも恥ずかしい。
その時のことを覚えていないから尚更だ。

なんとか写真を奪取し焼却したが、まだマスターデータが残っている。
こいつを処分しないと、根本的な解決にはならない。
残っている限り、いくらでもプリントできてしまう。

とはいえ、凛に電子機器の操作なんてできるはずがないので、本来だったらそれほど問題ではない。
なにせ、FAXにさえ四苦八苦するような奴だ。
普段なら「デジタル」という言葉を聞いただけで挫折するところだ。
気長に、あるいは適当にやっていても十分な危険しかない。

ところが、今回思わぬところから伏兵が現れた。
その怨敵の名は「エイミィ・リミエッタ」。
若くして通信主任なんてやっているだけあって、電子機器の扱いはお手の物。
凛の数少ない弱点の一つを補う、最悪のパートナーが現れたのだ。
(おのれ~~、余計なマネを………)

当然、せっかく処分した写真はあっという間に再度印刷されてしまった。
おまけに、腹いせとばかりにアースラの全クルーにばら撒かれる始末。
それは、明らかに逆恨みだぁ!!

しかもエイミィさんの本質は、ある意味凛の御同類。
この人も凛に負けず劣らず、人を弄るのが好きらしい。
今までこの手の話題でからかってくるのは凛一人だったのに、それが二人になってしまった。

悪いことにデータはすでに無数にコピーされ、さまざまな端末に保存されている。
これでは、すべてを消去するなど事実上不可能だ。
プロフェッショナルならいざ知らず、俺にそこまでの知識と技能はない。
この先ずっと、この話題を二人がかりで弄られることが決定した瞬間だった(泣)。

しかし、捨てる神あれば拾う神ありとはよく言ったものだ。
あまりの絶望に打ちひしがれていると、何やら同情するような眼でクロノがこちらを見ていた。
というか、その瞳からは一滴の涙が流れていた。
その瞬間に悟った。
アイツは俺の理解者であり、同じ境遇にある同胞だ。
クロノの方でもそれを察したらしく、俺たちは無言で固い握手をかわしたのだった。

言葉なんて無粋なモノはいらない。
そんなものがなくても、俺たちは視線を交わすだけで互いの想いを共有できるのだから。
今更口にしなければならないことなど、あるはずがない。

仲間ができたからといって、状況が良くなったわけではない。
だが、共に待遇改善に向かって奮闘する同志ができたのは、不幸中の幸いだろう。
ああ、一人じゃないって素晴らしい……。



第18話「Fate」



今回は凛も少なからず傷を負った。
それは主に二つ。
どちらも決して軽くはないが、両者の扱いは全く違う。
片方はちゃんとした治療を受けられた。
だが、もう片方は徹底的に隠し通し、自力で治療するしかなかったのだ。

前者は、起源弾を撃ったことで右腕の骨に幾筋も入った細かいヒビ。
見た目からわかるとおり、起源弾を抜きにしてもあれ自体が半端な威力ではない銃だ。
腕に強化を掛けバインドで体を固定されていたため、反動で狙いがズレることはなかった。

しかし、そのせいでそれを分散させることなく受けてしまった。
まだ体の出来上がっていない子どもの身では、それは負荷が大きすぎる。
折れていないだけマシかもしれないが、決して軽んじていいモノではない。
大人でも関節をやられていて不思議じゃない。
それ故、堂々と治療を受けることができた。

後者が、宝石剣を使ったことによる反動で断線した左腕の筋肉だ。
こちらはそうはいかない。
宝石剣の反動だけでも隠さなければならないからだ。

なにせあの戦闘は、アースラでしっかり監視されていた。
どうやら、アースラの方で「サーチャー」なるモノを放って凛の動向を監視していたようなのだ。
おかげで、隠しておきたかった宝石剣のことを知られてしまう結果となった。
現実なんてそんなものとわかってはいるが、つくづく思うようにいかない。

プレシア殺害とは直接関係ないので、現状徴発するための大義名分はないはずだ。
また、アレ単体ではジュエルシードのように世界をどうこうするほどの力はないから、危険性はずっと低い。
これなら向こうとしても強く出られないだろう。

とはいえ、今回の一件で宝石剣を知られたのは迂闊の一言だ。
他に手もなかったので、宝石剣を使ったのはこの際仕方がない。
だが監視が付いていたのに気づけなかったのは、明らかな失敗だ。

サーチャーが機械的な道具だったのが盲点となった。
アレには機械的なモノと魔法によるモノの二種類があり、今回は前者が使われた。
当然、凛に気付かれないよう注意したからだろう。
魔力の発露がほぼ皆無なのだから、凛に気付けという方が無理か。

真っ当な魔術師であればある程、科学に対する警戒心は薄いものだ。
魔術師という人種は、例外は当然いるが、基本的には己を神秘と人智の中間の存在と信じて疑わない。
そのため「自身を脅かせるのは、同胞たる神秘の側の存在だけ」と考えている場合がほとんどだ。
戦闘時には魔術および魔力への警戒が中心となり、科学方面の脅威を軽視しがちになる

凛にもそんな傾向が少なからずあったが、徐々にその点は修正されている。
俺と一緒に幾度となく普通の戦場にも出ていたし、俺が魔術師相手にもあまり抵抗なくそういうものを使うからだ。
近代兵器で倒れる魔術師を何度も見ていれば、誰だってそれに脅威を感じるだろう。
そのため、科学の対魔術師戦における有効性と危険性に対する理解は、他の魔術師などよりはるかに深い部類だ。

だが、それでもアイツが本質的に魔術に傾倒しがちな生粋の魔術師であることに変わりはない。
アレだけ派手に魔力を使った戦闘をしていると、どうしても科学方面への警戒が薄くなる。
普段なら俺がフォローするところなのだが、その場に立ち会っていなかったのが一番の失敗だ。

まあ、最後の罠は完全にアイツが迂闊だったせいなので、弁護の余地はないけど。
昔に比べれば幾分マシになったけど、ああいう時に足元が疎かになる癖が一向に抜けない。
今回なんて、文字通り「足元」だったものな。
ずっと使ってこなかったとはいえ、存在そのものを失念するなんて……。

しかし、宝石剣の存在と能力は知られたが、まだ反動は知られていない。
無制限に魔力を行使することはできるが、反動の関係でアレは長く続かないのだ。
これは何としてでも隠し通さなければならない。

その存在を知れば、力ずくで奪おうとされるかもしれない。
ここの人たちがそんな強硬な手段に出てくるとは考えたくないが、あり得ないとは言い切れない。
迂闊に手が出せない存在と認識してくれている方が、こちらとしてはありがたい。


また、凛がプレシアを殺害したことで、何かしらの罪に問われる可能性があった。
なにせ、今回の事件とプレシアの殺害はまた別の話だ。
高次空間内にまで効力を持つ法など管理局にしかないし、殺人罪に問われても不思議はない。

だが、とりあえずその心配はないようだ。
理由は、凛がプレシアを殺害したことを立証できなかったためらしい。

プレシア殺害の際には、切嗣の起源を内包した起源弾が用いられた。
そのあたりも監視されていたので、銃の提出を求められるのは避けられない。
宝石剣と違い、こちらはプレシア殺害の証拠品でもある。
さすがにこれを突っぱねるのは難しく、最終的には渡すことになった。

「はあ、一応信用してお渡ししますが、扱いには気を付けてくださいよ」
正直渡したくはないのだが、下手に拒むとその方が後々面倒なことになりかねない。

俺のその言葉に、やはり相当な危険物だという危機感を強めたようだ。
「どういうこと? まさか、変なことをすると私たちもプレシア女史みたいな目にあうとか……」
ひきつった顔でリンディさんが聞いてくる。
それだけでなく、若干腰が引けていた。
プレシアの死に方を知っていては、その反応は自然なモノと言える。

その気はなかったのだが、結果としては脅かしてしまったようだ。
手を振りながら訂正する。
「ああ、そういうわけじゃないんですよ。
 ただそれ親父の形見なんで、あんまり手荒に扱わないでほしいだけです」
俺の手元にある切嗣の遺品なんて、これぐらいのモノだ。
他に持ってこなければならないモノはたくさんあったので、残りの遺品を持ってくる余裕はなかった。
この先墓参する機会だってないかもしれない以上、えげつない代物であっても大切にしたい。

そんな俺の心情が伝わったのか、神妙そうな顔で約束してくれる。
「わかりました。検査や解析にはかけますが、決して壊すようなことはしません」
それを聞いて安心した。
ここまで断言する以上、それを反故にすることはないだろう。

「ああ、それと調べればわかることですけど、弾の方には人骨が封入されています。
 それは親父の骨でして、あまり故人を辱めるようなことはしないでくださいよ」
それを聞いた時のリンディさんの顔は、それはもうびっくりしていたな。
人骨の入った弾丸だとは思いもしないのは当然だし、気味が悪いと感じるのも無理はない。
普通に考えて、人骨になんて触れたいとは思わないだろう。

それに、あれはある意味切嗣の遺骨だ。
もはや墓参すらできないところに来てしまった俺だが、今はこいつが墓の代わりだ。
それを暴かれ、隅々まで調べられるのはいい気分ではない。
時々、こいつを位牌や遺影の代わりにして手を合わせることがあるから尚更だ。

まあ、それを武器として使っている俺自身が、一番故人を辱めている気もするけどさ。
だが親父がああいう形で俺に託した以上、使わせるために残したはずだ。
なら、これはその思いに報いているともいえるので、毎度のことだが複雑な心境だ。

ちなみに、弾の中身について教えてはいるが、別に未使用の弾丸を渡したわけではない。
時の庭園は崩壊寸前だったので、リンディさんが最下層の瓦礫などを俺たちと一緒にまとめて転送したのだ。
かなり強引な力技だが、一々あの場で探す手間を考えれば効率的ではある。
半壊状態の時の庭園に踏み込むのはかなり危険なので、安全のためにもこれが一番だ。
これの目的は、証拠品の回収にある。
実際にプレシアを撃ち抜いたのがアレである以上、それを回収しようとするのは当然だ。

概念武装に近い性質を持つからといって、使えば跡形もなく消えるわけではない。
使った後の弾丸はちゃんとプレシアを貫通し、後ろの壁にめり込んでいた。
それがジュエルシードの影響で壁ごと崩れ落ち、瓦礫に埋まっていたのを捜索したのだ。

その後、アースラが保有する設備を総動員して入念な調査が行われた。
だがいくら調べても、幾ばくかの魔力が込められているということ以外、特に目立った結果は出てこなかった。
弾丸の構成材質を解析してみても、俺が話した以上の目立つ特徴はない。
少なくとも、リンカーコアに影響を与えられそうなものは含まれていない。

まあ魔弾の方を調べても、この人たちに何もつかめないのは当然だ。
フェイト達から聞いた魔法の話から、彼らが「起源」なんてものを知らないことは確認済み。
知らないものを、どうやって調べられようか。

この人たちにわかるのは、物理的な現象にほとんど限定される。
魔法が科学よりの存在であるが故に、科学に反する事柄は盲点になりがちだ。
起源は思い切り神秘の領分なので、これは彼らの力の及ぶところではない。

仮にそれを調べ気付けたとしても、たぶん肯定できないと思う。
なにせ起源は人、いや、その存在の根幹に根差す、生まれる以前から定められた方向性だ。
それは、どんな存在に生まれようとその方向性に縛られるということ。
つまり、生まれる前からそういう存在になると定められているようなモノだ。

この人たちの考え方からすれば、それは受け入れ難いだろう。
極端な例を挙げれば「犯罪者は始めからそうなるよう定められている」と言っているようなモノだ。
「殺す」という起源を持っていれば、少なからずそれの影響を受けるのだからあり得ないとは言い切れない。
故に、この人たちが起源の存在を知っても、容易に受け入れられるとは到底思えない。

それは起源を武器として利用する、あの魔弾を否定するのと同義だ。
受け入れられないものを認められるはずがないのだから。
そうである以上、彼らが起源弾を調べたところで出てきた結果を肯定するわけがない。

それに起源弾はその性質上、一回限りしか使用できない。
一度その効果を発揮すれば、封入されている骨はその力を失いただの骨になる。
回収された使用済みの起源弾は、中身を取り出した宝箱のようなモノだ。
そのため、どんな起源が込められていたかは引き起こされた結果から推測するしかない。

起源弾は擬似的な概念武装だが、あくまで「擬似的」なものでしかない。
本物の概念武装に比べれば、積み重ねられた概念の重みも深さも劣るが故の性質。
個人の内包する起源は概念武装に劣りはしない。あるいは上回っていることもある。

だが武器として加工する際に、その人物の起源の全てを込められるわけではない。
体の一部、例えば骨を用いていることからも、内包される起源が本来のそれに比べれば切れ端にすぎないことは明らかだ。
そのため、一度使用するだけでも込められた起源が擦り切れてしまう。
仮に、中核を成す加工された骨を別の弾丸に詰め替えても、それはただの弾丸のまま。
起源は擦り切れて使いものにならないので、一切効果を発揮しない。
それ故、起源弾にはリサイクルがきかない。

もし、起源を一切消耗しない武器にしようとするならば、その人物そのものを込めるしかない。
早い話が「生贄」にするということ。

切嗣のそれも、己が起源の全てを込めるには至っていない。
故に、一度使われたそれは込められた起源を失ったただの弾丸だ。
人骨が封入されている以外に、おかしな所などもはやない。

プレシアの死因も「魔力の暴走による自傷」というのが検死の結果だ。
強いてあげるなら、体に銃創のような古傷が確認されただけらしい。
その傷はどう見てもそう最近にできたモノには見えず、プレシアの死因とは別物と判断するしかない。
そのため、直接的な死因は「ジュエルシードの魔力が体内で暴走したことによるもの」とされた。

つまり、凛が何かをした証拠が出てこなかったのだ。
さすがに事情聴取はされたが、こちらは黙秘権を行使し一切の証言をしなかった。
無理矢理自白させる権限なんてあるはずもなく、真相は闇の中となったわけだ。

結果、証拠不十分ということで、凛が罪に問われることはなかった。
その上、証拠品としても不十分だったので、銃の方はちゃんと返却してもらった。

ほぼ間違いなくそうだと解っていても、それを証明し得るものがない以上、状況証拠だけでは罪には問えない。
もしもの時は「正当防衛」を言い訳にして、何とかしようと考えていたがその必要もなかったわけだ。

リンカーコアに何かしらの影響を与えるものとは予想しているようだが、それを証明できない。
封入されている骨が関係あることは、誰だって気づくだろう。
だが、それがどう作用したのか分からない以上、推測だけで決めつけることはできない。
そうなると推論の段階から先に進めないので、起訴することなど不可能だ。

最悪の場合、凛は拘束され本局とやらに連行される手筈が整っていたかもしれない。
そこで何をされるかはわからないが、俺たちにとっては望ましい展開じゃないのは確かだ。
そうならずに済んだのだから、良しとすべきだろう。

当然だが、俺も聖剣とその鞘のことについて聞かれた。
エクスカリバーの一閃は、ランクに換算することさえできないほどの威力だったらしい。
防御フィールドなしという条件付きなら、アースラの両断さえも可能な威力だったと聞く。
詳しいところが計測できなかったことを考えると、それ以上の可能性もあるな。

クロノに「ほとんど兵器のレベルだ」と言われたのには、苦笑を禁じ得なかったな。
英雄もまた兵器の一種、とは英雄王自身が言っていたことだ。
その英雄の切り札である宝具もまた兵器と言えるので、あながち間違ってはいない。

とりあえず、聖剣をはじめとした武装一式を徴発されなかったのはよかった。
渡す気などもちろんないが、そうなるとこの人たちとの関係は確実に険悪になる。
こんな巨大な組織に、真っ向から反抗するのは明らかに分が悪い。
やろうと思えば罪状くらいでっち上げられるだろうし、それをされると厄介だ。
無実を証明するのって、結構大変なんだよなぁ。

冤罪や押し付けられた罪で命を狙われたことは、一度や二度ではない。
俺自身の責任や罪でも追われていたが、それ以外も決して少なくはなかった。
その程度の権力はあるだろうし、やはりあまり目を付けられたくはない。

そうならずに済んだのは、それほど危険視されていないからだろう。
大層な代物でこそあるが、使う際の条件は結構厄介だ。
投影するまでは監視されていたため、あれの使用に難があることは知られている。
おかげで「参考までに調べさせてほしい」という以上の要請はされなかった。
兵器のレベルということは、逆に言えば兵器ならあれクラスの威力が出せるという事でもある。
自分たちには決して手を出せない領域というわけではないので、こうして見逃してくれているのだと思う。

まあ、宝石剣同様に押収する大義名分もなく、俺が作らなければ彼らには手の出しようがない。
強硬手段に出れる口実がない以上、今はこのあたりが限界なのには変わらないか。
少なくとも、アースラの上層部は筋金入りの善人だ。
さっき考えたような陰謀の類は、あまりやりそうにない。
今回は巡り合わせがよかったのだろう。

アヴァロンの方は、それほど追求されなかった。
エクスカリバー以上に、発動時の情報が集められなかったからだ。
ジュエルシードから解放されたエネルギーで計器が乱れていて、こちらにまで手は回らなかったらしい。
サーチャーは、聖剣を投影してすぐのジュエルシードから漏れた余波によって全滅したそうだ。

まさか「世界から隔離されていました」なんて言えるわけもない。
クロノたちには、強力な防御系の武装で防いだと説明している。
本当にそんなことが可能なのか、ものすごく疑われているけど……。
あの人たちに事の真偽を確かめる術はないのだから、まあ大丈夫だろう。

それらとは別に、いくつかの武装を提供してくれないかと頼まれたが、当然拒んだ。
万が一破損して消滅したら、俺の特異性がバレてしまうのでこれだけは譲れない。
その際に……
「俺にとって使える武装が減るのは、使える魔法が減るのに等しいので絶対にダメです。
この世界のどこかに、俺の武装を貯蔵しているところがありますから、そこを見つけることですね。
 宝探し、頑張ってください」
真実ともいえない、中途半端な情報を与えて誤解してもらうことにした。
まあ、実際に減るのは魔力だけで、武装はどれだけ出しても減らないんだけどな。

まさか俺の体内にそれがあるとは思わないはずなので、これで大丈夫だろう。
外界をいくら探しても、見つかりっこない。「灯台もと暗し」とは、このことかな。
皆さんには悪いが、的外れなところを探してもらうことにしよう。

あとついでに……
「まぁ、見つけたからといってあなた方には使えませんよ。
 俺の持ち物の中でも特に強力なのには所有権というのがあって、それはすべて俺にあります。
これを委譲しないことには真の力は発動できませんから、探しだしても無意味ですよ」
やるだけ無駄だからやめておけ、というようなことも言っておいた。
そもそも俺が投影しなければ、この人たちには手の出しようがないしな。
とはいえ、探そうといろいろ調べられれば、投影を破棄する時の様子で違和感を持たれるかもしれない。
諦めてくれるに越したことはないのだ。

これに対し、クロノがジト目で文句を言っていた。
「その様子だと委譲できるようだけど、君がそれをしてくれれば大助かりなんだが……」
「すると思うのか?」
心底不思議だ、と言わんばかりの顔で首をかしげながら聞いてやった。
そんな俺の言葉に返事はなく、代わりにすごーく苦々しい顔をしていた。
「委譲」なんて言葉を使うからには、それを移せるかどうかは俺の意思次第だ。
脅迫するという手もあるが、クロノは結構潔癖みたいだし、そういうことはしたくないのだろう。

少し悪い気もするが、さすがにこれは無理。
俺たちは志を同じくする同志だが、それはそれ、これはこれというやつだ。
待遇改善とこれは全く関係ないのだから、便宜を図ってやる義理はない。

こっちは身の安全がかかっているのだ。
負担や苦労を減らしてやりたいとは思うが、できることとできないことがある。
これは間違いなくできない事の部類なのだから、申し訳ないが諦めてもらおう。


手の内をだいぶさらし、隠したかったことも全てではないにしろ知られてしまった。
そんな中では、不幸中の幸いといったところだろう。

「最良」とは言えないが、それでも決して「最悪」ではなかったのだ。
ならば、そう悲観したモノではないと思う。



SIDE-凛

今私たちは、食堂で食事のついでにリンディさんたちと今後の話をしている。

現在士郎は、体の動作チェックの意味も込めて給仕と調理を仰せつかっている。
だが、リンディさんが口にするその奇怪な飲み物に絶句していた。
私も初めて見た時は、甘党云々以前にそもそも味の組み合わせとしてどうなのだろうと思ったものだ。

士郎もその考えに至ったらしく、苦言を呈していた。
すると……
「そんな!? あなたは私の生きがいを奪うというの!!?」
などと言って、今にも泣きそうな顔で迫っていた。
いい年した大人が、その程度で涙目にならないでほしいなぁ。

というか、何よその生きがい……。
これを聞いた時は、正直自分の耳とこの人の頭の中身を疑った。
真面目な時と、そうでない時のギャップがあり過ぎるだろう。
時の庭園内での時などは、心の内の苦悩を抑え込もうとするその毅然とした姿に、結構感心したんだけどなぁ。
せっかく上がった株が、また下落している。

ところで、アイツからすれば百歩どころか一万歩位譲ったのだろう。
「お願いします。日本茶にミルクを入れるのだけはやめてください」
と、土下座しながら説得していた。
年端もいかない子どもに土下座される大人というのは、かなり危ない構図だ。
全然そんなことはないのに、リンディさんが血も涙もない悪党に見えたもの。もしくは女王様。
見た目が与える印象の違いって、すごいなぁ……。

なぜミルクだけなのかというと「ミルクと砂糖どちらなら許容できるかと問われれば、苦渋の選択だが砂糖だから」らしい。
まあ、シンガポールや台湾・アメリカといった一部の地域では実際に存在する飲み物だ。
これなら「まだ」許せるというのはわかる。

だが、元の世界で世界中を渡り歩いたが、日本茶にミルクを入れる習慣なんて見たことも聞いたこともない。
ミルクの入った日本茶など、味以前に色合いから気色悪いと思う。
少なくとも、私には美味そうとは思えない。

士郎もそのことに言及していたが、それでもなお聞き入れてもらえなかった。
そこで、士郎が滞在している間は紅茶と菓子をふるまうことが決まった。
こうなれば日本茶が出ることもないので、士郎の眼にとまることもない。
しかし、それは遠ざけているだけにすぎず根本的には何も解決していない。
余談だが、士郎は戦闘要員としてではなく、料理人としてそれは熱心な勧誘を受けた。

まあ、士郎にとってはこれでも結構不満があるみたいだけど。
「ミルクティーなら問題ないし、砂糖の量は個人の好みの問題として割り切れなくもない。
風味や味わいのことで入れる量に文句の一つも言いたいが、日本茶よりはマシだ」
とは、拳を握りしめながら項垂れ肩を震わせる士郎の談だ。
つまり、本当はいろいろ口を出したいのを必死になって我慢しているのだろう。

こんなところの料理人になんてなったら、遠からず限界が来るわね。
どんな結果になるかはわからないが、誰にとっても良くない結果しかないのは目に見えている。
これは魔術云々を抜きにしても、断って正解だ。

士郎は何とか「ミルク日本茶砂糖入り」なんて怪飲料を撲滅したいらしい。
私としても、あれを見ていると日本茶を飲む気になれない。
士郎には何とか頑張ってほしい。
だが「上手くいく自信が全くない」と珍しく愚痴をこぼしていたっけ。
人事を尽くして天命を待つ気分なのだろう。
あまりに希望が薄いのが難点か。

ところで、海鳴に戻るのは明日にでも可能らしい。
だが、ユーノ達がミッドチルダというところに戻るのには、数ヶ月かかるとのことだ。

その間ずっとアースラの厄介になっているのは悪い、というのがユーノの主張だ。
そこへなのはが、また自分の家で暮らせばいいと提案し、ユーノもそれを受諾した。
ユーノは相変わらずのフェレット暮らしになるが、特に不満はないらしい。
クロノに「フェレットもどき」と呼ばれて怒っているが、案外あの生活が気に入っていたのではないだろうか。

そう思って士郎の方を向いてみると……
「そりゃあ、高町家の女性陣に限らず色々な人たちから可愛がられるし、羨ま………」
と、小声で呟いていたので思い切り睨んでやった。

すると、滝のような汗を流しながら、この様に訂正した。
「……もとい、衣食住の心配の要らない楽なポジションだからな。まあ、わからないでもないさ」
その間ずっと目が泳いでおり、口から出る言葉は大根役者のように棒読みだった。
だが、言いたいことが伝わったようでなによりだ。
もしあの先を言っていたら、ちょっときつめのお仕置きが必要になるところだったものね。
それに、こっちにいてもクロノといがみ合うだけだし、ユーノとしてもあちらの方が気楽だろう。

ただ、なのはは相変わらずユーノのことを異性として見ていないようだ。
あまりにも哀れで、涙が出そうだわ。
報われるかどうかはわからないが、せめて一日でも早く異性として見てもらえるように心から祈ってあげよう。
このままじゃ、あまりにも可哀そうだもの。
うすうす感づいてはいたけど、あの子の鈍感さは間違いなく士郎並みね。

そこで話は、プレシアの語った「アルハザード」に焦点が向けられた。
私たちの予想では、それこそが根源ということになる。
ユーノが言うには、そこには今はもう失われた秘術がいくつも眠る土地らしい。

叶わぬ望みはなく、あらゆる魔法はその究極の姿にまでいきついていたと言われている。
その中には、プレシアの求めた死者蘇生や、魔法の一つ時間旅行もあったらしい。
これだと、私たちの予想が的中している可能性は高い。

だが、はるか昔に次元断層に落ちて無くなった世界でもあり、その存在は確認されていない。
つまり、私たちの推測があっているかを確かめる術はないということだ。

今はプレシアが望んだことに対する、次元世界の常識が語られている。
「魔法を学ぶ者なら、だれでも知っている。
過去を遡ることも、死者を蘇らせることも、決してできないって」
これがこの世界の魔法の限界とされている領域。
アルハザードにあるとされる魔法は、そのどれもが現実には不可能とされるもの。
これが次元世界の魔導師が持つ共通認識だ。
その認識からすれば、プレシアの目的は気が触れた狂人の願望としか取られないわね。

「それを求めたために、プレシアはおとぎ話にも等しい伝承にすがるしかなかったんだろう」
クロノの顔には憐憫にも似た感情が見える。
重罪を犯そうとした相手でも、一方的に断罪しようとしない姿勢は立派と言える。

ところがプレシアは、それがただの伝説ではないことに確信をもったのだろう。
何がきっかけだったのかは、今となっては知る術はない。
だがそうでなければ、いくら命の期限が迫っているからといって、あんな強硬策に出るとは考えにくい。

リンディさんも、私と同様の考えらしい。
「彼女はもしかしたら、本当に見つけたのかもしれないわ。アルハザードへの道を。
 …あなたたちなら、何か知っているんじゃないのかしら?」
そのまま話は私たちに振られた。

まぁ、当然聞かれるとは思っていた。
あの時、思いっきり「根源」や「魔術的な意味での魔法」について話していたものね。
これではごまかしようもない。

解説は基本的に私の役目なので、士郎には余計な口を出させない。
下手なことを言って、余計な情報を与えないためだ。
こいつは妙に自覚が薄いというか、はずみで致命的なことを口にしかねない。
この十年でだいぶマシになったが、それでも用心に越したことはないのだから。
「アルハザードなんてもののことは知らないけど、根源の渦でいいなら知ってるわ。
 私の知っていることなんて、そう多くはないけどね」
そう前ふりをして、根源の渦のことについて話し始める。
実際、そうたいしたことを知っているわけじゃないしね。
教えられることなどたかが知れている。

「根源の渦というのは、世界の外側にあるとされる、次元論の頂点に在る“力”と言われているわ。
あらゆる出来事の発端、万物の始まりにして終焉、この世の全てを記録し、この世の全てを作れるという神の座。アカシックレコードなんて呼ばれたりもするわ。
 私たち魔術師はそこを目指す。魔法へと至るためにね」
このことは知られたからって、別に問題はない。
私たちだってたいしたことは知らないのだから、隠すほどのことでもない。
辿り着く手段があるなら別かもしれないが、今のところ特に当てはないしね。
いや、一つだけ当てはあるが、それもいま直ぐに実現できるような事でもない。

「あなたたちの言う魔法というのは、私たちのそれとはだいぶ違うようね。
 プレシアに対して言っていた、あの三つの術とあなた自身が使っていたのがそうみたいだけど……。
 本当にそんなことが可能なの?」
確認するようにリンディさんが聞いてくるが、その声は非常に懐疑的だ。
まあ、当然の反応かな。
私たちの魔法の定義では、この人たちの常識から外れることが絶対条件なのだ。

五つの魔法の内、一つを除けば一応名称くらいなら知っている。
その中で詳細に関して知っているのが一つで、概要がわかるのが一つ。
それ以外だと、ほとんど内容は不明だ。

魔法ともなれば、協会の方でも最高機密扱いだった。
並みの魔術師だったら、どれか一つの名称を知ることさえ困難だろう。
本来なら、いくら色名持ちでもそう簡単には知ることのできない情報だ。
これだけ知ることができただけでも、僥倖と言える。

「私たちは魔法というものを、現代文明では再現できない“奇跡”と定義しているの。
簡単に言えば、どんなにお金や人、技術を無制限に用いてもできないことだって考えればいいわ」
一度区切って周りの様子を見る。
反応はいまいち。
途中だからというのもあるけど、相変らず信じられないと言わんばかりの顔だ。

こちらとしては、無理に理解してもらう必要はない。
出来ないならそれで構わないので、そのまま話を続ける。
「信じられないのは当然ね。だってそれは本来「あり得ない」はずのことなんだから。
そしてそれを可能とする者を、私たちは最大限の畏怖と羨望を込めて「魔法使い」と呼んでいるの」
このあたりは、まだなのはたちにも教えてはいなかったところだ。
とはいえ、別にここまではたいした問題ではない。
私たちにとって困るのは、お互いの秘奥に関して知られる事だ。
だから出来れば宝石剣の話題は避けたいのだけど……さて、上手くいくかしら。

そんな考えは決して表に出さず、仮面で本心を覆い隠す。
「魔法は過去に五つが確認され、私の知っているのはそのうちの三つだけ。
 それらもさわり程度がほとんど。具体的なところがわからないものの方が多い位だわ」
そう、不可能を可能とすることこそが魔法だ。
この人たちに可能なことだったら、それはもう魔法ではない。

ついでに、さりげなく話を第二魔法から逸らしている。
別に嘘は言っていないわよ。知っているのは「三つ」だけだもの。
それとは別にその一端を使えるのが「一つ」あるので、これは除外しても嘘にはならない。

ま、あまり意味はなさそうだけどね。
実際に使えるものがあってその存在を知っている以上、それについて聞いてこないはずがない。
もし上手くいけば儲け物だが、はじめからたいして期待していないのでダメでもともとでしかない。

当然ながら、リンディさんがそのあたりを見逃してくれるわけもなく、しっかりそこを追及してくる。
「その中であなたが使うのが「並行世界」に関わる事柄ということね。
 それだって未だ私たちにも不可能な領域ですもの、十分「魔法」の条件を満たしているわ」
リンディさんが確認するように言ってくる。はい、おっしゃるとおりです。
直接的にこの人たちの前では言ってないけど、プレシアの前ではしっかり言ってますからね。
ちゃっかり監視していたのだから、そう簡単に見逃してくれるほど甘くはない、か。

プレシアとの一戦で、私の秘奥について知られてしまった。
あの状況下ではほかに手がなかったとはいえ、私も士郎も手札をさらし過ぎたのは苦しい。
特に失敗があったわけでもないのにここまで上手くいかないと、いっそ清々しくさえある。

「なら、あなたは魔法使いということになるはずね」
これは厳密に言うと正しくはない。
私は確かに魔法に手をかけているが、その全てをモノにしているわけではないからだ。

とはいえ、これで諦めがついた。
こうしてちゃんと追求されてしまったからには、これ以上は悪あがきにすらならない。
遠坂の当主として、そんな見苦しいまねを続けるわけにはいかない。
「プレシアにも言ったけど、私に魔法は使えない。
 私にできるのは魔法の一端を再現するだけ。向こう側に、人も通れない小さな孔を開けるのが精々よ。
私の家は、五人しか確認されていない魔法使いの一人の弟子の家系なの。
宝石剣はその人から出された宿題」
一応、クロノたちの表情には理解の色がある。
つまりは「見習い」のようなものだと解釈しているのだろう。

「ちなみに、後継者となった家系はいまだに出ていないわ。少なくとも私は知らない」
とりあえず、そんな話は聞いたことがない。
爺さんの言っていたことからしても、未だ近づいた者さえろくにいないのだろう。

それにしても、もし本当にたどり着いた者が現れたらあの爺さん、一体どうするつもりなのかしら。
その場合は排除するのか、それとも大人しく隠居するのか……。
辿り着くつもりでいるけど、あれを敵に回すのは避けたいなぁ。

そんなことを考えていると、リンディさんが控え目に聞いてくる。
「できれば、あの剣をちょっと貸してほしいのだけど……」
控え目なのは、起源弾と違いこちらには回収するための大義名分がないからだろう。

リンディさんがしゃべっている最中だが、それ対する答えは一つしかない。
「嫌よ!」
リンディさんの求めを、無碍な言葉で拒絶する。
無論即答だ。いや、求めている最中に拒んだのだから、それ以前の問題か。

だって、考えるまでもないことだ。
アレは我が家の秘宝であり、魔法への足掛かりだ。
なんでそれを赤の他人に渡さなければならないのか。
渡したとして、無事に返ってくるかすらあやしい。
戻ってきたらバラバラにされていました、ではあまりにも馬鹿馬鹿しい。

だいたいアレを作るのに、一体どれだけのお金が必要だと思っているのか。
貸して欲しいならその十倍は持ってこい、というモノだ。

私の明らかな拒絶に、リンディさんはそれはもう悲しそうにしている。
「まだ、最後まで言っていないのに………」
その瞳には涙が滲んでおり、男ならさぞ慌てふためいたところだろう。
これだけの美人が泣いて頼めば、大抵のことは聞いてくれるでしょうね。

だが、私にそんなものは意味がない。
なのはみたいに人がいいなら別だが、あいにくとそんな可愛い性格はしていない。
だいたい、なんか演技臭いのよね……。

効果がなさそうなのを確認して、気を取り直したように話を進める。
ふん、やっぱり演技だったか。
「はあ、どうしても駄目かしら?
 もしかして、あなた以外が触れると呪われるとか……」
ふむ、おしいわね。
呪われはしないけど、私以外には使えないのは確かだ。
士郎も私の弟子なのだから、一応シュバインオーグの系譜ではある。
だけど、使わせてみても碌に起動させることさえできなかった。
それ故、宝石剣は私以外が持っていても何の意味もないのだ。

でも、特定の人間以外が触れると呪われるってのは悪くない。
悪くないのだが、私はあまり呪いの類は得意ではない。
強いて挙げれば「ガンド」は得意だが、あれは簡易式の呪いだ。
モノに込めたりなんてことはできない。

また、強力な呪術も持ち合わせていない。
魔術協会は、呪術は学問ではないって方針だった。
そのため魔術協会に籍を置く魔術師も、たいていはその方面に疎い。
遠坂の家も例外ではない。
おかげで、いい手段だとは思っていても、それを実行するための方法がない。
残念だけど、諦めるしかないかな。

「聞いてなかった? 私はね「嫌」と言ったのよ。
 渡すことはできるけど、私がそれをしたくないの」
私の言葉に、士郎を含めた全員が呆れたような乾いた笑みを浮かべている。
あまりにも簡潔であり、同時にわかりやすい答えなので他に反応のしようがないらしい。

「まあ、あながち間違ってもいないけどね。
 宝石剣は士郎の武装同様に、使える人間が限定されているわ。
 その資格を持っているのは、現状私と士郎だけよ」
むしろ、その基準は宝具より厳しいと言える。
だって宝具は士郎が頑張れば所有権を移譲できるが、こちらは私の正式な「魔術」の弟子にならない限り無理だ。
で、その私は弟子を取る気などさらさらない。

その性質上、仮に奪ったとしてもこの人たちには宝の持ち腐れだ。
解析しようにも、あれ自体は宝石の塊のようなものでしかない。
魔術を解さない彼らでは、そこに秘められた理論も術式も引き出すことはできないだろう。

「当然、私たちにその資格はもらえないのでしょうね」
物分かりがいいようで何よりだ。
もし仮に拝借できたとすれば、解析だけでなく、なんとか起動させようとするはず。
手にしても起動できないと知って、明らかに落胆している。

しかし、もっと強く要求されるかと思っていたのだが、思いのほか大人しく引き下がってくれた。
あまりにも素直だから、何か別の意図があるのではないかと不気味に思う。
今のところ交換条件が提示されているわけではないし、気にし過ぎなのかもしれないな。

「当たり前ね。あれは約二百年をかけて解き明かした、我が家の秘宝よ。
 一応言っておくけど、詳しいところを教える気もないわ」
まぁ、教えたからと言って理解できるとは限らない。むしろ無理だと思う。
この世界の技術の最先端をいく管理局にとってさえ「並行世界」は机上の空論の域をでない。
そのうえ、ただでさえ根底にあるものが真逆だ。魔術的に説明されて理解できるとは思えない。

「……それもがんばって、自分たちで再現するしかないということね。
 ところで、小さな孔しか開けられないということは、あなたでは並行世界に渡ることはできないということ?」
これまでのやり取りで、いくら頼んでも教えてもらえないことは分かっているのだろう。
無理に聞きだすという手もあるけど、それは避けたいらしい。
無制限に魔力を行使できる相手に、下手に喧嘩を売るのは良策とは言えない。
反動については教えていないので、消耗戦を仕掛けられる心配はなさそうだ。

このあたりは、こちらの目論見通りといえる。
士郎の武装にしても、実戦での使用に難があるとはいえエクスカリバーの威力を知っていては、下手に藪をつついて蛇どころか竜を出したくないはずだ。
他にも、この人たちが知らない宝具だってたくさんある。
少なくともアースラの戦力では、なりふり構わず全力を出した私たちを拘束するのは難しいと判断したようだ。

実を言えば、じっくり時間をかけさえすれば、拘束するのはそう難しいことではない。
私たちは、あまり長期戦に向いていないためだ。
所詮は個人にすぎないので、組織立って動かれると勝ち目がない。
休む暇を与えない持久戦になれば、確実に私たちが負ける。

宝石剣は反動の関係でそう長く使用できない。
士郎は固有結界など使ってはあっという間に魔力が枯渇してしまうので、短期決戦でしか使えない。
宝具にしても、そう何度も真名開放をしていてはすぐに魔力切れになる。
地道にゲリラ戦でもしかければ別だが、正面きっての戦闘になるとどうしても不利になる。

まぁその際にはこちらも全力で抗うので、それなりに被害を与えることになるだろう。
向こうは生け捕りが前提で、こちらはいざとなれば殺すことも辞さない。
そんなことにはならないに越したことはないので、少し安堵する。

現時点での関係の悪化は、向こうとしても避けたいらしい。
おそらく、今は聞ける範囲のことをできるだけ引き出そうというのだろう。
「そうね。大師父なら転移くらいなんてことないでしょうけど、私には無理ね。
 いつかは実現させる気でいるけど、気長にやるしかないわ」
できれば桜が生きているうちに一度向こうに戻ることができたら一番なんだけどな。
さすがに、こればかりはどうなるかはわからない。

現状、私単独での転位は無理。
移動するための方策はなくはないが、そのためには膨大な魔力を貯める装置を作らなければならない。
その上、魔力を貯める時間も必要だ。
更に言うと、たとえ準備が出来てもどこに繋がるかは完全にランダム。
せめて、行き先くらいは自力で決められないと試すこともできない。
前途は多難ということだ。

「他の魔法については何が分かっているの?
 できれば詳細を聞かせてほしいのだけど」
第二魔法については、聞いてもそれほど答えてはもらえないと考えたのか、切り口を変えて聞いてくる。

さすがに二百年前の人物が生きているとは思わないようで、そのことは聞いてこない。
実を言えば、この先遭遇する可能性は決してゼロではない。
あるいは管理局に喧嘩を売ってもおかしくない人なのだ。
その上私たちと違って、あの人だったら真っ向から管理局と戦っても勝ってしまいそうだしね。
その弟子の筋ということで、いらぬ危機感を持たれても困る。
また、説明が面倒でもあるのでそのことには触れないでおくのが無難だろう。

「時間旅行の方は想像どおりでいいと思うけど、詳しくは知らない。無の否定も同様よ。
 魂の物質化に関しては、少し知っている程度ね。
なんでも魂だけで物質界に干渉できる、高次元の存在へと進むためのものとか……」
そもそも魂の概念を知らない魔導師たちにこの話をしても、オカルトにしか聞こえないだろう。
魔導師たちは、使い魔製作の際に人造魂魄を憑依させる。
だがそれも「そういうようなモノ」でしかなく、他に表現のしようがないからだそうだ。

だから人造魂魄というのは、本当に人の手で創られたり、加工されたりした魂というわけではないらしい。
その在り方は、私たち魔術師の使役する疑似生命としての使い魔と酷似している。
魂だけの存在といわれても、一体どんな状態になるのか専門外ということもあって私にもピンとこない。
隣にいる士郎などなおさらだろう。

ちなみに、時間旅行や無の否定に関しては、以前士郎の家に居候していたバゼットから聞いたことだ。
死者の蘇生には第二の他に、このどちらかを用いることでも可能なのだと教えてくれた。
時計塔に所属して、私は一足飛びで「王冠(グランド)」にまで駆け上がった。
だが、それでもあまり魔法に関する情報は得られなかった。
その手の情報の大半は、時計塔の支配階級である「ロード」達が封鎖をかけていたせいで、多くを知ることができなかったのだ。

まあ私自身、第二魔法以外の情報は興味や関心はあっても、それほど重視していたわけでもない。
そのこともあって、手に入った情報はバゼットから聞いたのと大差ないものだ。
第三についてはバゼットも知らなかったらしく、こちらで蘇生が可能なのかは厳密に言うとわからない。

まあ、無理もないのかな。
第三は、協会でもずっと秘密にされてきた禁忌中の禁忌だもの。
封印指定の執行者は戦闘能力こそ高いが、位階は色名持ちには劣る。
バゼットも、あまりそういったことに興味なさそうだったし。
ただ、魂に関する魔法なわけだし、他の魔法は可能なのだから多分こちらでもできるのだと思う。

「それらなら、死者を蘇生できるということかしら……。
 ああ、でも物質化すべき対象がなかったら、それも無理よね」
リンディさんをはじめ、この場にいる全員が何とか理解しようとするが、進展はなかなかない。
魂なんてモノは、魔導師たちにとってもいまだ不明な点ばかりの事柄なのだから当然だ。
人造魂魄にしても、未だによくわかっていない事の方が多いらしい。
術式は確立されていても、その全てが解明できていないというのは、それだけ魂という存在が厄介なモノということだろう。

私たちとしても詳しく知っているわけではないので、助言することもできない。
できて、魂とは一般的に「内容を調べ」「器に移しかえるモノ」ということぐらいかな。
これではたいして役に立たない。
私たちの魂をこの体に定着させた桜だったら、もう少し詳しく説明できたのかな?
一応あの子の専門はそっち系だったので、私より詳しいのは確実だろう。

魂に関しては一応頭にとどめておく程度にしたのか、また別の話題を出してくる。
「これで最後の質問にするつもりだけど、いいかしら?」
質問自体は別にかまわない。
答えるかどうかは、聞いてからでも遅くない。
話したくない内容なら、話さなければいいだけだ。
尋問されているわけではないし、答える義務もないのだからそれはこちらの自由だもの。

私の沈黙を肯定ととったようで、リンディさんが最後の質問とやらをする。
「プレシア女史に対して「抑止力」とか「世界が動く」とか言っていたけど、それはどういう意味なのかしら?」
ふむ。これまでと違って、これに関してはあまり情報を出し渋る気はない。
抑止力云々に関しては、知っておいて貰った方がいいぐらいだ。
あまり派手に動き回って、抑止力が動いては管理局としては本末転倒の結果になりかねない。

アレらがどんな基準で動くのか諸説ある。
だが、明確な基準がわかっているわけではない。
何が引き金になるか分からない以上、少しくらい用心して動いた方がいいだろう。

この世界にどの程度私たちの世界の常識が通用するかはわからない。
だが魔術基盤がある以上、全く違った法則で括られているということもないはずだ。
少なくとも、ある程度共通する事柄が存在する。
なら、私たちの世界の常識を知るのは決して無駄なことではない。

「抑止とは、世界の崩壊を防ぐものよ。一応二種類にわけられるんだけど、アラヤとガイアって呼ばれるわ。
 アラヤは霊長全体の意志、ガイアは世界の意思ってところね。
極論すると、世界を滅ぼしてでも霊長を存続させるのがアラヤ。
逆に、人を滅ぼしてでも世界を存続させるのがガイアよ。
霊長と世界の内いずれかが致命的な状態に陥った場合、共倒れとなる危険性が高いの。
だから、結果的に同じ方向に向かって動くことが多いんだけどね」
ここまでが基本知識。これでもかなり簡略化しているので、いくらか説明不足な感はある。
なのはは……この段階ですでに混乱しているようだ。
まぁ時間ももったいないので、今は置き去りにしよう。

重要なのはこの先だ。
「で、ここからが本題。勘違いしないでほしいんだけど、それは人を救うというのと直結しないの。
 次元世界で滅んだ世界のうち、いくつそれに該当するかはわからない。
でも、抑止は「滅びの原因」となるモノを排除する。
そこに例外はなく、危険と判断したあらゆる存在を滅ぼすわ」
『えっ!?』
リンディさんをはじめ、クロノやエイミィさん、それにユーノもその言葉には驚愕する。
話の内容がよくわかっていなかったなのはも「滅ぼす」というあたりに反応する。
危険と判断されれば何であろうと滅びの対象になるというのは、彼らからすればあまりに乱暴と感じるだろう。

その上、この話にはさらに続きがある。
「その際の滅びは、原因だけでなく周囲の全てに及ぶことがあるわ。
滅びに直面した者を救うのではなく、滅びと無関係な人たちを救うべくその一帯を消す。
一つの世界そのものを滅ぼすなんて、一番手っ取り早い方法ね。他に世界なんていくらでもあるんだから」
複数の世界が存在する以上、一つなくなったぐらいならたいした問題ではない。
所詮、九を救うための一の犠牲でしかないからだ。
それが守護者のような直接的なものか、それとも人の意識に干渉しての間接的なものかを確かめる術はない。
だが、ジュエルシードを作った世界が滅んだ原因の可能性としては、十分にありうる。

非常に苦い表情をしていたリンディさんが、一同を代表して口を開く。
「たとえ私たちが干渉しなくても、どのみち抑止力とやらに潰されていたはず、ということね。
あなたたちの話通りなら、その場合の被害は生半可なことじゃ済まなかったでしょうけど。
 あるいは、私たちの行動も抑止力の影響を受けた可能性がある……と、そういうわけね」
その可能性はかなり高い。
並行世界の魔術師である私たちがやってきて、桁外れの魔力と才能を持つなのはがいる街。
そこにジュエルシードが落ちてくるなんてのは、出来過ぎなくらいだ。

「その可能性は高いわね。
もしそうだとしたら、いいように使われたみたいで癪だけど……。
 あなた達も気をつけなさい。あんまり派手にやってると、いつ排除されるかわからないわよ」
さっきも言ったが、抑止力の前に例外はない。
どれだけ彼らが世界を守ろうと腐心していようと、それを邪魔か危険と判断すれば抑止は動く。
管理局の在り方を考えると動くのはガイアの可能性が高いが、どっちが動いても関係ない。
アラヤの場合でも、滅びの要因に管理局が関わっていない保証などないのだ。

抑止力は絶対に勝利できるよう、抹消すべき対象を上回るように規模を変えて出現する。
故に、抑止力に抗う術はない。
一度動いてしまえば、誰にも求めることはできないのだ。

私の言っている意味がわかったのか、リンディさんたちは渋い顔をする。
自分たちが良かれと思ってすることでも、世界にそれがどう作用するかはわからない。
管理局は次元世界で手広く活動している。
その分、世界に目をつけられる可能性は高い。
今までは知らなかったようだが、彼らはいつもその危険と隣り合わせなのだ。

とはいえ、全ては結果が教えてくれる。
逆に言えば、結果が出るまではそれが正しかったのかは誰にもわからない。
ちょっと脅かしてみただけなのだが、思いのほかショックが大きかったようだ。
「ま、悩んでも仕方がないわ。実際のところがどうなのかなんて、調べる方法があるわけじゃないしね。
結果として被害は少なかったんだから、今回はこれで良しとしましょ」
言外に「これで終わり」という意味を込めて締めくくる。
確かめようもないことで悩んでも意味はない。

「待ってくれ! もう一つ聞きたいことがある」
これで終わりかと思ったが、クロノが待ったをかけてくる。
詳しいことを省いたとはいえ、これ以上特に話すことはないはずなんだけどな。

「魔術師は根源の渦とやらを目指すと言ったな。おそらくは君たちもそうなんだろう。
 君はプレシアに、根源に至ろうとする場合でも抑止力への対策が必要だと言っていた。
 それなら君たちが根源を目指すことで、抑止力が動いてしまうんじゃないのか?」
なるほど、これは確かに聞いておかなければならない。
もしそうなのだとしたら、管理局としては私たちを見過ごすことはできない。
そう何度も世界の危機を引き起こされてはたまらないのだから、クロノの危惧は当然だ。

「クロノの言うことは正しいけど、その心配はいらないわ。
 本来魔術師は、根源に至るために様々な準備をするものよ。
可能な限り世界に気づかれず、もし気づかれても抑止の影響を最小にできるようにね。
少なくとも、今回みたいな派手な結果を引き起こすようなヘマはしない」
危惧の対象が自分かそれとも世界かの違いこそあるが、多くの魔術師がその点に苦心してきた。
どうすれば世界からの干渉を最小にできるかは、根源を目指す上での最大の課題とも言える。

「今のところは特に有効な手もないし、気長にやっていくしかないわ。
 それに根源に至るだけがすべてじゃないし、直接魔法に至るのも手ね」
私はすでに魔法の一部に手が届いているのだから、これを突き詰めていくことで根源に行くのが当面の方針だ。
直接根源を目指すのではなく、魔法を手に入れることで根源に至るというのも一つの手段。
魔法とは、根源への道でもあるので、これでも至ることはできるはずだ。
これなら修正を受けないということではないけど、直接やるよりかはマシかもしれない。

どのみち、プレシアのような派手なことをするつもりはない。
自分たちの帰ってくるところくらい、ちゃんと守っておきたい。
今回、こんな危ない橋を渡ってまで守った居場所だもの。破滅と引き換えにするなんて論外だ。

クロノは一応納得したのか、浮かせていた腰を落ち着かせる。
「わかった。当面はその予定はないんだな。
君たちの方が抑止力の恐ろしさは知っているんだから、軽率なことはしないと思うし、信用もしている。
 もし根源の渦に挑むのなら、その時はこちらにも声をかけるように。
万が一に備えて、対処できる用意を整えるくらいはできるはずだ」
そういえば向こうでも、根源に至る実験の際には協会の監視がつくものだったっけ。
律儀にそれに従うかはまた別の問題だが、とりあえずそれに頷いておく。

もしそれをしようとすれば、管理局によって捕縛される可能性が高そうだけどね。
どれほど入念に準備をし、絶対確実な方策があったとしてもそれは変わらないだろう。
そんな危ないことをしようとするのを、黙って見逃してくれるとは思えない。
まあ、それも結構先の話なので今は気にしなくていい。

これで話し合いはお開きとなり、少しさめた食事に手をつけることになった。



SIDE-士郎

アースラから降りて、元の日常に戻って数日が過ぎた。
クロノからの連絡で、フェイトの今後の処遇が正式に決まったらしい。
そのため、当分は会うこともできなくなるそうだ。

これだけの事件なので、通常ならかなりの厳罰が科されることになるところらしい。
向こうの法なんて知らないし、クロノが嘘をつく理由もないのだからそういうことなのだろう。

だが、それはあくまで「通常」ならの話だ。
情状酌量の余地もあるということで、クロノをはじめ減刑のために尽力してくれることを約束してくれた。
二人だって被害者のようなモノだから、それを聞いた時には安堵のため息をついた。
もしあまりにひどい処罰を受ける様なら、無理にでも逃がしてしまおうかとさえ思ったほどだ。
その場合二人はお尋ね者になってしまうので、そうならずに済んだのは感謝すべきだろう。

さすがに、どれだけ上手くやったとしても最低数年間の保護観察は免れないらしい。
だがフェイトの境遇を鑑みれば、実刑に処される可能性はかなり低いようだ。
故に、そう悪いことにはならないという話だ。

リニスは、時々フェイト達に会いに行ったりしているらしい。
プレシアの死で気落ちしていたフェイトも、少しずつ元気を取り戻していると聞く。
本来ならできないのだが、そのあたりもリンディさんが目を瞑ってくれているそうだ。

そこで、その前に少しだけだが会えることになった。
このあたりはリンディさんたちに感謝しなくてはならない。
本来、護送中の重要参考人との面会なんて簡単にできるものではないから、相当骨を折ってくれたのだろう。

なのはとしても、何時かの申し出の答えを聞きたいはずだ。
そこで、しばし席を開けることにした。
その間に、リニスのことについて話をする。
「じゃあリニスはフェイト達について行って、管理局の方でリハビリするのか」
「そうなるね。
数年にわたって無理のある延命をしていたんだ。
いくら使い魔でも、時間をかけた専門的な治療が必要だよ」
当然と言えば当然か。
ただ眠っているだけでも相当に苦しいはずなのに、その状態でずっと念話で呼び掛け続けていたのだ。
体にたまった疲労は尋常なものではない。
こちらの使い魔について明るくない俺たちでは、ちゃんとした治療ができるはずもない。
ここは専門家に任せるのが一番か。

「そう、それじゃあ仕方がないか。
せっかく優秀な使い魔が手に入ったと思ったんだけど、しばらくはお預けね。
 フェイトのことにしても、気心の知れている相手は多い方がいいだろうし、その方がいいか。
でも、リハビリを終えて復帰できるようになったらどうするつもりなの?」
リニスはフェイトの魔法の師でもあったようで、心の支えにもなってやれるだろう。
そういう意味でも、フェイト達について行くのはいいことだと思う。
だが一応契約している身として、アルフに抱えられている山猫形態のリニスに凛が問う。

リニスはまだ体調が芳しくないようで、極力無理は避けるように言われているらしい。
今までずっと黙っていたのはそのせいだ。
だが凛の問いに応えるべく、リニスは少し苦しそうにその口を開く。
「もちろん戻ってきます。
 あなたたちには大きな、とても大きな恩があります。
私ができなかった決断を、代わりにさせてしまいました。
 その恩は、この身を以てお返しします」
プレシアを殺したのは、あらかじめ覚悟していたとはいえそうするしかない状況だったからだ。
いや、それは言い訳に過ぎない。
理由はどうあれ俺たちは一人の人間を殺し、その周囲の人たちを悲しませた。
それを「どうしようもなかった」なんて言葉で許されるはずがない。
責任というのであれば、形は違うが俺たちにもある。

それに、これはリニスの望んだ結果ではなかっただろう。
それでも、自分にできなかった決断をした凛に精一杯仕えることで、託した者の責任を果たすつもりでいる。

しかし「あなたたち」って……。なんかいつの間にか俺までその対象にされているけど、いいのだろうか?
俺、プレシアのことに関してはほとんど何も出来ていないのだけど。

まあ、こいつが戻ってきたら家族が一人増えることになるな。
昔のような大所帯になることはないと思う。
だが、こうして家族が増えていくのはあの頃のようで、少し心が弾む。


  *  *  *  *  *


もう時間が来たようで、クロノがフェイト達に別れを告げるように言っている。
リニスはともかく、裁判後のフェイトの処遇はまだ決まっていない。
だから、この先いつ会えるかわからない。
そもそもまた会ってくれるかさえ分からない。
なら、今のうちに伝えるべきことを伝えないといけない。

そう思って口を開きかけたところで、フェイトが先に言葉を発する。
「シロウ。わたしはあなたたちのことを恨んでなんかいないよ。
まだ、気持ちの整理はちゃんと付いていないけど。でも、二人には感謝してるくらいだから。
 私は、士郎のおかげでまた立ち上がることができた。
凛のおかげで、手遅れになる前に思いを伝えられた。
 間に合ったのは二人のおかげだから、これで…本当のわたしとしてやっていける」
まだ、プレシアのことを思い出すと辛いのだろう。
凛の方を見ることはせず、その笑顔はどこか苦しげだ。

だが、フェイトがこう言ってくれて少しだけ救われた。
正直、絶対に恨まれていると思っていたのだ。
凛はプレシアを殺し、俺はフェイトを欺き利用した。
どんな理由があっても、それは変わらない。
その憎しみを受け止めるのが、俺の責任だと覚悟していた。

「だから、もうそんな辛そうな顔しないで……。
 今ならわかる。シロウ、時々すごく辛そうな顔をしていたけど、そのせいだったんだね」
そう言いながら、フェイトはその白い手で俺の頬に触れる。
その顔には悲しそうな、それでいて優しい表情がある。

まったく、自分だってまだ苦しいくせに、そうやって人の心配をするのは悪い癖だ。
だが、この優しさがフェイトらしいと思う。
大丈夫。フェイトはプレシアのようにはならない。
どれほど辛くて苦しくて、やり切れないほどに悲しくても、道を踏み外すことはないだろう。
こうして他人の心配をし、現実から逃げず、悲しいこと以外にも目を向けられるのなら、フェイトはちゃんとやっていける。

それにしても……
「……気づいて、いたのか」
ずっと罪の意識を感じていたけど、顔には出していないつもりだった。
だから、少しばかり驚いた。
まだまだ俺は未熟であり、それだけフェイトの前で地が出ていたということなのだろう。
そんなことに気を遣わせてしまっていたようで、また違った意味で申し訳なくなる。

フェイトは俺の頬から手を離し、その手を差し出してくる。
「ねぇ、お願いがあるんだ。
 なのはと同じように、これからもわたしの友達でいてくれないかな」
躊躇いがちに紡がれるのは、以前と同じ関係を求めるささやかな願い。
本来なら破綻していて当然の関係を、フェイトは望んでくれている。

その資格が、俺にあるかはわからない。
だが、それでもフェイトがそれを求めてくれるのなら、俺はその思いに応えたい。
だから、返す言葉なんて一つしかない。
「ああ、もちろんだ。何があろうと、俺はフェイトの友達だ。
 いつでも、どんな時でも助けになることを約束する」
フェイトの手を取り、心からの約束をする。
償いとしてではなく、純粋に友人としての誓い。
俺の言葉に、久しく見ていなかったフェイトの混じり気のない純粋な笑みがこぼれる。
こうしてまた笑ってくれることに、心から感謝する。

せっかくなので、ポケットからあるものを取り出す。
こいつは、アースラを降りてからの数日で作った品だ。
アースラがこの地を離れる前に、クロノにでも頼んで渡してもらおうと思っていた。
こうして渡す機会があるのだから、やはり自分の手で渡すべきだ。
「フェイト。たいしたものじゃないんだが、これを貰ってくれないか」
そう言って、フェイトの右手を取って握りこませるようにして渡す。

手渡したのは、剣の形をしたペンダント。
剣の属性を持つ俺が作った、純銀製の剣のアクセサリーだ。
魔術的な処置を施しているので、それほど強くはないが対魔力の効果がある。
元来、銀は魔術的な意味合いの強い金属だ。少し加工するだけでもある程度の力を帯びる。
それを俺の属性に合致する形状にし、その上で魔術的な加工をしたことで結構な代物になったと思う。

俺たちのランクに換算してDくらい。
魔力避けのアミュレット程度か、それよりやや上といったところだ。
それでも、持っていれば多少は魔力によるダメージを削減してくれる。
ロンドンでの修業時代には、剣の他にもこんなものを凛によく作らされた。
もちろん売って、資金調達するために。これが結構いい値で売れるんだ。

これは顔も知らない誰かのためのものではなく、フェイトのためだけに作った贈り物。
もう会うことはないのではないかと思っていたので、思い出の品として作った。
だが、どうやら友好の品になりそうだ。

「これって、シロウが最後に使っていた剣と同じもの?」
ジュエルシードの後始末で、エクスカリバーの姿は見られている。
フェイトもその映像は見ていたのか、手に取ったペンダントを見て聞いてくる。

これが後に、フェイトの最大攻撃魔法のヒントになるのだから、世の中何がどう作用するか分からない。
使う瞬間は誰も見ていないが、あの時の剣で極光を放ったのは疑いようがない。
それを参考にしたらしい。

まぁ、規模や質は違うが見た目は似ている。
光り輝く剣を振り抜くと同時に、金色の光が敵を薙ぎ払うところなんてそっくりだ。
なので、それを聞いた時は「なるほど」と納得した。

本質のところは違っても、誰かが自分の大切なものを受け継いでくれるのは嬉しいモノ。
俺の魔術は特殊過ぎるから、そんな経験はしないだろうと思っていた。
それは、ある種の諦めに近かっただろう。
だが、俺はこの約半年後にその喜びを実感する事となる。

「ああ、エクスカリバーをイメージしている。
 少しぐらいなら魔力を防ぐ力があるから「御守り」とでも思って持っていてくれると、ありがたい」
この先フェイトがどんな道を歩いて行くにせよ、彼女を守ってくれるようにと願って作った品だ。
今までが苦しかった分、それに見合った幸せを手にしてほしい。
そのための道を斬り開いてくれるように、という願いも込めている。

渡された品を持つ手の甲にもう片方の手を被せ、胸元で大切そうに握る。
「………うん、ありがとう。ずっと、大切にするから」
フェイトは顔を赤くして、優しく微笑みながらお礼を言ってくれる。
その眼尻には、涙の雫が光っている。
ここまで喜んでもらえるなら、作ったかいがあったというものだ。

ただ、背中にとんでもない悪寒が走っているのはなぜなのか。
背中に突き刺さるのは、鋭くも不機嫌さに満ちた視線。
なのはは俺の横にいるから、この視線は凛以外にあり得ない。
なんでそんなに殺気立っているのだろう。
この様子だと俺が原因のようだが……。

むぅ。黙ってフェイトにプレゼントを用意したのが、そんなに気にくわないのだろうか。
凛にも協力してもらおうと思ったが、やはり自分の手で仕上げたかったので、それはしなかった。
結果的に除け者にしたようなモノだし、あとでちゃんと謝るべきだろう。


その上、このすぐ後に追い打ちをかけるような事態が起こった。
その点も含めて後で謝ったが、案の定ボコボコに殴られました。
それもベアもベア、グリズリー級のベアで……。
顔が原形を留めていたのは、奇跡としか言いようがない。
無論、凛の拳は俺の血に染まっていた。
いや、拳だけじゃなくて肘や膝も真っ赤だったけどさ。
あの拳の紅さが忘れられない。

まあ、後の方はわからんでもない。理不尽だとは思うが、諦めはつく。
だが、このプレゼントに関しては全く納得がいかない。
俺に女心なんてモノがわかるわけがないのは、情けない話だが自覚している。
そこで、腹を立てている理由を問うと……
「ああもう!! その鈍さがハラ立つわね!!!」
なんて言って怒鳴られた。
もちろん、素敵に鋭くも重い拳とセットで。

その後しばらく、口をきいてくれなかったもんなぁ。
仕方なくなのはたちに相談したら、何とも言えない微妙な表情をして口を閉ざしてしまった。
なんでさ………。


  *  *  *  *  *


別れも近づいてきた。

ゲートが現れ光を放つ。
当分会えないのはさびしいが、これで最後ではない。
また会えると信じて、笑って送り出してやろう。
「そうだ、シロウ。最後に、一つだけ聞いて欲しいんだ」
ゲートが開こうとしているところで、フェイトが話しかけてくる。

はて、まだ何か言っておかなければならないことでもあるのだろうか?
十分とはいえないまでも、それなりに時間はあったから結構話せたはずだ。
フェイトはさっきよりもさらに顔を赤くして、深呼吸をしている。

このままでは話す前に転移してしまうのではないかと危惧しているところで、フェイトが駆けだす。
『え!?』
フェイトの突然の行動に、全員が呆気に取られる。
まさか、このまま管理局から逃げるつもりじゃないだろうな。

確かに、しばらくは不自由な思いをするだろう。
しかし、それもよほどのミスを犯さなければ一時的なもののはずだ。
ここで管理局から逃亡すれば、それだけでお尋ね者になってしまう。
わざわざそんなリスクを背負う意味も理由もわからない。

だが、これは俺の勘違いだった。
フェイトは逃げるつもりなどなかった。
冷静に考えれば、この娘がそんなバカなマネをするはずがない。
駆けだした本当の目的は、俺にあったのだ。

俺のすぐ前まで駆け寄ってきたフェイトはそこで立ち止まり、紅潮した顔を近づける。
少し背伸びをしながら、俺の唇にその小さな唇をそっと合わせる。
まあ、早い話がキスをしたということだ。

時間にして一秒にも満たない、触れるだけの軽いキス。
唇を離したフェイトは、スグに一歩下がる。
そのまま、澄んだルビーを思わせるその紅い瞳で俺を見つめる。
そして、これ以上ない程顔を真っ赤にしながら、小声で……
「ふふ、キスしちゃった……」
と、呟いた。
その声は今まで聞いたことがない位に嬉しそうであり、同時に強い決意を感じさせる。
ところで、なんだか既視感が……。

そこで凛が、らしくもない絶叫を上げる。
「あ…あ゛あ゛ぁ~~~~~!!??」
遠坂の家訓も何も全てを忘れ去った絶叫は、むなしく空に消えていく。
今まで静かだったのは、フェイトの突然の行動に驚いていたからだろう。
これで案外、不意打ちに弱い奴だ。
こういう突発的な事態には、結構反応が遅れる。

凛の魂の底からの叫びを聞いて、やっとさっきの既視感の正体に気付く。
ああ、そうだ。これ昔、凛にいきなりキスされた時に言われたセリフと酷似している。
とすると、凛の反応はフェイトの行動と発言、どっちに対するものなのだろう?
なんて、ものすごくどうでもいいことを考えて現実逃避する。
この後に待ち受けていることを考えると、この場で意識を断ってしてしまいたい。

横目で見ると、他の連中も目を剥いて唖然としている。
フェイトの思わぬ大胆行動に驚いているのだろう。
フェイトを知る者なら、これは彼女らしくないと思って当然だ。

フェイトはその場で、はしたなくも大口を開ける凛の方を向く。
もう優雅も何もあったモノじゃないな、あれは。
そして、フェイトは素晴らしく綺麗な満面の笑みで宣戦布告する。
「わたし、負けないよ。
 いつか絶対に、シロウを振り向かせて見せるから」
何というか、ずいぶんとたくましくなったなぁ。
プレシアに出生の秘密を暴露された時の憔悴ぶりが、嘘のようだ。
俺の方は突然のことに対応できず、木偶のように突っ立っていることしかできないでいる。

宣言と共にフェイトは軽やかな足取りでゲートへと戻り、そこで改めて言葉を紡ぐ。
「シロウ――――あなたのことが、大好きです」
フェイトはその言葉が終わると同時に、光に包まれて消えてしまった。
まさか、別れ際にキスと告白の両方を同時にされるとは思わなかった。

正直、告白されるというのには慣れていない。
前の世界にいた時から、誰かに告白された経験など皆無だ。
俺は、一体どうすればいいのだろう?
フェイトはすでにこの場にいないのだから、返事をすることもできない。

ああ、考えてみれば凛以外にキスされるというのも初めてか。
今思えば、凛とは少し感触が違ったなぁ。
上手く言葉にできないが、ハリや弾力にわずかな違いがある。
今もその余韻は唇に残っており、思わずそこに触れる。

ロリコンの気はないつもりだが、さすがにこれは照れくさい。
しかし、いつまでも照れていることはできなかった。
凛の方からは凄まじい負の気配と、そら恐ろしい呟きが聞こえる。
「ふ~ん、そうなんだぁ。衛宮君てば、そうだったんだ……」
口調は穏やかなのに、何でこんなに怖いんだ。
呟きの内容だって、特に危険な単語があるわけではない。
恐ろしさを感じる要因なんてどこにもないはずなのに、聞いているだけで足は竦み背中に冷や汗が伝う。
背筋に走る悪寒は、さっきまでのとは比べ物にならないほどに冷たい。
背骨に液体窒素でも注がれたような気分だ。
この場は大丈夫だろうが、家に帰ったら折檻という名のリンチにあうのは確実だ。

できれば今すぐに逃げたいのだが……
「さて、別れも済んだことだし、私たちも帰りましょう。
 ああ、なのは。悪いけど、私と衛宮君はこのまま家に帰るわ。急用を思いついたの」
いつの間にかいつもの調子に戻った凛が、なのはたちに告げる。
しかし実ににこやかな顔で話してはいるが、身に纏う雰囲気は普段とはあまりに異質だ。
なんか、やたらと禍々しい王気(オーラ)が迸っている。

ああ、体の震えが止まらない……。
なのはやユーノも産まれたての小鹿のように震えている。
すでに俺は襟をつかまれ、脱出は不可能。
助けを求める視線を向けるが、誰も合わせてくれない。
……友情って、儚いものだな。

はあ、よくよく考えれば、なのはたちをこんな理不尽に巻き込んでしまうのは可哀そうか。
あまり気に病まないように、内心とは裏腹に朗らかに別れを告げる。
「じゃあななのは、それにユーノ。………生きていたらまた会おう」
最後の一言は、思わず言ってしまった率直な感想だ。
心のどこかで、まだ助けを求めているのかな?

言っているそばから、俺は引き摺られて行く。
明日には学校もあるのだが、はたして俺は無事登校できるのだろうか。
いや、それ以前に本当に俺は明日の朝日を拝めるのかな。

というか、なのはとユーノ。
何だ? その「この魂に憐れみを(キリエ・エレイソン)」って……。
それ確か、聖堂教会の連中が使う最大の対霊魔術だろう。
凛も一応キリスト教徒だったからそれも使えたはずだけど、習ったのか?
つまり俺はすでに迷える魂で、さっさと昇華(成仏)しろと言いたいのか?

二人に迷惑をかけまいと思ったが…………気が変わった。
一言文句を……いや、いっそ道連れにしようと思い手を伸ばす。

だが、時すでに遅くその手はむなしく空を掴む。
二人は、変わらず同情するような視線を俺に向けている。
傍から見たら、助けを求めているようだからな。
俺が手を伸ばしている意味を勘違いしているのだろう。

「ほら、急ぎなさい。衛宮君」
「……ま、待て! し、絞まる……首、が………」
というか、そんなことを考えている場合ではない。
今まさに窒息しそうだ。だ、誰か助けて……。

引き摺られ酸欠から徐々に薄れゆく意識の中、蒼い空を見上げて俺は思った。
(ああリニス、早く戻ってきてくれ。そうしたら俺の苦労も、きっと減るはずだ)
少なくとも、いさめる人間の有無は俺の精神衛生上、とても大きな意味を持つ。
気休めでもいいんだ。少しでも何とかしようとするその姿勢に、俺の心は救われるから。


ある日、幽霊屋敷と名高い洋館から断末魔の悲鳴が聞こえたとかで、学校で話題になる。
ある者は自殺した貴族の幽霊だと言い、ある者はその洋館で猟奇殺人が起こったからだと語る。
情報は錯綜し、真実に迫ることは誰にもできなかった。

真相を知る者がいないわけではない。
しかし、それを知る唯一の少女は話を聞ける状態ではなかった。
彼女はその話題が出る度に怯え錯乱してしまい、誰もが奇異に思いつつも介抱するに留まったからだ。
その際に彼女は「あくま~! あくまが来るよ~~!!」と泣き叫んでいたそうな。

だが、俺がそれを知るのは一週間後のことだった。



第一部 了



Interlude

SIDE-リンディ

私は今アースラの自室にて、報告書を作成している。
それは一連のジュエルシードをめぐる、プレシア・テスタロッサ事件のものではない。
そちらはクロノやエイミィも手伝ってもらい、すでに大方は仕上げている。
それとは別に、件の預言に関する報告書を作成しているところだ。

今回の事件で関わった二人の魔術師「遠坂凛」と「衛宮士郎」。
この二人が、預言に出てくる「紅き稀人」であると思われる旨を報告するものだ。
未だに不可解な部分は多いが、それでも凛さんが「原初の探究者」である可能性は非常に高い。
彼女の持つ宝石剣、その能力は「並行世界へ穴を穿つ」というモノ。
その能力を用いることで、無限に連なる並行世界から魔力をくみ上げ運用できる。
てっきり比喩表現だと思っていた「無限」が、事実だったことは驚きだ。
だが、そうでもなければ預言の「王」に対抗できないのかもしれない。

凛さんとの契約は「魔術とそれに関わるモノの存在を公表しない」というものだ。
これはあくまでも管理局内部での報告でしかなく、ちゃんと封鎖をかければ表に出てくることはまずない。
なので、とりあえずは契約に抵触しない。
凛さんの方でも、虚偽の報告ができるとは思っていないようで、それ自体は禁じなかった。

できれば預言のことを伝え協力を仰ぎたかったが、多分今の段階でそれをしても受けてはくれなかっただろう。
あんな能力を持っていては仕方がないが、彼女は組織と関わるのを極端に忌避している。
士郎君のことも、可能な限り隠し通そうと色々手を打っていた。

「異端の騎士」であろうと思われる士郎君の能力は、まだあまり分かっていない。
その状態で申し出ても、何かしらの言い訳を出して否定しようとするだろう。
実際、こちらにはまだ絶対にそうだと言える材料が不足している。

もしかすると、本当に違う可能性だって否定できない。
確実に協力してもらうには、言い逃れのできないほどの確証を突き付けるしかない。
士郎君のことが不明確な段階では、それは無理だ。
なんとかして「虚構の剣」と「世界を侵す」の意味を解き明かさなければならない。

それに密かに調査してわかったことだが、あの二人は存在があまりに希薄だ。
海鳴に現れるまでの足跡が、全く追えない。
それだけ念入りに過去を消し去ったのか…いや、それでもここまで完全に消しきれるものではない。
だとすると、別の……。

この推測が正しければ、最悪の場合管理局は二人の行方を完全に見失い、二度と接触できなくなる。
それだけは避けなければならない。
監視も避けるべきだ。
そう簡単に、同じ手に二度もかかってくれる子たちではない。
迂闊なことをしてそれに気付かれれば、本当に関係が断絶するかもしれない。

彼女たちはまず嘘をつかない。
苦し紛れの嘘は、逆に自分たちの首を絞めると知っているのだ。
だから事実のみを限定的に話すことで、与えられた情報からこちらに憶測させ、真実から遠ざけようとする。
下手な嘘はその憶測の道を消し、真実に近づかれる危険が増す。
そのため二人は、嘘をつくのではなく「重要なことを言わない」ようにしている。

だが、本当にそれしかないのなら嘘もつくだろう。
私の推測通りなら、凛さんは嘘をついたことになるし、それなら辻褄の合うことが多い。
士郎君を他所の魔術師だと思わせようとしたのも、存在を隠すのとは別に、外部に目を向けさせるのが目的の可能性がある。

または、彼女が「大師父」と呼ぶ人物が関与している可能性もある。
二百年も前の人物が生きているはずはないが、これまで何度も私たちの常識を覆すようなものを二人は見せてきた。
あまり常識というモノに捕らわれ過ぎては、重大な勘違いをするかもしれない。
それに、彼女は一言も「死んでいる」とは言っていない。
ならば、十分に可能性はある。

幸いにも、今のところ二人が姿を消す心配はなさそうだ。
少なくともこちらからの報酬を受け取り、リニスが戻るまで彼女たちとの繋がりは保たれる。
理由はわからない。
だが、もし逃げる気だったのなら、事件の最中か解決してスグにでもそうしているはずだ。
準備に時間がかかるのか、それとも別の条件があるのかもしれない。

さしあたって見失う心配がないのなら、焦ることはない。
預言の発現までどれくらい猶予があるかはわからない。
しかし、すぐにでもそれが発現しない限りは、少しずつ外堀を埋めつつ、言い逃れできない材料を集めていけばいい。
スグにでもそれが起こるのなら、できれば避けたいが強硬手段に出るしかない。
とりあえず、二人の居所さえ分かっていればまだ何とかなる。

あの預言が発現するようなら、二人にとっても他人事ではすまない。
次元世界全体が危機に陥るかもしれない以上、スグに逃げることができないのならば、巻き込まれる危険は十分にある。
非道い話だが、それならば内心はどうあれ協力してくれるはずだ。

重要なのは、最有力候補である二人の居所を把握した上で、預言の対象であるという確信を得ること。
世界を守るためにも、ミスは許されない。
万全を期すためにも、今は一度本局に戻って報告し、他の部署からの協力も取り付けるのが先決だ。
まずは気心の知れたレティや、信頼のおける人物であり、局の内外に大きな影響力を持つグレアム提督に今回のことを説明しよう。
二人ならフェイトさんのことも含めて、色々便宜を図ってくれるはずだ。

「こんなはずじゃなかった」ことばかりの世界だけど、何としてでも守って見せよう。

Interlude out





あとがき

ああ、やっと無印が終わりました。
かつてない達成感に満たされています。
三日坊主が基本の私が、よく最後までやりきったと思います。
自画自賛していて馬鹿みたいですけどね。

また、ここまでこのような拙作お付き合いくださった読者の皆さまには、感謝の言葉もありません。
万感の感謝をこめて、ありがとうございました!!

それと、大変勝手ながらしばらくの間休載させて頂きます。
A’sは改めて構想を練っていかなければなりませんし、実生活が就職に向けて忙しくなるので、当分執筆にはあまり力を入れられなくなります。
できれば半年以内、遅くとも今年中には再開したいと思っています。
もちろん暇を見つけて、気分転換も兼ねて執筆するつもりではいます。
ですが、本格的に再開するのはそれくらい先になるでしょう。
当面は外伝中心に細々書いていくつもりなので、そういう意味でも第二部であるA’s突入は随分先になります。
続きを楽しみにしてくださっている皆様には、大変申し訳ないと思います。
ですが、ご理解のほどお願いいたします。

最後のフェイトの行動は、前話での凛が原因です。
凛に対抗しようと思えば、あれぐらいは必要でしょう。
初めは頬にするつもりだったのですが、なんだか中途半端な気がしたのでこちらにしました。
まだディープをする勇気はないでしょうし、そもそも知っているんですかね?
少なくとも、私があのくらいの頃は知りませんでした。


さて、少しでも早く再開できるように頑張っていくつもりです。
その時が来たら、また応援して下さるとうれしいです。
それでは、この場はこれにて失礼いたします。



[4610] 外伝その2「魔女の館」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2009/11/29 00:24

SIDE-なのは

フェイトちゃんとお別れしてから二週間。

最近になって、凛ちゃんや士郎君もわたしと一緒に本格的に魔法の勉強をしている。
これまで戦うための魔法が中心だったので、わたしも基礎から勉強し直している状態。
ほとんど感覚で魔法を組んでいるようなものだったので、これがなかなか新鮮なわけで……。

先生はもちろんユーノ君。
凛ちゃんや士郎君は魔術ならともかく、魔法に関してはわたし同様素人なので一緒に教わっている。
まぁ凛ちゃんはともかく、士郎君は適性のある魔法体系が違うらしいので、クロノ君に送ってもらった教本とにらめっこしていることが多いのだけど……。
ユーノ君もベルカ式というのは詳しくないようで、あまり力になれないのを申し訳なさそうにしている。
そのため、士郎君の魔法の勉強はなかなかはかどらないみたい。

凛ちゃんに言わせると「才能の欠片も無いのが一番の原因」ということになるのだけど。
あの遠慮のなさは本当にすごいと思う。
士郎君は士郎君で「ないならないでやりようはあるさ」と言って、あまり気にしていないようだった。
あの二人の間では、あの程度のやり取りはもう当たり前みたい。
もしかすると、本当に仲がいいというのはああいう風なことを言うのかもしれない。

そんな士郎君と違い、凛ちゃんはユーノ君も驚くほどのスピードで新しい魔法を習得している。
魔術と魔法の違いはあるし魔力の質も違うらしいけど、そんなことは関係ないと言わんばかりだ。
ユーノ君が言うにはわたしも人のことを言えないらしいけど、その才能には驚かされる。

凛ちゃんは基本的に、魔術であまり充実していないサポート系の魔法に力を入れている。
魔術だからこそできること、魔法だからこそできることがあるようで、両方の良いとこ取りを目指していると聞いた。
攻撃の方は魔術だけで十分と考えているみたい。
特別魔力に恵まれているわけじゃないから、消費の大きい大威力攻撃の適性は低いらしい。
そのせいか、あまり攻撃魔法の練習には積極的ではないみたい。

なんでも、適性の低い技術に力を入れるだけ無駄なんだとか。
良くわからないけど、そういうものなのかな?
わたしなんかは、苦手なところはちゃんと克服した方がいいと思うんだけど。
克服できるモノとそうでないモノがあって、これは基本的に後者の方らしい。

ただ、例外的にその弱点を補えるわたしの収束砲には興味があるみたい。
師匠権限ということで、半ば脅迫されるような形で教えることになった。
まだわたしが教えた基本形を習得する段階ですけど、いずれは自分なりにアレンジすると言っている。
凛ちゃんなら簡単に出来てしまいそうだから、不思議だなぁ。

でも、あの笑顔で要求するのはやめてほしい。
すずかちゃんみたいに目が笑っていないってわけじゃないんだけど、言葉にできない迫力があるんだもの。


ところで、二人の魔力光を知るのはわたしにとって一つの楽しみだった。
わたしなりに予想していたので、それが当たっているかどうかはやはり興味がある。
凛ちゃんも士郎君も、なんとなくイメージ的に「赤」っぽいと思っていたのだけど、それは大当たり。
士郎君の魔力光は「赤銅」っていう赤っぽい色だったので、一応予想通り。

凛ちゃんも、まさにイメージ通りではあったのですが、ある意味それ以上だった。
凛ちゃんの魔力光は「赤色」。
でも、それは私が想像していたものよりもずっと深くて鮮やかな赤。
これをただ「赤」と表現していいのか、今でもわからない。

ううん。わたしがその瞬間に思ったのは、本当はそんなことじゃない。
失礼だと思うし、多分言ったら怒られると思う。
でも凛ちゃんの魔力光を見たとき、わたしは思ったんだ。
「まるで、血の色みたい」と。
こんなことは絶対に言えないので、ユーノ君にも言っていない。

ちなみに、もう一つの可能性として考えていたのが「虹色」。
凛ちゃんの魔術師としての属性が「五大元素複合属性」っていうなんでもありみたいな属性らしいので「ありそうかな」と思ったんだけど違った。
こう何でもできるから、あらゆる色を内包する魔力光っていうのはすごく似合っていると思ったんだけどなぁ。
もしそっちだったら、それはそれで面白そうだったんだけどね。
それにもしそっちだったら、あんなことは思わなかったのに……。

ただ、これは士郎君の勉強するベルカ式では特別な色なんだとか。
なんでも、大昔の次元世界の王様のお家独特の魔力光らしい。
今では次元世界の宗教にもなっているそうで、それが出たら大事件になっていたかもしれないそうだ。
そんな大事にならなかったことを考えれば、これでよかったのだと思う。

まあ、凛ちゃんに言わせると……
「世の中に一体どれだけの人間がいると思ってるのよ?
 地球だけでも何十億よ。次元世界全体だったら数えるのも馬鹿馬鹿しいわ。
 全員が魔導師ってわけじゃないけど、それでも相当な数になるのは間違いないわよ。
それだけいれば、同じ魔力光を持った人間なんて見つけるのにそう苦労はしないわ。
 それがどれだけ珍しいって言っても、あり得ないってことはないでしょ」
ということになるみたい。

かなり乱暴な気はする。でも、納得かな?
世の中には同じ顔の人が三人はいるって言うし、同じ魔力光の人がいたって何も不思議なことはない。
今までそのお家の人しか確認されなかったかもしれないけど、だからといって他に出てこないとは限らない。
凄く珍しい魔力光の人が突然現れることもあると思う。

まあそんな感じで、わたしの好奇心は一応満たされたのだった。
今は学校の勉強とは別に、三人でみんなには秘密の魔法の勉強をしている。


これは、わたしたちが穏やかな日常を取り戻してすぐのある日のことだった。



外伝その2「魔女の館」



SIDE-凛

ああ、気分悪い………。

今の私の状態を一言で表すなら、これに尽きる。
原因はわかっている。
私の左腕に刻まれた魔術刻印だ。

これを刻むというのは、ある意味他人の臓器を移植するようなモノ。
今私を苛んでいるのは、一種の拒絶反応だ。
何百年もかけて血統操作しているような家系でもないし、これは避けられない。

もうどれくらい気分が悪いかというと、女性特有の「あの日」が微熱があるかないかというレベルの風邪なのに対し、こちらは40度の高熱がある状態だ。あるいはインフルエンザだろうか。
元は人形なので、オリジナルの私の体と比べると刻印との適合率が少なからず下がっているのだと思う。

魂を定着させると、体がそれの影響を受けるのでほとんど元の体と変わらない状態になる。
だがそれはあくまで「ほとんど」でしかなく、完全に同じ状態になるにはしばらくかかるのだろう。
あるいは、完全には無理かもしれない。
その上世界からの修正を受けて若返ったのだから、それがより顕著に表れても不思議じゃない。

だからといって、そんな理由で学校を休むのは遠坂の家訓と私のプライドの両方から許されない。
そこで、心配そうにしている士郎を無理矢理説得(脅迫)して今日も元気に登校したのだ。

とはいえ、出来る限り外面は整えているが、ちょっと気を抜くとボロが出そうだ。
おかげで登校してから今まで、気が休まることがない。

しかし、今さっきHRも終わったのでやっと帰ることができる。
今は士郎が隣の教室から出てくるのを待っている状態だ。
アイツさえ出てくれば、家に戻ってゆっくり休むことができる。
それまでの辛抱だ。

そう思っていたのに、今少々厄介な奴に捕まっている。
どうしてこう勘が良いのかしらね、この娘は。
「ねえ、凛ちゃん。
 なんだか具合が悪そうだけど、本当に大丈夫?」
心配そうな声で聞いてくるのは、私の友人兼弟子の高町なのは。
残りの友人二人は、今日は塾とは別の習い事があるので先に帰宅している。

本来なら、この後は三人で魔法の練習兼勉強という予定だった。
だが私の状態が芳しくないので、今日は別の予定が入ったということにして休息を取ることになっている。
別に私がそう提案したわけではなく、士郎がいつの間にか勝手に話をつけていたのだ。

私のことを心配してのことだろうし、別に悪い気はしない。
だが、それの何が気になったのか、なのはがしきりに私の様子を気にかけるようになった。
いや、この様子だと初めから私の様子がおかしい事に気が付いていたのだろう。

外面は完璧だったはずだ。
少なくとも、すずかやアリサは不審に思っていなかった。
あの子たちも大概お節介だから、気が付いていたならなのはと同じ反応をしていたのは間違いない。
この子は、一体どこに異変を見つけたのだろう。
心底不思議でならない。

フェイトの時もそうだったが、なのはのこういうところで発揮される勘は異常に鋭い。
観察力あるいは洞察力が優れているのは良い事だが、今の私にとっては悪いが迷惑でしかない。

とはいえ、変に嘘をついてもこの子の確信を覆せそうにはない。
諦めて、少しだけ白状することにしよう。そうしないと納得しそうにない。
「はあ。確かにちょっと調子は悪いですど、そんな気にするほどじゃありませんよ。
 まっすぐ家に帰って、あとはゆっくり休むから心配いりません。」
一応学校なので、誰が聞いているともわからない。
相手はなのはだが、念のためいつもどおり猫を被っておく。

それに、これは本当のことだ。
状態については少し嘘をついているが、これはそう長引くものじゃない。
今は偶々周期が合わなくなっているが、それも明日には治せる。

私の言葉に一応納得がいったのか、少し疑わしそうな眼をしつつも頷く。
「う~ん、ならいいけど。
 まあ、士郎君もすぐに出てくるだろうし、それなら大丈夫かな?」
それは、私よりも士郎の方が信用できるということかしら?
もしそうなら、甚だしく心外だ。
私が何度アイツの無茶に付き合わされ、そのたびにどれだけ苦労させられたか教えてやりたい。

教えてやりたいが、それを話すと私たちの秘密にも触れてしまう。
別になのはを信用していないわけではないし、この子なら知ったところで驚くだけで済むだろう。
その程度にはこの子を知っているつもりだ。

だが、情報なんてどこから漏れるか分からない。
その危険は少しでも減らしたいし、知らせなきゃいけないわけでもないのだから、わざわざ話す事でもない。
「その反応にはいろいろ聞きたいこともありますが、今回はいいでしょう。
 運が良かったですね、高町さん」
にっこりと微笑みかけてやると、なのはの顔が一気に真っ青になる。
私の言わんとしていることがわかったのだろう。
「後でしっかり追及するから、覚悟しなさい」という意味を込めて言ったのだが、しっかり伝わったみたいね。

何事も上下関係というのは大事だ。
私たちは友達だが、同時に師弟でもある。
そのあたりを再確認させてやるとしよう。

「えっと、凛ちゃん……。
 う、うん、わたしの勘違いだったみたい。凛ちゃんはとっっっっても元気だよ!」
慌てて何か言っているが、もう聞く耳持たない。
なのはの言うことは一切無視し、士郎が出てくるのを待つことにする。

聞こえてくる中の様子だともうそろそろ終わりそうだし、さっさと帰ることにしよう。
後日の楽しみもできたことだし、今日は英気を養うのに費やすべきだ。



SIDE-なのは

ふえ~ん……。
何故だかわからないけど、とっても凛ちゃんの機嫌を悪くしちゃったみたいだよぉ。

いけない!
このままだと、またあの地獄のような特訓が再開されるかもしれない。
あの時は自分から望んでやってもらったのだけど、しばらくして心底後悔した。

大急ぎで強くならなくちゃならなかったから、あれは仕方ないと思う。
だけど、それでも少しくらい加減してもらえばよかった。今はそう確信している。
いま思い出すだけでも背筋に悪寒が走って、体が震える。
アレは完全にトラウマだよぉ。

士郎君も以前凛ちゃんの指導を受けたらしいし、きっとわたしのこの気持ちを理解してくれるはず。
士郎君が一週間休んでから学校に来るようになって、学校で流れている噂に反応するわたしを見た時の表情が、それを確信させる。
だって、あんなに目に涙をためて優しい微笑みをしていたんだもの。
間違いなく、士郎君も同じような体験をしたんだ。

『えっと……なのは、大丈夫?』
わたしの肩のユーノ君が心配そうに聞いてくる。
ありがとう、ユーノ君。心配してくれて。
こうして支えてくれる人がいるから、わたしはあの恐怖と戦えるんだよ。

心の中でお礼を言って、念話で答える。
『うん、まぁ大丈夫だよ。
ユーノ君頼りになるから、何も心配いらないしね』
『え!? べ、別に僕はそんな大層なことは……』
なんだか照れているみたいだけど、これは紛れもないわたしの本心。
凛ちゃんはわたしを導いてくれていたけど、それと同じようにユーノ君はいつも支えてくれた。

凛ちゃんに士郎君がいるみたいに、わたしにはユーノ君がいてくれる。
どんな時も前を向いて戦えたのは、いつでも背中を守って押してくれる人がいたからだ。
わたしたちもいつか、凛ちゃんたちみたいに言い合えるようになれるかな?

あんな風に、皮肉って言うのかな? を言いあえるようになりたいとは思わない。
というか、さすがにあれはわたしには無理そうだしね。
でも、あんな感じに何があっても揺るがない信頼関係を築けたら、それはとっても素敵だと思う。
それはユーノ君に限らず、フェイトちゃんだったり凛ちゃんたちだったり、わたしの大好きなみんなと。

『ところで、なのは。
 いつも魔法の練習をする方向とは違うみたいだけど、どこに行くの?』
ああ、そっか。
まだユーノ君には、今日の目的地を言ってなかったっけ。

『うん、今日はね凛ちゃんたちのお家に行ってみようと思うんだ』
そう、もう友達になって結構経つのに、わたしはまだ一度も二人のお家には行ったことがない。
だから凛ちゃんのお見舞いのついでに、ちょっとお邪魔してみることにしたのです。
一応さっき士郎君には了解を取ってあるので、問題はないはず。

『あ、そうなんだ。
 確かに凛たちの家が幽霊屋敷って呼ばれている以外、あんまりどういうところなのか知らないよね』
凛ちゃんたちのお家にそんな噂があるのは知っている。
それをより強くしたのが、フェイトちゃんとのお別れをした日の夜に響いたと言われる断末魔。

たぶん、いや間違いなくその原因はあの二人だろう。
士郎君、一週間で学校に来られるようになって本当によかったなぁ。
あの時は、もう会えないかと思ったもの。

『それにね、ちょうどいいから改めてお願いしたいこともあるんだ』
『お願いしたいこと?』
そう、前々から考えていたことなんだけど、あの時は大変でそれどころじゃなかった。
でも、一通りのことに決着がついた今ならいけると思う。
ふふふ、そう簡単には諦めないからね。

『うん。まあ、それは着いてからのお楽しみってことで……』
今言ってもいいんだけど、どうせなら一緒に驚いて欲しいしね。

『別にいいけど。
僕も凛たちの家っていうのには興味あるし、それはそれで楽しみかな』
ユーノ君は少し首を傾げているけど、私と同じ様に二人のお家には興味があるみたい。
魔術師さんのお家なんだから、きっとそれっぽい雰囲気があるんだろうなぁ。
だって、そうじゃなかったら幽霊屋敷なんて呼ばれないはずだしね。
でも魔術は隠すモノだって言うし、そんなわかり易い雰囲気でいいのかな?


わたし達は、お互いに勝手なイメージを離しながら一路凛ちゃんたちのお家を目指すのでした。


  *  *  *  *  *


で、着いたところは、もうこれ以上ない位にイメージ通りの「幽霊屋敷」。

「ふわぁ、本当にこんなところあるんだねぇ」
わたしも海鳴には結構詳しいつもりだったけど、こんな所があるなんて知らなかった。
眼の前にたたずむのは、とても立派な洋館。
でも、すずかちゃんやアリサちゃんのお家と比べればずっと小さい。
まあ、あの二人のお家を比較対象にするのがそもそもの間違いなんだけどね。

だけど、今それは置いておこう。
それよりも由々しき問題があるのだから。
それは……
「ねえ、やっぱり呼び鈴、ないよね」
「うん、なさそう」
そう、どこからどう見てもこのお家の門にはそれらしきものがないのです。
一体どうやって呼べばいいんだろう。
勝手に入っちゃまずいだろうし、こんなところで大声で呼ぶのも恥ずかしいし。

すずかちゃんたちのお家はもっとすごい洋館だけど、それでもかなり機械化されているので何の問題もない。
でもそういったものがないお家の場合、どうやって入れば失礼にならないのかよくわからない。
今時、呼び鈴さえないお家っていうのはそうそうないから、当然その場合に対処するための知識や経験もない。

二人でどうしようか悩んでいると、救いの手が差し伸べられた。
「…………………何やってるんだ? 二人とも」
腕を組んで悩んでいるわたし達にかけられたのは、どこまでも不思議そうな聞きなれた男の子の声。
顔を上げてみると、格子状の門の向こうに士郎君が声と同じ不思議そうな顔で立っていた。



士郎君のおかげで、何とか無事にお家の中に入れてもらえた。
あのままだったらご近所の皆さんに不審者と思われるかもしれないし、本当にいいタイミングで来てくれたよ。

私の安堵した様子を見て……
「ああ、いい加減それもどうにかしないとなぁ。
 客なんて全くと言っていいほど来ないから後回しにしてたけど、やっぱりないと不便だもんな」
頭をかきながらそんなことを言っていた。
うわぁ……。本当に人来ないんだ。

こんな雰囲気だと仕方ないかもしれないけど、それでもそれってどうなんだろう。
なんでも結界が張られていて、よっぽどしっかりした目的意識がないと来る気をなくすようだ。
わたしも頑張って探ってみたけど、全然わからない。
そういったことが素人だってこともあるけど、補助が得意のユーノ君も言われるまで気付かなかったらしい。
これじゃあ管理局の人たちが魔術師さんの存在に気付かなかったのも、しょうがないのかもしれない。

で、初めて入った二人のお家は、外観と違ってとってもきれいに掃除されている。
結構古いお家なのに、床はピカピカで壁にも染みひとつない。
すずかちゃんやアリサちゃんのお家と比較しても遜色ないというか、もしかしてそれ以上?
以前聞いた話だと、これは全部士郎君がやっているらしい。
本当に家事が得意なんだと再認識する。ここまで徹底していると凛ちゃんの言うとおり趣味としか思えない。

でも、だからこそわからない。
扉が開けた瞬間に漏れ出した、このものすごい匂い。
少しでも気を抜くと、お昼御飯がひょっこり顔を出してしまいそう。

ユーノ君も同じ気持ちみたいで、その小さな手で鼻を抑えている。
あ、かわいい……。

なんでも特別なお薬を作っていて、これはその匂いらしい。
やっぱり凛ちゃん、病気だったりするのかなぁ?
そんなわたしの心のうちはお見通しのようで、士郎君が事情を教えてくれる。
「病気ってわけでもないから、そんなに心配しなくて大丈夫だ。
 ちょっと刻印が疼いて体調がすぐれないだけだから、薬を飲んで休んでいれば明日には元気になる」
刻印って、確か魔術刻印のことだっけ。
体に直接刻むらしいし、何となくだけどわかる気がする。
お父さんも時々体の傷が疼くって言って、調子が悪そうにしている時がある。
それと似たようなモノなんだろう。

そういえば士郎君、少しゲッソリしているように見える。
まあこの匂いの元の側にずっといれば、しょうがないのかな?

とりあえず、一応納得はいった。
魔術のことはよく知らないし、そういうものなのだろうと考えよう。
ところで、ふっと思いついたことを聞いてみる。
「あれ、士郎君は平気なの?」
別に一緒のタイミングで調子が悪くなるとは限らないし、今は平気なだけかもしれない。
けれど、士郎君だって魔術師なんだから、凛ちゃん同様に刻印は持っているはず。

「ん? ああ、俺は刻印は持ってないからその心配はないな」
返ってきたのは素っ気ない返答。
でも、それはおかしい。
士郎君は最初お父さんから魔術を習って、その後は凛ちゃんの弟子になったと聞いている。
だったらお父さんから貰った刻印があるはずだ。

さすがにこれでは説明不足だと思ったのか、補足してくれる。
「刻印は血縁者じゃないと継承できないってのは聞いてるんだろ?
 俺は養子だったからさ、そのせいだ」
これは初耳。
普段はそんな感じはしないけど、実は士郎君ってすごく家庭事情が複雑なんじゃ……。
生き別れのお姉さんも亡くしてるって聞いたし、わたし達と出会う前にどんなことがあったんだろう。

「まあ、仮に実の親子だったとしても親父は刻印を譲ったりはしなかっただろうけど……。
 実際、衛宮の魔術は全く教わってないからな。それこそ、内容だって知らなかったくらいだ」
その顔には、苦笑しているような表情があった。
それは、実の親子でなかったことに対するものだろうか。それとも、どちらにしても譲ってもらえなかったことにだろうか。
わたしには一体どちらなのか、あるいはもっと別の何かなのかは判断できない。

「え? でもそれって変じゃないのかな。
 魔術は一子相伝で、外には漏らさないんだよね。
わざわざ養子にしたんだから、それは後継者にするためじゃないの?」
ユーノ君の言葉を聞いて、確かにそれがおかしいことに気付く。
血縁じゃないから刻印を継げないのは仕方がない。
でも、今まで研究してきたことを全く教わらないなんてことがあるんだろうか?

「理由は二つある。一つは、俺の適性が衛宮の魔術と合致しないからだ。
 親父の遺品を調べてわかったことだが、衛宮の魔術は「時間操作」に関わることだ。
 体内時間を早めて高速で動いたり、物体の時間を逆行させて復元させたりなんかがわかりやすいところだな」
うわぁ。なんだかよくわからないけど、それって凄そう。
わたしやフェイトちゃんの使う、高速移動用の魔法とは全く別ってことだよね。
もしかして、時間を止めたりなんてこともできるのかな?

でも、それで納得がいった。
士郎君の属性は剣で、時間操作なんてこととはどう考えても合わない。
士郎君が言うには、どんなに才能のない人でも一つくらいは適性のある魔術があって、士郎君もそれに合わせて訓練したみたい。

「だけどまあ、多分こいつはそんなに重要じゃないんだろう。
 一番の理由は、切嗣は俺が魔術と関わることを望んでいなかったからだろうな」
重要じゃないって言うのはわかる。
だって、後継者にするつもりだったら初めから適性のある人を選べばいいだけなんだもの。
だけど、望んでいなかったのに何で士郎君に魔術を教えたのかな。
ううん。それ以前に、何で養子にしようと思ったんだろう。

「じゃあ、何で士郎は魔術のことを知ったの?
 だって、隠すことが前提で伝える気もなかったのなら、士郎はその存在そのものを知らないはずだよね」
そう、ユーノ君の言う通りだ。
関わらせたくないのに、何で士郎君は魔術のことを知っていたんだろう。

「さあな。それは俺にもわからない。
 隠し事をしたくなかったのか。それとも、もっと別のなにかがあったのか。
なにせ切嗣が魔術を教えてくれたのは、俺が頑固に頼み込んだからだからな。
消極的だったのは間違いない」
それは、なんとなくわかるなぁ。
何で魔術を習おうと思ったのかはわからないけど、士郎君は一度決めたら絶対に引きそうにない。
それこそ、どれだけ突っぱねても食い下がったんだと思う。
その場面を想像して、思わず笑ってしまいそうになる。

「たださ、切嗣は事あるごとに言っていたよ。
 こんなものは覚えない方がいいし、いつ捨てても構わないんだってさ」
ああ、でも凛はきっと怒るからこのことは言わないでくれよ、と士郎君は付け加えた。
なんだか、士郎君のお父さんはわたしのイメージしていた魔術師像とだいぶ違う。
そして、きっとそれは普通の魔術師の在り方じゃないんだと思う。
だって、それなら凛ちゃんが怒る理由がないモノ。

でも、なんとなくだけど士郎君のお父さんは士郎君をとても大切にしていたのだと思う。


わたし達は居間みたいな場所に案内され、イスに座っている。
失礼とは思いつつも、ついつい部屋の中を見回してしまう。

すずかちゃんやアリサちゃんのお家で慣れたつもりだったけど、ここも相当に凄い。
毛足の長いふかふかの絨毯が敷かれ、その上にはよくわからないけど、なんだか古めかしくて高そうな家具が置かれている。

あのスタンドなんて、変なことしたら簡単に壊れちゃいそう。
ああいうのって、どうやってキレイにするんだろう?

あ、なんかすごく立派な時計。
なんていうんだろう? おっきい箱みたいで、振り子が中で動いてる。

うちは和風の家だから、こういう雰囲気はどうにも緊張してしまう。
(注:この屋敷の家具の九割は、士郎がヒィヒィ言いながら投影させられたパチモノである)

わたし達を居間に案内した士郎君は、今は地下室にいる。
お薬の方はほとんど仕上がっていて、もう出来上がっているころらしい。
せっかくなので、薬を持っていく時に一緒に行くことになった。

それにしても、地下で作っているのにこの匂いってことは、完成品はどれだけすごいんだろう。
なんとなく、絵本に出てくるような魔女の鍋でコトコト煮込んでいる姿をイメージしてしまう。
あ、あと地下牢とかありそう。凛ちゃんの趣味で……。

だけど、正直お茶とかお菓子を出されなくてよかった。
こんな状態で食べ物を見たら、多分凄く悲惨なことになったと思う。
わたしだって女の子。そんな恥ずかしいことはすっごく困る。

それでも好奇心はある。
ちょっと地下の様子を見てみたいけど、士郎君からは……
「念のため言っておくけど、地下に降りるのはやめておいた方がいいぞ。
 魔術師の工房は、基本的に来る者拒んで去る者逃がさずだ。
 なのはは一応凛の弟子だから大丈夫かもしれないけど、それでもちょっと命の保証はできない」
と言われている。それも冗談なんかじゃなくて、心底真剣な表情で言っていた。
それだけでも信憑性は十分すぎる。
だけど、命の保証がないって一体何があるんだろう。

「まあ、なんだ。好奇心を満たすために命をかけるというのも、一つの生き方だと思うぞ。うん」
そんなことをあんな微妙な顔で言われても、余計に不安になるだけだよ。
すずかちゃんのお家のセキュリティも相当過激だけど、それ以上ってことなのかな?

うう、すごく気になる。気になるけど、それ以上に怖くて近寄れない。
凛ちゃんの場合、本当にシャレにならないものを仕掛けていそうなんだもの。

だけど、わたしは知らなかった。
実は、頭から牛乳を被ったりするトラップが仕掛けてあったり、中はダンベルやエキスパンダーのようなトレーニング器具が散乱していたり、そんなわたしのイメージからかけ離れた所であることを。
まあ、それを見たら凛ちゃんのイメージが木っ端微塵に壊れることは間違いないけど。
そしてその結果、きっとわたしは記憶を失うくらいのお仕置きを受けることになるのだ。

わたしが好奇心と理性のはざまで揺れ動いていると、立ちこめている匂いがさらにひどくなる。
士郎君が言うには薬草とかを煎じたものらしいけど、この匂いは殺人的だよ。
でも匂いが酷くなったってことは、きっと……
「悪い。待たせた。大丈夫かって、明らかに大丈夫じゃないよな」
うん、全然大丈夫じゃありません。
なんだろう、鼻の奥がツーンとして、眼がショボショボするような気がする。

士郎君が持っているのは、コップ一杯の何やらドロリとした毒々しい色の液体。
喫茶店の娘として、あんな物を飲み物とは考えたくない。だから液体で充分!

本音を言えば、あれは人が口にしていいモノではないと思う。
だってこう、本能が警鐘を掻き鳴らしている。
たぶん薬は薬でも「毒薬」の方ではないだろうか。
もしかして士郎君、この期に凛ちゃんを亡き者にするつもりなんじゃ!?

それは駄目だよ!
いくら普段の扱いがアレだからって、そんな迂闊なことをしちゃいけない。
そもそも、この程度のことで凛ちゃんがどうこうなるなんて想像できない。
だって凛ちゃんはRPGのラスボス、あるいはゲームバランスを無視した隠しボスみたいな存在なんだよ。
ステータス異常なんて全部無効化されちゃうよ。
きっとその後には、前以上に凄いお仕置きが待っているに違いない。

早く、早く止めないと。
「あのな、なのは。匂いは酷いけど、これ一応本当に薬だぞ」
あれ? もしかして声に出てたのかな?

「えぇ!? じゃあ、それ本当に害ないの!!」
ユーノ君も驚いてる。
うん、気持ちはわかる。凄くよくわかる。
見た目、匂い、伝わる気配、どれをとっても毒にしか思えない。

「いや、体臭が変化するくらいはあるけど、特に有害ってことはないはずだ。
 それにしたって、長いこと常飲した場合だな」
ああ、なるほどだからなんだ。
凛ちゃんはわたし達と同い年なのに、もう香水とかを使っている。
わたしなんかは「大人だなぁ」位にしか思ってなかったけど、きっとそれも理由の一つなんだろう。
でも、魔術師って大変なんだなぁ。

「あ、そうなんだ。あのさ、よければちょっと舐めてみてもいいかな?」
さすがは学者志望のユーノ君。わたしよりずっと好奇心が旺盛だ。
わたしにアレに挑む勇気はありません。

「むぅ……あまりお勧めはしないけど、まあ一度舐めてみればわかるか」
そう言って士郎君はコップを差し出す。

ユーノ君が一口舐めると………
「きゅうぅ~~~……」
そのまま倒れてしまった。

「ゆ、ユーノ君!!」
「うえ!? そんなにか!!」
あとでわかったことだけど、変身魔法で動物になるとその姿の影響を受けるらしい。
簡単に言うと嗅覚だったり味覚だったり、そういった五感が普段より鋭敏になるんだとか。

それにしても、そんなに不味いの~!?
わたしは不謹慎にも「ああ、好奇心に負けなくてよかった」と心底安堵していた。

倒れたユーノ君は、口から泡を吐き体はピクピクと痙攣している。
フェレット形態だからわかりにくいけど、ものすごく顔色が悪い。
「え、えっと心臓マッサージ? それとも人工呼吸?」
「落ち着けなのは! とりあえず、水を注いで胃の洗浄を……」
うん、わたしだけじゃなくて士郎君もいい感じに動転している。
今のユーノ君の体に素人がそんなことしたら、あっという間に水風船になっちゃうよ。

そんな感じでドタバタしているわたし達の元へ、救いの怒声がかけられる。
「うるさ――い!!! おちおち休んでもいられないわ。
 全員まとめて外に出なさい!!」
あ、凛ちゃん思ってたより元気なんだ。



「「どうもすみませんでした」」
場所は変わって凛ちゃんの部屋。
わたしと士郎君は、二人仲良く土下座しています。
ユーノ君はそばのテーブルの上で気絶したまま。
これは、今日中に起きればいい方かな。

「アンタらね、私のことを本当に心配してるの?
 それとも体調を崩させるのが目的なの、どっち?」
弁解のしようもございません。
アレだけ騒いでいたら、この反応は当然だろう。

「え、えっと心配しているのは本当だよ。
 でも、ちょっと不測の事態がありまして……」
「ふ~ん。高町さんのお家では、ああやって人の心配をするモノなのね。それは知らなかったわ。
でも、私としては静かにしていてもらいたいから、今後はこういうのは控えて欲しいのだけど、よろしくて?」
うう、一言ひとことがすごく刺々しい。
その顔にはありありと「不機嫌」の三文字が浮かんでいる。

それにしても凛ちゃん、アレを一息に飲み干したりして大丈夫なのかな?
だって、ユーノ君はあまりの不味さで倒れて痙攣までしたんだよ。
わたしは飲んでないけど、あんな物オブラートで包むか糖衣錠でなきゃ飲めないよ。液状だから無理だけど。

凛ちゃんが言うには……
「やっぱり「良薬は口に苦し」でしょ。
 美味しいお薬って効かなそうじゃない」
ということになるらしい。
言わんとすることはわかる。でも、わたしはやっぱり飲みやすい方がいいと思う。
たとえお子様と言われて笑われても、わたしの考えはきっと正しいはず。

だけど、一気に飲み干しても凛ちゃんの様子に特に変化はない。
慣れ? 慣れなの? あれって慣れれば飲めるようになるの?
正直、わたしの眼には凛ちゃんが以前映画で見た地球外生命体に見えました。

あれ? でもわたしって、別の世界の人と知り合っているからそれとあんまり変わらないのかな?
考えてみると、リンディさんのお茶とは真逆のベクトルだけど、飲みたくないという意味では同じかも。


さて、だいぶ横道にずれたけど、一応目的の一つだったお見舞いはできた。
思っていたよりも元気みたいだし、そんなに心配しなくてもよかったのかも。
だから、そろそろもう一つの目的に移ろうと思う。
「ねぇ凛ちゃん。改めてお願いしたいんだけど、わたしに魔術を教えてくれないかな」
その言葉と共に空気が変わった。
それまでのどこか緩かった空気が引き締まる。
手にはじっとりと汗をかいているし、心臓も凄いドキドキしている。

僅かな沈黙。
わたしは凛ちゃんが口を開くのをじっと待つ。
そうしてだいたい一分くらいたったころ、凛ちゃんが重々しく言葉を発する。
「なんでアンタが魔術を習いたいのか知らないし、どんな覚悟があるかも知らない。
 だけど私の答えは一つ。Noよ」
やっぱり。たぶんそう言われるとは思っていた。
魔術は隠すもので、わたしは弟子は弟子でも魔術の弟子ではない。
だから、わたしに魔術を教えるのは本来のこの師弟関係の目的からは外れる。

「それってやっぱり、魔術を隠すためなんだよね」
そういうモノということは一応わかっている。
でも、わたしはもっと凛ちゃんたちのことを知りたいし、魔法とはまた別の何かというのにも興味がある。
それに「魔術だからこそできることがある」と凛ちゃんは言っていた。
だったら魔術を勉強すれば、わたしにできることがもっと増えるはずだ。

「そうね。確かに魔術は隠すものよ。
 でもね、私は魔術師としてだけじゃなく、一友人としてもアンタに魔術を教える気はないわ」
「友人として」それはつまり魔術師の在り方を無視しても教えないということ。
なんで? 隠すことを無視するなら、別に誰に教えてもいいんじゃないの?

「覚えておきなさい。
 自分以外のために先を目指す者。自己よりも他者を顧みる者。そして…………誰よりも自分が嫌いな者。
 これが魔術師としての素質よ。
 アンタに魔術回路があるかどうかなんて問題じゃない」
そう言って、凛ちゃんをちらりと士郎君を見る。
士郎君はその視線に苦笑しているだけで、何も言わない。
士郎君がそうだってことなの?
でも、そんなのって……。



SIDE-凛

「その様子だとわかったみたいね。
本来、こんな条件を満たしている奴なんていない。こんなの矛盾の塊だもの。
私だって、そういう意味では素質がないとも言えるわ。
 アンタの場合、前二つは多分満たしてる。でも、最後の一つはさすがに無理。
 なのは、アンタはそんなに自分が嫌い?」
こうして聞いてみたけど、正直「もしかしたら」という思いがある。
これまで見てきたなのはの在り方。
そこから私なりに考えると、なのはに今言った素質がないと確信が持てない。

なのはは妙に自分を犠牲にするところがある。
幼いころの経験が原因のようだが、それでもちょっと度を超えていると思う。

人間の思考には必ず主観、あるいは願望が入る。
だからこの考察にも、少なからず私の主観が入るのは避けられない。
その私の目から見て、多分だけどなのはは自分を嫌っている。

ただし、それは「無力な自分」だ。
家族が大変だった頃、何も出来ずただ良い子でいるしかなかった自分、そのころの無力感が原因だと思う。
だから、今のなのはは違う。今のなのはには魔法という力がある。
でも、それでなのはの自分への思いが払拭出来たかはまだわからない。
こればっかりは、長い時間をかけて見ていくしかない。
もしかすると、逆にこの力に依存してしまうかもしれない。

「でも、それだったら凛ちゃんだって魔術師になるべきじゃないんじゃないの?」
わたしの質問には答えず、なのはは次の問いをする。
やっぱり、そう簡単に諦めるつもりはなさそうだ。

それにこの様子だと、ある一面においては自分を嫌っているということを自覚しているわけではなさそう。
まあ、それにしたって私の推測でしかないから、絶対確実にそうとは言い切れないのだけどね。
このあたりのことを見つけ出し引き摺りだすのは、綺礼やカレンの得意分野だ。
あの二人なら、ほんの少し言葉を交わすだけでも、容易くこの子の危なっかしさの原因を把握するだろう。
私だと、確信を持つにはまだちょっと弱い。

「そういうことになるわね。
 でもね、私や士郎はもうこっちの世界に足を踏み入れているわ。
だから、アンタとは立場が違うのよ。今更抜ける気もないしね」
眼で問うと、士郎も首肯で返す。
私たちは、この道から抜けるにはすでに遅すぎる。
ま、私の場合は士郎と違ってはじめから選択肢なんてなかったんでしょうけどね。

「それにね。魔術は何代にも渡って受け継がれてきた「命の成果」よ。
 その責任は自分一人だけのモノじゃないわ。
 私は遠坂の人間として生まれた。だからこれを次の世代に残さなければならない。
 私達はね、そのために生まれてそのために死ぬのよ」
魔術というのは本来そういうものだ。
衛宮切嗣のような例こそが稀有と言っていい。
いや、本来あんなあり方をしている魔術師はいないのだ。

「なのは。アンタもいつかは誰かと結婚して、多分子どもを産む。
 その時、アンタは自分の子にその責任を負わせられる?」
はっきり言って、魔術師なんてのは究極の人でなしだ。
子どもは生まれるところを選べない。
にもかかわらず、そんな重苦しい責任を負わせられるのだ。
少なくとも、真っ当な親ならそんなことはしないだろう。

「……………………」
なのはは黙り込んでしまった。
まあ、十歳にもならないような子どもに結婚やら出産やらの話をしてもしょうがない。
早い話、家族を巻き込む覚悟があるかどうかの問題だ。
それが「今の」なのか、それとも「未来の」なのかの違いでしかない。

で、なのはは自分以外に迷惑がかかるのを良しとしない。
それは身内だって例外ではない。この子の場合、唯一の例外が自分なのだ。
だから、こう言えばそんなことに手を出せるはずがない。

まあこの子の性格上、なるとしたら士郎と同様の魔術使いだろう。
だから、士郎みたいに一代限りの術師で済ませることもできなくはない。
昔の私なら受け付けられなかっただろうけど、ずいぶんと丸くなったモノだ。
でもだからといって、わざわざこんな世界に関わることはないのだ。

「まあ、勘違いしないでほしいんだけどね。
 私は別に自分が不幸だなんて思ってないわ。後を継ぐのは義務だけど、私はこれが楽しいからやってるのよ」
そう、結局私は楽しいから魔術師を続け、楽しいからここまで士郎に付き合ってきたのだ。
だから一片の悔いもないし、自分の人生を悲観したこともない。

「それにね、こっちのには非殺傷設定なんて気の利いたものはないのよ。
 アンタ、それでも本当にこっちに手を出す気?」
魔術を学ぶということは、早い話が人を傷つけるといことだ。
非殺傷ならその心配がかなり軽減されるのだから、こっちに手を出すべきではない。

「でも、それならそういうことができるようにすればいいんじゃないかな?」
まあ、それも一つの発想だろう。
でも、それを確立するのにどれだけの時間と労力がかかることやら。
第一、そもそもできないという可能性が高い。

「たぶん無理だと思うわよ。
 以前言ったでしょ、魔力の質そのものが違うって」
おそらくだが、一番の問題はリンカーコアと魔術回路の違いだろう。

非殺傷設定は攻撃対象の魔力値にダメージを与え、そのかわりに肉体へのダメージをなくすものだ。
それはつまり、魔力の貯蔵庫であるリンカーコアにダメージを与えると言うことだ。
リンカーコアへのダメージは、ちょっとやそっとでは致命的なことにはならない。
少なくとも魔力の暴走自体が稀有であり、たとえなっても大規模の暴走でないとそうひどいことにはならない。
だからこそ、リンカーコアにダメージを与えてもそれほど深刻なことにはならないのだろう。

ところが魔術回路の場合だと話が違ってくる。
魔術回路そのものにダメージなんて与えたら、それこそ簡単に致命的なことになりかねない。
まあ、ふつうの攻撃が直撃してもシャレにならないのだから、危険性はあまり変わらない。
だから、仮に魔術回路に直接ダメージを与える攻撃手段を確立しても意味はない。
都合よくリンカーコアにのみダメージを与えるのも無理だろう。
同質のモノに影響を及ぼすのは当然だ。磁石じゃないんだから、同じ極同士だと反発するってこともない。

ただの人間でも、少しは魔力を帯びている。
だいたい魔術回路から得られる魔力は、生命力を変換したモノだ。
だったら、影響を与えるのも当然生命力になる。

「なのは、改めて言うわ。
やめておきなさい。これは、あなたには不要なものよ」
「でも、それなら凛ちゃんたちも魔術で戦うのはやめた方がいいんじゃないの?」
むう、生意気にも本当によく粘るわね。
こっちは今魔術云々抜きにして、純粋な善意から言ってやっているのに。

「生憎だけど、私たちはあんたほど甘くもないし優しくもないわ。
 もし私たちの日常を侵す人間がいるなら、それは等しく敵よ。
 敵に容赦する気はないし、二度と刃向えないようにするのが私の流儀。そう教えたでしょ」
そういう意味で言えば、直接肉体にダメージを与えるしかない私たちの特性は脅しとしては有効だ。
徹底的に叩き潰し、恐怖を刷り込む上では魔法よりこちらの方が都合がいい。
本物の馬鹿が相手だと、非殺傷設定なんてしてたらいつまでたっても懲りないかもしれないしね。

「そうだな。それにあれだ。大体の場合、初代の魔術師ってのはそうたいしたことはできない。
 俺は例としては問題があるかもしれないけど、それでもだ」
確かに士郎は例としては極端だ。
基本的なところは及第以下なのに、固有結界なんてとんでもないモノを持っていたりする。

でも、士郎の言うことは正しい。
私なら一通りのことは教えられるけど、それでも初代の魔術師の役目は土台作りと言っていい。
初歩的な魔術を一々覚えていかなきゃならないし、古くからある儀式や供物なんかを使う煩雑なモノが中心だ。
それなりのモノに仕上げるなら、適性のある分野に特化させるしかない。

「ま、何かの参考にはなるかもしれないし、適性を調べるくらいはしてあげるわよ」
もしあんまりにも適性があるようなら、その時は適当に嘘をつけばいい。

だが、リンカーコアと違ってさすがにそれはないだろう。
これは一つの可能性だが、多分この世界の住人は先天的に優れた魔法の資質を持っていたのだと思う。
でもこの世界の住人は、魔法ではなくより汎用性の高い科学技術一辺倒になることを選んだ。
人間に限らず、生物は不要な機能はどんどん削っていく。

科学技術にのみ絞り込んだ事で、必要とされないリンカーコアがどんどん弱体化した可能性がある。
まあ、それでもその技術レベルは、次元世界のそれに遠く及ばないのだけど。
士郎は魔法以外にも、ベルカの歴史なんかも齧っている。
それによれば、向こうさんは千年以上前から今の地球をはるかに超える技術を有していたらしい。
これじゃ、比べるのも馬鹿馬鹿しいわ。

とにかく、この仮説でいくと、なのはの場合一種の先祖返りのようなものだろう。
家族全員ロクに魔力がないのだから、これ以外だと突然変異しか考えられない。
たぶん管理局の見解は、突然変異の方だろう。
だが、ああも当たり前のように使える姿を見ると、遺伝子や本能にその使い方が刻まれているような気さえする。
ならば、それが元からあった機能である可能性は決して低くはない。

ま、所詮は一つの可能性でしかないんだけどね~。
ただ、ちょっと別の視点で考えてみただけだもの。
別に正しくても間違っていても、どっちでもいいし。


で、調べた結果はというと……
「あるにはあったけど、本数は三本。属性は五大元素の地属性ね。
 たぶんだけど、アンタの防御の固さとかはこの影響があるんじゃないかしら。
 魔術特性、及び起源にも特に目立つモノなし。以上」
結構簡易的な調べ方だったので、魔術特性や起源の方は実を言うと詳しいところはわかっていない。
でも簡単に調べただけでも、そう目を引くところもなかったから嘘は言っていない。
回路にしても同様だ。むしろ有ったこと、それも三本も有ったことに驚いたくらいだ。

士郎の場合は、古い先祖に魔術師でもいたんじゃないかと思う。
そうでないとあの本数はちょっとあり得ない。
まあ、いつだって例外はいるんだけどね。
あのカレー司祭なんて、今の想像どおりでもあり得ないくらいの本数を保持している。

まあ、これなら適性のある魔術は多そうだけど、逆に極められるものがなさそうなのよね。
初代の魔術師は、士郎レベルとは言わないけど、多少イロモノなぐらいがちょうどいいと思う。
少なくとも魔術を「使う」のが目的なら、それぐらいでないと意味がない。
その上魔力量は微小。これじゃ、士郎とは違った意味で出来ることが限られる。

「えっと、それってつまり……」
「こと魔術に関しては、見事なまでに才能がないってことよ。
 魔導師風に言うなら、先天資質F以下ってところ。
 よかったわね。完全に芽がないこともわかったんだし、これで諦めがつくでしょ」
なのは撃沈。そんなテロップが似合いそうなくらいにうなだれている。
でもまあ、よかったよかった。これで面倒事がなくなった。

「別にいいじゃない。それでも総合的に見れば、士郎よりよっぽど才能があるんだから」
「う~~ん、なんか微妙」
「……おい、それはどういう意味だ」
あははは、アンタも言うようになったじゃない。
士郎なんかと比較されても、そりゃあ自信を持っていいんだかわからないわよね。
でも残念。他にちょうどいい比較対象がいないのよ。


そうしてなのはは、しょんぼりしながら帰って行った。

あ、そう言えばユーノ置きっぱなし。
相変らずテーブルの上でぐったりしてるけど、普段に増して影が薄いから忘れていったわね。
どうしよっか。……とりあえず、玄関先にでも吊るしておこうかな?
ここにいられても邪魔だし。


その後、三十分ほどして大慌てで引き返してきたなのはによって、ユーノはカラスから救出されるのだった。





あとがき

無印終了後、初の投稿になります。
考えてみると士郎の視点が一度も入らないのは、これが初めてじゃないでしょうか。

凛の魔力光はいっそ虹色にしてしまおうか結構悩んだのですが、結局無難な色にしました。
ただでさえ厄介な境遇なのに、これ以上増えても収集がつかなさそうですしね。
それに凛自身は魔導師としては特に目立つ点はないので、これでいいでしょう。
なんでも、凛の魔術師としてのステータスをレーダーチャートで表すと綺麗な円形を描くらしいです。
なので、魔法でも同様の状態を考えています。
魔力量がとんでもなかったり、レアスキルをもっていたりするわけでじゃありませんから。
魔術にしても魔法にしても「すべての能力が高いなら特殊能力や特化技能なんざいらねぇ」っていうバルトメロイの縮小版みたいな人だと思ってます。
でも、弱点はやはり魔力量ですね。あとお財布……ってこれは関係ありませんか(うっかりは言わずもがな)。

なのはの魔術師としての資質は、士郎よりさらに下です。
間桐さん家の雁夜さんよりもなお下、ワカメパパの鶴野さんくらい低いです。
(実際どれくらい低いかは知りません。あくまでもイメージです)
もっと資質が高くて、なにより性質が魔術師向きの人がいれば弟子をとる可能性は、無きにしも非ず程度。
時臣さんだったり橙子さんだったり、結構ホイホイ弟子にしてますからね(時臣はちょっと違うかな?)。
その中でもゼル爺は最たる例でしょう。あの人は何考えてんだかまったくわからない。さすが魔法使い!
そのため、このあたりの基準がよくわかりません。

ところで、今後は士郎たちの家は「遠坂邸」で統一します。
実質的な家主であり支配者なので、これでいいでしょう。
そのうち(十年かそこらで)士郎も「遠坂」姓になるんですから(予定)。
メインにしている視点によって「士郎の家」だったり「凛の家」だったりするので、使い分けが面倒なのです。

それと今後の執筆予定としては、ユーノ・アリサ・フェイト・夜の一族関係の外伝をやりたいと考えています。
しかし問題があります。というか問題だらけ。
正直、ユーノとアリサの外伝のネタが浮かばない。
普段地味なんで少しくらい目立たせたいのですが、だからこそ困っているわけで……。
それにフェイトの方だと、凛と士郎が名前しか出てこないというかなり変な話になってしまいそうなんですよね。
そういうのってアリなんでしょうか?
まあ厳密に言うと、フェイトではなくアースラ組のお話になるんでしょうが……。

後は、凛と士郎の甘い話ができたらいいですね。
そういうのは苦手なんですが、やっぱりそういうイベントはやりたいんですよ。

もしかしたら挫折して、いきなりA’sに入るかもしれませんがご容赦ください。



[4610] 外伝その3「ユーノ・スクライアの割と暇な一日」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2009/05/05 15:09

それはある一言がきっかけだった。

「なあユーノ。何でいつもフェレットなんだ?」
問いを発するのは褐色の肌に白髪という目立つ風貌をした少年、名を衛宮士郎という。

それが向けられているのはなぜかフェレット。
常識人がいれば彼の言葉に疑問を持つだろう。
フェレットに向けて真面目な顔で問いを発するなど、普通に考えれば変な人にしか思えない。
当然、常識的に考えれば答えなど返ってくるはずがない。

だが、その問いにはちゃんと答えが返ってきた。
「なんでって、前にも説明したでしょ?
 これは魔力の消費を抑えるためで、怪我の治療にも適してるんだ。
 なのはと会う前に怪我をしたから、その治りを少しでも早くするためだよ」
世にも奇妙な話だが、このフェレットはしゃべることができる。
いや、そもそも本来はフェレットなどではなくれっきとした人間で、本名をユーノ・スクライアという。

この世界ではおとぎ話の中にしか登場しない「魔法」と呼ばれる力を持ち、フィクションの中でしか存在しないとされる「別の世界」から来た異邦人だ。
本来は人間なのにもかかわらずこのような姿をしているのも、魔法の力によるモノだ。

少々前までは、ジュエルシードと呼ばれるものを巡る事件の中心人物だった。
だが、現在はその際に出会った高町なのはという少女の家で居候している一応一般人である。
別の世界から来たなんて時点ですでに一般も何もあったモノではないが、一応はそういう扱いなのだ。

「いや、確かに聞いたけどさ、それは怪我が治るまでの話だろ。
 今はもう怪我も治ったんだし、別にその姿でいる必要はないんじゃないか?」
「確かにそうだけど、なのはのところでお世話になってるんだから元の姿だといろいろ問題あるでしょ……。
 特にあの人たちだと、僕の本当の姿を知られたら命が危ないし……」
ユーノが心配しているのは、彼の居候している高町家の住人その一部だ。
彼の正体を知るのは高町なのは一人だけだが、その家族は両親と兄姉の四人がいる。

このうち母を除いた三人はとある剣術の継承者であり、一人一人が生半可ではない実力者でもある。
特に父と兄は、末娘のなのはをそれはもう大切にしている。
教育方針から決して甘やかすことはないが、それこそ目に入れても痛くないと言わんばかりだ。

そんな二人にユーノの正体が知れればどうなるか……。
かわいい末娘についた悪い虫を駆除せんと、それはもう恐ろしい制裁が待っているだろう。
一緒に夜歩きをし、同じ部屋で眠り、あまつさえ外泊までしたとなれば、命の心配をするなという方が無理な話だ。

それでなくても、普通に恋人ができても斬りかかってきそうな二人だ。
ただの友人ということで家にいても、決して安全とは言えない。
士郎の方は一応恋人がいるのでそれほどではないが、無防備でいるにはあそこは危険すぎる。
いつ何時「なのはに相応しいか確かめてやる!!」とか言って斬りかかってくるか分かったモノではない。

そのあたりのことは重々承知しているようで、士郎の方でも苦笑いを浮かべている。
「ああ、確かにユーノの心配はもっともだ。むしろ当然だな。
 だけど俺が言ってるのはそういうことじゃなくて、高町家の外なら人間形態でも問題ないんだろ?
 それなのに何でいつもフェレットのままなのかと思ってさ」
士郎の言うことは正しい。
命の危険があるのは高町家に限られる。
人間形態であの家にいるのは非常に危険だが、外ならば何の問題もないのだ。

それを聞いたユーノは、驚きを隠せないようで目を見開いている。
といっても、フェレットの小さな目だといまいちよくわからないのだが……。
「そ、そういえば……」
「ユーノが外出する時って、いつもなのはと一緒だろ。
 俺が言うのもなんだけど、もう少し自分の時間を持ってもいいんじゃないか?
 それとも、もしかして日中は家の中を色々漁ってるのか?」
ものすごく怪訝そうな顔で聞く士郎。
高町家の子どもたちは皆学生なので、基本日中は家にいない。
両親にしても街で評判の「翠屋」という喫茶店を経営しているので、やはり家を空けていることが多い。
なるほど。それならば家を漁るのにこれほど都合のいい状況はなかろう。

「ち、違うよ!? べ、別にそんなことしてないから!!」
必死に弁解するユーノ。
その額からは汗が滝のように流れ落ちている。
やはりフェレットの毛並みのせいでわかりにくいのだが。

「いや、そんな必死に否定しなくてもわかってるって。ただの冗談だ。
 とにかく落ち着け。むしろ必死な方が何かあるんじゃないかと心配になる」
この男にしては珍しく冗談を言ったようだが、逆に疑惑を呼びかねないリアクションが返ってきた。
士郎としてもこんな反応が返ってくるとは思っていなかったようで、若干引いている。
慣れないことはするモノではない、という見本だ。

「まあ、とにかくだ。
 それだと、普段なのはがいない時間帯は暇だろう。
 フェレット形態だと出歩くわけにもいかないけど、人間形態なら自由に歩き回れるんだから、時々は家を出てもいいんじゃないか?」
ユーノは、普段誰もいない家の留守を頼まれている。
だが、頼んでいる人たちからして何ができるとも思っていないので、実際に何か仕事を任されているといわけではない。
そうなってくると、彼は普段一日中食っちゃ寝食っちゃ寝しているニートと変わらない状態ともいえる。

「言われてみれば、確かに」
こうして高町家の期間限定ペット、ユーノの翌日の予定が決まった。



外伝その3「ユーノ・スクライアの割と暇な一日」



SIDE-ユーノ

今僕は、海鳴の街を特に目的もなく歩いている。

強いて目的をあげるなら、海鳴をより鮮明に記憶にとどめるためかな。
そう遠からず僕はこの街、いやこの世界からいないくなる。
またいつここに来られるか分からないし、この世界にはたくさんの思い出がある。
だから、少しでも記憶にとどめておきたい。

それも珍しいことに今回は一人だ。
この世界に来た当初はともかく、なのはと出会ってからは大抵なのはと一緒いるか高町家で過ごしていた。
なのはと出会ってからも、そのほとんどはジュエルシードの捜索が目的で周囲を気にする余裕はなかった。
その意味で言えば、こうして落ち着いて街の中を散策するというのは、多分初めてのこと。

今日なのはは、お姉さんの美由紀さんと一緒に買い物に出かけている。
そろそろ夏も近づいてきたので、新しい水着を買いに行くのだそうだ。
さすがにそんなところに同行させられるのは困る。
なのはは全く気にしていないみたいだけどさ。

もしかして僕、異性として完全に眼中にないのだろうか?
僕が部屋にいても普通に着替えるし、一緒にお風呂に入ろうなんて言ってくるし……。
以前のようにフェレットだと思っているのならまだしも、今はちゃんと人間だってことは知っている。
なのにあんまり扱いが変わらないって、それって絶対おかしいでしょ。
信用されていると考えればいいのかもしれないけど、それにしたってこれはどうだろう。
お願いだから、もう少し何とかならないかなぁ……。


そんなことを考えながら駅の付近を歩いていると、見知った人影を発見する。
「あれって、凛?」
視界の端で捕らえたのは、綺麗な黒髪をツインテールにした赤い服の少女。
それだけだと特徴としては少し弱いけど、それ以上に彼女の纏うその周囲とは明らかに異なる雰囲気が特徴的だ。

凛は、ただその場にいるだけで目立つ。
「鮮やか」とでも表現すればいいのだろうか?
そういう感じで、ただそこに立っているだけで場の空気を一変させる。

向こうの方でも僕のことに気付いたようでこちらに視線を向ける。
よかった。最近地味だったけど、まだ気付いてもらえるんだ。
とはいえ、こうなってくるとそのまま立ち去るというわけにはいかない。
凛相手にそんなことをすれば、あとでどんな目にあうか分かったモノじゃないしね。

凛が立っているのは、なんだか難しい漢字の看板が掛けられているお店。
どうやらあの店から出てきたところのようだ。
良く見ると、その手にはかなり大きな荷物が抱えられている。

「ユーノじゃないの、珍しいわね」
そう言いながら凛が歩いてくる。

確かにそうだろう。
アースラにいた時以外だと、たいてい僕はフェレット形態でいる。
こうして人間形態になるのは結構久振りになるのだから、珍しいと感じるのは当たり前だ。

「うん。まあ、ちょっと散歩でもしてみようかと思ってさ。
 凛こそ凄い荷物だね。それどうしたの?」
もしかすると、何かの魔術や実験に使う薬だったり薬草だったりするのかもしれない。
以前凛たちの家に行った時に舐めたあれは強烈だった。
アレが一体何で出来ていたのか知りたい気もするし、知らない方が幸せな気もする。

僕の質問に、凛が手に持った大きな紙袋に視線を落としながら答える。
「ん? これ?
 これはなのはの訓練用の漢方よ」
「え? なのはの訓練?」
どういうことだろう?
凛は魔術をなのはに教える気はないって言っていたし、魔法でこういったものを使うことはない。
これが、なのはの訓練と一体何のつながりがあるのだろう。

「そうよ。
そろそろなのはに本格的な接近戦の訓練もさせるつもりだし、せっかくだから簡単な内功もさせるつもりなのよ」
何でも、「内功」というのは凛の使う中国拳法では割とよくある訓練の一つらしい。
主に内臓を鍛える方法で、これをよく練ると内臓の機能が上がり傷の治りや疲労の回復が早くなるという。

魔法だからといって、怪我や疲労と無縁なわけじゃない。
ならば、当然そういったことやった方がいいに決まっている。
そういう意味で言えば、凛のやろうとしていることは当たり前のことなのだろう。

「で、これを使うと内臓を鍛えられるの?」
とはいえ、僕にはいまいち馴染みのないことなので聞いてみる。
目的はわかったけど、それと薬を使うのと何の関係があるのだろう。

「これはその方法の一つってだけよ。
 やっぱり、やるからには中途半端っていけないと思うのよ。
 こいつを使って、一緒に内部からも改造するつもりなの♪」
なんだか可愛らしく言ってるけど、その内容はとてつもなく物騒だよ。
良く肉体改造って言葉は聞くけど、これこそ本物の「改造」だ。

「ああ、それでユーノにも協力してもらいたいんだけど、いい?」
「協力って、何を?」
内容を言ってもらわないことには、うなずくわけにはいかない。
凛のことだから相当ずごいことを企んでいるのだろうけど、一体何を考えているのやら。

「何よ。その不審そうな顔は」
君の本性を知っていれば、至極当然の反応だと思うよ。
絶対に声に出しはしないけどね。僕だって命は惜しいもの。

「いや、別に……」
「まあ、いいけど。
 そう特別なことじゃないわ。なのはの生活リズムをちゃんと管理して欲しいのよ」
それはまあ、それぐらいなら別に問題ない。
というか、そんなことしなくてもなのははかなり健康的な生活を送っていると思う。
家族の影響で早寝早起きだし、三食しっかり食べている。
とりあえず、不健康なところは見当たらない。

凛だってそんなことは知ってるはずなのに、一体何を心配してるんだろう。
「不健康な生活スタイルでこの先の訓練を受けると、かえって体を壊すかもしれないのよ
 だから、念のためにね」
は~い、あなたは一体なのはに何をさせるつもりなんでしょうか?

凛は本来、こんな心配をするような性格じゃない。
少なくとも、人前でこんなことを言うなんてあり得ない。
にもかかわらずこんな頼みをしてくるということは、それだけきつい訓練をさせるつもりということに他ならない。
なのはぁ、がんばれぇ~~。

「体を壊すって、どんな訓練させるつもりなのさ」
「そうね。さしあたっては体作りが基本かしら。なのはは運動神経がアレだから、基礎は入念にやるつもりよ。
 ある程度土台ができたら八極拳を教えて、レイジングハートは形状があんな感じだから槍術か棒術でも教えようかしら。
 本格的な技の訓練は、それに耐えられるだけの体ができてからになるでしょうけどね」
何でも、凛の使う八極拳というのは槍術も得意らしい。
それに士郎は武器全般何でも使えるらしいから、対武器戦の練習相手には事欠かないそうだ。

OK、そこまではいい。
でもさ「耐えられるようになったら」って、本当にどんな訓練をさせるつもりなんだろう。
そんな僕の心配に対する凛の答えは……
「いい、ユーノ。人間……………………いつかは死ぬのよ」
はい!? え、何言ってるの?

「長生きすればいいってものじゃないわ。
 人生ってどれだけ生きたかじゃなくて、その間に何を成したかだと思わない?」
ひ、人殺し~~~~!!!!!!
何とんでもないことをそんな優しい笑顔で言ってるんですか!?
それとその「ちょっと良いこと言った」みたいな満足気な表情は絶対間違ってるよ!!

「まあ、冗談はこれぐらいにして」
本当かなぁ……?

「いいから聞きなさい!
何事も中途半端が一番危ないの。
 なのはのことを思うんだったら、これぐらいは必要よ」
と、凛は今までと違う真剣な表情で語った。
確かに、凛の言う通りだ。
初めから、僕たちはそのつもりでなのはに魔法と戦い方を教えるつもりだったんだ。
凛が課そうとしている訓練は多分凄く厳しくて苦しいけど、それは確実になのはを守る力になる。
だったらこれは、凛の言うとおり「必要なこと」なんだ。

不安も心配も変わらずにある。
だけど凛が鍛えるからには、なのはは必ず強くなって自分の身を守れるようになるはずだ。
その点においては心配していない。
だって凛は、やると言ったら絶対にそれをやり遂げる人だから。

まあ、いろいろとんでもないことをやる人ではある。
だけど、きっとなのははこの人に出会えてよかったのだろうと思う。



  *  *  *  *  *



場所は変わって、今は港の近くを歩いている。

空は快晴。
海風が心地よく吹き抜け、夏の日と見間違うような明るい港。
これに文句をつけようものなら、それこそ罰が当たりそうなくらいの絶好のロケーション。

にもかかわらず、せっかくの素晴らしい環境に明らかにそぐわない異物がいる。
「…………なにしてるのさ、クロノ」
クロノがいるのは百歩譲って良しとしよう。
執務官というのはそんなに暇なのかと問いただしたくもあるが、この際だからそれは無視してやろう。
それに、普段からバリアジャケット姿でいるこいつが、仮にも私服でいるだけまだマシか。

不思議でならないのは、僕の知るクロノ・ハラオウンからすれば明らかに似合わないこの光景だ。
だらしなくも地面に胡坐をかいて座り、その横には缶コーヒーが置かれている。
しかも普段のあのキリっとした顔つきじゃない。どこかぼんやりした気の抜けた表情をしている。
規律にうるさいこいつにしては、実に珍しい状態だ。
まあ別に規律に反しているわけじゃないし、誰の迷惑にもならないから問題はないのだけど。

そして、その手にあるのは「竿」。どこからどう見ても「竿」。
ついでに、クロノの目の前には竿掛けもある。
これの意味するところは、つまり……
「僕がここで釣りをするのは、何かの法にでも抵触するのか?」
とまあ、そういうことになるんだよね。
クロノは不機嫌そうなむっつりした表情でこちらを見る。
だけどまあ、ここで「法」という単語が出てくるのはなんともクロノらしい。

「いや、別にそんなことはないけど……。
 というか、できるの? 釣り」
「失敬だな、君は。
 前はそれほど興味もなかったんだが、こんな仕事だからな。
 任務中に立ち寄った場所で、息抜きに艦を降りることがある。
 人が生きられる場所なら、大抵川なり海なりあるからよくこうして糸を垂らすんだ」
なるほど。試しにやってみたら悪くなかったので、何度もやっているうちに趣味なったのだろう。
意外と言えば意外だけど、そういうものなのかもしれない。

何でも、まだ当分は本局やミッドへの航路が安定しないので、クルーの息抜きを兼ねて交代で降りてきているらしい。
今回たまたまクロノが降りていて、そこに偶然僕は遭遇したようだ。
さすがにフェイト達を降ろすわけにはいかないようだけど、これはしょうがないだろう。

「ふーん、そういうものなんだ。
 僕にとって釣りは生きる手段だったから、楽しいっていうのはよくわからないな」
「ああ、スクライアは遺跡発掘を生業にする流浪の一族だったな。
 そうなってくると、食料を現地で調達することもあるか」
そういうこと。
子どもだからといって自分の食糧くらい自分で調達しろ、とよく言われたモノだ。
子どもの僕が動物を仕留めるのはなかなか難しいが、釣りならまだ何とかなる。
そのため、僕は釣りか山菜取りが主な仕事だったりした。
まあ、僕のそれはほとんど漁だったけど。

「その魚はどうするの?」
「もちろん食べるさ。
 アースラに持って帰って、今晩のおかずにでもするつもりだよ」
なるほど。艦内生活が長いと、こうした新鮮な食材は貴重だろう。
クロノの釣りは、そのままアースラの食事事情に直結しているようだ。
これは責任重大だろう。

だが、僕の場合と違って必ず釣果を出さなければならないわけではない。
そのあたりは気楽だろうし、だからこそ趣味となりえるのだろう。

そこで、ふっと疑問に思ったことを聞いてみる。
「でも、釣りって楽しい?」
僕にとっては、釣れないのはまさに死活問題だ。
そのため、楽しいなんて感じる余裕はなかった。
だから、僕にはこれが楽しいかどうかよくわからない。

「他の人がどうかは知らないが、どちらかというと僕は釣り自体を楽しんでいるのとは少し違うかな。
 こうして竿と糸で海の様子を見たり、流れる雲や波を見ているのが好きなんだ」
もちろん大物がかかれば嬉しいけどね、とクロノはぼんやりした顔で空を眺めながら語る。

話を聞いても、やっぱり僕にはよくわからないなぁ。
僕にとっては新しい遺跡を発見したり、読んだ事のない本を読んだりする方がよっぽど楽しいのだけど。
まあ、人それぞれということか。

しかし、それにしても……
「何か枯れてるね、クロノ。
 本当に十四歳?」
「うるさいな! 別にいいだろ!!」
いやだって、どう考えても十代半ばの発言じゃないよ。
この反応からすると、多少なりとも気にしてたんだ。
そう言えば恭也さんも盆栽っていうのが趣味みたいだけど、枯れ具合はいい勝負な気がするなぁ。
この二人、年をとったらどうなるんだろう。

「まあ、そのうち機会があったら僕も参加させてもらおうかな。
 一度そういう風に、純粋に楽しむために釣りをするってのも面白そうだしね」
今までそういう対象として見てこなかったけど、それはそれで楽しいかもしれない。

「ああ、いつでも来ると良い。
 自慢じゃないが、これにはちょっと自信があるからね。
 誰が来ようと返り討にしてやるさ」
何やら自信満々に語るクロノ。

ピシッ!

あ、今なんか亀裂が入った。
港だけに嵐の予感がする。

それと、別に僕は勝負をするつもりなんてないのになぁ。
何を一人で勝手に盛り上がってるんだろう。
それに生憎、今の僕は居候の身だ。
竿なんて上等なものは持っていない。
いつでもいいと言うが、それは随分先の話になるだろう。

まあ、それはそれとして……
「いいのかな? そんなこと言って。
 口は災いのもとだよ、クロノ」
なんだかよくわからないけど、きっとクロノはそのうち碌でもない目にあうんじゃないかと思う。

「別に、何か妙なことを言ったわけじゃないだろう。
 変なことを言わないでくれないか」
そうなんだけど、きっと何かが起こる。
そんな気がするのだから仕方がない。こういうのを虫の知らせというのだろうか?

ここにいて、こいつの仲間と思われるのはなんだか嫌なので場所を変えることにする。
だいたい、ここにいても特にすることもないしね。
僕にとっては特に興味のない事でも、クロノにとっては十分楽しめることのようだ。
とりあえず、クロノのささやかな平和が少しでも長続きするように祈ることにしよう。



  *  *  *  *  *



なのはから聞いた、割りと評判のお店で昼食を取り散歩の続きをする。

こうして歩いていると、見知った場所だというのになんだか新鮮な感じがする。
いつもはなのはの肩とかから見ていた風景だが、自分の足で歩くと違って見えるから不思議だ。

だけど、歩いていて思う。
僕のこの世界での思い出は、そのほぼ全てがなのはと一緒だったんだ。
当然と言えば当然だし、何をいまさらと言ってしまえばそれまでのこと。

しかし、だからこそなのはに出会わなければ僕は一体どうなっていたのだろうか、と考えてしまう。
遅かれ早かれ凛たちが異常に気付いて動きだしただろうし、管理局だって介入してきたはずだ。
だから、別に僕たちが出会わなくてもそう悪いことにはならなかったかもしれない。

まあその場合、僕はあまり望ましくない状況に陥っていた可能性は高そうだけど。
でも、なのははごく普通の生活をおくれていただろう。
これだけは間違いない。

そういう意味で言えば、僕はなのはの人生を歪めてしまったんじゃないだろうか?
なのはに直接言えばきっと怒るだろうし、そんなことはないと否定してくれると思う。
だけど、これは一面の事実だ。

僕はなのはに出会えてよかったと思う。
なのはも僕に出会えてよかったと言ってくれる。
だけどそれは本当に、お互いに取って「よかったこと」なんだろうか。
今更考えてもしょうがないんだろうけど、いつか僕は責任を取らないといけないのかもしれない。
なのはをこんな世界に引き込んでしまった責任を……。


そうして歩いているうちに見えてきたのは、なのはの親友の一人アリサの家だ。
前にも一度来たことがあったけど、改めて見るととんでもない大きさだ。
あの時はアルフのことがあったからそれどころじゃなかったけど、落ち着いて見るとその大きさに圧倒される。
すずかの家だっていい勝負だから、なのはの友達は色々とすさまじい。

まあアリサの家と違って、すずかの家だけは二度と行きたくないけどね。
あそこには、苦い苦い思い出がある。
そりゃあ子猫なんてそんなものだろうし、僕だって別に猫は嫌いじゃなかった。
だけどあそこまで見事におもちゃにされちゃうと、やっぱり猫への苦手意識は如何ともし難い。

街中で猫を見かけると反射的に身構えてしまう。
これはさすがに意識しすぎだと思ってはいるが、体が反応してしまうのだからどうしようもない。
リニスはあんまり性格が猫っぽくないから、まだいいんだけどね。

って、あれ?
あそこにいるのは、アリサだよね。
別にここはアリサの家なのだから、彼女がいてもおかしなことは何もない。
だけど一体何をやっているんだろうか、あれは。

「はぁ! てや! そりゃぁ!!」
庭から聞こえてくるのは、ヤケに気合いの入った声。
アリサのいるのは庭の中央。ここまでかなりあるのに聞こえるってことは、かなり大きな声だ。
良く見ると、アリサは黒いスパッツと道着っていうのかな? そういう感じの白い服を着て帯を締めている。

「その調子ですぞ、お嬢様!
 ですが、もっと重心を落として地を這うように!! 
 そうでなければ、あの遠坂さんを掴むことはできませんぞ」
なんか、執事の鮫島さんもいい感じで盛り上がっている。
というか、凛を掴むって一体どういうこと?

防具のようなものをつけた鮫島さん相手に、どっしりと腰を落とした前傾姿勢でタックルをかますアリサ。
その様は、素人目に見ても相当な練習を積んでいることがうかがえる。
良くわかんないけど頑張ってるなぁ。

あ、そう言えば以前なのはが言ってたっけ。
なんでも、アリサは事あるごとに凛をライバル視しているんだとか。
勉強やスポーツは当たり前。
以前は手を付けていなかった家事も、凛への対抗心からやり始めたらしい。
あの二人は仲のいい友人であり、同時にライバルでもあるんだったっけ。
基本的には凛の勝ち越しらしいけど。

ということは、もしかしてあれもその一つなのだろうか。
さすがに、あれが家事の練習だと言うほど僕もボケてはいない。
多分、凛と格闘戦でもするつもりなんだろう。

アリサの様子だと、おそらく相手を捕まえてからの投げや関節技が主体なんじゃないかと思う。
凛の八極拳ていうのは打撃系が主体らしいけど、それに対抗するための組技なのかな?
それにしても、技の一つ一つがなんか派手だなぁ。

あ、頭にとび蹴りをしたと思ったら両足を掴んで回し始めた。
でもってそのまま投げた!? うわぁ、あれは痛そう。
でも、アリサの小さい体で何であんなことができるんだろう。
明らかにパワーが足りないはずなのに、そんな様子はまるでない。

あ、今度は背中に回り込んだ。
腋の下に頭を入れて、両腕を胴に回し、その腕をがっちり掴んで持ち上げた!?
そのまま後ろに向かって反り返るようにして倒れ込むアリサ。
う~ん、今度のは頭とか首とかに効きそうな技だ。

だけど、ああいうのって実戦とかだとどうなんだろう。
凛は実戦を目的にしているけど、アリサのアレは派手な分隙が多そうに見える。
凛はそのあたりの隙を見逃さないと思うんだけどなぁ。
これは、アリサの方が分が悪いかな。

一頻り汗を流したところで、アリサは一度休憩を入れている。
アリサはこっちの僕を知らない。アリサの知るユーノは、あくまでちょっと変わったフェレットでしかないのだ
さすがに無断で入るわけにもいかない僕は、こうして門の前で様子を見ている。
ちなみに、ギャラリーは僕の周りにざっと数えて十人はいる。
だから、とりあえず僕がここにいることをとがめる人間はいない。

「はぁ、はぁ。
……ふっ………ふっふっふ。見てなさいよ凛!
 この脳天直下バックドロップで、必ずスリーカウントを取って見せるわ!!」
言ってることはよくわからないけど、なんか凄い気合が入ってるなぁ。
握り拳を天に向かって突き出すアリサ。いや、似合ってるんだけどね。

とりあえず疑問は解けた。
これは近々、凛とアリサの決戦が行われるかもしれない。
僕の予想だとまだまだ凛が優位だと思うけど、アリサの言うバックドロップっていうのが決まれば、もしかしたら……。

余談だがこの三日後、凛に勝負を挑んだアリサは見事に返り討にあう。
決めては凛の崩拳。凛が「同じ手に二度もかかってたまるかぁ!!」と叫びながら放ったものだ。
凛はアリサの動きをまるで知っているかのように先読みし、見事にそのボディをとらえた。
だけど、初見のはずなのに「二度」ってどういうことだろう?
それにアリサは凛の戦い方にはショウマンシップが足りないとか言っていたけど、なにそれ?

ちなみに場所は学校…………ではなく、アリサの家の特設リングの上だった。



  *  *  *  *  *



う~ん、なんだかすごいモノを見てしまった。
これは凛に言うべきか、それとも言わないべきか。

何となく歩いているうちにたどり着いたのは、なのはが二つ目のジュエルシードを封じた神社。
やっぱり、どうしても足が向く先はなのはと行ったことのある場所が多くなる。

だけど、ここにきて違和感を覚える。
なんだろう。
ここがどうこうってわけじゃないんだけど、なんだか妙な感覚がする。

それに僕はこれに似た感覚を知っている。
これは確か、凛の張る結界に似た感じだ。
魔法によるモノとは明らかに質が違う以上、これが魔術によるモノなのは間違いない。
でも、そのレベルは凛のそれと異なる。
凛の結界はよほど入念に探らないとまず気付けないけど、これは特に意識していなくても簡単にわかる。

凛が言うには、一流の結界はそれがあると気付くのは相当に困難らしい。
その観点から言えば、これは明らかに二流とか三流とか呼ばれるものなのだろう。
結界の中にいるわけでもないのにわかってしまうところからして、凛がいたら落第点をつけそうなくらいだ。


ちょっと気になるし、特に今後の予定もないので結界のある方に向かってみる。
「えっと、多分こっちの方だと思うんだけど」
なんでこんなものがあるかはわからない。
本来なら、ある程度警戒すべきだろう。

だけど、この結界を張っている人物には心当たりがある。
というか、この街で魔術を使える人は僕の知る限り二人しかいない。
その二人が言うには、他の魔術師の居所は知らないそうだ。
ならば、この結界を張ったのはそのどちらかしかいないことになる。

そして、その片方はこんなわかりやすい結界を張るような雑なことはしない。
だから当然、残った一人がこの結界を張った人物になる。
彼の魔術の腕前はあまり知らないけど、レベルはそれほど高くないと聞いている。
その情報とも矛盾しないし、この結界を張ったのは彼で間違いないと思う。

とはいえ、それなりの範囲になるので見つけるのはちょっと手間だ。
ついさっき結界の境界を超えたから、このあたりにいるはずなんだけどなぁ。
それにさっきから定期的に風切り音がする。
何をしているか知らないけど、この音のする方向に彼がいるはずだ。

慣れない足場に少し戸惑いながら歩いていると、少し開けた場所に出た。
「あ!? いたいた」
少し苦労したけど、そこで目当ての人物を発見する。
僕の予想は当たり、やっぱり士郎だった。

「おーい、しろ……」
声をかけようと思ったのだけど、場の空気に飲まれて声が出なくなる。

場を包むのは、張り詰めるほどの緊張感。
息遣いの音さえも響いてしまいそうなくらいに、当たりは静まり返っている。
鳥のさえずりも木々のざわめきすらない。
だけど、決して嫌な感じはしない。
どちらかというと、心地良ささえ感じるくらいだ。

そんな、いい意味での緊張感がこの場には満ちている。
それを壊してしまうのは忍びないし、何より目の前の光景に圧倒される。

そこにいるのは、弓に矢を番えた士郎。
戦闘時に纏っている赤い外套は、今日は身に付けていない。
だけど、こちらに向けられている背中はとても力強く見える。
威風堂々、そんな言葉がしっくりくる。

引き絞られた弦から矢が放たれる。
その行く先は僕には追えないけど、何となくそれは士郎の狙った的の中心を射抜いたのだと感じる。
理由はわからない。だけど、そう感じさせる何かが士郎にはあった。

士郎は構えていた弓を下げ、こちらを向く。
どうやら僕が来ていたことに気付いていたみたいだ。
「どうしたんだユーノ。こんなところで」
士郎は世間話でもするような砕けた様子だ。
これが、さっきまであの雰囲気を作っていた人物とは思えない。

僕はしばし呆然としていたけど、何とか自分を立て直して士郎の問いに答える。
「えっと、なんか結界みたいなものがあったから気になって様子を見に来たんだけど……」

僕の答えに士郎は「不味い!」と言いたげな顔をする。
「げ!? もしかして、バレバレだったか?」
「ああ、その…………うん」
士郎の質問に頷く僕。

すると士郎は、隠しきれないほど動揺している。
これが、あの力強い背中をしていた人と本当に同一人物なのだろうか?
もしかして僕は何か錯覚でもしていたんじゃないかと心配になる。

「……むぅ、ヤバいな。頼む、ユーノ。このことは凛には秘密にしておいてくれ。
 そんなバレバレだったと知られたら、あとでどんな目にあうか……」
手を合わせて頭を下げる士郎。
ああ、確かに凛に知られたら大変なことになりそうだよね。
魔術は隠すのが得意分野でもあるのに、それがあんなバレバレだったらきっと叱られるんだろう。

もちろん告げ口するつもりはないが、それでもちょっと可哀想なのでフォローすることにする。
「安心して、別に凛には何も言わないから。
それに、えっと、大丈夫だと思うよ。たぶん普通の人は気付かないだろうしさ」
とはいえ、あまり効果はないみたい。
実際僕には簡単に見つかってしまったのだから、説得力はないのかも。

う~ん、このままだとちょっとまずいかな。
ちょうどいいし、話題を変えてみよう。
「そう言えば士郎。
 さっきの矢を射るのすごかったよね。
士郎がそういうのが得意っていうのは知っていたけど、なんか威厳みたいなものがあったよ!
でも、こんなところで弓の練習?」
ちょっと強引な気もするけど、場の空気を変えるためだからしょうがない。

それにこれは本当にそう思ったのだ。
以前クロノと戦った時に士郎が矢を射るのは見ていたけど、あの時とは状況が違う。
あの時は戦闘時特有の緊張感があって士郎の凄さがよくわからなかったけど、こうして落ち着いて見るとその凄さが際立つ。
海上でも数キロ先から正確な狙撃をしていたし、士郎の腕前はもう達人とかそういう域なんだと思う。
少なくとも士郎の矢には誘導性能なんてない以上、あの精度は純粋に士郎の技量によるものだ。
これがどれだけとんでもないことかは、素人の僕にでもわかる。

改めて矢の飛んだ方を見ると、いくらか離れたところにある樹の幹に矢が刺さっている。
だけどよく見ると、それと一緒にとんでもないモノを射抜いている。
矢は確かに木の幹を捕らえているけど、一緒に葉っぱも貫いている。
もしかして、落ちてきた葉を射抜いたのだろうか。

舞い落ちる葉は不規則な動きをする。
それを正確に射抜くのには、一体どれだけの技量が必要なのか想像もつかない。
それも矢が起こす風圧でも葉は動いてしまうのだから、より一層難しいはずだ。

あれ? でもさっきから何度も矢を射ていたはずなのに、周囲にある矢はあれ一本だけだ。
何度か風切り音がしていた以上、その回数分だけ矢を射ていたはずだ。
なのに、何であれ一本しか見当たらないのだろう?

そんな僕の疑問を知ってか知らずか、士郎は気のない返事をする。
「ん? ああ、このあたりには弓を射れる場所もないからさ、こうでもしないとできないんだ。
 たまにやらないと、感覚がズレるかもしれないしさ。
だけど、別にそんな大層なものじゃないと思うけどな」
アレだけのことをやっておいて「大層なものじゃない」はないと思うんだけど……。

だけど士郎はその言葉の通り、あまり嬉しそうには見えない。
普通簡単だろうと難しかろうと、ああして的に中るのは少しは嬉しいはずだ。
なのに、士郎にはそれがない。
まるであの結果はなるべくしてなったという感じで、はじめからそうなるとわかっていたみたいな印象を受ける。

初めからそうなるとわかっていれば、それはまあ嬉しいとは感じないのかもしれない。
だってそれは予想や予測じゃなく、あらかじめ決まっていたことが決まっていたとおりになったということだ。
そこに一切の不確定要素がないのなら「外れる」という可能性もない。
それなら確かに、嬉しいなんて感情が沸かないのかも。
だけど、はじめから結果がわかっているなんて、そんなことが本当にあるのだろうか?

まあ、それはひとまず置いておこう。
もしかしたら僕の勘違いかもしれないし、士郎があまりそういう感情を表に出さないだけかもしれない。
所詮は僕の勝手な憶測だ。

とはいえ、やはりあれが凄いことには変わらないと思うわけで……
「でも、やっぱり士郎は凄いと思うんだけどなぁ。
 何かコツとか、そういうのがあったりするの?」
弓と魔法の違いはあるけど、それでも何かを「狙う」という点ではなのはの砲撃や射撃系の魔法と共通するところがある。
もしかしたら、なのはにとっても何かの参考になるようなことが聞けるかもしれない。

「いや。特にそんなものはないと思うけどな。
 強いて言うなら、矢が中るところを想像して、その通りに指を離しているだけだぞ」
「え? それだけなの?」
士郎はただ首肯で返すだけ。
嘘を言っている風には見えないし、士郎にはそもそも嘘をつく理由なんてない。

でも、本当にそんなことしかしていないのだろうか?
中るところを想像するなんて、それこそ誰でもすることのはずだ。
だけど、その想像の通りになることなんてまずない。
それができればだれも苦労しないのだから。

「そう言えば、昔の友人が言っていたっけな。
 俺の射はもう技術云々なんて関係のない、武道で言う無の境地なんだとか……」
士郎は思案するような様子でそんなことを言う。

「無の境地?」
「ああ。大雑把に言うとだな、自己を透明にし、目的に至ろうとする執着や願いを削ぎ落とし、ただ結果だけを求めるってことだ。そのために自己を「無」にして、自然と一体化すること指す。
 アイツが言うには、それさえできればどんなに下手な奴でも中るんだそうだ」
つまり、本人はあまり意識していないみたいだけど、士郎はその境地というのに至ってるってことなんだろう。
武道とかには疎い僕には、いまいちピンと来ない。

「なんでも、俺は無欲だから透けやすいんだってさ」
士郎は肩をすくめるようにして話す。

ああ、それはなんとなくわかる。
士郎は、僕から見ても欲ってものがない。
そんな士郎だからこそこんなすごいことができるのであり、だからこそ本人の自覚が薄いのだろう。

でも、これだとなのはにはあまり参考にはならないかもしれない。
これはつまり、士郎の心の在り方が一番の理由なんだろう。
それも本人は全く自覚していない。
これじゃアドバイスのしようがないじゃないか。

だけど逆に言えば、士郎と同じかよく似た心の在り方に至れば、同じようなことができるということだ。
まあ、本当にそうなのかはわからない。
僕は他に士郎みたいなことができる人を知らないのだから。
これでは確かめようがない。

「だからさ、アイツの言うことが正しいって前提で言えば、俺と同じことができるようになるのはそう難しいことじゃない」
と、突然士郎が妙なことを言う。
一体何を言っているんだろう?

「それって、どういうこと?」
「簡単だ。もし仮に俺が無の境地に至っているのなら、他の人もそこに至ればそれができるってことになる。
 無の境地とやらに至る妨げとなるのは、自分自身だ。なら、それを捨ててしまえばいい。
 ただ目的を達するための道具となり、自身を空にする。
 そうすれば、誰だって同じことができるはずだ」
そう語る士郎の眼に宿る光は、今まで見たこともない位に冷たく、何よりどうしようもないほどに空虚だ。
そうとしか言いようがない。
そして、僕はそんな士郎の眼が、例えようもないほどに怖いと感じた。

「それ、は……」
何かを言わなければいけない。
なのに、何を言っていいのか分からない。

そんな僕に、士郎は肩をすくめて微笑みかける。
その微笑みには、さっきまでの雰囲気や瞳が嘘のような優しさがあった。
「なんてな。そんなのはあり得ないし、不可能だ。
 俺の言う状態は、目的に向かおうとする自意識すら捨てることを意味する。
 それは自分のない、ただ生きているだけの存在になるってことだ。
 確固たる自意識がなければ、目的に向かうこともできやしない。
 仮に両立できたとしても、そんなことを続けてたらいつか必ず壊れちまうんだからさ」
そんな士郎の様子に少しほっとする。
さっきのは、何かの勘違いなんだろう。
一瞬そんな気がしたけど、たぶん気のせいだ。

「まあ、なんだ。俺のマネってのはやめておいた方がいいだろう。
 俺のアレは魔術の瞑想に近い。あれって結構人それぞれでやり方が変わってくるんだ。
 だから、なのははなのはなりのやり方でやった方がいいと思うぞ」
あ、僕の考えていたことなんてお見通しだったんだ。
でも瞑想か。言われてみれば、確かに士郎の弓を射る姿勢にはそんな印象があった。
集中の仕方は人によって違うだろうし、なのはは自分でしっくりくる方法でやればいいのかな。

「そういうことだと思うぞ。一つ言えるのは、できる限り余計なことは頭から締め出した方がいいってことだ。
 意識を向けるのは的だけ。
中てようとか、中った後どうするかとかも全部なし。はずした時のことなんて論外だ。
 雑念が消えて思考がクリアになれば、自ずと結果はついてくるはずだよ」
「言うのは簡単だけど、それって相当難しいんじゃないの?」
士郎からすればそれが当たり前なんだろうけど、それができれば苦労はないよ。
士郎は自分には才能がないと言う。
だけど、そういう風に自分をコントロールできるのって一種の才能じゃないかな。

「そうなんだろうな。とはいえ、これは言葉で説明できるもんじゃない。
 なのはが自分で見つけるしかないさ」
それって、ある意味丸投げしてない?

そんな僕の不満を察したらしく、士郎はバツが悪そうにしている。
「わかったわかった。じゃあ一つだけアドバイス。
 さっきは捨てればいいって言ったけどな、それは止めた方がいい。
 弱さを捨てれば残るのは強さだけだ。だけど、それはむき出しの強さだ。余分なモノがないからこそ脆い。
 はじめから壊れているのなら別だけど、そうでないのなら何かの拍子に簡単に折れるかもしれない」
言っていることは、なんとなくわかる。
強さしかないってことは、逆に言うとそれを支える何かも無いってこと。
だからこそ、ちょっとした拍子で壊れてしまう。
士郎の言いたいことはそういうことなのだろう。

でも、だとすると……
「はじめから壊れていたら別っていうけど、なんで?」
「そりゃ簡単だ。もう壊れているんだから、今更壊れるものなんてあるはずないだろ」
あ、そうか。すでに壊れているんだから、これ以上壊れようがないのか。
だけど、壊れていたら強さも何もないと思うんだけどなぁ。
それに、士郎の言う「壊れている」っていう状態もやっぱり良くわからない。

そこでふっと思いついた疑問が漏れる。
「だけどさ、そうなったらもう直らないのかな?」
一度壊れてしまったのなら直せばいい。
元と同じ状態にはならないかもしれないけど、限りなくそれに近づけることはできるはずだから。

士郎は一瞬目を見張り、そして優しそうに微笑む。
「そうだな。難しいだろうし、どれだけ時間をかけても完全に元通りにはならないかもしれない。
 だけどもしかすると、それができる人の手にかかれば直るかもな」
その声は今までに聞いたことがない位に優しくて、どこか嬉しそうだった。
まるで、士郎自身がそうであるかのように。


士郎はここで練習を終え、結界を解いてから帰って行った。

今夜は士郎の料理当番らしい。
買い物もしなきゃならないので、早めに帰って準備を始めるのだそうだ。



  *  *  *  *  *



ああ、日もだいぶ傾いてきた。
そろそろなのはも帰ってくる頃だろう。

帰ってきた時に僕がいないと美由紀さんが慌てるだろうし、なのはたちよりも早く帰っておかないと色々不味い。
帰るころになったらなのはから念話を貰う手はずになっているけど、それでも念のため少し早めに帰るのが望ましい。
だけどその前に、一度翠屋に寄って様子を見ていくことにする。
高町家に帰るのはそれからでも大丈夫だろう。

そうして翠屋の近くまで来ると、そこで見知った二人を発見する。
一人は緑色の長い髪をした大人の女性、もう一人は栗色の短めの髪をした美由紀さんぐらいの年の女性。
後者はともかく、前者は髪の色だけでもかなり目立つ。それも二人揃ってすごい美人だ。
周りの人たちもしげしげと見ている。

で、この人たちは僕の知り合いでもあるわけで……
「あ、ユーノ君。やっほー!」
軽い調子で声をかけてくれるのは、茶色の髪をした女性、エイミィさん。

「あら、どうしたのこんなところで。
 今日はなのはさんと一緒じゃないの?」
そう聞いてくるのは緑の髪をした女性、リンディ艦長。

どうやら翠屋から出てきたところのようだ。
二人の両手には、翠屋のロゴが入った大きな紙袋が下げられている。

「あ、どうもこんにちは。
 なのはは今日はお姉さんと買い物に行っていて、僕はちょっと散歩を」
とりあえずあいさつをし、簡単に概要を説明する。

で、今度は僕が質問する番だ。
「さっきクロノに会いましたけど、もしかしてお二人もですか?」
たぶん、この人たちもクロノ同様に息抜きに艦を降りているのだろう。
しかし、上層部が揃いも揃って降りてしまっていて大丈夫なのだろうか?
今は非常時というわけではないからいいのかもしれないが、それにしたってどうだろう。

「ええ、そうよ。それにしても、あの子はまた釣りをしているのね」
「いやぁ、クロノ君も好きだねぇ。
暇さえあれば竿の手入れをしてるし、これは今日の夕食は期待できそうですなぁ」
クロノの行動パターンは、どうやら相当単調らしい。
詳しい内容を言っていないにもかかわらず、二人は見事にクロノの余暇の過ごし方を当てている。
さすがは母親と相棒、というべきなのだろうか。

「あはは、それなりに大漁みたいでしたよ。まあ、サバが八割でしたけど。
ところで、その袋は……」
まあ大体の予想は着く。
特にリンディさんは大の甘党だ。
でもまさか、これ全部一人で食べるつもりじゃないよね。

「ああ、これね。これはみんなへの差し入れ。
 私たちはもう翠屋でたっぷり堪能させてもらったからさ、みんなにもこの幸せをお裾分けしないとね」
ああ、なるほど。そういうことですか。
だよねぇ。いくらリンディさんが血糖値が気になるくらいの甘党だからって、これ全部ってことはないか。

「それに、フェイトさんたちもこちらのお菓子は好きみたいだから。
 あの子たちは降ろすわけにはいかないけど、それでもこれくらいは、ね」
何でも、士郎がスパイとして活動していた時翠屋のお菓子を持って行ったことがあるらしく、それ以来お気に入りなんだとか。
本来ならあの二人に差し入れをするのはちょっと問題があるのかもしれないけど、そのあたりはまあ臨機応変ということらしい。
やはりこの二人は、いい意味での柔軟思考を持っているんだなぁ。
クロノがちょっと固い位だから、ちょうどバランスが取れているんだろう。
まあその分、クロノが苦労してそうだけど。

「というわけで、はいこれ! 幸せのお裾分け」
そう言ってエイミィさんが差し出すのは、翠屋特製のシュークリーム。

「え? でも、これはアースラのみなさんの分じゃ……」
「まあ、そうなんだけどさ。まだまだたくさんあるし、一つぐらいなら問題ないのですよ。
 ですよね。かんちょ……じゃなくて、リンディさん」
この場で「艦長」はちょっとまずいと思ったらしく、言いなおすエイミィさん。
まあ、普通に考えてこの人相手にそんな物々しい呼び方はあまり似合わない。
特にこの世界、というかこの街だとその呼び方はちょっと浮く。
だから、当然と言えば当然の配慮なんだろう。

だけど、いいんだろうか?
そりゃあ、あれだけあるんだから一つぐらい減っても大丈夫かもしれないけど……。
桃子さんのシュークリームはおいしいから僕も好きだけど、やっぱり悪いんじゃないかな。

「そうね。桃子さんたちがサービスしてくれたし、大丈夫でしょう。
 それに、せっかくだから貰ってくれた方が嬉しいわ」
そういう事なら、貰わない方が失礼かな。
せっかくくれると言ってくれているんだし、ここはご好意に甘えた方がいいか。

「えっと、それじゃいただきます」
「はい」「うむうむ、それでよし」
何やら嬉しそうなリンディさんと満足そうなエイミィさん。

「そんじゃまあ、私たちはこれで。バイバイ!」
「なのはさんたちに会ったら、よろしく言っておいてくれるかしら」
「あ、はい。さようなら。
 シュークリームありがとうございます」
お礼を言って頭を下げる。
二人連れ立って歩く姿は、どこか姉妹のように見えなくもない。
リンディさんの年齢を考えると、親子に見えるのが普通のはずなんだけど、そうは全然見えないから不思議だ。



う~ん。それにしても、なんだか今日は思いもよらない場所で、思いもよらない人に会う日だった。
さすがにこんなことはそう滅多にあることじゃないだろうけど、今日は散歩に出てよかったかもしれない。

さて、いい加減戻らないとなのはたちが帰ってくる。
士郎の言うとおり、たまにはこうして一人で歩くのも悪くない。

だけど、なのはがいないことに一抹の寂しさを感じてしまうのだから、ちょっとまずいかなぁとも思う。
別にそこまで長い時間を共有していたわけじゃないんだけど、隣になのはがいるのが当たり前になってしまっている。
今からこの調子だと、別れの時には泣いてしまうかもしれない。
それはさすがに恥ずかしい。
できれば、なのはや他の人がいる前ではそれは避けたいんだけどなぁ。
まあ、とにかく。いましばらくは一緒にいられるわけだし、その時間を大切にしよう。


そんな、至極当たり前で大切なことを思った一日だった。





あとがき

さて、悩みに悩んだ結果、とりあえずユーノ視点の小ネタ集っぽくしてみました外伝その3です。
この話の九割は、行き当たりばったりの思いつきで出来ています。
後悔や反省は全くしていません。ええ、全く!!

まずクロノのアレは、hollowのランサーの役に当て嵌めてみました。
一応、あと二回ぐらいやりたいと思っています。その度に人が増えるのは当たり前。
アーチャーの役は当然士郎。
ギルの役も考えてはいるので、それを出すまではやってみたいですねぇ。

後遠坂凛による高町なのは改造計画は、着々と進行しています。
少なくとも原作以上にタフになるのは間違いないかと。
戦闘機人とも違う改造人間になりそうで怖いですね。
ついでに言うと、士郎はすでに改造済みですよ。

それと、アリサのアレはルヴィアゼリッタ嬢の役どころです。
凛としては苦い思い出でしょう。
いや、アリサには似合うと思いますよ。
そのうち「淑女のフォークリフト」を襲名できたらいいなぁ。

とりあえず一番の難関はクリアしたので、これで一段落つきました。
今回は思いつくまま書いたようなモノなので早かったですが、次回はだいぶ空くはずです。
では、次回がちゃんと出せるよう待っていてください。それでは。



[4610] 外伝その4「アリサの頼み」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2010/05/01 23:41

SIDE-士郎

………………唐突だが、とりあえず状況を確認してみようと思う。

確か、今日は夏休み直前の土曜日だったはずだ。
降り注ぐ日差しは強く、気温もすでに夏真っ盛りと言っていい。
風はあまりなく、前日に降った雨のせいか湿度が高い。
おかげで、ジメジメして実際の気温よりもかなり暑い気がする。
まあ、今は冷房の利いたところにいるので関係ないが……。

そんな日だからか、駅前まで出ても出歩いている人はかなり少なかった。
俺としても、こんな日に外に出るのは正直億劫だった。
しかし、家の調味料の在庫が少し心もとなくなってきたので、仕方なく散策も兼ねて街に出た。
それが昼食のすぐあと。本来ならすぐに終わる様な用事。
だが、凛に頼まれた漢方やら薬草やらの調達もあったので、少し時間がかかった。

それが不味かったのか、いま俺は見慣れぬ黒塗りのリムジンに乗っている。
別に好き好んで乗っているわけじゃない。
帰路で人通りの少ない道を通っていると、突然この車に引きずり込まれたのだ。

正直、自分でも情けないと思う。
こんな簡単に拉致されるなんて、平和ボケもいよいよ重症だ。
いくら日中で日が高いと言っても、その手の輩はやる時にはやるモノだ。
そこが人通りの少ない路地ならなおさらだろう。
フェイト達と初めて会った時も思ったが、ここまで来るとさすがに自分でも呆れ果てる。
一度、本格的に鍛え直した方がいいかもしれないな。

しかし一つ言い訳をさせてもうなら、この連中からは全く悪意や害意の類が感じられなかった。
そのおかげで、事が起こる直前になるまでまるで意識しなかった。
実際、車の中に引きずり込もうとする手はなぜか丁寧で、俺の持っていた荷物もしっかり引き入れてくれている。

生ものもあったから、放置せずに済んだのはよかった。
この気温じゃ、すぐにというわけじゃないが、遠からず傷んでしまう。
それはさすがにもったいない。食べ物を粗末にするのは食材、作ってくれている方々、双方に対しての侮辱だ。
だからまあ、変な話だがすこ~しだけ感謝している。

とはいえ、逃げようと思えば簡単に逃げられる。
魔術を使えばなんてことはないし、単純に体術だけでもその辺の有象無象など相手にならない。
今すぐこのリムジンを占拠する方法なんて、軽く十は挙げられる。

では、なぜ俺は大人しくしているのか。
答えは簡単、目的を聞いてからでも遅くはないからだ。
これが月村家に対し害意を持つ勢力とやらの行動なら、せめて背後関係くらいは聞きだしたい。
なんならこのまま拠点まで付いて行って、そこで暴れてもいい。

とりあえず、今すぐ脱出してもそれほどメリットはない。
月村家関係でないとしても同様だ。
そう思って大人しくしていたのだが、少々違和感を覚える。

だって誘拐の類なら、せめて両脇を固めるようにして俺が逃げ出さないように見張るぐらいはするはずだ。
だが、どういうわけかそれはない。
俺を引きこんだ黒服の男が右隣に座っているだけだ。
別に拘束しようとする素振りもない。
一体何がしたいんだ?

まあ、そのおかげで左側の窓から外を見ることができる。
窓は定番のスモークガラスで、外の景色はかなり見づらい。
だが別に見えないこともない。
その光景が俺の中の違和感を一層強くする。

なにせ、窓から見える風景には何やら見覚えがある。
この風景の先にあるモノに思い当たり、俺は首をかしげる。
良く気配を探ってみると、この黒服もその手の人物特有のピリピリした空気がない。
むしろ、「ああ馬鹿馬鹿しい」と言わんばかりの投げやりな雰囲気すらある。

っと、どうやら目的に着いたようだ。
扉が開かれ、右隣にいる人と同じ黒服の男性が恭しく頭を下げている。
……ああ、何となくオチが見えた。
目的も理由もサッパリだが、とりあえずこれが誰の指示によるものかおおよその想像がついた。
アイツめ、一体何を考えてるんだ。

リムジンから降りた俺の目に飛び込んだのは、案の定御立派なお屋敷。
そして、およそ二十メートルほど先で仁王立ちする知人の姿だ。

なんだろう、よくわからんが頭痛と胃痛、そしてただならぬ倦怠感が体にのしかかる。
この先に何が待っているか知らんが、どうせくだらないことだろう。
そう思ったが、とにかく聞くべきことを聞かねばならない。
「いろいろ言いたいことはあるが、とりあえず一つ。
 ……………帰っていいか?」
「却下!!」
俺の切実な願いへの答えは、実にアッサリ切って捨てられた。
ああ、どうせそうだろうと思ったよ。

空は快晴だが、俺の心は曇天です。今にも雨が降りそう。具体的には眼から。
それを何とか堪え、次の言葉を紡ぐ。
「そうか。じゃあもう一つ。
 俺をどうする気だ?」
普通はこちらが先なのだろうが、正直聞きたくなかった。
だが、聞かないと始まらない。
今すぐ逃げだすのも手だが(というかそうしたい)、それをすると後が怖そうなのだ。
だってコイツ、凛と同じ匂いがするんだもの。
下手なことをすると、後日ロクな目に合わないだろう。
なんで俺の知り合いって、この手の女傑が多いのかなぁ。

深々とため息をつく俺。
その意味を察しているわけではないだろうが、目の前の人物がキツイ目を向ける。
「わたしの婚約者になりなさい」
返ってきた答えは、ある意味俺の予想通りであり、同時に予想の斜め上を行くモノだった。

「……………」
空を見上げながら言葉の意味を咀嚼する俺。

しばしの沈黙を破り、やっとの思いで出たのはこの一言だった。
「…………なんでさ」



外伝その4「アリサの頼み」



「要約すると、アリサの爺さんがお見合いをさせたがっているから、その場凌ぎのウソに付き合えってことか?」
屋敷に入り、テラスで優雅なアフタヌーンティーなどふるまわれながら聞いた話をまとめるとこんなところだ。

なんでもアリサの祖父は、それはもうアリサを可愛がっているらしい。
アリサの母が妊娠したと聞けばベビー用品の山を送り、出産したと知ればおもちゃや絵本をトラック一台分送りつけたという(無論、それぞれ別なので計二台分)。
小学校に入学する時には、聖祥学園そのものを買収しようとしたらしい。
去年のクリスマスプレゼントには南海の孤島を、誕生日にはヨーロッパの古城を送ろうとしたとかなんとか。
その他にも挙げ出したらきりがない。
はっはっはっはっ。正気じゃねぇぞ、そのじじい。
ま、そんな人の息子の割には常識人のアリサの父の奮闘により、それらの蛮行は未然に防がれたそうだ。

ちなみにその爺さんは日本嫌いらしく、現在は欧州に住んでいる。
で、アリサの親父さんは大の日本好きなんだとか。
そのため、バニングス一家が日本に住むことになった時はそうともめたようだ。
当人は日本に近づくのも嫌で、ここ数十年断固として訪日していないんだとか。
何か嫌な思い出でもあるのかね。
だが、そのせいでかわいい孫と一緒にいられないのを嘆き、そんな極端な行動に出ているらしい。
なんてチグハグな親子だろう。

まあ、それは置いておく。問題はこの先だ。
普通に考えて、それだけかわいがっているなら変な虫がつくのは嫌がるだろう。
高町家はちょっと例として問題だが、程度の差はあれそういうものな気がする。
その爺さんも、一応そういう考えの持ち主だという。
だが、どういう経緯を経たのかは不明だが「先に相応しい相手を用意してしまえばいい」という結論に至ったらしい。
また、「早く曾孫を抱きたい」と事あるごとにのたまっているのだそうだ。
アリサはまだ十歳未満だぞ?

とにかく、さっさと婚約者を決めることで「変な虫がつくのを防ぐ」と「曾孫を一日でも早く抱く」の二つを両立させる気だという。
正直、俺には理解不能な発想だが、本人は割とどころかいたって真面目なんだとか。

で、アリサがそんなことを承服するはずもない。
自分の相手くらい自分で決めたいし、何よりそんな下らん理由で押し付けられるなど御免だという。
言い分は実にもっともだが、それが通じるような良識はないらしく、向こうもそう簡単には引き下がらない。
色々紆余曲折を経て、最終的にアリサ自身の選んだ相手とそのじい様の選んだ人物が対決して、勝った方に従うということになったそうだ。
なに、その超展開?

しかし困ったことに、アリサにはそんな相手がいない。
またその爺さんの選んだ相手であり、そんな条件を出してくるあたり将来有望な人物なのだろう。
そんな相手に勝てそうな人物となると、かなり限られてくる。
アリサ自身売り言葉に買い言葉な勢いでその条件を飲んでしまったので、後先考えていなかったのだという。

だが幸運にも、アリサには相手はおらずともそれ以外の条件を満たしている知り合いがいた。
そう、アリサの数少ない男友達であり、それなりに学業優秀な俺に白羽の矢が立ったのだと。

いやぁ、ツッコミどころが多すぎてどこから突っ込んだものやら。
とりあえずわかったのは、俺の行動がアリサの未来を決定するらしいということだ。
その他のことは気にしない方がいい。うん、きっとそうだ。

「まあ、そういうことね。わかってると思うけど、アンタが適任だから頼んだのよ。
 アンタとなら、とりあえず嘘が本当になることもないしね」
まあ、俺にはすでに凛がいるからな。
凛に捨てられない限り、そんな可能性は微塵もない。

それに能力的に見ても、俺はいろいろ反則だからまず負けることはない。
だって中身は二十代後半だぞ。アリサの相手にしようと言うのだから、年齢も近いはずだ。
どんなに離れても、せいぜい中学生くらいだろう。
そんな相手に勉学の類で負けたら、さすがに自殺したい。運動関係でも同様だ。
万が一にも芸術関係だったら、負けることもあるかもなぁ。

「はあ、別にいいけど。とりあえず、それっぽくしてればいいんだな。
 で、その対決とやらはいつなんだ?」
突然拉致されたことには言いたいこともある。
だが、正直馬鹿馬鹿してくてやってられん。文句を言う気も失せてしまった。

そう、やってられんのだが、友人の頼みを無碍にもできない。
アリサはかなり本気で困っているみたいだし、なおさらだ。
「ん、ありがと。そのうちお礼はするから。
 時間の方は明日、場所はチューリッヒだから今すぐ出発よ」
「…………は?」
おかしいな、眼ほどではないが耳の良さには自信がある。少なくとも悪い部類じゃない。
だが、今アリサが行ったことは正直信じがたい。何かの冗談じゃないのか。

「何よ、そのマヌケ面は。そうでもなければ、あんな強引な手を使うわけないじゃない。
 というわけで、すぐに空港に行くわよ」
呆気に取られる俺を無視し、アリサは堂々とした歩調でテラスを出る。
俺は事態についていけず、呆然としたまま黒服の皆さんに両脇を抱えられ引きずられる。
そのまま再びリムジンに押し込まれ、空港に連行されるのだった。



SIDE-アリサ

全くお爺様にも困ったモノだわ。
だいたい、なんでこの年で婚約者を作らなくちゃならないのよ!
いい年して、無駄に行動力があるから性質が悪いのよねぇ。

とはいえ、何とか士郎を捕まえることができたのは幸いだ。
はじめ凛の家に行き不在なのを知った時は、正直焦った。
おかげで人手をかき集めてのローラー作戦を敢行したのだが、無事発見できた時は安堵のため息をついたものだ。

なにせ士郎はこのお見合い破談作戦には必要不可欠な人材なのだ。
こいつには、とりあえず欠点らしい欠点がない。
テストはわたし同様いつも満点、運動神経も抜群だ(まぁ、凛もだけど)。
その上家事全般に秀で、にぶちんではあるが気配りもできる。
これならお爺様が連れてくるどっかの誰かにも対抗できるだろう。

何よりありがたいのは、こいつがどう見ても日本人には見えないところだ。
お爺様は日本嫌いの日本人嫌いだから、わたしの連れてきたのが日本人だと知ればそれだけで暴れかねない。
だが、誰が白髪の日本人小学生がいると想像するだろう。
適当に偽名でも名乗らせれば、まさに万全の備えと言える。

ちなみに、その際の名前は「ウェーバー・ベルベット」だそうだ。
何でも、昔少しお世話になった人の名前なんだとか。
まあ、わたしにとってはどうでもいい事だけど。


だが、今のわたしには少し別の問題が浮上した。
その問題は、ある意味お見合いよりも深刻で重大だ。
それは…………
「……なんで、アンタ達がここにいるのよ……」
場所は、チューリッヒでも有名な高級ホテルの一室。
もうそろそろお見合いの時間だ。
私はオレンジのドレスに着替え、薄い化粧をさせられてその時が来るのを待っている。

だがそんなわたしの目の前には、最も親しい三人の友人のうち二人がいる。
うち一人は表面的には泰然と、もう一人は心臓に良くない笑顔で座っている。
どうやってここを突き止めたのか知らないが、遠路遥々追ってきたらしい。
いや、御苦労様です、としか言えないわ。

「別に私の方は驚くほどのことじゃないでしょ。
 一度家に来たんだから、何かあったっていうのはわかるし」
まあ、アンタはね。妙に勘が良いし、こいつなら何かに気付いても不思議じゃない。

本来なら、わたしが連れてきたわけでもない凛がここにいるのは不自然極まりない。
小学生一人で海外に出るなんて普通無理だろう。
まあ、その無理を押し切りそうなやつではあるけどさ。
だが、もう一人の方を利用したと考えれば不思議じゃない。

そう結論し、よろしくない気配を放つもう一人に話しかける。
「ってことは、すずかは凛に引っ張られてきたの?」
凛一人でここまで追ってくるのは難しいが、すずかなら月村家のコネやら権力で何とかしてしまえる。
多分、凛がすずかの家に強襲して脅迫したんじゃないかなぁ、と考えている。

しかし、そんなわたしの言葉にすずかは心底不思議そうに首をかしげる。
「え? そんなのじゃないよ。
 偶々わたしもアリサちゃんの後を追いかけようとしている時に、凛ちゃんと会って一緒に行くことにしただけだもの」
「ちょっと待ちなさい!! なんでアンタが今回のことを知ってるのよ。
 まさか……盗聴器なんてしかけてないでしょうね」
友人を疑うのは嫌だが、それくらいでないと説明がつかない。
すずかはともかく、忍さんはそういうのを作るのが好きだからなぁ。
絶対にないと言い切れないのが、ちょっとどうかと思う。

「やだなぁ、アリサちゃんってばぁ」
わたしの質問にいつものやわらかい笑顔で返すすずか。
でもその先を続ける様子はない。わたし自身その先を聞くべきなのか迷っている。
その先に来るセリフが「そんなわけないよ」ならいい。
だが、「そんなのあたりまえじゃない」だったらと思うと、深く聞く気になれない。
仮に盗聴器が設置してあるとして、どうやって仕掛けたのやら。
そういうもののチェックはかなり小まめにしているはずなのに。

家にしてもそれ以外にしても、うちの情報管理とセキュリティのレベルはハンパじゃない。
それすらもかいくぐり、この情報を手に入れた月村家に戦慄を覚える。
だいたい今回のお見合いの話は、士郎を捕まえた日の午前中に決まったことなのだ。
まだそれから二十四時間ほどしか経っていない。
ほんと、一度家の中を総点検した方がいいかもしれないわね。

ちなみに、その結果が白だったことをここに追記する。


「それで、アリサちゃん」
「え、なに?」
「お見合いの席で士郎君を婚約者として紹介するって、どういうこと?」
うわぁ、なんか凄くいい笑顔をしているんだけど、それがどうしようもなく怖いのはなぜなのかしら。
おかしいわね。カーテンは開いていて日差しだって入ってきているのに、なぜか室内が暗く感じるわ。

すずかの持っている情報は間違ってはいない。いないのだが、微妙に不足がある。
誰よ、すずかにこんな中途半端な情報渡したの!
凛の方は興味なさ気にしているけど、こちらをチラチラ見ている。
この様子だと、凛の持っている情報もすずかの持っているそれと大差なさそうだ。

不味いわね。さっさと説明しないと取り返しのつかないことになる。
このままだと、また「黒すずか」が降臨してしまう。
それどころか凛も荒れ狂うかもしれない。
凛が嫉妬に狂うとどうなるのか知らないけど、まあ碌なことにならないのは想像に難くない。

「ま、待ちなさいすずか。それ誤解だから!?」
「誤解って、何が?」
お願いだからその笑顔で詰め寄るのはやめて。
特にその眼。暗く澱んだ眼からは、なんだか不気味な光が放たれている。

ああもう!! その眼で見られてると、生きた心地がしないのよぉ!
人選間違ったかなぁ。もっと無難な誰かがいればそっちを選んだんだけど、他にいなかったのよねぇ。
とりあえず黙っていれば問題ないと思ったんだけど、甘かった。
こんなことなら、多少苦しくても恭也さんを引っ張ってくればよかったかも。

そんな感じでわたしが後悔していると、いつの間にか背後に回った凛が肩に手を置いて話しかけてくる。
「ええ、そうね。微に言って細を穿つ説明を要求するわ。
 安心して。ちゃんと説明してくれれば、士郎みたいに調教する気はないから」
それは、士郎はすでに調教が決定してるってこと?
アイツも苦労してるわねぇ。

それと、あんまり肩を握る力を強くしないで。
地味に痛いから。

だが、ここで思わぬ横槍が入る。
「お嬢様。お時間ですので、ロビーにお越しください」
これを幸運と取るか、それとも不運と取るか。
このときのわたしはそれを幸運と取った。
どうせ後で説明すればいいし、一刻も早くこの場から逃げ出したかったのだ。

だが、わたしは馬鹿だった。
これは幸運などではなく、地獄の歯車が導き出した、とっておきの不幸だったのだ(主に士郎にとっての)。
この時のわたしは、まだ自分の運命を知らずに能天気に逃げだした。
「悪いわね! そういうわけだから、詳しい説明はまた後で。それじゃ!!」
凛の手を払いのけ、脱兎のごとく扉に駆けていくわたし。

「あ!? こら、待ちなさい!!」
誰が待つか! こっちは人生かかってるのよ。
説明なら後でいくらでもしてあげるから、それまで待ってなさい!

「……アリサちゃん、今の内に全部吐いちゃった方がいいのに。
 そう。そういう態度なら、わたしにも考えがあるよ。くすくす」
ややさびしそうな声のすずか。普段なら立ち止まるところだが、その内容はヤケに物騒だ。
おまけに、一言一言が背筋に絶対零度の矢となって突き刺さる。
士郎と関わるようになってからというもの、知らない一面を見る機会の多い事。
喜んでいいのか微妙だけどね。



SIDE-ノエル

「まったく、アリサは一体何を考えているのかしら。
今までそんなそぶりを見せてこなかったけど、まさかあの子まで士郎にちょっかい掛けようってんじゃないでしょうね。
ただでさえすずかに加えてフェイトまで参戦してきて鬱陶しくなってきたのに。
ましてや両親だけじゃなく祖父にまで紹介って、いくらなんでも先走り過ぎでしょ!」
怒り心頭、と言わんばかりの調子で不満を口にする凛さん。
普段は年不相応に冷静で大人びているのに、今は年相応に見えます。
なんだかんだと言っても、やはり恋人が他の女性と仲良くしているのは面白くないのですね。

ところで、「フェイト」というのは最近なのはお嬢様とお友達になられたという、あの「フェイト」さんのことでしょうか。
一体どういう経緯で仲良くなられたのかすずかお嬢様もご存じでない様子ですが、凛さんはだいぶ詳しいところを知っているみたいですね。
普段のすずかお嬢様ならそのあたりを追求しそうですが、今は目の前のことに集中していてそれどころではないご様子ですね
「うふふふ。アリサちゃんには、後でじっっっくりお話聞かせて貰わなくちゃ」
こちらからでは顔はわかりませんが、すずかお嬢様の声は穏やかです。
そう、声は穏やかなのに、言っている内容と合致していません。
それと、それはたぶんお嬢様のセリフじゃないと思いますよ。

「まったく、士郎も士郎よ。
こう、呼ばれたらホイホイついていく習性は何とかならないかしら。
帰ったら、念入りに体と心の両方に今回の教訓を刻む必要があるわね。
それこそ血がにじむなんてのじゃ足りないわ。
骨の髄にまで刻んでやらないと。そう、物理的な意味でもね」
何やら物騒なことをおっしゃっていますが、まさか本気じゃありませんよね?
物理的に骨に刻んでは、大変なことになりますよ。

それにしてもこの二人、会話が成立していませんね。
会話のように聞こえますが、お互い言いたいことを言っているだけな気がします。

今、私たちは士郎さんとアリサさんのいるホテルの真向かいのビルの屋上にいます。
ここからだと、お二人のいる部屋を覗くのにちょうどいいのだそうで。
忍お嬢様、いつの間にこんなところを見つけられたのですか?

しかし、十歳くらいの少女二人がビルの屋上で這いつくばって双眼鏡をのぞいているのは中々シュールですね。
「不審人物」なんてもので片づけていい状態じゃありません。
屋上で人がいないのが幸いしましたが、たぶん人がいてもすぐさま逃げ出しますね、これは。

なにせ、縁でお二人の様子を監視しているすずかお嬢様からは、それはもう禍々しいオーラが滲み出ているのですから。
なんというか、この地獄の鬼も裸足で逃げだしそうな空気は心臓に悪いですね
お嬢様、いつの間にこのような気迫を纏えるようになられたのでしょうか。

ただ後に凛さんは、この時のことを何やら懐かしそうに……
「まるで、桜が隣にいるかのような錯覚すらしたわ。
桜に似た雰囲気のある子だとは思ってたけど、こんなところまで似ているとは……。
並みの人間だったら、扉を開けた瞬間に回れ右して逃げ出すでしょうね」
と述懐していらっしゃいましたね。
それを聞いた士郎さんは薄ら寒そうに首をすくめていましたけど、一体どのような方なのでしょう。

また凛さんはこうもおっしゃっていました。
「ま、桜なら地獄の最下層である阿鼻地獄の鬼さえ慄かせるでしょうけど、それに比べればまだまだ甘いわ。
いまのすずかじゃ、一層目の等活、あるいは二層目の黒縄あたりが限界かな」
本当に何モノですか? その「桜」さんという方は。
話を聞く分には、どうしても人外の怪物しかイメージできませんよ。

とはいえ、出来ればお嬢様にはこれ以上進化して欲しくはありませんね。
その方に近づくのもできれば避けていただきたい。
今でさえ、あの子が不憫過ぎます。
そう思い、意を決してすずかお嬢様に声をかける。
「すずかお嬢様。気持はわかりますが、少し抑えてください。
 ファリンが壁際で涙目になってますよ」
そう、私たちと一緒にここまで来た私の妹は、今壁際でイヤイヤと首を振りながら目に涙を浮かべている。
これ以上下がりようがないのですが、背中が壁にぶつかっていながらなお下がろうと足をバタバタさせています。
なんというか、若干錯乱しているような気が無きにしも非ずと言ったところですね。

いや、気持ちはわかりますよ。
私自身、今まで知らなかったすずかお嬢様の一面に恐れおののいている真っ最中なのですから。
こういう時、感情が表に出にくいというのは不利ですね。
周りからは冷静なように見えるようですが、決してそんなことはありません。
この場に踏みとどまっているだけで、かなりの労力がいるのですから。
先ほど声をかけるのも、かなりの勇気が必要でした。
ファリンと私の反応の違いは、性格と人生経験の差でしょう。

それにしても、忍お嬢様。何がそんなに楽しいのですか?
私のすぐ横でこれ以上ないと言わんばかりにいい笑顔をしていらっしゃいますが、その理由を考えると頭痛がしそうです。
すずかお嬢様を焚きつけるだけ焚きつけて放置して、無責任にもほどがあるでしょうに。
それに……
「うふふ。何やってるのかなぁ、アリサちゃん?
 楽しそうだねぇ。そんなに士郎君のことを紹介できるのがうれしいのかなぁ?
 その手を握ったら、あとで紅に染めちゃうぞ♪」
すずかはお嬢様は人の話全然聞いてませんし。
それに「紅」って、親友を血だるまにでもなさる気なのですか、お嬢様。
それと、その独り言非常に怪しい上に怖いですよ。

それにしても、すずかお嬢様は「楽しそう」とおっしゃりますが、実際のところどうでしょう。
なんというか、どちらかというとアリサさんはイラ立っているように見えますけど。
そもそも、ご家族に紹介するというには明らかに様子が変です。

アリサさんのご両親は、士郎さんやアリサさんと同じ側に座っています。
そして、テーブルを挟んだ向かい側には、見事な口ひげを蓄えたアリサさんのお爺様と十七・八の金髪の男性が座っておられます。
ところで、あの方はどなたですか? 該当する人物がいないのですが。
アリサさんにお兄さまはおられませんし、士郎さん同様あの中では明らかに異物です。

それに、士郎さんは士郎さんでなんだか目が死んでます。あれは、腐った魚の眼ですね。
推察するに、思考を放棄し「なるようになれ」というやけっぱちな気分のように見受けられます。
士郎さん自身、今の状況は不本意でしかないのでしょう。

おそらく、すずかお嬢様や凛さんに渡された情報に嘘や捏造されたものはないのでしょう。
ですが、決して事実でもなさそうですね。あの雰囲気は、明らかにお二人の予想しているそれと違います。
私自身詳しい情報をいただいていませんが、それくらいは察しがつきます。

おおかた、情報源であり、ここまで連れてきた忍お嬢様が、「面白そうだから」と情報を歪曲させたのでしょう。
忍お嬢様の悪ふざけにも困ったモノです。
「がんばれ~~」などとのんきに声援を送っていないで、何とかしていただけないものでしょうか。
さっきから近づいてきたカラスや鳩が、五メートル手前から一目散に逃げていくのですよ。

「……はぁ」
お二人ともまだ気付いていないみたいですけど、からかわれているのに気付くのが先か、それともタガが外れるのが先か。
早めに教えてしまえば被害は最小になるのでしょうが、今のお二人に何を言っても耳に入りそうにありません。
故に、遠からず訪れるであろう、士郎さんとアリサさんの悲劇が容易に想像できてしまう。
その事実に、思わず天を振り仰ぐ。
今の私に事態を打開する手はない。とはいえ、せめて冥福ぐらいは祈るべきかもしれませんね。

「ほんとうね。アリサ、大概にしないとあとで…………殴っ血KILLわよ!!」
「ここから言っても聞こえませんよ」
凛さんの物騒な発言に、つい突っ込んでしまいました。
まあ、私の発言は一切気にとめておられないようですが。

ここからはお二人の様子はわかりませんが、それでよかったと思います。
なにせ、お二人の双眼鏡からは「ミシミシ」という嫌な音が聞こえてきます。
もし今のお二人の顔が見えたら、私もファリン同様に錯乱しているかもしれません。

いけませんね。疲れているのでしょうか。
お二人の背に、般若や修羅の幻が見える気がします。
具体的には、お嬢様が般若で凛さんが修羅ですね。

すずかお嬢様、以前はあんなに内気でしたのに(間違った方向に)お強くなられましたね。
ノエルは、嬉しいのか悲しいのか分かりませんが涙が止まりません。

「あっ!? 奥に入ってく!! 行くよ、凛ちゃん!!」
どうやら中で変化が起こったらしく、すずかお嬢様が動き出しました。

ですが、凛さんはそれよりもっと早い。
すずかお嬢様が立ちあがろうとしたときには、すでにこちらに向かって走ってきているのですから。
一体いつの間に。いつ動いたのかまったく気付きませんでしたよ。
「すずか、早くしなさい!! 忍さん、盗聴器とかないの!?」
普段の冷静さをかなぐり捨てた凛さんが、乱暴な口調で忍お嬢様に詰め寄っています。

それに対する答えは……
「あるわよ。ハイ」
満面の笑みでポケットから端末を出すお嬢様。
そんなものまで用意してたんですか。

凛さんは操作の仕方がわからないらしく、差し出された端末を見つめしばし呆然としていますね。
苦手とは聞いていましたが、ここまでとは。
その間にすずかお嬢様が端末を強奪し、扉から出て行かれてしまいました。
「あ!? ちょっと待ちなさい!」
大慌てでその後を追う凛さん。

「じゃ、私たちも行きましょ。ほらファリンも行くわよ」
「え、ええぇ~~~!?」
涙目のままお嬢様に連行されるファリン。
これ以上あの二人の壮絶な気迫にあてられたくないのでしょうね。
私も激しく同意します。

とはいえ……
「……はあ」
再度溜息をつき、その後を追う私。
忍お嬢様付きのメイドとして主をほおっておくわけにもいきませんし、私に選択の余地はありません。

それに二人が暴走した時止める人間が必要でしょう。
お嬢様はきっと手を出されないでしょうし、ファリンはあの調子。
これでは、私がその役をやるしかありませんね。

できれば、穏便に片付いてくれるといいのですが。
きっと、それはかなわないのでしょうね。



SIDE-士郎

終わった。
どうしようもなく馬鹿馬鹿しくて、どうしようもなく無駄な戦いがやっっっと終わった。

とりあえず一言。
「なあ爺さん、病院に行った方がいいんじゃないか? 主に精神科」
うん、今の俺の心情はこれに尽きる。

九歳の子どもの見合い相手に、なんで十八歳の男を連れてくるかね。
年の差、倍だぞ。
アリサの三倍の年齢の俺が言えた義理じゃないが、それでもこれは正気を疑う。

「なんじゃと、この小僧!? 貴様なんぞにアリサはやらんからなぁ!!」
まあ、貰っても困るのだが……。
これは口が裂けても言えないな。言ったが最後、アリサに何をされるか分かったもんじゃない。
大体、これはそれ以前の問題だろうに。
本人の了承なしに婚約者決めようってのが、そもそも間違ってるんだよなぁ。

閑話休題

正直、このジジイが十八歳の男を連れてきた時は驚いた。
おそらく十歳前後、精々クロノと同じくらいを想定していたのに、この年齢を連れてくるとは思わなかった。
このジジイの中の判断基準を一度調べさせてもらいたくなったよ。

勝負の内容は、思いのほかシンプルで卑怯だった。
てっきり勉強関係もやらされるかと思ったのだが、そっち関係は一切なし。

まあ、助かったのだけどさ。
一応大卒程度の学力はあるつもりだが、それでもここ数年は戦場暮らしだったからだいぶ忘れている。
語学系はそうでもないが、それ以外はかなり怪しい。
相手が十八歳だということを考えると、飛び級でもしていれば俺と同等かそれ以上の学力があっても不思議じゃない。
むしろ、わざわざ連れてくるからにはそれくらいあって当然だと思う。

また、芸術系や家柄自慢の類もなかったのはありがたかった。
だけどさぁ、外見九歳の子供と十八歳のガタイのいい男でこれを競わせるのはどう考えておかしいだろう。
この爺さんは思いのほか武闘派らしく……
「伴侶の身も守れなくてどうする! というわけで、この場で決闘してもらう」
ということになった。

なにが「というわけ」なのか分からんが、普通に考えて問題あり過ぎるだろう。
アメフトのラインマン並みの筋肉を搭載した青年VS(見た目)細身の小学生
どこからどう見たって弱い者いじめにしか見えん。
勝負内容を聞いたアリサが、70年代的に「ズコー!」とこけていたのが印象的だったな。
もちろん復活するなり食って掛ったわけだが、それをキレイに無視してこの爺は決闘を開始しやがった。

真っ当な常識を持つ人間なら、結果など論ずるまでもないだろう。
そう、「常識」の範疇内なら。
俺は、その常識に思いきり喧嘩売るような存在だ。
だからまぁ、当然常識的な結果になどなるはずもないわけで。

相手の方は見た目通り大層なパワーを有していた。
スピードだってそう捨てたモノじゃない。
技術だってあった。紳士のスポーツと名高いボクシングを、ほぼプロレベルで身に付けていた。
まあ、小学生相手に拳を振るっている時点で紳士も何もあったもんじゃないが。

だが、所詮はその程度。
一般の同じ年頃なら、十中八九トップクラスの実力だろう。
恭也さんを引き合いに出すのは間違っているかもしれないが、あの人みたいに飛びぬけて強いわけじゃない。

それにボクシングなんかが相手だと、この身長差はかなり有利に働く。
向こうは身長190センチ近く。真正面に拳を突き出せば、余裕でこちらの頭の上だ。
必然、放たれるパンチはほぼ全て下に向けてのモノになる。
アッパーやフックの類など、打ちづらいことこの上ないだろう。ボディーだってやりにくいはずだ。

おかげで、懐に入りやすいったらなかった。
放たれる拳は、人外連中を相手取ってきた俺からすれば止まっているのと大差ない。
かいくぐって懐に入り込み、密着状態にしてしまえばこちらのモノ。
なにせ、一度入ってしまえばこれ以上ない安全地帯だ。後は煮るなり焼くなり思うがまま。

さすがに腹は分厚い筋肉で固められており、強化なしの素の俺の腕力でこれに痛手を与えるのはちょっと面倒。
それならということで、貫通力の高い勁を急所の水月に打ち込み動きを止める。
そのまま膝カックンの要領で膝の裏に蹴りを入れ、体勢を崩す。
後は飛びあがって顔面に掌底を入れてやれば、仰向けに倒れてくれるわけだ。
あんまり苦しめても可哀想なので、倒れた後とどめに顎につま先で蹴りを入れて昏倒して貰った。

まあ、なんだ。相手を見た目で判断してはいけない、という良い実体験になったんじゃないか、たぶん。
ところがこの爺さん。その結果に納得がいかないらしく、さっきから駄々っ子のように文句ばかり言っている。
いい加減疲れてきたので、俺としてはさっさとご退場願いたいわけだ。

「見苦しいわよ、お爺様。約束通り、大人しく婚約の件は諦めてよね」
さっきまで心配そうにしていたアリサは一度「ああ、心配して損した」と言った後、満面の笑みで要求している。
そりゃあ、アリサとしては嬉しいだろうな。
これで鬱陶しい見合いだの婚約だのから解放されるんだから。

「ぐぬぬぬ……仕方があるまい。お前たちの婚約を認めよう。
 わかっておるだろうな小僧。もしアリサを泣かせてみぃ、その時は生まれてきた事を後悔させてやるからな!」
なんだ、その脅迫は。
口惜しげにしていたかと思ったら、一瞬の落胆。そして、これ。
切り替えが早い云々以前に、この爺さんのとっぴな発言にはいい加減うんざりしてきた。

しかし、婚約者ねぇ。
俺たちには全然そんな気がないのだが、この演技はまだ続けなくてはいけないのだろうか?

そんなことを考えていると、せっかく終結に向かっていた事態を引っかき回す闖入者が、扉を蹴破る音とともに現れた。
「ちょぉっっっと待ったぁぁーー!!」
ああ、なんか聞き覚えがあるぞ、この声。
おかしいなぁ、ここにはいないはずなんだけどなぁ。
嫌だなぁ、そっちの方を向きたくないなぁ。

というわけで、知らぬ存ぜぬを決めこもうとする俺。
だがまぁ、そんな都合よくいくわけがないわけで。
「「カッカッカッ」」という足音が、俺のすぐ後ろで止まる。ちなみに、音の数は二つ。
背中には滝のような冷や汗が流れ、顔にはカエルもびっくりするぐらいの脂汗が滲んでいる。

そして、俺の肩に置かれる二つの手。
「「士郎(君)~~~~」」
「いだだだだ!!? ほ、ホントに痛い!!」
まるで、万力のような力で握られる俺の肩。
つ、爪が食い込む~~!!

「げっ!?」
あからさまに「不味い」という顔をするアリサ。
その瞳に映った像を俺の眼が捉える。
そこには、二鬼の悪鬼羅刹がいた。



SIDE-忍

すずかと凛ちゃんがお見合い会場に突入するのにやや遅れ、私とノエル、それに涙目のファリンが到着する。
目の前には、蝶番が取れかけて傾いた扉がある。
半壊した扉の外から覗き込む様に、中の様子を見る。

「さぁ、どういうことなのか説明してもらおうかしら、士郎。
 洗いざらい、キリキリ吐きなさい」
士郎君の襟首を掴んで、締め上げる形で宙づりにする凛ちゃん。
当の士郎君は口腔から泡を吹いている。あれじゃ喋るのは無理じゃないかなぁ……。
というか、意識があるかさえ怪しいわね。

で、我が妹はというと……
「どうしたの、士郎君? 黙ったままじゃわからないよ。
 カニさんみたいに泡をふく芸はいいから、はやくしてくれないかな。
この後には、アリサちゃんにも聞かなきゃならないんだから」
私でさえ見たことがない笑顔で、アリサちゃんに死刑宣告している。
それにしても士郎君のアレを「芸」か。わざと言っているとしたら、あの子も辛辣になったわ。
あの様子だと素で言っているみたいだけどね。

アリサちゃんは逃げたのかな、と思い見回してみる。
いやまぁ、ね。今のあの二人がアリサちゃんを逃がすとは思えないんだけどさ。

だけど、だからこそおかしいな。どこにもアリサちゃんが見当たらない。
(もしかして、本当に逃げおおせたのかしら? でも声はするって、あれは……)
ああ、私も年かなぁ。それとも、無意識的に視線から外してたのかしら。
アリサちゃんはいた。それもすずかのすぐそばに。
厳密には、首をすずかにがっちりホールドされているのだ。
服なら脱いで逃げることもできるけど、あれじゃあ逃げられないわ。
なんかこう、いつでも首をへし折れますって感じに握ってるわね、あの子。

さすがのアリサちゃんも絶望に震えているかと思ったが、意外にもそれは違った。
「わははは! つまりその小僧は嘘っぱちというわけじゃな。
 では、あの約束は無効じゃ、無効! 次こそはお前に相応しい男を連れてくるから、楽しみにしとれよぉ!!」
何やら元気にまくし立てるご老人。確かあれってアリサちゃんのお爺さんだっけ。

それに対してアリサちゃんはというと……
「ふざけんじゃないわよ!! お見合いなんて、もうごめんだわ。二度と連れてくるなぁ!」
絶望的状況にもかかわらず元気いっぱいに叫んでいる。
状況がわかってないのか、それとも単に忘れているのか。

アリサちゃんの御両親は……ああ、いたいた。
窓際の椅子に座ってお茶飲んでるわ。
うん、見て見ぬふりを決め込んでいるようね。
たぶん、この状況じゃ一番賢明なんじゃないかなぁ。

ところで、あそこに転がってる黒いのは何かしら?
みんな気にしてないみたいだし、おそらく大したことはないのだろう。

って、あれ? その黒い物体が身じろぎしている。
ああ、よく見たらさっきアリサちゃんのおじいさんの横に座っていた人じゃない。
なんであんなところで寝てたのかしらね?

おぼつかない足取りですずかたちの方へ歩いていくが、何をするつもりだろう。
背後から二人に話しかけているみたいだけど、二人揃って無視してる。

どうやら彼はあまり気の長い方ではないらしい。
焦れてきたのか二人の肩に乱暴に手をやる。
あちゃぁ、止めに入った方がいいかもしれないわね。

そう考えて身を乗り出すと……
「「邪魔(です)!!!」」
と、かなりすごい剣幕で怒鳴る二人。

振り向きざまにすずかの肘が彼の鳩尾に、凛ちゃんの膝が股間を打つ。
すずか、鳩尾に肘だと下手すると死ぬわよ。特に、私たちの力だとシャレにならない。
それと凛ちゃん、男の人相手にそれはエグイわ。

ほら、せっかく起き上ったのにまた悶絶して倒れちゃったわよ。
プルプルと震える背中が哀れだわ。
場の空気を呼んでいなかったとはいえ、さすがにアレはちょっと、ねぇ。

そのまま突っ伏した名も知らぬ誰かを無視して士郎君への追及を再開する二人。
自分の半分ほどの年齢の少女に歯牙にもかけられない男かぁ。
なんていうか、特別運の悪い人っているのねぇ。


「お嬢様。これは、どうすればよろしいのでしょうか?」
ノエルが困惑も露わに聞いてくる。
ああ、珍しい表情ね。あなたがこんな反応するなんて、長い付き合いだけど初めてじゃないかしら。

いやまぁ、気持ちはわかるわよ。こんなカオス、一体どう対処していいか分からないわよね。うん、私もよ。
「それは、あまりに無責任ではないでしょうか。
 ある意味これは、お嬢様が仕組んだ事なんですから」
まあ、元凶って言えば元凶よね。
私がすずかや凛ちゃんにリークしなければ、とりあえずこんなことにはならなかっただろう。

だが……
「ノエル。これ、人間に何とかできると思う?」
「……………………」
私の質問に、沈黙で持って答えるノエル。
まあ、それが何よりも雄弁にこの状況を説明してる。

「ノエル。この場合の沈黙って、できないって肯定しているのと同じよ」
別に恥じることじゃないわ。
この状況を収拾できる人がいれば、私もあってみたいモノ。
いやぁ、半ば私が仕組んだようなものとはいえ予想をはるかに超えてるわ。

「それじゃ、みんなが落ち着くまで待つとしましょ」
たぶん、これがこの状況での最善だ。
適当に騒げばみんな落ち着くだろう。


思いのほかこの混乱は長く続き、事態が沈静化したのは二時間後のことだった。






あとがき

外伝アリサ編をお読み頂き、ありがとうございます。
コンセプトは「ドタバタ」かな? すいません、ちょっと自分でも自信ありません。
後、穴だらけなのはあまり気にしないで下さると助かります。

今回、士郎には一片の非がないにもかかわらず不幸な目にあってもらいました。
アリサの外伝を考えている時に、皆さんからお寄せいただいたアイデアに「アリサが誘拐される」と行ったものがあり、それそのままだとつまらないので「逆にアリサに誘拐してもらおう」というのが発端です。
後は、久々にすずかの黒化が書きたかっただけですね。

さて、次の予定としては夜の一族関係をやろうと思っています。
他にはフェイト編と凛との甘々が書けたらいいんですが、もし上手くいかなさそうならやらないかもしれません。
どうなるかは多分に流動的であり、また作者の気分とアイデア次第です。

今月中にもう一度出せたらいいんですが、暇を見つけるか、気分転換に書いてる状態なので、いつになるやらといった感じです。
まあ、気長にお待ちください。



[4610] 外伝その5「月下美刃」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2009/05/05 15:11

SIDE-忍

まあ、こんな平穏がそう長く続かないなんていうのははじめからわかっていたこと。
事の原因を元から断てていたわけじゃないんだから、遅かれ早かれこの時が来るのは避けられない。

だが、それでも長く持った方だろう。
前回の大規模な掃討作戦から約一年半。
あの時全てにケリをつけられていれば何の問題もなかったのだけど、少なからず取りこぼしがあった。
中心人物の大半は捕えるなりなんなりしたけど、逃げるのがうまい小物にまでは手が回らなかった。

小物だけになってしまえばもうこっちに手を出さないかと思ったけど、小物だからこそ強欲ということらしい。
圧倒的不利でありながら諦めることを知らず、一か八かの賭けに打って出る無謀さは無視できない。
そして、その賭けは分こそ悪いが勝った時の配当は途方もなく大きい。

文字通りのハイリスク、ハイリターン。
連中はリスクに目をつぶり、配当のみを見ている。
いや、どちらかというとそれに目がくらんで、真っ当な判断力を失っている感すらあるけど。
だが、可能不可能で言えばかろうじて可能だから厄介なのよね。

この一年半は、連中に残った最後の理性が奮起した結果だ。
いくらなんでも指揮系統や財政基盤がガタガタで、武器も拠点もないんじゃどうしようもない。
この一年半は最低限の準備を整える期間だったのだろう。
連中にとって幸運だったのは、ろくに拠点も定めていなかったこと。
半ゲリラみたいな状態だったせいで、一つや二つ潰したくらいじゃ何の解決にもならなかった。

とはいえ、間接的には可能な限りちょっかいを掛けてきた。
あの後もいろいろ裏工作をし続け、資金や人材が流出するよう仕向けてきた。
その成果は着実に表れている。以前の勢力はもはや見る影もない。
準備が整うのにこれだけ時間がかかったのが証拠だ。

ただでさえ分の悪い賭けは、なお一層悪くなっている。
ま、連中からすれば「ゼロじゃないだけ試す価値がある」なんて考えなのかもしれないけどね。
窮鼠猫を噛むなんて言葉があるけど、連中はその一噛みさえうまくいけばいいのだ。
それだけで、連中は莫大な配当が得られる。
なりふり構わず、ただその一点だけを目指してくるからこそ、圧倒的有利にあるはずの私たちにも余裕がなかった。


そう、「なかった」のだ。つまりは過去系。

数ヶ月前、私はこれ以上ない隠し玉を得た(厳密には、対等な協力関係というのが妥当だけど)。
長い夜の一族の歴史の中でさえ知られていない技術を有した子どもたち。
誰もその能力の詳細を知らず、自動人形と正面きって戦える御神の剣士と互角以上に渡り合える実力の持ち主。
そして、連中はあの子たちの存在そのものを知らない。

情報に勝る武器はなく、想像すらしていないような戦力ほど怖いモノはない。
故に、これほど強力な手札もない。
なにせ、あれだけの戦力を有していながら、あの子たちの外見は普通子どものそれだ。
その上私とその周りのごく一部の人間以外、彼らに関する情報を持っていない。

以前だったら危なくてできなかった作戦が、今なら可能。
それと前後して、残党が戦力を集中しているという情報を得た。
いよいよ連中も、最後の賭けに打って出るのだろう。

まさに好機と言っていい。
上手く事が運べば、今度こそこのくだらない争いに終止符が打てる。

故に、長年の因縁にケリをつけるべく、あの二人に温めていた作戦への協力を依頼するべく家に招いた。



外伝その5「月下美刃」



SIDE-士郎

「はぁ、南海の孤島……ですか?」
夏休み終盤。凛共々忍さんに呼ばれて持ちかけられたのは、月村家所有のリゾート地へのお誘い。

怪しげな発明大好きで少々マッドな忍さんは、それと同じくらい自然も好きなのだそうだ。
無秩序かつ周囲との調和を考えない開発は趣味ではなく、自然は自然のままにしているからこそ美しいという考えの持ち主。
そのせいか、その島もリゾートと言えば聞こえはいいが、ほとんど自然のまま放置している無人島みたいな場所らしい。
あるのは、精々滞在中の住居となるコテージ一軒のみなんだとか。
いや、御立派です。

参加者は月村姉妹(メイドさん付き)と高町家の恭也さん、そして俺と凛という何やら妙なメンツ。
普段ならこのメンバー以外にも、高町一家やアリサあたりも参加するところだ。
また、忍さんと恭也さんのカップルでの旅行にしてはお邪魔虫が多すぎる。

となると、何かしら裏があると考えるのが普通だろう。
「あの~つかぬことをお聞きしますが、この意味深なメンバーには何の意味があるんですか?」
だってなぁ、このメンツの共通点って「魔術を知っている人たち」ってところだぞ。
厳密に言えばなのはも知ってるけど、この人たちはそれを知らないのでここでは除外。
とにかく、そんなメンツでの旅行となるとそれなりにあやしさが醸し出てくるわけで。

俺の言葉に苦笑を浮かべる忍さん。なんだかバツが悪そうにしている。
「あぁ~……やっぱりわかる?
 実はね、以前話したウチの資産とか利権とか、その他もろもろを欲しがってる連中に動きがあるのよ」
月村家は夜の一族内でも由緒正しい家系らしい。
当然、洋の東西裏表を問わず色々なものを持っているし、知っている。

そういったものを欲しがるのは人の常。
月村家の有するそれらを手に入れれば、人生数回豪遊してなお余りある。
一般家庭だって、遺産相続やらなにやらで肉親間のいざこざは絶えない。
歴史が古く、色々と秘密の多い一族ともなれば尚更だ。

「その連中の相手をしろって言うんなら別に構わないわよ。
 元からそういう契約だし、あなたたちにいなくなられたら私たちも困るしね」
凛は砕けた口調で答えを返す。
表面的には利己的に聞こえるが、その実、声には暖かな響きが含まれている。

この人たちがいなくなったら困るのは確かだ。
だがそれ以上に、凛はこの人たちのことを気にいっているのだろう。
だからこそ、それが自身の手の届く範囲なら可能な限り便宜を図る。
まあ素直じゃない奴だし、貸し借りははっきりさせる奴だからそれなりの対価は要求するだろう。
ただし、それはこの人たちを気にいっているからこその貸付だ。捻くれてるなぁ。

「ごめんね。そう言ってくれると助かるわ。ありがとう」
忍さんはそんな凛に深々と頭を下げる。
いくら契約があるからとはいえ、あまり手を掛けさせたくないのだろう。
契約を交わすときにも、極力手を借りないようにするみたいなことを言ってたしな。

「で、何で南海の孤島なわけ?
 普通にここで迎え撃つんじゃいけないの?」
まあ、当然の疑問だよな。
ここの警備システムは並みじゃないし、かなりの広さがあるからドンパチやっても周囲に迷惑をかける可能性は低い。
俺の工房だってあるし、この土地一の地脈のポイントであることを考えれば、最高の条件と言える。
なのに、なぜわざわざその優位性を捨てるようなことをするのだろう。

「それができれば一番なんだけどね。
 連中ももう後がないし、今度は本当になりふり構わずに来るかもしれない。
そうなると、周りに本当に迷惑をかけないって保証はないのよ」
追い詰められた人間は何をするか分からないし、忍さんの危惧も最もか。
切嗣みたいな人間がいたら、石油を満載したトラックを突っ込ませるくらいするかもしれない。

「それに、今回の私たちには囮の意味もあるのよ。
 食いついてもらうには、それなりに美味しそうで一見安全な餌が必要でしょ。
 こっちに食いついて手が薄くなっている間に、別動隊にボス格を捕まえてもらおうってわけ」
なるほど。半ば烏合の衆に近い連中らしいが、それでもまとめ役はいるはずだ。
それを何とかしない限り、根本的な解決にはならない。
また、そういったまとめ役が最前線に出てくることはまずない。
だからこそ、別動隊を使って根元を断つ作戦なのだろう。

この別動隊は隠密性が命だ。
知られない、あるいは気付かれないうちに奇襲をかけ、一気に制圧しないと意味がない。
となると、あまり大人数を動かすわけことはできないな。
それ故に、自分たちを囮にして少しでも敵戦力をこちらに引き付けたいのだろう。

おそらく、わざと情報を流出させているはずだ。
そして、連中もそれが罠だってことには気づいているだろう。まさかそこまで楽天的なはずはないし。
だが、そのリスクと天秤にかけてもなお、この餌は魅力的だ。
故に、十中八九忍さんの狙い通りに動くだろう。
連中にとっても、これは絶好の好機なのだから。

しかし、問題がないわけではない。
「でも、そうなるとこっちの戦力には不安がありますよ。
 実質、俺と凛、それに恭也さんとノエルさんにファリンさんぐらいじゃないですか」
いくら勢力が衰えているとはいえ、この人数だけでやりあうのはちょっと苦しいと言わざるを得ない。
そりゃあ、奥の手を使えばその限りじゃないけどさ。

しかしそんな俺の考えとは別に、忍さんが少し驚いた表情を浮かべる。
「あれ? ノエルたちが戦えるのって知ってたっけ?」
「まあ、一応。
ファリンさんの普段の様子を見ていると信じられないモノがありますけど、明らかに戦闘を意識してますよね」
そう、あの二人は一見ただの美人さんだが、その内には生半可じゃない戦力を有している。

忍さんは顎に手を当てて思案する。
「ああ、構造解析ってのができるんだったっけ。
 じゃあ、二人の体のことはわかってるんだ。
 もしかしてはじめから?」
「いえ、複雑すぎて一見しただけじゃわかりませんでしたね。
 握手した時に無意識に解析しちゃって、それで……」
俺の解析は、基本生物と複雑な構造をもつモノには使用できない。
無理にやろうとしても「何もわからない」という一括りになってしまう。
あの二人ほどになると、直接触れない限り解析そのものを受け付けないのだ。
仮にしても、たいしたことはわからないけど。

「じゃあ、あんまり詳しいところは知らないの?」
「そうですね。取り立てて聞くようなことじゃありませんし、ほとんど何も知らないと言っていいですね。
 せいぜいやけに複雑な構造をしてるってのと、手の甲と拳にレアメタルが入っているくらいかと」
アレで殴られたら痛そうだよなぁ。
推測だけど、人間とは段違いのパワーがありそうだし。
その腕力で殴られたら、下手すると胴体がちぎれるんじゃないか?

俺の言葉に何やら嬉しそうな表情をする忍さん。
何がそんなに嬉しいんだろう?
「へぇ、そういうことはわかるんだ。
 う~ん、じゃあまず大雑把な説明だけしておこうか。
 向こうがノエルたちと同じのを連れて来ないとは限らないし」
というわけで、そのまま忍さんの夜の一族講座が始まった。


要約すると、ノエルさんたちは自動人形という、大昔の夜の一族が作ったロボットのような存在らしい。
今となってはその技術の大半は失われ、現代科学ともまったく別種のモノ。
これに手をつけられる技術者は五人に満たず、その一人が忍さん。
現在、まともに稼働しているのは三十程度らしい。
当然、それらを売ればとんでもない金額になる。具体的には何十億って値がつくそうだ。
凛の眼が一瞬怪しく輝いたのは、きっと気のせいだ。

で、ノエルさんは忍さんが親戚の家でガラクタ同然にしまわれていたのを譲り受け、数年かけて修理したのだそうだ。
ファリンさんも割と似たような出自らしい。
ただファリンさんの場合、ガラクタというよりも、未完成のまま放置されていたのを見つけてきて組み上げたと言うのが正しい。つまりは半分自作。
ノエルさんの修理である程度勝手はわかっていたそうだが、それでもプログラムあたりはほとんど自力で組み上げたんだとか。
そのため少なからず不備があるというか、早い話、あのドジっ子ぶりはプログラムが完全じゃないかららしい。
アレはアレで味があるので、特に手を加えるつもりはないみたいだけど。


「とまあ、大雑把なところはこんなところね。
 戦闘能力は、ノエルで恭也といい勝負ができるくらい。
 ファリンはちょっと基礎プログラムが未熟だから、二人ほど高くはないかな。経験も少ないしね」
恭也さんと同等か、それはとんでもないな。
あのレベルが二人いるってだけで、だいぶ違ってくる。
忍さんの強気はこれが理由か。
まあ、二人への信頼が一番の理由だろうけどさ。

「まあ、自動人形だからこそ人間とは違ったこともできるし、戦闘関係はノエルや恭也に聞くと良いと思うよ。
 他に、何か聞きたいこととか欲しいモノってある?」
「えっと、とりあえず忍さんとすずかの能力を教えてください。
 あとは、その囮旅行の日程と島の詳しい地図ですね」
無論、二人に戦わせる気なんてない。
だが、何が起こるか分からないのが戦場だ。
万が一にも二人に危険が迫ったりしたとき、どの程度までなら自力で何とかできるか聞いておかないと。

「日程と地図は後で旅のしおりを配るわね♪」
「旅のしおり」ですか。どこの遠足だよ。

「で、私たちの能力だけど、身体能力は恭也ほどじゃないけど高いわね」
魔術とか特殊能力抜きの素であれって、恭也さんはほんとに人間かね。
あんなのを量産する御神の剣士って、とんでもなく危険なんじゃないか?

「再生能力も高いけど、これは直接関係ないから省略するわよ。
とりあえず、そう簡単には死なないって思っておいて。
 私個人の能力としては、眼を合わせた相手への心理操作とかかな。
 ただ、効果が出るまでに数秒かかるの」
つまり中身、それも精神に向けての干渉ができる魔眼ってことか。
かなり強力な能力だが、効果が出るまでに時間がかかることを考えると、実戦ではあまり役に立たないな。

戦闘ではコンマ一秒が生死を分ける。
効果を発揮する前に殺されてしまえば意味がない。
捕まえた相手から情報を引き出したりするのには問題ないが、それ以外だと使い所が難しいな。

「すずかは、ね。あの子は血が特に濃いのか、かなり強力よ」
「え? そうなんですか」
ちょっと意外。あんまりそういう印象がないからな。
だが、それだと納得のいくことがある。

すずかは忍さんに比べ、随分夜の一族であることを気にしていた。
忍さんに恭也さんという半身がいるのを抜きにしても、すずかのアレはかなり深刻すぎた気がする。
しかし、血が濃いとなれば話が別だ。
血が濃いということは、それだけ普通の人間から離れるという事でもある。
どんな能力かは知らないが、強力すぎる能力が一層嫌悪感を与えていたのだろう。

「うん。すずかの能力も基本私とおなじ「見る」ことが鍵よ。
 ただ、すずかのそれは物質に直接作用するの。
 それもほとんど発動までに間がない」
つまり即効性があるってことか。
強力云々はともかく、内面に働きかけるよりも直接的に作用する方が派手だからな。
すずかの性格だと、あまり好きになれない能力だろう。

「それは、どんな?」
「簡単に言うと、圧縮かな。
 焦点を合わせた対象に全方向から力が加わって、押し潰すのよ」
それはまた……エグイな。
思い切り破壊の力ってわけか。それも応用が効きそうにない。
すずかが嫌うのも無理はないな。
これは、何としてもすずかに戦わせるわけにはいかない。

「それにリスクというか、使う力が強ければ強いほど必然……」
忍さんは言いにくそうに言葉をきる。

使う前かそれとも後かはわからないが、おそらく血が必要になるのだろう。
まあ、それくらいはな。
種としてそういうものなんだから、こればっかりはしょうがない。
別にたいした問題じゃない。要は使わせないようにすればいいんだ。

「ああそれと、夜の一族って実は二種類あって、私たちみたいなのとは別に人狼みたいなのもいるのよ」
そんなのもいるのか。
まあ、どっちも夜の世界の住人だから驚きはしないけどさ。

「ちなみに獣耳と尻尾があって、その手の人たち的には夢のような容姿よ」
なんですか、そのどうでもいい後半部分の情報は。
せっかくシリアスだったのに、いきなりぶち壊しにしてくれちゃったよ。


まあ、とにかくだ。
日ごろからお世話になっている雇い主の一大事。
しっかり役目をこなし、平穏を勝ち取る一助になろう。



  *  *  *  *  *



忍さんに旅行の話を持ちかけられてから一週間が経った。
俺たちは当初の予定通り、月村家所有の南海の孤島で表面上はバカンスを楽しんでいる。
そう、極一部の例外を除いて。

おっかしいなぁ。
俺、一応名目の上ではリゾートでバカンスを楽しみに来たはずなんだよね。
なんで一人汗水たらして森の中にいるんだろう。

いや、本来の目的はバカンスじゃないんだからこれが当然なのだろう。
だが、他のみんなはしっかりバカンスを楽しんでいる。
各々水着を着て、今は海岸で海水浴を満喫している。

こっちに来る前にチラッと見たが、イヤ眼福だな、あれは。
忍さんもノエルさんも、それはもう御立派なものを持っていらっしゃる。
それもノエルさんは白、忍さんは黒のビキニなんだから、逆に目のやり場に困ってしまいそうだった。
実際、恭也さんの顔の赤かったこと。
何とか目を逸らしていたが、どちらかというと直視できないって感じだったな。
たぶん、忍さんにいいようにからかわれているんじゃないだろうか。
まあ、それがあの二人のコミュニケーションなのだろう。

ファリンさんやすずかだって、素材がいいんだから当然その水着姿も映える。
ただまあ、ファリンさんのアレは決し声に出して突っ込まない。
だから心のうちで考える。な~んであの人だけスク水なのかね。ちなみに紺。
誰の趣味かはあえて問うまい。結果なんてわかりきっている。
まあ、似合ってはいたんだけどさ。
ただ、南国のビーチにスク水ってどう考えてもミスマッチだ。

すずかがまともな水着だったのは、たぶん忍さんに残された良心だろう。
髪をポニーテイルにし、薄紫のシンプルな水着を着ていた。
これといって特徴のない水着だったのだが、そのシンプルさが逆にすずかのイメージに合っていた。
将来の可能性を期待させるには、十分すぎる片鱗も見られた。
あれは、十年後には相当な猛者になるだろう。

凛は、やはりイメージ通りの赤い水着。ただしセパレート。
子どもの体になっているので、本来なら「可愛い」が先立ちそうなものなのだが、内から滲みだす何かのせいで、どちらかというと「カッコイイ」という感じがするのが実に凛らしかった。
こちらは逆に未来の結果を知っているので、記憶の中のそれと対比するのはちょっとおもしろかったりする。
まあ、あいつとしては過去を超えるのが密かな目標みたいだし、その努力が報われてほしいモノだ。

だが、それらを見てしまったからこそ虚しい。
あちら側に引き換え、俺は森の中でせっせと罠を設置している真っ最中。
恭也さんを除いたメンバーはみんな女性だから、こんな泥臭い作業をさせるのには抵抗がある。
また、剣士の恭也さんにこれの手伝いを期待してもしょうがない。
山籠りとかしてそうだし、動物相手の罠くらい知ってるだろうから、全くできないってことはないはずだ。
だけど、この罠は普通のそれと違うからあまり役に立たない。

そうとわかってはいるが、あっちが半ば天国みたいなもんだからこっちの虚しさが際立つ。
材料を取りに船の方に来たところで凛の声が掛かる。
「ちょっと士郎ー!! アンタもさっさと終わらせて早く来なさいよぉ~。
 女待たせるなんてマナー違反なんだからねぇ~!」
「終わるか!! どれだけあると思ってんだ!」
そう、とてもじゃないが「さっさと」なんて終わるわけがない。
森中に罠を仕掛け、コテージの周りには結界を張る準備までしなければならない。
結界の準備くらい手伝ってくれてもいいだろうに、そういうことは手伝ってから言えってんだ。

「えっと、わたし手伝おうか?」
「ありがとな、すずか。だけど基本的に重いモノばっかりだし、術の準備はすずかじゃ無理だろ。
 それにすずかは戦闘要員じゃないんだから、思いっきり楽しんできてくれ」
「ちょっと、何よその扱いの違いは」
控え目に申し出るすずか。それに引き換え、不満そうな顔をする凛。
扱いが違うのは当然です。
すずかはちゃんとこっちを気遣ってくれてるけど、お前さっきから遊んでばっかりじゃないか。
最終的には遊んでいるという結果に行きつくが、その過程が全く違う。

「それと、準備だけは済ませておくから、結界の方は頼むぞ。
 もちろん、夜に備えて遊び過ぎるなよ」
「あのねぇ、いくらなんでもそこまではしゃいだりしないわよ。
 そっちこそ、ちゃんと地形の把握を済ませておきなさいよ。
 あとで案内してもらうんだからね」
まあ、これが今回の役割分担だ。
俺が準備をし、凛がその仕上げを担当。
著しく俺の苦労が多い気もするが、今更なのでもはや諦めは付いている。
ただ、嫌味の代わりに文句と愚痴を言うくらいは良いだろう。

「しかし、本当によろしいんでしょうか。
 私やファリンだけでも……」
「大丈夫ですよ。それに女性にこんなことさせるのも悪いですしね」
ノエルさんとファリンさんも手伝いを申し出てくれるが、今のうちくらい楽しんでもらいたい。
特にノエルさんは、後で一緒に前線に出てもらうことになっているのだ。
あまり気は乗らないけどな。

「士郎がいいって言うんだから大丈夫よ。
 今はしっかり遊んで楽しみましょ」
少なくともお前が言うようなことじゃないと思うんだが、どうよその辺。

そんな凛の言葉に、ファリンさんがちょっと気まずそうにしている。
「でも、私たちは自動人形なんですよ。なら、そういったことも私たちの仕事ですから……」
「そんなことは関係ありませんよ。
 自動人形だろうとなんだろうと、二人が女性なのには変わりませんしね。
 それと、その自動人形だからって言うのはやめましょう」
そう。正直そういう言い方は好きじゃない。
そんなこととは無関係に俺はこの人たちが好きだし、力になりたいと思うんだから。

「さて、だいたい荷物は降ろしたし、俺は罠の設置がてら地形の確認をしてきます」
そう言い残して、両腕に大荷物を抱えて森の中に入っていく。

「しっかりねぇ~」
後ろからは凛の何やら適当な声が掛かる。
あいつめ、あとで憶えてろよ。



  *  *  *  *  *



だいたい二時間ほど経っただろうか。
まだ罠の敷設は完了していないが、だいたいの地形は把握できた。
それで得た結論は……
「なるほど、忍さんがこんな一見無茶なことを考えたのも納得だな。
 守るに易く、攻めるに難い地形ってわけか」
地図を見てわかってたことだが、改めて実感する。

島の外周は三方を岩礁と断崖絶壁に囲まれ、船がつけられるのは一か所だけ。
まあ、それでもよじ登れないこともないし、落石と爆弾のトラップを仕掛けてある。
これなら、そう簡単には侵入できないはずだ。

島の中心部は小高い丘になっており、その真ん中には一際背の高い巨木がある。
ここからなら監視もしやすい。
こちらの動きは向こうには把握し辛く、逆にこっちは相手の動きを容易に把握できる。

森の方も、そこまで大きくはないがまさしく原生林。
これなら罠を張ってもそう簡単には見つからないだろう。
その上、ところどころ崖もある。
素人が歩き回るにはかなり危なっかしい。

ましてやコテージは森の最深部。
詳細な地図がなければ、この森自体が天然の迷路だ。
故に、そこに到達するのは容易じゃない。
こんなところに建てた人の気がしれないが、今はそれがありがたい。
案外、本当に隠れ家とかのために建てたんじゃないか?
結界も用いれば、一切手を出さなくても勝手に迷ってくれるだろう。

「とはいえ、常識の通じる相手ってわけでもないし、備え過ぎってことはないか。
 第一次防衛ラインで片をつけられれば一番だけど、そう思い通りにはいかないだろうな」
防衛ラインは大まかに分けて三つ。
第一次は海岸線付近の開けた場所。ここはほぼ全てが俺の担当。
第二次は、森に入ったところに鬼のように仕掛けたトラップの山。ここは俺と凛の管轄になる。
で、第三次が森の中心部一歩手前。ここまでこられたら、小細工なしの純粋なぶつかり合いだ。担当は、俺と恭也さんにノエルさんの白兵戦担当組。
一応、保険としてコテージには凛とファリンさんが控えることになっている。
万が一、本当に万が一全てを突破された時のために、二人にはすずかと忍さんの護衛をしてもらわなければならないからだ。

「しかし、こうして考えてみると、俺働き過ぎじゃないか?」
ほぼ全ての防衛ラインが担当で、その上今もこうして労働に勤しんでいる。
普通こういうのって、もっと平等に役割分担するものだよね。
ああ、見栄はるんじゃなかったかも。

まあ、俺の罠はちょっと特別だから、俺自身で位置を確認しておかなければ意味がない。
それに念のため仕込みをしておいた方がいいし、役割分担のしようがなかったのも事実。
せいぜい誰かに罠の設置を手伝ってもらうのが関の山。
俺の労力はそれほど変わらないだろう。

「さて、あとで凛には罠の位置を説明して、恭也さんたちには各々の担当する場所を教えないと」
罠で敵の動きをコントロールするつもりだから、罠を抜けられた場合に連中が出てくる場所もある程度想定できる。
どこから来るか分かっていれば、だいぶやりやすくなるはずだ。

「ま、忍さんたちの前でなら魔術だけじゃなく、魔法も使用可なのはありがたいな。
魔術の一種ってことでごまかせる」
街中だと、たとえ深夜でも魔術や魔法を使うのは避けなければならない。
だが、ここにはそっち方面関係者しかいない。
だから、気兼ねすることなく使えるし、切れる手札が増えるのは助かる。

特に凛のバインドやケージは、いざという時に役に立つ。
アレなら殺す心配がないのだから、思う存分やれるというものだ。

引き換え、俺の方はやっと使えそうな魔法が見つかったのに、まだ練習中の段階。
今主に練習しているのは二つだが、どっちか一つでも完成していればかなり楽になっただろうに。
練習を始めたばかりだから、仕方がないって言えばそれまでなんだけどさ。
それにまだ適性があると決まったわけじゃないし、他に比べれば希望がありそうってだけ。
だが、もし完成すれば、あれらは俺の戦術の幅をかなり広げてくれる。
ま、片方は燃費が悪く、もう一方は俺単独での実戦使用は難しいだろう。早くデバイスが欲しい。

「魔法の使用をバックアップしてくれる設置型の術式でもあればいいんだけど……。
って、ないものねだりしていても意味がないな。
 今は、今あるモノで最善を考えないと」
そんな自分の思考に自嘲してしまう。
今この場で使えなければ、それは存在しないのと同じだ。

さあ、さっさとここの仕込みを済ませて次に移らないと。



  *  *  *  *  *



襲撃やらなんやらというのは、夜討ち朝駆けが基本。
それが、襲撃をあらかじめ予想されていると知っていれば尚更だ。

たとえある程度来る時間が想定できているとしても、それ以外の時間を疎かにしていいわけではない。
必然、すべての時間帯に警戒を払わなければならないのだ。
人間の集中力や警戒心には限界がある。
常に緊張の糸をはり続けられるわけではない。

その上、こちらはローテーションの組みようがない少人数。
心身に蓄積する疲労を分散させることができず、長引けば長引くほど不利になる。
当然、連中だってそこを狙ってくるはずだ。


すずかや忍さんたちは今頃夢の中だろう。
俺は島の中心部に堂々とそびえる巨木の頂上から周囲を警戒している。
恭也さんやノエルさんは随分前に所定の位置に付き、三十分ごとに連絡を取り合っている。

対して、凛やファリンさんとは結構密に連絡を取っている。
特に理由はない。
残りの二人は割と無口なほうなのだが、こっちの二人は結構おしゃべりでそれに付き合わされている感が強い。

「しっかしあんたねぇ、どうして夕食に蛇なんて捕ってくるのよ。
 食料の類は十分あるんだから、そんなの要らないじゃない」
「いや、それは悪かったって。単なる冗談のつもりだったんだけど、あそこまで驚くとは思ってなくてさ。
 ほら、昔は蛇以外にもカエルとかネズミとか、色々とって食べたから懐かしかっただろ」
いや、あの頃はほんと大変だった。
食料の調達は死活問題だが、そう簡単にはいかない。
時にはサソリとか、その辺の幼虫とかにまで手を出したりしたものだ。
でも、油で揚げたりするとサクッとしてていけるんだよなぁ。

「うぇ、嫌なこと思い出させないでよ」
「何を今更。食えるだけマシだったろ」
文句を言いながらもしっかり食ってたじゃないか。

そんな会話をしていると、ファリンさんが若干引き気味な声で聞いてくる。
「えっと、そんなものまで食べてたんですか?」
「まあ、あの頃は生きるだけでも大変でしたから……。
 っと、どうやらお客さんだ」
俺の一言に、通信機越しでも緊張が走るのが伝わってくる。
時刻は四時を回ったところか。
おおむね予想通りの時間だな。

船の数は三隻。
どれくらいに人数が乗っているかはわからないが、それなりに数は揃えているのだろう。
ここで沈めてもいいんだが、それでも全員戦闘不能にできるわけじゃない。
バラバラに上陸される方が面倒だ。一網打尽にしてしまうのが理想だし。
なにより、後々捕まえた連中の移送にアレらは使えるから、できれば残しておきたい。

というか、今まさに俺たちが乗ってきた船が沈められた。
積み荷を全て降ろしておいて正解だったな。
他に停泊できる場所もないし、やるんじゃないかとは思っていたが、本当にやりやがった。
逃がさないためだろうが、相当古いとはいえ船一隻沈めるなんて、もったいないことをしてくれる。
沈められることを前提にアレを借りた、俺たちが言えた義理じゃないけど。

やはり、連中の船を沈めるわけにはいかないな。
帰りは制圧したアレに乗っていくしかないのだから。

少し離れた沖合に船を止め、ボートを使って連中が上陸してくる。
「数は四十……いや、四十五人。さすがに、自動人形の判別までは無理か。
だが、装備の方はなかなか充実しているな。
防弾チョッキにアサルトライフル……ふむ、なかなか豪勢だ。
 ああ、それとスペツナズ・ナイフもある。前線組は気をつけた方がよかろう」
動きにも無駄がない。それなりに訓練を積んでいることがうかがえる。
見える範囲内の情報を可能な限り伝える。

「思いのほか数が多いが、それも含めて想定内だ。
 各員所定の位置に付き、各々の役目をこなすとしよう」
そう言って手にした弓を構える。

弓はともかく、矢は投影したものではない。
一々矢を投影していては魔力がもったいない。
いつもと違い、今回は防衛戦だ。準備に怠りはない。
この先まだ余剰戦力がないとは限らない以上、可能な限り温存するべきだ。

俺の横にはおよそ五十の矢を収めた筒がある。
そこから矢を抜き取り弓に番える。
さあ、ここでどれだけ削れるか。

聞こえるはずもないが、これぐらいは言っておく。
「遠路遥々来てくれたというのに申し訳ないが、早速お帰り願おうか」
強化した視力で敵を捉え、イメージを見出し引き絞った弦を離す。
敵からすれば、想定外の攻撃。
矢はイメージと違わず敵の腕に突き刺さる。

向こうは夜の一族。
この程度の負傷ならそれほど大事ではない。
だからこそ厄介であり、同時に多少手荒にしても命の心配はいらない。

無論、夜の一族対策はしてある。
矢を受けた男がその場に倒れ伏す。
よし、ちゃんと毒は効いているようだ。

用意した矢には、すべて毒が塗ってある。
矢だけで動きを封じようとすると、殺すか、あるいは足を潰すしかない。
中てるだけならともかく、中てる場所を選んでいるとただ中てるより少し時間がかかる。
だが、一々そんなことをしていては時間が足りない。
とにかく数を射て、少しでも多くの戦力を削らなければならない。

そのために有効なのは毒だ。
麻痺毒でも塗っておけば、かすめるだけでも動きを封じられる。
あまり趣味ではないが、そうも言っていられない状況なら選り好みする気はない。

「さて、この調子でいくか」
新たに矢を番え、間断なく連射していく。
矢が放たれるたび、一人また一人と敵が減っていく。
それほど強力な毒でもないし、夜の一族なら四・五時間もすれば抜けるだろう。
まあ、風邪くらいはひくかもしれないが、自業自得というものだ。

だが、敵の対応力もなかなかのモノ。
すぐさま森の方に駆けていき身を潜める。
仕留められたのは十三人か。
出来れば半数くらいは削りたかったが、上手くいかないな。

倒れてる連中に念のため攻撃してみるが、情にひかれて出てくる気配はない。
こちらの狙いがわかっているのか、それとも単に仲間意識が薄いのか。
出てきたところを芋蔓式に仕留めようと思ったのだが、あてが外れた。

「敵は森に入った。プランBに移行する。
凛、頼めるか?」
「当然。ちゃんと把握してるっと、早速かかった!
 士郎、十一番」
「了解。『投影、消去(トレース・カット)』」
凛からの報告を受けて、指定された剣を消去する。
ここからでは見えないし声も聞こえないが、今頃さぞ面喰っているだろうな。

第二次防衛ラインでの凛の役目は、監視と報告。
あらかじめ各所に放っておいた使い魔で敵の動きを監視し、罠のある地点に入ったら俺に報告する。
簡易式なら、一度に二十近く操れる凛だからこそできる役目だ。

後は、その報告を受けた俺が罠を起動させればいい。
わざわざ敵が罠にかかるのを待っている必要はない。
こちらから罠を動かしてしまった方が、ずっと効果的だ。
秘密は投影した短剣。こいつを罠のストッパーにし、消すと罠が動き出すシンプルな仕組みだ。

今回のことを聞いた日から、凛の魔力も借りて可能な限りの剣を用意しておいた。
そいつをこの島に持ち込み、罠を設置する際にそういう仕組みにしておいたのだ。
日中島の案内をする時に、凛にはどの番号がどこの罠に対応しているか教えてある。
これこそが、どこにどの罠があるか俺自身で把握しておかなければならなかった理由だ。

「あ、またかかった。次、七番と二番、それに二十二番」
「了解。引き続き監視を頼む。私も移動して配置に付く」
本当はこれに恭也さんたちの奇襲も加えられたらよかったのだが、万が一にも罠に巻き込む可能性を避けるため、二人にはこの段階では待機してもらっている。
俺も凛からの報告を受けながら、罠を突破した連中を迎え撃つために場所を変えるべく、大急ぎで木から下りる。
右手のリングから引っ張り出したエーテライトを木の幹にくくり付け、ロープ代わりにして降下する。

さて、夜明けまで間もないが、それまでにはケリをつけてしまいたいな。



SIDE-凛

「はい次、二十と十四、それに四十七。まったく、面白いようにかかるわね」
えーっとさっきのが網で、今回は落とし穴か。
落ちた連中が次々と倒れているところを見ると、充満させたガスが効果を発揮しているようだ。
しかし、ものの見事にかかってくれるわね。

まあ、無理もない。
罠にかけるのではなく罠を動かすという性質上、隠蔽には徹底的に力を注いでいる。
その上結界による軽い心理操作で、注意力が若干落ちている。
無理もないどころか、かかって当然だろう。

「あっ、上手くいってるんですね!」
「うん、まあ今のところはね。第一次で士郎がやった分と合わせて、三十人近く削れたわ」
私の報告に喜色満面のファリン。
しかしまあ、この娘が人形ってんだからこっちの技術もたいしたものだ。
この娘なんか、良くも悪くも人間にしか見えないわ。

その上、忍さんが趣味で考えた兵装を装備した高性能。
高性能なのにドジっ子。
人間味あり過ぎるでしょ。下手な人間より人間らしいモノ。
べ、別に胸のことなんか気にしてないわよ。
そりゃあ、ノエルのはいろいろとんでもなかったけど。

それはそれとして……
「ああ、もう! なんかこう、受けに回るのって性に合わないのよねぇ。
 いっそ、私も参加しちゃおうかしら?」
「え、えぇ~!? だ、ダメですよぉ!
 凛さんは万が一の時の保険だって言ってたじゃないですかぁ」
それくらいわかってるわよ。
でも、やっぱり性に合わないのよね。
私って何事も先手必勝って性質だし、受身になるのはどうも落ち着かない。
今すぐ乗り込んでいって、全員まとめてぶっ飛ばしちゃいたいわ。

「あら、別に行ってもいいわよ。
 その様子だと、上手くいっているみたいだしね」
ありゃま、雇い主様のご登場か。不味いとこみられたかしら。

「全然そんなこと思ってないくせに、何言ってるの?」
「はいはい、どーせ私はそういう人間ですよ。
 まあ、安心していいわよ。自分の役目を放棄するほど、無責任じゃないつもりだから」
確かに性には合わないが、そんな理由で責任を放棄するつもりはない。
仕事は仕事。キッチリこなしますとも。

「それで、いつ起きたの? まだ寝てると思ってたのに」
「あなたたちほどじゃないけど、私にだって空気が変わったことくらいわかるわ。
 それに夜の一族が関わっているならなおさらね」
一族特有の気配でも感じたのかしら。

良く見ると、その後ろにはすずかもいる。
「えっと、士郎君達は?」
「ん、大丈夫そうよ。もう敵さんは初めの三分の、いや、もう四分の一ね。
 引き換えこっちはほぼ無傷。さすがに数が多かったから、全員ってわけにはいかないけどだいぶ削れたわ。
 これなら、最終ラインは結構余裕そうよ」
ただ、少し気になることがあるのよね。

「どうしたの?」
私の危惧に気付いたのか、忍さんが反応を示す。

「今残存が十一人なんだけど、うち五人が士郎のところなのよ。
 それ自体はたいしたことないんだけど、その五人が全員計ったみたいに同じ顔してるのが、ちょっとね。
 自動人形って、量産されてたりするの?」
ただ、自動人形にしては妙なのよね。
私の目の前にいるのとかが特殊なのかもしれないけど、この連中どいつもこいつも瞳に生気がない。
あれじゃ、文字通り人形だ。

「? 基本的に同じ顔ってないはずよ。
 なんて言うか、ある意味職人の作品みたいなところがあって、同じ顔は避ける傾向にあるから……。
…………まさかっ!? その子たち、他に特徴はない!」
忍さんが焦った表情で問いただす。
どうやら、何か思い当たるモノがあるらしい。
だけど特徴って、金髪と生気のない瞳くらいよ。

「もし、私の考えている通りならかなり不味い。
 生気がないのはセーフティがかかってるからだろうけど、それが外れたら恭也とノエルでも……」
「ちょっとちょっと!? あの二人でもって、冗談でしょ……」
二人とも代行者級の力があるのは確認済みだ。
その二人でも危険って、不味いどころじゃないわよ。

「なんなのよ、それ」
「自動人形に自我を与える研究の結果として生まれた、最も人間に近い機体。
 だけどその自我が強すぎて、起動者さえ殺してしまう制御不能の怪物よ。
 そんなもの持ち込むなんて、下手したら皆殺しにされるのがわかってないの!!」
感情に任せて激昂する忍さん。
詳しいところはわからないけど、相当ヤバいのは確かね。
全く、傍迷惑なものを……。

「おそらく、適当なところで遠隔式でセーフティを外す気ね。
 誰がその権限を持ってるか知らないけど、それなら自分だけは安全だもの」
少なくとも、そいつのヤバさを知ってるならそれが一番妥当な使い方だ。
でも、それってまるっきり爆弾じゃないの。

「戦闘能力は?」
「自分と同型の機体を五機まで同時に操る能力と、ノエルたちと同じ腕部のブレード、それに電撃ロープ「静かなる蛇」が主武装だけど、もし改造されてたらその限りじゃないわ。
 基本性能もノエルより高いはず」
なるほど。同じ顔が揃ってるなら、その可能性は高い。
せめてもの救いは、本体以外のおまけが四体なことくらいね。

「なるほど。もし本当にそいつなら、確かに不味いわね。
 …………私が援護に向かうわ。
ここにいる限り結界があるからまず見つからないはずだし、連絡があるまであなたたちは待機。いいわね」
この森はもう士郎のフィールドだから、ここで戦う分には士郎が圧倒的に有利だ。
だから、いくら相手がそんな怪物でもまず負けることはないはずだ。

しかし、だからと言って一人でやらせるには危険すぎる。
他のところもまだ手は空かない。
なら、私が行くしかない。

「って、あれ? すずかお嬢様?」
私が援護に向かおうとしたところで、さらに事態は悪化する。

「あの子、まさか!?」
考えてみれば、すずかはまだ十歳に満たない子ども。
一時の感情に流されて、馬鹿な行動に出たって不思議じゃない。
まったく、とんでもないことしでかしてくれたわね。

「ああ、もう!! 余計な手間増やしてくれちゃって!
 すずかは私が探してくるから、恭也さんかノエルのどちらか手が空いた方に士郎の援護に行かせて。
 私もできる限り早く合流する」
ここであの子を放っておく方がずっとヤバい。
士郎だってそう簡単にはやられないだろうし、優先順位はすずかが上だ。

扉を乱暴に開けはなって外に駆けだす。
同時に、使い魔で広範囲の捜索を開始する。
早めに見つかってよね。時間がないんだから。



SIDE-士郎

シュッ!

振るわれたブレードが肩をかすめる。
寸でのところで回避したはずだったが、見切りが浅かったか。
傷は深くないが、少しばかり血が出ている。
だが、これくらいなら戦闘行動に支障はない。

ダメージの確認を終え、再度周囲の気配を探る。
「っ!?」
今度は上。
脳天から串刺しにするように、切っ先が降ってくる。

「ちっ!」
横に飛び退いてそれをかわす。

不味いな。多勢に無勢とはいえ、かなりやり辛い。
技術が稚拙な分動き自体は読めるのに、体の方が段々とついていかなくなっている。
人間ではありえないレベルで完成された連携は、徐々にこちらの動きを上回ってくるのだ。
いや、さっき凛からパスを通して送られてきた情報によると、完成ではなく統率と言うべきか。

「アハハハ! いつまで逃げてるつもり?
 無駄な抵抗はやめて、サッサと殺されちゃいなさいよ。
 いまならそんなに苦しい思いはしないかもよ?」
何言ってんだ。
抵抗を止めた瞬間に足を潰してなぶりものにする気満々のくせに。
言ってる事と目が全然あってないんだよ、このポンコツ。

「ふん、それは負け惜しみかね?
 五体がかりで私ごときに手古摺っているようでは、程度が知れるというものだな」
「言うじゃない。でも、逃げ回ってばかりじゃ格好がつかないわよ、ボーヤ」
まあ確かに、背中を見せて逃げ回っている奴のセリフじゃない。

だけど知ったことか。
ただでさえ、五対一ってのはとんでもなく不利なんだ。
そのうえ最高を超えるレベルの連携をされ、なおかつ個々の戦闘能力は恭也さんの少し下。
本体……確か、イレインだったか。こいつに至っては、技術こそ未熟だが恭也さんより明らかに上。
正直、まともに相手をするには厄介過ぎる。

宝具の真名開放を使えば楽なのだが、先ほど受けた電撃のせいで握力がない。
とてもじゃないが、武器を持てるような状態じゃない。
剣弾で牽制しているが、それでも気休め程度にしかならない。
ああいう情報は、もうちょっと早くくれよな、凛。

だが、全く余裕がないわけじゃない。
向こうはこっちを舐めきっているので、付け入る隙はある。
連携こそしているが、攻撃自体が散発的だ。
狩りのつもりか?

だが、こちらにとっては好都合。
せっかく用意した仕込みがあるんだ。
存分にそいつを味わってもらうためにも、あの場所まで行かないと。

「ほ~ら、これはどうする?」
今度は両脇からの挟撃。
二体の人形が、それぞれにブレードを構えながら斬りかかってくる。
この野郎、遊んでやがる。

出来れば使いたくなかったが、回避しても体勢が崩れれば致命的。
なら、よりマシな方を選ぶしかない。あれ、痛いんだよなぁ。
「くっ! 『I am the bone of my sword.(体は剣で出来ている)』」
詠唱と共に、両掌を剣が突き破る。
まるで、腕の中から剣が現れたかのような異様な光景。
その刀身から滴る血が、確かにこの身の内より出てきた事を証明している。

剣が突き出ている腕を振るい、両側から迫るブレードを受け、いなす!
腕から直接剣が生えているこいつなら、握力の有無は関係ない。
俺自身が刀身であり柄であり、同時に使い手でもある。

だが、剣同士がぶつかった際の衝撃がそっくりそのまま腕に伝わる。
これで打ち合うと、芯に響く。
「がぁっ……」
突き破られた掌の痛みと、骨の髄に響く衝撃に苦悶の声が漏れる。

だが、まだ気を緩めるわけにはいかない。
勢いのついた攻撃を捌かれたことで、体勢が崩れている。
ここで追撃をかける。
「『凍結解凍(フリーズ・アウト)、投影連続層写(ソードバレル・オープン)!』」
倒れかけた体を立て直すその真下に、待機させていた剣を投影しそのまま上方に射出する。

ドドンッ!!

放たれた剣を一体は直前で身を捩ってかわす。
だが、もう一体は僅かに遅れ、ブレードを装備した右腕が高々と宙を舞う。
「ちっ、外したか!」
痛手は負わせたが、完全には仕留め切れなかった。
今ので、一体くらいは減らしておきたかったのに。

トドメを刺そうと片腕を失った方に詰め寄り、剣を振るう。
だが、それを思いきり飛び跳ねることでかわされる。
開いた空間に別の人形が入り込むことで、さらなる追撃を邪魔される。
あいつ一体にかまけるわけにはいかない以上、ここは諦めるしかない。

そんな俺の内心とは別に、獲物の思わぬ反撃がお気に召さないのか、イレインの顔に苛立ちが浮かぶ。
「ナメたマネしてくれんじゃないの……。
 その体、生きたままバラバラにして、どうなってんのか調べてあげるわ」
嫌な方向に興味を持たれたな。
バラバラにされるのも、調べられるのも御免被る。

今ので警戒を強めたのか、遠巻きに様子をうかがっている。
少し時間を稼げたおかげで、大分握力が戻ってきた。
手から生えている剣を解呪して消滅させる。
残ったのは、切り裂かれた皮膚と肉、そして滴る血だけだ。
敵から目をそらさず、手早く止血する。

握力の戻り具合を確認し、両手に黒鍵を投影する。
それを見てとったイレインが、電撃のおまけつきの鞭を再度振るう。
さっきと同じように痺れさせ、また狩りでも楽しもうって考えか。

「ヌルイわ、戯け!」
だが、そう何度も同じ手が通用するものか。
直接触れるわけにはいかないが、指で挟んだ黒鍵の一本を投擲して弾く。
これなら電撃だろうが高熱だろうが関係ない。

「ナマイキ! なら、これはどうよ!!」
声と同時に背後に気配。

大振りの一閃だが、背後という位置関係上どうしても動きが遅れる。
人間の関節では、真後ろからの攻撃に対応するのには限度がある。
そう「人間の関節」だったら、な。

ギィィン!!

左手の黒鍵で背後からの斬撃を防ぐ。
「はぁ!?」
それを見たイレインの口から、驚愕の声が漏れる。

それも当然だろう。
どこの世界に肘が「外側」に曲がる人間がいるってんだ。
いや、いるかもしれんが俺は知らん。
客観的に見て、人体構造を無視した俺の動きは不気味極まりない。

「うわっキモ!? 何なのよ、アンタ」
「失礼なガラクタだ。れっきとした人間だよ。
 ただし、この体は特別でな。関節の構造などに囚われん方が身のためだぞ」
厳密には左腕だけなのだが、そこまで教えてやる義理はない。
全身で出来ると思ってもらった方が都合がいい。

まったく、橙子さんも何を考えてこんな機構をつけたんだか。
橙子さん印のこの義手の開発コンセプトは、ズバリ「蛇」。
なんというか、選択からして悪趣味だ。

骨格部分が蛇の身体構造を参考にしていて、関節が普通ではありえない方向に曲がる。
やろうと思えば、手の甲側で剣を握ることさえも可能。
メチャクチャ気色悪いけど。

それどころか、元来曲がるはずのない箇所だって曲がる。
もう蛇じゃなくてタコだよな、これ。

「フンッ!」
受けていたブレードを力任せに押し返す。

体を反転させ、そのままお返しとばかりに左手の指に挟んだ黒鍵で突きをはなつ。
これだけだったら、こいつらなら簡単に避けるだろう。
だが、真っ当な動きをすると思うな!

予想通り人形は回避行動を取り、左手側に飛ぶ。
「言ったはずだ! 常識に囚われるなとな!!」
肘と手首の間の決して曲がらないはずの部分が曲がり、その勢いと手首のスナップで投擲する。
放たれた黒鍵に反応が間に合わず、後ろから攻撃してくれた人形が腹を貫かれて串刺しになる。

とどめに左手の黒鍵を胸部と頭部に放ち、木の幹にピン刺しの標本にする。
どうやら、ここまでやれば機能が停止するようだ。
そのまま両手に干将・莫耶を投影し、次の攻撃に備える。

「ちっ、この役立たず!」
「どちらかと言うと、機体よりも操縦者が下手なのが原因だと思うがね」
こいつらを操作しているのがイレインなら、今の一撃を受けたのもこいつの責任だ。
悪態をついている暇があったら、反省でもしておくべきだ。

まあ一体倒したとはいえ、まだ数的に不利なのは変わらない。
同じ手に何度もかかってくれるほど馬鹿じゃないだろうし、次は別の手か使い方が必要だ。

一人減った分の穴に向けて一目散に逃げる。
有利な立ち位置になるまで、逃げ回らせてもらうとしよう。
もちろん皮肉交じりの挑発は忘れない。
「おや? 私を始末するのではなかったのかね?
 そんな体たらくでは、いつまで経ってもこの鬼ごっこは終わりそうにないな。
 所詮はガラクタか。切り替えと理解が遅い」
「ガラクタ、ガラクタってホントにウザいわね、このガキ!!
はっ! そういえば確かそっちにも、中古とはいえ自動人形がいたはずよね。
 だったら、そいつらはガラクタ以下のゴミってことなるんじゃない?」
彼女らがゴミ? 勘違いも甚だしいな。

その勘違いに、思わず失笑してしまう。
「くっくっくっ……。
 まさか、彼女らはゴミなどではないよ。
 彼女らはれっきとした人間であり、私たちの仲間だ。
 貴様のようなガラクタとは、そもそも分類が違う。身の程を知るべきだな」
こんなポンコツと同列に扱うなんて、彼女らに対する侮辱以外の何物でもない。
分際を弁えろ、というものだ。

そこへ、先回りしたのか人形の一体が現れる。
左腕を引き絞り、鞭のようにしならせながら渾身の力で振るう。
内蔵された無数の関節で、手にした莫耶を加速させる。
また、強化された膂力と相まって凄まじい一撃となって敵を打つ。

ガンッ!!

莫耶の一撃を受けた人形は弾き飛ばされ、木の幹に叩きつけられる。
機能停止とまではいかないが、これで充分。
今優先することは、あの場所にたどり着くことだ。

俺の言葉にイレインは呆れたような、侮蔑したような表情をする。
「はぁ? アンタ何言ってんの?
 私ならいざ知らず、旧式のゴミが人間と同じになれるわけないじゃない」
「その認識こそ、根本的な間違いだ。
 良いことを教えてやろうガラクタ。人は生れながらに人間なのではない。
 数多の事象を経験し、それらを自らの内で昇華した末に人間になるのだ」
ああ、確かに構造上、人は初めから人間だろうさ。
だが、世の中には人の姿をした畜生がいる。
アレらの心が人間と言えるか?

人を人たらしめるのは、心だ。
他の動物たちにはない、本能とは別のところにある心こそが人の証。
それは生まれながらにあるモノではない。
長い時間をかけ、さまざまな要因によってそれは形作られる、その人物独自のモノ。

こいつにはそれがない。
人間そのものを目指して作られたが故に、決定的な欠落がある。
それこそが自分の心。こいつにあるのは作られた模造品だけだ。
「はじめから人間に近いが故に、お前は決して人間にはなれない。
 だが、彼女らは違う。
我ら同様に不完全なところからのスタートであるからか、それとももっと別の要因かは知らん。
 しかし、彼女らには確かに自分自身で作り上げた「ヒト」の心がある。
 だからこそ、彼女らは人間なのだ」
ただのプログラムとは違う温かさ。
短い付き合いだが、俺でも彼女らの中にそれを感じる。
あれはプログラムで再現できるようなモノじゃない。
それこそ、俺などよりよほど人間らしい。

すずかや忍さん、それに恭也さんはノエルさんたちが初めのころと変わったと言う。
多くの人とふれあい、さまざまな事物を経験することで、単なるプログラムでしかなかったそれを自分自身で変化させてきた。
その変化の末に、彼女らは不定形で危うく、何よりも尊いモノを手に入れた。
こいつとは比較にならないどころか、すべきじゃない。

「わけわかんないこと言ってんじゃないわよ!
 どうでもいいから、さっさとくたばんなさい」
「……いや、それはできない相談だ。
 先に消えるのは君の方だよ」
ついたのは少々開けた広場のような場所。
半径十メートル以内に樹木はなく、ここでなら存分に暴れられる。

まあ、それはイレインにとっても同じだが。
「ふ~ん。助っ人がいるってわけでもないのに、大層な自信じゃないの。
 で、一体何を見せてくれるわけ? つまんないもんなら叩き返すわよ」
「それなりに面白い見世物だと思うがね。
 では、早速お披露目といこう!」
右手の干将を手放し、代わりに抜き取ったのは一本のアゾット剣。
投影したモノではなく、俺自身の礼装の一つ。
かなり限定的な代物だが、それなりに使い道はある。
特に、今みたいな状況ではな。

「あんまり面白そうじゃないわね。じゃ、くたばんなさい」
本体におまけ三体、計四体で一斉に飛びかかろうと姿勢を変える。

俺はそれを無視し、手にしたアゾットを地に突き立て詠唱する。
「『再装填(リロード)―――――照準(セット)』」
アゾットが僅かに発光する。
すると、周囲の地中から計二十の剣が空中に向けて飛び出てくる。
そのまま滞空し、イレイン達に向けて切っ先を向ける。

「な!?」
「言ったろう? それなりに面白い見世物だと。
『全剣弾連続掃射(ソードバレット・ファイア)!!』」
言葉による引き金を引き、二十の剣の弾丸がイレイン達に殺到する。

以前から、一度剣弾で放った剣を放置しておくのはもったいないと思っていた。
そこで考えたのが、剣弾の再使用だ。
アゾットにはあらかじめ魔力の増幅機構と共に、この術式を刻んである。
魔力を通してやれば、周囲の投影品に干渉して浮遊および敵への照準を行う。
後は最後の引き金を引けば、その場にある全投影品が敵を襲うという寸法だ。

この場所には、あらかじめ投影してあった剣を埋めておいた。
もしもの時の保険として用意した仕込みだったが、思いのほか役に立ってくれた。

とはいえ、まだ気を抜くには早いらしい。
これで仕留められれば良かったが、そう思い通りにはいかないようだ。
その場から飛び退き、上空からの鞭による薙ぎ払いをかわす。
「やれやれ、そう簡単にはケリがつかんか。存外にしぶとい!」
「っざけたことしてくれてんじゃないの……このクソガキ!!」
なんかどんどん口が悪くなってるな、こいつ。
しかし、今のをかわすか。
剣を介している分まだましだが、それでもあまり得意な魔術じゃない。
当然その式は粗く、物量こそあるが回避自体は決して不可能ではないのだから、仕方がないと言えばそれまでか。

「なるほど、少々侮っていたようだ。
 しかし、お供のモノたちは反応が間に合わなかったようだな」
幸いなのは、イレインが連れていた残り三体の人形が全滅していることか。
これでやっと、数的には対等。
地の利があることを考えれば、こちらの方が有利ではある。

「はっ! 別にあんなのがなくても、アンタ程度なんとでもなんのよ。
 たとえば、こんなのとかね」
イヤな笑みを浮かべ、電撃を帯びた鞭が螺旋を描き帯電する。
何をする気だ?

「知ってる? 今の世の中にはね、レールガンっていいもんがあるのよ」
その言葉と共に、鞭が一際強く光を放つ。
反射的にその場から飛び退こうと地を蹴る。

間に合わなかったのか、とてつもないスピードで何かが右太ももを貫く。
「ぐぁっ!?」
足に走る灼熱感に顔をしかめるが、何とか着地後の姿勢を維持する。

「あら? 左足を狙ったはずなのに、動くから外れちゃったわ。
 ま、どちらにしてもその足じゃチョロチョロ逃げれないでしょ。
 それにしても、運がないわね。逆に飛んでればかわせたのに……」
悪かったな。運の悪さは筋金入りなんだよ。

しかい、不味いな。今ので右足が潰された。
これじゃあ、ロクに歩くこともできない。
回避運動なんてもってのほかだ。

「電磁誘導によるレールガン。それが電気帯びているのなら、不可能ではないと言うことか」
全く、どこのマッドだ。こんな危険物に、こんなヤバいモノ持たせたの。
忍さんがノエルさんたちに付けたロケットパンチより性質が悪い。

「形勢再逆転ってところね。その足じゃ、タイミングを計ってかわすこともできないでしょ。
 負け犬らしく、命乞いの一つでもしたらきれいに額を撃ち抜いてあげるわよ」
「慈悲のつもりか? それならもう少し表情に気をつけろ。そんな陰惨な顔をしていては、説得力がない」
顔に内心が出過ぎてるんだよ。
嘘をつくなら、もう少しもっともらしい嘘をつけってんだ。

状況は悪いが、最悪じゃない。
宝具を使えば、ここからさらに逆転できる。
なのに、ここにきて最悪の事態に陥ることになる。

「士郎君!」
「な、すずか!?」
森の中から現れたのは、コテージに隠れているはずのすずかだ。
そう言えば凛が、すずかが飛び出して行ったと言っていたが、こんなところにいたなんて。

「バカ!! 俺はいいから、早く逃げろ!!」
「おっと、それはダメ。動くんじゃないわよ、お嬢ちゃん。
 今動いたら、このガキの額を撃ち抜くから」
イレインが俺に向けている右手とは別に、左手をすずかに向ける。
そちらの腕にもあの鞭がある。
つまり、あちらからでもレールガンが撃てるということ。

最悪だ。
俺一人なら何とでもなるが、すずかまでは手が回らない。
イレインを倒すだけなら方法はある。
だが、それは引き換えにすずかの死を意味する。

イレインを倒せても、この距離だとアイアスは間に合わない。
先に弾が到達し、すずかの命を奪う。
逆にすずかの命を最優先にしても、今度は俺自身が撃ち抜かれる。
そうなったら、最終的にはすずかも死ぬ。
みんなが間に合ってくれればいいが、そんないつになるかもわからないモノに賭けるわけにはいかない。

圧倒的に有利な状況に、イレインが狂ったような笑い声をあげる。
「アハハハハハハハッ!!
それそれ、その顔が見たかったのよ。でも、もうちょっと先もみたいわねぇ。
 そういうわけだから、先にそこのお嬢ちゃんで次にアンタね」
両腕のレールガンが、それぞれすずかと俺に向けられる。
下手に動けば、その瞬間に二人揃ってお陀仏ってことか。
どうする、どうすればいい!

「うん? へぇ。そのガキ、夜の一族なんだ」
見ると、すずかの瞳が赤みを帯びている。
たしか、すずかたちは感情が高ぶったり、能力を使おうとすると目が赤くなるんだったか。

「ム~ダ。そっちの力が発動する前に、こっちの弾が届くわ」
すずかの能力は即効性があると聞いているが、圧倒的に分が悪い。
向こうはもう発射体勢なのに対し、すずかの能力は即効性があるとはいえ完全なノータイムではない。
その一瞬の間に、向こうの弾が撃たれる。

この絶望的な状況の打開には、別の誰かの協力がいる。
あるいは、この圧倒的に不利な状況でなお攻撃を「先にあてる」しか………。
「あ!?」
ある。ひとつだけ、それを可能にするものがある。
手に入れて十年近くたつが、今まで一度も使わなかったアレならそれができる。

アレはタイミングが命。相手が切り札を使用した、その直後に発動しなければ意味がない。
そしてそのタイミングに合わせるのは、本来とてつもなく難しい。
切り札ってのは、たいてい初見。
だが、俺では初見でそのタイミングに合わせるのは不可能だ。
仮にかつて見たことがあったとしても、俺にはそのタイミングを見抜く目はあっても合わせるセンスがない。
だからこそ、ずっとお蔵入りだった究極の迎撃礼装。

出来る、出来ないじゃない。やるしかないんだ。
幸いイレインの攻撃は、発射時に一際強い電撃を帯びる。
その際の光は、目印としてはこの上ない。
何より、一発受けてタイミングは体で覚えた。

「『投影、開始(トレース・オン)』」
詠唱と共に俺の右手に黒い手袋があらわれ、同時に空中に鉛色の球体が出現し俺の周囲を回る。
一見ただの浮く球だが、これは何千年もの時を乗り越えてきた数少ない宝具の現物、その複製。
そして、この状況を打開する起死回生の一手。

「あん? まだなんかやる気?
いい加減にしてよね。そんなに死にたいなら、勿体無いけど二人仲良く殺してあげるわ」
「生憎と、あきらめが悪い性質でな。友人の命までかかっているのだ。最後まで、抗わせてもらおう。
『後より出でて先に断つもの(アンサラー)』」
詠唱と共に拳を構え、可能な限りの魔力を込めていく。
すると、体の周りを廻っていた石球は拳の直上に静止し、そこからルーンの刻まれた輝く短剣が出現する。
ある呪力、ある概念に守られた神代の剣がその姿を露わにした。

同時に石球から紫電が放たれ、手袋越しに拳を焼く。
「づ、ぁ!」
バゼットの手袋をそのまま引っ張ってきたが、やはり精度がイマイチ。
拳を焼かれる感触というのは、いい気分ではない。

不安と恐怖に震えるすずかに、精一杯の強がりで微笑みかける。
「大丈夫」「必ず何とかする」そんな思いをこめて。
それに対し、ただすずかは静かにうなずいた。
信じてくれた。なら、何が何でもやり遂げる。

「何する気か知らないけど、出の早さで勝てるわけないのよ!」
再び鞭の輝きが増す。

それに刹那のタイミングで遅れて、真名と共に拳を振り抜く。
「『斬り抉る(フラガ)――――――戦神の剣(ラック)!!』」
その瞬間に、決して覆ることのないはずの因果を逆光する剣が放たれた。


起るべき結果は覆った。
超高速で放たれた弾丸をさらに上回り、光弾がイレインの心臓に小さな、とても小さな穴を穿った。
対して、俺とすずかは無傷。
あの弾丸は確かに放たれた。本来なら、回避することすらかなわない俺たちを貫いていただろう。

だが、俺が放ったのは逆光剣。
カウンターに特化したその一撃は、必ず相手より早くその一撃が到達する。
その特性は、『後より出でて先に断つもの』という二つ名のとおり、因果を歪ませて自らの攻撃を先にしたものと書き換えてしまうこと。
すでに倒された者に攻撃はできない。その概念により、この剣を受けたモノが放った攻撃もまた無効となる。

すずかへの弾丸が放たれたのは、俺に向けて放たれたのと同時。
ならば、俺に向けられた攻撃がキャンセルされた以上、それと同時に放たれた攻撃も無効となる。

「ふう……」
思わず安堵のため息をつく。
これ以上ない綱渡りだったが、何とか渡り切れた。

そう思い気が緩んだところで、すずかの叫びがかかる。
「危ない!!?」
顔をあげると、そこには俺の喉元にブレードを突き出すイレインがいた。

しまった!?
相手が自動人形なら、心臓は必ずしも急所とは限らない。
咄嗟に反応しようとするが、間に合わない。
そもそも、右拳は逆光剣の使用で今は使いものにならない。
左手を何とか振り上げようとするが、致命的に出遅れた。これでは間に合わない。

だが、イレインのブレードが俺の喉に触れる寸前、それは起こった。
「なんだ……これは…………」
まるで見えない手で握り潰されるように、イレインの四肢が胴体に向かって引き込まれていく。
喉に迫ったブレードも、腕もろとも離れていく。
「バキバキ」という異音をたて、不可視の万力がその体を押し潰す。

一瞬、目の前で起こった出来事に思考がついて行かなかったが、すぐにそれが何なのか理解する。
「すずか?」
すずかの方を見ると、息も絶え絶えのすずかがひざまずいていた。

話には聞いていたが、これがすずかの能力か。
今ので相当消耗したようで、すずかはそのまま倒れてしまった。
あの小さな体に、この力はまだまだ強力すぎるのだろう。

イレインが動かないことを確認し、念のため投影した剣で潰された体を地面に縫い付ける。
おそらく、今のがトドメだったのだろう。剣が突き刺さっても何の反応も示さない。
冷静に思い返せば、イレインの動きはすでにかなり緩慢だった。
もし本調子だったなら、すずかも間に合わなかったはずだ。
あの時点で、すでに体はガタガタだったということか。

後で聞いたことだが、自動人形は人間に近づけるために動力は心臓のあたりにあるらしい。
逆光剣は、ちゃんとその動力部を破壊していたのだ。
そして、最後の力を振り絞った攻撃は、すずかのおかげで俺に届くことはなかった。

右足を引き摺ってすずかの元に行くと、どうやら意識を失っているようだ。
能力の負荷からか、それとも緊張の糸が切れたのか、その寝顔はあどけない。
「ふぅ……なにはともあれ、すずかは命の恩人だな。
後でちゃんとお礼はするけど……とりあえず、助かった。ありがとうな」
礼を言ってすずかの髪をすく。
今回は本当にヤバかった。かなりデカイ借りができちまったな。

気がつけば、すでに夜は明けていた。
どうやら、長い夜が終わったらしい。

出来れば、今すぐみんなのところに戻りたい。
しかし、今の俺にはすずかをおぶって戻るのはちょっと難しい。
よって、報告を兼ねて、凛に救援を要請することにした。
「凛。こっちはとりあえず一段落ついた。
 すずかはこっちで寝こけているんだが、俺が足をやられちまってさ。
 ちょっと、人一人抱えて戻るのは難しそうなんだ。
 悪いんだが、拾いに来てくれないか?」
用件を伝えると、俺にも睡魔が手招きをし始めた。
ハードな一日だったからな、さすがに疲れた。

俺からの報告に、凛がため息をついているのが聞こえてくる。
「はぁ……まったく、危なっかしいことしてくれるわ。
 まあ、二人とも命に別条がないんなら何よりね。
 こっちも片が付いたし、今から船の方を制圧しに行くわ。
 そっちが終わり次第迎えに行くから、しばらく休んでなさい」
「了解。気を付けてな」
そこで通信が切れ、大人しく指示に従うことにする。
正直、睡魔に抗うには体力・精神力共に消耗しすぎている。
やろうと思えばできるが、これ以上の戦闘がなさそうなのは助かった。

太ももに最低限の止血を行い、すずかを抱き上げて木陰に移動する。
一度すずかを降ろし、外套を敷いてそこに寝かせる。
それと共に、顔や髪などについた土を払う。
全く、綺麗な顔が台無しじゃないか。

残念ながら、広げた外套でも一人分のスペースを確保するのがやっと。
俺は片膝を立てて地べたに座り込み、樹に背を預けて目を閉じる。

葉の隙間から降り注ぐ光を受けながら、俺も眠りに落ちた。



  *  *  *  *  *



次に俺が目を覚ました時、外は夕日で赤く燃えていた。

俺以外はほとんど怪我らしい怪我もなく、今回の一件は方がついた。
イレインという例外を除けば襲撃をかけてきた連中にも、とりあえず死人は出ていない。
今は全員拘束して、ガンドを叩きこんで外に転がされている。
呻き声が聞こえるのは気のせいだ。

ちなみに、制圧したはずの三隻の船はいつの間にか二隻になっていた。
逃げられたとかではなく、凛が暴れ過ぎて「うっかり」沈めてしまったのだ。
残りの二隻は恭也さんとノエルさんが穏便に制圧したんだけど。
頼むから、加減ってものを考えてくれ。まあ、俺たちの分も含めて、いい漁礁になると考えよう。

今回の俺の負傷は、両手や肩の裂傷に弾丸を受けて貫通した太もも。
そして、フラガラックを使ったことによる拳のやけどだ。
なんか、半分以上が自分自身によるモノってのが妙な感じだ。

別動隊の方からも連絡が入り、しっかりとケリがついたらしい。
すずかたちの親戚の綺堂さんを中心に、かなり豪華なメンツを揃えての襲撃だったようだ。
一例としては、恭也さんよりさらに強い叔母さんとその同僚まで動員したんだとか。
詳しいことはわからないが「いっそ敵が哀れにさえ感じる豪華さ」とは、恭也さんの弁。

余談だが、すずかはあの後相当こっぴどく叱られたらしい。
まあ、コテージから出るなって言われてたのに飛び出すし、あまつさえ思いっきり危険に身をさらしたからな。
正直、そのあたりに関しては俺としても弁護のしようがなかった。
すずかのおかげで助かったとも報告したのだが、そもそもすずかがあの場にいなければもっと楽に決着がついた、と言われ意味をなさなかった。
ごめん、すずか。否定できない。

すずか自身軽率だったと反省したようで、お説教の後かなり必死に頭を下げられた。
最後の最後で助けられたのは事実だし、それでチャラと言っても納得してくれなかったな。
アレはアレで、難儀な性格だ。


まぁ、とりあえずこれで月村家の諸々の問題に一応の決着がついた。
全て解決したわけではないそうだが、それでもこれでだいぶ楽になったらしい。

俺たちはもう一日島に滞在し、最後の一日は気兼ねなくバカンスを楽しんだ。
そう、俺以外は。
そりゃあね。こんな怪我して遊ぶわけにもいかないし、しょうがないのはわかるんだ。
それでもさ、みんなが楽しんでいるのを外野から眺めているのは、さすがにさみしかった。





おまけ

全然遊べなかったバカンスから戻って数日、俺は再び忍さんに呼び出された。
「あの~今度は何でしょうか?」
また荒事になるのは、勘弁してもらいたいなぁ。
こっちはやっと怪我が治ったところなのに……。

「実はね、ちょっと提案があるんだけど」
少年のように目をキラキラさせた忍さんが詰め寄ってくる。

「はぁ、提案ですか?」
なぁんか不吉な予感。
凛ならともかく、俺に提案ってなんだろう。

「うん! あのね、士郎君の左手って義手なんだよね」
「え、ええ。そうですけど。それが、何か?」
この前の戦闘で負傷した傷の治療のために、そのことを凛から聞いたらしい。
パッと見、両手の裂傷はかなりひどかった。
だが右手はともかく、左手の方はそれほど深刻ではないと安心させるために教えたのだそうだ。
この左手は、生身よりはるかに回復力が高い。橙子さん謹製の義手は、いろいろハイスペックなのだ。
俺たちじゃ修理できないから、そういう機能がついている。

「それでね。その腕、せっかくだから『ロケットパンチ』できるようにしない?」
「お断りします」
「えぇぇ~~~……」
一切の遅滞なく即答する俺。
それに対し、なんだかすごく残念そうな声を上げる忍さん。
何事かと思ったら、そんなことか。

「だって、だって。ロケットパンチはロマンなんだよぉ~」
いや、意味がさっぱりわかりません。
もうノエルさんたちに付けてあるんだから、別にいいじゃないですか。

「う~ん、じゃあドリルは?
それがダメなら指とか掌に銃口つけるとか、あとは肘がバズーカになるなんてどう!」
「だから要りませんって。なんでそんなにいろいろ付けさせたいんですか」
体から剣が生えてくる俺が言えたことじゃないけど、ドリルはともかく他は法律違反です。
ドリルの方は知らない。ドリルを持ち歩いてはいけないって法律はないはず。

それに、ドリルみたいな事なら既にできるし。
稼働箇所が多いから、その分腕もよく回る。
ドリルってほどじゃないけど、軽く三回転はできるのは確認済み。

「そうねぇ。強いて言うなら、面白そうだから?」
小首を傾げる忍さん。
つまりは欲求最優先ですか。
微妙に頭が痛い。
ところで、なんで疑問形?

溜息をつきながら、諦めてもらうべく別の対象を示す。
「はぁ……。そんなに付けたいんなら、ノエルさんかファリンさんにでも付けてくださいよ。
 あの二人なら、きっと喜んでくれますよ」
うん、多分それは間違いない。
あの二人が、忍さんが頑張って作った装備を嫌がるところは想像できない。

それに、下手に手を加えて腕が動かなくなったらシャレにならない。
この腕は封印指定の人形師、蒼崎橙子の作品だ。
俺たち魔術師にとってさえ、ブラックボックスの塊みたいなもの。
万が一壊れたりしたら、俺たちじゃ手が出せない。
そして俺の腕の性質上、この義手以外だと使いものにならない。
だから、そんな危険を冒すわけにはいかないのだ。

「ああ、二人の新装備ならもう考えてるの。
 イレインがレールガン使ったんでしょ。こっちも負けてらんないわ」
握り拳を作って、常人にはよくわからない対抗心を燃やしていらっしゃる。
レールガンに対抗して、何を作る気なのだろう。

「はあ、どんな?」
一応、聞くだけ聞いてみる。

「うん。とりあえず目からビーム……といきたいところだけど、妥協してレーザーね」
また、ヤバげな物を。
今がロケットパンチで、何でいきなり光学兵器になるんだろう。

まあ、ビームじゃないだけマシか。
ビームなんて使った日には、それだけで周囲は大量の放射線にさらされ被曝。
命中しようものなら核爆発が起こる。
いくらこの人がマッドでも、そこまでヤバいものは作らんだろう。
というか、一個人に作れるもんじゃない。

それに比べれば、レーザーはずっと安全だ。
アレは早い話が光だ。
単一波長のそれを撃ち出すことでエネルギー損失を最小にし、狭い領域にエネルギーを集中する。
出力によってはどんな物質でも切断、ないし焼くことができる。
うん、ビームとは比べ物にならないほど穏便だ。

「ところで、その理由は?」
「え? お約束でしょ?」
さも当然、言わんとばかりの返答。
何がお約束なのか知らんが、技術と才能の無駄遣いも甚だしい気がする。

「あとは、翼を付けてジェット噴射とかで飛べるようにもしてあげたいなぁ」
この人のプランは、欲求最優先ではあるが決してそれだけではない。
一応この人なりの優しさや気づかい、そして愛情がこもっている。
ちょっと理解しがたいけど。

そのまま自分の世界に突入して、様々な新装備を考える忍さん。その様はまさにマッド。
俺は気配を消し、そのままこっそりと月村邸を後にした。


この後しばらく、俺は会うたびに忍さんから新装備のプランをカタログ付きで勧められるのだった。
勘弁してください。






あとがき

久しぶりのシリアスとバトルでした。そして、ものすごく久しぶりのおまけ。
それにしても、思いのほか長くなってしまいました。
二話に分けようか悩みましたが、「外伝は一話完結」という方針によりそのまま投稿した次第です。
ちなみに、時期は外伝その1の少し後くらいですね。順番としては2→3→4→1→5です。
つまり、執筆は思い切り無計画なわけで……。
いっそこの期に乗じて恭也の小太刀やノエルたちのブレードを魔剣にしちゃおうなんてプランもありましたが、今回は自重しました。

今回はオリジナルの設定をたくさん使った、ある意味実験です。
人によっては、義手やすずかの能力あたりなんかは受け入れられないかもしれませんね。
うぅ、ちょっとどころじゃないくらいに怖いですね。


では、とりあえず今回出した設定について説明します。

まず、すずかの能力。
初めに忍からの説明で出したとおり、焦点を合わせた対象を押し潰す『圧縮』の魔眼です。
焦点を合わせたその一点に向け、最大で深海数百メートル級の圧力がかけられます。本気で使えば、人間なんてひとたまりもありませんね。
ああ、ここまでくれば『圧縮』じゃなくて『圧砕』かも。
空の境界の浅上藤乃の『歪曲』のお仲間で、捻じってるのか、それとも潰してるかの違いです。
こんな物騒なのを設定したのには、特にこれといって理由や目的はありません。
ただ単に思いついて、すずかの性格とのギャップがあって面白そうだったので採用しました。
当SSでは、桜とすずかを似た者同士にしていますが、桜が藤乃タイプで、その藤乃が魔眼持ちだってことも設定してから思い出したので、そっちの方でも関連はありません。本当に完全無欠の思い付きです。
強力ではあるんですが、応用は効かないし燃費は悪いしであんまり使い勝手はよくありません。
今回倒れてしまったのだって、能力の使用が主な原因です。この先成長してもそう沢山は使えません。
何よりすずかがこの能力を嫌っているので、こんな時でもなければ使いません。
地味にすずかのコンプレックスの原因の大きな理由の一つでしたが、今回のことでまた一つ乗り越えるきっかけになったことでしょう。

続いて、士郎の義手について。
今までは着脱ができて、膂力を強化できるくらいだったのが、今回かなりの発展を遂げてしまいました。
はっきり言って作者の趣味全開です。
実は爪が伸びてナイフみたいになったり、毒を生成できたり、なんてことも考えましたが今回は見送りです。
さすがにこれはやり過ぎかな、と自主規制。
作中でも出しているように、橙子さん製作の「蛇」をコンセプトに置いた代物。
蛇のごとく柔軟な動きが特徴で、橙子さんの遊び心がふんだんに盛り込まれた一品です。
骨格は多関節構造で、マッハ突きが得意技の空手家がイメージした骨格を、そのまま現実にしたものです。
まあ、作中でも書きましたが、もう蛇って言うよりもタコですね、あの柔軟さは。
肘や指どころか、本来関節のない所もジョイスティックばりに色々な方向に曲げれます。ついでに捻じることも可。
人体の構造としてあり得ない動きができるので、思い通りに動かせるようになるのにはかなり苦労したと思いますけどね。
その上、グネグネ動く姿はとてつもなく不気味です。

次に、士郎の手から剣がつきだした事について。
確か、デッドエンドの一つに剣が体から突き出して死んだのがあったと思いますが、それを制御したモノだとお考えください。割とスプラッタかも。
基本出現箇所を問いませんが、胴体から出現させた場合、重要な器官や血管などを傷つける恐れがあります。
それだとさすがにしぶとい士郎でも死ぬので、出現箇所は末端が中心です。頭部なんて論外。
また、上手く制御しないと本当に暴走してしまい、無数の剣がつきだしやっぱり死にます。
そういうギリギリの能力運用は、士郎の得意分野だと思います。
使い方としては、今回のような用法以外に奇襲として使えます。
掌を突き出したと思ったら、そこから剣が飛び出してくるんでから、それはもうびっくりするでしょう。
ただし、メチャクチャ痛いですけどね。剣を突き出したままだと、体の中でザクザク刺さったりするのでなおさらです。
義手である左手からも出たのは、そういう風に作られてるからですね。世界すらも騙すクオリティは、伊達じゃありません。
ちなみに、解除は投影のそれと同じ手順で行います。

最後に、士郎がアゾットを使ってやった投影品の再使用です。
まあ、シエルが似たようなことをやっていたので、これなら士郎でもできそうだと思ったからですね。
それなりに魔力を消費しますが、再利用する投影品の数によってはこちらの方が燃費はいいです。
例えば今回のように二十近く使った場合、同数を投影して発射するよりもずっと消費量は少ないです。

主だったところはこんなところでしょうか。
まだ不明な点があれば、感想板で聞いてください。
可能な限りお応えします。


さて、前回のあとがきで今月中云々言っていたのに、結構余裕で書き上がってしまいました。
予告がイマイチあてにならないですね。遅れるよりかはマシなんですが。
しかし、次に何を書くか決まっていないので、そこから始めないといけません。
それにA’s編を期待してくださっている方もいるわけですし、早めに手がつけられるといいのですが。

次の更新の内容及び時期共に未定なので、いつになるかはわかりません。
早めに出せるようにしたいとは思いますが、気長にお待ちください。



[4610] 外伝その6「異端考察」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2009/05/29 00:26
SIDE-フェイト

シロウやなのはたちと別れて、二ヶ月が経とうとしている。

たった二ヶ月前のことなのに、もうずいぶん昔のように感じるし、でもつい昨日のことのような感じもする。
それはきっと、わたしの中であの時の出来事がまだ整理できていないから。

そう、いろいろなことがあった。
なのはや凛と敵対して、何度も戦った末に負けて、そして友達になると同時にライバルにもなった。
ライバルって言っても、なのははともかく凛に対しては一方的にわたしがそう思っているだけだけど。

シロウとも初めは敵だった。二度目に会った時からは一応仲間になって、たくさん心配させた。
まあ、結局は騙されていたってことになるんだけど。
でも、それに対して恨みや怒りはない。
それはきっと、偽りの仲間だったあの時にシロウが示してくれた気遣いが本心からのモノで、わたしにもう一度立ち上がる力と前に進む勇気をくれた人だから。

他にも、途中からクロノたちが介入してきて、もういないと思っていたリニスと再会した。
出会いや再会だけでも、こんなにたくさんのことがあった。
これらはきっと、わたしにたくさんのモノを与えてくれて、気付かせてくれた優しい思い出。

でも、そればかりだったらわたしの心はこんなにも混沌としてはいないはずだ。
そう、優しい記憶だけじゃない。
母さんに捨てられて、結局わかりあえないまま死んでしまった、悲しい記憶もある。
自分の中で、どう分類していいかさえ分からない記憶もある。
わたしはこれらの記憶にどう向き合っていいのか、かなりの時間が経ったにも関わらず答えが出ない。

リニスは……
「焦る必要はありませんよ。フェイトには、これから先たくさんの時間があります。
 今までフェイトは生き急いできましたから、一度足を止めてゆっくり考えましょう。
 アルフやクロノ執務官、エイミィさんやリンディ提督も力になってくれますから。もちろん、私も」
久しぶりに、すごく久しぶりに無理に人間形態をとって頭を優しくなでながら、そう……言ってくれた。
ここの人たちはみんないい人だから、リニスの言ったとおり、相談すれば真剣に向き合ってくれるのは間違いない。
それに、今は士郎やなのは、それに凛ともビデオメールのやり取りをしているから、三人に相談してもいいのだろう。あ、それとユーノも。

そう考えれば、わたしはきっとそう不幸な方じゃないんだろうと思える。
だって、少なくともわたしには心配してくれて親身になって相談に乗ってくれる人がたくさんいる。
それはきっと、何よりも得がたくて、これで不幸なんて言ったら罰が当たるくらいに幸せなことなのだろう。

ただ、まだみんなに相談することに踏ん切りがつかない。
心のどこかで、迷惑をかけたくないと思っているわたしがいる。
みんなはそんな風に思わないかもしれないけど、それでも心がそれを忌避している。

だから……だろうか?
最近のわたしは、ベッドに横になりながらシロウに貰った剣のペンダントを眺めていることが多くなった。
このペンダントを見ていると、混沌とした気持ちが穏やかになる。
そんな効果はないはずなのに、ただ見ているだけで心が温かくなるのだ。
あのペンダントには、錯覚かもしれないけどシロウの温もりが宿っている気がするから。


そうして、今日もわたしは一人ベッドに横たわりながら首から下げたペンダントを持ち上げて眺めていた。
シロウがいたら、きっと「女の子がだらしない」と言って注意してくるだろう。
今にもその声が聞こえてきそうで、それを想像すると口元がゆるんでしまう。

シロウは基本的に不愛想だけど、その実凄く面倒見がいい。
いろいろ細かく注意するけど、それは全て相手のことを思ってのことだ。
そこに個人的な不満や意地悪といった感情はない。
そうとわかっていると、あれはあれで気に駆けてもらっていることが伝わってきて嬉しくすらある。

コンッコンッ

そんなことを考えていると、与えられた部屋の扉をノックする音がして、その後耳慣れた声がかけられる。
「フェイト、ちょっといいか?」
声の主は、この艦内でわたしと一番年の近いクロノ。
シロウとちょっと似ているところがあって、いろいろとわたしたちのことを気にかけてくれる優しい人。
なんというか、「お兄ちゃん」という印象が強いかな?

ただ、今のわたしの恰好は人に見せられるようなモノじゃない。
寝ころんでいたことでおへそは丸出しで、スカートもちょっとめくれている。
その上、髪もボサボサだ
大急ぎで服や髪の乱れを整え、姿勢を正して声に応じる。
「クロノ、どうかしたの?」
今はまだ仕事中の時間のはずだけど、一体どうしたのだろう。
クロノもエイミィも、それこそリンディさんも暇さえあれば私の様子を見に来てくれる。

だけど、それは自由時間の話。
公私をきっちり分ける人たちだから、勤務時間中にやってくることはまずない。

でも、わたしには思い当たる節がある。
それはわたしの裁判のこと。
これはれっきとした仕事だから、勤務時間中に訪ねてきても何の不思議もない。
何か、問題でも生じたのだろうか?

わたしはあれだけの次元犯罪に加担していたから、場合によっては重い刑にかけられることも一応覚悟している。
いくらクロノたちが頑張ってくれているとはいえ、そう上手くいくとは限らない。
何かしら問題が発生しても、何の不思議もない。
わたしは、それだけのことをしてしまったのだから……。

わたしの声に若干の緊張が走っていることを察したのか、クロノは優しい声で用件を告げる。
「ああ、聞いていると思うが、明日には本局に向けて出発する。
それで、たった今ユーノもこっちに合流した。
 会おうと思えば会えるけど、どうする?」
そういえばそうだったっけ。
ジュエルシードの影響で荒れていた航路がやっと安定して、ようやくアースラも動けるようになった。
ユーノもそれに同行することになっていたから、動けるようになり次第こっちに移るとは聞いている。
でも、それって今日だったんだ。
てっきりギリギリまでなのはのところにいると思っていたのだけど、まあ何か理由があるのだろう。

とはいえ、クロノの申し出はうれしい。
ユーノとはあまり話したことはないけど、それでも彼と話したい事や謝りたい事がたくさんある。
だけど……
「えっと、いいの?
 だってわたし、今は裁判中なんだし……」
航路こそまだ安定していなかったけど、通信だけならもう問題ないみたいで、裁判の方は少し前に開廷した。
そんなわたしが、あんまり好き勝手やっているのはよくないはずだ。

まあ、アースラの外にこそ出られないけど、艦内ではかなり自由に過ごさせてもらっている。
だから、これは結構今更なことなのかもしれない。
だけど、やっぱり決まり事とかをそう無視していいはずがない。
わたしとしては、少しクロノたちに甘え過ぎていた気がする。
これからは、もう少し大人しようと決めたのがつい先日のことだ。

それを知ってか知らずか、クロノは気軽な口調で答える。
「それくらいなら大した問題じゃないさ。
 艦長が良いと言ってるんだから、僕ら下っ端に口出しなんてできないよ」
愚痴っぽくも聞こえるけど、どちらかと言うと呆れている風な印象が強い。
だけどやっぱり親子なわけで、なんだかんだ言ってもクロノはリンディ提督のことを尊敬しているみたい。
クロノの声には確かに呆れが混じっているけど、それと同じくらいに親愛の情が感じられる。
ちょっと…………ほんのちょっとだけ、羨ましいな。

「それに、僕らとしても君や使い魔組に用があるんだ」
「え? どんな?」
わたし一人か、アルフやリニスと一緒ならともかく、そこにユーノも入るというのはどういうことだろう。
思い当たることは裁判くらいだけど……。

ところで、さりげなくユーノもアルフ達と同じ扱いにしたよね。
わたしも初めは使い魔だと思ってたから人のことは言えないけど、わかっててやるんだからちょっとひどい。
ユーノやなのはが聞いたら怒るんじゃないかな?

だけどクロノは、全く悪びれもせずに続ける。
「別に今すぐじゃなくてもいいんだが、君さえよければ早めにやってしまいたいことがあってね。
内容については、その場でみんなと一緒に説明するよ」
裁判とかの話ならそういうだろうし、つまりはそれとは別の話ってことかな。
でも、そうなるとますますわからない。
わたしとユーノに共通した事柄なんて、ほとんどないのだから。

「えっと……今は全然大丈夫だから、すぐにでも行けるよ」
理由や目的はわからないけど、特に今忙しいわけじゃない。
どっちみちいずれはこの用件で呼び出されるみたいだし、なら今の内に済ませてしまう方がいいだろう。

「そうか。じゃあすまないが、今から会議室まで一緒に来てくれないか」
「うん」
そうして、わたしはクロノに促されて会議室へと移動した。



外伝その6「異端考察」



わたしが会議室に入った時にはみんな揃っていて、どうやらわたし達が最後だったみたい。
さっき聞いたメンバーの他に、リンディ提督やエイミィもいる。
このメンバーでする話しって、一体何だろう?

わたしが部屋に入ったことで必要な人間が揃ったらしく、リンディ提督が口を開く。
「ごめんなさいね、四人とも。
 特に、ユーノ君やフェイトさんはいきなり呼び出してしまって……」
初めにかけられたのは謝罪の言葉。
この人が優しくて細やかな気配りをする人だということは知っていた。
だけど、それでもやはりこう面と向かって言われると恐縮してしまう。

「いえ、そんなことはありません。わたしもちょうど暇でしたし」
「僕も特にすることはありませんでしたから」
わたしと同様の感想を持ったのか、ユーノも慌てた風で問題ないことをアピールする。

「そう言ってくれると助かるわ、ありがとう。
 じゃあさっそくで悪いんだけど、あなたたちに聞きたい事があるの。
 凛さんや士郎君の近くにいたあなたたちなら、私たちよりも詳しい魔術の情報を持っていると思ってね」
管理局がシロウたちの魔術に興味を持っているのは知っていた。
管理局としては明らかに未知の術式だし、他の術式との共通点もほとんどないと聞いている。
また、二人以外の魔術師にも当てはない。

そのため、事実上情報源は魔術師であるシロウと凛の二人だけになる。
その二人は魔術師のスタンスとして秘匿を貫いているし、最低限の情報しか明らかにしていない。
ユーノがどうかは知らないけど、わたしはそう多くを聞いたわけじゃない。
たぶん、リンディ提督たちの持つ情報と大差ないだろう。

だけど、ここに唯一の例外がいる。
それはリニスだ。
今のリニスは凛の使い魔。
つまり、リニスは凛の技術や知識をコピーしている可能性があるということ。

使い魔は術者の知識や技術をコピーすることが可能で、また成長もはやい。
そのため、一般的に使い魔の育成は人間のそれよりずっと簡単とされている。
また、精神リンクを用いることで感情や記憶を共有することもできる。
それは、リニスならこの場の誰も知らない情報を持っている可能性があることを意味している。

全員それに思い至ったのか、すべての視線がリニスに集中する。
そして、そんなわたしたちに対するリニスの答えはある意味予想通りのモノだった。
「それは無理ですね」
リニスの口から出たのは、簡潔な否定の言葉。
まあ、主である凛がそれを望まない以上、リニスがそれを実行するとは思えない。
リニスは凛やシロウに恩義を感じているし、関係だって悪いわけじゃない。
二人にとって不利益な行動を取る理由がないのだ。

「それはやっぱり、凛さんが秘匿する方針だから?」
確認するようにリンディ提督が問う。

だが、返ってきた答えはわたし達の予想と異なるモノだった。
「いえ、それは違います。話さないのではなく、私には『無理』なんです。
 そもそも私は、皆さんに伝えられるほどの情報を持っていませんから。
 それこそ、フェイト達の方が詳しい位だと思います」
それは、どういうことなのだろう。
言葉の通り受け取るなら、凛はリニスに何の情報も与えていないということになる。
それはつまり、リニスのことを信用していないってことになるんじゃ……。

だけど、そんなわたしの危惧は的外れなものであることをリニスが告げる。
「凛は言いました。
『伝えるだけなら方法はいくらでもあるんでしょうけど、それじゃ意味がないわ。
 こういう大事なことってのはね、やっぱり自分の口で言わなきゃ駄目だと思うのよ。
 だからアンタが帰ってきたら、その時に私たちの口から教えてあげる』だそうです」
それはなんというか、すごく凛らしい気がする。
凛とはビデオメールくらいでしか話したことはないけど、そんな僅かで一方的な対話でも凛の人となりを知ることはできる。
リニスの口から伝えられた凛の方針は、実に彼女らしいモノだった。

同時に、リニスの顔には誇らしさのようなモノがある気がした。
安易な手段に出ず、自分の口から自分の言葉で伝えようとしているのだ。
それに、凛の言葉を意訳すると「知りたければ早く帰ってこい」ということになるのだと思う。
リニスは母さんとあまりいい関係を築けなかったし、凛のそんな接し方はとても心地よいモノなのだろう。

「しかし、失礼かもしれないが、あの凛がよくそこまで君のことを信じたな」
リニスの言葉を聞いて、クロノが少し信じられないという顔で言う。
クロノはわたしより凛のことを知っているし、「簡単に他人を信じない」というのが凛への評価なのだろう。

リニスはクロノの言葉に気分を害したような様子を見せず、少し苦笑しているような声音だ。
「そうですね。凛の性格なら、無条件に他人を信じるなんてことはまずしないでしょう。
 実際、『もちろんタダでなんて教えないわよ。知りたいのなら、それに足る信頼を勝ち取って見せなさい』と、人の悪い笑みを浮かべながら言われましたから」
『あぁ~、なるほど(ねぇ)』
再度伝えられる凛の言葉に、満場一致で納得する。
これが、この場にいるみんなの凛に対して抱いている印象なのだろう。

「そう。つまり、この先はともかく今現在のあなたは本当に何も知らない状態なわけね」
「そうなります。
精神リンクは閉じられてますし、デバイスの作成などで必要なことは通信で済ませてますから」
まだ人間形態になるのはツライようで、リニスは以前同様アルフに抱えられたままだ。
だけど、その声は前よりずっと生き生きしている。
それは、母さんの元にいたころには聞いたことのないほど弾んだ声だ。

今のリニスは、凛に試されているような立場にいる。
それはある意味、使い魔であるにもかかわらず信じてさえもらえない不遇な立場とも取れる。
しかし逆に考えれば、頑張り次第でいくらでも向上の余地があることも示している。
以前のリニスにはその余地さえなかったことを思えば、ずっと状況は良くなっているんだろう。

それに、無条件な信頼は見方によっては思考を停止しているのと同じなのかもしれない。
その点で言えば、凛の求めるそれは内実を伴う信頼だ。
だからこういう風に試されるのは、ある意味充実しているのかもしれない。
少なくとも、凛はちゃんとそれに報いてくれる人だという確信がある。

「さすがに、全く教えていないのは予想外だったわ。
まあ、教えてもらえないのはわかっていたことだし、仕方がないわね。
 というわけで、やっぱり頼みの綱はあなたたちなのよ」
リンディ提督も、ある程度この展開は予想していたみたい。
その「ある程度」に、凛のあの発言までは入ってなかったみたいだけど。

リンディ提督に情報提供を求められ、わたしは自分がどうするべきなのか正直困っている。
他のことであればできる限り協力したいし、そこに迷いはない。
だけど、それにシロウ達が絡んでくるとなると話が別だ。

一体、どの程度までならシロウ達のことを話していいのか判断できない。
感情と理性は、それぞれ別の答えを導き出している。
今のわたしは、その狭間で揺れ動く振り子か天秤のようだ。

感情は、多くを知らないと言っても自分の持つ情報を漏らすのに抵抗を感じている。
シロウ達はできる限り魔術のことを隠そうとしていた。
それなのに、わたしが気安く口にしてしまったら、それはシロウの信頼を裏切ることになりそうな気がする。

だがそれとは逆に、理性はわたしの持っている情報なんて知られても困らないものなのだろう、と判断している。
裏切ることを前提にわたし達に近づいた以上、知られたくないことだったらそもそも教えるはずがないのだ。
だから、わたしに与えられた情報は外部に漏れることを前提にしているんじゃないだろうか。

そうして悩んでいると、ユーノは早々に返事をしてしまう。
「だけど、僕もそう詳しくは聞いてませんよ。
 知っていることは、ほとんどそちらに伝えてますから。
 フェイトは?」
そっか。考えてみれば、ユーノ達はアースラと行動を共にしていたんだ。
彼の知っていることは、すでにこちらに伝えてあったらしい。
ああ、それなら悩む必要なんてないよね。

結局、わたしは自身の天秤を感情の方に傾けることにする。
クロノたちには申し訳ないし、自分のことだったらいくらでも話していい。
だけど、万が一にもシロウ達の迷惑になるようなことはしたくないんだ。

協力関係を切った後、助けなくてもいいのにシロウはわたしを助けてくれた。
そんなシロウだから、もしかすると思わぬところで知られちゃ困ることを漏らしているかもしれない。
だから、当たり障りのないことを口にするにとどめる。
「えっと、わたしもそうかな。
 シロウの使っている武器に関しても、ほとんど聞いてないし」
まあ、クロノたちが一番聞きたいのはやっぱりシロウの武器のことだろう。
これに関しては、本当に何も知らないと言っていい。
せいぜい転送魔法みたいなものを使っているってことだけだ。
どっちみち、わたしには伝えられるようなことなんてないのだろう

しかし、改めて考えてみると、わたしはシロウのことをほとんど知らなかったのだと気付く。
わたし自身深く詮索しなかったし、しょうがないと言えばそれまでだけど、少しさびしい。
真正面から聞いても教えてくれそうにないし、どうにかして自力で突き止めるしかないのかな。
でも人の秘密を探るようなマネはしたくないし、どうすればいいんだろう。

この答も予想通りだったようで、クロノも特に気落ちした様子を見せない。
「やはりか。わかってはいたけど、本当に用心深い。
ところで、士郎の武器に関しては少しわかったことがあるんだ。エイミィ」
「ん、今準備してるからちょっと待って」
二人のやり取りを聞きながら、首から下げているペンダントを握る。
これはシロウが作ったもので、全てに決着をつけるために出したあの黄金の剣が元になっているらしい。
シロウの使う武器はいろいろ見たけど、あれはその中でも特に異彩を放っていた。
なんというか、画面越しでありながら神々しささえ感じたのだ。

直接シロウが使ったものってわけじゃないけど、それに関わる品。
しかし、これはシロウの使っていたどの武器とも比べられるものじゃない。
金属製で武器の形をしているという点以外、天と地ほどの格差がある。
これがシロウに作れる限界かはわからない。
だけど、あんな次元違いの武器を作れるなら、もっとこのペンダントも強力だろう。
それはつまり、あれらがシロウの手で作られたモノじゃないことも意味する。
そうでなければ、シロウがこれを作る際に手を抜いたということだ。

理屈じゃない感情の部分で、それだけはあり得ないと否定するわたしがいる。
これを渡してくれたときのシロウの真摯な瞳と言葉、手わたしてくれた手の温かさが嘘だとは思えない。
これは、シロウがわたしを守るために作ってくれたモノだ。
それを疑うようなことを考えてしまったことに、どうしようもない罪悪感が募る。
別にそう思ったわけじゃないけど、そんな可能性が頭をよぎっただけでも彼への侮辱でしかない。

そんなことを考えているうちにエイミィは作業を終え、モニターにシロウが使っていた武装の映像を映す。
「はい、できた。じゃあ、説明するね。
どうも士郎君の使った武器って、この世界じゃ結構有名みたいなのよ」
「どういうことですか?」
エイミィの発言に、不思議そうな顔で尋ねるユーノ。
てっきりユーノも知ってると思ったのだけど、わたし同様何を意味しているのかわからないらしい。

「えっと、士郎君が今まで使った武器の中で、名前がわかっているのが三つ……いや、四つだね。
 一つがアルフを拘束した『天の鎖』ってので、ジュエルシードの破壊に使った捻じれた剣が『カラド・ボルグ』、
クロノ君の砲撃を防いだ楯が『ロー・アイアス』、最後にフェイトちゃんのペンダントのモチーフになった『エクスカリバー』ね」
楯の方は初めて聞いたけど、他のは確かそんな名前だったっけ。
正確には、シロウが使うときにその名前を口にしていただけだから、本当にその武器の名前かはわからないけど。

「でね、これらって地球の神話や伝説なんかで出てくる武器や英雄の名前なのよ。
 ああ、『天の鎖』だけは違うけど、他は全部そうだよ」
へぇ、そんなすごいモノの名前がついてたんだ。
あれ? でも、確か概念武装って長い年月を経た武器っていうか器物なんだよね。
それってつまり、シロウの使っている武器は全部本物ってことになるの?

「それって、本物なの?」
気になったので、まさかとは思うけど確認してみることにする。

それに対し、クロノは慎重に答えを返す。
「さすがに伝説や神話が実際にあった事実ってことはないはずだから、それはないだろう。
 ただ、一から十まで全部フィクションとは言い切れないな。
 中には、事実が脚色されてそうなったものがあっても不思議じゃない。
 そこのフェレットもどきの意見は?」
「そうだな…………って、おい!! 誰がフェレットもどきだ!!!」
クロノが考古学者志望のユーノに意見を求める。
だけど、求め方がお気に召さないみたいで激昂するユーノ。
何と言うか、シリアスな雰囲気がぶち壊しだよ。

「場を和ませるジョークじゃないか。あんまり目くじらを立てるもんじゃない。
ツッコミはいいから、君の意見を聞かせてくれないか」
自分でからかったのに、随分ひどい返しだ。
あんまり冗談とか言うタイプじゃないと思ってたんだけど、人は見かけによらないみたい。

クロノの催促に、凄く不満そうな顔でユーノが渋々意見を述べる。
「むぅ~~……わかったよ。
 地球の神話とかは知らないけど、少しくらいは元になる事実があったんじゃないかな?
 それがどの程度原形を残してるか分からないけど、そういう人や名前の武器があった位はあると思う」
じゃあ、シロウが使っているのは、そのお話の元になった人が使っていたりした武器ってことになるのかな。
それこそ千年以上前にまでさかのぼれるお話もざららしいし、概念武装としては破格なんだと思う。

「まあ、そのあたりが妥当かしら。
 ただ気になるのは、士郎君が爆破させたっていう『カラド・ボルグ』ね。
 概念武装の詳しいところはわからないけど、壊れたから修理するってわけにはいかないんじゃないかしら。
 それが爆破ともなれば尚更よ」
それは、以前わたしも考えたことだ。
あの時は同じ物がたくさんあるか、あるいはいくつでも作れると思ったんだけど、今となってはどれも可能性が低い。

リンディ提督の意見に対し、エイミィが別の考えを述べる。
「だけど、士郎君はそのとき既にジュエルシードの危険性に気付いていたらしいですよ。
 あれの危険性を考えれば、いくら貴重な一品とは言え、惜しんではいられなかったんじゃないでしょうか」
エイミィの意見は、凄く説得力がある。
あの時の暴走がそのまま進んでいた場合、海鳴の街がなくなっていたかもしれないのだ。
それと天秤にかければ、どんなに貴重で強力な武器でも出し惜しんでいる場合じゃない。
わたしが同じ立場でも、シロウと同じことをしただろう。

「やっぱり……そうかしらね」
一応納得したみたいなリンディ提督だけど、そこにはまだ疑問の色がある。
一体、何がそんなに気にかかっているのだろう。

話題を切り替える意味もあるのか、エイミィが努めて軽い調子で別の話題を振ってくる。
「あと未確認だけど、士郎君の武装の中で一つ名前を推測できるモノがあるんだ。
 ついでに、もう名前のわかっている武器の説明もしちゃうね」
だけど、推測できる武器ってどれだろう。
一番使用回数の多いあの黒白の双剣かな?

だけど、そんなわたしの予想は外れた。
「ほら、士郎君が時の庭園に残った時にエクスカリバーと一緒に持ってた鞘があったでしょ。
 あれって多分、エクスカリバーの鞘なんじゃないかな?
 意匠とかにも共通しているところがあるし、結構可能性は高そうなんだよね」
そう言ってモニターに映し出されるのは、シロウが使った剣と鞘。
たしかに、配色とか真ん中のあたりに刻まれた文字みたいなのはよく似ている。

「能力的にもその片鱗みたいなものがあったし、もしそうだったらこれって結構凄いことなんだよ」
「どういうこと?
シロウが使ってるのは神話とかに出てくる武器みたいなものなんだから、全部凄いんじゃないの?」
とりあえず、今のところの推測だとそういうことになる。
神話に出てくる武器そのものじゃないにしても、能力以外の歴史的価値とかも凄いモノだということは、素人のわたしにも容易に想像できる。

ちなみに能力の片鱗というのは、伝承に語られるあの鞘に宿る『不死の力』のことらしい。
不死の力なんて言われてもよくわからないけど、アレに傷を癒す力があるのはわたし自身体験している。
傷を癒すってことは、確かに不死と繋がらなくはない。
もしかすると、シロウはまだあの鞘を使いこなせてないのかも。
もし使いこなせるようになれば、もっと強力な治癒能力が得られたりするのかな。

「うん、まあそうなんだけどね。あれはその中でも特別なのよ。
 エクスカリバーはね、大昔のイギリスって国の王様『アーサー王』の剣なの。
 その王様は円卓の騎士っていう人たちを束ねて、『騎士王』と呼ばれた名君だったんだ。
この世界では特に有名な大英雄で、いろんな韻文や散文なんかの題材にもなってるんだよ。
 ただ、この人はその鞘を盗まれちゃったみたいで、そのせいでその後破滅しちゃったんだけど……」
つまり、あれが本当にエクスカリバーの鞘なら、現代になってやっと剣と鞘が一つのところに集まったってことなのかな。
確かにそれは、歴史的に見ればとても凄いことなのかも。
でもシロウ、一体どこでそんなものを見つけてきたんだろう。

エイミィはこちらの反応を見ながら、これまでで名前のわかっている武器の説明に移る。
「他のも凄いよ。
カラド・ボルグは、アルスター伝説で有名なフェルグスって人の魔剣のこと。
なんでも、三つの丘の頂を切り落としたって伝承があるんだ」
なにそれ……。いくら伝説だからって、とんでもなさすぎない?

しかし、ここでエイミィが難しい顔をする。
「だけど、これに関してはちょっとおかしな所があるんだよね。
 映像を見せてもらったけど、伝承じゃあんな捻じれた剣じゃないはずなんだけどなぁ……」
映像というのは、バルディッシュやレイジングハートに残っていたあの時の記録のこと。
でも、伝承でもあんな形じゃなかったってことは、シロウが改造したのかな。
…………いや、さすがにそこまではしないよね。
たぶん、アレだけが全くの別物ってことなんだろう。うん、そうに違いない。

エイミィは気を取り直すように咳払いをし、続きを話す。
「ごほん。まあ、それは置いておくとして、ロー・アイアスはその名の通りアイアスって人が使った楯。
伝承によると、誰にも防げないと言われたヘクトールって人の投槍を防いだらしいんだ」
わたしにはよくわからないけど、なんだかすごいものばかりってことはわかる。
武器としての性能もそうだけど、それ以上に歴史的な価値とかが凄いんじゃないかな。
そういう武器を惜しげもなく使って、時には使い捨てにする戦い方って実は結構罰当たりなんじゃ。

「そ、そんなにすごいモノなの?
 どうやって手にいれたのか、一度士郎に聞いておけばよかったかなぁ」
と、なんだかユーノはちょっと残念そう。
考古学者志望のユーノからすれば、詳しいところを知らなくても士郎の持つ武器に興味をひかれるのだろう。

はっ!? そういえばわたし、士郎の鎖をおもいきり斬ったことがある。
アレって、大丈夫だったのかな……。
「ね、ねぇエイミィ。あの天の鎖ってどういうものなのか、わかる?」
正直言って、そうたいしたものじゃないことを切に祈ります。

「ああ、ごめんねぇ。そっちはまだ調査中なんだ。
 とりあえずその名前にヒットするモノはないんだけど、士郎君が使ったからにはそれ相応のモノなんじゃないかな」
出来れば、アレに限ってはショボイものであってほしい。
シロウ、お願いだからもう少し慎重に使って。
それがシロウの戦い方だってわかってるけど、それでもあんまり乱暴に使い過ぎるのはどうかと思う。

そこでエイミィが、突然アルフに話を振る。
「んん~~ところでアルフ」
「ん、なんだい?」
アルフはそれにちょっと驚いたみたいに反応した。
おそらく、自分に話が振られるなんて思ってなかったのだろう。

「あのさ、その鎖に捕まった時って、なんか変な感じとかした?
 何でもいいから情報が欲しいんだけど」
「って言われてもねぇ。勝手に動いて絡みついた以外、特におかしな所はなかったよ。
 普通の鎖より頑丈なのは、士郎が強化したかららしいし……」
当時のことを思い出すようにアルフは話すけど、やはり有力な情報は得られないみたい。
それに、確かに普通の鎖よりは頑丈だったけど、それでも特別硬かったわけじゃない。
やっぱり、あれだけは他のよりも劣るんじゃないかな。


これらの情報を踏まえたうえで、改めて情報交換が行われた。

みんなあまり期待はしていなかったみたいだけど、管理局側にとっては思わぬ成果があった。
シロウの武器に関して、わたしも含めててっきりあれがシロウの家で継承されてきたものだと思っていた。
でもそれは違って、シロウは衛宮家の魔術を継いでいないらしいことがユーノの口から明らかになった。

ユーノはみんなも知っていると思っていたみたいで、さっきは特に話すことじゃないと思っていたらしい。
だけど、クロノがシロウの武装に関する考察をしている時に、少し驚いた様子で訂正した。
ユーノによると、お父さんから引き継いだものは基本的になく、衛宮家の魔術と士郎の属性も関連性は薄い。

つまりシロウの持つ武装は、すべて自力で集めたか、作ったモノかのどちらかになる。
そして、概念武装の性質を考えると、一代であれらを作り上げるのには無理があるという結論に至った。
シロウ達が嘘をついているなら別だけど、その可能性は薄いらしい。
そんなものを簡単に作れるなら、シロウ自身の守りをもっと充実させているはずだから、とのこと。

少なくとも、母さんの雷撃を受けた時に他の防御用武装があればそれを使っていたはず。
それができなかったから、シロウはあんな大怪我をした。
シロウがそんな基本的な備えを疎かにするとは思えないし、やっぱりそういうことなんだろう。

ただ、わたし自身はあまりしゃべらなかったのだけど、それに関しては特に何も言われなかった。
たぶん、みんなわたし気持ちとかを慮ってくれたんだと思う。
申し訳ない気持ちでいっぱいだけど、こうして気に掛けてもらっていることを実感するのは嬉しくもある。

いつか、違った形でちゃんと恩返しをしたいな。



そうして、概ね話せることを話しつくしたところで、エイミィがこれまでの話を総括する。
「う~ん、やっぱり聞いてみるものだね。
 私達の知らない部分が少なからずあったし、これで少しは情報を補完できたかな」
魔術の存在を公にしないだけならまだ何とかなるけど、これだけの事件に関わった人たちのことを上層部に報告しないのはさすがに無理らしい。
凛もそのあたりは承知しているみたいで、あえて情報を封鎖するようには言わなかったそうだ。
しても無駄だとわかっているのだろう。

今回の話し合いは、上層部への提出用の資料を作成するためのモノだったらしい。
少しでもこの人たちの役に立てたのなら、少しはお世話になっている分の恩返しになったんじゃないかな。

「協力してくれてありがとう。おかげで、報告書もちゃんと仕上がりそうよ。近々お礼をさせてもらうわ」
「いえ、そんな大丈夫ですから」
お礼を言いたいのはこっちの方なのに。
普段からたくさん世話になってるし、多分これからも……。

でも、そんなわたしの気持はさらっと流されてしまう。
「ええ、大丈夫なのよね。
 それじゃ、今度おいしいお菓子とお茶を振る舞うから楽しみにしててね♪」
教訓、言葉って難しい。
受け取り方次第で、全く違った解釈ができるんだもの。
今回の場合、リンディ提督が意図的に間違えているのはわかりきってるけど。

たぶん、これ以上何を言っても効果はない。
リンディ提督が浮かべる笑みには、それを確信させる何かがある。
だからわたしとしては、大人しく引き下がるしかないわけで……。
「……うぅ。それじゃあ、わたしは部屋に戻ります。
 アルフ達はどうするの?」
アルフは、結構艦内で力仕事なんか請け負っていたりする。
部屋の中で大人しくしているのなんて性に合わないらしい。
まあ素体が素体だから、しょうがないよね。

「う~ん、あたしはもう少しどっか手伝ってくよ。
 上手くすれば、ご褒美に肉も貰えるしぃ~♪」
アルフ、いつの間にか餌付けされてるんだ。
それと、あんまり意地汚いことしちゃダメだよ。

「僕もとりあえず部屋に戻るよ。
 実は昨日、なかなか美由紀さん離してくれなくて寝不足なんだ」
確か、なのはのお姉さんだっけ。
よくわからないけど、フェレットもいろいろ大変なんだ。

だけど、ここでわたしに対してストップが入る。
「あ、フェイトはちょっと残ってもらえませんか。
 少し、話し相手になってほしいんです」
そう言ってきたのはリニスだった。
話って、一体なんだろう。
それに、ここ使っちゃっていいのかな。

尋ねるようにクロノを見ると、静かにうなずき返してくれる。
「ああ、これから当分はこの部屋を使用する予定はないから大丈夫だよ。
 リニスからも、少し前に使用の許可を求められたから手続き上も問題ない」
あ、そうなんだ。
じゃあ、その話っていうのも思いつきとかってわけじゃないのかな。
これだけ入念に準備したってことは、きっと大切な話なんだろう。

「それじゃあ、私たちは先に出ているわね」
「使い終わったら戸締りをしっかりして、一度ブリッジに連絡してくれればいいからねぇ」
ここの戸締りって機械式だから、わたしたちじゃどうにもならないと思うんだけど。
たぶん、大切なのは後半だけで前半はただのおふざけなのだろう。
前々から思ってたけど、エイミィはこういう言い方が好きなんだ。
なんていうか、どんな時も余裕を持ってそうでちょっと尊敬する。



みんなが退出するのを待って、リニスの方へ歩み寄る。
思い出してみると、こうして二人で話すのは随分久しぶりな気がする。
こっちに来て再会してからはたいてい誰かと一緒だったから、もしかしたら初めてのことかもしれない。

なんでだろう。
まだ何も言っていないのに、すごく心臓がドキドキする。

そんなわたしの心を見透かしたかのような澄んだ瞳で、リニスがこちらを見上げる。
リニスの動物形態なんて、昔は一度も見たことがなかったのに今ではもう慣れてしまった。
また人間形態をとれるようになったら、その姿になれるまでにまた時間がかかりそうだ。
なんて、そんなどうでもいいことを考えてドキドキを忘れようとする。

そして、リニスがその口を開いて厳かに問う。
「フェイト、一つ聞かせてください。
 あなたは士郎のことが好きですか? 友人としてではなく、一人の異性として」
「え?」
言っている意味がわからなかった。
いや、問いの内容はわかるのだけど、何でそんなことを聞くのか理解できない。

わたしの意思と気持ちは、もうこの間のシロウたちとの別れ際に示したはずだ。
あの場にはリニスだっていたし、これは今更聞くようなことじゃない。

だけど、リニスの眼はその質問への答えを強く要求している。
どれだけ時間がかかっても、どれだけ待つことになっても、リニスはここでそれを待ち続ける。
そんな確信だけがあった。

そこにどんな意図があるかはわからないけど、それに対してはっきりと答えを返す。
「……うん、好き。友達とか、恩人とか、そういうの全部抜きにしてわたしはシロウが好き。
 今は離れ離れになってるけど、いつかまた会いに行って、もう一度この想いを伝えるつもりだよ。
 できるなら、この先ずっとシロウと一緒に歩いて行きたいから」
正直言って、相手が本人じゃないとしても、こうして面と向かって言うのはかなり気恥ずかしい。
シロウに対してああいうことをした時も恥ずかしかったけど、あれは半分勢いだったし。
なにより、負けたくなかったから。

数秒の沈黙。それを破ってリニスが口を開く。
「…………そうですか。では、言わせてもらいます。
 諦めなさい、フェイト。士郎と凛の絆は固く、あなたの入る余地はありません」
そうして出てきたのは、今まで聞いたこともない冷たい声音による言葉だった。

今度こそ、今度こそ本当にリニスの言っている意味がわからなかった。
別に、リニスが応援してくれるとは思ってなかった。
リニスは凛の使い魔で、そうである以上一応わたしは主の恋敵になる。

でも、だからと言ってこんなストレートに諦めろと言われるなんて思ってもみなかった。
せいぜいが、「私は凛の味方ですから」と言われる程度だと思っていた。
だけどこれは、その予想をはるかに上回っている。

呆然とするわたしに、リニスがさらに言葉を紡ぐ。
「もちろん、冗談などで言っているわけではありませんよ。
 実を言うと、私は先ほど少し嘘をつきました。
 私は眠っている間に凛の記憶の断片を垣間見て、少しですがあの二人のこれまでを知っています」
それは予想もしないことだった。
しかし、あり得ないとは言い切れない。
使い魔との契約にはまだわかっていないことも多いし、魔術師である凛とリニスの契約はかなりの特殊例だ。
一応こっちの魔法の方式に則っているけど、そういうことが起こっても不思議はない。
特に、リニスが目覚める前は魔術的な方法でやってたみたいだし。

だけど、そういったこととは別のところで納得する自分がいる。
わたしは、あの二人の間に何があったか知らない。
どれだけの時間を共有し、どんな思い出があるのか、本当に何も知らない。
わかっているのは一つ、あの二人がお互いのことをこれ以上ない位に大切にしているということだけ。

だけど、リニスは知っている。
例えそれが全体の万分の一に満たない断片でも、わたしの知らない二人を知っている。
先ほどの言葉は、それを知ったからこそ出てきたモノだったのだ。



SIDE-リニス

そうして私は、フェイトを追い込むべくさらに言葉を重ねる。
「詳しいことは言えませんし、私自身把握できていません。
 だけど一つ言えるのは、あの二人の間には何人たりとも割り込む余地がないということです」
これは、フェイトには残酷かもしれない。
今のフェイトにとって、士郎は大きな支えとなっている。
そんな状態で諦めさせるということは、精神的な支柱を失うことと同義だろう。
だけど、今ならまだ傷は小さくて済む。

わたしが垣間見た、二人の半生。
それは私の想像をはるかに凌駕するほどに荒唐無稽で、叫びだしたくなるほどに過酷で、狂ってしまいそうなくらいに惨たらしかった。
他人から見れば、苦難ばかりの人生でしょう。
頑張った分には到底足りない、その報い。
代わりに与えられるのは、人々からの怨嗟や侮蔑、そして憎悪。
真っ当な神経をしているのなら、一日と耐えられないであろう地獄がそこにはあった。

それでもなお、二人は世界を相手に戦い続けた。
いえ、厳密には世界を相手取っていたのは士郎だけ。
凛が戦っていたのは別のモノ。
世界を相手に必死に抗い続ける士郎を支え、決して彼の手を離さず、彼に降りかかる災厄を打ち払い続けた。

あえて凛が戦っていたモノの名前をあげるなら、それは「衛宮士郎」そのものでしょう。
放っておけばどこまでも飛んで行ってしまいそうな彼を引きとめ、彼が道を誤らないように導き、彼を傷つけるモノから守り抜く鞘。
それが今の私の主、遠坂凛という女性。
士郎の戦いが「顔も知らぬ誰か」の為なら、凛の戦いはその全てが「衛宮士郎」の為だった。

だが、決して彼のためとは口にせず、すべては「自分の為」と言って憚らない凛。
もし一度でも「士郎の為」と口にすれば、彼は必ず姿を消すとわかっていたのでしょうね。
彼は、自分のために彼女の人生が縛られることなど望んでいなかったから。
そしてそんな彼女だからこそ、士郎は最後の最後まで彼女と共にいられたのだろう。
故に、凛の記憶は地獄のような光景でありながら、決して光を失ってはいなかった。

そんな光景を断片的に垣間見た。
もっと古い記憶もあったけど、それは大半がぼんやりとしていて判然としなかった。
ただ、何とか判別できたものもいくつかあった。

顔こそわからなかったが、大きな手が幼い凛の頭を不器用に撫でている微笑ましい情景。
夕焼けで真っ赤に燃えるグラウンドで、越えられない高飛びをし続ける少年。
凛と同じ色の髪と瞳をした幼い少女に対し、凛がリボンで髪を結ってあげている、どこか悲しい光景。
銀の鎧と蒼のドレスを身に纏った金髪の少女が、月を背景に見えない何かを向けている姿。
朝焼けの中にたたずむ士郎らしき人物が浮かべる、安らかな笑顔。
他にも、誰かに背を預けるような形で見上げられた満天の星空や、長い金髪と袖のないドレスを着た気の強そうな少女と対峙する記憶もあった。
最後に、ボロボロと涙を流す凛に抱きしめられ、胸から僅かに血を流し呆然とした表情で一滴の涙を流す少女。

これらが凛にとって、どのような意味があるのかはわからない。
だが、あれほど鮮明だったのだから、それらは古い記憶の中でもとりわけ大切なものなのでしょう。
そして、いくつかの比較的近い過去の記憶を見てわかってしまった。
あの二人は、決して揺るがない。
どれほどの苦難、どれほどの危機も、二人からすればすべて過去に乗り越えたモノばかり。
今更それらが来たところで、とうの昔に乗り越えた試練ならばまた越えられる。

一見不安定で、いつ離れ離れになってもおかしくないように見える二人。
だけど、最後の最後までその手が離れることはなかった。
それこそが、二人の絆の証明。
何より、二人には誓いがある。
決して破るわけにはいかない、これ以上ないほどに神聖な家族との誓いが。

こんなものを見てしまって、どうしてフェイトの応援などできるだろうか。
勝ち目が億分の一もあればまだいい。
何かの奇跡で、その一を拾うことができるかもしれない。

しかし、それすらないのに勝負などさせられるわけがない。
初めから負けが確定しているのなら、少しでも傷を小さくするべきでしょう。
少なくとも、それが外から冷静に戦況を分析できる者の判断。

私の言葉を受け、その瞳に動揺を見せるフェイト。
「フェイトの中で、士郎がどれほど大きなウェイトを占めているか、私には知る術がありません。
 でも、一つだけ言えることがあります。
 あの二人の間に割って入ること、それだけは絶対にできません。
 それだけのモノが、二人の過去と、そして現在にはあるんです」
いっそ、二人の過去を見せるなり教えるなりできれば諦めも付くのでしょう。
しかし、それをするわけにはいかない。

完全に事情を把握できたわけではないが、それでもこれまでの情報と総合すればある程度想像できる。
だからこそ、あの二人がこれを隠そうとしていることがわかってしまう。
これを知られては、二人の立場を著しく悪くしてしまうかもしれない。
だから私にできるのは、こうして間接的な言い方で話すことだけ。

フェイトは、私にとっても娘同然の教え子。
叶うなら、どうかフェイトにはこれまでの苦しみの何倍という幸せを掴んでほしい。
でも、その相手が士郎ではダメ。

想っている間はいい。
しかし、この先もどんどんフェイトの中に占める士郎のウェイトは大きくなっていくのは、目に見えている。
大きくなればなるほど、その後の喪失は深く暗いモノになる。

今ならまだ、その喪失を埋めるのは困難ながら可能なはず。
フェイトの周りには、彼女を気遣ってくれる多くの人ができた。
リンディ提督でもいいし、エイミィさんでもいい、なんならクロノ執務官やユーノ君、あるいはなのはさんもいる。
士郎の穴を埋めるには足りないかもしれないが、それでも穴を小さくすことはできる。

フェイトはこれまでの一番の支えだったプレシアを失い、ただでさえ不安定になっている。
今はまだ時期尚早かとも思ったが、もう一度巨大な喪失を味わってあの子がどうなるか分からない。
耐えられるかもしれないし、耐えられないかもしれない。
どちらにせよ、いずれ来るのであれば早い方がリスクは少ないはずだ。

これが私個人のエゴであることは、重々承知している。
本来、私にそこまでフェイトに口出しする権利なんてない。
それでも、この子により幸を多い未来を望むのならこれしかないのだ。
もしくは…………。

しばしの沈黙。
今のフェイトは俯いていて、この角度だとその表情はこちらからも伺えない。
泣いていないのだけは間違いないでしょうが、その胸の内を察することはできない。

どれくらい経っただろうか。
フェイトが、久しく聞かなかった弱々しい声で問う。
「………本当に、わたしは凛に勝てないのかな……。
 どうやっても、シロウと一緒にいられないの?」
「一緒にいるだけならできます。ただしそれは、あなたの望む形ではありません」
嘘をつくことに意味はない。
この場で必要なのは、厳然たる事実だけ。

「気持ちに区切りをつけ、一友人として接するのがいいでしょう。
 幸い、次に士郎と再会するのは当分先です。
 気持ちを整理するには、いい時間になります」
おそらく、これが一番いい形なはず。
良き友人として接し、あくまで友として彼を支えにするのであれば何も問題はないのだから。

「……ねぇ、リニス。たぶん、リニスの言ってることは正しいよ。
 わたしから見ても、シロウと凛の間に何かあるのはわかるもの」
私が言うのもなんだが、フェイトは聡明な子だ。
だから、この結論に至るのは当然だろう。

「なら………………」
だから、私からかける言葉は一つだけ。

しかし、続きを口にしようとしたところで、フェイトが顔をあげる。
その顔には、強い決意が宿す笑みがあった。
「だけどね、それでもやっぱり諦めきれない。
 わたしが子どもだからかもしれないけど、勝ち目がないってわかってても捨てられないんだ」
そう宣言する顔には悲壮感はなく、あるのはただ不動の意思と覚悟のみ。
子どもらしいわがままなのかもしれないが、それでもその意志は本物であることを実感させる。

「リニスの言ったことをも含めて、必死に考えたけど……やっぱりダメ。
 士郎が言ってたんだ。
『自分が抱く想いが間違っていないと信じられるなら、胸を張って誇っていいんだ』って。
 間違っていると思えないのにこれを否定したら、きっとわたしは胸を張って生きられない。
この想いは、アリシアの記憶じゃなくて、紛れもなくわたし自身から零れた気持ち。
 これは、絶対に捨てられないんだ」
作られた命と植え付けられた記憶を持つフェイトだからこそ、それは譲れないモノ。
プレシアへの思いには、少なからずアリシアの記憶の影響があるだろう。
だけど、士郎への想いは間違いなくフェイト「だけ」のモノ。
ならば、捨てられるはずがない。フェイトがフェイトとして、前を向いて生きていくために。
そういう……ことなんですね。

「だから、このまま終わるなんてできないよ。
 それに、リニスの言うことは正しいと思うけど、誰にもそれは証明できない。
 本当に勝ち目がゼロなのか、試す以外に証明する方法なんてないんだもん。
 もしゼロじゃなかったら、ここであきらめたら本当にゼロになっちゃうしね」
私の後ろを必死に追いかけていた子が、いつの間にかこんなに大きくなって、自分の足で立てるようになっていたのか。
一つの可能性として考えてはいたけれど、まさか本当にそちらを選ぶとは……。
これは、考えられる限りで一番の苦難の道だというのに、思い切ったことをする。
それがわからないような子じゃないのに。

とはいえ、あと言えることと言えば念を押すくらいか。
「その先に待っているのは、絶望かもしれませんよ」
「その時はその時!
どうなるかなんてわからないんだから、今できることを精一杯やって、その結果を受け入れるよ。
 何もしないで諦めるより、ずっと良い」
どんな結果になっても受け入れる覚悟。
決して捨て鉢になっているわけじゃないし、だからと言って楽観しているわけでもなさそうだ。
ちゃんと現実を直視したうえでの選択なら、教師としてもう言うことはない。

ただし、少しくらい文句を言っても罰は当たらないでしょう。
「まったく、こんな無謀なことをする子に育てた覚えはなかったんですけどねぇ。
 どこかで育て方を間違えたんでしょうか……」
「そんなことないよ。リニスは立派にわたしを育ててくれた。
 こんな無謀な戦いに挑めるのも、リニスの教育の賜物だよ。
 もし間違っていたことがあるとしたら、それはリニス自身じゃないかな?」
それはつまり、何もかも私が原因だということですか?
少なくとも、わたしはそこまで無謀じゃないつもりなんですが。

「はあ、そんなに決心が固いなら好きになさい。
 ただし、私は凛の使い魔ですからね。
 あなたの妨害はしても、手助けはしないモノと考えてください」
ちょっと負け惜しみのような感じがするが、それは気にしないことにしよう。
教え子に負けたなどと、まだまだ認められないから。

「うん、ありがとうリニス。これでやっと対等だね」
「私と対等になった程度で満足していては、いつまでたっても凛と同じ舞台には立てませんよ」
あの人は本物の傑物。
私のような下っ端と対等になって喜んでいるようでは、まだまだ先行きが不安だ。


とはいえ、この様子ならその時が来ても大丈夫だろう。
もっと楽な道を選んで欲しかったのだけど、あなたが決めたのなら応援するのが親代わりだった私の勤め。
表立っては応援できないけれど、影ながら応援しますよ。

どのような結末になっても、自分なりに納得のいくよう頑張りなさい。
先ほどの宣言通り、『胸を張って生きていける』ように。



SIDE-リンディ

そんな二人の様子を、私たちはモニタールームで眺めている。

それに対するエイミィの感想は……
「いやはや。青春してるねぇ、フェイトちゃん」
本当に楽しそうね。
士郎君達と再会したら、場合によっては修羅場になるかもしれないのに。
まあこの子の場合、そんな空気さえ楽しんでしまえるのだろうけど。

「でも、本当に立派ね。あれだけの啖呵が切れるなら、特に心配することもなさそう……」
一時はどうなることかと心配したが、どうやらそれは杞憂だったらしい。
はじめて会った時は色々あったせいもあって、どこか儚げで脆そうな印象があった。
だから、もしかすると立ち直れなくなってしまうんじゃないかとさえ危惧していた。

だが、それはあの時だけのモノだったのか、それともこの短期間でそれだけ強くなったのか。
どちらかはわからないけど、私が思っていた以上にあの子の心は強い。
むしろ、私の心配はフェイトさんへの侮辱だったかもしれないわね。

私がフェイトさんの強さに感銘を受けていると、無粋な怒声が割り込んでくる。
「艦長! それにエイミィも! いい年してデバガメなんてして、みっともないと思わないんですか!!」
「「何を怒ってるの? クロノ(君)」」
声の発生源は、後ろでバインドでグルグル巻きにされている不肖の息子。
そちらに向けて振り返らずに、怒りの訳を問う。
今はまだ感動的なシーンの真っ最中なのだ。他所を向いている場合じゃない。

ちなみに、拘束したのは私で協力はエイミィと他一人。
真面目なのはいいんだけど、もう少し融通のきく子にならないかしら。
何事も固いだけじゃダメよ、クロノ。

見事なまでに無力化されているにもかかわらず、クロノの眼光は衰えることを知らない。
そこには今は亡き夫の面影があり、親馬鹿かもしれないけど、少しだけ頼もしさが出てきたように思う。
ただし、今はなんとも情けない格好なので、それも雲散霧消してしまうのだけど。

「他人のプライベートを覗くようなマネをして、恥ずかしくないのかと言ってるんです!」
「覗きなんて失礼ね。
偶々用事があって艦内の様子を確認していたら、偶々二人の様子を見ちゃっただけよ。
 偶然なんだからしょうがないじゃない」
「そうそう、偶然偶然♪」
全くもう、覗きなんて非常識なマネするわけないじゃない。
息子にそんな風に疑われるなんて、お母さん悲しいわぁ。

私たちの言葉に、クロノがこれ以上ない位に苦々しい顔をする。
「世間一般では、そういうのを詭弁と言うんですよ、艦長」
本当に、我が子ながらどうしてこうかわいげがないのかしら。
少しはフェイトさんやなのはさんたちを見習ってほしいわ。
昔は「おかぁさぁ~ん」って、チョコチョコ後ろを追いかけてきて可愛かったのに。
時間の経過って残酷だわぁ。これが反抗期なのかしら。

「あれ? ところでアルフは?」
アルフも、初めは私たちと一緒に二人の様子を見ていた。
途中で乱入してきたクロノを拘束するのも手伝ってくれた。
いわば同志だったのだけど、今はモニターの前にはいない。

なぜなら、リニスがフェイトさんを追い詰めるような言動をし始めたところで……
「ぶっちめる!!」
と言って、向こうに乗り込もうとするんですもの。
仕方がないからクロノと一緒にグルグル巻きになってもらって、壁際に待機させたのだ。

でも、さっきから妙に大人しい。
初めのうちは、陸に上がった魚みたいにビッタンビッタンして暴れていたのに。
一体どうしたのだろう?

そんなエイミィの疑問に、クロノが疲れたような調子で答える。
「アルフならそこだよ。
 どうも主の成長が嬉しいらしくて、思いっきり号泣してる」
私たちが振り向かないことは承知しているようで、ため息交じりの声で解説してくれる。
アルフの声がほとんど聞こえないのは、必死で抑えているからだろうか。

よく耳を澄ませば、蚊の鳴くような声で……
「ぐずぐず、えっぐ……ふぇいとぉ~~……」
という声が聞こえてくる。
ちょっと、どういう顔をしてるのか気になるわね。
でも、モニターの方も捨てがたいし……困るわ。

それにしても、リニスったら嘘をついてたのね。
元からそういう性格なのか、それとも凛さんの影響を受けたのか知らないけど、一筋縄じゃいかない主従ねぇ。
まあ、そう詳しいことを知っているわけじゃないみたいだし、せいぜい「二人の背景を少し知っている」くらいかしら。
二人の背景はもちろん気になるけど、一番知りたいことは別にある。
たぶん、彼女もまだそのあたりは知らないんでしょうね。
さっきの話だと、「垣間見た」程度のようだし。

そこへ、クロノが真面目な口調で話しかけてくる。
「艦長。やはり、士郎にフェイトに作ったペンダントと同じか、あるいはその類似品を作ってもらえるよう依頼してみませんか?」
そこには、先ほどまでのようなしょうもない怒りや呆れはない。
あるのは、時空管理局の執務官としての顔だけだ。
グルグル巻きにされて転がされていると雰囲気台無しだけど……ここは気にしないことにしよう。

空気としては冗談を言えないこともないが、私も一提督として応じる。
いくら話を振った張本人が情けないことになっているとはいえ、内容自体は非常にシリアスなのだ。
「そうね。もし受けてもらえたら、現場の被害を減らせるかもしれないし」
万年人手不足の管理局には、人材発掘と並んで重要な事項として、現場に出る魔導師の生存率と負傷後の復帰率がある。
ただでさえ、AAA以上の強力な魔導師は数が少ない。
当然、彼らが投入されるのはより過酷な現場だ。場合によっては、単独での任務さえある。
一般の魔導師でも、欠員が出たからといってそう簡単には補充できない。
これが高ランク魔導師となれば尚更だ。

だが、士郎君の作ったペンダントには魔力ダメージを削減する効果があるらしい。
それを現場にいきわたらせることができれば、少なからず生存率や復帰率が上がるはずだ。
さらに、対物理など他の効果も付与できればなお良い。
人手不足の直接的な解消にはならないが、それでもこれがあるとないでは大違いだろう。

故に、量産は無理でも、定期的に一定数量を作って提供ないし売って貰えると大助かりなのだ。
凛さんは宝石に魔力を溜められるらしいし、もしかしたら士郎君と同じことができるかもしれない。
定期的にお金が入ってくるわけだから、彼らにとってもそう悪い話じゃない。

このことを知れば、多少高くてもいいから欲しいという人は大勢いるだろう。
そうなれば上だって重い腰を上げ、それなりに予算を組んでくれるはずだ。
そういうわけで、二人にはそういった発注を受けてもらいたい。
ただ、物が物だから魔術の安売りじみた行為に二人が乗ってくれるかが不安なのよね。

「まあ、一番なのはそれらの製造法の提供だけど、これはさすがに無理でしょうね。
 一応それも魔術みたいだし、凛さんが承諾するとは思えないわ」
「……ですね」
凛さんはお金に目が眩みやすいところがある。
だけど、決して譲れない一線ならいくらお金を積んでも意味をなさないだろう。
技術提供がその一線を越えているのは間違いない。

ただ、あのペンダントのように物に魔力を込められるのなら、もしかしたら武器に対しても可能かもしれない。
彼の持つ武器もそうやって作られた可能性があるけど、あのペンダントとは次元が違うから別物と見ていいだろう。
フェイトさんを守るために作った物らしいし、手を抜いているとは考え難い。
概念武装の性質や、彼自身のこれまでを振り返ってもやはり自作の可能性は低い。

仮に武器への魔力付与が可能だと仮定すると、その対象は彼の属性からして基本的には剣やナイフ。
だが、それで充分。
魔力の宿った刃物を提供してもらうだけでも、戦力の底上げになる。
魔導師が持ってもそれほど意味はないかもしれないが、これが一般局員なら話は別だ。
どの程度の魔力があれば魔導師に対して有効かはわからない。
だけど、魔導師に対して有効打になる武器を支給できれば、現場に出せる人員は大幅に増やせる。
これなら人手不足の一端を解消できるだろう。
もちろんその程度は、彼が一定期間に作れる数量によるのだけど。

管理局が「質量兵器の禁止」を謳っている以上、如何に人手不足でも質量兵器を使うことはできない。
陸の方で一部解禁しようとする動きがあるらしいが、今のところは基本的に禁止されている。
それというのも、質量兵器の使用が管理局の大義名分の一つを否定するのと同義だからだ。
だが、魔導師でないモノが魔導師を相手にしようとするなら、完全に不意を突くか質量兵器が必要だ。
故に、魔導師でない局員が出られる現場には制限がかかる。

しかし管理局の法では、拳銃のような小型の火器や刃物まで禁止されているわけではない。
ちゃんと許可さえ取れば、そういったものを所持することは認められている。
だから、そういった武器を作り、それを配備したとしても法には触れない。
すなわち、大義に全く矛盾しないことになる。
こんなことを考えていると、まるで法律の抜け穴を探すマフィアみたいね。

だが実際問題として、二人は預言とは無関係に管理局の未来を左右しうる人材なのだ。
局に入らなくてもいいから、二人とは出来る限り友好的な関係を築きたい。
それは、彼らの存在を知ればほとんどの局員が思うことだろう。

なにはともあれ、他の局員に知られる前にそれが可能かどうか確かめないと。
「まあ、とにかく一度話をしてみることね。
 ダメならダメで無理強いしても逆効果だし、その時は上には内緒ってことで、ね」
下手に知られれば、二人の人となりを知らない者の中には無理を押し通そうとする人が出てくるかもしれない。
そうなったら最悪だ。
あの二人は、その手の人間には絶対に手を貸さない。
丁寧に、誠意を持って話すことだけが唯一の道なのだ。

「それに関しては賛成です。
 なにより、平穏を望んでいる人の生活を乱すのは本意じゃありませんから」
「そういうことなら、情報管理はしっかりやらないといけませんね。
 そっち方面はお任せです」
二人の頼もしい部下は、そう言って賛意を示してくれる。
私は、家族と部下に恵まれているわね。

とりあえず、明日この世界を離れる前に挨拶がてら相談だけはしてみよう。
出来る限り早い答えが望ましいけど、ここはどっしりと構えた方がいいはずだ。
場合によっては、じっくり考える時間も用意すべきだろう。
その間の情報管理をちゃんと保障した上でね。

そうやって明日のことを考えていたら、突如背後から声がかかった。
「さて、何やら話がまとまったようですね。
 ではお聞きしますが、そこで一体何をやっているんですか? みなさん」
かけられるのは、優しさの中に絶対零度の冷たさを宿した声。
だけどその声は、本来ここにはいないはずの人のモノ。

だからだろう。相変わらず感涙にむせんでいるアルフを除いた全員揃って、間抜けな反応を示す。
「「「………あれ?」」」
しばしの間目を離していたモニターを見やると、そこには人っ子一人いない。

し、しぃまっったぁ~~!
考え事やこれからのことに夢中になって、ついモニターの変化を見落としてしまった。
憶えている最後の方の様子では、あの時点ですでに話を終えようとしていたところだった。
つまり、とっくに二人はあの部屋を後にしていたのだ。

だから、いま後ろにいるのは……。
「ギギギギ」なんて擬音が聞こえそうな動きで後ろを振り向く。
そこには、先ほどまで会議室にいた一人の少女と、その腕に抱きかかえられた一匹の山猫がいた。

リニスの眼には明らかな「呆れ」の色が浮かんでいる。
対して、フェイトさんの顔は先ほどのやり取りを見られたことによる羞恥で真っ赤に染まっている。
二人が会議室を出た時点で退散する予定だったのに、思い切り機を逸してしまったのだ。



その後のことは、まぁ詳しく語るまでもないだろう。

大雑把に説明すると、三人そろって仲良く正座させられて、リニスからのお説教を受けている。
始まってすでに二時間上経っているはずだが、一向に終わる気配がない
もう足の痺れさえ感じなくなってきた。
この様子だと、もう一時間以上は継続しそうだ。

世間一般の常識や良識というものを滔々語る山猫。
それをうなだれながら大人しく聞く、それなりの地位にある三名の人間。
傍から見れば、さぞやシュールに映っていることだろう。

クロノだけは「冤罪だ」と呟いていたけど、結局誤解が解かれることはなかった。
同時に、外野から向けられるささやかな軽蔑の視線が、私たちの心を何よりも深く抉る。
純真無垢な女の子から向けられるその視線は、あらゆるものに勝る破壊力を有しているのだ。


そうして、私たちの第97管理外世界「地球」での最後の夜が更けていく。






あとがき

唐突ですが、どなたか適切な文章量ってものを教えてください!
具体的には、字数で○○字以上○○字未満とわかりやすく。
……なに言ってるんでしょうね、私。
でも、結構真面目に悩んでます。

しかし、クロス作品なのに凛と士郎の両方が出ない話ってどうなんでしょうね。
一切関与していないわけでもないし、話題は二人のことなので変則的ではありますがあり……なのかな?
ちょっと自信がありませんが、大目に見てください。

さて、いい加減A’s編に入ろうと思っているので、これで当分は外伝に手をつけることはないと思います。
次の投稿がいつになるかは未定ですが、その時は多分第二部の開始になるはずです。
しかし、一番の問題が凛のバリアジャケットなのが何とも情けないですね。
まさかルビーにするわけにもいきませんし……さて、どうしたものでしょう。
これが決まらないことには途中で行き詰まってしまいすし、早めに決まるといいのですが……。
では、今回はこれにて失礼します。



[4610] 第19話「冬」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2009/07/02 23:56

SIDE-???

それは、今思い出しても不思議な出会いやった。

実際自分の眼で見たことでなかったら……いや、この眼で見ても信じられへん。
誰かに話しても、きっと信じてくれへんな。
出来の悪いファンタジー小説の方が、もう少し現実味があるもん。
今この瞬間にも目が覚めて、すべてが夢やったとしても何の不思議もない。

でも、もしホンマに夢やったとしたら、神様はものすごく意地悪で残酷や。
わたしがずっと願い続け、同時に諦めていた夢を一度叶えてから無残にも引き裂くんやから。
せやから、今の生活が夢やないかと疑う反面、夢でもええからずっと覚めへんでほしいとも思う。
それぐらいに今のわたしは、以前からは考えられないくらいに幸せやから。


そう、すべてはあの日が始まりやった。
偶然拾った、吸い込まれるような輝きを宿すヒビ割れた綺麗な蒼い石。
きっと、これがきっかけ。

どうしてそれに気付いたのか、なんで交番に届けなかったのか、その理由は自分でもわからへん。
こういうのを魔がさしたって言うんかなぁ……。
そして、何故それに対して毎日のようにあの『願い』込めていたのかも。
もういつからそれを願っていたのかさえ分からない位に前から、ずっとわたしが望んできた唯一つの願い。
『家族が欲しい』
たったそれだけの、でも叶わないと諦めていた願い。

願掛けやったのか、それともホンマにそれが叶うなんて思っとったんやろか。
夢は所詮夢でしかないなんてことは、もうずっと前からわかっとったはずやのに。
ただ、胸に抱いて強く願う度に、あの石の奥に僅かに光が生まれとる気がしたから……。


ある日の明け方、大きな地震と共に目が覚めた。
そこで、紐に括りつけて首から下げていたそれが、眼も眩むほどの光を放って宙に浮き上がった。
わたしはその光に目を奪われ、庭に逃げることさえ忘れて呆然とそれを見とった。

石から放たれる光は地震と共にその強さを増していき……そして、弾けた。

その光はとても直視出来るようなモノやなくて、わたしは反射的に目を閉じた。
次に目を開いた時、そこにあの石は跡形もなかった。

その代わり、そこには蒼い光に包まれた『あの人』が浮かんどった。
その光が弱まるにつれ、あの人も徐々に降りてくる。

わたしは目の前で起こったことが信じられなくて、ただその人が床に降りてくるのを呆然と眺めとった。
いや、信じるとか信じられへんとか、そないな些細なことはどうでもよかった。

地震のことも、目の前で起きた異常事態もみんな忘れて……ただ、見惚れとった。
その人は今まで見たこともない位に綺麗で、ホンマに同じ人間なのかさえ疑ったほどやから。
(まあ実際、あとで話を聞くとホンマに人間やなかったわけやけど)

時間が止まっとった。
その人が床にその身を横たえるまで、おそらく五秒なかったんやないかと思う。
せやけど、その何十倍も長く感じた時間の矛盾。
あの時の光景は、きっと地獄に落ちても鮮明に思い出せる。
そないな、根拠の欠片もない確信だけがあった。

そう。せやからきっと、これがすべての始まり。
その後に訪れる新たな出会いも、きっとこれが序章。

あの日、わたし『八神はやて』は運命に出会った。



第19話「冬」



SIDE-士郎

早朝。
街は朝靄に包まれ、普段とは違う寂しさを感じさせる。
それというのも道に人の影はなく、民家もまだまだ静かなものだから。
ま、時間が時間だし、当たり前か。

そんな街中をかなりのペースで走る。
「はっはっはっ……」
規則正しくはかれる息が、大気との温度差で白い靄となって後ろに流れていく。

家を出た時にはまだ暗かったのだが、走っているうちに日が昇り明るくなってきた。
日課にしているジョギングで、少々勾配のキツイ坂をかなりのハイペースを維持して駆け上がる。

何事も体力と足腰が基本。
ここ数ヶ月は平穏な生活が続いているが、俺の周囲には大なり小なりトラブル要素を抱えた人間が多い。
出来ればこの平穏がこの先もずっと続いて欲しいが、残念ながらそんな保証はどこにもない。
となると、そういった嫌な事態への準備は必要なわけで……。

しかしまあ、当然と言えば当然だがさすがに冷えてきた。
特別寒過ぎるというわけではないが、はじめてこの地に降り立った時はもう少し過ごしやすかった。
つまり、俺たちがこの世界に来て、それだけの時間が経過したということを意味する。
それを思えば感慨深いものがある。

いやまあ、これで快適な程度に暖かかったりしたら、地球温暖化も深刻だからこれでいいんだけど。
ただ、こう冷えると凛を起こすのが一苦労なんだよなぁ。
何年たっても寝起きが悪いのは変わらないし、それどころか徐々に悪くなっている気さえする。
それが冬ともなれば尚更だ。


そんな割とどうでもいいような、だけど俺としては結構重要なことを考えているうちに目的地に着いた。
一端足を止め、少し辺りを見回すと目当ての人影を発見する。
「……お。いたいた」
そこには、一人の少女の背中があった。
集中しているからか、こちらが来たことには気づいていない。

これは、あとで注意が必要だな。
集中するのはいいが、だからと言って周囲の気配くらいは気をつけないと。
今来たのが俺だからよかったが、もし一般人だったら最悪ひと騒動だ。
せめて結界くらい張ればいいのに、早朝だからって油断し過ぎだ。
兄弟子として、妹弟子のその辺はしっかり指導してやらないとな。

とはいえ、お説教は後で良い。
今は、出来が良すぎてコンプレックスさえ感じない妹弟子の訓練風景を横から眺めることにする。

手にしているのは、一つの空き缶。
少女はそれを見ず、眼を閉じて力のこもった言葉を唱える。
「リリカル! マジカル!」
すると、足元に桜色の魔法陣が描かれる。
なのははさらに詠唱を続け、それにともない突き出された掌に魔法陣と同色の光球が生じる。

空き缶を投げ上げ、それを追いかける形で光球が放たれる。
「ディバインシューター……シュート!」
放たれた光球は正確に空き缶を叩き、上方に弾く。
それを幾度となく繰り返すうちに、徐々にそのスピードが上がっていく。

七十を超えたあたりから、少女の顔に力がこもる。
それでもなお、光球のスピードは上がり続ける。
そして、百回を超えたところで仕上げに入る。

「ラスト!!」
その言葉と指の動きに導かれ、光球が最後の一打を加える。

カァン!!

自身のすぐ真横に落ちてきた缶を横から叩き、ゴミ箱に向けて弾き飛ばす。
弾かれた缶は寸分たがわずゴミ箱へと飛んでいき、そのうちへと吸い込まれる。

パチパチパチ

それを見届けたところで、手を叩きながら歩み寄って声をかける。
「いや、お見事」
「あ! 士郎くん来てたんだ、おはよう」
俺がいたことにやっと気づいたなのはが、少し驚いたようだが元気にあいさつする
いや、やっぱりあいさつって大事だよな。
こうして元気にあいさつされると、こっちまで元気になってくる気がする。

「ああ、おはよう。
だけどな、俺が来たことに気付かなかったのはマイナスだぞ。
 もし他の人だったら、ちょっと面倒なことになったかもしれないからな」
「あう…………」
会って早々小言を言うのはどうかと思うが、疎かにできることではない。
基本、この世界では魔法の存在は秘匿どころか存在さえ知られていないからだ。
そんなものを見られたりしたら、いろいろ厄介なことになる。

このあたりの意識が、まだなのはは薄い。
なのはは俺と同じで記憶操作なんてできないんだから、特に注意しないといけないのに。
今は凛がいるから、最悪凛に記憶操作をしてもらえばなんとかなる。

だが、いつまでもそれじゃあ困る。
魔法という非常識を身に着け、この先もそれを持ち続けるからには最低限必要なものがある。
まだ時間があるとはいえ、いつまでもこれでは問題だ。
早めに何とかしないとな。

なのははさっきから「にゃははは……」と笑ってごまかしている。
ふぅ、今日はこれぐらいにしておくか。
俺も人のことを言えた義理じゃないし、このあたりは凛に任せた方がいい。
昔は散々秘匿を無視した手前、説得力があるとは思えない。

それに、やはり褒めるところは褒めるべきだろう。
「まぁそれはそれとして、誘導弾の操作、だいぶ上手くなってきたんじゃないか」
この訓練を始めた時なんて、一度に十回できればいい方だったのに。
たった数ヶ月でここまでできるようになるとは、「さすが」としか言いようがない。

さっきまでの気落ちした様子は一変し、すぐに元気になるのがなのはらしい。
「えへへ、まあね」
そんな俺の讃辞に、少し照れながらなのはが嬉しそうに応じる。

そこでなのはは、思いついたように話題を変える。
「あ、そういえばカーディナルと凛ちゃんは上手くやれてる?」
「またそれか。なんというか、毎日会う度に聞いてないか?」
昨日も、その前も同じことを聞かれた憶えがあるぞ。時には、日に何度も。
気になるのはわからないでもないが、それにしたって頻繁過ぎる。
困ったことや変化があったらこっちから教えるし、そうしょっちゅう聞かれてもな。

ちなみに、カーディナルというのは凛のデバイスの名前。
自身のかつての二つ名というか、協会に送られた色名をそのまま与えたのだ。
なんの捻りもないが、これ以上ない位にアイツらにあった名前だろう。
およそ二ヶ月ほど前に送られて来て、それからなのはは二人(?)の関係に興味津津だ。

「う……。でも、やっぱり気になるし」
「わかったよ。そうだな、とりあえず良好だと思うぞ。
 ただ、同じリニス製だからかバルディッシュと同じで口数が少ないし、そんなにしゃべってる印象はないけど」
まあ、凛としてはその物静かなところが気に入っているようだ。
下手に口数が多すぎると、かえって鬱陶しいと思っているのだろう。
なんだかんだで片づけに不自由な所とか、ここ一番でポカする所とか突っ込みどころの多い奴だからな。

「へぇ、やっぱり相変わらずなんだ」
そう、はじめのころからこの関係に変化はない。
なのはとレイジングハートに比べてコミュニケーションが足りない印象はあるが、結構うまくやっている。
実際、魔法の行使にしたって足を引っ張るようなことにはなっていない。
むしろその逆で、阿吽の呼吸とでもいうべき状態だ。

「ところで、やっぱり士郎君は非人格型にするの?」
「ああ。この前試作品を送ってもらったけど、どうにも上手くいかなくてさ。
 性格が変わっても大差なさそうだし、俺は相性が良くないんだろう」
なのはたちを見ていると扱いやすそうな印象があるが、実を言うとそんなことはない。
むしろ、インテリジェントデバイスの扱いは基本的に難しいとされている。
主の力が弱かったり扱う能力自体がなかったりすると、デバイスに振り回される何とも情けない魔導師となってしまうのだそうだ。で、俺がその典型。

万が一とてつもなく相性のいい奴と巡り合えればまた別だが、とりあえずそういうこと。
だがそれは、能力のない者にとってある意味奇跡にも等しい確率だ。
なにせ性能だけなら分析していくらでも調整できるが、それ以外の部分は分析できるとは限らない。
インテリジェントデバイスは、ただの道具というには少々厄介だ。
人工知能なんて入っているおかげで、性能以外の面でも相性が発生する。

そして、一見相性がよさそうなのにやってみると上手くいかないこともあるし、その逆もある。
俺たちは彼らを完全に従えられるだけの能力がないが故に、相性が通常以上に大きく影響する。
方法は一つ、とにかく数をこなす事。
最良の相性がわかるまで作り直して試すのは、時間と労力がかかり過ぎるけど。
ま、そんなことをするくらいなら、普通の非人格型のデバイスにした方が効率はいいしコストも安い。
在るかどうかさえ分からない最良の相性を探すなんて、あまりに無駄が多すぎる。
これもインテリ型のデバイスを持つ人間が多くない理由の一つだ。

それに対し、なのはは少し不満そうな顔をする。
「むぅ、勿体ないと思うんだけど……」
なのはとしてはいろいろなタイプのデバイスと出会いたいのだろうが、そんなことを言われても困る。
デバイスは術者の補助こそが存在理由。
逆に足を引っ張りあっては、本末転倒もいいところだ。

なのはの気持ちもわからないではないが、こちらとしては肩をすくめるしかない。
「こればっかりは、な。
 今は一度送り返して再調整してもらってるから、近々完成品が来ると思うぞ」
今頃人工知能を外してるか、早ければ最終調整をしている頃だろう。
遅くとも二週間以内には届くという話だし、やっと俺もデバイスを持つことができる。
なんのかんの言っても、ちょっと楽しみだったりするわけで……。
これで実戦レベルでの魔法使用が可能になるとなれば、尚更だ。

「ふ~ん。じゃあ、名前はどうするの?
 魔法の時みたいに、また変な名前つけるつもり?」
「失敬だな。立派な名前だと思うぞ。
 ただ、まだいい名前が思いつかなくてさ。考え中だ」
なのはの言う「変な名前」とは、俺が習得した魔法のこと。
ちょうどいい名前があったんでそれをつけたんだが、なのは的にはそれがお気に召さないらしい。

まあ、その名前の元を知らないとそうなるよなぁ。
諸事情から名前の元ネタを言うわけにはいかず、なのはの中では「変な名前」で確定されている。
いっそ全て暴露してしまえれば楽なのに……。
こんなことなら、もっと別の名前にすればよかったか。

そこで、なのはが思い出したように話題を変える。
「あ、そういえばお母さんが年末年始も手伝いに来てって言ってたよ。
 バイト代にも色をつけるし、お正月専用レシピも少し公開するって」
「ん、そうか。こっちとしてもそれは願ってもないし、是非行かせてくれ。
それじゃあ、放課後にでもお邪魔させてもらうかな。
 その時にでも年末年始のシフトを決めましょうって伝えてくれ」
願ってもない桃子さんからの伝言に即答する。
夏休み前からずっとやっていたのだから、あそこのルールなんかは既に承知している。
労働基準法に引っかかりそうだが、そこはあえて無視する。
そんなものはお互いに了解していて、周りに迷惑がかからなければたいした問題じゃない。

それに、翠屋でのバイトはなかなかにメリットが多い。
繁盛しているから結構バイト代は弾むし、翠屋秘伝のレシピの一部を知ることもできる。
俺の菓子作りの腕がその道のプロである桃子さんに到底及ばない以上、得るものは多いのだ。
一体どこに断る理由があろうか。

「うん。じゃあ、そう伝えておくね。
 お母さんも士郎君がいると助かるって言ってたし、フロアはともかく厨房に入れる人って少ないから。
 年末年始だと、特にね」
そうだろうなぁ。
結構お店を手伝っている美由紀さんだって、厨房ではほぼ無力だ。
恭也さんがそれなりにできるけど、それでも物足りないと言わざるを得ない。
あの店で働いている人はそれなりにいるが、その中で厨房に入れる人間はごく少数なのだ。
故に、俺一人が加勢するだけでも、かなりの戦力向上が見込める。

そもそも、あの店の中で桃子さんの菓子職人としての技量が飛びぬけ過ぎているのだ。
他の料理ならまだしも、スイーツに関しては他の追随を許さない。
俺でだいたい三・四番手くらいだが、桃子さんと二番手との間には隔絶した技量の差がある。
逆に、俺と二番手の間にはそれほど差はなく、桃子さん以下はほとんどドングリの背比べ状態なのだ。

そのため、あの人が本気で作ったモノにはだれも追い縋れない。
目玉商品なんかは、ほとんど桃子さんが担当しているのが現状だ。
俺たちその他大勢はそれ以外を担当するわけだが、それでも「翠屋」の名に恥じぬ出来が求められる。
そんなわけで、あそこの厨房に入るにはそれ相応の技量が不可欠。
これが、翠屋の厨房を狭き門にしてしまっている理由だ。

しかし、なんであの人こんなところで喫茶店をやってるんだろうか?
桃子さんなら、一流ホテルのパティシエだってやれると思うのだが……。
と言うかホントにやっていたらしいし、どんな物語が展開されて今に至ったのだろう。

腕時計で時間を確認すると、朝食の準備まで若干余裕がある。
ちょうどいいし、十分とは言えないがアレができそうだ。
「それはそうと、まだ少し時間もあるな。
せっかくだ、少し組み手をしておくか」
提案の形こそしているが、その実拒否権などない。
なのはが何と言おうと、これは決定事項。
こういったものは、一朝一夕でどうこうなるものではない。
日々の積み重ねこそが一番の近道なのだ。

「えっと、お手柔らかに……」
なのはもそのあたりはすでに諦めているようで、乾いた笑みを浮かべながら構えを取る。

その構えは、以前と比べ物にならない位に様になってきた。
そのことに、つい笑みがこぼれそうになる。
俺は特別何かを教えたわけではないが、俺との打ち合いがなのはの成長を促しているのは事実。
だからこそ、今の俺にとってなのはの成長は楽しみの一つなのだ。たぶん凛も同じだろう。

笑みが浮かびそうになるのを抑え、ルールの確認を行う。
「いつも通り、五分捌き切ればなのはの勝ち。
 もたなかったらペナルティ、いいな?」
これが俺たちの間で決められたルール。
今くらいの時間があれば、三戦くらいはできる。

凛と俺の二人掛かりで、スパルタに叩き込んだ成果は着実に出ている。
わずか半年で、手加減しているとはいえ俺と打ち合えるようになった。
なのはの運動神経が切れていることを考えれば、驚異的な上達と言える。
ただし、未だになのはがペナルティを免れたことはない。
徐々にレベルを引き上げてるから、当然ではあるのだが。

このルールを消極的と思う人間がいるかもしれない。
だが、なのはが八極拳を学んだのは、別に相手を打倒するためではない。
接近戦に持ち込まれたり、魔法が使えない状況になったりしても生き残れるようにするためだ。
故に、なのはに求められるのは一定時間経過しても立ち続けているか、なんとかその場から離脱すること。
どんなに格好が悪くて無様だろうと、とにかく自分を守り切るのが高町なのはの戦いなのだ。

気持ちを切り替えたなのはは、やる気に満ちた表情でこちらを見据える。
「今日こそは、五分間耐えきってみせるよ」
「ああ、その意気だ。もし立っていられたら、その時は何か奢ってやるよ」
やはり、何かご褒美があった方がやる気は出る。
なのはは何事も全力を傾けるタイプだが、それでも餌があった方が士気は上がる。

さあ、今日はどこまで耐えられるか試させてもらおう。



で、結果はまあ、残念ということで。

一戦目はいいところまで耐えていたのだが、あと少しというところで守り切れなくなった。
なのははまっすぐ過ぎるのか、虚実を交えた攻撃に脆いところがある。
良いようにこっちのフェイントに引っかかってくれるのだ。
普通の攻撃への対応は大分上手くなってきたし、これからは虚実を交えた攻撃を増やすことを心の内で決定する。
敵は馬鹿正直な攻撃ばかりしてくれるものじゃないし、それへの慣れは不可欠だ。

まあ、二戦目以降の一番の敗因は体力や集中力が落ちてきた事だけど。
なのはの場合、一戦に全身全霊を傾け過ぎる傾向がある。
良く言えば何事にも真摯に向き合っているのだが、悪く言うとペース配分ができていない。

「全力全開」がなのはの基本方針だが、それも時と場合による。
全力とは、言い換えれば余裕がないという事でもある。
何かトラブルが起こった時に対処するため、ある程度の余力を残しておくのが理想的だ。
全力を出し切って強敵を倒したはいいけど、次の敵が現れた時には力が残っていませんでした、では生き残れない。
いい加減、全てを出す時とそれ以外の見極めを覚えさせないといけないな。

三戦目を終えたばかりだが、まだまだ余裕のある俺は暖まった体が冷えないうちに帰ることにする。
「さて、そろそろ時間だな。
 いい加減戻らないと、朝食が間に合わない。
 俺はこれで帰るけど、なのははどうする?」
ここから家まで戻ると、それなりの時間になる。
戻ってからもやることがあるし、これ以上のんびりしているわけにはいかない。

ベンチでへばっていたなのはが体を起こす。
体力だけでなく回復力も上がってきたな。
以前だったら起き上るのにもう五分は必要だったのに、内功の成果は着実に出てきている。
「ふみゅう……じゃあ、わたしも帰ろうかな。
 先に行っていいよ。わたしに合わせてると、間に合わなくなっちゃうし」
「そうか。じゃあ、悪いけどそうさせてもらう。
 また、学校でな」
そう言って再び駆けだし、来た道を戻る。


冬の冷たい空気が、ほてった体に心地いい。
近々来るであろう新たな相棒の名を考えつつ、俺は一度帰路についた。



  *  *  *  *  *



家に戻り汗を流した後、早速朝食の準備に取り掛かった。
同時に、暖房を入れて部屋を暖める。
起きてきた凛が、また冬眠してしまわないようにするための配慮だ。

朝食ができたところで凛を起こしに行こうとするが、その必要はなくなった。
「うぅ~~おふぁよぉ~……」
入ってきたのは、学校での優等生ぶりの片鱗さえ見られない我が相棒。
今日は、いつにもまして足元がおぼつかない。

最近めっきり冷えてきた事で寝起きの悪さに拍車がかかってきたが、今日は特に酷い。
思い当たる理由がないわけでない。おそらく……
「寝むそうだな。また遅くまでやってたのか?」
「…………んん~~宝石を磨いたり、呪刻を刻んだりしてたら結構掛っちゃって、それでねぇ」
やっぱりそんなところだったか。
反応するまでに少々間があったが、脳の稼働率は平時の一割弱といったところか。

宝石魔術を扱う以上しょうがないことではあるが、あまり根を詰めないでほしい。
俺が言えたことじゃないんだろうが、何事も「やり過ぎ」というのはよくない。
まあ、最近はアイツが様子を見ていてくれる分、安心していられるのだが。

今日もこの程度で済んでいるのはアイツのおかげだろうと当たりをつける。
「カーディナルに礼を言っておけよ。
 どうせ昨日も、言われるまで時間を忘れてたんだろ?」
ここ最近、凛の生活管理はほぼカーディナルに一任されている。
常に一緒にいるのだから、これ以上ないお目付け役だ。
あまり口うるさく言う奴じゃないが、しっかりしているので安心して任せられる。

ちなみに、カーディナルの待機形態は俺の持つ赤い宝石のペンダントと同じような色と形をしている。
凛の持っていたそれは、元の世界で桜に渡してしまった。
だが、凛としても十年近く下げていたものだけあって、アレがないのは落ち着かなかったらしい。
そこで、ちょうどいいのでアレとよく似た形にしてもらい、以前同様首から下げているのだ。

強いて違いをあげるなら、その中心に凛の令呪を模した刻印が刻まれているところか。
凛の令呪は「調和・安定・秩序」を意味していたのだそうだ。
五大元素使いの凛の特性を、見事に表わしていると言える。
カーディナルにも、凛と同じバランスの良さを持たせるという意味を込めているのだろう。

ただし、今は勝手に浮き上がって凛についてきている状態だけど。
寝起きの凛は割と頻繁にカーディナルを忘れるので、いつの間にか自力で着いてくるようになっていた。
しかし、家だからいいが、他のところではやらないでほしいモノだ。
一般的に見れば、宙を浮く宝石なんて手品か怪奇現象にしか見えないんだから。

俺の言葉を受け、凛は斜め後ろで浮遊する宝石に礼を言う。
「わかってるわよ。いつもありがと」
《いえ、お気になさらず》
あえて口に出してはいないが、今日起こしてくれたのもアイツだな。
カーディナルが来てからというモノ、凛に関する仕事が減って楽ではあるのだがちょっとさびしかったりする。
感謝はしているが、実を言うと少し複雑な心境なのだ。

しかし、この調子だと学校に行ってボロが出ないか心配になる。
俺としては別にバレてもいいと思うのだが、本人としては許されないらしい。
ま、それでもなお完璧に優等生を演じ切るのが遠坂凛。
俺の心配など、杞憂どころかまったくの無意味に終わるのだから底が知れない。

それにしても、デバイスに生活を管理されるというのはどうなのだろうか。
あまり細かく言う奴じゃないからいいが、そうじゃなかったら小言を言われるダメな娘に見えそうだ。
普段の凛からは到底想像できないが、結構そういうのも面白そうに思える。
あるいは、セイバーが残っていたらそんな感じだったかもしれないな。
そう思うと、つい口元が緩んでしまう。

だがここで、無口なくせに主人思いの赤い石ころが余計なことを言ってくれる。
《ところで、彼は何がそんなにおかしいのでしょうね。
 食後にでも追及することを提案します》
こういう時に限って饒舌なんだから、凛とは違った意味で良い性格をしている。
ああ、本当にお前らは最高の相性だよ。憎しみさえ覚えそうなほどにね。

「………ふ~~ん。ええ、いつもありがとう。『本当』に感謝してるわ」
《当然のことです》
朝だけは俺が有利な時間帯だったのに、カーディナルが来てからというもの負けが増えてきた。
このままだと、俺が凛に対して優位に立てる時間帯がなくなってしまうかもしれない。
いずれは帰ってくるであろうリニスを味方につけて、何とかして数的優位だけでも確保しないと。
ただでさえ弱い立場なのに、これ以上弱くなってたまるか。

しかし、以前からちょっと気になっていたことを聞いてみる。
「……なぁカーディナル。もしかして、俺のこと嫌いか?」
《………………》
返事くらいしてくれぇ~~~!!
基本的に凛以外が話しかけても返事ってものをしない奴だが、こういう時くらいはいいじゃないか。

まさかとは思うが、こいつ本当に俺のことが嫌いなんじゃないだろうか。
別に仲が悪くなるようなことがあったわけじゃないし、嫌われるような心当たりもない。
俺自身はこいつのことは嫌っているどころか、凛の面倒を見てもらって結構感謝している。
だが、こいつの考えていることはさっぱりわからん。

「ほら、そこで固まってないで早く朝御飯にしましょ。
 時間は有限なんだから、有効的に使わなきゃもったいないじゃない」
その勿体ないが、追及と折檻の時間が減るという理由じゃなければ素直に頷けるのになぁ。
俺としては少しでも引き伸ばして、遅刻ギリギリの時間にしてしまいたい。
それをしたらしたで、今度は別のお仕置きが待っているからすでに逃げ場などないのだけど。


もはや、俺には自宅ですら安息の地ではないのかもしれない。
こうなったら月村邸の工房に引きこもって、一度ストライキでもしてやろうかな。

凛相手に俺程度の工房ではほとんど意味をなさないが、それでも徹底抗戦すれば多少はもつはずだ。
上手くすれば待遇改善を実現できるかもしれないし、割りと魅力的なプランかもしれない。
もし失敗すると、俺の立場はさらに弱くなって奴隷にまで落ちてしまうかもしれないが。

今の俺には、「ストライキ」「現状に甘んじる」「逃げる」「下剋上」のカードがある。
さあ、俺は一体どれを切ればいいのか。
焦ってはいけない。この選択が俺の今後を左右すると言っても過言ではないのだから。

…………どうするよ、俺。



  *  *  *  *  *



などとバカなことを考えているうちに食事が終わり、登校までの短い時間で洗いざらい吐かされた。
つまり、逆らう度胸のない俺は現状に甘んじることを選択したのだ。
失礼なことを考えた罰は思いのほか優しい内容に落ち着き、今は学校。
いや、この程度で厳罰だったらあくまにもほどがあるけどさ。

ちなみに罰の内容は「一週間連続料理当番」、及び「宝石の加工の手伝い」だった。
まだ宝石の研磨や魔術的な加工は終わっていないらしく、今はできる限りそちらに集中したいらしい。
それならそうと、はじめから言ってくれればそれくらいやったのに、意地っ張りな奴め。
まあ…………そういうところが可愛かったりするのだが。


現在俺は、屋上でいつものメンバーと昼食をとっている。
クラスが別な上、下手に弁当を広げると餓鬼どもが寄ってくるので、相変らず俺たちはここで昼食をとっている。
ここならいないというわけではないのだが、屋内にいるよりかは少ないのは確かだ。
相変らず四膳の箸が俺の弁当箱を侵略してるけど。

とはいえ、一応量は多めにしてあるので欠食児童になる心配はないし、少しくらいなら我慢しよう。
言ったって聞かないのは、半年かけても直せなかったことから諦めている。
一応気を使ってカロリーは少なくしているが、食い過ぎで太ってしまうがいい!!

それにしても、いい加減冷えてきたけれど、元気いっぱいな小学生からすればたいしたことはないらしい。
決して人数は多くないが、寒風が吹いているというのに、そんなことを気にしている者は誰もいない。
というか、気にしてたらはじめから上がってくるわけもないか。
大人になると寒さは身にしみるのだが、これは子どもならではの利点だろう。

で、現在の俺たちの一番の話題はと言うと……
「ああ、そういえば近々フェイトがこっちに来るんだっけ」
やはりこれに尽きる。
声の主はアリサ。
その声は素っ気ないようにも聞こえるが、声音には確かに期待の響きがこもっている。
気のないふりをしても、結局は楽しみということなのだろう。

「うん♪ 今朝、ビデオメールが届いてたから、そこで詳しい日時とか分かるんじゃないかな」
どうやら今日の空模様と同じで、なのはの心は雲ひとつない快晴らしい。
放っておくと、早退してでも早く家に帰ってビデオメールを見ようとしてしまいそうなくらいだ。

すずかも形こそ違えど、その顔からは嬉しさがにじみ出ている。
今までビデオメールでしかやり取りができなかったが、いよいよ会うことができるとなれば当然か。
俺たちと違って直接会うのは初めてだが……いや、だからこそより楽しみなのだろう。

そんな三人に向けて、凛は冷静な意見を出す。
「気持ちはわからなくもないけど、今からそんなにテンション上げてても仕方ないでしょ。
 今すぐ来るってわけでもないんだから、もうちょっと落ち着きなさいよ」
その声には若干呆れているような響きがあるが、それと同時に微笑ましさのようなモノが漏れている。
凛の場合フェイトに会える云々よりも、こうしてはしゃぐなのはたちの様子を見るのが面白いのだろう。

だが、それくらいのことでは三人のテンションを下げることはできないらしい。
「にゃははは。わかってはいるんだけど、それでも楽しみなのはしょうがないよ」
「だいたい、なのはやアンタ達と違ってわたしやすずかは初対面なんだから、あれこれ考えちゃうのはどうしようもないの!」
「うん。それにビデオメールはどうしても一方通行だから。
 やっぱり、ちゃんと会ってお話しできるのとは違うよ」
順番は、なのは・アリサ・すずかの順。
まあ、このテンションを維持できるのが若さなのだろう。
かれこれ一週間前からこんな調子だし、このまま当日までこの状態を維持してしまいそうだ。

そこで、唐突にすずかが話題を変える。
「ところで、凛ちゃんやなのはちゃんは一時期一緒に学校を休んでたからわかるんだけど、どうして士郎君はフェイトちゃんとお友達なの?」
「ああ、それそれ! 前々から聞きたかったんだけど、いい加減教えてよね。
 いつも適当にはぐらかすんだもの、そろそろ観念しなさいよ」
困ったな。
以前からそうだったが、この話題には一体どう対処したものか。

なのはがフェイトと出会った時期に関しては、二人にもおおよその見当が付いている。
だからこそ、二人と違って普通に学校に行っていた俺がどこで知り合ったのか疑問に思うのは当然だ。
しかし、どうも上手い言い訳が思いつかない。
これには凛も助け船を出してはくれず、むしろ外野でニヤニヤしているのが常だ。
なのははどうにかしたいようだが、俺同様上手い言い訳が出てこないようで結局無力。

というわけで、今回も適当にごまかすしかない。
いい加減ネタが尽きてきたのだが、そろそろ限界かもしれないな。
「実は、俺とフェイトは生き別れの兄妹で「くだらない冗談はいいから、さっさと白状しなさいよ!」……」
せめて、最後まで聞いてくれたっていいんじゃないか?
それに、生き別れの「きょうだい」がいたのは本当だぞ。
その人は見た目「妹」だが本当は「姉」で、もう死んでしまっているけど。

とはいえ、仕方がない。適当に事実を四捨五入して、大雑把な概要で済ませよう。
「はあ、わかったよ。
フェイトがなのはと友達になる前、その時に少し探し物に協力したんだ。これは本当だぞ」
「う~~ん……確かに嘘じゃなさそうだけど、まだなんか隠してるでしょ。
 だいたい、なんかその話不自然だし」
本当に勘がいいな。だけど、これが現状で話せる精一杯だ。
不自然なのがわかっているから今まで話さなかったのだ。これに関しては文句を言われても困る。

「悪いが、色々あったとしか言えないんだ。
 フェイトの家庭事情とか入ってくるし、俺に詳しい話をする権利はない」
こう言えば、さすがに深くは突っ込んでこないだろう。
確かに好奇心が旺盛だが、それ以上に二人ともお人好しだ。
二人に対して申し訳なくもあるけど、それでも完全に嘘じゃないし勘弁してもらいたい。

だが、それを聞いたすずかがちょっと不機嫌そうに頬を膨らませる。
「もしかして、士郎君の話をする時に赤くなったり、幸せそうな顔をしたりするのはそのせい?」
ああ……そのことか。
鈍感だの朴念仁だの散々言われてきた俺だが、さすがに面と向かって告白なんてされてボケられるほど、脳のネジは緩んでいない。
しかし、近々再会することになる以上、いい加減どう接するか決めないと。
だけど、こういう時ってどう対応すればいいんだろうか……。

それに、どうしてすずかが不機嫌そうなのかが不可解だ。
いやまあ、そうして不貞腐れたような表情をしているのも可愛らしいんだけどさ。
だがその理由がさっぱりわからないので、俺としては首を傾げるばかりだ。

というわけで、俺としては言葉を濁すしかない。
「ああ、どうなんだろうな。そのうち来るわけだし、本人に聞くのがいいんじゃないか?」
苦し紛れでしかないことは重々承知しているが、他にどうしようもない。
俺の口から言うのは憚られるし、そんなことを言おうものなら凛に何をされるか分かったもんじゃない。

この返答に不満らしく、すずかは変わらず探るような眼つきでこちらを見ている。
苦しいが、適当に話題を逸らすしかないか。
「そ、それとなすずか。そういう顔は好きな男とか、付き合うことになった奴にしてやるのがいいぞ。
 きっと、どんな男でもイチコロだから」
そう言って苦し紛れにサムズアップする俺。
若干顔が引きつって、なおかつ寒いのに冷や汗が出ているが気にしない。

だが、今言ったことに嘘はない。
間違いなく、ランクAの対城宝具クラスの破壊力を発揮するはずだ。
十年もすれば、そこに+補正の一つくらいつくかもしれないと思う。
すずかにそういう趣味があるかは知らないが、同性相手でもいけるかもしれん。
ちなみに、イチコロは「いちいち、ねぶったりあぶったりして殺す」なんてどこぞの陰険シスターの辞書に載っているような意味じゃないからな。

で、それを聞いたアリサは頭痛を抑えるように頭を抱え、なのはは苦笑いをし、すずかはなんだか悲しそうな表情で項垂れる。
ついでに、凛が無表情の中にものすごい険を含んだ眼で睨んでくる。
すいません、勘弁してください。怒ったり笑ったりしているより、無表情の方がずっと怖いです。

あ、なんでかはわからんがアリサとなのはがすずかの肩に手を置いて励ましてる。
それに対し、すずかはすずかでものすごく深い溜め息をつく。
「はぁぁ~~………」
あのさ、何でそんな恨みがましい目でこっちを見るんだ?
理由は定かじゃないが、こう胸がチクチクと痛むんだけど。

凛はそんなこちらを無視して、我関せずとせっせと箸を動かしている、俺の弁当に向けて。
だが、それが一種のポーズでしかないことがわかる。
なにせ、コメカミに青筋が浮かんでるからな。
良くわからんが、ご立腹であるらしい。

訳を聞ける雰囲気じゃないし、下手なことをしたら女性陣全てを敵に回しかねん。
(……………なんでさ…………)
一体どうしてこんなことになるのか、そして俺はどうすればいいのか、誰でもいいから教えてくれ。
女心だけは、どれだけ年をとってもさっぱりわからん。

寒空の下、俺は天を仰いで途方にくれるのだった。






あとがき

とりあえずA’s編初回は日常編です。
といっても、次も日常的な話なんですけどね。
扱いとしては今回の続き、放課後のお話になります。
内容はまだ秘密です。

それと、関西弁が難しい。
いろいろおかしな所があるかもしれませんので、そういった所があれば教えてください。
作者は関西弁初心者なので、書きながら勉強していく状態ですから。

あと冒頭の方は、何が要因かはわかりやすいと思います。
士郎が壊したことになってますが、その辺は確認されていないのでこんなこともありでしょう。
みんなあれで粉々になったと思っていたのですけど、予想外に頑丈だったのです。
発動したのは、士郎が聖剣を使う直前あたりですね。一種の共鳴作用が原因です。
なので、付き合いは騎士のみなさんよりもちょっとばかり長いことになります。
誰が引き寄せられたのかは、これまたしばしお待ちください。
ヒントは型月世界出身で「人外」の方です。
うん、なんというか……範囲広!!
人外の人が多過ぎて、とてもじゃないけど絞れませんね。

まあ、そのあたりは追々明らかになると思いますので、しばしお待ちください。
では、この場はこれにて失礼します。



[4610] 第20話「主婦(夫)の戯れ」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2009/07/02 23:56

SIDE-士郎

放課後。

普段なら下校はみんなと一緒なのだが、今日は珍しく別行動。
凛たちとは途中で別れ、現在は行きつけの商店街で夕飯の買い出しをしている。
理由は、急遽本日から一週間料理当番を任されたから。
この後には翠屋に行って、年末年始のバイトのシフトを相談する予定だ。
凛は今頃、なのはと魔法の訓練なんかをやってるんじゃないだろうか?

そんな俺の目下最大の懸案事項は、今夜の献立。
「今日はひときわ寒いし、おでんなんて良いよなぁ。
 ああ、でも人参やジャガイモが安い。いっそシチューやカレーの方が……。
 だがしかし、そっちに負けず劣らず……いや、むしろおでんの方が安かった」
頭を抱え、お買い得品のはざまで苦悩する。

今朝のチラシによると、今日はスーパーでおでんセットがお買い得らしい。
対して、八百屋の大将の威勢のいい呼び込みによると、人参やジャガイモが大変お安くなっている。
どちらも大変財布に優しいのだが、おでんの方はなぜか一セット当たりの分量が非常に多いのが問題だ。
ウチの食糧消費者は俺と凛の二人だけなのだから、あれだと多すぎる。
おでん以外に使い道がないわけではないが、野菜と違って応用範囲が狭いのが難点だ。
だが、せっかくのお買い得品をみすみす放置するなど……。

虎か獅子がいれば楽なのに!
この際だから黒豹でも………………いや、あれはやめておこう。
この世界にもいたとして、万が一にも遭遇するとは思えんが、それでも滅多なことを思うもんじゃない。
なんか、どっかから湧いて出てきそうだし……。

なにせ、先祖は瀬戸内海で海賊をやっていた剛の者。
呼んでないのに現れ場を掻き乱すのは、アレの得意分野と言えよう。
その上、実家の店の屋号が「詠鳥庵(エイドリアン)」だ、老舗の呉服屋なのに。
(注:「エイドリアン」ではなく「えいちょうあん」です)
あんなファンキーかつガッツの具現のような名前の店の後継ぎであり、「ギリギリまで追い込んで絶望させる」なんていうわけのわからん指導方針を持つS。(氷室が言うにはMらしいが、スゴク信じられん)
さらに、球技大会に血わき肉躍るボールの唸りに地獄を垣間見るバトルを望む様な奴だからなぁ。
一言言いたい。…………ねぇよ! そんな修羅な球技大会!!

うむ。「粗忽」とは奴の為にあるような言葉だろう。
そのくせ高級和服を見事に着こなすのだから、世界は摩訶不可思議な事象で満ち溢れている。
あれはもう、怪奇現象の域だな。

それに虎や獅子はなんとか手懐けたが、アレはまったく慣れなかった。
凛と付き合いだしてからはしょっちゅう襲われるようになり、気配がしたら一目散に逃げてたほど相性が悪い。
何が癪にさわったのか知らんが、散々酷い目にあった思い出は今や俺の黒歴史。

あ、そういえば昔奴の店の前を通りがかった時、美綴や氷室に「ジャイアン」と呼ばれていたな。
友人たちさえもその認識だ、あれの傍若無人・傍迷惑ぶりは尋常じゃない。
ある意味絶滅危惧種だが、できればああいった手合いとは関わりたくないなぁ。
何と言うか、行動が無計画・理不尽過ぎて対策が立てられないのだ。
凛とは違った意味で天敵だった。
後藤君のこともあるし、可能性が絶無じゃないから困る。

しかし、こうして何を買うかで悩んでいると、懐の厳しい貧乏生活のようだが別にそういうわけではない。
むしろ月村家からの給金のおかげで、それなりに家計は潤っている。
けれど、凛の宝石代などを考えると決して余裕があるわけでもない。
美味い飯の為には材料費はケチらない主義だが、切り詰められるところは可能な限り切り詰めないと。
なにせ、いつ凛が大散財をするか分からない。となれば、それへの備えは怠れない。
一度ならず借金にあえいだ身としては、アレはもう勘弁してほしい。

そんな小学生らしくない悩みを抱えていると、後ろから声が掛かる。
「クスクス……一体何をそんなに悩んでるんですか?」
かかった声は柔らかく、まるで包み込むような優しさがある。
声の主の人となりが、如実に表れていると言えるだろう。

声だけでその人のひととなりを判断するなど妙な話だ。
だが、それは見ず知らずの他人の話。
そこまで深くかかわっているわけではないが、この人とは一応それなりに親しい間柄と言える。

振り返って眼に映ったのは、予想通りのよく見知った若奥様風の美人さん。
その人に親しみのこもった視線と共に答える。
「ああ、シャマル。少し……久しぶりだっけ?」



第20話「主婦(夫)の戯れ」



彼女は彼此数ヶ月の付き合いになる特に親しい主婦(夫)仲間。
名前はシャマル、姓は八神だったか。
未婚らしいが、日系人には見えないんだけどなぁ。
って、この人にはあんまり関係ないか。
ただ、どっかでこの姓を聞いた憶えがあるのだが、思い出せない。

以前は買い物をしている時に割と頻繁に顔をあわせていた金髪ショートボブの似合う、ほんわかした雰囲気を纏う美人さん。
凛やリンディさんなど、今まで会ってきたどの人とも違うタイプだ。
三枝さん辺りが近いかもしれないが、あの人は小動物系だしやっぱりタイプが違うと思う。

一ヶ月位前から家庭の事情とかで会う機会が減っていたのだが、今日は珍しく顔を合わせた。
「そうですね。たしか半月くらい会ってませんでしたし、その前に会ったのもやっぱりそれくらい前でしたから。
 でも、ごめんなさい。せっかくお料理教えてもらってるのに……」
それなりに親しいって言うのは、まぁそういうこと。
良妻賢母っぽい外見だが、結構そそっかしいところがあるし、何より料理の腕がちょっとアレだったりする。
で、紆余曲折あってこの人は俺の料理(厳密には家事全般)の教え子になった。

それがだいたい夏休み半ば、忍さんに頼んで工房を用意してもらったころあたり。
それで、ここ最近はちょっとご無沙汰。
俺がタメ口なのは、仮にも先生だかららしい。
いや、かなりゴリ押しされたんだけどさ。
はじめは「さん」付けかつ丁寧語で話していたのだが、抗しきれずに矯正されてしまった。

「気にしなくていいって。たしか、同居している親戚のお子さんの容体が思わしくないんだったよな。
 それじゃあ仕方ないさ。少しでも早くよくなるよう、ちゃんと看病してあげた方がいい」
詳しい家庭事情を聞いたわけじゃないが、そんな理由があるそうだ。

「そう言ってもらえると助かります。
 元気になったら、またお世話になりますね」
「ああ、まだまだ教えなきゃならないことはたくさんあるからな。
 せめて、凛のあの評価は撤回させたいだろ?」
ちなみに、凛のシャマルへの評価は、上手くいった時でさえ「聖人並みに好意的、かつ一兆歩譲って『灰汁(アク)の強い珍味』ってところね」というものだ。
シャマルは初心者だってのに、辛辣にもほどがあるだろう……。
まあ、否定は…………出来ないんだよなぁ。

シャマルの手料理を食べた時の、凛のあの何とも言えない顔を思い出すと苦笑いしか浮かばない。
たぶん、俺も似たような顔をしてたんだと思う。
桜のことがあったから、教えるのにはそれなりに自信があったんだけどなぁ。
だがそれも、シャマルという教え子を持って見事木端微塵に粉砕された。

なぜかは一切不明なのだが、料理修業はいまいち成果が上がらない。
別に食えないモノになるわけじゃないのだが、味のバランスというか調和というか、そういったものがない。
しょっぱいとか甘いとかそういう次元ではなく、なんとも表現しにくい味わいなのだ。
別に特殊な調味料を使っているわけじゃないのに、どうしてあの味が出せるのか不思議だ。
あそこまで来ると、ある種の才能ではないだろうかとさえ思えてくる。

俺が示す目標を聞き、その困難さにシャマルがガックリと肩を落としてうなだれる。
「うぅ、それはそうなんですけど……。
凛ちゃんは手厳しいですから、やっぱり難しいですよね」
「でも、逆に言えば凛から及第点がもらえればそれなりに自信を持っていいってことだから。
 それに少しずつだけど、着実に進歩はしているからきっと大丈夫だって」
先行きに不安を覚えているシャマルに、一応慰めの言葉をかけ励ますように腰を叩く。
本当は肩か背中を叩きたいところなのだが、身長差があるので難しい。
普通に叩こうとすると、どうしても腰になってしまうのだ。
こういう時に自分が縮んだことを実感する。

だが、それでどの程度効果があるか。
嘘は言っていないのだが、これは食材の調理や選び方の話。
どういうわけか味付けだけは進歩がみられないのは、ここは丁重に無視しておく。
とはいえ、なかなか進歩していない現状は教えている側としても申し訳ない限りなのだ。
ホント、どうしよう………………。

俺の気持ちをくみ取ってくれたらしく、ちょっと頑張ったような印象の笑顔を作る。
「あはは、そう言ってくれると嬉しいです。
 じゃあ、先生の期待に応えられるよう頑張らないといけませんね」
なんか、逆に気を遣わせてしまったらしい。
励まそうとしてこれでは、全く教える側として情けない限りだ。

だが、気を遣わせてばかりでは格好がつかない。
ちょっと別の視点から励ましてみることにする。
「だけど俺が見るに、シャマルはコツさえ掴めばあっという間に上手くなると思うぞ。
 最初にウチで来たときだって、初めて作ったものなのに上手だったじゃないか」
そう、まだまだ不慣れでぎこちなくはあるが、決して不器用というわけではない。
その点で言えば、十分上達する可能性を秘めている。
しかし少々事情があって、未来は決して暗くないはずなのに霧で霞んでしまっている。

原因はやっぱり、おっちょこちょいというかなんというか、割りと「ドジ」なところか。
ファリンさんみたいに何もないところで転んだりはしないが、それでも結構いい勝負だと思う。
具体的には、調味料を振りかけていたら突然蓋が外れて中身全部投入したり、塩や砂糖とベーキングパウダーを間違えたり、なんてことが割と『頻繁』にある。
普通ないだろ、そんなこと…………。でも、実際にやってるから怖いんだ。
ああ、毎回包丁で指を切って食材を着色してるし、突如フライパンが炎上して黒焦げにしてしまうこともあるな。

徐々に減ってきたけど、それでも必ずどこかで惨事を引き起こすのはお約束になっている。
頻度が減り、惨事に「大」がつかなくなっただけマシなんだけどさ……。
でも、やっぱり火事だけは怖いからせめてフライパン炎上は何とかしたい。
天井が燃えそうになった時は、心底焦ったもんだ。
しかし、酒をかけているわけでもないのに、何であんなことになるんだろう?

また、ドジなだけでなく加減も知らない。
分量や大きさを正確に指定すれば、おっかなびっくりではあるが物凄く几帳面に実行しようとする。
だが、「適量」などのあいまいな表現があると極端な量を入れてしまう。
だけどさ、なぁんで「適量」とか「お好みで」って言われて瓶丸々使おうとするのかなぁ……。
逆に一滴とか一粒しか入れないこともあるし、物によるだろうが隠し味だってもう少し入れるぞ。

まあ、仮に正確に指示しても妙な味わいになるのが「シャマル・クオリティ」なのだが。
あれか? 手にした食材や調味料を変質させる呪いにでもかかっているんだろうか?
どっかのカレー怪人な死徒がそんな能力を持っていると噂で聞いたが、もしかして無意識の御同類なのか?
ヤバい、自分で考えておいてなんだが、これまでのことを思うと信憑性があり過ぎる……。

だが、こんなことを言うとまた落ち込ませてしまうので口を噤んでおく。
「あ、あれは……確かに作るのは初めてでしたけど、あれくらい誰でもできるじゃないですか」
あれ? もしかして逆効果だったのだろうか。
例え簡単なものでも、初めてでちゃんと形を整えられればなかなかのものだと思うのだが。

当時のことを思い出してか、シャマルは拗ねたような表情を見せる。
「あの時は結構ショックだったんですよ。
 何を教えてくれるのかと思って意気込んで行ってみたら、いきなり『おにぎり』なんて……」
料理初心者に初めにおにぎりを握らせるのは、なんというか俺の基本方針のようなモノだ。
桜の時もそうだった。
何を測るというものでもないが、一番基本的なことを知ってもらうには有効だと思っている。

「でも、苦手意識は少し消えただろ?」
家族にもいろいろ言われていたらしく、当時のシャマルは料理への苦手意識があった。
料理をしたいと思っていながら、ちょっと尻込みしていたのだ。

俺の問いに対し、シャマルは「むぅ~っ」という感じの不満そうな顔をする。
二十歳少し過ぎの年齢らしいが、この顔を見る限りもっと下に見える。
むぅ、最近身の周りに年齢不詳な人が多い気がするのは気のせいだろうか。
あ、最たる例は俺自身か。
「まぁ、それはそうですけどぉ……。
 だけど、あの時何度怒って帰ろうと思ったか分かってます?」
そりゃあな、バカにしていると思われても仕方がないか。
昔、桜にも同じことを指摘された。

そのことは一応わかっているので、俺はちょっと別の返しをする。
「じゃあ、何で怒って帰らなかったんだ?」
そう、バカにされていると思ったのなら帰ってしまえばよかったのだ。
こんな子どもにバカにされたと思えば、どれだけできた人でも怒るだろう。

シャマルは呆れたような笑顔が浮かべて、あの時のことを述懐する。
「……あの時の士郎君、親の仇に挑むみたいな真剣な表情でおにぎりを作ってるんですもの。
 アレを見て文句を言える人がいたら会ってみたいですよ」
いや、そんなのはそこら辺に掃いて捨てるほどいると思うぞ。例えばどっかの黒豹。
怒れなかったのはシャマルがお人好しだからか、あるいは俺の真意にどこかで気付いていたからだろう。
多分前者だと思うけど。

「ほら、やっぱり習うより慣れろだと思うんだ。
 多分、この先もこのやり方は変えないだろうな」
言わば、あれは俺が料理を教える上での最初の課題みたいな意味があるのかもしれない。
やはり、口で言うよりも実感してもらった方がいい部類のことだと思う。

まあ、俺がしたことなんて実際にはそうたいしたことじゃないんだけどな。
シャマルが作ったおにぎりを自分のと交換し、そのまま頬ばり手を合わせて「ごちそうさま」と言っただけ。
だが、どうやら伝えたかったことはちゃんと伝わっていたらしい。
「まあ、振り返ってみれば効果絶大だったとは思いますよ。
 初めは見返すためでしたけど、今はみんなにも『ごちそうさま』って言ってほしいからですし」
やっぱり、そうだよな。
見返すなんて理由より、こっちの方がずっと長続きする。
見返すのは一回で終わりだが、ごちそうさまと言ってもらうのに終わりはないのだから。

「そうか、ならよかった。
 それならこの先、ビシバシ厳しくしても問題なさそうだな」
「えっ!? そ、それはちょっと手加減してほしいなぁ、なんて……」
俺の言葉を聞いて、アタフタして止めようとするシャマル。

そんなシャマルの反応が面白くて、少しばかり悪戯心が出てくる。
「いやいや、はじめて来た時も高度なことを教えてほしかったみたいだし、そろそろ期待に応えないとな。
 いつまでも待たせると愛想を尽かされちまいそうだ」
そう言って、少し意地の悪い笑顔を浮かべる。
別にそこまで厳しくするわけじゃないが、これはその場のノリというやつだ。

とりあえず、シャマルがまた来れるようになったら少しだけレベルを上げることにしよう。
味付け以外に関しては徐々にだがちゃんと上達してるし、そのあたりは引き上げても問題ない。
ここ最近はみていないが、腕が落ちていないようならそろそろ次のステップに上がる頃合いだと思っていた。
少なくとも見栄えの上ではそれなりのモノができるようにもなってきたし、本人が思うほど悪くはない。
味付けの独特さですべて台無しになっているけど。

そんな俺の言葉を真に受けたのか、シャマルは少し涙目でうなだれる。
「あうぅ~~~~…………」
「まあ、今は親戚の子を優先してくれ。
 元気になったら、そのうち一緒に来てもいいんじゃないか?
 俺としてもその子の料理の腕は気になるし」
シャマルから聞く分には、その親戚の子とやらは結構な腕前らしい。
年は俺とそう変わらないらしいが、それは外見の話。
俺のキャリアはすでに二十年近いのだから、小学生相手に負けてなるものか。
でも、一度競ってみるのは面白そうだな。

「むぅ、それは駄目です!
 少なくとも、免許皆伝をいただけるまでみんなには秘密なんですから」
ああ、悪いんだがそれはいつになるか本当にわからないぞ。
結局桜にも完全な免許皆伝なんてやってないし、シャマルの腕だとそれまでに何年かかるやら。
そういうわけだから、シャマルとの師弟関係はあと数年続くのかもしれない。

しかし、まだ隠す気なのか。
驚かせたい気持ちはわからないでもないけど、そうなるとやっぱり練習はウチでやることになるんだよな。
家族の居る家でやっても意味がない以上当然と言えば当然だが、その都度台所が荒れるのは悩みの種。
それに、凛としてはあまり人を招きたくないだろうし、これもどうしたものか。
凛の辛口評価の原因の一端には、もしかしてこれがあるんじゃないだろうか?

そんなことを考えていると、突然背後から腕が伸びてきて胸の前で組まれる。
そのまま後ろに引き寄せられ、柔らかくて弾力のある温かいモノに押し付けられる。
たとえるなら、餅……だろうか?
分厚いコート越しなのが残念、なんて思ってないぞ! ホントだぞ!!
「なぁシャマル。これは、一体なんのマネだ?」
「ちぇ~……全然驚いてくれないんですね」
俺の言葉に不満そうな声を漏らすシャマル。
顔は見えないが、多分口を突き出しているんじゃないかと思う。

まあ、後ろに回ったのは気付いてたし、何をやろうとしているのかを不思議には思っていたんだ。
ただ、こんなことをするのは予想外だったけど。
せいぜい後ろから驚かせようとしているくらいだと思っていたのだが、その方法が予想の斜め上を越えていた。

しかし、実を言うとちょっと危なかった。
まさか抱きしめるなんて思わなかったから、つい目の前の腕を掴んで投げちまいそうになった。
腕を掴む寸前で気付いたので、ギリギリのところで手はひっこめたけど。

それにしても………変に気配の消し方が上手いんだよなぁ、シャマルって。
おかげで、普段抑えている条件反射が動き出してしまいそうだった。
ああ、そういう意味では驚いたとも言えるか。

それを誤魔化す意味もあって口ではあんなことを言ったが、首筋や背中に感じるふくよかな感触には正直ドギマギしてますよ。
それを表に出すのは恥ずかしいし、シャマルの狙い通りになるのが癪だっただけだ。
必死に自制しているが、もし気づいていなかったらもっとあからさまに反応しただろう。
その場合、本当にシャマルを投げ飛ばしていた可能性もあるが……。

そんな俺の内心を知ってか知らずか、シャマルはよくわからないぼやきをする。
「シグナムほどじゃないにしても、結構自信があるんですけどねぇ」
「一体なんの話をしているんだ? 俺は何でこんなことをするのか聞きたいんだけど」
正直、体に伝わる感触もさることながら周囲からの視線も気になる。
妙齢の美女に抱きかかえられる少年って言うのは、かなり話題性がある。
このままだと、明日には町中のご近所ネットワークに知れ渡ることだろう。

まあ、こうして親しみをもって接してくれるのが嬉しいのは間違いない。
何と言うか、初対面の時からシャマルは俺に対してどこか身構えている印象があった。
それは本当に注意してみないとわからないくらい僅かなもので、人を観察するのに慣れた者でなければまず気付かないレベルだった。
俺の場合、主に戦場なんかで培ったものだけど。
それも数ヶ月の付き合いになってくるとほとんどなくなり、こうして気軽に接してくれるようになった。
ただ、やっぱりどこか固い印象があるんだよなぁ……。

う~ん、あんまり異性になれていないのだろうか?
こんな美人なら引く手数多だろうに。
いや、仮にそうだとしてもこんな子ども相手に慣れもへったくれもないと思うんだが。
ま、いくら考えても一度だって結論が出たことはない。
いくら考えても意味がないんだし、俺が女心を解そうとするだけ無駄なのかもしれないな。

そんな感じで俺が一種諦めの境地に達していると、シャマルが可愛く首をかしげながら答えてくれる。
「何でって言われると、強いて理由をあげるなら抱き心地がいいからですね。
 いっそこのままお持ち帰りしてウチの子にしたいくらいなんですから、このくらい我慢してください」
何が「このくらい」なのか分からんが、それは下手すると誘拐だぞ。
下から見上げた顔は、少し上気していてなんか幸せそうというか、「一見」楽しそうに見える。

シャマルが弟と言ったが、確かに俺ってどこか「頼もしい弟」に見られてる節があるんだよなぁ。
出会いが出会いだったから仕方がないし、外見年齢を考えればなおさらだ。
どこか固いところがあったり、でも弟扱いしたり、女心は複雑すぎる。
やはり、理解しようとするのは徒労なのだろうか。
だが、それにしてもこの扱いは困るから勘弁してほしい。
男心も、それなりに複雑なのだ。

しかし、今日はなんか様子がおかしい。
前から軽いスキンシップくらいはされていたが、抱きしめられたのは初めてだ。しかもこんなに強く。
それに、表面的には明るい笑顔なのだが、奥にいつもの固さとは違う影がある気がする。
何かから目を背けようとしているような、そんな感じだ。
なにか、あったんだろうか?

そこで、ちょっとだけ聞いてみることにする。
あんまり深く詮索するわけにもいかないけど、それでも話を聞くくらいはできるから。
「シャマル……なにか不安な事とか、心配な事でもあるのか?」
「え?」
俺が真剣な表情で問うと、シャマルの笑顔が凍る。
どうやら、俺の勘は外れていなかったらしい。

目の前にある細い指に力がこもり、その手は一層強く握られ白さを増す。
それが、何かに耐えようとしているように見えた。
「……なんで、そう思うんですか?」
絞り出すようにして出されたのは、問いの答えではなく新たな問い。
あまり、答えたくないことなのかもしれないな。

だとすると、これ以上聞くわけにはいかないか。
さらに問いを重ねても、シャマルを困らせるだけだろう。
「いや、ちょっと『らしくない』かなって思ってさ」
だから、少し曖昧に答える。
あんまりはっきり言っても追い詰めるだけになりそうだし、これ位にとどめるべきか。
無理に聞き出す権利なんてないのだから仕方がないが、やはりもどかしいと感じてしまう。

それに、シャマルは戸惑ったような調子で答える。
「そ、そうですか? 気のせいでしょう」
そうは言うけどな、そんな強張った顔で言っても説得力がないぞ。

とはいえ、俺に出来ることなんてそれに乗ってやるくらいか。
そんな無力な自分が情けないけど、それを隠して応じる。
「そうだな。久しぶりに会ったから、そう感じたのかもしれないな。
 まあ、なにかあって話せるようなら話してくれ。
 力になれるかはわからないけど、できる限りのことはするし、話すだけでも楽になるかもしれないしさ」
そう答え、目の前にある固く握られた手に自分の手を重ねる。
これで少しでも、シャマルの中の重りが軽くなるように祈って。

俺の手がシャマルの手に触れると僅かにピクリと反応したが、特に振り払おうとはせずに受け入れてくれる。
「……はい。その時は、頼りにしちゃいますね」
改めて向けられた顔にそれまであった影はなく、純粋な笑みだけがあった。
まあ、こうして笑ってくれただけでも良しとしよう。
シャマルには家族がいるし、きっとその人たちが力になってくれると信じて、自分を納得させる。

微妙な空気を払拭するように、シャマルはより強く引き寄せるように腕に力を込める。
結果、俺は一層強くやわらかいモノに押し付けられるので、半ば埋もれるような感じだ。
不味いな。この状況に不満はあるが、それ以上にちょっと気持ちがよくて逃げる意思が萎える。
「さっきの続きですけど、妹みたいな子はいるんですが弟みたいな子はいないんですよ。
 だから士郎君は、先生であると同時に弟みたいなものなんです」
シャマルなりのこの行為の理由が明らかにされるが、やはりこれは弟分へのスキンシップということらしい。
そう言えば藤ねえも程度の差はあれ、似たようなことはしてきた。
あの虎の場合、そのまま新型サブミッションの開発大会に移行するけど。
姉貴分からすれば、こういうことがしたくなるものなのだろうか。

「ところで、気持ちよくありません?」
「ぐっ!?」
答えにくいことを聞かないでくれ。
いくら若返っていると言っても、所詮俺も健全な男だ。
この状況でそんなことを聞かれれば、答える言葉は一つしかない。
ついでに言うなら、嬉しいかと聞かれても答えは一つだ。

しかし、それを口にするのはさすがに躊躇われる。
正直に言ったら、なんだか「ムッツリ」っぽいし。
周りからの温かい視線を努めて無視して、俺にはそっぽを向くことしかできない。

その反応に気を良くしたのか、シャマルは俺を抱き上げ耳元に息を吹きかけながら問う。
「嫌ならやめますけど、どうします?」
なんか色っぽく聞こえるのは、俺の錯覚か?
基本的に俺が優位なのに、こういうときはどうしても不利になる。
まあ、男と女なんてそんなものなのかもしれないな。
俺もそれなりの年齢だが、男はいくつになっても女に勝てない生き物なんじゃないかと思う。

本音を言えばこのまま継続してしまいたいが、さすがにそれは不味いので答えはこうなる。
「あとでなんでも言うこと聞くから、そろそろ解放してくれ……」
白紙の小切手を切ることに危機感はあるが、それでもこのままよりよほどマシだ。

そうすると、それまでが嘘のようにシャマルは手を放してくれる。
「それじゃ、今日のところはお買い物に付き合って下さい。
 士郎君の今日のお勧めは何ですか?」
もしかしなくても、からかわれていたんだろうなぁ。
そのままシャマルは俺の横に移動し、手を取ってぐいぐい引っ張る。
これじゃ、どっちが子どもか分からんな。

「はいはい、仰せのままに」
まあ、こうやって引っ張られるのは凛で慣れている。
逆らうだけ無駄なのだから、大人しく言うことを聞くとしよう。


そうして、俺たちは姉弟のように商店街を物色していった。
恐ろしく似てないから、誰も姉弟とは思わなかっただろうけど。
それでも、間に流れる和気藹々とした空気はそれなりに親しいものであることを感じさせただろう。
実際、向けられる視線の温かさは相当なモノだった。

結局俺はおでんセットを買うことにし、多すぎる分は同じ物を買ったシャマルに分けることにした。
シャマルの方は人数こそ普通だがよく食べるのがいるので、少し多すぎるくらいがちょうどいいらしい。

途中までは同じ道なので、一緒に歩きながらの帰宅となった。
もちろんそこまでは荷物の一部を持った。
これは、買い物に同行した男の半ば義務だからな。

シャマルと別れた後、俺はそのまま予定通り翠屋に寄って年末年始の予定を話しあった。
話し合いは特に問題なく進み、これと言った予定のない俺は年末年始ほとんど出ずっぱりになることが決定した。
ついでに少しだけフロアを手伝い、今日のところは早めに帰宅する。
早く帰れた分おでんの仕込みにはかなり凝ることができ、凛も満足の一品が仕上がった。


そうして、師走の初日が終わった。
こんな平穏な日々が、これから先も続くと良いのに。



Interlude

SIDE-シャマル

今私は、赤く染まった夕日を見ながら帰路についている。
でも綺麗な夕暮れと違い、私の心は淀んでいる。
頭を占めるのは家族のことや自らの使命ではなく、ついさっきまで一緒に歩いていた一人の少年のこと。

先ほどのことを思い出し、夕日を見上げながら小さく溜息をつく。
「はぁ、危なかったぁ……」
士郎君は、妙なところで勘がいい。
何とか取り繕うことができたけど、かなり心配させてしまったみたい。
私に気を使って深く詮索しないでくれたのには、本当に感謝している。
もし追求されていたら、口を滑らせるくらいはしていたかもしれない。

同時に、気を遣わせたり心配させたりしてしまったことを申し訳なく思いつつ、それ以上の罪悪感が私を苛む。
それはあの時「衛宮士郎を闇の書の贄にする」という誘惑が脳裏をよぎったから。
一瞬でもそんなことを考えてしまったことが恐ろしくて、わずかに顔に出ていたのかもしれない。
それを隠すように、いえ、それから目を逸らすためにふざけて抱きついた。
そこに他の感情がなかったというわけではないけど、やはりこれが一番の理由。
まあ結局、それでも士郎君は私の心の内を見抜いてしまったわけだけど。

でも、この思考はある意味私達の本能の様なものだから、仕方がないとわかってはいる。
闇の書の守護騎士プログラムである私達は、その根底に「闇の書を完成させろ」という絶対命令がある。
故に、日常にあっても眼は魔力の多そうな人を探し、頭はどうすれば効率よく収集できるかを考えてしまう。
そして、それは私達にとって何度も繰り返してきた当たり前のこと。
以前の私なら、このことに一片の罪悪感も抱きはしなかった。

しかし、わかってはいても、今の私は親しい人を贄にしようとする自分に嫌悪感を抱かずにはいられない。
身近でないなら許される、というわけでもないのに。
「他のみんなは、どうなのかしら?」
家族の親しい人に、闇の書の贄となれるだけの魔力保有者はいない。
だから、こんなことを考えるだけ無意味なんでしょうね。

どうして、こんなことになってしまったのだろう。
ほんの少し前まで、こんなことを悩む必要なんてなかったのに……。
そう思うと、なんだか悲しくなってきた。
誰もこんなことは望んでいないのに、でもそれをしなければならない。

本来、私達は闇の書の蒐集などしなくてもよかった。
当代の主はそれを望んでおらず、私達もそれをしないと誓っていた。
でも、そうも言っていられない状況になり、私達はそれが主への裏切りになると承知の上で、禁を破った。
元から選択肢なんてなかったけど、それでもこの選択は間違っていないと信じている。
何より、動き出してしまった以上、もう止まることも引き返すこともできない。
あとはただ突き進んでいくだけ。

全て承知の上で選んだ私に、今更罪悪感や嫌悪感を抱く資格なんてない。
こうして迷うこと自体が、今更なことなのはわかっている。
彼一人見逃した程度で、罪が消えるわけじゃないんだから。
(でも、士郎君の魔力量は少ない。
 彼を襲っても、たいした足しになんてならないのは明白。
 だから彼にかまけるより、もっと大物を探す方がいい)
例えば、家族の一人が言っていた巨大な魔力反応の主。
その人を見つけ出せれば、きっと数十ページを稼げるだろうと言っていた。
だから、優先すべきはその人物の捜索。
他のことは後回しにすべきなんだ。

そう自分に言い聞かせ、何とか誘惑を振り払った。
こんなこと、ただの言い訳でしかないのに。

だけど、心の澱みは消えない。
だからだろうか、向ける相手もいないのに問いが零れる。
「私がこんなことをしていると知ったら、貴方は私を軽蔑しますか? 士郎君。
 私は、たくさんの人たちを傷つける悪い人なんですよ」
聞くまでもない事だ。
こんなことをしていると知ったら、誰だって軽蔑し拒絶するだろう。
しかし、それを恐れ否定しようとする私が確かに存在する。
あの不愛想ながら優しい少年なら、それでも一方的に否定する事はないんじゃないかと、都合のいいことを思ってしまう。

昔の自分が見たら、きっと嘲笑するんじゃないだろうか。
如何に微小であっても、足しになるならやった方がいいに決まっている。
それに、こんな感情も無意味で無駄なモノだ。
私達が考えるべきは主のことだけ。だって私達は、主の為にのみ存在するのだから。
その他大勢のことなんて、気にする方がおかしいはずなのに……。

彼を糧に出来ないのは、単純に感情の問題で実行自体は簡単だ。
以前からの知り合いだから、向こうも油断しているし蒐集は容易いだろう。
事が一刻を争うなら、真っ先に狙うべき相手。
それに士郎君の家族である彼女は、それなりの魔力を有している。
二人まとめて蒐集すれば、いくらかページを稼げるのは確実なのだから。
そう、頭ではわかっているのに感情が納得しない。

二人のことは、まだ家族にも言っていない。
これは重大な裏切りだとわかっているけど、どうしても二人を犠牲にする気にはなれない。
こういうのを情が移った、というのだろうか。

そう遠くないうちに、きっとみんなも二人の存在に気付く。
そうなったら、ただ魔力を有しているだけの二人には為す術がない。
この世界に魔法がない以上、わけもわからないうちにすべてが終わるだろう。
要は、遅いか早いかの違いでしかない。
だったら、今の内に可能な限り穏便に事を済ませてしまった方がいいのかもしれない。
補助に特化している私なら、そういったこともできるから。

しかし、そうとわかっていても決断できない。
こんなことはただ問題を先送りにしているだけであり、ただの逃避でしかないのに。
それでも私は、二人を巻き込みたくない。
二人を襲うことで、何かが決定的に変わってしまう気がして怖いのだ。
だから、その時が来るのが一日でも遅くなって欲しい。
叶うなら、最後まで彼らを巻き込まずに済ませたい。
いつかまた、この日常に帰ってきたいから。

違う。きっと単に、自分の身が可愛いだけなんだ。
二人を襲うことへの罪悪感を背負えなくて、それで逃げてしまっている。
私はいつの間に、こんなに腑抜けてしまったのだろうか。

ただ、心のどこかでそれを否定する自分もいる。
これはどちらかというと、本能的な部分。
プログラムである私に本能なんてものがあるか疑問だが、そうとしか言いようがない。
私はいつもどこかで、士郎君に対して身構えている。
初めのころに比べると、だいぶ和らいできたと思う。
けれど、それでもやはり固さが残っていると自覚している。

これに関しては、まったく理由がわからない。
不安・危機感・恐怖・敵意etc、なにともつかないモノが私の中から湧き上がってくる。
同時に感じる、微かな違和感のようなもの。
自分のことのはずなのに、わからないことだらけ。
これではまるで、「人間」みたい……。

一つ言えるのは、私は彼を警戒している……らしいということ。
もしかすると、彼を贄としたくないと思うのはこれも関係しているのかもしれない。
でもだとすると、一体何が私を警戒させるのだろうか……。
仮にも闇の書の守護騎士である私が警戒するほどのモノが、彼にあるようには見えない。
主に負けないほどに家事が得意で、少しの魔力と優れた武技を持っている、ただそれだけの少年のはずなのに。

まあ、あの年であれほどの技量があるのなら、家事・武術共にその才能は抜きんでているんだろうけど。
直接戦闘が専門外の私では詳しいことはわからないけど、シグナムならきっともっと詳しくわかるはずだ。
実直な人だけど、アレで結構バトルマニアなところがあるし、「手合わせをしたい」なんて言い出すかも。
あるいは、成長に期待して鍛えようとするのかしら。
少なくとも、いくら優れた技量を持っていてもまだ子どもの彼が勝てるはずがないわよね。

思考が逸れてしまったけど、そんなことは今考えるべきことじゃない。
二人を巻き込みたくないのなら、巻き込まないですむくらい大急ぎで事を済ませてしまえばいい。
重要なのは、闇の書を完成させて彼女を真の主にすること。
結果としてそれがなせるのなら、過程など問題ではない。
可能であるあらゆる手段を用いて、それを為す。

とはいえ、あらゆる手段というのは手段を選ばないという意味ではない。
私たちは己の許す行為しかできないし、主の未来を血に染めることもできない。
また、私達はいずれ罰も受けるし、必要なら消えてもいい。
その覚悟は……ある。
これが私達に残された、騎士としての最後の矜持だから。

でも、夢見て望むくらいはいいだろう。
おそらく初めて体験したであろう、あの幸せな日々に帰れることを。
「お願いします。
 どうか、あの日々をもう一度……」
主と私達四人、そして次元世界とも違う「並行世界」から来たというあの人を含めた六人。
いえ、闇の書が完成すればあの子も家族の一員になるのよね。だとすると、七人になる。
家族七人で暮らす、穏やかな日常こそが私の願い。

そうして私は今日も空を見上げながら、信じてもいない神様に願う。

Interlude out






あとがき

ちょっと意表を突けたらと思っていきなりシャマルを出しましたが、どうだったでしょう。
詳しい経緯や諸々はそのうちでますので、今しばらくお待ちください。
この先フラグがどうなるかはまだわかりません。
皆さんの反応次第、でしょうか。
立てるのは特に問題ないと思うんですよ。
あの人たちは老化ってものをしませんから、年の差なんてあってないようなモノですしね。
シャマルの勘違いですが、まあ直接戦闘は専門外なんでそういうこともありますよ。

次回は、性急かもしれませんが早速衝突です。
日常的な部分をやってしまったので、あとは突入するしかないんですよね。
一応だいたいの構成はもう決まってますので、たぶん第二部も最後までやれるはずです。

では、今回はこれにて失礼します。



[4610] 第21話「強襲」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2009/07/26 17:52

SIDE-ヴィータ

海鳴市の上空。
今あたしは、あるモノの捜索のために仲間の一人とそこに立っている。

本来なら人目を気にするところだが、こんなところにいる人間を見つけられる奴などまずいない。
仮にいたとしても、この世界の住人ならば見間違いか何かと思ってくれる。
少なくとも、地上から見上げたくらいではあたしなど点にしか見えないだろう。
だから、特に警戒などをする必要がないのは楽でいい。
その分、目的に対して意識を集中できる。

「どうだ、見つかりそうか?」
背後からかかるのは、渋い男の声。
けれども、実際に背後にそこにいるのは蒼い毛並みをした一頭の狼。
魔法の存在を知らないこの世界の住人たちには到底信じられないことだが、長年同じ戦場を共に歩んできた仲間だ。
そして、今はそれ以上に強いつながりをもつにいたった家族でもある。

そんな家族の問いに、あたしははっきりとした答えを返す事が出来ない。
「いるような、いないような」
元来、あたしはこう言った物言いは苦手だし、性に合わない。
だが、そうとしか言いようがないのもまた事実。
いるのは多分間違いないのだが、たまに存在を感知する程度で、居場所など皆目見当がつかない。

それに焦れったさを感じないわけではないが、磨き上げてきた騎士としての自制心で焦りを抑え込む。
「この間っから時々出てくる、妙に巨大な魔力反応。
それにそこまででかくねぇけど、それなりの奴もいるっぽい。
 アイツらが捕まれば、一気にかなりのページを稼げるはずなんだけどな」
巨大な方は、次元世界的に見ても稀有な魔力の持ち主だ。
正直、この世界にこれだけの魔力を有する奴がいるのは驚きだ。
だけど、同時にありがたくもある。
管理外世界であるここならば、管理局の眼も届きにくい。
襲っても、管理局の奴らが気付くのには時間がかかるはずだ。

あたしたちのやっていることが褒められたことでないのは承知している。
管理局に見つかれば、必ず罪に問われるだろう。
だが、ここならばそう簡単には発見されない。
そういう意味でも、この世界に拠点があるのはそう悪い話ではない。ちっとばかし、不便だけどな。

あたし達には、騎士としての誇りを穢してでも為さねばならないことがある。
それさえ為す事が出来れば、その後は管理局に捕まろうがどうなろうが構わない。
できればこの世界で穏やかに暮らしたいが、悲願の為なら犠牲にする覚悟はある。
あたし達は騎士。この身は、全て主のためにあるのだから。

そうして探索を続けていると、普段無口な相方のほうから声をかけてくる。
「こうして、お互い同じ場所で探していても埒が明かんな。
こちらは任せろ。お前は逆方向を探せ、闇の書は預ける」
つまり、二手に分かれて足を使って探そうってことか。
せっかく二人でいるのだから、このまま一緒に事に当たる方が確実だ。
だが、あたし達には時間がない。
削れる時間は少しでも多くして、一刻も早く目的を達成しなければならないんだ。

それに、別に一人でやってもしくじる気はない。
ザフィーラの反応からして、その周囲に敵となりそうなものはいないのだろう。
この身は「ベルカの騎士」だ。
一対一なら、あたしらに負けはない。

故に、返す言葉など決まりきっている。
「オッケー、ザフィーラ。アンタもしっかりやってくれよ。
 見つけても、やり過ぎて蒐集できなくなったら、元も子もないんだからさ」
「心得ている」
そう頼もしい返事と共に、蒼い狼が夜空を駆けていく。

それじゃ、あたしも仕事に取り掛かるか。
だけど、あたしはその場から移動せずに別の探し方を実行でやることにする。
ザフィーラはああ言ったけど、正直チマチマやるのは性に合わないんだよ。
普段だと口うるさい奴や心配性な奴、もしくはさっきまでいた無口なくせに時々痛いとこ突いてくる奴がいるせいで、強引なのは大抵止められる。
だけど、今は誰もいないから心置き無くやれるってもんだ。
範囲が広いから魔力の消費が激しいのはわかるけど、そんな柔なあたしじゃねえっての。

手にした相棒を振るうと、それにともなって足元に三角形の赤い魔法陣が浮かび上がる。
「封鎖領域、展開」
右手に持つ鉄槌を横薙ぎに一閃し、広域結界が形成される。

ちぃっとばかし荒っぽいが、いつまでもちんたらしていられない。
こうやって炙り出した方が手っ取り早いし、遅かれ早かれ必要になるしな。
なら、今のうちから展開しても大差ねえ。

結界は急速に拡大し、街全体を覆っていく。
この結界の目的は、無関係なモノからの隔離だ。
魔力をもつ者だけが結界内に取り残されるこの性質上、無関係な人や物を戦闘に巻き込む心配はない。

また、目当ての巨大な魔力反応を見つけ出すのにも有効だ。
こいつの中にいるということは、それだけであたし達の目当ての奴である可能性が高い。
少なくとも、ぶっ倒しておいて損はない。

少しの間探査を続けていると、狙い通り目当ての奴を発見する。
「魔力反応! 大物みっけ!!」
予想通り、かなりの魔力……いや、むしろ予想外とさえ言えるほどだ。
その分厄介だろうが、負ける気なんざ毛頭ない。
速攻で叩き潰してやる。

そうして、体の一部と言っても過言ではない相棒の鉄槌に話しかける。
「いくよ、グラーフアイゼン!!」
《了解》
一切の遅滞なく返ってきた返事を聞き、獲物へ向けてあたしも飛び立つ。

向こうからすりゃあ、いい迷惑だろう。
悪く思わないでくれとか、恨むななんていう気はねえ。
むしろ、思いっきり恨んでくれて構わない。

こっちには、どうしても譲れないもんがある。
だからあたしは、そのために今からアンタを犠牲にする。
命までは取らねえが、たぶんかなり苦しい思いをするはずだ。

いつ償えるかさえわかんねえけど、せめて犠牲にしてきた奴らの怨嗟だけは背負う。
だから、アンタの力を貰うよ。



第21話「強襲」



SIDE-凛

夕食後ののんびりとした時間。
この後には宝石を加工しなければならないが、それまでのちょっとした休憩。
特に何をするでもなく、同居人の存在を感じつつ紅茶を飲むこの時間は私のお気に入りだ。

だが、そんな平穏の象徴の様な時間がぶち壊される。
《警告、緊急事態です》
もたらされたのは、最近になって得た相棒からの切羽詰まった報告。
それに僅かに遅れて、魔術師としては考えられないほど秘匿を無視した結界が展開されたことを感知する。
まったく、一体どこのバカの真似かしら。
人の穏やかな時間を奪って、ただで済むと思ってんじゃないでしょうね。

一気に憂鬱な気分になった私は、その気持ちを隠すこともなく十年来の付き合いになる方の相棒に話しかける。
「はぁ…………なんか、お客さんみたいね」
「そのようだな」
こいつも、特に驚いたような様子を見せない。
世界の異常に敏感なこいつのことだ。
もしかすると、カーディナルが感知する前からわかっていたのかもしれない。

「さて、念のために聞くが、思い当たる節はあるかね?」
ついさっきまで穏やかな日常の中にいたのだが、すでに頭は臨戦態勢に移行している。
この様子だと、士郎にも特にこれと言ってないようだ。

当然、私にもそんなものはない。
「さあ? 昔ならいざ知らず、今は特にないわ」
突然の事態にもかかわらず、世間話でもするような感覚なのは純粋に慣れの問題。
寝込みを襲われたり、覚えのないことで罪を擦り付けられそうになったり、一応味方だった奴らに裏切られたりしたのに比べれば、はるかにマシな状況と言える。

前の世界でドンパチやっていた頃は、はじめのうちはともかく、最後の方は敵の情報がないのが当たり前だった。
私達の噂を聞きつけたどっかの馬鹿が、周りの迷惑すら顧みずに仕掛けてくるなんてのは日常茶飯事。
さすがに神秘の秘匿くらいは守ってたけど、それ以外なら「何でもアリ」だ。
てか、襲ってくるのが神秘側の人間とは限らなかったけど。
普通に近代兵器で武装した連中にも襲われたからなぁ。

酷い時には、潜伏先の住民を人質にとって「こいつらが死んだらお前らのせいだ」なんて言ってくる奴らもいた。
責任転嫁も甚だしいが、士郎が彼らを見捨てられるはずもなく、おかげでいろいろ苦労した。
主に、士郎が無茶して死にかけたからだけど。
それだけやって出てくるのが、感謝の言葉じゃなくて恨み事だったり罵声だったりするんだからねぇ……。

うん、我ながらよく穏便に済ませたと思うわ。
具体的には石を投げた連中をボコったり、殴ってきた相手の腕をへし折ったりね。
別に巻き込まれた人たちのためじゃなかったから、感謝しろと言う気はなかった。
だけど、それでもちょっとは礼儀ってものを考えてほしかったわ。

はぁ、過去のことはどうでもいいわね。
敵が来る、それがわかっているだけでも十分だろう。
むしろ、「周りに迷惑をかけない」だけずっと良識がある。
ま、私達からすればやっぱり迷惑極まりないのだけど。

どうするにせよ、とりあえず情報かしらね。
「カーディナル、他に何かわかることってある?」
理由は不明だが、誰かが私達にちょっかいを掛けようとしているのはまず間違いない。
手始めに、首から下げている新たな相棒にさらなる情報を求める。

《はい、結界とは別の魔力反応が高速で接近中です》
ふむ、結界を張った張本人とは別か。
これで、少なくとも二人以上の複数による行動ってことがわかった。

でも、そうなると結界を張った方はどうしたのかしら。
この様子だと、どうやら近づいてきている奴と一緒ってわけではなさそうだけど。
「では、結界を張った張本人はどうしたのかね?」
私が問うより先に、さっさと士郎が聞く。
その声には、有無を言わせない静かな強さがある。

普段は私以外の言葉には見向きもしない奴だが、こういう時くらいは別らしい。
あるいは、士郎の迫力に気圧されたのかしら。
《………………どうやら、お弟子さんの方へ向かっているようです。
 また、感知できる反応は二人分だけなのですが、如何いたしますか? マスター》
ああ、そんなことまでわかるのね。
わかっていたつもりだったけど、そこまでわかるなんて本当に便利ね、あなたたちって。
私の方からは、何も操作しなくていいところが特に。

あれ? なのはの方に向かってるということは、一応魔導師のはずのシャマルは無視なのか。
ベルカ式だから厳密には「騎士」ってことになるのかもしれないけど、この際それは関係ない。
どういう基準なのか知らないが、単純に魔法関係者を狙ってるわけじゃないのか。
あるいは別の理由があるのかもしれないけど、目的が分からないことには判断できないわね。

とりあえず、思い浮かぶ可能性は五つ。
一つ目は、シャマルがもうすでに襲われた可能性だけど、それは低いかな。
ジュエルシード探索用に張っていた結界は、用済みだし魔力の無駄だから事件後さっさと消した。
だから、私が見落とした可能性もなくはない。
けれども、一応魔導師のシャマルが襲われたんなら、管理局に被害届なりなんなり出すだろう。
それだったら、後は管理局がやってくれるだろうし、私達に出来ることはない。

それに、もし被害届が出てるならリンディさん辺りから連絡が来るはずだ。
あの人はこの世界や私達との縁もあるから、この近辺で何か事が起これば耳に入りやすい。
魔術やなのはのこともあるし、知っていて放置するというのは考えにくい。
まあ、本当にそんなことがあったことを知らない可能性は否定できないんだけど。
でも、つい昨日士郎がシャマルと会ってるんだから、一応無事だったのは間違いない。

もう一つは、シャマルが管理局のことを知らない魔導師である場合。
だけど、これこそあり得ない。
割りとメジャーな部類に入るベルカ式の魔法を使い、真っ当に魔法を修めているのにそれはないだろう。

次に、まだ襲われていない可能性。
これなら話は簡単。
今回のことで異変に気付いただろうし、それなら自分で何らかの対応策を取るはずだ。
この近隣に住んでいるのは間違いないのだから、気付かないなどと言うことはありえない。
となると、この場合でも特に私達がすることはない。

あとは、何らかの理由でシャマルが管理局を頼れない可能性。
この場合、シャマルが襲われたかどうか知る術はないけど、それはあまり関係ない。
単純な話で、管理局に関わりたくないなら今日以降ここに留まるのは愚行なのだ。
管理外世界での魔法を使った騒動となれば、いずれ管理局が動く可能性は低くない。
この地に留まれば、そのうち否が応にも関わることになる。

ただ、昨日までこの地にいたことを考えると、多分まだ襲われてないんだろうと思う。
だけど、今日のことで近々どこかに逃げるだろう。
仮にも士郎の教え子だし、管理局には言わないでおいてあげるか。
別に、シャマルが捕まったからってメリットがあるわけじゃないし、後味が悪いだけだもの。

まあ、これまでの四つの内二つはあり得ないから除外。
残りの二つの内どれかに該当する場合でも、私の方から管理局に報告する必要はないんだけどね。
そういう意味で言えば、今日ここで襲われなかった時点でシャマルの安全は確保されたことになるのか。

で、残り一つを無視してるけど、これはこれまでと視点が違う。
最後はシャマル自身がこれに関わっている可能性だけど、それは「ない」と断言できる。
だって、これじゃ「迎撃して下さい」って言ってるようなものだもの。
顔見知りを襲うなら、もっとうまいやり方がある。
それをしていない時点で、あれの関与はないと見ていい。

それにシャマルは知らないだろうけど、ウチに来た時に少し頭の中を調べさせてもらった。
その結果から言って、別段何か事を起こす気がないのも確認済み。
騎士というだけあってどっかの誰かに仕えているらしく、その人物の方針のようだ。
なんか変な封鎖がかかってるみたいで、外部からの情報の引き出しはあんまりできなかったけどね。
おかげで、その主君の事や仲間の有無、本人の能力なんかもほとんど知らない。
わかったことなんて、ベルカ式を使うって事と害意がない事くらいだもんね。
まあ、後者だけで十分と言えば十分だけど。

というわけで、とりあえず無害みたいだったから知らんぷりして付き合っていた。
根掘り葉掘り調べてもよかったんだけど、下手にちょっかい掛けて面倒事になるのは避けたかったのが理由。
これ以上、魔術や私達のことを知ってるのを増やしたくないのよね。
向こうも静かに暮らしたいようだったし、わざわざそんな面倒なことをする必要もない。

まあ、その際にちょっと暗示をかけて、怪しさ満点の私達に不信感を抱かないように細工はしたけどね。
他にも、魔力の有無まではさすがに誤魔化せないけど、魔導師と認識させないようにもしてある。
魔導師連中は、士郎ほどじゃないが中身への守りが割と雑だ。外はあんなに堅牢なのに。
封鎖のせいで引っ張り出すのは至難だけど、刻みつけるのはそうでもない。
科学方面に進んでるんだから当然かもしれないけど、少し面倒なだけで結構楽に暗示をかけられた。
だからこそ、ウチへの出入りを許してたんだけどね。

しっかし……カーディナルにも困ったものだ。珍しく素直に答えたと思ったらこれだもの。
その声はどこか不機嫌で、答えるまでの間が「不本意」を全力で主張している。
その上、返答は士郎じゃなくて私に向けてってのが、こいつもいい根性してるわ。
一体士郎の何が気にくわないのかしら?

士郎は士郎でカーディナルの反応には諦めてるみたいで、表面上気にせず向こうさんの考えを推測する。
「ふむ、私達やなのはを狙うこと自体は別に不自然ではないな。
 あちらが私達の容姿を知っていることが前提だが、子どもの方が組み敷きやすいと考えるのは当然だ。
 それなら、シャマルを無視するのも頷ける」
まあ、やっぱりそんなところよね。
魔力量の多い相手より、魔力で劣っても運用技術に優れた相手の方が厄介なのは事実。
一概に決めつけることはできないけど、子どもより大人の方が技術に優れると考えるのは当たり前だ。

だけど、あの子の魔力量を感知できてないはずはない。
あれだけの量があれば、たとえ技術が未熟であっても十分脅威になる。
それに対して二手にわかれるってことは、余程腕に自信があるのかしら?

はてさて一体何が目的か知らないけど、来るって言うんならそれ相応のおもてなしをしないとね。
「ま、なんにせよ引きこもっていても仕方がないわね。
 せっかくのお客さんですもの。ちゃんとお出迎えくらいはしないと」
「そうだな。無礼な来訪者には、それ相応の対応が必要だろう。
 だが、なのはの方はどうするのかね?」
わざわざ単独であの子に喧嘩を売るってことは、それなりの実力者なんだろう。
魔力の大小で戦闘能力の全てを測れるわけではないが、それでも一つの基準にはなる。
馬鹿力ってのはそれだけでそれなりに面倒だけど、魔力だってそれと大差ないのだから。

むぅ、できれば今すぐ加勢に行くのがベストなんだろうけど……。
今回はちょっと思うところがあるので、それは無しかなぁ。
「今は二人ともここに残りましょ。
 何が目的か分からないし、ここまで引き付けたところで私がなのはの所に行くわ。
 アンタはお客の接待をお願い。精々満足してもらおうじゃないの」
これが私のプラン。
なのはをほったらかしにしておくのはリスクが高い。
となると、どちらか、あるいは二人で援護に行かなければならない。
だが、それらにはいくつか問題があるのだ。

前者の場合、士郎単独では向こうに着くのに時間がかかり過ぎるので、私が行くしかない。
こういうのは、機動力の高い方が動くのが常識だ。
また、初めからバラバラに動いて私の方を追いかけてきたら、士郎が残っている意味がない。
そのため、一度ここに来てもらう必要がある。
私と士郎のどちらか、あるいは二人が目的なのか分からない。
そうである以上、引き付ける為には二人揃っていなければならない。

後者の場合、やはり士郎の移動スピードの遅さがネックだ。
地を走るしかないこいつと、空を飛べるようになった私とでは移動スピードに差があり過ぎる。
私が持って行ってもいいんだけど、それだと重くなった分時間がかかる。
というか、今こっちに向かっている奴と途中で鉢合わせする可能性が高い。
そうなると、やっぱり前者みたいに片方が足止めしている間にもう片方が向かうか、二人掛かりでやる事になる。
結局やる可能性が高い以上、有利な陣地まで引き付けた方が確実だ。
で、なのはをいつまでも放置しているのは危ないのだから、早めに向かうためにも二手に分かれるのが一番だろう。

転送系を使えば別だけど、アレは魔力の消費が無視できない。
なのはたちほどのバカ魔力がない私としては、そう乱用できる術ではないのだ。
相手の力が未知数な以上、可能な限り力は温存しておきたいのよね。

そうなると、結論は前者となるわけだ。
ヤバそうなら後から士郎を転送で引っ張ってくればいいし、それまでは足止めに努めてもらうのが良策だろう。
なのはの方が片付けば、実質三対一。なのはが戦えなくても、私と士郎で二対一に出来る。
確固撃破としてはそう悪くない。
任せるのが守りに長ける士郎じゃなきゃ、できない戦術だけどね。
これは、足止め役がやられたら成立しないんだから。

士郎も特にそれには異論はないようだが、ある質問をぶつけてくる。
「それは構わんが、なのはの方は二人掛かりでやるのかね?」
「え? 弟子のケンカに師匠が出ちゃ不味いでしょ。
 とりあえず弟子の成長ぶりを観察させてもらって、負ける様ならケリがついたところで介入するつもり」
さすがに、なのはと戦って全く消耗しないってことはないはずだ。
技術や経験はなくてもパワーはあり余ってるし、高火力・重装甲は伊達じゃない。
戦いを優位に進めるだけならともかく、倒すとなるとそれなりに面倒だろう。
仮にあっさり負けたとしても、戦い方もわかるし決着がついた瞬間に不意も打てる。
最善ではないけど、それほど分の悪い策でもない。
正直、漁夫の利って性に合わないんだけどねぇ。

まあ、もちろんそれだけじゃない。
普段の訓練でなのはの仕上がりは確認してるけど、実戦の中でしか出てこない、あるいは得られないモノがある。
だいたい、いつも助けてもらえると思っていたら成長しないしね。
依頼心が芽生えても困るし、自力で頑張ってもらおうじゃないの。
せっかくの好機なのだから、せいぜい利用させてもらうわよ。

それを聞いた士郎は頭に手をやり、その声には何やら呆れたような響きを含んでいる。
「まあ、君がそう言うのなら否はないが、なのはも気の毒にな……」
どういう意味よ。こんな弟子思いの師匠なんてそういないわ。
自分の主義を曲げてまで弟子の成長を促そうってんだから、感謝の涙で溺死してもいい位でしょ。
まあ、涙なんていらないから、その分貸しってことにするけど。

「じゃ、方針も決まったところでいきましょうか。
 どうやら、向こうもそろそろ着くみたいだしね」
家の周囲に張ってある結界にはまだ触れてないが、カーディナルの報告だとそろそろらしい。
何事も先手じゃないと気が済まない私だけど、こういう場合はどうしようもない。

今の私たちは野球のバッターだ。
ピッチャーにボールを投げてもらわないことには、どんなアクションも取りようがない。
これじゃ、先手も何もあったもんじゃないわ。
ま、来た瞬間にピッチャー返しで顔面を潰してやるつもりだけど。
ケンカを売られたからには、二度と歯向かえなくしてやろうじゃないの。



  *  *  *  *  *



で、表に出た私たちが出迎えたのは……
「……犬、よね?」
「ああ、犬だな」
そう、どこからどう見ても犬なのだ。
厳密に言うとアルフと同じ狼なのだろうが。
まあ、そう大差ないわよね。似たようなもんだし。

ただ、まさかこんなのにケンカを売られるとは思っていなかったのは事実。
いや、使い魔の類だろうからそれほど驚くことじゃないんだけど。
しかし、どんなのが来るのか身構えていた方としては、ちょっと肩透かしを食らった気分だ。
ん? ってことは、なのはの方に向かったのがマスターになるのかな?

まあ、問答無用で襲いかかってこない所からすると、躾が行きとどいているのだろう。
上から見下ろされてるのが凄く気にくわないけど、とりあえず一応慈悲をかけてやる。
「こんな夜分遅くに何の御用でしょう、お客様。
突然のお越しですが、満足なおもてなしもできず申し訳ございません。
 ……ところで、失礼ながらどちら様でしょうか?」
一応最低限の礼を取っているが、口から出る言葉はどこまでも白々しい。
早い話、「こんな夜中に来て何の用だ、この駄犬」と言ってるのと同じだ。

見上げる形になっているが、私の眼から発せられる眼光は鋭い。
並みの者なら、眼光やぶつけられる気迫に気圧されたじろぐところだ。
ところが、この狼はそれなりに肝が据わっているらしく、動じる素振りもない。

「……………」
というか、それ以前に一言も発さない。
使い魔みたいだし、しゃべれないってことはないはずだから、それをする意味がないってところかしらね。
殺人貴のところのレンだって、一度も喋ったのを見たことがない。
あそこまで徹底しているかは知らないけど、敵と交わす言葉ないってことかな。
狼の顔なんてわからないけど、もし表情がわかってもきっと仏頂面しているに違いないと何となく思う。

だが、これで完全にこいつは一線を越えた。
今ならまだ見逃してやらないこともなかったけど、こうして退く様子がない以上私たちの関係は決定した。
「だんまり、ね。それじゃ、どうやら交渉の余地なしみたいだし、わかりやすくいくとしましょう。
『――――Anfang(セット) 』」
その詠唱と共に、屋敷の周囲に張られた結界が起動する。
元から設置してあるものである以上、面倒な手順など必要ない。

起動した結界は、連中の張った結界内でも問題なく展開する。
それにより僅かに、本当に極々僅かに月明かりの光加減が変化する。
種別が違うおかげで、魔法と魔術の結界がぶつかり合いにならないのは確認済みだ。
「……?」
だが、秘匿前提の魔術結界を感知するのはこいつらには難しいらしく、何が起こったか理解していない。

まあ、この結界自体には特に攻勢能力はない。
あるのは、ただ内と外を隔てる封鎖能力だけだ。
そういう意味では実害はないが、その分結界の境まで行かなければ気付かないでしょうね。
何もないはずのところに突然壁があらわれるようなモノだから、かなり驚いてくれるはずだ。
それにしたって、それほど頑丈ではないけど。

それでも、足止め程度なら問題ない。
脱出するためには、これを壊すには一瞬だが破壊の為の工程が必要になる。
その一瞬の間に、士郎が上手く邪魔するはずだ。
向こうは空戦ができるので、士郎一人だと逃げられるかもしれないが、この檻があればそう簡単にはいかない。
戦うだけならともかく、逃がさないようにするには空を飛べるアドバンテージは厄介過ぎる。
これくらいの小細工は必要だろう。

効果が割と貧弱と言うか、穏やかなのには理由がある。
屋敷の敷地内ならそれなりにいろいろ用意してあるけど、ここは一応外なのでこれくらいが限界なのだ。
家の塀の様な、内と外を隔てる境界は結界に利用しやすい。
だけど、そういたモノがないところで複雑な結界を張ると雑にならざるを得ない。
そういう無様なのは、なんというかプライドが許さないのだ。
家のほうにまで引き込んでもいいんだけど、魔導師連中のやり方は無闇に派手だもの。
あんまり暴れられて、家を傷つけられてはかなわない。

見たところ結構やるみたいだし、もう片方も同レベルかそれ以上だろう。
それを考えると、急いでなのはの方に行った方がよさそうかな。
「さて、来てもらって早々悪いんだけど、ちょっと用事があるのよ。
 アンタの相手をしてられるほど暇じゃないし、私はこれで失礼するわ」
紅い外套を翻して踵を返す。
これを隙と見て襲いかかってきても、必ず士郎が止める。
それがわかっているからこそ、無防備に背中をさらせるのだ。

「ああ、ところで凛。一つ聞き忘れていたのだが……」
珍しいわね。事ここに至って、士郎が引き留めるなんて。
それに、何でわざわざ声に出して聞くのかしら。
重要なことなら、念話もどきで済ませた方がいいはずなのに。

そう思いながら足だけ止める。
特に先を促さなくても、これだけで言わんとすることは伝わる。
「足止めをするのはいいが…………別に、アレを倒してしまっても構わんのだろう?」
ああ、なるほど。
確かに、これは聞こえるように口で言わないと意味がないわよね。

背を向けているから正確なところはわからないが、何となく不敵な笑みを浮かべているんじゃないかと思う。
紡がれた言葉には、皮肉気な響きと共に強い意志と覚悟が感じられた。
第一目的は足止めだが、別にそれにこだわる必要はない。
勝てそうならさっさと倒して、そのまま加勢に来てくれて何の問題もない。

なら、こっちもちゃんとそれに合わせないとね。
「ええ、遠慮はいらないわ。
 思い切り、ぶちかましてやりなさい」
「そうか、それを聞いて安心した。では、期待に応えるとしよう」
相手は決して軽んじていい敵ではない。
このやり取りが始まってからというモノ、あの犬からはハンパじゃない気迫が漏れてきている。
その質だけでも、相当な実力があることがうかがえる。
それに表には出していないようだけど、それなりに怒気も伝わってくる。
犬扱いした上に、打倒宣言までされては不機嫌にもなるか。

だが、決して振り返らず、この場を後にする。
ここはもう士郎の戦場だ。
私が出す手も口もない。
私は私の、士郎は士郎のすべきことをする。
それこそが、こいつからの信頼に応えるただ一つの方法だ。

私は数メートル歩き、そこで首から下げている宝石を握り、そいつを起動する。
「カーディナル。Set up」
《了解》
周囲を一瞬紅い光が包み、それが消えると私の服はバリアジャケットに変わっていた。
ちなみに、たとえどれだけ落ちぶれても、十年前のアレみたいな魔法少女スタイルなんて絶対にしない!
なので、私の恰好を見てそんなことをイメージする奴はいないだろう。した奴は眼と脳が腐っている。

上衣はワインレッドを基調とし、日本ではカンフー服と呼ばれるモノの長袖版。
その上から、礼装でもある真紅の外套を羽織っている。
手には指貫の革手袋が嵌められ、その上から肘までを漆黒の手甲で覆っている。
ま、袖や外套で手の甲の部分しか見えてないけどね。
下衣は本来ならカンフーパンツを履く所なのだが、私の場合は黒色のロングスカート。
履物も中国式ではなく編み上げ式のブーツ。その上から、手甲と同じ漆黒の脚甲が膝までを覆っている。
髪はいつものツインテールではなく、下ろした状態で特に纏めずに流してある。

そして私の右手には、ステッキのようなシンプルな形状のデバイス。
なのはの持つそれより少々短く、だいたい私の腰辺りまでの長さだ。
その握りには、特大のルビーを思わせる令呪を模した刻印の刻まれた紅い宝石が嵌め込まれている。
これは、昔綺礼に聞いた父さんの礼装がモチーフとなっている。

そんな私の姿を見て、例の狼が警戒心を強めたようで空気が一層張り詰める。
だが私はそれを一瞥もせず、背を向けたまま歩みを進める。
適当なところで、杖で地面を一突きして飛行魔法を起動させ宙に浮き上がる。
「追ってくるのは自由だけど、その前にそいつを何とかすることね。
 言っておくけど、手強いから他所見しない方が身のためよ」
言い終わったところで、鉄甲作用を付加した時独特の轟音が響いた。
その音から、近くの建物に黒鍵が叩きつけられたことが分かる。

おそらく、私を追おうとする狼に、士郎が牽制に黒鍵を投擲したってところか。
狼はそれに行く手を阻まれ、飛び出しかかったところで踏みとどまっているんじゃないかな。
まあ、士郎がちゃんと抑えているのなら背中を気にするだけ野暮だ。
ここは私の舞台ではない。
なら、さっさと自分の舞台に向かうとしましょうか。

そのまま無防備な背中を晒しつつ、私は外に向けて飛び立つ。
背後から唸り声が聞こえているけど、たぶん士郎に威嚇をしているのだろう。
「そういうわけでな。物足りぬかもしれんが、しばしの間戯れてもらうぞ」
かなり鋭い眼で睨まれているのだろうが、それを感じさせない悠然とした口調で士郎が告げる。


さて、これでしばらくはもつはずだ。
あるいは、本当に仕留めてしまう可能性だってある。

とりあえず、私も早いとこなのはの所に行かないと。
出来れば状況を聞きたいし、移動中にでも念話で軽く話をつけておくべきかな。
こっちは一応向こうさんとの顔合わせは済んだし、厄介な相手だってことは教えておくべきだろう。
結界を張った張本人はあの狼より後に動いたようなので、なのはのところに着くには早すぎる。
なら、まだ少しだけ時間に余裕があるはずだ。
今の内に、できることをやっておかないとね。

さて、どうも地に足がつかないのは落ち着かないけど、急いで向かうとしましょうか。



Interlude

SIDE-なのは

今わたしは、夜の高層ビルの屋上にいる。
こんな時間に出歩いてるなんてお兄ちゃんたちに知られたら、怒られるだろうなぁ。

なんでこんなことになってるのかさっぱりだけど、とりあえず状況はわかりやすい。
わたしは現在進行形で、見ず知らずの誰かに襲われそうになっているみたい。
と言っても、心当たりがないってだけで襲ってきた人の顔もまだ見てないんだけど。

でも、少ないけど情報はある。
ついさっき、凛ちゃんから念話を貰った。
それによると、凛ちゃんたちも使い魔らしき蒼い狼さんに襲われたらしい。
今は士郎君が抑えてくれていて、その間に凛ちゃんがこっちに来てくれるみたい。
相手がどんな人か分からないけど、とにかくそれまで持ちこたえなければならないってことなんだと思う。

ただ、今のわたしは少し震えている。
それというのも、凛ちゃんの話だとかなり強いだろうと言う話を聞いたから。
あの凛ちゃんがそこまで言うからには、本当に強いんだと思う。
凛ちゃんや士郎君はなんだかんだで、わたしに合わせて手加減してくれる。
でも、今回の相手には多分それがない。
半年ぶりの実戦に高揚感はない。あるのは緊張と恐怖、それらからくる震えだけ。

けれど、きっとこれでいいんだと思う。
行き過ぎて強張らなければ、緊張も恐怖も悪いものじゃない。
本当に怖いのは「怖さを忘れる事」と何度も言われてきた。
怖いから危険を回避できるし、相手の強さがわかるんだって。

でも、今は必要以上に恐怖心が煽られている気がする。
問題は、凛ちゃんから聞いた話の内容の最後。
なにせ、朗らかに……
「とりあえず、死なないようにね。
 せっかく半年もかけて育てた弟子。こんなことで壊されたら結構大きな損害だもの。
まあ、死んだら死んだでそれまでの弟子だったってことで諦めもつくけど……」
という、ありがたいくもなんともないお言葉で締めくくられた。
最後の方なんて、ニヤニヤ笑いを浮かべているのが頭をよぎったよ!
いや、それよりも…………結構って何!? 諦めって何!? 凛ちゃんのはくじょうもの~~~!!
死ねない! ぜっっったいに死ねない!! 何が何でも生き残って、一言文句を言わないと気が済まないよ!!


そんなわけで、今のわたしは緊張や恐怖の他に、妙な感じに気合いを漲らせながら周囲に注意を払っている。
バリアジャケットを着ていないのは、戦闘の意思がないことを伝えるため。
これを見れば、訝しんで一度立ち止まるくらいはしてくれるんじゃないだろうか。
出来たら、そこでちゃんとお話を聞かせてほしいんだけど……。
きっと、凛ちゃんは「甘い」って言って呆れるんだろうな。

すると、レイジングハートが何かの接近を教えてくれる。
《来ます! 誘導弾です》
風を切る高い音がするのに気付き、そちらを向く。
眼に映ったのは一発の鉄球、どうやら誘導操作弾らしい。
つまり、問答無用ってこと!?

そちらに向け手をかざし、それにレイジングハートが合わせる。
《Round Shield!》
大急ぎでシールドを展開し、まっすぐ飛来するそれを防ぐ。
ただし、真正面から受けるのではなく斜めにして弾く。
これなら受ける衝撃はそれほど大きくないから、すぐに次の行動に移れる。

それに、スピードや威力はあればある程小回りが利きにくくなる、と凛ちゃんが教えてくれた。
いくら誘導性があるからと言って、いきなり方向転換をするのが難しいのはよくわかっている。
術者のレベルが上がるほどその時に出来る隙は小さくなるけど、確実にそれは発生すると言われている。
その言葉通り、弾かれた鉄球は大きく旋回して再度こちらに向かって飛んでくる。

でも、対応するだけの時間は稼げた。
それに対して、単発のディバイン・シューターを放って迎撃する。
二つの誘導弾は正面からぶつかり合い、小さな爆発を起こして相殺する。

それに安心する間もなく、真横から次の攻撃がくる。
「テートリヒ・シュラーク!!」
声に反応して振り向くと、そこにはハンマーを握った女の子がいた。
手にしたハンマーを振りかぶり、力の限り振り抜いてくる。

目の前に豪速のハンマーが迫る中、いくつかの選択肢が脳裏を駆け巡る。
(シールドで受け止める? また、斜めにして受け流す? それとも、飛び退いて避ける?)
だけど、かなりの魔力が込められていることがわかり、下手に受けるのは危険だと直感が告げる。
避けようとしも、追撃をかけられると不味い。
だから、それら全ての選択肢を却下し、体に染みついた動きが出る。

「てや!」
掛け声とともに、その子の懐に向けて私の方から飛び込む。
同時に、手元に魔力を溜め込み砲撃の準備をする。
砲撃形態のレイジングハート抜きだとキツイけど、撃てるように訓練はしている。
まあそれも、この一撃を受けきってからの話。

振り抜かれる前に踏み込んだ事で、ハンマーの直撃だけは避けられた。
「なに!?」
あの子もそれは予想外だったのか、一瞬驚いたような顔をするのを目の端で捕らえる。
渾身の一撃に対してかわすのでも受けるのでもなく、自分から前に出たりしたら驚くよね、当然。

驚きこそしたけど、それでも構わないと言わんばかりに振り抜かれた一撃が、肩に叩きつけられる。
「このぉ!!」
「あうっ……!?」
やっぱり相当な威力があったらしく、ハンマーの柄にぶつかっただけなのにかなりの衝撃が来る。
構成こそ粗くて簡単に砕かれたけど、当たる寸前に体を覆うようにして作ったバリアの防御が間に合った。
もし直撃なんて受けてたら、今の一撃で倒されていたかもしれない。
瞬時に体と頭が反応するよう鍛えてくれた二人に、心の底から感謝したくなる。


本格的な接近戦対策として組み手をするようになったころから、凛ちゃんに何度もいい聞かされたことがある。
「いい? どうしても接近戦をしなくちゃならなくなったら、無理に距離を取ろうとするんじゃなくて、逆に自分から飛び込みなさい。
 最も怖い敵の近くこそが、一番の安全地帯よ」
それというのも、スピードが乗る前に近づくか、密着状態にしてしまえば攻撃の威力は半減するかららしい。
射撃系は別だけど、直接攻撃は助走距離が必要だから。
もちろん、例外なんていくらでもあると直接体に教えこまれたけど。
でも、その教えが正しかったことを今実感している。

だけど、近づくだけじゃ不十分。
接近戦が苦手なわたしでは、その距離に居続けるのは自殺行為。
だから、どうやってそこから私の得意な距離まで離脱するかが一番の問題になる。
距離を取ろうとする私に、わざわざ好きなようにさせてくれるはずがない。

凛ちゃんからは、その対策も叩き込まれている。
「密着したら、絶対にそこから離れんじゃないわよ。
 それだけ近づけば取れる手段は限られてくるから、その場で砲撃をぶちこんでやりなさい」
わたしの魔力なら、タメが短くてもそれなりの威力になる。
仮に倒せなくても、そんな距離から撃たれるのは嫌がるはず。

普通に距離を取ろうとしても必ず邪魔されるし、そう簡単にやらせてくれるはずもない。
だけどこれなら、ゼロ距離砲撃をさせないために十中八九僅かに体を引こうとする。
その瞬間を狙って離脱すれば、かなり高確率で距離を取ることができるらしい。
これが、今のわたしにできるレベルの接近戦への対応策。

だから、踏みこみながら砲撃の準備をした。
咄嗟のことだから威力はそれほどじゃないけど、崩拳に乗せて撃つ。
撃つのが早ければ早いほど、その分回避や防御も難しくなる。
まずないと思うけど、場合によってはこの一撃で落とすことだってできるはず。


ただ、根元の部分で殴られバリアがあったにもかかわらず、あの子のパワーがすごくてわたしは弾き飛ばされる。
ホントは、そのままバスターを使うつもりだったのに思っていた以上のパワー。
とてもじゃないけど、倒れないようにするので精一杯でそれどころじゃない。

でも踏ん張ったおかげで、ギリギリビルの淵に踏みとどまることができた。
ビルの外にまで吹っ飛ばされなかっただけでも、良しとすべきなんだろうね。
同時に、ああ足腰が重要ってこういうことなんだなぁ、と実感する。
もしあの特に地味な訓練をサボってたら、今頃ノーロープバンジーをしてるところだったよ。

せっかく準備した魔法は、殴られた際の衝撃で狙いがズレ、あらぬ方向へと飛んで行ってしまった。
それを見て、あの子の目つきが変わる。
たぶん、同じ手は二度も通じない。
こういう手があるんだとバレてしまったら、そう簡単に密着はさせてくれないだろう。
そのまましり込みをしてくれると助かるんだけど、その様子もない。
むしろ「上等!」と言わんばかりの眼をしてる。

殴られた肩がまだ痛むけど、それを無視して体勢を立て直す。
少しでも万全に近い状態にしないと、とてもじゃないけど対応できそうにない。
「レイジングハート、お願い!!」
《Standby, ready, set up 》
そのままわたしはバリアジャケットに身を包み、臨戦態勢を整える。

弾き飛ばされたことで、あの子との間合いが少し開いた。
ならいっそのこと、このままさらに間合いを広げる。
この距離は、どう考えてもあの子が有利だ。

バリアジャケットが展開されるのと同時にビルの淵を蹴って、空に飛びたつ。
ここなら、ビルの屋上にいるよりずっと戦いやすい。
いきなり襲ってきた以上、このまますぐに話し合いに応じてなんてくれないよね。

案の定、あの子は追撃のためにまた鉄球を出す。
それを投げ上げ、あのハンマーで打つ。
叩かれた鉄球は、高速でこちらに向けて飛んでくる。
さっきのも、こうやって打ってきたんだ。
でも、私の使う魔法とはだいぶ違う気がする。
少なくとも、ああやって道具を直接使うのは馴染みがない。

あの子はハンマーを振った勢いを利用し、鉄球の後を追う形で突っ込んでくる。
たぶん中距離から攻撃して、それに対処している隙に接近戦に持ち込むのがこの子の戦い方なんだ。
回避すればその隙を狙って殴るにくるし、受ければその間に間合いが詰められる。
だからこのどちらかを選択するのは、この子の狙い通りってこと。

だからそれに対し、下手に回避や受けたりするよりも叩き落とした方がいいと判断する。
「ディバイン………バスター!!」
レイジングハートを変形させ、可能な限り早く砲撃を撃つ。
鉄球の方は、急な方向転換ができないようで狙い通り砲撃に飲み込まれる。

砲撃はそのままあの子へと進んでいく。
こっちに突っ込む勢いもあって、回避するのは簡単じゃないはず。
だけど、さすがに直撃なんて受けてはくれない。
あのタメの少なさで砲撃を撃てた事に驚いたみたいだけど、寸前で回避する。

でも、これで少し時間が稼げた。
けれど、反撃したことで俄然闘志が漲っているように見える。
話を聞きたいところだけど、せめて一度止まって貰わないとそれもできない。

そう判断し、わずかに体勢を崩した相手に向けてディバイン・シューターを放つ。その数は七。
散開させるように、それぞれを別の角度で撃ち出す。
ああやって近づこうとしてるのなら、真正面から撃ってもたぶん意味がない。
回避するのか防御するのかまではわからないけど、対策くらいは立てているはず。
そう思っての攻撃。

向こうもその意味はわかっているようで、突っ込んできながらも油断なく周囲の様子に気を配っている。
それでも、その勢いはやっぱり猛烈。
ちょっとやそっとの攻撃じゃ足を止めるのは難しそう。
散開させた誘導弾のうち二つを操作し、ちょうどあの子の正面で交差するように動かす。

でもあの子は、そんなことはお見通しとばかりに軽くブレーキをかけるだけでやり過ごす。
勢いを殺したのは一瞬、すぐに元の勢いで襲いかかってくる。
だけど、そんなことはこっちも予想済み。
今のは、残りを配置につかせるためだけの囮。
一直線に突っ込んで来てくれる分、動きだけは予想しやすいからね。

配置についた誘導弾を動かし、一つ一つ時間差を付けてぶつけようとする。
けれど、結構凝った配置にしたつもりなのに危なげなく回避される。
時に前進しながら宙返りをし、時には僅かに手足を動かすだけでかわす。
まるで、後ろに目でも付いているみたい。
さすがにかわしながらじゃ動きにくいみたいで、突進の速度は落ちているけど。

どちらにせよ、このままじゃいずれ接近される。
さっきみたいに密着するのは難しいだろうし、以前見た士郎君がクロノ君に使った手を使おう。
「バースト!」
そう叫び、ちょうどあの子の真横に迫っていた誘導弾を炸裂させる。
そのまま突っ込んでくると思っていたであろう誘導弾が爆発し、さすがに驚いている。
その爆風に煽られ、小さい体がバランスを崩す。

そこに追い打ちをかけるように、さらに残りの全弾を叩きこむ。
今までの動きから、これさえも回避されてしまいそうな気がする。
だからもう一度、今度は全弾まとめて炸裂させる。
「もう一発! バースト!!」
全六発分の爆発は、さすがに相当なもの。
炸裂させたことで生じた衝撃は、それなりに離れているこちらにまで届いた。
また、その際の発生した煙のせいで、あの子の姿が見えなくなる。

でも、たぶんほとんど無傷。
直撃じゃなくて、これはただの余波だから。
ちょっと派手なビックリ箱みたいなものだから、ダメージはたいしたことはないと思う。
でも意表はつけたみたいだし、次の手も考えてある。

すると、煙の塊を突き抜けるようにして、小さな影が上に向かって飛び出す。
体にまとわりつく煙が尾を引き、徐々にそれも晴れていく。
その姿は、やっぱり無傷。
でも、上に逃げたのが運のつき。

わたしもそれは予想していたから、すでにレイジングハートを空に向けて構えている。
この場所は、下は地面で前後左右はビルに囲まれている。
どこに逃げても壁になるモノがあるけど、唯一上だけは開けている。
だから、視界が悪くなれば多分こっちに動くと思っていたけど、ドンピシャ。

砲撃の気配に気付いたのか、驚いたような表情でこっちを見る。
だけど、もう遅い。
こっちの準備はもう整ってるんだから。
「ディバイン・バスター!!」
渾身の魔力を込めた砲撃を放つ。
避けられない、そう確信しての攻撃。

「え!?」
だけど、あの子はそれをギリギリのところでかわす。
強引に体を倒し、半ば落下するような機動。
被っていた帽子は途中で脱げてその場に取り残され、砲撃の余波でボロ布に変わる。
だけど、それ以外にこれと言った手ごたえはない。
まさか、あれをかわされるなんて。

相手の並外れた反応と回避機動に、思わず呆然としてしまう。
わたしだったら、多分直撃していた。
わたしには到底できないことが、あの子には出来る。
それだけの差が、わたしたちの間にはあるってことなんだと思う。

スグにまた突っ込んでくるかと思ったけど、予想に反して初めてあの子が動きを止める。
砲撃を受けて半壊した帽子が舞い落ちるのを、凍ったような表情で見送っている。
なんだかよくわからないけど、せっかく止まってくれたんだからこの期に声をかける。
「いきなり襲われる覚えはないんだけど、あなたどこの子?
 なんで突然こんなことする、の!?」
話を聞こうと言葉をかけていると、振り向いたあの子がものすごい眼で睨んでくる。
思い当たることとしては、今の砲撃で帽子が身代わりになっちゃった事。
だけど、もしかしてそのせい?

ハンマーを振るうと、あの子の足元に三角形の赤い魔法陣が出現する。
あれって確か、士郎君のと同じ……。
「グラーフアイゼン、カートリッジロード!!」
《Explosion》
その言葉に反応し、あの子のデバイスが銃の弾丸のようなものを装填し撃発させる。

するとハンマーの形態が変わり、片方に突起、もう片方に噴射機のようなモノがあらわれる。
それだけでなく、あの子とそのデバイスからものすごい魔力が迸っている。
「えぇ!?」
あんなもの、わたしは知らない。
わたしは、目の前の事態に対して驚くことしかできないでいる。

そのまま噴射口から炎が発せられ、回転しながらその速度を増していく。
数回転したところで、勢いをそのままにこちらに向かって襲いかかってくる。
ううん、むしろどんどんスピードが増してる。

詳しいことはわからないけど、あんな物をまともに受けちゃだめだ。
思い切り回避するか、さっきみたいに懐に飛び込むしかない。
そう考えたわたしは前者を選択し、大きく飛び退くことで初撃を回避する。
「逃がすかぁー!!」
その声と共に、一度は回避したハンマーが再度唸りを上げて迫ってくる。

この調子じゃ、いくらやっても振り切れない。
むしろ、この間合いにいる限りいつか追い詰められるのは明白。
だったら、もう一つの方法で止めるしかない。
「それなら!」
迫ってくるタイミングに合わせ、フラッシュムーブで体当たりを仕掛ける。
このまま密着状態にして、凛ちゃんの教え通り今度こそ至近距離からのディバイン・バスターを当てる。
上手くいけばこれで決められるし、倒せなくてもダメージは与えられるはず。

だけど、そんなわたしの考えは甘すぎた。
一度使った手は、何度も使えないって言われてきたのに……。
不完全とはいえ一度上手く行った事から、調子に乗ってまた同じ動きをしてしまった。
このスピードなら、細かい動きなんてできないと高を括ってしまったんだ。
わたしが飛び込もうとしたところで、あの子は回転の中心であるハンマーは残したまま、体の軸だけを少し横にずらす。

おかげでわたしの狙いは外れ、見事に体当たりをかわされる。
「もらったぁぁぁ!!」
かわされたことで体勢が崩れたわたし目掛け、勢いのついたハンマーが再び襲ってくる。

それに何とか対処しようとシールドを展開し、レイジングハートを盾にするように動かして防御する。
でもこれは、行き当たりばったりの守りでしかない。
とてもじゃないけど、捌いたり弾いたりなんて無理。
だから、その後の結果はわかりきっている。
アレを直接受けちゃいけないって判断したのは、間違ってなかった。

予想通り、その一撃はシールドどころかレイジングハートさえも砕いて見せる。
勢いは衰えることを知らず、そのままわたしの体を弾き飛ばす。
「きゃぁぁぁぁ!」
わたしはその勢いのままビルに向けて叩きつけられ、ビルの一室に転がり込む。

舞い上がる粉塵の中、笑う膝でなんとか立ち上がろうとする。
正直、それだけで途轍もなく苦しい。
良いのを貰っちゃって、体全体が軋んでる気がする。
「げほっ………げほっ……」
その上、体に叩きつけられた衝撃で息が詰まる。
だけど、今はそれどころじゃない。

ここはわたしにとって、あまりに場所が悪すぎる。
空間を広く使うのがわたしの戦い方なのに、こんな狭いところじゃ持ち味を生かせない。
急いで外にでないと……。

なのに、あの子がさらなる追撃をかけてとどめを刺しにくる。
このままじゃ、やられる。

その逃げようのない現実に対し、わたしには抗う術がない。
ただ、迫りくる小さな影を見ていることしかできない。
諦めてはいけないのはわかってる。
だけど同時に、もう自分ではこの状況をどうしようもないとわかってしまう。
(フェイトちゃん……凛ちゃん……士郎くん……アルフさん…………ユーノ君!)
魔法に関わって出会ったみんなの顔が頭をよぎる。
縁起でもないけど、こういうのを走馬灯って言うのかな?

だけどその後ろ、窓の外に見覚えのある人影が降りてくるのが見えた。

あれは、もしかして……。

Interlude out






あとがき

まあ、今回は軽いジャブと言ったところでしょうか。
次回はなのはが見た人影と、残った士郎のお話になります。
まあ、今更誰か言わなくてもわかると思いますけどね。
本格的にぶつかりあうのも近いですが、組み合わせと結果はどうなることやら。

結構いろんな人からいただいた疑問その一、「凛はシャマルが魔導師だと気付いていないのか」について。
作中でも出したように、士郎も含めて気付いた上でその点は知らんぷりしてました。
当初は自分たちにとって無害ですから、わざわざちょっかい掛ける必要もありませんよ。
なので、凛は現在思いっきり勘違い街道を驀進中です。

疑問その二、「シャマルは二人が魔導師であることに気付いていないのか」について。
これまた作中で出しましたが、凛が暗示をかけてるんでその点は大丈夫です。
認識阻害と言うか意識を逸らすと言うか、そういった効果によって気付いていません。
やっぱり、隠し事は秘匿前提の魔術師の領分ですよ。

疑問その三、「ヴォルケンのことがいきなりバレるんじゃないか」について。
現在、凛は情報が古いせいもあって、シャマルが無関係だと勘違いしています。
また、管理局に対してもわざわざ報告する必要性を認めていません。
なので、それが解消されない限りバレることはありません。

最後に、さんざん悩んだ凛のバリアジャケットですが、割りとシンプルになっていると思います。
凛は八極拳を使いますから、中国の服なんか似合いそうです。
正直、道士と呼ばれる人たちの着る道衣とどちらにしようか悩みました。
ですが、魔術師が仙道の恰好をするのはどうかと思い、こちらになりました。

イメージしやすくするなら、舞弥さんの服装を赤系統にし、黒のロングスカートとブーツを履かせたような感じですかね。
あるいは、有間さん家の都古ちゃんの上衣でしょうか。
うん、我ながら説明が下手過ぎてよくわからない気がします。
申し訳ございませんが、みなさん頑張って乏しい情報からイメージして下さい。



[4610] 第22話「雲の騎士」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:fd260d48
Date: 2009/11/17 17:01

SIDE-凛

私がなのはの元に駆け付けた時、すでに戦いは始まっていた。

赤と桜色、二色の光がビルの合間を飛び交い鎬を削る。
魔術なんて非日常の世界に生きる私ですら見慣れぬ光景。
半年前と違って、それをする側になってしまったのだから今更かもしれないけどね。
まあ、それ自体は予想通りだったので、そのまま近場のビルの屋上で観戦させてもらった。

途中からしか見ていないが、内容自体はそう悪くはなかったと思う。
襲われた事やあの子の性格を考えれば、受け身になってしまうのは無理もない。
年を考えれば、わずかな時間で思考を切り替えてちゃんと戦っていたのは驚嘆に値する。
半年前のあの子なら、襲ってくる理由を問いながら逃げ回るのがオチだっただろう。

それに、この半年で身に付けたモノを期待以上に活かしていたことを考えれば十分及第だ。
実際、それなりに見応えのある戦いだった。
これまでやってきたころの十分の一も出ればいい方だと思っていたが、なのはは本番に強い性質らしい。
半年前のフェイトの時もそうだったが、あの勝負強さは魔力以上の才能だ。

しかし、今回は相手が悪すぎた。
なのはもよく粘ったけど、さすがに今ので詰みだろう。
この半年の鍛錬の成果は確かに出ていたけど、その程度でどうこうなる相手じゃない。
あれは、なのはが半年前に戦っていたフェイトとは違う「本物」だ。
今のなのはのレベルじゃ、勝ち目どころか逃げる算段を立てることさえ困難を極める。
むしろ、あれの帽子を吹っ飛ばしただけでもたいしたものだ。
油断なんかもあっただろうけど、それでもあそこまで追い込められたのは出来過ぎなくらい。

本来、一対一でやるなら最低でも退路は確保済み、なおかつ万全の体調じゃないとどうにもならない。
早い話、望み得る限り最高の状況下でやることが条件。
最低限整えなければならない条件が「最高の状況」ってだけで、あの二人の力量差が如実に表れている。
今回は一つも満たされていなかったのだから、ある意味当然の結果かな。

それに、たぶんアレはまともな人間じゃない。
いくらなんでも、あんなチビがあれほどの戦闘能力を持っているのは不自然だ。
見た目からして、たぶん六・七歳くらい。
私たちみたいな特殊例でもない限り、子どもなのに一流の戦闘技術を持っている、なんてことは普通あり得ない。
いくら魔法でも、技術や経験はどうしても年齢に左右される。
特殊な環境で生きてきた可能性もあるけど、それにしたって妙だ。
はぁ、ま~た厄介そうなのに関わるわけかぁ。勘弁してほしいわ。

それに、あのちっこいのが使っていたのには覚えがある。
アレってたしか、以前士郎が言っていた「カートリッジ・システム」とかいうのだっけ。
話を聞く分には私の宝石みたいなものを想像していたけど、こっちよりずっと汎用性は高そうよね。

得られた情報から敵戦力の考察をするが、いい加減次の行動に移る頃合いかな。
「ふぅ、そろそろ加勢しないと不味そうね。
 なんか知らないけど相当頭に血が上ってるみたいだし、下手するとなのはがミンチにされちゃうわ」
あのキレっぷりだと、本当に何をするか分かったもんじゃない。
何がそんなに頭に来たのか知らないけど、かなりの激情家のようだ。

ああいった手合いは上手くすれば御し易いけど、下手な挑発は命取りなのよねぇ。
結果として、なのはの攻撃はあのチビの逆鱗に触れる最悪の挑発になったのだろう。
なのはがあのチビを誘導弾で袋にする少し前に到着したけど、吹っ飛んだのは妙なウサギをつけた帽子だったはずだ。
というか、あのデザインはどうなんだろう。あんまり私の趣味じゃないなぁ。
アレがそんなに大事だったのかしら?

いや、そっちの考察は後でもできる。
バリアジャケットも含めて、趣味は人それぞれだろう。
今は、急いでなのはを保護しないと……。

そう結論し、見学していたビルの淵を蹴り飛び降りる。



第22話「雲の騎士」



私はなのはを助けるべく、あの子が叩き込まれた窓の前まで大急ぎで降下した。

そこで目にしたのは、バリアジャケットとレイジングハートを砕かれた満身創痍のなのは。
そして、とどめを刺そうと鉄槌を振り上げているチビッ子の姿。
時間がない、その場で一粒の宝石を投げてチビッ子に仕掛ける。
投げた宝石は、座標を定める上での目印と術の補助をさせるのが目的。
「『Eins(一番) Belasteb Sie(重葬) Zunahmen und wird zerstört(愚者よ、地に眠れ)!!』」
親指に嵌め込んだ指輪が輝き、投げた宝石を中心に複雑な陣があらわれ、地属性の術を起動する。

するとチビッ子は……
ゴシャッ!!
「ぷぎゃっ!?」
突如進路を変え、頭から床に突っ込みキスをする。
盛大な激突音と同時に愉快な悲鳴を上げると、そのまま潰れたカエルの様に地べたにへばりつく。

この術の効果は「重力操作」だ。
あのチビの周囲の空間に干渉し、一定範囲内の重力を引き上げる。
並みの人間なら、立つどころか指一本動かせない重力がかかっているはずだ。
それどころか骨が折れていても不思議じゃないが、魔導師ならその限りではない。
しかし如何に魔導師でも、この重力ではそう簡単には動けないだろう。
それでも相手は近接特化のベルカ式みたいだし、念を入れておいた方がいい。

それにやや遅れ、なのはの周囲に金と緑二つの円形魔法陣が展開される。
そこから現れたのは、懐かしい二つの人影だった。
「ごめん、なのは。遅くなった」
紡がれるのは、柔らかくも優しい少年の声。
斜め後ろから、その手でなのはの肩を優しく支える。
彼は数ヶ月ぶりにこの地に訪れた、なのはの魔法の師「ユーノ・スクライア」。

満身創痍のなのはは、ユーノの方へ顔を向ける。
「……ユーノ、君?」
その顔同様声にも力はなく、どれほど追いつめられたかを物語っている。

そして、もう一つの人影「フェイト・テスタロッサ」はなのはとその前で潰れている奴との間に入り込む。
ちょうどチビッ子を境に、わたしと向かい合う形。
暗がりでも輝きを失わないその金髪は健在で、漆黒の斧を構え油断なく警戒する。
その姿は、まるで雛を守ろうとする親鳥のよう。
ただ、暗いせいでわかり辛いけどちょっと不機嫌そうなのはどういうことかしら。
大切な友達を傷つけられたんだから当然かもしれないけど、小さく「わたしの出番……」なんて声が聞こえる。
表情も若干沈んでいるし、一体何を言ってるのかしら?

そちらに気をとられていると、床にへばりついているチビッ子に変化があることに気付く。
「ぐぅ……な、仲間か」
そう言って床に手を突き、何とか上体を起こす。
ただし倒れた時にぶつけたようで鼻の頭は赤くなっており、眼もちょっと涙目になっている。
そのせいで、若干緊張感に欠ける。こんな時でなかったら、きっと吹き出してたわね。

だが、そんな光景とは裏腹に私は戦慄を覚える。
(…………冗談でしょ。
いくら魔法があるからって、この重力で体を起こすなんて……どこにそんなパワーがあるのよ)
あんな武器を使っている時点でパワー自慢だろうと思っていたが、ここまでとは。
どういう体の構造してるのよ。

呆れてものも言えない私に代わり、フェイトが問いに答える。
「……友達だ」
フェイトは厳かに告げる。
その声音が、フェイトにとってこの言葉が何よりも尊いものであることを如実に示している。

しかしまだ動けるなんて、ちょっと甘くて見てたかも。
さっさとバインドで拘束して、完全に動きを封じた方がいいか。
このレベルが相手となると、いくら士郎でもヤバいかもしれない。
さっさとこっちを片づけて、すぐにでも加勢した方がいいか。

私がバインドの準備をしていると、ユーノがなのはに治療系の魔法をかけている。
立ちあがろうと手をつきながら、赤いチビッ子は問いを重ねる。
「テメェら………管理局、か」
体にとてつもない力が加わっているにもかかわらず、話ができるのは純粋に驚きだ。
さすがに苦しいようで、その言葉はかなり途切れ途切れになっているけど。

その問いに、フェイトが律儀に答える。
「時空管理局嘱託魔導師、フェイト・テスタロッサ。
 民間人への魔法攻撃………軽犯罪では済まない罪だ。
 抵抗しなければ、弁護の機会が君にはある」
ただね、フェイト。その言い方だと、私までその嘱託魔導師ってのに勘違いされそうなんだけど。
私は別に、管理局の人間じゃないんだけどなぁ。

(まあ、せっかくの警告だけどこいつは聞かないでしょうね)
なんて思って、とりわけ強固に編んだバインドを使おうとしたところで、予想もしなかった事態になる。

ピシッ!!

そんな音が聞こえたかと思うと、結界の内側の床にヒビ割れが走る。
暗くてよく見えなかったが、結界の境目から内側は高重力のせいで陥没している。
特に、チビッ子とデバイスが潰れている部分はかかる負荷が大きいらしく、その陥没もより深い。

ヒビ割れは一気に大きくなり、そのまま“床”が抜ける。
「……は? う、うわぁああぁぁぁぁぁぁぁあぁ~~~~」
突然の事態に悲鳴を上げながら、チビッ子がデバイスもろとも奈落の底へ落下していく。
あ、周囲の壁に反射して、木霊みたいに悲鳴が反響してるわ。ドップラー効果のおまけつきで。
そのまま何かを突き破る音が数回、やがて一際凄まじい衝突音が響き、その後はうって変わって静かになる。

あちゃあ、力の加減を間違えたみたいね。
ビルの強度なんて気にしなかったし、加減をする余裕なんてなかったのは事実。
それに、中途半端なことをしたら逃げられたらだろう。
だから、これは事故よね、事・故。

とはいえ、あれを放ったらかしにしておくわけにはいかないか。
「上手いこと逃げられちゃったわね。
 私が追うから、ユーノとフェイトはなのはを頼むわ」
踵を返した私の背に、それはもう冷ややかな複数の視線がつき刺さる。
え~、え~、ど~せ私はうっかりしてますよ~だ。

「でも、凛。それなら、わたしが……」
「止めておきなさい。あれは今のアンタが一対一で手に負える相手じゃないわ。
 敵が一人とは限らない以上、アンタ達はまとまっておいた方がいい」
フェイトの提案は魅力的だけど、連中の数が把握できていない。

そもそも、戦闘に向かないユーノだけだと護衛としては心許ない。
だからもう一人くらい残っていて欲しいところだけど、それができそうなのは一人しかいない。
だけど、フェイトもこれくらいでは引き下がらず、代替案を出してくる。
「護衛はアルフも一緒なら大丈夫でしょ。
 一人でやるなんて言わないから、わたしも手伝わせて」
確かに、アルフならそれなりに安心して任せられる。てか、アイツいたのね。
それに、あれの相手を一人でするのが少し厄介なのは事実だ。
見る限り向こうもそれほど消耗してないみたいだし、二人掛かりならいけるか。

何より、フェイトから放たれる気迫が絶対に退かないと語っている。
友達を傷つけられたのが、よっぽど頭に来ているみたいね。
なにせ、この娘からすれば初めての同性の友達なのだから、無理もないか。
「はあ、わかったわよ。じゃあ、フェイトが前衛で私が後衛。
 私がアンタに合わせるから、普段通りにやりなさい。
ただし、あんまり深追いし過ぎんじゃないわよ。
アンタの役目は、攻撃が軽くなってもいいから『一撃離脱』を繰り返す事。いいわね」
「うん、ありがとう」
即席のコンビだが、これならそれなりに上手くやれるだろう。
フェイトのスピードならアイツを十分翻弄できるだろうし、私が後方から援護すればある程度フォローできる。
で、隙を見つけて魔術かバインドでとっ捕まえてやればいい。

問題があるとすれば、私が攻撃魔法にはほとんど手を付けていない事と、魔術の方は狙いが粗い事。
だけど、フェイトはスピードにモノを言わせたヒット・アンド・アウェイが得意。
なら、一撃入れて離れた時に攻撃すれば巻き込む心配はない。
そっちに専念して、フェイトの攻撃の威力が低くなっても問題はない。
その分は、私がフォローしてやればいい。

役割分担も決まったところで、アイツが外に出たらしく窓の割れる音がする。
重力操作は一定の範囲内でのみ作用する。
そうである以上、範囲外に出てしまえば負荷から解放される。
おそらく落下が止まったところで這い出てきたのだろう。
やっぱり、もう一度捕まえないといけないみたいね。

ああ、そういえば聞いておかないといけないことがあった。
「こっちに来たってことは、士郎の方はどうしたの?」
「士郎のところにはリニスが向かってる。
てっきり凛も向こうだと思ってたんだけど……」
なるほどね。
士郎の方に一人だけなのは、私も一緒だと思ったからか。
連絡がとれなかったのだから仕方がないけど、見事なまでに行き違いになったわけね。


だが、士郎の方にも加勢が行ったのなら一応安心できる。
今は目の前の敵に集中して、早いとこケリをつけてしまおう。
それが、一番士郎の助けになるのだから。

そう結論し、私とフェイトは今度こそ外に向かって飛び立った。



SIDE-士郎

凛がなのはの方へ向かって少し経った。
俺は相変らず例の蒼い犬こと、立派な犬歯を持つ狼と戦っている。
まあ、今は筋骨隆々で白髪の大男の姿になっているわけなのだが。

「おおおおぉぉお!!」
凄まじい気迫と共に繰り出される拳。
それを時に弾き、時にかわしていき決して触れさせない。
ただでさえ並みじゃないパワーがあるのに、その上魔力付与までされて数倍の攻撃力を持っている。
干将・莫耶の効果と外套以外の守りを持たない今の俺では、あんなモノをまともに受けたらただでは済まない。
数年かけてちゃんと鍛えれば話は別だろうが、この状況でそんな仮定に意味はない。

しかし、いつまでも受け身になっていては埒が明かないな。
凛に大見得を切った手前、情けない姿をさらすわけにはいかない。
怒涛の攻めの間隙を縫う形で、こちらからも急所目掛けて剣を振るう。
「ふっ!」
攻撃を裁いたことでできた逆胴の隙目掛け、干将を走らせる。
手甲でいなされるが、さらに莫耶を振り下ろす。

それを深く踏み込むことで、剣を振るう腕の軌道に自身の腕で滑り込ませ阻まれる。
干将を薙ぐことで振り払おうとするが、それも丸太の様な腕で止められる。
互いに押し切ろうと腕に力を込めるが、徐々にこちらが押されていく。
蹴りを放って仕切り直しをはかりたいところだが、それは百も承知のようで鋭い眼光で牽制される。
苦し紛れの蹴りでは、逆にこちらの体勢を崩すことになりかねない。

だが、このまま純粋な力比べを続けるのは分が悪い。
左腕に限れば力負けはしないが、それでも体重差があり過ぎる。
押し合いになれば勝ち目はなく、容易く体勢を崩される。
しかし、迂闊に退けば追撃されて不利になりかねない。
さて……どうしたものか。

そこで、奴の隆々とした腕の筋肉がさらに盛り上がる。
「ヌンッ!」
声と共に奴の後ろ足が地面を強く蹴り、その力を余すことなく腕に伝え俺を弾き飛ばす。

俺が着地する前に、奴の足元にベルカ式の魔法陣が展開される。
「テオラァァアァァー!」
雄叫びに呼応し、地面から数本の棘が突出してくる。
フェイトの様に電撃の類が付与されているわけではないので、直撃さえ受けなければ特に問題はない。
何度か掠めたりもしたが、これ自体に特殊な効果はないのだろう。

特殊効果があれば厄介だが、そんなモノは無いとわかっていれば怖くない。
手にした干将・莫耶で、突き出された棘を斬り倒していく。
しかし、着地したところで真横にある棘の影から殺気を感じる。

死角からの出現に反応が遅れる。
だが、体勢を低くしたアッパー気味の拳が繰り出されるのを眼の端で捕らえた。
即座にそちらを向きつつ、威力を殺すために僅かに飛びあがりながら刃を立てた干将を振る。
このまま左拳を潰す!

だが、敵も然る者。寸でのところで軌道が変わり、手甲と干将が擦れ合い文字通り火花を散らす。
それでもなお拳の勢いは衰えない。咄嗟に腕を盾にしてそれを防ぐが、骨に響く。
かなりの膂力で放たれたその威力は並ではなく、軽い子どもの体が宙に浮かせるのは容易い。

空を飛べない者にとって、空中は最悪の環境だ。
地に足がつくまで、できる行動が極端に制限される。
骨どころか内臓にまで響く衝撃に顔を顰めながら、状況を確認するべく吐き気を抑えて前を向く。

すると案の定、向こうもそのチャンスを見逃さずにたたみかけるべく、さらに踏み込んでくる。
同時に、先に放たれた拳でこちらの盾代わりにした腕を掴んで抉じ開ける。
そのまま腰を落とし、逆の拳を弓のように引き絞るのを見て血の気が引く。
死に体となった俺を睨み据え、地を踏み砕かんばかりの踏み込みが轟音を響かせる。

そうして顕わになった鳩尾目掛け、思い切り体重と踏み込みの反動を載せた正拳が繰り出される。
干将を持った腕は抑えられていて動かせない。
ならばと、莫耶を右腕に向けて横殴りに振り抜く。
しかし、右腕のスピードとこちらの体勢のせいで刃が切り裂く前に弾かれる。

だが、それは予想通りであり、こちらのねらい。
弾かれた反動を使い、空中で無理矢理身体を捻って狙いを外す。
その結果、脇腹を掠めるようにして必殺の剛腕は空を切る。

何とか回避したが、あまりの威力の為、服は引き裂かれ脇腹からは血が滲む。
それどころか、掠めただけにもかかわらず、内臓を持って逝かれた様な錯覚さえした。
こっちの鍛え方が足りないのもあるが、それを抜きにしたって恐ろしく重い拳だ。

アルフと同じ使い魔のようだが、有する経験・技量、全てにおいて上回っている。
時折出現する棘で死角を増やし、こちらがそれに対応している間に近づいてきて接近戦を仕掛けてくる。
だが、俺を倒すことに固執しないから厄介だ。
仕留め切れなければ躊躇せずに一端空中に移動し、そのまま結界に穴を開けようとする。

あくまでも目的は俺ではなく、凛かあるいはなのはなのだろう。
これは俺との戦闘はこいつにとってメリットがないからか、あるいはメリットが低いということを意味する。
さっきから幾度となく、この檻からの脱出を試みていることからも明らかだ。

地に足をつけ体勢を立て直している間に、改めて突破しようと空に向けて突っ込んでいく。
「させんよ!」
莫耶を大男に向けて大きく弧を描くように投げ放つ。
男が結界に到達する前に、莫耶が回転しながらその進路を塞ぐ。

それだけなら、僅かに今の場所にとどまって莫耶をやり過ごせばいい。
だが、干将・莫耶は互いに引き合う性質をもつ。
干将と引き合わせると、莫耶は突如進路を変え男に向かって飛来する。

物理的にありえない動きに対する、一瞬の驚愕。
だがすぐさま乱れた心を立て直し、真正面から飛来する剣を難なく回避する。
その隙に、出力を絞って小型化させた魔法陣を足元に展開し足場の代わりにする。
足とほぼ同じ大きさの階段を駆け上がり、男に接敵する。

強度に自信がないので、踏んだ瞬間に壊れないか冷や汗ものだ。
それにしても、魔法陣こそ出ているが一切魔法を使っていないのだから、我ながら情けないモノがある。
だが、リンカーコアが貧弱な俺としては、そう魔法を乱発するわけにはいかない。
要所で魔法陣を展開して足場の代わりにしているが、それ以外の魔法は極力使用しない方針だ。
そうでないと、あっという間に魔力切れになってぶっ倒れてしまうからなぁ。
これだって、回数はそう多くとれないのだ。

頭の片隅でそんなことを考えつつ、男が回避した莫耶を回収し思いきり跳躍する。
「はっ!」
飛び上がった場所は、ちょうど男の頭上。
体の捻転を使い、回し蹴りの要領で渾身の蹴りを放つ。

男はそれを、頑丈そうな手甲で防御する。
「ぐぉ!?」
しかし、魔力で脚力を水増しされた蹴りを受け切ることはできなかった。
踏みとどまろうとするも、剣を回避したことで体勢が崩れており、地に向けて弾き飛ばされる。

支えを失った俺は自由落下するが、落下しながらも干将・莫耶を投擲する。
左右から挟撃する形で迫る双剣を、半歩分下がることでかわす。
双剣は、目標を見失ったように彼方へと消えていく。
その隙を狙い、さらに追い打ちかける。
「『停止解凍(フリーズアウト)、全投影連続層写(ソードバレル・フルオープン)!!』」
男の真上に、回路に待機させていた七本の剣を投影し射出する。
さすがにこれだけではいつまでも抑えきれないが、次の行動に出るまでの時間稼ぎには十分。

投影したのは宝具ではなく新鍛の魔剣、防御魔法を貫くことはできずに防がれる。
だが、その衝撃まで殺しきれず地面に向かって再び吹き飛ばす。
そのまま地面に突っ込むほど鈍重ではないようで、男は空中で反転し片膝をつきながらも着地する。

俺自身は着地すると同時に接近戦に持ち込むべく地を蹴り、一気に距離を詰める。
同時に、干将・莫耶を再度投影して男へ袈裟掛けに斬りつける。

空に上がる前に斬りかかったことで、再び同じ土俵に引きずり込むことに成功した。
数度目の地上での接近戦へと移行し、つかず離れずの間合いを維持しながら剣を振るう。
完全に密着してしまえば素手である男の方が有利だが、離れ過ぎればまた飛ばれる。
ギリギリの中間地点を見極め、そこで剣を振るう。

作った隙を突く拳を弾き、こちらも剣を振るうが半歩下がってかわされる。
かわした勢いをそのままに回し蹴りが来るのを、僅かに屈んでやり過ごす。
蹴った足が地に着く前に反撃に出ようとするが、倒れ込む様にして頭上から肘が来る。
出鼻を挫かれたことで、前傾姿勢になりながらも腕を交差させて防ぐ。
この体勢では蹴りが届かない以上、できることは上から体重をかけるデカブツを押し退けるだけ。

そう判断し、震脚の反動も使って押し退ける。
ズンッ!!
そんな音を響かせながら、足元に生じた力と膝から腕にかけての筋力を総動員して奴を押し返す。

その勢いで奴の姿勢が僅かに仰け反り、そこを狙って胴を薙ごうと接近する。
しかし、その直前で唸りを上げる膝が顎に迫っているのに気付く。
それを半身になってやり過ごし、そのまま莫耶で薙ぐ。
剣を振るう腕を捕られ、勢いよく肘が降ろされる。
当たれば、確実に腕を折られるだろう。

そう、当たればの話だが……。
「ふむ。まさか、この程度で捕ったと思っているのかね?」
それに対し、柔術の体捌きに似た動きで重心の真下に入り込む。
そのまま、捕られた腕を上方へ突き上げることで奴の体が浮く。
体が浮いたことでバランスが崩れ、振り下ろされた肘は空を切る。

その隙を逃さず足を払い、完全に奴の体を地から離す。
追い打ちをかけるように干将で斬ろうとするが、スピードが乗り切る前に腕を掴まれ止まる。
しかし、それだけでは終わらない。
宙で死に体となった奴の体を捕られたままの両腕で操作し、天地をひっくり返す。
「ぬぉ!?」
このまま腕を捕り続けるのは危険と判断したのか、奴は即座に手を離そうとする。

だが、すでに遅い。
「そら! 捕られたのは貴様の方だ!!」
その言葉と共に、アスファルトの地面目掛け渾身の力で頭から叩き落とす。


この技の原型は、昔ルヴィアに習ったパイルドライバー。
それを発展・応用し、さらにいくつか御神流の技術を組み込んだ。
重心の下への入り込み方や技をかける直前の体勢を操作などがそれに当たる。
御神流は小太刀二刀以外にも、体術や投射術・縛糸まで使う幅の広い、また殺人術の面を色濃く残す流派。
いい加減恭也さんから逃げるのも限界だったし、腹を括って学べることは学ぶことにしたのだ。
その結果、技後の隙がなくなり、なおかつ殺傷性や応用性も上がっている。

それが、夏に忍さんの奸計で恭也さんと勝負をする羽目になったころのこと。
あの後恭也さんに提案し、士郎さん協力の下一連の流れを組み上げた。
それを初めに恭也さんが三日で会得し、次に俺が教えを受ける形で習得までに一月かかった。
まあ、俺は覚えが悪いので、文字通り体の芯に叩き込まれたのだが。

ただ、問題なのはその内容。
凛もルヴィアも十分加減を知らなかったけど、あの人たちはその上を行く。
なんでなのはが御神流を習えなかったのか、その理由がよーーーく理解できた。

なにせこれ一つ覚えるのに、失敗する度に復習という名目で技をかけられたのだ。
そのため、打ち身になること数知れず。捻挫や脳震盪を起こすこと数百回。受身を取り損ねた挙句、床板をぶち抜いて陸版犬神家になること数十回。
習い始めたその日から、モグラになる悪夢にうなされて飛び起きる毎日だった。

人の数倍頑丈で回復の早い俺でなかったら、間違いなく三日で死んでたぞ。
アレは相手が俺だったからなのか、それとも誰に対してもそうなのかは聞きたくない。
しかし、こうして役に立ったのだから、手を出して正解だったということか。


そんなことを再確認していると、手応えが妙なことに気付く。
アスファルトへ向けて、勢いを付けての脳天からの落下だ。
途中で手を離された分若干威力は落ちたが、それでもなお常人なら容易く死ねる一撃。
だが、これくらいやらないとダメージさえ期待できない相手なのだから、加減など一切していない。
戦闘不能とまではいかなくても、それなりにダメージになっていてほしいところだが……。

しかし、結果は期待していたモノとは全く違うモノだった。
受身を取られ、決定打どころかたいしたダメージにもなっていない。
よくもまあ、あの体勢から受身をとれるものだ。まるで曲芸じゃないか。
その見事さに思わず感心してしまいそうになるが、こちらとしてはたまったモノじゃない。

だが、それでもまだこの体勢は俺が有利。
トドメとばかりに双剣を交差させるように斬りかかる。
だが奴はそれを避けるのではなく、剣が届く前に骨を叩き折らんばかりの足払いを放つ。
バックステップでかわすと、蹴りの勢いを利用して向こうも起き上がる。

少し下がったが、ここはまだ間合いの内。
「おおぉ!!」
丸太の様な腕が突きだされ、それを干将で弾く。
奴としては、どうにかしてもう一度空に出たいはずだ。
だが、こちらとしてはそれをさせたくない。
この間合いを崩されないよう、あえて前へと踏み込み威力が乗る前に捌き続ける。

意図的に作った隙に放たれた拳を弾くと見せかけて、半身になることでかわす。
それにより僅かに体勢が前のめりに崩れ、立て直そうと足を出す。
「ヌルイ!」
その隙を突き、干将を手甲の継ぎ目に当て進行方向に向けて押す。
同時に、バランスを保つために出した足を蹴り払う。
自分以外の力が加わったことで、大きくバランスが崩れ男はつんのめる。

体勢を整える前に、目の前にある剛腕に向けて莫耶を振り下ろす。
斬り落とさないように僅かに浅くし、ただし深手を与えて腕を封じようとする。
それに対し、男はベルカ式特有の三角形のシールドを展開して防ぐ。
張られた楯はかなりの強度を有し、半ばまで切り裂いたところから剣が重くなる。

ギシッ

「はっ!!」
チャンスを逃すまいと、渾身の力を込めてシールドを断ち切る。
だが、完全に真っ二つにするころには男はその場からの離脱を終えていた。
おかげで、振り下ろした莫耶は虚しく空を切り、地を斬りつける。

格が低い方とはいえ、仮にも宝具である莫耶を防ぐなんて、どういう強度をしてるんだ。
完全に不意を打ったはずなのに、それでもなおこの強度。
こっちがパワー不足なこともあるが、生半可じゃない硬さだ。
防御魔法に限れば、なのははどころかユーノよりも上かもしれない。
万全の態勢で作ったものだったら、一体どれほどの硬さになるんだ……。

もし完全に守りに徹されたら、相当格の高い宝具でないとあの守りを破るのは難しいかもしれない。
そうなると、殺さずに済ませるのはかなり困難になる。
出来れば背後関係なんかも聞き出したいところだし、生け捕りにして情報が欲しい。
仲間の数、行動の目的、襲撃が今回限りとは限りない以上、そういった情報は欠かせない。
おかげで、思い切った攻撃ができない。

対策を講じていると、今度は男の方から仕掛けてくる。
(全く、考え事くらいさせろってんだ!)
受け身になるわけにもいかず、こちらも応じる形で前に出る。

ビキィィッ!

だが、それは誘いだった。
俺が飛び出したところで、異音が響き男は急ブレーキをかける。
「っ!!」
踏み出した足の真下の地面が割れ、そこから先ほどの棘が突き出す。
嵌められた! これでは、回避するだけで精一杯。
とてもじゃないが、この体勢では他に向ける余裕はない。
仮に何とか回避しても、まだあの男がいる。
体勢が崩れた隙を突き確実に仕留めに来るか、あるいは離脱を試みるだろう。

それに対し、咄嗟に干将を放り投げ内なる幻想を炸裂させる。
「ちっ、『壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)!』」
可能な限り小さくした爆風によって体を吹き飛ばし、棘から逃れる。
目の前で剣が爆発すれば、如何に屈強な戦士でも驚きが生じるだろう。
その驚きが、こちらの体勢を立て直す隙になる。

爆発の余波でゴロゴロと地を転がるが、大急ぎで軋む体に鞭打って起き上がる。
本来なら干将・莫耶を装備している者には対物理・対魔術の効果がある。
だから、この程度の爆発ならそれほど問題はない。
だが、いま俺の手にあるのは莫耶だけ。
これではその恩恵は得られない。
干将・莫耶は、両方揃って初めて意味を成す宝具だからだ。

だが、あの程度の爆発でせっかくの好機を見逃してくれるほど敵も甘くなかった。
一瞬驚いたようだが、すぐさまトドメを刺し来る。
「はあぁぁあぁ!!」
真上から響く裂帛の気合が、爆発の衝撃に軋む体を打つ。
この好機に、奴は離脱ではなくトドメを選択した。
離脱しようとして追われるくらいなら、ここで潰した方が確実と判断したのだろう。

不十分な体勢では、体重とスピードの乗った踵落としを捌き切れないと判断する。
その上、踵の真下にはシールドが張られ、斬撃への対策もされている。
このままシールドごと蹴り潰す気か。

右手の莫耶を強く握り、さらに左手で支えながら受ける。
「ぐぅ……!」
尋常ではない威力を持った蹴りを受け、かかる圧力に呻きながらも何とか耐えきる。
結果、アスファルトにはヒビが入り、僅かに足型のへこみができていた。

男は一端着地し、地を蹴って拳を構える。
直前で強く地面を踏み、その爆音と共に全体重と反動を拳に乗せる。
「つぁっ!」
莫耶が間に合わない。追撃をかけてきた重い拳を、腕を交差して防ぐ。
渾身の力が込められた突きに押され、数メートル後退する。

それ以上の追撃はない。攻め手を変えるのか、それとも……。
コンディションをチェックしながら、間合いが開き過ぎないように距離を詰める。
幸いにも深刻なダメージはない。
あとは、痛みを無視すればとりあえずは問題なく動かせる。

場の停滞を利用し、乱れた息を整えながら横眼で周囲の状況を確認してみる。
良く見ると、道路や隣家の塀などが戦闘の余波で半壊しているのがわかる。
ところどころ屋根や壁に穴が開いているのは、たぶん俺のせいだろうな。
これ、結界が解けた後で元にもどったりするんだろうか。
弁償なんてしたら、確実に我が家の家計が破綻してしまうぞ。

緊張感が緩まることはないが、お互いに警戒しながら出方を窺い、間合いを計りあう。
俺の目的が足止めである以上、この一種の膠着状態は狙い通りではある。
だが、この天秤はいつ向こうに傾くか分からない。
ほんの一瞬の油断でも奴は見逃さず、その僅かな時間で脱出を果たせる。

だが、逆にこちらに天秤が傾く可能性はかなり低い。
向こうは決して深追いしてこないし、無理に倒そうともしてこない。
チャンスがあれば先程の様な攻めもするが、それでもその戦い方は堅実だ。
おかげで、なかなか奴は安全ラインから先に踏み込まない。
天秤を引き寄せるには、強力な攻撃か魔法の使用が必要なのだ。

リスクを秤にかけ、選択するに足るリスクか思案する。
答えは………
「やはり、仕留めるか」
呟くようにして、意を決する。
つい先ほど、あまりのんびりしていられない事情ができたのだ。

さっき凛から送られてきた念話だと、なのはは相当な劣勢。
いや、たった今良いのを入れられて負けそうらしい
この男と戦っていれば納得だが、あまり消耗や負傷は期待できないようだ。

となると、凛はほとんど一人でそいつの相手をしなければならなくなる。
それも、「なのはを守りながら」だ。
なのはの成長のために様子を見ることにしたが、それが逆に仇になったか。
厄介そうなら転送すると言っていたが、それをする暇もなければ意味がない。

なら、結論は一つ。
早急にこの男をどうにかして、凛のもとへ向かわないと。
「すまんな、こちらも事情が変わってね。すぐにでも退場してもらう。
 あまり加減ができんのでな、全力で防御しろ。運が良ければ、重傷程度で済む」
莫耶を破棄し、奴の守りを破る武装を検索する。

イメージするのは、特に鮮烈な印象を与えられた剣の師、彼女の武装の一つ。
ただし、今回使うのは湖の精霊から授けられた神造兵装ではなく、彼女の手から永遠に失われたはずの剣。
アーサー王伝説の始まりとも言うべき「勝利すべき黄金の剣(カリバーン)」。
権力の象徴としての意味があり、武器としての精度はエクスカリバーには及ばないがそれ故に負担も少ない。

それに、あれほどの威力がないからこそ加減すれば目の前の敵を殺さずに倒せるはずだ。
それも奴の防御力次第ではあるが、あの堅さなら上手くいくだろう。
妙な話だが、お前のその堅牢さを信じさせてもらう。

回路への装填を終え、イメージを現実に投影させるべく呪文を唱える。
「……『投影、開始(トレース・オン)』」
僅かな発光と共に幻想は形を得て、俺の手に一振りの剣が顕現する。
比較的頻繁に使う部類に入る宝具だけに、干将・莫耶ほどではないが完成までにさほど時間はかからない。
手に伝わる重さが、こいつの投影にだいぶ慣れてきたことを実感させる。

華美な装飾が施された黄金の剣は、煌びやかさと同時に溢れんばかりの魔力を纏っている。
それを見た男は、俺が新たに手にした剣が見かけ倒しでないことを看破したのか、警戒の色を強める。
同時に、こちらがこの一撃で勝負を決するつもりであることを悟る。
腰を低くし、全身の力を溜め込んでいくのがわかる。
奴も、これに真っ向から受けて立つ覚悟のようだ。

互いに隙を探りながら、仕掛けるタイミングを計る。
数秒の睨み合いの後、砕かれた壁の一部が落下する音をきっかけに先手必勝と俺の方から打って出る。
それとほぼ同時に、奴も力強く大地を蹴り渾身の一撃をたたき込むべく疾駆する。

走りながら剣を上段に構え、奴を倒すのに必要な魔力を込めていく。
射程距離が目前に迫り、地を踏み砕かんばかりの勢いと共に最後の一歩を踏みこもうとする。

パキィィィィン!!!

だがその寸前、天からガラスが割れるような澄んだ音が鳴り響く。
同時に目の前を紅蓮の炎が通過して行き、機先を制され反射的に飛び退く。
「なんだ!?」
炎の出所を探そうと空を仰ぐと、砕かれた結界がガラスの破片のようになって降り注いでいた。
舞い散る破片は月の光を反射し、幻想的な光景を作り上げる。
落下する破片も、数秒と立たずに地に触れることなく消えていく。

そして、露わになった夜空にそいつはいた。
威風堂々と言う言葉が似合う、ピンクの髪をポニーテイルにした一人の剣士。
その体から溢れる闘気は炎を連想させ、同時に不倒を思わせる。

何よりも俺の目を引いたのは、その瞳。
その眼は、俺のよく知る人物のそれと、とても…とてもよく似ていた。
瞳の奥に強い意志と覚悟を宿し、それ以上に高潔な精神を写している。
かつて共に戦った、剣の師と同種の眼。
ただし、身内贔屓かもしれないが質の上では及ばないとも思う。

だが、剣士の姿を見たとき、確かに俺は幻視した。
始まりの夜、俺を紅い閃光から救ったあの時の光景を。
地獄に落ちたとしても忘れないと思ったあの時の光景を、かつてないほど鮮明に思い出したのだ。

その剣士は、凛としたよく通る声で男に語りかける。
「どうした? ザフィーラ。
 お前が手古摺るなど、珍しいこともあったモノだ」
「すまん。この男、見た目こそ幼いがかなりの手練でな」
やり取りからすると、剣士はこの男をかなり高く評価しているらしい。
そういえば、それまでは気合などばかりで、ちゃんと男が言葉を発するのを聞いたのは初めてだな。

とはいえ、アレだけの力と判断力を持っているのなら、この剣士の評価も当然か。
目の前のことに固執しない冷静さ、チャンスを見極める勘の良さは、俺自身厄介だと感じていたことだ。
その上、あの防御力だ。味方だったら、さぞ頼りになることだろう。
だが、風貌からあの剣士がマスターかと思ったが、どこか違う印象を受ける。

ザフィーラと呼ばれた男の言葉を聞いた剣士は、興味深そうに俺を見る。
「ほう、お前にそこまで言わせるか。
 こんな時でなければ、是非とも剣を交えてみたかったが、残念だ」
その言葉には、本心から俺との戦いを惜しんでいる響きが感じ取れた。
初対面だが、ああいうタイプはよほどのことがなければ嘘はつかない。俺の剣の師がいい例だ。
それだけ評価してもらったことを喜ぶべきか、それとも初めは低く見られたことを怒るべきか。

「ヴィータの援護に向かうぞ。
詳しい状況はわからんが、並外れた魔力を保持した者が一人、それには劣るがそれなりの者が一人いる。
 糧とすれば、かなり埋められるはずだ」
どうやら、狙いはより多くの魔力を保持している者らしい。
なんでそんな人間を狙うか分からないが、剣士の言う二人が誰を指すかは明白だ。
確かに、そっちに比べれば俺にかまっていても仕方がないだろう。
後半部分は不可解なところばかりだが、あまりいい話題ではなさそうだ。

もちろん、檻が壊れたからと言って、何もしないわけにはいかないし、そのつもりもない。
「行かせると、思っているのかね?」
剣を構えなおし、威嚇するよう二人に殺気をぶつける。
この程度で怯んでくれれば楽なのだが、その様子もない。
やはり、これまた難敵のようだ。
だが、迂闊に背を見せられない相手くらいには認識してくれたようで、その眼に油断はない。
このまま足止めしたいところだが、そう上手くいくか……。

そこで、ザフィーラと呼ばれた男が先ほどの俺の言葉に応える。
「これまでの戦いで貴様の力はある程度わかった。
 まだ底を見せてはいないようだが、我ら二人を同時に相手にするのは分が悪かろう。
貴様とて、それはわかっているはずだ」
その通り。
正直、一対一ならともかく、二人同時に相手をするのはかなり不利だ。
出来ないこともないが、その場合俺が負けるか、二人の死で俺の勝利となるかの二択。

なにより……
「貴様には空戦ができん。少なくとも、そのような素振りはなかった。
ならば、檻がなくなった今、我らを捕らえておく術があるか?」
そう、さっきまでは結界があったから何とか引き留めておけた。
アレを壊そうとする一瞬の間があったからこそ、空戦のできない俺でも足止めができていた。

だが、それがなくなった今、二人の行く手を遮るモノはない。
俺が止めようとしても、確実に一人は離脱できる。
連携などされたら、それこそ二人とも逃げるのは難しくない。

しかし、それでも妨害や手傷を負わせるくらいはできる。
奥の手も含めれば、苦しくはあるが足止めは十分可能。
「だからと言って、やすやすと行かせるわけにはいかんのだよ。
 私は、パートナーにこの場を任されているのでね」
アレだけの大言を吐いたのだ。
凛の期待や信頼を裏切るようなマネだけはできない。
俺たちにとって、互いへの信頼こそが何にも代え難い大切な宝なのだから。
それに泥を塗るようなマネ、できるはずがない。

そんな俺を見て、剣士の眼に好意的な光が生まれる。
「良い眼をしている。
仲間の信頼に全身全霊で応え、勝ち目が薄いとわかってもなお使命を全うしようとする、その気概は見事。
 若き騎士よ、名は」
「お褒めに預かり光栄だ。しかし、生憎と騎士などという柄ではないのだがね」
剣士からの惜しみない讃辞に皮肉気な笑みで応じ、その言葉を否定する。
確かに「アーチャー」は三騎士のクラスではある。
一応「エミヤ」はそれに該当するので、俺も騎士と言えなくはないかもしれない。

だが、俺が前の世界でやってきた所業を思えば柄ではないにもほどがある。
暗殺やテロ紛いのことを散々やってきたのだから、どちらかというと対極の部類だろう。
かつて出会った騎士たちは、タイプは様々だが俺などとは比べ物にならない位に気高く高潔だった。
彼らと同じ「騎士」という呼び方をされるような資格があるとは、到底思えない。
ただ、もしセイバーがこれを聞けば喜んでくれただろうか……。

そんなこちらの心情など気にせず、僅かに笑みを浮かべながら剣士は俺の言葉を否定する。
「謙遜することはない。私がお前に騎士の誇りを見たというだけだ。
 それに、騎士は柄でやるモノではない。
 騎士とは外見ではなく内面、心の在り方を指すのだからな」
俺の場合、その在り方こそ騎士らしくないってのに……。
はあ、こいつも自分でこうと決めたらテコでも動かない類の人間か。
これ以上俺が何を言っても、絶対に前言を撤回しないな。
それこそ、俺がこいつの評価を覆すほどの「何か」をしない限り、この評価が改めることはないだろう。

まあ、ここまで評価してもらって悪い気がしないのは確かだな。
「衛宮、衛宮士郎という。
 本来先に名乗るのが礼儀だろうが、今からでも名乗ってもらえないかね。
 それとも、私はそれに値しないのかな?」
名は隠すべきなのかもしれないが、あいつを思い出させるこの剣士に嘘をつきたくなかった。
それにこの世界で名前を使って呪詛をかける術者なんていないし、それほど警戒しなくてもいいだろう。
顔を見られている以上、調べればわかることだ。

そんな俺の指摘に、律儀に頭を下げる。
「衛宮か。そうだな、無礼を許してもらいたい。
 私はベルカの騎士、ヴォルケンリッターの将シグナム。そして我が剣、レヴァンティン」
やはり見た目から受けた印象通り、清廉潔白を旨とする騎士のようだ。
俺自身はどうやってもこういうタイプにはなれないが、その分こういう奴は好きだな。

しかし「レヴァンティン」、もしかして北欧神話の「レーヴァテイン」のことか?
解析するまでもなく思いっきりデバイスだし、その故事に倣ったんだろう。
だけど、次元世界に北欧神話って流れてるのか?
向こうからすれば、辺境の魔法文化さえない世界の一地方の神話でしかないんだぞ。

いや、次元世界の神話に出てくる剣の名前とか出されてもサッパリだけどさ。
そういう意味では親切なのか? 何の意味もないけど。
だが、なんでまたそんなマイナーな名前を……。
俺たちにとってはメジャーな名前だが、次元世界から見ればマイナーどころの話じゃないはずなんだがなぁ。

閑話休題。
思い切り思考が逸れてしまった。
邪魔が入ったのもあるが、呆れている場合じゃないし気を引き締め直す。

そういえば、こいつ「ベルカの騎士」とか名乗っていたな。
ということは、こいつもベルカ式の使い手か。しかも、見る限り俺などとは違って正統派の。
「では、この場はこれで退かせてもらおう。
 再びまみえることがあれば、その時こそ手合わせ願いたいモノだ」
「行かせない、と言ったはずだがね。
 それに、目前の敵に対して背を向けるなど、騎士にあるまじき行為だと思うのだが?」
弓を投影し、使い所を外してしまった剣を番えて牽制する。
距離がある上、相手は空。普通に構えるよりかは牽制になるだろう。
矢として加工はしていないが、それでも射るくらいはできる。

俺の挑発に対し、シグナムは僅かに苦笑を浮かべる。
「………ふっ、耳が痛いな。だが、挑発には乗れん。
たとえ恥だとしても、それでも行かねばならんのだ!
 レヴァンティン!!」
《Explosion》
シグナムの持つ剣が弾丸を装填し、その魔力を爆発的に引き上げる。

そして、俺はその弾丸の正体を知っている。
「それは、カートリッジか!?」
やはり、カートリッジ・システムを積んでいたか。
だとすると不味い。この攻撃は、生半可な威力ではないはずだ。
カートリッジは、たとえ一発でも相当な力を与えると聞いている。
実際に試した経験はないが、下手な対応をすれば命取りになる。

レヴァンティンと呼ばれた剣が炎を纏い、天高く掲げられ振り下ろされる。
「燃え上がれ!!」
その言葉のとおり、振り下ろされた切っ先から放たれ壁となった豪火が地を飲み込む。
俺もそれに飲まれる形となり、聖骸布を強化しつつカリバーンを射る。
豪火の壁は剣に貫かれ、その穴目掛けて弓と外套を盾代わりにして突っ込む。

開いた穴は小さく、突っ切りながらも炎と熱が服と肌を焼く。
穴が小さいのは仕方がない。
アレにはカラド・ボルグほどの周囲への干渉力はない。
威力が劣るとかいう問題ではなく、武器の性質としてそうなのだ。
同じ銃器でも拳銃とライフルでは、それぞれ異なる適所がある。
遠距離狙撃で拳銃が使いものにならないからと言って、それが欠陥品と言うわけではない。

しかし、この場において不向きだったのは否めないか。
腕で顔をかばいながら突っ切るも、周囲の熱は容赦なくこちらの身を炙る。
少なくとも、カラド・ボルグならもっと楽に突破できただろう。
まあ、今更そんなことを言っても意味がないのだが……。

もっと安全な方法もなくはない。
だが、こうして突っ切れば被害は少ないし、何より逃げられるわけにはいかない。
安全のために大きく避ければ、その分逃げる隙を生むことになる。

けれど、俺のその行動は徒労に終わる。
炎を抜けた時、すでに空に二人の姿はなかった。
放った剣は彼方に消え、手応えがなかったことから当たってはいないだろう。
イメージを見出すことなく苦し紛れに放ったようなものなのだから、これはある意味当然。

あの炎は、俺の眼を眩ませる為の囮でしかなかった。
後ろを振り返れば、そこには塀や樹に焦げひとつない元の静かな(半壊した)町並みだけがあった。
ちゃんと熱量も調整し、無用な被害を出さないようにしたのだろう。
目晦ましだとわかっていたにもかかわらず、見失ってしまった俺の落ち度だ。
口惜しさから歯噛みし、握りしめた拳の中で爪が食い込む。
唇と掌からは一筋の血が流れ出し、顎と拳を伝って地に滴り落ちる。

しかし、悔やんでいても状況が良くなるわけじゃない。
向こうには凛となのはの二人だけ。
引き換え、敵はヴィータというのに加えさらに二人増える。
確固撃破の為の布陣だったが、完全に裏目に出た。
ここでのんびりしている時間はないのだ。
手に持つ弓を消し、少しでも身軽にして急ごうとする。

だが、人生そう悪いことばかりじゃないらしい。
「士郎! 無事ですか!」
目の前に魔法陣があらわれたかと思う、そこから帽子を被った妙齢の美女があらわれる。
真面目そうな顔立ちは整っているが、今そこには焦りの色がある。

そして、その顔には見覚えがある。
何度かフェイトからのビデオメールで、俺たち専用に届けられたビデオに彼女が写っていた。
「リニス!? だが、どうしてここに? 君は今、フェイト達と一緒だったはずではなかったか」
そう、現在凛の使い魔をしているリニスだが、今はまだフェイトに付き合って向こうにいるはずだ。
近々フェイトがこっちに来ることになっていたし、それに合わせて凛のもとに戻る予定だった。

俺の疑問に、リニスは手短に答える。
「フェイトの裁判が終わり、その旨をなのはさんに連絡しようとしたら繋がらなかったので、それで……」
異常があることに気付き、大慌てで駆けつけたってところか。

リニスは周囲の状況を確認にしながら、自分たちの行動について説明する。
「なのはさんの方には、フェイトやアルフの他にユーノ君も行っています。
 この様子だと、凛も向こうにいるんですね」
「ああ」
おそらく、俺達に比べ戦闘能力の低いなのはの方に力を注いだのだろう。
結果として、向こうに戦力を集中できたのは運がよかった。
フェイト達もいるなら、すぐに全滅なんてことにはならないはずだ。

とはいえ、ゆっくりしていられる状況じゃない。
凛ならアイツら一人一人とも対等に戦えるだろうけど、他のみんなじゃ分が悪すぎる。
半年前から成長しているだろうが、いきなり敵のレベルが上がり過ぎだ。
なのはの状態もわからないし、早く行くに越したことはない。
幸い、リニスが来てくれたおかげで俺の機動力の低さがカバーできる。

だが、その前にすべきことがある。
上手くいけば、これで目の前の脅威を退けることだってできるのだから。
「士郎?」
一向に動こうとしない俺に、リニスが眉をしかめる。

それを気にせず、呪文を紡ぐ。
「『投影(トレース)、開始(オン)』」
ゲイ・ボルクを投影し構える。
そのまま一気に魔力を注ぎ、準備を整える。

「一体、何を?」
「フェイト達がいるのなら、クロノ達も近くにいるのだろう?
ならば、先に結界を破壊する。そうすれば、救援も送りやすいはずだ。
それに、結界がなくなれば連中も撤退するかもしれん」
俺の言葉にうなずき、肯定の意を示す。
このあたりの異変に気付いたのなら、管理局も動いているはずだと思ったがやはりか。
なら、この結界がなくなればもっと規模の大きい増援を期待できる。
俺達が直接向こうに向かうより、そっちの方が現実的な手段だろう。

結界破壊の主な手段は三つ。
一つは基点となる箇所を破壊する事だが、どうもここからでは距離があるように感じる。これではあまり現実的とは言えない。
もう一つは特殊効果による結界機能の完全破壊だが、そんなモノは俺の手持ちにはない。なのはの新型SLBならできるが、結界破壊向きの武装なんて持っていない。
ルール・ブレイカーにしても、基点に突き立てなければ意味がない。

となると、最後の一つ。維持できないくらいに結界そのものを破壊する事だ。
これには一撃の威力より、効果範囲こそが重要。そのため、使うなら対軍か対城宝具が望ましい。
事実、さきほど射った「勝利すべき黄金の剣」では、効果範囲が狭すぎて結界を貫通するだけに留まっている。
カラド・ボルグなら少しは効果範囲が広いが、それでも似たようなものだろう。

だからこそのゲイ・ボルク。
伝説に曰く。その槍は、敵に放てば無数の鏃をまき散らしたという。
ただし、今回はいつもと違う使い方をする。
伝承では、本来クー・フーリンはゲイ・ボルクを足で蹴って使用したと言う。
上方向に飛ばすのなら、普通に投げるよりこちらの方が向いている。

魔力を注ぎ終え、残すは真名の解放だけとなった槍の穂先を上に向け、軽く投げる。
軽い助走の後、強化した足を振りかぶり、真名と共に渾身の力で蹴りあげる。
「『突き穿つ(ゲイ)――――死翔の槍(ボルク)』!!!」
とても蹴っただけとは思えない速度で槍は飛翔し、結界に目掛けて夜空を翔る。

槍が結界に到達すると、轟音とともに空に閃光が発生する。
一瞬、昼夜が逆転したかの様な光が辺りを照らすが、それもすぐに治まる。
光と共に結界も消え失せ、残ったのは静寂な夜………のはずだった。
「これは!?」
隣にいるリニスの口から、驚愕の声が漏れる。
当然だ。今まさに消え失せたはずの結界が、1秒と経たずに復活したのだから。
俺だって今目の前で起こった事態には思考が付いていけない。

だが、すぐに事態を理解する。
「ちぃ! やられた。これも想定の上と言うことか」
答えは単純にして明解。壊されたのなら、また作ればいい。
改めて張り直したのか、それとも壊れたら作り直されるように設定していたのかは不明だが、そういうことなのだろう。
連中は、俺が結界を破壊しようとすることさえ織り込み済みだったのだ。

「もう一度、破壊しますか?」
「…………いや、それはできん。あと何度壊せば終わるのか分からない。
 次で終わりかもしれんし、十回必要かもしれん。
 試すには……リスクが高すぎる」
まんまと魔力の無駄遣いをしてしまった自分の不甲斐なさが許せなくて、声が震える。
さっきカリバーンにだいぶ魔力を使っちまったし、真名開放はあと一回が限度だろう。

次で終わればいいが、そうでなければ事実上の戦線離脱になる。
凛からの魔力供給があれば別だが、今まさに戦闘中なのに持っていくのは不味い。
凛も二人分の魔力消費となれば遠からず限界が来てしまう。
そんな危険を冒すわけにはいかない以上、結界破壊は断念せざるを得ない。
魔力供給は、本当にギリギリの時に使う最後の手段だ。
現状、クロノ達が一刻も早くこいつを何とかしてくれることを期待するしかない。

となると、今できることは一つか。
「リニス、頼めるか」
「もちろんです。私はお二人に仕える身。如何なるご命令にも従います」
そんな仰々しく、頭を下げなくてもいいんだがな。
凛はともかく、俺がそんなことをされても分不相応だろうに。

しかし、今はそんな話は後回しだ。
「感謝する。では、凛たちのところまで運んでくれるか」
「はい!」
一切の迷いのない、明瞭かつ簡潔な答えが勝ってくる。

リニスは俺を両手で抱え、早速空に飛び上がる。
こうして誰かに抱えられて運ばれるのも久しぶりだが、珍しい空の散歩を楽しむ余裕はない。
背中や首筋に当たる感触はこの際無視だ! 今はそれどころじゃない。

リニスは、さすがにフェイトの師だけのことはある。
フェイトには及ばないが、フェイトやプレシアに共通する得意分野「早く動くこと」をしっかり受け継いでいる。
その移動スピードは、人一人抱えていながらかなりのモノだ。

いや、ここからさらにペースが上がるとは思ってなかったけど。
「ソニック・ムーブの連続使用で、可能な限り速く向かいます。
 ただ、決して安全ではありませんし、速い分苦しいので気を付けてください」
つまり、事故の危険性が上がり、空気の抵抗やらなんやらで苦しくなるってことか。
後は、乗り物酔いっぽくなりやすいのかもしれない。

だが、それで早く着けるのなら望むところだ。
しかし、一つ気になることがある。
「病み上がりの体でそんなことをして、君は大丈夫なのかね?」
そう、リニスはほんの半年前までロクに歩くこともできなかった。
いくら使い魔がいろいろ融通のきく体とはいえ、それでも相当に苦しいんじゃないだろうか。

「……………確かに大丈夫とは言い切れませんが、今ならそこまで酷いことにはならないと思います。
 ですけど、おそらく着いた時に私にはそれほど力は残っていないでしょう。
 足手纏いになるかもしれませんが、それでも間に合わないよりはずっといいはずです」
たしかに、な。それと比べられては、もう何も言えない。
今の最優先事項は、凛たちのもとへ一刻も早く加勢に行くことなのだから。

それに、どうせリニスは止めても絶対に聞かない。それがわかってしまう。
だいたい、俺がジタバタしたってリニスの負担にしかならないのだ。
なら、大人しく運ばれればリニスはずっと楽になる。

だから俺に出来るのは、ただ信じて委ねることだけだ。
「わかった、頼む」
信じることこそが、今のリニスには何よりも力になるはずだ。
そう自分に言い聞かせて、その時が来るのをじっと待つ。

そう答えると、リニスは俺の方を見ながら心配そうに尋ねる。
「ですが、士郎の方こそ大丈夫なんですか?」
「心配は不要だ。見た目ほどひどくはない」
さっきの戦闘で爆発を受けたり、炎の中を突っ切ったりしたせいで、今の俺の恰好はひどいモノだ。
煤や焦げが目立ち、地を転がったからかなり汚れている。
だが、ダメージそのものはたいしたことはないので問題はない。

探るように俺の眼を見ながら僅かに逡巡するが、意を決して前を向く。
「……わかりました。では、行きます!!」
その声と共に、眼下を流れる街の明かりがさらに速くなる。

どうか間に合ってくれるよう、そしてリニスへの負担が少しでも軽くなるよう、俺はただ祈ることしかできない。
そんな自分にもどかしさを感じつつ、前方を睨む。



Interlude

SIDE-シグナム

辺りを包む結界に異変が起こったが、それもすぐに治まった。
念のための仕込みだったのだが、やっておいて正解だったか。

となりで空をかけるザフィーラが問うてくる。
「今のは、お前の仕業か?」
「ああ、放置すれば結界を破壊しようとするだろうとは思ったが、やはりだったな。
 あらかじめ、結界が破壊された時には次の結界が展開するようにしておいた。
 一回限りだが、十分効果があるだろう」
わざわざ敵を放置するのだ、それくらいのことは予想しておくべきだろう。
あまり得意ではないし、こういったことは参謀の担当なのだが、いないのだから仕方ない。

それに、この程度は将として当然の備えだ。
なにせ、たった一回でも効果がある。
後幾つの予備があるのか分からない以上、いつまでもそれにかまけているわけにはいかない。
そちらに時間を費やせば費やすほど、味方が窮地に陥るのだ。

予想外だったことがあるとすれば、結界を破壊する手段。
あまり魔力量は多くはなさそうだったから蒐集対象から外したが、先ほどの閃光と轟音を考えると短慮だったか。
より魔力の多い者を優先したのだが、まさかあれほどの攻撃力があったとは……。
上手く隠していただけで、実は相当な魔力保有者だったのか。
あるいは、あの黄金の剣のようなロストロギアと思しき武器を使ったのかもしれん。

しかし、あの剣はいったい何だ。
放たれる規格外の魔力に僅かに身が竦んだが、それ以上にその魔力の波動に圧倒された。
不気味なのではない、淀んでいるのでもない。むしろ、清澄で神々しささえ感じたほど。
ロストロギアの類だとは思うのだが、どうも腑に落ちない。
あれは、そんな言葉で評して穢していいようなモノではないように思えてならないのだ。

私がそんな考えに囚われていると、ザフィーラが呟く。
「……やはり、追ってくるのだろうな」
「あれが仲間を見捨てるように見えたのか?」
「ないな」
実際に戦ったザフィーラは私の言葉に即答する。
そう、あの少年が仲間を見捨てるはずがない。その程度のことは眼を見ればわかる。

ならば、すぐにでも再会することになるだろう。
場合によっては、今度こそ剣を交えることになるか。
それどころではないとわかっているが、それを考えると心が躍るのは私の悪い癖だ。

だが、できるなら奴と剣を交える前にすべきことを済ませたい。
そうすれば、余計なことを考えずに戦える。
アレだけの攻撃力を持つ以上、その魔力も相応かもしれない。
もしくは何らかのレアスキルかもしれないが、魔力はあるのだから蒐集しておいて損はないはずだ。

なにより、騎士としての自分が全力での戦いを望んでいる。
(早く来い。ザフィーラさえも唸らせたその力、私に見せてくれ)
ここ最近は手ごたえのない相手ばかりだったが、久方ぶりの好敵手かもしれない。
その期待に、私は笑みを抑えられずにいた。

Interlude out






あとがき

とりあえず一言。
相変らず戦闘シーンがド下手だぁ!!
全然進歩している気がしないのが鬱です。

気を取り直して、今回凛は見事にフェイトの原作第一話の見せ場を奪って行きました。
クロス作品なんですから、こういうこともありますよね。
あと、なのはに経験を積ませるために放置しましたが、結果的に裏目に出てます。
負けもいい経験になると考えての傍観でしたが、ヴィータが予想外に強かったということですね。
それでもギリギリまで手を出さなかったのは、追い詰められてこそ出てくる何かを期待したんじゃないかなぁ。
結局何も出てきませんでしたけど。

あとは、そんなつもりはなかったのですが、結果としてヴィータが愉快な災難にあってしまいました。
いや、潰れた拍子に鼻をぶつけて、鼻を押さえながら涙目になって睨むヴィータってかわいいと思うんですよね。そこまではしてませんけど。
一般的なビルの強度なんて作者は知りませんから、あれで床が崩落したのは話の都合です。
増幅された重力とともに落下スピードも加わり、その後の床はドンドン突き破っていきました。

最後に、リニスがこの程度で消耗してしまうのは病み上がりのせい……ではなく、凛が一番の原因です。
魔術師としてはともかく、魔導師としてのスペックはそれほど高くありませんからね。
外伝でも書きましたが、二人の契約はリニスが魔法的な使い魔なので一応魔導師の形式に則っています。
リニスは、元がSランクオーバー魔導師であったプレシアの使い魔だっただけに基本性能は高いのですが、凛ではその性能を引き出しきれません。
プレシアのそれと質の違う凛の魔力では完全には合致しませんし、量的にもかなり劣るのでどうしても能力が下がります。契約相手がフェイトなら、ほとんど変化ないと思いますけど。
また、凛の方にも少なからず負担をかけますが、こっちはそれほど重要じゃありません。
凛の場合、リンカーコアの魔力が多少減ってもそんなに困りませんから。
だからこそ、こちらの形式に則しているわけです。

さて、次でいよいよ本格的なバトルになります。
設定としては、二人はヴォルケンレベルが相手だと苦戦ないし不利になるので、それを上手く表現できるといいのですが。
苦手なりに工夫するつもりなので、しばしお待ちください。



[4610] 第23話「魔術師vs騎士」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:fd260d48
Date: 2009/12/18 23:22

SIDE-凛

海鳴市ビル街上空。

色合いの異なる二種の赤と金の三色の光が接近と離脱を繰り返している。
それはつまり、フェイトと連携しての戦闘がまだ継続していることの証明。
二人掛かりなら捕らえることもできるだろうと思ったんだけど、そう上手くはいかないらしい。

フェイトはその持ち前のスピードを生かし、勢いよく間合いを詰める。
「はぁっ!」
スピードを緩めず、擦れ違いざまにサイス形態のバルディッシュを振るう。
だが、あの赤チビはそれを寸でのところで回避する。

フェイトはその場に留まらず、一気に駆け抜け二人の距離が開く。
そこを狙い、私もまた術を行使する。
「『Vier(四番)Drei-gezinkter(奔れ) Donner greift es an(三叉の稲妻)』」
三条の雷が、それぞれ三方向から赤チビに向かって襲いかかる。
しかし、奴はその内に一つに向かって突っ込み、手に持つ鉄槌で蹴散らし脱出する。

だけど甘い。
その動きを見せた時点で、次の手の準備は整っている。
「『Fixierung(狙え、),EileSalve(一斉射撃)!』」
左手の人指し指を向け、奴の退路に向けてガンドの雨をばらまく。
奴はそれを三角形の魔法陣を展開して一つ残らず防ぎ切る。
ガンドの真価はその攻撃力ではなく呪いとしての性質だから小揺るぎもしないのは仕方がない。
とはいえ、やっぱりこうも簡単に防がれるとムカつくわね。

まあ、目眩ましとしての効果は十分だし、狙い通りではあるんだけど。
「アーク…セイバー!!」
私からの攻撃への防御に集中していたチビッ子の背後から、気合の乗った声が届く。
すると、それにやや遅れて回転する金色の魔力刃が飛来する。

上手く背後を取れたし、迎撃は間に合わない。
直撃すれば、必倒は無理でも隙はできるだろう。なら、そこを突けば流れを持って行ける。
「ちぃっ、アイゼン!」
《Pferde!》
瞬時に両足に魔力の渦が出来上がり、一気に加速し私とフェイトの攻撃をかわす。
なるほど、迎撃できなきゃ避ければいいってことか。

でも、フェイトのアレには誘導性能がある。そう簡単には振り切れない。
「なめんな!」
進路を変更し、再度襲いかかる光刃をその鉄槌で叩き落とす。

私からもキツイのをお見舞いしたいところだけど、今はちょっと無理かな。
だって、あの子がすぐ後ろにまで迫っていて、ここで攻撃したら巻き込みそうだモノ。
《Scythe Slash》
フェイトは上段から、渾身の力を込めてバルディッシュを振り下ろす。

《Panzerhindernis》
それを赤い障壁を展開することで防ぎ、すぐさま離脱する。
一瞬遅れて、奴のいた場所に真紅のリングが発生し閉じる。
まったく、もう少し大人しくしてくれればとっ捕まえることもできたのに。
動いている相手を捕まえるのは難しいし、その上回避機動が上手いからなかなか捕まえられない。

それなら、嫌でも止まって捕まえさせてもらおうじゃないの。
「『Strudel(踊れ) der brennenden roten Tänze(紅蓮の渦)』!」
奴の逃げた方に向け、周囲をまとめて巻き込むかのような炎の渦を放つ。
これなら余波までは避けきれないでしょ!

その予想通り、何とかかわしこそするが、完全には避け切れずに体勢が崩れる。
そこにさらに追い打ちをかける。
「『Funf(五番), Ein Fluß wird schwer gefroren(凍てつけ 冬の川)』」
動きが鈍った瞬間をねらい、魔術による拘束をはかる。
その詠唱通り、バリアジャケットの端から氷が侵食していく。
このままいけば、人間の氷漬けの出来上がりだ。

しかし、奴は躊躇なく凍りついた箇所を引きちぎって浸食から逃れる。
少しでも躊躇えば手遅れだったろうに、思い切りのいい奴ね。
でも、それだけじゃ足りなわよ。
「フォトンランサー……ファイア!!」
既に真上を取っていたフェイトが、逃がさないとばかりに電撃を帯びた魔力弾を撃ち出す。
それだけでなく、自身もまたバルディッシュを構えて斬りかかる。

さぁて、どうするつもり?
避けても防っても、必ず次のフェイトの攻撃にさらされる。
それさえ凌いでも、さらに私もいるわ。
一つ間違えれば、その瞬間にアンタの負けよ。

そこで、チビッ子は赤い球体を手元に出現させる。
フォトンランサー事フェイトを吹っ飛ばす攻撃かと思い身構えるが、その予想は外れた。
《Eisengeheul》
奴が球体に向け鉄槌を振り下ろすと、その瞬間ハンパじゃない閃光と轟音を生む。
意表を突かれ、私とフェイトの動きが鈍る。
なるほどね。多少被弾してもいいから、私達の追撃を阻むのが目的か。

しかし、ここで反撃に転じられるのは不味い。
まだ耳鳴りがするけど、眼はとっさに庇ったからそれほど影響はない。
スグに奴の姿を探し、影が見えた方に向けて狙いも定めないガンドの乱射で牽制する。
フェイトの方を見ると、すぐ近くにいたせいもありまだ足元がおぼつかない。
頭を振って何とか立て直すのを見て、とりあえず大丈夫だろうと判断する。

どうも、向こうさんは今の機にフェイトを落とすつもりだったようね。
だけど、その前にガンドの嵐に曝されたことで一歩下がった。
そこを狙い、復帰したフェイトが再度斬りかかる。

とまあ、こんな感じで、今のところは別に分が悪いってわけじゃない。
フェイトは私の指示通り足を止めることなく動き回り、着実に相手の注意を惹きつける。
私はその隙を、時にガンドで時に炎や雷撃、あるいは氷で突く。
そうすると今度は私に注意が向き、逆にフェイトがすれ違いざまにバルディッシュを振るう。
基本はその繰り返し。
時々ヤバい瞬間もあるけど、そこは数の利。一人が危なくなっても、もう一人がカバーするだけのこと。

連携らしい連携は、実のところとっていない。
フェイトは自分の思うがままに動いているだけだし、私は動きまわるフェイトを利用しているにすぎない。
ただ、互いの行動が互いにとって好都合に作用しているだけ。
強いてあげるなら、私はフェイトを巻き込まないよう、ある程度二人の距離が開いた時に攻撃しているくらい。
あとは、今の様に相方が危なくなった時にカバーする位だろう。
ま、即席のコンビじゃこんなところか。

それでも着実に奴を追いこんでいるし、特に問題があるわけではない。
奴も自分の不利をよく理解していて、無理な攻勢には出てこない。
このまま続ければ、遠からずバインドが奴を捉えるだろう。

しかし、その程度向こうだってわかっているはずだけど、別に逃亡しようとする素振りもない。
となれば、何かを待っているのは明白。士郎の方も仲間と一緒に逃げられたらしいし、そいつらで間違いない。
出来ればそいつらが到着する前に仕留めたいのだが、なかなかそうはさせてくれない。
回避に徹してくれている分、こっちとしてもなかなか捉えられないのだ。
やっぱり、一筋縄じゃいかないわね。

なら、いっそこっちから逃げちゃうのも手なのだが、まだその目処が立たない。
さっきからユーノ達にやらせているんだけど、よほど強固な結界なのかまだ破れずにいる。
やっぱり、さっきのチャンスをものにできなかったのが痛い。
一度は結界が破れたんだけど、あっという間に元に戻るんだもの。
突然のことだったから対応が間に合わなかったわ。
士郎の仕業らしいけど、もう一回やらせるのはリスクが高い。
諦めて、アースラに期待するのが現実的か。

とはいえ、このままだとアレの仲間が来るのが先っぽいわね。
それなら、こっちも備えを整えるべきだろう。
『アルフ、ユーノ聞こえる?』
フェイトの攻撃と私の術に追い立てられているチビッ子に気付かれないよう、念話を使って二人に呼び掛ける。
この内容は、奴に知られるわけにはいかない。

それに対し、アルフから返事が来る。
『どうしたんだい?』
『士郎が抑えていた奴がこっちに向かってるみたい。それもおまけつきで。
 アルフはそのうちの使い魔の方を抑えて、フェイトはもう一人の方をお願い。
 ユーノは二人のサポート。やれるわね』
この際詳しい説明は抜きにする。そんなモノは後回しでいい。
いつ新手が到着するか分からない以上、指示は簡潔にしなければならない。
士郎の話じゃ、相当に厄介そうなおまけがついているみたいだしね。

そこで、フェイトが不安げな口調で聞いてくる。
『え? シ、シロウは?』
『ほぼ無傷らしいから安心しなさい。今はリニスが運んでる。
 士郎がついたらフェイトはそっちのサポート、ユーノはそのままアルフにつきなさい。
 士郎がつくまでは絶対に無理をしないで、足止めだけすればいいわ。
 アイツが着いたら、そこからは極力二対一で戦うこと。いいわね』
私の返事に、フェイトが安堵の吐息を吐くのが伝わってくる。
いくら向こうが飛べるからと言っても、あの士郎がむざむざ逃げられたほどの相手だ。
この子たちが真正面からやるには相手が悪い。
何としても、士郎がつくまで生き延びていて貰わないと困る。

『えっと、わたしがシロウについて大丈夫なの?』
フェイトが今度は別の心配をする。
まあ、気持ちはわかる。まだ自分と士郎じゃ実力差があるのを自覚しているのだろう。
格上にサポートしてもらうならともかく、その逆は難しい。
下手をすれば、逆に足を引っ張ることになりかねないのだから。

だけど、今回に限れば士郎にサポートは必須なのだ。
『むしろ、いてもらわないと困るのよ。
 アンタ、まさか士郎が飛べないの忘れたんじゃないでしょうね』
『……あ』
まさか、ホントに忘れてたのかしら。

向こうはわざわざ士郎と戦う必要なんてない。
なら、士郎の方から向こうの土俵に上がるしかないのだ。
『いい? アンタの仕事は士郎が戦う上での足場を作ることと、もしも落ちた時の補助。
 アンタはこの中で一番速いわ。つまり、士郎がもし落ちても拾える可能性が一番高いの、わかった』
『あ、ハイ!』
さて、これでとりあえず必要なことは伝えたかな。
後は臨機応変に対処するしかない。

『えっと、なのはは?』
『護りと癒しの結界とかあったわよね。それでも張って、中で大人しくさせてなさい。
 どのみちレイジングハートがあれじゃ、戦力として見るのは無理よ』
その上、体もガタガタだ。とてもじゃないけど、戦いの場に出すのは危なすぎる。
まだ伏兵がいないとは限らないけど、結界の中にいれば多少は保つ。
もし更に襲われるようなら、その間に助けに行けばいい。
ユーノの結界なら、その程度は期待していいだろう。

っと、そろそろ時間切れか。
『いろいろ聞きたいことはあると思うけど、それは全部後回し。
フェイトは一端下がりなさい。来たわよ』
彼方から飛来したのは、士郎の話通りガタイの良い男とポニーテイルの剣士。
フェイトも私の指示に従い、追撃をやめてこちらに戻る。
後方からは、アルフとユーノも向かってきている。

フェイトが一端下がったことで、チビッ子も仲間と合流する。
だけど、その間も私に対して恐ろしく険のこもった目を向ける。
これが、こいつの相手を私がすることにした理由。
どうやらさっきのことを根に持っているらしく、私だけは自分がぶっ飛ばすと言う目をしている。
下手に別の相手を向けると思惑と違う動きをしそうだし、それなら予想のつく組み合わせの方がましだ。

さあ、これで心置き無く一対一で戦えるわよ。
弟子が世話になった借り、しっかり返させてもらおうじゃないの。



第23話「魔術師vs騎士」



現れた剣士は、こちらへの注意を怠らずにチビッ子に声をかける。
「大丈夫か、ヴィータ。どうやら、お前の方もだいぶ手古摺っているようだな」
「うっせぇな、こっから逆転するとこだったんだ」
一応心配する剣士に、ヴィータと呼ばれた方が食って掛る。
どうやら、だいぶ小生意気な性格をしているらしい。こんな時にアレだけど、からかったら面白そう。

見たところ、この剣士がリーダー格のようで、ヴィータとやらを諭す。
「そうか、それはすまなかった。だが、甘く見ていい相手ではないのだろう?
 ザフィーラの方にいた者も、かなりの腕のようだった。
 お前が怪我などすれば、我らが主も心配する。無茶はほどほどにしておけ」
その言葉にヴィータは不機嫌そうにするが、あえて反論はしない。
意地とは別に、敵であっても評価すべき点は評価できるのだろう。

そこで、剣士の方がこちらに向き直る。
「待たせてしまったようだな。さっそく、始めよう」
「別に、私達はこのままでもいいんだけどね」
できれば、士郎が来るまで何とか引き伸ばしたいのが本音。
でも、あの様子だとそれも無理そうか。

「シグナム、あの赤いのはあたしがやる。
 ぜってぇに…ぶっ飛ばす!!」
ああ、やっぱり私をそういう対象として認識してたのね。
いや、まあね。さっき結構情けない目にあわせちゃったし、そんなことじゃないかなとは思ったのよ。

「ならば、残りの三人を私とザフィーラで相手をしよう。
 私の本命も、まだここには来ていないからな」
本命ってのは、やっぱり士郎のことなんでしょうね。
それなら、士郎がくれば一応私の思惑通りになるのかな。
ま、だからといって結果までそうとは限らないのだけど。

近くに他の連中がいたんじゃやりにくいし、挑発もかねて提案してみますか。
「別に私は構わないけど、ならちょっと場所をかえましょうか。
 アンタだって、仲間の前でさっきみたいな情けない格好を見せたくないでしょ?」
それに対し、ヴィータの顔がみるみるうちに赤くなる。さっきのことを思い出しているのだろう。
シグナムとやらの方は、「情けない格好?」といぶかしんでいる。

教えるのも面白そうだけど、ちょっとそんな余裕はなさそうかな。
なにせ、ヴィータってのは凶悪な笑みを浮かべ、その小さな体からは溢れんばかりの殺気が漲っている。
私の存在ごと、事実をなきモノにしようって腹積もりかしらね。
「上等じゃねぇか。その減らず口ごと、アイゼンの頑固な汚れにしてやる」
「威勢がいいのね。でも、七色(にじ)の宝石は相手が何であろうと撃ち倒すわ。
 せいぜい、その輝きに呑まれないことね」
内心で「お金かかるけど……」と付け足すが、そんなことはおくびにも出さない。
それに、魔を以て魔を制すのが魔術師の戦い。
相手が使うのが魔法であろうと、それが魔であるのなら負けるわけにはいかないのよ。

そのまま、私達は残りの面子を置き去りにしてビルの谷間に消える。
これで、とりあえずフェイト達を巻き込むことはなくなったはずだ。

あの子たちも、上手くやってくれるといいんだけど。
このあたりは、とにかく信じるしかないか。

士郎、さっさと来なさいよね。
そうすれば、逃げられた罰を少しは軽くしてあげてもいいんだから。



Interlude

SIDE-シャマル

いま私は、あるビルの屋上で足元に買い物袋を置いて、家に残る家族の一人と話をしていた。
主への嘘の伝言を頼み、急いで帰る旨は伝えてある。
そう、なるべく急いで確実にことを済ませなければならないのだ。

けれど、そんな私の胸を占めるのは、主に嘘をついたことではなく、今目の前で家族と戦う一人の少女への驚愕。
「なんで、彼女が……」
確かに彼女はかなりの魔力を有していた。
いずれはみんなに見つかり、蒐集の対象になるのもわかっていた。

だけど、なんで凛ちゃんが戦っているの。
それも、歴戦の騎士であるヴィータちゃんと対等に。
その事実を受け入れられなくて、私はただただ呆然としてしまう。

しかし、この光景を否定する材料を私は持たない。
つまり目の前で繰り広げられているのは、紛れもない事実。
けれど、どうしてもそれを信じられない自分がいる。
「どういうことなの?」
一体何に対する疑問なのか、自分自身ですら判然としない。
彼女が魔導師であることか、それともそれに気付かなかった自分のことなのか。

いや、問題はそこじゃない。
混乱する頭を何とか切り替え、今自分が考えなければならないことに思考を巡らせる。
もしこの場に自分がいることを知られれば、確実に主を危険にさらしてしまう。
彼女は私の名前も、私がこのあたりに住んでいることも知っている。
その情報があれば、遠からず主のもとに管理局の手が届くだろう。
それだけは何としても避けなければならない。

疑問で溢れかえりそうな頭が、無意識のうちにある魔法を起動させる。
「クラールヴィント。お願い」
《了解》
僅かな発光。
それが治まると、そこにはそれまでと全く違う私が立っていた。

髪形が変わり、今は腰まで届く長い漆黒のストレート。
顔の造形も変わり、眼は切れ長に顎は痩せこけて見える。
騎士甲冑も黒をベースとする、スーツのような印象のものになっている。
外見年齢も、普段のそれより十歳くらい上だ。

この不測の事態に対し、私がまず真っ先に選んだ行動は「変装」。
厳密には、「変身魔法」による外見の偽装だ。
今の私の最優先は、凛ちゃんに自分のことを知られないこと。
そのためには、たぶんこれが一番確実な方策。
これなら、とりあえず私だと気付かれることもない。

だけど、彼女がいると言うことはおそらく……
「士郎君も……ということよね」
聞きなれないハスキーな声でそう呟く。
ここにきて、彼が全くの無関係だと思うのは浅はか過ぎる。
凛ちゃんは士郎君の家族だ。なら、彼も魔導師と考えて間違いない。
まさか、こんなことになるなんて。

……いや、考えるのはよそう。
いま私がしなければならないのは、そんな解決の糸口のないことじゃない。
「蒐集」。今はただそのことにだけ集中すればいい。
他のことは、あとで考えよう。

クラールヴィントの準備はもう整っている。
術はいつでも使える。問題があるとすれば、あの結界。
「なんとかしてあそこから出てもらわないと、旅の鏡が使えない」
旅の鏡のような術は非常に繊細で、簡単な妨害でも効果を阻害される。
少なくとも、あの結界の内側には届かない。

その上、あの結界を張った子は相当な腕の持ち主。
おかげで、遠隔的に解除するのはまず不可能。
近づいて直接壊すか、あるいは中から出て来て貰わないと使えない。
でも、戦闘型じゃない私が近付くのは得策じゃないし……。
それに、途中で気付かれたり抵抗されるのも困る。

あの子の仲間は、今凛ちゃんを除いてかなりギリギリの戦いをしている。
なら、どこかでチャンスが来るかもしれない。
今はその時を待つのがいい。

必ず来るであろう、チャンスを。

Interlude out



やっぱり、あの子たちにはちょっと荷が重いか。

戦いは、さっきまでの様な私達に有利な展開とはほど遠いものになっている。
アルフもフェイトも押されっぱなしで、何とかやられないように耐えるので必死だ。
ユーノもできる限りサポートしているけど、少し妨害するのが限界。
とてもじゃないけど、二人に有利な状況を作ることはできずにいる。

できれば、援護したいところなんだけど……
「ぶっとべぇ!!」
目前でハンマーを振り回すチビのおかげで、とてもじゃないけどそんな余裕はない。

ハンマーの軌道をかいくぐり、そのまま宝石を持った拳で殴りつける。
「女の細腕だからって、甘く見んじゃないわよ!
『Zwei(二番)――――Feuer flackert in einer(我が手に) Hand auf(炎を灯す)!』」
指輪の効果で燃える拳が直撃する。
そこで手中の宝石に込められた魔力が炎となり、一気に燃えあがる。
手に持った宝石が効果を増幅させ、相手を火だるまに変える。

変える…はずだった。
「くっ、ギリギリで防御が間に合ったみたいね」
炎を受けたのは、あくまで直前に張られた障壁のみ。
向こうさんの体には、焦げ目一つ付いていない。
思っていた以上に堅いわね。

「テンメェ!!」
飛び退くわたし目掛け、先端を突起に変えブースターで推進力を増したハンマーが迫る。

回避が間にあわない、それなら。
「『Ein leuchtender(貫け) Stoßzahn greift es an(光の牙)!!』」
中指に嵌めた指輪が輝き、そこから魔力で構成された四本の光の槍が出現する。
そこに突っ込む形になり、光が炸裂し爆発と煙が巻き起こる。

その中から、一つの人影が弾き飛ばされる。
向こうは目立った外傷こそないが、衣装の至るところが裂けている。
先ほどの光の槍に突っ込んだにもかかわらず、上手いこと直撃は避けたようだ。
さすがに、余波で服はみすぼらしくなってしまっているが。

私の方はと言うと、結構悠々とした態度で外に出る。
ハンマーが直撃する寸前、カーディナルの柄で軌道を逸らしたのだ。
さすがに、魔術に面喰って勢いが弱くなってなかったら捌けなかったけどね。
それでも完全には捌き切れず、鉄槌が頭を掠め僅かに血が顔を伝う。

とはいえ、せっかくの好機。ここで畳みかける。
「『Acht(八番),Sieben(七番)!
Beschiesen(敵影、一片)ErscieSsung(一塵も残さず)!』」
この半年で魔力を貯めた宝石二つを使って吹き飛ばす。

方向性を持たせていない、純粋な魔力の塊が直撃したかに思われた。
だが、放たれた魔力を、今度は無理矢理ハンマーで打ち返しにかかる。
まったく、なんてデタラメなマネを。

魔力とハンマーが激突し、爆音と閃光が生まれる。
余波がこちらにまで届く中、あのチビッ子は弾かれたように後方のビルに衝突する。
これで仕留められればいいんだけど、そう上手くはいかないだろう。
「カーディナル!」
《了解。モード・ランサー》
私の呼び掛けに応じ、カーディナルがその形を変える。
ステッキの柄が伸び、私の身長とほぼ同じくらいの長さになる。
そして、頭にある宝石が輝きそこから赤い魔力刃が出力され、槍のような形態となる。

八極拳の使い手は、槍も得手とする。
綺礼には、殴り合いだけじゃなくてこういったことも一通り教わった。
子どもの体で使うには不向きだけど、やっぱり慣れている武器がいいと思ってこの形態を加えたのだ。

遠距離では魔術を、近距離ではデバイスと拳を使っての戦闘が今の私の基本。
ヴィータは距離を詰めるのが上手く、そして早い。
一々切り替えていたら、とてもじゃないけど追いつけない。
だから、はじめからいつ接近されても大丈夫なように備えておくのがいい。

だが、いつ出てきても対処できるようビルに注意を払っていたのだが、一向に出てくる気配がない。
まさか、あれで仕留められたとは思えないんだけど。
「っ!!」
そこで背筋に悪寒が走る。
反射的に槍を後ろに向けて振るうと、手ごたえがあった。

イヤ、手ごたえどころじゃないか。
今度は私がその威力に押され、ビルの壁面に向かって吹き飛ばされる。
反射的な行動だったから踏ん張りが足らなかったとはいえ、それでもここまで飛ばされるとはね。

壁に向かって受身を取り、かろうじてダメージを散らす。
痛みに耐えながら、先ほどまで自分がいたところを向く。
すると、そこにはバリアジャケットの一部が引き裂かれたヴィータがいた。
「ちっ、勘がいいじゃねぇか」
おそらく、粉塵に隠れてビルの裏から迂回してきたのだろう。
もし気づかなければ、あのハンマーの直撃を受けていたかもしれないわね。
突っ込むだけのイノシシみたいな動きが多かったけど、やっぱり一筋縄じゃいかないか。

でも、そこで終わりだと思ったのなら、甘い!
カーディナルの切っ先を向け、ある魔法を発動させる。
「レストリクトロック!」
その瞬間、リング状になった魔力がヴィータの体を拘束する。
この時を待ってたのよ。私の割と近くにいて、なおかつ一瞬でもその動きを止める瞬間をね。
これでやっと、大技が使えるってものよ。

懐から三つの宝石を取り出し、それを身動きの取れないヴィータに投げる。
同時に、中指にはめた礼装を向け詠唱する。
「ほら、全力で受けないと死ぬわよ。
『Drei(三番),Es scheint nicht(白き閃光が), daß ich überwältige(全てを覆う)!!』」
そこで、魔力を帯びた極大の光の塊が発生し、眼前にある全てのモノを飲み込んでいく。
ああは言ったけど、まあこれで死ぬことはないだろう。
でも、確実にダメージはあるはず。

そう、思ったんだけどね。
《警報! 上です!!》
「え、なに!?」
上から降ってきたのは、豪速で飛来する五つの鉄球。
まさか、はじめからこれがねらい!?
注意を自分に引き付けて、あらかじめ放って置いた誘導弾で叩くつもりだったのか。

私はとっさに、魔法ではなく魔術で持ってこれを防ぐ。
ここで魔法を選ばなかったのは、やっぱり私が根っからの魔術師だからなんでしょうね。
「『Werden Sie die(敵意を遮る) Mauer des Stahles(鋼の衣)!』」
空間を歪めるのでは間に合わないと判断し、外套そのもので鉄球を受ける。
あれは、発動から効果が表れるまでに若干のタイムラグがある。
こんな急場じゃ、満足のいく歪みが作れるとは限らない。

連続して衝突する鉄球の衝撃に、苦悶の声が漏れる。
「くぅっ!!」
今の外套は、鉄をはるかに超える強度がある。
それこそ、数トンの衝撃さえも受け切れるほどだ。
しかし、さすがに連続でやられるとキツイわね。

やり過ごした鉄球に向け、今度は叩き落とすための詠唱をする。
あんなのにいつまでもウロチョロされちゃ、鬱陶しくてかなわないわ。
「『Vier(四番),Viel Topfwiesel sind bereit(斬り裂け), es zu schneiden(数多の刃)!!』」
かざした手から風刃を放つ。
一発二発ではどうにもならないが、数撃てばその内に限界は来る。
予想通り、複数の刃がぶつかることで鉄球は限界を迎え四散する。

だけど、これで終わりじゃない。
まだ私は、ヴィータを仕留めたことを確認していない。
光は治まり、そちらに目を向けるとそこにはヴィータの影も形もなかった。
「しまっ……」
「ぶっとべぇ!!!」
真上から響くのは、聞き覚えのある声。
すぐさまそちらを向くと、ハンマーを振りかぶったヴィータがいた。
そのバリアジャケットの一部はぼろぼろで、どうやら完全には回避しきれなかったことがうかがえる。
だけど、戦闘不能に陥らせるには足らなかったか。
イヤ、むしろそれほどのダメージはないように見える。

それにしても、いつの間に。
とてもじゃないけど回避も防御魔法も間に合わない。
なにより、そんなことをすれば間違いなくなのはの二の舞だ。
「はっ!」
私はカーディナルを振り上げ、ハンマーの柄に打ちつけるようにして軌道を逸らそうとする。

しかし、私はまだこいつへの認識が甘かった。
勢いに乗った鉄槌は、そんなことお構いなしにこちらの槍を弾き、この身を捉える。
ギリギリのところで鉄槌と胴体の間に腕を入れ防ぐが、衝撃が突き抜け喘ぎが漏れる。
「あぐっ!?」
幸いだったのは、まだ外套の効果が残っていたことか。
そうでなかったら、骨を数本もっていかれてたわね。
まだ鉄以上の硬度を誇る外套のおかげで、決定打にはならなかったのだ。

だけど、その衝撃を完全に殺す事もまた不可能。
私は、まるで打たれたボールのように地面に向けて叩きつけられる。
まるで、体中の骨がバラバラになったかのような衝撃だ。

あわや、地面と仲良くハグする寸前、飛行魔法を使ってその勢いを殺す。
何とか間に合い、かろうじて地面との激突前に体勢を立て直せた。
体の状態を確認するけど、どうやら運良く重大なダメージは免れたみたい。

ホント我ながら、いい礼装を作ったものだと感心するわ。
それでも、ダメージは完全には殺しきれずどうも左腕にヒビが入ったかもしれない。
ちょっと痺れてて、それがヒビが入ったせいなのか、それとも衝撃によるモノなのかまだ判断がつかないけど。
これまでの経験からすると、どうも前者っぽいのよねぇ。

まあ、どちらにせよ、戦闘中に元通り動かせるようになるのは期待できないか。
そのうえ、内臓にもダメージがいってるみたいで口から血が滴る。
それにしても、あの攻撃からどうやって抜け出したのよ。

一端地面に降り立ち口元の血を拭ってから、再度空を舞いあがる。
ヴィータと同じ高度に戻ったところで、たいして期待はしてないけど尋ねてみる。
「いっつぅ~~……。一ついいかしら、どうやってあれを抜けたの? 結構自信があったんだけど」
「あん? そんなもん、力任せにぶっ壊しただけだ」
ホントかしら? こいつならできそうだから怖いわ。
思いっきりパワータイプだし、妙に説得力があるのよね。

ま、現実的なところだとバインドを破って、後方に下がったってところでしょうね。
あのバインドは結構硬かったはずだし、たぶんバインド破壊用の魔法を用意していたんじゃないかな。
こいつくらいのレベルなら、私がバインドを狙ってることくらい気付いていても不思議はない。

ところが、今度は何か探るような眼でこちらに問う。
「それより、あたしも聞きてぇことがある。テメエ、一体なにもんだ?
 ミッド式のはずなのに、なんかよくわかんねぇ術を使いやがる。
 魔導師はたくさん見てきたけど、宝石なんか使うやつは初めてだ」
「ん? 何のこと? 私が使ってるのは、ちょっとしたレアスキルだけど」
白々しくとぼけるが、こちらの言い分など全く信じていないのは明らか。
ま、いくら悩んだってわかるはずもないんだけどね。

「ところで、それってこの場で何か関係あるの?」
「ああ、ねえな。ぶっつぶす前に、聞いてみただけだ!!」
その言葉を皮切りに、再び交戦状態にはいる。


基本的なやり取りは変わらない。
接近してこようとするヴィータを、私が魔術で牽制し、ヴィータはそれをハンマーで蹴散らす。
ヴィータが誘導弾を使えば、私がガンドで撃ち落とし、撃ち漏らしたのは外套で軌道を逸らして回避する。
ついでに、一度やり過ごした誘導弾は念のために撃ち落とす。
接近されれば、ヴィータは渾身の一撃を入れようとハンマーを振りかぶり、私はそれを阻もうと手数中心に槍を振るう。

お互いに決定打を入れられないが、私の方が分は悪い。
腕の痺れもあるけど、一撃の威力では明らかにヴィータが勝っているせいだ。
おかげで、向こうの攻撃が入れば、場合によっては一撃でケリがつくかもしれない。
逆に、こちらの攻撃はなかなか向こうの守りを突破できない。

攻撃力、防御力、スピード、一通りの性能は向こうが上。
何とか拮抗できるのは、これまでの経験と魔術と言う異端のおかげだ。
見慣れぬ術に対する警戒心からか、間合いと攻めのタイミングには細心の注意を払っている。
まあ、間違っても消極的なんかじゃないけど。
ただ、何があっても対処しやすいように動いているのだ。

おかげで、術を使おうとする素振りだけでも牽制になる。
だけど、それでもこちらが不利なことは変わらない。
その上、ある程度術の傾向を把握すれば、より一層積極的に攻めてくるのは目に見えている。
そうなったら、ますます不利になるのは間違いない。

ここまで来たら、加減なんて考えながらやるなんて不可能だ。
っていうか、いつまでもそんなことを考えてたらこっちがやられる。
下手すると死ぬかもしれないけど、それくらいでないと勝つのは難しい。

だけど、生憎とヴィータはそれをやらせてくれるほど甘くない。
バインドも、さっきのことを考えるとあまり期待できないし。
その上、一撃の威力が半端じゃないおかげで、少しでも隙を見せればその瞬間にこちらが沈む。
とてもじゃないけど、長詠唱をするだけの余裕はない。
まったく、なのはが圧倒されるわけだわ。

ここからではよく見えないけど、フェイト達は無事かしらね。
チラチラ見えた限りだと、押されてこそいるけど一応まだ無事だったはず。
ユーノとアルフの方は、どうも上手いこと役割分担をしていたような気がする。
ユーノが守りを担当し、アルフが攻めを担当することである程度対抗出来ていたように見えた。
だけど、それもいつまでもつか分からない。
数的には有利とはいえ、これと同等の敵が相手だ。
なんとか、増援が来るまで持ちこたえてほしいけど。

あのバカ、早く来なさいよね。



SIDE-士郎

俺達が戦場に到着した時に見たのは、今まさに追い詰められているフェイトの姿だった。

あらかじめ凛から受けていた指示通り、リニスと別れ俺はフェイトの元へ急ぐ。
リニスはなのはの方へ向かい、お目付け役兼護衛をする手はずになっている。
俺は全速力でビルの上を駆け、時に跳躍して次のビルに移る。

フェイトの相手はシグナム。
レヴァンティンが炎を纏い、上段からの一閃がバルディッシュを両断する。
フェイトは勢いに負け後退するが、それは不味い!
その程度の回避では命取りだ。

だが幸いにも、二人は戦いながら俺の方に移動していた。
おかげで、フェイトまであとわずか。
渾身の力で跳躍し、フェイトの助けにはいろうとする。

けれど、それだけでは遅い。
その間にも、フェイトに向けて放たれた第二撃がバルディッシュの本体を打つ。
全体にひびが入り、あと一撃でも入れられれば、それでバルディッシュが大破するのは明白。
それだけじゃない。そうなれば、フェイト自身もただでは済まない。

そこで、自分の後ろに剣を投影し、躊躇なく炸裂させる。
「『壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)!』」
背後で爆発が起こる。爆風に体が煽られ、跳躍の速度が増す。

バランスが崩れたが、進路だけは正常。
フェイトに第三撃が放たれる寸前、フェイトの視界の端に俺の姿が映る。
「え、シロ……」
フェイトの顔が一瞬驚愕のそれに変わる。
当然だ。今まさに剣が振り下ろされようとしているその寸前、剣の正面に割り込もうと言うのだから。

確かに、これの直撃を受ければただでは済まない。
だったら、直撃を受けなければいい。
「『凱甲、展開(トレース・オン)!!』」
その詠唱と共に、身を裂くような痛みを覚える。
ギチギチと言う耳障りな音が聞こえ、金属を擦るような音が体の内から響く。

そして、シグナムの剣が俺の体を捉えた。

ギィィィン!!

鉄と鉄を打ちつけ合うような音と、同時に発生する火花。
それと共に、俺は真下のビルに向かって弾き飛ばされる。
僅かに軌道が逸れたことで、フェイトを巻きまずに済んだのは幸いだった。
女の子を巻き添えにしたんじゃ、いくらなんでも格好がつかない。

「シロウーーー!!」
ビルの床を突き破りながら落下している最中、そんなフェイトの叫びが聞こえた。
ようやく止まったところでそちらに目を向けると、涙目になったフェイトが舞い降りてくる。



Interlude

SIDE-フェイト

シロウが私をかばって、ビルに叩きつけられた。
屋上部分を突き抜け、そのまま数階分下まで床を突き破っている。

敵に背を向ける危険も忘れ、大急ぎでシロウのもとへ向かう。
あんな無茶して、防御魔法もなしにあんなのを受けたらいくら非殺傷設定でも危険だ。
わたしは、またシロウに守られた。

シグナムがどうしているのか分からない。
私の後を追っているのか。それともあそこでこの光景を見ているのか。
だけど、そんなことは気にならない。
今は、とにかくシロウの安否を知りたい。

三階分降りたところで、やっとシロウを見つけた。
体が半分瓦礫に埋まっているけど、シロウはそんなことは全く気にせずに軽い口調で再会を喜んでくれる。
「なんというか、随分と騒々しい再会になったものだ。
 だが、元気そうで安心したよ、フェイト」
その声を聞いて、その笑顔を見て、体中から力が抜けた。
ああ、やっとわたしはここに帰ってきたんだ。そう思えた。

こんな時に不謹慎だけど、それでも胸が熱くなるのがわかる。
目に涙が浮かびそうになるのを抑えられない。
感極まって、思わずその胸に飛び込む。
ああ、やっぱりわたしはこの人が好きなんだ。それを再確認したような思いだった。

だけど、手が体に触れた瞬間、鋭い掌に痛みが走る。
「痛っ!? え、なんで?」
痛みを覚えた手を見ると、そこにはさっきまでなかったはずの切り傷があった。
そこからは血が流れ出し、気のせいでないことを証明している。

それも一つや二つじゃない。
幾本もの、細かい切り傷ができている。
まるで、刃物の束にでも手を付いたかのような。
まさか、何かの破片が刺さっているんじゃ。ここにはガラスだってあるし、金属の破片もある。
だとしたら、早く手当てをしないと大変なことになる。
その考えに至り、一気に血の気が引く。

すぐさま手が触れた部分を見ると、そこであり得ないモノを見る。
あったのは、シグナムの剣撃によってできた服の裂け目。
それだけならいい。あの剣を受けたんだから、その程度はあって当然だ。

けれど、問題はそこじゃなくて、その奥。
露出した血に濡れた褐色の肌。そして、その一部にひしめくキラリと光る何か。
理解できない。なんでそんなモノが、シロウの体を覆っているのか。
意味が分からない。なんでそんなモノが、まるでシロウの体から生えるようにして蠢いているのか。

「キィキィキィ」と、金属同士をこすり合わせるような音が漏れる。
「ギチギチギチ」と、得体の知れない何かがせめぎ合うような音が響く。
なんて、耳障りな音。なんて、気味の悪い音。
まるで、体から■が生えてきているみたい……。

そこにあったのは、ある意味では見慣れたモノ。
誰もが簡単に目にすることができる“刃”がそこにあった。
けれど、それは普段目にするハサミや包丁のそれとは全く違う。
明確に人を殺傷することを目的とした、“剣”に用いられる刃のような形をしている。

「なに……これ」
それは紛れもなく「刃の群れ」。
無数の刃が、まるで体を覆う鱗のように夥しいほどの剣がひしめいている。
刺さっているんじゃない。張り付いているのでもない。文字通り、シロウの体の“中”から出てきている。

それは一つ一つが血に濡れていて、その非現実感を強める。
まるで、できの悪いホラー映画でも見ているような気分さえする。
なんでこんなものが、シロウの体から……。

全身に怖気が走る。鳥肌が立ち、毛が逆立つのを実感する。
背中を嫌な汗が流れ、体の芯が凍ったように錯覚する。
一瞬の目眩。それを振り払い向きなおると、そこに―――――“刃”などなかった。
そう、幻だったかのように一本残らず跡形もなく消えていた。

だけど、残ったモノがある。
それはシロウの体に刻まれた無数の傷跡とそこから流れ出す血。
まるで、何度も何度も刃物を突き刺したかのような傷。
それが、さっきまで刃がひしめていたはずの場所に残されていた。

(いったい、いまのはなんだったの?)
夢であってほしいと思う自分。夢ではないと叫ぶ自分。
その双方がせめぎ合い、わたしの頭がぐちゃぐちゃになる。

混乱して何もできずにいるわたしに、シロウから声が掛かる。
「気にするな。これは剣でできた鎧で体を覆い、致命傷を避けるという術だ。
フェイトの眼がおかしいわけではないし、これと言って異常があるわけでもない」
そう言って、シロウはわたしの頭を撫で、優しく微笑みかけてくれる。
単純かもしれないけど、それだけで少し落ち着ける気がした。

だけど、あれはそれだけで説明できるモノじゃない。
確かにシロウは剣に関する事しかできないけど、それでもあんな方法でなくてもいいはずだ。
何より、あれは「体を覆う」と言うよりも「体から生えている」と言う方が正しかったように思う。

そういえば、以前士郎は『I am the bone of my sword.』と詠唱していたことがあった。
boneは骨。swordは剣。つまり、骨が剣で出来てるとでも訳すの?
ううん。さっき見たあれは、まるで『体が剣と一体化している』かのようだった。

その思考を、わたしはすぐに否定する。
(まさか、そんなはずがない)
きっと気にし過ぎだ。偶々そういう風に見えただけで、わたしの勘違いに決まってる。
剣と結びついた体なんて…あるはずがない。

そうだよね、シロウ…………。

Interlude out



SIDE-士郎

やれやれ、どうやら不味いモノを見られたようだな。
さすがに直撃を受けるわけにはいかなかったし、「剣鱗」を使ったが戻すのが遅すぎた。

「剣鱗」は、俺の体質を利用した緊急防御技。
体から無数の剣を生やし、それで外部からの攻撃を受け止める。
「肉を切らせて骨を断つ」と言う言葉があるが、これは「肉を切って骨を守る」ための戦術。
致命傷を防ぐために、自ら傷を負うという代償行為。
問題は、制御を誤ればそれが致命傷になって死ぬ可能性もあることか。

フェイトの方はあの説明で納得したとも思えないけど、無理にでも信じようとしてくれているみたいだな。
顔はまだ少し青いが、これ以上尋ねようという様子はない。
ありがたくもあるし、真実を教えられないことは申し訳ないと思う。

だが、今はそれどころじゃない。
優先すべきは目の前のことからだ。
「フェイト、いったん上に戻るぞ」
「え、む、無茶だよ! その傷じゃ……」
俺の言葉に、フェイトが心配そうな声を上げる。
さっきのを見たせいか、その顔はまだ青い。
だが、そのショックがありながら、すぐにこうして心配してくれる優しさはやはりフェイトらしい。

「大丈夫だ。戦闘に支障はない。
 それに、あちらも私を待っているようだ」
見上げると、上空でシグナムが佇んでいる。
早く上がってこいと言うことか。

しかし、それでもフェイトは納得しない。全く、心配性だな。
「でも……!」
「どのみち、バルディッシュがそれでは君はもう戦えまい。
 ただでさえ地力に差があるのだぞ。これ以上相棒に無理をさせてやるな」
事実、バルディッシュは本体を破損したのか軽く明滅している。
これ以上酷使すれば、最悪の場合完全に壊れてしまう。

「じゃあ、約束して。絶対に無茶はしないって。
 絶対に、元気に帰ってくるって」
涙目になりながら、フェイトはそう懇願する。
だが、困った。正直、シグナム相手に無茶をせず、なおかつ元気に戻るのはまず不可能だ。
では嘘をつくのかと言うと、この眼を相手に嘘は突きたくない。

となると、俺に応えられるのはこの程度か。
「前向きに、善処しよう」
「大丈夫、とは言ってくれないんだね」
「すまないが、できもしないことは言わないことにしている。
 嘘は……つきたくないからな」
今まで、どれだけの嘘を付いてきただろう。
「助ける」と「大丈夫」と言って、何度もそれを裏切ってきた。
嘘にしないように、全身全霊を尽くした。約束を守るために、全身全霊を費やした。
それでも、幾度となくそれらは嘘になった。

もう、これ以上嘘はつきたくない。
だから、苦笑を浮かべながら守れる約束だけを口にする。絶対に、それだけは守ると誓って。
「無事とはいかんかもしれないが、それでも必ず五体満足で帰って来よう。
 命は粗末にせんよ。それで許してはもらえないか?」
「…………………………シロウ、ズルイ。そんな目で言われたら、納得するしかないよ」
フェイトは呆れたように、だけどどこか悲しそうにうなずいてくれる。
それに対し、感謝と誠意を込めて「すまない」ともう一度謝罪の言葉を述べた。

だけど、上にあがる前に一つ頼み事をしておかないとな。
チョイチョイと手招きしながらフェイトを呼ぶ。
「ああ、フェイトちょっといいか?」
「え? うんって、ひゃん!?」
と、可愛らしい悲鳴を上げるフェイト。
フェイトの耳に口をよせ、小声で話しただけなんだけどな。
その間顔は見えなかったけど、ずっとフェイトの耳が赤かった気がする。
ちなみに、話が終わってもしばらくフェイトの顔は赤かった。

まあ、それはともかく。
やらないに越したことはないけど、これをやる時にはフェイトにも協力してもらった方がいい。
アレが相手である以上、策はいくら用意しても十分とは言えないだろう。
なら、せめてこの程度の小細工は必要だ。



打ち合わせと小細工の仕込みを終えた俺たちは再び屋上に上がり、空のシグナムと対峙する。

といっても、実際には見上げるような形なわけだが。
「思いのほか、早く剣を交えることになったな」
「ふむ、私は元から君と戦うつもりでいたのだがね。
 ところで、今回はもう逃げるのはやめたのかな?」
シグナムの感慨深そうな言葉に皮肉気に応じる。

向こうはそれに特に気分を害した様子もなく、むしろどこか嬉しそうな表情で答える。
「ああ、その必要もない。私達のターゲットは皆ここに集まっている。無論、お前も含めてな。
 なら、彼らに逃げられさえしなければ、お前を倒した後でも十分だ」
それを聞いて安心した。それなら、こちらも心置き無く戦える。
逃げようとする相手を牽制しながら戦うと言うのは、どうしてもやり辛い。
ただ目の前の相手の打倒にのみ集中できるのなら、それに越したことはない。

しかし、まずはなんとか同じ土俵に降りるよう誘導しないとな。
好き勝手に飛び回られては、やり辛くてかなわない。
まずは、距離を詰めた方がやりやすいと思ってもらおうか。
「そうか。だが、そう思い通りにはいかせんよ」
弓を投影し、矢を番える。
弦を限界まで引き絞るのを見て、シグナムも構える。

ピリピリとした空気が場を支配し、お互いに機を測る。
先に動いたのは、シグナムの方だった。
「はぁっ!!」
それに合わせ、俺もまた矢を離す。

シグナムはそれを回避しようとする。
だが、甘い。俺には、この矢がお前を捉える光景が見えているぞ。
その確信通り、回避した方に向けて矢が軌道を変える。
羽を弄り、軌道を変えるように仕込んでおいたのだ。

しかし、この程度でどうこうなるような相手ではない。
一瞬驚いたような表情を見せるが、剣を振るい飛来する矢を薙ぎ払う。
シグナムはすぐさまこちらに突っ込もうとするが、それは新たな矢によって阻まれる。
奴が剣を振るった瞬間に、次の矢を番え放ったのだ。
連射性を優先したせいで威力こそ落ちるが、これではそう簡単には近づけない。

だが、敵も只者ではない。
シールドやバリアで、時に炎を纏った剣で飛来する矢を叩き落とす。
威力重視にすれば、近づくチャンスを与えることになる。
ならば、ここは数で攻めるべきだろう。

さらに矢を番える回転を上げ、三射を全くの同時に射る。
どれだけ射る矢を増やそうと、一つとして外れることはない。
全ての矢は、まるで吸い込まれるようにシグナムを捉える。
それも全てが同じ軌道を描き、一点に集中してだ。
一射の威力は弱くても、一点突破ならあるいは。

それに対し……
「陣風!!」
シグナムは剣に纏った炎を衝撃波と共に発し、まとめて薙ぎ払う。

しかも、放たれた炎はこちらにまで迫ってくる。
それを回避しようと下がったところで、炎の中からシグナムが姿をあらわす。

やはりか、そんなことだろうと思ったよ。
「トラップシュート」
そう小さくつぶやくと、空から十本の矢が降ってくる。
シグナムは寸前で気づき、上空から降り注ぐ矢を叩き落とす。

あの炎は、何も俺にとってだけの目晦ましではない。
シグナムにとっても目の前を覆う幕となる。
それを利用し、あらかじめ空に向けて矢を射ていたのだ。

シグナムが矢に気を取られている隙に、俺は再度距離を取る。
意図せずしてできた場の停滞。お互いに、次の一手のために息を整える。
そこで俺に向けて、シグナムは信じられないモノを見るような眼で問う。
「……まさか、見えているのか」
動きが見えているのか、と言うわけではないのだろうな。
そんなことは今更聞くまでもないし、そうでなければここまで戦うこと自体ができない。

となると、その質問の意味はおそらく……
「ふむ、矢が君を捉える光景のことを言っているのなら常に見えているが、それがどうかしたのかな?」
「とてつもないことを当たり前のように言うのだな、お前は。
 私も弓の心得はあるが、実戦の中と限れば、その感覚は億の矢を射て一度あるかどうかだ。
 まさか、その境地に至っている者がいようとは……」
そういえば、これに対して理解を示した相手と言うのは初めてかもしれない。
大抵の場合、「信じられない」や「言っている意味が分からない」と言う反応が返ってくるんだけどな。
俺としては、当たり前のことをしているだけのつもりなんだが。

シグナムの顔を冷や汗が伝う。それだけ脅威に感じているのだろう。
「道理で、かわせる気がしなかったはずだ。
 その年で凄まじい技量だと思ったが、違ったな。その境地に至ってしまえば、もはや技は関係ない。
 長年の修練の果てに至ったというわけでもなさそうだが、何がきっかけだ?」
「ふむ、特にこれと言って変化を感じたことはないのだが……」
俺の場合、はじめて弓を持った時からこんな感じだったからなぁ。
シグナムの言う境地とやらにしても、あまり実感がない。

シグナムは一度大きく息を吐くと、無言のまま降下してくる。
「ほお、せっかくのアドバンテージを捨てることになるぞ」
「構わん。むしろ、空にいる方が分は悪そうだ」
別に、そんなことはないと思うんだけどな。
確かにかわすことは難しいだろうが、接近することはそうでもない。
さっきのは意表をついたが、次はそうはいかないだろう。
あのまま続ければ、おそらく最終的にはシグナムの剣は俺を捉える。

引き換え、俺の矢がダメージを与える可能性は低い。宝具を使うにしても、発動までの隙でやられる。
いや、この距離で弓を使うのがそもそも間違っているんだけどな。
まあ、だからこそこちらの長所のみを見せるようにして戦ったのだ。
このまま戦うのは不味い、そう思わせるようにしたが上手くいったらしい。

さて、せっかく同じ土俵に降りて貰った以上弓は枷にしかならない。
弓を破棄し、新たに干将・莫耶を投影し構えると、シグナムも剣を構える。
「安心するといい、フェイトに手は出させん。望み通り、思う存分剣を交えようか。
 しかし、白兵戦なら勝機があると?」
「無論だ。なにより、こうして戦う方が性に合う」
つまり、こういう真っ向からの斬り合いの方が好みで得意と言うことだろう。
いや、そういうタイプだろうとは思ったが、やっぱりか。

そして、シグナムは口を開き短く言葉を発する。
「では…いくぞ!」
その言葉と同時に、お互いに駆けだし剣を振りかぶる。

一合目は、単純な剣と剣のぶつかり合い。
だが、そこでいきなり差が出る。
体格の差、パワーの差、魔力の差、技量の差。
あらゆる差から、打ちあった剣は互角にはならず、俺の方が後方に押される。

そこに畳みかけるように、シグナムが間合いを詰める。
その勢いのままに放たれる袈裟斬りをかわすが、流れるような動作で薙ぎが放たれる。
それを弾き反撃に出ようとする。だが、弾いた反動で体がぶれる。
やはり体格の差は如何ともしがたい。
放たれる剣の一つ一つが重く、子どもの体では支えきれない。
せめて、あと五歳年を食っていれば、ここまでの差は生じないと言うのに。

必死で踏ん張り、受ける衝撃に耐え捌く。
ただでさえ一撃一撃が重いと言うのに、シグナムの剣は手数勝負なのかかなり速い。
おかげで、反撃の糸口がつかめない。まったく、手数勝負のくせにこの威力かよ。

攻撃を誘導したところで、捌いた際の反動から立ち直るころには次の剣が来る。
可能な限り受け流しているはずなのに、それでもなおこの威力。
立ち直るまでの時間は一瞬だが、それでもシグナムが次の剣を放つには十分。
このままでは、ただただ押されっぱなしだ。

しかし、そこで一際高い剣戟が響く。
シグナムの一撃により莫耶が弾かれ、そのまま俺の手を離れたのだ。
どうやら、俺が思っている以上にシグナムの剣圧は重いらしい。

無論、それだけに留まらない。
次の一撃で、さらに干将までが弾き飛ばす。
丸腰となり無刀となった俺と、必殺の一撃を放とうとするシグナムの視線がぶつかる。

だが、俺とてここでやられるつもりはない。
「クッ」
勝利を確信したシグナム。それに対し、口元を吊り上げ笑みを零す。
即座に次の干将・莫耶が投影され、放たれた突きを捌く。

俺の手に再び握られた短剣を見て、シグナムはいぶかしむ様な声を漏らす。
「む」
勝負を決めるつもりで放った一撃を防がれ、先ほど叩き落としたはずの武器があればその反応は当然。
それどころか、反応が薄い気さえする。
それだけでも、こいつの戦闘経験の豊富さがうかがえるな。
これくらいのことでは、僅かな動揺さえ見せない。

当然、この相手がその程度で攻めを緩めるはずもない。
むしろ、その剣戟は一層回転を上げていく。
際限なくリズムが上がり、奴の剣と俺の双剣が響かせる剣戟は、まるでよくできた音楽のよう。
理屈は分からないが、剣が戻ると言うのなら戻る前に叩き斬る、と奴の剣が語っている。
一瞬でも投影が遅れれば、本当にそれは実現しかねない。

フェイトには手を出させないと言ったが、そんなことは言うまでもなかったか。
今のフェイトでは、この剣戟に入り込むことすらできない。
近づいたが最後、その瞬間に彼女は切り刻まれることになりかねないのだ。
例え射撃系の魔法を使うにしても、今のフェイトの技量ではどこに隙があるかさえ分かるまい。
どの瞬間を狙っていいかさえ分からない以上、下手をすると俺をも巻き込むことになる。
あの子に、俺ごとシグナムを倒すなんてことができるはずもない。

しかし、拮抗しているように見えて、その実俺は終始押されっぱなしだ。
一歩も下がらず踏みとどまることが、これほど苦しいと感じたのは久しぶりだな。
その上、時折一際強力な一閃が放たれ、その度に手から剣が離れる。
義手の方は膂力の強化で持ちこたえているが、生身の方はそうはいかない。
むしろ、義手の柔軟性を使い、剣が手を離れた時に出来る隙をカバーしている状態だ。

だがそれも一瞬。
剣を手放したとしても、次の瞬間には新たな剣を握り、放たれた剣を確実に捌き受け流す。
いくつか腕ごと弾かれたために間に合わない剣もあるが、それは義手の可動域の広さに救われる。
奴もこの腕に奇妙さを覚えたようだが、特に気にした素振りもない。
ただそういう腕だと思うことにしたのだろう。
フェイト達なら隙もできるだろうが、そんな甘い相手ではないか。

むしろ、そんな俺をシグナムは貫くような眼光で射抜く。
油断など初めからなかったが、それでもどこかで侮りがあったのかもしれない。
こちらは子ども。ならば、シグナムの優位は揺るがないと。
確かにその通りだったが、それでもなお攻めきれない。
その事実が、シグナムの眼に鬼気迫る光を宿したのだ。

それにともない、剣戟もまた激しさを増す。
速くなったのではない。重くなったのでもない。込められる魔力量が上がったのでもない。
ただ、一撃一撃に込められる気迫が激しさを増したのだ。
そんな目に見えないモノが増しただけにもかかわらず、剣の質がさらに向上した気がする。

もちろん、俺とてこのまま押されっぱなしでよしとする気はない。
少しずつだが、お互いの立ち位置を動かしている。
しかし、剣戟が四十合に達しようとしたところで、シグナムが動きを見せる。
「レヴァンティン!」
シグナムの声に応えるように、レヴァンティンの刀身を炎が覆う。
それまでよりも一際を力強い一閃を、双剣を交差させるようにして受け、後方に弾き飛ばされる。

ああ、狙い通りだ。
「なに!?」
突然、俺の姿がシグナムの前から消える。
理由は簡単。先ほど俺達が出てきた穴に落ちたのだ。

一つ下の階に落ち、双剣をベルトに挟み込み投影した黒鍵を構える。
そのまま総身の力を込めた鉄甲作用を使い、黒鍵を屋上にいるシグナムめがけて投げ放つ。
気配を消さない限り、見えていなくても大まかな位置くらいはわかる。

だが、この程度でやられてくれるはずもない。
黒鍵を放ったことで天井が崩れ、そこに新たな穴が空き、埃が舞う。
埃のスクリーンにシグナムの影が映り、そこ目掛けて天の鎖を投じる。
突如現れた鎖に意表をつかれたのか、容易くその手に鎖が絡みつく。
あるいは、逆に引っ張り返して上に引き摺り出そうという魂胆か。

けれど、甘い。
俺一人の力ならともかく、天の鎖はそれ自体が動く。
何より、鎖の反対側はすでにビルに打ちつけてある。
この鎖を引くと言うことは、事実上このビルを引くのと同義だ。

予想外の重さにシグナムの動きが鈍る瞬間をねらい、ビルの中に引きずり込む。
さらにシグナムの真上に三本の剣を投影し、炸裂させる。
「『壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)』」
「ぐぅっ!?」
シグナムは爆発の衝撃をもろに受け、下の階へと勢いよく落ちていく。
俺自身もその後を追って階下へ身を投じる。

その落下も、シグナムがある階の床にたたきつけられることで止まった。
無銘の剣三本分では、やはりこの程度が限界らしい。
だが、それも含めて狙い通り。なぜなら、シグナムが行き着いたのは先ほど俺が落ちたのと同じ階。
同時に、ここはついさっき俺が小細工の仕込みをしたフロアでもある。

着地すると同時に体勢を立て直したばかりのシグナムに駆け寄り、渾身の力を込めて蹴りを見舞う。
「飛べ!」
震脚を利かせた蹴りはシグナムの鞘に阻まれるが、それでも奴を数歩分後退させた。
それと同時に天の鎖を網目状に張り巡らし、シグナムの行く手を阻む。

よし、奴を穴の直下からどかし進路妨害を果たした以上、ここに留まる必要はない。
俺はその場に右手をつく。
「『同調(トレース)、開始(オン)』」
掌から魔力を流し込み、足元の床を過剰に強化する。
行き過ぎた強化は逆効果となる。脆くなった床は容易く崩れ、俺はさらに下の階へ落下する。

俺の行動の意味が理解できないシグナムは、深追いせず周囲を警戒する。
だが、それが命取り。
「『―――――壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)!』」
屋上に上がる前、ビルの各所に打ち込んでおいた剣を爆発させる。
このビルの構造はすでに解析済み。どの柱を壊せば崩れるか、手に取るようにわかっているからこそ出来る事だ。

つまり、俺が剣を爆発させたのは、ちょうどシグナムがいる階から上の階を支えるために必要な箇所。
それらが壊れればどうなるか。答えは簡単、そこから上の階がまとめて落ちてくる。
落ちてきた穴から抜けだそうにも、シグナムはすでにその真下にいない。
その上、シグナムのいるフロアには天の鎖を縦横無尽に張り巡らせてある。
鎖を排除しながらでは、どうしても脱出に時間を要する。
となれば、崩落するビルの餌食となるのは避けられない。
この結界内で起こった破壊が、元の場所に影響しないのはフェイトに確認済み。だからこそできる荒業だ。

鉄筋コンクリートが軋みをあげ、不気味な断末魔が響く。
爆発そのものは小規模でたいした振動や衝撃もなかったが、すでに崩壊は始まっている。
もう間もなく、上層階は壊滅することだろう。

とはいえ、そのままその場に居座れば俺もただでは済まない。
最悪の場合、連鎖的に崩壊してビル自体が倒壊し俺自身も巻き込まれる。
だから、爆破する前から駆け出し大急ぎで窓を突き破って、空中に身を躍らせた。

そのままだと地面に向かって真っ逆様だが、もちろん対策は講じてある。
「シロウ!」
外にはあらかじめ待機していたフェイトがおり、差し出された手を掴む。
ふぅ、打ち合わせどおり。ナイスタイミング。

絶妙のタイミングで拾ってくれたフェイトに引き上げられながら、つい先ほどまで自分がいたビルの方を見る。
目に入ったのは、十数階はあったはずのビルが地面に吸い込まれるように崩れる光景。
爆破のせいか、あるいは崩れた上層階の落下の衝撃に引き摺られたのか。
とにかく一つ言えるのは、ビル一棟丸々崩れ去ろうとしているということ。

狙い以上の破壊になってしまったが、逆でないだけマシか。
どうせ、これだけやっても結界が解ければすべてなかったことになる。
それなら、これくらいはやり過ぎの範疇に入らないだろう。

さて、これでカタがつけばいいのだが……。
やはりそれは、楽観的すぎるかな。

フェイトに掴まって隣のビルの屋上に移動しながら、そんなことを思う。






あとがき

と、まぁそういうわけで、組み合わせは凛とヴィータ、士郎とシグナムになりました。
本当は次の話と一緒だったのですが、なんか長くなってしまったので区切った次第です。ああ、なんか最近そんなのばっかりな気がします。
自分でも進行が遅いと思うんですが、やりたいことをやってるといつの間にかこうなってしまうんですよねぇ。なんでこうなっちゃうんでしょう。
この先数を重ねていけば改善するのか、甚だ疑問な点なんですよね。
でも、次で必ずこの戦闘も終わるので、やっと先に進めます。ああ、我ながら何でこんなにかかるんだろう。

しかし、今回の士郎は徹底的に奇策に走っていますね。
まあ、この機を逃すと、この手の奇策を使う機会がなさそうだからなんですけど。
構造解析ができる士郎は、きっとこういう発破解体とか得意だと思います。
なので、一度はやらせたかったことなんですよ。

それと、凛は凛であんまり魔法を使っていませんね。
これは、単純に凛が根っからの魔術師なので、魔法をメインにすることはないと思ったからです。
あくまでも補助であり、魔術で出来ないことをやるための手段という認識でしょうか。

ついでに、今回士郎の新技が出ましたので、それについての補足をします。
といっても、ほとんど作中に出てるんですけどね。

で、その新技ですが、固有結界の暴走を応用した術第二弾「剣鱗」です。
名の由来は、発動させると剣が魚や爬虫類の鱗みたいに見えるから。
元ネタは簡単で、HFの最後に言峰と戦った際の士郎をイメージして下さい。
アレの描写を読んだ時に、「上手く使えば防御技として優秀なんじゃないのかな?」と思ったのが始まりです。
体の一部分から剣を生やし、鎧のようにすると言うモノです。
並みの弾丸だったら軽く防げますし、たいていの斬撃も受け止められます。
士郎の場合、魔力ダメージを受けると簡単に落ちそうなのですが、これで受ければ受けるのはあくまで剣なので、とりあえず肉体やそれを通しての魔力ダメージはないということにしています。
まあ、使うとそれだけで表皮がエライことになるんですけどね。

次回でやっとこの戦闘が終わります。
思いのほか長くなってしまいましたが、ご勘弁ください。
本当は二話くらいで終わらせる筈だったのが、何でこうなったんでしょう?



[4610] 第24話「冬の聖母」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:fd260d48
Date: 2009/12/18 23:23

SIDE-士郎

シグナムを崩壊させたビルで押しつぶした俺は、フェイトに運ばれながら隣のビルに移動中。
そのままビルの屋上に降ろしてもらい、完全に倒壊した向かいのビルを観察する。

崩壊は無駄なく速やかに、そして徹底的だった。
とは言え、さすがに周囲への被害はゼロというわけにはいかないか。
爆破解体(デモリッション)―――――高層建築の解体に使われる高等な発破技術。
全ての外壁が内側に向けて倒壊し、周囲には破片一つ飛び散らないという専門技法だ。
一応それを使ったのだが、あくまでそれは俺のいた階に施したもの。
連鎖的に倒壊した下層階にそんな手の込んだマネはしていないし、かなり瓦礫が散乱してしまった。
それだけでなく、巻き上げられた粉塵が入道雲のような煙幕をなしている。
まあ、他のビルまで道連れになっていないだけ良しとするべきか。

横目で見ると、この光景に圧倒されたのかフェイトは呆然とした表情をしているなぁ。
まあ、かなり派手だししょうがないか。
そんなことを思いつつ瓦礫の山を眺めていると、絞り出したような言葉をかけられる。
「………ね、ねえ、シロウ。今更だけど、こんなことして大丈夫なの?
 っていうか、いくらなんでもやり過ぎだよ!!」
怒られてしまった。だが、正直これくらいしないと意味がないと思うんだ。

……って、ああそう言えば、時間もなかったしそこまで詳しく説明していなかったか。
ビルの中に入ったら窓を突き破って外に出るから、その時は拾ってくれとしか言ってなかったな。
どうりで、準備をしている間ずっと不思議そうな顔をしていたはずだ。

しかし、守りの薄いフェイトだってこれから生還するくらいはできると思う。
実際、ビルが崩れる時矢の様な物が天に上っていくのを確認した。
アレがシグナムの仕業だとすれば、生き埋めになった可能性すら疑わしい。
詳細は分からないが、かなりの威力がありそうだったしな。
おそらく、降ってくる瓦礫やら床やらをまとめて吹き飛ばすくらいはできただろう。

「何を言う。この程度でやられてくれればいいが、おそらくそう都合よくはいくまい。
 そら、よく見てみろ」
ビル一棟分の瓦礫の山には、一点の不自然な空白部分があることに気付く。
目を凝らせば、そこにシグナムもいることがわかる。
やはり、あの矢で降ってくる瓦礫をまとめて吹き飛ばしたのか。

見る限り、埃で汚れているのとバリアジャケットの一部が破けていること、それに髪が乱れている程度。
いや、良く見れば額から僅かに血が滴っている。
あの矢を射る辺りで、降ってきた瓦礫の一部がぶつかったか何かしたのだろう。
だが精々その程度。おそらく、戦闘に支障のあるレベルの負傷はないと見ていい。

シグナムは宙に浮き上がりながら、そこで体に着いた埃を落とし滴る血を拭っている。
滞空するシグナムは、特に怒りを感じさせない冷静な声で言葉を紡ぐ。
「まさか、こんな手で来るとは思わなかったぞ。
 ビル丸ごと潰しにかかるとは、とんでもないことをするな、お前は。
 これが結界の外だったら、確実に大惨事になっていた」
当たり前だ。結界がなかったらこんなことはしない。
安全が保障されているからこその手段だ。

「失望したかね?」
「なぜだ? お前は、ここが結界内であることを考慮して今の策を使ったのだろう?
 それに、地形を利用するのは戦いの初歩だ。極端ではあるが、利にかなっている」
なにやら、後ろでフェイトが唖然とした表情をしている気がするのだが……。
うん、気のせい気のせい。

シグナムからは見えているはずだが、とりあえず気にしたそぶりも見せずに話を進めてるしな。
「だが、同じ手は二度と通じんぞ。生き埋めになるのは御免だからな」
まあ、そうだろう。先ほどのは意表をついたが、次がないのは承知の上。
これは単なる布石。何をしでかすか分からない相手、と認識してくれた方が、何かとやりやすくなる。

それに、ここから先はもっと見晴らしのいい場所で戦うつもりだ。
「フェイト、足場を頼む」
「え? あ、うん」
俺の唐突な言葉に、一度は疑問の声をあげるがすぐに俺の要望に応えてくれる。
ビルとビルの間に形成される、金色の巨大な魔法陣。

俺は魔法陣に降り、シグナムに呼びかける。
「では、今度こそ小細工抜きでお相手しよう」
「まったく、嫌な奴だな、お前は。あれだけ大掛かりなことをしておいて、そのすぐ後にこれか。
 警戒させ、周囲に注意を払わせるのが目的と見るが?」
御明察。あれだけ印象深いことをやったんだ。スグに頭を切り替えるなんて不可能。
必ず、頭のどこかでそれを警戒してしまう。
そうすれば、少しは俺への注意が減る。

まあ、それもそれほど有利に働くとは思えないが。
だが、やらないよりはマシだろう。
「しかし、ここはあえて乗ろう。
 ベルカの騎士相手に、そんな小細工は意味がないと教えてやる」
そう言って、シグナムもまた魔法陣の上に降りる。
シグナムとてこちらの狙いなど百も承知だろうが、それでもなお騎士の誇りとやらで受けて立つ考えのようだ。

とはいえ、もちろんそれだけではない。
自分の力量に、絶対の自信があるのだろう。
どんな策があろうと、それを破って見せる自信が。
その上、その自信が過信でないから厄介なのだ。

さて、上手く事を運べるか。



第24話「冬の聖母」



「どうかな? 奇策を用いれば一度くらいは勝ちを拾える。
 この一度さえ勝てばいいのだから、いくらでも策を弄するぞ。
 このようにな。『投影(トレース)、開始(オン)』」
詠唱と共に、俺の背後に無数の武器が出現する。
剣がある、槍がある、刀がある、鎌がある、斧がある。
さまざまな形態の武器があり、それらが今か今かと命令を待つ。

俺は、そのうちの一つである日本刀を手に取る。
そんな俺を見て、シグナムの顔には納得と疑問の色が浮かんでいる。
「なるほど、ザフィーラが言っていたのはこういうことか。
 それにしても節操がないな。それだけの種類の武器を、本当に使いこなせるのか?」
「なに、心配には及ばんよ。極みにはほど遠いが、扱う分には問題ない。
元より、さして取り柄のない男でね。一つを極めるより、多くを修める道を選んだのさ!!」
その言葉と共に、刀を構えて斬りかかる。
さあ、今度はこちらが攻めさせてもらう。

下段から切り上げるが、シグナムは難なく防ぐ。
そこで俺は、止められた刀を手放し左手で背後から飛来する物体を掴む。
「なんだと!?」
突然の行動に驚きの声を上げるシグナム。
待機させていた武装を、こういう風に使うとは思っていなかったんだろうな。
せいぜい、ザフィーラの時と同じように射出する程度だと思っていたのかもしれない。

だが俺はそれを無視し、掴んだ槍を突き出す。
意表をついての突きは、寸でのところで剣で弾かれる。
剣で弾かれる瞬間に槍は手放し、右腕で次の武器を取る。

手に取ったのは戦斧。
それを渾身の力で上段から振り下ろす。
足場である魔法陣が、振り下ろされた戦斧の衝撃で鳴動する。
だが、シグナムを捉えることは出来ていない。

さらに畳みかけるように、戦斧を振り下ろした流れを使い、体を反転させて次の獲物を取る。
既に戦斧から手は離されており、左手で西洋剣を取り斬り払う。
シグナムはそれをレヴァンティンで受け、斧をかわしたために崩れた体勢のせいで数歩下がる。
そこを狙い、これまでと同じ調子で順々に飛来する剣を取っては振るう。
そして、振るっては手放し、次の武器を振るうを繰り返す。

その調子で続けること十二撃。しかし、一撃たりとも届かない。
初めこそ驚いていたようだが、すぐにそういうモノと割り切ったようだ。
体勢が崩れることはあっても、心が崩れない。
冷静に一撃一撃を見極め、捌き、受け、次に備える。

だが、こちらの攻めに慣れてきたところで、シグナムが打って出る。
「はぁっ!!」
前の武器を離し、次の武器を掴む刹那の隙。
そこ目掛け、シグナムが剣を振るう。

その瞬間に攻守が逆転し、俺は一本の槍を手にシグナムの猛攻を防ぐ。
本来は、間合いの関係上槍の方が有利なんだけどな。
技量の差か、シグナムはそんなことはお構いなしに攻めてくる。
こちらの攻撃を確実に弾き逸らし、間髪入れずに間合いに踏み込む。

一度間合いを広げ仕切り直そうと飛び退いても、シグナムも全く同じタイミングで前に出る。
その結果、後退と前進が釣り合い、位置が変わるだけで間合いに変化はない。
そのまま、先ほどと同じく絶え間ない、豪雨じみた剣戟が繰り出される。
俺はそれを死に物狂いで防ぎながら、自らも槍を振るう。

だが、どうにも分が悪い。
自由度の高い間合いと長い射程を利用し、薙ぎ払いでもって敵を叩き潰すのが槍の戦い方だ。
しかし、それが思うようにいかない。
双剣に比べれば錬度が落ちるとはいえ、それでも決してなれない武器ではない。
にも関わらず、俺の槍は防がれ、返す刃がこの身に迫る。

確かに強い。疑いようもなく迅い。だが、それ以上に巧い。
こちらの槍を巧みに捌き、間髪入れずに剣を振る。
それを繰り返し、徐々にだが確実にこちらの間合いを侵していく。
このままでは、遠からず奴の剣は俺を捉えるだろう。

無論、大人しくその未来を受け入れる気などさらさらない。
まだ背後には先ほど投影し使っていない武装が待機している。
この猛攻の中、さっきのような武装の連続換装はできないが、それでも使い道はある
「いけっ!」
槍でシグナムの剣を弾きながら命令する。
その命に従い、五つの刃がシグナムに向けて襲いかかる。

あるモノは首の横を、あるモノは脇を掠めるようにして、俺の影からシグナムを襲う。
だが、この騎士はその程度で勝てるほど甘い相手ではない。
ザフィーラからこういう使い方も聞いていたのだろう。
眉を僅かに動かすと、間合いを離すように飛び退き、着地と同時に飛来する刃を打ち落とす。

さすがに、あれだけの勢いで飛んでくる刃を撃ち落としながら、俺の相手をするのは苦しいのだろう。
正直、それがわかっただけでも安堵のため息をつきたくなる。
しかし、せっかく間合いを侵したにもかかわらず、それを躊躇なくこいつは捨てた。
つまり、この程度ならいつでも取り戻せるということだろう。それを考えると、複雑な気分になるな。

とはいえ、五つの刃に気を取られが、その隙はあまりに小さい。
おそらく、ここで飛び込んでも一撃入れるのは難しい。
(やはり、これだけでは足りないか。それなら……)
意を決し、数に限りのある手札を使うことを選択する。
今を逃せば、おそらく次はないだろう。
ならば、なにがなんでもここで一撃入れなければならない。

正直、デバイスの補助なしだと不安があるが、一度だけでいい成功してくれ。
「グラデーション・エア!!」
いつでも飛びこめるようどっしりと槍を構える俺の足元に、赤銅色のベルカ式魔法陣があらわれる。
足を止めた状態で可能な限り緻密に術を構築した、イメージも問題ない。これなら!

俺が術を発動するとほぼ同時に、全ての刃を叩き落とされた。
だが、そこでシグナムの顔色が変わる。
「っ!!」
弾かれたように後ろを向き、鞘を取り振るう。
今、目の前で槍を構えている俺を無視して、だ。

だが、その危険を冒してまで振るった鞘は虚しく空を切る。
「バカな!?」
いや、空を切ったというのは正しくない。
シグナムの鞘は確かに目当てのものを捉えた。
ただ、その対象が鞘に触れた瞬間に消失してしまったのだ。

これこそが待ち望んだ好機!! 今奴は、思わぬ空振りをしたことで体勢が崩れている。
「そら、どこを見ている!!」
一気に接近し、手に持つ黄色の短槍でシグナムに突きを放つ。
直前に気付いたシグナムは、レヴァンティンで弾こうとする。
しかし、完全には捌き切れず、槍がシグナムの右肩を裂く。
それにともない鮮血が舞い、槍の穂先と足元の金色の魔法陣、そしてシグナムの体を紅に染める。

槍の狙いは外れたが、目的そのものは達した。
俺が使ったのはただの槍ではなく、「ゲイ・ボウ(必滅の黄薔薇)」と言う名の魔槍。
彼のフィオナ騎士団随一の騎士「輝く貌」のディルムッド・オディナが妖精王より賜りし宝具。
この槍の能力は、回復不能の傷を負わせる不治の呪い。
この槍で一度つけられた傷は、この槍があるか限りどんな神秘や科学を以てしても癒えることはない。
これこそが、俺の真の狙い。

シグナムを倒すのは難しい。少なくとも、今すぐこの場でケリがつくとは限らない。
場合によっては、この先また対峙する可能性もある。
だからこそ、あるかもしれない次以降の為にこの槍を使った。
ここでシグナムの戦力を削ることができれば、この先があった時に有利に働く。
これで、少なからずシグナムの戦力を削げたはずだ。

念のため、シグナムの肩を切り裂いた槍を捨てる。
まだシグナムはこの槍の能力を知らないが、万が一にも槍を破壊されてはならない。
なら、先ほどまでの武器と同様に捨てたと思うはずだ。こいつの方は、あとで回収すれば問題はない。
複数の武器を使い捨てにしたのも、本当の狙いから目を逸らさせ隠し切るためのもの。

そんな俺の思惑を知らず、シグナムが素直に感心する。ただし、それは俺が先ほど使った魔法に対してだ。
「やられたな。まさか、あんな隠し玉があったとは」
「それは、先ほどの幻術のことかね?」
まあ、かなり珍しい部類に入るからな。だって、ベルカ式で使う奴ほとんどいないらしいし。
近代・古代を問わず、ベルカ式はその性質上サポート系の魔法に乏しい。だが、全くないわけではない。
だから、中には俺みたいに幻術を使うモノ好きもいる。

本来はミッド式が得意とする魔法であり、ベルカ式では応用性が低いのも使用者が少ない理由。
実際、こいつは武器の幻を作ることに限定し特化させた魔法だしな。
しかし、こちらの幻術は、「見せる」モノではなく「作る」モノ。
相手の内に干渉し幻を見せると言うのとは根本から異なり、幻影や幻像に近い。
言わば魔力で出来たハリボテで、表面をイメージで本物そっくりに加工しているという感じ。
これならどうにか、俺の得意分野である「剣」と「作る」の両立が可能となる。

ただし、俺の幻術は少々特殊。
投影魔術を応用し、創造理念・基本骨子・構成材質・製作技術・憑依経験・蓄積年月をイメージすることで、限りなく真に迫ることに成功したのだ。名前の由来もここにある。
その完成度は、たとえ死角から迫られてもなおその存在感を感じるほど。
それは、ついさっきのシグナムの反応が証明している。

とはいえ、上手くいってよかった~……。
なにせ、念入りに準備した万全の状態でも成功率が五割に満たない。
聖杯戦争の時もそうだったが、割りと本番に強い性質なのが幸いした。
今回は上手く行ったけど、実戦での使用には課題が多い。
さっきは使うしかないから使っただけで、上手くいくことなんて期待していなかったもんなぁ。

しかし、そんなことは全く知らないシグナムは、手放しの称賛を贈ってくれる。
「ああ、今までにも少ないながら幻術使いと立ち会ったことがあるが、あれほど真に迫ったモノは初めてだ。
 まさか、視界に入ってもいないのに存在を感じ、背筋に悪寒が走るとはな」
一流の剣士からこの評価。どうやら、一応の完成を見たと言っていいようだ。
とはいえ、おっそろしく魔力効率が悪くて、日に使える回数は二桁に届かないのが難点。
さっきザフィーラと戦った際に魔法陣を使ったし、それも含めるとさらに減るな。

しかし、俺はどこまでいっても、何をやっても贋作者(フェイカー)と言うことか。
それを思うと、思わず苦笑いが浮かびそうになる。
こういうのも、首尾一貫しているというのだろうか?

そこで、突然なのはからの念話を受信する。
『みんな聞いて。わたしが結界を壊すから、その間に転送を……』
確かに、一向に外部からの救援が来る気配がない。
よほどのこの結界が強固なのか、リニスも結界を破ろうとしているみたいだが上手くいかないらしい。
増援が来ることを期待しての戦闘だが、それが望めないなら自力で脱出するしかない。
その意味で言えば、なのはの提案は現実的だ。

今手が空いているのは、なのはとリニスだけ。
他のみんなは、それぞれの役目があり他に手を回す余裕はない。
後はフェイトだが、どちらかと言えばフェイトはなのはほど結界破壊に長けてはいない。
となると、なのはが結界を破りリニスやフェイトが転送を担当するのが適任だろう。

だが……
『アンタね、自分の状態を把握した上でそれ言ってるの?』
凛が不機嫌を隠さない声音でそれを制す。
そう、なのはは決して万全の状態ではない。むしろ、ボロボロと言っていい状態だと聞いている。
そんな状態で大技を使えば、体にかかる負担は無視できない。

しかし、それで引き下がるようななのはでもない。
『でも、みんなが戦ってるのに何もせずにいるなんてできないよ。
 それに、スターライト・ブレイカーならこの結界だって撃ち抜ける!』
『凛、なのはさんは私が監督しますから、どうか許してもらえませんか』
また、リニスまで頭を下げてくる。
なのは一人だと危なっかしいが、リニスが見ていてくれるなら………。

問題は、結界を破壊してもまた張り直されてしまうかもしれない可能性。
だけど、それでも再度展開し直すには若干のタイムラグがあった。
さっきはほかのみんなとの連携が取れていなかったが、今なら破壊したその瞬間にまとめて転送できる。
その点でも、これは十分有効な手段だろう。

凛もそれはわかっている。それに加えてリニスの進言まであったせいか、渋々承諾の意を示す。
『はあ~~~……わかったわよ。じゃあその間は私達が時間を稼ぐから、確実に成功させなさい。
 ただし、絶対に無茶はしないこと。したら折檻が三倍になると思いなさいよ、二人とも』
ああ……つまり、折檻するのには変わらないんだな。
その言葉を聞き、なのはは絶望色のリニスは沈痛な声で「はい」と答える。
助け船くらい出してやりたいが、受信はともかく送信ができないので見送るしかない。

しかし、これで方針が決まった。
それなら、俺たちの仕事はシグナムにそれを気付かれないようにするか、あるいは絶対に行かせないこと。
今はちょうどいい舞台にいるし、何とか時間を稼がないと。

そのことは決して表に出さず、先ほどまでと変わらないやり取りを続ける。
「だが、所詮は幻。実体がないのであれば、恐れることはない」
「虚勢はよしたまえ。君にこの魔法の有用性がわからないはずがない。
 私は武器を呼び出す事が出来る。その私が武器の幻を作る。それも虚実の見極めが恐ろしく困難な幻だ。
 さて、君は一体どうやって本物と幻を見極めるのかね?」
もし虚実の見極めができれば脅威はないが、できないのなら迂闊な対応は命取り。
判断を誤れば、さっきの様に致命的な隙を生むことになるし、逆に剣が体を貫くことになるかもしれない。
まあ、実を言うとどこにも本物なんてないんだがな。

そこで、肩の痛みに眉をしかめていたシグナムの顔に、おもむろに笑みが浮かぶ。
「……ああ、確かにお前の言う通りだ。私には、虚実を見極める術がない。
 これは、一瞬たりとも気が抜けんな」
言っている内容とは裏腹に、その声音には隠しきれない喜色が含まれている。
まるで、長い間待ち望んだ何かを見つけた子どものような印象さえ受ける。

「その割には、ずいぶんと嬉しそうに見えるが?」
「わかるか? 数多の敵と戦ってきたが、お前ほどの難敵はそうはいなかった。これで心踊らない筈がない。
 それに、その若さでその実力としたたかさ、よほど良い師に恵まれ、練磨絶やさなかったのだろうな。
 先の武芸百般ぶりといい、才なき身でたいしたものだ」
この短いやり取りでそこまでわかったか。
さっき自分から「取り柄がない」と言ったが、それを謙遜でも何でもなく事実だと認識している。
シグナムは衛宮士郎と言う人間の戦闘者としての性質を、大まかにだが把握したらしい。

だが、シグナムの顔には僅かに喜び以外の何かが含まれている。
なにか、策でも練っているのだろうか?
いや、むしろ何か疑問を感じているというのが正しいように思う。
時間稼ぎもしたいところだ。ここは一つ、疑問に答えてみるのも手か。



Interlude

SIDE-シグナム

まったく、これほどの高揚はいつ以来だ。
テスタロッサの太刀筋も見事だったが、この男はその上を行く。
まさか、主とさほど年の変わらぬ子どもがこれほどのレベルに至っているとはな。

しかし、何故だ。何故私は、衛宮に言いようのない違和感を覚えるのだろう。
奇妙な所は多々ある。
研ぎ澄まされた剣技、境地に至った弓、見なれぬ魔法、どれも異常の一言だ。
まあ弓は反則、魔法は未知であることを考えれば、ここで深く考えても意味はない。
だが、剣だけはそうはいかない。あれだけは、私の持つ基準と照らし合わせることができる分、異常さが際立つ。

いや、それだけではない気がする。もっと…もっと別の何かがある気がしてならない。
正体の掴めない違和感に、らしくもなく二の足を踏んでいる。
浅くない傷を負って弱気になっているのかとも思ったが、違う。
私はこの程度の傷で怯んだりはしない。将が弱気になれば、全体の士気にかかわる。
なにより、敵の力に奮い立ち果敢に攻めるのが普段の私だ。

だからだろう。私の中の何かが、このまま戦うのは危険だと警鐘を鳴らすのを強く自覚する。
そこで、奴から思いもよらぬ言葉がかかる。
「その様子では、何か聞きたい事でもあるようだな。答えられる範囲の事なら答えるが?」
まさか本気で言っているとも思えないが、情報操作が目的か?
だが、信じるか否かはこちらの自由。それほど意味のあることでもない。
目的もわからずに、迂闊に乗っていいものか……。

僅かに逡巡するが、剣を振るう者としてこの疑問を無視することはできなかった。
「……………ならば、一つ聞きたい。その剣、どうやって身につけた?」
数多の武器の中で、ひときわ目を引いた黒白の双剣。
正直に言えば、奴の剣に魅かれたと言ってもいい。
舞うような双剣の軌跡は清流で、その心に邪なモノがないことを如実に物語っている。
才能や天賦の物に左右されない、鉄の意思で鍛えられた技量。
テスタロッサのそれとは違う、非凡ではないからこそ届く頂。

おそらく、鍛えれば大抵の人間がそこに届くだろう。
だが、そのために必要な時間と鍛錬の数は計り知れない。
千人いれば千人が途中で挫折し、あるいは絶望し道半ばで諦める。
だからこそ、そこに至った奴の心の強さが窺える。

しかし、返ってきた答えには私の予想以上のモノはなかった。
「どうやってと聞かれてもな。日々の鍛錬と実戦の中で磨いた、としか言いようがない」
「そんなことはわかっている。お前の剣はそういうものだ。
 一切の無駄を削ぎ落とした無骨な剣。華やかさこそないが、研ぎ澄まされた美しさがある。
 だが、それには膨大な時間が必要なはずだ。技量や経験とお前の年齢は、あまりに不釣り合いだと言っている」
そう、本来あの若さで至れるようなモノではない。
良い師に学び、鍛錬の質を上げ、戦闘経験を積んでも純粋に時間が足りない。
異常なまでの戦闘経験の豊富さといい、まるで時間の流れを無視しているかのようだ。

鋭い眼差しで問いただすが、それに動じた風もなく皮肉気な笑みで流される。
まったく、本当に子どもか? こいつは。
「それを言うのなら、私の弓もそうではないかね?」
「そちらは考えるだけ無駄だ。確かにお前の射は美しかったが、アレを倣うことなど誰にもできない。
 お前のそれは最早“術”ではなく、一種の特殊能力だ。
 そんなものを一般的な基準で測ることがそもそも間違っている」
どうも奴は、自分が一つの境地に至っているという自覚が薄いようだが、もはや奴の弓は術ではない。
初めから出来る者は、どうすれば出来るようになるかわからない。故に、できない者にそれを伝えるのも不可能。
術とは人に伝えてこそ。伝えられない時点で技術とは呼べず、ただの能力だ。
人間が鳥に飛び方を教わっても飛べるはずがないのと大差はない。

「ふむ、興味深い意見だ。確かに、弓に関しては基本以上を指導できるとは思えんな。
なるほど、能力とは上手い例えだ。
では、魔法も同様と考えているのかな?」
「見たこともない術式を自分の基準で判断するほど愚かではない。
 引き起こされる結果さえわかっていれば十分だろう」
衛宮は転送を使うようだが、その対象や範囲を勝手に決めるのは命取りになる。
固定観念は捨て、転送ができると言うことだけ知っていればいい。

「ああ、たしかに、全くもって正論だ」
そう応じる奴の顔には、相も変わらず皮肉気な笑みが張り付いている。
おかげで、その本心を窺うことができない。これと腹の探り合いをするだけ無駄か。

しかし、いつの間にか立場が逆になっていたな。
これも奴の狙いなのかはわからんが、軌道修正すべきだろう。
「いい加減、私の質問に答えたらどうだ?」
「む? ああ、どうやって剣を修めたのか、だったな。申し訳ないが、先ほどの答えがすべてだよ。
 ………いや、あえて付け足すなら、元々はある男の模倣からはじめた事だったか」
言うまでもなく、技の伝承とはすべて模倣から始まる。
わざわざ付け加えるようなことではないし、こいつの磨き抜かれた剣技の説明にはならない。
まったく、ここまで不明な点の多い敵というのもそうはいなかったぞ。

「別に師はいたのだがね。彼女の剣は私には合わなかった。
 奴の剣を真似るのは正直いい気分ではなかったが……」
衛宮はどこか遠い目をしながら、さまざまな感情が入り混じった顔をしている。
その男に対する感情は、かなり複雑らしい。

衛宮はさらに続けようとするが、そこで桁外れの魔力を感知する。
(なんだ、このすさまじい魔力は!?)
仲間のものではない。
なら、これほどの魔力を使うということは、目的は一つ。
やけに饒舌だとは思ったが、これが狙いだったのか。

まずい、今はまだそれをさせるわけにはいかない。
衛宮と戦っている場合ではなくなった。
今すぐ阻止しなければ、結界が破られる。

Interlude out



適当に話を引き伸ばしている最中、突如としてシグナムの表情が変わる。
驚愕の後、顔をあらぬ方向に向けた。気付いたか。
「ふぅ、もう気付いたのかね? すまないが、もう少しばかり相手をしてもらうぞ」
ビルの谷間にいたおかげで眼に見える変化がなかったのが幸いしたが、さすがにそれも限界らしい。
なのはが収束砲の準備を進めることで、その膨大な魔力の波動を感知された。

「私とて、できればここで決着をつけたいが、そうも言ってはいられん。この勝負、預けるぞ」
「それはそちらの都合だな。こちらにはこちらの都合がある。二対一になるが、諦めろ」
別に、本気でフェイトに戦わせるつもりはない。だが、そう意識させるだけでも意味はある。
フェイトもその意を汲んでくれたようで、シグナムの上を塞ぐ形でフォトンランサーを待機させる。
バルディッシュの補助がない分、少々数が少ないがこれで充分。

空を見上げ、抜け出すことの困難さを知ったシグナムは諦めたように告げる。
なのはのところへ向かうにしても、俺を何とかしておきたいところだろう。
進路を妨害された状態で背を向けるなど、自殺行為以外の何物でもない。
「……仕方がない、か。だが、殺さずに済ます自信はないぞ」
「それはこちらも同様だ。極力殺さぬよう配慮するが、それもどこまで上手くいくか」
これは、紛れもない俺達の本音。
シグナムを相手に絶対はない。勝てるかどうかさえ分からないのだ。
その上、確実に生かして倒すとなると、半ば運任せに近い。

「ならば、お互いに全身全霊で戦おう。
 その結果、望ましくない事故が起きたとしても、その責を負う事を誓う」
「ふっ、そう簡単に死ぬつもりはない。その危惧、杞憂にして見せよう」
ここから先は無言。もはや語ることはない。
ベルトにさしておいた干将・莫耶を握る。
シグナムも、構え迎え撃とうと剣を構える。

双剣を握る手に力がこもる。
ゲイ・ボウは当てた。だが、できればここで仕留めておきたいのも事実。
しかし問題なのは、俺とシグナムの力の差。
以前の体であれば、防戦ながら拮抗するくらいはできただろう。技量の差を、経験と戦術で埋めることができた。
ところが、子どもの体になったせいで基本的な性能が落ちている。
これでは守りに徹してもなお、剣の打ち合いではジリ貧になるのはこれまでの剣戟で証明されている。

だからこそ、ここまでひたすら奇策に訴えてきた。
現状、まともに打ち合っては勝ち目がない。
ならば、勝てる何かを創造(想像)せねばならない。

そこで選んだのが、この双剣。
長い戦いの人生の中で、最も手に馴染んだ愛剣だ。
当然、それには理由がある。
ただ、投影しやすいと言うだけではない。ただ、最も衛宮士郎にあっている武器と言うだけでもない。
数多の戦いの果てに辿り着いた、とっておきの奥の手が存在する。
多くの戦いを制してきた“必殺の一撃”があるからこそ、干将・莫耶は衛宮士郎の愛剣なのだ。

二つの曲線。
引かれ合う陰と陽。
連続投影。
剣術自体は基本を守る。
そして、突如として伸びる間合い。
それこそが、衛宮士郎が編み出した唯一つのオリジナル、究極の四手。

こちらの気迫が満ちていることを感じ取ったのか、敵は僅かに腰を落とす。
「―――鶴翼(しんぎ)、欠落ヲ不ラズ(むけつにしてばんじゃく)」
左右の双剣を同時に投げる。
それぞれに魔力をこめての一投。
それと同時に、敵もまた動きだす。

双剣は、ちょうど敵上で交差するように飛翔する。
鶴翼が描くのは、美しい十字。
それを、それまでより一歩深く踏み込むことで、敵は紙一重のところでかわす。
僅かに掠めたのか、数本の髪が風に散り、両の頬に紅い血の線が引かれる。

双剣は狙いから外れ、騎士のすぐ後ろで十字を象り、そのまま遥か彼方へと飛んでいく。
下がるのではなく、止まるのでもなく、そこでより深く一歩を踏み出すことがどれほど困難なことか。
僅かでも躊躇すれば、そこで双剣は奴の体に突き刺さっていただろうに。
それを恐れず、平然とやってのける目の前に迫る騎士に、改めて脅威を感じる。
まったく、わかっていたつもりだったが、とんでもない奴を敵に回した。

敵の進行は止まらず、その手にある剣も十分に力を蓄えている。
対して、こちらはこれで無刀。
だが、そんなことは構わずに俺もまた突進する。

普通に考えれば、明らかな自殺行為。だが……
「―――『凍結(フリーズ)、解除(アウト)』」
あらかじめ用意しておいた干将・莫耶をもう一度作り上げ、奴を迎え撃つ。
少々予想と違ったが、それでもこの状況は想定済みだ。

俺の手の双剣を目にし、シグナムの目つきが変わる。
「っ!」
おそらく、これを先ほど投げた双剣だと思っているのだろう。
これまで同様、失った剣を転送し改めて構えたのだと。だが、それこそがこの技の罠。

奴の間合いに入り、カートリッジが排出され、炎を纏うバカげた力を乗せた一撃が振るわれる。
「紫電…一閃!!!」
「―――心技(ちから)、泰山ニ至リ(やまをぬき)」
それを、双剣と足に渾身の力をこめ、振るわれる剣に向けて叩きつける。
この一度だけでいい。何としても一歩も下がらずに、この場に踏みとどまる。

その目的は達し、衝撃に押されながらも俺は変わらずその場所に立ち続ける。
しかし、かろうじて剣は手放さなかったが、すぐに剣を振るえる状態ではない。
振り下ろされた奴の剣に、力負けしたのだ。

(まったく、あの肩の傷で、何でこんな一撃が打てるんだ)
と、そう思わずにはいられない。
決して浅くない傷のはずだ。事実、今の一撃でさらに傷が開いたのか、僅かに鮮血が舞っている。
いや、むしろカートリッジまで使われてなお耐えきれたのは、肩の傷があるからこそか。

しかし、これで今度こそ絶対絶命。
ここは奴の間合いの中。
あちらはすぐにでも剣が振れるが、こちらは一度体勢を立て直さなければ迎撃することはできない。
それまでにかかる時間は一秒もないだろう。だが、シグナムにとってはそれで充分。
次に振るわれるであろう剣を、俺には防ぐ手がない。
体勢を整える前に、奴の剣は確実にこの体を断つだろう。

シグナムもそれを確信し、振り下ろした剣の勢いをそのままに、今度は薙ぎを放つべく柄を握り直す。
「終わりだ!!」
シグナムの言葉通り、これで終わり。
剣鱗で防ごうにも、おそらく展開する前にその剣が体に届く。

だが、すでに仕込みは完了している。
「―――心技(つるぎ)、黄河ヲ渡ル(みずをわかつ)」
俺の眼は、シグナムを捉えていない。
俺が見ているのは、そのさらに後ろ。
シグナムの後方から飛翔する、黒白の双剣だ。

言うまでもない。それは投擲し、敵にかわされた一度目の双剣。
干将・莫耶は夫婦剣。
その性質は、磁石のように互いを引き寄せる。
故に、手に片方の剣があれば、もう片方も必ずこの手に戻ってくる。

しかし、敵もまた一人ではない。
《警告! 後方より飛来物!!》
「レヴァンティン、シュランゲフォルム!!」
シグナムの指示と全く同時に、その手の剣がカートリッジを排出する。
すると剣は形を変え、いくつもの節に分かれた蛇腹形態となる。

「はっ!」
シグナムは気合いと共に形を変えた剣を天高く掲げる。
剣はまるで生きた蛇のように動き、シグナムの後方めがけてその身をくねらせる。
結果、後方から襲いかかる干将と莫耶は迎撃される。
奴の体を交点に、十字を描こうとしたその軌道を寸でのところでずらされたのだ。

時間が凍りつく。
全ての動きがスローになり、奴の剣が元の形態に戻ろうとする動きさえ恐ろしくゆっくりだ。
一挙手一投足が、まるで手に取るようにわかる。
それは向こうにも言えることだろう。
一秒にも満たない刹那、互いの状態を確認する。

今の一瞬で、俺は体勢を立て直した。
弾かれた双剣を外から内に振るい、交差する剣が十字を描くだろう。
これが、この攻防における最後のチャンス。

対して、シグナムはまだ剣が戻りきっていない。
おそらく、俺の剣を防ぐには間に合わないだろう。
だが、剣を持つのとは逆の手がいつの間にか鞘を握っている。
鞘はすでに、俺の剣が描くであろう軌跡を塞いでいる。
双剣が鞘を断つまでの一瞬があれば、間合いから外れることなどシグナムにとっては容易だ。
あるいは、戻した剣で勝負を決しようとするかもしれない。

だから、これで詰み。
俺の最後の一閃は、確実に無に帰す。
この攻防は、俺の手詰まりで決着する。
最後の一閃が無に帰し、その後に俺は完全な無防備を曝け出す。
そこを、体勢を整えたシグナムが仕留めて終わる。
最後の最後で、俺は読み違えた。あるいは、運に見放されたのだろう。

――――――――と、奴は思っている。
あいにくと、未だかつて自分の運を頼りになどしたことはない。
エミヤシロウの運の悪さは筋金入りだ。
それは、聖杯戦争でのアーチャーのステータスが物語っている。

ならば、どうやって衛宮士郎は戦い、生き残ってきたのか。
それは共に在り続けた相棒と、この身に培った洞察力の賜物。
心眼。修業と鍛錬、そして数多の戦いの果てに導きだした“戦闘論理”。
逆転の可能性が1%でもあるのなら、その作戦を実行に移せるチャンスを手繰り寄せる。
戦闘では、あらゆる可能性を考慮しなければならない。その中には、当然最悪の可能性も含まれる。
ならば、この状況を予想していないはずがない。

故に、この手にはこの先が用意されている。
「『同調(トレース)、開始(オン)』」
両手に持つ双剣に向け、ありったけの魔力を注ぐ。
限界まで魔力を注ぎ、干将・莫耶の性能を一時的に極限まで引き上げる。
崩壊する可能性は考えない。
一秒でいい。それだけ保ってくれれば、必ず勝利をつかんでみせる。

同時に「強化」の魔術を応用し、より攻撃力を高められるようその形を変える。
―――唯名(せいめい)、別天ニ納メ(りきゅうにとどき)。
「ビキッビキッ」と言う異音をたて、双剣がその形を変える。
刀身は通常の干将・莫耶の倍ほどにも長くなり、棟から鎬にかけてささくれが立つ。
その様は、まるで出刃包丁か翼のようだ。

それを見て、敵の表情が凍りつく。
姿を変えた剣が、ハッタリではないことに気付いたのだろう。
如何に頑丈な鞘であろうと、これだけやれば両断するのは容易い。

無論、急所は外す。
重傷は負うだろうが、死にはしないはずだ。

しかし、ここで騎士はさらに俺の予想を上回る動きを見せる。
「っ!?」
視界の端で、何かが光った。
それが何か判断する前に、首を傾ける。

ザシュッ!

そんな音をたて、俺の右頬の横を何かが通り過ぎていく。
頬に灼熱感がある。おそらく、通り過ぎた何かが切り裂いたのだろう。
目だけでそれを追うと、そこには鋭い銀色の光を放つ血に濡れた切っ先があった。

その瞬間に、それの意味することを理解する。
あれは、蛇腹状になっていたシグナムの剣の先端だ。
こちらの剣が防げないと見るや、剣を戻すのをやめ、そのままの形態で伸ばしてきたのだろう。

目の良さが幸いしたな。
もし気づかなければ、危うく喉を貫かれていたところだった。
そうなれば、よくて相討ち。
悪くすれば、俺の負けだったかもしれない。

だが、正直驚いた。
これは初見でこそ意味をなす技。だからこそ、初見においてこれを防ぐのは至難を極める。
それは、俺のこれまでの経験が証明している。
その意味で言えば、よくここまでついてきたとさえ思う。
まるで、この一連の流れを知っているかのような反応だった。

心に宿ったのは、嘘偽りのない敬意。同時に、シグナムの眼に宿ったモノに気付く。
そこには、悔しさがある。無念もある。だが、それらを感じさせないほどの称賛がある。
「見事」と、そんな声にならない声を聞いた気がした。
「―――両雄(われら)、共ニ命ヲ別ツ(ともにてんをいだかず)!!!」
だから俺は、それに応えるためにも躊躇なくこの剣を振るう。

しかし、剣がシグナムの身を捉える直前、背後から聞きなれない男の声が掛かる。
「ああ。そして、こちらにも都合がある。あと紙一重、届かなかったな」
その言葉に反応し振り返りかけるが、その前にわき腹に衝撃が走る。

ゴキゴキッ!!

完全に隙を突かれた蹴りの衝撃が突き刺さり、肋骨を貫通し内蔵にまで届く。
衝撃で肺からありったけの空気が絞り出され、無様な声が漏れる。
「がっ!?」
蹴りの威力は完全に俺に伝わり、魔法陣から足が離れビルの側面に激突する。
手に持っていた干将・莫耶は、過剰な強化と変化に耐えられなくなり砕け散った。

体はコンクリートの壁に埋まり、蹴りの衝撃で息が詰まる。
呼吸ができない。腹の中をぐちゃぐちゃにされたかのような錯覚さえ覚える。
左わき腹に走る激痛が、あばらを数本持っていかれたことを教えてくれる。

痛みに耐え何とか顔をあげると、そこには仮面の男が浮遊していた。
その後ろには、バインドで拘束されたフェイト。
シグナムはそんな俺たちを見て、状況が理解できないながらも仮面の男への警戒心を露わにしている。
「貴様、何者だ! 一体何が目的だ!!」
「そんなことはどうでもいい。じきに蒐集が終わる。
 この場は退け。お前たちは、まだ捕まるわけにはいかないはずだ」
シグナムの問いを無視し、男はそう告げる。
何者かは知らないが、どうやらシグナム達の目的を知っているらしい。

「そら、結界が壊れるぞ」
男はそう言って、空を仰ぐ。
すると、天に向けて桃色の中に僅かな赤を内包した閃光が伸びていく。

閃光が空を覆う結界を貫く。
その結果、結界は跡形もなく砕かれる。
シグナムは一瞬口惜しそうな表情を見せるが、何も言わずこちらに頭を下げる。
そして、顔をあげるとこの場から離脱した。
仮面の男も、いつの間にかその姿がない。逃げられたか。


俺はなんとかビルの壁からはい出し、フェイトもバインドを破壊する。
お互いに、一度屋上に上がり現状を確認するべく俺は凛に、フェイトはアルフに念話を使う。
仮面の男は「蒐集が終わる」と言った。
言葉の意味はわからないが、シグナム達の目的が何らかの形で達成されたのだろう。

そして、その対象として真っ先に浮かぶのは……
『凛、なのはは?』
『ごめん、してやられた。
 命に別条はなさそうだけど、かなり衰弱してる。
 今はユーノが回復魔法をかけてくれているけど、早くちゃんとした治療をした方がいい』
やはりか。何があったのかはわからない。
だが一つ言えるのは、今回は俺たちの完敗だと言うこと。

しかし、あの仮面の男は一体何だったんだ?
シグナムも知らないみたいだったが、少なくともこちらの味方と言うことはないのだろう。
それに、あれは相当な手練だ。
いくらシグナムに集中していたとはいえ、完全に背後を取られるなんて。

いや、今はなのはが心配だ。
フェイトも、なのはのことが気になるせいか顔色が良くない。
とりあえず、いったんみんなと合流するのが先決か。



Interlude

SIDE-リニス

私は、その瞬間我が目を疑った。

ユーノ君が張った結界が解かれ、なのはさんが収束砲の準備をする。
私は、誰かが妨害しにかかることを想定し、周囲を警戒しつつ転送魔法の準備を整えていた。
二つの作業を同時に進行していたが、決して油断はしていなかったし、異変もなかったはずだった。

だけど、それは起こった。
なのはさんが収束砲を撃とうと構えた瞬間、あり得ないモノが現れたのだ。
なのはさんの胸から手が伸び、彼女のリンカーコアを捕獲した。

気付いた時にはすでに遅く、迂闊にその手を攻撃しようものなら、リンカーコア自体を傷つけてしまうかもしれない。そうなれば魔力の暴走を誘発するかもししれないし、プレシアのようなことになりかねないのだ。
このままでいいはずもないのは承知しているが、手をこまねいて見ていることしかできない。
こうしてリンカーコアを確保されてしまった時点で、既に手詰まり。
こうなる前に気付かなければならなかったのに……。

そのことに歯噛みする私を無視して、なのはさんのリンカーコアは徐々にその光を小さくしていく。
(なのはさんの魔力を…吸収している?)
こんな魔法に見覚えはないし、聞いたこともない。
だけどこの手によって、なのはさんのリンカーコアは着実に弱ってきているのは紛れもない事実。
だけど、いったいどうすれば……。

有効な手立てが浮かばず、手をこまねいていることしかできない自分が歯痒かった。
だが、それでもなのはさんは収束砲を撃とうとする。
「いけません!! そんな不安定な状態で撃ったら、どんなことになるか分からないんですよ!!!」
魔力の源であるリンカーコアに干渉されている最中に、収束砲なんて言う規格外の砲撃を撃つ。
そんなことをすれば、リンカーコアに何らかの障害が残るかもしれない。
それどころか、リンカーコアの機能それ自体が停止するかもしれないし、最悪の場合命にかかわるかも。

無理矢理にでも止めようとしたところで、有無を言わせぬ指示が飛ぶ。
「リニス!! こっち任せた!」
私は思考するよりも先にその命令に従い、こちらに飛来する赤い人影とすれ違う。
そして、その後ろから迫るもう一つの人影を阻むべく、フォトンランサーを撃ち出す。
それによって足が止まり、私はヴィータと言う少女と対峙する。
私に勝てる相手とは思わない。でも、足止めくらいなら……。

私とすれ違ったのは凛だった。おそらく、一早くこの異常に気付いて駆けつけたのだろう。
凛はなのはさんの横に降り立つと、レイジングハートに命令する。
「ありったけの魔力をこっちに移しなさい! 後は私がやる!!」
リンカーコアの魔力はある程度の互換が可能。
つまり、他人の魔力をもらったり、他人に魔力を分け与えたりすることができる。

凛がやろうとしているのは、スターライト・ブレイカーの魔力を自分に移すこと。
そうすることで、なのはさんにこれ以上負担をかけないようにしようとしている。
つまり、なのはさんから魔力を移し、そのまま凛がスターライト・ブレイカーとして撃とうと言うのだ。
これは凛もスターライト・ブレイカーは使えるからこその判断。

レイジングハートもその意をすぐに把握し、明滅しながらもカーディナルに魔力を移す。
《おね…がいし、ます》
《あとは、任せてください》
二機のデバイスの間で交わされる、短いやり取り。
その間にも、レイジングハートの前に収束されていた魔力がカーディナルに移っていく。

それを見ながら、なのはさんが弱々しい声を発する。
「り、凛…ちゃん?」
「ったく、なに無茶やってんのよ、アンタは。
…………でも、よく頑張ったわ。あとは任せて、アンタは休みなさい。お疲れ様」
頭に手をやって呆れていたかと思うと、今度は母親のように優しい声をかける。
その声に気が抜けたのか、なのはさんの意識が落ち倒れ込む。それと同時に、胸から出現していた腕も消えた。
凛の左手はなのはさんの背を支え、右手でカーディナルを握りしめるのを視界の端で捉える。

凛はなのはさんの胸を睨みつけながら、先ほどまであった腕の主に向けて宣言する。
「どこのどいつか知らないけど、私の弟子に随分なことやってくれるじゃないの。
 今は見逃してあげるけど、必ず追い詰めて、この落とし前はきっちり付けてあげるわ」
その声には、さっきまでの優しさは微塵もない。あるのは、まるで猛獣のような獰猛さ。
その時確信した。この手の主は、たった今踏んではならない竜の尾を踏んでしまったのだと。

そして、完全に魔力の委譲を終えた旨をカーディナルが告げる。
《マスター、準備が整いました》
「オーケー。それじゃ、いくわよ。
 スターライト………ブレイカー!!!」
凛に委譲されたせいか、その巨大な魔力球には若干赤が含まれている。
また、なのはさんの手元にあった時より縮んでいる。
いくら互換できるからと言っても、他人の魔力は扱いづらいのだろう。
そして、凛はそれに向けて、カーディナルの柄頭に嵌め込まれた宝石を叩きつける。

放たれたスターライト・ブレイカーは天を覆う結界を貫き、そこから結界が砕けていく。
私の目の前にいた赤い少女は、結界が破られたのを見ると躊躇なくその場から離脱する。
どうやら、他の二人も同様のようで幾筋かの光条が四方に散っていくのが見えた。

私は後を追わず、なのはさんの元に移る。
ここで深追いしても危険なだけ。今は、なのはさんの方が心配だ。
向こうからは、ユーノ君とアルフがこちらに向かってくる。
フェイトと士郎もじきに来るだろう。


私達はその後、なのはさんと士郎の治療のためにアースラに身を寄せることとなった。

Interlude out



SIDE-???

私は、最近になってやっと慣れてきた料理の出来に満足しながら、同居する少女と共にテーブルに料理を並べる。

……といっても、作ったのはほとんど少女の方で、私はそのお手伝いをしただけなんだけど。
それでも、シャマルよりは料理の腕が上の自信がある。
みんなからの評価だって、少しずつ上がってきているんですもの。
一緒に料理をしたはやても、「教えがいがある」って誉めてくれたし。
きっとそのうち、一人で台所に立つ許可だってもらえるはず。
娘のように思っている子に、料理を教わるのはちょっと情けないけど……。


もう料理の方は並べ終えるけど、食べるのはまだ先。
なぜなら、まだ家族が揃っていないもの。
だから、みんなが帰ってくるまで少しの間待つことになる。

こうしていると、まだみんながあらわれる前の、二人で過ごしていた頃を思い出す。
決して長い時間じゃなかったけど、あの頃は戸惑いの連続だった。
思い出すと、つい笑みがこぼれてしまう。
でも、確かにあの頃もよかったけど、今の方が私は好き。
だって、今の方が賑やかで、あの頃よりもなお一分一秒が満ち足りている。
たった一つの、憂い事を除けば……。

でも、こうやって二人の時間を楽しむのもすぐに終わる。
少し前に、シャマルから他のみんなと急いで帰るという旨の電話があった。
初めは操作に四苦八苦していた家電の扱いも、今では随分手慣れてきたと思う。
少なくとも、以前のように逐一はやてに操作方法を聞かなくてもよくなったのは、目覚ましい進歩のはず。
あの人が今の私を見たら、いったい何を思い、どんな表情をするのだろうか?

そうしていると、私の知覚に何かが引っかかる。
「あら?」
「ん? どないしたん?」
玄関の方を見た私に、はやてが尋ねてくる。
でもその顔には笑みが浮かんでいて、多分私の反応の意味に気付いているのだろう。

この家の周りには結界が張ってあり、そこに何かが触れると私に伝わるようになっている。
つまり、誰かがこの家の敷地の中に入ったということ。
覚えのある気配だったから、やっぱりあの子達ね。
「みんな、帰ってきたみたいよ」
そう答えると、はやての顔が一層綻ぶ。
待ちかねた家族の帰りに、年相応の反応を示す。
大人びたところのある子だけど、こういう所は実に子どもらしいと思う。
その笑顔に、思わず残してきた娘の顔がダブる。

はやては待ち切れないのか、車椅子を動かし玄関の方に向きを変える。
「じゃあ、迎えにいこか?」
「ええ、そうしましょうか」
ここで待っていたっていいのでしょうけど、せっかくだからお出迎えして驚かすのもいいかもしれない。
私は車椅子の後ろに回り、慣れた手つきで押す。


玄関前まで来ると、ちょうど扉が開くところだったようで取っ手が動く。
そうして扉が開き、愛おしい家族が帰ってきた。
「ただいまぁ~。あぁお腹すいたぁ。はやて、早くご飯にしよ」
「意地汚いぞ、ヴィータ。主はやて、ただいま戻りました」
「あ!? ごめんなさい、はやてちゃん。わざわざ出て来てもらっちゃって」
ヴィータにリードを引かれるザフィーラを除く全員が、それぞれ思い思いに帰宅を告げる。
本当に、ここはにぎやかになったわ。

そんな家族に向けて、はやても満面の笑みで迎える。
「そんなん気にせんでええよ、シャマル。それと、お帰りみんな。
 ご飯もう出来とるから、手洗ってうがいして、はよ食べよ」
その笑顔には非の打ちどころがなく、心からの喜びに満ちている。
半年と少し前からは考えられないほどの幸せを、今はやては感じているんでしょうね。

だけど、何でみんなはやてにだけ話しかけるのかしら。
そりゃあね、はやてがみんなのマスターなんだからしょうがないと思うんだけど、お母さんさみしい……。
「みんなヒドイ!! なんで誰も私に『ただいま』って言ってくれないの!
 もしかして私、この家にいちゃいけないの……」
涙目になって、「よよよ……」という擬音が聞こえそうな仕草で座り込む。

すると、はやてもそこに便乗してくる。
「ごめんな。みんなには後でわたしから言っとくから、泣かんといて。
 大丈夫。わたしだけは味方やから、元気だそ」
私の手を取り、潤んだ瞳で語るはやて。
まるで、以前ドラマで見た姑のような扱いね、みんなが。とすると、私は虐められる嫁かしら?

ちなみに、いつの間にかザフィーラもこちら側にいて、涙に濡れる私の顔を舐めて味方であることを主張する。
我が家の優秀な番犬は思いの外要領が良く、ちゃっかりしているらしい。

それを受けて、各々口ごもりながらも弁明する。
なんというか、乗せやすい子たちだわ。
「あ、いえ、決してそのようなわけでは……」
「ご、ごめんなさい!? 私、そんなつもりじゃ」
「べ、別に泣かなくてもいいじゃんかぁ~……。つーかザフィーラ! 一人だけ抜け駆けしてんじゃねぇ!!」
みんな慌てふためき、必死になって慰めてくれる。
ヴィータなんて「アワアワ」と言う感じに困り果て、遂にはザフィーラに八つ当たりする始末。
まあ、一人だけ保身に走れば、周りからヒンシュクを買うのは当然よね。

しかし、せっかくだからもう少し悪戯を続けちゃおうかしら。
「そうね、私にははやてとザフィーラがいるものね。
 はやての騎士たちは私のことが邪魔みたいだけど、私負けないわ」
「「「誰もそんなこと言ってません(ねぇよ)!!!」」」
口を揃えて力一杯否定する守護騎士一同(守護獣除く)。
あらあら、そんなに必死になっちゃって、嬉しいわ。

あんまりイジメ過ぎても可哀そうだし、そろそろ許してあげようかな。
「ふふふ、ごめんなさい。別に怒ってなんかいないから、安心して」
ついさっきまでの涙目が嘘のように(実際嘘泣きだったのだけど)、口元に手をやりながら笑いかける。
それを見て、あのシグナムまでも「はぁ~~」っと、深く深く溜息をつく。
その顔は疲れ切っていて、心底慌てていたことを物語っている。

気を取り直し、一同を代表してシグナムが苦言を呈する。
「我々にも非はありますが、悪フザケもほどほどにしてください。
 疑う余地などなく、貴女も掛け替えのない家族なのですから」
ええ、わかっているわ。でも、あなたたちのそんな反応も楽しくて仕方がないのよ。
以前のあなたたちときたら、まるで人形のように表情や感情と言うモノに乏しかったんだから。
まあそれも、表に出す方法を知らなかっただけなことは、今のあなたたちを見れば明らかだけど。
もしかしたら、あの人と出会ったばかりのころの私もそうだったのかもしれないわね。

そこで、シグナムが改まったように姿勢を正し、一つ咳ばらいをする。
「ゴホン。まあ、それはそれとして一言よろしいでしょうか」
「え? なに?」
もしかして、やり過ぎちゃったかしら。
シグナムのお説教って、長いのよねぇ。
私はまだされたことがないけど、シャマルやヴィータが時々怒られているのを見る限り、かなりのものだ。
シグナムは正座を気にいっていて、お説教の間はずっとそれ。
その状態で、数時間にも及ぶお説教をクドクドと続けるんですもの。ヴィータじゃなくても嫌がるわ。

しかし、そんな私の嫌な予想は大外れだったのだった。
「ただいま戻りました、アイリスフィール」
「アイリ、ただいま」
「アイリさん、遅くなってごめんなさい」
「ウォンッ!」
みんなは笑いながら、少し遅い帰宅の言葉をかけてくれる。
ここは玄関先だから、ザフィーラだけは念のために鳴き声になるけど。
だけど、それでもうれしいことには変わらない。だって、こうしてわざわざ言い直してくれたんですもの。
思わずジ~ンっときて、目頭が熱くなっちゃった。

それなら、私もちゃんと返さないといけないわね。
「ええ、お帰りなさい」
零れそうになる涙を指先で拭い、私もまた笑顔で応える。


彼女等が、今の『アイリスフィール・フォン・アインツベルン』の家族。
ここが今の私の居場所にして、帰るべき家。
一度は全てを失った私の、掛け替えのない宝物。

これを守るためならば、私はどんなことだってしてみせる。
それがたとえ、この身と命を捨てることになろうとも。






あとがき

ああ、やっと最初の戦闘が終わりました。
原作二話目が終わるまでにかかった話数、実に6話分。
長いなぁ、当初の予定を軽く超えてますよ。
戦闘の方も、当初は二話位を考えていたのにいつの間にか倍ですからね。
自分の計画性の無さに呆れてしまいます。

まあ、それはともかく。
ちょっと予定を変更してここで待望の新キャラ、みんなのお母さん「アイリ」に出てもらいました。
本当は、次回あたりで出す予定だったんですけどね。
「なんでいるのか」や「どうして生きているのか」など、疑問は多くあると思います。
一応、そのあたりは考えてあります。
ですが、かなり無理のある設定かもしれません。
でも、いいんです! だって、この人を絡ませたいんですから!! 苦しいとか言っちゃだめなんです!!!
そういえば、あの人の稼働年数はまだ九年位なので、ある意味はやて達と同い年なんですよね、人生経験とか。

しかし、本当にタイトルはこれでよかったのでしょうか。
だってあの人が出たのは最後だけなんですよ。
けれど、たぶんこの話で一番重要なのはアイリの事だろうし……。
他にいいタイトルも思いつかないので結局これにしたのですが、まだ悩んでいたりします。

でも、鶴翼三連が使えたのでそのあたりはちょっと満足。
戦闘の方も、前回と違い割と正攻法に近い戦いをしていたと思います。
まあ、それでも奇策の類に近い戦い方だとは思いますけどね。
士郎がシグナム相手に互角に戦えたのも、基本的に奇策を繰り返したからです。
普通に戦えば、身体能力が落ちていることもあって確実に圧倒されてしまうんですけど。
あとは、ザフィーラの時と違って完全な真っ向勝負かつ同じ土俵で戦えたのが大きいですね。
ただ、拮抗できる相手よりいっそ圧倒的に不利な相手の方が士郎は戦いやすいのでは? と思った回でした。

さて、最後に士郎初のまともな魔法「グラデーション・エア」について、ちょっと解説を。
元々は、投影する際の工程が幻術にも応用できそうだと思ったのがきっかけです。
あれだけ緻密にイメージしているのですから、綻びもほとんどないでしょう。そうなると、幻を作る上でも効果的かなぁと。
他の魔法と違って魔力で幻を「作る」わけで、属性があっていれば上手くいきそうです。
士郎の幻術は基本的に武器関係に限定し、複雑な動きもしないので割と使いやすい仕様なのです。
ただそれでも、士郎の場合デバイス抜きだと動きながらだと使えませんし、成功率も低いんですけどね。
ただし、イメージが恐ろしく緻密なので、その存在感は通常の幻術の比ではありません。
問題なのは士郎の魔力量が乏しい事で、日に数本分程度の幻しか作れないことです。まあ、カートリッジを使えばその辺りを補えるんじゃないでしょうか。
また、宝具級の武器だと魔力などの異質さから虚実の判断は可能です。
あと、ベルカ式のくせに幻術って、特殊にもほどがあるでしょう。そのあたりが逆に士郎らしいと思いました。決して王道の能力は持っていない所とか。
それに、士郎はどこまでいっても贋作者(フェイカー)です。なら、魔法もそれに違わぬものであるべきでしょう。

ちなみに、魔法の名前が英語なんですが、近代ベルカ式はどうもその辺が曖昧なんですよね。
スバルやギンガは、普通にミッド式と同じ英語の名前の魔法も使ってるんですよ。
スバルはミッド式への適性はないらしいんですが、それなのに名前が英語なのです。
なので、そこまで厳格にドイツ語にはこだわっていません。その点はご了承ください。
というか、一応「グラデーション」と「エア」のドイツ語訳も調べて、「Abstufung」と「Luft」であることはわかりました。でも、今度はそれの発音がわからないので、結局どうしようもなくなってしまったんですけどね。
Luftの方は、多分ラフトだと思うんですが、もう片方はどう発音するのやら。
訂正:ROM猫様からのご指摘によると、ラフトではなく「ルフト」らしいです。
また、名無し様からの情報によると、「Abstufung」は「アプシュトゥフンク」と発音するそうです。
あるいは、StlaS様の情報によると「アップ・シュトゥーフング」と発音するらしいですけどね。
まあどちらにせよ、語呂が悪そうなので使うことはないと思いますが。

しかし、今回はいつにも増して反応が怖いですね。
士郎の魔法については、非難轟々になりそう。
出来たらお手柔らかにお願いします。



[4610] 第25話「それぞれの思惑」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:fd260d48
Date: 2009/11/17 17:03

SIDE-凛

甚だ不本意ながら、今私達は時空管理局の本局にいる。
っていうか、どう見たって「宇宙要塞」の類じゃないのよ、ここ。
アースラが宇宙戦艦だから……次は何が出てくるのかしらね? 怪獣? それとも、どっかの戦闘民族とか?
正直、要塞が出てきただけでもう十分だから、そろそろ終わりにしてほしいわ……。

で、なんでこんなところにいるのかと言うと、一番の理由は士郎となのはの治療のためだ。
士郎だけなら私一人で十分なのだが、なのははそうはいかない。
さすがにリンカーコアのことなんてわからないし、そっちは専門家に任せるしかない。
その弟子を他人に預けっぱなしにするわけにもいかないし、ついて行かざるを得なかった。

ちなみに、私も含む他の面子は割と軽傷。
と言っても、私も腕の骨にヒビが入ってるんだけど。
まあ、この程度なら完治までにはそうかからないでしょ。
士郎と一緒だったおかげで、いつの間にか治癒系の魔術もうまくなっちゃったし……。

それに、ここにいるのはなにも治療のためだけじゃない。
今回の一件のことで、リンディさんたちとも話をしたい。
あの連中には、ナメたマネしてくれた借りをしっかり返さないと気が済まない。
そのためにも、今は少しでも情報が欲しい。
連中の目当ては魔力みたいだし、今後また私達の前に現れないとは限らないなら尚更だ。


場所は士郎が運び込まれた病室。

医者の診断によると、主な外傷はあばら二本を折られたのと、剣鱗によって裂かれた皮膚。
あとは、思いのほか頬の傷が深い位だけど、剣鱗の傷と合わせて出血はすでに止まっている。
軽傷とはいえないが、昔に比べればたいしたことはない。
骨折にしても、こっちの技術と合わせれば完治にそう時間はかからないだろう。

だが、それはそれとしてやはり説教の一つでもしないと気が済まない。
「で、何か言い訳はあるかしら? 衛宮君。
 私の記憶が確かなら、なんだかすごい偉そうなことを言っていた気がするんだけど」
「あ、いや……それはぁ、その」
私の眼を見ることができず、眼を逸らしながら口ごもる士郎。

そんな士郎に向けて、カーディナルがボソッと一言。
《………役立たず………》
ああ、ああ、傷口に塩を塗りこんでるわねぇ。
士郎は士郎でぐうの音も出ないのか打ちひしがれている。
ああ、言葉の刃が突き刺さっているのが見えるようだわ。ついでに言うなら、こうグリグリと抉ってる。

しかし、カーディナルの攻勢はまだまだ続く。
《敵の一人でも道連れにして死ねばよかったのに……この早漏》
「ちょっと待て!! 今なんか凄いこと口走っただろ!?」
う~ん……なんていうか、カレンを彷彿とさせるわ、その物言い。どこで覚えたのよ、そんな言葉。

そのまま二人のケンカ(?)は治まる気配を見せず、私を置いてきぼりにして進んでいくわけで……。
《そもそも、あなたの様な駄犬がマスターと交際しているのが間違っているのです。
 というわけで、さっさと別れなさい》
「いや! それ今は関係ないだろ!!」
《関係ありますよ。こんな役立たずにマスターは任せられませんから。
 そうでしょ、この役立たず。どうなんですか、ミスター役立たず》
「だぁ~! 役立たず役立たず言うなぁ!!! どうもすみませんね、すべて俺が悪うございました!!」
《自覚があるのなら早々に縁切りしてくれませんかね……》
はぁ、あんたらホント反りが合わないのねぇ。
でも、士郎はさっきまでより元気になっている。
もしこれがこいつなりの気の使い方だとしたら、直角寸前の屈折ね。それも捻りまで入ってる。

とはいえ、そろそろ止めないといつまでたっても話が進まないか。
「はいはい、仲が良いのはわかったら、そこまでにしときなさい」
「《違うぞ、凛(違いますよ、マスター)!!》」
思いっきり揃ってるじゃないの。
あんたら、反りは合わないけど相性いいと思うんだけどなぁ……。

そこで士郎がさっきまでと違う、神妙な顔をしていることに気付く。
「凛、カーディナル………すまなかった」
なにも言い訳せず、ただそう言って士郎は頭を下げた。
やっぱり、相当責任を感じていたってわけか。

まあ実のところ、別にこの点に関してはそれほど怒っているわけじゃない。
敵の増援が来てしまったのだから、あの状況では抑えておけなかったのは仕方がない。
あのレベルで空戦ができる二人を抑えるのは、いくらなんでも無理がある。
だけど、一度はこうやって追及しないと、きっとこいつはしばらくの間このことを気に病む。
自分が抑えておけなかったせいでみんなを危険にさらし、なのはがああなってしまった責任の一端は自分にあると考えるから。

ホントにお人好しよね、アンタは。
「責任があると思うなら次につなげなさい。ゲイ・ボウを当てたんなら、次はもっとうまくやれるでしょ。
 ほら、いつまでも悔やんでないの」
部屋の隅に立てかけてある呪符と布で包まれた槍に目を配り、背中を叩く。
少し(かなり)痛そうにしているが、その顔はさっきより幾分マシになった。
よし、これならもう大丈夫かな。

じゃ、ここからがお説教の本番。
胸倉つかんで本格的に青筋を浮かべながら笑いかける。
「それはそれとして、あれほど剣鱗は使うなって言ったはずよね。私の話を聞いてなかったのかしら?
 その上隙を突かれてあばらを折られるって、いったいどういうこと?」
ああもう!! ホントに頭に来るわねぇ!
この話を聞いた時、私が一体どれだけ心配したと思ってんのよ、こいつ。
命に別条がないとわかってはいても、背筋が凍ったのを覚えている。

怪我自体は、昔に比べればはるかに軽い。だけど、だからといって安心していられるわけじゃない。
その上、剣鱗まで使っていた。士郎の制御能力は信頼しているけど、それでも怖いものは怖い。
あれは、もしも暴走すれば本当に死にかねない術なのだ。
士郎は割とぽんぽん使うけど、場合によっては体がバラバラになる可能性すらある。
まあ、夏に夜の一族関係で使ったアレも似たようなモノなんだけど。
しかし、どちらも半分近くは暴走させているような代物だ。少しでも制御を誤れば、それが致命傷になる
あの後もあれだけ説教(折檻)したというのに、それでもなおこいつは当たり前のように使うのだから、頭に来るのも当然だ。

しかも、こいつときたらそのことを全然反省していない。
「えっと、そうでもしないとフェイトが危なかったし……」
「そんなことわかってるわよ!
アンタがそんな状況で自分の身の安全を考えて行動できないことくらい、嫌と言うほど知ってるんだから」
それも含めての衛宮士郎だし、そういうところを含めて私はこいつを愛おしいと思う。

でもね、もう少しでいいから自分のことを大切にしてよ。
「別に人を助けるな、なんて言わないし、アンタが無茶するのは脊髄反射みたいなものなのも承知してる。
 だけどね、アンタのしたことは下手をすれば死んでいたっておかしくないの。
 私の許しも得ずに、勝手に死んだら許さないんだからね」
そう言って、ベッドに座る士郎の胸に体を預ける。
預けた体が、肩が震えているのを自覚する。

情けない話だけど、本当に怖かったのだ。
暴走なんてまずしないのはわかってる。剣鱗を使ったくらいじゃ、致命傷なんて普通は負わない。
だけど、物事に絶対はない。
もし剣鱗を使ったせいで内臓や血管に致命的な傷が付いたらと思うと、怖くて仕方がなかった。
士郎の体が冷たくなって、動かなくなるんじゃないかと思うと、どうしようもなく怖かった。
私をこんなに弱くした責任はアンタにあるんだからね。勝手に死ぬなんて………………絶対に、許さない。

《不本意ながら、あなたが死ぬとマスターが悲しみます。あなたの生死に興味はありませんが、それは困ります。
 そもそもあなたもマスターの所有物、勝手に死ぬ権利などありません。死ぬのなら縁を切ってからにしなさい》
ああ、そりゃ無理ね。こいつが何をしようと、絶対に縁切りなんてしてやらないし、させてやらない。
カーディナルだって、そんなことは百も承知のはず。
つまるところ、言ってる意味は私と同じだ。誰に似たのか知らないけど、ホントに素直じゃない。

僅かな沈黙が続き、士郎の手が私の背に回る。
「…………わかってる。本当に、ゴメン。
 もうしないなんて約束はできないけど、それでも勝手に死んだりはしない」
そうして、士郎は私の体を抱きしめる。
ああ、士郎じゃそれくらいが限界よね。できもしないことを言うような奴じゃない。
でも、少しだけなら安心してもいいのだろう。

その後しばらくの間、私達は何も言わずにお互いの温もりを伝えあった。



第25話「それぞれの思惑」



SIDE-士郎

少ししてリニスがやってきて、俺達は大慌てで体を離した。
幸いにもリニスにはみられていなかったみたいで、何やら不思議そうな顔をしていたから多分そうだ。
おそらく、何で俺達の顔がそんなに真っ赤になってるのか疑問に思っていたんだろう。

まあ、それはともかく。
なのはの方の検査を含めた諸々が終わったらしいので、俺達もそちらに向かうことにする。
俺の方は一通りの処置は済んでいるし、一応はもう動いていいと言われている。
医務室から出るときは、一声かけるようにいわているがそれさえしておけば問題ない。
俺は布で包んだ槍を片手に、凛たちと共に部屋を後にする。


で、なのはがいる医務室に入ったのだが、その光景に絶句する。
なにせ、フェイトとなのはが二人っきりでお互いに抱きしめ合っているのだ。
えっと、これは一体何事?

フェイト達の方も、俺達が入ってきた事に気付きこちらを向いている。
その顔はもう真っ赤で、口が半開きだ。
「ああ……なんというか、お楽しみの真っ最中だったみたいね。
 私達しばらく席を外すから、終わったら声かけて。ごゆっくり」
凛はそう言って部屋を後にしようとする。
たしか、こういうのを「百合」と言うんだったか?
そうか、二人にそんな趣味があったとは………いや、冗談だけどなさ。

しかし、結局は俺も凛に倣って部屋を出ようとする。だが、そこで待ったがかかる。
「にゃにゃ!! ま、待って! 違うよ。絶対何か勘違いしてるよね!!?」
「そ、そうだよ!! っていうか、何でシロウやリニスまで外に出ようとしてるの!?」
フェイトとなのはの二人が、俺と凛、そしてリニスの服の裾をつかむ。
なんというか、その顔も声もこれ以上ない位に必死だ。

けれど、凛様はそんな二人の主張を無視して、こう朗らかに告げておられる。
「なのは、フェイト、安心しなさい。私にそういう趣味はないけど、そんな人もいるって理解してるから。
 別に恥ずかしがることじゃないわ。ちょっと他の人と趣味が違うだけですもの」
《それも愛の形です》
ああ、完全に弄る気満々だな、凛。もう楽しくて楽しくて仕方がないという顔をしている。
それもカーディナルまで一緒になって。お前ら、ホントいい性格してるよな。

だが、凛のその顔にフェイト達は気付いていないらしい。
さらに顔は赤くなり、何とか誤解を解こうと必死にまくし立てる。
「だから違うのぉ!! それに、そういう趣味って何!? わたし達はいたって普通だよ!」
「そうそう。た、確かになのはのことは好きだけど………。
でも、凛が考えているようなことじゃないのは間違いないよ!」
やれやれ、そうやって必死になるから弄られるんだけどなぁ。
凛に弄られるのは、以前は俺の役目だったが今は二人に引き継がれたらしい。
助けたいのはやまやまだが、巻き添えになりたくないので距離を取る。
リニスもいつの間にか俺の横に立っている。

しかし、なのはたちの必死の弁解も虚しく、凛は更に話を発展させる。
「でもね、なのは、フェイト。今はまだキスまでにしておきなさい。アンタ達にその先はまだ早いから」
《具体的には、十八歳以上になってからをお勧めします》
「「その先って何!!?? お願いだから話を聞いてぇ~~~……」」
遂には涙目になって凛に縋りつく、フェイトとなのは。
全く凛の奴、さっきまでとうってかわって凄く生き生きとしているなぁ。

その後も凛は二人の言い分を無視し、どんどん話を勝手に進めていった。
その都度フェイトとなのはは、何とか訂正しようとするが全て徒労に終わる。
俺とリニスはと言うと、少し離れたところで他人のふりをして傍観していた。

一度は助け船を出そうかとも思ったが、結局それは断念した。
だってなぁ、いつの間にかギャラリーが集まっていたんだもの。
あの中心に入るような度胸は俺達にはない。

先達として俺が言えることは一言、二人とも「強く生きろ」!
そいつと関わっちまったのが運のつき。
早めに耐性を付けるか、対処の仕方を覚えないと泥沼だぞ。
まあ、それでもちょっとやそっとじゃ抜け出せないけど。



  *  *  *  *  *



先ほどの騒動は、騒ぎを聞きつけたクロノの活躍もあって無事治まった。

と言うと大げさだが、フェイト達にとってクロノはまさに救世主だっただろう。
たとえ、集まったギャラリーを解散させ、凛にほどほどにするよう言っただけだったとしても。
エイミィさんの事で、きっと慣れてるんだろうなぁ。あの背中からは、熟練の匠の技と気概が見えた。
なんというか、ご愁傷様です。


その後、レイジングハートとバルディッシュの様子を見にきたが、余り状態は良くないようだ。
双方共に本体部分が破損し、修理には時間がかかるらしい。
ちなみに、凛のカーディナルは一応無事。
細かな破損はあるが、それも自動修復だけで何とかなるレベルだ。
さすがにこのあたりは、戦いと言うモノに対する年季の違いと言ったところか。

そんなこと考えてたら、踏み砕かんばかりの勢いで右足を踏まれました。
巧妙に、フェイト達がこっちを見ていないタイミングで……。
「(右足をおさえて悶絶中)~~……な、何も言ってないぞ」
「考えるな」
抗議したら、そんな感じに凄まじい形相と硬い拳で脅迫されました。
どうやら、俺の自由権は著しく制限されているらしい。

まあ、凛の気持ちもわからんではないか。
(肉体的に若返ったとはいえ、俺たちもいい加減三十路近いしなぁ。
いろいろ気になるお年ごろということか…………ぐぼっ!!)
そんなことを思ってたらまたやられた! こう、ゼロ距離でガンドを水月に……。
こいつ、いつの間に読心なんてできるようなったんだ?


閑話休題。

シグナム達のことでフェイト達があれやこれや話しているところで、アルフがある疑問を口にする。
「ねえ、あの連中が使ってる魔法ってなんか変じゃなかった?」
アルフがそう思うのも無理はない。
現在、次元世界ではミッド式が主流だ。ベルカ式の使い手も決して少なくないが、ミッド式とは比べられない。
フェイト達も、今までベルカ式の使い手と会ったことがないのだろう。

アルフの疑問に、クロノが簡潔に答える。
「あれはベルカ式だ」
「ベルカ式?」
「詳しいところは士郎に聞いた方がいい。士郎も一応はベルカ式を使うから」
なんでこいつはそこで俺に話を振るかな。
確かにベルカ式を使うが、それでも俺の様な変則型よりクロノの方が説明に向いていそうなものを。

とはいえ、みんなの視線が集まっているし大雑把にでも概要を説明するしかないか。
「ベルカ式はその昔ミッド式と魔法勢力を二分した魔法体系だ。
 基本は対人戦特化で、遠距離や広範囲の攻撃をある程度度外視している。
 また、最大の特徴としてカートリッジシステムと呼ばれるものがある。
 これは、凛の宝石のようなモノをイメージしてくれればいい。
 弾丸に魔力を溜め込み、それを使用することで一時的に爆発的な破壊力を生みだすというものだ」
なのはなどはその説明で納得の表情を見せる。
凛の魔術について、それほど詳しいことを知っているわけじゃないが、概要程度は教えてある。
そのおかげで、割りと理解はしやすかったみたいだ。

「違いがあるとすれば、凛の宝石と違ってそれ単体では術を使えないってところか。
 凛の宝石なら、起動させるだけでも術を発動できるモノもあるからな。
 後は、ベルカ式の場合優れた使い手は騎士と呼ばれる。
 シグナム達が言ってなかったか? 『ベルカの騎士』って」
俺がシグナムと戦っている場にはフェイトもいたので、ちゃんと聞いていたらしく頷き返してくれる。
他にもベルカ式は近代と古代にわかれるんだが、概要程度ならこれでいいだろう。

一通りの説明が終わると、フェイト達はシグナム達のことでまたあれこれ話をしている。
そこで、クロノが俺に念話を送ってくる。
『士郎、一ついいか? あえて気にしないようにしてきたんだが、いい加減その槍はしまったらどうだ』
ああ、これのことか。
普段だったらさっさと消してるところだし、こんな物騒なモノを持ち歩かれては困るのだろう。
フェイト達には俺の魔力切れで戻せないと言ってあったけど、それだけでは納得しなかったらしい。
しかし、だとすればよく今まで放置していたな。

まあ、これだけ近くにいて顔も見えれば、俺の方からも念話が送れるのでそれに合わせる。
『悪いんだが、そういうわけにもいかないんだ。それをすると、せっかくの成果がなくなっちまう』
『どういうことだ? やっぱり、何か理由があるんだな』
俺の言葉を聞き、クロノの雰囲気が変わる。
さっきまでの頭痛を抑えるようなものではなく、真剣そのものだ。
それに、槍を出しっぱなしにしているのには、何らかの理由があるとは思っていたようだ。
まあ、そうでなかったら今まで放置しているはずもないか。

特に教えても問題ないだろうし、包み隠さず教えることにする。
『まあ、こいつもちょっと特殊な代物でさ。
 この槍で付けられた傷は、決して治ることがない。
 次にシグナムと戦う時があれば、その時は多少やりやすくなるはずだ』
当初の目的はシグナムの打倒ではなく、あくまでも増援が来るまでの時間稼ぎ。
次がある可能性は十分あった。だから、次につながる戦いを念頭に置いていたのだ。

『つまり、あの騎士は今日ほど強くはないということなのか?』
『そういうことになるな。動かせないほどの深手ではなかったけど、技のキレは落ちるはずだ。
 まあ、手負いの獣の例もあるし、必ずしも弱体化するとは限らないんだが』
逆に、そのことで奮起して一層厄介になる可能性もある。
少なくとも完全に潰したわけじゃないし、あまり期待し過ぎるわけにもいかない。

だが、それでも多少なりともその戦力を削げたことは貴重な情報なのだろう。
『なるほど、それはありがたい。
向こうはかなりの使い手だ。その戦力が少し落ちるだけでも助かる。
だけどさっきの口ぶりだと、いったん戻してしまうと効果がなくなるのか?』
『そういうことだ。あとは破壊されても同様だから、しばらくの間は厳重に保管しておくのがいいだろうな』
次の時はまた新たに投影してやればいいから、今あるこれはしまっておくのが最善だ。
まあ、今頃この槍の能力に気付いているだろうし、もう一度使おうとしても難しいだろうけど。
そういうモノとわかっていれば、何としてでも触れさせないようにするだろうし。

『そうか、念のため念話を使って正解だったな。この話、なのはやフェイトには知らせない方がいいだろう』
『同感だ。二人ともまだまだ甘い。悪いこととは思わないが、それも時と場合によるからな』
連中の狙いが魔力である以上、特にフェイトはこの一件に関わらなくてもまた遭遇する可能性がある。
そうなればまた戦うことになるかもしれないが、その時にこのことを知っていれば動きが鈍くなるだろう。
となれば、わざわざ教えておくようなことじゃない。

シグナムの動きに違和感を覚えるかもしれないが、その時は今回の傷が治りきっていない、とでも言えばいい。
あながち間違いじゃないし、シグナムの性格上負傷を理由に手加減されるのは好みそうにない。
僅かなやり取りしかしていないが、そう言う印象を受けた。
となれば、自らその点について何か言うとは考えにくい。
つまり、俺達が黙っていればフェイト達がこのことを知ることはない。

事情を知ったクロノは、珍しく冗談めかした口調で妙なことを言う。
『しかし、また物騒なモノを使ったな。
 傷が治らないなんて、まるで呪いだ。そんなものまで持っているのか、君は』
『え? いや、まるでも何も、正真正銘こいつは呪いの魔槍だぞ』
そう、こいつの能力は「不治の呪い」だ。
それも、その点に限ってはゲイ・ボルグよりもよほど強力な。
その呪いの強さは、回復どころかディスペルさえ不可能なほど。

それを聞いた瞬間、俺の近くにいたクロノはビクッと震え数歩下がった。
クロノの異変に気付き、フェイトがいぶかしむように尋ねる。
「……クロノ、どうしたの?」
「あ…いや、なんでもない。気にしないでくれ」
良く見ると、クロノの挙動不審な様子にみんなの視線が集まっている。
まったく、これじゃ密談の意味がないじゃないか。

そこでクロノは気を取り直すように咳払いをすると、改めて念話を送ってくる。
『コホン、ところで士郎。そんな危ない物の近くにいて、君は大丈夫なのか?』
いや、大丈夫というかなんというか、こいつは傷さえ負わなければ特に害はないからな。
魔槍や魔剣の中には、ただ持っていると言うだけで呪いが掛かる代物もある。
だが、こいつに限ってはそんなことはないので、別にただ持っているだけじゃ危険はないんだが。

………ああ、そういうことか。
つまり、呪いの魔槍と聞いて近くにいるだけでも呪いに侵されると思ったのか。
『その点は安心していいぞ。こいつの場合、持っているだけなら特に害はないからさ。
 取り扱いに注意は要るけど、それさえ守っていれば大丈夫だ』
『そ、そうか。それならいいんだが』
クロノはおっかなびっくりの様子ではあるが、一応納得したらしい。
俺の説明不足もあったし、ちょっと悪いことをした。

俺の説明に一応納得したのか、今度はクロノがフェイトに声をかける。
「さて、フェイト。そろそろ面接の時間だ。
 なのはと凛、それに士郎も一緒に来てくれないか?」
「嫌よ」
クロノの言葉が終わると同時に、凛が即答する。
クロノはあまりのことに硬直してしまっている。

「フェイトの用なんでしょ? だったら私達は関係ないじゃない。
 それに面接ってことは多分お偉いさんに会うんだろうけど、私そういうの興味ないから。
なのはだけ連れて行って勝手にやって頂戴」
「えぇ!? なんでわたし!」
いきなり指名され、面倒事を押し付けられたなのはが叫ぶ。
うん、俺もさすがにこれはないと思う。

俺だってお偉いさんに興味はないが、わざわざ呼びからには理由があるのだろう。
クロノも最初は硬直していたが、頭痛を抑えるように頭を抱えながら頼み込む。
「頼むから、そう言わないで一緒に来てくれ。君たちにとっても重要な話なんだ」
「じゃあ、しょうがないわね」
と、さっきの即答が嘘のように承諾する。
ああ、俺以外の面子は付いていけてないのか呆然としているな。

凛は唖然とするクロノに向けて、挑発的な笑みを向ける。
「なによ、その顔は?」
「いや、君はたった今拒否したんじゃなかったか?」
「そうよ。行きたくないのが本音。だけど、そうも言ってられないでしょ。
 どうせ話の内容は今回の件だろうし、それだったら無視するってわけにもいかないもの」
はあ、全部わかった上でこういうことをする奴なんだよなぁ。
付き合いの長い俺ならともかく、他のみんなは付いていくのが大変そうだ。

そのまま凛は、クロノたちを置いてさっさと外に出る。
「ほら、早くしなさいよ。道案内してもらわないと、どこに行っていいか分からないでしょ」
俺は凛の後を追いながら、クロノの肩を軽く叩く。
言葉にはしないが「頑張れ」という精一杯の思いを込めたのだが、どうやらちゃんと伝わったらしい。
ついでに、お偉いさんに会うのにこれを持っているのは問題だろうし、槍はリニスに預けておく。

クロノは一つ溜息をついて、哀愁の漂う背中で歩きだす。
南無南無……。



で、やってきたのはなかなかに立派な部屋。

何でもこの部屋の主ギル・グレアム提督は、管理局でもかなりのお偉いさんらしい。
どのくらい偉いのかはよく分からないが、立派な髭をたくわえた人の良さそうな壮年の男性だ。
この人はクロノの指導教官だったこともあり、ある意味師に当たる人と聞く。

話の内容は、フェイトの今後の処遇とちょっとした昔話。
この人はフェイトの保護観察官とやらでもあるようだが、特にその行動を制限する気はないらしい。
まあ、堅苦しくない話の分かる人で良かった、というところか。
また、なんでもこの人も地球出身らしく、同郷出身の俺たちに会ってみたかったそうな。
そのついでに、この人が魔法と出会った際の話も障り程度だが教えてもらった。
凛は終始興味なさげにしてたけど……。

ちなみに、紅茶を振る舞ってもらったのだが、正直出来に不満があったので許可を取って淹れ直させてもらった。
決して下手なわけではないのだけれど、満足いくモノとは言い難い。
せっかく肩書に見合ったいい葉を使っているのに、これではもったいない。

グレアム提督は、淹れ直した紅茶を一口飲んで「ほぉ」と感嘆のため息をつく。
「いや、まさかこの葉がこれほどいいものだとは知らなかった。
 私も紅茶にはうるさい方だと思っていたのだがね。どうやら、かなり損をしていたらしい。
 リンディ提督に聞いていたが、なるほど君の腕前は確かにプロ級だ」
と、そんな手放しの讃辞を受けてしまった。お茶くみにスカウトされたのだが、丁重に固辞させてもらった。
茶坊主になるために管理局に籍を置くというのは、いくらなんでも間抜けすぎる気がするし。
ちなみに、凛は私が仕込んだのだぞと得意気にし、フェイトはこちらに羨望の眼差しを向けている。
ただし、クロノやなのははものすごく呆れたような眼で俺を見ているけどな。

そうして、やっとグレアム提督は俺たちに関わる話に移る。
「さて、君たちに来てもらったのはほかでもない。
 詳しいことは後でリンディ提督たちから説明があると思うが、今回君たちが関わった事件にはあるロストロギアが関与していることがわかった。
 そして、その性質上今後君たちが再び襲われる可能性は十分にあってね。そこで、一つ取引をしたい」
取引、か。まず真っ先に思い浮かぶのは、俺たちに協力を求めることだよな。
文句なしにシグナム達は強い。
あれに対抗できる人材がどれだけいて、常に人手不足に喘いでいる管理局がこの件に何人動かせるか。
大勢いても動かせなければいないのと同じだしな。

まあ、交渉事は基本的に凛の領分なので、俺は口を噤み凛は普段と違う猫被り状態で交渉に臨んでらっしゃる。
「内容と条件によりますね。そこを話して頂かないことには、判断できませんもの」
「なに、それほど難しいものではないよ。単刀直入に言うと、海鳴市内での管理局員の滞在を認めてほしい。
 どうやら彼らは、地球から個人転送で行ける範囲内に出没しているようでね。
 また君たちの前に現れるかもしれんし、現地に拠点がある方が都合がいい。
 この件はアースラが担当することになるのだが、顔見知りならば君たちとしても安心できるはずだ。
 それに、その方が君たちのことも守りやすい。許してはもらえないかな?」
ふむ、予想に反して協力要請ではないのか。まあ、ジュエルシードの時とは違うし、当然と言えば当然か。
だけど、ちょっと裏がありそうな言い方だな。
それに、わざわざ俺たちに滞在の許可を求める必要なんてないはずなのだが。

「おかしなことをおっしゃいますね。別にあの街は私達のものではありません。
 なら、許可も何もないと思うのですが」
「確かにその通りだ。しかし、あの街が君たちのテリトリーなのも事実だろう?
 他人のテリトリーに入ろうと言うのだ、それ相応の礼節と言うモノがあると私は考えている。
 他の住民たちにとってはほぼ無関係な事だが、君たちにとってはそうではないからね」
なるほど。確かに、言っていることはもっともだ。
だが、そこで凛が小声で「この古狸」と呟くのが聞こえる。
どうやら俺以外の耳には届いていないようだが、この場で言うのはどうかと思うぞ。

「そういうことでしたら、僭越ながら許可を出させていただきます。
 特に管理局の行動に制限を設ける気はありませんので、その点はご安心ください。
 ただし、一つだけ条件があります。そちらの活動及び調査で判明したことは、こちらに報告していただきます」
まあ、あの街で動くのだからそれくらいはしてもらいたいところだな。
妙なことをするとかではなく、シグナム達のことを知る上で必要なのだ。
さっきグレアム提督が言ったが、また俺たちの前に現れる可能性は十分にあるのだから。

グレアム提督も凛の出した条件を快諾してくれる。
「もちろんだとも。君たちの足元で動くのだから、それくらいは当然だ」
なるほど、クロノが尊敬するわけだ。
権力を笠に着ることなく、礼節を持って誠意ある対応をしてくれる。
こういう人が、上からは信頼され、下からは慕われ、同僚からは頼りにされるのだろうな。
うん、魔術協会には絶対にいないタイプだ。


一通りの話を終え、俺たちは部屋を辞する。
クロノはグレアム提督と二・三言葉を交わしたようだが、その内容までは聞きとれなかった。
ただ「平静こそ常勝へのアリーナチケット」なんて、クロノらしからぬセリフが聞こえた気がする。
言わんとすることはわからないでもないのだが、何かが決定的に間違っている気がしてならない。



Interlude

SIDE-グレアム

あの子たちが退出したところで、それと入れ替わる形で私の娘が入ってくる。
任せておいた工作は、無事終わったようだな。
「父さま。手筈通り、闇の書に関するデータを一部書き換えておきました」
「ああ、すまない」
まだあの子たちは自らの身近な人間がこの件に関わっていることを知らない。
以前から続く監視で、魔術という技術を修める二人が守護騎士の一人と縁があることはわかっている。
だが、あの子たちにそのことを知られれば少々不味いことになる。
だからこそ、危険を承知で情報に手を加えたのだ。

なにせ、管理局が闇の書の存在を確認してかなりの年月が経っている。
それ以降、幾度となく守護騎士たちとの衝突は行われてきた。
そのため、ある意味あれほど情報の出揃っている未回収ロストロギアも少ない。
しかし今回に限っては守護騎士たちの正確な情報を手にされては困る。
故に、リスクを承知で情報の改ざんに手を出したのだ。

とはいえ、その甲斐あって目先の危険は回避できたか。
「これで、湖の騎士の正体に勘付かれる事を少しは遅らせられるな」
もう一人の娘ロッテからの報告によれば、湖の騎士は変身魔法でその姿を偽装したらしい。
ならば、管理局の情報をそれに合わせて改ざんすれば、しばらくの間は誤魔化せる。
少なくとも、今はまだ彼等を捕まらせるわけにはいかないのだ。

気になることがあるとすれば、それはクロノ達のこと。
だが、アリアはそれを否定する。
「ですね。クロノやリンディは闇の書と因縁がありますが、それでも詳しい情報はまだ持っていません。
 守護騎士の存在は知っていても、その顔までは知らないはずですから」
あの当時は、二人ともそれどころではなかったからな。
最愛の父と夫を亡くしたショックから立ち直るのに精一杯だった。
おかげで、闇の書そのもののことにはあまり触れていない。それなら、気付くにしても時間がかかるだろう。

それに、その後も無意識のうちにこの件を避けているような節がある。
言ってしまえば、トラウマの様なモノだったのかもしれない。
そういう意味で言えば、この件は過去を乗り越えるいい機会になるだろう。
あくまでも、一人の上司あるいは師としての意見だが。
いや、引きずっていると言うのであれば、私も人のことは言えんか……。

しかし、アレは完全な情報操作だ。
その責は私だけに留まればいいが、二人の娘にも及ぶことになるかもしれない。
「すまないな、お前たちまで巻き込んでしまって。
 捜査妨害に情報操作までしてしまえば、すべてが終わった後お前たちにまで……」
「父さま、それは私達に対する侮辱です。
 私もロッテも、これが正しいと信じています。例えそれが、間違った正しさであったとしても」
間違った正しさ、か。なるほど、それは言い得て妙だ。
私達のしようとしていることは、倫理や世間から見れば明らかに間違っているだろう。
しかし、これ以外に一体どうやってこの悲劇の連鎖を止められる。

闇の書の呪いは、何としてでも終わらせなければならない。
例えその結果、外道と罵られ悪魔と蔑まされようと、誰かがやらなければならない事だ。
その役目を、私が担うと言うだけの話。
誰かが負わねばならない汚名なら、私が引き受ければいいだけのこと。

そして、そのために必要ならどんな事でもしてみせる。
幼い子供たちを利用し、信頼してくれる部下や教え子を騙すことになろうとも。
それで、より多くの人々を救えるのなら……。

とはいえ、やはり懸念はある。手元の端末に映る、四人の情報に目をやる。
本当に、この子たちを関わらせていいものだろうか。特に、魔術師と名乗る二人を。
私が何も言わずとも関わってくるかもしれんし、あの子らの情報を得る機会は極力利用すべきだろう。
なにも、闇の書の一件が終われば、次元世界すべての問題が片付くわけではないのだから。

だが、不明な点が多いからこそ、あの子らがこちらの思惑を超えてしまうかもしれない。
そのための対策は立てておくべきか。
「アリア」
「ええ、わかっています、父さま」
多くを語る必要はない。アリアもまた、言わずともわかっていることだ。
この子らが障害と成り得るのは闇の書の完成まで。
完成さえしてしまえば、もはやこの子らの動きを心配する必要はない。
とにかく、それまでの間でこちらの思惑を超えそうになった時は妨害すればいい。
それが、二つを両立する唯一の方法だろう。

それに、最後の最後で守護騎士たちは邪魔になる。
彼らを排除するためにも、あの子らの存在は有用だ。
目の前に厄介な敵がいれば、それだけこちらに向く注意は低くなる。
そうなれば、最後の詰めがやりやすくなるだろう。



アリアが退出し、私は自身のデスクに向かう。

そこで、デスクに置かれている写真立ての一つを手に取る。
家族写真にしては異質だが、これは紛れもなく一つの家族を写したものだ。
そこには、あの子らと同じ年頃の少女が、これ以上ないほど幸せそうな満面の笑みを浮かべている。
同時に、その傍らには闇の書の守護騎士たち、そして未だに正体の掴めない一人の女性が写っていた。

そう、まだ彼女の下に現れたこの女性のことが分からない。
一体何者で、何が目的なのか。これまでの監視や彼女からの手紙では、素性以外で不審な点はみられない。
本当に、家族として彼女と暮らし、慈しんでいるように思える。
しかし、こうまで素性がわからないと、やはり無視はできない。
まず間違いなく、何かしら訳ありの人物のはずだ。

排除する機会はあった。
だが、偽善とわかっていても、少しでも長くあの子には幸福な日々を送ってほしい。
そう思うと、どうしても行動に移せなかった。これ以上の犠牲を出したくないという思いもある。
その甘さが、致命的な失敗の原因になるかもしれないと言うのに。

あるいは、だからこそあの子たちを関わらせようとしたのか。
この不確定要素に対するため、同様の要素を入れる。
そうすることで、両者に読み切れない局面を作る。
上手くすれば、私達の目的がやりやすくなるかもしれない。
どうせ、どちらの要素も完全には動きが読めないのだ。
ならば、利用できるモノは利用し尽くすべきか。

「………………ふぅ。年は、とりたくないものだ」
大義や建前のために自分の本音がわからなくなり、汚いことばかりが頭に浮かぶ。
もはや、管理局に入ったころの気持ちを思い出すことすら難しくなってしまった。

写真を見ながら、思わず言葉が漏れる。
「わかっていた…はずなのだがな」
そのことも含めて覚悟はしていた。しかし、まだそれも完全ではないらしい。
やはり、この写真を見ると罪悪感はぬぐえない。

本当に、彼女には申し訳ないことをする。
やっと願いがかなったというのに、私は彼女を生贄にしようというのだ。
大義があれば、行為を正当化できるなどと言う気はない。
私はこの罪を背負い、いずれ喜んで地獄に落ちよう。
その程度で許されることではないが、それでも甘んじて受け入れよう。

Interlude out



グレアム提督の部屋を辞し、少し歩いた。

フェイトやなのははグレアム提督に尊敬の念を抱いたようで、お互いに「良い人だったね」などと話している。
だが、凛はある程度歩いたところで苦々しく漏らす。
「まったく。とんだ曲者ね、あのオッサンは」
その言葉にフェイトやなのは、それにクロノが目をむく。
自分たちが尊敬する人をそんな風に言われれば、その反応は当然か。

しかし、俺はさっき凛が漏らした言葉を知っているのでその先を促す。
「そう言えば、さっきもそんなようなことを言っていたけどさ、どういうことなんだ?」
「どうもこうもないわよ。あの交渉の時、変だと思わなかった?
 一見すると誠意ある対応だけどね。早い話、私達のことを焚きつけてたのよ」
ここで言う私達とは、凛と俺のことなんだろうな。
焚きつけるというのも、まあ大体分かる。

フェイト達はよくわかっていないようだが、それは気にせず話を進める。
「それってやっぱり、あの『守る』ってあたりか?」
「そうよ。リンディさんからある程度こっちの性格を聞いていたんでしょうね。
 あれって遠まわしに、あとのことは自分達に任せて家に引っ込んでろって言ってるの。
 私達の陣地の中で起こることなのに、よ。
 そういう風に言われて、大人しくしているような性格じゃないってわかった上で言ってるから性質が悪いの」
確かにな。ただでさえ、身内がやられて大人しくしているような性格じゃない。
その上、そんな挑発まがいのことまで言われたら、間違いなく従わない。それが自分の足元となれば尚更だ。
少なくとも、またあの近辺に現れれば管理局など関係なく戦うことになるだろう。
そうすることで、逆に俺達という戦力を確保しようという考えなのか。

それに、これは別に上手くいってもいかなくてもどちらでもいいのだ。
ジュエルシードの時と違って、今回は十分な戦力を用意できるはず。
あの時と違って、大急ぎってわけではないから十分な準備ができる余裕があるし、後方との連携も取りやすい。
俺たちのことは、もし上手くいけば儲け物位にしか考えていないだろう。
仮に協力させるつもりだろうと言っても、そんなことはないとシラを切ってしまえば問題ない程度の挑発なんだから。

「それに、あの街での滞在を認めろってことはね。
 つまり、私達を囮に使おうってことでもあるのよ」
まあ、そういうことだろうなぁ。
どこの誰が襲われるか予想できない状況だが、一番可能性がありそうなのが俺たちだ。
なにせ一度襲われてるし、なのは以外はその目的を達成できていないらしい。
なら、もう一回俺たちの前に現れる可能性は十分ある。
少なくとも、あてもなく探すよりかは遥かにマシだ。

なるほど、あれは食えない人だな。
表面的には一切問題がないが、その実こちらを囮に使おうと言う魂胆なのだ。
にもかかわらず、突けるアラがないからリンディさんの時のような脅迫もできやしない。
その上、こちらの性格も考慮に入れているし、襲われれば迎え撃つ事は想定済み。
さらに挑発まで使って俺達がこの一件に関わるように仕向けている。
断ってもメリットはないし、むしろデメリットだらけだ。

凛としては「望むところ」ともいえる状況だが、そうなるよう仕向けられているのが不機嫌の理由。
主導権を握られているということなのだから、機嫌が良くなるはずがない。
だが、グレアム提督とて、それでいいと思っているわけじゃないんだろう。
一瞬だけど、どこか暗い面持ちが表に出ていた。まあそれも、すぐに消えてしまったが。
あの人なりに、よりより方向に進むよう考えてのものなんだろうな。

例えそれが、苦渋の選択だったとしても。



Interlude

SIDE-シグナム

時刻は夜。

食事を終え、私達は主と共に団欒のひと時を過ごし、もうじき主が眠られる頃合いだ。
それまでの間は、このまま静かに時が経つのを待つべきか。
少なくとも、主が眠られるまでこの家から出るのは望ましくない。
私達がしていることは、万が一にも主に知られてはならないのだから。

しかし、こうして穏やかな時間を過ごしていると今の自分の境遇には驚きを隠せない。
今まで様々な主に仕えてきたが、まさか私達がこれほど温かく迎えられる時が来るとは思ってもみなかった。
少なくとも、温かい食事や清潔な衣服、安心して休める自室など今までにはなかったものだ。
そして、私達に向けられる無償の信頼と愛情も。

新聞を読んでいると、後ろから声がかけられる。
「シグナム。肩の傷、今のうちにちゃんと治療したいから、ちょっと見せてくれる?」
一応、家に帰る前に軽い応急処置くらいはしてある。
特に、顔に傷があっては主に無用な心配をかけかねない。
そちらだけは、真っ先に治療したおかげですでに跡すらない。

だが、それ以外はほとんど後回しにした。
アレ以上帰りを遅くするわけにはいかなかったので、あの時は止血のみを目的としたのだ。
その際に使ったのは、魔法ではなく包帯などの道具だけになる。
傷の治療ならともかく、止血などの一つの行為だけなら道具を使った方が早く済む。
魔法の場合、出血箇所を治そうとするために時間がかかり、道具ならただ傷を塞ぐだけで済むからだ。

まあ、我々のようにある程度体に融通のきく者でないと、傷をしばらく放置する事などできはしないが。
「ああ、すまない」
シャマルにそう返し、私は服を脱いで肌を露わにする。
目を引くのは、肩にある衛宮に付けられた少々深い裂傷。
動かないと言うほどではないが、本来のそれより動きは鈍くならざるを得ないな。
早めに治療しておくに越したことはない。

肩の傷口に向けシャマルが治療を施す。だが……
「あれ? な、何で!?」
「どうした?」
「それが、いくら治癒をかけても傷が治らないの……」
そんなバカな。シャマルは補助のエキスパートだ。癒しはその本分とも言える。

その本分で、シャマルが失敗するとは考えにくい。
だが、だとするとその原因は。
「……あの槍、なのだろうな」
思い当たる節があるとすればそれだけだ。
確かに思い返してみれば異質な魔力を感じたが、まさか何らかの付加効果があったのか。
しかし、傷の治療を阻害する魔法など聞いたことがない。

いや、それを言い出せばきりがないか。
衛宮が使う魔法のうち、いくつか見慣れないものがあった。
あの時使ったのは、おそらくは転送魔法だと思うのだが、どうも通常のそれとは違う。
だとすると、あの槍に掛けられていたのも、そんな中の一つなのかもしれない。

「原理はわからんが、衛宮の目的はこれだったのか」
おそらく、衛宮は私達の戦いがこの一度限りでない可能性を考慮していたのだろう。
長期的に見て、こちらの戦力を削ぐのが目的。
まったく、つくづくしたたかな奴だ。
怒りはない。むしろ、それほどまでに周到なあの少年に感嘆する。
だが、ただの一刺しが高くついたな。

そこで、ザフィーラがシャマルに問う。
「シャマル、お前はあの少年と知り合いだったな」
「え、ええ。でも、魔導師だったのも今日初めて知った事だから……」
解決策はない、か。詳しい情報がない以上、これをどうにかする方法を見つけるのは難しい。
出来れば何とかしたいところだが、ないものねだりでしかないな。

そこへ、不機嫌を隠さずにヴィータが降りてくる。
どうやら、主はもう眠られたようだ。
「つーかさ、初めっからアイツらを襲ってればこんなことにはならなかったんだよな」
「ヴィータ、過ぎたことを言ってもはじまらん。
 シャマルの気持ちもわからんでもない。お前とて、親しい者を贄とすることには抵抗を覚えるだろう。
 それを蒸し返すのは、今必要なことか?」
ここで仲間の中で不和を起こすわけにはいかない。
おそらく、そろそろ管理局も本格的に動く。
そうなれば、より一層の団結が求められるのだから。

ヴィータとて、その程度のことはわかっている。渋い顔はするが、特に文句は言わない。
「わぁってるよ。だけどさ、シグナムは大丈夫なのかよ。
 その傷じゃあ、満足に剣を振るえないんじゃねぇか?」
「心配するな。この程度の傷で負けるほど、おまえたちの将は弱かったか?」
「べ、別に心配なんてしてねぇよ!!」
そうは言うがなヴィータ、顔を真っ赤にしていては説得力がないぞ。
お前は、こんなにも表情豊かだったのだな。

そこへ、穏やかな笑みを浮かべながら一人の女性がヴィータを諭す。
「あらあら。みんな、もう夜中よ。
 もう少し静かにしないと、ご近所迷惑になっちゃうわ」
声の方を向くと、そこには見なれた同居人の姿があった。
長い銀の髪が揺れ、真紅の瞳が私達に向けられる。
その瞳に映るのは、計り知れないほどの慈愛。
均整の取れた肢体と、優雅さ溢れる仕草。
歴代の主や過去に出会って人々の中でも、有数の気品を当たり前のように纏っている。
まさに、姫君という言葉がふさわしい。

だが、今は主はやてと共にベッドに入っているはずではなかったか。
「あ、アイリさん。はやてちゃんについてなくていいんですか?」
「ええ、もう寝ちゃったわ。それに、私としても今の状況は知っておきたいから。
 はやてが起きてたら聞けないしね」
そう言って、アイリスフィールの顔に苦笑が浮かぶ。
私達よりも少しだけ長く主はやてと共にある家族にして、母の慈愛を以て接する女性。

主はやては私達を信頼してくれているが、甘えると言うことはない。
しかし、彼女に対しては別だ。
実際に一児の母であったせいなのか、それとも包み込むような優しさからか。
主はやてだけでなく、私達全員が彼女をどこか心の拠り所としている部分がある。
この人は、そうさせてくれる雰囲気を持った女性なのだ。

そして、彼女は私達が何をしているか知っている。
共犯として、私達と共に罪を背負うと言ってくれる、もう一人の主。
なぜなら……
「もしもの時は、私が偽りの主を演じることになるんですもの。
 何があったか知っておかないと、いろいろ困るでしょ」
全員で口裏を合わせ、彼女を主に仕立て上げる。それが私達のかわした決まり。
主の正体に近づかれた時は、彼女が身代わりとなって主を守るために。
申し訳ないと思う。だが、同時に感謝もしている。

私達が主との誓いを破ることを決意した夜、彼女はこう言った。
「はやては行き場のない私に、新しい居場所をくれたわ。
 あの子は、私にとってもう一人の愛おしい娘。
 あの子を守りたいのは、私も同じよ」
アイリスフィールは、そう言ってくれた。
そのために、自身の身さえも差し出してくれたのだ。
だからこそ私達は、彼女をもう一人の主と定めている。
彼女の言葉になら、我らはこの身と命を賭すことができるから。

「ところで、さっきから一体どうしたの?」
「えっと実は……」
そうして、シャマルが今日あった出来事を報告する。
クラールヴィントに保存された映像も使い、可能な限り正確に。

だが、みるみるうちにアイリスフィールの顔色が変わる。
「そんな、嘘でしょ……。
 シャマル! この子たちの事知ってる限り教えて!」
アイリスフィールの顔に浮かぶのは、抑えきれないほどの驚愕。
まるで、幽霊でも見たかのような反応だ。

シャマルはその反応に驚き、恐る恐る答える。
「あ、はい。名前は衛宮士郎君と遠坂凛ちゃんです。
 何ヶ月か前から、時々お料理を教わってるんですけど……」
「衛宮と、トオサカ……ですって?」
二人の名を聞くと、アイリスフィールの眼が見開かれる。
そこから先のことなど聞こえてすらいない様子だ。いったい、どうしたというのだろうか?

ヴィータが不安そうに、アイリスフィールの顔を窺う。
「アイリ?」
「この子たちは、魔術師よ」
そこでアイリスフィールの口から、あり得ない単語が零れる。

「ちょっ、ちょっと待ってください。だって魔術は……」
「確か、アイリスフィールがいた世界の魔法体系で、この世界に使う者はいなかったはずでは」
「そのはずなんだけど……でも、この子たちが使っているのは間違いなくそうよ。
 宝石魔術に魔術刻印の光。ただ似ているというだけで済ますなんてできない。
 だけど、それにしたってこれは何の皮肉?」
まるで自嘲するかのような口調で、アイリスフィールは呟く。
そういえば、確か彼女の夫の名も……だとすれば、皮肉というのも頷けるな。
もはや、会うことは叶わないと思っていた人物と同じ名を持つ少年に出会う。
それもその相手が、同じ魔術師となればなおさらか。

ザフィーラは、冷静にこれの意味することを考察する。
「我々が気付かなかっただけで、この世界にも魔術が存在したということだろう。
 問題は、それが初めからなのか、それとも……」
「でも、最初から魔術師がいるなら、私がこの世界に来た時に異変に気付かないとは思えない。
 はやての話から考えて、かなり乱雑に並行世界への道を通したと見ていいわ。
 実際、二・三日で治まったとはいえ、私が気付いた時はまだ影響が残っていたもの。
表に出ていない以上秘匿前提でしょうし、それを放置するなんて考えられないわ」
主はやてのお話では、その時に非常に大きな地震があったという。
あまりにもタイミングが良すぎる以上、根拠もなく無関係と考えるのは浅慮だろう。
原因と思われる石も、かなり目立つ現象を起こしていたと聞く。
その上、数日に渡り影響が残っていたことも確認されている。

秘匿前提という方針が同じでも、それ以外の在り方が違う可能性もあるが、この際それは関係ない。
隠す以上は自分だけでなく他の者にもそれを徹底させなければ意味がない。
ならば、必然外部の異常にも敏感になるし、徒党を組んだ方が効率も良いのだから魔術師の組織もあるはずだ。
そして、そういった組織があるのなら気付かないということは考えにくい。
だが気付いたなら、どれだけ在り方が違ってもとりあえずこの家を調べに来るだろう。
ところが、そういった連中があらわれた様子もない。
これの意味するところは、そう言った魔術師の組織がない可能性が濃厚であるということだ。

「ですが、魔術師があの二人だけか、あるいは組織を作れないほど数が少ないという可能性もあります。
 その場合であれば、誰にも気付かれなかったとしても不思議はありません」
むしろ、これが現状では一番有力だろう。
なにせ、最後の可能性は、あまりにも弱いと言わざるを得ない。

最後の可能性。それは、アイリスフィールと同じ、あるいは似た世界からやって来たという可能性だ。
だがそれは、次元世界さえも包括した世界の“壁”を超えることを意味する。
そんなことが易々と出来ることではないのは、私達の常識とアイリスフィールの知識が裏付けている。
それも、彼女の後から誰も気付けないほど静かにだ。正直、それこそあり得ない。

その点は、アイリスフィールも基本的には同感らしい。
「そうね。確かに、シグナムの言うことが一番現実的だと思うわ。
 あのトオサカと同じ宝石魔術を使うのは少しでき過ぎな気もするけど、さすがにそれはないでしょうしね」
ん? 今のアイリスフィールの言葉には少々引っかかる部分があるな。
まるで、このトオサカという少女なら可能性があるかのように聞こえる。
それにその顔は、何か考えているのか少し俯き気味だ。

ヴィータもそのあたりが気になったのか、アイリスフィールの顔を覗きこむようにして尋ねる。
「ねぇ、アイリ。それってどういうことなの?」
「え? ああ、私の知るトオサカも宝石を使った魔術を使うの。
 それと同時に、第二の魔法使いの弟子の家系でもあるから、あり得なくはないとも言えるのだけど……」
私達にはよくわからないが、その第二の魔法とやらなら並行世界への移動ができるのだったか。
しかしアイリスフィールの口ぶりだと、やはり可能性はないとみていい。
少し気になる、程度だったのだろうな。

さて、一つの話には区切りがついた。そろそろ、次の話題に移るか。
「ところで、衛宮の魔術をどう見ますか?」
「映像だけだとちょっと自信が持てないんだけど、この子が使っているのは『投影魔術』なんじゃないかしら?
 ああ、心配しないで、私の知る衛宮の術とも全く違うものだから」
なるほど。それならやはり、衛宮もアイリスフィールとは無関係なのだろう。
それにしても投影魔術? それはいったいどういうものなのか。
てっきり転送の様なモノを使っていると思ったのだが、名を聞く限りそれとは別物のように思える。

全員の視線が集中する中、アイリスフィールが説明する。
「投影はね、オリジナルの鏡像を自身の魔力で複製するという魔術よ。
でもあまり使い勝手が良いとは言えないし、性能も本物には確実に劣るわ」
それだけ聞くと、まるで幻術の様な物をイメージしてしまうな。
衛宮が幻術を使ったせいもあるかもしれないが、魔力で何らかの物体の像を作ると言うのはそれに近い物がある。
違いがあるとすれば、それに実体があるか否かと言うことか。
たしかにそれなら、あの双剣が何対もあったことは納得がいく。

それを聞いたヴィータは、その問題点を指摘する。
「魔術のことはよくわかんねぇけど、そんなもんわざわざ作る意味あんのかよ」
「そうね。元々は儀式で使う道具なんかを用意できなかった時に、代用品として使う程度のものよ。
 投影は術者のイメージで作り上げるものなんだけど、人間のイメージなんて穴だらけだもの。
 そもそも継続時間が短い上に、十の魔力を使っても投影したモノの三か四程度の力しか持たないわ。
 そう言うわけでとても効率が悪いし、術そのものは高度だから割に合わないったらないのよ」
なるほど、消費する魔力や効果の効率の面から考えても、全くと言っていいほど旨味がない。
そんなことをするくらいなら、普通に材料を集めてレプリカを作った方がマシだろう。

……いや、待て。あれが投影だとしたら、腑に落ちないことがある。
「アイリスフィール。そうは言いますが、衛宮の使った武器は決して欠陥品などではありませんでした。
 むしろ、使う武装の全てが類稀な業物だった程です」
「ええ、シグナムの言うこともわかるわ。
投影された武器は十全な性能を有し、中にはかなり長い間存在しているモノもある。それは紛れもない事実よ」
そう言って、アイリスフィールは私の言葉を肯定する。
つまり、あの武器の数々は確かに投影の定義から外れると言うことだ。

となると、真っ先に思い浮かぶのは、やはり……
「それなら、これは投影って言うのとは違うんじゃないですか? それこそ転送みたいな」
と、いうことになるのだろうな。私もシャマルと同意見だ。
あらゆる点からこれは投影とはいえない以上、別の魔術か魔術以外の何かと考えるのが普通だろう。

しかし、アイリスフィールはそれを否定する。
「う~ん、確かにそうなんだけど……でも、この子のやってることはやっぱり投影っぽいのよ。
 私は以前、魔力で物質を編むところを何度か見たことがあるわ。それは投影とは別物だったけど、よく似た性質なのは間違いない。彼が武器を出す瞬間は、私の知るそれにとてもよく似ているの。
そもそも、転送は空間転移の一種。魔術でそれは“魔法の真似事”とまで呼ばれる代物よ。正直、そっちを使っている方が私には信じがたいわ。遠坂っていう女の子の方はどう見ても宝石魔術を使ってるし、一応魔術の常識を当てはめて問題ないと思うの。
それに、一応理屈は付けられるから絶対に不可能とは言えないわ」
なるほど。普通ならばあり得なくても、その矛盾をクリアできる何かがあれば説明は可能か。
問題点があるのなら、その点を改善すればいい。技術の進歩とはそういうものだからな。

「可能性は二つ。一つは、これが『現実を侵食する幻想』である場合」
「現実を侵食する幻想……ですか?」
「ええ、普通はこんなことあり得ないんだけど、それなら一応説明はつくわ。
 その言葉のとおり、イメージがリアルを侵す。つまり、現実の中に自分の居場所を作ってしまうの。
 ありえないことを説明するために別のありえないを持ち出すなんて、無茶苦茶な気もするのだけど」
正直、そう言われてもいまいちよくわからない。尋ねたシャマルも同様らしく、皆同様首をひねっている。
我々からしてみれば、イメージが現実に存在すること自体が信じがたいことなのだから。

だが、アイリスフィールがそういうのならそうなのだろう。
ヴィータも、理解できないながらそう言うモノと判断したようだ。
改めて映像を見ながら、アイリスフィールに問う。
「その現実云々ってので説明がつくならさ、そういうことなんじゃねぇの?」
「そうなんだけど……言ったでしょ、これは普通あり得ないの。もう一つの方が、ずっと現実的よ」
アイリスフィールは苦笑しながら否定し、別の可能性を示唆する。

「もう一つは、この女の子の宝石を核にしている場合よ。
 これを楔にすれば魔力の気化も防げるし、既にあるモノを投影で補強するのは割とよくある手段だから。
 まあ、核にするのは何も宝石である必要はないから、別のものかもしれないけれど……」
なんでも、本当ならただ核を用意するだけより、できる限り投影する物に近い方が良いらしい。
しかし、あるとないでは大違いらしく、宝石を核に据えるだけでも持続時間は飛躍的に伸びるだろうと言う。
そこに、あらかじめ何らかの術を仕込んでおけば効果はさらに増すとも……。

まあ、何と言うか、馴染みのない分野の話だけあって、いまいち理解しにくいな。
シャマルも同様なのか、この話をまとめ話題を変える。
「えっと、とりあえず士郎君の魔術は、宝石を利用した投影魔術らしいってことでいいんですよね。
もう一つ聞きたいんですけど、シグナムが士郎君に付けられた傷が治らないんです。
 そっちは何かわかりませんか?」
「治らない? シグナム、その時の映像って見れる?」
アイリスフィールの要請で、レヴァンティンのデータからその時の映像を引き出す。
以前はこうして映像を見せるだけでも驚いていたのだがな。
もう半年近くが経つ。さすがになれたのだろう。

この肩を切り裂いた、あの黄色の短槍を映し出す。
それを見たアイリスフィールの顔が、今日一番の驚愕に歪む。
「どうしたんだよ、アイリ」
「これは……宝具。それもゲイ・ボウ」
宝具。主はやてと共に、彼女のいた世界の話を聞いた時にその名を聞いたことがある。
確か以前聞いた話しでは、英雄たちの使った伝説の武器だったか。
厳密に言うと違うそうだが、英雄たちの伝説の象徴のようなモノと聞いている。

アイリスフィールは、その英雄たちを召喚し戦わせる聖杯戦争の参加者だったと聞く。
ゲイ・ボウもまた、聖杯戦争に参加した英雄の使っていたモノだったはずだ。
その現物を見たことのある彼女が言う以上、それは間違いないのだろう。
つまり、奴は宝具を投影したというのか。

そういえば、この槍を前にした時、私は言いようのない悪寒に襲われた。
今まで数多の敵と戦ってきたが、上手く言葉に出来ない得体の知れない感覚だった。
だが、アレが彼の呪いの魔槍だと言うのなら納得がいく。
あの悪寒は、本能的な恐怖に近いモノだったのだろう。

しかし、宝具の投影などと言うことが本当に可能なのだろうか。
「アイリスフィール。それは、可能か不可能かで言えばどちらになりますか?」
「特別相性の良い属性だったり、宝石を使ったりすれば可能かもしれないわ。
 膨大な魔力を宿した宝石を使えば、魔力の問題は何とかなると思う。
宝具級の魔力なんて、そうでもしないと賄えないもの」
つまり、それならば一応理屈は通るのか。
そういう意味でも、宝石を利用しているという可能性は現実味があるな。

これまでのことを総括し、アイリスフィールは衛宮をこう評した。
「それにしても、宝具を投影する贋作者(フェイカー)なんて聞いたことがないわ。
 他の術のことはわからないけど、この一点において彼は希代の術者よ。ある意味、怪物とさえ言えるほどの。
 もしかすると、槍のオリジナルも持っているかもしれないわね」
フェイカー、贋作者か。相手が幻術使いであることを考えると、実に的を射ている。
魔術師としてだけでなく、魔導師としても奴は贋作者と言うことか。

だが、槍のオリジナルか。
この能力が奴の一族で代々研究してきた成果だとすれば、確かにありうる話か。
イメージが重要と言っても、そのためにはやはり実物があった方がいいように思う。
ならば、数代かけて集めていたとしても不思議はない。あれは、その中の一つなのだろう。
できれば、一度奴のコレクションを見せてもらいたいものだ。
まあ、我らの関係を思えば叶うことはないのだろう。それが、残念と言えば残念か。

「……ふぅ。とりあえず、話を戻しましょうか。解呪する方法だけど、それ自体は単純よ。
 この槍を破壊するか、この子を倒すこと。確実なのは、槍を壊すことだけど」
なんでも、この槍で付けられた傷はどんな手段を使っても治らないらしい。
傷を負った状態が正常な状態になってしまい、それ以上の回復が不可能になる。
そういう呪いの宿った槍なのだそうだ。

しかし、こんなものさえも作り上げるとは……。
それに、これで一つわかった。衛宮の投影は、半永久的に存在し続ける可能性がある。
そうでなければ、この傷を与えた意味がない。

だが、一番の問題は……
「でも、それって凄く不味いわ。そうだとすると、この槍を破壊するのは不可能かもしれない。
 士郎君が武器を複製することができるなら、今回使った槍は保管して、別の槍を新しく作るはずですもの」
そう、シャマルの言うとおり、奴の能力がこちらの推測通りならそれが可能だ。
解呪しようと思うのなら、直接彼らの本拠地に踏み込む必要がある。

幸い、シャマルは彼らの家を知っている。それなら……。
しかし、アイリスフィールはそれを止める。
「家に向かうのはやめた方がいいわ。
 そこは魔術師の工房よ。魔術師相手に戦うとき、最も厄介なのが工房攻めだもの。
 工房は守りの為のモノではなく、攻撃の為のモノ。やってくる外敵を確実に処刑するための陣地よ」
つまり、そこを攻めようと言うのなら、敵の腹の中に入る覚悟がいると言うことか。
あの二人の力量を考えれば、その危険性は想像がつく。
二人の在り方が厳密にはわからない以上、迂闊に飛び込むわけにはいかないな。

だが、実際にそこに入ったことのあるシャマルはそれが信じられないらしい。
「で、でも私、何度も二人の家に入ってますよ」
「その時は敵と認識されていなかったんでしょうね。
 けれど、今回のことがあった以上、確実に警戒レベルは上がっているはずよ。
 できる限り、近づかない方がいいと思うわ」
私達は魔術師の危険性を知らない。
故に、アイリスフィールの意見は何よりも重い。

彼女は私達の力を知り信頼してくれている。
それでもなお、そこを攻めるのは危険だと言う。
ならば、迂闊に踏み込むわけにはいかないか。

「もしかしたら、シャマルが彼らのことを言わなかったのは、何かされていた可能性もあるわね。
 それくらいのことをする程度は、家の中ならできるでしょうし」
アイリスフィールの呟きに、シャマルが絶句する。
彼女の話だと、魔術師は我々より感知と隠蔽に長けるようだ。
ならば、シャマルが騎士であることも多少は気付いていたかもしれない。
そこで、念の為の仕込みくらいはしていたとしても不思議はないか。

だが、問題はそこではない。
「では、シャマルが我々の仲間であることもすでに……」
気付かれてしまっているのだろうか。

その危惧を、ザフィーラは否定する。
「おそらくだが、それはないだろう。
 何故かまでは分からんが、それならすでにここは管理局に包囲されているはずだ。
 それがないということは、まだ知られていないとみていい」
確かに、な。泳がされている可能性もあるが、そんなことにメリットはない。
自分たちでケリをつけようとしているのかもしれないが、それにしたところで可能性は薄い。
テスタロッサは管理局の嘱託だ。その繋がりを利用しない手はないだろう。

「そうね。とりあえず、次の蒐集からはできる限り私も同行するわ。
 これは私の夫が使っていた手なんだけど、あえて顔を見せた方が効果的だと思うの」
危険だとは思うが、アイリスフィールの言うことにも一理ある。
管理局が本格的に動く以上、そろそろこちらも情報操作をした方がいい。

ならば、ここから先我らは彼女を主として振る舞おう。
「我らヴォルケンリッター。
 騎士の誇りに賭けて、必ずや御身をお守りしましょう」
「ええ、頼りにしているわ。足手まといになってしまうけど、お願いね」
無論、全ては主はやての未来のために。
それが、この場にいる全員の共通の願い。

例えそれが、主の望んでいないことであったとしても。
それでも私達は、主に生きて幸せになって頂きたいのだ。
どうか、この身の不義理をお許しください。

Interlude out






あとがき

とりあえず、アイリによる士郎の魔術考察の回でした。
アニメの方のFateで、イリヤはアーチャーが宝具を投影したことに気付いていましたので、アイリにもわかるんじゃないでしょうか。
で、投影品が長時間存在し続けることを説明しようと思えば、やはりこういう考察になるかと思います。
これが今後の展開にどうかかわるのか、それとも大して意味がないのかは秘密です。
しかし、何でこの手の話をすると長くなるんでしょね。不思議だ。

あと、グレアムが凛たちを関わらせるように仕向けたのは、怪しまれないようにするためという理由もあります。
簡単に言うと、裏で動いていないとしたら自分ならきっとそう動くだろうと考えてのことです。
途中で気付かれては元も子もない以上、自分らしいと思われる行動を心がけるべきでしょう。
もちろん、凛や士郎が思惑以上に動かないよう、前回のようにリーゼ達が暗躍するわけですが。
それにあの性格ですから、遅かれ早かれ首を突っ込んでくると考えています。
なら、やっぱり利用することを前提にした方がいいという考えです。
と、少なくとも本人はそう思っています。
ですが、どこかでは魔術と言うモノに対する無知からくる期待もあるのかもしれません。
あるいは罪悪感から、イレギュラーを組み込むことで止めてほしいと思っているかもしれませんね。
本人としても、決して全面的にその手段を肯定しているわけじゃありませんので。

それと、シグナムの22話のカリバーンへの感想と、今回のゲイ・ボウへの感想の違いは宝具の種類の違いです。
カリバーンは聖剣の類なのに対し、ゲイ・ボウが魔槍の類だからですね。
カリバーンは畏怖を与えて、ゲイ・ボウは恐怖を与えたのだとでも思ってください。


次は、ちょっと久しぶりのほのぼの路線になります。
早めに出せるといいのですが、しばしお待ちください。



[4610] 第26話「お引越し」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:fd260d48
Date: 2009/11/17 17:03

SIDE-士郎

今俺達がいるのは、管理局本局内にあるエレベーターの中。
メンバーは、俺と凛になのはとエイミィさん。
この先、どの程度まで管理局と連携を取っていくかは追々決めるとして、とりあえず今後の管理局側の方針を聞くためにブリーフィングルームに移動中だ。

と言っても、内容はまあ今更なモノだろうけど。
さっきのグレアム提督の話から、大よそのことは想像がつく。
なのはや俺たちの保護と併せて、海鳴に拠点を置くことになるのだろう。それも思いっきり近所。
そうでなかったら、さっきの取引の意味がない。


しかし、その道中でエイミィさんからちょっとしたサプライズな情報を耳にすることとなった。
「ああ、そう言えばね。
まだ本決まりじゃないんだけど、艦長がフェイトちゃんにウチの子にならないかって話をしてるんだ」
それはつまり、養子縁組と言うことか。
俺にとっては結構懐かしい響きだが、なのはは少し驚いたような表情をしている。
まあ、普段あまり聞くような話じゃないしな。
今の今までそんな話は全く聞いてなかったし、驚くのも当然か。

一応一般家庭のなのはからしてみればあまり馴染みのない話らしく、確認するように聞き返す。
「えっと、それって親子になるってことですよね。フェイトちゃんとリンディさんが」
「うん。あの事件でフェイトちゃん、天涯孤独になっちゃったでしょ。
 いくらアルフやリニスがいるって言っても、やっぱり色々あるしね」
確かに、世間的にはプレシアは大犯罪者で、フェイトはその娘だ。
親の罪が子に及ぶわけじゃないが、それでも多くの人間はそういう色眼鏡を通して見る。
その上、フェイトの出生を知った人間の中にはいろいろ言う連中も出てくるだろう。

そう言った連中から守るために、リンディさんの保護下にはいるというのは効果的だ。
管理局の高官で、その事件の担当でもあった人がフェイトを養子として迎える。
心ないことを言うような連中も、それだとあまり大きな声ではしゃべれない。

とはいえ、一番重要なのはリンディさんの親としての資質と二人の相性で、そんなのは二の次だけど。
しかし、それに関してはあまり心配はいらないだろう。
息子であるクロノは少し頭の固いところはあるが、人格的にこれといった歪みや欠落もないように思う。
それはつまり、アイツは周囲の人と環境に恵まれていたことを物語っている。
極稀に、あらゆる辛酸や悲劇を良い意味で糧にしてしまえる人間もいるが、それは本当に稀だ。
リンディさんとクロノの関係を見る限り、そんな特殊例であることはないだろう。
だからまあ、あの人ならきっとフェイトの心の傷を癒し、惜しみない愛情を注いでくれるはずだ。

相性の方も、半年もあればある程度はわかる。
まあ、長く付き合わなければ断定はできないが、そんなことは今気にしてどうこうなることではない。
こういうことは、実際にそういう関係になって、長い時間を共有しなければわからないのだ。
なら、あまり先のことを気にし過ぎてもしょうがない。
決めるのは本人たちだが、傍から見てもこれは良縁だと思う。
リンディさんとなら、きっといい親子関係を築けるんじゃないだろうか。

「まあ、フェイトちゃんもまだ気持ちの整理がついてないみたいなんだけどね。
 だから結論が出るのは、もう少し先かなぁ」
俺なんかはほとんど即答してしまったが、普通はそうだろう。
だが、多分フェイトとしても受ける方に気持ちは傾いているんじゃないだろうか。
とりあえず、その提案に乗ってもいいという気持ちがあるのは間違いない。
そうでなかったら、時間をかける必要なんてないんだから。

そこでエイミィさんが、「そうですか」と呟くなのはに意見を求める。
「なのはちゃん的にはどう?」
「えっと………なんだか、すごくいいと思います」
少し思案したなのはは、すぐに結論が出たのか顔をあげて答える。
その顔はどこか嬉しそうで、言葉の通り心から賛成しているのがわかる。

で、今度は俺に話が振られるわけで……。
「そっか。じゃ、そっちの実際に養子縁組をしたことのある人の意見は?」
なんというか、本当にあけすけですね。
普通、割りと聞きづらいことなんじゃないか? こういうのって。
これってつまり、親の死に触れる話題でもあるんだから。
まあ、その親の顔さえ思い出せない俺にとっては全然気にならないんだが。
しかし、我ながら親不幸だと、思わず苦笑しそうになる。

それに、この人の場合ちゃんと相手を選んでいるのだろう。
それだけでなく、この明るさが逆に好印象を与えるんだから、たいしたものだ。
「そうですね。フェイトがいいなら俺も賛成ですよ。
 クロノは面倒見もいいし、いい兄貴になりそうですしね」
「そうそう、その上結構気が合うみたいだし、いい感じの兄妹になるんじゃないかな」
そう言って、エイミィさんは心から嬉しそうにほほ笑む。
なんでも、クロノは最近前より幾分表情が柔らかくなったそうだ。
俺などにはよくわからないが、長い付き合いのエイミィさんが言うならそうなのだろう。
フェイトとの触れ合いは、クロノにもいい影響を与えているようだ。

「ところで、凛の意見は聞かないんですか?」
「ああ、そっちは別にいいの。どうせ聞いたって『本人たちの問題でしょ』って言って終わりだもん」
「当たり前でしょ。外野がとやかく言うような問題じゃないもの。
 私達は大人しく、成り行きを見守ればいいのよ」
たしかに、凛の意見はもっともだ。
そしてエイミィさん、凛の性格を見事に把握していますね。

凛の返答を聞いても……
「ほらね。まったく、つまんないのぉ」
という反応こそするが、特に気分を害しているようには見えない。
ただ、口を突き出して「ちぇ~」と、心からつまらなさそうにはしているが。

「でも、そうなったら面白そうではあるわね。
 特に、フェイトのクロノの呼び方には注目ね。
『お兄ちゃん』なんて呼ばれた日には、さぞかしいい反応をしてくれるんじゃないかしら」
「あ、やっぱりそう思う? いやぁ私もね、フェイトちゃんには期待してるのよ。
 是非とも、クロノ君を慌てふためかせて欲しいところなのですよ」
さっきまでの表情が嘘のように、その顔には人の悪い笑みが浮かんでいる。

そして、そのまま二人のあくまの悪巧みが進行する。
「こうなったら、まずはフェイトの洗脳からね」
「ふっふっふっ、その点は任せなさい。この話が持ち上がった時から、フェイトちゃんには『兄妹になったらお兄ちゃんって呼ぶのが鉄の掟なんだよ』って教えてあるから。
 なのはちゃんの例も挙げて教えたら、すごく簡単に受け入れてくれたわ」
なるほど、すでに準備は万端ですか。
クロノ、大変だとは思うが頑張れ。影ながら応援しているぞ。
きっとそのことをネタにさんざんからかわれるのだろうが、強く生きてくれ。
あと、くれぐれも俺を巻き込まないように。

俺となのはは、遠くない未来に来るであろうクロノの受難の日々を思い、静かに黙とうを捧げるのだった。



第26話「お引越し」



場所は変わって、地球の日本は海鳴市。

予想通りと言うか何と言うか、やっぱりアースラ組の拠点が置かれることになった。
それぞれの担当する役割ごとに、三つのグループに分かれることになる。
まあ、一か所に集まるのは部屋の大きさからして難しいし、これは当然か。

予想外だったのは、現在アースラが整備中で動かせないことくらい。
とはいえ、俺達にはあまり関係のない話だが。

フェイトは、やはり暫定的な保護者でもあるリンディさんたちと同居することになる。
家自体はなのはの近所で、俺たちの家からもそう離れていない。
一応俺達の保護と護衛も兼ねているのだから、これは当たり前だな。

ただ、それだけでなく、案の定フェイトは今回の一件にも関わるつもりでいるらしい。
リンディさんたちは、無理に付き合う必要はないと説得したらしいが、暢気に遊んでいられないと突っぱねられてしまったそうだ。
それはなのはにも言えることで、ユーノと一緒に参加を表明していた。
これまた説得には応じず、仕方無く前回の実績とリンディさんの裏技により、晴れて嘱託扱いとなることが決定。
いったいどんな裏技を使ったのやら。
普通こういうのって、ちゃんとした試験とかしないといけないんじゃないのか?

リンディさん曰く……
「あら、権力って言うのはこういう時に使うものよ」
と言うことらしい。
それは、いっそすがすがしいほどの職権乱用だと思うんですが……。

俺たちの立ち位置は、まだ微妙。
この件から手を引く気はないが、正直あまり関わりたくないのも事実。
凛としては、なのはのリンカーコアをやった奴さえどうにかできればいいという考えらしい。
他のことは管理局任せにするつもりだし、基本的にあの時の借りを返すのが目的。
なので、とりあえずは海鳴で連中があらわれた時に限定して俺と凛は動くことになる。
早い話、まだ何も決まっていないようなものだ。

なのは自身の方は、自分の尻は自分で拭けと言うスタンス。
つまり、ヴィータとやりたいのなら勝手にやればいいし、やるからには勝てと言う事だ。
フェイトもシグナムと再戦する気満々だし、アルフも目当てのお相手がいる。
当面は、忙しいクロノ達に代わって俺と凛でみんなを鍛えることになる。
とはいえ、一朝一夕でどうにかなるとも思えないんだが。


で、いま俺たちはハラオウン御一行様の引越しの手伝いに駆り出されている。
この情景を一言で表すなら、『戦場』……だろうか?
「リンディさぁん! この段ボールはどの部屋ですか? 『書籍及び資料』って書いてあるんですけどぉ!」
「ああ、それ仕事用よ。書斎の方に運んでおいて!
他に『書籍』って書いてあるのがあるから、そっちは書いてある名前の人の部屋に運んでね」
総司令官リンディ提督の下、俺たちは一致団結して敵軍(荷物)に対処している。
まあ、俺は一兵卒なので、上官の命令には絶対服従だし頭より手と足を動かすのが仕事。
なので、現在せっせと荷運びの真っ最中。

だが、この戦場にエイミィさんが爆弾を投下する。
「あ、ちなみに『書籍(秘)』って書いてあるのは絶対開けちゃ駄目だよ。それ、クロノ君秘蔵のお宝(オカズ)だから。
士郎君達くらいの子が見るのは早いから、あと五年くらい待とうね♪」
「ちょ、ちょっと待てエイミィ! 妙な事実を捏造するな!
勘違いするなよ、士郎。僕はそんな破廉恥なモノは持っちゃいないからな!!」
エイミィさんの爆弾に必死に弁解するクロノ。
そういう反応をするのはむしろ逆効果だと思うんだがな。
まあ、話題が話題だし無理もないか。

幸いだったのは、フェイト達は話の意味が分からないようで首を傾げていることか。
良かったな、クロノ。みんなから白い目で見られなくて。特にフェイト。
まだそういうのへの理解はないだろうし、バレたらきっと軽蔑される。
妹になるかもしれない相手にそういう目で見られるのは辛いだろう。

だがな、その辺を力説するってどうよ。
それに、いろいろ興味津津な年頃だろ?
逆に変な趣味があるんじゃないかと思われかねないから、適度に手を出すことをお勧めするぞ。

それにな、昔一成の奴も一冊も持っていなことで疑われたものだ。
疑惑の中には、俺に懸想してるんじゃないかというのもあった。
ああいうのはホント勘弁してほしいから、一般的な趣味の持ち主あることを証明してほしいとさえ思う。
正直、あの噂を耳にした時はいろいろ引いた。

まあ、エイミィさんならどれだけ上手く隠しても在り処を突き止めそうだけど。
そういう意味では、持たないというのは一番確実な手段なのかも。
アレの在り処を知られるということは、決して抗えない弱味を握られるのに等しいし。

それはそうと、こいつもいきなり妙なことを言い出すのはやめてほしい。
《あなたも床下とか天井裏とかに隠してますしね》
「あのさ、こんなところで適当なこと言わないでくれよ、カーディナル。誤解を解くのって大変なんだぞ」
たまたま凛の近くに来たら、いきなり小声でそんな事を云われるんだからたまったもんじゃない。
まったく、ないことないこと捏造するのはやめてくれ。

小声だったから他のみんなには聞こえてないのが幸いだったけど、凛はしっかり聞いていたから困る。
はぁ、そのニヤニヤした楽しそうな眼はやめてくれ。
まさか、俺の部屋を荒らす気じゃないだろうな。
見つかって困るモノはないけど、正直言って趣味が悪いぞ。

改めてクロノの方を見ると、リンディさんが母親としてごく当たり前だが余計なお世話なアドバイスをしていらっしゃる。
「クロノ、別に恥ずかしいことじゃないんだから、もっと堂々としてていいのよ。
 要は、行き過ぎてさえしまわなければいいんだから。
それと、履物の段ボールがどこにあるか知らない?」
「はい、母さんまで妙なことを言い出さない!! あと、僕はいたってノーマルなのであしからず!!
それより、先に食器を運びますから手伝ってください。遅れると、またエイミィにおかずを減らされますから」
うん、いい具合に場は混沌としているな。
フェイトやアルフなどはこの光景に慣れているのか、特に目立った反応は示さない。
つまり、これは日常茶飯事な光景なのか。
大変だな、クロノ。俺も人のこと言えないかもしれないけど。

それはそれとして、キッチン周りを担当しているエイミィさんは台所の主でもあるらしい。
クロノの話だと、この家の兵糧はエイミィさんが握っているのか。
リンディさんも料理はするみたいだけど、艦長職はやはり忙しいようであまりその機会はないようだ。
なんか、クロノは著しく立場が弱いように見えて、只ならぬ共感を覚えるな。
しかし、なんで俺の身の周りはこうも女性上位の体制が確立されているんだろう。

ちなみに他の面々の配置だが、クロノは基本俺同様荷運び担当で、リンディさんは総指揮を取りつつ玄関。
凛やフェイト、それになのはと使い魔一同(ユーノ含む)は各所に随時出張し、荷ほどきをしている。
俺もさっきはクロノと一緒に大型家電も運んだし、この後はそれぞれの自室以外の清掃をしなければならない。
その間に、住人組は自室の整頓にあたり、俺を除く助っ人はその手伝いだ。
正直、忙しくて目が回りそう。まさにここは戦場だな。

なにせ、普通の引っ越し業者に頼むわけにはいかないからその分負担が増す。
運ぶ込むものの中には、明らかに不審なモノがあるせいだ。
その上、一般の人に入られては困る部屋まである始末。
万が一のことがないように、中のことはすべて自分たちでやるしかない。


で、そんな朝から続く大騒動がやっと一段落つき、今フェイトとなのはは街を見下ろしている。
ここはマンションの上層階で、その見晴らしの良さは抜群。
さすがは時空管理局提督、いい部屋を見つけてきたものだ。

その眺めを楽しんでいるフェイトたちは、大はしゃぎしている。
ひきかえ、正規の管理局員組はこの家に仕込んだオーバーテクノロジーのチェックに余念がない。
ここに仕込まれている設備は、今の地球の技術水準からは明らかに逸脱している。
これだから、引っ越し業者に頼めなかったんだよなぁ。
荷物を置く前にある程度までやっておかないと、一度全部動かしてからやらなければならないのだから。
まあ、リンディさんは二人の様子を微笑ましそうに見ているけど。

それに対し、俺は窓ふきのために各部屋を回り、凛は優雅にソファーでおくつろぎ。
お互いに、はしゃぐフェイト達の声を聞きながら過ごしている。
「ほら、あそこがわたしの家。で、あっちが凛ちゃんたちの」
「ほんと、すごく近い」
まったく、さっきまであんなにドタバタしていたのに、元気なもんだ。

窓ふきを終えリビングに移動すると、なんとも可愛らしい光景が待っていた。
だが、俺としてはどこか哀れに感じてしまう。
「ユーノ、お前はまたその恰好か?」
「なのはやフェイトの友達の前だと、この姿でないと不味いからね」
なんというか、お前も大変だな。
表情はわからないが、声は若干沈んでいるし、頭をかく手の動きもどこか弱々しい。
良くは知らないが、本来の姿じゃないんだからいろいろ不都合があるだろうに。

「で、アルフの方は……何だそれ?」
「新形態、子犬フォーム!! どうだ! かわいいだろぉ~」
そこにあるのは、以前のような大型犬の姿ではなく、本人の主張通りのかわいらしい子犬。
前の様な大型犬の姿もかっこよかったが、これはこれで……。
まあマンションに住むのなら、こっちの方が都合がいいか。
だって、あっちは凄く目立つし。

だけど、リニスはいつものまま人間形態で立っている。
「リニスは変身と言うか、動物形態にはならないのか?」
「ええ、やっぱり耳や尻尾を出すのは恥ずかしくて……。
 それに動物形態と言うことは、つまり裸ってことですよ」
そういうものなのだろうか?
耳や尻尾のことはよくわからんが、毛皮があるから裸とも違うと思うんだけどな。

しかし、そこで背後から凛が別の理由を教えてくれる。
「リニスのそれは私の指示でもあるから、別に気にしないでいいわよ。
 ほら、私達って保護者がいないじゃない。リニスには海外の親戚ってことで、保護者役になって貰いたいのよ。
 いなくてもいいんだけど、いた方が何かと都合がいいしね。世間体とか」
なるほど。実際、学校の先生にも色々心配されている。
凛の言うとおり、保護者がいればそう言った心配をされることもなくなるだろう。

「戸籍の方もちゃんと用意してあるから、制度上も問題ないわよ」
別に言わなくてもいいことを。
しかし、誰ひとりとしてそれを気にしていない。
一応それって犯罪なんだが、放置してしまっていいのか? 管理局員よ。

某苦労性執務官曰く、「僕たちもその辺に関しては他人のことを言えないんだ」。ああ、なるほどね。
だが、某甘党提督曰く、「あらあら。じゃあ、聞かなかったことにしましょ」とのこと。
そんでもって、某悪戯好きな執務官補佐曰く、「う~ん、バレなきゃいいんじゃない?」らしい。
なんていうか、フリーダム過ぎやしませんか? 某提督と某執務官補佐。

俺が「それでいいのだろうか?」悩んでいると、なのはとフェイトがリビングに入ってくる。
そこで子犬形態のアルフやフェイレットのユーノを発見し、各々抱き寄せる。
「アルフちっちゃい、どうしたの?」
「ふふ~ん、かわいいだろぉ~」
アルフは、フェイトにさっき同様自分のかわいさを主張する。

「ユーノ君もフェレットモード久しぶりぃ」
「あ、あはははは…………」
ユーノからはどこかひきつった乾いた笑い声が漏れる。
そりゃあな、ああやって頬ずりされるのは複雑な気分だろう。
好意を持っている相手に、全く異性としてみられちゃいないのは間違いないのだから。
哀れなり、ユーノ。



  *  *  *  *  *



その後、アリサやすずかがやってきて、そのまま翠屋でお茶会と相成った。
リンディさんも同行し、高町夫妻に挨拶をするらしい。

だが、リンディさんを見てアリサが「フェイトのお母さん?」と尋ねた時のフェイトは、是非リンディさんに見せたかった。
なにせ、「まだ…違う」と赤くなりうつむきながら答えたのだから。
あれは、どう見ても前向きに検討しているのは間違いない。
本人が知ればさぞかし喜んだことだろうに、もったいない。

そうして、場所は翠屋に移る。
オープンテラスで俺と凛は紅茶を、それ以外はジュースを飲んで会話を楽しんでいる。
まあ、俺はあんまり参加していないのだが。

しかし…………
「ユーノ君久しぶりぃ」
「きゅ、きゅぅぅ~~……」
ユーノの奴はつくづく大変だな。
すずかは嬉しそうにしているが、当のユーノはどこか困ったような鳴き声をあげる。
罪悪感でも刺激されるのだろうか。

それに…………
「う~ん……なんかアンタのこと、どっかで見た気がするんだけどぉ……。気のせいかな?」
「ワフッ!?」
アルフはアルフで、アリサの反応に冷や汗を流しているように見える。
そう言えば、半年前に世話になったわけだし、いろいろ思うところがあるのかも。
まあ、単にバレないかビビっているだけかもしれないが。

なのははそれを微笑ましそうに見ている。
だが、さっきから周りをキョロキョロと見ていたフェイトが、真顔で妙なことを言い出す。
「ねえ。聞きたいことがあるんだけど、なんで誰もチョンマゲとマワシをしてないの?」
「「「「「はぁ???」」」」」
あのフェイトさん……あなたは一体何を言い出すんですか?
あまりのことに、全員口を揃えて素っ頓狂な声を漏らしてしまった。
アリサと凛など、座っていたイスからずり落ちている。

しかし、何故にフェイトの中では力士みたいなカッコした人が街中を闊歩していることになっているのか。
そりゃあ、いるところにはいるけどさ。
だが、少なくともどこにでもいるという認識は確実に間違っている。
それも、日常的にマワシを締めているなんてのは、勘違いどころの話じゃない。
あんな恰好で外をうろついたら、確実に不審者か変質者です。何よりも寒い。

だが、フェイトはそんな俺たちの反応が理解できないのか、頭の上に「?」マークを浮かべている。
頭痛で痛む頭を押さえながら、その理由を問う。
「……待て、一体その情報のソースはどこだ?」
「え? リンディ提…じゃなかった。リンディさんとエイミィが教えてくれたんだけど」
あの二人は、一体何を教えてるんだ……。
フェイトもフェイトだ、どうしてそれを信じるかなぁ……。

「フェイト、半年前にそんな格好の人はいたか?」
「だって……二人が『日本の冬のフォーマルな格好はチョンマゲとマワシだよ』って言ってたから。
 わたしがいたのは春から初夏にかけてだったし、そういう人たちの写真も見せてくれたよ。仲良くハグしてるの」
それはハグではなく、相撲というものです。
信じさせるために、季節限定の正装と言うことにしたのか。なんて無理矢理な。

ん? 待てよ。と言うことは、他の季節はなんだと思ってるんだ?
「一つ聞くが、他の季節のことはなんて言ってたんだ?」
「えっと、今の日本は他の国の文化が色々入ってきてて、結構適当になってるんだって聞いたよ。
 でも、年末年始でいろいろイベントの多い冬場だけは、ちゃんとした格好をするんだって」
いや、ある意味間違ってはいないのだが……。
実際、大晦日や元旦に和服を着る人は多い。
なるほど、確かに和風な服装は冬の正装と言えるかもしれない。

だが、正直あまりのアホらしさに脱力してしまって動けない。他の面々も同様だろう。
しかしそこで、腹を括ったのかアリサがさらなる質問を投げつける。
「ついでに聞くけど、他には何か言ってた?」
「他には……サムライとかニンジャっていう職業の人は別の恰好をするって教えてくれたよ。
 あと、日本の行政の長はショーグンって言うんだよね」
この時代、もう侍も忍者も将軍もいません。
あ、侍はいたか。ちょうど俺の二つ隣の席に座っているなのはの家族とか。
あの人たちだったら忍者の知り合いもいそうだから、あながち否定しきれないな。
そこでなのはと目が合うが、すぐさま逸らされた。なるほど、自覚はあるんだな。

しかし、だからと言ってこれを許していいわけではない。
この瞬間、俺は友人として、全力全開でフェイトの誤った日本観を訂正することを決意した。
これはたぶん、俺だけの決意じゃないだろう。
今時、日本を勘違いした外国人だってこんなことは言わないぞ。
早めに訂正しないと、フェイトがものすごく恥ずかしい思いをすることになる。
さすがにそれは可哀そうだ。

と、考えているそばから凛の奴ときたら……
「ん~~もしかして……フェイト、カミカゼ」
「え? ハラキリ?」
「「「「ごぶはっ!?」」」」
な、なんだその妙な合言葉は。
二人を除く全員が、揃って飲み物をぶちまけてしまったじゃないか。
お互いに顔にジュースやら紅茶やらをぶちまけてしまい、酷く気まずい雰囲気が出来上がる。
凛の奴はちゃっかり自分にかかりそうなモノはガードしてやがるし。

俺はいいとしても、他のみんなはこのままは不味いな。
女の子だし、顔がベトベトになるのは嫌だろう。俺だって十分気持ち悪い。
とりあえず、ハンカチを渡して顔を吹かせるか。

しかし、それにはさらに続きがあった。
「じゃあ、スキヤキ」
「テンプラ」
いったい、これは何のコントだ?
フェイトの事だ、きっと意味なんかわかっちゃいないな。
ただそういうものだと教わっただけなんだろう。なら、一番の被害者はフェイト自身だ。
だが、そうとわかっていても、もうまともにリアクションを取る気力もなく、俺たちはテーブルに突っ伏す。
だって、正直このやり取りはバカバカしいにも程があるぞ。


その後、何とか気力を取り戻し、俺たちはフェイトの珍妙な誤解を解いていった。
すると、本当のことを教えていくうちに、どんどんフェイトが赤くなる。
既に、遅かったのかもしれないな。
だが、遅すぎなかっただけでも良しとしよう。

それにしても、あの二人は何を考えているんだか。
いたいけな少女に、しょうもないことを教えるんじゃないっての。
あの二人のことだ、全部わかった上で噓八百教えたな。
もしかしたら、あの人たちもここまで鵜呑みにするとは思わなかったかもしれないけど。

実際、その後追求したらひどく驚いていた。
まさか、そんなことを本気信じるとは思わなかったんだな。冗談やシャレのつもりで教えたらしい。
俺だって驚いたし、まさかここまで純粋な人間がいようとは……。
さすがに、本人たちもそんな勘違いをしてなかったのが救いか。

同情の余地はなくもないが、当然ながら全面的にリンディさんとエイミィさんが悪いという結論に至る。
なので、もちろんその後、リニスをはじめみんなでお説教をしたのは言うまでもない。


今日の教訓1:オチャメも程々にしましょう。
今日の教訓2:冗談やシャレは相手を選びましょう。
今日の教訓3:何でもかんでも信じてはいけません。
――――――――――――――――――――――――以上。



Interlude

SIDE-リニス

あら? ヤケに外が騒がしいですね。
それにあの声は、フェイトたちでしょうか?

まあ、多分楽しんでいるんでしょうね。
さっきなのはさんと一緒だった時でさえ、私でさえ見たこともないようなはしゃぎようだった。
そこにさらに友達が増えたのですから、あれくらいは当然かもしれませんね。

やはり、こちらに来てよかった。
フェイトは今までずっと友達と言うモノがいなかった。
だけど、士郎や凛、そしてなのはさんと出会い以前よりずっと明るくなった。
そして今、さらにその友達の輪が広がっている。
これをきっかけに、フェイトにはより幸せな日々を送ってほしい。

私はリンディ提督に同行し、なのはさんの御両親に挨拶をしている。
一応私は、凛と士郎の保護者と言う立ち位置だ。
リンディ提督たちはこの先、どれくらいの間この地に留まるか分からない。
だけど、私はここで凛達と共に暮らすつもりでいる。

この人たちとは、きっと長いおつきあいになるだろう。
私もそういう経験はなかったし、緊張すると同時に嬉しくもある。

一通りの自己紹介を終え、なのはさんのお母様が確認するように尋ねてくる。
「えっと、リニスさんは凛ちゃんの御親戚でよろしかったですか?」
「ええ、凛はクオーターでして、私はその筋の親戚です。
 私自身、予てから日本で暮らしたいと考えていましたので……」
一応、表向きの理由はこういうこと。
半年前から、色々とそういう話を凛が周囲の人たちにしていたのだ。
おかげで、特にそのことに違和感は持たれていないみたい。

一応、他にも設定がある。
私は凛の遠縁で、生前の凛の父にお世話になり、その遺言に従い凛たちの保護者となることを承諾。
ただ、まだ学生の身であり、また私が通うのが海外の大学だったこともあって、これまでは別々に暮らしていた。
しかし卒業を機に、以前から希望していた日本での暮らしの為に来日。
時季外れになってしまったのは、諸々の手続きに手間取ったためとしている。

保護者となることを承諾したのは、私自身早くに親を亡くし、凛の父が後見人兼保護者をしてくれていたから。
特に祖国に思い残すこともなく、憧れもあった日本での暮らしを決意。
フェイトとは、彼女の母親が学生時代の恩師でその縁で知り合い、忙しい母親の代わりにアルバイトも兼ねて色々面倒を見ていた間柄。
母親の死後もその交流は続いており、それが新たな縁となってリンディ提督と知り合った。
とまあ、そういう具合になっている。

一通りのことを話し終え、リンディ提督と共に深々とお辞儀をする。
「そういうわけですので、これからしばらくご近所になります」
「まだ不慣れなことも多く、ご迷惑をおかけすることもあるかもしれませんが、よろしくお願いします」
「いえいえ、こちらこそお世話になります」
「どうぞ、御贔屓に」
順番は、リンディ提督・私・なのはさんのお母様、お父様の順。
皆さんとても良い人たちのようで、これからの生活への不安が薄れていくのを実感する。

そこで、なのはさんのお父様が思い出したように尋ねてくる。
「そういえば、しばらくこちらにおられるのでしたら、フェイトちゃんの学校はどちらに?」
「はい、実は……」
それに答えようとしたところで、背後でお店の扉の開く音が聞こえる。
そちらを向くと、そこには大きな箱を抱えたフェイトが立っていた。

その顔には困惑の表情があり、出てくる言葉もしどろもどろだ。
「あ、あの、リンディさん。こ、これって、もしかして……」
「ええ、転校手続き取っておいたわ。
 通うのは週明けからになるけど、なのはさんたちと一緒の学校よ」
まさか、言ってなかったんですか?
フェイトの手にあるのは、これから通うことになる「聖祥小学校」の制服。
つまり、なのはさんだけでなく凛や士郎とも同じ学校に通うことになるということ。

フェイトのことを思ってのことなんでしょうけど、それにしたって秘密にしなくてもいいでしょうに。
フェイトときたら、嬉しいやら恥ずかしいやらで顔が真っ赤になっている。
そういえば、こんな表情も以前は見られなかったんですよね。

皆さん、その話を聞いてそれぞれ言葉を交わしている。
「ああ、それはいいですね。あそこはいい学校ですから。なあ、なのは」
「うん♪」
なのはさんのお父様はなのはさんに話しかけ、なのはさんも嬉しそうにうなずく。

「ええ、素敵♪ よかったわね、フェイトちゃん」
「は、はい。ありがとう、ございます」
なのはさんのお母様はフェイトに微笑みかけ、フェイトは包みで顔を隠すようにして抱きしめる。

「じゃあ、来週からは一緒に登校できるね」
「当然よ。せっかくだから、このまま学校までの道を案内するのもいいわね」
すずかさんとアリサさんは、週明けに思いを巡らし楽しそうにしている。

しかし、そこでリンディ提督が意味深な口調で先を続ける。
「ただね、どうもなのはさんと同じクラスにはなれないみたいなのよ。
 なんでも、一つのクラスに人を集め過ぎるわけにはいかないらしくて、これ以上は難しいようね」
まあ、クラスごとの人数のバランスと言うモノもありますから、仕方がありませんか。
それを聞き、さっきまであった和気藹々とした雰囲気が少しだけしぼむ。
別に会えなくなるわけではないが、それでもやはり残念な気持ちになるのだろう。

ところが、そこでまたリンディ提督の雰囲気が変わる。
「でも安心して、その代わり士郎君と一緒のクラスになったから♪」
「えっ!」
それだけ言うと、フェイトは耳まで赤くして頭から湯気が立ち上る。
完全に固まってしまったようで、身じろぎ一つしない。
この瞬間、フェイトの士郎への感情がこの場にいる全員に知れ渡ったのは言うまでもない。


同時に、士郎は学校初体験であるフェイトの世話係に就任することになるわけで……。
きっといろいろ大変でしょうが、頑張ってくださいね、士郎。
主に凛、あとフェイトやさっきの様子だとすずかさんもですか。
ええっと、こういうのを針の筵、あるいは自業自得と言うんでしたかね?

Interlude out



SIDE-士郎

「で、アンタはどう見るの? 士郎」
と、夕食後の団欒時に、凛が突然話を振ってくる。
俺はと言うと、リニスと一緒に台所で洗い物の真っ最中。

正直言って、脈絡がなさ過ぎて何を指しているのか分からない。
「それはモノによるだろ? いったい何のことを言ってるんだ?」
「あのねぇ、そんなの一つしかないでしょ。なのはとフェイト、それにアルフのこと。
 あの子たち、やる気満々だけど上手くいくと思う?」
それはやはり、シグナム達との戦いのことか。
一応三人の鍛錬を頼まれているし、それ自体は別に問題ない。
他の人たちはいろいろ忙しいし、手が空いているのが俺たちくらいなのだ。
なにより三人がやる気になっている以上、俺としては出来る限り力になりたい。

だが、それとは別に冷静に判断するとやはり苦しいと言わざるを得ないか。
「難しいな。シグナムはまだしも、残りの二人はほぼ無傷だ。
 その上、詳しい能力がわからない黒ずくめの女までいる。
 この短期間じゃ、やられないようにするのが精いっぱいじゃないか?」
部分的には上回っている点もあるが、戦闘経験や技量があまりにかけ離れ過ぎているのだ。
スピードや攻撃力で拮抗できても、それらを運用する技術がないのが問題。
どれだけ性能のいいマシンに乗っていても、それを活かせなければ意味がない。

そんなことは凛だってわかっているはずだ。
しかし、いったん引き受けた以上、手を抜くようなやつじゃないしな。
「とりあえず、基本的な担当としては私がなのは、アンタはフェイトとアルフね。
 シグナムとザフィーラって言ったっけ? あの二人と交戦してるアンタの方が適任でしょ」
まあ、それが無難なところか。

だが、いくら対策が立てられても、それだけで何とかできる相手とは思えないのだが。
「さっきね、エイミィから連絡があったのよ。
 なんでも、レイジングハートとバルディッシュが、カートリッジシステムを組み込むよう要請したみたい」
「それ、本当なんですか!!?」
凛の話を聞き、リニスが大声で聞き返す。
今までは戦闘に関しては素人に近いから発言は控えていたようだけど、それだけ驚いたということなのだろう。
なにせ、カートリッジシステムはまだ安全性に不安が残る機構だ。
俺のデバイスにも組み込まれる予定なので、リニスもそのことは知っている。当然と言えば当然の反応か。

ましてやそれが、ベルカ式ではなくミッド式のデバイスに組み込むとなれば、驚くのも無理はない。
「どうもね、マジみたいなのよ」
凛が呆れたように言うが、気持ちはわかる。主に似て、無茶なことを考える奴らだと思う。

だが、それなら……
「少なくとも、それで武器の差はなくなるな。
 だけど、それにしたって勝ち目が薄いのには変わらないぞ」
「まあね。でも、ないよりかはマシだと思うわ。
危なっかしくはあるけど、すぐに解決できる差なんてそれくらいだもの」
「お二人とも、別に止めないんですね」
そりゃあな。技術や経験なんて、一朝一夕でどうにかなるようなモノじゃないんだから、それくらいはしないと。
リニスの心配はわかるけど、戦おうと言うのなら、せめて少しでもいいから差は詰めておきたいところだ。
安全性に不安があるとわかっている以上、ヤバそうなら即刻止めればいい。

それに、万が一があってもそれはそれ。自分の力で痛い目をみるというのも大事だ。
自分の力がどういうものか知るには、痛みを以て知るのが一番。
そもそも、仮に事故が起きたとしても、これまでのデータから被害の規模はある程度わかっている。
一応とはいえ実装が認められた以上、それを基に安全対策にはかなり気を使っているはずだ。
それなら、事故が起きても大丈夫なように細工の一つや二つくらいはしてあるだろう。
少なくとも、突然大怪我を負ったりする可能性は低い。なら、当分は様子を見てやればいい。

そこで、リニスが思いついたようにカーディナルに尋ねる。
「そういえば、カーディナルは要らないんですか?」
《必要ありません。そんなモノがなくても、必ずやマスターの信頼に応えてみせます》
ほお、自信満々だな。まあ、こいつらの方針ともあわない代物だし当然か。

こいつらの基本方針は魔力の精密運用。
なのはたちほど魔力に恵まれていないからこそ、運用効率や技術の向上を目指している。
引き換え、カートリッジの使用は魔力の制御を困難にさせかねない。
精密運用を阻害するかもしれないようなモノを載せるくらいなら、今のままの方がいいと考えたのだろう。

凛にしても……
「ま、あったら便利そうだけど私も別に要らないかなぁ。
 不自然に魔力を上昇させるのって、なんか気持ち悪そうだし……」
まあな、凛の宝石と似ているけど別物なわけだから、この反応もわかる。
魔力を蓄えるという性質は同じでも、使い方がだいぶ異なるのだ。
宝石魔術が爆弾なら、カートリッジはドーピングに近い。気持ち悪いと考えるのも無理はないか。
実際、使い過ぎるのは体に良くないらしいし……。

っと、話が脱線していた。たしか、今後の指導方針についてだったか。
「フェイトの方は、もうほとんどすることは決まってる。
 シグナムの右肩の動きが鈍くなっている以上、そちらからの攻撃に重点を置かせるつもりだ。
 あとは、足を止めずに動き回らせることくらいか」
一方向からの攻めに重点を置く理由は、まだあの時の怪我が治りきっていないかもしれないから、でいい。
フェイトは渋りそうだが、下手な配慮は逆に失礼に値すると教えれば大丈夫だろう。
それは紛れもない事実だし、シグナムの性格だとそういう風に考えるだろうな。

凛もこの方針に同意を示す。
「ま、そんなところよね。スピードだけなら負けないし。
一撃貰うかスタミナが切れる前に決定打を入れられれば、万が一の勝機くらいはあるわ。
一撃でも直撃したら、ほぼ確実にアウトだけど」
そうなんだよなぁ。一発も受けずに戦うのが、フェイトが勝つための絶対条件だ。
アレを相手にそれをするのは至難の業だってのに。分が悪いにもほどがあるよ。
なにせ、HPの残りが1の状態でボス戦をやるようなもんだ―――――って、なんだこの例え。
まぁとにかく、現状フェイトに教えられることなんてこれくらいしかないんだよな。

しかし、フェイトはまだマシだ。少なくとも、一応の対策が立っている。
それだけで勝てるほど甘い相手じゃないとはいえ、あるとないでは大違いだ。
問題なのは、アルフの方。
「しかし、アルフはどうしたもんかな。アルフは基本的に格闘型だけど、向こうも同じなんだよな。
 同じようなタイプ同士だと、地力の差がそのまま出るし」
「それなんだけどね。アルフって、殺人貴のアレできないかしら?」
「殺人貴のアレって…………まさかあの体術のことか!?」
そういえば以前、「四脚獣なら習得できるかも」みたいなことを奴が言っていた気がする。

確かに、それなら狼形態のアルフになら可能性はある。
もしも人間形態でも素体に近い筋肉の付き方をしているなら、そっちでも使えるかもしれない。
だけど、一つ大問題がある。
「どうやって教えるんだよ。俺も凛も使えないんだぞ」
「うん、だからその辺は口頭で説明するしかないんじゃないかな。
 アンタは何度かアイツと戦ってるし、共闘したこともあるでしょ。
動きの違いを指摘するくらいはできるんじゃない?」
むぅ、やってみないとわからないが、それくらいならできるかも。
かなりアルフの資質頼りな部分があるけど、もし少しでも使えれば勝てる可能性が見えてくる。

別に相対的に上回る必要はない。
一瞬、あるいは一度でいいから隙ができれば、そこを狙うことができる。
それまでと全く違った動きなら対処も難しいし、元が暗殺術だ。
隙をつくのにはこれ以上ないほどに長ける。

まあ、一回限りの隠し玉ってところかな。二度目は絶対にやらせてくれないだろう。
短期間で身に付けた付け焼き刃じゃ、二度目以降は十中八九見切られる。
というか、そもそも一応の形になるかさえ怪しんだけどな。もし形になったら、それだけで驚きだ。
だが、それでも他に手はなさそうだし、やるだけやってみるか。

うわぁ、一応だけど方向性が決まっちまったよ。
あれ? そういえば、なのはの方はどうするんだ?
リニスも俺と同じ疑問に至ったようで、小首をかしげながら凛に問う。
「士郎の方は一応方針が決まったようですが、凛の方はどうなさるんですか?」
リニスは戦闘経験そのものが少ないので、俺たちの方針に特に異を唱える気はないらしい。
しかし、それでも聞きたいことはあるだろう。
それに、こうして気兼ねなく質問してくれるのはいいことだと思う。

凛はそれに対し、ちょっと困ったように返す。
「それなのよねぇ。たぶん、やることはこの前とそう変わらないと思う。
 スタイル変更なんて間に合わないし、する意味もないもの。今できることでやりくりするしかないわ。
カートリッジがあれば一つ一つの術の威力が上がるから、そこに期待かなぁ」
確かに、防御力が上がればこの前みたいになることもないだろう。
なのはの場合、一撃デカイのを当てられれば、それだけで優位に立てる一発逆転の可能性がある。
そう簡単にやられなくなるだけども、少しは状況が良くなるはずだ。

「とりあえず、カートリッジに振り回されないように制御能力の向上が中心でしょうね。
 そうすれば誘導弾の動きも良くなるだろうし、それだけ大きいのを当てやすくなるもの。
 ま、これはフェイトにも言えることだけど」
スグにできることと言ったらそれくらいか。
新しいものに手を出すくらいなら、今あるモノの精度を上げる方がいい。
アルフのそれと違って、付け焼き刃じゃ一回だって使えそうにない。
アルフに教えようとしているモノが、逸脱して特殊なだけなんだ。
あと、やらないよりマシなダメで元々の手段ってのもある。

しかし、こういう話をするということは……
「あの、やっぱり今回の件については積極的に関わる気はないんですか?」
と、リニスは少し控え目に尋ねる。
この件にはフェイト達も関わるし、やはり心配なんだろうな。
俺達も関わった方がフェイト達も安全だろうし、できれば手を貸してやってほしいと思っているかもしれない。
だが、今のリニスは凛に使える使い魔。あまり出過ぎたマネをするわけにはいかない、と思っているのだろう。

凛とてそれはわかっているはずだが、その口から出るのはあまり乗り気ではないという意思表示。
「う~ん。またこのあたりに現れたらその限りじゃないけど、他の世界に行ってまでどうこうって言うとね。
 借りは返すつもりだけど、これ以上管理局に関わるのは避けたいし」
悩みどころ、と言うわけか。
前回と違って、俺達が無理に関わらなければならない理由はない。
『闇の書』とやらは確かに危険そうだが、ジュエルシードと比べると数段脅威のレベルが落ちる。
まあ、まだそこまで詳しい情報は貰ってないんだが。

だけど……
「アンタ達はそういうわけにはいかないみたいね。やっぱり気になる?」
「……ええ、フェイト達が心配でないと言うと嘘になります」
「ああ、無理に関わらなくてもいいのはわかってる。でも、正直言うと……」
「はぁ……ま、アンタ達ならそう言うわよね。
リニスにフェイトの心配をするなって言うのは、言うだけ無駄だし。
 士郎の方も、被害者が出ている時点で放ってなんておけないでしょうけど」
そう、何もしないでいることを苦しいと感じる俺がいる。
自分に出来ることがあるのに……いや、なくてもきっと俺は何かしたいと思うだろう。
二十年かけて染みついた性分は、そう簡単には抜けてくれない。

何より、なぜシグナム達がそんなことをするのかが気になる。
あまり、私利私欲のために人を襲うような印象は受けなかったんだが。
その眼には、譲れないモノのために戦う強い意志の光があった。
なにか、そうせざるを得ない理由があるような気がしてならない。
まあ、アイツらが情報通りの存在なら、複雑な動機なんて必要ないのかもしれないが。

それに、問題なのはむしろ仮面の男の方。
クロノ達も一番警戒しているのは奴だ。
闇の書の完成が目的みたいだが、その理由が分からない。
一体何を考えている?

思考が脇道に逸れそうになったところで、凛が意外なことを言う。
「ふぅ、別にいいんじゃない。いっそ、思いっきり関わっちゃってもさ。
 どうせ士郎のことだから、アイツらが動いたと知ったら後先考えずに動きそうだもの。
 リニスにしてもフェイトとかアルフがヤバそうなら……やっぱり、ね」
むぅ、否定できない。例え一瞬前まで関わらないと決めていても、その瞬間に考えをひっくり返しそうだ。
前科を数え上げたらきりがないからな。
リニスの方も、否定できないらしく申し訳なさそうにうなだれる。娘みたいなもんだし、無理もないよな。

しかし、ここで凛がこんなことを言うとは思わなかったな。
「どうしたんだ? 普段だったら、無理矢理にでも止めそうなものなのに」
「私だって、やられっぱなしじゃ性に合わないのよ。
 なのはの借りはなのは自身に返させるとして、あの黒いのにはちゃんとお礼をしないとね」
その顔には、久しぶりに見る壮絶な笑みがある。
つまり、保身より流儀を取ろうと言うわけか。ああ、何ともお前らしい。
あの黒ずくめの方には、ご愁傷さまと言う感じもするけど。

「それに、管理局と関わりたくないってのも割と今更だしね。
 これ以上余計なことを知られなければ、関わるの自体はそれほど問題じゃないもの。
 別に管理局に入るわけじゃなし、要は手の内を知られなければいいのよ」
そういって、肩をすくめる凛。
ま、すでに関わっちまったんだから今更と言えば今更か。

しかし、さすがに無条件と言うわけにもいかない。
リニスはともかく、俺達にはバレると困ることが多いからな、仕方がないか。
「とはいえ、極力手を出さないように努力しなさい。
一応これはあの子たちの戦いだし、過保護も程々にすべきでしょ。
私達は私達の仕事をすればいいの。その点を厳守するなら、別にかまわないわ」
「わかった。できる限り努力する」
「はい、私もそれで構いません」
どこまで守れるか自信がないが、精一杯の誠意を持って約束する。たぶん、リニスも似たような感じだ。
とはいっても、凛からは「期待しないでおくわ」と言う返答が返ってきた。
信用ないなぁ…………当然だけど。


こうして、俺たちもまたこの件に関わることを決めた。
しかし、この相談が無意味となるほどの出会いがあることを、俺たちはまだ知らない。



一応今後の方針が決まったところで、凛がいきなり話題を変える。
「ところで、さっきフェイトと二人で話してたわよね。何を話してたの?」
ああ、やっぱり気付いてたのか。
別に何もなかったから、そんな怒りの中にさびしさのこもった眼で見ないでくれ。

別に隠す気なんてないし、正直に白状するから。
「まあ、何と言うか。半年前の再確認、かな?」
「ていうと、あの告白の続きか何か?」
まあ、だいたいそんなところか。
リニスも気になるらしく、興味深そうにこちらを見ている。

「ああ、改めて『好き』って言われた。だぁもう、そんな目で見るな!
 もちろん、ちゃんと俺の気持ちは伝えたんだけど。
『うん、わかってる。でも、まだ諦められそうにないんだ。もしかしたら、本当は何もわかってないのかもしれない。だから、もうしばらく時間をちょうだい』って言われたよ。
 これ以上、どうすればいいのさ……」
あんなに健気に想ってもらえて、嬉しくないはずがない。
だけど、俺はその想いに応えることはできない。
そのことはちゃんと伝えた。伝えたけど、フェイトはまだ時間を必要としている。

それに、これは俺の言葉だけでどうこうなる問題じゃない。
結局は、フェイト自身が自分の中で決着をつけなくちゃいけない事だ。
あまり急かしても逆効果になりそうだし、そこまで強く拒絶するのも気が引けてしまう。
俺にとってフェイトは友人であり、同時に妹とかの感覚に近い相手だ。
以前と同じは無理にしても、その関係までは壊したくないのが本音。
身勝手な言い分だってことはわかってるけど、ホントどうすればいんだよ……。

だが、頭を抱える俺に向けて、凛がジト~っとした眼で睨んでいることに気付く。
「どうしたんだ?」
「アンタね。今の話聞いていると、フェイトは『まだ諦められない』としか言ってないじゃない。
一言も『諦める』なんて言ってないんだから、全然諦める気ないわよ、あの娘」
……あれ? 確かに言われてみると、「時間が欲しい」としか言ってない。もしかして俺、まんまと騙された?
じゃ、あの悲しそうな顔は、もしかしなくても演技だったのか!?
………………女性は、皆女優と言うことか。

リニスはリニスで……
「フェイト、強くなりましたね」
と何やら感動してるし……って、泣くほどのことか!?
あの、なんですかそのリアクション。


そういうわけで、俺たちの関係は実は何も解決していないのだった。
こんな調子で、俺は今後も事あるごとに時に騙され、時にはぐらかされてしまうことになる。
当然、その度に凛からの天罰という名の制裁を受けることになるわけで……。



SIDE-アイリスフィール

私は片手を隣にいる子とつなぎながら、ビルの階段を上っている。
やがて扉の前に到達し、それを開く。

開けた先に待っていたのは、よく知る家族たち。
シグナム、シャマル、ザフィーラ。
この世界で出会った、かけがいのない家族。
そして、彼らは同じ目的のために歩む同士であり、一時とはいえ私に仕えてくれる騎士達。

特にシグナムは、どこかセイバーを彷彿とさせる雰囲気がある。
同じ剣士だからか、それとも気質が似ているのだろうか。
一つ言えるのは、セイバー同様私は彼女に全幅の信頼を置いているということ。
同時に、彼女もまた私に揺るぎなき忠義を誓ってくれている。
例えそれが、偽りの主に対するものであったとしても、彼女が捧げてくれる想いは本物。
なら、それだけで十分。

シグナムはこちらを向き、穏やかな口調で話しかけてくる。
「遅かったですね。主が夜更かしなさるということは、本でも読んでいたのですか?」
「そういうわけじゃないんだけど、なかなか寝てくれなくて。
 何も知らないなりに、何か気付いているのかもしれないわね」
はやては優しく、とても気配りのできる子だ。
だから、もしかしたら私達の異変にも気付いているかもしれない。

そこで、私の手を握るヴィータが心配そうな視線を向けていることに気付く。
「でもさ、アイリ。本当に行くの? アイリが行く必要なんて……」
「足手纏いになるのはわかっているけど、それでも行かなければならないわ。
 管理局の動きも本格化している以上、どこかで私のことを印象付けておいた方がいいもの。
 そうすれば、もしもの時はやてにかかる危険が減るはずよ」
「そ、そういうわけじゃなくて……別に、アイリは待っていてくれたっていいんだし」
普段は強気な子だけど、こういうときは見た目相応になる。
それに、ヴィータの言葉はすべて私を気遣ってのもの。
それがわかるだけに、この子に対して愛おしさがこみ上げてくる。
はやてだけじゃない、ヴィータもまた私にとって娘のような存在なのだ。

その気持ちを隠すことなく、心の赴くままにヴィータを抱きしめる。
「ありがとう。だけど、ごめんなさい。
 私はあなたたちみたいに戦うことはできないから、せめてこれくらいはしたいの。
 それに、あなたたちになら私も治療くらいはできるしね」
普通の人間相手だと、私の治療はあまり使えるようなモノじゃない。
だけど、ある程度体に融通のきくみんななら十分使える。

抱きしめたことでヴィータの顔は見えないけど、その耳が赤くなっているのがわかる。
「それに、何かあっても守ってくれるんでしょ」
「あ、当たり前だろ! アイリのことは、あたしがちゃんと守るから……」
ええ、わかっているわ。だからこそ私は、何も恐れることなく戦場に迎えるのよ。
たとえこの身に、あなたたちほどの戦う力がないとしても、何も怖くない。

「じゃあ、行きましょうか。
 はやてを、私達の家族を運命の枷から解き放つために」
「「「はい(おう)!」」」
私のよびかけにそう応え、みんなは騎士甲冑を纏う。

そして、私はヴィータに連れられて遥か彼方の世界へと渡った。







あとがき

ああ、ここのところシリアス続きでしたが、やっとほのぼの路線に入れました。
まあ、またシリアスに入るんでしょうけどね。

士郎と凛は一応この件に関わることを決定しました。
まあ、今までは「どうしようか?」的な感じだったのが、「手伝いぐらいはしてもいいか」になったようなモノです。なんというか、消極的協力というのが妥当なところかと。
アイリを見ればもっと積極的に関わることになるんでしょうがね。

基本、シャマル以外の面子に関してはなのはたちの希望通りにやらせるつもりでいます。
ただし、そのための訓練なんかは二人が主に担当します。
あと、アルフに七夜の体術を教えてみると言う方針が持ち上がってますが、あれの性質を考えると使えそうなんですよね。
何より、アルフとザフィーラは戦い方が似ているので、長所を活かすのが難しそうですから、ああいう奇策を用いることを思いつきました。まあ、短期間でモノになるとは思えませんが。

葛木の蛇も候補ではあるのですが、アルフの好みには合わなさそうなんですよね。
アルフも動きまわるのが好きそうですし、蛇みたいにどっしりと構える戦い方は不向きに思えます。
それに士郎にしても見た回数が少ない上に、だいぶ昔のことなので教えるのは難しそうと判断し、今回は見送りました。

それと、なのはやフェイトの場合、カートリッジの使用自体は特に問題視していません。
シグナム達とやりあおうとするなら、少なくともそれくらいはしないと無理でしょう。
その上で、お互いの長所を活かせる作戦と戦術を叩きこむ予定です。

あとは、翠屋でのことは悪ノリが過ぎたかなぁと反省する気持ちがあるような、ないような。
改めて思ったことは一つ、バトルよりもはるかにギャグは難しい、ってことですかね。
正直、自分で何をやったら笑えそうかと考え、それを実際に書いてみると寒気がするんですよ。「うわ、何書いてんだろ」って言う感じに。



[4610] 第27話「修行開始」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:fd260d48
Date: 2011/07/31 15:36

SIDE-士郎

「では、今日から対守護騎士戦のための修行を始める!!」
整列した面子の前に立ち、仁王立ちしながらそう宣言する。

時刻は早朝。場所は家の近くにある裏山。
そこには、俺を筆頭にフェイトとなのは、それにアルフが整列している。
おまけで、訓練に全く関係ないクロノやエイミィさん、それにリンディさんとユーノまでなぜかいらっしゃる。
ユーノはともかく、あなた方は忙しいんじゃなかったでしたっけ?

「「「はい(おう)!」」」
三人はそれぞれ気合い満タンの顔をして、俺の宣言に応じる。
フェイトやアルフの怪我はもういいし、なのはの方もリンカーコア以外ならもう完治している。
つまり、体を動かす分にはこれといって問題はないのだ。

さて、まず手始めに……
「それじゃ、手始めに三人とも、魔法以外は何を使ってもいいから俺を倒せ、以上」
「って、ちょっと待ったぁーー!!」
何をするか言ったそばから待ったが入った。

全く、時間の浪費をするべきじゃないってのに。
そんな目をしながら、待ったをかけた張本人を睨む。
「なんだ、アルフ?」
「いや、意味わかんないし。てか、私ら三人を同時に相手するなんていくらなんでも無理だろ? ましてやアンタ素手じゃん」
「そ、そうだよ。それにわたしとなのはは一応武器も持ってるんだよ。そんなの危ないよ」
「いや、武器って言ってもただの棒だろ。いいから、かかってこい。
 意味も目的もこれが終わったらちゃんと説明するから」
不満タラタラのフェイトとアルフをなだめすかし、とにかくかかって来い、と手招きする。
まずやりあわなければ話が進まないのだ。
良く見ると、見学者一同も驚いたような表情をしている。
そんなに俺の発言は意外なことなのだろうか?

しかし、この中で唯一なのはだけは、むしろ嫌そうな顔で俺を見ている
「えっと、ホントにやらなきゃ駄目?」
「そう言ってるだろ。それに、三人がかりなら何とかなるかもしれないぞ?」
そんな俺の言葉を聞いても、なのはの顔はどこまでも懐疑的だ。口には出していないが、その眼は「なるかなぁ?」という心情を物語っている。

だが、なのはと違いアルフはあからさまに不満そうな顔をしている。
まあ、無理もないけど。今回は俺も魔術および魔法は使用しない。
つまり、今の俺は肉体的には子どもの域を出ない。
それを相手に三人がかかり、それも大人と同じ体格のアルフからすれば侮られたと思っても仕方がないか。

だからだろうか、アルフがちょっとよろしくない笑みを浮かべながら恫喝するように言葉を紡ぐ。
「いい度胸じゃんか。よし、泣いて謝っても許さないからね」
「ちょ、ア、アルフ!!」
「フェイトちゃん、とにかくやろう。士郎君の事だから大丈夫だよ。むしろ、危ないのはわたし達の方だし……」
さすがに、この半年凛と俺に徹底的に絞られただけあって、これから起こることの結末をなのはだけは正確に予想している。
さっきの嫌そうな顔にしても、自分たちの末路がわかっていたからこその表情なのだろう。

「じゃ、エイミィさん合図お願いします」
「あ、うん。だけど、ホントに大丈夫?」
「エイミィ、彼がそう言うんだから何か考えがあるのだと思うわ。
 とりあえず、ここは彼の意志を尊重しましょ。危なそうならクロノを放り込めばいいんだし」
「ちょっと、母さん!」
何気に酷いこと言いますね、リンディさん。

「あ、そうですね」
「おい!?」
あれかね。アースラでは、面倒事はとりあえずクロノを当たらせればいいとかっていう裏ルールでもあるのか?

エイミィさんはクロノの文句をさらりとスルーし、気を取り直したように何故か持っていたクラッカーを構える。
「それじゃ。よ~い、はじめ!!」

パァーーーン!!

「いくよ。フェイトちゃん、アルフさん。せーので、一斉攻撃」
「で、でもなのは」
「いいから行くよ、フェイト。士郎の鼻を明かしてやろうじゃんか」
いまいち気乗りしていないフェイトを尻目に、残りの二人は気合十分な様子で構えている。
とりあえず、今回は俺から攻める気はないので半身に構えながら三人の様子を見る。

まだフェイトはいろいろ言いたそうではあるが、二人に説得されやっと意を決したようだ。
「じゃあ、せーの!!」
そのなのはの掛け声と同時に、三人は別れ、三方からの同時攻撃を仕掛けてくる。

なのはは左、フェイトは右、そしてアルフが正面から迫る。
「鉄拳無敵!!」
その言葉と共に、握りしめられたアルフの拳が放たれる。
それに若干遅れ、なのはが躊躇なく、フェイトは少し躊躇い気味に棒を振り下ろす。

(まあ、悪くないけど、まだまだ温いか)
そんなことを思いつつ、アルフの拳を化勁で逸らしながら前に出て懐に入り込む。
そのすぐ後ろを、フェイトとなのはの棒が通り過ぎ、巻き起こされた風が後ろ髪を撫でる。

少し遅れて、三人がそれぞれ驚きの声を上げた。
「「「あ!?」」」
「アルフ、首に力を入れろ」
そう言って、二撃目に放とうとしている拳を威力が乗り切る前に腕ごと抑える。
同時に、ガラ空きのアルフの顎に掌底を叩きこむ。
顎が上がり、体勢がのけぞったところを狙い、追い打ちをかけるように震脚を利かせる。

そして……引き戻した右手を左手と揃え、アルフに向けてありったけの勁力を叩きこむ。
「ハッ!!」
八極の一手である双纒手。
足からの力を背中の筋肉で増幅して放つ、密着状態でも使える技だ。

全身の一致によるロスのない威力により、アルフの体が弾き飛ばされる。
アルフ相手にこれで終わったとは思えないけど、先に残りの二人を仕留めておくか。
いい感じに入ったし、しばらくは思うように動けないはずだ。

すぐさまフェイト達の方に向き直りながら、一端距離をあけるべく後方に向かって跳ぶ。
それにより、アルフと戦っていた隙を突こうとしていた二人の攻撃をかわす。
だが、着地と同時にフェイトに向かってすぐさま距離を詰める。

それに反応したフェイトがすぐに薙ぎを放つが、棒の下を拳で撃ち軌道を逸らす。
そのままスピードの落ちた棒を掴み、逆にそれを利用してフェイトを転ばせる。
「せい!」
「え? きゃあ!?」
倒れたフェイトにとどめを刺そうとするが、その前になのはが助けに入る。

それを掻い潜り、懐に潜り込んだところでちょっとした奇策に出る。
「すぅ~……わ!!!」
ふれあえそうなくらいの距離で、肺をいっぱいに使った大声をあげる。
それに驚いたなのはの体が一瞬硬直し、そこを狙って顎の先端に拳を擦らせる。

軽い脳震盪を狙ったそれはしっかりと成功し、なのはの体は糸の切れた操り人形のように倒れ込む。
「なのは!?」
起き上ったフェイトがなのはに気を取られている隙を突き、頸動脈を抑えて締め落とす。

力なく倒れたフェイトを地面に横たえ、やっとの思いで立ちあがったアルフに歩み寄る。
「さて、じゃあこれで終わりってことで」
そう言って、間合いに入ったことで放たれた拳を弾き、拳を顔面の手前で寸止めし決着を宣告した。



第27話「修行開始」



フェイトが気付くのを待ち、全員が復活したところでまたさっきのように整列させる。
なのはは軽い脳震盪を起こしただけだし、フェイトも気絶していただけ。アルフが一番ダメージが大きかったけど、かなり頑丈なのでもう元通り。
いや、手加減しながらは難しいけど、今回は上手くいき過ぎな位に上手くいったな。

「さて、今ので何がわかった?」
「何もわかるわけないだろ! 手も足も出ずにコテンパンにされただけなんだから!!」
まあ、一見するとそれだけなんだけどな。
実際には、アルフなら上手くやればもっと粘ることもできるんだが、いかんせん油断と不満から動きが荒かった。
おかげで隙だらけなもんだからこんなにうまく行ったのだ。

しかし、アルフの方からは欲しい答えが返ってきそうにないし、ちょっと残りの二人にも聞いてみますか。
「フェイトとなのはは?」
「うう。正直、全然勝てる気がしないってことしかわからないよ」
「士郎君、全然手加減なしなんだもん。勝てるわけないよぉ」
いや、思いっきり手加減はしてるんだけどな。容赦はあんまりしなかったけど。

だが、まあ一応欲しい答えが出たということにしておくか。
「そう、つまりはそういうことだ」
「「「なにが?」」」
三人そろって俺の言葉の意味が分からないのか、同じように首を傾げている。

「だから、二人が言っただろ。“勝てる気がしない”って。それでいいんだ。
 いいか? どんなことをやっても、どんな奇策を用いても、敵わない奴には絶対に敵わないんだ」
「で、でもそれは!!」
フェイトがそんなことはないと否定しようとするが、俺に言わせればこれは厳然たる事実でしかない。
この左腕を持って行った黒のお姫様しかり、聖杯戦争のサーヴァントしかり。
世の中には、どれほど知略を巡らし、どれほど力で圧倒しても、全てをひっくり返す絶対的な力(反則)が存在する。それを理解せずに戦いの中に身をおけば、いつかそれと遭遇した時に無為に命を散らすことになるのだ。
だから、まずはそれを知っていて貰わなければならなかった。

まあ、もちろんここで終わりにするつもりもないけどな。
「いいから聞け。幸い、今回三人の相手になるのは、そこまでぶっ飛んだ相手じゃない。
 だけど、今回三人は俺相手に手も足も出なかった。引き換え、向こうの白兵戦技能は俺以上。つまり、今のお前達があいつらと白兵戦なんてしようものなら確実に負ける。もしもなんて都合のいいものは存在しないと思え」
こと白兵戦に置いて、今の三人が守護騎士勢と戦えば、どんな策を用いても勝ち目はない。
すなわち、白兵戦における守護騎士は、三人にとって「絶対に敵わない相手」なのだ。

そこで、見学していたクロノが参加してきた。
「それはつまり、遠距離戦に徹しろということか?」
「そう言いたいところだけど、そうもいかない。向こうだってそれは弱点として認識しているだろうから、当然対抗策もあるはずだ。俺が言いたいのは、正確には自分の土俵で戦えってこと」
「シロウ、自分の土俵って?」
「持ち味を活かせって言い変えても良いな。
フェイトの場合なら、とにかくスピードを活かして翻弄しろってこと。
 いいか、自分の土俵に持ち込んだら、絶対にその中で戦え。そこから一歩でも出れば負ける。
 自分にとって、最も戦いやすい戦法と都合のいい状況を維持し続けるんだ」
それができれば苦労はないが、そもそもそれができなければ勝ち目がない。
なら、無理だろうとなんだろうとやるしかない。

「でもさぁ、向こうだってそう簡単にはやらせちゃくれないだろ。
 もっと、別の状況も考えておいた方が……」
「その必要はない。なぜなら、そんなモノは前提が間違っているからだ。
 お前達が守護騎士と戦う以上、全てが充実した状況でなければ戦う意味がない。
 それ以外の状況での戦闘という時点で選択を間違っているんだ」
その言葉を聞き、アルフはどこか不満そうにしているが特に反論はしてこない。
アルフだって馬鹿じゃない。自分とザフィーラとの戦力差くらいは承知しているはずだ。

「そういうわけだから、戦い方もそれに準じたものになるし、それが続けられなくなった時点で撤退、あるいは手の空いている奴が乱入することになるからな。それが嫌なら、何が何でも自分の持ち味を活かしきることだ。
 フェイトとなのはは、今後は俺と凛が立てた訓練メニューに従って訓練してもらう。メインは魔力制御能力の向上と、今言ったそれぞれの持ち味を活かす戦い方のために必要なモノを身に付けてもらう。
 アルフは別メニューで、そっちは俺が付きっきりになる。フェイト達は凛の指示をよく聞くように」
「え? シロウはわたし達の方はみてくれないの?」
「見てやりたいのはやまやまなんだが、こうして朝の訓練をする時くらいだろうな。朝は合同、放課後からは個別の訓練になるからそのつもりでいてくれ」
話を聞いたフェイトは残念そうにしているが、アルフの方は本当に俺が付きっきりでやらなければ意味がない。
こればっかりは、申し訳ないが諦めてもらおう。

「私の方はなにするんだい?」
「アルフにはとっておきを教えてやるよ。上手くいくかはアルフ次第だけどな」
「ふ~ん」
アルフは気のなさそうな反応を見せる。だが、本人は気付いていないのかその尻尾はブンブンと揺れていて、実は楽しみで仕方がないことを如実に告げている。
反面、フェイトの顔は残念そうなモノから不満そうなものに変わる。
そりゃあな、一人だけとっておきを教えるとなれば不満に思うのも無理はないけど、この状況でとっておきを教えるってことは、一番状況が苦しいのはアルフでもある証拠なんだぞ。

ふむ、時間もそろそろアレだし、最後にこれだけやっておくか。
「じゃあ、三人とももう一度並んでくれ。最後に、ちょっとやりたい事があるから」
「「「やりたいこと?」」」
「ああ。いいか、絶対にそこから一歩も下がるなよ。もちろん、座り込むのもなしだ。
 何があろうと、絶対に今のままの姿勢を維持しろ。そして、気をしっかり持て、いいな」
俺のやろうとしていることが分からないのか、外野も含めて全員揃って不思議そうな顔をしている。

さて、これが終わった時はどんな顔をしているのかな。



Interlude

SIDE-ユーノ

士郎の意図はわからないけど、なのはたちはどこか緊張した面持ちで士郎を見ている。
いったい、何を……。

そう思っていた瞬間、異変に気付く。
(な、なに? これ………)
訳が分からない、どうしていきなり体が金縛りにあったように固まってしまったのか。
意味が分からない、どうして突然意味もなく体が震えだしたのか。
まるで、気温が一気に数十度下がったかのような悪寒が走り、背筋が凍りつく。

体に力が入らない。無意識のうちに、歯がカチカチと鳴り始めた。
(………怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い)
いつの間にか、頭の中がそれでいっぱいになっていた。他のことが考えられない。
今の僕には、ただ無造作に立っているだけのはずの士郎が、まるで未知の怪物のように映る。

「やめろ、士郎!!!」
「士郎君!!!」
クロノとリンディ提督がそんな悲鳴じみた叫びを上げる。
まるで、今にも取り返しのつかない何かが起きようとしている、そんな現場にいるような追い詰められた顔をしている。

その声に反応したのか、士郎はゆっくりとこっちを向きながら口を開く。
「…………はぁ、まったく…………。
リンディさん、この程度で取り乱すなんて管理局提督として恥ずかしいですよ。クロノもだ」
その言葉を聞いて、さっきまであったどこか怪物じみた印象が消え去る。
まるで、さっきまで感じていたことが全て夢だったのかのように。

そこで気付いた。僕がいつの間にかその場に座り込んでいることに。
それだけじゃない、エイミィさんやなのはたちも僕同様座り込んでいる。
その上、立とうと思っても力が入らず立ち上がれない。
なのはたちに至っては、ただ座り込んでいるだけじゃない。その顔には隠しようのないほどの動揺と、おびえ切った表情があった。
立っているのは、クロノとリンディ提督、そして士郎だけ。

いや、それだけじゃない。気が動転していて気付かなかったのか、アルフの姿が見えない。
探そうとしたところで、なのはたちからずいぶんと離れた所からアルフの声が聞こえてきた。
「士郎! アンタ何のマネだい!!」
その声には、明らかに恐怖と敵意が含まれている。狼の姿だったら、間違いなく全身の毛を逆立てて威嚇の姿勢を取っていただろうことを容易に想像させる。今のアルフからは、そんな印象しか受けない。

「さすがだな、アルフ。伊達に狼が素体じゃないってことか。アレが何なのか、もうわかってるんだろ?」
「アンタ、あたし達を殺す気だったろう!!」
な!? 士郎が、なのはたちを殺す? そんなバカな。

アルフの言葉を聞き、フェイトが座り込んだままとがめるような声を上げる。
「ちょ、アルフ!? ダメだよ、そんなこと言っちゃ」
「しっかりおしよ、フェイト! 士郎は確かに「いや、殺気は出したけど殺す気はないぞ。その証拠に、今のからは“殺気”は感じても“殺意”は感じなかっただろ?」……は?」
殺気? 今のが? でも、何で士郎はそんなことをまるで当たり前のように……。

みんな、その士郎の言葉を聞いて呆然としてしまっている。
それを見た士郎は、驚いたようにクロノ達の方を見る。
「え? まさか、クロノ達も気付かなかったのか!? あんな中身のない空っぽの殺気なのに?」
いや、そんなこと言われても僕らにはわからないし。

「……わかるわけないだろ。君がどうかは知らないが、僕に分かるのは尋常じゃない殺気を感じたことだけだ」
「ああ、そう言えば膝が笑ってるな」
「ほっとけ!!」
殺気、言葉としては耳にするけど、アレが。
しかも、執務官として色々な事件に関わってきたクロノが、ここまで動揺するほどの。
士郎、君はいったい……。

そこでクロノより幾分落ち着きを取り戻しているリンディ提督が疑問を呈す。
「一つ……いいかしら。なぜこんなことを?」
「なぜって、それはシグナム達も今みたいな事が出来るはずだからですよ。
 今みたいに殺気や気迫にあてられて怯んだりすれば、それこそ命取りになります。
 なら、少しでも慣れておいて、気当たりに対する耐性をつけておかないと勝負になりませんから」
今士郎がした事と同じことが、彼らにもできる。その事実は、僕の目の前を暗くするのに十分すぎた。
それなら、次なのはたちが戦った時、今と同じことをされたら戦う前に終わってしまう。

そんな僕の様子に気付いたのか、士郎が安心させるような声でしゃべる。
「大丈夫だって。少なくとも、殺気だけで死んだ人間を俺は知らない。
 シグナム達にしても、動けなくなった相手にトドメを刺しに来る可能性は低そうだしな」
「そうは言うけどな……正直、僕は全力でこの場から逃げ出したかったぞ」
「それでもやるしかないさ。フェイト達が戦うつもりなら、な。
 まあ、戦闘中は気持ちや神経が昂ってるから意外と影響は受けないんだけどさ。俺も昔似たような経験をしたけど、その時も逆にそれどころじゃなくて殺気とかはあんまり気にならなかったな」
クロノの言葉に答える士郎の言葉には、どこか過去を振り返るような響きがある。
しかし、腰が抜けるほどの殺気さえも気にならない状況って、一体どんな状況なんだろう。

でも、だとするとこの訓練は本当に必要なんだろうか?
そう思って尋ねてみたんだけど……
「それはそうなんだが、いつ緊張の糸が切れるとも限らないだろ?
ほんの少し気が緩めば呑まれる可能性は十分にあるし、やっぱり慣れは必要だよ」
そう言って、肩を竦めながら問うような眼差しをなのはたちに向ける。
つまり、それでもやるのか、と言葉にせずに問いただしているのだろう。

なのはたちの答えは……
「やるよ。あの子たちが何でこんなことをするのか、ちゃんとお話を聞かせてもらいたいから。
 その為に必要なら……」
「わたしも! ここでやめたら、いつまでたってもシロウ達に守られてばっかりだもん」
「あたしもだ!!」
「やれやれ、別にやめてもだれも文句は言わないだろうに」
士郎は呆れた様子で肩をすくめる。
もしかしたら、今ので諦めてほしいという思いがあったのかもしれない。

何となく、そんな気がした。

Interlude out



SIDE-士郎

「おはよう」
教室に入りいつもどおりあいさつするが、やはりいつもどおり反応は薄い。
ただし、一ついつもと違うところがある。
何やらクラス全体がざわざわして落ち着きがない。

そのことにやや疑問を覚えつつ自分の席に向かうと、後藤君がこちらに歩み寄ってきた。
「おお衛宮殿、おはようでござる」
「ああ、おはよう。ところで後藤君、これは一体何事だ? なんか、妙にみんな浮き足立っているんだが」
「おや? 衛宮殿はご存じでない? どうやら今日転校生が来るらしいのでござるよ。それも海外からの留学生との情報も」
随分とまた情報が早いな。一体どこから……。

まあ、気持ちは分からないでもない。
新しいクラスメイトが来るとなれば、みんなの話題はそれでもち切りだろう。
「はぁ、それでか。だけど確かな情報なのか?」
「むむ、これは心外な。拙者の情報が信じられぬと申されるか?」
て、おいおい情報源は君か。

てっきり普通の時代劇ものでも見たのかと思ったが、もしかして……
「後藤君。昨日、忍者物とか見た?」
「うむ。実は昨日、再放送で大○ドラマ『六文銭』をやっているのでござる、ニンニン」
やっぱり。それで真田十勇士にでも感化されたのだろう。
でも、さすがに「ニンニン」はどうかと思う。

さすがは柔軟性の鬼。
どうしてドラマを見た程度でそんな情報収集能力が手に入るのか甚だ疑問だ。
しかし、そこは「誰色にでも染まる鏡のようなトレス能力」のなせる技ということか。

「写真もあるのでござるが」
「いや、別にいい。どうせすぐにお目にかかることになるわけだしな」
というか、俺の場合既にお近づきになった後だから、別にそんなモノは必要ないのだがね。
だけど、よくもまあ写真なんて入手できたものだ。時々、後藤君の潜在能力がそら恐ろしくなる。

しかし、この時点でこれだと、本人が来たらどれほどのことになるやら。
フェイトはあれで結構大人しい性格してるし、勢いに押されてエライことになりかねないな。



  *  *  *  *  *



で、そんな俺の予想は概ね当たっていたわけで。
「やれやれ、大人気だな」
「そうでござるなぁ。
衛宮殿の時も相当でござったが、やはり留学生ともなると皆の関心の度合いも違うのでござろう」
俺と後藤君が見ているのはクラスの後方に出来た黒山の人だかり。
案の定というかなんというか、やっぱりフェイトはクラスのみんなから質問の雨あられに晒されている。

フェイトはしどろもどろになりながらも、邪見にすることなく何とか質問に答えているが、困り果てているのが外から見ても丸わかりだ。
助けてやりたいのはやまやまだが、正直あの勢いをどうにかする自信がない。
こういうのは、仕切り屋の凛とかアリサとかに向いているのだが、生憎二人は別のクラス。

さて、どうしたものかと考えていると……
「む?」
なにか、尋常じゃない悪寒が走った。
それはどこか懐かしく、同時にものすご~く嫌な予感を感じさせる。
こう、額がなんかむずがゆい。

その気配の元を辿ると、なぜか廊下の方に目を向けることになった。
そして、そこで目にしたのはなぜか新品の消しゴムを持って微笑む凛。ついでに、どういうわけかオロオロしているなのはとすずかに、よろしくない感じに目の釣り上がったアリサがいる。
(は!? まさか)
その光景に、凄まじいまでの既視感を覚えた。

その瞬間……
「ぶげら!?」
凛の投げた消しゴムが、十年の年を越えて俺の額に突き刺さった。

突然の事態に騒然となるクラス。フェイトの向いていた視線が一気に俺に集中する。
「な、なに、今の音!? 何がどうしたの?」
「どうも、衛宮君が突然回ったらしいよ。椅子に座ったまま」
「ええ!! どうしたの衛宮君? 椅子にモーターでも付けたの? それはさすがに校則違反じゃないかな」
「忍法!? 今のは忍法でござるか衛宮殿!?」
「あ……いったぁ――――」
白昼の奇行に盛り上がるクラスメイト達。
さっきまで話題の中心だったフェイトは、一瞬忘却の彼方に吹っ飛ばされる。
椅子ごと床に倒れた俺を取り囲み、心配そう……ではなく、ワクワクとした珍獣でも見るような目で観察している。ちなみに、誰も手を貸してはくれない。

何とか起き上るが、その最中俺は見た。
皆の視線がこちらに集中しているのをいいことに、アリサとなのは、それにすずかがフェイトの手を取り教室の外に引っ張っていくのを。
なるほどそれが目的か。やり方に不満はあるが、それは後で文句を言ってやろう。
今はとりあえず、それに合わせるのが吉か。そうでないと、後でもっとひどい目にあうし。
「後藤君。今の、どう見えた?」
「む? どうって、にゃんと空中で一回転。衛宮殿が椅子に座ったまま、一人で側転したように見えたが。
 是非ご教授願いたい」
ああ、思い出した。これって、聖杯戦争中の出来事と同じなんだ。後藤君のセリフも含めて。
まあね、先生に指された瞬間、ぐるんと一回転したら大ウケ間違いなしだし、習得したいと思うのもわからないではない。だけど、むしろどうしたら自力でそんな真似が出来るか、俺の方こそ教えてもらいたい。

とはいえ、フェイトの避難は成功したようだし、まさか第二弾はないだろうと思うが、念のため廊下の方を見てみる。そこには……
「げっ!?」
弾丸としか思えない消しゴムを一投したあくまが、第二弾を放とうとこちらを見ている。
それも「あれ? 案外これ楽しいじゃん!」という感じの笑みを浮かべながら。
俺は射的の的じゃねぇ!!

「すまん後藤君。ちょっと用事が出来たから俺はこれで」
とりあえず、これ以上被害を拡大されないためにもあちらと合流するのが吉だろうと判断し、弁当を持って席を立つ。

それにしても……イタイ。
床に打ちつけた腰より、消しゴムが当たったおでこの方がじんじんしてるぞ、くそ。
昔より威力が上がってるんじゃないか? 額から血が出ていないのが不思議なくらいだ。

「む、そうでござるか」
申し出を断られて心底残念そうな後藤君。忍者に感化されている今の彼にとって、アレを習得できないのは普段以上に残念なのだろう。
しかし申し訳ないが、どうやったらできるか俺にもわからないので諦めてくれ。


廊下に出て真っ赤になったおでこを摩りながら、魔弾の射手に喰ってかかる。
「いきなり何すんだ、凛!!」
「ふん、いつまでもぼんやりしてるからよ。
 別にいいでしょ、ちゃんとフェイトを救出できたんだから。ほら、早くお弁当食べに行くわよ」
全くもって悪びれもせずにのたまう凛。
終わりよければすべて良しとは言うが、やられた方は全然よくないぞ。

「だけどな、いくらなんでも人を一回転させるのはやり過ぎだって昔も言ったぞ。下手したら死んでるっつの」
「へ? その程度で死んじゃうようなやわな鍛え方をした覚えはないわよ」
「えっと、それってわたしもそうなるってこと?」
俺達の会話を聞いて、俺同様凛に鍛えられているなのはが疑問の声を上げる。
たぶん、そういうことなんじゃないか?

そんな俺達を見て、慣れていないフェイトはアワアワしている。
だが、すずかやアリサは慣れたもので落ち着いた様子だ。
「あのさ、痴話喧嘩はそれくらいにしてそろそろお昼を食べに行くわよ」
「そうだね。ここであんまりのんびりしてると、またフェイトちゃんが捕まっちゃうし」
むう、いろいろ言いたいことはあるが、まあそっちが優先か。

フェイトはしばしのその場で呆然としていたが、小声でなのはに声をかける。
「……………ねぇ、なのは。もしかして、いつもこんな感じなの?」
「え? にゃはは、今日は一段とだけど、だいたいこんな感じかな?」
別に、俺は好き好んでこんな目にあってるわけじゃありませんよ!?
単純に、そこのあくまの傍若無人さが全ての原因だ。

平穏な学生生活、カム・ヒア――――!!
…………………………………………………なんだろう、泣きたくなってきた。



SIDE-凛

放課後。
予定では私の指導の下、なのはとフェイトの訓練をする……はずだったのだけど、それを変更して二人はアリサやすずかと寄り道の真っ最中。

ただし、私と士郎は別行動。
私はクロノ達に呼ばれて。士郎はアルフの訓練のために。
なのはとフェイトには一応訓練メニューを渡してあるし、二人とも怪我の方はもういいと言っても、こういう時間を持っても別にいいだろう。というわけで、今日のところは二人は自主訓練という名の休みにあいなった。

「で、話しって一体何?」
「ああ、そのことなんだが、武装局員の一個中隊を借りられることになった。
 だからまあ、フェイトやなのはに無理に手伝ってもらう必要はない。無論、君たちも」
「ふ~ん。でも、なのはたちはそれじゃ納得しないでしょ」
「やっぱり、そう思うか」
こいつとしては、できる限り二人を荒事に巻き込みたくはないのだろうが、言って聞くような子たちでもない。
そんなことは重々わかっているのだろうが、それでもやはり思うところはあるのだろう。

「だけど、別にそれが本題ってわけじゃないでしょ?」
「まあね。一つ聞きたいんだが、何で二人に任せることにしたんだ?
 士郎の口ぶりだと、まず勝ち目がないはずなのに」
「別に特別な理由があるわけじゃないわよ。あれは二人のケンカ。なら二人にやらせればいいだけよ」
これは一応紛れもない本心なのだが、クロノはそれでは納得いかないらしい。
まあ、別に理由がないわけじゃないんだけどね。

「君の性格からして、勝ち目のない戦いをさせるとは思えないから、一応勝算はあるんだと思う。
 だけど、できる限り早く守護騎士の捕縛を為したいのがこっちの本音だ。だから、参戦するなら君たちにも加勢してほしい。二人が負うリスクは、少しでも減らしたいんだ」
なるほどね。確かに私達が直接加勢すれば、勝算は跳ね上がる。
なのはたちのことが心配ならそれの方がいいし、そうすればより迅速に守護騎士たちを捕らえられるだろう。

だけどねぇ……
「生憎その気はないわ。他人のケンカに首を突っ込むほど野暮じゃないし、何より守護騎士の捕縛にはそれほど意味もないしね」
「どういうことだ?」
「あんた達があいつ等を捕まえたいのは、そこから闇の書の主を見つけたいからでしょ?」
「あ、ああ」
「でもねぇ、多分尋問どころか拷問したって、あいつ等は主の事をはかないと思うわよ」
そう、別に連中の事を深く理解したわけじゃないけど、そういう印象を受けた。
捕まえたとしても、得られる情報は皆無だと思うのよねぇ。

「拷問なんかするわけないだろ!! だけどまあ、それはわかる。しかし、捕まえるだけでも戦力を削ぐことになるんじゃないか?」
「それはそうなんだけどね。そうなったらどうすると思う? たぶん、警戒を強めてもっと足取りがつかめなくなるわよ。それこそ、ここから思いっきり離れた世界に高飛びするくらいはあると思うわ」
むしろ、何で未だにそれをしていないかの方が不思議なくらいだけど。何か理由がありそうな気はするけど、結局は向こうの事情なんてわかるはずもなし。考えるだけ無駄なのよね。

その可能性に一応納得したのか、クロノの顔は苦い。
「なんでか知らないけど、向こうはまだこのへんをウロチョロしてるんでしょ?
ならそれを利用しない手はないわ。できる限りこっそりと主を探して、見つけてから総攻撃ってのが理想的でしょ。主を引きずり出すってのも手だけど、逃げられた挙句ほとぼりが冷めるまで引き籠られる方が面倒だもの」
「なるほど。いざ主を捕まえる際には、フェイト達に守護騎士たちの足止め役をさせて、その間に主を捕獲するってことか」
御名答。正直、なのはたちが勝てるなんて思ってはいない。勝機がないとは言わないけど、可能性は恐ろしく低いのが実情。それなら、いっその事そういう役目をしてもらった方がいい。
もちろん、本人達には秘密にしてね。

で、そうなってくると別に守護騎士が減ってようが揃ってようがそれほど重要じゃない。
いや、もちろん少ないに越したことはないけどね。
それでも足取りがつかめなくなることに比べれば、こっちの方が断然マシだ。

「まあ、主を見つけるったってそうそうスグには目星がつかないだろうし、守護騎士の連中が見つかった時にでも、連中が持っている筈の闇の書を確保するのが現実的だろうけど……」
「ああ、僕もその意見には賛成だ」
主が表に出てくる可能性は低いけど、蒐集をするためには闇の書が不可欠。
なら連中がいる所には確実にあるはずだし、それさえ押さえられれば被害の拡大は防げる。
となれば、やっぱりこれが一番有効な手段だろう。まあ、被害云々には興味ないんだけど。
一応意見を求められたわけだし、これくらいはいいか。

「そういえば、闇の書の事でわかったことってあるの?
 ちゃーんと情報は渡して貰わないとね。そういう契約だし」
「わかってるよ。闇の書の特徴に、転生機能と無限再生機能というものがあるんだ」
「転生?」
「ああ、早い話、何度破壊しても復活してしまうってことだ。そのため、闇の書の完全破壊は不可能とされている。対策があるとすれば、完成前の捕獲くらいだな。一度完成してしまえば、次元干渉クラスの力を行使できるから、正直まともに対峙して手に負える相手じゃない」
それはまた、面倒極まりない代物だ。
手っ取り早く消し飛ばせれば楽なのに、それをしても根本的な解決にはならないとは。

だけどそれなら……
「第七聖典でもあれば、わりと楽なのかもしれないけどねぇ」
「第七聖典? なにそれ」
私のボヤキに対し、台所で食事の支度をしていたエイミィが反応を示す。

「う~ん、簡単に言うと転生批判の概念武装でね。
これなら、もしかすると闇の書の転生を阻止できるかもしれないかなぁって」
「本当か!」
「だけど残念。生憎、私達持ってないのよ。ちなみに所在も不明。それに、特殊能力の類じゃなくてそっちのはプログラムの一種でしょ。となると、概念武装がどこまで効果があるか」
概念武装って言うのは、要は対オカルト兵器だ。実際、第七聖典にしても霊的ポテンシャルの高い相手には脅威になるけど、普通の人間にはただの物騒な武器でしかないし。
こっちの魔法は、私達のそれほどは曖昧な代物じゃない。どちらかというと、機械なんかに使われるプログラムに近い。それ相手に、一体どこまで効果があるかはちょっと疑問。

その点で言えば、ルール・ブレイカーもどこまで効果があるか。
あれはあくまでも対魔術宝具。魔術以外を想定していない以上、魔法相手にどの程度の効果が見込めるかは不安がある。
概念武装の類って、ある意味そういう融通の利かなさがあるからなぁ。こう、決められた事柄を実行する代わりに、その範囲外にあるモノにとっては脅威がないって具合に。
闇の書との繋がりだけならどうにかなりそうだけど、闇の書の「完全破戒」となると厳しいか。ロストロギアって言っても、あれもデバイスと似たような技術で作られている以上機械に近い部分があるだろうし、そんなの相手じゃ効果は期待できないかも。
ま、試してみなきゃ分からないけどね。

それに、ルール・ブレイカーの事はわざわざ言うつもりもないし。
あれって、アルフやリニスみたいな使い魔にとっては天敵だろうし、下手に警戒心を煽るつもりはない。
闇の書の捕獲ができた時にでも、こっそり試してみればいい。

しかし、対闇の書に有効そうな代物の情報を得たことで、エイミィはさらに追及してくる。
「じゃあさ、似たような概念武装ってないの? ほら、なんかこうさ」
「再生を阻止するって言うなら、士郎がシグナムに使ったような『不治の呪い』を持ったのか、あるいは『屈折延命』系かしらね」
「それってどういうの?」
「簡単に言うと、治癒系魔法の無効化ね。不治の呪いの場合は怪我そのものが治らないけど、屈折延命は自然の理にかなう回復ならできるから、自然治癒に任せれば治るわよ」
ルール・ブレイカーはランクこそCだけど、使い方によっては究極の切り札にもなる代物だし、できれば情報を渡したくないのが本音。だからまあ、悪いけどここは丁重に秘密にさせてもらいましょうか。
別に、ルール・ブレイカーの事を聞かれてるわけでもなし。

それを聞いたエイミィは、残念そうに天井を仰ぐ。
「そっかぁ、それじゃあ無理そうだね。まあ、さすがにそうなんでもありなわけじゃないかぁ」
ごめん、実を言うと割と何でもありな部分もある。
要は、定められたルールの中ではほぼ無敵に近いのが概念武装。
闇の書の場合、そのルールの中にいるかどうかが微妙だから何とも言えないけど、もし範囲内ならあなた達の悩みの一部はきれいに解消するわ。

「そういうこと。確か、士郎も転生をどうこうってのは持ってなかったはずよ」
アイツの場合、一体何があるのか完全には把握できていないのがネックなのよねぇ。
もしかするとホントにそういうのを持ってるかもしれないし、念のため一応確認してみるか。



SIDE-士郎

場所は近くにある森。こういうところでないと人目があり過ぎるし、アレを教えるとなるとこういう場所しかないんだよなぁ。だって、明らかに人間技じゃないし。

「それで、あたしに何を教えてくれんのさ」
「ああ、といっても俺自身は使えないから、俺の記憶にある動きを伝えるしかないんだけどな」
「はぁ? なにそれ」
アルフの不満ももっともだが、俺にアレを使えってのがそもそも無理なんだ。
だからまあ、こればっかりは我慢してもらうしかない。

「悪いな。あれはまともな人間に使えるようなモノじゃないが、アルフならたぶん使えるはずだ。
 いいか、これは俺の知り合いが使っていた技なんだが、簡単に言うと高速移動術だ」
本来は屋内向きの身体技能らしいが、魔法陣を足場に使えば自分限定だがそれと似たような地形効果は得られる。
それなら、たとえ開けた場所であっても、アルフになら使えるはずだ。

何よりあの体術は、反応できない速度で動くのではなく、「反応できない様な動きをする」もの。
殺人貴にしても、スピードそのものは人間の限界を出ることはなかったが、それでもなお人外連中を翻弄する動きを見せた。無論、あの動きをするにはそれを可能にする肉体が必要だが、真髄はスピードではなくその動きの方にある。
壁や天井を走り、静止状態から一瞬で最高速度に達するさながら蜘蛛の動作を獣の速度で行うような動きを習得できれば、あるいはザフィーラの隙をつけるかもしれない。

俺の説明を聞き、一応興味を引かれたらしい。
「じゃあ、サッサと始めようよ。それとさ、なんかコツみたいなのないの?」
「むぅ、強いて言うなら気配を消すことと、できる限り姿勢は低くした方がいい位か。
 あとはやりながら模索するしかない。それと、やるなら狼形態の方がいいぞ。アイツが言うには、四足獣の方が向いてるらしいからな」
へぇ、と頷くと、一瞬の後にアルフはオレンジ色の毛並みの大型犬に姿を変えた。
どうやら、素直に言うことを聞く気にはなってくれたらしい。

「でもさぁ、高速移動ったって、魔法抜きそんなことできんのかい?」
「まあ、似たようなものならなくはないぞ。中国拳法にある活歩とか、あとはなのはの家族が使う神速とか」
どっちも種別は違うのだが、あえて言うなら両方を混ぜたような代物というのが俺の印象。

一般的な武術におけるその手の技は、厳密には近づくことを気付かせなかったり、あるいは長い距離を少ない歩数で接近する技術を指す。
御神の剣士の神速の場合だと、意識集中を極限まで高めることで引き起こされる「感覚時間の引き延ばし」をさらに超え、肉体の方をその感覚に追いつかせる技術がそれになる。これの場合、普段は無意識下で掛かっている肉体のリミッターを外し、肉体の「本当の意味での限界能力」を引き出すものだ。
俺の見た限り、殺人貴の体術は一瞬で最高速度に達する時に限定して脳のリミッターを外し、同時に「敵に接近を気付かせない」技術を用いているように思う。もちろんそれだけで使えるものじゃないが、基本はこんなところのように思った。前者の方は、いくらなんでも常にリミッターを外しっぱなしにできるはずもないし、たぶんそうやって負担を軽減していたんじゃないかと思う。
まあ、この両方を使うためにはかなり特殊な体が必要だし、特に後者の方は普通の武術のそれとはだいぶ違うから、アイツみたいな筋肉の付き方じゃないと使えないのだろうが。

どっちも容易いモノじゃないが、前者の方は魔法である程度代用がきく。
あとは、どれだけ後者を突き詰められるかがカギか。
「いいか、アルフ。これを使うときは魔力のほぼ全てを身体強化に回せ。残りは足場の形勢だけでいいから、他に魔力を回す必要はない。
 ただそうなると相当なスピードが出るし、それをどれだけ制御できるかが重要なポイントになるから、そこは体で覚えてもらう」
そのまま、記憶をたどりながら殺人貴の奴の初動時の姿勢を思い出し、それをアルフに伝えていく。
しかし、こうして教えてみて再確認するが、アイツどういう体の構造してやがったんだ?



で、その結果はというと……
「まあ初日だし、今日のところはこんなところか」
「きゅう~~~~~…………………………………」
俺の目の前には、頭に山ほどたんこぶを付けたアルフが転がっている。
全身擦り傷だらけなのだが、特に酷いのが頭。なんというか、ほぼ全魔力を身体強化に費やしているせいか、案の定スピードの制御が恐ろしく困難なことが判明した。

まあ、お約束というかなんというか、とりあえずスピードは出ているのだが、そのまま正面の木に突っ込んでは頭を打ち、止まろうとして転んでは擦り傷を作るの連続。
とてもじゃないが、これでは動きも何もあったモノではない。攻撃に転じるなんて夢のまた夢。
普段と違い、体捌きだけでスピードをコントロールしなければならないものだから、慣れない事を続けたことにより疲労困憊という感じでもある。
むぅ、いっそ別案を考えた方がいいかも。

「えっと、なんだ。提案しておいてなんだけど、やめるか?」
「やだ!!」
どうやら、途中で投げ出すのはプライドが許さないらしい。
完全にへばっていたはずなのに、拒絶の声は今日聞いた中で一番元気だ。

「あたしだってわかってるさ。アイツとあたしは戦い方が似てる。あたしの方がスピードはあるけど、それでも翻弄できるってほどじゃない。フェイトみたいな戦い方をしても、きっと勝てない。
 だからアンタは、これをあたしに教えようと思ったんだろ?」
そう、フェイトが主であるおかげか、アルフのスピードはザフィーラを上回る。だが、それも決して圧倒的なモノじゃない。となると、他にいい案がないのも事実。

アルフの眼は揺るぎなく、たとえ何と言ってもやめようとはしないだろう。
なら、提案した者としての責任くらいは取らないとな。
「わかった。ちゃんと最後まで付き合うよ。とりあえず、今日はゆっくり休め。
明日からはこれの前に、必要最低限の身体強化をした上での体捌きの訓練もやる。オリジナルのそれには及ばないだろうが、それでも相手の意識の裏や死角に入り込む技術を得るだけでも意味はあるだろうしな。
ただし、俺が良しというまでこれの実戦使用は禁止だ」
「わかってるよ。せっかくのとっておきなんだ。できるようになった時には対策が出来てました、なんて嫌だからね」
本当の意味で完成できれば、そんな心配はいらない気もするんだがな。
だけど、それをするにはそれこそ最低でも年単位での研鑽が必要だ。
付け焼き刃で出来るのは、精々たった一度の為の切り札を仕込むことくらい。

「まあ、その他にも俺の知ってるので良ければ歩法とか体捌きとかを教えるよ。
 アルフの場合、魔法よりもそっちの“技”とかの方が有効そうだし」
「んん? よくわかんないけど、その辺は任せた」
全幅の信頼、と言えば聞こえはいいが、どちらかというと考えることやめてないか?

「さて、じゃあ今日はこれ位にして帰るか。夕飯前には帰らないといけないんだろ?」
こっちの方はリニスのおかげでそっちの心配をせずに訓練につき合えるから、まあありがたくはある。
そう確かにありがたいのだが、俺の仕事を持っていかれてる気がしてさみしい。

と、そこでアルフが寝そべったまま神妙そうな声で尋ねてくる。
「ねぇ、士郎。アイツらさ、なんで闇の書の完成を目指してるのかな?」
「どういうことだ?」
「フェイトが言ってたんだけどさ、アイツらからは悪意みたいなものは感じなかったって。あたしもそう思った。
 だけど、アイツらはああいうことをしてる。そこにどんな理由があるのかなって」
シグナム達がしているのは、犯罪云々をはともかくとしても人を傷つける行為だ。
だが、そこに悪意を感じなかった。だからこそ、その根底にある理由が気にかかるのかもしれないな。

「理由か。あるのかな、理由」
「え? だって、理由もなく」
「いや、アイツらはさ、闇の書の守護騎士なんだろ。
だったら、アイツらにとってはそれをするのは『当たり前』なんじゃないかなってさ」
「当たり前って、どういうことだい?」
「俺はアイツらじゃないからわからないけど、守護騎士たちにとって闇の書の蒐集は意志以前の、存在理由そのものなんじゃないか? だったら、それこそが理由なのかもしれない」
そう、そのために存在するのなら、それをするのは当たり前のことになるから、それ以外の理由や動機なんてないかもしれない。
もちろん、主には何らかの、例えば力欲しいとかみたいな理由はあるだろうけど、アイツらにそれは必要ない。
別にそんなモノがなくても、主さえそれを許すならこれといった理由がなくても不思議はない。

そう、かつての俺が人を助けるのに理由を必要としなかったように。
それが存在理由なら、それ以外のモノは必要ないんだ。
正義の味方は人を助けるもので、それを目指していた俺にとって人を助けるという行為は、それ自体が存在理由だった。そこに報酬や感謝は要らない。なぜなら、俺にとってそれをするのは当たり前で、むしろしないことこそが悪だったから。
存在理由に反することが悪で、逆にそれに沿うことが善なら、あるいは……。

「そんなもんかね?」
「わからないよ。あくまでも一つの可能性だ。その辺は、本当に実際に聞いてみるしかない」
ただ、一つ言えるのは別にアイツらに特別な理由は要らないってだけだ。
だからと言って、特別な理由がないことにはならない。
もしかしたらあるのかもしれない、存在理由などとは違う、今だからこそあるどうしても譲れない理由が。



Interlude

SIDE-シャマル

「どうだった、シグナム?」
「いや、やはり芳しくない。今のところ悪化はみられないが、それもいつまで保つか。
 やはり、この世界の医療技術では、主の御身体は……」
無理もない、と言えばそれまでの事。
なにせ、この世界に魔法に関する知識を持っている人自体が皆無に近い。
そんな人たちに、闇の書からの侵食を防ぐ手立てを講じろというのがそもそも無理と言わざるを得ない。
石田先生はよくしてくれるし頑張ってくださっているけど、こればっかりはどうにもならない。

いえ、それこそ管理世界の最新医療でも無理な可能性が高い。
だって、闇の書の一部である私達にすら有効な手立てが浮かばないのだから。

でも、救いがあるとすれば……
「この前の蒐集でだいぶページは稼げたし、ゴールが近づいてきたわ。
 それに、アイリさんのおかげで少しは侵食のスピードが落ちているはずよ」
アイリさんははやてちゃん自身に魔術を施し、これ以上の侵食を抑えるよう防壁のようなモノを形成した。
術式の違いもあるからそこまで劇的な効果は期待できないけど、それでも少しは効果があるらしく、僅かにはやてちゃんの症状の悪化は抑制される。私達はそうして稼いだ時間を使い、何とか期限以内に闇の書を完成させなければならない。

と言っても、それ自体はやはり気休めに過ぎない。
やらないよりはマシ、という程度でしかないのだ。
捻出できた時間は、あまりに少なすぎる。

そんなことはシグナムだってわかっているけど、あの人の頑張りを無碍にするようなことを口にするはずもない。
「ああ。だが、そのせいでアイリスフィールは……」
そう、確かにはやてちゃんの症状の進行は抑えられているけど、同時にアイリさんに負担をかける結果になった。
あの人は、本来こうして生きていること自体が不思議な人らしい。
生きるために魔力の大半を自分の生命維持に回すことになり、魔術行使にはかなりの疲労を伴う。
今のところ日常生活を送る分には問題ないけど、魔術を使うと必ず長時間の休息を必要としてしまう。

その上、はやてちゃんの防壁は定期的に修復及び整備しないといけないし、その度にアイリさんは体調を崩す。
はやてちゃんの前では見せないけど、今だって……
「ええ、アイリさんも今は魔法陣の中で休んでいるわ。
 私達に付き合って他の世界に行くようにもなったし、負担もかなりかかってるみたい」
「やはりか」
シグナムの顔には、ぬぐい切れない苦渋が浮かぶ。無理もない。だって、私も同じ気持ちだから。
本当はあの人にそんな無理をしてほしくないけど、それでもそれが必要だとわかってしまう自分が、必要だからとあの人に無理をさせている自分が許せない。

元来、ホムンクルスという存在は生命体としては脆弱らしいのに、それでこんな事を行っていればそれは当然の結果。だけど、それでもなおあの人ははやてちゃんの為に私達と行動を共にしている。
それがどれだけ自身に負担をかけているか、本人が一番わかっているはずなのに。
それが「母親」というものなのかしら。愛する我が子のためになら、いくらでも自分を犠牲に出来ることこそが。

「ヴィータちゃんは、この事を……」
「どうだろうな。アイリスフィールは、特に主はやてとヴィータの前では気丈に振る舞っている。
 気付いていないかもしれんし、思いを汲んで気付いていないふりをしているのかもしれん」
さすがに、シグナムでも確認する気にはなれないのね。
確認してしまえばそのことに気付くきっかけになるし、逆にヴィータちゃんの心の堤防を崩す結果になるかもしれない。どちらにせよ、それは望ましい結果とは言えない。

「やはり、方法は一つか」
「ええ、一刻も早く闇の書を完成させる。それだけが二人を救うことのできる方法よ。
 少なくとも、私達に出来る範囲では」
あるいは、私達の思いもよらない解決策があるのかもしれない。
だけど、今の私達にそれを知る術はないし、あるかどうかもわからないそんなモノに縋るわけにもいかない。

ダメね。こんな事だと、はやてちゃんに不審に思われてしまう。こんな、暗い顔をしてるんじゃ。
「はぁ。なんだか、こうなってくると聖杯を欲しがる人たちの気持ちがわかるわね」
「万能の願望器、か。確かに、もしそれがあるならば、是が非にでも手に入れたいところだがな。
 しかし、無いものねだりをしても仕方がない」
本当に。こんなことを考える様じゃ、私も相当まいってきてるのかしら。

でも、こんなところで弱気になっている場合じゃない。
やっとゴールが見えてきたんですもの、絶対にたどり着いてみせる。
そうでなければ、今この手にある温もりが、愛おしさがみんななくなってしまう。
それは、かつての私であればなんの痛痒も感じなかったこと。だけど、今の私にとっては身を引き裂かれること以上の苦痛。

守って見せる、絶対に。

Interlude out






あとがき

さて、いつの間にやら連載一周年。早いものです。
元々は、なんとなく頭の中で思い描いていたことをただ羅列してみただけだったのに。
それが段々と設定っぽくなって、次にプロットの様なものを書きだし、とりあえず書き出してみたら一話出来上がってしまい、あとはもう衝動の赴くまま書きまくっていたんですよね。
それである程度出来上がり、ちょっと人の評価が気になって出してみたら、あっという間に一年。
凄いなぁ。まさか私が一年もこんな頭脳労働の様な事を続けられるとは、正直思ってもみませんでした。

それと以前、いくつか疑問できていましたが、士郎が七夜の体術を教えてますけど、士郎自身は使えませんし再現も不可能です。なぜなら、士郎にはそれを使うことのできる肉体がないからです。これは、七夜の体術が七夜の血族か、あるいは四脚獣でないと習得できないという異常性が理由となります。
近親交配を繰り返しているうちに、そういうことができる体になったんですかね? 浄眼の定着や退魔衝動も含めて、これもある種の定向進化ってやつなんでしょうか?
一応七つ夜もUBWに登録してあるのでしょうが、士郎にはあの動きができない以上、彼にとってはただの短刀にすぎません。憑依経験を活かす事が出来ないのですから、使用する意味がないのです。
それだけでなく、そもそも使えないために、憑依経験を引き出しても実感としてそれがどういう動きなのか掴み辛く、上手く言葉にして伝えられないのもあります。こういった事情から、士郎はあくまでも自分がその眼で見た志貴の戦い方を思い出し、それのイメージに当てはめながらアルフに指導しているだけです。
そんなわけで、士郎自身は割とこれの習得は長丁場だろうと思っています。付け焼き刃でモノになるとは思ってませんし、この訓練を通して何かしらアルフに得るものがあるんじゃないだろうかという考えですね。
仮に出来上がっても、志貴のそれとは若干違うものになるだろうと予測しています。なにせほとんど技名だって知りませんし、多分に我流のようなものですから。

ああそれと、もう一話ほど日常編をやってから次の戦闘に入るつもりです。
そういえば、そろそろ士郎のデバイスも届くころなので、たぶんそれに関連した話しになる……のかな?



[4610] リクエスト企画パート1「ドキッ!? 男だらけの慰安旅行。ポロリもある…の?」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:fd260d48
Date: 2011/07/31 15:37

注:連載一周年記念ということで、今回は皆様からお寄せいただいたアイディアから私が独断と偏見のみによって選出し、それを元に作りました。
また、今回は話しの都合上時間軸がズレ、StsにおいてJS事件が決着した後になります。
他にも、話の整合性などはかなり無視していますのでご了承ください。
あと、タイトルから見てもわかるとおり、基本この話はムサイ男どものみによって構成されていますのでお気を付け下さい。
最後に、ここで出ているいくつかの設定は暫定的なモノなので、実際にSts編に入った時は別の形になっているかもしれません。
というわけで、これは基本的に本編と全く関係ないことをご了承ください。



  *  *  *  *  *



SIDE-ヴァイス

時刻は早朝。
先日積もった雪はまだ残っており、ところどころで陽の光を反射している。
JS事件はかなりの被害を出したモノの一応は解決し、六課隊舎も復旧してだいぶ経つ。
アレから数ヶ月、まあ何とかそれなりに平穏な日々が過ぎていき、ついこないだ無事新年を迎えた。

そんな中、肌を刺す冷たい空気に身を震わせながら、なんで俺は朝っぱらから宿舎に向けて大声を張り上げなきゃならないんだろうなぁ?
「早くしてくださいよ、旦那ぁ! いい加減忙ねぇと、ホントに遅刻しすぜ!」
「すまん、待たせた」
そう言って、特に慌てた様子も見せずに宿舎から出てきたのは、機動六課が誇る料理長にして用務員兼バックヤード陣の副長「遠坂士郎」。
なのはさんをはじめとする隊長陣から一目も二目も置かれているにもかかわらず、大抵の場合厨房で料理をしているか、あるいは隊舎や宿舎の清掃や備品の整備ばかりしている歴戦の猛者。なんか矛盾してる気がする。
その体からは、味噌汁のいい匂いがする。案の定、居残り組の為に朝飯をしっかり用意していたらしい。
なんというか、ホントこういうところはマメだよなぁ、この人。
今日ぐらい、他の連中に任せてもいいだろうに。


とは言え、旦那やそのカミさんでバックヤードのトップである凛姐さんは、別に管理局の人間ってわけじゃねぇ。
管理局との関係を一言で表すと、『取引相手』というのが一番妥当だろう。
その取引の内容は、戦力だったり情報だったり、あるいは魔術を使った『商品』と多岐にわたる。

なにせ、唯でさえ人手不足の管理局。あれだけの戦力を借りられるなら多少の出費には目を瞑ってくれる。
その上、いつの間にやら妙な情報網を作り上げてるもんだから、裏情報なんかにも詳しい。
実際、その手の情報のおかげで解決した事件もいくつかある。蛇の道は蛇ってわけだ。
そんなわけで、一応お得意さんだったことが幸いしてJS事件に協力してくれたんだよなぁ。
まあ、それでも初めは見捨てようとしてたらしいが、詳しい経緯はここでは割愛する。

とはいえ、凛姐さんに言わせりゃ「これだけ長持ちしたんだから、そろそろ替え時じゃない?」ということになるんだがな。さすが姐さん、まるで家電製品の交換時期でも話すかのような気軽さだ。
とりあえず、金ヅルがなくなるから手を貸しただけってんだから半端ねぇわ。
それに、クロノ提督たちに「どうせなら、無くなった後の混乱を最小にする努力をした方がいいんじゃない?」というような提案をしたってもっぱらの噂だ。
無くなること前提にして話すあたり、あの人、マジで管理局の存亡そのものには興味がなかったらしい。


まあそれはともかく、やっと来た旦那に向けて、相変らず狼の姿をしているザフィーラの旦那が車の窓を開けて後部座席から顔をのぞかせる。
「安心しろ。これなら約束の時間には間に合うだろう」
「でも、ホントギリギリなんですから、早いとこ車を出すとしましょうや。な、ロウラン補佐官」
「ええ、ヴァイス陸曹も士郎さんも早く乗ってください。それと、ちゃんとシートベルトは締めてくださいよ」
やれやれ、相も変わらずお堅いねぇ。別に一々そんなこと確認する必要なないだろうに。
ま、曲がりなりにも管理局員とその関係者が、緊急でもないのに安全運転を怠るわけにはいかねぇんだろうが。

「まあ、間に合わんようなら私とザフィーラでグリフィスとヴァイスを担いで走ればいいのだが。
 エリオが私達に遅れることもないだろうしな」
「ふむ、妙案だな。その方が車より早いか」
「すんません、旦那方。俺はまだ良いとして、その場合補佐官の命が危ないんすけど」
正直、それは勘弁してほしい。この人たちは、それこそ車と同等以上の速度で走ることもできるが、その際にかかるGはシャレになんねぇ。

俺なら魔法を使えばそれにも耐えられる。
だが、完全生身の補佐官の場合、ぶち当る風圧だけでも相当にきついはずだ。
その上、普通に走っているだけならまだしも、ショートカットと称して急激な方向転換や跳躍なんてされた日には目も当てられない。
もし万が一障害物にぶつかったりしたら、その瞬間に補佐官は三途の川へおさらばしちまうかもしれねぇ。

そんな俺の不安を他所に、二人はそっぽを向きながら異口同音に……
「「安心しろ。冗談だ」」
と、のたまいやがった
はっきり言って、全く信用なんねぇんですがね。そもそもあんたら、そうそう冗談言うようなタイプじゃねぇし。
良く見れば、ロウラン補佐官の首筋には大量の汗が滲んでいる。

場の空気が悪くなっていることに気付いたのか、旦那は突然エリオの方に向き直る。
「ああ、そうだ。エリオ、念のためお前はこれでも持っていろ」
そう言って旦那は、右手に持っていたヤケにでかい包みを後部座席にいるエリオに投げ渡した。

「? 士郎さん。なんですか、これ?」
「弁当だ。お前の事だ、移動中に腹が空くのは目に見えている。
 とりあえず、目的地に着くまではそれでつないでおくと良い」
「あ、ありがとうございます!」
弁当? このボストンバッグみたいなのの中身が全部?
いや、こいつの食欲は尋常じゃねぇ。それこそ、その気になれば店一件食い潰すくらいわけねぇしな。
目的地までは半日近くかかるし、旦那の配慮は当然か。

ちなみに、面子が男ばかりなのは単純にその方がくつろげるから。
なにせ機動六課は大半が女。俺たち男衆の肩身の狭いこと。
せめてこんな時くらい、思う存分羽を伸ばしたいもんだ。
とまあ、それが主にして理由の全て。

「それでは、皆さん準備も整ったようですし、出発しますよ」
「「ああ」」
「はい」
「おう」
と、補佐官の確認にそれぞれ同意の声を上げる。
ちらりと隊舎の方を見ると、なにやら涙目になりながらチェーンバインドに拘束されているフェイト隊長がいた気がするが、多分の気のせいだ。
そのほかの拘束している面々が、必死になって引き留めようとしながらも徐々に引き摺られている光景なんて見ちゃいません。

しかしまあ、せっかくの慰安旅行だが、この面子とさらに合流してくる面子を考えると、無事に終わるのか甚だ心配になるわ。
まあ、とりあえず行くだけ行ってみますかね。
確か、場所は「秘湯ヴァルハラ温泉 鯖旅館」だったか。なんか、磯臭そうだな。
ま、一泊二日の短い旅行だ。精々楽しむとするか。



リクエスト企画パート1「ドキッ!? 男だらけの慰安旅行。ポロリもある…の?」



SIDE-グリフィス

ゲートポートまで車で行き、そこで待ち合わせをしていたお歴々と合流。
それで、そのまま別世界の保養地に移動した僕達。
今は、少し古びたバスに揺られながら、目的地となる鯖温泉の旅館に向かっている真っ最中。

そう、向かっているのですが、慰安旅行が始まって早々に場は混沌としています。
「おっしゃ、坊主! おめぇももっと飲め!!」
「あの、ナカジマ三佐。未成年にアルコールは……」
「気にすんな、気にすんな。今日は無礼講だ! 階級なんて鬱陶しいモンとはおさらばしちまえって」
早速出来上がっている中年オヤジ(ナカジマ三佐)をいさめてみる。
だが、「ガハハハ」と呵呵大笑していて、全然効果が無い。こんな時に、ナカジマ陸曹がいてくれたら……。

まだ十歳のエリオにお酒は不味いと何度も言っているのに、全然聞く耳持たないんだからこの人は。
というか、もうエリオもお酒が入っていてすでに手遅れかもしれませんが……。
ああ、これはフェイトさんに後で殺されるかも……。主に僕が。

正直、僕だってまだ死にたくない。こうなれば、このメンバー有数の良識人をあてにするしかない。
「クロノ提督もいい加減止めてくださいよ。なんでしたら、アコース査察官でもいいですから」
「あれ? 僕はついでかい?」
普段のあなたの行動を鑑みれば、極々当然の扱いですけどね。

「ん? まあ、いいんじゃないか? ブレーコーなわけだし。アハハハ」
すでにテンションと呂律があやしい。よく見れば、この人ももう真っ赤だ。
ああ、次元航行部隊の提督といえども所詮は人の子。酒が入れば、ただの単身赴任のお父さんということか。

不味いなぁ。この場でシラフなのはもう僕だけか。
アコース査察官はお酒に強いのか、比較的にまだまとも。
だけど、元が基本的にちゃらんぽらんな人だからあてに出来ないし。
ヴァイス陸曹も、ナカジマ三佐の酒宴に参加してエリオのコップにどんどん酒を注いでいる。
ザフィーラさんは、もう我関せずとばかりに犬に徹してるし。

残る常識の砦は……
「「ぐぅ~~~~…………」」
二人揃って爆睡中。
別にお酒が入ったせいではない。この二人は、とにかく時間さえあればさっきからずっと寝ている。
それどころか、二人とも乗り継ぎの時も寝ながら歩いていた。どれだけ睡眠時間削ってたんですか?

「まぁ、しょうがないよ。ユーノ先生は普段から無限書庫で徹夜の毎日だし。
その上、今日の為に十日間完徹していたらしいからね。休みを取ろうとすると、大抵こんな感じだって聞くよ」
無限書庫は管理局有数の激務で有名な部署だ。その責任者ともなれば、むしろ当然なのかもしれない。
曰く、「無限書庫に労災はない」。これは必要がないのではなく、あればあっという間に破綻してしまうからに他ならないという噂まであるほどだ。また、その原因が某提督によるものだとも。

その上、本人の責任感も相まって、最後に休暇を取ったのは二年以上前なんて噂もある。
慰安旅行に誘ってみたところ、部下の司書達の強硬な主張により今回の旅行に参加する事となったのだ。
あれほど心配されるとは、本当に命の危険があったんじゃないだろうか?
というか、せっかくの休暇なんですから、家で寝てるか、なのはさんとデートでもした方がいいのでは?
人が良すぎるのも考えモノだなぁ。きっと、せっかくの誘いを断るわけにはいかないと思ったんだろう。

で、もう一人の常識の砦はというと……
「JS事件が片付いたこともありましたし、士郎さんへの発注も最近とみに増えてますしね。
 士郎さんも、最近工房にこもりっきりで僕も久しぶりに会ったほどですよ」
まあそれでも、欠かさずみんなの食事だけは用意しているんだからすさまじい。
それどころか、いつの間にか備品の整備から隊舎の掃除まで済ませ、時には資料整理までされている。
つくづくブラウニーですね、あなたは。

ところで、士郎さんへの発注が増えた理由は割と簡単。
JS事件の折、士郎さんの魔剣をいくつか配備していたナカジマ三佐の108部隊は、AMF環境下でもかなりの戦果をあげた。そのおかげで、士郎さんへの注文はさらに増えてしまったのだ。
たぶん、この休みを捻出するために今月のノルマを大急ぎでクリアしたのだろう。

そんなわけで、この二人を無理やり起こして事態の収拾に当たらせるのはさすがに出来ない。
せめて、この一時くらいはゆっくり寝てもらいたい。
むしろ、その他のよっぱらいが狼藉を働かないように防壁になるべきなのだろう。

「ところで、アコース査察官はこっちに来て大丈夫だったんですか?
 そちらもお忙しいはずですけど」
「あははは、大丈夫大丈夫。ちゃんと抜け出してきたから」
どこが大丈夫なんですか? それ。
それに今、「ロゥゥォォォッサァァァァ~~~~~~~!!!!!!」というシスターシャッハの怒号が聞こえた気がしたのですが。どうやら、僕以上にあなたの命が危ないですね。鉄拳制裁で済めばいいのだけど。

ああ、どうやらクロノ提督もナカジマ三佐の酒宴に交じってしまったらしい。
もうあちらは僕の手に負えない。そう割り切って、こっちで比較的まだまともな人と話す事にしよう。
別に、現実から目を逸らしているわけじゃありませんよ?

「そういえば、行き先はヴァルハラ温泉の鯖旅館らしいですけど、査察官は何かご存知ですか?」
そう、実を言うといろいろ調べてみたのだがこんな温泉もこんな名前の旅館も全然見つからなかった。
ある日突然、ヴァイス陸曹が「アロハシャツを着た気のいい兄ちゃんから招待券貰ったんで行きましょうや」と誘ったのがきっかけ。
その後調べてはみたが、まったく情報がつかめなかったのだ。

だが、さすがにアコース査察官は少しばかり情報を有していた。
「ああ、まあ無理もないね。どうやら割と最近発見された温泉らしくて、まだそれほど情報は出回っていないみたいだよ。まあ、その点で言えば未知数であり、穴場でもあると言えるかもね。
 僕の方でも、あまり情報は手に入らなかったけど」
なるほど。つまり、行ってみないと本当にどんなところか分からないということか。
まあ、とりあえず当初の目的通りゆっくりできればいいのか。



SIDE-ユーノ

ああ、こんなにゆっくり寝たのはいつ以来だろう。
まさか、三時間も熟睡できるなんて。
ただ、なんでこんなにバスの中がお酒臭いのかな?
他にお客さんはいないから、あまり気にしなくてもいいのかもしれないけど。

って、ああ、どうやらエリオは長旅で疲れて寝てしまったらしい。
いくら強くなったといっても、このあたりはまだまだ子どもなんだなぁ。
出来ればこのままゆっくり寝させてあげたいけど、たった今旅館に着いたところだ。
起こすのも可哀そうだし、背負って部屋まで運ぶとしようか。

士郎の方は、寝ているみたいだけどまあ大丈夫かな。
寝ながら前でも見えているかのようにしっかり歩いている。
器用だなぁ、僕もああいうこと出来たら便利なんだろうなぁ(注:あなたもできます)。

で、宿の前には「歓迎 ヴァイス・グランセニック様御一行」と書かれたプラカードを持つ金髪赤眼の少年が立っている。年のころは、多分エリオとそう変わらない。
この旅館の従業員さんのお子さんとかかな?
「お待ちしておりました。鯖旅館へようこそ。
 僕はここのオーナーのギルといいます。皆さんごゆっくりお寛ぎください」
「え? 君がオーナーなの?」
「はい。まあ、信じられないのも無理はないかと思いますけど、これが事実なんですよ。
 厳密に言うと僕が建てたのではなく、元からあったモノを買い取ったんですけどね」
と、人好きのする朗らかな笑顔を浮かべている。
ただ、士郎を見た時の眼がどこか意味深だったのは気のせいかな?

しかし、この若さでオーナーになれるということは、彼は相当なお金持ちなんだろうな。
なんというか、凛が見たら「お金の匂いがする」とか言い出しそう。

まあ、それはそれとして……
「ところで、こちらの方は?」
アコース査察官がそう言って目を向けたのは、門前に立ち塞がるすんごいの。
身長およそ250㎝という巨人。一面の銀世界の中、上半身裸で腰巻しかしていない。もちろん裸足。
また、その露出した体は隆々とした筋肉におおわれており、寒さを感じていないかのように堂々としている。
ただ気になるのは、あの肘から出ている突起やヤケに体が黒いのは何故?

「ああ、彼はここの門番をしてるんですよ。
 安心して下さい。彼に勝てる生き物なんてまずいませんから」
なんというか、その言葉には凄まじい説得力がある。
上手く言葉に出来ないけど、生物としての次元が違う気がするよ。

ただ、さすがにこの格好はどうかと思うので、この巨人にちょっと尋ねてみることにする。
「えっと、寒くないんですか?」
「■■■■■■■■■■■―――――――――――――――――!!!!」
「ひ、ご、ごめんなさい~~~!?」
吠える大怪獣。慄く僕ら。
俺に触れればお前を次元世界の彼方まで吹っ飛ばすぞ、といわんばかりの大迫力。
もちろん、その返事はイエスなのかノーなのかさえ分からない。
通訳なしにこの方とのコミュニケーションは不可能なのだろうか?

僕等があまりの迫力に立ちすくんでいると、あの少年が間に入ってきた。
「あはは、すみません。彼はシャイなモノでして」
苦しい。苦しすぎるよ、その言い訳。絶対そういう問題じゃないと思う。

「あ、ほら君。大事なお客様をこんなところにいつまでも立たせているわけにはいかないよ。
 丁重にお部屋まで案内して」
そういって彼は誰もいないはずの方に向けて話しかける。

だけど、それにはちゃんと答えが返ってきた。
「承知いたしました」
『え?』
その場で意識のある旅行メンバー全員が驚きの声を上げる。
だって、そこには誰もいなかったはずなのに、いつの間にかこれまた上半身裸の男性が立っていた。
なんなの、この存在感の無さは。僕も散々空気とか言われてきたけど、そんなレベルじゃない。
というか、いくら酔っているとはいえ、あのクロノさえも気付かないなんて。

また、その人の外見はさっきの巨人とは全く違う。
決して筋骨隆々と言うわけではないのだけど、引き絞られた無駄のない肢体。
なぜかその右腕には漆黒の布が巻かれていて、同色の腰巻をしている。
だけど、何よりも目を引くのは……
「凄いですね、この旅館。裸エプロンならぬ裸ドクロ。
 青少年の夢を木っ端微塵ですよ」
そう、ヴァイス陸曹の言うとおり(?)、彼は奇妙な白いドクロのような面を付けている。
そのせいで、彼の顔は全く分からない。はっきり言って、不審者丸出しである。
大丈夫なの? この旅館。

そんなヴァイス陸曹の言葉に対し、彼は動じた風もなくこう答えた。
「御褒めに預かり光栄です。私に目を付けるとは、お客様もお目が高い」
「いえ、別に目を付けたというわけではありませんから。単純に、彼があなたに僕たちを任せただけですから。
 というか、そもそも気付きもしなかったのに目を付けるも何もないでしょう」
「イッツ・クール。では、ご案内いたします」
なんだろう、会話が微妙にずれている。



  *  *  *  *  *



幸い、と言えばいいのか。とにかく従業員に比べて旅館の中は比較的にまともだった。
むしろ、かなり古い建物のはずなのに非常に手入れが行きとどいている。
どうやら、特殊なのはあの警備員さんと案内してくれた人だけらしい。
そのことに、心の底から安堵する。
(よかった。本当によかった)
正直、あんな人ばかりだったら骨休めも何もあったもんじゃないし。

うん、だから気のせいだ。
窓の外に、なんだかよくわからないオニヒトデのお化けみたいなのがウヨウヨしてるのは気のせいに違いない。
そう、ましてや一際大きいそれの上に人なんか乗ってないし、「ジャンヌー♪ おぉー、ジャンヌ~♪ 貴女はいずこ~♪」なんて声(歌?)は絶対に聞こえない。

部屋は二つに分かれていて、僕と同じ部屋にはグリフィス補佐官の他に、士郎とエリオがいる。
もちろん、二人共まだ熟睡中。
もう片方の部屋には、クロノとアコース査察官、それにナカジマ三佐とヴァイス陸曹。
あっちは大丈夫だろうか?
ちなみに、ザフィーラは散歩に出かけてしまった。

と、そんなことを思っているうちに士郎が起きてきた。
「どうしたんだ? 二人とも。なんかやつれてないか?」
「「だ、大丈夫(です)」」
正直、士郎が羨ましくて仕方がない。
いつの間にか、外は元の静寂を取り戻していたのだから。
まあ、この士郎が今の今まで起きなかったのだから、きっと危険はないに違いない。そう信じよう。

「失礼いたします」
そんな声がふすまの奥から聞こえたかと思うと、丁寧にふすまが開けられ人が入ってくる。
端正な顔立ちに、少々長めの黒髪。几帳面な性格なのか、一つ一つの動作はどこか堅苦しささえ感じる。

だけど、一番気になるのは……
(な、なんでこの人はこんな陰気な表情をしているんだ)
そう、なんというか、まず目が死んでいる。
そして、全身から溢れるどんよりとした雰囲気。
例えるなら、頑張りすぎて無理をした挙句、燃え尽きちゃったような感じの人だ。

その直感通り、部屋の設備や金庫の使い方、あるいは室内電話の番号などを説明している間、終始彼はバツが悪そうな表情をしていた。
なんだってこんな人をこの旅館は採用したのだろう。
いや、何か理由があって今だけこんなにつらそうにしているのかもしれないが、明らかに場違いと言わざるを得ない。この旅館は、絶対に従業員の採用基準が間違っている。

しかし、そんな僕の心中とは別に、なぜか士郎が奇妙なことを言い出す。
「失礼。どこかでお会いしたことがないだろうか?」
「いえ、私は『貴殿』とはお会いしたことはございません」
「ふむ、そうですか。何か既視感があったのですが、気のせいでしたか」
ただ、士郎はどこかそれでも釈然としていないようである。

だから、だろうか。切り口を変えて話を振る。
「ところで、何か武術をやっておられるようですな。
あ、いえ、他意はありません。ただ、非常に素晴らしい足運びや姿勢なモノですから」
「ええ、剣を少々。その他に、いろいろなモノに手を出しております。
 以前は、とある高貴な方にお仕えしていたのですが、不義を働きまして……。
 その上、『人の心がわからない』などといった暴言まで吐いてしましました
 他にも……………………」
「申し訳ない。忘れてくれ」
そういって、士郎はそれ以上の詮索をやめた。
さすがに、そんな話を無理に聞き出すのは気が退けるというものだろう。
というか、話せば話すほど陰気なオーラが強くなる。
これ以上この人の身の上話を聞けば、カビが急速発生しそうだ。

「では、何か御用がありましたら、そちらからお呼びください」
そういって、この部屋にやたらと陰気な空気を振りまいた人物は去っていった。

なんだろう、慰安旅行のはずなのにどっと疲れた。



SIDE-ゲンヤ

ああ、あっちはちゃんと慰安旅行を満喫できてんのかねぇ。
どうも、そろいもそろって生真面目過ぎる。
こんな時でも、あれこれ職場のことを気にしてしっかり休めてねぇんじゃないかとこっちが心配になるぜ。

と、そんなことを考えていたところで、荒々しくふすまが開け放たれる。
そこから現れたのは、明らかに場に不釣り合いで、なおかつ季節感をおおいに無視したアロハシャツの男。
「よお、兄ちゃん。くつろいでるか? 酒持ってきたからよ、いっちょ飲もうぜ」
「っておお、アンタもいたのか! いいねぇ、ナカジマ三佐たちもどうっすか?」
「ああ、それじゃあ僕もご相伴にあずかろうかな。クロノ君もほら」
「飲んでばかりというのもどうかと思うが……」
外の冷たい空気に触れたおかげか、クロノ提督の酔いは少しばかり冷めたようだな。
さっきまでと変わって、お堅い口調が戻ってきている。

けどまぁ、アコース査察官はそんなことを毛ほども気にせず酌をしてるがな。
「まま、いいじゃないか。はい、グイッと」
「そうだぜ兄ちゃん。せっかくの酒だ、楽しく飲まなきゃ罰が当たるってもんだ。
それにな、顔見知りの金ぴか野郎の蔵からガメてきたもんだから、味は保証するぜ」
と、まあそんな感じでクロノ提督を巻き込んで再び酒宴が開催した。

俺自身向こうが気になっちゃいるんだが、それ以上にこの青髪のしっぽ頭が持ってきた酒の匂いが気になる。
今までに嗅いだこともねぇ、それはもう芳醇な香り。
いけねぇ、酒飲みの端くれとしてあれを無視するなんざ無理だ。

俺の中の葛藤はあっさりと決着がつき、酒宴に参加することに決める。
「おうおう、若ぇのばっかりで盛り上がんじゃねぇよ」
「うむ、何よりこのような美味い酒を余の居ぬところで飲むなど言語道断。というわけで、余も混ぜよ」
ん? なんか、聞きなれない声が混じった気がするな。

声の方を見ると、見覚えのない2mはあろうかという、赤毛の大男がいつの間にか居座っていた。
「ところで、あんた誰だ?」
「細かいことは気にするでない。酒宴が開かれ、そこに一人の男がいる。
 ならば、それは“のんべえ”以外の何者でもなかろう」
「はっ、ちげぇねぇ。さすがは彼の征服王。言うことが違う。そら、おっさんアンタも飲め」
「おっとっと。まあそうだな。んなこと、聞くだけ野暮ってもんか」
「わははは、そのとおりである。
どうじゃ、光の御子。ここは一つ余とお主、どちらが先に潰れるか勝負といこうではないか」
「おもしれぇ、のってやるぜ。ほらついでだ、厨房から肴もガメてきてあるぜ。
 黒んぼの野郎が作った奴だからな、味は確かだ」
「ん? なんだか士郎の味とよく似ているな?」
「ああ、言われてみればそうだねぇ。まあ、おいしいからいいじゃないか」
ほぉ、こんな寂れた旅館に士郎並みの料理上手がいやがるのか。
って、おいおい、ホントにこりゃあ士郎の味じゃねぇか。何もんだここの板前は?

そんな感じで気分よく酒を煽っていると、勢いよくふすまが開けられる。
決して乱暴じゃねぇのが開けた人間の性格を表してんな。
「待たれよ!! 光の御子ともあろう御方が、つまみ食いとは何事です。
 征服王もだ! 貴公、街へ買い出しに行くのではなかったか?」
「おう、そんなもんはとっくの昔に終わっとるわい。だからほれ、こうして労働の後の酒に舌鼓をうっとるのよ。
 いや、余からすれば容易いことであったぞ」
「であれば、次の仕事をするのが筋であろう! たしか、まだ雪掻きが残っていたはずだ。
 光の御子も、早く厨房の手伝いに来てください」
「ああ? だってよう、黒んぼの奴がアレコレうるせぇじゃねぇか。
 やれ使う洗剤の量が多いだの、やれ盛り付けに気をつけろだの……おめぇ、よくアレと一緒にいられるな」
ん? 泣き黒子が印象的な美丈夫が入ってきたと思ったら、突然二人に対して説教かましだしやがった。

「確かに、少々神経質なところのある御仁だが、客商売というのはそういうものでしょう。
 って、なにを……!?」
「いいからよ、おめぇもこっち来て飲め!!」
「む、いいことを思いついた! 最後まで残っておったモノの命令に負けた者は従うというのはどうだ?」
「もしかしてよ、負けたら臣下になれとか言い出すのか?」
「うむ、察しが良いな光の御子。これもまた一つの戦い。ならば、敗者は勝者に従うが道理。
 やはり、余はお主らが欲しくてたまらんのよ」
「はっ、まあ負けなきゃいいわけだからな。
 おめぇはどうする? まさか、この勝負から逃げるのか?」
「くっ、いいでしょう。挑まれて逃げるは武人の恥。
私が勝った場合は、お二人ともしっかり働いていただきますよ」
そうして、全員潰れるまで浴びるようにして酒をあおったってわけだ。
後半からは意識が飛んじまったが、ギンガに酒量制限されている最近じゃ味わえない気分の良さだったことだけは覚えている。
まあ、次の日は全員揃って二日酔いで苦しんだがな。

正直、おっさんの体には堪えたぜ。



SIDE-ザフィーラ

「ふむ、いいところだ。心が洗われる」
森の中を散策しているが、都会にはない澄みきった空気が全身を満たしていく。
時折チラホラ見かける小動物の足跡に、つい狩猟本能が刺激されるな。
せっかくだ、一度野生に還るのも悪くはないか(注:そもそもあんたに野生なんてありません)。

そうして獲物の行方を探そうと匂いをたどろうとしたところで、奇妙な音が聞こえることに気付く。
「………………………これは、風斬り音か」
それも、桁外れに鋭い。シグナムでさえ、これほどの鋭さは出せぬかどうか。
狩猟本能以上に掻き立てるモノを感じ、方針を変更しそちらに向かって見る。

そこにいたのは……
「ふっ! はっ!」
投げ上げた薪を一瞬のうちに割っている陣羽織姿の長髪の男だった。
だが、その手にあるモノが尋常ではない。
槍のような長さの刀。それを、特に苦もなくその男は自在に振っている。
アレだけの長さがあれば、扱うのは至難の業……いや、そもそも扱える人間がいたこと自体が驚きだ。

そういえば衛宮……いや、今は遠坂だったか。
まあ、とにかく。奴の獲物の中にアレとよく似た物があったはずだ。
まさか、同じような武器をとるモノがいようとはな。

だが、その風切り音が突然に止む。
「ほう、これは面妖な。奇妙な気配が近づいたと思えば、なぜこのような場所に化生がいる?」
「化生ではない。守護獣だ」
「おお、まさか言葉を解するとは思わなかったぞ。これはますますもって面妖な」
なにが楽しいのかはわからんが、こちらの反応にまるで子どものように喜んでいる。

「このようなところで何をしている?」
「なに、見ての通り薪割りよ。お主もそこの宿の客であろう?
 私はそこの者でな。こうして、上役から与えられた役目をこなしていだけよ」
これほどの剣腕を持った男がこのような場所で、本当にただ薪割りをしているとはどういう状況だ?

少々、この男に興味がわいたな。
「それほどの腕があって、なぜこのような場所でくすぶっている?」
「いや、別に好き好んでいるわけではないのだがな。
 ただ単に、今この宿にいる者は皆無職というやつなのだ。
 とりあえず、手に職を付けておこうとしたわけよ」
「外に出れば、もっと別の職もあるだろうに」
「それがな、なかなか上手くいかん。
 ほれ、昨今話題の派遣……だったか? 我等はその様なものでな。
多少事情は違えど、揃いも揃って所謂派遣切りのようなモノにあったのだ。
 その上、難儀な話だが雇い主(マスター)なしに外に出るわけにはいかぬときた」
事情はよくわからんが、新たな勤め先もみつけずに外に出るわけにはいかんといことか。
まあ、働き口もなしに山を降りても、路頭に迷うのが関の山かもしれん。
そういう意味で言えば、納得は出来るか。

「そうか、ならば降りる時があれば尋ねてくると良い。その時は働き口の斡旋ぐらいはしよう」
「おお、それはかたじけない。その時があれば、是非頼らせてもらおう。
 何分ロクな雇い主に恵まれなくてな、その時は良い雇い主を紹介してもらいたいものだ。
 いやはや、渡る世間に鬼はなしということか」
「……あーだっりぃ~~……なぁそこの忠犬。できればさぁ、オレにもいいところ紹介してくれねぇ?
 贅沢はいわねぇけどよ、しんどくなくて高給で週休6日くらいの仕事ってある?」
と、努めて視界から追い出していた全身刺青のバンダナ男が、労働を舐めきった戯言を口にする。
というか、この男さっきからずっと割るはずの薪の上に座ってサボっていた。
その全身から気だるげな気配を振りまき、やる気の欠片も見せないその様子は、本当に働く気があるのかすら疑わしい。

「いいだろう。その時は、特別きつい仕事先を紹介してやる。
 そうだな、エースオブエースの射撃訓練の的などどうだ? ただ逃げるだけでいいから、ある意味楽だぞ」
「うっわ。この犬、人の話全然聞いてませんよ!?
それに自慢じゃねぇけど、オレってメチャクチャ弱いからさ、的にすらならねぇと思うんだ。もっと別なの紹介してくれよ」
「それならせめて、与えられた仕事くらいしっかりこなせ。そうでなくば紹介することすらできん」
「これでも、駄犬は駄犬なりに頑張ってるんですけどね~。
つーか俺を真っ昼間から働かせるのが間違ってるんだよな。まったく、溶けるぜぇホントによぉ」
まったく、世も末だな。最近の漢はここまで堕落したのか。

よし、ここは一つ先達として気合を入れやろう。
このままこのような若者の未来が閉ざされるのは忍びない。
「小僧、腹と奥歯をくいしばれ!!」
「は? 5ットン!?」
瞬時に人間形態を取り、思いを乗せた熱い拳で気合を入れる。
ここまで曲がってしまった根性を直すには、やはりこうして叩いて直すよりほかはない!!

「どうだ?」
「ゲフッ……いや、どうもこうもねぇし。いきなり肉体言語に走るのはやめようぜ。
 猪木やアニマルだってもう少しマシだと思うんだけどよ。って、猪木とアニマルって誰だ?」
む? あの燃える闘魂を知っているのか。やはり気合を入れる一番の方法はこれだと思うのだが……。

「よし、たった今アンタに『燃える鉄拳(犬)』の称号をやろう。いい感じの破壊系称号だと思うんだけどよ、くれぐれも『人間凶器』とか『人間最終戦争』とかに進化しないようにしてくれ。オレのために。
 ってか、アンタの周り多いよね、そういうの。青いのとか、その姉とか、なにより青いのの上司」
破壊系称号か、こいつの言うとおり一番似合いそうなのはやはりたかま……ゲフンゲフン。
下手なことを考えるべきではないな。アレと『お話し』することになりかねん。
というか、なぜこやつはそんなことを知っている。

なんにせよ、ヴィヴィオには淑やかに育ってもらいたいものだが……無理か?



SIDE-エリオ

う~~ん、頭が痛い~。
どうしたんだろう? なんだか、クロノ提督たちと合流した後からの記憶がない。
そのせいか、せっかくの夕食もお茶碗20杯しかお代りできなかった。
やっぱり、体調が悪いのかなぁ?

「さて、食って寝てばかりいても仕方ない。
 ここは温泉旅館だ。ならば、温泉に入るのが当然の流れだな」
とは、士郎さん。
温泉か。僕は入ったことがないけど、普通のお湯と違って色々な成分が入っていて体にいいんだよね。
そういえば、キャロは入ったことがあるのかな? 以前は、いろいろなところを放浪していたらしいし、もしかしたら誰も知らないような温泉も知っているかも。

「あ、それじゃあ、クロノ達も誘おうか。
さっきの夕食のときにも来なかったし、ちょっと様子を見て行こうよ」
「そうですね。旅館の方の話だと、既に酒盛りをしていたらしいですけど、いい加減終わってるはずでしょう」
なんだろう? お酒って聞くと頭が余計に痛くなる。

まあ、それはともかく。
お風呂の支度をして、クロノ提督たちを誘いに部屋の外に出ようとしたところで、士郎さんが待ったをかける。
「む? ザフィーラ、ここはペットの入浴は禁止されているぞ」
「待て、誰がペットだ!?」
狼形態で言っても説得力無いよ。むしろ、外見的には見事なまでにペットだし。

「そういう意味で言っているのではない。風呂に入るのであれば、人間形態になれと言っているのだ」
「むぅ、仕方があるまい。こちらの方が楽なのだが……」
などと、珍しくブツブツ文句を言いながらも、結局ザフィーラは人間形態を取ることにしたみたい。
僕としては狼の姿の方がなじみ深いから、ちょっと違和感があるんだよね。

で、クロノ提督たちの部屋まで来たんだけど……
「あの、士郎さん。これって……」
「ああ、見事なまでに酒臭いな。ふすまを閉めていてこれとは、どれだけ飲んだんだ?」
「えっと、誘うのはやめた方がいいんでしょうか? お酒が入っている時にお風呂に入るのは危ないですよ」
「でもまあ、何も言わずに入ると後でうるさいかもしれないし、一応様子だけ見てみようか」
最後にユーノさんがそう締めて、僕たちは意を決してふすまを開ける。

すると、まるで視覚化できてしまいそうなほどのアルコール臭が溢れ出てきた。
そして、中からこれ以上ないほどに上機嫌な声がかけられる。
「おや? 士郎君じゃないか。どうしたんだい?」
何が楽しいのか、「アハハハハハ」と意味もなく笑いだしながらこちらを見るアコース査察官。
うわぁ、ものすごい真っ赤。

「ああ、これから風呂にでも行こうと思ってな。君たちも誘おうかと思ったのだが、その様子では無理か」
「なぁに言ってんですか。俺たちゃ、み~んな素面ですぜ」
「おう、その通りだ! せっかくだ、雪見酒としゃれこむのも悪くねぇ」
「ところで、アレクセイさんたちはどこへ?」
「ああクロノ君、それなら心配いらないさ。彼らなら、さっきオーナーに鎖で引き摺られて行ったよ」
なんだかよくわからないけど、他の人たちまで巻き込んでいたみたい。
だけど、鎖で引き摺られて行ったことのどこが心配いらないのかな?

「待て待て、そんな泥酔した状態で行くな!! まったく、少しは節度というモノをだな」
「そうですよ。権利には義務、自由には秩序が必要なのです。いい大人なら、節度ある振る舞いをしてください。
 ほら、ここにお子さんだっているんですから、よいお手本にならなければなりませんよ!」
あれ? 一番節度なさそうな外見の人が何か言ってる。

って……
「うわ!? い、いつからいたんですか!!」
「あら、お気付きでなかった? お部屋を出たあたりからお側に控え(ストーキングし)ておりましたよ。
 これは失礼いたしました。なにぶん、気配を消すのが癖になっておりまして」
ああ、びっくりした。一体どこの不審者かと思っちゃったよ。いや、十分すぎるくらい不審なんだけど。
特に、白いお面で顔が見えないあたりとか、右腕を黒い布でぐるぐる巻きにしてる所とか。
あと、なぜか天井から逆さ吊りになっているあたりなんて、もう不審過ぎるよ。

「いや! 僕たちは全~然酔ってなんかいないぞぉ、士郎。
 それに、せっかく温泉に来たんだからその温泉に入らなくてどうするんだ。ねぇ、三佐」
「おうよ、提督。その上、ちょうどいい具合に月まで出てやがる。風情があるじゃねぇか」
足元がおぼつかないクロノさんと、妙に口調が荒っぽいナカジマ三佐。
あの、絶対酔ってますよね。

ヴァイスさんやアコース査察官も似たような感じだし、この人たちを連れて行っても大丈夫なのかすごく不安だ。
「はぁ、仕方がありませんね。ご安心ください。風呂場には私の同僚がおりますから、彼らにこの方たちを見ていてもらうよう頼んでおきましょう。
 それなら、皆さんが目を離しても大丈夫かと」
うわぁ、見た目に反してなんて人間の出来た人だろう(失礼)。
恰好はアレだけど、こういう気配りができる人って本当に尊敬するなぁ(非常に失礼)。

「申し訳ない。お手数おかけします」
そう言って、士郎さんがお面の男性に頭を下げている。
なんか、その背中が非常に物悲しい気がします。



  *  *  *  *  *



場所は変わって、ただいま脱衣所。

結局クロノさんたちも一緒にお風呂に来たのだけど、そこで待っていたのは……
「「「「お待ちしておりました」」」」
な、なんでさっきの人と同じような格好をした人がこんなにいるの?
それぞれ背格好は違うのだけど、みんな全く同じ衣装を着ている。
まさか、これがここの制服とか言いませんよね?

さっきの人と同じような格好だけど、違いがあるとすれば右腕に巻かれた黒い布がないことくらい。
僕たちの前にいるのは四人だけだけど、その他にもたくさん同じ格好の人がいて、それぞれ脱衣所の掃除をしたり、あるいは体重計みたいな備品の整備をしたりしている。
一人でも十分すぎるくらい不気味な格好だったのに、こんなにわらわらいるとより一層気味が悪い。

そういえば、努めて気にしないようにしていたけど、この旅館ですれ違った人の大半が同じような格好だった気がする。何でこんなに自信がないかというと、すれ違った気はするのだけどどうにも確信が持てないから。
まるで気配を感じないせいで、勘違いした気になってしまったんだ。

僕が思わず顔が引きつるけど、そんなことは気にした素振りも見せず、代表者と思しき人が前に出る。
「そちらのお客様は我々にお任せください。もしもの時は、こちらで看護及びお部屋までお送りします。
 我等四人は、我々の中でも特に観察と医術に長ける者たち、安全は保証いたしますのでご安心ください」
えっと、つまり従業員の方々の中でもちゃんとした知識のある人たちってことですよね。
なんか、若干ニュアンスが違う気がするんだけど……。

さすがの士郎さんも、この異様な光景にどこか呑まれているようで、声にも力がない。
「え、ええ。では、お願いします」
「「「「御意!!」」」」
そう言って、彼等は突然僕たちの前から姿を消した。

僕達が困惑していると、天井から代表の人の声が聞こえてくる。
「我等の姿があっては、ゆっくりとお寛ぎになれないでしょう。
 ですので、こうして姿を隠しているのでございます。
それでも常に側に控え(ストーキングし)ておりますから、ご安心ください」
『は、はぁ……』
えっと、これも一種の気遣いだよね。
物陰から監視されているみたいで、かえって落ち着かないけど……。



SIDE-ヴァイス

「ああ~~~」
と、自分で言うのもなんだがおっさんくさい溜め息をつきながら湯に浸かる。
外が寒い分、温泉の熱さが身にしみるぜ。

それにしても、今も俺たちの様子を見ているらしいお面には感謝だな。
あのお面の連中が持ってきてくれた薬を飲んだが、とんでもなく不味かった。
不味かったのだが、その代わりだいぶ頭がはっきりしてきた。
おかげで、露天風呂から見える絶景と湯の心地よさを堪能できるってもんだ。
なんというか、見た目はとんでもなく怪しい奴だけど人は見た目じゃないってことか。
今も、旦那方の背中を流してるしな。

「しっかし、あの二人を見てると男しての自信がなくなってきませんか? 提督」
「言うな、陸曹。そもそも、あのマッチョコンビと比較するのが間違ってるんだ」
まあ、それはそうなんでしょうけどね。
ガチで白兵戦タイプのあの二人の場合、自然とあのガタイになるのはわかるんだ。
貧相な体をした格闘者なんて、そもそも存在として間違ってるしな。

だけどよ、武装隊に復帰することを決意して以来、俺も鍛え直しているんだがあの二人のようになれる気は全くしねぇ。
特に士郎の旦那の方は、全身に刻まれた傷跡もあってモロに古強者って感じだしな。
別にああなりたいってわけじゃないが、どこか羨望にも似た感情を持っちまうのは男の性だろう。

「で、そのへんお前さんはどう思う?」
「えっと、僕もいつかは二人みたいになりたいと思いますよ」
だろうなぁ。この年頃のガキなんて、だいたいああいう人間に憧れる。少なくとも俺はそうだった。
強い男ってのは、ただそれだけで憧れの対象になるもんだ。
特に、エリオのように実際に騎士を目指しているような奴なら尚更だろう。

だが、それを聞いて士郎の旦那は顔をしかめる。
「あまり、私は手本にはならないと思うのだがな。
 それに、私のように危なっかしいことをしていると、フェイトが泣くぞ」
あ、自覚あったんすね。
しかし、それは旦那にも十分言えることだと思うんですが。
まあ、旦那みたいな無茶した挙句、エリオが隻碗になったりしたらフェイトさんは泣くどころの話じゃないだろうけどな。下手すると、マジで首を吊りかねねぇし。

まあそれはそれとして、そんな二人のある意味対極にいるのがこっちの基本内勤組の二人。
「じゃあよ、あっちの二人みたいなヒョロヒョロはどう思う?」
と言って指し示すのは、ユーノ司書長にアコース査察官。
こう言っちゃあなんだが、あの二人に比べて見劣りするどころの話しじゃねぇ。
顔立ち同様、見事なまでの優男体形。つまり、余計なぜい肉はないが同様に目立った筋肉もない体形ということ。
まあ、あの二人の場合仕事が仕事だから体を鍛える必要性はそれほどない。
となれば、これまた当然と言えば当然なんだが。

「えっと、僕もいつか二人みたいに仕事のできる人間になりたいですよ」
ほぉ、ずいぶんと世渡りがうまくなったじゃねぇか。
ユーノ司書長は当然として、アコース査察官も勤務態度こそアレだが実際には敏腕だからな。

「あははは。うん、ありがとエリオ」
「そうかい、それじゃあ今度仕事のさぼり方を教えてあげよう」
「ロッサ。そのこと、騎士カリムとシスターシャッハに……」
「ご、ごめんよクロノ君! お願いだから、カリムとシャッハにだけは秘密にして」
おお、一瞬にして土下座しましたか、アコース査察官。
そんなに騎士カリムとシスターシャッハが怖いのかねぇ。
いや、シスターシャッハは普通に怖ぇか。俺の場合だと、シグナム姐さんにバレる様なもんだからな。

まあ、それはそれとして、こっちでチビチビやっているナカジマ三佐も実はかなりすげぇんだよな。
もういい年だろうに、体に緩んだところが見られねぇ。旦那たちほどじゃないが、それでも俺やクロノ提督以上の肉体を維持してやがる。
「それにしても、ナカジマ三佐もかなり鍛えてるんすね」
「ん? まあな。魔法抜きなら、部隊内でも俺と殴りあって勝てる奴はいないぜ」
「それって、ギンガさんもですか?」
「おうよ。魔法つかわれたら無理だが、魔法抜きなら今でも無敗だ。
 クイントが死んだ後、アイツらを鍛えたのは一応俺だぜ。
それに、若ぇ頃は俺もやんちゃしたもんだ。その度にクイントの奴に叱られたけどな、拳でよ。
ま、最近はさすがに膝と腰に来てキツイんだがな」
寄る年波には勝てねぇってことか。つーか、この年でそんだけできるだけで十分すぎると思うが。
やべぇな、俺も魔法抜きでやったら勝てねぇかも。

「しっかし、スバルもそうだが、いい加減ギンガの奴も仕事以外に目を向けてくんねぇかな?
 下手すると、マジでお局様になっちまうぞ」
「それを言い出したら、ウチのフェイトもです。士郎が結婚して諦めも付いたはずですし、そろそろ次の恋を探して欲しいんですが……」
「いや、それならはやての方が重症だろう。
 アレの場合、そこの騎士殿たちのおかげもあって男の影さえない始末だ」
なんつーか、気苦労の絶えない父親と兄貴の集いって感じだな。
あの人たちも大概仕事大好き人間だし、そりゃあ心配にもなるか。
ラグナ、頼むからお前はこうならねぇでくれよ。妹のそんな心配をするのは勘弁して欲しいからな。

だが、そこで士郎の旦那の発言にザフィーラの旦那が反論する。
「何を言う。我等は、単に主に相応しい男かどうかを見極めているだけにすぎんぞ」
「だからと言って、お前とヴィータ、そしてシグナムの三人に勝たねば交際は認めん、などという条件は間違っている。そんな事が出来る人間、次元世界全体でもいるかどうか……」
「別に勝つ必要はない。単に我等を認めさせられるかどうかの問題だ」
「では聞くが、はやてに近づこうとした男が尽く半殺しにされているという話に覚えはないか?」
「ああ、それはヴィータの仕業だろう。主に近づく男は、とりあえず殴ることにしているらしいからな」
「まったく、あのウリ坊は……」
なんか、酷く疲れてるっすね。ヴィータ副隊長も、ちょっと心配し過ぎな気もするしな。
たしかシャマル先生とリイン曹長が推進派で、全然うまくいかんと嘆いていたか。

「となると、あのメンバーの中で一番可能性があるのはなのはか」
「だがな、クロノ。その最有力候補の相手がこれだぞ。
私が言うのもなんだが、決心するまでに半世紀かかりかねん。
 その上、仮に決心しても恭也さんと士郎さんがいる。あの二人を説得するのは、真実命がけだ」
「え、なに?」
ジト目を向ける二人に対し、言っている意味が分からないらしくキョトンとしてる司書長。

それを見て、二人は盛大に溜息をつく。
「「はぁ~~~……。エリオ、とりあえずアレのようになってはいけないぞ」」
「は、はぁ」



SIDE-クロノ

風呂を上がってだいぶ経った。
まだ十歳のエリオはすでに床につき、他の面々は別室にて酒を飲んでいる。
というか、もう完全に場の雰囲気は宴会モード。
いったい、これで何度目だ?

手に持った酒をあおりながら、陸曹がふっと思いついたようにこんなことを言う。
「なんつーか、ここも妙な旅館っすよね。いるのはどいつもこいつも男ばっかり。
 まるで男子校じゃないっすか」
ああ、それは僕も思っていた。
普通仲居さんぐらいいてもよさそうなのに、ここにいるのは男ばかり。
それも、そのほとんどが仮面をつけた不審者。
こんなことで、この旅館はちゃんとやっていけるんだろうか。

と、そこへオーナーがやってきて事情を説明してくれる。
「う~ん、僕としても女将さんとかがいてくれると助かるんですけどねぇ。
 ただ、ウチには天然ジゴロや呪い級の女ったらし、略奪婚上等の人たちもいるので、迂闊に女性を雇うと大変なことになるんですよ」
そんなのばかりなのだとしたら、ここは事実上女人禁制の旅館だな。
これではフェイト達に紹介するわけにもいかない。

「まあ、僕の知り合いの女性陣は接客に向かないって言うのが一番の理由なんですけどね。
 だって、お客さんを食っちゃったり洗脳したり、あるいはちょっとセクハラしたらその場で手討ちにしちゃうような人を置くわけにはいかないでしょう?」
どうやら、オーナーの知り合いの女性はことごとく物騒な人たちらしい。
セクハラに関しては自業自得なのだろうが、それでもその場で手討ちにするのは不味い。
旅館で起こる殺人なんて、ミステリー小説の中だけで十分だ。

「ああ、もし男色の方がいるんでしたら適当に見繕いますよ。
 生憎受けの人はいませんが、責め系の人には事欠きませんので……」
「いや、さすがにそれは……」
「あ、そうですか。時代が変わったんですねぇ。昔は同性に手を出すのは珍しくなかったものですが、やっぱりそういうのは男女間でするほうが建設的ですよね。
僕の知ってる人は『真の英雄の前に男も女も関係ないと知れ』なんて言い出して、僕(自分)にフラグ立てようとするんですよ。……本気で死んでくれませんかね、あの人」
なんだかよくわからないが、彼は彼でいろいろ苦労しているらしい。

「ホント、何であんな大人になっちゃったんでしょうねー。
 でも、将来は変えられないんですよねー。
 ああ、未来がわかってるってこんなに鬱なんですねー」
どうやら、彼はその人物の後を継いだりしなければならない立場にいるらしい。
相当に困った性格の人物のようだし、そんな人の後を継ぐことに明るい未来を描けないのだろう。

と、そこへ話を聞いていたのか士郎が彼の手を握りしめながら同意を示す。
「わかる。その気持ちは凄くわかるぞ」
「ホントですか? よかった、ならお兄さんとは仲良しになれますね。
 嬉しいなぁ、よくやく大人になっても友達になってくれそうな人に会えました」
「安心すると良い。俺も、昔は未来自分の未来に絶望したりしたものだが、今はこうしてその未来を乗り越えた。
 きっと、君にもできるはずだ」
「ああ、すいません話聞いてます? 僕の場合もう変えようがないし、何より大人になっても友達でいてほしいって言ってるんですけど」
どうやら士郎の方もかなり酒がまわっているらしい。口調が地に戻っているしな。
それにしても、人の話を聞いているんだかいないんだか……。

なんとか理解してもらおうと、ギルオーナーは丁寧に説明し、その甲斐あって何とか士郎は理解したらしい。
で、その答えは……
「む。すまん、それは無理っぽい。なんだかよくわからんが、育ちきった君とは付き合えないと、俺の直感が告げている。根本から嗜好が合わないとかなんとか……」
「そんな……ショックです。マトモそうに見えて、お兄さんも子どもが良いというんですね。育ちきったら趣味じゃないなんて、なんて偏った人なんだろう」
「なるほど、士郎はそういう趣味だったのか。実年齢では二十近く離れていたフェイトにちょっかいを出したのは、そういうワケか」
「あ、やっぱりそういう人なんですね」
「どうもそうらしい。その上、大人になったらあっさり別の女性と結婚したからな」
「そんなワケあるか―――――!! 俺は別にフェイトに手を出した覚えなんてないぞ!!」
だが、実際問題としてそういう図式なんだ。諦めろ。

まあ、若干いい気味だ、という気持ちはなくもない。
これまで幾度となくエイミィや凛に弄られてきたが、その度に時に僕を生贄にし、時に見捨てて逃げてきたじゃないか。この程度の仕返しは、これまでの報いと思って受け入れてくれ。

「ところで、あっちでもお連れさんが呼んでますよ」
「あ、そうですか。ほら、行くぞ士郎」
「む? ああ。では、失礼する」
「ほどほどにしてくださいねぇ」
と言って、オーナーに送り出される僕たち。

「あのさ、二人とも。今更こんなこと言うものアレだけど、限度はわきまえようね」
「そうですよ。お二人ともいい年なんですから、自分の限界くらい守ってください」
とは、ユーノとグリフィスの未成年コンビ。
ナカジマ三佐たちは二人も引き込もうとしたのだが、二人は『未成年』という楯を使いなんとかその魔手から逃れている。その程度の理性は残っているらしい。

僕としてもあの酒乱たちからは逃げたいのだが、逃げられる気がしない。
「俺の酒が飲めねぇってのか!!」なんて言われて絡まれた挙句、無理矢理ラッパ飲みさせられる位なら、まだ自分から参加した方が被害は少ない。ま、悪あがきに過ぎないんだろうけどね。

どうせ、急性アル中寸前まで酒を飲まされ、地獄の二日酔いに苦しむことになるのさ~(←ヤケ)。



SIDE-ヴェロッサ

「はっはっはっはっ。いやぁ、昨日は飲み過ぎたみたいだねぇ。まったく頭が痛いよ」
「くぅ、そう思うのなら音量を下げてくれ。あ、頭が……」
そう言って頭を抱える士郎君。
うん、僕も気持ちはわかるよ。でも、正直ここまで来ると笑うしかないと思うんだ。
僕らの他にも、ナカジマ三佐やヴァイス陸曹も頭を抱えてうなっている。もちろんクロノ君も。
実際、僕自身笑ってこそいるが頭がガンガンして辛いんだよね。

「まったく、だからあれほど言ったんだよ。
ほら。いいかい、エリオ。これがダメな大人の姿だよ」
「は、はい…」
う~ん、なんだか酷い言いようじゃないですか? ユーノ先生。
まあ、自業自得と言えばそれまでなんだけど。
それにしても、エリオだって昨日はバスでかなり飲んだはずなのに、今日は全然尾を引いていない。
そうか、これが若さか。僕も若いつもりだったけど、もう年かなぁ。なんてね。

「みなさん、堪能していただけたようでなによりです。
 今後とも御贔屓に」
と、旅館を後にしようとする僕等を見送りにきたギルオーナー。
いや、彼もマメだねぁ。まあ、接客はこれくらいするモノなのかもしれないけど。

ところが、ここにきて士郎君は何やら首を傾げている。
「むぅ。昨日も思ったのだが、どこかで会ったことはないかね?」
「あれ、覚えてませんか? まあ、無理もないですね。その時は服装とか違ってましたから」
しかし、服が違ったくらいで、これの少年のことを忘れるものだろうか?

どこか釈然としないその様子に、彼はもう少しだけヒントを与えてくれる。
「ん~、服というより格好ですかね。それに、僕自身その時のことは他人事みたいな感じなんですよ。
 同じだけど、接点がないみたいな。
 そうですね、ボクはきっとお兄さんが特に嫌いな人間ですよ」
何やらとんでもないことを言っているはずなのに、少年の声に嫌味は全くない。
まるで、ただ単に淡々と事実のみを述べているかのよう。

「まあ、縁があればまた会うこともあるでしょうし、もしかしたらそのうち思い出すかもしれませんしね。
 ですから、あんまり気にしない方がいいと思いますよ。
 あっそれとこれお土産です。よかったらどうぞ」
「ああ、これはどうも御丁寧に」
そう言って、もはやおなじみになりつつある、いつの間にか背後に現れた件の仮面の従業員さんから受け取ったのは、かなりの大きさがある薄い箱、計8つ。
重量はそこそこあるし、多分定番の銘菓とかかな?

「いえいえ、ウチはまだ最近営業を始めたばかりですから。こういったこまめな心配りで、リピーターを獲得したいのが本音なんですよ」
なるほど。たしかに、こういった商売はリピーターの獲得が重要だろう。
そういう意味で言えば、彼の配慮は実に理にかなっている。

「ところで、これは?」
「あ、こちらは当旅館名物の『ウルクせんべい』と『シュメールまんじゅう』です。
 オーナーの故郷の味を再現いたしました。日持ちしますから、お知り合いの方にも配って差し上げて下さい」
「はぁ、そうですか」
普通、こういったモノってその土地の特産とかを使うんじゃないのかな?
オーナーの故郷の味を再現しても、別にここの名物にはならないと思うんだけど。

そこへ、さらに手提げ袋を渡される。
「サービスで『ペナント』に『ヴィマーナ・キーホルダー』。それに『世界最古の電池』と、同じく『世界最古の点火プラグ』などもお付けいたしました。
 他にも私のお勧め、この面のレプリカもありますよ」
う~ん、ますますわけのわからないラインナップだね。ていうか、なんですかそのOパーツ。
あと、面は普通に要りません。飾っても不気味だし。

まあ、せっかくくれるというのだから、貰っておくのが礼儀なんだろうね。
というわけで、とりあえずそれらのお土産を受け取ってバス停に向かおうとしたのだけど……
「ああ、すいません。昨夜の雪の影響でバスまだ動かせないんですよ。やっぱり事故は怖いですからね」
「ふむ、事情はわかったが、我々はどうやって帰ればよいのかね?
なにぶん、皆多忙の身でな。もう一泊、というわけにはいかんのだが」
「その点は安心してください。別の乗り物を用意してありますから。
 ジルさ~ん、お願いしま~す」
オーナーが旅館の方に向けて誰かを呼ぶ。

すると、旅館の裏手からオニヒトデのお化けのようなモノがズルズルと這い出てきた。
それを見て、士郎君がうめくように問う。
「な、なんだこれは?」
「バスの代わりの乗り物です。
ちょっと不気味で、ウネウネしてて、どこか生臭いですけど(たぶん)大丈夫ですよ。
じゃあ、ジルさん。皆さんをお願いしますね」
はっきり言ってこんなものには乗りたくないのだけど、帰りを遅くするわけにもいかない。
ここはぐっと我慢して、このUMAに乗るしかないのかな。

その乗り心地というか、触り心地はというと……
「なんというか、独特な感触だね」
「ユーノ。はっきりと、気色悪いと言ったらどうだ?」
士郎君の言うとおり、触り心地は最悪と言っていい。
なにより、真中にある口のような部分から漏れる臭気。これがもう生臭いといったらない。
しかも、ちょうど人がすっぽり入れるくらいの大きさなものだから、食べられてしまうんじゃないかと気が気でない。

その上、これの運転手というか飼い主と思しき人物もかなり怖い。
眼はギョロっとしていて、その視線は焦点があっておらずどこを見ているのかよくわからない。
こんな人に命を預けて大丈夫なんだろうか?

そんな心配をしているのは僕だけではないらしく、みんな揃って何とも言えない微妙な表情をしている。
そして、そんな僕たちを無視してオーナーはにこやかに別れを告げた。
「ではみなさん、またのご利用をお待ちしております」
「いざ行かん。ジャンヌの元へ―――――!!」
新しい発見だ。どうやら、この人は言動もかなり意味不明な人らしい。
全く持ってうれしくない発見だけどね。僕らの不安指数が10倍に膨れ上がったよ。

生きて……帰れるのかなぁ?



SIDE-士郎

さて、慰安になったのかどうなのか少々疑問ではあるが、とりあえず生きて帰ってこれただけでも良しとしよう。
クラナガンについた直後、ヴェロッサは待ちかまえていたシスターシャッハ率いる教会騎士団にドナドナされ、ユーノもそのまま無限書庫に直行してしまった。
なんでも、無限書庫の方はユーノがいない事で仕事が遅れまくっているらしい。
全く、落ち着きのない連中だ。

「クロノ提督とナカジマ三佐はどうなさいますか?
 このまま一度六課に顔を出していかれます?」
とは、グリフィスの言葉。
まあ、二人からしてみれば様子の気になる人間がいるわけだし、見ていきたいと思っているんじゃないだろうか?

「ああ、悪ぃな。そうしたいのはやまやまなんだが、これからナンバーズの様子を見なきゃならねぇんだ」
「僕の方も悪いが次の機会にさせてもらうよ。せっかくの休暇を自分の事に使ってしまったんだ、残り時間は家族サービスに使おうと思っているんでね」
「さすがに、子どもたちに『お帰りなさい』ではなく『いらっしゃい』、『行ってらっしゃい』ではなく『また来てね』といわれるのはキツイか?」
「当たり前だ。家に帰ったのに、まるっきりお客さん扱いなんだぞ。このままだと、『何で来たの?』とか言われかねない。さすがに、それだけは避けたい」
次元航行部隊の人間ともなると、ほとんど船乗りと変わらないからな。あるいは、単身赴任しているようなものだ。つまり、なかなか家に帰れないものだから、そういう扱いになってしまうということ。
エイミィさんは元同僚だし、リンディさんもその辺の事情はちゃんとわかってくれているが、子どもたちにそんな話がわかるはずもない。必然、クロノの扱いはお客さんのそれになるわけだ。

だが、そこでクロノが意味深な顔でこちらを見る。
「そういう君こそ、あまり工房に篭ってばかりいると僕と同じになるぞ」
「別に好き好んで篭っているわけではない」
「だとしても、だよ。向こうはこっちの事情なんて考慮してくれないからね」
ちっ、こいつが言うと現実味がありすぎる。

「まあ、肝に銘じておこう。とりあえず、ここで解散ということにするか。
 私はこのまま六課に戻るつもりだが、君たちはどうする?」
「ああ、俺は一度ラグナのとこに行って土産渡して来るんで、先に帰っててくだせぇ」
ふむ、他の面々は特に用事もないようだし、このまま六課に戻るとしよう。


で、帰ってみれば、立った一日あけていただけで六課は見る影もなく荒れ果てていた。
まったく、どうして一日でこれだけちらかせるんだ。
「あれじゃないっすか? 普段旦那が何でもやっちまうから、片づけるって習慣をみんな忘れてるんですよ」
とは、数時間遅れて戻ってきたヴァイスの談。

以後、少しだけ片づけの頻度を下げ、皆の社会復帰を促すことにするのであった。
正直、こんな体たらくでは他の部隊に行った時にお荷物扱いされてしまう。
仕事ができないのではなく、職場を汚すことで疎まれるなど馬鹿馬鹿しいにもほどがある。

そんな、あまりに下らない事実を確認することで我々の旅行は終わった。








おまけ

「なんというか、実に素朴な味だな。このシュメールまんじゅうというのは」
「ええっと、なんでも100%無添加、自然素材を使用して世界最古のまんじゅうを再現したものらしいですよ」
「ということは、ウルクせんべいもそうか?」
「ええ、これまた世界最古のせんべいを再現したものだそうです」
「なんつーか、マジで味気ないっすね。女性陣が手を出したがらねぇはずだ」
「もそもそして口の中が乾きます。これじゃあ、あんまり食べられませんよ」
「そう言いつつ、すでにそれで三箱目なんだがな、エリオ」
というわけで、あまり評判の良くない土産をみんなで必死に完食したのであった。






あとがき

というわけで、終始男衆しか出てこないグダグダなお話しでした。
まあ、フルネームが出た人はいませんが、旅館の面子は全員サーヴァントです。理由は特にありません。
せっかく男しか出さない話なので、それならこいつらも出そうと思っただけです。
ちゃんと姿が出なかったのはアーチャーだけですが、彼はディルムッドと一緒に厨房で料理を作っていました。
士郎の方は、たまたま(?)知っている奴らと顔をあわさなかったのでスルーする結果になったんですけどね。

一番書きにくかったのは第四次のランサーですね。逆に描きやすかったのは第五次の(真)アサシンでした。
あとは臓硯とワカメを出すかどうか悩みましたね。特に、ワカメは出したかったんですけど、今回は見送りました。やっぱり彼は温泉より海が似合うと思うんですよ。
それと、途中で士郎の口調が曖昧になってますが、その辺は酔ってるからです。
他にも、ヘラクレスとランスロットで扱いというか、共にバーサーカ―なのに状態が違いますけど、あまりお気になさらず。これと言って理由があるわけではありませんが、二人ともアレだと差別化が面倒だったので。

ちなみに、余談ですが現時点ではSts時には士郎と凛は結婚している予定です。さらに、実は子どもができていたりとか、その子どもは中卒後間もなく生まれたとか、いろいろバカなことも考えていたりしています。
まあ、どこまでこの妄想が残るかはわかりませんけどね。



[4610] リクエスト企画パート2「クロノズヘブン総集編+Let’s影響ゲェム」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2010/01/04 18:09

注:連載一周年記念ということで、今回は皆様からお寄せいただいたアイディアから私が独断と偏見のみによって選出し、それを元に作りました。
また、今回は話しの都合上時間軸が飛び飛びになります。他にも、話の整合性などはかなり無視していますのでご了承ください。
最後に、ここで出ているいくつかの設定は暫定的なモノなので、実際にこの先進んで行っても別の形になっているかもしれません。
というわけで、これは基本的に本編と全く関係ないことをご了承ください。



  *  *  *  *  *



前回(外伝その3「ユーノ・スクライアの割と暇な一日」)までの大雑把な状況。
ユーノはクロノが海でぼんやりと釣りをしているのを目撃した。
どうやらクロノは釣りが趣味のようだが、その理由はかなり「枯れている」。
ユーノはそのうち参加させてもらおうと思っていたが、クロノが失言し、なにやら風雲急を告げる予感を覚えた。
さあ、クロノの楽園は保たれるのか?



リクエスト企画パート2「クロノズヘブン総集編+Let’s影響ゲェム」



「クロノズヘブンⅡ」

時期:A’s後
場所:海鳴

SIDE-ユーノ

空は快晴。
強い日差しは季節の感覚を麻痺させる。
海風は頬に心地よく、ウミネコの鳴き声が寂しさを緩和させる。
文句のつけどころのない絶好のロケーション。
午後の散歩を好むおじいちゃんやマラソンに励むスポーツメンの清涼剤になりそうな海鳴の港。

だが今は………………似てるんだか似てないんだかよくわからない微妙に対照的なところもある二人によって、ギチギチの険悪空間になっているのであった。
「って、一人増えてるぅ!?」
厚着をして胡坐をかいて座るクロノの背後。
頼れる背中がキラリと光る、あの褐色の少年は間違いなく新たな暇人……!

「フ、カワハギ二十八匹目フィッシュ!
 よい漁港だ、面白いように魚が釣れる。ところで後ろのクロ助、今日それでなんフィッシュ目だ?」
「うるさいな! 何で君にそんなこと答えなきゃならないんだ。
 僕は静かに釣りがしたいんだ。騒ぐなら余所でやってくれ!」
戦闘時独特の口調で、しかし妙にハイテンションな様子で竿を握る士郎。
それに対し、表情のみならず全身から不機嫌なオーラを発するクロノ。その様子からは、あからさまに「邪魔だ」という気持ちが伝わってくる。
だけど、当の士郎はそんなこと全っ然気にしたそぶりも見せない。それどころか「え? なにそれ、おいしいの?」ってな具合に、そもそもその気持ちの存在に気付いていない感すらある。

「はっはっは。まだサバが六匹だけか。
 時代遅れかつ未熟なフィッシングスタイルではそんなところだろうよ。如何に魔法とオーバーテクノロジーを操る管理局の執務官といえど、所詮母なる海という大自然の前では只の小僧らしい。
 と、二十九匹目フィィィィィィィィシュ!!」
レアだ。これ以上ない位にレアだ。
てか何アレ? 士郎との付き合いもそれなりになるけど、未だかつてあんなの片鱗すら姿見たことがない。
意味不明なまでのハイテンション。なおかつ、普段は気配りの紳士である彼が、ここまで人様の迷惑を顧みない姿というのは、こうして目の当たりにしてもなお信じられない。
たぶん、あれが偽物だって聞けば、ぼくは素直に信じるだろう。

そんな士郎にいい加減頭に来たのか、クロノが食って掛る。
「ああもう、うるさいな! 魚が逃げるじゃないか!!」
「ふ。腕の無さを他人のせいにするとは落ちたなクロノ。
近場の魚が逃げるのなら、リール釣りに切り替えればよかろう。
もっとも、君のような未熟モノに、時代の英知の詰まったリールを操れるとは思えんが。
おっとすまないね、三十匹目フィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッシュ!!!」
ヒャッホー、と歓声を上げる赤ジャケットの少年。
……おかしいなぁ。普通に見る限り、十歳ごろの少年が普通に釣りをしているだけの光景にはずなのに。何でこんなにもウザいんだろう? 彼の実年齢を考えれば、童心に返っている大人ってことになるはずだけど、それにしたって石を投げつけたくなるウザさだ。

「……ていうか、ホント何アレ?」
少なからず彼に抱いていた尊敬とか憧憬とかが、音を立てて崩れていく。
お願いだ、僕の気持ちを返して!
あんな人に憧れを抱いていたなんて、かつての自分を撲殺したい気分にさえなってくる。

その身を包むのは、上下ともにギョシンさんばりにキメキメのズボンとジャケット、悪趣味なロッドは金に糸目をつけない99%マジカルカーボンナノチューブ製の高級品。その性能たるや、クジラを釣り上げても折れないという触れ込み。少なくとも、今の地球にあるような素材じゃない。まさか、この前向こうに行った時に仕入れてきたのかな? あるいは……。
その上、リールは最新技術の結晶、三十個のボールベアリングによるブレなしガタなし、おまけにストレージデバイスにも採用されている簡易式人工知能によって制御される、自動操作の高速巻き上げ式ときたか……!

「いいなぁ。アレ、最新式のリールだよね……………“ミッド”の」
なにせあれ、データ入力さえ不要。ただ糸を垂らしているだけでリール自体が周囲の状況を観測し、必要とあらば糸自体を動かして獲物をおびき寄せる。すなわち、ほとんどどころか全てリールがやってくれるという、釣りに来ているのではなく、もう完全に機械の調子を見に来ているとしか思えないハイテクぶり。

その他各種オプションも全て次元世界最先端の高級品。
あの装備のお値段、こちらのお金に換算すると…………やめよう、頭が痛くなる。
(ちなみに、ぜーんぶ投影によるバッタもんである……………………かもしれない)

その上、そこに月村家の謎技術まで投入しているんだから性質が悪い。
ところどころについている、謎の部品や装置が一層異様さを醸し出す。
なんて言うか、もう見た目は釣竿の範疇から逸脱している気がする。

ところで、なんでそんなことが分かるかって?
そのパーツに忍さん印であることを示すマークがついてるからだよ。
時々ビリビリという音が聞こえる気がするけど、どうか僕の空耳であって欲しい。
なんて言うか、作るにしても使うにしても尽くキ○ガイ沙汰だ。

正直、そんなモノを使っている時点でクロノのそれと比べるべくもないと思うのだけど、本人は……
「はっはっは。この分では日暮れを待たずして勝負がつくな! 軽い準備運動のつもりで始めたのだが様子を見るまでもない。
 なあクロノ、別にこの港の魚を全て釣りつくしてしまっても構わんのだろう?」
いたって真面目に勝負しているつもりらしい。

「はいはい、できるモノならやってみると良いさ。その時は二度と君をアーチャー(弓兵)とは思わないよ」
「良く言ったクロノ!
 こんな形でお前を再び負かす日が来ようとはな! どちらが漁港最強か、ここでハッキリさせてやろう!!」
ノリノリの士郎に、いいからどこかに行ってくれないかな、というクロノ。

ホラ、言わんこっちゃない。
ヘンな事を言うからヘンなのがよって来るんだよ。

二人の邪魔をしないよう、こっそりその場を後にする。
どうか、彼の異名がアーチャーからアングラーに改名することがありませんように。

そして……
「シ、シロウ?」
彼に対して淡い恋心を抱く少女の心の傷が、少しでも小さくなることを切に祈る。



Interlude

SIDE-フェイト

エイミィに聞いて、何となくクロノの様子を見に来たら、なんだかすごい場面に遭遇してしまった。

「ハ―――――ハッハッハッハッハッハ!!!!」
と、軽快な笑い声をあげながら竿を操る士郎。

「な、なんでこんなことに…………こんなはずじゃ、こんなはずじゃなかったのに!!」
と、全身から陰鬱としたオーラを発するクロノ。

ああ、そうか。以前クロノが言っていた「世界はこんなはずじゃなかったことばっかりだ」って言うのは、こういうことなんだね。
おかしいな。なんだかよくわからないけど、目から汗が出てくるよ。
この瞬間、わたしの中で色々なモノがブロークンファンタズムしたのは言うまでもない。

と、そこへ、ふらっとヴィータがやってきて一言。
「バカだろ、あいつら」
その言葉に対してわたしは、反論する術を持たなかった。

Interlude out



  *   *   *   *   *



「クロノズヘブンⅢ」

時期:Ⅱの少し後
場所:海鳴

SIDE-ユーノ

空は快晴。
強い日差しは季節の感覚を麻痺させる。
海風は頬に心地よく、ウミネコの鳴き声が寂しさを緩和させる。
文句のつけどころのない絶好のロケーション。
平和な海鳴の町を象徴するかのような港。

だがそこは……………今まさに盆と正月が一緒に来たかのような賑わいを見せいていた……!
「って、さらに増えてる―――――!!?」
誰が、イヤ何が増えたのかは言うまでもない。
その全身からバチャバチャと滴る海水を、犬のように振り払う屈強な体、白い髪とそこから見え隠れする獣耳、そしてあの蒼い尻尾は紛れもなく……っていうか、獣耳と尻尾くらい隠そうよ!?

「うおー、すっげぇー! ザッフィー、これサカナか!? サカナだな!
 うおーサカナ――――――! 一匹くれよ―――――!!」
「ザッフィー、ザッフィー。 頭にワカメついてるよ、わたし取ってあげるね!」
「あれぇ、隣の兄ちゃんの体ヒョロヒョロしてよわっちそう。ザッフィーの方がかっこいいなー、ちょっと暑苦しいけど」
「ザッフィー、今週のジャン○どこー?」
「すごーい、いっぱい捕れてるー! ねぇザッフィー、後ろのお兄ちゃんにこのワカメ投げていいー?」
相も変わらず子どもたちに大人気。ただし、いつもの狼形態ではなく、今日はなぜか人間形態。
しかし、それでもなおその子ども受けする性質に変わりはないのか、普段同様子どもたちを侍らせている。

「はっはっは。元気なのはいいが、少し静かにしよう。周りのおけらたちに迷惑だからな。
 それはともかく、ジロウ、一匹といわず十匹でも百匹も持っていくがいい。ミミ、すまない、ではとってくれるか? イマヒサ、何を当たり前の事を言っている。だがその嗜好はよし、やはり漢は強くなければな。さ、これでガリガリさんでも買ってきなさい。カンタ、ジャン○は我が主の所望の品でな、読むのは構わんが折り目などはつけんように。コウタ、あれは(たぶん)心の広い男だ。所詮は子どもの悪戯、ぶつけても怒ることはなかろう。まさかそこまで狭量ではあるまいな? ただし、他の人にぶつけてはいかんぞ」
えーと、普段が子どもたちのアイドルなら、今は子どもたちの……ヒー…………ロー……………ってところなのかな?
それと、どうして「あるまいな?」って言いながらクロノの方をニヤリと見やるの?

と、そんな感じに子どもたちの相手をしていたかと思えば、二人に向けて意味ありげな顔で話しかける。
「しかし拍子抜けだな。最強を名乗る者がいると聞いたがまるで話しにならん! 所詮は小僧と家政婦、守護の獣たるこの身とは比べるべくもないか」
ふははは、と愉快そうに笑うヒーロー。
時折、子どもたちにほっぺたやら髪の毛やら尻尾やらを引っ張られていたりする。
ていうか、普段とキャラ違い過ぎない? 士郎も大概だけど、今の君の様子も異常の一言だよ。

そんなザフィーラに対して赤い少年は……
「フ、そちらこそ所詮はケダモノか。今時分、素潜りで魚を捕らえようなどと、石器時代に帰った方がいいのではないかね?
 ……がっかりだ。道具に頼るどころか、道具を使うことすらできんとは、見下げ果てたぞ蒼き狼……!」
子どもたちに囲まれながら、そんな憎まれ口を叩きつつ負けじと魚を釣り上げる。
なんていうか、見下げ果てたというのなら君も相当なものなんだけど、そこは無視ですか? そうですか。
ところでザフィーラ、犬呼ばわりされてるけどそれはいいの?

「そもそも、これは釣りの戦いだ。
 そこで釣りではなく狩りをしている時点で、貴様の負けとなぜわからん」
「ふ、貴様こそ何を勘違いしている。どちらも魚を捕ることに変わりはない。
ならば、優劣を測る基準は唯一つ。どちらがより多くの魚を捕らえたかだ。
それとも、勝ち目がないと判って逃げるつもりか?」
「……ほう、蒼き番犬殿は笑えん冗談が好きらしい。
 よかろう、生き物としてのスペックでは劣るが、私の装備は選りすぐりの逸品ぞろい。
 貴様の野生と私の英知、どちらが優れているか競い合ってみるか、番犬……!」
そのやり取りを聞いて、わーい、と波打つ子どもたち。
とりあえず一つ、それは君の英知ではないと思う。

「……………………………………」
そして、さっきから会話に入っていけない黒い人。

で、そんなクロノを無視して勝手に盛り上がる二人。
「ところで、そのダイビングスーツはどこで手に入れた?
 そこにこもった概念、かなりの逸品と見受けるが…………」
「それねー、ぼくんちのじいちゃんの~。
たしか、若いころに出した素潜りのギネス記録をまだ持ってるんだってぇ~。
 で、ザッフィーがフンドシいっちょで泳いでて寒そうだったから、持ってきてあげたの~」
「バカな……! 子どもから施しを受けるとは、貴様それでも騎士か……!!
 ましてやそれほどのものを無償で受け取るなど…………。ええい、そのスーツ、勝者が手に入れるというルールでどうか!?」
「望むところだ! 貴様の持つそんな棒きれなど要らんが、それはそれとしてその最新型クーラーボックスは貰っておこう。そうすれば、より鮮度の良い魚を主にお届けできるというものだからな」
あの~、勝手に人のモノを賭けの対象にするのはどうかと思うのですが?

「すげー! ザッフィーと釣りプロの一騎打ちだ! こんなのメッタに見れないぜー! オレ父ちゃん呼んでくる!」
「負けるなー、やっつけろー! がんばれ赤い人ー!」
「カワハギとかイナダとかじゃなくて伊勢海老釣ってよ伊勢海老ー。なんならタイでもいいよ。
 けど、後ろの兄ちゃんにみたいにワカメとか長靴は勘弁な!」
「あっ! 来週銀○休載だ、ちぇ~……」
もはや港にかつての平穏はない。
厳つい人間形態でも相変わらず子どもに好かれる守護獣と、なぜか子どもたちに人気の赤い人。

そして……
「ね。お兄ちゃん釣れてる?」
「……頼む。悪いところがあったのなら謝る。だから、僕の楽園を返してくれ」
この世の終わりみたいな顔で項垂れるクロノ執務官。

「……帰ろう。ここはもう一般人の居ていい場所じゃない……」
そうして港を後にする。

見上げた空の高さにちょっとだけ目が眩む。
嗚呼、失われた(クロノの)楽園よ、せめて思い出の中で永遠なれ――――――――――

あとついでに……
「ザフィーラー、絶対に負けたらあかんよー! わたしのために勝って――――!!」
「お任せを、我が主!!! ザッパ―――ン!!(←再度海に飛び込んだ音)」
「士郎、士郎! お義母さん、士郎のかっこいいところ見たいな♪」
「ふ、人と獣の差をお見せしよう!!」
ドサクサにまぎれて二人を煽るのはやめてくれませんか? そこの親子。

「アイツら、やっぱりバカだわ……」
そんな、この場でたぶん一番冷静で常識的な人物(ヴィータ)の呟きに、心の底から同意したい今日この頃。



  *  *  *  *  *



「クロノズヘブン ラストエピソード」

時期:Sts
場所:海鳴

SIDE-エリオ

空は快晴。
強い日差しは季節の感覚を麻痺させる。
海風は頬に心地よく、耳に届く穏やかな潮騒が寂しさを緩和させる。
文句のつけどころのない絶好のロケーション。
騒乱とは無縁と言わんばかりに凪いだ海と空が、これ以上ない清々しさを演出している。

しかし、今ここに……………梅雨のジメジメ感をはるかに凌駕する鬱空間を形成する、ダメな大人三人組が突っ伏しているのだった……!
「……どうしよう、これ」
以前のような仕事としてではなく、休暇を利用してやって来たなのはさんたちの故郷「海鳴」。
ちなみに、今僕たちは偶々休みが重なったヴィータ副隊長に海鳴を案内してもらっている最中だったりする。

そこで釣りをしていた士郎さん、クロノさん、そしてザフィーラの三人。
その三人は今、まるで生きる気力を失ったかのようにヘタレている。
自業自得って言うやつなんだろうけど、ここまで来るとさすがに可哀そう。

そして、その元凶は……
「きゃ―――♪ 見て見てエリオ君、また釣れちゃったぁ♪」
と、可愛らしい声をあげながら三人から勝ち取った戦利品を駆使して釣りを楽しんでいる。

ついでに、そのお供は……
「キュクル~~~♪」
と、ご主人様の釣った魚を自前の火炎放射で炙りながら食べている。
いいのかな? 管理外世界でドラゴンが火を吹いて…………。

まあ、士郎さんと一緒に来た凛さんが結界を張ってくれてたし、大丈夫なのかな?
凛さん曰く「まあ、どうせロクなことにはならないでしょ」とのこと。
なんでも、勝負がエスカレートしていき魔法バトルに発展することも珍しくないらしく、今更竜が火を吹こうが狼が喋ろうが、それこそ狐が雷を降らせても想定の範囲内であり、区域内でやる分には不干渉が暗黙の了解なんだとか。なんですか………その治外法権。
それにしても……凛さん、その予感大当たりです………全く違う方向だったけど。

と、そこへふらっとエイミィさんがやってきて一言。
「えっと、惨敗?」
「「「!!!?」」」
「だ、ダメですよエイミィさん! ホントの事言っちゃ……!」
「え? あ、ゴメンね……」
エイミィさんの呟きを聞いた三人からは、さっきまで以上によろしくない気配が放たれている。
もうドンヨリと空気が重いどころじゃなくて、こうゴリゴリと地面を削ってしまうくらいに三人の周りの空気がヤバい。

「まったく、いい年した大人が何やってんだか……」
そんな三人に向けて絶対零度の視線を送りながらこきおろす凛さん。
あの、さすがにかわいそうになんでそろそろ勘弁してあげてください。


事の発端は、休暇を利用して釣りをしていたクロノさんを、士郎さんとザフィーラが挑発したのがきっかけ。
何やら昔からの因縁があるらしく、普段は冷静なクロノさんが僕から見てもわかりやす過ぎる挑発に乗ってしまった。たぶん、二人が自重するか、クロノさんが大人の対応を取っていればこんなことにはならなかったんじゃないかと思う。

ちなみに、三人がそろった時点で異変を察知したのか犬や猫はおろか、人の影さえも見なくなりました。
カラスなんかが近づいてきても、十メートル手前で気が変わったかのように方向転換する始末。
ここは、一体どれほどの危険地帯なんだろう?

それはそれとして、釣りを始めた二人と素潜りを始めた一人にキャロが……
「あの、わたしも参加していいですか?」
と、持ち前の無邪気さで参加表明した。
おそらく、キャロは単純に面白そうだったから混ぜてもらおうと思っただけなんだと思う。

三人にしても、キャロのお願いを突っぱねるはずもなく、これといって問題もなくキャロの参加は認められた。
たぶん、キャロが参加しても支障がないという判断もあったんだと思う。
だけど、ここで明らかに三人は判断を誤った。
多少不評を買っても、ここでキャロのお願いを拒否していればこんなことにはならなかったんだ。

ザフィーラ同様これといって道具を持たないキャロに、士郎さんが道具を貸そうとしたんだけど……
「あ、わたしはこのままで大丈夫です。ね、フリード」
「キュクル~~~♪」
「? しかし、道具もなしに一体どうするつもりだ? まさか、あそこの番犬のように潜るつもりか?」
「いえ、こうするんです。フリード、ブラストフレア!!」
「キュク―――――!!」
こう、「ドッパ―――――――ン!!!!」と海に向けて攻撃し始めたんだ。

ちなみに、ちゃんと周囲に人がいないことを確認した上での暴挙であったことを追記します。
着弾地点の安全確認はしてなかったみたいだけど……。

「…………………………………………………………………………………………………………キャロ? いったい……何をしているのかね?」
「え? 魚を捕ってるんですよ?」
心底不思議そうな顔で、士郎さんに向けてそう聞き返すキャロ。
僕はその時思った、ああこれが天然か、と。

まあ、キャロの言わんとすることはわかる。
良く見れば、フリードが攻撃した付近にはプカプカと魚が浮いていた。
なかにはいい具合に焼けているモノも含まれている。
その魚たちを、キャロはアルケミックチェーンを投網みたいにして引き上げる。
なるほど、魚を「捕って」いるのは確かだ。
でも、明らかに三人の考えていたモノからはかけ離れている。

どうもキャロは、部族を放逐されて放浪していた時はこうやって魚を捕って飢えを凌いでいたらしい。
だからキャロにとって魚を捕るということは、文字通り死活問題であり、手段を選ぶという発想すら存在しない行為だったんだ。たぶん、ザフィーラ以上に野生が身についているんだと思う。
で、その感覚でやっていたものだから、三人との間に認識のズレが生じてしまったというわけ。

さすがにそんな効率一辺倒の、その上やればやるほど魚が逃げる方法を続けられては困るので、勝負を一時中断し、キャロにルールと「釣り」という行為の説明をする士郎さんとクロノさん。
ついでに、海にコゲコゲの土左衛門(ザフィーラ)が浮いていたように見えたけど、きっと気のせいに違いない。
まあ、明らかにザフィーラのそれは釣りではないし、そこはどのみち関係ないよね……。

説明と講義を終え、キャロに道具を渡し再度勝負に戻った。
戻ったんだけど……すぐにまたその勝負は中断することになった。
だって……
「あれ? 皆さんどうしたんですか?」
そう不思議そうに語るキャロのボックスには、溢れんばかりのさかな、サカナ、魚の山。
それに引き換え、三人は見事なまでにオケラ。
そういえば、いつの間にザフィーラは復活したんだろう?

それはともかく……。
まるで、魚が自分の意思でキャロに釣られているかのような光景が広がっていた。
というか、さっきあんなことがあったばかりなのに、何でキャロのところだけ入れ食いなんだろう?

「…………………ふ……ふっふっふ。び、ビギナーズラックというものはあるモノだな」
「まったくだ。いや、世界とは公平にできている。
初心者がすぐに飽きてしまわぬよう、こうして配慮しているのだろうな」
「………………………………………………………………ま、まあこんなことが長く続くはずもないさ」
士郎さん、ザフィーラ、クロノさんの順での発言だけど、みんな揃って声が引きつっていた。
発言の内容からして、もう負け犬臭さが滲み出ている。

それから十分後。
「??? 皆さん調子が悪いんですか?」
悪気の欠片もない発言なのだけど、それが巨大な矢となって三人に突き刺さる光景を幻視しました。

「……………どうも……今日は日が悪いようだな」
「……む、貴様もか。どうも今日は風邪気味のようでな……やはり無理はするモノではないか」
「…………………………………………………………………そんなバカな」
あまりの理不尽に打ちのもされ、絶望に打ちひしがれる三人。
あれかな、魚もやっぱり人を見るのかな?


で、今に至るというわけです。
「えへへ、釣りって楽しいんですねぇ♪ あ、エリオ君もやろうよ!」
「え? あ、僕は今日はいいかな……。アハハ、アハハハ、ハハ……」
お願いキャロ、僕に話を振らないで。三人の腐った魚のような眼が怖いんだ。

「あ、そうだ。また混ぜてもらってもいいですか?」
「「「………………………………………ああ、そのうちな」」」
もちろん、この先三人が釣りにキャロを誘うことが絶対になかったのは言うまでもない。
それどころか、釣りの話題が出るたびに話を逸らし、隠れるようにしてするようになったのはキャロのせいじゃなくて、きっとこの人たちの自業自得なんだと思う。
それでも釣りをやめないあたりが、なんだか業の深さを思わせる。

そんな三人に対し、たぶんこの場ではもっとも強烈な一撃(言葉)が放たれた。
「しっかし……つける薬がねぇな、おめぇら」
「「「がはっ!!?」」」
トドメとなるヴィータ副隊長の一言は見事急所に炸裂し、無残にも撃沈する三人。
凄いなぁ、言葉で人って殺せるんだ。心底呆れかえった表情も、攻撃力に加算されてるんだと思う。


後日、この事を知ったユーノさんはクロノさんに言っていました。
「クロノ、君の楽園の崩壊はずっと昔に決まっていたんだよ。君自身の手でね。
あの時忠告したろう? ……そこで改めなかったのが、悲劇の始まりだったんだ」
「ああ、反省してる。叶うなら、あの日の自分を殴ってでも従わせたいさ!
 どうして……どうしてあの時の僕は! 君の言葉に、素直に従わなかったんだ…………」
お酒を飲みながら、涙ながらに後悔するクロノさん。
なんだかよくわからないけど、すごくクロノさんが可哀そうでした、まる



おまけその1

キャロに惨敗し、生ける屍と化した三人。
そんな三人に向け、凛さんもまた呆れかえった様子で溜息をつく。
「はぁ……面倒だけど、いつまでも“これら”を放置してるわけにもいかないか。
 エイミィ、“そっち”お願い。ヴィータも、しっかり“それ”持って帰ってよ、邪魔だから」
「あははは……お互い、手のかかる旦那さまを持って大変だよねぇ」
「同感。まったく、少しはこっちの苦労も考えて欲しいわ」
「おい……そこにあたしは入ってねぇよな?」
そんな会話をしながら、それぞれの家族を回収する三人。
ヴィータ副隊長とザフィーラのカップル……なんか、それってすごい犯罪っぽい。

僕がそんなことを考えて引きつっていると、いつの間にかすぐそばまで来ていたヴィータ副隊長がグラーフ・アイゼンと突き付けてきた。その顔には、見たこともないような青筋が浮かんでいる。
「エリオ、今なに考えた?」
「い、いえ、何も!!」
必死に首をブンブン振る僕。
例え嘘だとしても、否定しなければ僕に明日はないと本能が告げている。
選択肢を一つ間違えれば、僕に待つ未来はグラーフ・アイゼンの頑固な汚れになるというバッドエンドのみ。

「……ならいい」
どこまで信じてもらえたか分からないけど、一応この場は助かった。生きてるって素晴らしい!
口調自体は穏やかなだけに、表情とのギャップがものすごく怖かったです。
それにしても……おかしいな。口に出してなかったはずなのに、どうしてわかったんだろう?

そんなこちらの様子など視界どころか、意識の端にすら引っかかってない様子でエイミィさんと凛さんは相変らず話している。
「だけどまぁ、そうじゃなかったらそれはそれで寂しいっていうのが、一番困っちゃうんだよね」
「………………さぁ、どうかしら。私は別にそんな趣味はないけど……」
「ふっふっふ、素直じゃないんだから。あ、違うか。士郎君“だから”いいんだもんね♪
まあ、外ではそれでもいいけど、士郎君の前くらいは素直になった方がいいんじゃない?
 愛情表現にガンド乱射したり、照れ隠しに無理難題押し付けたりしてると、そのうち愛想尽かされちゃうよ?」
「ほっといてちょうだい」
「ま、士郎君はベタ惚れだし、そんな心配は野暮かな?」
「……エイミィ、いい加減にしないと、物理的に黙らすわよ……」
なんて言うか、仲いいですよね。エイミィさんと凛さんって。
特にエイミィさん、あの凛さんに思いっきり睨まれているのに全然怯まないのが凄い。
あのなのはさんでさえ怯えるのに、ニヤニヤとした人の悪い笑みにヒビ一つ入らないんだから。

二人はそんなやり取りをしつつも、お互いに旦那さんを背負う。
「はいはい、わかりましたぁ。とは言いつつも、結局顔を赤くしてしまう遠坂凛さんなのでしたぁ~」
「エ・イ・ミ・ィ!」
ゴンッ!!(←硬い何かが地面に落ちた音)
「怖い怖い、じゃ私はお先~!」
「まったく、逃げ足の速い。そのうちホントにとっちめてやろうかしら……」
などと、ブツブツ文句を言いながら、再度士郎さんを担ぎあげて歩いていく凛さん。
ちなみに、エイミィさんの言葉通りその顔は少し赤くて緩んでいたのは心の内にとどめておくべきだと思う。

「はぁ、アイツらのアレは気にすんな。
ただの惚気、あるいはバカップルだと思っとけ。まったく、いつまで新婚気分でいやがんだか……。
それと、悪ぃなエリオ。少し空けるけど、“これ”捨ててきたらすぐに戻ってくるからよ。
それまで、キャロの事頼むわ」
「あ、ハイ。お気を付けて……」
そう答え、ザフィーラの足を持って引きずりながら去るヴィータ副隊長を見送る。
その後、ヴィータ副隊長が戻るまでの間、何故か自分の将来について考えてみた。

何となく、このまま大人になるのではいけない気がしたから。
……なんでだろう?



 *  *  *  *  *



「Let’s影響ゲェム」

時期:JS事件後
場所:機動六課隊舎

SIDE-士郎

これは、平穏だったはずのある日の出来事。
一体どうして俺たちは、あんな怪しいモノに手を出してしまったのだろう。
あんなモノに興味を持たなければ、きっと穏やかな一日を過ごせたはずなのに。

いや、そもそもの原因は……
「スバル・ナカジマ、ただ今戻りました―――――っ!!」
と、非番で街に出ていたスバルだろう。

「ああ、おかえり。しかしどうした? ヤケに早いではないか、もっとゆっくりしてきてもよかろうに」
「あははは、やっぱり一人で街に出てもいま一つ盛り上がらないというか……。
 やっぱり、みんながいる方が楽しいんで」
まあ、らしいと言えばらしい話だ。今回はティアナとは日程がずれていたし、他の者も通常業務だったからな。
珍しく一人での休暇になったはいいが、早々に暇を持て余したか。

と、そこでスバルの手にあるモノに気付く。
「ところで、なんだそれは?」
「あ? これですか? 街で暇してたら、通りがかりの黒いフードを被った割烹着の人に貰ったんです♪」
そう言って、嬉しそうに手に持った袋を掲げる。
まったく、知らない人にモノを貰ってはいけないという程度の事、ヴィヴィオでも知っているというのに。

そんな俺の呆れに気付いたのか、スバルが弁明するようにまくし立てる。
「えっと、格好はあやしかったですけど、いい人っぽかったですよ。
 なんでも、暇な人を探していて、その暇をつぶしてあげるのが使命、というか趣味って言ってました」
相も変わらず直感で動くというか、なんというか。
スグに人を信用するのは長所なのか、それとも短所なのか判断に困るな。

「まあいい。で、モノは?」
「えっと『人生に影響があるゲェム』、略して『影響ゲェム』だそうです」
「待て、そこは『人生ゲーム』だろ」
「そうですか?」
どうも、ミッドにはその手のボードゲームはないらしい。俺が感じる違和感は、スバルとは共感できないようだ。

などと、俺達が話しこんでいると、どやどやと他の面々がやってきた。
「あれ? 士郎君、何してるの? スバルも」
「あ、なのはさん、ただ今戻りました! いま上がりですか?」
「うん、おかえり。今日は早く終わってね」
なるほど、だから全員勢揃いしているのか。

「あ、じゃあみんなでこれやりませんか?」
と、スバルが差し出したのは例の怪しげなボードゲーム。

持ち込まれた事情を聞いたギンガはというと……。
「またあなたは知らない人から物貰って……あれほど貰っちゃダメって言ったでしょ」
「ギンガさん、言うだけ無駄ですって。
このお天気頭にそんな器用なこと出来るわけないじゃないですか」
「はぁ……それもそうね」
「ギン姉もティアも、いくらなんでも酷過ぎない?」
なんというか、お母さんの様な小言だな。すっかり保護者だ。

そんな三人をスルーし、はやてはスバルの手にある箱を見る。
「ああ、人生ゲームやね。懐かしいなぁ」
「いえ、影響ゲェムです」
『は?』
過去を懐かしむはやてにスバルが訂正し、人生ゲームをやったことのある全員が呆気に取られる。
うん、やっぱりこれが普通の反応だよな。

そこで、人生ゲームそのものを知らないキャロが質問してくる。
「あの、それってどんなゲームなんですか?」
「ああ、本来はルーレットを回して人の一生になぞらえたイベントをこなしていくというモノなんだが……どうなんだ?」
「えっと、百聞は一見にしかずだそうです」
怪しい、凄まじく怪しい。
これをプレイしたら、間違いなくロクでもない目にあうと過去の経験が告げている。

と、わかっていたにもかかわらず……
「なあ、凛。なぜ私はこれに参加しているのだろうな?」
「さあ? 妹の頼みを断れないダメ兄貴だからじゃない?」
相変らず酷いこと言うな。怪しさより懐かしさを取ったはやてに頼まれ、結局参加してしまったのは事実だけど、それでももう少しオブラートに包んでくれ。

ちなみに参加者だが、隊長コンビに守護騎士一同、新人組、俺と凛、そしてヴィヴィオにギンガという面子。
正直、普通の人生ゲームをやるにしても人数が多すぎる気がする。

ジャンケンにより順番を決め、一人目は持ち込んだスバル。
ルーレットを回し、出た数は7。駒をすすめ、着いたマスの内容を読み上げる。
「えっと、『金ダライが落ちてくる』? ふぎゃ!?」
『え?』
マスに書かれた内容を呼んだスバルが叫び、全員が驚いたようにスバルを見る。
そこには、コントに使われるような金ダライを頭に乗っけたスバルがいた。

「どういう事だ?」
「というか、何で金ダライが降ってくるの?」
「そもそも六課にあったっけ? 金ダライ」
「スバル、いつの間にこんなん仕込んどったんや?」
「す、スバルさん」
「大丈夫ですか?」
「何やってんのよ、アンタ」
とは、俺・フェイト・なのは・はやて・エリオ・キャロ・ティアナの順。

「ふぇ~~ん、別に仕込みなんてしてないですよぉ」
「は? せやったら、一体誰が?」
不思議そうに上を見上げるはやて。
だがスバルの言うとおり、これと言って何かを仕掛けておいたらしき様子はない。
まさか、どこからともなく金ダライが降ってくるなんて怪奇現象が起る筈が……。

しかし、その疑問が解ける前に悲鳴が響く。
「みゃ―――――っ!! は、放すですぅ! リインは食べても美味しくないですよぉ!!」
「って、今度は何や!?」
「り、リインちゃん! 何してるんですか!?」
「しゃ、シャマル、助けてですぅ――――っ!!」
二番手だったはずのリインが、なぜかカラスに襲われている。
一匹や二匹ではない。それこそ101匹わんちゃんならぬ、101羽カァちゃんに、だ。

その後、全員で何とかカラスを追い払い無事リインを救出した。
傷一つ付いていなかったのは、幸運としか言いようがないと思う。
「うぇ~~~ん……パパぁ、怖かったですぅ~……」
「ああ、よしよし。もう大丈夫だぞ」
俺の胸に抱きついてむせび泣くリイン。周囲からの視線は気にしない。だって、気にしたら負けだから。
そのちっさい頭を撫でてやりながら慰めるが、これはトラウマになったかもしれないな。
ヒッチコックの「鳥」じゃあるまいに、あんな目に逢えば俺でも泣くぞ。

「しかし、なぜカラスが?」
「士郎、これ見なさい」
凛に言われてみると、一応その疑問は解決した。
いつの間にかリインの駒が進み、そこには『大量のカラスにたかられる』と書かれていた。

そうか、あれは襲っていたのではなく、ただ集まっていただけなのか。
「って、んなわけあるかぁ!!」
ちゃぶ台でもひっくり返しかねない勢いで突っ込みを入れる。
いやいや、いくらなんでもあり得ないだろ!?

「だけど、スバルの時といい、実際書かれた内容は実現してるわ。
 スバルにも心当たりがないみたいだし、一応気をつけた方が……って、誰よ! 私の駒進めたの!!」
気付くと、いつの間にか三番手のはずの凛の駒が進んでいた。

ちなみに、そこに書かれていたのは『恥ずかしい目にあう』というモノ。
凛にとって恥ずかしいの代名詞と言えば……
「あはぁ♪ お久しぶりでございます、凛さん。またよろしくお願いしますね☆」
「………………………………………ギャ――――――――――――――――ッ!!!
 な、何でアンタがここにぃ!? 封印はどうしたのよ!!」
「ああ、それでしたらなぜか解けてましたよ。
 というわけで、これからちょっとそこのホールで80年代風に一曲熱唱しましょうか♪」
「ふざけるな!! 二度とアンタなんて使わないわよ! ていうか、見たくもないからさっさと消えろ!!」
「さあ、今こそ愛と正義(ラブ&パワー)の下、世界を平和で面白可笑しい(私にとっての)理想郷とするのです☆」
「人の話を聞け、このバカステッキ!!」
「御安心を、今度は以前の様なハンパなマネはいたしません。(凛さんが)死ぬまで付きまとう所存」
「こっちに来るな――――――――――っ!!」
と、叫ぶや否や走り去る凛。当然、呪いのステッキもそれを追って飛び去る。
残ったのは、状況の変化に対応できずに置いてきぼりをくらった面々。

そこで、何かが落ちていることに気付く。
「? 取り扱い説明書?」
その言葉に反応し、どこかに走り去った凛を除く全員が俺の手元を覗きこむ。
しかし、さっき見た限りではそんなモノはなかったはず。一体どこから?

とりあえず、それを読んでわかったことが三つ。
一つ目、どうやらこれは止まったマスに書かれていることが実際(強制的)に起きるゲームらしい。
二つ目、書かれている内容が実現するまでは「休み」の扱いになるようだ。
三つ目、どうも一度ゲームを始めると誰かがゴールしない限り終わらず、「やらない」という選択肢を取ろうにも、勝手にルーレットが回り勝手に駒を進めるためそれすら不可能。
――――――――――――最悪だな。

「スバル、お前ってやつは……」
「このバカスバル!」
「スバル、少し『お話し』しようか?」
「しばらくはトイレ掃除やね」
「ご、ごめんなさ~~~い(泣)!!」
良く見れば、4番手であるなのはの駒もいつの間にか動き、そのマスには『誰かとお話しする』と書かれていた。
どうやら、駒の人物が被害を受けるとは限らないらしい。

一通りスバルへの『お話し』が終わったところで、はやてが皆に覚悟を促す。
隊舎外にできたクレーターや、その中心でボロ雑巾になっているスバルは無視の方向で。
「結論は一つや。とにかく早急にゴールする、それ以外にない!
 ちゅうわけで、5番手ヴィヴィオGO!」
できれば、ヴィヴィオに危ないマネをしてほしくないのだが、やらないという選択肢が取れない以上仕方がないか。ヤバそうなマスならば、全員で守るだけ。

と、考えていたのだが……
「えっと、『今日1日誰かに肩車してもらう』? ヴィヴィオ、誰がいい?」
「かたぐるま? じーじがいい!」
ヴィヴィオに確認するなのは、その答えは俺。
まあいいけどね。いつもやってる事だし。

ただなぁ……
「ヴィヴィオ。何度も言っているが、じーじはやめてもらいないか?」
「じゃあパパ!」
「ダメです! パパはリインのパパなんです!!」
「はやて、どこに行く?」
「え? ちょっと化粧直しに……」
「わかっているとは思うが、リインがパパと呼ぶのも、ヴィヴィオがじーじと呼ぶのも、すべてお前が吹き込んだ事だからな」
「あはははははははははは」
笑ってごまかし、そそくさと逃げるはやて。
リインとヴィヴィオの交渉はいつも通りの結果に終わり、相も変わらずリインからは「パパ」と呼ばれ、ヴィヴィオからは「じーじ」と呼ばれることで落ち着いた。なんだかなぁ……。

で、マスの指示に従いヴィヴィオを肩車したのだが、妙に熱い視線を感じる。
誰とは言わないが、君らの年齢で肩車されたら変人扱いされるとわかっているのか?
子どものヴィヴィオならいざ知らず、いい年して何考えてるんだ。

まあ、それはそれとしてゲームは進む。
「さて、次は私だな」
怖いものなど何もない、と言わんばかりに堂々とルーレットを回すシグナム。

止まったマスに書かれていた内容は
「…………………………………………………………………………………………………………『スク水で1日過ごす』…だと?」
『うおおおおぉぉぉおぉぉぉぉぉ!!!!』
シグナムが内容を読み上げると、どこからともなく歓声が上がる。
その歓声が非常に野太いのは気のせいではあるまい。

しかし、シグナムがスク水……なんというか、アレだ。犯罪?
「わかっとらんなぁ。普段凛々しいシグナムが、あえて恥ずかしい格好をする。最高やん!!!!」
いつの間戻ってきたか知らんが、自分の忠実な騎士に何を期待してるんだ、お前は。

だが、一体どうやってシグナムにスク水を着せる気だ?
正直、天地がひっくりかえってもないと思うのだが。
「どうすんだよ、リーダー?」
「……ふ、ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ………燃やす!!」
ああ、やっぱり。予想通り、炎を吹き上げるレヴァンティンを振りかぶるシグナム。

しかし、「ポン!」という気の抜けた音とともに……
「なぁ!?」
『おお!?』
レヴァンティンを振り下ろさんとしたところで、シグナムの服装が変わる。もちろんスク水に。
手にあったはずのレヴァンティンも、気付くとビート板に早変わり。凄まじいな。もはや呪いの域か。

振り返ってみれば、野太い感性の出所がわかった。
入口付近では、某ヘリパイロットを筆頭に整備スタッフが色めき立っている。

だが、彼らは忘れている。
彼の烈火の将がこんな恥辱を受けて、彼等を見逃すだろうか。答えは否、断じて否である!!
「貴様ら、そこになおれ!! 全員叩っ斬ってくれる!!! ついでに記憶も無くせぇ!!」
と、鬼の形相でビート板を構えて彼らに突進するシグナム。
これで、スバル・凛に続いて三人目の脱落か。


その後もゲームは続く。
ここでは、各々が引き当てたマスの一部を振り返ろう。

俺の場合。
『柱の角に小指を100回ぶつける』
「待て! そんなにぶつけては骨が……って、ぐお!?
 だから待て、そう連続してぶつけるんじゃ……ぐが!?」
良くわからない力により、体が勝手に動いて小指を連続して柱に打ち付けた。

「「じーじ(パパ)、大丈夫(ですか)?」」
こう問われて、どうして「大丈夫じゃない」といえようか。

シャマルの場合。
『バナナの皮を踏んで転ぶ』
「地味ですね」
「地味やな」
「地味だな」
特にこれと言ってドラマもなく、席を立った時に転ぶ。

可哀そうなのでもう一つ。
『この薬を飲む』
「なんでしょうね、これ?」
「ふむ、『まききゅーXAA』と書いてあるな。効果は、バストアップとその他諸々?」
「いきます!!」
そう言えば、いつだったかスタイルでシグナムにコンプレックスがあるみたいな事を言っていたな。
ちなみに、なのはやはやて、それにティアナ等がものすごく羨ましそうに見ているが……。

しかし、その結果は……
「確かに、確かにサイズは大きくなりましたけど…………こんなの思ってたのと違う―――――っ!!」
胸だけじゃなくて、全身巨大化した。なんというか、GシャマルN(ナイトメア)?
ちなみに、隊舎に入らないので、戻るまで外で待機。まあ、服も巨大化したのは不幸中の幸いだと思う。

ザフィーラの場合。
『毛が抜け落ち丸坊主になる』
「ざ、ザフィーラ……その、爽やかな感じがナイスやで。な、なぁティアナ?」
「え? ええ。それにそろそろ暖かくなってきますし、これもクールビズですよね、きっと……」
「……………………………(泣)……………………………」
何と言うか、丸坊主の狼というのは貧層だ。

ギンガの場合。
『二十四時間絶食、ふりだしに戻る』
「死ねと?」
「待て待て!? たった一日だぞ!」
力なく崩れ落ち、事実上のリタイア。
これは、あれか? ああ勇者(ギンガ)よ、死んでしまうとは情けない……ってやつなのか?

………になるかと思いきや。
「む? 続きがあるな。なになに『自力調達なら可』?」
「どういうことですか?」
突っ伏しながら、行儀悪くグリンとこちらを向くギンガ。

説明をよく読み、わかったことを要約する。
「どうやら、売り物を買うのではなく、自力で食料を確保すればいいらしい」
「しばらく旅に出ます」
「止めはせんが……食いつくすなよ」
食への執念は凄まじい……か?
とりあえず、生態系を壊さないでほしいところだが、食の羅刹と化したギンガにそれが通じるか……。

ヴィータの場合。
『イノシシのキグルミを着る』
「ヴィータちゃん……可愛い」
「何か言ったか? なのは」
非常にドスの利いた声と、殺意に満ちた目で睨んでいたが正直怖くも何ともなかった。
というか、「似合ってる」というのが全員の共通認識だと思う。
だって、シャーリーやアルト、それにルキノとかが写真撮りに来てたし。

ティアナの場合。
『下着ドロにあう』
「ティアナ! あなたの下着が…………って、どうしました?」
「リニスさん、先に行って捕まえておいてください」
「え?」
「はやく」
「わ、わかりました!」
「部隊長」
「聞きとうないけど、なんや?」
「殺傷設定の許可を……」
「証拠、残したらあかんよ」
「大丈夫です……細胞の一欠片も残しませんから」
まあ、下着ドロの方は自業自得ということで。
しかし、あのハイライトの消えた瞳と穏やかでありながら極寒の口調は心臓に悪いな。

リインフォースⅡの場合。
『ケーキの海に溺れる』
「キャフ―――――――ッ!! 夢なら覚めないでほしいですぅ~♪」
「ええよな、いくら食べても太らんて」
「まあ、なにせユニゾン『デバイス』だからな」
さっき酷い目に会ったことを忘れ、ケーキの海を満喫中。

なのはの場合。
『ぎっくり腰で十回休み』
「うぅ、私そんな年じゃないのに……」
「ママ、おばあちゃん?」
「グサァ!? ヴィヴィオ…ヒドイ…………」
ちなみに、十回分休んでもぎっくり腰は治らなかった。
どうも、そういう問題ではないらしい。

はやての場合。
『体重が20キロ増える』
「これ、終わったら戻るんかな?」
「説明書によると、期限が決められていないモノは不可逆らしい」
「つまり、一度なったら戻らんと?」
「そういう事だな」
「ちょう走ってくるわ」
はやて、女性としての尊厳のためロードワークへ。

「??? パパ、なんではやてちゃんは走ってるんですか?」
「聞いてやるな」
アレだ。ケーキを死ぬほど食べても太らないリインが聞くほど、ダメージがでかいことはない。

まあ、それはそれとして……
「リイン、とりあえず顔のクリームを拭きなさい」
「ほえ? わ、わかりました!」
「ああ、そこではない。ほら、私が拭くからこっちを向きなさい」
「く、くすぐったいですぅ……」
「パパだよねぇ」「パパだな」「パパですね」
パパ言うな! まあ、何度訂正しても直らないし、いい加減諦めてるんだが……。

ヴィヴィオの場合。
『くしゃみが10分間続く』
「くちゅん!」
「ヴィヴィオ、これで鼻をかみなさい」
「はぁい、チーン! ……ふぁ…くちゅん!」
まあ、他に比べれば可愛いモノなのだが、鼻をかんでいるそばからくしゃみをするのはなぁ。
それと、つばと鼻水が頭にべっとりつくのは困った。終わったら頭を洗わないと。

エリオの場合。
『1週間、性別が反転する』
「長いな。がんばれよ、エリオ。
 そうだ、こう考えると良い。『戻れてよかった』と」
「良くないですよ!!」
「エリオ……ねえ(姉)?」
「お願いヴィヴィオ、それやめて」
さしずめ「エリ子(仮名)」か?

「じゃあエリオ君、今日から一緒にお風呂入れるね♪」
「キャロも!? お願いだからもっと恥ずかしがってよ!! 僕男なんだよ!」
「でも、今は女の子でしょ?」
キャロ、それトドメ。

「う、うわあぁぁぁぁぁぁぁん!!!」
エリオ(女)、長く伸びた燃えるような赤毛を振りみだしながら、夕日に向かって走り出す。
そして、嫌味なしに残念そうなキャロ。それは残酷だ。あとフェイト、鼻血を拭け。

キャロの場合。
『1週間、10歳加算される』
「ああ……とりあえずキャロ、着替えてきなさい」
「そうだね、私の服貸してあげるから」
「あ、はい」
なんというか、いろいろ凄かったです。こう、バンキュッバンって感じで。文字通り服がはちきれそうだった。
フェイトの服を借りなければならなかったということで理解してもらいたい。
まあ、なんだ。エリオに合掌。

それと……
「キャロちゃん……ズルイ」
「同じ増えるネタなのに不公平や!!」
見苦しいぞ、シャマルとはやて。

フェイトの場合。
『60時間アフロになる』
「もさもさ(頭を触っている)」
「フェイトちゃん、鏡」
「……………ピキッ(心の何かと鏡にヒビが入る音)」
『……………………………………ドンマイ』
「あ、ああ……いやぁぁぁぁあぁぁあぁぁぁぁぁ!!!!!
 見ないで、私を見ないでぇ―――――――――!!!!!」
絹を裂くような悲鳴を上げ、泣きながら駈け出してしまった。
ついでに、なのはから受け取った鏡は粉々に砕け散った。

フェイトの部屋の前。
「しくしくしくしく……モサモサに、私の髪がモサモサに……めそめそめそめそ」
「………………フォローのしようがないな」
そのまま引きこもり、戻るまで出てきてくれなかった。


そして4時間後。キャロがゴールすることで、この地獄は終焉を迎えた。
「や、やっと終わりか……長かった」
「みなさん脱落しちゃいましたしね」
「純粋に楽しめたのって、ヴィヴィオとキャロくらいじゃないかな。ねぇ、ヴィヴィオ?」
「うん♪ 楽しかった!」
「なあ、これもう海に捨てていいか?」
「……ぜぇはぁ…………ぜぇはぁ………し、死ぬ………ガクリ」
最後まで残ったのは、俺・キャロ・なのは・ヴィヴィオ・ヴィータ・はやての6人だけ。
一応この場にリインもいるが、腹が膨れて熟睡中。この辺はまだまだ子どもか。
生き残った6人にしたところで、頭が鼻水と唾でガビガビになり小指のぶつけ過ぎで歩けない俺に、十歳分成長したキャロ、ぎっくり腰で動けないなのは、くしゃみのし過ぎで鼻の赤いヴィヴィオ、キグルミのヴィータ、普段の運動不足がたたり息も絶え絶えのはやて。
他の面々は、それぞれマスに書かれている無理難題の為に形と被害は違えど脱落。

「もう一回やりたぁーい」
『ダメ』
「ダメでしょうか?」
『……勘弁して(くれ)……』
悪いなヴィヴィオ・キャロ、俺たちはもう二度とやりたくないんだ。


まあ、無事(?)終わったのだからそれで良しとしよう。



おまけその2

翌日。
「次のニュースです。昨夜発生した『世直し魔法少女連続ニート暴行事件』の捜査に進展がありました。
 当局の発表によると、忽然と姿を消した犯人は暴行事件を起こす前、クラナガン中央駅前の広場にてオンステージしていたようです」
という放送がなされたが、俺たちは一切関与していない。してないったらしてないんだ!!
そう言えばアイツ、一晩明けてもまだ帰ってないなぁ。

数日後、何とか凛は無事帰還した。
どうやら、上手く事態を有耶無耶にできたようだ。
それはいいのだが……。
「待て凛。それをどこに持っていく気だ」
「気にしないで。ちょっと、ナンバーズの様子を見に行くだけだから……。
ほら、私達だけ楽しんだんじゃ悪いでしょ?」
まあ、なんだ。これ以上語る必要はないだろう。
あえて付け加えるとしたら、ノーヴェとチンク、そしてアギトがトリオでゴスロリを着て熱唱し、その後なぜか施設が半壊したってくらいか。

その後、あの「ゲェム」がどこにいったのか、それは誰も知らない。






あとがき

えっと、実を言うと「クロノズヘブン」の方は前々から考えてはいたのですが、A’sの外伝、中間期、Stsの外伝と小出しにしていくつもりだった代物です。
ただ、皆さんからのリクエストと私自身が何となく我慢できなくなり、「もういいや、まとめて書いちゃえ」という感じで一気に吐き出しました。というか、またユーノの外伝をやったりするのが面倒になったというのもあったりなかったり。早い話、小出しにするにしてもその度に一緒に出す他のネタを考えるのが面倒になっただけですね。
hollowをやったことのある人ならわかると思いますが、はじめの二つは「ランサーズヘブン」をちょこちょこいじったモノなのに対し、最後のエピソードだけは一応私のオリジナルになります。
それと士郎の装備一式ですが、別に投影と断定はしていませんから普通に買ったかもしれませんよ?

で、その最後なんですが、あえて言うなら「真の野生の勝利」でしょうか?
ザフィーラの野生なんてエセですし、士郎やクロノは論外。幼くしてサバイバルしてきた野生少女の前では、文明の利器も勝ち目がなかったということでしょう。
それと、最後のはホントは六課前の海にするつもりだったんですけど、それだとクロノの楽園じゃないのでやめにしました。その名残がフリードのブラストフレアです。

あと、アイリさんが「お義母さん」発言をしていますが、実際にA’s後まで生きているかは定かではなかったり。
なにせこれは、ご都合主義だけで出来たいい加減な話ですから。

最後の「影響ゲェム」ですが、TYPE-MOONエースvol.3を読んだ人ならわかると思います。
アンバーの悪ふざけにも困ったものです(笑)。いや、ちょっといじり過ぎてキャラが壊れている人がいるかもしれませんが、本編とは関係の無い話なのでお気になさらず。ていうか、気にしないでください。
それと、士郎の事をリインフォースⅡが「パパ」、ヴィヴィオが「じーじ」と呼んでいますが、まだ暫定的なモノなので変更するかもしれません。ただ、もしこのままで行くとすれば、きっとフェイトあたりが大層悩むんじゃないかと……ほら、あっちは「ママ」じゃないですか。ついでに、リインの時も騒動を予定。
あと、前回でStsの男衆も出したので、ついでに女性陣にも出てもらおうと思い追加したお話でもありますね。
しかし、おまけのつもりだったのに興が乗ってしまって予想以上に長くなりました。自分でもびっくりです。ホントはこの半分程度を予定していたのに……まあ、かろうじてクロノズヘブンより短いのが救いかな?

とりあえず、前回がひたすらグダグダだったのに対し、今回はとことんギャグに走った……つもりです。
クスリとでも笑っていただければ幸いですが、はてさて……。
あ、それと今回少しルビーが出ましたけど、そのうち外伝とかで大暴れしてもらいたいと思っていますから、今回で終わりってことはないですよ(たぶん)。



[4610] 第28話「幕間 とある使い魔の日常風景」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2010/07/03 02:34

SIDE-リニス

12月某日早朝。

私はすっかり馴染んだ遠坂邸の厨房で、せっせと朝のお勤めの真っ最中。
といっても、それももう終わるところなんですけどね。
「よし! これで朝食の下拵えは完了っと。あとは卵を焼いて、お味噌汁を温め直せば完成ですね。
 ……ふむ、士郎が帰ってくるまでまだありますし、お掃除でもしてますか」
凛の方は、まあ時間になればカーディナルが起こすでしょう。
留守を預かる身として、同時にお二人に仕える身として、過ごしやすい快適な住環境の提供を怠るわけにはいきません!! 決して、こうして部屋の隅や家具の裏を掃除していると落ち着く、というわけではありませんよ。

ああ、でも。
「お料理にお洗濯、お家も広いですからお掃除もやりがいがあります。
 なんて、なんて楽しいんでしょう♪」
凛も士郎も家事全般万能な方々ですけど、今はそれぞれお忙しい。
となれば、必然この家の家事の大半は私にゆだねられることになる。
もう、それが楽しくて楽しくてたまりません。
でも、できれば凛の部屋や工房も片づけたいのですが、さすがにそれは不味いみたいですし、自重するしかありませんか。しかし、いつか、いつかきっと!!

って、あら? 通信?
「はい、リニスです」
「ああ、朝早くからごめんねぇ。エイミィで~す」
珍しい。普段凛たちに連絡してくることはありますが、私にというのはなかなかないのに。
それも、何か連絡があるなら電話でもいいと思うのですが。

ああでも、まだ凛が寝ていますし起こすためにこちらに連絡したのかも。
「凛でしたらまだ寝てますけど……」
「ああ、そういうんじゃないの。どっちかって言うと士郎君絡み」
士郎? それなら直接連絡を取ればいいのでは?
今頃は、フェイト達をボッコボコにしている頃合いですね。
なんでも、危機回避能力の類を上げるためには適度に追い詰めるのが有効なんだとか。

「いやぁ、ちょっと手間取ちゃったけど、やっと士郎君のデバイスの登録が済んでさ。渡そうと思えば午後には渡せると思うんだ。
でもほら、士郎君結構忙しいでしょ。だから、代理ってことでリニスに受け取りに行ってもらおうかなって」
ああ、なるほど。本来、管理外世界に行くのには色々と手続きやら何やらが必要。当然、デバイスの持ち込みにも厳正な審査があるし、それ以外にももしもの時のためにデータベースへの登録が必要になる。
実際、凛やなのはさんの時もいろいろ面倒な手続きがありましたしね。

その上、ただでさえ士郎はその魔法の方向性から調整に手間取った。
古代ベルカ式ほどではないにしても、ミッド式に比べれば明らかに数の少ない近代ベルカ式。それも幻術特化なんて、「珍しい」どころか「モノ好き」の部類に入るその使用魔法。
それに加えて、それらの方向性が決まったのだって凛に比べてずっと後で、人工知能を付けたり外したりしていたため余計に時間がかかってしまったのだ。
やっと終わった、と溜息の一つもつきたい気持ちですね。

でも、エイミィさんの言うとおり二人とも割と多忙ですし、確かに私が行くのが良いでしょう。
「で、今日は大丈夫そう?」
「はい。アルバイトがありますけど、幸いシフトは午前中だけなので」
そうですね、本局まで行って最後の手続きを終えて帰ってくるとなると、戻るのは夕方ごろでしょうか。
それなら、受け取ったデバイスをそのまま士郎に渡しに行きましょう。
帰りがけに凛たちの様子を見ていってもいいですね。

「ん、じゃオッケーってことでいいね。向こうにもそう連絡しておくから。
 そうだね、午後二時ごろにでもウチに来てよ。中継ポートの準備とかしておくから」
「あ、ありがとうございます。では、士郎にもそう……」
「ああ、どうせだから秘密にしておけば? いきなり持って行ってびっくりさせるの。
 もちろん、こっちでもフェイトちゃん達にはまだ言ってないし、言わないつもりだけど」
なんというか、本当にそういうのが好きなんですね。

「まあ、別にかまいませんが」
「じゃ、そういうことで。またあとでねぇ」
やれやれ、この人の悪戯好きにも困ったモノです。
まあ、ほとんど実害のない可愛いものですから、別に目くじらを立てるようなものではないのですが。

なにはともあれ、今日は少し忙しくなりそうですね。



第28話「幕間 とある使い魔の日常風景」



朝食を終え、まだどこか寝ぼけている凛を洗面所に連行して戻ってくると、エプロン姿の士郎に出迎えられる。
その顔には、抑えきれない苦笑が浮かんでいる。
「くっくっく……で、どうだった?」
「全く困ったモノです。普段はあれだけしっかりしてそつのない人なのに、どうしてあんなにも朝に弱いのでしょう?」
「まあ、アレは昔からだ。アイツと付き合っていくなら、うっかりを含めて、一生その辺の面倒を見るつもりでないとな」
少しばかり呆れる私に、士郎は長年の経験に裏付けられた確信を持ってアドバイスしてくれる。
つまり、どうやってもアレは治らないということでしょうか?

さあ洗い物をしよう、と思って台所に立つと、違和感に気付く。
「……………………………………食器はどこへ?」
「ああ、洗い物ならもう済ませておいたぞ。フライパンも皿も。
 朝の残りは大皿にまとめて冷蔵庫に入れてあるから、昼にでも……」
さも、それが当り前であるかのようにエプロンを外す士郎。

な、なんてことを……
「またそうやってサラッと家事をこなして!! 今日は当番じゃないでしょう!?
 なんで…なんで私の仕事を奪うんですか―――!!!」
「いや、泣くことはないだろ……!?」
泣いてなんかいません。ちょっと視界が滲んでいますが、これは汗です。誰が何と言おうと汗なんです。

「いえ、そもそも私がいるのに士郎が家事をしたがるのがおかしいのです!
 私は使い魔です、使用人なんです、言わばあなた方のサーヴァント(奴隷)!
 やはり当番制は廃止すべきです。家の事は私で充分、お二人にはもっと別のことに…………って、あ! ちょっと士郎! どこ行くんですか!?」
「悪い、俺持ち物のチェック忘れてた」
くぅ、逃げられましたか。ですが、いつの日か必ずこの家の家事の全てを我が手に、我が手に……!!



  *  *  *  *  *



「では二人とも、気を付けていってらっしゃい」
「ああ、いってきます」
「ま、そっちもバイト頑張んなさい」
「はい」
そう二人を見送り、私自身も外出の準備を進める。
どこかに遊びに行くとかではなく、これから素晴らしき労働が待っているのです。

やはり、いくら使い魔とはいえ家の仕事をするだけではいけません。
もちろん、庭の手入れや家の掃除を軽んじるわけではありません。ですが、それでもそれらにかかる時間は一日全てを使い潰すほどではないのも事実。いえ、徹底的やればそれくらいかかりますが……。
それに、ずっと家の中に引き籠っていてはニートと大差ありません。
そう、求職活動もせず、日々食っちゃ寝して食べ歩きを趣味にするようになっては、人(?)としておしまいなのです!



というわけで、アルバイト先の扉を開けてまずはごあいさつ。
「おはようございます!!」
「あ、リニスさん。今日も宜しくお願いしますね」
「はい! こちらこそ宜しくお願いします、桃子さん!」
喫茶翠屋、そこが今の私の勤め先。
士郎に紹介してもらい主にウエイトレスとして働いているのですが、職場環境は最高です!

アットホームな職場。尊敬できる上司。心を通い合わせられる同僚。
これです! これこそが私の求めていたモノなんです!!

そんな最高の職場に、一つ問題があるとすれば……
「あ! リニスさんリニスさん、おはようございます!」
「美由希さん!? が、学校はいいんですか?」
「え? ああ、今日開校記念日で休みなんです」
そう、この人の存在。いい人なんです。いい人なんですけど、何でそんなに私に親しくするんですか!?
それだけならいっそ嬉しい位なんですが、ある一つの事柄のせいで非常に………その……困るんです。

「そ、そうなんですか……。もうすぐお店もはじまりますし、早く準備を……」
「あ、その前にこれ試食してみてください」
ほら来たぁぁ――――!!
これです、これがあるから困るんです!
お願いですから、私を実験に使わないでください。

視線で桃子さんや士郎さんたちに助けを求めますが……
「さあアナタ、今日も一日がんばりましょ」
「ああ、そうだな。じゃあみんな、今日も宜しくお願いします」
『は―――――――い!!』
ううぅ……そんな白々しく目を逸らさないでください。
う、恨みますよぉ。

とはいえ、この無垢な目に対して拒絶の意志を表せない自分が一番の原因なんですよね。
我ながら………なんと情けない。
「えっと、今日は何を?」
「はい! 今日は梅サンドを作ってみました」
そうして差し出されたのは、何やら真っ赤なサンドイッチ。
悪夢が……悪夢が蘇るぅぅ――――!!!!
どうしてあなたはそんなに“梅”が好きなんですかぁ!!

この前はたしか……
「この間の梅ケーキの失敗を踏まえ、さらなる改良を加えたんです!
 率直な感想をお願いします!!」
「は、はい。でもあの、他の方々のご意見も伺って見るのも必要だと愚考しますが?」
はいそこ! いきなり厨房に全員で避難しないでください!!

「私もそうしたいんですけど、どうもタイミングが悪いみたいでみんな忙しいんですよ。
 でも、リニスさんだけはどんなに忙しくてもちゃんと相談にのってくれるじゃないですか!
 私、ホントに恭ちゃんと同じくらい尊敬してるんです!」
困った、心底困りました。そんな真摯な目で見られては拒絶できないじゃないですか……。

ああ、何であの時の私はこの人の相談に乗ってしまったんでしょう。
一枚のお皿を手に所存なさげにしている美由希さんが気になり、つい声をかけてしまったのが運のつき。
アレ以来妙に懐かれてしまい、事あるごとにこうして実験料理のモルモットにされているのです。
(ヤマ)ネコなのにモルモット(げっ歯類=ネズミ)とはこれいかに? って、そんなバカなことを考えてる場合じゃありません!!

ああ、どうしてあの時不審に思わなかったのだろう。
よく見れば、みんなあからさまに美由希さんを避けていたのに。

「ほら、私料理が下手じゃないですか……。
 いつまでもこれじゃダメだって思って……」
くぅ、その努力は応援したいのですが、何でそこで私を巻き込むんです。
というか、そもそも味見をしてますか? そして、珍妙なアレンジはしなくていいですから、普通にしましょうよ、“普通”に!

ホントに、なんで、どうして、どんな突然変異があれば、あの桃子さんの娘さんが、ここまでの料理音痴になれるんですか!! この人、自分で思っているよりはるかに料理が絶望的に下手なんです。
本人は善意で隠し味を入れていますが、それによって別の料理に生まれ変わるというかゲシュタルト崩壊を引き起こすというか……つまり非常に不味くなり、下手をすると走馬灯を見たりするんですよね……。

そんなこちらの心の内を知ってか知らずか、美由希さんはキラキラした目で言い募る。
「ご迷惑なのはわかってます。でもお願いします。私、料理ができるようになりたいんです!」
その熱意は素晴らしいのですが、私だって命は惜しい。
でも、この眼を悲しみに曇らせることなんてできるわけないじゃありませんか。

「……わ、わかりました。では、いただきます」
「は、はい、お願いします!!」
『おおおぉぉぉ~~~…………』
私が一つの決意をすると、周囲から小さなどよめきが広がる。

そして、小さな声で……
「リニスさん、本当に勇気がありますよねぇ」
「ええ、決して真似したくありませんが、本当に尊敬しますよ。
 美由希さんの料理はある種の劇薬なのに……」
「それも悪気が一切ないから大変なんですけどね。
 善意の工夫が人を不幸にするなんて……私、人って何なんだろうって思います」
「そういえば、美由希さんが以前クッキーを作った時、砂糖と卵と薄力粉の組み合わせで致死毒物を調合したことがあるって聞いたことがありますよ。もう材料以前の問題なんでしょうね」
「あ、それ私も聞いたことあります。
その際、某国の研究機関がまとめて買い取ろうとしたことがあるとかないとか……」
なんでしょう、この不吉極まりない会話は。皆さん、今度こそ私が死ぬとおっしゃってるんですか?

しかし、一度口にした事を撤回するわけにもいきません。
「で、ではいただきます」
「はい!!」
おねがいします、そんなドキドキワクワクした目で見ないでください。

サンドイッチを手に取り、匂いを嗅いでみる。
まあ、当然ですが梅の匂いしかしませんね。
少なくとも、これが致死性の猛毒という気はしません。

さっき彼女たちはあんなことを言っていましたが、実際には美由希さんの料理はかなりムラがあります。
それこそただ単純に不味いだけの料理の時もあれば、毒物というほどではないにしても、口に入れた瞬間に悶絶し走馬灯がよぎるようなものまで。
一つ共通点があるとすれば、どんなに上手く出来ても決して美味しくはないことでしょうか?
いえ、まがりなりにも食べられるモノを使って作った料理が毒物になる方がおかしいのです。
というか、普通にありえませんしね。
あくまでも、程度の差こそあれ「不味い」の範疇内だからこそ私だって口にするわけですし。

しかし、この時の私は大きな勘違いをしていました。
ムラがある以上、上もあれば下もあります。
今までに私が食べた物が、全て「まだマシ」な部類だったかもしれない可能性を失念していたのです。

そして、意を決して“それ”を口に入れると――――――――――――――――――――――暗転。



「……………ん。あれ? 私は何でこんなところに?」
おかしいですね、私は美由希さんの料理の試食をしようとしていたはずだったのに。
いつの間に休憩室のソファーで寝ていたのでしょう?

「あ、リニスさん起きました?」
「桃子さん。私はどうしてここに?」
「え? もしかして、憶えてません?」
「はぁ、何がでしょう?」
ちょうどいいタイミングで休憩室に入ってきた桃子さんに尋ねてみますが、何やら深刻な顔をしています。
私は何か、聞いてはいけない事を聞いたのでしょうか?

不思議そうにしている私をマジマジと観察していたかと思うと、突然引きつった笑みを浮かべながら誤魔化しだす桃子さん。
「あ、いえ。憶えていないならいいんですよ!
 ほら、ここのところ色々あって忙しかったですし、きっと疲れてたんですよ」
そうなのだろうか? 自分では自覚がありませんでしたが、もしかしたらそうなのかもしれませんね。
どことなく体がだるいですし、ちょっと気分も良くありません。
具体的には、頭痛に吐き気、手足の痺れに耳鳴りや関節の軋みまでします。

どうやら、本当にそうみたいですね。
「ああ、確かにちょっと変な感じがしますね」
「そ、そうでしょう~! 今日はもういいですから、ゆっくり休んでください。
 幸い今日は手も足りてますし、なんでしたらしばらく休みますか?」
「いえ、たぶん一日休めばすぐによくなると思いますので、明日からはいつもどおり出勤させていただきます」
桃子さんがどこか焦っている風なのが気になりますが、今日のところはお言葉に甘えましょう。
具合の悪い体で無理をしても、他の皆さんの迷惑になりますしね。

「では、申し訳ありませんが、今日はこれで失礼します」
「は、はい。お大事に~……」
やはり、どこか様子が変な気がしますが、まあ私のことを心配してくれているのでしょうね。

時間は、よかった。まだエイミィさんとの約束の時間には間に合います。
さっきはああ言いましたが、やはりやることはしっかりやっておかないと。
少なくとも、ちゃんと士郎のデバイスを受け取って、それを届けてから休むことにしましょう。



Interlude

SIDE-桃子

「桃子、リニスさんはどうだった?」
「ええ、あの様子なら大丈夫そうよ。ちょっと記憶が飛んでいたみたいだけど……」
まさか、あの子の料理であそこまで酷いことになるなんて。
食べた直後に倒れたと思ったら、白目を剥きながら全身を痙攣させ、口から泡を吹くんですもの。
まさかバイトさんを死なせ、娘を毒殺犯にするわけにもいかないし、あの手この手を使って救命措置を行ったのだけど、上手くいってよかったわ。
フィリス先生に教わった救命措置法が役に立った。

「ま、まあ、それくらいなら大丈夫だろう。俺も記憶が飛んだことくらいあるし……」
「でもあの子、まさか本当に毒物を作り上げてしまうなんて……恐ろしい子」
「ああ、あれだけのことになったのは確か「風芽丘ルス○ハリケーン事件」で、恭也に調理実習で作ったクッキーを食べさせた時以来か。いい加減その領域からは脱したと思ったが、認識が甘かった……」
悔いるようにうつむいているけど、正直こんなことは予想外もいいところよ。
最近はまだ食べられるものを作っていたけど、ここにきて再発するとはだれにも予想出来る筈がない。
これはもう、天才ならぬ“天災”よ。

やっぱり、あの子を厨房に立たせちゃいけないわね。
本人には悪いけど、これ以上犠牲者を出すわけにはいかないし。

Interlude out



一度家に帰った私は、手続きの準備を整えてからハラオウン家に行き、転送ポートを使って本局へと向かった。
まあその際、顔色が良くないことを心配されましたが、それは余談ですね。
しかし、そんなに青い顔をしてるんでしょうか?

「はい、ではこれで手続きの方は終了です。
 こちらの書類は大切に保管しておいてくださいね」
「ありがとうございます」
係官の方からデバイスと手続きを終えた旨を証明する書類やその他諸々を受け取り、窓口を後にする。

そこへ、同行してくれたエイミィさんが駆け寄ってきた。
「やっほ、ちゃんと終わったみたいだね」
「ええ。でも、仕方がないとはいえ、こうも時間がかかるのはちょっと……」
「まあ、こればっかりはね。変に悪用されたりしても大変だし、こういうのはしっかりやっておかないとさ」
それは、そうなんでしょうけどね。
局員でもない人間のデバイスを管理外世界に持ち込むのだから、無理もないと言えばそれまでなんですが。
ただ、お役所仕事の常というか、どうしても必要以上に時間がかかっている気がしてならないんですよね。

「そういえば、バルディッシュやレイジングハートの方はどうでした?」
「う~ん、やっぱりただの修理じゃなくてカートリッジシステムの追加もあるから、ちょっと時間がかかるねぇ。
 まあ、マリーの話だと、それでも数日中には仕上がるらしいよ」
そうですか。確かなのはさんが完治するのもそれくらいでしたから、ちょうどいいと言えばそうなんでしょうね。

「ちょっと見せてもらっても良い?」
「あ、はい。どうぞ」
特に拒む理由もなく、エイミィさんに待機状態のデバイスを渡す。
渡したのはカード形態のそれで、表面には見慣れないデザインの紋章が刻まれている。
それは、どこか剣をイメージさせた。

渡されたそれをしげしげと見ながら、エイミィさんはしみじみと呟く。
「しっかし、意外と士郎君は注文が多かったよね。
 材質から形状、それどころか重心まで事細かに指定してきたのはちょっと驚いたかな。
 こんなに時間がかかったのって、確かに色々設定が特殊だったり人工知能を付けたり外したりしたのもあったけど、その注文に応えるためってのもあったし」
「そうですね。でも仕方がないんじゃないでしょうか? 士郎は特化型ですし、アームドデバイスは魔法の発動を補助するだけじゃなくて、純粋に武装としての性能も要求されますから」
守護騎士たちのデバイスを見てもわかるが、重量や重心の配分、あるいはサイズなどは重要な要素になる。
となれば、当然そういった面に対するこだわりが出てくるものなのでしょう。
むしろ、その辺りが無頓着な方が怖いですけど。

一頻りいじり終えて満足したのか、エイミィさんはデバイスを私に返しながら思い出したように尋ねる。
「そういえば名前って、もう決まってるんだっけ? って、手続きするなら当然か」
「ええ、最後のところで必要だったので、この間決めてもらいました。
何の捻りもありませんが『フェイカー』と」
「ははは、まあ士郎君らしいかな。確かに彼の魔法はそういう感じだしね」
実直で飾り気に乏しい人ですから。あまり奇をてらったり、あるいは大仰な名前を付けたりしないだろうとは思いましたが、まさかそこまでストレートとは私も思いませんでしたよ。

バルディッシュの時は私が名前を付けましたが、あれは最後の贈り物になると思っていたからですしね。
今回はそういうわけではないので二人に名前を決めてもらいましたが、士郎の方は私が決めた方が良かったかもしれません。さすがに、ちょっとシンプル過ぎる気が……。

「じゃあ、私まだちょっとやることがあるから……」
「はい。それでは先に戻っていますね」
「うん。あ、それと夕飯の準備には間に合うから大人しく待っているようにって伝えておいて」
「フェイト達はともかく、アルフが暴れ出さないように、ですね」
いかんせん、士郎のシゴキは相当きついようで、帰って来る度にそれはもう飢えているようですから。

「ん、じゃお願い」
そういってエイミィさんは駆け足で去っていく。

さて、私も早々に戻ってこれを渡しに行きますか。



  *  *  *  *  *



海鳴へと戻った私は、そのまま士郎達の元へと向かう。

士郎とアルフしかいないと思っていたのですが、意外にも凛やフェイト、それになのはさんまでいました。
今日は珍しく合同訓練なのでしょうか?
「あ、リニスさん。こんにちは! どうしたんですか?」
「こんにちは、なのはさん。今日はちょっと士郎に届けモノを」
「え? 俺?」
訓練の手を中断し、みんなの視線が私に集中する。
ただし、奥で疲れ果てて倒れているアルフだけはピクリとも動かない。
そんなにきついんですか……。

「はい。どうぞ、士郎のデバイスですよ。やっと手続きが終わりました」
別にここにはいない手続き担当の局員に対して嫌味を言っているわけではありませんが、やはり時間がかかり過ぎたという思いはありますからね。これくらいは勘弁してもらいましょう。

それを聞いたフェイトやなのはさんの顔がパッと華やいだ。
「え!? 本当なのリニス!」
「わぁ、見せてください!」
本人そっちのけで盛り上がる二人。二人だって凛の訓練で疲れているはずなのに、そんなモノこのことを聞いた瞬間にどこ吹く風ですね。
対して、凛と士郎はそんな二人をやれやれと言った呆れ混じりの笑みで見ている。
エイミィさんの予定では、これで士郎を驚かせるはずだったのですが、周りが驚いている分本人は冷静みたいですね。

「あ、こういうタイプにしたんだ」
「でも、この方が士郎君らしいよね」
と、二人はキャッキャッとはしゃぎながら、交代交代に新品のデバイスをいじっている。

とはいえ、これではいつまでたっても話が進みませんか。
「はいはい。いい加減本人に渡しなさいね、アンタ達は」
手を叩いて注目を集めた凛は、フェイトたちからフェイカーを取り上げ、士郎に向かって投げる。
フェイトの顔は少し残念そうにしているが、反論する様子はない。
それが反論できないのか、それとも反論する意志そのものを凛に対して抱けなくなっているのかは定かではありませんが。

「コホン、では軽く説明を。
まず、待機状態はそのカード形態です。起動時は基本となる『スクータム』の他に、『サジタリアス』と『ジェミニ』の計三形態となりますね。
 形状や重量などは士郎の希望に出来る限り沿ったつもりですが、念のため後ほど確認してください。それと、材質は注文通り頑丈さを優先していますから、少し重いですよ」
「ああ、それで大丈夫だ。それに、だからこそ左腕に付けるんだしな」
そういえば、士郎の左腕は義手で、普通より膂力が強化されているんでしたね。

「あ、そうだ。そういえば、こいつを入れるスペースってつけられたか?」
そう言って士郎が掲げるのは、以前フェイトに渡したのとは異なる一対の剣型のアクセサリー。
形状は、士郎の使う双剣のそれですね。

「ええ、採寸を図ってピッタリになるようにしてありますから、ちゃんとはめ込めるはずです」
「そうか、ありがとな」
士郎が掲げてみせたのは、確か対魔力効果のある魔術品。
それで魔力への抵抗力をあげようというのでしょう。

そこへ、やっと復活してきたアルフも興味深げに参加してくる。
「あのさ、せっかくだから起動してみれば?」
「ん? ……そうだな。どうせここには結界が張ってあるから、人が入ってくるとも思えないし……」
「あ、うんうん。わたしも見たい!!」
「わ、わたしも!! シロウのバリアジャケットにも興味あるし!」
そんな二人の様子も手伝ってか、結局士郎は確認のためにフェイカーを起動してみることにしたらしい。
凛は何も言わないが、その眼からは興味深そうな光が見える。

「じゃ、Set up」
素っ気ない様子で、そう指示する士郎。
すると、瞬時にバリアジャケットが展開される。

それを見たフェイトとなのはさんは口をそろえて……
「「……わぁ……!」」
と漏らした。
私や凛、それにアルフはこれと言って反応を示さないが、それでも各々マジマジと士郎の様子を観察中。

それに気付いた士郎はどこか照れ臭そうだが、すぐに自分の恰好を確認する。
「ふむ」
基本は黒。というか全身黒一辺倒。
軍用のような無骨なブーツを履き、これまた黒いやけに留め金の多いパンツを履いている。
さらに、その上半身はやっぱり黒。正確には黒い革鎧。こちらの方は、部分的に白い縁取りがなされ、襟の部分は銀の金具で留められている。ただしこれには袖がなく、肩から先が丸出しとなっている。
本来なら、ここに戦闘時に着用しているあの紅い外套を羽織るところなのだが、今はまだ収納されていないのでこれだけとなる。
帰ったら、ちゃんとそっちの方もやらないといけませんね。

かつて、優れたベルカ式の使い手は騎士と呼ばれていましたが、なるほど、今の士郎の姿は騎士の印象に近い。
たしか、ベルカ式ではバリアジャケットではなく、騎士甲冑という風に呼ぶのでしたね。
ただ、自身の姿を確認する士郎の眼には、どこか懐かし気な、同時に苦笑するような光がある。
ふっと横を見ると、凛の眼にも似たような光があることに気付く。
なにかしら、二人にとって思うところのある衣装なのだろう。

そして、その左腕には……
「あ、デバイスは盾にしたんだ」
とはフェイトの感想。
そう、士郎の左前腕には五角形の盾が装着され、左手首から先は手甲の様なものでも覆われている。

「ああ。ほら、俺って武器なら掃いて捨てるほどあるし」
そのとおり。士郎にとってデバイスは決して攻撃手段ではない。
防御魔法を使えず、普段は双剣を使う士郎にとって盾型のデバイスの方が何かと都合がよかったのだ。

フェイトが納得した様子を見せるのに頷きながら、士郎が簡単に解説する。
「で、盾として使う以上、やっぱりある程度頑丈でないとな。
 こいつには魔術で補強もするから、砲撃級の攻撃にも少しは耐えられるはずだ」
まあ、元からそれを目指して設計したわけですしね。さすがにディバインバスターの直撃など受けてはひとたまりもありません。でも、並みの魔導師の砲撃であれば威力を半減するくらいはできる……と良いのですが。
その辺は一度試してみないとわかりませんしね。

「そっかぁ。うん、すごくカッコいいと思うよ。ね、フェイトちゃん!」
「え? あ、うん。わ、わたしもカッコいいと、思…う」
「ああ、まあお世辞でもうれしいよ。ありがとな」
最後の方はしりすぼみになるフェイト。そして、それをお世辞だと信じて疑わない士郎。
まったく、フェイトを見ればお世辞かどうかくらいわかりそうなものですけどね。

士郎は一頻り付け心地を確認すると、またすぐに待機状態に戻す。
フェイトなどはどこか名残惜しげだが、別にこの場であの恰好のままい続ける意味もない。
そのことがわかっているだけに、フェイトの方も残念そうなだけで何も言わない。

「さて、ありがとなリニス。文句のつけようがないよ」
「ええ、そう言っていただけると報われます。なにか違和感などありましたら、すぐに言ってくださいよ。
 非の打ちどころのないよう調整してみせますから」
士郎からの感謝の言葉に、私は微笑みながら自負と使命感を込めて答える。
ずさんな調整や整備をするなど、製作者としての矜持が許しません!

そんな私に、士郎は凛と視線を交しながら応じる。
「ああ、頼りにしてる。な?」
「まぁね、しっかり働いてもらうわよ」
そう、あの言葉はなにも士郎のみに対して言ったことではない。
当然、カーディナルもしっかり面倒を見るつもりでいる。

それを言葉にしなくてもわかってもらえることに、小さくない喜びを感じている私がいた。
(私は、幸せですね)
こうして頼りにしてもらえることは、使い魔冥利に尽きるというモノだろう。
この二人に出会えた幸運に、素直に感謝します。

そうして、凛と士郎はそれぞれフェイト達を連れて訓練に戻っていく。
さあ、私も家に戻って夕食の準備をしましょうか。



Interlude

SIDE-フェイト

うぅ、ちょっと名残惜しいけど、いつまでも訓練を中断しているわけにもいかないし、わたしとなのはは大人しく凛と一緒にさっきまで訓練していた場所に戻る。

凛は割と派手な性格をしているように思うんだけど、その実やらせることは恐ろしく地味だ。
なのはは慣れているのか黙々とこなすけど、これをひたすら続けるのは結構大変。
はじめは飽きてしまいそうになるんだけど、続けているうちにどんどん苦しくなる。

両手の間に作った魔力球に常に一定の魔力を注ぎ続けたり、あるいは指定された箇所に即座に魔力を集中させたりする訓練をひたすら続けることが、こんなにも大変だったなんて。
一応魔力制御なんかはリニスから魔法を習い始めた時に教わったけど、わたしの魔力制御は割と感覚的。
というか、大抵の魔導師はかなり感覚的に魔力を運用する。
それをここまで念入りに意識的に行い、なおかつ長時間持続する訓練なんて普通はあまりやらない。

だって、そんなことをしなくても、魔力の運用自体はある程度魔法に慣れてくればなんとなくで出来てしまう。
どこの世界に、一々歩く際に全身の関節の動きを意識する人がいるだろう。これはそういうことだ。
だけど、それを精密に、なおかつ淀みなく高速で行い続けるのはとてつもなく苦しい。
だからこそ、普段どれだけ無駄で不効率な粗い運用をしていたのかを痛感させられる。疲労すればするほどに。

何より驚いたのは、凛自身のこと。
凛はなのは同様わたしよりも魔法歴が短いのに、わたし達と同じことを楽々こなす。
どうも、魔術回路からもたらせられる魔力を扱い続けてきた経験が生きているらしい。
なんとなく、凛の強さの意味を理解できた気がした。
ただ才能があるだけじゃない。陰で地道に積み上げてきた基礎があるからこそ、彼女はこんなにも強いんだ。

凛は言っていた。
「いい? 格下ならともかく、同格以上と戦うなら今までみたいな魔力量任せの戦い方なんて通用しないわよ。
 ま、アンタ達の場合、なまじ量だけはあるからゴリ押しで何とかなる場合がほとんどだけどね」
言わんとすることはわかる。より上手く制御できている方が有利なのは、今更言うまでもない。
でも、最初に言われた時はムッとした。だって、わたしは自分の魔力制御にそれなりに自信があったから。
少なくとも、決して雑な部類ではないと。だけど、今はそれが正しかったのだと理解している。

わたしたちの倍の時間続けても、凛は全く疲れた様子を見せない。
だけど、それに対してわたしたちは、終わった時は息も絶え絶えになっている。
魔力のスタミナ的には余裕なんだけど、続けていくほどに精度が乱れていくことを実感する。
そして、それを何とか直そうとするから疲れてしまう。早い話、余計な力が入ってしまうのだ。
逆に、制御が乱れたまま続けたとしても、今度は魔力の浪費で疲労するのは眼に見えている。
だから、わたし達はまだ魔力量に任せたゴリ押しをしていると言われても仕方ないんだと思う。

そうして戦いを意識したからだろうか?
あの時心の中に芽生えた疑問がまた顔を出す。
シグナムと戦った時、士郎の体に現れた剣の群れ。
あれは、いったい何だったんだろう。

シロウに聞ければいいのだけど、どうしてもその勇気が持てない。
それに、シロウは満足のいくモノじゃなかったけど一応答えてくれた。
だから、たぶん聞いてもアレ以上の答えは返ってこない気もする。

となると、やっぱり……
「ねぇ、凛。ちょっといいかな?」
訓練の間の小休憩。その時を見計らって、思いきって凛に尋ねてみる。
シロウ自身に聞けない以上、その一番身近にいる凛に聞くしかない。
まがりなりにも恋敵である人に聞くのはどうかと思うけど、聞ける人が凛しかいないんだから仕方がない。

「ん? なに?」
「シロウの、事なんだけど……」
それを聞いた瞬間、凛の顔に納得の色が浮かぶ。
頭のいい凛の事だから、もしかするとこれだけでわたしが何を聞こうとしているのか分かったのかもしれない。
シロウ自身が凛にアレを私に見られたことを凛に話していた可能性は高いし、今のわたしはきっと深刻そうな顔をしている。それだけの情報があれば、彼女にならそのくらいの推測はできてしまうように思う。

「忘れなさい……って言っても無駄よね?」
「うん、忘れられたらいいんだけどね。ちょっと……無理そう」
正直、あんなモノを見たら忘れたくても忘れられない。
シロウの事を少しでも知りたいという欲求はもちろんあるけど、それ以上に、聞かれたくないだろうことまで詮索するのは気が進まない。

でも、あれはそういう問題じゃない。
アレが私の見間違いでなければ、シロウの体から剣が生えていたことになる。
もしアレがシロウにとっても制御できないものだったりしたら、もしかすると命に関わる怪我につながるかもしれない。
だって、アレがなくなった後のシロウの体は、見るも無残に引き裂かれていたんだから。
シロウが死ぬ、その想像が怖くて堪らない。だから、それを少しでも晴らしたいんだと思う。

少し思案したような凛だったけど、すぐに結論が出たのか口を開く。
「……まあ、この先またアレをやらないって保証もないし、っていうかアイツならやりかねないし……。
 そういう意味だと、少しは知っててもらった方が都合がいいか……」
「じゃあ!」
「ま、大雑把にね」
そう言って、凛は肩をすくめる。
ついでだからと、少し離れたところで倒れていたなのはを呼ぶ。

なのはにわたしが見たことのを概要を話し、そこで凛が眼鏡をかける。なんで眼鏡?
「フェイトちゃん、気にしない方がいいよ。なんでも“お約束”らしいから」
「そういうモノなの?」
「良くわかんないけど、そういうことにしとこう」
いいのかな? それで。

「ちょっと、聞かないなら別にそれでもいいんだけど、私は話していいわけ?」
「「どうぞ」」
「じゃ、あんまり長話してもしょうがないし、簡潔に行くわよ。
まず確認。士郎の属性は何?」
「え? 剣、だよね?」
凛からの突然の質問に、なのはと眼を見合せながら答える。なのはも首を振って肯定してくれた。

「そう、剣。魔術は術者の属性や適性に沿ったものを習得するのが一般的なんだけど、それはつまり自分の根本に近づくってことでもあるの。
 人間、というか全ての存在は程度の差はあれ根源の渦に繋がってるって説もあるし、そこから辿って行って根源を目指すのは割とよくある試みよ。
 で、その根本に近づけば近づくほど、それが顕著に体に現れるのもある意味当然よね」
つまり、士郎は剣という属性を持っていて、そこに近づいたからああいう体になったってこと?
だけど、それじゃあ……。

「治す方法って……ないの?」
「ないわ。っていうか、治すって発想がそもそも間違い。
 いい? 自身の根本に近づくのは別にそれ自体は何もおかしなことじゃない、いたって普通なの。体に異常があるわけでもないし、何かが変化したわけでもない。リンカーコアと同じよ。元々あったモノが目覚めただけ」
「あ………」
そう言われてしまうと、わたし達には何も言えない。
魔術的なことは門外漢だけど、言わんとすることはなんとなくわかってしまうから。

だけど、そこで凛はものすごく忌々しそうな表情でつぶやく。
「まあ、それを眠らせておくのが普通なんでしょうけどね。
 とはいえ、一度目覚めたモノを眠らせる方法なんてないし、仮にあってもそれは士郎の力を奪うってことよ。
 あのバカがそんなこと受け入れるわけないじゃない」
ああ、そうか。凛だってそのことを考えたことがないわけじゃないんだ。
もしかしたら方法があるのかもしれないけど、シロウがそれを受け入れるはずもない。
それこそ、戦ってでもそれを拒むのがシロウだと思う。

「ま、極力使わないように言ってあるけど、あのバカの事だし、無茶するなって言う方がそもそも無駄なのよね」
「そんな、それじゃ……」
凛の呟きを聞いて、なのはは酷く不安げな声を漏らす。

しかし、自分でも意外だけど、わたしはそのことにそれほど心が震えない。
凛の呟きを聞いていて、何かが心の中にストンと落ちてきた。
それが何なのか初めはわからなかったけど、すぐにそれが何だったのか理解する。

何となくそのことが嬉しくて、ついつい口元がほころぶ。
「………………そっか。じゃあ、簡単だね。
 シロウがそんなのを使わなくてもいいように、わたし達が強くなればいいんだ。
 わたし達が強くなればシロウがそんなのを使うこともないし、シロウが危なくなればわたし達が守ればいい。
 ただ、それができるくらいに強くなればいんだもの」
そう、簡単な、あまりに簡単なこと。
シロウがアレを使うのは止められない。なら、使わなくてもいいようになればいいんだ。
本当に、ただそれだけのこと。

そんなわたしを見て、なのはと凛が呆然とした表情をしている。
へぇ、凛でもそういう顔するんだ。と思っていたら、突然噴き出して笑いを堪え出した。
「……ぷっ! くく、くっくっく……」
「ふん、笑っていられるのも今のうちだよ。すぐに、凛もシロウも追い越すんだから。そうでしょ、なのは」
「え? いやぁ、それはさすがに、ちょっと……」
なんだか自信なさげななのはだけど、その眼には強い決意が見える。強くなる、その意志はなのはだって変わらない。
たぶん、凛を追い越す自分というのが想像できないんからこその弱気なんだろうけど、それはわたしも同じ。
正直、今のわたしにも到底二人を超えた自分というのが想像できない。

でも、やるんだ。
そうすれば、シロウがそんな危ないことをする必要はなくなる、
何より、わたしはシロウと肩を並べられるようになりたい。
そしていつかは、わたしがシロウを助けられるようになりたいんだ。
それが、半年前からずっと抱き続けたわたしの目標。

そう、だからわたしは笑ったんだ。
別に何も変わらない。今までわたしが目指してきたモノが、そのまま予防策になる。
ただ、目標に向かう動機がまた一つ増えただけ。そして、そのことが嬉しかったんだ。
願えば叶うなんてものじゃないけど、やらなければそこには届かない。
なら、やるしかないに決まってる。

嬉しかったのは、その決意を支えて、背中を押してくれる理由が増えたことに心強さを感じたから。
我ながら単純だけど、それでいいんだと思う。

「言うじゃない。でもね、そんな大口は今やってる訓練を鼻歌交じりに出来るようになってから言いなさい。
 それすらできないようじゃ、片腹痛くて私が腹痛になるっての」
「いいよ、凛がびっくりして今度は腰を抜かさせてあげるんだから! ね、なのは」
「にゃははは、そうなったら凛ちゃん大変だ。でも……うん、それわたしも見てみたい!」
「なのは……アンタね……」
さ、そうと決まったらこうしちゃいられない。
すぐにでも再開して、あっという間にできるようになってやるんだから。

Interlude out



深夜。
今私は最後の戸締りや火の元を確認して家の中を歩いている。

そういえば、訓練から返ってきた凛は、理由こそ定かではないが妙に上機嫌だった。
何かいい事でもあったんでしょうかね?
逆に、士郎の方はちょっと様子がおかしい。
それこそ、普段なら食後の家事を私から奪おうと虎視眈々なのに、今日は珍しくすぐに自室に篭ってしまった。
アレでしょうか、明日は雪? コタツはありましたかね?
なんでも、この世界では雪が降ったら猫はコタツで丸くなるのが「鉄の掟」らしいのですが……。ほら、一応私猫ですし(ソースはリンディ提督とエイミィさん)。

念のために様子を窺っておこうと士郎の部屋の前に来ると、明かりがついていることに気付く。
「士郎? 起きてるんですか?」
「ああ、リニスか。ちょっとやっておきたい事があってさ。
 開いてるから、なんだったら入ってきたらどうだ?」
どうも何かの作業中のようですが、やはり気になるので入ってみることにしましょう。

中に入ると、士郎が机に向かっている。勉強……というわけでもなさそうですね。
「何をしているんですか?」
「ああ、ちょっとデバイスに細工をな」
細工? 士郎がする細工となると、やはり魔術的なものでしょうか?

外側から覗き込むように見ると、どうやら彫刻刀の様なもので何かを刻みつけているようですね。
それは、ミッド式ともベルカ式とも違いますが、どう見ても魔法陣。
「これは?」
「ああ、魔力指向制御平面って言うんだ」
耳慣れない言葉だ。でも、その字面からしておおよその意味は想像できる。
つまり、魔力の流れを制御できるモノということでしょう。

「普通は魔術の実験なんかで使うもんなんだけどな、防壁としても使えるからさ。
 こうして実際に刻みつけられる土台があるわけだし、念のためな」
なるほど、だからデバイスの注文の際に「表面は出来るだけ滑らかで、かつ細工はしないように」と言っていたのですね。はじめから、こうすることを考えていたというわけですか。
魔術品の収納スペースにしても、盾の表面ではなく裏側だったのはそういうことだったんですね。

ということは、これがあればどんな魔力による攻撃も無効化できるのでしょうか?
私のそんな疑問に対する答えは……
「いや、さすがにこのサイズじゃ制御できる量にも限界があるからさ。
 たぶん、誘導弾あたりが関の山なんじゃないか?」
「そういうものですか」
まあ、それでも砲撃の威力の一部を削減することくらいはできるそうですが。
しかし、十重二十重に策を用意するとは、つくづく周到な方たちです。

そこで会話は途絶え、私はしばし黙々と作業する士郎の様子を見る。
何か手伝えることでもあればと思いますが、魔術に関しては無知に等しい私に出来ることはありませんね。
それなら、夜食の一つでも用意するとしましょう。
この様子だと、まだまだ時間がかかりそうですし。


そうして、私は一度士郎の部屋を後にし、台所で簡単に夜食と紅茶を用意する。
改めて士郎の部屋を訪れてそれらを置いてから、士郎に促されるまま自室に戻った。
少し申し訳なくはありますが、私がいつまでもウロウロしていては士郎も落ち着かないでしょうしね。

自室に戻り、しばらく士郎の部屋の方の様子を探り、そちらが一段落した様子を見せたことで私も床に着く。
どうか、このような平穏な日々が少しでも長く続くように、と祈りながら。



Interlude

SIDE-ヴィータ

あたり一面、見渡す限り砂漠の世界。
そこであたしは、一人次なる獲物を求めて空を翔けている。

アイリはあんまり体が丈夫じゃないし、そうそう連れて回るわけにもいかない。
だいたい、一日おきに休養と同行を繰り変えてしている。
まったく、なんだってこういて欲しくない時にいて、いて欲しい時にいないんだ、管理局の連中は。
アイリがいる時にサッサとこっちを見つけてくれれば、これ以上アイリを連れ回したりしなくていいのに。
そうすれば、これ以上アイリが辛い思いをすることなんてないんだ!

だから、たったいまこいつが現れたことも、あたしにとっては不機嫌の種にしかならない。
どうして管理局の人間ですらないこいつが出てくるんだよ。この間、思いっきり連中の邪魔してやがったし、少なくともあの連中の仲間じゃねぇのは確かなんだよな。
「てめぇ、この前の……」
「どうやら剣の騎士から聞いているようだな。話が省けて助かる」
進路を阻むように現れたのは、仮面をつけた男。
シグナムがあの白髪頭と戦った時に横槍を入れやがった野郎だ。
確かにこいつのおかげでシグナムは難を逃れたけど、それでもあの勝負に水を差したこいつに対して、いい感情を持てるわけがねぇ。

「何の用だよ。用がねぇんなら失せろ、あたしは忙しいんだ!」
「安心しろ、手間は取らせん。だが、一つ確認する。闇の書は持っているな?」
「答える必要なんてねぇだろ!」
ホントに、何なんだこいつ。この様子からしてやっぱり闇の書が目的みてぇだけど、あれは闇の書に選ばれた主でなきゃ使えねぇ。こいつが何をしたところで、欠片の力も使えやしねぇのに。

「嫌われたものだ。まあいい、持っていないのなら今すぐ呼べ」
「だから! なんであたしがてめぇの命令を聞かなきゃらなねぇんだ!!」
勝手なことばっか言いやがって、人の話聞いてねぇんじゃねぇか?
なんか薄気味悪いし、こんな奴の相手してる場合じゃねぇ。
無視してさっさと獲物を探しに行くか、いっそここでぶっつぶして蒐集してやった方がいいかもな。

そんなあたしの考えを読んだわけじゃねぇだろうけど、こいつはいきなり突拍子もないことを言い出す。
「簡単な理由だ。この場で私から蒐集しろ」
「……な…に?」
こいつ、正気か? いくら闇の書に何かしら用があるからって、そんなことを言い出すなんて普通じゃねぇ。
それに闇の書からの蒐集は言うほど楽なもんじゃない、される側がだけど。
魔導師の命とも言えるリンカーコアを著しく消耗させる以上、半端じゃない負担がかかる。
こいつ、そのことがわかってねぇのか?

「どうした? お前たちは闇の書を完成させなければならないのだろう? ならば、何を躊躇う」
「待て!! てめぇ、自分の言ってる意味がわかってんのか!?」
「無論だ。だが、それがどうした。お前が私を気遣う理由などないはずだが?」
「勘違いすんな! 別にそんなんじゃねぇ!!」
そう、別に気遣ってるとかそんな理由で聞いたわけじゃねぇ。
むしろ、その逆。いきなりこんなことを言い出す、こいつの腹の中が不気味に感じたから聞いたんだ。
だけど、同時に確信した。こいつは、闇の書からリンカーコアを蒐集されることの意味をわかってる。気遣うなんてことを言った以上、そういう目に会うってわかってるって言ったのと同義だ。
だからこそ、こいつに対する不信と警戒が増す。ホント、何なんだこいつ。

色々言いたいことはある、だけどまず聞かなきゃならないことはこれだ。
「………………何を、考えてやがる」
そう、それを聞かないことにはうなずけない。
素直に答えるとは思っちゃいないけど、それでも……。

「答えるつもりはない。何と答えても、意味がないからな」
「どういうこった?」
「わからんか? 仮に完全な善意の申し出だとしても、お前はそれを信じられるのか?
 その逆に、闇の書を利用するためだったとしても、お前達が蒐集を続けなければならないことに変わりはない。
 そら、何と答えたところで、お前がすることに変わりはない」
確かに、こいつの目的が何だったとしても、あたしがしなきゃならないことは一つだ。
それに、こいつの言うとおり善意の申し出だとしても信じられるはずがない。同様に、利用するのが目的でも、一刻も早く闇の書を完成させなきゃならない以上、あたしらに選択肢なんてない。

「闇の書は、真の主以外のシステムへのアクセスを認めない。それをわかってて言ってんだな」
「ああ、闇の書が完成すればそれでいい。アクセスになど興味はない」
どこまで本当なのかわかんねぇけど、こいつの魔力がかなり多いのは確かだ。
なら、蒐集対象としてはこれ以上ない格好の相手。なにせ、自分から蒐集させてくれるんだから。

もしかすると、自分の魔力を闇の書に取り込ませて、そこからアクセスするつもりなのかとも思った。
だけど、この様子だとそれもない。
今までそんな事をした奴はいなかったけど、その程度でアクセスできるほど闇の書は甘くない。
つまり、こいつは本当にアクセスする気がないってことになる。

それだけじゃ目的がわかんないけど、せっかくくれるって言ってんだから貰ってやるさ。
こいつが何を考えていようと、闇の書を自由にできるはずがないんだから。
アレは、あたし達も含めてはやてのモノなんだ。

だけど、あたしの一存で決めてもいいのだろうか?
「ちょっと待て、仲間にも聞く。それくらいは待てるだろ」
「構わん。だが、手早くすませろ、こちらにもそう時間はない」
管理局の連中に見つかりたくねぇとか、そんなところか。
それはこっちも同じだ。蒐集の最中に邪魔されちゃかなわない。

早速思念通話でシグナム達に大まかな事情を説明し、あたしの考えを伝える。
シグナムからの答えは……
『信用できん』
と、まあ予想通りの答えが返ってきた。

『だけどよ……』
『できんが、やるしかないだろう。我々には足踏みをしている時間はない』
やっぱり、そうだよな。それにこいつが何を考えてようと、その思惑ごとぶっつぶせばいい。
こいつが闇の書の力を欲してるんだとしても、あたしらがそれをさせなきゃいいんだ。

結論は出た。なら、やることをやるだけだ。
「いいぜ、やってやるよ。あとになって後悔しても遅ぇぞ」
「ご託は要らん、早くしろ」
へ、そっちがそう言うんなら、もうなにもいわねぇよ。

背にしまっておいた闇の書を取り出し、蒐集を始める。
『Sammlung(蒐集)』
「ぐ、がぁぁぁぁぁああぁぁぁっぁあぁぁ―――――――っ!!!!」
リンカーコアを食われる苦痛から、仮面の男が喉が裂けんばかりの苦悶の声を上げる。
まったく、何度聞いてもこれは慣れねぇ。



蒐集を終えると、案の定男は砂漠に身を横たえる。
ありゃあ、当分起き上ることもできねぇな。

急いでここを去った方がいんだろうが、このまま放置するのもどうかと思う。
ここには物騒な生き物だっているし、ここで野垂れ死にされても寝覚めが悪い。
とはいえ、いつまでもここにいるわけにもいかねぇし、どうすっかな。

適当な岩場まで運んでやったところで、まだ意識があるのか話しかけてきやがった。
普通、アレをやられるとスグに気絶するもんなんだけどな。
まだ意識があるなんて、どういう精神力してやがんだ。
「………行…け。こちらのこ………とは、こちらで…何とかす……る…………」
「……そうかよ」
少しばかり悩んだけど、本人がそう言ってんだからあたしがどうこう言うことじゃねぇか。
なにより仲間でもない、それこそ半分以上敵みたいな奴をそこまで心配してやるのもどうかしてる。

そう結論し、新たな獲物を求めて飛び立つ。
最後に一度だけ振り向き、言葉をかける。
「じゃあな。アンタの目的が何かは知らねぇし、次会った時は敵かもしれねぇ。
でも、今だけは礼を言っておくよ」
こいつの思惑がどこにあるにせよ、これで闇の書の完成に一歩近づいたのは間違いない。
なら、感謝の言葉の一つくらい言っておくのが礼儀だろう。

そのまま振り返ることなく飛び去ろうとするが、その最中、酷く小さい消え入りそうな声が耳に届いた。
「……言うな。礼など…………言わないでくれ………」
その声はどうしようもなく悲しそうで、今にも泣きだしそうだった。


アイツが何を考えてこんなことをしたのかは知らない。
だけど、アイツなりに何か強い決意があってそれをしてるってことだけはわかった。
そのせいか、少しだけ……アイツに対する嫌悪感や憤りが薄くなったのを自覚する。

そんなアイツを見たせいか、ふっと今自分がしていることを鑑みる。
正直、こんなことを続け、はやてを裏切り続けることには罪悪感が募る。
だけど、それではやてを助けられるのなら構わない。そして、これでまた一つそこに近づいた。
そのことだけは、純粋に喜んでいいのだと思う。

Interlude out






あとがき

さて、一応これで一段落を付けて、次からはまた戦闘パートに突入……の予定。
ただ、今度はそんなに長くならないかと。というか、一応予定では一話で終わらせるつもりですし。
ほら、なのはたちの訓練をしてる手前、無印の時みたいな裏方仕事(?)に回ることになるので。

今回の主なテーマはタイトル通り、リニスの海鳴での日々なんですが、美由希の料理下手はちょっと誇張しすぎたかも。モデルは、遠野さん家の沈黙ぐる目メイド翡翠さん。
美由希も料理が苦手らしいので、せっかくですから面白さを追求してみましたとさ。

あとは、最後のヴィータのところで出てきたのが誰なのかはまだ秘密です。
まあ、近々誰なのか分かると思いますし、割とわかりやすいかもしれませんけどね。
蒐集されて変装が解けないのは、単純に他の人に変身魔法をかけてもらっているからです。なんか、変身魔法は他の人にかけてもらうこともできる、みたいな事をコミック版で読みました。
グレアム一派は不評を買いまくっているので、ちょっと好感度を上げておこうと思ったり。
正直、あの人ならこれくらいはしそうに思ってます。ちなみに、この局面でそれをやったのは、まだ闇の書の完成まで幾分時間があるので、やるとしたらここしかないだろうと思ってのことです。だいたい、サウンドステージ01あたりですね。ちょうどつい最近仮面の存在を知られたわけですし、回復にかかる時間を考えてもタイミングとしても頃合いかと。原作を見る限り、ちゃんと蒐集の進行具合を把握してたみたいですしね。
それと、まがりなりにも自分たちに手を貸してくれた相手でなかったら、下手するとこの試みそのものが上手くいかない可能性もあるので、やはり今がちょうどいいと思いました。

最後に士郎のデバイス「フェイカー」についていくつか説明を。ってか、名前シンプル過ぎるなぁ。まあいいか、だって士郎だし。
さて、それはそれとして、フェイカーは五角の盾型の非人格型アームドデバイスで、左腕に装着する仕様です。待機形態は、クロスミラージュやデュランダルみたいなカード型になります。あと、待機形態の表面には士郎の令呪が刻まれていますね。正直、ストームレイダーの様なドッグタグ形態とどちらにするか悩んだのですが、すでに遠坂家伝来の宝石を持っていますので、首からかけるのを増やしても鬱陶しそうなのでやめました。
他にも二つの形態があり、サジタリアスとジェミニがあるのですがこの辺はまだ秘密。と言っても、サジタリアスの方は多分すぐにわかると思いますし、ジェミニも結構簡単かも。ちなみに、形体名はすべて星座からきていて、基本のスクータムは「楯座」です。まあ、十二星座と違って楯座の方は正確な発音がわかっていないので、もしかすると違うかもしれませんから、違った場合にはお教えください。
武装としての特徴は、とにかく頑丈なこと。もう徹底的に防御に重きを置いていて、その分普通のデバイスより幾分重めです。まあその辺は、義手に装着しそのギミックの一つである膂力の強化でカバーしてるんで、特に問題はないんですけどね。その上で、士郎謹製の対魔力能力を付加した干将・莫耶型のアクセサリーを埋め込み、さらに魔力指向制御平面を刻みつけたりして防御性能を上げています。まあ、これだけやっても並みの術者の砲撃の半減が関の山。ディバインバスターなんてくらったらひとたまりもありません。たぶん、並みの誘導弾位なら魔力指向制御平面で無効化はできるんですが、盾という性質上、一度に処理できる数はそう多くないので、同時多角的に攻められるとやっぱり弱かったり。う~ん、魔導師としての士郎の弱点である「幻術以外がほとんど使えない」を補うためのデバイスでもあるんですが、それでもなお結構微妙な性能かも。
ちなみに、知らない人もいるかもしれませんが、「魔力指向制御平面」は「プリズマ☆イリヤ」に出てくる代物で、一応公式設定(?)になるはずです。本編中に出したように、本来は実験などに使う代物なのですが、それを実戦に転用するのは魔術使いらしいかな、と思います。まあ、「プリズマ☆イリヤ」では神代の魔女っ子さんが普通に戦闘に応用してましたけど……。
次にデバイスとしての特徴ですが、これは単純に幻術特化。士郎が使う幻術魔法をサポートすることにのみ特化しています。おかげで、これから先はグラデーション・エアの扱いも少しは楽になり、また確実性も増すでしょう。一応カートリッジシステムを採用していて、これはリボルバー式の六連装となります。これで魔力不足を補うわけですね。
そしてバリアジャケットですが、これはもう単純にアーチャーそのままで。外套だけは前から使っている聖骸布ですが、それ以外はバリアジャケットで再現しただけです。本編中でも出しましたが、もちろん肩から先は剥き出しですよ~。

そういえば、アーチャーの装備一式を「赤原礼装」というらしいですね(某サイトの用語集より)。
やっぱり、あの外套からの命名なんでしょうか? 赤いから。
でもそれだと「赤原猟犬(フルンディング)」はどうなのやら? あっちも赤いと言えば赤いですけど。
それとも、アーチャーは「赤原○○」という一貫性を持たせるのが好きなんでしょうか?



[4610] 第29話「三局の戦い」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2009/12/18 23:24

SIDE-リンディ

ある日の夕暮れ……というか、すでに日は落ちてるわね。
旧友でもあるレティと、モニター越しに世間話をしていると少々気になることを耳にすることになった。
「グレアム提督が?」
「そう。最近忙しかったみたいで、倒れちゃったのよ」
それは、なんとも心配になる話だ。あの人には私もクロノも、それどころか今は亡き夫もかなりお世話になった。
その上、今はフェイトさんの保護観察官まで引き受けてもらってるし、非常に気にかかる。

「容体は?」
「大丈夫よ、そこまで深刻じゃないみたいだから。
 そうね、復帰するのに一週間、本調子になるには二週間ってところらしいわ。
 あの人も相当な仕事人間だし、ここらで一度しっかり休んでもらった方がいいだろう、って言うのが大方の見方ね」
それなら良かった。
とりあえず、こちらの暦で年内、それも今月半ばには元通りになるらしい。
それなら、そこまで心配はいらないわね。

「ま、本人は『寄る年波には敵わない』なんて冗談言ってるし、あれならすぐにでも元気になるわよ」
「あらあら、まだ定年退職には早いのに……」
確かに管理局でももう年配の部類に入る方だけど、それを感じさせない若々しさも持っている人だ。
正直、そんな言葉が似合うような人ではない。あの人なら、もう二十年は現役でいられそうですもの。

とはいえ……
「教えてくれてありがと、近々お見舞いに行くことにするわ」
「ん~、あなただって忙しいんだし、無理していくのはどうかしらね?
 だからグレアム提督も、あなたには連絡が行かないようにしてたわけだし」
それはそうなんだろうけど、やはりいろいろお世話になった方のお見舞いにもいかないのはやっぱりね。
それに、せっかく情報封鎖していたのを漏らしたのはあなたなんだから、そこは連帯責任でしょ。

「そういえば、あなたが目をかけてる子。あの子の方はもう大丈夫なの?」
「? ああ、なのはさんね。今本局で診察を受けてるところよ。
 お医者様の話では、もう完治してる頃合いだから大丈夫だと思うわ」
「そう、よかったわね」
本当に。あの時は結局あんなことになってしまったから申し訳ない限りだったのだけど、それでも長引くことがなかったのは不幸中の幸いね。
それに、バルディッシュとレイジングハートの修理もちょうど終わったし、二人のことはこれで一安心かしら。

と、そこへ緊急事態を告げる警報が鳴り響く。
「これは!?」
「なにか、よくない事態が起こったみたいね。邪魔するのもアレだし、世間話はまた今度ってことで」
「ええ、ごめんなさい」
そう言って、レティからの通信が切れる。
まったく、二人の体勢が整うこのタイミングで事が起るのは、運が良いのか悪いのか。

そして、レティと入れ替わる形で別の通信が入る。
「都市部上空にて、捜索指定の対象二名を補足しました。
 現在は、強装結界内部にて対峙中です」
通信を入れてきたのは、借りられた武装局員一個中隊の中隊長。
優秀ね。少数とはいえ、相手はかなりの強敵。むやみに戦闘に持ち込まずに、そうしてくれたのは助かる。

「相手は強敵よ。交戦は避けて、外部から結界の強化と維持を!
 現地には、執務官を向かわせます!!」
当然、フェイトさんやなのはさんも前線に出ると申し出てくるだろう。
正直、二人にはあまり関わってほしくないのだけど、二人の戦力はその資質だけでも並みの武装局員を凌駕する。
守護騎士を相手にするには、あの二人と同等かそれ以上の力量が必要な以上、申し訳ないけど力を借りるしかない。本人たちも、そのために今日まで訓練をしてきたのだから。

それと、取引は取引だしね。
「エイミィ。念のため、凛さんたちにもこの情報を」
「はい」
場所はこの近辺だから、たぶん二人もすでに気付いている。
異世界ならいざ知らず、自分の足元に彼らがいる以上少なくとも様子を見に来るくらいはするはず。
一応場合によっては手伝ってくれるらしいとは聞いているけど、私にリニスを含めた三人への指揮権はない。
彼らがどう動くか、それは彼らの自由意思に任せるしかない。

まあ、なのはさんは凛さんの弟子で、フェイトさんはリニスの教え子だから、危なくなれば手を貸してくれるはずだ。士郎君にしても、あの子たちの事を気にかけてくれている。
なら、ここは彼らにフェイトさんたちの事を任せても良いだろう。



第29話「三局の戦い」



SIDE-凛

「おお、派手にやってるわねぇ」
私達が到着した時、すでに戦闘は始まっていた。
一応戦闘区域に入るわけだし、すでにデバイスを展開し、バリアジャケットも身に付けている。

守護騎士たちを囲んでいた武装局員の輪が開いたと思ったら、上をとっていたクロノがかなり規模の大きい攻撃をかました。
そのまま武装局員たちは結界の外に退避し、どうも結界の強化に回ったらしい。
クロノが息を切らせるほどの攻撃を受けた守護騎士たちだが、どうやらしっかり守っていたようだ。
多少攻撃は通っていたようだけど、あれじゃあ決定打にはほど遠いわね。

まあ、クロノのあの攻撃にはちょっと驚いたんだけど。
「クロノのアレ、もしかしてアンタを意識したのかしらね?」
「そういうわけではなかろう。
あの方が魔力の密度は高いのだから、単純に効率を考えてああなったのではないか?」
まあね。ただ単純に魔力をぶっ放すより、ああして固めて使った方が効率は良い。
ただし、それをするための時間やらなんやらで、使うまでに隙は多そうだけど。

「そら、彼女らも来たらしい」
「フェイト! なのはさん!」
士郎の言葉を聞き、リニスが声を上げる。
そちらの方を見ると、貯水タンクの上に立つなのはとフェイトの姿があった。
その後ろには、その相棒でもあるユーノとアルフもいる。

この距離だと二人の声は聞こえないけど、二人は自らの愛機を掲げる。
すると、体が浮き上がり各々の魔力光に準じた光に包まれる。

光が消えると、二人は若干以前とは意匠の異なるバリアジャケットに身を包んでいた。
さらに言えば、その手に持つ愛機達も僅かにその形状が変わっている。
(ふ~ん、カートリッジを組み込んで少し変わったってことか……って、服装まで変える意味は?)
その辺はまあ、気分の問題なのかもしれないから気にしたら負けか。

「では、行くか?」
「ま、ここにいてもはじまらないしね」
一応、あの子たちのサポートというか、様子を見るためにここにいるわけだし。
離れたところで観戦するのも良いけど、近い方が都合はいい。
あの子たちの戦闘に手を出す気はないけど、この前みたいに黒いのやら仮面やらが出てくることを考えると、やっぱりその方が確実だろう。私たちの目当てもそっちだし。

「ここなら屋上を飛び跳ねていけば大丈夫だろうし、アンタも一人でいいわよね?」
「無論だ」
「じゃ、私とリニスは先に行ってるから。行くわよ」
「はい」
リニスを促し、私たちは士郎に先行してなのはたちの元へ向かう。
士郎の方も、ビルの屋上を跳躍しながら私たちの後を追う。
いつまでもおんぶにだっこじゃ、カッコがつかないしね。

と、その最中、天空から轟音が響いた。
「あれは?」
「どうやら、フェイトのお目当ても来たみたいね」
まあ、とりあえずこれで役者はそろったのかな。

それはそうと、なのはたちの方は、なにやらあのチビッ子たちと話をしていたようだけど、今の音に話を中断しそちらの方を向いている。あの子たちの事だから、まず話し合いをしようとしたんだろうけど、遠めに見ても上手くいかなかったのは明白。
生憎、私は読唇ができるわけでもないので、話の内容まではわからないけど。ってか士郎じゃあるまいし、この距離で唇の動きなんて見えないっての。

私たちが到着したところで、なのはが宣言する。
「みんな手を出さないでね! わたし、あの子と一対一だから!!」
「マジか?」
「マジだよ」
いつの間にか移動していたクロノの呟きに、ユーノが肯定の意を示す。
で、フェイトやアルフの方もお互いお目当ての相手と一対一のつもりでいる。

さて、じゃあ役割分担といきましょうか。
「クロノ、一つ提案」
「なんだ?」
「リニスがフェイト、ユーノがアルフのサポートに回って、私たちとアンタで闇の書の捜索でもしてましょ。
あの連中は持ってないみたいだし、主かあの黒いのがどっかその辺にいるかもしれないしさ。
仮に今はいなくても、こうして閉じ込めている以上助けに来る可能性だってあると思うんだけど」
「ああ、それは僕も賛成だから構わない」
「え? だけど、なのはは良いの?」
私の提案に、特に異議を申し立てる気はないらしく、クロノは一応同意を示す。
だけど、ユーノはなのはだけ放置することに首をかしげている。

「確か闇の書って、同じ相手からは二度蒐集できないんでしょ? だったら、なのはは一応安全。
 サポートさせるっても、この前みたいな不意打ちをさせないためにだしね」
サポートの目的は、この前のなのはみたく不意をつかれて蒐集されるのを防ぐこと。
だからまあ、すでに蒐集された後のなのはにはサポートをつける意味はさほどない。
もちろん、なのはがもしあのチビを追い詰めれば何かしらの邪魔が入るかもしれないけど、その辺は自分で何とかしてもらおう。それも含めての戦闘なわけだしね。

「わかった」
「ああそれと、黒いのを見つけたらスグに私に教えなさいよ」
「まさか……」
クロノのその呟きを私は満面の笑みで封じる。
そんなの言うまでもない。当然、この前の借りをしっかり返させてもらうに決まってるじゃない。

と、そこへ士郎も遅れて到着した。
「聞いてた?」
「正確には途中までは見ていた、だがな」
まあ、さすがにアレだけ距離がある声を聞きとるのは無理か。
大方、私たちの唇の動きから大まかな話の内容を察しているのだろう。

「そ。じゃあアンタは結界の内側担当。私とクロノで外側ね」
「ああ、それでいい。僕は西、凛は東だ」
「では、散開するとしよう」
そうして私たちは、なのはたちを置いてそれぞれ散る。



Interlude1

SIDE-フェイト

シグナムとの打ち合い。
シロウ達の指示通り、射撃系の魔法で牽制しながらスピードを活かしてのヒットアンドアウェイを繰り返す。

「強いな、テスタロッサ。それに、バルディッシュ」
「あなたと、レヴァンティンも」
ああ、本当にこの人は強い。
スピードでは明らかにわたしに分があるのに、それでもなおこの人の攻撃はわたしを捉えてくる。
シロウ達の言うとおり、こまめに動いていなかったらいくつかいいのを貰っていたかもしれない。

でも、やっぱり今一つ気が乗らない。
「……なんだ、その顔は」
「あ、いえ……その、なんだが卑怯な気がして………」
そう、数日前にシロウが付けた右肩の傷。
それを利用するようにして、わたしはそちらからの攻撃に重点を置いている。

それを狙っていることはシグナムもわかっているらしく、全体的に見ればその反応は鋭い。
でも同時に、肩の傷のせいか動きそのものは鈍くなっている。
この方針が功を奏してるってことでもあるけど、やっぱりあまりいい気分じゃない。

そんなわたしの視線から言っている意味を察したのか、シグナムは右肩にそっと触れる。
「? ああ、この傷のことか。なるほど、大方衛宮の指示と言ったところだろう。全く抜け目ない」
そう語るシグナムの顔に暗いモノはない。それどころか、清々しいモノすらある。

「私が言うことではないのだろうがな、気に病むことはない。それも立派な戦術だ。
 むしろ、この傷を気にして手加減などすれば、私は決してお前を許さんし、二度と好敵手とは認めん」
険しい目で告げられるその言葉は、本当にどこまでもシロウが言っていたことそのままだった。
すごいな。シロウはたったあれだけのやり取りで、ここまでこの人を理解したんだ。

シグナムの体から発せられる気迫に、一瞬呑まれそうになるけどすぐに立て直す。
シロウの言うとおり、ここで手を抜くのは彼女への侮辱でしかない。
何より、わたしは明らかに格下。それなら胸を借りる気持ちで、全身全霊で挑むべきだ。
この人はわたしを好敵手と言ってくれた。なら、その言葉に恥じないよう、この人を失望させないよう持てる力の限りを尽くそう。

やっと、自分の中で気持ちが固まった。これで、迷わずに戦える。
「フェイト・テスタロッサ、行きます!!」
「応!! ヴォルケンリッター、烈火の将シグナムが受けて立つ!!」
互いに改めて名乗り、全力全開で戦うことを宣言する。

カートリッジで魔力の底上げを行い、隙を作らせるための射撃魔法を使う。
「プラズマランサー……ファイア!」
計八つの金色の魔力弾をシグナムめがけて撃ち出す。

「レヴァンティン!!」
シグナムはそれをレヴァンティンに纏わせた炎で弾く。

だけど、それくらいじゃこれは終わらない。
「ターン!」
その言葉と共に、弾かれた魔力弾が反転し再度シグナムに照準をつける。
そして、環状魔法陣で加速され、再びシグナムに襲いかかる。

でも、これだけならさっきまでと同じ。だから、さらにここでもう一手講じる。
《Load Cartridge. Haken Form!》
バルディッシュはわたしの意思をくみ取り、カートリッジをロードすると同時にハーケンフォームに姿を変える。

そして……
「ハーケン・セイバー!!」
思い切り振りかぶって、出力された魔力刃を放つ。それを続けざまに二度。
それらはプラズマランサーを迎撃しようとするシグナムの両サイドから襲いかかる。

それに気付いたシグナムは舌を打つ。
「ちぃ! レヴァンティン!」
《Schlange Form!》
連結刃になったレヴァンティンでそれらを同時に叩き潰すシグナム。
だけど、そのおかげでいったいが爆煙に包まれた。

「はぁぁ!!」
唯一あいていたシグナムの背後に回り、駆け抜けながら鎌を振るう。
もちろん、その斬撃はシグナムの右肩を狙っている。
この人を失望させない方法があるとすれば、それは躊躇うことなく戦うことだから。

「ふっ!」
だけどそれも、シグナムがギリギリのところで体を前に倒す事で寸でのところでかわされる。
僅かにそのピンクの髪を掠め、数本の細い線が宙を舞う。

そういえば、以前シロウが髪は女の命って言ってたっけ。
わたしが乱暴に髪をまとめたら、シロウにそうお説教されたことがある。
「ああ、その、ごめんなさい」
「まったく。肩の傷は気にしないことにしたようだが、今度は妙な事を気にするのだな、お前は」
「でも、髪は女の命らしいので」
呆れたようにそう語るシグナム。とりあえず、文句はわたしにそう教えた人に言ってください。

「外見的にはそうだが、私は女である前に騎士だ。それに、そもそも私を生き物として考えるのは……いや、これは主に対する侮辱になるな、忘れてくれ」
後半部分は言ってる意味がよくわからなかったけど、シグナムの顔には苦笑のようなものが浮かんでいる。
でもそれはどこか温かで、この人が主に対して忠誠以外の何かも抱いているような気がした。

「ま、まあそう言うんでしたらいいですけど……。
 それじゃあ、改めて………いきます!!」
それまでと違う、渾身のスピードに任せての突進。
このまま擦れ違いざまに一閃………できればいいんだけど、そう簡単に行くとは思っていない。

シグナムまであと一メートル余りとなったところで、直角で方向転換!
「くぅ!」
体にかかるGに思わず苦悶の声が漏れる。
さすがに、最高速度に近い状態で急激に向きを変えると負担が並みじゃない。
高速機動はなにも速ければいいわけじゃない。同時に、その状態で自在に動き回れてこそ。
そう言われて、この数日は魔力制御と同時にその訓練もしてきた、これはその成果。

これがうまくいけば……
「むっ! なに!?」
わたしの突然の方向転換にシグナムがいぶかしむ様な声を上げる、だけどもちろんそれだけじゃない。
移動しながら発動させた三発のプラズマランサーが、ちょうどわたしの影から現れる形でシグナムに迫る。

わたし自身を囮兼目晦ましにした攻撃。
それをシグナムは、寸でのところで気付いたにもかかわらず、危なげなく叩き落とす。
だけど、一瞬そっちに気を取られたおかげでわたしへの注意が逸れた。

シグナムの視界から外れたことを利用し、駆け抜けながらシグナムの背後を取る。
《Haken Slash!!》
「はあぁぁぁあ!!」
大上段から振り下ろした、全身全霊の一撃。

だけどそれは、まるでその行動を呼んでいたかのようなシグナムの反応で無に帰す。
「甘い!!」
そう言ってシグナムは振り返ることなく、わたしの攻撃をレヴァンティンで受け止める。
力勝負なっちゃダメ。わたしはウエイトが軽いし、何よりパワーで勝てるはずがない。

だから、こうなったらやることは決まっている。
「プラズマランサー…ファイア!」
密着状態でのプラズマランサー。回避は無理。これなら……!

直撃と同時に吹き上がる爆煙と衝撃。
それに押される形で、再度距離が開く。
「……しまった……」
「悪くない攻撃だった。しかし、手を変えるのが少々遅かったな」
煙の中から出てきたシグナムは無傷。
わたしがプラズマランサーを打つ直前、防御魔法を展開して防がれたんだ。
あと少し、ランサーを打つタイミングを早くできていれば、倒せないまでも一撃入れることはできたのに。

「だが、短期間で驚くべき成長だ。
まったく、素晴らしいの一言だな。これが伸び盛りというやつか?」
「…………それでも、当てられなければ意味がありません」
「ふっ、欲張りな事だ。いや、むしろそうでなくてはな」
以前と違い、それなりに渡りあえるわたしに称賛の言葉をかけてくれる、シグナム。
正直、つい口元がほころびそうになるけど、気を引き締めてムスッとした表情をするよう意識する。
シグナムの言うとおり、欲張りと言われようと、わたしの目標は褒められることじゃなくて勝つことなんだから。

「正直、衛宮と戦えぬことを残念に思う気持ちもあった。奴の投影魔術には興味があったからな。
だが、それはお前に対する侮辱だったようだ。非礼を詫びよう」
「あ、いえ。まだ、シロウの方が私より強いのは本当ですから」
シロウはシグナムを「バトルマニア臭がする」って言ってたけど、なるほど大当たり。
より強い相手と戦いたいというシグナムの在り方が、今の言葉に滲み出ている
だけど、それを一応理解できるわたしって、もしかして同類? その可能性は、ちょっと遠慮したいなぁ。

でも、待って。今シグナムが口にした言葉が頭に引っかかった。
「あの、シロウの魔術の事を知ってるんですか?」
「む? ああ、そういうことになるな。
 我らとて、伊達に年月を経ているわけではない……と言いたいところだが、これはとある筋からの情報だ」
それはつまり、この人たちには魔術に精通した仲間がいるってことなのかな。

「さて、こうして向き合っていても格好がつかんな。そろそろ……行くぞ!」
「はい!」
シグナムの気迫に応じて、わたしも改めて構えを取る。

こんな強い人に勝てるかどうかはわからない。
だけど、できる限りのことをしよう。
戦うと、強くなると決めたんだから。

Interlude1 out



Interlude2

SIDE-なのは

わたしは今あの赤い子、ヴィータちゃんと戦っているわけなのですが……
「高町なぬ…なぬ……………ええい、呼び難い!!!」
「逆ギレェ!?」
自分から名前を聞いておいて、発音しづらいからって怒鳴るのってどうなの!
わたしの名前、そんなに発音しづらいのかなぁ、ちょっとショック。

って、今はそれどころじゃない。
「ラケーテン・ハンマー!!」
「もう、それにはやられないよ!」
《Protection Powered》
あの突起の付いたハンマーで攻撃してきたけど、それをカートリッジを使った防御魔法で難なく防ぐ。
でも、本当に凄い。たった一つ新しいシステムを加えただけなのに、ここまで劇的に防御力が上がるなんて。

もちろんそれだけじゃないのはわかってるけど、やっぱりこの変化には驚きを隠せない。
一応この新しいプロテクションには改良を施してあって、そのおかげもある。
ただまんべんなく魔力巡らせるんじゃなくて、攻撃を受けた箇所に瞬時に集中させることで、防御性能の向上もはかっている。おかげで、使う魔力はカートリッジを差し引いてもそう多くない。
つまり、魔力の消耗を減らし、同時に防御力の向上を両立させた術式ということ。

もともとは凛ちゃんが考案・開発し、それをわたしも使わせてもらった。
それまでも存在は知っていたけど、わたしの魔力制御技術じゃほとんど扱えなかったから使わなかった術。
わたしはどちらかというと、制御とかより新しいモノや威力の向上に力を入れてきたから。
でも、この数日はひたすら魔力制御の訓練にあてた甲斐もあって、ほんの少しだけど扱えるようになった。
あの今までにも増して地味な特訓は、確かに成果を上げていることを実感する。

そうして、改めて変化に驚いていると……
《Master》
「あ! ごめん、レイジングハート。
 行くよ、ディバイン…バスター!!」
プロテクションを破れずにいるヴィータちゃんに向け、至近距離でのディバイン・バスターを放つ。

寸前でそれに気付き、ヴィータちゃんは回避する。
やっぱり、そう簡単には当たってくれないか。

今までのような攻撃じゃ、こっちの守りを突破できないと判断したのか、ヴィータちゃんの目つきが変わる。
「ったく、あれからほんの数日だぞ。それでこんだけ変わるなんて……化け物か、お前!」
「ちょ、それ酷くない!!?」
いくらなんでも、言うに事欠いて化け物はないでしょ!
確かに戦いの先生は「あくま」だけど、だからってわたしまでそんなこと言われるのは心外だよ。

「むぅ、こうなったらお話を聞かせてもらうついでに、その言葉も撤回してもらうんだから!!」
(勝てても、逆にその評価を確定させるだけな気もしますが……)
「え? 何か言った? レイジングハート」
《Don’t worry》
レイジングハートが何か言った気もするけど、今はそれどころじゃないし、別にいいか。

「レイジングハート、カートリッジ・ロード!」
《Load Cartridge》
カートリッジを二発ロードし、複数の弾じゃない、一際巨大な一発の魔力弾を形成する。
砲撃ではない、威力重視の誘導弾。少なくともそう見える攻撃。

それを見たヴィータちゃんは、こっちの期待通りの驚きの声を上げる。
「デカッ!?」
「いっけぇ―――!!」
その誘導弾の常識を無視した大きさの魔力の塊を、小細工抜きで一直線に飛ばす。

一度は驚いたみたいだけど、ヴィータちゃんはすぐに冷静になって鼻を鳴らす。
「はん、量より質かよ! そんな見え見えの攻撃、当たるほどノロマじゃねぇ!!」
回避するのではなく、それを見てもなおまっすぐ向かってくる。
うん、多分そういう人だと思ったからこれを使ったんだよ。

魔力弾に接近し、そのハンマーでたたきつぶそうとするヴィータちゃん。
でもね、そう簡単にはいかないよ。
「レイジングハート!」
《Divide》
レイジングハートが僅かに発光する。
そこで、今まさに魔力弾に向けてハンマーを振るヴィータちゃんの目の前で、魔力弾が――――――――割れる。

「なに!?」
ヴィータちゃんの一撃は見事に空振りし、勢い余って体勢が崩れた。

そこ目掛けて、割れてバラバラに散った誘導弾を一気にヴィータちゃんに殺到させる。
「えへへ、その逆。質より量だよ。ヴィータちゃん、そう簡単には当たってくれないもん」
普通に大きいのを当てようとしても無理だし、こういうのもありだよね。
たしかに小細工抜きで飛ばしたけど、弾そのものに細工をしてないなんて誰も言ってないもん。

まあ、アレって派手だけど威力はそれほどじゃないんだよね。
ああいうことができるようにしたは良いけど、一発一発の威力が落ちちゃったから。

煙がはれると、案の定これと言ったダメージはなさそう。
「……ブハ! ゲホッゲホ! や、やりやがったなぁ!!」
まあ、煙で少しむせてるみたいだけどね。

そんなヴィータちゃんに、努めて余裕たっぷりに振る舞いながら話しかける。
「さっきも言ったけど、先に襲いかかってきたのはそっちだよ♪
 文句は受け付けませ~ん」
う~ん、我ながらこういう言い方ってなんかヤだなぁ。
凛ちゃんたちからは「あのチビは結構単純そうだから、挑発とかすると効果的っぽいわよ。まあ、やり過ぎない程度に引っ掻き回してあげなさい」って言われたけど、やっぱり慣れないなぁ、こういうの。
士郎君もそうだけど、どうして凛ちゃんはああいう言葉がホイホイ出てくるんだろう。

「こ・の・野・郎~~!!
 今度という今度は頭にきた! アイゼンの頑固な汚れにしてやるから、覚悟しやがれ!!」
えっと、この前の時も結構怒ってたように見えたのですが……その時のことはスルーですか? そうですか。
……まあ、別にいいけど。

「いくよ、レイジングハート!」
《All right, my master》
半年間共に過ごしたパートナーは、詳しいことを言わずともその意味を察してくれる。
カートリッジがロードされ、十八の誘導弾が散開する。

だけど、今度のはさっきみたいに忙しなく動きはせず、それぞれある程度移動したところで滞空する。
「なんだ?」
ヴィータちゃんはその意味が分からないのかいぶかしんでいるけど、まだまだこれだけじゃ終わらないよ。

そのまま再度カートリッジをロードする。
「アクセル・シューター、シュート!!」
打ち出された誘導弾はヴィータちゃんを囲むようにして迫る。

もちろん、それを簡単に受けてくれるような相手じゃない。
だからこそ、さっきの誘導弾が意味を為す。
「いっけぇ―――!!」
《Go!》
ヴィータちゃんがかわした先、そこにある誘導弾が動きヴィータちゃんめがけて動き出す。

「なに!?」
それを寸でのところで回避するけど、今度はその隙をついてシューターが襲いかかる。

シューターはシールドに阻まれ、ヴィータちゃんには届かない。
でも、まだ落とされていないシューターはたくさんある。
それらを操作し、さまざまな方向からぶつけていく。
だけど、その尽くを時に避け、時に迎撃して対処される。
やっぱりそう簡単には当たらせてくれない。

いくつかのシューターを落としたところで、ヴィータちゃんが反撃に移った。
同時に、それに反応して滞空していた魔力弾が襲いかかる。
「ちぃ、邪魔だぁ!!」
その一声と共に鉄槌を振い、迫る魔力弾の全てを叩き落とされる。

勢いをそのままに、ヴィータちゃんはカートリッジ使った一撃を振りかぶる。
「グラーフアイゼン!!」
《Los!!》
「ぜぇええぇああぁぁあぁ―――――っ!!!」
「きゃあ!?」
以前のようにシールドごと叩きつぶされることはなかったけど、それでもその威力は凄まじい。
シールドにヒビが入り、わたしはかなりの距離は弾き飛ばされる。

「ちっ、防ぎ切りやがったか。
 それにしても、器用な奴だ。飛行魔法に防御魔法、その上攻撃魔法の二重起動かよ」
「……ケホケホ。う~ん、実を言うとちょっと違うんだけど、そういうことにしておいて」
「あ?」
わたしの言葉に、ヴィータちゃんは眉をしかめる。まあ、普通はわからないか。
でも、別に二重起動なんて大したものじゃないんだよねぇ。

っていうか、さすがに普通の攻撃魔法の二重起動なんてできないよ、わたし。
特に射撃系の場合、制御や誘導が大変だからなおさら難しい。わたしがしたのは、単なる「条件付け」。
一定条件を満たしたら動くように設定してるだけで、ほとんど攻撃じゃなくて罠の領分。
ヴィータちゃんがその条件を満たしてくれることを期待して、その辺に落とし穴を用意してるようなものだし。
おかげで融通は利かないけど、その分使うだけならかなり簡単。
ちなみに、その条件は「わたし以外の魔力の持ち主が近付いたらその人に向かって飛んでいく」っていうシンプルなモノ。追尾機能なんてほとんどないし、タネさえ分かれば結構簡単に対処できる。

でも……うん。わたし、ちゃんと戦えてる。
正直、カートリッジシステムが追加されて、これまでの訓練があったからってここまで戦えるかは不安だった。
やっぱり、凛ちゃんたちは凄いな。

せっかく鍛えてもらったんだもの。その期待に、しっかり応えるのが弟子の務めだよね。

Interlude2 out



Interlude3

SIDE-アルフ

「でぇえりゃぁぁああぁあ!!!」
「おぉおおおぉぉぉ!!!」
あたしと向こうの使い魔。お互いに小細工抜きで拳をぶつけあう。
互いの手甲が衝突し、激しい衝撃と火花が宙を舞う。

一瞬は拮抗したかに見えた互いの攻撃。だけど、最終的にはあたしが競り負けたたらを踏む。
(ちっ、やっぱり攻撃力じゃ分が悪いか)
そもそもウエイトでは向こうが上だし、ランクにしても向こうは推定AA相当。
引き換えこっちは、AAAクラスの魔導師であるフェイトの使い魔とはいえ、さすがに主のワンランク下なんてスペックはない。
使い魔持ちが少ない理由って、一応使い魔自身のランクが主よりかなり劣るからってものあるんだよね。
まあ、主より能力の高い使い魔ってのも矛盾してるから、当たり前なんだけど。

まあ、いいさ。そんなことはこっちも想定の範囲内。
基本性能じゃかなわない。そんなことはわかりきっている。
あたしがこいつに勝てるとしたら、フェイト譲りのスピードだけ。なら、それを活かす戦法をとればいいんだ。
まだ士郎から教わっているあれは形にさえなってないけど、あたしだって少しくらいは小細工を覚えたんだ。

真正面から対峙するあたし達。
だけど、そこで突然構えを解き肩の力を抜くあたしに、奴は不審そうな声を漏らす。
「む?」
敵を前にして構えを解くなんて無防備だと思うけどさ、これはしょうがない。
今のあたしじゃ、こうして一回リラックスしないとこれから使うやつは上手く出来ないんだから。

無造作に立つあたしに対して、何かあると判断したアイツは無闇に飛び込んできたりはしない。
全くもってその通りなんだけどさ、かかってきてくれた方がこっちは都合がいいのに。
「来ないのかい?」
不敵に笑いながらステップ踏む。来ないのなら、こういう手を使わせてもらうよ。
とはいえすぐには飛びかからない。まだ今はその時じゃない、時が来るまでこうしてステップを踏み続ける。

向こうは相変わらず警戒して様子を見ているけど、その瞬間はそう時をおかずに――――――――――来た!
「なに!?」
「もらい!!」
一瞬のうちに距離を詰め、側面に回り込んで拳を振るう。

「ぐぅ!」
「……やるじゃんか」
ちぇ、やっぱりそう上手くはいかないな。
直感か、それとも瞬時にあたしの狙いを看破したのか、とにかく奴はあたしの拳をその手甲で受け止めた。
完全に不意を突いたと思ったんだけどな。

別に、今のはそう特別な事をしたわけじゃない。
士郎と訓練してるあの動きはまだまだ使えたもんじゃないし、だからと言って何かしらの技を使ったわけでもない。
やったことは単純極まりない。単純すぎるけど、これってタイミングが難しんだよ。

「貴様、まばたきの瞬間を狙ったな」
「正解。一発くらいもらってくれてもいいだろうに、ケチだねアンタ」
つまりはそういうこと。ステップを踏んでいたのはタイミングを計るのと、その時が来た時にすぐに思い切り走りだせるようにするため。

士郎からはあの動き以外にも、独特の歩法? も教わっている。
なんでも、あの動きは士郎自身も使えないから完全な再現はまず無理。だから、いっそのことあたしにあった形に変形させちゃっても構わない、みたいなことを言っていた。
その一環として、既存の別の技術を取り入れてオリジナルに近いものに仕上げようという試みもしている。
だけど、そんな中の技の一つにしても、いくらなんでも数日でそれがモノになるわけじゃない。
今のあたしじゃ、そのほとんどがたどたどしく行うのがやっと。
まだ簡単な方のいくつかはできるようになったけど、向こうから来て貰わないとやっぱり使いづらい。
少なくとも、普通に向こうに近寄ってからそれらを使うのはまだ無理。

となってくると、こうして即席で出来るのは自分じゃなくて相手の動作を利用した技になる。
幸い、これくらいならタイミングさえ計れればあたしでもできるしね。
使い魔だからって一応生命体であることには変わらないし、眼がある以上はまばたきもする。
まばたきの瞬間は眼を閉じるんだから、気付かれずに接近するのには格好の瞬間だ。
だってのに、どうしてこいつはそれに反応できるんだよ。

とはいえ、こいつに対策なんてありゃしない。
まばたきを我慢はできても、そのままに一時間も過ごせるわけがないんだからね。
「正直、こんな小細工は趣味じゃないんだけどさ。
 でも、負けるのはもっとイヤなんでね。勝てるようになるまでは、こういうのを使わせてもらうよ」
「いや、なかなかに面白い芸だった。単純ではあるが、そう簡単にできることではない。
 しかし、こうすればどうだ?」
そう言って、奴は一気に飛びかかってくる。
なるほどね。確かにそれじゃあの技は使えない。
あたしには向こうが待ちの姿勢の時じゃないと使えないし、それは大正解さ。

だけどね、それこそ思う壺なんだよ。
接近してくるあいつに対して、あたしは向こうが間合いに入るのを待つ。
そして、互いの間合いに入った瞬間、野郎はそのぶっとい腕で殴りかかってくる。

それを、拳が触れる寸前を狙い士郎に習った足捌きでかわし、同時に野郎の側面に回り込む。
ギリギリまで粘った上で回りこんだことで一瞬見失い、奴の動きが鈍った。
そして、その隙を渾身の力を込めた拳を叩きこむ。

パンッ!!

「今度は死角を取りに来たか、つくづく見られるのが嫌いらしいな」
死角に回り込んだ上で打ちこんだ一撃は、突いたのとは逆の手で難なく防がれた。
士郎の言うとおり、向こうの経験はこっちの比じゃない。これだけやってもなお当たらないのかい。

だけど、こっちだってそれでいいとは思ってないよ!
「別に、そういうわけじゃないんだけど…ね!!」
右拳は向こうに握られている。それならと、渾身の力を込めて奴の頭に向けて蹴りを放つ。

「ヌルイ!」
それすらもさっき突き出した拳を引き戻して防がれる。

だけど、まだまだ!
右拳と左足は取られた。でも、あたしにはまだ片手と片足が残ってんだよ。
「ぐぉ!?」
その両方を使い、左拳で顎を、右膝で腹を蹴る。

「言っただろ? 別に隠れるのが好きなわけじゃないってね。
 元から、こっちの方が好みなのさ!」
急所にいいのを入れられてふらつくアイツに向けて、そう言ってやる。

生憎と、捕られるのだって想定済みさ。
士郎からは、多少体勢が悪くても殴ったり蹴ったりできるようにする訓練もつけられてんだ。
あのスパルタを通り越した、イジメじみたシゴキなめんじゃないよ。

しかし、かなりいいのを入れたはずなのに、アイツの手はあたしの手足を離さない。
「なるほど、確かにそのようだ。いい一撃だった。ならば、今度はこちらだ!!」
あたしの手足を持ったまま、奴は思い切り振りかぶりあたしを近くのビルに叩きつける。

「どうやら、少なからず驕りがあったようだ。
 それを正してくれたことには礼を言う。ここからはお前を獲物とは見ぬ。お前は……敵だ!」
「はっ、上等!」
威勢よく言い返すけど、今のは結構効いた。
全くあの馬鹿力。せっかくの新しい服がいきなり汚れちまったじゃないか。
こっちこそ、この礼はしっかり返してやるよ。

そうして、そこからは基本小細工抜きでの殴り合いに戻る。
「はぁああぁあぁぁぁぁ!!」
「おおおおぉぉぉおおぉ!!」
ああ、士郎には悪いけど、やっぱりこっちの方がしっくりくる。
確かに力負けしちまうし、こっちの方が不利なのはわかってるさ。
だけど、このほうがあたしらしい。

もちろんあの訓練を軽んじるわけじゃない。
要所で、いまのあたしに出来る範囲で教わったことを活かす。
今持てる全てを使わなきゃ、こいつには勝てない。
なら、なんだって使ってやるさ!

Interlude3 out



SIDE-士郎

いつぞや使った鉄製の小鳥型使い魔と自身の目を利用し、結界内部で怪しい人影がないかを捜索する。
一ヶ所に留まっていても仕方がないので、今は動き回りながらの並行作業だ。

と、そこへ……
『見つけた!! あの黒服だ!』
クロノからの念話が入る。場所は、どうやらここからそう離れていないらしい。
幸い、今は比較的結界の端に近いところにいたおかげだな。
ただし、凛が到着するには少しかかるだろうが。なにせ反対側だ。

『逃げられても面倒だ。先に確保する。君たちも急いで来てくれ』
クロノの判断は少々拙速過ぎる気もしないではないが、決して間違ったものではない。
まずは闇の書の確保。という意味でなら、その判断は正しい。

俺の方でも使い魔との繋がりを断ち、大急ぎでそちらに向かう。
その最中、クロノから異変を告げる念話が届く。
『な、なんだ、これは!?』
『!? クロノ、どうしたの!』
凛がクロノからの念話に反応し詳細を求める。
生憎、相変らず念話の下手な俺では、この状態でクロノに念話を送ることはできない。
ならば、足を止めることなく少しでも早くそこに向かわないと。

『わ、わからない。なにかが………』
と、そこで念話が切れた。
クロノがやられたのか、あるいは何かしら念話を妨害する何かを使われたのか。
どちらにせよ、クロノの身に何かがあったのは間違いない。送信はともかく、受信にかけては人並み以上に敏感な俺ですら拾えなくなったということは、つまりそういうことを意味する。

クロノと話せなくなった以上、あと相談できる相手は一人しかいない。
幸い、凛相手なら姿が見えなくても念話はできる。
『凛、どう思う?』
『真っ先に思いつくのは、やっぱり主が出てきた可能性かしらね。あとは、あの仮面か』
その点に関しては同意見だ。
ただ、主の安全を考えるのなら、闇の書の完成までは現場に出張る可能性は低そうに思うのだが。
やはり、一番ありそうなのはあの仮面の男か。

『まあいい、ここで何を言っても始まらん。先行する』
『あんまり無理すんじゃないわよ。なんなら遠距離攻撃でやってもいいし、とにかくクロノの状態確認を優先。
 私もすぐに追いつくから』
その言葉を聞きながら、結界の境界を越える。

凛の言うとおり、情報が少ない状況で無闇に飛び込むわけにはいかない。
それに、遠距離攻撃は苦手じゃない。ならば、凛が来るまではそれを念頭に置くべきだろう。
「フェイカー、フォルム・サジタリアス」
そう声をかけると、左腕に装着された盾が形を変えていく。
みるみるウチにその姿を変え、同時に腕の先にスライドしていつの間にか現れた握りを左手で握る。

そうして出来上がったのは無骨な弓。
サジタリアスとは十二星座の「射手座」。すなわち弓と縁のある星座でもある。
その名が示すとおり、このモードは遠距離攻撃用の弓となる形態だ。
以前は一々弓も投影しなければならなかったが、これだけでも魔力の節約になって大助かり。
いや、デバイス様々だ。

矢を投影し、いつでも射れる準備を整えながらクロノを探す。
「…………あれか! え?」
クロノを見つけるのにそう苦労はしなかった。
だいたいの位置は念話が切れる前に聞いていたし、とにかくまずそこを探したのですぐに見つけることができた。

だから、驚いたのは別の事。
目に映る光景に俺は思わず足どころか、呼吸さえも止まる。
『士郎? ちょっと、どうしたのよ!』
凛からの念話が来ている。だけど、今の俺にそれに構う余裕はない。

銀色の髪。ここから見える範囲で分かる特徴はそれだけだ。
その人物の足元に、銀色の針金のようなもので拘束されたクロノがいる。
顔は見えない。ここから見えるのは後姿だけだ。それだけにもかかわらず、俺にはその姿がある人物に被る。

だって、あそこにいるのは………
「………………イリヤ…スフィール?」
十年前、救うことはおろか、ロクに言葉すらかわせなかった雪の少女。
たった一人の家族を奪い、孤独の十年を過ごさせてしまったであろう姉。
あの人物の後ろ姿は、否応なく俺の中からその人の記憶を引きずりだす。

顔すら見ていないのに、俺にはそれが彼女であるという確信じみた思いが芽生えていた。






あとがき

はい、そんなわけでアイリとの初遭遇になりました。
と言っても、まだ遠くから確認しただけなんですけどね。
本格的に対面するのは次回かな?
それ以外だと、ちょっとアルフの戦闘がどうかと思わないでもないのですが、描写した時以外は本人の好み一直線の戦いが繰り広げられているので、その辺はご容赦ください。
フェイトやなのはの方は、それなりに各々の長所を活かした戦いになっているはず……と思いたい昨今。

というか、この前「今回は一話完結でいく」と宣言していたにもかかわらず、思いっきり裏切ってしまいました。
いやもう、ホント申し訳ございません。
一応自分の中の基準で、一話あたりの文章量に上限と下限を定める事にしまして、今回は上限オーバーしたのでキリのいいところで一度区切り、二話扱いにしました。
まあ、キリのいいところを見つけられなかった場合、多少オーバーしてもそれで通してしまうわけですが。
一応、今回がなのはたちの話だったので、次回は士郎達の話になる予定です。
次回こそはちゃんと終わらせますので、そこは大丈夫です。



[4610] 第30話「緋と銀」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2010/06/19 01:32
SIDE-士郎

遠目に見た見覚えのある銀の髪は夜風に揺られ、あの城での最後の姿を幻視させた。

あの時の事は、今でも鮮明に覚えている。
破壊の化身の如き黒き巨人と、黄金の暴君によって蹂躙されたアインツベルンの城。
底なしの宝具は狂気の守護者を蹂躙し、その鋼の五体を吹き飛ばす。
それらの全てが即死確実の攻撃だったが、その都度蘇り歩みが止まることはなかった。
だが、その進軍も神を律する鎖によって阻まれ、遂には無数の宝具に貫かれ、沈黙した。

しかし、事はそれだけでは終わらなかった。
光を奪われ、肺を貫かれ、無残にも「心臓を引きずり出される」という残酷な最期を迎えた狂戦士の白き主。
俺が愚かで、無知で、無力であったがために救うこと叶わなかった、雪の様に儚い少女。

彼女の名を「イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」。衛宮切嗣の本当の子ども。
母を失い、俺に父を奪われ、おそらくは孤独の十年を過ごしたであろう女の子。

俺が、俺が守らなければならなかった。俺が救わなければならなかった。
――――――――――――――――――死ぬのなら、俺の方でなければならなかったのだ。
二十年前、本来なら死んでいたはずの俺が生き長らえたのに。
何故十年前、彼女が死ななければならなかったのか……その慟哭は、十年を経てなお俺の中で燻り続けている。

だから、ありえない。そんなことがあるはずがない。
彼女はもう死んだ。それはこの眼が、この腕が知っている。
冷たくなった躯を抱え、埋葬したのをこの腕が覚えている。
その口から、胸から、眼から滴る血の紅を、この眼が覚えている。
いったい何度、アレが幻で、夢であって欲しいと願ったか分からない。

だが、そんな都合の良い終わりなどありはしない。
それを、他ならぬ俺自身が誰よりもよく知っている。

では、あそこにいるのは誰なのか。
顔だって見ていない。背格好も違う。符合する箇所など、その長い銀髪だけなのに。
にもかかわらず、俺にはその背中が、あの城で最後に見た時と重なって見えたのだ。

そう、遂にわかりあうことも、それどころか言葉さえもロクにかわせなかった「姉」の姿に。
「………………イリヤ…スフィール?」
思わず、俺の口からはその名が零れた。

俺の呟きは念話にものっていたのか、凛が怒鳴る。
『は? ちょっと士郎、あんた何言ってんの! こら、士郎!!』
だけど、その声は耳には届いても心には届かない。
まるでフィルターでも掛けたように、凛の声はどこか遠く聞こえた。



第30話「緋と銀」



「っ!?」
凛の声さえ届かない自失の中、背筋に走る悪寒に体が反応する。

クロノを助けることも忘れただ呆然としていたが、染みついた動作が体を勝手に動かす。
反射的に右腕を折りたたみ、後ろを振り向き衝撃に備えた。
「ぐ!!」
すると、それに刹那遅れて憶えのある衝撃が伝わる。

そこにいたのは……
「隙だらけかと思ったのだが、存外に鋭いな」
いつぞや、シグナムとの戦いで不意打ちをしてくれた仮面の男が蹴りの姿勢で立っていた。
どうやら、今の衝撃はこいつの蹴りによるものらしい。つくづく、人の不意を突くのが好きな奴だ。

(……俺は、今何をしていた?)
状況もわきまえず、過去の記憶に心奪われこんな醜態をさらすとは。なんて無様。

そうだ、気持ちを切り替えろ。あれは他人の空似だ。あれがイリヤスフィールのはずがない。
今優先すべきは目の前のこいつと、後ろで囚われているクロノの救出。
そして、闇の書の確保だ。この場にいることからしてあの銀髪の人物も闇の書の関係者。
場合によっては、あれが主かもしれない。

「フェイカー、フォルム・スクータム!」
フェイカーを基本形態であるスクータム(盾)に戻し、目の前の男との戦闘に意識を傾ける。
先ほどまで頭を占領していた思考を排除し、追憶を心の奥底に押し込む。

この男をどうにかせずにクロノの救出はない。
背を見せれば、またさっきのようにその隙を突かれる。
そんな状態でクロノを助けられると思うほど楽観的じゃない。

そう心を決め、出し惜しみすることなく新たな力を振るう。
「『投影(トレース)、開始(オン)!』
フェイカー、カートリッジ・ロード! グラデーション・エア!!」
呪文を唱え、無銘の魔剣を投影すると同時に、俺の足元に赤銅色の魔法陣が展開され周囲に剣の幻が生じる。
その数、双方合わせて十五。

投影と幻術の併用。シグナムの時にも使った戦法を、今度はカートリッジの力を借りて拡大して行う。
実体と幻が入り乱れ、それらが半包囲陣形をとって奴を囲む。
弾こうとして幻であれば体勢を崩し、幻と思って無視したのが実体ならばただでは済まない。
最も有効な対処は回避だが、この配置を回避しきるのは難しい。

「この前の借りを返させてもらおう。いけ!!」
号令一下、十五の剣弾が奴を襲う。
同時に、俺自身も干将・莫耶を投影し準備を整える。

前回の戦闘で俺が幻術を使ったのは見ていたのか、無理に叩き落とそうとはせずに回避に徹する仮面の男。
ギリギリのところで剣を回避し、中には服を切り裂くモノもあるがその身には届かない。
ああ、狙い通り。

そして、奴は見事全てを回避しきって見せた。
「そら、景品だ。受け取れ!!」
「!?」
奴が回避しきったその先、ちょうど全ての剣弾を潜り抜けたそこで俺は待ちかまえていた。
回避は容易ではないが、実を言うと意図的に回避できる道順を用意しておいたのだ。
言うなれば、奴はそこに誘導されたことになる。俺からすれば、そこに至るのはまさに想定通り。

物事に完全はない以上、逃げ場を封じたつもりでも回避されることはある。
ならばいっそ、その先に誘導した方が確実だ。
極限状態になれば、人間はより安全そうな方に向かう。
意図して作られた道は、その意味で言えばさぞかし魅力的に映っただろう。
もちろん、あからさまになり過ぎないように気は使ったのだから、こうなってくれなくては困る。

そうして、手に持った双剣を振り下ろす。
「ぐぅ!?」
奴は寸前でシールドを展開したが、粗雑なそれは難なく双剣に切り裂かれる。
そのまま奴の右腕を斬り、浅くない傷を刻みこんだ。

一端空に避難し、間合いを開けた奴は俺の手元を見て驚愕の声を上げる。
「……なんだ、それは」
それも当然。なにせ、俺の手には何も握られていないのだから。

いや、正確には“何も握られていないように見える”だ。
「ふむ、見てわからんかね? このとおり素手だが?」
「戯けたことを……幻術、それも透過か」
そのとおり、これは幻術で光の屈折を操作し不可視にする魔法。
名を「インビジブル・エア」。かつて共に在った騎士の持つ剣、その鞘代わりを務めていたそれに倣ったものだ。
アレと違い別に風を纏っているわけではないので、遠隔攻撃やら何やらはできない。
だが、見えないという一点だけでも有用な魔法だ。特に、俺には。

まあ、発動してることは丸わかりなんだがな。
なにせ、発動してる間中ずっと環状魔法陣が腕に出てるし。
その上、フェイカーの補助があり、なおかつカートリッジを使わないとロクに使えない代物でもある。
はぁ、有用ではあるんだが、つくづく使い勝手と燃費が悪い。

「その手にあるのは、あの時の双剣か?」
「さあどうかな? 戦斧かも知れぬし、槍剣かも知れぬ。いや、もしや弓かも知れんぞ」
奴の問いをかつてのセイバーのようにはぐらかす。

見えない武器。ただでさえ間合いがつかめず、その上戦い方までわからないそれを相手にするのは困難を極める。
剣と槍では、その使い方からして違うのだから、武器の種別さえ分からないのはとてつもなく厄介だ。
だが、それでも戦っていればある程度武器の種類や大雑把な間合いくらいは読める。
正確に看破するのは難しいが、それでも経験豊富な者であればそれくらいは可能だ。
しかし、こと俺に至ってはその限りではない。なにせ、俺は武器を自在に換装できる。それはつまり、一瞬後には全く別の武器を握っているかもしれないことを意味する。

武器の不可視化と武装の瞬間換装、これほど厄介な組み合わせもそうない。
戦闘能力が上がるわけではないが、それでも戦い難いことだけは間違いない。
まあ、これで剣弾の不可視化もできれば言うことなしなのだが。
残念ながら、俺ではそこまでできない。できるとしたら、こうして握っている対象を不可視化するので精一杯。
それが、この魔法を使う上での条件になっている。

「さあ、いつぞやの借りは返した。
 と言いたいところだが、相棒がスパルタでね。受けた借りは倍にして返さなければ後が怖い。
 悪いが、ここで仕留めさせてもらうぞ」
なのはに自分の借りは自分で返させるように、俺にも「やるからにはあの時の借り、のし付けて倍返しにしろ」と徹底してやがるからな。ここで逃せば、あとで何を言われるやら。

奴はこちらの見えない武器に動揺している。
故に、現状精神的にはこちらが優位だ。
クロノのことも気になるが、そろそろ凛がこちらに来る。
なら、そっちは任せて大丈夫だろう。

この場で俺がすべきことは、凛の邪魔をさせないことだ。
「さて、そろそろその仮面の下の素顔を拝ませてもらおう!」
そう宣言し、不可視の双剣を手に一気に間合いを詰める。

「ちぃ!」
そう舌打ちし、奴は自身の周囲に四つの魔力球を展開し、射出する。

その形成速度、弾速は決して遅くはない。
だが、同時にそれほど脅威を覚えるほどのものでもない。
隠形やいつぞやの蹴りの威力を考えると、そのレベルは数段下がる。
接近戦には長けるが、そちらと比べればこの手の魔法は不得手なのだろう。

叩き落とすのも手だが、奴の接近戦能力を考えると隙を見せるのは不味いか。
俺は身をかがめ、左腕の盾の影に体を隠すようにして突っ込む。
「なに!?」
仮面の男が驚きの声を上げる。

無理もない。まさかこんな強硬手段に訴えるとは思っていなかったのだろう。
普通であればただでは済まないだろうが、こっちの盾は特別製。
思惑通り、盾に施した魔力指向制御平面と対魔力効果により、迫る魔力弾を弾く。

結果、俺は勢いをそのままに奴への接敵に成功した。
「おおお!!」
両手の干将・莫耶を十字に振り抜くが、それを奴は大きく飛び退くことで回避する。
やはり、正確な間合いが掴めないが故に、回避行動は大味にならざるをえないか。

大きく飛んだことで出来た隙を逃さず、双剣を投擲する。
手から離れたことで、その瞬間不可視化は解け、黒白の双剣が姿を現す。
左右から迫る双剣を、仮面の男はシールドを展開し弾く。

手ぶらになった好機を見逃さず、双剣を弾くと同時に一気に間合いを詰めてくる。
新たな武器を手にする暇を与えないつもりのようだが、その間が弱点なことはこちらも承知の上。
一瞬もの時間があれば、再投影には十分。

新たに投影し、不可視化した槍で迎え打つ。
だが、突き出された槍は寸でのところで回避される。
「………間に合わなかったか」
「いや、なかなかに危ないところだったよ。
 さあ、楽しいクイズの時間だ。先ほどは双剣だったが、今私の手にあるのは剣か槍か、それとも……!!」
相手を惑わす言葉を口にし、動揺を誘う。
しかし、どうやら向こうも腹をくくったらしい。
目に見えるような揺らぎは見えず、淡々とこちらの攻撃をかわし、間隙をぬって拳を、蹴りを放つ。

とはいえ、さすがに間合いが広い上に不可視の攻撃は厄介らしく、向こうは攻めあぐねている。
だが、あまり続けていると大まかな間合いを読まれて対応されるのも時間の問題かもしれない。
ならば、一気にたたみかけ、間合いを測る隙を与えなければいい。
「ふっ!」
「なっ!?」
攻撃範囲の広い薙ぎを使い、石突きで足元を打つ。それによりバランスが崩れ、僅かに浮き足立つ。
その隙をねらい槍の回転速度を上げ、円運動を利用した連続攻撃を放つ。

柄の両端を攻撃に使用できるからこそ可能な、同じベクトルの運動量を保持したままの攻撃だ。
剣のように、一々方向転換をする必要がない分その速度は早い。
まあ一定方向に勢いがついている分、どの方向から攻撃が来るかはある程度予測ができるのだが。

しかし、魔導師相手に薙ぎだけでは決定打になりにくい。
これは斬撃よりも打撃に近く、穂先に触れない限り防御系魔法はそう簡単には破られない。
どの方向から攻撃が来るか読めているが故に、そちらに重点を置いて守ればしばらくは凌げる。

その利点を活かし、奴は無理を承知で間合いを詰めてくる。
薙ぎが一撃当たるたびに体は揺らぐが、その都度立て直し、徐々に互いの距離が縮む。
そして、遂に奴は自身の間合いに俺を捉える。
「がはっ!?」
槍の回転方向を変更し、突き離そうとするより早く奴の拳が俺を打った。
魔力や上半身の力だけでなく、下半身の力も乗せきった一撃で肺の中の空気を一気に吐き出す。

一端間合いを離し、仕切り直しを図ろうとするがそう簡単にはやらせてくれない。
こちらが一歩引く間に、奴は二歩進みこちらの懐に潜り込んでくる。
見事なまでのインファイト。突き離そうにも間合いが近すぎる。
ここまで近いと長柄の武器では取り回しが悪すぎる。

仕方なく槍を捨てるが、再度投影する暇はもらえない。
そのまま、俺自身も拳を握り打ち合う。
「くっ」
「がっ」
相打つ形で互いの拳が相手を捉えるが、いかんせん基本性能が違い過ぎる。
間合い、ウエイト、筋力、全てにおいて奴の方が上。
その上、多少強化してもそれは向こうも同じ。必然、ダメージはこちらの方が上となる。

このまま打ち合ってはジリ貧か。事実、徐々にだが、俺の方が押され出している。
今すぐどうこうということはないが、何かしら手を講じなければな。
(また、凛に怒られるんだろうが、仕方がない)
そう心を決め、この場を打開する一手を打つ。

ほぼ単一能力しかないからこそ、俺に打てる手は少ない。
こういう時、万能型の他の連中が羨ましくなる。

とはいえ、そんなことをウダウダと考えていても仕方がない。
苦し紛れとしか思えない掌底を放つが、半歩下がられそれでは間合いが足りない。
「『I am the bone of my sword.(体は剣で出来ている)』」
その詠唱と共に、掌から血に濡れた白刃が出現する。
それにより間合いを稼ぎ、回避したと思い僅かに気の緩んだその腹に刃が迫る。

「くぅ!?」
寸でのところで身を捩って回避するが、そこでバランスが崩れた。
しかし、奴は驚異的なバランス感覚を発揮し、そのままの体勢で放たれた拳が俺の肩を打つ。

たたらを踏むが、これで良しとする気はない。掌から生えた剣を引き抜き奴に投げる。
「やってくれる! 『壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)』!!」
投げ放った剣が爆発し、お互いに爆風に煽られ間合いが開く。
反撃こそ被ったが、とりあえずこれで仕切り直すことには成功した。

互いに体勢を立て直し、隙を探す睨み合いに入る。
八本の黒鍵を投影し、構えるが今度はその姿は消えない。
インビジブル・エアは、定期的にカートリッジを使わないと維持できない。
まあ、今は使う意味もないからいいんだけど。

そのまましばしの間にらみ合いが続くが、天から響く轟音を合図に奴が動く。
それにやや遅れ、奴の進行方向に向けて左手の黒鍵を投げ放つ。
同時に……
「カートリッジ・ロード。グラデーション・エア」
幻術を用い、放った四本の黒鍵の周囲にそれに倍する幻を展開する。

それにより、十二本にも及ぶ黒鍵が仮面の男を襲う。
「…………一か八か、か」
そう呟き、奴は回避しきれないと踏んで魔力弾と自身の拳で黒鍵を弾きにかかる。

十二本のうち八本は幻なのだから、当然その大半が空振りに終わった。
とはいえ、幻が大半とわかっていても、中途半端な防御は実体だった時のリスクが高い。
必然、相応の力を必要とし、空振る度に僅かにバランスが崩れる。

本来なら、その隙をついて攻撃したいところなのだが、そこで違和感に気付く。
(どういうことだ? なぜ奴は、あんな面倒な対処をする?)
そう、奴の防御はどこか不自然だ。決して正面から迎撃することはせず、必ず黒鍵の側面を叩く。
拳だけならともかく、魔力弾でも必ず誘導性を持たせてそれを行っているのは明らかに不自然だ。
魔力弾で迎撃するなら、そんなことをするよりも正面から撃ち落とした方が楽のはず。
対面する形で撃ち出したのに、わざわざ弧を描くようにしてぶつけるのは非効率的だ。

それに、あれは明らかに鉄甲作用を意識している。
(だが、だとするとなぜだ? 確かにシグナムと戦った時に鉄甲作用は使ったが、シグナムはそれを直接は受けていない。なら、鉄甲作用の効果を知っている筈がないのに)
鉄甲作用を付与した投擲に対処する場合、正面からではなく側面から弾くのがセオリー。
どれだけ衝突時の威力があろうと、側面を叩いて進路を変えてやれば怖くはないからだ。

一度でも鉄甲作用の効果を見ていればわかる、割りとすぐに思いつく対処法だ。
しかし、俺はまだこの事件に関わってから本当の意味で鉄甲作用の効果を見せていない。
にもかかわらず、奴はそれを知っている。そうでないなら、あんな面倒な対処はしないはずなのに。

この疑問が、俺に一瞬の躊躇を生んだ。
その隙を突き、奴は五発の魔力弾をこちらに向けて放つ。
うち四発を黒鍵で叩き落とし、残りの一つを回避する。

だが、それだけでは終わらなかった。
五つ全てに対処したところで、時間差をつけて新たな一発が迫る。
「なめるな!!」
その怒号と共に左腕を裏拳気味に振るい、手の甲側に装着された盾で殴り返す。

弾き返された魔力弾は、そのまま射手へと返り――――――――――爆発した。
「…………………………ちっ、逃がしたか」
爆煙が張れると、そこあるはずの人影は消えていた。
頃合いと見たのか、今の煙にまぎれて逃げられたらしい。

結界の方を見れば、そちらもすでになくなっている。
どうやら、さっきの轟音の時に破られたらしい。
奴の目的が守護騎士たちの援護と仮定すれば、正しい判断だな。

詳しい状況はわからないが、奴の様子からすると守護騎士達には逃げられたと見るのが妥当か。
とりあえず、凛の元に向かうべきだな。



SIDE-凛

今は、ちょうど結界を挟んで真反対に位置するクロノの元へ向かう途中。

そこで、飛びながらさっきの士郎の言葉を反芻する。
「士郎の奴、あの時はいったい何を……」
士郎は確かに「イリヤスフィール」と言っていた。それって、あのイリヤスフィールのことよね。
まさかそんなことはあり得ないし、他人の空似ってことかな?
しかし、士郎をそこまで動揺させるなんて、どんだけ似てるのよ。

今はどうも仮面の男と交戦中で、そのおかげもあって気持ちの切り替えはできたみたいだけど、アイツ大丈夫かな? いつまでも戦闘中に余計な事を引きずるほど未熟じゃないはずだけど、事が事だけに心配だ。
イリヤスフィールのことは、ある意味アイツのトラウマだし。
そう、私にとって桜の事がそうであるように。正直、似たような場面に出くわしたとして、完全に冷静さを保てる自信はちょっとない。

「って、私も士郎のことばっかりに気にしてる場合じゃないか。
 なぁんか、あっちもヤバそうね」
空を見上げると、何やらとんでもない魔力の収束した塊が見えた。
なにやる気か知らないけど、いつまでも結界の上にいるのは危ないか。

と、そこでようやく反対側に到着した。
まったく、どんだけ広範囲に結界張ってんだか。
行き来するだけでも一苦労だっての。

上空から観察してみるけど、士郎は相変わらず交戦中。
ただし、武器が見えないところを見ると早速アレを使ったか。アレって、シンプルなだけに対処も難しいのよね。
見たところ向こうさんは相当やりにくくしてるみたいだし、この分なら放っておいてもいいか。

だから、問題はクロノの方。
何やら拘束されているみたいだけど、その時点であからさまにピンチ。
もし人質になんてされたら、それだけで面倒ね。
無視しても良いんだろうけど、知り合いなだけにちょっと寝覚めが悪いか。
本当にヤバくない限りは可能な限り助ける方針でいてあげましょ。
リンディさんたちに借りを作るのも悪くないし。

「とはいえ、私って遠距離攻撃はともかく、精密射撃って苦手なのよねぇ」
こう、まとめてぶっ飛ばすなら手なんていくらでもあるんだけど、それするとクロノが……ねぇ。
士郎となら、長年の付き合いでその辺はある程度何とかなる。私の意図とか呼吸を知りつくしているから、ちゃんと回避してくれるしね。
でも、クロノにそれは期待するわけにはいかない。

そもそもアイツ身動きとれないし。意識があるかも不明。
確かにそれをすれば連中を倒せないまでもその場から退避させられるから、クロノの確保はできる。
ただし、確保するのは負傷したクロノか、あるいは死体になりかねない。それは、ちょっとマズイかな?

となると、やるとすればやっぱり。
「直接向こうに乗り込むか」
ってことになるのよね。
まあ、ウダウダ悩んでいても仕方がない。
即断即決。さしあたりそれしかなさそうだし、とにかくまずは行動!

「そういうわけだから、付き合ってくれる? カーディナル」
《当然です。念のため、バリアジャケットに回す魔力を増やしておきましょう》
「オッケー。じゃ、それでいきましょ」
カーディナルの言葉通り、体の周りに感じる魔力の量が増した。
これで少しは防御力が上がったってことね。これからあそこに突っ込むわけだし、それくらいは必要か。

さて、上の方もそろそろ臨界っぽいし、チンタラしていられないか。
魔術刻印を発光させ、ガンドの準備を整える。
突っ込むと同時にガンドの掃射で注意を分散させて、その間にクロノをかっさらうとしよう。
その後のことは、クロノと結界の状態次第かな。

「それじゃ、行きますか!!」
位置エネルギーも使い、一気に降下する。
これは刹那のタイミングが勝負。精々上手くやってやろうじゃないの!



Interlude

SIDE-アイリ

「結界破壊まで、あとどれくらい?」
「もう少しです」
結界破壊のための砲撃の準備をするシャマル。
闇の書のページを大分消耗してしまうけど、背に腹は代えられない。
ここでみんなが捕まってしまえば、全てが閉ざされてしまう。

ふっと、背後で倒れている少年が声を上げる。
「あなたが、闇の書の主なのか」
「ええ、そうよ」
拘束こそしているけど、別に意識は失っていないし蒐集もしていない。
捕まえた時に蒐集できればよかったんだけど、あの時にはもう砲撃の準備に入っていてそれどころじゃなかった。
だからこうして、魔法を封じた状態で拘束して偽りの情報を与えている。

そう念のため、魔力を消して隠れていたのが幸いした。
一応姿を現すのは前提としていたけど、それでも無防備にさらしていいわけじゃない。
戦闘型じゃない自分と一緒なのだからと、シャマルが私を物陰に隠れさせてくれた。
ここまで付いて来たは良いけど、今回は状況が状況だから、姿を見せるのは見送ることにするつもりだったのだ。

そのシャマルの危惧通り、砲撃をするか悩んでいたシャマルの背後を取られた。
この少年はデバイスを突きつけて投降を呼びかけたけど、私の存在には気付いていなかった。
だから、その隙を突き術と特性の針金で作った鷹を飛ばし、それを振り払おうと接触したのを利用して彼を拘束。
あとは、シャマルに魔法を封じるための処理と思念通話の妨害をしてもらった。
そんなわけで、今のこの少年にこの拘束から逃れる術はない。

それと前後して、いくらか離れた所から派手な音がしたかと思うと、そこに例の少年「衛宮士郎」がいた。
あの仮面の男と戦っているみたいだけど、まだあの男から蒐集して数日。
どうしてああも動けるのか、シャマルも不思議がっていた。
でも、あの人のおかげで今はこうして結界破壊に集中できるのだから、感謝すべきなんでしょうね。

「なぜ、闇の書の完成を目指す」
「おかしなことを聞くのね。これだけの力、手の届く所にあると知れば欲するのは自然な事だと思うけど」
「違う!! それは、そんな生易しいモノじゃない!」
「あなたが何を知っているのか知らないけど、敵の言葉を鵜呑みにするわけがないとは思わない?
 それに、こっちには闇の書そのものと、その守護騎士がいる。あなたより余程詳しいわ」
どのみち、何と言われようと何を知ろうと私たちは止まれない。
だって、これしかはやてを救う手立てが私たちにはないのだから。

そこで、準備が整ったのかシャマルは砲撃を放つ。
「眼下の敵を打ち砕く力を、今ここに―――――――撃って、破壊の雷!!!」
その言葉と同時に、上空に発生した魔力の塊から紫色の稲妻のようなモノが降り注ぐ。

だけど、降ってきたのはそれだけじゃなかった。
「なに!?」
「きゃ!?」
私とシャマルが、同時に声を上げる。空から降ってきたのは、黒い何かの雨。
それが私にとって、決して馴染みのないモノでないことを察するのに時間はかからなかった。

シャマルが咄嗟にシールドを展開し、私たちはそこに避難する。
「これは、ガンド!? まさか!」
上を見上げるのとすれ違うように、何かが私の視界を掠める。

それは赤い人影。その人影は、地面に倒れ伏すあの少年を拾い上げると、一気にその場を離脱した。

Interlude out



やれやれ、一応上手くいったか。
「クロノ、これで貸し一つだからね」
「わかってる、助かった」
私に抱えられているクロノは、憮然とした表情で礼を言う。
まあ、見事なまでに格好のつかない状態だしね。

とはいえ、結局あの攻撃の前には間に合わなかったか。
あわよくば、私に気を取られて延期ないし、中断してくれたらよかったんだけど。
まあ、できなかったことを言っても仕方がない。

とりあえず抱えたクロノと少し離れたビルに降り、あちらさんの様子を見る。
「なるほど、士郎が動揺するわけだわ」
驚くと同時にそう納得する。そこにいた人物は、あまりにもイリヤスフィールと似過ぎていた。
銀色の髪、白磁の肌、そして紅い瞳。違いがあるとすればただ一点。それは肉体年齢の相違のみ。

だけど逆に言えば、もし順調に成長していればいずれはそうなっただあろう姿がそこにあるという事でもあった。
(まったく。双子でもなきゃ、普通ここまで似てないわよ)
そう、内心で独り呟く。
一応半分とはいえホムンクルスであるイリヤスフィールだから、そっくりさんくらい作れるのかも知れないけど、錬金術は門外漢だから何とも言えない。

だけど、何よりも驚いたのは……
(冗談でしょ? あれ、マジでホムンクルスじゃない)
あんまりの事実に思わず顔を手で押さえる。
それなりの術者になってくれば、一目でホムンクルスと見抜くくらいはそう難しいことじゃない。
で、少なくとも私の目にはそう映る。もしかすると、似て非なる存在なのかもしれないけど、私の知るホムンクルスの特徴やらなんやらと符合し過ぎるくらいに符合してるから、魔術師としてはそう判断するしかない。

どうやら、向こうも私の視線の意味を理解したらしい。
どうも、あからさまに驚きとかそういうのが出ていたようだ。
で、あちらさんは驚きというよりも、納得に近い表情を浮かべる。
「そう、一目で私がそういうのだとわかるのね、貴女。
 それにさっきのガンド。やっぱり魔術師、それも一角の術者ということかしら」
「………勘弁してよ……冗談にしたって性質の悪い」
これは、私の思考を向こうが肯定したということであり、向こうが魔術師というものを知っているということを意味する。まさかご同郷ってことはないだろうけど、こっちにも魔術師がいたってことよね。それが私たちと同じ認識でいいかはともかく、えらく酷似した体系の元で成り立っているのは、この女を見れば間違いなさそう。

せっかくそっち方面の脅威がないと安心したのに、ここにきて持ち直すって趣味が悪いわ。
そこで、話の意味が分からないクロノが口をはさむ。
「何の話だ?」
「ん? ちょ~っと昔の知り合いと似てたんでそうかと思ったんだけど、大当たりだったってこと」
正直、真面目に答えるわけにもいかないのよねぇ、この辺。
どの程度情報を開示するかちょっと計りかねるし、今はこれくらいかな。
これくらいなら相手が魔術師臭いと思った、って言う感じで誤魔化せるだろうし。

と、そう思っているうちに、壊れた結界の中から幾筋かの光が飛び去っていく。
しかし、そのうちの一つがこちらに向かってくる。それはフェイトと戦っていたはずのシグナムだった。
「お待たせいたしました、我が主。急ぎ撤退を」
「ええ、ありがとう」
そう礼を言う所作は、どこまでも優雅でちょっと嫉妬を覚えそうなほどだった。
なるほど、まさに騎士とお姫様って感じだわ。
それはそうと、主は適性のある人間から無作為に選ばれるらしいけど、ホムンクルスでもいいのかしらね?
ってか、ホムンクルスに適性ってあるの?

できればここで引き留めたいところだけど、向こうは三人。
クロノの拘束は即席で壊すのは少し難しい。
見事な術式で括られているし、これ自体もかなり頑丈で壊すのは一苦労だ。
少なくとも、壊す間は無防備な姿を晒す事になるし、八方ふさがりか。

となると、ここは見送るしかないわね。
「…………ふぅ。いいわよ、行きなさい。勝ち目のない戦いはしない主義だから」
「なるほど、賢明だ。では、参りましょう」
私の言葉を信じたのか、シグナムはホムンクルスの手を取った。
クロノの方も現状を理解しているのか、特に何も言ってはこない。ただし、その顔は明らかに悔しそうだ。
まあ、アンタだけの落ち度とは言わないけど、ここは諦めなさい。

「なに!?」
だけど連中が去る寸前、あらぬ方向から魔力弾が飛んできた。
そっちの方を見ると、どうやら士郎達の戦いの流れ弾らしい。
あの仮面が放った魔力弾を士郎が避けるか弾くかして、それがたまたまこっちに来たのだろう。
って、まだやってたのかアイツら!?

寸前のところでシグナムがそれを叩き落とし、心配そうに声をかける。
しかし、そこでとんでもない単語を耳にした。
「ご無事ですか、“アイリスフィール”!?」
は? アイリ…スフィール? それって、確かイリヤスフィールの母親の?
衛宮切嗣の妻で、士郎の一応義理の母親に相当する?

連中が今度こそ離脱しようとするのを、しばし呆然と見送った。
「……………………どういうことよ」
ただ似ているだけなら他人の空似で何とかなるけど、いくらなんでもこれはそれだけで済ますには無理がある。
そりゃあね、たまたまアレがホムンクルスで、たまたまアレの名前がアイリスフィールだったっていうだけの完全無欠の偶然なのかもしれない。ってか、そっちじゃなきゃおかしい。
だけど、偶然で済ますにはちょっとでき過ぎだ。偶然なんだろうけど、そうだと証明しないといけない。

だって、このことは遅かれ早かれ士郎の耳に入る。
運の悪い事に、今のを聞いていたのは私だけじゃない。
私が黙っていても、すぐにでもクロノ経由で士郎も知ることになるのだから。

「はぁ……いま悩んでも仕方がないか」
そう独り呟く。まったく、これは本当に厄介なことになった。
後悔先に立たずとはよく言ったものだ。まさか、こんなことになるなんてね。
いっそ、完全に無関係で通していればこんなことにはならなかったのに。

とはいえ、今更後悔しても遅いし、士郎にどれだけ言って聞かせたところで意味はないだろう。
士郎は確かめずにいられるような奴じゃない。
如何にあり得ない可能性だったとしても、理屈だけで納得できれば苦労はないのだから。

でも、アイリスフィール・フォン・アインツベルンはとっくの昔に死んでいる。
それが事実であり真実。
だから、どれだけそれっぽくてもやっぱり他人の空似にすぎない。
同様に、士郎が何をしようと、それはあの親子への償いにはならない。

結局、償いなんてのは自分自身の問題だ。少なくとも、償われる側がいなければ。
そして、イリヤスフィール関連で士郎が償うような相手なんて、もうこの世にはいない。
その父親や母親といったその死を悼む者がもういない以上、償いは士郎自身の自己満足。
死者は黙して語らない。降霊なんてしても、それは本人の残骸でしかなく、やっぱり本人じゃない。
なにをしても、もういない人への償いなんてできないんだ。

そこで視界の端に地面に転がる芋虫の姿が目に入るけど、すぐに排除。
「………おい! いい加減これを何とかしてくれ!!」
なんて事をクロノが叫んでいるけど、それどころじゃないので無視。
ちょっとは場の空気を読みなさいよね。
もう逃げられちゃったんだし、少しくらい思索にふけっても良いでしょうが。

でも、もし………本当にもし、「何かの冗談みたいな可能性」が現実になった時、それが一番の問題だ。
「……………士郎の奴、バカなこと考えなきゃいいけど」
それが一番の不安。この十年、アイツにとって一番の負い目だったことだ。
償いたくとも償う相手がおらず、ずっと心のうちに溜め込んできた罪の意識。
その意識の向けどころを得たアイツが、いったい何をしでかすか………。

まあ別に、アイツが償いをすることを全否定するつもりはない。
それで士郎の心が多少でも晴れるのなら、する意味はあるだろう。

だけど本来、あいつが償わなきゃならないこと“罪”なんてない。
士郎はイリヤスフィールに何もしていない。なにもしなかったことが罪だというのなら、それは詭弁だ。
だって「しなかった」んじゃなくて、アレは「できなかった」んだから。
罪があるとすれば、彼女を救い出せなかった衛宮切嗣の方。
そして、士郎にもっと別の形でその願いを託さなかったことだ。

だから“償い”は認めても、士郎が償わなきゃならない“罪”なんて認めない。
この私が認めない。絶対に……。



Interlude

SIDE-はやて

う~ん、わたしの家族は最近忙しそうやなぁ。
なんや、アイリやシャマルまで急用とかで慌てて出て行ってもうた。
まあ、こうしてすずかちゃんの家にお泊りできるのは、それはそれで楽しいんやけど。

で、目下の話題はお泊りの定番恋の話題。
すずかちゃん家のニャンコ達を膝に載せながら、ペチャクチャとお話し中や。
「はぁ、すずかちゃんもう好きな人がおるんや。羨ましいなぁ。
 わたしあんまり出会いがないから……」
なにせ、わたしが行くところはだいたい図書館か病院、あるいはスーパーや。
これでどうやって同年代の男の子と知りあえと?
いや、出会いがないこともないんやけど、やっぱりなぁ。

「で、でも片思いだし。それに、その人はもう別に好きな人がいるから……」
わたしの言葉に慌てて付け足すすずかちゃん。
ほぉ~、それはまた罪作りな人や。こんな可愛い子に好かれておいて、それで他の子にうつつを抜かすとは。
これは、将来的に後ろから刺されるんとちゃうか、その人。

「そ、そういうはやてちゃんこそ、本当にいないの?」
「せやから、おらへんて。だって、そもそも出会いがないんやから」
「でも、お話ししたことのある人くらいいるでしょ?」
う~ん、まあそれくらいはな。そこまで寂しい人生は送ってないつもりや。
せやけど、ホントに好き云々て話になるほど話したことのある人なんておらんのよ。

そこでふっと、半年くらい前の事を思い出す。
「……………………あ! 好きとかやないけど、もう一度会いたい男の子ならおるかな」
「え!? それ、どんな人?」
「でもなぁ、向こうはわたしのことを憶えてるかさえ怪しいんよ。
 なんせ、ちょう助けてもらって、あとは名前を名乗りあっただけやし」
会ったのは、その一回こっきりやったからな。
もう一度会えるかさえ分からんし、それどころかほんまにあっちはわたしを憶えてるのかどうか。
なんや、あの時の様子がナチュラル過ぎて、日常の一部として忘れ去ってる気がするんよ。

「そんなことはないんじゃないかな?」
「いや、あれはほんまに特別な意識はなさそうやった」
とりあえず、これだけは断言できる。なんせ、そうやったからこそわたしも気負わずに名乗れたんやもん。

まあ、縁が有ればそのうちまた会えるやろ……ちゅうのがわたしの考えかな?
むしろ、気になるのはすずかちゃんの方や。
「ほれほれ。すずかちゃんこそ、その人の写真とかないんか? ケチケチせんと見せてぇな」
「はやてちゃん、なんかおじさん臭いよ」
失敬な! ただ単に興味津々なだけや! 下心なんてあらへんよ?

「むぅ、その代わり、はやてちゃんが会いたい人のことも教えてよ」
「ええよ、別に隠すような事でもないもん」
それを聞いたすずかちゃんは一瞬嬉しそうな顔をするんやけど、すぐに複雑な顔になってもうた。
たぶん、自分の話す内容とその話題のわたしの中での位置関係に納得がいってへんのやろ。
せやけどなぁ、別に恋の話ってわけでもないから、聞かれても恥ずかしくともなんともないんよ。
これに文句を言われても困るわ。

「えっと……………………この人」
そう言ってすずかちゃんが携帯を開く。ほぉ、携帯で常に持ち歩いてるんやね。
うんうん、真っ赤になって初心やなぁ。そもそもそんな相手がおらんわたしが言うと悲しいけど。

って、あれぇ? この顔には見覚えが……。
「なんや、隠し撮りっぽいアングルなのはこの際置いといて……この人なんて名前?」
普通に考えると決して横に置いて良いことではないんやろうけど、この際そんな常識は無視や!
いまのわたしにとっては、こっちの方が重要問題。

だって、この特徴的な髪と肌の色。
いくら海鳴に外人さんが多くて、わたしのところには別世界の出身の人やら、そもそも分類的には人間ではない人までいるとしても、こんな特徴的な人がそうそういるとは思えんわ。

「あ、うん。衛宮士郎君」
だ~いせ~いか~い!! なんやこれ、どういう偶然なん?
はぁ、世の中ご都合主義みたいな事があるもんやな。TVとか小説の中の話やと思うっとったんやけど。

そんなわたしの様子に、すずかちゃんが不思議そうな顔をしとる。
「どうしたの?」
「ああ、わたしが会いたい人やったよね」
「え? うん、そうだけど」
一応確認すると、すずかちゃんはしっかり頷き返してくれた。
しゃあない、とばかりにすずかちゃんの携帯を指さす。

「え?」
「せやから、この人」
「え、えぇえぇぇぇぇえぇぇぇ―――――――っ!!」
うわ!? そんなに驚くほどかなぁ? いや、わたしも驚いたんやけどね。
それにしても、そっかぁ士郎君がすずかちゃんの想い人で、そのうち刺される人か。
これは、早めに再会せんと会えへんようになるかも。

何とか驚きから復旧したすずかちゃん。
「えっと、それじゃあ士郎君に教えた方がいいのかな?」
「え? う~ん、それはちょっと待って。
 会わせてくれるんは嬉しいんやけど、わたしのことは秘密で」
さっきも言ったけど、もしかするとわたしの事を忘れてるかもしれへん。
その辺を確認してみたいし、名前などなどは教えへん方がいいと思うんよ。

「確かに士郎君、そういうことを特に意識しないでするけど、きっと覚えてると思うよ……たぶん」
せやから、それを確認するためやて。ちゅうか、すずかちゃんも結構自信ないやん。
それに、憶えてるのならよし、憶えてへんかったら二度と忘れられへんようにしたるつもりや~。

「まあ、ヒントで名前くらいはええよ。でも、できるだけ写真は伏せて。
 もちろん、会ったことがあるなんて断固秘密や」
正直、会わせる相手の名前すら教えないのは無理があると思う。
写真もまあ、今の時代ではちょっと無理っぽいから、そこまで徹底するつもりはないんよ。
せやけど、それ以上はNGや。

ふふふ、さ~てどんな結果になるか楽しみやなぁ。
と思っていたところで、あることに気付く。
「ん? そういえば、士郎君が好きな人ってどんな人?」
「ああ、うん。この子」
そう言って見せてくれたのはさっきと違う普通の写真。
そういえば、やっぱりあれ隠し撮りなんかなぁ。ちょう気になる。

それはともかく、写真に写っていたのは黒髪に碧の眼をした美少女。その周りにいる子たちも負けず劣らずや。
なるほど、どうも士郎君の周りは美少女率が高いみたいやね。いや、凄い女運しとるなぁ。
「へぇ、この子がそうなん?」
「うん、遠坂凛ちゃん。一応二人は一緒に住んでるんだ」
なんやて!? おお、この年で同棲か。それはまた、はるか先に行かれとるなぁ。
なるほど、確かにすずかちゃんは不利やね。でも、わたしはすずかちゃんを応援するよ。
まあ、この人の事をよう知らんから、肩の持ちようがないんやけど。


と、こんな感じで夜が更けていく。
まさかこんな形での再会になるとは思ってもみなかったけど、それはそれでよしとしよう。
少なくとも、会えへんよりずっといいもん。

さて、まず再会の第一声は何にしようかな。
あ、それよりもホンマに忘れてるかもしれへんし、その時の事の方が重要かも。
でも、楽しみであることには変わらへんし、その時をじっくり待とう。

そう言えば、士郎君の苗字は「衛宮」なんやよね。
それってたしか、アイリの旦那さんの「切嗣」さんと同じ。
なんや、すごい偶然やなぁ………。アイリ、これ知ったらどう思うんやろ?






あとがき

というわけで、今度こそちゃんとした遭遇でした。凛が、ですけど。
ははは、期待していた人もいるかと思いますが、もうしばらく引っ張るのでした。
というわけで、士郎が本格的に対面するのはまだまだ先ですね。

正直、当初はクロノが捕まった時に蒐集されるのと、今回みたいなのの二種類作ったんですが今でも悩んでます。
クロノが蒐集されても大筋的には特に問題ないのですけどね。ただ、そうなるとクロノの意識がなくなるので、出来れば意識を保っていてもらいたいな、ということでこうなりました。
割とあっさりクロノは捕まってしまいましたが、そもそもアイリは魔力を隠ぺいしていたので存在にすら気付きませんでした。で、そこに若かりし頃の言峰さえ捕まえたあの術を使われては無理もないかと。

最後に士郎の新魔法「インビジブル・エア」について。
現状、これで士郎が習得した魔法は出しつくしました。名前のとおり、セイバーのアレをイメージしてます。幻術魔法を使うことに決め、ならこういうこともできるだろうという発想ですね。
手で握った対象に限定して透明にする、ただそれだけの魔法です。そのため、手から離れたり、触れてさえいなかったりする対象は透明にはなりません。射出した剣弾も透明に出来れば便利なのですが、今の士郎には無理です。将来的にできるようになるのかというと、さすがにその場合は便利過ぎるので望みは薄いですね。
また、発動にはフェイカーからの補助が必要不可欠で、なおかつカートリッジも必須。一発ごとに約一分持続でき、効果が切れる前に再度使わないと解けてしまうという、ちょっと厄介で燃費のすこぶる悪い仕様。この手の魔法はティアナの場合でも、対象が激しく動いたり魔力を大量に使用したりすると効果時間が加速度的に減るらしいので、士郎はカートリッジを使い、手から直接起動させることで何とか一分間を稼いでいます。
あんまり大きなものには使えませんので、やっぱり武器サイズにしか使えません。人は……たぶん無理。
他にも、使用中は常に環状魔法陣が腕に出ているので、見えなくても武器を持っていることはモロバレです。
ですが士郎の性質上、武器が見えないだけで十分すぎるくらい役に立ちますので、これらのデメリットには目をつぶっても問題がないのです。だって仮に間合いを見切られても、すぐに別の武装に換装できるので何の問題もありませんからね。
対策としては、士郎の腕だと単純な光学スクリーンしかかけられないので、不可視化はできてもレーダーやセンサーの類までは騙せないことですね。早い話、専用の機器を使うかゴーグルを付けてれば丸見えになるわけです。

この先魔法の追加をする予定はありません。
まあ、予定がないのは単純に他に思いつくモノがないからなので、思いつけば追加しますけど。
とりあえず、もしする場合には「○○・エア」で統一しようと思います。
ほら、「グラデーション・エア」に「インビジブル・エア」ですから。やっぱりこの流れは踏襲すべきかと。



[4610] 第31話「それは、少し前のお話」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2009/12/31 15:14

SIDE-凛

戦闘が終わり、情報交換も兼ねて一度ハラオウン家に戻った私たち。

そこで、今はクロノとリンディさんが話をしている。
「申し訳ありません。力及ばず、逃してしまいました」
そう語るクロノの顔は、責任を感じているのか重く沈んでいる。
まあ、まんまと隙を突かれたのは事実だけど、あれは仕方がないだろう。
アレは、クロノ達の知らない攻撃だった。それを相手に初見で的確な対応ができたら優秀どころの話じゃない。

そんなクロノにリンディさんは私と似たような考えで諭す。
「そうね、せっかくのチャンスだったのは確かだけど、あれは仕方がなかったとも思うわ。
 それに闇の書の主を確認できただけでも良しとしましょう。あの銀髪の女性で間違いないんでしょ?」
「ええ。守護騎士たちはそう言っていましたから」
守護騎士が主以外に従う可能性は低い以上、まあアレがそうだということになるんだけど。
でも、ホムンクルスが主になれるのかしら?

ま、私にとってそれはどうでもいい。
横目で側に立つ士郎を見る。
「……………………………………」
この話題になった瞬間、眉間に皺をよせ深刻な表情で考え込んでしまった。
まあ、いろいろ一気にあり過ぎた夜だ。整理するには少し時間が必要かもね。
なにせ相手の名前は「アイリスフィール」だ。それも、その姿は成長したイリヤスフィールそのもの。
これで気にするなという方が無理だろう。

聞いたのが私だけなら、適当にはぐらかすなりダンマリを決め込むなりできたんだけどな。
悪い事に、クロノまで聞いていたから情報を止める手立てがなかった。
貸しが一つできたとはいえ、これだけの重大情報の口止めは無理だし……。

とはいえ、士郎にだけは知らせたくなかった、というのが私の本音なのよね。
(はぁ……考えてどうこうなることじゃないけど、今は自由にさせておくか)
そう結論し、再度リンディ提督たちの話に耳を傾ける。
連中の目的云々のことなどを話しているようだけど、やっぱりそれ自体は私には興味がない。

そこで、守護騎士の概要に話が及ぶ。
「ただ、少し気になることがあります。今回直接見て感じたんですが、なんというか……思っていたのと印象が違いました。彼らは人間でも使い魔でもない、闇の書に合わせて魔法技術で作られた疑似人格。
つまり、主の命に従って行動する、ただそれだけのプログラムにすぎないはずなのに……」
それだけ聞くと、なんか現象として召喚された場合の英霊なんかをイメージするわね。

それを聞いていたフェイトが、どこか躊躇い気味に反応を示す。
「あの、使い魔でも人間でもない擬似生命っていうと………わたしみたいな」
「違うわ!!」
フェイトの発言に力強く否定するリンディさん。まあ、私も同意見かな。
フェイトって、つまりは記憶を転写させたクローンのようなモノと聞いている。
それなら、とりあえず「擬似」生命じゃないと思うのよね。

そんなリンディさんの声を聞いて、他の面々が息をのむ。
「ぁ……」
「フェイトさんは、生まれ方が少し違っていただけで、ちゃんと命を受けて生み出された人間でしょ」
「検査の結果でも、ちゃんとそう出てただろ。変なこと言うものじゃない!」
とりあえず言えるのは、フェイトは周りの人間に恵まれてるってことかしらね。
この人たちの場合、理屈というよりも感情でその辺を捉えている風だし。理屈はあくまでも、自分の考えを補強するための材料って感じよね。

っていうか、擬似生命って言うのなら、むしろ肉体的には私たちの方がそれっぽいし。
あとは、あの「アイリスフィール」もそうなるんでしょうね。
一応、錬金術の粋を集めた「ホムンクルス(フラスコの中の小人)」なわけなんだから。
そのことに士郎も思い当たったのか、さらに横から放たれる気配が重みを増す。
まったく、励ましの言葉の一つも浮かばないことがこんなにもどかしいとはね。

たしなめられたフェイトは、弱々しく謝罪する。
「あ……その、ごめんなさい」
なぁんか、場の空気が重いわね。

そこでクロノが話題を変える意味も含めて私に話を振る。
「凛、いくつか聞きたいことがある。まず、闇の書の主は魔術師なのか?」
まあね、聞かれるとは思ってたのよ。

のらりくらりと逃げ回れることじゃないし、ちゃんと答えてあげますか。
「そうみたいね。クロノがやられた時の映像は見せてもらったけど、使う魔術は錬金術っぽかったかな?」
「錬金術? それは、卑金属を貴金属に変えようとするあれか?」
どうも、どの世界でも大昔にそういう試みは行われていたらしい。

「まあ、そういう一面もあるわね。
厳密には万物・物質の流転を共通のテーマとする学問で、ありきたりなものがクロノの言った物質の変換。
あとは、物質の練成と創製に、貴金属の形態操作もできるわよ。とはいえ、あんまり戦闘向きじゃないわね。
ああ、それと魔法の中に魂の物質化ってあったでしょ。あれが確か錬金術方面だったはずよ」
かつて第三魔法を得て、遂にはそれを失った錬金術の名門「アインツベルン」。
その名門が千年かけて再びその手に取り戻そうとしたのが、魂の物質化=ヘブンズフィール(天の杯)。
私たちにとっても、結構因縁のある術式・家系・魔法なのよね。
まさか、その因縁がここまで引っ張ることになるとは。

あとは、アレがホムンクルスであるってことも教えた方がいいのかな?
でも、それをするとまぁたフェイトが過敏に反応しそうだし、これ以上鬱人間を増やしたくないわね。正直、それは鬱陶しくてかなわない。
いや、ホムンクルスが主になれるかどうかなんて、魔術の知識のない管理局に分かるとも思えないし、話す意味もないか。
すべては捕まえてみればわかることだし、その辺は管理局組が悩むことだ。

「詳しい術の説明は後でいい。次に、闇の書の力の方向性を変えることは可能だと思うか?」
クロノ達としては、単純に破壊目的にしか使えない闇の書を求めることが釈然としないらしい。
まあ、応用性の欠片もないみたいだし、使い勝手がいいとは言えないだろうって点は納得がいく。
だけど、それでもいいから欲しいって奴はいると思うのよね。

で、クロノが聞きたいのは、魔術を使えばその力をもっと別の形に出来るのかということ。
それができるのなら、使い勝手の幅が一気に広がるから、その分厄介さも増すわね。

だけど……
「それはわからないわよ。だって私はそんなことしたことないもの。
 まあ錬金術を使うってことは、力の流動とかにも長けるだろうし、出来ないことはないかもね」
アトラスの術者だとその限りじゃないけど、これは今は置いておいても良いだろう。
あの連中だと、別の形で応用してきそうではあるけど。

「……そうか。じゃあ最後だ………………君たちは、闇の書の主を知っているのか?
 君たちの反応を見る限り、何か心当たりがあるように見えるんだが」
ああ、やっぱりそれ聞く? むぅ、まぁた士郎の奴がしかめっ面してるわ。
その様子に気付いたのか、なのはやフェイトがちょっと動揺している。

私としてもあんまり気のりはしないけど、ここでダンマリを決め込むわけにもいかないか。
仕方がないと前置きし、溜息をつきながら話し始める。
「同名の他人なら知ってるわよ。面識はないけど」
「どういう意味だ?」
「名前は知ってるけど、会ったことはないの。だって、当人はもうずっと前に死んでるはずだから。
 アイリスフィールって言うのはね、士郎の義理の母親にあたる人と同じ名前よ」
士郎が私同様、天涯孤独なのはこの場では周知の事実だ。厳密には、私には妹がいるけど会えない以上さしたる違いはない。
ましてや、士郎は姉を目の前でそうと知らぬうちに亡くしたという情報も全員の知るところ。
まあ、万が一……本当に万が一のために「はず」と言ったけど。

さすがに気まずくなったのか、クロノはこれ以上の追及はしない。
「すまない、無神経すぎた」
「別にいいんじゃない? アンタの疑問も当然だし、士郎が勝手にショックを受けてるだけだもの。
 全く、いくら同名だからって動揺し過ぎよ」
ホントに、ここまで揺れまくるなんて昔に戻ったみたいだ。
いくつもの戦場を経験し、何度も死線を越えて培われた精神力と自己統制はどこいったんだか。

そんな、普段のアイツからは考えられない姿に、フェイトが酷く悲しそうな顔をする。
「……シロウ……」
気持ちは分からないでもない。あんな姿を見せられた、どう声をかけていいか分からないわよね。


とりあえず、今日はもう時間もアレなので、ここで解散となった。
ただし、ユーノだけは何やら明日から別行動をするみたいだけど。



第31話「それは、少し前のお話」



SIDE-アイリ

何とかあの場を脱出した私たちは、今やっと帰宅した。

本当なら、はやての用意してくれた夕食を食べたいところだけど、今の私はそれすらできない。
魔術を使ったことが引き金となり、これまでに蓄積した疲労が一気に表に出てしまった。
今はシグナムに支えてもらいながら、かろうじて体を引きずりながら自室に向かっている状態。
他のみんなも心配そうにしていたけど、なんとか宥めてシグナムだけに付き添ってもらった。

でも、今回の事でいくつかわかったことがある。
一つは、どうやらあの子たちは管理局と一線を引いた付き合いをしているらしいという事。
そうでなければ、シグナムから聞いた、投影魔術という名を聞いた時のテスタロッサさんの反応が説明できない。
だからどうという事でもないけど、ここに付け入る隙ができるかもしれない。

もう一つは、どうやらあの子たちは何らかの方法で年齢を偽っている可能性が高いという事。
魔術の習得と練熟には、かなりの時間と修練必要になる。少なくとも、魔導師の方が成長は早いだろう。
魔術師があのレベルの実力を身につけるとしたら、どれほど才能があっても十年単位での時間が必要だ。

とはいえ、世界の違いからくる術体系の違いの可能性もある。
だから、映像でしか見れなかった前回は確信が持てなかった。
だけど、今回直接この眼で見てわかった。私の知るそれと、彼女たちの使う魔術に大きな差はない。

となれば、肉体年齢を操作していない限りあの腕前は不自然。
まあ、魔術師の場合身体をいじって延命や若返りを行う者はそう珍しくないから、驚くほどの事じゃない。
しかし、なぜ彼女たちはわざわざ「子ども」になったのだろう。二十代あたりの体を維持する方が、何かと都合がいいはずなのに。子どもの姿にもメリットはあるけど、デメリットと秤にかけるとそれほど意味はないし……。

イヤ、何かしら理由があるのかもしれないけど、ここで考えても詮無い事だ。
それを考察できるだけの情報がない以上、考えても答えはでないだろう。
一つ言えるのは、あの子たちは見た目通りの存在でない可能性が高いという事。
もしかしたら、百年以上生きているかもしれない。
見た目に騙されて躊躇すれば、その瞬間に足元を掬われるかもしれない。それだけは注意しないと……。


そんな事を考えているうちに、自室まであと少しというところまで来た。
そこで、シグナムが心配そうに声をかけてくれる。
「大丈夫ですか、アイリスフィール。お部屋まであと僅かですので、もう少しの辛抱です」
「大…丈夫よ。すこし無理をしてしまったけど、陣の中で休めばすぐによくなるわ」
そう、少しだけ無理をしてしまっただけ。
魔法陣の中で休んで、消耗した分の魔力を取り戻せばすぐに元通りになる。
ホント、こういうときはホムンクルスっていうのは便利ね。
ホムンクルスだからこういうことになっているわけでもあるけど。

「しかし、食事だけでも」
「……ありがとう。でも、魔力さえあれば食事は要らない体だから、ね」
少しでも彼女の心を晴らそうと努めて笑顔を作ろうとしたのだけど、上手く言ったかしら?

そのシグナムの顔には、ありありと痛ましさが浮かんでいる。
やっぱり、上手くいかなかったか。ごめんなさいね、心配させてしまって。

ようやく自室にたどり着き、部屋の中心に据えられたベッドに腰を下ろす。
それだけの動作なのに、今は生半可ではない労力を必要とするのだから困ったものだ。
同時に、私が陣の中に入ったことで、ベッドの周辺に描かれた魔法陣が活性化し淡い光を放つ。

「汗をかいたでしょう。お辛いとは思いますが、せめて服だけも」
「ふふ、風邪なんてひくのかしらね?」
「アイリスフィール、そのようなことはおっしゃらないでください!」
…………そうね、ちょっと軽率だったわ。だから、そんな今にも泣き出しそうな、悲痛な顔はしないで。

「ごめんなさい、そういうつもりで言ったんじゃないんだけど」
「いえ、私の方こそ差し出がましいことを……」
あらあら、あんなに凛々しくてみんなのリーダーであるあなたがそんな顔をしてはダメよ。

でも、確かにこのままというのは気持ち悪いわね。
「じゃあ、悪いんだけど、手伝ってもらえる?」
「はい」
シグナムに手伝ってもらい、普段の何倍もの時間をかけて服を着替える。
まったく、これじゃあ介護が必要なおばあちゃんみたい。

着替えが終わり眠ろうとする私に、シグナムは部屋から出る前に尋ねる。
「なにか、お飲物をお持ちしましょうか?」
「ありがとう。でも、今は眠りたいの。あなたも、みんなとゆっくり食事でもして休んで頂戴」
「わかりました。では、そうさせていただきます。
食事が終わり次第様子を見に来ますので、その時に水をお持ちしましょう」
ま、ホント妙なところで頑固よね、あなた。
ただ、そういうところも含めてあなたの事を好いているわけだし、お言葉に甘えましょうか。

そして、「失礼します」とシグナムは部屋を後にした。

一人暗い部屋の中に残った私はベッドに身を横たえる。
それに、明日の朝にははやてが帰ってくる。
それまでに体調を戻し、いつものようにふるまわないといけない。

よほど体に無理をさせていたのだろう。
体を横たえて間もなく、私は眠りに落ちていた。



  *  *  *  *  *



時折、この世界に来る直前の事を思い出す。

かつての世界での最後の記憶。
それは、言峰綺礼に向けて精一杯の憎悪と侮蔑の言葉を吐いたこと。
そこから先のことは憶えていない。おそらく、言峰が私の意識を断ったのだろう。
その際に命も刈り取られた事は、想像に難くない。

次に目を覚ました私が見たのは――――漆黒の闇。
黒い、底が見えないほどの黒い孔。
いつからそこにいたのか分からないけど、気がついたら真っ逆さまに落ちていた。
際限なく闇に落ちて行き、周りの闇が少しずつこの身を蝕んでいく。
そうやって、深い深い奈落の底に落ちていく。

その落下があまりにも長過ぎたから。
いつしか落ちているのではなく、昇っているような錯覚を覚えた。
だけど、それもいつの間にかなくなり、遂には何も感じなくなる。

どこに向かっているのかさえ分からない墜落。
その感覚に耐えられなくなったのか、思わず一つの問いが零れた。
「ここ、は……どこ?」
答えを期待してのものじゃない。ただ、何となく頭に浮かんだ言葉が出ただけ。

だけど、予想に反してその問いには答えが返ってきた。
『そうね、あえて言うなら聖杯の中かしら? 正確には、聖杯が開けた孔から続く道の途中だけど』
どこからともなく響く声。
それは聞き覚えのあるような気がするのだけど、どこで聞いたのか判然としない。

段々とその声が近付いていき、やっとその方向がわかってきた。
『まだ全てのサーヴァントが取り込まれていなかったから、少しでも埋めようとしたのでしょうね。
 たいして足しにもならないけど、手近にあった魂(貴女)を飲み込んだのよ。
とはいえ、今となってはそれも無意味でしょうけど』
やっと掴めた声の所在の方を向くと、そこには特徴の掴めない黒い人型の何かがいた。
顔はなく、特徴を表す記号を一切持たない。
全体的に起伏が無く、まるで現実感のないのっぺらぼうのよう。
その何かは、どこが口かもわからないのに言葉を発している。

そうして、それは唐突に私に尋ねてきた。
『一つ聞きたいのだけど、全てを失う代わりに得る残酷な生と、このまま闇に呑まれて消える穏やかな死。
貴女ならどちらを選ぶ?』
奇妙な問いだ。生と死のどちらを選ぶかなんて、普通は聞かない。
だって、そんなことは聞くまでもない事だから。自殺志願者でもない限り、後者を選ぶはずがない。

だけど私は、その問いを無視して次の疑問をぶつけていた。
「あなた…なに?」
何故そう思ったのかはわからない。
だけど、これにたいして“誰”と問うても意味がない気がしたのだ。

問いに応えることなく次の問いを発した私に気分を害した様子もなく、これは愉快そうに答えてくれる。
『ふふふ、さすがは聖杯の護り手、勘がいいのね。“誰”じゃなくて“何”という質問は正しいわ。
 同時に、あまり意味のない問いでもあるけど……』
何が楽しいのか、目の前にいる黒い何かは頭部らしき部分を揺らして笑っている。
そこでふっと気づく、これは私ととてもよく似た声だった。
だからだろうか、その声にどうしようもない違和感を覚える。

そんな私を無視して、黒い人型は上機嫌に話し始めた。
『そうね、今のわたしは貴女の人格を殻として被った“何者でもない誰か”。
 気味が悪いと思うかもしれないけど、その辺りは大目に見てほしいわ。
 だって、そうしないと私は他者と意志の疎通ができないんですもの。
 貴女の人格を借りたのは、単に最初にわたしに触れたのが貴女だったから。
 一々別の殻を被り直すのって、とっても面倒なのよ』
この口ぶりだと、私と会う前からこれは私の殻を被っていたことになる。
いったいそれで何をしたのか甚だ気になるけど、なんとなく聞いても答えてくれない気がした。

だからだろうか、私の口からは別の問いが発せられる。
「なぜ……そんな姿なの?」
『??? ああ、貴女にはわたしが見えていないのね。
 たぶん、今の貴女が剥き出しの魂だからだと思うわ。
 そんな状態で貴女の殻を被ったわたしを見たら、自我の境界が曖昧になるのかもしれないわね。
 それを防ごうとしているんじゃないかしら?』
そうか、私の体はとっくに無くなっていたのか。
なぜか、そのことを特に抵抗もなく受け入れられた。

それに、言っていることは一応筋が通っている。
肉体という明確な境界が無い状態で私の殻を被った存在に触れれば、確かにそういうことも起るかもしれない。
自我境界が緩んでしまえば、こうして対話することすらできないのだから。
これは一種の防衛本能なのだろう。

まだまだ聞きたいことはたくさんある。
切嗣とセイバーは勝ち残り聖杯を手にできたのか。そして、イリヤは運命の枷から解き放たれたのか。
だけど、それらを聞く前にこれは話を元に戻してしまう。
『さて、聞きたいことは多いでしょうけど、あまり時間もないわ。
 そろそろ、さっきの質問に答えてもらえないかしら?』
それは、生と死のいったいどちらを選ぶのかという問いの事。
どうやら、これに答えないことには私の問いにも答えてはくれなさそう。

でも、「全てを失う」代わりに得る生とはどういう意味なのか。
生きているだけでは意味がない。大切なモノのない生なんて、そんなのは空っぽと同じ。
だけど、同時に理解もしていた。生きてさえいれば、もう一度愛おしい二人に会えるかもしれない。
それなら、死を選ぶなど愚行以外の何ものでもないのだ。

なら、選択の余地なんてない。私は、正直に自分の願いを言葉にした。
もしかすると、私はこの時初めて真に自分に正直になったのかもしれない。
「ええ、生きたいわ。私は、もう一度二人に会いたい。
 叶うなら切嗣と、イリヤと一緒に生きていきたい」
それはきっと、ずっとどこかで押し殺してきた願い。
叶わぬと諦め、ならせめて夫と我が子だけでもと目を逸らし続けてきた。
……ああ、もしかしたら私は、本当は聖杯も切嗣の理想もどうでもよくて、二人と一緒に生きたかっただけなのかもしれない。

『そう、確かにその願い承ったわ。
幸い、外にはいくらでも抜け殻があるから、それを使えば新しい入れ物くらいは作れる。
 さすがに聖杯までは再現できないけど、それでも生きられるようにはしてあげられるわよ』
ええ、それで充分。それに、私はもう聖杯には興味がない。

しかし、世の中はそう都合よくは出来ていないみたい。
『だけど、会いたい人たちに会えるかどうかは、終点に着いてみないとわからないわ。
 わたしはたいした力は持っていないから、貴方の行き先までは操作できないし……』
そういえば、これは初めから生と死のどちらを選択するかを問うていたのだった。
それなら、その範疇を超える願いはこれにはどうしようもなくて当然だろう。
でも、それで構わない。生きてさえいれば、きっともう一度会えるから。
ここから先は、私自身でどうにかすることだろう。

けれど、この時の私はこの言葉の意味を真に理解していなかった。
行き着く先は、何もこれまで私がいた場所と同じところとは限らない。
これが聖杯が開けた穴から続く道である以上、その先は世界の外かもしれなかったのに。
私の願いが叶うかどうかは、恐ろしく分の悪い運任せだったのだ。

ああ、でも最後にひとつだけ聞かないと。
だって私は、どうしてこれが願いを叶えてくれるかさえ知らないのだから。
「なぜあなたは、こんなことをしてくれるの?」
『? だって貴女、まだ生きたいのでしょ?』 
返ってきたのは、そんな当たり前のような答えだった。
生きたいと願う者を生かす、なるほど至極当たり前の事だ。
出来るかどうかはともかく、別におかしなことはなにもない。

そこで、これは思い出したようにこう付け足した。
『まあ、わたしが人助けをするなんて本当はルール違反なのだけど、偶にはこんなのもアリじゃないかしら?
それに、そもそもわたしの本質は“人の願いをかなえる悪魔”なわけだし』
そういえば、見ようによっては悪魔とは人間の味方でもあったのよね。
彼らは形はどうあれ、人の苦悩を取り除こうするのだから。
そういう意味では、人を助ける悪魔というのは別に矛盾しない。

『あとは……そうね、あの男への意趣返しというのもあるかしら。
あの男は何も知らない。貴女がいなくなることも、命を繋いでいることも、ね。
 的外れな懺悔や哀悼で心を痛めているとすれば、それはそれで中々に滑稽ですもの』
「それは、どういう…………?」
『ふふふ、それは秘密。それじゃあ、幸運を祈るわ。“お幸せに”』
皮肉気に囁かれたこの言葉を最後に、私は黒い杯のような太陽に呑まれた。

あの太陽こそが、アレの言っていた終点なのだろうと思いながら。



SIDE-はやて

いまわたしは、すずかちゃんと同じベッドで寝とる。
わたしもよくアイリやウチの子たちと一緒に寝るけど、こんなにベッドが大きくないからその時はちょう狭い。
まあ、それで身を寄せ合ったりするわけやから、まんざらでもないんやけど。

目の前にあるすずかちゃんの顔を見ながら、ふっと思いを巡らせる。
「こうして誰かと一緒に寝とると、アイリが来たばっかのころのことを思い出すなぁ」
そう、それまでわたしにとってベッドはただ寝るためだけの場所やった。
せやけどアイリと出会って、一緒に住むようになってからは全く別の意味も持つ場所になったんや。



  *  *  *  *  *



大きな地震があり、あの拾った蒼い石と入れ替わる形で現れた女の人。

初めはもうなにがなにやらわからなくて、ひたすらあたふたしとったんやけど、少しして冷静になった。
「えっと……………どないしょ?」
とはいえ、冷静になったかてこれをどうないせいちゅうねん。

偶然なのか何なのか、とりあえずいきなり目の前に現れた人はわたしのベッドの上におる。
それはええ。気を失ってるみたいやし、安静にした方がいいと思うからベッドに運ぶ手間が省けたのは助かる。
せやけど、何でこの人全裸なん? ちゅうか、それ以前に一体どこから来たん?
「~~~~……よし! とりあえず布団をかぶせとこ」
このままやと風邪ひいてまうし。まあ、一種の現実逃避やね。

布団を被せ防寒対策はしたけど、ここで現実に引き戻される。
さて、この場合は警察? それとも病院? というか、こんなこと話して誰が信じてくれるんやろ。
(いやいや、待てわたし。いくらなんでも全裸の人を引き渡すのはどうや)
不審者と言えば不審者なんやけど、これをただ不審という言葉で済ませてええもんか……。

などと悩んでいるうちに、ベッドを占有している女の人のまぶたが動いた。
「………ん?」
そやな、とりあえず起きるのを待とう。
幸いというかなんというか、この家に泥棒さんが入ってきてもいいことなんてほとんどない。
それになんちゅうか、この眠り姫さんへの好奇心が勝ってもうたわ。


それから間もなく、この人は眼を覚ました。
「………ここは?」
「あ、起きました?」
「え!?」
うわぁ、なんやすごく驚いていらっしゃる。
普通、この場合立場は逆なんやないかな? などと考えている当たり結構余裕があるな、わたし。

「えっと…あなたは? それにここは……」
う~ん、もしかしたらとは思うっとったけど、ホントにこの人もこの状況がわかってないみたいや。
いや、あんな現れ方非常識にもほどがあるし、そうかもしれへんなぁとは思ったけど。

まあ、一番現状を把握してるのはわたしの方っぽいし、とにかく答えてみよう。
「ああ、わたしは八神はやてです。で、ここはわたしの家。
 あと、そのかっこのままだとアレなんで、これでもどうぞ」
そう言って渡したのは一枚のタオルケット。
申し訳ないんやけど、この人のサイズに合う服なんて持ってないもん。特に胸部。

「あ、ありがとう。えっと、ヤガミハ……ヤテ?」
「いや、それやと“八神派やて”や。いくらわたしが関西弁でも、それはどうかと……。
 まあ、外人さんみたいやから無理もないですけど、『八神』『はやて』です」
「え? ……あ、ごめんなさい。私はアイリスフィール。アイリスフィール・フォン・アインツベルン」
むぅ、とりあえず危ない人ではなさそうや。どちらかというと、今の間違い方からしてオモロイ人かも。
ちゅうか凄い名前や。わたしの名前が貧相に思えてくるもん。

ただ、まだまだ現状が飲み込めていないのか、それとも頭がはっきりしていないのか。
その顔はどこかボンヤリしている。
「ここは、あなたのお家?」
「はい。アインツベルンさんはどこから来たんですか?」
「私は…………冬木市から」
答えるまでに少し間があったけど、どうしたんやろ?
でも冬木市か、聞いたことないな。たぶん海鳴の近くではないと思う。

「ここは、冬木じゃないの?」
「ええ、ここは海鳴市です。冬木市ってところは、この近くにはないと思いますけど」
「そんな………あなたは、私がどうしてここにいるか知ってる?」
さて、どうしたもんやろ。正直に答えて信じてもらえるかな?
当事者のわたしからしても、あれは信じがたい光景やった。
それを一応当事者とはいえ、見ていない人に信じろ言うのは無理がありそうや。

といっても、他に説明のしようもないんよね。
生憎、ここですらすら嘘をつけるほどわたしのオツムは優秀でもない。
こうなったら、洗いざらい正直に話してみよう。信じるかどうかはこの人に任せることになるけど。


で、話してみたはええけど、案の定半信半疑な顔をされてもうた。
むしろ、半分くらい信じてもらえただけでもラッキーかも。
その後はアレコレお互いに話をし、とりあえず冬木市に何やら用事があるらしいので、そこに戻るお手伝いをすることにした。
なんや、話していているうちにほっとけなくなって、ここで「はい、さようなら」ってする気にはなれへんかったんよ。

まず手始めに服を調達して、次に冬木市の場所探し……と思ったんやけど。
「でも、服を買ってもらうなんて、そこまでしてもらうわけには……」
「まあまあ、困った時はお互いさまってことで。それに、お金ないんですよね?」
「うぅ……そ、それはそうだけど」
少しゴネられてもうたけど、こう言ったら渋々承諾してくれたわ。
あとで必ず返すということで妥協し、やっとの思いで受け取って貰ったんや。

けど、本当の問題はここからやった。
「冬木が………ない?」
そう、いくら調べても冬木市がなかったんや。
それどころか、よくよく確認してみるとこの人の記憶にある年と今の年がかなりズレてることもわかった。それこそ二十年近く。
後で聞いた事やけど、空間を超えることは時間を超えるという意味もあるのではないか、って言われとるんやて。
だから、時間がズレとったのはそのせいかもしれへんらしい。わたしにはようわからへんけど。

それはそれとして、植物状態で何十年も過ごす人がいるという話は聞いたことがある。
もしかすると、二十年の間に自治体の名前が変わったかもしれへん。
せやから、念のためそっちの方も調べたけど、やっぱり見つからない。
いくらなんでも現代の日本で、それこそ二十年程度前まで使われていた町の名前がわからないなんてことはない。
それはつまり、冬木という町が初めから存在していなことを意味する。

他にも、アイリさん(そう呼ぶように言われた)の知る連絡先とかにも連絡してみたんやけど、どれも繋がらない。
仮に繋がっても、どれもアイリさんが望んだ相手には繋がらなかった。


そうして、行く当てのないアイリさんの帰る場所を探してしばらく経った。
その間は、乗り掛かった船ということでウチに泊まってもらい、余っている部屋の一つを貸した。
というか、そもそもアイリさんは無一文なので、他にはホームレスになるしか選択肢がない。
せやから、そういう事になるわけやけどな。
正直、ずっと一人で暮らしてきたから、家に誰かがいるのが嬉しかったのは秘密。
宿泊代は、断固として後で払うと言ってきいてくれへんかったけど。別にそんなん気にせんでもええのに。

そんな感じに一緒に住むようになって、いろいろな話しを聞いた。
好きなこと、嫌いなこと、故郷のこと、そして家族のこと。
アイリさんはどうもお貴族様らしくお城に住んでいて、旦那さんとわたしくらいの娘さんがいるらしい。
それら一つ一つの話は、わたしにとってどこかおとぎ話のようやった。
ああ、もちろんわたしのことも話したけど。

そんな日々が少し続き、出た結論は……
「まさか……並行世界、だとでも言うの?」
「あのぅ、アイリさん。並行世界ってなんです?」
アイリさんは信じられないという顔で、同時に絶望に染まった顔でそうつぶやき、膝を折って座り込んでもうた。
並行世界ってのはようわからへんけど、一つわかったのは、もう家族に会えへんいうこと。
アイリさんの話を聞いて、どれだけアイリさんが家族を愛しているか分かってもうた。
せやから、その絶望があまりにも痛々しい。

そして同時に、安堵のようなモノも感じた。
(?? なんやろ、これ)
その意味が分からず、わたしは首を傾げたけどスグにそれどころやなくなった。

なぜなら、座り込んでいたアイリさんが、おもむろに立ち上がったから。
「アイリ…さん?」
「今までお世話になっちゃったわね。お世話になった分のお金は何とか働いて返すから、安心して」
そういって、アイリさんは今にも泣き出しそうな顔で無理に笑う。
だけどその言葉は、まるで別れの言葉みたいやん。
その想像に、まるで極寒の中に放りだされた様に心と体が凍りつき、目の前が真っ暗になった。

立ちあがったアイリさんは、その足で玄関へと向かっていく。
「ちょ、ちょっと待って!? どこいくん!?」
「これ以上迷惑をかけるわけにはいかないわ。今までよくしてくれてありがとう。だけど……」
「せやかて、アイリさん行くとこないやん!」
せや、一緒に調べたわたしにはこの人に行く当てがないことはわかりきってる。
お金もなくて、行く当てもない。そんな状態で、一体どうするつもりや!?

アイリさんは明らかに気が動転しとる。
この先どうするにしても、一度落ち着かな話にならへん。

せやけど、そのまま足を止めずに玄関へと向かっていくアイリさん。
わたしはなんとか引き留めようと、車イスを走らせる。
「ま、待って! とにかく話を…あ!?」
ガシャン、と途中で車椅子がバランスを崩して倒れてもうた。
たぶん、無理に角を曲がろうとしたから……。

せやけどその音を聞いて、やっとアイリさんの足が止まった。
「っ!? はやて!!」
「だ、大丈夫。ちょう転んだだけや」
大急ぎで駆けよってくるアイリさん。
その顔には、抑えきれないほどの焦りと悲しみ、そして心配の色があった。

その顔を見てわたしはふっと思った。
(ああ、なんやお母さんみたいやな)
お母さんのことはもうあんまり憶えてへんけど、もし生きてたらこんな感じなんやないかと思った。
それと同時に、どうしようもないほど心があったかくなるのを自覚する。

そして、やっとさっきの安堵の意味を悟った。
(はは、そうか……帰るところがなければ、アイリさんがずっといてくれると思って、それで……)
それで、安心したんやな。そのことを自覚して思わず涙が出てくる。
まったく、自分のことやけど嫌気がさすわ。

わたしはアイリさんのことを心配してたんやない。
ただそれを、アイリさんと一緒にいる口実にしてただけや。
そんな自分の醜さに、汚さに、どうしようもなく腹が立つ。
(なんてバカなんや…わたしは)
これやったら、アイリさんが出て行ってまうのも当然やんか。

駆け寄って抱き起こしてくれるアイリは、そんなわたしを見て動揺を露わにする。
「は、はやてどうしたの!? ケガ? と、とにかく救急箱を!」
「……ちゃう、そんなんちゃうんよ。ただ…自分の事が嫌いになっただけ……やから」
「え?」
アイリさんにしがみつき、顔を隠す。
こんな汚いわたしの事を見て欲しくない。アイリさんが家族のところに帰れないことを、僅かでも喜んだ自分が許せへん。

「……ヒック。ごめん…な…さい。ごめん…なさい。ごめんなさ…い。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!! ごめんなさい!! ごめんなさい!! ごめんなさい!!! ごめんなさい!!! ごめんなさい!!!!」
「はやて?」
ただ、そうとしか言えへん。他に、何と言って謝っていいか分からんから。
わたしは、なんてことを考えてもうたんや。

そんなわたしを、アイリさんは優しく抱きしめて頭を撫でてくれた。
「泣かないで。私は、はやてに泣いて欲しくない。あなたのためなら、私はなんだって……」
「………う……うぁぁあぁぁぁぁぁぁ―――――――――っ!!」
その感触があまりに優しくて、あまりにあったかくて。ますます涙が止まらない。
わたしには、こんな風にしてもらう資格なんてないのに。



その後、どれくらい泣いていたのかはよう覚えてへん。

泣き疲れて眠ってしまって、起きるとそこにはわたしの手を握るアイリさんがおった。
行かないでくれた。そのことが嬉しくて、同時に引きとめてしまったことが申し訳なくて、また涙がにじむ。
なにより、この人の傍にいることに罪悪感が募った。

そして、わたしは全てを打ち明けた。
話す事は怖かった。だけど、それ以上に何も言わずにいることに耐えられなかったから。
その結果、この人がわたしのもとを去ってしまうとしても、それは仕方のないことのように思った。
いや、そう思おうとしてたんやろな。

そんな汚いわたしへの、アイリさんの答えは……
「ごめんなさい」
そう言って、アイリさんは握っていたわたしの手を離す。
ほらな、やっぱり一緒にいてくれるはずがない。
だってわたしはこんなにズルくて、こんなにヒドイ人間なんやもん。それが当たり前や。

短かったけど、それでも幸せな時間を過ごせたんや。わたしは、それで……。
「……ごめんなさい。
はやてが、そんなに苦しんでいたなんて……私は自分のことで精一杯で、気付いてあげられなかった」
「え?」
次に耳に届いた言葉は、私の思っていたモノとは違った。それは拒絶ではなく、どこまでも深い悔恨。
その両手はこれ以上ない位に握りしめられ、あまりに強く握ったせいで震えている。
それどころか、僅かに血が滲んでいた。

それをやめさせようと声をあげかけて、それを制するようにアイリさんはためらいがちにこう尋ねた。
「はやては……私の事が、好き?」
「え? えっと……」
「私は、はやての事が好きよ。
はやてさえ許してくれるのなら、私はずっとはやての傍にいたい。イリヤの代わりじゃないって断言はできないけど、それでもあなたの成長を見ていきたいと思っているのは、紛れもない本心よ。
 そ、それにほら! 私行く当てなんてないし、どこにもいかないことだけは保証できるわ」
あははは、と困ったようにアイリさんはわかりやすくいくらいに頑張って笑う。

初めは、アイリさんの言っていることが分からへんかった。
だってそれは、わたしが心の底でずっと願っていたこと。
だけど、こんなわたしにそんな資格があるんやろか。そんなことを望んでも、良いんやろか?

困惑する私に向けて、アイリさんは相変わらず困った笑みで語る。
「本当は、私の方から言い出すようなことじゃないと思うの。だって、それははやてに強制するようなものだし。
 はやては優しいから、私がそう言ったらきっと嫌でも頷いちゃうわ」
嫌やなんて、そんなこと考えたこともない。
わたしにとって、アイリさんとの日々は幸福でこそあれ、疎む様なモノやなかったから。

アイリさんと出会ってから、毎日が楽しかった。
誰かのために料理をするのが、あんなに嬉しいなんて知らへんかった。
家の中に自分以外の人がいることが、あんなにあったかいなんて知らへんかった。
ベッドの中で孤独じゃない事が、あんなに安らげるなんて知らへんかった。
みんな、みんなみんな、全部アイリさんが教えてくれた事や。
それを手放したくなくて、また独りになることが怖くて、わたしはあんなヒドイ考えを持ってしまったんやから。

アイリさんには帰る場所があって、帰りを待つ家族がおる。
だから、縛っちゃあかん思って…いや、拒絶されるのが怖くて言い出せんかった。
でも、アイリさんもそれを望んでくれているのなら。
「………あぅ……ぁ…………あぁ……ああぁぁぁぁぁぁあぁあぁぁぁ―――――――っ!!!
……わた、わたしは…………アイリさんと…いたい! ずっと、ずっとずっと一緒にいて!!
 わたしを独りにせんといて!! もう独りは嫌や!!!」
言い募るほどに涙が零れる。だけどそれは、さっきのそれと違う。
さっきのような嫌な涙やない。嬉しくて、幸せで、今までに無いくらい心があったかくて溢れる涙。

本を読んで感動して泣いたことはあった。
孤独の寂しさに耐えられなくて泣いたこともあった。
ついさっきは、自分のバカさ加減が許せなくて泣いた。
だけど、人は嬉しくても泣けるのだと、この日初めて知った。

ボロボロと流れる涙で汚れたわたしを、アイリさんはまた優しく抱きしめてくれる。
「誓うわ。私はあなたを置いてどこにもいかない。
 私があなたを守る。はやてが望んでくれるのなら、私は命ある限り傍にいる。
 この身は聖杯。あらゆる願いを叶える万能の釜。故にはやて、あなたのその願いを叶えましょう」
これが契約。アイリさんからのやない。わたしからのでもない。
わたしとアイリさんの間で交わされた、不変の契約。

この日、わたし達は家族になった。



  *  *  *  *  *



「いや、なんちゅうか、こうして思い出すとえらい恥ずかしいな」
自分のあまりの醜態に、場もわきまえずに身悶えそうや。

そうそう。そういえば、あのスグ後やったな「さん」付け禁止令。
家族として暮らす以上、そんな他人行儀なのは認めません、て。
そして、アイリが全てを打ち明けてくれたのも。
色々調べてどうも魔術師がいないっぽいという結論に至ったのもあるけど、それ以上に隠し事をしたくないちゅうことで一通り全部教えてもらったんや。

けど、一部黙秘権を行使されて「はやてにはまだ早い」って、教えてくれへんこともあったけど。
まあ、そのうち教えてくれるやろ。そのことには特に不安はないし、気長に待つつもりや。
だって、わたし達は家族なんやから。

いや、もちろんさすがに初めは疑ったんよ。
魔術に神秘、聖杯、ホムンクルス、その他諸々。どれも、わたしにとってはフィクションの中の話やから。
せやから驚いたわ。アイリが『Shape(形骸よ)ist Leben(生命を宿せ)』って詠唱? をしたら、持ってた針金が動き出しんたんやもん。針金が縦横に輪を描き、複雑な輪郭を形成し、互いに絡まり、結束し、まるで藤編み細工のように複雑な立体物を形成していく様は圧巻やった。
そして、元はただの針金だったはずのそれが、遂には猛々しい翼と嘴、そして鋭利な鉤爪を持つ勇壮な鷹になったんやから。
アレ見たら信じんわけにはいかへんて。

それと、本来はアイリの体の中にあったはずの聖杯は、もうその存在を感じられへんらしい。
でもまあ、それは別にええ。だってわたしの願いは、アイリがいてくれるだけでかなっとるんやから。
それどころか、シグナムにヴィータ、シャマルやザフィーラまでいてくれるようになった。
それで、わたしは十分に満たされとる。せやから、別に万能の願望器ってのには興味がないんよ。

そう言ったら、アイリははにかむ様に笑っていた。
どうも、聖杯ではない自分というのに少し自信がなかったらしい。
まあ、生まれた時からそうやったんやから、そんなものかもしれへんな。

ただ心配なのは、聖杯がないせいかアイリの体はちょう不安定なこと。
魔力の大半を生命活動に回し、自由にできる魔力はそう多くないらしい。
これは、わたしの前で魔術を使ってくれてわかったこと。
日常生活を送る分には問題ないけど、魔術師としては決定的な欠陥て話や。
まあ、要は使わなければいいだけやし、使う必要もないから大丈夫やと思う。

ちなみに、わたしに魔術の才能は欠片もあらへんかったけどな。魔術回路0、どないや!!
とはいえ、アイリから聞く分には魔術は人間が使うと相当苦しいらしいんやけど。
そういう理由もあって、アイリとしては調べること自体ノリ気やなかった。
結局全く適正無しとわかった時のアイリは、それはもう安心してたなぁ。

まあ、アイリを悲しませなかったのはよかったと思うから、別にそこまで残念でもないかな?
ああ、それとこれはウチの子たちにも言える。
なんでも元からそんなモノは想定していないらしく、構造的に存在する筈がないって話や。
同様に、アイリにもリンカーコアはない。これもウチの子たちと同じ理由やね。
せやから、思念通話ができないのはちょう残念かな?

でもわたしは、みんなが笑ってくれているなら、それで十分幸せや。



SIDE-シャマル

食事を終え、お水を持ってアイリさんの様子を見に行っていたシグナムが降りてきた。
「シグナム、アイリさんは?」
「眠っている。さすがに、疲れたのだろう」
元々体はそう丈夫な人じゃないし、できればしばらくじっくり休んでもらいたい。

幸い、管理局への顔見せはできた。これで、アイリさんを主と思ってくれるはずだ。
少なくとも、主の最有力候補としては見てくれる。
それだけでも意味があるし、同時にもうアイリさんを連れ回す必要性はない。
一度見せれば十分なのだから、これでアイリさんにはこっちでゆっくりしてもらえるだろう。

そうして、シグナムは夜空を見上げる。その横顔を見ていて、何となく思った。
「もしかしてあの頃のこと、思い出してる?」
「ああ。わかるか?」
昔だったら、きっとわからなかった。
でも今なら、何となくだけどあなたの考えていることが分かる気がする。
あなただけじゃない、みんなのことも。

「変わったわね、私たち」
「全ては、あの日。主はやてが我等のマスターとなり、同時に我等が初めて家族となった日に、だろうな」
ええ、きっとそれが運命の転機。
ただ戦うだけの道具として過ごしてきて、幸せの意味も知らなかった無知な私たち。
そんな私たちが、こうして幸せをかみしめることができるのも、すべては二人のおかげ。

忘れることなんて、できるはずもないわよね。



  *  *  *  *  *



あの時は、まあ……驚いたわ。

はやてちゃんの誕生日であり、闇の書が起動した夜。
私たちが新たな主に拝謁すると、その年若い主はいきなり気絶。
たぶん、幼い体に闇の書の起動はちょっとショックが大きすぎたのでしょうね。

どうしたものかと困惑していると、慌ただしい音を立てて部屋の扉が開かれた。
「はやて!?」
そうして、動揺を露わに入ってきたのがアイリさんだった。
一応自室を持っていて、基本的にはそっちでアイリさんは寝ている。
まあ、頻繁に一緒に寝たりしていて、そんな部屋割にはあんまり意味がなかったみたいだけど。今でもそうだし。

だけど、そんなことは露知らぬ私たちは、警戒を顕わにして対峙した。
「何者だ!」
決して大きくない声で、だけど大抵の人を圧倒する気迫を持ってシグナムが問うた。

だけどアイリさんは、それに毛ほども圧されることなく、私たちとはやてちゃんの間に立ち塞がる。
「はやてに…………何をしたの」
その眼には、見たこともないような強い輝きがあり、私たちは一瞬その光に呑まれた。
明らかに私たちより弱いとわかる相手に、一瞬とは言えシグナムさえも気圧されたのだ。

一度は気圧されながらも、すぐさま立て直してシグナムがアイリさんと睨みあう。
「………我々は何も。元より主…その御方に対して害意はありません」
絞り出すように、ゆっくりと言葉を選びながらシグナムは言う。

目の前の人物が主に危害を加えようとしていないことは、今の様子を見れば分かる。
危害を加えるつもりなら、いくらでもチャンスはあったから。
とはいえ、それでも何者か分からない相手であることも事実。
この位置関係だと、迂闊に刺激すれば主を危険にさらす可能性は否定できない。
だからこそ慎重に、なおかつスグに主を守れるように対処せざるを得なかった。

それでも、決して警戒を緩めることなくアイリさんは私たちを睨み続ける。
「……………………………………………いいわ、信じましょう。
そちらの方が数は多いし、嘘をつく意味なんてないものね。とにかく、はやてを病院に……!」
「それならば、我等も……」
「それはダメよ」
シグナムの申し出……というか、護衛の意志をばっさり切り捨てたアイリさん。
まあ、こっちの素性やらなんやらがわかってなかったんだから、今思えば当然なのだけど。

それに対し、眉間に皺をよせるシグナム。
「貴女に何の権利あると?」
「私はこの子の家族…母親よ」
その言葉に、私たち全員が顔をしかめる。
今思えば失礼だろうけど、あの時は仕方なかった。

だって、二人は親子というには……
「あまり似ておられませんが?」
「ええ、確かに血の繋がりはないわ。
でも、私はこの子…はやてを愛している。それは、誰にも否定させない」
言葉は静かだった。それだけに、一語一語が重く私たちに染み渡り、重石のようにのしかかる。
それは私たちに向けられたものというよりも、世界そのものに向けられたようだった。

そこで、私はすぐ隣にある机に立てかけられている写真に気付く。
「シグナム」
「なんだ、シャマル」
「これを見て」
そこには、無邪気に笑う新たな主と、その手を握る優しい微笑みを浮かべた目の前の女性が写っていた。
咄嗟にこんなものを用意できたとも思えないし、一応は目の前の女性の言葉と辻褄も合う。

シグナムはしばし黙考し、その言い分を信用することにしたようだ。
「…………………………………………わかりました、貴女が主に近しい方であるというのは事実なのでしょう。
ですが、それだけでは納得できません。なぜ同行許していただけないのか、その理由をお聞かせ願いたい」
「あなたの言葉は信じたけど、だからと言ってあなた達のことを信用したわけじゃない。
 どこのだれかもわからないあなた達を、そうそう信じられるはずもないことくらいはわかるでしょう?
 それに、そんな人間を連れて行って不審に思われない筈がないし、病院の人に説明のしようがないわ」
まさか、即席で親戚云々と言った設定をでっちあげるわけにもいかない。
だってそんなの、あからさまに苦しいのはわかりきっている。

「その様子じゃ、出て行けと言っても聞かないんでしょ?
だから、私たちが戻るまでここにいなさい。これが最大限の譲歩。話しは、それからよ」
有無を言わせぬアイリさんの態度に、なぜか私たちは逆らうことができない。
まるで、金縛りにでもあったかのようだった。

そうして、はやてちゃんを抱えたアイリさんは電話で病院に連絡すると、すぐに家を出て行ってしまったのだ。



半日後。

無事戻ってきた二人に、私たちは自分たちのこと、闇の書のことを話した。
当初、アイリさんが同席するのを拒もうとしたのだけど……
「アイリはわたしの家族や。その家族を蔑にする気はないし、アイリも聞けんのやったらわたしも聞かん」
と、はやてちゃんが主張し、主の命ならばと私たちが折れる形になった。

そして、一通りの話を聞き終えたはやてちゃんは、苦笑するようにつぶやいたのをよく覚えている。
「あれかな? わたし、もしかしてそういう星の下に生まれたんやろか?」
その時は言ってる意味が分からなかったけど、はやてちゃんは問うようにアイリさんを見た。
それに対し、アイリさんも私たちのことを警戒しながらも、困ったような笑顔で応じる。

まさか、その少し前に似たようなことがあったとは、私たちにわかるはずもなく。
ただ、二人の言っている意味が分からずに、首を傾げるしかできずにいた。

「そういえば、アイリがこの本に魔力を感じるって言うてたけど、そういうことやったんやね。
 それにしても、魔術の次は魔法かぁ。
なんや、すっかりファンタジーの世界に飛び込んでもうたみたいやな、わたし」
「はぁ……」
その言葉の意味を理解できず、言葉を濁す私。
わかったのは、主の横に立つ女性は魔力の存在を知る人物なのだということ。

机に向かい何かを探していたはやてちゃんは、目当ての物を見つけたのかこちらに移動しながら言葉を重ねる。
「まあ、とりあえず、わかったことが一つある。
 闇の書の主として、守護騎士みんなの衣食住きっちり面倒見なあかん言うことや。
 幸い住むとこはあるし、料理は得意や、ね?」
そう言ってはやてちゃんはアイリさんに見やり、アイリさんは呆れたような困ったような、だけど優しい笑顔で応じていた。まるで「しかたがないな、この子は」という声が聞こえてきそうな、そんな笑顔で。

はやてちゃんは手に持った物から布のようなモノを引っ張り出し、その目的を明かす。
「で、みんなのお洋服買うてくるから、サイズ測らせてな」
『…………は?』
私たち全員、その言葉に呆気に取られ間抜けな声を発してしまった。

そんな私たちを見て、アイリさんは……
「まあ、そんな格好でうろつくわけにいかないし、私の時もそうだったから気にしない方がいいわ。
 主の配慮を受け取るのも、騎士の努めよ」
と、苦笑しながら語ったのよね。



  *  *  *  *  *



その後、しばらくの間穏やかな日々が続いた。

新たな主は闇の書の完成を望まず、人様に迷惑をかけるくらいなら、今ある幸福で充分と考え。
アイリさんは脚の事をよく考えるように言いはしたけど、最終的にはその意志を尊重し是とした。
となれば、私たちが何を言う必要もない。それが主の決定であるのなら従うだけ。

そうして、血の繋がらぬ者達が家族として過ごす、奇妙な共同生活が始まった。
ある時はみんなでピクニックに出かけ、またある時はシグナムと人間形態のザフィーラを荷物持ちにお買い物をし、時にはいつもお世話になっているはやてちゃんに感謝し、みんなでこっそりプレゼントを用意したりもした。
他にも、私とアイリさんではやてちゃんやヴィータちゃんを着せ替え人形にしたこともある。
そういえば、ヴィータちゃんがはやてちゃんに買ってもらったお気に入りの『のろいうさぎ』。アレに、アイリさんが悪戯でヴィータちゃんの意識を転移させたこともあったわね。
アイリさんがヴィータちゃんを猫可愛がりしたりして、はやてちゃんがヤキモチを焼いたこともあった。

そうそう、いつだったかそんな私たちを見て、石田先生が「なんというかアイリさん、いつの間にかすっかりお母さんしてますね」と言っていたけど、たぶんその通りなんだと思う。
だって、それを聞いて誰も違和感を覚えなかったから。
むしろ、全員がどこか照れたように顔を赤らめていたほど。

その中で、アイリさんの素性や故郷とも呼ぶべき世界でのことを聞く機会もあった。
並行世界の概念にはじまり、御家族のこと、現代の文明で再現可能な神秘である魔術と再現不可能の神秘である魔法。アイリさんが身を置いた聖杯戦争という名の大儀式。
どれもこれも信じられないモノだったけど、いくつかの証拠を提示され信じるしかなかった。

とりわけはやてちゃんが……いえ、私たち全員が興味を引かれたのが、聖杯戦争に参加した英霊たちの話。
御家族のことにも興味はあったのだけど、その話をする度にアイリさんの顔に浮かぶ悲しみもあって、その話に触れることは少なかったから、結果そちらの話が多くなった。

そこで飛び出した名前は、この世界の神話や歴史を知らない私たちにとっては、イマイチその凄さがわからないモノだった。
だけど、本好きでもあるはやてちゃんはその名前一つ一つに目を輝かせ、私たちにも丁寧に教えてくれた。
そのおかげで、私たちにもその儀式の突拍子のなさと非常識さ、そして壮大さが僅かに理解できた。

はやてちゃんの財産管理をしている「グレアムおじさん」の故郷でもある「イギリス」。その大英雄にして、ブリテンの赤き竜、全ての騎士の誉と称された「騎士王 アーサー」こと、セイバー(剣の騎士)「アルトリア・ペンドラゴン」。
同じ英国のケルト神話に名高いフィオナ騎士団随一の騎士にして、グラニア姫との悲恋において数多の武勇を打ち立てたことでも知られる、ランサー(槍の騎士)「輝く貌 ディルムッド・オディナ」。
アレキサンダー、またはアレキサンドロスなどの名でも知られる、マケドニアの王にして「東方遠征」の偉業を成し遂げ、世界征服に手をかけたと称される、ライダー(騎乗兵)「征服王 イスカンダル」。
フランス救国の英雄として元帥の座にまで登り詰めながら、その栄光に背を向けて黒魔術の背徳と淫欲に耽溺した「聖なる怪物」、狂気に堕ちた英雄、キャスター(魔術師)「青髭 ジル・ド・レェ」。
そのクラス名アサシンの語源となった暗殺教団の歴代頭首の一人、皮と鼻を削ぎ落とし、誰でもなくなることで「山の主の座」を受け継いできた、唯一英霊ではない者、アサシン(暗殺者)「山の翁 ハサン・サッバーハ」。
残りの「アーチャー(弓の騎士)」と「バーサーカー(狂戦士)」については、アイリさんもその正体を知らないらしい。

だけどキャスターとアサシンを除けば、残りの三人は紛れもなく誰もが憧れる名立たる英雄揃い。
真名のわからない二人にしても、それに勝るとも劣らない人たちなのだろう。
アイリさんはアーチャーの事を、かなり性格に問題があったと言っていたけど……。
でも、セイバーとランサーの正体とその伝承を聞いたシグナムの顔には、抑えきれぬ子どもの様な興奮があった。
ヴィータちゃんも素っ気ない顔をしつつ、結局ははやてちゃんから二人の伝説を教えてもらおうとせがんだ。
ただ、「鉄槌の騎士」がいないことに文句を言っていたわね、そういえば。

アイリさんは、そんな彼らの戦いをゆっくりと思いだしながらできる限り詳細に教えてくれた。
ただ、キャスターの所業や所々で言葉を濁し「未成年お断り」と口をつぐんでいたけど。
でもそれが、はやてちゃんのことを思ってのものだったことは想像に難くない。

そんな中でアイリさんがこう言っていた。
「ごめんなさいね、できれば最後まで教えてあげたいのだけど、私はこの物語を途中までしか知らない。
 だから、お話はここでおしまいなの」
そう語るアイリさんの顔には、一抹の寂しさがある。
残してきた家族、果たされたか分からない願い。それを想えば、その気持ちも無理はない。

場の空気が重くなりかけたところで、それを払拭するようにヴィータちゃんがこう言いだした。
「そうだ! いっそのことさ、今の話を本にして出しちゃえば?
 どうせこの世界にそれをして文句言う奴だっていないし、最後とかヤバそうな部分は適当に脚色したりしてさ」
「ほぉ、面白いことを考えるな」
その話を聞き、シグナムが感心したようにヴィータちゃんを見る。
たしかに、それは面白いかもしれない。最後の方は、やっぱりハッピーエンドになるようにして。
どんな評価がつくかはわからないけど、一応実体験に基づくわけだし、リアリティはあるわね。

なにより誰に迷惑をかけるわけでもない。
もし少しでも売れたりしてくれれば、家計の助けにもなるわ。

話題が変わったことでアイリさんの表情も少し柔らかくなった。
そのまま少し思案したようなアイリさんは、シグナムを見る。
「そうね。ここには良いモデルもいるし、新しく追加するセリフとかは、みんなの意見を参考にしても良いわ。
例えば、シグナムはセイバーに似ていると思うの。
あなたのその生真面目さや実直さは、彼女を思い出させるから」
「きょ、恐縮です」
同じ剣を主武装とし、騎士の誉と称される聖君アーサー王にシグナムは憧憬や尊敬の念を抱いていた。
同時に、常々「出来れば、一度手合わせ願いたかったものだ」とも語っていたけど……。
ただ尊敬するだけではなく、そうして武を競いたいと思う辺りが彼女らしい。
ああ、他にも「騎士道について語り明かしたい」とも言っていたっけ。

だけどそんなシグナムを見て、ヴィータちゃんが対抗するように尋ねる。
「ねぇアイリ。じゃあ、あたしは?」
「そうねぇ……ライダーかしら?」
「えぇ!? なんでだよ!!」
「だって、なんかこう、障害があっても力尽くで強引に進んでいく所とか、似てると思うのよね。
 まあ、セイバーにもそういうところがあったから、英霊は皆そんなモノなのかもしれないけど……」
なるほど、確かにヴィータちゃんはそんなところがありますよね。
でも、ちょっと私のことは聞きたくないかなぁ。
ないとは思うけど、キャスターなんて言われたら泣いちゃいます。

それに対し、断固抗議するヴィータちゃん。
でも、はやてちゃんも含めてだれも加勢してくれずに不貞腐れたりしていた。
あのザフィーラでさえ、ふっと笑って「似合っているぞ」と言っていたものね。

そうやって、みんなが思わず笑顔を零す、幸せな日々。



だけど、そんな日々に影が射した。

それは、私たちがはやてちゃんの元に現れてから半年が経った頃。
はやてちゃんの足の病の進行、それにともない麻痺が少しずつ上に進行して言っていることが判明した。
いずれ、それは内臓機能の麻痺に発展し、命にかかわるであろう事も。

その原因は病気ではなく、闇の書。言わば、闇の書の呪いとも言うべきもの。
はやてちゃんと密接に繋がっていることで、抑圧された強大な魔力がはやてちゃんの体を蝕み、健全な肉体機能はおろか、生命活動さえ阻害していたのだ。

それは、闇の書が第一の覚醒を迎えたことで加速した。
覚醒と共に現れた私たちの活動を維持するため、僅かにやてちゃんの魔力を使用していることも無関係ではない。
つまり、私たちの存在が、はやてちゃんの病を進めてしまっているということ。

だけどそれは、私たちにはどうしようもないこと。
私たちが消えればその分の負担は消えるけど、それでは根本的な解決にはならない。
いずれ徐々に闇の書の呪いは進行し、遠からず同じ結果が待ち受ける。
なにより、はやてちゃんがそんなことを望まないことくらい、私たちにも理解できた。

私や石田先生だけじゃなく、アイリさんも魔術方面で方々手を尽くしてくれた。
だけど、結局は僅かに進行を抑えるのが関の山。
如何に聖杯の護り手とはいえ、その身の内に聖杯を持たず、それどころか生命活動自体にやや不安定なところのあるアイリさんに、できることはそう多くはなかった。

だから、最終的にこの結論に至るのは、自然な流れだったのだと思う。
とあるビルの屋上で、私たちは決意を以て集った。
「主の体を蝕んでいるのは闇の書の呪い」
「はやてちゃんが、闇の書の主として真の覚醒を得れば」
「我等が主の病は消える。少なくとも、進みは止まる!」
「はやての未来を血で汚したくないから、人殺しはしない。
 だけど、それ以外なら……なんだってする!!」
これしか、私たちに出来ることはこれしかない。
許されることとは思わない。だけど、そのために必要ならどんな罪でも犯す。
その結果、主のお叱りを受け罪の罰を受けることになろうとも。
それで主を……はやてちゃんを救えるのなら!!

「申し訳ありません、我等が主。ただ一度だけ、あなたとの誓いを破ります。
 我等の不義理を「ああ、やっと見つけたわ」っ!!」
シグナムが最後の言葉が中断される。

その声の主は……
「アイリ…スフィール……」
屋上に出る扉、そこにはもう一人の家族がいた。

「まったく、探したわよ。たぶんこんなことだろうとは思ったけど」
アイリさんは息を切らしながら、私たちを見てそう語る。
その顔には、怒りとも呆れともつかない表情があった。

「申し訳ありません、アイリスフィール。ですが……」
「はい、ストップ。あなた達の考えていることはわかってるつもりよ。
 それより、まず私の話を聞きいてちょうだい」
そう言われて、私たち全員の動きが止まる。
いつの間にか、すっかりこの人の頭が上がらなくなってしまった。

たぶん、アイリさんは私たちを止めに来たんだと思う。
だけど止まれない。だって、私たちにはそれ以外に方法がないから。
いくらアイリさんの言葉でも、それこそはやてちゃんの言葉でも止まるわけにはいかない。

そう、思っていたら……
「安心して、別に止めるつもりなんてないから」
「「「「え?」」」」
「だって、私じゃあなた達を止められない。言葉でも力でも、ね。
 私は止めるためじゃなくて、文句を言いにきたの。ああ、あと提案もね」
文句? 提案? いったい、なにを……?
いえ、文句というのならわかる。だって、私たちのせいではやてちゃんが……。
だからせめて、その責任くらいは取らないと。きっと、アイリさんもそのつもりで。

だけど、そんな予想はそれが当たり前のように裏切られる。
「まったく、何で私だけ仲間はずれにするの! あんまり苛めると、泣いちゃうわよ!」
可愛らしくプンプン怒りながら、アイリさんは私たちを叱る。
そう、普段と変わらない様子そのままで。

予想外の対応に、思わず困惑の言葉が口から漏れる。
「え? いえ、苛めるって……そんなつもりは……」
「反論禁止!」
その言葉と共に、何とか否定しようとする私の額に「ズビシ!」とチョップが入る。

あまりの事に額を押さえながら呆然となる私。「こ、これがDV!?」とか思ってはいません。
他のみんなも、一歩下がってチョップが来ないように警戒している。
「だってそうでしょ、はやてを助けたいのは私も同じ。
 そりゃ、私はあなた達と違って戦う力なんてほとんどないし、足手纏いになる自信だけは誰にも負けないけど」
いや、そんなことを自信満々に言われましても。

「でもね、そんな私でも出来ることはある。例えば、もしもの時にはやての身代わりになるくらいは「ま、待ってください、アイリスフィール!! それは!?」…なんと言っても聞きません! もう決めました! お母さん権限であなた達の意見は全却下!!」
もう独裁もいいところである。それこそ、過去の主達がかわいく思えるくらいの横暴ぶり。
誰ですか、この人にこんな強権持たせたの……って、私たちでしたね。

「苦しい時に支え合って、辛い時に力になるのが家族でしょ。
 で、今がその時でなかったら、いつがそうだと言う気?」
「しかしこれは、我等の責任で……」
「そう? じゃあ、あなた達ははやてがああなることを望んだのかしら?」
「そんなことは!?」
そう、そんな筈がない。私たちだって、こんな事態になるなんて思ってもいなかった。
だけど、なってしまったモノはどうしようもない。過去を変える力がない以上、せめて未来を変えないと。
そう思ったからこそ、私たちはあの誓いを破ることを選んだのだ。
それが、はやてちゃんへの裏切りと知ってもなお。

そんな私たちの気持ちなどお見通し、という風でアイリさんは優しく語る。
「ええ、だからこれはあなた達の責任じゃない。不可抗力、どうしようもなかったのよ。
 できることがあったのにしなかったのなら、それはあなた達の責任だけど、今回はそうじゃない。
 あなた達はただそこにいただけであり、はやてとの誓いを守っただけ。どこに責任があるというの?」
「それでも、我等の存在が主はやてを……」
「そうね。確かにそれは一面の事実。
でも、それはあなた達にとっても不本意なことでしょ。私には、あなた達に非があったとは思えない。
 なにより、はやてが言うと思う? これはお前たちのせいだ、と」
言わない。言う筈がない。あの優しいはやてちゃんが、そんなことを言うなんてあり得ない。
それが分かる程度には、私たちは今の主と心を通わせているつもりだ。

「それにね、今は責任云々なんてどうでもいいでしょ。
 何もできないという意味で言えば私もそうだし。仮にあなた達に罪があるとしても、それは私も同罪よ。あの子の異変に………私も気付いてあげられなかった。これじゃ、母親失格だわ。
 だけど、そうやって悔やんでいても状況は良くならない。今考えるべきは、どうやってはやてを助けるか、のはずだと思うけど?」
「それは、確かに……」
「だから、私は私に出来ることをする。家族を救いたいのは、なにもあなた達だけじゃないんだから。
 力のない私にも、身代わりくらいならできる。それくらいは……させてちょうだい」
そう言って私の手を握るアイリさんの顔は、さっきまでと違って今にも泣き出しそうだった。
いえ、事実その紅い眼いっぱいに涙をため、何とか零れるのを抑えている。

ああ、そうか。この人も何もできないことを悩み、苦しんでいたんだ。
アイリさんは、お子さんの為、旦那さんの理想の為に自身の命を差し出そうとまでした人。
そんな人が、はやてちゃんを救うために何もできないことを良しとするはずがない。

いつの間にか、そんなアイリさんの周りにみんなが集まっていた。たぶん、その思いは私と同じ。
「アイリ……」
「………………」
なんと声をかけていいのか分からないのか、ヴィータちゃんとザフィーラはただ身を寄り添わせる。

そこで、意を決してシグナムが話しかけた。
「アイリスフィール………………わかりました。申し訳ありませんが、お力を……お借りします」
そう言って、深々と頭を下げるシグナム。
きっとシグナムの中でも色々な葛藤はあったはず。だけどそれを見せず、ただその意志のみを口にする。

おそらく、何と言ってもアイリさんはその決意を曲げない。
そうとわかったからこそ、シグナムは折れたんだ。



アイリさんはすでに私たちのしようとしていることを、さっきの言葉通り概ね察していた。
だけど、改めて私たちの口から聞いて、その決意を問う。
「きっと、許されることじゃないわ。被害者にも、もちろんはやてにも。それは、わかってる?」
「……はい。重々承知の上です」
「でも、今はそれしかないのよね?」
「……はい。我々には、これ以外の打開策がありません」
シグナムの返答に、アイリさんは一言「そう」と悲しそうにうなずいた。
やっぱり、この人としてもそんなことは出来ればしたくないのだろう。

ならまだ間に合う。今ならまだ、見て見ぬふりをしてくれれば、その罪は私たちだけで……
「ダメよ! あなた達だけに背負わせるなんて、できるわけないじゃない。
私はあなた達と共に行き、共にその罪を背負います」
静かな言葉で語られた決意。あまりに静かなそれは、逆に一切の反論を封じていた。

思わず涙が出る。ハラハラととめどなく涙が零れて止まらない。
そんなことをさせてしまうことが申し訳なくて、一緒に背負うと言ってくれたことに救われて。
様々な感情がないまぜになり、ただ涙となって溢れ出す。
それは私だけのものじゃなく、みんながそれぞれに涙を流していた。
ヴィータちゃんは声をあげてアイリさんにしがみ付き、シグナムやザフィーラでさえ数条の雫を頬に伝わせて。

こうして、私たちの方針は決まった。
闇の書の蒐集は行うが、極力対象を傷つけず、殺害は絶対の禁忌とする。
はやてちゃんの未来を、血で汚していいはずがないから。
そして、もし管理局に捕捉された場合には、アイリさんを偽りの主として振る舞う。
決して、はやてちゃんを真の主とは気付かせずに事を為すために。

これが私たちの間で定められ、交わされた誓い。



  *  *  *  *  *



「取り戻したいわね。あの時間を」
「ああ」
全てが終わった時、私たちがどうなっているかはわからない。
管理局に捕まっているかもしれないし、何人か欠けているかもしれない。
だけど今は、とにかく進んで行こう。今できることを、精一杯。それが、たとえ罪深い事でも。

もしかしたら、はやてちゃんは私たちを許さないかもしれない。
全てを知れば、罪悪感に囚われるかもしれない。
しかしそれも、生きていればこそ。
だからまずは、はやてちゃんを生かす。そのために戦おう。
その先のことは、その時になってからでないとわからない。

願わくば、その日が一日でも早く訪れることを。
叶うなら、その時にはやてちゃんの心にかかる重みが少しでも軽い物であって欲しい。
出来るなら私たち全員、またあの日々に戻れますように。

そんな想いを、私は夜天に輝く月に託す。
(どうかその輝き以て、私たちを導きお守りください)
闇を照らす月光が祝福の光であることを信じて、祈りを捧げた。






あとがき

さて、思ったよりかは長くなりましたが、とりあえず過去話はこれで終わりです。
ってか、泣いてばっかりの話だった気もしますけどね。
アイリとはやての出会い、守護騎士たちとの交流の一端に触れてみたお話しでした。
ちょっとしんみりしてもらえたら幸いなんですけど、自分で書いているとそれが自己満足な気がしてきてなりません。というか、推敲のために読み返せば読み返すほどわからなくなってくるんですよ。
この辺はギャグをやっても同様なので、だからほのぼのやシリアスは書きやすいんですよね。
日常編ならほのぼのに、バトルとかならシリアスに自然となるんで。

アイリがこちらの世界に来た原因は、まあ聖杯の中にいるあれのせいです。
バゼットの時も何かしてましたし、今回もそれと同じような感じですね。
ただ、バゼットの時と違い聖杯戦争終盤だったり、アイリが体をなくしてたりで違うアプローチにはなりましたけど。
とはいえ、かなり苦しいこじつけだったとは自分自身でも自覚しているところなので、できればツッコミは控えめにお願いします。これくらいしかあの人を生存させるアイディアが浮かばなかったのです。

それはそれとして、アイリ自身は割と動転したり混乱したりで、あまり合理的でない行動が目立ったと思います。
ですが、普通ああいう状況に置かれたら正常な判断とかできないと思うんですよ。
それに、アイリの人間っぽさを表現するならそういう所を強調する方がいいと思い、こういう形になりました。

つぎにちょっとまた日常編をやって、そしたら異世界での衝突を予定。
まあ、どうなるかは書いてみないとわからないんですけどね。
自分でもこの計画性のなさには呆れてしまいます。
今回も、まさかこんなに長くなるとは思ってませんでしたから。



[4610] 第32話「幕間 衛宮料理教室」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2010/01/11 00:39

SIDE-アリサ

時刻は正午。
本来なら、楽しい楽しいお昼ご飯の時間。

にもかかわらず……
(………ホントに……なんなのよ、この空気は……)
理由こそ定かじゃないけど、えらく場の空気が微妙だ。
まあ、それも今に始まったことじゃなくて、ここ数日はずっとなわけだけど。

重いわけじゃない、かといってギスギスしているわけでもない。
強いて言うなら、どこか相手の出方を窺うようなのっぴきなさがある。
あるいは、相手の事を気遣いすぎて、逆にどうしていいか分からなくなってしまったような感じに近いかも。
とりあえず、わたしの浅い人生経験ではこの状況を上手く説明できない。
でも、その出所と原因くらいは察しがつく。

まず、その出所の方は……
「なのはちゃんフェイトちゃん……えっと、一体どうしたの?
 なんだか、さっきから固まってばっかりだよ」
そう、この二人。普段ならなのはも一緒になって士郎のお弁当から分け前をもらっているところなのに、今日も自分のお弁当にさえなかなか箸が動かない。
フェイトも、いつもなら士郎のお弁当を侵略するわたし達を控え目に制止するのに、今日もそれが無い。

そして、この二人の様子がおかしい原因と思しき人物はというと。
(やっぱり、なぁんか無理してるっぽいのよね)
眼の端で捕らえたのは、いつもと変わらない様子で凛とじゃれあう士郎。
ただし、その様子にはどこか無理があるように感じる。
具体的にどこがと聞かれると困るのだが、全体的に普段と様子が違う。
凛と初めて会った時もそうだけど、わたしのこの手の直感は外れたことが無い。

しかし、あんまりそういうのを表に出さない士郎が、わたしにもわかるくらいに様子が変というのも珍しい。
凛が気付いていていない筈がないけど、普段通りに接しているってことは、今はそれしかないと考えているってことか。この中では一番士郎との付き合いが長いわけだし、たぶんそれが正しいのだと思う。
とりあえず、様子がおかしい理由さえ知らないわたしにはそうとしか判断できない。
あの様子だと、なのはやフェイトも士郎がおかしい原因もわかっているんだろう。

この半年で知った士郎の性格を考えると、聞いてもきっと答えてはくれない。
なのはなんかと同じで、あれも自分の中にいろいろ溜め込むタイプだ。
違いがあるとすれば、何を溜めこもうとそれを引きずり出してしまう凛の存在。
どれほど上手く隠しても、きっと凛は相手が士郎なら必ずそれを見つけ出して、一緒に考えてあげるだろう。
それは幸せな事だと思うんだけど、解決の兆しがなさそうな以上慰めにもならない。
おそらく、そう簡単には答えのでない、それこそ答えの存在しない問題に頭を悩ませているのかもしれない。

だからわたしに出来るとしたら何とかこの場の空気を変えること。
そして、今この一時だけでも気分を楽にしてあげることなんだと思う。
それが、曲がりなりにも唯一と言っていい男友達に対して、わたしがしてあげられることのはず。



第32話「幕間 衛宮料理教室」



SIDE-士郎

何となく場の空気が微妙な昼食。
原因はまぁ、やっぱり俺なんだろう。
出来る限り普段通りにしているつもりなんだが、勘の鋭い人間の多いこの場では意味がないのかもしれない。

一応事情を知るフェイトやなのはなどは、俺のそんな様子により一層深刻そうだ。
(こんなことなら、あの時話すんじゃなかったかもな)
後悔先に立たずとは言うが、まさかこんなところでそれを実感することになろうとは。

凛の言ったとおり、アレが俺の知る「アイリスフィール・フォン・アインツベルン」であるはずはない。
彼女はすでに二十年前に死んでいる。死体こそ確認されていないが、聖杯が一応発現した以上それは事実。
ましてや、その直後に起こったあの大火災だ。中心にいたあの人の体が残るはずがない。
ならば、例え聖杯が完成するまで生きていたとしても、その瞬間に彼女は死んだのだ。
故に、あの銀髪の女性が切嗣の妻でイリヤスフィールの母親の「アイリスフィール・フォン・アインツベルン」であることはありえない。

そして、もう一つそれを裏付ける問題がある。
あの人が仮に俺の知る「アイリスフィール・フォン・アインツベルン」だとして、どうやってこちらに来たかだ。
それは並行世界の運営、すなわち第二の魔法を行使したことを意味する。
第三ならいざ知らず、アインツベルンの人間が第二を行使するのは不自然だし、やはりあり得ない。

これらの情報は、すべてあの人と俺の知る人物が別人であることを示している。
並行世界の可能性を思えば、この世界に魔術師がいて、よく似たホムンクルスを誰かが鋳造し、その人がアイリスフィールと同じ名を与えたという方が、まだあり得る可能性だろう。
そんな「偶然」があるからこその合わせ鏡、IFの可能性、並行世界なのだ。

そうと理解はできている。しかし、理解はできても納得できない。いや、させられないというのが正しいか。
とにかく、俺にはどうしても「アイリスフィール・フォン・アインツベルン」の名を持つ「ホムンクルス」の存在を、偶然や他人の空似で済ませられない。
だってそれは、あまりに「出来過ぎ」ではないか。

だが結局は、さっきの理屈によるその可能性の否定に立ち戻る。
つまるところ、この二つを堂々巡りしてしまっているということであり、感情と理性の折り合いがついていないのだ。
まったく、不毛もここに極まれりだ。答えが出ないならいざ知らず、同じところをぐるぐる回っているだけなんて、間抜けにもほどがある。

以前凛の言ったとおり、守護騎士か本人にそれを質すしかないのだろう。
そうとわかっているのに、同じことをぐるぐる考える自分に嫌気がさす。
ましてや、それで凛だけでなくみんなにまで心配をかけさせているんだから救いがない。

しかし、その答えが明確な否定であればいい。
だけど、もしそれが肯定だったら? 俺はその時、一体どうすればいい。
俺にはあの親子に対していくつもの罪がある。切嗣の後を継ぐと同時に引き継いだ切嗣の罪。イリヤスフィールを助けられなかった罪。そして、何も知らずにのうのうと生きていたことの罪。
俺は、どうやって償えばいいのだろう。

と、そこへアリサが思い出したように話題を振る。
「そういえばさ、フェイトの理数系成績についてはビミョーに納得いかないのよね。
 なのはもだけど、何で二人して理数系だけ抜群に成績がいいの!?」
ああ、そういえば、なのはとフェイトは文系の成績はいまいちだがそっちは学年トップ(満点)だったけな。
まあ、それを言ったらアリサは全教科学年トップ(満点)なわけだが……。

しかし、何でといわれても本人たちだって困るだろう。
俺や凛みたいな反則でもなし、出来るモノは出来るんだから仕方がないだろうに。
それを言ったら、全教科隙無しのお前はどうなんだよ。

「あー、フェイトちゃんうちのお姉ちゃんの数学の問題も解けてたから、わたしよりも上かも……」
とは、なのはの談。というか、それは初耳だ。
しかし、高校生が小学生に相談するのもどうかと思うが、それに答えられる小学生もどうだよ。
いくら魔法の構築や制御が理数系だからって、それはいくらなんでも凄過ぎだろう。

そこでフェイトが話をすり替えるように、少し切り口を変える。
「でも、それを言ったらアリサだってすごいよ。英語も日本語も完璧なんだし」
「えっへん、パーフェクトバイリンガル!」
それに気を良くしたのか、胸を張るアリサ。まあ、この年で二ヶ国語いけるのは確かに凄い。

しかし、忘れてはいないか? ここにバイリンガルどころではない人がいることを。
その人物は俺の横で「はーい」と手を上げ、素っ気なくこう語る。
「私、日本語と英語の他にドイツ語と北京語がいけるマルチリンガル」
「なっ!? なんですって―――――――――っ!?」
あまりの事実に、驚愕を露わにするアリサとびっくりした表情のすずか。
厳密には、凛のそれはアメリカ式ではなく、イギリス式のブリティッシュ・イングリッシュで、アリサはアメリカ英語の様だから少し違うんだけどな。まあ、その辺は俺もだが。
この辺はいろいろと複雑で細かい違いもあるが、関係ないので割愛する。

「……そういえば、凛ちゃんドイツ語話せたんだよね」
凛の詠唱はドイツ語であり、それを知るなのはは今思い出したように言う。
フェイトはまだドイツ語とかその辺の事をはよくわかっていないのか、きょとんとした顔だ。
ただ何となく、凄いことなんだろうなぁ、と思っている顔だな、あれは。

あまりの事に凍りついていたアリサだが、呻くように尋ねる。
「な、なんで北京語まで話せるのよ」
「あ、そう言えば凛ちゃん中華が得意だったよね。もしかしてそのせい?」
アリサの疑問に答えたのはすずか。
確かにそれはそうなんだが、普通中華が得意でも北京語に精通したりはしない。

「まあね、本格的にやろうとすると向こうの調味料とかも絡んでくるし、やっぱりできる方が便利なのよ」
そう凛は答えるが、それにしたって喋れるようにはならない。
正しくは、言峰から貰った嫌がらせじみた全頁向こうの文字のレシピや八極拳の秘伝書を読み解いているうちに読めるようになり、中途半端が嫌いな性格から喋れるようになってしまったのだ。
言峰の事だ。きっと、凛が悪戦苦闘するのを楽しそうに見ていたに違いない。

「それに、それを言ったら士郎だって英語は話せるし、ドイツ語の読み書きと簡単な会話くらいはできるわよ」
まあな、そうじゃないと遠坂家にある魔導書とか読めないし。
なにより、師匠の詠唱の意味さえわからなくてどうする、と穂群原時代に英語と並行して徹底的に叩きこまれたからな。発音などはいい加減だから複雑な会話は無理だが、それも筆談なら何とか。

まあ実を言うと、ラテン語とかギリシャ語、それにアラビア語とかも辞書を引けば読めないこともない。凛なら辞書も要らないだろう。この辺は魔術師的には必須だし、読めないと時計塔では話にならなかった。
だってなぁ、俺みたいな底辺でウロウロしている術者が閲覧できる範囲でさえ、魔導書はそんなのばっかりだったんだから。
他にも、暗号に楔形文字やら象形文字が使われているなんてザラだし、魔術師に語学は割と重要なのだ

そのことを知らずに敗北感によって打ちひしがれているアリサ。そこへ、あくまはさらなる攻勢に出る。
「それにねぇ、今どきバイリンガルなんて常識よ、常識。
 それであんなに威張るなんて、ねぇ?」
「ぐぎぎ……」
流し眼でそう言ってアリサを見やると、アリサがよくわからないうめき声をあげている。
いや、そこまで悔しがらなくても。その年でバイリンガルなら十分すごいぞ。

とはいえ、これは少々やり過ぎだ。そう思い、小声で凛に耳打ちする。
「おいおい、いくらなんでもこれは……」
「別にいいじゃない。現状に満足したら進歩はないわ。アリサにはもっと上を目指せる資質があるんだから、それを促したいと思うのは当然でしょ?」
それにしたって、なぁ。俺たちは二十代後半。引き換えアリサはまだ十代にさえなっていない。
比較するのがそもそも間違っていると思うんだけど……。

それに、こいつの事だからきっと裏がある。
「言いたいことはわかった。で、その心は?」
「う~ん……アリサっていじってみると案外楽しいのよね。
 なにより反応がかわいいじゃない。かわいいは正義なんだから。
 むしろ、もっといじり倒したいくらいなのよ」
そうだった、こいつはこういう奴だった。可愛ければなにをしてもいいなんて、絶対に間違ってると思うぞ。
それと、これ以上やるのは可哀そうなので、これくらいで勘弁してやってください。

しばしの間沈黙を保っていたアリサが、俯いたまま喋る出す。
「…………いいわ、そこまで言うんならやってやろうじゃない!
 こうなったら、ロシア語にスワヒリ語、それにアイヌ語を習得してやるわ!!」
はぁ、凛といいルヴィアといい、これだから重度の負けず嫌いは。
ロシア語はまだいいとして、なぜにスワヒリ語? そして、どうしてアイヌ語なんだ?
いや、アフリカなんかで使われるスワヒリ語を習得するのはわからないでもないんだが、ほとんど使う人も機会もないアイヌ語を何で覚えようとする? それもあれ、文字って文化もないんだけど。

それを聞いた遠坂さんは、狙いどおりって顔で笑ってらっしゃる。
また、そんな友人に各々圧倒されてしまっている様子。
「「あ、アリサちゃん……」」
「……アリサ、すごい」
なのはやすずかは良いとして、フェイト、確かに凄いんだがその反応はどうだろう。
むしろ、呆れるか止めるかした方がいい展開だと思うんだけどさ。

まあ、これはこれで平和な光景なのかもしれない。
それに、このドタバタのおかげで少しだけ気持ちが楽になった。
なら、そのことには素直に感謝しておこう。



  *  *  *  *  *



放課後。

帰宅の前に、とある用件で寄り道をすることになり、今はそのことが話題となっている。
寄り道にはリンディさんも関わってくるので、合流時間まで少し時間を潰す事となった。

で、その話題というのが……
「……な、なんだかいっぱいあるね」
と、携帯のカタログを見て圧倒されるフェイト。
まあ、最近は開発競争が凄いからなぁ。どこのメーカーも、少しでも売り上げの向上を目指そうと、どんどん新しい機種を出してるし。

「ま、最近はどれも同じような性能だし、見た目で選んでいいんじゃない?」
「でも、やっぱメール性能のいいやつがいいよね」
「カメラが綺麗だと、いろいろ楽しいんだよ」
という感じに、アリサ・なのは・すずかが各々意見を述べる。
みんな概ね機械に強いし、しっかり自分なりの方針を持って選んでいるらしい。

「う~~~ん…………」
そんな友人たちの意見を参考に、カタログとにらめっこをするフェイト。

それをよそに、なのはたちの議論は熱を帯び始める。
「でも、やっぱ色とデザインが大事でしょぉ」
「操作性も大事だよぉ」
とは、見た目重視のアリサと機能性重視のなのはの議論。
どっちも間違ってはいないと思うし、このあたりは純粋に個々の好みの問題だろう。

で、こっちでは……
「外部メモリついてると、いろいろ便利でいいんだけど」
「そうなの?」
「うん♪ 写真とか音楽とか、たくさん入れておけるし」
すずかに機能的な説明を聞くフェイト。
しかし、写真に音楽か、俺達には無縁の話だな。
厳密には、俺の横で素知らぬ顔をして会話から外れている奴にとって、だが。

だがここで、気づかいの出来るすずかが凛に話を振る。
「そうそう、メールとかに添付してお友達に送ったりもできるの。凛ちゃんはどう思う?」
「聞かないで」
その問いを、無碍もなく拒絶する凛。

一瞬にして場が固まる。ああ、やっぱり。
そこで、いち早くフリーズから解放されたなのはが尋ねてくる。
「……士郎君。凛ちゃんって、どのくらい携帯使えてるの?」
「通話が辛うじて、メールはおろかアドレス帳すら使えない。
 強いて言うなら、俺があいつのアドレス帳。待ち受けを変更するのに五年はかかるな」
いや、むしろ電話以外の機能を使うことは永遠に不可能かも。
だって、デジカメと聞いて「なにカメ?」と聞いてくるような奴なんだから。

それを聞き、同じく解放されたアリサも参加してきた。
「じゃあ凛って、どんな基準で携帯選んだのよ?」
「ひたすらに使いやすさ、あとデザインだな。アイツの希望を聞いて、俺が見繕ったって言うのが正しい」
ホントの事を言うと、俺は初めお年寄り向けの操作が簡単なのを薦めたのだが、それは断固として拒否された。
理由は簡単。あまりにもデザインを含めたその他諸々がシンプル過ぎる故に、そんなモノを持つのは「優雅」ではないかららしい。
アイツが使うことを考えると、それくらいの方がいいと思うんだけどなぁ。

「そういうアンタは?」
「俺も、やっぱり使いやすさ優先だな。目新しい機能とかは避けて通ったし」
「アンタ達、二人揃ってアナクロなのね」
失敬な。少なくとも凛ほどじゃないぞ。訂正を求める!!

とりあえず、ワンセグやデコメの意味くらいはわかるし、赤外線通信だってできるんだ。
誰だ? ドングリの背比べって言ったの。魔術師はアナクロがデフォなんですよ!
どっかの名物教授みたいに、ゲーマーなのが珍しいんだから。昭和生まれはこれでいいんだ!

「はいはーい。フェイト、とりあえずあの二人はあてにならないからこっちで相談しましょ。
 なのはとすずかもこっちに集合。あのアナクロコンビは役に立たないから、わたし達でしっかりフェイトを導くのよ」
「え? アリサ?」
「諦めよ、フェイトちゃん。これはアリサちゃんの言う通りだと思う」
「うん、わたしも」
「なのは! すずかまで!?」
こうして仲間はずれにされてしまう俺達。
ところでアリサ、これはさっき弄られた報復か? だとすると、何で俺まで……。

それに凛と違って言葉の意味とかくらいわかるんだから、参加させてくれたっていいじゃないか。
さみしいよぉ――――、せつないよぉ―――――――、仲間に入れてぇ―――――――――。
俺は機械音痴じゃないんだぞぉ―――――――。



  *  *  *  *  *



そうして、フェイトの携帯電話を買った帰り。

今日は、一応訓練は休み。あまり根を詰め過ぎても成長期の体にはよくないし、適度に休みを挿むのが基本方針。
どうせ、そんなことをしなくても勝手に頑張る連中だしな。
時々、こっちで無理にでも休みの時間を入れるくらいでないとバランスが悪い。

いま、俺はフェイトと二人で買い物中。
すずかやアリサとは途中で別れ、リンディさんもこの後本局で仕事があるとかで急いで帰ってしまった。
管理局の提督ともなれば、やはり何かと忙しいのだろう。
確か、アースラの武装追加がどうとか言っていたな。ついでに、クロノもそれに同行している。

なのはも帰ることになったのだが、せめて夜までは休ませるために凛が監視の意味もあってついて行った。
弟子の体調を管理するのも、師の務めという事だな。俺がフェイトに同行してるのも同様の理由。
まあ、これで夕飯あたりまでは二人ともゆっくり休めるか。

買い物をしているのは、「せっかくだから」とエイミィさんに帰り掛けに夕食の食材を頼まれたから。
買って間もない携帯を使い、フェイトが自宅に電話したところそういう返事がきた。

「で、エイミィさんは何を買ってくるようにって言ってたんだ?」
「それが、何を買うかはシロウに任せるって。
今日はせっかくシロウもいるんだから、この国の料理を教えてもらいたいって言ってた」
ほぉ、なるほどね。しかし、それは本当に俺まかせだな。
フェイトはこの国の料理どころか、そもそも料理そのものにあまり親しんでいない。
一応できるが、それこそ「一応」でしかない。となれば、食材選びもそこまで手慣れてはいないだろう。
やれやれ、これは責任重大だ。

まあ、これもまた一種の異文化交流。なら、しっかりこの国の料理というものを理解してもらいましょうか。
「わかった。それなら今は冬だし、やっぱり温まるモノがいいよな?」
「え? う、うん。わたしはシロウの作ってくれるものなら何でも……」
「いや、それが一番困るんだけど」
まったく、二人揃ってお任せでは困るんだぞ。自由度が高いってことは、それこそどれを作ればいいのか全て作り手にゆだねられるんだから。
作る側としては、できれば細かくない程度に要望を言ってほしいのだけど。

いや、よくよく考えればフェイトの知る和食というのはそう多くない。それも食べたのは半年ほど前。
となれば、今の時期に美味しいモノといわれても向こうも困るのか。
「むぅ……それじゃあ、肉じゃがをメインに揚げ出し豆腐で攻めてみるか……それとも、いっそ水炊きをみんなでつつくというのも……」
おお、考え出してみれば思いのほかたくさんアイデアが出て、逆に困ってきたぞ。
む、待てよ。それこそせっかくだから、フェイトも調理に参加できるモノの方がいいかもしれない。
例えば……餃子とかなら、皮とタネさえ用意しておけばフェイトもできる。
だけど、アレは中華だから和食にこだわるなら別のものにしないとな……。

などと、あれこれ悩んでいると……
「……クスッ」
「? どうしたんだ、フェイト。人の顔を見ていきなり笑って」
「え? あ、そういうんじゃないの。
ただ、料理の事を考えてる時のシロウって、真剣なだけじゃなくて楽しそうだなって思って」
何やらモジモジしながらそう語るフェイト。

真剣というのはわかるんだが、俺はそんなに楽しそうな顔をしていたのだろうか?
「うん、してた。わたし、戦ってる時より、そうして料理の事を考えてるシロウの方がいいな」
「ああ、あの口調のことか?」
「それもあるけど、それだけじゃない…かな?
そうやって、他の人の事を考えてる方がシロウに似合ってる気がする」
そう言って笑うフェイトの顔は、つい見惚れるくらいに綺麗で、思わず視線を逸らす。
夕日というのもあるのだろうが、その屈託のない笑みを向けられるのが気恥ずかしい。
不味いなぁ、こんなところを凛に見られたら殺されるかも。

しかし、こうやって誰かと一緒にこの商店街を歩いていると、よくここで一緒に買い物をしたある人物の事を思い出す。
(そういえば、シャマルは無事でいるかな?)
管理局を通してシャマルについての情報が入ってこない以上、きっと無事なんだろうとは思う。

ただ、こうなるとおそらくもう会うことがないのが、ちょっと残念か。
ああいうことがあった以上、とりあえずこの地に留まるのはあまり賢いとは言えない。
それなら、今頃はもう別の世界に避難しているだろう。
となると、もう彼女に料理を教えることはできそうにない。
できれば一人前になるまで面倒を見たかったが、諦めるしかないか。

と、懐かしき教え子であり友人でもある女性の事を考えていると、服の裾を引かれそちらを向く。
「えっと、何をしてるんですか、フェイトさん?」
理由は定かじゃないが、フェイトがム~ッと拗ねた感じで睨んでいらっしゃる。
すげぇ……よくわからんが、本能的に屈服させられてしまったぞ。おかげで、思わず敬語を使ってしまった。

凛の怒気や殺気とも違うし、桜のようなどす黒いオーラとも違う。
恐怖心はない。むしろ、こちらの罪悪感を刺激する視線だ。
なんというか、とりあえず土下座して謝りたくなる。
……そう、アレだ。小動物とかが寂しそうにしている時の眼。あれに近い。
それにしても、子犬や子猫じゃあるまいに。

フェイトは服の裾を引っ張っていた手を離し、ジトッとした眼で睨んでくる。
「……シロウ、今女の人の事考えてた」
あの、何でわかるんですか?
だけど、別に疚しいことを考えていたわけじゃありませんよ。

そんな感じの俺に対し、フェイトはますますさびしそうな眼で呟く。その眼には僅かに涙が浮かんでいる。
「否定……しないんだ」
「わ、悪かった、俺が全面的に悪かったから涙ぐむな!
 ちゃんと事情も説明するし、何かおごるから! だから、頼むから泣かないでくれ!」
ま、不味い。こんなところでフェイトに泣かれたら、俺はもう二度とこの界隈を歩けなくなる。
フェイトクラスの美少女を泣かしたとあっては、その瞬間に俺の評価はガタ落ち。
御近所の皆さんに、「やーね、あそこのお子さん女の子を虐めてましたよ」なんて噂されてしまう。
そんなのは嫌だぁ!!

「……うん。でも、何か買ってもらうのは悪いよ」
このあたりは、まあフェイトらしい。凛だと、クレープ屋で一番高いのを買わせたりするからな。

しかし、普段身の周りにいなかったタイプだけに、一体どうすればいいのか分からない。
凛や桜みたいなのなら悲しいけど慣れてるが、フェイトみたいな場合にはどうすればいいんだ?
「と、とにかくこっち。そこのベンチで一度休もう」
「……あ」
周囲の視線が痛く、気まずさもあってフェイトの手を取ってベンチに避難する。
さすがに路地裏とかに逃げる度胸はないけどな。そんなことすると、どんな想像を掻き立てるか考えたくもない。

とりあえず近くの店で大判焼きを買い、それをフェイトに渡す。
「え? 駄目だよ、こんなの貰うわけに……」
「いいから、受け取っておけって。どうせ、はじめからそのつもりだったんだから」
そう言って、少し押し付けるようにしてフェイトに持たせる。
今日は寒いし、もとからそうするつもりだったのだ。ただ、予定と違うプロセスが入ってしまったが。

「それに、こういうのも寄り道の醍醐味だ。堅いことは言いっこなしってことで、な?」
「う、うん」
肩をすくめながらそう言うと、フェイトは大判焼きに目を落とす。
その頬は心なしか赤く、やっぱり寒いのかな? どうせだし、俺の着てるコートでも掛けてやるか?

「あ、だ、大丈夫だから。それに、そんなことしたらシロウが風邪ひいちゃうよ」
「そうか? まあ、そう言うんならいいけど」
実際、コートを脱ぐとさすがに寒い。フェイトの言うとおり、長くそのままでいるとさすがに風邪を引くかも。
それに、無理に着せようにもフェイトも強く遠慮するから、これだと押し切るのは難しいか。

念のためフェイトの額に手をやり体温を見るが、少し熱いかも、くらい。
まあ、大判焼きを食べたら早めに買い物を済ませて、急いで帰ればフェイトが風邪を引くこともないか。
ただ、その間ずっとフェイトがうつむいていたのが気になったと言えば気になった。

フェイトは行儀よくその小さな口に少しずつ大判焼きを運ぶ。
俺は逆に豪快にどんどん食べていき、フェイトが半分食べる頃には完食した。
「さて。ああ、フェイトは急がずに食べてていいからな。
 その間に、俺はさっきの事情って奴を説明するから」
「あ……うん」
俺の方を見て、急いで食べようとしたフェイトを止める。
フェイトが猫舌かどうかは知らないが、こんなことで火傷させるわけにはいかない。
とりあえず、ハフハフして食べる姿に和むなぁ。

「さっき考えていたのは、シャマルって人の事だ。
 簡単に言うと、俺の友人で教え子かな?」
「教え子?」
「ああ、って言っても魔法とか戦闘とかじゃないけどな。
主に料理を教えてたんだ。最近会ってないから、どうしてるかなって思ってさ」
正直、フェイトにシャマルの事をどの程度説明するかは少し悩んだ。
別に魔導師であることも話してもいいのかもしれないが、フェイトを通じて管理局に知られるのもどうかと思い、それはやめた。もしシャマルが管理局から隠れていたのなら、それを知られるのは困るだろう。



そうして、俺は数ヶ月前の事を思い出しながらフェイトに話す。
そのためには、何故俺が「料理の師匠」なんて大層な役割に収まっているかについてまで話はさかのぼる。

ある日、いつものように商店街で買い物をしていると、見なれない美人さんを見かけた。
その人は八百屋や魚屋の入っては引っ込み、また入っては引っ込むを繰り返していたのだ。
その動作と相まって、眉間に寄った皺が可愛らしくさえあったけど。

そんなことを何度も繰り返していると、さすがに気になる。
まあ、その手にはメモがあり、店頭の品物と交互に見ていればある程度予想はつく。
つまりは、俺と同じ目的なのだろう。

そこで声をかけようとしたところで、ちょっと柄と頭の悪そうな三人組に絡まれた。
傍から見れば明らかに迷惑している。
なのに、それを察する感性がないのか、それともそれを察してなお無視するほど馬鹿なのか。
とにかく、しつこく話しかけている。

迷ったが、一応傍観することにした。
助けるのは簡単だが、それでは何の解決にもならない。
アレだけの美人なら、この先こうして声をかけられるのはそう珍しくない。
なら、ある程度はそういった連中への対処法を身につけねばならない。
せめて自力で助けを請うくらいはできないと、いいように振り回されてしまう。
あんまりやり過ぎる様なら、その時に止めればいいと結論した。

とはいえ、がんばってはいるのだがなかなか上手く断れずにいる。
引き換え、いつまでたっても望み通りの回答が得られないことに痺れを切らす男たち。
馴れ馴れしく肩に置かれた手で乱暴に掴んだところで、さすがに制止することにした。
「ちょっと良いですか? 困ってらっしゃるようですし、そろそろやめた方がいいと思いますよ」
とりあえず、穏便に注意することから始める。
あんまり聞きそうにはなかったが、それでも初めはこんなところだろう。

返ってきたのは、おおむね予想通りの応対。
「あ? ガキはさっさとお使い済ませてママん所へ帰んな」
なんというか、ありきたり過ぎて面白みの欠片もない。

だが、見た目はともかく俺は一応年上だ。ここは大人の対応をする。
「ですが、そちらの方はまだ買い物の途中みたいですし、また次の機会にした方がいいと思いますけど。
 なにより、あんまりしつこいと嫌われますよ」
最後の方で、ちょっと挑発するようなことを言ったのは無意識だった。
どうせ言ったって聞かない、という諦めもあったのかもしれない。

で、俺の予想は裏切られないわけで……
「ざけんじゃねぇぞぉ、んのガキィ!
 これは大人の話だからガキはすっ込んでろ!!」
という、実に素敵な返事を返してくれた。
大人の話というが、大人の姿勢や態度じゃない。
一度、一般常識というものを学びなおしてほしいなぁ……。

しかし、仏の顔も三度までという言葉がある。
それにならって、親切心も含めて三度目の忠告をすることにした。
「はあ……話というなら、とりあえずその手をどかすべきじゃないですか?
 なんにしても、女性に対して乱暴するもんじゃない。いい加減にしないと、警察よびますよ」
最大限の慈悲を込めて、公権力を引き合いに出し退かせようとする。
さて、上手くいってくれるといいんだが。

これでダメなら実力行使しようと思っていたが、その必要はなかった。
理由は簡単。向こうから仕掛けてきてくれたから。
「すっこんでろ!! このクソガキィ!!」
そんな下品な叫びと共に、素人丸出しの前蹴りが放たれる。

まったく、仮にもこっちは外見上子どもだぞ。
それに対して沸点が低すぎる。
せっかく穏便に済ませてやろうと思ったのに、ちょっと反省してもらおうか。

斜め前に進むことで蹴りを交わしつつ、死角を取りそのまま軸足にローキックを入れる。
それほど力は込めていないが、バランスを崩し無様に倒れ込む。

それでより一層頭に血が上ったのか、顔を真っ赤にして地面に手を着く。
面倒なので、その着いた手をさらに蹴りはらってやる。
支えを失い、再度無様に倒れる男A(仮)。

そのざまに、残りの二人は腹を抱えて笑っている。
だが、笑っていられるのもそう長くはなかった。
何度男A(仮)が立とうとしても、そのたびに支えとなる手や足が蹴りはらわれ倒れ込む。
そんなことが繰り返されていれば、連中の安っぽくてむやみに高いプライドも傷つく。

何度も転ばされているところを見ているうちに戦力差を感じてくれればと思ったのだが……。
とりあえず、自分が良いように転ばされることに疑問をもつ程度の想像力くらいは欲しいものだ。
二人の雰囲気が変わったところで、しょうがなく男A(仮)の肩を極めて少々痛がってもらう。
脅しの意味もあったのだが、これでも退いてくれないなら本当に実力行使するしかない。
できれば、あまり乱暴はしたくないんだがなぁ。

で、世の中そう上手くはいかず、本当にそうするしかなくなるわけで……
「……はぁ。加減はするが、後でちゃんと病院に行くことだ。
 無理にはめるとクセになるぞ」
なんでこんなことを言うかというと、男A(仮)の肩をそのまま外したから。
怪我をさせるのも本意じゃないし、これならはめてしまえば元通り。
ある意味一番穏便だろう。
この連中は悪い人間じゃない。ただ考えるということをしていないだけなのだ。

それを挑発と取ったらしく、血走った眼をする大の男三人。
それを危険と考えたのか、絡まれていた美人さんが制止する。
俺じゃなくて、男たちの方にだけど。
「あの~やめておいた方がいいと思いますよ。
 たぶんこの子、あなた方より強いですから」
そんなありがたい忠告を無視し、大人げなく襲いかかる三馬鹿。

「「はあぁぁ~~……」」
その様に、二人の溜息が重なる。
この瞬間、二人の心は一つになった。



まあ、あとは説明するまでもないだろう。
大の男三人がかりにもかかわらずいいように翻弄され、全員揃って仲良く逃走した。

予定通り外傷はない。
ただ、さすがに無傷で逃げてくれるはずもない。
仕方がないので、男A(仮)同様に関節を外してやった。
足を外すと後片付けが面倒なので、全員肩か肘、あるいは手首に限定したけど。

逃走する男たちの背中を無視し、美人さんが深々と頭を下げる。案外いい性格をしてるな。
「えっと、ありがとうございました。おかげで助かりました」
「いえ、そこまでされるほどのことじゃありませんから」
それにさっきは気付かなかったが、この人只者じゃない気がする。
武道をやっている風ではないが、どこかそんな雰囲気がある。
もしかすると、俺の手助けなどいらなかったかもしれない。
ちょっと自信ないんだけど。

なにせ、さっきは遠目から見ただけで、その後は連中の相手をしていたからな。
ほんわかした感じの人だからわからなかったが、この事態にも全然動揺してない。
あんまり荒事向きには見えないのだが、同時にどこか「それっぽい」雰囲気があることに気付く。
とはいえ、その様子からこちらに敵意があるようにも見えないので、とりあえず気にしなくても大丈夫だろう。

ただ、この人何でこんなに緊張してるんだろう?
普通の人は気付かないだろうが、筋肉は緊張し、いつでも動けるよう肘や膝が僅かに曲がっている。
少しでも変な行動をしたら、その瞬間に逃げだしそうな印象を受ける。

俺、一応見た目は子どもですよ?
そりゃあ、大の男三人を簡単に追い払える以上、普通の子どもじゃないのは一目瞭然だ。
だけど、だからといってここまで身構えなくてもいいだろうに……。
俺はそんなに怪しい人物に見えるんだろうか?
う~ん、ちょっとショック……。

などということを考えていたら、いつの間にか目の前に美人さんの顔があった。
驚いて思わず仰け反るが、引いた分接近してきて相対距離は変わらない。
そのまま何やらマジマジとこちらの顔を見ていたかと思うと、ちょっと戸惑いながらこんなことを尋ねてくる。
「あの、失礼ですが……どこかでお会いしたことありませんか?」
「? いえ、特に覚えはありませんけど……。
まあ、この商店街ですれ違ったことならあるかもしれませんね」
「……………そうですか」
一応納得はしてくれたが、まだどこか釈然としない様子。
これだけの美人さんなら、忘れたくても忘れなさそうなものだし、多分面識はないはずだ。
あちらも自信がないのか、それ以上掘り下げようとはしなかった。

まあ、それはそれとして、当初の目的を聞いてみることにする。
「ところで、さっきから行ったり来たりしてましたけど、買い物ですか?」
俺の言葉に、それまでの緊張具合が嘘のように心底困った表情を浮かべる。
ああ、やっぱりね。

何やら気弱な表情を浮かべ、おずおずと聞いてくる。
「えっと、いつから見てました?」
「そんなに前じゃないですよ。十五分くらい前ですかね」
隠しても仕方がないので、正直に答える。

ただそれがどうしたのか、さらに落ち込む美人さん。
「それ、ほとんどはじめからです」
あちゃ、不味いことを言ったらしい。

「ああ、その、何に悩んでるんですか?
 俺で良ければ相談に乗りますよ」
なんか微妙な空気になりかけたので、それを払拭するためにも少し強引に話を変える。

結構苦し紛れだったが、ことのほか返ってきた反応は明るかった。
「是非!!」
思い切り手を握られ、輝く瞳で見つめられる。
本来色っぽさの欠片もないやり取りのはずなのだが、手を握る指の細さが、見つめてくる瞳が、こちらの鼓動を早くする。さすがに、こんなスキンシップをされると緊張する。

「あれ? でも、お料理できるんですか?」
なんか、今更な質問だ。
それだけ切羽詰まっていたという証明でもあるけど。

「信じられないかもしれませんが、得意分野です」
男、それも子どもがそこまで料理が得意ってのはあんまりない。
この人の危惧は当然だろう。

どこまで信じてくれたのかはわからないが、とりあえず相談はしてくれた。
「一応買う食材は聞いているんですが、どれを買っていいか分からなくて……」
なるほど。料理ができる人と、素人との間にありがちな齟齬だろう。

書いた方は何を作るか明確にイメージしているが、買う方はそれで何を作るのか細かく想像できない。
故に、どれが書き手の希望に沿うのか判断できないのだ。
つまり、料理のビジョンが立たず、買い物の戦略が立てられないということ。
一兵卒のこの人では、司令官級の上層部の意思を測りきれないのだ。

一見家庭的な人なのだが、人は見かけによらないということか。
「じゃあ、とりあえずそのメモを見せてください。
 一緒に買いながら選び方とか説明しますよ」
口頭で説明するだけではわかりにくい。
ならば、実際に現物を見ながら学んでもらうのが一番だ。

「あ、ありがとうございますぅ~~!」
いや、そんな涙目にならなくても。

ただ、やはりそれだけだとちょっと足りない気がする。
「でも、やっぱり料理を覚えるのが一番の近道なんですけどね」
「……あう。恥ずかしながら、苦手なんです」
ですよね。
得意だったら悩んだりしないのだから、予想通りと言えば予想通り。

中には例外がいるけど、大抵の料理ができない人はこれに悩む。
ちなみに、バゼットやカレンがその例外。
二人もできなかったけど、そういった悩みとは無縁みたいだった。
まあ、別に上手く判断出来ていたわけじゃない。
バゼットの場合、即断即決で迷わず安くて量の多いモノを選択していただけだったけど。
逆に、人の財布と思って無闇に高級そうなのを買うのがカレンだった。
自分の事ならいくらでも節制できるくせに、他人の金なら迷わず使い切るんだからいい性格してやがる。

「これを書いた人に教わるんじゃダメなんですか?」
「教わってはいるんですが、なかなか上達しなくて……。
 それに家族からも『微妙』とか言われて、あんまり期待してもらえないんです」
それはまた、大変だな。
家族なんだから、もう少し励ましてあげたりしてもいいだろうに。
そんなに希望がないのだろうか、この人は。

「……う~ん。よければ俺が教えましょうか?
 一応、和食には自信がありますし。密かに上達して驚かせるっていうのもあると思いますけど」
俺としては「一つの提案」程度の気持で発した言葉。深い意味なんて特にない。
別に普通の料理教室でもいいだろうし、家族からの意見を聞きながらでもいい。
ちょっと変わった意見で、気持ちの切り替え程度のつもりで発した言葉だったのだ。

だが、俺の予想を上回る食いつきを見せる。
「ほ、本当ですか!! お願いします、みんなをあっと言わせて見返したいんです。
 月謝なら払いますから、ぜひお願いします先生!!」
先生って……。
それに、俺の料理の腕も確認しないうちからそんなこと言っていいんですか?

とりあえず一度なだめ、後日詳しいことを決めることにした。
だがシャマルの熱意は冷めることを知らず、後日も同じくらいの、いやそれ以上の勢いで話が押し進められた。
ここに、主婦シャマルのための衛宮料理教室の開講が決定した。



で、その付き合いが結構最近まで続いていたと、まあそういうお話。

そんな話に対するフェイトのリアクションはというと。
「シロウ! わたしにも料理教えて!」
という対抗意識だった。

「なんでさ。エイミィさんから習えるだろ?」
「え? あ、そういえば……」
おいおい、同居人の事を忘れるのはさすがにどうだ?
せっかく一緒に住んでるんだから、俺よりそっちに習った方がいいと思うんだけどな。

「えっと、あの……そ、そう! わたし、和食に興味あるから!」
なんか、あきらかに今無理矢理に取ってつけた理由っぽいのは気のせいか?

まあ、本人がそう言ってるんだから、俺がどうこう言うことじゃないのか。
それに、俺なんかに教えられることなら協力を惜しむ気はない。
「そうか。それじゃあ、今日は水炊きにするか。鍋物はまず失敗が無いし」
一応フェイトは最低限の料理スキルがあるらしいから、はじめからこれでも大丈夫だろう。
ただ、フェイトが安堵のため息をついているのは気にしないのが礼儀なのかな?

さて、とりあえず方針が決まったことだし、さっさと買い物を済ませてマンションに行きますかね。
次元世界の皆さんに、和食の素晴らしさを知らしめてくれようではないか!



SIDE-凛

今私は士郎達と別れ、監視の意味もあってなのはの部屋にいる。
ほっとくとすぐにやり過ぎる子だから、こうしてちゃんと見張っていないと危なっかしくてかなわない。

そこで、ふっと最近影の薄いアイツの事を思い出す。
「そういえば、ユーノが探しものしてるのって無限書庫ってところなんだっけ?」
「え? うん。たしか本局にある、管理局の管理を受けてる世界の書籍やデータをすべて収めた巨大データベースって、ユーノ君は言ってたかな?」
それはまた、なんというか砂漠で一本の針を探すような作業だわ。
管理局の管理を受けてるってことは、少なくとも一つ一つが地球以上の文明があるはずだし、となればそこにあるあらゆる情報を網羅するとなるとそれだけで大事だ。
ましてや、それが管理している世界分すべてとはね。それだけあれば大抵のものは見つかるだろうけど、逆に今度は探すのが大変そうだ。

「凛ちゃん、もしかして興味あるの?」
「ん? まあ、“無限書庫”にはね」
それだけ色々あれば、もしかしたら私たちにとっても有用な情報が手に入る可能性もあるかもしれない。
たとえば、魔法が今の形で落ち着く前の原型の情報とか、ね。
その辺りまでさかのぼれば、もしかすると魔術との親和性を見つけ出せるかもしれないし。

ただし、私の発言をなのはは別の意味で取ったみたいだけど。
「そっかぁ、そう言えばこの前本局に行った時、リーゼさん達がわたしは武装隊員に向いてるって言ってたんだけど、凛ちゃんはどう思う?」
「ってか、リーゼって誰?」
そういえば、この前の戦闘を終えて少ししてから、なのははユーノに差し入れを持っていき、フェイトは嘱託関係の書類だか何だかで本局行ったんだったっけ。
ちなみに、私らは面倒だったり、士郎がそれどころじゃなかったりで行ってないけど。

「え? ああ、リーゼさん達って言うのはグレアム提督の双子の使い魔さん。
クロノ君の先生でもあって、近接戦闘教育担当のリーゼロッテさんと、魔法教育担当のリーゼアリアさん。二人まとめて呼ぶ時は、リーゼさんって呼ぶんだって」
ふ~ん、あのクロノを鍛えた張本人か。その上、あのグレアム提督の使い魔とはね。
そういえば、あの人倒れて入院したんだっけ。
そのお見舞いにも行くって言ってたし、その時にでも知りあったのかしらね。

まあ、それはそれとして。
「どうって言われてもねぇ。私は局のことなんてよくわかっちゃいないし、実際に籍を置いてるのが言うんだからそうなんじゃないの?」
「あれ? 凛ちゃん管理局に興味があるんじゃないの?」
「何勘違いしてるのか知らないけど、私が興味があるのは無限書庫の“中身”。入れ物のそのまた包装紙に興味はないわ」
「ほ、包装紙って……」
「それがダメなら陳列棚」
「……もういいです」
そういって、諦めたようにうなだれるなのは。
私からすれば、やっぱりその程度の認識でしかないんだけどね。
無限書庫の蔵書が中身なら、無限書庫が入れ物。で、それを抱えてる管理局はさしずめ包装紙とかその辺だろう。

「凛ちゃんは、管理局に入ろうとか思わないの?」
「全然」
「そんな…ノータイムで言わなくても……。ちょっと考えてみたりとかないの?」
「だからないってば。アンタが局入りするのは自由だけど、私にその気はないわよ」
別に、なのはが管理局に入ろうがどうしようがその辺はどうこう言う気はない。
この子の人生だし、それをどう歩みどんな結果に至ろうがそれは自己責任だしね。
まあ仮にも師であるわけだし、組織に身を置くってことがどういうことなのか、そのうちちゃんと教えておかないといけないか、とは思うけど。

「それって、士郎君も?」
「そうね……っていうか、この前リンディさんにそういう話されたし。私じゃなくて士郎が、だけど」
「え!? わたしされてないよ?」
「ふ~ん。でも、別に不思議なことじゃないでしょ。
嘱託のアンタ達がこのまま局入りする可能性は十分あるし、それならわざわざ粉かける必要もないんだから」
なのは達はちゃんとその可能性を視野に入れてるけど、私たちはその辺を全く考慮していない。
だからこそ、そういう話をしてその可能性を考えさせる意味がある。まあ、その程度の違いでしょね。

ただ、まだその辺はよくわかっていないなのはは少し首を傾げる。
「そういうモノなのかな? じゃあ、やっぱり士郎君は……」
「断ったみたいね。やり方は気にくわないけど……」
まあ、それ自体は問題じゃないし、予想通りの返答だから別にいい。
だけど、さすがに私の預かり知らないところでそういう話をされたのは気に入らない。

なので何日か前、一言文句を言いに行った。
「それで、今日はどうしたのかしら? もしかして、この前士郎君に話したこと?」
「わかっているなら話が早いわ。まあ、私がいたら問答無用で突っぱねられるって考えたのは当然だし、実際そういう時はそうするつもりだから置いとくけど……」
「ええ、わかってるわ。これからはちゃんとあなたを通す事にします。これでいい?」
「ふん、当然でしょ。士郎は私のなんだから」
こうして失敗した以上一々釘を刺す必要もないだろうけど、この辺ははっきりさせておかないといけない点だ。

「だけど、あなたも心配性ね。彼は私から見ても年に似合わずしっかりしてるし、ちょっと過保護すぎない?」
「放っておいて下さる? だいたい、心配の原因を作ってる張本人にだけは言われたくないんだけど」
「そこを突かれるとイタイのだけど、ちょっとズルくないかしら?」
「何をいまさら。鬼の居ぬ間に、と言わんばかりにコソコソやってた人が言えたことじゃなわね」
傍から見れば過保護かもしれないけど、それはアイツの危なっかしさを知らない人間の言だ。
士郎に限れば、どれだけ気を回しても回し過ぎということが無い。
むしろこっちの苦労をねぎらってほしいくらいよ。

「まあ、こうして失敗してしまったのだから大目に見てくれないかしら?
それに、あなた達の技術は何も私たちにとってのみ貴重なわけじゃない。わかってるんでしょ?」
そんなことは言われずともわかっている。
技術がありあまって困るなんてことはないし、あれらは武力としても使い道がある。
なら、欲しがる連中は大勢いるだろう。

憮然と押し黙る私に、リンディさんは悲しそうな眼で言い募る。
「俗な話になるけど、士郎君の武装は強力だし、あなたの技術にしても、転用すれば次元震や次元断層の抑制につながる可能性を秘めた技術よ。それは同時に、それらを引き起こす技術にもなりうるわ」
私自身は、次元震だの次元断層だのの抑制やら誘発やらには興味ない。
だけど問題なのは、「絶対に出来ない」と否定することができない点だ。
仮に否定できても、それを他の連中に信じさせられるとも限らないってのが厄介なのよね。

「情けない話だけど、情報なんてどこから漏れるか分からないわ。万が一漏れれば、あなた達の力と技術を野心や欲望、あるいは自分の理想のために『強制的』に利用しようと考える人はでるでしょうね。
 考えたくはないけど、管理局の中にだって……」
管理局とて一枚岩ではない、ということか。
それに、そういう連中なら前の世界で嫌というほど見てるし、その辺はわかってる。
むしろ、私欲で動いてくれる方が楽なんだけど……私心がないと諦めってものを知らないから。
正義感に燃えて暴走するってのも、わりとよくある話だしね。

まあ、この人に限れば、非道な手段に訴えたりすることはないだろう。
できる限りの手を打って同意を得ようとはするだろうが、それで無理なら渋々でも引く。
だけど、他の連中もそうとは限らない。この人が真に危惧しているのはそこだ。

「確かに、管理局に所属すればその危険は“多少”減るわね。
 強力な後ろ盾があれば外の連中は手が出し難くなるし、内側にしても確固とした立場があると迂闊に手は出せない。少なくとも、在野でプラプラしてるよりかは安全ね」
なんの地位もコネもない立場にいるなら、いくらでもやりようはある。人間二人の存在をいじるくらい簡単だ。
だけど、社会的に強固な立場を持つ存在となると、下手に手出しができなくなる。
無理を通そうものなら不自然な痕跡が残るし、そこから自分たちの所業がばれるのは避けたいだろう。

言いたいことはわかる。今に限れば、この人が打算やらなんやらを捨てて心配してくれてる。
それは、その真摯な目から信用できる。もし騙されたとすれば、私に見る目がなかっただけだ。
でも、だとしても……
「心配はありがたいけど、やっぱりダメ。悪いわね」
「そう、それじゃ仕方がないわね。戦闘要員でなくて、研究員として来てくれれば研究費だって出るのに」
う、それは魅力的だけど、やっぱり無理。
メリットがあるのは認める。だけど、長く組織とかと反目してきたせいか、どうしても生理的に受け付けない。
まあ、リンディさんだって別にそれほど期待してはいないのだろう。その顔には、困ったような笑みが浮かんでいるだけだ。

「まあ、一応そういう可能性も考慮しておいてちょうだい」
「ここは、そうさせてもらうわ、って答えた方がいいのかしら?」
「あらあら、困ったわね。それ、事実上の全否定よ。
……ところで凛さん、あなた運命の相手とかって信じる?」
「は?」
いきなり何を言い出すのやら。っていうか、話変わり過ぎでしょ。

そう思ったのだけど、妙に真剣な眼つきで見つめてくるものだから、何となく真面目に答えてしまった。
「運命の相手……ね。正直、どうでもいいかな? 何かが決めた筋書きだとしても、私は私の意思でアイツを選んだ。それだけは、誰にも否定させるつもりはないわ」
「ふふふ、あなたらしいわね。じゃあ、既婚者の立場から言わせてもらうけど、彼……絶対に手放しちゃダメよ。
 一生のうちにアレだけ想い合える人に出会えるなんて、奇跡に等しい幸運なんだから。
 その点で言えば、あなたも士郎君に負けず劣らぬ果報者ね」
「…………結局、何が言いたいわけ? そもそも、あなたはフェイトを応援してるんじゃなかったの?」
いやもう、ホント何が言いたいのかさっぱりだわ。

「そうね。確かにフェイトさんに幸せになってほしいけど、だからと言ってあなた達に不幸になってほしいわけじゃない。子どもの様な言い分かもしれないけど、みんなに幸せであって欲しいと思ってるだけよ」
「はぁ、別にそれは良いわ。似たような奴も知ってるし。それで?」
「あなたの方が士郎君との付き合いは長いからわかってるかもしれないけど……………彼は、危ういわ」
まるで、心臓を打ち抜かれたかのような錯覚を覚えた。
その眼には強い光があり、一切の虚言を許さない。間違いない、この人は“知っている”。

「この前士郎君を勧誘した時ね、そう感じたのよ。
 今と同じような話をしたんだけど、彼なんて言ったと思う?」
危険が迫るかもしれないって話へのアイツの反応か。そう言えば、断ったくらいしか聞いてなかったっけ。

だから、正直に首を振った。
それを確認したリンディさんは、その眼に強い憂いの色を宿しながら言葉を紡ぐ。
「“その時は、あなた達でも敵です”って、普段と何も変わらない口調と表情でそう言ったの。
なんでかしらね。殺気はおろか、瞳にわずかな揺らぎすらなかったのに……。
彼の眼が、言葉が…………私にはどうしようもなく怖かった」
そう言いながら、まるで震えを抑えつけるように肩を抱く。

「思わず聞いたわ。管理局を相手に勝てるのかって。
 そうしたら“無理でしょうね。それでも、その時はなりふり構いません。まだ見捨てられていないようなら、俺自身を売り渡してでも凛を護ります”ですって」
言葉の意味がまだよくわからないのか、その顔はこちらの様子を窺っている。
それがわかるだけに努めて平静を装うけど、それがとてつもなく難しい。

それにしてもアイツ、なんてバカなこと考えてるのよ!!
士郎の言葉の意味、それは「世界との契約」だ。
確かにそれをすれば、管理局相手に人一人守り切るくらいできるかもしれない。
でも、それじゃあ本末転倒だってのがわからないのかしら。

まあ、らしいと言えばらしい話だ。
かつてのアイツは「人を救う」ためなら手段を選ばず、自分の命すら蔑にした。
その「人を救う」が「私」に変わっただけ。
私を幸せにする→それには生きてなければならない→だから護る→そのためには手段を選ばない。
大方、こういう思考展開なのだろう。まったく、相変らず自分が視野に入ってない。

「言葉の意味までは計りきれないけど、彼はそうなったら本当に命を捨てるつもりよ。
 だから離さないで、彼の手を………決して」
命を捨てるなんて生温い。それはまさしく死後の売却。
人間の規格を外れた力を得る事と引き換えに、死した後世界の奴隷となり無限地獄に落ちるという事だ。

離す気なんて毛頭ないけど、今の話を聞けたのはありがたい。
考え方の方向性は前と変わったみたいだけど、それでも変わらずアイツは歪んでる。
そりゃ、生きてなければ幸せもへったくれもないけど、それでじゃあ意味がない。
私の幸せの前提は、アイツが「ただの人」であることだってのに。これは、まだまだ気が抜けそうにないわ。

と、数日前の事に思いを馳せていると、いつの間にかなのはの顔が目の前にあった。
「……凛ちゃん? 凛ちゃん!」
「え? どうかした?」
「どうかした、じゃないよ。わたしの話聞いてた?」
「ごめん、なんだっけ」
どうやら物思いに更けすぎたらしい。
なのはは全く話を聞いてなかったことが不満らしく、ムスッとしている。

ごめんごめん、と謝りつつなのはの機嫌が戻るのを待つ。
同時に……
(させないわよ、絶対に)
そう、決意を新たにする。

例え私を守るためでも、そんなバカなマネはさせない。
アイツは生きて、ただの人のまま幸せにしてやるんだから。



Interlude

SIDE-リンディ

アースラの試験航行を終え、グレアム提督のお見舞いも終わった私は旧友であるレティと話をしている。
「で、どうなの? そっちの方は」
「どうって?」
やっぱり、フェイトさんの事かしら。
こっちに来る前の通信でも彼女の事が話題になったけど、その話は一応その時に終えたはずなんだけど。

「あなたが目をかけている子たち、って言うのも気になるけど……今回は預言の方かしらね」
「ああ」
なるほど、そっちか。
確かに、通信で話すにはちょっとマズイ話題よね。

幸い、ここは個室だし防諜対策もしっかりしてるから安心して話せる。
「そうね、凛さんの能力は全容を把握したとは言わないけど、それでもある程度わかっているつもりよ。
だけど、まだ士郎君の事はわからない事だらけね。預言と合致する部分があまりに少なすぎるのよ」
「つまり、進展はなし、ってことね」
そういうこと。彼の能力は、それこそ結果自体はわかりやすい。
だけど、それと預言の内容が合致するのか……いや、そもそも預言の意味すらもよくわかっていないのよね。

「ただ、いくつか仮説なら立てられるわ」
「というと?」
私の言葉に、レティは身を乗り出して食いついてくる。

「まだ、確証も何もないから報告はできないのだけど……概念武装の性質を考えるとね、とんでもない怪物を想定しているように思えてならないのよ」
「怪物?」
「そう。例えば、凛さんが言っていた第七聖典。これは転生を阻む能力があるらしいわ。それって逆に言うと、転生する能力を持つ何かを想定してるってことじゃない? それも個体としての能力として」
「あ……!」
レティもその意味を理解したのか、口元を手で押さえ深刻そうな表情をする。
凛さんは、プログラムで括られた存在にどこまで概念武装が有効か、疑問を持っていた。
それはつまり、プログラム以外にそういった能力を持った何かが存在する可能性を示唆している。

それに、武器というのは必要だから作るのだ。
必要もないのにそんなモノは作らないし、そんな特殊な代物を試す相手もなしに作るとは思えない。
なにより、どうやって効果を確かめる。転生を阻むと言っても、実際に転生することが可能な何かがいなければそれは意味をなさないし、効果のほどを確かめようもない。

これは他の概念武装にも言える。エクスカリバーにアイアス、どれも破格の能力を持った武器だ。
だけど、なんでそんなモノを彼は戦闘に使用した?
あるから使った? 確かにそれもあるだろう。それを使うしか状況を打開できなかった? 確かにその通りだ。
しかし、あれらはあまりに強力過ぎる。なぜ、それほどの武器を彼の家は集めたのか。
それは、そういうものが必要な敵を想定していた気がしてならない。
アレだけの武器を持つということは、ただそれだけでその可能性を示唆する。

また、彼の戦い方も明らかに格上を想定している。
あれだけの武器を持つ彼が、なお想定しなければならない格上。それは、一体どんな怪物なのか。
単純に彼の考え方の問題かもしれないけど、疑え出せばいくらでも疑える。

どれも可能性の域を出ない。でないけど……
「確かに、無視できない可能性ね。そんな怪物がいるとなれば、王の実在も現実味を帯びるわ」
「ええ。もちろん、ただ研究のために必要だっただけかもしれないし、私が思う以上に、彼は自分を過小評価しているのかもしれない。
 もしかしたら私の考えすぎかもしれないわ……っていうか、そっちの方が有力よ」
「でも、疑うには十分すぎる代物よね。特に、ジュエルシードを消滅させたあの斬撃を放った剣は……」
そう、レティの言うとおり、アレは明らかに凄まじ過ぎる。少なくとも、地上で使うには向かない。
そのリスクを無視してでも必要な敵がいるのではないか、どうしてもそう考えてしまう。

だけど、アレが必要な敵って一体どんな?
「その子たちは、私たちの知らない何かを知っているのかしらね」
「できれば、そんなモノはいて欲しくないんだけど」
「まったくね……」
私のぼやきに、レティはそう返して紅茶をすする。

過ぎたる力は疑念を生む。なんていうのは、わかりきったことだったはずなんだけどね。
本来は、向こうがこちらを撃ってくるんじゃないかという疑心暗鬼。
しかしこの場合、それが必要な何かがいるんじゃないかという恐怖心を掻き立てる。
まさか、そんな意味でも使えるとは思わなかったわ。

あまり楽しくない想像にお互い沈み込んでしまった。
ちょっと気分を変えようと、もう一つの懸案事項に話を変える。
「それと……実は、もう一つあるの」
「え、まだ何かあるの? やめてよね、これ以上頭痛のタネを増やさないでよ」
「しょうがないでしょ、そういう仕事なんだから。
それでね。この前の戦闘で、フェイトさんが守護騎士の一人に聞いたらしいんだけど、士郎君の魔術を『投影魔術』と言ったらしいわ」
「? それがどうかしたの?」
レティは私の言わんとすることがまだよくわからないのか、首を傾げている。

「ねえ、おかしいと思わない? 普通、転送系の術に『投影』なんて名前を使うかしら?」
『投影』、意味としては「モノの影を平面に映し出す」「ある物の存在や影響が他の物の上に現れ出ること」などがあげられる。少なくとも、転送の類に付けるような名前とは思えない。

「まあ、言われてみればそうね」
「でしょ? だからと言って、投影って名前と彼の術の関連性はわからないし、そもそもその名称があってるかだってまだ確認していないわ。
 でも、もし本当にその名前だったとしたら……私は、なにかとんでもない勘違いをしていたかもしれない」
これまたさっきの可能性の話同様、何の確証もない推論だ。
だけど、もしかするとここに彼の能力に迫る鍵があるかもしれない以上無視はできない。

やれやれ、本当にどうしたものかしらね。あの子たちは。
闇の書事件以外にも、問題が山積みだわ。
あの子たちから直接話を聞ければ楽なんだけど……対応は慎重を要するのよねぇ。



そのまましばらく預言の事について話し合ったのだけど、やはり何の確証もない段階ではたいした進展はない。
まあ、わかりきっていたことではあるけど。
どちらかというと、今回のこれは情報の整理と共有が目当てだし。

そうして適当なところで話を区切ったところで、話は士郎君の人柄の方へと向く。
「そう言えば、あなたあの男の子を心配してたみたいだけど、どうなの?」
「…………なんて言うか、酷く純粋な子なんだと思うわ。
どこまでも一途で、愚直なまでに優しい。ただ、それが行き過ぎてるのよ」
正直、彼の人物像を言葉で上手く表現するのはかなり難しい。
表面的な部分は簡単なのだが、その深い部分を伝えるとなると言葉の選択に窮する。

実際、レティも私の表現からいい方向の印象を受けたようだ。
「? それって美徳だと思うけど?」
「私もそう思ってたけど、何事も行き過ぎはよくないってことなんでしょうね」
彼の場合、あまりにも自分を軽視し過ぎだ。凛さんがあれほど心配するのも納得がいく。
彼は放っておくと、どこまでも自分を犠牲にしてしまえる。
確か、あの世界の童話に似たような話があった気がするけど、その体現という感じだ。

私の様子から、どうやら厄介な話ということをレティも察したらしい。
「そう、あなたも大変ね。昔から世話焼きだったし、放っておけないんじゃない?」
「そうね。でも、幸い良いパートナーがいるみたいだから……」
どうやら、凛さんはそのことを承知の上で一緒にいるらしい。
わかっていなかったら危険だけど、そうではない。
彼の一番近くにいる彼女がちゃんと手綱を握っているのだから、きっと大丈夫。
まあ、フェイトさんとしては難関になるんでしょうけど。応援したいのはやまやまだけど、こればっかりは、ね。

ただ、やっぱり気が重いわね。
「どうしたの? そんな苦虫を山ほど噛み潰したような顔して」
「え? ああ。何というか、預言が外れていたらなぁって」
「まあ、肩透かしで終わってくれるに越したことはないけど……そういうことじゃなさそうね」
長い付き合いはありがたい。言葉にしなくても、ある程度こっちの様子を察してくれるんだから。

「ええ。不謹慎かもしれないけど、この際預言自体は当たっててもいいから、二人の所だけ外れててほしいわ」
「それはまた……」
驚いたというか呆れたというか、そんな感じのレティ。
でも、これは紛れもない本心。あの二人を見ていると、その生活を脅かしかねないあの預言が疎ましくなる。
あんな預言さえなければ、あるいは二人との共通性がなければ、二人は穏やかな生活を送れるはずなのに。

「まあ、気持ちは分かるわ。
静かに暮らしたい人の生活を乱すなんて悪趣味もいいとこだし、それがあんな子どもともなれば、ね」
全く以てそのとおり。私たちは、ああいう人たちの生活を守るためにこそ管理局に入ったのに。
これじゃ本末転倒も甚だしい。

はじめのうちは、預言を打破する光明に見えていた。
だけど、時間を置いて冷静になると、そのことを気付かされる。

「上に報告する?」
「まさか。他人の愚痴を密告するほど、私は暇じゃないわ」
「へぇ、友人とお茶する暇はあるのにね」
「こっちの苦労も知らないで……ホントに密告するわよ」
「今度向こうの美味しいお菓子でも持ってくるけど?」
「向こうのお酒も付けてくれたら、今回はそれで手を打ってあげるわ」
「ええ、もちろん♪」
買収成立。昔から好きだったものねぇ。
地位が上がってもこういう軽口を言い合える相手がいるのは、得難い幸運だ。

うちのクロノは妙に堅いから、ちょっとその辺が心配。
エイミィがそうかもしれないけど、まだまだ役者が違う。
あの子がエイミィと渡り合えるようになるのは、はてさていつになるのやら。
なんなら、そのままゴールしてもらってもいんだけど。

フェイトさんだと……なのはさんかしら。
ただ、二人ともそういう柄じゃないし、難しいかな。
まあ、なるようにしかならないか。

Interlude out



SIDE-士郎

買い物を終え、ハラオウン家へと戻ってきた俺達。
寝そべっているアルフにお土産のビーフジャーキーを与え、買ってきた食材を冷蔵庫に移す。

と、そこへ……
「や、お二人さん。ごめんね、なぁんか押し付けちゃったみたいで」
「別にいいですよ。どうせ通り道でしたから」
「うん。いつもエイミィに任せっきりなのは悪いし」
「いやぁ、二人ともいい子だねぇ。クロノ君なんかだと、僕は君の下僕じゃないって怒るのに」
「それ、なんか妙なモノ買わせるからでしょ?」
「え? なんでわかるの?」
やっぱりそんなところか。エイミィさんの事だから、ただクロノに買い物を頼むだけのはずがないと思ったんだ。
絶対、どこかでこの人の悪戯心を満たす愉快なイベントを用意しているはずだと思ったが、大当たり。

「化粧品とか、あとは男が手を出し難いモノを狙ってやってるでしょ」
「あははは。すごいねぇ、士郎君。もしかして、クロノ君の愚痴聞いたりしてる?」
「いえ、単なるシンパシーです」
さすがに下着とかは言いだしてないとは思うが、似たようなことなら凛もやりますからね。
正直、化粧品なんて言われても俺達には違いがよくわかりません。
何となく女の園っぽい空間だし、居心地が悪いんだよ、あそこ。

「ほぉ、それはそれで凄いんだけどね。もしかして心の友と書いて“しんゆう”と読むってやつ?」
「どちらかというと同類故の共感というか、同病相哀れむとかそういうのだと思いますけどね」
「あははは、そっかぁ」
割と皮肉交じりに言っているつもりなのだが、この人全然気にしない。
ポジティブな人って強いよなぁ。なるほど、クロノが勝てないわけだ。ある意味において相性が悪すぎる。

まあいい、クロノには悪いが俺では力になれそうにない。
さしあたって、とりあえずご依頼の料理から始めますか。
「お? で、今日は何を教えてくれるの?」
「寒いですし、やっぱり温まるモノって事で水炊きをやろうかと」
「何を水で炊くの? お米?」
「いえ、そういう意味じゃありませんから。というか、それだと単なる炊飯だし。
 まあ、最後は米を入れて雑炊にしますけどね」
知らない人が聞けば、そういうリアクションになるんだろうか?
でもこの人の場合、知っててそういうこと言ってそうだから判断に困る。

いや、それ以前に……
「今日はって、もしかして何度もやらせる気ですか?」
「ん? できないなら無理にとは言わないけど?」
くっ、嫌な聞き方するなぁ。クロノよりよっぽど人心掌握術が上手いんじゃないか?
俺の料理人としてのプライドを刺激してくるんだもの、やり辛いったらない。

「……できますよ」
「まあまあ、そうムスッとしないで。その代り、こっちの料理も教えるからさ」
まあ、別にいいですけどね。決して、知らない料理に興味を引かれたのではない。

「ってあれ? フェイトちゃんも作るの?」
「あ、うん。せっかくだから、わたしも教えてもらおうと思って」
「ほほぉ……………………………ごめんね、私急用を思い出した。
今のうちにやっておかなくちゃならない事があったんだった!」
そう言って、そそくさと台所を離れるエイミィさん。
今の間が一体何だったのかは定かじゃないが、一瞬目がキラリと光ったのが気になる。

って、それって本来の趣旨から外れるのでは?
「ちょっ、作り方とかはどうするんですか!?」
「ああ、それはフェイトちゃんから改めて聞くから気にしないで!」
いや、確かにフェイトなら忘れるとは思えないし、きっとちゃんと伝えるだろうとは思う。
本人が再現できるかはともかく、教えたことを伝えることが出来るかどうかと聞かれれば、たぶん出来るだろう。
う~ん、それならいいのか?

「あ、そうだ。夕食ってこっちで食べてく?
 お姉さんは大歓迎だし、フェイトちゃん的にも……ねぇ?」
「え、エイミィ!?」
そう言って、意味深な目をフェイトに向けるエイミィさん。
それに対し、顔を真っ赤にしてワタワタと手を振ってエイミィさんを制止しようとするフェイト。
とはいえ、結局は敵わないわけなのだが。AAAクラスの天才魔導師にも、敵わない人はいるんだよなぁ。

まあ、それはそれとして……
「どうしましょうか? 別に問題はないと思うんですけど……」
「うん。急な話だし、その辺はゆっくり考えてよ。
 つじつま合わせの言い訳くらいなら、付き合ってあげるからさ」
いや、別に浮気するとかじゃないんですから。
そうして少し悩む俺をよそに、エイミィさんはフェイトの方に歩いていく。

そして、エイミィさんはフェイトにすれ違いざま……
「しっかりね」
と、小声で耳元に話しかけて行った。なんのこっちゃ?
ただ、フェイトの顔がより一層赤くなったことだけは確かだけど。

待てよ、あと一つ確認しておかないと。
つい最近まではともかく、俺としては連中の動向は少しでも耳に入れたい。
この際だから、凛には悪いけど制止を振り切ることになることも覚悟している。
「そういえば、リンディさんもクロノもいませんから、今はエイミィさんが指揮代行なんでしたっけ?」
「責任重大」
とは、俺の確認を聞いたタレアルフの弁。
とりあえずだな、言ってる内容と格好があってないぞ。
ビーフジャーキーを咥えながら、床にべちゃあと毛皮みたいに寝そべっていてもなぁ。リラックスし過ぎだろ。

「うん、まぁね。全く、物騒極まりないのですよ。とはいえ、そうそう非常事態なんて、起るわけが……」
そこで鳴り響くのはアラート。そして警報を意味する赤い光の明滅。
なんというか、あまりにドンピシャ過ぎるタイミング。

「起こりましたね、非常事態」
「起こっちゃったね、非常事態」
などと、思わず間抜けなやり取りをする俺とエイミィさん。
まあ、それだけびっくりなタイミングだったってことで。

「って二人とも! そんな、ぼーっとしてる場合じゃないよ!?」
「あ、そうだった!? とりあえず、みんなは管制室に来て。
 それとフェイトちゃんはなのはちゃんに連絡! 士郎君は念のため凛ちゃんにこの事を伝えて!」
「あ、それなら凛は今なのはといるはずですから、まとめて伝えますよ」
「オッケー、それでお願い!」
やれやれ、せっかくの団欒がいきなりドタバタに代わってしまったな。

とはいえ、これで守護騎士たちに会えるか。
できれば、あの人に会って直接話を聞きたいんだが……。






あとがき

とまあ、結構半端なところで今回は終わりましたね。
どうも傾向として、こういう次に直接つながる終わりをしてないことに気付き、ちょうどいいのでやってみることにしました。
それと、多分初めてじゃないでしょうか。A’sに入ってから一度も八神家サイドの視点が出てこないのって。
これまで誰かしら出してたんですが、一度もないのはさすがに初のはず。
まあ、だからと言ってどうということはないんですけどね。
士郎の回想でちゃんとシャマルが出てましたし、前回は八神家メインでしたから。

そんなわけでシャマルとの出会いにもちょこっと触れましたが、なんか色々アレですね、すみません。
この二人の出会い方としては、ちょっとこれくらいしか思いつかなかったのです。
基本はhollowにおけるライダーのお買い物で、そこにプラスαしました。まあ、とりあえず一般人三人程度ではこんなものでしょう。

さて、これで今年の更新は今度こそ最後で。
何とか大晦日に間に合ってよかったですよ、ホント。
さしあたっては、「あけましておめでとうございます」が早く言えるようにしたいですね。
とりあえず、来年こそは良い年でありますように。それでは皆さん、良いお年を。



[4610] 第33話「露呈する因縁」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2010/01/11 00:39

SIDE-凛

やたらとコードやらモニターやらで占められた空間。
正直、私には何がなにやらわからないモノだらけだわ。

しかし、これはどうしたものかしらね……。
「文化レベル0。人間は住んでない、砂漠の世界だね」
呟きにも似た様子でそう漏らすエイミィ。
無数のモニターの一つ、そこにピンクの髪の美剣士と犬耳に尻尾の偉丈夫が映っている。

これまでは、まあ一応こっちの足元に現れてくれたから単純だったけど、今回はそうではない。
私自身としては、わざわざ別の世界に行ってまで連中と事を構えるというほど、この件に乗り気じゃない。
しかし、それはあくまで私自身の事。傍らに立つ相棒はそうはいかない。
士郎としては、何としても確認したい事があるだろう。

エイミィは忙しなくキーボードを叩くが、あまり状況はよくないらしい。
「結界の張れる局員の集合まで、最速で四十五分。まずいなぁ……」
四十五分、か。それだけあれば、あの連中なら十分あの場から移動できる時間だ。
見つかっていることに気付いてはいないだろうけど、それでも時間がかかり過ぎる。

フェイトの方でもそう判断したのか、アルフに目配せし、お互い頷き合う。
「エイミィ」
「ん?」
「わたしが行く」
「あたしもだ」
まあ、その辺が妥当なところだろう。
幸いというかなんというか、あそこにいるのは二人の目当ての人物たちだ。

「うん、お願「エイミィ、ちょっとタイム」……どうしたの、凛ちゃん?」
指揮代行ということでエイミィは二人に許可を出そうとしたけど、そこで口をはさむ。
結果、全員の視線が私に集中する事となった。

正直、あまり気は進まない。
それどころか、できれば縛りつけてでもこの場にとどめたいのが本音だ。
だけど、それはむしろ害悪にしかならない。
疑念はきっちり解消しておくべきだろうし、どのみちこいつは無理にでもついて行くだろう。
今はまだ悩んでいるようだけど、最終的に出すであろう結論は既にわかっている。

それに、こういう時に止めたって無駄なのは百も承知だ。
「フェイト、どうせだから士郎も連れて行きなさい」
「え? 凛ちゃん、いいの?」
疑問を口にしたのはエイミィ。
無理もないか。今までのスタンスを考えれば、むしろ手を出さない可能性の方が高いくらいなのだから。

士郎も士郎で、私の発言に驚いたのか目を丸くしている。
「ふん、いいわけないでしょ! でも、どうせ止めたって聞きやしないんだし、なら気の済む様にさせるだけよ。
 むしろ、フェイト達が近くにいた方がこいつもそこまで無茶できないだろうから、そっちの方がマシでしょ」
言っちゃなんだけど、こういう時は面倒見る相手というか気にかけなきゃいけない相手がいた方が安心できる。
一人だとどこまでも突っ走る奴だが、周りに人がいればある程度は自制するはず。
自分が暴走すればそのままフェイト達の危険に繋がるのだから、士郎でもそこまで危ないマネはできないだろう。
まあ、そのフェイトが危なくなったらその限りではないんだけど……。
でも、これよりいい手というのも浮かばないのよねぇ。あとは、本当に縛りつけるくらいしかないし……。

「…………凛」
「行ってきなさい。リニスにしてもそうだけど、アンタがフェイト達の事を放っておけるなんて思ってないわよ」
というのは、まあ、表向きの理由。

本当のところをここで言うとあとで面倒だし、念話でこっそり伝えることにする。
『フェイト達の事は置いておくとして。あそこに目当ての相手はいないけど、ここで待ってたからって会えるとは限らないしね。それに、聞きたい事を聞くだけならアイツらでも問題ないでしょ』
これは、管理局には知られていない方がいいだろう。
どんな結果になるにせよ、余計な情報を与えるつもりはない。

「ごめん。それと、ありがとう」
そう言って、士郎は律儀に頭を下げる。
私のもう一つの思惑に気付いているかまでは分からないけど、一応狙い通りになったから良しとしよう。

まあ、思惑と言ってもそう大層なモノじゃない。
とりあえずこれで士郎があれと直接対面する可能性は低くなった、程度のものだ。
今あそこにいないからって遭遇しないとは言い切れないけど、わざわざ後から敵の前に大将を晒すとは思えない。
なら、もしあの女があらわれるとすれば別の所だ。
もし出てくるようなら、士郎抜きで私が会えばいい。その方が、まだ安心できる。

「それじゃ、フェイトちゃんとアルフ、それに士郎君でむこうに向かって。
 なのはちゃんはバックス。ここで待機。
 凛ちゃんは…………………………まあ、お任せってことで」
「いいわよ、今回は手伝ってあげる。黒尽くめはサポートっぽいから、出るとすればあのチビと一緒でしょ。
リスクを考えると主単体で動き回るとも思えないし、なのはには私がつくわ」
とりあえず、この二手に分かれておけば特に問題はないだろう。

まあ、それはそれとして。
『士郎。わかってると思うけど、聞く内容には気をつけなさいよ。はぐらかし難いことを聞くと、後で面倒だから。
 それと、話なんてたいして聞いちゃくれないだろうし、質問は一つが限界だと思う。だからその一回で確証が取れそうで、なおかつ管理局に知られても困らない事を聞くこと。わかった?』
『それはまた、難易度の高いことを……』
『嫌ならいいわよ。この条件が飲めないなら行かせないから』
『……はぁ、了解』
『よし。それと、たいして期待してないけど……………無茶、するんじゃないわよ』
ラインを使った念話で必要なことを伝える。
士郎に無茶するな、なんて言うだけ無駄だろうけどね……。

そのまま、士郎はフェイトと一緒に部屋を後にした。
出来れば他人の空似であって欲しいけど、ここまで偶然が重なった以上一応覚悟はしておいた方がいいか。



第33話「露呈する因縁」



SIDE-士郎

凛にはいろいろ釘を刺されたが、とりあえず出向くのを認めてもらえたのはありがたい。
いざとなれば強行突破することも考えていたが、そうしなくて済んだのは幸いだった。

とはいえ、ならせめてアイツが出した条件だけはちゃんと果たさないとな。
ただでさえアイツには、迷惑と心配をかけどおしだ。
本当はこれ以上心配させたくないんだが、これはどうしても確かめないわけにはいかない。
そうである以上、最低限あれらの条件だけは守らないと。

「さて、見えてきたな」
「「え!? 見えるの!!」」
ああ、そういえば普通は見えないよな、この距離じゃ。
俺の言葉を聞いたフェイトとアルフは、何とか眼を凝らすが成果はなさそうだ。

「状況は、どんな感じなの?」
「あまり芳しくないな。動きに精彩が無い。肩の傷だけとは思えんし、もっと別の何かもあるのだろう。
 おそらくだが、遅かれ早かれあの蛇の化け物に捕まるな。
では、それを踏まえた上でどうするかね?」
横で俯き気味のフェイトにそう尋ねる。

しばし思案していたようだが、すぐに結論が出たのか顔を上げる。
「行くよ。このまま放っておくなんて、できないから」
漁夫の利を得た方がいいのは確かだが、それがわからないような子でもない。
なら、本人の好きにさせるか。俺としても、シグナムには聞きたい事がある。
そういう意味では、一度助けて貸しを作るのも悪くない。

「よし、ではここで二手に分かれよう。
 私はフェイトと共に行く。リニスはアルフに同行してくれ」
「わかりました」
フェイトと並ぶ形で飛んでいたリニスに指示を出し、俺はアルフの背から降りて魔法陣を展開しそこに乗る。
ここまでは狼形態のアルフに運んでもらったが、ここからは別行動だ。

というか、いつの間にかちゃっかりリニスもついてきてたんだよな。
段々と要領が良くなってきている気がするのだが、気のせいだろうか……。

そんな事を考えているうちに、アルフは人間形態をとりリニスと共に別方向へと移動しようとする。
「待て、アルフ」
「ん? なんだい?」
「わかっていると思うが、まだアレは使うな。
 多少は形になってきたが、まだアレを使えるだけの体ができていない。無理に使えば、反動で動きが鈍る。
 今の段階で決定打は望めない以上、使った後はまともに戦うことすらできなくなるぞ」
多少はコツをつかんできたのか、以前に比べれば一応動きの制御は出来るようになってきた。
とはいえ、そもそもアレを使うだけの下地が無かったせいか、一回使うだけでも体にかかる負担が大きい。
これでは、到底一対一での戦闘には使えないだろう。

「ちぇ、わかったよ」
「リニスも、もし危なそうであればすぐに退け」
「はい」
アルフは不満そうだが、リニスがついていれば大丈夫か。


そうして、リニス達と別れた俺たちはシグナムの元へと向かう。
ちなみにその間、俺は例によってフェイトに抱えられながらの移動となった。
はぁ、我ながら情けない。

まあ、それはともかく。
通常の視力でもシグナムを目視できるくらいまでの距離になったところで、フェイトが声を上げる。
「シグナム!?」
「待て、フェイト。それをどうするつもりだ?」
一端魔法陣を布いてそこに立ち、フェイトの腕を抑えて制止する。

「どうするって、とにかく助けないと!」
「助けるのは……まあ、いいだろう。戦うのは君だ。なら、好きなようにすればいい。
だがな、あれとて一応生き物だ。そんな攻撃をしては殺してしまうぞ。
 それに、これからシグナムと戦うというのに、今からそんなに魔力を使ってどうする。
 ここまで運んでもらった私が言うのもなんだが、より万全に近い状態で臨むべきだ」
今フェイトが使おうとしていたのは、クロノが使っていた「スティンガー・ブレイド」とやらの電撃付与型。
正確にはサンダーレイジの上位に位置する魔法らしいが、見た目はどう見てもあっちに近いよな。
まあそれはともかく、それだけの魔力をいきなり消費するのは、正直あまりうまくない。

俺の言わんとすることはわかるのだろうが、それでも納得いかなそうにしている。
「じゃあ、どうするの?」
「ふむ、ではこうしよう。フォルム・サジタリアス」
フェイカーを弓へと変え、矢を番える。

そのまま矢を放ち、シグナムを捕らえる触手を貫く。
「なに、これは……!」
突然の変化にシグナムは驚いている。

だが、今はそれどころではない。
今の攻撃で、蛇の化け物の意識がこちらに向いた。
「『投影(トレース)、開始(オン)』」
そこで、一振りの剣を投影する。
その剣は赤黒く、全体から凄まじいまでの凶々しい気配を放つ。

それと同時に、フェイトとシグナムが弾かれたように俺と距離を取った。
「「ッ!?」」
「なるほど、二人とも良い勘をしている。いや、むしろこれは当然の反応か?」
どうやら、二人とも反射的に飛び退いたらしく、自分自身の行動に驚いていることがその表情から見て取れた。
だが同時に、その眼には怯えの色も含まれている。この剣の危険性を、理性ではなく本能で感じ取ったか。

そんな二人から目を離し、剣を構えながら巨体を誇る蛇の化け物のような生き物と睨み合う。
「シロウ!?」
俺がこれで真っ向から戦うと思ったのか、動揺を抑え込んでフェイトが悲鳴のような声を上げる。

だが、元よりそんなつもりはない。
「待て、フェイト。よく見ろ」
「え?」
俺の言葉に従い、フェイトは再度奴の方を見る。

すると……
「逃げいていく?」
「ふむ。やはり、野生の生き物は察しが良くて助かる」
そう呟き、投影した剣を消去する。
まともに戦えば厄介、あるいは面倒な相手だったろう。
だが、さすがにわざわざあの魔剣と戦おうと思うほど鈍くはなかったか。
宝具としての精度も高いが、何よりあれの不吉さをこいつも悟ったのだろう。

なにせ、モノがモノだ。
強力な“報復”の呪詛を持つが、同時に持ち主の運命さえも破滅に追い落とす様な代物からな。
あんな不気味なモノと戦うくらいなら、怒りを鎮めて逃げることを選択したか。
自然の中で生き残るのは、強い生き物ではなく危機回避能力の高い生き物だ。
そういう意味で言えば、あれは長生きするかもしれないな。

「シロウ、今のは?」
「ダインスレフと言ってな、少々曰く付きの魔剣だ」
実を言うと少々どころの代物じゃないんだが、破滅のみをもたらすなんて言って心配させるわけにもいかない。
俺自身、こんな物騒なのをいつまでも持っているのは怖いから、早々に破棄したわけだし。

さすがに、宝具の投影となると普通の剣を投影するよりかは魔力を食う。
だが、それでも真名開放をしたわけではない。
消費した魔力とて、アレを戦わずに退散させたことを考えれば十分少ないと言っていいだろう。

と、そこへ……
「礼は言わんぞ。衛宮、テスタロッサ」
「えっと、お邪魔でしたか?」
「蒐集対象に逃げられてしまった」
「それは仕方がなかろう。ここで死なれては、君を捕まえることができなくなる。
 君には聞きたいこともあるのでね。死なれては困るさ」
恩を売って答えざるを得ない状況を作ろうかとも思ったのだが、これではそれは望めないな。
助けられた事と蒐集対象を逃がしてしまったことで、プラスマイナス0と言ったところか。

まあ、シグナムならあの状態からでも脱出できたとは思うし、それほど期待はしていなかったからな。
とはいえ、なら聞き方を変えるまでだ。有無を言わせずに勝手に聞くという方法で。
「生憎だが、答えるつもりはない。
聞きたいのであれば、私を「アイリスフィールは『冬木の聖杯、その護り手』か?」……な…に?」
元から、答えなど期待してはいない。こういう状況だからな、馬鹿正直に答えてくれる奴などまずいない。
だから、俺が求めていたのは問いに対するシグナムの反応、その種類。

そしてシグナムの反応は、明らかに意味不明な問いを聞いた時特有の困惑とは別物だ。
意味が分からないという点では同じだが、問いの意味ではなく何故俺がそれを知っているのかを問題としている。
これでも、それなりに駆け引きの心得はあるからわかる。あれは、そういう目だ。

最早答えなど必要ない。その反応だけで十分だ。
「やはり、知って…いるのだな」
ここで、俺たちの疑念は確信に変わった。
あの銀髪の女性「アイリスフィール」は俺たちの知る人物で、まず間違いない。

この世界に冬木という土地が存在しない以上、並行世界出身とみていいだろう。
少なくとも管理局の把握している範囲で存在しないのは、この半年の間にリニスに調べてもらってわかっている。
次元世界全体を見渡せばあるかもしれない。だが、管理局の把握していない土地にいながら、わざわざこちらに来るメリットもあまりない。シグナム達が地球を中心に行動している事からも、その可能性は低いだろう。
また、『聖杯の護り手』という言葉の意味を知り得る人物は限られる。その上『アイリスフィール』という名だ。
彼女がそうでない限り、シグナム達がこの言葉を知るはずがない。

まあ、かなり直接的な事を聞いてしまったが、誤魔化しようはある。
この場合の「冬木の聖杯」と「護り手」は、魔術師における隠語とでもしておけばいいだろう。
あながち間違いではないし、これだけでは知られてはならない領域を知られることはない。

(十年、か。長かったのか、それとも………)
そう、アレから十年が経った。「もう」なのか、それとも「まだ」なのかは俺にもよくわからない。

まったく、自分自身の事なのにな。心というのは、これだから厄介だ。
(いや、そんなことは……もう、どうでもいいのかもしれないな)
一つ言えるのは、十年間ずっと燻り続けたモノが、やっと行き場を見つたのだろうという事。

「バカな! 何故貴様が、それを知っている!?」
「この言葉の意味を知っているのならば、わかるだろう?」
俺の答えを聞き、シグナムの顔が苦悶に歪む。
気持ちはわかる。おそらくは、俺も似たような顔をしているのだろう。
俺はこの答えを期待していたのか、それともその逆なのか………。
自分自身ですら分からないほど、心が混沌としている。

「シロウ?」
「用は済んだ。あとは任せる」
「待て、衛宮!!」
「いいのか? あまり時間をかけると、本格的に管理局が動くぞ。そうなれば、君とてただでは済まん」
「…………………ちぃっ!」
俺の言葉の正しさを認めたのか、シグナムはフェイトと向き合う。
フェイトもチラリと俺の方を見たが、気持ちを切り替えてシグナムに対する。
これで、もう俺の出る幕はないな。
少なくとも、フェイトが蒐集されるような事態にでもならない限り、俺が手を出すことはないか。

それに、一つ確かなことがある。俺は…………ケジメをつけなければならない。
俺が『衛宮』であるが故に、『アイリスフィール』に対してその名の責任を果たす。
それが、俺に出来るただ一つの償いだろう。



SIDE-凛

エイミィの所で待機していたことで、しっかり士郎とシグナムのやり取りを聞くことができた。
(はぁ。まさか、一番嫌な可能性が現実になるとはね)
士郎の問いへのあの反応。それだけで十分すぎる答えになった。
一応覚悟はしていたとはいえ、まさか本当にそうだったとは……まったく、世界はつくづく悪趣味だ。

「ねぇ、凛ちゃん。聖杯の護り手って?」
「ああ、一種の専門用語ね。錬金術使っている連中のなかでも、ちょっと訳ありな術者をそう呼ぶのよ」
なのはの問いにそう答えるけど、正直頭の中はそれどころじゃない。
アレが本当にアイリスフィールであるのなら、迂闊に捕まえさせるわけにはいかなくなった。
下手に捕まえると、私たちの事までバレることになる。
何より、アレは一応士郎の母親に相当する人。本人が第四次や第五次の事を聞いてどんな反応をするかにもよるけど、あの人は士郎に希望か絶望のどちらかを与え得る人物だ。これは、扱いには慎重を要する。

と、そこへ再び緊急事態を知らせる警報が鳴り響く。
「な、もう一ヶ所!?」
驚きながらも、エイミィの手は淀むことなくキーボードを叩き、モニターの一つを切り替える。

そこに映っていたのは、闇の書を抱えるヴィータの姿だった。
「なのはちゃん!」
「はい」
「じゃ、私も行きますかね」
正直、今の事実を知れた時点でヴィータに用はない。
ただ、今この場で捕まっては困る。まだこっちは、この先どう対応していくか決めかねているのだから。
それに……。

そのことを考えているうちに表情が苦くなっていたのか、エイミィがちょっと的外れな心配をする。
「え、うん。それはありがたいんだけど、もしかしてあの聖杯の護り手っていうの相当ヤバい?」
「? まあ、厄介と言えば厄介だけど、危険はそれほどないわよ。
 錬金術の秘奥の一つではあるけど、闇の書みたいに物騒なモノってわけでもないし」
そう、危険は少ないんだけどねぇ。
厄介極まりないのよ。“私たちにとっては”って注釈がつくけど。

「ふ~ん、そっか。でもさ、どういう風の吹き回し? あそこにあの黒尽くめの人はいないのに」
「ああ、それ。まあ、らしくないなぁとは思うんだけどね。ちょっと、気になることがあって……」
「気になること?」
「ごめん、まだ確証がないから」
そう言って肩をすくめると、とりあえずエイミィは詳しく詮索はしなくなった。
まあ、上手く誤魔化せたようでなにより。
どうやら、私自身何が気になるのか掴み切れてないと思ってくれたらしい。それっぽい事は言ってみるものだ。

しかし、アレが本当に私たちの知るアイリスフィールなら、もはや他人事で済ますわけにはいかない。
となると、闇の書を利用しようとしていると思われるあの仮面の男もまた無視できない。
闇の書はどうでもいいけど、あの女をどうこうされるのは困るのよね。
こっちはこっちで、あの女に用があるのだから。
そのためにも、あの仮面の目的やらなんやらを掴む糸口を手に入れておきたいところだ。

「じゃ行くわよ、なのは」
「あ、うん」
さて、できればあの仮面には早々に出てきてほしんだけどね。
そうすれば、ヴィータを逃がしても不自然じゃないし。

なにより、あれの尻尾をつかめれば、まだわからないこともはっきりするかもしれない。
そう、闇の書やアイリスフィールの事だけじゃなくて、何でアイツが鉄甲作用の事を知っていたのか、とか……。



Interlude

SIDE-リニス

砂漠世界の上空。
そこで私は、アルフの戦いを少し離れた所から見守っている。

ただし、その光景はどこか異様なものであるけど。
「でやあぁあぁぁぁぁぁぁ!!」
「おおぉぉぉぉぉぉ!!」
狼形態のアルフと、人間形態のザフィーラ。
それぞれ違う姿での戦いは、人と獣の戦いを見ている様。

アルフは動物形態特有の敏捷性で相手を翻弄しつつ、正面からだけでなく、隙を見て死角からの攻撃も行う。
対して、ザフィーラは人間形態であるが故の、手足の自由度を使った多彩な技で以て対応している。
それぞれがそれぞれの姿の特徴をよく活かした戦いだが、やはり第三者として見るとアルフの劣勢に見えた。

時に爪で引き裂き、時に牙で噛み付き、息をつかせぬ攻防が繰り広げられ、アルフの攻撃も通ってはいる。
事実、少なくない傷を負わせてはおり、ところどころに赤い線がザフィーラの体に描かれていた。
だが、それも紙一重の回避と防御によって付いたものにすぎず、経験豊富な敵はギリギリのところで捌いていく。
スピードでは上回っていても、そのスピードはほぼ完全に見切られているのだ。
ついた傷のほとんどは、見た目ほどのダメージを与えられずにいる。

一番の問題は、徐々にだがアルフが押されていっていること。
初めはわずかにザフィーラが有利程度だったのに、少しずつ天秤の傾きは大きくなる。
このままいけば、趨勢はほぼ明らか。段々と押されていき、最後には敗北するだろう。

そして、遂に……
「もらった!!」
アルフの胴体目掛け、回避不能のタイミングで重い一撃が放たれる。
これが当たれば即敗北、ということはないだろうが、それでも形勢はほぼ決まる。

だが、必中と思われた拳は虚しく空を切った。
「なに!?」
「はぁぁぁぁ!!」
その直後、ザフィーラの頭上にオレンジ色の影が出現する。

そうして、そこで再びその姿が消えた。
シャッ!!
「がっ!?」
次に姿を現したのは、ザフィーラの直下一メートルほどの位置。
ザフィーラは頭に鋭い一閃を受けたのか、少量ながらも血飛沫を上げながらアルフから距離を取る。

その一連の攻防に、思わず目を見開き言葉を失う。
正直、私には今の攻撃が牙によるものか、それとも爪によるものか、それともそのどちらでもないのかさえ分からない。それだけ迅い、閃きの様な一瞬の攻撃。
だが恐るべきことに、ザフィーラはギリギリのところでその攻撃を回避してみせたのだ。
その結果、本来は甚大なダメージを与える筈の慮外の一閃は、皮を裂き僅かに肉を抉るだけにとどまらせた。

アルフの声や気配を認識し、脳が命令してから動き出したのでは間に合わない。
ならば、答えは一つ。アルフが消えると同時に、咄嗟に危険を予知し動いたのだ。
そして、完璧な奇襲であったにも関わらず回避されたという事は、それだけの差が二人の間にある事を意味する。
私には、それが絶望的なものにしか思えない。これは、今すぐにでも撤退した方がいいのではないだろうか。

そんな私の思考を余所に、ストレッチでもするように全身を伸ばしながら呟く。
「あいちちち。あちゃあ、士郎の言うことを守らなかった罰かね、こりゃ」
特に四肢は慎重に伸ばしている所から、その部分が痛むことが分かる。

正直、遠目から見ていてもよくわからなかったけど、辛うじて部分的にその姿を捉える事は出来た。
それは、傍から見ても奇怪な動き。
ザフィーラの拳が触れる直前、一瞬にしてアルフが消えたかと思うと、無音のうちにあの体勢からでは不可能な筈の位置、ザフィーラの頭上に姿を現す。魔法陣を展開し足場とするその姿は、天井を這う蜘蛛を彷彿とさせた。
そして、アルフは再び消え、次に姿を現したのはザフィーラの足の下。私に見えたのはそれだけ。
士郎から聞いたことが本当なら、静止状態から一瞬の内に最高速を叩きだすが故に、眼が追い付かなかったという事になるのだろう。正直、この眼で見てすら、何も理解できなかった。

そうして、ザフィーラは斬り裂かれた額から血を滴らせながら、アルフに問う。
「……なんだ、今のは」
「さあね、ここで使うつもりじゃなかった秘密兵器ってところさ。
 その様子じゃ、何をしたのかまでは分からなかったみたいだし、これならもう一回使えそうだね」
確か士郎は、一回見せたらもう使えないだろうというようなことを言っていた。
だけど、相手が攻撃に集中した瞬間に使ったことで、運良く見切られはしなかったらしい。

とはいえ、見た限り四肢にかなりの負担がかかっている。
あれでは、さっきまでの様に動き回ることは難しいかもしれない。
アルフもそれを自覚しているのか、一つ溜息をつくと人間形態をとる。
少なくとも、完全な動物形態を取っているよりかは、こちらの方がまだ戦えると判断したらしい。

ザフィーラは先ほどのアルフの不可解な動きを警戒し、無理に攻めようとはせず、慎重に様子を見ている。
しばしの間にらみ合いが続くが、そこでアルフが口を開く。
「一つ、聞かせとくれ。アンタも使い魔…守護獣ならさ、ご主人様の間違いを正そうとしなくていいのかよ!」
「間違い? 何を以て間違いと言う」
「なにって……」
ザフィーラの返事に、アルフは言葉を詰まらせる。
それは、思ってもみない反応だったのだろう。

「なるほど、確かに我等の行いは犯罪と呼ばれるものだろう。
 否定はせん、いずれはその罰も受けよう。だが、それが間違いであるとなぜ言える」
「ど、どういう意味だよ……!」
「大切なモノを、愛しき者を守ろうとすることが間違いであると、貴様はそういうのか? 我と同じ守護の獣よ」
それはつまり、彼らは何かを守るためにこんなことをしているというのか。

「我等には、もはやこれ以外に術がない。罪は認めよう。非難も甘んじて受け入れよう。
 しかし我等が願い、何人たりとも否定はさせん!!」
「ぐあっ!?」
「アルフ!!」
相手の気迫に押され、一瞬アルフの動きが止まる。
その隙を突き、ザフィーラの拳がアルフを捉えた。

思わず体が動き、吹き飛ばされるアルフの体を支える。
「サンキュ、リニス。でも、これはあたし達の戦いなんだ。
 悪いんだけど、下がってておくれよ」
「すみません、出過ぎたマネをしてしまいましたね」
何とか防御が間に合ったのか、深刻なダメージは防げたらしい。
だけど、決して無視できるようなモノでもない。
これは、ますます分が悪くなってしまいましたか。

これは、本当にアルフを連れて離脱することも考えなくてはなりませんね。

Interlude out



SIDE-凛

ヴィータの進路から行く先を予想し、そこで私となのはが待ち構えていると、少ししてヴィータがあらわれた。
いやはや、さすがエイミィ。いい仕事してるわ。

で、顔を突き合わせての第一声は……
「でやがったな、高町なんとか!!」
「なのはだってばぁ、な・の・は!」
などという、さっきまでのシリアス感を返してほしいモノだった。

「はいはい、コントはそれくらいでいいから」
「ちょっ!? 凛ちゃんヒドイ!!」
「ちっ、今度はてめぇも一緒かよ」
あちゃ、どうやら相も変わらず敵視されてるらしいわね。
まあ、実際敵なんだからなにもおかしくはないんだけど。

ただまあ、こっちに敵意を向けられても困るのよねぇ。
「ああ、なんか盛り上がってるところ悪いけど、私は手を出す気はないから。
 アンタの相手は、こっちの高町なんとかさん」
「ええ!? 凛ちゃんまでヒドイよ!」
はいはい、文句なら後で聞いてあげるから、さっさとやることやっちゃいなさいよ。
あえて口にはしないけど、手をヒラヒラして促してやる。

すると、拗ねた表情をしながらもしぶしぶながらヴィータを向く。
「ヴィータちゃん、やっぱりお話聞かせて貰うわけにはいかない?」
「うるせぇ! 管理局の人間の言うことなんか信用できるか!!
 それも、二人で来てる時点で話し合う気なんかゼロじゃねぇか!」
おお、なるほど! 言われてみればそうかも。
数的優位を作ってる時点で対等な話し合いじゃないって言われれば、確かにその通りだ。

「特に、そこの赤いのとあの白髪は信用ならねぇんだ!
 話がしたいなら、とりあえずそいつらのいねぇ所で言え!!」
は? なんで私や士郎をそこまで警戒するのよ。
確かに私たちは魔術師だし、向こうもそれに気付いているようだけど、ここまで警戒される理由って何?

「おい、お前!」
「ん、私? とりあえず、お前呼ばわりはやめて欲しいわね」
「うるせぇ! あの白髪、いったい何なんだ! なんであんなヤバい奴と一緒にいんだよ」
どういうこと?
確かに士郎の能力は使い方によっちゃあかなりヤバいけど、詳しいところをこいつは知らないはずだ。

「あのさ、せめてわかるように言ってくれない?」
「んなもんあたしが聞きてぇよ! よくわかんねぇけど、アイツはなんかヤバい。そういう感じがするんだ。
 お前らも、命が惜しかったらあの野郎から離れた方がいいぞ」
ああ、つまりは直感ってことか。これじゃ話にならないわ。
でも、それにしては妙に具体的な事を言うわね。

と、そこでヴィータがその手にいつぞやの赤い魔力球を用意していることに気付く。
「ふん、まあいいさ。お前らはあたしに用があんのかもしれないけど、あたしにはねぇ。
 吼えろ、グラーフ・アイゼン!!」
《Eisengeheul》
あの時同様、ヴィータは魔力球に向かって鉄槌を振り下ろす。
すると、光と爆音により一時的にこちらの目と耳がふさがれる。
なるほど、この機に離脱しようって腹か。確かに、そういうのに向いてるわよね、あの術は。

光と音が止む頃には、すでにヴィータはかなり離れたところまで移動していた。
それに対しなのはは…………
「しょうがない、かな。
 行くよレイジング・ハート。久しぶりの長距離砲撃!」
《Load Cartridge》
二発のカートリッジをロードし、ディバインバスターの準備を整える。

とはいえ、さすがにこの距離であの小さな的を狙うとなると、かなり難しい。
士郎じゃあるまいに、などと考えているとなのはの異変に気づく。
「へぇ、これは驚いたわ。本番に強い性質のなのは知ってたけど、ここまでとは」
私の中に芽生えたのは、純粋な驚き。
今のなのはの様子は、普段のそれとまるで違う。どちらかと言えば、弓を射る時の士郎と僅かに重なった。

十年間、ずっとそばで見続けてきただけにそれがどういうモノなのか、私にはそれが何なのかすぐにわかった。
(士郎に比べれば浅いけど、あの境地に踏み込むか。それも、まさかこの年で……)
一応これって一種の境地なわけだし、普通一生がかりで覚えるもののはずなのにな。
それを、まだまだ浅いとはいえそこに踏み込むとはね。つくづくこの子の天性の才能には驚かされる。

となれば、この一撃が外れることはまずあり得ない。
だとすると、出てくるとなればそろそろかな。

「ディバイ―――ン・バスタ――――!!!」
砲撃形態のレイジング・ハートから放たれた魔力砲は、寸分違わずヴィータへと迫る。

そして……
「おお、見事命中。って当然か。なのは、今どんな感じだった?」
「え? どんなって……」
「難しく考えなくていいから、感じたことをそのまま言いなさい」
「えっと、なんて言うか、ヴィータちゃんとの距離が縮まったって言うか、周りが凄く静かに感じたけど……」
ふむ、士郎とでは感じ方が違うのかしら? それとも、これはまだ浅いせいなのか。

「ね、ねえ凛ちゃん、レイジング・ハート。ちょっと、やり過ぎた?」
《Don’t worry》
「大丈夫でしょ。ほら、よく見なさい」
「あ、あれって!?」
なのはは少し心配そうにしていたけど、私はそんなこと欠片も思っていない。
だって、この場でアイツらが捕まるのをあの仮面が良しとするはずがないのだ。
そうでないと、これまでの行動との整合性が取れない。

そして予想通り、煙が張れると人影は二つに増えていた。
で、ヴィータは無傷。つまり、あの仮面が完全に防いでみせたということ。
同時に何かしらのやり取りがあったのか、ヴィータが転送の準備にかかった。

そこへ、そうはさせまいとなのはが次弾を放とうとする。
「もう一発! ディバイ―――ン……」
「っ! なのは、待ちなさい!!」
私がそう声をかけるのと、なのはの周りに青い光の輪が出現するのはほぼ同時だった。

いや、それだけじゃない。私の周りにもそれはある。
「ちっ」
私は急いでその場を離れるが、砲撃体勢だったなのはは間に合わずバインドに捕まる。
にしても、あの一瞬でこの距離からバインド決めるなんて何者よ。

でもまあ、こうなることは一応これまでの事から予想済み。
さすがにあいつみたいに即興でこの距離からバインド決めるなんて芸当はできないけど、その分用意は万全。
「カーディナル」
《了解。リングバインド!》
なのはが一射目の砲撃をする段階から準備していた四重のリングバインドを発動させ、お返しとばかりに仮面を囲う。こんな反撃は予想外だったのか、一瞬動きが鈍りバインドの一つを避け損ねる。

とはいえ、その間にヴィータには逃げられてしまったが。
まあ、ヴィータはとりあえず逃がすつもりだったから別にいいけど、アイツを逃がすつもりは毛頭ない。
さあ、このまま洗いざらい吐いてもらおうか。
「と言いたいところだけど、これは長持ちしないわね」
慣れない長距離発動の上、向こうのバインド破壊はかなり強力だ。
たぶん、もってあと数秒。向こうが離脱するまでの時間を考えても、たぶん十秒ないかな。

となれば……
「カーディナル、転送いける?」
《無論です》
転送の難易度は、転送する対象の質量と数、そして転送先の距離で決まる。
転送と言うにはこの距離は短い、ならあとは転送対象が軽く数が少なければ発動も可能。

そもそも、奴が出てくることは織り込み済みだったのだ。
故に、バインドを含め奴が出てきた時のための準備はとうの昔に整っている。

転送したのは“私自身”。転送場所は奴の頭上。
懐から一粒の宝石を取り出し、奴に向けて投げ放つ。
「『――――Acht(八番)』」
うち一つを炸裂させ、その場を豪火で包み込む。

だが、ここで手を抜けば奴を逃がす事になる。もうリングバインドは解かれているのだから。
そしてヴィータの離脱は既に済んでいる以上、奴がこれ以上この場に留まる意味はない。
「ふっ!」
あんまり気は乗らないけど、私自身が作った豪火の中に突っ込む。
なんとしても、奴の尻尾を掴む手掛かりを手に入れなければならない。

辺りを埋め尽くす炎の中、かろうじて人影を発見しそこに向けてカーディナルを向ける。
「……いた! カーディナル、チェーンバインド」
《了解。チェーンバインド最高硬度、四本射出》
空中に描かれた魔法陣から四本のバインドが出現し、奴の四肢に向けて蛇の如くその身を躍らせる。

炎が晴れていく中、奴はそれを察知し寸でのところで回避する。
だけど、こっちだってただボウッと突っ立っているつもりはない。
「行くわよっ!」
カーディナルを待機形態にし、拳の中に宝石を握りこんで奴との距離を詰める。

手に持つ宝石の一つを弾くと、宝石が発光し目晦ましの役割を担う。
そのまま懐に潜り込み、足元に発生させた魔法陣を足場に、震脚を利かせた崩拳を放つ。
「まだっ!」
それだけでは終わらず、身をかがめて足払いというには余りに力のこもった蹴りを入れる。

勢いをそのままに一回転し、立ちあがりながら鳩尾に肘を叩きこむ。
その瞬間、私と奴の眼があった。
奴の眼は叩き込まれた一撃に対する苦悶の色をたたえ、私の眼はおそらく怪しい光を放っていただろう。
同時に、体を影にしながら逆の手を振るい、手に持っていた粉末状の宝石をまき散らす。

そして……
「飛んでけぇっ!!」
最後のトドメとばかりに、再度崩拳を叩きこむ。
本来なら、この全てを叩きこめた以上相当なダメージを負っているはず――――――なんだけど、寸でのところでシールドを張られ、威力を殺された。

接近戦はそれほどじゃないけど、魔法戦の錬度が高い。厄介だ。
って、あれ? こいつはたしか士郎に不意打ちかまして、白兵戦でも渡り合えるくらいの使い手のはず。
なのに、今の様子だとそんなことができるレベルには思えない。どういう事?

そんな疑問が頭を掠めたことで僅かに動きが遅れた。その隙に、私の周りに再度バインドがあらわれる。
「ちっ、やってくれるじゃない……!」
今度は回避が間に合わず、迫りくるバインドを掴み拘束される前に何とか止める。
そのままバインド破壊をかけ、掴んだバインドを引きちぎる。

その結果は……
「逃げられたわね」
《申し訳ありません。ちゃんと捕らえておければ……》
「アンタのせいじゃないから、気にしなくていいわよ。っと、なのはは……ああ、ちゃんと抜け出したみたいね」
なのはの方を見ると、自力でしっかり破れたらしくこっちに向かってくる。

「さて、そっちは大丈夫?」
「う、うん。凛ちゃんも大丈夫そうでよかった。でも……」
「まあ、気にしなくていいわよ。とりあえず、ここにいても仕方がないし、いったん戻りましょ」
それに、最低限の仕込みはできたしね。今はこれで満足しておけばいい。

とりあえず、いったんエイミィの所に戻って、必要なら士郎の方の加勢に行くとしますか。



SIDE-士郎

フェイトとシグナムの戦いは、以前よりなお熾烈なものとなっている。

フェイトの実力が上がったのもあるが、シグナムの動きは精彩に欠ける。
肩の傷だけではなく、全体的に動きが鈍い。
疲労がたまっているのか、それともさっきの俺とのやり取りが原因なのか。
一つ言えることは、フェイトにとっては好機ということだろう。

砂漠を舞台とした戦いは、一種舞踏の様な華麗さを併せ持っていた。
二つの光がぶつかっては離れ、離れてはぶつかるを繰り返す。
一進一退、まさにその言葉の通りの戦いだ。

だがやはり……
「一見互角だが、フェイトの方が分が悪いか。長引くと不味いな」
シグナムもフェイトの動きに対応しきれずにいるが、それでも寸でのところで回避し、あるいは巧みに防御する。
そうして決定打を入れさせない戦いをしつつも、カウンターで僅かずつとはいえダメージを与えているのは、さすがだ。まあ、相討ちに近い場面が多々見られるから、お互いのダメージはほぼ同じくらいだろう。

問題なのは、今は何とかスピードで対抗しているが、そろそろフェイトのスタミナがきつくなってきた事。
肩の傷のおかげで動きや反応が鈍いのが救いだが、それへの対処法であるカウンターがシグナムにはある。
このまま行くと、徐々にフェイトのスピードが落ち、いずれは…………。

そんな事を考察しつつ二人の戦いを観戦していると、フェイトが動く。
「サンダー・ブレイド……ファイア!」
フェイトは刃状に形成した十以上の魔力を射出し、シグナムめがけて殺到させる。

それに対しシグナムは、レヴァンティンを鞘におさめた状態でカートリッジをロードし、それを一気に抜き放つ。
「飛竜………一閃!!」
連結刃にしたレヴァンティンを振るい、襲いかかる魔力刃を叩き落とそうと唸らせる。

迫りくる魔力刃を弾き、その切っ先がフェイトを襲う。
だがその寸前、弾き飛ばされたはずの魔力刃が光を放つ。
「ブレイク!!」
フェイトの言葉に反応し、魔力刃が爆発を起こす。
その結果辺りは砂煙に覆われ、一時的に視界を封じられた。

外野から見ていても、かろうじて二人の影が見える程度。
アレでは、二人としてもお互いの位置を視認することはできないだろう。
しかし、だからこそ意味がある。

ギィン!!

一瞬、硬質の物同士をぶつけあうかのような甲高い音が響きわたった。
砂煙が張れると、そこにはさっきまでの位置を逆転させた二人がいる。
つまり、あの砂煙にまぎれフェイトがシグナムの攻撃を開始した上で接近し、シグナムも剣を戻して打ち合ったのだろう。

その結果は……
「相討ち……いや、シグナムの方が浅いか」
シグナムの体はグラリと揺らぐが、フェイトは少しよろめくだけで済む。
やはり、これを狙っていた者とそうでない者の差か。
シグナムのバリアジャケットには大きな裂け目ができているが、フェイトのそれは小さい。
それこそが、今の攻防での二人のダメージの差をあらわしている。

お互いに体勢を立て直し、再度向き合い武器を構える。
一時的ににらみ合いの形になったが、少ししてフェイトが動く。
「はぁ、はぁ………ふっ!」
「む…………そこか!」
一瞬、フェイトが姿を消したかと思うと、シグナムの背後に現れる。
スタミナが落ちてきているこの局面で、なおこの早さを維持できるのは見事だ。
だがシグナムも僅かに遅れてそれに反応し、背後でバルディッシュを振りかぶるフェイトに向けレヴァンティンを振るう。

しかしフェイトは、ここでさらに回転を上げる。
「なんだと!?」
本来なら、バルディッシュとレヴァンティンがぶつかり合い、鍔迫り合いにでもなるはずだった。
だがそこでフェイトは、またも高速機動を駆使し、振り向いたシグナムの背後を再度取る。

「はぁ!!」
今度こそバルディッシュが振るわれ、シグナムの背を斬り付ける。
シグナムも何とか回避しようとするも、反応が間に合わない。
ギリギリで前に飛ぶことでダメージを軽減するが、それでも弾き飛ばされ砂煙が上がる。

だが、まさかここにきてあそこまで動けるとは。
いや、むしろスタミナ切れが近いからこそ勝負を決めに来たのか。
だとすると、今ので仕留められなかったのは不味いな。
今のでいよいよスタミナの底が見えてきたらしく、フェイトは肩で息をしている。
何より、あんな無茶な高速機動を連続して行えば、まだ未成熟な体には負担が大きい。
たぶん、体には相当な痛みが走っているはずだ。

とはいえ、おそらくここが最後のチャンス。
ここで畳みかけなければ、フェイトの勝ちは遠のく。
如何に先ほど良い一撃を入れたとは言え、まだ十分にシグナムも挽回可能だ。
楽観視するには到底足りないだろう。

フェイトもそれを理解しているのか、右手は砲撃の準備を整え、今まさにそれを放とうとしている。
だがそこで、フェイトの背後に陽炎の様な揺らめきがあらわれた。
フェイトはその揺らめきに気付いていない。俺はそこに向けて駆け、手にした槍を振り下ろす。
「はっ!」
槍が砂地に叩きつけるが、狙ったような手ごたえはない。
だが、驚くには値しない。なぜなら、槍が振り下ろされる直前、揺らめきから人影が飛び出していたのだから。

その人影は少し離れた所に着地し、隠していた姿を晒す。それは予想通り、あの仮面の男だった。
「不意打ちは得意分野の様だが、される側に回った気分はどうかね?」
「ちっ!」
表情はわからないが、どうやらそれなりに不機嫌らしい。
ここでフェイトをやらせては、俺がこの場にいる意味がないからな。お前の好きにさせるつもりはないさ。

「シロウ!」
「気にするな。こちらは私が請け負う。それより、今はシグナムとの戦いに集中しろ」
背中合わせにそう言うと、フェイトは「うん」と一言答えそれ以上は語らない。

「プラズマ……スマッシャ――――――!!」
乱入者のおかげで一瞬間が空いてしまったが、フェイトはそのまま用意した砲撃魔法を行使する。
背中越しではそのせいかはわからないが、今の間はおそらくシグナムに対応の時間を与えてしまったはずだ。
となると、せっかくの好機を逃したことになるな。

いや、既に過ぎてしまったことを気にしても仕方がないか。
今はとにかく、これ以上二人の邪魔をさせないようこいつを叩き伏せるのみ。
「………今度は武器を消さんのか?」
「ああ、貴様程度を相手にあのような小細工もいらんだろう?」
というのはただの挑発で、本当はこの槍にインビジブル・エアは使えないだけなんだが。
なにせ、いま俺の手にあるのは魔を断つ赤槍「破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)」だ。
インビジブル・エアで消そうにも、穂先の透過はこの槍の能力で無効化されてしまう。これでは効果半減だ。

「さあ、今日こそは素顔を拝ませてもらおう!」
そうして、槍を構える。

しばしの睨みあい、動き出したのはほぼ同時だった。しかし、攻撃に移るタイミングは同時ではない。
動き出しが同時なら、間合いが広いこちらの方が先に攻撃は届く。
「はぁ!!」
間合いに入ると同時に刺突三閃。額・喉・心臓に突きを放つ。
本来なら必殺の連撃。どれか一つでも当たれば、そのまま相手は即死だ。

だが、これまでの二度のやり取りで、この程度で討ち取れるほど甘い相手ではないことは承知の上。
これはむしろ、牽制の為のモノ。事実、三閃全てをギリギリで見切ってかわす。
その代わり、仮面の男の疾走が止まった。
奴のスタイルは肉弾戦をベースに、魔力弾を補助に使うもの。
ならば、距離を突き離し続ける限り、奴の攻撃はメインではない魔力弾に絞られる。
そして魔力で構成されたモノに対してこの槍は最強の矛と成り得るのだ。

槍の間合い、僅かに二メートル。
しかし、その二メートルの接近を決して許さない。
同時に、不用意にこちらから間合いを詰めることもせず一定の距離を保ちながら槍を振るう。
ランサーのような技を極めた男ならいざ知らず、俺にはアイツのようなマネは出来ない。
本来なら自殺行為であるはずの間合いを詰めるという行為を、必勝のそれに変える技量はないのだ。

だからこそ、定石に則って槍を振るう。
喉を、肩を、眉間を、心臓を、間隙なく貫こうと打突を放つ。
だが、そのどれもが奴に届かない。高速の連撃は、槍の柄を拳で打たれ僅かに軌道が逸れる。
しかし、同時に奴もまたそれ以上踏み込めない。
一撃ごとに奴を弾き、押し留め、後退させる。

互いに忙しなく動いてはいるが、状況は一種の膠着状態に入った。
俺は奴を攻めきれず、奴は俺の間合いに踏み込んでこれない。
どれほどの突きを放っても奴の体には届かず、何度踏み込もうとしてもそれは激しい打突に阻まれる。

そんな攻防を何度繰り返しただろう。
そこで互いに、状況を動かす一手を打つ。
「いけ!」
奴が放ったのは三発の魔力弾。
それに対し、俺は先ほどまでの打突から切り替え槍を薙ぐ。

薙いだ槍を使い迫る魔力弾を迎撃するが、落とせたのは二発まで。
残りの一発は槍の軌道を掻い潜り、俺へと迫る。
「つあっ!」
そこで、槍から左腕を離し、裏拳で魔力弾を殴った。
魔力弾は、盾に施された対魔力効果によって弾かれ、あらぬ方向に飛んでいく。

しかしここで、俺に隙ができた。
戦いの場で、諸手で持つべき槍から片手を離す愚行。
長さ二メートルにも及び長柄の得物を、どうして片手で振れようか。
仮に振れたとしても、その威力は貧弱に為らざるを得ない。
また、そんなことをすれば重量と遠心力で体を崩し、より致命的な隙を生むことになるだろう。

そう、それが必定。
だが侮るな。この槍のあるべき担い手は、その必定を覆した双槍の騎士。
当然、この槍にもその戦いの記憶が、技の知識が宿っている。
ならば、できない筈がない。槍の振るい方は、体の捌き方は、俺が知らずともこの槍が知っているのだから。

憑依経験を引っ張り出し、この一時この身にフィオナ騎士団随一の騎士の技を降ろす。
「おおおおっ!!」
「がはっ!?」
渾身の力を以て槍を薙ぎ、あり得ぬ筈の軌道を槍が描く。
本来なら貧弱な威力しかない筈の一撃は、その常識を打ち破る勢いと力を帯びて仮面の男を打ち据えた。

とはいえ……
「つぅ! やはり、体が出来ていないうちから無茶はするモノではないか」
右腕の筋肉が悲鳴を上げ、関節が軋む。
何とか踏ん張ることで体が流れることはなかったが、それでも体にかかった負担は大きい。

しかし、この好機を逃すわけにはいかない。
すぐさま槍を構えなおし、弾き飛ばされた奴に向けて一気に間合いを詰める。
「はっ!!!」
小細工抜き、全身の力を絞り抜いてこの一刺しに込めた。
この身は槍諸共一本の矢となり、奴を射抜かんと疾駆する。

ガッ

「なにっ!?」
驚きの声は俺のもの。
なんと奴は寸でのところで回避し、脇に挟む形で槍を抑えるという離れ業をやってのけたのだ。

だが、俺は見た。
槍が通過するとき、その穂先がかすめるようにして奴の服に触れると、そこが陽炎のように歪んでいたのを。
バリアジャケットがキャンセルされているのかと思ったが、それだけではない。
これは、体の表面に施されていた何らかの偽装がほつれていたのだ。

「がっ!?」
奴は槍を離すと、俺を蹴り飛ばして一端距離を取る。

数メートル飛ばされ、着地して体勢を立て直すと背後で轟音が響き渡った。
「なんだ!?」
思わず振り向くと、そこには高い砂の柱が上がっている。

そして……
「!? くっ、フェイトがやられたか……」
どうやら、向こうの方では決着がついたらしい。
砂の柱の手前には剣を振り下ろした姿勢のシグナムがおり、対してフェイトは砂の柱と共に地に落ち、身じろぎしない。それはつまり、フェイトが敗北したという事だ。

となれば、これ以上この場に留まっているわけにはいかない。
この場での最優先事項は、フェイトの保護だ。
状況はこれで二対一、シグナムも少なくない負傷を負っているが、それでもこちらの方が不利。
それに、このままではフェイトのリンカーコアが闇の書に蒐集されてしまう。
以前のなのはの事を思い出し、あんな目にあわせてはならないと心を決める。

とはいえ、そう簡単にこいつが俺を行かせてくれるはずもない。
ゲイ・ジャルグだけでは、こいつを足止めし、なおかつフェイトを連れて離脱するのには無理だ。
それならばと、それに見合った武装を検索し投影する。
「『投影(トレース)、開始(オン)』」
槍を左手で持ち、右手に投影したのは、かつて英雄王との戦いで見た氷の剣。

横目で見れば、すでにシグナムは蒐集の用意を整えている。いつの間にか、その手には闇の書があった。
急いで振り向き、そちらに向かって駆けだす。当然、奴もそれを追う。
「大人しく見ていろ。いずれ、これが正しかったとわかる時が来る」
「はっ、生憎だが子どもを犠牲にする正しさなど認めるつもりはないな。
 いや、犠牲にすることを前提にした正しさなどあるものか!」
「それは子どもの論理だ。なにも捨てずに何かを救うことなどできはしない!」
ああ、全くもって正論だ。俺の言ってることなど、単なる子どもの絵空事だろう。
俺とて多くの命を犠牲にしてきた。だが、一度としてそれを正しいなどと思ったことはない。
犠牲を出し、それを前提とした時点で、正当性なんてあるはずがないんだ。

「否定はせんさ。しかし、だからといってそれが正しいということにはならん!」
奴に背を向けたまま、後ろに向かって剣を振るう。

奴は苦も無く身をひねって避けるが、見切って避けたにもかかわらず奴の体を氷が覆う。
「なんだと!?」
「不用意に近づき過ぎだ。しばらくそこにいろ、フェイトを犠牲になどさせん!」
奴を討つ上では絶好の好機だが、今はそれどころじゃない。
既に闇の書が発光し、蒐集が始まろうとしている。時間がない。

「間に合わんか。ならば……いっっっけぇ!!」
左手に持った槍を振りかぶり、渾身の力で投擲する。

投げられた槍は寸分違わずシグナムへと飛翔するが、直前で気付いたシグナムは身を捻ってそれを避けた。
だが、それにより蒐集は邪魔され、闇の書から光が消える。
「これは……衛宮か!?」
「すまんな、せっかくの勝利だが賞品は無しだ」
槍に少し遅れてフェイトの元へと駆けより、彼女を抱き起こす。
既に意識はなく、体にはところどころ傷があるが深刻なモノはないことに安堵する。
とはいえ、まだ楽観できる状況ではないか。

まずは、目の前のシグナムを何とかしないと。
しかし、フェイトを抱えたまま戦うのは論外。となれば……
「お前も……凍れ」
シグナムに向け、仮面の男の時同様氷の剣を振るい動きを封じる。
そのままフェイトを抱き抱え、強化した脚力で砂を蹴った。

だが、シグナムの魔力変換資質は炎。体を覆う氷も、急激に溶かされこちらを追ってくる。
「ちっ、やはりそう簡単にはいかせてくれんか。エイミィさん、転送を!!」
フェイカーに付けられた通信機でそう要請するが、ジャミングがかかっているのか繋がらない。
俺では姿の見えない位置にいる人間に念話は送れないし、不味いな。

状況は移り変わり、先ほどまでは熾烈な戦闘が行われていたのが、一気に追撃戦となった。
後ろから迫るのはシグナムと仮面の男。
仮面の男の方は、体はまだ部分的に氷に覆われているが動きに支障はない。
「厄介だな、これでは追いつかれるのも時間の問題か。『凛、そういうわけだ。何とかならないか?』」
『オッケー。応援を寄越すから、それまで持ち堪えて。
なんなら、こっちの魔力も使っていいから踏ん張りなさい!』
唯一視界に入れずとも念話を繋げられる凛に助けを求め、心強い答えが返ってきた事に救われる。
とはいえ、この状況で持ち堪えろと言われてもな。
手元にあるのは右手に持つ氷の剣一振り。左手はフェイトを抱えていて塞がっているから、ゲイ・ジャルグはあそこに置き去りだ。魔力の使用許可が出たとはいえ、片手ではできることが限られるな。

足を止めるのは自殺行為だし、氷の剣では炎を使うシグナムとの相性が悪いのは先ほど証明されたばかり。
となれば……
「そら! 『壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)』!!」
右手の剣を後方に投げ放ち、ゲイ・ジャルグもろとも爆発させた。
その間に少しでも距離を稼ごうと、後先考えない全力疾走で駆け抜ける。

しかし、やはり飛べる者と地を駆ける者では、この状況下においては土台勝負にならない。
多少は距離を空けられたが、どんどん距離を詰められる。
剣弾を撃ち込んでまた爆発させるか…………いや、同じ手がそう何度も通じるとは思えない。
真名開放で蹴散らそうにも、魔力を貯め発動させるだけの時間、奴らがこちらを放置するはずもなし。
………不味いな、八方ふさがりか。

だがそこで、思わぬ援護射撃が入る。
「……………プラズマランサー……ファイア……」
「フェイト!?」
「シロウ………わたしの事は良いから…早く、逃げて」
「バカ言うな! お前を見捨てるわけないだろ!! だが、助かった。恩にきる」
まだかろうじて意識があったのか、フェイトは最後の力を振り絞って1発のランサーを放つ。
予想だにしない攻撃だったこともあり、シグナム達の動きが止まる。

とはいえ、最後の力を絞りきったフェイトは今度こそ俺の腕の中で崩れ落ちた。
蒐集こそされていないが、それでもシグナムから受けたダメージはフェイトに立ち上がる力さえ残していない。
魔法行使どころか、意識を保つのだって苦しかったはずだ。
俺も人の事を言えないのかもしれないが、本当に無茶をする……。
だが、おかげで助かったのも事実。これじゃ、強く言えないじゃないか。

しかし、せっかくフェイトが作ってくれた好機、それを活かさずしてどうする。
「『投影(トレース)、開始(オン)』」
凛からの魔力供給がある以上、出し惜しみはなしだ!

手にした宝具に最速で魔力を注ぎ込み、奴らが来る前に発動準備を整える。
発動に必要な最低限の魔力を注ぎ終えるのと、奴らとの距離が五メートルを切るのはほぼ同時。
俺は準備を終えた宝具を構え、全身のバネを使い引き絞る。
「――――――――――――――――――『雷霆金剛杵(ヴァジュラ)』!!!」
魔力で強化した全身の筋力、バネ、そして限界まで引き絞った捻転を使い渾身の投げを放つ。
シグナム達の前まで飛翔し、それは突如として爆ぜた。
周囲に稲妻をまき散らし、局地的な雷の雨を発生させる。

放たれたのは、古代インド神話における雷神インドラの神格象徴の一つ。
一度限りの射出宝具で、ダメージはB+相当。使用者の魔力に関係なくダメージ数値を出すお手軽兵装だ。
最低限の魔力でも、それとは無関係に一定の威力を発揮してくれるので、こういう時にはありがたい。
とりあえず発動させられればいいのだから。

ついでにヴァジュラを爆発させ、ダメ押しとする。
とはいえ、ヴァジュラ発動寸前のところであの二人が離脱するのが見えた。
おそらく、アレでは倒しきれていないだろう。
しかし、余波だけでもかなりの距離を吹き飛ばされたはずだ。
ならば、逃げるのなら今を置いて他はない。

再度砂漠を疾走していると、空から声がかけられる。
一瞬、もう追いつかれたのかと思ったが、その声はシグナムとは別のモノだった。
「士郎!!」
「フェイト!!」
空から来たのは、リニスとアルフ。
なるほど、凛の言っていたのはこの二人の事か。
大方、凛の方から念話で指示を出したのだろう。
ラインで繋がっているリニスとなら、通常の念話よりも高精度での連絡が可能だ。

ん? でも、待てよ。確か、アルフはザフィーラと戦っていたのではなかったか?
「フェイトは一応大丈夫だが、すぐにでも医者に見せたい。ところで、ザフィーラはどうした?」
「ごめん、振り切れなくてさ」
つまり、すぐにでも奴がやってくるということか。
なら、グズグズしている場合じゃないな。シグナム達もじきに追いついてくる。

「リニス!」
「はい! 転送の準備、完了しました。いけます!」
そうして、俺たちはギリギリのところでこの場を脱することに成功した。

管理局的には、目立った成果の無い戦闘だったろう。
だが、俺にとっては違う。シグナムから得た情報は、俺の中にある一つの決意を芽生えさせた。
俺は、あの人に会わなければならない。
この身が「衛宮士郎」であるが故に。

切嗣の罪だけではない、俺自身の罪の贖いをせねばならないから。






あとがき

はい、まずはあけましておめでとうございます。
どこまで進められるかはわかりませんが、今年もよろしくお願いいたします。

さて、これでやっと士郎達の方がアイリスフィールの正体についてほぼ確証を得ましたね。
この世界には冬木がない事になっていますし、聖杯戦争と思しき事件が無かったかもこちらに来た時に調べていたでしょう。そうなってくると「冬木の聖杯」を知っているかどうか、でほとんど絞り込めるはずです。
まあ、このことを尋ねた時点でまず間違いなくアイリスフィールも士郎達がご同郷だろうという確信を得られるはずです。ただし、それが切嗣と直接関係がある人物であるという確証を得るのは難しいとは思いますがね。
というか、正確にはそうとは考えたくないのかもしれませんけど……。

それと、士郎が使った「氷の剣」ですが、これはFateルートでギルガメッシュが使っていたもので、厳密にはどんなモノかまでは分かりません。もちろん名前もわかりません。
とりあえず能力だけはわかっているので、この場面では最適と思い引っ張ってきました。
後はゲイ・ジャルグにヴァジュラと結構大盤振る舞いだったかと思います。
まあ、それだけヤバい状況だったという事で……。

とはいえ、いよいよ物語も佳境です。さしあたって、次は最終決戦前最後のほのぼの系を予定してます。
その後どう転がって、そしてどんな結末を迎える事やら……。
とりあえず、やっぱりそれなりにハッピーエンドな終わりにしたいとは思いますけど、どうなるかなぁ。
ある意味一番の問題はリインフォースですね。彼女が生きてると、ツヴァイの出番がないし。
どうしましょ? そして、どうなるんでしょ? 何とか今年度中にそこまで行きたいなぁ。



[4610] 第34話「魔女暗躍」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2010/01/15 14:15

SIDE-士郎

場所は、アースラの会議室。
アースラがまた使えるようになったことで、一応本部もここに移された。

そのアースラの会議室で、俺たちはつい先ほどの戦闘について話している。
「リンディさん、フェイトは?」
「大丈夫。あちこち傷だらけだけど、痕が残ることもないし、二・三日休めばそれもなくなるそうよ。
 これも全部、士郎君の対応が早かったおかげね。改めてお礼を言うわ、ありがとう」
「……いえ、そんなことは………………」
正直、素直にそうとは思えない。
本当は、もっとうまくやることもできたんじゃないだろうか。
俺がもっとしっかりしていれば、最後の場面でフェイトが無理に魔法を使うこともなかったのだから。

「とはいえ、あんな状態で無理して魔法を使ったから、今日は一日安静にしておくべきでしょうね。
 まったく、なのはさんといいフェイトさんといい、無茶が過ぎるわ」
そう言って、リンディさんは「やれやれ」と言う表情をして呆れている。
引き合いに出されたなのははと言うと、眼を逸らして笑ってごまかしていた。

と、そこで話は俺達が戦っていた時の駐屯所の方に話が移る。
「そう言えば、エイミィ。駐屯所のシステムが落ちたって聞いたけど、何かわかった?」
「うん、みんなが出てしばらくして、駐屯所の管制システムがクラッキングで、あらかたダウンしちゃったんだ。
それで、指揮や連絡が取れなくて…………ごめん、私の責任だ」
凛からの問いに、エイミィさんは俯いて謝罪する。
なるほど、あの時通信が取れなかったのはそう言うわけだったのか。

「まあ、あんまりに気にしない方がいいよ。幸い、そこまで悪いことにはならなかったんだしさ。
それに、エイミィがすぐにシステムを復帰させたから、アースラと連絡が取れて、こうして迅速にフェイトの治療に当たれたんだし。なぁ?」
そう言って慰めるのは………えっと「リーゼロッテ」さん、だったか?

たがそこで、リンディさんが疑問を呈する。
「でも、おかしいわね。向こうの機材は管理局で使っているモノと同じシステムなのに。
 それを外部からクラッキングできる人間なんて……いるものなのかしら?」
「いないということはないんじゃありませんか? 結局は人の作ったものですし」
「まあ、士郎君の言うことももっともなんだけど、さすがに防壁も警報も全部素通りでシステムをダウンさせるなんて、いくらなんでも………」
そうエイミィさんは言うが、可能不可能で言えば可能だろう。
この手の技術というものは、結局はイタチごっこだ。
どれだけ新しいモノを作っても、それを破る者がいて、だからより優れたものを開発する。
それは同時に、そう言うレベルの技術者が関与しているということになるんだが。

「エイミィ、対策の方は?」
「はい、ユニットの組み替えはしてますけど、もっと強力なブロックを考えないと……」
「そんな技術者を抱えているとすると、もしかしたら組織だって動いているのかもしれないね」
とはリーゼロッテさんの言。
もしそうだとすると、かなり厄介な話だな。
他の面々も同じ意見なのか、深々と溜息をつく。ただ一人、凛を除いて。
興味がないのか、それとも……。

そこで一端会議は打ち切られ、アースラに司令部を移す旨を伝えられる。
フェイトの事はリンディさん達が見てくれるそうで、俺たちは一度アースラを降りる事となった。



第34話「魔女暗躍」



SIDE-アイリ

「冬木の聖杯、彼は本当にそう言ったの? シグナム」
「ええ、間違いありません。アイリスフィールはその護り手か、と聞かれました」
これは、どういうことなの?
この世界に冬木はなく、同時に聖杯戦争らしき儀式が行われた様子もない。
にもかかわらず、あの衛宮士郎という少年は「聖杯」を知っている。

この世界にはない筈のそれを知るということは、つまり………。
「アイツは、アイリと同じ世界の出身ってことなのかよ?」
「わからん。証拠となるモノは、その言葉以外に何一つとしてないのだ。だが、無関係で済ますこともできまい」
名前程度なら偶然で済むけど、さすがにこれはそうはいかない。
一つ言えるのは、遠坂の子は私の知るそれである可能性が濃厚だろうということ。
その場合、時間軸的には私の時より後からきたことになるか。

だとすれば、聞けるかもしれない。私の知らない、第四次の結末を……。
「どちらにしても、今の段階では推測の域を出ん。確証を得るには、奴と直接話をするしかあるまい」
「そうだな。アイリスフィール、あなたはどうなさいますか?」
「………………え?」
「私は、闇の書の完成を第一と考えます。申し訳ありませんが、今この件であなたに協力することはできません。
ですが、それでも私はあなたの意志を尊重したいと思います。もし、あなたが望まれるのでしたら……」
つまり、私個人が彼と会い、言葉を交わす分には何も言わないとシグナムは言うのだろう。
それは、この状況下にあってはシグナム達にとってリスクしかない。
それでもそれを認めてくれるのは、彼女の純粋な厚意。

それはありがたい。彼女の思いやりに、心から感謝する。だけど……
「………いいえ、“私たち”には時間がない。何より、私の事で危険は冒せないわ」
「よろしいのですか?」
「違うわよ、シグナム。私がそうしたいの。言ったでしょ? あなた達だけに背負わせはしないって」
「………ありがとう、ございます。アイリスフィール、我等がもう一人の主よ」
気にならないと言えば嘘になる。できるならば、彼から今すぐにでも事の真相を聞きたい。
でも、それは今すべきことじゃないし、今一番したい事でもない。
今の一番は、はやて。私のもう一人の娘。彼らから話を聞くのは、後でもいいのだから。
そう、それは今じゃなくてもいいんだ。だから、今ははやての事を考えないと………。

ヴィータは一度心配そうにこちらに視線を向け、話を切り替えるように疑問を口にする。
「ところでさ、シグナムは大丈夫なのかよ? なんか、かなり派手な攻撃くらったみたいじゃんか」
「ああ、危ういところだったが何とか回避が間に合った。
 しかしどうした? ヤケに衛宮の事を警戒しているように思うが」
「あたしにもよくわかんねぇ。よくわかんねぇけど、なんかアイツを見てるとすげぇヤな感じがするんだ。
 なんつーか、心のどっかが引っかかるんだ」
ヴィータの眼には、どこか怯えのようなモノがあった。
宝具を使う彼の能力は確かに危険だ。ヴィータの反応も、実際に英霊たちの戦いを見た身としては理解できる。
でも、どこかヴィータのそれは私のと違う気がしてならない。
ヴィータのソレはまるで、背後から迫る影に怯えているかのように感じる。

そこで、シャマルもヴィータの意見に賛意を示す。
「そうね。私も初めて士郎君と会った時、なんだか変な感じがしたわ。
 見覚えがあると言うか………シグナムやザフィーラは?」
「いや、特にそういったものはなかったように思うが、シグナムはどうだ?」
「…………………………そういえば、衛宮と戦っている時に違和感を覚えたな。
 なんと言っていいのか分からんが、普段以上に体が動いたと言うか………」
それは、極限状態で意識が研ぎ澄まされてたとか、そういう話ではないのだろうか。
でもそれなら、シグナムはきっとそう言うはず。じゃあ、それとも違うということ?

「なんだ、自慢かよ?」
「そういうわけではないのだが…………そうだ、あの負けを覚悟した時。あの時、特にそう感じた。
 まるで、奴の剣筋を先読みしているような、そんな感じだ。
まあ、最終的にはああいう結果になったわけだが………」
と言われても、実戦経験の少ない私にはよくわからない。
だけど、シグナムに読心なんて能力はない以上、そんなことはできないはずなんだけど……。

「どちらにせよ、奴が厄介な敵であることには変わらん。
 お前たちの奇妙な感覚は別にしても、気を抜いていい相手ではない。今はそれで十分だろう」
ザフィーラのその言葉に、皆が同意する。情報が少ない……というよりも、あまりに曖昧過ぎるのだ。
これでは考察のしようがないし、皆もそこはわかっている。

そうして、気を取り直すようにシグナムが話をはやての事へと向けた。
「そうだな。確かにお前の言う通りだ。
ところでシャマル、主はやてのご容体はどうだ?」
「それが、あまりよくないの。普段は努めて元気にしてけど、よく調べてみると闇の書の侵食スピードが上がっているわ。もう、アイリさんの防壁もほとんど役に立たなくなってる」
「つまり、残された時間は……」
「あまりないわ。これまでアイリさんの防壁で稼いだ時間があるけど、それも……」
あまり多くはないということね。
シャマルの予想では、遠からず目に見える形で影響が出始めるだろうと言う。

「石田先生とも相談して、用心のために近日中に一度検査入院することになりそうなの。
 病院にいれば何かあっても安心だし、今ははやてちゃんには安静にしてもらっていた方がいいわ。
蒐集にしても、はやてちゃんがいない方がはかどるはずよ。
それに、私たちがいないところで胸を押さえて苦しそうにしている時があるみたいなの」
「主はやては、辛くとも我慢してしまう方だからな。早めに気付けただけでも、良しとすべきか。
 それに、蒐集に集中できるというのであればその方がいいのだろう。主には申し訳ないが」
本当に。我慢強いのは別にそう悪いことでもないのだけど、あの子の場合はちょっと問題だ。
私たちは家族なのだから、もっと頼ってくれてもいいのに。

と、そこでシャマルが酷く戸惑った様子で私たちに告げる。
「それと、一つ悪い知らせがあって……。
近々、すずかちゃんとそのお友達がはやてちゃんに会いに来るそうなんです」
「それがどうかしたの?」
「それ自体はいいことなんですけど、問題はその顔ぶれで……」
顔ぶれ? すずかちゃんが悪い友達と付き合っているという感じはしないけど、それがどうしたというのだろう? あの子の友達なら、きっとみんないい子たちだと思うのだけど。

そこで何かに気付いたのか、シグナムの表情が歪む。
「…………………………まさか」
「そのまさかなのよ。テスタロッサちゃんとなのはちゃん、それに士郎君や凛ちゃんまで一緒で。
 みんな、すずかちゃんのお友達だから……」
言葉を重ねるごとに、シャマルの声は悲鳴じみていく。

「落ちつけ、シャマル! それで、それはいつだ?」
「とりあえずは明後日。入院するって話も知ってるから、その前に一度会いに来るそうよ」
たしかに、それは見事なまでのバッドニュース。
管理局の関係者であるあの子たちに知られては、全てが閉ざされてしまう。
それだけは、何としてでも防がないと。

でも、救いがあるとすれば……
「それなら、私たちさえ会わないようにすれば、一応大丈夫なはずよ。
 はやての魔法資質はほとんど闇の書の中なんでしょ?」
「ええ。よほど詳しく調べられなければ、おそらくは……」
「じゃあ、その時は念のために私たちは席を外しましょ。そうね、シャマルもいない方がいいかしら」
「…………ですね。私も一応士郎君に顔は知られてますし、いたら怪しまれるかもしれません」
彼らにはすでに「八神」と名乗ってしまっているらしいけど、その姓自体はそこまで珍しいモノじゃない。
なら、なんとでも誤魔化しようはあるだろう。とにかく、まず会わないことが第一だ。
今できることと言ったら、それくらいしかない。

最悪の場合、はやてを連れてこの世界から逃げることも考えなきゃいけないけど……。
でも、それはできれば避けたい。
そんなことをすればはやてにもこのことがバレてしまうし、何よりはやての体にかかる負担は無視できない。
今はただでさえ微妙な状態なのに、何がきっかけで体を壊すか……。

だとすれば、スパートをかけるのなら今しかないだろう。
「シャマル。さっきの入院の件だけど……」
「はい、早めに手続きをしておきます。たぶん、二・三日中には」
はやてには申し訳ないけど、一度入院してもらってその間に一気に事を進めるべきだ。

それと、一度この家の周りの結界や警報は消しておいた方がいいわね。
あの子たちが来た時に結界の存在に気付かれると不味いし、不審なモノはすべて取り除いておかないと。
それに、当日は何かしら理由を付けて私とシャマルが外に出る理由を用意しておかないといけない。
シャマルはまだしも、私は決して顔を見られるわけにはいかないのだから。

はやてにも、私たちの名前は隠して貰わないといけないわね。
おかしく思うかもしれないけど、それとなく話しておかないと。



Interlude

SIDE-アリア

「で、あの仮面の男の調査は進んでるの?」
「それが全然だよ。戦闘区域には網を張ってる。なのに、いつもその網の目をかいくぐってくるんだ」
そう語るクロノの顔には、隠しきれない苦渋がある。
まあ、こうも好き勝手動かれちゃ立つ瀬がないわよね。
事実上、仮面の男に一矢報いているのは協力者たちであって、正規の局員は出しぬかれてばかりなんだから。

しかし、真実を知る身としては、当然と言うかなんというか。
この段階で尻尾をつかまれちゃ話にならないんだけどね。
「まあ、いつまでも好きにさせるつもりはないさ。
そう何度もこっちの目をかい潜れると思ったら大間違いだってことを教えてやる、手痛い教訓付きでね」
「おお、やる気満々。やっぱり、可愛い妹が心配なのかな?」
「ああ………………ってなに言わせるんだ!? べ、別にフェイトの為とか、そんなんじゃないからな!
 こ、これは………そう! 管理局執務官としての矜持であって、そんな私情は一切欠片もない!!」
「はいはい、ツンデレツンデレ。クロノってアレだよね。『お前に娘はやらん!』って言って殴り合うタイプ?」
うわぁ、なんか思いっきり具体的にイメージできるわ。
待てよ、この場合は『娘』じゃなくて『妹』になるのかな? ああ、フェイトも苦労するなぁ。

「誰がツンデレだ!!」
アンタ以外に誰がいるってのさ。
そんな顔を真っ赤にして言っても、全然説得力がないぞ。

「ゴホンッ! ところで、ユーノの調べ物の方はどうだ?」
「ん? ああ、あの子。いや、たいしたもんだよ。
普通、年単位で調べなきゃならない無限書庫から、この短い期間で必要な資料をバンバン見つけてるんだからね。とんでもない捜索能力だわ」
いやはや、あの子がもっと前から局にいてくれれば、私らの調べモノも楽だったろうに。
こっちが十年近くかけて見つけた物を、あの子は数日で見つけるんだから。
私らの十一年は何だったのかって話よね。

そこでクロノは、多分少し前から考えていたであろう事を口にする。
「これはまだ一つの案でしかないんだが、無限書庫を管理する正式な部署を作れないかな?」
「それってやっぱ、あのスクライアの子の言ってた事が理由?」
「ああ。言ってただろ? 『探せばちゃんと欲しいモノが見つかる』って。
 それが出来ないのは、無限書庫が整理されていないのと、それができる人材発掘がおこなわれていないからだ。
 ユーノのような人材を集めて部署を立ち上げれば、整理も進むだろうし、上手くすれば数年で……」
「まあね。ただ、どこも人手不足の管理局だ。
それだけの能力がある人間を、どの部署もそう簡単には手放してくれないよ」
前線に出るタイプでないとはいえ、後方勤務であれだけの能力を持った人間はどこでも欲しがる。
なにも、人手が足りないのは前線だけじゃないんだから。

「だけど、それでもだよ。長期的に見れば、あそこが活用されるのは大きなメリットがある。
 むしろ、使われていない今の状況こそ、宝の持ち腐れだ。今回、それを再確認した」
「ま、ごもっともだよ。いくら資料があるからって、活用できなきゃないのと同じだもんね。
 つまり、父様や私らにもコネで掛け合って欲しいってこと?」
「ああ、頼めるか? 一介の執務官や提督からの働き掛けじゃ、それだけの規模の部署の立ち上げは不可能だ」
だろうね。普通、一つの部隊を立ち上げるだけでも、最低将官クラス数人の連名が必要だ。
ところが、こいつはそんな生易しいモノじゃない。
クロノやリンディ、あとはレティが頑張った程度でどうにかなるモノじゃないわ。

「それともう一つ」
「ん? まだなんかあるの?」
「ああ、できれば『魔術』の研究チームも作りたい。凛の魔術は、次元震や次元断層の抑制につながる可能性があるからね。何より、今回みたいに魔術師と敵対した場合に対応できる体制を整えたい」
なるほど。確かに、私らじゃ魔術への対抗手段はほぼ皆無。
まともにやりあえる能力ばかりならいいけど、わけわかんない術を使うような奴とはち合わせたら大変だ。
なにせ未知な部分の多いジャンル。最低でも対抗手段くらいないと話にならないか。

とすると、そこに必要不可欠なのは……
「やっぱ、凛たちにそこに来てほしいって思ってる?」
「まあね。ただ、無理に局員になってほしいと言うつもりはないし、その望みは薄いだろう。
 だから、アドバイザーか顧問の様な立場でも用意できればと思ってる」
つまり、有識者として意見を求められる関係作りをしたいわけか。
まあ、あの子らのスタンスを考えるとその辺が妥当だね。

それに、当ては他にもあると言えばあるって考えかな?
「闇の書事件が上手くいけば、あの主と司法取引でもして、引き込むこともできるかもしれないしね」
「そうだな。あんまりそう言うのは好きじゃないんだが……」
やれやれ、相変らず潔癖だ。まあ、そうしていられるうちはそれでいいだろう。
いつか、潔癖なだけじゃやっていけなくなるんだ。

「いずれにしても、やるとしたら茨の道だよ?」
「わかってるさ。上の説得に協力者の確保に始まって、予算をもぎ取って人材も集めなきゃならない。
その他諸々、やることは山積みだ。考えるだけで頭が痛くなる」
まあまあ、いつだって先駆者ってのは苦労するものさ。頑張りな、若人よ。

だけど、先の事を考えるのは良いけど目の前の事もしっかりやらないとね。
「その辺は手伝ってやるけど、とりあえず今は闇の書事件に集中しなよ。
 ここで失態なんてやらかしたら、今の話だってご破算だ」
「ああ、そうだな」
そう応えるクロノの顔はどこまでも苦い。
スクライアの子から上がった情報を考慮すれば、無理もない。
なんてったって、「闇の書の完全封印は不可能」って定説を強化するだけなんだから。

何とか闇の書の主に管理者権限を握らせられれば、その限りじゃないのかもしれない。
でも、闇の書が今の形になってから、未だかつてそれを成し得た者はいない。
外からバックアップなりフォローしようにも、主以外が干渉すればそのまま主を吸収して転生。
これじゃ、こっちから管理者権限の掌握を促す事も出来やしない。
つまりは、ほとんどお先真っ暗ってわけだ。

その上、守護騎士やら仮面の男やらで悩みどころは多いんだから大変だ。
(とはいえ、まさかクロノも邪魔してるのが身内の仕業とは思ってないか)
だけど私は気付いてなかった、この時クロノが私を睨む様に見ていたことを。

そしてもう一人、私に目を付けている奴がいたことにも。

Interlude out



SIDE-凛

今日は休日。

私は今、士郎と一緒に海鳴を歩いている真っ最中。ちなみに、士郎の手には山と積まれた荷物がある。
早い話、私の買い物に付き合わせてその荷物持ちをさせているということ。
午後にはすずかの紹介で「八神はやて」という人物と会うことになっているけど、午前中は自由に過ごせるしね。
なのはたちにも今日の訓練は中止と伝えてあるし、久しぶりに二人きりの時間を満喫中だ。

だと言うのに、女心のわからない朴念仁は素っ頓狂な事を聞いてくる。
「なあ凛、こんなにいろいろ買うんならリニスも一緒の方が良かったんじゃないか?」
はぁ、十年経っても進歩のない奴め。
普通、二人きりで外に出て、一緒に買い物してりゃあ馬鹿でもその意味がわかりそうなものなのに。
だいたい、リニスがついてこなかったのだって気を使ったからだ。それすら分からないのかしらね?

「いいのよ。リニスはリニスでやりたい事があるみたいだし。
それに、私は“士郎”と来たかったんだから」
「……ああ、その……すまん」
一部分を強調してやると、やっと理解したらしい。全く、ここまで言ってやっと意味がわかったか。
本来、こう言うのを言わせんのはマナー違反でしょうが。
ああもう、顔が熱い。あんまり恥ずかしいこと言わせんじゃないわよ。

「ほら! やっと状況を把握したみたいだし、次の店行くわよ」
「おいおい、まだ買うのか? 正直、そろそろ手がいっぱいなんだが……」
「はぁ、アンタのそれは死んでも治らないってことか」
「何がだ?」
まったく、クリスマス間近だってのにこういうことを聞いてくるのよね、こいつは。
この時期に年越しと大掃除以外の目的での買い物と言えば、だいたい一つだろう。
文字通りの意味で、士郎のこれは一度死んだくらいじゃ治らないらしい。

仕方ない。忘れてるのかどうか知らないけど、一つヒントをあげましょ。
「じゃあ問題。朴念仁で唐変朴で、どうしようもなく女心のわからない衛宮士郎と言うバカは」
「酷い言われようだな」
「事実でしょ。で、その鈍ちんはというと、誕生日やらクリスマスといったイベントでは、何をプレゼントしたら喜ばれるのかさっぱりわからないために、いつだってギリギリまでプレゼントが決まらず、最終的に実用品なんて色気のないモノをプレゼントしてしまうのです。
 さあ、そんな救い難い絶望的なまでの鈍感男が、今回に限って気の利いたプレゼントを用意できているのでしょうか?」
「うぐ!? 悪かったな、例によってその通りだよ」
「私は長い付き合いだからそういう奴だってわかってるけど、今年はなのはたちとクリスマス会でプレゼント交換とかするんだから、少しは気を利かせなさいよね。あの子たち楽しみにしてるんだし。
 というわけで、これからデパートで見繕うわよ。私がアドバイスしてあげるから、頑張んなさい」
まあ、フェイトやすずかあたりなら何を選んだって、士郎のプレゼントってだけで喜ぶだろうけど。
いや、この年でクリスマス会とかプレゼント交換とかはアレだけど、肉体年齢を考えると、しょうがないか。
そういえば、真っ当にクリスマスとか新年とかを祝うのは何年ぶりだっけ?

まあ、これで私宛のプレゼントとかは凝ったモノを頑張って選ぶ奴なんだけどさ。
恋人同士ってことで、手編みのマフラーやらセーターやらをせっせと編んでくれたりしたのはいい思い出だ。
って、どう考えてもそれは私の担当のような気がするけど。
ちなみに、例によって今年もこっそり編んでいるのを私は知っている。

だけど、そういう関係ではない女友達に渡すプレゼントとなるとアウト。
これまでだと、なぜか「湯たんぽ」や「腹巻」とかを用意していた。
相手が藤村先生ならそれでもよかったけど、それを貰った時の桜の表情ときたら……。
まあ、それはまだマシだ。とち狂って指輪やらなんやらを選ばないかの方が心配だし。
今回は交換会だからその心配はないはずだけど、いらぬ誤解を招くようなモノを選ばせるわけにはいかない。
しっかり監視しておかないと、何を買うか分かったもんじゃないのよね。前科がないわけじゃないし……。

「はぁ、ご教授お願いします」
「よろしい。じゃ、これからデパートに行って、それから翠屋で一休みといきましょ。
 その後は……ちゃんとエスコートしなさいよね」
「ああ…………って、俺が決めるのか!?」
「あのねぇ、女をしっかりエスコートするのが男の甲斐性でしょうが」
「普段は思いっきり引っ張り回す癖に。だいたい、いきなり引っ張り出された俺にアテなんかあるわけないだろ」
大丈夫よ。結局は午前中いっぱいの話なんだから。
残り時間を考えれば一・二ヶ所も回ればすぐに時間になるし、そんなに肩肘張るモノじゃない。

で、当の士郎はと言うと。
「むぅ、映画……ダメだな。今何をやってるのか分からないし、適当に選んではずれを引いたらアレだ。
それに、恋愛映画なんて見たら眠っちまう。そうすると後が怖い。
 ウィンドウショッピングをしようにも、さっきまでやってたのがそれだし………」
あははは、困ってる困ってる。

でも………うん、楽しいな。
適度に士郎をからかって、こうして一緒にいられれば十分楽しめる。
悩みに悩みまくっている士郎の横顔を見ていると、それだけで心が安らぐ。



  *  *  *  *  *



結局、士郎がデートコースとして選んだのはボーリング。
まあ、こいつにしては頑張った方だと評価してあげよう。
ちなみに、何ゲームかしてスコアはお互い平均250オーバー。久しぶりにやったけど、まずまずな成績かな。

それと、荷物の方は翠屋に行った時に預かってもらえた。
昼食を翠屋で取ることを条件にされたけど、あそこのクオリティに不満などあるはずもない。
というか、もとからそのつもりだったので全然問題なし。

そうして、私たちは荷物を置きにいったん家に帰ってから、なのはたちとの待ち合わせに向かっている。
「そう言えば、あんたさっき自転車見てたけど、欲しいの?」
「ん? まあ、買い物に行く時とかに便利だなとは思うけど、買うとなると悩みどころだな」
ふむ、プレゼント交換用じゃなくて、こいつ専用のプレゼントってことで買うのもいいか。
それに、今はあえて言及しなかったが、私が買い物をしている時こいつがチラチラと洒落たネックレスとかペアリングとかを見つつ、財布の中身を気にしていたのを見逃してはいない。
こっちに来て最初のクリスマスだ。その程度の奮発は御愛嬌だろう。

「凛、少しいいか?」
「ん? なに?」
「これから八神はやてって子に会うだろ? その八神ってあの八神だと思うか?」
ああ、シャマルの事か。特別珍しい姓じゃないけど、この決して広くない街でとなると無視できない。

「ん~、まあどっちでもいいんじゃない?
 確かにシャマルから聞いてた親戚の情報に符合する点は多いけど、だからどうしたって話だし」
「まあな。もしかしたらシャマルがまだこの世界に残ってるかもと思ったんだが……」
「どうかしらね。ま、縁があればまた会えるわよ」
とは言いつつも、実を言うとちょっと気にかかっていることがある。
前々から少し疑問だったのだが、本当にシャマルは闇の書と無関係なのだろうか?

考えてみれば妙な話だ。
私たちは前情報なしの状態で、シャマルが事を起こすにしては非合理的だと判断してシャマルを可能性から除外した。だけどあれはシャマルではなく、その「仲間」だったとしたら……それなら話は別なのだ。
シャマルが何らかの理由で仲間に私たちの存在を明かしてなかったとしたら、初戦での行動も納得がいく。
単にアイツらは、あの段階ではシャマルから何も聞いていなかっただけと言うことになるから。

また、シャマルは「騎士」で、誰かに仕えている。なら、その誰かが闇の書の主ではないとは言いきれない。
姿なんて魔法でいくらでも偽装できることを考えると、一番怪しいのはあの黒尽くめか。
内面に封鎖がかかっていたのも、あれが守護騎士であったなら納得がいく。
プログラムであり主を守る存在であるのだから、重要な情報はそう簡単には引き出せないようになっていて当然。

以前は事を起こす気がなかったようだけど、状況が変わった可能性は否めない。
なんでも、ユーノからの情報によると、闇の書は長く収集が行われないと主を侵食するらしい。
長く蒐集はしていなかったが、最近侵食に気付き、大慌てで蒐集を始めたとしたらどうだろう。
命がかかっているのだ、以前の方針を変えたとしても不思議はない。
闇の書の守護騎士達がそのことを知らなかったのは妙だが、闇の書の完成がすなわち破滅であるという情報があることを考えると、いろいろと記憶に欠損があるのかも。
そうでないと、あの連中がわざわざ主を破滅させるようなモノを完成させようとする理由が分からない。

以上の事から、シャマルが敵でないという根拠は崩壊した。
そして、アイリスフィールが主と言うのもどこまで信じられたものか。
そもそも、ホムンクルスに主の資格があることが疑問だった。
だって、ホムンクルスは人造の存在。一から十まで人の手で設計されている。
そんな存在にリンカーコアがあるのだろうか? 魔術師はリンカーコアの存在を知らないのに。
アレがご同郷である可能性がほぼ確定に近い現状だと、尚更怪しい。
少なくとも、アレが本物の主でない可能性は決して低くないだろう。

まあ、要点をまとめると、シャマルが闇の書の関係者である可能性が出てきて、アイリスフィールが主である可能性が低くなったということだ。
そして、シャマルが闇の書の関係者であり、八神はやてとつながりがあると仮定すると、その八神はやてにも主の可能性が出てくる。
少なくとも、彼女の症状はその可能性を示唆するには十分だ。
とりあえず、一度シャマルとはやての身辺調査をしておこう。それで何かしらわかるかもしれない。

まあ、士郎には余計な事を言わないように釘をさしておくべきだろう
それに、仮面の男についても尻尾を掴めそうだし、すべてはそっちがはっきりしてからだ。

まあ、それはそれとして……
「ところで、何でアンタはそんなに行く前から疲れてるわけ?」
「当たり前だろ。どれだけ買い物に付き合わされたと思ってるんだよ」
って、言われてもねぇ。女の買い物に時間がかかるのは世の理。
で、それに付き合って苦労するのが男の役目でしょうが。

「というか、そもそもアンタ、ほとんど突っ立ってただけじゃない。
 私が似合ってるかって聞いても『いいんじゃないか』の一点張りだったでしょ」
「ほっといてくれ。俺だって、必死に気の利いたセリフを言おうと考えたんだよ」
その成果がアレ? アンタ、とことんそういうのが向かないわねぇ。

そこで士郎が、ふてくされたように小声で呟いたのを聞き逃す私じゃない。
「だいたい、お前は美人で見栄えがいいんだから、何着たって似合うじゃないか……」
「ん~? 何か言ったかしら衛宮君? 私、今ちょっと聞き逃しちゃった♪
だから、もう一度“大きな”声で言ってくれない?」
「な!? ば、バカ言うな! そんなこと、こんな往来で出来るか!?」
「へぇ~、言えないようなこと言ってたんだぁ~♪」
まあ、ある意味殺し文句って言えなくもない内容だったけどね。
実際、頬が緩みそうなのを必死に抑えてるし。

とはいえ、この年になってその程度、もっと堂々と言えるようになりなさいよ。
これじゃ、甘々の睦言なんて夢のまた夢ね。
まあ、そういうのはさすがに柄じゃないか……。

そうして、顔を真っ赤にしてそっぽを向く士郎。
ありゃ、ちょっとからかいすぎたかな。
そうね。私だって睦言なんて言うような性質じゃないけど、偶にはこんなのもありかな?

ふっと頭に浮かんだことを、そっぽを向いて私を視界に入れていない士郎に対して実行することを決める。
(ふふふ、隙だらけ♪)
「なぁっ!? お、お前!」
そっと頬に口付けし、士郎が振り向く前に離す。
振り向いた士郎を横目で見ると、手で頬を押さえながら顔をさらに真っ赤にしていた。
まったく、十年経っても反応が可愛いんだから。

そのまま士郎の腕を取り、無理矢理腕を組んで引っ張る。
「ほら、行くわよ士郎! 早くしないと、なのはたちに置いてかれちゃうしね」
「ま、待てバカ! こんな人目のある場所で何やってんだ!!」
「そう? じゃあ、人目がなければいいんだ。ふ~ん、そうなんだ~♪」
まあ、実際一目はかなりあるんだけど、そのどれもが微笑ましいモノを見えるように暖かい。
この体だからこその特権ってところかしら。

「だ、誰もそんなこと言ってないだろうが!」
「そっか、士郎はしたくないんだ……」
「お前な、そういう言い方卑怯だぞ」
「もう、大事なことなんだからはっきりしなさいよね」
そう言って微笑みながら下から見上げてやると、いよいよ士郎の狼狽の度合いはピークに達する。
少ししょんぼりしたと見せかけて、すぐに笑顔を向けてやると面白いように慌ててくれるからやめられない。
それに、答えなんて今更聞くまでもないし、この反応を見れば一目瞭然だ。
だけど、それでもやっぱり直に言葉で聞きたいと思うのが人情だろう。

しばしの沈黙。急かすことなく、ただじっと士郎の眼を見て答えを待つ。
周りの目が気になるのか、せわしなく周りの様子を気にしていたかと思うと、耳に顔を寄せて小声でつぶやく。
「……バカ、そんな判りきったこと訊くな。
 その、なんだ……………………………………………………………………………………そのうちやり返してやるから、覚悟しとけよ」
「ん、よろしい。今回はそれで勘弁してあげるわ」
そのうちってのがちょっと気にくわないけど、今はそれで良しとしよう。

などと思っていた私は大バカだった。
アレから十年。こいつだって、いつまでもあの頃のままなはずがない。
それがこういう方面であろうと、それは変わらない。

つまり、何が言いたいのかと言うと……髪をかきあげられたかと思ったら、そのまま露わになったおでこに温かくて柔らかなモノが押し付けられたのだ。
「え?」
「言っただろ、やり返すって。油断大敵だ」
………やられた。まさか、こんなに早く行動に移すとは。
ヤバいなぁ。さすがにこのタイミングは想定してなかったから、赤面するのを抑えられない。
あーあ。これじゃ、私も士郎の事を言えないなぁ。

でもせっかくだ、プライドやら見栄やらにはしばらく眠っていてもらおう。
「お、おい……」
「ほら、行くわよ、士郎♪」
その気持ちを隠すことなく、身を寄せ密着させる。
やっぱり、言葉だけでなく体でも想いを伝えないとね……。

「士郎…………離したら、許さないからね」
「……当たり前だろ。そっちこそ、離すなよ」
小声で囁いた私の言葉にそう答えて、士郎の手が方に回された。

分厚い冬物越しなのに、温かさが伝わり沁み込んでくる。
(……うん。やっぱり、いいな)
自分が想われてると言うことを実感できるのは、いつだって幸せな気持ちになれる。
それが、自分が想っている相手なら尚更だ。



SIDE-士郎

などという、ちょっとどうかしてたんじゃないかってやり取りをした後、俺たちは必死に外面を整えてフェイト達と合流した。正直、ちゃんと整えられたのか心配だったが、フェイト達の反応を見るに上手く言ったようだ。
と言うか、上手くいっていてほしい。そうじゃなきゃ死ぬ! 恥ずかしさの余り、このまま悶死しそう!

いやもう、勢いって怖い! 別に凛とそういうことをするのは吝かじゃないというか、望むところと言うか……。
だからと言って、あんな人目の多いところで何やってんだ俺は。熱に浮かされたバカップルじゃあるまいに。
ほんの数分前の俺は、一体何を考えていたのか自分でもわからないくらい恥ずかしい。
喝! 煩悩退散! しばらく自重しようと心に決めた。

で、六人でやってきたのはすずかの友だち「八神はやて」の家。
なーんか、どっかで聞いた覚えがあるんだけどなぁ。どこだったっけ?

「はやてちゃん? こんにちは、すずかです」
「あ、すずかちゃん。どうぞどうぞ、鍵は開いてるから入って」
インターフォンを鳴らすと、関西圏独特のイントネーションで中へと促される。
むぅ。この声、どこかで聞き覚えが………。

「「「「「「こんにちはー」」」」」」
「こんにちは、いらっしゃーい♪」
出迎えてくれたのは、車イスに座ったショートカットの女の子。
むむむ、どこかで見覚えがあるような………。

失礼とは知りながら、思わず目を細めてじっと見てしまう。
なんかこう、喉元まで出かかっているのだが……。
「すずかちゃん以外は『はじめまして』と、『お久しぶり』やね。
 八神はやて言います。ちなみに、平仮名で『はやて』や」
「…………………………………………待てよ」
その時、ふっと閃いた。確かしばらく前にも、こんな言葉を聞いたような覚えが。

確かアレは…………まだ、なのはとフェイトが出会う前………。
『わたしは八神はやて。平仮名で、はやてや。よろしゅうな、士郎君!』
「あ…ああ!? はやて、八神はやてか!!」
「あははは、やっと思い出したみたいやね。ひどいなぁ、あんなこと言うとったのに」
「ああ、その……すまん」
いや、言い訳のしようもない。もう完全に、これでもかと言わんばかりに忘れていた。
そうだよ、覚えがあったはずだ。だって半年前、思いっきり会っていたんだから。

「ほらな、すずかちゃん。やっぱり忘れとった♪」
「はやてちゃん、笑って言うようなことじゃないと思うんだけど。
 それと士郎君、正直少し見損なったよ」
「はい、弁解の言葉もありません」
玄関で正座し、深々と土下座する。いやもう、ホント申し訳ない。
半年前『強いて言うなら、お互い名前を知っていたら、この先もしすれ違ったりした時、相手のことを思い出すかもしれないだろう?』なんて言った張本人が忘れてどうするよ。

事情知った他の面々は揃って冷たい視線を向ける。
「ごめんね士郎君、ちょっとフォローできない」
「シロウ、さすがにそれは………」
「「最低」」
うう、泣きたい。特に、最後の一言が堪える。
見ないでくれ、そんな軽蔑した眼で俺を見ないで――――――!?

そんな感じで、俺への罰が勝手に決められ、その後居間へと移る。
ちなみに、俺は責任を取って一人床でちょこんと正座。

居間に通された俺たちは、翠屋のケーキなど食べながら雑談中。
なのだが、はやては聞き捨てならないことを口にする。
「ま、これで賭けはわたしの勝ちやね、すずかちゃん♪」
「あ!? はやてちゃん、しー! それ秘密!!」
お前ら、そんなことしてたのか。
何かを問う必要はない。俺がはやての事を覚えていたかどうか、と言うことを賭けの対象にしていたのだろう。

とはいえ、さすがに自分を賭けの対象にされてたとなると良い気分はしない。
はやてには負い目があるからむりなので、ジト眼ですずかを睨む。
「すずか?」
「ちょ、ちょっと待って! わたしはちゃんと覚えてるって思ってたんだよ!
 むしろ、忘れてた士郎君が悪いんだから!」
むぅ、そこを突かれると弱る。
全面的に俺が悪いだけに、強く出れる筈がないけど。

「まあ、初犯ってことで今回は許してあげるわ。せやけど、これに懲りたら女の子は大切にせなあかんよ」
なんか、昔親父にそんなこと言われたよな。
今度、お詫びの品でも贈るとしよう。このままだと俺の株が下がりっぱなしだ。

などと思っていたら、アリサの奴が………
「じゃ、士郎には罰ってことで、はやての命令を一つ聞くってのはどう?」
「あ、ええね、それ。どうせやから無理難題押し付けたろか? それとも………」
「はやてちゃん、許すんじゃなかったの?」
「すずかちゃん。世の中にはな、『それはそれ、これはこれ』って素敵な言葉があるんやで?」
前会った時は知らなかったけど、いい性格してるよな、はやて。

「ほどほどでお願いします。主に精神的な意味で」
「わたしも鬼やないからな。生かさず殺さずでいくから、安心してええよ♪」
それのどこをどう安心しろと言うんだ。
というか、鬼だったら殺すのか? それ以前に、俺にはそんなことを笑って言うお前が鬼に見えるぞ。

しばしの思案が続くと、突然はやては「ポンッ!」と手を打ち友人たちに怪しい視線を向ける。
「そやなぁ、お嫁に貰っ「「「はやて(ちゃん)!!!!」」」て、ちゅうのは冗談として」
まんまと嵌められた三人(あえて誰かは言わない)。もうちょっと冷静になれよ、お前ら。
まだ二回しか会ったことのない人間に、それも九歳がそんなことを要求するわけないだろうが。

「ん~……うん、決めた。そのうち泊りに来てくれると嬉しいな。
 目一杯おもてなしするから。もちろん、みんなも一緒に♪」
「え? わたしたちもいいの?」
「水臭いで、フェイトちゃん。そんなん当たり前やん。ちゅうか、バンバン泊りに来てほしい位やし」
助かった。もっととんでもないことを言われるかと思ったけど、割と無難だ。
別に友達の家に遊びに行って泊まるくらい全然問題なし。
むしろ、この程度で済む事に小躍りしたい気分だ。

だが、世の中そんなに甘くないわけで。
「でも、それだと命令じゃないわよね。もっと他にないの?」
アリサ――――!! 何余計なこと言ってんだ!
このまま済ませれば、どこにも角が立たず全て丸く収まるのに。

「あ、そう言えばそうやな。せやったら、近くにスーパー銭湯ができたやろ?
 そこに一緒にいこ。もちろん女湯に。士郎君同い年やし、問題ないやん」
「勘弁してください。ホント、それ以外だったら何でもしますから、それだけは許して!」
確かに肉体年齢はそんなもんだが、実年齢は三十路近いんですぅ。
そんな犯罪行為、誰がやるか!!

必死で土下座した甲斐あって、なんとかその提案は退けられた。
他の女性陣が恥ずかしがったのもあるが、はやて自身ほとんど冗談だったんだろう。というか、そう信じたい。
「今の慌てふためき方やと、ちょ~っと一度連れてきたい気もするけど、まあええわ」
「御慈悲に感謝します。お嬢様」
「よろしい。ん~、でもそれやったらどないしよ?」
「まあ、今すぐ決めなきゃならない事でもないでしょ。ゆっくり考えたら?」
「そやね。じゃ、しばらく保留ってことで」
凛の一言で、とりあえずこの件は先送りとなった。
まだ安心はできないが、ひとまず助かった。凛には感謝だ。

「そういえばはやて、入院するってホントなのか?」
「うん。まあ、入院ちゅうても緊急やないから。
 ほとんど検査とかがメインやね。その間の状態次第やけど、クリスマス前に退院できたらええなぁ」
そういってはやては笑うが、それは決して言うほど楽なモノじゃない。
普通たいしたことがないのなら、クリスマスの間位は一時帰宅するくらいはできないこともない。
それが出来ないということは、それだけ病状が芳しくないと言っているようなものだ。
みんなの前では気丈に振る舞っているが、その実どれだけ苦しんでいるのだろうか。

そこで、最も付き合いの長いすずかが確認するように尋ねる。
「確か、入院は明日からなんだよね?」
「ん? そうやよ」
「それじゃ、時々お見舞いに行くよ。ね、みんな」
「当然よ。そうだ、25日の昼間にクリスマス会をやるつもりなんだけど、もし来れそうなら来ない?」
「ありがとな、すずかちゃん、アリサちゃん。でも、ええんか?」
「「「「もちろん♪」」」」
フェイトやなのはも一緒に、笑いながら同時にそう応えた。
その傍らで、凛は「やれやれ」という笑みを浮かべながら肩をすくめる。

「士郎。そういうわけみたいだし、料理一人前追加ね」
「別にそれは構わないんだけどさ、まさか俺一人でやるのか?」
「何か文句ある?」
「ありません。俺は救いようのない大バカ者ですから、喜んでご奉仕させていただきます」
うう、はやての事をすっかり忘れていたせいで立場が弱い。元からだけど、なお一層弱い。泣いていいですか?

しかしそこで、はやてが今の話題に興味を持つ。
「士郎君、もしかして料理得意なん?」
「うん。士郎君はお料理上手だよ」
「っていうか、それを言ったら凛もだけどね」
「にゃははは、二人とも家事全般得意で、仕事を取られるってリニスさんが言ってたっけ」
「え? 仕事を取るのはシロウで、凛は片づけが下手って聞いたけど?」
リニスめ、何妙なことを言いふらしてるんだよ。

とまあ、こんな感じで辺りが夕焼けに染まるまで俺たちは新たな友人との談笑を楽しんだ。



Interlude

SIDE-グレアム

「父様。あんまり根を詰めると、体に毒だよ」
「ロッテか」
自室で闇の書のデータや今回の事件の報告書に目を通していると、娘の一人にたしなめられる。
私もいい年だ。ロッテの言う通り、あまり無理をしては体が保たんか。

まだこの老いぼれには役目がある。
その時が来る前に潰れてしまっては、全てが水泡に帰してしまう。
そんな無様なマネだけは、決してするわけにはいかないのだ。

娘の忠告を聞きいれることにし、一度資料を閉じロッテに視線を向ける。
「どうだ? 様子は」
「まあ、ぼちぼちかな。クロノたちも頑張ってるけど、闇の書が相手だから。やっぱり、一筋縄じゃ……」
「そうか」
当たり前だ。そう簡単にどうこうなるなら、苦労はない。
それに、我々が妨害までしているのだ。

「すまんな。お前たちまで付き合わせてしまって」
「何言ってんの父様。私もアリアも父様の使い魔なんだから、父様の願いは私たちの願い。
 デュランダルももう完成してるし、今度こそ上手くいくよ」
そう言って微笑みかけてくれる娘に、心から感謝する。
私一人であれば、もしかすれば道半ばでくじけていたかもしれない。
ここまでこれたのは、ひとえに娘たちのおかげだ。

「ああ、そうだな。
 そういえば、アリアはどうした?」
「ああ、アリアなら無限書庫の調査をしてるスクライアの子、あの子の手伝いをしてたはずだけど……。
 あれ? でも、おかしいな。もういい加減、こっちに来ても良い時間なのに」
時間を確認したロッテは、焦れたように落ち着かない。
確かにおかしい。アリアは生真面目で、時間にもう細かい性分だ。
遅れる時は必ず連絡してくるはずなのだが……。

少々気になるな。無限書庫に問い合わせるか、念話で確認しておくか。
と考えていると、部屋の扉が開き、アリアが入ってくる。
「もう、遅いぞアリア! 何やってたのさ! アリア?」
アリアの様子がどこかおかしい。
まるで、金縛りにでもあってるかのように体は強張り、顔は苦虫をかみつぶしたような表情をしている。

それを不審に思い、アリアの元に寄ろうとすると予期せぬ声が響く。
「ごきげんよう、グレアム提督。御加減はいかがですか? 入院したと聞いて心配していましたから」
アリアの後ろから出てきたのは、およそこのような場所には好き好んで来そうにはない少女、遠坂凛。
柔らかな笑みを浮かべ、澄んだ声音で話す様は実に洗練されている。

だが、だからこそ違和感が増す。
とはいえ、あちらが表面的にとはいえ礼儀を守っている以上、それを正直に表に出すわけにもいかないが……。
「ああ、君達にも心配をかけてしまったね。だが、見ての通り無事退院できたよ」
「そうですか、それは良かった。忙しくてお見舞いにも行けず、申し訳ありません」
「いや、それは構わないよ。むしろP・T事件や今回の闇の書事件の事で、君たちにはいろいろ感謝しているくらいだ。それに、こうして様子を見に来てくれたじゃないか。それで十分だ。
 ところで、今日はどんな用かな? 申し訳ないが、アポイントなしと言うのはさすがに困る」
「そうですね。親しき仲にも礼儀ありと申しますし、不躾でした。申し訳ありません。
 ですが、早急にお耳に入れておきたい事がありまして」
「ほう、何かな?」
そう問いながらも、最大級の警戒を以て彼女に対する。
普通、孫ほど年齢の離れた少女相手にここまで警戒するのは滑稽だろう。
だが、この少女相手に油断が禁物であることは身に染みてわかっている。
たった一度話した仲だが、その一度で私は彼女をそういう人物に位置付けた。

そうして、彼女が口を開こうとしたところでアリアが叫ぶ。
「父様! 彼女を拘束してください!」
「あら? 驚いた。声帯だけとは言え、自力で私の束縛を破るなんて思わなかったわ。たいした忠誠心ね」
「アンタ、アリアに何をした!!」
声を荒げ、敵意をむき出しにするロッテ。
だが、私は動けない。どういうことかはわからないが、今アリアの命は彼女の手のうちにある。
ここで迂闊なことをすれば、アリアの身になにが起こるか分からない。
事実上、アリアを人質に取られているのと同義なのだ。

凛君は一度アリアに目を向けると、すぐにこちらに視線を戻す。
アリアはそれ以上しゃべれないのか、悔し気に歯を噛み締めるが口を開く気配はない。
今のやり取りで、アリアの口を封じられたのか。

そんなアリアの様子に満足したのか、凛君は剣呑なロッテの様子にも動じた素振りを見せない。
まるで、それさえもが予定調和であるかのように……。
「えっとリーゼロッテ……だったわよね? いいから落ち着きなさい。
 私は別に事を荒立てる気なんてないんだから。今日はね、話し合いにきたの。
 彼女にはここまでの道案内を頼んだだけで、別に危害は加えてないわ」
「それは、信じてもいいのかね?」
「遠坂の名誉と誇りに懸けて。なんなら、もっと即物的にこの首も懸けましょうか?」
そう言いながら、彼女は気軽に自分の首筋を手刀で「トントン」と叩く。
一見すれば適当に言っているようにも見受けられる態度だが、そうではない。
むしろその逆で、一切の虚勢を含まないその気楽さが、彼女の本気と覚悟を証明していた。

だが、ロッテはそうと受け取らなかったらしい。
「そんなこと信じろっての? ふざけるな!」
「いたって真面目なんですけどねぇ」
「…………いいだろう。信じよう」
「父様!!」
「ロッテ、彼女の望みは話合いだ。嘘をつけば、それ自体が成立しない以上、その可能性は低い。
 それに、どのみちアリアが彼女の手のうちにある以上、迂闊なことはできない」
なにより、彼女のようなタイプの人間があそこまで言ったのだ、それなりに信用できる。
私が言うのもなんだが、犯罪者の類が言っても信用ならない。だが、これでも人を見る目はあるつもりだ。

「それで、話というのは?」
「まったく、突っ立ったまま話をするというのは、さすがに無粋じゃありません?
 せめて、座って話をするくらいの余裕を持っていただきたいのですが……」
不味いな、ペースを握られている。
こちらはまだ状況を把握できていない上に、人質まで取られて迂闊に動けない。
引き換え、彼女はどこまでも自然体で、まるで世間話でもしてるかのような気楽さだ。

警備員を呼ぼうかとも思ったが、下手に刺激するべきではないか。
まだ、彼女の話の内容さえ分からない。
警備員を呼ぶにしてもタイミングがある。少なくとも、今はまだその時ではない。

彼女の要望に従い、大人しくソファに腰掛ける。
アリアと凛君に対峙する形で座るが、ロッテだけは私の傍らに立ったまま彼女を睨む。
「さて、それじゃあ話を始めようと思うのですけど、よろしいですか?」
「ああ」
「そうですね。押し掛けたのはこちらですし、ここは譲りましょう。先に聞いておきたいことはあります?」
「………アリアは、どうなっているのかね?」
「ご安心ください。体には傷一つ付けていません。
 ちょっと束縛をかけて行動を制限させてもらってますけど、それだけですから」
束縛? バインドの類ではないようだし、魔術特有の技術か。
なるほど、それならアリアがまんまとかかってしまったのも頷ける。
こちらに魔術的な知識は皆無。当然、特殊な術への対抗手段もほぼない。

「眼を見るだけで、そんなことができるとは………」
「さすがですね、今の一瞬でそこまでわかりましたか。ちょっと眼球に細工をしていまして。
 でも、実を言うと私のはたいしたことないんですよ。本当に強力なのは先天的な魔眼持ちですから」
我々からすれば彼女のそれでも十分強力だ。何かしら発動条件があるかもしれんが、わからなければ意味がない。

「私の質問には答えてもらったのだから、次は君の番と言う事になるのかな?」
「ええ、そうなりますね。では、単刀直入に―――――――――――――――――――――――あなたの目的は何かしら、黒幕さん?」
「「「っ!?」」」
彼女の言葉が見えない矢となって私の心臓を貫く。
まさか彼女は、事の真相にすでに辿り着いているというのか……!?

だが、ここで動揺を顔に出すわけにはいかない。何とか外面を整え、シラを切ろうとする。
「なんの「しらばっくれようとしても無駄ですよ。あの仮面があなたの手の者……っというか、ここにいるリーゼアリアであることはもうわかってますから。この前の戦闘の時に、こっそり発信機代わりのモノを付けさせてもらいました。ここまで言えばわかるでしょう?」くっ………」
報告で上げられた映像はすでに見ている。しかし、あの時にそんなことをしていたとは……。
初めから、倒すためではなく尻尾をつかむために動いていたというわけか。
しかし、発信機の類には細心の注意を払っていたはず。ということは、魔術的な仕込みか。

「あとは……そうですね、士郎のアバラを折ったのはリーゼロッテの方なんじゃありません? 確か、リーゼロッテがクロノの近接戦闘の師匠で、リーゼアリアのほうが魔法の師匠という話ですし……この前戦った時の感触だと、リーゼアリアに士郎と正面から近接戦で互角に渡り合えるだけの技量はなさそうでしたから。
まあ、その件については今は関係ないので置いておきましょう。ああ、言うまでもないかもしれませんが、別に水に流すわけではありませんよ。貸し借りはハッキリさせる主義なので♪」
にこやかに笑みを浮かべながらそう締めくくり、凛君は泰然とした態度でこちらを見据える。
対して、私は無表情を装うことしかできない。
すなわち、それこそが私たちの形勢を物語っている。

私の使い魔である二人が動いていた以上、私が無関係と考える方が不自然だろう。
二人の独断ということにすることもできなくはないが……だとしてもだ。
アリアは一瞬驚愕に顔を歪め、すぐに頭を垂れた。ロッテも、口惜しそうに歯噛みしながらも意気消沈している。
私は、彼女たちを甘く見ていたらしい。

おそらく、ここで彼女を捕らえても意味がない。
一人で来たということは、まだあの少年と使い魔がいる。
二人がこのことを知っているのはまず間違いない以上、ここで凛君を捕らえてもその二人から情報が漏れる。
そうなれば、確実にリンディやクロノが動く。
彼女を人質にし、その上で彼らと交渉する手もあるが、それも無意味だろう。
この少女が、その可能性を考慮していないはずもない。
ならば、捕まらない自信か、あるいは捕まっても問題ない理由がある。

「その様子だと、すでに逃げる算段は付いているということか」
「当然ですね。ここは私にとって敵地も同然、退路くらい確保してくるのは常識でしょう。
知ってます? 外部に対してどれだけ守りが堅牢でも、内側からだと割と簡単に出られるんですよ」
その通りだ。この本局とて、その例に漏れない。
むしろ、外への守りが堅ければ堅いほど内側は無防備なモノ。設備などのハードではなく、それを扱うソフトウェアたる人の心が……。突然本局内に敵が現れる可能性を否定はせずとも、そんなこと思いもよらないからだ。
その上、一度この部屋を出てしまえば、逃げ出すことくらい訳はないだろう。

捕らえるとすれば、今この場しかない。しかしそれも、アリアを人質に取られていればまず不可能だ。
仮にアリアを無視して攻撃しても、アリアを盾にすれば私たちの初撃くらいは防げる以上、脱出は問題ない。
盾となる者を連れてこられ………いや、そもそもここまで侵入させてしまった時点で詰んでいる。

終わった。まさか、計画も大詰めにきてこんな形で阻まれるとは……。
出来る事と言えば、彼女の知る情報に穴がないか探り、そこに活路を求めるしかない。
もっとも、その望みは果てしなく薄いが。
「君は、どこまで知っているのかね?」
「たぶん、概ねのところは知ってるんじゃないでしょうか?
 つい先日『八神はやて』と言う女の子と知り合ったんですが、私『八神』と言う姓に覚えがありまして。
 気になったのでちょっと調べてみたら、いろいろ面白い情報が出てきましたよ。
 まあ私も、まさか家族構成を調べた程度で一気にここまでわかるとは思いませんでしたけど……」
そう語る少女の顔には、苦笑が浮かび「これまでの苦労はなんだったのか」と言っているような印象を受ける。
しかし、守護騎士たちの裏も取られたか。

「あと個人的には、その八神はやてが本当の主なんじゃないかなぁと思ってます。
 だって、守護騎士たちの行動は少し不自然ですから。主を守ることを考えるのなら、わざわざ主の姿を晒すのは悪手でしかありませんもの。あれは、こちらを誘導しようとしたブラフなんじゃないでしょうか」
そこまで掴まれているか。
もし主の存在を誤解してくれていればあるいは、とも思ったが…………。

だがそこで、ロッテが凛君に食って掛る。
「ちょっと待ちな! 何で父様が黒幕だって決めつけてるんだよ!
 もしかしたら、アリアが闇の書の力を手に入れようとして裏切ったのかもしれないじゃないか!」
そう叫ぶロッテの顔には、明らかな苦渋が浮かぶ。
私を守るために双子の姉妹を切り捨てる、それが苦しくない筈がない。
しかし、それに対してアリアはまるで「それでいい」と言うように、穏やかな目をしていた。

ロッテはよく頑張っている。とはいえ、この少女はその程度で誤魔化されるほど甘くはない。
「そうでしょうか? むしろ私は、闇の書を封印ないし破壊するために動いているんだと思ってますけど?
 闇の書が主以外に手が出せない以上、手に入らないとわかっているモノを欲しがるなんてあり得ませんもの」
「はん! それじゃ辻褄が合わないね。
なんで封印しようとしてるのに、わざわざ完成の手助けをしようとするんだよ」
「別におかしなことじゃないでしょ。暗躍して状況をコントロールした方が何かとやりやすいし、完成後の対処手段に心当たりがあれば問題ありませんしね。
 おそらく、闇の書自体への干渉が難しいらしいし、外部からの力づくなんじゃないかしら?」
そこまで読みきっているか。いや、闇の書の性質を考えれば必然その結論に至る。
アルカンシェルにしたところで、形は違えどその本質は同じだ。
主諸共破壊するか、それとも停止させるか、その違いでしかない。

「だ、だったら、なんでこんなまだるっこしい方法を………」
「確かに、せっかく地位も権力もある人なんだから、こんな遠回りな手段を使うのはオカシイですね。
 普通に管理局の戦力やらなんやらを使えばいいんですし……」
「そ、そうだろ! 適当なこと言ってんじゃないよ!」
凛君は、それまでの自信に溢れた調子から、一転して言い淀んで見せる。
そこをロッテは、活路を見つけたとばかり食いつく。焦りもあるのだろう、それが罠であるとも知らずに……。

狩人が獲物が罠にかかったのを見逃すはずもなく、凛君の口調が変わる。
「それが、真っ当な方法ならの話だけどね。どうせ、管理局的には認められない手段なんでしょ。
 何かまではわからないけど、人道的に……あるいは道徳的に問題があるとか……。
 それなら管理局の手を借りられず、こそこそ暗躍する理由も説明がつくわ。
 ついでに、あなた達が黒幕なら……えっと『くらっきんぐ?』とか、士郎の戦い方にヤケに精通していた件も納得がいくしね」
それまでの表面的には礼儀を守った柔らかなものから、槍のように鋭く相手の心を貫くものへと。

そして、その口から語られた推測は、活路など元より存在しないことを私たちに突きつける。
つまり、ロッテはいいように彼女の掌で遊ばれていたのだ。
あえて活路のようなものを与え、そこに誘導してからトドメを刺す。
それも、そこには「言質を取るため」などといった戦略的な目的はない。
やっている事は誘導尋問じみているが、一度として私たちの言葉を拾い上げていないのがその証左。
彼女からすれば、何となくやってみた程度の認識なのかもしれない。

しかし、それも当然だ。なにせこれまでの話からして、彼女はその言葉通り概ねのところを把握しているのは明らか。いまさら、私たちの証言など必要ないくらいのところまで……。
詳細までは把握されていないだろうが、それでも大筋に穴はない。
そして、把握されている範囲だけでもこの計画を挫くには十分だ。

ロッテも力なく座り込む。もはや、どのような抗弁も全て徒労に終わるだろうと悟ったのだろう
「ロッテ…………もういいんだ」
「なんでさ! 父様は、もうこんなことを起こさないようにしようとしてるんじゃないか。
 もうこれ以上、誰も泣かなくていいように……」
その瞳からは涙があふれ、すすり泣く声も聞こえてくる。
それはアリアも同様で、自由にならない体ながら涙を必死にこらえていた。

だが、こうなってはもはや手遅れ。
彼女たちをこの件に関わらせてしまった事がそもそも失敗であり、初めから彼女たちを遠ざけておくべきだった。
後できることと言えば、諦めてすべてを明かすことくらいか……。
「両親に先立たれ、体を悪くしていたあの子を見て心は痛んだ。だが、運命だとも思った。
孤独な子であれば、それだけ悲しむ人は少なくなる。
彼女の父親の友人を騙り、生活の援助をしたりもしたのは、せめて永遠の眠りにつくまでの間くらい、幸せにしてやりたかったからだ。
………偽善だな。結局彼女に幸福を与えたのは私ではなく、守護騎士たちと誰とも知れぬ女性だったのだから」
まったく、本当に偽善だ。いや、その偽善も彼女にささやかな幸福すら与えることができなかった。
できることと言えば、私は結局はやて君の未来を閉ざすことだけ。
改めて思い返してみれば、自分の道化ぶりがあまりにも滑稽になってくる。

しかし、そんな私の告白に、彼女は思いもよらない言葉を返してきた。
「ああ……なに悲劇の主人公やってんのか知らないけど、別に私はあなた達の邪魔するつもりはないわよ」
「な…に?」
「考えても見なさいよ。邪魔するつもりなら、はじめからリンディ提督たちにリークしてるでしょ?」
確かに、冷静になってみればその通りだ。
彼女にはそもそも、こうして謎解きをすること自体が無意味なのだから。

では、彼女の目的はいったい………。
「詳細が分からないから想像になるけど、多分はやてを犠牲にするつもりでしょ?
だけど、私は別にあなた達を否定する気はないわ。
 真っ当な方法じゃどうにもならないってんなら、真っ当じゃない方法をやるしかないのも驚くほどの事じゃないしね」
彼女のその素振りは、先ほどまでと変わらず気楽なモノ。
だからこそ、尚更その言葉が本心からのものであることを実感させる。

「はっきり言うとね。私ははやてが犠牲になったからって、特に痛痒は感じない。
 昨日今日知りあった他人が犠牲になっても、殺人事件のニュースを見たのと大差ない感慨しか湧かない」
そう語る彼女の眼はどこまでも冷え切り、何の感情も見せない。
いや、見せないのではなく本人の言うとおり湧かないのだろう。
私に対する義憤や嘲笑もなければ、はやて君への同情や憐憫もない。

そうであるが故に彼女の言葉は何よりも酷薄で、私の脳裏に「魔性」という単語がよぎらせる。
「自分で言うのもなんだけど、私は度量の狭い人間よ。
 輪の外にいる人間がどうなろうと、内側の人たちさえ無事ならそれでいい。
 気は進まないけど、必要なら外の人間を犠牲にすることも厭わない。
 今回もそういう話でしょ? はやてを犠牲にすれば、私の周りの人間は無事なんだから」
だから、私がしようとしていることも黙認すると言うのか。
この場に来たのは、あくまでも事実関係を把握しようとしただけであり、自分の知らないところで状況を操作されるのが、ただ気にくわなかっただけと?

しかし、話はそこで終わらなかった。
「でも、一つ聞いておきたいんだけど、あなたははやてを犠牲にすることをどう思ってるの?」
「君にとって、それは重要なことなのかね?」
「ん? 別に。知らなくてもいい…というか、本当にどうでもことだと思うわよ。
ただ、ちょっと知り合いと重なったから聞いてみただけっていう、純粋な好奇心とでも思ってちょうだい」
その顔にはどこか懐かしさのようなモノがあり、同時に呆れと言うかそういう感情が見えた。
その表情の変化を見たことで、私はやって眼の前の少女が人間なのだと実感することができ、思わず安堵する。
おそらく、そこにそれまで彼女から感じていた「魔的」な雰囲気と違うものが混じっていたからだろう。

とはいえ、いつまでもそうして胸をなでおろしてばかりもいられない。
彼女の問いに答えるべく、しばし思案し出た答えは「何も語る資格がない」というものだった。
「…………………………特に、語ることはないよ」
「はぁ……やっぱり、あなた達のそういうところ少し似てるわ。
アイツはもっと徹底してたけど、そうやって理解を求めないあたりがね」
そう言って、凛君は深々と溜息をつく。
なんというか、全身から苦労しているという気配が滲み出ているな。

「まあ、いいわ。じゃあ、ここからが本題」
本題? どういうことだ。
話はこれで終わりなのではないのか。

凛君は表情を引き締め、その眼からはこちらの心臓を射抜くような鋭い光が宿っている。
そうして彼女は私の前に手を差し出す。
「取引といきましょう、ギル・グレアム」
「取引?」
「ええ、損はさせないわよ」
その一言は、まるで悪魔の囁きの様にこちらの心に染み渡る。
いったい、彼女は何を考えているんだ。

だが、疑問を覚えると同時に、彼女の瞳から目を離せない自分にも気付く。
まるで、何か良くないものに魅入られたかのようで、「魔性」としか表現しようのない何かだった。
だとしたら私が先程感じたものは、彼女の「魔性」のほんの一端に過ぎなかったのかもしれない。

そんな彼女の魔的な雰囲気は部屋の中を埋め尽くし、いつの間にかリーゼ達も微動だにしなくなっていた。
「あなたが知っていることを洗い浚い吐きなさい。事と次第によっては、私たちも手を貸してあげる」
「それで、私にどんなメリットがあるのかね?」
「八神はやてを救う、その可能性の一欠片では足りない?」
彼女の雰囲気に呑まれないよう、絞り出すようにして喉から出た問いへの答えは、私の想像の遥か外のもの。
“はやて君を救う”それは私が求め続け、ついには見つけられずに諦めた可能性だった。

しかし、彼女の協力を得ることでそこに光が見出せるのだとしたら…………。
「待ってくれ! 君は先ほど、はやて君を犠牲にすることを苦にしないと言ったはずだ。なのに、なぜ?」
「確かに、八神はやてが犠牲になっても知ったことじゃないわ。
 だけど、アイリスフィールとはちょっと因縁があってね。彼女の家族には生きててもらわないと困るのよ」
私には、彼女の言うことの半分も理解できていないだろう。
しかし、凛君には凛君なりのはやて君を救いた理由があるらしい。
それなら、理由はそれで十分ではないか。

「いったい、どうするつもりなのかね?」
「外からの力づくはダメ。闇の書への直接干渉もダメ。
なら、やることは簡単よ。“はやて”に………闇の書の管理者権限を握らせる!!」
瞳の奥に強い意志の光を宿して宣言し、差し出したその手を力強く握る。
管理者権限の掌握。それが出来れば、闇の書の暴走を止め管理下おけるかもしれない。
そうなれば、はやて君どころか闇の書………いいや、夜天の魔導書そのものを救うことになる。

「そんなことが…………」
「やってみないとわからないけどね。
でも、闇の書じゃなくてはやて自身への干渉ならいけるはずよ。内面干渉はこっちの領分だから」
アリアに施したのも、その一つと言うことか。だがだとしても、それを受けるかどうかは別の問題。
むしろ、普通に考えればとてもではないがそんな提案には乗れない。
そんな……できるかどうかも分からない賭けに出て、全てを水泡に帰してしまうわけにはいかないのだ。

本来なら取るに足らない与太話、あるいは当てにならない机上の空論と斬って捨てるはずの言葉。
しかし、それはあくまでも我々(魔導師)の常識に過ぎないのではないか。
彼女は魔導師とは別の法則を操り、我々の常識から逸脱した“魔術師”。
それならば、あるいは………心のどこかで、私はその微かな希望に縋ろうとしている事を自覚する。

それに、ここでこの手を払ってもメリットがない。
(彼女がリンディ提督たちに話してしまうかもしれないことを考えれば、彼女の案が実行可能かどうかに関わらず、一度こちら側に引き込んでしまう方がいいのだろう。そうすれば、最悪でも時間稼ぎくらいにはなる)
いや、そんなことは所詮言い訳に過ぎないのかもしれない。
私の心の天秤は、本当はもう傾いてしまっているのではないか。

気がつくと、いつの間にか握りこまれていた繊手は開かれ、眼がそのか細い手から離せずにいた。
もしかすると、それこそが何よりも明白な答えだったのかもしれない。
しばしの葛藤を経て、躊躇いながらも差し出されたその小さな手を―――――――――――――――握り返した。
「契約成立……ということで、いいのかしら?」
「まずは話を聞かせてもらおう。
見込みがなさそうであれば、躊躇なくこの手を払うという事を忘れないでほしいがね」
「それなら問題ないわ。言ったはずよ、損はさせないって」
そうして、私たちはどちらからともなく力強く互いの手を握り合う。
互いの間にあるのは、友好でも信頼でもない。それは「もう逃げ場はないぞ」という意思表示に近かった。
だが、何処かそれを好ましく思う自分もいる。私と彼女との間には、そのくらいの方がいいのかもしれない。

クリアせねばならない課題は多い。
彼女のやろうとしていることが、現実的に可能かどうかも考えなければならない。
なにより、失敗した時の為の次善の策を実行できるよう、綿密な計画も必要だ。

しかし、ここに一筋の光明が見えた。
今までなかった、希望の光が………。

そこでふっと、この年若い取引相手のことを思う。
(それにしても…これは、確かに「魔女」だ)
人を惑わす「魔性」は帯び、こうして物語の陰で暗躍する様は魔女の呼び名に相応しい。
だが今は、この魔女との出会いに感謝しよう。

Interlude out






あとがき

というわけで、クロノより一足早く凛は真相に迫りました。
まあ、これは単純にシャマルの事を知っていたことが大きいですね。
そうでなかったら、はやての身辺調査をしてみようとは思わなかったでしょうから。

それと、士郎ならともかく、凛だったら特にグレアムのやり方に文句を言うとは思えないんですよね。
別に、彼女からしてみればはやて個人は単なる顔見知り程度ですから。
グレアムの方針にしても、正当性はともかく、これまでのものよりか有効性はありますからね。
色々問題点はありますが、それでもしばらく封印出来るだけでも意味があると思います。
ただし、それも含めてグレアムの意向や思いなんて凛からすれば知ったこっちゃありません。
単純に、そこにアイリスフィールというピースが入ってきたので、士郎の事を慮って今回の様な提案をしました。
ここではやてに何かあると、さらに士郎が罪の意識に苛まれそうですから。

それと、凛がアリアに施した仕込みについてちょっと補足を。
まず、発信機代わりというのは前回接近戦をした時に使った粉末状の宝石ですね。
アレが体にこびりついていて、そこから尻尾を掴んだ形になります。
さすがに最初は驚いたでしょうね。足取りを掴んだと思ったら、まさかこんな身近にいたんですから。
そこからはやての調査結果などを踏まえて、今回の考察に至ったわけです。

そして、アリアにかけた束縛は基本的には魔眼によるモノとなります。魔眼は後天的に付与することもできるそうなので、凛がそれをしていたとしても不思議はないでしょう。あれ、いろいろ便利ですから。
これまた前回の戦闘の時、一度目を合わせた際に魔眼を使って種を植え付け、今回グレアムとの交渉のためにアリアに会った際に、警戒していないところを狙って全力で束縛をかけたという感じです。
さすがに戦闘行動中であっても一発で術中にはめられるのは強力すぎるので、こういうまだるっこしい段階が必要としました。
つまり、アリアは前回の戦闘後絶対に凛に会わなければ術中に落ちることもなかったわけです。

でも、書いていて一番大変だったのは凛と士郎の短時間デートですけどね。
正直、フラグを立てるイベントくらいならともかく、もうくっついた後となるといろいろ大変なんですよ。
恋愛話とか書いている人たちすげぇ、と心底思いました。
読むのはともかく、書くのがどれだけ向いていないのかを実感させられましたよ。
やりたいのに出来ないジレンマです。正直、何度投げ出そうと思ったことか。

というわけで、その辺へのツッコミは特に控え目でお願いします。
なにせ、私のライフポイントはもうゼロ間近なので……。
どなたか、砂糖を吐かせる書き方を教えてください、切実に!!



[4610] 第35話「聖夜開演」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:94acabce
Date: 2010/01/19 17:45

SIDE-はやて

わたしが入院して数日が経った。
今日はもう12月23日や。
残念ながら、この調子やと今年のクリスマスは病院で過ごす事になりそうやな。
そうなると、すずかちゃんたちからのクリスマス会の御誘いには、応じられそうにない。
それが、残念と言えば残念やった。

まあそれでも、ウチの子たちやアイリが来てくれる。
一緒にいられへんのはさびしいけど、それでもみんなが来てくれるだけでええ。
それにすずかちゃんたちもよくお見舞いに来てくれてる。
それで十分、わたしは幸せや。

ほんの半年前まで、わたしはこの病気が悪くなって死ぬとしても怖くはなかった。
でも今は違う。今は死ぬのが怖い。今のわたしには大切なモノがたくさんあるから。
生きたい理由が、生きなきゃならへん理由が、一緒にいたい人たちがいる。
せやから、何としてでも元気に退院せなあかん。
アイリを、ウチの子たちを悲しませることだけは絶対にしたくないから。


そんな日の深夜。
わたしは奇妙な夢を見た。

ある時、唐突にふっと眼が覚める。まず目に入ったのは、もう見なれた病室の天井。
せやけど、どこか現実感がない。まるで、この病室だけ世界から置き去りにされたかのよう。
同時に体に力が入らず、それ以前に頭がぼうっとして上手く思考がまとまらない。
わたしは、ただこの眼に映るモノを漫然と見、耳に入る音を受け入れる。

そこへ、どこか聞き覚えのある声が響いた。
「悪いわね、こんな夜中に」
その声が聞こえてきたのはベッドの横。
暗くて顔は見えへんけど、ただ暗闇の中その人の口が動いているのだけが見えた。

その人はベッドを操作し、わたしの体を起きあがらせる。
「昼間だとあなたの家族に鉢合わせるかもしれないし、なにより変なことをすると病院の人がうるさいから。
 というわけで、こうしてみんな寝静まった夜にこっそりお邪魔させてもらったわ。
ああ、見周りとかは気にしなくていいわよ。ちょっと外に細工をさせてもらったから、しばらくここには誰も来ないし、近くにきても多少のことには気付かないから」
普通に考えれば、これは非常に不味い状態のはず。病室に不審者があらわれ、わたしには抵抗する力も術もない。
その挙句、最後の頼みの綱である職員の皆さんの助けも期待できないと言う。

そんな状況やのに、わたしの中に危機感や恐怖はない。
その声音が温かかったせいか、むしろ心は穏やかでさえある。
「あなた………だれなん?」
「ん? 強いて言うなら、ちょっと気の早いサンタクロースってところかしら?
 聖夜には少し早いけど、あなたにプレゼントがあるの」
そんな答えとは到底言えない答えを口にし、その人は手に持っていた何かを私に差し出す。

それは、一粒の綺麗な赤い飴玉の様なものと、同じく赤い飲み物。
「これを飲みなさい。本当の意味でのプレゼントは明日になるけど、そのためにはこれが必要だから」
「これ……なに?」
「そうね………………差し詰め、あなたの『未来』かな。
 正確には、それを選ぶチャンスという事になるのだけど」
未来を選ぶチャンス? まるで、わたしの未来が決まってるかのような言い方や。

わたしは別に今のままでええ。ただ家族と一緒にいられて、穏やかな生活が出来ればそれで……
「いいえ、座しているだけじゃなにも守れない。それでは、手の隙間から雫の様に零れ落ちるだけよ。
欲しいモノは実力で勝ち取って、大切なモノは体を張って守るしかないの。
 私からのプレゼントはその機会よ。手に出来るかどうかは、あなた次第だけどね」
微笑みながら紡がれた言葉は、自然と心にしみわたる。
よくわからへんけど、たぶんこれは大切なことなんやと思う。

そうしてわたしは、促されるまま差し出された飴玉と液体を口に含み一気に飲み干す。
「それじゃ、今夜の事は忘れなさい。これはあなたが見た、弾けて消える泡沫の夢なのだから」
その言葉と共に、どんどん意識が闇へと沈んでいく。
この人の言うとおり、次に起きたらきっと今あったことのほとんどを忘れているだろう。

再び眠りに落ちようとするわたしに背を向け、その人は外に向けて歩み出す。
だけど、そこでハタと足を止め、背中を向けたまま言葉を紡ぐ。
「がんばりなさい、はやて。全てを手に入れるか、それとも失うかはあなた次第。
 でも、せっかくの聖夜ですもの。こんな日くらい奇跡の安売りをしても罰は当たらないんだから。ここは一つ、ご都合主義のハッピーエンドといきましょう。
そうでないと………………………アイツも、あなたの母親も、誰も救われない」
そう語る声音は、どこか悲しかった。

だから、だろうか? 沈みゆく意識の中で、もう一度この問いが零れた。
「あなた……だれ?」
「? ああ、実を言うとね、私『魔法使い』なのよ。そして……あなたの姉になるかもしれない人間。
 おやすみなさい、はやて。闇を抜けた先に、幸多き未来がありますように」
どこか悪戯っぽい響きを宿した答えを残し、今度こそあの人は扉をくぐって病室を後にした。
それと同時に、わたしの意識も闇に落ち、再度眠りにつく。



第35話「聖夜開演」



SIDE-士郎

今日はクリスマス・イブ。
翠屋をはじめ、どこもかしこもクリスマスセールやイベントで街の活気は最高潮。
翠屋など、ケーキ販売や店でクリスマスを過ごす人たちでごった返し、地獄の忙しさが確実らしい。
リニスだけでなく、俺も手伝いに来てほしい旨を頼まれたが、今日は事情があって断った。

なぜなら今日は、凛から聞かされた計画を実行に移す日でもある。
凛がグレアム提督から聞き出した様々な情報と当初の計画、及び変更された計画。
正直、グレアム提督のしようとしていたことには、賛同と否定、両方がせめぎ合う。
やろうとしていたことはわかる。実際、普通に考えればそれが一番確実だろう。法的・倫理的な問題、封印解除の危険性はあるが、あの人の計画はそう悪いモノではない。それは認めるしかない。
だが同時に、まだ九歳の女の子、それもやっと幸せを手に入れた子どもを犠牲にするその前提は受け入れ難い。俺に彼を非難するような資格はないが、それでもやはり反感を持つのは抑えられない。

しかし、今はそんなことを考えている場合じゃないし、現在の俺たちの関係は協力者のそれだ。
同じ目的、同じ願いを抱いているのだから、反感も遺恨も抑えよう。
まあ、凛の立てた計画もなんだかんだで酷いモノなのだが、それで丸く収まる可能性があるなら文句はない。
おそらくはこれは、俺に出来る「あの人」への数少ない贖罪でもあるだろうから。

だが、もちろん楽観できるわけではない。
上手くいくかは多分に賭けの要素が強いし、なにより最後の最後ははやて次第。
完全な暴走が始まるまでの決して長くはない時間、その間に何としてもはやてに管理者権限を握らせないと。
それ以外の策も用意してあるが、できれば使いたくはない。
そちらの場合確実に取りこぼしが出るし、はやてを救える保証もないのだ。

これは、元からどう使っても構わない時間を有効利用するからこそ、成り立った計画。
暴走が始まる際の数分間、その前までがタイムリミット。その時が来れば、提督は当初の計画を実行に移す。
最悪でも、当初の計画に支障が出ない試みだからこそ、グレアム提督は納得してくれたわけだしな。
まあ、次善の策を使えば、とりあえず当初のプランに出番はないだろうが。


そして終業式を終えた俺たちは、はやてへのサプライズプレゼントを持って病院の中を歩いている。
この時期にこのタイミングでアポなしで行けば、おそらく守護騎士かアイリスフィールのどちらかとかち合うことになるだろう。
もちろん、それも計画のうちなのだが……。

ただし、これはフェイトやなのははおろか、リンディさんやクロノにも話していない。
凛の計画だってある意味色々とスレスレだし、グレアム提督に至ってはモロだ。
そういうわけで、事後承諾的に計画が動き出してから強制参加させることが決まっている。
準備段階はアイツらにとっては受け入れがたいものだ。なにせ、守護騎士達には一度消えてもらうのだから。
だが、動きだしてしまえばはやてを救うために協力してくれるだろう。

はやての病室を訪ねる前に、担当の石田先生にはやての都合を確認してきた俺にアリサが問う。
「どうだった?」
「ああ、今御家族が一緒らしいが、その人たちさえよければ問題ないらしい」
「そっか、よかった。さすがに石田先生に頼むってのも味気ないしね」
まったくだ。なにより、全員集合しているのがありがたい。

病室の前まで行き、そこですずかが控え目にノックする。
「こんにちは」
そうすずかが声をかけると、部屋の中から伝わってくる気配が変化した。
さっきまでは暖かな気配が漏れていたが、そこに張りつめた緊張感が生じる。
すずかが来たということで、俺達もいる可能性に思い至ったのだろう。

しかし、そんなことには気づいていないらしい部屋の主は、快く受け入れてくれる。
「あれ? すずかちゃんや。はい、どうぞー!」
『失礼しまーす』
フェイト達は無邪気に、俺たちは内心を覆い隠して元気にあいさつする。

予想通り、そこにははやてだけでなく、守護騎士一同とアイリスフィールの姿があった。
まあ、ザフィーラがいなかったのは当てが外れたが、狼がいないのは当然か。
「っ!」
俺たちの姿を見て、ヴィータの表情が変わる。
まあ、当然か。ずっと隠してきたモノを見つけられてしまったのだから。

だが、そんなことは露知らず、すずかとアリサは丁寧に頭を下げる。
「あ、今日は皆さんお揃いですか」
「こんにちは、はじめまして」
「「ぁ!?」」
引き換え、その面々に見覚えのあるフェイトとなのはは小さな驚きの声を上げ、眼を見張った。
俺と凛も、怪しまれないように同じように振る舞う。

シャマルは狼狽を露わに視線を泳がせ、アイリスフィールも驚愕の余り目を見張っている。
そんな二人に対し、前衛組の対応早かった。
シグナムはすぐさま警戒態勢に入り、それにやや遅れてヴィータもこちらを睨む。
そんな周りの様子に困惑したのか、はやては家族と俺達を交互に見やる。

アリサもまた、場の空気がおかしい事に気付く。
「あの……すみません。お邪魔でした?」
「あ、いえ。そのようなことはありません。少し、驚いただけですので」
「え、ええ。そうなんですよ。いらっしゃい、みなさん」
「そうですか、よかった」
シグナムとシャマルは何とか場を取り繕い、すずかもそれに応える。
ただし、フェイトとなのはは相変らず固まったままだが。

その中、アイリスフィールの視線は俺に固定されていた。
「どうかしましたか?」
「え? えっと、ごめんなさい。なんでもないわ」
アイリスフィールはそう答えるが、何でもない筈がない。そう言う表情をしていた。
我ながら、バカなことをしているな。しかし、今はまだみんなに知られるわけにはいかない。

「ところで、今日はみんなどないしたん?」
「「えへへ……………………………せーっの! サプライズプレゼント!!」」
はやての問いに、すずかとアリサは悪戯っぽい笑みを浮かべてから隠していたプレゼントを晒す。
その手には、包装紙とリボンで装飾された大振りの箱があった。

それを見たはやての顔に、見ているこちらまで引っ張られそうな喜色が浮かぶ。
「今日はイブだから、はやてちゃんにクリスマスプレゼント♪」
「わぁ、ほんまかぁ。ありがとう」
「みんなで選んできたんだよ。それと、士郎君からもあるんだよね?」
「え?」
プレゼントを受け取りながら、俺に視線を向けるはやて。

「手袋を編んできたんだが、受け取ってもらえると助かる。
 だけど悪いな。もっと時間があればセーターとかマフラーとかも編んだんだが、それは来年ってことで」
「って、こんなにたくさん? もしかして……」
「ああ、ご家族の分もだ」
手渡したのは、綺麗に包装された計六つの袋。その一つ一つに、色やサイズの異なる手袋を入れてある。
いや、ロンドン時代に出費削減のために始めた編み物だったが、すっかり板に付いたものだ。
普通に買うよりも、こうして編んだ方が安上がりだったからなぁ。

「まあ、どんなものかは開けてからのお楽しみってことで……」
「うん♪」
手袋とは伝えたが、まだ色とかは袋の中にあるためにわからない。
こういう、なにが出てくるか分からないこともプレゼントの楽しみの一つだろう。

そこで、アイリスフィールが皆を代表する形で礼を述べる。
「えっと……ありがとうございます。私たちの分まで、大変だったでしょう?」
「いえ、お気になさらず。これから…………………長いお付き合いになっていくかもしれませんから」
できるなら、そうあってほしいと思う。
この人が俺を許してくれるかはわからないが、それでも俺はこの人を………いや、この人たちを助けたい。

しかし、ヴィータの凄みのある睨みは居心地が悪いのか、なのはは肩身が狭そうにしている。
「なのはちゃん、フェイトちゃん。どないしたん?」
「あ、ううん。なんでもない」
「ちょっと御挨拶を………ですよね?」
そう言って、シグナム達に目配せするフェイト。
シグナム達もそれに応じ、とりあえずこの場ではお互いに上手くはぐらかすべく動き出す。

シャマルにコートを渡し、備え付けのロッカーにかけてもらう。



  *  *  *  *  *



その後、通信妨害されていることもあって、緊張状態を保ったまま時は流れた。
まあ、魔術的なラインを繋いでいる俺と凛には関係のない話だが。

暗くなってきたところでお見舞いを終え、病院を後にする。
その間、ずっとヴィータが険しい眼つきで俺達を睨んでいたが、それをはやてがたしなめていた。
彼女にとって守護騎士たちは家族であると同時に、面倒を見る対象であるのだろう。

病院にいる間に小声で用件を伝えていた俺たちは、それぞれの目当ての相手と対峙している。
こことは別のところで、今頃フェイトとなのはは守護騎士たちと対峙しているはずだ。
俺と凛は二人のいるビルからやや離れた別のビルの屋上で、アイリスフィールだけでなくシャマルとも顔を突き合わせている。

そうして、最初に口を開いたのはシャマルだった。
その姿は普段のそれではなく、あの黒尽くめの見慣れぬ女性の姿。
しかし、その変装がすでに無意味なことも彼女は承知の上なのだろう。
「もう、わかってるんですよね。私が………」
「ああ、ずいぶん長く騙された………と言うより、こちらが勘違いしていただけなのだろうな。
 てっきり、君は無関係だと思っていたよ、シャマル」
「やっぱり……………………お願いです、邪魔しないでください!」
変身魔法を解くと、そこには見なれた柔らかな金髪を揺らす女性が立っていた。
その声は悲鳴一歩手前で、今にも泣き出しそうだ。

「あと、あとちょっとなんです。あと少しで闇の書は完成する。そうすれば………!」
「はやてを助けられる、か?」
「っ!! もう、そこまで……」
「アイリスフィールはホムンクルス。そして、魔術師はリンカーコアの存在を知らない。
 ならば、魔術師の手で生み出された彼女にそんなモノがあるはずがなく、そうである以上主の資格もない」
事実を確認するように、淡々と言葉を紡ぐ。
凛は黙して語らず、数歩下がった場所でただこちらを見ている。

そこで、やや離れたビルの屋上から爆音が響いた。
「向こうも、始まったようだな」
「邪魔をするというのなら、あなたが相手でも……!
 この一帯には封鎖結界と一緒に、通信妨害もかけてあります。あなた達を外には出しません!!」
「いや、闇の書の完成を目指すなら好きにすればいい。私にはもう、君たちの邪魔をする意思はない」
「え?」
「わかっているのだろう? 用があるのは………彼女だ」
そう言って、アイリスフィールに目を向ける。
俺の視線を受け止めたアイリスフィールは、僅かに身動ぎしつつそれを受け止めた。

しばしの沈黙。俺の言葉を信じていいのかわからず、シャマルはただ困惑の色を浮かべている。
「はやては友人だ。救えるものなら救いたいと考えるのは、別におかしなことではないさ。
 なにより、私にとっては闇の書よりも彼女と話す事の方が重要だ。それは、彼女も同様なのではないかね?」
「…………わかりました。ただし、私も残ります。
アイリさんははやてちゃんだけでなく、私たちにとっても大切な人。
なにかあっては、はやてちゃんやみんなに顔向けできませんから」
「好きにするといい。私は構わんよ」
グレアム提督からの情報で、アイリスフィールがはやてと親子に似た関係を作っていることは聞いている。
それを、どこか嬉しく思う。彼女がこの世界で、新たな幸せを見つけたことを。

同時に、因果なモノだとも思う。この人は知らないだろうが、切嗣とよく似たことをしているのだから。
両親を失った子どもと、家族を失った大人が家族として共に過ごす。
かつての切嗣の位置にアイリスフィールが、そしてあの頃の俺の位置にはやてがいる。これは、そういう事だ。
それを知り、この眼で見た時。まるで、二十年前の俺自身を見ているかのような錯覚をした。

シャマルは一歩下がり、アイリスフィールに場を明け渡す。
舞台は整えられた。
出会うはずの無かった二人が、二十年越しの邂逅を果たす時が来たのだ。



SIDE-アイリ

シャマルが一歩下がるのと前後し、私は意を決して眼前の少年へと足を向ける。
私を見つめる少年の眼は複雑な光を宿し、その心境を読み取ることはできそうにない。
ただ、その光の中に何処か逡巡に似た何かがあるような気がしたのは、気のせいではないのだろう。

およそ二メートルの距離まで歩み寄り、そこで足を止める。
私が足を止めたのを見て取った少年は、まず何と言って話しかけるべきか迷っているのか、ゆっくりと口を開く。
「はじめまして…と、言うべきなのでしょうか?」
開かれた口から紡がれたのは、シャマルと喋っていた時とは違う口調による場違いとも思える遠慮がちな挨拶。

しかしその姿は、まるで親に叱られた子どもの様であり、すぐに何処か自嘲めいた笑みに変わった。
これが、シグナムを相手に勇壮かつ巧緻な戦いをしていた少年と同一人物とは思えない。
覇気や腹の探り合いをしようという意志を感じられず、その事に何処か拍子抜けに近い感覚を覚える。
私はむしろ、一戦交えるくらいの覚悟でこの場に臨んでいたのに……。

身に纏うその雰囲気はあまりに無防備で、毒気を抜かれてしまう。
「ぁ……そ、そういう事になるのでしょうね」
思いもよらぬ彼の様子に戸惑い、思わず何処か間の抜けた返事を返す。
そういえば、直接言葉を交わした事はなく、それどころか面と向かって顔を突き合わせるのも初めてだ。
でも、これまでシャマルやシグナムから彼の様子を聞いてきたこともあり、あまり初対面という気はしない。
それは、彼もまた私の事を知っているだろう事も無関係ではないはずだ。

だが、私たちの邪魔をする意思がないとしても、彼は味方ではなく限りなく敵に近い存在。
それを相手に、いつまでも戸惑ってなどいられない。
緩みかけた気を引き締め、意識的に傲然とした態度を取って眦を決して睨みつける。
「それで、用件というのは。まさか、世間話をするわけではないのでしょう」
「……ええ、あなたにとっても重要な話です」
気持ちに区切りをつけられたのか、私と正対した白髪の少年の眼つきが変わる。
それは、レヴァンティンの記録映像で見た鷹の様に鋭い、並々ならぬ覚悟を湛えた眼差し。
それまでのどこか悲壮な、あるいは消沈した雰囲気は微塵もなく、強い意志を宿した瞳で私を見据える。

これが、この少年の本来あるべき姿なのかもしれない。
事実、口調こそ変わらず丁寧だが、その言葉にも異論を挟ませない力強さがある。
「ですが、その前にこれを受け取ってください。本来、あなたが持つべきものでしょうから」
そう言って懐から取り出したのは、遠目から見た程度ではよくわからないくらい小さな何か。
だけど、それを視認した瞬間わけもわからず体が硬直した。

彼は私にそれを渡そうと一歩歩み寄るが、思わず私は後ずさる。
理由はわからない。だけど、「それが何なのか知ってはならない」と心が警鐘を鳴らす。
知ってしまえば、自分の中の何かが崩れてしまう気がして……。

私のその反応に彼はどこか沈痛そうな表情を浮かべて一度眼を伏せ、手に持った物を私に向けて投げる。
このまま近づこうとしても無意味と悟ったのだろう。だから、「手渡す」のではなく「投げ渡す」事にしたのだ。
そして、その選択は正しかった。足が、地面と一つになったように動かない。
受け取ってはいけないはずなのに、何か知ってはいけないはずなのに、体が言う事を聞いてくれない。
逃げる事も出来ず、気付けば放物線を描く物体を受け止めるべく手を差し出していた。

それは吸い込まれるように私の手中に収まり、反射的に落とさないように両手で優しく握る。
響いたのは硬質物体同士がぶつかった事を示す、小さく甲高い衝突音。
続いて手に伝わってきたのは、無機物特有の冷たい感触だった。

それは私の手に覆われ、まだその姿は見えない。
(まだ………まだ引き返せる! このままこれを捨ててしまえば、まだ間に合う。だから、早くこれを……!!)
頭ではそうとわかっている。これは見てはいけないものだ。なのに、相変わらず体が言う事を聞かない。
手放したいのに、このまま彼に投げ返したいのに、金縛りにあったようにそれができない。

それどころか、私の意志を無視して手が勝手に開いてゆく。
(やめて……やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて――――――――やめて!!!)
必死に自分自身に懇願する。なんで、何で言う事を聞いてくれないの!
私は知りたくない。この手にあるものが何か、知りたくなんてないのに!!

しかし、無情にもパンドラの箱が、禁断の封が開かれる。
「……………………………これ、は?」
目に飛び込んできたのは、月光を反射して光を放つ小瓶。
その中には一発の銃弾と、銀色の細い髪のようなモノが細い紐で束ねて納められている。

一見何の変哲もない銃弾だけど、そこから微量の魔力を感じる。
それは髪の毛の方も同様で、違いがあるとすれば、それが普通なら気付かないほどに僅かな事くらいだろう。
でも、私はそれに気付いた……気付いてしまった。そして、そこから感じる魔力は酷く懐かしい。

もしかしたら、私はこの二つが何であるのか既にわかっていたのかもしれない。
だけど、それを理解するのを拒んでいたのではないだろうか?
そうでなければ気付いたはずだ。
この銃弾に込められた魔力とその外観は、かつて一度あの城であの人に見せてもらった物と同じであることに。
束ねられた銀髪が、私のよく知る人物のそれだと言う事に。
そう、気付かない筈がないのだ。だってそれは、私が最もよく知る人たちのモノなのだから。

しかし、それを理解したくない私は、ただ受け取ったモノを見つめ呆然となる。否、目を離せずにいた。
そしてそれを渡した少年は、ゆっくりと…噛み締める様に最悪の言葉(事実)を口にする。
「衛宮切嗣とイリヤスフィールの………………“遺品”です」
「っ!!!!」
その一言は、まるで稲妻のように私の体と心を貫いた。
まるで、全身の力が抜け堕ちたように私はその場に座り込む。

遺品? 切嗣とイリヤの?
そんな………………………そんなこと有る筈がない。
だって………だって二人は、今頃あの争いの無くなったあの世界で、穏やかな生活をしているはずよ。
そんなこと信じない。こんなの、出来の悪い冗談か性質の悪い嘘に違いない。

でも、この銃弾から感じるよく知った魔力と見覚えのある外見。
そして、見間違うはずのないあの子の銀髪が手元にある事実は、彼の言葉を肯定する何よりの証拠。

何とか否定したいのに、それが上手く言葉にならず、やっとの思いで声を絞りだす。
「………ぁ…………………………………………………………………………ぅ、嘘…嘘よ!!
 切嗣は言ったわ。冬木で流す血を、人類最後の流血にして見せるって!
 そして、約束してくれたもの!! 必ずイリヤを……………」
「その約束が、果たされなかったということです」
彼はまるで耐えるように強張った声音で、拳を固く握りこんで震わせながら、私の言葉(願い)を否定する。
その言葉に、まるで足元が崩壊したかの様な墜落感を覚えた。

それじゃあ切嗣は、セイバーは負けたというの?
イリヤは運命の枷に囚われたままで、何も変わらなかったとでも言うの。
……………………………………でも、だとしたらなぜ彼は“衛宮”なのだろう。
聖杯戦争に敗れたというのなら、切嗣の命は絶望的だ。
それなら、どうして彼は“衛宮”を名乗っているのだろう。

「あなたは…………………………………………だれ?」
「俺は衛宮切嗣に救われ、その後を継ごうとし、それを止めた裏切り者。
 そして……イリヤスフィールと敵対することしかできず、その挙句に彼女を死なせた度し難い愚か者です!」
その言葉の一言一言は、自らに向けた断罪の刃の様。
懺悔するように、彼は自らを貶める。まるで、それこそが己に相応しいと言うように。

でもこの時の私には、冷静にそんなことを察する余裕はなかった。
頭の中を様々な単語が駆け巡り、一つの感情に集約する。それは『憎悪』と言う名の激流だった。
「……………敵? それじゃあ、お前が……お前がイリヤを!!!」
しゃにむに駆け出し、彼に掴みかかりその首に手をかけ押し倒す。
自分が何をしているのか、自分でさえもわからない。
ただ感情の赴くまま、首にかけた手に力がこもる。

第三者から見れば、私の行動はあまりにも理不尽に思えたかもしれない。
しかし、彼がイリヤの「敵」で、そしてイリヤを「死なせた」のならば、そこから導き出される結論は一つのはずだ。少なくとも、魔術師とはそういう人種なのだから。
…………もしかしたら、内に渦巻く憎しみの捌け口を求めた、ただの八つ当たりだったのかもしれない。
それでも今の私には、そうとしか思えなかった……。

気道を圧迫されたことで、苦しそうに言葉が切れながらも彼はしゃべることをやめない。
「……そう、です。俺が、愚かだっ……たばかりに、あの人を救えな…かっ…………」
一切の抵抗を見せず、全てを受け入れる少年。その腕はだらりと下がり、抵抗する素振りを見せない。
少し冷静になれば気づいただろう。彼の眼がどこまでも深く、どうしようもなく暗い悲しみに満ちていることに。

手に込める力が増すにつれ、彼の顔から生気が失せていく。
このままいけば窒息してしまうというところで、それまで呆然としていたシャマルが声を上げた。
「………ダメ…ダメ! アイリさん!!」
でも、私の耳にはその声が届かない。
今この眼に映るのは、この少年の苦しむ顔だけ。
耳に届くのは、苦しそうにヒューヒューとかろうじて行われる呼吸の音。

もう少し………もう少しで、こいつ(憎い仇)を殺せる。
こいつはイリヤの仇だ!! どれだけ呪っても足りない。
イリヤの“死”の報いを、今すぐ受けさせてやる。
(殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる―――――殺してやる!!!!!)
その時の私の頭には、もはやそれしかなかった。

しかし、あと一歩と言うところで誰かが私の手を掴み、無理矢理彼の首から引き剥がす。
「そこまでよ。士郎の好きにさせるつもりだったけど、これ以上は見過ごせない。
 あなたには全てを知る義務がある。それを聞きもしないうちに、こいつを憎むなんて認めない!」
淡々とした声音は、段々と熱を帯び最後は怒鳴り声になっていた。

普段ならそれに動じるなり、逆に冷静になるなりするけど、今の私にそんな余地はない。
「離しなさい……」
「イヤよ。いいから、まず話を聞きなさい」
「離せ!!!」
「話を聞けってのよ、この分からず屋!!!」
私の叫びに怒鳴り返し、そのまま彼女の拳が私の頬に突きささった。

私はその一撃で倒れ込み、彼女は自分の拳を見やる。
「アイリさん!? 凛ちゃん何を……!」
「あちゃ~……思わずやっちゃった」
などと言いながら、彼女は自分の額に手をやって空を仰ぐ。

「まあ、済んだことはしょうがないとして……士郎、大丈夫?」
少女は勝手にたった今の行動を自己完結し、自分の足元に目を向ける。
そこには、コンクリートの地面に座り込んで咳き込むあの少年がいた。

「ゲホッゲホッ……ハァ、ハァ…お前な、何やってんだよ………」
「うっさいバカ! ちゃんと事情説明もしないで何バカやってんのよ。
 バカだバカだとは思ってたけど、呆れ果てるのを通り越して、いっそ見上げたくなるバカねアンタ。
 ここまで来ると天然記念物か、あるいは世界遺産級のバカよ」
「バカバカ言い過ぎだ、バカ」
そんなやり取りをしながらも、彼女は少年の手を取る。
まだ足に力が入らないのか、少年は少女に支えられながら立ち上がった。
若干フラフラとしながらも、変わらず少年は私を見つめている。

今の一撃で幾分激情に水を差されたのか、私の心は少しだけ冷静さを取り戻せた。
「アイリさん、大丈夫ですか?」
「私は…今、何を……」
自分がしていた事を思い返し、思わず体が震える。

倒れたまま、震える自分の手を呆然と見つめ思う。
(私は今、彼を殺そうとしていた…の?)
わかっていてやったはずなのに、体の震えが止まらない。
彼女が止めに入らなければ、私は確実にあのまま彼を絞め殺していただろう。

人を殺そうとした事がショックなのではない。私が震えるのは、その先の事。
(私はそんな手で、もう一度はやてを抱けるの? 抱いて…いいの?)
血に濡れた手であの子に触れて、それではやては笑ってくれるのだろうか。

知らなければ笑ってくれるかもしれない。でも、もし知ったら……そんなこと考えるまでもない。
(ああ、だから切嗣はイリヤに触れる時、いつもあんなに怯えていたんだ……)
大切な人を、その手にこびり付いた血で汚してしまう気がして、それが堪らなく怖かったから……。
はじめてこの手で人を殺そうとした今だから、それが理解できた。

そこで、呆然とする私を助け起こすシャマルに彼女が尋ねる。
「ふぅ、そっちも落ち着いた?」
「え、ええ。そうみたいです」
「じゃ、こいつに任せてると自分を悪役にしそうだから、ここからは私が話すけど構わない?」
そうだ。考えてみればおかしい。普通、自身の罪を隠ぺいするならともかく、彼の行動はまるで自分に全ての罪をかぶせるかのような言い方だった。
また、開かれた彼の掌からは少量の血が流れている。たぶん、拳を握りこんだ時に爪が皮膚を裂いたのだろう。
私は、そんなことにも気付かないほど気が動転していたのか。

「待ってくれ凛!!」
「却下! 他人に理解を求めず、何でもかんでも一人で背負いこんで、その挙句自分自身を犠牲にする。
それ、アンタの悪い癖よ。いい加減、その癖直しなさいよね。
アンタ一人が責任を負って丸く収まるほど、世界が単純じゃないことくらいわかってるでしょ?」
彼女の言葉にぐうの音も出ないのか、少年は押し黙る。
なんとなくだが、彼女はずっとこうしてあの少年が道を誤りそうになるのを正してきたのだと思う。



Interlude

SIDE-シャマル

アイリさんは僅かに冷静さを取り戻し、凛ちゃんは士郎君に説教中。
とりあえず、さっきまでの危ない空気は一応なくなった。

だけど、それでもアイリさんの顔には絶望の色が濃く表れている。
無理もない。お子さんと旦那さんがすでに亡くなっていると聞いて、平然としていられるはずがない。
なんと声をかけて励ませばいいのかわからない。
こんな時にこそ支えなきゃいけないのに、それができない自分の不甲斐なさが恨めしい。

同時に、目の前のアイリさんの事以外にも思考が回る自分に自嘲する。
(さっき、凛ちゃんはアイリさんが全てを知らなければならないと言った。
ならそこに、士郎君が全ての責を自分一人で負おうとした訳が……)
参謀役としては当然なのだろうけど、こんな時ですら家族の事だけを思えない自分が嫌になる。
そんな事だから、アイリさんを励ますことすらできないのだと、突き付けられている気がして……。

しかし、遅かれ早かれ聞かねばならない事だ。だが、そこでここではない別の場所で起こった異変に気づく。
「シグナム!? ヴィータちゃん!?」
私たち守護騎士には、多少なりともお互いへの感応能力がある。
具体的なことはわからないけど、二人の身に何かあったのだけは間違いない。

今すぐ駆け付けたい。
でも、向こうに何が起きているか分からない以上、アイリさんを連れていくわけにはいかない。
だからと言って、ここに残していくというわけにも………。
「行ってきたら? 私たちにアイリスフィールに危害を加える意思はないモノ。
 全てを知って貰わないうちに何かあったら私たちも困るし、ちゃんと面倒見るわよ」
その言葉を、一体どこまで信じていいのだろう。
個人的には二人を信じたいと思うし、信じられると思う。それにこれまでの士郎君の様子だと、少なくともそういった害意の類がないのは明らかだ。そのつもりなら、さっき接触した時に簡単にできた。
戦闘に向かない私程度、二人なら容易く退けられるだろう。

だけど、今この二人はどれだけ好意的に見ても限りなく敵に近い。
その懸念のせいで、なかなか思い切りがつかない。

しばしの逡巡。最後の決め手となったのは、アイリさんの囁くような弱々しい声だった。
「……行ってシャマル。私は大丈夫だから。今の二人に私への敵意がないのは、さっき証明されたでしょ」
「アイリさん………すみません、すぐに戻りますから!
士郎君、凛ちゃん。こんなこと頼める義理じゃありませんけど、アイリさんをお願いします」
二人に向けて深々と頭を下げ、精一杯の懇願を込める。
返事はない。ただ凛ちゃんは肩を竦め、士郎君は静かにうなずいてくれた。
なら、今は二人を信じよう。

そうして、ヴィータちゃん達のいるビルに向けて飛び立つ。
何が起こったかは分からない。だけどお願い、間に合って!

Interlude out



SIDE-凛

さて、シャマルのあの様子だと始まったか。
(悪いわね。許せなんて言うつもりはないけど、上手くいけばちゃんと助けられるはずだから)
そう心の中で謝罪し、あらためてアイリスフィールの方を向く。
シャマル達には一度消滅してもらわなければならない。必要なプロセスとはいえ、やっぱり気が重いわ。

だけど、事が動き出した以上もう時間がない。
この場での説明は簡単なモノで済ませて、あとでゆっくり事情を話すしかないか。

そこへ、まだ何処か足元のおぼつかないアイリスフィールから弱々しい声が掛けられる。
「それで、私は何を聞けばいいの?」
「ああ、それなんだけど……ちょっと時間がないからかいつまんで説明するわ。
 詳しいことは、今日が無事終わってからってことでお願い」
「何を言って…………あなた、何をするつもりなの!?」
察しの良いことだ。今のやり取りで、この状況が仕組まれたものである可能性に思い至ったか。

「別に悪いようにはしないわ。やろうとしていることは、あなた達がしようとしていたのと変わらないもの。
 ただ、それだけだとはやてを助けられない。だから、最後のひと押しをするのよ」
こいつらの目的は、闇の書を完成させてはやてを真の主とし、それではやてを治そうと言うモノ。
しかし、普通にやってもそれは果たせない。
そこで、はやてが闇の書の管理者権限を掌握する後押しをしようと言うのだ。

とはいえ、こんな説明だけじゃ納得出来る筈もないか。
だけど時間もないし、その辺の話はあとでリニスあたりにでも任せればいい。
「信じる信じないは任せるけど、現状あなたに出来ることは何もない。戦力差は明らかだしね」
アインツベルンの魔術は戦闘に向かない。ウチも似たようなものだけど、それでもだ。
なにより二対一。この状況では、彼女に勝機などあり得ない。

その事は向こうとて百も承知。だからこそ、悔しそうに顔を顰めることしかできない。
「だけど、まだ動き出すまで時間があるわね。だから今のうちに、軽くさっきの続きを説明するわよ」
今頃は、リーゼ達が上手くあの場にいる全員を拘束しているところだろう。
と言うことは、もう少ししたらはやてを呼び出して、闇の書を覚醒させる筈だ。
なら、急がないと間に合わないわね。

「まず、私と士郎のあなたとの関係。
 私の場合は簡単よ。あなたの知る『冬木の宝石魔術師である遠坂』が私。
 ちなみに父の名前は時臣だから、あなたも知ってるはずよね?」
「ええ、あなたの名前にも聞きおぼえがあるわ」
ああ、知ってたのか。それなら話が早い。
おそらくは、父さんのことを調べるときに私の名前を知ったのだろう。

「二百年に渡る仇敵だけど、今は水に流しましょ。ここに大聖杯はないんだしね。戦う意味がないモノ。
 で、問題は士郎の方。こいつは衛宮切嗣の息子、厳密には養子ね」
「ま、待って! じゃあ、切嗣は……」
「ええ、聖杯戦争を生き残った。だけど、彼は聖杯を手にできなかったし、その五年後に死んだわ。
 それを看取ったのが、ここにいる衛宮士郎よ」
足早に事実を口にしていく。話しのテンポについていけないのか、アイリスフィールは呆然としているけど。
まあ無理もないか、割と驚愕モノの事実のオンパレードだし。

でも、それに合わせている暇はない。早くしないと時間が来てしまう。
「その意味で言えば、士郎とあなたも親子になるわね」
「彼が……」
「イリヤスフィールの話は…………ちょっと一言じゃ終わらないわ。
 ただ、一つ訂正。士郎がイリヤスフィールを死なせたっていうのは正しくない。
 士郎はイリヤスフィールの死に一切関与していないわ。目の前で死なれたのは本当だけど、こいつは何もしていない。ま、士郎に言わせれば見殺しにした事こそが罪ってことになるんだろうけど………」
まったく、士郎って実は自虐趣味でもあるんじゃないのかな?

「で、あとは大方の予想はつくでしょう? 
衛宮切嗣は聖杯を手に入れられなかったのだから、アインツベルンからすれば役立たずもいいところ。
その彼がイリヤスフィールを迎えに行っても、門前払いを食らったのは当然かな」
厳密には、役立たずじゃなくて裏切り者になるんだけど、そこに触れる時間はない。

「…………………たしかに、大爺様ならそうするでしょうね。あるいは殺そうとするか………。
 でも待って! 切嗣なら城の結界を破って、イリヤを奪い返すことくらい……」
「出来るでしょうね。ただし、それは彼が万全ならばの話。
 言ったでしょ? 五年後に死んだって。これは聖杯戦争で受けた傷と言うか、呪いと言うか、それが原因よ。
それは衛宮切嗣を蝕み、彼から魔術師としての能力を奪った。その結果、彼は城に侵入することはおろか、結界の基点を見つける力すら失ったのよ」
私の背後に立つ士郎は、いまきっと酷く苦い顔をしているか、あるいは悲しみに顔を曇らせているだろう。
当時、彼が何をしていたのか士郎は知らなかった。そのことを負い目に思っているのかも。

「でも、それならどうしてイリヤが……………イリヤが死ななければならないの!?
 アインツベルンの城にいたのなら、命が危険にさらされる筈がないわ!」
「城にいたら、ね」
「え? それは、どういう……」
「聖杯たるホムンクルスが城を出るとしたら、理由は一つでしょ?」
私の言葉にすぐさま理由に思い至ったのか、その顔は驚愕で塗りつぶされる。
当然か。普通、それだけ短いスパンで聖杯戦争が起こるとは思わないわ。

辛うじて立っていたアイリスフィールの体からは力が抜け落ち、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
「そんな……」
僅かに間を置いて漏れた呟きと共に、アイリスフィールの顔が失意と絶望に染まる。
その意味を誰よりも理解しているからこそ……。

なんか、トドメを指すみたいであんまりいい気分はしないけど、ここで止めるわけにもいかないのよね。
「衛宮切嗣の死後、しばらくして儀式は起こったわ。原因は………第四次が中途半端に終わったせいでしょうね。
 そして、そこにイリヤスフィールが投入されるのは必然よ。それは、あなたの方がよく知っているはずでしょ?」
なにせ、元からそれをねらって用意された子だ。
出し惜しむはずがないし、そんな神経を妄執に囚われたあの連中が持っている筈がない。

「あとは言わなくてもわかるわね。アインツベルンは、五度に渡って悲願を逃した。
 そして、彼女と同じく参加者だった私たちは、偶々彼女の死に際に遭遇したのよ」
偶然でしかないけど、あそこまでタイミングがいいと、むしろ運命って奴を信じたくなるほどだ。

それにしても、私たちの年齢に言及してこないか。
ショックで自失状態になってるからかもしれないけど、やっぱり予想はできてたっぽいかな。
「その様子だと、私たちの実年齢が見た目相応じゃない可能性には気づいていたみたいね。
 まあ、今の状態は私たちにとっても予想外だったわけなんだけど………」
魔導師ならともかく、魔術師がこの年齢でこのレベルの戦闘能力を有しているのはさすがに異常だ。
となれば、何らかの方法で年齢を偽っていると考えるのが普通。
時計塔には、それこそ百近いくせに二十代みたいな見た目のジジイもいた。
あるいは、数百年を生きた妖怪だっているのだから、見た目なんて当てにはならない。

とはいえ、一応これで話は終わり。本当は、まだまだ話さなきゃならないことはたくさんあるんだけどね。
でも、今の切迫した状況ではこの程度が限界。そろそろ時間っぽいから、あんまり時間をかけ過ぎるわけにもいかないし。だけど、それでもアイリスフィールに底知れぬ絶望を与えるには十分だった。
最愛の夫「衛宮切嗣」に加え、愛娘「イリヤスフィール」の死がアイリスフィールに与えた衝撃は計り知れない。
かろうじて夫の死に耐えていた気丈さは限界を迎え、心のダムは決壊し抑えるものを失くした感情が溢れ出す。

アイリスフィールは肩を震わせ、離れたこの位置からでも彼女の嗚咽が聞こえてくる。
顔を手で覆うが、泣いているのは明らか。しかし、突如顔を上げると涙を溢れさせながら叫ぶ。
「……………………………どうして……どうしてイリヤを助けてくれなかったの!?
 あなた達が助けてくれていればあの子は……! あの子は……ぁ、うああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!! イリヤ!! 切嗣!! どうして……どうして!!!!」
「それは……俺が、俺が躊躇したせいです。あの時、俺がもっと早く動いていれば……」
「死んでたわね、確実に」
士郎の悔恨の言葉をばっさりと切り捨てる。
仮にイリヤスフィールと英雄王の間に割って入っても、あの時点での士郎に勝ち目はない。
アーチャーとの戦闘なくして、衛宮士郎が英雄王に対抗できる力を得ることはなかったのだ。

そんなわたしの言葉に、士郎は食ってかかる。
「凛!!」
「わかってるでしょ? あの時私たちは見逃してもらった。
そうでなければ死んでいたし、奴が目的のモノを手に入れずに帰る筈がないのよ」
「そ、それは………」
そう、あの時はイリヤスフィールの心臓を手に入れ、上機嫌だったから見逃された。
そうでなければ、マスターでもない慎二を人質に取ったところで意味などない。

むしろ、あの場で私も士郎もろとも殺されていなかったことの方が、今考えれば不思議なくらいだ。
少なくとも、イリヤスフィールを守ろうとしても奴の目的が彼女の心臓であった以上、それを奪わずに奴が退いた可能性は皆無。どうやったって、あの状況では助けようがなかった。
士郎の言ってることは、「もし」の話としてすら成立しない。

しかし、一度に畳みかけるように話をしたせいか、アイリスフィールは地に顔を伏せて泣き続ける。
本当なら、もっと段階を踏んでゆっくり話すような内容だしね。無理もないか。それに……
「まだ聞きたいことはあるでしょうけど、今はここまでよ。
 そろそろ時間だしね。あの黒い光、始まったってことか」
そう、なにより今はこれ以上彼女にかまっている場合じゃない。
いよいよ闇の書が覚醒した。となれば、ここからは忙しくなる。

でも、その前に一つ言っておこうかな。そう思い、泣き崩れるアイリスフィールに向けて話しかける。
「私は士郎みたいに甘くないし、自分の命をかけてまではやてを救いたいとまでは思っていない。
 でもあの子を救えば、それはあなたを救うことになる。私は士郎に、その機会をあげたかっただけ……」
他にも理由がないわけじゃない。はやてに言ったように、未来の妹かもしれないからってのも本当だ。
もし士郎とアイリスフィールの関係がいい方向に進めば、そういう事になることだってあるだろう。
それ以外にも、あの子の境遇は桜に似ている面があった。
かつて臓硯は言っていた「桜はいつか怪物となる運命にある」と。それが、はやてと被ったというのもある。

しかし、一番の理由はやっぱりこれだ。
「こいつはずっと贖罪を望んでいた。でも、すでに死んだ人間にどれだけ償っても、許しなんて得られない。
 贖っても贖っても、償っても償っても満たされない。まるで賽の河原の石積みね。
 だけど、今ここに生きたあなたがいる。それなら、少しは意味があるでしょ?」
許すかどうかは彼女次第。もしかしたら許されないかもしれないけど、いない人に終わらない償いを続けるよりかはまだ建設的だ。死者への償いを嗤う気はないが、それでも「許し」が得られる可能性の有無は大きい。

「アイリスフィールさん。俺は、どうしようもないほど罪深い男です。
 この手で数多の命を奪い、無数の命を見殺しにしてきました。
その挙句、今その全ての命を踏みつけて平穏を生きようとしている、そんな罪人です」
それは、きっとこいつがずっと抱えてきた心の澱。
あの丘で一度死を迎え、その時に決めた新たな生き方。
もしかしたら、それをこいつはずっと迷ってきたのかもしれない。

本当にそれでいいのか、と。いまさらそんなことが許されるのか、と。
人間、そう簡単に生き方を、在り方を変えられれば苦労はない。
ましてや、人一倍頑固でまっすぐな奴だから、尚更だろう。
その上、元より「幸せ」を苦しく感じる破綻者だ。そう易々と、宗旨替えなんてできるはずがない。
こいつが密かにうなされていることを私は知っている。
背負ってきた命に、大切な人を切り捨てられてきた人達に、そして理想を継いだ衛宮切嗣に謝っていた。

でも、私からは何もしてやれない。今、こいつにそういう生き方をさせているのは私だ。
その私に「そんなことは気にするな」などと言う資格はないから。
これは、士郎自身が折り合いをつけるしかない。
都合よく忘れるなんて、器用な事が出来るような奴じゃない。
士郎が選ぶのは、いつだって苦行の様に辛く険しい道なのだから

「凛はああ言いましたが……許しを請うつもりはありません。その資格もありません。
だけど、今俺は持てる力の限りを尽くしてはやてを助けます。
 あの時、俺が弱かったばかりにイリヤスフィールを助けられませんでした。だけど、今の俺はあの時より少しだけ強くなりました。その力で今度こそ、あなたの『娘』を助けます!」
まるで、自分自身に言い聞かせるように士郎は宣言した。
たぶん、こいつの贖罪は一生続く。そして、私もそれに付き合うことになるだろう。
こいつが道を誤らないように、ちゃんと自分も幸せになれるように。

そのまま士郎は体の向きを変え、アイリスフィールの咽び泣く声を背に黒い光の柱が立つビルを向く。
「もういいの?」
「ああ。あとは、全てが終わってからだ」
「そ、ならいいわ。リニス!」
「はい!」
ずっと気配を消して影に隠れていたリニスが、私の呼び掛けにこたえて姿を現す。

「アイリスフィールをお願いね。彼女を連れて、戦闘区域から離脱してちょうだい。
あと、必要なら情報提供もしてあげて」
「承知しました、マスター。お任せください、必ずや守り通してみせます。ご武運を」
頼りになる家族兼使い魔の心強い答えを聞き、笑みを浮かべて頷き返す。
これで、とりあえずアイリスフィールの方は大丈夫か。

そこで、士郎が私の横に立ち声をかける。
「凛」
「ん? どうしたのよ?」
「………ありがとう」
そう言って、士郎は屋上を蹴って隣のビルへと跳ぶ。

ほんの少しの間士郎の背を見送り、私も空へと身を躍らせる。
「………なに言ってんのよ、バカ…………」
本当に、何をいまさら………。
誰に頼まれたわけでもないし、感謝して欲しかったわけでもない。
私はこの十年、ずっと苦しんでる士郎を見てきた。
だから単純に、もうそんなアンタを見たくなかっただけよ。

さて、まずはなのは達やリーゼ達との合流ね。
そこで今回の計画を教えて、はやてを叩き起こすとしましょうか。



SIDE-士郎

俺はビル伝いに、凛は空を翔けながら移動する。
その最中、黒い光の柱が消えたと思うと、今度はその上空に馬鹿でかい黒い球体が発生した。
それは急速に膨張し、近くのビルの上部を次々と飲み込んでいく。

「あれは!?」
「空間攻撃ってやつらしいわね。
確か、闇の書の特性は広域攻撃って話だったけど、こうしてみると圧巻だわ。
だけど、あんなこと出来てホントにベルカ式なわけ?」
凛の言う事も尤もだな。普通、ベルカ式でああいう術を使う事っていうのはあまりないんだが。
まったく、俺たちはこれからあんなのの相手をしなきゃならないのか。
というか、あそこの近くにいる筈のフェイト達は無事なのか?

その途中、ちょっと驚くような光景を目にする。
「凛、あそこを見ろ」
「ん? 全く、何やってんのよ、あのバカ猫姉妹……!」
とあるビルの屋上。そこには、バインドで拘束されたリーゼ達の姿があった。
さらに、その正面にはクロノ。つまり、弟子にまんまと捕まったのか。

ここで放置してもいいのだろうが、クロノという戦力を遊ばせるのは旨味がない。
この計画には、投入できる戦力の全てを入れたいし……。
仕方無い、おまわりさんに補導された迷い猫を引き取りに急ぐとするか。
「私が行こう」
「うん、お願い。私はなのはたちの方に行くから」
そうして二手に分かれ、俺は方向転換しクロノの元へ向かう。
フェイト達は、凛が何とかするだろう。

クロノの元にたどり着くと、こんなやり取りがなされていた。
「こんな魔法………教えてなかったんだけどなぁ」
「一人でも精進しろと教えたのは、君たちだろ」
クロノの口調は苦く、できればそうあってほしくなかった、という気持ちが滲んでいる。
おそらく、少し前から何かしら勘付いていたのだろう。

とはいえ、クロノの気持ちを慮っている場合じゃない。
「そこまでだ、クロノ。リーゼ達を離してくれ」
「士郎!? どいうことだ!」
「少々事情があってな。君の力も借りたい、彼女らの事は後回しにしてくれないかね?」
俺の言葉に、クロノは強く睨みつける。
まさか、俺が二人と繋がっているとは思わなかったのだろう。

「いや、悪いね。捕まっちゃったよ」
「まったく、これから忙しくなるというのに何をやっている。急げ、時間がないぞ」
「待て、士郎! まさか、君たちは!」
「ああ、実を言うとね、クロノ。私ら、少し前に買収されててさ」
「なに!?」
買収とは人聞きの悪い。
お互いにとって有益な、対等な取引だろう………と思うんだが、あいつまた何か無茶な要求をしたのか?
計画を手伝う代わりに、何かしらの対価を要求してても不思議じゃないし。

「どういうことだ。君たちはグレアム提督の指示で、闇の書の永久封印のために動いていたんじゃないのか?」
「半分正解。それで、半分は間違いだよ」
「士郎達に買収されたというのがそうか?」
「ああ。知ってるだろ? 闇の書は、完成前に主を捕まえようと、完成後に破壊しようと転生してしまって意味がない。
だから私たちは、主ごと凍結させて、次元の狭間か氷結世界にでも閉じ込めることを考えたんだ。
 いろいろ問題はあるけど、私たちに出来る範囲ではそれが一番確実な方法だった」
そう、それがグレアム提督たちの当初のプラン。
これまでの主にしても、強力な兵器によって蒸発させたりしてきたそうだ。
その点で言えば、あまり大差はないだろう。むしろ、封印さている間は闇の書が動くこともない分有効と言える。

ただし、封印の解除そのものはそれほど難しくないのが難点だが。
おそらくは、どれだけ厳重かつ秘密裏に封印したとしても、いつかは誰かがそれを解くだろう。
早い話、これまでやってきた事の拡大版でしかないと言えばそうだ。
ただ、次の悲劇が起きるまでの時間をそれまでより遠い未来に出来ると言うだけで。

しかしこれは、あくまで当初のプランでしかない。
つまり、今は違うと言う事だ。
「だけどね…少し前、アンタよりも早く事の真相に気付いた奴がいた」
「それが凛と士郎なんだな」
「正確には凛の方みたいだけどね。とにかく、あの子はそこで一つの取引を持ちかけてきたんだ」
「それで………買収か」
クロノはこちらを見て「なんで黙っていた」と言うような眼をしている。
いやだって、お前聞いてたら絶対反対しただろうし。
なにせこれ、結構綱渡りだぞ。上手くいくなんて保証はどこにもないしな。

クロノは俺の方を見たまま、さらに問いを兼ねる。
「取引の内容は? 凛は、一体何を差し出したんだ」
「八神はやて、及び闇の書の守護騎士たちさえも含んだ救済の可能性」
「っ!?」
クロノの表情が驚愕に歪む。まあ、普通に考えれば無理だな。
仮に、俺一人だったとしても不可能だ。はやてだけなら何とかなる可能性もなくはないが。

そこでクロノは、確認するように俺に問う。
「……………………そんなことが、可能なのか?」
「可能性はある。どの程度のものかまでは私たちにも計りきれんが、それでもそれは確かに存在する。
そして、リスクに比べて配当は大きい。賭けるには十分だ」
最悪でも、これまでの闇の書事件ほど酷くはならない。
なら、試してみる価値はあるはずだ。

クロノは一応それに納得したのか、言外に同意を示す。
「君たちへの見返りは、今は置いておく。具体的にはどうするんだ?」
「それは…………フェイト達が来てからと思ったが、来たらしいな」
「士郎君!」
「シロウ!」
話をしているうちに、ユーノとアルフを伴って凛がフェイトとなのはを連れて来た。
よし、これで役者がそろったな。


そうして、全員が集合したところで凛が計画の内容を伝える。
早めにしないと、向こうのビルの屋上にいるアイツが動き出してしまう以上、時間はかけられない。
「いい? 計画は三段構え。第一に、はやてに闇の書の管理者権限を掌握させる。
 これでうまくいけば文句ないんだけど、それでダメなら闇の書とはやての繋がりを強制的に断つ。
 それでも失敗したら、当初の計画通り闇の書が暴走を開始した時に封印をかける」
「ちなみに、封印をかけられるのは闇の書が暴走を開始した数分だけだから、それがタイムリミットだね」
最後を締めたのはアリア。つまり、第一ラインは凛が要、第二ラインは俺が要だ。
そして、できれば到達してくほしくない第三ラインが当初のプランと言う事になる。
いや、そもそも俺にまでお鉢が回ってきては意味がない。

「待ってくれ! その段階では、闇の書は永久凍結を受けるような犯罪者じゃないだろ!」
「ああ、その心配はいらないわよ。とりあえず、形はどうあれ第二ラインでまず間違いなくケリはつくから」
「闇の書との関係の断絶、本当にそんなことができるのか?」
「可能だ。闇の書そのものの消滅は難しいが、関係を断つだけならできる」
闇の書は、それ自体は一種の機械装置としての性質が強い。
「破戒すべき全ての符(ルール・ブレイカー)」を使用してもデバイスを破戒出来ないように、アレそのものをどうこうできる可能性は低い。

だが、契約だとかの目に見えない曖昧なつながりならば、それはこっちの独壇場だ。
上手くすれば、はやての体から闇の書が離れ、はやてを救う事も出来るかもしれない。
それに、この方法なら主を吸収しての転生機能は働かない可能性がある。転生するとすれば、それは闇の書単独で行われるかもしれないのだ。
なにせ、主とのつながりが断たれれば、奴には吸収すべき主がいなくなるのだから。

ただしその場合、守護騎士たちは諦めねばならない。
これは、今のように闇の書に吸収されていようがいまいが関係ない。
なぜなら、どのみちはやてと闇の書との関係が断たれれば、守護騎士たちも闇の書に引き摺られるからだ。
だからこそ、これは次善の策となったわけで……。

「この場合の問題は、転生機能が起動して逃げられる可能性だけど……」
「それを防ぐために、私とロッテが凍結魔法の準備をしておく。
もし逃げられそうになっても、主のいない闇の書が相手なら効果は充分期待できるからね。
元々、闇の書の凍結が可能なのが暴走開始の数分なのは、無防備な瞬間がそこしかなかったからなんだ」
「でも、凛たちのおかげでもう一つ当てが見つかった、それが主のいない時ってわけだね。
 いくらなんでも、主がいない時なら効果はあるはずだよ。
 それに、それだったら永久凍結されるのは闇の書だけだから問題ないだろ? なぁ、クロノ」
リーゼ達が交互に、凛の上げた問題点に一応の解決案を提示する。
元から、封印されなきゃならないようなロストロギアだからな。
法的に問題があるのは、もろとも無罪の人間が凍結されるからだ。それがないなら問題はない。

ただ、その準備のおかげでリーゼ達の援護は期待できないんだけどな。
準備に時間がかかるから、第二ラインに移行してからじゃ間に合わない可能性がある。
つまり、第一ラインのうちから準備に専念しておかなければならず、こっちにまで手が回らないのだ。

俺たちの説明を受け、納得の色を見せるクロノに凛が挑発的な笑みを向ける。
「つまりはそういうこと。確実性なんて保証できないけど、試す価値はあるでしょ?」
まあ、なにせかつて一度も試されたことのない試みだ。
実際にやってみないことには、どんな結果が待っているかはわからない。

というか、グレアム提督の当初の案にしたところで、元から問題の先送りに近い。
これなら確実に……と言うわけではないが、あちらよりかは望みがある。
最悪の場合、闇の書を逃し、はやても助けられないという結末だってあり得るだろう。
しかし、それは当初の案でも変わらない。封印はできるはずだが、それは理論上の話。
良くわかっていない部分の多い闇の書が相手では、どこまで効果があるかは試してみるしかない。
早い話、失敗の可能性に大差はなく、だからこそより望みのある方を選択したのだ。

とはいえ、第二ラインでもはやてを救えるとは限らない。そうなると、やはり肝は第一ラインだ。
「第一ラインの方は、具体的にはどうするんだ? 闇の書に干渉すれば、転生を誘発しかねないぞ」
「それは闇の書に干渉した場合の話。私がするのは『はやて』への干渉よ。
 あの子にはもう仕込みをしてあるから、あとは接触さえできれば………」
はやてを叩き起こすことが出来る。少なくとも、闇の書には一切触れないのだから転生機能が動くことはない。
凛は昨日のうちに、はやての中に自分の魔力を流し込んでいた。
つまり、それだけはやてへの干渉がしやすくなっているという事。
あとは凛が後押しして、はやてに管理者権限を握らせるようにすればいい。

その為には………
「つまり、僕たちの仕事は凛が彼女に近づけるよう場をセッティングするってことか」
「そう言うこと。第二ラインの場合、それが士郎になるだけだから基本的なところは変わらないわ」
正直、第一ラインにしても第二ラインにしても、危なっかしいことこの上ない。
なにせ、相手は広域攻撃型。その近づくまでが危険極まりない。

その上、どれもこれも「できるかもしれない」でしかなく、やってみなければわからない「モノは試し」の領域。
はやてへのバックアップをすることでの管理者権限の掌握、「破戒すべき全ての符(ルール・ブレイカー)」による闇の書からの解離。
どれもこれも、上手くいくという確証なんてどこにもない。
仮に成功しても、それで望んだ結果になるとも限らない。
だが、それでも可能性がある以上試す価値はある。

一応計画には納得したらしいが、そこでフェイトとなのはがどこかやりきれない表情でいることに気付く。
「でも、シグナム達の事は? ……あれじゃあ、はやてが可哀そうだよ」
「は? そんなことないわよ。言ったでしょ、守護騎士も救える可能性があるって」
「ど、どういうことのなの? 凛ちゃん」
実際にシグナム達が消える場面を見ていた二人としては、そう感じるのも無理はない。
だが、上手くいけば彼らだって助けられる。
彼らもまたはやての……ひいてはアイリスフィールの家族。叶うなら、何としても救いたい人たちだ。

「良く思い出してみろ。
そもそも、守護騎士は闇の書の一部。彼らは消えたのではなく、ただ元の場所に戻っただけに過ぎない。
なら、はやてが管理者権限を握れば、彼等を再構築出来るはずだ」
だからこそ、第一ラインで決着を見るのが一番なのだ。第二ラインでは、彼らを救う事が出来ない。

「ほ、ホントなのシロウ!?」
「ああ、握れればの話だが、それをこれからするわけだ。責任は重大だぞ、気を引き締めてかかれ」
「良かったぁ、ヴィータちゃんたちも助けられるんだ。
 だけど、一緒に協力してもらった方が良かったんじゃないの? それにやっぱり、アレは酷いんじゃ……」
「それだが、闇の書が覚醒すると守護騎士たちもそれに引きずられることがわかっている。
 彼らの相手をしながら闇の書への接敵、そんなリスクは負うべきではなかろう」
良い気分がしないのは俺も同じだ。
だが、アイツらを相手にしながら接近するとなればそれは至難の業。
どのみちはやてが管理者権限を掌握できなければ彼らも消え、掌握出来れば復活できる。
なら、掌握する可能性を少しでも高める方にもって行った方がいい。

はやてを闇の書に取り込ませたのも、その方が管理者権限を掌握しやすいはず、という事だからな。
外より中にいた方が、何かと都合がいいというのはそう間違っていないだろう。

二人もそのことに渋々納得し、気持ちを切り替える。
自分たちのがんばり次第では、望み得る最高の未来が待っているかもしれないのだ。
そのことに奮い立ち、その小さな体から溢れんばかりの覇気を漲らせている。
人間、こうなると強い。いつだって、希望に向かって進む人間は底なしの力を発揮するものだから。

そんな二人に対し、クロノとリーゼ達師弟組はちょっと微妙な空気。
「クロノ、アンタもまあいろいろ言いたい事があるだろうし、私らを拘束しなきゃならないのはわかってる。
 でも、今だけは見逃して。私たちの、父様の悲願にやっと手が届くんだ」
「ああ。それも、私たちが見ていたそれより、ずっといい形で……」
「…………………………………………………………そういえば、逮捕状を取り忘れていたよ。
 現行犯で逮捕しようにも、君たち二人を僕一人で捕まえるにはさっきみたいな不意打ちでもしなきゃ無理だ。
 とりあえず、応援が来るまでは泳がせておいてやるさ」
憮然とした表情で、クロノは二人から目を逸らしながらそんなことを言う。
おそらく、これがクロノなりの精一杯の言い訳なのだろう。いやはや、難儀な性格をしているな、お前も。

まあ凛の奴は、いざとなればいつぞやの貸しで言い訳を用意してやるつもりだったらしい。
だが、その必要はなかったな。クロノは確かにお堅いヤツだが、それでも柔軟性がないわけじゃない。

「だけど、勘違いするなよ。あとで、思いっきり絞ってやるからな!!」
「ちょっとは成長したねぇ、クロノ♪」
「ホントホント。あの堅物が、やっと一人前になってきたかな」
クロノの精一杯の言い訳に、少し前までの神妙な雰囲気を消し去りおちょくるように応じる二人。

まあ、これでとりあえずは全員了承と言う事だ。
そこで、計画の中核である凛が一同を叱咤する。
「さ、全員自分の役目は把握したわね。それじゃ……気合を入れなさい!
さっさと寝坊助叩き起こして、聖夜に相応しい結末を飾ってやろうじゃないの!!!」
『応(うん)!!!』
全員が威勢よく応え、気持ちを一つにする。
たった一人の少女とその家族のため、そんなちっぽけで……だけど掛け替えのないモノの為に、これだけの人が動こうとしている。それは、なんて素敵なことだろう。
なるほど、たしかにこの状況は聖夜に相応しい。

そういえば、いつか誰かが言っていたな。
誰が言ったかは思い出せないけど「苦しみを伴って助けに来られても迷惑だ。望むのは問答無用のハッピーエンド」と言っていた気がする。まったく、なんて傲慢な言葉だろう。
みんながみんな満足のいく結果、非の打ちどころのない大団円、誰も願いを我慢しない結末を、当然のように要求するなんて。そいつはきっと、とんでもない我が儘で自分勝手な奴に違いない。

だが、思い返せば俺が望み、目指していたのだってそういうモノだったんだよな。
前の世界では、遂にそれは叶わなかった。
十全てを救えたとしても、誰ひとりとして不満を持たない結末はさすがにない。

だけど、今日……今この時くらいはそれも良い。
凛の言うとおり、今宵の聖夜に相応しい奇跡を起こしに行こう。






あとがき

というわけで、いよいよ物語は大詰めです。
これから先は、ノンストップで一気に転がっていくことでしょう。

士郎達の方でも、アイリスフィールとのちゃんとした対面も終えましたしね。
当SSのアイリスフィールは、割と感情に流されやすいというか、そういう面を強くしています。
士郎の首絞めにしても、あまりにショックな事を聞いて気が動転していたが故の暴走とお考えください。

まあ、士郎とアイリの対面自体はそれなりに上手くできた…………んでしょうか?
正直、自信がもてないんですよねぇ……今回一番の見せ場なのに。
しかし、今の私にはこういう展開が限界でして、ハッキリ言って滅茶苦茶ビビってます。
ある意味この話の一番大事なところなのに「もしかしたら上手くやれてないんじゃないか?」と。
一応私にできる範囲で、過去最もねちっこく描写したつもりではあるんですけどイマイチ自信が……。

書けば書くほどに、読み返せば読み返すほどにその辺が分からなくなるんですよねぇ。
書いてる時は「手ごたえ」の様なものを感じながら書いてるんですが、改めて見直すとそれが錯覚だった気がしてならないのです。
二次創作を書き始めて一年少々経ちますが、今でも試行錯誤の連続ですよ。
書いてみてわかりましたが、本当に難しいと感じる今日この頃です。



P.S
士郎の告白部分に不自然さを感じられる方が多かったようなので、微修正しました。
その分、アイリの暴走が不自然になったかもしれませんが、出来る限り違和感がなくなるようにしたつもりです。
まあ、ここから先は読者のみなさんの反応を見て考える事にします。



[4610] 第36話「交錯」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:fd260d48
Date: 2010/01/26 01:00

SIDE-リニス

凛の指示に従い、アイリスフィールさんの護衛につきながら避難したのはとある丘の上。
その間、アイリスフィールさんはずっと泣き続けていた。
無理もない。最愛の夫と愛娘を失えば、誰だってそうなるだろう。それが、プレシアを知る私にはよくわかる。
私自身に置き換えても、凛や士郎、そしてフェイトを失えば…………考えたくありませんね。

でも、丘の上に着くころにはアイリスフィールさんの涙は止まっていた。
とはいえ、体からは色彩として認識できそうなほどの悲哀が溢れ、それがただ無理をしているだけなのは明白。
正直……闇の書の真実や計画の事を話すべきか悩んだ。
アイリスフィールさんは、ついさっき夫と娘の死を知らされたばかり。
悲しみを癒すのは言うに及ばず、それどころか心を鎮めるための時間すら足りな過ぎる。
最悪の場合、彼女の心を壊してしまうのではないかという不安さえよぎった。
それだけ、アイリスフィールさんの纏う空気は重く、痛々しいものだったのだ。

だけど、アイリスフィールさん自身に乞われて、最終的に私は重い口を開いた。
話が進むにつれ、その顔にはそれまでとは別種の驚きの色が浮かべる。
自分達がしていたことが、まさかそんなモノだったとなれば当然の反応だろう。

全てを話し終えた頃には、目を赤く泣き腫らしてはいるが幾分落ち着きを取り戻しているように見えた。
「………………それが、真実なのね」
「ええ。それが、闇の書………夜天の魔導書にかけられた呪いです」
呪い。非科学的で突拍子もない言葉だが、魔術と言うモノを知ったことでそれが現実に存在するものであることを知っている。これはそれとは違うけど、まさに『呪い』の名に相応しい。

夜天の魔導書もその主と守護騎士たちも、その呪いの被害者なのだ。そして、この女性も。
「ですが、今あそこにはその呪いを解こうと頑張っている人たちがいます。
 ですから、どうか諦めないでください。
希望はあります。必ず、私の主とその仲間があなたの娘を救ってくれます」
まるで、自分自身に言い聞かせるようにそう言葉を紡ぐ。
今宵は聖夜。世界が祝福される日。そんな日に、悲劇などあってはならないのだから。

私の励ましに、少しさびしそうな表情をしながらアイリスフィールさんが問う。
「………………あなたは、あの子たちを信じているのね」
「……はい。あそこにいる人たちは、みんな強いですから。
 力だけでなく、心も。だから、きっと大丈夫ですよ」
何とか安心させようと、精一杯の笑顔を向ける。

「あなたは…行かなくていいの?」
「私は、凛にあなたを任されました。それは、主からの何よりの信頼の証だと思っています。
 それに、この場を投げ出すということは主を信じられず、同時に主の信頼を裏切るという事です」
そんなこと……できるはずもないし、するつもりもない。
凛たちなら大丈夫。私はそう信じている。

だから、私は私のすべきことをしよう。
それに、このアイリスフィールと言う女性の事は、多少だけど凛から聞いている。
詳しいことまでは聞いていないが、一通りの事情を知ればおのずと凛の意図もわかった。
凛たちにとっては、ある意味最重要人物。そんな人を任せるのに、管理局よりも私を選んでくれた。
それはつまり、戦力的に充実している管理局よりも頼りにされているという事だ。
不謹慎かもしれないが、これが嬉しくない筈がない。
なら、身命を賭してその信頼に応えてみせよう。それができずして、何の使い魔か。

「あなたは、私たちの事をどれくらい知っているの?」
「それは、あなたと凛や士郎との間柄を……と言うことですか?」
「………………………ええ」
「おそらく、あなた以上には知らないでしょう。凛たちは、特に自分たちの素性に対しては慎重ですから」
それが、さびしくないと言えば嘘になる。
だけど、それでも少しずつ凛たちは自分たちの事を教えてくれた。
秘密……と言うほどのものではないけど、昔の思い出や家族の事を時々聞かせてもらっている。

士郎には困った姉代わりの女性がいて、しょっちゅうその人に振り回されたこと。
凛には長く離れ離れだった妹がいて、放っておけずに色々やきもきしたこと。
二人共通の友人で、凛にとってはライバルと天敵の中間にいるような間柄の女性のこと。
そして、二人にとって掛け替えのない清廉で気高かった無二の親友のこと。

秘密とすら呼べない思い出の数々。だけどそれらの価値が、凛たちの『秘密』に劣るとは思わない。
知られても構わないものかもしれないけど、だからと言って大切でないことにはならないのだから。
むしろ、それらの事を語る時の二人の様子は、どこまでも穏やかなもの(一部例外を除いて)。
私は、そんな話を聞けるだけでも嬉しかった。その分だけ、二人との距離が縮まった気がしたから。

それに、これらは秘密そのものでこそないが、秘密を浮き彫りにするピースと成り得る。
聞いた思い出話を整理し、検証すればある程度までなら凛たちの秘密にも迫れるだろう。
でも、私はそれをするつもりはないし、何かに気付いても聞く気はない。
いつかきっと、凛たちから話してくれると信じ、その時を待つつもりだから。

まあ、そんなわけであまり多くは知らないんですけどね。
「あなたは、それで良いの? 何も教えてもらえないままで……」
「ええ。私たちにはまだまだたくさん時間があって、いくらでも待てますから。
急ぐ必要なんて、ないじゃありませんか」
「少し……羨ましいわね。切嗣とセイバーも、そう出来ていたら………いえ、無理かしら。
 切嗣にそんな気はなかったし、多分どれだけ時間があっても平行線のまま………」
そう語る、アイリスフィールさんの顔にはまた別のさびしさが宿る。
そういえば、セイバーという名前は知っていますけど……詮索するのは、野暮ですかね。

「私は、あの子たちのことを何も知らない。だから、信じていいかもわからない。
イリヤを救ってくれなかったあの男の子に、理不尽とわかっていても憤りを覚えてしまう。
もしかしたら、切嗣を死に追いやった原因があの女の子の父親かもしれないと思うと、どうしても敵愾心を抱いてしまう」
無理もない。私もまだ詳しい事情は知らないけど、そう言う風に捉えてしまう感情は、少なからず理解できるつもりだ。もしフェイトを見殺しにしたという人が目の前にいたら、もし凛や士郎を死に追いやった元凶かもしれない人と出会ったら、私も冷静でいられる自信はない。
どうしようもない事情があるかもしれないし、的外れな感情かもしれない。
それでも、そう感じずにはいられないかもしれないから。

でも、今のアイリスフィールさんの声音に、士郎に対して憎しみをぶつけていた時の様な激しさはない。
「だけど、やっぱり私は何も知らない。
だからその感情が、勘違いや的外れなモノなのかもしれないこともわかっているつもりよ」
「……………………………」
「………彼が、衛宮を名乗るあの男の子が『切嗣の息子』であるというのなら、私は信じてみようと思う。
 彼は切嗣の死を悼み、イリヤを死なせてしまったことを悔いていたわ。その償いのために、私の身勝手で的外れかもしれない復讐を受け入れ、今こうして私の『もう一人の娘』を救おうとしてくれている」
償いだけがすべてではないでしょうが、それは一面の事実。
でも士郎はきっと、それとは別に純粋にこの人の力になりたいのだろう。
そこには罪の意識からくる贖いもあるだろうが、それがすべてではない。彼は、そういう「お人好し」だから。

「士郎を………許せるのですか?」
「…………………………わからない。だけど、何も知らないまま彼を憎むことも…………もう出来ない。
 あんなにも必死にはやてを救おうとしてくれる恩人を、あんなにも悲しい目で二人の死を悼んでくれた子を……私は、どうすればいいのかしらね」
かぶりを振るその眼の奥には、整理のしようがない混沌とした光が揺れている。

だけど、今はそれでいいのだと思う。
性急に答えを出しても、それはきっとこの人にとっていいものとはなり得ないだろうか。
アイリスフィールさんの口から洩れた疑問に私は答えられないけど、無理に急ぐ事はないはずだから。

そうして私たちは、さまざまな光とぶつかり合う漆黒の光へと目を向ける。
どうか、皆が無事に帰ってきますようにと願って。



第36話「交錯」



SIDE-士郎

いま俺たちは、覚醒した闇の書が展開した閉鎖結界に閉じ込められている。

闇の書に取り込まれたはやては、俺たちのよく知る特徴からはあまりにかけ離れた姿となってしまった。
亜麻色のショートカットだった髪は長い銀髪へ、瞳の色も深紅に変わり、その眼からは涙が零れ頬を伝う。
また、年相応の少女のそれだった身長と体型は、成熟した女性のそれとなっていた。

何より、雰囲気の変化が著しい。
常に穏やかで優しい空気を自然と纏っていたはやてと違い、表情はなくどこまでも無機質。
冷徹にこちらを見やるその姿は、心などなく血も通わぬ人形を連想させて余りある。

そして、どうも奴はフェイト達を敵と認識しているらしい。
おそらく、はやてが最後に見た光景が原因だのだろう。
まあ、逃げ回られたりしない分マシなんだが……。
できれば大人しくしてもらって、さっさとはやてを起こしにかかりたいところだよな。

そういうわけで、とりあえず初めは穏便にと説得から開始となった。
ただし、フェイトやなのはだと敵と認識されている以上、面倒な事になりかねないので不可。
万が一にも凛になにかあっては計画自体がとん挫するし、俺も似たようなモノ。
リーゼ達は氷結魔法の準備で動けず、クロノは現場指揮官や責任者としての仕事がある。

となると、あとはアルフとユーノしかいない。
アルフは性格上説得の類にはあまり向かないという消去法で、最終的にユーノに決まった。
仮に攻撃されても、この中でも特に守りの堅いユーノなら助けに入るまで凌ぎ切れるだろうという計算もある。

そんなわけで、ユーノが説得にかかったのだが……
「えっと、できれば止まってくれませんか。
 僕達には、あなた方を助けるための方策があります。ですから……」
「我が主は、この世界が……自分の愛する者達を奪った世界が、悪い夢であって欲しいと願った。
 我はただ、それを叶えるのみ」
「待ってください!? その人たちを救うために……!!」
「主には、穏やかな夢の内で…………永久の眠りを」
うわっ、人の話全然聞いてねぇ!?
聞く耳持たずとは良く言うが、ここまで全面的にシャットアウトする奴も珍しい。

「そして、愛する騎士達を奪った者には永久の闇を!!」
そう宣言し、奴はそのまま戦闘態勢に入る。
いやぁ、一応事実なだけに反論のしようもないな。
守護騎士たちにいられると面倒だからこそのあの展開だったのだが、どちらにせよ苦労することに変わりはないってことか。ま、そういうもんだよな。

「下がれ、ユーノ!! 仕方ない、無理にでも止まってもらうしないか」
「クロノ! って、これは!?」
闇の書が何かの魔法を行使したかと思うと、地面から無数の触手のようなモノが出現する。
これはたしか、あの砂漠の世界にいた蛇の化け物の……。
そういえば、闇の書は吸収したリンカーコアの持ち主の魔法も使えるんだったか。
まさか、生き物そのものまで召喚できるとは思わなかったが。

そこでクロノが全員に向かって指示を飛ばす。
「まあ、残念ながら予定通りだな。そういうわけだ、各自持ち場につけ!
アルフは凛の護衛! 凛には八神はやてへの干渉に集中してもらう。士郎は遠距離から援護、飛べない君までフォローが回らない! それ以外は、僕と一緒に“闇の書”の拘束に回る! 行くぞ!!」
『応(うん・了解)!!』
クロノ宣言に、各々が威勢良く返す。士気は申し分なし、あとはただ行動するのみだ。
しかし、こういう時自分の能力の低さが嫌になるな。地を駆ける俺じゃ、あの広域攻撃から逃れるのは至難の業。
防御に力を割いて、もし出番が回ってきた時に魔力切れでした、じゃ済まない。そうである以上、それが最善だと分かってはいるが、やはりな……。

だが、そんなクロノの指示に反応し、闇の書の顔に僅かな愁いの色が現れる。
「お前たちも、私をそう呼ぶのだな………」
そういえば、こいつの本来の呼び名は別だったんだよな。
確かに、「闇の書」なんて呼ばれ方をして嬉しいはずもないか。

俺はある程度離れたビルの屋上まで移動し、狙撃に適したポイントを探す。
他の面々も、各々自身に襲いかかる触手をある者は切り裂き、ある者は魔力弾で吹き飛ばしている。
「時は動きだしてしまった。私がお前達を破壊するのが先か、それともお前達が私を破壊するのが先か。
………………それとも、今度もお前か? 赤き騎士よ。あの時のように」
そう言いながら、奴は大分離れたところにいる俺にわざわざその紅い瞳を向ける。
こいつは………いったい何を言っているんだ?

「破壊なんてしません! 絶対、はやてちゃんと一緒に助けてみせます!」
「だからお願い、話しを聞いて!」
なのはとフェイトは必死になって説得を試みるが、奴にそれを受け入れる様子はない。

「我は闇の書。我が力の全ては、主の願いをそのままに………」
「この………分からず屋! はやては、そんなこと望む様な子じゃないってことくらい、わからないの!」
フェイトはそう叫び、魔力刃を出力したバルディッシュを持って斬りかかる。

それに合わせて、なのはとクロノがそれぞれ誘導弾を放つ。
フェイトと闇の書が交錯し、闇の書が方向転換するのに前後して二人の誘導弾が襲いかかる。
しかしそれも……
「盾よ」
闇の書は静かにそう呟き、迫る誘導弾に片手を向ける。
すると、その前面にシールドが展開され、全ての誘導弾を受けきられた。

とはいえ、これで時間を稼げた。誘導弾に気を取られている隙に、再度迫ったフェイトが鎌を振るう。
「はぁっ!!」
「無駄だ」
だがそれを、フェイトの動きを先読みしていたように今度はバリア型の防御魔法で小揺るぎもせずに防ぐ。
厄介だな、反則的なまでの防御の堅さをしている。おそらくはユーノと同等かそれ以上と見るべきか。
魔力量が馬鹿げているのもあるが、今までに蒐集した際に取り込んだ魔法のレパートリーの多さが問題だ。
種類が多いと言うことは、それだけその時々に最適の魔法を選択できることを意味している。

何より、多種多様な魔法の中から最適なそれを迷うことなく瞬時に判断できるのが厄介きわまりない。
普通なら少しくらい迷いそうなものだが、そこはそれ相手は人間ではない。
その演算能力と処理能力は、人間とでは次元が違う。

とはいえ、だからと言って手をこまねいている時間はない。
防御に回って動きが止まっているのは、紛れもない好機。それを逃す手はないのだ。
「まだ! ストラグルバインド!!」
ユーノがバインドを使い、動きの止まった闇の書の四肢を拘束する。
奴なら容易く破壊できるだろうが、その一瞬が狙い目。

予想通り、闇の書に絡みつくバインドにはヒビが入る。
だが、今まさに奴が動けない事に変わりはない。故に、その機を逃すことなく……
「いけ!!」
俺は番えていた矢を放つ。さすがに、バインド破壊をしている最中ならば……。

しかしそれも……
「刃を撃て、血に染めよ―――――――――穿て、ブラッディダガー」
バインド破壊にやや遅れて発動した魔法により発生したのは、その名の通り血のように紅い無数の刃。
それらはまるで敵に襲いかかる蜂の様に俊敏に、かつ複雑な軌道を描いて襲いかかる。
それだけでなく、他の面々にも襲いかかり次々と小規模な爆発が起きた。

俺の放った矢も、闇の書に到達する前に迎撃され奴には届かない。
「私と騎士たちはリンクしている。故に、騎士たちの知ることは私も知っている」
なるほど、すでに守護騎士達相手に晒した手札は向こうも承知の上ということか。
俺の矢が当たる事が前提と言う事も、初見であっても奴にとっては承知の上ということらしい。

みんなの方は、どうにか防御が間に合ったようで、爆煙から出てきても特に負傷はない。
おそらく、アレ自体は威力の弱い攻撃で、牽制などに使うのが本来の使い方か。

しかし、不味いな。この様子だと、小技は効果が薄いと見た方がよさそうだ。
やるなら、問答無用で相手を叩きつぶす小細工抜きの一撃。
そう判断したのは俺だけではないのか、フェイトとなのはがそれを実行する。

いつの間にか、フェイトとなのはは闇の書を中心に対角の位置を取っていた。
そうして挟撃する形で放たれるのは、サンダースマッシャーの発展系となのはの十八番。
「プラズマ………スマッシャ――――!!」
「ディバイン………バスタ―――――!!」
だがそれも、奴が展開した楯で危なげなく防がれる。
あの二人の砲撃を受け止めて、小揺るぎもしないとは……。

しかし、こっちのターンはまだ終わっていなかった。たたみかける様に凛の声が響く。
「『Wahrheitball(真球形成)、Leichte Anstiege(魔光汪溢)―――――Herbst vom Himmel(天の原より来れ)』
全く、危なっかしくて見てらんないわ。ちょっとそこどいて、巻き込まれても知らないわよ!!」
「わぁ――――っ! 凛待って待って、まだ待って!
 フェイト! なのは! 早く逃げろ―――――――――!!」
凛に続いて、アルフの悲鳴じみた叫び声が木霊する。
いつの間にか上を取っていた凛の周りに、三つの巨大な魔法陣が描かれていく。陣を描くのは凛の中指に嵌められた指輪、その逆の手には宝石剣も握られている。という事は、宝石剣を供給器代わりにするつもりか。

それを見たフェイト達は慌ててその場を離れるが、そのままだと闇の書に回避の隙を与えてしまう。
なら、ここは俺がサポートするところか。そう判断し、足止めのために大急ぎであらん限りの矢を放つ。
「まったく、人使いの荒い師匠もいたものだ」
『頼りにしてるわよ、相棒』
俺のボヤキが聞こえたわけでもあるまいが、凛からそんな念話が届く。
アイツめ、やっぱり俺に足止めをさせるつもりだったのか。

闇の書をその場に釘付けにするべく、矢継ぎ早に矢を放つ。
放つ矢の描く軌道は多種多様。通常通り正面に向けて放つ矢がおよそ半数。
残りの半分をさらに二分し、片方は矢羽に細工を加える事によりその軌道が変わる。ある物は左右、またある物は直下から闇の書に襲いかかるべく、縦横無尽に空を奔る。
そして、最後の半分は上空に向けて放ち、重力に引かれた矢を奴の真上に落とす。

小細工を弄した甲斐あってか、奴は四方から飛来する矢に邪魔され思うように動けずにいる。
『まったく、そういう事はもっと早く言ってくれんかね? もし間に合わなかったらどうするつもりだ』
『ん? アンタなら間に合わせるでしょ?』
まあ、そりゃあな。長い付き合いだ。ただチャンスが来るまで大人しくしているとは思っちゃいない。
遅かれ早かれ、一発叩き込みに行くとは思っていたけどさ。

そうしている間にも凛の準備は着々と進み、宝石剣から供給される無制限の魔力が魔法陣に送られていく。
「『Zweihaunder(接続)――――――――――――――Es last frei(解放)!!』
 射角良し、出力良し、術式安定! いっちょ派手に行くわよ!!
『――――――――――――――Laß die Sonne fallen(堕ちろ、燐光の鎚)!!!』」
闇の書に向け、三つの魔法陣からバカみたいな魔力を宿した光の塊が落ちてくる。
虹色の光を宿すそれは、華麗であるが故に恐ろしい。
いくら時間があったからとはいえ、あんなモノまともに食らったら蒸発しかねないぞ。

それにしても、宝石剣から魔力供給を利用した高位魔術の三重起動とはまた大盤振る舞いを。
本来なら単発で使う筈の術を三つ同時。少しでも制御を誤れば、その瞬間に自爆して木っ端微塵か、はたまた蒸発か。伊達や酔狂で「緋」の称号を得たわけではないとはいえ……よくもまあ、あんなマネをする気になる。
自分の制御能力に絶対の自信がなきゃできんぞ、あんな暴挙。

ついでに、消費した宝石の金額が怖い。
宝石剣と指輪が中心とはいえ、それでも術の安定のために他の宝石も使っているはずだ。
協力する代償としてグレアム提督持ちにしてもらったけど、さすがにちょっと……。
これは、あの人の老後の生活資金を大幅に削ることになるかもしれないな。

そんな光景をポカーンと口を半開きにして見ていたクロノだったが、なんとか思考を復旧させて食ってかかる。
「………な、何やってるんだ凛!! 八神はやてを殺す気か!?
 というか、君は彼女への干渉に集中する手はずだろ!」
「ああ、もう煩いわね! ただチャンスが来るまで待ってるのも暇だったのよ。
やっぱり直接触れないと無理っぽくてさ、どうにも手応えがイマイチなのよねぇ。
ていうか、そもそもあんた達が不甲斐ないせいで全然そのチャンスが来そうにないんだから、別にいいでしょ。
 それに、これくらいで潰せるなら苦労はないんじゃない?」
暴論と言えば暴論だが、確かにこれで消えるような奴じゃないよな。
凛だって、一応その辺には留意して攻撃したはずだ……と思いたい。

もうもうと立ち込める煙が風によって払われると、そこには多少服や髪に焦げ目がついてこそいるが、ほぼ無傷の闇の書がいた。どうやったかは知らないが、アレを防ぎきったのか。
いや、よく見れば地面に刻みつけられた今の攻撃の跡が不自然だ。
魔法陣は正三角形の頂点上に展開され、そこからまっすぐに攻撃は放たれた。
なのに、地面に刻まれた跡は正三角形の形をしていない。
頂点の位置が歪なそれを見るに、何らかの方法でいなすなり逸らすなりして直撃を避けたらしい。
まったく、やる方もやる方なら捌く方も捌く方だ。どっちも十分過ぎるくらいにぶっ飛んでいる。

と、そこへ……
「眼下の敵を打ち砕く力を、今ここに――――――――――――撃て、破壊の雷」
「あれは!? シールドを張れ!! 広域攻撃が来るぞ!!」
アレはたしか、シャマルが以前使った結界破壊の砲撃。
しかし、あれならちゃんと守れば耐えきれる。それはすでにユーノとアルフが実証済み。

だが、全員が身構えるも何も起こらない。
その代わりに現れたのは、奴の手の前に生じたミッド式の魔法陣。それも俺たちのよく知る桜色の……
「咎人達に、滅びの光を」
「っ!? ちっ、やられた。今のは―――――――フェイントか!」
まんまと引っ掛かったことに思わず舌打ちする。相手の攻性能力を警戒するあまり、過敏になり過ぎた。
詠唱と共に、魔法陣に向けまるで流星の如く周囲の魔力が次々と収束し、巨大な魔力の塊を作り上げる。

止めに入ろうにも、すでに手遅れだ。もう術は起動している。
「不味いぞクロノ! この距離でスターライト・ブレイカーの直撃など受ければ、防御の上からでも落ちる!!」
「総員退避! 行けるところまで行くんだ!!」
ある程度離れている俺はともかく、すぐ近くで戦っていたみんなはもたない。
とにかく距離を稼いで、威力の拡散を図らないと。

なのはをフェイト、凛をアルフが抱え、ユーノとクロノも大急ぎで退避していく。
距離のある俺は、少しでも発射の邪魔をしようと矢を射続けるが、それも先程と同じく赤い刃で撃ち落とされ時間稼ぎにもならない。
「なのはは一度蒐集されている。という事は、アレはその時にコピーされたものか」
しかも、聞くところによると闇の書はコピーした魔法を自分向けに影響を与える性質もあるらしい。
つまり闇の書の影響を受けたあの「星の光」は、広域攻撃魔法としての特徴を持つという事を意味する。
最悪「熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)」か「全て遠き理想郷(アヴァロン)」を使って、俺自身が盾になるか。

しかし、事態への危機感の薄いなのははとぼけたことをのたまっていた。
「フェ、フェイトちゃん。こんなに離れなくても……」
「至近で食らったら防御も意味がない。回避距離を取らなきゃ」
フェイトはそんななのはの手を取り、忠告しつつ全速力で空を駆ける。

(あのバカ……自分の魔法への危機感が無さ過ぎるぞ)
半年前、防御が薄いとはいえ、あのフェイトを一撃で轟沈させたのを忘れたわけじゃあるまいに。自己認識の甘い奴め。
反対に、一度モロに食らったことのあるフェイトは、その危険性を文字通り身をもって知っているだけに、全力で逃げている。

だが、そうこうしているうちにも闇の書は感情を感じさせない声で詠唱を続け、着々と準備を進めていく。
「星よ集え、全てを撃ち抜く光となれ」
……ヤバいな。俺もいい加減逃げないと、この距離でも俺ごときあっけなく落とせるだろう。
少なくとも、フェイカーの防御限界を軽くぶっちぎっている。

みんなと俺の距離も、もうそれほどない。
三つに分かれたグループのどれかと合流して、協力して防御するべきか。
となると、一番近いのはフェイト達だ。

そう判断を下し、大急ぎで二人と合流するべく移動を開始する。
ビルの屋上を時に駆け、時に飛び跳ねながら次々と飛び移っていく。
また、ビルとの距離が開き過ぎている時にはライダーの釘剣を投影し対処する。
釘剣を投げ放って近場のビルへと打ち込むことで固定し、そのまま身を躍らせるのだ。
そうして振り子の様に弧を描きながら空中を移動し、離れたビルへと着地する。
まるで、森の木々を渡る猿かどこぞの野生児の様だな、これは。

それを幾度か繰り返すうち、フェイトとなのはが俺に追いつく。
「わかっているな。あれが発射されたら、一ヶ所にかたまって………」
「うん。全力で防御、だよね」
「えっと、そこまでしなきゃダメなの?」
「「君(なのは)はもっと自分のデタラメさを自覚しろ(しなきゃダメだよ)!!」」
「はぅ………」
二人で危機感の薄いなのはにダメ出しすると、気圧されたなのはが小さくうなだれる。

しかしそこで、バルディッシュからとんでもない情報がもたらされた。
《左方向300ヤードに人影。魔力反応なし、一般人です》
「え!? シロウ!!」
「ちぃ、次から次へと……先に行け! 私も後から追いつく!!」
「うん。行くよ、なのは!」
普通人がアレを受けたら、本当にどうなるか分かったもんじゃない。下手すると、冗談抜きで死ぬぞ。

その人たちを保護させるべく二人を先行させ、全速力で後を追う。
どこの誰かは知らないが、間にあってくれよ。



Interlude

SIDE-すずか

(いったい、何が起こっているの?)
自分で言うのもどうかと思うけど、わたしも割と非常識の側の人間だから、いろいろなモノに耐性はある。
そんなわたしにとっても、この状況は理解の及ばない非常識の極み。

突然人がいなくなったと思ったら、辺りも急に暗くなってしまった。
遠目には、なんだかよくわからないけど「長い何か」まで身を捩っている。
その上、桜色の光を放つ丸いモノが遠くの空に現れた。

初めは「一族」の人たちの仕業かと思ったけど、違う。
いくらわたし達が色々と人間離れしているとはいえ、ここまで外れたことはできない。
それこそ、まるで全てが幻だったかのように全てが唐突に変化するなんて……。
それに遠くにいるあんなモノ、見たことも聞いたこともない。

でも、一つだけわかることがある。
それは、もし何かあったらわたしが今隣にいる親友を守らなければならないという事。
「だめ、やっぱり誰もいないよ。なんなのよ、これ?」
周囲の様子を見てきたアリサちゃんは、困惑したようにそう言う。

アリサちゃんはわたしと違って普通の人間。ここで何かあったら、為す術もなく傷ついてしまう。
だけど、わたしはちがう。わたしには戦う力が……抗う術がある。
なら、何かあった時アリサちゃんを守るのはわたしの役目。
普段、わたしはアリサちゃん達に守ってもらっている。だから、今はわたしが守らなきゃ。

もし必要なら、この『眼』を使おう。しばらく前から少しずつ練習して、使うまでの時間は短くなっている。
それなりに使いものになるだろう、とは、練習をみてくれた友達の言葉。
以前のわたしなら、どんな状況であろうと友達の前でこれを使う勇気を持てなかった。
「化け物」と「怪物」と恐れられ、友達に嫌われるのが怖かったから。
何より、そんな人から外れた自分が嫌いだった。

今でもそれは怖い。この力も正直好きにはなれない。
でも、それとの向き合い方と付き合い方を教えてくれた人たちがいる。
そんなわたしの秘密を知っても、変わらず接してくれる大切な友達。
その人たちが、ほんの少しの勇気をくれた。今の自分を受け入れる勇気を。

「とりあえず逃げよう。なるべく遠くへ」
そう言って、アリサちゃんはわたしの手を取り走り出す。
わたしもアリサちゃんに合わせて走る。

アリサちゃんが受け入れてくれるとは限らない。
アリサちゃんならきっと、という思いもあるけど、どうかはその時にならないとわからないから。
もしかしたらやっぱり怖がられて嫌われるかもしれない。
そのまま話が広まって、この街にいられなくなるかもしれない。
それは、わたしにとって足元が崩れ去るような不安と恐怖。

だけど、それよりもっと怖いモノがある。
それは目の前で大切な友達が血に染まる姿。傷ついて血を流して、冷たくなってしまうのが堪らなく怖い。
そして、力があるのにそれを使わずにそんな事になってしまったら、わたしは絶対に自分を許せない。
それに比べれば、『力』を使うことへの抵抗なんて小さなもの。

(大丈夫、絶対に守るから)
嫌われても構わない、と決意を固め、アリサちゃんの手を少し強く握る。
その事に少し驚いた表情をしたアリサちゃんだけど、そのままわたしの手を握り返してくれた。
それは、言葉に出来ないくらい心強く、同時に嬉しい。
実を言うと、ちょっと泣きそうだったのだけど、それだけで涙は引いてくれた。

そこへ、何かが地面とこすれる音がしたかと思うと大きな土煙が上がる。
何かが起こったことを察したアリサちゃんは、それから逃げるように走り出す。

そんなわたし達に、よく知る声がかけられた。
「あの、すみません! 危ないですから、そこでジッとしててください!」
この声は、もしかして………。思わずアリサちゃんの手を離し、足を止める。

それはわたしだけではなく、アリサちゃんも足を止め、同時に振りかえっていた。
「え?」
「今の声って……」
振り返った先はまだ土埃で覆われ、人影がかろうじて見える程度。
まだ、そこに誰がいるかはわからない。わかるのは、人影が二つあること。
一つは道路に、もう一つは少し高い所(おそらくは街灯の上)に。

土煙が徐々に晴れていき、段々とその人たちの顔が見えてきた。
「……………………なのは?」
「……………………フェイトちゃん?」
そこにいたのは、わたし達のよく知る二人。アリサちゃんと同じ、掛け替えのない友達だった。
二人は、見たことのない服装で杖のようなモノを持って、驚愕の表情を浮かべる。
何となく、わたしとアリサちゃんも同じような表情をしているんだと思った。

二人に少し遅れて、もう一つよく知る声が上空から響く。
「何をしている! 急げ、来るぞ!!」
空から降って来たのは、赤い人影。
彼もまた、わたしのよく知る友達。わたしに勇気をくれ、わたしの秘密を知ってなお変わらず接してくれる人。
そして、わたしにとってはある意味「友達以上」の想いを寄せる人だった。

不意打ちだったせいか、その声に思わず顔が熱くなる。
だけど、それと同時に気付く。彼がああいう口調をしている時は、非常事態の時。
ならきっと、今は切迫した状況にあるのだろう。

Interlude out



SIDE-士郎

フェイト達に追いつくと、そこにいたのはすずかとアリサだった。
なんだってよりにもよってこんなところに、とも思ったが理由なんてわかるはずもない。
一つ言えるのは、理由は何であれここに取り込まれてしまったという事。

とにかく時間がない。
もう光球は限界レベルまで大きくなっている。
おそらく、もう間もなく発射されるだろう。

とにかく二人の元に駆け寄ろうとしたところで、決して聞こえない筈の距離でありながら、その一言が聞こえた気がした。
「スターライト……………ブレイカー」
体が戦慄に震える。不味い、もう事情を説明している時間すらない。

思わず振り向くと、巨大な光球から一筋の光の線がこちらに向けて放たれる光景が見えた。
それはかなり離れた場所に着弾する。
だがそれで終わらずに、着弾したところから一気に桜色の光の塊が広がっていく。
次々とビルを飲み込んでいくその光景は、悪い冗談か悪夢のようだ。

しかし、いつまでも突っ立ってるわけにはいかない。
あれは、間もなくこちらにまで届く。なのはもそれに気付き、フェイトに声をかけた。
「フェイトちゃん、アリサちゃん達を」
「うん。二人とも、そこでジッとして!」
《Defensor Plus》
バルディッシュは二発のカートリッジをロードし、二人に半球状の防護膜を展開する。

よし、あとは……
「私が最前列で受ける! 次になのは、最後尾にフェイトだ! 全力で守れ!!」
「で、でも、もし防御が破れてあんなのの直撃を受けたら、わたしたちでも……」
「士郎君は、大丈夫なの?」
「説明している時間はない! 早くしろ!!」
有無を言わせぬ語調で指示を飛ばす。勝算はある、だから任せろと言外に告げて。
とはいえ、アレを使えば問題はないはずだが、万が一という事もある。
念のため、二人にもしっかり守っておいてもらわないと……。

そんな俺の指示に二人は一瞬逡巡する。
如何に俺の手に概念武装があるとはいえ、あの「破壊の具現」を防ぎ切れるか疑問をぬぐえないのだろう。
だが、真っ先に動いたのはフェイトだった。
「……うん! お願い、バルディッシュ!」
《Yes, sir》
フェイトはすずか達の前に立ち、バルディッシュの先端からシールドを出力する。

しかし、自体を目の前にしてやっとこの危険に実感を持ったなのはは、未だ踏ん切りがついていない。
「フェイトちゃん……!」
「シロウを信じよう、なのは。きっと、大丈夫だから」
「…………そうだね、レイジングハート!」
《Wide Area Protection》
フェイトの言葉に覚悟を決めたのか、なのはも俺のやや後ろに立ちカートリッジを二度ロードする。
そうして、バリアタイプの防御魔法をレイジングハートの先から展開した。

それを確認した俺は二人のさらに前に出て、右手を突き出しつつ片目を閉じ呪文を紡ぐ。
最速で自己の裡に埋没し、剣の丘からそれを引き上げる。
「『投影(トレース)、開始(オン)』」
作り上げたのは、一本の槍。目の前にまで迫る、桜色の光の壁の前にはまるで爪楊枝のようだ。
第三者が見れば、あまりに滑稽な姿に映るだろう。
この圧倒的な力を前に、小細工など無意味。津波を相手に人が出来ることなどたかが知れている。
ましてや、呑まれてしまえばあとは蹂躙されるが必定。

しかし、今ここにその必定を覆す。
その槍を両手で固く握りしめ、俺は迫りくる光の壁に対する。
槍を突き出し、やがて穂先が光の壁に触れる。その瞬間、桜色の壁が―――――――――――――引き裂かれた。
「………………………………………………すごい」
後ろから微かに聞こえたのは、はたして誰の声だったろう。
辺りを埋め尽くす光の奔流とそれに伴う轟音のおかげで、正確なところは判別がつかない。
完全無欠で一般人のアリサか、それともすずかだろうか。あるいは、全員だったかもしれないな。

同時に、それはある意味で当然の反応なのだろうとも思う。
実際、地面に以外のどこを見ても、ビルも木々も、その全てが桜色の光で塗りつぶされているのだ。
にもかかわらず、境界線でも引かれた様に、あるいはあらかじめ敷かれたレールの上を通る様に、光は俺たちを避けて通っている。
非常識な光景の中に生まれた、さらなる異常。これには、フェイト達も息をのんでいる事が気配でわかる。

しかし、皆にとっては驚愕するような光景でも、俺にとってはそうではない。
なぜなら、この手にあるのは魔を断つ赤槍「破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)」。
およそ2メートルの赤い槍にして、穂と柄の間には先端から順にゲボ(贈り物、物惜しみしない)、ベルカナ(白樺の枝)、ナウシズ(困苦)、エイフワズ(櫟の木、材)、テイワズ(軍神テュールの象徴)が刻まれた魔槍。
ディルムッド・オディナが養父であるドルイドのアンガスから贈られた槍で、物理手段によってしか防御できない“宝具殺し”の槍。
その能力は、魔力によって編まれた代物や魔力の塊、魔術的な強化・能力付加の全ての無効化。
どれほどの破壊力があろうと、それが魔力による直接攻撃である限り、この槍が破れることはあり得ない。

槍の穂先に振れた瞬間魔力は霧散し、そこから円錐形に光の奔流は引き裂かれ隙間が生まれる。
まあ、俺のすぐ横を光の奔流が流れていく様は、圧巻を通り越して怖気を覚えるけど。
もしこれの直撃をコイツ(ゲイ・ジャルグ)無しで受けていたらと思うと……ゾッとする。
やはり、なのはは一度自分のとんでもなさを自覚すべきだ。

そうしているうちに、一時は果てが無い様にさえ思えた光の奔流にも終わりがやってくる。
桜色の光越しに向こう側の光景、本来あるべき街並みが見てとれた。
「――――――――――抉れ、破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)」
あと僅かとなった魔力の壁を、槍を大きく振るって掻き消す。
そうして開かれたのは、先程までの光景が嘘のように静かな街並みだった。

とりあえず、今の攻撃の余波による建物の崩落などはないらしい。
それはつまり、攻撃対象を正確に指定、あるいは限定しているという事だろう。
広域攻撃なんてしてくるくせに、見境があるんだかないんだか……。

とりあえず周囲の安全確認を済ませ、その上で後ろのみんなの様子を見ると全員無事なようだ。
自分の状態もついでに確認するが、特に支障はない。槍を持っていた腕にも、痺れや痛みはない。
こうしてその効果を実感する度に思うが、宝具さまさまだな。

すずかたちについては、このままにしておくわけにはいかないが、たぶん大丈夫だろう。
既に事態を知ったユーノ達が、エイミィさんに避難要請をしているらしい。
まだ完全には余波が治まっていないが、治まり次第安全なところに転送してくれるそうだ。

見れば、すずかとアリサは互いに抱き合い身を寄せている。あんなモノを突然見たんだ、当然の反応だな。
そこへ、フェイトとなのはが二人に優しく声をかける
「もう、大丈夫」
「すぐ、安全な場所に運んでもらうから、もう少しジッとしててね」
「あの……なのはちゃん、フェイトちゃん。それに………士郎君」
「ねぇ、ちょっと………っ!? 後ろ!」
何かに気付いたアリサが、俺の方を指さして警告する。

しまった!? 今の余波で場が乱れていたせいか、反応が遅れた。
すぐさま手に持った槍に力を込め、迫ってきていたあの触手に向けて槍を薙ぐ。
「はぁっ!」
何とか間に合い、体に触れる寸前でそれを薙ぎ払う。スレスレで間に合ったか。
同時に、フェイト達もそちらから迫る何十という触手を魔力弾や魔力刃で叩き落とす。

しかし、俺達がそちらの事に気を取られている隙に、反対方向から件の蛇の化け物の尻尾のようなモノが迫る。
反応した時にはすでに遅く、すれは二人のすぐそばにまで迫っていた。
「すずか! アリサ! 逃げろ!!」
フェイト達にその場を任せ、何とか二人の助けに入ろうとするが致命的に遅い。
渾身の力でゲイ・ジャルグを投じるが…………間に合わないか。

絶体絶命のピンチの中、アリサが動いた。
「危ない! すずか!!」
「アリサちゃ……きゃっ!?」
アリサがすずかを突き飛ばす事で、なんとかすずかだけは窮地を脱した。
だがその結果、一人残ったアリサに向け、鈍い光を放つそれは振り下ろされる。

「アリサちゃん!?」
「アリサ!?」
それを見たなのはとフェイトが悲鳴を上げる。
だが、二人も目の前に迫る触手への対応に追われ動けない。

誰もが、アリサが叩き潰される光景を幻視した。
しかし、それは起こらない。なぜなら……
「な……なに、これ。どうなってるの?」
尾はアリサに触れる寸前でピタリと止まり、それ以上落ちてこない。
それどころか、内側に向けて徐々に縮んでいく。それと前後して、投げ放った槍が尾を捉え――――爆発する。

爆発によって吹き飛ばされた尾はアリサから少し離れたところに落ち、ジタバタとしばらく動いた後、息絶えたのかその動きを止めた。
誰もが不思議そうにしている。フェイトとなのはもお互いに顔を合わせ、首を振りあう。
おそらく、「自分じゃない」という意思表示だろう。
また、俺の能力ではこんな真似は出来ず、それはフェイト達も知るところだ。

ならば、後は消去法ですずかかアリサだが、アリサの呆然とした表情がその可能性を否定する。
故に、残る人物は一人だけ。皆の視線は、自然とその人物に集中する。
そして俺だけが、正確に事態を把握していた。
「すまない、助かった」
「う、ううん。よかった、アリサちゃんが………無事で」
まるでたった今全速力で短距離走をしてきたかのように、すずかの息は荒い。
だいぶ使用に慣れてきたとはいえ、それでも元から負担の大きい能力だ。
むしろ、あの一瞬で発動させられた練習の成果こそ評価すべきだろう。

とはいえ、さすがにあの質量と咄嗟の事だったせいか、本来の効果はあまり発揮されなかったな。
どちらかと言えば、咄嗟だったことが主な原因だと思う。なにせ、これでもまだ練習不足は否めないからな。
そうでもなければ十全に効果を発揮し、アレが相手でも難なくとはいかずともちゃんと潰せただろう。
すずかの能力には、それだけの力があるのだから。

赤みを帯びていたその瞳も、すぐに元の色に戻る。
だが、フェイト達も見ただろうな。
「いまの…すずかちゃんが?」
「………………………」
なのはの問いに、すずかは俯いて答えない。
しかし、この無言こそが何よりの肯定の証だ。

とはいえ、唯一事情を知る身として言わせてもらえば、今はそれどころではない。
みんなには悪いが、ここは話を先送りにさせてもらおう。
「話は後だ!! それに何を驚いている、フェイト・なのは。我々とて似たようなものだろう」
先天的な魔眼持ちは確かに希少だし、すずかのそれは強力だ。
だが、正直だからどうした。俺たちだって十分非常識な存在だろう。
アリサの反応はまだしも、お前達が驚くようなことか。もっととんでもないマネができるくせに。

「あ………にゃははは、そう言えばそうだね」
「うん。全然人の事言えないや」
ああ、そういう頭の柔軟なところはお前達の長所だよ。

さて、こちらはこれでよし。あとは、アリサか。
無理もないと言えば無理もないのだが、このままというわけにもいかないか。
……………まあ、やりようはあるな。半年程度の付き合いだが、そのくらいは把握している。

故に、できるだけ大仰に、持てる演技力の全てを以て「ワザとらしく」振る舞う。
胡散臭いくらいに「ワザとらしく」やるのがポイントだ。
「ところでアリサ、まさか怖くなったのかね? 君ともあろう者が、この程度の些事ですずかを拒絶すると?
 ああ、腰でも抜けたか? いや、まさか…………失禁ではなかろうな?
 親しい仲とはいえ、さすがに人前でそれは如何なものか……」
「ち、違うわよ! っていうか、何サラッととんでもなく失礼なこと言ってんのよ!!
 誰も漏らしてないし、腰だって抜けてない! あんまふざけたこと言ってると、その頭かち割るわよ!!」
「ああ、それでこそアリサ・バニングスだ。やっとらしくなってきたようで安心したよ」
いやはや、面白いぐらいに食いついてきたな。
俺の出した予想の恥ずかしさの余り、赤面しながら怒鳴りつけてくる。
というか、よく知ってたな「失禁」なんて言葉。お兄さんはそっちにビックリだ。

まあそれはそれとして、普通の人間ならそんな簡単な話じゃないはずなんだがな。
それに、こんな状況下でそうやってちゃんと羞恥心を感じて怒れるあたり、アリサはかなりの大物だ。
なにせ、アリサは非日常の世界の住人でもなければ人生経験豊富な大人でもない。
にもかかわらず、きっかけがあったとはいえ、すぐに「本来の自分」を取り戻せるのは非常に稀有な資質だ。
本当に、そういうところはさすがだよ。お前のそういうところには、尊敬の念さえ抱いてるくらいだ。

などと心の内で感心していると、アリサがワナワナと震えだす。
「あ………アンタまさか、はじめからそのつもりだったわけ!?
 だとしても、もっとやり方ってものがあるでしょうが!」
「さて、何のことかな? ああそれと、あまり慌てていると図星を指されたようにも見えるぞ」
「…………こ、こぉのぉ…ヴァカァ――――――――ッ!!」
叫びながら、手近なところにあった小石を投げ付けてくるアリサ。
もちろんそんなモノに当たるはずもなく、ヒョイヒョイと気軽に避ける。
不味いな、こうやってからかうのが癖になりそうなくらい期待通りの反応だ。

そこですずかとアリサの足元に、白い魔法陣が出現する。
やっと、来たか。もう少し早ければ面倒がなかったんだがな。
「ちょっと士郎! 何よ、これ!!」
「安心しろ。それで安全なところまで行ける。というか、なぜ私を怒鳴る」
「うっさい! 何もかもあんたが悪い!! あと、その話し方なんか気色悪いからやめろ!!」
ははは、酷い言われようだ。俺はお前のことを心配してやっているんだぞ。
こんな心配のされ方は有難迷惑という気はすっごくするが、それでも気遣っているのは嘘ではない。
それとアリサ、人を指さすもんじゃないぞ。

「アリサ」
「何よ!!」
「すずかを頼むぞ。だいぶ消耗しているようだからな、君が………守ってやってくれ」
「………………………………………………………………………………当たり前でしょ。友達を見捨てるような恥知らずじゃないわよ、わたしは。知ってるでしょ」
「ああ、確かにその通りだ」
アリサもこれで大丈夫だろう。元から、アリサがすずかを拒絶するなどとは思っていない。
アリサは確かに俺たちの中で一番「普通」な、一般的な常識の世界の住人だ。
しかし、それでもアリサが「非凡」な人物であるのも事実。
頭脳をはじめとした「能力」だけでなく、その「人格」もまた。そして、この反応こそがその証左だろう。

だが、間が悪かった。こんなタイミングで知れば、誰でも混乱してしまう。
そうなれば、如何にアリサといえどすずかの手を払ってしまうかもしれない。
しかし、普段のペースを取り戻せたようだし、もう大丈夫だろう。

「士郎! それになのはとフェイトも!
 どういうことなのか、あとできっちりしっかり説明してもらうからね!!」
「え、えっと………なんだかよくわからないけど、頑張って! それとケガしないでね!」
「ああ、任せろ。ちゃんと守ってみせるさ」
「むしろアンタが危ない!」
「うん。二人とも、士郎君の事しっかり見張っておいてね!」
おいおい、俺はそんなに信用がないのか?
言いたいことだけ言って、二人は光りに包まれこの場から姿を消す。
あの二人、一度ゆっくり腰を据えてその辺を話し合う(追及してやる)必要がありそうだな。

そこで、なのはが二人の事で訪ねてくる。
「士郎君、ユーノ君に二人の事を任せた方がよくないかな」
「いや、それならリニスに任せよう」
二人のことは確かに気がかりだが、ここで戦力を減らすのは不味い。
今だって、決して楽観できる状態ではないのだ。
ここで戦力が減れば、均衡が破られて押し切られるかもしれない。
そのままエイミィさんに頼んで、二人をリニスの元に送ってもらう。
リニスは戦闘区域にいるわけでもないし、安全地帯にいるなら大丈夫なはずだ。

そこへ凛とアルフ、ユーノとクロノが合流する。
四人ともちゃんと防ぎ切ったようで、特に負傷らしきものは見受けられない。
「士郎・なのは・フェイト、アンタ達ちゃんと生きてる?」
「勝手に殺さないでくれんか。そう簡単に死ぬほど往生際は良くないつもりだよ」
ただ、凛のこの物言いには異を唱える。心配してくれているのだろうが、もう少し言いようがあるだろう。

それはなのはも同意見らしく、ふてくされたように抗議する。
「凛ちゃん、そんな縁起の悪い事言わないでよぉ……」
「まったくだ。撃たれたのがスターライト・ブレイカーだと、尚更シャレにならん。
 半年前にフェイトが味わった恐怖が、よくわかる体験だった。あんなものを使うのは鬼か悪魔の類だな」
「そうそう……………………………って、士郎君ヒドイ!? わたしは鬼でも悪魔でもないもん!!」
「ゴメンなのは、わたしは概ねシロウに賛成」
「フェイトちゃんまで!? ヴィータちゃんもそんなこと言ってたし、皆わたしの事なんだと思ってるの!?」
「「…………………………」」
俺とフェイトはあえて無言。その意味を察したなのはは、地面に「の」の字を書いていじけ出す。
だけどな、そんなこと言いつつお前も一度頷いたじゃないか。
それはつまり、自覚してるかどうかはともかく、そういう認識があるってことだろ?

「はいはい、漫才はその辺でいいわよ。ま、それだけ減らず口が叩けるなら大丈夫ね。
 あとなのは、ナックルパート逝っとく? ダブル? トリプル?」
「立ちます! 立ちますから、気合い注入はいりません!!」
う~ん、スパルタ。相も変わらず、凛の指導方針は鞭が九割である。

そんな(一応)微笑ましいやり取りを眺めていたいところではあるが、状況はそれを許してくれない。
「そこまでだ! 来るぞ!!」
こちらが無事を喜んでいる間にも、闇の書からの攻撃が来た。
無数のブラッディダガーが飛来し、全員が散り散りに避ける。

そこへ、闇の書自身があらわれ、先ほどの触手群を再度召喚する。
「まったく、鬱陶しい!!」
飛来する無数のダガー、そして蠢く触手。
その両者を投影した干将・莫耶で叩き落とし、時には避け何とか闇の書に近づこうとするが叶わない。
他のみんなも、それぞれ邪魔モノを排除しようとするが、後から後から湧いてきてキリがない。

「鋼の軛」
闇の書が次に使ったのは、いつかザフィーラが使っていた魔法。
いくつもの白い棘が地中から出現し、皆の動きを阻む。
考えてみれば、守護騎士を取り込んだ以上その魔法も使えて当然か。

それらを回避しつつ、なのはが再度闇の書への説得を試みる。
「もうやめて!! ヴィータちゃん達ははやてちゃんを助けたかった。間違ってたかもしれないけど、それでも頑張ってた。でも、今あなたのしていることは、それを無かったことにしようとしているのと同じなんだよ!!」
「私は、ただ主の願いを叶えるだけだ。いや、せめてそれだけでも為さねばならない。
私が主にして差上げられることはそれだけなのだ」
「そんな………そんな願いを叶えて、それではやてちゃんはホントに喜ぶの!」
迫りくるダガーと触手を撃ち落としながら、なのはが叫ぶ。

「心を閉ざして、何も考えずに主の願いを叶えるための道具でいて、あなたは………………それで良いの!!」
「何を言っている。我は魔導書、ただの道具だ。是非もない」
「だけど!!「ああ、それはそれで構わんさ。それも一つの在り方だ」…士郎君!?」
なのはの言葉に割り込む形で、俺は奴に向けて言葉を紡ぐ。
別に、奴のそういうあり方を否定するつもりはない。道具として、感情など持たずにあるのもいいだろう。
奴が道具というのも事実だ。奴がそれで満足ならそれもいい。

だが、そうでないのならそれを認めるわけにはいかない。
「一つ聞かせろ。お前はそれで良いのか? 己の手で主を殺してしまって」
「良いわけがない。許せるはずもない。
だが私が私を許せずとも、私が私をどれだけ呪っても………何も変わりはしない。
こんな壊れた私に出来ることはただ一つ、主のこの願いを叶えることだけ。
絶望に沈むこの身には、それがただ一つの答えだ」
「違うな。お前は絶望したんじゃない、絶望から這い出す事を諦めただけだ」
きっと、こいつはもうずっと昔から止まっている。
絶望に打ちひしがれ、そこから抜け出す努力を放棄し、眼を閉じ耳を塞ぐ。

こいつが、そこにたどり着くまでどれだけ足掻いたのかは知らない。
いったい何度儚い希望に縋り、いったい何度絶望に叩き伏せられてきたのだろうか。
確かにそれは、俺には理解の及ばない地獄のような苦しみかもしれない。
だがそれでも、目の前にある希望から目を逸らすなど認めない。

「同じことだ。どちらにせよ、この身が絶望に沈んでいることには変わらない」
「いいや、違うな。絶望したとしても、願望はなくならない。
 こうしたい、こうでありたい、こうあって欲しい。どんな状況にあろうと、欲が尽きることはない。
お前はただ諦め、自分の願いを抑え込んでいるだけにすぎん! ある筈だ、お前の本当の望みが……」
「そんなもの、元より持ち合わせてはいない」
「はっ! 笑わせるな!!
 では、なぜお前はこんな事をしている? はやては命ずる事無く、ただ『望んだ』だけなのだろう?
 にもかかわらず、お前は『命無く』その望みを叶えようとしている。それは、お前が、『そうしたい』からに他ならない。ならば、それこそがお前が自発的に行動する理由……即ち願望だ。
『持っていない』など、赤子も騙せん幼稚な嘘にすぎん。
思い出せ! その先の願いを、望みを! お前は、本当はシグナム達が……羨ましかったんじゃないのか?」
確信があったわけじゃない。だけど、こいつの眼を見ているうちに……そんな気がした。

はやてと言葉を交わし、共に歩み、主を守るために力を振るえた守護騎士たち。
それは彼らにとっての本懐。たとえ望まぬ状況であったとしても、充実したモノだったろう。
だけど、こいつにはそれが出来ない。願っても願っても果たされない。
それをしたくとも、こいつが目覚めた時にはすでに終わりは間近。
その上、自分の存在そのものが主を食い殺してしまう。
それは、どれほどもどかしく、どれほど悔しいことだろう。

「私は道具だ。そのような感情はない。怒りも、悲しみも、願望も、何もありはしない」
「泣きながら言っても、説得力に欠けるぞ」
「この涙は主の涙。涙を流す機能など、私にはない」
まったく、これは筋金入りだ。何と言っても頑として受けいれない。

凛はまとわりついてくる触手やダガーを外套の効果による空間歪曲で逸らし、時に魔力刃を出力したカーディナルで斬り落とす。
また、それらに向けて明らかに不必要なまでの火力の攻撃をしながら、苛立ったように声を荒げる。
「『Brennen Sie(劫火よ、), verbrennt alle Schmutzigkeit(不浄を焼き尽くせ)!!』
ああ、もう! ジメジメジメジメ、鬱陶しい!! アンタね、自分が道具だってんなら出しゃばり過ぎなのよ!
 はやてが望んだのは『悪夢であって欲しい』なんでしょ。
なら、はやてを眠らせた後は大人しくしてなさいよね!!」
いや、一応守護騎士達を傷つけた相手に復讐したいって思ったのかもしれないし。
さすがにそれは、無茶苦茶だぞ。

同時に、一条の金色の光が翔け抜け、全ての触手とダガーを切り裂き叩き落とす。
それは、マントを消しより身軽となった、「ソニックフォーム」のフェイトだった。
ただでさえ薄い防御をさらに薄くし、その代わりに頭抜けたスピードを可能にする諸刃の刃。
危ないから使うなって言ったのに、あんまり心配させてくれるなよな。

「悲しみなどない? そんな言葉を、そんな悲しい顔で言ったって………誰が信じるもんか!!
 お願い、止まって。わたし達がちゃんと、あなた達を助けるから……そうすれば、あなたの望みもきっと叶う」
一時の小康状態。その機を利用し、フェイトもまた心からの説得を試みる。

しかしそれも、突如立ち昇ったいくつもの火柱にさえぎられる。
「はやいな、もう崩壊が始まったか。私もじき……意識を失くす。そうなれば、すぐに暴走が始まる。
 ならせめて、意識のあるうちに主の望みを…………………………………………叶えたい。
 お前達の言う通りだ。確かに私にも望みがある。せめて、主の望みを叶えたという事実が欲しい。
それが…………私の望みだ」
うおぅ、トコトンなまでに後ろ向きだな、おい!?
まったく、こいつが闇の書なのは、その性質じゃなくて抱える心の闇の方が原因だろ。
……………………いったい、どれだけこいつの絶望は深いんだ。

とはいえ、このままでは埒が明かない。
時間も差し迫っているし、何か奴に隙を作らせる方法はないものか。
時間切れで何もできなかったでは、笑い話にすらならない。

さらに速くなったフェイトが相手を翻弄するも、決定的な隙が出来ない。
俺やクロノ、それになのはも援護射撃をするが、それでもなお不動。
ユーノやアルフがバインドで拘束しても、それらと並行しながらバインド破壊をしてのける。
凛も、いつでも突っ込める体勢を整えながら、その機を掴めずにいた。

しかしそこで、アルフが小声で俺に告げる。
「あたしが何とかする。そのあとは………頼むよ」
こちらからの反応を確認せず、アルフは狼形態を取り、顔が地につきそうなほど低く構える。
そうか! それならいけるかもしれない。

「凛! アルフに続いて突っ込め! フェイト、反対側から凛と同じタイミングで飛べ!!」
俺は矢継ぎ早に指示を出しつつ、アルフの邪魔をさせまいと彼女に迫る攻撃を撃ち落とす。

そうして――――――――――――――――アルフが消えた。
「なっ!?」
驚きの声は闇の書からのモノ。そのわき腹には、三本の鋭い何かで引き裂いた跡がある。
そしてその手前には、一瞬のうちに後ろからすれ違ったアルフがいた。

俺の眼で何とか動きを終えるような、そんな刹那の交錯。
周囲を囲む高層ビルや街灯を利用し、それらを蹴って一瞬のうちに奴の背後を取って攻撃したのだ。
事実、アルフの足跡を現わすように、幾つかのビルの壁面には破損が見られ、街灯も数本へし折れている。
アルフは確かに、殺人貴の得意としたあの動きの一端をここに再現した。
気配の消し方が甘いし、奴ならもっと迅く・巧く、そして静かに動けるだろう。
壁面や街灯の破損が、技の粗さを物語っている。

しかし未熟ではあるが、それでもアルフの技が活路を開いた。
「いまだ、行け!!」
俺が叫ぶのとほぼ同時。
凛とフェイトは一気に間合いを詰め、闇の書に飛びかかる。

フェイトと凛では、確実にフェイトが速い。
当然、闇の書へと到達するのもフェイトの方が先。
だが、それはわずかな違いに過ぎない。その僅かな違いが、時間差攻撃となりタイミングにズレを生む。
フェイトの攻撃をかろうじて防いだ闇の書だったが、それに半瞬遅れて近づいてきた凛には間に合わなかった。

凛の左手が闇の書に触れ、奴の体が電撃でも受けたかのようにはねる。
あらかじめ、はやてのうちに流し込まれていた魔力が活動を始めたのだろう。
魔術刻印の光りが増し、さらに凛の手から魔力が注ぎ込まれる。
あとは、このまま凛がはやてを起こし、管理者権限を握らせることができれば……。

しかし、それとほぼ同時にアルフが力尽きた様に道路に落ちた。
俺はそちらへと移動し、倒れたアルフに襲いかからんとする触手を排除しつつ、その様子を見る。
結論は、無茶な動きをした事による反動。この前も一度やったようだが、あの時よりひどい。
あの時は緊急避難的に咄嗟にやった程度だったのに対し、今回は渾身の力を振り絞ってのモノ。
おそらくはその違いだろう。

これで、アルフは戦線離脱か。魔法は使えるだろうが、体が戦闘に耐えられない。
そう判断し、アルフをこの場から退かせる。
「エイミィさん! 今すぐアルフの転送を」
『了解!』
「悪いね、こんなところで」
「気にするな、君は十分な働きをしてくれた。あとはこちらが何とかしよう」
アルフに心からの労いの言葉をかける。
正直、アレを教えはじめた時には、こんな形で重要な役割を持つとは思わなかった。
アルフの頑張りに応えるためにも、何としても……。

しかし、闇の書も一筋縄ではいかない。体に触れる凛を突き放そうと、緩慢ではあるが動き出す。
それを阻もうと、ユーノとクロノ、それになのはがバインドで、俺も投影した鎖で奴を拘束する。
力の限り引き、奴の動きを阻む。

だが、そこで俺たちはミスに気づく。
魔法を使うのに、別に体を動かす必要はない。
そして、バインドが使えるのはこちらだけではないのだ。

闇の書の背後から黒い光の帯が現れ、すぐ間近にいた凛とフェイトに絡みつく。
二人は何とかそれを振りほどこうとするが、予想外の強固さに辟易する。
「げっ!? 邪魔よ、この……!」
「か、硬い! このままじゃ……」
「お前たちも、我が内で………眠ると良い」
奴はそう言い、魔導書の方の闇の書が光を放つ。

なにをする気か知らないが、絶対にそれをさせてはいけない事だけは間違いない。
「させるか……ちっ、どけ!!」
だがそれも、こちらに伸びた光の帯に邪魔された。
迫る帯の数は十を超え、それらを叩き斬るうちに時間が過ぎる。

そして、闇の書が一際強い光を放った時、それは起こった。
「あ…なんかヤバいかも。士郎、あとは………………」
「闇に―――――――――沈め」
「「あ、ああああああああああああああぁぁぁあぁぁぁあぁぁ……!!」」
二人はそれぞれの魔力光に包まれ、光の粒となり消え失せる。

「凛!!」
「フェイトちゃん!!」
「全ては、安らかな眠りの内に………」
闇の書はそう言って瞑目する。

まさか、主以外も取り込めたなんて………誤算もいいところだ。
凛とフェイトという戦力を失った以上、このままだと相当厄介なことなるぞ……。

同時に、みんなの間で重い空気が充満する。
誰もが思っただろう。「凛が消えた以上、この計画は失敗だ。もう第二次ラインに賭けるしかない」と。
唯一人の例外を除いて。






あとがき

はっきり言いましょう、闇の書ハンパねぇ!!
物語の進行上仕方がなかったとはいえ、異常なまでの強さ。
ま、まあそれでこそロストロギアってことで……。
ただ、はやてがこの異常な強さを引き継ぐと問題ありますね。さすがに強すぎます。
まあ、夜天の書が消えてしまえば魔力はともかく運用面では能力の低下は免れませんから、それでいいのかな?
しかし、それだとリインフォースが……。

それはそれとして、スターライト・ブレイカーを防御した時ですが、実は他に二つくらい案がありました。
まあ、わかると思いますが「アイアス」と「アヴァロン」ですね。
アイアスの方は、どの程度の破壊に止めるかのさじ加減が難しい。
対して、アヴァロンの方は「遮断」であり、この世界における究極の護りって触れ込みなのでドラマがない。
そういうわけで、本来防御用ではないゲイ・ジャルグを使ってみました。
というか、魔力による直接攻撃にはアレが一番ですよね。
ちなみに、今回のアレは別に真名開放とかではありません。
常時発動型の宝具であるゲイ・ジャルグに真名開放とかってあるのかよくわかりませんけど。

ちなみに、グレアムが影も形も出てきてませんが、これは本局の方で拘束されているからです。
一応責任者と言うか主犯なので、ある程度予想していたクロノがあらかじめ手を打っていたと思ってください。
それにグレアムを押さえておけば、それは使い魔であるリーゼ達を押さえたのとほぼ同義ですからね。
リーゼ達を一時的に自由に動けるようにするための、「代償行為」的なものだと思っておいてください。
まあ、本当はこれ以上参加人数が増えると私の手に負えなくなる、というのが一番の理由なんですけどね。
あまりにも人数が多すぎて、書くのが大変なんですよ。これ以上増えたら、もう許容量を超えてしまいます。
いや、結局は愚痴なんでしょうけど……。



[4610] 第37話「似て非なる者」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:fd260d48
Date: 2010/01/26 01:01

SIDE-ロッテ

戦闘区域上空で、万が一に備えて私たちはデュランダルの準備中。
眼下では、凛をはじめとした子どもたちが、闇の書相手に熾烈な戦いを繰り広げている。

しかし、アレだけの面子が揃ってもなお、覚醒した闇の書に手古摺らざるをえない。
それは仕方ない。はじめからわかっていたことだし、計画なんてのはいつだって順調には進まないもの。
でも……………中でもこれは最悪だ。
「これは、さすがに不味いかもだね」
「ああ、肝心の凛がこれじゃ………」
この計画の最大の要は凛だ。他の面子は、それこそいくらでも代用がきくけど、凛と士郎だけはそうはいかない。
そして、凛がいなければ八神はやてに闇の書の管理者権限を握らせることも不可能。
あの子が八神はやてを起こし、管理者権限を掌握させるバックアップをするのが計画。

その凛を闇の書の中に取り込まれてしまった以上、最善策はもう使えない。
となれば、次善の策。八神はやてと闇の書の繋がりを断つ。
これに関しては、凛から士郎が接敵できれば可能だと聞いている。
凛は取り込まれてしまったけど、士郎はいまだ健在。
なら、ここはアイツに任せるしかないか。それなら、少なくとも八神はやてだけは救える可能性が残る。
そして、こうなった以上いよいよ私らの出番が近い。

しかし、そう思っていた矢先にエイミィから通信が入る。
『リーゼ、聞こえる?』
「ああ。で、どうするんだい? やっぱり、予定通りこのまま第二次ラインに移るんだろ?」
『いや、それが………』
エイミィの歯切れは悪い。言いにくそうにしている……というよりも、困惑しているという方が正しいかな。

そうして聞かされたのは、予想だにしない事だった。
『それが………士郎君はこのまましばらく様子を見るって』
「はぁっ!? 何バカなこと言ってんだよ! 凛がやられた以上………」
『そ、そうなんだけど……士郎君が言うには、もう凛ちゃんの仕込みは動いているはずだから、ギリギリまで待つって。
それに、第二次ラインの作戦は触れられる距離まで近づけば一瞬でケリがつくから、暴走開始ギリギリでも問題はないらしいの』
ちぃ、アイツらの秘密主義にも困ったもんだ。
計画の内容は知ってたけど、実のところその詳しい方法まではほとんど知らされていない。
凛の仕込みが一度動き出せばそのまま勝手にやってくれるなんて聞いてないし、士郎のそれが具体的にどういうモノなのかまでは全然話してないからね、アイツら。

凛の奴は、ただ「そういう事が出来る」としか言わなかった。
さすがに、仕込みが動き出したらすぐさま効果が出るとまでは思ってなかったけどさ。
アイツらがそういう奴らだっていうのは知ってたけど、もう少しこっちを信用しろよな。

(………って無理か。自分たちがやってきた事とか考えると、文句を言いづらいんだよね)
弱みを握られてるのはこっちで、従わないなら計画前にクロノ達にバラして邪魔させるぞ、とか言って脅すし。
アイツの言うとおり、別に私たちは絶対いなきゃならない存在ってわけでもないんだけどさ。
凛の奴、絶対ロクな死に方しないね。

「じゃあ、このまま適当に距離を取って様子見に徹するって事?」
『えっと、それが一番なんだろうけど……無理っぽいかな。
 闇の書はまだなのはちゃんを狙ってるみたいだし、もう仕込みが動いているとはいえ、凛ちゃんやフェイトちゃんをあのままってわけにも…………』
なんでも、二人のバイタルはまだ健在で闇の書の内部空間に閉じ込められただけで、命に別条はないらしい。
まだ救出手段は検討中だけど、だからと言って放置ってわけにもいかない。
それに、私らのせいではあるけどまだ闇の書はなのはを攻撃中。
となれば、様子見に徹したくてもそれもできないか。

『それと士郎君が………』
「言っとくけど、私らは手が離せないよ。
極大凍結の準備は整ってるけど、あんなのと戦いながらそれを維持するなんて無理。
出来るとしたら、ちょっとした小技だね」
『いや、それでいいみたい。ほら、火柱が立ってるのって市街地でしょ?
 あれで火災も起きてるみたいだから、それの鎮火とか頼むって。
 ボウッと突っ立ってるんじゃなくて、少しは働けってさ』
いや、まあ準備が整っちゃってからは、確かに何もしてないようなモノだけど。
それは単に「しない」んじゃなくて、「できない」んだってわかってるだろうに……。
あのガキ、まさかアバラへし折った時の事恨んでるんじゃないだろうね。
…………………………………………………恨んでるかな?

とはいえ、確かに今できることと言ったらそれくらいか。
「………ふぅ、オッケー。こっちは任せな。ただし、これ以上市街地ぶっ壊されて仕事を増やされても迷惑だから、やるならもっと海の方でやって欲しいんだけど?」
『ああ、それはもうクロノ君と艦長の方から指示が出てて、そっちに闇の書を誘導中』
「了解。ついでに士郎の奴に、デカイ口叩いたんだからしっかりやれクソガキって伝えて」
せめて、これくらいは言っても罰は当たらないだろう。
ま、仮に当たるとしてもそんなもの糞喰らえだけどけどね。

『あ、あははは。リーゼ、士郎君のこと嫌い?』
「いや、別に。こういうやり取りも、それはそれで楽しいしよ」
「私も嫌いじゃないね。むしろ、やることをきっちりやる奴は好きだよ。ただ………」
『ただ?』
「「アイツに命令されるのは、なんかムカつく」」
嘘偽りのない正直な感想は、アリアと見事にハモった。さすが双子、息がピッタシだ。
っていうか、私らの方が年上なんだから、もう少し敬えっての。

ま、やることやって、きっちり八神はやてを救ってくれるのなら、その位我慢するのなんて安いモノだけどさ。
それこそ、なんならこの先ずっと下っ端扱いだって構わない。
だから、頼むよ。ちゃんと………………あの子を助けておくれ。



第37話「似て非なる者」



SIDE-士郎

凛とフェイトが闇の書に取り込まれたあと、俺たちはこの場で戦い続けるのは不味いと言うクロノの指示で、海岸か海上に戦場を移すべく、闇の書を誘導しながら移動している。
なんというか、戦いながらアレを誘導するのは酷く厄介だ。
離れ過ぎれば広域攻撃が来るし、近すぎればまた取り込まれてしまうかもしれない。
適度な距離を保ち、徐々に海へと近づいていく。

クロノ達は、はじめ凛が囚われたことで次善の策に移行しようとしていた。
本意ではないだろうが、そう判断せざるを得なかったのも無理はないだろう。
なのはなどはそれに反対し、なんとか二人を救出してもう一度やろうと主張した。
あるいは、それが無理でもなんとか闇の書に止まって貰ってはやてを起こそう、と。

俺は俺で、まさかこんなことになるとは思っていなかっただけに、当初は先走りそうになる自分を抑えるのに苦労した。しかし、凛は確かに安否不明だが、それは同時に致命的な事態に陥ったとも限らない事を意味する。
むしろ、ここで闇の書に致命的なダメージを与えれば、それこそ凛やフェイトを救えなくなるかもしれない。
それが歯止めとなり、なんとか自制心が働いてくれた。

そして、後にエイミィさんからもたらされた情報は、二人が一応無事であることを示すもの。
とはいえ、それでも不安や焦燥を覚えないわけではないが、希望があるのも事実。
ここで我武者羅に挑みかかっても、事態は好転しない以上軽率な行動はできない。

そうして葛藤しているうちにも議論が紛糾しそうになるが、そこで幾分冷静さを取り戻した俺が止めた。
皆は知らないことだろうが、凛が昨晩はやてに呑ませたのは、凛の宝石とそれを溶け込ませた水。
それらの宝石には、あらかじめ凛の魔力だけでなく、いくつかの魔術も付加してあった。
仕込みを発動させた後も凛がバックアップをするのが理想的だが、何らかのトラブルで出来なくなる可能性は無視できない。そこで、その時のためにいくつかの保険が掛けてある。
それらは、凛が魔力を流し込んだと同時に起動したはずだから。

今の凛の状態は正確には不明だが、念話やラインの繋がりは閉ざされている。
中に取り込まれた状態でもバックアップはできるかもしれないが、中の様子が分からない以上何とも言えない。
となると、今の頼みの綱はその保険。
あれが上手く動いてくれれば、はやて諸共凛とフェイトも助けられるかもしれない。

タイムリミットは、闇の書の暴走が始まる直前まで。
「破戒すべき全ての符(ルール・ブレイカー)」は即効性だ。
刃を突き立て、真名を解放すればすぐさま効果を現わす。
だから、そこまでは待てる。それまでに、何とかはやてに管理者権限を握らせて欲しい。

そのためにも、やはり凛とフェイトの救出が急務だ。
保険が動いてくれているはずとはいえ、凛が直接やってくれた方が可能性は増す。
ならばどうやって二人を助けるかだけど、さしあたってできそうなのは魔力ダメージによるショック。
というか、それ以外に特に当てがないだけなんだが。

そうして、場面は海岸線へと移る。
「さて、これで市街地の被害拡大はないだろうが……………どうしたものか」
そう呟き、俺は海上へと目を向ける。
そこでは、なのはとクロノが闇の書相手に大立ち回りを演じていた。
ユーノも、バインドや防御魔法で二人を支援する。

引き換え、俺に出来る事と言えば砂浜から矢を射て、闇の書の邪魔をするくらい。
つまり、相変らず俺はこの戦いにほとんど絡めていないという事だ。
戦闘参加者全員が空戦タイプの中、俺一人だけが飛行能力を持たない。
そんな俺に対し、闇の書がわざわざ間合いを詰めてくるはずもなく、俺の攻撃はほとんどが弓による狙撃に限定される。あるいは、時折例の触手があらわれるので偶に双剣でそれらを斬り伏せるくらいだ。

狙撃による攻撃が無意味とまでは言わないが、やはり効果は薄い。
宝具級の矢ならいざ知らず、あの膨大な魔力にあかせた防御が相手だと、通常の矢を強化した程度では弱いのだ。
その上、なかなか矢が中るイメージを見いだせないのだから、本当にたまったものではない。
市街地ではそこまで動き回りはしなかったが、今は違う。自由に動き回れる分、その機動が読み切れない。
中るイメージさえ見えれば当たるとはいえ、そもそも見えなければ意味がないのだ。
さっきからずっと外れるイメージばかりで、射る機会が巡ってこない。

「宝具を使えば起死回生の一手にもなるが、『破戒すべき全ての符(ルール・ブレイカー)』のために一回分は残さねばならん。
 となると、残るは一回分。問題は…………使い所か」
やはり、ネックは魔力量だな。俺単独だと、どうしても慎重にならざるをえない。
凛からの魔力供給があれば多少の乱発は問題ないが、今はそれがない以上その一回が戦況を左右する。
「破戒すべき全ての符(ルール・ブレイカー)」など、使わないに越したことはないんだがな。

だが、俺以外にとっては地形が変わったことはプラスに働いている。
凛とフェイトが取り込まれ、アルフも脱落して事実上戦力は半減状態。
それでも何とか拮抗していられるのは、地形が変わったのが大きいか。
遮蔽物がなくなり空間を広く使えるようになった分、三人の動きが良くなった。

このままでもしばらく保つだろうが、暴走まで時間がないか。
それに、前衛がいなくなった分、なのはやクロノにかかる負担も大きくなっている。
やはり、多少地形が良くなった程度で易々とどうこうできる相手でもないか。

事実、たったいまシールドを破られたなのはが海に叩きつけられた。
「不味いな…………ユーノ! アレを頼む!!」
「え? アレって……わかった!」
いつまでもこうして支援に回っていても、これ以上状況が良くなる兆しが見えない。
ならばと、ユーノにあらかじめ頼んでおいた魔法を使ってもらう。

そして、一端闇の書から距離を取ったユーノがそれを行使する。
「チェーンバインド、多角射出!」
海上のいたるところに淡い緑色の魔法陣が発生し、そこからチェーンバインドが伸びる。
あるモノは海に突き刺さり、あるものは互いに絡まり合う。
そうして、淡い緑色の鎖が蜘蛛の巣のように縦横無尽に張り巡らされ、巨大な「檻」が出来上がった。

「なのは! クロノ! 私が前に出る、外から援護を!!」
檻の中にいる闇の書に向け、俺もまた檻の中に身を投じる。
この鎖の檻は、奴の動きを制限し閉じ込めるだけでなく、俺にとっての足場となるのだ。

鎖の一本に着地し、そのまま鎖の上を駆けて接敵する。
「選手交代だ。ここからは、私に付き合ってもらおうか!」
インビジブル・エアで不可視化した双剣を手に斬り掛かり、檻から脱出しようとした闇の書を阻む。

しかし奴は、不可視の剣を当たり前のように見切ってかわす。
「なに!?」
別に剣が回避されること自体は驚くに値しない。
如何に見えぬ剣とはいえ、そのサイズには限りがある以上その間合いより離れてしまえば回避は出来る。
あるいは、武器の軌道から外れてしまえば鞭の類でもない限り問題はない。

だが、今奴がしたのはそんな生易しいモノじゃない。
闇の書は今、ミリ単位で“見切って”避けたのだ。
そんな真似、勘や偶然で出来るものじゃない。

それを確かめるため、さらに畳みかけるように剣を振るう。
時に胴を薙ぎ、時に唐竹で振り下ろし、あるいは突きを放つが、その尽くが紙一重で避けられる。
「貴様、見えているのか?」
「お前の透過は不完全だ。赤外線や周囲との温度差までは偽装しきれていない。
 ならば、私はそれを視てやればいい」
なるほど。「見ている」のではなく「視ている」のか。
人間の目には見えないが、奴は魔導書。なら、そんなモノを視ることもできたとしても不思議はないな。

それにしても、「不完全」とは手厳しい。しかし、言っていることはもっともか。
人間相手なら光の屈折操作だけでも問題ないが、専用の道具でも使われればすぐに化けの皮がはがれてしまう。
そんな半端なことでは、確かに不完全と言われても仕方がない。
これは忠告として受け入れ、精進するべきだな。

とはいえ、こいつ相手にインビジブル・エアが無意味なのは間違いない。
それどころか、この分だとグラデーション・エアにまでダメ出しを受けかねないな。
まったく、ほんのささやかなモノとはいえ、こちらの自信を呆気なく打ち壊してくれる。

しかし、無意味なモノに魔力を割いても浪費でしかないな。
インビジブル・エアを解除し、干将・莫耶を晒す。それを見て、奴の目が僅かに細められたのが妙に気になった。
「忠告痛み入る。では、その礼だ。私も一つ、君に忠告してやろう」
「なに?」
「たいしたことではない。君に道具を名乗る資格はない、ただそれだけのことだ」
先ほどまで無表情の見本のようだった闇の書の顔に、僅かに怒りの色が浮かぶ。
やはり、そこが奴の狙いどころか。これまでのやり取りで、奴にとっての怒りのツボは概ね把握した。
ここでそこを突き、怒りの矛先を俺に向けてやって攻撃を集中させれば、なのはたちの危険も減る。
いつまでも子どもたちに危険な目にあわせていては、年長者としての立つ瀬がないからな。

再度間合いを詰め、俺は双剣を、奴は両の拳を振るう。
だが、双方共に譲らず、互いの剣と拳は眼前の敵の体にまで届かない。
「どういう意味だ?」
「簡単な話だ。主を害する道具など道具とは呼ばん。
そういうのはな、『欠陥品』あるいは『粗悪品』と呼ぶのが正しい日本語だよ。
君がそうでなくて、いったい何がそうだと言うのかね?」
内面の苦々しさを押し殺し、表面的には嘲笑するように奴に笑みを向ける。
奴もそれでいいと思ってないのはわかっているけど、だからこそ奴にとって最も触れて欲しくない点だろう。
そんなところを突くことに罪悪感がないわけではないが、それでもこれで奴の意識がこちらに集中するのなら……。

そして案の定、闇の書………夜天の魔導書は怒りにその身を震わせる。
「お前に………お前に何がわかる! 私が……望んで主を殺そうとしているとでも言うのか!!」
その怒声とともに、闇の書は高速移動系の魔法で一瞬にして間合いを詰めてくる。
そのまま怒りに任せて振るわれた拳には、溢れんばかりの魔力が込められていた。
それが、何よりも奴の怒りの程を物語っている。
だが、いくら速くても冷静さを欠いているが故にそのモーションは単調で、動きを読むのは容易かった。

一瞬で間合いを詰められ回避は間に合わない。しかし、それを盾で受け止めつつ後方に飛んで威力を殺す。
「かはっ!?」
にもかかわらず俺の体は弾き飛ばされ、口から肺に貯まっていた空気の塊が吐き出される。
盾による防御と後方への退避、そのどれか一つでも間に合わなければ死んでいたかもしれないな。
事実、フェイカーには僅かにヒビが入っている。かなり頑丈なはずなのに、衝撃を逃してもこれか。

後ろに飛ばされながらも、手近なところにあった鎖を掴んでそれ以上飛ばされるのを防ぐ。
ぶら下がった状態のままでは格好の的。逆上がりの要領で体を回転させ、再度鎖の上に立つ。
「………ふぅ、図星を指されて激昂したのかね? 少なくとも、主を殺すのをやめようとはしていないようだが」
一度痛い目にあいながらも、懲りずに挑発を続ける。
それにしても、何が「感情などない」だ。そうやって、怒れるじゃないか。

鎖の上を駆け、時に別の鎖へと飛び移り、間合いを詰めていく。
並行して闇の書から放たれるダガーを叩き落とすが、檻の外からも二色の魔力弾が侵入し打ち漏らしを落としていく。なのはとクロノが、上手いことやってくれているのだろう。
そんな心強い援護射撃に頼もしさを感じつつ、体勢を低くして懐へと潜り込む。

そのまま、すれ違いざまに斬り抜けようとするも、寸でのところでかわされ剣は空を切る。
「なら、お前はどうだ。老若男女の区別なく殺し、命乞いをする者を淡々と斬り刻んだお前は、一体なんだ」
「…………何のことだ?」
正直、思い当たる節は多々ある。
前の世界では、およそあらゆる年齢・人種の人間を殺めたと言っても言い過ぎではない。

未だ薬の開発されていない凶悪な伝染病に感染した親子を、復讐にかられ村一つ滅ぼそうと暴走する老人を、より多くを救うためという言い訳の元で斬殺した。
あるいは、飢餓から来る栄養失調で余命幾許も無い青年を、半身が吹き飛ばされた事に気付かず助けを求める盲人を、救える者を救う時間惜しさに見捨てた事もある。
自分でも愚かな事だと、罪深い人でなしの所業だと思う。人の命を、そうやって計測するなど傲慢の極みだ。
罪に対する罰を迫られれば甘んじて受け入れるつもりだし、悪魔と蔑まれるのも当然だろう。

しかし俺はこの世界で、こいつや守護騎士たちの前でそれをしていないはずだ。
それなら、こいつがそんなことを知っているはずがない。
「憶えていないのか、それとも本当に違うのか……いや、私がお前を見間違う筈がない。
私が欠陥品なら、お前は血も涙もない『外道』ではないか!!」
言っている意味はわかる。俺がその名にふさわしい非人間だと言う事も事実だ。
だが、闇の書の言うことへの心当たりがない。一体こいつは、何のことを言っているんだ?

しかし、その間にも戦いの手が止まることはない。
奴は完全に攻撃の照準を俺に向け、ダガーによる牽制をしながら殴りかかる。
「憶えていないなど、知らぬなど認めない。
 お前は、その力の限りを尽くして全てを滅ぼした。七百年前のあの日」
七百年前? こいつの言っていることが何一つとして理解できない。
如何に俺が人形の体を持つとはいえ、七百年も前に存在する筈がないではないか。

困惑が俺の心を占める。言っている意味はわからないのに、俺の中の何かがそれを受け入れていた。
そのことが、より一層俺の中の混沌を大きくする。それにより隙が生じ、奴の拳が目の前にまで迫っていた。
「ちぃっ!!」
意図的に足を踏み外し、鎖からの自由落下を試みる。
結果、自殺行為とも言えるそれにより、ギリギリのところで奴の拳を回避できた。

大威力の砲撃や空間攻撃でもされれば一巻の終わりだが、今のところそれはない。
闇の書の行動パターンに段々とみんな慣れてきたおかげだ。
完全には読み切れないが、感情を僅かでも表すようになったおかげもある。
大威力攻撃に出ようとしても狙い澄ましたようなタイミングで邪魔が入ることで、術を封殺できているのだ。

とはいえ、だからと言って余裕があるわけでもない。
大威力攻撃を封じても、こいつは十分過ぎるくらいに強い。
このまま自由落下を続けても、それこそ良い的だ。

故に、直下にあった鎖に着地する事で落下を終える。
そのまま再度接敵することはせず、距離を保ったまま奴に向かって抗議の視線を向けて口を開く。
「まったく、わけのわからん話をゴチャゴチャと。
心当たりのある事ならいざ知らず、身に覚えのない罪を問われるのはさすがにいい気分はせんぞ。
冤罪は勘弁してもらいたいのだがね」
それはそれで前の世界で経験済みなだけに、嫌な記憶が蘇りそうだ。

そのまま鉄甲作用を付加した黒鍵を投じるも、奴は難なくそれを回避し俺の言葉を否定する。
「冤罪だと? 違う。あの時と体格こそ違うが、お前は紛れもないあの時の『赤き騎士』だ。
 お前の振るうその剣も、お前の使うその魔術も、その眼や髪・肌の色は奴と同じもの。
 なによりお前のその太刀筋は、奴のそれと寸分違わない」
なんだ、この違和感は。初めて奴が俺に向けて言葉をかけてきた時から、ずっと感じてきた違和感がある。
奴が俺の事を知っているかのように話すのはいい。守護騎士たちとリンクしているらしいし、そのせいだろう。
だが、どうして奴は、俺にその「赤き騎士」とやらの影を被せるんだ。
それほどまでに、俺とそいつは似ているのか?

……………………………………………いや、待て!
奴は、同じ剣、同じ魔術、同じ太刀筋と言わなかったか。
目や髪、肌の色が同じ程度に似ているなら、そんなのはいくらでもいるだろう。
広い世界・長い時を巡ってきたのなら、俺の容姿など特筆すべきものではないはずだ。
俺のこれは、あくまで「日本人」としては珍しい程度なのだから。
だが、俺と同じ剣や魔術、太刀筋の三つが揃った人間などいる筈がない。

この剣は干将・莫耶。地球の中国で生まれた剣。次元世界を放浪していたこいつが目にする機会などあるのか?
魔術にしても、この世界に魔術がないのはアイリスフィールの素性を明らかにした事で改めて確定した。
仮に過去魔術が存在していても、実戦で投影なんて使う奴がいたとは思えない。通常の投影なんて、役立たずの代名詞なのだから。
太刀筋にしてもそう。俺のこの剣は、ほぼ完全に我流。
いや、同じような剣術に行き着く位ならいい。しかし、同じ流派でも個々人で異なる太刀筋まで同じなどあり得るのか?

それら一つ一つでもおかしいのに、その三つが揃い踏みだと?
それは、一体どれだけ途方もない確率の偶然だ。そこまでくれば、この出会いは必然のレベルだぞ。
……………………って、ああ、一人だけいたな。
その三つ全てが符合して、七百年前にもいそうな奴。
まさかアイツ、こんなところでも後始末をさせられているのか?

できれば、俺の思い過ごし、奴の勘違いであってくれるといいんだが。
何となく、俺はすでにその可能性を受け入れ、事実として受け止めようとしていた。



Interlude

SIDE-はやて

深い深い暗闇の中、体に電流を流されたかのような衝撃が走った気がして、わたしは目を覚ました。
(ここは…………どこ? わたし……………なにしてたんやったっけ?)
あかん、頭がぼうっとして考えがまとまらへん。

ああ、せやけどなんて……………
「………………眠い……………眠い……………」
どうしようもないほどの眠気のせいで、今にもまた眠ってしまいそうや。
このまま眠ってしまえたら楽やのに、なんやこのまま眠ったらあかんような気もする。
わたしは何か、大切なことを忘れてるんやないやろうか?

そんな気がして、わたしは重い瞼を何とか開ける。
そこには見覚えのない筈の………………せやけど、どこか懐かしいような感じのする人が立っていた。
まるで、ずっとずっと一緒におったかのような安心感が、心を満たす。

……………………………………ああ。そういえば、わたしのすぐそばに、よく似た人がいたはずや。
流れる清流の様に綺麗な長い銀髪、まるで宝石のように澄んだ輝きを宿す深紅の瞳。
それらは、わたしにとって良く見知ったモノ。でも、顔立ちや雰囲気はその人とは似ても似つかへん。
あの人は、わたしの全てを包み込む様な温かさがあった。
でもこの人からは、静かで深い…………哀しみを感じる。
わたしの眼には、まるでこの人は今にも泣き出しそうに見えた。

幾度も落ちそうになる瞼と意識。それをその都度押し上げているうちに、その人が口を開く。
「そのままお休みを、我が主。あなたの望みは、全て私が叶えます。目を閉じて、心静かに夢を見てください」
その声に後押しされるように、わたしのなかの睡魔が力を増す。
やっとの思いで開いていた瞼も、まるで何十倍も重くなったかのように感じる。

でも、その人の言ったある一言が心に引っ掛かった。
(…………………………望み? 望みってなんや? わたしは、何を望んでたんやったっけ?)
望みはあったはず。せやけど、霞がかかったようにぼんやりとした頭は、それを思い出せへん。
なにか、とても大切な望みがあった気がするのに、それが何だったのか分からない。
思い出せへん筈がない。だってそれは、ついさっきまでかなっとった筈や。

そのことをどうしても思い出したくて、落ちそうになる瞼を必死に堪える。
これでも、我慢は得意や。少しの間位眠いのを我慢する位、なんてことない。
せやから、何としても思い出さな。それを思い出せへん事に比べれば、睡魔に耐えるくらい訳ない。

「悲しい現実は全て夢となる、安らかな眠りを貴女に。その中に、貴女の求めた幸福があります」
(それが、わたしの望みなん? 本当にわたしは、それを望んどったんか?)
どうしても、そのことに違和感をぬぐえない。
違うって、心のどこかで何かがそれを否定しているよう。

その何かを掬い上げようと、自分の心の中を必死に探す。
「夢は終わりません。夢には現し世の様な縛りもありません。夢は無限。なら、いかなる幸せも……………」
「う~ん…でも、夢はいずれ醒めるものよ。それに、いつも同じ様な夢ばっかりじゃさすがに飽きるでしょ。
 人生には適度な刺激があった方が楽しいって知らないの?」
わたしの後ろに人の気配が生まれたかと思うと、その気配の主が目の前の人の言葉を否定する。
いや、否定すると言うよりも、呆れ果てているという印象が強い。

目の前の銀髪の女性の顔は驚愕に歪み、わたしの背後を睨みつける。
「っ!? 何故お前がここにいる! ここは私と主だけの世界の筈!! いったい、どうやって…………」
姿は見えへんけど、わたしのすぐ後ろまで歩み寄ってくる足音がした。
同時に、まるでその反応が愉しくて仕方がないという風に、「クスクス」と小さな笑い声が聞こえてくる。

そうして、ヌッとわたしの横から手が伸びてきたかと思うと、その手は優しくわたしの頭の上に置かれた。
まるで、「よく頑張った」と褒めてくれるかの様に、その手はゆっくりとわたしの頭を撫でる。
その感触がこそばゆくて、知らず知らずのうちに顔が熱くなるのを自覚した。

そして、そのままその人は歩みをすすめわたしの隣にまでやってくる。
まず眼に入ったのは、鮮烈で目が覚めんばかりの「赤」。

いつの間にか、わたしの眠気は晴れていた。

Interlude out



SIDE-士郎

戦いは、一時の小康状態に入った。
俺は慣れない鎖の上での戦闘に息が上がり、奴は全てを話すまで生かしておいてやる、とばかりに俺を見下ろしている。
この状態こそが、この戦いの形勢を物語っているな。

ひと思いにバッサリと大怪我の一つでもさせられれば楽なのだが、なかなかそのチャンスが巡ってこない。
その上、仮にチャンスがあっても迂闊に斬り捨てるわけにもいかないのが困る。
なにせ、アレはまがりなりにもはやての体をベースにしているのだ。
ここで腕を斬り落としたり、あるいは胴体を深々と斬り裂いたりすれば、それだけで致命傷になりかねない。
闇の書からはやての救出はできましたが、致命傷を負っていてその後まもなく死亡、では話にならないのだから。
その上、凛やフェイトの事もある。見方によっては人質を取られた様なものだし、これでは滅多な事はできない。

なのはたちの様に魔力ダメージのみの攻撃ができれば気兼ねなくやれるが、そんなことを言っても無駄だ。
できないわけではないが、こいつ相手に決定打を与えられるほどの魔法と魔力が俺には無い。
まあ、ないものねだりをしても仕方がないし、今あるもので何とかするのが人生。
やるとすれば、なのはとクロノにそこを任せ、俺は二人の全力攻撃が当てられる状況を演出することか。

とはいえ、底なしの魔力とスタミナを持つこいつを相手に、それをするのは至難の業。
それどころか、俺自身いつまで保つか。ダメージは着実に蓄積し、スタミナも魔力もどんどん減っていく。
いい加減、ここらで勝負に出るべきかもしれないな。

そうして、俺がなんとか形勢をひっくり返す手を講じていると、闇の書は再び口を開く。
「まだ否定するか」
「知らんと何度も言っているだろう。
そもそも、常識的に考えて七百年前に私の影も形も無いことくらいわかりそうなものだがね」
そう、それが常識の範囲内ならな。
とはいえ、その七百年前にあった何かが抑止力が働くような状況だったとしたら、常識も何もあったモノではないが……それなら辻褄もあう。

そう、初めのうちは信じられなかったが、よくよく考えてみればあり得ない話ではない。
闇の書の暴走は、世界の破滅の危機さえ引き起こすと言う。
ならば、抑止力が………カウンター・ガーディアン(抑止の守護者)が動いても不思議はない。
なにせ、前の世界とこの世界は同じ魔術基盤を共有している。
それはつまり、世界の根幹の部分が同じである可能性が高いという事だ。
この推論が正しいとすれば、それは同じ幹から枝分かれした別の枝のような関係だろう。
それなら英霊の座から守護者が呼び出されることも、呼び出された守護者が奴であったとしても、あり得ないとは言い切れないのだ。

だから、こいつが俺とその「赤き騎士」とやらを同一視するのは、もしかすると至極当然なのかもしれない。
だが、例えそうであったとしても認められない事がある。それが、奴に関わることであるなら尚更だ。
「なんと言おうと、確かにお前はあの場にいた。それが変わるわけではない。
今でも良く憶えている。誰よりも絶望に沈んだ眼で数多の命を刈り取り、私と騎士達を…………そして、主を蹂躙した」
如何に闇の書といえど、さすがにカウンターガーディアンには勝てなかったか。
いや、そもそも抑止力は確実に対象を上回る規模で発生する。なら、勝てないのが当たり前だな。

すべて仮定の話だが、割と信憑性はありそうだ。
ジュエルシードの事を考えると、ロストロギアの暴走にはそれだけの危険性がある。
それに、それならシグナムが鶴翼のほとんどを読み切ったことも納得がいく。
正直、最後の一手さえもまがりなりにも反応されたのには驚いた。
おそらく、シグナムと戦った時にはオーバーエッジまでは使わなかったのだろう。
それが、最後の最後で読み切れない一手となったのだと思う。

しかし、こいつの言う「赤き騎士」がエミヤだったとしても、俺は闇の書の言う事を受け入れるつもりはない。
如何に似てようと、たとえ俺と奴が同じ起源を持つ同位体であろうと、それでも俺と奴は別の存在なのだから。
「何度も言うが、生憎と人違いだ。
どれだけ貴様が証拠を提示しようとも、私はそこを引くわけにはいかんな!」
元は同じ「エミヤシロウ」だが、これだけは絶対に認められない。
それは俺が俺であるために、何があろうと譲れない境界線。
殺戮を行った事ではなく、命乞いを無視した事でもなく、絶望に沈んだ眼をしていた事が、だ。

十年前、俺は奴のようにはならないと誓った。「衛宮士郎」は、決して「エミヤ」にはならぬと誓ったのだ。
例え同じ道を歩み、全て(理想)に裏切られても、それでも後悔だけはしないと。
俺は自分の末路を知っていた。それでも、自らその道を突き進んだ。それが、間違っていないと信じたから。
報酬など不要、感謝も不要、欲しいのは救われた命があるという事実、誰もが幸福だという結果、ただそれだけ。
泣いている誰かを見たくないだけ、理由なんてその程度のもの。そんな理由で、命を賭け続けたのだ。

いや、それも違うか。きっと、本当はそんな御大層なモノじゃない。
ただ綺麗だったから憧れた。かつて俺を救ってくれた切嗣の様になりたくて。
そうやって人を救い続ければ、いつかあの時の切嗣の様に笑えるかもしれないと、そう思ったから。
だから、全てが借りものでもよかったのだ。

アレから十年、数多の戦場を駆け抜け、幾度となく奴と同じこともした。
誰も死なさないようにと願ったまま、大勢のために一人に死んで貰う。
誰も悲しまないようにと口にして、その陰で何人かの人間には絶望を抱かせた。
そして死んだ。いつか見たあの赤い丘で、敵とかつて助けた人たちの手で息絶えた。
わかっていたことであり、それでもなお進んだ結果なのだから必然の結末。
そのことに後悔はない。卑小な我が身ながら、それでも救えた命もある。その事実だけで満足だった。

心の中をさまざまなモノが駆け巡り、知らず知らずのうちに口から言葉が溢れる。
「それに、絶望だと? はっ、笑わせるな!
 ならば良く見てみろ。私の眼に絶望が有るのか否か、それこそが証拠となろう!」
俺は奴とは違う。この身に絶望などなく、あるのは新たな夢。
かつての夢と比較しても劣らぬほど輝き、故に遠い夢。絶望になど、身を浸している暇はない。

アレは、俺などには過ぎた結末だったろう。
その道の果てには何もなく、奴の様にただ空虚に孤独な死を迎えるものと思っていた。
何一つとして本物を持たない偽りの様な人生だったはずなのに、最後の最後で本物を手に出来たのだ。
いや、違う。手にしたんじゃない。もう、ずっと前からこの手にあったのに気付かなかった。ずっと見ようとしなかっただけだ。
それは、宝石のような輝きを放つ宝物。もしかしたら、眩しくて見れなかったのかもしれない。あるいは、見てしまえば自分の中の何かが変わってしまうと思ったのかもしれない。

死の淵で、俺はやっとそれに目を向けた。そこで気付く「なるほど、確かにこれは直視できない」と。
眩しくて眩しくて、一度見てしまえば俺の中の何かを変えるには十分すぎた。
それでも、俺は見てしまったのだ。常に自分の隣に在り続けた、掛け替えのない宝石を。
ずっと見ていたつもりだったが、あの時初めて本当の意味で俺はそれに目を向けたのかもしれない。

そして変わった。変えられてしまった。もう、この輝きは手放せない。
その責任を取って貰わなければならないし、俺はこの輝きを守りたいのだ。
その機会まで与えられたからには、絶対に手放すものか。
「言っておくが、私はその男よりよほど諦めが悪いぞ。
 凛もフェイトも、そしてはやてもお前も…………救う事を諦めるつもりはない!!」
泣いている姿を見たくないからじゃない。俺がただ、失いたくないだけ。
アイツが与えてくれた輝きを、それによって照らされる多くの掛け替えのないモノを。
俺は前より欲張りになったのかもしれない。あるいは、やっと人間らしくなってきたのかもしれない。

だからだろうか………………いい気分だ。
「欲張り過ぎだ。多くを望んで何も手に出来なければ………」
「無意味かね? なるほど、実に正論だ。だが、それくらいでなければ張合いがないぞ」
ほんの少し前なら、きっとこんなことは言わなかったし、思わなかっただろう。
でも、今は自然とそう思う。以前の様な強迫観念ではなく、心からの希求で。

「もういい。お前も、もう眠れ」
「それは君が決めることではないな。むしろ、いい加減夢から覚めたらどうだ?
 悪夢ばかり見ているのは、さぞかし辛かろう!」
フェイカーを弓へと変え、特にイメージを見出すことなく手当たり次第に矢をまき散らす。
あまり趣味じゃないが、時にはこういう一見無駄撃ちに見えるモノも役に立つ。

迫りくる矢の悉くを回避し、闇の書からもダガーが放たれる。
気付いているかまでは分からないが、回避先を限定することで奴の位置を誘導していく。
そして、遂に奴が目的の場所にきた。
「スティンガーブレイド・エクスキューションシフト!!」
真上を取っていたクロノは、闇の書に向けて無数の魔力刃を雨の如く降り注がせる。

百を超える「スティンガーブレイド」が爆散し、煙が辺りに立ち込めた。
これだけの数と質の攻撃、並みの術者であれば確実に落ちたはずだが、相手は闇の書。
これで終わるとは思っていない。その時に備え、俺もまた準備を進める。
「『――――I am the bone of my sword.(体は剣で出来ている)』」
ここが勝負のかけ時と判断し、とっておきの一本を投影し魔力を注ぐ。

だが、そこで突如爆煙が晴れる。そしてそこには、漆黒の球体を天に向けて放つ、無傷の闇の書がいた。
「闇に染まれ。―――――――――――――デアボリック・エミッション」
球体は一定の高さまで上昇すると、そこで一気に膨張を開始する。
球体の周囲にある淡い緑色の鎖が飲み込まれ、破壊されていく。

俺を支える鎖も例外ではなく、見える範囲にある全ての鎖がバラバラと海へと落下する。
突如体は宙に投げ出され、空を飛べぬ俺には抗いようのない浮遊感に囚われた。
しかし、それでもなお俺は弓を引き、標的に向けて照準を合わせる。

そのまま限界まで弓を引き絞り、真名を告げると共に猟犬を解き放つ。
「奔れ! ―――――――――――――――『赤原猟犬(フルンディング)!!!』」
弓から放たれたのは、幾つかの刃が細い芯に螺旋を描いて巻き付く漆黒の矢。
俺の指から離れた魔弾は、赤光を纏いながら漆黒の球体の中心に向けて疾駆する。

あまり魔力を込める時間はなかったが、元から必殺の一撃を狙っていたわけではない。
ならば、ここまでの魔力充填でも問題ない。
まあそれでも、宝具の射出は負担が思いのほか大きかったのか、フェイカーのヒビが広がる
これは、もう一度キツイのを入れられたら不味いかもしれないな。

そうしている間にもこの手を離れた矢は膨張する球体へと突き進み、そのまま球体内部へと侵入する。
ぶつかり合うは暴虐の化身とも言うべき漆黒の球体と、標的に向けてまっすぐ空を翔ける赤光を纏う魔弾。
勝敗は―――――――――――――――――――魔弾に軍配が上がった。
矢はその名の通り猟犬のように球体を食い破り、中心を通って貫通する。
結果、核となる中心を貫かれた魔力の塊は、形を維持できずに霧散した。

それでも魔弾の勢いは微塵も衰えず、なおも天高く駆け抜けていく。
俺は、海に着水する直前に魔法陣を展開し、何とか着地する。
周囲を確認すると、なのはたちの無事な姿を確認できた。

そこで天を仰ぐと、そこには無傷の闇の書の姿。
球体の中心と奴の位置が離れていたせいで、矢は何の影響も与えることなく駆け抜けたのだ。
「…………………し……見ろ」
そんな奴に向け、忠告の言葉をかける。だが、いかんせん遠いせいか、奴の耳にまでは届かない。

そこまで親切にしてやる必要もないのだろうが、ここではやてを死なせては本末転倒。
肺いっぱいに空気を吸い込み、あらん限りの声量で怒鳴る。
「戯け!! 後ろを見ろ!!!!」
「なに? これは……!!」
ギリギリのところで気付き、奴は身は背後から迫る赤光をかわす。
奴の体スレスレを通り過ぎたのは、つい先ほど遥か彼方へと飛んでいったはずの魔弾だった。
同時に、回避したにも関わらず、闇の書の体が何かに煽られるように弾き飛ばされる。

フルンディングはただの矢ではない。真名開放を以て放たれれば、その速度は音の壁を超える。
しかし、それほどの「速さ」でさえもまた真の力とは言えない。これの真価は「スピード」ではないのだから。
フルンディングの真の力、それは例え何度外れようと射手が健在かつ狙い続ける限り、標的を襲う自動追尾能力。
まさに「猟犬」の名に相応しく、主の命あらばどこまでも敵を追う超音速の魔弾なのだ。

元より、俺の狙いは球体の破壊などではない。
狙いはあくまでも「球体の破壊」と「闇の書への攻撃」の二つ。
中るイメージがなかなか見いだせないのなら、避けられてもなお中る一射を放てばいい。

そして、寸前で避けたとはいえ、相手は超音速で飛ぶ猟犬だ。無事で済むはずがない。
突破された音の壁は衝撃波となり、近くにいる者を襲う。
猟犬の牙をかわしても、その身が巻き起こす風が爪となって獲物を切り刻むのだ。

体の周囲に溢れる魔力の壁のおかげでかろうじて防ぎ切ったようだが、なお矢も俺も健在。
ならば、猟犬はどこまでも闇の書を追いたてる。
如何に超音速の魔弾が相手でも、一度や二度ならば回避し、襲いかかる衝撃波を防げるだろう。
だが、一度衝撃波を受ける度にああも体勢を崩していては、いずれその牙が闇の書の身を裂く。

そうして、回避しては煽られるを幾度か繰り返す。
むしろ、超音速の攻撃をあれだけ回避し続けられるだけでも驚異的だな。

しかし、そろそろ限界か。奴が体勢を立て直すより早く、猟犬の牙が襲いかかる。
「そこまでだ。『ブロークン・ファンタズム(壊れた幻想)!!』」
牙が闇の書に届くより前に先に幻想を炸裂させ、爆風を生む。

さあ、これで場は整った。
「いまだ! いくぞ、なのは!!」
「オッケー、クロノ君! レイジングハート」
《Yes, my master》
「うん。エクセリオン・バスター、バレル展開。中距離砲撃モード!」
クロノの指示が飛ぶと同時に、なのはは爆風に吹き飛ばされる闇の書に向け照準を合わせる。
その手には、いつの間にかフルドライブのエクセリオンモードへと姿を変えたレイジングハートが握られていた。

なのはの魔力光と同色の光の翼が展開され、石突きが伸びる。
同時に、槍にも似たその先端に桜色の光が集まっていく。
《All right. Barrel shot》
そして、なのはが何かを撃ち出したように体を揺らした。

その何かは体勢を立て直しきれていない闇の書に当たり、まるで突風の様に体を煽る。
すると、その体は見えない枷で磔にされた。
「エクセリオン・バスター、フォースバースト!!!」
なのはの正面に巨大な桜色の魔力球が発生し、その輝きを増していく。
同時に、クロノもまた再度スティンガーブレイドを展開する。

さすがに、二度目の使用となるとキツイのか、クロノの顔には疲労の色が見えた。
しかし、それを気合いで抑え込み、先程よりなお多い刃を生み出していく。

それを見て取った闇の書は、何とか拘束を外そうとギシギシと体を揺らす。
この分だと拘束も長くは保たないか、と思った矢先……
「ブレイク………シュ――――ト!!!」
「スティンガーブレイド、エクスキューションシフト!!!」
なのはからは四本の極太の魔力が放たれ、うねりながら闇の書に迫る。
また、クロノがS2Uを振り下ろすと、無数の刃状に形成された魔力が雨となって降り注ぐ。

合計四本の砲撃と、光刃の雨が闇の書に襲いかかる。
直後、これまでで最大規模の爆発が生じた。
これで………ケリがついたかな?






あとがき

さぁて、これでケリが………つくのかな? つきそうにない感じ満々ですけどね。
まあ、これで着いたらちょっと拍子抜けな感じがしますし、そう簡単にはいかせませんよ。

凛が取り込まれた事で、士郎が冷静さを失うと考えた方がいましたが、そうはなりませんでした。
原作の方でも、割とすぐにエイミィから一応の無事は確認されたので、今回もそういう事にしています。
むしろ、取りこまれた状態で致命傷なんて与えたら、そっちの方が危なそうですしね。
それに、ここで士郎が暴走してしまうと、それこそ事態は収拾がつかなくなります。
というわけで、士郎にはこれまでの人生経験をいかんなく発揮(?)し、暴走まではさせませんでした。
いや、それでもなんか結構揺れ過ぎな気がするくらいですけどね、私の場合。

まあ、それはそれとして、士郎は本日一回目の真名解放となりましたが、残すところあと一回。
少なくとも、このまま凛からの魔力供給が無いとそれが限界です。
その一回は、はたして「何が」「どう」使われるのでしょう。
最悪なのはルール・ブレイカーですが、どうなる事やら。

そして、はやてとリインフォースのところに現れた赤い人影は誰なのか!?
って、普通にわかりますけどね。
問題なのは、どうやってそこに現れたかですけど。

とりあえず、次でその辺が全部判明する予定なので、乞うご期待…………?
あまり期待されすぎても、私的には嬉しかったり怖かったりなので、ほどほどが一番ですね。
というか、次回はほとんどはやての方の話になります。
今回出番が少なかった反動、とでも言えばいいのでしょうか? 
とにかく、次回はInterludeの比重がやたらと大きい可能性大。
どっちがメインなのか分からなくなってきますが、あくまで士郎や凛の視点がメインになるため、そんな事になってしまうのです。まあ、偶にはそんなのもあってもいい、くらいの気持ちで見てやってください。
まだお見せできる段階じゃありませんけど……。



[4610] 第38話「夜天の誓い」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:fd260d48
Date: 2010/01/30 00:12

SIDE-アルフ

とある丘の上。
無茶して戦線離脱したあたしは、士郎の指示でリニスのところに送られた。

そこにはすでに先客がいて、それは闇の書の主である「八神はやて」って子の家族の一人「アイリスフィール」と、フェイト達の友達「すずか」と「アリサ」。
今は、そのすずかとアリサが話をしている。
「なのは達……大丈夫かな?」
「きっと、大丈夫だと思うよ。たぶん、士郎君だけじゃなくて凛ちゃんも一緒だと思うから」
「凛も? まあ、それなら確かに……」
凛のこの子たちへの認識ってどうなってるんだか。完全一般人のアリサをして、一発で納得させるこの説得力。
普段は普通に小学生してるはずなのになぁ。

でも、すずかの方はやっぱり士郎たちの事を知ってるっぽいね。
それに、さっきあの蛇の化け物を倒した時に、なんか見たこともない様な力を使ったらしい。
だとすると、この子ももしかして魔術師なのかね?
「いいえ。すずかさんは魔術師ではありませんよ、アルフ」
「リニス……何か、知ってんのかい?」
「少しだけ凛から聞いています。すずかさんは少し人と違う能力を持っている、という程度ですけど」
つまり、あんまりちゃんとは知らないのか。
知ってるとすれば、本人と士郎たちくらいってことなんだろうね。

「でも、なんかすごい能力をもってるんだろ? だったら、士郎たちを手伝ってもらった方が……」
「それは、やめておいた方がいいでしょう。凛から聞く限り、すずかさんの能力は非常に燃費が悪いそうです。
 さっきもそうだったのでしょう?」
そういえば、あの子は力を使った後ひどく消耗していたらしい。
一度使うだけでもそれだとすると、確かにあんまり使わない方がよさそうだよね。体に悪そうだ。
それに、フェイト達と違って戦闘経験もその手の訓練もほとんど積んでなさそうだし、やっぱり無理か。

それにしても、状況はかなりまずいね。
まさか、あたしが戦線離脱してすぐにフェイトと凛まで……。
一応士郎には何か心当たりがあるみたいだけど、このままってわけにもいかない。
できれば今すぐにでも飛んでいきたいけど、今のあたしでは足手纏いにしかならないのもわかってる。
リニスの手当てを受けたおかげで、少しは痛みが引いた。だけど、やっぱり「少し」でしかないのが現状。
とてもじゃないけど、あの戦闘に入って行って役に立てるとは思えない。
それが、堪らなくもどかしい。

と、そこでアイリスフィールが突然すずかとアリサを優しく抱きしめる。
「ア、アイリさん? どうかしたんですか?」
「私は平気よ。でも、あなたたちはそうじゃないでしょ?」
「「え?」」
「私はあの子たちの事はあまり知らないけど、それでも強いという事は知っているわ。
きっと大丈夫だから、そんなに怯えないで。信じて、待ちましょう」
怯える? って、つまり二人が何かを怖がってるってことかい?
とてもそうは……。

と思ったところで、自分の洞察力の無さに気付く。
よく見れば、二人の体は僅かに……本当に僅かに震えている。
考えてみれば、それは至極当たり前の話。今まで平穏な日常を過ごしてきたはずの二人が、いきなりこんな状況に放り込まれれば平常心ではいられない。
ましてや、そこに親しい友達がいるとなれば尚更。

むしろ、ああやって気丈に振る舞っていた二人の心の強さが稀有なんだ。
逆に言えば、それだけ二人が無理をしていたという事でもある。
それは、震えとなって僅かに垣間見える二人の本心が教えてくれているではないか。

でも、リニスでさえそれには気付けなかった。
なのに、アイリスフィールは極自然にそれに気付き、当たり前の様に二人を抱きしめ励ましている。
家族であり、娘同然という話であるはやての命がかかっているこの状況では、自分だって心穏やかでないはず。
なのに、それでもなおこの人は子どもたちのためにその素振りすら見せない。
泣き腫らした眼だけが、この人の心の内を教えてくれる。

そして、その姿に小さくない感銘を受ける自分がいた。
「ねぇ、リニス」
「なんですか?」
「母親って、こういうもんなのかね?」
「どうなのでしょうね……」
あたしの問いに対するリニスの答えは歯切れが悪い。まあ、無理もないか。
使い魔は生き物を素体にして作られる以上、あたしらにも一応親はいる。
だけど、使い魔になるという事は全く別の存在になるという事を意味し、元となった動物と今の自分を別々の存在と感じるのが通例だ。もちろん、あたしやリニスもその例に漏れない。
一応記憶は引き継いでいるけど、やっぱりどうしてもそれを他人事のように感じてしまう。

まあ、あたしの場合子どもの時に病気になって、そのまま群れを追い出されちまったからね。
親の事なんて引き継いだ記憶にもほとんどないし、尚更なんだけどさ。
その上プレシアはあんなだったから、一般的な母親ってのがどんなのか、あたしにはイマイチわからない。

それでも、アイリスフィールの姿を見て思う事はある。それは……
「でも、あんな人が母であったのなら、それは………………とても幸せなことだと思いますよ」
「うん。あたしも……そう思う」
そう。もしかしたらあれこそが、本来あるべき親の姿ってやつなのかもしれない。
子どもの一挙手一投足を気にかけ、些細な変化にも気付き、子どものためにならどんなことでも出来てしまう。
それが例え自分の子で無くても、あるいはそこまで親しい人間が相手でなくても、そんな事とは無関係に。
なんか、あの人を見てると腕っ節や魔法の強さなんて、たいしたこと無いように思えてくるから不思議だ。

なんでも、「母は強し」って言葉があるらしいけど、それはたぶんホントだね。
母親ってのは、力じゃなくて心が強い生き物なんだ。たぶん、どんな生き物よりも。
なんか、アレを見てるとここでこうしてるのが恥ずかしくなってくる。
あたしは、体が動かないってだけで何を諦めているんだか。
こんなあたしでも、もしかしたら何かできる事があるかもしれない。
だいたい、何ができて何ができないのか、そんなの行ってみないとわからないじゃんか。

いや、こうしてウダウダ考える事こそあたしらしくないな。
行きたいから行く、それでいいのかもしれないね。
「リニス」
「行くんですね?」
「うん」
さすが、あたしの事をよくわかってる。
でも、むしろこの展開を待ってた気がするのは気のせい?

「そうですか。では、こちらは任せなさい。あなたは何も心配せず、ただまっすぐ進みなさい。
 それと、あまり無理をしてはだめですよ」
ははは、そうしてるとホント母親みたいだよ。
まあ、育ててもらったのは本当だし、あながち間違ってもいないんだろうけど。

それなら、あまり心配させないようにしないとね。
「わかってるって、リニスは心配し過ぎだよ」
「当たり前です。私にとっては、あなたもフェイトもまだまだ手のかかる子どもみたいなものなんですから」
親にとっては、子どもはいつまでたっても子どもってやつかね。

「んじゃ、いってきます」
「いってらっしゃい。気をつけて」
「はいはい」
「ハイは一回」
「はい」
そんな小言を背に受けながら、あたしは痛む体に鞭打って士郎たちの元へ向かう。
その小言に僅かなわずらわしさを感じる半面、何処か嬉しく思うのだから困ったもんだ。

さぁて、善は急げだ。急いで向こうに向かうとしよう。
せっかく無理して行ったのに間にあいませんでした、じゃあまりにも格好がつかない。
っていうか、そもそもご主人様のピンチなのに、使い魔がこんなところで油売ってるわけにいかないんだよね。
リニスみたく、ある時から役目を仰せつかってるわけでもないんだからさ。
ここは一つ、使い魔の面目躍如といこうじゃないか。



第38話「夜天の誓い」



Interlude

SIDE-はやて

わたしの隣に立った赤い人影、それは「凛ちゃん」やった。
「まったく、アンタがなかなか起きないから私まで出て来れなかったじゃない。
 今の私はアンタが起きてないと何もできないんだから、もっと早く起きなさいよね」
で、会って早々にお説教されてもうた。
あのぉ、せめてなんでお説教されるのかその理由くらい知りたいんやけど。
それと、頭をペチペチ叩くのはやめて~~……なんか、色々残念な人みたいやん。

そう言おうとしたんやけど、その前に目の前の女の人が口を開いてもうた。
「なぜ、お前がここにいる! お前は今、私の中で夢を見ているはずだ!」
「? ああ、そういうことか! もしかしてアンタ、私のこと本物だと思ってる?」
驚きを露わに問い質す女性。せやけど、当の凛ちゃんは初め言っている意味が分からなかったのか首をかしげ、それから手を打って納得の意を示す。

「えっと、これまでの口ぶりだとアンタが闇の書ってことでいいのよね。
しっかし、その話が本当なら私の本体はアンタに捕まったってことか。
我ながら、相変らず妙なところでうっかりしてるわねぇ。詳しいこと知らないけど」
などと、呆れるように溜息をつく凛ちゃん。

「本体? 凛ちゃん、それやとここにいる凛ちゃんが偽物って言っとる様に聞こえるんやけど」
「え? ああ、そうか。いきなりそんなこと言われてもわからないわよね。
 はじめに言っておくと、ここにいる私は本物じゃない。だから、偽物って言うのは一応当たり。
なんて言うか、残留思念とか精神的分身とかそういう感じの存在よ」
え、えっと………なんやいきなりわけわからへんのやけど。

そこへ、目の前の女の人。凛ちゃんの言葉を信じるなら、この人が闇の書ってことになる。
本人がそう名乗ったわけやないけど、わたしはそれを当たり前のように受け入れていた。
そういえば、「主」って言っとったしな。
「どうやってここに侵入した。ここは、私と主以外誰にも入れないはず」
「それは簡単。今の私ははやての一部。なら、ここにいても不思議じゃないでしょ?
 つまり、侵入したんじゃなくて初めからいたの」
「一部? それ、どういうことなん?」
「私は昨日のうちに、はやてに自分の魔力を込めた宝石を飲み込ませた。宝石は体内に入ると同時に溶解し、そのままはやてに吸収されたのよ。それは、闇の書が完成した時に外部からはやてに干渉しやすくするためだったんだけど、実を言うとそれだけじゃない。
 宝石は想念を貯めやすい『場』、流れを留める牢獄よ。あの宝石には、魔力の他に私の一部も封じておいたの。で、それも魔力と一緒にはやてに吸収された。それがここにいる私よ。
 だから、この私は文字通り『はやての一部』ってわけ」
よくわからへんけど、わたしなんや凄いことされとったらしい。
その場合、わたしは凛ちゃんを体の中に入れ取るわけやから、二重人格とかになるんかな。

「えっと、じゃあ私と凛ちゃんはこれからもずっと一緒ってことなん?」
「ああ、心配しなくていいわよ。この程度の存在濃度じゃ、保って二日か三日。
 そうすれば自然消滅するし、こうして顕在化すれば一気にそれも早まるわ」
「つまり、すぐに消えるってこと?」
「はい、正解♪」
まるで、できのいい生徒に対する先生の様に、凛ちゃんは上機嫌に褒めてくれる。

「それで、お前は私に何をするつもりだ」
「別に何もしないわよ。っていうか出来ないし。言ってみれば、私は魔力って言う電池で動く本体の影。
 その電池にしたって、こうして今の状態を維持するので精一杯だから、何かする余裕なんてないわ。
 それに下手に何かしたら、転生機能が動いちゃうじゃない」
「え? じゃあ何しに来たん?」
「えっと………………………応援? 『ふれー、ふれー、は・や・て~』みたいな感じに?」
なんで疑問形なん? ちゅうか、場の空気をぶち壊しにしそうなその気の抜けた応援やめて。
なんやこう、肩から力が抜けて車椅子からずり落ちそうや。

しかし、そこで凛ちゃんはさっきまでと打って変わって真剣な顔つきになる。
アカン、ペースの変化に置いてきぼりくらいそう。
「私はね、ただあなたの背中を押しに来ただけよ。
いくら一部になっているとはいえ、本来主じゃない私にできることなんてそのくらい。
それに、これはアンタ達家族の問題なんだから、外野が余計な手出しをするなんて野暮なだけでしょ?」
手出しはせえへんけど、代わりに口出しはするってこと? 屁理屈っぽいなぁ。
でも、家族の問題っちゅうのはその通りなんやと思う。
この子は、ずっと魔導書としての姿やったけど、いつも一緒にいた掛け替えのない家族や。
シグナム達と何も変わらへん。せやったら、わたしが何とかせなアカンよね。
まだ、何が問題かすら知らへんけど。

「……っと、無駄話はここまで。他に聞きたい事があるんなら、私の本体に聞いてよね。
 私がこうしてアンタと話していられる時間は、もうそんなにないんだから」
正直、もっと聞きたい事とかはあるんやけど、凛ちゃんの真剣な表情に口を噤んでまう。
この凛ちゃんには時間がなくて、何かしなければならないことがあるらしい。
それやったら、まずそれをしてからヤないとアカン。もし間に合わなかったら、この凛ちゃんが可哀想や。

そうして、凛ちゃんは本題に入る。
「と言っても、用件は簡単よ。闇の書も一緒なら話が早いわ。
 単刀直入に言うと、はやて………アンタ今すぐ闇の書の管理者権限を使ってこいつ止めなさい」
「あのぅ、状況くらい説明して欲しいんやけど」
「詳しいことなんて私も知らないわよ。さっきも言ったけど、私がアンタに取り込まれたのは昨夜のはず。
 闇の書の完成に合わせて、その前日に吸収させる予定だったから」
つまり、それ以降の事は知らへんってことか。
たしかに、それやったら聞いてもわからへんよね。

「とはいえ、それでもわかってることがあるわ。簡単に言うとね、アンタこのままだと死ぬわよ」
「ええ!? なんでそんなことになっとるん!?」
「闇の書が完成して、もう間もなく暴走を開始するわ。
そうなったらもう助からない。その上、外もエライことになるでしょうね。
 方法は一つ、闇の書の管理者権限を握って、暴走を止める。これだけよ、ね?」
そう言いながら、凛ちゃんは闇の書に向けてウインクする。
それを向けられた闇の書は俯き、肩を震わせていた。

わたしの事はともかく、人様に迷惑をかけるなんて絶対にアカン。
「それ、本当なん?」
「…………………」
答えはない。せやけど、その無言が何よりも雄弁に事実を物語っている。
それに暴走って言葉を考えれば、それが起こったらどうなるかある程度は想像もつく。
一つ言えるのは、きっと沢山の人にご迷惑をおかけすることになるっちゅうこと。

それはアカン。わたしのせいでそんなことになるなんて、絶対にアカン。
それを止めるには、きっとこの子の力が必要や。そう直感した。
「お願い。力を貸して」
「……………………………………無理です。私には止められません。
 自分ではどうにもならない力の暴走。あなたを侵食することも、暴走してあなたを喰らいつくしてしまう事も、なに一つ止められない」
そう告白する闇の書の声には、深い悲しみと悔しさが滲んどった。
きっと、この子も本当は止めたいんや。せやけど、それができずに苦しんでる。

「お眠りください、我が主。そうすれば、夢の中であなたはずっと優しい世界にいられます。
 誰もあなたを傷つけない。何もあなたを苦しめない。健康な体、愛する者達とのずっと続いていく暮らし。
 そこには、その全てがあります。私があなたにして差上げられるのは、それだけなのです。
 せめて、終わりの時が来るまで幸せな夢を見てください」
「……………ううん。もう夢は十分に見たよ。それに、やっぱりそれはただの夢や。
 凛ちゃんも言うとったやろ、『夢は醒めるもの』やて」
優しく、心からの慈しみを込めてそう伝える。
この子は何も悪ない。今の言葉にしても、自分に出来る精一杯の心配りや。

せやけど、だからといってずっとそこにいればええとも思わへん。
所詮は夢、現実やない。どこまで現実に近付けても、それは形も結果も無いただの空想や。
それに凛ちゃんも言うとった。いつも同じ夢じゃ飽きるって。
わたしも、その通りやと思う。現実は何が起こるかわからへん。せやから、楽しいんや。
わたしはそれを、アイリやウチの子たち、そしてみんなに教わった。
夢はすべて頭の中の事。そこに驚きはない。それじゃあ、いつかきっと飽きてまう。

なにより、わたしはみんなと一緒に生きたい。ここで終わりなんてまっぴら御免や。
せっかく幸せの意味を知れた。やっと、一緒にいてくれる家族を得た。
それやのに、たった半年でそれを手放す事になるなんて嫌や。
わたしは絶対に現実に帰る。みんなと一緒に、あの家に帰らなアカン。
きっと今も、アイリがわたし達を待っててくれてるはずやから。

「わたし、こんなん望んでない。あなたも同じやろ。違うか?」
「……私の心は、騎士たちと深くリンクしています。だから騎士たちと同じように、私もあなたやアイリスフィールを愛おしく思います。だからこそ、あなたを殺してしまう自分自身が許せない。アイリスフィールからあなたを奪ってしまう自分が憎くて堪らない」
その言葉一つ一つに、この子の行き場のない感情がこもっとる。
この子は、どれだけ一人で泣いてきたんやろ。どれだけ独りで苦しんできたんやろ。

そうまるで、この子はわたしの生き写しのようや。幸せを知った今ならわかる。
わたしは長いこと見て見ぬふりをしてきたけど、ずっとこの子の様に泣いて苦しんできたんや。
この子に比べれば、わたしなんてずっと軽いやろうけど、それでも………
「望むように生きられへん悲しさ、わたしにも少しはわかる。
 シグナム達と同じや。ずっと哀しい思い、寂しい思いをしてきた……」
「だったら、これからその分きっちり幸せにならなきゃね」
「え? 凛ちゃん?」
「私はね、きっちりした形が好きなのよ。頑張ってきた奴、努力してきた奴、苦しんできた奴、そいつらはその分だけ報われなくちゃ嘘だと思う。士郎も、はやても、守護騎士たちも、そして…………アンタもね」
そう言って、凛ちゃんはこの子に目を向ける。
そうや、この子も例外やない。ちゃんと、今までの分を取り返してオーバーするくらい幸せにならなアカン。
それ以外の結末なんて、わたしが認めへん。神様が許しても、わたしが許さへん。

「なにより、アンタは一つ大切なことを忘れてる。
 アンタは魔導書。で、はやてはそのマスター。なら、ウダウダ言ってないで、大人しくマスターに従いなさい。
 主人の意思と無関係に動く道具なんて道具とは呼ばない。アンタに道具としての誇りがあるのなら、主の意思に、願いに応えるのが当然でしょうが」
力強く、迷いなく紡がれる言葉は、どこまでも澄み切って心に響く。
そうや、今はわたしがこの子のマスターや。それなら、しっかり面倒見るだけやなくて、ちゃんとリードしてあげな。
でも、道具っちゅうのはちょっと後で訂正しておかなアカン。この子は道具やなくて、わたしの家族や。

凛ちゃんの言葉に励まされて、車椅子から何とか立ち上がろうとする。
そうすると、隣に立っていた凛ちゃんがわたしを支えてくれた。
「凛ちゃんの言う通りや。あなたのマスターは今はわたし。
 マスターの言うことは、ちゃんと聞かなアカン」
体を支えてもらいながら、手を伸ばしこの子の頬に触れる。
同時に、わたしの足下に三角形の純白の魔法陣があられた。

優しいこの子は、わたしのために膝を折って同じ目線にしてくれる。
そんなこの子の悲しみに満ちた紅い目を見て、なんとかこの悲しみを晴らしてあげたいと思う。
世界は残酷やけど、それだけやない。色々な輝きに溢れる、素敵な場所でもある。
それを知って欲しい。その眼に、いままで見れなかったたくさんのモノを見せてあげたい。

でも、ここは魔導書の中。できることはほとんどない。
じゃあ、わたしが今ここで、この子にしてあげられることはなんやろ。
魔導書のマスターや言うても、所詮わたしはロクに魔法も使えへん子どもにすぎない。
少し考えると、予想外にも簡単に出てきた。こんな無力なわたしにも、贈れるものがある。

そこで、ふっと凛ちゃんと目があった。
凛ちゃんは、まるでわたしの心のうちなんてお見通しと言わんばかりに、優しい笑顔でうなずいていくれる。
それによって勇気を貰い、最後の踏ん切りがついた。
(うん。確かに、背中押してもらったよ、凛ちゃん)
もうわたしには何の迷いもなく、この子の頬に両手を添えるしっかりと目を合わせた。

そして、できる限りゆっくり、優しく言葉を紡ぐ。
この子が今からわたしが告げる言葉、その全てを聞き逃さず、ずっと憶えていられるように。
「……名前をあげる。もう闇の書とか、呪いの魔導書なんて言わせへん。わたしが呼ばせへん!
 わたしは管理者や。こんなわたしでも………ううん、わたしにならそれが出来る!」
話しているうちに、言葉の端々に力と熱がこもっていく。
感情が抑えられへん。自分の中にある想いが、言葉に乗って溢れ出す。
この子を愛おしく想う気持ち、この子に幸せになって欲しいという願い。
湧き出てくる想いは止まる事を知らず、後から後から心を満たし口から溢れ出す。

そんなわたしの想いを受け止めてくれたのか、名前も無いこの子の眼に涙が浮かぶ。
それが、半年前にアイリの胸の中で泣いた自分に重なった。
せやけど、この子の心はまだ頑なで、頬に涙が伝いながらも首をふる。
「無理です。自動防御プログラムが止まりません。
魔導書本体からのコントロールを切り離すだけなら、今でも出来ます。
ですが、自動防御プログラムが走っていると、管理者権限が使えないのです。
管理局の魔導師が戦っていますが、それも……」
「外野から失礼。それ、止めるとしたらどうすればいいの?」
「外部から相当な出力の魔力ダメージを受ければ、一時的に停止する。しかし、それは………」
難しいっちゅうことか。それやったら、こっちから動きを妨害できれば……。

そう思って実行しようとしたところで、凛ちゃんが待ったをかける。
「ふむ、二つ聞きたい事があるんだけどいい?」
「?」
「ああ、先に今私の本体を捕らえている術の情報からお願い」
「……それは、相手を吸収し捕獲空間に閉じ込め、対象に深層意識で望んでいる夢を見せるという幻覚魔法だ。
 今お前の本体は、そこに囚われている」
確かにそれは、居心地のいい場所やろな。
時間が経てばともかく、すぐさま出ようと思える人は少ないかも。

「ふむふむ、なるほどね。よし! だったら、いい方法があるわよ」
「「え?」」
「その前に次の質問。今戦闘に参加してる奴の中に、士郎となのはかフェイトはいる?」
「って、外で戦ってるのって士郎君達なんか!?」
いや、考えてみれば不思議はないかも。士郎君と凛ちゃんは家族なんやから、関係者でもおかしくはない。
でも、なのはちゃんやフェイトちゃんもいる可能性があるってことは、もしかしてすずかちゃんやアリサちゃんもなんかな?

「赤き騎士と白い魔導師ならいる。だが、金髪の魔導師は私の中に……」
「オッケー、それで十分!
はやて、魔力ダメージの方は全部外の連中に任せて、アンタはそのまま管理者権限の使用準備に集中。
使えるようになり次第、すぐさま使えるようにね。アンタは万全の状態で事に当たりなさい」
「そ、それはええけど……。でも、どうやって………?」
「こっちから念話はいける?」
「主の意識がある今なら、思念通話の使用は可能だ」
ああ、つまりこっちから何をしてもらうかを伝えるっちゅうことか。
たしかにそれなら、作戦を伝えられるもんな。

「上等。この私からじゃ無理だから………はやて、向こうに伝えて欲しいことがあるんだけど……」
「ええけど……なに?」
「士郎に『袋を使え』ってのと、なのはに『全力でぶちかませ』でいいわ。
 士郎ならそれで意味が分かるから………ああ、だけど士郎相手に念話するのは不便だからやるならなのはね」
えっと、何で不便なんやろ。士郎君、思念通話苦手なんかな?
それに、わたしからすればなのはちゃんへの指示以外さっぱりや。
でも、ここは凛ちゃんを信じよう。魔法関係に関しては、どうも凛ちゃんの方が先輩っぽいしな。

そうと決まれば、善は急げや。大急ぎで思念通話を外に向けて発する。
『なのはちゃん……なのはちゃん! えっと、聞こえますか? はやて、八神はやてです!』
『え? は、はやてちゃん!?』
『あ、よかった。繋がった。なのはちゃん、わたしの声ちゃんと聞こえてる?』
『う、うん。聞こえてるよ。今、いろいろあって……』
『わかってる。うちの子と戦ってるんやよね』
凛ちゃんやこの子の言うとおり、外にはちゃんとなのはちゃんがいた。
信じてなかったわけやないけど、やっぱり驚きはある。でも、今はそれは後回しや。

『ごめん、なのはちゃん。いきなりで申し訳ないんやけど、その子を止めて欲しいんよ』
『え?』
『魔導書本体からはコントロールを切り離したんやけど、その子が走ってると管理者権限が使えへん。
 今そっちに出てるのは、自動行動の防御プログラムだけやから』
なのはちゃんからの反応は芳しくない。
たぶん、いきなりの状況の変化についていけてないんやと思う。

『それで、凛ちゃんからの伝言や。
士郎君に「袋」ってのを使ってもらって、なのはちゃんは「全力でぶちかませ」って』
『え? ど、どういう事?』
突然の事に、なのはちゃんは混乱しとる。まあ、無理もないと思う。

ついでに、凛ちゃんがあの子から聞いた魔法についても説明した。
『士郎君なら、それで分かるらしいんやけど………』
『と、とりあえず聞いてみるね』
そこで思念通話は切れる。
あとは、士郎君たちがきっとうまくやってくれると信じよう。

だけど、ここで変化に気付く。
「え? 凛ちゃん!?」
「ふむ、どうも時間切れみたいね。ま、ちゃんと間に合ったみたいだし、上出来かな」
凛ちゃんの体がいつの間にか半透明になり、向こう側が透けて見えるようになっていた。
それに時間切れって、もうなんか!? たしかに、こうして表に出てくると消耗が激しいとは聞いとったけど。

「せ、せやったら何とかせな!」
「何とかって何よ? っていうか、してどうするつもり?
 さっきも言ったけど、はじめからこの私は長持ちしないの。
するだけ無駄だし、そんなことするくらいなら自分の仕事に集中しなさい」
自分の事やのに、まるで凛ちゃんはその事に頓着しない。

でも、そのままじゃ消えてまうんやろ?
それでいいはずないやん。わたし、こんなに助けてもらったのに。
「まったく……士郎といいなのはといい、アンタも手がかかるわね。
 気にすることないわよ、はやて。これは泡沫の夢。この私は、弾けて消えるただの泡」
「でも……そうやからって、消えていいわけやない。もっと………」
「じゃあ、こう考えなさい。消えるんじゃなくて、これで私は完全にアンタの一部になる。
 それに、ここを出ればちゃんとそこに私はいる…………はずよね?」
「ああ、どうやらお前の本体も、それに金髪の魔導師も外に出ようとしているようだ」
「そ、なら問題ないわね」
気軽に、本当に気軽に凛ちゃんはそう言う。
泡沫の夢、その言葉に聞き覚えがある。あれはたしか、そう昨日の夜に見た夢。
ああ、アレは夢やなかったんやね。

初めからわかっていたからか、凛ちゃんの言葉には迷いがない。こういうのを「覚悟」って言うんやろか?
「でも、それは死ぬってことやろ? 怖くないんか?」
「別に。アンタ、夢を見ている時、目覚めることに抵抗を感じるの?
 私にとって、ここでこうしていることの方が現実感が希薄なのよ。まさに、夢の中って感じでね」
だから消えることに抵抗はないと、夢の住人が夢と共に消えるだけと、凛ちゃんはそう言う。
その顔があまりに晴れやかで、わたしはそれ以上何も言えへんかった。

「さて、いよいよホントに限界か。それじゃあね、はやて。
 もう手伝えないから、後は自力で…………訂正、その子と一緒に頑張んなさい」
途中まで言っていた言葉を、この子の方を見て言い直す。
凛ちゃんも、この子の事を認めてくれたってことなんかな。

凛ちゃんの体がどんどん薄くなっていく。本当に、もう直ぐこの人は消えてしまう。
引きとめることはできない。でも、伝えたきゃいけないことがある。
「凛ちゃん! ………………ありがとう」
「私からも礼を言う。そして、はじめは失礼した。お前がいなければ…………」
「別に、私がいなくても、はやては自力で何とかしてたかもしれないけどね。
それに、私は外から口出ししてただけの野次馬だし、気にしなくていいわよ」
わたし達に背を向け、凛ちゃんはヒラヒラと手をふる。

その背中に向けて、あの夜の事を必死に思いだしながら言葉を重ねる。
「それでも、わたしは凛ちゃんがいてくれて心強かった!
 ホンマに、魔法で勇気を貰ったみたいに………」
「そっか、なら小細工をした意味もあったかな。そういうことなら、一応お礼は受け取っておくわ」
スタスタと歩いていたのを一端止め、軽くこちらを見て笑いかけてくれる。

たぶん、次が最後の言葉になる。そう直感し、相応しい言葉を探す。
そして、口から出たのは…………
「おやすみなさい、お姉ちゃん」
「ええ。おやすみ、はやて」
そうして、あの夜わたしの「姉」と告げた女の子は世界に溶けるように姿を消した。
最後までその姿は颯爽としていて、いつか自分もああなりたいと素直に思う。

「よい、姉君を持たれましたね、主」
「まあ、その意味とかはまだよくわからへんのやけどな。
 そのへんは、外に出た時に凛ちゃんに直接聞こうと思うわ」
「ええ、それがよろしいかと」
うん。もしかしたら、ホンマに家族が増えるんかもしれへんし、楽しみが増えたわ。
これは、いつまでもここにいるわけにはいかへんね。

さあ、そろそろこの子に名前をあげな。
わたしの意図に気付いたのか、この子は再度わたしの前で膝を折った。
ちょうどいい高さにあるその頬に優しく触れ、心を満たす想いの全てを言葉に乗せる。
「夜天の主の名において、汝に新たな名を贈る。
 強く支える者、幸運の追い風、祝福のエール――――――――――――『リインフォース』」
そこで足元の魔法陣は輝きを増し、暗い世界を白く染めていく。

「気に言ってくれたか?」
「…………はい。私などには勿体ない、美しい名前です。その名と主に恥じぬ様、お仕えいたします」
「全く泣き虫さんやなぁ、リインフォースは………」
ハラハラと涙を流すリインフォースの頭を抱き寄せ、優しく撫でる。
体は大きいのに、どこかわたしよりも子どもっぽい。
これは、これからしっかり面倒見てあげなアカンな。

それと、一つ訂正や。
「仕えるんやない。家族として、一緒に生きるんや。できるか?」
「はい。何時如何なる時も、この身はあなたの家族。あなたを支え、共に生きることを誓います」
「うん。ええ子や」
誓いはなった。これで、晴れてわたし達は主従やなくて家族。
これからずっと、一緒に生きて行こう。

っと、どうやら防御プログラムが止まったみたいや。
ということは、凛ちゃんの言うとおり士郎君達が上手くやってくれたんやろ。
「新名称、リインフォース認識。管理者権限の使用が可能になります」
まあ、これでもまだ防御プログラムの暴走はとまらへん。
管理から切り離された膨大な力は、じきに暴れ出す。

そして、これはわたし達が何とかせなアカンことや。
とはいえ、わたしとリインフォースだけじゃ無理っぽい。
ちゅうことは、そこはウチの子たちや申し訳ないけど士郎君達の力を借りよう。

そこで、夜天の魔導書がわたしの手元に現れ、わたしはそれを優しく抱きしめる。
「いこか、リインフォース」
「はい、我が主」
さあ、しっかりきっちりなんとかしようやないか。

そうして、わたし達は白い光に包まれた。

Interlude out



SIDE-士郎

なのはのエクセリオン・バスターと、クロノのスティンガーブレイドの直撃を受けたかに見えた闇の書。
いや、事実直撃はしていたのだが、あの時は間が悪かった。
なんでも、はやてが管理者権限を握っていない状態ではどれだけのダメージもあまり意味がないらしい。
逆に言えば、はやてさえ管理者権限を握ってしまえば、攻撃する意味が出てくる。

それにしても、どうやら保険はちゃんと動いたようだな。
あるいは、凛が何らかの方法で内側から干渉したのかもしれない。
だが、とりあえずはやての意識は戻った。
管理者権限も握ったようだし、あとはそれを使えるようにしてやるだけ。

そして、そのための方策はもらっている。
「なのは、クロノ! 私が必ず奴の動きを止める。そこを突いてくれ。
 ユーノはバインドであの鬱陶しい触手を頼む」
「待ちな、あたしもやるよ」
「アルフ、体は良いのか?」
「まだ体中痛いけど、それくらいならやれるよ。なんなら、リニスも呼ぶかい?」
「いや、これだけいれば十分だろう。では、いくぞ!!」
それぞれの役割を確認し、各々最後の仕上げに動く。

俺は魔法陣を足場に跳躍を繰り返し、闇の書に向かう。
本体から切り離されたせいか、先ほどまでの動きのキレがない。
これなら、行けるか。

闇の書は動かない。奴の狙いが何なのかまでは分からんが、とにかくアレを使わせないとな。
「はぁっ!!」
直下から斬り上げるように剣を振るうが、それをこれまで以上に機械的な動作で回避する。

なるほど、自動行動の防御プログラムとはこういうことか。
「防御プログラム」であるせいか、自身から動くという能動的な性質は薄いように見える。
あくまで専守防衛、リスクは冒さず徹底して待ちの戦術か。
ああ、ありがたい。その方がこちらとしてもやりやすいからな。

そのまま体を回転させ、莫耶で切り払う。
ほぼ同じタイミング……いや、回転した分僅かに早く、闇の書が魔力の乗った拳で莫耶を持つ右腕に迫る。
ギリギリで軌道を変え何とか回避するが、かわりに莫耶を打たれた衝撃に負けて手放してしまう。

そのまま奴は、先ほど同様に魔力のこもった蹴りを放つ。
それを、左腕の盾で防御するが…………
「くっ、さすがに限界か!」
元よりヒビの入っていた盾は、俺の身を守る代わりに崩れ去る、
残ったのは手甲部とカートリッジシステム、そして核の部分だけ。
デバイスとしてはまだ使えるが、盾としては完全に死んだ。

しかし、フェイカーは最後までよく期待に応えてくれた。
フェイカーだけでなく、作ってくれたリニスにも心からの感謝を。
おかげで、最後の仕込みをする時間が出来た。

宙に浮いた状態のまま、落下が始まる前に莫耶を手離した右腕に干将を持ち変える。
反対に徒手空拳となった左腕で、奴の腕を掴む。
「パージ!」
声を発すると同時に、左上腕から何かが外れる音がした。

俺の体はそのまま重力に引かれるが、すぐさま足元に魔法陣を展開し着地する。
そうして、持ち変えた干将で再度斬りかかった。
奴はそれを迎撃しようと腕を上げようとするが、両腕がまるで手錠にでも繋がれたかのように動きを制限される。

それもそのはず、なにせ今奴の腕は…………
「そういえば、それを見せるのは初めてか。ご覧の通り、私の左腕は義手だ」
多関節構造の義手は、まるで蛇のように奴の両腕に巻き付き拘束している。
虚をつかれた事による一瞬の動き出しの遅れ、それが致命的なまでの隙となった。

だが、相手は魔導書。
腕を拘束され、反応の遅れから足が間に合わずとも、それ以上に上手く使えるものがある。
それは魔法。瞬時に防御魔法を展開する。

だが、そんな急造品では宝具は防げない。
「おおっ!!」
奴の防御魔法を干将で叩き斬り、触れ合うほどに接近する。
あともう一度剣を振るえば、この刃は奴に届くだろう。

だが刃を再度振る直前、闇の書が黒い光を放つ。
ここまでギリギリの状態ともなれば、より自身が頼りとするモノを使うだろう。
そして、奴はやたらと人を眠らせるのが好きらしい。

ならば…………
「ああ、きっとそうすると信じていたぞ!!」
見覚えのあるその発光は、凛とフェイトを捕らえた時のモノと同じ。
奴は俺を、二人同様に飲み込もうと言うのだ。

しかし、甘い。事ここに至るまでの一連の攻防は、全て予定通り。
待ち一辺倒の戦術のおかげで、好きなように事を運べた。
ついさっきまでであればこうも上手くはいかなかっただろうが、はやてが動き出したおかげだ。

俺の手には既に干将はない。
シールドを斬った時点で見えないように干将を捨て、体を影に懐からある物を取り出していた。
それは、さきほどなのはから伝えられた凛の指示した品。必要な魔力はあらかじめ注ぎ終えている。
はやてが目覚めたことで、「破戒すべき全ての符(ルール・ブレイカー)」分の魔力を別の所に割けるようになった。

故に使える、二度目の宝具の真名開放。この手にある伝説の名は…………
「今度は、お前が眠れ―――――――――――――――――『世界を裏返す袋(キビシス)!!!』」
ギリシャの英雄ペルセウスが使用した、メドゥーサの首を収めるための袋。内を外に返す結界返しの宝具。
それは真名を呼ぶと共に瞬時に膨らみ、裏返しとなって俺を包んだ。

反転する世界の概念。袋の内側が外側となり、外側が内側になる。
この時、内側であるのは袋の中ではなく“外側”となっていた。
あの術は一種の結界であり、敵を自身の内に閉じ込める術。
外側のモノを取り込む捕獲空間だと言うのなら、この手にあるのは内側のモノを外側に裏返す女神の袋。
ならば、内と外が入れ替われば、必然その牢獄は袋の外側にいる闇の書自身に返る鏡となる。

闇の書の動きが止まった。自分を自分の内に閉じ込めるとすれば、なにが閉じ込められるか。
それは一つ、その中身。自らの術中に嵌まり、奴の中身は今その捕獲空間の中にある。
「いまだ、やれ!! 長くは保たんぞ!!!」
袋の外に出て、自由落下しながらなのはに向けてそう叫ぶ。
既にキビシスの袋は崩壊を始めている。このままだと、あと五秒保つかどうか。

元より剣の属性からはかけ離れている。
相性としては、最悪の部類といっていい宝具だ。
事実、今も遥けき古の理念で思考が灼けている。また、どうしても投影の構成が甘い。
そのせいで、真名開放をしたそばから崩壊がはじまり、効果も長持ちしない。
おそらく、あと数秒で奴は自身の捕獲空間から脱出するだろう。
その上、俺はこれでほぼ魔力切れ。これ以上、奴を捕らえておく術は俺にはない。

だが、それこそ一瞬でも効果があれば十分。その隙に、思い切りたたき込む準備は整っている。
「レイジングハート!!」
《A.C.S. stand by》
なのはの足元で、桜色の魔法陣が一際強い輝きを放つ。
同時に、先ほどと同じくレイジングハートから六枚の光の翼が大きく広がる。

「アクセルチャージャー起動。ストライクフレーム!」
《Open》
そうして、レイジングハートの先端から一本の魔力刃があらわれた。
その様は、いよいよ槍そのものだ。

なおも魔法陣は輝きを増し、そこに込められる力は天井知らずに上がっていく。
「エクセリオン・バスター、A.C.S.――――――――――――――――――ドライブ!!」
翼が羽ばたき、なのはがレイジングハートを手に闇の書に向けて吶喊する。
一気に加速したなのはは、そのはまま勢いを殺さずに突き進む。

そこで時間が来たのか、闇の書が動き始める。
しかし、すでに遅い。いかなる防御魔法であろうと、急造ではなのはのあの突進を防ぎ切れるものではない。
「いっっっっっっけぇぇぇぇ―――――――――――!!!」
張られたバリアは一瞬火花を散らし穂先を防ぐも、まるで紙の様に容易く貫かれた。
なのははそのまま進み、闇の書に槍の穂先を突き立てる。
刺さっているようにも見えるが、そこは非殺傷設定。
刺さっていても、肉体的なダメージは皆無。あるのはただ、魔力ダメージのみ。

そこで、レイジングハートが四発のカートリッジをロードする。
翼が一際大きく羽ばたき、その桜色の輝きを増していく。
そこで槍の穂先に魔力球が生じ、それが大きくなるにつれ闇の書の体が押される。
その結果、一度は突き刺さった穂先が、再度その姿を晒す。

だが、敵もすでに肉体の自由を取り戻している。それは何も、キビシスからの解放だけではない。
両腕を拘束していた義手を引き剥がし、自由になった両腕に魔力を蓄えていく。
魔法陣を展開して着地していた俺は、奴が無造作に捨てた義手を回収しつつなのはを見守る。
既に俺の役目は終わった。ここから先は、なのは“たち”の役目だ。

闇の書はなんとかなのはを突き放そうと、両腕に溜めた魔力で砲撃を放とうと構える。
おそらく、威力こそ低いが出の早い砲撃でなのはが撃つ前に吹き飛ばそうという考えだろう。

しかし、すでに遅い。俺となのはだけならば、その狙いは成功したかもしれない。
だが、こちらにはまだ三人の仲間がいる。
「ユーノ君、クロノ君、アルフさん…………お願い!」
「「「うん(ああ)!」」」
なのはの声とほぼ同時に、いつの間にか闇の書の真上を取っていた三人が、同時にバインドを放つ。
三色バインドはそれぞれ闇の書を拘束し、砲撃を阻む。

そして………
「ブレイク………シュ――――――――――ト!!!」
完全ゼロ距離からの、なのはの遠慮なしの砲撃。
それが、これ以上ない位に完璧な形で叩き込まれた。
それが直撃、はやての要望に不足なく答えたはずだ。

桜色の光が爆ぜ、なのはの姿が隠れる。
同時に、その光から二条の別の光が伸びた。
それは赤と金。囚われていた凛とフェイトの魔力光だ。

アルフはその光を眼で追い、その先にあるモノを見て声を漏らす。
「あ………………フェイト!!」
そこにいたのは、ザンバーフォームにしたバルディッシュを携えたフェイトだった。
中で何があったか知らないが、フェイトも頑張っていたのだろう。

だが、既に俺はそちらの方を見ていない。俺が見ているのは、もう一つの光の先。
回収した義手を嵌め直しつつ、十年来の相棒に向けて言葉をかける。
「まったく、君の寝坊にも困ったものだ。
とりあえず、作戦目標はクリアしてしまったぞ。見せ場を逃したな、凛」
「…………………」
はやてを起こしたのが本人なのか保険なのか鎌をかける意味もあって、あえて挑発的に声をかけてみる。
だが、反応がない。凛はただジッと俺の方を見て、穏やかな笑みを浮かべたままだ。
闇の書の捕獲空間の中で何かあったのかだろうか?

すると、凛はゆっくりとこちらに降りてきて身を寄せる。
「どうした?」
「ん? ちょっとね、懐かしい顔に会えてさ。
 それでいろいろ思うところがあったのと……………………生意気な口をきいた罰」
最後の単語に反応し、すぐさま身を離そうとする。
こいつのする罰だ。どうせロクなもんじゃない。

すでに腕はがっちりホールドされ、逃げたくても逃げられない。
諦めて大人しく罰を受けようと目を閉じると、予想外の感触が伝わってくる。
「……ん」
それは口付け。半年前の様に舌まで入れると言ったものではなく、この前の様に触れるだけの優しいキス。
中で何があったか知らないが、その眼からは一滴の涙が流れていた。
きっと、なにか大切な事があったのだろう。

周りを見ると、どうやらみんなフェイトとの再会を喜んでこちらには気づいていないらしい。
あるいは、こちらに気でも使っているのだろうか。
まあ、どっちでもいいさ。見られていないことには変わらない。
そのことに少し安堵しつつ、凛の体を軽く抱き寄せた。
凛もそれに抵抗はしない。少しの間、そうして凛の体温を感じる。
無事でよかった、心の底からそう思う。
凛が消えた時、目の前が真っ暗になり足元が崩れたような錯覚を覚えたから。

いつまでもそうしていては、さすがにフェイト達に見られてしまうので少ししてお互い僅かに離れる。
そこで地震でも起きたかのように、海と陸が鳴動を始めた。
『みんな気を付けて! 闇の書の反応、まだ消えてないよ!!』
通信はエイミィさんからのもの。

なるほど、本番はこれからということか。
まったく、どこまでも楽はさせてくれないらしい。
俺自身はほぼ魔力切れ。おおよそ、九割以上の魔力を使いきっている。
出来て数度の投影か、あとは強化くらいなモノ。とてもではないが、もう真名開放は無理だ。

だが、凛からの魔力供給があればまだ戦える。
さあ、最後の締めといこう。






あとがき

なんて言うか、前話で言った通りInterludeが長いですねぇ。
今話のおよそ半分はそれで占められています。というか、半分以上だったりします。
もうInterlude(幕あい)じゃありませんよね。
まあ、前話と元は一つだったので、合体させればちょうどいいくらいの比率になるはずなんですけど。
それにほら、タイトルがタイトルなんであっちの比重が重くなるのは仕方ありませんよ……ね?

それと、次回は最終決戦という名のフルボッコ……ではなく、凛が闇の書の中でどう過ごしていたかに触れます。
早い話、涙の意味とかそういう点ですね。
今回までが表の話なら、次は裏の話ってことになりますか。

ちなみに、士郎がキビシスを使ってましたが、十話あたりで持ってて使えるって言ってるんですよ。
長かった。あの時にちょこっと出しておいた物を、やっと回収できました。
闇の書のあの能力を見た時から、ずっと考えていた展開です。
なんか、あれってブレーカー・ゴルゴーンに似てません?
少なくとも私はそう思い、こういう形でやってみました。

それにしても、凛が目立つなぁ。
そして士郎は、ずっと子どもたちを助けてばっかりな気がします。
まあ、その方がらしいって言えばらしいんですがね。



[4610] 第39話「Hollow」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:fd260d48
Date: 2010/02/01 17:32

本来なら、ここで「闇の書の闇」との最後の戦いを描くところだが、その前に一つ時を遡る。

それは、現実世界で衛宮士郎や高町なのは達魔導師が闇の書と戦っている最中。
それは、闇の書の中で夢から醒めた八神はやてが、その管制人格と遠坂凛の「影」に対面していた時。
それは、夢の世界でフェイト・テスタロッサが最早会えぬ筈の人たちとの対面を果たしている頃。
それらと同じ時に起こっていた、未だ語られぬもう一つの物語。

フェイトと同じタイミングで闇の書に取り込まれ、同様に夢の世界にいた「本物」の遠坂凛。
フェイトは半年前に失った母と、会うこと叶わぬ筈の姉の夢を見た。
では遠坂凛は、一体どのような夢を見ていたのだろうか?

闇の書が見せる夢は、対象の精神にアクセスし、深層意識で強く望んでいる願望の発露。
そこは誰にとっても心地よく、誰もが一度は望む様な幸福がある。文字通りの“夢”の世界。
ならば、遠坂凛が見た夢とは、彼女が心の奥底に秘め望む幸せとは一体どのようなものなのか。

だが、ここで一つ疑問を呈したい。
もし彼女の中に、本人ですら憶えていない「あらゆる可能性が満たされた世界」の“残滓”が眠っていたら?
深層意識に根付く願望よりも、なお深い領域にあるそれを闇の書が見つけ出したなら……。
あるいはそれが呼び起され、再現される事など絶対にあり得ないと、誰に断言できるだろう。
「全てがある」それはある意味、どのような幸福にも劣らない奇跡なのではなかろうか。
故に、深層意識の願望とそれよりなお深い領域に眠る残滓が混ざり合い、一つの世界を作り上げた。

舞台はこの世界には存在しない魔術師達の故郷、“冬木”の街。
最早再会すること叶わぬ筈の人々との邂逅は、その心に何をもたらしたのか。
そこに、遠坂凛が流した一雫の涙の理由がある。

それは、時の大河より外れし、穏やかなる日常を再現した“幻”の世界。
遠い昔に失われ、あるいは決して知り得ぬ筈の記憶がいま目覚める。

これは、その一端に触れる幕間劇。



第39話「Hollow」



SIDE-凛

…………懐かしい人を見ている。
私が知る限り一度として報われることの無かったそいつが、出会った時と変わらぬ尊大さで佇んでいた。

遠くには夜明け。
地平線からは、うっすらと黄金の陽が昇る。
それを背に、そいつは見上げる私を黙って見守っていた。

―――――風になびく赤い外套に見る影はない。
外套は所々が裂け、その鎧もひび割れ、砕けている。
存在は希薄。この世の者でないそいつは、足元から消え始めていた。

そいつは、私が最も良く知る男と同じ存在。
だけど、違う。起源は同じ、抱いた理想も同じ。でも、私の愛する男とはもう別の存在。
そいつは、最後の最期で信じた理想に裏切られ、そこでそれまでの自分を否定してしまった。

弓兵のサーヴァント「アーチャー」。
そう、それがこいつの呼び名。
ほんの二週間程度だが、背中を預けた協力者。
十年間、共に歩み続けた相棒ではない。どれほどよく似ていても、二人は同じではない。

そいつが、朝焼けそのものの晴れ晴れとした顔をしている。
一度として報われることの無かった男。救いを与えたくても、それはできない。
仮に騎士をこの世に留めたところで、与えられるものはない。
なぜなら、座に帰ってしまえば全ては“ただの情報”に堕ちてしまうのだから……。

その事実に必死に涙を堪え俯く私へ向け、そいつは声をかける。
「―――――――――――凛」
かけられた穏やかな声に反応して、思わず顔を上げる。
見上げた顔には、かすかな笑みが浮かんでいた。

そいつは、少し私の顔を見つめた後、遠くで倒れている少年に視線を投げる。
そうして……
「私を頼む。知ってのとおり頼りないヤツだからな。
 ―――――――――――――君が、支えてやってくれ」
他人事のようにそう言った。

それは、この上ない別れの言葉。
こいつは、私の事を信じてくれた。
私が側にいるのなら、視線の先にいる少年の未来は変わるかもしれないと。
そんな希望が込められた、遠い言葉。

けれど、そうなれたとしてもこの紅い騎士にとっての救いとはならない。
こうして存在してしまっている以上、彼は永遠に守護者であり続ける。
過去の改竄程度では、その掃除屋としての呪縛からは逃れられないのだ。
既に死去し、変わらぬ現象となった青年に与えられるものは――――――――――やはり、ない。

それを承知で、私は頷いた。
なにも与えられないからこそ、最後に、満面の笑みで返すのだ。
何もしてやれない自分の無力さに悔しさがないわけじゃない。
だけど……………「私を頼む」と。
そう言ってくれた彼の信頼に、精一杯応えるために。

そうだ。だからこそ、こいつが安心して逝ける様に、笑って送らなければならない。
「うん、わかってる。わたし、頑張るから。アンタみたいに捻くれたヤツにならないよう頑張るから。
 きっと、アイツが自分を好きになれるように頑張るから……!
 だから、アンタも――――!」
―――――――――今からでも、自分を許してあげなさい。
言葉にはせず、万感の思いを込めて騎士を見上げる。

それが、どれほどの救いになったのかはわからない。
だけど、こいつから返ってきた答えは一つだった。
「答えは得た。大丈夫だよ、遠坂。オレも、これから頑張っていくから」
ざあ、という音。
そいつは私の答えを待たず、ようやく、傷ついたその体を休ませた。

ああ、あんな顔をされては落ち込んでいる暇などない。
騎士が立っていた荒野に別れを告げ、私は少年の下へと駆けていく。
ちゃんと、こいつが救った人たち全てを束ねてもなお敵わない位、幸せにしてやらなければならないのだから。

――――黄金に似た朝焼けの中。
消えていったそいつの笑顔は、いつかの少年のようだった。


これが、十年前に私が心に刻んだ一つの誓い。
でもそういえば、アイツはちゃんと自分を許せたのかな。
アイツはかなり頑固だから、きっと……自分を許せなくても頑張ってしまえる。

得た答えとやらは、失った「理想」を取り戻させてくれたかもしれない。
だけど、かつての自分への「許し」も与えてくれたのだろうか。
それを聞けなかった事が、未練と言えば未練だった。



  *  *  *  *  *



「……………………………ん」
何か鳴っている。
じりり。じりり。と忙しなく甲高い音が自分の頭の上から聞こえてきた。

「…………うるさい。止まれ」
音は止まない。
ジリリジリリと、まるで私が親の仇だと言わんばかりの騒々しさだ。

もうちょっと寝かせてくれてもいいのに………いや、むしろ寝かせるべきだ!
昨日何があったかよく思い出せないが、人間眠らないと死ぬ。
つまり、それを妨害するこいつは私を殺したいに違いない。

って、あれ? そう言えば私、目覚ましなんて使ってたっけ?
確か、目覚まし代わりに起こしてくれる奴がいるから、今の私はそんなモノ持っていなかったはず。

しかし、そんな私の疑問とは裏腹に音が鳴り止むはずもなく。
「……ああ、もう…………融通の利かない奴……………」
目覚まし時計に言葉は通じない。
だっていうのに、ジリリジリリという音が「さっさと起きろ、だらしのない」と聞こえてくるのは、いったいどんなカラクリなのだろう。

それに、このまま寝続けていると後で小言のうるさい小姑(舅)がいる。それも二人。
「…………うぅ………朝から小言は、勘弁………」
あの二人に、両耳それぞれを使って説教されるのはさすがに嫌だ。
まったく、私は師匠でマスターなのに、弟子も使い魔も遠慮がない。
少しは私を敬う気持ちがないのだろうか。

仕方なく、目覚まし時計を手探りで止め、重い瞼を開ける。
そこで最初に目に入ったのは………
「………天井ね。当たり前だけど」
眼に映ったのは白い天井。
だけど、そこにどこか違和感を覚える。
既視感というか、妙に懐かしい。私の部屋の天井って、こういう感じだったっけ?

だが、目覚め時の私は思考能力が低下する。
疑問は憶えているのだが、それ以上進展しない。
まあ、頭がはっきりしてくればそのうちわかるだろう。

とりあえず、のそのそとベッドから這い出す。
「………うぅ、寒!」
布団という天国から、冷気という地獄に移動したことで、すぐさまベッドに戻りたい衝動にかられる。
しかし、ここでそんなことをしていてはいつまでもこのままだ。

箪笥から着替えを引っ張り出し、手早く着替えて身支度を整える。
温かい冬物のおかげで、着替えが終われば寒さが身に染みることも無い。
先人達は偉大だ。こんな素晴らしいモノを後世に残してくれたのだから。

だが、ここでも違和感を覚える。
見覚えのある家具。見覚えのある内装。見覚えのある整頓(散らかり)具合。
どれも記憶にあるのだが……はて、本当にここは私の部屋なのだろうか?
そういえば、なんか自分の体にも違和感と同時にこれまた既視感の様なモノがある。
憶えがあって当然なのに、どうして「既視感」なのだろうか。

まあ、それも今は置いておこう。
とりあえず、キッチンに言って冷蔵庫から牛乳を出してそれを飲んでからだ。
もちろんホットにして。この寒いのに、わざわざ冷たいまま飲む必要はない。
世の中には、「文明の利器」という非常に便利なモノがあるのだから。

そうしてノブを掴み、扉を開ける。
扉を締める間際、最後に部屋の中を見た。
なんだか、目に焼きつけておきたい気持ちになったのだ。

日々の惰性で廊下を歩く。
間取りや廊下の長さなど、それなりに長く暮らしていれば自然と地図と距離感が体に染み付く。
慣れた場所なら特に意識することも無く、ぼんやり歩いているだけでも目的地に着いてしまえるのが人間だ。
だからだろう。私は廊下の景色を目に映しながらも、頭の中にまでは入れなかった。

歩いているうちに、誰かと出会う。
その誰かは、私の方を見ると笑顔でこう言った。
「あ、おはようございます。姉さん」
「うん。おはよう、桜」
何の変哲もない朝の挨拶。
別に変な所など何もないし、ここにいることもおかしくない。
だってこの子は、私がこの家に来るようになる随分前からこの家に通っていたのだから。

「朝ごはんの支度、もう出来ていますから先に居間に行っていてください。
 私、ちょっと部屋に用があるので」
「ん、早くしなさいよ」
「はい。あんまり時間がかかり過ぎると、藤村先生やセイバーさんが暴れ出してしまいますしね」
そう笑って言いながら、その子は私と擦れ違って早足で歩いていく。
ああ、確かにあの二人なら、食事が遅くなった程度でも大暴れするわね。
で、その被害は主にアイツに、というか全てアイツに集中するだろう。

擦れ違って数歩。私はその場で足を止め、今すれ違った人物の事を考える。
私はいま、なにかとんでもない人物と擦れ違わなかったっけ?
「…………………………………………………………………………………………………………はぁ!?」
しばしのシークタイム。そのおかげで少しだけ戻ってきた思考能力は、私に驚愕を与えた。
だって今挨拶して擦れ違ったのは、前の世界に置き去りにしてきた私の妹ではないか。

大急ぎで振り返り、疑問の声を上げる。
「な、なんで桜がいるのよ!!??」
しかし、答えてくれる声はない。
辺りを包むのは静寂。擦れ違った桜も、すでに私の声は聞こえていないらしい。

よく見れば、見覚えがあるはずだ。そして、違和感を覚えたはずだ。
だってここは、今の私たちの家ではなく“衛宮の家”ではないか。

と、そこへ…………
「………そんなところで何をやっているのですか、リン?」
「へ?」
これ以上ない位に怪訝そうな声が耳にとどき、思わず間の抜けた声を漏らしながら自分の背後を見る。

そこにいる人物の姿を目に移した瞬間、私は硬直した。
「………………………………」
「? どうかしたのですか?」
そんな私を見て不思議そうに首をかしげているが、今はそれどころじゃない。
なにせ、眼の前にいる人物への理解が追い付かないのだから。

……驚いた。何が驚いたって、そこいたのは神がかったほどの美人だから。ちなみに、眼鏡美人。
言ってしまえば、ドがつくクラスの美女である。女が女を美女という時は、それはホントの美女なのだ。
これまで色々なタイプの美形に出くわしたけど、これほどの美女にお目にかかった回数は片手の指で足りる。
惚れ惚れするような均整の取れた肢体。そうでありながら、嫉妬する気さえなくなりそうな豊かな胸と細い腰。それらを包むのは野暮ったいトレーナーとジーンズでありながら、十分彼女の魅力を引き立てている。
また、足元にまで届きそうな、枝毛などあり得ない美しい紫の髪。
そして端正、などという領域に収まらない顔立ち。

なんと答えていいのか咄嗟に思いつかず、歯切れの悪い答えをする。
「え、えっと…気にしないで」
「………そうですか。それはそうと、タイガやセイバーが痺れを切らしています。
急がないと、士郎が見るも無残な事になるでしょうね」
などと言いつつ、彼女は私を擦れ違って桜と同じ方に去っていく。
どうやら、桜を迎えに行くらしい。

この人が誰なのか、私にはまったく心当たりがない。
ないはずなのに…………彼女の姿に、いつか見た「紫の蛇」を幻視した。
良く思い返せば、彼女とあのサーヴァントは符合する箇所が多い。
それに、アレは本来桜のサーヴァントだ。なら、桜の事を気にかけるのも納得がいく。

つまり、アレは…………
「ライダー……ってことよね?」
彼女が視界から消えた頃、誰に尋ねるわけでもなくそう呟く。
はぁ、大地の神性の持ち主だし、それならあのスタイルも納得か。
それにあの眼はキュベレイのはずだから、魔眼殺しも納得がいくわね。

しかし、彼女はとうの昔に消えている。
また、私は彼女と気軽に話せるような間柄であった憶えもない。
いや……そもそも、何で私は彼女がライダーであるとすぐに思い至り、その存在をこんなにすんなり受け入れられるのだろう。

だが、一連の驚愕が私に現状を思い出させる。
私はたしか、なのはたちと闇の書相手に戦っていたはずだ。
それで、アルフがチャンスを作り、はやてに仕込んでおいたアレを発動させた。
しかしそこで、魔導書の方の闇の書が輝いて、その後の記憶は―――――――――――ない。

まさか、あれ全てが夢だったはずもないけど、じゃあ今この状態はなんなのだろうか?
「………ちょっと落ち着こう。まずは顔を洗って、頭をはっきりさせてからね」
ここで考えても意味がない。
それに、さっきの桜やライダーと思しき人物の言っていたことも気になる。
彼女たちの言っていたことが正しければ、居間にはあの娘がいることになるはずだ。

懐かしき衛宮邸を歩き、よく憶えている洗面所で顔を洗う。
頭がはっきりしてきたところで「何が起きても驚かないぞ」とばかりに覚悟を決める。
あらかじめ、桜とライダーに出会えてよかった。おかげで、心の準備をする時間が出来たのだから。
そうでなかったら、居間でとんでもなく不審で無様な反応を見せていたかもしれない。

居間に入ると、ある意味覚悟していた通りの光景が広がっていた。
「おはようございます、凛。いい朝ですね」
「あ、おはよう遠坂さん」
「え、ええ。おはようございます、セイバー、藤村先生」
覚悟はしていた。していたけど、視界がぼやける。
眼をこすると、少しだけ潤んでいたらしい。

「どうかしたのですか、凛? 朝に弱いのはいまさらですが……」
「大丈夫。ちょっと寝不足でね、あくびしたら涙が出ただけよ」
微妙に失礼なことを言うセイバーに、なんとか笑顔を向けて心配させないようにふるまう。
ああ、本当にいた。嬉しいのかどうなのか、自分でもよくわからない。
いつかまたこの娘と会えたらとは思っていたけど、会えないという事もわかっていた。
その希望がこうして叶ったが、それにどう反応したらいいのだろう。

藤村先生はというと、だらしなくテーブルの上に突っ伏している。
どうやら、お預け喰らって拗ねているようだ。
「ねぇ士郎~! まぁ――――だぁ――――――?」
「それ、三十秒前にも言ったぞ藤ねえ。少しは我慢ってものをしろよな、いい年のくせして」
「うわ―――――――ん、年の事は言うなぁ!! セイバーちゃーん、士郎がいじめるぅ~~」
大声で吠えたかと思うと、一転してセイバーに泣きつく藤村先生。
私の記憶通り、喜怒哀楽の変化が激しい。にもかかわらず、どこか憎めないのはさすがな人徳と言えよう。

でも、キッチンから聞こえてきたのは耳によくなじんだ声。
およそ十年、ほぼ毎日聞き続けた声だ。聞き間違える筈がない。
アイツもやっぱりここにいるんだ。そして、その声音からは私の様な困惑は感じられなかった。
すなわち、士郎にとってこの状況は当然のものなのだろう。

「大河、必ず来る幸福を待つのも幸せのうちです。とはいえ、あまり待たされては幸せが不満へと変化することもある、と言う事をシロウには理解していただきたい」
とは、微妙に脅迫まがいの事を言うセイバー。
つまり、早くしないと不満を爆発させるぞ、という事である。

「わかったわかった。ほら、もう出来たからそっち行くぞ!」
そうして、士郎がキッチンから出てくる。

しかし、その姿は私にとって意外なモノだった。
「ぇ……………!?」
思わず驚きに目を見張る。
予想だにしない光景が目に飛び込んできて、思考が停止した。
なんで、士郎は…………こんな姿をしているのだろう。

そんな私に、士郎が怪訝そうな眼つきで尋ねる。
「どうしたんだ? 凛」
「な、なんでもない! なんでもないから………気に、しないで」
なんか、さっきからこればっかりな気がするのは気のせいだろうか。
そこにいたのは、確かに私の相棒兼弟子兼恋人の衛宮士郎その人。

だけど、私が予想していた姿とは違う。
エプロンもしている。あまり飾り気のない私服に身を包んでいるのも予想通り。
では、どこが予想と違うのか。それは――――――――その容姿だ。
そこにいたのは、赤銅色の髪に琥珀色の瞳をした、十年前の士郎だった。
ただし、その体格だけは180センチ超の筋肉質。
つまり、若返る前の士郎の肉体に、十年前の配色をしたような姿という事。

私が思い描いた衛宮士郎とは、白髪で褐色の肌の青年の姿。
なぜならそれは、今の私自身が、つい半年前までの「大人の肉体の遠坂凛」であったからだ。
また、さっきすれ違った桜や今目の前にいる藤村先生も十年前の姿ではない。
桜も藤村先生も、最後に会った日の姿そのままでここにいる。
まあ、藤村先生と最後に会ったのは、もう何年も前だけど。

だけど、なぜだろう……。
どうして私は、士郎のこの姿にここまで心を揺さぶられるのか。
ショックを受けた…………というのとは、どこか違う。
予想外だったから驚いたのは本当だけど、それだけでは説明できない何かが心の内にある。
掴めそうで掴めない、そんなひどく曖昧で形の定まらない感情が心を埋め尽くす。

士郎はそんな私の様子を気にかけるが、それ以上追及はしない。そう言うところも士郎らしい。
話せるような事なら折を見て話してくれるだろう、そう考えているんだと思う。
そのまま士郎は、手に持ったお皿をテーブルに並べ朝餉の用意を済ませる。
そこへ、部屋に用があって戻っていた桜とそれを迎えに言っていたライダーが帰ってきた。

私もまた、周りの流れに無意識に合わせて自分の定位置に着く。
考えても仕方ない。幾ら心の中に手を伸ばしてみても、私にはまだ渦巻くそれを掴めないのだ。
わからないものに執着しても仕方が無いし、わかるようになるくらいはっきりするのを待つしかない。
さしあたっては、一度その事は頭から締め出して、周りの様子を観察するべきだろう。

そうして、全員が席に着いたところで………
『いただきまーす!』
全員が一斉に、ただしそれぞれが微妙に異なる合掌をする。唯一人、私を除いて元気に。

テーブルには焼き魚を主菜とした朝食が、ズラリと六人前。
「はい。そんなわけで今朝は久しぶりに俺と桜の合作です。
 みんな、特にそこのぐうたら人間は、俺は別にいいけど桜にはしっかり感謝しつつ、よく噛んで食べるよーに」
こくん、と生真面目に頷くサーヴァント二人。
いや、たぶんあなた達の事じゃないでしょ。
士郎が言っているのは、藤村大河という名の野生動物の事だろうから。

その虎兼教師の不思議動物さんは、ご満悦の様子で朝食をすごい速さで平らげつつ桜に尋ねる。
「そういえば桜ちゃん、今日はバゼットさんとカレンちゃん、それにイリヤちゃんはどうしたの?」
「バゼットさんは早朝からの力仕事のバイトらしいですよ。今度こそは、って意気込んでました。
 カレンさんは、教会で早朝ミサがあるからと。そう言うわけで、二人とも一足早く食べて行っちゃいました。
イリヤさんは……………セラさんに捕まってるんじゃないでしょうか?」
「そうだな。確かセラの小言がうるさいって言ってたし、そろそろセラも我慢の限界かもしれないな。
というかだ、藤ねえ。それ、バゼットとカレンが昨日言ったぞ」
「あれ? そうだっけ?」
「まったく、人の話くらいちゃんと聞けよな」
とは、その虎の飼育員かはたまた猛獣使いの様な立ち位置にいる士郎。
ちなみに、すごい小声で「だから結婚できないんだぞ」と言っていたりするが、本人には聞こえていないらしい。
もし聞こえていたら、きっと…………いや、考えるまでもないか。

しかし……そうか、この世界ではバゼットとカレンもまだこの家で暮らしているのか。
その上、話の様子だとイリヤスフィールまで生きているらしい。とんでもないご都合主義だ。

「? どうしたのですか、凛。食が進んでいないように見えますが……」
「大丈夫よ、ちょっと食欲がないだけだから。別に、病気とかってわけじゃないしね」
私の様子を心配したセイバーが顔を覗き込んでくるが、なんとか笑って取り繕う。

そこへ……
「じゃあ、私が貰ってあげる―――――――――♪」
「「藤ねえ(藤村先生)、あんまり意地汚いことするな(しないでください)!!」」
「あぅぅ、士郎と桜ちゃんが怖い~~。お姉ちゃんは親切で言ってるのに~~……」
しょぼくれていじける藤村先生。しかし、誰も同情はしない。
この程度、衛宮邸で過ごしていれば日常茶飯事だった。

「おかわりならたくさんありますから、そんなことしなくても大丈夫です。
 というわけで、じゃんじゃんおかわりしてくださいねー」
「言われるまでもなく。――――――――――桜、タワー盛りでお願いします」
そう言って、お茶碗……というかどんぶりの親戚みたいなお椀を差し出すセイバー。

そこで、ライダーと目があった。
「……………」
「……………」
お互い無言。言いたいことは一緒だが、言わぬが花というものだろう。
でも、「タワー盛り」って何よ?

既に食べ終わっていたライダーは、そのままお茶を淹れる。
そのまま無言で口に運ぶ姿は、実に様になっているわね。



その後、セイバーは三杯目“だけ”お椀をそっと出し、あとは躊躇遠慮なく五杯目までおいしくご飯を頂いていた。
藤村先生もそれに負けじと食べていたが、軍配はセイバーに上がる。
まあ、あの子はあの子で底なしっぽいから。
ちなみに、桜もちゃっかりご飯を三度おかわりしていたのを私は見逃していない。

食後の団欒を終え、藤村先生は学校へと出勤した。
なんでも、今年の弓道部は有望株が多いとかで張り切っている様子。
だがどうやら、ここの桜や士郎は弓道部との直接的な関係はもうないらしい。
藤村先生を見送り、そのまま士郎は洗い物、桜は洗濯に取りかかる。
ライダーは自室で読書、セイバーは道場で汗を流すそうだ。

ここまで来て、私は自分のおおよその状態を把握する時間を得た。
手元にあるいくつかの情報を考察し、出した結論はある意味当然の答え。
「夢………………ってところなのかしらね」
というか、そうと以外に考えようがない。
厳密には夢とも違うのかもしれないが、それがもっとも妥当な表現の様に思う。

どちらが、など愚問だ。
私には、この世界における今日以前の記憶がない。
昨日何があって、みんなが普段何をしているのか知らない。
私の記憶にある世界が夢で、私が本来の記憶を失い、あの世界での出来事を現実と思いこんでいない限りは。

そして、私の記憶にある世界が現実である証拠がある。
「魔法が使える。なら、それが事実ってことよね」
胸の前で手を合わせ、それを少しだけ開く。そこには、緋い小さな魔力球が生じていた。
魔術回路は使っていない。つまり、これは魔術以外の何かによって生じている。

その何かとは、リンカーコア。魔術師ではなく、魔導師が使う器官。
これこそが、あちらが現実であることの何よりの証左だ。
おそらくは闇の書に何かされて、不思議の国のアリスよろしく、私はこの世界に迷い込んでいるのだろう。
まったく、おとぎ話の主人公とかは柄じゃないのになぁ。
むしろ、主人公に手助けしたり、あるいは邪魔したりする魔女の役だろうに。

とはいえ、それならいつまでもチンタラしていられない。
念話を使おうにも誰にも繋がらず、はやての中の私の魔力に向けて意志を届かせようとしても反応がない。
「離れて闇の書と戦っていた時でも、少しくらいは手ごたえの様なものを感じてたんだけどなぁ。
その上、どういうわけかカーディナルは手元にないし、宝石剣も指輪も無いってのがキツイか」
事実上の戦力半減……どころか、そのほとんどを封じられたようなモノ。
あるのは、部屋に在った宝石がいくつかとアゾット剣くらい。
奪われたのか、それともこちらの世界にまで持ち込めなかったのかはわからない。
どちらにしても、在り処が分からない以上見つけることも不可能。なら、この装備で何とかするしかないか。

そこで問題が生じる。では、どうすれば元の場所に戻れるのか。
「……………やっぱり、怪しいのはあそこよね」
ここが冬木市なら、まっさきに思いつくのは「柳洞寺」………その地下にある「大空洞」だ。
あそこはこの街一番の霊脈のポイントだし、柳洞寺はその要石、その上大空洞には大聖杯まである。

言わば、この冬木の街の心臓とも言うべき場所だ。
まず真っ先に調べるとすれば、あそこ以外はあり得ない。

そうと決まれば、善は急げだ。大急ぎで柳洞寺に行って、何とかここから出る方策を考えないと。
あっちの状況はサッパリだけど、これで間に合わなくなったら最悪だ。
あれだけ啖呵きったのに、それを無様に失敗したのでは遠坂凛の沽券にかかわる。

だけど、その前に……少しだけ寄り道をしても良いだろう。



出かける前に訪れたのは道場。
中で誰かが打ち合っているようで、外にまで激しく打ち合っている音が届く。

中を覗き込むと、案の定士郎とセイバーが打ち合っている。
「おお、やってるわね。二人とも」
集中しているだろう二人の邪魔にならないよう、小声でつぶやく。
別にやましい事をしているわけではないので気配まで消しはしないが、それでも物音を立てずに扉の前に立つ。

しかし、気配で気付いたのか。扉の前に立ってすぐにセイバーが反応した。
「おや? どうしたのですか、凛」
「ん? ちょっと見学。邪魔なようならすぐに消えるけど?」
「いえ、構いません。ですが、面白いモノではないでしょう……」
「そうでもないわよ。ボコボコの士郎ってのはそれだけで十分面白いし」
私と話しながらも、セイバーは危なげなく士郎と打ち合う。
私が見る限り、私の知る士郎と技量に差はないように思う。
十年経っても、まだ士郎とセイバーの間にそれだけの差があるという事なのだろうか。

とは言っても、セイバーは別に手を抜いているわけでもない。
私と話していても目は士郎を向き、油断なく構えている。
つまり、士郎はセイバーにとってそれだけの使い手に成長したということか。
まあ、それでも負けが込んでいるみたいだけどね。

「悪かったな!? っと隙ありだ、セイバー!!」
「甘い!!!」
「くっ!?」
隙を見つけた士郎が竹刀を振るうが、それをセイバーが弾く。
そのまま一撃を入れようとしたところで、士郎がギリギリ回避した。
うん、やっぱりそれなりに勝負にはなっているようだ。

そうして、二人の稽古を五分ほど見る。
その間、士郎は一貫して押されているものの、決して決定打は入れさせない。
セイバーが本気ではあっても全力ではないせいもあるだろうが、それでもだ。
剣の英霊相手に、あれだけやれれば相当なモノ。セイバーは手加減こそしているが、決して容赦はしていない。

だが、それでもやはり士郎が勝つのは無理らしい。
「ぐわっ!?」
「いい勝負でした。腕をあげましたね、士郎」
「いててて……。やっぱりそう簡単には一本取れないか」
「そうですね。ですが、この調子で続ければ、いつか取れるかもしれませんよ。
それだけ、貴方は成長しましたから。師として、それは嬉しく思います」
あくまでも「かも」なのね。まあ、士郎とセイバーの本来の差を考えるとそんなものか。
元から、アイツは剣で戦う者じゃない。剣は単純に、手段の一つでしかないのだから。
でも、あれだけやってすぐに息を整えられるだけ、士郎も相当なモノなのだろう。

さて、見たいものも見れたし、そろそろ行くとしよう。
「出かけるのですか、凛」
「うん。ちょっと大切な用があってね」
「そうですか。いってらっしゃい、凛。お気をつけて」
「ふぅ。おう、気をつけろよ、凛。
ここのところこれと言って事件とかはないけど、何があるか分からないからな」
汗を拭きながら、セイバーと士郎がそう言う。
少しだけ、この世界から出ていくことを躊躇いそうになるけど、すぐに振り払う。
ここは居心地がいい。だけど、あまりに良すぎて逆に居心地の悪さを感じてしまう。
水清ければ魚棲まずっていうけど、つくづく自分はひねくれていると思う。

でも、幸せだけど空虚な夢より、危険な現実の方を私は選ぶ。
ま、ここが夢かどうかさえ私にはわからないし、現実じゃないって証拠もないんだけどね。
それでも、やっぱりここは私の居場所じゃない。

だけど、少しくらい心を残していっても良いだろう。
「わかってるわよ。それと、セイバー」
「はい?」
「士郎の事、ありがとね。これからもしっかり鍛えてやって」
「? ええ、もちろんです」
セイバーは首をかしげながらもそう答えてくれた。
この世界が何なのかはよく分からないけど、私はここを出ていく。
もう生きているうちに会う事も無いだろうから、聖杯戦争の事も含めて万感の感謝と親愛を込めて言葉を紡いだ。

「じゃ、いってきます」
別れは、この一言だけでいい。
二人は何も知らず、ただ当たり前のように送り出してくれた。



そのまま私は玄関まで行き、そこでブーツに履き替える。
「あ、姉さん。出かけるなら、ちょっとお買い物頼んでもいいですか?」
「ああ、ごめん。ちょっといつ帰ってくるか分からないから、士郎に頼んで」
正確には、もう帰ってくることはないはずだ。少なくとも、この私は。

「そうなんですか?」
「悪いわね。私もどれくらいかかるか分からないからさ」
「はぁ……。じゃあ、あとで自分でいきますね」
これで納得してくれるとは思っていないけど、それでも桜は受け入れてくれる。

と、そこへライダーもやってきた。
「サクラ、あのドラマが始まりますよ」
「え? 本当ライダー、急がなきゃ!」
そう言って慌てる桜。なるほど、なにか楽しみにしている番組があったらしい。
この様子だと、ライダーも一緒に見ているのか。

じゃあ、その前に一言言っておきましょうか。
「桜」
「え? なんですか、姉さん」
出来る限り優しく声をかけると、桜はちゃんと振り返ってくれる。
その顔を、できる限り鮮明に目に焼き付ける。次に会えるのはいつになるか分からない。
なら、今この時を大切に胸にしまおう。これだけは、この世界に来てよかったと思えることだ。

「アンタは、もうちょっと我を通した方がいいわよ。相手を立てるのもいいけど、ほどほどにね」
「はぁ、どうしたんですか、姉さん?」
「ちょっとね、そういう事を言いたい気分になったのよ」
笑って誤魔化し、しんみりした気持ちを覆い隠す。
ここで怪しまれると面倒だし、バレるわけにはいかない。

「それとライダー、桜をよろしくね」
「? もちろんです。私は、サクラのサーヴァントですから」
「うん。ありがと」
そう言えば、昔桜が言っていたっけ。ライダーは、ずっと自分の事を心配してくれていたって。
もし彼女が生き残っていたら、こういう風に桜と仲良くやっていたんだろうな。
それをもっと見たい気もするけど、是非もなし。

伝えたいことは伝えた。あとは、別れを済ませるだけ。
「じゃ、いってきます。二人とも」
「「いってらっしゃい、姉さん(リン)」」
そうして、今度こそ私は懐かしき衛宮邸をあとにした。

さあ、サッサと柳洞寺に行って、あそこへ戻る方法を見つけよう。
見つからなかった時は………その時考える。どうせ、手掛かりはこれくらいしかないのだから。



Interlude

SIDE-???

「さて、あなたのご主人さまはいつになったらここに辿り着くのかしらね?」
テーブルの上にある赤い宝石をつつきながらそう尋ねる。
アレでリンは結構抜けてるし、もしかしたらとんでもない遠回りをするかもしれないわね。

だけど、この子は一向に反応を見せない。
《………………………》
「もう! 少しくらい話し相手になってくれてもいいでしょ」
主に似ず、愛想が悪いというかなんというか。
似たような事を結構長く続けているけど、一度も反応が返ってこない。

たしか、ちゃんと受け答えが出来る程度の知能は備えてるって話のはずなんだけどなぁ。
「もしかして、壊れてる?」
《失礼な。私はいたって正常です》
「ああ、よかった。もし壊れてたらどうしようかと思っちゃった」
もし壊れていたりしたら、私には直しようがないモノ。

《………あなたは、何を望んでいるのですか?》
「さあ、何だと思う? 一つ言えるのは、リンがいなければこの世界は成り立たないってこと。
 もちろん、この世界にいる全ての人間もね。例外は、リンとあなただけ」
言ってしまえば、このリンはこの世界の中心であり柱であり、そして土台だ。
そのリンなくして、この世界が維持できるはずも無い。いや、むしろリンはこの世界そのものと言っても良い。

《マスターは、いずれここに辿り着きますよ》
「でしょうね。リンは紛れもない天才よ。だから、遅かれ早かれ“気付く”のはまず間違いないわ。
 でも、それがいつになるかはわからない」
《あなたは、その時どうするつもりなのですか?》
なるほど、リンに似て侮れない子ね。
普通なら邪魔すると考えるところなのに、この子はそうと決めつけていない。

でも、正直に答えてあげるつもりはないわよ。
だってあなた、聞きたい事を聞いたらまたダンマリを決め込むだろうし、もう少しおしゃべりを楽しみましょう。
「どうしようかしら。一つ言えるのは、気付いても辿り着くのは難しいわよ」
《どういう意味ですか?》
「さあ? それはその時のお楽しみ♪」
さて、リンは無事にたどり着けるかな?

別に私から何かするつもりはないけど、ちょっとここまで来るのは大変なのよね。
なにせ、森には怖~い怖~い怪物が出てくるんだから。

Interlude out



SIDE-凛

衛宮邸を出て、一目散に柳洞寺まで来た。
そのまま大聖杯のある大空洞に潜ったんだけど…………
「何もないわね」
どうも、それっぽいモノは見当たらないし、感じられない。
大聖杯も完全に停止し、特にこれと言って動き出す様子も無い。

答えとまではいかなくても、最悪で何かのヒントくらいあると踏んでただけに、落胆は大きい。
「当てが外れたかなぁ、何かあるとすればここだと思ったのに……。
 こうなったら、怪しそうなところをしらみつぶしに探すしかないか」
さしあたっては、私の実家か。あとは言峰教会と、新都の公園ね。
あれらも聖杯が降霊できるだけの場所だし、何かある可能性は十分にある。

まあ、それはそれとして、この二人は何をやっているのやら。
向き合う二人の男。一人は葛木。もう一人はアサシン。二人の間には、緊迫した空気がある。
まさか、こんなところで何かやらかすつもりじゃないでしょうね。

それはそうと、アサシンまでいるのかこの世界では。
この様子だと、全てのサーヴァントがいると考えた方がいいかもしれない。

そして、アサシンが重々しくつぶやく。
「―――――王手!」
「ふむ、どうやら詰みの様だ。ついに負けたか、思っていたより早かったな」
「って将棋かい!?」
ただならぬ気配を発しながら何をやっているかと思えば…………。

「む、遠坂か」
「ほお、もう用事は済んだのか? まったく忙しないことだ」
来る時に私の事を見ていたのか、アサシンが呆れたようにのたまう。
しかし、ほっとけ。私だって好きでこんなところをウロウロしているわけじゃないのよ。

「で、これはどういう事?」
「見てのとおり、将棋を指している。いやはや、やっと一本取ることができた」
アサシンはずっと負け続けていたということか。
まあ、ひたすら刀ばかり振ってきたようなこいつが、こんなゲームに長じているはずも無い。

ああ、なんか緊張してたのがバカらしくなってきた。
さっさと次の所に行こう。
「はぁ、勝手にやってなさい。私は行くから」
「「……………………」」
人の話など聞いていないのか、二人はまた黙々と将棋を指し始める。
この二人、そんなに暇なのだろうか。

そうして山門を降りていくと、途中で一成にまで出会う。
「貴様っ! 何故ここにいる遠坂!!」
「別に私がいてもおかしいことはないと思いますけど?
 私だって、時にはお寺にお参りすることくらいありますし」
まったく、こんな世界でも変わらず私を目の敵にしてるのか、この寺の子は。

「何か企んでいるのではあるまいな」
「柳洞君、心にやましいモノがあるからそういう風に見えるんですよ。
 人を疑うより、人を信じる努力をするべきじゃありません?」
「無論、普段からそのように心がけている。
 しかし、貴様は例外だ。貴様の様な女怪、心許した瞬間が命日だからな」
はぁ、酷い言われようだ。
この寺の人とウチは古くから相性が悪かったみたいだけど、私たちが一番かもしれないわね。

「まったく、衛宮もなぜこのような女狐を選んだのか。
 あやつならば、もっと良い相手もいるだろうに。例えば、セイバーさんとか……」
なるほど、どうやらこの世界でも私と士郎はくっついているらしい。
それは、こいつにとってはさぞ苦々しい事だろう。
ちょっと「いい気味」という気もしないではないのは秘密だ。

そのままブツブツと不平不満を漏らす一成。
とはいえ、私もこいつに付き合っていられるほど暇じゃない。さっさと行くとしよう。
「それじゃあ、これで失礼しますね」
「ぬ………待て、遠坂」
こいつが私を呼びとめるなんて珍しいわね。
その表情は真剣で、邪見にしたり無視したりするのをためらわせる力がある。

「急いでいるんですけど……」
「俺とて貴様と長話する気なぞないわ! だが、一つ言っておくことがある」
「じゃあ、“一つ”だけ聴きましょう」
「ふん! 衛宮が貴様を選んだのは………業腹だが仕方あるまい。衛宮が選んだことだ、俺がとやかく言うべきことではないのだろう。故に、俺の『天敵』遠坂凛ではなく『衛宮の選んだ女性』という事で納得してやる」
「これで“一つ”ですね。話は終わりですか? これ以上となると、明らかにオーバーしますけど」
「喝! 揚げ足を取るでないわ、女狐!!
 いいか、もし衛宮を不幸にしてみろ。その時は、俺の手で仏罰を下してくれん!」
それって、何か間違ってない? 普通、男の方が叩かれるところなのに。
まあ、こいつからしてみれば士郎は大切な親友。その行く末を心配する気持ちは、わからないわけじゃない。

だから、私も衛宮士郎と共に歩む者として答えてやろう。
「もちろんそのつもりですよ。私がいる限り、衛宮君を最高にハッピーにしてみせますから」
「その言葉、努々忘れるなよ」
そう言って、一成は山門の階段を昇っていく。
終始仏頂面で、最後まで愛想の一つも振り撒かないのはアイツらしいと言えばそうだろう。

良く見ると、一成が山門をくぐったすぐ後、アサシンがこちらを見て笑いをこらえているのが目に入った。
あの笑い方から察するに「いやいや、青春とは素晴らしいモノだ」とかなんとか言っていそうだ。



次に、とりあえず一番近い霊脈のポイントである、実家を調べるべく移動する。
柳洞寺でも駄目だった以上、ここにヒントがある可能性は低いけど、他に当てもないのだから選択の余地は無い。

しかし実家に着いて私が見たのは、あまりにも予想外の光景だった。
「なんで、あの人たちが………………」
ほんと、この世界は一体どうなっているのだろう。
よりにもよって、なんであの三人が一緒にいるのか。

私の視線の先にいるのは、懐かしき父と母、そして………雁夜おじさん。
その三人が、庭先で紅茶を口に運びながら談笑している。
「いまさら……どんな顔して会えってのよ」
会いたいのか、それとも会いたくないのか、自分でも判然としない。
父さんの事は今でも尊敬しているけど、同時に桜の事で思うところもある。母さんにしても、第四次の後に色々あって心中複雑だ。雁夜おじさんの場合、桜から多少間桐での事を聞いているだけに感謝にも似た感情はあるが、なおのこと会い辛い。今の私は、あの人が大嫌いな魔術師なのだから。

だが、そんなこちらの気持ちを無視して、事態は勝手に進んでいく。
「あら?」
「どうした、葵?」
「あなた、そこに凛が」
気配を消す事はおろか物陰に隠れる事さえ失念し、棒立ちしていたのだから当然だろう。
その手の事にはド素人の母さんでも、バカみたいに突っ立っていれば気付く。

本当に、私はうっかりしている。
さっさと隠れるなり何なりすればよかったのに、思わず凍り付いてこのありさまだ。

さて、どうしたのものか……しかし、その答えが出る前に父さんが口を開いた。
「ふむ。凛、そんなところで何をしている」
「少し調べ物があって来たんですけど、どうもお楽しみ中だったようで…お邪魔でしたか?」
「いや、気にする必要はない。
しかし、そうか……お前の事だ、何も心配はしていないが、遠坂の名に恥じぬようにな」
「はい」
ああ、この人は本当に相変わらずだ。二十年前に最後の別れをした時同様、娘に対してすら愛想の欠片もない。
でも、その事にどこかほっとする自分もいる。父はこうでなければ、そう思うのだろう。

とはいえ、それで良いと思えない人もいるわけで……。
「おい、時臣。もう少し言い方があるだろう」
「黙れ、雁夜。我が家の方針に口出しする様な権利が、君に…………」
「だいたいお前は昔から…………」
なんか、勝手に盛り上がっていく二人。
ついさっきまで一緒に茶を飲んでいたはずが、いきなりの険悪ムード。
この様子を見る限り、一見仲が悪そうに見えてこの二人………やっぱり仲が悪いんだろうなぁ。

まあ、正直どう相対していいか決めかねていただけに、蚊帳の外にされてちょっと安心していたりするけど。
だけど、そんな二人を見つめながら、母さんはおっとりとした口調で評する。
「うふふふ、時臣さんも雁夜君も本当に相変わらずね。
 あなた、仲がいいのはわかりますけど、凛が見ているんですからほどほどになさってくださいね」
どうも、母さんにはあの二人のやり取りが友好的に映るらしい。
いまさらかもしれないが、もしかしてこの人、割と世間知らずと言うか、天然なのではなかろうか……。

とりあえず、あんまりここで時間を費やすわけにもいかないわよね。
「えっと、それじゃあ私は用があるから……雁夜おじさん、ごゆっくり」
「あ、待って凛。これ、さっき焼いたクッキーなんだけど、士郎君たちのところへ持って行って頂戴」
「待ちなさい、葵。衛宮の小倅に与えるものなど、この家には一つとしてない。
 そもそも、私は凛と奴の交際も認めたわけでは……」
「あのな、時臣。恋愛くらい娘の自由にさせてやれないのか? お前は」
「愚かだな、雁夜。凛は誉れ高き遠坂の当主。ならば、その伴侶もそれに相応しくなければならん。
 如何に魔導を学ぶ凛の弟子であろうと、あのような馬の骨に凛は任せられるはずが無い」
「はいはい。凛ちゃん、こんな駄目親父の言う事を聞く必要はないよ。君の人生だ、君がいいと思うように生きるといい。なぁに、いざとなれば幾らでも力になるさ」
「あらあら……あなた、あまり厳しくしてばかりいると、桜だけでなく凛まで雁夜君に取られてしまいますよ」
ふむ、どうやら雁夜おじさんの方がある意味大人らしい。
主張を押し通すばかりだけでなく、変化球も使えるみたいだしね。
それにしても、父さんは士郎がお気に召さないか。いや、何となくそうなんじゃないかとは思ってたけど。

「ごめんなさい、父さん。それについては、どれだけ反対されても考えを変えるつもりはありません」
「……………………………………………」
「ふぅ、時臣さんも頑固ね。士郎君、あんなにいい子じゃないですか。
 まあ、頑固と言うのなら凛や桜も同じですけど……そうは思わない? 雁夜君」
「同感です。ただ、桜ちゃんや凛ちゃんは時臣と違ってそこまで頭の固い堅物ではありませんよ。
いや、そこは似なくて本当によかった」
なんか、父さんがすっかりこきおろされている。
おっかしいなぁ、父さんってこんなキャラだったっけ?

だけど、それを見て思わず頬が緩む私がいる。
いつの間にか、どんな顔をすればいいのかとか、そういう小難しい事は頭から消え、自然と笑っていた。
(ああ、難しく考える必要なんて……なかったのかも)
確かに、父さんたちには色々と複雑な感情を持っているけど、だからと言ってここの父さんたちに何を言っても仕方が無い。だって、私にとっての父さんたちは、もう死んでしまっているのだ。
なら、あまりこだわり過ぎてもしょうがないか……。

じゃ、さっさと家を調べるとしましょ。
願わくば、ここで何かしらのヒントがありますように……。



で、そんな事がありながらも一応実家を調べてみたが、やはり何もない。
もしかして、私はなにかとんでもない思い間違いをしているのだろうか?
だけど、これ以外に今は当ても無いし、とにかく行ってみるしかないのよね。

まあ、そんなわけで仕方無く新都へ向かう事にした矢先。
なぁんか、非常に嫌な気配がする事に気付く。

こう………意味も無く癪にさわると言うか……。
そして、その正体はすぐに判明した。
「オ――――――ホッホッホッホッホ!! 見つけましたわよ、ミス・遠坂!
 さあ、今日という今日こそは………」
「ああ、はいはい。今日は忙しいからまた今度ね。いつになるか知らないけど、千年後あたりを希望するわ」
と、努めて視界に入れないようにしながら早足ですれ違う。
こんなバカの相手をしている暇なんてないのよ、こっちには。
ああ、見るだけで鬱陶しい、声を聞くだけでストレスが溜まる。

「ちょ、相変らず礼儀というモノを知らない野蛮人ですわね、貴女は! お待ちなさい!!」
と、嫌な予感がし、咄嗟に横に飛び退く。

すると、何かがさっきまで私がいたところを勢いよく通って行く。
「ちぃっ! よく避けましたわね!」
「アンタね! いきなり人の背後からタックルかますって何考えてんのよ、この金ドリル!!
 限度ってもの考えなさいよ! しまいにはその縦ロール引きちぎるわよ!!」
まったく、危うくアスファルトと仲良くハグをするところだった。
やっぱりこいつとは、千年経っても相容れそうにないわ。

よく見れば、いつものごとくあの改造ドレスの袖は取り外され、ノースリーブとなっている。
やっぱりアホだわ、こいつ。
しかし、そんな呆れ混じりの視線などどこ吹く風。その口からは、身体的特徴に関する不適切発言が飛び出す。
「あーら、なんて野蛮な。体も貧しければ心も貧しいというわけで「黙れ金バカ!」ホワッ!?
 レディの眼球になにしやがりますか、ミス・トオサカ!!」
こいつの一々癇に障る物言いと態度に、思わず眼つぶしをかましてしまった。
とはいえ、そんなモノを易々と当てられるようなら苦労はないか。
寸でのところで避けられ、私の指は空を切った。外したこと以外何も悔んでいない。

まあ、その後の展開はお約束ってやつね。
奇襲に奇襲で返されたルヴィアは、案の定お得意のランカシャースタイルで一部の隙もなく構える。
そう簡単に逃げ切れるような奴じゃないし、何よりこいつから逃げるのは我慢ならない。
というわけで、戦いの火ぶたが切って落とされた。

数十分後。
「ハァハァ、まったくどういう体してんのよ。
 いくら殴っても倒れないって、アンタいつの間に人間辞めたわけ?」
「そう言う貴女こそ。
いくら投げても当たり前のように起きてきて、いつからリビングデッドになったんですの?」
ああ、バカらしい。何でこんなところにこいつがいて、こんなところでまでケンカしなくちゃならないのよ。

「おーい。見ろよ、由紀っち、メ鐘。遠坂が金髪お嬢と肉体言語で語り合ってるぜ!」
「む? どうした蒔?」
「あ、遠坂さんだ。あの人お友達かな」
なんでこの人たちまでいるんだろう。
蒔寺はどうでもいいとして、なんで氷室さんと三枝さんまで。

不味いわね、ここで捕まるといよいよ時間が……。
こうなったら……
「蒔寺さん、ちょうどいいところに来ましたね。
何でもこの方、お金があり余っていて、是非ともあなた方におごりたいそうなんです」
「マジ!? ヒャッホ――――!!」
「汝、そんな与太話を信じたのか?」
「蒔ちゃん、ちょっと落ち着いて……!」
よかった、蒔寺がバカでホントによかった。
それとごめんなさい、氷室さん、三枝さん。そのバカの相手をして、さぞかし苦労している事でしょう。

よし、あとはバカはバカ同士、仲良くくっつけてやろう。
「はぁ!? 何を言ってますのミス・遠坂!」
「あら? エーデルフェルトのご令嬢ともあろう方が、その程度の出費で泣言をおっしゃいますの?」
「な、そんな事あるわけないでしょう! エーデルフェルトの財力を以てすれば、このような極東の貧相な街に構える店の一軒や二軒、かるーく大人買いしてみせますわ。オーホッホッホッホ!!」
「じゃ、あと宜しく」
そう言って、すべてを金ドリルに押し付け私は逃走する。
あのブルジョワめ、そのお金こっちによこせってのよ。
別に寄付しろってんじゃなくて、全てよこせって意味だけど。

とりあえず、これで厄介なのをまとめて排除できた。
蒔寺を振りほどくのは面倒だし、氷室さんは只者ではない、何より三枝さんを無碍にするのは気が引けてしまう。
しかし、これなら万事オッケー、問題なし。
蒔寺は元より、氷室さんや三枝さんもそれなりにいい思いが出来るだろう。

やはり、アイツにはこの手のプライドをくすぐる戦法が効くわね。
ちなみに、これは決して逃げるわけではない。
純粋な私の頭脳の勝利である事を明記する。
戦わずして勝つ、これぞ策士の妙技なり。



で、やっと新都に到着し、公園を見てみるがやはり成果は無し。
まあ、何となくわかってはいたけど。しかし、この調子で見つからなかったらどうすればいいのかしら。
早く戻らないと、何もかもが手遅れになってるかもしれないってのに。

だから……
「うおお――――! 俺は俺が大好きだ――――!!」
「うっさい!!」
ちょっとイライラして、近くで訳のわからんことを叫んでいたバカを殴っても私は悪くない。
どうせすぐにでもこの世界から消えるんだし、多少やり過ぎても問題ない、と開き直る。
それにしても、あの男はまたドラマの影響でも受けたのか。

しかし、鬱陶しいのは何も後藤だけではない。
「あのさ、何公園でさめざめと泣いてるわけ?」
「放っておいてください。どうせ、どうせ私なんて……」
「まあ、ダメット。またアルバイトをクビになったのね。
だから言ってるでしょう? あなたに出来るのは、男装してプロのリングに上がることだけだと。
ああ、でも相手を殺してしまうから追放間違いありませんか」
「カレン、今の私は機嫌が悪い。その消毒液臭い体、サンドバックにしてハラワタぶちまけますよ」
ああ、そう言えば、確か朝そんな話してたわね。
しかし、力仕事のバイトもダメってあんた……。他に出来ることってあるの?

「あら? そんなことをしたらあなたの大切な駄犬(ランサー)を永久に失う事になりますよ。
 それでもいいのですか? なんと薄情な“元”マスターでしょう」
あえて「元」を強調するカレン。薄情っていう意味で言えば、アンタの右に出る奴もそうそういないと思うけどね。

「凛、それは違うわ。私は、全人類を愛しているもの」
「ふ~ん。で、アンタにとって愛って何?」
「イヤだわ、恥ずかしい。そんなの『殺したいほど想っている』に決まっているでしょう」
何が恥ずかしいのか知らないけど、あんたつくづく歪んでるわ。
なんていうか、その邪悪な笑みをさっさとひっこめなさい、このド腐れシスター。
それと、人の思考を読むな。

しかしここで、バゼットが一念発起して食ってかかる。
「そもそも、なぜあなたがここにいる! あなたの様なLUC値をドレインするレイスがいるから、私の運気が下がるのです!!」
「はぁ、落ちるところまで落ちたわね、バゼット。自分のいたらなさを人のせいにするなんて。
 なんて、なんて独善的なのかしら」
だとしたら、何でアンタはそんなに嬉しそうなのよ。
憐れんでるような言葉だけど、その実楽しくてたまらないって顔してるわよ。
それとバゼット、そいつはレイスじゃなくてリッチだから。

「その言葉、挑戦と受け取った! ここであなたを倒し、今度こそランサーを取り戻します!」
「ふぅ、まったく短絡的ね。そんなことだから、どのバイトもクビになるのよ」
燃え上がるバゼットと、どこまでも冷静なカレン。
これは、始まる前から結果は見えたわね。

とりあえず、巻き込まれるのは御免なのでさっさと退散しよう。
バゼットが、早めに職場とランサーを得る日が来ることを祈りながら。
まあ、当分無理そうだけど………。



そして私は、最後の当てである言峰教会へと向かう。
良い思い出なんて何もないところだけど、せめて手掛かりの一つでもあって欲しいわ。

と、その途中で不審者発見。普段なら無視するのだが……。
「はい。おばあさん、つきましたよ」
「ええ、ええ。ご親切に、どうもありがとうございます」
「いえいえ、この程度当然のことですから」
おばあさんを背に背負い、歩道橋を渡る裸ドクロの男。
普通に考えると、どうみてもおばあさんが危ない。だけど、誰もそのことに反応を示さない。

なぜ? なぜ誰もアレに突っ込まない。
買い物袋を持ち「さあ、今日の晩御飯は何にしようかしら?」なんて言ってるのをなぜ誰も不審に思わないのよ。
もしかして、おかしいのは私? 私なの!?

その上、こいつの善行はその程度では終わらない。
「あら、何かしらこれ? ………お財布。交番はどこでしたかな?
 もし、そちらのお嬢さん。よろしければ交番の方向を教えて下さりませんか?」
「…………………あっちよ」
「ありがとうございます。おや、坊ちゃんどうしました? え? お母様とはぐれた?
 わかりました。不詳このハサンめが、あなたのお母様を見つけ出して御覧にいれましょう」
そうして、その不審者は子どもの手を引きながら歩いていく。
その子から名前を聞き、「○○君のお母様~」なんて呼びながら。
何故誰も、あれから子どもを助けようとしないのだろう。それどころか、なぜ警察も動かない。
私は唯、その異様な光景に圧倒された。何でもありだ、この世界。

「なんなのよ、あれ……」
「知らないのか? アレは最近有名な仮面の紳士、通称『ジャスティス・ハサン』だぞ」
「はぁ……じゃすてぃす。しかも、ハサン? ………………って綾子!?」
「よっ! こんなところで会うなんて奇遇だな、遠坂」
私が呆然としてる間に、いつの間にやら美綴綾子が隣に立っていた。

まあいいわ。ある程度は予想していたこと。
ここまで来ると、もう知り合い全員に会うんじゃないかって気がしてきたところだ。
一つ疑問なのは、あの不審者を全く知らないことなんだけど、別に知り合いしかいないわけじゃない。
ここがどういう世界なのか分からなし、知らない奴がいても不思議はないか。

まあ、一つ綾子に疑問があるとすれば、一緒にいる奴なんだけどね。
「で、何でランサーまで一緒?」
「あれ? 遠坂、ランサーさんの事知ってるのか?」
「まあ、ちょっとね」
まさか、以前殺し合いの戦いをした仲で、その後助けてもらった間柄なんて言えるはずも無い。
適当に言葉を濁し、誤魔化すのが吉か。

「おう! 久しぶりだな、嬢ちゃん」
「何してんのよ?」
「あん? まあ、デートってやつだな。もちろん俺のおごりでよ。
 こっちの嬢ちゃんもなかなかいい女でな」
そういえば、こいつは気に入りさえすればそういうのみさかいない奴だったっけ。
気に入ったなら仇とでも酒を飲め、とは昔豪語していたことだ。

「っていうか、アンタお金あるの?」
「まあな。他人の家の門を叩けば主人のもてなしで飲み食い、ってご時世でもねぇからよ。
 てめぇの飲み扶持くらいはてめぇで稼ぎださねぇとな」
つまり、その稼ぎの一部を使っているというわけか。
まあ、ある意味有意義と言えば有意義な使い方かもしれないのかな。

まあ、いいわ。綾子が誰と一緒にいようと、私がどうこう言う事じゃないし。そう、綾子はね。
「そ、じゃあ楽しんできたら?
 それとランサー、あんまり遊んでばかりいると、バゼットやカレンに睨まれるわよ」
「ああ、それか。こう言う時くらい忘れさせてくれや」
なるほど、どっちの事かは知らないけど、相当苦労しているらしい。顔はどこまでも苦々しいから。
もしかすると、「どっちか」ではなく「どっちも」なのかもしれないけど。

それと、友人のよしみとして綾子にアドバイスしておくか。
「綾子、もしもの時はランサーにホットドッグを食べさせてやりなさい」
「は? ホットドッグ? なんで?」
「やってみればわかるわ。なんなら今からでも……」
「ちょっと待て、聞こえてるぞ! それと、ホットドッグは勘弁してください!!」
疑問顔の綾子に、ヴァンダミングに土下座するランサー。
英雄の誇りも、光の御子の栄華も地に落ちたわね。

はっ! また時間を無駄にした!?
もしこれが全部時間稼ぎだとしたら、どれもこれも的確過ぎるわ…………。



そうして、やっと私は言峰教会に辿り着いたわけなのだが……。
やはり、手掛かりはなし。そんな気がしていたとはいえ、やはりショックはある。
しかし、いつまでもそのままではいられない。
手掛かりがありそうな所は全て周ったが、こうなったら冬木中を調べるしかないか。

そう思っていたら、見なれぬ金髪紅眼の子どもが教会から出てきた私に近づいてくる。
「どうしました、お姉さん。探し物が見つからないって顔をしていますけど」
「へぇ……随分察しがいいのね」
「いえいえ、それほどでもありませんよ♪」
「ふ~ん……じゃあ、察しが良いついでに教えてほしいんだけど、あなた私の探し物がどこにあるか知らない?」
見覚えはない。ないが、こいつがただの子どもの筈がない。
身に纏う常人とは隔絶した空気、かなり力を込めた視線で見据えているのに動じもしない胆力、どれもこれもただの子どもが持たないものだ。その上、言外に「自分はお前の知りたい事を知っているぞ」とまで言ってくれた。
これでこいつを「通りすがりの子ども」とスルーする方が無理な話だ

その上、どこかこいつの雰囲気には警戒心を抱く。只者じゃない、というだけでは説明できない何かがある。
理由はわからないけど、一つ確かなのは、私の直感がこいつは「子ども」などではないと告げている事。
「ええ、知っていますよ。というか、お姉さんも別に間違ってはいないんですけどね。
 ただ、順番が違うんですよ」
「順番?」
「本当はヒントを出すのはどうかと思うんですが、僕としてもこんな『ままごと』にいつまでも付き合わされるのは嫌なんですよ。ですから、とっておきのヒントを差し上げます」
『ままごと』とはまた辛辣な。だけど、この様子だとこいつは事の真相を全て知っているということか。
やはり、只者ではない。子どもの戯言の可能性はあるけど、そういう雰囲気じゃない。

「お姉さんが見てきたのは『扉』、あるいは『門』なんですよね。
 でも、『鍵』がなくちゃ『門』は開きません。だから、行っても何も気付かなかったんですよ」
抽象的な言葉だが、言いたいことはだいたい分かった。今まで行ったところで『門』と言えばあそこだろう。
そして、その門を開ける『鍵』となり得る存在には心当たりがある。
なんてことはない、私は焦るあまり先走り過ぎて途中を抜かしてしまったのだ。

聞きたいことは聞けた。ならもうここに用はない、と踵を返しかけるが、この子どもの言葉には続きがある。
「ただ、本当はそういうことにはならないはずなんですよ。
ですが、お姉さんが何かしたせいで、他の人より深く飲み込まれちゃいましたから、そのせいなんでしょうね」
何か、というのは心当たりがある。
はやての体に魔力を仕込んでいたことで、私は闇の書の力により一層強く影響を受けたのだろう。
しかし、さすがにサービス過剰ではないだろうか……まあ、別にいいけど。

さて、これで本当に聞くべきことは……ああ、もう一つあった。
「アンタ誰?」
「まあ、無理もありませんよね。お姉さんは忙しそうなので、手っ取り早くいきましょう。
 僕の匂いをよく嗅いでみてください」
匂い? 体臭……ってわけでもなさそうね。

そこでふっと気付く、この子どもからはあの匂いがするのだ。
「そういえば、お金の匂いがする」
「でしょう? 僕にはランクAの黄金律がありますから。ちなみに、あげませんよ♪」
黄金律。ここで言っているのは、身体の造形ではなく人生に関するモノの事を指すのだろう。
そして、その意味は人生において金銭がどれほど付いて回るか。つまり、こいつの周りには勝手にお金が集まるという事だ。しかも、ランクAともなれば「一生金に困る事はない」と言っても過言じゃない。
それこそ、大富豪でもやっていける金ピカぶりだろう。なんて羨ましい。

そして、それを持っていそうな奴に心当たりは確かにある。
「ってことは、アンタまさか……!!」
「ええ、そうなんですよ。なんでも『この状況は児戯以下の茶番に過ぎん。付き合っていられるか!!』って、若返りの薬を飲んだみたいです。まあ、今回は僕も同意なんですけどね」
困ったような表情をして、この金ピカ子どもはそう言う。
いや、アイツならそう言うモノを持っていても不思議はないけど、ホントに何でもありだ。

「まあいいわ。あり得ないほど性格違うじゃないってのは、この際置いとく。
アンタに私を邪魔する気がないのならそれでいいし。
 とりあえず、ヒントありがと。さっそく向かってみるわ」
「はい、そうしてください」
一度は殺し合いをした仲なのに、人生ってのは不思議なモノだ。

まあ、これでどうすべきか定まったことだし、さっさとこの状況を何とかしますかね。
そうして私は、一路アインツベルンの城を目指す。
そこで、まさかあんなモノが待っているとは露と知らずに。






あとがき

予定に反して二話に渡ってしまったぁ!!! 次こそこの話は終わらせます。それは間違いありません。
とはいえ、本当は一話で終わらせるつもりだったんですが、思いのほか長くなってしまいました。
しかも、いつもの様な「推敲して書き足しているうちに長くなった」のではなく、普通に書いてたら予想外に長くなってしまったのです。というわけで、次の話を書きあげるのは少し時間がかかるかもしれません。
どうせだからってことで、Fate組のほとんどを出そうとしたのが不味かった……。

とりあえず、この世界はhollowの世界に近い世界となっています。
個人的に、Fateで夢とか幻の世界とかいうと、なんかこれを思い浮かべてしまうんですよね。あれはあれで、かなり幸せな世界だと思いますし。
それに、hollow本編でカレンが「衛宮士郎や遠坂凛といった、もとから存在する方たちには夢や既視感として記憶は残ります」と言っていましたので、凛がhollowの時の事を憶えているのは当然なのでしょう。
で、早い話死んだ人間も含めほとんどの人がここにはいます。Zeroからも三人ばかり出てますしね。
いない人ももちろんいるんですが、それは凛的に心底会いたくない人です。
まあ、それが誰のなのかは次回に分かると思います。言わなくてもわかりそうですけど。
ルヴィアは相性がアレですけど、ライバルでもあったので決着を望む気持ちの反映とでも思ってください。
Zero以外のFate出演組では音子と零観位でしょうね、影も形も出ないのは。
他の面々は何かしらの形で、最低でも名前くらいは出ますから。

とはいえ、一番苦労したのはZero組ですね。
正直、時臣の日常風景がまるでイメージできないし、口調が……。
結果としては、なんか雁夜と葵で時臣をいじるエピソードになってしまったような感じがチラホラ。

そして、冒頭の回想に関しては私の私見になります。なので、結構皆さんの反応にビビってたりします。
ほら、確かにアーチャーは答えを得られましたが、それは必ずしも彼への「許し」になるとは限らないでしょう。
少なくとも、凛はその答えがどんなものか知らないわけですしね。
アーチャーも大概強情ですから、「許せないままでも頑張る」なんて事になりかねないと思います。
凛からすれば、アーチャーの得た答えは「頑張っていく理由」にはなっても、「過去への許し」になったかどうかはわかりません。心のどこかで、その辺りを心配しているとしても不思議じゃないかなぁ、と思った次第です。

それにしても、凛はさっさとこの世界から出ようとしていますが、結果としてはウロウロする事になってますね。
魔術に詳しいからこそ、出る為には何か条件の様なものがあるのだろうという考えです。
まさか、力技に訴えれば出られるとは思っていないでしょう。
まあ凛の場合、事情があって力技に訴えても無理なんですがね。



[4610] 第40話「姉妹」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:fd260d48
Date: 2010/02/20 11:32

SIDE-イリヤ

……………………………待ち人来ず。
まったく、やっぱりリンってば何か遠回りしたみたいね。
下手に色々わかっちゃうから、その途中が抜け落ちちゃうのよ。
才能があり過ぎるのも困りものよねぇ。大方、先走って大聖杯まで行っちゃったんじゃないかな?

本来なら力技で十分出られるんだけど、今は無理。
下手にちょっかい掛けながら取り込まれたせいで、妙に深く飲み込まれてるのよね。
おかげで、抜け出すには力技だけじゃ足りない。
『門』と『鍵』を使って穴をあけ、そこをぶち抜かなきゃ。

でも、このままだとホントに時間切れになっちゃうかもしれないなぁ。その場合、どうするつもりなんだろう?
「う~ん……あなたのご主人さまは、一体今頃何をしてるのかな?」
《マスターの事です。何か、深いお考えがあるのでしょう。深慮遠望とはあの方のためにある言葉ですから》
「本当にそう思ってる?」
《……………………もちろん》
うんうん、そうよねぇ~。その間が全てを物語ってるわ。
リンの事だから、どうせうっかり私の事忘れてたとかその辺でしょ。
それはそれで腹が立つけど。

と、そこで森の結界に何かが触れたのを感じる。
良く探ってみれば、それはよく知った魔力だった。
「よかったわね、ようやく着たみたいよ」
《私はマスターを信じておりました》
本当かなぁ……。まあ、今はそう言う事にしておいてあげるわ。

さて、いよいよ時間が差し迫ってきたわね。
とはいえ、まだ最大の試練が残っている。
悪い事に、リンがこっちに来る時に持っていた持ち物は今私の手元にある。
別に奪ったとかじゃなくて、気付いたらあったのだから仕方ない。
でもそうなると、リンに出来ることは少ない。
ましてや、アレが相手ではなおさらだろう。

出来れば何とかしてあげたいんだけど、私の言う事も聞いてくれないから無理なのよね。
その反動はもちろんあるんだけど、それでも相手が相手だからなぁ。
だからリン、がんばって。そうしないと、辿り着く前に――――――――――――死んじゃうから。



第40話「姉妹」



SIDE-凛

考えてみれば、真っ先に会うべき相手だった。
あの子は聖杯。ある意味、私以上にこの冬木の街と深い関係にある人物。
なら、私にも詳しくわからないこの状況を把握していた可能性がある。
少なくとも、大聖杯に何も無かった時点で会う選択肢を持つべきだった。

その意味で言えば、この世界にいる筈のキャスターもか。
アレは神代の魔女。私などには及びもつかない魔術師だ。
そんな彼女なら、容易く私の状態を把握できるかもしれない。
まあ、だからこそ会えなかったのかもしれないけど。向こうが会わないようにしていた可能性はあるしね。

まあ、それはいい。多少遠回りをしたけど、それでもここに行きついた。
子どもバージョンのギルガメッシュのおかげではあるが、その巡り合わせも天運という事にする。
運も実力のうちって言うしね。


ただ、さすがにこの状況は予想外。
「なんでバーサーカーに襲われなきゃならないのよ――――――――――――――っ!!!!!」
森の中を必死で走りながらの絶叫。全速力で走りながら、よくこれだけの声が出せるな私。
などと感心する暇はない。とにかく逃げる。逃げなきゃ未来がない。
あんな大怪獣、まともに相手に出来るか!?

「■■■■■■■■――――――――――――――――!!!!」
吠えてる、後ろで思いっきり吼えてるぅ!?
それも、さっきより少し近くなってきてるし!!

不味い、徐々に差が縮まっているらしい。
念のために持ってきた宝石を使って足止めしてるけど、さして意味がないかぁ。
このままだと、遅かれ早かれ捕まる。そんな事になったら、確実に私は死ぬ。
ただでさえ相手はサーヴァント。それも、あの「ヘラクレス」を狂化した「バーサーカー」だ。
知っている範囲でも、その基本性能は第五次に参加した全サーヴァント中、断トツのトップ。
元が最高位の英霊で、ギリシャ一の英傑だ。そんなのを狂化して能力を引き上げたとなれば、むしろ当然。
ちなみに、バーサーカーの真名は昔アーチャーが言っていたことだ。

その上、あれの宝具が厄介極まる。肉体そのものが宝具で、それも真名開放いらずの常時発動型。
能力は、自動蘇生と一定ランク以下の攻撃無効化だろう。
このあたりは、昔見たギルガメッシュとの戦闘と逃げながらの牽制で確認済み。

あの時何度か蘇生してたし、さっきから足止めのために逃げながら攻撃してるのに全然効果がない。
あれの逸話とかその他諸々を考えると、蘇生回数は十一回、有効そうな攻撃はAランク以上。
つまり、アレを止めたければ、Aランク以上の攻撃で十二回殺さないといけないことになる。

うん。とりあえず、言いたいことはこれだ。
「ふっっっっっっっっざけんなぁ―――――――――――――!!!
 そんなのどう相手にしろってのよ――――――――――――!!!」
カーディナルなし、宝石剣なし、そのうえ主力礼装もなし。
これでどうあの化け物と戦えってのよ。向き合った瞬間に死ねる自信があるわ!!

まあ、この場でカーディナルがあっても意味はないと思う。
私は攻撃魔法とかほとんど習得してないし、バインドがあの怪獣にどの程度効果があるか疑問だ。
バインドを気合いだけで引き千切り、ケージを指一本でぶち壊しても私は驚かない。
っていうか、魔法であれにダメージ与えるには、それこそスターライト・ブレイカーでもなきゃ無理無理。

せめて、指輪か宝石剣でもあればなぁ……。できれば宝石剣。
指輪はしょせん補助礼装だから、なくても術行使に問題はない。それこそ、使い捨ての宝石でも同じ攻撃が可能。
ただし、それだとドンドン宝石を消費するし、術の発動までに時間もかかって威力も下がるけど。
その上、使う魔術はAランク以上が目安。お金が、お金がぁ――――!!

その点で言えば、宝石剣なら問題ない。
あれは使っても減らないし、すぐさま術が使える上に、魔法の一端だから通常のランク規定から外れる。
ランク表記するなら、おそらくEX相当。これなら十分効果があるだろう。
だけど、ないものねだりしても意味がない。
ここは、今ある手持ちで何とかするしかないかぁ……。

後ろなど見ている暇はないけど、おおよその距離はプレッシャーでわかる。
これは追いつかれるのは時間の問題なんてものじゃない。あと数分とせずに射程距離に入る。
「えっと、残りの手持ちはアゾット一振りに……宝石が十数個か。
 数はあるけど、質が伴ってないのがキツイわね」
いくつかはやりようによってはA以上の攻撃ができそうなものもあるけど、それだけだ。
所詮は“いくつか”でしかなく、十二回には到底届かない。

とはいえ、これでも長いこと戦場にいた身だ。
窮地の一つや二つどころか、何十という死地を生き抜いてきた。
相手があんまりにもアレで、自分の状態がとてつもなく貧層だけど、やりようはある。
そもそも、無理に殺す必要はないのだ。一時的に動けないようにしてやれば、それで充分とも言える。
たぶん、殺すよりそっちの方が可能性は高いだろう。

それに、なんだか昔見た時よりだいぶ動きが悪いように思う。
まあ、何でなのか知らないけど、それは正直ありがたい。
そうでなかったら、とっくに殺されてたかもしれないし。

ただ、それにしても……
「あのガキィ……私にそんなに会いたくないか!!」
理由はまだ確証が持てないけど、ギルガメッシュとの邂逅で一つ仮定がたった。
だからまあ、その仮定が正しければ会いたくないという気持ちはわかる。
私に会えば、この世界は崩壊ないし消滅するだろうから、それは彼女にとっても同様だろう。

おそらく、ここは私の夢とか空想とかそう言うので編まれた世界。
少なくとも、闇の書が一から十まで全て編んだわけじゃない。
そうでない限り、アイツが士郎以外を知っている筈がないのだから。

まあ、だとすると疑問があるわけだけど。
例えば、どうしてライダーの素顔や子どものギルガメッシュ、そしてあの裸ドクロの不審者がこの世界にいるのか。
それに、私はライダーの素顔なんて知らない。
ましてや彼女の眼が水晶のような眼球に、四角い瞳孔だなんて事も知らない。
子ども版のギルガメッシュに会ったこともなければ、アレの性格に子ども版の片鱗すら見いだせていない。
特に、あんな裸ドクロの不審者には見覚えすらないのだから。

なのに、どうしてそれらがこの世界では当たり前の様に存在するのだろう。
私の夢とかそういうものの類なら、私のイメージの外に出ることはないはず。
少なくとも、私が全く知らないことなんて出てくるはずがない。
だから、ライダーの瞳孔は本来丸くなきゃおかしいのだ。
昔桜に聞いて忘れてたって可能性もあるけど、そこまで聞いた憶えはないし。
他のギルガメッシュや白髏面など尚更だ。

しかし、いつまでも思索にふけっている時間を与える気は向こうさんには無いらしい。
「■■■■■■■■■■――――――――――――――――――!!!!」
「っと、いよいよ来たわね」
覚悟を決め、アレと対峙するべく足を止める。
逃げ切れない以上、少しでも体勢を整えた状態で当たらないとそれこそ確実に死ぬ。

アレに手加減なんて思考はないし、そもそも私は手加減する相手でもない。
私は侵入者で、それもこの世界をぶち壊そうとする敵。それはあいつが守護するイリヤスフィールの消滅も同義。
なら、何も躊躇する必要はないし、その理由がない。

立ち止まると同時に、ガンドを真上に乱射し、天蓋の様に空を覆っていた木々に穴を空ける。
これから使う術は、私一人で使えるような類のものじゃない。
まともな術で倒せる相手でないのなら、自然の力を借りればいいだけの事。

そのまま手持ちの宝石の内、七つを穴に向けて放り投げる。
これらは、さっきまで足止めに使っていたのと同じ、そこまで質のいい宝石じゃない。
だけど、それでも使い道はある。
「『Setze eine Linse(鏡門展開)、Multiplikation(乗算増幅)―――――Ein positiver Speer(日輪の穂先よ)!』」
私が頼みとする術の一つを起動させるべく、右腕を天に掲げながら詠唱を開始する。
別に、これは指輪がなくても使おうと思えば使えるのだ。問題なのは時間。
そのために、まだ多少距離がある状態で準備に入ったわけだしね。

詠唱が進むにつれ、上空の像が歪む。空中に、光を捻じ曲げる何かが現れたのだ。
それにやや遅れ、バーサーカーの姿が森の中から現れる。木々をなぎ倒し、倒れた木を踏み砕いていく。
その姿はまさに、狂戦士の名にふさわしい。

だけど、こっちもすでに準備は出来ている。
「『―――――――――――Verbrennender Blitz des Lichtes(貫け、火光の槍)!!!』」
視界に納めると同時に、渾身の一撃を叩きこむべく掲げていた右腕を振り下ろす。
すると、不可視の何かがバーサーカーに向けて降り注ぐ。

しかし、寸前で気付いたのか。バーサーカーが飛び退いた事で、とらえられたのは下半身まで。
だが、それでも効果は十分。「ジュッ!」という音と共に色々焦げる匂いが辺りに充満し、思わず眉を顰める。
これまでに散々嗅いで、慣れたと言えば慣れた匂いだけど、それでも気持ちのいいものではない。

とはいえ、さすがにこれを受けて無事には済まないだろう。
なにせ、太陽の力を直接利用したのだ。どれほどの英傑でも、大自然の力に抗えるはずがない。
これは太陽の熱を利用する代物で、確か……太陽炉とか言ったっけ? なんかそういうのの原理と同じらしい。
太陽熱を一点に集中させるそれは、最大焦点温度は三千度に達するとかなんとか……。
ランクもAに届くはずだから、これで下半身は黒焦げだろう。
蘇生能力なんてあるんだし、この程度すぐにでも回復するだろうけど足止めにはなったはず。

でも、私はバーサーカーの状態を確認する事無くに走りだす。
再生にかかる時間なんてわからないし、チンタラしてたら捕まってしまう。そうなったら確実に殺される。
それが握り潰されてなのか、轢き殺されるのか、はたまた岩みたいな斧剣で叩き斬られるのかはわからないけど。

しかし……
「さすがにアレだけやれば再生に時間はかかるでしょ。
一応直撃したはずだし、再生しながら追いかけては来ないわよね」
というのは、どちらかというと願望に近い呟き。
もしそうでなかったら、やっぱり私は殺されるから。こんなところで死ぬわけにはいかない。
私は、あっちに戻らなきゃらないんだ。あの、士郎のいる世界へ。

幸い、足音は聞こえてこない。私の予想は一応正しかったようだ。
「あとは、これでどれだけ距離を稼げるかね。
 空が飛べれば楽なんだけど、アインツベルンの森でそんなことしたらどうなるか分かったもんじゃないわ」
さすがにいくらヘラクレスでも、空は射程外だろう。少なくとも、跳躍しても届かないくらい離れれば。
でも、今度はここが敵地であることが問題になる。下手に飛べば、それこそどんな罠があることか。
こうして走っている方が、まだ安心だろう。

それにしても、ここまででだいぶ魔力を消費したわね。
バーサーカーの足止めに、なおかつ指輪なしでのランクAの魔術。
いくら宝石の分の魔力も使っているとはいえ、元から質のいいのはほとんどない。
おかげで、自分の魔力で大部分を賄う羽目になった。
まあ、それも生き残ればこそ出てくる不満か。死んだら不満さえ持てないしね。

そこで、背後からまたあの腹の底に響く足音が響きだした。
「うわ……もう来た!」
結構離せただろうけど、それでもあれ相手にどの程度意味があるか。

えっと、確か城まであと半分くらいか。
はぁ、生きてたどり着けるかなぁ、私。



Interlude out

SIDE-イリヤ

リンはだいぶ頑張っているようだ。
もうお城まであと半分の所まで来ている。

森の中の事は私には手に取るように分かるし、あれだけ派手にやれば尚更だ。
一応こっちでもバーサーカーの進行を阻む様にトラップを使ってるけど、ほとんど意味がない。
まあ、元からヘラクレス相手に対して期待はしてなかったけど。

しかし、覗き見した光景には驚かされる。
なにせリンは、不意を突いたとはいえ一度あのバーサーカーの足を潰したのだから。
聖杯戦争当時のリンだったら、たぶん命がけの奇襲で一回殺すのが限度。
それにしても賭けの様子が濃すぎ、はっきり言って分は悪い。
それも、魔力を貯めに貯め込んだ宝石をいくつか持っていることを前提にした場合の話。

だけど、今回のリンに上質の宝石はほとんどない。
森に張り巡らした感覚が捉えた魔力を考えると、おそらく一つか二つ。
それ以外もゴミとまでは言わないけど、バーサーカー相手にはそう言われても無理はない程度のモノ。
でも今リンは、その上質な宝石ではなく、質の悪い宝石を上手く使ってバーサーカーを殺した。
これが聖杯戦争から経験を積み、自身を磨き抜いたリンの成長なのだろう。

それに、今のバーサーカーは私の命令に強引に逆らっているせいで弱体化しているのも大きい。
やり方次第だけど、あと何回かはダメージを与えられるかもしれない。
殺せるかどうかはまた別の問題だけど、それでも足止めくらいにはなる。

その数回で、なんとか城にまでたどり着ければリンの勝ち。
その前に凛をとらえればバーサーカーの勝ち。これはそういう戦い。
「…………………それでも、難しいわね」
良いところまではいけるかもしれない。
でも、辿り着けるかとなると、やはり厳しい。

魔力だけならまだ余裕はあるだろう。
だけど、宝石魔術師である凛が宝石を失うという事は、弾丸を失った拳銃に等しい。
どれだけ火薬があっても、撃ち出すべき弾頭がなければ意味を為さないのだ。

私が行ってどうにかなればいいんだけど、そういう問題でもないしなぁ。
「むしろ、私が行っても足手まといよね。
 私に出会って驚いた隙に、リンが殺されるし」
いきなり私が出てきたとなれば、リンの動きは止まる。そうなれば一巻の終わりだ。
なにより、私を抱えている隙が致命的。私の運動能力は低いから、文字通りの足手纏いになる。
バーサーカーからすれば、要は私さえ殺さなければいいわけだし。

だから、凛には何としてもここまで来て貰わなければならないのだ。
《マスターに飛ぶよう助言しては………》
「飛ぶのも………お勧めできないわね。
なんか、昔飛んできたバカがいたせいで、そっちへの護りは一層厳重だし。
私がいなくても動くよう、自動化されてて手が出せないのよねぇ」
その上、この状況でリンが私の言う事を信じてくれるかが問題。
っていうか、さっき叫んでいたことを考えると無理よね。

「会いたくないわけじゃないのよ、リン。むしろ、私は少しでも早くあなたに会いたい。
 話す時間は少ないけど、それでも伝えておきたい事があるから……」
正直、私はリンがこういう状況になって喜んでいる。
バーサーカーに追われていることじゃなくて、この世界に来た事に。

おかげで、私はやっと伝えられる。
例えここにいる私がまやかしでも、それでも私の言葉はイリヤスフィールの言葉。
この世界は、リンが認識・回想出来ない部分まで正確に呼び起こし、人格を再生している。
だから、この私から発せられる、あるいはこの世界にいる全ての人の言葉はその人自身のモノ。
まあ私や一部の人の場合、あの「四日間」の私たちになるんだけど。

《あなたは、何を伝えようとしているのですか?》
「いろいろあるわ。でも、全てを伝える時間も無い。
 だから、ほとんどの事は凛自身に思い出してもらうつもりよ。あとは…………」
そう、伝えなきゃならない。私の事、シロウの事、そしてお母様の事。
全ては無理でも、その一端でもいいから伝えたい。
これは、たぶんこれ以上ない幸運。シロウだけでなく、お母様にまでリンは出会っている。
こんな可能性、どれだけの並行世界を見渡してもそうはない。その機会を、無駄にするわけにはいかないわ。

それ以上私の伝えたいことへの追及を辞めたのか、宝石から発せられる言葉は別の問いとなる。
《思い出す? まるで、マスターはほとんどの事を知っているように聞こえますが……》
「ええ、知ってるわ。ただ、思い出せないだけ。
それはリンが体験したことではなく、魂に残った記憶とでも言うべきものだから」
そう、リンは憶えていない。せいぜい既視感とか夢とかとして記憶が残っている程度。
それは、シロウも大差ない。ただ、シロウの方が少し鮮明かもしれないけど。

と、そこでリンが再度バーサーカーに追いつかれつつある。
「これで一回。残りもそう多くないし、その間に辿り着けるかしら?
 まあそれも、この一回をちゃんと上手くやれればの話だけど……………………ん? これは!?」
そこで、リンとは別の反応を森の外縁部で感知する。
それはリンに続く、新たな侵入者。

「まさか、気付いた誰かがリンを止め来た!?」
事の真相に気付き、この世界を壊させないために誰かが動いたのかと思い、戦慄が走る。
唯でさえバーサーカーのおかげでギリギリなのに、これ以上状況が悪くなったらもうどうにもならない。

私は大急ぎで視界を切り替え、新たな侵入者を確認する。そこにいたのは…………
「そうか…そうよね。あなたがリンの危機に駆けつけないわけがないもの。
 よかったわね、カーディナル。もしかしたら、本当にリンはここまで辿りつけるかもしれない」
《それは、どのような意味でしょう?》
「簡単よ、勝利条件が変わったの。心強い援軍が来てくれたわ。
それが辿り着くまで粘れば、リンの勝ちよ」
そう、よく考えてみればそんなことはあり得ない。
第五次に関わった連中は、そのほとんどがそういう事とは無縁の連中。
それは、あの四日間の終焉でハッキリしていたではないか。
なら、ここでこの森に侵入するとしたら何も知らない偶然か、あるいは援軍以外の何ものでもない。

リンはすでに森の半分以上を踏破している。
アレが辿り着くまでには時間がかかるから、それまで保つかが勝敗の境目。
「って、あ………」
《あ、とはなんですか!?》
「リン、そういえば知らなかったんだっけ?」
そっかー、こっちのリンは知らなかったんだ。

どうやら、リンは「十二の試練(ゴッド・ハンド)」のもう一つの効果を知らなかったらしい。
こっちのリンが知るのは、自動蘇生と概念による一定ランク以下の攻撃の無効化のみ。
もう一つの能力は、実は目にした事が無かったのだ。

不味いかも、今ので致命的に近づかれちゃった。
この距離だと、ホントにやられちゃうかもしれない。

Interlude out



SIDE-凛

「って、何よこれぇ―――――!?
 反則にも程があるでしょうが!!」
叫びながらも、何とかあのバカでかい斧剣を地面にダイブするように回避する。
体裁なんて気にしていられない。そんなこと気にしてたら死ぬ。

再度近づかれてきたところで、もう一度さっきと同じ魔術をぶつけてやったのだが、ものの見事に無傷。
まさかアイツ、一度受けたダメージを学習して、その耐性を肉体に付加するなんて能力まであるの!?
それじゃあ、一回分無駄にしたってことじゃないの。
最悪。ダメージを与えられる回数なんてホント限られてるのに、それを無駄遣いするなんて。

だけど、そんなことを言っていられる場合じゃない。
今はとにかく、何とかしてこいつから再度距離を取るか、あるいは別の方法で殺すしかない。
とそこで、バーサーカーは斧剣を振り上げ、地面に思い切りたたきつけた。
「冗談でしょ。『Ein Speer ermüdende(雷槍一閃) Donnergehen durch Sie(汝を射抜く)!』」
手に持っていた宝石を投げ、そこから一条の太い雷撃が奔る。
それとぶつかり合ったのは土砂の波。なんとバーサーカーは、単純な腕力で地を割ったのだ。
その威力により生じた土砂の波が直進し、私に迫っていたのを雷撃で相殺したという事。

まったく、とんでもないデタラメだわ。技じゃなくて、力でこんな真似するなんて。
それにしても、外套があれば楽なのに。
あれの防御力には自信があるし、この手の攻撃は空間を歪めて逸らす事が出来る。
でも、やっぱりない以上別の方法で身を守るしかないのが辛い。
普段、どれだけ装備に恵まれていたかってことよね。自作だけど。

とはいえ、このままじゃジリ貧。一度、嵐の中に踏み込むしかないか。
宝石をバーサーカーの足元に投げ、それを起動させる。
「『Ein Fluß wird schwer gefroren(凍てつけ 冬の川)!!』」
すると、氷が発生しその身を包んでいく。
奴に一定ランク以下の攻撃が効かないとしても、表面を氷で覆えば少しは動きづらいだろう。

事実、僅かにバーサーカーの動きが鈍った。
その隙に一気に懐に入り込み、とっておきの一振りを足に突き立てる。
「■■■■――――!」
足に刺さったのは、一本のアゾット剣。剣としての精度はともかく、込められた魔力のおかげで刺さった。

あとは……
「『läßt――――!!!』」
そのアゾットの柄尻に向け、魔力を込めた拳を叩きつける。
結果、アゾットは魔力と共に爆ぜ、バーサーカーの右足を破壊した。

これ以上こんなところにいてたまるかと、大急ぎでバーサーカーから逃げ出す。
「全く、生きた心地がしないわよ。よく生きてるわね、私」
自分で自分の状態に感心する。

だけど、これでバーサーカーにダメージを与えられる手は残すはあと一回が限度。
それが出来るかさえ怪しいのに、それが出来たとしてもたどり着けるかはわからない。
少しでも前へ、一歩でも遠くへ。まるで津波から逃げる海沿いの人の気分。
まあ、あながち間違ってないんだろうけど。あれは確かに天災レベルよね。


そうして私は、ひたすらに逃げ回る。
だが、そこは英霊と魔術師。人間以上の存在である英霊と、どこまでいっても人間でしかない魔術師。
結果は、火を見るより明らかだった。

「ハァ、ハァ、これで最後か。何とか…うまくやらないとねぇ」
ここまでずっと走ってきたせいで、息が乱れる。
それも、あんなのと戦いながらだ。正直、今こうしている自分は死んだ後の錯覚ではないかと思えてくる。

それにしても、次はどんな手でやろうかしらね。
アゾット剣はおしゃか。「虹の咆哮」も、今の手持ちだと使えない。
その上、宝石も残り少ないときた。となると、もうできることがほとんどないな。

まあ、もうこうなったらウダウダ言ってても仕方ない。
とにかく、やるしかないんだ。やらなきゃ死ぬ以上、選択肢なんてない。
「来たわね」
「■■■■■■■■■――――――――――――!!!!!」
一際巨大な咆哮。その音圧だけで、体が竦み膝を折りそうだ。
久しぶりに見たけど、何度見ても桁外れね。戦闘時の英霊って連中は。

だけど、ここで立ち止まるわけにはいかないのだ。
ここで止まれば、全てが終わる。そんなこと、受け入れられるもんですか!
「■■■■■■■■■――――――――!!!」
再度行われる、力任せの振り下ろし。
それは土石の雨を生み、こちらに向かって降り注ぐ。

それを魔術とダッシュで何とか避ける。
一つ一つは小さいが、それでも勢いがシャレにならない。
あんなモノ、一つでも当たれば体に風穴があいても不思議じゃない。

小回りを活かし、時に木々を盾にし、時に木々に隠れるようにして付け入る隙を探る。
初めみたいな不意打ちなんて、こいつにはもう効かないだろうけど、それもやりよう。
そもそも、正面からやって勝てないからこういうことになるのだ。

相手はやっぱりとんでもない怪物。
樹が盾の役割なんてしないのはわかっている。
だけど、少しくらいならあの巨体の動きを制限することを期待していた。
セイバーもそういう戦法を取っていたから、やるならこれしかないと考えたのだ。

しかし、ここで今までで最大の一撃が振り抜かれた。
「■■■■■■―――――――――!!!!」
「きゃあ!?」
凄まじい勢いで振り抜かれた斧剣は、周囲の木々をまとめて薙ぎ払い、小さな広場をつくる。
今までが手加減していたってわけではないだろうけど、ここにきて本当の全力が来た。

薙ぎ払われた木々の一部は、台風に吹き飛ばされるように飛来し、あまりの数に避け損ねる。
「つぅ。しまった………!」
飛来した砕かれた樹の破片が右足に突き刺さる。
これで機動力は大幅に低下した。まずい、ここまで生き残れたのは小回りが利いたからだ。
それを失ったいま、私に生き残る術はない。

なんとか移動しようとするが、当然ながらバーサーカーからは逃げられない。
仕方なく、相討ち覚悟で最後の一撃を見舞うべく術を編む。
先にこちらの術が届けば、とりあえずのこの場は脱せる。

そのあとは、傷を治療するか、それともこのまま逃げるか。
「はは、どちらにしても絶望的ね」
そんなことをしていたら、どのみち追いつかれるのは目に見えている。
でも、かつて綺礼が言っていたように「最後まで諦めない」のが私であり、同時に「覆らない現実を瞬時に認める」のも私なのだ。

逃げきれる可能性はほぼ皆無。
それこそ、ここから数メートル先に城があるか、あるいは次でバーサーカーが死ぬとかのご都合主義が必要だ。
そんなもの、そう都合よくあれば苦労はない。

でも、仕方無い。
今できることがあるのに、少し先の絶望のためにそれをしないのは流儀に反する。
行動を起こさなければ、そのご都合主義だって起きないのだから。

時間がスローになる。
振り下ろされる斧剣が、酷く遅く感じた。同時に、自分の動作の一つ一つが遅い。
時間感覚の延長か、久しぶりに来たわね。まあ、来たからどうってことでもないけど。
別に私は、これが来ればどんな攻撃でも回避できるびっくり人間ではない。

だけど、だからこそ見えた。
迫りくる斧剣との間に入り込む、蒼銀の人影を。

ギィン!!

斧剣が何かに弾かれる。
それは風の鞘に包まれし不可視の剣。

それは、私に背を向けたまま、まるで守護者の如くバーサーカーの前に立ちはだかる。
しゃらん、という可憐な音。否、目前に降り立った音は、真実鉄よりも重い。
およそ華やかさとは無縁であり、纏った鎧の無骨さは凍てついた夜気そのものだ。
華美な響き等あるはずがない。本来響いた音は鋼。
ただ、それを鈴の音に変えるだけの美しさを、その騎士が持っていただけ。

その後に響いたのは、鈴の様な少女の声だった。
「ご無事ですか、凛」
「セイ…バー?」
そこにいたのは、十年前一時この身と共にあった一振りの剣。
誰よりも気高く、誰よりも崇高で、誰よりも清廉潔白かつ公正無私な騎士であり王だった英雄。
本当は年頃の少女の様な面を持ちながら、それを覆い隠した意地っぱり。
そして、私にとって数少ない「親友」と呼べた友人。

そのセイバーが、今この時あの頃の様にこの身を守るために駆け付けたのだ。かつての誓いを守るように。
「これは、一体どういうことですか。なぜバーサーカーが?」
「……さあ? イリヤスフィールに会いに来たんだけど、なんかそれがお気に召さないみたい」
理由はわかる。こいつはイリヤスフィールを守るために立ちはだかったのだ。
私が彼女に逢えば、きっとこの世界が消えてしまうから。
世界のためではなく、自己のためでもなく、守るべき主のを守るためにこいつはここにいる。

「状況はよくわかりませんが……バーサーカーよ。
貴方が我が主に剣を向けるなら、私が相手となろう!!」
セイバーは不可視の聖剣を地に付き立て、そう宣言する。
それは堂々とし、少女の体を何倍にも大きく見せた。

「凛、行ってください。イリヤスフィールはこの先です。ここは私が……」
「…………ごめん」
一言、それだけ言って私は動きの鈍い右足を無理やり動かす。
まずはここを離れる。そうでないと、セイバーが思い切り戦えない。

それにしても、一体どうやってこの状況を知ったのだろう。
ラインの繋がりからか。否、今私と彼女の間にその繋がりはない。
この様子だと、私の目的を知ってというわけでもなさそう。
おそらくは、その持前の直感で何か気付いてここまで来たのだろう。
その事に、心からの感謝を覚える。

そんな私をバーサーカーが睨むが、セイバーに阻まれ動けない。
如何に理性はなくとも、本能が迂闊な行動を抑制する。
一歩動けば、この眼の前の騎士王が自分に牙をむくとわかっているのだ。

ある程度離れたところで、私は最後に親友に向けて言葉を発する。
「セイバー!! ―――――――――――――ありがとう」
正直、もっと言うべきことがあるんじゃないかという気はする。
でも、これ以外に何も思いつかなかった。
ここ一番でまた機転が効かないのか、それともこれで良かったのかはわからない。

だけど、伝えたいことはちゃんと伝わっていた。
「あの日の誓いは、今もこの胸にあります。この身は御身の剣。故に、ただ一言『戦え』と命じて下されば良いのです。その信頼に、私はこの剣で応えましょう!」
「そうね。その方が私たちらしいか。
 ………ここは任せた。戦いなさい、セイバー!」
「御意!!」
そうして、セイバーとバーサーカーが動く。

動き出しは同時、二人の剣が衝突するも互いに譲らない。
剣戟は高く響き、落雷の如き衝撃音を雨の如くまき散らす。

その音を背に、私はアインツベルンの城を目指す。
私を行かせるために、訳など知らず、理由など聞かず、ただ信頼と誓いのみで戦ってくれる友人に報いるために。
彼女に報いる術は一つ、私が目的を達成すること。
ならば、こんなところで足を止めているわけにはいかない。



  *  *  *  *  *



城門は開いていた。立ち止まらずに城へ急ぐ。
足の応急処置はしてあるから、これでもうしばらくは保つ。
バーサーカーはセイバーが足止めしてくれている。
その間に、何としてもイリヤスフィールを確保しなければならない。

城の玄関を殴り開け、城内に侵入する。
不躾な来訪だけど、あんなのを襲わせたんだから遠慮する必要はない。
なによりここは敵陣。いつ兇刃が降ってきてもおかしくはなく、故に私も最初から臨戦態勢。

そして案の定、第二の守護者が立ちはだかった。
「ふっ!?」
振り下ろされたのは、時代錯誤な長柄の武器。ハルバート。
アレは確か、昔この城に立てかけられていたのと同じものだ。
その超重量の白兵戦武器を、後ろに飛び退いてやり過ごす。

「リン。イリヤには会わせない。帰って」
感情のない声。四十キロを超える凶器を、重さを感じていないかのように不器用に扱うホムンクルス。
アイツも、私は知らない。ここが私の記憶とかから作られた世界って言うのは、勘違いなのだろうか。

彼女の目的もバーサーカーと同じなのだろう。
だけど、だからといって引き下がるわけにはいかない。
「悪いけど『はい、そうですか』で帰れたらここまで来ないわよ」
「帰らない? なら、仕方無い」
こちらの戦意を読み取ったのか、ホムンクルスはハルバートを振り上げる。
戦力を測っている時間はない。また、戦闘を長引かせるほどにこちらが不利。
なら、初撃で倒しにかかるしかないか。この際だ、死んでしまっても仕方ない。

そう私が覚悟と意志を固めたところで、ホムンクルスの戦意が薄れる。
無表情ながらも強い気迫に満ちていたソレは、唐突に戦意を失い無防備に私に背を向けた。
「………………セラ?」
「そこまでです、リーゼリット。その方はお嬢様のお客様、丁重にもてなしなさいと言ったはずです」
キツイ口調でホムンクルスを叱責するのは、同じくホムンクルス。
階段の上から、鋭い眼差しを臨戦体制だった私たちに向ける。

その眼には、私に対する確かな敵意がありながら、同時に戦意はない。
つまり、私は敵だが、ここで戦うつもりはないということか。
まあ、ありがたい。足の状態がアレだし、これ以上酷使するのはきつかったところだ。

「ようこそおいで下さいました、お客様。お嬢様の命により、歓迎いたします」
「その割には、随分な門番と衛兵だこと」
「申し訳ございません。なにぶん、二人ともお嬢様を思ってのことですので。どうか、お許しください」
「まあ、いいわ。それより、イリヤスフィールに会いたいから、案内してくれる? その為に来たのでしょう?」
二人の会話から察するに、その目的以外にはちょっと考えられないしね。

しかし、それでもなお目の前のホムンクルスはその場を動かない。
「もちろんです。………下がりなさい、リーゼリット。ここからは私がお相手します」
「でも……セラ」
「全ては、イリヤスフィールお嬢様の御意志。貴女は、その御意思に背くと言うのですか?」
「…………ううん。リズ、イリヤの言う事、ちゃんと聞く」
そこで二人の話はついたのか、今度こそハルバートを構えたホムンクルスはこの場を去る。
残ったのは私と、キツイ雰囲気を持ったもう一人のホムンクルスだけ。

「では、ご案内いたします。こちらに………」
そうして、私はイリヤスフィールと対面するべく城の中を案内された。



長い廊下を抜けて辿り着いたのは、中庭とも言うべき場所。
花々の咲き乱れる整えられた庭の中心に、十年ぶりに見るあの少女がいた。

その少女は、こちらを振り向くと無邪気な笑みを浮かべる。
「久しぶりね、リン」
「そうね。あなたにとってはどうか分からないけど、私にとってはざっと十年ぶりってところかな」
この少女の外見は、あの頃と全く変わらない。
衛宮切嗣の手記から、彼女の成長が止まっていることは知っている。だから、それ自体には何の感慨も無い。
それに、この世界の人間はたった一人を除いて、全て私が最後に見た日の姿そのままだ。
彼女も、その例に漏れなかったらしい。
でも、アイリスフィールの姿を見たことで、ついついこの少女のするはずのない成長を想像してしまう。

そんな私に向け、イリヤスフィールは悪戯っぽく問いかける。
「へぇ、いきなりね。普通、私がどこまで知っているのか確認くらいしそうなものだけど」
「必要ないでしょ。バーサーカーを差し向けてまで私を避けてたんだから」
「あ、それは誤解よ。あれはバーサーカーやリズの独断なんだから。
 私はやらなくていいって言ったのに………」
ふてくされたようにイリヤスフィールは主張する。
………信用は、できるか。そうでなければ、あのホムンクルスを止めたことが説明できない。
それにそれなら、バーサーカーの動きが鈍かった事も納得がいく。

まあ、それでもこいつが全てを知っているだろうという確信は揺るがないけど。
「それはいいわ。こうして何とか辿り着けたわけだし。
で、いい加減東奔西走して疲れてるから、本題に入ってくれない?」
「うん、リンにはあまり時間が無いもんね」
やはり、この反応からして全て知っているわけか。

「じゃあ、先にこの子を返すわね」
そう言いながらイリヤスフィールは歩み寄り、私に手を差し出す。
その手の上には、カーディナルと指輪、そして宝石剣がある。なるほど、ここにあったのか。

「カーディナル、気分はどう?」
《良好です》
そうか、ならよかった。もし壊れてたりしたらどうしようかと思ったけど、そうでないなら何より。

さて、受け取るモノは受け取ったし、さっさと柳洞寺に戻りたいけどそういう雰囲気じゃないわね。
「う~ん、まず何を話そうかしら?」
「手短に頼むわ」
「もちろんよ。話すことを話したら、ちゃんと戻る手伝いをしてあげる♪」
そう言いながら、雪の少女は満面の笑みを浮かべる。
初めて会った時の無邪気で酷薄なモノではなく、その笑顔は温かさに満ちていた。

「まず、この世界について。
もう予想出来てるかもしれないけど、ここは主にあなたの記憶とか願望とかで編まれているわ」
「にしては、私の知らないことが多すぎない?」
「それは知らないんじゃなくて、思い出せないだけよ。
 ここはね、第五次聖杯戦争終結後の10月に発生した異常事態の記憶の影響を受けているの」
聖杯戦争後の10月? えっと、何かあったっけ?
異常事態というほどの事があった記憶はないんだけど。
むしろ、その少し前に大師父が来ていろいろ引っ掻き回してくれた方が鮮明に記憶に残っている。

首を傾げる私に、イリヤスフィールはにこやかなままだ。
「思い出せない? 10月と言えば、バゼットやカレンと出会ったころよ」
「ああ、そう言えば……でも、それとこれと何の関係があるわけ?」
「あの時、不思議に思わなかった? 初対面のはずなのに、ヤケに士郎がバゼットやカレンと親しくしてて」
ふむ、確かにそんなことがあった気もする。

だけど、やっぱりそれとこれとの関係が分からない。
「あんまり遠まわしな話は好きじゃないんだけど……」
「ふふ、ごめんなさい。じゃあ、順を追って説明するね。バゼットはコトミネの不意打ちを受けて聖杯戦争が始まる前に敗退し、仮死状態だった所をカレンが見つけた。ここまでは知ってるでしょ?」
「まあ、二人から聞いたことだしね」
「でも、それだと変じゃない?
 聖杯戦争から10月まで、その間どうやってバゼットは仮死状態を維持したのかしら?」
言われてみれば、確かにおかしい。
バゼットはそう言うのは得意じゃなかったし、綺礼がそんなことをするはずがない。
という事は、第三者が何かしたということか。

では、それは誰? 十年前は気にも留めなかったけど、こうして問われて気付く。その不自然さに。
「そう、誰かがそれをした。
たぶんだけど、その誰かが同時に聖杯戦争を『再現』したのよ。『再開』じゃなくてね」
つまり、終わったところから始めるのではなく、もう一度はじめからやり直すということか。
いや、それもおそらく厳密には正しくない。それなら『振り出し』だ。
振り出しに戻ったのなら、もう一度ケリがつくまで聖杯戦争をやらなければならない。

「それはね、どのパーティも欠けておらず、起り得るすべての可能性を内包した世界。
 同時に、結果がすでに出ているが故に戦う事もなく、皆が日常を謳歌し続けた。
それがあの頃に起こったの。だから、リンは知らない筈のことを知っている」
「えっと、そこではライダーもいて、戦わずに普通に生活してたから、私がライダーの素顔を見る機会もある。
 だから、この私も知っているってこと?」
「そういう事。ついでに言うと、それは四日間に限定され、ある条件が満たされるまで何度もそこをループしていたような感じになるわ。まあ、本当はシロウ以外は全ての体験を並列化できないみたいなんだけどね。
 それでも、シロウが起こした行動の結果は次の回にも引き継がれてたようだから、たぶんリンたちにも深層意識とかの方で何かしら残ってたんだと思うわ」
どこまでも眉唾な話だが、一応それなら筋は通るか。
だとすると、やっぱりあの仮面の不審者は本来の「アサシン」ってことか。
どのハサン・サッバーハでも、そういう格好だっていう話だし。

だけど、ここで疑問が生じる。
「でも、なんでシロウだけ並列化できるのよ? っていうか、その誰かって誰?」
「さあ? 私はリンが知る以上のことは知らないわ。
この説明も一度シロウがリンに相談して、そこでリンがそれを一応真剣に考察して答えた時のものだから……」
そう言って、可愛らしく首を傾げるイリヤスフィール。
そうだった、この世界は私の記憶が根幹にあるのだった。
私が知る以上の事を、この世界の住人が知る筈がないのだ。
ただ、この様子だとある程度の予想はできるようだけど……。

まあ、それはいい。それ自体はそれほど重要な事じゃないし。
「でも、私はその時のこと全然覚えてないわよ」
「当然よ。あれは偽りの四日間、終わってしまえばその四日間そのものが無かった事になる。
 でも舞台は偽物だけど、登場人物は本物だった。だから、夢や既視感として憶えているの」
夢は起きた時には、そのほとんどを忘れている。つまりは、それと同じということか。

「全てを知る人間がいるとすれば、士郎かバゼット、あとはカレン位ってこと?」
「そう言う事になるわね。少なくとも、バゼットとカレンは特に強くその時の記憶が残っているわ。
 シロウは、時々何かの拍子で僅かに思い出すくらいみたいね」
『聖杯戦争を再現した四日間』というのなら、確かにバゼットがいても不思議はない。
たぶん、そこでバゼットと士郎が出会っていたということか。
まあ、なんでそこにカレンが含まれていたのかよくわからないけど。

とはいえ、これで疑問は解けた。ここがわけのわからない異世界とかではなく、単純に私の記憶から再現した世界であることが確認できただけでも意味がある。
「これで、話は終わり?」
「この世界についてはね。ただ、モノはついでってことで、その時のこと少し思い出してみない?」
「出来るの?」
「表面化している今ならできると思うわ。
私の特性は過程を無視して結果を導き出すものだから、術を習得しているかどうかは関係ないしね。
全ては無理でも、ある程度までは思い出させてあげられるはずだから、それだけでも意味はあるはずよ」
まあ、この子は聖杯なんだから、それくらいはできるか。それに、興味がない、と言えば嘘になる。
私はこの世界で……というか、その再現された世界とやらでどんな風に生活していたのだろう。
いやむしろ、そこでセイバーや桜がどう暮らしていたのかが知りたい。

「ついでに言うと、アンリ・マユの正体とか、その他諸々の裏話も少しわかるはずよ。
 確かアンリ・マユに関しては、ギルガメッシュが言っていたのと、ゾウケンから聞いた範囲までしか知らないのよね?」
「まあね。それが聖杯の中身で、解放されたら人間を呪い殺しつくす。臓硯は第四次で回収した聖杯の欠片が桜の中に入れ、そのせいで桜も聖杯になった。そして、いつかあの中身の影響を受けて怪物になる運命にある。
 私が知っているのはそこまでよ。アンリ・マユの正体までは知らない」
「でしょ? でも、あの四日間のリンはそれを知っていた。それを知る未来もあったってことね。
だから、その記憶を引き出せば、今のリンが知らない裏話もある程度はわかるんじゃないかしら」
「いいわよ、やって」
たぶん、知っておいて損はない。
これから、アイリスフィールにもいろいろ話さなきゃらならないだろうしね。

イリヤスフィールの高さに合わせて膝をつき、彼女の手が私の額に振れる。
本来なら、抵抗感とか警戒心とかが沸くところなのに、なぜか大人しくされるがままだ。
私の中にある忘れ去った記憶が、そうさせるのだろうか。

そして、それはそう時間をかけることなく終わった。
「………つぅ、なんか頭痛いんだけど」
「今はまだそんなものよ。あとから、徐々にいろいろ思い出すわ。
 じゃあ、そろそろ行きましょうか」
「話は終わり?」
「ここではね」
やはり、まだ何か言いたい事はあるのだろう。
それはそうだ。ここまで話したのは、言ってしまえば事務的な事実確認でしかない。
この世界で士郎とイリヤスフィールは、それなりに仲良くやっているらしい。
なら、だからこそ言いたい事があるはずだ。私も、内容によっては士郎に伝える意志もある。

まあ、それはそれとして。
「で、どうやっていけばいいわけ? またバーサーカーに襲われるのは嫌よ」
「ああ、それは大丈夫。ここからは飛んでいきましょう。できるんでしょ?」
「罠とかないでしょうね」
「あるけど、問題ないわ。この城と庭のトラップは、私さえ一緒なら起動しないから」
つまり、イリヤスフィールを担いで飛べば問題ないってことか。
まあ、小さいし軽そうだから特に問題ないと思うけど。

ん? 待てよ、そう言えばセイバーはどうするのかしら?
「ちょっと、セイバーがまだ戦ってるんだけど」
「ああ、それね。リン、あの二人の戦いを横から止める自信ある?」
「………………………ない」
「でしょ?」
つまり、止めたくてももう止められないってことか。
いや、英霊同士の戦闘なんてそんなものだけどさ。アレはもう、人間如きにどうこう出来るレベルじゃない。
半ば人間辞めてるような連中ならともかく、私はそうじゃないし。

「まあ、セイバーは心配いらないわ。
今のところ怪我らしい怪我もないし、この様子なら余程の事が無い限り最悪の事態にはならないと思う」
「そうなの? まあ、バーサーカーは動きが悪かったから、セイバーなら問題ないのかもね」
「うん。それに、セイバーは別にバトルマニアじゃないし、実際なんとかバーサーカーを振り切ろうとしてるわ。
 たぶん、隙あらばこっちに来ようとしてるんじゃないかな? だから、遅かれ早かれここまで来るし、そうすれば後は安全だから心配はいらないわ。
 でも、セイバーにまで説明とかすると面倒だし、できればこのままセイバーが来る前に行きたいんだけど……」
おそらく、セイバーはイリヤスフィールやギルガメッシュほどこの世界の状態に詳しくない。
説明しても納得させるのは手間だろうし、イリヤスフィールの言う事も最もか。

そういうことなら、とりあえず急いで柳洞寺に向かうとしますか。
「オッケー。じゃ、すぐに行きましょ」
「あ、ごめん、ちょっと待って。着替えてこなきゃ」
「なんでよ」
「大聖杯を動かすのに必要なの!」
私の問いにイリヤスフィールはむくれた様に頬を膨らませ、両手をブンブン振りながら不満そうに答える。
外見年齢相応のその姿は、威圧感などとは無縁でどこまでも可愛らしい。

それと同時に、イリヤスフィールの言葉の意味にもすぐに思い当たる。
ギルガメッシュの言を信じるなら、大聖杯は門でイリヤスフィールが鍵ということになるらしい。
鍵を差し込んだら回さなきゃいけない。そのために必要ってことか。

「わかったわ。じゃあ、急いでよ」
「は~い。あ、ねぇリン」
「なに?」
「私の事は、『イリヤ』って呼んで。キリツグやお母様はそう呼ぶわ」
その言葉に、一瞬呆気に取られた。それはつまり、私にそう呼ぶことを許したという事だ。
本来親しい人にしか許さない筈のその呼び名。それは、私をそう言う対象として見ると言う事。

私の知る限り、私たちはそんな間柄じゃない。
でも、この世界ではそうだったのかもしれない。なら、それでいいのかもしれないかな。
「………………いいから、早くしなさいよ『イリヤ』」
「うん♪」
嬉しそうにそう答え、彼女は城の中に戻って行った。

本当に………本当に何かが僅かに違っていれば、私たちにはこんな未来もあったのかもしれないわね。
そのことを、少しだけ残念に思った。



 *  *  *  *  *



場所は、新都の上空。

私は着替えたイリヤを、俗に言う「お姫様だっこ」で空を飛んでいる。
カーディナルが手元にある以上、転送でもすれば速いのかもしれない。
だけど、アインツベルンの城から柳洞寺への転移なんて危なくて出来ないわ。
柳洞寺にはキャスターのトラップがあったし、アインツベルンの城も似たようなモノ。
そんなところで転移なんてしたら、何が起こるやら考える気にもならない。

柳洞寺まではまだあるのだが、いつまでも無言はさすがにアレだ。
とはいえ、吹き付ける風は冷たいし、スピードを出すのに集中した方が早く着く。
なにより、正直何を話していいのかよくわからないというのが大きいか。

というわけで、自然と私は黙り込むことになったが、イリヤはそうではない。
だけど、それにしたってもっとセリフがあったのではないか?
「うわぁ♪ ねぇリン! ―――――――――――――――見ろ、人がゴミの様だ」
前半は喜色に富み、だが途中からは「この愚民どもが」みたいな感じに冷たい。
なんなのよ、そのギャップは。

「何よ、それ」
「え? 高いところから人を見下ろす時のマナーだって、お爺様が言ってたんだけど」
どんなマナーだ、それは。アインツベルンの教育方針は、よほど頭がおかしいらしい。

「そんなマナーは忘れなさい。アンタは大人しく、外見相応に空の散歩を楽しんでればいいのよ」
「ちぇ~、楽しいのに~」
ぶつくさ文句を言うイリヤ。
ああ、こんな時でなければこのままパラシュートなしのスカイダイビングをさせてるところだ。

まあ、ここはぐっと我慢。こいつがいないと外に出ることもできやしないらしいし。
だけど、ちょっと気にあることがある。
「なんであんた毛布にくるまってるのよ」
「だって、凛に触れるわけにはいかないんだもん」
「どういう意味?」
「ああ、気を悪くしたのなら謝るわ。そういう意味じゃなくて、これは天のドレスって言ってね。
 人間が触ると黄金になっちゃうから、運営は精霊や小人、ホムンクルスじゃなきゃ無理なのよ」
黄金という単語に思わず反応しそうになるが、これがおしゃかになれば帰ることが出来ない。
しかたない、ここは諦めるしかないか。

なんでも、アインツベルンに伝わる魔術兵装で、アインツベルンの魔術師が千年かけて積み上げてきた、第三魔法に至るための外付けの魔術回路らしい。
同時に、大聖杯を制御する心臓にして、魂を数秒間だけ物質化させる魔術を帯びているとか。
まあ、第三魔法は専門外だし、この世界でもそれは使えないらしい。
だから、今回は純粋に大聖杯を動かすための鍵の一部としてのお目見えだとか。
イリヤが着ている純白のドレスが、そんなとんでもないモノとはね。


そうして、しばらくの飛行を経て柳洞寺の手前に私たちは降り立つ。
ここからは歩き。キャスターの結界とかに引っかかるのは御免だしね。
ある程度までは階段を昇って行き、途中で森の中に入るのだが………
「おや、遠坂じゃないか。こんなところで何をしているんだい?
 ああ、そうか。この美しい僕に会いたか…ゲボァ!!
 顔が、僕の美しい顔がぁ!! え? ちょ、まっ…う、うわぁぁぁぁぁ~~~~!!」
階段の途中で絡みついているワカメを、鬱陶しいので顔面を殴り、悶えているところを蹴り落とす。

「リン、何か転げ落ちたわよ」
「気にしなくていいわ。あれは人じゃなくてワカメ。陸に打ち上げられた哀れなワカメだから、ここ山だけど」
「ふーん、そうなんだ。最近のワカメって人間みたいな姿をしてるのね。私初めて知ったわ」
「お前ら!? 人としてそれでいいと思ってんのか!?」
下で赤いワカメが何か言ってる気がするけど無視。
幻聴だ。ワカメが人語を話すなんて話聞いたことがない。

しかし、それでもなお幻聴が治まることはなく、耳障りな雑音が振り撒かれる。
ああ、うっとうしい。せっかく見逃してやろうと思ったのに……。
「ちょっとそこのワカメ」
「ワカメ言うなぁ!!」
「黙らないと…………毟るわよ」
「…………………………………………う、うわ――――――――――ん!! ちっくしょ―――――――!!」
ワカメは去った。よかった、あんなのを手で鷲掴みなんてしないで済んで。

そこで改めて上を見上げると、いつの間にかフードなしのキャスターがいた。
「なにか用?」
言外に、邪魔だからどけ、という意味を込める。
わざわざ私の正面に立っているという事は、何か用があるのだろうが、それに付き合うつもりはない。

私の問いへの答えは、言葉ではなく行動で示された。
道をあけるのではなく、ビンタという形で。
「…………痛いじゃない」
正直、キャスターが手を上げると言うのは予想外過ぎて、同時にその威力の弱さから思わず避け損ねてしまった。
キャスターの腕力から繰り出される平手なんて、今更避けるほどの危機感を与えないという事だ。

右手を振り抜いたまま、キャスターは無言で私を見る。
「返事はなし、道を空ける気もなし、ね。なんなら、また………」
そう言いながら、キャスターの前で拳を握る。
この距離は私の間合いだ。ここからなら、キャスターが魔術を使うより早く拳を入れられる自信がある。
魔術勝負になれば、たとえ宝石剣があっても御免被りたい相手だが、この場なら私が有利。

そのままにらみ合いになりかけるも、イリヤが間に入る。
「キャスター、わかってるんでしょ?」
「……………………………………ふん! 正直な話、できるならもっと続けたかった。これはその八つ当たりよ。
 むしろ、この程度で済んだ幸運を喜ぶ事ね」
言いたいことだけ言って、キャスターは姿を消した。
そう言えば、キャスターは葛木のことを………。
なるほど、アイツからすれば私は今この場で殺してやりたい相手だろう

まあ、私が殺されたらこの世界も破綻するから、それもできそうにないけど。
ここまで会わなかったのも、アイツが意図的に避けていたからか。



そうして、私たちは大聖杯に辿り着いた。
さっき来た時とは違う。その中心には僅かに光が灯り、動きだそうとする気配が伝わってくる。
なるほど、たしかに鍵なしでは何ともならないというのは本当だったようだ。

でも、今日はいろいろな人に会った。
懐かしい顔ぶれだったけど、会いたい人と会いたくない奴様々だったわね。
だが、そこでふっとある事に気付く。
「ん? そういえば、アーチャーと綺礼には会わなかったわね。あ、臓硯もか。
 まあ、今はまだ太陽が出てるし、臓硯に遭遇しないのは当然よね」
「それは違うわ、リン。アーチャーはともかく、その二人は会わなかったんじゃなくて、元からいないの」
「どうして?」
疑問は自然と口から零れた。
だって、ここが全ての可能性が出揃った世界をベースにしているなら、アイツらもいないとおかしいんじゃないだろうか。

「簡単よ。だってリン、コトミネとゾウケンには会いたくないでしょ?」
「そうね。正確には、会ったら今度こそ八つ裂きにしてやりたいわ」
綺礼には父さんのことで借りがあるし、臓硯には桜のことで借りがある。
会いたくはない。会いたくはないが、会ったら絶対に殺してやるつもりだった。

「綺礼はランサーに持ってかれちゃったし、臓硯も結局私はトドメをさせなあーかったしね」
「たしか、コトミネの後任に浄化してもらったんだっけ?」
「そう、洗礼詠唱で桜の体ごとね」
まあ、厳密には確実に消し去るためにいろいろやったんだけど、主なところはそれだ。
やはり、あの手の吸血鬼やら妖怪やらは教会の代行者の領分だろう。
ただそのおかげで、私が臓硯をなぶり殺しにする機会を失ったのだが。

本来なら、教会の人間相手に借りを作るのは好ましくない。
だけど第五聖杯戦争において、教会から派遣された監督役たる綺礼はその領分を越える行動を取った。
魔術協会から派遣された正規のマスターであるバゼットを不意打ちしての令呪、およびサーヴァントの強奪。
その後も奪ったランサーを使って暗躍し、本人の考えはともかく、形の上では「監督役」でありながら「マスター」でもあったのだ。あそこまでくると、監督役としての「責務と仕事の範疇を逸脱した」どころではない。
一応は聖杯戦争の勝者であり、冬木の地の管理者である私には、そこを追及する権利と義務があった。
そのカードがあったおかげで、桜の事は貸し借り帳消しという形で手を打てたのだ。
私からすれば失ったものもなければ、何も損をしなかったのは僥倖だっただろう。
教会への貸し自体、一種のタナボタみたいなものだったわけだしね。
まあ、なにより桜を放ってなんておけなかったから、多少の借りは我慢するつもりだったけど……。

でも、それでどうしてあの二人がいないことになるのだろう。
「確かにあの四日間の影響は受けているけど、あくまでもベースはリンの深層意識とか願望よ。
 だから、リンが心底嫌いな相手は出てこないの」
「他は………まあいいとして。ルヴィアや慎二はどうなのよ」
カレンも微妙だけど、あの二人が出てくる意味が分からない。

「う~ん、ルヴィアとはいつか決着付けたいとかって気持ちがあるからじゃない?
 それに、仲は悪いけど嫌いじゃないんでしょ?」
「むぅ…………………」
否定したい。否定したいが、できない。
正直、時計塔時代はしょっちゅう衝突を繰り返してたし、今でも別に好きな相手じゃない。
だけど、同時にアイツと競い合っている時間は充実していたし、それなりに楽しかった。
それはおそらく、アイツが唯一タメを張れる敵だったからかもしれない。

「シンジは…………どうでもよかったからじゃないかな?
 あるいは、一応サクラのことを教えてくれたからとか」
確かに、私は慎二に全く興味がない。嫌いでも好きでも無く、どうでもいいのだ。
だけど、確かに聖杯戦争での借りを返すって言う話で、桜のことを知らせてくれたのは慎二だ。
その点で言えば、私はアイツに多少は感謝しているのかもしれない。

まあ、これで一応綺礼や臓硯の事はわかった。
これが心地よい夢を前提としているなら、心底嫌っているあの二人が出てくるはずがないのだ。

まあ、それはいい。一応納得できたし、会わないに越したことはない相手だもんね。
「じゃあ、アーチャーに会わなかったのは?」
「それはもっと単純な問題よ。キャスターと同じで、アーチャーが避けてただけだから」
「何それ……」
アイツめ、一体どういうつもりよ。あの時言い残した分の文句、纏めて言ってやろうかと思ってたのに。
まさか、それを読んで避けてたとか?

しかしそこで、唐突に声が掛けられた。
「ふむ、人聞きの悪い事を言うのはやめてほしいな。別段、避けていたつもりはないのだがね」
「あ、いたんだ、アーチャー」
「白々しい物言いはやめたまえ。それではまるで、私がいた事に驚いているように聞こえる」
「なーんだ、バレてたんだ」
声のした方向へ振り向くと、そこには声の主があの時と変わらぬ尊大さで佇んでいた。

そいつに向け、精々うらみがましい目を向けて文句を言ってやる。
「なんで今まで出てこなかったのよ」
「特に理由はないのだが…………同じように、会う理由もなかろう。
 別れは、十年前に済ませたのだからな」
「はん! 文句言う前に逃げたくせに、何言ってんのよ」
でもまあ、確かにいまさら会ったからって何かしたい事があるわけでもない。
強いて言うなら、あの時言いそびれた文句を言ってやるくらいだが、十年も間が空くとなんかマヌケな気がするし……。そういう意味では、こいつの言ってる事はもっともか。

そんな私に向け、アーチャーは相変わらず皮肉気な笑みを浮かべながら応じる。
「やれやれ、君は変わらんな」
「進歩がないって言ってるように聞こえるけど?」
「くっくっく………それは穿ち過ぎだよ、凛」
まったく、相も変わらずかわいげのない奴。
十年経験を積んで少しは腹の探り合いとかにも慣れたつもりだけど、未だにこいつの腹は読み切れない。

「で、一体何の用? 会う気もなかったのにわざわざ出て来たんなら、何か理由があるんでしょ?」
「ああ。ついさっき、一つ確認しておきたい事があった事を思い出してな。
 凛、君は…………………後悔しているかね?」
「愚問ね、応える価値なし。十年前に自分で言った事を忘れたわけ?」
「そうだったな。遠坂凛は――――――――――最後まであっさりと自分の道を信じられる、そういう人間だ」
歌う様に、噛み締める様に、かつての相棒は楽しげにかつて言った自分の言葉を反芻する。
まあ、なんだ。結局私は、こいつの言う通りの人間だったという事なのだろう。

それで用は済んだとばかりに、アーチャーは私に背を向けて歩き出す。
「聞きたい事はこれで終わり?」
「ああ、それで充分だ。やはり……君は変わらんよ。今も昔も、君は眼も眩むほどに鮮やかだ」
「そ。じゃあ、こっちからも聞きたい事があるんだけど……」
その言葉に、アーチャーの歩みが止まる。
まったく、なんだかんだで律義な奴だ。用が済んだのなら、さっさと出て行けばいいだろうに。

「アーチャー…………あなたはまだ、後悔してる?」
「それこそ愚問だな。あの時も言ったはずだ、私の最後はもう……」
「だから、“最期のその先”に行った今もまだ後悔してるのかって聞いてるのよ」
かつて私が「最後まで自分が正しいと信じられるのか」と問うた時、こいつはそんな質問は無意味と断じた。
なぜなら「私の最期は、とうの昔に終わっている」のだと。

しかし、私が聞いているのはそんなことじゃない。
その「終わりの先」で、今なお後悔しているのかと、そう聞いたのだ。
「無論だ。後悔はある。やり直しなど、何度望んだかわからない。
あの結末を、未来永劫、私は呪い続けるだろう」
その言葉に偽りはない。その声には、行き場などなく、抑えようもない怨嗟が込められている。

だけど、その中にほんの僅かに別なものが含まれている気がしたのは、きっと気のせいではないはずだ。
私がその先を待っている事に気付き、アーチャーは諦めた様に溜息をついてから、小さく本心を零した。
「だが、それでも―――――――――――俺は、間違えてなどいなかった」
十年前に聞きそびれたその「答え」は、私の心にも安堵をもたらす。
こいつは今、「理想」ではなく「自分」が間違っていなかったと言った。
それはつまり、自分という存在をほんの僅かにでも許せたと言う事なのだろう。
例えこれが、私の夢の中の都合の良い言葉だったとしても、それを聞けて良かったと思う。

「さて、今度こそ私は行くぞ。もう聞きたい事はないのだろう?」
「ええ、文句は山ほどあるけど、今は時間も惜しいし見逃してあげるわ」
「くっ、それはそれは……。では、君の気が変わらんうちに行くとしよう」
もはや心残りはないと、素直にその程度の事すら言わずに最後まで皮肉気な口調でそいつは去っていく。
だけど、去り際に残していったのは、いつかの少年のような笑顔だった。

うん、あれならきっとあいつはこれから先も、あの日言ったように「頑張れる」はずだ。
それがわかっただけでも、良しとしよう。
だから、その後ろ姿にかけるのは別れの言葉だけで良い。
「達者でね、相棒」
返ってくる言葉はないし、私もそんなものは期待していない。
ただ、何となくアイツはきっと良い顔をしているんじゃないかと思う。

なら、それで充分だ。それに、別れは十年前に済ませてある。
いまさらあの時と同じことを繰り返しても仕方がないし、あの日の未練ももう晴らしてしまった。
ならば、アイツを引きとめる理由も方法もない。

でも、その後ろ姿を見送りながら、ふっと士郎のことを思い出した。この世界の士郎の姿は……
「………ああ、そうだったんだ」
「? どうかしたの、リン?」
「ん? なんて言うか、私は自分で思ってるよりもずっと…………頑固だったみたい」
そうだ、この世界に来てそれをやっと自覚できた。
ここは私の心の奥の願望で作られた世界。故に、私自身の無自覚な思いも反映される。
だからこそ、私はそれをやっと自覚できたのだ。

「どういうこと?」
「こっちの士郎ってさ、なんかチグハグなのよ。
体格は半年前の若返る前のころのものなのに、士郎の髪や眼、肌の色は昔のまま。
 でもそれってさ、私はあの頃のアイツでいて欲しかったんだってことじゃない?」
段々とアーチャーに似ていく士郎に、少なからず反発心みたいなのがあったのかもしれない。
成長するのはいい、でも似ていくのは我慢ならない。例えそれが、外見だけの物であったとしても……。
それでも私は、余程士郎がアーチャーに近づいて行くのが嫌だったらしい。
だから朝士郎を見た時に、掴みきれない感情が心を埋め尽くしたんだ。

「ほら、さっさとこんな辛気臭いところから出るわよ。で、私はどうすればいいの?」
「あ、うん。私が門を開けるから、そこに向かって宝石剣で思いっきり攻撃してくれればいいわ」
ふーん、そういうものなのか。

じゃ、これ以上チンタラしていても仕方ない。やることやって、元の世界に帰りましょうか。
「あ! 待って、リン」
「なに?」
「シロウに伝えて欲しいの。もう、私の事で苦しまなくていいんだよ。もう、自分を許していいんだよって。
 そして……………ありがとう、私のために泣いてくれて」
それは、今にも泣き出しそうな表情で紡がれた、許しの言葉。
この十年、ずっと苦しんできた士郎への救いとなるであろう言葉だ。

だけど……
「それは……」
「うん、わかってる。たぶん、それでも士郎は自分を許せない。
 そもそもこの私は、あなた達が死を看取ったイリヤスフィールとは少し違うから、説得力もないだろうしね。
 それでも、伝えて欲しいの」
意味はないのかもしれない。救いにはならないのかもしれない。
でも、それでも構わないと、伝えることに意味があるのだろうと、私は思った。

「いいわよ。ちゃんと伝えてあげる。まあ、色々とケリがついてからになると思うけど」
「うん、それでいいわ」
「アイリスフィールには、何かある?」
たぶん、きっとあるはずだ。士郎にだけあって、母親にないというのはちょっと考えにくい。

長い沈黙。言葉を選んでいるのか、それとも気持ちがまとまらないのか。
「……………………………ごめんなさい。そう、伝えて」
「いいの? それだけで」
「うん………それ以外、なんて言っていいか分からないから」
その顔には、士郎への言葉を発した時とは違う悲哀があった。
その言葉のとおり申し訳なさそうに、先立ち残してしまった母親への精一杯の謝罪を紡いだのだ。

そうして、イリヤは純白のドレスをたなびかせながら大聖杯へと降りていく。
その途中、聞いてはいけない筈の事を聞いてしまった。
「なんで、助けてくれるの? 私は、あなたを見殺しにしたのに…………」
別に、そのことに罪悪感があるわけじゃない。
あの時はそうするしかなかったし、助けに入っていれば私たちは死んでいた。それは疑いようのない現実だ。

だからこそ、恨み事を言われ罵られる憶えはあっても、助けてくれる理由がわからない。
かつて自分を見殺しにした者に対し、自分にとって不利益にしかならない様な手助けをする人間がいるだろうか。
私がこの世界に残る限り、彼女はここで生き続ける事が出来るのに……。
そんな彼女の振る舞いに、ほんの僅かに……………後ろめたさを感じる。
いっそ、思い切り咎めてくれた方が楽なくらいだ。

故に、思わずにはいられない。なぜこの少女は、私に手を貸してくれるのだろう、と。
「なんだ、そんなことも分からないなんて、本当に抜けてるのねリン」
思わず口をついた問いに返ってきたのは、やはり私の思っていたものとは違った。
それどころか、彼女の声音にはなお一層の温かさが宿る。
それはまるで、手のかかる教え子に教え諭しているかのよう。

イリヤは振り向かず、私に背を向けたままさらに言葉を紡ぐ。
「だって………………私はお姉ちゃんだもん。“妹”を助けるのは当然でしょ?」
背中越しだけど、それでもはっきりとわかるくらい、イリヤの声には誇らしさが滲んでいる。

言葉の通り、それがさも当然の事であるように気負う素振りすら見せぬ声音。
まるで、私の感じる後ろめたさなど、単なる取り越し苦労に過ぎないと言わんばかりに。
それが何より、彼女の本心を語っていた。

でも……そうか。私たちの関係には、そういう見方もできたんだっけ。まあ、まだ「予定」が頭につくけど。
しかし、それなら返す言葉は謝罪であってはならない。彼女もまた、そんなものを望んでいないのだから。
「…………ありがと。じゃあ、頼める? 姉貴」
「もちろん♪ お姉ちゃんに任せなさい!」
やっと振り向いたイリヤの顔には、満面の笑みがある。
悲しみなどない、心残りもない。
あるのはただ一つ、一度として手を取り合えなかった妹の力になれることへの、無上の喜びだけ。

「それとねリン、実はもう一つあるんだけど……………」
まあ、姉からの一生で最後の頼みだ。それを聞いてやるのは妹の務めだろう。

「お母様とシロウをお願い。二人とも危なっかしいから、リンがしっかり見ていてあげて欲しいの」
なるほど、さっき「幸せになって」の一言もなかったのはそういう事か。
つまるところ、初めから私に「幸せになる」ように見張らせておくつもりだったのだろう。
やれやれ、私が思っていた以上にこの姉は強からしい。

だけど、それは同時に全てに勝る信頼の証なのだろう。
母親と弟であった筈の男の両方、自身の家族を私に託すのだから。
何より、姉貴たっての頼みだしね。

だから、答えは決まっている。
「…………しょうがないわね、姉妹のよしみで受けてあげるわ。
でも、良いの? 母親と弟の事だけで?」
「……………そっか、たしかにそうだね。じゃあ言い直します」
「なに?」
出来る限り優しく、この小さくて優しい姉に答える。
もう二度と言葉を交わす事はないだろう。だからせめて、この一時に持てる全ての親愛の情を込めて。

「私の家族をお願い。
頼りないお母様に、何かと手のかかる弟。
それに我慢強過ぎる妹と、その困った騎士たちだけど………みんなを見守ってあげて。
私には………できないから」
「……任せなさい。まとめて、ちゃんと面倒見てあげるわよ」
「うん、ありがとう! リンが見ててくれるなら、安心かな」
自分で言っておいてなんだけど、こうなったら「心の贅肉」なんて言ってられないか。
やれやれ、たった半年で随分と大家族になったモノだ。
アイリスフィールがどんな答えを出すか分からないけど、こうなったらできる限りのことはしてやらなきゃね。

そうして、イリヤが大聖杯の前に立つ。
すると、大聖杯が光を放ち、その前面に光の柱が立った。
「いいわよ、リン!」
「了解! 『Eins,(接続、)zwei,(解放、)RandVerschwinden(大斬撃)――――!!!!』」
そこに向け、宝石剣を輝かせながら渾身の力と魔力で一閃する。

そこで世界はひび割れ、どんどん崩れていく。その最中、最後に姉の声を聞いた。
「―――――――――じゃあね。
 私とリンは血が繋がっていなかったし、一緒にいれた時間もわずかだったけど。
リンと姉妹で、本当によかった」
その言葉に、不覚にも一滴の涙が頬を伝う。
まったく………これじゃ約束、しっかり守らなきゃ。

でも、この人の前で醜態なんて晒せない。
さらに零れそうになる涙を堪え、その代わりに万感の全てを込めて応える。
「―――――――――うん、じゃあね姉貴。
 私も、イリヤと姉妹で本当によかったわ」
本心からの、嘘偽りの無い言葉。ああ、確かにイリヤが姉で良かった。
私はきっと、これから先ずっとこの姉の事を慕っていける。
短い間だったけど、彼女と共有できた時間はこの先ずっと心に残るだろう。

そうして、最後に二人の声が重なる。
「「バイバイ」」
今生の別れとしては味気ないかもしれないが、私たちにはこれで充分。
姉は妹に心残りを託し、妹は確かにそれを受け止めたのだから。

私は忘れない。私にはこれ以上ない位、可愛らしく優しい姉がいたことを。その事を、ずっと誇りに思うだろう。
光の中に消えていく世界、その直前に見たイリヤは――――――――やっぱり、笑っていた気がした。






あとがき

いつだったか、「姉妹の再会を経て云々」という予告を出しましたが、こう言う意味でした。
士郎と結婚すれば、凛にとってイリヤは姉妹になるわけですからね。
まあ、桜とも会ってますけど……意味合いとしてはこっちの方が重要でしょう。

あとは、セイバーが少し活躍させられたので楽しかったです。
それと、凛がバーサーカーを二度ダメージを与えています。まあ、少なくとも殺すよりかは楽だと思うんですよ。
それに他のサーヴァントが相手ならこうはいかなかったんですが、なにせ理性のないバーサーカー。
罠には真っ向から突っ込むのは当然でしょう。
となると、問題は彼にダメージを与えられるだけの攻撃ができるかどうかですしね。

その上イリヤの命令に背いていますから、そのせいでいろいろ制約を受けてしまって弱体化。
これくらいでやっとバランスがとれると思うんですが、どうでしょう。
というか、改めてサーヴァントの反則ぶりを痛感しました。

それと、アーチャーとの対面が割と淡泊だったのは、私の中ではUBWのラスト以上の物はないという思いがあるからです。正直、アレ以上の別れなんて二人には無いでしょう。
というわけで、二人ともあの時に残してきた問いをぶつけ合う、最後のケジメ的なやり取りで済ませました。
ただお互いに「答え」を確認し合う、それだけであの二人には十分なんじゃないでしょうか。

まあ、何が一番楽しかったかというと、イリヤに「私はお姉ちゃんだもん」を言わせられたことですね。
個人的にはFateの中でも指折りの名言であり、感動的なシーンだったと思っているヘブンズフィールラストのアレの引用です。ハッキリ言ってしまえば、前話も今話も全てはこれを言わせるためのものだったと言っても過言ではありません。ラストの凛との触れ合いこそが、39・40話の全てと言っても良いでしょう。
アーチャーとの対面ですら、これの前では前座に過ぎないというのが私の考えです。



[4610] 第41話「闇を祓う」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:fd260d48
Date: 2010/03/18 09:55
SIDE-グレアム

場所は局内の私の自室。
そこで私は、計画の結末をある人物と共に見届けていた。
「上手くいったようですね、提督」
「ああ、これで後顧の憂いはない。さあ、レティ提督」
そう言って、私は両手を差し出す。
クラッキングに捜査妨害、データベースの改竄と民間人への傷害。
これだけそろえば逮捕するには十分だ。

むしろ、ここまで見届けさせてくれただけでも異例だろう。
元から私に逃げる意思がないとはいえ、普通なら問答無用で逮捕しているところだ。

「本来、それは私の仕事ではないんですけどね。
ですが、最後まで見なくていいのですか? まだ、完全に事態が終結したわけではないようですけど」
「そうだな。だが、あの子達ならきっと何とかするさ。
 私の様に愚かな過ちを犯す事はないと、そう信じているよ」
あの子達には、百万の感謝の言葉を以てしても足りない。
私が諦めていた可能性を、あの子達は見事に切り開いてくれた。

まったく、自分が年である事は自覚していたつもりだったが……。
こうして若い力を目の当たりにすると、それを一層自覚させられるな。
最後の最後で、本当にいいモノを見せてもらった。
それだけで、この年まで局に居座った甲斐があるというモノだ。

「わかりました。ですが、その前にお聞きしたいのですけど、あの二人の事で何かわかった事はありますか?」
「預言の事かね?」
「ええ。どのような取引をなさったか、差し支えなければお聞かせください。
何か、ヒントがあるかもしれませんから。黙秘権の行使、という手もありますけど」
「いや、その必要はないさ。さして話せる事はないからね。
取引を持ちかけられはしたが、彼女は自分達に何ができるかしか教えてはくれなかった。
我ながら、よくもそんな賭けに出たものだと思うよ」
普通なら、そんな怪しげな取引になど応じない。
しかし、彼女にはそれを信じさせるだけの自信と力があった。
なにより、それは私がずっと探し続けていたものであったが故に、私は賭けに乗ったのだろう。

力になれなかったのは申し訳なく思うが、それが事実だ。
「そうですか。では、提督は彼らに何を提供するのですか?
 取引というからには、提督からも何か差し出すのでしょう?」
「ああ、私が彼らに渡すのは情報だ。私の知る、あるいは後に知り得るであろう管理局の情報。
 彼らは、それを使って自分達の身を守ろうと考えているのだろう」
情報は武器だ。それは何も、戦いにおける形勢のみに適用される事ではない。
私は管理局の清濁をずっと見続けてきた。故に、表沙汰に出来ない事件や不祥事などを多く知っている。
管理局を離れても、かつての人脈やコネから情報は入って来るだろう。
あの子達は、それらを管理局と付き合う上での材料にするつもりなのだ。
まあ、元より私が彼らに渡せるものがあるとすれば、あとは金銭とこの命くらいなのだが……。

本来ならば、私が墓まで持っていくつもりだった事柄もある。
あるいは、機を見て公表するつもりだったものもある。
外部の者に漏らすべきものではないのだろうが、あの子達は自衛のためのカードを増やすのが目的だ。
それならば、無闇にそのカードが切られる事もないだろう。
なにより、私にはこんな形でしか恩人達に報いる術がない。

「彼らは、預言の事を?」
「いや、彼らにはまだその事を話していない。
 話すべきか迷ったが、聞きたい事だけ聞いて後回しにされてしまったよ」
その時の事を思い出すと、苦笑を禁じ得ない。
合理的と言えばそうなのだろうが、もう少し人の話を聞いてもらいたいものだな。

「わかりました。ですが、とりあえずもう少し様子を見ましょう。
 それに、教え子の雄姿を目に焼き付けておいてもいいのではありませんか?」
教え子、か。私は不出来な師だったが、それでもクロノが教え子である事には変わりない。
私への刑がどのようなモノになるとしても、管理局にはいられまい。
故にこれが、クロノの戦う姿を見る最後の機会になるだろう。

それを許してくれるレティ提督の温情に、深く感謝する。
「ありがとう、レティ提督」
「……おそらく、提督への刑には減刑の余地はあります。
 今回の事件の背景には情状酌量の余地はありますし、提督の実績を考えてそれは確定でしょう。
 ですが、それでも……」
「執行猶予はないだろうな。局員、それも高官が起こした不祥事に手心を加え過ぎれば、それは局の自浄能力の欠如を曝け出す事になる。メンツがあるとはいえ、それでは人々の支持が得られない。
魔力の大幅封印と懲戒免職は確定として、あとは傷害の件で賠償や罰金がつくか」
クラッキングと捜査妨害だけならそうは重くならなかっただろうが、そこに民間人への傷害とデータベースの改竄だ。さすがに、あまり軽すぎると沽券にかかわる。

本来なら、不当な闇の書とその主の封印で拘置所行きになっている事を考えれば、十分すぎるほど軽い。
逆に軽い事に不満の様なモノを覚えないでもないが、それはそれでおかしな話だ。
「ええ、私もそう思います。とはいえ、それならリーゼ達は大丈夫でしょうね」
「ああ、大幅封印といっても、完全にゼロになるわけではない。維持には問題ないだろう。
 まあ、二人には不便な思いをさせる事になるだろうが……」
おそらく、私も二人もほとんど魔法を使う事は出来なくなるだろう。
その事を不便に感じるとは思うが、元は魔法などない世界で生きてきた私だ。
元の場所に収まると考えれば、特に問題はない。

保護観察がつくかまでは分からないが、いずれにしろ故郷に帰る事になるだろう。
そうなれば、こうして世界を渡る事もないか。その事には一抹の寂しさを覚えるが、それでいいとも思う。
まあ、どちらにせよ厄介払いも兼ねて他世界への渡航の禁止がつくかもしれんし、大差はあるまい。

あとは……そうだ、いつかはやて君に会わなければならないな。
今まで通りに援助を続けるつもりだが、どこかで真実を告げ詫びるつもりだ。
彼女がそれをどう受け止めるかはわからないが、それが私の最後のけじめだろう。

そうして私達は、再度自分達の前に映る映像に目を向ける。
呪われた魔導書と呼ばれた魔導書の、その悲劇の歴史に終止符を打つであろう光景を。



第41話「闇を祓う」



SIDE-士郎

相変らず、世界は鳴動している。
まるで、これから天変地異の一つでも起きようかというように。
いや、実際そんな生易しいモノじゃないのかもしれない。
闇の書の暴走は、守護者を呼び出してしまうほどに危険なモノだ。
ここで何とか出来なければ、この一帯の消滅につながるのだろう。

俺達の視線の先には、海面に現れた黒い淀みと、その手前にある純白の小さな球体がある。
アースラからの報告によれば、はやてはちゃんと防衛プログラムを分離できたらしい。
そして、あの黒い淀みこそが暴走の始まる場所という事だ。

そこでエイミィさんがクロノに、何やら届けモノがあるとの事。
「届けモノ? って、これは!?」
『うん、リーゼ達から。
自分達はこのまま災害担当の局員達と一緒に消火にあたるから、デュランダルはあげるって。
どうせ、消火が終わったらそのまま局に連行されるし、クロノ君が持ってた方がいいだろうってね』
クロノの手元に現れたのは、リーゼ達がもっていた待機形態のカード型デバイス。
つまり、これを使ってアレを何とかしろって事か。

『私達はこれで舞台を降りる。これからは、次の世代が主役を張る番だ。しっかりやれよ、クロノ……だってさ』
潔い、というべきなんだろうな。次の世代に何かを残す、それは全ての生き物に課せられた役目。
そして、リーゼ達にとっては今がその時という事か。

クロノは目の前にあるデバイスを、まるで儚いガラス細工にでも触れるように手に納める。
これは、師から授かった最後の贈り物。認められ、後を託された信頼の証。
それを手にするまでの一瞬に、どれほどの感慨があったのかは余人にはわからない。
しかし、いまクロノは確かに大切な何かを受け取った。その手にではなく、その心で。

そこで、前方にある白い光の玉が一際強い光を放つ。
光が治まると、四人の守護騎士達が球体を護るように四方を固めていた。
「我ら、夜天の主の下に集いし騎士」
「主ある限り、我らの魂尽きる事無し」
「この身に命ある限り、我らは御身の下にあり」
「我らが主、夜天の王、八神はやての名の下に」
そして、守護騎士達が宣言を終えるのと時を同じくして、純白の球体が割れる。
すると、そこから杖を持って二本の脚で立つはやてが姿を現した。
どうやら、守護騎士達も含めて上手くいったようだ。

はやては天にその杖を掲げ、言葉を紡ぐ。
「夜天の光よ、我が手に集え。祝福の風リインフォース、セーットアップ!」
杖から光が放たれると同時に、はやての体を騎士甲冑が包んでいく。
それは、あの闇の書が纏っていたものとよく似ていながら、同時に細部はわずかに異なっていた。

守護騎士達は、再会を喜ぶというよりもまるで懺悔でもするかのようにはやてに対している。
そんな自分の騎士達に、はやてはただ優しく……
「おかえり、みんな」
そう告げた。それに感極まったのか、ヴィータがはやてに泣きつく。
そんなヴィータをはやては優しく抱きしめる。
その姉妹の様な光景を、残りの騎士達も穏やかな眼で見守っていた。
彼らは主従であると同時に、確かに家族である事をその姿が強く教えてくれる。

できれば、このまま感動の家族対面を続けさせてやりたい。
だが、今は先に片付けねばならない問題がある。
俺は凛に運んでもらいながら、他の面々もはやて達の下へと向かう。

「ごめんな、みんな。うちの子達がいろいろ迷惑かけてもうて」
「ああ、感謝も謝罪も後回しにしましょ。いまは、先にやる事があるわけだしね」
「水をさしてしまうのは申し訳ないが、そう言う事になる。僕は、時空管理局執務官クロノ・ハラオウンだ。
 時間がないので簡潔に説明する。あそこの黒い淀み、闇の書の防衛プログラムがあと数分で暴走を開始する。
 僕らはそれを、何らかの方法で止めないといけない」
とめるだけなら、まあ手はある。
今までだって闇の書の暴走は起こっていたのだから、それと同じ対処で何とかなるだろう。
ただし、周辺への被害を度外視すればの話だけど。

「プランは現在三つある。
一つは……士郎、君だ。君の持つあの聖剣、エクスカリバー。あれで吹き飛ばせないか?」
俺……というか、エクスカリバー頼みか。
昔似たような事をした事があるらしいし、あれならまとめて消し飛ばす事もできるかもしれない。

そこで、シグナムがクロノの言葉に反応する。
「エクスカリバーだと!? 衛宮、お前そんなものまで……」
「昔、いろいろあってな」
まあ、その辺は予想していた。
アイリスフィールと一緒にいたのだから、聖杯戦争の事を聞いていても不思議はない。
とはいえ、今は詳しく話す時ではないし、ここは肩をすくめるだけにとどめる。

しかし、エクスカリバーはどちらかというと凛が要だ。凛の魔力の残量次第で、使えるかどうかが決まる。
軽く目配せすると、凛は首を振り俺の代わりに答えた。
「無理ね。士郎もさっきまでの戦闘でだいぶ魔力を使ってるし、アレを使えるだけの余力はないわ」
厳密には、俺ではなく凛の方に余力がないという事になる。
闇の書の中で何かあったのか、今の凛には聖剣の使用に必要な分の魔力の提供が出来ないらしい。
それに、クロノ達には凛からの魔力供給が出来る事を話していない。
それを秘密にするなら、こう言う言い方をするしかないのだ。

クロノも、これまでの戦闘で俺がだいぶ魔力を使っているのは知っている。
だから、元からそれほど期待はしていなかったらしい。そうでなければ、あんな遠回りな前置きはしない。
「そうか。となると、残るプランは二つ。一つは、極めて強力な氷結魔法で停止させる。
 二つ、軌道上に待機している艦船アースラの魔導砲『アルカンシェル』で消滅させる。
 これ以外に他に良い手はないか? 闇の書の主と、その守護騎士の皆に聞きたい」
「えっと、最初のは難しいと思います。
 主のいない防衛プログラムは、魔力の塊みたいなものですから」
「凍結させても、コアがある限り再生機能が止まらん」
第二次ラインのプランだったはやてとの分断後の凍結封印は、どのみち難しかったかもしれないのか。
てっきり主と分断すれば何とかなると思っていたが、思い違いをしていたらしい。
過去にそんな例はなかったようだし、あくまで推論でしかなかったわけだから仕方がないか。

また、アルカンシェルの使用にもはやてから難色が示される。
「その…アルカンシェルっていうんも使えそうにないみたいなんやけど……」
「それは、どういうことだ? 危険なのは確かだが、消滅させるという意味でなら有効なはずだぞ」
「リインフォースが言ってるんやけど、今の防衛プログラムにアルカンシェルを使うと何が起こるか分からへんらしいんよ。凛ちゃんを取り込んだ時に、なんや変な影響を受けたとかで……」
そういえば、夜天の書の蒐集能力の対象はリンカーコアのみ。
だが、魔術回路を回している状態の凛を取り込んだ事で、なにか予想外の変質を起こした可能性はある。
なにせ、今までに例のない事だろうし……。

明らかに『聞きたくない』という顔をして、クロノが尋ねる。
「具体的には?」
「防衛プログラムのバリアは魔力と物理の複合四層式なんやけど、その下に五層目が出来てるんやて。
 その五層目が問題で、空間を歪める力を持ったみたいなんよ」
「つまり、その歪みとアルカンシェルがぶつかり合って、どんな反応を起こすか分からないって事か」
そううなだれて呟きながら、クロノはジトッとした眼で凛を見る。
理屈はサッパリだが、凛と一緒に外套の能力まで吸収しちまったって事か。

凛の外套の作る歪みには、一部の例外を除き、破壊という概念は基本的に通用しない。
突破する事はできるが、完全消滅させるには発生源を潰すしかないのだ。
蜃気楼の様なもので、いくら蜃気楼に向けて攻撃しても像は歪んでも消える事はない。
歪みの向こう側に攻撃を届かせる事は可能だが、発生源を何とかしない限り歪みそのものを消す事が出来ないのだ。故に、防衛プログラムを破壊するか、魔力が切れるまでその歪みが消える事はない。

だが、そうなると不味いな。
なんでもアルカンシェルとやらは、発動地点を中心に百数十キロ範囲の空間を歪曲させながら反応消滅を起こさせる魔導砲らしい。
下手にそんなものを空間の歪みを纏う防衛プログラムにぶつけたら、確かにどんな結果になるか分からない。
効果範囲が一気に倍になるかもしれないし、下手をすると次元震とかを引き起こす可能性だって否めない。
何も起こらない可能性だってあるが、賭けをするには危なすぎる。

『…………凛(ちゃん)』
「わ、悪かったわね!! どうせ私がうっかり取り込まれたせいで、こんな面倒な事になりましたよ~だ!」
俺達が恨みがましく見やると、逆切れした凛が怒鳴り散らす。
いやな、お前のせいじゃないってのはわかってるんだが、この行き場のない感情はお前以外に向けようがないし。

「凛、歪みの消去はできないのか? あれは、元は君の術なんだろう?」
「できないとは言わないけど、一度出来上がった術を無効化するのはかなり厳しいわよ。いくら術式を知り尽くしてるとしても、やっぱり時間はかかるわ。
それに、変質してる可能性を考えるとどれだけ時間がかかるか見当もつかないし」
「……そう、か。歪みさえ何とかなれば……やりようはあるのに」
希望に縋るようにクロノは問うが、その希望が薄い事もわかっているのだろう。
その声音には隠しきれない悔しさと、抑えきれない自分への不甲斐なさへの怒りが籠っている。

俺としても何とかしたいのは山々なのだが……そこで一つの考えが頭に浮かぶ。
「一つ、手がある」
「本当か!」
「ああ。その空間の歪みが凛の術のコピー……つまり元が魔術であるのなら、消し去る術はある」
なにせアレは、あらゆる魔術を破戒する短刀。裏切りと否定の剣。魔術によって生じた何かを、“作られる前”の状態に戻す究極の対魔術宝具。裏切りの魔女の神性を具現化した魔術兵装。
殺傷力は微弱で、ナイフ程度の威力しかないが対魔術においては無敵に近い。

空間の歪みそのものを破壊する事は出来ない、術式に干渉して無効化する事も出来ない。
それなら、その歪みを生む「取り込まれた魔術式」を破戒してしまえばいい。
「それを使えば、一時的にせよ本体を丸裸にできるはずだ」
「そんなモノまで持っているのか。君はどこまで……いや、今は文句を言う時じゃないな。
 これでアルカンシェルを使う目処が立った、ここはその幸運を喜ぶべきか」
「待てよ! こんなところでアルカンシェルなんて使って、はやての家はどうすんだよ!!」
アルカンシェルを使う上での最大の懸案事項を解決する策はでた。しかし、それが無くともアルカンシェルを使う事が大事であることに変わりはない。
多少この場から移動した程度では大して意味がないだろうし、引き起こされる衝撃による津波だけでも、はやての家に限らず沿岸の街は壊滅だ。

多少の被害ならともかく、そこまで来るとさすがに無視できない。
とはいえ、防衛プログラムを放置するわけにもいかないし、天秤にかけるなら考えるまでもないだろう。

と、そこでアルフが痺れを切らしたように叫ぶ。
「ああもう、鬱陶しいなぁ!! 纏めてズバッとふっ飛ばすってんじゃダメなの!」
いや、それが出来ないから皆悩んでいるんだし……。

そんなアルフの叫びに何か感じるものがあったのか、なのは達が何か呟いていたかと思うと、徐にクロノに問う。
「ねぇ、クロノ君! アルカンシェルって、どこでも撃てるの?」
「どこでもって、例えば?」
「いま、アースラがいる軌道上」
「宇宙空間で」
つまり、そこまで転送してしまおうと言う事か。
アレだけの大質量となると難しいが、可能レベルまで削ればいい。
まったく、こいつらの発想力には時々驚かされる。エイミィさんが言うには、可能らしいし。

「確かに、それなら……士郎、歪みの消去に何か条件の様なものはあるのか?」
「ああ、使うには直接突き立てなければならん。だから、残す問題はどうやってそこまで辿り着くかだ」
バリアだけならともかく、防衛プログラム自体に戦闘能力がある。
しかも、暴走状態に入ると周囲の物体や生き物を吸収して擬似的な生体部品を増殖するらしい。
下手に近づいて触れれば、逆にアレに吸収されて一部にされてしまう。

俺の回避能力や現状の疲労の度合いを考えれば、格好の餌になるのは目に見えているな。
「情けない話だが、ノコノコと近づいて行っても的になるのが関の山だろう」
「気にするな。それに関して言えば、君だけじゃないさ。
だけど、アレに近づいて行くのを支援するとなると難しいな」
転送系の魔法で運ぶにしても、近くに空間の歪みがあってはそこまでは近づけない。
歪みの規模を考えると、近づけても数十メートルは距離が開いてしまうらしい。
だが、支援さえ受けられれば近づいていく事もできる。

しかし、その支援こそが難しい。なぜなら……
「純粋に、人手が足りないか」
「ああ、バリアの破壊に本体への攻撃でみんな手一杯になる。
 君を守るだけならともかく、突っ込んで行くのを支援する余裕なんてないぞ。
 他の武装局員だと、アレの相手をするには力不足だし……」
だろうな。アレからの攻撃を相殺ないし反らせるだけの力の持ち主は、そのほとんどがここに集まっている。
ここにいる以外となると、リーゼ達とリンディさんだが、それでもなお手が足りないだろう。

だが俺の手には、それを可能とする切り札がある。もう、こうなったら大盤振る舞いだ。
「凛……『奥の手』を使おう」
「な!? アンタ何言って……!」
「わかっているのだろう? アレならばあらゆる障害を退けて、道を通す事が出来る。
今使わずに、いつ使うと言うのだ」
なにせ、あそこには『無限の剣』があり、その中には宝具も含まれる。
普通の剣やちょっとした魔剣程度では力負けするだろうが、宝具ならば向こうの攻撃にも対処できるはずだ。
物量において負けはなく、力においてもタメを張れる以上、アレ程の適任は存在すまい。

「方法があるのか?」
「ああ。私の、とっておきだ」
「~~~~~~~っ!! だぁもう! アンタに付き合ってるとホント心労が絶えないわ。
 わかったわよ、でも一つ条件があるわ。なのは達は外! いいわね?」
なのは達は言葉の意味が分からないらしいが、俺にはわかる。
つまり、なのは達にアレを見せる事だけはするなって事か。
確かに、管理局にアレを見られるのだけは避けたいしな。
まさかとは思うが、また追い回されるのは御免だ。

だが、ここにはその言葉の意味が分かる者達がいる。
「……なぁ。お前の事、信じていいんだよな」
「ヴィータ?」
「あの時みたいに、なにもかも壊すなんて事…しないよな!」
ヴィータはまるで懇願するように俺の裾を掴み、今にも泣き出しそうに目を潤ませる。
闇の書は、七百年前にアイツと戦ったかもしれないのだ。なら、その時にアレを見ていても不思議はない。
故に、俺達の言っている事がわかったのだろう。自分達がかつて見た、あの世界の事だと。

だからこそ、その事が不安になる。また、その時と同じ事になるのではないかと。
「安心しろ。俺は、アイツとは別の人間だ。
壊すためじゃない、殺すためじゃない。ただ、今を守るために戦うんだ」
ヴィータの問いに答えながら、その頭を撫でる。
まったく、アイツはいったいこいつらに何をしたのやら。

『なんか、さっきから妙に通じ合ってるわね。どういう事?』
『どうも、昔アーチャーの奴に酷い目にあわされた事があるらしい』
『……抑止力か、まさか守護者まで呼び出されてたとはね』
念話で凛に大雑把な事を伝える。
闇の書の中に取り込まれていた凛は、その辺の事をまだ知らないからな。

「やはり、お前はあの男の関係者なのだな」
「確定ではないが、おそらく間違いないだろう。
しかし、憶えていて今まで気付かなかったのか? それとも今思い出したのか?」
「今思い出した。主はやてが管理者権限を握ったからかもしれん。
 今思えば、はじめて戦った時の違和感はそれが原因だったのだな」
シャマルが俺に会った事があるような気がしたのも、全ては奴が原因という事か。
まったく、巡り合わせというのはわからないな。

そこで、蚊帳の外だったクロノが話をまとめにかかる。
「詳しい事はわからないが、できると言うなら信じるしかない。君達の関係も、今は置いておく。
 どうせ、僕達には他に案もないからな」
「すまんな。だが、期待には応えてみせよう」
詳しい事を説明できない事は申し訳なく思うが、こちらとしてもアレを知られるのは困るんだ。
悪いが、勘弁してくれ。

でも、詳しい事は言えないが事前に説明しておかないといけない事があったな。
「それと、一ついいか」
「まだ何かあるのか?」
「そう嫌そうな顔をするな。なにせ、聞いてもらわねば困る事だ」
「どういう事だ?」
「実は、奥の手を使うと一時的に我々はこの場から姿を消す。
 だが、その時間はそう長くはない。一分もしないうちにまた同じところに現れるだろう。
 だから、それまで決して持ち場を離れないでくれ」
もし、何も知らせないまま固有結界を使えば、それこそこの試みが失敗する事になりかねない。
突然俺達を含めて闇の書の闇が姿を消せば、皆浮足立ち持ち場を離れてしまうかもしれないのだ。
それでは、再出現した時にすぐさま攻撃する事が出来ない。
これだけは事前に伝えておかなければならない事だ。

「詳細説明は……まあ期待していない。短い付き合いだが、そういう人間だって事はわかってる。
 同時に、やると言ったからにはやる人間だって事もな」
これもまた、一つの信頼の形なのだろうか。
深く詮索する事なく信じてくれるクロノに感謝する。

そして作戦会議を行い、各々の役割と手順を決定した。
実に個人の能力頼みのギャンブルそのものの手段。
しかし、上手くいくも何もない。失敗すれば他に手がないのだ。
こんなところでアルカンシェルと空間の歪みの未知の反応なんて、起こさせるわけにはいかない。



暴走開始まであと二分を切った。
各々準備を整え、あとは暴走の始まりを待つ。
そこへ、はやてとシャマルが俺達の方に飛んでくる。
「士郎君、凛ちゃん、ちょう待って。シャマル、お願いや」
「はい、お二人の治療ですね。
士郎君と凛ちゃんは、これから大切なお役目があるんですから、万全にしておかないと」
そう言ってほほ笑むシャマルだが、やはりその顔には不安がある。
ヴィータ同様、アーチャーと戦った時の苦い記憶が原因か。

だが、なんと声をかけていいのかわからない。正直、ヴィータに言った以上の事が思いつかないのだ。
この手の事は、行動で示す以外にどうすればいいのやら。
シャマルはそんな俺の心情に気付いたのか、悲しそうに謝罪する。
「あの……ごめんなさい」
「気にするな、別にシャマルが悪いわけではない」
「そうかもしれませんけど、私は本当の士郎君を知っています。
 だから、士郎君があの人違うって事もわかってるんです。なのに……」
「理解と納得は別だろう。違う存在だと言ったところで、何の証拠も出していないのだ。
 そうして信じようとしてくれるだけで、私は嬉しく思うよ」
まったく、アイツのおかげでとんだとばっちりだ。

「だから、謝らないでくれ」
「……はい。それじゃあ、治療しちゃいますね。クラールヴィント、本領発揮よ」
《Ja》
「静かなる風よ、癒しの恵みを運んで」
すると、俺と凛の体を緑色の光が包み込み、あっという間に怪我とバリアジャケットの破損が修復される。
さすがに魔力までは回復しないが、それでも体の痛みが消えただけでも助かった。

そうして、凛の口から洩れたのは純粋な讃辞。
「へぇ、すごいじゃない」
「ああ、たいしたものだ」
戦いの場にあって、どれだけの戦力を抱えているかは重要な要素だろう。
だが、それと同等か、あるいはそれ以上に重要なのが補給をはじめとする後方だ。

シャマルのこの能力は、戦闘での価値は計り知れない。
それが分かるからこそ、シャマルの能力には感嘆の念を覚える。
「『湖の騎士』シャマルと『風のリング』クラールヴィント、癒しと補助が本領です」
いままで戦闘にはほとんど参加していなかったが、これが守護騎士の一員シャマルの力か。
まったく、いい具合にバランスのとれた連中だ。

まあ、これで魔力や疲労なんかも回復できれば……と思わないでもないが、さすがに無理か。
回復系の魔法で出来るのは、あくまでも傷の治療まで。
疲労や消耗した魔力の回復を後押しする事は出来ても、すぐさま回復させられるわけじゃない。
治療はともかく、回復となるとそれなりに時間をかけざるを得ないのだろう。

だがそこで、凛は何を思ったのかいきなり物騒な事を言い出す。
「いやぁ、本当はなのはの事とかその他諸々の借りって事で、一発引っ叩いてやるつもりだったんだけど……」
「「え!?」」
「おいおい……」
「安心しなさいよ。これでチャラって事にしてあげるから」
凛はそう言って、シャマルに背を向けながら手をひらひらさせる。
こいつなりに、ケジメを付けるためにこんな事を言ったのだろう。

「他の皆はもういいのか?」
「あ……はい、もうみんな回復は完了してます。
 ただ……その、シグナムは……」
ああ、そういえばシグナムにはゲイ・ボウで付けた傷があったか。
一端消滅し、そこから再構築されてもなおその呪いは健在だったらしい。

まあ、これ以上シグナムに怪我を負わせておく意味はないしな。
「わかった、今解呪するからシグナムの治療も頼む。『投影、消去(トレース・カット)』」
それにしても、さすがに再構築されれば治ると思っていたが、それでも効果を失わないあの槍はとんでもないな。
宝具というモノのデタラメさを、何と言うか、再確認した気持ちだ。

まあ、それはそれとして、家に保管しておいた槍が消滅する手応えを感じた。
これでシグナムの怪我を治せるだろう。
「……よし。これで大丈夫だ。行ってやってくれ」
「は、ハイ!」
「あ、シャマル待って。士郎君、なんやようわからんけど…ありがとうな」
そう言って、シャマルは俺にお辞儀をするとシグナムの下へと向かう。
はやても、話の流れがよくわかっていないなりに、礼を言ってシャマルの後を追う。

さて、こちらの体勢はこれで整えられる範囲では整ったか。
あとは、その時が来るのを待つだけだな。



SIDE-凛

そこで海から漆黒の光の柱が立ち、黒い淀みを囲む。
さらにそのまわりを、あの触手や何かの尻尾の様なものがうねっている。
いよいよ、暴走開始か。

役割分担は単純。
とりあえず全員がかりで士郎の詠唱時間を確保、同時進行でバリアの破壊。
その後、士郎の奥の手で囲いこんで空間の歪みを消去する。
次に、再出現したところを魔導師組と騎士達の一斉攻撃でコアを引きずり出して転送。
締めは、丸裸になったコアをアースラのアルカンシェルで消滅させる。ただそれだけだ。

柱は徐々に細くなり、それが消える頃には淀みが少しだけ浮き上がっていた。
そしてそれは、まるでシャボン玉が割れるかの様に消える。
そこから姿を現したのは、なんとも言い難い怪物。
アレが、夜天の魔導書を呪いの魔導書と呼ばせた元凶。
言わば、「闇の書の闇」と言ったところか。
色々なモノを見てきたが、あそこまでわかりやすい敵役というのも珍しい。

だが、それでもアレは擬似生体部品で構築された柔軟な体と、脚部や胸部の外皮を覆う硬質装甲の肉体を持つ難敵。
また、魔力と物理の複合四層式のバリアに、私から無断で手に入れた空間の歪みのおまけつき。使用料よこせっての。
その上、周囲の物体や生命を侵食し取り込む事で、尋常ならざる高速再生能力を発揮するときた。
まったく、厄介過ぎて逆に笑えてくるわ。

しかし、こちらとてあんな本体から除去されたガン細胞みたいなのに屈するつもりはない。
「動いたわね。士郎!」
「ああ。『――――I am the bone of my sword.(体は剣で出来ている)』」
眼を閉じ、胸に手を当て、精神を集中しながら同時に詠唱を始める。
これより、外界で何が起ころうと士郎は一切反応しない。
ただ、士郎の内でその時を待つ世界を顕現させるべく、力の全てを注ぐ。

と同時に、士郎の詠唱の邪魔をさせないよう、皆が動く。
「チェーンバインド!!」
「ストラグルバインド!!」
サポート班のアルフとユーノは、その触手に向けバインドを伸ばす。
それらは触手に絡み付き、引きちぎった。

だが、それだけでは終わらない。
「縛れ…鋼の軛!!」
さらにザフィーラの手から放たれた白い光が、残った触手をまとめて切り落とす。

そこへ、フェイトが一枚目のバリアを破るべくバルディッシュを構える。
大剣形態のバルディッシュから三つの薬莢が排出され、黄金の輝きが増していく。
フェイトはそれを手に、体を一回転させ振り抜いた。
「はぁっ!!」
その斬撃が空を駆け、一直線上にある触手を薙ぎ払う。

一時無防備となった防御プログラム対し、フェイトはバルディッシュの切っ先を天に向ける。
そこに紫電が走り……
「撃ちぬけ雷神!!!」
《Jet zamber》
伸びた金色の刀身で以て、一枚目のバリアを一刀両断する。

それと時を同じくして、ズクンと自身の変化を自覚する。
決して多くはなかった残りの魔力が、どんどん私の中から消えていくのだ。
「『―――Steel is my body.(血潮は鉄で) and fire is my blood(心は硝子)』」
それは、士郎が容赦なく私から魔力を持っていき、それを使ってありったけの魔術回路を限界ラインで回しているから。眼を瞑ったその顔に表情はないが、滲み出る汗がその苦しさを物語っていた。

そこへ、闇の書の闇より出現した触手の先端に魔力が集中していく。
「盾の守護獣ザフィーラ。砲撃なんぞ、撃たせん! テオラァ――――!!!」
その一声と共に海中から光の棘が出現し、砲撃の発射態勢だった触手を穿った。
しかし、その棘は強固なバリアに阻まれて闇の書の闇本体には届かない。

また、残る守護騎士達のうちシャマルを除くシグナムとヴィータが触手たちを潰していく。
「ラケーテン…ハンマ――――!!」
「飛竜…一閃!!」
ヴィータは突起の付いたハンマーで近寄ってくる触手を殴り飛ばす。
シグナムも炎を纏った連結刃の切っ先を操り、触手たちを斬り払っていく。

そこで、シグナム達の作った隙を突きなのはが動く。
なのはの足元に一際大きな桜色の魔法陣が展開され、レイジングハートを天に掲げる。
《Load cartridge》
レイジングハートから四つの薬莢が排出され、光の翼が展開された。

なのははレイジングハートの先端を闇の書の闇へと向ける。
「エクセリオン…バスタ―――――!!!」
《Barrel shot》
レイジングハートから不可視の方弾が発射され、それが迫ってきていた触手を薙ぎ払う。

その隙になのはは自身の眼前に巨大な魔力球を生みだした。
「ブレイク……」
放たれたのは四条の光が放たれ、バリアとぶつかる。

だが、それだけではバリアが崩れない。そこにむけ、ダメ押しの一手が押し込まれる。
「……シュ――――――ト!!」
四条の光を放つレイジングハートから、さらに四条全てを巻き込む形でさらいに太い光が放たれた。
その結果、何とか持ちこたえていた二枚目のバリアが崩れ去る。

横目で士郎を見ると、やはり微動だにしない。
導く先は一点のみ。ただそこに向け、士郎は自身の全てを賭けている。
「『―――I have created over a thousand blades. (幾たびの戦場を越えて不敗)』」
僅かでも魔力の制御を誤れば確実な死が待っているにも拘らず、士郎には微塵の動揺もない。
失敗する可能性など、元より見ていない。
そんなモノに気を向けた時こそが、暴走の時だと本能的に理解しているからだ。

そこへ、ザフィーラ達の警戒網を抜けた一条の砲撃が私たちに迫る。
「させるかっての!!
『Herausziehen(属性抽出)―――Konvergenz(収束),Multiplikation(相乗)』」
五指にはめられた宝石が輝きを放ち、その光は掌の中央、その一点に収束され光弾を作り上げる。

同時に、握っていた宝石を宙にばらまく。
詠唱と共に込められていた魔力は解放され、その魔力も光弾に上乗せする。
光弾は輝きを強め、その力は臨界に達し、溜めこんだ力を一気に解放する。
「『―――Rotten(穿て) Sie es aus(虹の咆哮)!!!』」
眼前にある光弾を殴りつけ、その力をすぐ前にまで迫っていた砲撃に叩きつける。
二つの光条は真正面から衝突し、互いに食い合って相殺した。
まったく、かなりの出力があったはずなのに、それでやっと相殺できるってどういう威力よ。

続いて、クロノがデュランダルを掲げる。
「まったく。こういう力技は、僕の柄じゃないんだけどな!」
魔法陣を展開するクロノの頭上には、スティンガーブレイドと思しき光刃が現れる。

しかし、それはいつものそれと趣が異なる。
光刃の周りの大気は白く、その刃が冷気を帯びている事を示す。
何より、その数とサイズが違う。
通常なら百にも届く刃を形成するはずが、その力の全てを一本に集約し巨大な刃を形作る。

「スティンガーブレイド…コキュートスシフト!!!」
巨大な一本の氷刃がバリアに突き刺さり、氷漬けにしていく。
コキュートスは確か、地獄の最下層で罪人を永遠に氷漬けにする場所だったはずだ。
なるほど、氷結属性の攻撃には似合いの名だろう。

そして……
「――――砕けろ!!」
その一声と共に、凍てついたバリアは跡形もなく砕け散った。
さあ、これで三枚目。残すは一枚だ。

そういえば、みんなの耳には届いているのだろうか。この声、夜空の下朗々と響く士郎の声は。
周りがこれだけ騒がしくしていながら、決して大きくはない士郎の声が私にははっきりと聞こえる。
「『―――Unaware of loss.(ただの一度の敗走もなく)
Nor aware of gain.(ただの一度の勝利もなし)』」
世界に響く呪文。周囲に変化はない。
当然だ。魔術というのは世界に働きかけるものだが、士郎のそれは違う。
これは外ではなく、内に向けて働きかける為の呪文なのだから。

とはいえ、さすがに皆の対処能力を上回って来たのか、警戒網を抜けた幾つもの砲撃が襲いかかる。
しかし、この状況は想定済みだ。
「ディバイ―――ン…バスタ―――!!」
「プラズマ…スマッシャ―――――!!」
「ブレイズ・・・キャノン!!」
魔導師組の三人が、それぞれの得意砲撃で迫りくる光条を迎撃した。

「ったく、危ないわね。自分達の担当分くらいちゃんと処理してよ」
「あははは……ごめんね、凛ちゃん」
「……ごめんなさい」
「すまない。言い訳はしたくないが、こっちも自分達の事で手一杯なんだ」
まあ、それがわからないわけじゃないけどね。
闇の書の闇は、何も私達だけを攻撃しているわけじゃない。
なのは達も攻撃対象であり、自分達の分を対処しながらとなると難しいのだろう。

だが、そんな外界の様子など意に介す事なく、なおも士郎の詠唱は進む。
「『―――Withstood pain to create weapons.(担い手はここに孤り)
     waiting for one's arrival(剣の丘で鉄を鍛つ)』」
長い呪文だ。まあ、仕方がないと言えばそうなんだけど。
だってこの呪文は五小節以上の、ほとんどテンカウントに近い長詠唱なのだから。

とそこへ、守護騎士達に守られるはやてから、シャレにならない魔力が放たれる。
「彼方より来れヤドリギの枝、銀月の槍となりて―――――撃ち貫け!」
はやては夜天の魔導書を手に、その杖を振るう。
すると、足元に純白のベルカ式魔法陣があらわれ、天に七つの光を生む。

掲げられた杖は勢いよく振り下ろされ、七つの光が防衛プログラムを襲う。
「石化の槍――――――ミストルティン!!!」
七つの槍が闇の書の闇のバリアとその周辺に突き立ち、それを受けた触手群が石化し活動を停止していく。
なるほど、考えたわね。処理が追い付かないのなら、まとめて動きを止めてやればいいってことか。
同時に、石化の効果で最後のバリアも砕かれた。

まあ、できればまとめて闇の書の闇も石化させてくれたらよかったんだけど、やはりそうはいかないか。
それに、五層目を破る一手を打つために士郎がいるんだしね。
「『――I have no regrets.(ならば、)This is the only path(わが生涯に意味は不要ず)』」
詠唱も佳境、残すはあと一節。
それを紡いだ時、この世界に最も魔法に近い魔術、大禁呪と称された神秘が顕現する。

「行くわよ、カーディナル!!」
《了解》
詠唱に集中している士郎を抱え、諸共闇の書の闇の近くまで転移する。

転位系の魔法は繊細だ。空間の歪みのある所じゃ上手く使えない。
だから私に行けるのは、その手前まで。
そこから先は、こいつが頼りだ。

転位は速やかに終わり、空間の歪みまであと数十メートルという位置に出る。
さあ、ここからはあんたの仕事よ。
「士郎、いま!!」
「『―――My whole life was(この体は、)”unlimited blade works”(無限の剣で出来ていた)!!!』」
最後の一節を唱え、真名を口にする。同時に、士郎は眼を見開きながら右手を振るった。
まるで、何かに命じるかの様に。

瞬間―――――炎が走る。空中を走るそれは、内と外を分かつ境界線。
私達を闇の書の闇もろとも囲うように、士郎の背後から左右に伸びていく。
それは広大な円を描いて繋がり――――――世界を変革させる。

その異界は元あった現実を塗りつぶし、一人の男の幻想にすり変えた。
空が赤い。いや、空だけではない。大地さえも赤く染まっている。
目の前に広がるのは荒野。草木一本存在しない大地。
その荒涼とした丘に、無数の剣が墓標のように突き立っている。

果てはない。炎の境界線は見えるのに、この世界はそのずっと先まで広がっていた。
まさに無限。見渡す限りあるのは剣と荒野と地平線だけ。視界の全てがそれで埋まっているのだ。
生き物のいない剣のみの世界、瓦礫の王国の中心に士郎は王の如く君臨している。

いや、事実士郎はこの世界の王であり神だ。
固有結界。心象世界を具現化し現実を侵食する、空想具現化の亜種とされる秘法。
故に、この世界は術者である士郎の心象。そして、この世界は士郎によって創られた。
そんな存在を、『王』あるいは『神』と呼ばずに何と表現するのか。

それにしても、相も変わらずここは殺風景だ。地平線の彼方まで同じような風景が延々と続いている。
そこで、この身を温かく包みこむ柔らかな何かの存在に気付く。
「……ぁ」
いつからかこの世界は、太陽の位置すら分からない雲に閉ざされた。だけど、今は空から光が射している。
世界を覆う分厚い雲に入ったささやかな切れ目の奥に、澄んだ空と燦然と輝く太陽を臨む事ができた。
かつての様な、自分自身さえも焼き尽くしてしまいそうな空ではない。
空はやはり赤いけど、それは「温かな暖色」に染まっている。

足元に目を移せば、そこにあるのはやはり痩せこけた大地。
雑草一本ない、“一見”枯れ果てた世界。そんな世界を占める土もまた、肥沃とは無縁の赤土。
専門的な知識などなくても分かる。こんな土では、樹はおろか、雑草一本生えはしない。

しかし体は勝手に動き、足元の土の一部を掬い上げ感触を確かめる。
「……柔らかい」
乾いた土特有の脆さ故に、土は触れたそばから崩れていく。

だが、それだけなら「柔らかい」ではなく「脆い」と言う。
そう言わなかったのは、指先に僅かな湿り気と柔らかさの余韻が残されたからだ。
眼を凝らせば、僅かに……本当に僅かに命の息吹を宿す黒土の兆しが含まれている事に気付く。
潤いはなく、恵みもない不毛な大地であったはずなのに、そこには確かに生命を支える沃土の兆しがあった。

「そっか……変わって無いように見えて、いつの間にか変わってたんだ」
つまりは、そういう事。心象風景の変化は、そのままその人物の心の在り方の変化を意味する。
曇っていた空から光が射し、大地に僅かな息吹が宿ったという事は、士郎の心にそういう変化があったのだろう。
それは私にとって何にも勝る喜びであり、新鮮な発見だった。

エミヤとも違う、かつての士郎とも違う。歯車も火の粉もなく、空気を占める重苦しさもない。
雲海の隙間から射す清々しい陽光を受け、突き立った剣達が息吹を得たように輝いている。

私はずっと、この世界が気にくわなかった。
命の息吹がなく、孤独で寂しいこの世界を変えたかったのだ。
その変化の片鱗が、今眼の前にある。

それが嬉しくて、この世界の大地を豊穣なものにしたいという新たな願いが芽生えた。
いつかきっと、雲一つない晴天を見たいと思う。
ああ……やっと私は、この世界が好きになれそうだ。



Interlude

SIDE-はやて

「シロウ達が……」
「消えちゃった……」
呆然とした呟きは、フェイトちゃんとなのはちゃんのモノ。

でも、それはこの場にいる全員の気持ちを代弁している。
凛ちゃんが士郎君を連れて闇の書の闇に接近したところで、赤い炎の線が二人を中心に円を描いた。
そしてその炎の線が繋がった瞬間、その二人と闇の書の闇が消えていたのだ。
いや、その寸前に確かにわたしは見た。士郎君達の足元に広がる赤い大地を。
一瞬やったけど、暗いこの場所でその光景は鮮明やった。

そのあまりの出来事に、わたし達三人は士郎君に言われた事を忘れて、思わず少しだけ前に出る。
せやけど、そこで異変が起こった。
「ふぇ、フェイトちゃん!?」
「ど、どこにもおらへん……シャマル!」
唐突に……ホンマ唐突にフェイトちゃんの姿が消えた。
まるで、初めからそこにはいなかったかのように、跡形もなく。

「す、すみません! 調べてはいるんですけど、まるで痕跡が掴めないんです。
 どこに行ったのか、何が起きたのかもさっぱりで……」
返ってきた返答は、まるで悲鳴の様。
管理局の方でも色々調べているみたいやけど、三人の行方を追跡できないらしい。

「転送魔法……なんかな?」
「ですけど、それなら少しくらいは痕跡が残るはずです。
それに、あの空間の歪みを纏った防衛プログラムに転送なんて無理ですし」
そういえば、そういう話やったよね。でも、だとしたら何が起こったんや。

そこで思いだす。さっきまでわたし達がいたところは、士郎君達を中心に描かれた円、そのギリギリ手前やった。
つまり、たった今わたし達はあの円の領域に入ったんや。だとしたら……。
その事に、皆もすぐに思い至ったらしい。
「でも、確か昔もそうだったんですよ~。
訳の分からないうちに、見た事もない場所に転送させられちゃって……」
「さっき見えたのは、あの炎と一瞬見えた赤い地面だけやから、あそこに行ったって事なんかな?」
「たぶん……士郎君があの人と関係があるのなら、行き先はあそこ以外に考えられません。
 おそらくは、テスタロッサちゃんもそこに紛れ込んでしまったんだと思います」
そういえば、さっきからシグナム達は士郎君に誰かの影を重ねてるんやったっけ。
つまり、その人がやった事と同じ事を、今士郎君もやったかもしれへんっちゅう事か。
そして、きっとフェイトちゃんも今はそこに……。
でも、わたし達とフェイトちゃんの違いってなんなんや?

そこで、えっと……クロノ君がシグナムに尋ねる。
「詳しく、聞かせてくれないか」
「私とて確信があるわけではないが、それでも?」
クロノ君の頼みに、シグナムは問い返す。
どうせ、今はそれ以外に情報がない。なら、気かへん事には始まらへん。

みんな同じ気持ちなのか、なのはちゃん達も頷き返す。
それはわたしも同じで、わたしが促すように頷くのを確認したシグナムは、慎重に言葉を選びながら口を開く。
「奴の時も、同じように炎が走りました。そして、炎が繋がった瞬間…世界は一変したのです。
 そこは見渡す限り夥しいほどの剣が突き立った、まるで廃棄場の様な荒野。
 荒れ地と鉄しかない、人の住めぬ灰の空が広がっていました」
シグナムは身震いするように、その時の事を述懐する。

「燃えさかる炎、空を埋め尽くす無数の巨大な歯車、その奥で太陽を遮る曇天。そして……墓標のように並ぶ剣。
あれは、最早この世のものでありません。あまりに異質で、まるで悪い夢のようでした」
それが、今士郎君達がいる場所なんか?

「ですが、アレは夢などではなく、確かにそこにある現実でした。
奴が腕を振るう度、無数の剣が次々と浮遊し我々を襲い、あの剣の軍勢は……我等の体を穿ったのです」
正直、聞いただけやと上手くイメージができへん。
おそらく、それは実際に見た人にしかわからない何かなんやろ。

だけど、深くその事を考える前に、大気が不穏な鳴動を発した。
「な、なんや!?」
みんなの混乱は、ここにきて最高潮に達する。
まるで、士郎君が行ってもうた向こう側の振動が、こっちにまで伝わってきてるみたい。

いったい今、向こうでは何が起きてるんや。
士郎君達は、大丈夫なんか?

しかし、そこで混乱し浮足立つわたし達をクロノ君が制止する。
「みんな落ち着いてくれ。気持ちはわかるが、僕達にできる事は少ない。
 今は、士郎達の言っていた通り持ち場につこう。士郎の言葉が本当なら、必ずまた姿を現すはずだ。
 信じて……その時を待とう」
クロノ君も、フェイトちゃんの事が気にならないわけやないんやと思う。
口調こそ落ち着いているけど、その手は固く握り締められていた。

クロノ君の言うとおり、今は信じて待つしかないんやと思う。
ちゃんと三人が帰って来た時に、もしわたし達が何も出来なかったら、それこそ全てが水の泡になる。
それだけはしちゃアカンし、この事態はあらかじめ知らされていた事。
なら、わたし達は今できる事をして、三人が帰ってくるのを待とう。

三人とも、無事でいて。

Interlude out



SIDE-士郎

詠唱を終え眼を開けた瞬間、あらゆる物が別の形で再構築された。
目の前に広がるのは、懐かしき俺の世界。無数の剣が乱立する、剣の丘。
これが俺の本当の魔術。俺の魔術は剣を作る事ではなく、無限に剣を内包し製造する世界を創る事。
剣を作るのは、その副産物でしかないのだ。

見渡す限り剣ばかり。そういう世界だとわかってはいるが、毎度の光景に少し苦笑する。
そんな俺の傍らには、すっかり馴染んだ凛の気配がある。
この身は剣、ならばアイツは俺を護る鞘なんだろう。そう、ずっと俺はアイツに護られていた。
故に、その気配は俺に深い安堵をもたらす。凛が傍にいる、それだけでどこまでもいけそうな気がする。

「ちょっと、いつまでそうしてんのよ。こっちだって魔力の残量がきついんだから、早くしてよね」
「っと、すまん。ずいぶん長く見ていなかった気がしてな」
俺の魔力は最早一割を切っており、凛の魔力も闇の書から解放された時点で半分以下。
おそらく、結界の展開時間は真名解放をする事を考えると、一分を切るだろう。
その間に、何としてでも空間の歪みを消去しなければならない。

……とそこで、凛が俺の肩を叩く。
「どうした?」
「なんで、あの子がいるのよ」
「は?」
凛が指で指し示す方に顔を向ける。

すると、そこにいたのは……
「フェイト…………って、なに!?」
確かに、戦闘区域そのものはそこまで広くはなかった。
あまり闇の書の闇と距離が開き過ぎると、攻撃の威力が拡散してしまうかもしれないからだ。

とはいえ、範囲内にいられては固有結界の中に取り込んでしまう。
だから、万が一にも巻き込んでしまわないように、外にいる様に位置取りをさせた。
仮に、展開された後で範囲内に入ったのだとしても、ここにいる事はあり得ない。
固有結界は、一度発動してしまえば外から侵入する事は基本的には不可能なはずだ。
少なくとも、今までに展開後に外から侵入してきた奴はいなかった。

ならば、一体どうやって……しかしそこで、凛がある事に気付く。
「ねぇ、士郎。そういえばアンタ、あの子に魔力を込めたペンダント渡してたわよね」
「ああ…………って、アレのせいか?」
「他にある?」
「……ない…な」
可能性として考えられるものがあるとすれば、確かにそれくらいしか思いつかない。
アレには俺の魔力が宿っているし、それが鍵になって道を開いたのかもしれないな。

当のフェイトはと言うと、キョロキョロと辺りを見回している。
どうやらと言うか当然と言うか、何が起こったのか理解できていないらしい。
まあ、普通そうだよなぁ。

とはいえ、いつまでもあそこでウロウロさせているわけにもいかないか。
「フェイトこっちへ来い。そこにいるのは危険だ!」
「え? シロウ……な、何がどうなってるの!?」
「いいから早く来なさい! そんなとこにいると死ぬわよ!!」
「は、はい!?」
凛に一喝され、フェイトは大急ぎでこちらに向かって下りてくる。
これからやろうとする事を思えば、確かにその通りなだけにあそこにいるのは危ない。
正直、フェイトを避けながらはキツイしな。

「ハァ……凛」
「わかってる。こっちは任せなさい、適当に口止めしておくから」
「頼む」
まったく、見られないように注意を払ったはずなのに、まさかこんな事になろうとは。



Interlude

SIDE-フェイト

「こ、ここは……どこなの?」
わたしは、ついさっきまでなのは達と一緒に海の上にいたはずだ。
なのに、気付くといつの間にか見た事もない場所にいた。

見渡す限り、どこまでも続く地平線。そこには、わたしがさっきまでいた海の影も形もない。
それどころか、眼下に広がる赤い大地は遠目にも痩せこけ、草木の代わりに無数の剣が突き立っている。
そして、空もまたさっきまでの様な夜空ではなく、夕焼けよりも尚赤く厚い雲に覆われた空が広がっていた。
(なんて、寂しいところなんだろう……)
地面が枯れている事か、それとも空のほとんどを覆う雲のせいか、あるいは……。
理由まではハッキリしないけど、わたしにはこの世界がどうしようもなく哀しく感じられた。
だってここは、まるで何もかもが死に絶えてしまったかのように、命の息吹が感じられないから。

それに、どうやってわたしはここに来たんだろう。
転送魔法? だとしても、「いつ」「誰が」そんな事をしたの。
それに、空間が不安定な場所では転送系の魔法は使えないはずなのに。
わたしは何が起こったのか理解できず、首から下げたペンダントを握りしめ、ただ辺りを見回す事しかできずにいた。少し遠くを見れば、先程まで戦っていた闇の書の闇がいる事にも気付かずに。
それだけ、この時のわたしは動揺していたのだ。

しかしそこへ、下方からよく知った声がかかる。
「フェイト、こっちへ来い。そこにいるのは危険だ!」
「え? シロウ……な、なにがどうなってるの!?」
「いいから早く来なさい! そんなとこにいると死ぬわよ!!」
「は、はい!?」
凛に叱責され、大急ぎで二人の元へ下りる。
二人がいるって事は、わたしは二人と同じ場所に飛ばされたという事なのだろう。

でも、それはなんで? わたしは二人が消えるのを確かにこの眼で見た。
なのに、いつの間にわたしは二人と同じ場所にいる。
時間差でわたしも飛ばされた? 誰に?
今までの様子を考えるとシロウという事になるはずだけど、それはおかしい。
だって、そのシロウ自身わたしがここにいる事に驚いていた。
それはつまり、シロウにその意思がなかった事を意味している。
わたしはもしかして、何か勘違いしているんじゃないだろうか。

降下しながらそんな事を思っていると、いつの間にか近くに来ていた凛が厳しい口調で言う。
「フェイト、あんたが今起こっている事態を理解しようとするのは自由だけど、今見た事、考えた事は誰にも言わないで。私も、アンタに手荒な事はしたくないしね」
「凛? なにが起こ……」
わたしの眼を見据えるそのまなざしは、鋭く有無を言わせない力を宿している。
「これ以上聞くな」とその眼が何よりも雄弁に語っていて、わたしはそれ以上言葉を紡げなかった。
だけど、同時にその瞳の奥にどこか悲しい光がある。

もしわたしが今見た事を誰かに話せば、きっと凛はわたしを許さない。
理由はわからないけど、そんな気がする。
「う、うん……」
「ゴメン、ありがとう。バルディッシュも、悪いんだけど記録の方は消してくれない?」
《……Yes, sir》
バルディッシュは軽く明滅して凛の頼みを聞き入れる。
これで、バルディッシュにもここでの記録は残らない。少なくとも、データとしてのそれは。

そこで、ふっとある事に気付く。
もしかしたらここが、以前シロウが言っていた武器を納める「蔵」なんじゃないだろうか。
でも、それは決してここが「何処」なのかという疑問への答えにはならない。
だってここは、明らかに地球とは思えないから……。

それに、こんな風に武器を野晒しにする蔵なんてありえない。
きっと、ここには蔵である以上の秘密があるんだ。
それこそが、シロウ達の知られたくない事。
その事を知る凛を羨ましく思い、少しだけ……嫉妬してしまう。

わたしは、シロウの事をどれくらい知っているのだろう。
もしかしてわたしは、本当は何も知らないんじゃないだろうか。
その事がすごく不安で、思わずシロウの背中を見る。
(ねぇ、シロウ。わたしは、ちゃんとシロウの事を……知ってるよね。
 凛よりは少なくても、わたしの知るシロウはちゃんとそこにいるんだよね)
その背中は、今まで感じた事もないくらいシロウを遠く感じさせた。

Interlude out



SIDE-士郎

フェイトを迎えに空に上がっていた凛が、フェイトと一緒に降りてくる。
どうやら、降りてくる間に話はついたらしい。
本当は聞きたい事があるだろうに、それでも聞かずにいてくれる事を申し訳なく思うと同時に感謝する。

まあ、フェイトが紛れ込んだのは予想外だったが、今はその事を気にしても仕方がない。
意を決し手近にあった剣を無造作に掴むと、それは俺を担い手と認めるように容易く抜ける。
「ご覧の通り、貴様が挑むのは無限の剣―――――剣戟の極地」
俺がその腕をゆっくりと上げると、同時に背後に並び立つ剣達もそれに従うように次々と浮遊していく。
ここにある剣は、ただの剣ではない。俺の意に忠実に従う、もの言わぬ騎士。

それはまさに軍勢。血の通わぬ、剣のみの軍団だ。
そして俺の手にある剣は、これ以上ないほど軍勢を指揮するのに相応しい剣。
銘を「勝利すべき黄金の剣(カリバーン)」。剣の師の手から永遠に失われた宝具、その贋作。
魔術師マーリンの導きにより選定の岩から抜かれた王の象徴。岩に刺された王を選定する剣。
武器としての精度ではエクスカリバーには及ばないが、権力の象徴としての意味がある剣。
この剣と俺の軍勢が釣り合うかはわからないが、少しは様になるだろう。

そうして、俺は振り上げた剣を勢いよく降ろし、切っ先を闇の書の闇に向ける。
「さあ――――――恐れずして掛かって来い!!!!」
号令一下、無数の剣が切っ先を向けて闇の書の闇に襲いかかる。
赤い空からも、無数の剣が流星群の様に光を放ちながら降ってきた。

しかし、もちろん奴とて大人しくこの軍勢に蹂躙される事を良しとするはずもない。
触手を伸ばし、あるモノはそこから砲撃を放ち、降り注ぐ剣を迎撃する。
それとは別に、先端を鋭く尖らせた触手が俺達目掛けて鎌首を伸ばす。
「では、行って来る」
「えっと、気をつけてね」
「しっかりやんなさい。こいつまで使ったんだから、ヘマしたら許さないからね」
「……くっ、それは怖いな。ならば、気合を入れていくとしよう」
二人にそう告げ、俺もまた敵を目指して疾駆する。
手にしたカリバーンを構え、迫りくる触手を切り捨てていく。

そんな俺に危険を感じたのか、数十にもおよぶ触手が襲いかかる。
「おおおおおおおおおおおおおお!!!」
それを、黄金の一閃で以て一息に薙ぎ払う。
黄金の剣から閃光が走り、俺の視界の全てを埋め包み込んだ。
残ったのは、バラバラと落下する触手の残骸だけ。

その間にも、並行して天空の激突は続いている。砲撃と剣の衝突は、空に艶やかな花火を生む。
「ただの剣」であれば、膨大な魔力頼みの砲撃に敵うはずもない。
だが、降り注ぐ剣は決して「ただの剣」ではない。
全てではないが、そのうちの数割は宝具(ノウブル・ファンタズム)と呼ばれる武装。
人間の幻想を骨子にして作り上げられた、物質化した奇跡。英雄達が愛用した、文字通りの伝説の武具の数々。
如何に真名解放はしていないとはいえ、それらは決してこちらの世界の魔導に劣るものではない。

砲撃の雨と空間の歪みとの衝突に競り負け、大半が弾かれる。
しかし、全体の一割ほどの剣がそれらを貫き、宝具の流星が闇の書の闇に突き刺さった。
その際に響く音はまさに轟雷。一つ一つが山をも穿つ威力により、着弾箇所の周辺を粉微塵に吹き飛ばす。
とはいえ、相手のあまりに巨大な体躯からすれば、剣弾の直撃による被害は全体の一割程度か。
しかし、今はそれで充分。ここに行く手を阻む数多の障害は無限の剣に遮られ、道を作る。

だがそこで、体の中から奇妙な、何かがひび割れるような音が響いた。
「っ! これは……不味いかな」
一瞬自分に何が起こっているのか疑問に思ったが、すぐに理解した。
体の内側から、神経を裂くような痛みが走る。
以前であればなかった痛みだが、今の俺には思い当たる節があった。
何より、自分の体だ。今起こっている事態を、俺自身に正確に伝えてくれる。

しかし、今更止まれない。今止まったところで、そういう意味で言えば最早手遅れだ。
「……行くか!」
剣の流星を降らせつつ、無数の剣弾によって開かれた道を突っ切る。

だが、それでもなお空間の歪みへの障害は残っていた。
天から降り注ぐ剣弾を潜り抜け、数本の触手が俺めがけて殺到してくる。
「ちっ……まだ耐えるか、つくづくしぶとい! いい加減、消え……!?」
殺到する触手に向け、黄金の剣を薙ごうとするがその瞬間に体に痛みが走り、体勢を崩す。
まずい、今から剣を振ったのでは間に合わない。

しかしその瞬間、背後から声がかかった。
「そのまま伏せて!」
思考するよりも早く指示に従い、崩れた体勢のまま地面に伏せる。

すると……
「プラズマランサー…ファイア!!」
俺のちょうど真上を、光り輝く無数の何かが通り過ぎていく。
迫っていた触手達はその光に貫かれ散乱する。

誰がやったのか、考えるまでもない。
今の凛は俺への魔力供給で支援をする余裕がない以上、残すは一人。
怪我の功名と言うかなんと言うか、フェイトがいてくれて助かったな。
立ち上がって眼に映ったのは、フェイトが放った魔力弾が剣弾の作ったそれをさらに押し広げた道。

そうして、俺はその道を通って遂にそこに辿り着く。
「ハァハァ……ハァ、ハァ。間違いないな、ここが境界か」
目では見えない、しかし空間感知に長ける俺にはわかる。
あと一メートル先に、内と外を分ける不可視の幕がある事に。

俺は、カリバーンを手放しその手に新たな宝具を握った。
凛からの魔力供給は続いている。あと一回くらいの真名開放は大丈夫だ。
「――――『破戒すべき全ての符(ルール・ブレイカー)』」
手にした裏切りと否定の剣に魔力を注ぎ、見えぬ幕に突き刺し真名を解放する。

一瞬の輝きが切っ先から放たれ、それは消滅した。
だが、まだ気を抜くわけにはいかない。
空間の歪みは消滅したが、まだコアは健在。これが消えない限り、終わりではないのだから。

それに……
「……抑え…きれるかな?」
今はまだ抑えていられる。しかし、それもいつまで保つか。
なにせ、さっきからずっとギチギチと体の内側から嫌な音がしているのだから。

そこで、役目を終えた事により現実を侵食していた幻想が解ける。
まるで、ジグソーパズルが壊れるように崩れていき、世界が薄らいでいく。
赤い荒野はその色彩と現実味を希薄化させ、あるべき夜の海が姿を現す。

そして、最後に残った足場が消え、俺と闇の書の闇は海に向かって落ちていく。
しかし闇の書の闇と違い、俺を落下から拾い上げる手が現れた。
「まったく。アンタね、そのまま落ちたら下手すると溺死するわよ」
「くっくっく……。理想ではなく、闇の書の呪いと一緒に溺死するのか? ゾッとしないな」
ああ、どうやらまだ軽口を叩く程度の元気はあるらしい。あるいは、消える前の蝋燭と言うやつなのかな。
できれば、前者であってほしいのだが……。

「ほら、さっさと行くわよ。フェイトも所定の位置に戻ったから、あとはあの子達が締めてくれるわ」
「そうか……」
体から力を抜き、体の中で暴れ狂うそれを抑え込む事に集中する。

同時に、俺達がある程度離れたのを確認して、皆が構えた。
「せっかくだ、号砲の代わりくらいにはなるか。
――――――『壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)』」
闇の書の闇に突き刺さっていた数十本の剣が炸裂し、その体を部分的に吹き飛ばす。
あとは、皆に任せるしかない。

そして、それを合図にしたかのようにクロノが動く。
「行くぞ、デュランダル」
《OK, Boss》
「悠久なる凍土、凍てつく棺の内にて…永遠の眠りを与えよ」
クロノはリーゼ達から託されたデュランダルを起動形態にし、新たな相棒と共にその力を振るう。
すると、防衛プログラム周辺の海面を凍てつかせていく。

時を経るごとに周囲の気温が下がり、なおもクロノの魔力を冷気へと変換する。
「―――――凍てつけ!!!!」
《Eternal coffin》
海水諸共、闇の書の闇一帯が凍り付いた。

しかし、これでもなお完全に動きを止めるには至らない。
表面は凍っているが、それも芯までは届いていないのだろう。
凍った表面を砕き、脱皮するように新たな組織が凍った表皮の下から現れる。

そこへ、さらに追撃をかけるべく二人の騎士が動く。
「遅れるなよ、ヴィータ!」
「誰に言ってんだよ! シグナムこそ、しくじるんじゃねぇぞ!!」
長い付き合いであろう二人は、お互いに叱咤し合いながらそれぞれの得物を構える。

先に動いたのは、ヴィータだった。
「鉄槌の騎士ヴィータと、鉄の伯爵グラーフアイゼン!」
《Gigantform. Form》
「轟天…爆砕!!」
巨大な鉄槌へと姿を変えたグラーフアイゼンを振り上げる。

振り上げきった時、それはすでに「闇の書の闇」と大差ないサイズだ。
ヴィータはそれを……
「ギガント…シュラ―――――ク!!!!」
気合と共に、渾身の力で振り落とす!
それにしても、客観的に見るとシュールな光景だな。
あんなチビッ子が、ビルみたいな槌を振り回しているんだから。

それに僅かに遅れ、シグナムもまた剣と鞘を構える。
「剣の騎士シグナムが魂…炎の魔剣レヴァンティン。刃と連結刃に続く、もう一つの姿」
《Bogen form》
シグナムが剣の柄尻と鞘を合わせると、レヴァンティンはカートリッジをロードし二つが一つとなる。
そうしてレヴァンティンは、弓へとその姿を変えた。

シグナムは弦を引き絞り、その弓の間には物質化された一本の矢。
さらに二発のカートリッジが排出され……
「翔けよ…隼!!!!」
《Strum falken》
矢は閃光となり、闇の書の闇へと疾駆した。

鉄槌と紫炎の矢は闇の書の闇へと襲い掛かり、その身に喰らい付く。
未だ氷結していた肉塊は、そのあまりの威力に砕かれ大幅にそのサイズを削られた。
特に、鉄槌に叩き潰された箇所は見る影もなく、矢の着弾箇所は炎に焼かれている。
だが、それでもなおその体の全てを消し去るには足りない。

しかし、あいつ等もまだすべてを出し切ったわけではない。
ここにはまだ、三人の切り札がいる。
「高町なのはとレイジングハート・エクセリオン……」
「フェイト・テスタロッサとバルディッシュ・ザンバー……」
「八神はやてと祝福の風リインフォース……」
「「「行きます!!」」」
それぞれが自身と相棒の名を宣言し、自分達の最大の一撃のために有りっ丈の力を溜め込み始める。

なのはの元に、無数の桜色の流星が集う。
「全力全開! スターライト…」
それらが収束し、なのはの眼前に巨大な魔力の塊となって光を放つ。

同時に、フェイトもまたバルディッシュを構える。
「雷光一閃! プラズマザンバー…」
足元の魔法陣から紫電が放たれ、天からも雷霆が落ち大剣へと集う。
その結果、フェイトの大剣が尋常ならざる輝きを放つ。
その様は彼の聖剣の縮小版の様で、思わず苦笑が漏れる。

はやてもまた、掲げた杖に力を集めていく。
「ごめんな、おやすみな……響け、終焉の笛! ラグナロク!!」
正三角形のベルカ式魔法陣がはやての前に出現し、各頂点上で光が膨張する。

そして……
「「「ブレイカ――――――――――――!!!!!」」」
三人が、一斉に最大出力の砲撃を発する。
それらは轟音を発しながら防衛プログラムを、三方向から包囲したまま着弾した。

だが、これでもまだ終わりではない。
今のは、あくまでも本体コアを守る鎧を剥がすための行為。
「…………本体コア、確認。捕まえ、た!! 転送、いけます!」
クラールヴィントを展開して何かを探していたシャマルが、目的の物を見つけた。

シャマルの指示に従い、既に転送の準備を整えていた二人も動く。
「長距離転送!」
「目標、軌道上!」
「「「転送!!!」」」
サポート班のユーノ、アルフ、シャマルの三人が、コアをアースラのいる宇宙空間まで転送する。
あとは、アースラのアルカンシェルがなんとかしてくれるはずだ。

しかし、転送されたそれが確かに消滅したのかは、この場にいる俺達にはわからない。
しばしの間、結果報告が来るのを待つ。
そうして、それは来た。
『アルカンシェル、着弾を確認。本体コアの再生反応、観測できません。
みんな、お疲れ様』
エイミィさんからの報告が届き、全員が安堵のため息をつく。
もう少しの間は再生しないかを観測しなければならないらしいが、一応これで状況は終了したようだ。

なんとか、見届けられたな。
しかしそこで、俺もまた限界を迎える。
「は……あ………あ、は……これは、ヤバいかも…な…………」
何とか抑え込もうと必死になるが、体の内側から響く音は静まらない。
そうして剣鱗が肉を裂き、皮膚を食い破って出現する。

今の俺では、抑え込んでもここが限界だ。
体の内側から数百の刃が生えないよう、総身の力と意志力で以て捩じ伏せる。
だが、それでも何とか内側から串刺しにされるのを抑えるので精一杯。
そのため剣鱗の侵食が止まらず、俺の体を不気味な鱗が覆っていく。

そこで俺の異変に気付いた凛が大声を上げる。
「士郎! アンタ、ちょっと…しっかりしなさい!!」
意識が霞み、視界が濁る。
バリアジャケットのおかげか、一応剣鱗の刃は届いていないらしい。
その事に、自分の事を忘れて安堵した。俺のせいでこいつが傷つく事が、どうしようもなく嫌だったから。

体が硬い。動かそうとしても、まるで鉄になったかのように関節が動かせない。
それが体が壊れかけているからか、それとも体が剣になっているからなのかは判別できないが……どちらにしても、楽しい想像じゃないな。
「がはっ……は、ごほっ、ご」
咳き込むと同時に、血の塊を吐く。どうやら、いよいよ内臓もヤバいらしい。
すでに体の感覚はない。もう、自分が立っているのか倒れているのかさえ分からなかった。

全ての感覚が遠くなる。だが、それでも凛の声だけははっきり聞こえた。
「アースラ!! 今すぐ私と士郎を転送、手術室を貸しなさい! それから、アイリスフィールも寄越して!!
 リニスはありったけの宝石を持って合流!! 急いで!!!」
他にも声が聞こえる気がするが、よくわからない。
聞き慣れた声な気もするし、初めて聞いた声かもしれない。

ただ、消えゆく意識の中で一つの事を思った。
(…………ああ、死にたくないな)
俺が死んだら、凛はきっと悲しむだろう。
凛にそんな顔をされるのだけは……困る。

こんな俺でも、凛以外にも死んだら悲しんでくれる人もいるだろう。
それに、俺はまだあの人に伝えなきゃならない事がある。
だから俺は、まだ死ねない。死ねないんだ……。



Interlude

SIDE-リンディ

アースラのブリッジ。
そこで私は、クルー達から様々な報告を受けていた。

例えば、闇の書の闇の本体コアの再生反応がない事。
あるいは、はやてさんが倒れたのは、慣れない魔法の使用が原因である事などがあげられる。
だけど、とりあえずそれらの事柄に関して問題はないらしい。
まあ、それは何よりだ。あの子は、これから幸せにならなきゃいけない。
守護騎士達の事で彼女も監督責任が問われる事になるだろうけど、それでもだ。
まだ九歳の少女の未来が、こんなところで影を落としていいはずがない。

ただその中には、未だこちらに何の報告も届かない案件がある。
「それで……士郎君の容体は?」
「手術が始まって以後、報告はありません」
手術は凛さんとアイリスフィールさん、それにリニスと守護騎士のシャマルで行われている。
うちのスタッフが何とかすると言ったんだけど、それじゃ間に合わないと言っていた。
たぶん、魔術的な方法での治療が中心なのだろう。

だからこそ、責任者に無理を言って彼女達だけの手術を許可したのだ。
医療スタッフの責任者からは「責任が取れません!」って文句を言われたけど。
なんとか、命を繋ぎとめて欲しい。彼もまた、こんなところで死んでいいはずがない。
預言などとは無関係に、彼はまだ死んではならないのだ。

「フェイトちゃん達は、手術が終わるのを手術室の前で待っています。
 休むようには言ってるんですが……」
「あの子達が、聞くはずがないわよね」
自分達に出来る事は何もないとわかっていても、そうせずにはいられない。そういうモノだ。

「どれくらいかかるかは、わかる?」
「どうでしょう、魔術の事はさっぱりですから」
今のミッドの技術なら、どれだけの傷でも生きてさえいれば完治出来る見込みがある。
その意味で言えば、彼がこの手術に耐えきれるかどうかが問題だ。
普通なら、ショック死していても不思議じゃない負傷と聞いているけど……。

原因は、例の『奥の手』以外にない。
だけど、得られたデータはほとんどない。サーチャーも飛ばしたのだけど、今回はほとんど収穫がなかった。
せめてどんなものであるか把握できれば、治療に使える情報があるかもしれないのに。
いや、それなら凛さんが言っているか。
彼女とて、士郎君の命を危険に晒してまで秘密を守ろうとするとは思えない。

そもそも、彼女自身この事態は予想外だったのだろう。
そうでなければ彼女がこんな事を許すはずがないし、許してももっとはやく対処したはずだ。
と、そこへ艦内通信が入る。
「はい、はい……本当ですか! 艦長!!」
「どうしたの!?」
「士郎君が何とか一命を取り留めたようです!!
 まだ手術は続いていますが、重大な危機は乗り切れたと……!」
その報告を聞いて、ブリッジ全体が安堵のため息をついた。
私も肩の力が抜け、思わずだらしなく突っ伏してしまう。

そうか、生き残ってくれたのか。その事に、心から安堵する。
せっかくこうして最高の形でケリがついたのに、その後に人死が出ては台無しだもの。
それに、士郎君の犠牲の下で助かったとなれば、はやてさんは一生その重荷を背負う事になったはず。
それは、まだ九歳の少女にはあまりに重すぎだ。

本来なら、考えなきゃならない事は沢山ある。
事件の当事者であり、一応は加害者の側になる八神家一同の事。
あるいは、力を貸してくれた子ども達への謝礼。
何より、士郎君の『奥の手』と預言の繋がりや守護騎士達の言っていた『赤き騎士』の事。

特に最後のは、この先の世界の命運にかかわる可能性がある分、ある意味最重要事項だろう。
ヒントはいくつかある。守護騎士達の言っていた事と、かろうじて撮影できた映像。それに『固有結界』と『投影魔術』という名称。
遠目に士郎君が術を使う光景を見ていたアイリスフィールさんが、その単語を漏らしていたのは確認済み。撮影出来た映像からも、うっすらと見える“赤い大地”の姿は確認できている。
そして、まるで観測できなかった転位による消失と再出現。

これだけのピースがあれば、核心に迫る事もできるかもしれない。
「だけど……それは後でもいいわよね。今日はおめでたい日なんだから」
そう、今日はこの世界で言うところの「聖夜」。同時に、闇の書の呪いが解かれた記念すべき日。
そんなおめでたい日に、そんな事を考えるのは無粋だろう。

今この時くらいは、闇の書の悲劇が止められた事を、はやてさん達が生き延びた事を、誰も欠けずに事態が終結した事を、そして……士郎君が一命を取り留めた事を喜んでもいいはずだ。
なにせ今日は聖夜、世界と人々が祝福される日なのだから。






あとがき

はい、というわけでフルボッコ終わりです。
凛が闇の書に吸収されたのも、夢の中で大立ち回りをしたのも、一応はこのための伏線ですね。
それに、エクスカリバーを使わせたらそれだけで終わりそうですし。

それと、固有結界の暴走は「外伝その2」あたりで出した魔術刻印との拒絶反応が根拠になっています。
今の体になって半年、まだ色々馴染み切っていなかったんですよ。
今まで試した事はなかったのか、とお思いになるかもしれません。
ですが、こっちに来た当初はいろいろバタバタしていたし、魔術師がいるかもしれない土地で下手にそんな規格外のモノを使うのは不味いと自重。
その後はジュエルシードに関わり、管理局まで出張ってきてしまったので迂闊に使えなくなりました。
事件後も、変に感知されたりしないように大人しくしていたわけです。
その結果、今回になってやっと使用したんですね。
それに、他の魔術を使っても何も問題なかったんで、てっきり大丈夫だと思っていたんでしょう。

で、士郎の今の心象に関しては、正直かなり迷いましたね。
ベースをアーチャーの方にするか、それとも士郎の方にするかで。
歯車は入れたいところだったのですが、それを入れるとほとんどアーチャーと変わらないじゃないですか。
そうなると、一応アーチャーとは違う結末を迎えたという事をアピールできそうになかったので、結局はなしにしました。
とはいえ、十年前そのままではなく、空が曇天で覆われるなど多少変化はしていましたけど……。
そこからさらに変化したのが、今の世界という事になります。

そして固有結界そのものは、Zeroでイスカンダルが使っていた「王の軍勢」を参考にしています。
固有結界を外から見た場合の描写とかって、アレくらいしかないんですよね。
ですから、他の固有結界だと違うのかすらよくわからないので、アレが一般的な形という事にしました。
つまり、結界が出来上がってしまえば外界から隔離され、外からは中の様子が分からないという事です。
また、結界が完成するまでの一瞬に、内部の風景の影響がほんの少し現れたりするところですね。

P.S
すみません、クロノの砲撃のところで名称を間違えていましたので修正しました。



[4610] 第42話「天の杯」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:fd260d48
Date: 2010/02/20 11:34

SIDE-士郎

夢を見ている。

俺がまだ幼かった頃の話。
それは、なんとも奇妙な二人の男の短い物語。
片や、火災で両親と家と、それまでの自分を亡くした伽藍堂の子ども。
片や、妻と理想を失い、娘に会うことすら叶わず、その身を呪いに侵された男。
そんな二人が、父子の素振りを通していた。

初めの出会いは――――――――――互いが色々なモノを失った焼け野原。
俺は火事場から助け出されて、気がついたら病室にいて、体中包帯だらけ。
状況はわからなくても、自分が独りになったことだけは、漠然と理解できた。
まあ、周りには似たような子どもしかいなかったから、受け入れる事しかできなかっただけなのだが。

子ども心に「これからどうなるのかな」なんて不安に思っていた頃に、男はひょっこりやってきた。
しわくちゃの背広にボサボサの頭。
病院の先生よりちょっとだけ若そうな…………でもなぜか、俺には人生に疲れ枯れ果てた『老人』の様に見えた。

俺がそんなことを思っていると、そいつは白い陽射しにとけ込むような笑顔を浮かべる。
「こんにちは、君が士郎君だね」
表情も言葉も堪らなく胡散臭くて、とんでもなく優しい声だったように思う。

「率直に聞くけど、孤児院に預けられるのと、初めて会ったおじさんに引き取られるの、君はどっちがいいかな」
と、いきなり本題に入りやがった。

親戚なのか、と訊いてみれば………
「いや、紛れもなく赤の他人だよ」
なんて返答する、とにかくうだつのあがらない、頼りなさそうな大人だった。

けど孤児院とそいつ、どっちも知らない事に変わりはない。それなら、とそいつの所に行こうと決めた。
それはたぶん、あの地獄の底で俺を覗きこむ目とか、助かってくれと懇願する声を覚えていたからだろう。
そう、あの時薄れ行く意識の中で思ったんだ。俺を助けた男の眼に涙を溜めて微笑んでいたその表情が、なんて―――――――――――幸せそうなのだろうと。
この男の傍にいれば、この男の後を追えば、自分もいつかそうなれる、そうなりたいと思ったから。
だから俺は、そいつと一緒に行くことを決めたんだ。

そうやって、俺達はお互いを何も知らないまま『父子』という関係で落ち着く事となった。
その際………
「初めに言っておくとね、僕は“魔法使い”なんだ」
ホントに本気で、仰々しくそいつは言った。
まあ、その時のやり取りなんてほとんど覚えていない。
ただ事あるごとに、親父はその思い出を口にしていた。照れた素振りで、何度も何度も繰り返したのだ。

そんなことがあって、俺は衛宮切嗣の養子になって、衛宮の苗字を貰った。
「衛宮士郎」
それが俺の名前となり、本当に俺はそれまでと別の人間になったという事。
同時に、切嗣と同じ名字だと言う事が、堪らなく誇らしかった。
それだけ、かつて『■■士郎』だった子どもは、衛宮切嗣という存在に憧れていたのだ。

それから二年。ちょうど親父を言い負かして弟子にしてもらった頃。
俺が一人で留守番できるようになると、切嗣は頻繁に家を空けるようになる。
爺さんはいつもの調子で「今日から世界中を冒険するのだ」なんて子どもみたいな事を言い、本当に実行した。

それからはずっとその調子。
一ヶ月いないなんて事はザラで、酷い時には半年に一度しか帰ってこなかった事もある。
そのおかげで、広い武家屋敷だった衛宮の家を俺一人で管理する羽目になった。
子どもだった俺にはあまりに広すぎ、はじめは途方にくれたものだ。
一応臨時保護者みたいなのはいたのだが、その人物のあまりの家事能力の低さから、一度として役に立った記憶がない。まあそんなだったから、自然と家事が得意になっていたけど。

でも、その生活が好きだった。
旅に出ては帰ってきて、子どもの様に自慢話をする衛宮切嗣。
その話を楽しみに待っていた、彼と同じ名字の子ども。
―――――――――――――いつも少年の様に夢を追っていた父親。
呆れていたけど、その姿はずっと眩しかったのだ。
だからより一層、いつかはそうなりたいという願いを強くしていったのかもしれない。

だけど、今思えば、爺さんはそんな俺をどう思っていたのだろう。
今の俺は、もう爺さんに何があったかだいたいのところを知っている。
切嗣に憧憬の念を抱き、切嗣のことを何も知らずに目標とした俺は、さぞかし不安を抱かせただろう。
それは、切嗣の手記からも僅かに読み取れた。
また、何かが僅かに違っていれば、俺が切嗣の危惧した通りの結末になっていた事は十年前にわかっている。

なにより、俺は本当に切嗣のことを何も知らなかった。
馬鹿正直に切嗣の言葉を信じていたけど、なんで親父が旅に出るのか、その事に全く疑問を持たなかったのだ。
爺さんはずっと、たった一人の「本当の肉親」を迎えに行っていた。でも、それはついに叶わなかった。
半病人も同然だった切嗣には、城に辿り着くことはおろか、それを囲う結界の基点すら見つけられなかったのだ。
だから、ただ吹雪の中を凍死する寸前まで彷徨い歩くことしかできなかった。
俺はそんなことも知らずに、ただのうのうと切嗣の帰りを待っていたのだ。

そんな無理が祟ったのか、いつしか親父は家にこもって漫然と過ごす事が多くなった。
今でも思い出せば後悔する。それが死期を悟った動物に似ていたのだと、どうして気付かなかったのか。
あの時すでに、切嗣には外に出ていくだけの力さえ残っていなかったのだろう。

そうして、その時は来た。
それは、月の綺麗な夜。冬だと言うのに気温はそう低くなく、僅かに肌寒いだけ。
俺と爺さんは何をするでもなく、縁側で月を眺めていた。

そうやって月見をしていると、切嗣がおもむろに口を開く。
「子どもの頃、僕は正義の味方に憧れてた………」
俺から見たら正義の味方そのものだった親父は、懐かしむように呟いた。

俺は、それに対してむっとなって言い返す。
「なんだよそれ。憧れたって、諦めたのかよ」
俺は切嗣がそうやって自分を否定する言葉を口にするのが嫌いだった。
無知であるが故の羨望が、それを許容できなかったのだ。

だが、切嗣は手記の中で「諦めていればよかった」のだと書いていた。
それが、今なら多少理解できる。俺もまた、早く諦めていれば失ったモノはもっと少なかったのだろう。
だけど、俺はまだマシだ。俺の近くにはまだ何よりも大切なものがあって、こうして新たな生を生きている。
だが、爺さんは俺以上に多くのモノを失った。素直に諦めていれば、どれだけ救いがあったのかと後悔していた。

親父は俺の言葉にすまなそうに笑って、遠い月を仰いだ。
「うん。残念ながらね。ヒーローは期間限定で、大人になると名乗るのが難しくなるんだ。
 そんなこと、もっと早くに気がつけばよかった」
その声はどこまでも静かで、だからこそ深い悲しみと悔恨を宿していた。

俺もまた何もわからないなりに、切嗣の言う事だから間違いないと思ったのだ。
「そっか。それじゃしょうがないな」
「そうだね。本当に、しょうがない」
相槌を打つ爺さん。その心の内で何を思っていたのか、もはや知る術はない。
だけど俺はこの時、一つの決意を抱いていた。

いや、決意なら前からあった。でも、俺はこの時初めてそれを親父の前で口にしたのだ。
「うん、しょうがないから俺が代わりになってやるよ。
 爺さんは大人だからもう無理だけど、俺なら大丈夫だろ」
まったく、なんて身勝手な言葉だろう。それがどれだけ残酷な事か知りもせずに、明るい未来だけを見ていた。
切嗣が歩んできた道を辿るその意味、その過程で失うであろう多くの宝をまるで考えていない。

だがここで、夢が道筋から外れる。
本来なら俺は「まかせろって。爺さんの夢は俺が、ちゃんと形にしてやるから」と続けようとし、その前に切嗣は……
「ああ―――――安心した」
と、微笑って静かに目を閉じ、息を引き取ったのだ。
いったいそれがどれほどの救いになったのかはわからないが、切嗣は見たこともないような安堵の表情を浮かべて眠った。それが、本来通るべき道筋。

しかし、ここで俺の誓いを阻む様に切嗣が言う。
「いいや、君はよくやってくれたよ、士郎。僕の様に壊れることなく、道を歩み切ってくれた。
 愚かな僕が忘れていた誇らしさを、輝きを、君が取り戻してくれたんだ。
 あの日の景色と誓いを忘れずに、貴く無垢な祈りのカタチのまま、過つことなく生き抜いた。
 それで僕は十分に報われたし、救われたよ。だから、その誓いは……もういいんだ」
切嗣の手が俺の手にかぶせられる。労うように、感謝するように。
全てを救う正義の味方にはなれなかったけど、切嗣はそれでも許してくれる。
紛い物のツギハギだらけの俺だけど、それでもよくやったと褒めてくれた。
ああ……俺はやっと、あの時に貰ったモノを返せたのかもしれない。

そこで俺は切嗣の方を向く。切嗣もまた、俺の方を見てお互いの視線が交わる。
その顔は、俺が知るどんな切嗣の表情よりもなお穏やかで、安らかだった。そう、死の間際のあの時よりも。
「僕への誓いはもう果たした。これから先、君は君のために生きなさい。
 君の大切な人と…幸せになっていいんだ。そして、それが……………今の僕の夢だよ」
それは、常に切嗣の手から零れ落ちていったモノ。
手に入れるという事は、即ち既に喪っているのと同義だった切嗣の人生。
自分が最期まで手にできなかった、人並みの幸せのために生きて良いのだと、父は言う。
かつて誓った理想とは異なる生き方を選んだ俺の背を、優しく押してくれる。
そして、それは裏切りではないのだと、俺の心の澱を洗い流してくれた。

ああ、それが爺さんの夢だと言うのなら、俺は……
「まかせろって。爺さんの夢は俺が、ちゃんと形にしてやるから」
あの時とは全く違う覚悟と決意を以て応えよう。

「ああ、安………」
「だから、アイリスフィールさんを守るよ。
イリヤスフィールは守れなかったけど、あの人は俺がちゃんと守るから。
 はやても守護騎士たちも……あの人の家族を守る。あの人の家族を、もう死なせない。
 だって、切嗣の家族は――――――――――――――――俺の家族なんだから」
あの人は、俺をどう受け止めるだろう。拒絶かもしれない、憎悪かもしれない。
でも、それならそれでいい。俺はただ、あの人とその家族を護りたい。
家族を失って、どうして幸せになれよう。俺は俺の幸せのために、あの人たちを護るんだ。

その俺の想いと意志がどこまで伝わったのか、切嗣はしばし無言。
そうして言葉より先に手が動き、それに刹那遅れて切嗣がゆっくりと口を開く。
「…………………………………ありがとう、士郎」
最後にそう言って、切嗣は俺を抱きしめる。
決して強くはない。だが、その温かさが心に染み渡る。

その顔は首の後ろにあって分からなかったけど、全身で受け止めるその感触が誇らしかった。
だから、護ろう。生きて生きて生き抜いて、俺の大切なモノを全て護り抜こう。
凛を、アイリスフィールさんを、はやてや守護騎士達を、そしてこの世界で得た掛け替えのないもの全てを。
それこそが、切嗣への何よりの手向けの華になるだろうと信じて。



第42話「天の杯」



眼を開けて、最初に飛び込んできたのは真っ白の何かだった。
「―――――――――っ」
眩しい。目を覚まして光が眼に入ってきただけだったが、まだ眼が光に慣れていない。
咄嗟に腕で防ごうとするが、重くて上がらない。

同時に、全身に鋭い痛みが走った。
「ぁ―――――――くっ………」
叫びそうになるのを何とか堪え、歯を食いしばる。

そこで、真横から声が聞こえた。
「ふぅ、起きたわね。具合はどう?」
首が上手く動かないので、なんとか横目でそちらを見る。
そこにいたのは、眼もとにうっすらと隈を作った凛だった。

だが、状況が飲み込めない。
まだ頭がはっきりせず、自分がなぜこんなところにいるのか理解が及ばない。
「ここ、は…………?」
「アースラの医務室よ。アンタは固有結界の暴走で死にかけて、それをアースラで治療したの。
 アイリスフィールには後でお礼を言っておきなさい。彼女がいなかったら、アンタは死んでたかもしれないわ。
さすがに、まだ死なれちゃ困るって思ったのかしらね」
肩を竦めるように言われて、やっと記憶がよみがえってきた。
闇の書の闇がまとった空間の歪みの消去のために固有結界を使って、その最中に違和感を覚えたのだ。
そして、闇の書の闇のコアの消滅と前後して暴走を抑えきれずに…………憶えているのはここまで。
その後は、凛の言ったとおりになったのだろう。

しかしそこで、凛の目が曇る。
「その……ごめん、衛宮君。
私が………………………………私が気付かなかったせいで、こんなことになっちゃって」
何を言っているのか、そんなことは今更聞くまでもない。固有結界の暴走、そのことに凛は責任を感じている。
ベッドの上で握られる手は震え、その曇った眼にはうっすらと涙の光があった。

だけど、こんなのは凛らしくない。なにより、こいつに泣かれるのは困る。
「それは、凛の責任じゃないだろ。自分のことなのに、気付かなかった俺が悪い」
「ううん、気付く手掛かりはあったわ。私は…それを見逃した。
私の刻印は、まだこの体に馴染み切っていない。
なら同じ様に、士郎の『世界』が今の体に馴染んでいない可能性があることに気付けたはずよ」
「それなら、尚更だろ。お前のそういう所をフォローするのが俺の役目だし、何よりやっぱり自分の事だ。
 今まで、特に違和感がないからって安心してた。だけど、そんな都合のいいことがあるはずないのにな」
凛の体と遠坂伝来の魔術刻印は、前の体に比べて拒絶反応が強い。
てっきり刻印ならではのものだと思っていたが、あまりに浅はかだった。
そんな自分の短絡思考に、今更ながら呆れてしまう。

「………………頼む、そんな顔しないでくれ。
こうして生きているんだ、なら最悪の事態になる前に気付けて良かったじゃないか」
出来ればここで、凛の眼に滲んだ涙をぬぐってやりたいが、今の体ではそれさえもできないことが情けない。

しかし、それに気付いたのが今回で良かったとも思う。
こっちの世界に来た当初は、いろいろドタバタしていて確認のために固有結界を試す暇がなかった。
そのままジュエルシードに関わって、管理局の存在を知り、管理局に目を付けられないためにこれまで使わずにきたのだ。もし、もっと別のタイミングで使っていたら、それこそ死んでいたかもしれない。
管理局と関わっている今暴走したのは、不幸中の幸いだろう。
おかげで、ちゃんとした治療を受けられて、こうして一命を取り留めたのだから。

「……そうね、確かに士郎の言う事も一理ある」
「だろ? ところで、やっぱりもう固有結界は使えないのかな?」
正直、そうなったら困る。あれは俺の手札の中で一番の大技だ。
それがあるとないとでは、いざという時に戦う術に不安が残る。

だが、そこで凛の口から出たのは意外な言葉だった。
「それは……たぶん大丈夫。あと数年すれば、定着させた魂も問題ないレベルにまで馴染むだろうって話だから。
確証はないけど、魂さえ今の体に馴染めば使用に問題はないはずよ。
 まあ、それでも慎重に様子を見るべきだろうけどね」
「わかるのか?」
凛は桜と違い、魂に関しては専門外だ。
まったくわからないという事はないだろうが、それでも門外漢であることに変わりはない。

いや、待て。凛の口調は、まるで誰かから聞いたかのような口ぶりじゃないか。
「私じゃなくて、アイリスフィールの見立てよ。治療している時に気付かれちゃったみたい。
 さすがは第三魔法を追い求めてきたアインツベルン…ってところなんでしょうね」
第三魔法は、魂の物質化だ。たしかにそれなら、魂の定着に気付いても不思議はないか。

「一応、その辺の事は口止めしてあるわ。たぶん、信じていいと思う」
凛の人を見る目は確かだ。そう言うなら、きっと大丈夫だろう。

「ただ、今回の事でいろいろ気付かれちゃったのは痛いけどね。
 固有結界の事も、第四次を経験しているだけにおおよその推測はできてるみたいだから。
 まあ、管理局にはさすがにどういうモノかまでは分からないと思うけど」
そういえば、爺さんの手記や教授の話だと、第四次のライダーも固有結界を持っていたんだったか。
確かにそれなら、固有結界そのものは初見じゃない。気付くヒントになるだろう。

「まあ、それはいいとして……闇の書はどうなったんだ?」
「相変らず自分の事に頓着しないわね…………」
俺が話題を変えたことで、凛の調子が戻ってきた。ジト眼で不機嫌を露わにしている。
まあ、俺が自分の事を蔑にしているのが気にくわないからだが。
でも、これでもマシになった方だと思うから、今日くらいは大目に見て欲しい。

さすがに怪我人をいじめる気はないのか、一つ溜息をついて答えてくれる。
「……………まあ、いいか。そういう奴だもんね、アンタは。
あの後、防衛プログラムの再生は確認されていないわ。この分なら大丈夫でしょ」
そうか、それならよかった。これで、はやてや守護騎士達がどうこうなることはないなら一安心だ。

そのことに、思っていた以上に安堵する自分がいる。
同時に、何かが頭の端に引っ掛かった。
大切なことだった気はするのだが………………よくわからない。

まあ、無事ならそれでいい、そういう事で納得することにした。
そこで、足元に人影があることに気付く。
「………………フェイト?」
「ああ、ずっとアンタのこと心配しててね。一晩中ここにいたわ。
 なのは達もさっきまでいたんだけど、リニスに頼んで今はベッドの中」
では、なぜフェイトだけここにいるのだろう、と思ったが………すぐに理解する。
フェイトの手はしっかりと布団を握りしめていた、これが原因か。

凛も自分のことには触れないが、その眼の下の隈が全てを物語っている。
こいつも、ずっと俺の事を見ていてくれたのだろう。
そんなみんなに、心からの謝罪と感謝を。

そういえば、一晩中と凛は言っていなかったか?
「あれから、どれくらい経ったんだ?」
「ざっと半日ね。というか、アンタよくアレだけの怪我して半日で起きれたわね」
凛の声音には、心底からの呆れがある。まあそれも、こうして一命を取り留めたからこそだろう。
むしろ、こうしていつも通りに振る舞ってくれることをありがたく思う。

「で、いい加減アンタの今の状態の話をするわよ。
正直、管理局の医療技術や魔法、それにこっちの治癒魔術を使っても、完全回復には二・三ヶ月かかると思う。
 これだと、当分は車イスと杖での生活でしょうね。学校の方には交通事故ってことで話を通すけど」
そうか、道理で体が全然動かないはずだ。となると、しばらく家事はお預けだな
ガーデニング………どうしよう。日々の手入れが大切なのに……。

いや、今は命があったことを喜ぶとしよう。
「まあ、しょうがないか。命があるんだ、文句を言ったら罰が当たるな」
「アンタは…………………」
「そ、そう睨むなって。ところで、すずかやアリサは?」
「そっちも大丈夫。アイリスフィールはこっちに来てもらったけど、二人はちゃんと家に帰ってるから。
 無事も確認できてるけど、なのはたちはいろいろ話すつもりみたいね」
「そうか。二人がそうするつもりなら、それでいいんじゃないか?」
俺の問いかけに、凛は「そうね」と素っ気なく返す。
魔法の事は別に俺達がどうこう言う事じゃないし、リンディさんが何も言わないならいいだろう。

魔術については……すずかは知っているからいいとして、問題はアリサか。
この際だし、俺としては別にみんなが知っている程度は話してもいいと思うんだが……。
あとは、「夜の一族」の事もあるか。まあ、すずか自身の事なわけだから、そっちはすずかの意思次第だな。

「そろそろ休みなさい。アンタはまだ大手術を終えたばかりの重傷患者なんだから」
「わかった。実際、疲れてきたみたいだ」
瞼が重い。どうやら、たったこれだけの会話でも相当に疲労するほど、体力が低下しているようだ。
凛の言うとおり、一度眠ることにしよう。
無理に起きていてもできることはないし、みんなを心配させるだけだ。

「じゃあ、悪いけどおやすみ。何かあったら起こしてくれ。それと…………」
「はいはい。ついでに、フェイトに何かかける物を取ってくるわ。
 アンタは怪我人らしく、大人しく寝てなさい」
そう言いながら、凛はイスから立ち上がって医務室の扉に向かった。
フェイトの事は頼めたし、これで風邪を引く心配はないだろう。

凛が部屋を出るついでに明かりを消してくれたので、室内は一気に暗くなった。
「……………………ああ、さすがに眠いな」
思っていた以上に、体は休息を欲していたらしい。
凛が部屋を出るのと前後して、一気に睡魔が体を支配する。

体の力を抜き、眼を閉じる。
そのまま、まるで落下するように俺は眠りについた。



SIDE-凛

時刻はおよそ午前八時頃。
一度目を覚ました士郎に大まかなこれまでの事を説明した私は、疲れて眠ってしまったフェイトにかける物を取りに行く途中。

「さすがに、あの状態で聴かせるわけにはいかないわよね」
実を言うと、私は起こったことの全てを話したわけじゃない。
必要な事と、士郎に聞かれた事をアイツに不要な負担をかけない範囲で話しただけだ。

例えば、はやてもまたアースラの一室で眠っている事。
これは、これまでロクに魔法を使った事がなかったのに、いきなりあんな大規模魔法を使用した事の反動だ。
体には特に別条はなく、ちゃんと休めば問題はないらしい。
とはいえ、士郎が聞けば心配することは明白だし、わざわざ話すようなことじゃない。

あとは、アイリスフィールもはやて同様に眠っている事。
手術の終了し椅子に座ったところで、そのまま糸が切れたように眠りについた。

どうも、今の彼女にとって魔術の行使は相当な負担を強いるらしい。
実際、手術を始めるにあたってシャマルが苦言を呈したりもした。
しかし、そこは目の前に死にかけの重体患者がいる状況だ。
それも、アイリスフィールとしてはまだ聞かねばならないことが多くある相手。
かなりの負担がかかったようだが、それでも最後までちゃんと協力してくれたことには感謝している。
とはいえ、やっぱりこれも士郎に話すのは、容態を考えると不味いのよね。
そういうわけで、あえて触れずに話を打ち切ったのだ。

ただし、彼女が今眠っているのはアースラではなく自宅。守護騎士達の頼みで自宅へと送り届けられたのだ。
アースラの面々はこっちの方がいいと説得したが、ホムンクルスである彼女にそれは当てはまらない。
紆余曲折あって、なんとかアイリスフィールを自宅に帰す事が出来た。
守護騎士たちだけでは説得は無理だっただろう。
だがそこはそれ、魔術に詳しくてアースラ側からそれなりに信用されている私がいる。
協力してくれた貸しもあったので、その辺の説得には私も手を貸したのだ。
まあ、さすがにそのまま放置というわけにもいかないので、一応監視がついているらしいけど。


それはそれとして……タオルケットをフェイトにかけたら私も一度眠るとしよう。
さすがに、この肉体年齢で徹夜は効く。
魔力もほとんど空だし、いい加減休まないと体が保たないわ。
魔力自体は眠らなくても休んでいればある程度は回復するとは言っても、やはりキツイものはキツイ。

などと思いながら歩いていたら、とある部屋の中から人の話し声が聞こえてきた。
本来なら無視するところなのだが、場所が場所だ。なにせそれは、はやての眠る部屋。
それも、中から聞こえてきたのは「暴走」という不穏な単語。
「さすがに、ちょっと気になるわね」
どういう話の流れでそんな単語が出てきたのか分からないけど、無視する事は出来ない。
せっかく助けた奴にいきなり死なれたのでは、いくらなんでも虚しすぎる。
半年前まではしょっちゅうだったことだが、それでもいい気分のすることではない。

こっそり扉に身をよせ、中の音を拾うべく耳を澄ませる。
「…………やはり、か」
「修復は、出来ないの?」
聞こえてきたのは、なにやら深刻そうなシグナムとシャマルの声。
どういう事かはわからないけど、伝わってくる空気は暗い。

続いて聞こえてきたのは、はやてがリインフォースと名付けた管制プログラムの声。
その声は淡々とし、揺るぎようのない事実、とばかりにシャマルの問いを否定する。
「無理だ。管制プログラムである私の中から、夜天の書本来の姿が消されてしまっている」
「元の姿が分からなければ、戻しようも無い……と言うことか」
「そういうことだ」
どうやら、夜天の魔導書を本来の姿に戻せるか否かの相談らしい。
だが、それでどうしてこんなにも意気消沈しているのだろう。いったい、戻せないからどうだと言うのか。

そんな、まるで通夜の会場の様な空気に疑問を覚えつつ、引き続き聞き耳を立てる。
「主はやては……大丈夫なのか?」
「何も問題は無い。私からの侵食も完全に止まっているし、リンカーコアも正常作動している。
 不自由な足も、時を置けば自然に治癒するだろう」
とりあえず、はやてに何かあるというわけではないのか。
だとすると、あと考えられるのは……………ダメだ、やっぱり門外漢じゃたいしたことが分からないわ。
これは、大人しく盗み聞きするしかないな。

「そう。それならまあ、良しとしましょうか」
「ああ……心残りは無いな」
「防御プログラムが無い今、夜天の書の完全破壊は簡単だ。破壊しちゃえば暴走することも二度とない。
 ………代わりに、あたしらも消滅するけど」
消滅? それも、夜天の魔導書の完全破壊?
何故今更、そんなことをする必要があると言うのか。

とはいえ、これ以上聞いていても確信に触れることは難しそうだ。
そうなると、あとは直接聞くしかないか。
「…………ま、乗り掛かった船だもんね」
一瞬の逡巡。正直、このまま聞かなかったことにした方が利口な気がする話の様だ。
でも、もうここまで関わってしまった。こんな半端なところで手を引くのは、私の主義に反する。

それに………
「見守るって………言っちゃったからなぁ」
さすがに、一度約束したことを投げ出しては私の沽券にかかわるしね。

個人としての私、遠坂の当主としての私、どの視点から言ってもこれをなかった事にすることはできそうにない。
なんか言い訳臭いけど、しょうがない。意を決して、私は扉を開けた。
「ちょっといい? どういう事なのか、聞かせて欲しいんだけど」
「り、凛ちゃん!? どうしてここに………」
「たまたま通りがかったのよ。運悪くね」
本当に運が悪い。いや、むしろ良かったのか? 少なくとも、蚊帳の外にされなかったのは良い事だと思うけど。
どっちかはわからないけど、無視できなかった自分の性分には困り果てる。

「ちょうどよかった。お前にも頼みがある」
「私? 言っとくけど、安くないわよ」
「聞いていたのだろう? お前達に、私を消してもらいたい。
できればあの騎士にも頼みたいのだが、あの怪我では無理だろう」
そういうリインフォースの眼には、まるで悟りでも開いたかのような落ち付きがある。
ただ、その落ち着き方が気にくわないわね。

それに、何で私がこいつのそんな頼みを聞いてやらなければならないのだ。
「イヤよ」
「なぜだ?」
「理由はよくわからないけど、何が悲しくて自殺の手伝いなんてしなくちゃいけないのよ。
迷惑だから他人を巻き込まないで、したいなら自分でしなさい」
そう、そう言うのは趣味じゃないのだ。殺すなら、こっちの身勝手と我が儘で。
私はずっとそうしてきた。命を奪う理由を、他人に依存することが許せない。
人の事をどうこう言う気はないけど、私自身には許さないと決めている。
善悪ではなく、私が納得できるかどうか、そういう問題だ。

「どうしてもか?」
「どうしてもよ。ついでに言うと、なのはにもさせる気はないわ。
 あの子は私の教え子。他人の弟子に余計な荷物背負わせないでよね」
こいつは「お前達」と言った。それはつまり、私以外の誰かにもそれを頼む気という事だ。
士郎は除外されているみたいだし、他で真っ先に思いつくのはなのはやフェイトだ。

フェイトは私の管轄外だから私にとやかく言う権利はないとしても、なのはにそんなことをさせるつもりはない。
少なくとも、あの子が私の教え子でいるうちは絶対だ。
命を奪うと言うのは、その命への責任を負うと言う事。善悪以前のもっと単純な問題、奪う側としての義務だ。
まだ九歳のあの子に、そんな重苦しいモノを背負わせるなど許さない。
それも、よりにもよって殺される本人からの頼みだなんて尚更だ。

「あ、あの凛ちゃん、これには事情が………」
「アンタ達の事情なんか私の知ったことじゃないわ。
もう一度言うけど、死にたいなら自分でやりなさい。他人の手を煩わせるんじゃないわよ」
「いずれ…防御プログラムが再生されるとしてもか?」
なるほど、それが理由か。これで一応は納得がいった。
夜天の魔導書の自己修復機能のせいで、そんな厄介なものまで復活してしまうから、その前に根本的に解決しようというのだ。
盗み聞きしていた話を考えると、それを止めることもできないということか。
止める方法にあてがあるのなら、こんな結論に至る筈がない。

ああ、確かに事情はわかった。
「生憎だけど、それでも考えは変わらないわ。
 それに、はやてがそれを許すとでも思っているの?」
「防御プログラムはいつ再生するか分からない。それを止める術もない。
ならば、一刻も早く私が消えるのが最善だ。そうすれば、主はやてが危険に晒されることもない。
元より、選択の余地などないのだ」
許す許さないの問題じゃない、か。
そりゃあね、命がかかっている場面でそんな議論に意味はないわよ。
是非を問うのは、そもそも生きていることが前提だ。まずは生き残ること、あとはそれからなのだから。

「時間がないのはわかった。他に方法がないのもわかったわ。
でもはやては、アイリスフィール以外の家族を全て失う事になるのよ」
それでいいのかと、主を悲しませるのを良しとするのかと、そう問いかける。
私の言葉で止まるような連中ではないだろうし、止めるならこれしかない。

まあ、元から期待なんてしてないけど。
「いや、逝くのは私だけだ。他の者達は、すでに夜天の魔導書から解放されている。
 それに、私が主と過ごした時間は、皆の中で最も短い。主の悲しみも、小さなもので済むだろう」
「わかったわ、好きにしなさい。ただし、こっちも勝手にさせてもらうけど………」
そう言い残し、私ははやての部屋に背を向ける。
こっちの魔法相手に私が出来る事は少ない。少なくとも、夜天の書を元に戻すなんて事は不可能だ。
それに、これでイリヤへの義理も果たした。私に出来るだけの事は言ってやったけど、それも無駄だったわね。

それにしても、やはりどこまでいっても「道具」という事なのだろうか。
アイツは人の心の機微がまるでわかっていない。
確かに、絆を育むのに時間は重要な要素だろう。
長く共に歩めば歩むほど、喪失の哀しみが大きく深くなるのは道理だ。

では、短ければそんなことはないのか? 答えは、否だ。
例え共有した時間が短くとも、喪失の哀しみと空白はあるし、それが小さいとは限らない。
人間の心なんて、小一時間もあれば一変し得る。

時間経過と絆の深さはイコールではないのだ。
時間など、どれだけ重要でも、あくまで無数にある“要素の中の一つ”でしかないというのに。
理屈一辺倒で考えてしまうあたり、ある意味らしいと言えばらしいのだろうが。
まったく、これじゃあはやても苦労するわ。

そんなことを考えながら歩いていき、ふっと立ち止まる。
「あちゃ~………いつの間にか士郎の部屋、通り過ぎてるわ」
辺りを見回してみると、かなりの間考え込んでいたらしいことがわかった。
どうやら私自身が思う以上に、アイツへの苛立ちは強いらしい。

「凛? こんなところで、何をしているんですか?」
「リニス。ちょっとね、フェイトにこれをかけてやろうと思って」
そう答えて、持っていたタオルケットを掲げる。

そのまま私たちは、士郎のいる医務室に向けて連れ立って歩きだす。
そこで、何となくリニスに尋ねた。
「ねぇ、リニス」
「はい?」
「もし、もしもの話だけど………あなたが犠牲になることで私や士郎、あるいはフェイトを救えるとしたら、どうする?」
聞くまでもない問いだ。リニスなら、迷うことなく犠牲になる道を選ぶ。
むしろ、使い魔という存在の在り方を考えれば、それをしない方が使い魔失格なのだろう。

だが、予想外にもリニスはしばし考え込む。まあ、答えはすぐに出たみたいだけど。
「…………そう、ですね。私は、お二人やフェイトのためとなるのなら、命を捨てる覚悟はあります。
 それに、元より死んでいたはずの身。今更、死を恐れるのもおかしな話ですしね」
「そうよね」
うん、やっぱりそうだ。私もそう思う。
別に、リインフォースの言う事を否定するつもりはない。
ただ、アイツの勘違いが気にくわないのだ。自分が消えるのなら、はやての哀しみは小さいという的外れな思考。
それが私を苛立たせる。

しかしここで、リニスが思ってもいないことを言う。
「ですが、今私は幸せですよ」
「? それがなに?」
「ですから、幸せなんです。私は今ある幸せを失くしたくありませんし、手放したくもありません。
 おかしな話ですし、さっき言っていた事と矛盾しますが、一度消えかけたからこそ私は死にたくありません。
 あんな冷たくて寂しい思いをするのは、もう二度とイヤですね」
リニスは微笑みながら、断固たる決意を込めて言葉を紡ぐ。

それはアレか? 私たちの犠牲になって死ぬのは嫌だという事?
「あ、勘違いしないでください。覚悟があるのは本当ですから」
「じゃあ、どういうことよ」
「え~…なんと言うか、とにかくそういう時は足掻こうと思うんですよ。
 足掻いて足掻いて、もうこれ以上無理と言うくらいに足掻いて、足掻く事に疲れて諦めた時……この身を捧げます」
迷いのない瞳。実際そういう状況になったら、リニスは今言ったことを実行するだろう。
未練たらしく徹底的に足掻き抜く、足が止まるその瞬間まで。そう確信させるに十分な告白だ。

「無様でも、みっともなくても良いんです。それが希望につながるという事を、私は半年前に知りました。
つまりは経験則ですね」
「無駄に終わるかもしれないのに?」
「無駄、大いに結構です! その程度の事で諦められるほど、私の幸せは安くありませんから!!」
潔さの欠片もない決意だこと。でも、そういう考え方は嫌いじゃない。
むしろ、実にポジティブで私は好きだ。小利口になって諦めるのなんて、それこそ馬鹿でもできる。
本当に難しいのは、そうやって絶望の中でも諦めない意志を持つ事。

そうだな、ちょっと私らしくなかったかも。託されたモノを放り出すなんてね。
向こうの事情なんか知ったことじゃない。こっちはこっちで勝手にやるって言ったばかりだ。
「どうかしましたか、凛?」
「………………………はぁ。あ~あ、私もヤキが回ったなぁ。
 ここまで来ると、心の税金を払いきるのも一苦労だわ」
まったく、義理は果たしたってことで手を引けばいいのに……。何をやろうとしてるのかな、私は。

でも………仕方がない。
リインフォースの勘違いを訂正しないと気が済まないし、なにより中途半端は嫌いだ。
「リニス!」
「は、はい!?」
「家に帰るわよ! ついでに、士郎も連れて来て! 動けなくても少しは役に立つはずだから」
「え………ええ!? で、ですが、士郎は安静にしていないと…………」
「急げ!!!」
「はい!!」
ウダウダ言っているリニスを怒鳴り付け、病室向けて尻を叩く。
リニスは一目散に走って行き、あっという間に姿が見えなくなった。

さて、こっちはこっちでやることやるか。
「まずは士郎の帰宅許可で、次に転送装置の使用許可ね。
この際だし、リンディさんを脅迫しちゃおうかしら…………………うん、ナイスアイディア! 偉いぞ私♪」
後者はともかく、前者は力技になるわね。
重傷人を動かそうというのだ、あのなんか言ってた責任者の人がまたうるさいだろう。
となると、やっぱりリンディさんに丁寧にお願い(脅迫)して、何とかするしかないな。

やっぱり、何もしないうちから諦めるなんて柄じゃない。
やるからには徹底的に、がモットーだ。
どうせ諦めるのなら、やることやってからじゃないと後味が悪い。

とはいえ、あまり時間はないだろう。
時間を稼ごうにも、「打開策はこれから探す」なんて言って思い止まるはずもない。
そうである以上、手立てを用意してからじゃないと説得は無意味。

とりあえず家の書庫を漁って、何か使えそうなモノがないか引っくり返してみるとしますか。
さあ、忙しくなるわよ。なんてったって、ここからは時間との勝負なんだから。



Interlude

SIDE-アイリ

今私は、白銀の世界へと変貌した丘を、はやての車イスを押しながら必死に駆け上がっている。
「はぁっはぁっはぁっ…はぁっはぁっ、は…………」
「ア、アイリ……大丈夫なん?」
「大…丈夫よ。今は早くリイン……フォースの所に行かなくちゃ、ね?」
息切れしながらも、力の全てを振り絞って走る。
本来なら、昨日あれほどの魔力を使った私では、これだけ動くのは無理だ。

でも、人間というモノは不思議なもので、こういう時には限界以上の力が出せる。
所謂、火事場の馬鹿力という奴だろう。後でどうなるかが怖いけど、今はそんなことは考えない。
何よりもまず、はやてが感知したリインフォースの異常を確認しないと。

私とはやては、いつの間にか慣れ親しんだあの家で眠っていた。
私に関しては、みんなやあの遠坂の子が何とかしてくれたのだろう。
自室で二人抱き合うように眠っていたのだけど、先に目覚めたのは私。
正直、魔力の使い過ぎで体は鉛の様に重く、呼吸するだけでも一苦労なほどに消耗していた。

だけど、はやての寝顔見ているだけで、そんなモノは忘れられる。
心の中にあった混沌とした気持ちも落ち着くのを自覚した。
今の私にはこの子がいる。もしもこの子と出会えていなかったら、私は生きる気力を失っていたかもしれない。
それだけ、あの子たちから聞いた真実の一端は衝撃的だったから。

そういう意味で言えば、一息に真実の全てを知ることが無かったのは結果的には良かったのだろう。
おかげで、こうしていまの自分が手にしている、大切なモノを再確認する事が出来た。
それに、真実の全てを聞く覚悟も。

でも、今はそれどころじゃない。
「はやて、どっち!?」
「あっちや!」
私にリインフォースとの共感はできない。頼れるのは、はやての感覚だけ。

そして、その感覚が正しい事が証明された。
「リインフォース!!」
「はぁっ、はぁっは……みんな!!」
降り積もる雪の中で、私たちはそれを見つける。
視線の先にあるのは、魔法陣の中心に立つリインフォースとその後ろに立つ守護騎士たち。
それと、リインフォースを挟んで正対するデバイスを構えた二人の少女。

「はやてちゃん……!」
「アイリ!」
「動くな! 動かないでくれ、儀式が止まる」
私たちを視界に納め、シャマルとヴィータが動きそうになるのをリインフォースが制する。
儀式? いったい、なにをするつもりなの。

既に何が起ころうとしているのか理解しているのか、はやてがそれを必死に止める。
「アカン、やめてぇ! リインフォースやめてぇ!!」
何とか私たちは丘の上に辿り着き、魔法陣の手前で止まった。
私はそこで膝をつき、肩で息をする。ここまで何とか保ったけど、さすがに限界だ。
もとから、あまり運動は得意じゃないから。

はやては一瞬そんな私に心配そうな視線を向けるが、私は「大丈夫」と伝えようと何とか微笑みを浮かべる。
強がりであることははやても察しただろうが、それでも決然とリインフォースに向き直った。
「……………破壊なんかせんでええ! わたしが、ちゃんと抑える!
 大丈夫や、こんなん…せんでええ!!」
まさか、リインフォースは自ら消え去ろうとしているの?
事情は分からない。たぶん、何かしらどうしようもない理由があるのだろう。
そうでなければ、こんなことになる筈がない。

はやては今にも泣きそうな眼でリインフォースを見つめる。
そんなはやてを、リインフォースは悲しそうな、困ったような眼で見返す。
「主はやて、よいのですよ」
「いいことない……いいことなんか、なんもあらへん!!」
「随分と長い時を生きてきましたが、最後の最期で、私はあなたに綺麗な名前と心を貰いました。
 騎士たちもあなたのお傍にいます。アイリスフィール……母上もおられます。
 なにも………寂しくお思いになる事はありません」
リインフォースは、まるで幼子をあやすように優しく話しかける。
それは、死を覚悟した永久の別れの言葉。それが、かつて最後に夫……切嗣と話した時の私とダブって見えた。

はやてはその言葉の意味を理解し、抑えきれずに涙をこぼす。
「ですから、私は笑って逝けます」
まるで、だから心残りなど何もない、と言わんばかりに……リインフォースは晴れやかな顔で告げる。

ああ、私もあの時……切嗣に同じことをしたんだ。
こちら側の立場になってやっとわかった。
それはなんて…………残酷な事だったのだろう。

「………話聞かん子は嫌いや! マスターはわたしや、話聞いて!
 わたしがきっと何とかする。暴走なんかさせへんて、約束したやんか!!」
「………はやて……」
思わず、はやてに声をかけるが、その先を何と続けていいのか分からない。
私はかつて、あちら側にいた。そんな私に、どんな言葉がかけられるだろう。

それは必死な呼びかけ。何とか思いとどまらせようと、できもしないことを叫ぶ。
それが出来るのなら、リインフォースは消えはしない。それが分からない筈がない。
それでも、心がそれを受け入れられないのだ。

だが、その心の底からの叫びを以てしても、リインフォースの決意は覆らない。
「その約束は、もう立派に守っていただきました。主の危険を祓い、主を護るのが魔導の器の努め。
 あなたを守るための、最も優れた方法を……私に選ばせてください」
「せやけど………ずっと哀しい思いしてきて、やっと……やっと救われたんやないか!」
リインフォースの言葉の意味を少なからず理解できるからこそ、はやての眼から涙がこぼれる。
どうやって止めていいか、わからないから……。

「あなたにも、いずれわかる時が来ます。海より深く愛し、その幸福を護りたいと願える方と出会えたなら。
 あなたにならわかるでしょう? アイリスフィール」
そう言って、リインフォースは私を見る。私は、その眼を直視できない。
分かるから、分かってしまうからこそ、見ることが出来ないのだ。あそこにいるのは、私自身の鏡像だから。

そんな私からリインフォースが視線を外したところで、はやてが叫ぶ。
「じゃあ、あの約束はどうするつもりなん! 一緒に生きるって…言ったやないか!!」
「私の意志は、あなたの魔導と騎士達の魂に宿ります。私はいつも、あなたのお傍にいます」
そんなモノは幻想だ。死した者はただ消えるのみ。生きている者の手には届かない場所へ。
ああ、今ならわかる。失う側に立ったことで、私がどれだけ切嗣を絶望させていたのか。

堪えきれなくなったのか、遂にははやての声から力が失われ泣きじゃくる。
「これから………もっと幸せにしてあげなアカンのに」
そうだ、彼女はこれまでの分の幸せを手にする権利と、義務がある。
何より、主であるはやてがそう望むのなら、それに応えるのが彼女の務めだろう。

「大丈夫です。私はもう、世界で一番幸せな魔導書ですから」
幸せ? 本当に、それでいいの?

その疑問が、私の中で一点に集約する。そうだ、いいはずがない。
こんなものはエゴだ。どれだけ正しくても、所詮は彼女の自己満足に過ぎない。
それは同時に、かつての自分の行いをそうと断じるのと同義だった。
そのことに抵抗がないわけではない。でもそれ以上に、はやてが泣いている今が許せなかった。

ああ、一つだけある。彼女を救う方法が……
「いいえ。あなたは消えない。生きるのよ、リインフォース」
「アイリ?」
「アイリスフィール?」
そうだ。この身は聖杯。持ち主の願いを叶える万能の釜。
すでにその力を失ったとはいえ、それでもその役目は未だ健在。

あるんだ、一つだけ。誰も欠けることなく生きる術が。
「何を言って……」
「第三魔法『ヘブンズフィール』。その詳細は、知っている?」
「え!? 第三魔法って……」
私の言葉に、なのはさんが驚きの声を上げる。

「第三魔法『ヘブンズフィール』。確か……魂の物質化、でしたね」
「そう。別名、天の杯とも呼ばれる真の不老不死の法。だけどそれは何も、不死者を作るだけのものじゃない。
 それは、精神体でありながら単体で物質界に干渉できる、高次元の存在を作る神の御業」
「………まさか!? いけません! そんなことをしては、あなたの命が……!!」
私のやろうとしていることを悟ったのか、リインフォースの表情に初めて笑み以外の感情が現れる。

まだ話の意味が分からないのか、はやてやなのはさん、それにテスタロッサさんが疑問気な表情をしていた。
「え? 命……? どういう事なん!?」
「別に、死ぬつもりはないわ。『大切な誰かのために自分を犠牲にする』私は、その傲慢をやっと理解したから」
「傲慢? 私が、傲慢だとおっしゃるのですか」
「ええ、そうよ。あなたはかつての私と同じ。あなたの言う事は、非の打ちどころのない正論よ。
 でもね、はやてを泣かせては本末転倒とは思わない?」
そう言いながら、はやての肩に手をのせる。
そうだ、この子を泣かせては意味がない。なぜあの時の私は、その傲慢に気付かなかったのだろう。

こんなのは、所詮は身勝手な善意の押しつけだ。
良かれと思い、相手の心に傷を負わせる。それのどこが、愛情だというのだろう。
もし、本当に愛しているのであれば、例えどれほど正当な理由があろうと、死を選んではいけないのだ。
生きる事に勝る正しさなど、ありはしないというのに。
私は、今頃になってやっとその事を理解できた。

「あなたが本当にはやての幸福を願うのなら、生きることこそが最良よ」
「そうだとしても………それは、叶いません」
「そうね。魔導には無理かもしれない。でも、こっちの魔法にならそれが出来る。
 第三魔法を以て、あなたの精神を夜天の魔導書から分離、物質化します!!」
場に、驚愕をあらわす沈黙が流れる。
魔法という、神々の領域とも言える奇跡。
それを行使しようというのだ、前の世界の魔術師であれば失笑を買うところだろう。

「お止め下さい、アイリスフィール! あなたの体は、あなた自身が一番わかっているはずです!
 そのような体で無茶をすれば、あなたの命が……!!」
「そうね、確かに命がけよ。でも、上手くいけば全てが丸く収まるわ」
「最悪……………いえ、高確率であなたは死に、術も成功しないのではありませんか?
 その術は本来、このような場所で使えるものではないはずです。
 およそ望み得るすべての条件が揃い、その上でやっと賭けが出来る。そういう術ではありませんでしたか?」
鋭い子だ。実際のところは、そのとおり。
願望器としての聖杯もない、力の源となる英霊の魂もない、そもそもユスティーツァを納めた術の中核となる大聖杯がない。ましてや、今の私は前日の無理が祟ってこうして立っているだけでも精一杯。
これで第三魔法の一端でも引き起こせれば、それこそ奇跡だろう。

「意識の転移」という方法もあるけれど、それは今は使えない。使っても意味がない。
アレは、肉体が刺激を受ければすぐに意識を引き戻してしまう。
リインフォースの意識を何処かに移しても、体の方を消す時に意識が引き戻されては意味が無いのだ。
何より、本体が死ねば転移させた意識も消えてしまう。それ故に、この術は不老不死の術となり得ない。
だから、打てる手はこれだけ。肉体がどうなろうと関係の無い、精神のみで存在できるようにするしかない。
それも、上手くいく可能性はあまりに低いと言わざるを得ないけど……。

なにより、私の体が耐えられない可能性が高い。
どれほど上手くいっても、彼女を救うのが限界という事を否定できる材料はない。
だけど、全員が生きる可能性が開けるのもこれだけなのだ。
「それでも、賭ける価値はあるわ……」
「認められません。私のためにあなたを主はやてから奪うなど、認められるわけがないではありませんか!」
「あなたはいいのに?」
「この方法であれば、逝くのは一人。あなたの方法の場合、それが二人になる可能性が高すぎます。
 それなら、どちらを選ぶかなど考えるまでもありません」
きつく睨みつけながら、リインフォースは私の考えを否定する。
ええ、確かにその通りよ。私の考えは、賭けとすら呼べない代物。
真っ当な思考が出来る人なら、そんなマネは決してしない。

そう、真っ当な思考ができれば。
「私は、あなたに逝って欲しくないのよ」
「それはあなたの我が儘であり、駄々を捏ねているにすぎません」
「そうね、確かその通りよ。だって私は―――――――――――――――もう、家族を亡くすのは嫌だから」
ずっと、私は残される側ではなく、残していく側だと思ってきた。
だから、考えたこともない。残される側の気持ちというモノを。

でも、そんな固定観念は裏切られ、私が最後まで残ってしまった。
夫も、娘も………………もういない。その事実に、これほど打ちのめされるとは思ってもみなかった。
切嗣は、ずっとこの喪失感に耐え、戦ってきたのだ。

だけど、私には耐えられない。こんな心の虚無に耐えられるほど、私の心は強くないから。
この空隙がこれ以上大きくなるくらいなら、私は………
「あなたが何と言っても、私はやるわ」
「それこそ…………あなたのエゴではありませんか!!」
「ええ、そうよ。そうと理解した上で、それをするの。あなたよりよほど性質が悪いけど、その分……」
説得になど応じない。言ってしまえば、単なる開き直りだ。
自分の我が儘を通すため「そうだ、だからどうした」と言っているだけにすぎない。
でも、そうであるが故に説得の無意味さが分かるだろう。

「それに、私はあなたと違って死ぬつもりはないわ。これはかなり大きな違いじゃないかしら?」
「……………………わかりました」
「そう……なにが、わかったの?」
「力づくで、あなたを止めます」
やっぱり、そうなるのよね。

手元にあるのは特製の針金だけ。
それで彼女を拘束し、みんなが止めに入る前に第三魔法を使う。
(上手くいく…………ことを祈るしかないわね)
何を…ではない。一から十まで、その全てをだ。

Interlude out






あとがき

とりあえず一言、Interludeなげぇ! あれ? なんか割と最近にも似たような事を言った気が……。
最近よくある、元は一話だったものを二話に分けたせいですね。すみません、たびたび。
なんか、この辺で区切った方が面白みがありそうなのでこっちを採用しました。
そして、土壇場になっての仲間割れ(?)。この話はいったいどこに向かうんだろう……。

というか、このままだとアイリが死んじゃうんですけどね。
それも、やったからって上手くいくとは限らない大博打。っていうか、むしろ失敗する可能性の方が高いですし。
ですが、アイリに打てる手の中では、これくらいしか思いつかなかったのでしょうね。
それも、すでに夫と娘を失った身としては、これ以上家族を失いたくないと思うのは無理もないかと。
一応、何かの奇跡で上手くいけば、全員生き残るハッピーエンドもあり得なくはありませんから。
まあ、それこそ天文学的確率以上に低い可能性ですけどね。

つまり、このまま行くとマジで共倒れになってしまうわけです。
となれば、あとは自主退院(?)した士郎と凛、それにリニスに期待するしかないわけですね。
とはいえ、このままだと間に合わないわけですが、どうなる事やら……。

一つ確かなのは、次回あたりで一つの区切りにはなるでしょう、という事です。
少なくとも、A’s本編の重要どころはこれで終わるわけですしね。
あとは魔法バレやら預言の事、それと生きていればアイリへの告解とかですか。
まあ、最後の一つに関してはアイリが生きていなければ意味がありませんけど。
というか、そうでないとさらに士郎のトラウマが大変なことに……。
それ以外は、A’s本編とは微妙な位置関係ですからね。重要ではあるんでしょうが。

最後に、やっぱりアイリのリインフォースへの言葉は割と賛否両論に分かれそうなんですよね。ある意味、原作を否定している様なものですから。
とはいえ、リインフォースの言葉や行動は正論でこそありますが、やっぱり個人的には「本末転倒」なんだと思うんですよ。「はやての命」と言う意味でなら間違いなく正しいと思いますが、「はやての心」に焦点を当てるとまた別の問題なんじゃないでしょうか。
まあ、だからと言って客観的に見てどっちを支持するかと言えば、やっぱりリインフォースの判断なんですけどね。アイリの言っている事は、リスクを無視した我が儘と同義ですから。
適切かどうかわかりませんが、リインフォースの考えは「正しい間違い」で、アイリは「間違った正しさ」というやつなんじゃないかなぁ、と思います。言葉遊びと言えばそれまでですけどね。



[4610] 第43話「導きの月光」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:fd260d48
Date: 2010/03/12 18:08

SIDE-アイリ

リインフォースを救う。そのために私に出来ることがあるとすれば、それはただ一つ。
アインツベルンが千年をかけて追い求めた魔法。魂の物質化、天の杯「ヘブンズフィール」。
上手くいく保証なんてない。むしろ、失敗して共倒れになる可能性の方が高いだろう。
仮に何かの奇跡で上手くいっても、私が術の行使に耐えられないことはわかっている。

こんな事は、もはや正気の沙汰じゃないと普通なら思う。
だけど、そうだと理解していても私はそれをせずにはいられない。
もうこれ以上、家族がいなくなるのは嫌だから。そんなことに、私の心は耐えられない。

リインフォースにも言ったことだけど、こんな事は自己満足の身勝手に過ぎない事は百も承知している。
それでも、私はこれ以上家族を亡くしたくない、はやてに泣いて欲しくない。
そのためなら、何としてもでも術を成功させ、私自身も生き残ってみせよう。
何一つとして根拠はない、こんなものは単なる精神論だ。それでも、やり遂げなければならない。

私もリインフォースも、こんなところで死ぬわけにはいかないのだから。
(待っててね、はやて。ちゃんと、帰ってくるから)
心の中でそう告げる。それだけで、どんな奇跡でも引き起こせそうな気がしてくる。
そうだ、あの日誓ったのだ。私は、この子のためなら何だってしてみせると……。

そして、リインフォースと私が動き出そうとした瞬間……
「「ちょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっと、待ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」」
空から二つの声が轟き、雪とは別の何かが勢いよく降ってきた。

ドッッッゴォォォォォォォォォォォォォン!!!!

天から雷、あるいは隕石の様な勢いで落ちてきたそれは、私たちのすぐ後ろに着弾し降り積もった雪を舞いあげる。
モウモウとたちこめる、白銀の霞。
それが一陣の風によって払われると、そこには一人の少年を抱え、帽子を被ったショートヘアの女性が―――――――――プルプルと震えながらうずくまっていた。



第43話「導きの月光」



SIDE-士郎

リニスに抱きかかえられながら、空を翔ける。
必要な情報の捜索に、思いのほか手間取ったようだ。
さすがに普段あまり使わない棚だっただけに、探すのに時間がかかってしまった。
おかげで、アースラに問い合わせた時にはすでに儀式のためにフェイト達が降りた後。

しかし、まだ間に合う。そう信じ、凛はリニスを飛ばしたのだ。
本来なら、俺などは足手まといの重りにしかならないが、こんな体じゃ凛の所に居てもこれ以上役に立たない。
書庫をひっくり返すのが終わった時点で、俺の役目は残すところあっても一つ。

それも、儀式がおこなわれていないことが前提だ。
だから俺は、無理を言ってリニスに同行を申し出た。
初めは俺の体を気遣って渋ったリニスがだが、根負けして折れてくれたっけ。

そうして俺達は、儀式がおこなわれるという丘の上に辿り着く。
「士郎!!」
「ああ、俺の事は気にするな。止まらずに………行け!!!」
停止はおろか、スピードを緩めることすらなく、水平飛行をしていたリニスが急角度で向きを変える。
突然の浮遊感、続いて墜落。リニスは重力の助けも借りながら、弾丸と見紛うほどのスピードで降下する。

そして、どちらからともなく…………………叫ぶ。
「「ちょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっと、待ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」」
地面スレスレのところでかける、大ブレーキ。それまでのスピードを殺すために、体に途轍もないGがかかる。
チキンレース染みたそれは、本当に衝突ギリギリだった。

だが、そのままだと頭から雪と、その下にある硬い地面に突っ込む事になってしまう。
そんな事をすれば、多少勢いを殺しても頭がトマト的に潰れるスプラッタは確実だ。
故に、リニスは頭からの正面衝突を避けるべく、制動をかけながら軽業師染みた身のこなしで体をクルンと宙で一回転させる。
それはまさに、木から飛び降りた猫の体捌き。リニスは宙返りを見事成功させ、足でしっかりと着地する。
そうして足が地に着く瞬間、耳をつんざく様な轟音が生じた。

ドッッッゴォォォォォォォォォォォォォン!!!!

さすがに元のスピードがあり過ぎて、完全には制動がかけきれなかったが故の大音量。
しかし、生じたのは何も音だけではない。落下エネルギーは、音以外にも衝撃へと変換されていた。
すなわち、降り積もった雪は着地の衝撃で一気に舞いあがり、雪煙りとなって俺達を包む。

そこへ、タイミング良く一陣の風が吹き、俺たちを覆い隠す雪煙りを掃う。
だが、リニスは着地の衝撃で足に走った痛みに耐える様に、俺を抱え込んだままプルプルと震えながらうずくまっている。その姿は、何処か生まれたての小鹿を思わせた。だが、今の問題はそこではなく……
「「…………げほげほげほげほげほげほげほげほげほ、げぇほ!!」」
咽る! 舞い上がった雪が気管に入って咽る!! ぐぉっ、体が軋むぅ!!! 着地の衝撃と咳で体がぁ!!
情けなくも、二人揃って見事に咳こんでいる。

だが、いつまでも咽ているわけにはいかない。
「そ、その儀式待った!!」
何とか酸素をとりいれ、気合で待ったをかける。
まあ、全然格好がつかなかったのは気にしない方がいいだろう。

見渡せば、全員の視線がこちらに集中していた。
俺の一声が効いた……わけじゃないよな。どちらかと言うと、あの派手で情けない登場が原因だろう。
しかし、今はそんなことは気にしない。気にしないったら気にしないのだ。
とにかく、リインフォースは未だ健在。
まったく、あれだけ漁ってもし手遅れだったらと思うと気が気でなかったけど……間にあったか。

しばし呆然としていたみんなだったが、そこでいち早く復旧したのはフェイトとなのは。
「シ、シロウ!!」
「か、体大丈夫なの!?」
「大丈夫だ。痛みはない」
「痛まないんじゃなくて、単に触覚を遮断しているだけじゃないですか。どこが大丈夫なんですか?」
ため息混じりのリニスの突っ込みなど気にしません。痛まないんだから問題ないんです~。

遠坂秘伝の薬を使って、一時的に感覚の一部を遮断しているのはホントだけど。
そのおかげで、触覚そのものがほとんどないのだが……。
体の軋みを自覚しているのも、内側から「ミシミシ」って音がするからだし。
まあ、そんなわけで、実を言うと全然何も大丈夫じゃなかったりする。

とはいえ、今重要なのはそこではない。
リニスに抱きかかえられたまま、俺ははやてとアイリスフィールに並ぶ。
まったく、凛から聞いた時はどうしてやろうかと思ったぞ。
「リインフォース」
「その名で、呼んでくれるのだな。………………お前に……いや、お前達には感謝している。
 お前達のおかげで、私は自身の本分に戻ることができた。絶望の底から、救いだして貰った。
諦めていた私に、希望を与えてくれた。本当に、感謝している」
そう語るリインフォースの顔は晴れやかで、一切の迷いが見られない。
つまり、このことについてはもう覚悟も気持ちの整理もすんでいるということ。
それが、俺には許せない。なんで、こんなことをそんな顔で言えるんだ……!

そうして、リインフォースは俺に向けて深々と頭を下げる。
「そして、謝罪を。お前をあの騎士と同一視したこと………すまなかった。
 お前の言う通り、奴とお前は違う存在だ。お前のその眼には、あの男にはなかった希望の輝きがある。
 その輝きが、この先も曇る事がないように祈ろう」
「まるで、辞世の言葉だな」
「そのつもりだ。しかし、消える前にこうして直接話せてよかった」
本当にこいつは、何もわかっちゃいない。どうして、そんな結論しか出せないんだ。
もっと他に言うべきことがあるだろう。心残りがないなんて、そんなワケないくせに……。

「ふざけるな! お前はまた諦めるつもりか!!」
「諦めるのではない。希望を残すためだ」
そんなもの、希望でも何でもないじゃないか。

一度深呼吸し、呼吸を整える。熱くなってはダメだ。俺はこいつに、まだ聞かなければならないことがある。
「………もう一度、あの時と同じことを聞くぞ。お前の望みは何だ?」
「主を護り、主の幸福の礎となること。それが私の願望であり、喜びだ」
「違うだろ! 俺が聞いているのはそんなことじゃない!
 俺は、お前の行動の先にあるモノの話をしているんじゃない!
 たった今! この時! お前が本当に欲しいモノが何かを聞いているんだ!!」
そんな、先の事を見据えた賢い答えが聞きたいわけじゃない。
俺が聞きたいのは、もっと短絡的で、身勝手で、自分本位の欲望だ。
自分に返る欲望を持てなかった俺が言えた義理じゃないかもしれないが、それでも我慢できない。

「偽ってはいない。これは、紛れもなく私の心から零れ落ちたものだ。だから、私の願いをかなえさせてくれ」
「……そうか。じゃあ、もうシグナム達の事は……羨ましくはないんだな?」
「っ! …………ああ、無論だ」
リインフォースは一瞬息を呑み、絞り出すようにして肯定する。だがそれは、何よりも明確な心情の吐露。
そら見たことか、本当はお前だって生きたいんじゃないか。

「聞かせろ、リインフォース。お前は本当に、はやてとの別離を望んでいるのか?」
「…………違う。別離ではない。これは、主はやてをお護りするための………」
「何が違う! 何も違いはしない! お前がしようとしていることは、そういう事だ!
 重要なのは行為からもたらされる結果じゃない、行為そのものだ!!」
本当は望んでいない行為なのに、望んだ結果のために正当化し、自分を騙そうとしているだけだ。
そんなもので、いいわけがない。この主従の結末が、そんなモノなど認められるか!

長い沈黙が場を満たす。俺は答えを急かすことなく、リインフォースが口を開くのを待った。
「…………………………………………………………ならば…どうすればいいと言うのだ!!
 私とて、この先も主と共に在りたい! この優しい主の行く末を見守りたい! 騎士達が羨ましい!
だが、どうする事も出来ないではないか!!」
絶叫にも似た、涙ながらの告白。そうだ、それが聞きたかったんだ。

それでいい。お前の本当の心からの希求であるのなら、俺達はそれに応えよう。
勝手な言い分かもしれないが、俺にとってもお前達は……大切な存在なんだ。生きていてくれないと………困る。
「誰が、そんなことを決めた?」
『………………え?』
「そうだ、誰が決めたわけでもない。決めていたとしても、そんなモノ知ったことか!
 リインフォース、魔法に限らず、魔術もまた万能からは程遠い。むしろ、魔術は『効率』をはじめ多くの面で魔法に劣るだろう。確かにそれは事実だ。だが魔術とは、人為的に神秘や奇跡を再現する行為・学問の総称でもある。過去の魔術師達が悠久の時をかけて培ったその蓄積は、時にお前達(魔法)の常識を凌駕するぞ」
そして、今の遠坂の当主は伊達に「緋」の称号を受けたわけじゃない。
それに昔から、困った時には魔女が助けてくれると、相場が決まっている。
なら、今がそうでなくて何時がその時だ。

俺に集まっていた皆の視線が、先ほどまでとは違う熱を帯びる。
「士郎、君?」
「安心しろ、はやて。お前の家族、決して死なせるものか。アイリスフィールさん!」
「え? ええ」
「あなたの力も貸してください。アインツベルン千年の英知を、どうか!」
精一杯の想いを込めて、深々と頭を下げる。おそらく、凛一人だけでは無理だろう。
俺など、アイツに比べれば術者としての格は天と地だ。こう言う時、たいして力にはなれない。

だが、アイリスフィールさんなら凛と肩を並べられる。
アインツベルンが千年を費やした研鑽は、時計塔の『色名持ち』に劣るモノではない。
この二人が同じ土地にいて、同じ目的のために動ける機会がある、その奇跡。
それこそが、リインフォースを救う起死回生の一手となる。

「……………………本当に、リインフォースを救えるの?」
「夜天の魔導書は消えます。その管制プログラムも消えます。
 ですが、リインフォースという個人を残す術はあります!」
確信を持って、アイリスフィールさんの問いに答える。
こちらの魔法で作られた魔導書をどうこうする事は、俺たち魔術師には出来ない。
だが、だからと言って、何もできないわけじゃないんだ。

「それは、どういう?」
「とりあえず、場所を変えましょう。あなたには、凛と協議してもらわなければなりませんから」
おおまかな術式の構築はだいたい何とかなるだろうが、それだけでは足りない。
アインツベルンの秘跡を以て、それをより万全に近い物にする。
防御プログラムの再生がいつになるか分からない以上、ここでのんびりしているわけにはいかない。
説明は、移動しながらだ。

そこで、なのはが確認するように尋ねる。
「えっと、それって凛ちゃんのお家…だよね?」
「違うぞ」
「へ? じゃあ、どこ?」
「すずかの家、月村邸だ。そこに俺の工房がある」
あそこはこの街一番の霊脈のポイントだ。
こう言う時に使うには、もってこいの場所。というか、こう言う時に使わないでいつ使うんだ。

「「「………………え、えええええええええええええええ!!!」」」
驚きの声はフェイトとなのは、そしてはやてのモノ。
三人からすれば、何故俺の工房がすずかの家にあるのか不思議でならないだろう。
いや、他の面々も声には出さないが驚愕の表情を浮かべている。
だが、その辺の説明はまた今度だ。どうせ、近々すずかにいろいろ話す事になるし、その時でいいだろう。

さあ、いつまでもこんなところで立ち止まってはいられない。
さっさと向かうとしよう。
今頃、凛の奴が痺れを切らして待っているか、あるいは魔法陣を延々描いて苛立っている頃だろうし。



  *  *  *  *  *



月村邸に向かう最中、おおまかな案の説明をした。
まあその間、道行く人たちがこちらを好機の眼で見ていたけど。
車椅子の女の子に、女性に抱きかかえられた少年、見目麗しい妙齢の美女たち。
他にも、将来が楽しみな少女が二人と、雪が降っているのに妙に軽装な女性。おまけに、やけにデカイ犬。
これで人目を引かない方がおかしい。今はそんなこと関係ないし、あえて誰も何も言わなかったが。

で、凛と俺が見つけ出した案というのは、実を言うとそこまで奇をてらったモノじゃない。
言ってしまえば、遠坂家やアインツベルンが得意とする『転移』の応用だ。
今回の場合、魔力ではなくリインフォースの“精神”そのものの転移となる。

夜天の魔導書の破壊は免れない。それと直結している管制プログラムの消滅も同様だ。
時代に逆行する事こそが本分と言える魔術には、時代と共に進む魔法(科学)の産物である夜天の書を修復する手立てはない。だがそれは、必ずしもリインフォースという個人に手が出せないのとイコールではない。
重要なのは、防衛プログラムを再生してしまう彼女の『根幹部分の破壊』だ。
言い方は悪いが、人格や個性などはその表層に張られたラベルの様なもの。
ビンとその中身は破壊せねばならないかもしれないが、ラベルまで消す必要はない。
要はそのラベルを剥がし、別の物に張り替えてしまえばいいのだ。

その説明を受け、フェイトが疑問を呈する。魔術に詳しくない彼女たちでは、その反応も当然だろう。
「そんなことが、本当にできるの?」
「ああ。肉体と精神の分離は、実はそう珍しい魔術じゃない。程度は違うけど、遠見の魔術もその一種だしな。
 特定の何かに対象の意識を移し替え、安全な場所から実験を観察するってのは良くある手だよ」
その場合は、言ってしまえばリモコンロボットの様なもの。転移先を使い魔や身動きできる人形にする事で、その体を動かして実験やら探究やらをしようという事だ。
この場合、リモコンロボットの方が壊れても、意識は本体に戻るだけという寸法になる。

「遠見の魔術の場合、脳への情報を違うモノから送ることで感覚や意識を別のものに移す程度に過ぎない。
だから、今回やるのはさらに深い領域の転移と定着だ。体を空にして、精神を丸ごと別の物に移し替える」
感覚や意識の転移というのは、つまるところテレビ中継の様なもの。
その場に居ながら、遠い場所の風景や音を知覚できるようにするだけだ。
単に出力装置を変えただけに過ぎず、本体はそのまま。
故に、別のものの情報を受け取らせるのではなく、精神を別のものに移し替える必要がある。

このさらに先の領域が、俺たちに施された「魂の転移」や「転生」になる。
本当は「魂の転移」までやれれば一番なのだが、さすがにそこまでは無理だ。
というか、俺たちでは魂に直接ちょっかいをかける事が出来ない。
専門家でもない凛がいきなり即興でどうこうできるほど、高位の魔術というものは生易しいものではないのだ。
もちろん、精神の転移とて決して難易度の低い術ではない。だが、高位の術者が二人いれば可能性はある。

ただ、その代わり俺たちと違って前の体と同じ状態にはならないだろう。
すなわち、リインフォースを生かすことはできるが、その代償にあいつは少なくないハンデを負うという事。
それでも、リインフォースを生かす事が出来る。それだけでも、この案には意味があるはずだ。

しかしここで、アイリスフィールがその案を否定する様に首を振る。
「……私も、それを考えなかったわけじゃないわ。
でもその場合、体が刺激を受けたら精神は肉体に呼び戻されるはずよ。それじゃあ、意味が無いわ」
「そうですね。だからこそ、遠坂家の魔術が活きてくるんです」
「それって、どういうことなん?」
「遠坂家が得意とするのは宝石魔術。そして、宝石は想念を貯めやすい『場』、流れを留める牢獄だ。
それは、リインフォースの精神を定着させる上で最高の場となる」
正確には、その上でさらに定着させる宝石の周りにウロボロスをベースとした魔法陣を布く。
ウロボロスとは、己の尾を噛んで輪となった蛇、もしくは竜の事。
「死と再生」「不老不死」の象徴であり、完全性や循環性を表したりもする代物だ。

その内側は「完結した世界」とでも呼ぶべきもので、何かを閉じ込めるのにはこれ以上ないほど向いている。
つまり、宝石に閉じ込めたリインフォースの精神を、さらに魔法陣による牢獄で逃さないようにするのだ。
これなら体に何らかの刺激を受けても、精神が呼び戻されることはない。
その状態でなら、夜天の魔導書を破壊してもリインフォースの精神をそこに留められるはずだ。

それを聞き、はやてをはじめ八神家の面々に希望の光が宿る。だが……
「いいえ、それでも同じことよ。確かにそれなら、体に引き戻されることは防げるかもしれない。
 だけど、それだけじゃ足りない。問題なのは、本体が死ねば転移させた精神も引きずられて消えてしまう事よ。
 原因が無ければ結果は生じない。この場合、本体が原因で精神は結果、本体があってはじめて精神は存在できるのよ。精神を移し替えたところで、一時的に保存する事は出来てもいずれは朝靄の様に消えてしまう。それは変わらないわ」
「ええ、わかっています。だからこそ、俺たちは家の書庫をひっくり返したんですよ」
「え?」
「ちょっと色々ありまして、うちには宝石魔術以外の資料も結構揃ってるんですよ」
ここで言う宝石魔術以外の資料と言うのは、桜の研究成果の事を指す。
桜は自身の研究成果やらなんやらを編纂し、それを幾つかの書物として纏めていた。

魔術師としては何も特別なことではないが、重要なのはその写本が今俺たちの手元にある事。
俺たちが前の世界を離れる前、桜が「何かの役に立つかもしれないから」とそれらを託してくれた。
桜は、元から真っ当な魔術師ではない。
あいつにとって魔術の探求とは、どこまで行っても凛や俺の事を想ってくれてのものだった。
だからこそ、惜しむことなく俺たちにそれを預けてくれたのだ。

そして、桜の探求は「魂の転移」だが、いきなりその研究を始めたわけではない。
物事には段階というものがあり、まずは簡単な方から順を追って進めていくのが普通だ。
掛け算を飛ばして、いきなり微積分に挑む人間はまずいない。つまり、「魂の転移」の前段階として、それより難易度が低く、土台と成り得る「精神の転移と定着」についても研究していた。

故に、既に打開策は桜が用意してくれている。
「いずれは朝靄の様に消え失せる、そう言いましたね?」
「え、ええ」
「だったら話は簡単だ。先程の例えを借りるなら、既にある朝靄が存在できる環境を用意するんですよ、入れ物の中にね」
第三魔法の様に、物質界に存在を確定させるのではない。むしろ、発想としてはその逆。第三魔法がその環境で存在できるようにさせる術なのに対し、こちらは限定された空間内に対象が存在できる環境を作るのだ。
その考え方は、「動物園」や「水族館」に近い。そいつが生きていける環境を、こっちが演出すればいい。宝石という閉ざされた極小の空間内であれば、それも可能だから。

まあ、俺たちがこちらに来てまだ半年少々。
荷解きはとうに終わっているが、それでも桜の研究書には目を通し切れていない。
それに「方法があるかもしれない」という事まではわかっていたのだが、それがリインフォースに適用できるかはわからない。故に、俺たち三人で盛大に書庫を荒らす羽目になったのだ。
まあ、実際そのあたりはまだ未整理に近い状態だったから、その分捜索だけでもえらく時間がかかってしまった。
しかし、それでもなんとか見つけ出し、こうして間にあわせる事が出来たのは、桜が用意してくれていた目録のおかげだ。本当に、桜にはいくら感謝してもし足りないな。

まあ、あまりにも高度過ぎた場合、さすがに凛と言えど即興では無理だっただろう。
だが術式は整えられ、難易度も「魂の転移」などに比べれば幾分劣る。
それでも凛一人では難しいが、そこはそれ。凛にも引けを取らぬ術者であり、自身もまた第三魔法を追い求めてきたアインツベルンのホムンクルスであるアイリスフィールさんの協力があれば可能なはずだ。

そして、この案なら、アイリスフィールさんにかかる負担はそこまで大きくない。
凛と二人がかりでの術となるし、術の難易度も消費魔力も格段に低い。
少なくとも、命がけで成功確率が皆無に近い第三魔法を使うよりよほど確実で安全だ。

とはいえ、アイリスフィールさんにとっては盲点だったのか、相当に驚いている。
まあ、アイリスフィールさんの反応もわかるな。
魔術師は基本的には閉鎖的で排他的だから、魔術師同士で協力するなんて普通はしない。
余所の魔術師と協力するなんて、思い浮かばないのが普通だろう。
例外なのは、それこそ聖杯戦争のシステムを作った時の御三家みたいな時くらいだ。
ましてや、如何に姉妹とはいえ自分の研究成果を当たり前の様に託すなんて思いもよらないだろう。

そこへ、シグナムがより詳しい説明を求める。
「リインフォースは、どうなるのだ?」
「…………………身体と力の全てを失う事になる。
夜天の魔導書が消える以上、彼女の力の源を失うのと同義だ。
 残るのは、ただ『リインフォース』という存在のみになるだろうな」
リンカーコアも移せればいいのだが、それは望むべくもない。
その辺りは夜天の魔導書と直結しているし、そもそもどうすれば移せるかもわからないのだ。
今の体も、夜天の魔導書によって構築されているから、やはり消えるだろう。

「それに、そのままだと外界への働きかけはできない。言ってしまえば、宝石に宿った幽霊の様なものだ。
 いや、それどころか宿った宝石を魔法陣の外に持ち出すことすらできないだろう。
だから、もう一手講じなきゃならない」
そう、それじゃあダメだ。それだと、死んでいるのと変わらない。

「それって、どうするん?」
「リインフォースには、転移の前に誰かと魔術的な契約をしてもらう。
 理由は二つ。一つは、その人物を楔にして、この世界に留める最後の枷にする事。
 もう一つは、その人物との繋がりを使ってコミュニケーションをとる事だ」
とりあえず、これならその人物との間だけは会話などを行う事が出来る。
まあ、霊体化したサーヴァントのような状態をイメージすると良いだろう。

その意味を悟ったのか、ヴィータがケンカ腰に尋ねてくる。
「でもよ、それじゃあそいつ以外とは、まともに話をすることすらできねぇって事じゃねぇのか?」
「ああ、確かにその通りだ。だが、まずはリインフォースを生き残らせなきゃ話にならない。
俺もそのままでいいとは思っていないけど、その後の事は後々で考えるしかない。すまないが、しばらく不自由な思いをして貰う事になる」
そう言って、リインフォースを見る。
いくつか案がないわけではないが、どれもまだ『提案』の段階だ。
とても、今すぐ試せるようなことではない。

それで構わないか、とリインフォースに眼で問う。
「私は……………」
「士郎君、わたしからもお願いするわ。リインフォースを、うちの子をお願い」
「主はやて……よろしいのですか?」
「悩むことなんてない。わたしは、いつまでだって待ってる。だから、もう一度会お。な?」
はやてはまなじりに涙を浮かべつつも、微笑みをかける。そこに込められたのは、掛け値なしの優しさ。
リインフォースもそれで意を決したのか、力強くうなずく。

これなら何とかなる。いずれは、リインフォースをちゃんと外で活動させられるようにしてやりたいな。
まだまだこの先、クリアしていかなければならない問題は多いが、これで希望が繋がる。


月村邸の門をくぐった俺達は、そのまま俺の工房へと向かう。
その途中で………
「お、お兄ちゃん! それに忍さんまで!」
「ああ」
「やっほー、なのはちゃん♪ なんか凄いメンバーだね」
恭也さんと忍さんと出会った。

「すみません。いろいろ急に頼んでしまって」
「ああ、それは全然オッケー。いつも君たちにはお世話になってるし、今回はそのお礼。
 それにほら、せっかくのクリスマスなんだからプレゼントとでも思っておいて」
「そういう事だ。本人がそう言ってるんだし、ありがたく受け取っておけ。
それと、士郎。お前が何をするつもりなのかは知らないし、怪我の事も含めて詮索する気はない。
だが……頑張れよ」
それだけ言って、二人は家の中に入っていった。
なにも詮索することなく、こちらを信頼して応援してくれる二人に感謝する。
事情がわかっていない他の面々は呆然としているが。

しかし、特に忍さんにはだいぶ無理を言ってしまった。
家にある器材や、俺の工房の道具だけだと足りなかったので、急遽忍さんにいろいろ調達してもらったのだ。
月村家の財力と権力を駆使したとはいえ、簡単なことではなかったはずだ。
ああ言ってはいたけど、あとで何かしらちゃんとお礼をしに行かないとな。

そのまま歩みをすすめ、俺の工房に到着する。
そこで、待ってましたと言わんばかりに凛が飛び出て来た。
「来たわね! じゃあ、アイリスフィールはこっち! 士郎、他は任せた!!」
「え? ええ!?」
驚きの声はアイリスフィールさんのもの。
飛び出て来た凛はいきなりアイリスフィールさんの手を掴み、そのまま問答無用で工房の中に引きずり込んだ。
俺とリニス以外の全員が、その早技に置いてきぼりを食らう。

おそらくは、今頃なかで術の協議に入っているはず。
遠坂とアインツベルン、そして桜の秘跡を擦り合わせ、魔法陣の布設と術式の調整をするのだから只事ではない。
「さて、そういう事だから説明の続きだ。
 さっきも言ったけど、リインフォースには誰かと契約をしてもらう事になる」
「それって、はやてちゃんじゃだめなんですか?」
「それは、魔術回路の有無による。
 なにせ、対象となるのは酷く曖昧で不確かな存在である精神だ。魔術回路であれば、実体を持たない精神や霊魂を相手にしての契約が可能な事はわかっているけど、リンカーコアにそれが可能かどうかがわからない」
魔術回路とは魔力を精製するためだけの器官ではなく、幽体と物質を繋げる為の回路だ。
故に、魔術回路ならば精神を括る事が可能であり、当然その為の術式も存在している。

「でも、守護獣と主の間には精神リンクがありますよ。なら、不可能とは言い切れないんじゃないですか?」
「ああ、それは俺も知ってるし、不可能と断ずる気もない。
だけど、じゃあどうやって括るのか、その術式に心当たりはあるか?」
「え、えっと……普通の守護獣との契約、じゃダメなんでしょうか?」
「クロノにも問い合わせてみたけど、わからないらしい。そして、それが問題なんだ。
現状心当たりがない以上、新しく開発するか、あるいは既にあるものの応用を試すしかない。だが、新術の開発や通常の契約の応用で何とかしようにも、それには実験と検証を繰り返し、結果的に膨大な時間が必要になる。それは、この状況では現実的じゃない。まさか、ぶっつけ本番で試すわけにもいかないしな」
可能かもしれない、確かにそれは試す価値があるだろう。しかしそれは、他に代替案がない場合の話だ。
別案があり、そちらの方が確実性があるのなら選択の余地はない。
何しろ、人一人の命と一つの家族の未来がかかっているのだから。

「そういうわけだから、万全を期して魔術回路に括るのが望ましい。はやてにはあるのか?」
「ううん。アイリに調べてもらった事があるけど、まったくのゼロや」
答えは否。はやての顔には、隠しきれない落胆がある。

となると、やはり次にみんなが思いつくのは……
「それでは、アイリスフィールに……」
「いや、それもだめだ」
「え? なんでなんですか!?」
「どういう事だよ、おい!!」
俺の言葉を、シャマルやヴィータが声を荒げて問い詰める。
シグナムやザフィーラは声にこそ出していないが、やはりキツイ眼差しで俺を見ていた。

だが、俺とて意地悪でそんな事を言っているわけじゃない。
「落ち着いてくれ。アイリスフィールさんには、術の行使に集中してもらわなきゃならない。
 術を使いながらの契約の維持となると、さすがに術と契約の安定が損なわれる」
なにせ、術を行使する時にその対象が「本体」と「精神」の二つに割れるのだ。
そのままだと繋がりはほつれ、放っておけばやがて断たれる。
そうならない為には、繋がりを維持し続ける為の集中が必要だ。

とはいえ、契約の維持そのものは難易度が低く、俺でもできる程度のもの。
卓越した魔術師である凛やアイリスフィールなら、それこそ適当にやっても失敗するようなモノじゃない。
だから、問題なのは術の方。転位は、それを得意とする遠坂やアインツベルンでも難しく、成功率は低い。
いくら被術者が協力的で、ミスをしてもフォローしてくれる相方がいても、だ。
繋がりの方は維持できたが、それで術が失敗しては眼もあてられない。

俺が術に参加できればいいのだが、こんな半人前に手伝えるほど甘い術じゃないしな。
むしろ、足手纏いにしかならないだろう。
「となると……魔術回路があって、術に参加しない人になるんですよね」
「すまないが、そういう事になる。リインフォースに希望はあるか?」
そうは言うが、実際にはほとんど選択肢なんてない。おそらく守護騎士たちにも、魔術回路はないのだろう。
あるのであれば、誰かしら申し出ているはずだ。

凛からは、はやてが無理なら俺が妥当だろう、と言われている。だが、それを俺が口にするのは憚られた。
これは、とても大切な事だ。だからこそ、リインフォース自身に選ばせたい。
「………………………………………………………頼めるか?」
「いいのか? 俺で。未開発だが、なのはにも魔術回路はあるぞ?」
「…………契約の必要性を聞かされた時に、真っ先に思い浮かんだのは主はやて、次にアイリスフィールだった」
だろうな。こいつからすれば、自分の存在を預けるとすればこの二人以外にいまい。

しかし、だからこそ俺でいいのかが心配になる。
「だが、勘違いしないでくれ。仕方なくお前を選んだのではない、お前だから頼むのだ。
 お前は、ずっと私の本当の願いを引き出そうとしてくれた。そのことに一度ならず苛立ちを覚えたが、いまは本当に感謝している。なにより、そんな体で私たちを按じ、思いとどまらせるために駆けつけてくれた。
そんなお前だからこそ私は………自分の存在を預けたい」
「士郎君。わたしも、それでええと思う。士郎君になら、リインフォースを預けても安心や」
「はやて…………」
はやては、涙ぐみながらもその背を押す。自分の手を離れることが寂しくないはずはないが、それでもリインフォースが生きることを望んで俺に託してくれた。リインフォースも俺を信じてくれる。
主従双方からの頼みとあれば、断る理由はない。その信頼に、必ずや応えよう。

「すまないが、魔術には疎い。契約は、どのようにすればいい?」
「そう難しいモノじゃない。なんなら、この場でもできるが……」
契約そのものは、俺でも出来る簡単なものだ。
形式も整っているし、契約の言葉も俺がしっくりくるモノなら特に問題はないらしい。

「それなら、早い方がいいな。だがその前に、少し時間をくれないか」
「ああ」
リインフォースはそう言って、はやての前に跪く。
これが、はやてとの主従の終わりになる。だからこそ、伝えたい事があるのだろう。

そうして、リインフォースはゆっくりと口を開いた。
「主はやて」
「うん」
「私は、あなたに世界で一番幸せな魔導書にしていただきました。
 しかし、私はもうあなたの魔導の器としてあることはできません。
ですが、それでも私は……いつでもあなたの幸せを願っております。
いつかきっと、またこうして向かい合って言葉を交わせる日が来ることを信じて、今は一時の別離といたしましょう。どうかその日まで、壮健で」
リインフォースは、一語一句をかみしめるように言葉を紡ぐ。
はやてもまた、自身の騎士の言葉を決して忘れないように涙をこらえながら、じっと耳を澄ませる。

「そして、一つお願いがあります。
 祝福の風『リインフォース』の名は、あなたと共にあるべきもの。故にその名は、あなたがいずれ手にする新たな魔導の器に贈ってください。
 その子がきっと、私のこの想いを果たしてくれることでしょう」
「リインフォース………………」
伝えるべきことは伝えたと言うように、リインフォースは眼を伏せる。
それと共に、はやては声を上げずに静かに泣く。
「ごめんね、何もしてあげられなくてごめんね」と、何度も何度も口にしながら。

本当は悔しくて、申し訳なかったのだろう。マスターでありながら何もしてやれないことが。
できるのなら、この先も共に生きて幸せにしたかったはずだ。
でも、リインフォースは感謝してくれた。だからこそ、涙があふれるのだろう。
不甲斐ない自分に、救いを求めてくれなかった家族に、そして……リインフォースが生きてくれることに。

その涙を困ったように見ていたリインフォースが、ゆっくりと立ち上がる。
その顔は晴れやかで、本当の意味で澄んだ表情をしていた。
「いいのか? 名を捨てて」
「捨てるのではない。名は存在を表すもの。私は新たな存在として生きる。
 ならば、それに相応しい名が必要だ。その名、お前が付けてはくれないか」
なるほど、これはこいつなりの一つの決意であり、覚悟の表れなのだろう。
はやてもそれを望んでいるのか、小さく俺に向かって頷いている。

なら、今の名に劣らぬいい名前を付けてやらないとな。
だけど、今はまだこいつははやてに仕える『祝福の風』だ。
だから、新たな名は新しい体に移ってからつける事にしよう。

そうして、リインフォースは厳かに告げた。
「では、契約を始めてくれ」
リインフォースの言葉に応えるように、軋む体に鞭打って自分の親指の腹を歯でかみちぎる。

そこから流れ出した血が、白い雪に滴り赤く染めた。
その指を差し出すと、リインフォースはその指から血を舐めとる。
これで、簡易的なラインは繋がった。あとは、本契約を結ぶだけだ。

一つ深呼吸をし、昔聞いた契約の言葉を反芻する。
俺にとってもっともなじみ深い契約の言葉は、やはりアレだ。
意を決して、白銀の世界でリインフォースに手を伸ばしながら、魔力を込めた言の葉を紡ぐ。
「――――――――――告げる!
 汝の身は我の下に、我が命運は汝の風に! 夜天の主の寄るべに従い、この意、この理に従うのならば応えよ!」
この契約の見届け人は、夜天の主『八神はやて』。ならば、その名の下にこの契約は行われるべきだろう。

世界に朗々と声が響く。まるで世界そのものに言い聞かせるように、まるで世界そのものに宣言するように。
「―――――――――――我に従え! ならばこの命運、汝が風に預けよう……!!」
「祝福の風『リインフォース』の名に懸け誓いを受ける……!
 貴方を我が主として認めよう、士郎―――!」
新たな契約。誓いは此処に。差し出された俺の手を、リインフォースの白い手が握り返す。

ここに契約はなった。
今はまだ何の意味もなさない契約だが、彼女が宝石へと封じられ、今の体が消滅した時その真価が発揮されるだろう。俺は楔、彼女をこの世に留める杭であり枷。そして、外と内を繋ぐ扉となる。
まあ、その真価を発揮するためにも、この繋がりをちゃんと保たないとな。

「これで、契約はなったのだな。………そうだ、一つ頼めるか?」
「なんだ?」
「お前のデバイスは、確か非人格型だったな」
「ああ、そうだが……」
「できれば、私をその管制人格にしてほしい。やはり、その方が性に合う」
それは、俺たちが考えていた案の一つ。
まあその場合、定着させた宝石からさらにデバイスへと転移させなければならないから技術的な障害は多いが、試してみる価値はあるだろう。

あとは、宿った宝石を埋め込める入れ物を作り、それを擬似的な肉体にするという案もある。
その場合、俺の魔力を使えばその体を動かせるようにすれば、少なくとも日常生活を送れるようにはなるはずだ。
まあ、どれもまださっきも言ったとおり「提案」の段階。
色々調整やら術の最適化などをしなきゃならないし、前途は多難だろう。

まあ、なるようになるさ。希望は繋がったのだから。
「ああ、わかった。何とかやってみよう」
「すまない」
「そうじゃないだろ」
「………………ありがとう」
まったく、困った奴だ。これは、はやての苦労がしのばれる。

まあ、リインフォースの要望はわかったし、出来る限りの事はやってみるつもりだ。
しかし、不安がないわけじゃない。どうも俺は、インテリジェントデバイスと相性が悪いからなぁ。
だが、散々言い争ったおかげで、こいつとは上手くやれそうな気がする。
きっと、なんとかなるんじゃないかな。そんな、楽天的な気持ちが俺の中には芽生えていた。



Interlude

SIDE-アイリ

士郎という子の工房に引きずり込まれた私は、矢継ぎ早に遠坂の子から質問と確認をされ、そして情報開示を求められた。
それは、アインツベルンの秘跡に関わることも多く、本来ならそう簡単に話していいことではない。
むしろ、何の対価も払わずにそれを聞くなんて、普通の魔術師なら一笑に伏すところだ。

だけど、私は特に抵抗もなくその全てを明かした。
簡単な話だ。アインツベルンの秘術より、リインフォースの方が大切という、ただそれだけの事だから。
「オッケー、これでだいたいの目処は立ったわ。
 じゃあ、そっちから質問はある? ないなら本格的に協議して、さっさと準備に入りたいんだけど」
本来なら、あの士郎という子の手を借りたいところらしいが、今の彼の体ではそれはできない。
彼はそういう事が得意の様だけど、手を借りられない以上手早く済ませていく必要がある。
いつ、リインフォースの中で防御プログラムが再生するか分からないから……。

そして、術に関して聞きたい事は特にない。
彼女も出し惜しみすることなく話してくれたから、大体のところはもう聞けたし、術式も概ね把握できた。
とはいえ、遠坂とアインツベルンの被術の擦り合わせや手順・細部の式の構築などのためにも協議は必要だ。
即興で出来るほど、この術は簡単じゃない。だから、早々に協議に入るべきだと理解している。

でも、その前にどうしても聞いておきたい事がある。
「どうして、あなた達はここまでしてくれるの? これも、彼の償いのため?」
たぶん、そうなんだろうとは思っている。彼が私に償いたいと思っているのなら、これもまた格好の機会だろう。
はやてを救い、その上リインフォースまで救ってくれたとなれば、どれだけ感謝しても足りない。

彼の過去に、イリヤとの間で何があったかはわからない。
だけど、そのことについて言及し咎めることができない位の…いや、それですら釣り合わない位の恩が出来る。
そういう意味で考えれば、彼女たちの行動は理解できるから。

しかし、帰ってきたのは予想外にして、意味深な答えだった。
「う~ん……それがないとは言わないけど、実を言うと今は二の次かな?
 なんて言うか…………………………頼まれちゃったしね」
最後の方は消え入りそうなほどに小さな声で、危うく聞き逃してしまうところだった。

「頼まれた? いったい、誰に………」
「イリヤよ。つい昨日ね」
彼女は、そう言って肩を竦める。
同時にそこで違和感を覚えた。昨日までと、彼女のイリヤの事を話す時の声音が違う。

昨日まではどこかよそよそしく、不機嫌そうなものだった。
だけど今は、滲み出るような親愛の情と、かすかな寂しさが宿っている。
それに、彼女は昨日まで「イリヤスフィール」と呼んでいたのに、今は「イリヤ」と愛称で呼んだ。
この短い時間で、一体彼女にどんな変化が起こったというのだろう。

それに、昨日? そんな事がある筈がない。
だって、この子たちが言う事が正しければ、イリヤはもうずっと前に死んでいるはずなのだから。
「あなたは………何を言っているの?」
「悪いけど時間がないわ。その話なら、これが終わった後にいくらでもできるしね。
 昔の事を話すついでに、その事も話して上げるわよ。だから、今は我慢して頂戴」
本心を言えば、今すぐに全てを教えて欲しい。しかし、今がそういう時ではないことも理解している。
だから、ここでは彼女の言葉に従うしかない。

でも、この子は私が思っている以上に、優しくて甘い子のなのかもしれない。
だって……
「アイリスフィール」
「え?」
「生きなさい。あなたがあとどれくらい生きられるかはわからないけど、限界が来るその時まで。
 ううん、限界なんてこの際だから無視していい。あなたは生きなくちゃならない。
 他ならぬ、あなたの子どもたちのために。それだけは…忘れないで」
こんなことを言ってくれるのだから。子どもたち、それははやてのみを指しての言葉ではない。
彼女はきっとはやての事だけでなく、イリヤの事も指してそう言ってくれているのだ。

この子とイリヤの間に何があったかはわからないけど、イリヤの事を想ってくれているのだけは伝わってきた。
そのことに、心が僅かに温かくなる。家族以外でも、私の娘をこんなにも想ってくれている人がいることに。

そうだ、私は死ねない。
イリヤと切嗣はもう逝ってしまったけど、追いつくとしたらそれはできる限り未来でなければならないのだ。
だってそれは、私がかつて二人に望んだ事だから。
きっと二人も、同じことを望んでいてくれるはず。

「……ええ、そうね。あなたの言うとおり、私は生きるわ。何があろうと、一秒でも長く生きてみせる。
 そして、いつか二人に追いついた時に、いっぱいお土産を持っていくために」
そう、二人が早く死んでしまったことを後悔するくらいの、たくさんの思い出を持っていかなきゃいけない。
私の…残された者の義務、それは何が何でも生き続けることだ。

私の答えに満足したのか、彼女はそれ以上何も言わない。
だけど、かすかに見えた横顔には確かに笑みが浮かんでいた。
同性である私さえも思わず見惚れてしまう、そんな綺麗な微笑みを。

Interlude out



SIDE-士郎

数時間経ち、協議と準備を終えた二人が外に出て俺達を呼んだ。
まさか準備の全てを二人で済ませるとは思っていなかったらしく、俺を除いたみんなは驚いていたけど。
まあ、俺からすればむしろ当然という気がする。
なにせ、ここにいるのはほとんどが魔術の素人。
準備だけとはいえ、魔法陣の敷設やらなんやらの手伝いをできるだけの知識と技術がないからな。
素人に手を出されるとかえって危ないし、確実性を求めるのならその方がいい。

そうして、凛曰く……
「いつものうっかりも今日はねじ伏せて見せるわ!!」
という宣言通り、無事にリインフォースの精神転位及び宝石への定着が完了した。
正直、あまりに煩雑なその術式は、魔術師としてはどこまでも半人前の俺には、到底理解しきれるものではなかったが。

だが、それでもわかったことがある。
紡がれる呪文、流れるような詠唱、淀むことなく清流の様に流れる魔力、輝く魔法陣。
そのどれもが幻想的な輝きと美しさを帯び、この世ならざる世界を演出する。
超一流の魔術師二人による合作とも言うべきその術は、まさに芸術的だった。
魔術に疎い他の面々も、わからぬなりにその光景に圧倒される。
素晴らしいモノは素晴らしく、美しいモノは美しい。そんな問答無用の説得力があった。
真に突き抜けたモノは、どんなジャンルであろうと、万の言葉でも語り尽くせぬほどの感動を与える。
アレは、まさにその好例だったと言えよう。

今は外で、フェイト達が精神を失い抜け殻となったリインフォースの肉体に先ほどの儀式を行っているところだ。
アイリスフィールさんは、さすがに連日の無理が祟り、施術が完了すると同時に崩れる様に倒れた。
今は、工房の中に備え付けられている布団で眠っている。
昨日の大手術に今日のこれだ。ほとんど休む間もなかったし、さすがに体が耐えきれなかったのだろう。
皆を心配させたが、どうやら眠っているだけらしく特に問題は見受けられなかった。
とはいえ、それでも何も問題がないわけではない。
数日中には目覚めると思われるが、しばらくは体調を崩す事になるだろう。
それだけの無理を重ねていたのだから、こればかりはどうしようもないか。

で、俺はどうしているのかというと。
『気分はどうだ?』
『不思議な感じだ。夜天の書覚醒前の状態とも違うし、上手く表現できない』
繋がったラインを通して、俺達は念話で語り合っている。
他の皆にはもはや聞こえぬ声が、俺にだけは聞こえていた。

これからしばらくの間は、俺がみんなの間に立って通訳の様なマネを続けることになる。
なにせ、俺以外にこいつと話せる存在がいないのだから。
しばらくは不自由な思いをさせる事になるが、早めに何とかしてやりたいな。
サーヴァントの様に実体化させてやれるのが一番なのだが、さすがにアレは無理だ。
アレは英霊の持つ性質を利用したものだし、仮にできても俺の魔力量じゃ実体化は負荷が大きすぎる。

できないとまでは言わないが、逆に俺が魔術を使う余力が残らない、なんて結果になりそうなんだよな。
バランスを取ろうとすると、出来て三頭身のどこぞのマスコットみたいな姿が限界なんじゃないかな?
いや、それはそれでアリなのか? 物は試しと言うし、凛になんとかならないか相談してみるべきか……。

なんて事を割と真剣に考えていると、それに気付いたのか今度は向こうから問いかけられる。
『どうした?』
『いや、ちょっと新しい案が浮かんでさ。マスコットになってみるのはどうだ?』
『言っている意味はよくわからんが、それは遠慮願いたいな。私の柄じゃない』
そうか? はやてやシャマルは、結構喜びそうに思うぞ。

誰もいない工房の中で、俺は思うように動かぬ体を椅子に預けたまま、魔法陣の中心に据えられた台座の上に鎮座する赤い宝石と声ならぬ声で語り合う。
その宝石は、十年前に俺の命を救い、半年前に俺の魂を保存したあの宝石だった。
俺達の手持ちの中で、一番大きな容量を誇るのがこれだ。既に術も魔力も空になっていたし、一番の適任だろう。

『お前は……見に行かないのか?』
『ああいう雰囲気は苦手なんだ。それに、お前はここにいる。なら、それでいいだろ?』
そもそも、今の俺は自力で移動することさえままならないんだぞ。どうやって見に行けってんだ。
しかし、こいつの話では、今頃夜天の魔導書の欠片をはやてが手にしている頃か。
気にならないと言えば嘘になるが、こいつと話したい気分なのも本当だしな。

ちなみに、こいつがタメ口なのは俺がそう頼んだから。
なんとなく、マスターなんて呼ばれるのはこそばゆく落ち着かない。
実際、何かしたのは俺ではなく凛やアイリスフィールだ。
はやてが管理者権限を握った時だって、俺はそうたいしたことはしていない。
今にしても、俺の感覚としては、主従と言うよりも大家と店子の様な感覚だ。
それに、ずっとあんな感じに話してきたのに、いきなり敬語というのは違和感がある。

それはそれとして、いい加減新しい名前を付けてやらないとな。
『新しい名前なんだが……』
『決まったか?』
『ああ。“アルテミス”って言うのはどうだ?』
ギリシア神話に名高いオリンポス十二神の一柱にして、狩猟と純潔の女神。
こいつのイメージにぴったりだと思うし、アルテミスには弓の名手としての顔もある。俺の相棒としても縁起がいいだろう。

『ああ、いい名前だ』
そうか、気に入ってくれたのなら何よりだ。
ありきたりな名前という気もしていたから、ちょっと心配だったんけどな。

だけど、実はそれだけじゃないんだ。
『知っているか? アルテミスは月の女神でもあるんだ。
お前は、新たな存在には新たな名が必要だと言った。だけど、前の存在から完全に決別する必要はないはずだ。
だから、お前は「夜天を照らす導きの月光」になれ』
そう、その名前にはそういう意味も込めた。
夜空を照らす優しい光。暗き闇を祓う清浄なる雫。天より全てを見守る月。
それくらいの未練は、許されてもいいだろう。

『…………意外と、ロマンチストなのだな』
『言うな! 正直、今のは言っていてかなり恥ずかしかったんだ!!』
まったく、余計な所をつつくんじゃないっての。

『まあ、なんだ。その……………これから、末長くよろしく頼む』
『ああ、この身は月光。ならば、お前が道に迷わぬよう、行く道を照らし続けよう』
そうだな、それはありがたい。
こんな俺だが、これから見捨てずに付き合ってくれると助かるよ。

ああ、それにしても……………さすがにこんな体でドタバタし過ぎたか。
『すまん、いよいよ限界だ』
『そうだな、この二日はいろいろあり過ぎた。お互い、ゆっくり眠るとしよう』
そうして、俺達はどちらからともなく眠りについた。
良い夢を、アルテミス。






あとがき

終わった―――――――――――!!
あえて表記はしていませんが、ほぼこれでA’s編は終わりでしょう。
あとは魔法バレやらなんやらのお話しになりますが、一つの山はこれで越えました。
とはいえ、毎度おなじみの不必要なまでに長いと思われる解説付きの話なんですけどね。
この辺りは、本当に全然進歩しないなぁ。

それと、士郎のデバイスが非人格型だったりしたのは、こういう展開を考えていたからです。
まあ、だからと言って彼女の希望通りに進むとは限りませんが……。
本当に士郎のデバイスが「フェイカー」改め「アルテミス」になるのかは……保留で。
とはいえ、とりあえず彼女の救済はできたという事で良しとしましょう。
初代リインフォースは、原作とは違った意味で“空”からはやてと騎士たちを見守るのでしたとさ。

たぶん、士郎一人だったらリインフォースの救済は無理だったでしょう。
というか、その点に関して彼はほとんど役に立っていませんけどね。
ですが凛とアイリ、そして桜の存在により、何とか救済案をひねり出す事ができました。
いや、実はかなり大変でしたよ。意識の転移はまず真っ先に浮かんだのですが、よくよく調べてみると課題の多い事多い事。転移させても体が刺激を受ければ引き戻されてしまいますし、それを防いでも本体が死ぬと転移させた意識の方まで消えてしまうというんですからね。解決策を講じるために何度も何度も屁理屈を捏ねたのも、今やいい思い出ですな。その時は頭を抱えて「ああでもない、こうでもない」と悩みましたけど。
その結果出た屁理屈は、まあ本編を見てください。

ついでに言うと、士郎とリインフォースの契約そのものは割とサーヴァントとの契約に近いものです。というか、それを応用した様なものと思ってください。
それは今のリインフォースが言ってしまえば霊体に近い状態で、肉体がなければ留まれず、単体でこの世に留めることもできないためです。で、サーヴァントはクラスという筐に該当する英霊を依り代であるマスターによって繋ぎ止めています。その現世に留めるための「依り代(マスター)」が士郎で、サーヴァントにとっての「クラス」という器に相当するのが転移先の宝石になります。
こういった方式を取っているために、魔術回路を持たないはやてとは契約できなかったわけですね。

おまけですが、精神は現実世界の魔術などにおいては魂と肉体を結ぶものとされているそうです。しかし、型月では今のところ言明されていないので独自解釈を思い切りねじ込みました。
一応当方では人間には「魂」「肉体」「精神」の三要素があり、それはリインフォースにも適応されるとしています。この場合、魂は「その存在の根幹。起源など、その存在の設計図」、肉体は「入れ物」、精神は「魂や肉体、あるいは外界の影響を受けて形作られた部分」と解釈しています。本編中のビンの例えを使うなら、肉体がビンそのもので、魂が中身になりますね。
それと言うのも「起源を覚醒したモノは起源に飲み込まれる。たかだか百年程度の“人格”など、原初の始まりより生じた方向性に塗りつぶされるだけだから」らしいからです。私の解釈になりますが、この「起源」が魂の一部分で、塗り潰されてしまう「人格」の方が精神の一部だと思ってください。
で、士郎や凛は魂と精神の両方を移し替えたのに対し、リインフォースの場合は「精神」のみとなります。今のリインフォースにとって肉体は宝石で、魂は楔となっている士郎がその役目を負っていると考えていいでしょう。
元も子もない言い方をすれば、今のリインフォースことアルテミスの状態は「自縛霊」とか「残留思念」とかの状態なのです。
とはいえ、これなら何とか無理矢理ではありますが、理屈は通るはずですから良しとしてください。
それに、こういう結果なら「ツヴァイ」も生まれますからね。

まあ、アイリスフィールがいなくてもその辺はいないなりにやれたと思いますけど。
なにせ、当初はアイリを出す気はなったんですから。

とはいえ、これでアイリも初代リインフォースもどちらも救われはしましたね。
まあ、アイリは体の具合的に色々難があり、その上旦那と娘を亡くしてますし、リインフォースの方は肉体と力の全てを失いましたが。
ほら、本来いない人が入ってきてより良い結果になるとしても、何でもかんでも最高の結果とはいきませんよ。
リニスにしても最高の結果じゃありませんでしたし、本人も色々能力的に弱体化しましたから。
一応は救われたけど、何かしら上手くいかなかった面があるくらいがちょうどいいんじゃないでしょうか。

さて……………………………………困った。
次にやる事は決まっているんですが、展開と言うか流れと言うか、その辺のところがほとんど決まっていないのでなかなか手がつけられないんですよね。たぶん、次の更新はかなり間が空く事になるかと思われます。
出来れば3月中に何とかしたいところですが、ちょっと自信がありません。と言うか、3月中に仕上がらない場合、相当間が空く事になると思います。場合によっては、数ヶ月単位で更新できないかもしれません。それと言うのも、一応4月からは社会人になるので、その忙しさが全く分からないからです。下手をすると、仕事を覚えるのに精一杯でこっちにほとんど手が出せないかもしれません。
このまま消滅……なんて事にはしたくないと思っておりますが、最悪の場合それもあるかもしれません。
なにぶん、ここ最近執筆意欲やらアイディアやらが下降線を描いているものですから……。
結局は趣味で書いているものですし、義務感で書いてもロクなものにはならないと思うんですよ(既にロクなもんじゃないだろ、というツッコミはなしの方向でお願いします)。
まあ、ウダウダと色々書きましたが、要は次の更新がいつになるかはわからないという事です。
申し訳ありませんが、ご了承ください。



[4610] 第44話「亀裂」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2010/04/26 21:30

SIDE-シグナム

リインフォースの件が終わって数時間が経った。
私はあのすぐ後にハラオウン提督に呼び出され、艦船アースラの一室で向き合っている。

用件は……まあ概ね予想通り、今回の事件に関する事情聴取。
とはいえ、それもちょうどいましがただいたいのところを語り終えたところだが。
「……そうだったの。あなた達も大変………いえ、これは私が口にすべき事じゃないわね。
だけど、ごめんなさい。足早に話させてしまって」
「あ、いえ……こちらこそ、大変ご迷惑をおかけしました」
一度は同情の言葉が漏れそうになったようだが、それを何とか飲み込んで提督は凛とした表情を崩さない。

「それでも、よ。本当なら、あなたもリインフォースの……今は、アルテミスだったわね。
 彼女が生き残れた事を、仲間やはやてさん達と喜んでいたいところでしょ?」
「否定はしません。しかし、本来我々はまだあなた方に拘束されていなければならない身のはずです。
 それを条件付きとはいえ、こうして自由にさせていただけているだけで、十分過ぎる温情でしょう。
 むしろ、私としてはあなたの立場が心配になるくらいなのですが」
本来私が心配すべきことではないのだろうが、それでもやはりこれは温情が過ぎるのではなかろうか。
これほどの高官ともなれば、出世競争はさぞかし激しいだろう。下手に付け入る隙を見せれば、それを利用されてあっという間に転落、などという事にもなりかねない。
この方には恩も好感もあるだけに、その可能性こそが心苦しい。
ましてや、我々は過去この方の……いや、それは私などが口にしていいものではないか……。

それはそれとして、さすがにいつまでも我々からの事情聴取を先延ばしにもできるはずもない。
出世競争など以前に、職務怠慢と言われかねないのだから。
まあ、だからこそ我々の内から一人を船に呼び出したのだろう。
細かい事情などはわからないが、この辺りが我々への配慮と局へのポーズの妥協点なのかもしれない。
しかし、それでも本来なら全員を呼び出すべきところを一人しか呼んでいないのだから、騒ぎたてようとする輩は少なからず出そうなものだが……。
はめられない自信があるのか、それともそんなことには興味がないのか。

そんな私の懸念を察したのか、ハラオウン提督は肩を竦める。
「気にしなくていいわ。あなたの言う事も最もだけど、そこまで出世に興味があるわけでもないし、私としては今くらいの地位で満足してるしね。これ以上うえに行くと、それはそれで権力闘争やら派閥争いやらが鬱陶しそうですもの。行きたくないと言えるほど無欲じゃないけど、必死に上を目指そうと言う気にもならないのよね」
まるで「困った困った」とでも言いた気に、提督は苦笑を浮かべる。
私などにしてみれば、このような人にこそより高い所に行ってもらいたいと思う。
まあ、そう思わせる事も含めてこの人の人心掌握術だとしたらと思うと、それはそれで空恐ろしいものがあるが。

などと、思考が脇道にそれていたところで、提督の振った話題に意識が引き戻される。
「さて、じゃあ今日のところはこのくらいかしらね。追々他の皆からも話を聞かなきゃいけないけど、それはまた先の話ですもの。
…………それはそれとして、あなた達は凛さんや士郎君の事をどれくらい知っているのかしら?」
その言葉に、思わず全身に緊張が走る。

いずれ聞かれるとはわかっていた。
衛宮や遠坂が管理局と一定の距離を取っているのは予想していた事だ。
となれば、管理局が二人の情報を欲しいと思うのは当然だろう。

「それは、命令でしょうか?」
「いいえ、単なる好奇心よ。というか、それは今回の件とは別件ですもの。
 私達にその事を無理に聞く権限なんてないし、あなたが話さないからと言って、はやてさん達には何の不利益もないわ。だから、話すかどうかはあなたが決めてちょうだい」
「……………………では、申し訳ありませんがお答えする事はできません」
わざわざ我々から聞かねばならないという事は、つまり二人が知られたくない事なのだろう。
アイリスフィールと衛宮の関係については、シャマルからある程度聞いている。
この先どう転ぶかはわからないが、アイリスフィールの息子かもしれない人物の不利益になる様な事は言えない。

それに、アイリスフィールの正体に繋がりかねない事は言うべきではないだろう。
あの方もまた、何かと厄介な出自を持っておられる方だからな。
今はまだ眠っておられるだけに、尚更迂闊な事が出来ない。
せめて、アイリスフィールか衛宮達のどちらかから意見を聞かねば判断しかねる問いだ。

「そう、それじゃあ仕方がないわね」
「申し訳ありません。恩に、仇で返す様な真似をしてしまい……」
「気にしないで。フェイトさん達はともかく、私達はこれが仕事ですもの」
そう言って提督は気軽に微笑む。
元からさして期待はしていなかったのか、或いは落胆を隠しているのかは判断できなかった。

二人連れ立って部屋を後にし、私が転送ポートに向かおうとしたところで提督とわかれる。
もうかなり遅い時間だと言うのに、まだ帰らないつもりなのだろうか。
「提督はまだお帰りにならないのですか?」
「ええ、実はまだやらなくちゃいけない事が残ってるのよ。
 厄介な案件が…………残っているから」
そう呟いた提督の顔は、これまで見たどの表情よりも硬い。
その表情の意味するところは私にはわからないが、なにか強い覚悟をもって臨んでいる事だけはわかる。

「ああ、それと……」
「なにか?」
「ちょっとはやてさんに伝言をお願いしていいかしら?」
「伝言、ですか?」
「ええ。確か明日、すずかさんやアリサさん達に魔法や私達の事を話すのよね?」
「はい。主やテスタロッサ達はそのつもりの様です」
もしや、それを止めようと考えているのだろうか。
確かに、そう簡単に管理外世界の住人に話すべきことではないのだろうが……。

「ああ、別に二人に話さないでって言うんじゃないの。
ただ、クロノ達も立ち会う事になると思うから、あらかじめ伝えておこうと思って。
フェイトさん達にはこっちから伝えておくけど、はやてさんにはあなたの方からお願い」
「それは構いませんが……理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「簡単よ。さすがに立会人もなし、ってわけにはいかないでしょ?」
確かに、管理外世界の住人に教える以上そういうものも必要になるのだろう。
何か問題が起きるかもしれない、という話ではなく、一種の形式として。

まあ、こればかりは仕方がないか。
それに、クロノ執務官も同席しているなら万が一にも何かあってもどうにかなるだろう。
そうして、私達は安心しきっていた。まさか、あんな事になるとは思いもよらずに。



第44話「亀裂」



SIDE-凛

リインフォース改め、アルテミスの一件が終わってなんとか闇の書事件が終結した翌日。
お互いの秘密の暴露大会が開かれる折となり、関係者が月村邸に集合する事になった。まあ、例外として昨日の無理が祟った士郎は、自室のベッドに縛り付けてリニスに監視させているから欠席となったけど。
文法がおかしい気もするけど、気にしてはいけない。

なのはとフェイトは一度病院に戻ったはやてを迎えに行き、私は一足早く月村邸に向かっている。
はやてを迎えに行くのに同行しなかったのは、ハッキリ言ってしまえばなのは達と会わないためだ。
昨日はドタバタしていたし、アルテミスの処置が終わってすぐに士郎も眠ってしまったので、力技でその場はお開きにできた。しかし、さすがに今日は相当な質問攻めが予想される。

前に剣鱗を使った時だって、フェイトはかなり士郎の事を心配していた。それは、話を聞いたなのはも同じ。
今回に至っては、もう少し処置が遅れていれば死んでいたかもしれないほどの重傷を負ったのだ。
たぶん、この前みたいな言い訳では納得してくれないだろう。
さすがに、今日の会合をボイコットすると言うわけにもいかないから否が応でも顔を合わせる事になる。

だから、幾ら気が乗らなくてもこればかりは仕方がない。
今回暴露される互いの秘密のどちらにも精通している身として、無関係を通す事は出来ないのだから。

だが、だからと言ってこっちにも色々と事情がある。
あの子たちが士郎の事を心配するのは当然だけど、それでもホイホイと話せる事ではない。
気持ち的に、出来れば会う時間を減らしたいと思ってもそこは仕方がないだろう。



まあ、そんなわけで一足早く月村邸についたのはいいのだが、士郎が欠席する理由はちゃんと説明しなければならない。そうして、大雑把な士郎の現状を聞いたアリサの反応は……
「はい、予想通り予想通り……って、言うとでも思ったかぁ―――――――!!!
 なんなのよ、そのズタボロっぷりは―――――――――!!!」
ばーにんぐ、良い具合に燃え上がってるわねぇ。
その炎を向ける対象がいないだけに、より一層燃え上がってるわ。

とはいえ、これもなのは達と同行するのを避けた理由の一つ。
何が悲しくて行きに質問攻めにされ、目的地についてこんな怒鳴り声を聞かなきゃならないんだっての。
そのどちらか一方でも減らしたいと思うのは人情だろう。
前者は逃げられても後者は避けられない以上、私の選択はそう間違っていないと思う。

だがここで、行き場のなかった炎はその矛先をこの場にいない人間から、私に向けた。
「一体何があったのしっかりはっきり説明しなさい、コラ――――――――!!!
 ……って、へ? きゃん!?」
「あ、アリサちゃん……!?」
掴みかからんばかりの勢いで私に迫ってきたアリサを、文字通り適当に放り投げる。
まあ、かなりアレな形相で迫って来たもんだから無意識に、ね。
ついでに、面倒なのでモノはついでとそのまま関節を極めて大人しくさせた。

しかし、その程度では気持ちがおさまらないのか、アリサは往生際悪くジタバタともがく。
「はぁ。気持ちはわからないでもないけど、少しは落ち着きなさいよ」
「うぅ~~~~~~……こ、この程度でぇ…フン!」
「え、嘘!?」
完全に極めていたと思ったのに、どんな手品を使ったのかものの見事に関節技から脱出するアリサ。
そしてそれだけでは終わらず、瞬時にどっしりと腰を落としたかと思うと、あっという間に私のバックを取った。

それを見たすずかは……
「なにぃぃ―――――!? あの地を這うが如き戦闘態勢は、イングランド古の捕縛術、ランカシャースタイルだぁ―――――!!」
随分とノリがよくなったわね。
っていうか、あんたそういうキャラだっけ? なんか昔、似たような人に会った記憶が……。

だが、それにはさすがに虚をつかれ、驚愕から思わず対処が遅れる。
まさか、一般人のアリサがアレから抜けるなんて……。
「もらった!!」
「って、このおへそから持っていかれる感覚は………アンタ、まだそんな事に拘ってたの!?」
「くらいなさい、天誅!!」
もう完全に本来の目的を見失っているだろうアリサは、それでもなお完璧なフォームでバックドロップに持っていく。もし外野から見ていたなら、それはさぞかし惚れ惚れとする様な美しさだったろう。

実際、この場で唯一の観客にして実況は、ドゴンという鈍い音と共に叫んだ。
「マーベラス! なんという美しいブリッジ!!
 やりました! これは最早スリーカウントを待つまでもないでしょう……って!?」
アリサの勝利を宣言しようとしたところで、すずかの声に驚愕の色が混じる。

それは当然だろう。なぜなら……
「あぁ……さすがに今のはヤバかったわ……」
「あ、アンタ……」
「なんと遠坂選手、両腕をクッションとして使い、見事バニングス選手渾身のバックドロップから頭を守りきったぁ!!!」
「悪いわね。昔、もうイヤってほどかまされた技だからさ、不意をつかれても受け身くらいとれちゃうわけよ」
昔取った杵柄、ってやつかしら。まさか、こんなところでルヴィアとの対戦が活きてくるとは思わなかったけど。

それにしても、この子たち絶対に当初の目的を忘れてるわよね。いい加減、冷静になってもらいたいわ。
「うぬぬぬ……」
「はいはい、悔しいのはわかったからそんなに睨まないでよ。
 それに、ちゃんとなんで士郎がそうなったかも話してあげるから」
話せる範囲でという注釈は付くけど、とはあえて口には出さない。
言っても面倒な事になるだけだし、話せないものは話せないんだから仕方がないのだ。
別に、こっちだって意地悪で教えないわけじゃないんだし。

しかし、そこである事に気付く。
「ちょっとすずか」
「え? どうかしたの、凛ちゃん」
「なんか、外から銃声とか爆音がするのは気のせい?」
そうなのだ。アリサとの小競り合いで今まで気付かなかったけど、さっきからずっと何かが爆発する音がする。
ついでに、何やら悲鳴染みた叫び声も。

そんな私の指摘に、大慌てですずかも耳をすませる。するとその顔はドンドンと青ざめていく。
「こ、この音は…まさか!?」
「ちょ!? ど、どうしたのよ!!」
「警備システムが作動してる!!!」
「なんですってぇ!!??」
すずかの言葉に、アリサが驚愕の叫びをあげる。
アリサも知ってたんだ、ここの異常なまでのセキュリティの堅さ。

「悲鳴が聞こえるってことは……まさか、なのは達が!?」
「そ、それはないよ! なのはちゃん達はちゃんと登録してるから!」
ちなみに、フェイトやはやてもちゃんと登録済みらしい。もちろん私も。

だが、そうなると誰がかかったのかしら? こんな真昼間から襲撃を仕掛けてくるバカはいないだろうし。
「そ、そっか。じゃあ、どっかの運の悪い人が引っ掛かったってことね。
 それならまぁ、大丈夫か」
「うん、この前も新聞屋さんが引っ掛かってたから……」
アンタ達、人としてそれでいいの?
私も人の事を言えた義理じゃないけど、常識人に見えてこの子たちも大概ずれてるわね。

ん? はて、何か忘れている様な気が……。
なんだったかしら?



Interlude

SIDE-クロノ

「なんなんだこれは――――――――――!!!!」
「ちょ、クロノ君叫んでないで前、前! なんか、ミサイルっぽいのが飛んでくるよ!!」
エイミィの言うとおり、何やら流線型の物体が猛スピードで僕達の方に迫ってくる。その数、実に十。
ええい、さっきから一体何がどうなっているんだ、ここは。僕達は、ただフェイト達が友人達に自分達の秘密を話す場に立ち会うために来ただけのはずだ。
にもかかわらず、どこぞの戦場真っ青な質量兵器の雨あられにさらされているのは何事!?



確か、事の起こりは母さんからのこんな指示。
「まあ、別に守秘義務とかそういう堅苦しいのは気にしなくても良いんだけど、それでも一応ポーズは必要でしょ? というわけだから、忙しい所悪いんだけど行って来て頂戴。
 あ、それとこれは菓子折りよ。いつもフェイトさんがお世話になっているんですもの、これくらいはね」
「艦長。これじゃあ、ただのお宅訪問です」
「え? 建前はどうあれ実体はそんなものでしょ?」
「エイミィ、それはぶっちゃけ過ぎだ」
確かに事実上そんなものなのかもしれないが、それでもそれを口にしてどうする。
それに、他にも用件がないわけじゃないというのに。

だが、この二人を相手に何を言っても無駄なのはもうこれまでの経験で思い知っているのも事実。案の定……
「もう、クロノは堅すぎよ」
「そうそう、もうちょっと気楽に考えなよクロノ君」
「二人がお気楽極楽過ぎるんです!!」
ダン、とデスクが軋むくらいの勢いで叩いたが特に効果なし。
状況の不利を悟った僕は(いつもの事だが)、そのまま話に花を咲かせようとするエイミィをひっぱって退出。

そして、フェイト達の友人の一人、月村すずかの自宅を訪ねた。
それを見たエイミィは、感慨深げに一言。
「……うわぁ、すんごい豪邸。安月給の公務員には夢のまた夢だね。
 あ~あ、何処かに将来こんな豪邸に住まわせてくれる優良物件は落ちてないかなぁ」
「? そこでなぜ僕を見る。言っておくが、そんな物件は僕にも当てはないぞ。
 まあ、なんだ。頑張って自分の足で探す事だ」
時々……いや、実のところはしょっちゅうなんだが、エイミィはよくわからないことを口走る。
まあ、確かにこの豪邸はすごい。端が見えないんじゃないかと錯覚しそうな広大な庭と、門からかなり離れたところにある白亜の洋館。さらに、その後ろには森まで広がっている始末。
報告では、月村すずかという少女は何やら特異な能力を持っているようだが、それと関係があるのだろうか?
そう考えずにはいられない様な、そんな豪邸だ。

とはいえ、フェイト達はまだ来ていないと思うが、こんなところで立っているのも間が抜けている。
そんなわけで、後ろで何か言っているエイミィを無視して呼び鈴を鳴らす。
「いらっしゃいませ。申し訳ございませんが、どちらさまでしょうか?」
チャイムが鳴って少し間を置き、若い女性の声で尋ねられる。

「クロノ・ハラオウンと」
「エイミィ・リミエッタです。月村すずかさんに御会いしたくまいりました」
普段はどれだけおちゃらけていても、エイミィだって立派な管理局員だ。
ちゃんと場の空気をわきまえる事くらいできるし、人様のお宅を訪れる時にはちゃんとそれらしく振る舞う事が出来る。できれば、普段からこの調子でいてくれると、僕の胃は大助かりなんだがなぁ。

そんな事を考えているうちに、なにやら電子音の様なものがしたかと思うと目の前の豪奢な門が開く。
全自動か。どうやら相当にお金をかけているらしい。
「どうぞお通りください」
「あ、開いた開いた。でもこれだけのお宅だと、やっぱり執事さんとかメイドさんとかいるのかな?
 そのへんはどうなの、クロノ君。やっぱりメイドさんとかドキドキする?」
「一体何の話をしているんだ、君は?」
「え? クロノ君の好みの話」
くぅ、どうして彼女はいつもこうなんだ。
思わずその場にうずくまって頭を抱えたい衝動にかられる。

だが、こんなところで相棒のフリーダムさに頭を抱えていても仕方がない。
そんな僕を無視してエイミィはどんどん進んでいくし、諦めて僕もその後に続く。
すると、唐突にサイレンが鳴りだし、門の両脇から緊急車両などに使われている様な回転灯が顔を出す。
「警報! 警報! 侵入者あり、侵入者あり!! 登録されている声紋、および身体データと一致しません!
 第一級戦闘配備、侵入者を排除します!」
「「はいぃぃ――――――――――――――――!!??」」
驚いている隙に、背後の門はあっという間に閉門。退路は断たれた。

だが、そんな事態に驚いている暇は与えてもらえない。
広大な庭の至るところから何かが顔を出す。それは……
「アサルトライフル!?」
「嘘!? この国って民間人の銃器の所持は法律で禁止されてなかったっけ!?」
確かそのはずだが、今はそんな事を言っている場合じゃない。
こんなところで立ち止まっていたら、そのまま蜂の巣だ。

となれば、する事は決まっている。
「走れ―――――!!!」
「イエッサー!!」
気のせいかな、僕が叫ぶ前にエイミィが走り出していた気がするんだが……。



そんなわけで、今僕達は目下全速力で目の前に迫る驚異から逃げ回っている。
「クロノ君! こうなったら、もう魔法でブワッと!!」
「バカ言うな! 管理外世界でそうホイホイ使っていいわけないだろ!!」
「ホイホイじゃないよ! これは間違いなく命の危機、緊急事態だよ!!」
「だからと言って……!」
「クロノ君の石頭ぁ~~! チビ、朴念仁、唐変木、童貞、ロリコン、鬼畜――――――――!!
 幼女好きの変態、クロノ君に襲われるぅ~~~~~!!」
「待て! ドサクサに紛れて人聞きの悪い事を言うな!?」
って、今はそれどころじゃない。
今度は……火炎放射機か。どうやら警備システムの様だが、これを配備した人は何を考えているんだ。
これはもう不審者の撃退ではなく、抹殺を目的としているとしか思えない。

「あちちち……こうなったら最後の手段だね」
「! 何か手があるのか!?」
「うん。クロノ君がさっさと魔法を使ってくれたら使わなくてもよかったんだけど、仕方ないよね……」
「その辺はすまないと思うが、何か策があるのなら早くしてくれ!」
自分がどちらかと言えば堅物の部類に入る事は承知しているし、その事は申し訳なく思う。
だけど、何かこの場をどうにかする手があると言うのなら早くしてほしい。

「オッケー。それじゃあ、クロノ君……」
「なんだ?」
「あとよろしく!!」
そう言った瞬間、エイミィの足が僕の足を払う。

全速力で走っている最中にそんな事をされれば、当然―――――――――転ぶ。
「は? え、エイミィ―――――――!?」
「クロノ君、君の尊い犠牲は忘れないよ(泣)」
パートナーの死を乗り越えて、少女は涙しながらも一歩を踏み出すのであった。

「って、何を考えているんだ君は――――――――!!」
「だってぇ~、クロノ君がさっさと魔法使わないのが悪いんだよ~」
悪びれもせず、そんな事をのたまうエイミィ。
そんな事を言っているうちに、何やらワイヤーの様なものが倒れている僕に触れ、その瞬間――――――――感電した。しまった、これじゃあ体が動かない。
出力は弱めだったのか、意識はなんとか保つ事が出来た。うん、僕にしては運がいい。

ふ、ふふ、ふふふ…それにしても……そうか、そんなに魔法を使ってほしかったのか、エイミィ。
なら、その期待に答えてあげようじゃないか。
「くぅ……私はいいパートナーを持ったよ。
安心して、クロノ君。艦長には、君は立派に戦ったって……はれ? あのぉ、クロノ君。これなぁに?」
「知らないのか? レストリクトロックだ」
「いや、そうじゃなくてさ、なんで私に?」
「ははは、そんなの決まってるじゃないか――――――――――――――道連れだよ」
ほら、パートナーは一心同体じゃないか。それなら、君も僕につき合ってもらうよ。
いつも、いつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも……いいように遊ばれている僕だと思うな。

「クロノ君の外道―――――――!!」
「人の事を言えた義理か!! 君にだけは言われたくないぞ!!!」
「目標の停止を確認。最大出力のレーザーにて、対象二名を抹消します」
「「は?」」
って、それどころじゃなかったんだったぁ!!
だが、気付いた時は時すでに遅し。もはや、逃げる時間も術も残されてはいなかったのだ。

そうして、僕達は愚かな足の引っ張り合いの果てに――――――――眩い閃光に呑まれた。

Interlude out



SIDE-凛

あ、やっと静かになったわ。それにしても、何か忘れてる気がするんだけど、なんだったっけ?
まあ、思い出せないのなら大して重要な事じゃないのだろう。

などと自己完結し、ちょっと用を足しに部屋を出て偶々玄関の前を通ると、唐突に玄関が開いた。
「嘘!? まさか、あの警備システムを抜けたの!?」
詳しい事はよくわからないけど、マッドの忍さんが作ったここの警備システムを抜けてくるとは。一体何者!?

と思ったんだけど、入って来たのはとてもよく見知った人間達だった。
「あ…お、おはよう、凛ちゃん」
「おはよう、凛」
「凛ちゃん、おはようさんや」
「って、なのは達じゃない。何やってんのよ、アンタ達」
ああ、警戒して損した。って、アレ? じゃあ、何で警備システムが動いたんだろう。
それに、何で三人のは顔はこんなにひきつっているのだろう? しかも、バリアジャケットまで着こんで。

しかし、その答えはすぐに判明する。
「ん? その後ろにいるのはエイミィ? あと、ついでにクロノも。なんでそんなに焦げてんのよ?」
「僕は……ついでなのか?」
まあ、今の突っ込みは聞かなかった事にしよう。

「なんか事情がよくわからないけど、とりあえず………おはよう」
「「お、おはよう。そして…………ぐっばい」」
こう、ガクッとその場に倒れ伏す二人。
はぁ、やっぱり事情はよくわからないけど、何があったかは理解したわ。



その後、二人を治療し事の顛末を聞いた。
それによると原因は、なんと言うか……いわゆる、連絡不備という奴だろう。
私やなのは達はクロノ達が来る事は知っていたのだが、リンディさんがすずか……ひいては月村家に二人が来る事を知らせ忘れていたのだ。で、来るとは思っていなかった人たちが来たものだから警備システムが起動、色々あって二人はコゲコゲになったと、そういう話。

ちなみに、辛うじて生きてここまでたどり着けたのは、なのは達のおかげ。
はやてと一緒に門前に来た時、警備システムに襲われているクロノ達を発見。
ギリギリのところでレーザーから救い出したらしい。悪運強いわねぇ。

しかし、本当に夜の一族の事までばらしていいのかなぁ?
一応、管理局やらなのはとかに夜の一族の事をばらしていいのか忍さんに問うたけど、どうも本人的にはそこまで頓着していないらしく「すずかが良いならいいよう」という軽いノリだった。
まあ、なのは………というか、高町家には遅かれ早かれ話す事になっていただろうし、そこは問題じゃない。

だから、問題なのは管理局の方。
念のため、管理局の事は一足先に忍さんに教えておいたんだけど……
「う~ん、でもすずかのもう事はバレてるんだよね?」
「ええ、まあ」
「だったら無理に隠そうとしても無駄でしょ。こうなったら、なるようにしかならないわ」
それはそうなのだろうが、豪胆というかなんというか。
変に警戒心を持たれてもアレだし、それならいっそ全部ぶっちゃけちゃえ、という考えはわからないでもない。
夜の一族は表面的に見れば危険に写るが、ちゃんと諸々の事を知るとそこまで脅威を感じる存在じゃない。少なくとも、魔法を使える魔導師達からすればそこまで危機感を煽られるような存在ではないのだ。
少なくとも、存在を知られてしまった以上は「自分達は危険な存在ではない」とアピールするくらいしか対処法がないだろう。そう言う意味では、確かに全部バラしてしまった方がお互いの為なのかもしれないなぁ。

まあ、とりあえず忍さんが良いというのなら良いのだろう。
どうせ私達は部外者だ。当事者であるすずかや忍さんがその気なら、私達がとやかく言う事じゃない。
とはいえ、もし管理局が何かしらのアクションを起こすようなら、私達も動かざるを得ないか。
さすがに、この半年で一番世話になった人たちを見捨てるのは心苦しいし。

いや、そんなことは何かあってから考えるしかないか。
今何を考えても、何が起こるかわからない以上あまり意味もないし。
さて、さしあたっては一応役者が揃ったわけだし、告白大会は開催といきますか。

で、早速問題発生。ハッキリ言おう、もの凄く空気が重い。
原因は、秘密を暴露せねばならない側にある。その不安と期待の入り混じった空気だろう。
もちろん、秘密を聞く側としても緊張やらなんやらいろいろあるだろうけど、やはりそっちの方が問題だ。
自分、或いは自分達の秘密を聞いてこれまで通り接してくれるのか、それとも……。
きっと受け入れてくれるはず、そう信じているのだろうが、それでも不安が消えるはずもない。
そう考えれば、どうしてもおかしな空気になってしまうのは仕方のない事だろう。
一部、どっかの上司と部下の間にもよろしくない空気があるが、それは無視の方向で。

しかし、いつまでもこうして固まっていても芸がない。
誰かしらが司会進行をしなきゃならないんだろうけど、適任はやっぱり…………私か。
一応、この場で語られるであろう秘密を一番知っているのは私なんだし、当然の役回りよね。

はぁ、気は乗らないけどやるとしますか。
「じゃあ、サクサク進めるわよ。先に、なのは達の方からね。
 まあ、つまりはこの間の事とか、なんでフェイトと出会ったとか、そういう話。いいわね三人とも」
「「「あ、うん」」」
すずかを後回しにしたのにはそれなりに理由がある。
すずかの性格上、自分の秘密を話すのにはまだ抵抗があるはずだ。本人にその意思があっても、踏ん切りはつきにくいだろう。なら、先に相手の秘密を聞いてしまった方が話しやすいかもしれないからね。

さて、事の起こりは半年前にまでさかのぼる。
現在はジュエルシード事件、或いはP・T事件とも称される、21個の宝石を巡る一連の事件。
ユーノが偶然発見した、「ジュエルシード」と呼ばれるロストロギア。それは、使い方によっては一つの世界の消滅どころではすまないほどの危険物。
それが偶然か、或いは必然か。輸送中の事故によってこの世界に散逸し、ユーノは何とかそれを回収しようとするも、力及ばず負傷。やむにやまれず念話で助けを求めたところ、それを聞き届けたのがなのはだった。
そうしてなのはは、ユーノからレイジングハートを託され魔法に関わることとなる。

時を同じくして街の異常に勘付いた私が調査していると、偶然にもジュエルシードを戦闘中のなのはを発見。
成り行きから手伝うようになるが、管理局と関わりたくなかった私はとりあえず士郎の事は秘匿。
なのはと行動を共にしつつ、士郎には正体を隠した上でのバックアップをさせる事となった。

ところが、月村邸のジュエルシードを封印する際に競争相手が現れる。それがフェイトだった。
自分達だけだと思っていたところに、敵となる人物が現れた事で私達は方針を変更。
私となのははジュエルシードの捜索と並行して、戦闘訓練に手をつけるようになる。
同時に、士郎は目的その他諸々不明のフェイトの元へ潜り込み、いざという時にはジュエルシードの強奪を目論んだ。
その結果、形式的には二つのグループに分かれて私達は争う事となった。
まあ、その最中でフェイト達の本拠地で眠っていたリニスを見つけたりしたのは余談である。

しかし、そこへリンディさん達時空管理局が介入。
まあ、交渉やらなんやらで色々ありはしたが、最終的には管理局と共闘する事となった。
だが、同時期にフェイト達が士郎と縁切りしたものだからさあ大変。大慌てで士郎にフェイトを捜索させるも手掛かりがつかめず、私と士郎も身動きが取れなくなってしまう。

そんなある日、アリサが負傷したアルフを発見。そこからフェイト達の陣営の情報が管理局にもたらされると同時に、士郎の事も露見。仕方なく士郎の事を明かし、士郎も管理局に合流した。
その後、なのははフェイトと決闘。結果的にはなのはの勝利となる。だが、そこでフェイトの母であり事件の黒幕であるプレシアが動いた。

プレシアはアルハザード……私の推測では根源の渦と思しき場所へ至ろうと次元震を引き起こす。
そこでフェイトの出生の秘密なんかも明らかになったりはしたのだが、割と繊細な問題なだけに今はその辺りは伏せて話を進めた。

結果のみを言えば、この事件はプレシアの死で決着。
最悪の事態だけは防がれ、なのはとフェイトの間に友情が芽生えたり、他にも余計なものが芽生えたりもしたがこれまた余談だろう。
ついでに、魔法の理論やらあり方やらの概要なども説明はしていたのだが、大して面白くもないので割愛。
おまけで、私達の魔術についても管理局側が知っている程度には説明したけどね。

まあそういう感じに、割と早足で半年前の事件を語り終えたのだが、皆の反応はというと。
「ふ~ん、なのはがあの時変だったのはそういう事だったの」
「ごめんね、アリサちゃん、すずかちゃん。話すのに、こんなに時間がかかっちゃって」
「ううん、ちゃんと話してくれたんだもん。なら、わたし達はそれで良いよ。ね、アリサちゃん?」
「ん、まあね」
秘密にしていた事を怒るのではなく、ちゃんと話してくれた事を二人は喜んでいる。
というかあんたら、魔法っていう非常識に触れたにしては反応が薄いわね。

すずかは置いておくとしても、アリサはどうなのよ。
「別に驚いてないわけじゃないわよ。
ただ、そんなことよりもフェイトとの馴れ初めとかの方が重要ってだけでしょ?」
「御尤も」
なるほど、確かにアリサにとってはそうなのだろう。
この子からすると「魔法」や「魔術」という仰天物の事実さえも「そんなこと」になってしまうらしい。
いやはや、器が大きいというかなんというか、肩を竦めるしかないわ。

そこで、ちらりと横を見てみると。
「はぁ……なんちゅうか、色々あったんやねぇ。人に歴史ありってやつやな」
「アンタ、人のこと言えるの? この先はあんたの話になるんだけど、そっちだって大概じゃない」
「そうかな?」
天然なのか、それとも狙ってなのか……。

ちなみに、一応は立会人という役柄の二人はというと、とりあえず問題がなさそうな事に安堵のため息をついていたりしている。
正規の管理局員として、色々気を使ったりしていたのかしらね。よくわかんないけど。

などと考えていると、なのはが何やら神妙そうな顔つきでうなだれる。
「でも、ごめんね。わたし達がもっとしっかりしてれば、二人を巻き込んだりしないで………ふにゃ!?」
なのはがすずかとアリサに謝ろうとするが、それをアリサのチョップが制する。

ついでに、なのはの頬をつまみぐにゅぐにゅと弄くりまわす。おお、良く伸びる。
「別にアレはなのは達のせいじゃないでしょ? それどころか、なのは達はわたし達を助けてくれたわけだし、負い目に感じる事なんてないじゃない。それとも何? なのは、アンタ魔法が使えるようになったからって『わたしが全部守らなきゃ』とか考えてるんじゃないでしょうね」
「ひょ、ひょんにゃちゅもりふぁ(そんなつもりは)……」
「ならよし。確かに魔法ってのはすごそうだし、わたしにそんなまねはできないわよ。でもね、魔法だって万能じゃないんでしょ。なら、出来なかった事ばっかり見てても仕方ないじゃない。上手く言えないけど、そっちばっかり見ててもきっと良くない事になると思うわよ。
 フェイトとはやても、わかってる?」
「「う、うん」」
人生経験が足りないからか、言いたい事はまだ上手く言葉にはできないらしい。だが、アリサの言っている事は真理だ。そして、出来なかった事ばかり見ていた典型が衛宮切嗣やアーチャーだろう。
そっちばかり見ていては、自分のしてきた事に後悔や苦悩しか持てない。そんなことではきっと、そう遠くないうちに壊れてしまう。それを、アリサは何となくとはいえ既に分かっている。
いやはや、ホントに女傑だわ、あの子は。ある意味なのは達よりとんでもない。

そして、そう感じたのは私だけではないらしい。
「なんと言うか、すごい子だな……」
「クロノ君も、少し耳が痛いんじゃない?
 だけど、さすがはなのはちゃんの親友というべきか。それとも、逆なのかな?」
と、少し離れたところで年長者二人がぼそぼそと話をしている。
あの二人の目から見ても、アリサは際立って映るのだろう。

とはいえ、いつまでもこれじゃあ話が進まないか。
せっかくの為になるお話のところ悪いけど、ちょっと話を急がせてもらおうかな。
そこで、ちょっと強めに手を叩く事で皆の視線を集め話を進める。
「じゃ、次の話に移るけど良いわね?」
皆、声には出さず静かに頷き返す。

さて、話はジュエルシード事件から半年後に移る。
地球を中心に、個人転移で行ける範囲の世界で魔導師や魔力を持つ現地生物の襲撃事件が相次いで発生したのだ。
そして、その手が地球に住むなのはや私達に延ばされたのは必然だろう。

ある日の夜、なのははヴィータに、私達はザフィーラに襲われた。
結果を言えば「惨敗」という言葉がしっくりくるだろう。
なのはは倒れ、救援に来た私達やフェイト達も大なり小なり傷を負った。
にもかかわらず、襲撃者達の確保はおろか、その情報すらもほとんど得られなかっただのから。
分かった事と言えば、せいぜい一連の事件にロストロギア「闇の書」が関わっている事がわかって程度だしね。
その上、守護騎士達とは別の仮面の男まで出てくる始末だ。

その後、私達は治療やその他諸々の事情もあって、一度管理局の本局に身を寄せる事となった。
そこで、まあ紆余曲折あって再度管理局と共闘することとなる。
そうして、なのはの保護やら事件への対応のためにリンディさん達管理局員達は海鳴りに滞在することが決まった。まあ、フェイトが私達と同じと同じ学校に通う事になったのは、せっかくの機会というのもあったらしい。

そうして短い平穏を過ごしつつ傷を癒し、並行してなのは達は力を蓄えるべく動き出す。
きたる再戦の時、なのは達は新しい力を手に守護騎士達と戦うが、ついぞ決着はつかなかった。
その代わり思いもよらぬ事態が起こる。それが、新たな魔術師アイリスフィールの参戦だった。
管理局側はてっきり彼女が闇の書の主だと予想したのだが、実のところはそうではない。
本来の主は蒐集の事実を知らず、守護騎士達は主を救うために動いていたのだ。

三度目の対戦は別の世界で行われるが、そこで私は仮面の男の尻尾を掴むことに成功する。
そこで、事態の黒幕に管理局の高官が関わっている事を突きとめ、その人物に取引を持ちかけた。
その人物の目的は闇の書の完全封印であり、ならば交渉の余地があると踏んだからだ。
ちなみに、その黒幕は今のところはやてに知らせるのはショックが大きそうなので伏せて話している。
怪しさ全開なのだが、さすがに後見人が黒幕でした、というのはタイミングを計った方がいいだろう。

そして、決戦の日クリスマス・イブ。
なのは達とはやてに秘密でお見舞いに行ったところ、敵対していた守護騎士達と遭遇。
そこで、なのは達にも事態が知れることとなった。

その後、闇の書を意図的に完成させ、はやてに管理者権限を握らせるべく行動する事になる。
色々とトラブルはあったがはやては無事管理者権限を掌握し、闇の書の闇とでも呼ぶべき改変されたプログラムを切り離した。
総仕上げに総掛かりでの決戦を経て、闇の書の闇は消滅。

だが、夜天の書に掛けられた呪いはそれだけでは消えてくれなかった。
管制人格、リインフォースは自らの消滅を以てその呪い諸共、夜天の書の歴史を閉じようと試みる。
その際、何人かのお節介でリインフォースの人格と記憶だけは保存する事に成功し、夜天の書の歴史と心中する事だけは防ぐ事が出来た。
―――――――――――――めでたし、めでたし。

と、まあ大雑把に説明するとそんな感じだろう。
「で、わたしとすずかはそれを偶然目撃したってわけか」
「そういう事になるわね。ついでに言うと、その終盤に士郎は能力を暴走させたってわけよ」
意図的に出来る限り軽い口調でそう説明する。
別に重々しく話す様な事でもなし、ならこのくらいで良いだろう。

とはいえ、この程度で納得する子たちでもないし、変に追及されても面倒か。
なら、ドンドン話を進めていくのが吉かな。
「ま、多少省いたりもしたけどだいたい概要はこんなところよ。
 詳しく聞きたかったら、また別の機会にでも少しずつ聞いてちょうだいな」
「ふ~ん……まあ、確かに一気に話すのにも限度があるわよね」
「アイリさんとはやてちゃんに、そんな事があったなんて……」
この中では、およそ最もはやてやアイリスフィールという人物を知るすずかは、特に思う処が多いらしい。
アリサと違い、未だに聞いた話を咀嚼している様子だ。

「……それにしても、なのはは良くおじさん達に隠してられたわよね」
「えへへ、その辺りはわたしもすごく気を使ったから。
 心配させないようにするのは本当に大変だったんだよ」
感心するアリサに、何処か自慢気ななのは。アリサがどの程度高町家の人々のとんでもなさ加減を理解しているか知らないけど、それでもこれだけの事を家族に隠しきるのは難しい事は理解している。
だからこそ、それを今日までまがりなりにも隠しきったなのはに感心しているのだろう。

だけど、実はそうじゃないのよねぇ。
まあ、どうせ今夜にでも家族に話すつもりらしいし、その時になればわかるだろう。

さて、一応魔法関係の大雑把な話は終わったんだけど、ここから夜の一族関係か。
すずかにとっては一種のトラウマみたいなものだし、表情を見る限りかなり不安そう。
とはいえ、ここまできた以上避けられない話題よね。
実際、忍さんはOK出して、すずかにもその意思があるんだから。

そして、その時は来た。すずかは意を決したように口を開く。
「………じゃあ、今度はわたしの番だよね」
「う、うん」
なのはは躊躇いがちに頷き、フェイトやはやてもどこか落ち着かない様子だ。
アリサは一応平静なようだが、はてさて内心はどうなのやら。

と、そこでクロノとエイミィが口を開く。
「それじゃあ、僕達は一度席をはずすよ」
「え? クロノ、どうして?」
「エイミィさんも?」
「ほら、私達が立ち会うのは魔法関係の話までだからさ。それとは無関係のすずかちゃんの秘密を聞くわけにはいかないでしょ?」
まあ、すずかとしても友達に話すならともかく、これまでほとんど話した事もない人たちに秘密を明かすのは無理だろう。そういう意味では、二人の気配りは至極当然のものだ。

「そんなわけだ。話が終わったら、またあらためて呼んでくれ」
「メイドさんにお屋敷の中を案内してもらうから、気にしないで大丈夫だよ」
そう言って、二人はさっさと部屋を後にする。
念のため、私とカーディナルで部屋の中を走査するが特に盗聴器の類は確認できない。
つまり、魔力・機械の双方でここでの会話を盗み聞きできる代物は存在しないと言う事。
どうやら二人の今の発言は、確かに本心からのものだったようだ。

となれば、早速話を進めるとしますかね。でも、一応聞いておくか。
「いいのね?」
「うん。二人の秘密を聞かせてもらったんだもん。わたしの秘密も話さないと、フェアじゃないよ」
別にそういう問題でもないのだろうが、それですずかに踏ん切りがつくなら良いか。
どうせ、遅かれ早かれいつかは話すつもりだったはずの事だ。
なら、何がきっかけでも問題はない。

「なんて言うか……その、わたし達は……普通の人たちとはちょっと違う生まれ、なんだ」
「普通じゃないのなら、ここにも四人いるじゃない」
すずかの言葉に、素っ気なく返すアリサ。
まあね、魔法やら魔術やらを使う人間を「普通」と呼ぶ習慣はこの世界にはない。
その自覚はあるのか、なのは達はどこか苦笑気味だ。

「ううん、それでも皆は人の血を吸ったりなんてしないでしょ?」
「「「「へ?」」」」
すずかの言っている意味がよくわからないのか、私とすずかを除く四人が首をかしげた。

そこでいったんすずかは押し黙り、大きく深呼吸してから口を開く。
「わたし達は自分たちの事を『夜の一族』とか『吸血種』とかって呼んでるんだ。
 吸血鬼って言った方がわかりやすいのかな……」
ゆっくりと、絞り出すようにすずかはその言葉を口にする。
吸血鬼という表現が妥当なのかどうかはこの際置いておくとしても、一番夜の一族と符合させやすいのがそれなのは否定しない。血を吸う、という意味でいえばそうなわけだし。

しかし、その意味がさっぱり分からない人がいたりしたのだった。
「ああ……話の腰を折るようで申し訳ないんだけどさ、言葉の意味をよくわかってない人間がいるみたいよ、そこに」
「ごめん、よく分からないから、説明してほしいんだけど……『きゅうけつき』ってなに?」
こけた、それはもう盛大にこけた。
誰が? そんなのは決まってる。出身地が地球の、私を除く人間全員がだ。

イヤね、考えてみれば当然なのよ。
こっちでは吸血鬼なんてポピュラーな怪物だけど、次元世界的に知れ渡っているかと言えばそうではないだろう。
アメリカ人に「座敷童ってなんだ」と聞いても、わかる奴などほとんどいない。早い話がそう言う事だ。

ついさっきまで震えていたすずかだったが、あまりの事に呆然としている。
となると、誰かがその辺りを説明しないといけないのか。
適任はやっぱり……私なのよね。
「吸血鬼っていうのは、読んで字のごとく『人の生き血を吸う怪物』の事よ。
 ていっても、空想上の怪物なんだけどね」
少なくとも、この世界に死徒がいないのならそれで問題ない。
とはいえ、アイリスフィールと暮らしていたはやては知っているかと思ったけど、どうやら今の表情を見るに聞いた事はないみたいね。

「他にも太陽の光が苦手だったり、不老不死だったり、霧や狼に変身するとか伝承の内容はいろいろだけどね」
「それが、すずかってことなの?」
私の説明を聞き、フェイトは確認するようにたずねてくる。

それに対する私の返答は……
「違うわよ」
「え?」
「あくまで一番イメージしやすいのがそれってだけで、厳密に言えば吸血鬼とも違うのよ。
 詳しい説明はすずかに聞きなさいな」
結局のところ、私はどこまで行っても部外者でしかないのだ。
ならば、やはり当事者に説明してもらうのが一番だろう。

その結果、再度全員の視線がすずかに集中する。すずかも一度話の腰が折れた事で良い具合に力が抜けたのか、今度は先程ほど気負うことなく口が開いた。
「さっきも言ったけど、正確には夜の一族って呼ばれてるんだ」
「夜の…一族?」
「うん。定説では、遺伝子障害の定着種って事になってて、体の中で生成される栄養価、特に鉄分のバランスが悪くて、完全栄養食である血を飲むの。だから、一応吸血種とも呼ばれていて……」
「つまり、コウモリとかヒルとか、或いは蚊の親戚だと思えばいいのよ。
吸血鬼とか言うからややこしくなるのよねぇ」
「ちょっと凛。すずか、思いっきりへこんでるわよ。その説明であってるわけ?」
むぅ、言い方が悪かったかしら。
無害な感じを強調するなら、実際にいるモノを例にした方がいいと思ったんだけど。

そこで、なのはが尋ねてくる。
「えっと、つまり……血を吸われたからって、吸われた人までってことには……」
「ならないわよ。というか、私も士郎も一度ならず吸われるし、安全は保証するわ」
その言葉を聞き、今度は私にも視線が集中する。
まあね、別に吸われたからって害があるわけでもなし、払うもの払ってくれたら別にかまわないのよ。

「あ。でも、別に輸血パックでもいいのよね?」
「うん。正直、すごくまずいんだけど……」
ほぼ全員が「ああ、なるほど」って感じの反応を示す。
血の味などわからないなりに、何となく感じるものがあるのだろう。

「あと、特徴としては異常な筋力とか鋭い感覚器官、それと並外れた再生回復能力があげられるわね。
 それらの高性能な肉体を維持するために、普通の食事だけじゃ足りないと思ってくれればいいと思うわ」
「その一つが、あの時あの蛇のお化けみたいなのの動きを止めた力なの?」
アリサが確認するようにすずかに尋ねる。
その表情に恐れはなく、むしろ素っ気ないくらいだ。

「うん。血が濃いと、個人でそれぞれ違う力を持ってる場合があるんだ。
 わたしの場合はあの『圧縮』で、お姉ちゃんが『暗示』」
いや、こうして改めて聞いてみるとホントに個々人での違いが激しいわ。
姉妹での共通点が、精々「魔眼」程度なんて。
この手の異能は、割と近親者同士だと似たようなものを発現するはずなんだけどなぁ。

まあ、色々脅かしはしたけど、結局のところ夜の一族そのものはそこまで危険な存在じゃない。
むしろ、魔導師とか高町一家の方がよっぽど危険じゃないかな?
少なくとも、私は恭也さん達と戦うくらいなら手ぶらでここに攻め込む方を選ぶけど。

そうして、すずかは恐る恐るといった様子で親友たちの様子をうかがう。
「ごめんね、皆。ずっと、秘密にしてて……きゃっ」
そこで、謝罪の言葉を口にするすずかの頭をアリサがワシワシと乱暴にかき回した。

「いいわよ、謝んなくて。それだけ言いにくかった事でしょ?
 それに、隠し事の一つや二つあって当然だし、その程度でどうこうなるほど浅い付き合いをしてたつもりもないわ。だから、隠し事をしてたって事は全然気にしなくていいの。
それを言ったら、そっちのなのは達だってそうなんだし」
「にゃははは……。それを言われちゃうとわたし達も弱いからなぁ」
「せやね。隠し事をしてたのは同じやし……」
どうやら、この子たちの間では吸血種云々など問題ではなく、隠し事をしていた事に焦点が当てられているようだ。らしいと言えばらしいし、なのは達も人の事を言えた義理じゃないからいいとしても、アリサの胆力は並外れてるわ。

「ま、実際問題として血を飲まないと栄養が偏るのも事実だし、偶には飲ませてもらったら?」
「り、凛ちゃん!?」
「冗談……ってわけでもないけど、献血と大差ないしその程度の感覚でいいのよ」
実際、私達からしてみればその程度の感覚なのだ。似たような知り合いもいたし。
吸血種だの何だのと言うから複雑になるだけで、もっと砕けた考え方でも問題はない。

だが、すずかとしてはそう簡単に割り切れる事でもないらしく、念を押すように尋ねる。
「みんなは、怖くないの? わたしは人の血を吸って、普通じゃできない事が出来るんだよ?」
「何をいまさら……貧血になるくらいなんでしょ? それに、普通じゃできない事が出来るって言い出したら、なのは達はどうなのよ」
「それはそうかもしれないけど……色々、迷惑をかけちゃうかもしれないよ?」
「大丈夫。これでも、わたしもなのはも荒事にはもうだいぶ慣れてるから」
まあ、確かにあんたたちほど荒事に慣れた小学三年生もそうはいないわね。
ただ、その認識が過信、あるいは増長に繋がらないといいのだが……。

「それにしても、凛達は初めから知ってたってわけね?」
「初めからっていうのがどのあたりを指しているかにもよるけど、前から知ってたのは事実よ。
 ついでに言うなら、教えてもらったというより偶々突き止めたって言う方が正しいけど。
 ちなみに、今は一応友好関係って事になるわね」
「なんかそれって、時空管理局だっけ? そっちと仲が良くないみたいに聞こえるんだけど」
「仲が悪いってわけじゃないわよ」
とはいえ、月村と管理局だったら間違いなく月村家とのつながりを重んじる。
こっちの方がまだ……っていうか、断然信用できるし。

さて、じゃあ残すところはアレかな。
「ま、それはそれとして、さっさとやる事やっちゃったら?」
「へ? やる事って…なんなん?」
「えっと、一族の掟でね。契約っていうのがあるの」
はやての問いを受け、すずかが控えめに告げる。

まあ、契約って言ってもそこまで堅苦しいものじゃない。血の洗礼なんて言うけったいなものもあるらしいけど、こっちは単純に秘密を共有して生きていく事を「誓う」というものだ。
そして、当然この子たちがそれを厭うはずもない。
「全てを忘れるか、それとも友達…あるいは恋人として秘密を共有してずっと生きていくか。それを選んでもらうの。お姉ちゃんになら、本当に全てを忘れさせることもできるから」
「じゃあ、お兄ちゃんは恋人の方を選んだんだ」
とは、なのはの独白。まあ、一応はそういう事になるのだろう。
あそこまで来ると、ほとんど婚約に近い気もするんだけど。

「えっと……それで、みんなはどうするの?」
「凛ちゃんと士郎君はもうその契約っちゅうんは済ませてるんやろ?」
「あ、うん」
「なんか、先を越されたみたいで気に食わないけど……答えなんて決まってるでしょ」
「「「うん♪」」」
他の面々に視線を投げかけるアリサに、なのはたちは満面の笑みで頷く。
まあ、恋人になるって選択肢はさすがにないだろうし、なら確かに答えは決まっているか。

そして……
「「「「これからもよろしく、すずか(ちゃん)」」」」
「…………うん、うんうん」
笑って手を差し出す四人を前に感極まったのか、すずかは静かに涙する。
ま、予想通りと言えばそうだけど、それは言うだけ野暮ってものか。

とはいえ、話はこれで終わりはしなかった。
すずかの言葉に触発されたのか、フェイトがゆっくりと口を開く。
「…………少し、いいかな?」
その表情は、さきほどまでのすずかに負けず劣らぬ不安に埋め尽くされていた。
それを見れば、フェイトの事情を知る者たちは彼女が何を言おうとしているのか自ずとわかる。
なのはの方は何か言おうとするが、フェイトの目を見て押し黙った。
たぶん、何を言っても考えは変わらないと察したのだろう。

別に、わざわざ話さなきゃならない事でもないのに、本当に律義な子たちだ。
まあ、これも知る側からの意見でしかないのかもしれないけど。

「すずかは自分が普通じゃないって言ったけど、それはわたしも同じなんだ。
 わたしは…………アリシアのクローンだから」
その言葉と共に、場は静寂に支配される。
よく見れば、フェイトの手は膝の上で固く握りしめられ、小刻みに震えている。

私としても迂闊に何か言える雰囲気ではなく、どうしたものか困り果ててしまう。
あの子たちがこれを聞いたからってどうこうという事はないだろう。
特に、はやてに至ってはホムンクルスであるアイリフィールと暮らしていたのだから。
フェイトも、この子たちになら話しても大丈夫と信頼して話したのだろうが、それでも不安や恐怖は当然ある。
きっと受け入れてくれる、でも拒絶されるかもしれない。信頼と不安が天秤を盛大に揺らしている事が、今のフェイトの表情にありありと浮かんでいた。

「アリシアって、確かフェイトのお姉さん……だっけ?」
「うん。母さんは、本当の娘であるアリシアを取り戻そうとしてわたしを作って、記憶を転写して、でもそれは上手くいかなくて……結局わたしは、母さんの望んだアリシアにはなれなかった」
そう語るフェイトのは俯き、握りしめた手を、細い肩を、小さな体を震わせる。
呼吸は荒く不規則で、額からはジンワリと汗まで滲んでいた。

だが、そこである事に気付く。アリサの眼つきがきつくなり、プルプルと震えだす。
そして……
「だぁ―――――――――――っ! 辛気臭いわねぇ!! そんなのわたしの知った事か――――――!!!」
なにかが切れたのか、盛大に爆発するアリサ。
ずっと聞く側に回っていただけに、いろいろとフラストレーションがたまっていたのだろう。

「「「「あ、アリサ(ちゃん)!?」」」」
「だってそうでしょ! アリシアは何が好きで、どんな風に笑うのかわたしは知らない。だけど、フェイトの事なら少しは知ってる。世間知らずで天然が入ってる所とか、嬉しい時には照れて俯きながらも笑ってくれる所とかを見てきた。
でも、それは全部アリシアじゃなくてフェイトの個性でしょ!! だから、フェイトがアリシアって人のクローンって言われても、正直しっくりこない。当然よね、わたしが友達になったのはアリシアじゃなくてフェイトなんだから。なら、それを聞いたからって今までと何が変わるってのよ!!」
まあ、何も変わらないでしょうね。
アリシアになれなかったクローンと言われても、アリシアを知らないあんたからすればそんなことは関係ない。
アリサはフェイトしか知らず、アリシアを知らない。だからこそ、その背後にあった悲劇ではなく、目の前にある奇跡を見て喜ぶ事が出来る。こうして、フェイトという友人と出会えた奇跡を。

「うん。わたしも、アリサちゃんと同じ気持ちだよ。アリシアさんやお母さんの事は悲しいけど、わたしもフェイトちゃんと出会えてよかった。だからやっぱり、ここにいるのがフェイトちゃんでよかったって思う」
「……………アリサ……すずか……」
「せやね。それに生まれの事を言い出したら、アイリかて……ヒッ!?」
すずかたちに乗じて余計な事を言おうとするはやてに殺視線を向ける。
やっぱり知ってたか。だけど、それを話されて他に漏れると何かと面倒なのよ。
フェイトとアイリスフィールは、確かに似たような生まれかもしれないけど、それでもクローンとホムンクルスはやっぱり異なる。私達にとっては大差ないかもしれないし、生まれで貴賎が決まるわけでもない。けど、余計な連中に知られる可能性は減らしたい。研究者の類に知られると、厄介な事になりそうだからなぁ。

「はやて?」
「え、ええっと……ヴィータ達かてああいう生まれやから、あんまり気にせんでもええと、わたしは思います」
と、どこか虚ろな目で話すはやて。
まあ、そのうち頃合いを見て話す事になるかもしれないし、それまで我慢してもらいましょ。

そうして、アリサはフェイトとすずかへと歩み寄り、素っ気なく手を差し出す。
「ま、とりあえず……これからもよろしくって事で」
「「うん」」
他の面々も同様に歩み寄り手を差し出し、それを二人は涙目になりながらもしっかりと握り返した。
ま、なるようになったって事かしらね。

そこへ、先程のアリサの怒鳴り声を聞いたのか、クロノ達が大慌てで部屋に入ってくる。
「だ、大丈夫か!?」
「いま、なんかすごい音が聞こえたけど、みんな大丈夫?」
それに対しアリサを除く全員が苦笑いを浮かべ、アリサはどこか恥ずかしそうにそっぽを向く。

とはいえ、これで話す事はだいたい終わりかなぁと思ったところで、クロノが待ったをかける。
「あ、済まないんだが、少しいいか?」
「クロノ?」
「ちょっとね、すずかちゃんに提案があるんだ」
「え? わたしに、ですか?」
クロノとエイミィの言葉に、どこか困惑した様子で尋ね返すすずか。

まさかとは思うけど、例によって例のごとくなのかしら。
「君さえよければなんだが……」
「ストップ。ハッキリ言うけど、すずかの能力は燃費と使い勝手が悪いわよ。あんまり応用も効かないし。
 その上本人は性格的に戦闘向きじゃないし、自分の能力も好きじゃないみたいだしね」
ちらりとすずかの方を見ると、何処かしょんぼりした様子。
でも、実際管理局でクロノ達みたいな仕事をするのはあんたには向かないと思うのよ。

「えっと、クロノ君。それってもしかして……」
「すずかちゃんを管理局に勧誘するん?」
「まあ、一応はそういう事になる。だが……」
「アンタね、いくらなんでも見境がなさすぎない?」
私の言葉を聞き、クロノがどこか憮然とした様子で押し黙る。
まあ、大方の予想はできている。クロノはあんまりこういうことには気乗りしていない風だし、おそらくリンディさん辺りからの指示なんだろう。

そこで、少し険悪になりつつある場を察してエイミィが仲裁に入る。
「まあまあ、確かに勧誘しているのは本当だけど、凛ちゃん達が思ってるのとは違うと思うよ」
「何が違うってのよ?」
「私達はね、別にすずかちゃんに武装局員になってほしいとかそういう風には思ってないの。
 なんて言うか……すずかちゃんには『先生』になってほしいなって」
『先生?』
クロノとエイミィを除く全員が異口同音に疑問を口にする。

「どういう事か、詳しく説明してもらえるんでしょうね?」
「ああ。これはあまり知られていない事なんだが、彼女の様な能力を持った人間というのは、管理局の方でも稀に確認される。ただ、その大半が能力の制御に難があって、一般社会に溶け込めない場合がほとんどなんだ」
「どうも、魔法や科学とかだと上手く解明できない能力みたいでね。管理局の方でも色々研究とか制御訓練とかやってるんだけど、あんまり効果がなくて……」
なるほど、だいたい何を考えているのかは予想がついた。
よくよく考えてみれば当然なのだ。すずかたちにあるのだから、この世界にも少なからず異能者の類はいるだろう。とはいえ、だからと言って制御できるかどうかはまた別の問題。
異能の制御は個人の感性によるところが大きいし、上手く制御できずに社会からあぶれてしまう異能者というのはいつの時代も後を絶たない。

とはいえ、異能者というのは基本的には普通は共通のチャンネル(常識)も持っていて、それを使い分けて生きている。
そういった人たちは、おそらくその存在を管理局に知られることなく静かに生きている場合がほとんどのはずだ。
だが、なかには共通のチャンネルを持っていない者もおり、それを私達は『存在不適合者』と呼ぶ。
管理局で把握できている人間は、おそらくほとんどはこちらなのだろう。

いや、一概にそうとも言い切れないか。そもそも、社会から外れてしまう者の全てがそうとは限らない。
共通のチャンネルは持っていても切り替えが上手くできない者、クロノが言った通り制御能力に難がある者も含まれているはず。ならば、その辺りさえちゃんと身につけられれば、彼らは一般社会に帰っていく事が出来る。
でも、管理局にはその辺りを教える事が出来ない。だからこそ、それを教えられる者を求めるのだろう。

「僕達にできる事と言えば、問題を起こしたり、或いは社会から爪弾きにあったりした人たちを保護……いや、名目上は保護なんだが、ほとんど隔離に近い状態で身柄を預かることしかできていない。
 だが、君はどうやらちゃんと自分の能力を制御できているみたいだ。だから……」
「そのノウハウを管理局に伝えて、できればそういう人たちに能力を制御する訓練をしてほしいって事になるね」
基本的に、異能というのは偶発的に発現する一代限りの変異遺伝だ。本来、人間という生き物を運営するのに含まれない機能で、超常現象を引き起こす回線であるそれは魔術でもその原理を解明できていない場合も多い。
どうやら、それは管理局の方でも大差ないらしい。

魔法や魔術というのは結局は後天的に身につける技術であり、異能の様に先天的なものではない。
先天的なものに影響は受けるが、あくまでも技術そのものは後から覚えるのだ。
それこそ、人体実験でもしない限り異能を根本的に解明するのは難しいだろう。制御法にしても同じだ。

しかし、血筋としてその能力を伝えてきた夜の一族には、そんな能力を制御するためのノウハウがある。
実際、すずかも基本的にはそれに沿って訓練した。
確かにそのノウハウがあれば、能力を制御できずに社会から外れてしまった人たちを、元の社会に返す事も出来るかもしれない。

「えと……わたしは……」
「ああ、別に今すぐ答えを出してくれなくても良い。
ただ、そういう未来もある、という事を知っていてほしかっただけだ」
「うん。そういうわけだからさ、もし興味があったら連絡してくれるかな。
 詳しい事がわからないと決められないだろうし、そういう機会はちゃんと用意できるから」
二人は困惑気味のすずかに優しく話し、答えを急ぐ事はなかった。
それにしても、わざわざついてきたのはこれも目的だったわけか。
まあ、自分の能力が好きになれないすずかは、きっとそうやって社会から外れてしまった人たちの気持ちも他の人間よりかは理解してやれるだろう。そういう意味でも、彼女は適任なのかもしれない。

ま、それにしたところで決めるのはすずか自身だ。
とりあえず告白大会も一応終わったわけだし、堅苦しい話はこれで終わりかな。

だが、そうは問屋がおろしてはくれなかった。
「待って、凛。まだ、話してくれてない事が、あるよね?」
「なにかあったっけ?」
「はぐらかさないで!!」
珍しく、本当に珍しくフェイトが怒鳴る。
その思いもよらぬ反応に、その場にいたほぼ全員が目を見張り驚きを露わにした。

「シロウの事、昨日はあんな事があったから聞けなかったけど、ちゃんと説明して」
「説明も何も、さっき言ったじゃない。アイツが魔術の制御を誤って、その結果暴走したって。
 それ以外に言う事なんてないでしょ」
「嘘!」
「本当よ。っていうか、嘘をつく意味がないわ」
「嘘だよ!! だって、なんで士郎が制御ミスをしたのか、それを教えてくれてない……。
 凛が使って良いって言ったのなら、ちゃんと大丈夫な理由があったんだと思う。でも、実際にシロウは制御ミスをして、あんな酷い怪我をした! なら、何か原因があったんでしょ?
 もし、制御が難しいってわかってて備えてなかったって言うのなら、わたしは凛を……!!」
「許せない? 許せないとして、だったらどうするつもり?」
にらみ合う私とフェイト。なのはやすずか、それにはやてはそれを見て不安そうにこちらを見つめる。
突然噴出した険悪な空気に、先程までのような温かさはない。

しかしそこで、ダンとテーブルを叩く音が部屋に木霊する。
「落ち着きなさいよ、二人とも!」
「アリサ」
「そうね、睨み合ってても仕方がないか」
アリサの一喝に、私とフェイトはそれぞれ眼を反らし合う。
とはいえ、それでもなお場を埋め尽くす険悪な空気は微塵も衰えてはいない。

「凛」
「何?」
「別に、アンタ達が何を隠して様とそれはいいわ。さっきも言ったけど、隠し事の一つや二つあって当然だし、それを無理に聞き出す権利なんてわたし達にはない。
 でもね、こうしてフェイトは心の底から士郎の事を心配してる。もちろんわたし達も。なら、ちゃんと納得のいく、せめて不安を取り除くくらいの説明はするべきなんじゃないの。それが命にかかわる事なら」
他の皆も同意見なのか、なのはやすずか、そしてはやても静かにうなずく。
確かに、この子たちの言っている事は至極まともな意見だ。それどころか、当然のことだと言えるだろう。
それが真実士郎の命にかかわると言う事を知っている以上、無条件に放置はできないだろう。

「そうね、アリサの言う事は正しい」
「じゃあ!」
「だけど、私に言える事はさっき全部言った。それ以上私が言える事はない。それが全てよ」
確かにフェイトの言うとおり、術の暴走は私にとっても予想外であり、その原因も一応わかってる。
だけど、それを口にすることはできない。下手に余所に知られて実験動物にされるのは御免被る。

そこで、フェイトはアプローチを変えてきた。
「なら、あの世界はなんなの?」
「それとこれとは無関係でしょ」
「無関係じゃないよ! アレのせいで、シロウはあんな事になったんでしょ?
 なんで、何も教えてくれないの? そんなにわたしが、わたし達の事が信用できないの!?」
涙目になりながら……否、事実涙を止めどなく流しながらフェイトは問う。
仲間だと、友達だと思っていた私が何も話してくれない事に憤っている。

「全部教えろ、なんて言わないし、言えない。
 でも、シロウがあんな事になった理由くらい…教えてよ。
そうじゃないと、どうやって次を防げばいいかわからない」
たぶん……というか、まず間違いなくフェイトの言っている事の方が正しいのだろう。
フェイトは士郎の事を心から心配して、次がないようにその原因を知ろうとしているだけだ。

「何も話してくれなきゃ、わたしは凛の事を……」
それ以上はフェイトは口にしないが、続く言葉は予想できる。
おそらくは「信じられない」とでも言おうとしたのだろう。

まあ、言っている事は至極もっともだ。
私だって、こんな重要な事をひたすらに隠そうとするやつに背中を預ける事なんてできない。
だが、こちらにも話せない事情がある。保身と、こっちに来てからできたもう一つの事情がね。
「…………」
「何も、言ってくれないんだね」
寂しそうに、悲しそうにフェイトは俯く。
他の皆も同じ気持ちなのか、フェイトの方へと近づいていく。

その光景に、どこか……距離を感じる。物理的な意味ではなく、精神的な意味で。
いや、それはいまさらか。元からあったものが、ここにきて浮き彫りになっただけなのかもしれない。
私とあの子たちの間には、目に見えない境界線がある。どれだけ近しく思っていても、この境界線がある限り、私達はきっと根本的には同じところに立つことが出来ない。

その事を僅かにでも寂しく思う自分がいる事に、少なからず驚きがあった。
魔術師なんてそんなものだと、ずっと昔に理解していたはずなのに。

まあ、それもいた仕方なし。魔術師である私が、真っ当な人間であるこの子たちとの中に紛れ込む事は出来ても、本当の意味で溶け込む事など土台無理な話だったのだろう。

だがそこで、一瞬私とはやての眼が合った。
彼女だけは、私達の事情をほんの少しとはいえ知り得る立場にいる。
そんなはやての眼は何かを言いたそうにしており、私もなにが言いたいのか何となくわかるつもりだ。

しかし、はやてがその何かを言う前に念話で機先を制する。
『悪いんだけど、何も言わないでちょうだい。アイリスフィールの事情、少しくらいは知ってるんでしょ?
 こっちも似たようなものでさ、話せない事情ってものがある事を察してくれると助かるんだけど……』
『凛ちゃん……せやかて、みんな……!』
『わかってる……わかっているつもりよ。でもね、やっぱりこれは知らなくていい事よ……』
知るべきか否か、そんな事は私が決める事じゃないのだろう。
保身を抜きにしても、私は酷く傲慢なのかもしれないと思う。
だから、許せなんて言うつもりはない。

そもそも、保身だけが目的なら話してもそれほど問題ではないのだ。
それは、この子達が決して余所の人間に対して話せないようにすれば済む。
その程度の制約を掛ける程度、そう難しい施術じゃない。
話したくても話せないようにすれば、それは情報を漏らしていないのと同義なのだから。

しかし、出来るなら私はそんな事この子たちにしたくない。
となれば、選択の余地はない。黙して語らず、ただ口を噤むしかないではないか。
「じゃ、私はこれで帰る事にするわ」
だからこそ、出来る限りいつもどおり軽い口調でこの場をあとにする。

「…………ぁ」
そう漏らしたのは誰だったのか。
振り向きたい衝動にかられるが、結局足を止めることなく私はドアノブを握り、部屋の扉をあける

だが、出ていこうとする直前……
「本当にいいの? 凛ちゃん」
そう、エイミィが問いかける。
その問いに対する答えを、私は持ち合わせていなかった。

「じゃあね、良いお年を」
年末恒例の別れの言葉。
同時に、今年はもう会う事はないだろうと言外に伝える。
確定ではないが、多分そうなるだろう。

まあ、いずれは来るであろう終わりの時だ。
それが偶々今になった。ただそれだけのこと。
だけど、出来ればそれはもう少し先であってほしかったかな。
あの子たちとの日々は、ついそんな事を思ってしまうくらいには楽しかったから。



Interlude

SIDE-ユーノ

場所はなのはの家。
そこで僕は、リンディさんと一緒に高町家のみなさんにこれまでの事を伝えていた。

そして、全てを伝え終わったところで、リンディさんが深々と頭を下げ、床に頭をつける。
「その節につきましては、なのはさんを危険な目に会わせてしまい、本当に申し訳ありませんでした。彼女の好意に甘え、皆さんとその大切なご家族に多大なご迷惑をおかけしました事を、謝罪させていただきます。
誠に、申し訳ございません」
弁解はない。許してくれともいわない。ただ深く、確固たる意志と覚悟を以てリンディさんは地に頭をつける。

だけどこの時の僕は、そんなことにも気付かずに驚きの声を上げることしかできなかった。
「り、リンディさん!?」
「いいのよ、ユーノ君。私は、責任を取らなければならないんですもの」
「そ、それなら僕の方こそ!!」
「それとこれとはまた別の問題よ。
私がした事は、管理局の提督以前に大人として恥ずべき事。だって、そうでしょ? 大人は子どもを守るのが役目なのに、その護るべき子ども達を危険な場所に放り込んだんですもの」
慌てる僕を制し、リンディさんは落ち着いた声音で自分の心の内を語る。
だから僕もそれに倣い、一緒に頭を下げた。僕もまた、なのはを巻き込んだ事に対する責任があるから。

その誠意が伝わったのか、或いは元から僕達を責める気などなかったのか。士郎さんはリンディさんに気軽に話しかける。
「お気になさらないでください。こうしてなのはは元気ですし、それどころか以前よりもずっといい目をしています。きっと、そちらでとても良い経験を積んだのでしょう。
 ですから、顔をあげてください。もし、まだ気に病まれているのなら、これからも良きお付き合いをしていく事で帳消しとしましょう。それに……」
そう言って、士郎さんの目がなのはに向いた。

「なのは」
「あ、はい!」
「リンディさん達に関わった事、魔法に関わった事を、後悔しているか?」
「そ、そんなこと! わたし、ユーノ君やリンディさん、クロノ君にエイミィさん……そしてフェイトちゃんやはやてちゃん達に会えて本当によかったと思ってる。だから、後悔なんて……」
そう、なのははきっと後悔なんてしていない。
でもね、気付いているの、なのは? 君は今、凛と士郎の名前を言わなかったんだよ。
日中にあった事はもう聞いているからこそ、その事が際立って感じた。

だけど、士郎さんは今の時点ではその事を知らない。だからこそ、そのまま話を進める。
「そうか……なのはもこう言っています。ですから、どうかそれ以上悔やまれないでください」
そうして、士郎さんはリンディさんに歩み寄り手を差し出す。
他の人たちも同じ気持ちなのか、優しい眼差しを送っている。

リンディさんもまた、これ以上伏している事こそが礼を失すると感じたのか、ゆっくりと手を差し出す。
ただ、その顔はいまだ伏せられたままで、そのまま士郎さんの手を握り返した。
「あり…がとう、ございます」
その声には嗚咽が混じり、士郎さんもどこかバツが悪そうにしている。
この人も同名の誰かさんと同じで、誰かに泣かれるのは苦手な性質なのだろう。

そこで、士郎さんは僕にも優しく言葉をかける。
「ユーノ君」
「あ…は、はい!」
「なのはを頼ってくれて、ありがとう。たぶん、なのははずっと誰かに必要として欲しかったんだろう。
 なんと言うか、昔色々あってね。なのはには寂しい思いばかりさせてしまって、そのせいなんだろうなぁ。
 まあ、そもそもの原因は俺なんだが……」
その昔というのに何があったのかは詳しくは知らないし、その時になのはが何を思い今に影響しているのかは知らない。だけど、それがなのはの根底にあって、そのあり方に影響を与えているのだろう。
幼いころに受けた影響が、後々にまで尾を引くのはよくあることと聞く。

「これは君に限った事じゃないんだが、これからもなのはと良くしてやって欲しい。
 なのはは末っ子だから、どうも俺たちはこの子を子ども扱いしてしまってなぁ。そのせいで、ずっとアイツが欲しがっていたものをやれなかったんだろう」
まあ、確かにそれが普通の感覚なんだろう。なのはと同世代の僕たちだからこそ、子どもであるなのは相手に「頼る」という選択肢が生じる。たとえば、クロノなんかではなのはくらいの子を相手に「頼る」という選択肢はあっても選びにくいだろう。
その意味では、確かになのはが欲しいものを与えられるのは僕たちの方なのかもしれない。

しかし、ここで終われば美談だったのに……
「ああ、それと……」
「はい?」
「なのはの婿になる男の最低条件は、俺と恭也と美由希を同時に倒せる事だから、心しておくように!!」
いや、それ無理。一人一人でも化け物じみてるのに、三人同時に相手にするとか無理だから。
以前フェレット形態で少しだけこの人たちの稽古を見た事があるけど、何で魔法抜きであんな動きが出来るのか不思議なくらい強かった。戦ったとしても、瞬殺される気しかしません。
っていうか、婿決定なんだ。嫁には行かせないんですね。

「ちなみに、交際は交換日記から始めてもらうからそのつもりでな」
実ににこやかに恭也さんは笑っているが、その眼が全然笑っていない。
むしろ、眼の奥にある光は餓狼か猛禽か……はたまた悪鬼羅刹の類だろうか。
士郎さんと恭也さんを除く全員は、その死刑宣告にも似た言葉を聞いて僕に向けて合掌していた。
泣いていいですか?

「う~ん。それにしても、魔法に魔術かぁ。いいなぁ、私も使ってみたいなぁ」
「ねぇ。あ、若返りの魔法とかってないのかしら?」
「お母さん。お母さんにそれ必要なの?」
たぶん、美由希さんと桃子さんのこのリアクションがこの中では一番まともなんだと思う。
とはいえ、桃子さん。それ以上若返ってどうするつもりなんですか? 子どもにでもなるんですか?

しかし、そこでなのはがずっと感じ続けた違和感を口にする。
「あのぉ、なんかさっきからお兄ちゃんとお父さんのリアクションが薄すぎる気がするんですが……」
「まあ、魔法云々はともかく、なのはが何かの騒動に首を突っ込んでいるのは一応知ってたからな。
 魔法というのはさすがに驚いたが、まあそう言うのもあるだろう」
順応力が高すぎるでしょう、士郎さん。

「ふえ!? もしかして、お兄ちゃんも?」
「当たり前だ。その意味では、なのはが家を抜け出していたのは美由希も気付いていたぞ」
「え? ああ、うんうん、気付いてたよ……っていうか、隠してたの?」
美由希さんの一言にうなだれるなのは。たぶん、心配させないように隠していたつもりなんだろうなぁ。

「それに、俺は一応士郎達から話を聞いてたからな」
「へ? 話って、なんの?」
「ああ、なのはが厄介事に首を突っ込んでいるけど、こっちでちゃんと見てるから安心してくれってさ。
 そうじゃなかったら、とっくの昔に問いただしてるところだぞ」
恭也さんの話を聞いて、なのはがそれはもう驚いた顔をしている。
でも、それは僕も同じ。まさかそんな裏事情があったなんて。

「もしかしてお兄ちゃん……」
「ああ、士郎達の秘密は俺も多少知っていた。まあ、その話は追々な」
そう言って、恭也さんはこの場での話を打ち切る。今の言葉通りなら、そのうちちゃんと教えてくれるんだろう。

だけど、士郎の名前を聞いて、なのは少し寂しそうに表情を曇らせる。
「なのは、士郎の事で何かあったのか?」
「え? あ、その……」
なのはは言葉にしづらいのか、しどろもどろになって最終的には黙り込む。

それを見かねて、リンディさんがなのはの肩を軽くたたく。
「なのはさん」
「あ、はい」
「一応フェイトさんに話は聞いているわ。だから、その事は私に任せてもらえないかしら?」
「え?」
「上手くいくかはわからないけど、なんとかしてみるから、ね?
 だから、少しだけ待っていてちょうだい」
そう言って、リンディさんはなのはに笑いかける。

詳しい事は教えてもらえなかったけど、何か考えがあるらしい。
でも、それでなんとかなるのなら頑張ってほしいと思う。
なのはが悲しそうな顔をしているのは、僕もいやだから。

Interlude out






あとがき

さぁて、とりあえず暴露大会一回目はこんな感じになりました。
って、全然士郎達の方は暴露してませんけどね!
すんなり話してくれるわけもありませんし、多少は色々とないとおかしいでしょう。
ただ、この調子だと暴露大会が終わるのにどれくらいかかるやら。
たぶん、割と暴露話は長くなると思います。まあ、この後色々ある予定なので……。

しかし、すずかの件については少々話を広げすぎたかなという気もしないでもありませんね。
まあ、異能の類は魔術とはまた別系統の能力ですし、魔術がないとしても異能者がいないことにはならないと思うんですよ。というわけで、そういう人たちは少数ながらも確認されてはいるが、管理局としては持て余しているという設定を捏造してみました。
で、割かしちゃんと制御できている風であるすずかに、その人たちの事を任せたいと思っているという感じになっています。

P.S

すいません、更新後すぐに少々誤字に気付きまして、大急ぎで直しました。
また、あとがきの方で今後の予定や内容と矛盾する記述があったので、それも削除しました。
ご迷惑をおかけし、申し訳ありません。



[4610] 第45話「密約」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2010/05/15 18:17
SIDE-士郎

今現在、俺は少し困惑している。
それというのも、すずかの家から帰って来てからこっち、どうも凛の様子がおかしい。
「どうかしたのか?」
「……なんでもない」
返って来たのは素っ気ない返事のみ。とてもそうは見えないのだが、何かあったのだろうか。
確か今日は、すずかの家でこれまでの事とかを話してきたはずだが……。

上手く言葉で表現できないが、凛の様子がどこか普段と異なる。
「…………」
あえて急かす事はせず、じっと凛が口を開くのを待つ。
急かしても意味がないし、話せる事なら話してくれるだろう。
というか、わざわざずっと俺の部屋にいるのだから、もしかすると聞いて欲しかったりするのかもしれない。

そうして、どれくらいの時間が経っただろう。
互いに無言で過ごす事数分、遂に諦めたのか凛は重い口を開く。
「はぁ……なんていうか、なのは達とケンカ? ってわけでもないけど、ちょっとあってね」
「ああ、それで?」
「私達の体の事とか、そのほか諸々。色々と話せない事が多いでしょ」
なるほど、な。確かに、自分達の秘密を明かしたところでこっちだけ頑なに秘密を守ろうとすれば、あまりいい気分はしないか。

そう思ったのだが、どうやらそういうわけでもないらしい。
「違う……ってわけでもないけど、あの子達も、別に無理に聞き出そうって気はなかったみたい。
 ただ……アンタの事が心配で、もうこんな事がないように何で暴走したのか知りたくて、でも私はいっこうに何も教えようとしないものだから……ね」
そう言って、凛は自嘲するように笑う。それはまるで「もっと上手くやれれば良かったのに」と語っているようだった。
だが同時に理解する、なんで凛が言い辛そうにしていたのかを。
つまるところ、原因は俺だと言う様なものだから……。

「あの子達の言っている事は正論よ。たぶん、というか間違っているとしたら私の方なんだと思う。
 だけど、話せないものは話せない。別にあの子達を信じていないとか、そういう問題じゃなくて……」
「わかってる。あいつらが話そうとしなくても、情報を絞り出す方法なんていくらでもある。
 なら、いっそ知らない方がいい。俺達にとっても、何よりあいつらにとっても……」
人質、拷問、洗脳、投薬、その他諸々。やり方は色々あるが、倫理や道徳を無視すれば難しくはない。
それはもう、意思の強さとかそういう次元ではないのだから。

何より、知っている事で巻き込まれるかもしれない。
知らなくてもその可能性はあるが、知ればその危険は増す。
あいつらの事を思うのならば、教えず距離を置いた方がまだ安全なのかもしれない。

そういう意味では、頃合いだったのかな。
「となると、これまで通りではいられないな、俺達も」
「そうね。アイリスフィール繋がりではやてとかには教える事になりそうだけど、他はダメかな。
 たぶん、事実上の絶縁状態になりそう」
月村家との関係はなくならないかもしれないが、すずかとの間にあったものは少なからず変わらざるを得ないだろう。ましてや、フェイト達との関係ともなれば反転してしまう可能性が高い。
人間関係というのは、つまるところ信頼関係だ。信頼できない相手を味方や仲間、あるいは友人とは思えない。

「ごめん、もう少しうまくやれたら良かったんだけど……」
「気にするなよ。いずれは…こうなると思ってた」
そう、前からわかっていた事だ。俺達が秘密を秘密として抱え込み続けるのならば、遅かれ早かれはこんな日が来るのはわかっていた。

もし、それまで通りの日々を続けようと考えるのならば、選択肢は多くない。
秘密の存在そのものを隠し通すか、あるいは秘密を打ち明けるか、そんなところだろう。
前者は既に多少とはいえ明らかになっている以上意味を為さない。なら、あとは後者を選ぶか否か。
そして、俺達に後者を選ぶ事はできない。
後者を選べば本格的に巻き込む事になるし、知れば優しいあいつらも今のままではいられないだろう。

いや、もしかするとそれは言い訳でしかないのかもしれない。
あいつらが俺達の過去を知る事が、単に怖いだけではないか。
俺達の手が真っ赤に染まり拭えないと知られる事で、俺達への接し方が変わってしまう事が。
それならいっそ、知られないまま距離を取ってしまった方が楽かもしれない。

「ま、こうなったらなのはとの師弟関係も解消かな。
 なのはもフェイトも、それにはやても管理局に行く気があるみたいだし、それなら向こうでちゃんと鍛えてもらえるだろうから、それなら私もお役御免は当然ね」
「ん? あいつら、管理局に行く事にしたのか?」
「どうもそのつもりみたいよ。なのはは教導官、フェイトは執務官を目指すらしいわ。
まだまだ教えたい事は沢山あるけど、それは向こうで教わってもらいましょ」
そうか。あいつらがそう決めたのなら俺達がとやかく言う事じゃないが、やっぱり心配だな。
あいつらには才能がある。才能を磨き、より高みを目指しているだけの向上心もある。

だが、ああいう仕事をしていくとなれば、当然……
「嫌なものを、たくさん見る事になるだろうな」
「当然でしょ。そういう仕事なんだから」
「ああ、わかってる……わかってるんだ。
……ただ、あいつらは優しいから、きっと沢山傷つく事になる。それが…心配だ」
確かに、人々を助ける仕事というのは素晴らしい。幸せを、日常を守っていく仕事というのは尊い。

だが、その過程は決して綺麗な事ばかりじゃない。場合によっては、その手を汚さねばならない日が、より多くの為に僅かな人々を切り捨てねばならない日が来るかもしれない。
その日が来た時、あの子達が知る嘆きを、絶望を思うと、どうしてもやるせない気持ちになる。
親父も、俺を見てそんな気持ちになったんだろうか。

ならせめて、俺達は伝えるべきではないか?
俺達がこれまでに見てきたものを、知った事を。
それはきっと、あいつらがこの先を生きていく上での糧になる。
だがそれを話すと言う事は、俺達の事にあいつらを巻き込むのと同義。

魔性は魔性を惹き寄せる。この世界の中にあって、俺達は特級の異端だ。
なにせ、次元世界とも違う並行世界からの逃亡者。
世界から受けた修正は精々がこの身を若返らせる程度にとどまったが、この先もそうとは限らない。
場合によっては、将来的にもっと危険な何かが俺達に降りかかる可能性だってある。
その時、あいつらを巻き込みたくない。

伝える以上は、巻き込む覚悟が必要だ。
世界の裏ではなく、世界の闇に巻き込む覚悟。
それが嫌ならば、話してはならない、深入りさせてはならない。
常に一定以上の距離を保ち、決して踏み込ませてはならないのだ。

俺達の身勝手と言えばそれまでだろう。事実としてそうなのだとも思う。
だが、それでも俺はあいつらを巻き込みたくない。
わざわざ、あの優しい子ども達がこちら側に来る必要なんてない。
そもそも俺達は、管理局よりもその敵である『犯罪者』の側の人間なのだから……。



第45話「密約」



SIDE-凛

朝、私が目覚めた時には既に時計の針は十時を回っていた。
今年も終わりが近い。色々あった一年だったけど、とりあえず年を越せそうなのだから良しとすべきだろう。

だが、結局アレからなのは達には会っていない。
会い辛いと言うのもあるけど、会うべきではないのだろうとも思う。
さすがにはやて達にはいずれ会わなければならないけど、それもアイリスフィールが起きてからの話。
それまでは、別に会わなければならないわけではない。

ところが、今日はちょっとばかり雑事の予定が入っている。それは……
「リンディさんが来るのって、確か午後だったっけ?」
「はい。お昼過ぎに来られると」
そう答えたのは、テキパキと朝の支度を整えるうちの使い魔。
さすがに士郎はあんな体じゃ家事はできないので、今は車椅子に乗っかって大人しくしている。
それにしても、どうやら律義に私が起きてくるのを待っていたらしい。
別に、待っていないでさっさと食べててくれてよかったのに。

「何の話だろうな?」
「ま、大方の予想は出来るわよ。どうせこの前の事でしょ」
というか、このタイミングでされる話なんてそれくらいしか思いつかない。
ただ、てっきりもっと早くに動くかと思っていたのだが、少し予想が外れた。
ここ数日の間は一体なんだったのだろう。

「そういえば、そろそろアイリスフィールさんが起きる頃合いか」
「そうね。たぶん年内には起きると思う。もちろん管理局から事情聴取とかされるだろうし、その合間をぬってって事になるから、ちゃんと年内に話せるかはわからないけど」
さすがに管理局からの出頭命令を無視するってわけにもいかないだろう、難儀な話だ。
まあ、こっちは別に急を要する話ってわけでもないから、気長に構えていいだろう。

なにはともあれ、今私達にできる事は決して多くない。
それなら今できる事に意識と力を注ぐべきだろう。
さしあたっては、まずは朝食を楽しむ事かしらね。



Interlude

SIDE-リンディ

海鳴に設置した転送ポートから良く見知った人物が出てくる。
その人物は私の存在に気付くと、軽い笑みを浮かべながら問うてきた。
「待った?」
「いいえ、ちょうどいい時間よ」
そこから現れたのは旧友のレティ・ロウラン。
今はいつもの堅苦しい制服姿ではない。気楽な、それでもそれなりに気合の入った私服で身を固めている。

「でも本当にいいの? 首を突っ込んじゃって。レティは結果だけ待っててくれても良いのに」
「それはこっちのセリフよ。あなたが今からしようとしている事は守秘義務違反、下手すると軍法会議ものよ。その辺の自覚、ちゃんとあるの?」
「失礼ね、当然でしょ。……でも、たぶん今が機なんだと思うわ。この先あの子達がこちらに積極的にかかわってくる事はないでしょうし、今が一番あの子達との精神的距離は近いはずよ。
 ここで慎重になれば、フェイトさん達の事もあるし疎遠になる一方だと思う」
「その意味では闇の書事件は僥倖だったかもしれないわね。その子達との間に、あなたの個人的なものでも一定の信頼関係を築き、なおかつある程度情報を得る事が出来たんですもの」
そう、場合によっては……というか、闇の書事件がなければ私達と凛さん達の関係は半年前から一歩も進む事はなかっただろう。それが、多少とはいえ信頼を勝ち取り、彼女達の情報を得る事が出来た。この事件がなければ、今頃私はあの子達に対し半年前と同じ認識しか持てていなかっただろう。

「で、もう一度聞くけど、引き返すなら今のうちよ。今引き返せして素知らぬフリを通せば、まだ言い訳がたつわ。だけど私と一緒に来れば、あなたまで局を追われる事になりかねない」
「あら、手柄を一人占めにする気?」
私の問いに、レティは悪戯っぽく片目を閉じて応じる。
確かに、もしうまくいけばとんでもないほどの大手柄かもしれないけど、その望みは薄い。失敗する可能性が高いとかではなく、例え成功しても上が私達の独断専行を許さないだろうと言う意味で。

成否の確率でいえば、私は勝算があると思ってる。だけど、たぶん客観的に見れば三割にとどけば上等ね。
これはそれだけ分の悪い賭けなのだ。
その上、仮に成功しても上層部からは良い目で見られないだろうし、かなりの高確率で降格か左遷か、場合によっては免職か。いや、それこそ背任行為と判断される事もあり得る。そうなったら監獄行きかしら?

本当なら、レティがわざわざこんな分の悪い賭けに乗る事はない。
そんな大手柄など狙わなくとも、彼女はいまも順調に出世街道を進んでいる。
欲をかかずに手堅くやっているだけで、十分高い地位を望めるのだ。
確かに大手柄があればより早く、より高い地位に就く事もできるだろうけど、今回のそれは割にあわない。
その意味でいえば、レティの言っている事は打算としてすら成立しない。

それに、いい加減長い付き合いだ。偽悪的な言い分でこそあるが、その真意は分かっている。
責任分散、つまるところそれが狙いなのだろう。
私一人であればその責任は私一人に問われる。が、それが一人増えれば少しは個人に問われる責任も軽くなる。そういう考えなのだろう。たとえそれが、本当にごくわずかな軽減なのだとしても。
そうでなければレティの行動は説明がつかない。

とはいえ、そうとわかっていても素直にお礼を言うわけにはいかない。彼女がそんな事を望んでいないのは、その慣れない偽悪的な言い分からも明白だ。ならば、レティの気配りに答える方法は一つだろう。
「まったく、あなたも意外とバカね」
「良いでしょ。偶にはバカにならないとやってられないわよ、この仕事」
その意味でいえば、私達がこれからやろうとしている事はその極みかもしれない。
確証はない、証拠もない。あるのは穴だらけの状況証拠と私個人の憶測だけ。

でも、用心深いあの子達がこの先さらに情報を漏らすとは考えにくい。またこの世界で何か起こればその限りじゃないけど、そう何度も同じ世界、それも管理外世界でこれだけの騒動は起きないだろう。
それに、アレがいつ実現するかわからないこの状況だと、ここで慎重になるのは無益に思う。
とはいえ、上にかけあってもその重い腰を動かすとも思えないし、なら勝手にやるしかない。
この際、私やレティの首と引き換えに事態が良くなるのなら安い買い物だろう。

管理局には未練も執着もあるが、だからと言って固執しようとまでは思わない。
職を失ってすぐに生きていくのに困るようになる、と言うほど経済的にも苦しくない。
それに、私もレティも自分の能力にはそれなりに自信もある。
ならば、管理局を追われても身の振りようはあるだろう。

それにアレだ。要はバレなければいいわけで、彼女達がそうでなかったら口止めすれば問題はない。
借りは高くつきそうだけど、それくらいは覚悟の上。
ただ、出来るなら彼女達がそうでなければいいのに、と思う自分の矛盾した感情には手を焼いてしまうが……。
こればかりは、自分でもどうにもならないのだから諦めるしかないか。

Interlude out



SIDE-凛

昼食を終え、食後のお茶を飲んでいる時にその人達はやって来た。
同伴者がいる事は予想していたが、その同伴者は私の予想と異なる。
てっきりクロノかエイミィ辺りを連れてくるかと思ってたんだけど……そこにいたのは、眼鏡をかけたリンディさんと同年代と思しき見知らぬ女性。

とはいえ、あまり奇異の視線を向けるのも失礼か。
とりあえず家の中へと通し、リニスにお茶を淹れてもらう間に挨拶をすませる。
「よくおいで下さいました、リンディさん。えっと……」
「こちらは時空管理局、本局運用部のレティ・ロウラン提督よ」
「レティ・ロウランです。噂は常々伺っています。はじめまして遠坂さん、衛宮君」
「こちらこそ」
握手を求められたので、とりあえずそれに応じる。
士郎の方でも、痛む体をなんとか動かして差し出された手を握り返す。
運用部……人事関係の職場なのかしらね。

「それで、今日はどのような御用向きでしょう? 大切な話がある、としか伺っていませんが」
「そうね、あなたはどんな話だと思う?」
私の問いに、リンディさんは悪戯っぽい笑みを浮かべながら問い返す。
その表情からは、その内心をはかる事はできそうにない。

「なのは達の話……というわけではなさそうですね」
「あら、なんでそう思うのかしら?」
「用件がそれだけならもっと早く来たのではありませんか? 実際、あなたはもっと早く来ると思っていましたし。それにレティさんが同行している事から考えて、おそらくは管理局の公用に近い用件だと思います」
だが、完全な公用というわけでもないのだろう。
もし公用であるのなら管理局の局員として会いにきているはずだが、今回はそういうわけではない。

まあ、だからと言ってこの人の考えている事が読めているわけでもないのだが……。
「別に、あなた達の事を心配していないわけではないわ。それも用件の一つである事は事実ですもの」
「ええ、その点は疑っていません。あなたは“あの子達”を大切にしておられるようですから」
意識的に、なのは達と私達は別だという旨を言外に伝える。
今のところ亀裂は決定的なものではないかもしれないけど、それも時間の問題だしね。

「あなた達が何を隠しているのか、その内容も理由も正確にはわかっていない。安易に『教えてあげて』なんて言えないわ。でもこの何日か、あの子達はみんなどこか悲しそうにしている。
 だから、出来れば話してあげて欲しいとは思っているわ」
「それに返事をする必要はありますか?」
「いいえ。あなた達の事ですもの、その事もちゃんと理解した上で口を噤んでいるのでしょう。
 なら、私がどう懇願したところで意味はないと思う」
そう、なのは達の気持ちは一応理解しているつもりだ。
それを踏まえた上で『教えない』という選択肢を選んだ以上、今さらその点に言及されても考えは変わらない。

だが、そこでリンディさんは強い決意を宿した表情でこちらを見やる。
「でも、あの子達があんな顔をしている事を私には良しとする事は出来ない。
 だからお節介かもしれないけど、私なりのやり方でその壁を取り払おうと考えているわ」
「ふ~ん、具体的には?」
「あなた達の秘密を、引き出すのではなく暴く事で」
「やめなさい!」
強めの口調で静止の声をかける。ただし、それはリンディさんに向けてのものじゃない。
今まさに敵対行動に出ようとした、士郎とリニスに対してだ。

「ですが、凛!」
「良いから、アンタはお茶をお出ししてこっちに来なさい。士郎も魔術回路を止める、いいわね。
 まったく、丸腰の相手にケンカ吹っかけてどうすんのよ」
「……わかった」
二人は渋々といった様子で私の指示に従う。だが、その体は未だに緊張と敵意を帯び、何がきっかけでそれが激発するかわからない。そんな緊張感が場に満たしている。
止めるのがあと一瞬遅かったら、はてさてどうなっていた事やら。

「無礼をお許しください。ですが、聞き捨てなら無い言葉であるのも事実ですね。
秘密を暴く、あまり良い趣味とは言えませんが?」
「ええ、それは先刻承知の上よ。そして、たった今その恐ろしさを再認識したわ。
 でも、私としても引き下がれない理由があるの」
リンディさんとレティさんの額には汗が滲み、その言葉が嘘でない事を明確に物語っている。
危険と承知の上で、それでもなおそこに踏みこもうってわけか。

ふむ、それだけの覚悟があるのならとりあえずは聞くだけ聞いてみよう。
動き方を決めるのはそれからでも遅くない。
「凛さん、士郎君、これから話す事は全て私の憶測であり、まだ管理局の上層部には報告していません。
 この意味が、聡明なあなた達にならわかるわよね?」
「……つまり、ここで口を封じれば?」
「上層部はもちろん、他の誰かにあなた達の秘密が漏れる事もないわ。私の推理は、まだ誰にも話してはいないし、形として残してもいない。得た情報もそのほとんどが未整理に近い状態よ。
つまり、整理された情報は私の中だけという事になるわね」
なるほど、たいした胆力だ。自分の命を代価に、私達を同じ土俵の上に引きずり出そうと言うわけか。
どこまでが本当かは測りきれないが、事実として仮定した場合、最悪この場で消してしまえば秘密を闇の中に葬る事もできると言いたいらしい。

しばし思案する。さて、この誘いに乗っていいものか。確かにこちらとしては願ってもない状況だが、それを鵜呑みにするわけにもいかない。そんな私に向け、リニスは気遣わしげな視線を送り、士郎は口に出して問う。
「どうするんだ?」
「あんたはどうしたらいいと思う?」
「俺はお前と違って頭がいいわけじゃない。
だが、カードが伏せられたままじゃ判断のしようがないって事くらいはわかる」
「そうね、そのとおりだわ。
 それではリンディさん、聞かせていただけますか? あなたの推理とやらを」
もし、本当にもし全てを暴かれていたとしたら、最悪の手段に出なければならないか。
その時に備えて、準備だけは進めておくとしよう。ただ、暗澹たるこの気分だけはどうしようもないけど。
的外れな推理であれば一番だが、それは聞いてみないとわからないからなぁ。

「わかりました。では、単刀直入に申し上げます。
 凛さん、士郎君。あなた達はこの世界の住人ではありませんね。それどころか、次元世界からの渡航者や次元漂流者でもない、並行世界からの来訪者」
「これはまた、突拍子もない事を……」
いきなり喉元に刃を突き付けられた気持ちだが、それを押し殺して冷笑を浮かべる。
リニスはその辺の事をまだ詳しく知らないから問題ないとして、士郎は……慣れたもので無表情を貫いている。

「ええ、私も突拍子もない事だと思うわ。
でも幾つかの状況証拠から考えるに、それが一番可能性が高いと思う」
「その状況証拠とは?」
「第一に、非常に巧妙かつ周到に偽装されているけど、あなた達には半年以上前の足跡が無い事。
 第二に、この家は正式な住人、つまりはあなた達の事ね。住人が現れる少し前から人が住んでいたと言う情報があるわ。おそらく、それもあなた達ね。それってつまり、その時点のあなた達は住居さえ無い状態だった事を意味する。それ以前に家があったのなら、次の家を用意してから行動していたはずよ。少なくとも、私の知るあなた達はそんな行き当たりばったりの行動をする様な人間ではない。
 他にもいろいろあるけど、重要なのはこの二点ね。
 その意味するところは、あなた達は一切の地盤もなく、準備も出来ていない状態でこの街に現れたという事。
 また、次元世界からの渡航者であるのなら魔法を知っているはずだし、漂流者であるのなら元の世界に帰りたがる、ないし違う世界の出だと申告できるはずよ。少なくとも、それを隠す理由というのはない」
「確かに、私達がこの世界で生きてきたと言う割にその存在が希薄というのはわかるけど、それだけじゃ弱いわ。
 社会的に存在しない事にされた人間と言う可能性もある。
 それに、以前も言ったでしょ? 私に並行世界への転移はできないって」
「そうね。でも、アイリスフィールさんの事はどう説明するつもり?」
ちっ、イヤなところをつかれた。

「彼女にもあなた達と同様の事が言えるわ。いえ、むしろ偽装という点ではかなり粗雑と言わざるを得ない。彼女には戸籍が無く、はやてさんの家に現れる以前の足跡もないんですもの。
 だけど、彼女はあなた達と同じ魔術師。魔術師自体がそういう人種なのかもしれないけど、それだけで説明するのは無理がありすぎる。
 そしてこれが最も重要なのだけど、あなた達はやけに彼女の肩を持つように思えるわ。同胞のよしみかとも思ったけど、それだけにしてもやはり不自然よ。クリスマスの時も、あなた達はわざわざリニスを彼女の護衛につけた。つい先日も、アルテミスの為に協力を惜しまなかった」
たしかに、見る者が見れば不自然に映るだろう。
私達が「同じ魔術師」である、という程度の繋がりであるにしては親身になり過ぎている。
実際、それだけの繋がりってわけでもないしね。

そこで一度息をついたリンディさんは、窺うような視線でこちらを見る。
「私は何も、あなた達が打算でしか動かない冷血な人間とは思わない。だけど、あそこまでする理由が『士郎君の義母と同名の魔術師』というだけだと、正直不自然さを感じてしまう。
おそらく、彼女はあなた達にとって何かしら縁のある人なんじゃないかしら? もしかして、本当に……」
リンディさんは、あえてそれ以上は語らない。さすがに、死んでいるはずの人と聞いて、まさか蘇ったとまでは思えないのか、或いはそれ以上を語るのはさすがに出過ぎていると思ったのか。

「話が逸れたわね。とにかく、私の知る魔術師が全員過去におけるその存在が希薄で、なおかつそのうちの一人はその隠蔽の仕方があまりに拙い。あなた達にしても、この街に現れた当初はどこか行き当たりばったりな感がある。
それはつまり、あなた達にとってこの街に来た事は予想外、ないし十分な準備のできない状況だった事を意味するはずよ」
「ふ~ん…仮にそうだとしても、並行世界というのは飛躍しすぎじゃないかしら?」
「でも、あなたはそこに向けて孔を通す事が出来る。なら、あとはその規模の問題でしょ? そこにどれだけの技術的障害があるか私にはわからないけど、準備さえ整えばそれが可能なんじゃないかしら? 或いは、他にできる人がいるのかもしれない。
 あなた達は滅多に嘘をつかないけど、必要なら嘘もつくでしょうし、その辺りはなんとでも推測できるわ」
ま、確かにそれはその通りだけどね。実際、準備さえ整えれば可能ではあるのだ。どこに出るかわからないし、準備に何十年かかるかわかったもんじゃないけど。

「まあ、並行世界から来たと言うのはそこまで重要な問題じゃないから、今は置いておきましょう。
 ただ、私はそう確信している。それだけは承知しておいてちょうだい」
奇妙な物言いだ。普通に考えて、並行世界からの来訪者というのは決しておざなりにしていいものではない筈なのに。一体、この人は何を考えているのだろう。

とはいえ、わざわざその辺を追及してボロを出すのも馬鹿らしい。
そうなると、ここはダンマリを決め込むしかないか。
「次に士郎君の能力とその暴走ね。たぶん、あの子達にとってもこっちの方が重要でしょう」
「なら、先にそこから入ればよかったと思いますけど?」
「そうね。でも、この話をするための前提として、あなた達が並行世界からの来訪者である可能性に触れておかなければならなかったから」
それにしても『あの子達にとって“も”』か。それはつまり、この人達にとってもそっちの方が重要という事。
さて、その意図は何処にあるのやら。

「今でこそだいぶ克服されているけど、かつて次元間転移には多くの技術的障害と副作用があったわ。実際、今でも妊産婦や新生児の次元間移動は原則禁止されている。
私は、それが並行世界の転移にもあるのではないかと考えているわ」
「つまり、士郎の能力の暴走は制御を誤ったのではなく……」
「並行世界からの転移により、何かしらの異変があなた達の体に起きた事が原因なんじゃないかしら?」
良い所を突いてくる。どれもこれも物的証拠のない憶測にすぎないが、リンディさんの推理はたいしたものだ。
実際、私もその可能性は否定できない。確かに人形の体による魂と肉体の齟齬が主な原因だろうけど、それだけとは言い切れないのも事実だしね。

だが、この話はここで終わりはしなかった。
「その異変にも、私なりの仮説があります」
「……お聞きしましょう」
「あなた達はもしかして、肉体的な時間の遡行、つまり若返りを果たしたんじゃない?」
隣に座る士郎が僅かに息を飲むのを気配で察する。背後のリニスもまた、驚きが気配となって伝わって来た。
それにしても、驚いたわね。一体何を以て、そんな突拍子もない結論に至ったのやら。
事実、リンディさんの隣に座るレティさんも驚きに目を剥いている。

「以前から疑問に思っていたわ。あなた達は外見年齢とは不釣り合いに大人びているし、戦闘経験の豊富さ、技術の高さが目に付いた。当初はそれだけの経験を積み薫陶を受けてきたのかとも思ったけど、それにしても常軌を逸している。
 そこで私が立てた仮説は二つ。一つは先程の若返り。もう一つが、老化の停滞よ」
「待って下さい、幾らなんでもそんな無茶苦茶な!」
リンディさんの話に、リニスが首を振ってあり得ないと言う。その所作に僅かな違和感を覚えたのは私だけなのか、それとも……。まだリニスにはちゃんとは教えていないけれど、これまで折りを見て話してきた思い出話を総合すれば、その結論に至っていても不思議はない。たぶん、リニスはわかっていて次元世界の常識としてあり得ないと言っているのだろう。

「無茶苦茶、ね。私もそう思うわ。一応こっちの技術にもアンチエイジングやそれに類するモノくらいはあるけど、それにしても凛さん達のそれは度を越している。普通に考えればあり得ない。
 でも、私達は魔術に対してあまりにも無知よ。だからこそ、そんな無茶な仮説を立てる事が出来る」
時に、専門家よりも無知な素人の方が真実に近づく、というのは往々にしてある事だ。今がまさにそれ、か。

「私が老化の停滞を棄却したのは、子どものままで居続ける事にあまりメリットを見いだせなかったからよ。老化の停滞というのなら、こちらに来る前に果たしていなければその肉体年齢で固定されていない筈だし、あなた達の外見年齢に不相応な精神的・能力的な成熟も説明できない。
同様に、わざわざ子どもに戻る意味もないのだから、その姿はあなた達にとっても不本意なんじゃないかしら。
それに、アイリスフィールさんも魔術の行使で体調を崩している。未完成なせいか、それともどうやっても回避しえない理なのかはわからない。だけど、並行世界の転移は魔術師の肉体に何かしらの変調をきたすんじゃないかしら?」
アイリスフィールの変調に関しては私にもまだ理由はよくわかってないけど、その可能性はあるか。
それにしても、アイリスフィールというピースがかなり彼女の思考展開に寄与してるのは何の皮肉かしらね。

そうして、リンディさんはこの件に関する締めに入る。
「以上の事から、あなた達は並行世界の転移により肉体的な変調をきたし、その結果若返った。そして、若返らせる原因となった変調が、士郎君の魔術行使に思いもよらぬ影響を与え今回の暴走に至った。
私はそう考えています。それなら、凛さんがあらかじめ何の準備をする事もできなかったのも頷けるわ。
あなた達にとっても、その負傷は完全に予想外のものだったんじゃない?」
まったく、本当につくづく良い所を突いてくる人だ。
もしアイリスフィールの事がなければここまで迫られる事もなかっただろうけど、それにしてもだ。

そして、だいたいこの人の言いたい事もわかった。
「これを肯定するも否定するもあなた達の自由よ。なんなら、私の妄想と一笑に伏すのもいい。ただ……」
「あの子達が同じ様に考えるかもしれない。ならいっそ、自分から説明してしまえって言いたいのでしょ」
リンディさんは答えず、ただ肩を竦めるにとどめた。
下手をすればこの場で殺されるかもしれないのに、というか自分からそう誘導したくせに、良くもまあぬけぬけとそんな事が言える。感心するのを通り越し、いっそ呆れ返ってしまいそうなまでの剛毅さだ。

「私はね、一応今の推理にそれなりに自信を持っているわ。だけど、同時に別に間違っていても良いと思っているの。イヤな言い方になるけど、これならあの子達を納得させられるはずよ。
 それであなた達の仲が改善されるなら、事の正誤はそれほど重要じゃない。そうは思わない?」
「嘘も方便、って事かしら?」
「あら、もう少し表現に留意してほしいわ。そうね、終わり良ければ全て良しといった所かしら」
あんまり変わらないじゃない。

そこで、軽い感じで話していたリンディさんは真剣な様子を取り戻し、再度私の目を見て話しかける。
「凛さん」
「なにかしら?」
「私の推測が正しいと言う仮定の上での話になるけれど、どうかお願い、フェイトさん達に話してあげて。真実の全てを、とまでは言わない。なんなら、今私が言った事をそのまま使ってくれてもかまわない。
 私はあの子達のあんな顔をこれ以上見たくないの。私にできる事であれば、どんな条件も飲むつもりよ」
「随分と気前よく白紙の小切手を切ってくれるんですね」
「あの子達の笑顔には、それだけの価値があると思っているわ」
その眼はどこまでも真摯で、信じるに足るものがあると思う。

だけど……
「それじゃ、私もあなたの予想が正しいと言う仮定の上で答えましょう。
 それを知ると言う事は、あの子達がこの先余計な事に巻き込まれる事を意味する。その程度の事、あなたにわからない筈が無いわ。
異端は異端同士惹かれあう。いつかあの子達はこれまでと違う、私達のトラブルに巻き込まれる日が来るかもしれない。そしてそれは、これまでの様に救いのあるものとは限らない。それどころか、一片の救いすらないかもしれない。魔術とはそういうものよ。
保身がない、なんて綺麗事は言わない。だけど、それでもあなたはあの子達に話せと言うの?」
「最後に決めるのはあの子達自身よ。でも、あの子達はきっとそうやって部外者にされる事をこそ望まないんじゃない?」
そりゃね、確かにあいつらはそういう連中だ。
でも、それは今の段階での話。もしいつかその時が来た時、あいつらがその選択を後悔しないとは誰にも言いきれないではないか。

だがそこで、リンディさんは酷く陰鬱な表情で意味深な言葉を呟く。
「それに、どのみち『手遅れ』なのかもしれない」
「手遅れ?」
「凛さん、その前に士郎君の能力の話に移っても良いかしら?」
何か気になるけど、この様子ならその話が終われば話してくれるか。
にしても、あの表情は何なんだろう。まるで、この世の終わりみたいに不景気な顔してたけど……。
なにか、余程嫌な事を思い浮かべたのだろうか。

ま、今は気にしても仕方ない。
「別にいいけど、いまさら士郎の能力の話なんてしてどうするつもり?」
「あら、かなり重要な話だと思うわよ。だって、彼の能力は転送なんかじゃないんでしょう?」
その眼には確信の光がある。まさかとは思うけど、さすがにその本質にまでは至ってないでしょうね。
そこに手をかけられたら、それこそ本当に口封じにかからなければならない。

並行世界の転移に関しては、それこそ他人のおかげという風の言い訳もできる。若返りにしても、似たような魔術の情報を渡して話を反らす事が可能だ。
だけど、ここに踏みこまれてしまうのだけは許容できない。
リンディさんはともかく、そこから万が一にも漏れた場合、最悪の事態が待っているかもしれないのだから。
これは、本当に口封じ(殺害)を考える必要があるかもしれない。

だが、まずは聞くだけ聞いてみないと判断できないか。この人がどこまで知っているかにもよるしね。
「以前から疑問ではあったの。士郎君の能力は『武装転送』だと言うけど、私達には転送時に起こる空間の変化を全く観測できなかった。士郎君の転送はあまりにも『静かすぎる』。術式の違いと言えばそれまでかとも思ったけど、それにしてもよ。
その上、士郎君は何度も自分の武器を爆破させている。なかには貴重なはずの概念武装まで。ジュエルシードの時は緊急事態だったから不思議はない、だけど今回の事件でも少なからずそれはあったわ」
確かに、その辺りはもっと慎重になるべきだったか。士郎にとって武器の爆破は基本戦術の一つ。相手が相手だし、下手に制限するとそれこそ命取りになりそうだったのであえて何も言わなかったけど、不味かったかな。

「ですが、それだけで士郎の能力が転送でないと考えるのは早計でしょう」
「そうね。実際私もそう考えたわ。士郎君の武器はもしかすると同じ物が幾つもあって、それを転送しているんじゃないかと。或いは、彼が持っているのは武器の製造技術なのかもしれない、とも。
 だけど、幾つかの情報から別の可能性に気付いたわ。その代表が、シグナムの言った『投影魔術』という単語よ。同じ魔術師を擁する彼女らの言葉であるのなら、その信憑性は高い。投影魔術がどういうものであるかは結局聞けなかったけど、それでもその名称から推測する事は出来る」
「…………」
あえて何も答えず、無言を通す。
下手な事を言うと、肯定はもちろんそれが否定でもヒントを与える事になりかねない。

しかしそんな私を特に気にせず、リンディさんは言葉を紡ぎ続ける。
「少なくとも、名称から考えて転送系のものじゃない。おそらく、士郎君は自身の魔術であれらの武器を『創って』いるわね。
それも真っ当な製造方法じゃない。投影とは『モノの影を平面に映し出す』事。そこから想像できる能力は、一種の『複製』なんじゃない? オリジナルの影を現実世界に映し出す、それが士郎君の魔術だと考えました」
やっぱり、そういう結論に至るか。
名は体を表す。逆を言えば、名を知る事で体を浮き彫りにできるのだ。

でも、だとしても反論の余地はある。
「それこそあり得ませんね。概念武装級の魔力を士郎一人で捻出できるはずがありませんもの。たしかにそれなら幾ら爆破しても問題はないでしょうが、士郎の魔力量との折り合いがつかない」
そう、だからこそ衛宮士郎は封印指定足り得る。
本来なら不可能なはずの宝具の投影を、完全に行えてしまうその異端。
魔力量の問題だけじゃない。本来なら劣化品しか作れない筈の投影で、半永久的に存在し、なおかつオリジナルとほぼ同等の能力を持ったそれを作る事が出来るのだから。

だがそこで、リンディさんは私の視線から目を外しあらぬ方向を見る。
「ところで、この国には『九十九神』や『八百万の神』という信仰があるらしいわね」
「それが何か?」
「大切にした物に魂が宿る。あるいは、その辺りの小石や草花をはじめとする森羅万象の全てに神様、魂や命と言い換えても良いけど、それらが宿ると言う実におおらかな思想らしいわね。私は素敵だと思うわ」
ふむ、よく勉強しているわね。普通に考えれば、こんな辺境の地の信仰について良くもここまで調べたものだと思う。

だけど、それが一体なんだというのか。
「私はこの思想を知った時、ふっと思ったわ。それらの魂を器から剥がし、良く似た新しい入れ物に移し替える事が出来るとすれば……限りなく本物に近い偽物を作る事もできるんじゃないかって」
「…………机上の空論ね」
「そうね。これもまた、無知であるが故に可能な推測よ。だけど、別の入れ物に中身を移し替える、それが可能である事を教えたのはあなた。あなたの弟子である士郎君に、似たような事が出来たとしても不思議じゃない。そして、彼の属性の関係から白兵戦武器にそれが限定されているとしたら辻褄も合う。
 魂の定義なんて私達にはできない。だから、その中に特殊能力や魔力も含まれていたとしても不思議じゃないわ。
 そして私はこう考えた。士郎君は『投影魔術』で『空の入れ物』を作り、その中にかつて収集した武器達の魂を込める事でそれを再現しているんじゃないかって。そして、それなら幾ら爆破しても、核となる魂さえ損なわなければ消耗品の様に使えるはずよ。だって、武器そのものは魔力さえあれば『無限』に確保できるんですもの」
完全な正解ではない。点数にするのなら精々五十点に届くかどうかという処だろう。

だけど、厄介なのは否定する材料がこちらにない事。
いや、材料はある。しかし、その材料を使って否定する方が不味い。
否定すればより一層士郎の異質さが際立つし、より真実に近づかれる可能性だってある。
満点ではないにしろ、要点を押さえられている時点で既に詰まれたも同然。
これ以上の抗弁は、かえって害悪になりかねない。

救いがあるとすれば、士郎の体をどうこう、とかって考えになりそうな推理じゃない事かな。
士郎がしているのは、魔力で物質を編むところまでと思ってくれてるみたいだし。
さすがに、その中身も含めてすべて『複製』しているとは思わないか……。
ま、絶対にこっちからは口にできない領域だし、ありがたい話だけど。

それはそれとして、リンディさんの話は続く。
「とはいえ、本来魔力というものは外に出したら拡散してしまう。私達の場合、擬似的な物質化はできても半永久的にそれを継続する事は出来ないわ。あなた達の場合どうかはわからないけど、今回は私達の常識に無理にでも当てはめるとするとして……その場合、士郎君の能力はさしずめ『魔力完全物質化能力』とでも呼ぶべきものね。少なくとも、私達は士郎君の武器を確かにそこにある物質として観測していたから。
まあ、一般的な投影魔術がどんなものかまでは分からないけど、それが私の推測よ」
『魔力完全物質化能力』か。なるほど、言い得て妙だ。
確かに士郎の能力はそういう側面を持つ。とはいえ、本当にヤバいのはそこじゃないんだけど、この人達にとっては一種のレアスキル程度の認識で済むらしい。まったく、羨ましい限りだわ。
まあ、その本質を知ってもなおそのままであるとは限らないけど。

「それにしても、本来魂だけの存在を物質的に存在させてしまえるなんてね。自分で言っておいてなんだけど、悪い冗談かB級のホラー映画だわ。だってそうでしょ、ある意味物質界への“侵略”みたいなものなんだから」
「ふ~ん。言っておくけど、魔術師としては侮辱よ。ホラー映画は神秘の世界を再現しようとしているわけだから、そんなものと一緒にするなって文句の一つも言いたいところだし」
「ああ、確かにそうかもしれないわね、御免なさい。ところで、この場合何も言及しないのは肯定と取っていいのかしら?」
「ご自由に解釈なさればよろしいんじゃない?」
まったく、本当に性質が悪い。完全に的外れとも言い切れない程度には近くて、だからと言ってドンピシャとは言えない程度には外れている。下手な事を言うと、それこそ自分達の首を絞めてしまう。

と、そこでリニスと士郎から念話が入る。
『凛、どうするんですか?』
『ここは俺達の領域だ。いざとなれば、拘束して記憶の消去も不可能じゃないが……』
『やめておきなさい。確かにそれは可能だけど、リンディさんがバックアップを用意していないとは限らない。
 ここで記憶を消すなり何なりしても、それがあれば結局はばれちゃうんだから』
不味いなぁ、これは本当にトンズラする事を考慮しないといけないか。
ホントに嫌になるわ。せっかくの平穏な生活だってのに、まさか余計な騒動が起こった挙句、たった半年で逃亡生活に逆戻りとかつくづく笑えない。

ま、こうなったら毒を食らわば皿までか。どうせだし、最後までこの人の推理につきあってやろう。
対策を講じる時間稼ぎにもなるし、どの程度まで迫られているか確認する上でも必要だ。
「しかし、なかなか興味深い推理ですね。そのついでというわけではありませんが、士郎が最後に使った奥の手に関してはどのような見解なのでしょう?」
「そうね……アイリスフィールさんが『固有結界』と漏らしていらっしゃったし、結界の一種なんじゃないかしら。ちょっと信じがたいのだけど……」
『ちょっとリニス、そんな事言ってたのあの人』
『あ、はい。そういえば、確かに言っていました』
マジ? 勘弁してよね、ホントに。

そんな私達の様子には気付いていないのか、リンディさんは思案するように言葉を選びながら考えを口にする。
「おそらくだけど、私達の使う結界魔法の様なものなんじゃないかしら? アレは空間の一部を切り取って特殊な効果を付与させる事もできるけど、士郎君の使ったものも似たようなものだと思うわ。
たぶん、あそこが普段士郎君がさっき言った魂を保存している牢獄、と考えるのが自然かしら。それに、士郎君の能力が魔力の物質化なら、やりようによっては別の地形を魔力で構築する事も出来るかもしれないし……」
さすがに「心象風景を具現化し、現実を侵食する事で世界の法則を部分的に書き換える」なんてトンデモ話は思いつかなかったか。いや、この人の言ってる事も十分過ぎるくらいのトンデモ話なんだけどね。

「それで、ちょっと良いかしら?」
「なんでしょう」
「先生を前にした生徒としては、テストの点数が気になるところなんだけど……」
「その生徒の進路を聞かない事には何とも言えないわね」
確かに、士郎の真実に近づかれた事は問題だが、一番の問題はそこではない。
問題なのは、この人の目的がどこにあるのか、それが未だに測りきれない事。
目的の所在によっては強硬策も必要だろう。でも今まさに殺されるかもしれない、それだけのリスクを背負ってまでこうして謎解きをする、その理由がわからない。そして、それがわからない間は迂闊な行動は慎むべきだ。

剣呑な雰囲気が部屋を包み込む事数分。
どうしたものやらと悩んでいた所で、レティさんが一枚の紙片を私達の前に出した。
「これを、見てもらえる?」
「何これ?」
機先を制されたせいもあるし、なによりその真剣な表情に促され大人しく受け取る。
変わらずに正面に座る二人を警戒しつつ、手に取った紙片に目を移す。
隣の士郎、背後のリニスもそれに倣い紙片を見る。

そこに書かれていたのは、思いもよらぬ事柄だった。
『遥か遠き地より訪れしは、赤き騎士と原初の探究者。
彼の者達は世界を侵す者、世界を穿つ者。繰るは古に置き去りにされし、禁忌の業。
虚構の剣と虹の宝石が織り成す、忘れ去られし神秘の輝きが、新たな時代を照らすであろう』
という内容。
どこから来たものか知らないけど、随分とまた厄介な……。

知る側から見れば一目瞭然……とまでは言わないが、だいぶ自分達と合致する内容である事はわかる。
今までの謎解きは、全てこれを見せるかどうかを判断するための材料でもあったわけか。
それに、この人達がやけに私達の拘っていたのはこれのせいって事よね、この様子を見るに。

それにしても、やけに古臭い内容の文章だけど、どこから引っ張って来たものかしら。
「それは古代ベルカ式の継承者であるとある人物のレアスキルによって記されたものよ。
 能力名は、『預言者の著書(プロフェーティン・シュリフテン)』。最短で半年、最長で数年先の未来を詩文形式で書きだす、いわゆる預言ね」
「随分とまた、非科学的なものを……って、私が言えた義理じゃないか」
「いえ、案外非科学的とも言えないの。一応その仕組みそのものは解明されていて、世界中に散在する情報を統括・検討し、予想される事実を導き出すデータ管理・調査系の魔法技能よ、再現こそできないけど」
「的中率は?」
「本人曰く、良く当たる占い程度ね」
ま、そんなところか。私達の感覚で言いかえるのなら、予測型の未来視に近い能力だろう。的中率こそ低いが、そのかわり範囲の広さは比較にならないと言ったところか。

「なるほど、今までの情報だけだと思考の展開がちょっと飛躍しすぎな感があったんだけど、根底にはこれがあったってわけか。あ、ちなみに採点はカンニングしてたみたいだから零点ね」
「あらあら、手厳しい。でも、確かにカンニングには違いないわ」
「それで?」
「それで、とは?」
「だから、わざわざ見せた以上私達がこの預言の対象だって言いたいのはわかってる。だけど、これだけのはずが無いわ。これだけなら、ただ単に『そのうちこんな奴が出てくるぞ』って言ってるだけじゃない。
 その程度の事にあなた達が命をかける意味も意義もない。なら、命をかけるに足る何かがあるんでしょ?」
そう、これだけなら別にそこまで重要な事じゃない。いてもいなくても、なにか影響がありそうな文面じゃない。
まあ、新たな時代を照らすなんて大仰な事は書いてあるけど、それにしてもだ。

「やっぱりわかる?」
「はん、白々しい。その事も考慮して見せたくせに」
「じゃあ、あなた達はこの預言の二人で間違いない?」
「そんなの知らないわよ。リンディさんの推理が正しければその可能性は高いけど、確認する術なんてないわ。
 確認したいなら、その傍迷惑な預言を書いた本人を引っ張ってきなさいよ」
確かにそれっぽくはあるけど、結局のところ確証なんてないのだ。
広い次元世界、これとよく似た能力を持った人物がいる可能性だって否定しきれない。
有力候補であろう事は認めるしかないけどさ。

ところが二人の様子が芳しくない。だがそこで、レティさんの方が口を開く。
「凛さん、あなたの言うとおりこの預言はこれで終わりじゃない。むしろその大半を削って、なおかつ少し改ざんしてさえいるわ。だけど、それにはもちろん理由があるの。
 本当の預言は局でも最高機密。もし部外者に漏らせば、即刻私達の首は飛んで流刑地送りでしょうね。
だから、あなた達に約束してほしいの。時が来るまで決して漏らさず、そしてどうか私達に協力してほしい」
「ふ~ん、でもあなた達の予想通り私達が並行世界からの来訪者だとしたら、事と次第によっては逃げ出すかもしれないわよ」
「それはないわ」
「なぜ?」
「これは推測…というよりも願望だけど、あなた達としても並行世界の転移は容易に行えないはずよ。そんな反作用があるんですもの。次はどんな反作用があるかわからない。少なくとも、今すぐ逃げ出すなんて真似は出来ない。それに、それだけの大反則ですもの。きっと準備も大変な筈、と思いたいわね」
まあ、実際リンディさんの言う通りなんだけど。確かに反作用も怖いしその準備を整える事自体がえらく時間がかかってしまうから、というのも事実だ。

とはいえ……
「いいから見せなさい、話しはそれからよ。ま、別にあなた達の将来なんて興味はないしね」
「レティ」
「…………わかってるわ」
そうして、レティさんはゆっくりとした動作で、先程より幾分か大きい紙を懐から出した。

それを受け取った私は、他の二人にも良く見えるように広げその文面に目を通す。
良く見れば、それは前半と後半の二節に分かれている。

『かつては栄え、今は滅びし都にて、夜に蠢く化生が目を覚ます。
彼の者は、長き時を経て蘇りし、死者を統べる屍の王。
その瞳は生の綻びを見抜き、その爪を以てすべての生者に終焉を強いる。
 王は不老にして不滅。命の雫を吸い上げ、屍の山と偽りの命を築く。
時が満つれば、王は亡者を率い遍く世界へ侵攻する。
これを止める術はない。死者の軍勢は、何者も恐れる事なく、尽くを蹂躙せん。
いずれ世界に死が満ち渡り、現し世は冥府へ堕ちる』

『王を阻むは、遥か遠き地より訪れし紅き稀人。其は原初の探究者と、それに従う異端の騎士。
彼の者達は世界を穿つ者、世界を侵す者。虹の宝石と虚構の剣が織り成すは、無限を体現せし奇跡の御技。
古に置き去りにされし神秘の輝きが、深遠なる六重の闇を祓い、王の首に刃を突き付ける。
彼の王とて、同胞たる禁忌の力には抗ぬ。
再度黄泉路は開かれ、真の滅びに直面せん』

はぁ、なるほどね。そりゃあ確かに命の一つや二つ賭ける気にもなるわ。
これが本当に起こるとすれば、その程度のリスクは負わなければならないだろう。
むしろ、上層部の意向に反してこれを見せてくれたであろう二人の気概に、称賛の念さえ覚えた。

そして、この預言の内容の全てとまではいかなくても、ある程度は手持ちの知識に該当する点がある。
となれば、さすがに無関係を決め込む事も出来ないか。
万が一にも実現すれば、世界の全てが巻き込まれるらしいし、そうなれば私達も例外ではいられない。

とりあえずは、隣の相棒の意見を聞いてみますか。
そう思い、隣で私同様に厳めしい顔つきで預言を見ている士郎に尋ねる。
「どう思う?」
「さすがに第二位はないと思うが、示唆する情報が多すぎる。頭から否定すべきじゃない。
 イヤ…そもそも、それこそ王族(ブリュンスタッド)級の可能性も考慮すべきか。
 一つ言えるのは、最悪の相手でさえなければ、まだ俺達の手に負えるかもしれないって所だな。違うか?」
「同感よ。いっその事、まったく手に負えないか、あるいは簡単な相手なら話は簡単なんだけどね」
「お二人とも、この意味がわかるのですか?」
私達の主語を省いた会話に、リニスはついてこれないのか首をかしげている。

だけど、リンディさん達にはこれだけで充分だったらしい。
「わかるのね」
「一応は、私達の知識に該当するものがあるわ。
リニス、これとこれとこれ。あとここに書いたの全部、書庫から引っ張ってきて」
「わかりました」
そう言って、手近なメモに望む書籍のタイトルを書き、リニスに渡す。

リニスが出て言った所で、重い沈黙が場を満たす。だけど、いつまでもそうやってはいられない。
「…………吸血鬼、って知ってる?」
「ええ。確か、血を吸って仲間を増やすと言われる、アレね」
「お見事、さすがに博識ね。で、単刀直入に言うと、いるのよ吸血鬼」
「驚かないわ。私も、その伝承を見つけた時に『似ているかも』くらいには思ったもの」
そうだろう。なにせ『命の雫を吸い上げ』なんてそれっぽい事が書かれているわけだし。

「ただ、一口に吸血鬼って言っても色々でね。無害なのもいれば、伝承通りの怪物もいるわ」
「当然ね。人間だっていろいろなんですもの」
「こっちにもいるけど、そっちは無害な方。簡単に言えば栄養バランスが悪くて、血を介してそのバランスを取ってるだけだから、基本的には献血と同じ感覚で良い」
眼の前の二人は静かに頷く。すずか達『夜の一族』と私達の方の吸血鬼を混同するのは…さすがにね。

「ヤバい方の吸血鬼には、まず二種類ある。『真祖』と『死徒』って私達は呼んでるけど」
「最悪の相手と言うのは?」
「真祖の方、これはもう私達の手に負える相手じゃない。会わない事を祈って、会ったら即トンズラ。運が良ければ逃げられる……いえ、見逃してもらえる、そういう相手よ。少なくとも私達にとってはそう」
仮に士郎と二人がかりであっても、絶対にアレと戦うのは御免被る。勝てる気が全くしない。
あんなのを殺せるのは同格の化け物か、アレのお供みたいな反則の極致だけだ。

「真祖っていうのはね、一種の抑止力なのよ。ただしガイアの方の。だから、基本的には人間なんてお構いなしなんだけど、これは余談ね。
 最大の特徴は、生来の吸血鬼である事。だけど、この連中に一般的な吸血鬼のイメージはあまり符合しない」
「どういう事?」
「血を吸う必要なんてないし、太陽も平気。もちろん不老不死。基本的に弱点らしい弱点が無いくせに、バカみたいに強いっていう反則。さっきガイアの側の抑止力って言ったけど、それに関連して星からのバックアップを受けていて、そのおかげで色々な意味で底が無い。その上、ガイアの一部って事で空想具現化まで使える始末」
「空想…具現化?」
「言ってしまえば、世界を思い通りに改変できる能力よ。大昔、真祖の王様は月落としっていって、バカみたいにデカイ岩の塊を落っことすっていう戦法を使ったらしいわ、真偽のほどは知らないけど」
私の大雑把な説明を聞くが、二人としては最早想像の外らしく、どうリアクションを取っていいかわからない様子。いや、それが普通の反応なのかも。

「挙句の果てに、仮に殺せてもしばらくすれば復活するしね」
「「冗談でしょ……?」」
「マジよ。聞いた話じゃ、十七の肉片に解体されて、その状態から一昼夜で復活したらしいわ、もちろん一人で。こっちは王様じゃないけど、そんなのは些細な問題よ。
そんなわけだから、基本的に人間の勝てる相手じゃない。真祖と戦う、それ自体が敗因であり死因なのよ」
少なくとも、私にとってはそういう対象だ。士郎もその辺は変わらないので、乾いた笑みしか浮かんでいない。
実際、昔何度か会った事があるけど絶対に戦いたくない相手だわ。その上アレの傍にはあんなのまでいたし、本当に勘弁してほしい。

とはいえ、さんざん脅かしたけどたぶんこっちの可能性は低いかな。
「ただ、彼らは基本的に積極的に人間に関わる事はないわ。だってその必要が無いんですもの。血を吸う必要が無い以上わざわざ人間を襲う理由もないし、自身にとって圧倒的弱者にあたるわけだから脅威にもならない。
 だから、基本的に真祖と人間は敵対関係にはなり得ないのよ」
「そ、そう」
その話を聞いて、明らかに二人は安堵のため息をつく。

だけど、忘れてない? 私はそれでも「ヤバい連中」って言ったのよ。
「ただし、彼らには一つだけ欠陥があった」
「欠陥?」
「そう。それが吸血『衝動』。彼らは血を必要とはしないけど、その能力があり、なおかつその欲求もある。
 平時、彼らはその膨大な力の大半を衝動の抑制に当てている。だから、そのおかげで普段から全力は出せない。ま、それでも一部の例外を除けば人間が相手になるわけもないんだけど」
「抑えているのなら、問題はないんじゃないの?」
「いいえ。衝動は抑えれば抑えるほど強くなっていく、対して抑える方の力はどんどん削られていく。いずれその均衡は破れ、彼らは堕ちる。その時の選択肢は二つ。人の血を吸うか、或いは自ら永遠の眠りにつくか。
 それが、本来寿命を持たない真祖の寿命よ」
私が言うのもなんだけど、本当に壮絶な生き物だわ。
人よりも優れた生命でありながら、自身の欠陥によって滅ぶとはね。

「血を吸われた場合、どうなるの?」
「良く言うでしょ? 吸血鬼に血を吸われると、その対象も吸血鬼になる。そうして後天的に吸血鬼になった者を死徒と呼ぶの」
「真祖は?」
「抑えるべき吸血衝動を抑えなくなったんですもの、そりゃあ飲み放題の力の使い放題。これを『魔王』と呼び、こうなると普通の真祖では手に負えなくなる。
とはいえ、いまだに真祖が存在しているのなら、魔王と化して存在が明るみになった真祖くらいいる筈よ。あなた達がその存在を知らないのなら、もう存在しないか、或いは身内の不始末は自分達で処理してるって事になる。それなら、あまりこっちの可能性は考慮しなくて良い筈よ」
実際、こっちの真祖も処刑人の御姫様が尻拭いしてたわけだしね。

それに、やっぱり真祖の可能性は非常に低いと思う。
死徒はともかく、真祖と私達は同胞じゃないんだから。
「一応真祖の事は分ったわ、王の可能性が低い事も。
 なら、あなた達が有力候補だと考えているのは……」
「そう、後天的に吸血鬼になった者、死徒。
現代において真祖がいるかどうかわからない事を考えても、そっちの方が有力でしょうね」
「でも、なぜ? だって、真祖に血を吸われなければ死徒は……」
「他にもあるのよ、死徒になる方法が」
その言葉に、二人は再度息を飲む。確かに、真祖だけが要因ならまだ話は簡単なのだが、そうはいかない。

この世界に真祖はいなさそうな感じだけど、死徒はそれとは関係なく発生しうるのだ。
「死徒は魔術の研究の果てにもなる事が可能なの。それはつまり、死徒となる方法が単一ではない事の証左。
だから仮に真祖がいなくても、その存在を人々が知らなくても、何かの偶然で死徒が発生する事はあり得るわ」
「…………………あなた達は、それに勝てるの?」
「相手によります。
もし二十七祖級ともなれば、俺と凛の二人がかりでやっと勝機が見えるかどうかといったところでしょう」
「二十七祖というのは?」
「最も古い時期に発生した、死徒達の大元たる二十七つの祖の事です。
とはいえ、消滅したり座を譲ったりした祖もいるので、当初のままというわけでもありませんが、強さは桁外れでしょう。なにせ、死徒はその生きた年月に比例して力をつけるともいわれていて、古ければ古いほど強い。祖ともなれば、千年級の奴はさして珍しくありませんから……」
「ただ、死徒になると急速に遺伝情報が崩壊するから、それを補うために同種の生物の遺伝情報が必要なの。これが連中の吸血の理由なんだけど、それでもやっぱり血を吸われるとお仲間になる。
 太陽に弱いのはこいつらの方で、確か遺伝情報の崩壊が促進されるからだったっけ」
確かそんな理由だったと思うけど、どうせ連中が日の下に出ない以上あまり意味のない情報だ。
精々日中は動かないと言う事だけわかっていればいい。

とそこで、レティさんがさっきの私の言葉を思い出す。
「待って、あなたはさっき『第二位』とか、まるで王に心当たりがあるみたいな事を言ってたわね?」
「言ったわ。六重の闇、屍の王、長い時を経て蘇る……こう来るとね、思い当たる節があるのよ」
「それは?」
「二十七祖の二位『闇色の六王権』。今現在蘇生中の祖で、復活した暁には二十七祖を束ねると言われる存在よ。
 ただ、アレの復活の下地が用意できるとも思えないし、やっぱり可能性は薄い」
確か、アレの復活には原液持ちの祖が必要みたいな事を聞いた憶えがある。
だとすると、仮にあれが並行世界からこっちに来れたとしても復活は難しい。

「今リニスに取りに行かせているのは、私達がかつて集めた死徒のファイルよ。
 貸してあげるから勉強してちょうだい」
「あ、ありがとう。だけど、それは認めてくれたと取っていいの?」
「いくつか条件は付けるわよ。でも、無関係を通しても利が無いどころか害になる。なら、是非もないわ。
 ただし、上に報告するのは待ってもらうわよ。私達にとっても知られたくない事が多いから、その辺の口裏合わせには付き合ってもらうわ。その程度の事は承知の上なんでしょう?」
「ええ。上はどうか知らないけど、私達は預言の成就さえ防げればそれで良いわ」
そう言って、リンディさん達は揃って肩を竦める。
まあ、ここは感謝しておこう。最悪の場合、本当に逃亡生活になるところだったわけだしね。
どこまで秘密を保てるかわからないけど、上手く立ち回ればなんとかなるかもしれない。

話しが一段落したところで、リンディさんは深々とため息をつく。
「それにしても、あなた達が二人がかりでやっとなんて……」
「あのね、私らは万能でもなければ最強でもないの。たぶん、中の上辺りが精々よ。
だいたい士郎の左腕、誰にやられたと思う?」
「? …………まさか!?」
「一対一でしたが、手も足も出ずに持っていかれましたよ。
 むしろ、良く生きていたものだと思っているくらいですしね」
士郎は当時を思い出して苦笑いを浮かべながら、義手の左腕を振る。
戦闘能力における私達の序列と、その事実に二人は少なからず顔を青ざめていた。まあ、無理もない…のかな?

それはそれとして、こっちでも用意する物を用意しますかね。用意したのは一枚の羊皮紙。
それを手に取り、レティさんは眼鏡の位置を直しながら問う。
「これは?」
「自己強制証文(セルフギアス・スクロール)。決して違約しようのない取り決めを結ぶときにのみ用いられる、最も容赦のない呪術契約の一つよ。
 私達はあなた達に手を貸す。だけど、それは私達にとって命がけよ。だから、あなた達にもそれに値するモノを賭けてもらう。これが対等な取引ってものでしょ?」
「……そうね、私は構わないわ。レティは?」
「なんか、死亡フラグを撒き散らしている気もするけど、ここまできたら後戻りできないわ。
 それに、ちょうど二対二で対等でしょ?」
そう言って、レティさんはリンディさんに笑いかける。
なるほど、リンディさんは良い友人を持ったらしい。

「それで、具体的な内容は?」
「この件に関する管理局への協力と情報提供の引き換えに、あなた達には直接間接を問わず、能動的に私達の害となる行動及びその示唆を禁ずる等々。それと、情報工作にも協力してもらうわ」
「多すぎないかしら?」
「こっちはマジで命と未来がかかってるんだから、それくらい当然でしょうが!」
「まあまあ。つまり、私達は自分からあなた達と敵対する事は出来ないって事か。個人レベルでも良いから敵を減らしたいと考えるのは、あなた達からすれば当然ね。むしろ、違約できない協定と取った方がいいかしら」
「そういう事。あなた達に魔術刻印はないけど、その代わりの物は用意してあるから問題ないわ」
本来は魔術師同士の間で取り交わされるものだが、この人達にも適用できるように手は加えてある。
というか、事実上自己強制証文とはまた別物の代物になっているのだが、便宜上はこの名称で良いだろう。

だがここで、リンディさんが何かを差し出してくる。
「なにこれ?」
「見ればわかるわ」
「? ……へぇ、これはまた……」
とりあえず受け取って眼を通すと、なかなかに面白いものである事がわかった。
しかし、よくもまぁこんなものを用意してくれたものだ。

士郎にそれを手渡し、私は感想を口にする。
「ふ~ん、あなた達も太っ腹ね」
「おいおい、これって……」
「ええ、公文書ね。管理局が直々に私達の身分と身柄を保障してくれるそうよ」
公文書という、明確な文書にして保障してしまっては反故にはできない。そんな事をすれば、管理局の名誉に傷がつくだけでなく、その権威と権力体制に亀裂を生み信用問題にまで発展する。
もしこれを反故にできるようになったとすれば、それは組織として末期に突入した時だろう。
公的機関にとって、これはそれだけ重い意味を持っている。

ま、それでもどの程度信用できるかは怪しいが、あるとないとでは大分違う。
なにせ、口約束や単なる身分証明書とは次元が違う。
これは管理局が存在を「証明」しているのではなく、「保障」しているのだ。
それが履行されなかったという事は、一方的に管理局の過失とされてしまう。

でも、よくもまあ私達にこんなものを発行してくれたものだ。
管理局としては、私達の存在はなんとしても確保したい筈。魔術協会ほどえげつない真似はしないかもしれないが、それでも余所には逃がしたくないだろう。
政治的なポーズという可能性もあるが、それにしてもカッコつけ過ぎてメリットが薄い。
こんなものを発行してしまっては、逆に自分達まで滅多な事では手出しができなくなるだろうに。

だからこそ、逆に不信感を抱いてしまう。これは何かの罠じゃないだろうか。
そんな私の心情を察したのか、リンディさんはその背景を教えてくれた。
「これを手配したのは私だけど、用意できたのはグレアム提督のおかげよ。
グレアム提督が情報を差し止めて下さっていたおかげで、あなた達への注目度はまだそれほど高くない。それに、圧力もかけて下さったから……」
なるほど、そのおかげでなんとか用意できたというわけか。
それに、たぶんこの人達も大分骨を折ってくれたのだろう。手配してそのまんま、ってわけにもいかないだろうし。まったく、利用する事だけを目的に近づいてきた連中ばかりだったが、この人達もつくづくお人好しだ。

なんというか、最終的には思ってもみない方向に来ちゃったけど、今はこんなものか。
「預言の方はまだしばらくの間は内密、でいいのよね?」
「ええ」
「そういえば、なのは達はもう手遅れって言ったけど、それってやっぱり……」
ま、だいたいのところは予想が出来ているけど気が重いわ。

それを肯定するように、リンディさんは静かに頷く。
「これだけの大事ですもの。迂闊に公表するわけにもいかないし、それは局内でも同じよ。
 おそらく、いざその時が来ればこの件に関わる人員以外には情報封鎖がかかるでしょうね。
 そして……」
「なのは達も無関係ではいられない。少なくとも、私達との間に一定の信頼がある以上、あの子達がそこに放り込まれる可能性は高い。能力的にも申し分ないし、私達とも連携が取れるもの。
 何より、局員であるか否かはあまり関係ない。なのはは嘱託経験者、フェイトやはやてもあんな事があったから、非常事態を盾に徴兵する事も出来るか」
「……そういう事よ」
そう語るリンディさんの顔には、隠しきれない苦々しさがある。
それが必要とわかっていても、理性ではなく感情が納得できないのだろう。
そんなものにあの子達を関わらせたくないと、何よりもその表情が雄弁に語っていた。
これはもう、一個人でどうこう出来るレベルじゃない。

「なるほど、だからって言いたのね」
「ええ、情けない話だけど……」
「……確かに、あなた達の言う事には一理あるわ。でも即決はできない。少し時間をちょうだい」
「仕方がない…わね」
どうせリンディさん達には既に知られているのなら、他の信用も信頼も出来ない連中ならともかく、あの子達になら話してしまってもいいのかもしれない。
それに、関わってしまうのであればせめてちゃんと知った上で、その気持ちもわからないでもない。
どうせ、今の段階でそれがどれだけ危険で救いのない事だと説いても、あの子達は譲らないだろう。
その時にならなければわからない事がある。この件に関して言えばまさしくその部類だ。
あの子達にとっても、私達の過去を知る事には意義があるだろう。

だが、それでもそう簡単に決断は下せない。
知らない方がいい事っていうのはあるし、知らない事がある幸せというのも存在する。

保身それ自体は強制(ギアス)の一つでも掛ければなんとでもなる事だ。
しかし、出来ればあの子達を巻き込みたくはないというのも本音。
あの子達は心外と思うかもしれないが、私達のこれまでを思い出すと抵抗は強い。
だからこそ明言は避け、時間を置く事にしたのだ。これは、私達だけの問題ではないのだから。

それに、私達の気持ちの問題もある。
あの子達を信じられるか否か……というよりも、私があの子達を頼れるか否か。
保身の為に味方を拒むか、味方を得る為に賭けに出るか、これはそういう一面も持つ。
そして、たぶん私の中にあるモヤモヤは「悩み」ではなく「迷い」だ。
でも、それがわかったからって何がどうなるものでもない。本当に、どうしたものかしらね……。



SIDE-士郎

「厄介な事になったな」
「まったくよ。まだ確定ではないとはいえ、何が悲しくてこっちに来てまで死徒の相手をしなくちゃならないんだっての」
連中の厄介さを身にしみて知っているだけに、凛の声音は不機嫌そのものだ。
出来るなら戦いたくないし、出会いたくもない手合いだからな。

その上、死徒と魔術師は相性が悪い。
預言にもあった通り、極論だが魔術師と死徒は本質的に言って『同類』なのだ。
神秘に対するあり方が同じである以上、あとはその純度が優劣を決める。
その点で言えば、時に千年を超える時間を閲する死徒と魔術師では比較にならない。

これは私見だが、預言が現実になる時は魔導師達の方が鍵を握る気がする。
出来るなら神意を語る代行者の様な人がいると一番なのだが、彼らもまた相性は悪くないだろう。
神秘ではなく、ほぼ科学に近いその技術は死徒と同じ土俵で戦う心配が無い。
しかし、彼らは死徒との戦闘経験もそのノウハウもない。そうである以上、経験者である俺達が頼りにされるのも当然の流れか。

それに、今回はあえて言及しなかったが……
「その瞳は生の綻びを見抜く、か。どう思う?」
「出来れば外れてて欲しいわね。あの目を相手にするのはキツイし、敵としてはある意味最悪の部類よ」
そう「生の綻びを見抜く目」それもまた俺達の知識に該当するものがある。

直死の魔眼。モノの『死』を視る眼。死の神、バロールの瞳の亜種。おそらく、魔眼の中でも最高クラスの代物。
そして、白の姫君の寵愛を受ける殺人貴が保有する異能。
その能力は、万物が誕生と同時に内包する『死』を視認し、それに触れる事を可能にする。
この場合の死は、物質の寿命・発生した瞬間に定められた存在限界を指すらしい。
それは生命体だけではなく物質にさえ有効で、投影した宝具をもバターの様に切り裂く怪物。

殺人貴曰く『世界は死が満ちている』。
奴に世界がどう映っていたのか、同じ眼を持たない俺には永遠に理解できないだろう。
だがその言葉に込められた闇の深さは、かつて耳にした時確かに俺を戦慄させた。

「救いがあるとすればあんたなりの対抗策だけど、アレはすぐには実践できないしね。
 私もやれる自信はないし……」
凛の言うとおり、一応俺にはあの目への対抗策がある。
まあ、そんなご立派なものじゃないが、これは仕方ない。それでもないよりはマシな筈だ。

で、その対抗策だが、奴が“死”とやらをどうも特定の箇所に視認していたと思われる事が肝。
見えない俺達には推測しかできないが、奴の攻撃からどこを狙っても良いわけではないのは間違いない。
おそらく、死が見えた場所を攻撃しない事にはその真価は発揮されないのだろう。

それを逆手に取ったのが、凛の言う対抗策だ。
その要は、「狙い通りの箇所を攻撃させない」の一点に尽きる。たとえば、へそを刺そうとするのなら横にずらせばいい。あるいは、首を切りに来たのなら腕を盾にする。そうして、死が見えていない場所で受ければいい。
僅か数回だが、奴と戦った時に俺が生き残れたのはそれを実行したからだ。

まあ、格好の良い事を言ったが、それに気付いたのは純粋に偶然の賜物。
偶々避けきれずに奴の狙いと違う箇所で攻撃を受けた時、一度は死を覚悟したがそうはならなかった。
それまでは一撃でも受ければ死ぬと思っていたからなぁ……あの時は本当に肝が冷えた。

とはいえ、これは言うほど簡単ではない。
見えないこちらからすれば、そこで受けて本当に大丈夫なのかがわからないのだ。
しかし、他に対抗策があるとすれば「常に距離を取る」か「全て回避する」くらいしかない。
「別の箇所で受ける」と言うのは、それらが出来なかった時にやる苦肉の策。

だが、一瞬でも判断が遅れたり、あるいは躊躇したりすればそれが命取り。
相手の能力の恐ろしさを知れば知るほどに、それは困難を極める。
その点を考慮すれば、幾ら訓練を積んでも実戦で使えるかは疑問を持たざるを得ない。
その意味でも、王が直死持ちであった場合適任は俺達になるのだろう。

そこで、傍らで話を聞いていたリニスが溜息をつく。
「なんと言いましょうか、本当にとんでもない話になってきましたね」
「仕方ないわ。こうなった以上、もう虎穴に飛び込むしかなさそうだもの。
精々恩を売って、少しでも地盤を固める方が賢明だわ」
「だな。この世界に死徒がいなかったと仮定すると、社会とのバランスを考慮して活動する、なんて器用なまねはしてくれないだろ」
倒すのは難しくなるが、その方が被害は減るかもしれない。
場合によっては、相互不干渉と言う関係を築く事も出来るだろう。
もちろんそれでいいわけではないが、全面戦争という事態は避けられる。
殺すにしても、その方が何かとやりやすいのだが……。

「そちらの吸血鬼はそんな配慮をしていたんですか?」
「まあ、一応ね。人間にとって死徒は捕食者だけど、死徒の天敵もやっぱり人間なのよ。
人間の一番の武器はその知恵であり執念よ。一部の人間達は、組織体系を作ってそういう連中の排除に乗り出した。だから、連中としてもわざわざ見つかる様な真似はせず、痕跡を消そうとするの」
「だが、なかには中世の頃と変わらないノリで無差別に人を襲う奴もいる。この世界に死徒のルールが存在しないのなら、そっちのノリで動く可能性が高い。預言の内容もその可能性を示唆してるだろ?」
「ああ、確かにそうですね。だからこそ、局も警戒しているわけですし……」
つまりはそういう事だ。メレムやヴァン=フェムの様にまがりなりにも共存できる奴もいれば、アインナッシュの様に後先考えない奴もいる。出来れば前者であってほしいが、所詮俺の願望に過ぎない。

そこで凛が一つため息をつく。
「……これは、ちょっと予定を繰り上げる必要があるかな」
「え? まさか逃げるんですか!?」
「逃げたいのは山々だけど、次元間転移程度は気休めでしょ?
 逃げるなら並行世界だけど、それも当分無理だし」
そう、リニスには既にこちらに来る前の事を大まかにだが話している。
どうせいつかは話すつもりだった事だし、事ここに至っては隠し通す意味もない。厳密にはまだ途中だが……。

「では、何を?」
「近々、弟子を取る事になると思うわ。もちろん、いい人材がいればの話だけど」
「で、ですが秘匿はどうするんですか!? それに、術者が増えると弱体化するんでしょ!」
「それはそうだけど、これは前から考えてた事よ。ただ、今は地盤固めが先と思って先送りにしてただけ」
俺と違いその話を聞いていなかったリニスは、それはもう驚いている。
今まで散々慎重に秘匿の方針を貫いていたのだ。リニスから見れば変節と映るのも無理はない。

だが、それにはちゃんと理由がある。
「いいかリニス、確かに魔術の基本は秘匿だ。お前の言うとおり、知る者・術者の増加は弱体化を意味する。
 だけど、だからと言って俺達だけで独占しているのも危険なんだ」
「危険…ですか?」
「そうだ。仮に俺達の血筋が途絶えたとする。その場合、遠坂家のこれまでの積み重ねも全て無に帰してしまう。継ぐ者がいないんだから当然だな。
だからこそ、魔術師は自身の後継者以外にも弟子を取るんだ。たとえ自分の血統が途絶えても、その門下の誰かが後を継ぎ、いつか悲願を達成するように」
「つまり、保険というわけですね」
傍流、分家、呼び方は様々あれど要はそういう事。
もちろんそれが理由の全てではないが、最重要の理由の一つではある。
或いは間桐のように力を失う可能性もあるし、門下を持つ事には意味があるのだ。

「いい? 魔導の当主は常に二律背反を背負い込むの。先人の成果を後世に残しながらも、なおかつ秘匿を守る。保険っていう表現は正しいわ。保険はリスクを分散するためにあるわけだしね。
 ま、だからと言って無闇矢鱈と門戸を開くつもりもないわ。いい人材がいるなら弟子に取るし、いないなら教えない。それだけの事よ」
「それに預言の事もある。足場を固めてからと思っていたんだが、対死徒戦で有用な術者を発掘できるかもしれない。その意味でも弟子を取る事には意味がある。正直、気は進まないけどな」
「なるほど……ただ隠せばいい、というわけでもないんですね。具体的には何人くらいを?」
「教えられる人間が少なすぎるわ。多くても一度に三・四人が限度でしょうね」
確かに、そんなところだろう。アイリスフィールさんは教えられるだろうが、俺はなぁ。

「ま、さしあたっては眼の前の事を考えましょ」
「そうだな。アイリスフィールさんも近々目を覚ますだろ。後の事は、成り行きに任せるしかないか」
「そうね。とりあえずは、リニス」
「あ、はい」
「まだ聖杯戦争の途中までしか話してなかったでしょ。
 時間はかかるけどその先を話してあげる、包み隠さず全部ね」
そう言って凛はリニスに軽くウインクする。全面的な味方、というのは俺達には少ない。
だからこそ、その味方に対しては全てを伝える。それこそが何よりの信頼の証だから。


フェイト達に話すかどうかは、正直未だに決めかねている。
話してしまった方がいいのかもしれないが、それでも気が進まないのは凛も同じ。
できるなら、巻き込みたくはないんだがな……。

とりあえず、リンディさんも決断を急ぐ気はないようだし、じっくり考える事になるだろう。
だがそんな俺達の考えとは裏腹に、この翌日とある事実を突きつけられる事になる。






あとがき

はい、というわけで一応は凛達に対して預言公開と相成りました。
まあ、ほとんどリンディ達の独断なんですけどね。
バレたら後々上から色々言われるんだと思います。

しかし、なのは達とある意味で仲違いしてしまったこの状況だと、あまり気長に考えているわけにもいかないと考えて、多少のリスクは覚悟の上で踏み込む事を決めたのでしょう。
この先凛達の情報を集められる機会があるとも限りませんし、下手をするとこのまま一気に疎遠になる可能性すらありますからね。それはあまりよろしくないでしょう。
それに、一応ある程度は預言の内容について予測も立っていました。正解率は半分に届くかどうかですが。それでも、凛達としては下手な事を言えない程度には追い込む事が出来ました。

いや、ホント隠し事前提の話なんて書くもんじゃないですね。段々と自分で自分の首を締めあげて行ってますよ。
初めの内はそうでもなかったんですが、書いているうちに「どんな状況に追い込めば暴露せざるを得ないのか」というのに追いつめられるようになりました。ホント、キッツイ……。

ああ、なんか最後の方は愚痴ばかりになってますね。お見苦しい所をお見せしました。
なんだか批判轟々になりそうな気しかしませんが、今しばらくお付き合いくだされば幸いです。
それと、A’s編完結はもうちょい先ですね。少しクッションを入れるつもりなので。
どんなものかは、まだ秘密で……。



[4610] 第46話「マテリアル」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:fd260d48
Date: 2010/07/03 02:34

SIDE-アリサ

年の瀬も近づいてきたこの日、また一つ毎年恒例の退屈なイベントが終わった。
パパ達はまだ用事があるみたいだから残ったけど、わたし達は一足早く帰宅する途中。
と言っても、すでにかなり遅い時間だし、子どもをこんな時間まで付き合わせないでほしいわ。

そんな道中、親友でもある同乗者に向けて思わず愚痴が零れる。
「はぁ……ホントこの時期は忙しくてやんなるわ。
 パパ達だけならともかく、なんでわたし達まで……」
「しょうがないよ、アリサちゃん。みんな色々事情があるんだし、わたし達の我が儘だけで……」
「それくらいわかってるつもりよ……でも、なんか政治とか仕事の道具にされてるような気分になるし、やっぱりいい気持ちはしないじゃない。すずかもそうでしょ?」
「それは、そうだけど……」
まったく、なんでこう金持ってのはパーティとかで散財するのが好きなのかしら。
いや、わたしだってパーティとかのお祭り騒ぎは好きだけど……親しい人達と楽しい時間を過ごすわけでもなく、どうしてああも無駄にお金をかけて腹の探り合いとかをするのかしら? その辺は全く理解できないのよね。

「確かに、アレは凛の言う通り『金ピカ』よね。成金趣味って意味では」
「ぁ……」
と、話が凛の事に発展した瞬間、すずかが小さく声を漏らした。

わたしもすずかに僅かに遅れて、思わず眉根を寄せてしまう。
(~~っ、失敗したなぁ。努めて考えない様にしてたはずなのに、どうしてそういう時に限って考えちゃうかな)
あの日以来、凛はもちろん士郎とも会っていない。
士郎の事はもちろん心配だし、できればお見舞いに行きたいとも思う。
だけど、どうにもあの日の事があって顔を合わせづらいし、二人の事を考えると胸の奥に何かが燻る。
こんな状態じゃ、会うと何を言うかわかったもんじゃないわ。これも、二人に会えない理由の一つ。

しかし、今はそれよりこっちの方が問題か。
凛の話題に発展した瞬間から、車内を微妙な空気が埋め尽くしている。
このままってのは息苦しいし、ちょっと強引にでも話題を変えないと……。
「ま、忍さんは良いわよねぇ、ボディーガードって名目で恭也さん同伴できたんだからさ。
 二人も向こうに残ったみたいだけど、今頃は二人っきりで楽しくやってるんじゃない?」
「…………そうだね、お姉ちゃんも楽しみにしてたみたいだし」
たぶん、今頃恭也さんは散々振り回されてるんじゃないかと思う。
それどころか、下手をすると婚約者って事で紹介されているかもしれない。
いや、ノエルさんを運転手としてよこしてくれた事を考えると、もしかすると今夜は帰らないつもりだったりして……これは、なのはとすずかが親戚になる日も近いか。

そんな事を考えながら窓の外に眼をやると、やはり特に面白味のない真っ暗な街並みが広がっている。
もう海鳴に入ってる筈だけど、こう暗くちゃ良くわかんないわね。
だけど、そこでふっと違和感に気付く。
「…………………ねぇ、すずか」
「? どうしたの?」
「いくらなんでも、暗すぎじゃない?」
「え? そう言えば…全然明かりがついて、無い?」
そうだ、いくらもう夜遅い時間帯とはいえ、全く明かりが無いなんて事があるだろうか。
そりゃ起きてる人の方が少ないだろうけど、それでもゼロって事はない筈。
にも関わらず、窓から見える範囲の家々の何処にも明かりがついていない。
これは…………異常だ。

しかし、異常だと思ってもただの小娘でしかないわたしにはどうしたらいいかわからない。
極最近非日常の世界って奴を知ったわたしに、この状況に対応できる危機管理能力などあるはずもないのだから。
だけど、隣に座る親友とこの車を運転する女性は違った。
「ノエル! 急いでウチまで戻って!!」
「はい! お二人とも、体を低くしてしっかり掴まってください!!」
ノエルさんがそう応えるのとほぼ同時に、エンジンが唸りを上げわたし達の体は座席に押し付けられる。
おそらく、思いっきりアクセルをベタ踏みして急加速をかけたのだろう。

月村家所有の高級車の性能はシャレにならない。
一瞬にして時速百キロを楽々とオーバーし、ものすごい勢いで街並みが過ぎ去っていく。
しかし、それにやや遅れて何かの唸り声の様なものが聞こえてきた。

■■■■■■■■■■■■■■■■――――――――!!!!

さすがにあんな不気味な唸り声を聞いて冷静でいられるほど、わたしは大層な人間じゃない。
誰かに答えを求めたでもなく、思わずこんな呟きが零れた。
「なんなのよ、これ。また魔法とかって奴?」
「それか、魔術の方かもしれない」
わたしよりも幾分か冷静な様子を窺わせるすずかの声。

ああ、そう言えば確かにそんなのもあったんだっけ。
わたしには違いなんてよくわからないけど、一応は別物なのよね。

「前に士郎君から聞いたことがあるの『命からがら逃げてきた』って。追手の心配はないって言ってたけど……」
「なるほどね、そっちの可能性もあるってわけか……にしてもアイツら、まさか本当に襲われたりしてないでしょうね。もし怪我でもしててみなさい、絶対に…………許さないんだから」
「アリサちゃん……」
あんな事はあったけど、わたしは今でも二人の事は友達だと思ってる。
それはきっとすずかやなのは、フェイトやはやてだって同じ。そりゃあ多少の蟠りは感じてるけど、それは変わらない。だから、やっぱりアイツらに何かあったんじゃないかと思うと、不安になる。
元気なら元気って、ちゃんと知らせなさいよね……。

だけどそこで、頭を低くしながらも窓の外を窺っていたすずかがある事に気付く。
「アリサちゃん、あれ」
「なに? って、なんなのよ、アレ。月が……」
「…………黒い」
空の中央には燦然と輝く白銀の月…ではなく、夜の闇よりもなお暗い黒によって染められた月が浮かんでいる。
それはあらゆる不吉と絶望を内包している様で、重い何かがのしかかってくるよう。
宙にかかる凶兆に急き立てられ、黄泉の孔から骸達でも溢れかえってきそうな雰囲気だ。

まったく、クリスマスに続いてこの街で何が起こってるってのよ。
凛達も心配だけど、なのは達も大丈夫なんでしょうね。



第46話「マテリアル」



SIDE-凛

とある年末の深夜。
日付が変わるか否かという時間帯に、私は野暮用を済ませて帰宅した。

とはいえ、遅くなる事はあらかじめわかっていたので、二人には先に寝ているように伝えてある。
なので、帰宅の挨拶もまた自然と小さい。しかし……
「ただいま」
「お帰りなさい、凛」
玄関をゆっくりと開けて静かに家に入ると、待ってましたと言わんばかりにリニスが出迎えた。

まったく、こいつときたら……先に寝てろって言ったのに。
「そんな眼で見ないで下さい。主を出迎えるのは使い魔として当然じゃありませんか」
「確かにそうかもしれないけど、主の言う事を聞かない使い魔ってどうなわけ?」
「そこはほら、自立心の芽生えという事で一つ」
はぁ、なんか段々と口が達者になってきている気がするのは気のせいかしら。
別に子どもじゃないんだから、今さら自立心もへったくれもないじゃないのよ、アンタ。

そんな事を思いつつ、言った所で意味はなさそうなので特に口にはしない。
リニスの方でもそれは承知しているのか、あえてそれ以上は掘り下げず話題を変える。
「ところで、様子はどうでした?」
「特に変化はないわ……『今日のところは』って注釈が付くけどね」
「そうですか……しかし、この半年の間にほとんど調整は終わったのでしょう?
 それなら、気にし過ぎではありませんか?」
「かもしれない。だけど、並行世界の転移なんて私にもわからない事だらけだもの。
私は自分の事を過大評価する気はないわ。この体の事にしたってそう、不測の事態なんていつどんな時でも起こり得る。ましてやそれが、あんな力技を使った後ともなれば尚更ね」
こんな夜中の野暮用というのは、私達が最初に踏んだ土地の調査。
つまり、半年前に私と士郎が例の“孔”を通って辿り着いたあの森の事だ。

「その上、通ったのは大聖杯を利用して作った道。それがあの呪いの影響を全く受けていないなんて、とてもじゃないけど私には保証できない。なら、最低限のアフターケアとしてあそこの管理は私の仕事でしょ。
 もし何かあったとしたら私の責任だし、何かないか調べて、何かあった時には対処できるようにしとかなきゃね。万が一にもあの呪いが出てきちゃったりしたら、さすがにシャレにならないわよ」
「それはそうなのでしょうが、ここのところ毎晩じゃありませんか」
「まあ、確かに今までは週一くらいのペースでやってたけど、あんな騒動のあった後でしょ。
さすがに、今は慎重に様子を見ないと怖いのよ。ジュエルシードの時だって、結構気を使ってたしね」
ジュエルシードの時は発動場所が局地的だったり、或いは時の庭園という高次空間で発動してくれたりしてくれたおかげで目立った影響は与えていなかった。

しかし今回の闇の書事件は、この辺り一帯にその影響を与えている。
何しろ戦闘範囲は広いし、街一つ丸々結界で覆うなんて力技もしたのだ。
それらが万が一にも私達が通って来た孔、正確にはその跡地に影響を与えていないとは限らない。
なにもないに越した事はないけど、何かあったりしたらと思うとゾッとする。

調べるだけなら日中でもいいのだが、下手に人目につく危険は避けたい。
もし本当に何かあった時、観測するという行為そのものが引き金になるかもしれない。
それで余計な人間を巻き添えにしたり巻き込んだりしては遠坂凛一生の恥じだ。
そうである以上、出来る限り人がいない時間帯を選ばざるを得ない。

一応大聖杯そのものは一度破壊してるし、向こうにいるうちにおかしなものがないか一通り調べてある。
だが、なにぶん私は「うっかり」の遠坂だ。見落としやらど忘れをしている可能性は大いにある。
となると、どれだけ石橋を叩いても叩き過ぎという事はないだろう。
もしかすると、私が気付いていないだけで一緒に残滓くらいはこっちに来ている、ないし後を追って来るかもしれない。普通に考えればまずあり得ないが、絶対とは言い切れないしね。

リンディさん達の方でも、闇の書の闇の消滅に伴う余波被害が発生するのは予想の範疇らしい。
今のところはその様子はないらしいが、いずれ何かしらの形でそれも起こるだろう。
そっちと併発する可能性だって捨てきれないし、やはり監視は必要だ。

「ま、昨日少し違和感みたいなのを感じはしたけど、そっちはもう調整済みだからね。
 今日見てきた感じだと上手く直せたみたいだし、とりあえず心配はいらないでしょ」
「それならいいのですが、あまり無理はなさらないでください。士郎に続き、凛にまで倒れられては……」
「わかってるわよ。心配してくれてありがと。でも、そっちこそ少し気にし過ぎじゃない?」
まったく、過保護というかなんというか。リニスは少々心配性な気がする。
別に子どもじゃないんだから、自分の体調管理くらいできるって言ってるのに。

だけど、これも一種の好意の表れなんだから無碍にできないのよねぇ。
「それはそうかもしれませんが……お忘れですか? 私はフェイトの教育係だったんですよ」
「…………ああ、なんか納得」
そう言えば、確かにあの子もそういうところあるわよねぇ。

「それにしても、管理局に委ねる、というわけにもいかないのが困ったモノですね」
「別にリンディさん達の人格と能力を疑うわけじゃないけど、一応私は専門家で張本人だしね。
リンディさんはあたりをつけているとはいえ、それでも下手に情報を与えたくないもの」
あの人の人柄及び能力、共にそれなりに信頼している。
だからまあ、別にこの件で協力を仰ぐくらいはしてもいいのかもしれない。

とはいえ、それはやはり個人に対してモノ。組織に対しての忌避感は変わらない。
そうなってくると、余程の事がない限り協力を求める気にはならないのよね。
それに、実際自力でなんとかなってるわけだし。

それはそれとして、リニスが起きてるって事はもしかして……
「士郎はどうしてるの?」
「起きてますよ。先に寝るようには言ったのですが……」
「起きてる張本人が行っても説得力はないわね」
「……はい……」
それなりに自覚はあるのか、ションボリとした様子で項垂れるリニス。

まあ、起きてる理由は私の帰りを待つだけってわけじゃないでしょうね。
おそらくは、あの話もあるのだろう。
実際、私自身なのは達に私達の事を話すかどうかは迷っている。

話す事それ自体は特に問題はない。
要は情報があの子達から漏れなければいいわけだから、それだけならやりようはある。
ま、そのやりようってのもそれはそれで問題なんだけど、今はそれはどうでもいい。
重要なのは、生きたままあの子達の口を閉ざさせる手段が私達の手にあるという事。
それも本人達の意向など完全無視で、一度でも同意させれば施術は可能だ。
だからまあ、別に情報漏洩という意味ではそれほど問題はない。やるかどうかはともかく。

問題なのは……
「巻き込みたくない、だけどもう手遅れなのかもしれない。
厄介というか業が深いというか、わかっていたつもりだけど…私達も大概傍迷惑ね」
「ですが、それは凛達の責任では……」
「どうなのかしらね?」
リニスの思いはありがたいけど、責任の所在を問うことに意味はない。
責任が有ろうが無かろうが、巻き込んでしまえば同じことなのだから。

だから、巻き込んでしまう前に距離をとるつもりだった。
一通りのことを教えたら「はい、さようなら」で終わらせるつもりだったんだけどな……。
気づけば、なんとも対応に困る状況に置かれてしまっていたのだから頭が痛い。

今さら距離をとっても時すでに遅しって可能性もあるし、まだ間に合うかもしれない。
まったく、中途半端が一番困るわ。どっちかはっきりしてくれたら、身の振り方も決められるのに……。

だが、事態は私に悩む時間すら許してはくれなかった。
「っ!?」
「凛、これは!?」
「なんなのよ、これ?」
上手く言葉にできない違和感。
結界……っぽいけど、こっちに来て知ったどの結界とも何かが違う。
むしろ、こちら(魔術)寄りのような印象さえ受ける。

しかし、深く探るより前にカーディナルが告げた。
《マスター! リンディ提督より秘匿回線から緊急通信です》
「は? いいわ、繋げて」
カーディナルから唐突にもたらされた報告に、一瞬気の抜けた声が漏れたがすぐに気を引き締める。
先日、念のために私達の間だけで取り決めた秘匿回線に通信を入れてきたのだ、只事ではないのは間違いない。
内容までは予想できるはずもないが、ロクな事じゃないだろう。

「どうかしたの?」
『無事なようね、良かった。士郎君やリニスは?』
「? 一応こっちは全員無事だけど、一体どうしたのよ?」
厳密には士郎の安全確認はしていないが、ずっとこの家にいた以上問題はないだろう。
リニスが無事なのだから、アイツもほぼ同じと考えていい筈だ。

『たった今、日付が変わるのとほぼ同時に街全体を結界の様なものが覆ったわ』
「そこまでは私も感じた。他に何かわかる事は?」
『実は、並行して闇の書とよく似た反応を観測したの。それも、一つや二つじゃない。
 反応の大小を無視すれば、数は百を優に超える。それどころか、五百にも届くかもしれないわ』
例の、闇の書の消滅に伴う余波被害って奴かな?

しかし、それにしても規模が大きい。
余波被害っていうくらいだから、そうたいしたものじゃないと思ってたんだけどなぁ。
それに、日付が変わる瞬間を狙う辺り、どこか作為的だ。
魔術的に見て、日付が変わる瞬間は重要な意味があるし……。

でも、今はそんな事を考えてる場合じゃない。もしこれがそうだというのなら、何かしら手を打たないと。
「そっちはどうするつもり?」
『反応は全て移動している事から考えて、何かしら目的なりなんなりがあって行動しているのだと思われるわ。
 それも反応の小さなものは集団で、大きなものは個体で動いているみたい。だから、小さい集団に武装局員を当てて、大きな個体にはクロノをはじめ単独での戦闘能力の高い人員を当てるつもりよ』
「妥当な線ね。なのは達は?」
『今エイミィが連絡してくれているところなんだけど、皆どうもやる気みたいね。
 フェイトさん達はもとより、守護騎士達やはやてさんも協力を申し出てくれたわ。本当に、あの子達には足を向けて寝られないわね』
そう語るリンディさんの声には隠しきれない陰があり、またも巻き込んでしまった事への後悔が滲んでいる。

しかし、それなら初めから伝えなきればいいだろうに。この程度、予想の範疇なんだから。
そう思ってそう言ってやったのだが、返ってきた答えは意外なもの。
『返す言葉もないわ。でも言い訳をさせてもらえるのなら、伝えないわけにはいかなかったのよ』
「どういう意味?」
『この結界、どうやら封時結界に近い性質を持っているみたいね。今現在、この街には魔法関係者以外の人間は存在しない。いえ、正しくは魔法関係者だけをこの結界内に隔離したと言うべきかしら?』
なるほどね、確かにそれは知らせないわけにもいかないか。
というか、知らせないもなにも遅かれ早かれ気付くのだから隠す意味がない。
下手に混乱をきたすくらいなら、さっさと知らせてしまった方がマシだろう。

『それも、厄介な事に関わりの度合いは関係ないみたい。今わかっている範囲では、高町さん達は全員取り込まれてるし、どうやらすずかさんやアリサさん達もみたいなの。
 それに当然と言えば当然なんでしょうけど、小さい方の反応は主にそちらの方に向かっているわ』
はぁ、それはまた面倒な話だ。何が狙いかは知らないが、ちょっとでも関わってたら後は無差別か。
なんでまた、ちょこっと関わっただけの人達まで巻き込むかなぁ……。

とはいえ、愚痴っていても仕方がない。まずはやる事を明確にしないと。
「すずか達はどうしてるの?」
『幸い、アリサさんは今すずかさんのお宅にいるみたい。そこで、例の防犯装置を中心に防衛線を築いているわ。高町さんの方は、自力でなんとかすると言っているのだけど……念の為、両方に武装局員を応援に送るつもりよ』
「それで問題ないんじゃない? 小さい反応の主がどの程度の相手かわからないけど、反応が小さいって事はたいした事ない筈だし、ヤバそうなら改めて大規模の応援を出せばいい」
『そうね、私も同意見よ』
やはり先に大物を潰して、それから雑魚の掃討をする方が確実だろう。
雑魚を潰しているうちに疲れてしまった、ではシャレにならないしね。

『私にあなた達への命令権はないけど、あなた達は前線に出ない方がいい。フェイトさん達と会うのは気まずいでしょ? 今回は、自分達を護る事にだけ集中して』
「ありがたいわね、そうさせてもらうわ。あの子達の集中を乱しても仕方がないし、その辺りが妥当でしょ。
 もし何かある様だったら、その時にまた連絡してちょうだい」
『ええ』
ま、確かにそれが今のところ一番マシな選択だろう。
士郎の事もあるし、ここを空けるのは望ましくない。

とそこで、家の近くに不穏な気配が近づいてきている事を張り巡らせた結界が感知する。
数が多い事を考えると、例の反応の小さい集団の方か。
「リニス、アンタは士郎の護衛と監視。アイツの事だもの、ジッとしてる筈がないわ」
「わかりました。凛は、出られるのですね」
「そうするしかないでしょ。敵さんの姿ってのも、一度見ておきたいしね」
はてさて、やっこさんはいったい何者なのかしら。

そうして私は、リニスに士郎を任せ戦場に出る。
そこでまさか、あんなものを眼にする事になるとは露知らず。



  *  *  *  *  *



敵を迎え撃つべく外に出た私の眼に映ったのは、何処か既視感を抱かせる光景だった。
「冗談でしょ……なんでこいつらが」
宙に浮く私の眼下に広がるのは、いつか見たような光景。
私はこんなもの知らない、だけど私はこの光景を知っている。
矛盾している筈なのに、それを矛盾と感じない自分がいた。

■■■■■■■■■■■■■■■■■――――――――!!!!

それは、まるで蜜に群がる蟲の様だ。
それも、どいつもこいつも計ったように同じ顔をした黒い獣の群れ。
声ならぬ声の大合唱は、まさに阿鼻叫喚の地獄そのもの。
普通の人間なら、容易くあれらの餌食となる事請け合いだ。
ここから視認できるだけでも、そいつらが軽く三百を超えている。
確かに、リンディさんの言っていた事は本当らしい。

だが、その事に少なからず安堵を覚える自分もいる。
憶えの無い記憶が囁く、あの時はこんなものではなかったと。
あの四夜の終末で見たそれは、正しく無限。躯は際限なく増殖し、淀む事無く街を覆った。
それが、私の脳裏に刻まれた「ある筈のない記憶」の光景。

そして、今眼下に広がる光景は存在しない記憶にあるその焼き写しだろう。
明かりは消え、人々は消失し、街の生気は凍りついている。
存在しているのは、大なり小なり魔法に関与した者だけ。

しかし、現状街を覆うそれは虫食いがいいところだ。
確かに数は半端ではないが、それでも街全体で五百程度なら大した事はない。
一度に襲いかかるわけでもなさそうだし、一ヶ所に集まって相手にし続けないわけでもない。
実際、こっちに向かって来ているのは多くても全体の五分の一がいいところだろう。

百、厄介な数である事は認めよう。マラソンバトルをするには数が多すぎる。だが……
「なんでかしらね、それくらいなら何とかなる気がするわ」
この既視感の出所も、何となくだが予想はできている。
だからたぶん、あの時に戦った事があるからわかるのだろう。相手の強さ、戦い方、それらがわかるが故に、百程度ならまだ許容範囲という自信が生じる。
或いは、過去にもっと絶望的な戦いを経験した事があるから感覚がマヒしているのかもしれない。

しかし、なにはともあれ……
「まさか、すんなりここまでたどり着けるなんて思わないでよ……ね!」
地脈から吸い上げ、家に溜めこんでいた魔力を解放する。この家そのものが、私にとっての魔力タンクだ。

故に、他の場所でならいざ知らず、事この家の付近に限れば私の貯蔵は普段の数倍。
この程度の数に負ける道理など存在しない。
「『Fixierung(狙え),EileSalve(一斉射撃)――――!!!』」
人がいないのはありがたい。そういう状況でなら、遠慮呵責なく薙ぎ払う事が出来る。
家から引き出し、体を経由して宝石に溜めこんだ魔力を一気に解放し、何の着色もせずに黒い群れに向けて放つ。

魔力の塊が着弾すると、まるで埃の様に黒いそれらが舞い上がる。
(ふむ、どうやら記憶との差異はほとんどない……むしろ、多少弱いくらいか。
 この分なら何とかなりそうだけど、問題はなのは達の方ね。変に躊躇ったりしてないといいんだけど……。
ま、そっちにしたって何かあれば連絡くらい来るでしょ。こっちとしても迂闊にここは離れられないし、リンディさん達に任せるしかないか)
こればっかりは私にもどうしようもない。ただ単純に、この状況下では手が足りないのだ。

この家を、ひいては士郎を守る事となのは達への援護、この両立は私一人では不可能。
リニスを送るって手もあるけど、士郎の事を考えるとやっぱりね。
それに、私やリニスが援護に行ってなのは達を動揺させてたら世話が無い。
となれば、やはり私達はここの防衛に集中するのが得策か。

心配ではあるが、あの子達だってそれなりに経験は積んでいる。
バックアップだってあるわけだし、自力でなんとかできるだろう。
(にしても、こいつら一体どこから来たのかしらね)
私の記憶にあるアレに酷似してる事から考えて、私の記憶をベースにして生じた可能性が高い。
だけど、それにしても不可解な点が多い。

最後に来た報告によると、どうやら反応が大きい方は闇の書の残滓が作り上げた複製の様なものらしい。
それも闇の書と関わった人間達、つまりなのはとかフェイトとかの偽物。
より正確には、「闇の欠片」と呼称されたそれらは魔導士達の過去の記憶を再現した思念体と聞く。
破壊された防衛プログラムを、なんとかもう一度再生しようとしてるとか何とか……。
だとすると、これもそれと似たような性質の筈だが……あの夢に出てきていないこれらをなんで再現できたのだろう。私が憶えていれば関係無いのかもしれないけど、それにしたって……。

そんな事を考えながらも雑魚を薙ぎ払って行く。
とはいえ、さすがに数が多い。
幾ら纏めて十体くらいはふっ飛ばしているとはいえ、それでも徐々に近づかれるのは避けられない。
おそらく、遠からず連中はここに到達するだろう。
そこから先は、あの時と同じような戦い方になるのかな。

だが、そんな私の予想は容易く覆された。
「ブラスト……ファイアー」
「電刃衝!!」
平坦な声と妙にテンションの高い声が響き、見憶えのある砲撃と直射弾が夜空から放たれた。
私に……ではなく、黒い獣達に向けて。

着弾箇所にいた獣達は、まるで木の葉の様に蹴散らされ消滅した。
直撃を免れた者達はまるで蜘蛛の仔を散らすようにその場を退く。
だが、すぐに天を仰ぎ奇怪な賛美歌を唱和する。
『■■■■■■■!!』『■■■―――――!』
それはまるで神を崇める信徒の様であり、支配者を前に跪く臣下の様でもあった。

一瞬なのは達の仕業かとも思ったが、即座にそれを否定する。
私に向けて叩きつけられる、尋常ならざる敵意と殺意がそれを否定していた。
「あなた方は下がってください。
この方は私の大切な標的、邪魔になるようでしたら先に薙ぎ払いますので、あしからず。
まあ、あなた方にも仕事があるでしょうし、邪魔にならない範囲で動く分には構いませんので、そのように」
何やら丁寧な口調で物騒な事を宣言したのは、やけに見覚えのある少女の姿。
しかし、その容姿は私の良く知る人物のそれとは違う。
服の彩色が、纏う雰囲気が、髪型が、眼つきが、様々なパーツが彼女を高町なのはではないと告げている。

同様にその横にはこれまたフェイトによく似た、でも明らかに違う人物がいる。
「ホラホラホラホラ! さっさと消えなよ、ここはお前達みたいな雑魚のいていい場所じゃないんだからさ!!
 まったく、これだからゴミはイヤなんだ。ゴキブリみたいにどこにでもいるんだもん」
と、明らかにフェイトなら絶対に言わない様な単語を連発している。
しかも、口調というか使う言葉のせいか、何処か頭が足りて無い印象を受けるなぁ。
なんて言うか、色々残念な感じかしら。フェイトの知性を、こいつからはまるで感じない。
人格に関して言えば、どっちもあんまり似てないけど。

だが、獣達は唯々諾々として少女たちの命に従う。
ほとんどの者はその場から姿を消し、僅かに残った者達も遠巻きにこちらを見ているだけだ。
外見的には年端の少女の命令に大人しく漆黒の獣達が従う光景は、いっそ異様でさえある。

しかし、命を下した少女はその様子に満足したのか、ゆっくりとした動作で私に向き直る。
「さて、お初にお目にかかります、わたしは……」
「僕は『雷刃の襲撃者』、またの名を『マテリアルL』お前を倒す戦士の名だ、メイドの土産に憶えておけ!
う~ん、やっぱこの響きはカッコイイなぁ。
でも、メイドさんに何を持っていくんだろう……ってイタイ! な、何すんだよ!?」
青いツインテールをこれでもかと引っ張られ、首をのけぞらせながら文句を言う。
なのは似の方は、何やら不機嫌そうにぐいぐいと引きちぎらんばかりに引っ張ってるし。

「あなたが割り込んでバカな事を言ってるからでしょう。
今はわたしが話しているのです。順番は守って頂きたいですね、バカなんですから」
「バカバカ言うな! バカっていう奴がバカなんだぞ!!」
いや、やっぱアンタバカだわ。

って、そういう事じゃなくて……
「では今度こそ、わたしは『星光の殲滅者』あるいは『マテリアルS』とお呼びください」
「それで、アンタ達はなんなわけ」
「一応、分類上は我々も闇の書の残滓が作り上げた思念体になります。
 しかし、通常のそれとは異なり自我を持つ構成素体ではありますが……」
「つまり、核みたいなものって事でいいわけね」
「はい、その認識で構いません」
「うぅ~~~~~~……僕を無視するなぁ!!」
「「バカは黙ってなさい(下さい)」」
「なんだよ、どいつもこいつも!!」
しかしこっちのなのは似の方はともかく、フェイト似の方を核に再生したらどうなるのやら。
別に、こっちが核になる分にはさして危機感が湧かないんだけどねぇ。

「で、そのお偉いマテリアル様達が二人も一体何の用?」
「いえ、二人ではなく―――――――――三人です」
その言葉と共に、新たな気配が現れた事に気付く。

「あらあら、今度ははやてのそっくりさんなわけ?」
「ふん、我とあの様な小烏を同列視するとはな。いや、所詮は塵芥、その程度の眼しか無くて当然か。
 よい、無礼を許すぞ。痴れ者に対する寛容もまた、王の務めだからな。
 我は『闇統べる王』『マテリアルD』。拝謁の誉れに浴し、歓喜の涙を流すがよい」
誰がよ……。にしても、これはまた随分と無駄に偉そうなのが来たものだ。
ま、それでもあの「金ピカ」程じゃないか。
アレだったら今頃「王の御前であるぞ、頭が高い。疾く自害せよ」くらい言いかねないからなぁ。

まあ、そんな回想は今は必要ないか。とりあえず、一番話が通じそうななのは似の方に聞いてみますかね。
「じゃ、改めて聞くけど三人も連れ立って何の用なわけ?」
「「「…………………………」」」
「どうしたのよ」
「いえ、それが我々もなぜ揃ってあなたの所に来たのか判然としないものですから」
「はぁ?」
こいつらは、まさかなんで自分がここに来たかすらわからないと言うのか?

「確かに、あなたとあの少年も優先すべき破壊対象ではあります。しかし、だからと言って他の方々より優先しなければならないわけでもありません。それどころか、元となった人物の破壊こそが最優先とも言えるでしょう。
 にもかかわらず、我々はまずあなた方を破壊する事にした。それがわたし達にも不可解なものでして」
嘘は……言ってない。本当に、心の底から困った様子でこいつはそんな事を語っている。
他の二人にしたところで、言葉にこそしないがどこか釈然としないものがその表情から窺えた。

しかし、だとすると何でまた私が袋にされなきゃならないのよ。
「まあ良いわ、結局やる事は変わらないんでしょ?」
「はい、その点に関して疑う余地はありません。我々はあなたを破壊し、あなたは我々を破壊する。
 結果は、運命が決めてくれる事でしょう」
「そ。それで、誰からやるの? それとも三人まとめて?」
「はっ……なぜ我が庭師の仕事をせねばならぬ。我が動かずとも、下々の者達が為せばよい。
 王は座し、下僕が献上する美酒を味わえば良いのだからな」
「別に、我々は役柄が違うだけで序列があるわけではないのですが……まあ、良いでしょう。
 要は『砕け得ぬ闇』さえ再生できればいいのですしね。
 それと、答えを述べるのなら否です。我々は同胞ではありますが、そもそも集団行動には向いていません。
 故に、三人協力して戦った所で混乱するだけで無意味でしょう。なので……」
一人ずつってわけか、本当に三人集まったのは偶然っぽいわね。
三人いるのなら、全員でまとめてかかった方がいいでしょうに。

できれば今のうちに三人纏めて倒せればいいのだけど、こいつらお互いの事をまるで信用していないらしい。
お互いに微妙に距離をとり合ってくれているものだから、おかげで三人纏めて攻撃するってわけにもいかない。
下手に不意打ちしても、一人を倒した瞬間に二人に狙われそうなのよね。
狙ってやってるんじゃなくて、お互いへの警戒心でそれをやってるってんだから頭が痛いわ。

ま、それは仕方ない。せめて今は、各個撃破できる事をありがたく思わないと。
それで、先鋒は誰なのかと思っていると……
「僕がやるぞ、いいな」
「ええ、お好きなように」
「……さっさとやらんか下郎」
「よ~し。さあ、正々堂々かかってこーい」
どうやら、あのいろいろ残念そうなのが相手らしい。

フェイトの姿を模しているところからして、スピード重視なのは間違いない。
そう判断して身構えた瞬間―――――――――――奴の姿が消えた。
「何処を見ているんだい!!」
「ちぃっ!」
一瞬にして背後に回られ、その状態から大鎌が振り抜かれる。
それを直前で回避しながら、相手の早さに舌を巻く。
それはつまり、フェイトの早さに舌を巻いたのと同義だ。

(まったく、味方だとありがたいけど、敵に回ると厄介極まりないスピードね。
 多少の技術や経験の差なんて、この速さの前じゃ意味がない。シグナムが手古摺ったのも頷けるわ)
とはいえ、悠長に考え事ばかりもしていられない。
第一印象通り、思いっきりイケイケの性格をしている様で、鎌を構えなおし小細工抜きで再度突っ込んでくる。

勢い良く縦横無尽に振り抜かれる鎌をかわす、かわす、かわす。
そうやって回避しつつ、こちらも反撃に出る機会を窺う。
だけどこう速いと、攻撃の間隙を縫って反撃するのも一苦労だわ。

でもま、やりようはあるけどね。
「『Vier(四番、), Der Klumpen des(爆ぜよ豪風)Windes wird befreit(吹き荒べ)!!』」
周囲の砂やら埃やらを巻き上げ、一瞬視界を埋め尽くす。
その間に距離をとり、体勢を立て直す。

「うわっぷ! って、砂煙……ずるいぞ!!」
「目潰しなんて搦め手の定石でしょうが。ホラ、今度はこっちの番。
『Viel Topfwiesel sind bereit(斬り裂け), es zu schneiden(無影の刃)』」
動きが鈍っているところへ大小数十にも及ぶ風の刃を叩きつける。
普通なら細切れの肉片に変わるところだが、そこまでの効果は期待していない。
幾らフェイトの薄い装甲とはいえ、これだけで仕留めきれるほど甘くはないだろう。
だいたい、そう簡単に当たってくれるなら苦労はない。

そして、それは案の定なわけで。
「こんなものが当たるか!!」
「でしょうね。だからこっちが本命よ。
『Brennen Sie(劫火よ、), verbrennt alle Schmutzigkeit(不浄を焼き尽くせ)!』」
これだけのスピードがある相手に狙い撃ちして充てるのは難しい。
なのはや士郎ならともかく、そもそも精密攻撃の苦手な私には無理だ。

ならやる事は一つ、多少避けたくらいじゃかわせないくらいの範囲に攻撃をばらまく。
この手の相手は、そもそも近づけさせないのが定石だしね。

「くそ! それでも僕は飛ぶ!! 誰であろうと、僕の影を掴む事は出来やしない!!
 いけ、光翼斬!!!」
風の刃を避けながら放たれたのは、フェイトのハーケンセイバー。
放たれた回転する刃は、こっちの攻撃を抉るように切り裂く。
やはり、攻撃手段までもがあの子達に似通っている。

だがそれなら、こっちの方が有利かな。地下にある水道管をぶち抜き、そこを水源に術を行使する。
「『Tränen Sie(水流逆巻き、), fließt rückwärts und schluckt alles(押し流せ)!』」
水は電気をよく通す。逆に言えば、水には電気を拡散させる効果がある。
水系の術をぶつける事で漏電させ威力を散らし、その脅威を取り除く。

何しろ、術の名称こそ違うが、その内容は良く見知ったモノ。
発動段階のモーションで、ある程度何をしようとしているのかは予想できる。
そして、あの子達と同じ攻撃をするってのなら、対策なんて用意済みだ。

むしろ、知らない攻撃をしてくる方が厄介なのだが、その様子はない。
幾らスペックが高くても、良く知った攻撃ばかりならどうとでもなる。
ましてやこいつの場合、動きが直線的で読みやすい。それはつまり、どこに向けて動くかも予想できると言う事。
「『Neun, (九番)Ach, (八番)Sieben(七番)!
 Stil,sciest,(全財投入)Beschiesen(敵影、 一片、),ErscieSsung(一塵も残さず)!』」
回避先を先読みし、そこに向けて範囲の広い攻撃をばらまく。
この辺は純粋に経験がものを言う領域だ。闇の書としての蓄積より、元となった人物の影響を色濃く受けているのだろう。おかげで、先読みをさらに読まれると言う事は今のところほとんどない。
あの子達にはまだ、こっちの考えを読み切れるだけの経験がないって事か。

「やりたい放題やってくれるじゃないか。それなら、天破・雷神槌!!」
「それも知ってる! そんな苦し紛れに使ったって意味がないわよ」
「だろうね。なら、こうすればいい!!」
バインドと雷撃の併用魔法を回避したところへ、スピードを活かして間合いを詰められる。
私がどこへ避けるか読んで動いたのとは、違う。
コイツ、私が動いたのを見てから無理矢理方向転換しやがった。
まったく、スペック任せのなんてでたらめを……。

このままだとあの鎌でバッサリやられてしまう。となれば、これしかないか。
「ああもう、これ痛いんだからね。『Es scheint nicht(白き閃光が), daß ich überwältige(全てを覆う)!!』」
自分が巻き込まれる事を承知の上で魔力の光が私達を包む。
もちろん威力は抑えてあるけど、痛い物は痛い。
しかし、発動する直前驚いた顔で急停止していたのは見えた。
どうやら、狙い通りになったようだ。

だが、それを待ってましたとばかりに動く奴がいる。
「申し訳ありませんが、横槍を入れさせて頂きます。パイロシューター」
「だろうと思ったわよ!!」
平坦な声と共に放たれる誘導弾。それを、危ういところでガンドを撒き散らして撃ち落とす。
普通に考えて、でっかい隙を見せた敵を放っておいてくれる筈がないのだ。当然、その瞬間不意打ちするだろう。

しかし、向こうさんはそれなりに今の奇襲に自信があったらしい。
「読まれていましたか」
「当たり前でしょうが。っていうか、敵が他にもいるのに警戒を怠るなんてありえないでしょ」
「なるほど、勉強になります。
なにぶん、わたしの素体は人が好すぎるようでして、この手のズルイ戦い方は苦手なようです」
まあ、確かにあの子らしいっちゃ、らしい話だけどね。

「オリジナルとの力量差を考えると、今のわたし達が個々に戦っても勝利は難しいでしょう。
 好みではないのですが、最優先事項を疎かにするのも本末転倒ですし、ここは節を曲げる事にした次第です」
「評価してくれるのは嬉しいけど、今回に限ってはいい迷惑ね」
ま、確かに一対一なら勝てる可能性は十分にある。
だけど、これが二対一となると……ちょっとマズイかな。

しかしそこへ、横槍を入れられた側から物言いが出る。
「おい! 手を出さないんじゃなかったのか!!」
「そんな事は一言も言っていません。わたしは『集団行動に向かない』と言っただけで、指を咥えて見ているなどとは言っていませんよ。むしろ、隙あらば殲滅するくらいのつもりで見ていましたから」
だろうと思ったのよ。さっきからずっと首筋がうすら寒かったから、何かあるだろうとは思っていた。
そもそもこの程度の奇襲、昔はしょっちゅうだったし。

とはいえ、さすがにわざわざ別個体として構築しただけはある。まず間違いなく、素体となった二人よりも強い。
(さすがに、そんなのを二人も相手にするのはきついわね。
一人ならまだどうにかなるんだけど、これを二人相手にするとなると……)
厳密には敵はもう一人いるわけだが、アレは本気で手を出しそうにない。
とはいえ、だからと言って無視もできない。二人を相手にしつつ、常にそっちにまで気を配るのは中々にキツイ。

ま、どちらにせよ三人で来られたら飽和するんだろうけど……。
二人相手にするのだってしんどいってのに……どうしたものかしら。

だが、そんなこちらの思案をよそに、向こうは向こうで何やら言い合っている。
「いいから手を出すな! なんなら、先にお前をこの刃で斬っても良いんだぞ!」
「わかりました、極力手は出しません。あなたも、手を出す隙を与えないように頑張ってください」
「言われるまでもない! 僕は飛ぶ、誰よりも高く、誰よりも疾く!!」
上手い事丸め込まれてるけど、アイツ絶対また手を出すわね。

それも、下手するとコイツ諸共私を消すつもりかもしれない。
っていうか、一石二鳥とか狙ってる感じもチラホラ……。
これは……マジでヤバいかもしれないわね。



Interlude

SIDE-リニス

凛が外で闇の欠片のマテリアル達を相手に孤軍奮闘するのと同じ頃。
私も、士郎を守って屋敷の中で穴熊を決め込んでいるわけにはいかなくなっていた。

理由は単純。敵が攻めてきたからに他ならない。
だが、それは無論マテリアル達などではない。
三人のマテリアルは凛に足止めされている以上、こちらに来られる筈がないのだ。
ならば、残る敵は一つ。初めにこの屋敷に侵攻してきた、件の黒い獣達。

一度はマテリアルSに掣肘されその場を退いていたのだが、本来の目的までは忘れていなかった。
むしろ、そのマテリアルSの言葉に従っているとも言える。
(邪魔にならない範囲で動けと言われて、わざわざ戦場を迂回してきたみたいですね。
 律義と言うかなんというか……)
アレにそんな思考能力があるのかは怪しいが、事実としてそうなっているのだから仕方がない。
或いは、足止めされたのはこちらの方なのではないだろうか。そういう疑問さえわき出てくる。

とはいえ、こうなったらいつまでも籠城していても仕方がない。
屋敷に施された防衛機構は堅牢だが、それでも数の暴力の前には遅かれ早かれ破られるだろう。
ならば、凛に任された役目通り、この場を死守するのが私の責務。
そう決心し、私もまた戦場に立つべく一歩を踏み出す。

ところが、そこで背後から何とも覇気に欠ける声が掛けられた。
「なぁ、リニス」
「なんですか、士郎」
「いい加減……これ解いてくれないか?」
後ろを振り向けば、そこには文字どおりの意味でイスに縛り付けられた士郎の姿があった。
いっそ、ギチギチという音さえ聞こえてきそうなほどに拘束はきつい。
それどころか、床に直接杭を打ち、拘束帯の端が縫い付けられている。
動こうとするのなら、床をはがすくらいの気概が必要だろう。

だが無理もない、と言うかこの程度は当然だ。
これくらいしておかなければ、この人は間違いなく、絶対に戦いに参加しようとする。
クリスマスの夜に負った傷は、未だそんな事が出来るほどに回復しているわけがないのに。
いや、それを承知の上で無茶をするから性質が悪い。

彼のそういう所を凛達の過去から散々聞かされた身としては、口調がツンケンしてしまうのも仕方がないだろう。
「理由を仰ってください。納得できた場合には釈放します」
「いや……さすがにこんな状況で俺だけ……」
「それが理由なら、釈放は許可できません。確かに状況は悪いですが、あなたに無茶をされる方が迷惑です」
「そ、そこまで言わなくても……」
「とにかく、あなたはここで大人しくしていればいいんです! わ・か・り・ま・し・た・ね!!」
正直、主にも等しい方へ向ける言葉ではないという事は承知している。
しかし、人の心配ができる様な状態でもないくせにこうやって命を削ろうとするこの人に、沸々と怒りに似た感情が湧いているのも事実。せめてこんな時くらい、大人しく頼って、任せてくれてもいいでしょうに。
どうしてこの人はこう、何でもかんでも背負いこもうとするのか……。
凛の長年の苦労の一端が、身に沁みる様な気持ですよ。

だが、それでもなお士郎は諦めない。
「で、でもさ……」
「なんですか?」
「いや、そんなそこはかとなく不機嫌そうな顔しなくても……」
「させているのはあなたでしょうが!!」
ああもう、本当にこの人はどうしてくれましょう。
いっそ、凛から教わった絞め技で落としてしまいましょうか?
流石の士郎も、意識を失ってまで無茶はできない筈ですし……。

む、単なる思いつきですが、割と良いアイディアかもしれませんね。
それなら士郎の心配をする必要もありませんし、私も戦いに集中できます。なにより、面倒がありません。

しかし、そんな私の内心に気付いたのか、士郎がおずおずとした様子と震えた声で謝ってくる。
「リニス……俺が悪かった。だから、その笑みはやめてくれ。正直…………すごく怖い」
「なっ!? し、失礼なことを言わないでください! 私は、真剣にあなたの身を案じているのですよ!!」
まったく、人の気も知らないで。
こちらがどれだけ心配しているか知りもせず、あまつさえ「怖い」とはなんですか「怖い」とは。

いえ、こんな時、こんな状況で遊んでいる場合ではありませんでしたね。
「用件がそれだけなら、私は行きますよ」
「待て待て、せめて抗魔術くらい解いてくれても良いだろう!?
 これじゃ、いざという時に自分の身も守れないぞ!」
まあ、確かに言っている事は正しいですね。

何しろ、士郎の体を縛る拘束帯には凛特製の抗魔術がかけてある。
そのおかげで、拘束されている士郎は魔術回路の働きが乱れ、魔力を生成できなくなっているのだ。
それはつまり、現状一切の魔術行使ができない事を意味している。
確かに、そんな時に敵に襲われれば一巻の終わり。

ええ、言い分はわかりました。ですが、こちらの答えは既に決まっています。
「却下します。私に凛がかけた抗魔術“だけ”を解くなどと言う事はできません。まさか、拘束帯諸共外せなどとバカなことは言いませんよね? 拘束する必要があるからしているのに、態々外す人がいますか。
そもそも、魔術を使えるようになったら確実に無茶をするのが眼に見えているのに外すわけないでしょう」
「ぅ……た、確かにそれはそうなんだが……」
「それに、士郎の言う可能性は私が突破される事を前提としたものです。そんなに私が信用できませんか?」
いえ、実際難しい所だろう。何しろ、個々の力はともかくアレだけの数が相手だ。
弱体化している私に、一体いつまで支えられるだろうか。

士郎とてその事は承知している筈だが、私を慮ってか言い辛そうにしている。
「大丈夫です。確かに私一人であの全てを殲滅するのは難しいですが、一時の間だけ支えるくらいはできます。
 凛がマテリアル達を倒すまでの間、死力を尽くして食い止めて見せますよ」
そうは言うが、実のところそれは楽観的な見方だろう。
何しろ、今回の戦闘は凛に不利すぎる。

まず、リンは自分だけでなく後ろにあるモノまで守りながら戦わねばならないのに対し、あちらにそんなモノはない。守りながら戦う場合、どうしても取れる選択肢は狭まり、常に後ろを気にしなければならない。
場合によっては、家を守る為にその身を盾にしなきゃならない時もあるだろう。
と言うか、なのはさん似のマテリアルに限れば明らかにそれを狙ってそうなんですよね。
しょっちゅう家に向かって砲撃を放つものですから、凛はそれを何度も体を張って防ぐ羽目になっている。

その上、凛は二人の動きだけでなく三人目まで警戒しなければならない。
その結果、更に気が分散する。逆にあちらは全く遠慮せず動き、手加減なしの攻撃が可能。
それがどれほど凛の力を制限しているかは、苦戦を強いられている現状が如実に物語っている。

宝石剣を使うという手もあるのでしょうが、難しいですね。
『アレは一撃一撃が大味過ぎてこういう局面には向かない』とは凛の弁。
最強の手札が、その時における「最適の手札」とは限らない。
下手すると、家を瓦礫の山に変えてしまいそうなんだとか……。
それに、彼女らのスペックなら片方が宝石剣の一撃を止めている間に、もう片方が攻め込んでくるなんて真似も可能でしょう。それならいっそ、対応力の高い通常戦闘の方がマシというのが凛の考え。

故に、せめて別ルートで進行してきている獣たちだけは私が何とかしないと。
こちらの心配をしなくて済むようになるだけでも、少しは戦いやすくなるはずです。
まあ、実際問題として、私一人で抑えきれる物量の限界を超えていそうなんですけどね。

士郎がその事に気付いていない筈がない。しかし、それでも私の思いを汲んで信じてくれる。
何があろうと、必ずや生きて守りぬいてみせると言う決意を汲んでくれたのだ。
「…………わかった。だが、死力を尽くすのは良いが―――――――死ぬなよ。
 俺も、凛だって、誰もお前に死なれてまで守って欲しいなんて思っちゃいないんだからな」
「人の事を言えた義理ですか? ですが、私もあなたを非難した手前、同じ事はできませんね」
そうだ、士郎の無茶を否定した以上、私もまたそんな真似をするわけにはいかない。
二人の為に死ぬことに躊躇はない。だが、それは本当に最後の最期。今はまだ、その時ではない。

だが、引き合いに出された士郎は憮然とした表情になり、そのまま不貞腐れた様に言う。
「ま、なんと言われても仕方がないのはわかってるさ」
「ああ、自覚はあったんですね」
「……言う様になったじゃないか。まあ、それはそれとして、俺に無茶をして欲しくないんだったら、危ない事はするなよ。ヤバそうなら……何が何でも割って入るからな」
まったく、どこの世界に自分の身を脅迫のネタに使う人がいますか。
だからあなたは危なっかしいと言われるんですよ。

ですが、そういう事ならなおさら無茶はできませんね。
「ご安心ください。あなたと違って、死ぬのは嫌いですから」
「俺が死にたがりみたいに聞こえるから、その表現はやめてくれ」
「当たらずとも遠からずだと思いますけどね」
私の言葉に、どんどん士郎の頭が下がって行く。
その様子を見て、思わずクスクスと笑みが零れる。こう言う軽口をたたくなど以前の私からは考えられませんね。

ですが、そんな自分と、自分が自分でいられる今が愛おしい。
だから戦おう。愛おしい今と、その象徴を守る為に。



  *  *  *  *  *



そうして戦場に出て眼にしたのは、まさに悪夢のような光景。
数えるのも馬鹿らしいほどの獣の群れが、様々なルートを通り進行してきている。
これだけの数を相手にするのかと思うと、思わず背筋が凍りそうになった。

だが、同時に奮い立ちもする。
(……いえ、この程度で悪夢などと言っては二人に笑われますね)
そう、あの二人が見てきたものに比べれば、目の前に広がるそれのなんと生温い事か。
確かに圧倒的数の差は、絶望的なまでの戦力差を見せつける。

しかし、結局はその程度だ。所詮「絶望“的”」に過ぎず、真なる「絶望」には届かない。
二人が見て、立って、戦ってきた戦場に比べればこの程度……。
二人に仕え、二人と共に歩むと決めたのならば、この程度で怯んでなどいられない。

「ランサー、セット」
展開するのは、かつてフェイトに教えたフォトンランサー。
今展開できる限界の25を展開する。普段なら頼もしくさえ感じるであろう魔力弾の輝きが、今はどうしようもない程心もとない。25の魔弾程度では、あの数を前には焼け石に水でしかないからか。

だが、だからと言って挫けることなど出来るはずもない。
今となってはフェイトの足元に及ぶかさえ怪しいが、それでもあの子に魔法を教えた者としての矜持がある。
大恩ある二人に仕える者として、二人の信頼に応える義務と誇りがある。
背負ったもの、支えるモノを再確認し、尚の事負けられなくなった。

蠢く獣達を睥睨し、背後に展開した魔弾に向けて号令をかける。
「フォトンランサー、ファランクスシフト………………ファイア!!」
一斉に魔弾は解放され、秒間六発の高速連射は無数の魔弾と化し獣達に襲いかかる。

獣達を、まるで紙屑のようにある時は貫き、ある時は蹴散らす魔弾。
非殺傷設定と言う安全装置を外したそれは、まごう事なき凶器となって敵を駆逐する。
着弾にやや遅れ、破壊の衝撃で巻き上げられた砂煙により、獣達の姿が覆い隠された。
景色を覆い隠すまでにかかった時間は、ランサーの発射から一秒となかっただろう。

だが、そこで攻撃の手を休める事はしない。
今が最初で最後の好機。この機を逃せば、おそらく後は多勢に無勢の劣勢を強いられるは必定。
故に、景色を塗り潰されたその後も、ランサーが叩き込む。今のうちに、少しでも敵の数を減らす為に。

そうして五秒間に渡ってランサーを放ち続け、計750発の射撃を漆黒の軍勢に叩き込んだ。
「ふぅふぅ、ふぅ……さ、さすがに、これだけやれば……」
倒しきれぬまでも、半分くらいは減らせたのではないだろうか。

しかし、仮に半数を倒せたとしても、尚半分が残っている事になる。
ならば、決して気を抜いていい筈がない。
大急ぎで呼吸を整え、次なる一手の為に魔力を練る。

そうして煙が晴れると、そこには半数どころではない敵が残っていた。
「……やはり、そう都合よくはいきませんか。
 そういう事でしたら、いくらでも、いつまででも付き合って差し上げましょう……御覚悟を」
相手に向けたというよりも、むしろ自身を叱咤する為の言葉。
これより先、何があろうと行かせはしない。その決意と覚悟を言葉に乗せ、自身を鼓舞する。

元より、私一人でこの大軍を打倒できるなどと思いあがるつもりはない。
そもそも、役割を履き違えてはいけないのだ。
私の役割は、粘って粘って足止めし続ける事。
凛でも良い、管理局でも良い。誰でも良いから、援軍が来るその時までこの場を死守する。
それが私にできる範囲で、私も生き残れる唯一の方策。

自身を砲台とし、再度ランサーを展開する。だが、そんな自分に違和感も感じていた。
「元が動物なせいですかね。やはり、こう言った戦い方は性に合いませんか」
そう呟きながらも、ランサーを放ち続ける。
ただし、先程までの様な手当たりしだいの乱射ではなく、一発一発狙いを絞っての精度優先の射撃だ。

出鼻を挫く意味もあって初めは派手にいったが、魔力の浪費は避けたい。
いつまで戦わねばならないかわからない以上、消耗こそが一番恐ろしい敵だ。

幸い敵に飛行能力はない様ですし、距離と跳躍、そして投擲などに注意すれば無難に戦える。
本当は、白兵戦の方が性に合いますし得意なんですがね。
ですが、多勢に無勢の中で敵陣に飛び込むなど自殺行為。

ヒットアンドアウェイで各個撃破する手もありますが、リスクを考えると旨味は少ないでしょう。
私が捉えられる可能性もありますし、なにより一ヶ所に集中すれば他方が手薄になります。
最悪、手薄になった場所から攻め崩されるかもしれません。
ならば、やはりこうして距離をとって、全体を把握した上で一体ずつ討っていくのが最善ですか。

とはいえ、これはこれで問題がある。
「いかんせん、数が多すぎますね……討ち漏らしだけは気をつけないといけないのですが……」
数が数だけに、一定ラインより先に行かせないというのが難しい。

だがそこで、思いもよらぬ角度から援護射撃が割り込む。
「『Ein KÖrper(灰は灰に) ist ein KÖrper(塵は塵に)―――!!』」
眩い輝きを放つ流星の如き宝石。それは漆黒の奔流の渦中に落ちると、その場にいた獣達を消し去り空白を生む。
それを見て、声ならぬ声で「弱音吐いてる暇があったら手を動かせ」と叱咤された気がした。

「っ! ……まったく、御自分とて他に気を回す余裕など無いでしょうに……。
 ですが、主がここまでやっている以上、私が弱音を吐くわけにはいきませんか」
本当に、難儀な主を持ったものです。
しかし、その難儀さに喜びと誇りを抱いているのですから、始末が悪いですね。

主をサポートするのが使い魔の使命。
にも拘らず、その主に手伝わせていては立つ瀬がありません。
凛が己が戦いに集中できるよう、私も無様な姿は晒せませんか。

Interlude out



そうして、戦い続けてどれくらい経っただろう。
一つ言えるのは、限界は思っていたよりも早く訪れつつあるという事だけ。

度重なる波状攻撃を撥ね退けた代償に、私の体には少なくない傷が刻まれ、身体を重くするには十分な疲労が蓄積していた。
「ハァハァハァ…ハァ……ったく、ホントにしんどいわね」
「驚きです。良くわたし達を相手にこれだけの時間耐えられますね。
わたし達は一応、オリジナル+αで設定されている筈なのですが……防戦一方とはいえ、驚嘆します」
額から流れる血を拭いながら肩で息をする私に向け、闇の欠片のマテリアルは惜しみない讃辞を向ける。
ま、その上から目線が気に食わないんだけどね。

だから、精々虚勢を張って憎まれ口を叩く。せめてそれくらいはしてやらないと、腹の虫がおさまらない。
「そうたいしたことじゃないわよ。
やっぱり連携なんてできて無いからさ、アンタが横槍入れる瞬間には隙が出来る。
 おかげでこうして立ってられるわけだしね。むしろ、二人がかりでも攻めきれない事を恥じるべきじゃない?」
「そうかもしれません。しかし、性能と数の差が戦力の差とは限らないと言う事ですか。
 むしろ、連携の取れない集団は戦力を減じる事になる、良い経験をさせていただきました。
 しかし、そろそろ限界でしょう?」
そう、この十年で防戦には慣れたから何とかなってたけど、いかんせん不利な要素が多すぎる。

後ろにある守らなきゃならないものとか、いまだに動こうとしない三人目のこととか色々あるけど、それだけじゃない。今まさに、獣達はこいつらの邪魔にならない範囲で別ルートから家に侵攻している。
一応リニスも迎撃に出てるけど、多勢に無勢は否めない。
なもんだから、こいつらの隙をついて援護しなきゃならないときた。
こいつらの相手をしながらのそれは、真実綱渡りに等しい。

救いがあるとすれば、獣達も含めてどいつもこいつも連携と言うものをする気がない事か。
獣達ですら、邪魔にならない範囲で動く以外は自分勝手に動いてるし……。
もしこいつらの間で僅かにも連携があったらと考えると、正直ゾッとする。

とりあえず、家に溜めこんだ魔力もあるからそっちはまだ余裕。
しかし、いかんせん体力と体が持たない。
体力はガリガリ削られ、体にはダメージが徐々に蓄積していく。
もうしばらくは保たせられるが、遅かれ早かれ、いずれにしろ私は――――落ちる。

さて、このままだとジリ貧だし、どうしたものかと考えるが……あまり時間もない。
「まだ戦わねばならない相手もいますし、ここで力を削られるのも無意味ですね。
 早めにケリをつけて、次の相手を探す事にしましょう。
 あなたも、あまり抵抗なさらないで頂ければ、優しく――――殺して差し上げますよ」
「お断りよ。石に齧りついてでも生きろ、ってのはなのはにも教えた事だし、知らないわけじゃないんでしょ」
「ええ、念のために言ってみただけです」
「ゴチャゴチャうるさいな。いいから、君は我が剣の前に死ねばいいんだよ!」
まったく、少しは空気を読めってのよ。これだからアホの子は……。

にしても、あの物騒な大剣はどうにかならないかしら。
サイズと威力は大剣、にもかかわらず重量は全く比例せずに軽いってどういう反則よ。
あの手の巨大な武器ってのは取りまわしと重量がネックなのに、アレにはその弱点が無い。
実体があるのが唾と柄あたりだけなんだから当然だろうけど、それにしたってズル過ぎる。
今は槍形態のカーディナルでいなしてるけど、スピードと一撃の威力の差はいかんともしがたい。

「さあ、我が雷刃の露となれ!!」
「誰が! 先にあんたが消えろ!
『Setze unter (包囲拘束)、Druck aufwärts(内圧上昇)!!
――――Bohre ein Loch(水泡を穿つ)――――Fliege; ein Pfeil des Wassers(射抜け、蒼溟の矢)!!!』」
圧縮に圧縮を重ねた水の塊、その一点の拘束を緩めそこから高速の水流が放たれる。
高圧のかかったそれは、直撃すれば大抵の物体を貫通するだろう。

そう、当たりさえすれば。
当たるか否かというギリギリのところで奴は体を横倒しにし、辛うじて水の矢を回避する。
いや、厳密には回避しきれていない。右わき腹が深く抉られ、そこから止めどなく血が溢れる。

しかしそれに動じる事なく、むしろそれに喜悦さえ浮かべながらアイツは突貫してきた。
「危なかったよ、思っていたよりもずっと早かった。だけど、僕はもっと早い!」
宣言と共に振り下ろされる死神の刃。直撃を受ければ、それで勝負か決するだろう。

でも、それを受けるわけにはいかない。
アレならまだカーディナルでの防御が間に合う、そう思ったのだが……
「座興にしても間延びが過ぎるな、下郎。いい加減厭いた、疾く失せよ」
「ち、ここで動くわけ!?」
しまった、我様気質の気紛れさを忘れてた。
動き出す直前に四本のバインドが発生し、回避しきれなかった二本が左腕に絡みつく。

だが、いつまでもそちらに気を取られてもいられない。
正面を向けば、大剣は目の前まで迫っていた。
「あ、こいつまで勝手な事を……もういい! とにかくトドメは僕だ。それだけは譲らないからな!」
「この…いくら速くたって、そんな大振り……カーディナル!」
《了解、コニック・シールド!》
自由な右手を突きだすと、その先に円錐型の盾が展開される。
仮にもフェイトのコピー。魔力量の差は歴然だし、まともに受けては私の盾では保たない。
だからこそ、大剣を弾きいなす必要があり、その為にはこの形状が最適なのだ。

そう……最適の筈だった。
「そんなもので僕の剣を防げるわけないだろ!!」
「だぁもう! これだからバカ魔力はイヤなのよ!?」
一応、大剣は盾の表面を滑る様にして軌道をずらす事には成功した。

だがそれも、極僅かなもの。
大剣が盾を滑りあらぬ場所を切り裂くよりも前に、先に盾が粉砕され……剣が突き出した右腕に迫る。
ドタマをかち割られる心配は無くなったが、その代わり腕を持っていかれかねない。

単純な魔力量の問題じゃない。
おそらく、常時大剣が帯びている高電圧が原因だ。
つくづくこいつらのスペックの高さがイヤになる。

しかし、盾で防いだ一瞬が私の命脈を保つ。
「これで終わりだ!!」
「甘いわよ。そんな大振り、一瞬もあれば十分かわせるわ」
盾が粉砕されるのを確認するのとほぼ同時に、反射的に体は動いている。
盾に阻まれ一瞬鈍った隙を逃さず、捕らわれた左腕を基点に半身になってかわす。

だが、それでもなお完全とは言い難かった。
(つぅ!? 流石に、近づきすぎたかしらね……?)
相手に聞こえぬ声で、口内でそう呟く。

「側撃」という現象がある。
大雑把に言えば、雷が落ちると、落ちた物体の近くの物体もとばっちりを受けて感電するという自然現象だ。
早い話、私の腕と紙一重の距離にまで電撃を帯びた大剣が迫ったが為に、迸る電撃がこの腕を襲ったという事。
そして、電気には物体を伝導する性質がある。
結果右腕を伝い、大剣にまとわりついた電撃が全身を侵食して行く。

全身を奔る麻痺から来る虚脱感を無視し、残った左手でカーディナルを握り潰さんばかりに握りこむ。
そして、そこへさらに術を上乗せする。
「『Feuer flackert in einer(我が手に) Hand auf(豪火を灯す)!!』」
拳に宿った炎は、そのままカーディナルに伝播し炎の槍と化した。
同時に、渦巻く炎は絡みついたバインドを焼き切り、そのまま奴の腹に向けて槍を薙ぐ。

だがその直前、眼の端で何かを捉えた。
直感の赴くままに無理矢理炎槍の軌道を変え、迫りくる何かを殴りつける。
「ぐ……あぁ!!!」
渾身の力で振るった槍の一撃により、砲撃の軌道が逸らす事に成功した。
もし、気付くのが後刹那遅ければ間に合わなかっただろう。

しかしそこで、思いもよらぬ所から声が掛けられた。
「素晴らしい。直前で気付くその直感、一瞬の迷いもなく行動する決断力、突然の事態にも関わらず小揺るぎもしない術の安定性、多少手を抜いたとはいえ私の砲撃を殴り飛ばすその威力、正確に砲撃の横っ面を殴るその錬度。お見事の一言しかありません。
 惜しむらくは万全のあなたと戦えなかった事ですが、詮無い事ですね。こんな事をした張本人である私に、そんな事を言う資格はありませんか」
敵から送られる称賛の言葉。でも、こちらはそれどころじゃない。

確かに砲撃の直撃は避けられたが、その代償は決して小さなものではなかった。
砲撃を殴り飛ばしたカーディナルはボロボロ。その上、電撃を直接受けた右腕には焼けつくような痛みが宿り、無理な動きをした左腕も悲鳴を上げている。
これまで一人で戦い続けたツケか、身体はしびれ思うように動かない。
特に両腕は酷く、痛覚以外の感覚が麻痺して指一本さえもロクに動かせやしない。
まさに満身創痍。これじゃあ、これ以上の戦闘は……。

いやそれ以前に、こいつはいつの間に私の―――――懐に入り込んだのか。
「驚くほどの事はありません。わたしがあなたの教え子を素体としている以上、あなたの教え子にできる事はわたしにもできます。つまり、これもまたある意味あなたのおかげという事なのでしょうね。
 それでは、さようなら……先生」
光を宿す拳が鳩尾に迫るその光景は、どうしようもなくゆっくりに感じる。
回避はおろか、防御も間に合わないと言うその事実を突きつけられるように。
いや、魔力を籠め全身の筋肉を上手く使った一撃は、子どもの細腕でも十分な威力を与える。
生半可な防御は、それこそ無意味だろう。

そうして、鈍い音が私の腹から重い衝撃を伴って響く。
内功外功ともに鍛え抜いているが、それでも効いた。
むしろ、効いた程度ですんだのは日ごろの鍛錬のおかげか。ま、この状況じゃ気休めに過ぎないけど……。
「か、はぁ……」
予想していなかったわけじゃない。でも、反応するだけの余裕がなった。
いや、言い訳はやめよう。事ここに至るまでそんな素振りを見せていなかったものだから、思わず失念していた。
ある事は知っていたのに、全く使わなかったから可能性から除外していたのだ。

できた事と言えば、咄嗟に体から力を抜く事だけ。
向こうの力に逆らわず身体をくの字に折り、できる限り後方に衝撃を逃がしはした。
だが、それでも完全には殺しきれない。
結果、身体はグラリと崩れ、糸の切れた人形の様に地面に向かって落下していく。

制動をかけ、地面と激突する事だけは防げるだろう。
しかし、そこから先に繋がらない。例え墜落を防げても、既に手詰まりだ。
「さあ、これで終わりだ!! いくぞ、光雷斬!!」
そして、宣言通りトドメを刺すべく死神の鎌が私に迫る。
体勢を立て直すので精一杯の私は、これを為すままに受け入れるしかない。

そう、もし私が一人だったのなら。
「そうはさせん! 紫電……一閃!!」
「え? う、うわぁ―――――っ!?」
「ラケーテン……ハンマ――――!!」
「な!? あぐっ!!」
耳慣れた声は二つ。それにやや遅れ、何かが弾き飛ばされる音に続き、それらが周囲の建築物に衝突した。
まったく……遅いってのよ、あんたらは。

地面と激突する前に体勢を立て直した私は、ギリギリのところで四肢を使って着地し、手元の相棒を労う。
「ありがと、助かったわ」
《本懐です、お気になさらず》
「そ。じゃ、今は休んでちょうだい」
そう言って、ボロボロのカーディナルは待機状態になってひっこんだ。
あんな無茶したってのに、良く耐えてくれたと心から感謝する。
こいつがいなかったら、アイツらが来るまで保たなかったかもしれない。

そこへ、これまた良く知る二人が駆け寄ってくる。
「凛ちゃん、大丈夫ですか!」
「無事か、遠坂」
「なんだ、アンタ達も一緒なんだ。悪いわね、この忙しい時に」
集ってくれたのは、かつての敵であるはやての騎士達。

このマテリアルとやら達が現れた段階で形勢不利は明白だった。
逃げると言う選択肢が使えない以上、取れる選択は一つ。応援を求める事。
戦いが始まる前の段階でリンディさんに要請だけはしておいたのだけど、やっと来たか。



そうして戦いは、次の局面へと移る。
選手交代と共に、反撃の狼煙が上がったのだ。






あとがき

ここでマテリアル達に登場してもらいました!
といっても、本来のそれとは大分違ってきていますけどね。
いや、それよりも問題なのは、マテリアル達のキャラクターです。いかんせん、PSP版の決して寮の多くない情報から「こうするんじゃないかな?」と想像していかなければならないのが、結構難しい。
何となく、イマイチキャラクターを掴みきれていない感じがチラホラしています。
なんか、キャラがへんな事になってるかもしれませんが、大目に見て下さると幸いです。

ついでに、凛が大剣を防ぐ時に使った魔法「コニック・シールド」ですが、この「コニック」はまんま「円錐」と言う意味です。
もうちょっとカッコいい名前を探したかったのですが、よさそうなのが見つけられなかったもので……。

それと、切る場所は割と悩みました。
シグナム達が助けに来る前か、それとも後にするかですね。
ただ、救援が来る直前に切るのは22話で一回やっているので、今回は別の展開にしてみた次第です。

それと、なんかhollowの夜っぽい事になってますが、なんでそんな事になってるのかはまだ秘密です。
次回……には明らかにできるでしょうか? まあ、あまり当てにせずに待っていてください。



[4610] 第47話「闇の欠片と悪の欠片」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14
Date: 2010/07/18 14:19

SIDE-士郎

正直、こんな時に限って戦えない自分が不甲斐なくて仕方がなかった。
こんな体では足手纏いにしかならない事は承知しているし、無理をしても皆の足を引っ張るだけである事も理解している。
だから、リニスの説得に応じその言葉を信じることにした。
下手に動くより、その方が二人とも安心して戦えると思ったからだ。

無論、なんとか拘束から脱しようと足掻いてはいた。
リニスを安心させる為にああ言ったが、黙って座ってなどいられる筈がないのだから。

しかし、今日ばかりはそんな自分の見通しの甘さがイヤになる。
もし、もっと強硬にリニスに拘束帯を外すよう要求していれば、こんな事にはならなかったのではないか。
出来る事は微々たるものかもしれない。だがそれでも、その微々たる何かが戦局を動かした可能性はある。
その可能性があるからこそ、ヌルイ判断をした自分が赦せない。

今まさに俺の視線の先で、バインドで拘束された凛がフェイトに良く似たマテリアルにより斬り伏せられようとしている。それどころか、やや遅れてその横から桜色の砲撃が迫っていた。
「凛!?」
思わず、意味など無く、届かぬと知りながらあいつの名を叫んでいた。
如何に凛と言えど、これではどうしようもない。

助けに入ろうにも、身体は拘束されている。
いや、そもそも自由の身であったところで、負傷したこの体は思うように動いてはくれない。
そして、仮に万全の状態だったとしても、この距離を攻撃が当たる前の僅かな時間で詰められるはずもなし。
これだけの距離があっては、身体も術も……なにも間に合わない。

だが、そんな事は既に頭の中にはない。今頭にあるのは、何よりも大切な存在の安否だけ。
動かぬ身体を無理矢理にでも動かそうと捩るが、ギシギシと言う音を立てるだけで微動だにしない。

俺がそうしてもがいている間にも、大剣が凛の腕を襲い、砲撃がその身を襲う。
「ぁ…………!?」
絶望色に染まった声が漏れる。

(どうして俺はこんなところにいる、どうして俺はアイツの傍にいない、どうして俺の手はこんなにも短い、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして…………どうして俺の手は、いつも一番大切な時に届かない!!!)
そんな疑問が頭を駆け巡り、自身への憤怒と憎悪が思考を焼きつくす。

しかし、最悪の未来予想は現実のものとはならなかった。
着弾直前に気付いた凛は、反撃の為に炎を纏わせた槍の方向を転換し、寸での所で槍で迎撃する事に成功する。
その結果砲撃の軌道は逸れ、凛は辛うじて直撃だけは免れた。

だが、その事実に安堵する間もなく、いつの間にかマテリアルが凛の懐に潜り込んでいる事に気付く。
そこで、アレが一体誰を素体としていたかを思い出した。
「マズイ……避けろ!!」
しかし、そんな声が届くはずもなく、マテリアルの拳は凛の体に吸い込まれるようにしてめり込む。
なまじ目が良い分、驚愕に歪む凛の顔も、腹にめり込む拳も鮮明に見て取る事が出来てしまった。

体勢を崩した凛は、それまでの疲労が噴出したように一気に落下して行く。
それを目視するのとどちらが先か、知らず知らずのうちに身体に力が込もっていた。
「あ、あぁぁぁあぁあぁぁっぁあっぁぁぁぁぁぁ!!!!」
強化さえ使えぬこの身に、拘束帯がちぎれるはずがない。
そんな事は先刻承知していたが、今の俺にそんな事を考える余裕はなかった。

今は只、真っ逆様に落下する凛の下に急ぎたかった。
負傷の事も、身体を拘束されている事も、距離も、何もかも思慮の外。
そんな事を考えている暇があったなら、一ミリでも前に進もうと無駄な足掻きを試みていた。

自由を許された数少ない部位である指が、必死に拘束帯を掻き毟る。
少しでも前に出ようと身体を前傾させるべく、拘束帯が食い込むのも無視して全身の筋力を総動員し体を動かす。
より強く体に力が入る様、あらんかぎりの力で歯を食いしばるうちに何かが裂ける音がした。
同時に、口内に血の味が充満し鼻に鉄の匂いが届くが、それに気付く事もない。

ただ一歩でも前へ、一ミリでもアイツの近くに。それ以外には何も考えられない。
腕が千切れれば僅かにでも動けるのなら、躊躇はしなかっただろう。
それほどまでに、この時の俺は眼に移る光景だけに意識の全てを傾注していた。

だが、思いだけでは現実は動かない。どれだけ強く、どれほど真摯に願った所で、それだけなら無意味。
動けぬこの身には、現実を動かせる要因がなに一つとして存在しない。

そして、真っ逆様に落下する凛にトドメを刺すべく、マテリアルの一人が追撃にでる。
それに対し俺は、身を捩ってもがき、叫ぶことしかできなかった。
「やめろ………………………………………………やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ、やめろ―――――――――!!!!」
届く筈もない言葉、叶う筈もない切望、覆る筈のない現実。
俺の口からあふれ出した懇願は、ただ虚しく虚空に消えていく。

だがそこで、起こらない筈の奇跡が起こった。
追撃するマテリアルのすぐ横に、赤い…紅い、朱い、緋い火が灯る。
その火は瞬時に燃え上がり炎の奔流と化し、そのままマテリアルを呑みこみ押し流す。

同時に、上空で凛と追撃するマテリアルの様子を俯瞰するように眺めていたマテリアルにも変化が起こる。
まるで、唐突に車にでも跳ねられたかのようにその体が弾き飛ばされた。

闇夜の中にあっては、何が起こったのかすら正確に認識することは困難だ。
だが俺の眼には、事を為した張本人達がしかと写っている。
「シグナム………それに…ヴィータ、か」
その姿と共に凛が体勢を立て直したのを見て、思わず全身から力が抜け安堵のため息が漏れる。

そこでようやく気付く。
散々暴れまくったおかげか、深く打ちこまれていた杭は抜け、身体が横倒しになっている。
どうやら、いつの間にか椅子ごと倒れてしまっていたらしい。
頬や身体に鈍く宿る痛みも、おそらくはそれが原因だろう。

しかし、その程度の事を喜んではいられない。むしろ、自分への怒りは増すばかりだ。
「なんで……なんで俺は………!!」
『あまり自分を責めるな、士郎』
怒りにまかせて頭を床に叩きつけようとする俺の内から、気遣わしげな声が響く。

それは、ここ数日の間ですっかりなじんだ『アルテミス』の声だった。
「アルテミス、か?」
『やっと届いたか。まったく、私がどれだけ声を涸らしたと思っている。
人の声を散々無視するなど、無礼にも程があるだろう。それで、少しは頭が冷えたか?』
どうやらこの様子だと、随分前から俺に向けて何か語りかけていたらしい。
だが、俺にはいつからこいつが俺を呼んでいたかわからない。
それだけ、俺は冷静さを欠いていたという事か……。

その事実に、半人前だった頃に戻ったかのような気恥ずかしさを覚え、すぐさま否定した。
(経験を積んだからって、一人前と言えたわけでもないか……)
聖杯戦争から十年が過ぎたが、いまだに一人前には程遠いと思い知らされた気分だ。

しかし、いつまでもそうして自嘲してもいられない。
なにより、新たな相棒は思っていた以上に厳しかった。
『悔いるのも良い、責めるのも良い……だが、そんなことは全てが済んだ後でも間に合うだろ!!
 後悔も、自責も、現実を動かすためになんら寄与しない! 今お前がすべきことは何だ!!』
「……わかってるよ。ここで倒れてても何の意味もない。
ちょっと行動の幅が広がった程度で喜んでる暇も、自分の無能さに腹を立てる猶予も……ないんだよな」
『わかっているならそれでいい。今の私と違って、お前は今を動かせるのだろう?』
そうだった、宝石に閉じ込められて身動き一つできないこいつに比べれば、俺は遥かにましだ。
こいつがしたくてもできない事が出来るのに、こんなところでウダウダやっていては叱られるのは当然だろう。

とはいえ、このままで出来る事は限られる。
『それで、この後はどうするつもりだ?』
「まずは、この抗魔術を何とかする。俺にできるとすれば、魔術による援護だけだからな」
構造的に身体が動かせない以上、出来る事は限られている。
魔術を使っても、この傷んだ体には負担が大きいだろうが、そんな事は知った事じゃない。
もう二度と、ただ見ている事しかできないなんて御免だ。

手も足も未だ拘束されたまま。それどころか、イスと言う邪魔者まで一緒にいる始末。
それでも顎と胴体を巧く使い、床を這いずって目的の場所を目指す。
とにかく、まずはこの拘束帯とそこに付与された抗魔術の解除だ。
それを為さない事には、何も始まらない。

そうして、まるで芋虫のように遅々たる速度で進むその様は、他者が見れば滑稽に映る事だろう。
「無様だと、笑うか?」
『ああ、確かに無様だな』
まったく、歯に衣着せずにハッキリと言ってくれる。

いや、実際にこれ以上ない程無様な格好だろう。
この体勢も、援軍が来たのに未練がましく足掻く事も、何もかもが。
しかしそれでも、立ち止まろうとは微塵も思わない。
どれほど無様でも、出来る事があるのに何もしないのには耐えられない。

そしてアルテミスもまた、そんな俺を嗤いはしなかった。
『だが、今のお前の姿を嗤う者がいたとすれば、それは救い難い程の蒙昧だ。
 何かに必死になる者を、懸命に何かを為そうとする者を嗤う事以上の愚行はない。そうだろう?』
「さて、お前と違ってそんな偉そうなことを言える身じゃないからな……まあ、嗤われた所で何が変わるわけでもなし、俺には関係のない話だ」
そう、何も関係ない。誰が嗤おうが、何を言われようが知った事じゃない。
為すべき事がある。求める事がある。その為に醜態を晒す必要があるのなら、喜んで晒すさ。
元より、結果の為に格好や過程を気にしていられる余裕なんて、俺にはないんだから。

そうしているうちにも、扉を抜け廊下に出る。
間に合うかどうかはわからないが、やれる限りの事はしよう。
凛やリニスには怒られるかもしれないが、そうでないとこの新たな相棒にそれこそ嗤われる。
嗤われる事に比べれば……まあ、怒られる方がマシだろう。



第47話「闇の欠片と悪の欠片」



SIDE-凛

危地に駆けつけてくれた守護騎士達。
ヴィータはマテリアルSを殴り飛ばした先を険の宿った視線で睨む。
同時に、シグナムもまたマテリアルLへの警戒を怠らない。
その姿勢から、二人とも「まだ何も終わっていない」と考えている事は明らか。
不意を打っただけで倒せるほど、甘い相手ではないという証左だろう。

とそこで、三人に同行していたシャマルとザフィーラが謝罪する。
「ごめんなさい、闇の欠片達の対処に思いのほか手間取ってしまって……」
「ここに来るまでも、我等を阻むように何度も現れてな。
……いや、言い訳は見苦しいな。遅くなった、すまない」
「ま、それは良いわ。ちゃんと間にあってくれたんだから文句は言わないわよ。ところで、はやては?」
「はやてちゃんはすずかちゃんのお家の防衛戦に参加しています。
 なのはちゃんのご家族も今はそちらにいるそうですから、関係者は全員集まった事になりますね」
「元より、主はやては魔法の錬度も戦闘の経験も不足しておられる。ましてや、今はその手に馴染む杖もない。
 提督からは獣達の排除を任されたのだ」
なるほどね、確かにそれが妥当なところか。今のはやてには、同等以上の能力の敵と戦う力はない。
魔力量や術のレパートリーには申し分ないが、いかんせんそれ以外の要素が欠如し過ぎている。
ある意味、アレ程アンバランスな状態も珍しいだろう。

「それで、なのは達は?」
「残った闇の欠片達の対処に回っています。
 さすがに、今凛ちゃんに会わせるのはまずいだろうと……」
「リンディさんには感謝ね。確かにその方がいいわ」
正直、会ってもどんな顔をしていいかわからない。

だが、あまり悠長に話している場合でもないか。まだ、ピンピンしているのが一人いるわけだしね。
「塵芥如きが王の決定に逆らうなど分際を知れ、痴れ者どもが!! その首、即刻削ぎ落としてくれる!」
「いや、それはご遠慮願おうか。君達にも事情があるんだろうが、それはこちらも同じだからね」
「!? バインドか、小細工を!」
「シグナム達に気を取られて気付かなかったようだね。君は、少し慢心と油断が過ぎるんじゃないかい?
 それと、小細工や搦め手なんて言うのは僕にとっては褒め言葉だよ。どうもありがとう」
いつの間にか接近していたクロノの放ったバインドが、幾重にも折り重なりマテリアルを拘束する。
やれやれ、いくらなんでも戦力を集め過ぎなんじゃないかな?

そんな私の考えを察したのか、クロノがその理由を明かす。
「別にそうでもないさ、一番反応の大きい三つがここにいるんだからね。なら、こちらもそれ相応の戦力を送るのが当然さ。おそらく、彼女らが闇の欠片の中枢だろうし」
「ここで一網打尽にできるに越した事はないからな」
ま、ザフィーラの言う事も最もか。
折角一ヶ所に集まってくれてるんだし、どうせならスマートにいきたいだろう。

にしても、やけにタイミングが良いわね。
「それは良いけど……まさか、出待ちしてたんじゃないでしょうね」
「少しは信用してくれてもいいんじゃないか?」
「そういう事は、ちゃんと敵を仕留めてから言いなさいよ。
 きっちりトドメもささずに気を抜くのは、ちょっといただけないかな。ホラ……」
やはり、あの程度では倒しきれなかったか。
瓦礫の山から二つの人影が現れ、クロノのバインドは容易く砕かれ脱出を許す事となった。
ほら、やっぱりさっさと息の根止めておけばよかったじゃない。

「くっそ~……寄ってたかって邪魔ばっかりして、お前ら少しは気持ち良く戦わせろよ!!」
「彼女の意見は無視するとして、今のはかなり効きました。さすがは闇の書の守護騎士です」
「はっ! 何が『さすが』なものか。敵の生死も確かめず気を抜くとは、かつては血と怨嗟にまみれた誉れ高き闇の書の守護騎士が、小烏の下で随分と腑抜けたものだ」
「訂正しろ。闇の書ではなく、我等は夜天の騎士だ」
「そーだバーカ! いつまでも間違った呼び方するなんて情報が古いんだよ!!」
「それに、生死を確かめなかったわけじゃありませんよ。
元から、この程度で終わるなんて思ってませんでしたから」
「しかし、主への侮辱は聞き捨てならんな。その報い、必ずや受けてもらうぞ」
敵味方共にその戦意はうなぎ上りに上がっていく。
こっちはちょっとダメージが大きいし、ここからは任せるしかないか……。

だけどそこで、一つの異変に気付く。
「ちょっと待ちなさい、アンタさっき腹から血が出てたはずじゃ……」
「うん? そんなモノは止まった!!」
バカだと傷の治りが早くなったりするのかしら?

「誰がバカだ!!」
「あなた以外いませんよ。しかし、別に頭が悪いと傷が早く治るとも聞きませんね。
 わたし達にそんな機能はありませんし……となると、やはり『アレ』のせいですか」
「アレとはなんだ?」
なのは似の……面倒ね、マテリアルSとか言ってたし「S」で良いや。
そのSの言葉にクロノがいぶかしむ様に問いかける。

その問いに、オリジナルの律義な性格が反映されているのか、Sは一応答えてくれた。
「話す理由も意義もありませんが……まあ、良いでしょう。
 本来、わたし達が実体を得るにはもう少し時間がかかる筈でした。しかし、漂っていた闇の残滓と『ソレ』が結合した事で、我々は通常より早く実体を得たと言う事です」
「その『アレ』だの『ソレ』だのってのは何?」
「我々にもわかりません。ただそれは……「ぐぅ…あ、あぁぁぁぁあぁあぁぁ――――――――っ!」……まったく、今度は何ですか?」
突然絶叫を上げるL。その体を、見覚えのある黒い紋様が浸食していく。

アレは、確か……
(令呪? いや、似てるけど違う)
そう考えた瞬間、知らない筈の知識と何かが合致し、急速に答えを導いていく。
引き出された知識は未だに整理されておらず、私自身にも上手く把握しきれてはいない。

だが、それでも理解できた事はある。
「アンタ達…まさか、アレを取り込んだの……」
もしそうなら、確かにこの現象も納得がいく。
アレは宿主を生かそうとする性質があったし、あの終末の夜で見た獣がいることにも説明がつく。
なんであれがこっちにあるのかは甚だ疑問だけど、あるとしたら考えるだけ無駄だ。
あるものはある、原因を考えるのは後でもできるんだから。

そしておそらく、こいつらが無意識のうちにここに集まったのもそのせいだ。
向こうからすれば、聖杯を破壊した私達は真っ先に殺したい相手の筈。
とはいえ、今の様子からして初めの主導権はこいつらにあったのだろう。
しかし、徐々に浸食されてきている。傷を負ったLの方は、その治療のために他より一足早く浸食が進んだってところか。

とすると、もうあっちには本来の人格なんて残って無いわね。
闇の書の歴史はおよそ千年と聞く。なるほど、確かに積み上げられた歴史は尋常なものではない。
だけど、そんなモノ子ども騙しに過ぎないのだ。
なにせ向こうは何千年も前から続く、神代から願われてきた『人間の理想』そのもの。
存在の重みの桁が…………次元が違う。

闇の残滓が『アレ』を触媒にして実体化し、今まさに『アレ』が闇の欠片を支配しようとしている。
最終的にどっちが主導権を握るかは知った事じゃないが、どっちにしろロクな事にはならない。
最悪の場合、『砕け得ぬ闇』と『この世全ての悪』の両方が顕現する。

「どうやら、あなたには心当たりがあるようですね」
「一応はね。私自身、まだ詳細は断片的で判然としないけど。
 にしても、どこでそんなモノ引っかけたのよ。こっちの孔は、ちゃんと塞いである筈なのに」
「そうなのですか? 我々が発見した時は、思い切りダダ漏れになっていましたが?」
んなバカな。それだけ漏れてれば嫌でも気付く…………ってあれ? 何か見落としてる気が……。

「ついでに聞くけど、それどこ?」
「八神はやての家の付近です」
それかぁ――――――っ!! そう、こっちに来たのは私達だけではなかった。
私達が使った方に影響が出たって事は、向こうにだって影響は出た筈。

というか、むしろアイリスフィールが死んだ筈の時間軸を考えればあっちの方が濃度はずっと濃い。
残りカスだけでここまでになるか疑問だったのだけど、それなら納得だわ。

あ~あ、だから見落としがあるんじゃないか気にしてたのに。
まさかもう一ヶ所の方を失念していたとは……なんて『うっかり』。
「凛、イマイチ状況が理解できないんだが、なんで君は頭を抱えているんだ?」
「気にしないで、ちょっと自己嫌悪してるだけだから」
ま、救いがあるとすればやる事は変わらないって事ね。とにかく核となる部分であるこいつらを殲滅すれば、それで解決するわけだし。念の為、後で八神家の様子を見に行っておこう。

「そうか……まあいい、今は彼女らを倒す方が先だ。
 シャマルは凛の治療を、ザフィーラはリニスと一緒に近づいてくる獣達の排除だ。残りは……」
「マテリアル達をぶっ潰せばいいんだろ」
「ああ。それに、テスタロッサとの決闘の前の良い前哨戦になるな。
 烈火の将、シグナム。推して参る!」
クロノの指示に従い、それぞれが自身の役割を全うするべく動き出す。
ヴィータはSを、シグナムはLを、クロノはDに向かって疾駆する。

Sの方は冷静に距離をとりつつ、誘導弾を撒き散らしてヴィータの進軍を防ぐ。
ヴィータはそれに対し、ガチガチに守りを固めながら除雪車か砕氷船の如く弾雨を掻き分けていく。

真っ先に正気を失ったLは、獣染みた唸り声を上げながら空を疾走する。
思考能力を失ったからこそ、その本能に任せた動きは後先が無視され、逆に動きのキレが良くなっていた。
シグナムはそれを冷静に捌きつつ、一瞬の交錯に合わせて敵の体を削る作業に終始する。
おそらく、限界を迎えて動きが鈍った瞬間に必殺の一撃を入れる算段なのだろう。

クロノが向かったDの方も、基本的な戦術はSのそれに近い。
広域型のアレからすれば、とにかく距離を取って戦うのが基本なのだろう。
しかし、距離を取りたいと言う意味では同じなクロノとの利害は一致し、ヴィータの方とは違う静かなせめぎ合いが続く。

そんな三者三様の戦いの中で、真っ先に変化が起こったのはシグナムの所だった。
シグナムは唐突に軽く息をつき、体から力を抜く。
アイツ、一体何をするつもりなわけ? 今の戦い方でも、向こうは考えなしだからとりあえず勝てる筈なのに。



Interlude

SIDE-シグナム

とてつもない速度で飛来するそれは、喉が避けんばかりの咆哮と共に大剣を振り抜く。
「あ”あ”ぁぁぁぁぁぁあぁぁぁっ!!」
しかし、やはり本能に任せたそれは直線的過ぎる。
速度の点でいえば制御を無視した分速くなったが、こう単調では見切るのは容易い。
動きを正確に追うのは難しいが、金色の軌跡から進路を予測する事は出来る。
同様に、来る斬撃もある程度は構えや肩の動きから読む事が可能だ。

まるで鉄砲玉のように飛んで来ては弾き、いなし、避けるを繰り返す。
同時にその間隙を縫い、少しずつではあるが切っ先をその体に埋めていく。
そうしている間に、相手の体は交錯するごとに紅に染まる。
まあ、切ったそばから黒い何かで塞がっていくので、見た目は傷だらけという印象はないか。

しかし、本当に獣だな、これは。
「……テスタロッサとの勝負の参考になるかと思ったが、これでは意味がないか。
 お前は確かに速いが、そこに知性が無いのであればアレの本領には到底届かん」
そう、テスタロッサは決して速さだけの少女ではない。
臨機応変にそのスピードを活かして見せる知性こそが、アレの武器の一つ。
ただ獣のように襲いかかるだけの敵では、仮想敵としては成り立たない。

それに、遠坂から受けた傷は塞がってはいても治ってはいないらしい。
当然と言えば当然だが、単に傷を埋めただけか。
速いには速いが、動きにはどこかぎこちなさがあり精彩を欠いている。

このままでもいずれは自滅するだろうし、徐々に削っていけばそれも早まる。だが……
「……やはり、待ちの姿勢というのは性に合わんな」
こうチマチマした作業は趣味ではないし、どうせなら気持ち良く剣を振り抜きたい。
つまらない意地なのかもしれんが、それでも敵を弱らせてから倒すと言うのはな。

やはり、どうせやるなら真っ向から斬り伏せるに限る。
そう意を決し、堅実な戦術からギャンブルに戦い方を切り替える。
剣を握る手からは適度に力を抜き、逆に刀身には紅蓮の炎が猛り狂う。

そのまま両手で軽く柄を握り、上段に振り上げる。
「がぁぁぁぁあぁぁぁぁっ!!!」
「ふっ!」
そして、呼気ともとれるほど小さなそれと共に、目の前の敵に向けて到底視認できない速度で振り下ろす。
その瞬間空気が破裂し、業火が爆発するように膨れ上がった。

炎が治まると、私の背後にはマテリアルLの姿。その体は所々が焦げ、先の炎に焙られた事を物語っている。
だが、こちらも無傷とはいかんか。
「ぐっ……さすがに、速いな。とてもではないが、防御までは手が回らんか」
そう言った所で、私の右肩から背中にかけて鮮血が吹き出す。

私に刻まれた傷は決して浅くはなく、これでは戦力の大幅な減衰は避けられない。
しかし、それは相手も同じ事。
「確か、肉を切らせて骨を断つ、とはこの国の言葉だったな。
 こちらも一太刀浴びはしたが、その代価……確かにもらいうけたぞ」
空中で回転する白と黒、そして赤を帯びた何か。
それが私達の間を通過し、大地に向けて落下していく。

地に落ちたそれは――――――人の腕。白は人の肌、黒はバリアジャケット、赤は血の色だ。
テスタロッサとよく似た少女の左腕は、肩から先が消えていた。同様に、その白い肌からは血の気が失せている。

当然だろう。あの一瞬の交錯の瞬間、渾身の一振りで斬り落としたのだから。
「敵とはいえ、子どもの腕を斬り落とすのは、やはり良い気分はしないな」
手に残る不快さは、やはり如何ともしがたい。
戦いを好む事は否定しない。強敵と戦える事には心躍るが、それでも人体を両断する感触は嫌なものだ。

…………………矛盾だな。これでは、確かに腑抜けといわれても仕方がないか。
「しかし、それもまたよし。その矛盾も含めて、今の私の力なのだから」
「ぐ…ぁ……あぁ」
「さすがに腕が再生したりはしないか。だが、無理矢理傷を埋めると言うのも、こうして見ると醜悪だな」
一応切った腕はそのままだが、血は既に止まっている。黒い何かで詰め物でもしたかのようだ。
これは、主には見せたくない光景だな。

だが、片腕を失った手負いの獣は、無理に攻め立てる事はせずに遠巻きにこちらを睨み、唸り声を上げる。
どうやら、戦の趨勢を察する程度の本能は残っていたか。
「そう睨むな。別段、何か特別な事をしたわけではない。
 これはテスタロッサにも言える事だが、お前達は速いが守りが薄い。故に、当てる事に集中して威力は二の次にしただけの事だ。一応魔力を込め、炎を帯びこそはしたが力は抜いていた。
 ただ速く振り抜く、それだけを意識するのなら余計な力はこめない方がいいからな」
単純な移動スピードなどではテスタロッサの方が上だが、一撃の速度でならその限りではない。
拳を握り締めるより、軽く握った状態の方が速いと言うだけの話。

「勝負ありだ。その腕ではその剣を扱えきれまい。
重量は軽くとも、それだけの大きさなら遠心力はバカにならん。体が流され、致命の隙を晒す事になるぞ」
「あ”ぁぁぁぁぁあぁあぁぁ!!」
などと言った所で、相手にそれを解する思考能力は既にないか。

ならば、せめてもの慈悲は……
「これで終わりにしよう。できるなら、本調子のお前と戦いたかった」
レヴァンティンを連結刃へと変え、縦横無尽に振るう。

片腕を失った分身軽になったようだが、時間の問題だ。
体に蓄積したダメージは、既に十分動きを鈍らせている。
無理矢理動かそうにも、構造的に動かなくなりつつあるのだ。
いくら痛みを無視して筋肉を動かしても、動かすべき筋肉が切れていては動かない。
今の奴は、まさしくそういう状態なのだ。

レヴァンティンを振るい、徐々に敵を追い込んでいく。
伸ばしきれるだけ刃を伸ばし、縦横無尽に刃の蛇を走らせる。
本能的に回避する分、逃げる先は予想しやすい。
そちらに先回りするように切っ先を操り、回避先を潰していく。

やがて、レヴァンティンの切っ先が奴の体にめり込んだ。
動きが止まった瞬間を逃す事無く、レヴァンティンを戻し渾身の力で振り抜く。
「終わりだ。飛竜……一閃!!!」
炎を帯びた切っ先が、夜を引き裂かんばかりの勢いでマテリアルに向けて疾駆する。
あの崩れた体勢では、最早回避は叶わない。

その終わりの一撃を、奴は末期の咆哮と共にデバイスで受け止める。
しかし、渾身の一撃はそれを容易く砕き、奴の体を刺し貫く。
そのまま炎に焼かれ、今度こそ奴は活動を停止した。

Interlude out



SIDE-凛

「シャマル、まだ終わらない?」
「すみません、かなりダメージが大きいのでもう少し待って下さい」
ま、あんなのを受けたんだから当然と言えば当然か。
大分動くようにはなって来たけど、未だに感覚がないしね。

しかし、そんな事を言っているうちにも戦いは進んでいく。
「だぁ――――っ、全っ然近づけやしねぇ!!
 こんにゃろう、間合いの測り方がべらぼうに上手くなってやがる」
「わたしはある意味闇の書でもありますからね。あなたの恐ろしさも戦い方も熟知しています。
 その意味でいえば、オリジナルよりあなたとの戦い方は弁えているつもりですよ」
などと言いながら、またもヴィータの一撃を軽やかに回避する。

踏ん張って踏ん張って近づいても、一撃入れようとしたところで綿のようにフワフワとかわされてしまう。
或いは、誘導弾を上手く使って鼻先を掠める事で足を止め、その間に再度距離を取られるの繰り返し。
割と短気なところのあるヴィータには、さぞかし鬱陶しく感じているだろう。

「とはいえ、これでは埒が明きませんね。こちらとしても、もうあまり時間はなさそうですし」
そう呟き、Sは自分の顔の右半分に手を当てる。
良く見れば、その下には件の黒い紋様がうっすらと浮かびあがっていた。
アイツも徐々に浸食されてきていると言う事か。

「まあ、その分力は上がってきている様ですから、その点はありがたいのですけど」
「あん? 砲撃でも撃つってか?」
「そうしたいのは山々ですが、大技を使う隙を見せるのは避けたいですね。
 下手に隙を見せると、その瞬間に轢死した蛙の様にされそうですし」
「ちっ……」
良く状況を弁えている。砲撃は威力がデカイけど、その分隙も大きい。
使うのなら、邪魔されない必中の状況を作ってからでないと意味がない。

そして、その隙をヴィータは簡単には与えない。
間断なくプレッシャーをかけ、砲撃を撃つタイミングを外す技術が群を抜いて上手い。
砲撃の構えを取ろうにも、そこで突っ込んでくるものだからさぞかしやり辛いだろう。
勇気と知略、その両方がバランスよく成り立っている。
性格と戦闘スタイルに眼がいって忘れそうだけど、アレでかなりの戦巧者だわ。

しかしそれは相手も同じ事。思うように事が運べないながらも、冷静に状況を分析している。
「困りましたね、どうも千日手っぽくなってきました。
このままいけば、最後にはわたしが呑まれて終わりですか」
「の割には、全然慌てねぇんだな」
「わたしは『理』のマテリアルですから、『理』性が揺らいでは画竜点睛を欠くというものでしょう」
難しい言葉知ってるわねぇ。でもあの様子だと、何かしら考えがあると見た方がいいか。

「安心しろ、呑まれる前にきっちり叩き潰してやるからよ」
「その前に、あなたが討たれると言う可能性もありますがね」
「はっ、一体どうするつもりだってんだよ」
「そうですね、こんなのはどうでしょう?」
言うや否や、マテリアルはバリアを纏いそれが一気に膨張する。
そのままヴィータ呑みこんだ球形の魔力の膜が、今度は逆に徐々に収縮しサイズを小さくしていく。

やがてその膜がマテリアルに触れるが、まるで何事もなかったかのように素通りする。
「まさかアレって……ケージ?」
「っぽいわね。防御と見せかけて、本命は拘束ってわけか」
シャマルの呟きに私も同意する。おそらく、触れる対象を限定した特殊なケージなのだろう。
自分は素通りし、一度はいった敵は抜け出せない様に術が組まれている。
実際、膜に触れたヴィータは内側に向けて弾かれていた。

だが当然、ヴィータも脱出しようと行動を開始する。
数度殴られたところで、ケージに蜘蛛の巣状のヒビが入っていく。
「やはり、長くは持ちませんか。まあ、十分予想の範疇ですね。それでは、ブラスト…ファイアー」
桜色のケージに向け、同色の砲撃が放たれる。
アレが接触対象を限定したケージなら、あの砲撃は素通りの筈だ。
となれば、籠の鳥のヴィータは直撃する事になる。

しかし、百戦錬磨のヴィータがそう簡単にやられる筈もなし。
「ざけんな! アイゼン!」
《ja!》
その場でアイゼンを変形させ、噴射を利用し体を回転させる。

そのまま、迫りくる砲撃に向けてハンマーの突起を叩きつけた。
「ラケーテン、ハンマ――――!!」
ゴガン、という凄まじい音と共に爆発が生じる。
極太の砲撃と乾坤一擲の一撃、その正面衝突。

その結果は、誰もが予想だにしなかったもの。
殴られた砲撃は向きを変え、射手に向けて突き進み、それをマテリアルは直前で回避する。
しかし、そのあまりの光景に唖然とし呆れ返っていた。

ヴィータの方は、衝突の反動で真逆に吹っ飛び、近くの民家を破壊している。
まあ、たった今元気に出てきたところだけど。
「また、なんという無茶な真似を。
わたしの砲撃を殴り返し、あまつさえ衝突の反動を利用してケージから脱出するとは……」
「はっ! アイツの砲撃はこんなもんじゃねぇ!! お前のは軽すぎんだよ!!」
どこまでが本当なのか受けていない私にはわからないが、それがヴィータの言い分だ。

しかし、その言葉にマテリアルは変な回答を返す。
「そうですか、少々……ショックです。
 これは、なんとしてもわたしの方が優れていると証明せねばなりませんね。
 具体的には、我が星光を以て蒸発させるあたりが理想的ですか……」
まさか、ヴィータの言葉を真に受けたわけじゃあるまいが……よくわかんないわね。
グッと拳を握りしめ、何やら基本方針を再確認していらっしゃる。

にしても、なんだってまたこう物騒な単語が好きなのかしら。
ま、おかげで何をするつもりなのかはだいたい予想できたけど……。
そもそも、アレがなのはを模してる以上、ねらいはアレだろうとは思ってたけどね。

だが、ヴィータとてそう簡単にアレを使わせる筈がない。
そう思っていたのだけど、事態は予想以上に深刻だった。
なにせヴィータの奴……
(やべぇな。なんとか直撃は避けられたけど、腕が痺れて力が入らねぇ。
 まったく、なのはの奴といいこいつといい、出鱈目な砲撃使いやがって……)
などという状態だったのだ。
しかし、その時の私達はその正確な状態を知らない。

だが、対戦相手であるマテリアルはその状況を理解していた。
「その様子では、どうやら無傷というわけでもなさそうですね。
 ならば、ここで畳掛けるとしましょう。パイロシューター」
そう言って、二十にも及ぶ誘導弾が放たれる。
ヴィータは必死になってかわすが、反撃には出ない。
その様子から、私達もヴィータの異変に気付く。

しかし時既に遅し。もう、奴の準備は整っていた。
「ブレイク」
ヴィータの周囲に集まっていた誘導弾が爆ぜ、その爆風がヴィータの小さな体を煽る。
それを続けざまに二十。全ての誘導弾が連鎖爆発し、ヴィータの体を翻弄した。

そして……
「ルベライト。準備は整いましたよ、ルシフェリオン」
《了解。ルシフェリオンブレイカー、発射態勢に入ります》
ヴィータはバインドにより拘束され、身動きが取れない。
それに合わせ、マテリアルも自身のデバイスを変形させて詰めに入る。

当然、トドメの一撃はアレだった。
「アレって、なのはちゃんの集束砲……!?」
「スターライトブレイカー、か。やっぱり、最後はそれよね」
シャマルは私の治療で動けない。仮に動いても、それに対応する準備くらいは整っているだろう。
それに関しては私やザフィーラに対しても同じはずだ。

そうしている間にも、マテリアルの前に桜色の光が灯る。
やがてそれは星々の光が集うかの様に魔力を喰らい、徐々にそのサイズを大きくしていく……筈だった。
「これは……周囲の魔力は十分な筈なのに、なぜこれほど集束率が悪いのですか……?」
マテリアルから、信じられないと言わんばかりの呟きが漏れる。
一度完成してしまえば防御など無意味な筈の砲撃は、その完成がいっこうに訪れない。
それどころか、集う光の粒は小さく数も少ない。それは誰の目にも明らかだ。

ま、当然種も仕掛けもあるんだけど。
「上手くいったみたいね」
《そうですね、仕込んでおいて正解でした》
「あなた方の、仕業ですか?」
「まあね。アンタがなのはのコピーなら、当然集束砲を使う可能性は考えるでしょ。
 なら話は簡単よ、使えない様に邪魔をしてやればいい」
他の魔法と違い、こいつにだけは公然とジャミングがかけられる。
術の構成に割り込むよりかは、よっぽど楽だしね。

「ですが、どうやって……」
「何も難しい事はしてないわ。集束系が使えるのはアンタだけじゃないって話。
 この空間内にある魔力は、それだけなら誰の物でもない。なら、私にだって使用権はある筈でしょ?
 そして、集束使い同士の戦いは綱引きよ。どっちがより多くの魔力を引っ張れるかっていうね」
「まさか、あなたも集束魔法を使っていると言うのですか……しかし、そんな素振りは」
「別にそこまではしてないわ。っていうか、そこまでしたらさすがに気付くでしょ。
 だから、私は魔力を集めるんじゃなくて集める“邪魔”をしてるだけ。こっちからは引っ張らないけど、引きずられない様に支えている様なものよ」
元より、大気中の魔力を利用するのは魔術にもある技術だ。
こちとらキャリアは二十年以上。十年も生きていない小娘の、それもコピーなんぞにばれるヘマはしない。

「なら、まずはあなたを排除します。その上で、もう一度集束砲を使えばいいのですから」
予想外の事態に一瞬動きを止めたが、私を排除しようと急いでその砲口を向ける。

しかし、明らかに動きだしが遅い。それにアンタ、大事な事を忘れてるでしょ。
「ふ~ん、でもいいの? 私の相手なんかしてて。上、見た方がいいと思うんだけどなぁ」
「まさか!?」
「ナイスフォローだぜ、凛!! 轟天…爆砕!!」
既にバインドから逃れていたヴィータは、上方を取りアイゼンを構える。
振り上げると同時にそのサイズが変わり、巨大な鉄槌へと変貌した。

「ギガント……シュラ―――――ク!!!」
「くっ、ブラストファイアー!!!」
砲撃と鉄槌の衝突。今度は相討ちとはならず、巨大な鉄槌を前に砲撃はまるで爪楊枝のようだ。
即ち、圧倒的質量と魔力に叩き潰され、無残にも砕け散った。

そして、その天墜の一撃は一直線にマテリアルへと迫る。
寸前にシールドを展開するが、そんなものアレの前では紙と大差ない。
「おらぁ――――――――っ!!」
「あぁぁあっぁぁあぁぁあぁぁぁぁぁ!!」
そのまま鉄槌は振り抜かれ、マテリアルを地に埋めた。
ヴィータはアイゼンを戻し、油断なく鉄槌の跡を見下ろす。

これで、こっちはケリがついたわね。さすがに、アレを受けた立てる筈が……。
だが、思いの外しぶとかったようで、折れたデバイスを手にSは立ち上がる。
「はぁ…はぁはぁはぁ……」
「いい執念だ。まだやるか?」
「……………いえ、さすがにこれ以上は動けませんね。立っているのがやっとです」
「そうかよ」
その言葉に偽りはないだろう。事実、足元はおぼつかずふらふらしている。
今なら、指で軽く押すだけでも倒れる筈だ。

しかし……
「浸食が進んでいますね。傷が埋まり、破損個所を補修してまた戦えるようになるのも、時間の問題でしょう」
「…………」
ヴィータはその言葉に応えない。だけど、事実あれの体の周りを黒い泥の様なものが蠢いている。
おそらく、その言葉通り数分としないうちにまた動けるようになるだろう。

だが、マテリアルの口から零れたのは意外な言葉だった。
「ですから、今のうちにトドメを刺していただけませんか?」
「どういうつもりだ?」
「大層な理由はありません。確かにわたしは直復活するでしょうが、それはわたしであってわたしではありません。雷刃の様に、自我を失った獣と化すでしょう。実際、今こうして意識を保つことすら一苦労ですから」
息は荒く、眼から光が失われつつある。
その事が何よりも鮮明に、その言葉の正しさを証明していた。

なるほど、『だから』か。
「正直、あんな醜態を晒すのは御免被りたいのですよ。彼女のアレは、わたしの趣味ではありませんでしたから。
 ですから、そうなる前にトドメを刺していただきたい。他の誰かではなく、わたしに勝ったあなたに。
 わたしに『あなたに敗れた』という事実をいただきたい。このままだと、わたしの最期は『この泥に呑まれて消えた』という、つまらないものになってしまいますので……」
それだけが心残りだと、マテリアルは言う。
死力を尽くして負けたのだから、それに関して悔いはない。
しかし、それが別の醜悪な何かに塗り潰されるのが我慢ならないのだと。

せめて、最後は自分自身として消えたい。勝者の手によって消える、それこそが彼女の最期の矜持。
そんな意地を、ヴィータは潔しと受け取った。
「わかった。目的もやり方も賛同できねぇが、それでもおめぇは立派な戦士だったよ。
 それを、あたしはずっと覚えてる。おめぇはあたしに負けて消えるんだ。
それは誰にも穢させねぇ。何があろうとその事実を守ってやる。だから――――――――安心して逝け」
「……ありがとうございます」
「あばよ。テートリヒ・シュラーク」
ヴィータは小さく呟き、終わりの一撃を打ちこむ。
それは決して強力なものではなかったが、打たれた箇所からマテリアルは崩壊していく。

その最後の顔は、ついぞ表情というものがなかったマテリアルに浮かんだ小さな笑み。
鉄槌の騎士から送られた安堵を胸に、星光の殲滅者は夜に消えた。

さて、クロノの方はどうなってるかな。
アレもかなり厄介そうだけど、アイツは大丈夫でしょうね。
それになのは達の方も気になるし、夜はまだまだ長そうだ。



Interlude

SIDE-クロノ

僕とマテリアルDの戦いは、他の二組が『動』だとすれば『静』の戦いだ。
どうやら、タイプ的に似たようなところがあるのか、互いにそれほど目立った動きは見せない。

移動スピードは決して速くなく、直射弾や誘導弾を放ちながらの策の練り合い。
そのため、詰将棋の様に互いの次の手を、腹の内を探り合う。
おかげで、こっちが置いた布石を潰され、相手の巡らした策謀を解体するの繰り返しだ。
正直、他の二人の様に派手に動き回ってくれた方が嵌め易いんだけどな……。

しかし、それは相手も同じ気持らしい。
「ちっ、足掻くか下郎。王の時は金よりも貴重だと言うのに……」
「生憎と、それが僕の仕事だからね。とはいえ、こうして牽制し合ってばかりいても芸がないか。
 そろそろ、こちらも動かせてもらうよ」
そう宣言し、先に動いたのは僕の方。
動いた方が負ける、という状況は確かにあるけど今はそうじゃない。
単に、お互い次の一手を決めかねていたが故の硬直だ。

ならいっそ、こうして考えなしに場を動かすのも手だ。
何より、僕だけ何もしていないと思われるのは心外だからね。

スティンガースナイプを放ちながら、折りを見て設置型のバインドをばらまいていく。
まあ、それは向こうも承知の上の事の様だが……。
「またバインドか? 存外芸がないな、塵芥!」
「そうでもないさ。なんとかとハサミは使いようという奴だよ」
さすがに闇の書の欠片だけあって、その魔導の知識は尋常ではない。
さっきからずっとそうなのだが、使う術の尽くを解体されてしまう。

破壊ではなく解体だ。
破壊なら、それこそ魔力の強い者やバインド破壊系の術を使えば簡単にできる。
しかし、解体するとなると話が違う。術の構成を一瞬にして見抜き、式に割り込み解体する事で無力化する。
そんな事が出来る術者なんてまずいない、余程そう言った事に特化していない限り不可能だろう。

だが、奴はそれをいとも容易くやってのける。
誰よりも豊富な魔導の知識と、それを応用できる能力があるのだろう。
それははやてにも潜在的にその可能性がある事を意味するが、難しいだろうな。
アレは、マテリアルという特殊な存在だからこそできる領域だ。
はやてがこの先数十年研鑽を続ければできるようになるかもしれない、そう言う領域。

まあ、確かにすごくはあるんだが、実用的かというとそれほどでもない。
同じような結果を出すにしても、それなら破壊してしまった方が手間はかからないしね。

アレだ、相当自己顕示欲が強いのだろう。
こいつは効率的な手段ではなく、自分の凄さをアピールする戦い方を好む傾向にある。
王を自称するだけあると言うべきか……とにかくそれがこいつの弱点だ。
「知っているかい? 設置型のバインドは一度置くと動かせない。だから、相手がそれにかかるように戦いを組み立てなくちゃいけないんだけど、自立行動するようプログラムを組めばその限りじゃないんだ。
例えばそう……特定魔力の自動追跡とかね!」
その瞬間、マテリアルの体を一条の光の縄が包み込む。
ディレイドバインド、設置型バインドに自立行動するプログラムを組み込んだ特別製。

移動速度は遅いし、複雑な分一度に作れる数もその強度も低くなってしまったけど、こう言う時には役に立つ。
ここまで使わずにいたのは、そんな搦め手はないと誤認させるためだったんだが、上手くいったか。
「ほう…………なかなか面白いな。だが、こんなもので本当に我を縛れると思うたのか?」
今まさに拘束しようとしたバインドを鷲掴みにされ、それが霧散する。
破壊じゃない、また解体された。この程度ならまだ余裕だと、そう言われた様なものだ。

だけど、誰がこれが狙いだと言った。今僕の手にあるのは『氷結の杖 デュランダル』だぞ。
「! これは!?」
「確かに君の解体能力はたいしたものだ、僕には到底マネできそうにない。それは認めよう。
そして君は、どんな術でも解体できる自信が有るようだが、その自信が命取りだよ」
「くっ、こんなもの!」
「無駄だよ、それ自体はただの氷だ。術式を解体するも何もあったものじゃない。
 僕が術をかけたのは君ではなく、この辺りの空間そのものさ」
マテリアルの体を、徐々に氷が浸食していく。
ただしそれは、今言った通りマテリアルが凍っていっているわけではない。眼に見えないほど小さな氷の粒を作り、それを彼女の体にぶつけて大きな結晶にしているだけ。
氷そのものは単なる結果に過ぎないのだから、彼女の特技もまた意味を為さない。

「こう言う魔力の使い方は主義じゃないんだが、君は強いからね。そうも言っていられない。
 このまま、氷の彫像になってもらおうか」
後はそれを破壊してしまえば僕の勝ち。
散々バインドに拘ったのも、全てはそれを印象付け、こいつに気付かれないようにするためだ。

しかし、やはりそう簡単に入ってくれないらしい。
「クックック……なるほど、なかなかの策士だ。だがこうは考えなかったのか?
 我が、うぬ以上の策士であると」
その瞬間、マテリアルの体がぼやけ消滅する。
当然覆っていた氷は置き去りにされ、地に落ちた。
いったい、何が起こった……。

だがその答えが出る前に、真上から何かが降ってくる。
「アロンダイト!!」
巨大な魔力の塊が襲いかかり、辛うじて回避する。
しかし、それは唐突に爆発し付近にいた僕もまた巻き添えを食らう。

そうだった、はやての特性は広域攻撃。
なら、放った攻撃は大げさすぎるほどに避けなければ意味がない。

その厄介さを痛みと共に再確認させられる。
マズイな、今のダメージはデカイ。直撃じゃなかったのが救いだが、それでも……。
だけど、奴は一体何をしたんだ。

とそこへ、砲撃の放たれた方角から哄笑が響く。
「ハハハ、どうやら何が起こったかわからんようだな。
 なに簡単な話だ、なぜ王たる我がうぬの様な塵芥の相手をせねばならん。そして、我等の体を構築しているのは闇の欠片であり、我はそれを統べる王であるぞ。なら、同じ事ができたとしても不思議はなかろう」
「自分自身の思念体を、作っていたのか……」
確かに理屈の上では可能だろうが、本当にそんな真似が出来るなんて……。
それはつまり、事実上こいつは個でありながら集団である事を意味する。

……イヤ待て、さすがにそんな事がある筈がない。
確かに自分の思念体を作る事は出来るかもしれないが、何の条件もないなんてあるものか。
なら、その秘密を暴く事が出来れば……だけど、戦いながらそれをするのは至難。

となれば、できる人間に頼ればいい。元からその為に、仲間っていうのはいるんだから。
「エイミィ!」
『うん、さすがにそれはあり得ないよ。だいたい、それならなんでもっとたくさんのコピーを使わなかったのか疑問だし、コピーに戦わせている間に攻撃してこなかったのもおかしい。
 少し時間をちょうだい、必ず突きとめて見せるから』
通信で相棒に真相究明を依頼し、その間の時間を稼ぐべく次なる一撃を回避する。
謎が解けるまでの間、何が何でも耐えきってやろう。
これからの幾ばくかの時間が正念場だ。

「ちょろちょろと動くでないわ、塵芥! 大人しく消えよ!」
「お断りだよ。今ここで落ちたら、エイミィにあわせる顔がない」
雨の様に放たれる誘導弾や直射弾、或いはダガーの雨あられ。
それらを必死になって回避し、時にシールドで受け止めていく。
その度に体が軋むが、意地の一本勝負で耐えきる。

「ふん、しぶとさがうぬの武器か? ならば、一思いに踏みつぶしてやろう!
 エクス……カリバ――――――!!」
その単語には背筋が寒くなるものがあるが、士郎のそれとは違う。
正確には、はやてのラグナロクに近い砲撃。
範囲は広い、威力も馬鹿げている。

だが、防ぎきれないとは思わない。
「おぉぉぉおぉおぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
シールドとバリアを四層展開し、その上でデュランダルを使い自分の体を氷で覆う。

その結果は……
「…………オノレ! この一撃を耐えるか!!」
正直、生きた心地がしなかったがそれでも何とか耐えた。
それはひとえに、相棒への信頼に他ならない。

そうして数分が経った頃、僕は見事なまでのボロ雑巾になっていた。
だが、それでも動く事は出来る。そして、エイミィからある一つの推察を告げられた。
ああ、僕は良い相棒を持ったよ。エイミィから聞かされた推察は、確かにこの状況と合致する。

痛む体に鞭打って、最も信頼する相棒からもらった答えを叩きつける。
「やっとわかったよ。そう言えば、君が攻撃してきたのはコピーを消してからだった。
その事から考えて、その影武者はおそろしくリソースを食うんじゃないか? たぶん、君自身は他に何もできなくなるくらい」
「ちぃ……」
それなら、色々な事に辻褄があう。
不意打ちする機会なんて幾らでもあったのにそれをしなかったのは、しないんじゃなくてできなかったからだ。
要は、分身にしろ本体にしろ、一度に襲ってくるのは一人まで。
なら、一人倒しても油断せず構えていれば、十分対処は可能な筈だ。

とはいえ、もし知らずに戦っていたら負けは確実だろう。
疑心暗鬼に囚われ、自滅していた自分がありありと思い浮かべられる。
本当に、エイミィがいてくれてよかったと心から思う。

だけど、さすがにこれまでのダメージが尾を引いている。
さて、どうしたものかな……。
「よくぞ見抜いた、と言いたいところだがそれがどうした? うぬは満身創痍、その状態で如何にして戦う?
 どうやらどこぞの下郎からの入れ知恵の様だが、遅すぎたな。無能な仲間を持つと苦労すると言う良い見本だ」
「なに……?」
その言葉にカチンと来た。力の抜けかけていた体に活力が戻り、思考に火が灯る……イヤ、脳髄が灼熱する。
今にも意識のブレーカーが落ちそうだったが、その一言のおかげでもう少し戦えそうだ。

絶対に、何が何でも、その言葉を撤回させてやる!!
「いくぞ、デュランダル」
《OK, Boss》
デュランダルを振るい、スティンガーブレイドを展開していく。
ただし、いつもの様なエクスキューションシフトとは違う。

確かに数の上ではエクスキューションシフトのそれだが、今回は纏めて飛ばす事はしない。
一本一本、正確に飛ばす場所を計算した上で順々に放っていく。
「行け!!」
「ふん、そんなモノが当たるとでも思うたか!」
当然、そんな攻撃が当たる筈もなく軽々と回避されていく。
しかし、それでも止まる事なく刃を放ち続ける。

一見すれば、破れかぶれで放っているだけに見えるだろう。
だが、その本数を徐々に増やしていきそれらは道路や周囲の民家に突き刺さっていく。

そして、準備が整った。全ての刃を放ち終え、僕の周りに対空する刃はもうない。
結局、一本たりとも当たりはしなかった。しかし、既に目的は達している。
「最後の悪あがきも徒労か。慈悲だ、一撃で消してやろう」
「いや、終わったのは君の方だ」
マテリアルはトドメとばかりに砲撃の体勢に入るが、そうはさせない。
地に突き立った刃が光を放ち、そこからそれぞれ光の線が上り立つ。

その一本が彼女の体に触れると、それに伴い他の線もそこに向けて集まっていく。
「これは……バインドか!?」
「忘れたのかい? 僕は、元々バインドが一番得意なんだ。
 なら当然、真に頼みにするのは攻撃魔法じゃなくてバインドの方だろう?」
スティンガーブレイドに偽装しているが、こいつの本質は変則バインドだ。
一種の設置型バインドで、所定の位置に突き立てそこからバインドの糸を伸ばす。
そして、それに触れた者に向けて他のバインドも襲いかかると言うトラップ。

大抵の場合、派手な攻撃魔法を使った後、使われたそれに注意を向ける者は少ない。
なぜならそれらは、既に終わった魔法の残骸に過ぎないと思うからだ。
だからこそ、こう言う小細工をする余地がある。

一本一本では大した事はないが、百近くも集まれば強度はそれなり。
ま、それでも彼女なら容易く解体できるんだろうが、それをさせるつもりはない。
このバインドには、同時に氷結魔法も付加してある。
捕まった瞬間から、彼女の体は氷で覆われて行く。
幾ら解体しようとも、結果として生じてしまった氷までは影響されない。

やがて、マテリアルの体はその大半を氷に覆われ身動きが取れなくなる。
だが氷を置き去りにして、再びマテリアルの姿が消えた。
「かかりおったな、戯け!!」
喜悦を含んだ声と共に背後から感じる、膨大な魔力の感触。
僕は既に満身創痍だ。仮に防御しても、耐えきれる筈がない。

もし、直撃したのならね。
「いいや、これも想定の範囲内だよ」
砲撃が直撃する瞬間、僕の姿がぼやけ砲撃がすり抜けた。

「幻術だと!?」
「そんな大層なものじゃないさ。魔力じゃなくて、単純に周囲との温度差で光を屈折させただけだよ。
 蜃気楼か陽炎の類だと思えばいい」
氷結魔法の応用で大気の一部を限界まで冷却し、その温度差によってズレた像。
彼女が撃ったのはそっち。二分の一の確率だったけど、上手くいったか。

そして、砲撃後の一瞬の硬直をついて密着距離まで詰める。
「しかし、何を驚いているんだい? 思念体を作れる君からすれば、この程度はお遊びだろう?
 ああそうか、君にはこの程度の『児戯』を見抜く眼もなかったんだっけね。心ない事を言ってすまなかった」
今まで散々いたぶってくれた礼とばかりに、士郎を参考に精々嫌味な口調で言ってやる。

すると、案の定気位の高い彼女は激昂した。
「貴様、王たる我を愚弄するか!?」
「何しろ礼儀も知らない若輩でね。多少の非礼は許して欲しいな『陛下』」
そう言って、マテリアルの腹部にデュランダルを突きつける。
下手に動けば、その瞬間に撃ち貫けるように。

それにしても、士郎がああいう口調を使う理由が少しわかるな。
確かに、これは痛快かもしれない。

とはいえ、またフェイクだったりしたら終わりだ。これ以上戦う余力が僕にはない。
「エイミィ?」
『索敵完了。大丈夫、間違いなく本体だよ』
なら後は、トドメの一撃で終わりだ。

「どうやらチェックメイトのようだね、僕の勝ちだ」
「……うぬは、何か失念してはおらんか? 我は王ぞ、なら当然いてしかるべきものがいるであろう」
「なに?」
王にいて当然のもの? 単なるブラフかもしれないが、それにしては何か引っかかる。
これは、余計な事をしていないでさっさと終わらせた方がいいかもしれない。

だが、それは数瞬ばかり遅かった。
「わからぬのなら教えてやろう。それはな、王には配下がいるは必定。
 やれ、クズども! この下郎を誅戮せよ!!」
『■■■■■■■■■■■■■■■■■――――――――!!!!』
その言葉と共に、周囲の大地で蠢いていた漆黒の獣達が集い、群れから山へと変貌する。
幾重にも折り重なり、僕に向かって雪崩れ落ちてきた。

卑怯、とは言うまい。僕だって仲間の力を借りている。そもそも、あれらはマテリアルの同胞だ。
それどころか、彼女こそが彼らの中枢である事を考えれば、これもまた彼女の力と取る事もできる。

視界の端で、ザフィーラ達がなんとか抑えようと頑張ってくれているのが見えた。
だが、いかんせん数が違いすぎる。
一度にこれだけの相手をするのは、個人戦に長けるベルカ式の使い手である守護騎士達では辛い。
なにより、僕と彼らとの間には距離がある。
今すぐ、限界以上の速度で動いたとしても絶対に間に合わないのは火を見るより明らかだ。

身体を反転させて獣達を迎撃するのも得策ではない。
致命的な隙を眼の前のマテリアルに晒す事になるし、多少は抗えても最終的には漆黒の奔流に呑まれる。

ならせめて、相討ち覚悟で背後を無視して彼女を討つしかない。
そう覚悟した瞬間、聞き慣れた声が僕の耳に届いた。
「ならば、私が手を出すのも許容範囲だな。
そちらが配下ならこちらは暫定的とはいえ仲間になる。それなら文句はあるまい?」
その言葉と共に、白銀の豪雨が降り注ぐ。
その硬質の輝きを以て漆黒の奔流を穿ち、引き裂き、粉砕し、全てを押し流していく。

「っ――――――! そう言えば『天の時は地の利に及ばず、地の利は人の和に及ばず』って言葉があったか。
 ああまったく、本当にその通りだったよ」
それにしてもあのバカ、重傷の体でなんて物を使ってるんだ。
まさか、傷が悪化して死んだりしないだろうな。そんな事になったら、寝覚めが悪すぎるぞ。
でも、これで背中の心配をする必要はなくなった。なら、さっさとケリをつけてしまう事にしよう。

だがそこで、純白の輝きが視界を塗り潰す。
一瞬の隙を突いてマテリアルが右手をつきだし、そこに膨大な魔力を宿していたのだ。
「消えろ!!」
(間に合うか!?)
染みついた動作が無意識のうちに身体を動かす。
砲撃が放たれるより刹那早く、無意識のうちにつきだされた右手をデュランダルの柄頭で軽く小突いていた。
その結果僅かに軌道は逸れ、顔のすぐ横を通って砲撃は虚空に消える。

そのままデュランダルを鳩尾に叩き込み、そこから一気に破壊の魔力を流し込む。
「ガッ!? きさ、ま……」
「ブレイク…インパルス!!」
意識しないでも反応できるように仕込んでくれた師達に、心から感謝した瞬間だ。

崩壊していくマテリアルに向け、最後の言葉をかける。
「今度こそ本当に終わりだ。今回は、僕に天秤が傾いたようだね。
 正しくは“僕達”にだけど」
勝てたのは僕一人の力によるものじゃない。
だからこそ、孤高であった彼女は僕に負けたんだ。

Interlude out






あとがき

とりあえず、雷刃の扱いが酷くなっちゃったなぁ。
まあ、話の都合上仕方無かったんですよ。別に、私は彼女が嫌いなわけじゃありません。
王様は、なんか典型的な竜頭蛇尾になってしまった気がチラホラ。
……どうしてこうなったのか、自分でも不思議です。
逆に、星光の方はかなり良い役だった気がしますね。
口調とかイメージしやすかったので、書きやすかったからかも。

一応予定では次でこの事件は終わりになります。
基本的なところは原作と似たような感じなので、大幅にカットしました。
元々これ、次につなげる為のクッションの様な感じですからね。

ついでに、冒頭の士郎のアレはちょい変な感じになった気もチラホラ……。
いえ、今の彼の中に占める凛の割合をちょっと出してみたかったのですがね。



[4610] 第48話「友達」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2010/09/29 19:35
SIDE-すずか

場所はわたしの家の一室。
今ここには、アリサちゃんや急いで帰って来たお姉ちゃんがいる。
それどころか、「分散している方が危険だ」ということで、恭也さんをはじめ高町一家も移ってきていた。

どうやら想定していた以上にあの獣の数が多く、二ヶ所に戦力を分散するのは危険と判断したらしい。
特に今回の様に戦力が限られている場合は、一ヶ所に集まっていた方が守る側としてはやりやすいと恭也さんが教えてくれた。そのため、リンディさんからの指示で瞬間移動の様な魔法を使い関係者全員をここに集めたのだ。
そして外には、この家に向けて侵攻してくる百以上黒い獣の群れがひしめいている。

とはいえ、それでも多勢に無勢。数の上では、獣の数はこちらの十倍以上にのぼる。
普通なら、今頃わたし達はこの黒い波に呑まれていなければならない。そうならないのは、リンディさんの部下である武装隊という人たち以外にも、それを薙ぎ払って守ってくる人達がいてくれるから。
「闇に沈め……デアボリックエミッション!!!」
空に浮くはやてちゃんの手から黒い球体が放たれ、それが物凄い勢いで膨張する。
それは次々に黒い獣達を飲み込み、打ち砕いていく。

でも、それだけではなお不十分。
はやてちゃんの魔法は範囲が広いらしく、それに合わせて一番たくさんの獣を倒してる。
だけど、はやてちゃんは戦闘訓練はもちろん、魔法の練習だってほとんどしてないし、デバイスっていうのも満足のいく物が手元にないって聞いている。
それら様々な理由もあって、どうしても討ち漏らしが出てしまうらしい。

そして、その隙を埋める人たちがいる。
「恭ちゃん、そっち行ったよ!」
「余計なことに気を散らすな! いいから、お前は自分の心配をしてろ!!」
恭也さんと美由希さん。二人の御神の剣士が打ち漏らした獣達を、一瞬にして切り裂いていく。
普通の人なら容易く蹂躙していくであろう獣達も、あの二人が相手では形無しだ。

しかも時折恭也さんの姿がブレ、一瞬のうちに数体の獣が細切れにされてしまう。
アレが……神速。人間の限界付近の身体能力を引き出す、御神流の極意の一つ。
美由希さんはまだ使えないのか、それとも温存しているだけなのか、今のところ使ってはいないみたい。

代わりに、美由希さんの手が閃きそこから何かが放たれる。
ある者はそれに足を取られて転倒し、隙を突かれて切り捨てられた。
またある者は、近くにいた獣と一緒に何かに縛られ動きが鈍ったところを恭也さんに刺し貫かれる。
窓越しでは何をしているかわからないけど、何かの武器を使っているのだろう。

というか、それはまだいい。
あの、恭也さんが時折する何かを投げる動作の方が問題。
その先にいる獣達は、まるで砲丸投げの鉄球でも受けたかの様に後方に吹っ飛んでいるのは何事?
確かアレって、以前士郎君が恭也さんに教えてたやつじゃ……。
こうして見ると、なんて凶悪なものを教えたんだろう、士郎君。

「まったく、数が多いねぇ……いつになったら終わるのかな、これ?」
「泣き言を言うな、これも経験だぞ。
これからさき少数で多数を相手取る事も珍しくないんだ、丁度いいから今のうちに慣れておけ」
「ふにぃ、うちの兄はスパルタですよ~……」
「嫌ならここで死ぬか? 別に、俺は構わんぞ。その時はそれまでの妹だったと思って諦めもつくしな」
「恋もしないうちに死んでたまるかぁ――――っ!! 私はちゃんと結婚して、大きな花壇のある一軒家で旦那様と男の子一人女の子二人の暖かい家庭を築き、孫に見守られて老衰で死ぬ予定なんだから!!」
「…………嫌に具体的だな。だがまずは、嫁の貰い手を探す事から始めろ。いるかどうか怪しいが……」
「うちの兄の妹イジメをなんとかしてください! イジメ相談室に電話しなきゃ!!」
などと緊張感に欠けるやり取りをしつつも、バッタバッタと斬り捨てている。
ほんと、仲いいなぁ……変な方向だけど。

もちろん、戦っているのは三人だけじゃない。
一方では、ブレードを装備したノエルが獣達を相手取り大立ち回りを繰り広げている。
その後方では、ファリンが「キャーキャー」言いながら重火器を乱射しているのも見えた。
ファリン、あれでトリガーハッピーだからなぁ……いつも抑圧されてた欲望がダダ漏れです。
とにかく撃って撃って撃ちまくる。下手するとノエルまで巻き添えにしそうなほどの弾丸の雨あられ。
ついでに、バカスカとバズーカとか対戦車ミサイルとか撃ちまくってるよ。

だけど、それを見てアリサちゃんが……
「うちも大概だと思ってたけど、なんでこの家にはあんなものがあるのよ」
と、頭を抱えながら心底呆れた口調で呟く。まあ、気持ちはわかるよ。
普通……っていうか、絶対にあんなものないもんね。でもわたしは諦めました。追求するだけ無駄だもん。

他にも、人間の姿のアルフさんやユーノ君もバインドとかっていう魔法で支援している。
それだけでなく、魔導師と思しき人達も手伝ってくれているがのチラチラと見えた。
士郎さんも一応いるんだけど、昔の怪我があるから長い時間は戦えないらしい。
だから、士郎さんは最終ラインという事で玄関付近に今は待機してくれている。

相手の数は多いけど、今のところは防衛線が破られる気配はない。
このままいけば、きっと無事に終わる筈。なのはちゃん達もきっと……。

そう考えたところで、わたしの願望は容易く崩された。
「何よ、アレ!?」
叫びはお姉ちゃんのもの。次々と放たれる光条、それらが魔導師さん達に直撃しバラバラと人が堕ちて行く。
ユーノ君やアルフさん、それに恭也さんや美由希さん達の方にもそれらは放たれる。
だけど、ギリギリのところで皆は防御ないし回避し、事無きを得た。

夜の闇の向こう。眼を凝らすとその奥に、何やら二つの人影の様なものが見える。
だけど、そちらにばかりかまってもいられない。今もなお獣達は進行して来ていて、気を緩めれば押し流される。
恭也さん達も、そのせいでそちらに向かう事が出来ずに足止めされてしまう。

このままだとまずい、それはみんな分かっているのに誰も動けない。
空にいる皆は銀色の何かに牽制されてるし、無理に動こうにも飛び上がった獣達が襲ってきてそれもできない。

人影は敷地に入ったところで歩みを止めたけど、そこで何かを始める。
何をしているかはわからないし、こっちからは何もできない。

もどかしい。わたしには力があるけど、その力は使い勝手が悪い。
対象は一度に一つ、それも負荷が大きくて連続使用はできない。
わたしじゃあ、みんなの手助けができない。

だけどそこへ、空から新たに二つの光が舞い降りた。
「高町なのはと」
「フェイト・テスタロッサです。リンディ提督からの要請で、こちらの支援に来ました。
 あの二人はわたし達に任せてください」
新しく参入した二人はすぐさま人影の方へと向かう。
同時に、わたし達は二人が元気である事に安堵する。

二人が来てくれた事で余裕が出たのか、一度は混乱しかけた防衛線も立て直された。
まだ魔導師さん達は復帰できてないけど、それでも恭也さん達やはやてちゃん達はさっきの様子を取り戻す。
今はとにかく、二人を信じて自分達のすべき事をする。その気概がわたしにもひしひしと伝わって来た。

各々がなすべき事に全力を注ぎ、迅速に片を付けて二人を手伝う。
きっと、それがみんなに共通した思いなんだろう。



第48話「友達」



SIDE-凛

はぁ、危ないところだったけどクロノの方も終わったか。
ま、一応全員無事なんだから良しとしよう。

だけどまあ、とりあえずアイツにはヤキ入れないとね。
「で、なんであんたは血反吐はきながら倒れてるわけ?」
「いや、さすがに見てるだけってわけには……」
動かぬ身体で地べたにはいつくばっている士郎は、必死に私の視線から眼を反らして抗弁する。
だが、口や床、衣服に血糊がべっとりついている時点で、何を言っても無駄だ。
こんな事をさせない為に、抗魔術を施した拘束帯で懇切丁寧に縛りあげておいたのに……。

どうやら、ミノムシ状態でえっちらおっちら倉庫まで行き、そこで拘束帯を切れるモノをとってきたのだろう。
しかもご丁寧なことに、拘束帯ごと打ち付けて置いた杭は、しっかり床ごと引き剥がされている始末。

そのせいだろう、拘束帯によって縛られていた部分は内出血を起こして青黒く変色し、爪は痛々しく剥がれ、皮膚も所々裂けている。一体どれだけの間、拘束から逃れようともがいていたのやら……。
その涙ぐましい努力は認めてやっても良いが、努力する方向を全力で間違えているのが腹立たしい。
どうしてこいつはこう、いざという時に『自分』が勘定に入らないのか。

当然、私の怒りは瞬時に沸点を越えたのは言うまでもない。
「半死人の分際で偉そうな事言ってんじゃないわよ!! やっと傷が塞がりかけてきたところだってのに、また無茶かますって何考えてるわけ!?
 バカじゃない…イヤ、バカよね、もう向かうところ敵なしのバカでしょ!!」
「申し訳ありません、凛。私が付いていながら」
「別にアンタを責めてるわけじゃないの。
どうせこいつの事だから、アンタの制止なんて普通に無視したんだろうし」
グリグリと士郎の後頭部を踏む私の後ろでリニスが小さくなってるけど、それは別にいい。
リニスはリニスで獣達の対処に回っていたわけだし、士郎を見ている暇などなかった。
だから、ここでリニスを責めても仕方がない。

とそこへ、何やら宜しくないオーラを纏ったシャマルも来る。
「士郎君……?」
「しゃ、シャマルか、どうした? というか、助けてくれ!」
「士郎君は怪我人なんですから、ちゃんと大人しくしていましょうよ。
 主治医としては、さすがに今回のこれは看過できません」
いつの間に主治医になったのか知らないが、言葉にできないプレッシャーを感じるわね。
不穏ってわけじゃないんだけど、逆らい難いものがあるわ。

まあちょうど良いし、治療の方は専門家に任せるか。
「シャマル、士郎の治療をお願い。できるだけ痛くて身に染みる様なのを」
「はい、それじゃスペシャルコースいっちゃいましょう」
あ、あるんだそう言うの。適当に言ってみただけなんだけど、言ってみるものだわ。

そうしてとりあえず士郎をシャマルに預け、私は踵を返す。
「じゃあシャマル、このバカは頼んだわよ」
「はぁ、それは構いませんけど……どうかしたんですか?」
「ちょっと気になる事があってね、行くところがあるのよ。
 リニス、アンタは月村邸の支援に行って」
「わかりました」
他の連中はまだ残敵の掃討とかがあって、向こうには行けないだろう。
ならここは、身軽な私達が動く方がいい。

幸い、ちょうどザフィーラが相手をしていた獣たちの方も粗方片がついたみたいだし。
ここには、士郎の治療のためにシャマルだけ残せばいい筈だ。
私の治療なんて結局素人の延長だし、専門知識を持つシャマルの方がいい。
何事も適材適所、私はこっちより向こうに向かった方が力を発揮できるってだけの話。

ああ、でもその前に念のためにアレを持たせておくか。
ただ、クロノ達に聞かれるのもアレだし、一応念話でこっそり伝えることにしよう。
『リニス、念のためにアレを持って行きなさい』
『え? ですが……』
『確か、アンタにも使えるように所有権を弄ったのもあったでしょ』
『いえ、そういうことではなくて、あまり強力なものを使っては、通常空間にまで影響が出るかもしれませんよ』
まぁね、だからこそこんな住宅街では使えなかったわけだし。
下手に使うと、影響を受けた通常空間で死傷者が出かねない。

だけど、あれだけ広大な庭を誇る月村邸なら、人的被害などはあまり気にしないでもいいだろう。
『とりあえず、月村邸なら特に問題ないわ。多少のクレーターくらいなら後で埋めればいいだけだし……』
『それはそれでどうかと思うのですが……そもそも私に武器は使えないのはご存知でしょう?
武器とは、結局のところ人が使うものです。
どれだけ外見や所作が人に近づいても、使い魔の本質は動物ですから』
それ故に、デバイスなどの道具を使用する使い魔は少ない。
リーゼ達ほど使い魔として長く生きれば話は別だが、若輩のリニスではやはり違和感が先に立つのだろう。
武器を使うよりも、その身を使った方がしっくりくるのだ。

とはいえ、何もそいつを使って戦い続けろと言ってるわけじゃない。
『何があるかわからないし、持って行くだけ持って行きなさい。
必要と判断したら使えばいいし、必要ないなら使わなければいい。
一撃での破壊力なら、今のアンタの最大出力以上も出せるんだから、使い道もあるでしょ』
『……そういう事でしたら、ありがたく拝借させていただきます。凛もお気をつけて』
渋々、と言っていいのかまではよく分からないが、とりあえず指示には従うことにしたらしい。
私自身、用心のために保険の一つくらいは持っていくつもりだしね。リニスにも持たせておいた方がいいだろう。
何事もないに越した事はないけど、今回それは希望的観測が過ぎるというものだ。

とそこへ、クロノ達も降りてくる。
各々疲弊の度合いは違うけど、まあ何とかなりそうか。
「僕達はこのまま残った闇の欠片の対処に当たる。大まかなところはもうなのは達が倒してくれたようだが、それでも討ち漏らしがいるかもしれないしな。
 リニスが月村邸に向かうと言うのなら、そっちは任せたい。凛に関しては……まあ、好きにしてくれ。どうせ、何を言っても聞かないって事はわかってる」
「ま、一応御礼は言っておくわ。ありがと、おかげで助かった。
 ついでに言うと、あんた達もちゃんと治療を受けてから動いて欲しいわね。
コレみたいなバカは、一人で充分だから」
「わかってるよ、そこまで無謀じゃない」
そうか、それを聞いて安心した。シグナムやヴィータも何やら冷たい目で士郎を見やりつつ首肯する。
士郎は耳と視線が痛いのか、脂汗流しながらそっぽを向いてるけど。
でもまさか、その程度で誤魔化されたとは思ってないでしょうね。

そうして、私達は各々自分の向かうべきところへと向かう。
三人はシャマルから治療を受け、まだ疲労の小さいザフィーラは先に飛び立つ。
リニスも一度家から荷物を持ちだした後、そのまま月村邸に向かった。

そして、私もまた幾つかの物品を手に、一路目的地を目指す。
それは、おそらくこの事件の中心地――――――――八神家。
そこにはたぶん、今回の元凶の残る片割れがある筈だ。



  *  *  *  *  *



大急ぎで空を翔け、結界の様なものを抜けてそこにたどり着く頃には、どこか懐かしい気配を感じていた。
それは十年前のあの日、柳洞寺の境内裏の池にあったそれと酷く酷似した気配。
あの時ほどの禍々しさも不快さもないが、根っこの部分はそっくり。

そして案の定、八神家の庭に降り立った私の眼前にはそれが浮遊していた。
イヤ、浮遊というのは正しくないか。厳密には、空に開いたちっぽけな漆黒の孔。
あの時みたいな醜悪な肉塊ってわけじゃないけど、直径一メートル程の孔が穿たれていた。
しかもそれは、良く目を凝らさねばわからないような微々たる速度ではあるが、着実に広がっている。

これが―――――――――――――――元凶か。
「これもまた、一つの聖杯の形って事…なのかな?」
思わず呟きが漏れる。あの時とはだいぶ趣が違うが、それはたぶん間違いない。
或いはこれが、聖杯の本来の顕現の仕方なのかも。

原因はもう分かっている。おそらく、アイリスフィールの通って来た孔は実はまだ塞がりきってきていなかったのだ。或いは、彼女がこっちに来た時一緒にこびり付いてあの呪いの断片も来ていたといったところだろう。
で、それが闇の書の残滓と結び付き、闇の欠片達を活性化させた。
種類は違えど相性が良かったのかもしれない。どっちもロクなもんじゃないし、それくらいはあり得る。

今の今まで誰にも察知されなかったのは、あまりにも異質なせいか。それとも、さっき抜けた結界が誤魔化していたのかしらね。
はやて達が気付かなかったのは、おそらくその時はまだ開いてなかったのだろう。
だから、彼女達も一番の原因を見落としてしまった。

そして、今まさにそれは闇の欠片達の力を得て、もう一度地獄の釜を開こうとしている。
できるかどうかはわからないけど、やろうとしているのは間違いない。
規模が小さいのは、まだまだ力が不十分だからか。
もし開ききった場合、最悪『この世全ての悪』が溢れ出す。そんな事になれば、どれだけ早急に対処しても二十年前の焼き直しがいいところだ。それだけは、絶対に許容できない。

「ま、見たところアイリスフィールを触媒にしてるわけでもないし、その点は一安心かな。
 ここが顕現場所なのは、やっぱり出てきた場所だからか、それとも……」
或いは一番の地脈の要所である月村邸かとも思ったけど違ったらしい。
まあ、こっちの方が可能性は高いと思ったからこっちに来たわけだけど。

にしても、あの穴から零れてる黒いのが獣の原形か。
とりあえずそれ以外に実害はなさそうだけど、逆に言えばこれがある限り獣は消えない。
それに、このまま進化してもっとヤバい物を吐き出すようになられても困る。
「この孔さえ潰しちゃえば済む話だろうし、さっさと済ませるとしますか。
 アイリスフィールの容体も気になるし……」
何しろ、彼女は正真正銘聖杯となるべく作られた存在だ。この孔とその奥にある物が、かつて大聖杯の中に居座っていた奴ならば、アイリスフィールに何かしらの影響を与えていても不思議はない。

だが、そんな私の呟きに、本来あり得ない筈の声が返ってくる。
『ああ、概ねそれで正解だ。ま、あえて訂正するんなら一番の原因はお前達って事なんだけどな』
声の主が男なのか女なのか、その年齢の高低、しゃべり方の癖や声質、その全てが判然としない。
あらゆる条件に該当し、どれにも該当しない。そんな印象の声がどこからともなく響く。

一瞬呆気にとられるが、声の主が誰であるかは疑う余地もない。
「驚きね、今回のには自我なんてあったんだ」
『ん~、まぁな。その辺りもあの闇の欠片共のおかげなんだわ。
元々、あの女にこびり付いてこっちに来たのは、残りカスどころの話じゃねぇからなよ。
アイツらがいなけりゃ、今もその辺で踏み潰されたガムみたいに人畜無害にへばりついてたはずだぜ』
「そうであってくれたら楽だったんだけどね。
 それで、世間話をし合う仲でもなし。やるの?」
自我がある事は意外だったけど、やる事は変わらない。
ただ、その途中に障害があるか否か、その程度の違いだ。

こいつ相手に加減も配慮も必要あるまい。なら、こっちの最大戦力をぶつける。
即ち、宝石剣を使っての最大攻撃の連発。
さっきは使う暇もなかったし、状況が悪かったが今は違う。この状況では、宝石剣の使用こそが最適の解。
まあ最悪、はやての家がおじゃんになるけど、勘弁してもらうしかないか。
アイリスフィールの身の安全だけは守るから、それで許してほしい。

しかし、返って来た返答はこれまた意外なものだった。
『いんにゃ、やらねぇよ』
「どういう事?」
『つーかできねぇんだわ。今の俺【私】にできんのは、こうして残骸共を吐き出す事だけ。
 それ以外にはなーんもできん。いくらなんでも英霊の思念体を構築するなんて離れ業は無理だしよ。伊達に霊長最強の魂じゃねぇって事かねぇ……とりあえず、アンタらとしちゃあ運が良かったんじゃねぇの?
 ま、マテリアル達を取り込めば話は別かもしれねぇが、おたくらが消しちまったもんな。こっちとしちゃあ、もうとっくの昔に八方塞がりなんだわ』
嘘……って感じじゃないわね。という事は、本当にそうなのかしら。
まあ、それならそれでこっちとしてはありがたいんだけど……ちょっと拍子抜け、かな?

『だがま、消える前に忠告の一つでもしておこうと思ったわけなのよ。優しいと思わねぇ?』
「悪魔からの忠告か、ゾッとしないわ」
『ヒヒヒ、そう邪見にしなさんなって、聞くだけならロハなんだしよ。
それにアレだ、あの女に限ればちょっとばかし助けちまった義理もあるし、ここで死なれても面白くねぇからな。このままこの街ごと消えるのは、それはそれでつまんねぇんだわ。
それにどうも、昔被ってた殻の影響が残ってるようでな、もう少し“良い人”をしてみるのも悪くねぇ』
殻、ね。何があって何を被ってたのか知らないけど、聞くだけ聞く事にするか。
それにこの口ぶりだと、アイリスフィールを助けたのは……。

だがそんな思考も、続くこいつの言葉に塗り潰された。
『お前らよ、あのガキ共を巻き込みたくないとか世迷言いってやがるようだが、そりゃあ虫が良すぎるだろ。
 お前らはとっくの昔に巻き込んでたんだぜ、魔術の存在を教えちまった時点でな』
その言葉に、ドキリと心臓が跳ねるのを自覚する。
ヤバいなぁ、いきなり聞かなきゃよかったと思い始めてるわ。

だけど、そんなこっちの心情は軽く無視し、こいつは尚も言い募る。
『その様子じゃ、自覚はあったみたいだな。なら、ついでにトドメもさしておくかね』
「……………………」
『お前らまさか、今回俺【私】が顕現したのは偶然とか思ってねぇだろうな。だとしたら甘すぎだ、甘くて甘くて蕩けちまいそうなほどによ』
「何が…言いたいの?」
『抑止力、アレは世界の免疫作用だ。その観点で言えばお前らは異物に他ならない。有害か無害か、或いは有益か無益かも関係ねぇ。いない筈の何かがいる、拒絶反応がおこる理由なんざそれで充分だろ。
 今回のこれはよ、もし悪くいけばこの街くらいは消えてたはずだ。『砕け得ぬ闇』にしろ、俺【私】にしろな。
 いまんとこお前らは世界にとって優先して排除しなきゃならない相手じゃない。だからま、最低限の免疫作用が起きてるだけですんでる。二つの要素を合わせて、少しばかり可能性を上げる様にな』
つまり、積極的に消しにかかってるんじゃなくて、物のついでに私達を消そうとしてるって事か。

しかし、それでは辻褄が合わない。だってそれは……
「あり得ないわ。そんな事したら、最悪世界が滅ぶ。私達を排除するためだけにしては、やる事がでかすぎよ。割に合わないったらないじゃない」
『ああ、確かにな。だけどよ、それも見方によるぜ。アラヤからすれば確かにそうだ、お前らは腐っても人間だからな。アラヤからはそこまでの異物とは取られねぇだろうよ。だが、それがガイアならどうだ?
 あっちからすりゃ、お前らはこの上ない異物だろうぜ。身体の中を、千匹のミミズがのたくってる程度にはな』
「つまり、今回の事を仕組んだのはガイアの抑止力だって言いたいわけ?」
『正確には、“これまで”の事をガイアが“利用した”って言うのが正しいんじゃねぇかなぁ?』
確かに、滅ぶのはあくまで人間だけで世界そのものは揺るがないかもしれない。
なら、アラヤではなくガイアが動いたというのも納得できなくはないか。

でも、これまでの事? それって、まさか……。
『気がついたみてぇだな。俺【私】は世界じゃねぇから正確な所はわからんし、この話自体仮説の域を出ねぇが……可能性とすりゃあり得る話だ。
 不思議に思わなかったのか? なんでこうも厄介事が短期間のうちにお前らの周りで起きたかじゃねぇ、お前らの目の前に“都合よく”事件の入口が置かれてたのかをよ。
ガキ共に関しちゃ、世界が英雄にでもしたがってんのかもしれねぇが、お前らはもうそう言う対象じゃねぇだろ? だっつぅのに、お前らが首を突っ込むしかねぇ状況をわざわざ用意した、あの女が良い例さ』
つまり、なのはを見つけたあの夜も、アイリスフィールの事も、そして今のこれも。
その全てが、私達を引き込む為に御膳立てされた状況だったのだとコイツは言うのか。

その目的は概ね予想できたが、あえてこいつの言葉に耳を傾ける。
『上手く事が運んで事件が解決するなら良し、ドサクサに紛れてお前らが消えてくれれば尚良しって訳だ。
 もし上手くいかなかった時は、全部まとめて消しちまえば一件落着。とりあえず損はねぇしな。そして……』
そこから先は言われなくてもわかってる。もしこいつが言っている事が事実だと仮定すれば……。

口にするのは腹が立つ、だけど無視する事も出来ない。
「そして、それはこの先も起こり得る。私達が大人しくしている分には積極的に排除はしないだろうけど、それでも利用できそうなものがあれば使って来るでしょうね。
 もし何らかの事を起こせば、その時は言わずもがな……良くできてるわ」
『そう言うこった。で、異物っつうのは何もお前らの存在だけじゃねぇ。お前らの持つ知識もだ。
 なら、それを知ったあのガキ共もその排除対象になるのはおかしな話じゃねぇ。実際、今回どー考えても巻き込まれない筈の連中が巻き込まれてるしな。下手すると、この先もっとエスカレートするかもだぜ』
心底可笑しいとばかりに、こいつはくもぐもった笑い声を洩らす。
それが、どうしようもないほど癪に障る。ああ、できれば今すぐにでも跡形もなく消し飛ばしてやりたい。

だけど、こいつの言っていることには説得力がある。
アリサとすずか、確かにあの子達が巻き込まれるのは妙な話だ。
所詮は仮説に過ぎないが、限りなく事実に近いと思う。
なにせ、目の前にあるこいつの存在そのものが、その仮説を裏付ける証拠のはずだから。

そう、ずっと危惧していた私達の厄介事に、遂にあの子達は巻き込まれた。
所詮は一回、だが紛れもなく存在する一回だ。預言の様に、あるかもしれないなんて曖昧なものじゃない。
こうして一回あった以上、おそらく二回目三回目が起こる。
場合によっては、エスカレートして積極的に排除しにかかるかもしれない。周りも巻き添えにして。
その事実に、腸が煮えくりかえりそうなほどの怒りを覚える。
世界に対してじゃない、甘い予想に身を任せて立ち止っていた自分自身に対して。

そんな私を無視して、こいつはまるで死刑宣告でもするようにこう結んだ。
『わかったろ。手遅れなのさ、何もかも。
お前らが全てを話そうが話すまいが、ちょっとでも教えちまった時点でよ』
あの子達は知ってしまった、この世界にない筈の技術の存在とその知識を、たとえほんの僅かにでも。
だから、事件のついでに消されそうになった私達の更におまけとして消される危険をはらんでいる。
あの子達に渡してしまった知識もまた、“世界”にとってはおぞましい異物なのだから。

危険性そのものは、基本的には微々たるものだろう。
精々が、朝のテレビの占いで運勢が悪かったと言うのと大差ない程度のもの。
こういう利用できそうな事でもない限り、その危険が致死レベルにまで跳ね上がる事はないと思う。
でも、それでも私達の問題にあの子達が巻き込まれているという事実は確かに存在する。
たとえどれだけ取るに足らなくても、どれほど些細なものでも、巻き込んだという事実は揺るがない。
ましてやそれが、実際に命に関わるレベルともなれば尚更……。

そして、人は容易く死ぬ。どれだけの力を誇ろうが、人である限りその脆弱さは変わらない。
私達の事に巻き込まれてしまったが故に、死に繋がらないとどうして言い切れよう。
『一応だが、方法はあるぜ』
「わかってるつもりよ。全てなかった事にすればいい。あの子達の記憶を消して、姿も消す。
 あの子達の中と外から、魔術と私達に関する全てを消せばリスクは減る筈だもの」
あの子達が巻き込まれるのは、知らない筈の事を知ってしまったからだ。
逆に言えば、その要因さえ潰してしまえば巻き込まれる事もない……かもしれない。

他にも手がないわけじゃない。それこそ、全てをばらしてしまうのも手だ。
弟子をとり、自分達の秘密を明かす。その意味するところは、この世界における魔術と言う存在の浸透。
ある程度まで浸透してしまえば、最早それは異物とさえ認識されなくなるだろう。
だが、それまでに何度あの子達は私達のとばっちりを受ける事になるのか。

ああ、本当に、私達は甘すぎた……巻き込むも何も、とっくの昔に巻き込んでいたんだから。
あの日、夜の学校でなのはを見た時、その時に引き返していればこんな事にはならなかったのに。
あの時からもう、私達はあの子達を巻き込んでしまっていたのだ。

「………ありがとう。おかげで踏ん切りがついたわ」
『そりゃどうも。で、どうするつもりなんだ?』
「中途半端は許されない。消すか、晒すか、その二択でしょ? なら、私は……」
消す方を選ぶ。私達の事情にあの子達を巻き込むわけにはいかない。
一般人を巻き込まない、それが魔術師としての矜持だから。

ま、それはそれで前後の矛盾や記憶におかしな空白とかもできてしまうから、あまり良い手ではないんだけどね。
正直、手段としては下の下だから、できればやりたくなかった手段。
そもそも、ここまで深くかかわってしまった後だと、特定部位だけ消すと違和感が生じる可能性が高い。
しかし、それでもこれくらいしかもう手が残されていない。

だけど、その事を口にする前にこいつは勝手に話しを終えてしまう。
『ま、答えを急ぐ必要もないわな。俺【私】の知ったこっちゃねぇし、勝手にやってくれ』
なるほど、確かにこいつは悪魔だ。言いたい事だけ言って、その責任を取らずに済まそうとする。
本当に、性質が悪い。

ああいいさ、確かにアンタに聞いて欲しいわけじゃない。
「ふん。それなら、お望み通りさっさと消してあげるわよ」
『ああ、そうしてくれや。この出番はこっちとしても不本意だったからよ。
 どーせなら終わりくらいはちゃんとしたかったってのに、勝手な都合で起こしやがって……。
 ま、何度目かわからない終わりだが、派手にやってくれや。半端な事すると、溢れちまうかもしれないぜ』
「OK。なら、こいつできっちりぶち抜いてあげるわ」
そう言って、念のために持って来ておいた包みを開く。
私個人の出力じゃ心許ないし、なのはの真似をした集束砲もね。
やはり、これをぶち抜くのなら人の手では届かない一撃が一番だろう。

そうして晒したのは、一本の槍。しかし、当然唯の槍ではない。これは……
『へぇ「大神宣言(グングニル)」……いや、その原典か?
確かに彼の神槍の原型ともなれば花火としちゃあ十分だけどよ、アンタそんなの使えるわけ?』
「説明する意味があるのか知らないけど、士郎の宝具を他人が使うには所有権の譲渡が絶対条件よ。
 でも、逆に言えば譲渡さえしてしまえば誰にでも使えるって事でもある。そして私と士郎はパスが繋がってるし、私からの魔力で編んだ投影ならこっちとの親和性も高い。譲渡もそれほど難しくないわ」
『ヒヒヒ、なるほどね』
ついでに言えば、そもそもその場で所有権を譲渡しなければならないわけでもない。
あらかじめ用意し、前もって譲渡しておけば問題ないのだ。いざという時、その方が都合も良い。
ま、その場合家のスペースを取るから、一度にストックしておける数には限りがあるけどね。
そして、これはその内の一振りってわけ。

槍に魔力を注ぎ込み、最後の別れを告げる。にしても……なーんか、はじめて話した気がしないのよねぇ。
「それじゃ、さようなら『この世全ての悪(アンリ・マユ)』。忠告に感謝するわ」
『そりゃどーも。ま、知らねぇ仲じゃねぇし、気にしなさんな。どーせ、何か見返りが貰える身分でもねぇしよ』
「そうね。その体じゃ、何を渡しても意味がなさそうだし、せめて派手な花火で葬ってあげる。
――――――――――『大神宣言(グングニル)!!!!』」
真名を解放し、弓なりに仰け反った体から渾身の力でそれを投げ放つ。
槍は一条の閃光となり、真っ直ぐに漆黒の孔に向けて飛んでいく。

そして孔を刺し貫き―――――――――跡形もなく消滅させた。

孔の消滅と獣たちが増える様子がないことを確認してから、「パン」と手を打って気持ちを切り替える。
「………………よしっと、とりあえずアイリスフィールの様子を見ておきますか」
特に心残りもなく、孔が消滅した事だけを確認して家の中に入っていく。
後で一応観測とか事後処理とかしなくちゃいけないけど、後回しでいいか。
どうせ、今すぐどうこうって事もないだろうしね。



さて、無断侵入ではあるが緊急事態という事で許してもらおう。
一応靴は脱いで入ってるし、最低限の礼儀は守って入ったんだから。
そもそも、鍵をかけていなかった方が悪い。

そうして適当に家の中を捜索していると、ようやく目当ての人物を見つける。
こんな事なら、初めのうちに居場所くらい聞いておけばよかったかな。
とりあえず、軽く様子を見る限り別条はない。
呼吸・心拍・体温・その他諸々。いっそ私より健康的なくらいの印象だ。

だが、そうしているうちにその瞼が動いた気がした。
「……気のせい…じゃないわね」
一度なら見間違いかとも思うが、数度続けばそれはない。
もしかすると、あの孔の影響を受けたりしていたのかもしれない。
そのせいで目覚めなかったのか、或いは無くなったショックで目覚めたのかはわからないけど。

そして、アイリスフィールは数日ぶりに眼を覚ます。
「………ん?」
「おはよう……って時間でもないか。とりあえず、元気そうで安心したわ。
 あなたに何かあったら、士郎やイリヤに合わせる顔がないしね」
「どうして、あなたがここに?」
「一身上の都合よ。ま、とりあえず起きたのならそのうち話しをしたいんだけど、いい?」
今ははやても守護騎士達もいないし、士郎もいない。何より寝起きの人間に話す事じゃない。

ま、この場にいるのは私だけなんだから、最低限しばらくの間は様子を見るか。
いきなり倒れられたりしても寝覚めが悪いし、アイツの話だと彼女も『巻き込む』側の人間ですもの。
もしかすると、後々あの黒い獣達がやってくるかもしれない。
なら、やはり警護という意味ではここにいた方がいいか。



Interlude

SIDE-なのは

わたし達がすずかちゃんのお家につくと、あの黒いのとは違う何かがいた。
その何かは武装局員の人達に攻撃しつつ、何かの準備をしているみたい。

それにしても、こんなところにいるんだし闇の欠片の筈なんだけど、なぜか反応がない。
センサーの故障なのかな? それとも、何かしらの処置をしているのかも。

どちらにせよ、とにかく動かないと始まらない。
だけど、その影にはどこか見覚えがある気がする。
それは隣のフェイトちゃんも同じ様で、何処かいぶかしむような様子。

そして、ある程度近づいたところで既視感を覚える。
そこにいたのは二人組の、どこかで見覚えのある大人の男女。
それも、その肌には入れ墨だろうか、何かの模様の様なものが刻まれている。

その異様な風体に圧倒されるが、やはり既視感があった。
でも、一体どこ見たんだろう?

そう思った所で、ある人達に似ている事に気付く。
(士郎君や凛ちゃんに……似て、る?)
だけど、その二人とは明らかに年齢が違う。

眼下の二人は明らかに二十歳以上、たぶんお兄ちゃんより年上だ。
わたしの知る二人がこのまま順調に年齢を重ねれば、おそらくはそうなるであろうと予想される容姿。
ただし、あの入れ墨は除外されるけど……。

一瞬、アレは二人の未来の姿なんじゃなかとも思ったけど、直ぐに否定する。
(そんな事無いよね。だって、闇の欠片が作る思念体は、その人の“過去”の姿だもん。
 今までに“未来”の姿を作った人なんかいなかった。それに、あの入れ墨だって二人はしてないし……)
でも、だとすればアレは一体誰を模した姿なんだろう。

いや、今はそれは良い。しなきゃいけない事は別にある。
「あの、何をしているのかわかりませんが、お話を聞いてもらえませんか」
「わたし達は管理局の嘱託魔導師です。できれば、事情を聞かせて欲しいんですけど」
フェイトちゃんと一緒に話しかけ、どうにか話し合いの場を持とうとする。
今までの流れからして話し合いの余地はないかもしれないけど、やっぱり一度は確認しておきたい。

そして、返ってきた答えは予想外なものだった。
「事情、ね。そうたいしたものじゃないわ。
遠坂凛と衛宮士郎の抹消、それが私達の目的だけど、それがどうかした?」
「! な、なんでそんな事するんですか!?」
「単純な話だ。あの様な人間は存在しない方が世の為、ひいては君達の為だ。
 自分達はいない方がいい、それがあの二人が抱え続けている葛藤でもある」
そんな……そんな事認められる筈がない!
凛ちゃんと士郎君が、いちゃいけないなんて事ある筈がないんだから!!

いくらケンカ(?)中とはいえ、聞き捨てなら無い。
当然、それはわたしだけの感情じゃない。
「いちゃいけない? そんな事あるもんか!! いちゃいけない人間なんてどこにもいない!!」
「知らないから言える言葉だよ、それは。あの二人は屍山血河を築いた大罪人だ、過去を知らず今だけを語るのは愚かとは思わんかね」
「確かに、わたしは二人の過去を全然知らない。あなたの言ってる意味もわからない。
 でも、過去の為に今の全てを否定していいわけない!!」
「なるほど、正論だ。しかし理想は所詮理想に過ぎん。
 まあ、これ以上は水かけ論にしかなるまい。ならば、不本意ながら無理にでも押し通るしかないか」
「そうね。所詮思念体に過ぎない私達では、あの異端を完全再現する事は不可能。
 となると、普通に戦ったんじゃ勝てない。だからできれば、ここを押さえて切り札を用意しておきたかったのだけど、先にあなた達をなんとかしないといけないみたいね」
頭に血が上った状態で、ふっと気付く。
そう語る女性の声音には、どこかやりきれない悲しさの様なものが滲んでいる気がした。
まるで、わたし達と戦う事が嫌で嫌で仕方がないと言わんばかりに。

そして、ある疑問をフェイトちゃんが口にする。
「あなた達は、何をしたいんですか?」
「言ったろう? 我々の目的は衛宮士郎と遠坂凛だけだ。
君達は標的ではないし、できるなら無傷で済ませたい。ただそれだけの事だよ。
昔から、無意味な戦闘も無益な殺生も苦手でね」
「でも、あなた達はあの二人を殺そうとする私達を許さないんでしょ? それじゃあ仕方がないわ。
 残念だけど、あなた達を押しのけて行くしかない。できれば傷つけたくないのだけど、あなた達が相手じゃそうもいかないでしょうね。だからお願い、できる限りうまく負けて頂戴」
この時のわたし達は知らなかった。この二人は、あの二人の「わたし達への負い目」や「巻き込む事への罪悪感」が、あの入れ墨の原因によって歪つに着色された思念体だったのだと言う事を。

そうして戦いは始まった。それは友達を護るための戦い。
そして、わたし達にとっては初めてになる、あの二人を護るための戦いが。

Interlude out



SIDE-リニス

私が現場に到着した時、既にフェイト達は戦闘状態に移行していた。
そこにいたのは、以前夢で垣間見た“本来”の凛と士郎。少々、余計なものもくっついているようですが。

それにしても、よりにもよってフェイトとなのはさんが戦っているなんて……。
まったく、イヤな事というのは想像の斜め上を行きますね。

なんとか戦闘に介入し、二人を助けたいと思うが……
「難しいですね。今の私では、差がありすぎる」
さすがに凛と士郎の思念体だけあって、その実力はかなりのものだ。
フェイト達も腕を上げているし、弱体化した私にはとてもではないが介入は難しい。

それにしても、姿が大人であるところを見ると、ベースになっているのはこちらに来る前の凛達なのだろうか。
しかし、体に刻まれた紋様から何らかの変異が起きている可能性は推測できるし、一概にそうとは言い切れまい。
実際、あの凛は当たり前の様に空を飛んでいる。アレは、こちらに来てから得た技術の筈だ。
おそらく、色々な時の情報を寄せて集めて混ぜ合わせたような状態なのだろう。

とはいえ、さすがに凛と士郎の異端を完全にコピーできている筈がない。
一応士郎の方は武器の投影をしている様だが、さすがにその真価を発揮する事は無理だろう。
凛の方にしても、並行世界に向けて孔を穿つなんて真似は出来まい。

しかし、そうだとしても二人が強い事は変わらない。
基本性能では劣っても、蓄積した経験と技術で二人はそれを補える。
あそこにいる二人にも、それが出来ないとは限らない。
実際、そうやってフェイト達と互角以上に渡り合っているように見える。

「私にできるのは機を待つ事、なのでしょうね」
家から持ち出したこれは、使い方次第で戦局を一変し得る威力を秘めている。
ならば、上手く使えば二人を支援する事が出来るかもしれない。
だが逆に、下手に使えば二人を巻き添えにする事になるだろう。
その意味でも、やはり時期を待つべきだ。

幸いなことに、「どうせやるなら不意打ちでやれ」という事で凛に懸けてもらった穏行系の術のおかげで、まだ私の存在は気付かれていないらしい。
ならなおの事、確実に討てるその機を見計らう必要があるだろう。
下手に動いて見つかっては、せっかくのアドバンテージを失うことになる。

仕方なく、私は機を見計らうべくフェイト達の戦いに集中する。
戦いは、基本的に双方入り乱れての二対二。
連携に優れる凛達が、まだぎこちなさの残るフェイト達を翻弄する。
同時に、何かを話しかけて動揺を誘っている事に気付く。

良く耳を澄ませば、それはこの数日二人が悩み続けていた事柄に関わるものである事が分かった。
どうやらあの凛達は、自己を消し去る事でフェイト達を護ろうと言う考えを持っているらしい。
それは究極の選択だろう。確かにそれを為せば、巻き込む心配はなくなるかもしれない。
だが、あまりにも極論が過ぎる。

しかし同時に、あそこで交わされる会話は凛達の本心の断片でもあるのだ。
ならば、ここでの会話は何かしらの決断に役立つかもしれない
勝手かもしれないと思いつつ、私は自分の視覚と聴覚を凛のそれにリンクさせ凛に送る。
そうして、私は眼下で繰り広げられる戦いに本格的に意識を集中させた。



繰り広げられるのは、火花舞散る激しい戦闘。
フェイトが前衛でなのはさんが後衛となり、なのはさんの支援を受けてフェイトが縦横無尽に空を翔ける。
対する凛達は、凛が前衛で士郎が後衛という変則型。
主戦場が空である関係上、これはどうしようもないのかもしれない。

凛はなのはさんの誘導弾に対処しつつ、フェイトの攻撃を捌くと言う一見孤軍奮闘に近い状況だ。
しかし士郎の狙撃が誘導弾を撃ち落とし、フェイトを牽制する。
その結果二人とも思うように動く事が出来ず、生じた極小さな隙を突くべく凛が疾駆した。

当然、フェイトやなのはさんもそれをさせまいと迎撃に出るが、そこに違和感を覚える。
たぶん、二人も気付いているだろう。眼の前にいる二人が、凛と士郎の何かしらの面を再現した存在である事に。
そのせいなのか、どうにも二人の動きが鈍く精彩を欠いている気がする。
凛と士郎の巧さだけではなく、それ以外の要素から来る動きづらさを感じた。

そうして、フェイトが凛に向けて叫ぶ。
「なんで、なんで二人を殺そうとするの!」
「別にそんなにおかしな事じゃないでしょ。あなた達がこれまで戦った思念体だって、あなた達を殺そうとしたはずよ。おそらくは、眼の前にいたのがオリジナルであっても変わらないでしょうね。
 なら、私達の間に差異はない筈だけど……?」
「違う! あなた達は他の思念体達とは違う理由で行動してる!
 標的を決めて、それ以外の人をできれば傷つけたくないと思ってる、そうでしょ!」
「かもしれない。だけど、過程も結果も同じなら動機なんてどうでもいいとは思わない?」
「その動機が問題だって言ってるんだ、このわからずや!!」
高速機動で瞬時に背後に回ったフェイトは、そのままハーケンを振るう。
しかし、凛はそれを軽く一瞥しただけで柄を掴んで止めた。
大人と子ども、そのリーチと腕力の差を把握した上での対処。

実際、今の凛の腕でつかもうとしていれば身体に切っ先がめり込んでいたかもしれない。
だけど、あの凛の体は大人のそれ。その体格に見合った腕の長さと、腕力がある。
フェイトはそのまま押し切ろうとするが、体格と力で勝る凛の腕を押しきれない。
いや、魔力の差で押してきてはいるが、一瞬でも止められた時点で既に凛の目的は終わっている。

なぜなら……
「眼先の事に囚われるのはいただけないわね。
あなたの目的は、最終的に私に勝つ事であって、今この小競り合いに押し勝つ事じゃないでしょ。
なら、止められた時点でさっさと離脱するべきだったわ。
『Ein Handschwert des(我が手刀は) Eises(氷河の太刀)』」
手刀から延びた氷刃が、フェイトに向かって振り下ろされる。
忠告が耳に入ったのか、危ういところで離脱したフェイトは間一髪難を逃れた。

いや、正確にはその切っ先はわずかとはいえフェイトに触れていた筈だ。
実際、バリアジャケットは右肩から左脇腹にかけて無残に裂け、その隙間から白い肌が露わになっている。
にも拘らず、その陶磁器の様に白い肌には一点の曇りもなく、フェイト自身は完全に無傷。
バリアジャケットの守りは抜かれていたはずなのに、一体どうして……。

外野から見ていた私はそう思ったが、その答えは凛の口からもたらされた。
「例のお守りか……律義に持ち歩いているのね」
「当たり前だよ。わたしの……宝物だ」
フェイトの声には、静かな信頼がある。例え今は不信感を抱いていても、根本的な所では今も士郎を信頼しているのだろう。その事を、容易に感じさせる言葉だった。

フェイトはその状態から右手から一発のランサーを放つ。
しかし、それを凛は寸前で僅かに身を引き回避する。
そのタイミングに合わせ、フェイトは一気に凛から距離を取った。

そうして、二人の間合いが離れたところで、なのはさんの言葉と砲撃が凛に向けて放たれる。
「あなた達の事情をわたし達は知らない。
でもどんな理由があっても、友達を傷つけさせるわけにはいかない!!」
凛はそれを無理に受け止める事はせず、絶妙な角度で展開したシールドで弾く。
同時に、衝突時の衝撃に逆らわず、自ら弾き飛ばされる事でその場から離脱した。
真正面から受ける事はせず、無理にその威力にも逆らわない事で危険地帯からの脱出に成功したのだ。

事実、弾き飛ばされるまでいた場所を誘導弾が飛び交う。
もう少しあの場にとどまっていたら、今頃は誘導弾の餌食だったろう。
だが、なのはさんの誘導弾はまだその役目を終えていない。
一時は見失いかけた獲物に向け、主の命に従い再度襲いかかる。

それを冷めた目で見つめ、凛は左腕を魔術刻印の光で輝かせる。
「果報者ね、あんな人間達には勿体無い友人だわ。
 でも、あの二人を信頼するのはやめることをお勧めするわよ。特に衛宮士郎は、第一目的のためならその他全てを切り捨てるような奴だもの。それが、どれだけ大切なものでもね
父親の衛宮切嗣がそうであったように、それが衛宮を名乗る者の正義なのよ」
誘導弾を時に回避し、時にガンドの弾幕で撃ち落としながら凛は断言した。
まるで、その必死さこそが滑稽だとでも言うように。

だがそこへ、いつの間にか背後に回っていたフェイトが無数のランサーと共に怒鳴りつけるように否定する。
「違う! 確かに、シロウは少し自分を疎かにするところがあるよ。
でも、平然と人を切り捨てるような人じゃない!!」
だが凛は、フェイトの方を向く事すらなくなのはさんを視界に納め続ける。
さも、そんな奇襲など届く筈がないと言わんばかりに。
そしてその態度通り、フェイトの奇襲は士郎が放った矢の雨によって防がれる。

一歩引いたところから見ている士郎には、二人の考えている事がわかっているのだろう。
だからこそ、ここまで的確なタイミングでの援護射撃ができる。
なのはさんの誘導弾は見逃し、フェイトの奇襲にだけ対応した事からもそれは明らかだ。
おそらくは、凛も二人の狙いについては大方の予想はできているのだろう。
そうでなければ、フェイトの方を見向きもしないなんて事はあり得ない。

そして、こうして上空から俯瞰する事で、私にも二人の狙いがわかって来た。
どうやら、フェイト達は二人がかりでの各個撃破を選んだらしい。
一対一を二つするよりも、二対一の状況を作ってそちらから潰す。
この場合、飛べない士郎を後回しにしたようだ。

敵の片割れはフリーになるが、もちろんそちらへの警戒は怠らない。
事実、頻度こそ少ないがフェイト達は牽制するように、時折士郎へも攻撃を放っている。
そしてそれは、士郎と凛が叩きこんだ戦術の一つだった筈……。
それを見て思う、二人の教えはちゃんとあの子達の身になっているのだ、と。

だが、あまり感心してばかりもいられない。
凛は視界に納めているなのはさんに狙いを絞り、ガンドを撒き散らしながら強引に距離を詰めていく。
フェイトはそんな凛を追おうとするが、士郎の放つ矢に阻まれ思う様に進めない。

なのはさんもなんとか距離を保とうとするも、徐々にその距離は縮んでいく。
砲撃を撃つ隙を与えない怒涛の攻撃。威力こそ低いが、とにかく数を頼みに放たれるそれらはまるで嵐の様。
守勢に回り足を止めれば、一気に距離を詰められるのは明らか。
凛と同じ様に数を頼みに相殺しようにも、時折士郎から放たれる矢のせいで凛にばかり意識を向けていられない。

そうして、遂に凛はなのはさんに接敵する。
「なんと言おうと、アレが軽蔑されて当然の生き方をしてきた人間である事は事実よ。あなた達が知らないだけでね。でも、今は重要なのはそんなことじゃないのよ」
そう語る凛の声音には、確かな寂しさがあった。
凛はそのままレイジングハートを掴み、有りっ丈の力でなのはさんごと地面に向けて投げる。

もし、ここでなのはさんがレイジングハートを手放していればそれを回避できただろう。
一時的に武器を失う事になるが、急いで回収すれば問題はない。
フェイトからの援護があれば、それも不可能ではないだろう。
少なくとも、こうして投げられた勢いでバランスを崩し行動の自由を失うよりはずっとマシだ。
しかし、愛機を手放す事への一瞬の逡巡が致命的な遅れにつながった。

そこへ「待ってました」とばかりに、それまで狙撃に終始していた士郎が動く。
武器を双剣に換装し、そのまま地面との正面衝突を避ける為に体勢を立て直そうとするなのはさんに斬りかかる。
「え? きゃあ!?」
「なのは!?」
体勢を立て直したばかりのなのはさんは、それに対処しきる事が出来ず悲鳴を上げる。
辛うじてレイジングハートを盾にし、大急ぎで展開したシールドで防ぐがあまり意味がない。
盾は容易く斬り裂かれ、そのままレイジングハートを襲った斬撃の衝撃で地を転がる。

もし士郎に殺意があったらと思うと、正直ゾッとしますね。
士郎がその気なら、直接首を狙う事もできた筈ですから。

とはいえ、この辺りの戦いの巧さはやはり凛達の方に分がありますか。
いや、それも当然。何しろ、あまりにもキャリアに差がありすぎる。

そうして気付けば二人は分断され、いつの間にか二つの一対一が出来上がっていた。
考えてみれば当然の話。あの戦術は凛達が教えたのだから、それを破る手も二人には有る。
凛はフェイトと、士郎はなのはさんと、それぞれ対峙する形。

それも、士郎の方に至っては鎖で半球状のドームを作り、そこになのはさんを閉じ込めている。
バカ正直に脱出しようとしても、士郎はその隙を見逃さない。
なのはさんもそれに気付いたのか、脱出するよりも先にそのチャンスを作る事を選んでいた。

そして、士郎はなのはさんと互いに隙を探る様に睨み合いながら口を開く。
「この先もアレらと関わっていこうと考えているのなら、やめておけ。
 アレは君達とは住む世界が違う。世界の闇、光に住まう君達とでは人種が違うのだ」
「そんな事、関係ないよ。わたし達は凛ちゃんが、士郎君が、ああいう二人だから友達になったんだ!」
そう言葉を叩きつけ、なのはさんは狭い空間内をものともせず、誘導弾を操って士郎を襲う。
しかし、士郎はそれを双剣で巧みに斬り落としていく。
桜色と白と黒の舞は、無骨でありながら人の目を引き付ける。

そうして、士郎は双剣を振るいながら徐々に距離を詰めていく。
「アレらは災いを呼ぶ疫病神。近くにいれば、いつか必ず厄介事に巻き込まれる……いや、こういうことになっている以上、既に手遅れか。だが、まだ引き返せる。
故に、君達はこれ以上関わるべきではない。いずれ、巻き添えとなって大切なものを失う時が来る」
「世界なんて、そんなものだよ。お父さんも、突然大怪我を負って帰って来た。普通のお仕事じゃなかったかもしれないけど、それでも何があるかなんてわからない。
 凛ちゃん達の事がなくてもそんな事が起こるかもしれない。一緒にいても起こるとは限らない。
明日に何が待っているかなんて、誰にもわからないよ!!」
刃の届く距離まで近づかれたなのはさんは、自身も余波を受ける事を覚悟で砲撃を放つ。
放たれた砲撃を士郎は咄嗟に双剣で受けるが、そこで爆発が生じた。
結果、二人はその衝撃に煽られてそれぞれ鎖で出来た鉄条網に叩きつけられる。

その間にも、フェイトと凛の戦いも続く。
ガンドと炎や氷を併用し、フェイトの進路を妨害する凛。それを何とか潜り抜けて接敵しようとするフェイト。

だが、白兵戦技能でも凛に一日の長がある。
唯一勝るスピードで切り抜けようとするも、当てる事に重点をおいた凛のコンパクトな一撃は、確実に擦れ違い様にフェイトを捉えていく。
凛もよけきれずに浅くない傷を負っているが、フェイトの方が僅かに不利。

やがて凛は、フェイトが近づいた瞬間を狙って炎の壁を自分の周囲に展開し、焼きつくそうとする。
しかし、急ブレーキをかけたフェイトはその直前で止まり、砲撃の構えをとった。
「なのはの言う通りだ。結局、可能性なんてどこにでもある。それに当たるかどうかは誰にもわからない。
 なら、そんな可能性を気にしてばかりいたら生きていけないよ!!」
そうしてプラズマスマッシャーを以て壁を貫き、できた穴に向けてランサーを打ちこんでいく。

凛はたまらずその場を離れるが、フェイトが圧倒的なスピードで追いたてる。
「だから、なんと言われようと二人を見捨てたりしない。
 二人がなんと言おうと、わたし達はシロウと凛の友達だ!!」
「まったく、これだから子どもは厄介なのよね。理屈が通じないったらありゃしない」
苦々しく凛は言うが、それは何処か負け惜しみの様な印象を受ける。
まるで、二人の言葉に説き伏せられてしまったかのように……。

だが、それで引き下がる凛でもない。
「ま、こっちとしても『はい、そうですか』って言う気もないのよ。
 所であなた、無重力は体験した事ある? こう言うのを言うらしいわよ。
『Ernst verschwindet(遮断せよ) Die Gesundheit wird bewahrt(我が仇敵は標を失う)』」
凛が展開した何らかの術の効果により、フェイトの動きがおかしくなる。
鈍ったわけではない、どちらかと言えば戸惑った様な感じだ。
まるで、あるべきものが唐突に無くなって、体勢を崩してしまったかのよう。

そして、当然その隙を凛が見逃すはずもない。
「『Brennen Sie(炎の剣), erschießt einen Feind(撃ち抜け)!!』」
十の炎の矢が放たれ、それらがフェイト目がけて疾駆する。
未だに上手く体勢を立て直せないフェイトは、それをされるがままに受けるだろう。

なりふり構わず割って入ろう身を乗り出すが、その前に桜色の光条がフェイトの直前を通過する。
当然、フェイトに迫っていた炎の矢もそれに呑まれて消滅した。
「チッ! もう出てきたの……?」
鎖のドームに眼をやると、そこには一ヶ所大きな穴があいている。
その反対側の壁には、レイジングハートを構えたなのはさん。
やはり今のは、彼女が放ったものだったのか。

しかし、その右手からは鮮血が流れ出している。
良く見ると、そのすぐ近くには双剣を構えた士郎がおり、その剣からは血が滴っていた。
おそらく、フェイトの危機を察して無理に砲撃を撃ったのだろう。
だが、その隙を突かれて一太刀浴びてしまったのか。

ケリをつけようと士郎は峰で首を狙うが、今度はその背後から別の光が迫る。
それは回転する金色の刃、フェイトのハーケンセイバー。
それに直前で気付いた士郎は、迫る光刃を大きく飛び退いてかわす。
その間に、なのはさんは先程自ら空けた穴からドームから離脱した。

そこで、ふっとある思いが私の口から零れる。
「見ていますか、聞いていますか、凛。
あなたのご友人は、こんなにもあなた達の事を思っているんですよ。
それに応える方法は、本当に突き放すという形で良いんですか? あなた達の終わりは、全ての思い出を消し去るという結末で良いんですか?」
視覚と聴覚をリンクしたが故に、私には向こうで凛が見聞きした事も既に伝わっていた。
だから、凛が何を考えたかも知っている。それはたぶん、今できる範囲内で一番の策なのだろう。

しかし、本当にそれでいいのだろうか。
私の大切な人達は、本当にそんな悲しい道を歩まねばならない程罪深いのか。
そんな筈がない、そんな道を歩まねばならない道理など無い筈だ。
きっともっと別の、誰もが納得できる答えがある。
子ども染みた夢想かもしれない。それでも、私はその可能性に縋りたい。

そうしているうちにも戦いは続く。
一進一退の攻防。凛と士郎は巧みに二人の動きを誘導し、フェイトとなのはさんはそのスペックを活かして二人の想定の上を行く。そうやって、互いに言葉と力を叩きつけていく。
ある時は凛の術が二人を煽り、ある時は士郎の刃が二人に迫る。
或いは、フェイトの作った隙に向けてなのはさんの砲撃が放たれ、なのはさんとフェイトで同時に砲撃を叩きこみ、なのはさんの誘導弾に隠れてフェイトが二人に肉薄した。
しかしどれも決定打とはなりえず、戦いは熾烈を極めて行く。

やがて、先にトドメの一撃に手をかけたのはキャリアで勝る凛達の方だった。
「『――――工程完了(ロールアウト)。全投影(バレット)、待機(クリア)。
――――停止解凍(フリーズアウト)、全投影連続層写(ソードバレルフルオープン)!!』」
多種多様な武器が、二人を覆い包むように流星と化して降っていく。
避ける隙間なしと判断した二人は、それを渾身の防御魔法で防ぐ。
もし、フェイトの足に凛のバインドがかかっていなければ……避ける事もできたろうに。

だがそれだけでは終わらず、さらに凛が動く。
「『Herausziehen(属性抽出)―――Konvergenz(収束、)Multiplikation.(相乗)!!
―――――Rotten(穿て) Sie es aus(虹の咆哮)!!!』」
オリジナルのそれにどこまで迫るのかはわからないが、凛渾身の一撃が放たれた。

しかし直撃する寸前、二人の声が轟く。
「ディバイ―――ン…バスタ――――!!」
「プラズマ…スマッシャ――――!!」
二人それぞれの得意砲撃。それらは一瞬凛の一撃と拮抗し、やがて押し返した。

元より、単純なスペックでは二人の方が有利なのだ。
正面きっての威力の測り合いとなれば、当然勝つのは二人の方。
如何にしっかりとした準備の下で先に渾身の一撃を放ったとしても、二人同時となれば敗北は必定。
凛と士郎は飛び跳ねるようにその場を離れ、そこを二色の砲撃が通り過ぎる。

だが、当然これだけで終わるはずもなし。
砲撃の余波に煽られ、二人の大勢がわずかに崩れたのを見計らい、フェイト達も詰めに入る。
「フィールド形成、発動準備完了! いけるよね、なのは!」
「うん、フェイトちゃん! N&F中距離殲滅コンビネーション、空間攻撃ブラストカラミティ!」
二人が並んで愛機を構え、その前面に巨大な魔力の塊が生じた。
それは加速度的に大きくなり、その威力を容易に想像させる。

だが、勝敗を決するであろう場面の最中にもかかわらず、フェイト達は凛達に告げた。
自分達の気持ち、友達への想い、そして…………彼女達なりの覚悟を。
「確かに、わたし達は二人の事を全然知らないのかもしれない。もしかしたら、あなた達の言うような日が来るのかもしれない。それこそ、わたし達には想像もできない酷い事も……。
だけど、それでもわたしは二人と出会えた事だけは後悔しない!」
「それに、仮に何かあっても……それはきっと凛ちゃん達のせいじゃないよ。何かが起こったとすれば、それはそれを『起こした人』の責任。凛ちゃん達が『起こした』わけでもない事に罪の意識を感じるのはおかしいし、凛ちゃん達はそういう事を『起こす人』でもない。だから、その事で凛ちゃん達を責めるのは間違ってる。
 何より、それを避ける為に仲間外れにされる方が、わたしは嫌だ!」
「もしその時が来たら、わたし達がシロウ達を守る。シロウ達だけで無理なら、わたし達が力になる。今は力が足らなくても、いつかきっと……出来るようになって見せる。だって、わたし達は……」
「「友達だから!!」」
確かに、そうなれば凛達がフェイト達を遠ざける理由の一端は無くなるだろう。
同時に、精神リンク越しに凛の心が揺れたような感触を感じた。

だがそれは、間違いなく茨の道。
それを誰よりも知っているからこそ、二人はフェイト達の言葉を斬って捨てる。
「……下らん。ああ、確かに君達の言葉は美しかろう。まるで湖面に写る銀月の様だ」
「でも、所詮はそれだけ。どれほど綺麗でも石一つ、波紋一つで容易く揺らぐ脆く儚い幻想に過ぎない。
生憎、そんなモノにつきあうほど酔狂じゃないわ」
冷酷に言葉を紡ぎながら、二人もまたフェイト達を討つべく崩れた態勢を立て直し動きだしていた。
士郎は無数の剣を背後に滞空させ、凛もまた有りっ丈の魔力をその手に宿す。
それはこれまでと違う、倒す為ではない本当に“敵を討つ”為の攻撃である事は誰の目からも明らかだ。

しかし、それを目の当たりにし、自分達の言葉を否定されたフェイト達は動じてはいなかった。
「確かに、わたし達の言葉は子どもの幻想なのかもしれない。
だけど、水に写った月は揺らいでも絶対に消えないし、何より月はその程度じゃ小揺るぎもしないよ」
「なら、それは儚くもなければ脆くもない。揺らいでもそこにあり続ける、堅牢な幻想だ。
 それを――――――証明してみせる!」
言葉だけではなく、その幻想に相応しいだけの力を示す。
そう宣言し、二人の揺るぎない意志を宿した瞳が眼前の敵を射抜く。

そして、凛達が最後の一撃を放つより刹那早く……
「全力全開!」
「疾風迅雷!」
「「ブラスト・シュ―――――――――――――ト!!!」
二人から放たれた巨大な魔力の塊が、凛と士郎を襲う。
凛達は放ったあらゆる攻撃諸共呑みこまれ、跡形もなく消え失せる。

だが呑まれる瞬間、二人がフェイト達を褒め称える様に笑っていた様に見えた。
まるで、フェイト達の言葉と力を認めたかのように。

そうして、ここに決着はついた。言葉の通り、二人はその想いに相応しい力を示せたと思いたい。
「それにしても、いざとなれば手を出す気でしたが、それは無粋だったようですね。
まあ、結果的に手を出さなかったのだし、それで良しと……」
そこで、まだ事が終わっていない事に気付く。

確かに、二人は思念体を倒した。だが、それで終わったわけではなかった。
おそらく、二人はこの土地に何かを仕込んでいたのだろう。
庭の一角がうっすらと光を宿し、今にも何かが破裂しそうに見える。
それはまるで、地の奥底で何かが爆発しようとしているかのよう。

それを視認した瞬間、考えるより先に体が動いていた。
手に持ったそれを構え、あらかじめ込められていた魔力とその真の力を開放すべく、その名を叫ぶ。
「間に合ってください! ――――『轟く五星(ブリューナク)!!!』」
この手から放たれると同時にそれは五本の光条へと変化し、鈍い光を宿す大地に突き刺さる。
轟音と閃光、その後に残ったのは生々しい五つのクレーターだけ。
爆発しそうな雰囲気は、既に跡形もなく消え去っていた。

それはまさに一瞬の出来事。
だが、使ってみて改めてその出鱈目さを理解する。
なるほど、凛達が秘密を知られる事を恐れるわけですね。

フェイト達の方を見れば、疲弊した二人は互いに背を預ける様にへたり込んでいた。
かなりハードな夜でしたからね、無理もありませんか。
まだ残敵はいるでしょうが、後は大人に任せて休みなさい。
本来、もうあなた達は寝ていなければならない時間なのですから。



SIDE-凛

やれやれ、一悶着あったみたいだけど、向こうも何とかなったか。
念のため、リニスにアレを持たせていって正解だったわ。
リンクした視覚から見えた光景には肝が冷えたけど、二人が無事で何より。
それにしもて、地脈の暴走とは……けったいな事を考えていたものだ。
中途半端な状態じゃなかったら、ブリューナクでもヤバかったかもね。

ま、結局は無事に済んだんだし、それで良しとしよう。
他の所も残すは雑魚の掃除だけの様子。
なら、後はリンディさん達に任せてしまって良いだろう。

だがそこで、唐突にアイリスフィールがこんな事を聞いてくる。
「どうして、あなたは笑っているの?」
「は?」
そう間の抜けた声が漏れ、思わず自分の頬に手をやる。
そこで気付く、この頬がまるで自嘲するように僅かに吊り上っていた事に。

理由はわかっている。
正直、二人の言葉にはグッとくるものがあったのは認めよう。
別にそこまで特別な言葉だったとは思わないけど、それでも心に響いたのは事実。
特別な言葉でなくても、真摯な人の声は十分に心を揺らしてくれる。
知っていたつもりだったが、長く人の暗部を見過ぎていたらしい。そんな簡単な事を、失念していた。

だから、アイリスフィールに対してはあえてこう返す。
「なんでもないわ。ただ、少し自分の傲慢さに呆れただけよ」
そう、傲慢だ。私は、一体何様のつもりだったのかな。
あの子達は、一度でも私達に助けを求めただろうか。一度でも「守ってくれ」と言っただろうか。

答えは……否。そんな事は一言も言っていない。
あの子達はいつだって、私達に並ぶ事だけを目指していた。
守ってやるだの、巻き込んでしまうだの、何を偉そうな事を考えていたのだろう。

確かにあの子達の言う通りだ。人間、運の悪い奴は普通にしてたって死ぬ時は死ぬ。そして、その逆も同様だ。
私達の近くにいれば巻き込まれる可能性はあるが、絶対じゃない。
仮に巻き込まれても、それを乗り越えられるだけの強さがあれば問題ない。
どうして、そう考えようとしなかったのか。

確かに『甘い』としか言いようのない考えだ。
だが、私自身悲観的な考えに囚われていたともいえる。

それはきっと…………私があの子達を信じていなかったという事なのだろう。
信じているつもりで、実は全然信じていなかったのだ。上から目線で、侮っていた。
まったく、わかっていたつもりだったが……思っていた以上に私は傲慢だ。
ここまで来ると、もう笑うしかない。

それに、そもそも人間関係とは一人では成り立たない。相手がいてこそ関係は成り立つ。
つまり、私や士郎だけで悶々と考えても、そんなモノは独りよがりの独善に過ぎない。
相手の意思と決断なくして、勝手に決めていい道理があるものか。

聞くべきじゃないとか、知らない方が幸せとか、そんなのはこっちの身勝手だ。
あの子達には聞く権利があり、私達には話す義務がある。もう、巻き込んでしまった後なのだから。

もちろん、聞いた後それを受け入れるか拒絶するかはあの子達次第。
踏み込むも退くも自由。あの子達の人生を、私達が決めていい筈がない。

退くと言うのなら、出来る限りの事はしよう。
私達に関する記憶の消去、それによって生じるであろう記憶の矛盾の調整、その他諸々。
望まぬ者を巻き込んでしまった責任は、ちゃんと取る。

だが、もし踏み込むと言うのならその時は、精々思いきり巻き込んでやればいい。
それこそが、あの子達への信頼の証に他ならない。
それに、あの子達が味方になってくれると言うのなら、正直心強い。
今は……そう思える。

あの子達に邪念がなくて、心根が真っ直ぐな事はよく知っているしね。
そんなあの子達に命を預けると言うのも……悪くないか。
そしてその基準は力の有無ではなく、強弱でもない。私達があの子達を頼れるか否か、それが全て。
むしろなのはとかフェイトより、アリサを味方につけた方が有難いかもしれないくらい。

「なら、あの子達に委ねてみるのも一興か」
どうやら、私は勝手に背負いこみ過ぎていたようだ。過保護どころの話じゃないわね、これは。
あの子達からしてもいい迷惑だったろう。

そう、あの子達の人生はあの子達に自身に決めさせればいい。
何を選ぶもあの子達の自由。だって、あの子達は私の所有物ではないのだから。

そうして私は、リニスにある伝言を委ねる。
明日、午前中はゆっくりと体を休め、正午過ぎにうちに来るように。
もちろんなのはとフェイトだけでなく、すずかとアリサも。
ユーノとアルフは……どうしようかな? まあ、チャンスくらいはあってもいいのかもしれない。
二人はなのはとフェイトのパートナーだし、そこまでならギリギリ許容範囲だ。
そして、そこでアイリスフィールやはやてと一緒に教えよう。私達の事を……。

その先の事は、あの子達の決断に委ねる。
巻き込んでしまった私達には、もう「話さない」権利はない。
少なくとも、あの子達に選択の機会を与える義務がある。

何より、知ってもらうのも悪くないと思わされちゃったしね……。
そっちの責任くらいは、取ってもらわないと。






あとがき

さて、一応これで闇の欠片事件は終わりです。
なんか、大分変則的になってしまいましたが……。
元はそんなモノはないという前提の下で組んだプロットですからね。PSPを知って、慌てて作り直したりしました……っていうのも嘘ですけど。
正確には、45話の次から暴露話に突入するつもりだったんですが、もうワンクッション必要かもという結論に至り、でっち上げたような話です。

まあ、闇の欠片事件に難儀したのは本当ですけどね。凛達の厄介事に巻き込みたかったのですが、それにはこれに絡ませるしかなくなりましたから。
暴露を先延ばしにするという案もあったのですが、それだとなんかタイミングを逸しそうで……。
結局、こういう形になっちゃったと言うわけですね。

そして、なのは達を遠ざける無意味さを知ったのが今回の騒動です。
まあ、言ってる内容の全てが事実とは限りませんよ。そんな可能性もある、くらいの認識が妥当です。
しかし、とりあえずこれで凛達の口を重くさせていた原因の一つがまた取り払われました。
いや、取り払ったと言うよりも意味を為さなくなったと言うのが正しいですけど。

そもそも、凛が口を噤んでいたのは「保身」と「巻き込まない為」の二本柱が理由でした。
しかし、リンディの推理と今回ので「巻き込まない」が無意味になり、「保身」はやりようはあると言う事でなのは達に限定すればあまり意味を為さなくなってます。
また、いつまでも孤立無援っていうわけにもいきませんから、味方につけると言う意味では彼女達は最良の選択肢でしょう。存在を知られていないならともかく、知られてしまった以上味方は必須だと思います。
一応記憶を消去すると言う選択肢もあるのですが、それもあまり現実的ではありませんしね。
ほら、凛達の記憶だけ消しても、ジュエルシードや闇の書の記憶を消すわけにはいかない以上、どうしても無理が生じるんですよ。何がきっかけで記憶が戻るかわかりませんし、実はあまりやる意味がありません。
などなど色々と理由はあるんですが、結局はなのは達の言葉にちょこっと心を動かされたのが決め手だったり……。人の闇とかばっかり見てきた身としては、ああ言う裏表のない真っ直ぐな感情と言葉が一番くる筈です。

そんなわけで、次からは一応なのは達への暴露となります、やっとですね。
正直、腹の探り合いばかりしているといっこうに話しが進まないんですよ。
時には多少強引でも話しを進めないと、それこそ話しが止まってしまいますから。
あんまり引っ張り過ぎてもくどくなりますし……。

それと、次回からは本当の意味での暴露大会になります。
それに伴い、ちょっと違う作風にチャレンジしてみるつもりです。まあつまり、これまでの様な特定の誰かの視点ではなく、第三者視点からの描写にチャレンジしようかと思います。
実際には、逆月の方で実験的に少しやってるんですけどね。

とはいえ、これまでの様な一人からの視点で書いていくと、上手い事他の人達の気持ちの描写が出来なさそうなんですよ。
まあ、そっちにしたからと言って思うようにできるとも限りませんが、やるだけやってみるつもりでいます。
そんなわけで、次回はちょいと違う作風になる筈です。当然、不慣れなので何かと不備やおかしなところも出るでしょう。それらのご指摘ご指導も含めて、よろしくお願いします。


P.S
あと二ヶ月でReds連載二周年を迎えます。せっかくなので、今年も企画の様なものをやろうと思います。
前回は、「読み専門の人もいるし、そういったことはやらない方がいいのではないか」といったご意見も頂いたのですが、懲りずにリクエストを募集しようかと思います。
最近、少々モチベーションが下降線を描きつつあるので、他の方のアイディアを聞いて刺激になればいいなぁと思うんですよ。今回はあまり縛りを設けたりはせず、「とりあえずこんなのどうよ」と思ったものがあればドンドン送ってください。
一応締め切りとしては、ちょうど連載二周年一ヶ月前の9月29日にします。つまり、これから一ヶ月半ほど募集し、残り一ヶ月の間で執筆して二周年を迎えたときにでもお披露目するつもりです。まあ、実際にそう都合よくいくとは限らないんですけどね。とりあえず、それを目標にするつもりですので、どんな些細なものでもよいので、ご意見をお寄せいただければ幸いです。
あと、一応私のメールアドレスを「まえがき」と48話に出しておきますので、感想掲示板に書き込むことに気が進まない方はそちらをご利用ください。



[4610] 第49話「選択の刻」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2010/09/29 19:36

SIDE-フェイト

今日は、「闇の欠片事件」が一応の終結を見た翌日。
事件のあった夜、リニスを通して凛から告げられたのは遠坂邸への招待。
何を話してくれるかはわからない。だけど、きっとわたし達の知りたい事を話してくれるはずだ。

…………そう、凛を信じたい。
まだわたしの中には凛への不信感が残っている。
でも同時に「きっと話してくれる」と縋っている自分もいた。

いや、今わたしが本当に考えている事はその事じゃない。
今わたしの頭を埋め尽くしているのはもっと別の事。同時にそれは、ここ数日ずっと考えていた事。
でも、今のわたしには納得のいく答えは出せていない。

そうしてわたしは、今日も自室の窓から空を見上げていた。
「……………今日は、晴れるかな?」
呟いた言葉に特に意味はない。ただ何となく、雲で覆われた空を寂しく感じただけ。
太陽も、青空も……なにもかも閉ざされた空は、まさに今のわたしの心そのものだ。

でも考えてみると、こうして空を見上げながら考え事をする時間が増えた気がする。
特に、凛とあんな事があってからはほぼ毎日だろう。



そこで、ふと少し前の会話を思い出す。
部屋にこもるわたしを心配したのか、誰かが部屋の扉をノックした。
「フェイト、ちょっと良いかい?」
「アルフ? うん、開いてるから入っていいよ」
応えると、アルフが部屋へと入ってくる。
でもその顔には何処か影があり、普段の闊達さは見られない。

「何を考えてるんだい? もう何日もそうやってるだろ、クロノもエイミィも心配してるよ」
「あ、ごめんね」
「謝らなくていいよ。あたし達が好きで心配してるだけなんだから。
……でもさ、そうしてるのはやっぱり…士郎達が隠し事してるからなのかい?」
アルフは窺うように、だけど単刀直入にそう尋ねる。でも、厳密に言うとそれは違う。
ただ、わたしとしても自分の中にあるものが雲を掴むような問いなせいもあり、即答できない。

そうしてわたしが少しだけ考えていたら、アルフは別の意味で取ったのか少し声を荒げて言った。
「……そりゃあさ、隠し事があるのは仕方ないってあたしも思う。でも、フェイトもなのはも……ううん、みんなこんなに心配してるのにちゃんと説明しようとしないなんて、絶対におかしいよ!」
「違うよ、アルフ。たぶん、二人が隠すからにはそれだけの理由があるんだと思う」
「じゃあ、フェイトは納得してるって言うのかい」
「そうじゃないよ。わたしだって、ちゃんと教えて欲しい。教えられないって言われた時は、勝手かもしれないけど『裏切られた』みたいにも思った。わたしはこんなに二人の事を心配して、信じてるのに、どうして教えてくれないんだろうって。凛達はわたし達の事なんて、実は全然信じてくれてなかったんじゃなかったってね。
それは今でもそう思うし、寂しくて、悲しくて……やっぱり怒ってる」
それは、母さんに拒絶された時にも似た感情。あの時は茫然自失してしまったけど、今は逆にそうならなかったからこそ色々な気持ちが渦巻いた。
そして、何よりもわたしは凛に嫉妬してる。わたしが知らないシロウを知っていて、それを自分だけのものにする凛に。それが身勝手な感情だって言うのはわかってるけど、同時にそれを抑える事も出来ない。
何か理由があるんだろうっていうのはわかるけど、やっぱり納得がいかない。

そんな気持ちの深い部分を隠し、出来る限り心配させないように笑う。
だけど、アルフの表情を見る限り失敗したらしい。やっぱりアルフには隠せないや。

しかし、その事をアルフが言う前に少し強引だけど話しを進める。
「でもね、今考えているのはその事じゃないの」
「じゃあ、なんなのさ」
「……シロウの事、かな」
「なんか、ハッキリしないね」
「うん、何て言ったらいいのかな…今更だけど、わたしはシロウのどこを好きになったのかなって……」
そう、それがここ数日の疑問。シロウ達の秘密も当然気になるけど、いくら考えてもわたしには答えが出なかった。だけど、そうしてシロウ達の事を考えているうちに、いつからかこの疑問に気付いたんだ。

はじめは、シロウへの不満とかから来た疑問なのかと思った。「なんであんな人を好きになったんだろう」って。
いや、多分そうなんだろう。だけど、きっかけはそれでも今は違う。
上手く言葉にはできないけど、何となくその事を考えていたら答えが出なかった。
感情なんてそんなものかもしれない。だけど、その事が頭から離れなくなった。

そんなわたしの言葉に意表をつかれたのか、アルフは何とも曖昧な表情を浮かべる。
「それって、どういう……」
「好きっていうのはわかるんだけどね、じゃあどこが好きなのか、何で好きなのか、うまく言葉にできないんだ。
好きになったって事に引っ張られ過ぎて、舞い上がってたのかな?」
シロウへの想いは、アリシアの記憶とは関係ないわたしだけの気持ち。
だからこそ、それはどんな綺麗な宝石にも勝る宝物の一つ。
その事に少なからず舞い上がり、自分の胸の内にあるモノを把握できていなかったのかもしれない。
実際、自分だけの感情なんだという事実は、わたしにとってとても重大な意味があったから。

「やっぱり優しくしてくれたり、色々気にかけてくれたからじゃ……」
「うん、わたしもそう思った。もちろん、そんな優しさとかはシロウの魅力だと思う。わたしも、士郎のそういう所が好きだから。だけど、それならクロノ達も同じだよ」
まあ、そんな簡単に比較できるものじゃないって事位はわかってるつもり。
それに、単純にアルフやリニス以外で初めて支えてくれた人だから、っていうのもあるのかもしれない。

だけど……
「なんだか、それだけだとしっくりこないんだよね。もっと、他に何かある気がするんだ」
そう、自分自身に問いかける様に掌を見る。そこに答えがあるわけじゃないけど、掴めそうなのに掴めない答えを求めて見てしまう。

「フェイトは頭が良いから、理屈で考えすぎなんじゃない?」
「そんな事は、ないと思うんだけど……」
でも、アルフの言ってる事は多分正しいんだと思う。なんて言うか、わたしはアレコレ理屈で考えすぎる方な気はするから。だけど、やっぱり何処か腑に落ちないしこりみたいなものが、胸の奥につかえてしまう。

だから、確認するように眼を閉じシロウの事を思い出す。
色々な事を思い出すけど、最初に思い出すのはいつも決まっている。
「憶えてる、アルフ。わたしが母さんに真実を聞かされた時の事」
「あ、ああ。憶えてる……って言うか、忘れられないよ。
あの時のフェイトは生気の欠片もなくて、ホントに心配したっけ」
「……ごめんね、心配かけて。
だけどね、シロウの事を思い出そうとすると、いつもあの時の事を思い出すんだ」
「それって、士郎が助けられなかった大切な人の話かい?」
「ううん。わたしが思い出すのは、いつもシロウのあの背中なんだ」
あの時、言える事は全て言ったとばかりに傷だらけの体で立ちあがって向けた背中。
その姿が、アレから半年たった今でも鮮明に思い出せる。
他の記憶にしても、どうしても背中を思い出す事が圧倒的に多い。
言い様のない寂しさと、遠い何かを見るような感覚と共に。

「ふ~ん……もしかして、そこに答えがあるって事?」
「わからない。だけど、そんな気がする」
何回も反芻して考えてきたけど、いくら考えても答えは出なかった。
もしシロウ達の話を聞けたら、その答えが出せるのかな。



これが少し前にかわされた会話。
もちろん、昨日あの人達が言っていた事も気になる。
だけど、答えはあの夜に出した。「絶対に二人を見捨てない」って決めたんだ。
だから、受け止める覚悟はある。二人の真実も、自分の気持ちの出所も。

そう……あるつもりだった。
シロウ達の秘める真実が、どんなものか知らなかったから。



第49話「選択の刻」



待ち合わせ場所で合流したなのは達は、遠坂邸に向けて歩いていた。
集まった人間は、今回の話の重要人物であるアイリスフィールをはじめとした八神家一同の他に、なのはやフェイト、すずかとアリサ、そしてアルフとユーノもいる。
これが、凛達が秘密を話す上での限界という事だろう。

だが、それだけというわけでもない。
管理局……いや、この場合はリンディやレティというべきかもしれないが、彼女らはこの件について深入りする気はなかった。彼女らにとって重要なのは、凛と士郎が預言の人物の最有力候補であるという確信だけ。
それ以上先は、「知っておければいい」程度に過ぎず、無理をして知らねばならない事でもない。

また、月村忍も凛達との関係を一種のビジネス或いは協定とみているだけに、やはり無理に知ろうとは思わない。
彼女には凛達がひた隠す秘密の存在を許容できるのだ。
あるいは、その一種の緊張感を孕んだ関係を楽しんでいるのかもしれない。
故に、集められたのは知らないままではいられない子どもたちと、知らねばならない八神家一同だけとも言える。



そうして集った面々の表情は一様に硬く、特に八神家のそれは顕著だ。
しかし、それも無理はないだろう。彼女らは少なからずこれから語られるであろう真実を知っている。だからこそ、さらなる真実に緊張を覚えずにはいられない。
そこで重苦しい空気に耐えられなくなったのか、アリサがアイリに向けて話しかける。

「えっと、アイリスフィールさんは……」
「あ、私の事はアイリでいいわ。アイリスフィールじゃ長くて面倒でしょ?」
「は…はい。それじゃアイリさんも、魔術師ってやつなんですか?」
「そうね、厳密に言うと違うんだけど、そう思ってもらっていいわ」
『?』

そんなアイリの返答に、八神家以外の全員が頭に疑問符を浮かべて首をかしげる。
彼女らは知らない事だが、ホムンクルスであるアイリは生まれてから魔術を習ったわけではない。
正しくは、“生まれつき”魔術を修得していると言うべきだろう。
ホムンクルスは内面外見の双方において、完成された状態で生まれてくるが故に。

「あの、お体の方は大丈夫なんですか? ずっと眠っていたって、はやてちゃんから聞きましたけど」
「ありがとう、すずかさん。でも、ちゃんと休んだからもう大丈夫よ」
「そう……ですか」

実際には、まだその顔色は良いとは言い難い。
それに他の面々も気付いただろうが、同時にその顔に浮かぶ決意から何も言えなかった。
アイリはすでに決然たる意志を持ってこの場に臨んでいる。
最早、誰が何を言った所で引き返しはしないだろうと、誰もが悟った。

そこで再び会話は途絶え、やがて彼らは遠坂邸の門前にたどり着く。
そして出迎えの為だろう、門前にはリニスが立っていた。

「あ、リニスさん。おはようございます」
「リニス、おはよう」
『おはよう(ございます)』
「ハイ、おはようございます、みなさん。本日は急な呼び出しにもかかわらず、よくぞおいで下さいました」

なのは・フェイトと続いて全員が挨拶すると、それにリニスは丁寧に答える。
しかし、リニスという人物を良く知るフェイトやアルフなどは、その様子に一抹の違和感を覚えた。
その様子はどこか堅く、伏せられた眼の奥には鋭い光がある。
だが、その事を二人が問う前にリニスはゆっくりと口を開いた。

「本来ならすぐにでもお通しすべきなのでしょうが、一つだけ確認させていただきたい事があります。
 みなさん、真実を知る覚悟はおありですね」
「何を言ってるの、リニス」
「本来私が口にするべき事ではないのでしょうが、僭越ながら申し上げます。
 聞かなかった方が良かった、そう思うかもしれませんよ」

リニスの声は静かで、それ故に重く皆の体にのしかかる。
同時に全員が悟った。おそらくリニスは、一足先にこれから語られるであろう事を知ったのだ、と。
しかしそこで、リニスの目が硬い表情を浮かべるアイリに向けられる。

「……ええ、覚悟はあります。私は全てを知り、受け止めるために来たのだから」
「そうですか。それは、立派だと思います」

そのリニスの言葉に、守護騎士やはやてはどこか悲しげな表情を浮かべる。
彼女の言う全てが何を指しているのか、断片的とはいえその意味を知っているからこそ。
もちろん、それを知らないなのはやフェイトなどといった面々は首を傾げる。
しかし、アイリだけはリニスの言葉に含まれたわずかな含みに気付く。

「なにか、仰りたい事でもあるのですか?」
「…………先日まで、私はあなたに対し何処か憐憫に似た感情を抱いていました」

アイリの問いに、リニスはまずそう答える。
それは、我が子と夫を失った彼女の心の傷と痛みを察してのものだったのだろう。
だがそれは同時に、今はそう感じていないと言う事だ。

「ですが、今私はあなたに対し、憤りの様なものを抱いています」
『え!?』

拳を固く握りしめるリニスは、敵意の様なものの籠った瞳でそう告げる。
その言葉は、アイリに限らずその場の全員を驚愕させるには十分過ぎた。
そして、その言葉の不穏さに守護騎士達は身構え、他の面々は体を強張らせる。
臨戦態勢一歩手前、そんな空気が場を満たす。しかし、そんな空気を無視してリニスは言葉を重ねていく。

「娘さんや旦那さんの事を思えば、あなたに対しこんな事を言うべきではないと承知しています。
 士郎もまた、過去の事を引きずっても恨んでもいないでしょう。
 それでも、私はあなた方が引き起こした事態にそう感じざるを得ません」

絞り出すように紡がれた言葉に、全員が息を飲む。
同時に、なぜそこで士郎の名が出てくるのかがわからずに困惑する。
特に、士郎と切嗣やイリヤの関係を一応とはいえ知る八神家の面々は、その困惑が深い。

「あなたは先程、全てを知り受け止める覚悟はある、と仰りましたね」
「え、ええ」
「なら、もう一つ覚悟しておいてください。
あなたに失ったものがあるのと同様に、士郎もまたあなた方によって奪われたものがある。
 あなたは士郎から全てを奪った一人、その事を知る覚悟を持って下さい」

全てを奪った、その剣呑な一言が場を支配する。
彼らの関係をまるで知らないなのは達はもちろん、八神家の面々もまた意味がわからずに立ちつくす。
それも無理はない。なにせ、はやて達は切嗣とイリヤの死に際を聞かされるのだと思っていたのだ。
なぜそこで、アイリが士郎から「全てを奪った」などと言われるのか、さっぱりわからないのは当然だろう。

「り、リニス。何を…言ってるの? アイリさんが士郎に何をしたっていうの……?」
「そのままの意味ですよ、フェイト。
彼女達があんなバカげた事をしなければ、士郎があんなにも擦り切れる事はなかったでしょう。
 ただ、それだけの事です。しかし、だからこそ……」

そう言いかけたところで、リニスの口が止まる。
同時に、リニスは館の方を振り仰ぎ二・三度首を縦に動かすと、ゆっくりと息をつく。
どうやら、念話で凛から何か言われたらしく、最後に小さく凛に向かって謝罪した。

「わかりました。確かに、私が勝手に話すべき事ではありませんでしたね。
差し出がましい真似をし、申し訳ありません」

どうやらそれで話はついた様で、先程までの険のある瞳はなりを潜め、リニスは再度フェイト達の方を向く。
どのようなやり取りがなされたかはわからないが、リニスの独断を制止した事だけは間違いない。
ただ、それでもなおアイリを見るリニスの瞳には、非難というには余りにも鋭く冷たい光が宿ったままだった。

同時に、アイリはリニスの言葉の意味を考える。自分達がやったバカな事、彼女には思い当たる節はあった。
該当するとすれば、聖杯戦争。士郎が第四次聖杯戦争で何かしらの被害を受けたであろう事を推測するのは、そう難しいことではない。いや、士郎とアイリの間に接点となりうるものがあるとすれば、それしかないのだ。
しかし、アイリに推測できたのはここまで。少なくとも、彼女が関与した事柄の中で聖杯戦争参加者以外に迷惑をかける様な事をした記憶が無かったからだ。
だがその考えそのものが、ある意味において的外れである事を彼女は知らない。士郎は聖杯戦争の“過程”ではなく、その“結果”として全てを失ったのだから。まあ、知らなくて当然と言えばそれまでだが。

「お見苦しい所をお見せしました。その事も含めて、凛達が全てを語るでしょう。
二人の過去にあった真実を知る覚悟がおありでしたら、ついてきて下さい」

リニスはそれだけ言って遠坂邸の門を開く。
だがそこで、未だに先程の様子から立ち直りきれていないフェイトとなのはがリニスに声をかける。

「あ、リニス……」
「リニスさん!」
「なのは、フェイトも。行こう」
「「ユーノ(君)……」」
「せやね、ここで何を言ってもたぶん意味はないんやと思う。
 わたしらは、ただリニスさんの言った通りに覚悟だけはしておこ」

ユーノが二人を止めると、はやてがそれに続く。
少なからずアイリから以前の世界の事を聞いているからか、彼女は他の皆よりかは冷静だった。
アイリ達がかつていた世界の魔術は、時に酷く酷薄である事を知識としてだけは知っていたからこそだろう。
しかし、その認識さえも甘かったという事を、じきに彼女らは知る事になる。



  *  *  *  *  *



そうして彼女らは遠坂邸の中へと招きいれられる。
リニスに案内され一際広い部屋へと通されると、そこにはソファに体を預けて瞑目する凛と、車イスに座る硬い表情をした士郎がいた。

数日ぶりの再会ではあるが、誰もが部屋を満たす空気に当てられ何も言えない。
同様に凛と士郎もなにも言わない。堅く口を閉ざし、重苦しい空気のみによって場は占められていた。
しかしいつまでもそうしてはいられない。リニスが促すと、各々緩慢な動作で席に着く。
あらかじめ用意していたのか、リニスが座った面々の前に紅茶を配していくと、やっと凛が口を開いた。

「さて、ここまで来たって事は聞く覚悟はあるとみなすけど、良いわね?」

迂闊に何も言えない空気もあってか、誰も声には出さずに首肯する。
その覚悟にどれだけ内実が伴っているかはわからないが、それを表に出す事に意味があるのだ。
今のは「引き返すなら今だぞ」という最後通牒であり、彼女らはそれを拒んだのだから。
ここから先は全て自己責任という事になる。少なくとも、凛はそういう認識で問うたのだろう。

「OK。それじゃあ……」
「まって、凛。それはつまり、この前の質問にちゃんと答えてくれるって事だよね」
「答えはイエスでありノーよ」
「どういう意味よ?」

フェイトの問いに、凛は曖昧な答え方をする。
それに対し、アリサは不満をあらわに眉間にしわを寄せながら問うた。
だが、凛は特に動じた様子も見せずに答える。

「別に私はあなた達の質問に答える気はない。私達は私達の真実を話すだけよ。
 ただ、その中にあなた達の質問の答えも含まれる、それだけの事」
「隠し事はしないってわけね」
「さあ、どうかしらね? 案外、まだまだ秘密はあるかもしれないわよ。
でも、今回のアンタ達は単なる傍聴者、とりあえず大人しく聞いてなさい。で、まずはこれね」
「凛ちゃん、これ何?」
「アイリスフィールならわかるでしょ?」

なのはの問いを、凛はそのままアイリに振る。
アイリは自分達の前に出された代物の意味を知るからこそ、しばらくそれを凝視し続けた。
仕方のない話だが、まさかこの場でこんなモノを出すとは思っていなかったのだろう。
少なくとも、自分や守護騎士はともかく、仲間であり友人でもある子ども達にまでそんなものを要求するとは思わなかったのだ。

「……自己強制証文(セルフギアス・スクロール)。最も容赦のない呪術契約の一種で、一度誓約したら最後、生涯これに縛られる。随分と仰々しい物を用意したのね。私はともかく、こんな子ども達にまで……」
「これから話すのはそれだけのモノって事よ。内容は、私達は真実を話す。その代わり、アンタ達は絶対にそれを口外できない。それだけの物」

確かに、内容としては「それだけ」かもしれない。だがその実、そこに課せられる誓約の重さが尋常ではない。
なのは達も、理解できないなりにその重さを悟らざるを得ない言葉の重みを感じていた。
そこで、肝が据わっているのか、はやてが率先して羊皮紙を手に取り、フェイトとすずかもそれに続く。

「はぁ~…アイリに話しだけは聞いとったけど、なんや思ってた程ごっつくないんやね」
「これに、サインすれば……」
「士郎君達の事、ちゃんと教えてくれるんだよね」
「そうだけど、アンタ達その意味わかってる?」
「だって、別に他の人達に話さなければいいんだよね?」

凛の問いに、なのはは「なんて事ない」と言わんばかりに問い返す。
彼女からすれば、その程度の事はむしろ大前提という認識なのだ。
せっかく話してくれた秘密を、その信頼を裏切って他人に話すなど善良な彼女らにとってはあり得ないのだろう。
他の面々も同じなのか、一様にハッキリとした意思を以て首を縦に振った。ほんの僅かな例外を除いて。
しかし、凛からすればその僅かな例外を除いた面々の認識は「甘い」と映る。

「いいえ、やっぱりわかってない。いい? これはね、一度契約したらアンタ達の意思なんて関係ない。
 何があろうと、絶対に、一切の例外なく、アンタ達は私達の秘密を誰にも言えないのよ。
 それが何を意味するか、本当にわかってるとは思えないわね」
「なんだよそりゃ、あたしらがペラペラ話すとでも思ってんのかよ!」

凛の言葉に気分を害したのか、ヴィータが食って掛かる。
もちろんそれだけで済むはずもなく、他の面々もそれぞれに反応を示す。たとえば……。

「ちょっと凛! いくらなんでも、わたし達の事なめすぎなんじゃない!」
「あたしも同感だ。アンタらが慎重なのは今に始まった事じゃないけど、それでもさすがにこれは頭に来る!」

割と気性の激しい方であるアリサやアルフなどが、隠す事なく憤りを露わにする。
いや、それどころか元来大人しい性格のすずかやユーノでさえ不満げな表情を浮かべていた。

だが僅かな例外、アイリやシグナム、それにザフィーラなどはその表情が曇っている。
彼らはその言葉の意味を理解しているのだろう。
しかし、やはり大勢としては程度の差はあれ、憤りの感情が強いのも事実だ。
だがそこで、これまで沈黙を保っていた士郎が口を開く。

「落ち着いてくれ。凛も俺も、皆が俺達の秘密をそう簡単には話さないって事位わかってる。
 だけど事はそう単純じゃない。いいか、凛が言いたかったのは……」
「例え我らが口にしようとせずとも、衛宮達の秘密を知りたがる輩は出てくるかもしれない。
 その時の事を、お前達は言っているのだな」
「シグナム?」
「主はやて、あなたはまだ幼い。いえ、あなただけでなくテスタロッサや高町達もです。
故に世界の、人の残忍さをご存じでない。人の欲望の前では、時に人権などチリ同然に扱われる事を知らない。
それは決して罪ではありませんが、衛宮達はそれを知っているからこそ危惧しているのでしょう」

士郎の言葉を継ぐ形で、シグナムは重々しく語る。
やはり、彼女も途中から気付いていたのだ。士郎達が真に危惧しているのは、それを知る事で降りかかるかもしれない、友人達への災厄だ。そして、今口にしたのはその一例に過ぎない事を、彼女らは知らない。
無論、自分達の秘密と身の安全も決して軽視してはいないが、それでもだ。
そうして、一同の視線がシグナムに集まったところで、シグナムはシャマルに問う。

「シャマル、お前であればどうやって情報を引き出す」
「やり方は色々あるわ。まずは普通の尋問、それでだめなら拷問という手もあるし、或いは洗脳して自白させる事も出来る。他にも薬や人質、やろうと思えば手段なんて幾らでも考えられるわ。
 それこそ、直接脳をいじるっていう方法だってある。その場合、された人は廃人になるでしょうけど……」

シグナムの問いの意図を察し、シャマルはあえて特にえげつない方法を冷淡な表情で述べていく。
それは、まだ幼いなのは達に人の負の側面を見せると言う事だが、今はそれが必要な時だ。彼女もそう判断したのだろう。そして、シグナムはそのシャマルの言葉を静かに首肯し、再度口を開く。

「……分かりますか? 彼らが気にかけているのは、あなた方がそんな目に会うかもしれない可能性です。
そして、その時にあなた方はどれだけ非人道的な扱いを受けても、決して衛宮達の秘密をしゃべれない。
 話せてしまえば楽になるのに、それすら許されなくなるのです」

その言葉は「手段さえ選ばなければ自分でもその程度は思いつく」と言っている様に、皆には聞こえた。
その事に、シグナムと幾度も矛を交えたフェイトは驚きに眼を見開く。
彼女にとって、シグナムがそう言う発想をするという事自体が意外だったのだ。

確かに、シグナムは高潔にして誇り高く騎士道を重んじる実直な女性だ。
しかし、だからと言ってそれだけの人物でもない。
必要とあらば、そう言った事に考えをめぐらす事も出来る。
そして同じ様にザフィーラもまた、その先にある苦しみの一端を言葉にのせて子ども達に告げる。

「知らなければそうとしか言えません。あるいは、ただ衛宮達を恨むだけで済みます。
 しかし、知っていながらしゃべる事が出来ないと言う事は、あまりに酷かと……」

自分達の目の前にある薄っぺらい一枚の紙。
それがどれだけ重い選択を迫るものなのか、やっと彼女らはその一端を理解し、その重さに息を呑む。

「どうするかはアンタ達の自由よ。だから、良く考えて決めなさい」
「だが、無理にそんな事をする必要はない。手を出さなければ危険が降りかかる事もないだろう。
踏み込む事で得られるモノなんて、そのリスクに比べればあまりに少ない」

二人はそう言って、子ども達が答えを出すのを待つ。
士郎の場合、あえて逃げ道を用意して促す事でそれを選ぶ事への罪悪感を下げる意図もあったはずだ。
そして「契約しない」という選択をしたその時は、決して巻き込まない為の手を打つだろう。
だが、同時に凛はこう思ってもいた。

(ま、フェアじゃないって言えばそうなんだろうけど……。
 でも、記憶を消すだの縁を切るだの言ったら、この子達は絶対にサインする。それこそ…ね)

確かに、記憶を消す事を説明しないのは卑怯かもしれない。
だがその場合、なのは達はリスクを無視した選択をする。
それが明らかだからこそ、二人はこうするしかなかったのだ。

それを知ってか知らずか、守護騎士達も主たる少女を急かす事はしない。
ただ、彼女の決定を受け入れる、そんな決意の表れだ。
子ども達もまた、そんな周りの者達の意図を察してか性急に答えを出そうとはしなかった。
なのは達も、近くの者に相談すると言う素振りは見せず、ただ黙って自分の内に答えを探す。

おそらく、この時点で答えを出している者は一人、アイリだけだろう。
彼女だけは唯一、その全てを踏まえた上でサインする決意を固めていた。
彼女にとって夫と愛娘の結末を知る事には、それだけの価値がある。

そうしてどれだけの時間が経過しただろう。
やがて、子どもたちは散発的に各々顔を上げていく。
その眼には決意の光があり、お互いの意思を確認するように頷きを交わす。

「決まったのか?」
『うん』

士郎の問いに、皆がゆっくりと緊張した硬い声音で頷く。
そして、全員の意思を代表するようにユーノが口を開いた。

「サイン…するよ」
「良いんだな」
「うん。確かに、士郎の言う通りにした方がいいんだと思う。僕も、たぶん皆も、そんな目にあうのは怖い。もしそうなった時、この決定を後悔しない、なんて言いきれない。
 でもここで足踏みすれば、きっとこの溝は埋まらないし、距離も縮まらない。それどころか、決定的な決別になる気がする。そんなの…絶対に嫌なんだ、いつかするかもしれない後悔よりも。
だから、今一番誇れる方を選ぶよ。先の事なんて、わからないから」

そう言ってユーノは、何処か不安げに皆の顔を確認する。
すると、皆も同じ意見なのか、ユーノが口を閉じると同時に小さく或いは大きく首を縦に振った。
その顔には笑みがあり、どうやらユーノは彼女らの気持ちを不足なく伝えられたらしい。
だがそこで、そんな決意の言葉に対し凛は冷笑を浮かべる。野暮な事を、と思いながらも。

「今が良ければそれでいいなんて、随分とまた短絡的ね」
「そうかもしれない。でも、ユーノ君が言ったように先の事なんてわからないもん」
「せやけど、わかってる事もあるから」

凛の冷笑に、穏やかな顔でなのはとはやてはそう答える。
そこへすずかとアリサ、そしてフェイトがその言葉の後を引き継いだ。

「今ここでこの手を離しちゃったら、きっとわたし達は後悔すると思うんだ」
「それにね、アンタ達の言ってるのは結局未来の可能性でしょ? なら……」
「あるかどうかもわからない事より、今目の前にある確実な事を優先するのは当然だよ」

するかどうかもわからない後悔の為に、今後悔する事など選べない。
少女達はそう言い、アルフや守護騎士達は微笑を浮かべている。
その決定を誇っているのか、或いは呆れて笑うしかないのかは余人にはわからない。
だが、これは彼女達なりにちゃんと悩んで決めた事。ならば、誰が文句を言うものでもない。

しばしの間凛はなのは達を睨むが、誰もその眼を逸らさない。
結局、これ以上は何を言っても無駄と判断したのか、凛はため息をつきその表情から剣呑さがなくなった。

「わかったわ。それじゃこいつだけど……」

そこで凛は、改めて全員に見えるようにスクロールを持ち上げる。
そしてそれに両手を添え、勢いよくそれを――――破り捨てた。

ビィッ!!
『あ!?』

その突然の行動に、士郎とリニスを除く全員が驚きの声を上げる。
それも当然だろう。なにせ、さっきまで彼女らが真剣に睨み据えていた契約書が、無残にも破り捨てられたのだ。

「ちょ、アンタ何してんのよ!?」
「別に、アンタ達がそういう答えをするんならこんなのいらないわ。
 元からね、アンタ達みたいな子どもを縛る気なんてないんだから」

驚くアリサに向けて、凛はそう言って何度もそれを破りまくる。
そして、遂にはジグソーパズルよりも細かくなったそれを、今度は発火の魔術で焼却した。
いや、いっそ見事と言いたくなる程に後腐れない処分だ。
だが、しばし呆然としていたがやがてその意味を悟り、なのはがどんよりした眼で凛を睨む。

「つまり凛ちゃん、わたし達を試したの!?」
「ま、そういう事になるかな……ああ、はいはい、試すような真似して悪かった、御免なさい。
 謝るからそんなにむくれないでよね、一応考えがあってやったんだから」
「なのはちゃん、落ち着いて。凛ちゃん、それでなんなの、その考えって?」
「私達に関わるって事が、何を意味するのか。それを端的に、かつ分かり易い形で示す為に一芝居打っただけよ」

そう、元からなのは達にそんな誓約をさせる気はなかった。
ただ、この先も自分達に関わっていくつもりなら、そんな可能性は常に付きまとう。

しかし、それをただ言葉にしただけでは実感が湧き難い。
だからこそ一芝居打ち、プレッシャーをかけた上で問うたのだ。
悪趣味と言えなくもないが、彼女らのこれまでの人生を考えれば、それは知っておいてほしいと思う事だった。

とはいえ、できれば抑止力の危険にも言及したかったのが二人の本音。
だが、今その事に触れても現実味がないだろう
なにせ、自身が異物である事を説明する前に話しても意味がわかる筈がない。
故に、この点に関しては後回しにせざるを得なかった。

それに、重要なのは関わっていく事の危険を伝える事。
それさえ出来るなら、その内容そのものはさほど重要ではない。
どのみち、言葉をいくら重ねたところで伝えられる事には限度があるのだから。

そして、なのは達は良く考えた上でそれを背負うと決めたのだ。
衝動的な感情に流されたのではなく、今の彼女たちの想像力の及ぶ範囲で凛の言葉を噛みしめた。
ならば、これ以上凛から言う事はない。その事に、凛は小さく微笑みながら口を開く。

「でもま、どっかのバカみたいに即決せず、ちゃんと悩んでくれて一安心かな」
「悪かったな……」

凛の言葉が誰を指しているのかわからなかったなのは達だが、それに続く士郎の反応で一応は理解した。
なのは達はまだ知らない事だが、この男の命知らずっぷりは常軌を逸している。
そんなのと十年も付き合ってきた凛からすれば、ちゃんと悩んだなのは達の反応には安堵さえ覚えただろう。

「もちろん、これから話す事は秘密にしてもらうわよ。バレないに越した事はないしね。
 だけど、アンタ達が命をかける必要なんてないのよ。バレたらバレたで、その時には別の手を打つだけだしね。
ま、こんなのは心の税金もいいところなんだけど、諦めも付いたわ」

凛はそう言って肩を竦めるが、その顔には笑みがあった。
どうやら、そんな無駄で無意味で害悪にしかならない様な自分の言行に、呆れを通り越して可笑しさすら感じているようだ。もうなる様になれ、そんな捨て鉢な印象さえ見受けられる。

「さて、それじゃあそろそろ秘密の話を始めるとしましょうか」
『うん』

凛の言葉に、なのは達は引き締まった表情で静かに頷いた。
しかし、出だし早々に思いもよらぬ言葉が凛の口から放たれる。

「まず大前提から。私と士郎、それにアイリスフィールはこの世界の住人じゃない」
『へ?』
「それってつまり、凛達もフェイトと同じ次元世界の出身って事?」

凛の言葉になのは達は一瞬戸惑い間の抜けた声を洩らすが、いち早く復帰したアリサは首をかしげながら問う。
彼女にとって、違う世界の住人というのはそういう意味なのだ。
しかし、並行世界の存在を知るフェイトとなのはは別の反応を示す。

「もしかしてシロウ達って……」
「並行世界から来たって事…なの?」
「あ、なのはちゃん達は知らなかったんやね」
「はやては知って……って、アイリさんと一緒に住んでるんだから知ってるのは当然…なのかな。
 それに、だとするとシグナム達も?」
「まあ、そういう事になるんかな」

一応双方の間で合意は得られたようだが、まだ意味が良くわかっていないすずかとアリサにユーノが説明する。
並行世界の存在とその定義、それに並行世界へ干渉する事を可能にする第二魔法と呼ばれるものがあり、凛がその一端を行使できる事。
それらの事実を聞き、もう驚くのも面倒と言わんばかりに二人は溜息をつく。
そういうものがある、と受けいれてしまった方が楽であり勝ち組みなのだろうと悟ったらしい。
だがそこで、半年前の会話を思い出したユーノが口を開く。

「あれ? 確か凛は、並行世界への転移はできない筈じゃなかったっけ……」
「あ、そうそう! リンディさん達にもそう言ってたよね。もしかして、アレってウソだったの!?」

ユーノの言葉を聞き、なのはもその事を思い出す。
しかし、凛はそれを心外そうな表情で否定する。

「人聞きの悪い事言わないでよね、今でもできないんだから。でも、準備さえ整えばできない事はないの。
 私は並行世界に向けて穴をあけられる。あとはそれを押し広げて人が通れるレベルにすればいいんだから、やりようはあるわ……移動するだけならね」
「なんか含みがあるけど……それってどういう意味なの、シロウ?」
「つまり、移動するだけならできるがどこに飛ぶかわからないって事だ。
こんなのは到底転移とは言えないよ」

どちらかといえば、意図的に事故を引き起こしている、と言った方が正しい。
転移とは意図通りの場所に出てこそ。
完全運任せのその方法は、到底「転移」などという高尚な呼び名が使われるべきものではない。

「まあ、良いわ。次元世界と並行世界なんてわたしにとっては大差ないし、違いがあるとすれば行けるか行けないかってだけでしょ。で、アンタ達二人とアイリさんはこことはちょっと違う世界から来たって事ね」
「かなり乱暴な解釈だし、大差ないって発言には文句の一つも言いたいけど、まあその認識でいいわ」

アリサの大雑把過ぎる要訳に、凛は不満一杯な顔をする。
しかし、言っている内容自体はそう間違ってもいないだけに、強く言い返す事も出来なかったが……。
とそこへ、すずかが別の凛の言葉に反応を示した。

「でも、逆に言うとその準備が整ってなければできないって事だよね。どれ位かかるの?」
「良い質問よ、すずか。そうね、ちゃんとした設備がある状態で、たぶん数十年」
『うわぁ、それもう出来ないのと同じじゃん』
「うっさいわね、理論上だけじゃなくて一応実践できるんだから大違いよ!」

凛の答えに、全員が呆れを隠そうともせずにツッコミを入れる。
まあ、さすがに準備にそれだけの時間がかかるモノは出来ないのと大差ないだろう。
しかしそこで、なのはとフェイトがある疑問点に気付く。

「あれ? アイリさんはどうやってこっちに?」
「……わからないわ。気付いたらこっちにいたから、私もどういった経緯があったのかは……」
「凛は、わからないの?」
「さっぱりよ。まあ、仮説位は立てられるみたいだけど、今は整理できてないからまた今度って事で」
『???』

フェイトの問いに凛は意味深な答えだけを返す。
凛自身、まだ整理できていない情報が多いだけに仮説は立てられないのだろう。
しかし、事情を良くわかっていない面々は、頭に疑問符を浮かべる事しかできないのだった。
彼女らがあの幻の四日間の事を知るのは、まだ少し先の事。

「う~ん…でもさ、それなら別にそんな秘密にする程の事でもないんじゃないかい?」
「バカ言わないでよ。並行世界の転移をまがりなりにも可能にしたんですもの、調べたがる連中が出てきてもおかしくない。他にも肉体に受ける影響とか、私達自身を調べたがる連中も出てくる事も予想されるわ。言うまでもないけど、実験動物にされるのは断固お断りよ」

その点に関しては全くと言っていい程興味がないらしいアルフの言葉に、凛は憮然として答える。
少なくとも、真っ当な魔術師であればバラバラに解体してでも調べたがる連中は掃いて捨てる程いるだろう。
そして、こちらでも同じ事をしたがる連中がいるかもしれない。それが問題なのだ。
フェイトやすずかなどは、自分自身の体の事があるだけに少しその気持ちがわかるらしく、その表情は硬い。

「それに、実際に影響が出てるんだから尚更だな」
「え? それって……」
「フェイトの考えている事はわかる。確かに、この間の俺の術の暴走もその一端の可能性はある。
 だけど、もっと目に見える形で影響は出てるんだ」
「見たところ、これといっておかしな所はなさそうだけど……」
「そう思うか?」

どこもおかしな所はないと言うユーノに、士郎は意地の悪い笑みを浮かべる。
おそらく、知ればほぼ全ての人間の度肝を抜くだろう。
なにせ結果が結果だ。普通、想像もしない様な出来事の筈。

「そうね……シャマル、私達の年齢ってどれ位に見える?」
「え? はやてちゃんと同じ位に見えますから、九歳位じゃありませんか?」
「残念、大ハズレ」
「え? じゃあ、凛ちゃんと士郎君って今いくつなん? クロノ君位?」
「まあ、アイツも年の割に背が低くて幼い感じだからそう思うのも無理はないけど、俺たちはその比じゃないぞ」
「いいから、もったいぶらないで教えなさいよ!」
「……二十七だ。つまりお前達のほぼ三倍で、クロノより一回り以上年上だ」
『…………ウソォォォ―――――!!!』

しばしの沈黙、そして絶叫。まあ、それは当然だろう。
今までずっと同い年だと思っていた人間が、唐突に三倍の年齢だと知らされれば誰でも驚く。

「冗談みたいなホントの話よ。気付いたらこのサイズになってたんだから」
「こっちに来て最初に難儀したのが、住居でもなければ食糧でもなく、衣服ってのは情けなかったけどな」
「衣食住のうち食と住はともかく、衣だけは大丈夫だと思ってたから尚更ね」

『アハハハハハハハ』と軽快に、だが何処か虚ろな雰囲気で笑う二人。
まあ、気付いた時には子どもでした、なんて言うのはブラックジョークにも限度がある。
とはいえ、さすがにある程度予想していたアイリや守護騎士達はそれ程でもない。

「やはりそうだったのか」
「ああ、そういやそんな話してたっけな」
「えっと…シグナムさんとヴィータちゃん、知ってたの?」
「別に知ってったってわけでもないけどな。ただ、あいつらの技術とか経験が妙にアンバランスだからよ」
「魔術的な手法で若返りか肉体年齢の停滞をしているかもしれないと、アイリスフィールから伺っていたのだ」
「でも、まさかそんな理由があったなんて思いませんでしたけど……」
「だが、それならば二人が隠したがったのも頷ける。これ程までに肉体に影響が出ていては、な」

最期にシャマルとザフィーラが考察し、二人が必死になって隠したがった理由を理解する。
それこそ、最悪の手段に訴える者が出てきても不思議ではない。
とはいえ、それでもさすがに他の面々はすぐには飲み込めず、そんな二人を凝視し続けていた。

「ま、信じられないのも当然か。はい、これ」
「何、これ?」
「いいから見なさいって」

凛はそう言って、なのはに一枚の写真を押しつける。
周りの面々も集まってきて、覗き込むようにしてその写真を見た。

そこに写っていたのは、高い身長を筋肉の鎧で覆った偉丈夫と翠の瞳に長い黒髪の美女、そして他一名。
そんな三人組が、厳かな日本家屋の門扉を背景に撮った写真だった。
そして、この写真に写っている二人とパーツが符合する人間を彼女らは知っている。
というか、この状況で渡した以上、何を意味するかは考えるまでもない。

「もしかして、これって……」
「いや、もしかしてもなにも…答えなんて一つでしょ、すずか」
「おお、士郎君結構ええガタイしとったんやね! 凛ちゃんの方は……ちょう残念な感じやけど」
「何を指して残念なのか、あとで詳しく追及させてもらうわよ、はやて」

先日、直接その姿を見ていないすずかとアリサ、そしてはやての三人は、その二人の写真を見て素直に和気藹々とした反応を示す。
まあ、はやての不用意な一言は、モノの見事に凛の逆鱗に触れていたりするのだが……。
しかし、そんな素直な反応する事の出来ない者もいた。

「そっか……やっぱりあの人達は……」
「凛ちゃん達、だったんだね」

先日、月村邸で戦った相手が誰の思念体だったのか。
その正体を知り、なのはとフェイトは悲しげに思い返す。
予想は出来ていた。だが、できればそうであって欲しくなかったのだろう。
だがこの事実により、ある程度あの思念体が二人の何を元にして生まれたのかも理解できた。
そして、男の方に別の意味で心当たりのある守護騎士達も、心中穏やかではいられない。

「懐かしい顔だな。良い記憶などないが……」
「っていうか、いくらなんでも似過ぎですよね?」
「だが、年齢を考えれば本人ではあるまい。この期に及んで年齢を偽っている筈もない」
「でもよ、血筋にしたって似過ぎだし…………ああもう! 分けわかんねぇ!!」

そんなやり取りをする守護騎士達を、士郎と凛は何処か困った様な笑みを浮かべてみている。
彼らからすれば仇敵なのだろうが、士郎には覚えがない。というか本当に知らない。
知っているとすれば、ある意味士郎にとっても仇敵と言えたあの男の方。
とはいえ、その事は追々話す事になるので、今のところは丁重に後回しにされた。

しかし、これに写っているのは三人組なのだ。
つまり……

「ところで凛ちゃん、この人誰? 凄く綺麗な人だけど……」
「そうそう! このお淑やかそうな人誰よ! まさか、これが凛って言うんじゃないでしょうね!?」
「それが私だと何か不都合でもあるわけ、アリサ」
「うん、あり得ない」
「あははは、簀巻きにして川に流すわよアンタ。
まあ、それが私じゃないのは事実だし、柄じゃないってのも否定しないけど」

凛は顔をひきつらせながらそう答えるが、士郎は見逃していなかった。
すずかが「凄く綺麗な人」と言った瞬間、凛の眼が僅かに誇らしげになった事を。
なんだかんだ言っても妹を褒められれば嬉しい。それが自慢の妹なら尚更だ。

「それは妹の桜よ。ちなみに、こっちに来る直前に撮った写真だから」
「はぁ……ホントにこっちに来る前は大人だったんだ。なんか、証拠があっても実感がわかないよ。
それに、この人本当に凛の妹なの? ……なんか、全然似てないけど」
「ああ、それはあたしも思った。なんて言うか、凛と真逆っていう感じじゃないかい?」
「うん、そんな感じだよね」
「フェイト、アルフ、言っとくけどその子、怒らせたら私より怖いわよ」
「「またまたぁ、嘘言わないでよ、凛」」

写真に写る女性の穏やかな笑みからは、凛の言い分はとてもではないが信じられない。
当然、フェイトとアルフははノータイムで凛の言葉を嘘と判断した。
しかし彼らは知らない。この女性、危険度で言えばある意味で凛を軽く凌駕するのだ。

「マジよ」
「ああ、マジだ。桜は凛よりも怖い。正直、何度死を覚悟したか……。
 時々マッサージが伝説の暗殺神拳バリに経絡秘孔を突いてくるし、特にあの復讐帳(誤字に非ず)は……」

そこまで言ったところで、士郎の体がガタガタと震えだす。
同様に、凛も珍しく顔を青褪めている。それだけ、この桜という人物は恐ろしい存在なのだ。

そしてその反応を見た面々は、この二人をここまで恐れ慄かす桜を、一種の怪物として認識した。
まあ、あながち間違ってもいないのだが。
だがそこで、一応は遠坂家の家族構成を知るアイリが疑問を口にする。

「待って! 確か、遠坂の子どもはあなただけの筈じゃ……」
「そうなんだけどね。知ってるでしょ、魔術師で兄弟姉妹って言ったら魔術を教わらずに過ごすか、或いは養子に出されるのが普通、桜は後者よ。で、その養子先で色々あって最終的には出戻って来た、みたいな感じ」

厳密に言うのなら「色々あった」の色々とは、凛と士郎でその家を断絶させてしまったのと同義だったりする。
まあ、今はそこまで話す必要もないし、桜の過去を紐解く気も二人にはない。少なくとも、今のところは。

「ま、とにかく、一応はそれが証拠よ」
「えっと、せやったらこれからは敬語で話した方がええんかな? 年上なわけやし」
「やめてよね、気色の悪い。今さら話し方なんて変えなくていいわよ」
「それに実年齢はどうあれ、今はこんな体だ。変に気にされても違和感があるだけで、こっちも困る」

はやての問いに凛と士郎は素っ気なく返す。
二人からすれば、もうすっかりタメ口には慣れてしまっている。
何より、おかしな仕草を見せればそれが面倒事の種になりかねない。
色々な意味で自然体でいて欲しいだろう。

「まあ、本人達がそう言うんならそれでいいんじゃない?」
「そうだね。わたしも、その方がいいかな」

アリサとすずかの二人をはじめ、他の面々もそれを受け入れた様だ。
彼女らとしても、今さら友人の呼び名を変えるのは変な感じがしていたらしい。
双方合意の上なのだから、問題があるはずもなし。

「とにかく、士郎君と凛ちゃんは並行世界の出身で、移動した時に若返ってしまった。
 そして、その時の影響であの時に能力が暴走してしまった、って事で良いんですよね」
「まあ、概ねシャマルの言ってる内容で間違ってないし、とりあえず今はそれでいいわ」

この口ぶりからもわかると思うが、凛は自分達の体の事も話してもいいかと思っている。
なにせ調べてもわからない。一度魂が定着した肉体は、その魂の情報によって元の体が再現される。
最高精度と言っても過言ではない蒼崎製の人形の場合、その再現度は最早元の体とほとんど差異がない。
その為、真っ当な検査ではこれが人形であるとはわからないのだ。

検査でわからない以上、立証はほぼ不可能。
わざわざ言いふらす様な事ではないが、隠匿の優先度はそれ程高くない。
しかし同時に、立証不可能であるが故に話す意味もない、とも考えているのだが……。
それに、先に話しておかなければならない事がある。

「わかっただろ? 俺達は、世界にとって異物だ。抑止力が働いて、世界が排除しにかかる事もあるだろう。
対象が俺達だけなら俺達の問題で済む。だが、お前達が巻き込まれる可能性は決して低くない。
昨日の件にもその可能性がある。だから……」
「見損なうんじゃないわよ、士郎。そんなの、さっきあの契約書を見せられた時に確認したじゃない。
 何があろうと、わたし達はアンタ達との事をなかった事にする気なんてないの。
 抑止力だか何だか知らないけど、こっちからすればアンタ達の事を調べたがる連中と大差ないでしょうが!」

確かに、抑止力にしろ人為的なものにしろ、迷惑を被ると言う意味では同じだろう。
なら、その確認は今さらなのかもしれない。
だが、それでも堂々とそう言えるアリサに士郎は感嘆を禁じ得ない。

「……そうだな。確かに、そんな事は今さらか」
「ふん! 分かればいいのよ、わかれば」

それで全員の間で同意が得られたのか、もう誰もその点については口にしない。
凛の方は、既に契約書の段階で承知していたのだろう。
肩を竦めて呆れたような溜息をついてから、話を進めるべく口を開いた。

「ま、とにかくこれで話の前提部分は終わり。
 で、次からが本題よ。少なくとも、私達とアイリスフィールにとってはね」
「ねぇ凛ちゃん。それ、わたし達も聞いていいの?」
「今さら何を気にしてるんだか……いい、なのは、それにアンタ達も。
 聞かせる為に呼んだのよ、聞かなくていいなら呼ぶわけないでしょうが!!」
「にゃ~~~!? ごめんなさ~い!?」

思い切り息を吸ったかと思えば、肺活量の全てを使ってどなる凛。
まあ、その事を話すためになのは達を呼んだのだ。故に、なのはの問いは今さらだ。
そりゃ、あくま降臨位して当然だろう。なのはのあまりにすっとボケた問いには、怒鳴りたくもなる。
また、凛達は己の過去以外についても話すつもりでいる。

隠し事をしたくない、という感傷もある。だが同時に、孤立無援に近い状況に置かれている自分達の味方を得たいという打算もあった。この子らであれば、自分達の味方になってくれる、そう信じて。
確かに、味方になったところでまだ彼女達では力が足りないだろう。
だが、そもそも信じられなければ意味がない。力など、あとから幾らでもつけさせられるのだから。

「さて、それじゃあ本題に入るけど…まずは予備知識が必要よね。
 はやて達は別にいいだろうけど、アンタ達はそうじゃないんだし」
「あ、うん。ところで、何の話なの」
「聖杯戦争、俺達とアイリスフィールさんを繋げる大魔術儀式、その話だ」
「私達にとってはただの昔話だけど、アンタ達にはそれなりに得る物があるでしょ……」

そう、この話をする事は凛達だけでなくなのは達にとっても意義があるだろう。
いずれ彼女らが直面するかもしれない苦悩、それは凛達にとってかつて通った道だ。
だからこそ経験談を聞く事で、いつか来るかもしれないその時に備える事は出来るだろうから。

「聖杯……」
「戦争?」
「確か聖杯ってアレよね、キリストが最後の晩餐で使った杯とか、キリストの血を受けたとかって言われてる」
「まって、アリサちゃん。確か『万能の釜』っていうのもあったよ」

なのはとフェイトはその耳慣れぬ単語に首をかしげるが、アリサとすずかには思い当たる節があった。
まあ、この世界の出身でないフェイトは仕方がないだろう。
なのはに関しては、偶々そういった物語を読んだ事がなかったのかもしれない。
とそこへ、一応聖杯戦争の概要くらいは知っているはやてが入ってくる。

「うん、この場合はすずかちゃんの方が正解やね。冬木って町でな、そのどんな願いでも叶えてくれる『聖杯』を作る儀式が行われたらしいんよ」
「どんな、願いでも……」
「フェイトちゃん……」

はやての言葉に、フェイトはどこか陰のある顔をする。
半年前、同じような代物を巡って色々あったが故に心中複雑なのだろう。
それを間近で見て知っているなのははなんと声をかけていいのかわからず、ただ寄り添う事しかできずにいた。

だが、フェイトにとってはそれだけでも十分だったようで、少しだけ表情が柔らかくなる。
フェイトはなのはに優しく微笑み返し、凛の言葉に耳を傾けた。

「ふむ、やっぱりはやては知ってたか。
 まあ、詳しい経緯とかは省くけど、元はとある三つの魔術師の家系が参加した儀式なの。
 それが遠坂、マキリ、そしてアインツベルンの三家。後に御三家と呼ばれる家系よ」
「それって、凛とアイリさんの?」
「そう言う事。まあ、元々聖杯探求をしていたのはアインツベルンだけで、残りの二家は後からアインツベルンに誘われた、っていうのが正しいんだけどね」

アリサの問いに、凛は出来る限りかみ砕いて説明する。
あまり魔術的な話をしてもわかり難いだろうし、何より時間がかかりすぎるのだ。
しかしそこで、アルフがなかなかいい所を突いてくる。

「誘ったって事は、自分達じゃそいつを作れなかったのかい?」
「いや、確かに聖杯そのものは作れたのよ。ただね、アインツベルンはそれの中身を用意できなかった。
 だから、遠坂とマキリを利用してその中身を用意しようとしたってわけ」
「り、利用? でも、協力し合ってたんでしょ?」
「ま、魔術師ってモノを良く知らないならそう思うわよね。いい? 確かに御三家は協力して聖杯を作ろうとした。でもその実、どいつもこいつも他の二家を出し抜いて聖杯を独占する気満々だったのよ」

ユーノの問いに、凛は「バカバカしい」と言わんばかりの表情で解説する。
その結末を知る身としては、不毛さが際立って感じるのも当然だ。

「でも、そんなのおかしいよ。だって、折角協力して作ったんだから、皆で使えばいいのに……」
「なのはの言う事は正しいけど、聖杯なんてものが量産できるはずないでしょ。
 数に限りがあれば必然的に争奪戦になるわ。そこで聖杯探求が、聖杯を奪い合う聖杯戦争になったわけ」

皮肉気な調子で語る凛だが、八神家を除くその事情を知らなかった面々は、何処か複雑な表情を浮かべている。
彼らからすれば、どこか人の浅ましさを突き付けられた様な気がしたのかもしれない。
逆に八神家一同は、当事者でもあったアイリに気遣わしげな視線を向けていた。
しかし、そんな彼らの反応を気に留める事もなく話しは続いて行く。

「聖杯戦争は過去五回行われ、一回目と二回目は取り合ってるうちにタイミングを逸して失敗、三回目は中身を受け入れる器が壊れてやっぱり失敗したそうよ。
そして、アイリスフィールが参加したのが四回目で、私と士郎が五回目になるわ」
「むぅ、ところで凛、さっきから中身中身って言ってるけど、中身ってなんなの? っていうか、なんでアイリさんの所はその万能の釜ってのを作ろうとしたわけ?」
「さすがに目の付け所が違うわね、アリサ。これが冬木の聖杯戦争のとんでもないところでね、聖杯の中身は馬鹿げた量の魔力よ。それこそ、魔術師じゃ一生かかっても使いきれない程のね。確かにそれなら、どんな願いもかなえられるでしょうよ。
 でも、本当に問題なのはそこじゃない。重要なのは、どうやってそれを工面したかよ」
「どうやってって……やっぱりどこかから集めるんじゃないの?」
「それはまだ前段階ね。冬木は霊的に優れた土地だったけど、それでも聖杯戦争を起こす為には六十年に渡って地脈が枯れない様に徐々に魔力を吸い上げなければならなかった。でも、それを直接聖杯の中身にしたわけじゃないの。あくまでも、それは聖杯の中身を用意するための呼び水でしかない」
『呼び水?』

凛の言葉に、なのは達は頭に疑問符を浮かべる。
それはそうだろう。莫大な量の魔力が必要なだけなら、そうやって気長に集めるだけでいい。
だが、実のところ聖杯の中身に必要な魔力をその方法で集めるには六十年では足らない。それこそ、数百年単位で時間がいるだろう。いや、それでも足りないかもしれない。何より、それだけでは本来の目的を達せない。
だからこそ、六十年かけて集めた魔力を呼び水にするのだ。

「聖杯の中身はね、“英霊”……って言われてもわからないか。
 英霊とは歴史上の偉人・英雄のことよ。後世、信仰の対象となった彼らは輪廻の輪や時間軸から外れ、世界に召し上げられ人間より上位の存在へと昇華する。
ま、早い話が普通の人間とは違う特別待遇を受けるって事よ。軍神として各地の関帝廟に祀られてる三国志の関羽とか、大宰府に天満天神として祀られた菅原道真なんかがわかりやすい例ね。彼らは死後、経過はどうあれ神として扱われた。それを世界のシステムレベルで、形式だけでなく内実も伴って成立した存在が英霊なの」

英霊の概念を知らないなのはたちにとって、その話自体は正直信じがたいものだろう。
だが他ならぬ凛が、この上なく真剣かつ神妙な顔立ちで語るその話に口を挟むことは、彼女らにはできなかった。
そんななのはたちの様子に気づいていながら、凛は立ち止まることなく話を進めていく。

「聖杯戦争では七人のマスターが選ばれ、一人につき一騎、計七騎の英霊を召喚し使役するわ。ただ、本来人間に御せる様な相手じゃないから、令呪っていう三度限りの絶対命令権が与えられるんだけどね。
それが英霊と呼ばれる“霊長最強”の魂よ。これを還元して得られる魔力は次元が違う。
 まぁ、英霊を生贄にするのはそれだけが目的って訳じゃないんだけど、今は置いておきましょ」
「つまり、聖杯戦争って……」

凛の言葉から、ユーノを始め皆がある一つの想像に至る。
だがそのあまりの血生臭さに、誰もが顔色を悪くし唇を震わせていた。
そして、そんな皆の反応を凛は軽く受け流す。

「多分アンタ達が考えている通りよ。というか、曲がりなりにも戦争なんだから、そりゃあ殺し合うでしょ、普通。汝、聖杯を欲するなら己が最強を証明せよってね。
 敵の英霊を殺し、己が英霊をも聖杯にくべる、万能の願望器を手にする為に。全く、悪趣味というかなんというか……。ま、万能の願望器までなら七騎全てを贄にする必要もないんだけどね」

まるで「万能の願望器」を軽視するかのような言葉に、事情を知らないなのは達は困惑する。
当然だろう。どんな願いでも叶うと言われる代物を軽く見る方がどうかしている。
それには無論理由があるが、その理由を知らないなのは達にはやはり困惑する事しかできない。
そこですずかが、この状況では極々当たり前の質問を口にする。

「それって、どういう意味なの?」
「万能の願望器なんてのは副産物に過ぎないからよ。本来の目的は、アインツベルンから失われた第三魔法の再現、或いは根源への道を開く事にある。
そして、そのためには七騎全てを生贄として捧げる必要があった。敗れた英霊は根源へと還っていく、これを利用して根源への道を確保しようとしたの。とはいえ、これを知っていたのは御三家だけで、外様の魔術師は願望器としての聖杯を求めた訳だけど…これは余談かな。
 一応勝ち残った英霊にも聖杯を使えるっていう報酬はあるんだけど、これじゃ茶番もいいところね」

せせら笑う凛に対し、事情を知らなかった子ども達はあまりの事に顔を強張らせる。
それはそうだ。英霊という、人類の中でも突出した存在を呼び出し戦わせ、あまつさえ生贄にするなど。
真っ当な良識を持った人間ならば、本能的に忌避感を覚えて当然だ。

ましてや、この場にいる者の半分は子ども。
凛の口から当たり前のように溢れ出る「殺す」という単語に、当然ながら顔が青ざめていく。
如何に魔術師の悲願のためとはいえ、どうしてそんな事が出来るのか。彼女らには理解できなかった。
そしてそれこそが、両者の間に隔たる不可視の溝でもある。

「ついでに言うと、この場合危険なのは英霊だけじゃない、マスターもよ。
ううん、それどころか一般人にも被害が出る事がある」
「な、なんで!? だって、戦うのは英霊さんだけなんでしょ!」

凛の不穏極まりない発言に、なのはは色めき立つ。
それは他の子ども達も同様で、凛に視線を集まった。
そこには少なからぬ険が宿っているが、その程度で動じる凛でもない。

「サーヴァントはマスターと契約しなければ現界できない、使い魔に準ずる存在よ。だから、一番簡単に勝つ方法はマスターを殺す事なの。というか、そもそも英霊は人間以上の存在、本来人間に勝ち目なんてないわ」
「ちょ、ちょっと待って! 英霊さんって、そんなに強いの?」
「まあね、よっぽどの例外でもない限り人間じゃ太刀打ちできないわよ。
 もちろん、私と士郎も戦えばまず間違いなく殺される。そりゃ少しはもたせられると思うけど……」
「そんな……」

自身にとって一つの目標とも言える二人ですら、勝ち目がないと聞かされ息を飲むなのは。
同様に、二人の力を知る者達も戦慄を隠せない。
だがそこで、凛はふっと思い付いたかのように付け足す。

「まあ、単純な火力とか破壊効率っていう意味でなら魔導師の方が優れてるんだけど……」
「え? じゃあ、魔導師の方が強いんじゃないの?」
「気持ちはわかるけど、そう単純な話じゃないわ。なんて言うか、戦闘能力の方向性が違うのよ」
『方向性?』
「そう。一口に戦闘能力って言っても色々種類があるわ。単純なところではスピード重視とパワー重視とかね。
例えるなら英霊は戦闘機で、魔導師は重爆撃機よ。都市破壊や火力でなら文句なしに爆撃機の方が優れているけど、ドッグファイトをしたら戦闘機の方が有利でしょ?
それと同じよ。想定している戦いが、戦闘能力の向いてる方向が違うの。単純比較なんてできっこないわ」

フェイトの問いに、凛は自らの認識を述べて行く。そして、それは概ね正しいと言えるだろう。
純粋な破壊行為で競えば、まず間違いなく魔導師が勝つ。英霊と言えど、そのほとんどは白兵戦を主体としている関係から、攻撃範囲や破壊性能そのものには難がある。

しかし、一歩でも間合いに入ってしまえばそこからは英霊の独壇場だ。
基本的な肉体的スペックが次元違いであり、白兵戦技能に関しては神域にある彼らである。伝説の幻想種や竜種、あるいは神々と戦ってきた彼らにとって、人間の域を出ない魔導師は得物が届くところにいれば脅威は高くない。
無論、これは非常に大雑把かつ乱暴に解釈したものなので、一概に断ずる事は出来ない事を追記する。

「それってやっぱり、凛ちゃん達魔術師さんが相手でも同じなんだよね?」
「まあね。私達も火力や汎用性じゃアンタ達の足元にも及ばないけど、特異性に関してはいい線いってると思うわ。特に暗示みたいな内面干渉や呪詛の類なんて、アンタ達にとっては鬼門でしょ?」

なのはの質問に答えつつ、凛はシグナムに話を振る。
なのは達などははっきり言ってまだまだひよっこにすぎない。
ならば、百戦錬磨のシグナムに意見を求めた方が確実だ。
そしてその解答は、概ね凛の思っていた通りのものだった。

「確かに、呪いなどどう破っていいのか見当もつかんな」
「でしょうね。アンタ達、そういうオカルトな方面はからっきしだし。
概念武装もそうだけど、呪詛に限らず魔術は割とアンタ達の常識から外れた術が多いわ。
強力ではないけど特殊で異常、それが魔術よ。
言わば裏技、変化球を使って相手の読み……いえ、想像の外から攻めるのが私達のやり方よ。
(まあ、だからこそ脆い部分があるのよね。先鋭的に特化し過ぎてるから、特化してる部分を避けられると結構簡単に攻略されるし……)」

最後の部分に関しては、自身の弱点を晒すような部分なだけに心中で呟くのみにとどめる凛。
たとえば「熾天覆う七つの円環」や「第七聖典」がいい例だろう。
どちらも優れた宝具と概念武装だが、決して万能ではない。むしろその逆だ。
熾天覆う七つの円環は投擲武器以外にはその真価、鉄壁の防御力が発揮できない。
第七聖典もまた、人間相手には単に物騒な武器でしかないのだ。
優れた武装であるのは事実だが、それ故に隙も多い。いや、むしろ長所以外はすべて弱点とさえ言える。
これは程度の差はあれ、神秘の側に属するもの全体(無論例外は存在するが)に言える傾向だ。

そして、これもまた彼らが自身の神秘を知られまいとする理由の一つ。
知られれば、能力の隙を容易く突かれて死にいたるのは目に見えている。
なら当然、自身の能力は徹底的に秘匿しようとするだろう。

ちなみに、凛は自分達のやり方を変化球に例えた。
だがこの場合、切嗣や士郎は直接バッターの頭を狙ってくるタイプだろう。
相手を打ち取るのではなく、討ち取る。最も手っ取り早く対戦者を排除するのが、彼ら魔術師殺しのやり口だ。

「と、ちょっと脱線したわね。話を戻すけど、そんなわけだから英霊がマスターを狙った方が楽なのよ。英霊同士じゃどっちが勝つかわからないしね。それに、マスターを失った英霊は依り代を失い消えるしかない。そりゃあしばらくは現界出来るけど、それも時間の問題。
ほら、わざわざ倒し難い英霊と戦うよりその方がずっと簡単よ。
まあ、だから基本的にサーヴァントはマスターを守る事を最優先にするから、そう簡単にマスターが殺される事もないし、結局サーヴァント同士が戦うのが普通なんだけどね。
だけど、仮にサーヴァントの方を倒しても、やっぱりマスターを殺すのが常道よ。だって、他でマスターを殺されて野良になった奴と再契約されちゃたまらないし」
「でも、それならなんで普通の人達まで……」
「英霊はその本質が霊体だからね。彼らのエネルギーは魔力だけど、人間の精神や魂を喰らう事でも補填出来る。
稀にね、能力の低いマスターが英霊に人間を襲わせる事があるわ。だから、一般人にも被害が出るの。
「そんなのって……」
「酷い……」

なのはやフェイトはそのあまりの凄絶さに言葉を失くす。
だが、それは何に対してだろう。望まぬ搾取を強いられる英霊への同情か、それとも強いるマスターへの非難か。
あるいはもっと話を遡り、平然と私利私欲のために殺し合う儀式そのものへの義憤か。
確実に言えるとすれば、何の罪もなく、それどころか完全に無関係な一般人まで巻き込まれる理不尽への怒りだけだろう。

「わかった? これが魔術師よ。皆が皆一般人を犠牲にするってわけじゃないけど、そう言う連中もいる。
 そして、別にそういった連中を咎めたりはしない」
『っ!?』
「もし咎められる事があるとすればそれは唯一つ、魔術の秘匿が破られた時だけ。バレなければ何をしてもいい、それが魔術の世界。犯罪者と同じ穴の狢、それどころか場合によっては遥かに性質が悪い。
 …………なのは、フェイト、それにはやて。局に入るのなら、これからアンタ達が相手にするのは私達みたいな人種よ。だから私達の事を話す事にした。私達がこれまでに見て感じて、そして知った事を教える事は、きっと意味があるから」

真剣な表情で凛は三人にそう告げる。
もし、これで三人が自分達を恐れ忌避するようになったとしても、それは仕方ないと受け入れていた。
自分がそう言う人種だと凛は理解していたし、理解した上でそう生きてきたからだ。

無論、凛は一般人を研究の為に犠牲になどしてこなかった。
だが、自身がそういう人種と同じである事を否定する気もない。
自分はやらないが、それでもやはり自分とそいつらは同類なのだと、彼女は承知しているのだ。
理由は何であれ、彼女もその手で多くの命を殺めているが故に。

「それでもまだ、私達を信じる?」
「………………………当たり前だよ。だって、凛ちゃん達はその人達と違うもん」
「どうかしらね。動機は何であれ、私達が人殺しである事に変わりはない。
士郎の場合『少しでも多くの命を救う為』だったけど、私にそんな大層な理由なんてなかったし……」

なのはの問いに、凛は肩を竦めるようにして答える。
凛の戦う理由は、確かにそう立派なものではないだろう。
士郎と違い、凛は見ず知らずの赤の他人を助けるために奔走するタイプの人間ではない。
彼女はただ、いつでもたった一人の男を護るために戦場に立っていたのだ。

凛はあえてその理由を口にはしなかったが、なのは達は言葉にされずとも何となくそれを察していた。
それを知ってか知らずか、凛はそのまま続きを紡ぐ。

「それに、この際重要なのは理由じゃなくて結果よ。
はっきり言わせてもらうけど、私達はこれまでに山程人間を殺してきた。正確な数なんて私達にもわからない。大人数を纏めてってのも珍しくなかったし、悠長に数を数えていられる状況ばかりじゃなかったからね。
それでも殺めた命は三百を下らないし、とばっちりや巻き添えを含めたら数えるのも馬鹿らしいわ。
何しろ、老若男女を問わず、赤ん坊だって例外じゃない。実際、一つの村や集落を切り捨てた事もある。
当然、アンタ達くらいの子どもも殺してきたわ」

いっそ、軽い位の口調でかつての所業の一端を明かす凛。士郎もまた、かつての行いには何も言わない。
重さを感じさせない口調が、沈黙を守る士郎の姿が、何よりも雄弁に事実であると物語っている。
無理からぬことだが、なのは達は思わず表情を強張らせて俯き、目には涙を浮かべていた。

「……助けたかった、救いたかった…それは嘘じゃない。
だが、そんなものは免罪符にならないんだ。どんな理想があっても、俺が多くの命を奪った事実は変わらない。
いや、そもそも『誰かの、何かの為に』なんて戯言こそが低俗な責任転嫁だな。
怨嗟を背に屍の山を築き、血の海を作る。それが俺達の半生であり、目を逸らしちゃいけない現実なんだから」
「そうね。だけど、それで事態が好転したならまだマシかしら。
私達のせいで泥沼になったり、戦火が広がったりした戦争もあったし」
「ああ、その場・その瞬間の最善が、明日においてもそうとは限らない。
その日、先を見越した上で最善を尽くしたとしても、予想外の事態から裏返り最悪の結果に繋がる事がある。
全能ならぬ人の身の矮小さを……思い知る日々だったよ」

数多の命を奪い、大勢の人々に絶望を抱かせ、数え切れない程の人生を狂わせた。
挙句の果てに、最善と信じた決断が裏目に出て、最悪の結果を招いたことさえある。
無論、望んだわけではない。だが、それが士郎達の過去。

正しいだけでは救えないから、より多くを救うために「正しさ」を断ち切った。
たとえ、最悪の結果につながるかもしれないとしても、今できる最良を尽くし続けた。
そして、想いや願いで行為と結果を正当化する事はできず、罪が赦されるわけではない事もよく知っている。

だからこそ、なのは達に重々しく問いかけた。
血塗れの過去と現在を持つ、自分達と共にあるのかを。

「それが私達よ。それでも、アンタ達は私達を信じるというの?」
「……………信じるよ。わたしは、わたしの知ってる二人を信じる。
 私の知ってる凛ちゃんと士郎君は、本当はすごく優しいから。今だって、平気な顔して凄く悲しそうな目をしてる。そんな二人を、わたしは信じたい」
「………………………好きにしなさい。それで、アンタ達も同じなわけ?」

凛の問いに皆は深く頷き返す。そんな反応に、凛は小さなため息をついた。
そこにどのような感情が宿っているかは、余人にはわからない。

だが、全く嬉しくないと言えば嘘になるだろう。
一般人。なのは達をそう評していいのかは微妙だが、とりあえず分類的にはそちらよりの友人がいなかったわけではない。しかし、その友人達は一人としてその裏の顔を知らなかった。
だが、今ここにいる友人達はそれを知り、なおかつそれでも友人として向き合ってくれる。
それを嬉しくないと断ずる事は、凛にも出来なかった。

「まあいいわ、とにかく話を進めるわよ。
で、ここからはアイリスフィールにも参加してもらおうと思うんだけど、良い?」
「順序としては、私から話した方がいいのでしょうね」

確かに、凛達が経験したのが第五次である事を考えれば、第四次に参戦したアイリから話すのが正しい流れだ。
アイリもそれに納得したのか、一度目を閉じ過去を反芻する。
誰もそれを急かす事はせず、ただゆっくりと時間が過ぎた。
そして、時計の秒針が三周程したところでアイリの目が開かれる。

「まず、私の事から話しましょうか。はやて達はもう知っているけど、私は人間じゃない」
『え?』
「私は第四次聖杯戦争において、聖杯の器を守るために作られた外装、錬金術で鋳造されたホムンクルスよ」
「あの……それって、わたしみたいな?」
「? テスタロッサさんの事はよくわからないけど、私は魔術による人造生命体よ。私に親はいない、ただ目的のために作られた存在。どちらかと言えば、使い魔のそれに近いかもしれないわね。
 さっき遠坂の子が言っていたでしょ? 第三次聖杯戦争は、聖杯の器が破壊されて儀式半ばで終わってしまった。その失敗を教訓に、聖杯に自己管理能力を備えたヒトガタの包装を施したのが私。
 あらゆる危険を自己回避し、聖杯の完成を成し遂げるために『器』に『アイリスフィール』という偽装を施したのよ」

その告白に、八神家と魔術師組を除く全員が息を飲む。
たしかに効率的かもしれない。だが、そのあまりに非人道的な発想は、彼らには受け入れがたいのだ。
なにより、自身を「偽装」と言い切るアイリに、皆が戦慄していた。
それは認識の相違。彼女の本質を皆は「人」と考え、魔術師は「聖杯」という名の道具であると考える。
この決して相容れない認識の差こそが、両者の超える事かなわぬ隔絶だ。
その事を理解できるアイリは、理解できない皆をあえて気にせず話を進める。魔術師の事も、両者の隔絶も、彼女らが理解するにはまだ早いと知るが故に。

「でも後になって、私に新たな役目が与えられたわ」
「それが、衛宮切嗣との間に子をなすって事なわけね」
「ええ。元々、アインツベルンの魔術は戦闘向きじゃない。そこでお爺様は外来の魔術師、当時『魔術師殺し』として悪名を馳せていた切嗣を招いて、マスターとして参戦させた。
元より、アインツベルンの目的は聖杯の完成とそれに伴う第三魔法の再現だけ。切嗣がそれをなしてくれるのであれば、不満はあっても文句はなかった。
 ただ、それでも万全とは言い難い。そこでお爺様は、次の戦いの事も視野に入れてイリヤを産ませたのよ」
「だから、あの子もまたあなた同様聖杯の外装ってわけか」
「そうなるわ。違いがあるとすれば、あの子の方が私より高性能というだけね」

凛とアイリのやり取りに、誰一人として口を挟めない。
二人は当たり前の様に話しているが、その会話の内容はあまりにも命というモノを軽視している。
本来神聖であるはずの出産という行為を、アインツベルンは道具の製造工程の一つとしか見ていなかったのだ。

故に、誰もがその双眸に、神聖なものを汚す事への嫌悪と命を軽視する事への義憤を宿していた。
中でもフェイトのそれは強く、怒りに肩を震わせ瞳には苛烈な光が宿りつつある。
あるいはその感情は、憎悪に近かったかもしれない。
しかしそこで、すずかがその会話の中に含まれていたある単語に反応した。

「あの、魔術師殺しって……」
「魔術師として魔術師を知るが故に、最も魔術師らしからぬ手段で魔術師を殺す者。文字通り、魔術師を殺すこと事に特化した暗殺者。『衛宮切嗣』に与えられた、異名と呼ぶにはあまりに禍々しい忌名よ。
でもそれは、聖杯戦争において最高の人材である事の証明でもある。アインツベルンが彼を招いたのは、戦略的に正しかった」
「ええ、切嗣は魔術を研究対象としてではなく、只の道具と考えていた。その点において、あなた達に近いモノがあると思う。それは何も魔術に対するあり方だけじゃなくて、その願いもまた」
『え?』
「魔術師殺しなんて呼ばれてはいるけど、あの人は本当は誰よりも優しい人。
だけど、世界平和を願う夢想家でありながら、その実現においては冷酷非情のリアリストだった。それ故に、最も効率的かつ確実な方法で、より多くを救うために戦ったのよ。
ただその手段は、誰もが否定し嫌悪をするものだったけど」
「あの、それって……」
「俺が知る限りでも旅客機の撃墜、高層ビルの爆破等々、普通に考えればテロリストのそれだ。
ま、俺も爺さんの事を言えた義理じゃないけどな。
それでも親父の一連の行動は、数字の上では事を最小の被害で抑える為に最適なものだった」
「でも、命は数で計って良いものじゃ……!!」
「ああ、確かにフェイトの言う通りだ。人は紙の上の数字じゃない。
けど、それなら何を基準にする? 重さなんて計る者によって違う。年齢・性別・人種、何を基準にしてもそれは差別になる。だから、もし絶対的な基準があるとすれば、それはやはり“数”しかない。
命に貴賎はなく、そこに軽重を問わず、定量の一つの単位として扱う、それが衛宮切嗣だった。
仮に、親父がやらなかったらその何十・何百倍という犠牲者が出ていた件がいくつもあった。
だからこそ、誰もが最善と思っても許容できない、そんなやり方を親父は実践していた…するしかなかった」

おそらく、最も衛宮切嗣に近しい所にいたであろう二人から語られる人物像。
その内容に、誰もがはっきりとした意見示す事が出来ない。あるのは瞳の奥に秘められた、命を数で捉える事への嫌悪感と非道・外道を行う事への義憤だけ。
……だが切嗣の行いを頭から否定する事は、誰も出来ずにいる。
なぜならそれ否定するという事は、「救えた命を見捨てるべきだった」と言う事と同義なのだと理解できるから。

最も効率の良い救済、それに必要な最小の犠牲、その為の倫理や道徳を無視した手段。
確かにそれが一番なのかもしれない。
犠牲なしには何も得られない。陳腐な言葉だが、同時に真理でもある。金銭を払わずに物は買えない、これはその延長線上にある事柄だ。
彼女らは、それを頭で理解できるくらいには賢く、理性で納得できないくらいには幼かった。

もし、それを目の前でやられたのならいざ知らず、言葉としてのみ知らされたからこそ冷静に考えてしまう。
否定できない、できるはずもない。過程は「最悪」だが、その結果は「最善」なのだから。ここで「最悪」を否定すれば、「最善の結果」もまた否定してしまう。
救われたという事実を否定しないためには、切嗣を肯定するしかない。

それを理解できるが故に、誰もが押し黙る。
だがそれでも、まだ幼く潔癖な子ども達に、それを一つの在り方と認める事などできるはずもない。
否定できない、したくても救われた命を否定できない。だが、そのやり方を認めてしまうわけにもいかない。
故に、口からこぼれるのは弱々しい抵抗の言葉だけ。

「でも、そんなの……」
「間違ってる、か?」
「…………シロウのお父さんの事をこんな風に言いたくないけど、それでもわたしは……絶対に、認められない」

間違っている、ではなく「認められない」。
その言葉こそが、何よりも雄弁にフェイトの心情を物語っている。

とはいえ、ここまでならただの子どもの駄々にすぎないし、それだけならその主張には一片の価値もない。
一人も殺さずに救えるならそれに越したことはないが、それが出来ないからこその「必要な犠牲」なのだから。
しかし、それを認めた上で否定するとなれば、話は違ってくる。

「どれだけ結果が良くても、過程を正当化できるなんて、思わない。
大勢の人を救ったのは立派だと思うし、差別しないのは凄い事だよ。わたしにはそれだけの人を助ける事も、差別しない事も出来るとは言えない。だからその事は、本当に尊敬していいんだと思う。
でも、人を殺した事は変わらない。子どもっぽい我儘かもしれない、現実が見えてないのかもしれない。
だけど、それとこれは別の問題だと思う。殺されなきゃ救えなかった命はあるかもしれない。
でも、殺されていい命なんてない! そんなやり方は認められない! どんな理由があっても、命を自由にする権利なんて誰にもない!! 例え救われた命を否定する事になっても、わたしには認められない……!」

それは、フェイトなりに必死に悩んで出した心の叫び。
根幹にあるのは確かに子どもらしい潔癖さだろう。だが、それでも血を吐くような気持ちで彼女は叫んだ。
殺さなければ救えなかった命、必要だった犠牲の存在を肯定した上で、なおそのやり方を「認めない」と言う。
それは救われた命を否定するという事。それを彼女は確かに理解している。理解してなお言葉にして拒んだ。

思うだけなら、口先だけで否定するなら容易い。
だが、フェイトにも失ったものがある。自身の生い立ちに暗い影を持つが故に、彼女は人一倍命に対して敏感だ。
だからこそ、命を否定する言葉を吐く事は、彼女にとって身を切る様な痛みを伴う。

それでもその言葉を吐いたのは、彼女なりに決して譲れない思いがあったから。
たとえそれが子どもの戯言でも、醜いエゴでも構わない。
これは、そうと自覚しても譲れない物があると言うだけの話。

そして、それは何もフェイトだけに限った話ではない。
子どもたちは一様に強い意志を宿した目で士郎を射抜く。
言葉にせずともわかる。皆、フェイトと同じ気持ちなのだと。
だが、その視線を士郎は氷の瞳でねじ伏せる。

「理解した上で認めないと言うのならそれも一つの決意だ、否定はしない。救われた命を否定しているという事を理解できないお前たちじゃないし、その情けない顔を見れば一目瞭然だよ。
だが、これから先の話ならどうだ? お前達の我儘の結果、目の前で多くの命が失われるかもしれない。
全員を救うという希望は否定しない。そういう事もあるだろう。しかし、お前達が思うほど世界は優しくない」
「分かってる……なんて言わない。きっと、わたしは…わたし達は何も分かってない。
 殺さなきゃいけない状況なんて、想像もできないから。でも、それは確かにあるんだよね?」
「……」

答えるまでもない、巌のように険しい表情が雄弁に物語っている。
そんな光景を、士郎は数え切れないほど見てきたのだから。

「その時、できるならみんな救いたい。だけど、それはきっと簡単な事じゃないんだってこと位は…わかる。
 もしかしたらわたしも…………と思うけど、そんなのはやっぱり嫌なんだ。
 わたしは、自分の手を汚す事が怖い。自分がかわいいだけだとしても、怖いからしたくない。
命なんて、わたしには重すぎるから」
「なら、そんな道を選ばなければいい。直面しなければ、悩む事もない。
平穏を望み、そう生きる権利がお前達にはある」
「うん。だけど、できる事があるのにしないなんて事も…出来そうにない。
 他の誰でもなくて、わたしがわたしを許せない。だから、やっぱり執務官を目指すことに変わりはないよ」
「そうだね、わたしも同じ…かな?
 いつかその時がきたら、きっとわたし達は最後まで抵抗するよ。その方が、ずっと気楽だと思うの」
「せやね。情けなくてカッコ悪くても、そっちの方がええ。
 それにな、ホンマにその時どうするかなんて、その時になってみんとわからへんよ。
士郎君には失望されてまうかもしれへんけど、これがわたし達の本音や」

フェイトもなのはも、そしてはやても、自身の弱さを隠すことなく吐露する。
ここまで弱さを取り繕わずに本心を口にすれば、それはいっそ強さと言えるだろう。
また、如何に想像力を働かせたところで限度があるのも事実。
はやての言う様に、その時にならなければ結果はわかるまい。
とそこで、唐突にはやてはすずかとアリサに話を振る。

「すずかちゃんとアリサちゃんは、どう思うん?」
「え? えっと……わたしね、小さい頃は色々な事を諦めてた。わたしは普通じゃないから、普通になんて生きられないって。
 だけど、違うんだよね。諦めてたから無理だっただけで、欠片位の可能性はいつでもあったんだ。
 それを皆が教えてくれたから、わたしは諦めたくないし、皆にも諦めないでほしい。
 多分なのはちゃん達とは違う生き方になるけど、それでもその気持ちは変わらないよ」
「わたしは……正直、その時どうするかなんて聞かれても知ったこっちゃないわ。皆と違ってこっちは普通人だもの、立派なことなんて言えない。何か言っても、薄っぺらい事しか言えそうにないから言わない。
わたしが言いたいのは、人殺しが嫌いって事だけ。もちろん、それが士郎達でも関係ない。アンタ達が沢山人を殺してるって言うなら、アンタ達のそういうところは嫌いよ。他の所がどれだけ好きでも、そこだけは嫌い。
なのは達は優しいから、全部ひっくるめてアンタ達を友達だと思うんでしょうね。でも、友達の全部を好きになる必要なんてないでしょ? だから、アンタ達のそういうところを嫌いなままでいるわ。
わたしは、なのは達ほど優しくないからね。文句ある?」

アリサの言葉を聞き、士郎と凛は笑い出したい衝動を堪える。
フェイト達の言葉にしても、弱さを明らかにし、出した答えに苦悩してくれた事には安堵をおぼえた。
だが、アリサの言葉が純粋に士郎達は嬉しい。同時に、「お前が一番優しいじゃないか」とも思う。
無条件に受け止める事だけが優しさではない。時に、こうして嫌ってくれる事もまた優しさなのだ。
しかし、それに感謝を述べるのは違う。アリサの優しさに答える術は、そんな安易なものであってはいけない。
それを理解しているからこそ、士郎は心の中でのみ感謝を述べ、全く別の言葉を口にする。

「……いや、文句なんてあるわけない。むしろ、怖い事を怖いと、嫌なものは嫌と言えるお前達が俺は好ましい。
確かに切嗣のやり方は“よりマシ”な結末を掴むだろう。でも、お前達がそれを真似する事はない。むしろ、そんな事しちゃいけない。切嗣は、ある意味で誰よりも強かった。どれだけ傷ついても、どれだけ苦しくても、それでもなお歩みを止めないそんな強さがあった。それは、切嗣だからできた事だ。他の誰にも同じ事は出来ない。できるとすれば、それは……空っぽの人間だけだよ。お前達にそんな強さはない、お前達には中身がある。だから、絶対にそんな事は出来やしない。できもしない事をしようとしても不幸になるだけだ。
だから、やり方は自分で決めろ。ただ俺は、俺の知る全てを教えるだけだ。幸い、外道・非道と呼ばれるやり口には長けてる。それを知り対策を身につける事は、きっと役に立つだろう。
でも、最後の一線は自分で決めろ。知った上で甘さを抱えて進むもよし、時に非情になる事を受容するもよし。お前達の人生だ、好きなようにすればいいさ。
お前達が『最後まで』自分の道を信じ抜いてくれれば、俺はそれでいい」

十年に渡り苦悩し続けてきた士郎だからこそ、その言葉は重い。
なにより「自分の道を信じ抜く」こと、その難しさがいい意味で彼女達には理解できない。
それがどれほど困難なことなのかイメージできないが故に、果てしなく遠い道のりと感じていた。
だがそこで士郎はその相貌を崩し、穏やかに語りかける。

「そもそも、お前達はまだ十歳にもなってないだろ。
答えを出すのも、スレて諦めるのも、まだまだずっと先の話だ。
いずれ選択を迫られる時が来るかもしれない。だけど今は、その素直な気持ちを大切にしてくれ。できるなら、この先もずっと。……俺はただ、最後まで陽の下で胸を張って生きて欲しいと、そう願うだけだ」

最後の呟きに宿る何かは、重く圧し掛かっていた言葉の数々を子ども達の心と体に沁み渡らせていく。
恐らくは手放せないであろう自分達の甘さを、世界の冷たさを誰よりも知るこの男は望んでくれる。
それだけで、子どもたちはどこか救われるような気がした。

同時に、ただ優しいだけではないことにも気付く。
より多くを知って、それでもなおその在り方を損なわないでほしいと、無理難題を押し付けようとしているのだ。
ある意味、冷酷さや非情さを押し付けるより性質が悪い。
そのままであることの難しさと辛さを、誰よりも知っているというのに。

それに気づいて誰もが一瞬不満を抱くが、長続きはしない。
なんと言われたところで、そう生きることに変わりはないと分かっているからだ。
ならば、誰に文句を言っても仕方がないと、そう納得してしまっていた。
そこで凛は、手を打って話を元の場所に引き戻す。

「ほらほら、いい加減時間もアレだし、さっさと本題に戻るとしましょ」
「そうね。第四次聖杯戦争は、寒い…そう、とても寒い冬に起こったわ。
 切嗣はアインツベルンの城でサーヴァントの召喚を行い、そして彼女が呼び出された。
 私達の狙い通りの、だけどちょっと予想外な彼女が……」

呼び出されたのは一人の少女。
失われた鞘を触媒に、騎士の王たる英雄が魔術師殺しの下に招かれた。
本来、真逆といってもいいあり方のマスターとサーヴァント。
故に互いに理解を深める事はせず、ただその関係だけがあった。

いや、それどころかマスターはサーヴァントと別行動をとる事を選択する。
その代わりに、代理のマスターとして己が妻をあてがった。
そうする事で、より効率良く敵の背中を狙えるようにという策略をめぐらして。

やがてその時は訪れ、妻と夫は愛娘に別れを告げる。
妻は永久の別離を、夫は再会を約束した。
そうして彼らは、戦いの地へと参じる。
そこに、悲願を叶える最後の希望があると信じて。






あとがき

さあ、やっと辿り着きました暴露話! とはいえ、今回はまだサワリというか前提部分ですけどね。
いえ、そもそも今までの中でも今話は特に長い! 削りたいのに、推敲する度に長くなる不思議!?
ちょうどよく切れる所もなく、そのまま出すことになりました。
ええ、もういい加減諦めましたとも。
私に文章を最適化してスマートにするなんてきっとできないんですよ~だ!!

それはさておき、次回からはZeroの話になり、その後は原作の話になります。
大雑把な概要に触れるだけになりますが、なくてもいいのかなぁと思ったり思わなかったり。
しかし、いくつかの場面でなのはたちのコメントとか入れさせたいですし、「はい、話し終わりました」というのも味気ないので、それなりに巻いてはしょりつつやってみるつもりです。

ただ、これまで話で心配事が一つ。凛は一応一通り全てを話す事にしましたけど、それが皆さんを納得させられる展開だったかどうか……。
一応以前のリンディとの話の事もありますし、前話までの「闇の欠片事件」というクッションも入れたんですけど、どうでしょう? ちゃんとした味方を作るとか色々理由はあるんですが、これで皆様を納得させられるか心配で心配で。
いや、凛としては、いつまでも士郎やリニスだけが味方、なんて事は考えてなかったんですよ。
遅かれ早かれ、外に対しても信頼のおける味方は必要だろうと考えてはいました。
小さく固まってばかりいても、あまりよろしくありませんからね。魔術師は排他的でこそありますが、それでも他者との関係を完全に無視すると言うわけにもいかないでしょう。その一つが弟子をとる事であり、もう一つが今回の様に秘密を共有する事による信頼関係の構築だと考えています。
その意味で言えば、なのは達は味方とするのにはそれなりに良策と言えるでしょう。なんだかんだで、腹芸とか裏切りに不向きですから。リンディさん達は、同盟相手であって厳密には味方とは見てませんけどね。

あ、それと言うまでもないかもしれませんが、次回からはFate原作とZeroのネタばれ街道を驀進します。
避けては通れないところではあるのですが、それでも一応未プレイ・未読の方は気を付けてください。



[4610] リクエスト企画パート3「アルトルージュ・ブリュンスタッド 前篇」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2010/10/23 00:27

それは、当人達にとっては極々当たり前になったある日。
今日も今日とてフェイト・テスタロッサと高町なのはの二人は、ちょっと普通じゃない訓練に明け暮れていた。

現在二人は、遠坂邸の庭に置かれた秀麗な装飾の為されたテーブルの前で、何やら細かい作業に没頭している。
その幼い顔には玉の汗が浮かび、表情は真剣そのもの。
…………というより、どこか焦りと恐怖が宿っている。
最早その表情は、追い詰められた小動物のそれに近いかもしれない。
まあ、扱っている物が扱っている物なので、二人の様子も無理はないのだが。

そして、そんな二人から少し離れたところで、士郎と凛は二人の手元の様子を観察する。
やがて二人が何らかのアクションを起こそうとした瞬間、フェイトとなのははそろって声を上げて天を仰ぐ。

「「お、終わった~~!!」」
「ん、合格。ギリギリだけどなんとか間に合ったわね」

そんな二人に対し、凛は一応は満足そうに二人の手元になる何かを回収しつつ微笑む。
二人はそんな凛を見て「あ~やっと終わった」とばかりに、喜色に満ちた表情を浮かべた。
しかし、現実はそんなに甘くない。凛の傍らに立つ士郎は、二人に休む間を与えずに声と何かを投げかける。

「だな。じゃあ次だ」

凛の言葉に同意しつつ、士郎は無造作な動作で二人に向けて新たに歪な直方体の何かを放り投げる。
二人はつい反射的にそれを受け取り、握ったものを見て蒼白になる。
だがフリーズしていた時間は一瞬、手の内にある物を正しく認識したフェイトは大慌てで抗議した。

「え!? ちょ、シロウ!! 少し休ませ……」
「ほらほら、早くしないと時間切れになるわよ」

フェイトの抗議の声を払いのけ、凛は「急げ急げ」とばかりに手を振る。
こうなったら何を言っても無駄と思い知っている二人は、涙目になりながら再度テーブルに向かう。

その様子を、やや離れたところにあるテラスから見つめる幾組かの視線。
年齢は様々なれど、そこに込められた感情は等しく「呆れ」だった。

「また無茶な事をやらせてるわね、凛達は」
「全くだよ。つーか、どこから持ち込んだんだい、アレ。
 まさか………また密輸したんじゃないだろうね?」
「あの……実はあれ、ほとんど士郎君の手製らしいよ。
 いくつかはお姉ちゃんや士郎さんの昔のコネを使って密輸してるみたいだけど、それだと高いらしいんだ。
でも、材料を手に入れるだけなら日本でもそんなに難しくなくて安いからって……」
「「ああ、そんなことまでできるんだ、アイツ……」」

呆れるアリサ、疑問を口にするアルフ、それに対する答えを申し訳なさそうに告げるすずか。
それぞれ用意された紅茶やクッキーを口に運びつつ、本心では凛や士郎の無茶っぷりにドン引きしていた。
まあ、如何に屋敷には認識疎外の結界が張られていて、中で何が起こっても滅多なことでは外にばれないとはいえ、やらせている内容が内容だ。普通に考えて、こんな住宅地で子どもにやらせることではない。

とはいえ、この面々の中ではむしろ良識派の方が少数派だ。
必然、この程度は当然的な思考の持ち主たちの感想はまた異なる。

「まあ、確かによくやるわな、なのは達もよ。飽きもしねぇで何回も何回も」
「しかし、テスタロッサ達もだいぶ慣れてきたな。
はじめのころは、いちいち動転して時間切れだったというのに」
「人間、やはり習うより慣れろという事だろうな。何事も慣れだ、慣れてしまえば大抵の事はどうにかなる」

ヴィータやシグナム、それにザフィーラは当初に比べれば目覚ましい進歩を遂げたであろう二人をそう評す。
だが本人達が聞けば、きっと涙を浮かべながら大きな声で抗議した筈だ。
もしこれが魔法に関する訓練であれば、二人はそれほど苦労はしなかっただろう。
しかし如何せん、今まで触れた事もない分野だっただけにはじめのうちはかなり苦労した。
それを根性論的な「慣れ」の問題にされてはたまったものではない。

その事が容易に想像できるアリサなどは、どこか憐れみにも似た感情が湧いてくる。
だがその感情も、すぐ近くでボケた事をのたまう二人の女性の声で吹き飛んだ。

「うふふふ、二人とも元気ねぇ~」
「ですよねぇ……二人ともすっかり解体が上手になりました。
上手になるとますます楽しくなるんでしょうねぇ、ああいうのって」

恐らく、というか確実にアイリの発言は世間的に大いにズレている。
当然、さっきまで憐れみの感情を抱いていたアリサ達は、その感情すら忘れ去り一様に頭を抱えた。
無理もない、今二人がやっている事を「元気」とか「楽しくなる」とかそういう括りで考える事は明らかに間違っている。
とはいえ、皆もアイリの発言に突っ込む気力もなく、盛大に溜息を突く。
だが、そのズレた発言に対しすかさず突っ込む少女が一名。

「ああもうアイリもシャマルも……どこの世界に『爆弾』で遊ぶ子どもがおるんや!!」
「? でも、火薬の量は減らしてあるんだから、花火みたいなものだって二人は言ってたけど?」
「やですねぇ、あんなの破裂しなければただの鉄屑ですよ、はやてちゃん」
「あの二人の常識は戦場の常識で、世間一般では非常識やからな。
それに、破裂しようがしまいが危険物であることには変わらへんで、念のため」

はやての言い分は間違っていない、というよりも大いに正しい。
にもかかわらず、どこか抜けたところのある二人は頭に疑問符を浮かべるのみ。
それどころか、他の守護騎士達にしたところで「え? 何言ってるの?」みたいな顔をしている始末。

そんな家族に対し、いよいよもってはやては頭を抱える。
一応とはいえ平和な日本で暮らしてきた彼女だ。守護騎士や士郎達のそういう「戦場意識」はまだ理解できない。
彼女としては、家族達のそのあまりにズレた思考に頭痛をおぼえずにはいられないのだろう。
だがしかし、実のところ似た様な思考回路を持った人間が、彼女たちの周りには結構いる。
それに心当たりのあるアリサやすずかは、眉間に皺を寄せながらその人物達の事を思い出す。

「そういえばいつだったか……士郎さんに『下から槍で突かれるから、畳の縁は踏まない方がいい』って言われた事があったわね。あの時は『どこの危険地帯よ』って思ったもんだけど……」
「うん。わたしも恭也さんに注意された事があるよ。
それに思い出して見ると、なのはちゃんも“絶対”に踏まないよね。
それにペンとかみんな材質が鉄だから、カバンも妙に重いし……」
「結局、なのは……いえ、高町家はそういう種類の人間ってことか」

友人のそんな一面に、思わず親友たちはがっくり肩を落とす。
本人は気付いていないが、あれでなのはの危機管理及び回避能力は高い。
凛達の指導もあるが、それ以上に高町家で兄達を見ながら自然と培われたものが大きい。

たとえば、高町家は全室鍵及びチェーン付きで、その全てが常時ロックされている。
ついでに言えば、扉にはのぞき窓まであるし、その扉自体鉄板が挟んである始末。
つまり、誰かが部屋に押し入ろうとしてもそう簡単には入れず、訪ねてきた相手を扉を閉じたまま確認できるという事。もちろん、なのはにはカギを必ず占め、誰かが来た時にはのぞき窓から確認する習慣が身に付いている。
しかも、本人は友人達に指摘されるまでそれが一般的でないとは知らず、指摘された時は大いに驚いていた。
だが、そんな生活を送っているのは当然なのはだけではない。

「? それは何かおかしなことなのか? この家も全ての壁に鉄板が挟んであるし、全室鍵付きだ。
それに士郎も凛も、ベッドの下に布団を敷いて眠っているぞ。もちろん私もだが」
「当然、ベッドの底には鉄板が敷いてあるのだろうな?」
「まったく、何を言っているのだ将。その程度は当たり前だろう。
 この家では滅多にないだろうが、暗殺者が来たらどうするのだ」
「同感だ」

と、アルテミスの言葉に一切の迷いなく頷くシグナム。
そんな会話を聞きつつ、つい「なんで暗殺者が来るの!?」と心中で突っ込まずにはいられない良識人達。

だが実のところ、士郎達や守護騎士達には暗殺される心当たりは売るほどある。
故に、彼らの認識は決して間違ってはいないのだが、この辺りは平和な国で生きてきた者たちとの認識の違いだ。
如何に自身の過去や経験を教え聞かせてきたところで、一朝一夕で認識を共有できるはずもなし。

その上、士郎達は過去の因縁を全て置き去りにしてきた状態なので、少々説得力にも欠ける。
これでは、良識人達に理解を求めるのはより一層難しい。
しかしそこで、それまで何やら思案していたザフィーラが口を開く。

「…………ふむ、この際だ、いっそ衛宮に協力を求めるか」
「なにをだ?」
「ああ、あたしらの家はさ、はやての体の事を考えて『ばりあふりー』ってのには気を使ってるんだけどよ、そういう侵入者対策がからっきしでさ」
「そういえばそうだったな。しかし、やはり不用心と言わざるを得ん。よくそれで眠れたな、お前達は」
「うむ、はじめはなかなかに苦労した」
「本音を言えば設備くらいは整えたいのだが、如何せん先立つものがなくてはな……」
「仕方ないので、お金が貯まるまでは私達が交代で夜の見回りをしてるんですよ。
 でも、士郎君に手伝ってもらえれば、格安で何とかなるかなって」
「なるほどな、日曜大工は士郎の得意分野だ、頼めば二つ返事だろう。私からも口添えしよう」
「言っておきますけどね、アルテミス。
あなた方が考えている事は、“断じて”日曜大工なんて領域の話じゃありませんから」

大真面目な様子でとんでもない事を相談する守護騎士達と、最近になってようやく自由に出歩けるようになったアルテミス。
そんな面々に対し、数少ない良識派の一人リニスが苦言を呈する。
彼女とてそれなりにハードな人生(猫生?)を送っているのだが、如何せんキャリアと質が違う。
ハードとは言っても、リニスの生きてきた場所は比較的に平穏な日常の中だ。
寝込みを襲われる可能性など、本来彼女は想定していない。
この辺りが、双方の認識の違いの根源だ。
とそこで、そこに関してはもうあきらめの境地に達しているはやては優しくリニスを諭す。

「無理ですって、リニスさん」
「はやてさん?」
「シグナム達のあれは、もうどうにもならへん。たぶん、一生付き合ってく位の覚悟でないと」
「そういうものなんですね」
「そういうものなんです」

お互いに手をがっちり握りあい、深くため息をついてうなだれる二人。
これもまた戦争の犠牲者なのだろうかと、かなり真剣に悩んでいる。
そんな二人に対し、他の良識派たちは「わたし達はまだマシだったのか」と同情のまなざしを向けていた。

そうこうしているうちに、なのは達の方も一段落ついたらしい。
二人は再度、盛大に喝采を上げた。

「「今度こそ…………終わった――――――――――!!」
「よしよし、じゃあ次ね」
「って、まだやらせるの!?」

休む間も与えてくれない凛に抗議の声を上げるなのは。
だが、そんなもの凛が斟酌する筈もなし。
凛は差もそれが当然であるかのように、なのは達にピンを抜いた手榴弾を放る。

とはいえ、なのは達とてこれまでで凛達の手口は学習済みだ。
当然、それ相応の対処はできるようになっている。

「なのは!!」
「うん!!」

そう互いに視線を交わし合い、凛から放り投げられた手榴弾を投げ返すなのはとフェイト。
確かに、これはもう相当に慣れたものだ。
爆発する前に投げ返す、単純にして最も効果的な対処法を即座に実行できる。
ピンが抜かれてから爆発までにそう間のない手榴弾には、おそらくこれが最善の対処法の一つだろう。

そうして投げ返された手榴弾は庭先に転がり、そこでちょっとした爆発を起こした。
それを確認した士郎と凛は、素直に感心した様子で二人をほめる。

「お―――、やるな」
「ん、これなら一応及第点をあげてもいいかな。
実際、解体の方もだいぶスムーズになってきたし、そろそろ頃合いだと思うんだけど?」
「そうだな。欲を言えば俺達に投げ返すくらいの気概がほしいところだが、そろそろか」
「え、それじゃあ!?」
「やった―――――――――――!!」

士郎の言葉を聞き、二人は目に涙を浮かべて抱き合いながら喜びを分かち合う。
なにしろ、二人が訓練に関してなのは達をほめる事などめったにない。
ならば、ほめられ慣れていない二人としては喜びもひとしおだ。

その上ここ数日、通常の訓練と並行してひたすら解体訓練ばかりさせられていた。
いい加減うんざりしてくるし、なによりいつ爆発するか気が気でない。
この数日の間に二人にたまったストレスは、それはもうただならぬものだった。
如何に火薬の量を調節してあるとはいえ、怖いものは怖いのである。

これだけそろえば、それは歓声の一つくらい上げたくなるだろう。
だが、そんな二人のストレスにまみれた生活はまだまだ続く。

「じゃあ、明日からは本格的な爆発物解体の授業ね。これまでは割とシンプルな物しかやってなかったけど、次からはダミーのコードとか入れて複雑にするから気をつけなさい。間違ったのを切ると爆発するから。
 というわけで、ここからは全面的に士郎にまかせた」
「了解だ、凛にそういったものは期待してない」
「別にいいでしょ、要は爆発を防げればいいのよ。詳しい工学とかの知識なんていらないんだから。
 そういうのは、教える側が持っていればいいの」
「俺だって詳しいわけじゃないんだがな。
結局、今までの積み重ねから来る経験則だし、専門家にはかなわないぞ」
「よく言うわ、高層ビルの発破解体だってできるくらいの知識があるくせに」

などというやり取りを交わす二人。
二人の間にある空気は普段のそれと変わらないのだが、内容が物騒極まりない。
そして、その物騒極まりない内容の授業を受ける側は当然たまったものではないわけで……。

「っていうか!?」
「まだやるの!?」
「当たり前だろ。次元世界は質量兵器は原則禁止だが、それを破ってこその犯罪者だろうが。
 爆弾なんて連中の常套手段だし、魔法を封じられたりした場合を考えればあって困る知識と技術じゃない」
「そ、それは……そうだけど」
「うぅ、鉄砲の授業から解放されたと思えば、今は爆弾。全然魔法関係ないの……」

苦い記憶がよみがえったのか、二人はそろってめそめそと袖を濡らす。
ちなみに、これより数週間前までは、士郎達による「銃の基本的構造とその解体方法、及び対処法」という名の特別集中講義を受講させられていた。もちろん、講義で使われたのは正真正銘の密輸した実銃だ。
さらに言えば、魔法障壁越しとはいえ一度ならず二人は士郎に撃たれていたりするし、撃った事もある。

何しろ対銃技術など、彼女らの進路を考えれば基礎中の基礎。
そのためには、まず銃というものを知らねばならない。
なら当然、実際に撃って撃たれてみる以上の訓練はあるまい。
という考えの下、士郎達はだいぶ無茶な訓練を課し、なのはたちにちょっとしたトラウマを植え付けている。

ちなみに、銃器や手榴弾などはさすがに自作が難しいらしく、そのほとんどを月村忍や高町士郎のコネを利用しての密輸で入手している。その代わり、通常の解体訓練に使う爆弾はそのほとんどが安価な士郎の自作なのだが、これからはそうもいかない。
それというのも、構造が複雑になればなるほど、既製品を使わざるを得なくなっていく為だ。
その為、これからしばらくは色々金策に苦労することになる士郎達だった。

もちろん、爆弾が終われば「はい、卒業」というわけでは断じてない。
この後にも罠やサバイバルを始め、まだまだ教える事はあるし、その後はそれらを複合した演習を予定している。
具体的には士郎を仮想敵にして、それはもうえげつない方法で打ちのめすのだ。
たとえば人質だったり、たとえば不意打ちだったり、たとえば市街戦、たとえばゲリラ戦と多岐にわたる。
そしてそれらは、なのは達がこれまで経験した事のない、だがこれから経験する可能性のある状況を再現しての演習。最低でもそこまでやって、やっと二人は及第といえる。

というわけで、『元・魔術師殺し』による「対質量兵器及び対犯罪者訓練」はまだまだ続くのであった。
なにしろ、本人がそちら側の人間だ。執拗に二人の弱点を突き、非道・外道と呼ばれる手段に訴えてくるため、よりリアルな演習になる事は間違いないだろう。
当然、その度に二人が士郎達の手で徹底的にズタボロにされるのは言うまでもない。

だが、これもまた士郎達なりの愛情なのである。
それを一応わかっているだけに、あまり強く文句はいえずに悲嘆にくれるしかないのだが。

そうして、一応午前の部はつつがなく終了した。
とはいえ、凛と士郎としては正直もう少し急いで詰め込みたいのが本音だったりする。

「むぅ、でもちょっと予定より遅れ気味ね」
「そうだな、もう少しペースを上げるか」
「シロウ、これ以上ペースを上げられると、体がもたないんだけど」
「安心しろ、まだもう少し大丈夫なはずだ」
「な、何を根拠に……?」
「フェイトにもなのは同様、内功は積ませてきたからな。計算上、もう少し厳しくしても耐えられるはずだ」
「そうねぇ、まだもう少し余裕があるはずよね。
 ああ、安心しなさい。ちゃんと、生かさず殺さずやってあげるから」
「生かしてよ!? お願いだから!!」
(うぅ……凛ちゃん、わたし達よりわたし達の体に詳しいの……)

フェイトにしてもなのはにしても、これ以上厳しい訓練をさせられては体がもたない…と、本人達は思っている。
しかし、実際に鍛えている側として「まだ耐えられる」様に、「狙って」鍛えているのだ。
そのため、結局二人の主張が受け入れられる事がないのは明白。
それがわかっているだけに、どれほど抗議してもどこか弱々しさが見え隠れする。
しかしそこで、凛達が急ぐ理由をアリサがリニスに問うた。

「ところで、何をそんなに急いでるんですか、凛達は?」
「ああ、フェイト達が局の訓練校の短期プログラムに参加する日取りが決まりましてね。
それまであまり時間がないんですよ」
「えっと、それとこれに何の関係があるのかな、凛ちゃん?」
「さすがに、プログラムが終われば本格的に局員だからね。
せめてその前に、必要最低限の事だけでも叩き込んでおかないと話になんないのよ」
「だな。初任務でいきなり人質救出なんて任務だったりしたら、今のフェイト達じゃ役に立たない。
 二人の能力は広い場所での派手な戦闘に特化している。場所にもよるが、下手をすると人質にまで被害が出かねない。そんな戦い方をする奴を繊細な任務に就かせるとは思えないが、万が一という事もある。
 最低でも立て篭もった敵への対処法とブービートラップの類への対処法、それに閉所や人質を巻きこまない戦闘方法を身につけさせないと。ああ、後は交渉術も必要だな」
「というわけで、教えなきゃならないことが山積みだから、大急ぎで詰め込むわよ」

アリサとすずかの問いに、丁寧に答えていく凛と士郎。
なにぶん、なのは達は今までかなり自分達向きの戦場でしか戦った事がない。
おかげで、自身の長所を活かせない、あるいは活かしにくい場所での戦いのノウハウがない。

本来なら、苦手な場所で戦わないようにすることも含めて、個人の力量のうちだ。
しかし、どうしてもやりづらい場所でやらなければならない時もある。
局員として働く以上そういう事もあるのだから、当然無知なままではいられない。
もちろんその程度の事は訓練校でも教えるだろうが、如何せん短期プログラム。どこまで徹底できるかは眉唾だ。
そんなわけで、やはり自分達の手で徹底的に叩き込んだ方が確実という結論に至ったのである。

「ふ~~ん、つまりこの状況は自業自得なわけね」
「そうね、二人がもっとゆっくりしてくれれば、こんなに急ぐ必要もないんだけど」
「「はぅ~~~~~~…………」」

アリサと凛の無情なやり取りに、仕方がないとは言えうなだれるなのはとフェイト。
確かに凛の言うとおり、もう少しゆっくりとした予定を立てればよかっただけに、文句も言えない。

とそこで、唐突にシグナムがその手に持っていた皿とフォークを士郎に向けて投げつけた。
だが、士郎はそれを事も無げにあらぬ方向に曲げた左腕でキャッチする。

「ったく、いきなり何するんだよ、シグナム」
「他意はない。テスタロッサ達に最低でもこの程度の事は出来るくらいになれと、そう言いたいのだろう?」
「まぁ、確かにそうなんだが…な!」

シグナムの言葉に溜息をつきつつ、士郎は手に持っていた皿とフォークを投げ返す。
それをさらにシグナムは両手の指でそれぞれ挟んで止め、即座に士郎の急所めがけて投げる。
当然士郎も、投げ返されたそれをさらにまた投げ返す。ただし、ついさっきまで自分が使っていた食器も混ぜて。
シグナムはシグナムでシャマルやヴィータの食器を強奪して投げるものだから、加速度的に両者の間で飛び交う食器の数は増えていく。

やがて相当な数と速度に及んだ食器の雨を、双方ともにキャッチボール感覚で投げ合っている。
それは最早、ジャグリングのパフォーマンスに近い。
どうも、二人してムキになっている部分がある様で、お互い引くに引けなくなっているようだ。
しかしそれを見て、意味合いは様々なれど外野は小さく声を洩らす。

『おぉ~~~!』
「わたしたちも、あれができるようにならないといけないのかな、フェイトちゃん」
「たぶん……そうなんだと思う」

当たり前のように割れ物や先の尖った金属を目や首に投げつけ、それを平然と止める二人を見て、なのは達は先の長さにうなだれる。
別にあんな曲芸ができるようになる必要はないのだろうが、訓練が進めば自ずとできるようになるのだろう。
だがそこで、唐突にヴィータがある疑問を口にした。

「ところでよ、前々からずっと思ってたんだけどさ」
「どうしたの? ヴィータちゃん」
「いや、士郎のアレ、正直キモくねぇか?」
『あ…あははははは……ちょっと、ね』

ヴィータの言うあれとは、すなわち出鱈目な方向に曲がる士郎の左腕だ。
如何に義手とはいえ、外見は普通の腕なのだから気味が悪いと言ったらない。
下手をすると、夢に見そうなくらいだ。
しかし、さすがにそれに正直に同意する事ははばかれるようで、誰もが苦笑いを浮かべていた。
そして、ちゃっかりそのやり取りを聞いていた士郎は不満そうに口を尖らせる。

「失敬な。まあ、気持ちはわからんでもないが、結構便利なんだぞ。大抵の所に手が届くし」
「そういう問題じゃないでしょうが……! こう、アレよ、見てると背筋がゾワゾワするのよね」
「ああ、分かる。なんていうか、黒板を爪で引っ掻いてる感じだろ?」
「そうそう、そんな感じ」
「ますます失敬な」

士郎の発言にアリサは心底呆れた様子だ。ついでに言えば、どうも居心地悪そうに肩をゆすっている。
また、そのアリサの感覚に同意を示すヴィータ。いや、これは何もヴィータに限った話ではない。
皆声にこそ出さないが、誰もが似たような感想を抱いている。
だがそこで……

「そういえば……」
「ん? まだ何かあるのか?」
「……士郎君のそれ、一体だれにやられたのかと思いまして。
士郎君の腕を落とすなんて、いったい何者なのだろうと……」
『ああ、確かに……』

シャマルの問いは、ある意味この場にいる全員が抱いていたものだ。
士郎は確かに強いが、それ以上に戦い方が巧い。
士郎以上に強い者はいるだろうが、それでもそう簡単に腕をおとされる姿が想像できないのだ。
その問いに対し、僅かに思案した士郎はゆっくり口を開く。

「ん~……まあ、隠すほどの事でもないか。
 取られたのは、六年くらい前だったな。やったのは……」
『やったのは?』
「アルトルージュ・ブリュンスタッド」
『…………………………………………………………って、だれ?』

士郎は実に気軽にそのビッグネームを告げる。
だが残念なことに、並行世界の有名人の事など彼女らが知るはずもなし。
なんか偉そうな名前、位にしか認識されていない。
そう、たった一人を除いて……。

「ブ――――――――――――!!??」
「って、ブワッ!! ばっちぃ!?」

士郎の発言の意味を知るアイリは、思わず口に含んでいた紅茶を吹き出す。
結果、噴出した紅茶はアイリの膝の上で心地よさそうに撫でられていた、子犬形態のアルフに直撃する結果となった。だが、そんな事を気にも留めないほどに、アイリの驚きは大きい。

「ゲホ、ゴホゲェホ!?」
「ア、アイリ大丈夫か?」

気道に紅茶が侵入したのか、アイリはいまだにむせ続けている。
さすがに見かねたはやては、大急ぎでその背中をたたく。

「ゲホゲホ…ハァ、ハァハァ、ハァ…ハァ…………ア、アルトルージュ・ブリュン…スタッド?
 死徒の姫君、黒血の月蝕姫、血と契約の支配者の?」
「まあ、そうなります」
「なんで、あなたは生きてるの?」
「悪運、としか言いようがありませんね。正直、さすがにあの時は死ぬと思いましたから」

その時の事を思い出し、しみじみと士郎は語る。
今までいくつも死線を超え、実際に死んだ事さえあるが、それでもあれ以上絶望的な死に直面した事はほとんどない。それこそ聖杯戦争の頃を含めても数えるほどだ。
しかし、そんな二人の会話の意味などなのは達に分かるはずもなく。

「あの、その人ってどんな人なの、士郎君?」
「というか、そもそも人じゃないんだがな」
『へ?』
「いわゆる吸血鬼、それも夜の一族ほど優しい連中じゃないぞ。
 まあ、一般的な吸血鬼像を思い浮かべてくれれば概ね間違いない。ただ……」
『ただ?』
「何というか、アレだ」
「長く生きてる連中なんかは特にそうなんだけどね、やっばい能力を持ってる奴が多いのよ、これが」
『ヤバいの?』
「「ヤバい。会わないで済むなら絶対に会いたくないな(わ)」」

なのは達の問いに、士郎と凛は力強く頷く。
士郎が一度言い淀んだのも無理はない。死徒はすなわち、掛け値なしの怪物に他ならないのだ。
何しろ、血を吸われるという事は死を意味し、死してなお支配され操り人形とされる。
あまつさえ、適性などあろうものならその者もまた吸血鬼となって人を襲う。
何より、夜の一族とは比べ物にならないほどの再生能力「復元呪詛」と、あらゆる意味で常軌を逸した個々によって様々な特殊かつ奇怪な能力の数々。はっきり言って、永遠にお近づきになりたくない怪物である。

「有名どころだと、自分の身の消滅と引き換えに必ず敵を消去する能力を持ってる奴とか、全長二百メートルはあろうかっていう魔獣と、さらにそれと同格とされる魔獣を三体従えてる奴とかもいるしな」
「『永遠』を求めて『存在する』ことに特化した連中になると、死んでも転生を続けて生き永らえたり、体を『混沌』と呼ばれる泥の集合体みたいなものにして、大抵のダメージは無効化できるような奴もいたはずよ、確か。
というか、そもそもまともな実体をもたない奴もいるって聞いたことがあるし……」
「そ、そんな者までいたのか、お前達の所には……」
「何なんですか、そのチート……?」
「まあ、信じられないっていうシグナムの気持ちは当然だし、シャマルの言いたい事もわかる。
だけどさ………………いたんだから仕方ないだろ?」
「ねぇ。なんていうか、剣で真っ二つにした程度で死んでくれたらめっけものかなぁ?
 とりあえず、シグナムとかみたいなタイプとは相性が悪いと思うわよ。徹底的に殲滅できる、はやてとかなのはの方がまだ相性はいいかもね。弾丸を見てかわせるような連中だし、当てるだけで一苦労よ」

それは断じて『程度』などという言葉にふさわしくないが、本当にそういうレベルの存在なのだ。
そして、士郎はこれも何かの機会という事で、訥々と六年前の事を語り出す。

「そう。あれは……月が、本当に月が奇麗な夜のことだった」



リクエスト企画パート3「アルトルージュ・ブリュンスタッド 前篇」



時は六年前の冬。
場所は北半球の寒極として知られる「オイミャコン」の近く。
ロシア東部のインディギルカ川下流域付近の小さな街。
限りなく北極に近く、一月の平均気温は-50℃まで下がる人が暮らすにはあまりに厳し過ぎる地。

ただでさえ大自然の猛威にさらされるそこが、その年人々は更なる試練を課された。
例年に比べても尚厳しい寒さに加え、過去その土地で記録された事のない様な大地震に見舞われたのだ。
家屋の大半は倒壊、それに巻き込まれて大勢の人が生き埋めとなり凍死。
運良く(この場合は、むしろ運が悪かったのかもしれないが)生き残った者たちも、命の危機にさらされた。

何しろ、物資のほとんどは雪と氷に呑まれ、寒さを凌ぐ事さえままならない。
政府からの救援を待とうにも、場所が場所だ。
準備だけでも時間はかかるし、向かうとなればさらに時間がかかる。
なにせ、地震という広範囲に影響を与える災害の性質上、救援を待つのはその街の住人達だけではない。
また、救援に向かう人員を死なさない為、万全の準備を整え物資をかき集めねばならないからだ。
挙句の果てに、空路も陸路も連日続く吹雪で碌に使えない始末。
これでは救援が絶望的なのは、だれの目にも明らかだ。

故に、彼らは僅かに残った家屋に身を寄せ合い、無駄と知りながらも極寒の地獄に耐えるしかなかった。
万が一の奇跡が起こり、全員が死に絶える前に救援が来る事を祈って。

だがそんな人々に手を差し伸べずして、なんの「正義の味方」か。
士郎と凛は、あえてその極寒の地獄に踏み込んだ。

身軽な二人ならば、必要な装備を整える時間も少なく済むし、何より彼らは魔術師。
まともな人間では到達することさえ難しい場所でも、二人ならば多少の無茶は可能。
二人は可能な限りの物資を携え、最も過酷なその場所を目指した。一切の乗り物を用いず、その足で。
他の場所であれば、ロシア政府がなんとかする。ならば、彼らの手がとどない範囲を埋めようと考えたのだ。

とはいえ、運べる物資などたかが知れている。
どれほど積載し、節約しても数日分にしかなるまい。
曲がりなりにも一つの街、その人口を生かすための物資を持ち込むのは不可能だった。

そこで士郎達が取った行動は、常軌を逸しているとしか言いようがない。
内容そのものは簡単だ。士郎と凛の二人掛かりで、政府からの救援が来るまで何度も物資を補給すればいい。

だが、そんな事は正気の沙汰ではない。如何に魔術師とはいえ、寒極の地を徒歩で行軍するなど自殺行為。
近くに位置する街はどこも地震の影響を大なり小なり受けている以上、物資に余裕はほとんどない。
ならば、ある程度離れた所から調達するしかない。
しかも集落の人々には時間がない以上、それはかなりの強行軍になる。
一度や二度なら耐えきれるが、何度も行えばそれだけ命を削るのは明白。

だが、それをするからこその滅私の魔術使い『衛宮士郎』。
いや、むしろ士郎にとっては『人を殺さずに済む』だけマシだったかもしれない。
そんな訳もあり、凛との半ば以上武力を交えた話し合いの末、最終的に凛は折れた。

これは、二人がそんな強行軍を行っていた時にあった出会い。
できるなら、決して出合いたくなかった化け物との邂逅。
そして、士郎がその左腕を奪われた時の話である。



『ハァ………ハァ…ハァ………ハァハァ………ハァ』
「みなさん、もう少しです! もう少しで隣町に尽きますから、もう少しの辛抱です!!」
「ほら、シャンとする! チンタラしてると氷の彫像になるわよ、嫌ならさっさと歩きなさい!!」
「あ、ああ」
「……ったく、ハァ…人使いの荒いお譲ちゃんだ」
「ハァハァ、全くだ。オイ衛宮、そんな女より俺の娘はどうだ?
 お前さんなら、娘をやってもいいと思ってるんだがな」
「セルゲイさん、アンタの娘はまだ十才だろ。勘弁してくれ」

最前列で雪を掻き分けて進む士郎の返事に、セルゲイと呼ばれた男は大笑いしようとして口を閉ざした。
防寒具を着こんでいるとはいえ、この猛烈な吹雪の中で大口をあけるのはしんどい。
如何に屈強な大男でも、普通人でしかない彼にそんな真似は出来なかった。
凛が密かに魔術による加護を与えていたとしても、そこに大差はないだろう。
だがそんな男衆のやり取りを聞いた殿を務める凛は、あからさまに不機嫌な口調で告げる。

「フン! そんな軽口が叩けるんならもっとペースを上げてもよさそうね」
『か、勘弁してくれよ嬢ちゃん!?』
「嬢ちゃんじゃないって言ってんでしょうが、このオヤジども!!」

足元に無限にある雪を手に取り、雪玉として投げつける凛。
とはいえ吹雪の中では視界が悪く、結局誰にもあたらず白銀の世界に消えていく。

士郎と凛以外の人間がこの場にいる理由はそう難しいものではない。
生存者の中でも比較的健康で屈強な者たちを選りすぐり、彼らに女子供、あるいは老人を抱えさせて近くの街に非難させようとしているのだ。
もちろん、士郎と凛もそれぞれ誰かを抱えている。帰りはともかく、行きはまだ荷物も少ないからだ。
それというのも、予想以上に生存者が多く(これ自体は喜ばしい事だが)、その分一人一人に行き渡る物資は少なくなった。これでは、長期間にわたって彼らの命を保つのが難しくなる。
そのため、動けるうちに近くの街へ避難させた方がいいと考えたのだ。

士郎達と違って遠方に行くわけではないし、それならまだ生きてたどり着ける可能性はある。
また、まだ比較的に被害の少ない街へ行くことができれば、生存の確率はぐっと上昇するだろう。
何より、そうすることで僅かなりとも士郎達への負担も減り、物資の運搬がしやすくなるのは間違いない。
こういった諸々の事情から、当初の予定を変更しこのような無茶をせざるを得なくなった。

とはいえ、さすがに一度に全員を移動させることなどできない。
そのため生存者をいくつかのグループに分け、これは第何陣目かになる。
そしてその集団の一人が、今度はひどくまじめな口調で口を開く。

「ハァハァ…………ハァ、だがよ、ホントに感謝してるんだぜ、俺達は。
 お前さん達が来てくれなきゃ、俺達はきっと野垂れ死んでたはずだ」
「だな、お前らがどこの超人かしらねぇけどよ、来てくれた時は涙が出たもんさ。
 ありがとう、俺達を、俺達の家族を助けてくれて」
「感謝には早いわよ、下手するとこのまま凍死するかもしれないんだから、感謝は生き残ってからにしなさい。
いくら比較的元気なのを集めたとはいえ、アンタ達の体力だってかなりヤバいんだから」
「ですね。今はとにかく、自分とその背にいる人たちが生き残る事だけ考えてください」
「ああ、そうだな。アンタらと違って、俺らは自分の心配をするだけで精一杯だった」
「それと、感謝は形ある物で示して頂戴。口だけなら何とでもいえるわ」
「お前なぁ……こんなときに言う事か?」
「ハハハ、確かにそりゃそうだ。衛宮、嬢ちゃんの言う通りだよ。よし、生きてたどり着けた時はうちのかみさんの世界一の料理を食わせてやろう」

苦しそうに笑いながらも、彼の声には活力がみなぎっている。
いや、それは何も彼に限った話ではない。誰もが「ああ、ならうちのも食ってけ」だの「独り身でわりぃが、俺の手料理を食わせてやる」だの言って上機嫌だ。
どれほど絶望的な状況でも、かすかな希望一つで人は生きていける。この光景がそれを証明していた。
凛としてもこういう人達は嫌いではないらしく、調子を合わせて憎まれ口をたたく。

「料理人なら、ここに極上のがいるから期待しないで待ってるわ」
「ちっ、手厳しいなぁオイ……」
「ふふ、精々良いお礼を考えて頂戴」
「ケッ、ホントにいい女だよ、お前さんは」

ちゃっかり報酬を貰う約束を取り付ける凛。
冗談なのかどうなのかは判別が難しいが、とりあえず士郎は何も言わない。
いや、むしろ呆れかえっているのかもしれないが……。

(これだけの事があったんだから、この人たちの生活は今後間違いなく苦しくなるってのに……。
そんな人たちから巻き上げるようとするなんて、こいつは鬼か? ……って、あくまだったな、そういえば)

というのが、割と士郎の本音だったりする。
だが、同時に凛の為し得た事柄についても思考が及ぶ。

(だが、いまはとにかくこの人たちが生き残る事が最優先だ。
結果的に凛との会話で活力が戻っているんだから、下手に口出ししてもマイナスにしかならないよなぁ……)

そんなわけで、色々思うところはありつつも、結局はだんまりを決め込む士郎。
しかしそこで異変に気付く。
先ほどまで衰える気配さえなかった吹雪が突如終息を始め、やがて満天の星空が上空に広がった。
特に、天空で淑やかな光を放つ月は非の打ちどころのない満月で、誰もがその美しさに見とれてしまうほどだ。
他の面々もそれに気づき、一様に歓声を上げる。

『ぉ……おぉ!!』

誰もが「やったぞ」「これでだいぶ楽になる」「たすかるぞ」と喜びの声を上げ、神に感謝をささげている。
無理もない、この状況では絶望感に囚われていて当然。
それを気丈に振舞う事で思考の外に追いやっていたが、ついに天は彼らを救いたもうた。
最早、彼らの心に絶望の影はない。
だが、それを鵜呑みにできずにいる者たちがいた。

『どう思う?』
『いくらなんでも不自然すぎでしょ。さっきまでの吹雪がいきなり消えるなんてありえない。
 通り過ぎたのだとしても、通り過ぎた吹雪がどこにも見当たらないなんて事があると思う?』
『思いたい……というのが本音だな。こんなところで、そんな真似ができる者と出会いたくはない』
『まあ、それは同感だけどね』

喜び歓声を上げる人々に聞こえぬよう、繋がったパスを通して二人は会話する。
広く遮蔽物のない土地では、遠方で降る雨をまるでカーテンのように目視することもできると言う。
今士郎達がいる場所もそういった場所だ。
にもかかわらず、ついさっきまで彼らを襲っていた吹雪の影も形もない。
吹雪が通り過ぎたのだとしても、どこを見てもその痕跡すらないのは異常だ。

(これじゃまるで……っていうか思いっきり、どっかの誰かが邪魔なものを全部追い払った感じよね。
 規模は広そうだし、お願いだからこっちになんて来ないでよ……)

空には雲ひとつなく、地表は僅かな風が流れるだけ。
そして、その風に乗って凍りついた水分がダイヤモンドダストとなって舞い散っている。
あまりにも、あまりにも出来過ぎた状況に凛がそう思ったのも無理はない。
そして、それはおおむね正しかった事を、後に二人は知ることになる。

だが今は、そうして天に祈ってばかりいても仕方がない。
凛は即座に誰にも気づかれないよう術を編み、認識疎外の魔術を展開する。

本来、現代科学でも今起こっているような事態は引き起こせないし、神秘の側でもそんな事はまず不可能だ。
なにしろ吹雪とは大自然の猛威そのもの、それもこんな極北の地のそれとなれば日本のものとは桁が違う。
多少の天候操作ならできなくはないかもしれないが、これはそんなレベルではないのだから。
それを為した何者かとは、一体どれほどまでの怪物なのか。
しかしそこで、彼女の前を歩く男の一人が何かを発見した。

「お、おい…あれはなんだ?」

男の指差した先にあったのは、純白の雪原の中にある唯一つの異物。
一言で言うならば、それは黒。髪も、衣服も気配さえも漆黒の少女。
だがその肌は衣服と対比するかのように白く、瞳は血のように紅い。年の頃は十代半ばといったところか。
そんな少女が、雪の白に溶け込まんばかりの純白の大型犬のような生き物の背に優雅に座っている。

いや、厳密に言えば、とてもではないが犬とは言えない生物だ。
犬というには余りに禍々しい。だが、犬としか形容のしようのないシルエットをした生き物。
この極寒の世界で、そんな生き物の背に華奢な少女が座っているのは異様な光景だ。

その上、その少女の服装は豪奢ではあるが、あまりにも軽装に過ぎる。
身に纏っているのは深い闇の様な漆黒のドレス。
それも肩や背中を大きく露出させ、体のラインを強調するかのようなデザインだ。
しかし、下品や淫靡さとは無縁。年の頃には不釣り合いだが、妖艶……という言葉がしっくりくる。

そんな恰好でこの寒気の中に身を置けば、五分と経たずに凍死してしまうのは明らか。
にもかかわらず、その少女も犬も苦しそうな素振りさえ見せない。
それどころか、誰もが雪と氷で衣服を白く染め上げていながら、少女にはそんなものは付いていない。
まるで、雪も氷も意図的に少女を避けているかのようだ。

そんな少女を見て、男達はまるで白昼夢でも見たかのように立ち止まり思考が停止する。
しかし、止まる事の出来ない者がここにいた。

「逃げろ!!」
『なっ……』
「何を言ってるんだ、衛宮。ありゃあ只の……」
「アンタ達にもわかるだろ、アレは子どもなんかじゃない!」
「だ、だが……」
「アレが何かなんて言う詮索は後回し、とにかく逃げるわよ!
 止まったら死ぬ、そのつもりで走りなさい! 急いで!!」

二人の剣幕に押されるが、それでも誰も動き出せない。
状況を理解できず、体が反応してくれないのだ。

(ったく、これだから素人は!!)

半ば以上八つ当たりに近いと理解していても、凛は内心でそう思わずにはいられない。
だがそんな感情も、続いてかけられた士郎の言葉によって霧散する。

「凛」
「何よ」
「俺が足止めする。お前は皆を連れて逃げてくれ」
「ハァ!? アンタ、自分が何言ってるか……」
「分かってる。何かまではわからないが、アレは見た目通りの生き物じゃない。
 だからこそ、迂闊に背を見せるべきじゃない、そうだろ?」

士郎の言う事は正しい。
目の前のそれがどういう類の存在なのかまでは分からないが、背を見せるのは愚行だと本能と経験の両方が全身全霊で告げていた。
決して巨大な気配を放っているわけでもないというのに、二人はそう直感しそれを疑っていない。
得体のしれない何か、そんな者に背を向ければ格好の餌食だと分かっていたのだ。

「なら、私も残るわよ。アンタ一人だけなんて、危なっかし過ぎるっての」
「ダメだ! あの人たちだけでこの雪原を渡るのは無理だし、他にも何か出てこないとも限らないんだぞ」
「うっさい! とにかく私は残る、アンタの意見なんて聞いてないわ!
 速攻でアレを殺して、その上で追い付けばいいだけでしょうが!!」

士郎は百匹単位で苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべるが、反論する時間は与えられなかった。
それまで彼らの事を見向きもしなかった少女と犬が、突如彼らの方を向いたのだ。
今のやり取りの声が届いたわけではない。声も含め、気配や匂いなど全てが結界により隠蔽されている。
少女が士郎達の方に視線を向けたのは、純粋に少女自身の力。
同時にそれは、超一流の魔術師が張った認識疎外の結界をも、容易く看破できるだけの力を有していることを意味する。とはいえ、凛自身はその事実にそこまで心を揺さぶられはしなかった。

(ま、所詮は即席だしね。そこまで期待はしてなかったから、見破られたこと自体は別に良いけど……。
 問題なのは、見つかった事。全く、ここからどうしたものかしらね。
それにあの眼、こっちを放っておく気はなさそうかな……)

少女の視線は欲情しているかのように艶やかで、新しい玩具を見つけた子どものように邪気がない。
だが、それが凛達の背筋を寒くする。
邪気がないにもかかわらず、その身に纏う死の気配があまりにも濃密で、思わず息をのんだ。

それは、間違いなく死徒と呼ばれる者の気配。
幾度となく彼らと戦った事のある士郎達には、即座にそれがわかった。
しかし凛は、同時に違和感も覚える。

(でもホントにあれ、死徒なのかしら? 何ていうか、ちょっとおかしな感じが……)

士郎はそれに気づかない。卓越した魔術師である凛だからこそ、その僅かな違和感を拾う事が出来たのだろう。
それは真祖との混血であるが故の違和感なのだが、この時の凛は気付く事が出来なかった。
そもそも、深く考える時間は許されない。白い犬の眼を見た瞬間、士郎達の思考は凍りついた。

(なんだ、アレは…………わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない!!!)

何もかもがわからない。その性質も、力の程も、どんな感情を抱いているのかも。
その存在が、力が、あまりにも巨大すぎて士郎の尺度では測りきれない。
というよりも、アレを“人間”が計ること自体が過ちであると直感した。
あるいは、虫や獣などであれば計れるのではないか、そんな気さえする。

だが、そんな事に意味はない。計れない、それが全て。
分かるのは唯一つ。それは……

(アレが動く前に、逃げるしかない!)

アレが動けば、全てが無に帰す。それは本能の警鐘、それは絶対的で覆る事のない定律。
そのことを、その瞳を見た瞬間に誰もが理解した。

逃げられるかなど定かではない。そんな事が計れる相手ではない。
アレは最早、彼ら「人間」の理解の範疇を超えた存在。
否、そも理解してはならない領域の存在であるが故に。

『う、うわぁああぁぁぁ―――――――――――!!!』

士郎と凛の二人を除く全員が恐慌状態に陥り、我先にと逃げ出す。
理性など残ってはいない。あるのは唯、本能的で根源的な恐怖心と生存本能のみ。
体裁をかなぐり捨て、脇目も振らずに彼らは逃げていく。
そんな様子を見て、士郎は思わず安堵する。

(アレが何かはどうでもいい。俺がすべきは、とにかく足止めする事。
 そして、適当なところで逃げる事か…………逃げられればの話だが、せめて凛だけでも……)

そう覚悟を決め、士郎はその手に愛剣である干将・莫耶を投影した。
同時に、凛もまた宝石を両の五指の間に挟み、左腕の魔術刻印を輝かせる。
そして、静かな声で相方の方を向くことなく告げた。

「士郎、少しでいいわ、一人であいつを足止めして」

士郎はそれに対し何も言わない。凛の意図はまだ分からないが、それに従うつもりなのだろう。
逃げる為か、それとも別の何かの為かは分からない。
だが、凛が講じた策ならば彼に疑うなどという思考はなかった。
何があろうと、この最高の相棒を信じる。それは、何があろうと揺らぐ事のない彼の真実だった。

「私はその隙にでかいのを用意する。アンタには、それまでの時間稼ぎをしてもらうわ」

それは、士郎に半ば死ねと言っているのと同義だ。
得体のしれない一人と一匹。それも、一匹の方は明らかに手に負える存在ではない。
それを一人で相手にしろなどと、正気の沙汰とは思えないだろう。
それは無論凛とて承知している。だがそれでも、これが現状における最善の手なのだ。

「賢明だ。それで仕留められるかはわからんが、僅かでも隙ができれば僥倖。逃げるには十分だろう」
「……」
「なに、そう案ずる事はない。単独行動は、弓兵の得意分野だからな」

そう言って一歩、士郎は凛を庇うように前に出た。
そんな二人の様子に何を思ったのか、白い犬もまた黒い少女を守るかのように身を乗り出す。
しかし、黒い少女はそれを制した。

「おやめなさい。あなたが出たら刹那もかからずに終わってしまうわ。
 月夜の晩酌に新鮮な血もいいけれど、貴族は狩りの『過程』をも楽しむものですよ。
小うるさい二人がいないんですもの、偶には私にも楽しませて頂戴な」
「クゥン……」
「良い子。それに今宵はこんなに月が綺麗なんですもの、月夜のダンスパーティーとしては中々でしょう?
 折角の殿方からのお誘いを無碍にしては、品格を問われてしまうわ。
 そうは思わなくて、深紅の騎士様?」
「くっ、君の様な見目麗しい淑女と踊れるなど光栄の至りだよ。
だが、恥ずかしながら舞踏会の作法などには疎い田舎者でね、多少の無礼には目を瞑って貰いたい」
「無骨な騎士という事ですね。瀟洒で洗練された紳士も良いけれど、そういった朴訥さも嫌いではありませんよ」

その言葉に、士郎は自然と皮肉気な笑みを浮かべる。
少なくとも、目の前の少女があの犬ほど危険な存在とは思えなかった。
並々ならぬ魔と死の気配を放ってはいるが、この程度ならばそう脅威ではない。
これ以上の死地を、士郎は幾度となく乗り越えてきたのだから。

(何より、あの少女からはそれほど大きな力は感じられない。
吹雪を消したのも、恐らくはあの犬の仕業に違いないだろう。正直、アレは得体が知れなさすぎる。
アレに比べれば、あの少女はまだマシだ。あるいはメレムの様に、あの犬こそがこの少女の力なのかもしれないが、どちらにせよあの少女自体の力はけた外れというほどでもない。
なら、あの犬さえ出てこないのであればなんとかなる)

少女の失策は、自身の快楽を優先するあまりにあの白犬を自身から離してしまった事。
そう判断したからこそ、先の様なセリフを吐く余裕が彼にはあった。

「ところで凛、一つ確認していいかな?」
「いいわ、言ってみなさい」
「ああ。時間を稼ぐのはいいが―――――――――別に、アレを倒してしまったもかまわんのだろう?」
「……ええ、遠慮はいらないわ。あの小娘に、ガツンと痛い目をあわせてやりなさい」
「そうか、ならば期待にこたえるとしよう」

それは、虚勢でも何でもなく確かな自信に裏付けられた言葉。
アレの放つ気配は確かに魔的だが、それ以上に危険な気配を彼は知っている。
アレならばまだ、自分一人でもなんとかできない事はない。
凛もそれに関しては同意見だった。二人の警戒の対象はあの白犬であって、黒い少女ではない。

だが、二人は気付いていなかった。
少女から感じられる戦力が高くないのは、単にそれが彼らに知覚をできなかっただけ。
あまりにも深く、あまりにも暗い深淵の奥深くにそれが隠されていたが故に、二人はそれに気付けなかった。

傍らにある存在は少女の守護者かそれに準ずる存在。あるいは、少女の上位に位置する死徒が付けた護衛か。
死徒の中には容姿の美しさを気に入られ、愛玩目的で引き込まれた者もいると言う話を士郎は聞いた事があった。
その可能性に思い至った為に、少女の戦力は、そのほとんどを傍らの存在に依存していると思ってしまったのだ。

それこそが、歴戦の強者である筈の二人の決定的な過ち。
少女の傍らにある存在があまりにも巨大すぎたが故に、その深淵を見通せなかった。
いや、仮に見通せたところで、これが相手では……。
過ちというのなら、「出会ってしまった」それに尽きるのかもしれない。

「名を…名乗る必要はあるかね?」
「いいえ。もしあなたが私に迫る事が出来たのなら、その時には聞いてさしあげましょう」
「そうか。ならばその言葉、撤回する間も与えん!」
「期待していますよ。存分に力を振るいなさい、魔術師。
 その神秘が万が一にも私に届いたのなら、あなたの名を永劫刻む事を約束しましょう」

雪原を疾走し斬り掛からんとする士郎に対し、少女はあくまで優雅な態度を崩さない。
己が間合い敵を捉える直前、士郎は決して大振りにならない範囲で剣を振りかぶる。
それはただ、理想的なまでにコンパクトで、一切の無駄を削ぎ落とし最適化された動作だった。

化け物を相手に膂力で競うのは無謀。
故に、優先すべきは速度と手数。それが幾度の死線を経て士郎が至った結論。
もちろん威力を無視していいわけではないが、士郎にとってその優先順位は低い。
もとより、宝具という最高レベルの武具を振るう士郎だ。
多少の威力の乏しさは、宝具が有する抜群の切れ味で補えるからこその方法論だった。

狙いは首、もしこのまま士郎が剣を交差させるように振り抜けば、黒白の双剣が彼女の細い首を落とすだろう。
だが、少女はその鋭い一閃を払いのけるべく、無造作に両腕を持ち上げる。
そして、両者の剣と爪が衝突し甲高い音を立てた。

「おおおおおおおおおおお!!!」

雄叫びは士郎の物。
一撃目は難なくその硬質化した爪にはじかれた。
だがその程度で士郎が怯む筈もない。むしろ、この結果自体は初めから予想の範疇だ。

だからこそ士郎は、そのまま嵐のような連撃に打って出る。
左右の剣をリズミカルに、時に意図的にリズムを崩し、時に振るう順を入れ替えて。
それどころか、僅かでも隙を見せれば足を払い、あるいは蹴りを放って体勢を崩しに来る。
それはまるで、四肢がそれぞれ全く別の生き物のように襲いかかる、そんな光景だった。
もし並みの者が不規則に吹き荒ぶ刃の嵐にさらされれば、秒と経たずにこまぎれにされる事だろう。

「あらあら、凄い剣ですね。このままだと、あっという間にバラバラにされてしまいそう」
「戯言を!」

士郎が悪態を突くのも無理はない。言っている内容に反し、その口調はどこまでも軽い。
一見すれば余裕がある様には見えないのに、その声と言葉からは危機感が感じられない。
士郎は全身全霊、持てるすべての力と速度、そして技と戦術をつぎ込んでいる。
にもかかわらず、少女はその剣戟を危ういところでその身に届かせない。

いや、確かに肌に触れる寸前で弾き、紙一重の所を剣風がその白磁の肌を撫でていく。
しかし、見る者が見れば気づくだろう。
それは、完全に見切っているからこそできる完全に最適化された防御と回避なのだと。
故に、少女はどこまでも優雅に、本当に踊っているかのように士郎の剣戟をかわしていく事が出来る。

これだけの事が出来るのなら、確かに危機感に欠けていて当然だろう。
だが、士郎にとってそれ自体は問題ではない。
相手がどういう存在かを考えれば、これは必然の状況だ。
膂力だけではなく、速度という点においても人間である士郎の方が不利なのだから。
当然、どう対処していくかのプランもある。

故に、問題は別にあった。それは刃を交えた瞬間から感じ始めた僅かな違和感。
余裕だけではない何か、士郎はそれを感じ取っていた。
だからこそ、士郎はさらに剣戟の激しさを増していく。
呼吸に割く労力すらも惜しむように、ただ剣を振る腕と大地を踏み締める脚、そして目の前の敵にのみ意識と力を注ぐ。

肉体の限界を越え、腱と骨格と筋肉が悲鳴を上げる。
今にも関節が抜けそうになりながら、少しでも身体の操作を…力の流し方を誤れば人体の稼働限界域を越えそうになりながら。それでも決して、士郎は剣舞を緩めようとしない。
それどころか、肉体の危険信号の全てを無視し、尚も士郎は無謀なまでに回転を上げていく。
常人の眼にはそれは最早剣戟などではなく、無数に空を奔る黒白の光条に見えただろう。

はっきり言ってしまえば、いくらなんでも初手からこれはやり過ぎだ。
こんな戦い方を続ければ、体力も体ももたない。もし長引くような事があれば、士郎は勝手に自滅する。
逆に言えばこれは、士郎が今すぐケリをつけるつもりであることの証左だ。

必然、士郎の繰り出す剣戟は上限などないかのように加速し、激しさを増していく。
それはいっそ、捨て身の特攻のようにさえ映るかもしれない。
だが、士郎は決してそんなつもりはないし、むしろ計算づくでこの行動を選択していた。

相手が死徒であるのなら、何かしら奥の手がある。
それを出させる前に終わらせるのが、この世界の定石だ。
特に、相手の情報がない時には出方をうかがうか、即座に仕留めにかかるかの二択。
足止めと逃走を最終目的としているこの戦闘において、出方をうかがうよりも先の先に出て主導権を確保し続けた方が分はいい。下手に見に回り、竜が出てきてはたまらないが故に。

本来守勢を得意とする士郎が、こうも攻めに回るのはそれが理由。
そしてその甲斐あって、士郎はその剣から空振りや鍔迫り合いとは異なる手応えを覚え始めていた。
それは皮を裂き、肉を抉り、血の匂いを鼻孔にもたらす、ヒトを斬った時特有の感覚だ。

「先ほどまでの余裕はどうした、吸血鬼!
 我が双剣、確かに貴様に届いているぞ!!」

その言葉の通り、徐々に士郎の双剣は少女の体に届き、その身を紅く染め始めていた。
はじめは辛うじて薄皮をひっかく程度だったものが、やがてその深度を増しその身にめり込み血をまき散らす。

同時に、宙に舞う僅かな血の飛沫は氷点下50度を下回る外気によって一瞬のうちに凍結する。
結果、少女の周りには銀と紅のダイヤモンドダストが舞い、一種幻想的な光景を演出していた。
そのこの世のものとは思えない舞台で、二人は尚も舞う様に剣と爪を奔らせる。

「飾り気のない、人を斬る事だけに特化し研ぎ澄まされた純粋な剣技。
例えるなら、噂に聞いた極東の人斬り包丁でしょうか。
ですが最も目を引くのは、やはりその双剣ですね。その剣の前では、あなたの研鑽も霞んでしまう。
かなりの業物とお見受けしますが、誰の作で銘はなんというのでしょうか?」
「……名ぐらいは聞いた事があるのではないかね。干将・莫耶だ」
「ああ、あの……確かに、それなら私に傷くらいは付けられますか」

そんなやり取りをしつつも、士郎の声には焦りが生じ始めていた。
今のところは特別士郎が不利というわけではない。
銃弾を見てから回避できる肉体的ポテンシャルを有する死徒を相手に、身体能力で競うなど愚の骨頂だ。
故に、序盤舞う様に剣を回避されたこと自体は、驚きはしても予想の範囲を越えはしなかった。
むしろ、徐々に剣が届くようになってきた事を考えれば、優位に立ちつつある。
これまでの事を総合的に見て、予想通り相手の力はそれほどのものではないと言っていいだろう。

では、上手くいきすぎている事への疑念なのかと問われれば、士郎は「否」と答える。
今の状態にしても、少しずつ剣が届くようになった事自体は計算通りの結果だ。
動けば動くほどに体は暖まり、文字通り身も凍るような寒さで固まっていた体はほぐれていく。
一撃放つごとに士郎の剣の冴えが増していき、身体の稼働域が広がっていく。

もとより、これを狙っての後先考えない全力疾走染みた剣戟だったのだ。
倒すためではなく、その布石。
ここまでの剣戟の全ては、肉体のコンディションをより「万全」に近づける為の時間稼ぎであり、布石に過ぎない。

とんでもない荒療治ではある。僅かでも読み間違えれば、一瞬でも判断が遅れればそれが死に直結する危うい策。
だが、生と死の境界に立つ今、そんな事に斟酌してはいられない。
たとえ長く維持はできずとも、たとえ一歩間違えば身体を壊すことになろうとも、引き出せる全ての力を注がねばならない戦場に、今まさに士郎は立っているのだから。
故にこの愚直な特攻こそが、生き残る可能性を開く唯一無二の策だった。
ならば、剣戟の激しさが天井知らずに増していくのは、必然でさえある。

そうして徐々に稼働域が広がってきた分、士郎の剣も伸びやかな物になっていく。
踏み込みと同時に脚先から練り上げた力をロスすることなく切っ先に伝え、少女に斬り掛かる。
時に剣を逆手に持ちかえ、時に片方の剣を投擲し、剣戟の多彩さも加速度的に増していく。

もとより士郎は、他者と比較して技量が格別に優れているわけでも、天賦の身体能力があるわけでもない。
あくなき研鑽の果てに、文字通り刃のように研ぎ澄まされた剣技、それが本質。
才能などではなく、ただひたすらに基本となる九つの斬撃を繰り返すことのみによって可能となる一つの極致。

難しい技になら、複雑な身体運用になら、習得に才能を要するだろう。
だが、次々繰り出される無数の剣戟の中に、特別な部分など何一つない。
足運びから腕の振り、そして力の練り方に至るまで、だ。技らしい技などない、それこそが特別だった。
もっとも基本的な動作から極限まで無駄を排したからこそ可能な、誰にでも到達できる迅さ。
その「基礎の極限」が、今まさに魔性の怪物に届いている。

だがそれでも、あと一歩と言うところで士郎は攻めきれずにいた。
斬撃の合間を縫い、士郎は瞬時に身体を反転させ少女の背後に回り斬り掛かる。
しかしそんな奇襲も、少女に致命傷を与えるには至らない。

「せいっ!! はぁ!」
「ふふふ……ああ、危ない危ない。確か、こういう時は『後ろの正面だぁれ』と言うのがマナーでしたか?」
「不愉快だな、君にとっては子どもの遊戯かも知れんが、こちらは本気なのだがね。
 男を踊らせるのは淑女ではなく、悪女のやり口だぞ」
「手厳しいこと。ですが、女を本気にさせるのも殿方の器量のうちですよ」

確かに剣は届いているが、命にまであともう半歩というところで届かない、それが幾度となく続く。
それに対し苛立ちがない筈もなく、それを見抜いた少女は優雅な所作で士郎をさらに挑発する。

「ほらほら、どうなさったのですか。もっと深く踏み込んだ方がいいのではなくて?
 このような時は、殿方がリードするものですよ」
「安い挑発だ。生憎と、そんなものに乗るほど若くはない!」
「あら、残念……」

どこまで本心なのかはわからないが、少女は口元に白い繊手を添えて笑う。
そんな所作を前にしても、士郎の感じる得体のしれない何かは一向に消える様子がない。
それどころか、少女の仕草の一つ一つからその「何か」が滲み出ているかのようだった。

それは、先ほどから感じていた違和感と同種のもので、戦うほどに鮮明になり不気味さを増していく。
剣が少女の体に届くたび、底なしの暗黒を覗いているようだった。

得体のしれない者に対処するには、徹底的かつ完全な殲滅こそが望ましい。
可能か不可能かはともかく、最低でもその程度の気構えは必要不可欠だ。
ならば当然、それを為すために持てる力と技の全てを傾注すべきだろう。
そう結論した直後に、士郎は少女と鍔迫り合いとなる。

「ちぃっ!? 貴様、この瞬間を狙ったな!!」
「ええ、そちらも適度に暖まったようですしね」

少女が攻めに転じなかったのは、これが理由。
単純かつ明快に、士郎のコンディションが整うのを待っていたのだ。

ぶつかり合っているのは黒白の双剣とか細い指から延びる紅い爪。
普通に考えれば、押し勝つのは肉体的・武器的に優れた士郎であることは疑いようもない。
少女の余裕は、いっそ自殺行為としか言えないもの。

だが相手は普通ではない。少女の姿をしていようと、魔物の膂力は人間のそれを遥かに凌駕する。
いや、そもそも生物としての根本的な性能が違うのだ。
復元呪詛の恩恵により肉体へのダメージを気にせず全性能を振るえる者と、そうでない者。
それ以外にも存在する様々なハンディキャップと、そこから生じる性能差は確固として存在する。
日本人としては恵まれた体躯を持ち、その肉体を鋼の様に鍛え上げ、さらに魔力で身体能力を底上げした。
これでやっと対等になれるかどうか、この少女はそういう領域の存在なのだ。

それを知る少女は、士郎を押しのけようと力を込めた。
力比べをするのも一興、その顔に張り付いた笑みはそう語っている。
同時に、幼さを宿した面持ちの奥からは、魔的なまでの妖艶さが顔を覗かせていた。
しかし、そのタイミングに合わせて士郎は大きくその場から飛びのく。

「あら?」
「生憎だが、君の様な者と真っ向勝負をするような趣味はない。
 君は私を騎士と呼んだが、騎士道……いや、およそ『道』と付くものはみな私からは縁遠いものばかりだよ」

勢い余って僅かにバランスを崩した少女に向け、士郎は懐から取り出した小型の円筒状の何かを放り投げる。
そしてそれは、ちょうど少女の手が届くか否かというところで、「ゴッ!」という音と共に目も潰れんばかりの光を発した。直後、全てを飲み込む白く輝く業火が生じ少女の形をした魔を飲み込んだ。

「ったく、ホントにえげつない真似するわね、アンタは」

その光景を、やや離れたところで見ていた凛は、呆れたかのように呟いた。
それを聞く士郎もまた、肩を竦めて凛の言葉に同意する。

「返す言葉もないな。本来、たった一人を殺す為に焼夷弾を使うなど、普通に考えれば鬼畜外道の所業だろうさ」
「その辺の常識を求められても困るんだけどね。その手の協定とかはよく知らないし……で、死んだと思う?」
「まさか、相手は死徒だ。それなりに年月を経ているのなら、あの程度で死ぬはずがない。
とはいえ、使ったのはエレクトロン焼夷弾だ。二千~三千度の炎に焼かれれば復元するにしても時間はかかろう。何より、この炎はまだ十分以上続く」

人間を相手にするには、明らかに不必要に強力な火力と持続時間だろう。
だが、士郎が想定していたのは対人戦ではない。
こんな物騒かつ正気を疑うような兵器を常備していたのは、ひとえに今の様な状況を想定していればこそ。
人間にはオーバーキルでも、死徒が相手ならば話は別だ。
それどころか、これだけやっても殺しきることは難しい。
となれば、選択肢は限られてくる。追い打ちをかけるか、あるいは……。

「って事は、逃げるなら今ね」
「そういう事だ」

そう言って、今度は白犬の方を士郎は見るが、動く様子はない。
その事からも、あの少女がこの程度では仕留めきれていない事は明白。
だが、全身をくまなく地獄の業火で焼いたのだ、時間稼ぎには十分。

同時に士郎は先ほど感じた不吉な予感を思い出し、早々にこの場を離脱したくてたまらなかった。
正直、これだけやってもなお生きた心地がしないと言うのが彼の本音なのだ。
いくらなんでも焼夷弾の直撃を受ければ足止めくらいはできる筈だが、楽天的にはなれずにいる。

そして、士郎のその本能的な直感は正しかった。いや、むしろ楽天的だったとさえ言える。
相手が並みの死徒であれば、今しばらく程度は足止めできただろう。
しかし、相手はそんな生易しい相手ではなかったのだから。

「あら、もう行ってしまうの?
 舞踏会は始まったばかりですよ、もう少しゆっくりしていかれてはいかがかしら」

白く輝く炎の中から、鈴を転がした様な涼やかな声が届く。
二人の嫌な予想通り、まだ戦いは始まったばかりだった。






あとがき

すみません、思いのほか長くなってしまい二つに分けました。
冒頭の訓練というか日常風景はいらないかなとも思ったんですが、次にいつこれを差し込めるかわからなかったのでねじ込んだ次第です。
あと、その日常風景部分が半分近くを占めていますが、後編の方と合わせればそう占める割合は多くないのでご容赦ください。元々は一つの話だったものですから。
とりあえず今回の「前編」は序章で、次回「後編」が本番というかそんな感じの位置になりますね。

それと、冒頭部分で「なのはの筆記用具はほとんど金属製」という割と意味不明な一文がありますが、これはとらハ3をやった事のある人なら分かるんじゃないですかね。
恭也や美由希も、いざという時に武器にできるような筆記用具しか持たないらしいのです。なら、なのはの持ち物が二人と似たり寄ったりな感じでも不思議はないでしょう。地味に筋トレになりそうですけどね、指の筋肉とかの。


余談ですが、エレクトロン焼夷弾というのは、実際に第二大戦中に使用されていた兵器です。本来はいくつも束ねて空襲に使っていたそうなのですが、逆に言うと個々のサイズはそう大きくありません。調べてみたところ、当時ですら4.2センチで4ポンドほどと、思っていた以上に小さかったみたいです。
士郎の場合相手にする敵が敵なので、通常の手榴弾などよりもこちらの方が使い勝手がよく、勝手に手榴弾的に改造し常に一つは持ち歩いている様な感じです。というか、破片や爆風で攻撃したり、一瞬の熱と炎で燃やしたりするようなタイプの兵器じゃ、死徒とかには相性が悪いと思うんですよ。
それならいっそ、摂氏二千~三千度の炎を上げ十~十五分に渡って燃え続けるこの兵器の方が、化け物相手には向いているでしょう。その上こいつ、酸素を使って燃焼するのではなく化学反応を利用して燃えるので、土の中だろうが水の中だろうがお構い無しに燃え続けるという代物です。なので、一度燃焼が始まると消火剤も無意味な為、燃え尽きるまで待つしかないという危険極まりない兵器だったりします。
とはいえ、なにぶんミリタリーに詳しくないので、目も当たられないような見落としとか素人故の勘違いがある可能性が大いにあります。なので、もし何かお気づきになりましたらお教えください。大急ぎで訂正させていただきます。

最後に今回「寒極」という言葉が出てきました。
普段あまり耳にする事のない単語でしょうが、造語や「極寒」の誤字などではなく実際に存在する言葉です。
これは「かんきょく」と読みまして、南半球と北半球のそれぞれで最も低い地上気温が観測された地点を指します。ちなみに、最悪-60度を下回る事すらあるそうな……死にますね、確実に。
もう人の住む場所じゃありませんて。



[4610] リクエスト企画パート3「アルトルージュ・ブリュンスタッド 後編」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2010/11/06 17:52
ひょんな事から六年前の事を話すことになった士郎と凛。
それはまだ二人が元の世界で戦っていた頃、まだ士郎に左腕があった頃。
そして、その左腕が奪われた時の話。

寒極の大地で遭遇したのは、白い魔犬を引き連れた黒衣の少女。
少女から放たれるは、禍々しい魔の気配と濃密な死の予感。
故に相手が手札を切るよりなお早く、最速を以て士郎は動いた。

それは実に魔術師らしからぬ、だが実に魔術師殺しらしいやり口。
小型焼夷弾による、焼滅。
無論、これで倒せると思うほど士郎も甘くない。
だが、足止め程度にはなった…………筈だった。相手が、並みの化け物であったのなら。

しかし、立ちはだかったのはけた外れの存在である化け物の中でも、さらに別次元の存在。
その時の二人は、未だ自分達が何を相手にしていたのか、理解していなかった。



  *  *  *  *  *



焼夷弾により生じた煉獄の炎は、極寒の世界をも焼きつくす。
だがそれでもなお、燃やせないものがそこにいた。

「あら、もう行ってしまうの?
 舞踏会は始まったばかりですよ、もう少しゆっくりしていかれてはいかがかしら」

白く輝く炎の中から、鈴を転がした様な涼やかな声が届く。
すると、まるで炎は何事もなかったかのように消え去る。
本来、水や消火剤をかけても消えず、燃焼に酸素を必要としない化学反応式であるが故に燃え尽きるのを待つしかない筈の業火だ。それを、この少女はこともなげにねじ伏せて見せた。
一体それは、どれほどの化け物の所業なのか。

予想していた以上に、目の前の少女の力は強いらしい。
そう考えを改めていた二人だったが、更なる驚愕が襲いかかる。

「なんだ、その姿は……?」
「ふふふ、どうでしょう? これで、少しはあなたと釣り合いが取れるかと思うのですが」

そこにいたのは、先ほどのまでのどこか幼さを残した少女ではない。
十代後半、およそ十七・八歳位の、少女を脱し大人の女性へ移行しつつある年頃の漆黒の女がそこにいた。
何より驚くべきは、その身から放たれる重圧がそれまでの比ではない事。
士郎達の目の前にいる女の力は、これまで士郎が出会ってきた数多の化け物たちの中でも上位に位置する。
それこそ、全身全霊をもって挑んで勝てるかどうかという、そういうレベルの。

「なるほどね、そうやって力を抑えていたわけか」
「ええ、その上私の力は少々不安定でして……。
大抵は、この姿で相手をすると皆あっという間に…壊れてしまうものですから」
「つまり、私たちならその姿でやっても耐えられるって事かしら?」
「さあ、それは試してみないと分かりませんけど、お願いですからすぐに壊れたりしないでくださいな。
ただでさえ不安定な上に久しぶりなので、少々加減を失敗するかもしれませんからね。
折角この姿になったわけですし、すぐに終わってしまってはつまらないでしょう?」

そう、漆黒の少女……いや、女はそれがさも当たり前であるかのように告げる。
そして、それは紛れもない真実。彼女は、凛と士郎の二人がかりですら手に負えない怪物。
死徒と呼ばれる化け物達の頂点と、鬼才と異端、二人の魔術師の戦いはこれからが本番だった。



リクエスト企画パート3「アルトルージュ・ブリュンスタッド 後編」



女の言は、あからさまな挑発だ。いや、本人にはそのつもりはないのかもしれない。
彼女にとってそれは当たり前過ぎて、唯事実として口にした可能性は高い。
だがそれでも、気位の高い凛にとっては聞き流していい類の言葉ではなかった。

「…………………言ってくれんじゃないの」

黒い女の言葉に凛の顔が屈辱に染まる。
手を抜いてやるから精々耐えてみろ、そう言われたのだ。
気位が高くそれに見合った力も持つ彼女からすれば、許しがたい侮辱だろう。

士郎は巻き込まれないように一端距離をとり、その上で背後に古今東西の白兵戦武器を展開していく。
元々、遠坂凛という魔術師は精密攻撃に向かない。
士郎ならば阿吽の呼吸で避けて戦う事もできるが、それにも限度がある。
ここから先、近くにいては凛の攻撃の巻き添えを食うのは必至。
言葉にして「下がれ」と言われずとも、長い付き合いの士郎にはそれがすぐに分かった。

「なら、お望み通りにしてあげるわよ!
『―――――――――――――Anfang(セット)!』」

鬱屈した感情を叩きつけるかのごとく、凛はガンドの雨を黒衣の女に叩きこむ。
それは一見すれば、激情にまかせた後先考えない愚かな攻勢にも映る。
しかしそれと同時に、左手にはめた五つの指輪の一つが輝きを放つ。

「『―――――――Vier(四番、),Der Klumpen des(爆ぜよ豪風)Windes wird befreit(吹き荒べ)!』」

感情に流されているように見えて、その実彼女はいたって冷静だった。
ガンドの雨で一瞬の時間を稼ぎ、その間に礼装を以て周囲に突風を巻き起こす。
結果、降り積もった雪は舞い上がり、双方の間に純白の幕を引いた。

「凄い風ですね。でも、これではあなたの視界もふさがれるのでは?」
「そうね、でも数撃てば当たるっていうでしょ? つるべ打ちにしてあげるわ!
『Drei(三番、) Der lightball drückt einen(光球連弾)!!』」

その言葉通り、凛はさらにガンドの回転を上げていく。
また、中指の指輪が輝くと同時に、溢れんばかりの力を湛えた無数の魔弾が女を襲う。
そればかりか、五つの指輪はそれぞれイルミネーションの様に多彩で幻想的な輝きを放ち、多種多様な魔術が次々に編まれていく。

それも複数の術が並列して、だ。
同時にいくつもの術を編み起動させるなど、生半可な技量でできるものではない。

当然、ただ光りを放ち、術が編まれてそれで終わる筈もなし。
炎が、氷柱が、雷が、鎌鼬が、飛礫(つぶて)が、あらゆる角度から猟犬の如く牙を剥く。

「っとと、これはまた絢爛ですね。白銀の世界に踊る多彩な輝き、見世物としては中々の物ですよ」
「ふむ、あまりそちらにばかり気を取られるのは関心せんな。そら、背中ががら空きだ!!」

そればかりか、さらに背後からはいつの間にか移動していた士郎までもが無数の剣弾を放ってくる始末。
いや、士郎自身も弓を構え、息つく暇も与えない様に矢を射続ける。
黒衣の女を以てしても、さすがにこの濁流の様な大攻勢には手古摺らざるを得ない。
しかも不思議なことに、一連の攻撃はまるで女の事を目視して放っているかのように正確なのだ。

その事に女は内心で首をひねる。
背後にいる士郎はまだいい。その威力や連射の速度に比して、精度には目を見張るものがあるがそれだけだ。
士郎は別に、凛の目眩ましの影響を直接的には受けていない。

しかし、雪のカーテンを間に挟んでいる凛の攻撃の正確さは、明らかに異常だ。
だが、答えの出ない問いに執着する事なく、眼前に迫る魔術の数々を引き裂き、矢と剣弾を蹴散らしていく。
彼女の反射神経を以てすれば、雪のカーテンを越えてきてからでも十分対応可能だ。

そして凛は、そんな光景を『上空からの視点』で観察していた。
士郎が戦っている間に、上空にウォッチャーを飛ばしその視界から戦場を俯瞰していたのだ。
それこそが、自ら視界を封じていながら正確に攻撃できた理由。
あまりにも単純だが、それ故に見落としがちな初歩の初歩。
実戦においてはこういった単純な手こそ、転じて悟られ難く効果的である事を彼女は知っていた。
簡単で単純であるからこそ、それは「盲点」となりうるが故に。

さらに、追い打ちをかけるように右手の指に挟んだ宝石を投げる。
色とりどりの宝石が宙を舞い、凛の詠唱と共に目も眩まんばかりの輝きと共に膨大な魔力を放つ。

「『Ein KÖrper(灰は灰に) ist ein(塵) KÖrper(は塵に)―――!』
まだいくわよ! 耐えられるもんなら耐えて見せなさい!!
『Fixierung(狙え、), EileSalve(一斉射撃)――――!!』」

士郎の矢は上空からも降り注ぎ、女の行動を制限する。
その上で無数の剣弾と多彩な魔術が、怒涛の勢いで漆黒の女を攻め立てているのだ。
これでは、反撃はおろかその場から動く暇さえなかなか見いだせない。
だがそれと並行して、凛の冷徹な部分が先の言葉を冷静に吟味していた。

(ヤバいわね、完全に相手の力量を見誤った。
いくら抑え込んでいたとはいえ、それを見逃すなんて不覚とかうっかり何てレベルじゃないわよ。
たぶん、低く見ても死徒の中でも上位に位置するくらいの力はある筈。場合によっては祖に匹敵するかも。
 となると、下手を打てばホントに瞬殺されかねない。でも、今の感じなら……)

打倒は不可能ではない。リスクを無視すれば、やりようによっては殺しきることも可能だろう。
そこまで無理はしなくても、二人揃って生き残る算段は充分に付けられる。
しかし凛の見立ては、正しくもあり、間違いでもあった。
たしかに、“今のままならまだ”凛達でもあれから逃げるくらいはできるだろう。

だがもし、その本当の力が解放されたのなら……。
そうなれば話は変わってくる。しかし、凛は未だ女の本当の力を見切れていない。
悲しいかな、凛ほどの才智を以てしても、その力の深淵を見抜けなかった。
だがそれは凛の未熟などではなく、あまりにも単純かつ残酷なまでに、黒衣の女の次元が違いすぎただけの話。

「見事です。大胆にして繊細、精緻にして豪快。
 これほどの技量と胆力をその若さで身につけるとは、大した才能です。
 そちらの騎士も、なかなか素晴らしいコレクションを持っていますね。
ですが、この程度ですか? もしそうなら、非常に遺憾ながら落胆せざるを得ません」
「まさか、ここまでのはぜ~んぶ布石。本命はこれからよ、乞うご期待ってね!
『Gewicht(重圧、), um zu(束縛、)Verdopp(両極硝)elung――――!!』」

不意を突く形で重力系の捕縛陣が展開され、女の体が雪の海に沈んでいく。
常人であれば全身の骨が折れ、内臓が潰れ致命的なダメージを負うだろう。
だが相手は常人どころか、そも人間ですらない。

(まあ、瞬間契約級のランクがあるわけでもなし、アレほどの死徒なら壊すにしても抜け出すにしても、恐らく五秒とかからないわね。だけど、だからこそ……!!)
「士郎、離れて!!」

凛の一喝により、士郎は全速力で黒衣の女から距離をとる。
しかしその一瞬、士郎の眼に逡巡の様なものがあった。
だが幸か不幸か、凛はそれに気づかなかった。

「『Koordiniere Rahmen(座標設定)―――――――Laß Flugzeuge an(術式起動)』」
ああもう! アンタのおかげで大赤字よ、責任とってもらうからね!」

士郎が稼いだ時間を費やして展開した、瞬間契約級の大魔術。
それを起動し、凛達の周囲が帯電する。その電圧は、最早大自然の放つ落雷と比べても遜色ない。
普段であれば、あまりにも煩雑すぎるその性質からとてもではないが実戦では使えない代物。
それを今ここに、たった一人の敵を殲滅する為に使う。

「テンカウントの大魔術よ、有り難く喰らいやがりなさい。
『Sehr großer Blitz(雷光招来)―――――――Ärger des Himmels(降り注げ、天の怒号)
―――――――Gib Bestrafung vom Licht(其は等しく下される裁きの鉄槌)!!!』」

凛がそう宣言するのと同時に、周囲で帯電していた雷光が一点に収束する。
あまりにも激しい光は夜を昼と錯覚させ、その耳朶を貫く轟音は聞いた者の平衡感覚を乱す。
同時に凛は、自身の放った渾身の一撃に確かな手応えを覚えていた。

(よし、確実に直撃した。科学兵器じゃ効果は鈍くても、魔術で消し炭にしてやればしばらくは動けないでしょ。
 できればとどめを刺したいけど、藪をつつくのは御免だし、今は逃げる方が先決………って!?)

凛がそこまで考えたところで、今なお鳴り響く迅雷の嵐に向かって突き進む人影があった。
それは、彼女にとって何よりもよく見知ったものだ。

「士郎! アンタ何やってんのよ! 今は逃げる方が……」

凛は大声で叫ぶが、その声が届いていないのか士郎はなおも突き進む。
その手には、禍々しい魔力を湛えた真紅の魔槍。
そこに来て、やっと凛は士郎の意図を悟る。

(そこまでしないと、逃げられない相手だっていうの? それとも……)

殺す以外に、この場から生きて帰ることが不可能な相手か。
士郎の行動の意味は、そのどちらかしかあり得ない。

一つ確かなのは、どちらにせよ凛の認識が甘かったという事。
誰よりも近くで黒い女と戦い、その力の深淵の一端を垣間見た士郎だからこそ、感づいた何かがあるのだ。
焼夷弾の爆発を当たり前のように耐えた瞬間から、士郎は認識を改めていた。
曖昧な推測や勘を当てにすることなく、最大限の警戒を以てこの敵に対すると。
だからこそ彼は、これだけの大魔術に加えて更なる追い打ちをかける為に疾駆する。

「『刺し穿つ(ゲイ)―――――――――死棘の槍(ボルク)!!!』」

真名を解放し、士郎は槍を雷光の中に突き入れた瞬間に後方に飛びのく。
だが主の手を離れてなお、槍は敵の心の臓目掛けて雷霆の中を掻き分けていく。

当然だ、何しろ放たれたのは因果を逆転させ『すでに心臓に命中している』事実を作ってから放つ必中の槍。
回避も防御も不可能な、『槍のダメージ+相手の体力』となるが故に必ず敵を殺す魔の槍。
本来の投擲・対軍宝具としてではなく、第五次聖杯戦争のランサー『クー・フーリン』オリジナルの使用法。
その神代の一刺を以て、士郎はその命脈を絶ちにいった。

そして、士郎が槍を突き入れたのとほぼ同時に一際大きな閃光が生まれる。
目も潰れんばかりの眩い輝きは一瞬。
だがその瞬間、耳に馴染んだ声が凛の下へ届く。

「ぐ、あぁぁぁあぁ!」
「士郎!?」

届いたのは、全身を電撃が駆け抜ける痛みに耐える士郎の声。
いくら対象として設定されていなかったとはいえ、アレだけ近づけば余波くらいは受ける。
だがそのリスクを負ってでも行かねばならないほどの存在と、士郎はあの黒衣の女を認識したのだ。

光が収まるのとほぼ同時に、凛は己が半身を探して周囲を見渡す。
やや離れた場所に、防寒具の上着を黒こげにした士郎が横たわっていた。
その瞬間凛の顔から血の気が引くが、すぐに首を振って心を立て直す。

(あの程度で死ねるんだったら、アイツは聖杯戦争の最中に十回は死んでる。
 アイツの一番の武器は、異端の魔術でも精神性でもなくて、そのしぶとさなんだから)

その認識の正しさは、横たわる士郎が身じろいだことで証明された。
どうやら、電圧で多少焦げただけで大事はないらしい。
反撃を受けた形跡もない。これならば行動に支障をきたす事もないだろう。

その予想通り、そのままゆっくりと士郎は起き上がり、凛に一瞬目配せをして再度前を向く。
その眼には、「まだ終わっていない」という意思がありありと浮かんでいた。

「アレでもまだ終わりじゃないわけ? 一体何なのよ、アイツ。
士郎、手ごたえは!」
「確実に心臓を貫いた、それは間違いない」
「だったら、どんなにしぶとくてもしばらくは……」
「ああ、そうだ、その筈なんだ! なのに、これだけやったっていうのに、まるで生き残れる気がしない。奴の力の底が見えてこないんだ! ここまでやって、それでも死ぬのは俺たちなのか!!」

士郎の声には、明らかに焦燥と恐怖がにじんでいる。
凛と自身の必殺を期した攻撃を与えたにもかかわらず、それでもなお揺るがない不吉な予感。
そして士郎は、先ほどまでの自分達の認識の甘さを痛感していた。

(抑え込んでいた力を見抜けなかった? 力の程を見誤った? 違う、そんな生易しいもんじゃない。
 ダメージを受けた今なら分かる、力は抑えてはいても隠してはいない。隠そうともしていない。
 なのに気付かなかったのは、アレという存在が、あまりにも暗く深く、巨大すぎたんだ。
俺たち如きでは、計りきれないほどに)

それは、大海の広さを皮膚感覚で認識できない事とよく似ている。
あるいは、完全な暗闇の中で視覚は役に立たないと言うべきか。
要はそれほどまでの差が、両者の間にはあったのだ。

その事実を認識し、士郎は思わず歯噛みする。そもそも、アレと遭遇した時点で打つべき手は逃走の一択のみ。
にもかかわらず、二人は戦ってしまった。その時点で、最早二人の命運は尽きていたのだろう。
あとできる事があるとすれば、もてる力の全てを費やして奇跡に懸けるしかない。
あるいは、ほんのわずかな時間寿命を延ばすことができるかもしれない、という程度かもしれないが。
とそこで、凛はようやく目の前の存在の正体に行きついた。

「……………………言い訳する気にもならないわね。ここまで気付かなかったなんて、完全に私のミスだわ。
これだけやって死なないとすれば……間違いなく二十七祖、それも下手すると最上位クラス。
その条件の中で、こいつと符合するようなのは一体しかいない」

そして、まるでその言葉にこたえるかのように、黒い女は黒焦げになった大地に悠然と屹立していた。
その身は先の雷撃により焼け爛れていたが、それも見る間に消えていく。
ダメージがどれほど残っているかは定かではないが、さすがに完全に消えたという事はあるまい。
恐らく……としか言えないが、消えたのは表面的な傷だけで、中身までは完全ではないだろう。
だがそれでも、女は胸を貫いていた槍は無造作に引き抜き、容易くへし折って消滅させる。

「あら? やっと気付きましたか。聡明そうだから、もっと早く気が付くかと思ったのですけれど」
「悪かったわね。正直、その姿になったばかりの時点だと、そう大きな力がある様には感じられなかったのよ」
「まあ、無理もありませんか。先ほども言いましたように、私の力は不安定なのですよ」
「つまり、やっとその姿での本調子が出せるようになってきたって事かしら?」

そう、「不安定」と言う言葉は、何も力を「うまく抑えられない」と言う事だけを意味する言葉ではない。
逆に言えば、「上手く力を引き出せない」ともとれる。
幸運か不運かはさておき、先ほどまでは後者であった。

「でもそう、じゃあやっぱりあんたは……」
「ええ、あなたの思う通りです。私はアルトルージュ、アルトルージュ・ブリュンスタッド」
「死徒二十七祖の第九位、実質的な二十七祖の頂点。それが、なんでこんなところに……」

そう、凛がその可能性を除外していたのはそれに尽きる。
二十七祖、それもこのクラスとなれば表に出てくる事など滅多にない。
その上、白騎士と黒騎士という最強の護衛も伴わずに、死徒の姫君が現れるなど誰が予想しよう。
遭遇すること自体が奇跡に等しいはずの存在と、このような極北の地で出会うとはだれも思わない。

何より、彼女であれば二人を瞬殺することだって可能なはずなのだ。
ブリュンスタッドの名を持つという事は、つまりそういう事。
こうして面と向かってまだ生きていること自体が、凛には悪夢としか思えなかった。

「なんで? 私がここにいるのはそんなにおかしなことでしょうか?」
「ええ、おかしいわね。こんな辺鄙なところに来る理由もわからないし、いる筈の護衛がいないのもわからない。
 っていうか、姿が変わるなんて初めて知ったわよ。
まあ、あなたの情報なんてほとんど出て来ないから仕方ないかもしれないけど。
 で、まさかこの災害に乗じて血を飲みに来た、何て小物みたいな事を考えているわけじゃないんでしょ?」
「そうですね、確かにこの状況なら血を吸っても怪しまれませんが、本来の目的ではありません。
 ちょうどいいので、晩酌代わりにしようかとは思っていますけど。ですが、本当に理解できませんか?」
「だから、理解できたらそもそもこんなことになってないわよ」

どこまでも自然体に、自分がここにいるのは当然、と言わんばかりのアルトルージュ。
だが、凛にそれが理解できるはずもない。もし可能性があるとすれば……

「この辺にあなたの城があるとでも?」
「いいえ、私の城は別の場所にありますよ。
ですが…………本当に分からないのですね。
 なら、もう少し付き合ってくださいな。生きていたら、その時に教えてさしあげましょう」

そう言って、アルトルージュは一歩踏み出す。
そこで士郎達は気付く、彼女は今まで一歩も動いていなかった事に。
それほどまでの戦力差が、彼らの間にはあったのだ。

(ったく、いくらなんでもあんなのの相手なんてできないわよ)
(逃げる、これ以外の選択肢はない。だが、それにはどうすれば……)
「ああ、もし逃げると言うのなら構いませんよ。ただ、その時はこの子に先ほどの人間達を追わせるだけですが。
 それでもいいのなら、お逃げになって結構です」

二人の思考を先回りするように、アルトルージュは最悪の未来を宣言する。
アルトルージュが従えると犬となれば、そんなものは二十七祖の第一位『ガイアの魔犬』以外に考えられない。
霊長に対する絶対的殺害権を有するそれから逃げおおせるなど不可能。
追われた人々は、確実に、間違いなく、一人残らず食い殺されるだろう。
それは、士郎達にしたところで例外ではない。
そしてこういう時、衛宮士郎がどういう行動に出るか、遠坂凛は誰よりもよく知っている。

「ちぃ、やるしかないようだな………」
(士郎相手にそれは最悪だわ。もうこいつには、逃げるっていう選択肢はない。
ま、どのみち逃げようとしたら私達も追われて食い殺されるんだろうし、賭けてみるしかないわよね)

奇跡に、ではない。二十七祖が二体、それも最悪の部類に入る二体だ。奇跡の起こる余地すらない。
こんなものを相手に、凛達では逃げおおせる事など不可能だし、ましてや勝つ事などできる筈もないのは明らか。
そんなことは、二人とも先刻承知している。

しかし、今ならまだ相手はアルトルージュ一人。
これでも勝ち目はないだろうが、やりようによってはしばらく命を繋ぐ事が出来る。
夜明けまで持ちこたえれば、生き延びる事が出来るかもしれない。

相手は死徒の姫君、風の噂では「死徒と真祖の混血」と聞く。
ならば、半分とはいえ死徒の血が流れている筈だ。
それなら……

(夜明けさえ来れば、あの女もこの場に居続けるわけにはいかなくなるかもしれない)

それだけが、凛達に残された希望だった。
可能性は低いが、それ以外に縋るべきものがない。
幸いなことに、東の空が白み始めている。
夜が明けるその瞬間まで生き延びる、それが二人の戦いだった。

その狙いには当然アルトルージュも気づいているだろうが、彼女にとってこれは遊戯。
ならば当然、これくらいの制限がなくては面白味がなかった。

(はてさて、どこまで楽しませてくれるのでしょうか?
 まだだいぶダメージも残っていますし、中々期待できそうですね)

はっきり言ってしまえば、先の一撃のダメージはかなり大きい。
なにぶん雷撃とゲイ・ボルグの一撃を受けたのは本調子からは程遠い状態の時。
あの状態では、些細な(アルトルージュ視点)ダメージでもそれなりに深刻なものになりうる。
如何に力を解放したとはいえ、さすがに万全からは程遠い。

だがそれでも、彼女は負けるなどと微塵も思っていない。
そも、この程度の人間を相手に彼女が負ける筈がない。
彼女に致命傷を負わせる得るほどの力をもった人間など、魔法使いを含めても十人いるかどうか。
多少のダメージを受けた程度で、その事実は崩れるものではない。
死徒二十七祖の頂点、真祖と死徒の混血、真祖の王族『ブリュンスタッド』の名を持つとはそういう事なのだ。
そして当然、目の前の二人がその十人でない事だけは明白だった。

「それにしても、大したものですね。この百年、私を黒焦げにし、あまつさえ胸を貫いた者はいませんでした。
 時間を与えた上に、あの槍のおかげもあったとはいえ、それでも見事ですよ」
「よく言う、その傷にしたところですでに消えているではないか」
「まあ、これくらいで私を殺しきるのは無理でしょうね」

これくらいとは言うが、言うほど簡単な話ではない。
十人いれば、十人が確実に死ぬような武装だ。二十七祖でも十分に殺せるほどの。
だが、それを受けきってこその二十七祖の頂点なのだろう。

「さあ、私が護衛も連れずに立ち会うなんて、数世紀に一度あるかないかです。思う存分足掻いてくださいな」
「上等じゃないの。なら、こいつはどうよ!!
『Es last frei.(解放、)Werkzung(斬撃)―――!』」

凛はそういうや否や、懐から取り出した短剣を一閃する。
その軌跡から、膨大な魔力を宿した極光が迸った。
並みの者が相手なら、この一撃で灰燼に帰す事もできただろう。
だがそれほどの一撃ですらも、頂点を討つには到底足りない。

「規模と格は落ちるとはいえ、疑似エクスカリバーみたいなこいつを受けてなんで平然としていられるのよ」
「……本当に驚きました。あなた、シュバインオーグの系譜の者だったんですね」
「一応はね。どう? 朱い月の二の舞でも演じてみる?」
「フフフ、それも一興ですね。一度、それと戯れてみたかったものですから!」

宝石剣の一撃を片手で受け止めたアルトルージュは、攻撃目標を士郎から凛に変更し雪原を疾走する。
それに対し、凛もまた全身全霊の力を以て相対した。

「出し惜しみはなしよ。最初から全開で……薙ぎ払う!!
『Es wird beauftragt.(次弾装填)! Es last frei.(解放、)Eilesalve(一斉射撃)――――!!!』」

その言葉通り、凛は装填できる限界の魔力を切っ先に乗せて放つ。
しかも、それは一度や二度ではなく、息を突く間もないほどの連撃としてだ。

「『Gebuhr, zweihaunder(次、接続)…………! Licht versammelt sich(収束),Alle Befreiung(一斉解放)!!』」
「大盤振る舞いですね。できるなら、私がそこに行くまでもたせてくださいな」
「言われるまでもないわよ! 『Eins,(接続、)zwei,(解放、)RandVerschwinden(大斬撃)――――!!!』」

使えば使うほどに腕の筋肉が千切れていく激痛の中、それでも凛は攻撃の手を休めない。
一瞬でも手を休めれば、その瞬間にアルトルージュの魔爪が己が体を砕くと知っているのだ。
だからこそ、後先考えず、今持てるすべての力を惜しみなく注いでアルトルージュに対するより他にない。
このペースを維持する事だけが、彼女の命を繋ぐ唯一の方法であるが故に。

「『――――――――Ein großer photosphere(大光球) Schnepfe(狙い撃て)!!』
ハァ、ハァハァ、どういう構造してるのよアイツ。これだけ魔力の塊喰らって、なんで傷一つ付かないかなぁ。
『Es last frei.(解放、)Werkzung(斬撃)―――!』」

巨大な光の塊が、薄く鋭い高密度な魔力の刃が、それぞれ無数の軍勢となってアルトルージュを襲う。
にもかかわらず、彼女はそれらを無造作な爪の一薙ぎで蹴散らしていく。
圧倒的で、絶望的なポテンシャルの差。
技術など介在する余地もなく、圧倒的で次元違いの魔性に魔導の奥義は蹂躪されていく。
それを悔しいと思う事さえできないほどの隔絶した存在を前に凛は―――――――――――――――――――絶望してはいなかった。

(頼んだわよ、このペースじゃ私も長く持たない。
アンタのそれで、少しでもダメージを与えるしか、もう手はないんだから)

凛の視界の端に写るのは、彼女が頼りとする唯一人の相棒の姿。
凛が命の危機にさらされながらも、士郎は微動だにしない。
目を固く瞑り、右手を胸に当て何事かを呟く。

「『――――I am the bone of my sword.(体は剣で出来ている)』」

それは、士郎の心を世界に映す為の詩。
彼のみに許された大魔術を起動する為の、世界で一つだけの呪文。
今士郎は、唯その神秘を為すだけの機構となっている。

全ては、最終的に二人で生き残るために。
だがその心中は、決して穏やかなものではない。

(焦るな、ここで失敗すれば全てが終わる。
 凛が意識を引きつけているうちに、何としてでもこれを完成させるしか、俺達が生き残る術はない)

実のところ、アルトルージュは士郎が何かをしようとしている事には気付いている。
しかし、気づいていて何もしない。それでは面白くないからだ。

「『―――Steel is my body.(血潮は鉄で) and fire is my blood(心は硝子)』」
(女の方は第二魔法の限定行使、男の方は神代の武装の使い手……いえ、アレは再現というべきでしょうね。
 そして、今している詠唱は一体何でしょう? まったく、これだから人間は…………本当に面白い)

アルトルージュの顔が喜悦に歪む。
人間は彼女を飽きさせない。科学でも神秘でも、彼女の想像の上を行く。
だからこそこうして人間相手にたわむれるのは、悠久の時を生きる彼女にとって貴重な楽しみだった。
そして士郎と凛は、ここ最近では最高レベルの『あたり』だったと言える。

「『Es wird beauftragt(次弾装填)―――――――Hohe(力の) Wellen(波濤)!!』」
「『―――I have created over a thousand blades. (幾たびの戦場を越えて不敗)』」
「アハハッ、アハハハハハハ! まだ、まだですよ。もっと、もっともっと見せてくださいな。
 あなた達の力を、あなた達の蓄積を、あなた達の研鑽を!」

凛が放つ魔力の本流を掻き分け、士郎の魂の詩に耳を澄ます。
人間はどこまで行くことができるのか、それは彼女にとって何よりも興味深い事柄の一つ。
その人間達の生み出した物を自分はどこまで凌駕できるのか、それは彼女にとって命を懸けるに値する娯楽。
決して彼女は戦闘狂ではない。ただ単純に、子どものように純粋に、自分と人間の力を知りたいだけなのだ。

だがこの遊戯も、終わりが見えてきていた。
ついにアルトルージュの魔爪が、凛の喉元にまで迫る。

「これが朱い月を滅ぼした第二の一端、堪能させてもらいました。
 でも、まだあなた【人間】では私を滅ぼせない」
「そうね、あなたを滅ぼすにはまだ足りない。
でもね―――――――――――手傷を負わせるくらいならできる! 人間、なめんじゃないわよ!!
『Herausziehen(属性抽出)―――Konvergenz(収束)、Multiplikation(乗算増幅)!
 ―――――――――――Rotten(穿て) Sie es aus(虹の咆哮)!!!』」

虹の咆哮数発分の魔力を一点に収束させた上で拳に乗せ、ゼロ距離からアルトルージュの胴めがけて放つ凛。
右手で宝石剣を操りながら、左手で最後の一手を編み上げていたのだ。
その一撃はカウンターの要領で決まり、アルトルージュの体を七色の極光が貫き、吹き飛ばす。

「士郎、今のうちに終わらせなさい! アレなら、数秒で立ち上がってくる!!」
「『―――Unaware of loss.(ただの一度の敗走もなく、)』」

凛の声が届いたのか、士郎の詠唱も着々と進んでいく。
瞬間契約にも匹敵する長詠唱だけに先は長いが、その時間を稼ぐのが凛の役目。
ならば、一撃入れた程度で気が緩む事などない。
そのまま凛は宝石を上空に投げ上げ、静かに詠唱を開始した。

時を同じくして、弾き飛ばされたアルトルージュはその顔に喜悦を浮かべながら、無残な姿になった自らの腹を見る。そこには、腹部を貫通するほどの風穴があいていた。だがその傷も、見る間に消えていく。
強力な復元呪詛を有する彼女にとって、この程度はかすり傷と大差ない。

とはいえ、それは少しばかり長期的に見ればの話。
明日には跡形もなくなり余韻すら残らない傷だろう。
だが、今この時に限れば、このダメージが抜けきるにはもうしばらく時間を要する。
何しろ、ここまでに彼女は無数の雷撃、宝具の一撃、さらには宝石剣の連撃に晒されてきた。
表面的には取り繕われているが、内に蓄積したダメージは尋常ではない。

まあ、並みの死徒であればとっくの昔に死んでいなければおかしいのだが、そこは頂点に立つ者。
この程度では、まだまだ彼女の命には届かない。
だがそれでも、未だ命の危機を覚えない現状でも、自分に確かな傷を与えた人間に、彼女は惜しみない称賛の念を抱いていた。

(“まだ”全開ではないとはいえ、本当に手傷を負わせますか。
 蓄積したダメージも馬鹿になりませんし……あの人間の言う通り、これだから人間は侮れませんね)

それは、紛れもないアルトルージュの本心。
絶対的な力の差を覆そうと足掻くその意思は、生まれながらの超越者である彼女にはないものだ。
それ故に理解できない。理解できないからこそ、彼女は人間のそんなところを警戒していた。
どれほどの超越者であっても、「分からない」ものほど恐ろしいものはないのだから。

「『―――Nor aware of gain(ただの一度の勝利もなし)』」
(動こうと思えばでなくもありませんが……いささか無粋ですね。
このダメージでは動きもそれなりに鈍りますし、醜態を晒すのもちょっと……。
何より、それはあまりにも――――――――――――つまらない)

そうして彼女は傷が完全になくなるまでの間、あえて白銀の大地に身を横たえる。
この傷はあの女があの男につなげる為に、命を賭して付けたもの。
なら、この傷がなくなるまでの間くらいは、待ってやろうと思ったのだ。

とはいえ、凛に黙って傷が癒えるのを待つ義理はない。
当然、この好機を逃すことなく一気呵成に攻め立てる。
例えそれが儚い希望に縋る様な、あるいは自身ですらどれほど意味があるのかと不安を覚えようとも、だ。

「『――――Wahrheitball(真球形成)、Leichte Anstiege(魔光汪溢)
――――Herbst vom Himmel(天の原より来れ)―――――Laß die Sonne fallen(堕ちろ、燐光の鎚)!』」
(と、あまり余裕ぶっている場合ではありませんか。
 これ以上ダメージを受けると、さすがに“抑え”がきかなくなるかもしれませんしね)
「『―――Withstood pain to create weapons.(担い手はここに孤り)』」

宝石剣から魔力を供給された光の球がアルトルージュの真上に形成され、それは加速度的に大きさを増していく。
しかもその数たるや五つ。その威力は、先ほど凛が放った『虹の咆哮』にも迫るかもしれない。

そして、如何なアルトルージュとて、『今の状態』でこれ以上ダメージを受けるのは危険だ。
今の彼女の力は、蓄積したダメージのせいもあってだいぶ弱体化している。
それこそ、現状では祖の中で最下位扱いになってしまうほどに。

無論、この程度でくたばるほど甘くはないが、それがかえって危険なのだ。
彼女は真祖と死徒の混血。この両者には数多の差異があるが、共通点もまたある。
その一つが吸血衝動、その意味合い、理由こそ大きく異なるが、それでも両者に共通してそれはあるのだ。
あまりダメージを受け過ぎると、普段は抑えているそれが首をもたげるだろう。

(そんな事になっては、折角の楽しい時間が終わってしまいますね。
 となれば、何としてもこれを受けるわけにはいきませんか。
彼女には少し悪い気もしますけど、背に腹は代えられませんし……)

アルトルージュはそう結論し、この戦いが始まって初めて逃げを打つ。
まだ癒えきっていない傷を抱えたまま起き上がる。
そして、尋常ならざる…だが先ほどより確実に遅い速度でその場から離脱した。

結果、凛の追撃は虚しく雪原に沈む。
しかし、凛はそれを口惜しんではいない。

「ったく、やっぱり狸寝入りしてたか……。趣味が悪すぎんのよ!」
「ああ、やはり気付いていましたか。なんとなくそんな気はしていたのですが……」
「ったり前でしょうが!! この程度で動かなくなるなんて、それこそ物理的にあり得ないわよ」
「まあ、事実その通りなのですから、返す言葉もありませんね」
「でも、さすがに傷が癒えきってないみたいね、動きが鈍いわよ。
『Es wird beauftragt(次弾装填)―――――Licht versammelt sich(収束),Alle Befreiung(一斉解放)!!』」

そうして、凛はさらに莫大な魔力の乗った一撃を放つ。
アルトルージュはそれを正面から受ける事はせず、ヒラリと軽やかに紙一重の所で回避していく。

それが幾度繰り返されただろう。
一見すれば、凛の攻撃は無駄打ちに写る。
だが、これまでアルトルージュは全てを力づくでねじ伏せてきた。
その彼女が、回避に回っている。見る者が見れば、それは愕然とするような光景だ。

それも、怒涛の攻撃の全てを回避しきる事は今のアルトルージュの状態では難しいのか。
彼女の体にはわずかずつであるが、小さくない傷が刻まれていく。

しかし、それも時間の問題。刻一刻とアルトルージュの傷は癒えて行っている。
しかもその速度は凛が傷を与える速度を凌駕し、受けた傷の悉くが見る間に消えていく。

そしてその反対に、凛の顔には疲労と焦燥が色濃く浮かび上がっていく。
無理もない。確かに傷を、ダメージを与えているのに、つけた傍からその傷がなくなっていくのだ。
それはつまり、アルトルージュがさらに力を解放し安定してきていることを意味していた。

たとえば自転車がそうであるように、いっそ速度を出した方が安定するものがある。
今のアルトルージュがまさにそうなのだが、そんな事は凛にとってなんの意味もない事実だったろう。
例え、ヒトの身でここまで彼女の力を引き出した者がそういないとしても……。

(仮にそうだったとして、それになんの意味があるんだっての……。
 『よくやった』とでも言って、自分を慰めろとでも?
 生き残れたならそれも良いけど、今はそれどころじゃないんだから!!)
「『―――waiting for one's arrival(剣の丘で鉄を鍛つ)』」
(士郎の詠唱もあと少し。なら、何があろうとそこまで繋ぐっきゃないでしょ!)

そう、だからこそ凛は生き残るために最善を尽くし、その為に尚足掻き抜く。
全ては、自分と相棒が生き残る為に。

「あっちも終わりが近いわね。なら、少しそこで休んだらどう? 手伝ってあげるわよ」
「あら、どうやってですか?」
「こうやってよ!!
『――――Belasteb Zunahmen(天蓋失墜)、Einheit entspannt sich(結束解体)
――――Provoziere es im Tod(黄泉の門を開く)――――――Begrabe einen Sarg(沈め、礫塊の棺)!!』」
「あ、これは……」

途端、アルトルージュの周囲にそれはまでと比較して、なお強力な魔力が生じる。
そしてその結果、アルトルージュの体が雪原に沈む。
先ほどとは比べ物にならないほど強力な重力場が、彼女を雪に埋める。

否、雪どころではない。
それこそ厚い雪と氷の層を貫き、さらに下にある大地さえも泥状になって沈下していく。
唯の高重力空間ではなく、同時に足元の雪や大地の結束を崩し、一種の液状化現象に近い現象を引き起こした結果だ。普通に考えれば、底なし沼の如くアルトルージュの体は地の底に沈んでいく事だろう。
そう、普通に考えれば……。

「『―――I have no regrets.(ならば、)This is the only path(わが生涯に意味は不要ず)』」
「惜しかったですね、もう少し早くこれを使っていれば、私を地の底に一時的に封じる事も出来たでしょうに。
 さすがに、これだけの大魔術を発動するには、時間がかかってしまいましたか……おかげで、だいぶ復元させていただきましたよ」

その言葉通り、アルトルージュは今なお地上にいる。
周囲の情景から、未だに桁外れの重力場が存在している事は明白だ。

ならば、なぜ彼女は沈まないのか。
それはひとえに、彼女が自身にかかる重圧の全てを相殺しているからに他ならない。
それは空想具現化によるものなんか、それとももっと別の何かなのか。それは凛にもわからない。
あるいは、それこそ力技で圧し掛かってくる重圧を支えているだけという可能性すらある。

だが一つだけ確かなのは、これでもなおアルトルージュの動きを制限するので精一杯という残酷な事実だけ。
それだけの力を行使できるほどに、彼女は回復してしまっていたのだ。
しかし、凛はそれで構わぬとばかりに重圧をかけ続ける。

「そうみたいね。でも、それならそれで、このままそこに縫い付けてやるだけよ!!」
「なるほど。つまりこれは、彼の詠唱が終わるまでに私が術を破るか、あるいはあなたが術を維持できるかの戦いという事ですね。中々面白い趣向です、乗って差し上げましょう」

そう、確かにアルトルージュは自身にかかる重圧を何らかの方法で防ぎ地上に立っている。
だが、同時に彼女は先ほどからその場から動いていない。
その意味するところは、今はまだ互いの力が拮抗しているという事。

それなら凛のする事は決まっている。
士郎の詠唱が完了するその瞬間まで、何としてでも術を維持し続けるのみ。
対して、アルトルージュはその言葉通り、術から抜け出すのではなく術を破る事に力を注ぐ。
アルトルージュは悠々と術を破戒しようとし、凛は必死の相貌で術を維持する。

そして、それは間に合った。
ガラスにヒビが入っていくような音が響く中、士郎の口が最後の呪文を紡がんとする。
その事に気付き、さらにアルトルージュの笑みが深くなった。

(完璧なタイミングですね。
私も彼女も狙ったわけでもないというのに……これが人間達の言う『信頼』や『愛情』のなせる業なのでしょうか? さあ、待っていた甲斐があるか、最後のトリを飾るにふさわしいか、私に見せてください!!)
「……さすがに限界、か。後は任せたわよ、士郎」
「ああ。『―――My whole life was(この体は、)”unlimited blade works”(無限の剣で出来ていた)!!!』」

アルトルージュが術を破り凛が倒れ伏すのと、士郎の詠唱が終えたのは全くの同時。
その瞬間、白銀の大地に二本の赤い炎の線が生じ弧を描く。
二本の線は一つとなり、内と外を分ける境界となる。
そうして隔離された円の内側で、世界は崩壊し――――――――――――新たな世界が産声を上げた。

それは、先ほどまでの白い世界とはまったく別種の赤い世界。
ダイヤモンドダストの代わりに舞うのは、数え切れないほどの火の粉。
夜空は夕焼けのように赤く染まり、重く厚い雲が天蓋のように空を塞ぐ。
地を埋め尽くすのは雪ではなく、荒野に屹立する古今東西の魔剣・聖剣・妖刀・神槍から無銘の刃まで、気が遠くなりそうな武器の数々。それらが、あたかも墓標のように無造作に断ち並ぶ。

その作り変えられた現実を前に、さしもの死徒の姫君も感嘆を禁じえない。
それは本来、千年にも及ぶ研鑽の末にさえ至れるか否かという領域。
二十七祖の中にあっても、使える者が限られる禁呪。
それを一介の魔術師が為したとなれば、千の賛辞を以てしても到底足りない。
何しろ、彼女ですらこれを見た事など数えるほどしかないのだから。

「…………素晴らしいです。これがあなたの能力の秘密、これがあなたの世界、これがあなたの心。
 何度見ても思います、どのような形、どのような思いを抱いていようと、心を形にした物は須らく美しい。
 人間達の目にどう映るかは分からないけれど、この世界はどんな名画にも勝る芸術ですよ」
「…………………」
「あら? どうなさいました?」
「いや、今までそんな事を言われた事がなくてな。どう反応していいか、正直困っていた」
「どう反応していいか? そんな事は簡単ですよ。
誇りなさい、芸術は須らく作者の心を形にした物。なら、心の全てを形にしたこの世界は、至高の芸術です。
そこに貴賎はない、そこに優劣はない。あるのは唯、『美しい』という現実だけです。
世界は唯美しくあらんとするのみ。ならそれは、この『世界』にも言える事でしょう?」

死徒の姫君からの、虚飾を排した純粋な手放しの称賛に士郎は戸惑う。
だが、やがてその言葉の意味するところを理解する。

(なるほどな。つまり、はじめからこのお姫様は俺達【人間】を知りたかっただけなのか)

戦っている間中、ずっと敵意も殺意も何も感じなかった。
一度はなめられているのかとも思った。それだけの実力差があるのだから仕方ないとも。

だが、それは全て間違いだった。
アルトルージュという存在は、ただ相手の本質を、根幹を知ろうとしていただけ。
戦闘など、彼女にとってそのための手段の一つにすぎなかったのだ。
友人になる為ではない、理解し合う為でもない。知ってもらう為ではなく、ただ一方的に知りたいがために。
相手の全てをさらけ出させる為に、徹底的に追い込もうとしただけなのだ。
彼女に理解者は必要ないからこその、ある意味最も完成されたあり方だった。

(とはいえ、気を抜けば本当に殺されるのだからたまったものではないな。
 今にしても、ここでやめようものなら八つ裂きにされかねん)

士郎にはそれがわかっていた。知ることが目的であるが故に、生かす事など慮外。
彼女と対峙して許される選択肢は、「殺される」か「結果的に生き残る」だけ。
生かされる事など、ありはしない。

「行くぞ死徒の姫君。私を知ろうと欲するのなら、我が全身全霊その悉くを打ち破ってみるがいい!!」

士郎は両腕を翼のように広げ、それに呼応する形で地に突き刺さる剣軍が浮き上がっていく。
そして、天高く掲げられた腕を振り下ろすと、全ての剣が王命に従うかの如くアルトルージュに向けて殺到する。
その豪雨の様な剣の軍勢を前に、アルトルージュは息を突く

「さすがに、これは“このまま”だと少し危ないかもしれませんか。
 あの女から受けたダメージもまだ完全には消えていませんし……」

傷こそなくなったが、凛から受けた攻撃のダメージの蓄積はかなりの物だ。
凛が無数に放った魔術の数々、それらは確かにダメージを与えていた。
だからこそ、その上これだけの概念武装や宝具の連弾にさらされるのは危険。
如何に二十七祖の頂点といえど、限界は当然存在する。

そう、“このまま”ではそろそろ限界が近づきつつある。
となれば、“このまま”なければいいだけの話。

「ああ、この姿を晒すなんて、本当にいつ以来でしょうか。あなた達には、それだけの価値がある」

そうアルトルージュが呟いた瞬間、彼女は剣の軍勢にのまれた。
だが、士郎も凛もそれに安堵する事は出来ずにいる。
なぜならアルトルージュがのまれる瞬間、空気が一変したからだ。

「ちょっと……なんなのよ、これ……」
(空気が、重い。とてつもない重圧と絶望感、何が起こっている……)

まるで、目の前に隕石でも迫っているような、そんな印象。
抗う事など、立ち向かう事など想像することさえできない、圧倒的で絶対的な何か。
それが、突如として士郎達の全身に圧し掛かった。

しかし二人は即座に理解する。
今まで垣間見ることさえできなかったアルトルージュの力の底、その一端がほんのわずかだけ顔を出したのだと。

「これが、二十七祖の頂点だと? 化け物なんて言葉でも生温い……」
「一端のさらに一端に過ぎないはずなのに、私達とどれだけ差があるってのよ」

今まさに目の前でその変貌を目の当たりにしたからこそ、士郎にはそれがわかった。
魔術師の総本山、時計塔でも指折りの優れた魔術師であるが故に、凛にもそれがわかった。
だが、どれほどの差があるか理解できない。自分たちでは、比較対象にすらならないと言う事しかわからない。
もし相手が「最古参」と呼ばれるような祖や、それに近い力を持つ祖でもない限り、二人とて「二人でやっても絶対に敵わない」とまでは思わないだろう。
分は悪いにしても、事実上手く立ち回れば「なんとかなるかもしれない」位の力はある。

しかし悲しいかな、相手はその「最古参」をも従えるような別格。
規格外の化け物揃いの祖の中にあって、尚他の追随を許さぬ者。
真祖の血を継ぐ、血と契約の支配者にして黒血の月蝕姫。
霊長最強の魂とまで称されるサーヴァントをも容易く凌駕するもう一人の朱い月の後継者、黒と対をなす白、真祖の姫『アルクェイド・ブリュンスタッド』と並び立つ存在。
遭遇し戦闘になった事、それ自体が敗因になる様な力の持ち主なのだ。

(あのジジイ、どうやってこんなの倒したのよ……。
 これじゃ、両腕が使えたって足止めすらできないじゃない)

凛の左腕は、すでに宝石剣の使い過ぎでボロボロ。同様に、右腕もまた限界ギリギリの魔術行使に焼けただれズタズタだ。これでは使い物にならないが、その事実さえ今は気休めにもならなかった。
仮に両腕が顕在でも、どうにもならないという現実を叩きつけられているが故に。

その上、現在進行形で彼女の魔力は桁外れの勢いで消費されている。
理由は言うまでもない、固有結界だ。士郎はすでに真名解放を一回使っているし、唯でさえ魔力量は多くない。
ならば、夜が明けるその時まで結界を維持するには別の所からの補給を必要とする。
それが凛の役目。もし援護しようとして魔力を使えば、それこそ士郎の足を引っ張る事になる。
故に彼女には、最早傍観に徹する以外の選択肢は存在しなかった。

「死ぬんじゃないわよ、士郎」

彼女にできるのは、士郎の無事と早く夜明けが来る事を祈るだけだった。
そんな俺の無力さに、凛は歯噛みし綺麗な唇をかみちぎる。

そして、今まさに戦場に立つ士郎は、あらんかぎりの力を振り絞りその全てをアルトルージュに叩きつけていた。
それはある意味、消えかけた蝋燭の最期の灯に似ていたかもしれない。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

砲弾のように射出される数多の武装、その数は優に千を超える。
だがその全てをアルトルージュは時に軽やかに回避し、時に力技で打ち落としていく。
それは一種の舞いとなり、轟く着弾音すらも引き立て役へとなり下がる。

未だかつて、ここまで真っ向から固有結界『無限の剣製』に挑んだ敵はいなかった。
小細工抜きで、己が身一つで、剣の丘を凄まじい速度で駆け抜けていく漆黒の吸血姫。
その顔には、溢れんばかりの笑みが浮かび、状況が状況でなければ思わず見とれた事だろう。

「アハハハハハハハハハハハハハハ!! 素晴らしい、本当に素晴らしいですよ、あなた方は!!」
(これが、この姿が、この力が……ブリュンスタッドの名を持つ者の本領か……)

アルトルージュの姿は、先ほどまでのそれからさらに変化している。
十代後半の少女と女性の中間の姿から、二十代中頃の艶やかで妖艶な美女へと姿を変えていた。
おそらく、これが彼女の本来の姿にして本当の力。
その力に、士郎は最早絶望することすらできずにいた。

ブリュンスタッドの名を持つ者と、他にも出会った事がないわけではない。
殺人貴と共にあるもう一人の姫君と、少なからず顔を合わせた事はある。
だが彼女は、士郎達の前で一度としてその本領を発揮した事がない。
単純にその必要がなかったのだ。大抵の敵は彼女にとって敵にならないし、士郎達も彼女がいる場で殺人貴と事を構えようとはしなかった。負けると分かりきっていたからだ。
だからこれが、士郎達が初めて目にするブリュンスタッドの本領の切れ端である。

(結界が消えるのが先か、奴がたどり着くのが先か……。まあ、恐らくは後者なのだろうがな)

最早、士郎の鷹の眼を以てしても視認すら困難な速度で振るわれる両腕。
髪を振り乱しながらも、決してその優美さが、妖艶さが損なわれる事はない。
同時に、髪の隙間から垣間見える瞳はその紅さを一層増しているように思われた。

侵攻の速度は衰える事を知らず、いくら数を投入しても焼け石に水。いや、この場合は火山か。
赤い大地と剣の雨の中にあって、漆黒のドレスと白磁の肌は異様な美しさを放っている。

だが、士郎にそれを注視している余裕はない。
アルトルージュが見えない腕を一振りすると、彼女に迫っていた戦斧が消えた。
そしてその直前、士郎は嫌な予感……いや、泥のように纏わりつく死の気配に従い、大きく体を傾ける。
すると、何かが士郎の頬の横を通り過ぎ……いや、僅かにかすめていった。

「ちぃ!? 殴った宝具をこちらにはじき返すなんて、バカかあいつは!
 常識外れにもほどがあるぞ!?」

そう、アルトルージュはよりにもよって、宝具のピッチャー返しを行ったのだ。
しかもその速度は、士郎の目ですら視認できない超高速。
並みの者であれば、当たった事に気づく間もなくミンチになり絶命していただろう。

しかも、それは一度や二度ではない。
大体のコツをつかんだのか、その後連続して致死性のピッチャー返しが士郎を襲う。

この瞬間より、両者の立ち位置は完全に逆転した。
最早士郎には、攻め続けると言う唯一のアドバンテージすら許されない。
彼はなんとかアルトルージュの足を止めようと剣軍を放つ一方、飛来するはじき返された宝具から逃げ続ける。
アイアスを使えば防げるだろうが、魔力を惜しむのなら真名解放はできない。
そんな事をすれば、結界の維持時間を大幅に削ることになる。
それは、自殺行為以外の何物でもない。

そうこうしているうちに、士郎の体は朱に染まっていく。
飛来する宝具の速度は、士郎の回避限界スレスレ。
手近な武器と相殺するか、あるいは辛うじて回避するの連続。
それを繰り返せば、自ずと士郎がボロボロになっていくのは必然だった。

そして、やがてそれも終わりを迎える。
だがそれは、決して士郎が限界を迎えたからではない。
ついにアルトルージュが、その間合いに士郎を捉えたのだ。

「大したものです。今の私を相手にこれだけ抗えた人間も珍しい。
 約束通り、あなた達の名前を聞かせてくださいな。その名、永劫刻む事を約束しましょう」
「もう過去系かね? というより、なぜ今のタイミングなのだ?」
「? 次であなたは死ぬでしょう? なら、いま聞くしかないではありませんか」

その言葉に、士郎は「やはり」と思う反面、僅かな光を見た。
相手の中でこの戦いはすでに終わっているのだろうが、現実的にはまだだ。
実情はどうあれ、士郎はまだ生きている。とどめを刺し、死亡を確認するまでが戦い。
それを怠ったという事は、アルトルージュの中に油断が生じたという事。

どれだけ取るに足らなく、どれだけ彼我の力に差があろうとも、油断は油断。
ならその油断を突けば、あるいは……。
しかし、今はまだそれを悟られるわけにはいかない。

「衛宮、衛宮士郎だ。彼女は遠坂凛。これでいいかね?」
「ええ。シロウにリン、あなた達の事は千の時を経ても忘れません。
さようなら、楽しい時間をありがとうございます」

それだけ聞いて満足したのか、アルトルージュはその身を低くし疾走の構えをとる。
士郎はそれに対し、最後の力を振り絞って叫ぶ。

「……………………凛も言ったろう、人間をなめるな!!!」

アルトルージュが動き出す直前、バーサーカーの斧剣とハルバートという超重武装を放つ。
そしてその瞬間、アルトルージュの姿が消えた。
それはもう、人間の反射の限界を越えた速度。
人間は撃たれた弾丸を見てからかわせない。これは、それと同じレベルだった。

だがそれなら、発射のタイミングを見極め、弾道を予測することで回避することもできるのではないか。
アルトルージュが動く寸前、最後の剣弾を放ったその瞬間、士郎はすでに動きだしていた。
あの体勢では、最後の剣弾をはじく可能性は低い。
アルトルージュならば武装を砕いて進むこともできるが、飛来するそれが宝具である可能性を考慮するのならその選択肢はまずとらない。宝具が相手となれば、多少でもダメージを負う事はすでに分かっている。

決着を宣言したからには、これ以上の傷を負う事を彼女がよしとする筈もないだろう。
故に、取られる選択肢は『飛来する武装を避けての攻撃』の筈。
彼女なら、動き出すその瞬間に進路を変えることくらいは造作もないだろう。
なら後は、限定されたその軌道を読み切れば回避は不可能ではない。

長年死線を彷徨う戦場と厳しい鍛錬に明け暮れた士郎が得たスキル「心眼」。
それは、修行・鍛錬によって培った洞察力。窮地において自身の状況と敵の能力を冷静に把握し、活路を見出す“戦闘論理”。逆転の可能性が1%でもあるのなら、その作戦を実行に移せるチャンスを手繰り寄せられる。
それを以て士郎は、アルトルージュという凶弾の軌道を読み切った。

しかし、人の身の限界はいついかなる時も存在する、冷徹かつ残酷なまでに。
即ち、攻撃の軌道は予測できても、士郎にはそれをかわせるだけの運動性能はなかった。
つまり……

「がっ…あ、あぁぁぁぁぁぁぁあぁぁあっぁあぁあぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁあぁあぁぁぁぁあぁぁあっぁあぁあぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁあぁああっぁあっぁぁあぁあぁぁ!!」

響き渡るのは断末魔の如き絶叫。
爪なのか、それとも牙なのか、あるいはもっと別の何かによるものなのか。そもそも、敵は自分に触れたのか。
それすら判然としないが、士郎の左腕は肩から少し先がなくなっていた。
士郎は口からただならぬ量の血を吐きながらも、残った右手で傷口をつかむ。
だが、その程度では止血にすらならない。血は止めどなく溢れ、唯でさえ赤い荒野をさらに紅く染める。
しかし最後の一滴まで流れ出すように見えた紅い命の噴水も、その全てが吐き出される事はなかった。

「……と、『凱甲…展開(トレース…オン)』…………」

士郎は激痛に苛まれながらも『剣鱗』を展開し、無理矢理傷口をふさいで止血する。
剣と剣が噛み合い、さながらジッパーの如く傷口を閉ざした。
僅かに血が漏れ出してはいるが、それでも先ほどまでの様な大出血というわけでもない。
少なくとも、これで出血死する事はないだろう。
その代わり非常に荒っぽい処置のせいで、傷口はより一層酷い有様になってしまったが……。

だが、士郎が受けたダメージはそれだけではない。
今のアルトルージュの一撃がかすめたのか、左側の肋骨が全壊し内臓を傷つけている。
士郎の口からも零れる血は、内臓が深刻なダメージを受けた証だった。
それらから伝わる激痛は、最早想像を絶する。と同時に、「無限の剣製」が大きく鳴動した。

(ヤバ!? 唯でさえ魔力が底を尽きかけているのに、今のショックで結界が揺らいでるじゃない!)

士郎からやや離れたところでその光景を目の当たりにした凛は、状況の悪さに目を見開く。
無理もない。一瞬でも長く固有結界を維持することが、彼らの勝利条件を満たす唯一の方法なのだ。
ならば何があろうと、今ここで結界を崩すわけにはいかない。

そもそも、固有結界とは術者の心象風景を具現する大魔術。
それすなわち、術者の精神状態がもろに影響すると言う事。
如何に自分の命に価値を見出せない士郎とはいえ、腕を失えばショックも痛みもある。
それは彼の鋼の精神に僅かな動揺を与え、唯でさえ魔力不足で不安定になりつつある結界を揺るがしていた。

「気張りなさい、士郎! ここでアンタが崩れたら、全部水の泡なんだから!!」

何もできない自身の無力さに奥歯を噛みしめ、痛む両腕に眉をしかめながらも、声を大にして士郎を叱咤する。
士郎は文字通り血反吐を吐きながらも必死に結界の維持に努め、剣弾を待機させつつアルトルージュの姿を探す。

そして、それはすぐに見つかった。士郎の背後、およそ五十メートル先。
そこでアルトルージュは士郎に無防備にも背を向け、その右手に士郎の左腕を握っていた。
士郎はすぐさまそこに向け有りっ丈の剣弾を叩きこむが、その全てが空を切る。

彼女はそれまで以上に軽やかに、いっそゆっくりにさえ見えるほど優雅な動作でその全てを回避したのだ。
だが、そんな超絶技巧を披露した本人はというと、実に不思議そうに先ほどの事態を反芻していた。

「おかしいですね、確実に心臓を抉っていたはずなのに……?
 あなた達の言う通り、侮っていたのでしょうか? でもどちらかというと、あなたのした事は軽い奇跡だと思いますから、私に非があるのではなくて、あなたが私の予想を越えたというべきでしょうね、この場合は」

身体には最早痛み以外の感覚はなく、口の中は血の味しかしない。
士郎が意識を保っていられるのは、ひとえに痛みが気つけになり、喉と口を満たす血の不快感があればこそだ。
それらにしたところで他の五感同様、徐々にだが確実に感覚に幕が掛かり、霞み、遠ざかっていく。
当然、身体を支える脚からも力が抜け、自身が立っているかどうかさえあやふやになりつつあった。
それはつまり、それだけ死が士郎に迫りつつあるという事だろう。
しかしそれでも、士郎は総身の力を総動員して意識をとどめ続ける。

「かっ、はぁ……ごぼっごほっごほっ、そんな事はどうでもいいがね。まだ、やるのかな?
 一度仕留め損ねた相手を二度襲うと言うのは、君としては…どうだ?」
「そうですね、さすがにそれはちょっと無様過ぎますか。でも、これくらいなら問題ないでしょう?」

そんな士郎のダメもとの問いに答えつつ、アルトルージュは自由な左手を一閃した。
すると、それまで辛うじて維持されていた結界は途端に砕け散る。
そうして現れた外界は、まだ完全に夜の帳が明けきってはいない微妙な時間帯だった。

同時に、唐突に再び晒された極寒の空気により、士郎の全身の傷口は血液もろとも凍結していく。
当然、失われた左腕も剣鱗もろとも血液が凍りつく事で完全に止血された。
しかし、剣鱗と言う「金属」で直接塞がれている左腕には、あまり時間は残されていない。
早く剣鱗を解除して処置しなければ、本当に壊死してしまうだろう。
だがそれらの事に気付くことすらできないほど、結界を破壊されたという事実に士郎は愕然となる。

「そんなに驚くほどの事ではありませんよ。あそこまでガタガタなら、壊すことくらいは簡単です」
「言ってくれる、一応あれは…私の秘中の秘なのだが…ね」

そこまで言ったところで士郎は力尽きたかの様に、あるいは諦めたかの様にその場で崩れ落ちる。
氷結しているとはいえ、目に見える傷は多々あり、左腕まで失っているのだから当然だが、それだけではない。
極限の戦闘を続けた精神的疲労、限界まで絞り尽くした魔力、そして最後のアルトルージュの一撃の余波で左腕を奪われ左側の肋骨もぐしゃぐしゃだ。正直、それまで立っていられたことこそが不思議な有様だろう。

よく見れば、凛もまた雪原に倒れ伏したままだった。
原因など分かりきっている、魔力の枯渇以外にあるまい。
それだけ、二人にとってこの戦いは限界ギリギリのものだったのだ。
それこそ、身動き一つできないほどに消耗するくらい。

「ハァハァ、ハァ……後は好きにするがいいさ、もはや立つ余力もない。私の…敗北だ。
 だが、頼みがある。この命はくれてやる、だから……」
「彼女を見逃せと? バカにしているのですか?」

その答えは、ある意味予想通りのものだった。
そんな取引などしなくても、アルトルージュは容易に士郎を殺せる。
最早これは交渉とさえ呼べないものだったが、それでも士郎はそう懇願せずにはいられなかった。
せめて、せめて凛だけは……。誰に対しても平等であらねばならない正義の味方としては失格かもしれないが、それでも士郎はこんな時くらい誰よりも大切な人を守りたかった。

「それが叶わぬというのなら…………君を道連れにするだけだ」

できるかどうかは思慮の外。ただ「やる」。それ以外の選択肢など、この時の士郎には存在しなかった。
そして、士郎の言葉は唯の苦し紛れでもなければ、単なるハッタリでもない。
死を前にした今となっては、魔術回路が焼き切れたところで問題ないのだから、いくらでも無茶ができる。

(手がないわけではない。もう一度、コンマ一秒でも固有結界を展開できれば手はある。
 試した事はないし、試す事も出来なかったが…理論上はできる筈だ。
 彼女を道連れに固有結界を消滅させれば、あるいは……)

固有結界は、魔術であると同時に一つの世界だ。
なら、それを「魔術として消滅」させるのではなく「一つの世界として自己崩壊」させればどうなるか。

それは、未だ誰も試した事がない究極の捨て身の術。何しろ、そんな事をすれば自分が死ぬ。
固有結界はその性質上、例外はあるが術者も敵も基本的に結界よって括られた“世界”の内側に存在する。
もし、それを一つの世界として崩壊させる事が出来れば、それは一種の空間消滅に匹敵する可能性があるだろう。
当然、その内部にいる者はそれに巻き込まれ、跡形も残さず消え去るはずだ。
いやそれ以前に、術者は自身の心象風景を消滅させることになるのだから、先に精神的な意味での死を迎えることになるだろうが……。まあそれにしたところで、数秒程度の差でしかないだろう。

だが、そんなものに巻き込まれれば、さすがの頂点でもただでは済むまい。
殺しきれるかは疑わしいが、それだけが現状士郎に打てる唯一つの手だ。
魔力も残り少ない。刹那でも発動できるか分からないが、それしかない。

とはいえ、それも所詮は机上の空論。試した事はないし、試した者も知らない。
本当にそんな事ができるのか、できたとして期待しているような効果があるのか、全てが未知数。
最悪、士郎は廃人となるだけにとどまり、現状が全く変化しない可能性すらある。
しかも、その可能性は恐ろしく高い。それでも、それに縋るしか士郎にはなかった。

「おやめなさい。自己犠牲は確かに美しいかもしれませんが、私の好むところではありません。何よりそれはあまりに無意味です。
いえ、そもそもあなたは、私がそんな無様を晒すと思っているのですか? 私はあなた方を殺そうとし、あなた方は生き残った。それが全てですよ。
 勝ち負けを言うのなら、これがあなた方【人間】の勝利でなくてなんだと言うのですか」

士郎の思考を先回りするようにかかる、アルトルージュの制止の言葉。
それは、到底素直に信じられるようなものではない。
どこの世界に、折角仕留めた獲物を見逃す獣がいるというのか。
彼女が遊んでいただけにしても、それはいくらなんでも酔狂過ぎる。

「本気で、言っているのか?」
「当たり前でしょう。本来、私と対峙した時点であなたの死は決定していたのです。
それをたった一度とはいえ、曲がりなりにも覆したのですから」

先ほどはああ言ったが、こうして生き残れた事が士郎は今でも信じられず、イマイチ実感がわかない。
ただアルトルージュの顔は、不機嫌そうであり、同時に楽しそうでもある事が印象深かった。
それはおそらく、思い通りにならなかった事への複雑な感情なのだろう。
しかし彼女は、口に出してはこういった。

「ええ、人間にしては楽しめました。
 まさかこんな所、こんな時代で守護者になる資格を持つ者と会うとは、思ってもみませんでしたから」

士郎はそれを聞き、思わず目を見開く。
一体何を以てそう判断したのかはわからない。
だが彼女の眼には、確かに士郎がその資格を持つ者として映ったのだ。
士郎と凛、それに桜以外知らない筈の事に気付いたという事実。
改めて士郎は、この姫君の規格外さを思い知った。

「本当に、月が綺麗だったので散歩に出たのは正解でしたね」
「おい、それがここにいた理由なのか?」
「? そうですが、それが何か?」

まさかそんな理由でこんな目にあったとは思っていなかっただけに、というか思いたくないので、士郎は思わず残った右手で眉間を押さえる。全身を襲う痛みも、倦怠感も、失った左腕も気にならない。
何かの気まぐれで殺されてしまうかもしれないという懸念すら消えうせた。
それほどまでに、彼女の発言は士郎にとって頭が痛かったのだ。

「まあ、正確に言えばここは私のお気に入りでして……。
この時期、この場所で満月の夜に見るダイヤモンドダストは、本当に美しいのですよ」
「まさか、吹雪が突然止んだのは……」
「はい、少々邪魔だったので無理にどいていただきました。具体的には……」
「その話はもういい!? 頼むから話題を変えてくれ!」

いったいどうやってどかしたのかは大いに疑問だが、士郎はそれを聞く事を拒んだ。
聞けば絶対に後悔する、そんな確信があったからだろう。
聞くところによると、アルトルージュには空想具現化は使えない。
それが力を抑えた状態だからなのか、それとも解放してもそうなのかは定かではない。
だが、使えなくてもこいつなら力技で何とかしてしまえる気がするから恐ろしい。
むしろ、その可能性が怖くて士郎は聞く事を拒んだのだ。

「ああ……情けなさ過ぎて死にたくなる」
「そんなに死にたいのなら、手伝いましょうか?」
「いらん!!!」

意外に、というか妙にズレた事を言う姫君に士郎は怒鳴る。
それで不評を買って殺されるとしても、そんな事はどうでもよかった。
そんな下らない理由でこんな死闘をさせられたのかと思えば、これくらいは言ってやらないと気が済まないのだ。
というよりも、そうやって愚痴っていないとやっていられないと言う方が正しいかもしれない。

「そうですか。まあ、それはともかくとして、今の問いに答えた代わりに一つ聞かせていただきたいのですが」
「なんだ?」
「あなたはなぜ、ここにいたのですか? それも、あの人間達を助けようとしているようにも見えましたが?」
「ズバリその通りだよ。何か問題でも?」
「いえ、あまりに魔術師らしからぬので」
「ああ、生憎と俺は魔術師じゃない、魔術使いだ。俺が求めるのは根源でも魔法でもない」
「では、何を?」

士郎の答えに、アルトルージュは興味があるのかないのかよくわからない表情で問う。
相手がそんな表情だったからだろう、士郎は僅かに思案しつつもその本心を久方ぶりに他人に吐露した。
もう最近では、凛の前で位しか口にしなくなっていたその単語を。

「………………………………………正義の味方」
「なんですか、それは?」
「なに、か…………確かに、君には理解できないものかもしれんな。いや、理解する必要すらないのか。
 そんな余分なものなど、本来君にとっては必要ではないし、あっても害悪にしかなるまい。
だが俺は、誰一人取り零すことなく、みんなを救う正義の味方になりたい。それだけを、追い求めてきたんだ」

流れたのは沈黙、アルトルージュは士郎の言葉を笑うではなく、だからと言って感想を述べるわけでもない。
只黙ってその言葉を租借し、彼女なりに理解しようと努めていた。
そして、ゆっくりと彼女は口を開く。ただし、最後まで彼女は士郎の夢について自らの考えを述べはしない。
それがなぜなのかは、恐らく本人にしかわからないだろう。

「……そうですか。では、今宵は楽しませていただきましたし、褒美を取らせましょう。
 あなたの存在、能力ともに稀有なものですが、何よりも貴重なのはその在り方。
 あなたがどのように生き死ぬのか興味があります」
「なに?」

士郎は饒舌にそう語るアルトルージュに、思わずいぶかしむような表情を浮かべる。
無理もない、士郎が夢を語った相手で誰一人としてこのような反応を示した事はないのだから。

「あなたの奮戦と理想に敬意を表し、今宵は腕一本を代価に、この場にいた人間その全てを見逃しましょう。
 精々足掻きなさい人間。あなたの望みは、ある意味魔法にさえ匹敵する」

それだけ言って、アルトルージュは士郎に背を向ける。
その胸には、血に濡れることもいとわず士郎の左腕が抱えられていた。
背中からでは表情はわからないが、滲み出る空気はどこか上機嫌そうな印象を与える。
彼女にとって、これまでの戦闘もそれに費やした時間も、そして最後に得た戦利品も満足のいくものなのだろう。
それこそ、都合よく見つけた月夜の晩酌を捨てたところで、惜しむ気持ちの欠片も浮かばないほど。

士郎にしてみれば、自分の腕など持ち帰ってどうするつもりなのか甚だ疑問なのだが、恐ろしくて聞けない。
故に、士郎は口に出してこう尋ねた。

「いや、俺達だけじゃなく、あの人たちも見逃してくれるのはありがたいが……褒美なのか、それ?」
「………………………………………」

なにか、士郎の言葉が妙なところを刺激したのか。
アルトルージュは背を向けたまま、途端に不機嫌そうなオーラを放ち始める。
そうして、今度は不機嫌さを隠しもしない……だがどこか拗ねた様な声音で脅しをかけた。

「では、改めて殺して差し上げましょうか?」

誰を、とは敢えて言わない。恐らくは今夜この土地にいた人間の全てを指しているのだろう。
それ自体は非常に肝が冷える内容なのだが、もし士郎が正面からアルトルージュの顔をみる事が出来たならば、そうは思わなかったかもしれない。
何しろ、死徒の姫君が口を尖らせて不貞腐れると言う、数百年に一度あるかどうかの貴重な、最早珍事としか言えない表情をしていたのだから。

まあ、士郎がそれを見る事はなかったし、別に見たいとは思わなかっただろうが……。
重要なのは、士郎はそれ以上余計な事は言わなかった、それだけだろう。

「わ、わかった、感謝する。だからもう一度殺そうとするな!」

とりあえず大急ぎで士郎が弁明すると、何やら満足げにアルトルージュは「それでいいのです」などと呟く。
どうにも、士郎にはこのお姫様のキャラクターがつかめなかった。

「ああ、それと私の契約を望むのならいつでもいらっしゃい。世界などに渡してしまうのは少々惜しいもの。
 そうですね、その時はあなたの腕も返してあげましょう。この腕は私が魂レベルで奪っているので、たとえ復元させたとしても機能は戻りませんよ」
「性質の悪い呪いを残してくれる」
「あなたの心…いえ、魂の奥に根付くそれに比べれば、かわいいものですよ」
(本当に底がしれんな、このお姫様は……)
「それでは、またお会いする機会があるとよいですね。
帰りますよ、プライミッツ。あまり遅くなると、フィナやリィゾがうるさいですからね」

それだけ言って、アルトルージュはプライミッツ・マーダーの背に乗り、その場から姿を消した。
残されたのは、左腕を失ったボロボロの魔術使いと、両腕に重傷を負った魔術師。
互いにガス欠だったが、幸いそこはウイルスや細菌も生きられぬコキュートス(極寒の地獄)。
士郎の傷にそれらが侵入する心配はなかった。とはいえ……

「俺としては、二度と会わない事を祈るばかりだ………………って、このままじゃ凍傷になるじゃねぇか!
 いや、それどころじゃないのか?
 って、おい凛…………凛? こら凛! このうっかりあくま、寝るな! 寝たら死ぬぞ!!!」
「うぅ……あれ? 母さんが川の向こうで手を振ってるぅ~……」
「それは三途の川だ! 絶対に渡るんじゃないぞ!! っていうか死にそうなのはむしろ俺だろ!!
 誰か――――――――――――! た―――すけて―――――――――――!!」

その後、つい先ほど逃げた男達のうちの何人かが引き返してきて、士郎達は何とか一命を取り留めた。
幸いにも、ロシア政府の救援は割と早く訪れ、生存者の中から死者を出す事態は防がれる事になる。
そうして、ある程度体が動くようになった二人は、士郎の左腕をなんとかするべく時間を費やすことになったのだが、それはまた別の話である。



  *  *  *  *  *



「と、まあ大体そんな感じだったかな」
『……………………………』

もう何とコメントしていいのか分からず、なのは達はあんぐりと口を開いていた。
そして、ようやくアリサが一言口にする。

「なによ、その怪獣大戦争……」
「待ちなさい! なんで私達まで怪獣扱いなのよ!?」
「いや、十分すぎるくらいに怪獣だと思うんだけど……」
「なのは、何か言ったかしら? よく聞こえなかったからもう一度、はっきりと大きな声で言ってちょうだい。
 そうね、内容次第では今後の訓練をもっとゴージャスにしてあげるわ、嬉しいでしょう」
「あ、あははははは、やだなぁ凛ちゃんってば、わたし何も言ってないよ、ホントだよ!!」

なのはは凛に睨まれて、すっかり負け犬となって目を逸らす。
完全に確立され揺らぐ事のない上下関係が、そこにはあった。
しかし、そこでアイリが士郎にある事を尋ねる。

「そのあと、彼女と会ったりはしたの?」
「いえ、会えそうな場にいた事はありますが、結局会う事はありませんでした。
 たぶん、お姫様なりの拘りとかがあったんじゃないですかね。護衛の黒騎士に遭遇した事がありましたが、『姫から手出し無用と言付かっている』みたいなこと言ってましたし。
 推測ですが、俺の方から会いに行かない限り絶対に会わない様にしていたんだと思います」
「そう……」

士郎のその言葉に、一同揃って安堵する。
もう一度会っていたら、一体どんなことになっていたかと冷や冷やしていたのだろう。
何しろ、下手をすると士郎が死徒にされていた可能性もあるのだから。

「でも、シロウ達の所の吸血鬼って……なんだか壮絶なんだね」
「確かに、これじゃあわたし達の事なんて怖くもなんともないよね……喜んでいいのかよくわからないけど」
「まあ、あのレベルはさすがにほとんどいないけどな。
会うとしたら、それはもう天災に見舞われたみたいなものだよ。運が悪いにもほどがあるっての」

そう言って肩をすくめる士郎に、フェイトもすずかもひきつった笑みを浮かべる。
確かに、遭遇した理由が理由なだけに運が悪すぎるとしか言いようがない。
さすがにそれに関してどうフォローしていいのかわからないので、こうして笑ってごまかすしかなかった。
だが、そこでいい加減痺れを切らしたはやてが士郎の行動に突っ込みを入れる。

「みんな、思いっきり目を逸らし取るけど、なんで焼夷弾なんて常備しとんねん」
「人生何が起こるか分からないからな、備えあれば憂いなし」
「良い事言ったつもりかもしれへんけど、もっと他に備えておくべきものがあるで。絶対」

さすがにというか何というか、焼夷弾はいくら何でもやり過ぎだろう。
もう戦場意識がどうこうというレベルではなく、明らかに発想がかっ飛んでいる。
本人も自覚はしているが、そのおかげで生き残れたようなものなので、当面それを直す気はないのだった。

「ま、人生こういう事もあるから、今のうちに詰め込めるだけ詰め込むわよ」
「結局そこに行きつくんだよね……」
「仕方ないよフェイトちゃん、もうわたし達に引き返す道なんてないんだろうし」
「当たり前でしょうが。大体、アンタ達にはこれくらいがちょうどいいのよ」
「「それどういう意味!?」」
「やり過ぎくらいがちょうどいいって意味」

なのはとフェイトは、そんな凛の無体な言葉に悲嘆にくれる。
そのやり取りを眺めていた守護騎士達は、割と凛の意見に賛成的。
よく言えば彼女らの事を買っているのであり、悪く言えば追いこんで楽しんでいるとも言える。

まあ何にせよ、世は事もなし。
こうして子ども達は、また一つ友人の歩んできた壮絶な道のりを知ったのだった。






あとがき

結局こういう形で仕上がりました。
賛否両論色々あるかと思いますが、アルトルージュの情報はほとんどないので独自設定で埋め尽くされています。
ですが、できればあまり気になさらないで頂けると幸いです。

あと、アルトルージュがめちゃめちゃ強いですが、仮にもアルクェイドと同格に位置する筈である「もう一人の朱い月の後継者候補」ですし、これくらいはできるんじゃないですかね。
基本的に、二十七祖はサーヴァントとほぼ互角かやや不利なくらいの力があるそうです。
で、平均的な宝具を持つサーヴァントは出力30%時のアルクェイドのさらに四分の一相当の力があるとの事。
段々頭が痛くなってきましたが、アルトルージュの力がほぼ同格である筈のアルクェイドに比べて圧倒的に劣ると言うのもおかしな話ですし、たぶん彼女の力も全力を出せば似た様なものなのでしょう。
一応今回の話では、彼女の「二段階変身する」「普段はそう大きな力はない」という情報から、第一形態では並み程度の死徒、第二形態で上位十位を除いた他の二十七祖クラスかやや下くらい、第三形態でアルクェイド級としました。実際にどうかは知りません、月姫2あたりにでも期待しましょう。
そして、士郎や凛が「二人がかりで何とかなるかもしれない」のは、この第二形態辺りまでになりますね。第二形態になったばかりの時点は、まだ「長く楽しむ」為にちょっと力を押さえていたんですが、ゲイ・ボルクを喰らったあたりからは、出し惜しみせずに第二形態という条件で一応本気でやっていた事にしています。

また、『士郎達弱過ぎるんじゃね?』と思うかもしれません。
ですが、一応設定的にはそう外れていない筈なんですよ。
何しろ、士郎は自分を最大まで鍛錬・運用しても技術・経験・戦術のすべてでバゼットを下回るため、対魔術師戦に特化したプロフェッショナルである彼女を相手に勝ちの目は薄く、そのバゼットはフラガラックを開眼しない限りシエルには勝てません。そんな出鱈目に強いシエルですらサーヴァントを相手にすると、対等な条件では無理だが防衛戦であれば戦えるレベル、になってしまいます。この時点で士郎の最大値は確実にサーヴァントを下回る事になります。そして、サーヴァントと二十七祖だと相性の問題はあるが基本的にはサーヴァントが有利、という事になるそうなので、結局二十七祖と戦っても勝ち目は薄い事になります。凛の魔術も基本的には戦闘向きではありませんし、戦闘能力に関しては士郎とほぼどっこいどっこいとしています。
つまり、戦闘に限定した場合「士郎・凛<バゼット≦シエル<二十七祖(第二形態のアルトルージュ)≦サーヴァント<アルクェイド(第三形態のアルトルージュ)」という不等式が成り立つことになるわけです。
とりあえず、これならそう矛盾はしないんじゃないですかね。
それとたぶんですが、英霊エミヤは世界と契約して英霊になった口らしいので、その契約をしてやっとこの差を埋められるんじゃないかと解釈しています。

それと、士郎の最期の捨て身技……といっても、実際には使ってませんけど。
これは「結界師」で「淡幽」という神佑地の主(土地神だったかな?)が「神佑地の異界」を閉じた時のそれに近いものです。イメージ的には固有結界に近いものがある気がしたので、もしかしたら似た様な事も出来るかなぁと思いました。こう、敵も味方も関係なく、全てを強制終了するというけったいな代物です。
しかし、本作中では誰も実行した者がおらず(文字通りの捨て身技の為)、仮に実行した者がいたとしてもその性質上情報が出てこない(範囲内にいる存在全てを巻き込み消滅させる)ので、結局本当にできるかどうかは不明としています。理論上はできそうなんですが、どうなんでしょうね。
ちなみに、この術それ自体に名前はありません。名前を付けると言う事は、確固とした存在として意味付けするという面があるので、士郎に使わせたくなかった凛が断固として名前を付けることに反対した為です。また、理論と可能性自体は固有結界の存在を知っている術者なら誰でも知っており、時計塔の講義や魔術書などでも固有結界を取り上げれば自然と出てくるくらいポピュラーなものとしています。
まあ、一種のトリビアか豆知識的扱いですね。使ったら死ぬなんて、魔術師的には全然意味のない代物でしょう。まあ、そもそも使える術者自体が極僅かなんですけど……。
ああ、「壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)」とはまったく別種の術なので、当然士郎以外にも使えますよ。たぶん、攻性能力としてなら固有結界丸ごと「壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)」するより上でしょうね。あちらは内部にある武装の数で破壊力が決まりますし、そもそも火力という概念から出ません。それに対し、こちらの捨て身技は空間消滅という一種の反則なので、破壊力とか火力なんて概念を超越してるでしょう。
ま、結局は凛がいる限り使われる事はないんでしょうけどね。

最後に、それでも士郎達は本編のそれよりやや弱めに設定して書きました。
この件があったのは、本編開始時からおよそ六年以上前。
今ほど二人とも完成されておらず、発展途上末期くらいをイメージしてくれればよいかと。
本編中の二人なら、相討ち覚悟でやればメレムのペット達のうち一体を殺せるくらいかな、を考えています。
アレ自体が祖一体分に相当する力があるそうなので、その辺が妥当なんじゃないでしょうか。

というか、そう考えるとメレムは祖数体分の戦力を保有している事になりますよね。
本人の個体としての能力は不明なので数えず、ネズミも戦闘型でないので除外するとしても、それでもなお3体分に匹敵するわけですから、とんでもない話です。
しかも、そのメレムですらアルトルージュの護衛であるモノクロ騎士コンビの片割れと相討つのが限界って、二十七祖上位勢の戦闘能力はホントに条理の外ですね。



[4610] 第50話「Zero」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2011/04/15 00:37

SIDE-アルテミス

(…………はじまった、か)
光はなく、音はなく、匂いはなく、何も存在しないそこで、私はぼんやりとそんな事を考えていた。
時間の感覚など無いし、単体では外界の情報を得る術を持たない私に時を知る術はない。

しかし、私と士郎は繋がっている。それだけが、私に外の世界の事を知らせてくれる情報源。
その繋がりから、何処か緊張を孕んだ気配が伝わって来た。
私は既に、士郎の過去を知っている。確か、士郎のパートナーの使い魔も同様だったはずだ。
知った時はショックを受けた、今も士郎が眠った時には彼の過去の一部が流れてくる事がある。
故に、それが紛れもない真実である事も承知していた。

それは、きっかけは確かにありふれた悲劇だったのかもしれない。
しかし、ありふれたものであったとしても、それが「悲劇」である事に変わりはない。
その重さを、度合いを論ずることに意味はない。その重さなど、本人以外に計りようがないのだから。
そう、「悲劇」はただ「悲劇」として心に深い傷を残す。
それを今、かつての主やあの小さな勇者達が知る事になるのかと思うと、心が軋む。

知る事には意味があるだろう。それはきっと、あの子らの未来への糧になる。
(どうか、押し潰されないでくれ。世界は確かに残酷で、どうしようもなく不公平だ。
 しかしそれでも、救いがないわけではない。こんな私にですら救いがあった。
 その事を忘れるな。世界の闇を知ってなお、強く羽ばたいてくれ……)
どうか、その幼く無垢な心が負うであろう傷が取り返しのつかないモノではない様に。
どうかその傷を乗り越えて、さらなる力に変えられる様に。

私にできるのは、そうして祈る事だけ。
願わくば、あの子らが痛みを強さに変えられる様に……。



第50話「Zero」



遠坂邸の一室。
そこに今、二十年の時を超えて出会った魔術師達と、世界の壁を越えて巡り会った魔導師達がいる。
話しは魔術師達の秘密から始まり、やがて彼らの過去へと及ぶ。
そうして、アイリスフィール・フォン・アインツベルンはゆっくりと当時の事を語り出す。

「切嗣が召喚したのは全サーヴァント中最優と名高い『セイバー』。それも、セイバーとしては最高のカードと言ってもいい『アーサー王』その人だったわ。
まあ、その姿は私達が想像していたものと違って、可愛らしい女の子だったけど」
『女の子!?』
「なんでも彼女、王様をしていた時はずっと性別を偽っていたんですって」
「まあ、当時の人達からすればあの子が男か女かなんてどうでもよかったんでしょ。
 あの子に求められたのは『完全無欠の理想の王』という役割で、あの子もまたそうある事を選んだんだから」

さすがに、いきなりのビッグネームの登場に皆は驚きを隠せない。
地球出身でないフェイトやユーノでさえ、士郎が半年前に使った聖剣の関係からその名は知っている。
とはいえ、それでも彼らは想像していなかった。理想の王である事を求められたセイバーが、一体どのような苦悩を抱えていたのかを……。

しかし、アイリは凛の言葉に違和感を覚える。
セイバーの事を親しげに語る凛の様子に、一つの疑惑を持った。

「あなた、まさかセイバーの事を知っているの?」
「悪いんだけど、ここでまぜっかえす気はないのよ。後でちゃんと話すから、今は話しを進めてくれる?」
「…………わかったわ。とりあえず、先に参加者の方から話しましょうか。
セイバーは今言った通り『“騎士王”アルトリア・ペンドラゴン』、ランサーはケルト神話のフィオナ騎士団から『“輝く貌”のディルムッド・オディナ』、ライダーがマケドニアの『“征服王”イスカンダル』、キャスターにはフランス救国の英雄でありながら『聖なる怪物』とも称された狂人『“青髭”ジル・ド・レェ』、そして暗殺教団の歴代頭首の一人『“山の翁”ハサン・サッバーハ』がアサシンとして呼ばれたわ。
 ただ、アーチャーとバーサーカーについては私も知らない。あなたは知っているんじゃない? 少なくとも、アーチャーはあなたの父親が召喚したわけだし」
「まあ、一応知ってるわよ。アーチャーは古代メソポタミアの『“英雄王”ギルガメッシュ』、バーサーカーは円卓の騎士の一角、完璧な騎士とも称された『“湖の騎士”サー・ランスロット』…だったかな?」
「っ! そんな、それじゃセイバーは……」

凛から明かされた事実にアイリは驚きを隠せない。
それは他の面々も同じなのだが、彼女は一際ショックを受けている。

しかし、それも仕方がないだろう。
セイバーを良く知る彼女だからこそ、そのセイバーがその事実を知った時の心を慮らずにはいられない。
実際、その事を知った時のセイバーが受けたショックは並々ならぬ物だったのだから。
それこそ、彼女をして剣の冴えが見る影もなくなってしまうほどに。

そして、凛がアーチャーの正体を知っているのは、別に父「時臣」から聞いていたからではない。
その十年後に、彼女自身が遭遇して知ったのだという事を。
まあ、今は混乱させるだけと判断したからこそ、あえて黙っているわけだが。
だがそこで、伝承の類に知識のあるはやてが小さくつぶやく。

「サー・ランスロットちゅうたら、確かアーサー王を裏切った……」
「……ええ。でも、それならバーサーカーがセイバーに固執したことも説明がつくわ。
 彼からすれば、セイバーは恨んでも恨み切れない相手なのかもしれない」
「ですがアイリスフィール、仮にも騎士が一度忠誠を誓った主を裏切り恨むなど、あってはならない事です。
その伝承を私は詳しく知りませんが、如何なる理由があろうと、騎士として失格であると言わざるを得ません」

シグナムがそう考えるのも無理はない。
騎士道という観点でみれば、確かにランスロットのそれはほめられたものではないだろう。
しかしそこで、凛は少し困ったような様子で頭をかく。

「まあ、考え方は人それぞれか。そういうところがあんたらしいって言えばらしいわけだし……」
「何か言いたい事でもあるのか?」
「別に他意はないわ、気に障ったなら謝るけど?」

少しばかりムッとした表情を浮かべるシグナムに対し、凛は肩を竦める。
シグナムもリラックスした状態を崩さない凛に毒気を抜かれたのか、それ以上追及しようとはしない。

「さて、伝承の内容自体は割とよくある『悲恋』よ。
主の妻と恋に落ちてって奴なんだけど…実際はどうかしら?」
「どういう意味だ?」

あまり詳しい伝承を知らないシグナム達にもわかるように、凛はこの場合の要点のみを説明する。
だがその末尾は、どこか思わせぶりだ。
当然シグナムもそれに反応し、全員の視線が凛に集中する。

「何しろアーサー王は女だったわけだし、背景はもっと複雑だったんじゃない?
 ギネヴィアに女としての幸せなんてなかっただろうし、そもそもその婚姻自体が政策的な意味合いが強かった筈よ。どこかで無理が生じたのも、ある意味では必然だったのかもね」
「しかし……」
「ギネヴィアの女の部分がランスロットに惹かれ、ランスロットの何かが女の幸せを満たせないギネヴィアに向いたとしても、それ自体は罪じゃないわ。それは感情の問題であって、騎士道云々なんてのとは別なんだから。
もし、ギネヴィアとランスロットの双方が、お互いに『王妃』と『騎士』としての役割に徹し、一つの装置であり続けられれば問題はなかったんでしょうけどね。でも、そう上手くいかないのが人間でしょ?」
「む……」

凛はシグナムの言葉にかぶせるようにして、そう問いかける。
その問いには、シグナムとしても口籠らざるを得ない。
確かにサー・ランスロットは騎士としての道を違えたのかもしれない。

だが、それが本当に『間違い』であったかは別の問題。
それを知らないシグナムではないし、そう問われてはさすがに全面的に否定する事も出来ない。
そうならざるを得なかった事情があるのかもしれないと考えれば、彼女としても他人事ではないのだから。

「ま、結局詳しい事情なんて私達にはわからないし、悩むだけ無駄よ。考察するにしても材料が足りないもの」
「それは、そうなんでしょうけど……」

凛の言葉に、シャマルは釈然としない様子だ。それは何もシャマルに限ったものではなく、全員に共通している。
凛の言わんとする事はわかるが、そうやって放棄してしまっていいのだろうか、と。
しかし、なのは達がそこに言及する前に、士郎が他の者たちとはベクトルの異なる疑問を呈する。

「なぁ凛。なんでお前、そんな事知ってるんだ?」
『?』

士郎の問いの意味が理解できないのか、皆は首をかしげる。
凛が知っている以上、士郎も知っているのは当然だと思ったのだ。
しかし、それは少しばかり違う。アーチャーは別にいいが、なぜ凛がバーサーカーの真名を知っているのか、それが士郎にも疑問だったのだ。なにせ、彼もまたその事実を知らなかったのだから。

「うん? ちょっとねぇ~」

しかし、凛は士郎の問いをそう言ってはぐらかす。
士郎も、まあそのうち話してくれるだろう、と思ってそれ以上は追及しない。
凛がバーサーカーの真名を知っていたのは、単純に先日イリヤに引き出してもらった記憶のおかげだ。
セイバーが現界し続けた場合、第四次の事を知る可能性もあった。要はそう言う事である。

とはいえ、それとて完全ではない。
故に凛としても、あまり詳しく双方の事情に触れる事が出来ず、推測を交えるしかなかったのだ。

「ところでさ、悪いんだけど、そう何度も中断してると話が進まないんじゃない?」
「酷い人ね、あなたは。……………でも、確かにその通りかしら。
 あと事前に話しておく事があるとしたら、二人の願いね。
 切嗣の場合、あの人が聖杯に託した願い……それは世界平和だったわ」
「世界…平和」

その呟きは、果たして誰のものだったか。
確かに万能の願望器に願うのに相応しい願いだろう。しかし、実際にそれを心の底から願っている者がいるのだろうか。確かに平和を願うのは当然の気持ちだし、誰もが願う事だ。
だが同時に、完全な世界平和など叶わないと言う事も誰もが知っている。
また、凛曰く「恒久的な世界平和など最悪の願い。争いのない世界なんて死んでいる」、かつて英霊エミヤは言った「それが賢者の考えだ」と。

それは真理だろう。争いのない世界とは、即ち競争も衝突もないという事だ。
争いを推奨するわけではないが、それでも競争も衝突もない社会は成り立たない。
まさに凛の言う通り、それは死んだ世界と言えるだろう。何しろ、現在の人間の繁栄自体がその『競争』と『衝突』の成果なのだから。それを否定するという事は、今日の繁栄を、文明の進歩を否定してしまう。
無論、衛宮切嗣がそれを理解していなかったとは思えないが、それでもなお彼は求めた。

だが、この場にいる者達のほとんどはまだ幼い。
その幼稚な夢想とも言える願いを嗤う者はおらず、ただ真摯にその言葉を受け止めていた。
やり方の是非はともかく、その願いは立派だ、そう思っていたのかもしれない。
凛もまた、今はまだその事に言及する必要はないとダンマリを決め込む。

「そして、セイバーは滅んだ祖国の救済を望んでいたわ」
「王様、だもんね。自分の国が滅んだりしたら、やっぱり悲しいよね」
「そうね。特にセイバーは国を、民を守るために王となった。あの時代は内乱が続いていたし、外敵からの侵略もあったから、尚更守れなかった事を悔やんだのだと思うわ。
 だから彼女は、歴史を覆してでも滅びへと向かう運命を変える事を願った」

アイリの言葉に、すずかは悲しげにセイバーが抱いていたであろう気持ちを想像する。
皆は知らない事だが、セイバーは少々特殊なサーヴァントだ。
死後の英霊としてではなく、死の間際、カムランの丘にいた彼女が召喚されている。
彼女にとって国の滅亡は眼前の事実であり、同時にすでに挽回しようのない段階まで進んでしまった現実。

セイバーが望んだのは、その滅びの運命を覆す事。それすなわち、過去の改竄に他ならない。
彼女は確かにまだ生きているが、それでも既に滅びは決定してしまっている。
そうであるが故に、彼女の悲願はやはり「現在」ではなく「過去」に向いているのだろう。
しかし、ここでフェイトが小さく疑問を呟いた。

「でも、それは本当に正しいのかな?」
「え? フェイトちゃん、何を言って……」
「わたしはセイバーの事を良く知らないけど、それでも凄く誠実な人なんだって事はわかる。
 だけど、起きてしまった事をなかった事にして……いいのかな?」
「でも、それが叶えば大勢の人が救われるわ」
「はい。それは…分かります。だけど……」

すずかやアイリはいぶかしむ様な表情で、フェイトを見つめている。
いったい、国を救いたいと言うセイバーの願いの何が間違っているのかと。
しかし、なのはもまたフェイトと同じ様に納得のいかない表情をしていた。
そこでフェイトとなのはの視線が士郎とぶつかり、士郎は何も言わずにゆっくりと頷く。
『思うようにすればいい』二人はそんな声ならぬ声を聞いた。
それに促されたのか、今度はなのはが口を開く。

「前にクロノ君が言ってました『世界はこんなはずじゃなかった事ばっかりだ。それに立ち向かうか、逃げるかは個人の自由。でも、他の人をそれに巻き込む権利は誰にもない』って。
何て言うか、わたしにはセイバーさんが逃げているように思えるんです。それも、他の人を巻き込んで……」
「うん。それに、その願いは母さんの願いと何処か似てる。シロウは言ったよね、母さんの願いは失われたものを否定するって…………わたしも、そう思う。
 何もかもなかった事にしたら、滅んじゃった国の人達の想いは……どこにいくのかな?」
「だけど……!」
「ああ、はいはい。今はそんな議論をする所じゃないでしょ。
 議論は後でもできるから、先に話を進めてちょうだいな」

二人の言葉に、アイリはかつて共にあった騎士の想いを守らんと反論しようとする。
しかしその機先を制し、凛がそれを押さえた。
その後のセイバーを知る彼女は、最終的にセイバーが至った答えを知るだけにこの論議の不毛さも理解している。
遅かれ早かれ凛達の口から語る事になる点なのだ、ならば話しを進めてしまった方がいいだろう。
とはいえ、そんな事情を知らないアイリは何処か納得いかないモノがあるようだが、渋々ながら話を進める。

「…………分かったわ。
 セイバーという最高のカードを得た私達だけど、切嗣の考えた策は意表を突くものだった。
 だってそれは、セイバーを囮にし、別行動をとっていた切嗣がマスターを暗殺していくというものだから」

その策に誰もが絶句する。
まさか、聖杯戦争において主戦力とも言うべきサーヴァントを囮に使うとは思ってもみなかったのだ。
概ね、聖杯戦争においての戦略の要はサーヴァントの選定にあり、戦術の要はその運用にある。
つまり、どの英霊を呼び出し、どれだけその英霊を効率的に運用し、令呪でサポートするかだ。
マスターの戦力を無視するわけにもいかないが、やはり重点はサーヴァントにおかれる。

そして、切嗣の策はその裏をかく。
なにせ戦闘の要であるサーヴァントに頼らず、それどころかほとんど重視すらしていない。誰もがサーヴァントを注視しているところで、彼だけは全く別のモノを見て狙っていたのだ。
英霊の絢爛さを逆手に取った、まさしく逆転の発想だろう。

「とはいえ、マスターが近くにいないと不審に思われるかもしれない。
 そこで切嗣は、聖杯の護り手である私を代理のマスターにして、セイバーに護衛させたのよ。私がいなければ聖杯は得られない以上、私の重要度はマスターと大差ない。
 それに、性格的にも切嗣より私の方が相性が良かったから……」

そう言って、アイリは小さく苦笑する。
あの当時の二人の不仲ぶりを知るだけに、もう苦笑いしか浮かばないのだろう。

「だけど、切嗣はセイバーと交流を温めようとはしなかったから、セイバーには詳しい所は教えていなかったわ。
それどころか、私と聖杯の関係についてすらちゃんと説明していなかったくらいだから」
「そんな……」
「切嗣はね、あんな小さな女の子に『王』という残酷な役目を押し付けた周りの人達に憤っていた。
 同時に、その運命を受け入れてしまった彼女にも同じように感じていたんでしょうね。
 その上で、それを出過ぎた感傷だと理解していたから何も言わなかった。自分とアルトリアという英雄はどうあっても相容れない、そう諦めてしまっていたのよ」

そして、切嗣のその判断はある意味において正しかった。
少なくとも、自身とアルトリアという英霊が決して互いに信頼関係を結びえないという点において、その判断は正しかったのだ。おそらく、無理に切嗣かセイバーが歩み寄ろうとしても、結果的には反発しあって余計に仲が拗れてしまうだけだっただろう。
故に、召喚して早々に距離を取った切嗣の考えは正しい。元より、切嗣は彼女の力をそれほど必要としていたわけではなかったのだから、尚更だ。

「そうして、互いの距離を全く縮める事が出来ないままその時が来たわ。
 切嗣は私達に先行して冬木に入り、私とセイバーはその後から囮役として冬木に入った。
 そして、第四次聖杯戦争が始まったのよ」

アイリの語る過去に、皆神妙な面持ちで耳を傾ける。
一度ならず聞いていたはずの八神家の面々ですらも、その眼と雰囲気には緊張の色があった。

当然だ、今回は以前のそれとはまるで違う。
なにせ、以前は語られなかった暗部も含めて語られることになるのだから。
故にアイリも、出来る限り慎重に言葉を選びながら話しを進める。

「冬木に入ってすぐ、私達はランサーに戦いを挑まれたわ。
 セイバーと彼の力は伯仲し、互いになかなか攻めきれずにいた。だけどランサーは巧妙に戦いを運び、セイバーに一撃入れる事に成功したの。それも、その一撃はセイバーの戦力を大きく削ぐと言う結果をもたらした」
「え? でも、一撃…なんですよね」

アイリの言葉に、思わずと言った風でなのはが反応する。
非殺傷設定での戦いが当たり前の彼女達からすれば、たった一撃で戦いの趨勢が決まるとは考えにくいのだろう。
無論、それが戦場のバランスを崩しうる事は知っている。

だが、彼女らにとって戦いとはやはり『削り合い』なのだ。
少しずつ敵の力を削ぎ落とし、機を見計らった大技で押し切る。それが彼女達の基本戦術。
となれば、余程の実力差がない限り、一撃で勝敗が決するという事は稀だろう。
誘導弾が一発直撃した程度で、決着が付くなど彼女たちの戦いにはほとんどないのだから。

引き換え、アイリ達の戦いとは『必殺の応酬』だ。
一撃でもいれれば勝ち、或いは一撃でも入れれば形勢を大きく傾ける。
その認識の下で彼らは戦っているのだ。どれほど凡庸で貧弱な一撃でも、刃が刺されば人は「死ぬ」のだから。

おそらく、この辺りの意識の違いがなのはの疑問の原因だろう。
そして、その事にアイリも気付いていた。

「あなた達の戦いと違って、こっちには非殺傷設定がないから。どんな一撃でも、容易く致命傷に成り得るわ。
ましてやそれが、宝具による一撃ともなれば尚更よ」
「ほうぐ?」
「あの、宝具ってなんですか?」

耳慣れない単語に、アリサとすずかが反応を示す。
いや、それは何も二人に限った事ではない。八神家と魔術師組を除く、その場の全員が同様に首を傾げている。
そこで凛とアイリが視線を交わし合い、無言の内に凛が説明役を引き受けた。

「宝具ってのはね、簡潔に纏めるなら英霊達の『象徴』よ。どんな英雄譚も、英雄と敵役だけじゃ成り立たない。そこには必ず、彼らを象徴する“何か”がある」
「それって、例えば『エクスカリバー』とか?」
「そう。フェイトが言ったエクスカリバーは、この場合セイバーの宝具よ。
英霊の持つ宝具は基本的に一つなんだけど、中には複数持つ連中もいるし、なにも形状は武器や防具とは限らない。場合によっては、王冠や指輪みたいな補助的な武装の宝具を持っているかもしれない。それどころか、一つの宝具という言葉が意味するのは一つの物品とは限らない。一つの特殊能力、一種類の攻撃手段といった場合もあるわ。
 つまり、その英霊を象徴するのであれば決まった形はないの。その英霊にまつわる、とりわけ有名な故事や逸話が具現化したものだから」
「それって、連想ゲームみたいに『A』がでたら『B』が思い浮かぶ、みたいな関係のモノ全部がそうって事?」
「ん、だいたいそんなところね」

アリサの言った連想ゲームというのは良い喩えだろう。
そうであるからこそ、聖杯戦争では宝具の使用には細心の注意を張るのが当然なのだ。
迂闊に使用すればそこから真名が割れ、挙句の果てには弱点まで露呈する事になりかねない。
凛はついでとばかりにその事も説明し、再び話をアイリの回想へと引き戻す。

「セイバーが受けたのは不治の呪いを持った槍よ。おかげで、セイバーは左手に決して癒えない傷を負った。
 人間相手ならいざ知らず、同等の力を持つ英霊同士の戦いにおいて、それは致命的とさえ言えるわ」
「じゃ、じゃあ…それってすっっっっっごくピンチなんじゃ……」
「ええ、ただその時、なんと言うか…………あるサーヴァントが乱入者してきてね」

すずかの言葉に、アイリは困った様な様子でひきつった笑みを浮かべて語る。
それはそうだろう。乱入してきたあのサーヴァントの与えた影響を考えれば、まともな思考回路を持つ者は大抵頭を抱える。実際、そのマスターは胃が痛くなる様な思いをさせられたのだ。
それどころか、一度ならずその話を聞いている八神家一同も顔が引きつっている。

だが同時に、フェイトやなのは達の疑問の色が浮かぶ。
おそらく、そこで士郎の武装の事にも思考が行ったのだろう。
しかし、何やら口を挟める雰囲気ではなく、そのまま彼女らは結局聞く事が出来ずに話しが進んでいく。

「乱入してきたのはライダーのサーヴァントなんだけど、来て早々に自分の真名を明かし、あろう事かセイバー達を『勧誘』したのよ」
『か、勧誘!?』
「ええ。聖杯を譲って、自分と一緒に世界征服をしないかって……ちなみに、待遇は『応相談』らしいわ」
「リンディさんでも……」
「うん。そこまで見境なくはないよ」

頭痛を堪える様な面持ちで語るアイリに対し、なのはとフェイトは身近な勧誘魔を思い出す。
しかし、さすがに直球ど真ん中で敵であるはずの者達を勧誘したりはしないだろう。
そんな事をするのはよほど器が大きいのか、或いは天然か、それか天井知らずのバカとしか思えない。
そして困った事に、イスカンダルはある意味この全てに該当する男。
とはいえ、その気持ちをそのまま口に出す事も出来ず、すずかはその先を問うた。

「そ、それでどうなったんですか?」
「もちろん二人とも断ったわ。そうしたら今度はライダー、いきなり他のサーヴァント達を挑発したのよ。しかも、それに乗ってアーチャーとバーサーカーまで来たものだから、こうなったらもう収拾がつかないわ」

もう笑うしかないとばかりに乾いた空虚な笑みを浮かべるアイリに、全員が同情的な視線を向ける。
それはそうだ。当事者でなくても、その場の混沌ぶりには声も出ない。
とはいえ、いつまでも笑ってはいられない。アイリは初っ端から疲れた雰囲気を撒き散らしながら、その後の事を語っていった。
そして、一連の流れを聞いた皆の反応はというと……。

「なんていうか、いきなりすんごい事になってますね」
「そうね。あの時も思ったけど、序盤からあそこまで派手になった聖杯戦争はないんじゃないかしら?」
「その点に関しては私も同意見よ。実際、私達の時でもそこまでじゃなかったわ」

明らかに唖然とした様子で呟くアリサにアイリは同意し、そのまま凛に話しを振った。
当然、第五次の序盤はそこまで派手ではなかっただけに凛もそれに同意する。
というより、第四次と第五次であれば、派手さや一般社会への被害の規模は第四次の方が上だ。
それどころか、第四次は参加者の質の高さでも全五回中最高と言えるかもしれない。
逆に、第五次は全五回中一番のイレギュラーだろう。

なにせ第四次には王を名乗る英霊が三体喚ばれ、マスターの側も二名を除けばほぼ全員が高い能力を有した魔術師だ。引き換え、第五次には八番目のサーヴァントがいたり、変則的なマスターが数名いたり、未来から召喚された英霊や架空の亡霊がいたり、聖杯戦争に二度呼ばれた英霊までいる始末。
こうして比較してみれば、第四次の質の高さと第五次の異質さは一目瞭然だろう。

「その後私達は一度アインツベルンの拠点に向かったのだけど、その道中で今度はキャスターに出くわしたわ。
 ただ、黒魔術の背徳と淫欲に耽溺したと言うのは伊達じゃないわね。どの程度似ているかはわからないけど、彼、セイバーをジャンヌ・ダルクだと思い込んでたの。それも、こっちの話を全く聞かないものだから、全然話しが通じなくて、なんだかひどく疲れたわ……」
「えっと…なんて言ったらいいか……」

ユーノなどは、半ば愚痴にも近いアイリの回想になんとかフォローを入れようとするがそれは叶わない。
彼としても、一体なんと言えば慰めになるかさっぱり分からないのだ。
いや、彼もそこまで会話の成立しない人間と相対した事がないのだから、まあ当然だろう。

「だけど、今思えばあの時早々に彼を討つべきだったのかもしれない。
これは、まだはやて達にも教えていなかった事なのだけど、彼を召喚した人物は偶然マスターになった殺人鬼なの。キャスターを召喚してからは、まるでタガが外れた様に節操無く人を殺して回ったわ。
結果、何人もの人が行方不明になり、遂に監督役が動いたわ」
「排除…ですね」
「ええ、シグナムの言う通りよ。ただし、その理由はあなた達が思っているモノと少し違うわ」
『え?』
「彼らは人を殺したから排除されたんじゃない。あまりにも秘匿を無視しすぎたために排除される事になったの。
もし、彼らがもっと上手くやっていたら、あるいは監督役が動く事はなかったかもしれない」
「そんな……」

ここまでの決して長いとは言えない話の中でも、魔術師の在り方は彼らとて理解していたはずだ。
しかし、例えそう言う人種、そういう世界なのだとしても、それでもなぜそんな風に在る事が出来るのか。
それが、なのはにはどうしようもなく理解できなかった。いや、それはなのはだけに限った話ではない。
当然、その先に起こった惨劇もまた、彼女達の理解の範疇を超えている。

「キャスターはその後、アインツベルンの拠点に攻め入り、そして……さらってきた子ども達を、怯え泣き叫ぶ子どもを殺したわ!」
「なんで…何でそんな事を!? 聖杯戦争と、なんの関係があるっていうんですか!?」
「見せしめ……ですらないと思うわ。おそらく彼は、特に理由もなく殺したのだと思う。
 実際、セイバーが彼の下に現れた時、生き残っていたのは一人だけ。いいえ、それすらも楽しみの内だったんでしょうね。だって、たった一人助けられたと思ったその子も、体を化け物に食い破られて殺されてしまった。
殺す必要なんてなかったはずなのに……そして、殺された子ども達の躯を生贄に海魔を召喚したのよ!!」

母であるが故なのか、それまではまだ毅然とした態度を保っていたアイリも、やがてその声に熱を帯びていく。
無理もない。直接でないとはいえ、ほぼリアルタイムでそれを見ていたのだ。
我が子と年の変わらぬ幼子が無残に殺されていく光景を見て、平然としていられる親などいない。

同時にすずか達も、自分達では到底考えつきもしない、そのあまりに外道かつ残忍極まりないやり口に言葉を失った。歴戦の戦士である守護騎士達も、そのあまりの外道ぶりに静かに血が沸き立っている。
いや、切嗣の手記からある程度知っていた士郎ですら、はじめて知った時同様の怒りを感じているのだ。
はじめてその事を知った皆が、怒りに震え、本能的に嫌悪し、その想像に身を強張らせ、哀しみに心を覆われるのは当然だろう。

「セイバーはその場でキャスターを倒そうとしたけど、負傷した左手や物量差もあって海魔の軍勢を防ぐので精一杯だった。だけどそこで、ランサーが戦いに加わったわ。彼も、許せなかったみたいね」
「当然です! そのような男は一刻も早く討たねばなりません」
「ああ。あたしも大概いろんなクズは見てきたけど、そいつは格別だ。挽肉にしたって後悔しねぇよ」
「シグナムさん…ヴィータちゃん……」

二人の言に、なのはは怯えたかのように身を震わせる。
二人からほとばしる怒気は、まだ本物の殺し合いを知らない彼女達には刺激が強すぎた。
いや、怒りというのであれば誰もが感じている。ただし、その気配が一際強いのが守護騎士と士郎だったせいもあり、子ども達は置いてきぼりを食らったような状態になっていた。

なにせ、子ども達は純粋に義憤だけを宿しているのに対し、彼らは殺意と憎悪を当たり前のように纏っている。
これでは温度差がありすぎるし、その類の経験のない子ども達にとっては、かえって近くにいる彼らの方に本能的な恐ろしさを覚えてしまう。

これは単純に、踏んできた場数と経験の違いだろう。
士郎達にとって、そんな外道を『始末』することは極々当たり前の事。
だが、どんな相手でも話し合えば分かりあえると素直に信じ、人の善性を疑わないなのは達には、そも『殺人による解決』や『殺してでも凶行止める』という発想自体が存在しない。
だからこそ、当たり前のように「殺意」を放つ士郎達がなのは達は恐ろしかった。
なぜそうもう簡単に、「人を殺す」という意思を持てるのか理解できないが故に。
しかし、これですらもまだ序章に過ぎない。

「ただ、切嗣やランサーのマスターは少し考えが違った。いえ、むしろよりシビアだったのかもしれない。
 二人はこの機に乗じて、お互いを討とうと考えたのよ」
「っ、ざけんじゃねぇ! なんなんだよ、それ!!」
「バカな!! 魔術師共は、世の道理さえ弁えぬと言うのか!!」

ヴィータとシグナムは切嗣やランサーのマスターであるケイネスへの怒りのあまり、渾身の力でテーブルを殴りつけた。
両者が打ちつけた一撃は、魔力を用いていないにも関わらず強力で、テーブルからは重い悲鳴が上がる。
しかし激昂は一瞬だけ。怒りに身を任せそうになる二人に、静かだが重々しい声がかかった。

「抑えろ、二人とも。過去の話だ、当事者もいない。何を言っても無意味だ」
「……ザフィーラ…怒るな、なんてふざけたこと言うつもりじゃねぇだろうな」
「如何にお前といえど、それは聞けんぞ。これを認めれば、我らも奴らの同類ではないか!」
「分かっている。俺とてそのような戯言を言うつもりはない。
だが、時と場所は弁えるべきではないか? せめて、アイリスフィールの前では」

そこで、一瞬三人の視線が交錯する。
そして、先に視線を外したのはシグナムとヴィータだった。

「すまん、少々熱くなりすぎたようだ。それに……失礼しました、アイリスフィール。あなたの夫の事を……」
「その、なんだ……ごめん、アイリ」
「気にしないで。切嗣自身、そんな評価を受ける事は覚悟していたわ。
いえ、正確に言えば、どう思われようと気にも留めていなかった、というべきなんでしょうね」

アイリの言葉に、シグナム達はその瞳に僅かな険を宿す。
自身の怒りすら、切嗣にとっては取るに足らぬと軽んじられたようにも思えたのだろう。
そして、おそらくそれは正しい。少なくとも切嗣は、二人の抱いたような怒りを、本当に取るに足らないと考えていた。どのような非難も侮蔑も、彼の覚悟と信念を揺るがすには到底足りない。
セイバーの怒りですら、彼の心にさざ波一つ立てられなかったのだから。

「……………そのあとは、どうなったのですか?」
「結論を言えば、セイバーはキャスターを仕留めきれず、逆に切嗣はランサーのマスターを追い詰めたわ。
ただ、トドメを指す直前にランサーが割って入ったせいで、上手くはいかなかったようだけど……」

そこで、アイリは少しだけ嘘……というよりも、真実の一部を隠した。
別段嘘をついたわけではないし、確かにこの場面でそれはさほど重要ではないだろう。
実際、結局は失敗に終わった切嗣のケイネス襲撃を話してはいない。
しかし今回彼女は、意図してか無意識にか、言峰綺礼の襲撃を話さなかった。
それが言峰への敵愾心から来たものなのかどうか、それは本人にすらもわからない。

「その件が終わってすぐ切嗣は拠点を離れ、別行動をとったわ。
 ただそれから間もなく、ライダーとアーチャーが現れて、セイバーと酒宴を開いたりしたのだけど……」
「はぁ? そいつら状況わかってんのかい?」

気を取り直したように話を進めるアイリに、アルフがもうこれでもかというくらい胡乱気な声を上げる。
まあ、まさか殺し合いをする関係にあるサーヴァント達が宴会を開いたとなれば、その反応も当然だろう。

「私にもよく理解できないのだけど、王には王の矜持があるみたいね。
 お酒を酌み交わす事も、彼らにとってはある種の勝負になるらしいわ……」
『はぁ……』

アイリの弁明染みた説明に、今度はほぼ全員が胡散臭げに頷く。
たぶん、誰も今の説明を信じていまい。しかし、割とそれがマジだったりするのだから世の中は不思議だ。
ちなみに、士郎や凛などはセイバーの驚異的な負けず嫌いを知るだけに、『やりそうだなぁ』と思っていたりするが、これは余談だろう。

「彼らは各々の王道を語っていたわ。結果、ライダーはセイバーを王とは認めず、アーチャーはセイバーを道化と嘲り、セイバーはライダーの言葉を笑止と切り捨てる事ができなかった。
 でも、セイバーの王道は二人とはかけ離れたものだったけど、私は彼女が正しいと思う。彼らは結局のところ暴君に過ぎないし、私なら高潔な王たらんとしたセイバーを担ぐわ」
「同感です。人の上に立つ者が、私利私欲だけで振る舞うなど……」
「私達も色々な人を見てきましたけど、そう言う事をしているといずれは皆離れていきます。誰もついてきてくれなかったら、それこそ王もなにもありませんよ」

シグナムとシャマルは、やはり清廉潔白な王であり続けたセイバーを支持する。
他の面々も声にこそ出さないが、首肯などの形で賛意を示す。
当然だ。誰でも、上に立つ者が下の者達を疎かにするなど言語道断だと思う。
また、幼い子ども達や騎士道を報じる守護騎士達からすれば、その単純かつ綺麗な在り方の方が好ましい。

「でもその酒宴の最中、理由こそ定かではないけどアサシンが乗り込んできたの」
「何それ? 三対一じゃ勝負にならないじゃない」
「あ、アリサちゃん……」
「そうね。でもそれが三対一ではなく、三対大勢だとしたら?」

アリサの遠慮のない言葉に、思わずすずかが止めに入る。
しかしアイリは特に気にした素振りも見せず、むしろ含みのある語調でそれに応じた。
当然だろう。誰もが三対一だと思っているが、実際には逆の意味で多勢に無勢だったのだから。

「宝具か何かだと思うのだけど、どうやら分身能力を持っていたみたいで、何十人というアサシンが現れたわ」
「んな無茶苦茶な……」
「驚くのは早いぞ、アルフ。
それこそ、アサシンの能力がチンケに思えるくらいの規格外が、世界には存在する」

かつてのライダーのマスターであるウェイバーと多少ながら交流がある士郎や凛は、この後の事を知っている。
だからこそ、今の段階ですら開いた口が塞がらない、という様子のアルフに苦笑しながら士郎は告げた。
この後に待っているモノは、聖杯戦争の中でもとりわけの規格外。故にこの程度は、まだ序の口に過ぎないと。

「彼の言う通りよ、ライダーはその秘中の秘を以て彼らを殲滅したわ。その“圧倒的物量”で」
「ま、待って下さい! だって、アサシンは何十人も……」
「確かに、何十という数は脅威よ。でも、もしそれに数倍する数を揃えられるのなら恐ろしくはない。違う?」

アイリの言葉に思わずユーノは割って入ろうとするが、先にアイリはその正体を明かした。
ライダーの誇る、独立サーヴァントの連続召喚を可能にするランクEX対軍宝具『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』。
英霊が数多の英霊を召喚する、まさしく究極の規格外。第五次のキャスターでさえルール違反をしてやっと一体召喚しただけにとどまったと言うのに、彼はそれを個の能力として何十倍という規模で行えるのだ。
宝具の域に達した『絆』は、神代の魔術師をもたやすく凌駕して見せた事になる。

「でも、どうやったらそんな事が……?」

そのあまりの規格外ぶりにユーノは茫然としたまま呟く。
当然だ。サーヴァントは一人のマスターにつき一体が原則。
その原則を無視し、英霊の大軍勢を用意できるといというのは最悪の規格外だろう。

「固有結界に常識は通用しない、ということよ」
「固有…結界?」

アイリの言葉に、フェイトは反芻するように、信じられないかのようにそうつぶやく。
無理もない。結界、というからには内と外を隔てる類の物で間違いない。
だが、彼女達の常識から考えてそんな事が出来るものなど、最早「結界」という範疇にはないのだ。

同時に、アイリは一瞬士郎と凛に目配せする。
士郎は「固有結界」持ちの魔術師だ、それ故に念のために確認したのだろう。
本当に話していいのか、と。

しかし二人は黙して語らず、一切の反応を返さない。
それを「許諾」と判断し、アイリは固有結界の概要を語る。

「……固有結界とは、自己の心象世界を現実に侵食させ、現実を創り変える魔術の総称よ」
「総称、ですか?」
「ええ、魔術師の間では、最大の禁呪、最も魔法に近い秘法と呼ばれているわ。
それは風景ではなく世界の在り方そのものを覆す大魔術。性質は千差万別、術者によってまるで別種の世界が構築されるが故に、定義はあっても決まった形がないの。
 そして、結界内は通常空間とは全く違う物理…いえ、異界法則に支配されているわ。だからこそ、可能だったのでしょうね」
「は、はぁ……」

正直、そう説明されてもまったく理解できないのか、ユーノ返事は曖昧だ。
無論、他の面々とて理解など出来てはいない。
彼らの知る常識、あるいは魔法理論からしてもその能力はあまりに常軌を逸しているのだ。
そんな事は最早、ヒトの領分ではない。術などという範疇にはない。
世界を壊し、世界を作る。如何に規模は小さくとも、それは卑小な人間にできる事ではない。
だがここで、多くの本を読み伝承伝説にも造詣の深いすずかが疑問を呈する。

「あの、イスカンダル王はそもそも魔術師じゃない筈じゃあ……」
「ええ、その通りよ。でも彼は言ったわ、それは苦楽を共にした仲間達全員が心に焼き付けた景色であり、彼ら全員の心象であるからこそ可能なのだと。彼らの絆が可能にした、文字通りの奇跡なんでしょうね」
「……奇跡」

はたして、最後の呟きは誰のものだったろう。
なのはかもしれないし、フェイトかもしれない。あるいはユーノか、もしかすると全員だったかもしれない。
それはそうだ。死した後にも保たれ、世界に召しあげられてなお揺るがない絆。
その尊さ、その強靭さを誰に笑う事が出来よう。むしろ、誰もが感嘆し憧憬の念を抱かずにはいられない。
征服王の宝具とはそういう領域にあり、同時に彼の言う「王とは諸人を魅せる姿を指す言葉」を体現している。
そのセリフも知っているのか、凛と士郎の顔には苦笑が浮かぶ。
あるいは、別のランクEX宝具も知っているからこそなのかはわからない。

「奇跡か、ランクEXは伊達じゃないって事かしらね」
「確かに、な」
「ねぇ、そのEXって何なの?」
「ああ、宝具にはE~Aのランクがあるのよ。まあ、厳密には+補正とか他にも分類があるし、特殊な能力や効果を持つ宝具も多い。そんなわけで、単純にランクだけじゃ性能をはかりきれないんだけどね」
「だが、中にはそのランクに該当しない宝具も存在する」

アリサの質問に、二人はそもそもの宝具のパラメータールールについて話していく。
もちろん対人や対軍、対城などの基本的な種別分けも忘れない。
割とこの辺はゲーム的な感覚が強いので、ゲームという文化になれた子ども達はすんなりと受け止めたようだ。

「ちなみに、私達の知る限りランクEXの宝具は三つ」
「一つは『王の軍勢』だよね。残り二つは? もしかして『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』もなの?」
「いや、確かにエクスカリバーは強力だが、ランクはA++。EXには届かない」
『……』

士郎の言葉を聞き、フェイトを始めエクスカリバーが放たれた時の映像を見た者たちは絶句する。
艦砲クラスとも称されてなお、EXには及ばないという。
その事実に、開いた口が塞がらないのだ。
とはいえ、そんな子どもたちの様子を尻目に、士郎は話を続ける。

「だが、エクスカリバーというのは惜しいな」
『???』
「簡単な話だ。ランクEX宝具の一つはアーサー王の失われた宝具、星の聖剣エクスカリバーではなくその鞘の方だったんだよ。銘を『全て遠き理想郷(アヴァロン)』。あらゆる物理干渉を遮断し、傷を癒し老化を停滞させる『不死の力』だ。
そして、もう一つがギルガメッシュの持つ乖離剣・エアによる空間切断、対界宝具『天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)』。出力ではエクスカリバーをも凌駕する、原初の時代、世界を切り裂き天地を分けた剣だ。
余談だが、一応俺には構造解析ができるけど、乖離剣に関しては全く構造が読めなかったぞ」

あまり話を中断しすぎてもいけないと考えたのか、疑問符を浮かべる皆に士郎はかなり大雑把に説明していく。
なにぶん、細かく説明するとなると長くなる。
それに、剣に特化した士郎でさえ構造が読めない『剣』と言うだけで、十分過ぎるくらいに驚愕ものだ。
実際、誰もが開いた口が塞がっていない。

「それにしても、王様ってのは皆そうなのかしらね?」
「あ、そう言えば持ってるのって皆王様なんだよね。それが、ランクに該当しない宝具……」

凛の言葉に、なのはは何か思う処があるのか神妙そうに反芻した。
だが実を言うと、厳密には他にもランクに縛られない宝具が二つある。
それらはEXとも異なり、正しくランクが存在しない宝具。
より正確に記すなら、全てのランクに該当するのだ。その中にはEXさえも含まれる。
なにせ、片やEX宝具をその内に納め、片やEX宝具を生み出す事が出来るのだ。
ランクEXが“規格外な宝具”なら、そちらは“異端の宝具”と言えるだろう。
とはいえ、今この場ではあえて触れる必要がないと判断したのか、凛達は口を噤む。

「そろそろ話を戻しましょうか。とりあえずその場はアサシンの消滅で終わり、彼らは帰って行った。
 私達の方でも、拠点を散々荒らされた事もあったから、場所を変えたりもしたわ。
 だけど問題はその先だった。それから少しして、キャスターが復讐戦を挑んできたのよ」
「まさか、また……!!」
「いえ、さすがにいくら狂人でも同じ事を何度も繰り返したりはしないわ。
あるいは、いっそ繰り返してくれた方が対処はしやすかったのかもしれないけど、それでも子ども達が殺されなかっただけマシね。少なくとも、私達の目の前では……」

不安と怖気に身を強張らせるシャマルに対し、アイリは安心させるように語りかける。
だが、それが欺瞞でしかない事にも気付いていた。確かに自分達の目の前で殺戮は行われなかったが、それ以前はどうかわからない。或いは、前回に数倍する子ども達を生贄にしていたかもしれないのだ。
シャマルもその事に気付き、悲しそうに眼を伏せる。
今守護騎士達やはやては、アイリがなぜその時の事を詳しく語りたがらなかったか嫌というほど思い知っていた。

「キャスターは自身の宝具の力を限界まで開放し、巨大な海魔を召喚してその中に隠れたのよ」
「あの、すみません。なんだか上手くイメージできないんですけど、それって不味いんですか?」
「ちゃんと制御できていれば問題はないの。でも、如何に英霊と言えど使役できる使い魔の格には限度があるわ」
「ちょ、ちょっと待って下さい! それってまさか!?」
「そう、制御する事を度外視し招き寄せただけよ。喚ぶ事に全てを費やし、操る事を捨てた段階でそれはもう魔術とは呼べない、“魔”そのものよ。
その上、召喚された魔物は自身を維持するために周囲のモノを喰らい尽す。制御する術がないんですもの、あの規模なら街一つ程度軽く平らげるでしょうね。まさしく狂人の所業だわ!」

今思い出しても怒りがこみ上げてくるのか、この場にいない誰かに叩きつけるようにアイリは語る。
質問したユーノをはじめとした面々もまた、そのあまりの分別のなさに言葉も出ない。

特に、守護騎士達はまだしも、子ども達は本当の意味で頭のイカレタ人間というモノを知らない。
狂った者達が起こす、常人には理解しがたいその所業をどう評していいのか彼らにはわからないのだ。

それにしても、この短い時間の間で彼らは何度自分達の理解の外に生きる者達の行動とその結果を知った事か。
凛や士郎はこれらの話をする事が彼らの糧になると判断していたが、まさしくだろう。
百聞は一見にしかずと言うが、人間はこの世の全ての事象を体験する事は出来ない。
そうである以上、こうして経験談を聞き疑似体験する事で得られるものはやはり貴重だ。
その意味で、士郎達の考えは正しかった。なのは達は今まさに、いずれ直面するかもしれない時の事を想像し、その時に自分ならばどうするのか、あるいはどうすればいいのかを考えている。
―――――――――凛達の思惑通りに。

「如何に魔術師と言えど、さすがにそれを見過ごす事はできないわ。聖杯戦争の事を抜きにしても、秘匿の欠片も考えていないんですもの。共同戦線を張ったのはある意味で自然な流れでしょうね」
「じゃあ、サーヴァントさん達全員が協力したんですか?」
「それが出来ればよかったのだけど、そうはならなかった。
 とりあえずセイバーとランサー、それにライダーは共闘したわ。あとは、アーチャーも少なからず手を貸してくれたみたいね。でもバーサーカーだけは違った。彼だけはセイバーに固執したのよ」

なのはの問いにアイリは口惜しそうに答える。バーサーカーの真名を知った今なら、納得はできないがある程度は理解できた。彼の湖の騎士がセイバーに固執するのは当然だし、ましてやバーサーカーだ。理性的な行動などそもそも望むべくもない。
だが、それでも全サーヴァントの半数以上が共闘する希望にフェイトは縋る。

「で、でも、サーヴァントが四人も協力しているなら!」
「それでも攻めきれなかったわ。確かにダメージは与えられたけど、傷つけたそばから再生してしまって効果がなかったの。だから一度撤退して作戦会議をしたわ。
どうすれば、再生の余地を与えずに海魔を消滅させられるかを」

アイリの言葉を聞き、何か引っかかるものがあったのかアルフは顎に指を当てて考え込む。
しかし直ぐには答えに行きつかないのか、アルフが考えている間にアイリは話を進めていく。

「とはいえ、そのまま海魔を放置しているわけにもいかない。
 そこでライダーは王の軍勢で海魔を結界内に閉じ込めて足止めしたのよ」
「という事は、戦いそのものは見れなかったのですか?」
「ええ。ライダーの固有結界は発動すると位相がズレるみたいね。そのおかげで隔離空間内に閉じ込めておけるのだけど、その代わりに私達の方からも中の様子はわからないの」

その話を聞き、シグナムをはじめとする守護騎士達が顔を見合わせる。
話のどこかに気になる点でもあったのか、何やら小さくブツブツと呟きながら自身の内に埋没してしまう。
だがそこで、アルフが景気良く「パン」と手を叩いた。

「あ! そうだよ、エクスカリバー! アレを使えば!!」
「そうね、確かに最終的にはセイバーの聖剣を使う事になったわ。だけど、あの時のセイバーは左手に怪我をしていた。そんな状態じゃ、とてもじゃないけど一撃で消し飛ばす事は無理よ」
「じゃあ、どうしたのさ!?」
「セイバーの左手を封じていたのはランサーの宝具。なら、それを破壊すればどうなるかしら?」

確かにそれは道理だろう。しかし、それが何を意味するか皆が理解した。
自身の切り札であり、最も信頼する半身である宝具を破壊する。
それがどれほど危険かつ重い決断なのか。デバイスという相棒を有するなのは達には、ほんの少しだが理解できた。

「切嗣はそれをランサーに告げたわ。でもセイバーは言ったの『この傷は誉れであり、枷ではない』と。
だけどランサーは聞かなくて、『キャスターが赦せない。騎士の誓いにかけて看過できぬ悪だ』そう言ってゲイ・ボウを折ったわ」
『…………』
「誇り高き騎士だ、どちらも」
「ああ、本当に騎士の鏡だぜ。いや、本来騎士ってのはそうじゃなきゃいけねぇんだよな」
「ですね。勝敗は確かに重要ですけど、それで大切な事を見失っちゃいけません」
「だが、それでもなお躊躇う事なくそれをなしたランサーは、やはり見事だ」

その決断の重さに感動したのか、或いは圧倒されたのか、なのは達は押し黙った。
無理もない。むしろ当然とさえ言えるだろう。何しろ、彼女らにとってみれば自身のパートナーであるデバイス達を自らの手で破壊したのと同義なのだ。
その重さ、その苦悩は、彼女らにも理解できた。

それに対し、同じ騎士として感じるモノがあるのか、守護騎士達は二人を讃える。
まあ、切嗣などに言わせれば、彼らの反応は「下らない感傷」であり、「愚かな自己陶酔」という事になるのかもしれないが。
そして、その後に何が待つのかを知るアイリや士郎達は、何処か苦い表情でそんな彼らを見ていた。

「その結果は……言うまでもないわね。邪魔は入ったけど、セイバーの一閃は海魔を飲み込み跡形もなく消し飛ばした。それどころか、その後ろにあった船も纏めて吹き飛ばしてしまったけどね。
 だけど、あの時の威光は今でもはっきり覚えてる。まさに騎士王の理想、その輝きそのものよ」

その言葉に思うところがあったのか、フェイトの視線が自然と士郎に向く。
それに気づき、士郎はどこか困った様に頭をかく。

彼もまた、贋作とはいえエクスカリバーを振るった事のある身だ。
今の自分が放つ一閃が、オリジナルのそれに遠く及ばないのは自覚している。
間違いなく、フェイトは今の話しを聞きながら半年前の一閃を思い出しているはずだ。
だからこそ、贋作でしかない自分の一閃をセイバーのそれと重ねられている事に申し訳なさが募る。
本物のセイバーの一閃は、自分のそれとは比べ物にならないという意識が在るが故に。

「じゃあ、その日はそれで終わったんですね」
「残念だけどそうはいかなかった。むしろ、セイバー個人に限れば本番はその後よ」
「え? でも、サーヴァントさん達はみんな疲れているはずじゃあ」
「だからこそセイバーは動いたのよ。皆疲労している、それなら邪魔が入る事もないってね。
 それまで先延ばしにしていたランサーとの決着をつけようと考えた」

その言葉に、質問したすずかも含めて全員が呆れかえる。
とはいえそこには若干の温度差があり、ある者は「よくやる」と呆れ、ある者は「なるほど」と納得し、またある者は「頑張るなぁ」と感心した。

まさか、その騎士達の正々堂々とした決着の最中に、思いもよらぬ横槍が入るとは想像もせずに。
その意味で、彼らはまだ“彼”を甘く見ていたのかもしれない。

だが、それを責められる類のものではないだろう。単純に衛宮切嗣がそれほどまでに悪辣であり、同時に手段を問わないほど真摯に悲願の達成を切望していただけなのだから。
そして、なのは達にはまだ、それほどまでに駆り立てられるほどのものがないだけとも言える。

「セイバーとランサーの一騎打ちは、まさしく彼らの誇りの競い合いだったわ。
ランサーはゲイ・ボウを折ってもなお堂々と戦い、セイバーは慙愧で剣が鈍ると左手を握りこまなかった。初めはランサーも手心を加えさせたと思って苦しそうにしていたけど、セイバーの言葉を聞いてからは晴れ晴れとした顔で『騎士王の剣に誉れあれ。お前と出会えてよかった』と讃えていたわ」
「見事だな。是非とも剣を交えてみたかった」
「まぁたうちのリーダーの病気が始まった、いい加減それ治せよな……」

ヴィータはシグナムのバトルマニアぶりに辟易し、疲れたような表情でそう呟く。
いや、実際に疲れているのだろう。
その気のない彼女からすれば、仲間とはいえシグナムのそう言った所は理解しがたい。
とはいえ、シグナムの方は今さらその程度の事では反省どころか反応すらしない。
だがここで、話は急展開を見せる。

「二人の戦いは壮絶を極めたわ。だけど、終わりはあまりにも呆気ないものだった」
「そうでしょうね。それだけの技量の持ち主同士の戦いなら、一撃で戦いは終わります」
「違うの」
「どういう、事ですか?」
「確かに一撃で戦いは終わった。でもそれは、ランサーが自分の槍で自分の心臓を貫くという結果だったのよ」
『な!?』

そのあまりにも予想外な結末に、誰もが驚愕に目を見開く。
はやてやシグナム達ですら、単に結果としてセイバーが「生き残った」事しか知らなかった。
まさかその真相がそのようなものだったなどと、どうして彼女らに想像できようか。

ありえない、当然誰もがそう思っただろう。どこの世界に、決闘の最中に自害する者がいる。
ましてやそれが、当事者達にとって何にも代えがたき誉れと清々しさに溢れたモノであるのなら尚更だ。
少なくとも、ランサーが自分から命を断つなど在る筈がない。

「なぜ、そのような事を……決闘の最中では、なかったのですか……」
「そうよ、少なくとも本人達はそのつもりだった」
「…………っ! まさか……」
「ええ、二人が戦っている間に切嗣はランサーのマスターに接触したの。
人質に取った許嫁の命と引き換えに、全ての令呪を以てランサーを自害させろ、そう持ちかけた」
「……外道が!!!」

先程まではアイリの手前一応は抑えていた怒りが、シグナムの中で再燃する。
それは他の守護騎士にも言える事だが、烈火の将の二つ名の通りその眼には紅蓮の炎が宿っていた。
同時に彼女は歯を食いしばりながら、椅子の肘かけを砕かんばかりに握りしめる。

「そう思うのが、普通なんでしょうね。彼も消える間際『聖杯に呪いあれ。その願望に災いあれ』と、怨嗟の言葉を残していったわ。あれだけ高潔だった騎士が、今際の際に残したのは呪いの言葉だった」
「たりめぇだ!! 騎士の決闘を穢した野郎を、許していいはずがねぇ!!!」
「同感だ。如何にアイリスフィールの夫と言えど、もはや許容できん」

シグナムに続き顔を憤怒に染め上げ怒鳴るヴィータ。普段ならば制止役に回るザフィーラでさえ、声音こそ静かだが、この時ばかりはその奥には隠そうともしない侮蔑がある。シャマルは何も言わないが、それでもその顔にはありありと嫌悪の色が見て取れた。
なのは達にしたところで、その眼に宿っているのは悲嘆か義憤のどちらかだ。
当然なのだろうが、誰一人として切嗣を支持する者はいない。
さすがにそれには悲しそうに目を曇らせるアイリだが、なのはの問いに現実へと引き戻される。

「でも、それでランサーさんのマスターさんは許嫁を取り戻せたんですよね。
それで、二人とも生きて帰れたんですよね!」

なのはの言葉は問いと言う形式こそ取っているが、その実悲鳴に近い。
あるいは心のどこかで気付いていたのかもしれない。ここで終わるはずがないと……。

「そうね。確かに切嗣はランサーのマスターに許嫁を返したわ。
切嗣自身、ランサーのマスターとの契約で手出しはできない状態だったから」
「じゃあ!」
「……だから切嗣は舞弥さん、助手であるその人に二人を殺させた。自分は手を出せないけど、自分以外なら問題ないから。でも、ランサーのマスターは即死出来なかった。いっそ、楽に死ねた方が幸せだったんでしょうね。憎しみも怒りもない絶望に沈んだ目で『殺してくれ』と縋ったけど、契約があって切嗣にそれはできない。
 だから、最後は見ていられなくなったセイバーが…彼を殺したわ」

言い終えると、場をこれまでにない重苦しさが支配する。
これまで何度か非道外道と思われる行いが語られてきたが、これは格別だ。
キャスターの凶行と方向性こそ違うが、下劣さでは劣らない。少なくとも、彼らはそう思った。
そうして、ヴィータは吐き捨てるように侮蔑の言葉を吐く。

「つまりよ、そいつはトコトンクズだったって事だろ!
 世界の救済だか何だかしらねぇけど、んなもん嘘っぱちじゃねぇか!!」
「違うんだよ、ヴィータ」
「何が違うってんだ!! おめぇの親父だからって信じられるわけぇねだろ!
 あたしにはわからねぇし、わかりたくもねぇけど、そいつはアイリやセイバーを騙してたんだろ!!」
「違う。切嗣は、本気で世界を救おうとしていた」
「だったら、なんでこんなひでぇ真似ができんだよ!」

激昂するヴィータの言葉を、士郎はどこまでも静かな悲壮を宿した声で否定する。
切嗣の本心を、その後の絶望を知るからこそ返って頭が冷えていく。
しかし、これでは埒が明かないと思ったのか、アイリが二人の間に割って入る。

「落ちついて、ヴィータ」
「でもアイリ!」
「彼の言ってる事は本当よ。あの時、セイバーもあなたの様に切嗣を問い詰めた。
 切嗣はセイバーの問いに答えようとはしなかったけど、私が彼女と話すよう促すとこう言ったわ。『話す事なんてない。栄光だの名誉だの、そんなものを嬉々として持て囃す殺人者には、何を語り聞かせても無駄だ』って」
『な!?』

そのあまりにもあまりな言いように、怒りに身を任せていたヴィータは色を失う。
同時に他の面々もその痛烈な言葉に呑まれ、シグナムですら反論する気力を一瞬失った。

「セイバーは騎士道を穢されたと思って怒鳴ったけど、切嗣はどこまでも冷淡だった。そんなものは幻想だと、騎士に世界は救えないと否定した。
 当然、セイバーはそれに反駁して『人の営みである以上、決して侵してはならない法と理念がある』と説いたわ。そうでなければ、戦場に地獄が具現すると」

誰もがセイバーの主張に賛意を示し、程度の違いはあれ首を縦に振る。
しかし、それを暗い眼で見る士郎の肩に凛は手を置き、首を横に振った。
それが何を意味するものかは、余人にはわからない。だが、リニスにはまるで「仕方ない。これがアンタ達の選んだ道だ」と、「アンタ達とでは、物の見方が違うんだ」と言っているように思えた。
そして、リニスの感想は正しい。特に、戦場というものへの考え方という点において、士郎は切嗣と非常に近い考えを持っているのだから。

「切嗣はセイバーを嗤ったわ。『戦場は正真正銘の地獄、希望はなく、あるのは掛け値なしの絶望だけ。だから立ち会った全ての人間はその悪性を、愚かさを、弁解の余地なく認めなければならない』。それが切嗣の主張よ。そして底知れない悲憤に擦り切れ、怨嗟にも似た声で、切嗣は英雄と言う存在を『血を流す事の愚かさを認めない馬鹿共』と断じたわ」
『…………』

先程までは場を満たしていたはずの反感が、いつの間にかナリを潜めている。
誰もが理解していた、理解せざるを得なかった。切嗣の主張が一面の事実である事を。
衛宮切嗣と言う男は心から争いを嫌悪し、そうであるが故に英雄とそれを生み出し憧れる者達全てを憎悪しているのだと。その場にいる全員が、有無を言わせずに理解させられてしまった。
その事を理解しているのか、アイリは静かに記憶の奥底から切嗣の言葉を発掘していく。

「『今の世界では、最後には必要悪としての殺し合いが要求される。なら、最大の効率と最小の消費で、最短の内に処理をつけるのが最善の方法だ。それを卑劣と蔑もうが、悪辣と詰ろうが勝手にしろ。正義で世界は救えない。そんなものに興味はない。例え“この世全ての悪”を担う事になっても、それで世界を救えるなら喜んで引き受ける』。それが切嗣の信念であり、方法論だった」

ある意味、衛宮切嗣は聖人だったのだろう。だからこそ彼は耐えられなかった。世界の在り方に、人の業に。
故に彼は、最善の結果の為に最悪を選択し続けた。
最悪こそが最善に繋がると、過程など成果で洗い流せると、心からそう信じたのだ。

そしてそれは、彼の血の繋がらぬ息子が取り続けた方法論でもある。
直接本人から言葉として聞いたわけではないにしろ、それを知る凛は小さく消え入りそうな声で呟く。

「……血は繋がってなくても、やっぱり親子って事かしらね。良く似てる」
「どういう意味だ、遠坂」

だが、その消え入りそうな呟きをシグナムは聞きとっていた。
一度は切嗣の凄絶なまでの覚悟と意思に呑まれていた彼女だが、その言葉を聞き逃す事は出来なかったのだろう。
まさか、自身が認めた男もまた切嗣と同じ考えの持ち主なのかと。
如何に親子だとしても、せめて自分が認めた男にだけはそれを否定してほしかったのかもしれない。
だからこそ、そんなシグナムの問いに答えたのは士郎だった。

「誇りか……俺には無縁のものだ。理解できない、とまでは言わない。だが、やはり俺とは無縁だよ。
シグナム、お前が俺を買ってくれるのはありがたいが、それでもやはり俺は本質的に切嗣と同じ側の人間だ」
「だが! お前はそのような真似は……!」
「ああ、していない。とりあえず、こっちに来てからはな。
だけどそれはしなかったんじゃない、出来なかったわけでもない。
単に、その“必要”がなかっただけだ。もし必要に迫られれば、俺は躊躇なくそれをする。それが出来る。
俺もまた、かつては“魔術師殺し”の忌み名で呼ばれた男だ」
『……』
「俺は弱い。少なくとも、理想を叶えるには力が足りなかった。
だから、足りないモノを補うためにそれが必要だった。そういう事だ」

そう語りながら、士郎は胸の内で思う。『だからこそお前達の事が、俺には眩しく映る』と。
誇りを捨て、誉れを拒み、倫理と道徳を投げ打つ事で衛宮と言う魔術使いは理想を叶えようとした。
そうしなければ理想に手が届かなかったからだ。

理想を取るか、人としての尊厳を取るか。そこで士郎と切嗣は、理想を選んだ。
その事に後悔はない。あるとすれば己が無力さだが、それは所詮無い物強請りに過ぎない。

だがそれでも、正道を歩める者達が士郎には眩しくて仕方がなかった。
己れには決してできないその綺麗な在り方を、それが幼稚な正義感から来るものであっても、直視することが辛い。それは、まだ純粋に理想に燃えていた頃を思い出すからか、あるいは……。

フェイトやなのはをはじめとした友人達は、そんな事はないと口にしようとする。
しかし、そう言いかけたところで士郎と眼が合い、それを抑えこまれてしまった。
士郎に黙然と首を横に振られ、拒まれてしまったのだから。

しかし、「それにしても」と士郎は思う。
この世全ての悪を担うと言った男が、事実としてそうなったのは何の皮肉だろう。
彼の覚悟が本物であった証明ではあるが、それにしても意地が悪すぎる。

「最終的に、セイバーは切嗣に聖杯を捧げる事を決めたわ。それこそが最善であると、彼女も思ったみたい」

少し前までなら、その事に反駁する者がこの場のほとんどだっただろう。
しかし、切嗣の心の内を知った今となっては誰もそれに何も言えない。

「だけど、残すサーヴァントが四体となったところで、私の限界が近くなっていたわ。その時の私には、もう立ち上がる力さえ残っていなかった。
 だから私はそこで戦線離脱し、後を切嗣とセイバーに任せて眠りについた。
 でも、それが不味かったのかしらね。眠りと覚醒を何度か繰り返した後、気付けば私は見知らぬ場所にいた。
 そしてそこにいたのは切嗣ではなく、言峰綺礼。おそらく、私はあの男に拉致されたのでしょうね」

そう語るアイリの声には悲嘆がある。
だがそれと同時に、言峰の名を出した瞬間には確かに嫌悪と侮蔑が混じっていた。
この場にいるほとんどの者は言峰を知らないため、余程危険か嫌いな相手なのだろうと推測する。
逆に、言峰と言う男の事を知る二人は、その名が出た途端眉が急角度でつり上がった。
それに気付いたのか、アイリは凛に向けて問いを発する。

「確か、言峰はあなたの兄弟子に当たるはずよね。つまり……」
「ああ、違う違う。それ父さんじゃないわ」
「でも、あの男は元々遠坂のサポートに回るために参加していたはずじゃなかった?」
「初めはそうだったと思うけど、どこかで気が変わったみたい。
 信じられないっていうのもわかるけど、父さんを殺したのが綺礼よ。それでも疑う?」

アイリとしては、時臣が自分の拉致に関与していないことは驚くには値しない。
それ以前から、言峰が時臣の手を離れて独断専行していることを知っていたからだ。
とはいえ、さすがに弟子の手にかかったという事実には、少なからず衝撃を受けた。
特になのは達からすれば、大恩ある師を殺すなど、親殺しにも匹敵する大罪に感じられたはずだ。

「アンタ達が驚くのも無理はないけど、それはあくまで一般論よ。
 こっちじゃ親兄弟の諍い、師弟間の殺し合いなんて驚く事じゃない。まあ、滅多にないのは事実だけど、利害がぶつかればそう言う事もあるわ。父さんと綺礼の間にも、何かがあったんでしょうね。
 ま、だからと言って許したわけじゃないけど……」

そう語る凛の声音には確かな殺意が漲り、この話が事実である事を容易に知らしめた。
とはいえ、前半部分はあくまでも魔術師としての理屈であり、凛とて納得しているわけではない。
そもそも、理屈だけで感情が制御できれば苦労はないのだ。まあ、元よりこの件に関しては理屈を優先させる気も凛には無いので、あまり関係のない話でもあるが……。

「それじゃあ、アーチャーは……」
「綺礼に奪われた…っていうのは考えにくいわね。どう考えたってそんな性格じゃないし。
たぶん、自分から鞍替えしたんでしょ」
「そう……なら、ここから先はお願いできる? 私はこの後の事を知らないから」
「了解。でも、私だって当事者じゃないから、かなり大雑把な話になるのは諦めて欲しいんだけど、いい?」
「ええ。私も、あの戦いの結末を知りたいから」

そんな簡単なやり取りがなされ、語り手はアイリから凛に引き継がれる。
凛とてその全てを承知しているわけではないが、それでもある程度は把握していた。

「それじゃ、まずはアイリスフィールを拉致った奴……」
「すまん、その前に一つ良いか?」
「ああ、そういえばあの事も話さなきゃいけなかったっけ」
「いったい、なにを……」
「久宇舞弥の、事についてです」

凛の言葉を遮る形で、士郎はその人物の名を口にする。
士郎は形式的、あるいは表面的事実としての二人の関係しか知らない。
だからこそ、正直その名を口にする事には少しばかりためらいがあった。

何しろ、アイリが切嗣の個人としてのパートナー(伴侶)であったのに対し、久宇舞弥という人物は魔術師殺しとしての切嗣のパートナー(部品)だったのだ。
方向性こそ違うが、彼女らの立ち位置は切嗣を挟んで同格であったという見方もできる。
その為アイリが舞弥に抱く感情が、複雑かつ好意的とは言えないものではないかと彼が想像したのも無理はない。実際、一時はそういった感情を抱いたりもしただろう。
しかし、それはやはり一時のもの。少なくとも今現在において、士郎の危惧は杞憂だった。

「……なんとなく、あなたが何を言おうとしているかはわかるわ」
「ええ、恐らくあなたの思う通りです。
 久宇舞弥は、聖杯戦争の渦中でその命を落としました」
「……………」

久宇舞弥という人物の事を知らないなのは達は、二人の顔を交互に見る事しかできない。
ただ、アイリが故人を悼んでいる事だけは、誰の目にも明らかだった。

士郎は、アイリのその反応に僅かに安堵する。
彼女の死の理由を少しでも知る身であれば、そう反応して当然だ。
だが、それを知らないアイリは少しばかり的外れな言葉を口にする。

「……そう。でも、舞弥さんも覚悟していた筈ですもの、同情は…侮辱なのでしょうね。
 それに、切嗣を守って逝けたのなら、まだ……」

幸せだったかもしれない、あるいは本望と言えるかもしれない。
舞弥の死そのものには、アイリは自分でも不思議なほど驚かなかった。
それはきっと、舞弥の在り方を知っていたからこそ。
自身を切嗣の部品として規定する彼女は、恐らく切嗣より先に、彼を守って死ぬ。そんな予感があったのだ。
少なくとも、彼女の知る舞弥であればその事を悔いはしないだろう。

だから、聖杯戦争という過酷な戦いの中で命を落とした事、それ自体は予想の範疇を出はしない。
ショックがないわけではないが、全く予想もしなかったわけでもないのだ。
だがその死の理由は、アイリの予想を大きく裏切るものだった。

「いえ、それは違います」
「え?」
「確かに久宇舞弥は“誰か”を守って死にました。
ですが、その守った相手は切嗣ではなく……………あなたです、アイリスフィールさん。
あなたが拉致されそうになったその時、彼女は身を呈してあなたを守り、命を落としました」

その言葉にショックを受けるとともに、アイリは過去を思い返す。
確かに舞弥は切嗣よりアイリの守護を任され、彼女もアイリの守ると約束してくれた。
しかしそれでも、アイリを守るためそこまでするとは、思っていなかったのだろう。

(舞弥さんには、謝らなくちゃいけないわね。
 彼女を疑っていたつもりじゃない。だけど、大局を見据えて私を守ることに固執しないと思っていた。
 聖杯を守るために死ぬより、奪われた聖杯を取り戻すために生き残る方を選ぶと思っていた。
私も、そのつもりだった。なのに舞弥さんは、本当に私を守ってくれたのね……)

その事実に、アイリは深い感謝と親愛の念を覚えると同時に、重い…あまりにも重い慙愧を抱く。
それは、自分の為に舞弥を死なせた事への罪悪感ではない。
それこそ、命を賭して守ろうとしてくれた舞弥への侮辱に他ならないだろう。

慙愧の根源は、舞弥の誠意を理解できなかった事に対して。
アイリにとって、恐らくはただ一人の友であったろう舞弥を信じられなかった事への後悔だった。

「アイリスフィールさん……」
「……ありがとう、舞弥さんの事を教えてくれて。
おかげで私は、たった一人の友人の死を知る事が出来た。その死の理由をはき違えずに済んだわ」

その声音には、嘘偽りのない純粋な感謝が宿っている。
士郎達にはその理由など分かるはずもないが、「友」という一言だけで十分な気がした。

「ふむ、なんで『友人』なんて言葉が出てくるのかよくわかんないけど、まあ別に良いわ。
 あなたにとってそれで良いならね」

凛もまた必要以上に詮索するようなことはしない。
余人にはあずかり知らぬ、二人の間だけにあった何か。
それを詮索するなど野暮だし、二人の間だけにあるからこそ意味があると思ったのだろう。

「で、そろそろ本筋に話を戻したいんだけど……」
「ええ、お願い」
「ん。とりあえず、あなたを拉致した前後の状況を整理すれば、下手人は絞る事が出来るわ。
なんでも、攫われて直ぐにセイバーが追跡したけど振り切られたらしいから、この時点で人間の仕業じゃない。
ギルガメッシュもライダーもそう言う事する柄じゃないし、特にライダーのマスターには会ったことがあるけど、その話をしたら大層驚いてたし、これは白ね。
なら、残る可能性はバーサーカーだけ……たぶん、綺礼に良い様に利用されたんだと思うわ」

個人的にバーサーカーのマスターを知るが故に、凛の表情にはわずかな悲しみが宿る。
「組んだ」ではなく、「利用された」という言葉にもそれはうかがえた。
実際にどちらだったかは、凛にはわからない。
だが、凛は一切の証拠がない状態でありながら、何の迷いもなくそう確信していた。
それは間桐雁夜という人物と、魔術師を嫌悪していた筈の彼が聖杯戦争に参加した理由を知ればこそ。
アイリもそんな凛から何かを感じ取ったのか、あえて深く追求せず別の点に触れる。

「……そう。それにしても彼、生き残ったのね」
「うん。昔の事は良く知らないけど、今じゃ時計塔の名物教授よ」
「だな。術者としてはともかく、他人の才能を引き出す事にかけては一級品、あの人が教え子を集めれば時計塔の勢力図が一変するって噂もあったか」
「はぁ……変われば変わるものね」

現在と過去、そのどちらかのウェイバーを知る三人は各々当の人物を思い出し感慨に耽る。
特に過去のウェイバーを知るアイリなどは、その変貌ぶりに驚きを隠せない。
まあ当然だろう。過去のウェイバーは本当にダメダメだったのだから。

「ただ、当時のセイバーはライダーがあなたを拉致したと思ったみたいね。
 詳しい経過は知らないけど、最終的に両者は戦う事になった。しかも『約束された勝利の剣』と『神威の車輪』の真っ向勝負だったそうよ、派手よねぇ。
 結果はタッチの差でセイバーの勝ち。だけど、ライダーはギリギリのところで『神威の車輪』を引き換えに逃走したって聞いてる」

さすがに、当事者ではない凛にはこれ以上詳しい説明はできない。
一応は多少の話は聞き及んでいるようだが、やはり又聞きの話となるとこの辺りが限界だろう。
それにこれでも十分皆に与える影響は大きい。なにせ、対軍宝具と対城宝具のぶつかり合いだ。
優劣にも興味はあるだろうが、その衝突そのものへの関心も並みではない。

「そして、綺礼はあなたを新都の冬木市民会館に運び、そこで狼煙を上げたのよ。他の連中を誘い込むためにね」
「随分とまた、大胆な事を……」

そんなシャマルの呟きに、凛は肩を竦めるだけにとどめた。
何しろ、彼女にしたところで綺礼の詳しい目的など良くわかっていないのだ。

あの男が聖杯などに興味があったのかがそもそも怪しい。
聖杯を手に入れるにしろ、別の目的があるにしろ、全員を一ヶ所に集める意味もない。
ギルガメッシュと言う最強のサーヴァントを擁しているのだから、各個撃破で問題ないのだ。
しかし、アイリにはその意図がわかっていた。

「おそらく、言峰は切嗣を誘い込もうとしたんだと思うわ。乱戦になれば、それだけ切嗣に接近しやすくなる。
 それに、あの男は私を捕えた後切嗣の事しか聞いてこなかったし……」
「そうなんですか?」
「ええ。あの男は、自分と切嗣が似ていると思ったみたい。だから、どうしようもなく空虚なあの男は、切嗣にそれを埋める可能性を求めたのよ。
本当に、愚かな男。虚無しかなかったあの男と、虚無を約束された切嗣が同じな筈など無いと言うのに」

言葉の内容こそ同情的に聞こえるが、その響きはまるで異なる。
むしろ侮蔑する様な、或いは嘲笑うかのような響きだ。

しかし、その言葉に士郎は若干の違和感を覚えた。
士郎は言峰綺礼に、あまりそういった印象を受けなかったように思う。
まあ、それも当然だ。アイリの知る言峰は答えを持たず、士郎の知る言峰は答えを持っていた。これはその違い。

「それはともかく、さすがに局面が終盤近くだった事もあって、全員がその誘いに乗ったみたいね。
 ライダーはギルガメッシュと、セイバーはバーサーカーと対峙したわ。
 そして、衛宮切嗣は綺礼と戦った」

その場にいる全員が、固唾をのんで凛の言葉に耳を傾ける。
それは文字通りの最終局面。この反応も当然だろう。

「ただ、さすがにその詳しい内容まではわからない。ライダーのマスターも詳しくは教えてくれなかったし、セイバーの方は尚更よ。衛宮切嗣の方にしたって、やっぱり良くわかんない。
 だから、私に教えられるのは結果だけ。ギルガメッシュはライダーを破り、セイバーはバーサーカーに勝った」
「つまり、騎士王と英雄王の一騎打ちになったと言う事か……それで、どちらが勝ったのだ?」

凛の話に、ザフィーラは重々しく問う。
他の面々も、さすがにクライマックスとあって手に汗握りながら凛を注視する。
しかし、そこで凛の口から放たれたのは、予想もしない言葉だった。

「いいえ。確かに一騎打ちの様相を呈したようだけど、結果的に決着がつく事はなかった」
「なに?」
「え? どういう事なの凛」

シグナムとフェイトは凛の事なに驚きを隠せず、皆も(今日何度目かわからないが)驚きに眼を見開く。
だが士郎とリニスだけは、その後に起こった事を知るだけに痛ましげに眼を伏せている。

「その時点で聖杯は顕現していたらしいんだけど、衛宮切嗣がセイバーに令呪で命じたの。
―――――『聖杯を破壊せよ』ってね」
「バカな!! 誰よりも聖杯を求めた男が、それを捨てたと言うのか!?」
「ほ、ホンマなんか、凛ちゃん!!」
「ちょ、ちょっと凛!」

さすがにここにきての大どんでん返しに、シグナムやはやて、アリサも声をあげて問い詰める。
他の皆にしたところで、この三人の反応がもう少し遅れていたら、彼らが動いていたかもしれない。
ただ、アイリだけは信じられないと言わんばかりに呆然自失とした表情で固まっている。
無理もない。まさか、よりにもよって最愛の夫が聖杯の破壊を命じるなど……。

「な………なんで……切嗣は、私達を裏切ったの……?」
「違う! 親父は、切嗣は裏切ってなんかいない! 切嗣は、それまでと同じ事をしただけです!」

呆然として呟くアイリの言葉に、士郎は思わず声を大にして否定する。
当然だ。よりにもよってこの人に、妻であるアイリにだけは誤解してほしくないだろう。
切嗣は、確かに彼女が信じた衛宮切嗣として正しい選択をしたのだから。

「シロウ…それ、どういう事なの?」
「親父はその直前、言峰と戦っている時に聖杯の中身を浴びていたんだ」
「聖杯の中身? って、魔力なんだよね」
「ああ、そうだ、その筈だった。だけど事実は違う。なぜそうなったのかはわからない。
だが、聖杯の中身は純粋な魔力“無色の力”ではなく、極大の呪いにすり替わっていた」
「極大の…呪い?」

そのあまりに物々しい“何か”に、思わずフェイトは息を飲む。
詳細は分からずとも、その響きだけで危険なのは明らかだ。
古今東西、呪いなどと呼ばれるものが真に人のためになった例など無い。
特に、その危険性を誰よりも良く知る凛と士郎の表情は暗い。

同時に、凛はここで口を出すべきか一瞬迷う。
一応イリヤのおかげで多少の知識は引き出せているが、それでもまだ断片的だ。
とても一つの纏まった考察を作るには足りないし、凛自身整理しきれていない。
そんな理由もあって、凛はこの事を話すのは整理が出来てからにする事にした。

「その名は『この世全ての悪(アンリ・マユ)』。その名の通り、全ての人間を食い潰す終わりの泥。
 皮肉なものね、衛宮切嗣の『この世全ての悪だって背負って見せる』という言葉は正しかった。そんな彼だからこそ、あれに呑まれてもなお生存できたのよ。そして生き残った彼は、その危険性を誰よりも理解していた。
 だからこそ、彼は聖杯の破壊をセイバーに命じたのよ」

とはいえ、さすがにその極大の呪いを肌で感じた事のない面々の顔には釈然としない様子がある。
仕方のない事だ。まさか聖なる杯の内に、そんなものがあるとは信じられる筈がない。
凛が嘘を言ってるとは思っていないが、どうしても信じられない。
ましてや、聖杯自身とも言えるアイリにとっては尚更だろう。

「セイバーは限界間近だった事もあって、エクスカリバーの使用で魔力切れになり消滅。
ただし、聖杯の器はちゃんと破壊されたけどね」
「そ、それならその呪いっていうのはちゃんと……」
「溢れだしたわ」
『え!?』
「衛宮切嗣に落ち度があったとすれば、彼は聖杯の器ではなくそれによって生じた孔を狙うべきだったのよ。
 器が破壊されても孔は健在。確かに間もなく閉じたけど、その直前に中身の一部が零れた。
 ちなみに、ギルガメッシュはその直下にいたから一緒に呑まれたらしいわ」
「それじゃあ、その呪いっていうのは……」

それ以上を口にするのが恐ろしくなったのか、ユーノはそこから先は言わない。
しかし、誰もが思っていた。もしそれが事実で、聖杯の中身がそう言ったものならロクな事にはならないと。
なにせ、相手は『この世全ての悪』の名を冠した呪いなのだから。

「死傷者は五百名以上、焼け落ちた建物は百三十四棟。新興住宅街のど真ん中から発生したそれは、地方都市の一つの街を軽く飲み込んだわ。陳腐な表現をするなら、未曾有の大火災って所でしょうね」
「それが……聖杯の引き起こした事だと言うの……」
「そうよ。それが、第四次聖杯戦争の結末。
 まあ、それも被害は少ない方だったんでしょうね。衛宮切嗣の英断がなければ、それこそ本当にあの呪いの全てが世にばら撒かれてたわけだし」

その被害の規模に、アイリは顔を青くして震えだす。
自分達が求め、切嗣の理想を叶える筈だった奇跡が、まさかそんな大惨事を引き起こしたとは思いたくない。
だが、凛はそんなアイリの心中を承知した上で、さらに言葉を紡いでいく。

「でも、人間って言うのは意外としぶとい生き物でね。
不幸中の幸いだったのは、アレだけの火災でも生き残りがいなかったわけじゃない事かしら。
 ま、家も家族も、記憶や心すら焼かれ、炎の真っ只中に放り出されて何が『幸い』かって話だけど。
 だけど、命以外の全てを失って、それでもなお生き延びた人たちは確かにいた。例えば……」

言いながら、凛は士郎の方に視線を送る。
そこで、アイリはようやくこの家に入る前にリニスに言われた一言、その意味を理解した。
彼女は言った、「アイリ達が士郎から全てを奪った」と。
この状況、この話の中で送られた視線、その意味。
それを履き違えられるほど、アイリは愚かではなかった。

「まさか、あなたが……」
「…………」

士郎は答えない。凛もなにも言わない。
だがしかし、それこそが何よりも明確に事実を伝えていた。
アイリはそれ以上士郎に何も聞けない。
聞く事が怖く、だが目を反らしてはならないとも理解していた。それ故に、彼女は身動きが取れない。
それを汲み取ったのか、ザフィーラはゆっくりと凛に問う。

「説明を、してもらえるか」
「士郎は答える気がないみたいだし、私が話すけど良い?」
「……かまわん」

一瞬の間は、他の者達の意見を確認するために目配せした時のもの。
誰もそれを止める事はせず、沈黙を保つ。士郎は一瞬凛を止めようと動きかけたが、その無意味さを悟りやめた。
全てを話す、その覚悟を持って士郎もこの場に臨んだのだ。ならば、ここで引き返すなど虫の良い事は出来ない。
何より、ここまで来てしまった以上この先の事に関して口を噤んだとしても、それは彼女を苦しめるだけだ。
ならせめて、真実の全てを自分の口から語るべきではないか。そう、士郎は覚悟を決める。

「……いや、俺が話すよ」
「いいのね」
「ああ」

二人のやり取りは短く、それ故にその中に込められた想いは深い。
同時にアイリも覚悟を決めたのか、まだ揺らぐ瞳を何とか抑え士郎を見据える。

しばしの停滞。誰も急かしはしない。
それがしないのかできないのか、それは当の本人達にもわからなかった。
だがやがて士郎は、まるで祈る様にゆっくりと過去を紡ぎだす。

「そう……それはとにかく、酷い火事だった。
辺り一面焼け野原、建物は崩れ落ちて原形なんて留めちゃいない。そして当然、たくさんの人が死んでいった」

そうして士郎はその当時の事を、出来る限り鮮明に、可能な限り鮮明に思いだそうと目を閉じる。
二十年も前の事なのだから、多少苦労するかと思っていた。
しかし意外なのか、それとも当然なのか。それは容易く瞼の裏に再現される。
衛宮士郎にとっての原初の記憶。彼の心の原風景である、あの戦場跡の様な廃墟。
彼は、まるで二十年前に戻ったかのような気持ちで、その時の事を語るべく口を開いた。

皆が悲しそうな目で見つめているのを、士郎はどこか他人事の様な気持ちで感じている。
それは、出来る限り客観的に話そうとしているためなのか、それとも……。
そんな疑問を抱きつつ、士郎はゆっくりと止まる事なく過去を振り返る。

「その中で、原形を留めているのが自分だけというのは、不思議な気分だった。
ここまで生き延びたのは運が良いのか、それとも楽に死ねずにいるから運が悪いのか。
どちらかはわからないけど、ともかく自分だけが生きていた」

ゆっくりと語るその声音には、その言葉通り困惑の色が宿っている。
事実、今でもその当時の事を思い出すとそんな気持ちになるのだろう。
全てが変わり果てた世界の中で、自分だけが例外であった事に。

「そこを歩いた。いつまでもココにいては危ないと、もう顔も思い出せない誰かが言っていた気がしたから……」
「思い、出せない?」

士郎の言葉に、フェイトは思わず問い返した。
出来れば聞き間違いであってほしい、そう心の内で懇願しながら。

「ああ。あの時の事は二十年たった今でも覚えているのに、その人達の顔が、名前が思い出せない。
それが赤の他人だったのか、それとも俺にとって大切な誰かだったのか……。
いや、そもそも俺はあれ以前の事を何一つ憶えちゃいない」
「そんな……」

返答はあまりにも無情だった。
そしてフェイトは士郎のその言葉に絶句し、今にも泣きだしそうになる。それはなにもフェイトに限った事ではなく、子ども達は一様に目に涙を浮かべ、大人達も沈痛そうに頭を垂れる。

士郎は一瞬「気にするな」と言おうかと思い、途中でやめた。
本人は確かに気にしていないが、その事を伝えた方がかえって皆を悲しませる気がしたからだ。
そして、その配慮は正しい。もしそう言われていたら、フェイト達は本当に泣き出していたかもしれない。
過去や記憶を失うと言う事は、それまでの自分を亡くしたのと同義だ。にもかかわらず、その事に対し何も感じられないのだとすれば、それはあまりにも悲し過ぎる。

「……とにかく歩いた。生き延びたからには生きなくちゃって思ったんだ。
でもそれは、黒こげになるのが嫌だったわけじゃない、死ぬのが怖かったわけでもない。
そこまで生きていたのが不思議だったから、助かるなんて到底思えなかった。言ってしまえば、義務感だな。
それはつまり生きる意志が、生きたいという欲望がないという事で……心は、体より先に死んでいたんだと思う。まあ、大差はないか。ただ、それでも他の人達より少しばかり長生きできたよ」

士郎の声はどこまでも平坦で、そこにはまるで感情を感じさせない。
当然だ。ただ彼は、その時に思っていた事を素直にそのままの形で吐き出しているにすぎない。
故に、その声音に哀しみはなく、恐怖はなく、絶望すらない。当然、理不尽に対する怒りも。
ただ淡々と、ありのままの事実を語り続ける。

「そうして倒れた。力尽きたのか、それとも体が動かないほどに壊れていたのかはわからない。
 とにかく倒れて、曇り始めた空を見つめて雨が降りそうだって、そんな事を思ったっけ」
『…………』

士郎の語る過去に、声が出ない。
その地獄を知らない彼らには、なんと声をかけていいのかがわからなかった。
どのような慰めも、何の意味もなさないとわかっていたのだろう。
否、元より慰めたところで、士郎にはその意味がわからなかったかもしれない。
同時に、アイリの眼にはこれまでにない絶望が浮かび、リニスの言葉を理解する。

(私が、私達が彼から全てを奪った…………苦しかった過去を、苦しいとさえ思えないほどに。
彼を……壊してしまった)

アイリは理解した。
言峰が元より空虚な人間で、切嗣が空虚を約束された人間なら、この少年は空虚にされてしまった人間なのだ。
同時に、アイリはこの少年と舞弥を重ねる自分に気付く。
理由は考えるまでもない。境遇こそ違えど、彼女も全てを奪われた側の人間と言う点では同じだからだ。

だが、それこそがより一層アイリを打ちのめす。
友と信じるあの女性と同じにしてしまった、その事実がアイリを責め苛む。

心が軋む、眼に涙が溢れそうになる、今すぐにでも叫び出したい、逃げ出してしまえたらどんなに楽か。
しかしその全てを抑え込み、アイリは士郎の言葉に耳を傾ける。
そんな資格は、とうの昔に失っていると知るが故に。

「理由は……………………なんだったかな。
空に手を伸ばしていたんだが、やっぱり力尽きてそれも落ちた。落ちる…筈だった。
 ああ、一番鮮明に覚えている。俺の手を握る感触、覗き込む目、助かってくれと懇願する声を」
「シロウ……?」

今までずっと無表情に語るだけだった士郎に、初めて感情が宿る。
それは羨望であり、憧憬だった。だが同時に、その表情には何処か一線を引いたような印象を受ける。

「そこで俺の意識は途絶えた。次に目を覚ました時は病院で、少しして切嗣が来たんだ。
 施設に行くのと、知らないおじさんに引き取られるの、どちらがいいかってさ。
 考えるまでもなかった。俺は切嗣と行く事を選んだ。だから俺は……」
「衛宮の姓を名乗る事になったのか」
「ああ」

シグナムの確認に、士郎は静かに頷いた。
その時、ほぼ全員が悟っただろう。
地獄に突き落としたのが切嗣なら、地獄の底から士郎を拾い上げたのもまた切嗣なのだと言う事に。

「それから一緒に暮らすようになってしばらくして、親父は良く旅に出るようになった。
今思えば、イリヤスフィールを迎えに行こうとしていたんだと思う」
「助け、られなかったのか?」
「ああ。切嗣は、確かにこの世全ての悪を背負った。でも、それは人間には重すぎる。親父の体はもう限界だった。魔術師としては死んだも同然だったらしい。そのせいで、アインツベルンの結界を見つける事さえ出来ず、親父は一度として城には辿り着けなかったんだ。
 そして、そのうち親父は家にいる時間が長くなった。たぶん、死期を悟っていたんだろうな。最期の夜、俺は親父と縁側に出て、一緒に月を見ていた」

ここにきて、アイリの顔から先程までの絶望が消える。
本人も現金なものだと軽蔑したが、それでもやはり他の事など気にならなくなった。
愛した男の、最期まで悲願に準じた夫の死。その瞬間の話を、一語一句聞き逃すまいと思うのは当然だろう。

「爺さんは言ったんだ『子どもの頃、正義の味方に憧れた』って。
俺にはそれが、どうしようもなく許せなかった」

額面通りに受け止めるなら、お前にそんな事を言う資格があるのか、ともとれる。
実際、士郎は犠牲者なのだ。そう言う資格はあるだろうし、切嗣とてそう思っていただろう。
だが、衛宮士郎の場合はその限りではなかった。

「そうだろう? だって、俺にとってあの地獄から救い出してくれた切嗣こそが、『正義の味方』そのものだったから。だから許せなかった、切嗣が自分を否定することが。今思えば、本当にガキの我が儘だよ。切嗣に何があったか、あの時の俺は全く考えていなかったんだから」

そう語る士郎の声音には、自嘲の色が濃い。
だがそれだけではない。懐かしさ、親愛、哀しみ、それらの感情がないまぜとなっている。
それは、士郎の複雑な心中を物語っていた。

「でも、爺さんが正義の味方は期間限定だ、なんて言うもんだからさ。『子どもの俺なら大丈夫だから、代わりになってやるよ』って言ってやったよ。そして『爺さんの夢は俺が形にしてやる』って、言おうとしたんだ。
 でも切嗣は、俺が言い終わる前に『ああ、安心した』って笑いながら……眠ったよ」

そうして、衛宮切嗣はたった一つの安堵を胸に息を引き取った。
誰もが思った。その幼き日の士郎の一言は、彼を救ったのだろうかと。
確かめる術はないが、救われてほしい、それが全員の総意だった。

同時に、アイリは声も出さずに泣き崩れる。
救われたかもしれない可能性が嬉しいのか、それとも夫の死を嘆いているのか。はたしてどちらなのだろう。
だが、それを見やりながら士郎は、万感の思いを込めてこの言葉を口にする。

「……それにしても、まさか俺がこれを言う日が来るとはな」
『え?』
「わかるだろ? 俺も昔は、『正義の味方』になりたかったんだよ」

かつて、父が言った言葉と同じ言葉を、後を継いだ息子が口にする。
そこに秘められた想いは余人にはわからないが、士郎の顔は苦笑しながらも、何処か晴れやかだった。
その意味を、彼らが知るのはもう少し後の事。

これで、衛宮切嗣にまつわる物語は終わりを迎えた。
これより主役は交代し、息子の物語が紡がれようとしている。






あとがき

ああ、なんとかZero編を一話にまとめる事が出来ました。
この調子でFate本編の方も一話でまとめたいものです。まあ、場合によっては二話かかるかもしれませんけどね。なにせ、はしょりたくてもはしょれないところが多いので……。

というか正直人数が多すぎる。書いていてバランス良く全員にセリフを回そうとするのが意外と大変なんですよね。しかも、割と重要人物の筈のアルテミスはここ最近ずっと開店休業中。
いや、仕方ないとは思うんですよ。
彼女はいま非常に不安定な状態なので絡ませにくいし、あまり早く復帰させるとそれはそれでどうかと思うので。

それと問題点が一つ。今回からしばらく先までは「なのは達に士郎達の経験を伝える」がコンセプトであるだけに、どうしても長く、かつ原作のなぞりなおしな感が強いんですよね。今回、書いてみてそれを強く感じました。
出来る限りなのは達の気持なんかを絡めて書いていますけど、はたしてこれは皆さんに楽しんでいただけるのか甚だしく疑問です。とはいえ、コンセプトがアレなだけに、あまり一足飛びで話しを進め過ぎても逆に味気ないでしょうし、悩みどころだったりします。
秘密の多いキャラって、こう言う時に面倒臭いんですねぇ……。

あれ? なんか最近愚痴が多い気がする。すみません、なんだか見苦しくて……。
とりあえず、もう書き始めてしまったので当分はこのノリで行きます。
退屈かもしれませんが、気長にお付き合いくだされば幸いです。



[4610] 第51話「エミヤ 前編」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2011/04/15 00:38

SIDE-アイリ

聖杯の真実。その解放による悲劇と私達の罪業。切嗣の最期。彼の誓い。
正直、今すぐにはとてもではないけれど整理しきれない。
それだけ、私の知った情報は驚きに満ち、そう簡単には受け止めきれないものだった。
だけど、彼らが真実を語っている事だけは本当なのだと思う。

聖杯の引き起こした大災害を話す瞬間の遠坂の子の痛ましげな表情と、それに引き換え無表情な彼。
おそらく、彼にはそれを嘆き悲しむ事さえできないのだろう。
だからこそ、彼女が代わりに泣いていたのだ、心の内で。
それが、二人の間に感じられる深い絆から察せられた。それだけ、彼女は彼を想っているのだろう。

逆に、遠坂の子は切嗣の死に憮然となり、彼は沈痛な顔つきをしていた。
理由はわかっている。彼は切嗣に憧れ、切嗣の後を継いだのだから当然なのだろう。
問題なのは彼女の方。おそらく、彼女は切嗣を嫌っている。そこまでいかなくても、あまり好いてはいない。

だけど、その事に対して反感は覚えない。
苦悩し心がボロボロになって行く切嗣を知る身だからこそ、彼もその苦しみを味わった事が想像できる。
彼女は、彼にそんな道を歩ませた切嗣が嫌いなのだろう。
その事に、何処か安堵と喜ばしさ、そして―――――――幾許かの嫉妬を感じる。

前者二つはわかる。切嗣の後を継いだ彼を支える人がいた事に対するものだ。
でも嫉妬の方は……私が出来なかった事をしているからなのだろうか。
私は結局切嗣を支える事が出来なかった。その重荷を分かち合う事も出来なかった。
だけど、彼女は彼の重荷を一緒に背負っている。それが羨ましく、出来なかった自分が情けない。
だからこそ、私は彼女に対して嫉妬してしまうのかもしれない。
でも、それだけだと釈然としないこの感情はなんなのだろうか……。

それにしても、彼は以前切嗣を裏切ったと言った。
その意味も、おおよそのところは想像できる。彼は『正義の味方』になりたかった―――――過去形だ。
その事に負い目を持っているのかもしれない。だけど、私は彼を責める気にはなれない。

いや、むしろ感謝さえしている。理想を砕かれ、私を亡くしたと思い、イリヤを取り戻せなかった切嗣にとって、彼だけが救いだったのだ。彼が生き伸びた事に救われ、彼が後を継いでくれた事に救われた……。
それが容易に想像できる。だって、それは私も同じだから。
私達が引き起こしてしまった惨劇と地獄。彼はそこに残された希望だ。

逆に、責と罪を問われるべきは私達の方。
そして、今なら彼があの時に自虐的な言い方をした理由が理解できる。
罰してほしいのだ。許してほしくないのだ。許されてしまう事が苦しく、罰が与えられない事が辛い。
例え誰が許したとしても、自分自身がその罪を許せないから。
もし許されてしまえば、贖うことすらできなくなってしまう。それが、恐ろしい。
それは私も同じ。同じだから、理解できる。

同時に思う。私は、彼に一体何をしてあげられるのだろう。
切嗣の息子であり後継者である、この優しい子に。
私はもう切嗣にも、イリヤにもなにもしてあげられない。
だけどこの子には、きっとしてあげられる事があるはずだ。
まだ、イリヤとの間に何があったかわからないけど、きっと彼が言った事は彼にとっての真実で、事実ではない。
おそらく、彼女が言った様にどうしようもない理由があったのだろう。

だからこそ彼の苦しみを、罪の意識を解きたい。
感謝を、許しを、彼が受け取るべきその全てを、どうすれば与えられるのだろう。

私はいつの間にか、深く深くその事を考えるようになっていた。
でも、やがて思い知る。確かにあの誓いは切嗣にとって救いとなったかもしれない。
だけどそれは同時に、この少年をさらなる無間地獄に落とす呪いでもあったのだと言う事を。

本当に、なんと私達は罪深いのか。
彼から火災によって過去を奪い、誓いによって今を縛り、挙句の果てに未来さえも捧げさせた。
例えそれがこの少年でないとしても、その同一体である事には変わらない。
その事を、この後私は知る事になる。

私達はどれだけの物を彼から奪ったのだろう。
どうか、その万分の一でも良い。彼から奪ったモノを返したい。
話しを聞けば聞くほどに、私の中の思いは強くなっていく。
(切嗣、イリヤ。私は一体どうすればいいの? 彼に、何をしてあげられるの?)



第51話「エミヤ 前編」



かつての士郎の夢。
少し前までなら誰もが温かく受け止めていたかもしれないが、今は違う。
その意味するところ、その苦難を、絶望を、嘆きを知るからこそその表情は硬い。
特にフェイト達は、士郎の危うさの一端を知るだけに一層深刻だ。
この、いざとなれば我が身を省みない少年がそんな道を進めば、一体どうなってしまうのか。

いや、事実士郎はその道を進んだ後だ。
だからこそ、彼が今日この日までに歩んできた道を知るのが恐ろしい。
そのせいか、フェイトは小さく士郎の言った言葉を反芻する。

「正義の、味方……」
「ああ。それが俺にとっての全てだった。でも、当時の俺にはどうすればいいのかわからなくてな。
 切嗣に引き取られて十年、俺は結局何もできはしなかった。ただ漫然と日々を過ごし、自分にできる範囲で人助けをしていたよ……………もしかしたら、切嗣はそれを望んでいたのかもしれないけどな。
 でも、今から十年前の冬。転機があったんだ」
「転機……」

その言葉に皆が息を飲み、続いて苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべる。
それが何を指すのか、そんな事は今更考えるまでもない。
この話が始まって間もなく凛は確かに言った、『私と士郎が参加したのが五回目だ』と。

ただ、疑問がないわけではない。聖杯戦争は長い準備期間を要する。
にもかかわらず、十年という短い期間でなぜ五回目が起こったのか。
しかしその答えは、士郎の口から苦笑混じりに語られた。

「どうやら、四回目が酷く中途半端な形で終わった事が原因らしい。全く、俺はとことん聖杯と縁があるな」
「そんなのって、ないよ……」

確かに、士郎と聖杯には奇妙な縁がある。だがそれは、決して喜ばしいものではない。
だからこそ、すずかは今にも泣きそうな声で呟いたのだ。
一度ならず二度までも、この忌まわしき儀式によって士郎の人生は翻弄された。
友人として、その事実に嘆かずにはいられないのだろう。
だがそこで、士郎は凛にある事を尋ねる。

「どうする、そっちの話もするか?」
「別にいいわよ。結局は召喚辺りの話ししかする事もないしね」
「そうか。まあ、お前がいいなら別にいいけど……」

士郎はそう言って頷き、自分の経験を中心に話す事に決めた。
凛と士郎は基本的に行動を共にしていたし、話す事の大半は共通している。

ただし、当然ながらずっと行動を共にしていたわけでもない。
その為、別行動をしていた時、特に召喚前の所などは話しておくべきか悩んだのだ。
とはいえ、アーチャーを召喚してから士郎が聖杯戦争に巻き込まれるまでは特に目立った事もない。
故に、凛は特別説明する必要性を感じなかった。

「さて、厳密にどこから巻き込まれたのかって言うと結構判断が難しんだが……やっぱり一番のきっかけはアレだな―――――――初っ端に殺された時」
「ふ~ん…………って、待ちなさい! 殺されたらもうそれで終わりでしょうが!!」
「安心しろ。冗談じゃなく、殺されたのは本当だ。その時の傷も残ってるが、見るか?」
「見るか!! って言うかそういう話じゃな―――い!!」

あまりにも軽い調子で爆弾を放り込む士郎に、激昂したアリサが怒鳴り散らす。
一瞬頷きかけてしまっただけに、その怒りは通常の二割増しだ。

「やめときなさい、アリサ。いちいち驚いてたら体がもたないわよ。
 コイツ、聖杯戦争中にざっと数えて十回は死んでなきゃおかしいんだから」
「うわぁ……士郎君、ホンマに人間? 実はエイリアンやったちゅう事はない?」
「失敬な。正真正銘の人間だぞ」
「頭の中は大分アレだけどね。それにあの当時は、アンタがトカゲかなんかじゃないかとさえ思ったわ」
「余計なお世話だ! いや、確かに良く生き残れたなぁ、とは思うけど」

そんな軽く済ませていい問題ではない筈なのだが……誰もが突っ込みたい気持ちになりながら、誰もしない。
簡単な理由だ。なんと言うか、言うだけ無駄な気がしたのだろう。
まあ、事実としてこの男、十回以上のタイガー道場を回避し続けた結果としてここにいる。
つまり、逆に言えばそれだけ死ぬ機会に恵まれていたと言う事だ。嬉しくもなんともない機会だが。

「いや、話が脱線したな。とにかく、きっかけは学校での事なんだと思う。アレがなければ、或いは俺は無関係なままだったかもしれない」
「学校? でも、学校なんて人の多い所で戦ったりせんのとちゃう?」
「昼間はな。だが夜になれば、アレ程人気の薄いところもない。
 俺はその日ちょっと用事があって校内に残ってたんだが、帰り際に物音がする事に気付いたんだ」
「物、音? まさか、それって……」
「ああ、今思えば不用心の極みなんだけどな。
まさか、学校の敷地内でそんな物騒な事が起こるはずがない、そう思い込んでいたんだ」

はやての問いに、士郎は自嘲気味に答える。
だが、それは別に士郎が責められるような事でもないだろう。
一般常識から考えて、士郎の判断は別に事さら不用心などと言われる様なモノではないのだから。

「それが鉄と鉄がぶつかり合う音だと言う事には、割と早く気付いた。まあ、さすがに殺し合いをしているとまでは思わなくてな。だからこそ、その光景を見た時は息を飲んだ。
 赤い男と青い男、その二人が離れて見ても尚眼で追えない速度で斬りあっていた。
 同時に見た瞬間に悟ったよ、アレは人間じゃない。人間に似た何かだって。なにせ、明らかに人間の限界を超えた動きをしているんだから」
「士郎は、どうしたのさ?」
「動けなかった。危険なのはわかってたんだが、殺気に充てられて体が震えだすのを抑え込むので必死だった」

アルフの問いかけに、士郎は呆れたとばかりに肩を竦めて答える。
だが当然だろう。如何に魔術を身につけているとはいえ、それでも士郎は術者としては半人前以下だった。
いや、そうでなくてもロクに戦闘と言うモノを経験した事のない人間が、サーヴァントの殺気に充てられれば体は硬直する。むしろ、余波でしかなったとしても良く錯乱しなかったと称賛されるべきところかもしれない。

「だが、激しく斬り合っていたかと思うと、奴らは唐突に動きを止めた」
「戦いをやめたの?」
「違う、むしろその逆だ。青い方、後でランサーと知ったんだが、奴は殺すために手を止めたんだ」
「宝具、だよね?」

ユーノの問いかけに、皆の顔色が変わる。そして、士郎も静かにそれを首肯した。
特にここにいる何人かは、宝具の放つその異様でおぞましい気配を知っている。
故に、その時の士郎の驚愕を容易に想像できたのだろう。

「周囲から魔力を吸い上げる、なんてものじゃない。水を飲むという単純な行為ですら、度が過ぎれば醜悪に映る。それと同じだ。ランサーがしている事は、魔力を持つ者なら嫌悪を覚えるほどに暴食で、絶大だった。
 だからだろう、あの赤い奴は間違いなく殺されると思ったよ。理屈なんて関係ない。そもそも、ランサーの持つそれに理屈なんて通じない。それを、問答無用に叩きつけられたような気分だった」
「せやったら、その赤いサーヴァントはやられてもうたんか?」
「それがな、そうはならなかった。運の悪い事に、ことそこにいたって奴は俺の存在に気付いたんだ」
『え!?』

士郎の言葉に、全員が驚愕の声を上げる。
ここまで話を聞けば、誰もが理解していた。もし無関係な者がそれを見たりすれば、間違いなく口封じで殺されてしまうと。魔術の世界がそういうものだと、否が応にも理解させられていたのだ。

「し、シロウはどうしたの?」
「逃げたさ。いや、むしろ勝手に足が走り出したと言った方が正しいか。
 とにかく無我夢中で走って、気が付いたら校舎の中にいた。バカな話だ、殺されるってわかってたくせに、どうしてよりにもよって校舎の中に逃げるんだか」
「で、でも、士郎君は無事だったんだよね。なら……」
「いや、残念ながら無事にとはいかなかった。というか、さっき殺されたって言ったろ」

フェイトやすずかは今の士郎がいる事から、きっと無事に逃げきったに違いないと思った。
いや、もしかすると思いこもうとしたのかもしれない。
それが、どうしようもなく甘い希望的観測だと知っていても尚。

だが、そうはならなかった。否、そもそも無事に済ませられるはずがないのだ。
目撃者は殺す、これは聖杯戦争の大前提と言ってもいい。
それに、幾ら必死に逃げたからと言って、人間如きがサーヴァントから逃げ切れるはずがないのだ。

「限界がきて足を止めたら―――――――目の前にランサーがいた。俺の足が止まるまで待ってたんだろうな。
 あとはまぁ、言うまでもないだろ。聖杯戦争に参加するとかしないとか、それ以前に、俺はアイツに殺された。心臓を一突きにされてな」

心臓を貫かれる、それはこれ以上ないほどの致命傷だ。
或いは、早急に病院に搬送すれば助かるかもしれない。だが、夜間の学校では望むべくもない。
つまり、その瞬間に衛宮士郎の命と未来は断たれた……筈だった。

「だが、お前はこうして生きている。それはなぜだ」
「昔、一度味わった感覚だけに、俺は死を強く意識した。
 だけどその中で、誰かの声を聞いたんだ。何を言っているのか、誰の声なのはかわからなかった。でも、ゆっくりと、少しずつ体の機能が戻っていったのは覚えている。
 そこで、俺の意識は完全に途絶えた」

シグナムの問いに要領を得ない答えを返す。だが、それでも皆の顔に生気が戻っていく。
こうして生きているのだから、何らかの幸運に恵まれて生き残った事はわかっていた。
しかし、さすがに心臓を一突きにされたとなれば気が気でない。

「気がついた俺は、とりあえずその場の片づけをして、ゴミを拾い集めてポケットに突っ込んでから家に帰った」
「士郎君、そんな時までブラウニ―なんだね……」
「そこまで来ると真性ね、いっそ褒め称えたくなるわ」
「ほっとけ! 俺だってあの時は何やってんだろうなぁと思ったんだよ!!」

すずかやアリサに散々な評価をいただいた士郎は憎まれ口を叩くが、やはりキレが悪い。
自分自身、何でそんな馬鹿な真似をしたのか呆れているため、どうも強気になれない。

「だけどさ、家に帰れたんならそれで終わったんだろ?」
「いや、そんな事はあるまい。
もし衛宮が生きている事を知られれば、間違いなくもう一度殺しに来るだろう。違うか?」
「ああ、ザフィーラの言う通りだ。
家に帰ったまでは良かったんだが、それから間もなく青いサーヴァント…ランサーに襲われたよ」
「そ、それじゃあ今度はどうしたんだよ! そのままだったら、また同じ事の繰り返しじゃないか!」
「ああ、俺もそう思った。だから、あの当時唯一使えた強化の魔術で手近にあったポスターを武器代わりにした。
気休めにしかならない事はわかっていたけど、ないよりはマシだと思ったからな」

声を荒げるアルフに、士郎は努めて冷静にあの当時の事を述懐する。
実際、武器を確保した程度ではどうにもならないほどの戦力差だ。
それは他の面々も予想しているだけに、ならばどうやってその窮地を切り抜けたのかを考えている。

「まあ、本当に気休めにしかならなかったよ。『今度こそ迷うなよ』とか言いながら殺そうとしてきたかと思えば、こっちがちょっと抗う姿勢を見せただけで『少しは楽しめそうだ』と言って遊ばれた。その上、下手糞だとわかると、散々『使えねぇ』だの『拍子抜け』だのと罵られたよ。
 まあ、ちょっとだけ驚かせるくらいはできたからかな。一度だけ『筋はいい』って褒めてくれたっけ」
「おい! てめぇを殺そうとした奴の事だぞ! なんでそんなに暢気なんだよ!!」

内容と裏腹にあまりにも緊張感に欠ける士郎の声音に、ヴィータが怒鳴る。
まあ、士郎としては殺されたり殺されかけたりした借りは確かにあるのだが、それとは別に凛を助けてもらったりした恩もある。それに、個人的にもあの男を嫌いきれていない事もあったのだろう。
いや、決して好いているとも言えないのだが。

「でも、それじゃあジリ貧じゃないですか。どうやって……」
「忘れたのか、シャマル。聖杯戦争の原則は、サーヴァントにはサーヴァントを当てる事だぞ」
「……それって!」
「ああ、運よく土蔵まで逃げた、と言うか蹴り飛ばされたと言うか。とにかく辿り着いてな。当時の俺は知らなかった事だけど、あそこにはアイリスフィールさんの魔法陣が敷かれていたんだ。
 たぶん、それに反応したんだろうな」

ここまで話せば、誰もがどうやって士郎が生き延びたか気付いていた。
簡単な話だ。戦力で劣るのなら、それに匹敵する戦力を用意すればいい。
士郎は無意識かつ偶然に、それを成し遂げたのだ。

「……懐かしいな。現れて早々アイツは言ったよ『サーヴァント・セイバー、召喚に応じ参上した。これより我が剣は貴方と共にあり、貴方の運命は私と共にある。ここに契約は完了した』ってさ」
「そう、あなたが召喚したのもセイバーだったの」
「ええ。俺が召喚したのも『アーサー王』です」

アイリの言葉を、士郎は僅かに訂正を加えて繰り返す。
しかし、それがもたらした驚きは尋常なものではなかった。

「え!? 士郎君もアーサー王を召喚したんですか!」
「おいおい、マジかよ……」
「凛ちゃん凛ちゃん、二回連続で同じ英霊さんが召喚される事ってあるの!?」

シャマルやヴィータは驚きを露わにし、なのははそのまま近くにいた凛に詰め寄る。
凛はそれを鬱陶しそうあしらいつつ、自身の考えを述べる。

「ああ、はいはい。驚いたのはわかったから、ちょっと落ちついてね。
 詳しい所は私も知らないけど、たぶん初めてなんじゃない?」

凛の考えはおそらく正しい。
サーヴァントの召喚は、触媒を用いない限り意中の英霊を呼び出す事は不可能に近い。
触媒なしの召喚だと、召喚者に似た者が召喚される。
つまり、召喚者によって呼び出される英霊は千差万別になると言う事だ。

切嗣の場合、触媒を用いてセイバーを召喚した。そうでなければ、彼の下にアーサー王が現れるはずもない。
逆に言えば、士郎が余程アーサー王と似た者同士でない限り、触媒なしに彼がアーサー王を呼べるはずもないのだ。そして、士郎と騎士王の間にはあまり近似性はない。故に、士郎が彼女を召喚する事は不可能に近いだろう。
そう、触媒がなければ。

「もちろんちゃんと理由はあるわよ。ね、士郎」
「ああ」

凛がそう言って士郎の方を見ると、士郎は自身の胸の前で一度両手を合わせてからゆっくりと広げていく。
すると、僅かに光を放ちその手の間に何かが現れる。
それを見て、士郎の手にある物が良く見知ったモノである事にアイリが気付いた。

「それは、まさか!?」
「あ、それって……アルフ」
「うん。フェイトを治療する時に士郎が出してたやつだよ」

フェイトやアルフもそれには見覚えがあり、半年前の事を思い出していた。
だが、他の面々にはそれが何なのかわからない。しかしそれでも、士郎の手にある物が尋常ならざる逸品である事は容易に悟った。当然だろう、溢れる神々しさ、放つ魔力、共に常軌を逸しているのだから。

「そう。アーサー王の失われた宝具、エクスカリバーの鞘。ランクEX結界宝具『全て遠き理想郷(アヴァロン)』。
 そのオリジナルであり、俺が有する唯一の真作です」

士郎はそんな皆の反応を事さら気にする事もなく、その名と由来を告げた。
とはいえ、さすがに八神家を除く面々には士郎の能力がまだちゃんとは知られていないだけに、最後の部分について違和感を持つ者もいた。だが、結局その意味を理解する事が出来た者はいない。

「そう、あなたが持っていたのね」
「はい。おそらく二十年前、切嗣は死にかけていた俺にこれを埋め込んだのでしょう」

そうでなければ、切嗣に発見されたとはいえ、あの中から士郎が生き残れるはずがなかった。
如何にその場で命は保っていても、業火に焙られその体はボロボロだったはず。
そのままでは死にゆくだけだった士郎を、切嗣は宝具の力を借りる事で生かしたのだ。
士郎は一頻り皆にそれを見せた後、再度それを自身の内に戻す。万が一にもなくしては困るし、入れておけば傷の治りも早くなるかもしれない。
それに、二十年も共にあった半身だ。ないと、それはそれで違和感があるのかもしれない。

「とはいえ、あの当時の俺は事態の変化について行けなかった。その上、あの二人は俺を放っておいて勝手に戦い始めたからな。おかげで余計に置いてきぼりを食らったよ」
「セイバーとランサーの戦いは、どうなったのだ?」
「二人の戦いは互角、いや、セイバーが押しているように思えた。
だけど、ランサーがそのままで良しとするはずもない。アイツは学校の校庭でやったように、その宝具を使おうとした。違いがあるとすれば、あの時と違って邪魔が入らなかったってところだな」

その一言に、場に戦慄が走る。
この場にいる全員は、具体的ではないにしろ、その危険性を承知していた。
宝具とは、多少の戦力差など容易く覆してしまであろう代物である事を。
だからこそ、皆の眼には先を催促するような輝きが宿っていた。

「突き出された槍は唐突に在り得ない軌道を描き、セイバーの心臓めがけて疾駆した。銘を『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』。因果逆転の呪いを宿した、必殺必中の魔槍。ケルト神話の大英雄、光の御子『クー・フーリン』の宝具だ。
これを防ぐのに必要なのは、速さでも防御力でもない。定められた運命を覆す強運、それをセイバーは持っていた。だからこそ、アイツはその必殺必中の一撃を回避できたんだよ」
「あ、その人のお話読んだ事があるよ。確かルーっていう神様の子どもなんだっけ?」
「へぇ、よく知ってるじゃないすずか。こっちではあんまり有名じゃないのに」

凛の言う通り、日本ではあまり有名な英雄ではない。そのためか、他の面々の反応も薄い。
他に分かっているのはアリサとはやて、それにアイリくらいだろう。
まあ、この場にいる者のほとんどが地球の伝承に明るくない他世界出身である事を考えれば無理もない話だが。
だからなのか、フェイトはとりあえず話しの先を聞こうと士郎に問いかける。

「それで、その後はどうなったの? やっぱり、どっちかが倒れるまで……」
「いや、どうもランサーは妙な命令をされていたらしくてな、そのまま逃げちまった」

本来なら、彼とて決着をつけたかっただろう。
しかし、本来のマスターならともかく、あの時は例の性悪がマスターだった。
そのおかげもあり、彼は結局望んだ様な戦場にほとんど巡り会えずに脱落してしまったのだ。
それを知るだけに、士郎や凛の顔は僅かばかりの苦さを宿している。

「まあ、俺としては一段落ついたところでセイバーから話を聞きたかったんだが、そうもいかなかった」
「どういう事なん?」
「今度は別のサーヴァントが現れたからだよ。マスターも一緒にな」

そう言って、士郎と凛は互いに目配せする。
それだけで勘の良い者は気付いただろう。
ランサーに続いて現れたのが、凛とそのサーヴァントなのだと言う事に。

「もしかしてそれって、凛ちゃんなの?」
「まあね。ちなみに、さっき士郎が言ってた赤い方が私のサーヴァント、アーチャーよ」
「セイバーの奴、人の話も聞かずに勝手に飛び出してな。その上、いきなり凛達に襲いかかったんだ」

ああもう頭が痛い、と言わんばかりの様子で士郎は頭を抱える。
まあ、彼の反応は無理もない。訳のわからない状況におかれたと思ったら、今度は唯一その事態を理解してそうな人間が独断専行したのだ。士郎でなくても頭を抱えるだろう。
しかし、そんな士郎を凛は意地の悪い笑みを浮かべながら見つめている。

「くくく……アンタ、後先考えずにいきなり令呪を使ってセイバーを止めたもんね」
「令呪の扱いに関しては凛にだけは言われたくない。
よりにもよって『絶対服従』なんて曖昧な命令に使うなよな」
「う……ほっといてよね。私だってあのときは軽率だったなぁと思って反省したんだから」

そんな二人のやり取りを、一応は令呪の重要性を知らされた面々は胡乱気に見る。
事情を理解していなかった士郎はまだしも、まさか貴重な令呪を凛がそんな大雑把かついい加減な使い方をするとは思わなかったのだ。そこで全員が一様に凛への評価を改めたのも、無理からぬ事だろう。

「その後はどうしたんですか?」
「まあ、成り行きでね。士郎に聖杯戦争の事とかを説明して、ついでに教会まで連れていったわ。
参加するにしろ降りるにしろ、情報がない事には決められないでしょ。それにホラ、あれよ…敵にもなっていない奴の相手なんかしたくないし、令呪を使わせちゃった借りもあるし……」
「まったく。本当にお人好しだよ、お前は……」

シャマルの問いに、凛はなんとも要領を得ない弁明を返す。
それに士郎は呆れた様な、だけど楽しそうな声音で呟く。
凛はそんな士郎の声が聞こえていなかったのか、まだブツブツと何か言っている。
とそこで、すずかはどこか思い詰めた様な表情で士郎に問いかける。

「士郎君は、どうして聖杯戦争に参加しようと思ったの? そこで引き返してれば……」
「そうだな、そこで引き返せば平穏の中に戻れたかもしれないな」
「なら、なんで!? 死んじゃうかも…しれなかったんだよ?」
「言っただろ? あの当時の俺は正義の味方になりたかった。そんな馬鹿げた殺し合いを認めることなんてできなかった。だから俺は、少しでも被害を抑えたくて参加したんだよ。
知ってしまった以上、知らないフリはできない。幸い、セイバーもいてくれたしな」
「…………………」

分かっていた筈の答えだったにもかかわらず、士郎の口にした言葉にすずか達は悲しみに表情を曇らせる。
なのはとて似た様な理由でジュエルシードに関わったが、比較すべき対象ではないだろう。
何しろ、なのはの場合は「命の危険」を認識していなかったのに対し、士郎は実際に一度「殺されている」のだ。
死の危険を承知の上で他人の為に死地に挑む、それを士郎は平然と選択した。

それは確かに尊いかもしれない。
だが、その先にある物を僅かでも知るならば「引き返してほしかった」と思う。
ここで引き返してしまえば、士郎が切嗣と同じ苦しみを背負い、傷つく事もなかったのだから。

そんな皆の気持ちは士郎とて承知しているのだろう。
しかし、それももはや手遅れであり、いまさら何を言っても詮無い事。
だからこそ士郎は、あえて少々強引にでも話を進めて行く。

「さて、その帰りだったな…………イリヤスフィールと出会のは」

士郎がその言葉を言った瞬間、アイリやはやて、守護騎士達の体が強張る。
いつかは来ると思っていた事柄ではあるが、それでもいざその時が来ると平常心ではいられない。
十年、両親を失った彼女がどのような人生を歩んだかはわからない。だが、それでも彼女が生き残る事はないと言う事だけは知っているだけに、どうしても体に力が入ってしまう。

「歌うように、幼い声が夜に響いた。その声は俺達が歩いてきた坂の上からのモノで、見上げるとそこに彼女がいた。バーサーカーと言う、最悪の怪物を引き連れて」
「一応言っておくけど、あの子はちゃんとバーサーカーを制御していたわ。
おそらく歴代初でしょうね、バーサーカーを制御したマスターは。それも、その正体がギリシャ神話最大の英傑『ヘラクレス』だって言うんだから、冗談じゃないっての」
『ヘラ、クレス……』

さすがに、その名はなのはでも知っている。
それこそ、知名度ではアーサー王と同等かそれ以上の大英雄だ。知らない方がおかしい。

「イリヤはあなたに、何か言った?」
「初めて会ったのは、その数日前です。まあ、その時は『早く呼び出さないと死んじゃうよ』と言われただけでしたし、次に会った時はロクに話しをする間もなく……」

さすがにそれ以上語るのは心苦しいのか、士郎はその先は言わなかった。
しかし、それでもその先を想像する事は容易だ。故に、アイリもまた沈痛な表情で押し黙る。
士郎はイリヤの事を知らなかった。それを責めるのはお門違いだろうし、唯一事情を知っていたイリヤがそれでは尚更だ。むしろ、アイリは何も知らされなかった士郎に対してこそ申し訳なさが募っていく。
故に、凛はそんな二人の様子に気を配りながら、とりあえずは話しを進めていく事にしたようだ。

「セイバーは上手く戦ったわ。真っ向勝負は危険と判断して、身軽さと小回りを活かせる墓地に戦場を移した。
 だからまぁ、問題があるとすればアーチャーの方だったのよ」
「え? それってどういうことなの?」
「アイツね、セイバー諸共バーサーカーを攻撃したのよ。それも、牽制なんてヌルイものじゃない。一撃で、セイバーとバーサーカーを殺せる、少なくとも殺せるだけの物をアイツは射った。
 もし士郎がセイバーを助けに入ってなかったら、致命傷、とまでは言わないけど、相当な傷を負っていたかもしれない。まあ、確かにセイバーは味方ってわけでもなかったんだけど……」

フェイトの問いに、凛は憮然としながら答える。
その内容に、誰もが眉を顰めた。凛の言う通り、確かに味方でもない相手を援護する理由はない。
それどころか、纏めて敵を葬れるとなればまさしく一石二鳥だろう。
その意味で言えば正しいのだろうが、それでもそんな事を平然とやってのけるアーチャーに、反感を覚えずにはいられなかった。

だが、彼らはアーチャーの正体を知らない。だからこそ、ある可能性を考える事が出来なかった。
士郎がセイバーを助ける事さえも彼の予想の内だったという可能性に。他ならぬ彼になら容易く予想できた事だろうし、そうだとすれば彼は元から殺す意図など無かったという事になる。

しかし、未だアーチャーの正体を知らぬ彼らにはそんな事わかるはずもない。
一つだけ確かなのは、そうして黙りこんでいても話は進まないということ。
こう言う時にそういった役回りを負い易いのか、ザフィーラが口を開く。

「それで、決着がつくまで戦ったのか?」
「いいえ、なんか知らないけど、イリヤはやる気が無くなったみたいで帰ったわ。
 だけど士郎はアーチャーの攻撃の余波で倒れちゃったから、仕方なく私も士郎の家に付き添って様子見。
 半日くらいした頃には意識が戻って、それからちゃんと敵対宣言して別れたわよ」
『え!?』
「何に驚いてるのか知らないけど、別にその時点じゃ味方でもなければ友人でもないの。
 れっきとした敵なんだから、いつまでも慣れ合ってる方がおかしいでしょうが」

どうやら、なのは達はその時点で二人は組む事にしたと思ったらしい。
しかし、実際には同盟を結ぶまでにもう何ステップか必要としたのだ。
まあ、今の二人を見ていて、初めは敵同士だったと言われても想像しにくいのかもしれない。
それを言いだすと、なのはとフェイトや守護騎士達との関係も大概なのだが……。

「で、私と士郎が次に会ったのが翌日の学校よ。まあ、さすがにその時は驚いたわ。
 まさか、アレだけ脅しておいたのに無防備に学校に来るなんて思ってなかったしね」
「え、えっと、凛。なんだか怖いんだけど……」
「そ、そやねぇ。ちょう、その般若みたいなこわ~い笑いはやめて欲しいかなぁ、なんて思うんやけど……」
「ふふふ。そうよ、あの時はホントに頭に来たわ。だからもう、そんなのの相手をしてるとこっちの神経が持たないって思ってね、面倒だから一思いに殺っちゃう事にしたのよ」

凛はそんな事を呟きながら、当時の事を思い返して獰猛な笑みを浮かべる。
まあ、顔こそ恐ろしい形とはいえ笑っているが、その眼の奥はもっと怖い。
なにせ、まったく目が笑っていない上に、やたらと危険な光が宿っていた。

いや、それどころか『今からでも遅くないかも』なんて考えが見え隠れしている。
早い話、その場にいるほぼ全員が命の危機を感じ、その時の士郎の浅薄を呪っていた。
しかしそこで、凛の獰猛な気配に引き寄せられたのか、士郎も口を挟む。

「いや、あの時はホントに死ぬかと思ったな。もう呪いとかそんなレベルじゃなくてさ、効果音がリアルで銃弾みたいになってるんだ。背後からガトリング砲で狙われてる気分だったぞ」
「自業自得でしょうが」
「にしてもだ! よりにもよって学校の中であんなモンぶっ放すのはどうだ!! しかも乱射!!」
「アンタが逃げ回るから狙いに熱が入るんじゃない!!」
「それはあれか? 大人しく死ねって事か!?」
「そうよ!!」
「威張っていう事か!!」

なんだか、段々と外野そっちのけで痴話喧嘩の様相を呈してきた様な気がしないでもない。
実際、話の内容としてはマスター同士の一騎打ちと言う、かなりシリアスな場面の筈だ。にもかかわらず、この二人が夫婦漫才よろしく言いあっていると、どうにも緊張感が伝わってこない。

「「ふぅふぅふぅふぅふぅ……」」

とはいえ、息が切れたのか二人の言い合いはいったん止まった。
しかし鼻息は荒く、今にも続きを始めかねない。
そこで、二人が動き出す前にはやては多少強引と思いつつ話題を変える。
まあ、内心二人の迫力にビビって「ヒー、何でわたしがこないな損な役やらなあかんの~!?」とか思っていたりするのだが……。

「え、えっと、それで結局どうなったん?」
「ん? ああ、教室に結界張って中をぶっ飛ばしたりしたんだが…あ、もちろんやったのは凛だからな」
「っさいわね! 余計な事言うな!!」
「それでまあ、なんだかんだで俺が逃げ回っているうちに睨み合いになって、そこで―――悲鳴が聞こえたんだ」

士郎のその言葉に、緩みかけていた空気に緊張が走る。
そんな状況下で聞こえた悲鳴。そうたいした事でもないのかもしれないが、そうと断定もできない。
聖杯戦争関連かもしれない、と考えるのは至極当然の発想だろう。

「悲鳴のした方に行ってみると、そこには生命力を根こそぎ抜かれた女生徒がいた」
「生命、力?」

単語としては割と良く耳にするそれを、思わずなのはは復唱する。
もし、そんなものが抜き取られてしまったらどうなるのか、想像に難くない。

「ええ。手遅れじゃなかったのが幸いだけど、それでも放っておけば死ぬ。そういう状態よ。
 まあ、それだけなら治療すれば問題なかったんだけどね」
「どういう事だい?」
「抜かれたって事は抜いた奴がいるって事でしょ。そして、それが近くにいないとも限らない。
 っていうか、そいつ思いっきり私を殺しにかかったしね」
『っ!?』
「正直、士郎がいなきゃヤバかったわ。危うく、顔の風通しが良くなるところだったもの。
 ま、その代わりに士郎の腕には飛んできた釘みたいな剣が見事に刺さっててね。
さすがにあのときは動揺したわ。なにせ、思いっきり腕を貫通してるんだもの。血もドバーッて」

アルフの質問への答えを聞きその時の事を想像したのか、なのは達はまたも顔を青くする。
守護騎士達は血や負傷など慣れっこだろうが、子ども達はそうではない。
大量の血と言うのは、それだけで気の弱い者は失神する。
例え想像だとしても、それをイメージするのは精神衛生上よろしくない。

「その上、このバカときたら勝手にそいつを追って行って、まんまと罠に嵌ったのよ。
 サーヴァント相手にケンカするなんて、正気の沙汰じゃないわ。能力が低めとされるライダーでも、紛れもなく疑う余地もない自殺行為よ。
それが、ギリシャ神話に悪名高いゴルゴン三姉妹の末女、女怪『メデューサ』となれば尚更だっての。むしろ、食われなかった事が奇跡だわ。
何より、あの時はまだそんな関係じゃなかったとはいえ、味見されてたりしたらムカつくし」
「まあ、否定はしないが……(おい、こいつらの前で『食われる』とか『味見』は不味いだろ)」
(いいじゃない、どうせわかりっこないんだから)
(にしてもだ、時と場所くらい弁えてくれ。見ろ、あいつらのあの不思議そうな顔。
もし意味を聞かれたらどうするんだ!)
(適当にはぐらかしなさい)
(丸投げか!?)

まあ、自分の男が他の女につまみ食いされていたとなれば、さすがにいい気分はしないだろう。
実際、場合によってはそういう事になっていた可能性もあるので、割とシャレになっていないのだ。

しかし、それにしても子どもの前で話すような内容ではないのも事実。
さすがになのは達に意味がわかるはずもないが、この辺りは大人としての節度だろう。
そして、士郎の危惧したとおり、凛の言葉の意味がわからずアリサは真顔で士郎に問いかける。

「? メデューサが人を食べた、なんて聞いたことないけど、どういう意味なわけ?」
「聞くな。大人になればわかる、だから今は聞くな」
「何それ?」

物凄く真剣な表情で子ども達を説き伏せる士郎。
その様子からおおよその言葉の意味を解した大人組は、一斉に頷き士郎に加勢する。
さすがに、子ども達に18禁的な話をするわけにもいくまい。

「それで、あの、士郎君は罠にかかってどうなっちゃったんですか? 可及的速やかに教えてください! できれば可能な限りショッキングな表現で、今していた会話を忘れるくらい!!」
「必死ね、シャマル。あんた、意外とそういうの苦手なの?」
「今はそんなことはいいんです!?」
「…………はいはい、ちょっと気になるけど情けをかけてあげるわ」
「凛ちゃんは鬼です、あくまです、人でなしです。闇の書の守護騎士に、いい意味での経験なんてあるわけないってわかってるくせに……自分には恋人がいると思って……」

こうして、シャマルの割と身を呈した力技により話はピンク色に脱線することなく、本筋に戻される。
子どもたちが、妙なところで大人の階段を踏み出すことは防がれたのだった。
まあ、その子どもたちは終始二人の会話の意味がわからず首を傾げていたが。

「そこでメソメソしてるのは無視するとして、イメージ的には百舌鳥の早贄ね。腕に釘みたいな剣が刺さったまま、西部劇の絞首台みたいに木にぶら下がってたのよ。
追いついた時にそれでしょ、さすがにこいつのトンマぶりには頭が痛かったわ。
まあ、見捨てるのもあれだから助けてやったけど……」
「貸し借りについてはその前の事もあったし、相殺だろう「はぁ?」……と思ったのですが、すみません。わたくしめが悪うございました。軽率な行動ばかりとって、ホントすみません」

凛のあまりの言い様に士郎は反論しようとしたのだが、凛の殺視線に直ぐに降伏してしまう。
いや、確かにそれはもう『睨み殺すぞ』と言わんばかりの視線だったから、さぞかし怖かったのだろう。

「まあ、このバカは置いておくとして、とりあえずその後は士郎の腕の治療の為に一度家に行って、そこで休戦協定を結ぶ事にしたのよ」
「え? なんだか、随分とまた唐突じゃない?」
「まあね。ユーノが疑問に思うのは当然だけど、あの時学校には性質の悪い結界が張られてたのよ。
発動すれば、学校中の人間全員を生贄にして吸収できるって代物でさ。
 だから、私としてはそっちを先に片付けたかったってわけ。士郎は信用“だけ”は出来るからね」

その言葉に誰もが頷き同意を示す。
確かに、この男は余程の事があっても味方を裏切ったりはしない。フェイトの時でも、本質的には敵対関係にありながらあれこれと世話を焼いていたのだ。人の好さ、と言う意味では抜きんでている。
まあ、本人に言わせれば偽善であり、人が好かったとしてもそれは昔の事、と言う事になるらしいが。

「ふ~ん、それで凛と士郎はやっと仲間になったって事なのね」
「そう言う事。ま、あの時はまさかこんなに長い付き合いになるなんて思わなかったけどね」

アリサの言葉に、凛は感慨深げに応じる。
確かに、あの当時の彼女からすれば、今の状況は予想もしない事だったろう。
たった一人の男の為に、何もかも投げ打って共にあり続ける。
言葉としては単純で、ロマンに溢れた内容だ。しかし、実際にそれをなす事のなんと難しい事だろう。
それが士郎の様な男ともなれば尚更だ。
しかしそこで、思い出したかのようにはやては凛に尋ねる。

「あのな、凛ちゃん。ちょう聞きたいんやけど」
「なに?」
「士郎君は巻き込まれて、聖杯戦争の被害を減らしたくて参加したっちゅうのはわかった。
 せやけど、凛ちゃんやアーチャーは何が目的だったん? やっぱり凛ちゃんは、根源の渦?」
「ああ、その事ね。私は違うわよ。父さんが死んだ事もあって、私は本来の目的は知らなかったから」
「え? じゃあ、どんな願いがあったん?」

凛の説明を聞き、興味が湧いたのかはやては更に問いただす。
それに関しては他の面々も同意なのか、なのはやアリサなどは身を乗り出してさえいる。
如何に聖杯が破綻しているとわかっていても、凛の願いとそれは別問題なのだろう。

「特になかったわ」
『はい?』
「だからなかったの。アーチャーの奴は世界征服なんてどうだ、とかバカな事言ってたけど、それこそくだらないわ。だってそうでしょ? 世界ってのはつまり自分を中心とした価値観で、そんなものは生まれた時から私のものよ。ま、仮に本当に世界を手に入れるとしても、それはそれで面倒じゃない。上に立つって事は、色々気苦労も多いわけだしね」
「えっと…ならあなたは何のために戦ったの?」
「そこに戦いがあったからよ。ま、ついでに貰える物は貰っておく、くらいのつもりだったけどね。
そのうち欲しいものが出来たら、その時に使えばいいだけだと思ってたから」

その言葉に皆は絶句する。
しかしそれも一瞬で、呆れて言葉も出ないと言う風だったのが徐々に納得へと代わっていった。
初めは面食らったが、なるほど実にこの少女らしいと誰もが思ったのだろう。
まあ、とりあえず凛への好奇心は満足したのか、続いて話はアーチャーへと及ぶ。

「それじゃあ、アーチャーさんはどうだったの?」
「アーチャーの奴は、聖杯を悪趣味な宝箱って言ってた様な奴よ。確かに“恒久的な世界平和”って真顔で言う様な奴だったけど、思いっきり爆笑してやったら拗ねてね『やはり笑われたか。まあ他人の手による救いなど意味はない。今のは笑い話にしておこう』とか言ってたっけ」

凛はそう懐かしむ様になのはの問いに答えたが、他の面々はそう気軽に受け止める事は出来なかった。
恒久的な世界平和、それはあの衛宮切嗣と同じ願い。
その果てに彼が何を決断したのか、それを知るからこそ皆の心は重い。

「ちなみにね、他に願いはないのかって聞いたら『有るには有るが、聖杯で叶えるほどの物でもなし。それは自分で叶えてこそ意味がある』って言ってたわ」
「ふ~ん。ところでさ、アーチャーの真名ってなんなわけ?」
「ん~、まだ秘密。どうせ今言ったって信じられないでしょ。
だけどヒントは上げるわ。そいつはね、ここにいる全員が知ってる奴よ」
『はぁ……』

アリサの問いは、別に今すぐ答えてもいいものだろう。しかし、それを信じさせるのは割と面倒だ。
なら、順を追って話していく方が面倒がなくて良いかもしれない。少なくとも凛はそう考えていた。
ところどころに、アーチャーの正体に繋がるヒントを布石として撒きながら。
とはいえ、この段階でなのは達が真相に辿り着けるはずもなく、皆が曖昧な返事を返す事しかできずにいた。

「じゃ、話しを戻すわよ。とりあえず翌日から私と士郎で結界探しをするようになって、士郎の方ではセイバーに鍛えてもらう事にしたのよね。俄仕込みでも、ないよりはましって感じで。
 まあ、まったくもって役に立たなかったわけだけど……」
「悪かったな……どうせ俺はヘッポコだよ」
「拗ねない拗ねない」

凛の無体な言いように不貞腐れる士郎。それに対し、面白そうに笑みを浮かべる凛。
そんな二人を見て、彼らが乗り越えてきた試練を想像できた者はいなかった。

「なにしろこいつときたら、キャスターにかどわかされてまんまとその手に落ちたのよ。
 まったく、何のためにセイバーがいると思ってるんだか……」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ凛! それって凄くマズイでしょ!?」
「マズイどころじゃないわ、むしろ最悪よ。相手はキャスター、しかも神代の魔術を操る裏切りの魔女『メディア』。魔術師としてなら間違いなく私より遥か格上。そんな奴に捕まって、無事に帰してもらえるはずがないじゃない。
 その上、場合によっては火力でもアンタ達と渡り合えるかもしれない奴だしね。本来戦闘機であるはずのサーヴァントに、重爆撃機クラスの攻撃範囲と火力を搭載していると考えれば、そのヤバさがわかるでしょ?」

そう、こと人間を相手にする場合において、キャスターはおそらく最も効率よく虐殺できるサーヴァントだ。
サーヴァント同士ではどうしても分が悪いが、対魔力を持たない者達が相手なら、むしろ彼女こそ最強のサーヴァントと言えるかもしれない。
その上、破壊力だけでなく技巧にも優れたサーヴァントだ。士郎など、操るも殺すも自由自在だった。

「セイバーもすぐに気付いたんだけどね、生憎足止めされちゃってさ」
「でも、キャスターとセイバーは相性が悪かったはずよ。
最高ランクの対魔力を持つセイバーなら、相手が神代の魔術師の工房であっても突破できるわ」
「そう。だから、セイバーの足止めをしたのはキャスターじゃなくてアサシン。
それも、キャスターが召喚した反則のね」
「そ、そんな事出来る筈が……!」
「そう? でも相手は神代の魔女よ。サーヴァントを呼べるのが魔術師なら、アレにも一応その権利はある。
 まあ、やっぱりルール違反なだけあって正規のアサシンは呼ばれなかった。呼ばれたのは架空の剣豪『佐々木小次郎』。その実在も疑わしい上に、あくまでその殻に該当した亡霊を呼んだだけの存在よ。
 ま、こと剣技に関してはセイバーすら上回る、歴代最高峰の怪物だけどね」

さすがに、アイリとしてもそんなルール違反は信じられないのか、凛に理詰めで説き伏せられても未だに納得のいかない表情を浮かべている。
だが、それはシグナムとて同じ事。いや、彼女の場合は方向性は違うのだが、それでも納得していないという点では同じだ。

しかし、それも無理はない。
本来名もなき剣士であるアサシンが、最優のサーヴァントであるセイバーはおろか、歴代全サーヴァント中随一と評しても良い程の剣士だなどと、そう容易に信じられるものではない。

「しかし、如何な剣豪とはいえ、暗殺者のクラスで呼ばれた者がセイバーを凌駕するなど……」
「気持ちは分からないでもないけど……割と良くある話でしょ、無名の鬼才なんてさ。
アサシンもその口でね。アイツ、他にやる事がなかったなんて理由で我流の剣を磨き抜いた末に、一切の神秘を用いずに純粋な剣の技量のみで多重次元屈折現象(キシュア・ゼルレッチ)を可能にしたのよ。
 それがアサシンの秘剣『燕返し』。相手を三つの円で『同時に』断ち切る絶技。
 未だ、私にも片鱗すら再現できないトンデモ級の魔剣技なんだから」

そこまで言われては、さすがにシグナムと言えど反駁の声もない。
まさか、一切の術法を用いずに第二魔法の一端を引き起こすなど、想像の外だ。
それは無論他の面々も同じで、歴代サーヴァント中随一の剣技の持ち主、という看板の意味を思い知っていた。

「そんなのに足止めされたもんだから、セイバーも士郎の所には行けなかった。でも……」
「……アーチャーがな、“一応”助けてくれた。
まあそんなわけだから、そこからはアーチャーとキャスターの戦いになったよ」

思わず「一応」を強調する士郎。
十年の時が経ち、それなりに相手の事を認めていたとしても完全に受け入れる事は難しいらしい。
その声は苦く、自分の不甲斐なさへの怒りやアーチャーへの根強い反感が宿っていた。

「だけどあの野郎、キャスターをあと一歩と言うところまで追いつめて見逃しやがったんだ」
「え? な、何で……だって、倒すチャンスなんでしょ?」

フェイトをはじめ、誰もがアーチャーの行動に驚きを隠せない。
それに対し士郎は、十年前に抱いた不満をそのまま口に乗せた。

「アイツが言うには、キャスターを泳がせてバーサーカーを討たせようって腹だったらしい。確かにそれはわかる。だけどそれは、街の人達をキャスターの危険にさらすって事だ。当時の俺には、それが許容できなかった。
 しかもキャスターの奴はキャスターの奴で、俺とあいつが似た者同士だと言いやがるし……」

無論、キャスターの言葉が実に的を射ていた事を今の士郎は知っているし、アーチャーの方針の合理性も承知している。だがそれでも、今なお士郎にとってそれは好きになれないやり方だ。
正しさは理解できる、いざとなれば自身もまたそれを選択するかもしれない。だがそれでも、矛盾しているとしても、士郎はそんな選択肢が大嫌いだったし、ましてやそれを選ぶしかない自分が嫌いだった。
合理的で正しければ『良し』としたアーチャー。如何に合理的で正しくても、それを嫌悪する『矛盾』を抱きつつけた士郎。それが、今に至って明確な形として現れた二人の差異だった。

確かに、結果的にはどちらも大差ない様に映る。
しかし、それで『良し』とした賢いアーチャーと、それでもなお『可能性』を追い求めた愚かで強欲な士郎。
その点において、この二人は全く別の在り方を選択していた。

「全てを救うなんて夢物語に過ぎない。そんな事はずっと昔から分かってた。俺自身がその結果だからな。
 稀に、介入後の犠牲者をゼロにする事は出来ても、それ以前の犠牲者をゼロにする事は出来ない。敵を含めた全てを救うなんて、それこそ奇跡以上だ。
 だけど、アイツが言うと無性に腹が立ったよ。一人も殺さない、なんて方法では結局誰も救えない。そんな事はわかりきっていたはずなのに、俺にはどうしてもそれが認められない。認めるわけにはいかなかった」
「シロウは……違うよ。シロウはアーチャーとは違う。だって、シロウはそうやってずっと頑張ってたんでしょ。
 無理な事を無理って諦めないで、何度手を汚しても……全員を救おうとしたんじゃないの? わたしの知ってるシロウは、そういう不器用な人だよ」
「うん。わたしもそう思う。士郎君は、いつだって諦めずにがんばる事が出来る人だもの」
「…………」

フェイトとすずかは、なんとか士郎を慰めようと声をかける。
それらは確かに二人の本心だが、士郎はただ静かに微笑むだけで何も言わない。
まるで「そう言ってくれるのは嬉しいけど、それは少し違う」そう言っている様に二人には思えた。
その微笑みの意味を知る凛とリニスだけは、どこか悲しげな面持ちで三人を見やっている。

「まあ、当時は俺も若かったからな。後先考えずに、逃げたキャスターを追おうとした。
 だがその瞬間、氷の様な殺気を真後ろに感じたんだ」
『え?』
「振り向きざまに飛び退くのと、奴の剣が一閃したのは同時だった。
そして、それはつまり間に合わなかったって事でもある。
 だから、気付いたら肩口から袈裟懸けにバッサリやられていたよ。
消えそうな意識で止めどなく流れ出す血を見ながら、体には力が入らなくて、俺はよろよろと後ろに下がった」

よりにもよってアーチャーがそんな事をするとは思っていなかったのだろう。
誰もが、それこそ歴戦のシグナム達でさえアーチャーの凶行には驚きを隠せない。
まさか、主と同盟を結んだ相手を殺しにかかろうとは。

「そのままあいつはトドメを指そうと歩み寄ってきて言ったんだ『戦う意義の無い衛宮士郎はここで死ね。自分の為ではなく誰かの為に戦うなど、ただの偽善。真の平和など、この世の何処にも在りはしない』って。
正直、ぼやけかけていた頭が怒りで一瞬覚醒したよ。なんで、よりにもよってこいつにそんな事を言われなくちゃならないのかってさ。
 だけど俺がそれを言う前に、奴は憎しみの籠った瞳で『理想を抱いて溺死しろ』…そう言って、トドメを刺すために刃を振り落とした。
 それを奴の言葉に反発したい一心で後ろに飛んだ。その結果は―――――――階段からの転落だったよ」
『…………ふぅ……』

その言葉を聞き皆が安堵のため息をつくと同時に、アーチャーに対しての怒りに震えた。
なぜ、そのような非道を行う男に眼の前の少年が否定されなければならないのか。
それも、純粋に一人でも多くの人を救いたいと願い、その為に死地に踏み込んだ士郎を。
手を汚す様になった士郎ならばまだ納得できたかもしれないが、それ以前の彼を否定される事は許せない。
彼らは純粋にその事に怒りを覚える。まさか、その対象もまたその少年である事など知らずに。

「まあ、その後俺はセイバーに助けてもらって家に戻った。
 最後に見た限りだと、アーチャーとアサシンが戦っていたな。俺達を逃がしてくれたのか、或いはキャスターの命令なのかまでは分からなかったけど……」
「でも、なんでアーチャーさんはそんな事を……だって、その時の士郎君はちゃんと味方だったんだよね?」
「ああ、俺と凛は味方だった。だけど、俺とアーチャーはそうじゃなかったっていう、それだけの話だ」

そんな士郎の言葉に、なのはは釈然としないものがあるのか険しい表情になる。
さすがに、同盟関係にあるからと言って無条件に背中を預け合えるとは限らない、と言う事までは彼女にはまだ納得できない範囲の事のようだ。
彼女からすれば、敵味方など関係なく、きっと話し合えば理解しあえるという思いが強いのだろう。それは幼く、だがそうであるが故に美しい理想論だった。

「傷の方はセイバーがいたおかげで鞘の恩恵が受けられたからすぐに治った。俺が何度も死にかけながら生き残れたのはこのおかげだな。だが、それでも聖杯戦争は止まってくれたわけじゃない。
 次の日、今度は学校の結界が起動した」
「校舎は一面赤に染まってたっけ。血の様に赤い廊下と空気、教室には死んだように倒れている生徒と教師。
 正直、あの時は死体だと勘違いしたわ。ま、こいつは一目でわかったみたいだけど……」
「まあな。二十年前に散々見て慣れてたから、嫌でもわかったよ」

凛の言葉に士郎は苦笑を浮かべる様に呟く。
だが、そんな士郎となのは達との間には明らかな温度差が生じていた。
幼くして人の死を見なれる、その悲劇。悲劇を悲劇として認識できない、その破綻。
衛宮士郎と言う人間の歪みに、この時彼らは気付き始めていた。

「結界を張っていたのはライダーだったんだけど……」
「倒したのかよ?」
「士郎がセイバーを呼んだから倒せたかもしれないけど、駄目ね。先に―――――――殺されてたから。
 それも、一撃で首を引き千切られて……いや、アレは万力か何かで肉と骨を抉り取ったような感じかな」
「バカな……」

ヴィータの問いへの答えを否定するように呟いたのは、シグナムだ。
凛の口ぶりから、彼女らが発見した時には既に殺された後だったと悟ったのだろう。
だからこそ信じられない。サーヴァントの異常性は散々教えられていたし、故に士郎達が辿り着くまでの僅かな時間でサーヴァントの首を一撃で断った事が信じ難いのだ。
同じサーヴァントであっても、それは決して容易な事ではない筈だから……。

「その犯人は少し後でわかったわ。色々調査していくうちに、私達の学校の教師でそれはもう怪しい奴がいる事がわかってね。とりあえずそいつにぶつかってみる事にしたのよ」
「だからってなぁ、話しあいもせずに実力行使はどうなんだ?」
「別にいいじゃない。結局黒だったわけだし、仮に白だとしても二日風邪で寝込めばそれで済むだけなんだから」
『いや、それは絶対に良くない(ぞ・よ・と思うんだけど……)』
「な!? アンタ達……」

いや、普通にそんな通り魔じみた真似に賛成する者は極少数だろう。
確かに命に別条はないのかもしれないが、それでも乱暴すぎるというのが常識人の反応だ。
とはいえ、凛はそんな常識人達の反応に思いっきり不満を露わにしているが……。

「でもさ、黒だったってんならそいつのサーヴァントの仕業だったって事かい?」
「いや、その逆だ。やったのはマスターの方だったんだよ」
「いやいや、いくらなんでもそんな事無理だってアンタ達が言ったんじゃないか」

士郎のあまりにも突拍子もない発言に、アルフは思わず「なんの冗談か」と否定する。
当然だろう。それはこれまで散々言われてきた事を否定する事なのだから。
その場にいるほぼ全員が同じ気持ちだったが、士郎はそれでも神妙な面持ちで事実を口にする。

「まあな。だけど、葛木のサーヴァントはキャスターだ。アイツにそんな事は不可能なんだよ」
「っていうか、葛木自身がアサシン以上に暗殺者してたのが理由なんだけどね。
 こっちのセイバーも、油断があったにしてもまんまとしてやられたわけだし……」
「そんな、セイバーが……」

実際にその眼でセイバーの戦いを見た事があるアイリだけに、驚愕は大きい。
まさか人間が、英霊であるセイバーを圧倒するなど信じられるはずがない。

「俺達もその時は眼を疑いましたよ。
鞭のようにしなる腕、にもかかわらずそれは直角に変動するんです。死に至る毒を帯びたその突起物は、まるで獲物に襲いかかる蛇の様でした。
アレは、とてもじゃないけど初見では軌道が読めない。危うく、あのセイバーですら頭を飛ばされるところだったんですから」

士郎としても、あの時に見たモノを上手く言葉にできない。そのためその表現はどうしても曖昧になる。
おそらく、この場にいる全員がその時の状況を正確にイメージできなかっただろう。
士郎自身、アレを再現しようとした事はある。しかしそれは叶わなかった。
技の芯や核となる部分が、士郎には理解できなかったからだ。せめて、葛木が武器を使っていればその憑依経験から何か引き出せたかもしれないが、相手は無手。結局士郎にはその技を解き明かす事は出来なかった。

「だが、それでもお前達は生き残った。それは何故だ?」
「投影魔術、士郎が土壇場で使ったその魔術のおかげで、私達は命を繋いだわ」

ザフィーラの問いに返された「投影魔術」と言う名称。
それを過去に聞いた事のあるフェイトは、その意味を問う。

「前にもシグナムが言ってたけど、なんなの? その、投影魔術って……」
「簡単に言っちゃえば、魔力でオリジナルの複製を作る魔術よ。幻術と違って、ちゃんと実体もあるわ」
「へぇ、なんか便利そうね」
「バカ言うんじゃないわよ。アレ程燃費の悪い魔術はないわ。
 複製しても性能はオリジナルを遥かに下回り、存在を維持してられるのも数分。ハッキリ言って、難しいだけで何の役にも立たない魔術なんだから」
「? それじゃおかしいじゃない。そんな使えない魔術で、どうして凛達は生き残ったのよ」

凛の酷評に、アリサは納得がいかないと不満そうな顔を向ける。
それもそのはず、そんな危機的状況下で役に立たないモノがどうして命を救ったと言うのか。
それは誰もが抱いた疑問だった。

「こいつは特殊でね……いい? 『特別』じゃなくて、『特殊』なの。オリジナルと遜色無い精度の投影を半永久的に維持できるのよ。それが一点特化の投影魔術師、衛宮士郎の特性」
「じゃ、じゃあ今まで士郎君が使ってた武器って……」
「全部……偽物…?」

アリサやすずかは魔法や魔術に疎い分、何がすごいのかよくわかっていない。
だが、八神家の面々はまだ予想していただけにましにしても、なのは達の驚きは大きい。
特に、アレだけの魔力をどうやって工面したのか、その疑問がフェイトとユーノの頭を占めていた。
しかしそれを問う前に、すずかが先程の士郎の言葉の意味を理解する。

「あ、だからさっき『唯一の真作』って……」
「そう言う事よ。時の庭園で生き残れたのも鞘のおかげね。剣のカテゴリーからは外れるけど、かれこれ二十年近くの付き合いになるし、士郎にとっては一番複製しやすい文字通りの半身よ」

剣に特化した魔術師である士郎が最もスムーズに投影できる宝具が鞘、というのも妙な話かもしれない。
だがそれだけ、士郎と聖剣の鞘との間にある繋がりは深いと言う事でもあるのだろう。
とそこで、完全無欠で常識の世界の住人であるアリサが、『全て遠き理想郷』の能力を反芻する。

「どんな力も防ぐ能力…だったわよね? 正直、全然ピンとこないんだけど……」
「ああ。次元震を防ぐとなると、聖剣の鞘以外では不可能だっただろうな。少なくとも、俺には。
 あと、正確には『あらゆる物理干渉を“遮断”する能力』だ」
「何が違うのよ」
「“力”ではなく“物理干渉”、“防ぐ”のではなく“遮断”だ。これは似て非なる物、より高い次元の……」
「だぁかぁら! それがピンとこないんだって言ってるのよ!!」
「なんちゅうか、ほんまにチートやなぁ」
「否定はできないわね。でも、だからこそのランクEX、評価規定外の宝具よ」

アリサやはやての感想も無理はない。はっきり言って、常識から逸脱し過ぎている。
特にアリサにとっては、『全ての物理干渉を遮断する』などと言われても『どんな力も防ぐ』との差別化が出来ないのだ。後半のややイライラした声音も、いまいち理解できない事への苛立ちだろう。

まあ、それほど厳密に分ける必要もないのかもしれない。
どちらにせよ、重要なのは『絶対不可侵の能力』であるという一点なのだから。
ただし、アリサよりも少なからず魔法への知識があるはやてなどの場合になると、少し違う感想を抱くらしい。

「いや、確かに鞘もとんでもなくチートなんやけど、むしろそんなものまで投影できる士郎君の方が……」
「まあねぇ。何しろこいつ、この異端が原因で封印指定までされた始末だし」
「でしょうね。消えることなく、宝具まで投影できるなら、その扱いも当然よ。ましてや……」

アイリはそれ以上語らず、だがその心中で「固有結界まで使えるとなれば」と呟いていた。
それ自体に関しては、ほぼ確信しているにしてもまだ推測の域を出ていないためだろう。
もしくは、まだアイリの中では完全には投影と固有結界の関連は結びついていないのかもしれない。
或いは、あまりの非常識ぶりに本能的に否定していた可能性もある。
だがそこで、耳慣れない単語があった事にアリサが気付く。

「ところで、封印指定ってのは何なの?」
「後にも先にも現れないと協会が判断した稀少能力を持つ術者を貴重品として優遇し、協会の総力をもってその奇跡を永遠に保存するためにサンプルとして保護する、っていう令状よ。ま、建前だけどね」
『建前?』
「そ、建前。その実態は、保護の名目の下に拘束・拿捕し、一生涯幽閉する事。それも、生死問わずにね。
そんなわけだから、『協会三大厄ネタの一つ』何て笑い話にされたりもするわ」
「場合によっては、生きたまま解体して脳髄を保存する場合もあると聞くわ。つまり、人間あるいは魔術師として保護するのではなく、一資料、実験材料として保存・解析するのが目的よ。
 それ故に、魔術師にとって最上級の名誉であると同時に最大級の厄介事ともされているの」

凛とアイリから聞かされたそのあまりの血生臭さに、アリサは聞いた事を即座に後悔した。
まさか、大戦時の旧日本軍よりなお非道な真似をするものだとは思ってもみなかったのだろう。
いや、それどころか、その内容を想像して思わず嘔吐を抑えようと口元を抑える。
そして、それは何もアリサに限った事ではなく、子ども達全員に言えた事だった。

「わかった? だから私達は士郎の事を秘密にしてたのよ。
 管理局がそこまでするなんて考えたくないけど、情報なんてどこから漏れるかわからない。もしヤバい連中にバレたら、昔の二の舞になりかねないしね」
「隠していたのは、すまないと思う。みんなには本当に心配をかけた」
「でも、そう言う事なら仕方がないと思います。だって、本当に命がけじゃないですか。
 むしろ、話してくれた事こそ申し訳なくって……」
「そう言ってもらえると救われるよ、シャマル。だが、それこそお前達が気にする事じゃない。
 その事も含めて、覚悟した上で話してるんだからさ」

士郎達が頑ななまでに秘密を隠し続けたその理由、それを理解しなのは達は己が浅慮を呪う。
自分達はただ友達の事を知りたくて、友達の事が心配で彼らの秘密を知ろうとした。
しかし、その秘密こそが彼らにとって最も命を危ぶめる原因だったと理解したのだ。
迂闊に踏み込んではいけない領域に、そんな事を考えもせずに踏み込もうとした自分が恥ずかしく情けなく思う。
無論、彼女達とて安易に踏み込もうとしたわけではないが、自分達と士郎達の視点の違い、想定している危険の違いに愕然としたのも事実。まあそれは、両者がこれまでに経験してきた事柄の違いだ。
まだ九歳の子どもとその三倍の時間を生きた大人。モノの見方、考え方が違って当然なのだ。
ましてやそれが、世界の暗部を生きてきた者達ともなればなおさらだろう。

「まあ、そんなわけでなんとかその時も生き延びる事が出来たわけだ」
「さっき凛ちゃんが言うてた事の意味がようわかるわ。ホンマ、士郎君何回死にかけとるんよ」
「本当よね。っていうか、それを言いだしたら凛だって相当なものだけど……」
「ほっときなさい。ただ、絶体絶命だったのはむしろその後よ。
 なんせこいつ、キャスターにセイバーをとられちゃったんだから」
『ウソ(なに)!?』

セイバーを奪われる。それはつまり、士郎の生命線を断たれるのと同義だ。
今の士郎ならまだしも、サーヴァントのいない士郎に生き残る術はない。
その事をなのは達はこれまでの話から良く理解していた。

「俺達が家を空けている間に、藤ねえ、俺の姉代わりをしてくれていた人が人質に取られたんだ」

その瞬間、誰もがおおよその経緯を理解した。
この場にいる者達は、血の繋がりの有無に関わらず、決して失ってはならないモノがある事を知っている。
それは家族であり、仲間であり、友人達。それら深い絆によって繋がった掛け替えのない存在、その全て。
それを人質に取られればどうなるか、想像に難くない。

「大して重要じゃないから詳しい経緯は省くけど、キャスターはセイバーに自分の宝具を使った。
それが『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』。あらゆる契約を覆す裏切りの刃。
そいつを使って、セイバーのマスター権を奪い取ったのよ」
「まさしく、裏切りの魔女に相応しい宝具だな」

その思いも寄らぬ能力に、シグナムの声は苦い。
さすがは智謀に長けたサーヴァントと言うべきか、守護騎士やアルフの間に戦慄が走る。
もし自分達に使われたら、望まぬ主に仕えさせられる事もあるかもしれない。
今の主を敬愛している彼女らにとって、それは決してあってはならない可能性だった。
その重苦しい空気によろしくないモノを感じたのか、ユーノが話題を変えるべく凛に話しかける。

「セイバーを奪われた後、士郎は…どうなったの?」
「……キャスターはセイバーに私の始末を命じたわ」

そのユーノの問いに、凛は少しばかりズレた返答をする。
その意図を、初めは誰もが理解できずにいた。

「ところがこいつ、私を庇って自分の身を晒したのよ。結果、セイバーはよりにもよって自分の手でマスターを斬る羽目になった、肩をザックリね。本来なら致命傷よ。
命があったのは運が良かったけど、高潔で清廉なあの子にとっては最悪でしょうね、涙を流すくらいには」
「バカな……それほどの騎士が……」
「幾らセイバーでも令呪には逆らえない。ま、多少は抗えたからこそ私達の命はあったわけだけどね。
 もしあれがセイバーじゃなかったら、あの時点で私達は死んでいたわ」

信じられない、と言わんばかりの顔で呟くシグナム。
だがそれは、聖杯戦争における令呪への認識の甘さでもある。
絶対命令権と言うのは、セイバーの対魔力を持ってすら僅かに抵抗するのが精一杯のものなのだ。

そして誰もが、セイバーの悔恨と無念を思って歯を食いしばる。
騎士王とまで称されるほどに高潔かつ清廉な彼女が主を斬る、その口惜しさは余人の想像の及ぶものではない。
だからこそ、なのは達はその心の痛みを想って自らの心が痛むのを自覚する。

「セイバーは血を吐く様な声で『逃げろ』って言ったわ。あの時の私達にできたのは、その思いを汲む事だけ。
 セイバーとの契約が切れたから士郎の治癒力はないも同然。意識も朦朧としてたから、とにかく士郎を引きずって私の家に戻って大急ぎで手当てしたわ。まあ、治療なんて言えるほど立派なモノじゃなかったけど」
「その後は、どうしたの?」
「サーヴァントも令呪も失ったんですもの、士郎はもう戦う必要はない。
 そう言ったんだけど、こいつときたら……」

すずかの問いに、凛はもう呆れて物も言えないという風に肩を竦めてため息をつく。
まあ、実際にはそんな穏やかな表現ではなかったのだが……。
しかし、それは真っ当な反応だ。むしろこの場合、それでもなお強情を張り続けた士郎の方がどうかしている。
少なくとも、せめて負傷し弱り切った体をなんとかせねば話にならない。
その点は全員同意なのか、視線が士郎に集中する。

「そんな目で見ないでくれ。セイバーをあのままになんてしておけなかったし、一度戦うと決めたんだ。途中で投げ出す事なんてできなかったんだよ」
「その志は見事だ。しかし、それは無謀や蛮勇を通り越して『身の程知らず』としか言えんぞ」
「今頃気づいたのか? 俺は基本的にそう言う人間だぞ。そうでなければ、正義の味方なんて目指せない」

苦言を呈するシグナムに、士郎はどこか冗談めかした口調で応じる。
しかし、口調こそ軽いが言っている事は紛れもない本心。
だから、そうでない人間が『正義の味方』なんて目指すモノじゃない。暗にそう言っているのだ。
別に自身がその道を言った事には後悔していないが、その道の険しさも知っているが故の言葉だろう。

「シロウは、どうしたの? やっぱり……」
「俺はそんなに諦めが良くない。誰かに負けるのは仕方ない。打ちのめされるのは慣れてたし、どうあっても届かないものがある事くらい、悔しいが理解していた。
だけど、それは相手が他人の時の話だ。“自分には負けられない”。相手が自分なら負ける要素は存在しない。だって、持っているものは同じなんだから。
そして、そこで諦めるって事は自分が間違っていたと宣言する事になる。
なら、そこで退くわけにはいかないじゃないか。俺は、その道が正しいと信じたんだから」
「わかった? 十年前からずっとこうなのよ。アンタの口癖の一つよね『誰かに負けるのはいい、でも自分にだけは負けられない』ってさ。おかげで私がどれだけ苦労した事か……」

凛はそう言うが、その割には顔には不満の色がない。
どちらかと言えば、『仕方ないなぁ』という呆れを含んだ印象だ。
なんだかんだと文句を言いつつも、結局彼女は士郎を見捨てなかった。
それは彼女が、呆れながらもそんな士郎を好いていたからなのだろう。

しかし、この時フェイトには凛の言葉が耳に入っていなかった。
ただ小さく『誰かに負けるのはいい、でも自分にだけは負けられない』と言う士郎の言葉を繰り返す。
フェイトは半年前ならともかく、現在は自分が強いとは思っていない。むしろ、自分の心は弱いと思っている。
そして、その自己判断はおそらく正しい。彼女の心は揺らぎやすく、迷いやすい。
それは決して罪ではないが、それでも彼女にとって一種のコンプレックスとも言える点だ。まだ九歳の少女に、そんな揺らがず迷わない心の強さを求める事そのものが間違っているだろうが……。

だが、この際客観的な評価や事実はあまり関係ない。問題なのは、本人がそう考えているという点だ。
そして、だからこそ士郎の言葉は強く彼女の心に響いた。
しかし、士郎はそんなフェイトの様子には気付かずに話しを進める。

「だから、次の日は朝からなんとか凛を見つけようと探し回った」
「良くもまぁ、そんな体で動けんなおめぇ……」
「ああ、私もそれは思ったわ。ま、あの時はそんな事言えなかったんだけどねぇ」
「? そう言えば、凛ちゃんの方はどないしとったん?」
「ん? 私はキャスターを探してたんだけど……ああ、そう言えば……」

凛はそこで、何かを思い出したように遠い目をする。
その顔には懐かしさだけでなく、苦々しさが浮かんでいた。

『???』
「アーチャーの奴に、こんな事を聞いたっけ。『最後まで自分が正しいって信じられるか』って。そしたらアイツ『その問いは無意味だ。私の最期は既に終わっている』とか言ってたなぁ」
「なぜ、そんな事を?」
「アーチャーが守護者だったからよ。マスターとサーヴァントは、時々眠っている時とかに相手の記憶とかを見たりする事があるの。
そこで、アイツの過去を見てわかったのよ。アイツは守護者として使役され続けてきたんだって」

アイリの問いに答えるその言葉には、隠しきれない暗さが、重さが、悲しみがあった。
同時に、士郎の顔にも似たモノが浮かぶ。
しかし、アイリを除く全員がその言葉の意味を理解できずにいた。
故に、一同を代表する形でユーノが問う。

「凛、守護者ってなんなの?」
「抑止力の事は前に説明したわね」
「う、うん。確か、それはいつだって既に起こってしまったことの後始末をする為に動く存在で、そこに例外はない。起こってしまった事を、一番確実な方法……最速で抹消することで世界全体を救う防衛システム、だよね。
 そこでただ生きているだけの無関係な人たちも纏めて……」
「そう。そして、守護者はアラヤの抑止力の一つの発現形態に過ぎないわ。だから、その基本的な在り方は他の抑止力と同じ。彼らは人の世を護るために『世界を滅ぼす要因』が発生した瞬間に出現して、その要因を抹消するの。自由意志などなく、ただ“力”として扱われるだけ。
故に、やる事はいつも同じ。人間は自滅によって滅ぶ種よ、その滅びの要因はいつだって人間自身…その意味するところは、『人間を消滅させる為の殲滅兵器』という事よ。たぶん、大昔に闇の書を滅ぼしたのも“こいつ”でしょうね。まあ、英霊の全部が全部そうってわけじゃないけど、アーチャーはそうだったわ」
『…………………』

予想もしない抑止力の形に、なのは達は声も出ない。
守護者と聞けばいいイメージが湧くし、何より相手は英霊だ。まさか、英霊という存在がそんな形で世界に、或いはヒトに使役されるとは思ってもみなかったのだろう。
だが彼らは一つ勘違いをした。凛の言う『こいつ』を彼らは『抑止の守護者』と捉えたが、そうではない。
それはむしろ『アーチャー』をこそ指していたのだ。

「そいつは延々と『人間の自滅』を見せつけられる。人々を救う英霊として呼び出されたのに、人間がしでかした不始末の処理を押し付けられ続けるのよ。
 それを虚しいと思い、人の世を侮蔑せずにいられなくなるには、そう回数はいらない。つまりはそう言う事よ」
『ぁ…………』

彼らには到底理解が及ばない。一体、どれほどのモノを見れば人間と言う存在を見限れるようになるのか。
独善や傲慢ではなく、純粋に諦観と絶望で人間を見限るとはどれほどのものなのだろう。
人間と言う存在に希望を持つ子ども達には、到底想像できる事ではなかった。
そして、それを身勝手と断ずる事もできない。なぜなら、彼女らはそれほどのモノを見た事がないのだから。

「話しが逸れたわね。とにかく、私達はキャスターの行方を追ったんだけど、奴が教会にいる事を突きとめた。
 ならやる事は決まってるわ。時間もないし、そのまま乗り込んだ」

当然だろう。セイバーがいつ堕ちるかわからない以上、悠長に構えてはいられない。
万が一にもセイバーが堕ちれば、ただでさえ悪い状況がなお悪くなる。
そうなれば、凛達にキャスターを討つ事はできなくなるのだから。

「教会で奴を見つけた時、まだセイバーは陥落していなかった」
「それなら、キャスター倒せたのよね?」
「アリサの言う通りになったらよかったんだけど……」
「だがそこで、アーチャーは凛を裏切った」
『裏…切り………』

信じられない。さて、もう何度目の呟きだろう。
しかし、今までとは方向性が違う。まさか、英雄であるアーチャーがマスターを裏切るなどとは……。
それが、全員が等しく抱いていた感想だ。無論、第四次のキャスターの様な英霊もいる。だが、二人の話を聞く限り、冷徹かつ冷酷ではあっても決して非道や卑劣からは無縁だと思っていたのだ。

にもかかわらず、彼はそちらの方が有利と言う理由で主を裏切った。
確かに打算は決して全否定されるべきものではないが、それでも決して侵してはならない領域と言うモノがある。
それが、この場にいる者達の総意。そうして、最初に激昂したのはやはりヴィータだった。

「ふざけんな……ふざけんなよ!! よりにもよって、騎士が自分から主君を裏切んのかよ!!!」
「背後からの不意打ちをしたかと思えばそれか……そのような男、騎士とは呼べん!!」
「本当ですよ! 確かに勝敗を考慮するのは当たり前ですけど、それで裏切りを正当化できるわけじゃありません!!」
「…………」

誇り高き守護騎士達は、それぞれ違った形でアーチャーをなじる。
ザフィーラだけは無言を通したが、それは単に口にするのも汚らわしいという思いの表れであって、決してその在り方を認めたわけではない。

なのは達にしたところで、口にこそしないが、全員が一様に失望の色を露わにしていた。
三騎士と呼ばれ、あの遠坂凛に召喚されたサーヴァントであるアーチャーが凛を裏切る。
その事実は、彼女らの偶像崇拝にも似た憧れの感情に、冷や水をかけるどころか氷漬けにしたかのような効果を与えていた。
しかし気付いていただろうか。その感情は、少し前に衛宮切嗣に向けていたものとよく似ているという事に。

「まあ、そんなわけでモノの見事に絶体絶命。
逃げようにも、背中を見せた瞬間に殺されるのは目に見えてたのよね」
「じゃあ、どうやってアンタは逃げたんだい?」
「いるでしょ? どうしようもない命知らずのお節介が」

固有名詞を一切使わず、その言葉だけで全員の視線が士郎に集中する。
それも『また無茶をしたのか』という、呆れやら感心やらの感情が混ざり合った視線が。
ちなみに、極一部からは無茶を重ねる事への一種の非難染みた視線や怒りの視線も混じっている。
あえて誰から向けられているかは言わないが。
とはいえ、さすがにバツの悪い士郎は丁重に気付かないフリを通す。

「ふん。なんだ、助けて欲しくなかったのか?」
「まさか……頭に来たのは本当だけど、でも嬉しかったわよ。身を呈して守ってもらえるなんて、女冥利に尽きるじゃない。ま、守られてばっかりなんて性にあわないから、すぐに背中を蹴り飛ばすけど」
「怖いな。これじゃあオチオチ背中を見せられない。
助けた姫に後ろから刺されたんじゃ、笑い話にもならないじゃないか」
「刺されたくないなら、もう少し自分の身を心配する事ね。あの傷で葛木とやりあうなんて自殺行為なんだから、あの時私がどれだけ“    ”したと思ってるのよ」

最後の部分は小さすぎて誰の耳にも届かなかった。
しかし、何となくのニュアンスくらいはわかる。なにせ、凛の耳はその時の事を思い出してか、それはもう真っ赤になっているのだ。おそらく、本人的には酷く恥ずかしいと感じるセリフなのだろう。
まあ、そう言うモノは往々にして他者からは「なんだそりゃ」と言う様なものだのだが……。
だがここで、凛の顔に悪魔的な笑みが浮かぶ。

「それにしても…………女の子を泣かせるなんて、どうなのかしらねぇ」
「う”、それは……あ、アレは仕方ないだろう」
「ふ~ん、女泣かせておいてそんな言い訳するんだ」
「え!? 士郎君、凛ちゃんを泣かせたの!?」
「ま、待て! 確かに事実ではあるんだが、真実ではないというか……」

なのはの言葉に士郎は最後まで反論する事が出来ず、その声は尻すぼみに声が小さくなる。
無理もない。全女性陣からそれはもう冷やかな視線を向けられているのだ。誰だって何も言えない。
無論、ユーノやザフィーラからの助け船があるはずもなく、士郎は女性陣全員による追及を受けるのだった。
当然、困り果てる士郎を凛が大笑いしながら見ていたのは言うまでもない。



………………そうして三十分後。

「はいはい、楽しい弾劾裁判もそろそろ休廷といきましょ。
 いい加減話を進めたいしね」

その言葉に渋々了承する女性陣。しかしお気づきだろうか、これはあくまで休廷しただけで終わってはいないのだ。つまり、士郎への弾劾はまだまだ続く。
というか、その原因を作った人間が何を言っているのやら……。
そして、士郎は既に灰となって崩れ落ちそうなほどに憔悴しているのだが、それがトドメになっていたりする。
同時に数少ない男性二人は、そんな士郎を見て『女を敵に回してはいけない』という不文律を心に刻んでいた。

「だけど、まさか士郎に続いて凛までとはねぇ」
「うん。これじゃあ戦う事なんてとても……」
「まあ、確かにそのとおりよね。こっちの戦力は事実上のゼロ。
 キャスターはもちろん、他の誰にも挑めない」

アリサとすずかの言葉に、凛は気にした様子も見せずに同意する。
当たり前だ。聖杯戦争においてサーヴァントを持たないマスターなど、「逃げるか」「殺されるか」しかない。
その意味で言えば、二人の聖杯戦争はそこで終わっていたはずなのだ。

「だけど、それで諦める凛ちゃん達じゃないよね」
「わかって来たじゃない、なのは。でも、それはそう簡単な話じゃない。
 私の宝石魔術、士郎の投影魔術。確かにこれらは貴重な戦力よ。でも、二人がかりでもサーヴァントとは戦えない。っていうか、今の私らでも二対一ですら分が悪い。
 となれば、選択肢は一つ」
「もしかして、他のマスターと協力するって事?」
「そう言う事よ」

フェイトの言葉に、凛は簡潔に同意を示す。
その状況下で出来る事は限られてくるし、何より他のマスター達にとってもキャスターの陣営は脅威。
となれば、普段なら鼻で笑われるだけであろう交渉も成り立つ可能性が出てくる。
そして、アイリには誰と協力するかわかっていた。

「そこで、イリヤと協力したのね」
「ランサーのマスターは不明だし、選択の余地がなかったからよ。それに……」

凛はアイリに聞こえない声で、『別に協力できたわけじゃないけどね』と呟く。
確かに協力を求める事は決めた。しかし、それが成功したとは言っていない。
そこで凛は一度豪壮な柱時計に眼をやり、時間を確認する。

「話しを進めたいところだけど、一度休憩にしましょう。
 ここまでずっと語りっぱなしだし、さすがに疲れたわ」
「あ、うん……」

さて、その同意は誰のものだったか。
誰もが話の続きが気にかかりながらも、機先を制して立ち上がった凛のおかげで先を求める事が出来ない。
だが、その凛の態度にアイリは感じるモノがあった。もしかしたらここが、イリヤの死に関する場面なのかもしれないと。
凛の不自然な態度、唐突な休憩、一瞬浮かんだ哀しみの色。それらが、アイリの脳裏にその可能性をちらつかせる。

そうこうしているうちに、凛は士郎の車椅子を押して部屋を離れる。
それにやや遅れて、いつの間に準備していたのか、リニスが全員に紅茶と茶菓子を配って行く。
はたして、これが話しをせがまれる事を防ぐための足止めだと皆は気付いていただろうか。

無論、これらは一応凛なりに考えがあってのものだ。
ここまでで高ぶった気持ちを落ち着け、これからの話しに備えさせるための配慮。
同時に士郎の体を休め、心を落ち着かせるためのでもある。それだけこれから語られる部分は、士郎の心と体に負担を強いる。それを誰よりも熟知しているが故に、多少強引でも休憩をとらせたのだ。

そうして昔語りは急展開を迎えていく。
イリヤスフィールの死、アーチャーの正体、そして聖杯戦争の終結。
もうじき語る事になるであろうそれらを、士郎と凛はどこか冷めた気持ちで思い返していた。






あとがき

ああ、やっぱり二話かかりましたか。
案の定というかなんというか、アレだけ長いUBWを一話に納める事はできませんでしたね。
と言うか、よく前話は一話に納められたと自分で驚いています。

まあそれはそれとして、遂に次回は第五次聖杯戦争の山場部分です。
士郎のトラウマとか、士郎の試練とか、そう言う処の話ですね。
出来る限り上手く要約して、なのは達の気持ちや反応をしっかり描写したいものです。

それと、いまさら気付きましたが人数が多すぎて大変です。
メインで話すのは士郎と凛なのですが、他の面々を所々に入れていかなければなりませんからね。
というか、入れないと本当にただの回想であり、原作のなぞり直しにしかなりません。
とはいえ、そうなってくるとバランスが悩みどころなのです。ついつい、コメントの少ない人とかが出てきてしまって……誰とは言いませんよ。比較的に、フェレットモドキとかを忘れそうになるって事はありません。本当です…よ?



[4610] 第52話「エミヤ 後編」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2011/04/15 00:39

SIDE-はやて

二人が部屋を出て言って数分。
わたし達は結局紅茶に手をつける事が出来んかった。
そのせいで、折角の美味しそうな紅茶はすっかり冷めてもうた。

でも、それはしゃあない。誰も何も口にいれたくないんやから。
さっきだってわたしらは一度吐きそうになったし、次がないとは限らへん。
この先により一層酷い現実が待っているかもしれないと考えれば、当然やろ。

それに、少し考えれば直ぐに思い当たる。
たぶんアイリの娘さん、イリヤさんの死はもう間もなくや。
いや、もしかすると他にも何かあるのかもしれへん。
せやけど、やっぱりみんなが今一番気になっとるのはそこのはずや、もちろんわたしも。

凛ちゃん達の交渉が上手く言ったかどうかは、聞いてみないとわからへん。
せやけど、士郎君はあまりイリヤさんと交流がなかったって聞いとる。
その事からも、おそらくその交渉から間もなくイリヤさんの身に何かあったはずや。
そしてそれは、アイリも気付いとる。

でも、正直なんて声をかければええのかわからへん。
せやけど、それでも何とかアイリに声をかけようと口を開こうとする。
沈み込むアイリの姿は、ホンマに見ていられんかったから。
「アイリ……」
「はやてちゃん」
わたしが口を開くと、その瞬間にシャマルの手がわたしの方におかれる。
声の方を振り向くと、シャマルはそのまま首を振った。

たぶんわたしの気持ちも、わたしが何を言えばいいかわからへんのも、全部わかっとったんやろ。
だからこそ、考えが纏まらないうちに話しかけるべきやないと判断したんや。
そして、シャマルのその判断は正しい。中途半端な同情や憐憫なんて、きっとアイリは望んでへんから。

初め、わたしは士郎君に反感があった。
なんで、なんでイリヤさんを助けてくれへんかったのか。
そう思うと、どうしても士郎君への負の気持ちが湧きでてきた。
でも、こうして話を聞いてそれが薄らいでく。

きっと、士郎君なら何とかしようとしたはずや。
話しを聞けば聞くほどに、士郎君がそう言う人やっちゅう事がよくわかる。
たぶん、自分の身も省みないで助けようとしたはずや。
それが例え、殺し合う関係にあるはずの人でも。

そして、そんな士郎君でもどうにもならへん事態があったんやろ。
そのせいで、イリヤさんは死んでもうた。そう想像するのは、そう難しい事やない。

でも、だからこそなんて声をかければええんや。
そんなわたしの葛藤を察したのか、すずかちゃんとフェイトちゃんが話しかけてくる。
「はやてちゃん、あんまり無理しないで」
「うん。はやて、アイリさんにも負けないくらい酷い顔してる」
「え? そ、そうかな……」
その言葉に、思わず自分で自分の顔に触れる。
鏡がないからようわからへんけど、二人が言うんやからそうなんやろ。

アカンな。誰かを励まそうとしてるのに、自分自身が沈んどったら世話ないわ。
せめて表面だけでも元気にしとかんと、説得力ゼロや。

わたしはそう思って、せめて今だけでも良いからいつものわたしに戻ろうとする。
(この際や。ウソでもええ、仮面でもええ。とにかく、アイリを心配させないような顔をせんと……)
アイリにそんな顔を向けるのは嫌やけど、そんな事言ってられへん。
だって今のアイリのあんな顔、とてもやないけど見てられんもん。

わたしは何とか表情を取り繕い、シャマルとシグナムの方を向いて確認してもらう。
二人はみなまで言わずとも、わたしの意図を察してくれた。
『まだちょっと硬いですけど、それ以上は無理だと思いますし、仕方ありませんね』
『ええ。それに、それならばおそらく大丈夫でしょう』
二人から思念通話でオッケーをもらい、わたしはアイリに顔を向ける。
何を話すか、それはもう表情を作るところで決めてあるから万全や。

「アイリ、あのな……」
意を決して、アイリに向けて話しかける。

せやけど、アイリは私の頬に優しく触れて……
「ありがとう、はやて。でも、そんな無理した笑顔なんてあなたらしくないわ」
「あ、あははは、やっぱりわかる?」
「当たり前よ。だって、私は…………あなたの母親ですもの」
「…………………………………そやね。それやったら……しゃあないわ」
そう言われたら、何も言えへん。ちゅうか、こんなに簡単に見破られるとはなぁ。
まだまだ、アイリには勝てそうにないわ。

ただ、母親と言うまでの一瞬の間。それがどうしようもなく目立った。
なんちゅうか、その事を言うのが酷く苦しそうに見えたんや。
瞳は悲哀で染まり、声には抑えきれない絶望を宿し、顔には色濃い影が浮かんでる。
明らかに、隠しようもない程に無理してるのが丸わかりや。

「アイリ、わたしはアイリの本当の子どもやない。イリヤさんの代わりにはたぶんなれへん。
でも、それでもわたしはアイリの事が大好きや。本当のお母さんの様に思うとる。
せやから、アイリの方こそあんまり無理せんといて。アイリが苦しそうにしとるのは、わたしも嫌や」
「はやて……」
わたしの精一杯の言葉に、アイリの瞳に涙が浮かぶ。

そして、そんなわたしの言葉に続く様に、皆もアイリに微笑みかけていく。
「そうですね。そして、それは我等も同じです、アイリスフィール」
「シグナム」
「私達じゃ力不足かもしれませんけど、頼ってください。私達はずっと、あなたを頼りっぱなしだったんですから、すこしは頼ってくださっていいんですよ」
「アイリ……なんて言っていいかわかんねぇけどよ、元気出せなんて言えねぇけどよ、一人で背負うなよ。
 あたしらだって家族だろ。だから、少しくらい分けてくれよ」
「我ら守護騎士は、命ある限り主と共にあります。そして、その母たるあなたとも」
うちの子達全員の、心からの言葉。それはどうやらちゃんとアイリに届いたみたいや。

それに感極まったのか、アイリは両手をいっぱいに広げてわたし達に抱きつく。
「…………みんな!」
「ひゃ!?」
「あ、アイリスフィール……」
「……ありがとうございます、アイリさん」
「アイリ、ちょっと苦しい……」
「嬉しい苦しみだ。甘んじて受け入れろ」
みんな、それぞれの反応を示しながらもアイリの抱擁に応える。
この温もりが、わたし達の気持ちが、少しでもアイリの心を癒してあげられる様に。

同時に思う。もしかしたら、凛ちゃんはこれを狙って時間を作ったのかもしれへんなぁ。
考えすぎかもしれへんけど、二人がおったらこうはできへんかったと思う。
まあ、それでも皆の前でこれをするんはえらく恥ずかしいんやけどね。
でも、こればっかりはしゃあないわ。



第52話「エミヤ 後編」



それと時を同じくして、遠坂邸の別室。
そこで、凛は士郎に改めてその意思と覚悟を問うていた。

「いいのね? 本当に、全部話して。アーチャーの事は、まだ誤魔化しがきくわよ」
「…………」
「迷っているなら、今回は見合わせなさい。中途半端な気持ちで話しても、お互い苦しいだけよ」

凛の言はおそらく正しい。これから先の話は、確かに半端な気持ちで話していいものではないだろう。
それを理解しているからこそ、士郎は再度自身に問いかける。話すのか否か、本当にその決定でいいのかを。
そうして、僅かな時間黙考していた士郎は、ゆっくりと口を開いた。

「……わかってる。でも、避けて通るわけにはいかない、何より俺自身知っておいて欲しいと思ってる。
 アイツらは純粋で、優しくて、力もある。だが、だからこそ危うい。
 いつか、アイツらも選択を迫られる時が来るかもしれない。その時の為に……知っておいてほしい」
「ま、アンタらしいって言えばそうなのかな……でも、話すのは事実だけよ。今回、アンタにとっての真実は必要ない。あの事を聞いて何を思い、何を感じるのかはあの子達次第。そして……」
「ああ……そして、それはイリヤスフィールの事についても同じ、だろ?」
「わかってるならそれでいいわ。じゃ、行くわよ」

そんなやり取りが二人の間で交わされ、凛は士郎の車椅子を押して部屋に戻る。
十年間、士郎の内で行き場もなく燻り続けていた罪を告白するために。
衛宮士郎と遠坂凛、そしてアーチャーとの間にある因縁を語るために。



  *  *  *  *  *



二人が部屋に入ると、既に皆は聞く体勢を整えていた。
イスに深く腰掛け、肩を始め全身に力が入り、そしてその眼には強い意志の光を宿し、口は堅く結ばれている。
それだけで、二人には皆が先程まで以上の覚悟を持ってこの場に臨んでいる事が理解できた。

「さて、続きといきましょうか」

凛がそう言うと、なのは達は無言で首肯する。
口を開きづらい雰囲気と言うのもあるが、何より彼らにとって今はそれどころではないのだろう。
口を開いて発声する、それだけの事に費やす程度の時間すら、今の彼らには無駄に思えたのだ。

「アインツベルンの城までは特に問題なく辿り着けたわ。まあ、腹の立つ警報とかはあったけど……。
 だけど着いてすぐに気付いた、様子がおかしいって」
『…………』

その凛の言葉に、誰も質問を投げかけたりはしない。
気付いていたのだ、既に事は始まっていると。しかし、その想像と事実は大きく異なっている。
なのは達は、バーサーカーがキャスターかランサーと戦っているのかもしれないと考えていた。
だが、事実は違う。バーサーカーが戦っていたのは、まったく別のイレギュラーだったのだ。

「俺達は城に忍び込んだんだが、直ぐに異常の正体に気付いた。
 響いてきたのは紛れもなく戦いの音。剣と剣が打ち合う音だ」

その言葉に、誰もが「やはり」と思う。
そこまでは予想通り。相手が誰かまではわからないが、別段驚くような展開ではない。
だからこそ、驚いたのはその先だった。

「だが、それこそが異常だった」
「どういう事なの、シロウ? 別にそれは、ランサーかキャスターがバーサーカーと戦ってるって事でしょ?」
「そうだな。普通の剣戟であればそう思った。だが、聞こえてきたのはまるで嵐の様に激しい剣戟。
 セイバーとバーサーカーの戦いでさえ聞く事のなかった、そんな音をさせる相手って誰だ?」

確かに、最優と最強の戦いですら聞けないような剣戟を、一体誰が引き起こすと言うのか。
セイバーはまだその時点ではキャスターの令呪に屈していない筈。
ならば、他に一体誰がそんな音を響かせる事が出来るのだろう。
誰もがその事に思いを巡らせるが、答えは出ない。

「なにか、取り返しのつかない事が起きている。俺達にわかったのはそれだけだ。
だから、とにかく広間まで駆けて行き、念のために二手に分かれた。
……そういや、凛に感情を押し殺した声で言われたっけな。『何が起きても手を出すな。戦う手段がない以上、ヤバくなったら逃げろ。どっちかが捕まっても助けようなんて思うな』ってさ」
「当たり前でしょ。それまでのアンタを見てれば、それくらい言わずにはいられなかったんだから」
「ああ、わかってるさ。…………そして見たんだ、在り得ない筈の光景を」
「…………それは、どんな?」

声の主はアイリ。彼女もフェイト同様、緊張から沈黙に耐えられなくなったのかもしれない。
或いは、どこかで娘の最期が近い事を感じ取っていたのかもしれない。
どちらにせよ、彼女の声が怯えと畏れに満たされているのだけは間違いない。

「片方には、黒い巨人と白い少女。それ自体は別におかしくない。だけど、巨人の危機迫る咆哮は以前の比ではなく、それを見守る少女は肩を震わせ泣き叫ぶ一歩手前の表情だった。
 バーサーカーと言う、最強のサーヴァントを従えるイリヤスフィールがそんな顔をする。それがどれだけの異常か、わかりますか?」
「…………」

またも沈黙が場を満たす。誰もが恐怖に身を震わせていた。
士郎のその言葉は、敵に関する具体的な表現を一切せずに、それでもなお戦いの情景を如実に物語っていた。
暴虐の化身とも言うべきバーサーカーが、(おそらくは)一方的に蹂躙されている。その事実を誰もが頭に思い浮かべていた。在り得ない、そう思いつつも、士郎の言葉からその結果しか思い浮かべられずにいたのだ。
そんな皆の表情は凍りついた様に不動。それだけで、皆が同じ思いを共有している事がわかる。

「誰か助けて、そう彼女が訴えている様に俺には思えた。
 当たり前だ。バーサーカーの斧剣は尽く弾かれ、反対に男の攻撃がその体を蹂躙して行くんだから。
 そんな物を見れば誰だって絶望に染まる。ましてやそれが、いる筈のない八人目のサーヴァントとなれば……」
「あり得ないわ! サーヴァントはいつでも七人までの筈……八人目を呼び出すなんて、大聖杯にそんな機能はない!!」

士郎が語る、あまりにも突拍子もない事実。
おそらく、誰よりも聖杯戦争という儀式のシステムを知るアイリには、到底信じられるものではなかった。

「信じられなかったのは私達も同じよ。でも事実、バーサーカーの剣は弾かれ、その体は容易く貫かれていく。
 そんな真似、サーヴァントでなければ不可能よ。いえ、アレだけの事が出来るサーヴァントなんている筈がない。どんな鎧にも勝る頑健な肉体を誇るヘラクレス、その肉体を容易く穿つ武装を湯水のように使う。そんなこと、通常ならあり得ない」
「だからこそ理解した、理解するしかなかった。
男の背後から現れる無数の剣は、その全てが紛れもない必殺の武器、宝具だと。
 そしてその戦い方に、みんなも憶えがあるだろう?」
「まさか……」

そこまで聞いたところで、シグナムの表情に怖気が走る。
彼女も、そしてなのは達も思いだしたのだ。
宝具をまるで消耗品の弾丸のように使う、そんなデタラメな戦い方をするサーヴァントを。
そして、その名を呟いたのはフェイトだった。

「アーチャー…………ギル、ガメッシュ……」
「そうだ。無数の宝具を呼び出し、バーサーカーの胴を穿ち、頭を撃ち抜き、心臓を串刺しにする。そんな事が出来るのは奴しかいない」
「でも、どうして……! いえ、そもそも誰が、どうやって召喚したんですか!?」

シャマルの声には動揺がありありと浮かび、その問いも僅かに右往左往していた。
それだけ、ギルガメッシュの登場が彼女に与えた影響は大きいのだ。

「マスターとして傍にいたのはライダーのマスターだったわ。でも、あんなのは単なる傀儡よ。
 いえ、それ以前にアイツは改めて召喚されたんじゃない。アイツはね、第四次からずっと現界し続けたのよ」
「現界し続けたって……どうやって。確か、聖杯の補助がないとサーヴァントの維持は難しいんだよね?」
「ユーノの言う通りよ。だけど、アイツにはそんな事関係なかった。
さっき言ったでしょ? アイツは第四次の終盤、そこで聖杯の中身を浴びたのよ。
最古の英雄王の名は伊達じゃない。アイツは衛宮切嗣ですら憑り殺した『この世全ての悪』を、逆に呑みこんだのよ。それによってアイツは受肉し、十年に渡って存在し続けた」

その話に、誰もが圧倒される。まさか、『この世全ての悪』を飲み込み、逆に捩じ伏せられる者がいようとは。
世界の半分を背負えてしまう、その在り様に畏れを抱くのは当然だ。

「だが、バーサーカーもそう簡単にはやられない。ヘラクレスの宝具は『十二の試練(ゴッド・ハンド)』。その能力は、蘇生魔術の重ね掛けによる自動蘇生。その数は、伝承にある通りなら優に十を超える。
 だからこそ、彼は即死する度に蘇り、敵へと前進していった。俺達が見た限りで八度。それだけの数無残に殺されながら、それでも前進をやめない。それはまさに、狂戦士の名に相応しかった。
 でもそれを、奴は楽しげに嗤いながら見据えていたんだ」

繰り返される惨劇を、誰もが想像すると同時に恐怖を抱く。当たり前だ、殺しても殺しても向かってくる敵。それがどれほど恐ろしいか、それがどれほどの脅威か、赤ん坊でも理解できるだろう。
にもかかわらず、そんな事など取るに足らないと言わんばかりに嗤う事の出来る者とは、一体どれほどの化け物なのか。眼の前で行われる侵攻を、ギルガメッシュは余興か何かとしか思っていなかった。
それを皆が理解し、同時に畏れが本能的な絶望へと変化していく。

「たぶん、士郎が一番アレのヤバさをわかっていたはずよ。だって、あらゆる剣の情報を読み取り、宝具すら投影できる士郎ですもの。こいつだけは、即座にアイツの使ってる武器が全て“オリジナル以上”だと理解することができた。それなのにこいつときたら……」
「オリジナル以上? おい、そりゃどういう意味だよ」
「? ああ。そういえば、さっきその辺りには触れなかったか。ギルガメッシュが持っているのは、厳密に言えば宝具じゃない。それらは全て、伝説となる前の原典だ」

凛の言葉の意味がうまく理解できず、ヴィータは眉間にしわを寄せる。
英霊…それもその中でも最高位の一角であり、文字通り「不死身の肉体」を持つヘラクレスを平然と殺し尽くす武装の数々を、「宝具ではない」と言われても困惑するのは当然だ。
ましてや「伝説となる前」といわれても、いまいちピンとこないというのが総意だろう。
それを確認した士郎は、改めて詳しくその意味を語るべく口を開く。

「いいか、伝承・神話って言うのはゼロから生まれたわけじゃない。あらゆる物語に共通項があり、当然モデルとなった大本がある。そしてそれは、英雄達の宝具にも言えるんだ」
「そう。アイツは生前、あらゆる財宝を収集した。集められない物、足りない物なんてない。そいつは完璧な宝物庫を持ち、その中にある武器は死後世界に散らばった。
 だけど、そんな奴が集めた武装だもの、生半可なものじゃない。それらは名品であるが故に各地で重宝され活躍し、いずれ宝具として扱われた」

それこそが英雄王の正体に気付くヒント。
他の英雄の宝具を持つ者はいない、だが宝具となる以前の武装を全て手にした王はいた。
それは言わば遺産。英雄達の宝具とは一部の例外を除き、そのほぼ全てがたった一人の男のお下がりなのだ。
それに該当する英雄はただ一人。世界最古の伝承に名を残す、古代メソポタミアに君臨した魔人のみ。
そして、その蔵こそが彼のもう一つの宝具『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』。明確なランクを有さない、あらゆるランクに該当する宝具の片割れ。
まあ、結局は不用心な慎二が真名を思い切り暴露してくれたのだが、それはともかく……。

「だからこそ、アイツは最強のサーヴァントなのよ。
 どんな英雄にも弱点があって、アイツはその弱点を突く事が出来る。それはつまり、あらゆる英霊に対して絶対的な優位性を持つって事でもあるわ。
その上、アイツの強さは『個人』としての強さじゃない。イスカンダル同様『戦争』の域で戦う英雄」
「なるほどな。確かに、どれほど優れた兵士でも戦争そのものには勝てん。
 戦術的な勝利は、決して戦略的敗北を覆す事は出来ない。
それと同じだ。我らや英雄達がどれほど武勇を誇ろうと、そもそも戦略レベルで負けているのだ。これでは戦う前から勝敗は決している」
「そんな……」

ザフィーラは凛の言葉に同意を示し、そのあまりの規格外になのはの声が漏れる。
当然だ、あまりにも卑怯とさえ言える。言わば、決闘に千の助っ人を用意するかの様な戦力差。
…………いや、これはむしろイスカンダルの方か。
正しくは、中世の戦争にミサイルを持ち込むかの如き暴挙言うべきかもしれない。

何しろ、そもそも戦う土俵が違いすぎるのだ。
イスカンダルと違い、ギルガメッシュは曲がりなりにも一対一で戦っている。
そうである以上、卑怯などというべきではないかもしれない。
だが、それでも卑怯と言わざるを得ないほど、前提条件に開きがある。
これでは、確かにザフィーラの言う通り勝負にならない。

そして、それはアイリも理解していた。
だがそれでも彼女は、ほんの僅かな希望に縋って愛する娘の守護者の安否を問う。問わずにはいられなかった。

「バーサーカーは、どうなったの?」
「善戦しました。あんな規格外を敵に回して、それでもなお最強だった。
 確かに着実に間合いを詰め、肉薄して見せました。だが、それでもなお…………その手が届くことはなかった。神性に対する絶対的拘束力を持った鎖に囚われ、殺しつくされたんです」

その段階で、否、それ以前に相手がギルガメッシュであると知った時点で、誰もが結果は予想していた。
その結果は覆る事なく、当たり前の様に、一切の偶然も奇跡も入る事なく、予想通りの結末を迎えたのだ。
当然、その後の結末も皆が予想できていた。

だからこそ、アイリは一瞬その耳を塞ごうと手が浮き上がりかける。
しかしそれは耳にまで届く事なく、ゆっくりと元あった膝の上に戻され、その手は硬く握りしめられた。
聞くと、受け止めると、その覚悟を以て彼女はこの場に臨んでいる。
ここで耳を塞ぐのはその覚悟を翻す事であり、苦しくとも話すと決めた士郎達への冒涜であり、娘の死からの逃避だと理解していた。それ故の自制である。
はやて達の顔にも一瞬逡巡の色が浮かぶが、アイリの覚悟を感じて押し黙った。

だが、苦しいのは士郎も同じ。今でも鮮明に覚えている、思い出すたびに血が溢れる心の傷。
それを今、最も彼女を愛していたであろう人の前で語るのだ。代われるものなら誰かに代わってほしいだろう。
しかしそれは、誰でもない衛宮士郎の役目であるとの自負が、彼に最後の決断をさせる。

「イリヤスフィールは刃が突き立ち、墓標と化したその巨体に駆け寄りました。
 彼女は奴が手にした剣で光を奪われ、続く一撃で肺を貫かれ、真っ赤な血を吐きました」

そのあまりに悲惨かつ酷な死に様に、誰もが口元を抑え涙を堪える。
しかしアイリだけは違った。彼女だけは、瞳を揺らし、涙を湛えながらも、微動だにしない。
逃げてはいけない、拒んではいけない。せめて我が子の死からは、眼を反らしてはいけない。
その態度はそう語っている様で、だからこそ周りの者達の眼にはより一層涙が浮かぶ。

「その瞬間、死んだ筈のバーサーカーが動き奴に襲いかかりました。ですが、それさえも奴は嘲笑って……取り出した宝具でその心臓を穿ち、彼は本当に絶命した。
 おそらく、イリヤスフィールは何が起こったかさえ理解していなかったでしょう。それでも赤い跡を残しながら、動かなくなったバーサーカーに這って行きました」

守護騎士達の肩が震える。耐える様に食いしばる歯は今にも砕けそうで、握りしめられた拳は蒼白だった。
否、ある者は口角からは唇が裂けたのか血が滲ませ、ある者は拳から同様の赤が滴らせている。
アイリと形は違えど、それでも必死で耐えていた。
叫び出しそうな自分を、士郎に掴みかかりそうな自分を、渾身の自制心で抑え込む。
それは、それをするとしたら自分達ではなく、アイリでなければならないと知るが故。
なのは達の方は、最早涙を堪える事も出来ないのか、大粒の雫その頬を濡らしていく。

しかし、それでもなお士郎の口が止まる事はなかった。
一度止まれば動かなくなる、そんな意識があるのかもしれない。

「奴はそれを愉快げに見下ろして、素手で瀕死の彼女にトドメを刺そうとしました。
 同時に、出ていけば必ず殺されるとも理解していました。理屈なんて関係ない、邪魔をすれば、イヤ見つかれば確実に殺される。そう思わせるには十分でした」

その言葉に誰も反論しない。できないのか、しないのか。どちらにせよ、誰もが士郎の言葉の正しさを理解し、当然のモノとして受け入れていた。
臆病者と、卑怯者と蔑む声はない。当たり前だ、行けば殺されるとわかっている場に行くなど自殺行為以下。
それを否定する事こそ、偽善以外の何物でもない。だが……

「だけど、気付けば体は動いていた。その先に待つ事なんて考えないで、気付けば飛び降りていたんだ。
 絞った声で叫んで、なんとか止めようとして……でも、遅すぎた! 間にあわなかった!!
 アイツは笑いながら、イリヤスフィールの心臓を、血が滴るそれを引きずり出した!!!」
『…………っ!?』

分かっていた。わかっていたはずの終わり。
にもかかわらず、士郎の絶叫にも似た慟哭に誰もが言葉を失い、眼を伏せる。
無残な死を迎えたイリヤが憐れで、その事で血を吐く様に叫ぶ士郎が痛ましくて、直視できない。

皆が理解していた。士郎の責任ではない。士郎は間違っていない。
止めに入る事こそ愚かの極みと、一人残らず理解していたからだ。
だがそれでも、ヴィータはこう言わずにはいられなかった。

「……なんでだよ……なんで助けてやらなかったんだ!! おめぇは強えじゃねぇか!!
 それなのになんで、なんで足踏みなんてしやがったんだ!!!」
「やめろ、ヴィータ!!!」
「ヴィータちゃん!!!」

ヴィータはついに我慢の限界を超え、士郎に掴みかからんと腰を浮かせる。
それを、シグナムとシャマルの二人が寸でのところで抑え込む。
シグナムは肩を掴み、シャマルはその体を抱きすくめる。そうする事でやっとヴィータを抑えていた。
それにやや遅れて、止めどなく涙を流すはやてとザフィーラが動く。

「アカン! そんな事言うたらアカン!! 士郎君がどれだけ苦しいか、ヴィータだってわかってるやろ!!」
「そうだ。何より、そのような事を言う事がどれほど無責任か、わからぬお前ではあるまい。
 確かに衛宮は強い。しかしそれは、あくまでも今の衛宮だ。当時の衛宮にそれだけの力はなかった事は明らかだ。それでもなお命を捨てるべきだったと、お前はそういうつもりか? そうでは……ないだろう」

そのような事、ヴィータとてわかっている。
だがそれでも、肉体年齢のせいか、比較的に子どもっぽい彼女には我慢できなかった。
卑怯と言うのも理解している。自分がその場にいたとしても、助けられたかどうか。
しかしそうとわかっていても、言わずにはいられない。

同時に、その時アイリの眼からは涙さえ無くなっていた。
呆然とし、魂が抜け落ちた様な表情で虚空を見ている。
分かっていたはずの結末、それでもなおそのショックは計り知れない。
泣く事さえできないほどの悲しみ、それがどれほどのものか、余人の理解の及ぶものではない。

いっそ泣く事が出来れば、士郎をなじる事が出来ればまだよかっただろう。
だが覚悟していたからこそ、ヴィータが激昂したからこそ、士郎の慟哭が心に響いたからこそ出来なかった。
愛娘を殺したのは眼の前の少年ではなく、ギルガメッシュであり、聖杯戦争というシステムであり、自分自身なのだと理解していたからだ。

自分の時にもっと早く聖杯の破綻に気付いていれば、聖杯戦争を止める事も出来たかもしれない。
その思いがあるからこそ、彼女の中の自責の念は強くなる。
切嗣に呪いを背負わせ、士郎から全てを奪い、イリヤの死を招いた。
所詮はない物ねだりにすぎないが、それでもそう思わずには居られなかったのだ。

そして士郎も、ここまで話したところで顔を俯かせて押し黙る。
士郎とて、ここまで話す事でその心を大きく消耗していた。
故に、その後を引き継ぐ形で凛がその後を語る。しかしその顔は、士郎に劣らぬほど哀しみに満ちていたが……。

「結論を言えば、ギルガメッシュはイリヤの心臓を得て満足したのか退いてくれた。
 じゃなきゃ、私達も死んでたでしょうね」

返ってくる言葉はない。誰もが、今自分の中で湧きたつ感情を抑えるので精一杯なのだ。
凛の言葉は聞こえていても、それに反応する余力がない。
それでも構わずに、凛は過去を振り返る。ここから先少しの間は、別に無理に聞いてもらわねばならない点と思っていないのだろう。

「正直、その時私はあまりイリヤの事を気にかけていなかった。それよりももっと、重要な事があったから」
『…………』

皆はやはり無言。普段のなのは達からすれば、あまりに酷薄と取れる言葉。
故に、その言葉を糾弾し非難するところだろう。だが今回に限っては、何もなかった。
それだけ皆の受けたショックは大きいのだ。

「私は少し前から士郎が歪んでいると思っていた。そしてあの時確信したわ。こいつは自分より、どうでもいい他人が大切っていう、間違った生き方をしてる。自分っていう秤を壊してでも他人を助けようとする。
自分がない、生きてるだけの人間ならそれでもいい。でもこいつには確固とした自意識があって、あるくせに蔑ろにする。『人助け』そのものを報酬とする、歪んだ価値観しか持てない人間だったのよ」

その言葉に、段々と皆の視線が集まっていく。
心の整理がつくには明らかに速い。つまりそれだけ、凛の言葉に込められた哀切が強いのだ。
その深く重い感情が、混沌とした皆の心の奥に届いている。
皆には、凛が泣いている様に思えた。

「理由は士郎から話を聞いてすぐに分かった。原因は十年前、こいつはそこで憎悪を、憤怒を、希望を、自分を亡くした。故に『嬉しい』と思う事は出来ても、『楽しい』と感じる事はない。
そんな空っぽの状態だったから、眼の前の衛宮切嗣に憧れた。その時芽生えた感情だけが、こいつの中に残されたのよ。だから、こいつはその為になら全てを捨てられる。
 自分が助かった幸運を素直に喜べず、次があるのなら助けられなかった人達の代わりに、全ての人を助けなきゃいけないんだ、なんて思ってしまった。
 それが、どうしようもなく頭に来たわ。いっそ、憎しみさえ覚えるほどにね」

だからイリヤの事どころではなかった。同情はあっても、頭がそちらに向かなかった。
眼の前にいる、どうしようもなく報われない道を行く男の事で一杯だったから。
心配で、不安で、悲しくて、腹立たしくて。凛の心は、その時そんな感情で一杯だったのだ。

「…………凛」
「凛ちゃん……」

呟きは、フェイトとすずかのモノ。
二人にはわかったのだろう。その時の気持ちをきっかけに、凛は今日まで士郎と共にあり続けた。
『自分がこいつの面倒をみよう』そう決め、凛は『誰かの為に』戦い続ける『士郎の為に』戦ってきたのだ。

「…………ふぅ、ちょっと熱が籠り過ぎたかな。
とりあえず、イリヤはその場で埋葬して、後で衛宮切嗣の娘って事がわかったから、衛宮の墓に移したわ。
今は、たぶん桜や藤村先生が面倒みてくれてる筈よ」
「そう……」

ならばイリヤもさみしくはないだろう、そうアイリは思う。
十年の時を経て、やっと父と娘は同じ所で眠る事が出来た。
その事だけが、アイリにとっての救いだったのかもしれない。

同時に、アイリは未だに俯き肩を震わせる士郎に向けて恐る恐る、だが優しくその繊手を伸ばす。
先程の時のヴィータと違い、それを止める者はいない。凛もまた、ただそれを黙って見守っていた。
そうしてアイリは、士郎の背に手を回し優しく抱きしめる。

「お願い、もう泣かないで。あなたは悪くない、これはあなたの責任じゃない。
 切嗣の事も、イリヤの事も、私はあなたに感謝している。
 ありがとう、あの人を救ってくれて。ありがとう、あの子の為に泣いてくれて……」

厳密に言えば、士郎は泣いていない。だがアイリの眼には、士郎が泣き続ける幼子の様に写っていた。
士郎は許される事を望んでいない、その事を理解しても尚アイリから溢れた言葉はそれだ。
言葉では表しきれない感謝の気持ち、彼に全てを背負わせてしまったという悔恨の念、そして……愛おしさ。

「あなたに罪があるというのなら、既にそれは償っているわ。十年間、罪の意識に苛まれてきたという事実、それでもう充分にあなたは償っている。だから、もう自分を責めるのはやめて」
「アイリ、スフィール…さん……」
「切嗣への誓いも同じ。あなたがなぜその生き方をやめたのか、私は知らない。だけど、それでもあなたが真摯に切嗣の願いを背負っていた事はわかる。きっと、それであの人も救われた筈よ。
 だから、あなたは幸せになって良い。いえ、むしろ、二人の分まで幸せになって。
 もしまだ償いたいと思うのなら、あなたが幸せになる事こそが償いなのよ」

卑怯な言い方かもしれない、アイリは心のどこかでそう思っていた。
だがそれでも、これ以上苦しむ士郎を見たくなかった、士郎に幸せになってほしかった。
それは、紛れもない彼女の本心。だからこそ、卑怯でもいいから士郎にそうなってほしいと思ったのだ。

同時に、アイリは切嗣との誓いが士郎にとっての呪いである事にも何処かで気付いていた。
だからこそ、彼女はそれから解放された事に安堵している。
呪いを残した切嗣への思いは複雑だ。救われたであろう事への喜びはある、しかしこの少年の人生を縛った事への憤りもあった。故に、少年の人生が解放された事を喜ぶ気持ちがある。
そうであるが故に、尚の事彼の幸せを願わずにはいられない。

その思いはどこまで伝わったのか、士郎はただ黙ってその抱擁を受け止める。
或いはそれこそが、アイリの想いを受け止めた証拠なのかもしれない。
そんな二人を見て、誰もが『母と子』を連想し、凛もまた深い安堵の息を漏らす。
だが、士郎はまだ気持ちを整理しきれないのか、声に出してこう言った。

「ありがとう…ございます。でも、俺は……」
「すぐに答えを出さなくていい。ただ、それが私の本心だという事だけは、知っておいて」
「…………はい」

アイリは士郎の答えを急かしはしなかった。
士郎もそれを受け入れ、明確な感情の読み取れない表情のまま答える。
そうしてしばしの間沈黙が場を満たし、やがて凛が改めて過去を紡ぎ始めた。

「問題はその後だったわ。イリヤが脱落して、こっちは完全に手詰まりなんですもの」
「ランサーさんに手伝ってもらうわけにはいかなかったの?」
「マスターの正体がわからないんじゃ、交渉のしようがないって思ってたんだけどね」
「え?」
「こっちは向こうの正体も所在も知らないけど、向こうはそうじゃなかったって事。
 ランサーの方から協力を要求してきたわ」

なのはがその答えをどう取ったかはわからないが、断じて求めてきたわけではない。
彼はあくまでも『自分が選んでやった』という、自分本位の考えでそう“決めた”のだ。
まあ、心臓を貫いた事を『面識』の一言で済ませられる男である。
その事を考えれば、何処か納得がいくのだから不思議だ。

「そいつを受けたのかい?」
「当たり前でしょ。選択の余地なんかないわ」

アルフの問いに、『他に手はなかった』とばかりに凛は答える。
まあ、実際それは事実だ。二人で特攻をかけても死ぬだけだし、ギルガメッシュとは協力できない。
なら、選択肢など初めから存在しないも同然だ。

「だからアーチャーにランサーを、葛木に士郎を当てて、そしてキャスターが私の担当って事になったわ」
「まあ、妥当な組み合わせなのだろうが、アサシンはどうしたのだ?」
「それは問題なし。アレはルール違反で呼び出されたせいで、柳洞寺から動けなかったから」

シグナムはもう一体のサーヴァントについて言及するが、それが無用の心配である事を凛は告げる。
そうなってくると、あとは個々の戦いだ。目的はセイバーの奪還であり、その為にはキャスターの打倒が必須。
つまり、士郎やランサーは足止めだけでもいいが、凛にはキャスターを打倒する策が必要になる。

その事を、なのは達はちゃんと理解していた。
故に、アリサはその方法を問う。

「でも、どうやってキャスターを倒したのよ」
「私の作戦自体はそう複雑じゃないわ。単純に魔術勝負を挑んで、アイツに私達の戦いは魔術戦だと思い込ませる。そして、油断を誘って接近戦に持ち込めばこっちのものよ。
 ま、そもそも魔術では勝ち目がないんだから、勝機を求めるならそこしかないんだけどね」

凛の格闘能力を知る面々はその発想に納得の意を示す。
確かに相手の意表をつけるだろうし、凛にとっても必殺を狙える手段だ。
何より、魔術師同士の戦いに全く別の要素を持ち込む凛の発想の柔軟性は、見事の一言だろう。
自身の専門に固執せず、臨機応変な対応をする。単純なようで、そのなんと難しい事か。

「せやったら、それでキャスターは倒せたんやね」
「期待させて悪いんだけど、結局はダメだった。確かに追い詰めたんだけど、葛木が思いのほか強くてね。
 必死に足止めしてた士郎を置き去りにして、こっちを討ちに来たわ。
 たぶん、身体能力だけなら今の恭也さんともタメ張れるんじゃないかな?」
「そんな……」
「お兄ちゃんと……」

凛はあえて身近な人間を引き合いに出す事で、その突出ぶりを計る物差しとした。
それは功を奏し、高町恭也と言う人間の肉体的スペックを端的にとはいえ知るだけに、すずかとなのはの驚きは只事ではない。あの、一般常識と言うモノに正面からケンカを売る男と同等以上の身体能力の持ち主。
それだけで葛木宗一郎と言う男は、二人の中で化け物認定されていた。

「でも、それならどうやってキャスターを倒したんですか」
「別に私達が倒したなんて言ってないでしょ? 殺したのは…アーチャーよ」

その言葉は、誰もが予想しえないものだった。
裏切った筈のアーチャーが、さらにまた裏切る。
いや、正しくは、初めからそれを狙っての演技と言う事になる。
その事を、なのは達は十数秒かけて理解した。それだけ、彼女らには思いもよらぬ考えだったという事だろう。

「アーチャーの不意打ちでキャスターは消えて、葛木もアイツが殺したわ」
「まんまと、アーチャーの策に乗せられたという事か」
「そうね、私達も含めて」

複雑な心情の片鱗が窺える声音で、ザフィーラはそう評した。
おそらく彼は、歴代全サーヴァント中随一の戦上手だ。
歴戦の守護騎士でも、その考えを読み切れなかったのだろう。
しかしそれを恥じる事はない。彼は単純に、そうあらねば生き残り、勝つ事が出来なかっただけなのだから。
知恵も技術も、必要だからこそ身につける。逆に言えば、アーチャーほどに彼らはそう言ったモノを必要としなかったとも言える。それだけ、彼らの基礎能力が恵まれているのだろう。

「でも、それでセイバーは助けられたんだよね」
「ああ。確かに、セイバーは助けられた」

確認するように尋ねるフェイトに、士郎はどこか意味深な答えをする。
その意味を、誰もが測りかねていた。
皆、士郎はセイバーと、凛はアーチャーと再契約したと信じて疑っていなかったのだ。

「それは、どういう意味なの?」
「簡単な話よ。アーチャーは士郎を殺そうとした、当初の予定通りにね」
「なんで、そうも執拗に……彼はもうマスターですらないのよ」
「そうね、私と違って令呪もなくしてたし、こいつには欠片の脅威もないと言ってよかった。
でも…そんな事は問題じゃないの。言ったでしょ? 予定どおりって。
アイツはね、はじめから士郎を殺す為にキャスターを利用したの。キャスターを殺したのなんて、そのついでに過ぎない」
「彼を殺そうとする事と、キャスターに何の関係があるというの?」
「あ、言い忘れてたっけ? アーチャーって、一度士郎の事殺そうとしたでしょ?
 その時にね、私と士郎が手を組んでいる間は攻撃出来ない様に令呪で縛ったのよ。だからあいつは、私のサーヴァントでいる間は士郎を殺せなかった。それが理由よ。そして、その縛りを解くにはキャスターは最高の宝具を持っていたってわけ。ま、結果的にはセイバーが庇ってくれたから何とか首の皮一枚繋がったけど」
「だが、消耗しきったセイバーじゃアーチャーには敵わない。
 僅か数合で、セイバーは遥かに劣る筈のアーチャーに膝を折ったんだ」

まだ、どこか士郎の様子を窺う様なアイリの問いに二人はゆっくりと答えていく。
それを聞き、誰もが『そんな』と思いつつ、同時に『またか』とも思っていた。
アーチャーが必要以上に士郎を敵視している事は、最早誰もが承知していたのだ。
理由こそ定かではないにしろ、その敵意が尋常なものではない事くらいはわかる。

だが本来、セイバーがアーチャーに負ける道理はない。
それでもなお容易くあしらわれたという事実は、セイバーがどれだけ令呪に抵抗していたかを物語っていた。
同時に、その疲労の度合いもまた……。

「もちろん俺も抵抗したが、さすがに年季が違う。投影した剣は簡単に叩き折られた」
「凛ちゃん…そう! 凛ちゃんはどうしたの!?」
「私はすっかりお邪魔虫扱いよ。アイツが作った剣の檻に押し込められて、手も足も出なかった」

すずかの問いに応える凛だが、その言葉の中に聞き捨てならない単語が混じる。
『剣の檻』。なぜアーチャーがそんな物を作れるのか。何よりそれは、かつて士郎が作ったものと酷似している。
その事に、なのはとユーノだけが気付いていた。

「だから、私にできた事は一つだけ」
「え? それって……」
「そうか……セイバーとの――――――――再契約ね」
「そう言う事。
マスターのいないサーヴァント、サーヴァントのいないマスター。となれば、出来る事はそれしかないわ」

はやてとアイリは凛の意図を察し僅かに眼を輝かせた。
確かにそれなら、その最悪の状況を覆しうる。
かつて衛宮切嗣が警戒したその可能性を、凛とセイバーは掴み取ったのだ。

「再契約しちゃえばこっちのモノ。
魔力が戻っただけでも、セイバーは完全にアーチャーを圧倒した」

それこそが本来あるべき両者の姿だった。
こと白兵戦において、弓兵が剣士に勝てる筈がない。
しかしそれは、アーチャーもまた理解していた。

「だが、それでもアイツは俺を殺す事に固執した。当然だ、それこそがあいつの目的なんだから」
「な、何を言ってるの、シロウ……」

フェイトは戸惑いの声を上げるが、士郎はそれを無視して話を進めていく。
誰もが「信じられない」と言う眼で士郎を見る。なぜ士郎がアーチャーに殺されねばならず、アーチャーは士郎を狙うのか。未だに、誰もその意味を理解できていなかった。

「アイツは、セイバーの望みが間違っていると言って剣を捨てた」
「その局面で話い合い…というわけでもなさそうだな」
「ああ。アイツは弓兵だ、剣で戦う者じゃない。なら、自分の本分に戻ればいい。
 いや、そういう意味で言えばアイツはそもそも弓兵ですらないな。
何しろ剣を捨てたあいつは、静かに“詠唱”を始めたんだから」

『詠唱』。その単語を聞いた瞬間、シグナムの…いや、皆の顔色が変わる。
弓兵と言うからには、てっきり彼を戦士や騎士の類だと誰もが思っていた。
だがそれが勘違いである事に気付く。詠唱を行う者、それは魔術師に他ならない。

「長い呪文にも関わらず、周囲に変化はなかった。魔術は世界に働きかけるモノなのに、だ」
「そして詠唱が完了した瞬間、世界が一変したわ。一言で言うなら製鉄場。燃え盛る炎と空間に回る歯車。
 一面の荒野に、担い手のいない剣が墓標のように延々と突き刺さっていた」
「まさか、それって……!」

その世界に憶えがあるシャマルをはじめとした守護騎士達が、反射的に身を強張らせる。
無理もない。彼らにとっては、遠い過去の事とはいえ最悪の記憶の一つなのだから。

「それに覚えがあるって事は、間違いないわ。大昔、アンタ達を殲滅したのはアーチャーなんでしょうね。
 アイツは守護者だもの、そういう場面に召喚される機会には事欠かない」
「ならば教えてくれ。あの世界は、一体何なのだ……!」
「固有結界『無限の剣製(アンリミテッド・ブレイドワークス)』。
イスカンダルの様な“能力”としてではなく、本当の意味での魔術だ」
「魔術の極みに至った魔術師……それが奴の正体か。弓兵が聞いて呆れるな」

その世界の正体を語る士郎の言葉を引き継ぎ、ザフィーラは押し殺すような声で呟く。
そして、士郎はその能力の概要を口にする。

「同時に、アイツは聖剣も魔剣も持っていなかった。アイツが持つのはあの世界だけ。宝具の定義は『英雄のシンボル』だ。だからこそ、アレが奴の宝具。
 武器であるのなら、実物を見るだけで複製し貯蔵する。それが奴の、英霊としての能力だ」
「それ故の…『無限の剣製』か……」

あの世界の意味するところを知り、やっと合点がいったとばかりに苦々しく呟くシグナム。
彼女は直感的に気付いていた。無限の剣製は、王の財宝と同系統の宝具である事に。
ならば、それが発動した段階で彼女らは戦略的な敗北を喫していたのだと。

しかし彼らは気付いていただろうか、未だにアーチャーと士郎を重ねていない自分達に。
いや、正確には重ねない様にしているという方が正しいか。士郎と自分達を殲滅した男『アーチャー』が、瓜二つである事を理解しつつ、それでもなお否定していたのだ。
良く似てはいるが、それでも他人の空似だと。士郎が言う様に、彼とあの男は別人なのだと。
彼らはそう、信じたかったのかもしれない。
だが、それでも彼らは既に深層の部分でその事を理解しつつあるのだろう。

そして、それは守護騎士達だけに限ったモノではない。
なのは達もまた、薄々アーチャーと士郎の関係について理解しつつあった。
当然だろう。ここまでで聞かされた二人の能力は、あまりにも似すぎている。
特にフェイトは、士郎の世界を知るだけにその顔色は悪い。
しかしやはり彼女らも、士郎を殺そうとするアーチャーを彼と重ねる事は出来ずにいた。
或いは、士郎の能力の上位種とでも思おうとしたのだろうか。だがそれも、既に限界を迎えつつある。
だからこそ、誰もがあと一歩先に踏み込まないよう無意識のうちに思考を止めていたのかもしれない。

そんな皆の様子に気付いていないのか。いや、気付いていない筈ない。
だがそれでもなお、士郎は休む事なくその先の言葉を発していく。
まるで、最後の一歩を踏み出させようとするかのように。

「さっき『中にはランクに該当しない宝具がある』って言ったろ。無限の剣製もその類だ。
 ランクEXではなく、王の財宝と同じあらゆるランクに該当する宝具。
 複製した武器により、使用する武器によってランクが変動する能力なんだ」
「でも、王の財宝とは違いますよね。
アレと違って数に限りがないし、何より戦えば戦うほどに強くなるんですから」
「え? ど、どういう事ですか、シャマルさん」
「な、なに言うとんのシャマル」
「つまりですね、見るだけで良いなら、敵がその能力に該当する武器さえ持っていれば、幾らでもその幅が広がるって事ですよ」

シャマルはなのはとはやての問いに丁寧に答えていく。
そして、まさしくその通りだった。無限の剣製は単体では役に立たない。
経験を積めば積む程、見た武器の数が多ければ多い程、その能力は強化され、成長し、進化していく。
「王の財宝」が所有者の財によって性能を変える様に。

その意味では、衛宮士郎は聖杯戦争に参加したからこそ、その真価を発揮できたとも言える。
もし彼が参加する事がなければ、彼の貯蔵に宝具が入る事もなかっただろう。
ただの武装と並みの礼装ばかりでは、その真価を十全に活用したとは言えない。

「なんとかその場は凌ぐ事が出来たんだが、今度は凛があの野郎に連れてかれた。
 交換条件のつもりらしいが、馬鹿げてるよ。
そんな物が必要ない事くらい、他ならぬアイツ自身が一番よく知ってるんだからな」
「シロウ……?」

吐き捨てる様に言う士郎に、フェイトは気遣わしげな視線を送る。
彼女の中では、既に答えは出ていたのかもしれない。
だからこそ、それを士郎に否定してほしかった。自分の勘違いだと、単なる偶然だと。
そう、言ってほしかったのだろう。

「俺達はアインツベルンの城でケリをつける事になって、夜が明けてからそこに向かった。
 その間は、アイツが凛の安全を保障したからな」
「ランサーはどうしたんだい?」
「気が変わったとか言ってついてきたよ。二度も凛を裏切ったアーチャーは許せなかったらしい」

当然だとばかりにアルフや守護騎士達は頷く。
主に仕える彼らにとって、例えどんな理由があっても、主を裏切るアーチャーの在り様は受け入れがたい。
むしろ、眼の前にいれば何をしでかしたかわからないほどに怒っている。

「でも、その間凛は本当に大丈夫だったの?」
「椅子に縛られてたけど、一応はね。ま、アイツは最後まで私の顔を見ようとはしなかったけど……」

ユーノの問いに凛は素っ気なく答える。もうあんな奴は知らん、そんな風にも聞こえそうな声だ。
だが、その本心が異なるという事に皆は気付かずにいた。

「でも、少しだけ話は出来たわ」
「? そんな奴と何を話したってのよ」

凛の回想にアリサは憤慨を露わに問う。
アルフや守護騎士だけでなく、子ども達としてもアーチャーの在り様は許しがたかった。
なぜ、そう何度も人の信頼を裏切れるのか。彼女らには理解できない事だ。

「アイツは士郎を根本から否定した。
まあ、言い分そのものは私も同感だったけど、それでもやっぱり頭に来たわ」

誰もがその言葉に納得する。凛は士郎の恋人でありパートナーだ。
なら、己が半身を否定されて黙っていられる筈がない。そう思った。

「アイツは、あんな甘い奴は消えた方がいいって言った」
「何様のつもりよ、そいつ!」

英霊様でしょ、凛はそう言ってアリサの言葉をお茶を濁す事はしなかった。
その代わりに、あの時と同じ事を言う。

「アイツはね、何度も何度も他人の為に戦って、何度も何度も裏切られて、何度も何度もつまらない後始末をさせられて―――――それで、人間ってものに愛想が尽きたのよ。
 身勝手な理想論を振りかざすのは間違ってる、最後の最期でそんな結論しか持てなかった。
 ま、当然と言えばそれまでなんでしょうけどね。だって、それだけのモノを見せられるのが守護者なんだから」
「だけど、なんでそんな……」
「その先を知りたいなら、士郎に聞きなさい。私は直接その場にはいなかったから」

凛の話から、アーチャーもまた人を救うために自分をすり減らした人間である事は容易に察しが付く。
そうでなかったとしても、守護者として見せつけられた『負の側面』に彼が絶望した事は想像に難くない。
反感はあれど、それを認められない子ども達でもない。

だからこそすずかは、なぜそんな事になってしまったのかと、悲しげに漏らす。
守護者の救いの無さは聞かされているが、それでもと思わずにはいられない。

そうして全員の視線が士郎に集中する。
悲しげな瞳、怒りを宿した瞳、この先に待つであろう事態に不安を隠せない瞳、その他諸々。
個々によって異なる感情の色彩を帯びながらも、等しくその瞳は士郎を写していた。

「城についたところで、ランサーは凛の救出に向かい、セイバーは立会人になる事を望んだ。
 そうして俺達は対峙した。その頃には、俺にもアイツの真名がわかっていたよ」
『…………』

誰も、アーチャーの真名を聞こうとはしない。
忘れていたわけではなく、もう分かっていたのだろう。
だが、それを聞くのが恐ろしい。そうであってほしくない。
そんな声が、立ち込める空気から伝わってきていた。
しかし、それを言わなければこの話をした意味もない。

「ランサーに殺された時、俺を救ったのは凛だった。だけど初めはそうと知らなかった。
だから衛宮士郎は、救い主の物であろうペンダントを持ち続けた。一生涯……そして、それが答えだ」
「士郎君、一体何を言うとるん?」
「英霊エミヤ、それが奴の真名。未来の俺自身。未熟な衛宮士郎が能力を完成させ、理想を叶えた男」
『っ…………!!』

聞きたくなかった答えが、士郎自身の口から吐き出された。
なぜ、よりにもよって士郎がそんな事になるのか、なのは達には信じられなかった。
この半年で知った衛宮士郎と言う人物と、アーチャーはあまりにかけ離れている。
確かにフェイトを騙し裏切った事はあるが、それでも彼と士郎は違う。そう、誰もが思っていたのに。

「凛はアイツに縁のある物を持っていたからアーチャーを召喚出来たんじゃない。
 アーチャーが凛と縁のある物を持っていたからこそ、アイツは凛に召喚されたんだ。
 英霊は時間軸から離れた存在、縁となる品さえあれば未来の英霊だって召喚できる。
 ま、普通はそんな物狙って手に入れるのは不可能なんだがな。
だがその縁となった品は、今も俺の手にあるんだ」
「なんで、なんでシロウがシロウを殺そうとするの? 例え守護者だとしても、それでもアーチャーは理想を叶えた、英雄になったんでしょ? それなら……!」
「そうだな。アイツは、死んでも尚人を救えると思ったからこそ世界と取引し、喜んで死後を売り渡した。
 だが、それは違った。守護者は人間を守る者ではなく、単なる掃除屋に過ぎない。それはアイツの望んだ英雄ではなかった。
 確かにいくらかの人間は救えただろう。自分にできる範囲で多くの理想を叶え、世界の危機も救った事もあると言っていた。英雄と、遠い昔に憧れた地位にさえ辿り着いたんだ」

なら、何も悔いなど無いではないか。望みを叶え、理想を叶え、願った通りの自分になった。
これほどの幸福が、満足がある筈がない。ならば、十分に報われたのではないか?
誰もがそう思った、あのセイバーですらも。

「だけど、そんなアイツがその心に得たのは後悔だけ。残ったものは…死、だけだったから。
 アイツは思い出せないほどに何度も戦い、死を賭して戦った。だが救われない人間は常に存在し、新しい戦いは生み出される。なら、正義の味方は止まるわけにはいかない。
だからアイツは結局……殺し続けるしかなかったんだ」

最後の一言は、まるで槍のように皆の心臓を貫いた。
生きている間殺し続け、死んでからもなお殺し続ける。
その、なんと救いようのない呪縛。

「何も、争いのない世界なんてものを望んだわけじゃない。ただ、せめて自分の知る世界では、誰にも涙してほしくないだけ。それが、アイツの願い。切嗣のそれに比べれば、あまりにもちっぽけだ。
 だけど、そんな物はどこにもなかった。そんな物は所詮、都合のいい理想論だったのだとアイツは悟った。
 その程度の願いすら、世界は許してくれなかったんだろうな」

それは、本来なら幼いうちに悟るであろう事。
だが、エミヤシロウは父である切嗣同様、それを悟るのが遅すぎた。
それ故に、彼は無間地獄に足を踏み入れる事となる。

その頃にはもう、誰も何も言えなくなっていた。
ただ、士郎が語るエミヤの言葉に押し潰されまいと耐えるしかなかったのだ。

「アイツが最終的に至った考えは、切嗣と同じだ。被害を最小限に抑える為に、いずれ零れる人間を速やかに一秒でも早く切り落とす。それが英雄と、俺が理想と信じた正義の味方のとるべき行動だからと。
 誰にも悲しんで欲しくないという願い、出来るだけ多くの人間を救うという理想。その二つが両立し、矛盾した時に取るべき行動は一つ。俺達が助けられるのは、味方をした人間だけなのだから」

しかしそこで、フェイトが今にも泣きそうな声で尋ねる。
それは失望ではなく、絶望でもなく、懇願に近かった。

「シロウも、同じなの? アーチャーと同じように、自分なんていらないって……」
「ああ、そうだ。俺も同じだ。どれだけ否定しても、俺がとった方法は奴と同じ」
「…………そんな……」
「だけど、士郎はアイツとは違うわ。アイツはそれに慣れた、犠牲になる誰かを容認した。
 でもこいつは、とんでもなく諦めが悪かった。慣れてしまえば、容認してしまえば楽なのに、結局最後の最期までそれを拒み続けたのよ。殺す度に泣いて、救えなかった事を嘆いて、いつもいつも身も心も傷だらけ」
『ぇ……』

凛は割って入る様な形で、これまでの十年を振り返る。
確かに士郎は大勢殺した。より多くを救うために、誰も死なさないようにと願ったまま、一人には死んで貰った。
誰も悲しまないようにと口にして、その陰で何人かの人間に絶望を抱かせた。
方法は同じ、抱いた理想も同じ。違いがあるとすれば、それは向き合い方。
遂に士郎は最後まで賢い生き方を選択せず、一番苦しく辛い生き方を選んだのだ。

「それが、こいつが昔から全く変わらないところ。あの時もアンタ、結局アーチャーを拒んだでしょ?」
「当たり前だ。確かにそんな俺は死んだ方が世の為なのかもしれない。だけど、それでも救える人達がいるかもしれない。なら、何があろうと死んでやるわけにはいかなかったじゃないか」

士郎の声には先程までの重さがない。
それは誇らしく、清々しいまでの力強さを秘めていた。
今はその道を歩んでいなくとも、過去その道を歩んだ事を間違っていたとは思っていない。
その声こそが、何よりも雄弁に士郎の本心を語っていた。

「でも、アーチャーさんはそう思ってなかったんだよね。自分はいない方がいいって、そう思ったんだよね?」
「理想に反したのではなく、理想に裏切られた男。
 奴にできたのは、自分を殺す事でその罪を償う事だけだったのか」

なのはとシグナムはそんな士郎の言葉に安堵を覚えつつ、アーチャーへの同情の念を禁じ得ない。
だがそれは、英霊エミヤにとっては笑止な感傷でしかなかった。

「それは違う。アイツは償うべき罪など無く、他の誰にもそんな無責任な物を押し付けた事はないと言った」
『……え?』
「何度も裏切られ欺かれ、救った筈の男に罪を被せられ、挙句の果てに争いの張本人だと押し付けられて絞首台に送られたりもしたそうだ。罪があるというのなら、その時点で償っているとも」

一切の報酬を求める事なく…否、求める事を考えもしなかった男。
彼は別に、罪の意識から自己の抹殺を志したわけではない。
彼が自己の抹殺を目指したのは、ひとえに自分自身の為。
生涯自身に返る欲望を持てなかった男は、死した後にそれを持った。あまりにも不毛なそれを。

「守護者が奴隷である事を承知の上で、アイツはそれに乗った。それで誰かを救えるのなら本望、かつてのエミヤシロウはその誓いを守れなかったから、それで良いと思ったんだろうな。
 しかし、結局は今までやっていた事と何も変わらなかった。絶望が増し、やる事の規模が大きくなっただけ。
 自分の意思など無く、勝手に呼び出され、ヒトの罪の後始末をして消える。英霊になってすら、アイツは理想に裏切られ続けた」

なのは達は、まだ理解しきれてはいなかった。英霊に、守護者になるという事の意味を。
否、それを理解できるのは実際になった者だけなのだろう。
そして、なってしまえば引き返す事は出来ない。だからこそ、アーチャーは叫んだのだ。

「アイツ言ってたよ『そうだ、それは違う。そんなモノの為に、守護者になどなったのではない』って。他ならぬ俺(自分)に向けて。あそこにいたのは、人間の醜さを永遠に見せ続けられる、摩耗しきった残骸だった。
 だからアイツは憎んだんだ。奪い合いを繰り返す人間と、それを尊いと思った自分(俺)を」
「それで、それで士郎君を殺そうとしたんか! そんなん、そんなん酷過ぎる!!」
「そんなの八つ当たりじゃない!!」

はやてとアリサは、そう絶叫しながらアーチャーをなじる。
いない者をなじっても無意味と知りながら、それでもなお言わずにはいられない。

「少し違うわね。八つ当たりってのは自覚してたみたいだし、気にもしてなかったけど、一番の目的は違うわ」
『え? それは……』
「アイツは、自分の手で俺を殺す事で自分を守護者から引きずり降ろそうとしたんだ。
 過去の改竄程度では無理だが、それを自身の手で行う事に希望を見出した。矛盾が大きければ歪みも大きくなり、或いはエミヤと言う英雄を消滅させられるかもしれない、と」

結果など今さら彼は求めていなかった。
だが、そんな希望とも言えない希望に縋らなければ、許容できなかったのだ。
それほどまでに、彼の絶望は深く重い。それは最早、想像も及ばぬ虚無と暗黒だったろう。

「戦ったの? 士郎君は」
「戦わないわけにはいかないさ。後悔だけはしない、それが俺の思いだった。
 なら絶対に、アイツを認めるわけにはいかなかったんだから」

すずかは、声にこそ出さなかったが勝てる筈がないと言外に語っていた。
当然だ。英霊、しかも未来の自分と戦って勝てる筈がない。
少なくとも、未だ発展途上にあった士郎と、完成した存在であるエミヤが戦えば勝敗は火を見るより明らか。
それこそ、戦いとは無縁に生きた者ですら容易に結果が想像できる。

「俺とあいつの戦いは剣製の競い合いだ。僅かでも精度が落ちた方が負ける。だが……」
「勝てるわけがねぇ。お前はその時、魔術も剣も、全部ズブの素人だったんだろ? それじゃあ……」
「ああ、ヴィータの言う通りだ。俺の剣は容易く砕かれ、その度に致命傷寸前の傷を負ったよ」

その言葉に誰もが同意し心を痛める。
何も不思議な事はない。如何に同一人物と言えど、赤子と大人では勝負にならない。
士郎とエミヤの戦いは、実のところそれと大差ないのだ。
それを、誰もが疑う事なく理解していた。

「だが、そっちはまだよかった。傷の痛みなんて、その時には気にならなかったからな。
だから、問題は別の所。俺はアイツの真似さえすれば強くなれた。馴染むのは当り前さ、それは本来長い年月の末に得る筈の、エミヤシロウにとって『最適の戦闘方法』なんだから」
「そうか、だからお前は対抗できたのか。打ち合うほどに引き上げられる技量が、お前の命を繋いだのだな」

普通に考えれば、誰でも士郎は一瞬で殺されると思う。
しかし、意外にも士郎はエミヤと打ち合い続けた。
それを可能にした由縁、その原因を知りザフィーラが呟く。

「だが、その代償はあったのではないか?」
「敏いな、その通りだ。むしろ、そっちの方がキツかったよ。
なにせ、本来知ってはいけない未来の自分を知るんだ。アイツから引き出したモノは、何も技術だけじゃない。
それどころか、俺がいずれ味わうであろう出来事が、断片的に視えてしまう事の方が恐ろしかった」
「それって、まさか……アーチャーの、記憶?」
「ああ。奴がそこまで変わった理由。正しいかどうかなんてわからない。美しいものが醜くて、醜いものは美しかった。客観的に見ればおぞましい物なんてないのに、偏りが生じる。
 心が折れそうだった。同情なんてしないけど、これからその道を歩むかと思うと心が欠けそうになった」

その気持ちが、フェイトにはほんの少しだけ理解できた。
それまでの自分を全否定される。その経験が、フェイトにはあったからだ。
だがそれでも、フェイトの時ですらこれほどではなかった。
あの時は『生きる支え』の否定だったが、士郎のそれは過去と現在だけでなく、未来さえも否定されたのだ。
その事実に、フェイトは今にも泣き叫んでしまいたかった。しかし、それでも彼女は口を手で押さえ必死になってその衝動を抑え込み、士郎の言葉に耳を傾ける。

「気付けば体はズタズタにされていた。セイバーが近くにいたから鞘のおかげで命を繋いでる、そんな状態だ。
 その上、アイツの声まで響いてくる。俺は偽物で、生きている価値なんてない。
 挙句の果てに、何で正義の味方になりたいのか、そう聞かれた」

その言葉の意味を、誰もがその瞬間測りかねていた。
なにせあまりにも平凡な問い。そんな事、ほかならぬエミヤが最も知っているだろうに。
だがそれこそが、衛宮士郎にとっては致命の一撃となり得るのだ。

「それは、それが俺の唯一つの感情だから。逆らう事も否定する事も出来ない感情。例えそれが『自身の裡から表れたモノではない』としても。
そう言われた瞬間、心臓が止まったような気がした。否定しようとして、出来なかった。それが事実だったからだ。俺の理想は借り物で、切嗣の真似をしているだけ。
 自分から零れたモノはなく、それ故に偽善だと。強迫観念に突き動かされ、何も感じずにひた走る。それこそが大罪だと、そんな理想は破綻していると……支えの全てを根底から叩き壊された」

その時フェイトは、半年前に士郎が言った言葉の意味を理解する。
自分の裡から零れたモノ、フェイトにはあって士郎にはなかったモノ。
だからこそ士郎は、自分にないモノを持つフェイトが人形と言われる事が我慢できなかったのだ。
だが、同時にフェイトは思う。

(なんで、シロウはそれでも走り続けられたの?)

あの時、自分は立ち止まってしまった。一時的とはいえ、それでも自分は止まった。
なのに士郎は、止まる事なく走って来たのだろう。少なくとも、エミヤと戦っていたその時に止まった筈がない。
止まれば死、そんな事は言葉にされずともわかっていた。

「士郎はそれで、どうしたの? 心が、折れなかったの?」
「どうだろうな……だけど、体だけは『負けない』って訴えていたんだと思う」

ユーノの問いに、士郎は何処か呆れたような様子で呟く。
今にも折れそうだった自分の心を、まるで自嘲しているかのようだ。

「満身創痍だったけど、そんな事関係なかった。理想が破綻してて、偽善だって事もどうでもよかった。
 ただ、綺麗だと思ったんだ。そう生きられたらどんなにいいだろうと憧れた。
 衛宮士郎が偽物でも、それだけは本物だ。俺自身は間違っていても、信じた理想は間違いなんかじゃない。
 そうやって、ただ我武者羅にデタラメに剣を振った」
「え? でも、アーチャーから引き出した経験とかで技術は上がってたんだろ?」
「いや、そんなのは所詮付け焼き刃だ。いざとなれば、すぐに化けの皮が剥がれるメッキに過ぎない。
打ち合わせた剣の火花、圧し合う裂帛の気合。何十合にも渡る攻防は未熟で、とても剣舞なんて呼べやしない。不器用で、退く事を知らなかった剣のぶつかり合い。
まともに憶えているのは―――――――――その耳障りな音だけだ」

アルフの問いに自嘲するかのように士郎は答える。
いや、実際に呆れているのかもしれない。せっかく引き上げられた剣が、いとも容易く見る影を失ったのだから。
だが、それを嗤う者はいない。笑えるはずもない。真に必死な人間を嗤えるほど、彼らは愚昧ではなかったから。

「そして、気付けばそんな俺の剣は―――――――――アイツの体を貫いていた」

なぜ勝てたのか、そんな事は士郎にはわからなかった。
途中からほとんど意識もなかったし、ただ眼の前の壁を壊す事しか考えてなかったのだ。
勝てる要素など無く、勝っているものもない。なのに勝った。
ならそれは、眼で確認できるモノではなかったのだろう。

だが、シグナムをはじめとする守護騎士たちは理解していた。だからこそ、彼の剣はあの男に届いたのだろうと。
力も、速さも、技も、武器も、戦術も、その全てにおいて劣っていた。それは疑いようもない。
ならば、士郎が勝っていたモノがあるとすればそれは何か……あるとすれば、それは心。
そして心が、あらゆる要素を凌駕したのだろう。

極稀に起こるその奇跡を、数多の戦場を駆けた彼らは知っている。
何より、それは彼ら自身にも身に覚えがあった。
遥かに格下の筈の敵に、彼我の力の差をその心力一つで覆された事が皆無ではなかったが故に。
勝負を決めるのは力でも技でもなく、心。極限の中に身を置いた事のある彼らは、その本当の意味を知っていた。
なのは達には未だ理解の及ばぬその領域を、シグナムをはじめとする歴戦の守護騎士たちは理解している。
故に、なのは達が首を傾げる中、彼らはその事実を当たり前のものとして受け止める事が出来たのだろう。

「それで、彼はどうしたの?」
「負けを認めて、あっさり引き下がりました。ただ『凛がもう少し非道だったら、昔の自分を思い出さなかったのに』なんて、冴えない捨て台詞を残しはしましたけどね」

そうして最初に口を開いたのは、ずっと沈黙を保ってきたアイリだった。
それはおそらく、同一存在である二人の結末を確かに聞き届けたからだろう。
聞き終えるまでは一切口を挟まない、それが彼女の覚悟だったのか。
同時に、アイリはもう一人の当事者に話を振る。

「そう言えば、あなたは大丈夫だったの?」
「ん? あんまり大丈夫じゃなかったかな、危うく綺礼に聖杯に仕立て上げられるところだったし。
 ランサーが助けてくれなかったらヤバかったわ」

ここで慎二の事を無視するあたり、彼女は本当に彼を人畜無害とみていたようだ。
ここまで来るといっそ慎二が憐れである。大物ぶろうとして失敗した、その典型とさえ言えるだけに。
とはいえ、すっかり慎二の事など忘れ去っているなのははランサーの動向を尋ねる。

「ランサーさんは、その後も協力してくれたの?」
「いいえ、ランサーはそこでリタイアよ。
アイツのマスターは綺礼で、その綺礼に逆らって令呪で自害させられた。
それも、綺礼の奴は第五次の監督役よ? 審判であり参加者って、どんな反則だっての……」
「うわ……本当にとんでもない奴だね、監督役のくせにそれかい。しかも、自分のサーヴァントを……」

さしものアルフも、言峰の徹底した悪役ぶりに辟易している。
絶対に会いたくないタイプ、それがこの場にいる全員が持った言峰への印象だった。
まあ、当然としか言えまい。本人も笑って肯定するだろう。

「まあね。厳密に言うとアイツのサーヴァントって言うのは正しくないんだけど、今は良いわ。
ついでに言うと、そこで父さんの事とかを知ったわけ」
「って、そりゃそうか。知ってて師事するわけねぇもんな。ところで、やっぱり殺したのか?」
「出来ればそうしたかったけど、それはランサーに持っていかれたわ。
 アイツも綺礼には積もり積もったものがあったみたいだし、仕方ないわね」

ヴィータの問いに凛は肩を竦めがなら答える。
普段ならなのはたちが反応しそうなものだが、いい加減感覚がマヒしてきているらしい。
僅かにギョッとした表情こそ見せたが、もう言及する余裕は残っていなかった。
そこでザフィーラは、ある意味この場では最も妥当であり、誰もが失念していた事を問う。

「しかし、心臓を貫いていたのだろう? よく動けたものだな」
「本人曰く『この程度で死ねるなら、英雄になんぞなってない』そうよ」
「そういうものか」
「そういう時代だったってことでしょ」

ランサーの最期は、英雄の名に相応しい壮絶な最期と言えるだろう。
まあ、普通なら到底納得できるような答えではないのだが、それを納得させてしまえるから凄まじい。
そして彼は、別れの最中にも笑っていた。なら、同情などするだけ野暮というものだろう。

「ところで、アーチャー…ギルガメッシュはどうしたの? まだ、彼が残っていたはずよ」
「どうもこっそり見てたようでして、俺達の戦いが終わったところで乱入してきました。
 アーチャーが庇ってくれなかったら、俺もアイツ諸共串刺しにされていたでしょうね」

アーチャーが士郎を助けた。その事実に、どこか心が温かくなるモノを感じるなのは達。
彼が何を思ったかまでは分からずとも、それでも士郎を認められるようになったのだろう。
それだけで、彼がほんの少しでも救われたように感じられたのだ。
アーチャーの事は好きになれないかもしれないが、それでもなのは達はその事を喜んでいた。

「そのままだと間違いなくヤバかったんですが、ランサーが放った火のおかげで帰ってくれましたよ。
 煤で汚れるって言って……」
『本当なの(なんですか)……?』
「おいおい、マジかよ……」
「「マジ」」

全員が、ほぼ同じタイミングで呆れたように突っ込む。
しかし、事実なだけに士郎達としてもそうとしか言いようがない。
さすがに、まさかそんな理由で帰るとは思ない。だがそれが本気なのだから、とんでもない話だ。

「そんなわけで私達は一時帰宅。だけど、ギルガメッシュを放置するわけにもいかない。
アイツはイリヤの心臓を持っていて、それを使って聖杯を降ろそうとしてたしね。
さすがに十年前の再現か、それ以上の被害が出るのを容認するわけにはいかないでしょ」
「でも、なんで第四次聖杯戦争を生き残ってその危険性を知る彼がそんな事を……?」

そう、聖杯がどんなものか知っていればわざわざそんな物を使い理由がない。
そんな物を使っても、絶対的で確実な破滅しかないのだから。
だが、むしろそれこそがギルガメッシュの狙いだった。

「それは考え方が逆よ。アイツは聖杯を願望機としてではなく、兵器として使おうとしていた。
 その性質を知ってたからこそ、自分にとって支配するに値する人間以外を間引く為に、アレを利用しようとしてたんだから」
「わかってたつもりだけど、飛んでもなくぶっ飛んだ脳みそしてるわね、そいつ」
「それに関しては全面的に同意するわ。みんないなくなったら王も何もないってのに、アイツは死に絶えるならそれでいいって発想なんだもん」

アリサの呟きに、凛もまた賛意を示す。
当然だ、あまりにもぶっ飛び過ぎてとてもではないが理解が追い付かない。
しかし、一つだけ確かな事がある。それは、そんな事は決して看過してはならないという現実だった。

「なわけだから、一応作戦会議をして、アイツを止めるために柳洞寺に向かったわ。
 そこで聖杯の召喚をするのは目に見えていたし、慎二……ああ、一応とはいえ元ライダーのマスターね。詳しいところは面倒だからはしょるけど、そいつを器にするのも予想できてたのよ。
 とはいえ、その間にできた事と言えば、大まかな作戦を立てることと、士郎に魔力供給用のパスを通したことくらい。充分には程遠かったけど、あんまり時間もなかったしね。この辺りがあの時の限界よ」
「ですけど、どうやって戦ったんですか? 相手は、真っ当なサーヴァントじゃとても……」
「そうね。セイバーは相性が悪いし、アイツ金にモノを言わせて対魔術の武装を山ほど持ってるんだもの。私はもっと相性が悪い。だけどいるでしょ? 一人だけ、アイツとガチンコできる能力を持った奴が」

シャマルの問いに、凛は悪戯っぽい笑みを浮かべながら答える。
ズブの素人に過ぎない筈の士郎が、逆転の駒に化けるのだ。
あまりにも予想外過ぎて、逆に笑いたくなってくるだろう。
それを察したシグナムは、「奇縁だな」と言って口を開く。

「衛宮はアーチャーと同一存在、故に同じ術が使える。
 そして無限の剣製は魔術。実際、衛宮は我等の前でそれを使っていた。
未熟な衛宮では使えんだろうが、その一端でも使えれば……」
「そう、士郎の能力は王の財宝と同系統、剣でありながら唯一投影できない乖離剣を使われない限り拮抗できる。ネックは魔力量だけど……」
「なるほど、そこを補うためにパスとやらを繋いだのか」
「そういう事。でも、皮肉よね。原典が贋作に追い付かれるってんだから。ま、だからこそアイツは士郎やアーチャーを目の仇にしてたんでしょうけど。この二人こそが、ギルガメッシュにとっての天敵なんだから」

ギルガメッシュを最強たらしめるのは宝具の数。
逆に言えば、同数の宝具を持っていれば拮抗できる。
だからこそ、武器を複製する能力を持つ士郎達は天敵なのだ。
彼らに対してだけは、互角の戦いをせざるを得ないだけに。

サー・ランスロットも天敵と言えるだろうが、士郎達とは若干その性質が異なる。
彼はその宝具の性質上、必ず放たれた武器を「取る」というプロセスが必要なのだ。
そのため、どうしても後手に回らざるを得ない。

一概には言いきれないし、『後の先』という言葉もあるが、基本的に戦いは『先手必勝』。
先出しをした方が断然有利なのは間違いない。
その点において、士郎達はランスロットを上回る正真正銘ギルガメッシュの天敵なのだ。

「とはいえ、さすがに士郎をギルガメッシュに直接ぶつけるのは危ないからね。
 とりあえず二手に分かれて、セイバーを陽動に私達は裏から回り込む。で、セイバーに足止めしてもらってる間に私達は聖杯を処理、その後は士郎とセイバーの二人がかりでギルガメッシュを倒す。
 その上で、器をとられて不安定な聖杯をセイバーが破壊っていう作戦だったんだけど……」
「上手く、いかなかったの?」
「ああ。なぜかアサシンがまだ現界してたらしくてな、セイバーがそっちで足止めを食らってたんだ。
 だから、俺がギルガメッシュの相手をして、その間に……」
「私が慎二を聖杯から切り離す事にしたってわけ。全く、士郎がうつったのかしらね。
見捨てちゃえばいいのに、アイツを助けようとするなんて……」

フェイトの問いに、士郎は肩を竦めるようにして答える。
まさかのアクシデントではあるが、それでも何とかなったからできる事だ。
結果的に、三人ともちゃんと生き残ったのだから。

「セイバーの方は詳しい状況は私達にもわからない。一つ言えるのは、ちゃんと勝って応援に駆け付けてくれたって事。まあ、士郎は自分の事は良いから私の方に行かせたんだけどね」
「もう少し前だったら素直に手伝ってもらっただろうな。
 実際、あの時はアーチャーと戦った時に負けず劣らずボロ雑巾だった。不出来な贋作じゃ、原典の雨あられをしのぐだけで精いっぱい。とてもじゃないけど、反撃に出る余裕なんてなかった。
だが、ある時気付いたんだよ、自分の勘違いに」
「勘…違いって、何を勘違いしてたの?」
「俺の剣製は、剣を作る事じゃない。そんな器用な真似はできない。俺にできるのはいつだって、自分の心を形にする事だけだ。剣を作るのは俺の世界の能力であって、結局は二次的な副産物に過ぎなかったんだよ」

なのはの問いに士郎は笑って答える。
何十、或いは何百という原典を贋作で迎撃し、乖離剣の一撃から辛うじて生き延びた時。
そこでようやく気付いたのだ、自分自身への決定的なまでの思い違いに。

「まさか、あなた……」
「ええ。俺はその時初めて、固有結界を、俺の世界を現実に呼び出したんですよ」

さすがに、今まで使った事もない術をいきなり使った事にアイリをはじめ、なのは達も驚いている。
ぶっつけ本番にもほどがある。魔術の性質を考えれば、それこそ自滅していても不思議はない。
如何にアーチャーのそれを見て、アーチャーと戦った事で彼の技術や経験を得ていたとしてもだ。
真っ当な術者なら、思い付いても実行しないそれを士郎は実現した。

「固有結界の中なら俺はアイツの先手をとれる。
だから、とにかく乖離剣だけは使わせない様に、ひたすら攻勢に出続ける。そう言う戦いをした」
「生きている…という事は、勝てたのだな」
「まあ、こっちもかなり満身創痍だったけどな」

当然だ、むしろ英雄王と戦って無傷な方がおかしい。
セイバーの助力を断り、それでもなお生き延びたのだから十分過ぎる。
それをザフィーラが言おうとしたところで、士郎が重々しい口調で言う。

「だが、勝ったって言っていいのかは微妙だな。
 確かに追い詰めはしたが、そこでアイツ……たぶんアレも聖杯の影響なんだろう。
 黒い穴が出来たと思ったら、そこに呑みこまれたんだ」
「え? じゃあ、それで終わったんか?」
「いや。あの野郎、天の鎖を俺に絡めてそこから這い出ようとしたんだ。
 危うく、俺まで呑みこまれるところだったけどな」
「ちゅう事は、士郎君は呑まれへんかったし、ギルガメッシュも出てこんかったんか?」

はやてがそこまで聞いたところで、士郎は不満一杯、と言うかなんというか。
とにかく、すっきりとしない表情を浮かべながらこう答えた。

「こうなったら我慢比べだ、と思ったら声が聞こえたんだ」
『声?』
「ああ、『お前の勝手だが、いいから右に避けろ』ってさ。
気付けば、顔の横を通った刃が、ギルガメッシュの額に突き刺さっていた」

誰がそれをなしたのか、聞くまでもない。
凛もセイバーもその場にはおらず、士郎にそんな顔をさせる人物は限られる。
そして何より、表情こそすっきりしないが声には微量の別の何かが含まれていた。
それがなんなのかは、おそらく本人でも上手く表現できないだろう。

「凛の方はちゃんとやれたの?」
「こっちもかなりヤバかったわよ。慎二を助けるところまでは出来たんだけど、そこから逃げられなくてさ。
 こりゃあ年貢の納め時かなぁって思った所で、こっちもむかつく声を聞いたわけよ。
『いいから走れ。そのような泣言、聞く耳もたん』とか、勝手に言ってくれてさ」

ここにきて、なのは達の中に燻っていたアーチャーへの反感は完全に鎮火された。
主を裏切り、自分殺しを望んだ男は、最後の最期で生来のモノであろう義理堅さを発揮したのだ。
限界などとうに超えているだろうに、それでもなお最後まで彼は彼であり続けた。
士郎と凛を守ってくれたのだ。それだけで、なのは達には十分だった。

「それで、最後はセイバーにエクスカリバーで聖杯を消し飛ばしてもらったわ」
「セイバーは、何か言っていた?」

問いの主はアイリ。心の底から聖杯を求めた彼女が聖杯を破壊する、その無念は余人には計り知れない。
だからこそ、せめて少しでも彼女の心に去来する虚しさが軽いものであってほしかった。
しかし、それこそ杞憂に過ぎない事を凛は伝える。

「ライン越しにね『これで終わり。私の戦いは、ここまでです。私が……愚かでした。その事を、二人が教えてくれた。後悔は抱えきれぬほど重く、罪は贖えぬほどに深い、でも決して折れなかったものがあった事を。なら、私も前に進まないと―――――――契約は完了した。貴女達の勝利だ、凛』ってね。
 あの子もちゃんと胸を張って、誇れる自分を取り戻してた。なら、それで充分なんじゃない?」
「…………」

凛の言葉に、アイリは何も返す事が出来ない。この時になり、セイバーの言葉を聞き、やっと彼女も気付く。
セイバーが求めたモノは全て揃っていて、ただその結果が滅びであっただけ。
彼女の誓いは守られ、その過程には一点の曇りもなかった。ならば、一体何を恥じる事があろう。
悔いはある、嘆きもある、不甲斐なさもある。しかしそれでも、間違ってはいなかった。
その答えこそが、何よりも彼女を救ったのだ。
むしろ、やり直しを求める事こそが彼女の誓いと誇りを穢す事となる。
フェイトとなのはの言葉の意味を知り、アイリもまたその正しさを認めていた。

「これで、私達の聖杯戦争はおしまい。
アレだけの騒動だったって言うのに、私達の手元にはな~んにも得るモノはなかったって事」
「答えを失って、同時に答えを得た。プラスマイナスはゼロ。結局何も変わっちゃいない。
 本当に、割に合わないったらなかった」

そう言いながらも、二人の声に不平不満はない。
形として得たモノは皆無。だが、それでもその心に何も得るものがなかったわけではない。
何より、彼らは掛け替えのないパートナーを得た。それだけで、十分過ぎるほどの報酬だから。

その言葉を聞き、なのは達の心に去来したのは清涼感にも似た何か。
言葉では表せないが、誰もがその戦いの結末に安堵し、戦い抜いた二人を心の中で讃えていた。

こうして現在と過去を繋ぐための昔語りに一つの幕が引かれた。
無論、まだ話さねばならない事、伝えたい事は多くある。
だがそれでも一つの山は越えた。なら、今はそれで満足していいだろう。

まだ彼らには時間があり、故に急ぐ事はない。
これからゆっくりと、それらを伝えていけばいいのだから。






あとがき

ああ、足掛け三話に渡った聖杯戦争の回想がやっっっっっっっっっっっと終わりました。
もうちょっとコンパクトにまとめたかったのですが、上手くいかない物ですね。

さて、とりあえず暴露話は次で終わりになります。
ついでに、たぶん次でA’s編は終わる予定です。
まあ、こっちの要であったアイリとのアレコレが節目だと思いますから。
ただ、その前に一回外伝を入れるつもりなので、最終話はその次ですね。



[4610] 外伝その7「烈火の憂鬱」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2011/04/25 02:23

SIDE-シグナム

桜の季節を間近に控えたある日。
居間では主やアイリスフィール、シャマルなどが「花見」とやらの打ち合わせをしている中、私は愛剣レヴァンティンを手に庭で黙々と素振りをしていた。

「……………………………」

蒐集をしていた時と違い、最近ではほとんど全力を出す事もない。
あの頃はミスを取り返してくれる者はおらず、一つのミスが命取りと言っても良い状況だった。
だが、管理局から任される仕事は、基本『絶対に失敗しない』様に幾重にも「保険」がかけられている。
仮に私が何かミスをしても、それを補うための準備が入念になされているのだ。
それは、組織と言う大きな存在だからこそできるやり方であり、本来であれば当然の在り方だろう。

しかしその分、良くも悪くもあの頃の様に鬼気迫るものが私にはない。
いや、それだけならばまだいいのだが、問題はそれで心が、技が鈍る事。
技でも心でも、常に砥いでいなければ瞬く間に鈍ってしまう。
それは、仮にも守護騎士の筆頭であるこの身には決して許されない事だ。

(一応は、テスタロッサと模擬戦もしているが……やはり、な)

物足りなさとでも言えばいいのか、テスタロッサとの模擬戦はどこかスポーツの様な空気がある。
別段、テスタロッサが相手として不足があると言うわけではない。
あの年としてはテスタロッサの腕前は十分以上だし、剣を交える度に研ぎ澄まされていくその魔導を見るのは今の私の密かな楽しみの一つだ。
未だ私を脅かせるほどの力量ではないとはいえ、予想をはるかに上回る速さで迫ってくるその才能には背筋が寒くなる事もある。

しかし………………………やはりそこまで。
どれほどの才があり、如何に成長著しくとも、アレの刃にはない物がある。
言葉にするのは難しいが、「何があろうと敵を討とうとする怨念染みた執念」と言ったところか。
それが悪い事とは思わない。それがない事がアレの美点と言えなくもないだろう。

だが、長く命のやり取りをする場で生きてきた身としては、僅かに物足りないものがあるのも事実。
抽象的な表現になるが、心と体が、そして刃が砥がれていくような空気。
緊迫しざらついた、死が目前で手招きしているような緊張感と恐怖。
テスタロッサと対峙した時には、そう言ったものがない。

代わりにあるのは、清涼感にも似た心地良さだ。
それはそれで新鮮で悪くないのだが……時に、自分の刃が鈍っていくような錯覚に陥る事がある。
悪い表現になるが、「ぬるま湯につかっている」と強く意識する瞬間があるのだ。

だからこうして、暇があれば素振りをするのが私の休日の過ごし方。
普通の素振りと違う事があるとすれば、素振りでありながら私の剣には確かに殺意が乗っている。
まぶたの裏には、これまで戦い斬り伏せてきた数多の敵の姿。
彼らの事を思い返し、記憶に沿って再度彼らを斬っていく。

(愚かな自慰行為…としか言えん事は自覚しているのだがな)

自分のやっている事の不毛さに、思わずため息が漏れる。
だがそれでも、こうでもしていないといざという時に剣が鈍ってしまいそうだ。
それだけ今の生活が穏やかで、殺伐としたものから縁遠いと言う事なのだろう。
それはそれで大変結構な事だ。
主やアイリスフィール、ひいては彼女らの住む世界が平穏そのものである証左なのだから。

しかし、この身は騎士。
主の未来を血と屍で汚したくないという思いは確かにある。
それでも、いざとなれば私はこの手を血で染めるだろう。
それは私に限らず、守護騎士全員に言える気構え。
だと言うのに、その刃が鈍ってしまっては笑い話にもならない。

実際に命のやり取りをする以上に実戦の勘を維持する方法はないが、さすがにそれは不味い。
今の我々は管理局の保護及び管理下にある。いや、それでなくても今のご時世にそんな理由で人斬りはできないし、元よりそう言った理由で人を斬るのは私としても不本意だ。

(とはいえ、死合うとまではいかずとも、それを前提として技術を磨く者と立ち合えるといいのだが……。
 衛宮………はダメだな。やっと体が治ったばかりで今はリハビリ中、さすがに無理は言えん)

となると、あと残っていそうなのは遠坂くらいか。
アレも衛宮と似た様な口だから、心を研ぐ意味では不満はない。
近々、頼んでみるのも選択肢の一つかも知れん。

などと思考に頭の片隅で考えつつ、そのまま私は記憶を掘り返しながらの素振りを続ける。
そこで、いつの間にか老人会主催のゲートボールから帰ってきたヴィータが縁側から声をかけてきた。

「シグナムゥ~」
「なんだ?」
「いや、剣に殺気を乗せんのは別にいいんだけどよ、そう言うのは隠れてやってくれよ。
 なんつーか、あたしまで触発されそうでさ……」
「この際だ、私としてはお前が相手でもいいのだが……」
「気持ちは分からねぇでもないけど、ヤダ。
何より、あたしらでやりあったら理由はどうあれはやてがうるさいぜ」
「むぅ……」

そう、確かにヴィータの言う通りなのだ。
主はそのあたりに対し我々とでは認識が違う。
恐らく、どんな理由があろうと殺気交じりの模擬戦など許してはくれまい。
それだけ我らの事を慈しんでくださっているのだから、騎士としても一個人としてもうれしい限りだ。
とはいえ、こういう時に限っては申し訳ないが悩みの種と言わざるを得ない。
しかしそこで、ふっとある事を思い出しヴィータに問いかける。

「そう言えば、整備に出していたアイゼンは戻ってきたのか?」
「おう! 中身も一新、さすがは管理局だな、新品みたいになって返って来たぜ」
「そうか……」

蒐集をしている間は碌に整備もしてやれなかったが、これでこれまでの無理の清算はできたらしい。
報告するヴィータの声は喜色に満ち、相棒が元気になって返ってきた事を心底から喜んでいる事がうかがえた。

「なんだよ、ノリ悪ぃな。レヴァンティンだって整備から返って来たんだろ?」
「ああ、消耗していたパーツも交換してもらえたし、システムに関しても最新式を入れてもらったが……」
「にしちゃあ浮かねぇ顔してんな。なんか不満でもあるのか?」
「不満と言うか、仕方のない事と分かってはいるのだが……刃の出来がな」
「ああ、そっちか。レヴァンティンは剣だもんな……」

そう、管理局に整備してもらいレヴァンティンもだいぶ前より具合が良くなった。
それは事実。事実なのだが……正直、刀身の仕上がりに不満が残ると言わざるを得ない。
大抵のデバイスには自己修復機能があり、多少の欠損や疲労は勝手に治してくれる。それはベルカ式のアームドデバイスも例外ではなく、多少刀身が欠けた程度はおろか、へし折れてしまってもなんとかなってしまう。
まあ、完全修復には当然時間はかかるのだが……。

とはいえ、それはやはり「なんとかなる」と言う程度の話に過ぎない。
未だ、機械では人間の技術、とりわけ名工や職人と言われる人間の技術には追い付けないのが現状。
特にアームドデバイスは純粋な武器としての性能も求められる為、そう言った伝統的な技術から無縁ではいられない。実際、戦乱の時代のベルカでは腕の良い鍛冶師などは非常に重宝されたものだ。

「管理局に腕のいい奴を紹介してもらったんだろ?」
「…………うむ。腕が悪いとは言わん…言わんのだが、昔の方がやはり腕は良かったな」
「そりゃ仕方ねぇって。今はミッド主流だし、そもそもそういう伝統技術自体が廃れて来てんだからよ」
「まぁな、この世界でも町工場の職人から伝統工芸に至るまで、次の時代を担う技術者を育成できない事が問題になっている。どこの世界でも、人や社会が抱える問題は大して変わらんと言う事か」

その世知辛い時代の移り変わりに、思わずため息をつく。
アイゼンが鉄槌と言う形態なため、ヴィータは私ほど顕著に不満は感じないらしい。
だが、最盛期のベルカを知る身としてはやはり今の技術には不満を感じる。

何しろ、武器の製造技術というのはある意味デバイスの中身以上に繊細な面を持つ。
また、腕に武器が追い付いてこないというのは中々にもどかしい。
しかし、今の時代ではその繊細な技法が失われつつある。
一剣士としてそれは非常に嘆かわしい事ではあるが、ぼやいてどうこうなるものでもない。

いっそのこと、この世界の職人に研いでもらうことも考えた。
だが、デバイスを魔法を知らない者に預けるわけにもいかない。

「やはり、金をためて『本物』の名工に依頼するしかないか……」
「高ぇんだろ?」
「ああ…………おそらく、数年先の話になるだろうな」

今の時代にも、本物の職人がいないわけではない。
実際、今回依頼した相手は、『比較的安価な中で腕のいい職人』と言う事で紹介してもらったのだ。
つまり、金に糸目をつけなければもっと上を望む事もできると言う事。
だが、当然ながらそう言った人物に依頼するとなると値がはる。
今の私の収入では、家に入れる分やその他雑費を差し引くとだいぶ先の話になるだろう。
その道の長さを考えると、やはりどうしても重いため息をついてしまう。

「ああ、なんだ…………頑張れとしか言えねぇわ。
 なんなら、あたしからも少し出すか?」
「…………………いや、いい。これは私の問題だ、お前達に迷惑をかけるわけにはいかん」
「ま、おめぇがそう言うんなら良いけどよ」

正直、ヴィータの提案には心惹かれるものがあるが、守護騎士筆頭としての矜持がそれを許さない。
自分でも難儀な性分だと思うが、あまり家族を煩わせたくないのだ。

「ん? どこいくんだ?」
「いや、とりあえず気分転換に散歩にな」
「そっか……………まあ、あんまり思い詰めんなよ」

そうして、私は主達に外出する旨を伝え、いくつか買い出しを頼まれて家を出た。
まさか、身近にその「本物の職人」がいるとは思いもせず。



外伝その7「烈火の憂鬱」



場所は変わって、とある十字路。
そこに今、一人の少女が信号が変わるのを待ってたたずんでいた。

容姿こそまだ幼いが、すれ違えば思わず足を止めて後ろ姿を追ってしまいそうな可憐な娘だ。
長く伸びた金糸の様な髪が風に揺れ、肌の白と黒い衣服とで絶妙なコントラストを描いている。
その眼は陽光を受けて細められているが、まぶたの隙間からのぞく紅玉の瞳には優しい光を宿していた。

また、その少女の右手には紙袋が下げられている。
とそこで、金髪の美少女…フェイトは視界の端に何かを捉えそちらに顔を向けた。
すると、そこにいたのは彼女にとってもなじみ深い長身の凛とした空気を纏う女性がいたのだ。

「あ……」
「……む」

ちょうど相手の方もそこでフェイトの存在に気付いた様で、互いに相手の事を視界に納めて僅かに声を漏らす。
フェイトとは違いモデルでも務まりそうなほどに背は高く、成熟した女性ならではの柔らかな曲線を描く肢体に周囲の男性達の眼は惹きつけられる。

だが、それも長くは続かない。即座に彼らの視線は上方へと修正され、その顔立ちに釘付けにされた。
まず強く目を引くのは、切れ長の蒼い瞳。意思の強さが容易にうかがい知れ、彼女から儚さや弱々しさと言った印象をまるで感じさせない。下手にナンパなどしようものなら、痛い目を見るのは明らかだ。
桜色の長い髪は高い位置で結われポニーテイルにされ、キビキビとしたその歩みはいっそ小気味よくさえある。

フェイトとは違った意味で、一度眼にすれば決して忘れられなくなるであろう鮮烈な空気を放つ美女だ。
だが、その美女…シグナムはそんな周囲の反応を務めて無視し、そのままフェイトの横まで歩み寄った。

「えっと……こんにちは。シグナムもお出かけですか?」
「……ああ、気晴らしに散歩でもと思ってな。先日の怪我はもういいのか?」
「あ、はい。絶妙な力加減だって、診てくれた医務官の先生も言ってました」
「そうか」

元来、それほどおしゃべりな部類ではないシグナムが相手なためか、会話がはずんでいるとは言い難い。
フェイト自身、どこか緊張した様子でチラチラと信号を見据えるシグナムの表情を横目でうかがっている。
とはいえ、フェイトとしては色々話をしたいと思っている相手でもあるので、少し戸惑いながらも一生懸命話題を探して話を振る。
内心では、「こういう時には場を和ませるのが得意なはやてがいると助かるのに」と思いながら。

「でも、なかなか上手くいきませんね。アレから何度か模擬戦をしましたけど、未だに全敗ですし」
「当たり前だ。そう簡単に負けては烈火の将の名が廃る。
 何よりお前はまだ若い、これから先まだまだ伸びて行くだろう。それこそ、私の思いもしない速さで。
今負けてしまっては、この先私は置いていかれるばかりではないか」

そうこの二人、闇の書事件が落ち着いてからと言うもの大体月二回から三回ほどのペースで模擬戦をしてきた。
もちろんその全てにおいてシグナムが勝利を収めているのだが、戦う度にフェイトの成長に驚かされている。
シグナムとしてはその成長に感嘆と喜びを覚えているが、だからこそ負けるわけにはいかない。

フェイトの成長を促す要因の一つに、壁としての自分の存在がある事を彼女はしっかりと理解している。
壁や困難は簡単に乗り越えられないからこそ意味があるのだ。
好敵手と刃を交える事は確かに楽しいが、同時に先達として彼女の成長を見届けたいという思いもある。
故に、彼女の大きく高い壁となり、フェイトが遥か高く遠くへと飛んでいけるようにしてやりたいとも思う。
無論、ただのふみ台などで終わるつもりなど毛頭ないわけだが。

「我らの背は遠いぞ、精々精進する事だ」
「分かってます。あなたにも、士郎にも、必ず追いついて…………追い越します。
それがきっと、みんなの期待にこたえる事だと思いますから」
「楽しみにさせてもらおう。私としても、好敵手には強くあってもらいたい。
 お前が強くなればなるほど、私も高みを目指す甲斐があると言うものだ」

そう言って、シグナムは目を閉じて僅かに微笑む。
密かに「子の成長を望み喜ぶ父親とは、こんな気持ちなのかも知れんな」などと思いながら。
しかし、確かに彼女は母性より父性が強そうな人物だが、それはそれでどうなのだろう。

「ところで、それは………………土産か?」
「はい、ちょっとお願いしたい事がありまして」
「この方向だと……衛宮達の家か」

シグナムはここからでは見えない洋館の方へと視線を向ける。
それはちょうどこの信号を渡った先であり、フェイトの関係者の中でこの先に住む人物をシグナムが知らないからこその予想だった。

そこでちょうど信号は変わり、フェイトは一瞬進むべきか迷う。
シグナムの行き先がこっちなのかわからない。
仮に違ったとして、ここで会話を打ち切るのもどうかと思ったのだ。
しかし、先にシグナムは横断歩道に一歩を踏み出すのを見て、フェイトはあわててその後を追う。
フェイトが追い付いてきたところで、シグナムは再度口を開いた。

「大方、衛宮達に近接戦の手ほどきでも頼みに行くと言ったところか?」
「う……分かります?」
「当然だ。現状、お前は接近戦で私に負け越しだしな、対策を練ろうと考えるのは必然だ」

闇の書事件の時は、シグナムが負傷していたり対シグナム用に戦術を練って戦っていたりしていた。
だがすでに傷も癒え、その戦術の方向性を知られてしまった今となってはあまり効果がない。
はっきり言ってしまえば、フェイトが士郎達から授かった策はほとんど役に立たなくなっている。
なので、こうなってくると元々の地力の差が如実に表れる為、多少の速度差など歴戦の騎士であるシグナム相手では容易く覆されてしまう。
その結果、ここ最近は近接戦では圧倒されっぱなしで、なんとか遠距離攻撃に活路を見出そうとする内容が多い。

しかし、それでは遠近両用型のフェイトの長所を活かせない。
同居中の執務官達もあまり白兵戦は得意ではないので、フェイトには頼るあてが少ない。
さすがに、模擬戦の相手本人に近接戦の対策及び指導を受けようと思えるほど図太くもない様だ。
そんなわけで、こうして改めて士郎達に近接戦の教授をお願いしようとして現在に至る。

「だが、確か今も高町と共に衛宮達から指導を受けているのだろう?」
「ええ、まあ。以前は基礎訓練とシグナム達と戦う事を前提とした戦術指導がほとんどでしたけど、今は完全に基礎訓練がメインですね。
というか、ほとんど戦い方も教わってないんですが……代わりに、最近は銃器とかの座学が多いんです」

その事に僅かに不満を感じているのか、フェイトの表情は浮かない。いや、実際に不満そうなのだ。
如何に士郎がまだ復帰できていないとはいえ、やはり基礎訓練ばかりでは満足できないと言うのも無理からぬ話である。
しかし、シグナムは正確に士郎達が何を考えて基礎訓練や知識を蓄える事に重きを置いているかを看破していた。

(やはり、衛宮達はテスタロッサ達よりもずっと先を見据えているな。今すぐ力になると言うような内容ではなさそうだが、その代わり数ヶ月、数年先で今日の訓練が二人の力になるだろう。
 テスタロッサ達からすれば不満かも知れんが、局員として、一戦闘者として必要な土台を築いている最中なのだから、こればかりはどうしようもあるまい)

根本的に、二人が学び身につけねばらないものは戦う術ばかりではない。さらに言えば、そもそも土台が士郎達からすれば脆い。だからこそ、こうして士郎達はなのは達の土台作りに重きを置く。
元々のスペックが高いが故に大抵の事はなんとかなってしまうからこそ、おろそかになりそうな部分を補強しようと言うのだ。

「そりゃあ、基礎が重要と言うのは嫌と言うほど実感してますけど……」
「不満を感じていると言うのなら、まだまだ認識が甘い。
私に勝ちたいのなら、一から鍛え直すくらいでなければな。
そもそも、お前は武器の扱いが拙い。武器に振り回されているようでは話にならんぞ」

呟くフェイトに、シグナムは思った事をそのまま口にする。
実際問題として、フェイトがさらに強くなるにはその強さを支える為の土台が必要不可欠なのだ。
脆い土台の上に築けるものなど程度が知れている事を理解しているからこその意見。

また、まだ身体が成長途上なこともあるが、フェイトはまだバルディッシュに振り回されている部分がある。
それはデバイスとしてよりも、純粋に一つの武器として。
手足が伸びきっておらず、筋力的にも技術的にも未成熟なのだから当然だ。
だがそこで、自身の発言からシグナムはある事に気付く。

「もしや、その為か?」
「はい。わたしも正直それは自覚してました。シグナムと正面から打ち合っても、わたしじゃ勝負になりません。
 だからこの機に、一度ちゃんと武器の使い方を勉強しようかと思って……」

少し恥ずかしそうにうつむきながら、フェイトはそう答える。
リニスからも色々教わりはしたが、武器の扱いと言う点では彼女も本職ではなかった。
しかし、士郎は基本武器全般何でもいける口だ。その技量はシグナムも認める所である。
純粋な技量のみを問えばシグナムの方が遥かに優れているが、それでも軽んじられるレベルではない。
むしろ士郎の場合、純粋な技術以外の面が厄介なのだが……。

「悪くない選択だ。確かに、アレは人に教えるのは上手かろう」
「え? そうなんですか?」
「気付いていなかったのか? 指導者としてはわからんが、『教える』のは私などよりよほど上手い筈だぞ。
 まあ、私など比較対象として不適当なのだがな」

そう言って、シグナムは自嘲するように苦笑する。
本人に言わせれば「柄ではない」らしいのだが、客観的な認識として「人に物を教える」のに自分は不向きだろうとも思っているのだ。
それは謙遜などの類ではなく、確固とした理由があってのもの。
しかし、フェイトにはそのあたりの事が良くわからない。

「あの、良ければなんでシグナムが比較対象として『不適当』なのか、教えてもらえませんか?」
「ん? たいしたことではない。私はこういう存在だからな、技術を身につけるのに苦労した事がほとんどない、それが理由だ。無論、修練や努力はして来たがな」
「? ? ?」
「こう言えば分かるか? 仮に私の技を誰かに教えたとしよう、だが教えられた者はその技が上手くできない、ここまでは良くある事だ。問題なのはな、その上手くできない理由を私では解決してやれん事にある。
 上手くいかないからには何かしら原因があるのだろうが、できる事が当たり前の私にはそれが理解できん。故に、どうすればその原因を取り除いてやれるのかも教えられん」
「……………………」

なんとかシグナムなりに分かりやすく伝えようとはしているようだが、フェイトの表情は釈然としない。
言わんとしている事はなんとなくわかる様な気もするのだが、やはりはっきりとしないのだ。
そんなフェイトの内心にシグナムも気付いたのか、例を変えて見る事にした。

「そうだな…………なら、仮にお前が誰かに飛び方を教えようとしたとしよう。術式にも魔力にも問題はない、だがなぜか相手は飛べない。原因はイメージ不足だった、こんな時お前ならどうする?」

魔法には割とイメージが重要だったりする。
如何に科学的な装置を用い、論理的な術式で編まれていようと使うのは人間なのだ。
『できる』と思えなければできるものもできないと言う事なのだろう。

「えっと……それなら空を飛ぶ自分をより明確にイメージしてもらえばいいと思います」
「だが、人間はそもそも飛ぶ生き物ではないぞ」
「そ、それならわたしが飛ぶのを見てもらったり、わたしが抱えて飛んでみたりして……」
「その場合は『飛ぶ』のではなく『飛ばされる』と言うのではないか? ハングライダーと何が違う?」
「そ、その…その……こう、フワッと浮いて、ビューンと……」
「そんな抽象的かつ擬音語ばかりの表現で伝わると思うのか?」
「………………………………………………………………………無理です」

度重なるシグナムの指摘に、ついに白旗を上げるフェイト。
シグナム自身はと言うと、予想通りの結果だったのだろう。
特に何を言うでもなく、軽くため息をついてからこう告げた。

「多少の差異はあるだろうが、つまりはそういう事だ。
 我々が感覚的にやれてしまっている範囲だと、その事を上手く伝えられん。失敗などされてもその原因を理解し、解消する引き出しが我らにはないのだ。そして、私達にはそういう部分が多い。
 憶えておけ、私もお前も、思い上がりなどではなく確固とした事実として人並み以上の能力を、恩恵を得て存在している。スタート地点が違うと言った方が分かりやすいか? そこから先の事であればアドバイスもできるが、その前の事で我らに教えられる事はないのだ」

同じ空を飛ぶという技術一つをとっても、フェイト達にはイメージ構築の段階で苦労した経験がない。
だが、普通の魔導師の場合まずここで躓く。空を飛ぶ自分と言うものがイメージしにくいのだ。
妄想レベルならそうでもないが、魔法として行使できるほどとなると困難極まりない。
しかし、そのイメージの構築の仕方をフェイト達が教える事は難しい。なぜなら彼女らは、はじめからそれが出来てしまっていたのだから。

たとえば、我々が歩き方を事細かに説明しようとしても難しい様なものだ。
無意識的にできてしまうからこそ、説明できる事が少ない。
重心の移動の仕方、筋肉を動かす順とその際の強さ、これらを説明するだけでも難しい。
実際にはそれよりもっと複雑なのだ。

「でも、なら何で士郎は教えるのに向いているんですか?」
「アレは我等とは真逆の男だ。奴に才はない、だからこそ一つ一つの技術を丹念に磨き修得してきた。
 我らが理解できないはじめから踏破していた部分を、アレは血の滲むような思いで歩んできたのだからな。なら、どうして失敗するのかはアレが身にしみて良く知る点。
どうすればそれを解決できるかなど、奴は熟知しているだろうよ」

たった一つの技術、それを身に付けるのに苦労してきた士郎だからこそ教える事に長ける。
少なくとも、なぜ躓くのか理解できないシグナム達よりよほど上手く教えられるだろう。

「その意味で言えば、遠坂も人に物を教えるのはあまり上手くなかったかもしれんな」
「でも、凛は教え上手だと思うんですけど……」
「奴は衛宮の師でもあるのだろう? おそらく、衛宮に教える時に色々苦労したのではないか。
 アレはあまり要領の良いタイプではなかろうし、教えるとなれば相当苦労した筈だ」

そう、士郎は魔術的な才能に恵まれていない。
投影やそれに付随する魔術ならいざ知らず、それ以外に関しては三流どころではないのだ。
そんな士郎に指導してきたのだから、凛の指導力が上がるのは必然と言える。
凛には到底理解できないような部分で失敗する士郎を導くために、凛がどのような創意工夫をして来たのかは、余人には理解の及ばない範疇だろう。
だが、これがあったからこそ凛は指導者として優れた能力を身につける事が出来たのだ。

「まあ、天才肌の者は確かに教える事にはあまり向かない場合が多いが、例外はあるし、そもそもやり方次第だ。
自身の感覚的な部分を伝える技術を身につける事ができればいいわけだからな。
基礎を固め、整理し、理論として他者に伝えられる形にまで昇華することができれば……そして、それができたからこそ、アレは優れた指導者なのだろう」
「それって、何か違うんですか?」
「教える事が上手い事と、指導者として優れている事は違う。技術を伝える事と、育成する事は別物なのだ。
 優れた指導者は総じて『教え上手』だが、『教え上手』な者が優れた指導者であるとは限らん。
 指導者に求められるのは、ただ技を教える事だけではない。心と体を正しい方向へ導いてこその指導者だからな。おそらく、衛宮はそちらにはあまり向かんだろう」

正直、フェイトにはシグナムの言っている事の半分も理解できない。
自分が人に教えるのには向かない事は理解できたし、シグナムも同様である理由もわかった。
閃きと感性で技術や魔法を身につけてきた彼女には、その感覚的な部分を教える事が出来ない。
少なくとも、今はまだ。

対して士郎は、そう言った感覚的な部分がほとんどない。
フェイト達が感覚的に知っていた部分を、士郎は自己研磨の中で身につけてきたからこそ、少なくともフェイトよりは教えるのが上手い。
とはいえ、士郎は決して優れた指導者と言うわけではないらしい。
だからこそ、技術は伝えられても育て導く事が出来ないらしく、そういった点に凛は優れている。

フェイトに分かった事など、そう言った表面的な部分だけ。
だが、それでもわかった事がある。

(とりあえず、士郎に教わるっていうのは悪い選択じゃないってことだよね)

そうして、フェイトとシグナムは連れ立って遠坂邸を目指して歩を進める。
どうやら目的もなく散歩していたシグナムは、そのままフェイトについていくことにしたらしい。
おそらく、フェイトの申し出に士郎達がどうこたえるか興味がわいたのだろう。



  *  *  *  *  *



場所は変わって、高町家。
その純和風の門前には………………………なぜかフェイトとシグナムが立っていた。
なぜ遠坂邸に向かった筈の二人がここにいるのかと言うと……。

「え、士郎? アイツなら、今なのはのところにいるわよ」

遠坂邸に着きさっそく士郎に会おうとしたフェイトだったが、家主の凛からもたらされたのはこんな言葉だった。
なんでも、以前から時々高町家を訪れているらしい。
夕方まで帰ってこないとの事だったので、仕方なくフェイト達は士郎を追ってこうして高町家まで足を運んだと言うわけだ。

そうして高町家の呼び鈴を鳴らして待つ事少々。
木製の門を開いて顔をのぞかせたのは、フェイトの親友であるなのはだった。

「あ、フェイトちゃん、シグナムさん。いらっしゃい」
「うん、ごめんねなのは、いきなりお邪魔しちゃって」
「すまんな、邪魔をする」
「あ、ううん、全然大丈夫。シグナムさんも気にしないでください」

軽く頭を下げて謝罪する二人に、なのはは軽く手を振りながら笑って応える。
だが、良く見れば気づいただろう。なのはの表情が僅かにひきつっている事に。

「と、とりあえず中にどうぞ」
「あ、うん」
「……」

そうして二人はなのはに促されて敷地の中に入ったのだが、少々歩いてシグナムの表情が変わった。
その表情は険しく、まるで戦闘時の様に厳しい。
フェイトもそれに気付き、一体どうしたのかと不思議そうな表情を浮かべる。

「シグナム?」
「あの、どうしたんですか?」
「高町…………あの道場には、いま誰がいる?」

そう言ってシグナムが視線を向けたのは、庭の隅にある木造平屋の建築物。
一般的道場と呼ばれるものだが、庭先にある為サイズは決して大きくない。
恐らく、柔道か剣道の試合用に使えば、一面分しかないくらいだろう。
しかし耳を澄ませば、そちらの方向から木と木がぶつかる衝突音が聞こえてくる事に気付く。

「じ、実は……」

そうして、なのはが今度は明らかに苦笑いの表情を浮かべる。
百聞は一見に如かずとばかりに二人を道場の方に案内するなのは。
フェイトとしては士郎に会いたいだけなのだが、何やらタイミングを逸してしまって問う事が出来ない。

シグナムはシグナムで、そちらの方に完全に興味が移ったようだ。
その顔にはそれまで同様の厳しい表情だが、同時に何か高揚しているような印象を受ける。
そしてその原因は、すぐに判明するのだった。

道場の扉が開かれると同時に、裂帛の気迫がフェイト達の身体を打ち、フェイトとなのはは思わず半歩下がる。
それは、道場の中央に立つ二人から放たれたものだった。

「はあぁぁぁぁ!!」
「ふっ、せい!!」

片や、短めの二本の木剣を手に正面の相手に踏み込んで行く、長い黒髪を三つ編みにした高校生くらいの少女。
片や、身長ほどの長さがある木製の棍を手に、腰を低くした構えで少女を迎え撃つフェイト達と同年代の少年。

少女が間合いに入った瞬間、少年は巧みな棍さばきでその機先を制す。
初撃は踏み込むために出された脚、その脚を刈りとるかのように少年は低い位置への払いを放つ。
少女は僅かに足を下ろすタイミングをずらすことでその払いをやり過ごし、再度踏みこんでくる。

だが、それも予想の範疇だったのだろう。
少年は身体の捻転を利用し、初撃よりさらに速度を増した二撃目で少女の首を薙いでくる。
咄嗟に少女は身をかがめて回避するが、取り残された三つ編みを棍が打つ。

そこで少年は手首を返し棍で小さな円を描く。
その間に少女は少年の懐深くへ潜り込もうと疾駆するべく、前傾姿勢を取る。
そのまま後ろ脚に力を込め、思い切り板張りの床を蹴ろうとした瞬間、少女の首が後ろに引っ張られた。
それはまるで、何か紐で頭部を括りつけられたかのよう。

フェイトもなのはも、その突然の事態に驚きに目を見開く。
しかし、その事に誰よりも驚いたのは少女自身だった。

「え!?」
「甘い!!」

如何なる手品を使ったのか、少女の三つ編みはいつの間に棍に絡め取られていた。
少女のひそかな自慢である艶やかな黒髪が、少女の頭を引っ張った元凶。
少年は少女が体勢を崩した瞬間を逃さず、さらに体を崩す様に棍を操る。

結果、まんまと少女は板張りの床に身体を叩きつけられた。
辛うじて受け身を取りダメージを分散したが、起き上がるより早く追撃が来る。

「フン!!」
「ヤバ!?」

少年は倒れた少女の真上から棍を叩きつけてくる。
床の上を転がってそれらを回避していくが、それでは反撃はままならない。
少女は床を転がりながら、どこからか取り出した木製の針の様なものを少年に向けて投擲した。

少年はそれを容易く撃ち落とすが、その隙に少女は起き上がり再度構えを取る。
やはり少年は自ら動こうとはせず、道場の中心で待つ。

だが、フェイトやなのはにもわかった。
ああして道場の中心に陣取られているからこそ、少女は攻めあぐねているのだと言う事を。
実際、少女は少年の隙を探す様にぐるぐると彼の周りをゆっくりと円を描くように回るが、少年は常に自身の正面に少女が来るようにそちらに身体を向けるだけでその場から動かない。

道場の端にいる者と中心に立つ者、その移動距離の差は歴然。
少女がどれほど速く激しく動いたとしても、少年は最小限の動きで容易く少女を正面に捉える事が出来るのだ。

やがて、少女も背後や側面を尽くのは無理とあきらめたようで、動くのをやめどっしりと腰を落とす。
そして睨み合うこと数十秒。少女はゆっくりと口を開いた。

「ねぇ、『来ないのならこちらから行くぞ』とかにはならないかな?」
「こうして待っていた方が有利ですからね、自分からそれを捨てる気はありませんよ。
 というか、こっちの方が間合いが広いんですからそれを詰めてどうするんですか?」
「はは、やっぱり……」

少女…美由希の問いかけに士郎はそう応じる。
堅実に、自身の有利を決して捨てようとはせず、ゆっくりと気長に待つつもりなのだろう。
その声に焦れた様子はなく、いくらでも待つと言う意思を言外に伝えてきた。

とそこで、二人の動きが止まっている間に道場の隅で二人の戦いを観戦していた二人の男性から、フェイト達に声がかかる。
それは、なのはの父である高町士郎と、同じく兄の恭也だった。

「なのは、見学するならこっちに来なさい」
「あ、うん、お父さん」
「そちらは、フェイトちゃんと…確かシグナムさんでしたか」
「あ、はい、お邪魔してます」

確認するように問いかけてくる恭也にフェイトは頭を下げ、シグナムも無言のまま会釈する。
そうして、三人は恭也達と合流した。

「あの、これって……」
「ああ、士郎のリハビリを兼ねた美由希の鍛錬だ。
 士郎は武器全般何でも使えるからな、良い練習相手になって助かっている」
「俺達だと同門だから手の内がわかってるからなぁ、偶には他流とやらせたいと思っていたんだ」

恭也はややぶっきらぼうに、士郎(父)は快活に笑ってそう答える。
なのははこの事はもう知っていたようで、ちょっと困ったような表情を浮かべている。
シグナムはと言うと、二人の話を聞いているのかいないのか、さっきから士郎達から目を離さない。
だが、なのはとしてはつい最近まで車いすで生活していた友人の事が心配で気が気でないだけに、僅かに咎めるような視線を隣に立つ兄に向ける。

「でも、士郎君も無茶だよ。あんな怪我して、最近やっと動けるようになってきたんだよ」
「そうでもない。士郎も自分の体調の事は熟知しているからな、ああして極力体に負担のかからない動きをしている」
「確かに、長物を使うのは少々負担が大きいかも知れんが、接近して派手に打ち合ったりしない分あの方が衛宮の身体にかかる負担も小さいか」

恭也は特に気にした素振りも見せずにそう応じ、それにシグナムも同意した。
士郎とて一端の戦闘者、自分の状態に合わせて戦い方を変えることくらいはする。
二人もそれくらいは承知の上だからこそ、特に心配などはしていない。
そんな二人を見て、フェイトは士郎(父)に話を振る。

「そういうものなんですか?」
「ああ。それに、美由希としても今までと勝手が違うだけに攻めあぐねているからね。
 やはり、士郎君が相手をしてくれると助かるなぁ。いい経験になる」

士郎(父)は娘の良い練習相手がいて上機嫌らしい。
実際、恭也と稽古をしていてもあまりこういう状態にはならない。
二人でやり合うと、多少の睨み合いや隙の探し合いにはなっても、ここまで硬直する事はほとんどないのだ。
それだけ美由希にとってやりづらい状況に追い込まれていると言う事であり、だからこそ美由希としては頭を悩ませざるを得ない。
おそらく、恭也達としてはこの状況は願ったりかなったりの状態なのだろう。

「む、動くか」
「「え!?」」

シグナムの声を聞き、フェイトとなのはは即座に士郎達の方へと視線を向ける。
すると、ちょうど美由希が士郎に向けて何かを投擲した瞬間だった。
投擲されたのは、先ほどと同じ木製の釘。だが今回士郎は、それを弾かず軽く身をよじって回避する。
それに対し、フェイトは思わず疑問の声を漏らす。

「え? 今度は弾かないの?」
「ああ、今美由希が使ったのは俺が以前士郎に倣った投擲技法で、『鉄甲作用』という」
「それって、確か!」

恭也の回答に、その名に聞き覚えのあるなのはが声を上げる。
それは、以前士郎が使った着弾時の衝撃を数倍に引き上げる特殊な技術。
それを証明するように、美由希の放った木製の釘は壁にぶつかると同時に凄まじい音を立てて突き刺さった。

「さすがにあんなものを弾こうとすれば体勢が崩れるか……衛宮の判断は正しい」
「だが、それこそが美由希の狙いでもある」
「え? それって……あっ!」

恭也のコメントの真意を問おうとするなのはだったが、その言葉が最後まで紡がれる事はなった。
なぜなら、それより先にその意味を悟ったからだ。美由希自身の行動によって。

美由希は釘を投擲すると同時に動き出しており、士郎のすぐ正面まで迫っていた。
しかし、士郎も早々思い通りにさせてはくれない。
払いでは間に合わないと判断し、その場で美由希の額と水月に向けて刺突を放とうとする。

初撃の額への一撃は外れる事前提の牽制。
人間、顔への攻撃はどうしたって怖いし警戒心が強い。
視覚が情報の大半を占めるからこそ、眼のある頭部への攻撃には敏感なのだ。
だからこそ、牽制として意味がある。
初撃を回避ないし防御した瞬間、意識の離れた面積の広い胴体を打つつもりなのだ

だが、士郎のその目論見は完全に外される。
初撃は目論見通り首を傾けて回避されるも、続く本命の二撃目が美由希の胴体に突き刺さる……筈だった。

「せいっ!」
「っ!?」

美由希は士郎の次の手も予想し、二撃目を二本の木剣を交差させて防いで見せる。
続いて、懐に入り込もうと踏みこんでくる美由希。
それに対し、士郎は一端距離を開けようと棍を薙ぐ。
しかし、予想外に美由希の踏み込みが早く、望まぬ鍔迫り合いへと持ち込まれた。
美由希は強引に押し切らんと床を踏む脚と木剣を持つ腕に力を込め、士郎は苦渋の表情を浮かべる。

「はぁぁぁあぁぁぁぁ!!」
(ちぃっ! さすがに、体格差は如何ともし難い…か)

女性とは言え、手足の伸びきった美由希と子どもの身体の士郎では士郎の方が不利。
特にそれが、体重と筋力がものを言う力比べとなればなおの事だろう。
もっと強化を強めれば話は別かもしれないが、今の体調ではまだ無理はできない。
何より、それではこの試合の意味がないのだから。
そして、ついには力任せに押し切られる。

「…………………はっ!!」
「おっと……!?」

たたらを踏みながら数歩後ろに下がる士郎。
すぐさま体勢を立て直し構えるも、美由希はその一瞬の隙を見逃さない。

「隙あり!!」

美由希は二本の木剣を高々と振り上げ、渾身の力を込めて唐竹に振り下ろす。
無論、士郎とてその直撃をむざむざ受けるつもりはない。
回避は間に合わないが、それでも即座に棍を頭の上で水平に構え、美由希の一撃を防御する。

「りゃあぁあぁぁあぁあぁぁ!!!」
「ぐっ!?」

二人の得物が衝突した瞬間、何かの砕ける音が道場に響いた。
良く見れば、士郎の棍は中心でへし折られている。
今の美由希の一撃で折られたのだ。先の一撃には、御神流の技の一つ『徹』も織り込まれていた。
その結果、棍は受けた衝撃に耐えられずにへし折れたのだ。

とはいえ、まだ勝負は決していないとばかりに美由希は構えを解かない。
士郎の手には折れたとはいえ二本の棒がある。それも先の尖った危険な棒が。
むしろ、このほうが士郎本来のスタイルに近いと言えるだろう。
しかし、士郎はその二本の棒を放り捨てて両手を挙げて宣言した。

「勝負あり、ですね。俺の負けです」
「………………………………いいの? 士郎君、まだやれるでしょ?」
「病み上がりにこれ以上はきついですよ。正直、手が痺れて……」

そう言って、士郎は両手をプラプラさせる。
先の一撃の衝撃で、両手が痺れているのだろう。
確かに、それではこれ以上戦うのは難しい。
元々病み上がりの体でもあるし、稽古という意味ではこの辺りが頃合いだ。

もしこれが実戦だったなら話は別だったろうが、それは詮無い事。
元よりこれは、ルールを決め、互いに制限を設けて行った練習に過ぎないのだから。

「頃合いか、二人ともそろそろ休憩にするぞ!」
「あ、うん。オッケー恭ちゃん。それとありがとね、士郎君。おかげでいい練習になったよ」
「いえ、こちらこそ、おかげさまでだいぶ感覚が戻ってきました」
「それにしても、剣とか槍だけじゃなくて棍も使えるんだ。ホント器用だよねぇ」
「そうでもないですよ。俺の場合、単に槍術を応用してるだけですからね。
 まっとうな杖術や棍使いとはやっぱり違いますから」

その言葉の通り、今回の場合身に付けた槍術を応用しているだけに過ぎない。
刃物なら全般的に使える士郎だが、その手の打撃系の武器には不慣れなのである。

「でも、私や恭ちゃんは小太刀と暗器がほとんどだからね、色々使えるのは尊敬するよ」
「恐縮です。本物には遠く及ばないとはいえ、美由希さんみたいな人にそう言ってもらえると鼻が高いですよ。
こんな俺でも、あなた達の力になれる、経験を積む一助になれるんだと思うと」

美由希の言葉に、士郎は頭をかきながら照れたように応える。
士郎の技術はその大半が解析の結果として憑依経験の模倣に過ぎない。
もちろんそれらの技術を身体に沁みこませるための鍛錬は怠ってこなかったが、それでもやはりどこか自分を卑下するような印象が強い。
そして、そんな士郎の態度は美由希としては少々問題だと思う。

「う~ん、士郎君はちょっと謙遜しすぎな気がするんだけどねぇ」
「全くだ。そもそも、あらゆる技術の継承は模倣から始まる、どんなやり方でもそれらの技術はお前の血となり肉となっているんだ。なら、何も恥じる事はない。むしろ、胸を張るべきだ」
「そんなものですかね?」

美由希に続き恭也からもそうコメントされ、士郎は困ったように首を傾げる。
二人の言わんとする事はわかるのだが、元々自分の技術に誇りなど持たない性質だ。
士郎と彼らとでは、誇りの置き場所が違う。士郎の誇りは『結果』におかれるのであって、彼らの様に『自分自身』や『修得した技術』に向けられるものではないが故に。
とそこで、ようやく思考が復帰したフェイトが士郎に挨拶する。

「シロウ、その…………おはよう」
「ああ、おはようフェイト、それにシグナム。だけど、珍しい組み合わせだな」

一瞬この挨拶で適当なのかフェイトは迷ったようだったが、士郎は気にした素振りもなく応じる。
ただ、士郎の眼にはこの状況は中々珍しいと映ったようだ。
しかし、当の本人であるシグナムはそう思わなかったらしい。

「そうか? 私とテスタロッサが一緒にいるのはそう珍しくないと思うのだが」
「いや、フェイトとシグナムの組み合わせはそうでもないんだけど、お前達二人でこの場所って言うのがな」
「ああ、確かに…言われてみればそうか」

士郎の言う通り、フェイトとシグナムの二人が高町家にいると言うのはなかなかない状況だろう。
フェイトが高町家にいるのは珍しくもなんともないが、シグナムとなのはだと組合せとしてはあまりないためだ。

「しかし、だいぶ本調子になってきたようだな」
「そうでもない。今回だって体をほぐす程度だしな、美由希さんも重りをつけてたし、まだまだ本調子には程遠いよ。だから、その『以前の決着をつけよう』的な目で見るなって!」
「むぅ、そうか? 私としては、このまま有耶無耶になるのは不本意なのだが……」
(俺としては、このまま有耶無耶にしてほしいんだけどな)

シグナムの呟きに、士郎は内心でそう漏らす。
正直、あの時は手の内を知られていなかったからこそなんとかなった。
だが、今となってはあの手の奇襲も効果は薄い。
もしもう一度やり合っても、あの時ほどの接戦になるとは到底思えないのだ。
早い話が……『もう一度やっても勝てる気がしねぇ』のである。

もちろん、それはまっとうな剣での勝負になればの話なので、士郎は無理にそれで戦うは必要ない。
勝てないなら勝てないなりに、勝てるように戦い方を変えられる柔軟性が士郎の長所の一つ。
極端な話、キロ単位での遠距離狙撃に集中すればまず負けはないのだ。
近接戦にしても、『やりよう次第』と言うのが正解だろう。無論、以前に比べればはるかにやりにくいわけだが。

「で、まだなんでこの組み合わせでこの場所にいたのかの説明をしてもらってないんだが?」
「あ、そうだよね。そう言えば、まだ用件とか聞いてなかったっけ」

士郎が改めて口にした疑問に、なのはもそのあたりを聞いていなかった事を思い出した。
とはいえ、いつまでも立ち話も何なので、皆一端道場を出て縁側に移動する。
士郎は茶坊主でもしようと思ったのだが、客人と言う事で押しとどめられてしまった。
ちなみに、実は士郎(父)は翠屋から抜け出してきた身なので、『ごゆっくり』と声をかけてから店に戻っている。そうして僅かに人数の減った士郎達は、縁側で緑茶などすすりながら話の続きにとりかかった。

「えっと、シグナムとはバッタリ道端で会って……」
「ちょうど暇にしていたのでな。テスタロッサの用件にも興味があったので同伴していただけだ」
「じゃあ、フェイトちゃんの用って? 電話じゃダメだったの?」
「実は、用があったのはなのはじゃなくてシロウなんだ」
「? 俺に?」
「うん、はじめは家の方に言ったんだけど、凛にシロウはなのはの家に行ったって聞いて」
「「ああ、そういうこと(か)」」

そこでようやく合点がいったとばかりになのはと士郎は同時に手を打つ。
それなら、なぜフェイトが少し居心地悪そうにしているかも理解できる。
要は、友人の家にきておいて、その友人には用がないと言うのがバツが悪かったからなのだろう。

「それで、俺に何の用があったんだ?」
「実はね……シロウに武器の使い方を教えてほしいんだ」
「それは、普段の訓練の延長……魔法の足を引っ張らない範囲で使えるようになりたい、っていうわけじゃないんだな」
「うん。そんな片手間じゃなくて、本気でちゃんと使えるようになりたいんだ」
「まあ、早い話が、私と接近戦で渡り合えるようになりたいと言う事だ」
「その、多少語弊はあるけど……概ねそんな感じ」

シグナムのコメントに僅かに心外そうにするフェイト。
別にそれだけが理由と言うわけではない、と言いたいのだろう。
しかし、当面の目標がそれなのだから否定する事も出来ない。

そうしてフェイトの希望を聞いた士郎は、腕を組んで空を見上げて考え込む。
いったい何を悩んでいるのかフェイトには良くわからないが、答えを急かすような事はしない。
士郎の事だから、なにか理由があって悩んでいるのだろうと考えたのだ。
その点に関して、フェイトの士郎への信頼はゆるぎないものだった。
そして、数十秒ほど黙考した士郎はゆっくりとフェイトに視線を向け、出した答えを告げる。

「結論から言うと、悪いんだが断らせてもらう」
「「え!?」」
「……」

フェイトとなのはの二人は、思ってもみない士郎の言葉に驚愕し、シグナムからも険の籠った視線で睨まれる。
もちろん士郎なりにちゃんと考えた結果なのだが、これだけでは説明不足なのは明らか。
無論士郎とて、ここで終わりにするつもりはない。

「まあ、聞いてくれ。フェイトの事だから中途半端ないい加減な気持ちで言ってるんじゃないだろ」
「……うん」
「その辺は俺も疑ってない。フェイトには充分な才能があるし、意思もあるんだから特に問題はないさ。
 だから、問題なのは俺の方なんだよ」
「えっと、どういう事なの、士郎君?」
「単刀直入に言ってしまえば、俺がフェイトに教えられることなんてほとんどないんだ」

士郎は肩を竦め、溜め息交じりにそう呟く。
それはまるで、その事が残念でたまらないと言わんばかりだ。
イヤ、あるいは本当に残念に思っているのかもしれない。
そこで、それまで黙って話を聞いていたシグナムが重い口を開いた。

「………………………それは、お前のスタイルの問題か?」
「それもある。俺はフェイトみたいなスピードタイプじゃないからな」
「その口ぶりだと、それだけではなさそうだが……」
「まぁな。だがやはり、根本的な問題として俺の剣はフェイトには向かないだろう。
今シグナムが言ったようにスタイルの違いがいい例だ。
俺の剣は脚を止めた状態で使う『守りの剣』、そこからのカウンターだからな」

確かにそれは、機動力が持ち味のフェイトの長所には向かないだろう。
士郎とてそれ以外の戦法を教えられないわけではないが、彼が最も得意とするのがそのスタイルである以上、できるなら似た様なタイプの方が好ましい。
そうして士郎は、軽く首を振りながらさらに教えられない理由を説明する。

「バルディッシュは形態が斧と鎌、それに大剣だから俺でも使い方くらいは教えられる。やろうと思えばさらに形態も増やせるだろうからその辺はなんとかなるが、その先は無理だ。
 俺とフェイトじゃスタイルが違いすぎる。俺の得意とする戦術を教えても、フェイトにはあまり意味がない。
 持ち味が違いすぎて、とてもじゃないが参考にならないんだ。
いや、そもそも教えられる事自体が多くないんだよ。俺の剣に技らしい技はない。鶴翼は俺の特性があって意味がある技だしな」

スタイルが違いすぎて参考にならず、『士郎自身の技』のストックが多くない。
士郎の剣で技らしい技は士郎の特性があって初めて意味を為すものがほとんどであり、後は単なる基本技に過ぎず、わざわざ士郎から学ばねばならない類のものではないのだ。
故に、士郎には基礎部分以外の発展的な使い方の指導ができない。
しかし、シグナムはさらに疑問点を問い質す。

「だが、これまでの憑依経験とやらから得た技を教えることくらいはできるのではないか?」
「確かにそれくらいならできる。でも、結局のところそれは手札を増やしてやるだけ過ぎないだろ。
 フェイトが求めているのは、もっと先にある物だと思ってるんだが?」
「……………確かにな。技はもちろん必要だが、そこから先に進めねば意味がない。
 上辺に張り付けただけでは、張り子の虎も同然。修得した技術は高め、研ぎ澄まし、自身の中で昇華してこそ深みが出る。同じ技でも、力量が違えば威力に差が出るのは必然だ。
そして、お前はレパートリーは増やせても、力量そのものを引き上げる事が出来ない」
「そう言う事。よく『浅く広く』って言うが、俺はその典型だよ。
一つ一つの『技(スキル)』は教えられても、一つの纏まった『術(アート)』を指導し高めるには不向きだ。
正直、短期的な話ならともかく、長期的に見ると俺じゃ役者不足と言わざるを得ない」

士郎の持つ技を教えるだけならできるが、純武術的な意味で育成するには彼は不向き過ぎるのだ。
単に小手先の技術を教える事なら士郎にもできる。あるいは、全くの素人に基礎となる土台部分を身につけさせることもできるだろう。しかし、そこから先に士郎に教えられる事はない。

いや、教えられることがないと言うのは言いすぎかもしれない。
だがそれでも、フェイトほどの天賦の持ち主なら、すぐに士郎から教わることなどなくなる。
戦術や単体の技なら学ぶこともあるだろうが、士郎では修得したそれらを高めてやれない。
彼はあくまでも『技術』と言う名の『道具』の扱いが巧いだけで、優れた『技能者』ではないのだから。

言わば、技術的な意味での『深さ』が士郎には決定的に欠けているのだ。
それはつまり、『教え上手』ではあっても『指導者』としての能力には欠けていることの証左でもある。
士郎自身その自覚があるからこそ、フェイトの申し出を断ったのである。

「そっか……」

一応納得が言ったのか、フェイトは非常に残念そうにしながらもそれ以上食い下がりはしない。
基本的に誰にでも優しく頼みごとを断らない士郎が、ここまで明確に拒絶した以上芽がない事は明らか。
『できない頼み事は受けない』というのが一応士郎の方針でもあるし、そういう事なのだろう。
しかし、その代わりに士郎はある案をフェイトに提示した。

「ただ、その代わりと言っては何だが、ちょっと提案がある」
「え?」
「フェイト、御神流を学んでみる気はないか?」
「御神流って……?」
「ちょ、ちょっと士郎君、それ本気!?」
「いたって大真面目だぞ。御神の剣はどちらかと言えばスピード重視だし、フェイトとの相性も悪くない。
 それに、前々から考えてはいたんだ。俺や凛じゃフェイトに本格的な近接戦を教えられないからさ。
 俺達の方でも、恭也さん達にフェイトの近接戦の指導をしてもらおうとは考えていたんだ」

士郎の言葉の通り、フェイトと御神流の相性は決して悪くないだろう。
少なくとも、士郎の剣を学ぶよりかは遥かに意味がある。

また、連綿と受け継がれてきた技術と言うのは、ある程度は『誰にでも伝えられる』融通の良さがある。
長い時間の中で様々な人物に技術を伝えてきたことで、そう言った柔軟性が生じるのだ。
御神流の場合だいぶ使い手を選ぶが、士郎の見立てではフェイトなら十分に使いこなせる。

それに、無理に御神の剣を学ばなくても、恭也達の指導を受けるだけでもいい。
タイプ的に似た面があるからこそ、彼らから学ぶ事は多い筈だ。
士郎から様々な技術を学び、それをフェイト向けに恭也達に昇華させてもらうだけでもいい。
とにかく、教わるのなら士郎より恭也達の方がいいと言うのが、士郎達の出した結論なのだ。

「……………………」
「まあ、急いで結論を出す事じゃない。じっくり考えて、なんなら恭也さん達の練習とかも見てから決めればいいさ。一応、恭也さん達にはもう話は通してあるから、好きな時に頼んでみるといい」

なんともまあ手の早い事で、すでに根回しは済んでいるらしい。
ただ、そう語る士郎の表情には一抹の寂しさがあった。

(できるなら、俺自身の手で育ててやりたかったんだけどな。
誰かに教えるとか、伝えるとかいう事を無視してやってきたツケ…と言う事か、これは)

士郎には元々、誰かに自分が培ってきたものを伝える意思がなかった。
一代限りの、自分だけで完結する儚い剣。それが士郎の認識だった。
これもまた、士郎に指導者としての能力が欠如している原因の一つ。

「……………………………それじゃあ、少しやってみようかな」
「良いのか? もう少し悩んでも良いんだぞ」
「シロウがそこまで言うんだもん、きっと得られるものはあるんだと思う」
「信じてくれるのはありがたいんだが、思考停止されると困る」

フェイトの出した答えに、士郎は思わず渋面でそうこぼす。
実際、フェイトの信頼は一歩間違えると危うい物になりそうなものだ。
士郎としては、フェイトのそういうところが危なっかしく思えるのだろう。
とはいえ、一応フェイトがそう決めたのなら士郎に否はない。

「まあ……と言う事なんで、いいですか、恭也さん?」
「ああ、構わない。ただ、以前も言ったと思うが御神流を教える気はないぞ。
 アレは、フェイトちゃんみたいな子には不要なものだ」
「分かってますよ。俺からすればそうは思えないんですけど、恭也さん達が言うなら異論は挟みません。
 それに、もしかしたら途中で気が変わるかもしれませんしね。俺としては、そちらに期待させてもらいます」
「……好きにすればいい」

士郎のコメントに、それまで少し離れたところで茶を飲んでいた恭也が応じる。
彼としてはフェイトを鍛えるのは一向に構わないのだが、さすがに御神流を教える気はないらしい。
御神の剣は『道』とかそういうものから外れていると言うのが彼らの認識。
実際、その技術は現代的な剣術やフェイト達とは明らかに方向性を異とする、純粋な「殺人の為の技術」なのだから。故に、フェイトの様なタイプには不要だと考えているのだろう。
とそこで、横合いからシグナムが士郎に耳打ちする。

「衛宮」
「どうした?」
「先ほどの稽古を見る限り、彼らの剣はかなり実戦的だな」
「ああ。古流剣術で、戦場意識もかなり強く残ってる流派だしな。
 どちらかと言えば、剣道とかよりも俺達寄りだと思うぞ」

この場合の俺達とは、『魔導師』ではなく『魔術師』の事を指す。
あるいは、実際に戦場で人を殺してきた士郎達自身の事を指しているのかも知れない。
どちらにせよ、それはシグナムが求めているものに限りなく近い筈だ。

「そうか………………確か、恭也だったな」
「はい。なのはがいつもお世話になっているそうですね」
「いや、私などは何もしていない。むしろ、私の方が世話になったくらいだ。
 だが、好意に甘えてもいいのであれば一つ頼みごとをしたい」
「…………」
「初対面の相手にこんな事を頼むのは非常に不躾であると自覚している。
だが非礼を承知で頼みたい、良ければ手合わせ願えないか?」

その言葉に、フェイトやなのはは驚きの表情を浮かべる。
ただし、士郎はなんとなくこういう流れを予想していたのだろう。
顔に手を当て、「あちゃあ」という声が漏れている。
どちらもバトルマニア気質なだけに、二人が出会えばこうなる事は目に見えていたのだ。
結局は遅いか早いか程度の差でしか無かろうが、それでも士郎としては溜め息の一つでもつきたい気分だった。

「それは、俺もかまいません。勘ですが、あなたはきっととても強いのでしょう」
「光栄だな。私の勘でも、あなたはかなり腕が立つようだ。一剣士として、是非とも刃を交えてみたい」
(いや、もうそれ勘じゃなくて確信ですよね?)

二人から醸し出される妙な空気にのまれ、誰もが口をつぐんでいる中、士郎は内心でそうツッコム。
実際問題として、この二人なら相手の大雑把な力量を測るくらいわけはない。
魔法抜きと言う条件で戦えば、それこそシグナムでも不覚をとっても不思議はないのだから。

「では、今からでも……」
「そうですね、道場……では手狭になりそうだ。庭でやりましょうか」
「やめような、シグナム。別にやり合うなとまでは言わないが、いくらなんでも唐突すぎだ。
 大体、今の自分の立場を考えろ。一般人と真剣でやり合うのはさすがに不味い!」
「そうだよ恭ちゃん、確かにシグナムさんは強そうだけど、なんか複雑な事情があるみたいだし!」
「「………………………仕方がない」」

士郎と美由希の必死の説得により、なんとか渋々剣を引っ込める恭也とシグナム。
正直、この二人がやり合えば文字どおりの意味で血戦や死闘になりかねない。
それを理解しているからこそ、二人は必死で止めたのだ。
特にシグナムの場合、保護観察下にある身でもあるしあまり派手な行動は控えるべきである。

「まあ、残念ではありますが、手合わせはまたの機会と言う事で」
「すまんな、折角の機会をこちらの事情で潰してしまった」
「いえ、お気になさらないでください。多分、この先も機会はあるでしょう。
しかし、お前達の周りは飽きなくていいな、士郎」
「ほっといてください。騒がしくしている原因の一つはあなたにあるんですからね」
「そもそもお前がそう言ったものに好かれる体質なんだ、諦めろ」

うなだれる士郎に対し、恭也は実に的を射た意見を投げかける。
それがあまりにも正論な気がして、士郎の背負う影はますます暗く重くなるのだった。
とりあえず、これでシグナムの不満は解消されるのだからいいのだろう。
ただし、確実にその度に流血沙汰になると言う確信を抱く士郎なのだった。
とそこで、恭也にしては珍しい単語が彼の口からこぼれる。

「ところで、話は変わるがフェイトちゃんの事は確かに引き受けた。約束通り、謝礼の方は頼むぞ」
「ええ、もちろんですよ」

どうやら、この件に関してフェイトの指導をする代わりに見返りを貰う手筈になっていたらしい。
そんな事とはつゆ知らなかったフェイトは、大慌てで士郎に問いただす。

「し、シロウ! それ、ホントなの!?」
「ん? ああ、頼みごとをするんだから礼をするのは当然だろ」
「で、でもそれならわたしが自分で払うから……!」
「大丈夫だ、謝礼と言ってもそう大したものじゃない」

慌てるフェイトに対し、士郎はどこまでも冷静に応じる。
謝礼の内容がどんなものかまでは分からないが、フェイトとしては自分の為にそこまで骨を折ってもらうのは申し訳なくてたまらないのだろう。
そこで、謝礼の内容が気になったのかシグナムが問う。

「ところで、なんなのだ、その謝礼と言うのは」
「だから、大したものじゃないって。恭也さんの小太刀にちょっと手を加えるだけだ」
「……………それは、魔術的な物か?」
「ああ、俺達以外に魔術師はいない事もわかったし、相手が恭也さんならそこまで目くじら立てる事でもないしな。俺としても、面白い物を作らせてもらえそうだし悪い話じゃない」
(まあ奴の属性は“剣”だからな。刀剣類に細工を施すくらいはできても不思議はないか……)

そう結論し、一人納得するシグナム。
しかしそれは正しくない。と言うか、そもそも恭也の小太刀事体が士郎の鍛えた業物である。

だが、シグナムはそれを知らない。
故に、士郎が恭也の小太刀に何かしらの細工をすると考えたのだ。
とそこへ美由希が喜色満面の様子で首を突っ込んでくる。

「それならさ、今度は私の小太刀も作ってくれないかな!」
「ダメだ」
「なんで!? 恭ちゃんばっかりずるい!! 私も士郎君が鍛った小太刀が欲しいんだよ!!」
「あのな、身の丈にあった武器と言うものがあるんだ。士郎の剣は確かに業物だが、俺達がそれにふさわしくなければ意味がない。武器に頼っているようでは武器使いとしてはまだまだ未熟だ」
「恭ちゃんは士郎君の小太刀持ってるのに?」
「だからこそ極力使わないようにしている。アレは、まだ俺には荷が重い」
「なのに手を加えてもらうの?」
「別に今すぐというわけじゃない。俺がそれにふさわしい剣士になった時、手を加えてもらおうと思っているだけだ。お前も欲しいのなら、腕を磨いてそれにふさわしい実力を身につけろ」

創る本人である士郎そっちのけで言い争う兄妹。
とはいえ、恭也の言っている事も実にもっともだ。
優れた武器を持てばその分強くなれるだろうが、それは本人が強くなったわけではない。
士郎の創る剣にはそれだけの力があるからこそ、使い手もまたそれにふさわしい力量が求められるのだ。
だが、割と武器の力に頼っていると言えなくもない士郎としては、恭也の言葉は実に耳に痛いのだが。

しかし、シグナムにとってはそれどころではない。
確かに士郎の属性は知っていたし、彼が剣を投影する事を得意とする事も知っている。
だがまさか、実際に刀を鍛つ事が出来るとは思っていなかっただけに、その驚きはただ事ではない。

「お前、そんな事も出来たのか?」
「あれ? 言ってなかったか?」
「聞いていないぞ!!」

小首を傾げる士郎に怒鳴るシグナム。
いつの間にかすっかり置いてけぼりを食ってしまったなのはとフェイトは、自分達そっちのけでヒートアップする二組を茫然と傍観する事しかできていない。
しかし、そんな事全く気にしていないシグナムは士郎にさらに詰め寄る。

「なら、剣の整備もできるな」
「ま、まあ……」
「……………………よし。それなら、お前の鍛えた剣を見せろ」
「いきなりいったい何なんだ?」
「良いから見せろ、話はそれからだ」

士郎の声音は困惑に満ちているが、シグナムの目はやや…いや、かなり据わっている。
宝具を主武装として使う士郎が鍛えた剣、これだけでも期待が高まると言うのに、士郎は大抵の武器から製造工程を読み取ることができる能力を持つ。
その意味するところは、投影以外での宝具の再現だ。さすがにそこまでは士郎でもできないし、シグナムも期待はしていまい。
だがそれでも、鍛冶師としてこれほどチートな能力を持つ士郎が鍛えた剣なのだから、期待するなと言う方が無理な話なのである。

とはいえ、士郎としては何が何やら状況が良くわからない。
ただ、シグナムから放たれる妙な圧力に押され、仕方がなく彼は一振りの剣を投影しシグナムに渡した。

「と、とりあえずこんなところでどうだ?」
「……ふむ」

鞘におさめられた剣を、シグナムはひったくるように受け取り即座に抜き放つ。
そこから現れたのは、陽光を受けまるで濡れているかのようにしっとりとした輝きを放つ、朴訥な西洋剣だった。
それを見て、剣には疎いフェイトやなのはも感嘆のため息をつく。

「「ふわぁ、キレイ……」」
「うぅ、やっぱり良いなぁ……私も欲しいよぉ」
「そんな物欲しそうにするな、意地汚い」
「だってだってぇ、あんな綺麗なんだよぉ!
 頬ずりして一緒にお風呂に入って、抱いて寝て、一日中眺めてたって飽きないよ!!」
「とりあえず、それは明らかに危ない人だな」

割と刀剣マニアな美由希は、口論していた事も忘れてシグナムの持つ剣を食い入るように見つめている。
彼女の本分は剣ではなく刀だが、それでもやはり通じるものがあるのか見つめる瞳は非常に熱心だ。
いや、いっそその熱は病的と言ってもいいかもしれない。
そんな妹に恭也は深いため息をつくが、横目で士郎が最近鍛えたであろう剣を見て『また腕を上げたか』と内心で高揚していたりする。早い話が、似たもの兄妹と言う事だ。

「…………………………見事だな、まさかこれほどとは……」
「まあ、俺は色々反則してるからな。
製造方法って言うのは本来門外不出だが、俺に限ってはそれは意味がないし」
「技術を盗む事の何を恥じる。盗む事も含めてお前の実力だろう。
 なにより、盗んだ技術を活かせないのであれば宝の持ち腐れだが、お前はそれを見事に活かしきっている。
 いや、それどころか更に独自の創意工夫もしているな」
「分かるのか?」
「ああ。と言っても、半ば以上勘だがな。なんとなくそんな気がしたが、やはりか」

それで満足したのか、シグナムは剣を再度鞘に戻して士郎に返す。
後ろからのぞいていた美由希は名残惜しそうにしているが、仕方なく諦めたらしい。
しかしそこで、士郎は更なる爆弾を無意識で放り込む。

「まあ、アレはまだ未完成なんだがな」
「なに!?」
「ちょ、士郎君、本当なの!!」
「だってアレ、すごくキレイだったのに……!」
「別に綺麗だから完成と言うわけでもないだろ。綺麗なだけなら宝石でいい、剣や刀は切れてこそだ。
 もちろん切れ味には自信があるけど、俺が鍛える剣としてならあれはまだ不完全だよ。
 まあ、それを言うと恭也さんに鍛った小太刀もそうなんだが……」

顎に指をやり、思えい返すように呟く士郎。
それに対し、シグナムのまゆがつり上がる。

「お前は、未完成な品を世に放つと言うのか?」
「言わんとする事はわかるつもりだが、さすがにホイホイと魔剣を外に出すわけにもいかないだろ?」
「魔剣? どういう事だ」
「あのな、俺は魔術師であって鍛冶師じゃないんだぞ。俺が鍛えた剣がまっとうなものの筈がないだろ。
 魔術師が鍛える剣って言えば、当然魔剣と相場が決まってる。とはいえ、無闇に世に出すわけにもいかないから、基本的に魔術的な施術をしないでおいているんだがな」

頭をかきながら困ったように士郎は説明し、それを聞きようやくシグナム達も合点がいったのか納得の表情を浮かべる。
その事についてはかつて説明を受けていた恭也や美由希に関しては、特に驚いたりはしない。
ただ、これだけの業物でも未完成であると言う事実だけは、いつまでも慣れないわけだが。

「もしや、先ほど言っていた手を加えると言うのは……」
「ええ、俺がそれにふさわしい使い手になった時は、こいつを完成させてもらう事になってるんです」

そう言って恭也が握るのは、かつて士郎が鍛えた小太刀だ。
魔力を持たない恭也だが、それならそれで小太刀の方に工夫をすればいいだけの話に過ぎない。
実際、士郎としても魔力を持たない人間向けの魔剣と言うテーマは面白いと思っているのだ。

そこで、シグナムは再度口を閉ざして黙考する。
何を考えているのか余人にはよくわからない。
だが、シグナムは唐突に顔をあげ士郎に頭を下げた。

「頼む、衛宮! レヴァンティンを鍛え直してくれ!!」
「は?」

あまりに脈絡のないその頼みに、士郎は間抜けな返事を返す事しかできなかった。






あとがき

さて、A’s編最初の外伝でございます。
何やら中途半端なところで切れていますが、実はこれ次の「外伝その8」に続くのですよ。
今回はあくまでフェイトとシグナムのこの時点での状況なんかに触れ、次回で主に鍛冶師としての士郎の状況に触れる事になりますね。

それと、アームドデバイスの整備に職人が必要、みたいなところは私の独断と偏見です。
個人的にはどこまで言っても繊細な技術で機械が人間に追いつくのは難しいと思いますし、アームドデバイス何てモロに武器としての性能が求められると思うんですよ。
となると、それ専門の技術者などがいても不思議じゃないんじゃないなぁと。
そんな作者自身にもよくわからない迷走の果て、今回のお話が出来上がりましたとさ!

ホントは一話で終わらせるつもりだったんですが、いつの間にか長くなり二話に分ける事になりましたけどね。
まあ、いつもの事いつもの事。私のこの辺は一向に進歩しないのです。
いや、前回「次の次で第二部ラスト」何て言っておいて、思いっきり嘘になってしまったのはホントもうわけない限りです。思わせぶりな事を書いて、誠に申し訳ございませんでした。
出来るなら、今後ともお見捨てなきようお願い申し上げるのみです。



[4610] 外伝その8「剣製Ⅱ」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2011/07/31 15:38

SIDE-ヴィータ

まあ、なんだ。
別によ、上機嫌な事をとやかく言う気はねぇ。
ほんの数時間前までちょっと沈んでた事を思えば、表情が晴れやかになって帰って来た事は喜ばしいと思う。
イマイチ理由がわかんねぇけど。

ただ、うちのリーダーはあんまそういう意味での感情の起伏が大きくない。
正確には、感情の浮き沈みをあまり表に出さないと言った方がいいか?
気落ちしている時もそれを悟られないように仏頂面だし、嬉しい時もほんのちょっと口角が上がるくらいが精々。

なのに、ちょっと見ないうちに掌を返したように浮足立っているのを見た時は、悪い夢でも見てるんじゃないかと思った。
それは多分、あたしに限らず付き合いの長いザフィーラやシャマルも似たようなもんだろう。
実際、お互い思いっきり頬をつねり合ってこれが夢じゃない事を確認したしな。
だけど、だからこそ目の前の不可解極まりねぇ事態が現実であることを認めざるを得ない。

いやまぁ、気落ちしたまんまでもそれはそれで困るし心配なんだけどな。
それに比べれば、こうして機嫌を直してくれているのは、やっぱり喜ぶべきなんだろう。
はやてやアイリも、事情が呑み込めないなりに安心してたみたいだし。
でもよぉ、はっきり言っちまうと…………………アレは気色悪ぃと思うんだわ。

「ふ、ふふ…………ふふふふふふ♪」

何がそんなに楽しいのか、あるいは嬉しいのかしらねぇが、唐突に笑みを零すのはやめてほしい。
しかも、なんか逝っちゃったような感じに漏れる笑い声とか、空を見上げてニヤけるのとかマジでキモイ。
少なくとも、うちのリーダーのキャラじゃねぇ!
ずいぶん長い付き合いだけど、あんなシグナム見たことねぇぞ。

「なぁシャマル、お前変なモンでも食わせたんじゃねぇよな?」
「ああ! ひっどぉ~~~いヴィータちゃん!
 私の愛情の詰まったお料理を食べて、どうしたらああなるのよ!」
「愛情以外にも、心身に有害な成分が含まれているからではないか?
 シグナムのあの表情を見るに、充分あり得る可能性だと思うが」
「じゃあ、ザフィーラとヴィータちゃんで実験してみましょう。ここに偶然、今日私が作った卵焼きが」
「「人体実験は自分でやれ!」」
「ぶぅ~~~…………実験じゃないわよぉ」

つーかよ、どこの世界に白身がパステルグリーン、黄身がピンクな卵焼きがあるんだよ。
どこからどー見ても致死毒物にしか見えねぇっての。
あれ、ホントに鶏の卵から作ったのか? どっかの無人世界の良くわかんねぇ生き物の卵とかじゃねぇのか?
相変わらず、どうしてこいつが料理をすると謎のケミカル物質ができちまうんだか……。
士郎の奴に色々習ってる筈なのに……むしろ、こんな奴に教えなきゃならねぇアイツに同情する。
こいつ、医務官とか料理人よりも暗殺者とか科学者にでもなった方がいいんじゃね?
でも、あんなもん食えば確かにシグナムがおかしくなっちまった事も納得がいくんだよなぁ。

「せやけど、ほんまにシグナムはどないしたんやろか?」
「そうねぇ。何て言うか、新しい玩具を待ちかねてる子どもみたい」
「「「いや、どう考えてもシグナムのキャラじゃない」」」

守護騎士三人で、アイリのコメントにツッコミを入れる。
正直言ってよぉ、シグナムがそんな子どもみたいなリアクションを取るなんてありえねぇって。
そんな事が起こったらアレだ、明日は雨とか雪の代わりに隕石が降る、世界の終末レベルで。

「夕食もどこか上の空だったもんねぇ」
「お箸、逆さまに持ってましたよね」
「つーか、皿かじってたぞあいつ」
「危うく尻尾を食われるところだった……」

なんだ、気にすんなってザフィーラ。
尻尾の毛もそのうちまた生え揃うって、だから泣くな。

「……………重症やね」
「「「「重症(だ・だわ・です)」」」」

満場一致、その点についてはだれも異論を挟まない。
まさか、シグナムのそんな間抜けな様子を見る日が来るとは思わなかった。
いつものあたしなら、これをネタにからかったり小言を封じる切り札にしたと思う。

でも、そんな気がなくなるくらい今日のシグナムは異常だ。
早いとこなんとかしねぇと、あたしらの精神衛生上不味い。
将がフヌケちまってると、あたしらの沽券にもかかわるしな。
しゃーねぇ、ここは餌で釣ってみるか。

「お~い、シグナム。そろそろおめぇの好きな大河ドラマの時間だぞぉ」

シグナムは時代劇が大好きだ、近所のじーちゃん並に。
ついでに言うと、ヨーロッパ方面の中世の話とかも大好きだ。
早い話、騎士とか侍が出てくるなら大抵のものが好きなだけなんだけどな。

そして、とにかく『忠義』とか『士道・騎士道』って言葉にめっぽう弱い。
特に忠臣蔵とか新撰組、あとは白虎隊とか見た時には、なんか色々影響受けて変になってたしな。口調とか態度とか。
ああ、そう言えばあの時もひいたなぁ……待てよ、結構シグナムって変になりやすい気がしてきたぞ……。

そう言えば、『義賊』や『市井に紛れる』とかの設定も大好きだもんな。
鼠小僧や水戸黄門、必殺仕事人、遠山の金さん何て出てくる俳優全部暗唱できたし。

いや、今はそれは置いとこう。
とにかくあの大河ドラマは今のシグナムの大のお気に入り。
どんな事があろうと決して見逃さず、蒐集してた時でもちゃっかり録画してたくらいに。
こいつを出せばいくらシグナムがおかしくなってたって……そう思ってた時期があたしにもあった。

「ああ、そうか……………………………今日はいい。気分が乗らんのだ」
『っ!!!???』

その言葉があたしらに与えた衝撃は計り知れない。
あの、あのシグナムが!
もうマニアとかを通り越してオタクの領域に足を踏み入れてそうなシグナムが『気分が乗らない』だと!?

「しゅ~~ご~~~!!」

はやての号令により、即座に居間の隅に集まる一同。
お互いに膝を抱えて屈みこみ、額を突き合わせての緊急家族会議が開催された。
しかし、シグナムはそんな事も気付かない様で相変わらずテラスでニタニタしてる。やっぱり気色悪い。

「どない思う、今の」
「ありえねぇだろ、“あの”シグナムがあのドラマを自分から見逃すなんて!」
「ですよね、ヴィータちゃんと番組争いになった時、物凄く大人げない手段を使ってまで固執してたのに……」
「うむ、アレは守護騎士云々以前に、そもそも人としてどうか。
まあ、アレに引っかかるヴィータもヴィータだが……」
「うっせぇな! しょ、しょうがねぇだろ! いきなり『庭にヒマラヤ級の特大アイス二十段重ねが!?』とか言われたら、そりゃそっち見るだろ!! ヒマラヤだぞ、ヒマラヤ! それも二十段!!」
((((いや、きっと誰も見ないと思う))))

あたしの必死の弁解に、誰もが声にこそ出さないがそう言いたそうな顔をしている。
ちなみに、その際の番組争いは平和的解決を望むはやての提案により「叩いて被ってじゃんけんポン」で行われた。無論、参加者があたしらなんだから、無駄に高度な応酬があった事は否定しねぇけどよ。
そこでシグナムが切った切り札が、今言った通りのあまりに姑息な策。
そして、まんまと騙されたあたしはよそ見をしている隙に頭を叩かれてあえなく敗北。
あたしの中でも、特に屈辱にまみれた敗北の記憶だ。

「でも、アレは本当に重症ねぇ……どうしようかしら?」

あのよ、ホントにアイリは状況を理解してんのか?
そんなのほほ~んとした口調で言われても、全然そうとは感じられねぇんだけどよ。
強権を振り回す独裁者ではあるんだけど、根本的にぽやぽやっとした世間知らずないいとこのお嬢だからなぁ、アイリって。とはいえ、ザフィーラはもうその辺に突っ込む気もねぇらしい。

「ここは、気つけにシャマルの必殺技(料理)でも口に押し込むか」
「そうだな、ショック療法ってのはありだと思うぜ」
「人の料理をなんだと思ってるんですか!?」
「アレやな、食べた瞬間に目とか口から光が出てくる感じ」
「それは、違った意味で危険だと思うんだけど……」

あたしとザフィーラだけじゃなく、はやてまで加わってのコメントに苦笑いを浮かべるアイリ。
だけど、結構的を射てると思うんだわ。
シャマルに限れば、アイツのそれは「必殺技と書いて料理と読む」くらいでちょうどいいと思う。
でも、さすがにちょっと反省する点がなくもない。あたしらも動揺してたんだ。

「………………………確かに軽率だったか」
「だな、いくらなんでも言っていい事と悪い事があった」
「そうです、ちゃんと謝ってくれれば私だってそこまで目くじら立てたりは……」
「気つけどころか地獄に落としちまったんじゃシャレにならねぇ」
「まったくだ、我らもどうかしていたな。そんな危険な賭けに出るなど……」
「シャマル、そんな泣かんでぇな。ちょっとしたジョークやないか」
「違います、アレは本気と書いてマジと読む目です!」

部屋の隅でさめざめと泣くシャマル。
実際に割と危険物なんだから、おめぇにそんな強く否定する権利はねぇと思うぞ。

「しょうがないわね、みんな心当たりがないみたいだし……」
「なんかいい案があるん? アイリ」
「案と言うほどのものでもないけど、とりあえず直接聞いてみようと思って」
「「「「おお!?」」」」
「みんな、そんな初歩的な事を忘れてたの?」

アレだ、基本的すぎて盲点だったんだわ。
いや、割と悪乗りしてた面がないわけじゃねぇけど。

とりあえず、あたしらを代表して発案者のアイリがシグナムの方に向かう。
そこで尋ねてみたところ、シグナムはむしろ「待ってました」とばかりに今日の事をまくしたててくれた。



外伝その8「剣製Ⅱ」



時は遡って高町家。
唐突なシグナムの申し出に、とりあえず士郎はその訳を聞いた。
聞いてみれば「ああ、なるほど」と誰もが納得するような内容。

まあ、正確にいえば「整備」と言った方が正しいのだが。
とにかく、それに対する士郎の回答はというと……。

「まあ、それくらいなら別にいいけど……」
「そうか。すまんな、恩に着る。代金は払うが懐に優しいと、その…………助かる」
「別にいいって。身内から金を取る気はないよ…って言うと凛は怒るだろうけど、初回サービスって事にしておいてくれ。ところで、やっぱり早めに仕上げた方がいいか?」
「……そうだな、しばらくは局からの仕事も入っていないし、当面は大丈夫だろう。
ちなみに、やるとしてどれくらいかかる?」
「レヴァンティンの状態にもよるが、どれだけこだわっても半月中には」
「それなら問題ない。できる限りこだわってやってくれ」

士郎の問いに今後のスケジュールを思い返していたシグナムだったが、すぐに答えは出た。
急ぎの仕事もない身なので、その間に仕上げてもらうことにしたらしい。

「なら、善は急げか。さっそくで悪いんだが、レヴァンティンを貸してくれ。
 このままひとっ走り、工房まで行ってこようかと思う」

士郎の申し出に、シグナムは少々顎に指をやって思案しだす。
シグナムの性格からして即答するだろうと思っていたのだろう、士郎は意外そうに首をひねった。
そしてその口から出たのは、士郎にとってはちょっと意外な頼み。

「………………………迷惑でなければ、私も同行させてもらっていいか?」
「別にいいけど…凛の工房と違って面白いものなんてないぞ」
「いや、私にとっては充分興味深い。アルテミスの時は状況が状況だったからな、中の様子を詳しく見る余裕もなかったが、お前が剣を鍛えると言うのなら他の作品も見てみたい」

とはいえ、本来魔術師の工房がどんなものかはアイリから聞き及んでいるのだろう。
その表情からは「無理にとは言わないが」と言う配慮が読み取れた。

だが、それは取り越し苦労に過ぎない。
まっとうな魔術師なら確かに工房の中など公開する筈はないが、相手は士郎だ。
この男に限れば、工房の中身を知り合いに公開する程度は何とも思っていない。
まあ、はっきりと口にすれば後で凛の小言が待っているだろうが。

「分かった、別に見られて困る物があるわけでもないしな。勝手に持ち出さないでくれるなら、だけど」
「安心しろ、盗人の様な真似をする気はない」
「その辺は疑っていないよ。
だけど……そうだな、しばらくレヴァンティンがないわけだし、代わりに好きなやつを持って行ってもらっていいぞ。忍さんに工房を用意してもらって以来、結構いろいろ作ってるからさ」
「すまん、好意に甘えさせてもらう。さすがに、手元に剣がないのはどうも落ち着かなくてな」

まずないとは思うが、レヴァンティンを整備している間に荒事に巻き込まれる可能性は絶無ではない。
どれだけ平穏に身を浸していようと、過去においては平穏が乱されてこなかったとしても、それは今後を保証する材料にはなりえないのだから。

「なんなら、気にいったやつがあれば買ってもらってもいいぞ」
「魅力的な提案だが……浮気をするとレヴァンティンが拗ねる。遠慮させてもらおう」

悪戯っぽく提案する士郎に、シグナムもまた冗談で応じる。
実際、士郎の言はシグナムとしても魅力的なのだが、愛着のある相棒を蔑ろにするつもりなど元からない。
まあ、ちょっとしたコレクションとして揃えてみたいとは思うわけだが……それではやはり本末転倒だろう。
道具は使われてこそ、ただの飾りにされてしまっては折角産まれてきた彼らがかわいそうと言うものだ。

そうして二人は、さっそく月村家に向かうべく恭也達に挨拶して門の方に向かうのだった。



  *  *  *  *  *



場所は変わって月村家の庭の隅。そこに立つ、一件のやや小ぶりな二階建ての小屋。
外見的には、和風の様相が強い……と言うよりも、土蔵や蔵と言った方が近いかもしれない。
そこに向けて、五人の男女が連れ立って歩いていた。

だが、本来は士郎とシグナムの二人だけの筈だ。
残りの三人が誰かと言えば……

「そう言えば、わたしも士郎君の工房ってちゃんとは見たことないんだよね。
 凛ちゃんのところもだけど……」
「え? なのはも見たことないの?」
「『人に見せるものじゃない』って言って入れてくれないんだもん、凛ちゃん」
「うぅ~、楽しみだなぁ……ちょろまかしたりできないかな?」

フェイトとなのは、そして美由希である。
フェイトとなのはが同行している理由は簡単。単純に士郎の工房に興味があるのだ。
美由希の場合はもっと興味の対象が限定的で、シグナム同様士郎の作品に釣られて付いてきたというべきか。
そして、士郎はなのはの呟きに一応魔術師としての一般論を口にする。

「それがまっとうな魔術師のあり方だ。俺みたいなのが珍しいんだから、勘違いするなよ」
「「はぁ~い」」
(まるで、遠足の引率をする教師だな)

溜め息交じりに注意する士郎に、内心でシグナムはそんな感想を抱く。
それはきっと、ウキウキワクワクが止まらないフェイトとなのはの様子も原因だろう。
しかし、傍から見れば彼女も十分落ち着きなくソワソワしている。
美由希にも言える事だが、二人とも士郎の造った剣に興味津々なのだ。

「さて、たいしたもてなしもできないけど入ってくれ」

そう言って、士郎は工房の戸をあける。内部は大きく二つの区画に分けられていた。
一方は土間となっており、鉄を熱する為の炉や刃を鍛える鍛床が備え付けられ、壁には素人には用途不明の道具が整然と並べられている。素人にわかる範囲では、槌と鋏に似た形状の道具と言う程度か。あとは、炉にくべるのであろう薪が大量に壁際に積み上げられていた。
もう一方には畳が敷かれ、ちゃぶ台や座布団、食器棚がある。他にも、中心には囲炉裏があり、炊事場や二階への階段などまで完備していた。おそらく、こちらが居住空間になっているのだろう。

閑話休題。
そこでフェイト達はある事を思い返す。
そう言えば、はじめアルテミスが安置してあったのもこの土間だった。
しかし同時に気付く。ここが鍛冶場である事は疑いようもないが、それにしては足りないものがあるのだ。
それは……

「武器が見当たらんな。外観から察するに、二階のスペースはたかが知れているが……そこか?」
「いや、二階は押し入れと机にちょっとした本棚くらいしかないぞ。押し入れの中も布団しかないし」
「つまり、そこで寝泊まりするわけか……。しかし、それではどこに保管しているのだ?」
「ああ、さすがにその辺に立てかけておくわけにもいかないしな。こっちだ」

疑問を口にするシグナムに対し、士郎は唐突に畳のうちの一つをはがす。
さらに、その下に敷き詰められていた木の板を一枚一枚はがしていくと、そこには……

「隠し階段か………また手の込んだものを」
「うわぁ…………これじゃ忍者屋敷だよ」

あまりに念のいった隠しっぷりに、さしものシグナムと美由希も呆れている。
フェイトとなのはに至っては、『そこまでやるか』と絶句する始末。
士郎としてもそういう反応は予想していたのか、少し居心地悪そうに頭をかき、蝋燭を手に階段を下りて行く。
四人は、そんな士郎を追って人一人がやっと通れるくらいの階段に踏み出した。
そうして蝋燭の明かりを頼りに降りて行く中、美由希がある事に気付いた。

「なんか、妙にごつごつしていると言うか……外に比べて手作り感がすごいんだけど」
「そりゃあ、俺が掘ったんですから当然ですよ」
「へぇ、士郎君が掘ったんだぁ…………ん?」

あまりにもさりげなく士郎が口にするものだから、思わずうなずきかける美由希。
だが、すぐさまその意味を悟り四人はそろって驚愕の声を上げる。

「「「「掘ったぁ!!!」」」」
「ええ、まあ。一応忍さんには許可を取りましたよ」

元々、忍が用意したのは外から見える範囲と内装まで。
地下室など彼女は一切手をつけていない。
つまり、今士郎達がいるこの地下空間は後から士郎が自分で作ったものなのだ。
まあ、隠し部屋などあの外見では地下に造るしかなさそうだし、仕方がないと言えばそれまでだが。

「ねぇ、士郎君。崩れたり………しないよね?」
「いや、地盤があまり強くないみたいでな。掘ってる最中にも何度か落盤を……」

なのはの質問に、素っ気なく返答する士郎。
だが、その答えはなのはとフェイトの肝を冷やすには十分すぎる。
この上にあるのは、小ぶりとはいえ一軒の建築物。
そんな物が落盤と一緒に降ってきたらと思うと、正直ゾッとする。というか、今すぐ逃げたい。

「ごめんね、士郎君! わたし、やっぱり外で待ってる!」
「あ、待ってなのは!?」
「まあ、待て。折角だから下の様子も見て行くといい」

即座に逃げ出そうとするなのはとフェイトだったが、いつの間にか投影していた鎖で拘束される。
小学生の少女を鎖で拘束すると言うと何やらいけない雰囲気満々だが、正直色気の欠片もない縛り方だ。
この際なので、亀甲縛りを慣行する程度の気配りが欲しいものである。

それはともかく。
そうして二人はやむなく士郎に囚人の如く連行されるのだった。

「さて、ここだ」
「だいぶ深いな。三階分くらいは降りたのではないか?」
「なんというか、掘ってるうちに興が乗ってな。ついつい掘り過ぎた」

そんな士郎のコメントに、思わず内心で「おいおい」とつっこむ面々。
これで士郎は割と凝り性なので分からなくもないが、それにしても限度と言うものがあるだろうに。

というか、深く掘り過ぎてほとんど外の明かりだって届いちゃいない。
今は士郎が持つ蝋燭の明かりで辛うじて足元くらいは見えるが、1m先の視界さえ危ういのである。
当然、美由希としては早めに明かりをなんとかしてほしいと思うわけで……。

「でもさ士郎君、蝋燭の明かりだけだとほとんど何にも見えないんだけど」
「あ、すみません。今明りをつけますね」

士郎がそう言うと、「パチン」と何かのスイッチが入る音がする。
すると、一瞬天井が軽く明滅し、その後天井から放たれる裸電球の光が辺りを照らしだした。

「ねぇ士郎君、もしかしてここの配線も?」
「ああ、俺がやった」
「蝋燭の明かりだけで?」
「いや、俺だけなら別に蝋燭もいらないんだけどな……凛に『見えるか!?』と怒鳴られた」
((((フクロウ、あるいはネコ?))))

夜目の利く動物となると、まあ、真っ先に思いつくのはこの辺りか。
士郎の場合、視力を強化することで普通人にとっては真っ暗闇の様な空間でも、割とよく見えてしまうのだ。
実際、彼がこの地下室を造った時や降りて来る時は蝋燭すら使っていない。

「さて、一応これがこの半年の成果だな。
まあ、いくつかは忍さんに捌いてもらったから全部じゃないけど……どうした?」
「にゃはは、まだ目が慣れなくて……」
「うぅ、目がチカチカするよぉ……」

なのはとフェイトの二人は、どうやら暗い空間に目が慣れてしまい電灯の光に戸惑っているらしい。
美由希やシグナムなどは、こういった環境変化にまだ慣れているのか、あまり動じた様子はない。
と言うよりも、単純に壁に立てかけられているいくつかの刀剣に目を奪われていると言った方が正しいか。

「…………………………私、今日からここに住む」
「いやいや、いきなり何を口走ってるんですか、美由希さん」
「いかんな、試し斬りをしたくてウズウズするぞ……」
「シグナムは怖い事を口走るな!!」

連れてきて早々、士郎は自分の選択を『失敗したかなぁ』と後悔していた。
滅多にお目にかかれないレベルの業物に囲まれて、半ば錯乱気味の美由希。
何気なく手に取った刀に魅せられたのか、瞳の奥に危険な光を宿すシグナム。
まあ、士郎でなくてもこんな危険人物達を連れてきたのは失敗だったと思うだろう。

「はぁ…………ところで、フェイト達はどうだ? そろそろ目も慣れてきたと思うんだが」
「あ、うん。わたしはもう大丈夫。なのはは?」
「うん、わたしもだいぶ平気になってきたよ」
「そうか。だが、お前達にはやっぱりつまらないだろ」

確かに、美由希の様な例外でもない限り年頃の娘にこのような空間が面白い筈がない。
壁も天井も、床に至るまでほとんどむき出しの地面。
一応木材で補強はしているようだが、どちらかと言えば危うさの方が先立つ空間だ。
当然飾り気などある筈もなく、どこの炭鉱だと言わんばかりに天井からつるされる裸電球。
壁を埋め尽くす……とは到底言えず、まばらに刀や剣が安置されている。

圧巻と呼ぶには数が足りず、魅了されるほど見せ方に工夫はされていない。
少なくとも、刀剣類にあまり明るくない人間には「なんだこりゃ?」と思われるような空間だ。
しかし、実のところこの二人も大概例外だったりするのだ。

「そんなことないよ! わたし、刀とかの事は良くわかんないけど、これ何てホントに綺麗だもん」

そう言ってなのはが指差したのは、実はこの中でも指折りの一振り。
士郎としても、なかなかに上手く出来たと割と満足している一品だ。
恐らく過去を振り返っても、士郎が鍛えた剣の中ではトップテンに入るであろう。
ここには十程度しかないとはいえ、その中から迷わずそれを選ぶとは……。

(……考えてみれば、なのは自身は剣術をやってなかったとはいえ、身近に恭也さん達がいたんだもんな。
 それは、本人が気付かないうちに審美眼くらい身についても不思議はないか)

実際問題として、高町家の面々が持つ小太刀は名品揃いだ。
使いつぶす事を前提とした練習刀はともかく、彼らが主武装とする小太刀は士郎(父)自ら選び抜いたもの。
稀代の剣士であった彼が厳選したのだから、当然生半可なものである筈がない。
なのはも、幼少期から自然とそう言った物を見る機会もあった。
おかげで、本人に自覚はないが彼女の刃物を見る目は確かなのである。

「うんうん、私たちの教育の成果だよ」
「まあ、確かにその通りなんでしょうね。とはいえ、さすがにフェイトは……フェイト?」

さすがにフェイトには良くわからないだろうと予想……むしろ願う士郎はフェイトの方を見る。
できれば、彼女には極々普通の感性を持っていてほしいと思うらしい。
刀を見て目を輝かせる少女と言うのは、まあ、なかなかにレアでありアレな感じだ。
せめてフェイトだけは、年頃の娘らしくあってほしい。

だが、当のフェイトはと言うと、壁に安置されている刀や剣を見つめたまま微動だにしない。
それどころか、どこか魂を抜き取られてしまっているような印象さえ受ける。
また、士郎が声をかけても肩を叩いても、彼女は一向に反応を示さない。

(おかしいな、ここにそんなヤバい物はない筈なんだが……)
「…………………………………」

ひたすら無言で時でも止まったかのように士郎の作品を見つめるフェイト。
表情は抜け落ち、呼吸すら忘れてしまったかのようだ。
とはいえ、シグナムや美由希の様に紅潮し興奮するでもなく、なのはの様によくわからないなりに芸術品でも鑑賞するようにしきりにアレこれ見て回ったりもしない。
そうして待つ事しばし、ようやくフェイトの様子に変化が訪れた。

「シロウ」
「ん? どうした?」
「上手く言えないんだけど、なんでこの子達は空っぽなの?」
「空っぽ?」
「うん。何て言ったらいいのかな、詳しいことなんて素人のわたしにはよくわからない。でも、なんとなく感じるんだ。この子達はみんな、なにか足りない物があるって……これがシロウの言ってた未完成って事なの?」

フェイトは士郎に視線を向けず、手近なところにあった刀をその白くしなやかな指先で優しく撫でる。
慈しむように、愛おしそうに、まるで赤子の頬を撫でる慈母の様に。

同時に、フェイトの言葉にシグナムや美由希、なのはも再度近くにある剣や刀の刀身に目を向ける。
フェイトの言う、『足りない物』とやらを見極めようとするように。
だが、なのははともかく、刃物の専門家である筈のシグナムや美由希の眼を以ってしても、フェイトの言う事が理解できない。

しかし、士郎はその理由を正確に理解していた。
原因となったのは、かつて彼がフェイトに与えたあのペンダントだろう。

(そうか……フェイトにとっての基準は、俺が作ったあのペンダントだもんな。
 アレは魔術を施してある剣の形をしたアクセサリー。なら、それを基準にしてみれば、確かにここにある剣達はフェイトからすれば『何かが足りない』と感じるのも道理か)

言うなれば、一種の間違い探しだ。
フェイトにとって、魔術を施された剣の形をした物品、と言うものに当てがある。
一時期彼女は、暇さえあれば士郎からもらったペンダントを眺めていた。
そうしているうちに、実物を見なくても明確にその細部までイメージできるほど目に焼き付けたのだろう。
だからこそ、サイズや製造工程こそ違えど、作者を同じくするこの場の剣達になくて、自分のペンダントにある『何か』に無意識的にでも気付く事が出来たのだ。

そもそも士郎の打つ剣は、魔剣となって初めて完成となる。
つまり、その為の準備はすでになされているのだ。
しかし、この剣達には魔剣としての力がない。だからこそフェイトは『足りない』と感じたのだ。
逆にシグナムや美由希の場合、彼女達の中にある基準が普通の刀剣類である為に、士郎の造った剣達に違和感を覚えなかったのだろう。

「フェイト、ちょっとついてきてくれ。見てほしい物がある」

士郎は何を思ったのか、唐突にフェイトをそう声をかけてさらに奥に案内する。
なのは達も、とりあえずはその後を追う。士郎も特に咎めたりはしなかった。

そうして辿り着いたのは、この場には明らかな不釣り合いな代物。
やけに頑丈な鎖で封をされた、見るからに重そうな一枚の鉄扉。
士郎は鎖をはずし、重い扉をゆっくりと開く。
その奥から姿を現したのは、明らかに他の刀剣達とは異質な剣だった。

まず目を引くのはその扱い。
他の刀剣達は、壁にフックの様なものを二ヶ所打ちこみ、二点で支えるようにして安置されている。
だが、この奥の部屋にある剣は違う。天井から伸びた鎖が柄や鍔に絡まり、宙づりにされていた。
その為刀身はどこに触れる事もなく、柄と鍔に絡まる鎖もそこまでは伸びていない。

次に皆の目を引いたのは、その刀身だ。
その刀身は刀の様に反っていたり片刃だったりすると言うわけではなく、両刃の刃は直線を描いている。
だが、問題はそんなところではない。問題なのは、切っ先がない事。尖っていないとか、丸くなっているとかではなく、まるで途中で折れたように切っ先がないのだ。
それだけでなく、とてつもなく薄い。横から見れば、線か糸としか見えないほどに薄い。
厚みなど欠片もなく、これでは強度など皆無に等しいだろう。
そんな、明らかに剣としては異質な何かがそこあった。

「衛宮……………これは何だ」
「俺の一つの目標だよ。ただ純粋に斬ることのみを突き詰めた剣を作ろうと思って、色々試しているうちにいつの間にかこうなってたんだ。
とりあえず斬れ味を追求するなら刃は薄い方がいいと思ってたら、気付けば強度を度外視してこのありさま。
斬る事を追及するなら『刺す』という機能はいらない。だから切っ先は捨てた。
その途中経過がこれだよ」

士郎の言わんとする事は理解できないでもない。
だがそれは、あまりにも極端と言うか、いっそ暴論と言ってもいい。
いや、それはむしろ、素人の発想としか言えない。
にもかかわらず、その結果として造られた剣にはシグナム達の背筋を寒くする何かがあった。

「フェイト、お前の眼にはこれはどう映る?」
「……………………………………分からない。
足りないと、足りてるとか、そういう事じゃなくて……」
「……そうか」

フェイトは、まるで理解不能な何かに出会ったかのように瞳を震わせる。
彼女は思う、そもそもこれは『剣』と呼んでいいのか、と。
今自分が目にしているのは、そう言ったカテゴライズで済ませていいものではない気がした。

しかし、どうしてそう感じるのかがフェイトにはわからない。
その間に、先ほどの士郎の発言の真意を美由希は問う。

「士郎君、今途中経過って言ったけど、それってどういう……」
「そのままの意味ですよ。こいつはまだ完成していない、物質的な斬れ味はかなりのものですけど、俺が目指す域には届いていません」
「士郎君が、目指す域?」
「ええ。と言っても、言わば絵物語みたいなものですよ。『斬る』という概念の通じる全てを斬る事が出来る剣。
『斬』の概念武装、それが俺の目指す域です。こいつは、昔色々試してみてるうちにたどり着いた形でして。
しばらく鍛冶場から遠ざかっていて勘が鈍ってましたけど、やっとあの頃の段階まで追いつけました」

それはつまり、昔も一度それを為そうとした事があると言う事。
そして、再度それに挑み、今ようやくその段階に再び辿り着いたと言う事なのだろう。

「なんで、こんな風に宙づりにしてるの?」
「簡単な理由だ。不完全ではあるが、それでもかなりの危険物なんだよ。ちょっと見てろ……」

なのはにそう言って、士郎はおもむろに剣を投影し、宙づりにする鎖を断ち切る。
すると、剣は当然重力にひかれて落下した。

下には、かなり頑丈そうな鋼鉄の台座。
普通に考えれば、衝突した瞬間に剣が弾かれる。
しかし、現実は違った。

「「「「なっ!?」」」」
「ま、こんなもんか」

なんの抵抗もなく、まるで豆腐にでも落ちたかのように剣は台座に埋まった。たいした音を立てる事もなく。
そして今、フェイト達の前に台座から柄と鍔が生えているかのような異様な光景が広がっている。

「切れ味が鋭すぎるんだ。鞘に入れても、鞘を切っちまって保管出来やしない。
 他の剣みたいに保管しようとしても、置いた瞬間に地面に向かって真っ逆さまだよ。
 危なっかし過ぎて、ああやって柄とかを固定するくらいしかできないんだ」
「いったい……どれほど鋭ければそんな事が……」
「単純な刃先の厚さなら単分子レベルだ。ま、その分研ぐのも一苦労だったけどな」
(そういうレベルの問題か? すでにこれは、剣としては至高の鋭さがあると言ってもいいぞ)

士郎の説明を聞き、内心でシグナムはそう漏らす。
いったい、これのどこが未完成だと言うのか。
しかし、その答えはすぐにもたらされた。

士郎は無造作に柄を掴み、埋まった剣を引き抜く。
すると、引き抜かれた剣には…………………剣身がなかった。

「これは……?」
「単分子の厚みと言っても、どうしても斬った瞬間に衝撃は走る。
 その衝撃に剣身が耐えられないんだ。一度でも何かを斬れば、その瞬間に粉々。
 側面を叩かれたりすれば、それこそ古紙より脆い。小石がぶつかっただけでも折れるんじゃないか、こいつ?」

そのあまりに予想外の事実に、皆あいた口がふさがらない。
確かに斬れ味は凄まじいが、そんな物が実戦で役に立つかと言えば……。

「早い話が欠陥品なんだよ。斬れ味は一級品だが、使い勝手の悪さが並みじゃない。
 この台座だって、剣身の半分ほども切れちゃいないぞ。その前に砕けたからな」
「…………………なるほど、確かに欠陥品だ。衝撃を加えぬように斬るなど、どんな達人にも不可能だろう」
「そういう事。魔力で強化してみる事も考えたんだが、無駄だった。
そもそも魔力を通した瞬間にその負荷で砕けるんだからな」
「試したのか?」
「俺の能力ならそれができる。単純に同じ物を投影すればいいだけだからな」
「以前にもこれと同じ物を作ったと言ったな、ならば改めて作る必要もないだろう」
「どちらかと言えば、剣鍛の技術を思い出す為にやったからな。
欠陥品のくせに、べらぼうに作るのが難しいんだぞ、こいつ」

肩を竦めて嘆息する士郎。
技術的には困難極まりないくせに、実用性は皆無。
その上、放置しておくには危なっかしいことこの上ないと来た。
正直、こんな物を作った人間の正気を疑うような代物だろう。

「とりあえず、このままじゃダメって事はわかった。鋭さもこれ以上は望めないだろうしな。
何より、単に鋭さを追求するだけじゃ、致命的な欠陥を抱える事になる」
「別のアプローチの案はあるのか?」
「……………………………………ない」
「「「「は?」」」」
「だからないんだって。方向性を変えようにも、斬れ味を追求していった結果があれなんだ。
 方向性を変えるって事は、そもそも『斬れ味』を捨てるってことだぞ」
「む……」

確かにその通りなのかもしれないが、それでは結局致命的な欠陥が生じてしまう。
つまり、堂々巡りになってしまうと言う事ではないだろうか?
しかし、そこでフェイトとなのはがそれぞれ別案を口にしてみる。

「刃先じゃなくて、中心部分を厚くして強度を上げられないの?」
「というか、そもそももっと硬い物を使うとか……」
「一通り試した。フェイトの案は結局刃先が砕けちまうから意味がない。
 なのはの案にしても、強度を上げる工夫をしてみたんだが……」

上手くいかなかったのだろう。
通常の兵器としての単分子カッターなどであればそんな事にはなるまいが、アレはさらに斬れ味を増す為の工夫が施されている。それを捨てればある程度の強度は確保できるが、その代わりに斬れ味を減じてしまう。
つまり、それはそれで本末転倒なのだ。

「ゲームとかだと、ミスリルとかオリハルコンとかって言うのを使った武器は強いけど……」
「ないわけじゃない。ミスリルは、分類としては普通の銀と変わらないんだが、特殊な環境で長い時間をかけて魔術的な要素を強く帯びた銀を魔術師の間ではそう呼ぶんだ。
採掘できる割合は、普通の銀100㎏に対して1g程度。その性質上、一級の霊地で鉱脈があることが条件になるから、そういう意味でも見つけるのは大変だ。
そして、まとまった量を買おうとするとアタッシュケースから溢れる位の札束が必要になる」

それも、時計塔などの魔術組織があればの話。
士郎や凛が自力でそれらを発見するのは、はっきり言って現実的ではない。

まあ、宝具には割と使われていたりする事が多く、その他の伝説級の貴金属も多い。
これもまた、士郎に宝具の再現が出来ない理由の一つ。
また、仮に材料を調達できても、そもそもその材料の質が不十分。
神秘に満ちていた時代のそれと、現代のそれとでは、比較にならないほどの差があるのだ。

「さて、話がそれたな。そろそろ上に戻って整備に取り掛かるとしよう」

そうして、五人はもと来た道を戻って鍛冶場へと移動する。
だが、ちょうど階段を上りきったところで、突如士郎の脳裏に凄まじい大音量が響き渡った。

『士郎! 聞こえるなら返事しなさい!!』
「どわぁっ!?」

繋がったラインを通じて怒鳴ってきたのは凛。
その音量、勢い、そして唐突さに思わず士郎は体勢を崩し背中から倒れた。
強かに打ちつけた腰は鈍く痛み、士郎は腰をさすりながら立ちあがって凛に応じる。

『イテテ、どうしたんだよ凛、いきなり』
『よし、ちゃんとつながったわね。アンタ、今どこにいるの?』
『ん? 工房だけど』
『そう…………ある意味好都合ね。時間はある? 重要な話だからなくても作りなさい!』
(それ、時間があるか聞く意味あるのか?)
『なんか思った?』
『っ!? い、いや何も……』

念話越しに心でも読まれたのかと思い、思わず凄まじい速度で首を振る士郎。
凛には見えていないと承知していながら、ついついやってしまうのだ。
覆しようのない精神的上下関係の賜物である。

『で、話って何なんだ?』
『……………………………剣鱗の事よ』
『アレがどうかしたのか?』
『どうしたじゃないわよ! ああ、もう! なんで私も気付かなかったのかなぁ……アレ、私たちが思ってたよりとんでもない物だったみたいよ』
『だから、何が?』
『アイリがね、クリスマスの時にあんたから除去した剣鱗をちょっと調べてみたらしいのよ』

元々、アインツベルンは貴金属の扱いに長けた錬金術師の家門である。
そのホムンクルスであるアイリが、固有結界の暴走の結果発生したあの刃に興味を示すのはある意味で当然だ。
それ自体は別にどうという事ではない。
だが、問題なのは調べた結果として判明した事実にある。

『アレ、そもそもまっとうな金属ですらなかったみたいなのよ。ある意味、当然と言えば当然だけど』
『なんだ、驚異の新物質とかそういう話か?』
『当たらずとも遠からず。考えてみれば当然なのよね、アレはあらゆる剣を構成する要素を内包した世界が生みだした刃。それも、何かを複製したとかじゃなくて暴走して発生した、言わば“結晶”よ。
 私の言ってる意味、分かる?』
『いや、さっぱり……』

自身の返答に、念話越しでも凛が頭を抱えている姿がありありと想像できる士郎。
とはいえ、彼としてはそんな遠回りな説明をされても困る。
元より、対策を練るのは得意だがそう言った意味での魔術的な理解力が高いわけではないのだから。
そんな士郎に対し、凛は苛立たしそうにしながらも丁寧に説明していく。

『いい? そのスカスカの頭でもわかるように説明してあげるとね』
『失敬な』
『事実でしょうが。
 そもそも、UBWの中にはあらゆる剣の要素で満たされているけど、剣が複製される際にはその中から選別された要素で剣を複製している筈なのよ。そうでないと、オリジナルその物の複製にはならないしね。
 あらゆる要素があるって事は、ある剣には含まれない筈の要素もある可能性があるんだから』

そこまでなら士郎にも理解できる。
あらゆる要素があるとは言うが、その全て要素を活用しているとは言えないのだ。
たとえば、料理に置き換えてみよう。キッチンがあり、そこには無数の材料と調味料があるとする。料理をするとして、その全てを活用できるかと言えば……否だ。
何でもかんでも入れてしまえば、結果的に本来目的としていた物と違うものになってしまうだろう。
それと同じ事が、UBWにも言えるのではないだろうか。

『でも剣鱗はアンタのうちから生えてくるけど、特定の剣ってわけじゃない。恐らく、選り好みなんてしないで、とりあえず一定量の剣の要素を寄せて集めて形にした物がアレなんだと思う。
 その意味するところは………………………アレ自体が無数の剣の要素の結晶なのよ。物質化した最小規模の固有結界と言いかえてもいいわ。あるいは、そこに内包した要素は『固有結界の縮図』と言うべきかも。
とにかく、複製された武器より、アレはよほど忠実にUBWのあり方を継承している筈なの』

言ってしまえば、先ほど例に出したキッチンの小型レプリカと言ったところだろう。
内包している量も、大きさも異なるが、その比率と種類だけはオリジナルに迫る。
だとするのなら、あの刃にはあらゆる剣に通じる要素が練りこまれている事になるのではなかろうか。

『アイリが言うには、物質的に見れば色々な金属が混ざり合っただけのものらしわ。
でも魔術的に見た時、アレはアンタの属性を抽出した様なものとしての面が見えてくる。
ある意味、魔術的なレアメタルって事になるわね。しかも、現状アンタからしか採取できない』
『待ってくれ、俺の持つ知識だけだとイマイチ理解が及ばないんだが………それは、凄い事なのか?』
『だからあんたはいつまでたっても半人前のへっぽこなのよ!! いい? 分かりやすく言うと、アレは衛宮切嗣の起源弾の弾頭と同種なのよ。起源弾の場合、切除した肋骨から本人の属性を引き出して、強調して、不純物を排除して、そうやって武器として加工されてる。
 だけど、アンタの剣鱗の場合、あとは武器として加工するだけ。その前段階のプロセスは既に終わってるの。
 でこの場合、武器として加工するとしたらあんたならどうする?』
『そりゃあ、剣は剣として使うのが一番だろ?
 使いやすくなるようにちょっと加工すれば、すぐにでも……って、まさか!』
『分かったみたいね、つまりはそういう事。
きっとあれは最高の材料になる筈よ、剣を鍛えるって意味ではね。
その分他には使い道がないだろうけど、アンタには関係ないでしょ』

凛の言う通り、他の目的の為に使っても単なるガラクタにしかなるまい。
だが、剣として再加工すれば、その可能性は計り知れないのではないだろうか。
試す価値は………充分にある。

『じゃ、伝える事は伝えたから、あとはアンタの思う様にやりなさい。
 ただし、あんまり無茶な事はしないように。それさえ守れるならとやかく言わないから』

そう言って凛は念話を切った。
士郎はと言うと、顎に指を当てて何やら思案している。
そして何か考えがまとまったのか、目前のシグナムに視線を向けた。

「……シグナム」
「どうした?」
「レヴァンティンの事だが、整備と言わずに、思い切って打ち直して見る気はないか?」
「なに?」
「以前から考えてはいたんだ。デバイス、それもアームドデバイスに魔術的な加工をしてみたらどうなるかってさ……………興味はないか?」
「ふっ、何があったかわからんが、眼の色が変わったな…………………正直、興味がないと言えば嘘になる」

士郎の提案は、シグナムにとっても興味深いものだったらしい。
二人の顔には怪しげな笑みが浮かび、何やら不穏な空気が醸し出されている。

「ちょうど、たった今面白い材料のあてが出来た。そいつを使えば興味深い事になると思うぞ」
「ほぉ、それはどんなものだ?」
「こいつだよ。『鎧甲、展開(トレース・オン)』」
「え、シロウ!?」
「士郎君、何を!?」

士郎がやろうとしている事に気付いたフェイトなのはは、大慌てで制止するが間に合わない。
二人が制止した時には、すでに士郎の右手の甲には刃の鱗が出現していた。
士郎はその一部をむしり取り、残りを解呪する。
そして、むしり取った手のひらサイズの僅かに血の付着した刃の鱗をシグナムに提示した。

「こいつは、言わば俺自身の能力と属性、そして起源の結晶らしい。
こいつを使えば、ミスリルとまではいかなくても……」
「なるほど………そう言えば、お前の詠唱にもあったな『身体は剣で出来ている』と。
 お前自身が文字通り一振りの剣であり、古今東西無数の剣の集合体でもある。
そのお前の身体から精製された“剣の種”か…………確かに面白い」

それは、事実上士郎の提案を受け入れた事を意味している。
なのは達はまだ士郎がまた剣鱗を使った事に対し外野で何か言っているが、二人の耳には入っていない。

「で、私に何かする事はあるか?」
「そうだな……………とりあえず、髪の毛と血を貰っていいか?」
「ふむ…………バッサリいった方がいいか?」
「ちょ、シグナム!?」
「ダメですよシグナムさん! 折角長くて綺麗な髪なのに!!」
「おわ!? こら、何をするお前達!?」

いきなりレヴァンティンでショートカットになろうとするシグナム。
フェイトとなのはは大慌てでシグナムの腕にしがみつき、それを阻止する。

「ねぇ士郎君、何に使うのか知らないけどそんなにたくさん必要なの?」
「いえ、俺として数本もらえればそれでよかったんですけど……」
「じゃあ、早く止めてあげたら? なのは達、かなりテンパってるよ」
「そうなんですが……………………もうちょっと見てたくありません、アレ」
「まあ、確かにちょっと面白い光景だけど……」

何しろ、十歳に満たない子ども二人と大人の取っ組み合いだ。
正直、なかなかお目にかかれるものではない。

そうして三人が実はあまり意味のない取っ組み合いを続けること数分。
結局士郎達は止めに入ることなく、なのは達が力尽きたところでようやく事情を説明したのだった。

「と言うわけで、血にしても髪にしてもそう沢山はいらないんだ」
「なんだ、そうだったのか」
「「そういう事はもっと早く言って!!」」

シグナムは特に気にした素振りも見せないが、フェイト達にはふくれっ面で怒られる士郎。
幼いとはいえ二人も女の子。髪は女の命ともいうし、割と思い入れが強かったのかもしれない。
実際、本人はあまり凝った手入れをしていないにもかかわらず、シグナムの髪は非常に美しい。
それをもったいないと思うのも、無理からぬことだろう。

「で、こんなものをいったい何に使うのだ?」
「ん? 剣鱗と一緒にレヴァンティンに練りこむ」
「え? でも、不純物なんて入れたらまずいんじゃないの?」
「普通の剣ならそうです。質の良い鉄は必要不可欠ですからね。血や髪の毛なんて入れたら、質の悪い鉄にしかなりませんから。でも、魔剣として鍛え直すなら話は別です。
髪は魔力をため込んだり通したりする導線でもあるんですよ。こいつを加工して練りこむと、剣の中で魔力を通す道…魔術回路の代替品にできるんです」
「そんな物なんだぁ……じゃあ、血にも何か意味があるの?」
「ええ。まず、血をはじめとした体液には魔力が溶けています。なので、こいつを練りこむと言う事は、剣自体に持ち主の魔力を練りこむのと同義なんです。
 また、言うまでもありませんが血液には鉄分が含まれています。これが“繋ぎ”の役割になって、髪や魔力なんかと剣を強く結びつける触媒にもなってくれるわけですね」

美由希の質問に、士郎は丁寧かつ噛み砕いて説明していく。
剣は結局どこまでいっても身体の一部にはなりえない。だが、それに限りなく近づける事はできる。
持ち主の身体の一部を用いる事で、より持ち主との親和性を高めようと言うのだ。

不純物を加える分、どうしても材料の質は悪くなってしまう。
しかしその代わりに魔術的、象徴的な意味としての性能が向上する。
魔力抜きで測れば性能は悪くなるだろうが、魔力を用いて使う時の性能は比べ物にならない。

「他に必要な物はあるか? 材料の調達くらいならできるかもしれん」
「そうだな、そうしてもらえると助かる。
あると有り難いのは隕鉄、竜の牙とか鱗……後は火を象徴するものとして溶岩とか」

シグナムの魔力変換資質が「炎熱」である以上、やはり「火」を象徴する品がある事に越した事はない。
そう言ったものがあった方が、『炎』という特性をより際立たせ強化できる。
また、隕鉄は地球外の存在である為に魔術的には大きな意味があるし、幻想種の血肉は材料として貴重かつ優れている。前の世界ではまずお目にかかれないが、こちらの世界ではその限りではない。
発見しやすい分質が下がるかもしれないが、折角なのだから使ってみたい。

「分かった、とりあえずリストを作ってくれんか? 出来る限り調達してみよう」
「あ、それならわたしも手伝います」
「うん、わたしもクロノ達にちょっと話を聞いてみる」
「そんな気をつかわなくてもいいぞ。俺もだいぶ動けるようになってきたし、こいつが済む頃にはお前達も多分かなり忙しくなる。休めるうちに休んどいた方が……」
「ううん、友達が困ってるのを見過ごすなんてできないよ」
「そうだよ。わたし達にできる事があるなら、遠慮なく言って。今に限らずこれからも。
 わたし達もできる限り、シロウがやりたい事を応援したいんだから」
「だが……」
「こういう時は好意に甘えておけ。
それに今回に限らず、今後はレヴァンティンの整備はお前に頼りきりになるだろう。
その礼だ、今後も都合が付く限り私も材料の調達を手伝おう」
「………………………わかった、じゃあそれが代金の代わりって事にしておいてくれ」

三人の申し出に、最終的に士郎は折れた。
士郎一人にできる事などたかが知れているし、この手の事は人手が多いに越した事はないのだから。

とりあえず、調達してもらいたい資材のリストは翌日までに渡すと言う事でその場は切りあげた。
シグナムの様子がおかしかったのも、ひとえにこれが原因。
早い話が、アイリが予想した通り「新しい玩具を待ち望む子どもの心境」だったわけである。

そしてこの事を知った八神家一同が、家族の為と言う事で資材調達に乗り出したのは言うまでもない。
ついでに言うと、ハラオウン家でもリンディやエイミィが面白がったりして、管理局のデータベースから色々情報提供してクロノまでパシらせたのだった。
余談だが、その夜士郎が密かに「くくく、腕が鳴るぞぉ」とテンションが上がっていたのはアルテミスだけが知る秘密である。



  *  *  *  *  *



そして、二週間後の八神家。
当初の予定よりだいぶ大がかりになった分時間がかかったが、ようやく士郎から関係者一同に連絡が入った。

本来なら、この場にいる必要があるのはシグナムだけだった筈だ。
しかし、手伝ってくれた礼がしたいと言う事でほぼ全員が呼び集められた。
ただし、人数が多すぎるので士郎の工房では入りきらず、仕方なく八神家で行われることになっていたりする。
とはいえ、その場の雰囲気は士郎が予想していた物とは明らかに異なっているが。

「さあさあ、やってまいりましたこの時間! 題して『ニューレヴァンティンお披露目会!!』。
 全くもってなんのひねりもない地味なタイトルですが、その辺は華麗にスルーするとしましょう♪
では早速、主賓のシグナムに今の心境を聞いてみたいと思います。シグナム、今のお気持ちは?」

お祭り騒ぎが大好きなエイミィは、どこからか取り出したマイクを手に騒ぎまくる。
いったいどこの名物司会者か、と言った様子だが、誰もつっこまない。

アースラの良心であるクロノは諦め、リンディやアイリは「あらあら」と上品に笑っているだけ。
凛やヴィータはめんどくさそうにし、はやてとアルフはとりあえずその雰囲気を楽しんでいる。
他の面々の場合、子ども組は場の空気に飲まれ気味で苦笑い、大人組は一歩下がって呆れていた。
ただし、士郎だけは「なんでこんなことになった」とばかりに頭を抱えているが……誰も相手にしちゃいない。

「ふふふ、早くだれか斬ってみたいな。今日の私は血に飢えている」
「はい、かなりアレなコメントありがとうございました!」

『なにか』ではなく『誰か』というのは非常に問題があるのではあるまいか。
というか、レヴァンティンではなくシグナムが血に飢えている事こそが大問題だ。
だが、管理局の高官であるリンディは相変わらず笑ってスルーしている。

「エイミィ……楽しそう。なんていうか、すっかりはまり役って感じだけど、前からああなの?」
「はい、とりあえず何かイベントがあれば首を突っ込んで騒ぎたてるお祭り人間なんです」

苦笑しながら友人を生温かい目で見る美由希だが、クロノは疲れたように溜息をついている。
彼女の悪ノリにさんざん巻き込まれ……もとい付きあわされた身としては、色々と思うところがあるのだろう。

似たような経験があるのか、隣に立つ恭也は無言でクロノの肩をたたく。
二人の視線が交差し、何らかの意思疎通がなされたのか、二人は揃って影のある笑みを浮かべる。
しかし、当のエイミィはそんなことは軽く無視してテンションがだだ上がりだ。

「さあ、士郎君! 機密情報にハッキングしたり、書類を改竄したり偽造したりして手に入れた材料で生まれ変わったレヴァンティンをここに!!」
「あなたいったい何したんですか!?」
「ふっ…………それを聞くのは野暮ってものよ」
「訳の分からない渋さを出さないでください。あなたのテンションの緩急についていけないんですけど」
「とりあえず、権力なんて乱用してなんぼなんだからさ♪」
「良いんですかリンディさん、こんなこと言ってますよ!?」
「あらあら、ばれなければいいのよ、ばれなければ。死体の無い殺人は事件にはならないのよ」

そのあまりにも公僕として問題だらけの発言に、士郎は空いた口がふさがらない。
思わずクロノに目をやるが、即座に逸らされる。

(いいのか? こんな人たちがエリートで……)

思わず管理局の将来を心底心配する士郎だった。
まあ、リンディの言う通りばれないようにうまくやるのだろう、きっと。良いか悪いかはともかくとして。

「もういい………気にしたら負けなんだよな、きっと」
「そうそう、諦めて状況を楽しんだ人が勝ちだよ。はやてちゃん達を見なよ」
「アイツらは元からあなたの精神的同胞だと思いますから、参考になりませんって」

士郎達をそっちのけで勝手に盛り上がっているはやてとアルフ。
元から、きっかけさえあれば好き勝手やってしまうタイプなのだろう。
普段は一応空気を読んで抑えているが、こういう場ではそんな気は更々ないらしい。

「ほら、シグナムが待ってるよ」
(……ん? どわ!? な、なんつう目で睨んでるんだアイツ……)

それはもう、『早く寄越せ』という気持ちが丸分かりの目で士郎を睨むシグナム。
きっと、さっきから待たされてもう辛抱たまらないのだろう。
これ以上待たせると命が危険だと、士郎の本能が告げていた。
それだけ、シグナムから放たれる気配は色々ヤバいのだ。

「えっと……………待たせたな」
「そうだな。待っている間は一日千秋の思いだったが、今となっては一瞬だった気もする」

そうしてシグナムは士郎から差し出されたレヴァンティンの柄を握る。
どうやら、体面を取り繕う程度の余裕はまだあったらしい。
だが柄を握ったその瞬間、それまで燻っていた感情など遥か彼方に吹き飛び、彼女の目が驚きに見開かれた。

「これは……!」
「どうだ、満足してもらえたか?」
「素晴らしいな、まだ抜いてもいないと言うのに、切っ先まで神経が繋がっているかのようだ。
 これほどまでに変わる物か……」
「伊達にお前の血肉を使ってないってことだよ。基本的に、デバイスは魔力を流すものであって宿すものじゃない。今まではその都度魔力を流し込んでいたんだろうが、今のレヴァンティンにはお前の魔力が宿っている。
 だいたい、元々レヴァンティン自体がデバイスとしてかなりレベルの高い一品だったんだろ? そこへさらに魔術を上乗せしたんだから、そう感じるのも当然だ」
「なるほど。それに羽毛の様に軽い手応えでありながら、手に吸い付くようなこの握り心地とそこから伝わる力強さはどうだ。軽い筈なのに、頼りないとは到底感じられん」
「重量的には以前より若干重くなってる筈だ。だけど、その分魔力の流れ道を整えたし、そのせいだろう。無意識に漏れる魔力がよどみなく流れて循環してるんだ」

抜かずともわかる。内外共に蒐集をしていた時とは比較にならない程レヴァンティンが研ぎ澄まされている事が。
次元世界最先端のデバイス技術を誇る管理局により一新されたシステムに加え、異界の技術により剣として生まれ変わったのだ。元々レヴァンティンは優れた剣だったが、そこからさらに別種の技術が上乗せされたその成果。
それが、長くレヴァンティンと共に歩んできたシグナムには握った瞬間に分かった。

「シグナム、抜いて私たちにも見せてくれないかしら?」
「あ、そうでしたね。申し訳ありません、アイリスフィール。
 らしくもなく、浮足立っていたようです」
「そうね、あなたのそんな無邪気で子どもみたいな顔、はじめて見たわ」

いつの間にか微笑みながら歩み寄ってきていたアイリにそう言葉をかけられ、シグナムは思わず赤面する。
頬に手を添えて見れば、だらしなく緩み自然と笑みが浮かんでいたことが分かった。

「で、では……!」

そんな自分をごまかす様に、シグナムは努めて大きめの声を出してレヴァンティンを鞘から抜き放つ。
現れた剣身は、以前と寸分変わらない優美なシルエットを描いている。
だが、その刃は室内灯の光を反射して燦然と輝き、吸い込まれそうなほどの透明感を宿していた。

同時に皆が気付く。
レヴァンティンの剣身が、うっすらと紅く輝いている事に。

「これは……剣身自体が紅く染まっているのか?」
「いや、違う。火を象徴する素材を溶かしこんだし、魔術的な加工もしたが原因はそこじゃない。
 紅は火を象徴する色だ、紅く輝いて見えるのはお前達風に言うなら魔力光みたいなものだよ」
「レヴァンティンに宿る、魔力の輝きと言う事か」

シグナムは感慨深そうに呟きながら、レヴァンティンの剣身を見つめる。
レヴァンティンの出来はシグナムも満足がいくものだったのだろう。
一度鞘に納め直したシグナムは、深々と士郎に頭を下げる。

「礼を言う。しかし、お前には世話になってばかりだな」
「いや、こっちこそ満足してもらえたなら何よりだよ。それにいい物を作らせてもらえたし、おあいこだって」
「だが、レヴァンティンの加工は難しかったのではないか?」
「まあ…な。連結刃の一つ一つを加工していくのは、骨の折れる作業だったよ……」

そう答える士郎の顔には、濃い疲労の色が浮かんでいる。
いったいいくつあるのか定かではないが、あの全てに手を加えるとなれば膨大な作業量だろう。
よく見れば、士郎の眼の下には途轍もなく濃い隈がある。
下手をすると、数日単位で寝ていないのではあるまいか。

「そ、そうか……く、苦労をかけたな」

その士郎のあまりの疲労っぷりに、思わずシグナムもたじろぐ。
それだけ、士郎の今の顔色は不健康そのものなのだ。
とそこで、凛がある事を尋ねる。

「そう言えば、アンタあれ使ったんでしょ? どうだったの?」
「……ああ、そっちか。何と言うか…………存外扱いが難しい」
「どういう事?」
「色々試してみて少しわかったんだが、あらゆる剣の要素を内包してるって言うのも考えものだな。
 レヴァンティンにとっては不要な要素まで含まれてるんだからさ」

凛の問いに、士郎は肩をすくめながら答える。
考えてみれば当然の話で、あらゆる要素の全てがレヴァンティンにとってプラスに働くとは限らないのだ。
中には、他の要素と衝突してレヴァンティンの長所を阻害するような要素もあっただろう。

過ぎたるは猶及ばざるがごとし、という言葉がある。
何事でも、限度を超えればそれは足りない事と同じようによくないと言う事だ。
それと同じように、『あればいい』と言うものでもないのだろう。

「では、結局アレは使わなかったのか?」
「いや、それでもアレが剣の材料として有益な可能性は否めない。それはさすがにもったいないだろ?
だから、要は必要な要素だけを抽出できればいいんだ。いくつかの剣をリストアップしてそれをイメージしながら剣鱗を使うと、ある程度それが反映されることが分かった。そこで、無数にある要素の中から、レヴァンティンの強化に使えそうな要素のみを引き出して使用したんだ。
シグナム、ちょっとレヴァンティンに魔力を流してみてくれないか?」
「…………………わかった」

シグナムは再度レヴァンティンを抜き、ゆっくりと感触を確認するように魔力を流し込む。
すると、それまでうっすらと淡く紅い光を宿していたレヴァンティンがシグナムの魔力光に染まる。
同時に、その剣身には幾筋かの血管の様な、あるいは電子回路の様な線が浮き上がった。

「これは……?」
「それがさっき言った魔力の通り道だよ。まあ、人間でいうところの血管みたいなものだな。
 そこから魔力が浸透していくようにしてある」
「って言うかシグナム! 燃えてる! レヴァンティンが物凄い勢いで燃えてるんだけど!!」

改めて解説士郎だが、周りとしてはそれどころではない。
シャマルが指摘した通り、宿す光が変化したと思ったその瞬間、レヴァンティンが炎に包まれたのだ。

「なに!? バカな、魔力の変換はしていない筈だ!!」
「へぇ、剣の方で勝手に変換しちゃうんだ……火属性の魔剣としては一級品なんじゃない?」
「みたいだな」
「みたいって、アンタがそうしたんじゃないの?」
「いや、そこまではしてない。というか、あの材料だけじゃそうはならない筈だ。
だから、多分これが剣鱗を使った影響なんだろう」
「どういうこと?」
「これは推測なんだが、ちゃんと使用する剣に合わせた要素で精製した剣鱗を使うと、そいつの持つ特徴とかを著しく強化するみたいだな。いや、どちらかと言うと格と言うか精度と言うか、そういうのを引き上げるのかな?」

自分の体から採取された物とは言え、まだ分からない事が多いだけに士郎にも確信は持てない。
今後、色々試してみて調べて行くしかないのだろう。
一つ分かったのは、適切な使い方をすれば著しくその性能を強化できると言う事。
とはいえ、シグナム達としてはそれどころではない。

「シグナム! 早く消せっての、このままじゃ家が燃える!?」
「言われずとも分かっている!」
「だったら、さっさと魔力流すのやめろよ!!」
「すでに止めた! だが、勝手に燃え盛って治まらんのだ!!」
「アイリ、これどないしたらええんや! このままやと、わたしら明日からホームレスになってまう!?」
「あらあら、性能が上がったのはいいけど、凄いじゃじゃ馬になっちゃったみたいねぇ……」
「えっと、えっと……消火器どこでしたっけ!? ううん、先に消防車!?」
「暴れるな! 下手に動くと被害が増す! とにかくまず表に出ろ、シグナム!!」
「わ、わかった!!」

どうやら、シグナムでも上手く抑えられないらしい。
能力が向上したのはいいが、その分だいぶ扱いが難しくなったようだ。
これは、何かしら対策を講じるか、大至急シグナムに火加減を覚えてもらうしかあるまい。

「凛」
「なに?」
「悪いんだが、封印用の護符とかそういうの作ってもらえないか? あのままだと、さすがに危険すぎる」
「そうよねぇ……よほどの事がない限り完全開放するのはヤバいわ、アレ。
 オッケー、とりあえず抑え込めそうな物を作ってみる」

何しろ、原因となったのは魔術を取り入れた事にある。
ならば、抑え込むためには同様に魔術を用いた方が確実だろう。
ついでに、あまりポンポンと剣鱗を材料に剣を鍛えるのは控えた方がよさそうだと、士郎は自戒するのだった。

しかし、そうしている間にもリビングの天井が焦げ始めている。
幸い、その場にいたのは皆優れた能力を持つ魔導師や魔術師たち。
とりあえず凛とクロノに鎮火してもらう事で、八神家は焼失の憂き目に会う事は免れた。
その後、士郎がせっせと焼け焦げた天井や壁、床の修理に勤しんだのは言うまでもない。






おまけ

レヴァンティンの鎮火が終わってからしばし経った。
士郎はねじり鉢巻きに釘を加えながら、金槌片手に大工よろしく天井を修理している。
そこで、唐突に無事なリビングの一角で談笑している面々に話しかけた。

「そうだ、フェイト、なのは、それにクロノ」
「「「?」」」
「お前たちにも渡しておくものがある」

そう言って、士郎は給仕をしているリニスに目配せをした。
士郎の意を受けたリニスは、士郎が持ってきたカバンからいくつかの小箱を取りだしテーブルに並べる。

「あの、リニスさん。なんですか、これ?」
「開けてみてください」

なのは達の前に並べられたのは、木製の重厚な漆黒の匣。
三人が恐る恐るそれらを開けると、中には白い布に包まれた何か。
三人は一度お互いに視線を交差させ、代表してクロノが自身の前にあるそれを広げる。
出てきたのは、柄も鞘も漆黒に染め上げられた一振りのナイフだった。

「士郎、これはなんだ?」
「レヴァンティンを鍛え直すついでに造ってみた。
 とりあえずはお前達三人分。ホントは全員分作るつもりだったんだが、時間が足りなくてな。
 みんなの分は、もうしばらく待ってくれ」
「………………………………レヴァンティンみたいな危険物なら、クーリングオフするぞ」

友人からの贈り物とあれば、本来なら喜ぶべきところだろう。
その意味でいえば、クロノの反応は失礼極まりない。
しかし、先のレヴァンティンの事を考えれば、そういう反応が返ってくるのも当然だ。

「安心しろ、そいつらにレヴァンティンほどの格はない。
 ちょっとした護符でしかないから、護身用程度に思ってくれ。ま、フェイトに渡したペンダントと違ってお守りじゃなくて、武器として使える護符だけどな。
 この前心配かけたお詫びと、普段世話になってるのと資材調達を手伝ってもらった礼だよ」
「……そういう事なら有り難く頂戴するが……」

そう言われてしまえば、さすがに突き返すのも気が引けたのだろう。
まだ少々いぶかしんではいるが、大人しく受け取るクロノ。
なのはとフェイトも、ちょっとおっかなびっくりではあるが自分の前におかれたそれを手に取った。

なのはとフェイトに渡された物は、基本的にはクロノが持っている物と大差ない。
長さ、形状、その他もろもろほとんど同形のナイフだ。
違いがあるとすれば、刻まれている模様など。詳しい事は門外漢の彼らにはわからない。

それは、素人目に見てもそこらの市販品とは別格である事は明らか。
というか、刃物の専門家である恭也や美由希の兄妹の目が爛々と輝いている。
その事からも、これがかなりの一品である事は明らかだ。
故に、むしろ普段から世話になっているのは自分だと思っているなのはとしては、ちょっと気が引けてしまったりする。

「でも、こんな高そうな物もらえないよ……」
「気にするな。そもそも、材料の何割かはお前たちに調達してもらったんだしな」
「「へ?」」
「いや……実を言うとあのリストな、結構レヴァンティンには使わない材料を……」

紛れ込ませていたのだろう。
相手が魔術の素人なのをいいことに、こっそりそういう事をしていたのだ。

もちろん、体良く利用しようとしたと言うのとは“若干”ニュアンスが違う。
今後の事を考え、近々フェイト達用に護身用の護符でも造るつもりだったのだ。
そこで、折角だからとレヴァンティンの資材調達と一緒にそちらの材料も集めてもらったのだろう。
確かにこれなら、なのは達が遠慮する理由は微塵もない。

「士郎、お前最近やる事が汚くなってないか?」
「どうだろうな?」
「まあ、いいさ。君が作ったんだから役に立つ事は間違いないだろう」
「評価してもらえるのはありがたいが、そこまで性能の高い物じゃない。
魔力がつきた時、魔力が使えない時にでも使ってくれ。
魔力が使えない環境じゃ性能は半減するが、それでも並みの刃物よりはよく斬れると自負してる」

本人はそう言うが、アレだけの剣を鍛えられる士郎が作ったナイフだ。
例え真価を発揮できなくても、下手な刃物よりよほど斬れるであろうことは想像に難くない。
三人とも、特に拒む理由もないし喜んで受け取った。

ただし、士郎は同時に自身の背中に突き刺さる視線の存在に気付く。
別に殺意や敵意などはない。ただ、途轍もないレベルでの情念がこもっていた。
それこそ、士郎をして悪寒を覚えるほどの、濃密な情念が。

(私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい私も欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい!!!)
(振り向く必要すらないなぁ……ああ、胃が重い…というか痛い)

と、内心で嘆息しつつ鳩尾に手を当ててさする士郎。
間違いなく、確実に、命を賭けたっていいが、自身の後ろでこの視線と情念をぶつけてくる人物が士郎には見なくてもわかった。当然だ、この場でそんな物をぶつけてくる人間など一人、高町美由希以外にいない。

兄と父の方針で未だに欲しくても手に入らないと言うのに、妹が先に手に入れたとなれば怨みがましくもなる。
それがたとえナイフだったとしても、割と刃物マニアな彼女にとっては喉から手が出るほど欲しいのだ。
それも、今回お披露目になったレヴァンティンを見たことでより一層。

以後、士郎は美由希と会う度にこの視線を向けられることとなる。
幾度の戦場越えて不敗なんて謳ったところで、所詮は人。
当然ストレスだって感じるし、過度のストレスは体調も崩す。
何が言いたいかと言うと、一ヶ月後、ようやく身体が本調子になった頃、士郎は胃潰瘍で入院するのだった。

無論、この時の士郎は、まさかそこまで追いつめられるとは微塵も思ってないわけだが。
とそこで、それまで例のお茶に舌鼓を打っていたリンディがある提案をする。

「ねぇ、士郎君。ちょっといいかしら?」
「なんでしょうか?」
「参考までに聞きたいんだけど、あなたが鍛えた剣とかナイフって、魔力がなくても使える?」
「使えなくはないですよ。あらかじめ魔力を付加しておけば特に問題ありませんし」
「それじゃあ、その魔力を付加した剣でバリアジャケットを破れる?」
「?」

質問の意図が良くわからず、士郎は首を傾げ、それから思案する。
魔導師のバリアジャケットは強力な守りだ。物理的な攻撃であれば、生半可な物は防ぎきってしまう。
これを破るとなれば、単純に「切れ味が鋭い」だけの刃では太刀打ちできまい。
それこそ、恭也達並みの技量でもなければ。しかし……

「…………………使う人次第ではありますが、出来なくはないでしょう。付加した魔力の程度にもよりますが、バリアやシールドが相手でない限りそこそこの腕があれば破れると思います」
「そう……」

士郎の答えを聞き、今度はリンディが黙りこんで思案する。
他の面々には相変わらずリンディが何を知ろうとしているのかよくわからないが、クロノとエイミィだけはその真意に気付く。かつて話したそれを、今回持ちかけるつもりなのだろう。
聞きたい事もいま聞く事が出来たのだから。

「士郎君、できればあなたの作品を管理局(私達)に売ってもらえないかしら?」
「……一応、理由を聞かせてください」
「その様子なら、もう察しはついているのでしょ? あなたが考えている通り、管理局の人手不足は深刻よ。
 それこそ、フェイトさん達の様な子どもの手を借りなければならないほど」
「俺が言うような事じゃないでしょうけど、管理する範囲を狭めればいいんじゃないですか?」
「そうね、きっとそれが一番なのだと思うわ。時空管理局と言う組織の規模に対して、その管理領域は広すぎる」

士郎の言葉に対し、リンディも思うところがあるのか暗い声音で首を振る。
そこからは、手に負えない範囲にまで手を広げてしまった管理局への複雑な感情が見え隠れしていた。

「時空管理局は決して小さな組織じゃないわ。それこそ、次元世界で見れば最大規模と言ってもいいでしょうね。
でも、人手不足という時点で、その管理領域は手に余っている事を意味する。
本来なら、身の丈に合った広さにとどめるべきだったのでしょうね」

リンディの言う通り、何事も限度と言うものがある。
はっきり言って、『人手不足』という問題を抱えている時点で手を広げ過ぎたのは明らかなのだ。
しかし、では適切な範囲とはどの程度かとなると、その判断は難しい。
それが、成長途上にあった頃なら尚更だ。

「でも、残念ながら人にしても組織にしても、そして社会にしても成長している時と言うのは向う見ずなものよ。
行ける所まで、後先考えずに突っ走ってしまう。
本来なら、トップに立つ人がちゃんと手綱を握るべきだったのでしょうけど、『もう少し』という誘惑は強烈で、なかなかうまくいかないのが現状なんでしょうね」
「…………」
「そして、一度広げてしまった領域を縮めるのは難しい。
内外から『見捨てるのか』と批判されるし、そもそも折角手に入れた管理地を捨てるのを躊躇ってしまう」

士郎が言った事は決して間違ってはいない。
だが、それが現実的に可能かと言うと首をかしげざるを得ないだろう。
出来ないと言う事はないだろうが、一朝一夕で出来る事ではない。
それこそ、管理領域を広げる為に費やした時間の数十倍の時間を要する筈だ。
それが理解できない士郎ではない。

「……そうですね、共感はできませんが理解はできます。やるとしても、十年単位での話になるでしょう。
 さっきの言葉は忘れてください」
「いいえ、あなたの言った事は間違っていないわ。人の業と言ってしまえばそれまでだけど、いつかはなんとかしなくちゃいけない問題だもの。でも、なんとかする間の繋ぎが必要なのよ。
 だけど、その為に子どもたちが犠牲になるのは社会として絶対に間違っている。どれほど優れた能力を持っていようと、子どもは子ども。社会と大人に庇護されるべきだわ。
 こんな事をしている私に、そんな事を言う資格は本当はないんだけど……」

リンディの言う『こんなこと』とは、なのはやはやてなどのスカウトの事。
一局員としては彼女達の才は魅力的で、何としてでも欲しいと思う。
それだけ管理局が抱える人手不足、人材不足は深刻なのだ。

いや、人手も人材も決して乏しいわけではない。
しかし、次元世界という広大な領域を管理するには圧倒的に足りないのだ。数も、質も。
だが一母親として、そんな現状が正しいとはリンディも思わない。

「でも、代案なき否定は無価値よ。むしろ害悪ですらある。
幼い才能を発掘し活用する事を否定するのなら、それに代わる何かが必要になの。
理想は大切だけど、それだけを口にする人間には誰もついてきてくれない。
その理想を現実にする指針を、方策を提示しなければダメ。例え、実現の可能性がどれほど小さくてもね」
「なるほど。子どもを使わないのなら、大人を使うしかない。ですが、一人ひとりの魔導師にかかる負担をこれ以上引き上げるのは現実的ではない。となれば、後できる事は一つ。
 魔導師以外の人材の活用と言う事ですか」
「そうよ。質量兵器の使用に大きく制限がかかっている以上、魔導師に普通の人が対抗するのは難しい。
 魔導士が関与しない事件にしても、魔導師を派遣した方が安全性は跳ね上がるわ。まあ、絶対には程遠いけど。
だけど、私達はより堅実なやり方を選択しなければならない。その結果、魔導師にかかる負担は増し、そうでない人達は後方勤めが中心になる。
でも、あなたの剣やナイフは制限の対象になるような火器じゃない。にもかかわらず、使い方によっては魔導師と戦うことさえ可能とする」

故に、それらを配備することで少しでも人材の活用につながる筈だ。
少なくとも、本当は前線に立って戦いたいと思いながらも出られない普通の局員。
そんな彼らに希望を与え、一筋の光条をもたらす事が出来る。

「魔術を世に広めるわけにはいかないっていうあなた達の方針は知っているけど…………………どうかしら?」
「…………少し時間をください。凛ともいろいろ話し合ってみたいんで」

士郎個人としては、自身の剣を提供することに抵抗はほとんどない。
魔術の秘匿云々については「不味いなぁ」程度にしか思わないのだから、それも当然だろう。
魔剣が広まる事にしても、所詮は刃物に過ぎない。
どれだけよく斬れても、出来る事には限度がある以上それほど危機感は抱かない。
極端な話、果物ナイフでも人を殺せる以上、危険性でいえばそう大差はないのだ。
如何に士郎の魔剣でも、それはあくまで剣として破格なだけで、銃火器ほどの殺傷性はないのだから。

だが、使い方によっては確かにリンディのいうようなことも可能だろう。
それは、顔も知らぬ子ども達の明日を守ることに繋がる。
如何に正義の味方をやめたとしても、前途ある子ども達の未来は守られるべきだと思う。
故に、凛と相談したいと言うのは、生粋の魔術師である凛への配慮以上のものではないのだ。

そういう意味でいえば、すでに結果は見えていたのかもしれない。
凛と士郎、そしてアイリとの間で様々なやり取りはあっても、最終的な結論はすでに出ていたのだろう。
数日後、士郎はリンディの申し出を受け、鍛えた魔剣や護符の一部を管理局に金銭などと引き換えに提供する事を決意したのだった。






あとがき

遅くなって申し訳ございません。
なんとなくやってみた、シグナム…というよりもレヴァンティン若干魔改造のお話でした。
剣鱗の事を始め、色々突っ込みどころが多いでしょうが、出来ればあまりに気にしないで頂けると幸いです。

それにしても、当初は一話で終わらせるつもりだったのが、例の如く二話に跨ってしまいましたね。
つくづく進歩がありません。むしろ、悪化していると言った方がいいのかも。
この調子だと、今後このSSはどんなことになるのやら。我ながら心配です。


P.S
どうやら、四神やら属性やらの所で間違っていたようです。
どうも、以前読んだ小説の設定が刷り込まれ勘違いしていた模様。
ちょっとつじつま合わせやらなんやらが難しいので、その辺は全面的にカットしました。
お騒がせしてしまい、申し訳ございません。



[4610] 第53話「家族の形」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2012/01/02 01:39

SIDE-リンディ

地球では年の瀬間近のこの日、今日も局のオフィスでせっせと終わらない書類仕事の真っ最中。
なにせ、あちらの年末年始にはまとまった有給を申請している。
受理されているからその点では問題ないが、その代わり今のうちに可能な限り書類を処理しておかなければ。
休み明けに出勤してきたら、書類の海に溺れました……ではシャレにならない。

いや、本当にシャレにならないのよね。
闇の書事件が解決したとはいえ、事後処理はまだまだ山積み。
はやてさんや守護騎士達の処遇、被害者への補償、その他諸々。
ここ数日は家にだって帰れていない。ほぼ毎日徹夜で書類と向き合い、いつ腱鞘炎になってもおかしくないのだ。
何しろ、数日前に凛さん達の元を訪れる時間を捻出するのにさえ、かなりの無理をした。
それ以上の時間を確保するには、当然それ以上の無理が必要となる。

とはいえ、それもやっと目処がついた。今日は、久しぶりに三時間くらいは寝られるだろう。
そんな事を考えながら、一休みしてお茶(ミルクどっぷり、砂糖大さじ二十杯入り、ちょっとざらついた喉越しが絶品)を飲んでいると、聞き覚えのある声がかけられる。
「おお、感心感心。ちゃ~んと仕事してるみたいね」
「ええ、何処かの誰かさんと違って、売るほどに仕事があるから」
趣味の悪い冗談を口にしながら入って来たのはレティだった。
自分だって暇じゃないくせに、彼女は割と頻繁にこちらに顔を出す。
つまり、それだけ仕事が正確で早いという事だ。
そうでなければ私同様、今頃オフィスで缶詰の筈だし。デスクワークの専門家は伊達じゃない。

とはいえ、長い付き合いなだけに、私の皮肉は彼女に何のダメージも与えはしなかった。
いや、それどころか嫌な顔一つせずに微笑みを浮かべている始末。
知っていた事だけど、相も変わらず電信柱みたいに図太い神経をしている。
「いい事じゃない。世の中には仕事をしたくても出来ない人達がいるんだから、贅沢な事言わないの」
「確かに、仕事をしなくてもお給料をもらえる人は言う事が違うわ」
「ふっふ~ん、残念でした。ついさっき書類と言う名の敵をやっつけてきたところよ。
緊急事態でもない限り、今日のお仕事はこれで終わりね、あなたと違って」
「羨ましい限りだわ。でも、今はしてないわよね?」
「む……」
どうやら、今回の軍配は私に上がったようだ。
別に、彼女なら少し考えればすぐにでも言い返す事が出来るだろう。しかしこの場合、止まらずに言い合う事が条件なのが私達の間にある暗黙の了解だ。つまり、一瞬でも止まってしまった時点でレティの負け。
少なくとも、私達はそう言う認識でやっている。

「……ふぅ、降参。いつも通り一杯奢るわ。それでどう、だいたい目は通せた?」
「この状態を見てそれ聞く?」
「あははは、やっぱりまだ無理みたいね」
「当たり前でしょ。見てよ、この書類の山。量り売り出来たら、それだけで億万長者になれるわ」
何しろ、オフィスを埋め尽くすかのような書類の山、やま、ヤマ。
絶妙なバランスで屹立した紙の塔は、ちょっとした刺激でここを紙の海に変えるだろう。
実際、レティも細心の注意を払って入口から一歩も動いていないし。
人類最大の発明の一つではあるが、今の私にとってはまさに白い悪魔だ。

まあ、それはそれとして……
「そう言うあなたの方は?」
「一応少しずつ目を通してるけど、本当にとんでもないわね。
 彼女達が警戒するのがよくわかる。少なくとも、倒すとか捕まえるとかってなるとかなり厄介よ」
やはりそうか。凛さんからは、『闇の書に比べれば規模は小さいかもしれない。ただ、その代わり対処が厄介極まりない』と聞かされていたけど、どうやらその言葉は正しかったらしい。

レティが言うには、直径五十キロにも及ぶ森そのものの吸血鬼や実体を持たない吸血鬼の記載もあったらしい。
まったく、一体そんなの相手にどう対処すればいいのやら。
なぜ彼女達の世界で概念武装が重宝されたのか、その理由がよくわかる。
確かに、そんなのを相手に戦うには、アレくらい尖鋭的かつ限定的に特化した武装が必要だろう。
私達であれば、戦略級の兵装や大出力の殺傷魔法を惜しげもなく使い、跡形もなく消し飛ばすしかなさそうね。
ああ、そういう直接的かつ単純火力に優れた手段が私達にはあるから、彼女達は手を組もうと考えたのか。
まあそれも、実体を持たない相手にどの程度意味があるかは疑問だけど……。

本音を言えば、そんな戦争みたいなマネはしたくない。
でも二人からは「捕まえるという選択肢は捨て、殺す事だけ考えろ」と聞かされた。
ついでに言うのなら「私達のやり方で殺すなら、最低でも専用の武装で首を落として心臓と脳を潰さないと安心できない」とも。どうも、それくらいやらないと「殺せない」輩が多いらしい。
ホント、ホラー映画の領域だわ……と言うかホラーよね。これでは、戦争を仕掛けるくらいの覚悟が必要だ。

だけど、それを知って以前から抱いていた疑問が氷解したのも事実。
なぜ彼らは、あれほどまでに術の精度を追及するのか、それがずっと疑問だった。
魔術師の本分は研究。その性なのか…ハッキリ言って彼らは不必要なまでに精度に凝り過ぎる傾向がある様に思えた。例えるなら、プレハブ小屋で十分なのに無理に城を建てようしているような印象だ。

本来戦闘において、精緻の限りを尽くした術などいらない。むしろ害悪ですらある。
重要なのは、望む結果の為に必要な最小限の過程と消費だ。
極端に言ってしまえば、術さえ起動すればそれでいいのである。どれほどその過程が雑であっても、術が起動し望む結果が出れば良いのが戦闘だ。
にも拘らず、魔術師は術の威力や効率よりも緻密さを優先する。これでは魔導師よりも効率面で劣るのは当然だ。

しかし、どんな些細な事にも理由は存在する。
彼らが異常なまでにクオリティを求めるのにも、それはあった。
第一に、魔術の戦いは『強弱ではなく、どちらがより綻びのない秩序を有しているかの計り合い』らしい。
その為、魔術においてはクオリティこそが要。優劣を決めるのは出の早さでもなければ威力でもなく、あくまでもその精度。術の効率や威力を優先したところで、より精度の高い術の前には屈してしまう。
先に放った作りが大雑把な大砲が、後から放たれた丁寧に作られた豆鉄砲に破られてしまうなら、誰でも豆鉄砲を取る。故に、どうしてもそのクオリティを上げる事に心血を注がなければならなかった。
もちろん、それが勝敗を分ける要因のすべてではない筈だが……。

いや、今は置いておこう。
第二に、死徒達の様に異常な法則に生きる存在に対抗する為だったのだろう。
彼らの戦い方は、術の結果ではなく内容による殴り合い。
より整った秩序こそが重く、その重さで以て敵の秩序を粉砕するスタイル。
そしてその重さを以て、死徒達を守る法則を打ち破ろうとしたと考えれば納得がいく。
それは、まだ文明が発達していなかった当時の純粋な火力では、彼らを打倒できなかったからこそ至った結論。
その形の一つが数々の概念武装であり、宝石剣をはじめとする秘法なのだろう。

まあ、正直今でもそんな怪物がいると言うのは信じがたいのだけど、信じるしかないのが現実なのよね。
「となると、やっぱり……」
「ええ、早く目を通して概要を把握した方がいいわ。預言の実現がいつか分からない以上、動くのは早くした方がいい。上を説得するにしても、時間がかかるでしょ?」
「そうね。私達は二人を信じる事を前提に考えて動いているけど、他の御歴々は違うもの。子どもの戯言、或いは誇大妄想、と切って捨てられないようにしないと……。
 それに、二人の存在を認めて貰って、協力を仰げる“体制”も必要になるわね」
「先の事を考えると、頭と胃が痛くなるわ」
その気持ちは私も全面的に同意だ。課題や障害が多すぎて、正直どこから手をつけたものやら。

それに、事は本局だけの問題ではない。仲の悪い地上本部とも協調する必要があるだろう。
敵戦力が不明である以上、あらゆる事態に対処できる用意が必要なのだから。
でも向こうはこっちを毛嫌いしてるし、こっちはこっちで向こうを軽視しがちと来た。
一体どうすれば、両者の溝を埋めるための第一歩が踏み出せるか皆目見当がつかない。

でも、万事に優先し、なんとかしなければならない問題がある。
「だけどやっぱり、その前に二人を守るための手回しをなんとかしないと……」
「確かにね。こっちも一枚岩じゃないし、非合法ギリギリの手を使う人もいる。
 いや、それはまだマシね。厄介なのは、違法な手を使いながらも尻尾を隠し通せるタイプだわ。
そんな人達が『迂闊に』でも手を出せない様にするとなると……難しい」
如何に私達が情報をコントロールしても、当然限度はある。
その限度を超えて真実を知り得た人達が、二人に手を伸ばさないとは限らない。
それを想定して、なんとか封殺する方法を考えないと……。

とそこで、レティがおもむろに話しを変える。
「非合法ギリギリっていえば、知ってる? “陸”のレジアス……今は少将だったかしら? 彼の噂」
「ああ、なんだか最近黒い噂をチラホラ聞くわね。
元から辣腕家として有名だけど、最近はかなりきわどいやり方をしてるとか」
「志は立派だし、主張も一理あるのは事実なのよね。質量兵器の一部解禁っていうのも、私はありだと思うし」
「どれだけ優れた技術でも、問題の根源はいつだって人間自身よ。
その点において、質量兵器も魔術も、そして魔法も大差はないわ」
「まぁ…ね、結局『便利な道具』と『兵器』は同じですもの。
火薬も薬も、量と使い方次第。魔法だけは例外、何て都合のいい事はないし」
「ええ。それは、滅んだ文明が証明する歴史上の事実ですものね」
それに凛さんと士郎君は、以前渡した教本に記載されていた『魔法はクリーンで安全な技術』という一文に、かなり違和感を覚えたらしい。曰く『質量兵器が危険なのは分かるが、魔法なら大丈夫という考えは、この国の原子力安全神話に匹敵する幻想だ』と。
恐らく二人の眼にも、魔法も質量兵器も、魔術さえも凶器として写っているのだろう。
そして、それらを扱う自分自身さえも。

「それにしても、契約とはいえあの二人の肩を持ち過ぎなんじゃない?
 別に、二人はあなたに守ってほしいとは思っていない筈よ。契約の内容にも、そこまでは書いてなかったわ」
「それを言ったらレティも同じじゃない。……でも、確かに大きなお世話っていう気はするわ。
 管理局の人間としても、上からの覚えはよろしくないでしょうね」
「わかってるじゃない。だったら何で、一部例外はいるとはいえ、わざわざ権力志向の強い、管理局至上主義的な魔窟の住人達を敵に回す様な事をするのかしら?」
私の言葉を丁重に聞き流し、レティは皮肉の成分過多としか言えない毒を吐く。
まったく、あなただって十分敵に回してると思うわよ。

「簡単よ。あの二人を引き込むのは『管理局提督としての仕事』だから“責任”は果たした。だけど、二人を守ろうとするのは『リンディ・ハラオウンとしての趣味』よ。私があの二人を好いていて、だからお節介を焼いているだけ。或いは、二人を巻き込んだ者としての“責任”と思ってもらってもいいわ。
ああ、そっちの方が正解かも……私は単に、罪悪感から逃げる為に偽善をしてるだけよ」
「いい事ね。自分を知るのも、罪を認めるのも。『やらない善よりやる偽善』とはよく言ったものだわ。
 安楽椅子に座って偉そうに正論を吐くだけの評論家よりよっぽど立派だと思うわよ。
 ま、折角だし私もその偽善に乗るとしますか……これでも、結構小心者だからね」
ありがとう、あえてそう言わずに眼を閉じる。私は、出会いに恵まれているわ。
こうして、割の合わない偽善に手を貸してくれる友人がいるんですもの。

そう。私以外にも、二人を巻き込んだ事で心を痛めてくれる人がいる。
組織や世界の利益だけを追求せず、私情に流される友人がいる。
なら、この組織もまだそう捨てたモノではない気がしてくる。
そう思えてくるのだから、現金と言うか思い上がりが過ぎるというか……。

レティはそこで「仕事を思い立った」と言って出て行こうとしたけど、そこで思い出したように振り返った。
「そう言えば、今日は二人がフェイトちゃん達に……」
「ええ。今頃は、私達も知らない真実を話しているんじゃないかしら」
興味はあるけど、詮索するだけ野暮ね。話してくれるのなら喜んで聞くけど、聞けないのならそれはそれだ。
大人になるという事は、色々な事に折り合いをつけられる様になるという事。つまり、諦められるという事だ。
あの子達にはまだそれが出来ない。だから教えてもらえない事を嘆き、哀しんでいた。

……だけど、それでいいと思う。
長い時間の中で削られてしまう、そんな不器用さがあの子達の強さでもある。
引く事を、迂回する事を知らない純粋さ。それが今のあの子達の力なのだから。
こんなに早く、小利口になって上手な生き方をする必要はない。

「重そうよね、その話」
「あの二人ですもの、かなりハードな人生を送っているのは想像できるわ。
 あの子達は優しいから、きっと一緒に傷ついていると思う」
「心配じゃないの?」
「心配よ、当たり前じゃない。でも、止められる筈がないわ。あの子達の頑固さも並みじゃないから。
 それに、同じくらい信じてるつもりよ。あの子達ならきっと、その傷も乗り越えて強くなってくれる筈。
 凛さん達も、そう信じたから話しているんでしょうね。もちろん、それだけじゃないでしょうけど」
本物の策士と言うのは、一つの策で二つも三つも効果を出す。
あの子達を信頼して話しているのは本当だろうけど、それだけで済ませる様な人でもない。
きっと、何かしら他にも考えがあるのだろう。

だけど、あの子達はきっと大丈夫だという確信は変わらない。だから、問題があるとすれば別の所。
「ふ~ん。でも、アイリスフィールさんとも色々因縁があるみたいだし、そっちの方も心配なんじゃない?」
「そうね。確かにそちらの方が先が読めないわ」
何しろ、あの三人の間にあるものが私にはわからない。その情報もない。
どんな経過を辿り、どんな結末に至るのか全く予想できない。そう言う意味では、確かにそちらの方が心配だ。

だけど、唯一つだけわかっている事がある。
「でも、きっと大丈夫よ。意外と、なんとかなる気がするわ」
「女の勘?」
「いいえ、“母の勘”よ」
「なるほど。それなら信頼度が当社比五割増しね」
アイリスフィールさんへの母親としての共感。凛さんや士郎君への信頼。
それら様々なものが絡み合い、そんな楽観を私に与えていた。



第53話「家族の形」



二人が十年前の『始まりの話』を語り終えると、場は沈黙で満たされた。
しかしそれは、それまでにあった重苦しいだけの物とはやや趣が異なる。
誰もが語られた過去を己が内で咀嚼し、その意味を受け止める為の沈黙。
そうして時計の秒針が数周ほどしたところで、ユーノが口を開いた。

「それで、聖杯戦争は終わったの? 切嗣さんの時だって同じ事をしたのにまた起こったでしょ。なら……」
「ええ、私達もそう考えたわ。だから、聖杯戦争を起こす基盤そのものを探す事にしたの。
 さすがに二百年も前の事だから、情報を見つけるのには苦労したけどね」
「一・二ヶ月くらいした頃かな……やっと大聖杯の位置を突きとめて、破壊する事が出来たんだ」

だから、もう聖杯戦争は起こらない。
多くの血と涙を流し、数えきれない命を奪った忌まわしき儀式は終わりを告げた。
その内に宿した終わりの泥は、遂に解放される事なくその歴史を閉ざしたのだ。

その事に誰もが安堵する、アイリとて例外ではない。彼女にしても…いや、彼女だからこそ、聖杯戦争の終結を誰よりも望む。それによって引き起こされた悲劇に、責任を感じているが故に。

「まあ、それで万事解決ってわけにもいかなかったんだけどね。
 実際、その後も大師父の事とか桜の事とか色々あったわ」

当時の事を思い返し、非常に複雑な表情を浮かべる凛。その点では士郎も大差はない。
ただし、凛は敢えてその先を口にする事はしなかった。

「でも……今はこんなところかな。
 ここまで一日で話したんですもの、十分過ぎるくらい急ぎすぎよ。
 その後の事とか、まだ聞きたい事もあるだろうけど、とりあえずはそのうちって事で」
「そうですね。もう…だいぶ暗くなってきましたし」

凛の言葉に、シャマルが窓を見て頷く。気が付けば、いつの間にか夜の帳が世界を包んでいた。
冬で日が沈むのが早いせいもあるが、それでもそろそろいい時間だ。

元から、今日はアイリスフィールの為の話としての面が強い。
なので、話は聖杯戦争関連に終始したのだが、それでもこれだけの時間になってしまった。
以後の話をするには、おそらく相当な時間を要するだろう。ましてや、今日までの十年を語ろうとすれば尚更。
急がねばならないわけでもないのだから、気長にいけばいいと凛は考えていた。
しかし、最後にとばかりに凛はなのは達へ訓戒を残す。

「ただ、ついでだから憶えておいて。アンタ達の才能は、恐らく多くの人を救うわ。
だけどね、同時にいつでも人殺しの道具になり得る事を。そんな『殺人者予備軍』なのよ、アンタ達は」

それは、まだ十年も生きていない子どもに対して向けるには、あまりにも酷な言葉。
だが、それはあくまでも相手が「ただの子ども」だった場合の話。
三人は、十歳にもならない子どもであると同時に、その年齢とはあまりに不釣り合いな「力」を保有している。
そんな彼女達は、見方によっては「怪物」とも呼べるだろうし、その才能はいっそ「呪い」なのだ。

まだ本人達の自覚は薄いかもしれない。
まぁ、だからこそ凛の「殺人者予備軍」という言葉に絶句しているのだろうが。
しかし、それを理解しているからこそ、あえて凛はその点に言及する。

「アンタ達みたいな連中が、一生人の死に触れない可能性は低いわ。
時には、その手を血に染める事もあるかもしれない。幸か不幸か、それだけの力と才能が、アンタ達にはある」
「で、でも凛ちゃん! わたし達は……」
「ええ、わかってる。敵を殺すか否かはアンタ達の自由だし、アンタ達なら死んでも敵を殺そうとはしないんでしょうね。それで殺されたとしても、その辺は自己責任だからその考えをどうこう言う気はないわ」
「じゃあ……」
「だけど残念ながら、事故はいつだって起こり得る。命を懸けて殺さないように戦おうとも、ね」

凛の言葉に何か言おうとするなのはの言葉にかぶさるように、凛はさらに言い募る。
語調は決して強くないのに、その有無を言わせぬ何かにより、思わずなのはは口を噤む。
だがなのは達にはまだ、自分達に「その時」が来るかもしれないという実感が薄い。
その原因にしてその思考の拠り所は明白だ。故に凛は、この機にそれを砕きにかかる。

「いつその時が来るかはわからない、来ないに越した事はない。
……でもその手にある『魔法』は、人を傷つけ容易く殺す事が出来るのよ」
「でも、非殺傷設定があれば……!」
「傷つけないで済むとでも? ハッ、そんなものは都合のいい戯言よ。どんなものであろうと、力は人を傷つける。傷のつかない力なんてない。見た目が無傷でもダメージは蓄積するし、過度のダメージは命の灯だって消せる。あるいは、高度から落下すれば死因には十分だしね。気絶してたら魔法も意味がないし。
 何より、それは設定を外せば人を殺せるって事よ。単に『傷つけないように調整されている』だけで、『傷つかない』わけじゃない。『死なない』『傷つけない』何て言うのは、単なる幻想よ。
当然、魔法で人を殺す奴もいるでしょうね。だって、『できる』んだから。
 なら、やっぱり魔法の本質もまた『凶器』であり、それを扱う者は『兵器』と同じよ。人の命を簡単に断つことのできる、ね。誰が使おうと、その危険性は変わらない。
その程度の事すら分からないなら……悪い事は言わない、そんなもの…今すぐ捨ててしまいなさい」

厳しい口調で、凛はなのはの言を斬って捨てる。
なのはもフェイトも、そしてはやても、凛の言葉に反論する事が出来ない。
『外せば傷つけられる』それは紛れもない事実。それは同時に『何かの拍子で外れれば、人を傷つける』事を意味する。ならば凛の言うとおり、次元世界で質量兵器と呼ばれる物との間に大差はない。

自分は絶対に外さないと主張する事は出来る。だが、他者も外さないと言い切れるはずもない。
仮に非殺傷設定でやり合ったとしても、事故の可能性が残る。
それならどうして、『魔法は決して人を傷つけない』などと言えようか。

そしてこの時ばかりは、守護騎士やアイリも子ども達に助け船を出そうとはしなかった。
当然だろう。大人達にとって、その程度の認識は今更再確認するほどのものではない。
むしろ、その力を振るう自分達もまたある種の『兵器』と見ることもできる。
これは甘さや優しさとは別次元の、絶対に目を逸らしてはいけない厳然たる事実なのだから。

「ま、認めたくないなら勝手にすればいいわ、その時に後悔するのはアンタ達であって私じゃないしね。なんなら、『正義』とか『法』を盾に正当化するのも自由よ。それはそれで楽だろうし。
ただ、私的には罪の意識に苛まれる方をお勧めするわ。その方が精神構造としてはよっぽど真っ当な人間だしね。どうしても人間らしい心を無くした非人間になりたいんなら、その限りじゃないけど。
でも、もし真人間でありたいのなら、この手の力は壊し排除する事でしか願いをかなえられない不便な力だと知りなさい。それを理解しているなら、安易な使い方はしない筈よ。
この力で解決できる問題なんて、たかが知れている事を肝に銘じなさい。それを憶えていて、ちゃんと苦しんでいられるうちは、アンタ達の心はちゃんとした人間なんだから」
「「「………………………うん(はい)……」」」

なのはとフェイト、そしてはやてはその言葉を真摯に受け止める。
凛の言葉は、認めるしかない厳然たる事実。
なら彼女の言うとおり、それを受け止めた上で『上手』に使うしかないと、そう理解するしかなかった。

何より、凛の言う「その時」はいつか自分達が直面する事になるかもしれないとわかったのだろう。
大義や理想に眼を眩ませ背負う事の意味を忘れれば、力の本質を見誤れば、いつか手痛いしっぺ返しを受ける。
まぁ、元より聡い子どもたちだ。凛が言わずとも、数年と経たずに理解していたかもしれない。
だが、その数年の間に取り返しのつかない事が起こるかもしれない。
そうさせたくないからこそ、凛はこんなにも訴えているのだ。

「そうだな。それじゃ、俺も一つお節介を焼くか」
『え?』
「お前達が今、どんな思いを抱いて未来を思い描いているか俺には分からない。
 だけどその思いの手綱、ちゃんと握っておけよ。それが、強い思いなら尚更な」
「? それ、どういうことなん?」
「強い思いは力になる。力を育てる土壌にもなれば、一歩を踏み出す勇気にもなるだろう。
だがな、同時に強過ぎる思いに振り回される事があるんだよ。アーチャーや切嗣の様に」

その意味は、なんとなくだがわかる。
切嗣も、アーチャーも、そして士郎も。皆、誰よりも強い思い、「正義の味方」という願いを持っていた。
だが、その思いはあまりにも純粋で…強過ぎたのだ。その身を焦がすどころか、滅ぼしてしまう程に。
事実、アーチャーは自身の死後をも売り払い、切嗣は尽く大切なものを失い、士郎と凛は並行世界への逃亡を余儀なくされた。もし、彼らの思いがもう少し弱かったのなら、あそこまで追いつめられる事はなかっただろうに。

「聖杯戦争の時の俺がいい例だ。思いが暴走して、後先考えずに死地に飛び込んで行く。
自分で言うのもなんだけど、勇気どころか蛮勇や無謀すら置き去りにした、死にたがりのレベルだぞ、アレは」

それは、誰にも否定のしようのない事実だろう。
実際、士郎のそれは「暴走」としか表現のしようがない。
「強い思い」というのは基本的に美徳だが、行き過ぎるのなら話は別だ。
わかっていてもどうしようもないとなると、いっそ「呪い」の範疇である。

聖杯戦争を通して、多少手綱の握り方を憶えても本質は変わらなかった。
自分はどうなっても良い、どう思われても良い。ただ、願いをかなえようと躍起になった。
だが、そんな生き方をして来た士郎だからこそ、それがどんなものかよく知っている。
自分はそれを覚悟の上で突き進んだし、あの道程にも結末にも満足しているから良い。

しかし、この子たちには幸多い未来をと願わずにはいられない。
三人とも、強い思いを持った子どもたちだ。
幸不幸は本人達が決める事だが、どうせなら悲しい結末は迎えてほしくないと士郎は思う。
自分達ほど行き過ぎる事はまずないだろうが、それでも……。

「もちろん、お前達がそれぞれどんな道を選ぶかは自由だ。思いを捨てろと言う気もない。
ただ、ちゃんと手綱を握って、未来も見てくれ。幸せな未来を。
 思いの為だけに生きるなんて生き方は、するなよ」

生きてさえいれば、多分いくらでもやり直しができる。手遅れなんて事はきっとない。
今すぐどうしろという事ではなく、思いと幸せの両立をこそ士郎は望む。
思いをかなえ、同時に幸せもつかむ。生憎彼は、どちらか一方しか選べない恐ろしく不器用な男だったが、彼女達は士郎ではないのだから。

「思いが暴走したその果てに、お前達に還る物は何もない。人々は恐れ、離れ、化け物でも見るような目でお前達を見るだろう。その果てに待っているのは、孤独な死だけだよ。
まさしく、何も残らない空っぽの人生だ。一端とはいえ、それを垣間見た奴が言うんだから間違いない。
 そんな結末は、お前たちだって嫌だろう? 俺もそんなお前達は見たくない。だからこそ…………そんな事にはならないでくれ。世界を敵に回した、俺達の様には」
『……』

場に満ちるのは沈黙。まだ子ども達はどう受け止めていいかわからず、各々難しい顔を浮かべている。
しかし士郎は、別になのは達の反応が芳しくない事に落胆してはいない。
元から今すぐ成果の出る様な類の事でもないし、種は蒔いた。
心の片隅にでも今日の事が残っていれば、何かの足しにくらいはなるだろう。
それが芽を出すかどうか、それは自分をも含めた当事者次第。それが士郎の考えだった。

しかしそこで、今の士郎の言葉についてフェイトが問う。
だが、それは非常に表面的なモノに対する反応で、士郎の求めへの理解ではない。
それでもその声音には、どうか違っていて欲しいと言う懇願があった。

「正直、シロウの言ってる事が正しいのかは………よく分からない。
でもシロウは今、世界を敵に回したって…言ったよね。それって、まさか……」
「当たり前でしょ? 結局私達のやった事は衛宮切嗣やアーチャーと大差ないもの。
 こいつはいつも未練たらしく足掻いてたけど、それでも無理と判断した時にはしっかり行動に移したわ」
「言ったろ? 俺もかつては“魔術師殺し”の忌み名で呼ばれた身だ。
その在り方は疑うべくもなく、犯罪者のそれさ」

それは、別に二人にとっては否定するような事ではない。
そんな事は承知の上で、二人は戦っていたのだ。

「でも、シロウもシロウのお父さんも、アーチャーだって助けたかっただけなんでしょ?
 なら、凛みたいに理解してくれる人だって、きっと……!!」
(いや、別に私は理解してたとか、そんな大層な理由で一緒にいたわけじゃないんだけど……)

フェイトの言葉に、凛は心中でそうつぶやく。
とはいえ、それを言葉にして発する前に士郎が口を開いてタイミングを逸してしまう。

「俺の想いなんて関係ない。重要なのはやり方であり、結果であり……そして、周りにどう映ったかだ。
 自分の行いが罪ではあっても間違っていたとは思っていない。だけど、やり方が受け入れ難いものだったっていう自覚はあった。俺自身にとってもそうだったんだから、他人からすれば尚更だろう。
 お前たちだってそうだろ? 納得も肯定もできない。それが、まっとうな心をもった人間の反応だ」
「それは……」

彼女を始め、この場のほとんどの者にとって殺人とは、如何なる理由があろうと許されることのない絶対的悪だ。
ならば、なんとか励まそうとするフェイトの声が弱くなるのは無理もない。
フェイトとて、願いは理解できてもやり方は受容できないのだから。

そんな皆の心情は、士郎には痛いほど理解できる。
なぜならそれは、過去に士郎もまた抱いていた気持ちだからだ。だが、やはりそれは過去に過ぎない。
だからこそ、あえて士郎はつらい現実という名の過去を口にする。

「アーチャーの言ったことは間違っていなかった。駆け付けて以降の犠牲をなくす事は出来ても、犠牲そのものを出さずに治められた事はない。犠牲を減らすために、必要な人間を選別して殺す事も日常茶飯事だった。
少しでもより良い結果を掴もうと足掻き、決断が遅れ、出さなくてもいい犠牲が出た事さえある。
あるいは、最善と信じた決断が最終的に裏目に出た事もあったよ」

そんな有様では、敵をはじめとする『味方しなかった者』さえも救う事など、とても……。
諦めに似たその言葉だけは口にできず、そのまま懺悔に似た独白が続く。

「多くの罪を犯してきた。こっちの世界じゃ立証できないから裁けない。だけど、千回死刑にされても足りないほどに人を殺し、死なせてきた。罠に嵌め、人質を取り、脅迫し、陥れもした。それが、衛宮士郎という男なんだ。お前達の気持ちは嬉しいが、それは決して消える事のない、消しちゃいけない現実なんだよ」
「……確かに、わたしはシロウのしたことを正しいとは…思えない。想いは正しいと思う。だけど……」
「理解する必要はない。それに直面した事のないお前達には、本当の意味で理解することなんてできやしない。
だが、想像することはできる。実体験に届くはずもないが、それでもしないよりマシだ。だから、苦しみ悩め。いつか決断を迫られる時が来るかもしれない。その時に、少しでも悔いのない決断を下せるように」

苦しげに本心を吐露したフェイトに、士郎は優しく道を示そうとはしなかった。
なぜなら士郎の持つ答えは、士郎自身が長い時間と葛藤の末に至った士郎だけのもの。
それを伝えることはできるが、皆も同じ答えに至るとは限らない。
これは自分自身で答えを見つけねばならない問題だと思うからこそ、士郎は道を示そうとはしないのだ。
とそこで、なのはが呟くようにして問いかける。

「じゃあ世界が敵になったのは、士郎君が沢山の人を…その……」
「そうだな。殺したから、というのもあるんだろう。だが、それだけじゃない」
「え?」
「原因の一つは、彼らの目には俺が怪物のように映っていたことにある。
まあ、それも当然なんだがな。いつ自分を殺そうとするかわからない奴を野放しになんてできないし、誰だって命は惜しい。だれも、脅威を放置しては眠れないんだから。
仮に動機を知ったとしても、たぶん信じなかっただろう。見返りも求めずに人を救うなんて普通はあり得ない。何かを企んでいる、と疑うのも当然だ」
「で、でもシロウは……助けたかっただけで……」
「確かにそうだが、感謝も見返りも求めないのはやり過ぎだったらしい。そんな奴はさ、絵本や物語の中にしかいない、“いちゃいけない”んだ。人間の繁栄の最大要因は、その底なしの欲望だ。だから、私欲のない人間なんて矛盾してる。矛盾してるからこそ、その在り方を鵜呑みにできない。
まあ、どちらにしてもあまり変わらないよ。より多くを救うのに必要な犠牲なら、最後の最後で俺は必ず切り捨てる。誰だってそんなのは御免なんだから、やられる前に、と考えるのは実に健全だ」

切り捨てまいと足掻いて足掻いて足掻き抜く。それはこの十年、一貫して士郎が貫き続けたあり方の一つ。
しかし、逆にいえば足掻く余地がないとなれば、必ず切り捨てる、切り捨てるしかない。
それが正義の味方、全体の利益のために必要悪を行う者。
それを人々が恐れたのは、無理からぬことだった。

その感情が納得できるからこそ、士郎の声に憎しみも悲しみも、理解されない事への怒りもない。
自分がどうしようもなく破綻している事は、もう十年前に承知している。
なら、彼らを恨む道理などあるはずもなく、元よりそんな感情を持ち合わせていない。
そして、自分の為に誰かを恨めないが故に、彼は理解されなかったのだ。

「その上、『魔術は秘匿すべし』って大原則も破りまくったからな。ただでさえ封印指定を受けた俺が、そこまで派手に動けば当然連中は黙っちゃいない。魔術協会や聖堂教会をはじめとする神秘系の組織は律を破った俺達を粛清しようと追手を差し向け、或いは個人的に実験材料にしようと動く奴らもいた。それどころか、人外連中も危険な俺達を殺そうとした。賞金首同然…と言うよりも、実際に賞金もかかってたほどさ。
まあ、アルズベリの件が終わるまでの一時とはいえ、協会と教会が放置してくれただけでも温情だろう」

それまでは、なんとか神秘の側だけとはいえ野放しにしてもらえていた。
ただそれは、単純にまだ「利用価値」があったからであり、利益があったからだ。
そしてそれがなくなった後に、士郎達は本格的に命を狙われるようになる。
とそこで、アイリが士郎の発したある単語に反応を示す。

「アルズベリ? まさか、“第六の儀式”のアルズベリ・バレステイン?」
「ああ、アイリスフィールさんは知っていましたか。と言っても、フェイト達には良くわからないよな。
細かい事情を話すとまた長くなるから今回ははしょるが、イギリスの片田舎で大きな儀式があってな。その頃はまだ利用価値があったから見逃されてたんだ。
だが、アレが終わってからは用済みとばかりに追い立てられたよ。アレだけの事があって戦力的にはどこも相当疲弊してたくせに、早々にな。それだけ、俺達の存在が目障りで疎ましかったらしい。
それこそ、チャンスさえあればドサクサに紛れて殺したいくらいには……。
そして、洋の東西、裏も表も問わずに追われる様になって一年足らずだったか。アーチャーと同じ、あの赤い丘に行き着いたのは」

分かっていた事だった、だからそれ自体に思う事は何もなかった。
ただ、やはりなる様になったか、そんな諦観だけがあったのだろう。
せめてもの救いは世界と契約しなかった事であり、誇りは共にあり続けてくれた相棒の存在。
それだけで「まぁそんなに悪い人生じゃなかったな」と思え、それどころか「勿体無い程に恵まれていた」とさえ感じていた。他者にはどう写ろうとも、士郎には確かにそう思えたのだ。

そして何より、自分がそれまでに為した事に満足できた。
零れてしまったモノは数多くあれど、それでも守り救えたものがあった事に気付く事が出来たのだ。
それだけで十分報われ、誓いを果たせた事に心満たされた。

「別に、死は怖くなかった。やっと、自分が為した事を認める事が出来たから。
 何より、俺は一人じゃなかった。凛には申し訳なかったけど、それでもその事が嬉しかったよ。
 まあ、だからこそこいつにはたくさん心配させて、迷惑もかけた。
俺は、ずっと凛に守られていたんだって思うよ」
「………………凛は、凄いね……」

フェイトの呟きは、士郎に届く事なく虚空に消える。
自分だったらどうだろう? きっとずっと一緒にいようとしただろうが、出来たかどうかはわからない。
比較など出来る事ではないとわかっていながら、彼を守り続けた凛にフェイトは心が折れかける。
承知の上のつもりだったが、それでもこうして本人から言葉で二人の間に在ったモノを聞くと、尚更だろう。士郎への想いの源泉、それを理解しかけてきたが故に。
そしてそれは、たぶん少し離れた所に座るすずかも同じ。その事を、フェイトは何も聞かずに理解していた。

「俺が今生きているのは、凛と桜のおかげだ。二人が、色々頑張ってくれたからな。
 ただ、意識が途切れる直前少しだけ欲が出た、やり残しに気付いたんだ。
俺は結局、凛に何もしてやれなかったんだなって」
「え?」
「こいつはさ、俺といられて幸せだったって言ってくれたんだ。
でもそれは俺が幸せにしたんじゃなくて、凛が俺との時間を幸せだと感じてくれただけだ。
 それは…………なんだ、ちょっと甲斐性がないにもほどがあるだろ? だから、せめて拾ったこの命は、こいつと幸せになるために使いたいんだ。“俺自身の為”にもさ」

気恥ずかしそうにしながら、士郎はかつての彼であれば思いもしなかったであろう言葉を口にする。
自己に帰する欲を持たなかった男がやっと持つ事の出来た、ささやかな欲望。
それはまさに十年に及ぶ凛の努力の成果であり、この先続いていく新たな道の第一歩となった感情。

凛は凛で、そのあまりの気恥ずかしさから顔を真っ赤にしているが、抑えきれない様子で口元を緩ませている。
なんとか厳めしい顔をしようとするがそれが出来ず、その事に不機嫌になりながらも嬉しさを隠せない。
そんな、もういろいろ混じり合って滅茶苦茶になった感情が、その顔に浮かびあがっていた。

他の面々も、その告白に当てられて凛同様に顔を真っ赤にする。
士郎はあえて「凛の為の正義の味方」とは言わなかったが、概ね彼の告白の裏にあるものは読み取れた。
というより、読めない方がどうかしているのだが。

そして、約一名を除いた守護騎士達の場合、「よくもまあ人前でそんな事が言える」と半ば呆れてもいた。
しかしそれ以上に、皆そんな風に誰かを想い誰かに想われる事に憧れを抱く。

すずかやフェイトにしたところで、さすがに眼の前でそこまで言われれば嫉妬も湧かない。
それどころか、かえって清々しい気分さえしていた。まあ、やはり顔は真っ赤だが……。
だが、そんな面々を特に気にせずに士郎は肩を竦める。

「まあそれにしても、我ながら呆れるしかないけどな」
「へ? 何にですか?」

士郎の呟きに、それまでどこかうらやましそうにしていたシャマルが反応する。
ヴィータやシグナムより、彼女は色恋方面への関心が強い。
その為、凛と士郎の関係には色々と憧れに近い感情があるのだろう。

「俺はどうも、一度死ぬくらいのインパクトがないと生き方を変えられないって事だよ。
 全く『バカは死ななきゃ治らない』って言うけど、これじゃあホントみたいじゃないか」
「何言ってんのよ、正真正銘バカの証拠でしょうが」
「否定できないのが辛いなぁ……」

凛の痛烈な言葉に、士郎は苦笑を浮かべるしかなかった。
本当に、凛の言う通りだ。そう言わんばかりに、天井を見上げて笑っている。

だが、誰もが理解していた。この二人の間にある、その絆の強さを。
なんだかんだと言いつつも、結局最後まで付き合った凛。
最後の最期で本当に大切な宝物を手にしていた事に気付き、それを守るために生きる事を選んだ士郎。
どちらも、お互いの事を真に想いあっている事が誰の目にも明らかだった。
当然……いや、夫と娘を持った経験のあるアイリには、誰よりもそれが理解できただろう。
しかしそこで、アリサがある疑問点に気付く。

「…………ところでさ、あんまり物騒な事言わないでよね。その口ぶりだと、一辺死んだみたいに聞こえるわ」
「くっ……」
「何よ」
「いや、さすがに鋭いなと思ってさ。アリサの言う通りだ、確かに俺達は一度ならず死んでるよ」
『は……?』

アリサの言葉に苦笑していた士郎の口から零れたのは、皆からすればあまりにも意味不明な一言。
無理もあるまい、死んだというのならここにいる衛宮士郎と遠坂凛はいったい誰なのか。
そしてその答えは、当事者である凛の口から語られる。

「ハッキリ言っちゃうとね、私達の体は生来の物じゃないのよ。
 とある高名な人形師が手掛けたヒトガタ、つまり新しく用意した別の入れ物って事」
「え? ………………………それって、まさか!?」
「アンタ達にとってイメージしやすいのは、やっぱりプロジェクトFかしら。
 私達の場合、一切の方向性を持たせていない未分化のヒトガタに魂を定着させたものだから、記憶転写型クローンってのとは厳密に言うと違うんだけど……」

あまりの突拍子の無さに驚きの声をあげかけるユーノの機先を制し、凛は肩を竦めながら説明する。
だが、そのプロジェクトFの当事者であるフェイトの混乱は尋常ではない。

(それじゃあ……ここにいるシロウも凛も、わたしと同じ全くの別人、なの……?)

フェイトは容易くその言葉を信じる事が出来ない。
自己の過去を全否定する事にもなりかねないその事実に対し、二人ともまるで気負いというものがない。
それどころか、凛に至ってはまるでモノのついでと言わんばかりの面倒臭さまで滲んでいる。
以前友人達に素性を話した時の自分と比較し、そこに強い違和感をフェイトは覚えていた。

そんなフェイトの様子を察したのか、それとも別段そんなつもりはないのか。
士郎は慎重に言葉を選びながら、己が考えを口にする。

「みんなが何を考えているのかはわかっているつもりだ。死者は蘇らない、それはフェイト自身が証明している。
だが、魂という唯一無二のそれを定着させた以上、ここにいる俺達はまず間違いなくあの日死んだ筈の遠坂凛と衛宮士郎の筈だ。少なくとも、魔術的に考えればな」

士郎の言葉を聞き、フェイトは少なからぬショックを受ける。
しかし、それが何に対してのものなのか、それはフェイト自身にもわからない。
プレシアが目指したモノを為し得た事か。それとも自分と似た境遇にありながら、自身はオリジナルとなった人物と同じ存在である、というアイデンティティを士郎が持っている事に対してか。
或いは、そのどれでもないのかもしれない。
一つだけ確かなのは、フェイトにとってその言葉は聞き流せないものだったという事。

「それじゃあ……」
「だけど、別にそんな事はたいして問題じゃないんだよ」

フェイトが何か言おうとしたところで、それに被さるように士郎の言葉が耳に届く。
それはフェイトの岩の様に堅い声音とは対照的に、まるで世間話でもするような気軽さだ。
それに毒気を抜かれたのか、フェイトは一瞬唖然とし口が止まる。

「確かに理論上ではそうなんだが、それが正しいかどうか確かめる術は俺達には無い。
 俺は自分を衛宮士郎として認識しているが、それが勘違いや思い込みでは無いという保証はどこにもない。
何しろ魂なんて、眼に見えず触れる事も出来ない曖昧なものだからな。もしかしたら、俺の認識は単なる錯覚でしか無くて、本物の衛宮士郎はとっくの昔に死んでるのかもしれない」
「なんで…………なんでシロウは、笑ってそんな事が言えるの? 自分が、偽物かもしれないのに……」
「簡単な話だ。別に、どちらにしてもなにも変わらないからだよ。
 俺が本物なのか偽物なのか、仮に偽物だったとしても俺がする事、したい事には何の変化もない。そもそも、見方によってはエミヤシロウと言う存在そのものが紛い物なんだ。紛い者が偽物になった所で変化はないさ。
 紛い者でも偽物で、俺がする事、したい事は変わらないんだから」

士郎のその言葉は、フェイトの心の奥深くに小さくない動揺を与えた。
そんな事には興味がないと、例えそうでも何も変わらないと、フェイトの心の檻を士郎はいとも容易く踏み越える。

だがフェイトは思う、そもそも衛宮士郎とはそう言う人間ではなかったか、と。
自身が偽物であるか否か、そんな複雑な問題に直面したところで彼の歩みは止まらない。
それは、他ならぬ十年前の話を聞いて良くわかっていた筈の事。

これもまた、ある意味において揺るぎなき確固たる自己を持っていると言えよう。
多少、変則的かもしれないが……。

だがそれでも、そう言いきる事のできる士郎がフェイトには眩しく見えた、
それはおそらく、士郎が彼女らに感じた眩しさとよく似たものだろう。
自分が持たない何かに対する羨望、憧憬。それこそが、フェイトの感じた眩しさの正体。
そうして、士郎は話を本筋に戻す。

「ま、つまりはそう言う事だ。俺は、死ぬ直前にやっと大切な事に気付く事ができた。
 そして、それまでの自分を曲げちまった。それが今の俺の全てだよ」
「…………………そう、だからあなたは…裏切り者なのね?」
「そうです。切嗣との誓いがありながら、俺は死を間近にしてそれを覆しました」

士郎はアイリの目を見て、決然とそう言い放った。
そこでアイリは変化に気付く。つい先日は、懺悔するように自らを貶める様に士郎は語っていた。
だが今は、あの時と違って堂々とした雰囲気でそれを語っている。
何が彼を変えたのかはわからないが、アイリはその様子に深く安堵していた。

「一つだけ、教えて。あなたはその選択が間違っていたと思う?
 これから続いて行く人生で、最後までその選択を誇っていける?」
「恥じてはいません、悔いてもいません。それはこの先も翻すつもりはありません。
切嗣には申し訳ないと思います。でも俺は、自分が間違っているとは思いません。この先何があろうと、こいつと一緒に生きていきます。
本来、俺には一度死んだ程度では償いきれないほどの罪があります。それでも身勝手ながら、俺は死ぬわけにはいかないんです」

かつての彼であれば絶対に口にしなかっただろう言葉と共に、士郎は躊躇う事なく堂々と誓いを口にする。
それはまるで、神の前で生涯の誓いを立てているかのよう。いや、士郎にとってはそれに等しかった。
過去に奪った数多の命、守るべきものを守れなかった現実、誓いを破った事への罪を全て背負って、それでもなお別の生き方をすると言い放ったのだ。
父である切嗣は、それまでの犠牲を無駄にしたくなくて、泥濘の様にその道から抜け出せなくなっていった。
士郎もそれだけで正義の味方を続けてきたわけではないが、それが皆無だったわけでもない。

如何に自分の中で区切りがつこうとも、罪悪感という名の鎖は重く、その泥は絡みついたら離れない。
まるで底なし沼にも等しいそこから、士郎は遠坂凛という綱をつたって抜け出した。
その難しさを、衛宮切嗣を近くで見ていたアイリには理解できた。
同時にそれが、士郎独りでは為し得ない、二人だからこそできたある種の奇跡なのだと言う事も。

その事実が、士郎との間にこれほどの絆を結んだ凛の事が、アイリには堪らなく嬉しいと感じる。
だがその一方で、心がざわついている事に気付く。それは、嫉妬と呼ばれる感情。
なぜそんなモノまで抱いてしまうのか考えて、やがてアイリは理解した。

(ああ………………そうか。
 これは、私にできなかった事を為した事へのもの。自分のふがいなさの責任転嫁。
 そして…………まったく、なんて浅ましい。でもそれなら、私はきっと彼の事を……)

同時に、アイリは自分が何をすべきなのか、何をしたいのかを理解する。
この胸の内にあるのは、かつて切嗣やイリヤに抱いたモノであり、今ははやてや守護騎士達に抱く感情に近い。
まだ『親愛』や『愛情』と呼ぶには幼いが、それでもその萌芽。
それを自覚し、知らず知らずのうちにアイリの眼には光る者が浮かんでいた。

「「あ、アイリ!?」」
「アイリさん、どうしたんですか!?
「「アイリスフィール!?」」

八神家の面々は、それぞれ何事かと驚きを露わにする。
無理もあるまい。突然家族が涙を流せば、誰だって動揺するだろう。

そしてそれは、士郎にしても同じだった。
もしや自分の言葉は、彼女を深く傷つけるものだったのではないかと危惧する。
だが同時に、謝る事は出来なかった。後悔しないと、間違っていないと言ったのだ。
なら、ここで退けばそれはその言葉が嘘だったと言う事になる。それだけは、士郎にはできなかった。
しかし、その危惧が考えすぎであった事を直ぐ知る事になる。

「……違うわ、これは別に悲しいとかそう言うのじゃない。
ただ、彼がちゃんと、自分の為に生きてくれる事が嬉しかったから……」
『ぁ……………………』

言い方は悪いが、士郎は切嗣の呪いを打ち破ったとも言えるだろう。
その事に誰もが気付き、アイリの言葉の意味を理解する。
とはいえ、士郎としてはどう反応したものか困り果ててしまい、ついつい目が泳いでしまう。
さすがに、まさかこんな反応が返ってくるとは思わなかったのだ。
そうしてアイリは涙をぬぐい、呆然とする士郎に話しかける。

「さっきも言った事だけど、あなたは何も悪くない、あなたが負わなければならない責任なんてない、あなたの選択は間違っていない、切嗣もきっと同じ事を言う筈よ。あなたは、幸せになっていいの。
だから私は、あなたのその選択が嬉しい」
「は、はい……」
「あなたは、私の事を許してくれる? あなたから全てを奪い、人生を縛る原因を生みだした私を……」
「許すも何も、俺は……!!」
「…………ありがとう。でも、本当は赦してほしくない。出来るなら、あなたに償いをさせて欲しい。あなたに裁いてほしい。だけど、それはあなたも同じでしょ? なら、私だけ罰を求めるのは虫がよすぎると思う」

そんな事はないと叫ぶ士郎に、アイリはその答えがわかっていたが故に静かにうなずき本心を語る。
その言葉通り、出来るなら罰を与えて欲しい。贖罪を彼女は望んでいる。
しかし、それはあくまで償われる側が望んでいなければ意味がない。望まれない償いなど、いっそ害悪だ。
それを彼女も理解しているが故に、士郎に無理にそれを求めたりはしない。

「俺は…………あなたに幸せになって欲しいと思っています」
「……ええ。そして、それは私も同じ。だから、というわけでもないけど……あなたの事を愛する事を許してくれますか? 切嗣の息子であるあなたを、我が子と思う事を許してくれる?
 あなたから全てを奪った、本来であれば仇である筈の私だけど……」
「ぇ…………」

その言葉は予想していなかったのか、士郎は言葉をなくす。
だが、アイリは士郎から視線を外す事なく、真摯に士郎の返事を待ち続ける。
母親、それは士郎が失って久しい存在。いや、そもそも士郎は母の事を覚えていない。
憶えている家族の記憶は父 切嗣と、姉の様な存在である大河の事だけ。だからこそ、その困惑は一層深い。
しかしそれでも、彼女がそれを望んでくれるのならば応えたい、士郎はそう思う。

「………………いいのでしょうか?」
「切嗣の息子という事は、私にとっても息子同然よ。あなたさえ許してくれるのなら、私はそう在りたいと思う。
 皆は、どうかしら?」

アイリは静かに自分の思いを告げ、残る家族達に意見を求める。
誰もが穏やかな笑みを浮かべるのを見て、なのは達は心を温かくした。
きっと大丈夫、そう誰もが確信したが故に。

「そやね、やっぱり…家族が増えるのはええことやと思うよ」
「ですね。男の子が増えたら、お家の中がさらに賑やかになりそうですし、私は嬉しいですよ。
 お料理をはじめ、家事も教えてもらえますし」
「後半は思いっ切りシャマルの都合じゃねぇか…………ま、あたしもはやてやアイリが言うなら別にいいぜ。
 少なくとも、シャマルに飯を作らせる機会が減るなら文句はねぇ」
「ヴィータちゃんヒドイ!! そっちこそ自分の都合じゃない!!!」
「そう言う事はまともに食えるもんを作れるようになってから言え!!!」
「まあ、そこの二人の意見は置いておくとして…………他のどこの馬の骨ともわからぬ輩なら反対するところですが、それが衛宮だと言うのなら否はありません。衛宮は自身をああ語りましたが、それでも私は衛宮を信ずるに値する男だと思います。己を知り、その在り方に疑問を持ち続けた彼は、決して悪党や外道の類ではありません。それに、いつぞやの決着も付けたい」
「お前も大概ではないか……しかし、俺も文句はない。何より、主やアイリスフィールがお決めになった事なら、それに従うのが我らの務めでしょう」

なんと言うか、過半数が思い切り個人の都合を口にしている。だが、それでも賛成意見一色なのは変わらない。
特に、はやては優しい笑顔を浮かべ、おそらくは最もその事を喜んでいる。
小声で「せやったら今度はお兄ちゃんが出来るんやなぁ」などと、まだ決定してもいないのにその可能性を口にするほどだ。ほんの半年少々前まで孤独だった少女にとって、それは何よりもうれしい出来事だろう。
特に、弟妹が出来る事はあっても兄姉が出来る事はまずないからなおさらだ。

「みんな、こう言ってるわ。あなたは……どう?」
「……………………………………………………その…よろしく、お願いします」

長い沈黙の末、士郎は答えを出した。
その心の裡でどんな葛藤があったかはわからないが、それが士郎の答え。

同時に、場が湧きたつ。八神家の面々だけでなく、なのは達も士郎のその言葉を心から喜んだ。
凛ですら「やれやれ」と呆れながらも、うっすらとその顔に微笑みを浮かべている。
リニスなどは、念話で「おめでとうございます」と祝辞を述べたりもした。
そして、それは当然今頃アルテミスにも伝わっている事だろう。

とそこで、守護騎士たちは互いに無言のまま目配せをし合う。
すると、唐突にシグナムがその場で立ち上がり、続いて残る守護騎士たちも立ち上がった。
はやては彼らの挙動の意味がわからず、疑問の声を漏らす。

「シグナム、どないしたん?」
「主はやて。真実を知り、納得したからには我等はけじめをつけねばならないのです。
 アイリスフィールと衛宮がこの関係で落ち着くのなら、尚の事筋は通さねばなりません」
「けじめって……」
「そう、ですよね」
「だな。このまま有耶無耶ってわけにはいかねぇし」
「ああ」

守護騎士たちはすでにお互いの間で確認が済んでいるのだろうが、他の面々はその限りではない。
皆、士郎や凛でさえも不思議そうに騎士たちの事を見つめている。
そしておもむろに、シグナム以下守護騎士全員が士郎と凛に頭を下げた。

「お、おいおい、シグナム! シャマルにザフィーラ、ヴィータまで……」
「いったい何のつもり?」
「言っただろう、けじめだ」
「だから、なんのよ?」

いきなり頭を下げられた士郎は困惑し、凛はいぶかしむようにその真意を問う。
シグナム達とてこれでは説明不足だと言う自覚はある。
故に、一同を代表してシグナムがその真意を口にした。

「これまでの数々の非礼への謝罪と、そして……感謝だ」
「感謝と言うのは想像がつくが……」

感謝と言うのは「アルテミス」の事だろう。
士郎自身の認識としては自分はほとんど何もしていないとはいえ、それでも彼らの同胞を助けたことに変わりはない。故に、感謝と言うのはわからないでもない。
しかし、非礼などと言われても思い当たるものが士郎にはなかった。

「なんとなくそんな気はしてたけどよぉ、おめぇホントに気にしてねぇのな」
「だから、なんのだ?」
「正直、我等は今までお前を心から信じることができなかった。
『いつかあの男のように全てを無に帰してしまうのではないか』、そんな疑いをぬぐえずにいた。
 いや、いっそ敵意すら抱いていたと言っても良いだろう。敵ではないと分かっていても、それでもお前に心を許す事が出来なかった」

ザフィーラが言うのは、守護者として呼び出されたアーチャーの事だろう。
彼らからすれば当然の話で、一度は全てを滅ぼした男と振り二つであり、酷似した能力を持つ士郎を全面的に信頼するのは難しい。まあ、そもそも二人は同一人物と言えるのだから無理もないが。
だが、一連の真実を知ってようやく彼らはその疑いを捨てることができた。
確かに二人は同じ存在かもしれない。しかし、同時に似て非なる別人なのだとわかったから。

「それで、謝罪ね。律義と言うかなんというか、有耶無耶にしちゃえばいいのに……今ので分かったと思うけど、こいつそもそも気付いてすらいないわよ」
「そういうわけにはいかん。礼節だけでなく、我等の矜持の問題でもある。なにより、それでは筋が通らん!」
「さいですか……」

士郎同様、凛もあまりその辺りには興味がないのだろう。
堅苦しいシグナムの言葉に、呆れたように肩を竦める。
しかし、やはり士郎としては彼らに謝罪などされるのはしっくりこないものがあるらしく、困ったように頭をかく。

「だけどなぁ……」
「とりあえず受け取っときなさい。そうじゃないとアイツら納得しないわよ。
 こんなことで押し問答しても不毛も良いとこなんだから」
「すみません、士郎君。でも、本当にそうじゃないと私達の立つ瀬がないんですよ。
 非礼を働いて、恩を受けて、それで何も返せないなんて苦し過ぎるじゃないですか」
「むぅ……」

いまいち釈然としないものはあるようだが、それが一番当たり障りがないのだろうと無理やり納得する士郎。
凛の言う通り、こんなことで押し問答をしても間抜けすぎる。
また、シャマル達の立場と心情を思えば納得できてしまうのだから。
早い話、士郎には観念して謝罪と感謝を受ける以外ないのである。
彼らの事を大事に思うのなら、猶の事。

「再三に渡って非礼を働き、本当にすまなかった。
 そして……感謝を。主はやてやアルテミスを救うために尽力してくれた恩は決して忘れん。
 今の我等には言葉と誠意以外にお前達に示せるものはないが、いずれ…必ずこの恩に報いることを誓おう」
「気にするな、って言っても無駄なんだよな?」
「そういうこった、人助けだと思って諦めて恩返しされてくれ」
(ものは良い様だけど、こいつにはこの方が効果的かもね)

悪戯小僧の様な笑みを浮かべるヴィータの言葉に、内心「なるほど」と納得する凛。
士郎の性格を逆手に取る、実に上手い言い回しだ。
こんな言われ方をしては、士郎としても無碍にはできない。

「なにより」
「ん?」
「よく、アイリスフィールと出会ってくれた…………ありがとう」

騎士としてではない、一個人としての飾り気のない感謝の言葉。
家族として、心からアイリの前に士郎が現れてくれた事に感謝しているのだろう。
もし士郎達が現れなければ、アイリはずっと真実を知ることができなかった。
辛い真実かもしれない。それでも、知ることができて良かったとアイリは思っているし、シグナム達もそれはわかっているから。

「そうね。底意地の悪い運命かもしれないけど、シグナムの言う通り…この出会いには感謝しないと。切嗣と生きて、イリヤを産んで、はやてやみんなと暮らして…………そして、あなたにめぐり合う事が出来たんですもの」

その点に関しては、むしろ士郎も同じ気持ちだ。
アイリに出会えたからこそ、士郎もまた胸の内にしまいこんでいた澱から解放されたのだから。
故に、士郎もまた彼女同様礼を言おうとしたところで、アイリが何事かを考えこみだし機を逸してしまう。
待つ事少々。アイリはゆっくりと顔を挙げ、どこか遠慮がちに士郎に問う。

「………………………………ねぇ、士郎君……いえ士郎、と呼ぶべきなのかしら? 
あなたさえよければ、うちに来る気は…ない?」
「おお、そりゃいいじゃねぇか」
「ちょ、ヴィータ……士郎君にも色々都合っちゅうもんが……」
「ですよね。ところではやてちゃん、折角ですし『君』はとってもいいんじゃありませんか?」
「ん? そう言えばそうかもしれへんな……じゃあ、これからは『シロ』で」
「待て、俺は犬か!? いくらなんでも急接近し過ぎだろ!?」

アイリの唐突な提案に、士郎はもちろん、さしもの凛ですら直ぐにリアクションが取れない。
その間に、八神家の面々はどんどん勝手に話しを進めていく。それも、変な方向に。
ちなみに、決して昔「駄犬」だの何だのと言われたトラウマから嫌がっているわけではない……と思う。

「頼むから、せめて呼び捨てにしてくれ……」
「う~ん、わたしとしては『士郎お兄ちゃん』とか『士郎ちゃん』でもええんやけど?」
「いや、勘弁してくれ。人前でそんな呼び方されたら恥ずかしくて悶死する……というか、後者はもう兄じゃないだろ……」
「注文が多いなぁ……それやったら『士郎』っちゅう事で」
「俺が悪いのか? いや、もういい……勝手にしてくれ」

段々と突っ込む気力が失せてきたのか、後になるにつれ士郎の声は弱くなる。
やがて面倒になったのか、直ぐに突っ込む事をやめてしまった。
これから先、このノリと家族付き合いをしていくかと思うと、士郎には一抹の不安が宿る。
俺、このノリについて行けるのかなぁと、士郎はかなり本気で心配になっていた。

だが、いつまでも脱線しっぱなしでいいわけがない。
ようやく復帰した凛が、不満タラタラで士郎に問う。

「で、コントは良いけど、結局どうするの?」
「ああ………………その、すみません。お誘いは嬉しいんですが、やっぱり俺にとってはここが……というか、こいつの隣が居場所なんで」
「ついでに言うと、私もそっちに行く気はないから。この家は結構気に入ってるしね」
「そう…………ごめんなさいね、あなた達の都合も考えずにいきなり変な事を言って」
「あ…いえ、こちらこそすみません」

しどろもどろな士郎の返事に、アイリをはじめ八神家の面々は寂しそうな顔をする。
出来れば一緒に住みたかったのだろう。しかし、士郎としてもこれは変えられない。
彼は凛と生きる事を選んだ、ならここを離れると言う選択は選べない。
家族になると言う言葉に嘘はないが、それでもこれは不器用な彼にとってどうしようもなかった。
アイリ達もすぐにそれを理解し、柔和な笑みを浮かべてそれを了承した事からも、その気持ちを理解した事が窺える。

「でも、できればちょくちょく顔を出してほしいわ。
 みんな、いつでもあなたが“帰って”くるのを待ってるから、もちろん私も」
「……ありがとう…ございます。必ず、頻繁に帰らせていただきます」
「うんうん、それと夫婦喧嘩した時にはいつでも泊ってええからねぇ」
「はやて、余計な事は言わなくていいのが分かんないのかしら?」
「ややなぁ、わかってて言うとるに決まってるやん」

どっちもどっちだが、特にはやては良い神経をしている。
しかし、『帰る』というアイリの言葉に士郎は一瞬詰まるも、それが好意の現れである事を理解し頷き返す。
それを見て、誰もが明るい未来を想像したのは当然だろう。
未だ余所余所しさと言うか、他人行儀な所があるのはどうしようもないが、それもきっと時間が解決してくれる。
色々前途多難な事ばかりの親子関係だが、その辺はなるようにしかなるまい。
とはいえ、さすがに士郎の畏まりすぎた口調には違和感をぬぐえないらしく、はやては言う。

「う~ん。ところで、家の事は別にええにしても、さすがにその話し方はどうなんや?」
「どうって、何がさ……」
「ほら、これで晴れて親子、家族なわけやろ。それやったら、それらしくせな」
「つまり、もっと砕けた話し方をしろって事か?」
「うん、わたし達にみたいにな。他人行儀にしてたら、いつまでたっても家族にはなれへんで」

はやての言に一理あると思ったのか、士郎は口元に指を添えて考える。
確かに、親に対して過度に敬語を使うのはどうだろう? そう言う家庭もあるが、それはそう言う方針の場合だ。
そうでないのなら、郷に入っては郷に従うべきかもしれない。
実際、士郎は切嗣相手に呼び捨てだった。その事から考えても、壁を作っているようにも思える。

とはいえ、今すぐにどうこうというのも難しい。
これまでずっとこう言う口調で話してたし、どうしても敬語を使いたくなる。
まあこの辺は、時間が解決してくれるかもしれない。
結局、士郎は最終的にそう言う結論に至った。

「そこは、今後に期待って事で一つ……」
「まあ、ええか。そんな無理してやる事でもないもんな」
「じゃあ、一つだけお願いしていい?」
「なんですか? アイリスフィールさん」
「それ! その『アイリスフィールさん』っていうのをやめて!!
 はやてやヴィータ、シャマルだって『アイリ』って呼んでるんだから!!」
「で、ですが、シグナムやザフィーラはこっちで呼んでますよ!?」
「あの二人は堅物だから仕方ないの!」

ヒドイ言われようである。しかし、本人達は自覚があるのか、ただ苦笑いを浮かべているだけだ。
しかし、ドサクサに紛れてアイリはトンデモなく無茶な要求(士郎主観)をしてきた。
と言うか、今までとノリが違い過ぎて士郎は大いに戸惑う。

「とにかく、あなたはこれから私の事を『お母さん』か『ママ』か、どちらか好きな方で呼びなさい!!」
「はぁ………………………………って、なんでさ!? いくらなんでも飛躍しすぎでしょ!?
 敬語を抜くのだってまだなのに、いきなりそれはハードルが高すぎますよ!! というか、それはもうはやて達だって使ってないじゃないですか!?」
「だって~~~、みんないくら言っても呼んでくれないんだものぉ~~~……だから、まず長兄として範を見せて♪ そうすれば皆もついてくると思うし。あ、ちなみに意見は求めてないし、反対は認めません♪」
「横暴だぁ―――――――――――――――――っ!!!」

アイリのあまりの強権を初めて知った士郎は、その独裁ぶりに驚愕する。
当然、そんな事全く知らなかったなのは達やリニスなども同様だ。
まあ、凛の場合士郎の慌てふためく姿を見て楽しそうにしているので、その限りではない。
とそこへ、その強権に振り回されてきた面々は語る。

「まあ…………いつもの事だ、諦めろ」
「だな。アイリの家での権力は神クラスだからよ、受け入れちまった方が早いぜ」
「頑張ってください、士郎君。私達は応援(だけ)してますから」
「くれぐれも、こちらに被害を広げるな。被害はその一身で受けてくれ。頼んだぞ、(元)正義の味方」
「士郎、住む場所は違うてもわたしと同じアイリの子になんやから、ちゃぁんと従わなあかんよ」
「お前ら知ってやがったなぁ――――――――――――っ!!」

ちなみに、上から順にザフィーラ・ヴィータ・シャマル・シグナム・はやての順である。
最後の絶叫が誰かは、まあ言うまでもないだろう。
しかしそこで、さらなる追い打ちが士郎を襲う。

「シロウ、気持ちはわかるよ。私もリンディさんに養子にならないかって言ってもらった時は、戸惑ったけど………………………その、嬉しかったから」
「良かったね、士郎君。優しい(?)お母さんが出来て♪」
「士郎君おめでとう。今度お姉ちゃんやファリン達とお祝いに行くね」
「アハハハハハハハハハハハ♪ 士郎、私も何か贈ってあげるわよ。何が欲しい?
『ママ』って刺繍したエプロン? それとも割烹着? なんなら執事服でも良いわよ」
「うぅ……他人事だと思いやがって…………」

友人達の、温かいが故に無体な言葉の数々。
ついでに言うと、今回はフェイト・なのは・すずか・アリサの順である。
普段ならうれしくて涙が出るところだが、なぜか今日は悲しくて士郎は泣いた。
まあ、フェイトの発言はややずれているのはご愛敬……なのか?

悪気は…………四番目以外には特にないのだろう。
ただし、四番目には悪意が満ち満ちていが……。

孤立無援にも等しいこの状況で、自分を救ってくれるモノはいないのだろうか?
そう思いつつも、誰も手を差し伸べはしない。凛? こんな楽しそうな場面で彼女が助けてくれるはずもなし。
当然、横で大笑いしながら腹を抱えている。ここで凛を殴っても自分は悪くないと思った士郎だが、後が怖いのでやめた。ヘタレである。

まあ、世の中には「捨てる神あれば拾う神あり」と言うありがたい言葉があるのだ。
この場合、士郎の拾う神は誰かと言うと………………。

「ああ、その……士郎、気にしない方がいいですよ。みなさん遊んでるだけですから……たぶん」
「あははははは! は、腹痛い! ま、まさかアンタがこんなに困ってるとこを見れるなんて!! 
 チクショウ、あたしのバカ! なんでカメラ持ってこなかったんだぁ―――――!!」
「士郎、頑張りなよ。一友人として、僕はいつでも力になるから」
「そう思うなら助けてくれ、今すぐ!!」
「あ、ゴメンそれは無理。だって、そんなの野暮じゃないか」
「ユーノにまで見捨てられた!?」
「どういう意味さ!?」

うん、いなかった。みんな捨てる神で、拾う神は欠席中だったようだ。
リニスですら、同情するだけで何も手を出してくれないのだから、その孤立無援ぶり推して知るべし。
まあ早い話、遂にはリニスやアルフ、ユーノにさえも見捨てられた士郎であったわけで……南無。


そうして、当初の重苦しさはどこへやら。
蟠りも、抵抗も、過去のしこりも全てが洗い流され、最後に残ったのは笑い声だけだった。

結局そのままなぜかお泊まり会に発展し、日付が変わるまでこの騒ぎは続いたという。
当然、その中でまだ話し切れていない部分も多く語られた。
例えば冬木で共に過ごした一年であり、例えばロンドンでの日々であり、例えば闇の書の中で凛が見た夢の事。
そうやって、真冬の夜は更けていく。

そして翌日、遠坂邸には三人の親子が家族の遺骨と遺髪に共に手を合わせる姿があったとか。
それを見て、友人達は等しくその顔に満面の笑みを浮かべていたという。
それはどこにでもあり、何一つとして特別なモノの無い家族の肖像。
だが、それこそが何よりも変えがたい宝石である事を、その場にいた全員が理解していた。

さあ、いよいよ年の瀬。前の年に別れを告げ、新しい年を迎える日は間近。
次の一年は今年よりもより良いものでありますようにと、誰もが当たり前のように願い、同時に確信していた。
当然だろう。なにせ、これだけの友人と家族がいるのだ。
――――――――――――これで、不幸な筈がないのだから。



第二部 了



Interlude

SIDE-フェイト

遠坂邸の客間の一つ。
そこでわたしとアルフをはじめ、数人の友人達が……雑魚寝、だっけ? をしている。
確か凛が、「こんなに泊めるスペースはないわよ! 諦めて雑魚寝しなさい!!」とか言ってたし。
確かにいくら広い遠坂邸でも、この人数の寝床を確保するのには無理があるもんね。

その為、結果的に本来二人が適正な空間に、四・五人で寝る事になった。
まあ、そんなちょっと珍しいお泊まり会も皆と一緒なら十分楽しめたけど。
実際、みんな騒ぎ疲れて早々に夢の中に旅立っている。

だけど、わたしとアルフだけはまだ起きていた。
皆が寝静まった辺りで、アルフと話がしたかったから。
「アルフ、起きてる?」
「ああ、起きてるよ」
別に、わざわざ聞かなくても起きてる事には気付いていた。
だからこれは、ただなんとなく聞いてみただけ。
でも、話のきっかけとしてはこんなところだろう。

「この間話した事、憶えてる?」
「確か、なんで士郎の事を好きになったのか、だっけ?」
「そう。シロウを好きになった、その理由」
「今その話をするって事は、わかったのかい?」
「うん。やっと…やっとわかったんだ。わたしは、シロウに――――――――――――――憧れたんだ」
「憧れ?」
わたしの言葉に、アルフは首をかしげるように問い返す。
暗いから良くわからないけど、たぶん本当に首をかしげて怪訝な顔をしてるんじゃないかな?

「今日の話を聞いてね、シロウとわたしは『似てる』って思ったんだ」
「……そうかな?」
「わたしの勝手な思い込みかもしれないけどね。それでもわたしは、シロウに強い共感を覚えたんだ。
 半年前のわたしは、ただひたすらに『母さんへの想い』だけで生きてた。
 昔のシロウは、ただひたすらに『お父さんとの誓い』の為に生きてた。
 中身は違っても、結構似てるんじゃないかな」
「まあ、確かに似てるっちゃあ似てる……のかな?」
そう、それが最初に感じた感覚。
わたしが母さんへの想い以外には空っぽだったように、シロウもまた空っぽだった。
その原因やそうなった過程は違っても、結果だけは似ている気がする。
もちろん、わたしとシロウじゃその意味合いがずいぶん違うけど……。
それでもその時心の奥底で、まるでパズルのピースが嵌るみたいな感じがしたんだ。

だけど、『似てるけど違うんだ』って事に気付いたのもすぐだった。
「でもね、どれだけ似ててもそれだけだったんだ。確かに似てるけど、それ以上じゃない」
「どういう事だい?」
「わたしは……………シロウみたいに強くない。シロウみたいに、思いを砕かれても一人で立ち上がったりなんてできない。
道の先には何もなくて、ただ破滅と絶望しかないんだって知ったら、きっとそこで止まっちゃう」
もしかしたら、それがあるべき人間の姿なのかもしれない。
凛は言った、シロウは人として歪んでて、壊れた価値観しか持てない人だって。
ずっと、誰よりも近くでシロウを見てきた凛が言うんだから、たぶんそれは事実なんだろう。

だけどそれでも、未来の自分に結末を見せつけられ、自分の結果に心を砕かれて、立ち上がる事なんてできる筈がない。シロウが壊れてるとか、歪んでるとかとは無関係に。心が……魂が耐えられない。少なくとも、それがわたしだったなら……。
なのに、シロウはそこから立ち上がった。それどころか、屈する事なく絶対的な絶望に立ち向かい打ち破った。
言葉にするのは簡単だ。だけど、それが出来る人がいるとは思えない。こうして、シロウの過去として聞かなかったら、わたしも信じられなかっただろう。

だからきっと、シロウは歪んでて壊れてても、誰よりも心が強いんじゃないかと思う。
それが、何もない心が空っぽだからこその強さだとしても、その強さだけは本物だ。
シロウがお父さんの笑顔を綺麗だと思ったのと同じように、その理想に憧れた気持ちがそうであるように、シロウの強さもまた本物の筈。真実、彼は未来に、自分自身に打ち勝ったんだから。

なら誰にも、その強さだけは否定できない。否定していいはずがない。
そしてわたしは、たぶん知らず知らずのうちにそんなシロウに惹かれていたんだと思う。
似ているのに……だけどわたしよりもずっと心が、魂が強いシロウに。

「フェイトは、士郎の強さに憧れたのかい?」
「……うん。わたしは、シロウみたいになりたい。シロウと同じ道でなくても、シロウの様に強くなりたい。
 闇の書に囚われた時に、闇の欠片達と戦った時に分かったんだ。わたしはすぐに迷って、簡単に心が揺れる。
そしていつも、いつかまたわたしは一人ぼっちになるんじゃないかって、みんなわたしを置いて行ってしまうんじゃないかって……不安で、怖くて、怯えてる。そんな事…………ある筈がないのに。それでも、やっぱり優しさや温かさを怖いと思ってる。
だからわたしは…………シロウみたいな強さが欲しい。何があっても誇り続けられる自分に、どれだけ傷ついても立ち上がれる自分になりたい。シロウが凛を信じ続けた様に、本当の意味で、大切な人達と……何より自分を信じられる様になりたい。それだけはきっと――――――――――間違いなんかじゃないから」
「士郎は、たぶん反対するんじゃないかな?」
「あ、やっぱりアルフもそう思う?」
「だって、あの士郎だよ……」
そう。だってシロウは自分以外の人が傷つく事を我慢できない人だから。
幾ら生き方を変えたからって、そう簡単にその根底が変わる筈がない。
だからきっと、シロウはこの事を知ったら反対しそう。目指す自分の形はともかく、「シロウみたいになりたい」っていうのには反対する。それがわかってるから、絶対に言わない。

でも、そうなんだ。シロウがお父さんに憧れた様に、わたしは無意識のうちにシロウの強さに憧れた。
唯それだけの事で、それはどうしようもなく困難な道。弱いわたしだから、きっとそれは大変な道だろう。
「だけど、わたしはきっとこれからもずっと、何があってもあの背中を追って行くんだと思う。
『誰かに負けるのはいい、だけど自分には負けられない』。わたしも、その意地を張っていきたいんだ」
その言葉を胸の奥に抱えて、支えにして、わたしはあの背中を追って行く。
わたしにはない強さを持った、道を歩みきったあの人の背中を。

そして、その事を自覚すると胸を焦がす炎と熱が穏やかになるのを自覚する。
別に、シロウへの思慕が無くなったわけじゃない。
確かに、シロウと凛の過去にはショックを受けたし、悲しくて辛くて泣きたくなった。
シロウの新しい誓いを聞いて、一瞬『敵わないなぁ』と思ったりもした。

諦めがついたのかどうかは、正直自分でもよくわからない。
一つだけ確かなのは、今までの様にシロウの事しか考えられないってわけじゃないって事。
前までの様に、凛への対抗心で一杯っていうわけでもない。
なんて言ったらいいのかな……やっと、ちょうどいい距離感がわかってきた気がするんだ。

自分の気持ちの出所がわかって、それとの向き合い方を再確認できた。なら、今はこれだけで充分だと思う。
「アルフは、どう思う?」
「そうだね、あたしはそうやって目指すべき目標があるのはいい事だと思うよ。士郎だって、目標があったからアレだけ頑張れたんだろうしさ。ならきっと、いつかフェイトが追い付く時も来る。それは保障するよ。
なんてったって、あたしのご主人さまなんだから。今は無理でも、いつか士郎なんて追い越すって!」
「うん、ありがとうアルフ。わたしも、そのつもりだよ。今はまだ遠い背中だけど、いつか追い付いて…必ず追い越す。シロウも凛も、それにクロノにもわたしは負けるつもりなんてないから」
わたしにとってシロウが強さの目標だとしたら、クロノは職業的な目標かな。
わたしはこれから局の一員として働いて、執務官を目指す。

でも、二人が言った事も忘れちゃいけない。
この思いの手綱をしっかり握って、自分自身の幸せも探す。
きっとそれが、わたしを助けて支えてくれたみんなへの恩返しにもなるから。
そして、自分達の手にある『力』が、人を傷つける『凶器』なんだって事を。
凛は力の怖さを、その暗部を教えてくれた。なら、それを忘れちゃいけないんだ。

「それとさ、フェイト。一つだけ、約束してくれないかい?」
「え?」
「フェイトが士郎の強さを目標にするならさ、今の士郎も目標にしてほしいんだよ。
 アイツは、今までの自分と違う新しい自分、自分の為の人生を歩いてる。それは、フェイトも同じだろ?
 だから、これからもフェイトは、士郎と同じように自分の為の道を歩くってさ」
「…………………そうだね。わたしは夢と目標の為だけじゃなくて、ちゃんと自分の為に生きていく。
それで、良いんだよね?」
「ああ。それならあたしは、どこまでだって、いつまでだってフェイトと一緒にいるよ」
うん。それが、わたし達の契約だもんね。


さあ、そろそろ眠る事にしよう。
わたしはまだ、聖杯戦争の時のシロウくらいの年にもなっていない。
だから、まだまだ時間はある。だけど同時に、それにかまけて怠けてなんかいられない。
折角だし、今からどんどん頑張って、少しでも早く追いつきたい。

その為には、今はまず眠ろう。
思いっきり寝て、いっぱい勉強して、たくさん訓練して、もっともっと強くなれる様に。
力と技だけじゃない、脆くて壊れ易いこの心を鍛えていくんだ。
遥か先を行く、あの遠い背中を目指して……。

そうだ、明日からはシロウやシグナムに剣も教えてもらおう。
シロウはともかくシグナムはちょっと複雑なものがあるけど……うん、形振りなんて構ってられないよね。

だって、わたしはまだまだ弱くて未熟だから、得られるものは手当たり次第。
何が役に立って、何がいらないかなんてわからない。ううん、きっと無駄な物なんて何もないから。
それに、なのは達も誘ってもっと色々な事を皆から聞こう。
それはシロウや凛だったり、シグナム達だったり、或いはクロノやリンディさん達だったり。
きっとみんなの経験や話を聞く事には、わたしにとっても大切な意味があるから。

そうやって、明日からの事を考えていると気持ちが昂ぶる。
さあやるぞっていう気持ちになって、活力がふつふつとわき上がってくるのを自覚した。
時間は沢山あるけど、それ以上にやりたい事、やる事が沢山あるんだ。
なら、一分一秒だって無駄になんてできないんだから。


…………翌日、気が高ぶり過ぎて寝つけず、結局寝坊してしまったのはちょっと……凄く情けなかった。
これだけ意気込んで誓っておいて、いきなり転ぶなんて……。
うぅ…………わたしのドジ……。

Interlude out






あとがき

はい、これでやっと第二部完結でござい!!
ここまでお付き合いくださり、心より御礼申し上げます。

しかし、なんだか色々知った風な事を書きましたね。
今回の話で書かれている事の大半は、筆者の知ったかぶりである事をご承知ください。
それっぽい事は書いていても、書いている内容ほど偉そうな人間ではないわけですしね。

とりあえず、士郎とアイリの方には決着がつき、フェイトの気持なんかにも一区切りついた形になります。
今までのフェイトは、「恋に恋してる」みたいな感じがあったので、それが一皮むけたと思ってください。
たぶん、この点で言えばすずかも同様でしょうけどね。
好き嫌いで言えば間違いなく好きなんでしょうが、その『好き』の意味が変わってきている感じですか。

あと冒頭部分ですが、リンディとレティはなんだかんだ言いつつも士郎達に協力的です。
というか、むしろ自分達の責任として、二人を守らねば的な心情すらあります。
どうせ世界や局は厳密な意味で二人の味方にはならないだろうし、ならそんな酔狂な事をする人間が局の中にいても良いだろう、と言う様な感じの考え方です。
割かし、当SSでは反骨精神旺盛な二人になってますので、その事そのものを楽しんでたりするんですよ。
どっかの共和政府のみなさん同様、「伊達と酔狂」で二人の味方をする事を選んだような感じです。
いや、元々はそんなつもりはなかったんですけど、状況というか話の流れに流されてこんな感じになってしまいました。

当SSの八割は、その場のノリとキャラの一人歩きで出来ているようです。
私は大まかな流れと最低限の要点だけ決めて、後はその場のノリなんかで書いてますからね。
一応プロットはありますが、本当に大雑把ですから。
たぶん、アレ見ても「何これ?」って思う人が大半なんじゃないかなぁ?
暗号並みとまでは言いませんが、走り書き的に意味不明っぽいのです。
書いた張本人以外には、何が書かれているのかさっぱりでしょう。

最後に、新章の更新は当分未定です。
改めてプロットを立て直し、色々練ってからになるので、いつになるかはちょっと明言できません。
秋になると少々忙しくなりますし、もう一方の作品の方に気持ちが向いている部分もありますので。
期待してくださっている方々には申し訳ございませんが、しばしの間お待ちいただければ幸いです。


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