湾内の狭い海を抜けると港街であった。夜の底が白くなった。岸辺に船が止まった。
空は晴天。木箱を降ろす男達の横をすり抜け、石造りの地面に降り立つ。
俺は今、アリアハンにいた。
人の交通手段を使用しての旅はあらゆる情報に通じた俺にとっても初体験であり、正直ちょっと楽しかった。
そう、『人の』、だ。
魔族たる俺は魔王軍ではそれなりに重要なポジションにおり、その関係ですでに世界中を巡っていた。
何故魔族である俺が人に化けてまでアリアハンまで来たかというと、ある勇者候補がついに16歳の成人を迎えたから。
つまるところ、ソイツが魔王軍にとって脅威となるか、なるようなら早々に潰してしまおう、そういうことである。
アリアハンの城下町は活気で溢れていた。この辺に配置された魔物はあるいは子供にすらどうにかできるような雑魚ばかりで、人々もさして脅威としていないようだな。
実際はアリアハン兵の練度が低くさして強い魔物を置く必要がない、というだけなのだが。いい気なものである。
「アルス、だったか」
一人、誰に言うわけでもなく呟く。
確かそんな名前だった。人間に関する情報は少なく不確かなのだ。
諜報もそれなりに潜り込んでいるが、そもそも人に自力で変身出来る魔族自体が少ない。特定のアイテムを使えばともかく。
勇者オルテガは人間としてはかなり強い類だった。ならば、その子であるアルスもそれなりの素質を持っていると踏んでいい。
今は経験が浅いかもしれないが、だからこそ今のうちに始末する必要が出てくる。
さて、どうしようか……やはりまずはルイーダの酒場に行くべきか?
勇者候補を始末するのはなかなかに面倒な仕事だ。いきなり押し掛けて蹴散らせてしまえば「なぜ魔物が自分達の内情を理解している?」という疑問に繋がり、諜報部員達の存在がバレてしまう。
だからこそ、適度な所で適度に強い魔物に殺させる、というのが一番なのだ。
それが、人間達が「ボス」と呼ぶ連中だったりする。
ただ勇者の力量の見極めるのが問題で、あまり過小評価してしまうと無意味に経験値を積ませかねない。
(あるいは、俺自身がパーティに加わって様子を見るか……?)
結論からいうと、結局はこの案が採用された。
……多少……多分に、予想外な経緯となったのは否めないが。
ルイーダの酒場は人々で溢れかえって……はいなかった。
「あら、お客さんですか?朝早くご苦労様です」
「ああ……なんだ、ここは冒険者で溢れかえっていると聞いていたが」
屈強な戦士達がひしめいているのを想像していたので、かなり拍子抜けだ。
だがすぐに、俺の疑問に店員とおぼしき女性は苦笑しながら答えてくれた。
「ここは曲がりなりにも『酒場』ですよ?冒険者達の交流の場でありお食事をお出しする飲食店でもありますけど、人が集まるのは基本的に夕方からです」
それもそうだ。
「しかし、となるとどうしたものか……」
夕方まで待つか?手段としては確実だが、それは流石に非常識だろう。お店にも迷惑がかかる。
「仲間を探しに来たのですか?」
「ある男の旅に同行出来れば、と思ってはるばるやって来たんだ」
自然に自分の意図を漏らす。神経質なまでな隠密行動をすると逆に怪しまれると判断した結果だ。
「特定の人、ですか。でしたら、名簿から名前をお探ししますよ?」
そうか、そういえばここはそういうシステムだったな。
「では頼めるか?」
「はい。ルイーダさん、ちょっといいですかー?」
って、君が調べるのではないのか。
思わず顔に出ていたのか、彼女は簡単に説明してくれた。
「ここは大勢の冒険者さん達の情報が集まる場所ですからね、魔物の中には情報収集の為に人に紛れている者もいるって噂もありますし」
うわ、情報漏れてる。この地区の奴は左遷決定。レイアムランド辺りに。
「だから、個人情報はルイーダさんが一括管理しているんです。……あ、ルイーダさん」
彼女の見た方につられて目を向けると、バニーガールの衣装を着た妙齢の女性が店の奥から出てきた。
そういえば、目の前の彼女はメイド服だ。長い黒髪を白いリボンでまとめた姿はお城などで見掛ける正当派なものであり、酒場の衣装とは少し趣が違う。何か意味があるのだろうか。
「どうしたんだい……おや、お客さんかい?珍しいね、こんな時間から」
「朝早くから失礼。とある冒険者を探して来たのだが」
それで何を求められているか理解したのだろう、ルイーダは「はいはい」と言いながらカウンターの下をあさりだした。
と、ひょいと顔だけカウンターの影から覗かせ、ルイーダは店員の少女に話しかける。
「そういえば、さっき裏手であんたのお母さんに会ったよ。なんかあんたを探してるみたいだったけど」
「えっ?……あっ、いけない!今日は用事があるんだった!ルイーダさん、失礼します!」
あいよ、と返事をするルイーダ。そのまま彼女は店を出ていく……と思いきや、再び俺に向き直った。
「あの、お名前を聞いていませんでしたね。なんとお呼びすれば?」
「あ、ああ。俺はロビンだ」
これは偽名ではなく本名だ。魔族にだって名前はある。
「ロビンさんですか。探し人、見付かるといいですね!」
そういって、とびっきりの笑顔を見せた。
(――――――えっ?)
なんだ、今の。
俺の、3つある心臓が一瞬変に跳ねた気がした。
顔が熱くなる。え?え?
彼女はすぐに立ち去り、俺は無人の扉をぼうっと眺めていた。
「お待たせ……って、どうしたんだい?」
「い、いや、なんでも、ないぞ?」
「……そうかい?ま、いいけどね」
あの子の笑顔にやられる男って結構いるし、とかほざいてくれる。……えー。
「惚れた、のか?」
我ながら呆然とした声を出していた。それほどまでに想定外だった。
「あたしに聞かれてもねぇ」
そんな。俺は魔族で、あの娘は人間だ。そんな―――
「どうしよ……」
頭を抱える。
「なんだい、案外ウブだね」
ほっとけ。
本当に、綺麗な笑顔だった。
欲しい、と思った。
もらっちゃえ、と決意した。
「あの娘と結婚しよう」
「……落ち着いてるようで、意外と無茶な性格だね」
魔族だからな。
「性格は『せけんしらず』っと」
何か書いているが、まあいい。
「そんじゃ、誰を探しているか教えてくれ」
そうだった。それが本題だったな。生涯の伴侶を発見してしまい忘れていた。
「アルスだ。勇者オルテガの子供の、今年16歳になったという」
告げると彼女はポカンとして、後に大爆笑した。
「あははははははははははははははは!!!!!」
笑い過ぎだ。
「何がおかしい?」
「何が、って、あんた、そりゃ、あははっ」
実に気持ちのいい笑いである。この女は長生きするのだろうな。
「だって、さっきまで普通に話してたじゃないか!あんたの訪ね人とさ!」
何を言っている?アリアハンに到着してから話した人物など数えるほどしか……
しか………
しか…………
しか……………!?
「真坂」
「そうだよ、さっきまであんたが話してたアレがアルスだよ!」
あの、黒髪のメイドの女の子。
あの娘が、勇者―――!?
「異端」は孤立するが故に「異端」だ。分かり合える道理はない。
(なんて、ことだ―――)
目の前が真っ暗になった。
魔族である俺と相思相愛である彼女が、実は正反対に位置する『勇者』であったなんて。
「そもそも、何故勇者がメイドなんだ……」
「ああ、そりゃアルには昔からの友達がいてね、そいつの趣味だよ」
ちなみにアルの家はこの店の向かいでね、昔っからよく手伝ってくれてるんだ。などと訊いていないことまで話すルイーダ。
俺は失意のあまり、近くの椅子に崩れ落ちるように座った。
「……なんで、そんなにショックを受けてるんだい?元々勇者と旅に出る為にアリアハンに来たんだろ?むしろ、好都合と受け取るところじゃないか」
「俺は―――魔族だ」
ルイーダが息を飲むのが判った。
俺は語った。何故アリアハンに来たのか。そして、俺と彼女のあまりにも哀しい運命を。
「そうかい……まあ、これ飲んで元気出しな!」
ドン、とテーブルを割る気ではないかと思うほど強く叩き付けられたジョッキ。俺は冒険者達をまとめる彼女の器の大きさに感激しつつ、それを飲み干した。
ロビンは麻痺して動けない!
「なにを仕込んだ、ルイーダァァァッッ!!!!」
「じゃ、兵士さん後は宜しくねっ」
投げキスとウインクをかますルイーダに騎士達は動揺しながらも、俺を逃がすつもりはないらしく左右からガッチリと掴んで引き擦っていった。
どの道麻痺して動けないわ、下等生物共がっ!