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[4801] R.G.O! (よくあるMMO風味)
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:338ea360
Date: 2011/07/18 10:43
7/18 お久しぶり過ぎてすみません。全体的に修正しましたが、誤記の訂正や表記の統一、描写などの少し追加、くらいで大幅な改定というわけではありません。
31から新しいです。



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 Royal Garden Online ――「始まりの王、降り立ちし庭」 と呼ばれる大陸、グランガーデン。これはそこを舞台に繰り広げられる、剣と魔法の冒険の物語。
 
 そんな宣伝文句で少し前に売り出されたゲーム、ロイヤル・ガーデン・オンライン――略してRGOは、昨今大人気の家庭用VRシステム用のゲームソフトの一つだ。
 
 ネットワーク上の仮想空間に意識を繋げるという一昔前なら夢の話だったこのVRシステムも今や世界に随分と広がり、家庭用が普及するようになってからそれなりの時間が経つ。開発当時は医療用のみだったこのシステムも今では随分と裾野を広げ、こうした娯楽用が人気を博す時代になった。
 
 いつかどこかで読んだそんな近代工学史の一文を頭に思い浮かべながら、私は今まで眺めていたパソコンのモニターから目を外し、椅子をくるりと回して大きく伸びをした。
 疲れた目をこするとあくびまでついでにこぼれた。人には見せられない姿だと思いつつも新鮮な酸素を脳に取り入れる作業を止める気はなく、心行くまで深い息を吐く。
 私は気が済むまであくびをすると目じりに浮かんだ涙を拭ってもう一度机の上のモニターに目をやった。
 
 私が今まで見ていたのはRGOのマニュアルや情報サイトだ。
 自分がこれから遊ぶゲームの基礎知識を仕入れようとさっきまで熱心に読み込んでいた。お陰で基本的なことは大体理解できたように思える。
 別に石橋を叩いて渡るような性格じゃないけども、必要に駆られて、というところだろうか。
 このゲームは発売されてからもう一月半ほどの時間が経っている。後発の人間が仲間に入れてもらおうというなら、やっぱり基礎的な知識の一つもなければ他人に迷惑がかかるだろうというせめてもの配慮からだ。
 活字好きで良かった、とため息を吐きつつマウスを操作してマニュアルやサイトを閉じる。
 マニュアルにしろ情報サイトにしろ、とにかくその文章量はかなりのものだった。
 いくら活字中毒でも流石に目が痛くもなろうというもんだ。
 
 けれどそれらを読んだ限りでは、RGOはなかなか面白そうなゲームという印象だった。中世っぽい雰囲気を持った剣と魔法の物語というのは私の好みに当てはまるし、所々に挿入されている画面の写真も興味をそそった。
 
 情報サイトによればこのゲームのストーリーの柱と言えるグランドクエストは、この大陸のどこかに存在するという『始まりの王、眠りし庭園』 を探しだし、そこに遺された『王の遺産』 を手にすること。その遺産を手にすると何があるのかはまだわかっていないらしい。
 現在は大陸の三つ目の地区まで踏破されていて、行ける街や村の数は八箇所ほど。
 一月半という月日とその攻略の進み具合が釣り合っているのかどうかは私にはわからない。
 プレイヤーの平均的なレベルは十代半ばから二十台前半というところで、上位職への転職者も増えているという話だ。
 ちなみに人気の職業は今のところは騎士系や銃士系らしい。反対に不人気なのは魔法職全般。魔法職が不人気な理由は色々あるらしいが、それはどうせこれから身をもって体験する事になる。
「双銃士とか、カッコよさそうなんだけどなぁ……ま、仕方ないか」
 
 ふぅ、と一つ息を吐いてからもう一度モニターに目を落とせば、そこには今までマニュアルの画面に隠されていた別の画面が移っていた。
 画面の両端はカラーパレットや様々なツールが占め、中央にはそれらに囲まれるように一人の人物の3D映像が映し出されている。
 それは私がRGOのために作り上げたキャラクターであり、これから仮想空間で身に纏う外装だ。
 マウスを操作してその人物をくるりと回し、横から後ろからと眺めて最後のチェックを行う。
 友人から借りた、外装をカスタマイズする為の専用ソフトで三日かけて作り上げたキャラクターは、どこから見ても実に私の理想通りの姿だった。
 ずっと、一度でいいからこんな姿になってみたいと思っていた。
 その夢がもうすぐ叶う。
 
 時計に目をやると机の下に手を伸ばし、白いプラスチックの大きな籠を引っ張り出す。そこには部屋にそぐわない趣味の道具の類がしまってあるのだ。
 中に入っているのは父や兄から譲り受けた白や黒のかなり古い家庭用ゲーム機とソフト、それときちんとしまわれたコードやアダプター。
 そこに混じって一つだけ、鮮やかな色を放つ物があった。
 メタルブルーのフルフェイスヘルメット――のように見えるこれが、家庭用VRシステムの端末だ。
 
 高校に入学した時に学習用として買ってもらったそれをゲームに使うのは実は今回が初めてのことだ。
 普段は学習補助用と、仮想空間にあるショッピングモールでの買い物にしか使った事はない。仮想モールを使うと試着が簡単だから便利なのだ。
 最近は世界各地の観光ソフトや、空を飛んだり海に潜ったりという体験ができるソフトもストレス解消などの目的で人気らしいが、それもまだ使ったことがなかった。
 日常の中でストレスがたまっていると自覚することは少ないし、そもそも私は高いところが嫌いだし水も苦手だ。考えるだけでそっちの方がストレスがたまる気がする。
 だから買い物以外の初めての本格的な娯楽使用には少なからず心が躍る。
 
 端末から伸びた長いコードを机の脇に置いてあるパソコンに繋ぎ、電源やネットワークの接続を確認する。
 RGOのソフトはもうインストールしてあるし、カスタマイズした外装を含むキャラデータも移してある。
 もうすぐ、約束の時間だ。
 
「……ついていけるかな?」
 少しばかり不安が胸をよぎったが、私はすぐにそれを振り切るようにベッドに勢い良く寝転がった。手に持ったままだった端末を頭にかぶり、端末使用時専用の真ん中が大きくくぼんだ枕に頭を乗せる。
 何とかなる、と自分に言い聞かせて、横たえた体の力を抜いた。
 もうすぐあの姿になれるのだ。
 きっとあの姿なら、皆ちょっとくらい大目に見てくれるに違いない。
 少しばかりの期待と不安を胸に、私は静かに言葉を紡いだ。
 
「R.G.O、起動。ログイン、パスワード―― 37373-XXXX 」
 





[4801] RGO2
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:318e5993
Date: 2011/07/17 15:57
 

「南海(なみ)、これ」
 
 いつも通りの放課後の教室で荷物をまとめていると、目の前に不意に紙袋が差し出された。
 顔を上げると目の前には良く知っている男子生徒が立っていた。クラスは別々だが見慣れたその顔と差し出された紙袋を交互に見て首を傾げると、相手は呆れたようにため息を吐く。
「あのなぁ、今日お前誕生日だろうが」
 ああ、そう言われてみればそうだったような気もする。
 
「そういやそうだっけ? んじゃ誕生日プレゼント?」
 私の返事に盛大なため息を吐いたコイツは渡瀬光伸。
 私の家の三件隣に住むご近所さんで、幼稚園はおろか町内の産院で五日違いで生まれた時からの幼馴染だ。そのまま幼稚園、小、中、どういう訳か高校まで同じ学校を選んでしまった正真正銘の腐れ縁。単に私もコイツも面倒くさがりで家から一番近い高校を選んだだけという話もあるんだが。
 
「ありがと、ミツ。ってことはあんたのも五日後かぁ。今年は何かリクエストある?」
 紙袋を受け取りつつ逆に聞いてみると、光伸はひどく苦い顔を見せた。
「来週ずっと親父が出張なんだ……飯食わしてくれ! それ以外は望まんから、頼む!」
 その絶望に彩られた声音に私は思わず心の中で合掌した。光伸のお袋さんの料理は色々な意味でものすごいことをよく知っているからだ。
 光伸の母親である亜紀さんは優秀なキャリアウーマンであり、一部を除き家事その他の才能にも恵まれている良妻賢母なのだが、その除いた一部、料理に関してだけは何故か天性のアレンジャーとも言うべき奇才の持ち主だ。熱心に本を見ていても百二十パーセントの確率で全く違う物が出来上がるのだからすごい。もちろんその味に関しては言うまでもない。光伸にとってお袋の味とはトラウマを意味する言葉らしい。
 いつもは光伸の父親が食事を作っているのだが、その親父さんが出張ともなれば確かに死活問題だろう。
 深く同情しつつ、わかったと頷いて見せると、光伸はものすごくほっとした顔を浮かべた。
 
「助かった……!」
「ご愁傷様。朝はまぁ何とか乗り切れ」
「朝はコンビニにする。よし、これでお袋には何時もどおり残業して外で食って来いって言えるぜ」
 固い決意を浮かべる幼馴染に思わず笑いがこぼれた。そう言う事ならせめて来週は何か好物を作ってやろうとは思う。
 光伸の家とはまた違った事情で私は自炊生活をしているから料理は得意だ。と言ってもただ単に母親が父親の地方への単身赴任に着いて行ったのでもう一年ほど一人暮らしだというだけなんだけど。
 歳の離れた兄は電車で三十分ほどのところで一人暮らししながら働いているし、隣近所の仲はいいので大丈夫だと言って私は着いて行かなかったのだ。せっかく入学したばかりの歩いて十分の所にある高校から転校するなんて全く冗談じゃなかった。
 己にほどほどの生活能力と信用があって良かったと心底思ったもんだ。
 
 まぁそんな事は置いておいて、私は光伸から貰ったまま手に提げていた紙袋をチラリと覗いた。中には何か箱が入っているらしい。
「あ、それ開けてみろよ。俺のオススメだぜ」
「へぇ。どれ」
 簡単に閉じてあるテープを剥がして袋の中に手を入れる。手に当たった箱を取り出すと出てきたものは――
 
「……RoyalGardenOnline?」
「そ。略してRGO。 今流行ってんだよ、そのゲーム」
「へぇ。オンラインってことは、MMOって奴?」
 手にしたパッケージには剣や盾を手に持ち鎧に身を包んだ青年や、美しい女性の絵が描かれている。
 どうやら昔から定番の古めかしい中世風のファンタジー世界を舞台にしたゲームらしい。ベタではあるがそれ故にいつでも愛されるんだろう。
 そんな事を考えながらパッケージを裏返してみた。パソコン用のソフトかと思ったのだが、裏側にあったのはVRの文字。それはVRシステムを利用したゲームだということを示している。

「VRゲームかぁ。そういえば最近何かにハマってるって言ってたっけ」
「ああ、今これやってるんだ。結構楽しいからナミもどうかと思ってさ。お前結構ゲーム好きなくせにVRゲームはやってないだろ?」
 光伸の言葉に私は思わず眉を寄せた。
 確かに私はゲームを趣味の一つとしている。当然VRシステムを利用したゲームソフトが数多く存在し人気であることも良く知っているが、今まで私がそれらに手を出したことがないのも事実だ。
 その理由をこの幼馴染は良く知っているはずである。なのにその上でのこの言葉に多少むっとしても仕方ない。
 
「ミツ……」
 恨めしげな声を漏らすと、光伸はハッと顔を上げて慌てて両手をバタバタと横に振った。
「あ、いや、お前の事情はもちろんわかってるって! 運痴だからって気にすんなよ、このゲームなら大丈夫だからさ!」
 遠慮のない言葉が私の胸をぐさりと抉った。
 今自分にHP表示があったなら確実に半分は削られたに違いない。
 
 そう、実は私はいわゆる運動音痴だ。それも重度の。
 ボールを投げれば足元に落ちるかすぐ前にいるチームメイトに当たり、走り出せば三十メートルで力尽き、水に入れば沈んでしまう。
 周囲の人々からは、運動神経がそもそも存在していないに違いない、などと言われる始末だ。
 その運動音痴ぶりはゲームにも如何なく発揮され、シューティングを始めれば五秒で撃墜され、アクションや格闘に至っては技の一つも出せないという自体に陥る。
 それゆえ私がプレイするのは、運動神経が全く要らないRPGやシミュレーションRPGなどに限られていた。
 しかもより単純さを求めて、物持ちのいい父や歳の離れた兄から譲られた数世代前の古いゲームとソフトを愛用している事は家族以外では光伸しか知らない秘密だった。
 最先端のゲームはRPGでも入っているミニゲームが凝りすぎていたり、画面が精巧過ぎてプレイしているうちに酔ったりしてついていけない事が多いのだ。
 (ちなみにVRが普及している現在でも、それ以外のいわゆるテレビゲームや携帯ゲームは市場を小さくしたがちゃんと存続している。VRシステムは健康な一般人の場合使用に年齢制限があり小学生以下は利用できないし、人によってはVRは苦手という場合もあるからだろう)

 とにかく、私は運動意外の能力については普通なのが救いだが、それ一つがいっそ非凡なくらいのマイナス値を叩き出している。
 それ自体についてはもうとっくに諦めがついているが、それでもずばりと言われて悲しくない訳ではない。
 来週の夕飯はうんと質素にしてやろうかと考えていると、光伸は慌ててRGOの箱を引ったくり、そのパッケージの裏面の文章を指差した。
 
「待った、これを南海に薦めようと思った理由がちゃんとあるんだって。ほらここ、魔法職と多種多様な魔法があるって書いてあるだろ? このゲームは魔法職なら運動神経がなくても問題ないんだよ」
 魔法、と言う言葉に少しばかり興味をそそられた。
 光伸の指差す場所をさっと読むと、確かにそこには様々な魔法を実現した、と言うようなことが書かれている。

「そういえばVRゲームって魔法を使えるソフトが意外に少ないって聞いたことあるけど……これは使えるんだ?」
「そうそう。そういう意味でもこれは発売前から注目度が高かったんだぜ」 
 VRゲームソフトは色々な物が次々に発売されているが意外にも魔法の概念があるものは少ないという話は私も聞いたことがある。
 シューティングやアクション、剣術や格闘のみが採用されたRPGなどは多く発売されているのだが、魔法は出てきてもあくまでそれらの補助的な道具と言う扱いの場合が多い。あるいはMMOのような形ではなく、一人プレイ用のゲームになら採用されていたりとか。
 魔法を全面に採用したMMOも過去に幾つかあったらしいが、あまり名を聞かないところを見ると良作とはいえなかったのだろう。
 理由としては魔法の概念を取り入れる際のゲームバランスの難しさと、起こせる現象の再現性の問題がどうこう、ということらしいが私には興味がなかったので良くわからない。
 様々な試行錯誤を経て、ようやく最近はそれらにある程度の解決の目処が立ちつつあると雑誌で読んだことがあるが、これはその先駆的な物なのかもしれない。
 そう考えると私の胸の内にもじわりと興味が湧いてくる。
 
「……本当に運動神経いらない?」
「いらないって! それにそもそもVRゲームは自分の生身の体を使ってプレイするわけじゃないしな。運動が苦手でも、ゲームの腕にはあんまり関係がないらしいぜ」
 それは私にとっても大分希望が湧く話だ。もしそれが本当なら、私だってゲームの中でなら華麗な格闘なんかができてしまうかもしれない。
「む、それなら、もしかしたら私も格好よく剣を振り回したりできるかもしれないってこと?」
 期待を込めてそう問いかけると、光伸は一瞬顔を強張らせた。その反応が返答のような気がして、私は思わず肩を落とした。
 期待させるようなことを言わないで欲しかった。
 
「あっ、悪ぃ、違うって! んーと、その……多分南海にも剣とか使えるとは思うんだけど……でもできれば、南海には魔法職やって欲しいかな、なんて」
「へ? なんで?」
 妙に言い辛そうな態度で魔法職を薦められ、疑問を感じて問いを返す。
 光伸はその問いにしばらく言い辛そうに口ごもり、それからもごもごと口を開いた。
「えーと、その、俺が良く一緒にやってるメンバーの中に、今魔法が使える人があんまりいなくってさ。攻略の時とかたまに困ることがあったりするんだよな。だから、南海が今からゲーム始めるなら、良かったら魔法職選択してくれればバランス的にも助かって一緒に遊びやすいかなー、なんて……」
「はぁ……なるほど」
 なるほど、とは言ったものの、私ますます首を傾げた。
 
 光伸がいつもどんなメンバーで遊んでいるのかはわからないが、どうやら仲間のやっている職業に大分偏りが在るらしいことはわかった。しかしRGOは魔法の実装が売りの一つであるゲームらしいのに、魔法職と非魔法職の比率がそれほど偏るのも不思議な話だ。
 私も以前パソコンでできるオンラインゲームを少しだけ体験してみたことがあるが、街で周囲を見回した感じでは、職業的な偏りは少なかったように記憶している。
(もっとも、そのゲームはほんの少し体験しただけで、やはりついていけなかったのですぐに辞めてしまったのだが)

 それに魔法職というのは大抵がソロでプレイするには向いていない職業だ。町では魔法職の人がパーティ募集をしているのも良く見かけた。普通なら仲間を探そうと思えば幾らでも見つかるように思える。
 このゲームの知識に乏しい私でも感じる違和感に、少しだけ嫌な予感を覚えた。
 
「このゲーム、魔法が期待されてたっていったよね? なのにミツの知り合いには魔法職の人が少ない? 街でパーティメンバー募集とかすれば、魔法職の人ってすぐ見つかるんじゃないの?」
「あ、う……うん、その」
 怪しい。どう見ても光伸の態度は怪しいとしか言いようがない。
「ミツ? 何隠してるのかな?」
「や、な、何も……」
 目を逸らしてなおもしらばっくれようとする光伸を睨みつけたがなかなか口を割りそうにない。
 私はハァ、と少々大げさにため息をついた。
「来週は煮込みハンバーグやオムライスを作ろうかと思ったけど……なんか急にメザシと味噌汁が食べたくなったなぁ」
「うえっ!? ちょっ、それを盾にするのか!?」
 胃袋から攻められた食べ盛りの男子高校生が陥落するのは早かった。
 私に促され、諦めた光伸はしぶしぶとRGOでの現在の事情を話し出した。
 
「……そのな、実はRGOは最初は当然魔法職は大人気で人口比率もかなり多かったんだけど、今ではその……大半の人がキャラの作り直しとかしちゃってて、あんまり魔法職を続けてる人がいないんだよ」
「キャラの作り直しって……普通相当悩むことじゃない? じゃあ、今は魔法職の人少なくなったの?」
「そりゃもう激減だよ。俺は最初から戦士系を選んだけど、仲間は何人も魔法職から方向転換したしな」
「魔法職ってそんなに弱いの?」
「うーん、弱いって言うか……火力は確かにすごいんだけど、魔法を使うのがとにかく面倒なんだよな。呪文を口で唱えないとなんだけど、その呪文を間違えると発動しないし、しかもどれもかなり長いし。
 簡単に唱えられると火力が強すぎるからバランスをとるためって言うことなんだけど、戦闘中ってどうしても焦るだろ? 大事な時にそれでうっかり噛んだりしたら周りから白い目で見られるし、運が悪けりゃ死んじまう。なんせ防御力は低いわけだしさ。
 敵がノンアクティブなフィールドで、一撃で倒せる奴を相手にしてる頃は強く感じられるらしいんだけど、そこを卒業する段階になると途端に相当辛くなるらしいんだ。そうなりゃ当然ソロは無理だろ?
 かといって、長い呪文を唱える間ずっと自分を守ってくれるパーティを全員が見つけられるかって言ったらそれも運だろうしな。色んな意味で茨なんだってよ」

 光伸の話に私ははなるほどと頷いた。そういう事情なら人気がないのも納得できる。
 しかしそんな話を聞いてしまうと私だってあえて魔法職を選ぼうと言う気が薄れてしまう。

「事情はわかったけど、それを知ったうえで私に魔法職やれって、ちょっとひどくない?」
「う……それは謝る。ごめん。けど、魔法職がいてくれないと困ることがあるのは本当なんだよ。魔法じゃないと倒しにくい敵がいたりとか、進めないクエストがあったりとかもするし。それに、お前ならきっと魔法向いてると思うんだよな」
 
 光伸によると、苦労しつつも魔法職を続けている人も一応ある程度はいるらしいのだが、そういう人は大抵固定パーティを組んでいて外に出てこなかったり、フリーでも魔法職必須のクエストなどの助っ人を高額で請け負う業者めいたプレイヤーが多かったりで、色々と問題が多いのだと言う。
 最近では何も知らずにこのゲームを始めた初心者魔道士を囲い込もうと、始まりの街で交代で張っているパーティも出る始末らしい。

 超売り手市場なのにそれでもなり手の少ない魔法職。
 考えてるうちに私の中には何となく逆に興味が湧いてきた。
 うう、まずい。実は私はク○ゲーには逆に燃えるタイプなんだ。
 逆境だと思うと思わず立ち向かいたくなるじゃないか。
 
「な、どうだ南海? お前ならかなりいけるって! お前運動神経はそりゃアレだけど、記憶力はいいしさ。記憶力いい奴って魔法職向いてるんだってよ。それにお前むかつくほどマイペースで慌てたりしないし、呪文唱えるのも向いてるって!」 
 運動神経その他はかなり余計なお世話だったが、確かに記憶力にはそこそこ自信がある。
 取り柄と言えるのかは実に微妙であるが、まぁ褒められて悪い気はしない。しかしそれ以外がどん底か普通のみである事を考えるとあまり喜べない。
 それでも、その取り柄が多少なりとも活きるかも、と思うとさらに気持ちが揺らぐ気がした。 
 私の気持ちが揺らいでいることを察したのだろう。光伸は急いで鞄を漁り、用意しておいた切り札らしきものを取り出した。

「な、頼むよ。あとこれ貸すから! RGO専用の外装カスタマイズソフト! 公式の奴で結構高いのをバイトして買ったんだぜ」
「外装カスタマイズ?」
「そそ。普通にキャラメイキングすると、プレイヤーの脳内から外見情報を取得して、それをベースにして外装が決定されるんだ。
 デフォルメされてっからリアルの外見そのままにはなんないんだけど、変更できる項目や使用出来るスキンってある程度幅が決まってるんだよ。
 けどコレを使えばそれより遥かに細かく、自分の思い通りの見かけに出来るわけ。どんな美形だって思いのままだし、性別も年齢も好きに変えられるから、ちょっと大人目のお姉さんだって、ロリっ娘だって好き放題!」
「それはあんたの趣味でしょうが」
 まさかコイツネカマやってたりしないだろうな、と少々危惧しつつ、私はそのソフトを受け取ってパッケージを眺めた。
 公式がゲームソフトとは別売りでカスタマイズソフトを出し、しかもそれがゲームソフトよりも高額とは、なかなかあこぎな商売だ。
 
 けれど、性別も年齢も思いのままという光伸の言葉で、私の心は決まっていた。
 ひょっとしたらこのソフトを使えば昔から憧れていたあんな姿になれるかもしれない。もしそれが実現するなら、魔法職で多少の苦労をしようともメリットは十分だ。
 憧れのあの姿に一度でいいからなれるなら。
 それは私にとっては何よりの誕生日プレゼントだった。
 
 



[4801] RGO3
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:318e5993
Date: 2011/07/07 15:13

 プレゼントを受け取ったその日、私は家に帰るとすぐにカスタマイズソフトを使ってキャラメイキングを始めた。
 このソフトはさすがに公式のものだけあって、種族、性別、初期職業など、必要な項目を予め決めておけばそれが全て適用され、ゲームを最初に始める時でも余計な時間を取られずに済むらしい。それ以外の外見に関する項目も沢山あり、本当に事細かに設定できるようになっていた。
 確かにこれならばこのソフトが多少高くてもゲームソフト本体に迫るくらい売れているというのも判る気がする。
 きっとゲームの中は美男美女で溢れているのだろうと思うと少しばかり笑える気がした。
 
「髪の長さは……もう少し長くしようかな。背中の真ん中まではいらないけど……色は、やっぱり銀かな? うーん……」
 画面に映ったキャラクターの髪の毛を肩より少し長いくらいに微調整し、色を薄くする。背丈は現実の自分よりも少し高いくらいにしておいた。
 慣れない体格にして転んだリ頭をぶつけたりしても困る。

 結局光伸と魔法職を選ぶ約束をしたので、種族は魔法系のステータスに補正のあるエルフだ。ファンタジー物では定番の種族だが、プレイしたらぜひ自分の耳に触ってみようと考えつつ、その尖り具合を調節する。
 頭の中に明確なイメージがある分、細部には色々と拘りたくなってしまって時間がかる。
 だがあまりにも自分のイメージ通りだと気恥ずかしさも沸くので、少しは変えて……などとやっていると、時間はあっという間に過ぎていった。
 結局、私は約三日間をキャラメイキングに費やし、光伸とゲームで待ち合わせの約束をした週末を迎えた。
 
 
 
 
「R・G・O起動――」
 
 言葉に反応して小さな機械音が端末から響いた。
 続いてログインの言葉とパスワードを告げるとうっすらと天井が見えていた視界が急に暗くなり、意識が一瞬遠のくような錯覚に襲われる。
 目を瞑る間もなく、自分の体と意識がどこかに投げ出されたような軽い浮遊感を感じ、ハッと気がつくと私は白と青の空間に立っていた。
 仮想ショッピングモールや映像学習のコンテンツにログインした時とはまた違う雰囲気に軽く目を見開く。
 どこまでも続く平らな地面は白く、その白を切り取るように青い空が広がっている。色の境目がなければ空も地面も意識できないだろうと思うほど平面的な空間だった。そして、その空間にぽつんと佇む異物が一つ。
 私は自分の立っている場所から少し先に支えもなくたっている扉に目を留め、そこに歩み寄った。
 手を伸ばしてドアノブに触れると、ポーン、と可愛らしい音がして扉の前に半透明のウィンドウが開く。
 ウィンドウには簡単な一文とYes、Noの項目が書かれている。
 
『アカウントNo:XXX-XXX-XXXX  外部インストールのキャラクターデータが一件存在します。それを使用しますか?』
 
 Yesの項目に指で触れるとウィンドウが消えた。
 顔を上げると目の前でゆっくりと扉が開き、どこかから女性の声が響く。
 
『新たなる旅人よ、グランガーデンへようこそ』
 
 開いてゆく扉の向こうから眩しい光が差し込み、思わず目を細めた。広がる光に視界が白で埋め尽くされ何も見えなくなる。
 眩しさに片手で目を覆い、歩き出すこともできず扉の前に立ち尽くした私の視界を白が覆い隠してゆく。
 
 立ち尽くしていたのは一瞬の事だったらしい。気がつくと私の周りの景色はまた一変していた。
 細めたままだった目を見開けばそこに映るのは白ではない色彩。艶やかな石畳と巨大な石柱が作る広い空間。

 ここは全てのプレイヤーが始めに訪れる始まりの神殿だ。
 マニュアルでそう読み、写真も見たはずなのに私は高い天井を呆然と見上げた。
 ショッピングモールの可愛らしくコンパクトな店が並んだ空間や、学習ソフトの無機質さしか知らない私にはその光景は十分驚きに値するものだった。仮想の物だというのに、神殿という名に相応しい神々しさすら感じてしまう。

 気の済むまで天井を見上げた私はやがてゆっくりと視線を下げ、ふと腕を持ち上げて自分の両手をまじまじと見つめた。下を向いたことで横の髪がはさりと落ち、緩いウェーブのかかった長い髪が視界に入る。
 それを一房手にとっていじってみると、指先に柔らかい毛の感触が確かに伝わる。
 その色は確かに自分が設定した銀灰色で、思わず顔に笑みが浮かんだ。
 
「こんにちは」
 唐突にかけられた声に私はハッと顔を上げた。
 自分の髪を弄りながらにやけていた所を誰かに見られた事に一瞬狼狽したが、声をかけた相手に視線を向けてすぐにその心配が杞憂だったことに気がつく。
 いつの間にか横に立っていたのは栗色の髪を後ろで束ねた、穏やかな顔つきの女性だった。
 女性の頭の上にはNPCである事を示す緑色の逆三角の小さなマーカーが浮かんでいる。
 NPC相手なら多少にやけた顔を見られたところでどうという事もない。
 そう判断した私は彼女に向かって一応軽く会釈を返した。

「こんにちは」
「ようこそ、異界より来たりし新たな旅人様。この神殿では旅人にこの世界の説明をさせて頂いております。説明をお聞きになられますか?」
 
 女性は暖かな笑顔と共に決められたセリフを滑らかに紡いだ。
 NPCだと解っていてもそれに笑顔を返したくなるような姿に驚きつつ、首を横に振る。

「いえ、大丈夫です。マニュアルは読みましたし」
「そうですか。それでは身分証の発行だけさせて頂きます」
 女性は私の返答に頷き、細い両手を持ち上げて何かを持つような仕草をした。
 次の瞬間その手の間に黒い布張りの四角いお盆が現れた。上には幾つかの品物が乗っている。彼女はそれらを細い指で順に指し示した。

「身分証はこのようなアクセサリーの形態をとっています。ご自分の職業や好みに合ったものを一つお選び下さい」
 
 お盆に乗っていたのは指輪、腕輪、ブローチ、ピアス、ペンダントといったいくつかのアクセサリーだった。どれも精巧な彫りの入った美しい銀細工だ。
 これは身分証というより、要するにステータスやアイテムウィンドウを開くための個人端末である事をマニュアルで読んだので勿論知っている。

 私は迷わず腕輪の形態をしたものを手に取った。
 指輪や腕輪の形をしたものは、それを嵌めた手をサッと振るとウィンドウが開く仕様になっているらしい。
 他の形態のものは指で一回突付くとウィンドウが開く。あとは音声入力でもウィンドウは開くらしいが、手が使えない状況以外で使う人間は少ないらしい。
 予め目を通した情報サイトによれば魔法職には腕輪の形の端末がオススメとの話だった。
 魔法職はどうせ篭手などは装備できないので邪魔になる事はないし、魔力補正の効果のある装備には指輪の形をしたものが多いので指は空けておいた方がいいとのことらしい。
 
 情報サイトにも目を通しておいて良かった、と思いながら選んだ腕輪を右手に近づける。
 するとそのまま手につかえるかと思えた腕輪は一瞬光りを放ち、次の瞬間にはキッチリと手首に収まっていた。
 便利なものだ、と思わず感心して頷く。
 それを見届けたNPCも明るい笑顔を浮かべて頷いた。

「こちらでの手続きは以上でお終いです。もし身分証の形態を変更したい時は、またこの神殿をお訪ね下さい」
「わかりました。どうもありがとう」
 NPCとは思えないほど自然な笑顔に、私も思わず微笑みを浮かべて礼を述べた。
 彼女はそれに応えるように大きく右手を挙げ、何本もの柱の向こうに見える大きな扉を指差す。
 
「それでは、始まりの街ファトスへ行ってらっしゃいませ。貴方の旅に始まりの王の導きがありますように!」
 
 
 ギギィ、と大きな音を立てて出口の扉が開く。
 出口に近づき扉が開くのを待っていた時、扉の脇の柱に鏡がついている事に気がついた。
 近寄ってその鏡を覗き込むとそこにはパソコンのモニターで見慣れた、けれど見慣れない自分の姿が映っていた。
 これが今の自分の姿だと解っているのに不思議な気がして右手を挙げる。
 鏡の中の人も同じ様に向かい合った手を挙げるのがどうしてかとても可笑しかった。

 そういえばさっき会話をした時も、発した声がいつもと全く違っていた事を思い出す。普段の自分とは全く違う姿が嬉しくて思わず微笑み、あげくに鏡に映ったその笑顔に見入りそうになってしまった。
 ガコン、と扉が開ききる音にハッと我に返り慌てて頭をブルブルと振る。
 これではまるで変態だ、と自分を叱咤し、私はゆっくりと開いた扉の向こうへ歩き出した。
 扉の向こうに見えるのは石畳と、青い空。
 今日のグランガーデン大陸、ファトス地方はどうやら快晴のようだった。
 



[4801] RGO4
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:b79724bb
Date: 2011/07/07 15:21


「ひゃー、広いや」

 神殿から見下ろしたファトスの街はかなり大きかった。
 始まり神殿は街の北側の高台に立っており、神殿から街へと続く長い長い石段の上から街を見下ろすのはなかなかの絶景だ。街の大半が見下ろせてしまいそうな景色は目を奪うには十分で、私は人が無数に行きかう通りをつい熱心に眺めた。
 このゲームが発売されてからもう一月半ほど経っているのでファトスから旅立った人も随分いるという話だが、見たところまだ街は賑やかそうだ。
 探索するのが今から待ち遠しい。だがその前にまずは待ち合わせの場所にいって、光伸と合流しなくては。
 この石段を下りきったところには大きな噴水のある広場があり、その噴水前が光伸との待ち合わせ場所だ。

 初期装備であるぺらぺらの布のローブの長い裾をひょいと摘み、私は軽い足取りで石段を下り始めた。
 生身でない為か身体が随分と軽い気がした。
 いつもならこんな階段を上るのも下りるのも絶対にごめんな身の上としては非常に喜ばしく、自然足取りも速くなる。少しずつ近くなる街並みは様々な色に溢れ、まるで鮮やかなモザイク画のように見えた。
 
 私は景色を堪能しながらも足早に石段を下り終え、やがて広場に辿り着いた。
 広場はどうやら待ち合わせの場所になっているらしく、立ち止まっている人や噴水の縁に座っている人が多かった。輪になって談笑しているグループもいて、これからの予定でも話し合っているのか楽しそうだ。

 そうしたプレイヤーに近づいて見てみるとやはり右も左も美男美女で溢れていた。全てがそうだとは言わないが、美形率はかなり高い。
 RGOには人間、エルフ、ドワーフ、獣人の四種族がいるが、どの種族もこの街から旅を始める事になっている。
 だからこの広場にもそれらの種族の美男美女が入り乱れている訳だが、その美にも少しずつ種族差があるらしいのも興味深い。小さい子供の姿の人もいたりして、子供が背丈に似合わぬ大剣を背負ったりしているのはなんだか可愛らしかった。
 
 それらを横目に見ながら私は噴水の方へと歩き寄った。
 魔道士を示すローブを身に着けていると声を掛けられたりするかもしれないと事前に光伸に言われていたのだが、幸いにして誰かに止められる事もなく噴水に近づく。
 幾つかの視線を感じたような気もしたのだが、何故か誰も近づいてはこなかった。
 噴水の少し手前で足を止め、周囲を見回す。頭の上に名前が表示されている人に注意して視線を向けた。
 光伸はキャラクターネームを表示モードにしておくと言っていたのだ。名前はミストだと言っていた。
 元の名前とあんまり代わり映えしない、と突っ込んで怒られた事は記憶に新しい。
 
 見回していると少し先に探していた名前が浮いているのが目に入った。
 ミストと書かれた青い文字の下には噴水の縁に腰を下ろす人物が一人。
 その人物は年齢は現実の光伸と変わらないか少し上くらいに見え、背丈もそこそこ高そうで、細身だが精悍な印象の青年だ。顔立ちは本人と似ておらず、鋭い印象の良い男だが間違いはなさそうだった。

 現実の光伸も見た目はさほど悪くないと思うが、そっちはかなり温和そうな顔立ちをしている。前からたまにもっと男らしい顔立ちに生まれたかったとこぼしていたが、どうやらそれをこの世界で実現させたらしい。
 金色の短い髪の青年は外見に目立った特徴がないので多分種族は人間だろう。
 簡素な茶色の革鎧に身を包み背中には大剣を背負っている。
 アイテム整理でもしているのか、手元のウィンドウを熱心に見ている青年に向かって私はゆっくりと近づいた。
 青年は人が動く気配でも感じたのか一瞬だけ顔を上げて私の方を見たが、すぐに興味を失ってまた視線を下ろす。気付かれなかった事に気を良くしながら私は彼に声を掛けた。
 
「ミツ?」
 呼びかけられた青年はパッと顔を上げた。そして声の主を探すように一瞬目を彷徨わせる。
 その視線が確かに自分に止まった事を確かめ、私はもう一度声を掛けた。

「ミツだよね?」
「そうだけど、まさか……南海?」
 うん、と頷くとミツことミスト青年は現実よりも幾分切れ長の目を大きく見開き、ぽかんと口を開いた。
 格好いい青年の間抜け顔というのはなかなか珍しい、と私は思わずくすりと笑う。
 笑われた事で我に返ったミストはパクンと口を閉じ、それからまた大きく開いて声を張り上げた。

「……ちょっ、ホントに南海かよ!? 何だよその格好!」
「間違いなく私だからそんなに大きな声で名前を呼ばないでよ。名前なら、上に表示されてるの呼んでくれ」
 初期設定ではキャラクターネームは表示されるようになっている為、私の上にも当然名前が出ている。
 ミストは私の顔から視線を外し、顔を上に向けた。
 
「……ウォレス?」
「そうそう」
 名を呼ばれたことで何となく嬉くなって私は頷いた。
 ミストは相変わらず呆然とした顔を浮かべたまま私の顔と名前に交互に視線を投げているが、驚きに声が出ないらしかった。
 これは仮想の世界なのだから現実の面影がなくても当たり前だし、外装をカスタマイズするソフトを貸してくれたのはミストに他ならない。
 なのにここまで驚くとは。なんだか盛大ないたずらが成功したような気持ちになって大声で笑い出したかったが、ぐっと堪える。
 この姿で馬鹿笑いは少々好ましくない。
 
「驚いた?」
「ああ……俺、お前が、どんな美女だの美少女だので来ても驚かない自信はあったのに……」
「ミツ、一体私と何年の付き合いだ。私がそんなもんになるとでも?」
「ああ、そうだよな……俺が馬鹿だった。お前がそんな普通の精神の持ち主じゃないってことを忘れてた……」
 普通じゃないってなんだそれは。
 どこからどう見ても私は至極普通だと言うのに。

「失礼だな。私はどっからどう見ても普通だろう。普通すぎてつまらないくらいだよ」
「どこがだ! 普通の女がそんな外見選ぶか!」
「こら、そんな大声でばらすな。中の人などいないってことにしとくのがマナーだろう」
  何故かひどくショックを受けているらしい幼馴染の頭を平手でぺしっと一発叩く。

 どうせコイツの事だから何かまたおかしな妄想でもしていたんだろう。
 男と言うのは案外夢見がちなところがあるが、光伸もその例に漏れない部分がある。いい加減幼馴染の女の子とか言う単語に夢を見るのを止めればいいのに。
 近所に同じ歳頃の女の子が少なく、光伸を始めとした男子とばかり遊んできた私は、見かけはともかく中身はあまり女の子らしくは育たなかった。
 そういう自覚はあるが、まぁそれも個性と言う奴だろうと思っている。
 平凡の代名詞のような私としては、そのくらいの多少の個性は大事にしたい。
 そういう訳で私は仮想の世界では思い切り自分の理想を体現することにしたのだ。
 
 まだぶつぶつと何事か呟いている男は置いておいて、私はさっき神殿でもしたように自分の手を持ち上げて眺めた。
 肌の質感まで実に良くできている。目の前のミスト青年の若々しい肌と自分の肌を見比べ、その質感の差にうっとりとため息を吐いた。己の枯れ枝のような指と少々かさついた肌が愛しい。

「お前……そんなもんにうっとりすんな!」
「うるさいよ、ミツ。あんただってその格好になった時はどうせ散々鏡を眺めただろ?」
「う……そりゃ、まぁちょっとくらい」
「んじゃ人の事をとやかく言わない。私がちょっとぐらい理想の姿になれた喜びに浸ったっていいじゃない」
 理想と聞いてミストはがっくりと項垂れた。いちいちオーバーアクションな男だ。せっかくの美青年振りが台無しだ。
 
 私は散々拘って長さを調節した、顔の下半分を覆う長い毛をするりと撫でた。
 自分の顔に毛が生えていると言うのは初めての経験だが触感が素晴らしい。
 傍の噴水を覗き込むとゆらゆらと揺れる水面に一人の男の姿が朧に映った。
 肩より少し長い銀灰色の髪、同じ色の睫毛に縁取られた瞳は良くは見えないがきっと設定画面で見たとおりの水色だろう。
 すっきりと通った鼻筋は日本人の目から見ると少しばかり高すぎる印象があるが、それも理想通り。口元は胸まで流れる髪と同じ色の長い髭で覆われている。
 背丈は現実の私より少し高いくらいで、身に纏った簡素な布のローブが必要以上に良く似合っている。
 むしろ似合いすぎ、と私はうっとりと水面を見つめ胸の内で呟いた。
 
 水面に映った男はどう見ても推定年齢七十歳以上。
 その姿には既に魔道士としての風格さえ感じられ、中身が十七歳の少女とは到底思えない。
 
 私――南海(なみ)、こと魔道士ウォレス。
 嬉しいことに、どこからどう見ても、彼は立派な――『爺さん』だった。
 
「よろしくのう、青年」
 
 愛を込めてウインクを送ったというのに、返ってきたのは悲痛なうめき声だった。
 全く、我が幼馴染ながら失礼な男だ。
 
 



[4801] RGO5
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:29488b11
Date: 2011/07/07 15:31


 しばし後、私とミストは広場の端の方にあるベンチに移動していた。
 いつまでも固まっているミストを促してベンチに腰掛け、マニュアルを思い出しながら右手を軽く振る。
 パッと自分の正面に現れたのはステータスウィンドウだった。うっすらと向こう側が透けて見える三十センチ四方程度のガラス板のようなそれは、薄い緑色をしていた。
 ウィンドウの一番最初に表示されているのはウォレスという名と現在の私のステータスだ。それをざっと眺め、次にフレンドの項目を表示させた。
 当然そこにはまだ誰の名前も存在しない。
 
「ミツ、フレンド登録してもいいかな?」
 横に座ってこちらを見たまま呆然としているミストに声をかけると、彼はハッと我に帰ってこくこくと頷いた。
「あ、ああ、もちろん」
「ありがと。んじゃ、『フレンド申請、ミスト』 」
 RGOのシステムでは登録などをしたいプレイヤーが一定の距離内にいれば申請の意思を声に出し、名を指定するだけで相手に申請が届く。
 そうマニュアルに書いてあった通りに音声入力でフレンドを申請すると、隣のミストが視線を正面に戻した。

 ミストの前に半透明のウィンドウが開いたがそれは私にはただの四角い板にしか見えず、書かれている内容は目に映らなかった。自分のウィンドウも彼の目には同じように見えるのだろうと予測がつき、なるほどと納得する。
 やがてポーン、と軽い電子音がして目の前のウィンドウに変化があった。
 ミストよりフレンド登録が許可されました、と文字が出て、見ればフレンド欄に名前が一つ浮かんでいる。
 思わず嬉しくなって私は笑みを浮かべた。
 
「ありがとう、ミスト。今後ともよろしく」
「うん……なんか、南海だって思えなくて変な気分だけど、よろしく」
「それはお互い様だと思うけど。ミストだってミツとは似てないよ」
 私のその言葉にミストも思わず苦笑を浮かべ頷いた。
「まぁ、確かにな。つい普段の憧れを色々入れちまってさ」
「うんうん、私もついつい拘っちゃって、時間がかかったよ」
 そう応えてもう一度胸元に流れた長い髭を手でするりと撫でた。
 柔らかな感触に思わず顔がにやけてしまう。
 
「……お前が老け専だなんて知らなかったぜ」
「馬鹿だなミスト。老け専というのは恋愛対象に年上を選んだ場合の言葉だろ。私のは全然違う」
 ミストは馬鹿だと言われて拗ねたような顔を見せた。
 せっかく見かけが精悍な青年になったというのに本人の態度が全く伴っていないところが惜しい。

「どう違うんだよ?」
「私の場合は、純粋な憧れだ。魔法使いって言ったらやっぱりどう考えても老人であるべきだろ。叡智溢れる渋い老魔法使いは昔から憧れだったんだ。マー○ンやガ○ダルフ、ダ○ブルドアとかさ! それが実現するなんてもう最高だよ。こうなったからには見かけに恥じない素敵な魔法ジジイを目指すしかないよもう!」
 そう、なにを隠そう私は子供の頃からファンタジー系の物語やゲームに出てくる魔法使いの老人が大好きなのだ。そんな私の幼い頃からの純粋な気持ちを老け専などという言葉で片付けて欲しくはない。 
 私は己の抱く魔法ジジイへの愛を切々と十分ほどかけて説いた。その結果、どうやらミストには私の愛の深さや純粋さがわかってもらえたようだった。
 さすがは幼馴染だ。理解が早くて助かる。
 何故だか少々うつろな目をしていたのは気になったが。
「つまりお前はジジコンなんだな……」
 小さく呟かれた言葉は一応私に届いていたが、聞こえなかった事にした。
 
 
 
 そんなこんなで魔法ジジイの魅力について分かり合えたところで、私は腕を振りもう一度ウィンドウを開いた。
 ステータスの欄の下の方には所持金が表示されており、その金額は初期に配布される1000Rとなっている。Rはこの世界の通貨単位、ロームの略だ。
 
「確か魔法職はまず魔道書を買うといいんだよね?」
「……あ、うん。ちゃんとマニュアル読んできたんだな」
「二回読んだし情報サイトも見てきたよ」
「おお、さすが。俺活字嫌いだからさ、マニュアルも読まずに始めちゃって結構苦労したよ」
「それもまた楽しみなんじゃない? まぁとりあえず、まず買い物かな」
 そう言って街の地図を確認し、商店街の位置を確かめてウィンドウを閉じた。しかし立ち上がろうとしたところをミストに止められた。
 
「あ、待てよ。必要な物は俺がもう買っておいたから大丈夫だぜ。あとクエストとかドロップで出た魔法職用アイテムもちょっと前から売らずに取っておいたのがあるからやるよ」
「え、悪いよ。まだお金払えないし」
「いいのいいの。誕生日プレゼントとはいえ、無理言って魔法職やってもらってるのはこっちだし。どうせ初期の魔道書なんて安いもんだし、他のも大したことないけど引き取ってくれると無駄にせずに済むしな」
 ミストはそういうと目の前のウィンドウに指を走らせた。
『アイテムトレード申請、ウォレス』
 ミストが呟いた言葉に応えるように、私の耳にポーンという応答音が聞こえ、目の前のウィンドウに変化が現れた。
 
 現れたのは「アイテムトレードが申請されました。許可しますか?」 と書かれた文と、YesとNoの文字。
 Yesを押すと、ウィンドウの表示が変わり、三つに区切られた画面が開く。
 画面はまず真ん中の横線で上下に区切られ、その区切られた上の画面が中央縦に走る線で二つに区切られている。
 下の大きな画面は自分のアイテムウィンドウで、上の画面は下から選んだアイテムを移動させる為のトレードウィンドウらしい。
 ミストが手元で何か操作をするごとに、上部右側の画面にアイテムが次々と表示されていく。
 
 私は自分のアイテムウィンドウを見たが、現在の自分の持ち物と言えば、布のシャツ、ズボン、ローブと木靴という初期装備に1000Rのみだ。
 対価として払う物がない事を少々心苦しく思いながらも、この際ミストの好意に甘えることに決め、黙って彼の作業が終わるのを待った。

「えーっと……こんなもんかな。あ、これもか」
 そういって最後に革の靴を選ぶとミストはトレードを終了した。
 私もウィンドウを操作してトレードを終了させ、アイテムウィンドウを開いて受け取った品々を眺める。
 ミストから譲られたのは、魔道書が三冊に杖が一本、指輪が二つと、布の衣類の上位である毛織の衣類のセットと革の靴。
 
「本当にいいの? こんなに沢山」
「いいって。どうせどれも俺には役に立たないものばっかりだし。赤の魔道書Ⅰだけはここに来る前に買って来た奴だけど、それ以外はドロップ品とかクエストの報酬で要らなかった奴とか、あとは友達に要らないのを譲ってもらったのだからホントに気にすんなよ。つーか、初心者にこうやってアイテムとか渡すのって楽しみを奪っちまうから、あんま褒められた行為じゃないんだけどさ……このくらいは誘った責任ってことで、させてくれると嬉しいんだけどな」
「そういうことなら、ありがたく貰うよ」
 どうやらミストは私の楽しみを必要以上に奪わないよう彼なりに気を使って、ドロップ品や人からのもらい物を中心に、なるべくありふれた物を選んでくれたらしい。そういうことなら受け取るのも気分が悪くない。 
 もう一度礼を言うと、それより装備してみろと促され、まず私は毛織のシャツやズボン、ローブを装備することにした。

 装備の変更は、現在身に着けているものはそのままで、新しい装備を選べば勝手にそれに切り替わるシステムになっている。
 画面を操作して装備を変更した瞬間私の体は白い光に包まれた。驚いて自分の体に視線を落とすとその光はほんの一瞬で霧散し、気がつけば身に着けていたローブは生成りから濃い灰色へと色を変え、生地も少し厚手になっていた。ローブの襟から中を除けば下に着ていたシャツとズボンも、同じく生成りから灰色とこげ茶へと変化しているようだ。
 全体的に見るとすこぶる地味な毛織の衣類セットは、デザインもどことなくもっさりとして野暮ったい。
 その地味な衣類に身を包んだ自分の体をまじまじと見下ろし、私ぐっと拳を握り締めた。
 
「あ、悪ぃな。それすっごい地味で。けど最初の内は結構重宝する装備だか」
「あああ、なんかこれいい、ガ○ダルフみたい! 渋い! 鏡見たい! ありがとうミスト!」
 恐らく余りの地味さに絶句しているのだろうと予想し、せめて性能をフォローしようとしてくれようとしたらしいミストの言葉をさえぎり、私は思わず感動を高らかに叫んでしまった。
 ああ、たまらない、この地味さ! これぞ正当派魔法ジジイ!
 
「お、お前って……」
 コストの割りに防御力が高く序盤の魔法職オススメ装備と言われる毛織物シリーズは、実はその色やデザインの地味さが非常に不評な装備だったりするらしいことを、この時の私は全く知らなかった。
 それを知った時はなんてもったいない話だと大いに嘆き、地味ローブの魅力についてミストに語り尽くす事になるのだがそれは余談だ。
 
 喜びを隠し切れずつい傍にあった建物の窓に映る自分を眺め回していたら、後ろからミストの深い深いため息が聞こえた。
 しまった、ついまた我を忘れてしまった。魔法ジジイには落ち着きは必須スキルだというのにこれでは失格だ。
 コホン、と咳払いをしてミストの方へ振り向くと、彼は何故だか妙に疲れたような顔をしていた。
 
「……とりあえず、鏡は後にして、どっかいこっか?」
 



[4801] RGO6
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:bd601240
Date: 2011/07/17 15:59

「えーっと、『其は暖かき灯火、燃え盛る焚き火、地を舐め風に踊るものよ、大いなる怒りを身に宿した一筋の矢となれ、我が眼前の敵を赤き舌で焼き尽くせ』」
 そこまで呪文を唱えると一瞬言葉を切り、本を手にしていない右手で目標のモンスターをぴたりと指差す。
 
『射て、炎の矢よ!』
 
 呪文の最後の一節が高らかに響き、それを合図として私の斜め上に浮かんでいた腕と同じくらいの長さの細長い形をした炎の塊が、指差した方向に向かってかなりの速度で飛んでゆく。
 目標地点にいるのは猫くらいの大きさの可愛らしいネズミのような生き物だった。
 クルと言う名のその生き物はファトスを囲む草原を住処とする獣の一種らしい。草原に広く分布しており、冒険者が街を出てまず最初に見つける獲物の一つだと記憶している。

 勢い良く放たれた炎の矢は十五メートルほど離れたところにいたクルの一匹に狙いを外さず着弾した。キィィ、と細い悲鳴が聞こえ、草を食んでいた獣が火に包まれる。
 私がじっと見つめる目の前で小さな獣はあっという間に焼き尽くされ、やがてその体はパチンと砕け散り光の粒子へと姿を変えた。チラチラと瞬く光の粒は私の方へと飛んでくると、体に吸い込まれるようにして姿を消す。
 クルが炎に包まれた時はちょっとエグイと思えたが、こうして跡も残さずに消えてしまうならさほど気分は悪くない。そもそもこれはどんなに可愛くても所詮データなのだ。
 私はそう己を納得させると、少し後ろに立って見守ってくれていたミストを振り返った。
 
「どうだった?」
「ん、まぁあんなもんじゃないか。初めてにしては噛んでないし、上出来だと思うぜ」
 ミストからの評価にほっと息を吐くと、左手に持った本をパタンと閉じた。
「けど、いちいちこれは確かにちょっと面倒だね。最後の炎の矢ってだけで十分に思えるんだけどなぁ」
「そうだよな。やっぱり同じような陳情がユーザーから山ほどあるらしいぜ。でもまぁ、実際魔法の火力はかなりのもんだからなぁ。
 今倒したクルだって、近接職が初めて狩るなら、四、五回は攻撃しないとだめなんだぜ? 弓だったら獣に対する補正があるからもうちょっと効くけどやっぱり二、三回くらいは当てないとで、初めてじゃそれも難しいからナイフとかのサブの装備がないと辛いし。
 その点魔法なら、さっきの魔法一つでクルの上位のポクルとポルクルまではどうにか一撃でいけるらしい。ステータスが上がれば、だけどな」 
 ミストの言葉に私はなるほどと頷いた。しかしある程度は納得したものの、それでも魔法を唱える時の不便さを思うと顔は明るくはならない。

「敵がノンアクティブでリンクもしないこの辺ならいいだろうけど、それ以上の場所へ行こうとすると苦労しそうで火力が単純なメリットになるとは言いがたいかなぁ」
「まぁ、そんなに心配しなくても、もうちょっと魔法に慣れたら俺と一緒に遊べばいいさ。俺にも仲間がいるしさ。それに初級の呪文ならどれも大体今のと同じくらいの長さだから、暗記したら杖装備にしたらいいよ」
「そっか、そうだね」
 私は手に持っている魔道書と同じようにミストに貰った杖を思い出し頷いた。
 貰った杖は魔道書と一緒に装備することはできないため、アイテムとしてしまったままだ。
「とりあえず、まずは雑魚を倒して経験値を溜めて、レベルを一つ二つはあげたいとこだな」
 ミストの言葉に私も深く頷いた。
 
 私とミストの二人は連れ立ってはいたがまだパーティを組んではいなかった。
 私は今日ゲームを始めたばかりなのだから当然レベル一だし、ミストのレベルは十九だ。よって今組むとレベルに差がありすぎて、入手経験値から言ってもどちらの得にもならないからだ。
 遠くの狩場へ行けばその限りではないのだろうが、まだ私は魔法どころかこの体の扱いにも慣れていない。
 話し合った結果、何よりまずはこの世界での体や、魔法の扱いに慣れるべきと言う事でファトスの街を出てすぐの草原を私達は訪れていた。
 
 
 RGOは一応レベル制を採用したゲームだ。しかしそれだけではなく、スキル制も半ば併用するような形で少々変則的な育て方ができるようになっている。
 初期の職業はたった二種類と極めて少なく、戦士と魔道士しか選択の余地はない。その最初の職業の選択も初期のステータスと最初に装備できる武器防具の種類くらいにしか影響がなかったりする。
 経験値を溜めてレベルを上げるところは変わらないのだが、レベルが上がっても変化があるのはHPやMP、腕力や体力その他といった基本的なステータス、後は幾つかの種族、職業特性くらいだ。
 
 剣技や魔法といった戦うためのスキルは、実際に武器を振るったりクエストをこなしたり、道具や魔道書を使ったり、といったことで覚えられる。
 スキルには個別に熟練度があり、覚えた後はそのスキルを使うことでそれをひたすら高めていくこととなる。
 そしてそれらのスキルやその熟練度、あとはレベルアップした時に使用していた武器防具の種類などによって、レベルが上がった時のステータスの上昇値にも多少の差が出てくるらしい。
 例を挙げれば、重たい大剣を装備して敵を倒しレベルが上がったとしたら、ステータスの腕力に+1の上昇があったりするのだ。

 
 そのように武器防具の選び方、得意とするスキル、戦闘スタイル、あとはクエストでの行動などで個人のステータス数値は次第に変化を見せ、その結果が上位の職業へとクラスアップする際の分岐点となる。初期職業が二種類しかない代わりにか、最初の転職が可能になる平均的なレベルは十五、六くらいからと、幾分早めに設定されているらしい。
 職業は様々に分岐しているらしいが、一体幾つあるのか、条件は何か、などはわからないことが多く、まだ誰もが手探りをしている段階のようだ。

 ちなみにスキルを覚えたり武器防具を装備する為にはそれぞれに必要なステータス数値というのが全て決まっている。よってそれさえクリアすれば、戦士が魔法を使おうと魔道士が剣で敵を切りつけようと自由だ。
 ただし、当然それらもその後のステータスの成長や上位職業へのクラスアップに影響してくることとなる。
 
 つまり、最初の道は二つだけだが、あとはそのプレイヤーの数だけ選べる道があるという訳だ。
 レベルに差があれば総合的な数値にも差が出る事になるが、育て方によっては極端な特化型なども目指せる為、プレイスタイル次第で低いレベルの者が高いレベルの者よりも活躍できるということも大いにある。
 
 これはこのゲームを始めたばかりの私にも嬉しい話だ。
 プレイしているからには立派な魔法ジジイとなって、いずれはそれなりに活躍したりしてみたいもんだともちょっと思っている。
 だがまずは千里の道も一歩から。
 私はもう少し魔法の感覚を掴もうともう一度本を開いた。
 

 魔道書は開くと勝手に真ん中辺りのページが出てくる。そこには三つの魔法の名が記されており、私はその一番上の『炎の矢』という文字に指で触れた。
 すると書かれていた文字がすぅっと変化し、そこに呪文が現れる。
 それを読むと魔法が発動するという仕組みになっているのだ。
 魔法職における主な装備は杖と魔道書の二種類だが、その二つの一番大きな違いがここだ。
 
 魔道書は数多く存在するらしいが、大抵一冊につき三から五種類ほどの魔法が書かれており、必要ステータスが足りていればそれを装備し、実際に使うことでその魔法を覚えることができる。ただしここで言う覚えるとは記憶するの方ではなく、その魔法が使えるとシステム的に記録されると言うことだ。
 だが己のデータに使えると記録されている魔法が増えても、その呪文を正確に唱えられなくては結局魔法は使えない。
 その点魔道書は開けば呪文が目に見える形で示されるので、それを間違えずに読み上げるだけでいい。
 
 では杖の利点は何かと言えば、それは装備した時の魔法関連のステータスの補正の大きさにある。魔道書で使う魔法と杖で使う魔法はその魔法が上位になればなるほど威力に何倍もの差が出てくるらしい。
 ただし、当然魔道書と違ってカンペは出てこないので、使いたい呪文の全てを己自身で暗記するしかない。
 その辺が、ミストが前に言っていた「記憶力のいい人は魔法職に向いている」 ということの理由であるらしかった。
 もっともさっき私が唱えた初歩の初歩の魔法でさえあの呪文の長さだ。上位の魔法の呪文の長さは推して知るべし。
 結果、威力よりも正確さと言う事で大抵の人は魔道書を使うようだ。もっとも、それでも嫌になるほどの長さらしいのだが。
 
 私は先ほどやったのと同じように書かれた呪文を詠唱し、最後に指で目標を指定して魔法を発動させた。
 キィ! と高い声と共にまたクルが一匹炎に包まれる。
 炎の矢の消費MPは多くないから、私の今のMPならあと数回は使えそうだ。先の長い作業を思いつつも、私は魔法を唱え続けた。
 



[4801] RGO7
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:b79724bb
Date: 2011/07/17 15:59


「経験値たまったか?」
「んー、ぼちぼちかな。もう一回行けば上がるかな?」
 私は手にした木のコップの中のジュースを飲み干し、ステータスを開いて眉を寄せた。
 魔法職の面倒なところはMPが切れると何もできなくなるところだ。
 このゲームではHPやMPは宿屋で休んだり、休憩して食事や飲み物をとったり回復薬を飲んだりという方法で回復することができる。しかしMP回復薬はHP回復薬に比べて値段が高めなので、私はまだ買っていなかった。買っても勿体ないからこんな最初から使う気もない。軽食や飲み物の方がだいぶ割安なので当分はそちらの方を使うつもりだ。あとはMPを回復するスキルなんかはあるらしいのだが、あいにくまだ私は取っていなかった。
 ミストの奢りのジュースを飲んで回復したMPを見ながら、私はこれからの方針をぼんやりと考えていた。

「まぁ、最初は誰でも同じように時間がかかるから仕方ないな。俺だって最初は薬草ばっか買ってたよ」
「ミストは騎士系目指してるんだっけ?」
「ああ、でもまだ騎乗スキルの熟練度が足りてないから、もうちょいセダの街の訓練所に通わないとだな」
 セダというのはファトスの隣のエリアにある大きな商業都市の名だということで、そこには騎乗スキルを取得できる訓練所があるらしい。
 本当なら週末なんかは熱心に訓練所に行きたいところだろうが、私に付き合って始まりの街の喫茶店でジュースを奢ってくれたりしている訳だ。
 まぁ誘った責任ということで申し訳ないとは思わないが、もう少し私のレベルが上がったら少しくらいは恩返しでもしたいところだ。
 
 しかし私としてはそろそろミストに一度別行動を切り出そうかと考えていた。
 レベル上げは大事だが、どうせ出遅れているのだからそんなに初日からガツガツしたところですぐに追いつけるわけでもない。私もこの街を探検したりしてみたいし、地図に名の出ていた『魔法ギルド』という場所も気になる。
 ファトスにも初心者向けの小さなクエストが沢山あるという話だし、簡単そうなら幾つかやってみたい。
 ミストには訓練所通いに戻ってもらって、私は街を見回ってから一人でレベル上げでもしようか。
 
 そんな事を考えていると、ミストが急にウィンドウを開いて動きを止めた。
 見ていると口をパクパクさせて何か話している。周りに聞こえないチャットモードか何かで誰かフレンドと会話しているらしい。
 ちょっと間抜けな姿だ、と思いながら見ているとやがて会話は終わり、ミストは顔を上げてこっちを向いた。

「悪ぃ、何か今から何人かこっちに来るって」
「友達?」
「ん、ここでの仲間。VR研の連中が多いかな」
「ああ、あれか」
 VR研というのは学校で光伸が所属している部活、VRシステム研究会の事だ。
 VRシステムの研究というと聞こえはいいが要するにゲームで遊ぶ会だと聞いていた。
 光伸がこのゲームで遊んでいるのだから、そこの仲間が同じようにこれで遊んでいても全く不思議はない。
 VR研のメンバーとは何人かと顔を合わせた事はあるが、あまり会話をしたことはなかった。
 どんな連中だったか、と思い返そうとしていると遠くからミスト、と声が上がった。

「お、こっちこっち」
 ミストが立ち上がって手を振る。歩いてきたのは四人。
 男が三人と女の子が一人。皆やはり美形だった。うーん、これでは元の顔が全く思い出せなくて少し困る。
 
「先輩、インしてるなら声かけてくださいよ~!」
 可愛らしい声を上げてミストに走り寄ったのは小柄なエルフの女の子だった。ウェーブのかかった肩くらいまでの金髪がふわふわと揺れる。
 長い睫の奥の瞳は鮮やかな青で、顔立ちは全体に小作りで可愛らしい。短めの白のローブは前開きで、下に着ているらしいワンピースも良く似合っている。
 ミストを先輩と呼ぶからにはVR研の一年生なのだろう。そういえば今年は結構人数が入ってきて、その中に女子も何人かいたと聞いた気がするからそれのどれかかもしれない。
 美少女だが私の好みとはちょっと違うなぁと思いつつ、私は残る三人の男の姿もちらりと観察した。

 残りは猫系か何かの獣人が一人と熊か何かの獣人が一人、もう一人は人間。
 特に興味を惹かれる人はおらず、トカゲとかはいないのかなぁと考える私の脇で、美少女はミストに甘えるように一緒にどこかの地下迷宮に行こうと熱心に誘いをかけていた。
 
「いや、今週は一緒に行けないって言ってただろ。友達の案内してるんだ」
「え~、じゃあその人も一緒でもいいですから行きましょうよぅ!」
「そうだな、俺らとならすぐレベル上がるし、その人にも得だしいいじゃん」
 猫耳男がそう言うと隣の人間男がきょろきょろと辺りを見回した。
「一緒なのってこの前言ってたミナミさんだろ? 俺らにも紹介しろよ!」
「え、ミナミさんて、あの三波さん? 逆から読んでもミナミナミの?」
 
 なんと言う失礼な覚え方だこの野郎。
 私は確かに三波南海という名で逆から読んでもミナミナミだが、それを言われるのがとても嫌いなのだ。
 小学校で散々からかわれた苦い思い出が蘇ってしまう。全く、あれは放っておけば確実にいじめへの第一歩となるところだった。
 私の知らない所で私の話をされていると思うと何かムカつくから、後でミストを一発殴っておこう。いや、VRでは痛くもないのだからミツを一発殴るか。それともおかずを減らすほうが効くかな?
 
「お前ら、ここでリアルの名前言うのはマナー違反だろ。よせよ」
 そんな私の不穏な考えを察知したのか、ミストは慌てたように仲間の言葉を遮り、私の方を恐る恐る振り向いた。
 にっこりと笑顔を返してやるとミストもつられて笑顔になる。少々引きつっているのは気のせいだろう。
 ミストの視線につられて四人も私の方を見た。

「どうも」
 目が合ったので片手を挙げて挨拶をすると、四人は黙ったまま私とミストを交互に見つめる。説明を求める四対の目を向けられて、ミストは渋々と私を手で示した。
「あー、だからその、コレ、ウォレス。俺の友達で……まぁ、三波南海だ」
 コレとか言うのは気に入らないが、最後の名前はごく小さく告げられたので許してやろう。
 
「えええっ、マジで!?」
「つーかこの人NPCじゃなかったのかよ!」
「なんで爺さんなの!?」
「え~、ほんとに先輩のお友達なんですかぁ!?」
 四人はそれぞれいまいち個性に欠けるリアクションを順に示してくれた。
 NPCと思っていたとは失礼な話だが、ミストの友人と言う事で黙って我慢してやる事にする。
 
「おい、静かにしろって。落ち着けよ。VRなんだから、どんな姿だっておかしくないだろ?」
 自分も散々驚いていた事は棚に上げ、ミストは彼らを窘めた。
 けれど彼らはまだ納得いかないという様子だ。全く、人がどんな格好をしていようと勝手だろうに。

「え~、でも、普通しないですよそんな格好。女の子なのにお爺さんだなんて、変じゃないですかぁ?」
「だよな。せっかく色んなキャラを作れるんだからもっと美人とか美少女とかの方が萌えるよな!」
「もったいないですよ、ミナミさん。俺ミナミさんがRGOやるってミツから聞いて楽しみにしてたのに~」
「可愛い魔法少女を守るのって、前衛としてはモチベ上がるしなー」
 アホかこいつらは。何で私がお前らのモチベーションを上げてやらなきゃならないんだ。むしろそんなもの地の底まで叩き落としてやりたい。
 もっとムキムキの兄貴キャラで来てダミ声で甘えてやりたくなったぞ、この野郎。
 
「私がどんな姿でプレイしようと自由でしょう? プレイスタイルの多様性もこのゲームの魅力の一つのはずですし。私は魔法使いの老人というキャラクターがすごく好きなので、こういう格好にしたんですよ」
 内心のムカつきを抑えてなるべく穏やかに余所行きモードで返答をした。ミストの仲間だという事からの我慢だ。だが今後一切リアルでVR研に近づくのは止めようと心に決める。
 しかし私のそんな努力はお構いなしに、ムカつく四人はやっぱりムカつくことを言ってくれた。
 
「そりゃ魔法使いの老人ってのもまぁわかんなくもないけど、魔法少女の方が萌えるよなぁ?」
「そうそう。リナたんみたいな子の方が、男としては守ってあげたいよな、やっぱ!」
「やぁだ、止めてくださいよもぅ! 私だって白魔道士としてがんばって皆さんの背中守ってるつもりなんですからぁ」
 どうやらこの美少女はリナたんとか言うらしい。白魔道士は確か回復と補助魔法を中心に習得しているとなれる中級職業だ。ミストは仲間に魔法職が少ないと言っていたが、一応回復系はいるらしい。
 目の前の茶番を黙って見ていると不意にミストが横から四人を怒鳴りつけた。
「おい、お前らいい加減にしろよ! 南海がどんなプレイしたってコイツの自由だろ!? 人の姿にケチつけるなよな!」
 
 ミストの強い言葉に四人は一瞬怯み、ばつの悪そうな顔をしたが、それでもまだ懲りずに言い募った。
「や、ケチつけるって程の事じゃないけどさー……やっぱもったいなくねぇ? せっかくリアルも女の子なんだぜ?」
「そうだ! いっそ今からキャラ作り直したらどうかな? まだ始めたばっかなんだろ? 俺らも育てるの手伝うし!」
「あ、それいいじゃん! そういや俺、神デザイナーが作って販売した外装データ持ってるんだよ。良かったらそれ譲りますよミナミさん、もうめっちゃ可愛いんですよ~。あの外装でクールキャラとか最高っすよきっと! メアド教えてくれたら転送しますよ!」
「え~、でもミナミ先輩? が今の格好気に入ってるなら別に無理に変えなくてもいいんじゃないですかぁ? よく考えると結構似合ってるかもだしぃ」
 キャラを作り直したらどうか、と至極簡単に言われたプレイヤーにあるまじき言葉に私はぶち切れそうだった。
 このアホ四人の中で、リナたんとやらだけはどうやら一応私の味方に回ったらしい。腹の奥に黒いものが見え隠れしているがそんな事はこの際どうでもいい。
 好き勝手言って私の愛すべき魔法ジジイを虚仮にしてくれたコイツらをどうしてくれよう。
 
 しかし私のそんな怒りは次の瞬間凍りついた。
 
「魔法使いの爺さんて渋いけどさ、弱いと何か見た目と合ってなくて辛いよなぁ」
 
 ガーン。
 
 擬音で形容するならまさにそれだ。
 私は雷に打たれたような気持ちだった。
 弱い。そうだ、当たり前だ。
 私はまだ今日始めたばかりのレベル1だ。
 
 私の後ろで木の椅子がガタンと音を立てた。
 自分が無意識の内に立ち上がっていた事にその音で気付く。
 内心の狼狽を隠して視線を斜め下に向けたまま、目の前の五人の顔も見ずに私は軽く頭を下げた。
 
「すまないが用事がある。失礼する」
「えっ、おい!? ナ……ウォレス!」
 ミストの声を無視して喫茶店のテーブルを離れ大通りに出る。そのまま北の噴水広場の方へとずんずん歩いた。
 確か噴水広場から左へ進んで西大通りを行けばそこに魔法ギルドがあったはずだ。
 
 広場を早足で通り抜け西通りに入った時、後ろからミストが追いついてきた。
「おい、ナミ、じゃない、ウォレス! 待ってくれって!」
 腕を引かれて私はその場で止まる。
 着いてきたのはミストだけで、他の四人の姿はなかった。
「ごめん、ナ……ウォレス。ほんと、ごめん! あいつらが好き勝手言って……」
「別に……そのことはミストが謝る事じゃないから気にしなくていい。あいつらは確かにムカついたけど」
「うん、でもごめんな。後でよく言っておくから。もちろん、お前は好きにプレイしたらいいんだし、キャラを作り直す必要もないんだからな?」
 
 判っていると頷くとミストはほっとした顔を見せた。せっかく精悍な顔つきになったのにそんな犬のような顔をされると笑いそうになって困るから止めて欲しいところだ。
「あいつらには帰れって言っておいたからさ、気を取り直してまたレベル上げ行こうぜ。付き合うよ」
 行こう、と腕を引かれたが私はそれには従わなかった。逆にぐいと自分の腕を引くと、ミストの手が離れる。
 
「悪いが、私はしばらくあんたと行動を共にしない」
「え……なんで!? いや、お前が嫌だって言うならあいつらと一緒のパーティとかには誘わないって!」
「そう言う事じゃない。ミスト、私はむしろ思い違いに気付かせてくれたあの連中に感謝している」
「思い違い?」
 心底不思議そうな顔をしたミストに私は重々しく頷いた。

「私は勘違いをしていた。外見を憧れの老魔法使い風に整えて、それでもう立派な魔道士になった気でいた。だがそれは大きな思い違いだった。
 老魔法使い達にはあの見かけになるまでの年月の間に蓄えた知識や、培った経験がある。だから彼らはあんなにも貫禄や威厳、優しさや暖かさに溢れているんだ。
 それなのに私ときたら似ているのは外見だけで、まだレベル1だ」
「や、そりゃ今日始めたんだから仕方ないだろ……」
 呆れたようなミストの言葉に私は納得できず、激しく首を横に振った。

「仕方なくない! 私自身が憧れの老魔法使い達を冒涜していたんだぞ! 安易な憧れだけでこの姿を選んだ自分が許せない! この外装を纏ってしまった以上、このままで良い訳がない!」
「けど、じゃあ尚更早くレベル上げを……」
 ミストがもう一度差し出した手を半歩引いてかわし、私は真剣な眼差しで彼を見つめた。私の本気を悟ってかミストも自然と口を閉じた。
「少し一人になって考えてみたい。立派な魔法ジジイになる為の道を自分なりに探したいんだ」
「南海……本気なのかよ」
 諦めたように手を下ろしたミストに微笑み、私は力強く頷いた。
 
「これからはもうRGOにいる時は南海って呼ぶな。今から私は完璧な『ウォレス』を目指す。もう中の人などいないってくらいに」
 今まで私はさほど真剣にロールプレイをしようとは思っていなかった。
 見かけは老人だけど、普段の自分もさほど女らしい言葉遣いではないからそのままで構わないだろうと思っていた。しかしそれももう止めだ。
 
「という訳で、ミスト君。すまぬがしばらく別行動としよう。わしはこれから魔法ギルドへ行き、もっと知識を求めようと思うんじゃよ」
「うっ……!!」
 何故かミストはその場にガクリと崩れ落ちた。まさにorzだ。
 私のジジイ言葉の何がそんなにショックだったのかは知らないが、まぁ放っておこう。
 ひょっとするとあまり上手く演じられていなかったのかもしれないな。これも研究の余地がありそうだ。
 
「次に会う時は、お主は騎士になっとるかのう? それまでにはわしももうちっとましになっとるじゃろう」
 立ち直れないミストを一瞥し、私は灰色のローブをバサリと大きく翻した。
 あ、今の我ながらちょっと格好良かったに違いない。
 
「さらばじゃ。いずれまた会おう」
 なんてね。
 しばしの別れを惜しんでか切なげに涙ぐむミストをその場に残し、私は西通りへと足を進めた。我が幼馴染ながら少々大げさな奴だ。
 だがさらばだミスト。
 次にここで会う時はきっと立派な魔法ジジイになっていてみせる。
 どうかその日を待っていてくれ。
 
 
 こうしてこの日この時、私にとっての真のRGO――Romance Gray Online――が開幕したのだった。
 
 渋い魔法ジジイへの道のりはまだまだ始まったばかりだった。
 目指せロマンスグレー!




[4801] RGO8 ―閑話―彼女に対する考察
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:338ea360
Date: 2011/07/17 16:01


 三波南海は俺の幼馴染だ。

 お互いの家も近所にあり、同じ病院で数日違いで生まれてからの腐れ縁は既に十七年を数え、家族ぐるみの付き合いが続いている。
 しかし俺は未だにこの女のことがよくわからない。
 いや、判っている部分も多くあるのは確かだ。
 趣味は古いゲームと料理、好きな食べ物はスイカとアタリメ、犬とネコを比べるなら鳥派で、記憶力はいいが運動が苦手で寒がりだ、とか。
 だが何というか、どうしてもわからない部分があるのも確かなのだ。
 何かアイツの精神の奥にはブラックボックスのようなものが存在していてその中身が計り知れないというか。十七年付き合って尚、驚かされる事がしょっちゅうだ。
 要するに、三波南海はちょっと変わった女なんだろうと思う。
 
 
 
 
 月曜の朝、学校に行こうと家を出ると丁度玄関に鍵をかけている南海の姿が見えた。
 家は三件隣だし、学校も同じと来れば登校時間帯も自然と合って来る。
 示し合わせたわけじゃないが、一緒に登校するのは大体毎日の日課だった。

「はよ、南海」
「おはよう、ミツ」
 いつも通りの挨拶を交わして俺達は学校の方角に歩き出した。
 南海は今日もいつもと何も変わらない。
 肩より少し長いくらいに切りそろえられた素直な黒髪はハネ一つなく、クラスの大半の女子と違って眉を整えている以外に化粧っ気のない顔は目立つパーツはあまり無いが品良く整い、それを見慣れた幼馴染である俺から見ても多分、結構可愛い。ブレザーとスカートの組み合わせの制服は良く似合っているがどちらかといえばセーラー服の方が似合いそうなタイプだ。
 見た目だけでいえば大人し目で、今は死滅した大和撫子とやらに見えないことも無い。
 
 そんな南海を横目でちらりと見ながら、今日の俺は少し気まずい気分を抱えていた。
 もちろん一昨日のRGOでの出来事のせいだ。一昨日RGOの中で南海に置いていかれた俺は何度かメールを送ってみたのだが、帰ってきたのは簡単な返事のみで、結局その後は一緒に冒険には行けなかった。
 本人に拒否されたのに後をついて回るのもストーカーのようでできなかったのだ。
 それらを苦々しく思い出しながら、とりあえず今は南海に嫌な思いをさせたことをもう一度謝ろうと、俺は口を開きかけた。
 
「謝らなくていいよ」
「……っ」
 先手を取られたことに狼狽している俺に、南海はにこりと笑いかけた。
「ミツは気にしすぎ。他人と一緒にやるゲームなんだから、多少のトラブルは覚悟してたさ。その上で個人行動をしているのは私の一方的な都合だし。今は一人で計画を立てて、色々頑張ってみてるんだ」
「ん……悪ぃな」
「だから謝るなって。それより今日は親父さんいないんだろう。夕飯作って持っていくから、VR研に寄らず手伝ってよ?」
 わかった、と返事をすると南海はまた俺を見て笑った。
 
「そこ! 朝から何いい雰囲気出してんのよー!」
 突然後ろから聞こえた高い声に振り向く。振り向いた俺の視界を何かがすばやく横切った。
「由里、おはよう」
「おはよー、南海! 今日も朝から可愛いわね~」
「そんなに引っ付いたら歩けないって。由里は毎朝元気だなぁ」
 後ろから走ってきてすばやく南海に抱きついたのは、俺と同じクラスの田野由里子だった。いつも思うがコイツの名前の中には田の字がやたらと多い。
 コイツは俺と南海が通っていた小学校に高学年の頃に転入してきて、それ以来南海とはずっと親友と言ってもいい関係を続けている。ある意味これもやはり腐れ縁だろう。
 
 由里は(田野とか由里子とか呼ぶとダサいから嫌だと言って激しく怒るのだ)緩やかなウェーブのかかった茶色い髪をばさばさとなびかせながら南海の肩に頬擦りしていた。少しきつめの美人系の顔立ちも、南海と話している時にはだらしなく緩んでいる。
 この女も黙っていればかなり美人な部類に入ると思うんだが、大人しくしている気は一切ないらしい。
 由里は一見派手に見える外見と他人に合わせない性格のせいで昔から同性に敬遠されがちで女友達が少ない。そのせいか南海にべったりなところがある。
 南海は友人の奇怪な行動はいつもの事と全く気にした様子もなく、由里を引っ付かせたままスタスタといつもと同じ遅い速度で歩き続けている。
 相変わらずのマイペースぶりだ。
 
「朝から二人で何の話してたのよ~。私だって幼馴染なんだから仲間に入れなさいよね!」
「大した話はしてないよ。ミツから貰って一昨日始めたRGOの話と、今日はミツんちに夕飯を持っていく話くらいかな」
 アウトロー気味なくせに仲間外れが嫌いな由里に、南海はさっきまでの話題を話してやった。
 途端にキッときつい視線がこちらに向かってきて、俺は思わずうろたえそうになってしまった。
「夕飯!? あんた、私を差し置いて南海の手料理を食べようっての!?」
「お前に断らなきゃいけない理由はないだろうが!」
「あるわよ! ずるいじゃないの! 私だって南海の手料理食べたいのに~!」
 駄々をこねる友人の姿に南海は苦笑すると、それならと俺にとってはあまり有難くない提案をした。
 
「それなら由里も来たらいい。今日は煮込みハンバーグにするつもりでソースはもう出来てるから、帰りに少し多めに挽肉を買っておくよ。ついでだからケーキも買おうかな?」
「行く行く! わーい、南海の手料理! 何気にメニューがミツの好物なとこが気に入らないけど、年にいっぺんくらいなら我慢してあげるわ。あ、南海、付け合せの野菜はにんじんいっぱいにしてね~」
 勝手に押しかけてくるくせに我慢してあげると高飛車に言い放った由里は、更に笑顔で俺の嫌いなにんじんをリクエストした。
 くそう、この悪魔め。
 
「ミツ、ケーキは何がいい?」
「え? あ、えっと、プリン……とか」
 しまった、プリンはケーキじゃない。しかしとっさに好物の名が口から出てしまった。
「あんた子供っぽすぎ! それにプリンじゃろうそく立てられないじゃない!」
 きゃはは、と笑う由里の声が耳にうるさい。
 この年になってケーキにろうそくを要求する方が子供っぽいだろうが!
 しかし南海は俺の言葉を嘲笑ったりはせず、ただにこりと笑顔を見せただけだった。
 
「ミツのプリン好きは変わんないね。じゃあ、まぁ考えておく。っと、予鈴だ、急ご!」
 南海はそう言うともう間近になった校門に向かって走りだ……そうとしてバタンと盛大に転んだ。
 結局、俺と由里に両側から支えられて南海は保健室に行き、今朝は三人とも遅刻と相成ったのだった。
 
 
 
 
 
 
「ね、ミツ。ちょっと」
「ん?」
 放課後の教室で名を呼ばれて顔を上げると由里が近くに来ていた。
 何だよ、と返すと由里は無言で俺の前の椅子に座る。
「今朝さ、南海がちらっと言ってたと思うんだけど、あんたがソフトあげて、南海もRGO始めたってホント?」
「ああ、それか。ほんとだよ」
 俺が頷くと由里はぷっくりと頬を膨らませた。
「何で教えてくれないのよ~! 私だってアレやってるの知ってんでしょ!? あんたばっかり南海と遊んでずるい~!」
 そうだ、そういえば由里もRGOをやっていると聞いたことがあった。由里は夜遊びしてそうな見た目に反して結構なインドア派で、新しい物や機械が好きなのだ。RGO以外にも色々なVRゲームを渡り歩いているらしい。だがRGOの中では一度も会ったことがなかったのですっかり忘れていた。
 
「そういやお前もやってたんだっけ。つーか、だってお前VRでリアルの知り合いと会うのは嫌だって前に言ってただろ?」
「ばっかね、南海は別に決まってるでしょ!」
「そんなこと知るかよ! 大体何でだよ?」
「決まってるじゃない、面白そうだからよ! あの南海よ!? 何やらかすかわかんないじゃないの!」
 ああ……と俺はひどく納得して力なく頷いた。
 俺の様子から何かを察したらしく、由里は目を輝かせて顔を寄せる。おい、ちょっと近いから。
「その様子じゃもうなんかあったのね? 教えなさいよ! RGOの南海はどんなだったの?」
 結局、俺は土曜日の事の顛末を全て由里に語らせられる羽目になってしまった。
 
 
 
 
 数分後、由里は俺の目の前で机に突っ伏して笑い死にしそうになっていた。
 気持ちは良くわかる。俺だってコレが他人事だったなら大いに笑っていただろう。

「っく、はぁ……死ぬ……も、南海サイコー……! ジジイプレイってもう!」
「笑い事じゃないっつーの!」
 一昨日のダメージを思い出して思わず声を荒げると、由里は荒い息を吐きながら顔を上げ、俺を嘲うようなムカつく表情を浮かべた。

「ははーん、どうせあんたの事だから、南海なら面倒くさがってソフト貸してもあんまり外装いじらないとでも思ってたんでしょ? そんで幼馴染の女の子を背中に庇って戦う騎士とか、夢見ちゃってたんでしょー?」
「う……!」
 図星過ぎて俺は思わず胸を押さえた。
 
「あんたも大概変人よね。あの南海の幼馴染を十七年もやってて、まだそんな夢が見れるんだから」
「お前に言われたくないっての!」
「私は自覚があるからいいのよーだ。けど面白そうだから私も南海とプレイしたいなぁ」
「……多分しばらくは無理だと思うぜ」
「何でよ?」
 俺は一昨日のRGOでの南海の様子を見て、あの調子では南海はしばらく誰とも一緒に遊ばないだろうと感じていた。
 南海は大人しそうな見かけに反して、一度こうと決めたら絶対に譲らない頑固な所がある。
 昔も……あの時もそうだった。

「お前、小学校の時の南海の伝説ん時いなかったよな?」
「うん。でも話は聞いたわよ? なんかすごかったって」
 
 
 昔、俺達が通っていた小学校には二学年ごとのクラス替えがあった。
 その中で一年から四年まで俺と南海は同じクラスだったのだが、五年になって俺たちはクラスが別になり、南海が入ったクラスにはあいにくアイツと仲のいい友人がいなかったのだ。
 仲の良い友人のいないクラスで、大人しそうな外見の、運動がものすごく苦手な、少々変わった名前の少女。
 それだけ条件がそろえば南海がからかいの的になるのにそう時間はかからなかった。
 からかいが次第にエスカレートしていくのも、もちろんあっという間だ。
 持ち物を隠されたり落書きされたりという嫌がらせが少しずつエスカレートしていっていると聞いた俺は、南海に言った。
 
『南海、俺が先生に言ってやろうか?』
 しかし南海は少し考え、首を横に振った。
『大丈夫。ふふ、面白い事考えたんだ』
『は?』
 南海は助けを求めるどころか、にこにこと笑っていた。
 その目は何かを決意したような光を宿していたが、南海はそれ以上何も語らず、そして黙って行動に移した。
 
 
 
 
 
「あの時と同じ目をしてたからさ。あれはマジでしばらく一人でやるつもりだと思う」
「その時は何したのよ? 報復したとは聞いてるけど」
「南海はあの後、家にあったICレコーダーとデジカメと密閉できる袋なんかを用意したんだ」
 
 南海のいう面白い事は、驚くほど的確に、そして迅速に、秘密裏に実行された。
 
 からかわれたり罵倒されたりした時はすぐにICレコーダーにその声を収め、持ち物に被害があったらそれをこっそりと全てデジカメで撮影し、密閉袋に保存していた。
 そして十分に証拠を集めた後、親が付けてくれた大切な名前を汚された悲しみを切々と訴えた心に響く手紙を何枚も用意し、ご丁寧にスポイトで水を垂らして所々滲ませ、証拠品と共に県と市の教育委員会、校長、加害者の親に次々に送りつけたのだ。
 当然その後、学校は蜂の巣を突付いたような騒ぎに陥った事は言うまでもない。
 結局、加害者の生徒達は公の場で全面的に南海に謝罪し、南海はそれを寛大に許し、その騒動は一応の決着をみた。
 後になって俺が、加害者が素直に謝らなかった時はどうするつもりだったのかと南海に聞くと、アイツはさらりと答えた。
 
『その時は、「きぶつはそん」とか、「めいよきそん」で、警察に持ち込むつもりだったよ。あと、三丁目の田中医院の先生が、その時は心がひどく傷ついて体調を崩しましたっていう「しんだんしょ」を書いてくれるから、「しょうがいざい」もつけておきなさいって言ってた』
 町内で開業している小児科の田中先生は南海にはいつも大甘で、俺にはいつも厳しいクソじじいだ。
『そんな難しいこと、誰に教わったんだよ。田中先生?』
『ううん、刑事ドラマ見てて思いついたの。けっこううまくいくもんだね』
 
 楽しそうにそう言った南海の明るい笑顔は未だに忘れられない。
 こうして、三波南海を本気にさせるな、という言葉は学校中に広がり、南海は伝説になったのだ。
 
 
 
 伝説について説明してやると、由里はため息と共に深く頷いた。
「なるほどねぇ……今回はそれとはまぁ大分ベクトルが違うけど、南海が本気なら止められなさそうね。あーあ、しょうがない。しばらく待つかぁ」
「それがいいだろうな。俺も心配だけど、内心ちょっと楽しみかもしれないな……南海ならホントに強くなって帰ってきそうだ」
「うんうん。んじゃそん時が来たら遊んで貰おうっと。あんたもその時までにおかしな夢は捨てておいた方がいいわよ?」
「余計なお世話だ!」
 くそう、お前らはささやかな男の純情をなんだと思ってやがるんだ!
 いい加減泣くぞ!
 
 
 
 
 夕方、早々に帰ってしまった南海の後を追うように、不本意ながら由里を伴って家に帰ると俺の家にはまだ誰もいなかった。
 南海の家を見ると玄関に明かりがついている。南海は俺の家の鍵の隠し場所は知っているはずだが、まだ自分の家にいるらしい。
 そのまま自分の家の玄関にカバンを放り込むと、俺達は南海の家を訪ねた。
 
「南海、上がるぞー」
「おじゃましまーす。あー、なんかいい匂い!」
 勝手知ったる家の中に上がりこみ、リビングの扉を開くとふわりといい匂いに迎えられた。
 キッチン脇のテーブルにはもうサラダや器が並んでいる。
「あ、丁度良いところに帰ってきたね。そろそろできるとこだよ」
「そっか、どうする?俺んちに運ぶ?」
 一応聞いて見ると南海は首を横に振った。
「由里の分が増えたし、面倒だからここで食べよう」
 
 これ運んで、と言われるままに由里と二人でテーブルに料理や皿やコップを並べる。
 南海はその間に大きな皿に何かをしていたようだった。
 やがて料理も揃い、俺達は席についてお茶の入ったコップをカチンと打ち鳴らした。
 
「んじゃ、かんぱーい! 南海と、ついでにミツも誕生日おめでとー!」
「今日は俺のだっつの!」
「あはは、ミツ、おめでとう」
 南海の作った料理は相変わらず美味かった。俺のだけさりげなくにんじんが少ない所が心憎い。
 俺も由里もその後は無言で料理を食べ続け、皿はあっという間に空になった。
 南海だけは食べるのが遅いので一人でもぐもぐとマイペースに食べ続けている。
 由里は食べながらもRGOについて南海に熱心に話しかけていた。
 
「ね、南海が一人で頑張るの気が済んだら一緒に遊ぼーね」
「ん。いいよ。でもまだしばらく待っててね」
 やはり南海はしばらく人と遊ぶつもりは無いらしい。
 俺が内心で少しガッカリしていると、ようやく食事を終えた南海は冷蔵庫へと歩いていった。
 
 
 
「ほらミツ、プリン」
 南海が出してきたのは、十五センチくらいのサイズの丸くて平たい大きなプリンで、俺はその形に首を傾げた。
 この辺にこんなプリンを売っている店はないはずだ。
 
「プリンなら簡単だから作って冷やしておいたんだ。この蝋燭ならさせるでしょ」
 そう言ってプリンの真ん中に刺されたのはうんと細くて長いタイプの蝋燭。穴が空きすぎても何だから、と一本だけ。
 灯された火がどうにも気恥ずかしく、けれど嬉しい。
「せいぜい夢見がちな願い事したらいいわよ」
 由里のムカつく言葉を聞きながら、俺は蝋燭をそっと吹き消した。
 
 こういう事を何気なくしてくれるから。
 だから俺は何時までも夢から覚めることができないのだ。
 十七年経っても、何度驚かされても、現実を見せられても。
 南海は多分変な女なんだろう。
 しかしその変な女に夢を見続けている俺も、由里の言うとおりやっぱり変人なのかもしれない。
 結局その日、変わり者三人のささやかな宴は、夜が更けるまで続いたのだった。




[4801] RGO9
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:318e5993
Date: 2011/07/17 16:02


「こうして、始まりの王様はこの大陸を魔物達から奪還しました。
 平和になった、けれど何もなくなってしまったこの大陸に、王様は大切に懐に入れていた一粒の種を埋めました。
 するとどうでしょう。見る間に種からは芽が顔を出し、その芽は見る見る若木へと成長を遂げ、気がつけばそこには立派な木が生えていました。その木の歌う優しい歌は大地を癒し、グランガーデンはたちまち緑の大陸へと姿を変えたのです。
 そうしてこの大陸に、真の平和が戻ってきたのでした。今も白い木はこの世界のどこかで静かに歌を歌い続けているのです。
 ……おしまい」
 パタン、と本を閉じると熱心に聞き入っていた男の子がパッと顔を上げ、満面の笑みを浮かべた。
 
「ありがとう、おじいちゃん! すごく面白かったよ!」
「どういたしまして。さて、そろそろわしは帰らねば」
 そう言って立ち上がると男の子はええ~、と不満そうな声を上げ、足元にまとわりつく。それを穏やかな声で嗜めながら、奥の部屋から母親がやってきた。
「こら、わがまま言ってはだめよ。旅人さん、すっかり子供の相手をさせてしまってごめんなさいね。せめてこれを持っていらして。クッキーを焼きましたの」
「あ、ぼくもおじいちゃんにおれいする! おじいちゃん、これ、ぼくのだいすきだったえほんなの。あげるね!」
「これはこれは。どうもありがとう、坊や。大事にするよ」
 
 またね、という明るい声に送られてウォレスは親子の家を後にした。
 歩きながらウィンドウを開き受注クエストのところを見てみると、『ラルフの絵本』 というクエスト名の脇にClearrの文字が並んでいる。
 これは公園で出会う男の子に、忙しい母の代わりに絵本を読んであげる、というクエストだ。
 報酬はラルフの思い出の絵本と、手作りクッキー。この手作りクッキーは食べると知性が1上がるので、コレ狙いでこのクエストを選んだのだ。
 この思い出の絵本も実はただの本ではなく、一回きりだが範囲回復薬として使えるという嬉しいアイテムだ。
 クエスト自体もほのぼのしていてとても良かった。なんか癒された気分だ。
 クッキーはすぐに食べてしまおうと思ったが、やはりやめておくことにした。
 どうせなら後で休憩する時にでもゆっくりと食べたい。
 
 
 
 私は首尾よく終わったクエストに気を良くしながら西通りを魔法ギルドの建物へと向かって歩いた。
 今日でこのRGOの世界に来るようになって六日目になる。
 といってもRGOとリアルの時間は少しずれがあって、こちらの一時間は現実での約三十分となっている。だから実際には現実の時間よりもおおよそ倍くらいの時間をここで過ごしている計算だ。何か難しいシステムでこの時間差を実現しているらしいがあいにく興味がないのでさっぱりわからない。わからなくてもこうして遊べるのだから全く問題はないのだが。
 
 
 VRシステムは常に使用者の生体反応をチェックしていて、現実の体からの欲求を感じるとサインを出すようになっている。
 食事やトイレは勿論、インしている間は身体は動かないが脳を休めていないので睡眠もある程度必要とされている。
 健康維持の観点からそのサインを無視し続ける事は出来ないようになっているので、誰でも必ず定期的にログアウトをしなければならない。
 街にいる間は宿屋でログアウトし、野宿やダンジョンなら一定間隔で設置してある安全地帯でログアウトするのが普通だ。
 ログアウトする時の事を考えながらプレイするのが冒険者の基本らしい。
 
 私にも当然日々の生活はあるので、土日はともかく平日にログインできるのはせいぜい三、四時間くらいだ。それでも毎日こちらで八時間近くを過ごせるのだから、それを短くは感じない。
 ここに入り浸っている人は、人生の密度が倍くらいになって早く歳をとる気分になったりするんじゃないだろうか?
 
 
 
 そんなことを考えている内に、私は田舎の小さな郵便局のような建物の前に着いた。
 周囲の建物に紛れてしまっているこの目立たない建物が魔法ギルドだ。
 ドアを押すとドアベルがカラン、と可愛らしい音を立てた。
 
「こんにちは」
「いらっしゃい。知の道を歩く御方。今日は何用かしら?」
 カウンターに座るNPCのお姉さんが笑顔と共に決まり文句を掛けてくる。
 私はそれに適当に挨拶を返すと彼女のいるカウンターに近づき、そのテーブルに張り付いている白いパネルに指を触れた。
 すぐにパネルに反応があり、このギルドで利用できる施設の一覧が現れる。
 魔法講習、魔法練習室、瞑想室、図書室の四項目の中から私は練習室を選び、一室を借りた。
 魔道士であるならこの魔法ギルドの利用料はかからないのが有難い。
 
「あちらにどうぞ」
 指し示された奥への扉を開くとそこは何も無い土間のような部屋だった。
 VRならではの便利さで、扉は一つなのだが中の空間は利用者の分だけ用意される仕組みだから他人とかち合う心配はない。
 といっても、私がこの魔法ギルドを利用し始めてからもう六日目にだが、未だにここでNPC以外の人と出会った事はなかった。
 皆こんな場所には興味はないらしい。結構面白いのにもったいないことだ。
 
 
 部屋に入った私は扉の脇の壁についている白いパネルに近づき、今度はそれに指で触れた。
 出てきた文字を直接触っていくつかの項目を設定していく。
 
 的の座標は固定、一度の的の数は二匹、仮想敵はポクル、フィールドは草原。
 設定を終えて振り向くと部屋の様子は一変していた。
 部屋の奥にあったはずの壁はいつの間にか姿を消し、そこには街の外と良く似た草原が広がっている。良く見れば膝丈ほどの草の合間にぴょこぴょこと大きなネズミが動いているのが見えた。
 
「ふむ」
 一つ頷くと、私は手にしていた本を開いた。
 しかし開いただけでそこに出る文字に目を落とすことはない。
 もうとっくに暗記した呪文を呟くと、斜め後ろで赤い光が灯った。
『射て、炎の矢』
 す、と指先で目標を指し示しながら最後の言葉を呟く。ヒュッと細い音を立てて炎の矢が放たれた。
 その数は二。
 二匹のポクルは一瞬ののちに姿を消した。
 




 
「うーむ、あと精神が1と知性が2上がれば杖を装備できるか……。そしたらフィールドに出られるかのう」
 一時間後、私は今度は魔法ギルドの瞑想室の中でステータスを開いて色々と検討を重ねていた。
 瞑想室というからには瞑想しろよと思われそうだが、実はこの部屋はここに篭っているだけで瞑想したことになるという事なので、私はこの部屋で今後の計画を立てることにしている。
 もっぱらゲーム内での情報交換掲示板を眺めてめぼしい情報を拾う作業をしているのだが、これはなかなか有意義だった。
 

 ミストと別れた後、私がまず行なった事は魔法ギルドに行く事だった。
 ログインする前に見た情報サイトにより魔法ギルドでMP回復スキルが手に入る事は知っていたからだ。
 私はまず魔法ギルドのNPCに魔法の基本的な使い方の講習を受け、ギルド内の施設の利用方法を教えてもらい、スキルの取得を目指して瞑想室にこもった。
 
 瞑想室は四畳ほどの部屋で、木の床板の上に小さめのラグが敷いてあるだけの簡素な部屋だ。
 ここをゲーム内時間で二時間利用すると、『瞑想』というスキルが手に入るのだ。
 このスキルがあればフィールドなどでもそれを使う事でMPを五十パーセント回復できる。
 ただし、一回に五分はその場でじっとしていなければいけないのと、敵に襲われれば当然無効になってしまうので安全な時しか使えないスキルなのだが。
 それでもそれがあるとないとでは大分違う。
 私はスキルのために瞑想という名の時間つぶしをしながら、次に個人端末から見れるゲーム内の情報掲示板で情報集めを始めた。
 
 ゲームの中のリアルタイムで進むこの情報掲示板には色々な話題が山ほど出ている。
 当然怪しい情報や他愛のない雑談のスレッドも多いのだが、選んで読めばかなり参考になることも多い。
 現実の情報サイトはこの掲示板などで結論が出た確定情報をメールで外に送り、それを載せているらしい。
 そう考えるとあちらの情報は正確なのだろうが、両者の間にはかなりのタイムラグがありそうだった。
 私は情報掲示板の魔法職関係のスレッドを次々にチェックして、皆が苦労している話を読みながら今後の自分の行動方針を大まかに決めた。
 
 
 
 まず、すぐにフィールドに出るのは止める事にした。
 このまま普通にレベル上げをしていても、敵のレベルが上がったり、アクティブな敵を相手にしなければならなくなった時にソロではすぐに詰まることが分かりきっていたからだ。
 序盤から他人に頼りきりでレベルを上げていくのは立派な魔法ジジイを目指す私としては面白くない。
 
 何かそれを打開する道はないかと情報を集め考えるうち、私は一つの可能性を見出した。
 このゲームは自分のスキルの熟練度や装備品、プレイスタイル、クエストでの行動など様々な要因でレベルアップ時のステータス上昇に補正がかかる。
 それなら、フィールドに出てレベル上げをする前に、その補正を十分に受けられる状態にしておくのがいい。
 そうすればレベルが高くなった頃には普通に育てた場合とステータスに明らかな差が出るはずだ。
 
 幸い魔法ギルドにはそのための施設が充実していた。
 例えば魔法練習室。
 ここで仮想敵を相手に魔法を使うと、実際にMPは減るのだが経験値は一切入らない。
 その代わり、使った魔法スキルの熟練度はちゃんと上がるのだ。
 私はここでまず使える魔法の熟練度を出来るだけ上げることにした。
 ステータス補正目当てだが、熟練度を上げておけば当然魔法の威力も上がるので、覚えている魔法の数が少なくても倒せる敵が少しは増えるはずだし、一石二鳥。
 実際、使い続けた『炎の矢』は熟練度がレベル2に上がり、炎の矢の数が二つに増えた。これは相当嬉しかった。
 
 私は瞑想に飽きると練習室で魔法をぶっ放し、気分がスッキリしたところで瞑想に戻ることをしばらく繰り返す事にした。
 瞑想スキルは取得したが、当然それにも熟練度があるからだ。瞑想室を使い続けることで少しずつではあるが瞑想スキルの熟練度も上がる。
 瞑想をするとMPも回復するし丁度いい休憩にもなる。
 しかし、瞑想室にそれ以外の利点がある事に気がついたのは、瞑想時間が五時間を越えた頃だった。
 何気なくステータスを眺めていて私は首を傾げた。
 少しだが数字が以前と違っている。
 記憶を探ると、精神の数値が初期から比べて1上がっているように思えた。
 良く思い返してみたが、恐らく間違いはなさそうだった。
 これは僥倖だった。
 これを機に土日の間に魔法ギルドの機能を色々と検証してみた結果、ここはまさに魔道士のための研鑽所であることがわかったのだ。
 
 瞑想室で瞑想していると四時間ごとに精神に+1。
 図書室で蔵書を五十冊読むと知性に+1。
 
 私はもう小躍りしたい気分だった。
 図書室にはおよそ二百冊ほどの本がある。随分と多い数に見えるが、一冊の本の情報量は多くなく、大体五分から十分もあれば読み終わる。
 四、五時間かければ知性が+1。
 勿論楽な作業ではないが、それでも時間をかければ能力の底上げが出来るのだ。
 本の内容も、この大陸の歴史や地方の風土、モンスターの分布や細かい特性、様々な武器防具の基礎知識、世に知られている技術や魔法についてなど、より深くこの世界を知るためのマニュアルのようなもので決して無駄にはならなそうだった。
 
 
 そういう訳で練習室と瞑想室と図書室を行ったり来たりして六日目、私のレベルは未だ1のままだがステータスは少しずつ上がり、もうすぐミストから貰ったもののステータスが足りなくて装備できなかった『ナナカマドの杖』を装備できるようになりそうだ。
 
 魔法ギルドでの修行に飽きると、掲示板で集めた情報を辿りファトスの街で出来る小さなクエストを幾つかこなしたりもした。
 勿論、外に出て行って敵を倒す系のクエストはパスして、届け物をしたり探し物をしたり、話を聞いたりというだけで済むものを選んで幾つかこなしてきた。
 報酬はアイテムだったりお金だったりステータスだったりと色々だが、経験値が報酬のものは避け、必要のない物は売っぱらった。
 今のところそのお金で宿屋に泊まったり、新しい魔道書を買い足したりしている。
 
 金銭面に余裕があるわけではないが、杖さえ装備できたらそろそろレベル上げに行ける。
 今日手に入れたクッキーを食べて、図書館で読み残している本を全部読んでしまえば多分知性の数値は足りる。
 後はひたすら瞑想を繰り返すのみだ。
 
 
 
「ひたすら地味じゃが……何事も辛抱が肝心じゃからなぁ」
 ちなみにミストと別れて以来、一人でいるときもジジイ語の練習を兼ねて言葉遣いには気をつけている。
 でもリアルで出たら困るな、これ。
 
「しかし……このゲームの開発者は、実は相当魔法への拘りがあるのかもしれんのう」
 誰もいない部屋で私は一人呟いた。
 地味な作業を繰り返すうちに、私はそんなことを考えるようになっていた。
 
 魔法というととかく派手な効果による華々しい活躍を期待しそうだがもっと現実的に考えた場合、魔道士というのは研究者的な性質を持っているものなのかもしれない。
 限りある魔力を無駄にしないため的を相手に訓練を繰り返し、瞑想してより精神の高みを目指し、地道な研究によって少しずつ知識を蓄える。
 それらは全てこの魔法ギルドの備えた機能であるのだ。
 そういう道を用意してある事に、開発者の深い拘りが伺えるような気がした。
 



[4801] RGO10
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:318e5993
Date: 2011/07/17 16:02


 情報掲示板でセダの街のクエスト情報を眺めているとチリリリリ、と鈴を鳴らすような音がした。
 瞑想室の利用の終わり時間の合図だ。
 練習室と瞑想室は一回に一時間の利用となっているので、私は一度部屋を後にした。あまり連続してこもっていては飽きてしまうから丁度良い。
 
「さて……次は本を読んでしまうかな」
 カウンターで図書室の利用を申請して、私は部屋を移動した。
 さっき使っていた部屋の隣の扉を開けて中に入ると、もうすっかり見慣れた本だらけの部屋が私を迎える。活字好きには嬉しい場所だ。
 私は迷わず部屋の一番奥の棚へと向かった。もうこの棚の本を除き全て読み終えたのだ。
 残りの本は十冊ほどで、今日でこれで読み終えてしまうと思うと少し寂しかった。
 私は一冊を手に取ると、傍の椅子に深く腰を下ろした。
 
 
 
 -----------------
 
『妖精種について』
 
 妖精種はこの大陸に現在数種類が確認されているが、その全容は明らかになってはいない。
 花畑や森に住むもの、古い建物を好むもの、遺跡に住む悪戯で時に邪なもの、などと様々な種類の報告がある。
 その見かけも様々で、きわめて美しいもの、愛らしく滑稽なもの、見るだに邪悪なものと色々だ。
 人型種族に数えられるエルフやドワーフもこの妖精種であるとされているが、その真偽は明らかではない。
 
 妖精種はこの大陸に元から住んでいた古い種族だと言われている。
 グランガーデンが魔族に侵略された時にその多くが滅亡し、あるいは姿を隠した。
 始まりの王と魔族の戦いの際は王に手を貸したと言われているが、戦いの後は彼らは新しい移住者の前に積極的に姿を現す事はなく、現在もこの大陸のあちこちに隠れ住んでいるらしい。
 一説では始まりの王と何か約定を結んだとも言われているが、その内容はあきらかになっていない。
 ただ、各地には妖精種に関するお伽話が幾つも伝わり、それによれば妖精に出会い友好を築く事が出来れば幸運が訪れる事は確からしい。
 
 -----------------
 
 
 
「妖精種か……会ってみたいもんだのう」
 
 最後の項目を読み終えた本をパタンと閉じ、私はそれを本棚に戻してうんと伸びをした。
 老人の見かけの身体ではあるが、あくまで見かけだけなのでポキポキいったりはしない。
 ちょっとだけ物足りなく思いながらも姿勢を戻してステータスを開く。
 この部屋にある最後の本をたった今読み終えたのだ。
 数値を見れば、予定通り知性に+1がされている。思わず顔がほころんだ。
 後は手作りクッキーを食べるだけで目標はクリアだ。
 私はアイテムウィンドウを開き、手作りクッキーと記されている文字に触れ、摘んで引っ張る動作をした。
 途端に目の前にキラキラと光が弾け、手の平に乗るサイズの紙袋が現れる。
 アイテムはこうしてオブジェクト化させるのだ。
 
 
 現れたアイテムを手にとって袋を開けて中を覗くと、少し不揃いだが美味しそうなナッツ入りのクッキーが幾つも入っていた。
 仮想だというのにとても美味しそうで、思わずお腹が空いたような気分になる。
 文字を読んで脳が疲れた気もすることだし、お茶はないが今食べてしまおう。
 もっとも、これを食べたからといって私の脳に実際に糖分が行くわけではないのだが。
 とりあえずそんな事は置いておき、私はうきうきとクッキーに向かって手を伸ばした。
 
 
「……甘い匂いがする」
 
 不意に小さな声と鼻をならすような音が聞こえ、クッキーを摘もうとした私の指が止まった。
 驚いてパッと顔を上げ、扉の方を見たがそこには誰もいない。
 この図書室は瞑想室などと違って個人用の部屋ではない。しかし魔法ギルドの過疎ぶりから、未だに人に出会った事はなかった。
 
「いい匂い」
 
 部屋を見回しているとまた声がして、私は慌てて振り向いた。
 しかしそちらにもやはり誰かがいる訳ではなく、ただ本棚があるのみだ。
 不可解な出来事に、システムにはないのに背中に冷や汗が流れるような気がした。
 
「こっちだよ。上、上」
 
 弾かれたように上を見る。
 声がしたのは目の前の本棚の上から。
 
 視線を向けると、そこには何かおかしな生き物が座っていた。
 短い手足をプラプラさせながらこちらをじっと見ているそれは、奇妙な形の緑の服に身を包んでいる。
 背丈はおよそ三十センチくらいだろうか。
 ついさっき読んだ本に載っていた、妖精種、という言葉が脳裏を過ぎる。
 しかし私の脳はそれを認める事を全力で拒否したがっていた。

 老魔法使いへの強い憧れを持つ私としては、当然妖精という未知の生き物にもそれなりの夢を抱いている。
 出来れば総じて可愛く美しく、あるいは愛嬌たっぷりといった風であって欲しい。
 しかし、目の前の生き物はそのどれにも全く当てはまらない。
 いや、かろうじて愛嬌にだけはほんの端っこくらいはかするだろうか?
 
 
「いけないんだぁ。ここでは食べ物食べちゃだめなんだよ」
 
 それの声は幼い男の子のようで、とても可愛い。声だけ聞けば、とても。
 しかしそのおかしな格好は何だ。
 

 頭まで覆う鮮やかな緑色の全身タイツ。
 何故か赤いビキニパンツをその上から履き、足元は先のとがった皮のブーツだ。
 しかも体は微妙にメタボな中年体型。
 おまけに顔がものすごく可愛くない。可愛くないどころか、どう見てもブサイクなオッサン顔という他ないような顔をしている。
 こんな格好はどこかで見たことがある。確か、父から譲られた古いゲームにこれに良く似た生き物が出てきていたような気がする。
 私はあのゲームはアクションが苦手で上手く出来なかったので、兄がプレイするのを横からよく見ていた。
 
 私は呆然とその生き物を見つめ、そして一つの結論に達した。
 
「……チ○クル?」
 
 生き物はくふふ、と可愛い声で笑った。
 しかし、その顔はむかつくほど可愛くなかった。
 まさにばら色ルッピーランドだ。
 
 ちょっと待て、これがまさか妖精だとでも!?
 開発者出て来いゴラァ!
 



[4801] RGO11
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:bd601240
Date: 2011/07/17 16:03


 会ってみたいと思った淡い夢をほんの一瞬で打ち砕かれた私は、上を見上げてしまわないようにしながらその生き物と対峙していた。
 上を見て姿を視界に入れると動揺してしまいそうになるため、不自然じゃない程度に顔を逸らす。
 
「……君は、もしかして、いや、そんなはずは絶対ないんじゃないかと思うが、ひょっとすると……万が一……その、妖精、だったりとか?」
「ぼくがそれ以外の何に見えるってのさ、魔道士さん」
 
 声だけは可愛い。可愛い声で呼びかけられるのは嫌ではない。
 しかしその姿を見るとがっかりを通り越して軽く絶望しそうだ。
 
「そうか……妖精なのか……」
「そうだよ。この図書室に住んでるのさ。ブラウって呼んでね」
 それはブラウニーから来ているのだろうか。
 どこからどう見てもチ○クルのようなこの生き物がブラウニーだとは。どっちかというと小太りなゴブリンと言われた方がしっくりくる。
 
 私は顔を見ないように気をつけながら、ちらりと彼の頭上を見上げた。そこには緑色のマーカーが付いている。NPCの印だ。
 そうするとこれはイベントなんだろうか。
 もうかなり長い時間をこの図書館で過ごしているが、イベントが起きたのはもちろん初めてだ。
 情報掲示板に書いてあった図書室に関する話にもこんなものが出てくるなんて事は書いていなかった。
 書いてあったのは確か、この地区に出現するモンスターの基本情報が載っている本だけは役に立ったとか、そういうことくらいだ。
 こういう場合はどうするべきだろう?
 
 
「ええと……ご丁寧に、どうも。わしはウォレスじゃよ」
 私は考えながらもどうにか名乗り返し、それの顔を視界に入れないように頭を下げた。
 NPCだと解ってはいても、挨拶は友好の基本だと私は思っている。
 それにこのゲームのNPCは相当高度なプログラムを使っているらしく、会話の幅がかなり広く侮れない。
 情報掲示板でもこういったイベントでのNPCへの対応には気を使った方がいいんじゃないかという話が出ていた。
 ついでに言えば、さっき読んでいた本にも妖精と友好を築くと良い事があると書いてあったし。
 そんな事を思いながらの私のぎこちない挨拶に、ブラウはよろしくねと言って嬉しそうな笑い声を立てた。
 
 
「ね、ウォレスさん、ここでは物を食べたり飲んだりしちゃだめなんだよ。それ、どうするの?」
 ブラウは小さな指で私の手元を指し示し、首を傾げた。
 私はその言葉で手元で握りつぶしそうになっていたクッキーの袋の存在を思い出し、慌てて中を覗いた。
 良かった、特に潰れてはいないようだ。
 
「ああ、ここは飲食禁止なのか……そりゃすまんかったのう。それなら外で食べる事にしよう」
 向けられている気がする熱い視線から隠すようにして袋の口を閉じると、ブラウから不満の声が漏れる。
 
「えー、しまっちゃうの? ねぇ、ぼくもそれ食べたい! ちょうだい!」
 これが普通の店売りクッキーで、目の前の自称妖精が声に見合う可愛い子供だったなら、私は二つ返事でこのクッキーをあげただろう。
 けどこれはラルフのお母さんの手作りクッキーだ。
 これにしか知性+1の効果はない上に、一回しか貰えないんだぞ!
 しかしこの自称妖精との間に生じたらしい謎のイベントも、このままスルーするには少々ためらわれる。
 私はしばらく考えた末、他の物を提案してみる事にした。
 
「ううむ、すまんが、これは頂き物で譲るにはちょっとのう……甘いものが食べたいのなら、代わりのクッキーを買ってきてあげるからそれで我慢してくれんかの?」
「やだやだやだ! それラルフのママのでしょ? それがいいんだもん!」
 
 くっ、この声だけ妖精め、ピンポイントでこれ狙いだったのか! 可愛い声で駄々をこねるな!
 
「しかし……わしもこのクッキーの効果がないと困るんじゃよ」
 このクッキーで知性+1が出来なければ目標だった杖を装備できなくなってしまう。
 魔道書よりも杖の方が補正効果が大分いいから拘りたいのに。
 
「だってラルフのママのクッキー美味しいんだもん! 滅多に焼いてくれないんだよ。ねぇ、じゃあぼくがそのクッキーの代わりにおまじないしてあげるから、お願い!」
「おまじない?」
 驚きに顔を上げた私はうっかり妖精のオヤジ顔を直視してしまった。慌てて視線を下げるがダメージは大きい。
 もうクッキーあげるからいなくなってくれって言ってしまいそうだ。
 妖精はそんな私の様子は気にせず、自慢げにおまじないとやらの説明をしてくれた。
 
「そう、おまじない! 妖精の祝福だよ、滅多にもらえないんだから!」
「その効果は?」
「さぁ~?」
「さらばじゃ」
 サッと踵を返すと妖精は慌てて私の目の前の机に飛び降りてきた。
 くっ、勝手に視界に入るな、この!
 
「待って待って! じゃあもう一ついい事を教えてあげるから!」
 
 ブラウの懸命な声に私は足を止めた。というより目の前に来られると直視しにくくて歩きにくいだけだが。
 声だけ妖精は私の返事も聞かずに急くように口を開いた。
 
「あのね、そのクッキーを持ってるって事は、ラルフから本をもらったでしょ? まだ持ってる?」
「持っとるが……」
「ラルフはお気に入りの本はいっつもボロボロになるまで読んじゃうんだ。でもそれね、修理できるんだよ」
 
 本を修理できると言う言葉に私は目を見張った。
 あのラルフの絵本について私が知っているのは、一回切りの回復アイテムだという事だけだ。
 確かに本という形態なのだから現実だったら直すのは難しくはない。しかし、RGOの中でそんな話を聞いたことはなかった。
 
「……直すにはどうしたら?」
「ロブルっていうおじさんに会いに行けばいいんだよ!」
「そのロブルさんとやらが直してくれるのかな? して、その人はどこに?」
 ロブルという名に聞き覚えのなかった私の問いにブラウはこくこくと頷き、部屋の出口を指差した。
 
「ロブルの家に行くには、まず西通りを真っ直ぐ西門に向かって、門が見えたらそこから二つ手前の南へ続く細い小路に入るんだ。」
「ふむふむ」
「そうしたら入り口から八軒目がロブルの古書店だよ。目立たないけど見逃さないでね」
「古書店……そんな店もあるのか」
「そうだよ! ロブルに会ったら本を見せて、白き木の葉は入荷しているかって聞いてね」
 どうやら合言葉まで必要らしい。
 何故そんな面倒を、と考えているとブラウはそれを感じたのか自慢げに胸を反らした。
 
「ロブルは本が好きで、旅人が嫌いなんだ。それで、本の沢山あるところが好きなぼくと友達なんだ」
「なるほど。その合言葉は君の知り合いだという証拠なのか」
「うん! だから、ロブルに会ったらよろしくね!」
 
 ブラウの話を聞いて私はしばらく考え、結局手に持ったままのクッキーの袋を彼に差し出した。
 知性+1は惜しいが、このイベントの先への好奇心を思うとやはりここは乗っておくべきだろう。
 妖精の顔がどうとかはこの際棚上げだ。
 
「いいの!?」
「先に良いこととやらを聞いてしまったのじゃから、約束は守らねばのう」
 ブラウはパッと顔を輝かせて袋を受け取った。うう、その満面の笑みは破壊力抜群だ。
 しかし仕草や声は可愛いのだから、後は私脳内でフィルターをかけるしかない。
 そうだ、ここは一つ近所の幼稚園児のサトル君を思い出そう。
 サトル君は少し生意気なところも含めて、文句なしに近所で一番可愛い幼児だ。
 心の目を開けば目の前の妖精もサトル君に見える……気がする。
 
 私が心の目を開くべく努力をしている前で、妖精は大事そうにクッキーを一つ摘むと口に放り込んだ。
 その姿は本当に美味しそうで嬉しそうで、何かに開眼中の私も思わず少し嬉しくなった。
 
「ん~、おいしい! ありがとうウォレスさん。ぼくね、ラルフとも友達なんだ。だからラルフのママがクッキーを焼くと、時々こっそり分けてもらってたんだよ。でも、ラルフのママは最近ずっと忙しくって、クッキーを焼いてくれなかったんだ。だからすごくうれしいよ!」
「そうじゃったか、それは良かった。そんなに喜んでもらえたなら、わしも嬉しいことじゃよ」
 私は喜ぶブラウに笑顔を返した。
 サトル君に喜んでもらえたと思えば私も嬉しい、うん。
 ブラウは残ったクッキーはそのままに袋を閉じ、大切そうにそれを腰につけていたポシェットにしまいこんだ。
 
「じゃあ、約束だからおまじないしてあげるね。ちょっと椅子に座ってくれる?」
 くるりんぱぁ~! とかいう良くわからないおまじないをされたらどうしようとちょっとドキドキしながら、私は言われるままに椅子に腰を下ろした。目線が低くなると妖精の顔が嫌でも眼に入りやすくなって居心地が悪い。
 しかし段々とこのオッサン顔も見慣れてきた気がする。
 
 何をするのかとじっと見ていると、ブラウは立っている机の上でくるくると謎の踊りを踊り始めた。
 妖精が回るたびに彼の周りの空気がチカチカと光を纏い、小さな体が少しずつ朧になる。
 その姿を良く見ようと目を凝らした次の瞬間、ブラウの体が一際強い光を放ち、私は思わず目を瞑った。
 
 
 
「ウォレスさん」
 
 不意に名を呼ばれて目を開けた私は、自分の見たものが信じられなくてぱちぱちと瞬きを繰り返した。
 目をこすっても見たが、目の前のものには変化はない。
 
「驚いた?」
 その生き物は、いたずらっぽい笑顔を浮かべて私の顔を下から覗き込んだ。
 声と背丈はさっきと何も変わっていない。だからこれがブラウなのだと判る。
 だが、その姿の変化は劇的だった。
 奇妙な衣装とオッサン顔だった妖精は姿を消し、目の前にいるのはいかにも妖精らしい形の紺色のチュニックとズボンを細身の体に纏い、愛嬌のある優しい笑顔を浮かべたサトル君ばりに可愛い少年だった。
 私が内心で快哉を叫んだ事は言うまでもない。
 そうだよ、これだよこれ! これが妖精だよ!
 
「……うむ、驚いたのう」
「反応薄いなぁ。でも、それでこそ魔道士って言うべきなのかな?」
「まぁの。それが君の本当の姿かの?」
「そうだよ。ぼくたちは大体みんなこんな感じで、本当の姿を隠して生きてるんだ。臆病だからね」
 隠すにしてももう少しマシな姿はなかったのかと言いたいところをぐっとこらえる。
 芸が細かいというかなんというか、恐らくあの姿を見て示した態度次第ではこの妖精と仲良くなることは出来ないのだろう。
 それにどうやら合格したらしい事にほっと胸を撫で下ろしていると、ブラウは机の上をとことこと歩いて私のすぐ傍まで来た。
 
「――知の道は目に見え難く、時には薄闇に続く。貴方の志が、その道を照らす光たらん事を。言の葉の合間に住まう知の妖精ブラウがここに祝福を贈る――」
 可愛らしい声が、厳かに祝福の言葉を紡ぐ。
 頬に触れた小さな唇はくすぐったかった。

「……どうもありがとう、ブラウ」
「こちらこそ。クッキーをどうもありがとう。また遊びに来てね、ウォレス!」
 
 小さな手を振って妖精はひらりと姿を消した。
 後に残されたのは、椅子に座ったままの私と元通りの静寂だけ。
 何か変化があったのだろうかと思いステータスウィンドウを開いてみたが、残念ながらステータスにはどこも変わりはなかった。
 結局クッキーと引き換えにした祝福がどういうものだったのかは解らないままだが、たった今起こったこの不可思議な出会いは私に後悔を残していない。
 
 それに、厳密にはこのイベントはまだ終わったとは言えないのだ。
 私はロブルの古書店に行く為に、腰を上げて扉に向かって歩き出した。
 次に何が待っているのかと想像すると思わず足が早くなる。
 物語は、やはりこうでなくては。
 何だかどうしようもなく胸が躍っていた。




[4801] RGO12
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:bd601240
Date: 2011/07/17 16:04


「……六、七……八っと、ここかの?」
 
 ブラウに教わった道を辿り、細い小路にある家の数を数えて歩いて八軒目。
 私は、ロブルの古書店と思われる建物の前に立っていた。
 しかし、ようやく見つけたのは、本当にここが店なのかと疑いたくなるような小汚い建物だった。
 多分この周囲はいわゆる下町だとか、貧しい地区だという設定が与えられているのだろう。周りの建物はどれも至極簡素な土壁作りの家屋で窓は小さく、どれも古びた木の扉や鎧戸がついている。表通りの建物は大抵窓にガラスが嵌っていたが、この辺では殆ど見かけない。
 
 目の前のロブルの店はかろうじて通りに面した丸窓にガラスが嵌っているが、質の悪い分厚く歪んだガラスで少し色がついているのかすっかり曇っているのかは判らないが、店の中がかろうじてぼんやり見えるかどうかという感じだ。
 顔を近づけて中を除きこむと、ぼんやりとだが本棚のような物が見えた。
 上を見上げれば一応小さな看板らしき物がぶら下がっているのだが、雨風に晒され色褪せて絵柄や文字の判別が難しい。かろうじて開いた本の絵が描いてあるように見えなくもないだろうか。
 とりあえず、どうやらここが目的の場所で間違いはなさそうだった。
 しかし、建物にまで芸が細かいものだ。
 
 感心しながらも入り口に向かい、木の扉を引くと鍵はかかっていなかった。
 ギギィ、と今にも力尽きそうな音を立てて扉が開く。
 開いた隙間からそっと中を覗き込むと、店内はひどく薄暗かった。
 窓も小さいし、そもそも本は光に弱い物だから仕方ないのかもしれない。
 
「こんにちは」
 店なのだから入っても構わないんだろうが、一応挨拶だけ投げかけ、私は店の中に足を踏み入れた。
 中に入ってみると店内は外から見た印象よりも随分と広かった。まぁ考えてみればVRなんだからそれも不思議ではない。
 街並みもこういった空間も、服や小物などの細かいところも実に良くできているので時々それを忘れそうだ。
 私はそんなことを考えながら、薄暗い部屋の中を見回した。
 
 部屋の中はまさに本の海だった。ギルドの図書室よりも遥かに本が多い。
 入り口側を除く三方の壁は天井近くまである背の高い本棚で、フロアにも壁よりは低いが背の高い本棚が縦に三列ほど規則正しく並べられ、奥まで続いている。
 そんな大きな本棚が沢山あるというのに床にも溢れた本が適当に積み重ねてあって、それらを避けながら歩くのも一苦労だ。
 ここの本は読めるのかと棚の一つに手を伸ばしてみたが、並んだ本たちは一塊になったまま動く様子はない。どうやらよくできてはいるが、動かす事のできないオブジェクトのようだ。
 
 残念に思いつつも、私はローブの裾を持ち上げて本の合間をすり抜け、奥を目指した。
 少し歩くと出口らしい扉のついた部屋の向こうの壁が見え、その手前には本に半ば埋もれたカウンターと、そしてその影に隠れるように座る人影が見えた。
 どうやらあれがここの店主のようだ。
 
 ロブルさんと思しき人は、実にいい感じの爺さんだった。
 歳は今の私よりも少し若いだろう。痩せた体を揺り椅子に収め、熱心に本を読んでいる。
 年経た顔にはその頑固さを物語るような深い皺を幾つも刻み、短めの白い髭が鼻の下と顎を飾っている。
 高い鼻に乗せた丸眼鏡も実にそれらとよく似合っていた。
 老眼鏡だろうか? ああ、いいな、私もアレをかけたい。
 灰色の短い髪の上には丸い毛糸の帽子を被っているところを見ると、頭の天辺は少々薄そうだ。
 どこからどう見ても、ちょっと偏屈そうな古書店の店主、という肩書きを絵に描いたような人物だった。
 
 彼は恐らく私が入ってきた事に気付いているだろうに、顔も上げようとはしない。
 偏屈ジジイ、イイ! と私は内心でガッツポーズを決めた。
 これはぜひともジジイ同士の友情フラグを立てたいものだ。
 
「お邪魔するよ」
 もう一度声を掛けてから近寄ると、彼はチラリと目線だけで私を確認し、それからフン、と鼻を鳴らしてまた本へと視線を戻した。
 うう、一見さんへのこの冷たい対応、まさに偏屈ジジイだ。最高だ。
 
 その冷たい反応に感動を覚えながら、私はウィンドウを開いてラルフの絵本をオブジェクト化し、積み重なった本で三分の二が埋まったカウンターの端にそっと乗せた。
 
「白き木の葉は入荷しておるかね?」
 ブラウから教わった言葉を告げると、老人は驚いたように顔を上げ、私の顔とカウンターの上の本を交互に見つめた。
 
「……ふん、どうやらあんたはお客のようだな。よかろう、何用だね?」
「ここへ来たらこの本を修理してもらえると聞いての。それに古書店と聞けば、本好きとしてはなおさら来んわけにはいかんしのう」
 手に取れない本たちを残念そうに見回すと、ロブルはその私の様子を見て微かに口の端を上げた。
 
「古本なんぞに興味のある旅人がいるとは、珍しいこともあるもんだ」
「はは、旅人嫌いという話は本当なようじゃの」
 私が笑うと、ロブルは面白くもなさそうに鼻を鳴らし、ぼろぼろになったラルフの絵本を手に取った。
 
「旅人なんぞ好きになれる訳があるまい? 不意に街にやって来ちゃ、あちこち好き勝手にうろつき回り、草原で弱い者いじめをして気が済むと去っていく連中だ。
 顔を合わせても挨拶一つできやせん。何を目指しておるんだかは知らんが、大半はごろつきとかわらんさ」
 面白くなさそうなロブルの言葉に私は目を見開いた。
 思わず彼の頭の上に視線を投げ、そこにNPCのマーカーがあることを確かめてしまった。
 間違いなくNPCだ、うん。
 しかし今のセリフのリアリティはかなりのものだった。
 確かにそう言われると、彼ら街の住人の視点で見たら冒険者は騒々しい厄介者と言えなくもない気がする。
 
「……同じ旅人としては、耳が痛いのう」
 私が苦笑と共にそう返すと、ロブルは首を横に振ってくれた。
 
「ブラウの紹介でここに来たのなら、あんたはまだちっとはマシな方さ。少なくとも本が好きな暇人だって事は確かだろうしな」
「そうそう、ブラウが貴方によろしくと言っとったよ」
 本が好きな暇人、と評された言葉について考えながらブラウの言葉を伝えると、ロブルは初めてはっきりとした笑顔を見せた。
 うう、偏屈ジジイの笑顔とはレアなものを見た。幸せだ。
 
「あんた、何か取られたかい?」
「うむ……ラルフの母御の手作りクッキーをのぅ。楽しみにしとったんだが……」
「はっは、そりゃ運が悪い! なら、今日は夜辺りアイツが訪ねてくるかもしれんな」
 私はその言葉に首を傾げた。私の反応を見てロブルは楽しそうに秘密を一つ明かしてくれた。
 
「アイツは誰かから菓子やら面白い物やらを分けてもらうとここに来て、ソレを肴にわしとお茶を飲むのが習慣なのさ。最近は機会が減っておったが、今日は久しぶりにご相伴に与れそうだ」
 なんとそうだったのか。
 道理でブラウはあんなに嬉しそうにクッキーを受け取ったのに、すぐに全部食べてしまわなかったなと思ったら。
 孫のような妖精と偏屈ジジイの友情っていうのもいいなぁ。
 しかし、運が悪いって言うのは?
 
「妖精ってのはな、普段は姿を隠しているくせに寂しがりなのさ。アイツもギルドにしょっちゅう来る人間を良く見ていて、機会があれば話しかけようと思っとるらしい。だがそうして姿を現しても、あいつらは大抵の場合、『試し』を仕掛ける。例えば醜い姿で出てきたり、持ち物を強請られたり、使いを頼まれたり、謎をかけられたりと色々のようだが……。
 あんたが話しかけられたのは、アイツがそれを狙っとったからだろう。たまたまその時にとっときの菓子を持っとって、それを強請られて取られちまうなんて運が悪いとしか言いようがなかろう?」
 私はその言葉にガックリと肩を落とした。
 妖精との出会いのフラグが何なのか正確なところはわからないが、どうやらクッキーはきっかけの一つに過ぎなかったらしい。
 もしかしたら本当の出会いフラグはあそこの本を全部読んだ時とか、瞑想何十時間とか、そういう条件だったのかもしれない。
 と言うことはクッキーは取られ損なのか?
 
「まぁ、もしまた妖精と出会う事になったら気をつけるこった。あいつらはちゃっかり者ばかりだからな。
 与えたものに見合う何かを返すのが連中の流儀ではあるが、それがその時こちらが望む物とは限るまい。何せ気まぐれな連中だ」
 
 なるほど。そうすると私がもし手ぶらで出会っていたなら、あるいはクッキーとは別の物を持っていたなら、また違うやり取りがあったと言うことか。
 だが、良く考えればアレをきっかけに簡単に仲良くなれたと言えなくもないかもしれない。この店の事を教えてもらえたのも、そのおかげなのかもしれない。
 仮定ばかりではあるが、手ぶらだったらどうだったのかはもう知りようがないのだから、そう思っておくのが精神的には良さそうだ。
 
 私はそうポジティブに考える事にして、無理矢理己を納得させた。
 どうせもうあげてしまったクッキーは戻ってこないのだ。
 しかし色々考えると本当に芸が細かくて、うっかりするとそろそろ彼らがNPCだと言うことを忘れそうだ。
 私が納得したのを見て、ロブルはまた笑うと手にしていた絵本をすっと私に差し出した。
 
「さて、ではわしからも茶菓子の礼だ。もう直ってるぞ」
「いつの間に……」
 私は知らぬ間に糊と布テープで補強されていた薄い絵本を受け取り、それを開こうと手をかけた。
 一体この本を修理すると何が起こるのかずっと気になっていたのだ。
 絵本の表紙をめくると勝手にページが動き、ひらりと真ん中あたりの見開きが出てきた。この動きは、まさか。
 目を落とすとそこにあったのはページの片側にぽつんと記された、『白き木の歌』 と言う一文だった。
 
「これは……まさか、魔道書!?」
 私の声にロブルはニヤリと笑みを浮かべ頷いた。
「そうさ。ただし、こいつは見ての通りもうぼろぼろの本だ。直したとはいえ、またすぐ壊れるだろうな」
 と言うことは修理してもらっても回数限定アイテムだという事には変わりないと言うことだろうか?
 
「せいぜい、読めるのはあと一回というところだろう」
「たった一回? しかし、それではさっきまでと変わらんのでは?」
「あんたそれでも魔道士かい? 覚えりゃいいだろうが」
 なるほど、そういうことか。
 私はその意味に気付き、この本の使い道を理解した。
 修理してもらわなければこの本は読むことも出来ない、掲げるだけで発動する範囲回復薬代わりのアイテムだが、修理してもらえば一回きりだが魔道書として読んで使う事ができる。
 そのたった一回で呪文を覚えきれるかどうか。
 
「……面白い」
 開発者からの挑戦のようなアイテムに、私はこらえ切れない笑みを浮かべた。
 私の笑みをどうとったのか、ロブルもまた面白そうな顔を浮かべて頷いた。
 
「美味いクッキーに免じて、わしからも良い事を教えてやろう。これはな、『始まりの木の葉』と総称される魔法の一つだ。
 始まりの王と共にこの大陸にもたらされた魔法だとも、古い妖精種の残した魔法だとも言われているが、本当の事は誰も知らん。判っているのはどれも普通の魔法よりも遥かに強かったり、特殊な力を持っていたりするらしいということくらいで、それがどれほどの数あるのかも知られてはおらん」
「皆このように絵本の中に隠れているものなのかの?」
「絵本とは限らんが、まぁ本の間に隠れている事は確かだな。大抵はこれのように、バラバラになっちまう寸前のような古びた本に隠れている。こいつらはそういう古い本が好きなのさ」
 まるで魔法自体に意思があるかのような言い方だ。
 私は首を傾げ、その疑問を投げかけた。
 
「まるで魔法に意思があるような言い方じゃな?」
「ある意味ではそうかもしれんな。こいつら『始まりの木の葉』 は言の葉の合間……つまり、普通の本の中に姿を隠し、渡り歩いていると言われている。確かめたものはおらんがな。
 まぁ憶えとくといい。こういった本は、大陸中に結構あるのさ。その出会いは偶然で、ただ一度きりかもしれない。気がつくかどうかも運次第だ。だが、そこにこそ面白みがあるってもんだ」
「うむ……憶えておこう。是非とも何度でも出会いたいもんだの」
「あんたなら恐らくまた出会いがあるだろう」
 ロブルの言葉に何故かと問いかけると彼は、ブラウだ、と教えてくれた。
 
「アイツの祝福を受けたろう?」
「ああ、確かに受けたが……何も目に見える変化はなかったが、あれは一体?」
「この本を開き、魔道書として読めるってのがその祝福なのさ。知の妖精の祝福を受けると、これと同じように世界のあちこちの散らばった『始まりの木の葉』を見つける事ができるようになる。祝福には他にも効果があるが、一番は何と言ってもそれだ。
 これらの魔法が古い妖精種のものじゃないかと言われるのはその辺りが理由だ。あいつらと同じように、本当の姿を隠して擬態しているからな」

 私は胸の内で、どうしよう、と小さく呟いた。何かドキドキしてきた。
 始まりはチン○ルそっくりの不細工妖精との出会いだったのに、その話がおかしな方向へどんどん広がっている気がする。
 一体私はどんなフラグを立てたんだ?
 未だにレベル1だっていうのに、何だか壮大な夢を持ってしまいそうだ。
 
 高鳴る胸を押さえながら、私はロブルの顔を見た。
 NPCだと判っていても、もう私は彼をNPC扱いする気にはなれない。だから、答えが判りきっていても聞きたかった。
 
「それを知る貴方は探そうとはしないのかの?」
「フン、わしはただの古本屋の店主さ。それが一番性に合っている。世界中を旅して、世界中の本を読み漁るなんてのはごめんだよ。そんなことをしたら持病の腰痛が悪くなって婆さんにどやされちまう」
 婆さんもいるのか! この偏屈ジジイと夫婦とは、一体どんな最強婆さんなんだろう。是非とも一度お会いしたいものだ。
 私が胸をときめかせていると、不意にロブルは店内の本棚を指差した。
 
「この中にもどこかに確か一冊くらいそんなのがあったはずだ。まだあるかもしれんから、気になるなら探してみたらいい」
「この中に……しかし、さっきは本を手に取れんかったのだが……」
 私が眉を寄せると、ロブルはパチンと指を一つ鳴らした。
「うちの本はどれも器量良しだが気難しくてな。気に入らん客とは手も繋いでくれんのさ。これで読めるようになるはずだ」
「ほほう、どれ……」
 言われるままにカウンターの上の一冊を手に取ると、本は今度は素直に私の手に渡り、はらりと開かれてくれた。うーん、何て身持ちが固いんだ。
 適当に手にした本はもちろん当たりではなかったが、フォナンの闘技場とその歴史、という知らないタイトルのものだった。
 
 店内は薄暗いが、外はまだ日が高い。
 許しも出た事だし、私は本に埋もれていた小さな木の椅子を探し出すとカウンターの上にぶら下がっているランプの下に寄せ、そこに陣取って本を読ませてもらうことにした。
 私が読書の体制に入ったのを見てもロブルは何も言わない所を見ると、売り物を読んでも特に気にはならないらしい。
 ひょっとするとここの本を読んだらクッキーで上げ損ねた知性+1を取り戻せたりするかもしれない。
 ささやかな期待と共に本を読み始めた私の姿を見て、ロブルもまた揺り椅子に体を戻して本を手に取る。
 

 静かな店内に、爺さん二人が本をめくる音だけが密やかに響いていた。




[4801] RGO13
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:bd601240
Date: 2011/07/17 16:05

『――来たれ来たれ、白き紡ぎ手、氷雪の子供。遥かなる天よりの使者にして、眠りと死を運ぶもの。我が望む全てをその白き御手に包み込め』
 言葉と共に先端の透明な丸い石に、青い光を宿した杖を振り上げる。前方の敵が見える範囲を見えない輪で囲むように、その杖の先端をくるりと動かした。
 
『降れ、氷の華』
 パキパキと何かが軋むような硬い音と共に周囲の温度が急激に下がる。
 およそ五メートルほど先にいた三匹の半透明のゼリー状の生き物の上にチラチラと白い雪が降り、彼らは次々にその体を白く濁らせ凍り付いていく。
 私はそれらが完全に動かなくなるまで待ってからゆっくりと近づき、杖の先で一匹をツン、とつついた。
 途端にパチンと光が弾け、ふわふわと周囲に散った光がその生き物の最期を告げる。
 コンコンと他のスライムも叩くと同じように次々弾けて姿を消した。
 浮かんでいた光が全て消えた事を確かめてから、私はアイテムウィンドウを開いた。
 
「お、出たな、沼スライムの核石。よしよし」
 あいにく今の三匹でもアイテムは一つしか出なかったが、それでも嬉しい。ついでにステータスを見ると、今のでレベルも上がっている。
 
「これでレベル5か。まぁまぁのペースかの」
 レベルが上がってかなり余裕が出てきたMPを見ながら、私はレベルが一つ上がった事にひとまずの達成感を感じて頷いた。
 
 杖を装備しているし、幾つかの魔法スキルの熟練度を大分上げたおかげもあって魔道士が上げたいMPや知性、精神などの数値がかなり上がりやすくなっている。その三つだけはうなぎのぼり状態だと言ってもいいくらいだ。
 他人と比較したわけではないので正確なところはわからないが、このレベルで沼スライム三匹を魔法一発で倒せるのだからまぁまぁいいペースで進んでいるんじゃないだろうか。
 
 その代わりHPやら腕力やら体力やらはかなり底辺を彷徨っているような気もするが。
 といっても元々エルフはそれらの数値はさほど高くないから仕方ない事とも思える。その分、敏捷なんかはエルフという種族の特性のお陰ででさほど低くはない。もっとも、私の場合は口だけ素早ければそれでいいので、敏捷は関係ないんだが。
 
 今使った氷の華は青の魔道書Ⅰで覚えられる氷系の初級範囲魔法だ。
 範囲魔法と言っても最初はほんの直径一メートルくらいの範囲しか凍らせられなかったのだが、今では三メートルくらいになって使い勝手が大分良くなった。
 
 ちなみに沼スライムはファトスの北にある湿地帯に住む不定形生物だが、その体の柔らかさから物理攻撃に強く、魔法以外の攻撃が効きにくいという性質を持っている。
 ソロで挑む推奨レベルは7くらいだが、ノンアクティブなのである程度レベルの上がった魔道士には良いカモだ。
 落とすアイテムも小から中程度までの回復薬の材料となるので、生産で薬師をやっている人達にいつでも需要があってそこそこの値段で引き取ってもらえる……はずなのだが。
 
「これで核石が六個か。今の相場から行くと、ちと厳しいかのう……いっそ生産は薬師にでもするべきか……」
 ここに来る前に確かめたそのアイテムの相場は大体一つ80Rくらいだった。そう悪い値段ではないが、このところ少し下がって来ている。
 私はううん、と唸って眉を寄せた。
 
 RGO生活二週間目。
 今のところ、私の計画自体はそれなりに順調に進んでいる。
 ロブルの店のおかげで足りなかった知性も目標をクリアし、こうして杖を装備して予定通りフィールドに出てこれるようにもなった。
 ファトスの周辺なら敵はノンアクティブのものばかりだし、図書室で仕入れたモンスターの知識によって弱点は熟知している上、練習室で仮想敵を相手に一通り試したのでソロでも恐怖はない。
 興味が勝らない限り無理はしない主義なので、ここら辺の雑魚には今のところ無敗と言って良い。
 ブラウやロブルとのイベントによって、魔法を探す旅をしたいという大きな目標も新しく生まれた。
 
 問題はない。
 ただ一点を除いては。
 そして、その一点とは――
 
「ロブルのとこの始まりの木の葉の書も、見つけたはいいけど使う為には買い取りだし、そのうち赤の魔道書Ⅱと白の魔道書Ⅱも欲しいし……やっぱ探索者の書を買ったのは早まったかなぁ」
 色々考えると憂鬱で、思わず言葉遣いも素に戻ってしまう。
 希望を指折り数えてみたが、今の所持金は1200Rくらいだ。
 対して今欲しい魔道書は大体どれも1500Rから3000Rくらいの値段帯。とてもじゃないが欲しい物全てはすぐに買えそうにない。
 目標もできたのでそろそろ次の街への移動を考えているのだが、その前にこの街で買っておきたい物も多い。
 
「完璧、金欠だな……はてさて、どうするかのう」
 
 ――要するに、金の問題というやつだっだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
「うーん、困ったのう」
「のうって言うな!」
「おっと、いかんいかん」
「それもやめろぉ!!」
 朝の通学路で行われた漫才めいたやり取りに私はため息を吐いた。
 最近どうもうっかりすると時々口調がジジイ語になってしまう。
 まずいなぁと考えているとあくびが一つこぼれた。
 隣では光伸が朝から辛気臭く肩を落として歩いている。
 
「朝から鬱陶しいよ、ミツ。ちょっと失敗しただけだろ。ミツだってたまにミストを意識した振る舞い出てるし、お互い様だって」
「えっ!? 嘘だろ、いつだよそれ!」
「こないだの体育の剣道の時とか。うちのクラスと合同で、雨だったから武道館の半分で女子がダンスしてたろ? ミツが盾もないのに片手剣よろしく竹刀を斜めに大きく振りかぶって、胴をあっさり払われていたのを目撃したぞ」
 
 ぐあぁぁぁ、と聞き苦しい声を上げて光伸は頭を抱えた。
 あの時の光伸は、オレ騎士道まっしぐらだぜーと言わんばかりの自信に満ちた雰囲気を出していた事は言わないでやろう。武士……じゃないけど、老魔道士のせめてもの情けだ。
 ちなみにその時間の私はもちろん体育館の隅で見学だ。ダンスなんて激しい運動をしたらステップを踏み損なって足首をくじいてしまうに決まっている。
 運動をする度に毎回保健室に運ばれる私に体育教師ももう諦めているので問題はない。
 どうせ表向きは病弱と言う事になっているのだ。滅多に風邪も引かない健康体だが。
 
 そんなことを回想している私の横で光伸はひとしきり呻いて激しく後悔したあと、気を取り直してまた歩き出した。立ち直りが早いところがコイツの良いところだ。
 
「ああ、くそ、気をつけなきゃな……。それで、南海は何に困ってるんだ?」
 やっと話が本題に戻った。私は少し悩んだが、ウォレスが金欠である事を素直に話すことにした。
「金欠だ。クエストなんかでちまちま金を稼いではいたんだが、魔法が面白くて調子に乗って魔道書を買っていたら、本当に欲しい物が出てきて今ちょっと困ってるんだ」
「レベルは上がってるのか?」
「昨日5になったとこだな。ファトスの周りで戦う分には苦労していないから狩りをすればいいんだけど、そればっかりやっているのもなぁ」
 
 なるほど、と光伸は頷く。金欠は序盤のプレイヤーには良くある問題だろう。
 パーティを組んで遠出をして、効率のいい狩りをしたなら問題はないのだろうが、あいにく私にはその気はないし。
 まだ相変わらず瞑想なんかもしているし、最近はロブルの店にも通い続けているのでそっちにも時間を割きたい。何せ今や私とロブルは立派な友人なのだ。
 
 あのブラウやロブルとの出会い以来、私はNPCをNPCだと思うのを止めることにした。
 店の店員にも、街角を行く人にも、緑のマーカーがついていたら積極的に何度でも話しかけてみることにしている。
 買い物や部屋を借りるのも、ウィンドウを開いて「操作」をするのを止めて、何事も直接の会話で大体の用件を済ませるようにしている。RGOはシステム上そういう行為も普通に可能なのだ。
 もっともいちいち口頭でやり取りをするよりもウィンドウを開く方が面倒がなくていいので、大抵のプレイヤーは意図して情報を集める時やクエストの時以外そんなことはしていないと思うが。
 
 しかし何とそれ以来、NPC達の態度が目に見えて変わってきた。
 会話をする度にNPCの話す内容が変わり、その日のオススメを教えてくれたり、パン屋の人気のパンの焼きあがり時間を教えてくれたり、町内の美人ランキングや角の花屋のお姉さんの思い人を教えてくれたりする。
 それが役に立つか立たないかは置いておいて、今では私はすっかりファトスの街の人々に馴染んでしまった。まったく、本当に良くできたシステムだと感心するばっかりだ。
 まぁ、そのおかげですれ違うプレイヤーには私もNPCかなと疑われたり、胡乱な目で見られたりする事もままあるのだが。そんなことは些細なことだろう。
 
 
 話がそれたが、私はファトスの街の周辺情報を脳内で検索して、出てくるモンスターについても考察を加えた。
 沼スライムは倒しやすいがドロップ品の値段が下落しているから、そろそろ次のターゲットを考えるべきか。しかしあの周辺の敵は取得経験値の方に若干のボーナスがついていて、ドロップアイテムは大した物がないという種類が多い。沼スライムは良い方なのだ。
 その辺は初心者向けのレベル上げ用の敵ばかりなのだから仕方ない。
 やっぱりコツコツやるしかないだろうか。
 
「なぁ、そろそろ一緒にどっか行こうぜ。セダの周辺ならもっといい敵いるし」
「断る。まだまだ、理想には程遠い」
「ったく、そんなに拘ることかよ……レベル上がるペース遅いし、結構インしてるみたいなのに、何に時間使ってんだ?」
「余計なお世話。私は私なりに有意義に時間を使っているんだから放っとけ」
 何となくムカついたので光伸の耳をぐいと引っ張ると悲鳴が上がった。反省しろ。
 拘ってこそやりがいがあるというものだろうに、まったく。
 
「やっぱりセダに急いで行くのは止めて、先に何か生産スキルでも取るかな……」
 次の街への興味はあるが、ここは我慢かもしれない。
 とりあえずロブルの店の始まりの木の葉の書だけ急いで確保して、後は長期戦で行くか。ついでに何か生産を始めて、ゆくゆくはある程度の収入や自給自足の道を確保したいところだ。
「お、生産スキル取るのか? 何にするんだ?」
 光伸は興味津々と言った風に問いかけてくる。しかしあいにくその問いへの答えは私の中でもまだ出ていなかった。
 
 RGOには他のMMOなんかと同じように生産という行為があり、基本の職業の他に、一種類だけ副職を選ぶことができる。
 といってもキャラメイキングの時に副職を選べるわけではなく、あとからその副職に就く方法を探して覚える方式だ。
 大抵は街にそれら生産職のエキスパートのNPCがいて、彼らに弟子入りするなりなんなりして覚えることとなる。
 もっとも、各職業に就くための必須スキルや必要ステータスポイントというのも設定されており、選べる副職は己の能力の範囲内のものだけだ。
 だからある程度レベルが上がってから副職を始める人の方が多いらしい。
 
 私も多少のレベルアップをしたし、ステータスも順調に伸びているのでそろそろ就ける職業があるはずだ。
 鍛冶や農業などの職業は腕力体力が足りてないので無理だろうが、魔法具の生産や薬師などなら就けると思う。
 
「最初は薬師がいいかなぁと思ってたんだけど……ファトス辺りの材料で作れる薬の需要が減ってきてるみたいだから悩んでるんだ」
「ああ、そっか。そういやフォナン地区が開いたもんな。今あの辺で取れる薬草とか、ドロップ品を使った薬に人気が集まってるからなぁ」
 そう、私がロブルの店に入り浸って偏屈ジジイに癒されている間に、いつの間にか大陸四つ目のフォナン地区まで踏破されたのだ。
 
 踏破というのは区分けされた大陸の次の地区の主要都市に、最初の旅人が辿り着くことを言う。
 大陸が区分けされ、そこに街があることがわかっているのに踏破というのはおかしな表現だと思うが、まぁそう呼ばれている。
 
 グランガーデン大陸は全部で十五ほどの地区に区分けされており、そこにある街同士は本来は一応の交易などもあるらしい。
 しかし昨今魔物の活発化が各地で頻発しており、あちこちの土地が乱れ、情勢が不安定になっている。
 そのため交易は大規模な商隊が協力して年に一、二回行うのみで、一般の人間はその中には加えてもらえない。
 そのせいでいつの間にか街道は荒れ果て、地図も新しい物が作られなくなって久しい。交流が細くなった街や村はどこも衰退し始めている……という設定が、背景にはある。
 
 で、そこで登場するのが大陸を行く旅人たるプレイヤー達だ。
 彼らは大勢で協力して、一般人の往来が途絶えて荒れ果てた街道や荒野を辿り、周辺の敵を倒して安全を確保し、地図を描きながら次の街への道をもう一度開く。
 そうやって道を再び開いた旅人が次の街に到着すると、その辺りの新しい地図が売られるようになり、一般レベルでの交流が復活したので周辺の街は活気付いて再び発展を始め、定期便の馬車が往来し始めたりするのだ。
 
 と、まぁそれが地区を踏破する、という行為の意味だ。
 未知のモンスターがわさわさいたり、沼や川に足止めされたり、ボスクラスの大きなモンスターに襲われたり、休める安全地帯がなかなか見つからなかったりと様々な出来事があるため、幾つものチームが協力して何日もかけて調査することが多いらしい。
 それはそれで楽しそうだが、今のところ私には縁のない話だ。
 今の話で私に縁があるのは、四つ目の地区が踏破されて色々と流通や相場の事情が変わった、というところだ。それによって金策に関しては軌道修正をしなくてはならなくなったのだ。
 
「そういえばミツは何か生産やってるの?」
「ああ、俺は騎獣生産やってるよ。せっかく騎乗スキル取ったしな。セダの南に牧場のある村があってさ、そこで覚えられるんだ」
 光伸の説明によると、野にいる獣の中から騎乗可能なものを生かして捕らえ、調教するらしい。牧場にスペースを借りなくては行けなかったりして初期投資が少しいるらしいが、売れれば結構いい値段になるということだった。
 面白そうだが、腕力と体力と騎乗スキル必須と言う事で、私にはまだ到底無理そうだ。……そもそも動物に乗ったら酔う気がする。
 
「うーん……」
「まぁ、今からやるなら薬師はあんまり薦めないかな。魔道士が少ない事もあって、皆回復薬に頼りがちだからな。薬師はダブつき気味だと思うぜ」
「ああ、そっか。そう言われて見ればそうだ……材料の需要が結構高いから、単純に材料よりも完成品を売った方が儲けになるかなって思ったんだけど、それはつまりもう薬師はいっぱいいるってことだもんな」
 単純な事実に今更気付いて私はため息を一つ吐き出した。
 やっぱりファトスにいて他人と交流をしていないとわからないことも多いな。
 この辺も少し考え直さなければ。
 
「魔道士なんだから魔法具の生産系がやりやすいと思うけど、そっちももうそれなりに稼いでる奴はいるからなー。けど、生産スキルもまだまだ色々あるんじゃないかって言われてるからな、そういうのが出てきてからでもいいと思うぜ。そうしたら、後発とか関係なくなるし。
 ま、案外お前なら変な職業探してきたりしそうだけどな」
 なるほど。そうか、まだたった四つ目の地区が開いたばかりなのだから、今後色々出てくる可能性もあるわけだ。
 生産スキルは一つしか覚えられないが上書き可能なので、新しい街で新しい生産職が見つかるとそれに鞍替えする人もいたりするらしいと、確かに聞いた事がある。前の職業の熟練度は惜しいが、上手くいけば先行利益を狙えるのは魅力だろう。
 
 検討課題が色々増えて、私は逆に憂鬱な気分から解放された気がした。
 何も解決はしていないが、楽しみはまだまだ隠れているのだ。
 プレイヤーの数だけ楽しみ方はあるのだから、焦らずそれらを探してみよう。
 
 今日は帰ったら何をしようか? 
 まだ今日が始まったばかりだというのに、私はもうそんなことを考え始めた。



[4801] RGO14
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:bd601240
Date: 2011/07/17 16:06


「これを頼むよ」
 手に持っていた本を渡すと、ロブルは丸眼鏡を押し上げてそれをまじまじと眺めた。
 渡したのはひどく古ぼけた歴史書だ。
 ロブルはそれをひっくり返したりしてからニヤリと笑うと、2500だ、とそっけなく告げた。
 今の私には結構痛い金額だが、それもまぁ仕方ない。
 言われた通りの金額を払うと、本はとうとう私の物となった。思わず顔がほころんでしまう。
 
「まいど」
「うむ。売れてしまわなくて良かった。金を用意するのに手間取ってしもうて、ハラハラしたよ。他の本を先に買ってしまったしのう」
 
 ここ、ロブルの古書店に通い始めてもう何日になるのかそろそろ忘れてしまいそうだが、私はこの店に並んだ本のほとんどを読み終えていた。
 もっとも全ての本が読める本な訳ではなく、壁の棚の上の方は飾りだったりもしたのだが、とりあえず目に付く限りは大体制覇した気がする。
 だがその過程で見つけた二冊の魔道書を誘惑に負けて先に買ったら、肝心の始まりの木の葉の書を見つけた時に金が足りないと言う間抜けな破目に陥ってしまった。
 どうにか外で狩りをして金を作れて本当に良かった。
 私がいそいそと本をしまいこんでいると、ロブルは短いひげを擦りながら首を傾げた。
 
「何だ、あんたは何か手に職を持っとらんのか?」
 手に職、と言う所で一瞬考えたが、要するに生産職のことだろう。
 私が頷くとロブルは呆れたように首を横に振った。
「職もないくせにこんなところに入り浸っておったら、そりゃ金もなくなるだろうさ、まったく」
「や、職業は一応魔道士だし、それでも少しは外で稼いどったぞ」
「ここにいる時間の方がどう考えても長そうだ。まぁ、学者なんてもんは、大体貧乏と相場が決まっとるから仕方ないのかも知れんな」
 
 どうやらロブルの中では私は魔道士というより学者に近いような認識をされているらしい。確かにここで本を読んでばかりいるからなぁ。
 って、ちょっと待て、学者!?
 それはもしかして、私はこのまま行くと学者になるかもしれないって言う事か?
 
「それは困る!」
「何だねいきなり」
「あ、いや、すまん。独り言じゃ」
 私はロブルにごまかすように笑いかけ、一言断ってからウィンドウを開いた。
 ステータスの欄はいつもと特に変わりはない。良かった、まだ特に何もないようだ。
 
 RGOがサービス開始されておよそ二ヶ月だが、まだ職業の分岐についての条件が完全に解明されたものはあまり多くなく、誰もが手探りをしている時期だ。
 中級職はそれなりに色々と出揃ってきたが、その中にも転職のための細かい条件が明かされていないものもある。更に上位の職についてはちらほらと出てきてはいるようだが、現段階で転職できるレベル帯の人間が最前線の一握りだけという事もあって姿も見せていないものが大半だ。
 
 そんな状況なので転職について私が得た情報もあまり多くはないが、ステータスやスキルなどの条件が整い転職可能になると、ステータスウィンドウの職業の欄の横にマークが出て転職可能職業一覧を見れるようになり、それにより確認できるという事は聞いている。それが出たらそれぞれの転職クエストを受ける事が出来るのだ。
 そしてそれとは別にまだ条件は整っていないが今一番可能性がある職業を知るには、セダの街にいる占い師に占ってもらったり、NPCCと話をした時に彼らが呼びかけてくる言葉で予測がある程度可能だ、という話も見かけた。
 
 もしさっきのロブルの言葉がそれを示唆するものだったとしたら、このまま行くと私はいずれ学者とやらに転職できるかもしれないということだ。本を読みすぎた、とかも実は影響していたりするんだろうか?
 学者がどんな職業なのかさっぱりわからないが、立派な老魔道士を目指している身からすると方向がずれてしまうような気がする。
 いや、それに転職しなければ良いという話ではあるのだが、いざと言う時になったら好奇心に負けてしまいそうだし。
 これはちょっと困った。
 そろそろもっとレベルを上げるとか、使える魔法を更に増やすとか、魔道士らしさをもう少し追及するべきだと言う事だろうか。
 
「副職も考えんとだしのう……そういえば、ここには生産に関する本があまりないようじゃったの?」
 問いかけるとロブルは本棚を見回しながら頷いた。
「ああ、うちにはそういった本は少ないな。そういう産業に関する本は、確かセダの商業ギルドなんかが熱心に収集しとるはずだ」
「なるほど、収集にも場所によって得意分野があるのか。そうすると、セダに行くと参考になる本が色々ありそうじゃの……」
 
 そうだな、と返事をしつつロブルは不意に私の事をじろじろと眺めた。
 ふぅむ、などと唸りながら何か思案している様子に首を傾げる。
「あんた、今魔法はどのくらい覚えとるんだね」
「魔法? ええと……」
 考えてみたが幾つあるかは数えた事がない気がするので正確なところが思い出せない。仕方なくウィンドウを開き、スキル一覧のところを出して数を数えた。
 
 私が今持っている魔道書はミツから貰った赤、青、白の魔道書Ⅰがそれぞれ一冊ずつ。後から自分で買った緑と黄の魔道書Ⅰもある。
 これらファトスの魔法具屋で販売している基本的な魔道書には、それぞれ単体、範囲、補助に当たる魔法が一つずつ、計三つの魔法が入っている。
 色はそのまま属性を表し、火、水(あるいは氷)、風、土、それと回復系の光が白、と言う定番な感じだ。
 その他に古書店で見つけた二冊の魔道書があり、あとは今買った始まりの木の葉の書がある。
 一冊の本で使える魔法の数はばらつきが多少あるのだが、色々数えると二十を少し越えるくらいになることがわかった。いつの間にか随分覚えたもんだ。
 それでもまだ初級の魔道書がほとんどなのだから、先は長そうだ。
 
「今のところ二十と少しくらいかのう」
「それを全て覚えておるか?」
「暗記しているかと言う事ならしておるが。あ、そういえば本はもう要らないから売ってもいいのか」
 そうだ、もう手に入れた本の呪文は全て覚えてしまったのだから売っても良かったんだ。
 アイテム欄が空くし丁度いいな、と考えていると、不意にロブルが何かの包みを差し出してきた。
 
「二十を越えた魔法が使えるなら、まぁ何とかなるだろう。あんた、これをもってサラムへ行ってみんか」
「サラム?」
 私は脳内でグランガーデンの地図を開いた。
 グランガーデンは横に大きく伸びた形の大陸で、オーストラリアなんかに少し似ているだろうか。ファトス地方はその東の端っこに位置している。
 そこから西隣がセダ地方で、広い港を有する大きな街がある。セダから北へ行くとサラムだ。この間踏破されたばかりのフォナンはセダのさらに西側にある。
 フォナンよりもサラム方面の方がフィールドのモンスターが弱く、そちらが先に踏破されたらしい。
 しかし弱いといってもサラム近辺の適正レベルは15から20くらいだと聞く。
 サラムどころか、未だにファトスを離れた事がなく、セダにさえ行っていない私には遠い場所だ。
 
「サラムはわしにはまだ遠すぎる気がするが……それはなんだね?」
 カウンターに置かれた包みは両手で持てるくらいの大きさで、茶色い油紙で包まれていた。
「娘への土産じゃ。あと婆さんにもな」
「娘さん? 娘がおったのか? 婆さんって……今出かけていると言っていた?」
「ああ、そうだ。ここにいたら会っとるだろうが」
 
 確かに、ロブルの奥さんは今家にいないとだけは聞いていたし、未だ顔を合わせた事はない。
 NPCには時間によって大まかな行動パターンが決められていて、大体誰しも一日に一度くらいは外に出てくるような設定になっているらしいから、奥さんも娘さんもここに住んでいる事になっているなら一度くらい会っているはずだろう。
 ちなみにロブルは夜七時になると店を閉めて西通りの端にある宿屋兼酒場に夕飯がてら一杯引っ掛けに行くのが日課だ。
 後をつけて何回か一緒に食事をしたので良く知っている。この街にいるプレイヤーでNPCと一緒に食事をするような人間は恐らく私くらいかもしれない気がしたが、楽しかったので問題なし。
 
「サラムには娘夫婦がおるんだが、ちょいと前に子が生まれての。しかし娘の産後の容態が良くないもんだから、婆さんが手伝いにいっとるのさ。丁度行き来が再開されて良かった。それだけは旅人らに感謝しとる」
「そうじゃったのか」
 ロブルは頷くと包みをぽんと叩き、頼まれてくれんかと呟いた。
「今はエッタの実が取れる季節だろう。八百屋の婆さんに頼んで干したのを作ってもらったんだ。滋養に良いのさ。娘はこれが好きだったしな」
 エッタとはプルーンに似たこの地方特産の果物で、プレイヤーにとっては休憩時に食べられるMP回復アイテムの一つだ。
 庶民的な値段の割りにMP回復効果が比較的大きいので私も時々買って外に行く時に持っていっている。
 干した物は見た事がなかったなと思っていると、ポーン、とウィンドウが開く音がした。
 
 私の右前方に勝手にウィンドウが姿を見せた。正面に出てくると邪魔になることが多いので場所を調整してあるのだ。
 視線を走らせると、文字が出ているのが見えた。
 
『クエスト「ロブルの届け物」が発生しました。依頼を受けますか?』
 
 YesとNoの項目には手を触れず、私はロブルに視線を戻した。
 
「サラムは確かに近くはないが、それだけ魔法が使えるなら、馬車を使えば何とかなるだろうさ。それにあそこはニナス程ではないが魔法が盛んな街でな。あんたの為になる事も多いはずだ」
 ニナスというのが一体何番目の地方の街なのかはわからないが、魔法が盛んな街と言うところは私を惹きつける。
 ロブルからの頼みごと、と言うのもポイントが大きい。この旅人嫌いの偏屈ジジイと頼みごとをされるまでに仲良くなったのかと思うと感無量というものだ。
 本当はもう少しレベルを上げてからこの街を旅立とうと思っていたので少し悩んだが、結局私は好奇心に任せる事にした。
 
「わかった、引き受けよう」
 手を伸ばして包みを持ち上げると、ロブルはほっとしたのか頬を緩めた。
 開いたままのウィンドウの文字が勝手に変化し、『クエストを受理しました』と案内が出る。
 
「すまんな、助かるよ。うちの婆さんは少々手強いが、まぁあんたなら何とか上手くやるだろう。よろしくな」
「……心しておこう」
 包みをアイテム欄にしまうと、私はその場でしばし考え込んだ。
 順番に目指すべきセダに腰を据えずに一息にサラムを目指すとなると、それなりの準備が必要となる。
 どの道セダは経由する訳だからそこで色々装備を見直すなどするべきだろう。それならそこまでに少し金を稼いでおきたいところだ。
 考えを巡らせながら、ウィンドウを開いて受注クエストの詳細を見る。
 クリア条件は預かった包みを、サラムの九番通りの魔法具店にいるグレンダさんに届ける事。
 期限はなし、報酬は???となっている。
 
「ふむ、期限はないのか」
「ああ。別に腐るようなもんは入っとらん。あんたの都合でいいさ」
 それなら何とかなりそうだ。
 私は一人で頷くと、ロブルの顔を見た。この偏屈ジジイの顔もしばらく見られなさそうだ。
 サラムまで行くとなると、どうしてもしばらくは帰って来れないだろう。そう思うと何だか寂しい。
 
「しばらく会えんな。元気で」
「ふん、旅人なら旅人らしく、振り向かずにさっさと行ったら良かろうに」
「届け物をしたら、報告しに戻ってくるよ。では、またの」
 ふん、と鼻を鳴らすとロブルは椅子をぐいと回してそっぽを向いてしまった。
 話は終わったとばかりの様子に、私は苦笑しながら店の出口へと向かう。
 
「気をつけてな」
 ギィ、と扉が立てた音に紛れて、奥から小さく聞こえた声に思わず振り返った。
 だがそこにはさっきと変わらない様子のロブルが本をめくっている姿があるだけだ。
 私はそっと扉をくぐり、パタンと閉じてからくすくすと笑ってしまった。
 ああ、あの爺さんのツンデレぶりがもうたまらない。
 このゲームの開発者とは本当に気が合いそうだ。
 
 私は店の前に立ったまま、今後の予定をざっと考える。
 まずはいらない魔道書を売り払って、旅のための薬などに変えよう。
 その後は、魔法ギルドへ行って練習室で今しがた手に入れた魔道書を使って覚えてから、いつも通り瞑想室で詳しい計画を立てよう。
 私は機嫌よく鼻歌を歌いながら表通りへとゆっくり歩き出した。
 
 
 
 
 
「旅立つの?」
「ああ、しばらく会えんが元気でな」
 図書室の机の上で私の土産のクッキーをぱくついていたブラウは一瞬寂しそうな顔を見せた。
 こういう表情も芸が細かいと言うかなんと言うか。
 
「そっか、行っちゃうんだね」
「また遊びに来るよ」
 約束だというと、ブラウは顔を上げて笑顔を見せてくれた。
 本を読み終えた後も時々訪ねていた事もあって、ブラウともかなり仲が良くなった気がする。
 ブラウはしばらく黙っていたが、不意に立ち上がって私の手を取った。
 取ったといっても何せサイズが大分違う。小さな手で私の小指を掴んだ、と言うべきだろう。
 
「あのね、一つ気をつけてね」
「うん?」
「ぼく達妖精と一度出会った人は、他の妖精とも出会いやすくなるんだ。でも、祝福を受けたらだめだよ」
 唐突な言葉に私は首を傾げた。
 妖精には色々な種類がいるらしいことは確かに本にも書いてあった。
 そうすると、他の種類の妖精から祝福を受けるなという事だろうか。
 
「他の妖精から祝福を受けるとどうなるのかね?」
「知の妖精の祝福は消えちゃうんだよ。そうしたらもう受けられないんだ」
 祝福は上書きできるが、一度消したものはもう二度とは受けられないということらしい。
 そこら辺は生産スキルのように都合よくは行かないようだ。
 
「知の妖精はぼく一人じゃないから、ぼくの友達からなら祝福を受けても大丈夫。でも、他の妖精はだめだよ」
「わかったよ。それなら気をつけるとしよう」
 何事も欲張ってはいかんという事らしい。
 この世界にどれだけの妖精種がいるのかは知らないが、他を諦めなければいけないと思うと少しだけ残念な気もした。
 それでも、そういう多少の不自由さや制約があるところも逆に考えれば良さなのかもしれない。
 
「全てを手に入れる事は出来ないからこそ、手に入ったものに価値があるのかもしれんのう」
全てを手に入れられなければ、人はその出会いを大事にするだろうし、自分に合う道を懸命に考えるかもしれない。

「ウォレス、また遊びに来てね。ぼくの仲間に会ったらよろしくね!」
「ああ、伝えておくよ」
 私はブラウの頭を撫でてから、図書室を後にした。
 挨拶も終えたし、準備もあらかた整っている。
 まずはセダを目指さねば。
 予定よりも早い旅立ちを迎える事になってしまい、大分今後の予定を修正しなければならなかったが、新しい街に行く事を思うとやはり心が弾む。
 
「……しかし、残念ながら今日はまだ木曜なのであった、と」
 独り言をこぼしながら、私は修正した予定に従って練習室の扉を開いた。
 早く旅立ちたいが、今日と言う日がそれを許してくれない。
 今すぐ旅立っても今からでは次の村まで辿り着けないのだ。
 まとまった時間がとれる土日まで我慢だ。
 私は鬱憤を晴らすように、気が済むまで一人で魔法を使い続けた。
 



[4801] RGO15
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:bd601240
Date: 2011/07/17 16:07


 待ちに待った土曜日、RGOの朝の時間を選んでログインした私はついにファトスの街を旅立ち、西へと続く街道を歩いていた。どうせなら落ち着いて旅をしたかったので土日まで待っての出発だ。
 歩きながら街道脇をうろつくモンスターを時々倒してのレベル上げと金策を兼ねた道行きを予定している。
 その為にファトスとセダを結ぶ定期馬車を利用しなかった。
 今のレベルはまだまだ高くないが、街道を大きく逸れなければセダまでは何とか一人で辿り着けそうだと見ている。
 流石にセダからサラムでは馬車を利用しないと死ぬと思うが。
 
 セダまでは敵を倒しながらのんびりと進み、道中にある安全地帯と小さな村で休憩していく予定なので、ゲーム内時間で二日ほどの行程を見ている。
 この辺り、RGOはゲームながら妙にリアルだ。
 ちなみに馬車なら多分半日ほどで着くだろう。
 徒歩でも敵に構わず休まず歩き続ければ夜にはどうにか辿り着くだろうが、その気はないし暗くなる前に村に入って休む予定だ。夜はモンスターの種類も変わるし、数も多くなる。
 夜目が良く利き、夜になると能力が上がる種族特性を持つ一部の獣人系プレイヤーなどでなければ、夜にフィールドを一人で歩くのはさすがに危険すぎる。
 プレイヤーの中には、夜はライバルが少なくモンスターが多いので効率が良いという事で好んで夜狩りをするパーティもあったりするらしいが、私はまだせいぜい街や安全地帯のすぐ傍で細々と狩りをすることくらいしかしたことはない。
 
 
 私は明るい朝の日差しの中を歩きながら地図を開いた。
 地図によれば街道沿いにも定期的に安全地帯があるので、それなりにMPを使っても大丈夫そうだ。
 街道には多少曲がりくねったり分岐があったりするのだが、街にあった地図屋で街道周辺の地図を入手してきたので不安は少ない。
 ちなみにこの地図は生産職の一つの測量士の人が地図屋に販売したものだ。
 
 RGOの地図は基本的にオートマッピングで、知らない土地を歩けばそれだけでウィンドウに表示されるマップは広がるのだが普通はあまり細かい地図は作られない。
 測量士になった人だけが詳細な地図を作れ、そこにさらに細かい情報を書き加えたりも出来る。
 出来た地図を地図屋に持ち込むと、まだ誰も登録していない部分の地図があった場合は買い取ってもらえ、以降はそれを他のプレイヤーも一定金額で買うことが出来る。
 自分で自由に値段を設定する事はできないのだが、登録した部分の地図を他のプレイヤーが買うごとにその収益のほとんどが測量士に入るので、新しい場所へ早く行けば行くほど儲かると言う職業だ。ライバルは少なくないが、自分で店を持ったり交渉したりする手間もなく、定期的な収入が見込めるところもメリットらしい。中には型通りの地図ではなく、様々なお得情報なども記した非常に細かい地図を売っている人もいるらしく、そういう人の地図は当然人気も出る。
 彼らがいないと新しい場所を踏破しても詳細な地図が作れないので、最前線の攻略チームには人気の職業らしい。
 私のような初心者はその恩恵を受けるばっかりだ。
 
 
 少し先の道脇で草を食んでいたポルクルを炎で焼きつつ街道をさくさく進む。
 現実よりも早いペースで長く歩いても疲れたりしない所が素晴らしい。
 実は個人の体力によって休まずに歩き続けられる距離はある程度決まっているのだが、どんなに体力の数値が低くても安全地帯から次の安全地帯までの距離くらいは絶対に歩けるようになっているので私でも安心だ。
 途中の安全地帯で何度か瞑想してMP回復をしたりする予定だが、ファトス地方とセダ地方の境にある村まではのんびりしていても夕方までには余裕で辿り着けるだろう。
 
「セダに行ったら転移の書だけでも買うかなぁ」
 転移の書とはその名のままに、一度行った街や村に一瞬で移動できる転移魔法を覚える事のできる魔道書だ。
 これを覚えられない職業の人は転移所と呼ばれる施設へ行って金を払って移動するか、回数制限のある転移用アイテムを買って移動するかのどちらかになる。
 仲間に魔法使いがいれば一緒に連れて行ってもらう事は可能だ。
 この転移魔法は不人気な魔法職にとっての数少ない利点と言って良いだろう。
 しかしあいにくというか当然と言うか、ファトスにはその魔道書は売っていなかったので、私はまだ覚えていない。
 早くこれを覚えてしまえばロブルやブラウに会うのも簡単だ。
 商業都市と言うからには欲しいものが沢山ありそうで今からちょっと待ち遠しいような恐ろしいような気持ちがする。
 
「買い物には気をつけんとのう……」
 サラムへも行くのだから、多少は資金に余裕を持っておきたい。
 セダからサラムへは流石に敵を倒しながら歩いていく余裕はないだろうから、馬車を利用しなくてはいけない。
 定期馬車といっても実はそれも敵に襲われることが皆無ではないため、できれば一人で戦わなくてもいいように他の利用者がいる時間帯を選ぶ必要がある。
 そういう事も含めてどの道少しは情報収集の為にセダに留まるべきだろう。
 考える事は沢山あるが、行ってみないとわからないことも多い。
 楽しみが尽きないように思えて、私は歩きながらも笑顔を浮かべた。
 ファトス地方は今日も快晴。旅をするには、最高の日だった。
 
 
 
 
 
「世話になったのう。ではまた」
「いってらっしゃい。またどうぞ!」
 ゲーム内での翌日、ファトスとセダの境の村の宿を、女将さんに見送られながら後にした。
 小さな村の小さな宿の部屋はさすがに街のものよりも大分質素だったが、寝心地は悪くなかった。といってもただログアウトする為に利用しただけなので心地よさは関係ないのだが。
 動き出した村の朝は実にのどかで、何となく旅立つのが惜しくなるほどだ。
 
「あー、和む……」
 あちこちを見回し感想をこぼした時、道の先で何かが動くのが目に入った。
 見れば目の前を親らしき雌鶏がひょこひょこと横切り、その後ろを数羽のひよこが追いかけて行く。
 本物の鶏なんて、小学校の飼育小屋で飼っていたのを見た以来だ。
 いや、VRだから本物じゃないわけなんだけど、この際それは置いておいて。
 ああ、鳥可愛い。
 
「うーん、いつかホームを持つなら田舎にしようかのう」
 街や村にはあちこちに大小様々な空き部屋や空き家といった物件があって、それは何か条件を満たせれば買えるのでは、とまことしやかに囁かれている。
 噂では、プレイヤーは『旅人』なのだから、旅を止めて一定時間一つの場所に滞在し続けなければならないのではとかも言われているが、それなら買う人間は恐らく少数だろう。
 気にはなるが、今のところ私も旅を止めるつもりはないのだから特に関係はない。
 でも、遠いいつか隠居した老魔道士を気取ってどこか田舎にホームを持つのもいいかもしれない。夢は広がるばかりだ。
 
 
 
 
 村を出てふらふらと敵を倒しつつ歩く事数時間。
 安全地帯で休憩を終えた私は午後に入りかけた頃の高い日差しを浴びながら、相変わらず適当に敵を倒したりしながら進んでいた。
 境の村を出てから敵の種類も徐々に変わり、強さも上がってきている。
 敵はアクティブのものが多くなり危険も増しているが、街道から逸れない限りはまだ私にも戦える範囲内だ。
 とは言えすぐ近くに見える森なんかには、大型の蜂や狼など群れで行動する事の多いリンクするモンスターも存在しているので油断は出来ない。
 まぁ、彼らにはそれぞれテリトリーがあって基本はそこから出てこないらしいので、うっかり足を踏み入れなければ大丈夫だろうが。
 
 そんな風に、ファトスからセダまでの地方に出てくるモンスターについては、あらかた本に載っていたので予習が出来ている。
 練習室でも仮想敵として呼び出すことが可能なものばかりだったので、一通りの事は試してきた。
「セダに行ったらサラムまでのモンスターの予習しなくては……」
 またそこでそれなりに時間を取られることになりそうだが、低レベルなのだから仕方ない。
「知識も力だしな。うむ」
 自分で自分を納得させながら、近寄ってきた猪に似たモンスターを焼き尽くす。
 猪系はHPが多いが単体相手なら五つに増えた炎の矢を全弾叩き込めばまだ余裕だ。
 足が遅いので向こうがこちらに気付いても近づく前に呪文を唱え終える事が出来るし、真っ直ぐにしか突撃してこないのでターゲットの指定も外れにくく、私にとってはいいカモだった。
 
 
 
 
 猪の落としたアイテムを確かめていると、不意に何か聞こえた気がして私は振り向き耳を澄ませた。
 エルフは獣人には若干劣るが耳がいいと言う種族特性がある。
 比較的とがりの小さい自分の耳に手を当て、立ち止まって息を潜める。
 聞こえた、と思った方向にパッと目を向けると、草原の向こうに何か小さなものが見えた。
 辿ってきた街道の方角にあった森の端の辺りから何かが砂煙が立ちそうな勢いで走ってきている。
 何だろう、と目を凝らすとそれは人のようだった。黒い服を着ているおかげか、遠い割りに良く見える。
 更に見ているとその人は段々と近づき、向こうも走りながらもこちらに気付いたらしく、何かを懸命に叫んでいる。
 
「……と! ……げて……さい!」
 よく聞こえない。
 首を捻っているうちにその人はどんどん近づき、背の高い男である事がわかった。彼はこちらが動かないのを見て取ると、もう一度声を張り上げた。
「そこの人! すいませんっ、逃げて下さーい!」
 今度はちゃんと聞こえた。短い時間にどんどん近づいてくる所を見ると、彼はかなり足が早いらしい。
 へ? と思って彼の後方に目をやれば、後を追ってくる狼に似た獣の姿。それも五頭もいる。
 
「うわ、トレインか」
 緑色の体をした森林狼はこの辺の森で出くわす、アクティブな上に仲間を呼ぶタイプの敵だ。牙には毒があって、噛まれると痺れるんだっけか。普段はテリトリーから出てこないがその攻撃性は意外に高いらしいから、傍を通られたら距離によっては私も巻き込まれるだろう。
 だが逃げろと言う彼の言葉に私は従わず、杖を持った手を持ち上げた。
 
『踊れ大地よ――』
 杖を構え早口で呪文を唱える。この魔法の熟練度はあまり高くないのだが、まぁ何とかなるだろう。最後の言葉を言う前で魔法を止めて、魔法を待機状態にする。この状態を維持できる時間は熟練度によって差がでるが、どうにか今でも二十秒は持つ。
 彼の足の早さならそのくらいで私の近くまで来るだろう。しかし、その足の速さでも振り切れないのだから森林狼も恐ろしい。
 
「逃げてください!」
 動かない私に叫びながら、彼はどうにか道の上にいる私を巻き込まないために、近づいてきていた街道から再び斜めに逸れるように進路をとって足を進めている。
 そのおかげでやがて彼らは私の数メートル横を丁度良く通り過ぎる形となり、私はタイミングを計って彼のすぐ背後、狼達の予想進路に向かって杖を向けた。
 
『縛せ、大地の鎖』
 ゴゥン、と鈍い音がして、地面が揺れた。
 私が立っている場所には影響はなかったが、その揺れに足を取られて走っていた青年が派手に転げる。
 この魔法の難点は発動時に少々地面が揺れるので、敵のみならず傍にいたプレイヤーも若干の影響を受ける所だ。
 
 だがその魔法のおかげで、狼達は突然隆起した土とそこから這い出た棘のある緑の蔓に足を取られ、その場で動きを止めてキャンキャンと声を上げた。
 転がりまくって地面で呻いている青年は悪いが無視して、私は続けてもう一つの魔法も唱え終えた。
 
『踊れ、炎の円舞』
 指定された範囲に高い炎の壁が立ち上がる。
 大地の鎖の捕縛効果時間はまだ熟練度が今ひとつなので四十秒ほどしかないが、それだけあれば別の初級魔法を詠唱するには十分だ。
 五匹の狼は炎に巻かれ、甲高い悲鳴を最後に光へと姿を変えた。
 
 
 
 
「助けて頂き誠にかたじけない!」
「ああ、いや……どういたしまして」
 数分後、立ち上がった青年にがばりと頭を下げられ、私は少々困惑していた。
 うーん、かたじけないと来たか。
 
 顔を上げた青年は明るく爽やかな雰囲気だが、かなり普通っぽい顔をしていた。
 私はその顔の普通さに逆に思わず目を見張った。
 美形を見慣れていたので何だかとても珍しい。すごく普通な顔のプレイヤーって逆にレアだ。
 薄い灰色の髪に濃い灰色の目という地味な取り合わせの色に、可もなく不可もなくな普通の顔立ち。若干鼻が高めだろうか。
 外装カスタマイズソフトを使っていないのかもな、と一人納得していると青年がにっこりと笑って手を差し出してきた。
 
「ヤライと申します。初めまして」
「これはご丁寧にどうも。ウォレスと呼んでくだされ」
 私も挨拶に応え、差し出された手を取って軽く握った。
 ヤライと名乗った青年はまじまじと私の顔を見、その視線が一瞬私の頭の上に向かう。
 私を見た人が良く見せる反応だ。NPCかと思ったのだろう。
 しかし彼は、私がNPCじゃないとわかると何故だかとても嬉しそうな顔を浮かべた。
 
「ご老人で、魔道士ですか! 渋いですねぇ」
「はは、それはどうも」
 彼の声にも表情にも社交辞令のようなものは感じられなかったので、恐らく本当にそう思ってくれているのだろう。
 訝しげな目で見られることに慣れてきていたので、真っ直ぐにそう言われると何だか面映い。
 落ち着かなくて髭を梳いたりしてみたが、ヤライさんはそんな私の様子には気付かず、にこにこと更に笑顔を向けた。
 
「あ、言い忘れました。俺は忍者です!」
 
 忍者、と聞いて私はまた目を見張った。
 その職業についてはあるらしいと言うことは知っている。ロブルの古書店でそれに関する本を見かけたのだ。
 本によれば、かつてこの大陸に来た小さな島国よりの移民が、細々とその技術を伝えているというような話らしい。詳しい転職の仕方などは載っていなかったが、その存在を示唆するには十分だ。
 魔道士を目指す私には関係のない話だが、面白そうだとは思っていた。
 その忍者がなんと目の前に。
 そういえば服装も比較的軽装で、黒い革ジャケットに黒いインナー、黒いパンツに黒いブーツと黒尽くめだ。本人の色の地味さも手伝って、忍者に見えないこともない。
 忍者は中級職の中に名を連ねておらず、恐らく上級職だろうと予想していたので、そうすると彼は実はかなりレベルが高いのかもしれ――
 
「あ、自称です!」
「……は?」
 あまりにも爽やかに告げられて、私はそれを理解するまでに若干の時間を要した。

 どうやら私は、何か変な人と出会ったようだ。
 



[4801] RGO16
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:bd601240
Date: 2011/07/17 16:07


「俺、昔っから忍者がすっごい好きなんですよ! だから絶対職業にあるならなりたくて、敏捷上げたりして頑張ってるんです。あ、でも例えなれなくても心はいつでも忍者ですから!」
 気を取り直して街道をセダに向かって歩きながら、私は隣にいるヤライ青年の語る忍者への憧れを聞いていた。
 
 心は忍者。
 心は老練な魔道士でありたい私も人のことは言えないが、なかなかに変な人だ。
 でもそういう拘りははっきり言って好きだ。面白そうな人だし、妙に言葉遣いが丁寧で礼儀正しいところも好感が持てる。
 彼によると、その心意気を示す為に服装は黒に拘って買い揃え、バリエーションに黒がなかったものはわざわざ防具生産をしているプレイヤーに注文したらしい。
 
「けどそしたら金欠になっちゃって、今節約中なんですよ。ファトスの修練所にしかない小剣スキルの取り損ねてた奴を取りに行って来たんですけど、節約しすぎて転移石の補充を忘れちゃってて……」
「なるほど、それで徒歩でセダに戻るところだったと」
 ファトスには残念ながら転移の書も転移石も売っていない。一応転移所はあるのだが、少々割高らしい。そこでついでに彼は敵が弱い境の村までは馬車で移動し、そこからは敵を倒して金稼ぎをしつつ歩いてきたらしい。
 どうやら彼はなかなかのどじっ子のようで、何だか親しみが湧くタイプだ。
 そんな事を思いながら話を聞いていると、ヤライは私にもう一度頭を下げ、巻き込んでしまったことを再び詫びた。
 
「本当に助かりました。街道のカーブしてる場所をショートカットしようとしたら森に近寄りすぎちゃって。レベル的にはいけたんですが、流石にあの数は危なかったんですよ」
 森林狼はHPは高くないが俊敏で、集団で襲って来る上に毒を持っているため、レベルに差があったとしても一人では危険な相手だ。
 さっきは彼が引き付けていてくれたので火に弱いと言う弱点を突くことで私にも簡単に勝てたが、そうでなければ絶対に一人では相手にしたくない。
 
「あの距離なら森林狼に見つからないと思ったんですが……何でかなぁ」
 私は彼の呟きを聞きながら、彼が狼に見つかった理由に見当をつけていた。
 一応言っておいてあげるのが親切というものだろう。
「言いにくいんじゃが、それは多分その黒い服のせいじゃないかのう」
「えっ? 何でですか?」
 
 私が図書館などで仕入れた情報に寄れば、狼の類は視覚と聴覚の複合によって獲物を認識するタイプのモンスターだったはずだ。
 鼻も利くが、視界が良い場所なら視覚の方を優先させるらしい。
 彼らの索敵範囲は広いのだがテリトリーがはっきりしていて、普段はそこからあまり移動したり、はみ出したりする事は少ない。
 だがそれも、そこに目を引く何かがなければ、の話だ。
 視覚がしっかりしているモンスターは、自然と目立つ獲物をターゲットに選ぶ傾向がある。
 夜ならともかくこの真昼間に黒尽くめの男が見晴らしのいい草原を歩いているなどと、目立つなと言うほうが無理と言うものだ。
 そう説明すると、ヤライはひどくショックを受けたような顔をした。
 
「そっ、そんな! 俺のアイデンティティーが! 揃えたばっかりなのに!」
「うーむ、しかし昼間に黒はやはり目立つと思うが……フィールドに出る時は目立たない色のマントでも着たらどうかの?」
 悩む男に私は代案を提案したが、彼はそれもどうも気に入らないようだった。
 だが実際、街道を行く黒い色はどうにも目立つだろう。
 ふと上を見上げた視界にその証拠の一つを捉えて私はため息を吐きつつも、隣でまだ唸っている青年に声をかけた。
 
「悩みは後にして、上を見てくれんか」
「え? あ、鳥」
「あれは視覚で獲物を捕捉する種類の代表格じゃな。普通はあまり街道付近に来なかったはずじゃよ」
 少しずつ近づいてくる大型の鳥のモンスターの名前は確かギルウィ。アレのレベル帯は13から15ほどだったはずだ。
 一応練習室で相手にしたが、上空の敵はターゲット指定し辛いのと素早いのとで、私としては少々分が悪い。
 風系の範囲魔法で一応何とかできるとは思うのだが、近くにパーティを組んでいないプレイヤーがいると巻き込む可能性があるため少々都合が悪いのだ。
 
 RGOではPvPは決まった場所や決闘の宣言なしにできない事になっているので例え当たっても魔法のダメージは通らないのだが、さっきのように揺れに足をとられたり、風に煽られたり、爆風を受けたりと言う多少の影響はある。その影響はパーティを組んだ者同士ならごく軽微で済むのだが、私と彼は並んで歩いているだけでパーティを組んでいる訳ではないのだ。
 そういうことを考えずに魔法を放てば、彼の攻撃を邪魔してしまったりして、かえって悪い影響が出るかもしれない。
 まぁ、アレの目標は恐らく私ではないので手を出さなければ私が襲われる事はないだろうが……。
 即席パーティを組む事も考えたが、視界の隅に動くものが見えたので、その暇もなさそうだ。
 
「ヤライさん、あの鳥を相手に一人で戦えるかね?」
「えーと、一匹なら多分大丈夫かと。俺今レベル18なので」
「ならあれはお任せしよう。わしはそこにいるトカゲを片付ける故な」
 私達の立っている場所の少し先、右前方の草むらをガサガサと揺らして姿を現したのは三メートル近い大きなトカゲだった。
 こいつは嗅覚で獲物を認識するタイプのモンスターだ。知らず風上に立っていた私達に惹かれたのだろう。
 
「うげ、鉄皮トカゲ! 俺アレ苦手なんですが!」
「なら、鳥の方に集中していてくれたら良いよ。わしはそっちが苦手じゃから丁度良い」
 あのトカゲは動きは遅いのだがとにかく硬いのだ。背中一面を鉄のような鱗が覆っていて刃による攻撃にはかなり強い。その分腹は柔らかいのだが何せ体重があるのでひっくり返すのも難しい。
 忍者を目指すヤライの獲物は小剣などの短めの刃物のようだし、ダメージが通らなくて苦手だというのも無理はない。
 私はトカゲが近づいてくる前に街道の端に寄って彼と距離を取り呪文を唱えた。チラリと上を見れば鳥の姿がかなりはっきり見えてきている。
 もうすぐ急降下をしてくるだろうが、それに巻き込まれる事は避けたい。多分一撃で私のHPはかなりやばい事になるだろうし。
 
『縛せ、大地の鎖』
 さっきと同じ、地属性の捕縛呪文だ。
 五メートルほど先にいるトカゲの足元が魔法によって隆起し、そこから先ほどと同じ緑の蔓が現れる。重心の低い体は揺れにも強いし、硬い鱗に覆われた体には小さな棘など何の役にも立たないだろうが動きを止めことは出来る。
 私はその効果を見る前に既にもう次の呪文を唱えていた。
 
『開け北限の華、いと冷たき氷の娘。透き通るその御手に刹那を閉じ込め、銀の槍もて全てを貫け。我が呼び声に応え、凍つく世界より疾く来たれ』
 辺りの気温が下がり、パキパキとどこからか音がする。私は青く光る杖を持ち上げ、もがくトカゲに真っ直ぐ向けた。
 
『育て 氷の槍』
 ドン、と鈍い音が響き、ギィィィィ、とトカゲが割れるような声を立てる。蔓に絡みつかれ動けぬ体を、その下の大地から生えた氷の槍が腹から貫いたのだ。その体は地面から少し浮き上がっている。
 貫いた槍は冷気を発し、パキパキとトカゲを凍らせてゆく。
 初級の単体魔法はもうどれもかなり熟練度が上がっている上、爬虫類タイプの弱点は冷気なのでよく効いている。やがてトカゲはひとしきりもがいた後、光へと姿を変えた。
 もう一発必要かと途中まで唱えて準備していたのだが、私はそのまま口を閉じて呪文を中断した。
 
 
「伏せて下さい!」
 横から鋭い声が飛ぶ。
 だが言われるまでもなく私はもう既にその場に身を低くしていた。
 私にとっては足の遅いトカゲよりも鳥の方がずっと怖いので、さっきから視界の端に入れていたのだ。たとえVRであろうとも反射神経にはまったく自信がないので油断はしない。当たったら下手すれば死ぬし。
 
 鳥は私の頭があった辺りを斜めに掠めて黒尽くめの青年に急降下を仕掛けた。
 ヤライは自分に向かって突き出された鋭い鉤爪に向かって、左手に構えていた小剣の刃を斜め下から鋭く振り上げた。
 彼の持っている小剣は少々変わった形の武器で、刃はゆるく弧を描いてまるで細い月のようだ。その背の上部には、そこからほぼ垂直に生えるような形で持ち手がついている。
 それを握ると自然と刃が腕の横に沿うような構えとなる。長さは腕よりも少し長くて、持ち手を握った手から拳二つ分ほど、肘から先にも同じくらいだけ刃が飛び出していた。
 
 白銀の刃と鉤爪は激しくぶつかり一瞬火花を散らす。下から加えられた大きな力は鉤爪の攻撃を逸らし、鳥はバランスを崩して空中でよろめき、慌てて大きく羽ばたいた。
 広げると両翼で三メートル近くあるその大きな翼の羽ばたきも十分凶器になりそうだったが、ヤライはそれに怯まず素早く高く跳び上がるとその翼の付け根の部分に切りつけた。
 ピィィ、と鋭い悲鳴が空気を切り裂く。
 それでも鳥はまだ地には落ちない。だがヤライにはそれも予想の範囲内だったらしく、彼は跳び上がった体をくるりと捻ると鳥の首辺りをダン、と強く蹴り付けた。
 
「うわ」
 道端で体育座りで見学をしていた私の傍に鳥の体が仰向けに叩き落された。
 一瞬驚いたが、鳥とほぼ同時に地面に降りたヤライはどこに装備していたのか数本の細いナイフを素早く投げ、それが次々に鳥の体や翼に突き刺さり地に縫いとめる。
「はっ!」
 掛け声と共にヤライは再び跳び、腰に挿していた忍者刀のような長さの刀を素早く抜いて振りかぶる。
 小太刀はドスッと鈍い音を立てて鳥の胸に吸い込まれた。
 鳥はそれっきり動きを止め、ゆっくりと光に変わる。
 
 おお~、なんかすごく格好良かった。
 私は思わずパチパチと拍手をした。他人が戦っているのを見たのは遠目からなら狩りをしていた時に何度かあったが、こうして間近で見ると迫力だ。
 レベルが高いせいもあるだろうが、手馴れているし本当に格好良かった。

「やりますな」
「いえ、この辺の敵ならまぁ。一匹だけでしたし。それよりもウォレスさんの方がすごいですよ。さっきの狼もすごかったし、あのトカゲも硬くて時間ばっかりかかるから俺なんていっつも避けて通ってますよ?」
「いや、弱点はわかっておったしのう。わしには逆に鳥の方が手強いから、人それぞれでしょうな」
 私は笑いながら立ち上がり、ウィンドウを開いた。
 あのトカゲは結構良い経験値のはずなのだ。
 確かめるとやはりちょうど今ので一つレベルが上がっていた。うん、嬉しい。
 
「何か出ましたか?」
「いや、今ので一つレベルが上がったようで」
 私の笑顔を見て何かあったようだと思ったのだろう。
 問いかけたヤライにそう応えると、彼は笑顔を浮かべ、おめでとうございますと言ってくれた。
 レベルが上がって誰かにおめでとうと言われるのはそういえば初めてだ。
 これもかなり嬉しい。
 ありがとう、と応え、また二人で歩き出す。
 歩きながらヤライは気になったのか、問いを投げてきた。
 
「そういえば、ウォレスさんはレベル幾つなんですか?」
「ああ、今さっき9になったところじゃよ」
「……は?」
 境の村まで来たところでレベル7の少し手前だったのだが、そこを越えて敵が強くなったおかげでもう三つもレベルが上がったのだ。
 私もようやく二桁までもう一息だ。

 隣から返事が返ってこないのでどうしたのかとそちらを見ると、ヤライはぽかんと口を開けて実に間の抜けた表情をしていた。
 普通の顔の青年の間抜け顔というのは、なかなか似合っている気がする。
 
「どうかしたかね?」
 目の前でひらひらと手を振ると、ヤライはハッと我に返った。
「……ど、どうかしたかって、それ、ほんとですか!?」
「それ?」
「レベルですよ! まだ一桁なんですか!?」
「ああ、うむ、弱くてお恥ずかしい。一人でのんびり狩りをしておったから、なかなか上がらなくての。レベル上げを兼ねての徒歩の移動なのじゃが、セダに着く前に10までは難しいかもしれんなぁ」
 しかし今後の事を考えると、セダを出る前に10くらいにはしておいた方がいいかもしれない。
 一度セダについてから、さっきのトカゲ狙いでこの辺をまたうろつくかなぁ。
 
「いえ、あの、そういう事じゃなくてですね……」
「何かおかしなことでも?」
 要領を得ないヤライの言葉に私は首を傾げた。
 レベルが一桁なのに徒歩でここまで一人で歩いてくるのは無謀だとでも言いたいのだろうか? 
 確かに普通に考えればHP的にはかなり無謀なのだが、ちゃんとその辺も検討済みだ。現に目的地まではもう少しと言うところまで来ている。
 
「おかしいっていうか、いや、でも俺もあんまり魔道士知ってる訳じゃないしな……けど、一桁って……」
 ヤライは腕を組みながらなにやらぶつぶつと独り言を呟いている。
 何が不思議なのか良くわからないが私はとりあえず彼のことは置いておき、杖を持ち上げて呪文を唱えた。

『射て 炎の矢』
 炎の矢は道の先にいた猪がこちらに気付き振り向いた瞬間に着弾し、その体を赤く包んだ。
 
「それですよ!」
「はっ?」
 パチンと弾けた猪を見ていたヤライに突然叫ばれ、私は驚いて隣を見た。
 ヤライは驚く私の手の中にあった杖をビシっと指差す。
 
「なんで、杖なんですか!」
「や、なんでって……意味がわからんのじゃが。魔道士が杖を持っていて何の不思議が?」
「だって、俺が今まで会った魔道士は皆魔道書装備でしたよ? だからパーティ組むと皆大変で、本を開いて魔法を唱える間ずっと守ってやらないとだし、本に載ってる魔法しか使えないから敵を引く前にいちいち事前に打ち合わせが必要で、何かあったら本を装備しなおさないといけないしで、ウォレスさんみたいな杖装備の人なんて初めて見ましたよ!」
 あー、やっぱり魔道士ってそういう人多いのか。
 魔道書装備だと面倒が多いだろうなぁと常日頃から思っていたが、やはりそうらしい。しかし杖装備の人は驚かれるほど少ないのだろうか。
 多分最前線まで行けばそれなりに活躍している魔道士もいるんじゃないかと思うんだが……。
 
「魔法を暗記しているなら杖の方がずっと楽なのじゃよ。初級呪文ならどれもまだ短くて済むから、敵を選んで上手く使えばわしでも結構がんばれるしの。多分君が運悪く出会わなかっただけで、他にも似たような人はおるんじゃないかのう」
「けど、色んな魔法使ってたじゃないですか。アレ全部覚えてるんですか?」
「色んなって、まだ四つほどしか使ってないじゃろう。わしが覚えているのはまだ二十を少し越えたくらいしかないよ」
 二十、とヤライはどこか呆然とした様子で呟いた。
 
「十分多いですよ、それ……レベル8で鉄皮トカゲをあんなに簡単に倒せるのも驚きだし」
「多いかのう? まぁ、幸いわしは活字の記憶力には多少の自信があってな、魔道士には向いとるらしい。そういえば円周率も小数点以下1000桁くらいは軽いかの」
「1000!?」
 
 そう、それは私の数少ない特技の一つだ。一つといっても、特技といえそうなことはこれを含めて二つくらいしか思いつかないのだが。ミツもその私の記憶力を知っているからこそ魔法職を薦めたのだ。
 だがこれが実生活で役に立つかどうかと言えば、テストの暗記問題が楽と言うくらいの役にしか立たないので、別段自慢できる事でもない。
 もう一つの特技にいたっては更に役に立たないだろう。
 得意な事と不得意な事を天秤にかけたら、運動全般がだめだと言うだけでもう不得意な事が多すぎる。
 それでも、こうしてたまには役に立つこともあるのは嬉しい事だ。
 私としては、さっきのヤライのような華麗な戦いの方が遥かに憧れなのだが、例えVRでも私にはあんな動きは出来ないような気がする。
 ああ、何か考えていたら悲しくなってきた。
 
「わしにはヤライさんの方が羨ましいがの。さっきの動きは本当に忍者っぽくて格好良かった」
「え、本当ですか!? いや、でも俺なんてまだまだ修行中ですよ!」
 彼は照れているのかぶるぶると激しく首を横に振った。
「いやいや、わしは運動が苦手でな。本当に羨ましい」
「いえいえ、俺なんて逆に、魔道書があっても呪文間違える自信ありすぎますよ。尊敬します」
 私達はしばしその場でお互いの褒め合いと謙遜し合いをしていたが、やがて我に返って二人で笑い合い、再び歩き出した。

 遠くにはいつの間にか薄っすらと、セダの街らしき影が見えてきていた。




[4801] RGO17
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:bd601240
Date: 2011/07/17 16:08


 セダの街の外壁が大分近くなり、けれどまだ日はさほど傾いていない時刻。

 私とヤライは相変わらずパーティは組んでいなかったが、お互いに多少の分担や譲り合いをしながら街道沿いの敵を倒しつつ雑談に興じていた。
 街に入る前にもう少し経験値や金を稼ぐという事で、お互いの目的が一致したのだ。
 ヤライにとってはこの近辺の敵は経験値的には興味は薄いのだが、それでもドロップ品は出てくるので否やはないらしい。
 
 歩きながらヤライから、彼は最近中級職の暗器使いに転職したばかりなのだという話や、そのスキルについてなどを簡単に聞かせてもらう。
 私にとってはミスト以外の他のプレイヤーとゆっくりと色々話をしたのは初めてだったので、どんな話も興味深い。
 
「ほう、沢山武器を装備していても、外に見せるものを選べるとは、面白い」
「そうなんです。服の袖が広がってたりしてなくても、色々隠せるんですよ。でも俺は今のとこPvPとかには興味ないから、隠したからどうだって言われたらそれまでなんですが……」
 物語などに出てくる暗器使いは様々な武器をゆったりした服の内に隠していることが多いが、ヤライは体にぴったりとした革のジャケットを身につけている。
 投げたナイフなど、どこに隠しているのかと思ったが、どうやら暗器使いはそれらをシステム的に他者の目に見えなくすることができるらしい。
 装備武器欄から可視と不可視を決めることが出来るらしく、本当は腰につけたベルトにナイフが並んでいたりとか、色々とあるのだとヤライは教えてくれた。
 なかなかに忍者っぽいと褒めると彼は嬉しそうに笑顔を見せた。
 
 
「へぇ、クエストでサラムまで行くんですか」
「うむ。馬車を使えば何とかなるだろうと思ってのう」
 これからの予定を彼に聞かれ、そう答えるとヤライは少し眉を寄せ考え込んだ。
「うーん、今の時期だと、サラムへ行く他のプレイヤーが丁度良く見つかるかどうかちょっと微妙かもしれませんよ」
「どういうことかの?」
「この前、フォナンまで踏破されたでしょう? フォナンは大きな闘技場がある街で、武術系の修練所の大きいのがあるんです。新しいスキルとか武器防具とかも結構あって、今かなりの人があそこへ行ってるんですよね。
 闘技場ではPvPが出来るからそっちも人気だとか。だから、そのせいでサラムの方は今閑散としてるらしいです。セダはオークションハウスとか、露天広場があるから結構賑わってるんですが……」
 
 それは困った話だ。
 定期馬車というのは、徒歩よりも大分早い速度で走るのでモンスターに捕捉されることはそう多くない。
 しかしたまに街道の上にモンスターが乗っていたり、飛行タイプのモンスターや足の早いモンスターに追われたりという事はあるのだ。
 御者はNPCなので融通が利かず、街道を逸れて迂回したりしようとはしないし、モンスターに遭遇するとそれがいなくなるまで馬車の中に引っ込んでしまう。
 馬車は壊される事はないし中は基本的に安全圏なのだが、そこに引っ込んでいるだけでは次の街にいつになったら着けるのかわかったものではない。
 モンスター達は一度獲物を捕捉すると、滅多な事では離れてくれないのだ。
 
 乗っている客の人数でそのエンカウントは変わるという話もあり、少人数ならよほど運が悪くない限り襲われないらしいが、百パーセントないとは言い切れないだろう。
 一人で乗っていてものすごく運悪く襲われたなら、当然一人で倒さなければならない。となると、私のような低レベルプレイヤーは大変だ。
 だから、普通は馬車乗り場で乗り合いを呼びかけたり、掲示板で募集して時間を合わせたり、友人と一緒に数人で移動したりする。

 私もそれらに便乗しようと思っていたのだが、移動人数が少ないとなると少し厄介だ。
 でも魔道士だから、中から時々顔を出してちまちま狙い打てば何とかなるかな?
 それにどのみち、いかねばならないのだし。
 
「ふむ……だがまぁ、どうせいつか行くのだから、いつ行っても変わらんよ」
「やっぱり行くんですか?」
「うむ。同じ方面に向かう人が減ったと言っても皆無ではなかろうし、多少危険でも、それもまた経験だろうしの。数日はセダで準備をする予定ではおるがの」
 セダではとりあえず少し買い物をして、モンスターの予習して、生産に関する本も探してみたい。
 私が色々と街についてからのことに想いを馳せていると、ヤライが心配そうな顔を向けてきた。

「あの……ウォレスさん、良かったら、フレンド登録してくれませんか? そしたら何かあったら呼んでもらえれば、俺手伝いますし、助けに行きますから!」
「え、いや、フレンド登録は嬉しいが、そこまでしてもらう訳には……」
「だめですよ! もうレベル10が近いじゃないですか、そしたらデスペナが結構痛いんですよ? 俺、おじいちゃんっ子だったんで心配なんです!」
 
 うん……まぁ、私もおじいちゃんっ子だったので奇遇と言えば奇遇だ。
 だが、彼の中で私がどういう存在になりつつあるのかが激しく気になる。
 ていうか、見た目は青年なのにこんなに素直な彼の中の人は一体幾つなんだろう。
 もう少し仲良くなったら聞いてみたいと思いながら、私は少し考え、まぁいいかと結論を出した。
 短い間に触れた彼の人となりに不安は覚えなかったし、むしろ楽しかった。
 同じように心に理想を抱く者として、仲良くやっていけそうな気もする。
 いざという時彼に助けを求めるかどうかは別として、彼はきっと言った通り駆けつけてくれる人間だろう。
 結局私からフレンド申請を彼に送ると、彼は嬉しそうにそれに許可を出してくれた。
 
「ありがとうございます! すごい嬉しいです!」
「よろしくのう。だが、無理して助けに来ることはないからの? 痛い目を見て、悔しさをバネにそれを打開するべくまた頑張るのも、ゲームの醍醐味じゃろ? わしからそれを奪わんでくれ」
 笑いながらそういうと、ヤライは大きく目を見開いた。
「そっか、そういう考え方もあるんですね……」
「まぁ、人それぞれだからの。こういうのもたまにはいるということじゃな」
 
 デスペナはレベル9まではその日ログインしてからの取得経験値からマイナス二十五パーセントくらいで済むが、10を超えるとそれがマイナス百パーセントになる。つまり、その日取得した経験値は全てふいになるという事だ。それに加えて、ゲーム内の時間で半日ほどの間、ステータスがかなりマイナスされて弱体化する。
 後は、装備品の耐久によってはそれらが壊れてしまったり、その日拾ったアイテムのうちのどれかをランダムで失くしたりという事もあるらしい。経験値は消えても、使った薬なんかは戻ってこないのだから、懐にも痛い。
 普通に考えると結構辛い事だろう。もっとも、MMOをやりなれたミツに言わせると、失う経験値はあくまでその日の分だけで、前日までさかのぼってレベルが下がったりする訳でもないし、失うアイテムもその日拾った物だけなのだから優しい方らしいが。
 でもまぁ、何にせよそのくらい緊張感があると、逆にやりがいがあるというものだ。
 私としては、何度死んでもまたやり直せると言うのはゲームならではの良さだと思っているので、その辺には特に文句はないのだ。
 
「あと、わしは見かけはこんなだが、中身は別にジジイと言うわけではないんだが……」
 私がそう言うと彼は笑って首を横に振った。
「そんなの解ってます。ウォレスさんすごいしっかりしてそうだし、プレイヤースキルも高そうだって事も。けど、ウォレスさんが老魔道士のロールプレイだっていうなら、俺がご老人を大切にする若者のロールプレイをしたっていいじゃないですか。俺、忍者も好きだけど、渋い老魔法使いも好きなんです」
 私は彼の言葉に思わずぶはっと噴出し、くすくすと笑ってしまった。
 彼も釣られて同じようにしばし笑いあう。
「なら、何かあったらお願いするよ。よろしくの」
「こちらこそ!」
 
 どちらからともなく手を差し出し、私達は握手を交わした。
 こういう交流がMMOの良さなのだと思い出させてもらったような気がして何だかとても胸が暖かかった。
 
 


 カーン、カーン、と高い音が街から流れてくる。
 顔を上げると太陽はさっきよりもまた少し傾いていた。
「夕暮れが近い事を知らせる鐘です。行きましょうか」
「うむ、そうじゃな」
 ここから街はもうすぐ近い。
 見回すと周囲の草原や林の中から、やはり狩りをしていたらしいプレイヤーがちらほらと出てきて同じように街に向かう。
 それを見ながら私達も歩き出した。
 
 不意に、ポーンと言う音と共に私のウィンドウが開いた。
 書かれている文字を見れば、チャットの呼び出しがきたという連絡だった。
 送信者を見ればミストの名前だ。というか、それ以外の人間がこのタイミングでチャットを申請してくるはずもないが。
「すまんが、チャットが入ったようじゃ」
「あ、どうぞどうぞ」
 ヤライに一言断ってからチャットモードに切り替える。
 これで彼からは私が歩きながら口パクをしているように見えるはずだ。
 
『ナミ?』
 チャットモードにした途端、耳に飛び込んだのはミストの声だった。
『ウォレスだって』
『あ、悪ぃ。あのさ、今どこ? フレンドリスト見たらセダ地方にいるってなってたけど』
『これからセダの街に入るところじゃよ。もう十分くらいかの』
 近づく街を見ながらそう答えた。
 ここから見てもセダの街は随分と大きな街で、何となく距離感が狂いそうだが恐らくそんなところだろう。
 
『チャットまでジジイ語じゃなくても……いや、まぁそれはいいけど……。
 あのさ、由里がお前に会いたい会わせろってうるさいんだよ。お前、この土日にセダまで移動するって金曜に言ってただろ? それ言ったら、由里も今セダにいるからフレンド登録だけでもしてくれって。ダメかな?』
『うーん、まぁ構わんよ。別に急ぎの用事もないしの』
 どのみち今日はセダに着いた後は街を見回ったり情報収集をする予定で、特にこれといった予定は決めてない。
 待ち合わせをしてフレンド登録をするくらい全く問題はなかった。
 由里がどんなプレイヤーなのかもちょっと気になるし。
 
『良かった、もうせっつかれて大変だよ。んじゃ、この後どっかで待ち合わせでいい?』
『うむ。街に着いたら連絡しようか?』
『や、いいよ。もう三十分もしたら日没の鐘が鳴るから、それを合図にしようぜ。鐘が鳴ったら東門の近くの、「大釜亭」に行くってことでどうかな』
『大釜亭じゃな』
『うん、東門から少し行ったところの道の右側にある宿屋兼食堂で、すぐわかると思う。釜のマークが描かれた看板が目印だから』
 話が決まり、じゃあまた後で、と言って通話を切る。
 横を見ると、私がチャットしている間にヤライもまたメールか何か見ていたようだった。
 待ち合わせとなると、街に着いたら彼とは一旦お別れしなくてはならないだろう。
 食事にでも誘おうと思っていたのだが、また今度になりそうだ。
 
「お誘いですか?」
「うむ、まぁそんなもんじゃな。ヤライ君を食事にでも誘おうかと思っていたのだが、残念じゃよ」
「今度是非お願いします。俺も今友達に呼ばれましたよ……間抜け振りを笑ってやるから顔出せって」
 それは災難な。といいつつも、何となく彼の友人の気持ちもわかるような気がした。ヤライは多分、仲良くなったら何となく弄りたくなるキャラだろう気がする。
「それはご愁傷様というか……まぁ、頑張ってな」
「うう……ありがとうございます」
 


 嘆く彼を宥めながら、私達はやがて街の東門に辿り着いた。
 大きな街を眺めていると、セダの街を囲むレンガの外壁は真っ直ぐではなくあちこちが不自然にでこぼこしている上、高さもまちまちであまり高くないことに気付く。
 不思議に思って見上げていると、ヤライがその視線に気付き答えをくれた。
 
「ああ、これ変ですよね。なんか、セダって商業都市で、港を基点にして周囲にどんどん広がってるっていう設定らしいんですよ。
 商売したい人が集まって無秩序に広げた結果、モンスター避けの外壁も、何度も作り直したり継ぎ足したりして、こうなっちゃったっていう話です」
「なるほど。なかなか凝った設定じゃのう」
「本当ですね。中もかなり迷路みたいになってるんで、入ったらすぐ地図を買った方がいいと思いますよ」
 門のすぐ傍に地図屋があるからと教えてもらいながら、私達は並んで門をくぐった。
 街に入ってまず驚かされたのは、セダの街の賑わいだった。
 人の多さがファトスとは桁違いだ。
 
「すごいな」
「俺も最初来た時はびっくりしました」
 門に繋がる通りは広いはずなのだが、その広い通りが狭く感じられるほど多くの人が行きかっている。
 夕暮れという時間帯のせいもあるのだろうが、私を驚かすには十分の賑やかさだった。
「露天広場とかオークションハウスの辺りはもっと賑やかですよ」
「こりゃ迷子になりそうじゃな」
 
 街に戻ってくる人が次々とくぐる門の前でいつまでも止まっているわけにも行かず、私達はひとまず傍にあった地図屋の前まで歩いた。
 途中、すれ違うプレイヤー達から訝しげな視線を向けられた気がするが気にしない。人が多い分視線が露骨だったようだが、気にしたら負けだ。
 とりあえず、この辺で彼に挨拶を、と思って口を開きかけた時、近くで聞こえた高い声が私の言葉を遮った。
 
「あー、ライたんいた! おっそいよー!」
「げっ、スピッツさん、もう来てたんですか!?」
 ヤライが慌てて振り向いたので、私も釣られてそちらを見る。
 そこには、はっきりとした顔立ちの可愛らしい少女が一人、頬をぷくりと膨らませて立っていた。少女か幼女かで迷う見掛けだが、背丈的にはギリギリ少女の範囲に入るだろう。
 髪よりも少し薄い茶色の大きな目はいたずらっぽく煌き、頬を膨らませつつも愛らしさを滲ませている。
 栗色の髪をサイドで二つに分けて下のほうで結んだ髪型も、その上に被った上部に二つのとんがりのある白い帽子もとても良く似合っている。だがそんな美少女が淡いピンクのパフスリーブのワンピースの上に部分鎧を着けている姿は何となくシュールだった。

 私はその少女の顔を何となくどこかで見たことがあるような気がして首を傾げた。だがその淡い既視感も、ぷりぷりと怒る少女の姿を見ていると捕まえ損ねて消えてしまう。
 今のところ私の知り合いにはこんなテンションの高そうな女の子はいないし、どこかですれ違った事でもあるのかもしれない。
 そんな事を考えている間に少女は自分より遥かに背の高い青年に詰め寄って文句を言っていた。

「もうっ、待ちくたびれてそこの屋台のジュースを全部制覇しちゃったよ! 罰としてもう一杯奢ってよね!」
「勝手に待ってて何言ってんですか! 勘弁してください、今金欠なんですよ……っていうか、まだ飲む気なんですか!?」
 背丈の大分違う少女に詰め寄られている姿を見ると、勢いに押されているヤライのほうがなんだか小さく見える。
 私が面白く二人を観察していると、少女の方がその視線に気付いて私の方を見た。
 
「あれ、ライたんひとりじゃなかったんだ? NPCの護衛クエ中?」
「違いますよ! 良く見てください、マーカーないでしょう? この人はウォレスさんです。ここに来る途中で知り合った魔道士さんなんです」
「こんばんは、初めまして」
 紹介されたので挨拶すると、少女は目を丸くして私の全身を上から下まで眺めた。もうこういう反応にも随分と慣れてきた。
 
「こちらはスピッツさんです。俺の……フレンドの」
 今の間が大変気になったが、とりあえず問わないでおく事にする。
 気を取り直し、友好の基本は挨拶と笑顔ということで、私はスピッツさんに笑顔を向けた。
 少女は固まったままじっと私を見つめていたが、不意にパッと笑顔を見せて大きな声を上げた。
 
「……おじいちゃんだ! いい! いいよ、うん!」
 スピッツさんはそう言うとパタパタと走りよってきて私の腕に張り付いた。
 私の背も大して高くはないがスピッツさんはそれよりもかなり小さい。
 腕を絡めて半ばぶら下がるように縋られ、少女の突然の行動に今度は私の方が固まってしまう。
 
「ちょっ、スピッツさん!」
「どーよ、ライたん! 孫娘とおじいちゃんに見える? ねぇ、ちょっとこれ萌えじゃね!?」
 
 ……どうやらこの人もちょっと変わった人らしい。
 類友、という言葉が私の脳裏を過ぎった事は言うまでもない。
 
「初対面の人に何やってるんですか! おじいちゃんが怯えてるじゃないですかもう! 離れてくださいよ!」
 少女に釣られてヤライの呼びかけもおじいちゃんになっている。
 ヤライはスピッツを私から引っぺがすと、暴れる彼女を捕まえつつ頭を下げる。
「すいません、おじ……いえ、その、ウォレスさん」
「はは、もう好きなように呼んでどうぞ」
 苦笑しつつも頷くと、ヤライは顔を赤くして何度も頭を下げた。その腕の中では相変わらず少女がじたばたと暴れている。
 
「とりあえず、待ち合わせがあるんですよね? また今度良かったら遊んでください。サラムまでも、呼んでくれたら本当に手伝いに行きますから!」
「ありがとう。それでは、また今度。スピッツさんもまた」
「やん、すっぴーって呼んで! きゃー、ライたんのひとさらいぃ! おじいちゃんまたねぇ! 」
 もがきながらぶんぶんと手を振る少女を掴んで、ヤライは何度も頭を下げつつ人ごみの中に去って行った。
 その背中はあっという間に行きかう人の姿にかき消されて見えなくなる。時折少女の高い声だけが、微かではあるがここまでまだ届いた。
 
「……すごいテンションだ」
 私の呟いた言葉は、誰に聞かれることもなく街の騒がしさにかき消される。
 最近すっかりNPCに馴染んでいたら、あのハイテンションに何だかドキドキしてしまった。
「しかし……あの子の中の人はどっちかなぁ……いやいや、いかんな。こういう事を考えては」
 これもまたMMOに良くある出会いの一つだ。気になる気持ちを忘れようと首を振りながら、私もゆっくりと歩き出す。
 夕暮れの街のどこかから、日没を知らせる鐘が荘厳な音を立てていた。




[4801] RGO18
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:bd601240
Date: 2011/07/17 16:08


 大釜亭は大きくて少々古びた居酒屋とでも言うような雰囲気の店だった。
 壁や天井にぶら下げられたランプとテーブルの上の蝋燭を光源とする店内は全体的に薄暗い。
 薄暗い酒場と言うとなんとなく怪しい雰囲気を思うが、幸い大釜亭はそんなこともなく、客達は皆明るい空気の中で思い思いに食事を取ったり談笑している。
 目の前のテーブルに並んだ料理は港町に相応しく魚料理中心で、どれも結構美味しい。
 一人暮らしだと魚料理を遠ざけがちな私としてはとても嬉しかった。
 
 RGOの中では空腹というものを感じることはないのだが、食事は楽しめるようになっている。
 多少のリアリティを出す為か、システム的には食事という行為は最低でも二日に一回くらいは行った方が良いとされていた。戦士系の人なら、一日一回はした方がいいらしい。
 休憩時に何か軽く飲食するだけでもいいのだが、あまりに長く何も食べずに動き回っていると、HPの回復率が悪くなったり徐々に減っていったりする。レベルアップ時にも上限の数値が上がりにくくなったり、逆に下がったりするのだ。
 空腹は感じないからその辺は適度に自己管理して食事を取るしかないのだが、その分客を誘う為にかどこの店の食事も味は悪くない。
 一仕事終えた後の食事を何よりの楽しみにしている人も多いらしい。
 
 そういえばセダには生産職で料理をやっているプレイヤーが幾らかいると情報掲示板に書いてあった。
 ここにいる間に探してみるかな、と考えながら白身魚のカルパッチョのような料理をフォークに刺して一口食べてみたが、少し酸味のあるソースと魚の相性が良くてなかなか美味しかった。
 一くくりにして顎の先で赤いリボンで結んだ髭が口を動かすとゆらゆらと揺れる。食べる時に髭が意外に邪魔になることにも最近ようやく慣れてきた。 

「ねぇ、ウォレス、それ美味しい?」
 丸テーブルの向かい側の席からそう声をかけられて私は一つ頷いた。
「なかなかいける。試して構わんよ」
「ありがと。はい、じゃあお返しにこっちのも食べていいわよ」
 向こうに滑らせた自分の皿の代わりに差し出されたのは青魚をたっぷりの香草とともに焼いた料理だ。私は皿を受け取ってフォークで身を少しほぐして口に運んだ。
 うん、皮が柔らかくて塩気が利いていてなかなかいける。
 私は味見した皿を目の前の友人に返しながら、その彼女の姿を何となく眺めた。
 
 室内の穏やかな灯りを受けて艶やかに光る髪は真っ黒で、少し不ぞろいな首筋くらいまでの長さだ。同じ色の睫の向こうの緑の瞳も綺麗だった。瞳孔が縦長なのが少し不思議だ。
 外装はそれなりにいじってあるようだったが、切れ長で少しきつい印象の目元は現実の由里をどこか思いださせる。
 由里のキャラもまた美形と言える顔立ちだが、元々彼女は現実でも美人と言って良いタイプなので違和感は少ない。
 しかし元の由里と決定的に違うところの一つが、その頭上にあった。
 黒い髪に隠れてさほど目立ちはしていないが、その頭の上には小さめの黒い三角が二つ生えている。視線を下ろせば椅子の足の間からもゆらゆらと揺れる長い黒い尻尾が見える。多分これらは見る人が見れば萌えるアイテムであるのだろう。
 それはもちろん彼女が猫系の獣人であることを示している。
 黒豹だ、と教えてもらったのはついさっき、初めてここで顔を合わせた時の事で、黒豹はまぁまぁラッキーな方だとも彼女は言っていた。
 
 ラッキーというのは、獣人はキャラ作成時にどの獣の系統にするかを自分では選べないところから来る言葉だろう。
 そればかりは完全にランダムで、初めてログインした時に決定されるのでどうなるかは誰にもわからない。
 どの系統もそれなりの利点があるのだが、気に入るかどうかは全くの賭けだという話だ。稀にレアな種類になる人もいるらしい。
 決定した姿が気に入らなくても、獣人を作り直す場合はキャラを一度デリートし、三日ほど待たないと再スタートできない事になっている。作り直しても、その姿を気に入る保証はない。
 だから大抵の人が、待つよりは諦めて結果を受け入れるという話だ。

 ちなみにキャラメイキングはどういう風にするのかと不思議に思っていたが、なんでも人間タイプをベースにキャラを作り、種族を獣人にしておくらしい。そうすると初ログイン時にランダムで獣人のタイプが決定され、作ったキャラの姿にもそれに合わせた補正が入るということだ。
 具体的には耳の変化や尻尾の追加、瞳孔の変化、牙や爪の追加、顔つきや体つきの若干の変化と部分的な毛の変化、などなど。基本的には作られたキャラの外観を大きくは損なわない程度に付与される補正なので、美形だったのが不細工になったりとかそういうことはないという。 
 私がそんな事を思い返しながら眺めていると、彼女はにこりと笑ってテーブルの中心付近を指で突付き、酒場のメニューウィンドウを開いた。

「ね、ウォレス、何か甘い物食べない? 半分こしようよ」
「ふむ、構わんが」
 空腹がないと言う事は、当然満腹感も存在しないので、食べようと思えば好きなだけ好きな物を食べられる。
 といってもつまりは味を楽しむだけなのだから、ずっと食べていればどうしても飽きがくるし、無駄な金がかかるだけなのでほどほどで止めるのが普通だ。
 それでも、現実では体重を気にして甘い物を我慢している人なんかには、RGOで欲求不満を解消できるのは嬉しいことだろう。だからこういう酒場でもそういう人のために甘い物も色々と取り揃えてあるらしい。
 
 魚料理を楽しんだ私も、少しばかり違う味を楽しむのも悪くないとメニューを覗き込んだ。
 甘味のメニューは幾つか合ったが海草を煮溶かして果汁と合わせて固めたゼリーのようなものや、ふんわりと焼いたケーキなどが人気だと教えてもらい、少し悩んでゼリーを頼んだ。
 
「んー、じゃあ私はケーキの方にするわね。ああ、いくら食べても太らないってホント素敵」
「元々由里は別に太っとらんじゃろ」
「ユーリィよ、ウォレス」
「ああ、すまん」
 元の名前と似通いすぎているせいか、ついそちらを呼びたくなってしまう。
 ユーリィは、少々混乱している私に楽しそうに笑いかけた。
 と、そこに不意に横合いから不機嫌そうな声が割って入る。
 
「……なぁ、お前ら」
「うん?」
「何よ、ミスト。せっかく楽しんでるのに地の底から響くような声出さないでよね」
 丸テーブルを挟んで向かい合う私とユーリィの間の席でじっと黙っていたミストは、何か頭痛でも堪えるかのような渋い顔をしている。
 私が首を傾げると、ミストはぷるぷると肩を震わせ、声を荒げた。
 
「頼むから……頼むから、爺と若い男が甘い物のシェアとかしないでくれ!!」
 
 
 
 由里ことユリウス。愛称はユーリィ。性別:男、種族:獣人
 
 
 
「やぁだ、男だなんて! 違うわよ、さっき言ったでしょ? アタシはオカマよ、オ・カ・マ!」
 語尾にハートマークがつきそうな口調と共に、ユーリィは恥らうような可愛い仕草を見せた。
 それを見てしまったミストが遠い目をしていたのが何だかひどく印象的だった。
 
 
 
 
 
 彼(彼女)曰く。
 
「だってね、見かけを女にしとくと色々面倒が多いのよ。他のVRゲームですっかり懲りたの。
 私はゲームを楽しみたいんであって、ちやほやされたい訳じゃないつってんのに、しつっこい男が多いのよね」
 由里は男の外装を選んだ理由をそう聞かせてくれた。
 
「お前に近寄る度胸を逆に買うけどな、俺は……」
「なるほど。それで男キャラの外装なのか。じゃが、オカマというのは?」
 ミストが食べる為にほぐしていた焼き魚の身を、腹いせのごとく脇からひょいひょいとフォークで摘みながら、ユーリィは可愛らしく首を傾げる。
 
「それがねぇ、今回は面倒を避けるために男キャラで行くぞって作ってみたのはいいんだけど、考えてみたら私、演技って苦手なのよね。ロールプレイとか全然出来る気がしなくって。いちいち口調を変えるのも面倒じゃない?」
「ふむ……まぁ、確かに」
「でしょ? だから、考えたのよ。もうこれは、普段通りの口調で通して、オカマキャラのロールプレイにすればいいんだって! それなら全然難しくないじゃない。いつも通りの女らしくて可愛い私でいいんだもん。
 姿だって鏡見なけりゃ自分では気にならないし、声がいつもよりちょっと低いかなってくらいの感覚しかないしね。んで、慣れたら段々オカマプレイに愛着が湧いちゃったりして?」
 ミストが「自分で可愛いとか言うか普通」とか何とかぶつぶつ呟いている横で、私は納得して頷いた。
 
 最近のVRゲーム内の人口の男女比率は、半々にかなり近くなってきていると聞いている。
 VRシステム自体が男女問わず人気で、広く普及しているからだ。
 離れていても顔を見ながら話せるし、メールなどより親密に過ごせるし、吊橋効果も狙えるかも? という理由から(一部信憑性は定かではない話もあるが)、カップルで同じゲームを楽しむ人達も珍しくはない。
 当然そこには新たな出会いも数多生まれているので、それに淡い期待を抱く者達もやはり多く居るだろう。
 
 ただし、その男女比は当然ゲームによってばらつきがある訳で、必ずしも均等ではない。
 RGOは確か、男女比は2:1くらいだったはずだ。
 外装を細かくカスタマイズできるのは魅力なのだが、世界の雰囲気がどちらかといえばリアル系よりなので、可愛らしくデフォルメされたポップな雰囲気のゲームほどの女性人気はないのだろう。
 そういった男女の比率が一定でない場合にありがちな面倒ごと、というのをどうやらユーリィは良く知っているようで、それなら男の外装を選択するのも賢い選択に思える。
 世の中にはちやほやされたい女性も多くいるだろうが、そうでない女性も確かにいるのだ。
 多分、様々な理由から性別を逆にしている女性プレイヤーは探せば他にも沢山いるだろう。
 ただ、その人達の大半は恐らくオカマプレイはしていないのではないかと思うが。
 
「オカマプレイかぁ……面白い」
「面白くないって! コイツこの外見で、『南海に連絡取ってくれなきゃミストはオカマと出来てるって噂になるようなことするからね!』 って脅すんだぜ!?」
「おお、異色カップルの誕生か」
「誕生してねぇ!!」
 ミストは声を荒げて必死に否定する。
 うーん、ミストもなかなかからかいがいのあるキャラクターだ。
 私がそんなことを考えていると、NPCの店員がテーブルにデザートを運んできた。ユーリィはフォークを片手に嬉しそうな声を上げる。その声は若干高めではあるが、明らかな男性の声だ。
 結構美男子なのに猫耳でオカマ。考えてみるとなかなかシュールかもしれない。
 
「まぁとにかく、外装は男でも心は女の子だからいいのよ。友達とケーキのシェアしたって文句言われる筋合いはないわ。あんた、自分が出来そうにないからって私に当たらないでよね」
「誰がいつそんな事をしたいって言ったんだ!」
「その顔が語ってるわよ」
 学校で良く由里がしてくるように、あーん、と目の前に差し出されたフォークの先のケーキに、私は髭に気をつけつつぱくりと噛み付いた。
 うん、生地がふんわりとしていてなかなかいける。
 お返しにゼリーをひと掬い差し出すと、ユーリィも嬉しそうにそれを口に運ぶ。
 それを見たミストが悲痛なうめき声を上げながらテーブルに突っ伏した。

「……ここに鏡があったなら!」
 それを見て行いを正せとでもミストは言いたいのかもしれないが、そんなことでなんとかなると思う辺り、まだまだ修行が足りない。
 なぜなら私達はどちらも己の姿を全く恥じていないのだ。
 甘い物が好きな老人とオカマが親友だからって別に誰が困るわけでもないし。
 それに室内は薄暗いし喧騒に溢れているのだ。誰も他人のテーブルのことなど気にしてないだろう。
 
「どう見たって、机に突っ伏してうめき声上げてる方が奇行よねぇ」
「うむ。改めた方がいいぞ、ミスト」
「何で俺!?」
 顔を上げたり再び机に突っ伏したりしているミストは放って置いて、私達はデザートをゆっくりと堪能し、話に花を咲かせた。
 
 聞くところによると、ユーリィは銃士という職業をやっているらしい。具体的にはそのまんま、銃で戦う射撃系の職業だ。銃は結構種類が多いらしく、同じ銃士の中でも戦闘スタイルは様々らしい。大体は中から遠距離での戦い方が殆どで、あまりソロはしないということだった。
 密かに格好良さそうだと思っていた職業なので、話を聞くのは楽しい。
 
「一人だと、狩りの時は大体遠くから狙撃するってのが普通ね。パーティの時は主にかく乱とか、トドメとかが役どころかしらね。特殊な魔法弾とか使えば、回復とか補助も少しくらいはできるけど。魔道士ほどじゃないけどあんまりソロ向きじゃないのよね」
 銃士は弾代がばかにならない上に、索敵と狙撃にかなり熟練しない限りは危険も多くソロではあまり金稼ぎにはならないらしい。
 確かに弾は消耗品だろうし、その補充というのは銃士なら必ず着いて回る話だろう。
 ソロ向きでない中、ユーリィはどうしているのかと聞くと私にとっては少し意外な答えが返って来た。
 
「私は普段はリエと一緒に狩りしてるのよ。あの子前衛職だから」
「リエちゃんと?」
 理恵ちゃんというのは本名を田野理恵子といい、つまりは由里の妹である少女だ。
 中学二年生で、大人しい良い子だったと記憶している。あまりゲームをやるようなタイプには見えなかったのだが。
 
「あの子もゲームなんかやるのかの」
「ん、私がやってるから楽しそうに見えたみたい。今じゃなかなかのゲーマーよ。もうすぐ来ると思うから、紹介するね」
 ユーリィは私に彼女も紹介しようと呼んでおいたそうだが、どうやらリエちゃんは寄り道をしていて遅れているらしい。
 由里の家に遊びに行くと時々顔を合わせる少女は、由里とはまた違うタイプの可愛い女の子だ。大人しい彼女がここでどんな冒険をしているのか聞いてみたい。

 私はそこまで考えて、はて、と首を傾げた。
 私の脳裏を栗色の髪が一瞬過ぎる。
 どこかで見たような、と思ったあの姿。あの既視感はもしかしたら。
 しかし、彼女と私の知っているリエちゃんとは随分と印象が違ったが――
 
「お姉ちゃん、おっまたせー!」
「声でかいですよ、スピッツさん!」
 そこまで考えた所で突如割り込んだ聞き覚えのある賑やかな声に、私の思考は中断させられた。
 この声はもしやと予想するまでもなく、視線を上げるとやはりそこにはさっき別れたばかりの顔が二つあった。
 考える前に、どうやら答えの方から先にやってきてくれたらしい。
 あっという間の再会に、どうやら気付いたらしい向こうも目を丸くしているのがここからでも見える。
 
 類は友を呼ぶ、という言葉は、実に良く真理をついているような気がした。




[4801] RGO19
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:bd601240
Date: 2011/07/19 18:32


 ガタゴトと揺れるリズムに合わせ、どこかのどかな調子の歌が響いている。
 
「ランランラララン、ランランラララン、ラーラーラーララランランラン」
 ラの音で構成されているその歌は、一瞬聞いた感じだととても楽しそうに聞こえるが、良く聞くとメロディが何とも物悲しい。
 サラムへと向かう道の上空は今にも泣き出しそうな曇り空で、その空模様は物悲しいメロディと良く似合っていた。
 
「ランランラララン、ランランラララン、ラーラーラーラララーラララー」
 定期馬車の中には男が三人、少女が一人、老人が一人の計五人が乗っている。
 可愛い仔牛が市場へと連れられていく情景を歌ったその曲は、今の状況と微妙に合っているような気もしないでもない。
 
「ラーラーラーララララー、ラララララーラーラー」
 だが果たしてこの中で可哀想なその仔牛に当てはまるのは誰だろう。
 
 ビジュアル的には多分、馬車の後ろを見ながら足をぶらぶらさせ楽しそうに歌を歌っているスピッツだが、恐らくは彼女ではなくジジイとオカマと忍者とテンション高めの少女という濃い目の四人に囲まれてどんどん影が薄くなりつつあるミストが当てはまるような気がする。
 どことなくうつろな彼の目は、何で俺ここにいるんだろう、と自問自答を繰り返しているようにも見えた。
 
 
 
 
 -------------
 
 
「――で、えーと、コレがスゥ……スピッツで、リエよ。といっても、リエの方は南海もミツも昔から知ってるし、今更紹介はいらないと思うけど。あと、私の前からの友達のヤライ君」
「え、えと、スピッツでぇす。南海ちゃん久しぶり……です」
「久しぶりじゃのう。こちらでは初めまして。さっきは気付かんですまんかったの」
「す、スピッツさんが普通の挨拶を……あ、初めまして、ヤライです」
「あ、どうも初めまして、ミストです。つか、リエお前、俺の存在は!?」
 あらかた食事の済んだ丸テーブルを囲んだ五人は、順に行われている自己紹介にそれぞれ様々な反応を見せた。
 
 
「でも、二人がウォレスともう知り合ってたなんて驚いたわ、ホント。しかもヤライ君なんて、私より先にウォレスと遊んだなんてずるいわよ!」
「たまたまですって! 大体なんでそこでユリウスさんに断る必要があるんですか!?」
 頬を膨らませたユーリィにじろりと睨まれてヤライは実に居心地が悪そうに椅子を軽く引いた。
 
 ユーリィに紹介されたところによれば、ヤライは由里のVRゲーム仲間で、以前二人がやっていた戦国時代が舞台のゲームで知り合ったのだそうだ。
 RGOが稼動した時に二人で移動してきたということで、その時にリエちゃんもVRゲームを始めたらしい。
 
 そのリエことスピッツ嬢はといえば、椅子にちょこんと座ったまま、外で会った時のテンションが嘘のように大人しい。
 彼女はカスタマイズソフトを面倒がって使っていないそうで、顔立ちは多少のデフォルメが加えられていているものの、言われて良く見れば確かに本人の面影が残っている。こうして静かにしていると雰囲気も私の知っているリエちゃんに良く似ていた。
 じっと見つめているとそれを感じた彼女が顔を上げ、視線が合った瞬間にまたパッと俯いてしまった。
 やっぱり、さっき外で会った時のテンションは何かの見間違いかと思うようだ。
 
「スゥちゃん……と呼んでもいいかの?」
 さすがにすっぴーはちょっと呼びづらい。私はさっきユーリィが口にしかけた愛称っぽいものを採用させてもらう事にした。
 スピッツは私の言葉に俯いたまま目線だけをチラリと上げてコクコクと頷く。
 するとそれを見ていたらしいユーリィがニヤニヤと笑いながら彼女に声を掛けた。
 
「スゥ、お互い知らずに外で会ったってことは、いつものあんたを見られたんでしょ? もう猫被るの止めたら?」
「猫?」
「シーッ! お姉ちゃん止めてよ! べ、別に私、猫なんて被ってないもん!」
 スピッツは慌ててユーリィの言葉を打ち消そうとしたが、その隣からも異論の声が上がる。
 
「スピッツさん何か悪いものでも食べたんですか? いつもと違いすぎで……いえ、何でもありません」
「こら、ヤライ君を睨まないの。あんたが悪いんでしょ? 普段はぎゃーぎゃーうるさいくせに、南海の前でだけ大人しくしようったって無駄よ。普段と態度が違おうが何しようが、南海はそんな事気にしないわよ?」
「元気な方が本当のスゥちゃんということかの?」
 
 現実のリエはといえば、姉と良く似た柔らかな髪を慎ましく一つにくくった、いかにも大人しめの中学生という雰囲気の少女だった。
 可愛い顔をしているが、派手な印象の姉とはあまり似た雰囲気ではない。
 その大人しいリエと賑やかなスピッツという少女が一つに結びつかず、私は首を傾げていた。
 どちらがいいとかそういう事はないが、私の存在が彼女に無理をさせてしまうのは困る。
 
「スゥはちょっと内弁慶っていうか……この場合ネット弁慶って言った方がいいのかしらね? まぁとにかく、あれよ。ネットだとちょっと気が大きくなるタイプなのよ。あと普段はね、南海に憧れてるから南海の前では特に大人しくしていたいんだって」
「お姉ちゃん!」
 悪びれなく全てをあっさりと語る姉と、可愛い悲鳴を上げて姉の口を塞ごうとする少女はバタバタとしばしもみ合った。
 少女が私に憧れてくれているというのは初耳で、それが本当なら何となく面映いものがある。一体私のどの辺にそんな要素があるのか全くわからないが、別に嫌ではない。
 けれど、それで彼女が伸び伸びと遊べなくなるなら私としては悲しい限りだ。
 
「それが本当なら、少々気恥ずかしいが嬉しいのう。けど、それで普段の元気なスゥちゃんが見れんというのは寂しいんじゃがな」
「ほら、本人もああ言ってるわよ」
 私が身を乗り出してスゥを覗き込むようにすると、彼女はあたふたと席に座りなおしてまたもじもじと顔を伏せた。
「な、南海ちゃんがそう言うなら……そうする」
 うわ、なんか可愛いこと言った。
 兄しか持たない私としては可愛い妹とか仲のいい姉妹とかは憧れるものがあるので、ちょっと嬉しい。
 
「お前……なんつー態度の違いだ、ったく」
 けなげな少女の態度の何が気に食わないのか、ミストがぶつぶつと愚痴をこぼす。するとスピッツはそちらの方をくるりと向くとべぇ、と大きく舌を出した。
「べぇ~だ。ミツこそいつも通りの影の薄さでごしゅーしょーさま! ミストなんて名前で、霧みたいに淡ーい存在感を自分から表してるなんて、よくわかってるじゃん!」
「ちょっ、お前なんだその豹変振り! 猫被りすぎだろ!」
「スピッツさん、いくらリアルでお知り合いでもさすがに失礼ですよ」
 常識の持ち合わせが多そうなヤライがスピッツを嗜めると、彼女はぷくりと可愛く頬を膨らませてぷんとそっぽを向いた。
 
「大体、本当にすごく態度が違って俺もびっくりしましたよ。なんでいつもそんな風にほどほどにしといてくれないんですか……」
 どうやらいつも振り回されているらしいヤライがため息と共にしみじみと呟く。
 そんな彼をじろりと睨み付け、スピッツは腰に手を当てて小さな胸を大きく反らした。
 
「これはわざとなの! ネットは怖い所だから、ちょっと性別を疑われるくらいのテンションの方がいいんだってお姉ちゃんが言ってたし!」
「あー、そうそう。そういえばそんな事言った気がするわ。大人しい女の子なんて色々鬱陶しい目に合うこと間違いなしだって」
「お前、なんつー極端な事を教えてるんだよ!」
 ミストの怒声にも、別に全くの嘘って訳じゃないからいいじゃない、とユーリィは悪びれなく笑う。
 確かに私も最初はスピッツの中の人の性別をちょっと疑ったものな、と思い返した。
 それを思うと自衛という意味では少女の試みは結構成功しているのかもしれない。
 
「なるほど、女の子はオンラインでも色々と苦労が多いんじゃのう」
 私がそう言うと、スピッツはうんうんと頷いて嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「でも、最近はソレが楽しいのよね、スゥは」
 しかし、ユーリィがそう言ってにこにこと妹の顔を覗き込むと、スピッツはまたうん、と大きく頷く。
 
「ふっふっふ、あまりのテンションの高さにこれはきっとネカマだろうと思わせて実は中身はホントに美少女だったというそのショーゲキの事実! 馬鹿な男達はそんなことを知るよしもなく、大きな魚を逃がしているのです! そう思うと、もうたまんないよね! なんかこう、ハイトクカンっていうの?」
 それは少し違うような気がするが、少女があまりに楽しそうなので私は口を挟まずそっと見守る事にした。
 腰に当てていた手を頬に移し恥らうように身を捩る仕草は、姉と良く似ていて可愛らしい。
 けれど、確かに自分に酔っているネカマだと言われれば、そう見えなくもない気もする。
 
「勘弁してくださいよ……なんですかその変なプレイ」
「つまりはネカマを装うプレイだよ! これぞ正しきネカマプレイ! さぁさぁ、ライたん、ボクを罵っても良いんだよ! 言って言って、『このネカマヤロウ、きめぇんだよ!』 って!」
「そんなひどい事言えませんよ! 大体、中身を知ってる俺が言っても無意味じゃないですかそれ!」
「ちっがうよ~! ライたんみたいに礼儀正しい人が言うとこがいいんじゃん! さぁさぁ、遠慮せず!」
「……コノネカマヤロウ、キメェンダヨ」
「だめー! 棒読みすぎ!」

 ……どうやら少女はRGOで何か新しい世界の扉を開いたらしい。
 二人のやり取りにユーリィはケラケラと笑い転げ、ミストは遠い目をして他人のフリをするかのように他所を向いていた。
 うん、その人によって色々な楽しみ方があってほんと面白いなぁ。
 
 
 こうして私達の出会いの夜は、そんな風に賑やかに更けて行ったのだった。
 



[4801] RGO20
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:bd601240
Date: 2011/07/17 16:20


『渦巻け、風の刃』
 
 馬車の進路を横切るように通り道にしていた数匹の黒い蝶が風に巻かれて高く舞い上がる。
 三メートルほどの範囲で渦巻いた風は、土ぼこりや落ち葉を巻き込んで上へ下へと激しく暴れた。
 土ぼこりを含んだ圧縮された風は薄っすらとだが目に見える。それは刃のように鋭い切れ味で、蝶達のその薄い羽を次々に切り裂いた。
 サラムへの街道のうち、森の間を通る辺りでよく出るという蝶の群れはあっという間に散り散りになり、パタパタと地面に落ちて姿を消した。
 黒いそれは一匹が五十センチほどとそれほど大きくはなく、HPも少ないし結構弱いのだが羽根に毒を持っていて集団で襲ってくるので厄介な部類のモンスターらしい。
 そういう相手の時には魔法は本当に便利だ。
 
 しかし私が眺めていると、地面に落ちた蝶のうちの一匹がふらふらとまた飛び上がり、こちらに近づいてきた。
 どうやら討ちもらしてしまったらしい。もう一度別の魔法を詠唱しようかと杖を構えたが、不意に私のすぐ脇で銃声が高く響いた。
 目に留まらぬ速さで打ち出された銃弾に体の中心を穿たれた蝶がパンと弾け、光へと姿を変える。
 横を見るとそこにいた親友が、優美な所作で銀色の銃を下ろす所だった。
 
「さすがにアレだけ数がいると一匹くらいは逃れるもんだわね」
「うむ、ありがとう」
「どういたしまして」
 私は両脇に立っていたユーリィとミストを交互に見やり、二人に礼を述べた。
 ミストはそれに対して、俺は何も、と首を横に振る。
 私はそれには取り合わず、ただ笑顔を向けた。
 蝶の群れが馬車を止めた時に私がやろうと外に出たのだが、念のため二人が着いてきてくれていたのだ。それだけで十分心強く、助かっている。
 
「さ、行こうぜ」
 騎士らしい盾と片手剣を構えていたミストは剣を鞘に戻し、馬車の方を振り向いた。馬車の中からはヤライとスピッツがじっとこちらを見守っている。
 私達は頷き合ってまた馬車へと乗り込んだ。

 あ、私今ちょっと水戸黄門ぽかったかも。
 


 
 あの出会いの夜、個々の個性の強さもあってすっかり打ち解けた私達は実に色々な事を話して楽しい時間を過ごした。
 その中で私がこのあと一人でサラムへと向かう予定だという話になり、ヤライがやっぱり心配なので着いてくると言い出したのだ。
 するとユーリィも「ずるい! 一緒に行く!」 と言い出し、スピッツもそれについて来ると言い張った。
 対抗心を刺激されたのか、勢いでミストもそれに参戦し、結局四人で私をサラムまで送ってくれると言う事になってしまった。
 
 私としては皆を移動のために何時間も付き合わせるのは少々心苦しかったのだが、どうしてもと言われれば無理に断るのも何となく申し訳ない。
 人が見つからなければ一人で退屈な上、運悪くモンスターに襲われるかもというスリルも併せ持つ羽目になるところだったサラムまでの道のりは、一気に賑やかなものとなってしまった訳だ。
 
 結局、私の準備に合わせて数日の時間を取りはしたものの、今はこうして五人で馬車の上。
 予想通りサラムへ向かう同乗者は他になく、五人はそれぞれ気兼ねなく馬車の上で雑談したり、掲示板を見たり、景色を見ながら歌を歌ったりと思い思いの過ごし方をしている。
 人数が増えたせいか、時折今のようにモンスターに道を塞がれたりもするが、それぞれ得意そうな者が対応する事で事なきを得、特に問題なく道のりは進んでいた。
 

 馬車に戻って御者に声をかけると、荷台の片隅で震えていた彼はハッと顔を上げ、また御者としての職務に戻った。
 動き出した馬車に再び揺られながら、私達も他愛もない話を再開した。
 
「やっぱり何度見てもおかしいって、ウォレスの魔法。まだそんなレベルなのに、この辺でも全然やってけるじゃない。もう十分すごいわよ」
 ここに来るまでの道程で何度か私の魔法を見たユーリィが首を横にふりふり声を上げた。
 私は既に何度目かのその言葉に首を横に振り返す。
 こんな風に皆はしきりに私の魔法はすごいと言ってくれるのだが、私としては全く実感が湧いていない。さっきの蝶だって全滅はさせられなかったし。
 ただ、皆にさほど迷惑は掛けずに済んでいるようで良かったと思う程度だ。
 
 
「そりゃあ弱点の属性を選んでおるしな。それでもああして討ちもらしたりするんじゃから、まだまだ油断はできんよ」
「でもボクだってあの蝶キライだよ。ちょろちょろしてさ、大振りすると風圧で後ろに逃げるから当たんないんだよね!」
 スピッツの言葉にヤライやミストも大きく頷いた。
 それはただの相性の問題だと思うな。
「わしにだって手も出せん敵は山ほどおるよ。そこはそれ、単に相性の問題じゃろ」
「まぁ、確かにそうですね。そもそもそういうのを補う為にパーティがある訳ですし」
 
 そうそう。それを考えるとパーティというのはやっぱりいいものだ。
 もう少し皆に迷惑をかけない自信がついたら、ぜひあちこち行ってみたいと私も最近思っている。
 そんなことを話し合っていると、何か考え事をしていたミストが顔を上げ、私の方に真面目な顔を向けてきた。
 
「なぁ、ウォレス。お前、ウィザーズユニオンって名前の旅団知ってるか?」
 ミストが不意に投げかけた問いに、私は首を横に振った。
「いや、初耳じゃの」
「あ、それ知ってる。なんか魔法職同士で組んで、相互扶助しようっていう旅団でしょ」
 どうやらユーリィは知っていたらしい。
 彼女の言葉にミストも頷き、その旅団について更に話を進めた。
「そうそう。まぁ、名前からしていかにもそれっぽいとこなんだけどさ。要するに、魔法職同士で大規模な旅団を作って、手持ちの情報なんかをその内部で交換し合って協力して強くなろう、みたいな旅団らしいんだけどよ」
 
 旅団というのは他のMMOでよく言うところのギルドや氏族のようなもので、要するにパーティよりも単位の大きなプレイヤーの集団の事だ。
 プレイヤーは大陸を行く旅人という設定であるので、RGOでは旅団という名になっているらしい。
 作るにはある程度のまとまったお金と三人以上のメンバーが必要だが、大きな街ならどこの地方にいても使える旅団専用の集会所が持て、旅団用の掲示板やチャット、旅団倉庫や金庫などの各種施設が利用できる。
 旅団に所属するメンバーでパーティを組んで、それら幾つかのパーティで協力し合って大規模な狩りをするレイド戦なども出来るらしい。
 私は特にどこかに所属したいという気持ちが薄いので、そういう基礎知識以上のことは良くわからない。
 その魔法職中心の旅団というのも、勿論初めて聞いた話だった。話の先を促すと、ミストは頷いてその旅団について色々と噂を交えて教えてくれた。
 
「入れる条件はもちろん魔法職であることなんだけど、そこに入ると色々な情報の提供や道具の貸し出しとかしてもらえたりするらしい。あとは旅団外の他のパーティから依頼を受けて、回復系魔道士と攻撃系魔道士のセットでメンバーを貸し出すみたいな事もやってるんだってよ」
「あと大規模な狩りなんかもしてるんでしょ? そのおかげで結構レベルも上げやすくて助かるってんで、外の情報サイトでも名が知れてきてるって聞いたわ。それにつられて新規で入ってきてすぐそこに入る魔道士が増えて、魔法職の人口がじわじわ増えてるって話よね」
 なるほど、魔法職の救済に運営が動かない代わりに自分達で創意工夫をしたというわけか。それはなかなか感心だ。
 私がそう感想を述べると、意外にもミストは渋い顔を見せた。
 
「それが、いい話ばっかりでもないんだ。噂によるとな、結構強引な勧誘したり、固定パーティ組んでる奴でも平気で引き抜いたり、有用な情報が掲示板に出回らないように内部で秘匿したり、色々やってるっていう話なんだよ」
「ほう……それはちょっと迷惑かもしれんなぁ。しかし、情報の秘匿については別にどこもやっていることでは?」
「隠すだけならそりゃいいけどな。連中は性質の悪いことに、メンバー以外が掲示板に流した情報が自分達にとって重要なのとかだったりすると、集団でガセ扱いするレスをつけてうやむやにしちまうような事もしてるんだってよ。そのせいか、最近荒れてるスレが増えてるんだ」
「俺もそれ聞きましたよ。その旅団のせいで揉めて解散したパーティも幾つかあるらしいっていう話ですしね。火力でごり押しして、辺りのモンスターを無差別に狩りつくすような迷惑行為もしてるんだとか。
 最近魔法職の助けが必要な場所が増えてきたからその旅団への依頼も増えてて、結構大きな顔してるらしいです」
 ヤライもその旅団を知っていたらしく、噂だけれど、と言いつつそんな話を教えてくれた。
 私と同じく余りそういう事に興味のないらしいスピッツだけが、私の隣で面白そうな顔を浮かべて一緒に話を聞いていた。
 
「あと何でもその旅団のメンバーだけが持ってるアイテムってのがあるらしくてさ。メンバーの誰かが作ってるって話なんだけど、魔道書の効果を指輪なんかのアクセサリーにそのまま込めたってのがあるらしい。それを餌に勧誘してるって話だよ」
「へぇ、つまり指輪がカンペ代わりになるのかの。それは面白い」
「アイテム一つにつき呪文一種類って具合らしいけどな。それでも指は十本あるわけだからな。憶えてなくても使える魔法の幅が広がって、まぁ便利って言えば便利らしい」
 それは面白そうな話だが、情報の秘匿をしているということはそういう魔法系の生産職に関しても外から知るには難しそうだ。
 興味はわくが、そのためにその旅団に飛び込む気は今のところ湧かないな。
 
 迷惑行為うんぬんは抜きにすれば、魔法職が増える事自体は私は別に悪いことではないだろうと思う。
 今の状態ではバランスが悪いのだから、それを何とかしようという動きはあって当然な話だ。
 しかしそんなことを思う私にヤライは心配そうな顔を向けた。
 
「ウォレスさんは呪文を暗記してるからそういうアイテムは必要ないと思いますが……一応、気をつけてくださいね。杖装備の魔道士って結構目立ちますから、目をつけられると面倒があるかもしれません。俺が受けた訳じゃないですけど、勧誘の激しい所は本当にすごいんですよ」
「あー、ありそう。自覚ないみたいだけど、ウォレスの魔法ホントすごいわよ? 杖装備で属性合わせた魔法があんなに便利だと思わなかったもん」
 二人の言葉にミストも深く頷き、やはり注意するようにと忠告をくれた。
 
「他人に便利に使われるのなんか、お前の信条じゃないだろ? わかった上でお前が入るって言うなら自由だけど、良く考えて入れよ。メンバーは大抵指輪なんかのアクセサリーを限界近くまでジャラジャラさせてるらしいからな。成金ぽい奴に声かけられたら警戒しろよ」
「そうだよ! そんな何とかゆにおんに入るくらいなら、ボクと組もうね!」
 
 すっかり元気にしゃべってくれるようになったスピッツが私の左腕に絡みつく。
 確かにいずれどこかに所属するとしても、どうせならそんな知らない団体よりも気心の知れた仲間達のいるところがいい。
 今はまだ私は弱すぎるが、そのうちそういう事も良く考えてみよう。
 私は頷いてスピッツの頭を軽く撫で、心配してくれた皆に気をつけると約束して笑顔を向けた。
 
 のどかな旅路に変化が起きたのは、その少し後の事だった。




[4801] RGO21
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:bd601240
Date: 2011/07/17 16:20


「……ねぇ、この中で運に自信が無い人、手挙げて?」
 
 やる気の無さそうなユーリィの声とともに、五人のメンバーのうち、男二人の手がゆるゆると上がった。
 ミストとヤライは手を挙げたお互いの顔を見合わせ、ハァ、と深いため息を吐く。
 
「……俺、ドロップ運悪いんだよなぁ」
「俺も、リアルラック含め全く自信がないです……」
 苦労症気質そうな二人は、暗く沈んだ顔でまたため息を吐く。なんだか肩でも叩いてやりたくなるような光景だ。
 
「やっぱりねぇ。そういう顔してるもんね、二人とも。じゃああれは二人のせいってことで」
 明るく言い切られた二人は慌てて顔を上げ、ぶるぶると首を振った。
 途端、シャァともジャァとも聞こえるような不思議な音が辺りに響き、馬車の厚い幌をビリビリと振るわせる。
 
「なんでそうなるんだ! 俺らの運だけのせいじゃないって!」
「断じて違いますよ! そんな事であんなのが出てくるなら、俺もう十六回くらいは死んでますって!」
 妙にリアルな数字が気になったが、今はそれよりも気になることが馬車の外にある。
 私が馬車の先の方に目を向けると、さっきまで馬車を引いていた頑丈そうな馬が目の前をずるりと横切る長く黒い影に怯えたように棹立ちになり、甲高い悲鳴を上げた。
 馬や馬車は敵に襲われることのないオブジェクトであるのだが、それでも怯える反応は返すところがリアルだ。御者もついさっき幌の内側に飛び込んできてからずっと隅っこでぶるぶると震えている。
 
「さて……どうしようかしらねぇ、あれ……」
「戦おうよ! めっちゃ面白そう!」
 馬車の中でも天井に頭の届かないスピッツがぴょんぴょんと嬉しそうに跳ねた。
 馬車の荷台の簡素な席を半円状に包む幌の後ろの出口に目をやると、そこから中を覗きこむ金色の目と視線が合う。
 
「長いのう……」
「ウォレス、お前この状況で言う感想がそれか!」
 素直な感想を呟いただけなのだが、ミストから激しく突っ込まれてしまった。だって長い以外に何を言えというんだ。
 
「太い?」
「確かに太いがそうじゃなくて!」
「じゃあ可愛い」
「可愛くねぇ!!」
 いや、可愛いと思うぞ。
 私の顔ぐらいの大きさのあるつぶらな瞳は宝石のようだし、つやつやと黒光りする鱗は規則正しく並んで光をはじいて綺麗だし、すんなりと伸びた尻尾で時折焦れたようにパタンと地面を叩く様も可愛らしい。その度に馬車が揺れるのは少々困るが。
 
「そういや、ウォレスって結構爬虫類とか好きよね」
「うん。亀なんか好きじゃな。いつか小さな陸亀を飼って、孫の代まで受け継いでもらうのが夢なのじゃよ」
 その頃にはきっと大きく育った亀は幼い孫を上に乗せてもびくともしないサイズになっていることだろう。

「……貰った孫は激しく困ると思いますよ」
 ヤライの小さな呟きを聞き流しながら、私は幌の後ろからひょいと顔を出した。
 荷台から降りない限りはモンスターに襲われる事はないのだが、間近にでかい顔が迫るとさすがにちょっと胸がときめいてしまう。
 
 幌から顔を出して見える範囲をぐるりと見回すと、そのでかい顔の先から伸びた体がぐるりと馬車を取り巻いているのが判る。馬車からその体まで一メートルほど空間が空いているのは、それがこの馬車に固有の不干渉エリアだからだろう。
 しかし、やっぱり長い。
 直径一メートルほどの体が、馬車の周囲を一巻き半するくらい長く取り巻いている。
 
「……蛇だのう」
「だからどうしてこの状況での感想がそれだけなんだ……!」
 疲れたようなミストの声が馬車の中から聞こえてきたが気にしない。
 私は目の前の頭に向かってひらひらと手を振った。
 釣られたように大きな顔が僅かに左右に揺れる。
 その顔の上にはこちらをターゲットと認識している敵の証である赤く染まったHPバーと、黒く表示された名前。
 
 示された名は『黒鱗の蛇王』
 
 そう、王の名の示す通り彼はいわゆる、「この辺の主」という奴らしい。
 しかし、名前がちょっとそのまんま過ぎやしないか?
 
 
 
 
 

 
 そもそも、それは運が悪いとしかいいようのない出来事から始まった。
 今は日は中天を少し過ぎ、馬車は恐らくあと一時間くらいでサラムの町に着くだろうという頃。
 和やかな会話と共に進む馬車の旅は時々モンスターに邪魔されたりもしたが、頼りになる仲間達のおかげで特に問題なくそれらを退け順調に進んでいた。
 私も何回か馬車から降りて魔法をお見舞いしたが、それも一応ちゃんと敵に通用し、この辺りでもそこそこやっていけそうな自信も湧いてきた。
 目的地までもうすぐだし、このまま何事も無くサラムまで行けると誰もが信じて疑わなかった。
 しかし、その出会いは唐突に訪れてしまった。
 


 
「ねぇ、なんか聞こえない?」
「何かって、獣人のお前にかろうじて聞こえる音が、俺らに聞こえるわけないだろ。ウォレスは?」
「何か……そう言われれば、かなり遠いようだが、何か叫び声のような音が微かにしたかの?」
 私の言葉に馬車の後ろに居たスピッツが立ち上がり、幌から顔を出して外を見回した。
 
「あ」
「どうしたの、スゥ? また敵?」
 立ち上がったユーリィはスピッツが見ている側の壁に近づき、幌の脇の一部を切り取って作られた窓を覆うカーテンをめくった。
 
「どれどれ……あら、人」
 ユーリィがこぼした言葉に私も気になって席を立ち上がり、彼女の隣に立って窓から外を覗く。
 ミストとヤライも気になったらしくそれぞれが立ち上がって幌の前と後ろに分かれて顔を出す。
 窓の外に見えたのは広い草原と、その草の間を掻き分けて走っている二人の人影だった。
 

 馬車は少し前まで森林地帯を縫うように走っていたのだが、サラムにかなり近づいたこの辺りはいつの間にか草原地帯になっていた。
 その草原を割って伸びる街道は堤防のようにいくらか高くなっていて、街道沿いは周囲の草の背丈が低い事もあり遠くが良く見える。
 草原は私達の今居る場所から離れるにつれて背丈を増している。
 その人影は北に伸びる道の大分先の右手、つまり北東の方角から背の高い草の合間を掻き分けるようにして出てきて、街道の方向に向かって走ってきていた。
 
「珍しいですね、この時期にこんなとこで狩りしてる人がいるなんて」
「んー、確かちょっと前にこの辺でレアモンスターが出たって言う情報が掲示板にあったから、ソレ狙いじゃない? 皆がフォナンに移動して狩場が空いたからチャンスと思ったんじゃないかしら」
 へぇ、それも初耳だ。レアモンスターの出没情報は掲示板にぽつぽつと出ているようだが、私はまだソロで出来る狩りに限界があるので無縁の話だと思ってチェックしていなかった。
 
「確か……青い牛だったか、赤い馬だったか書いてあった気がするけど……レアモン狙いで失敗して逃げてるのかしらね、あの人達」
 走る馬車の中からでは助けようもないので私達は黙って彼らの姿を見守るしかない。
 すると、背の高い草の間からもう一人の人間の頭がちらりと出てきたのが見えた。
 最後の一人は重装備らしい。がっしりした兜を被っている頭は進みが遅く、懸命に草を掻き分けているが先を行く二人に大分遅れている。
 大丈夫だろうかと見つめていた先で不意にその男の姿が草の間から掻き消えた。
 
「えっ」
 隣のユーリィが声を上げ、身を乗り出す。それは驚くだろう。声には出さなかったが私もかなり驚いた。
 なんせ、重たそうなその人の体が消えたと思った次の瞬間、宙を高く舞ったのだ。
 ごく微かな悲鳴がこの耳まで届き、男は草の間にドサリと落ちて姿を消した。走りながらそれを振り返って見ていた前を行く二人が更に速度を上げる。
 
「何か大きいのがいるよ!」
 目がいいらしいスピッツが高く叫んだ。
 男が消えた辺りの背の高い草が、一部分だけ不自然にザザザ、と動く。
 草は二つに割れるようになぎ倒され、ソレはその合間からぞろりと姿を現した。
 前を行く二人が甲高い悲鳴を上げてなおも逃げるが、草丈が低くなった草原に出たソレは無慈悲にも速度を上げた。
 
 現れたものは青い牛でも赤い馬でもなく――
 
「おい、あれってまさか?」
「うそでしょ、何でこんなとこにいるのよ!」
 
 ――巨大な、それはそれは巨大な一匹の真っ黒い蛇だった。
 
 ユーリィが高い声を上げた途端、走る二人のうちの一人がその巨大な顎に捕らえられ、悲鳴を上げた。
 ブン、と振り回された体は遠くの地面に叩きつけられ、たちまちパン、と弾けて光に変わる。
 
「あ、死んじゃった」
 人事のような可愛らしい声がその状況を一言で言い表した。
 最後の一人は前の二人に比べて多少足が速いのか、まだどうにか持ちこたえて走り続けている。
 だが蛇も横に体をくねらせながらもかなりの速度で迫っている。
 あの速度では、いずれどこかで捕まる事は間違いないだろう。
 しかし、危険が迫っているのは逃げているあのプレイヤーだけではなさそうだ。
 
「ねぇ、やばくない? このまま行くと」
「あいつの索敵範囲に入るかもしれませんね……」
 まだ距離があるが、北東から走ってくる彼らと北へ向かう私達の馬車の道はこのまま行くとかなり接近する事になる。
 そうなればどうなるかなど、言うまでも無いだろう。
 私は巨大な黒い姿に目を奪われながらも、本で読んだ蛇系モンスターの特徴を頭の中で探る。
 
「アレは、やっぱり何か特別なモンスターなのかの?」
 隣のユーリィに問いかけると、彼女は固い顔で頷いた。
「うん、多分サラムの北地方の主だと思うわ。いわゆるエリアボスって言う類の奴よ。大きな黒い蛇だって掲示板で見たから、間違いないと思う。本当はここからもっと奥の方の、山に近い地帯の洞窟に住んでるって話なんだけど……」
 どういう悪い偶然でこんなところまで来たのかは知らないが、洞窟という言葉に私は眉を寄せた。
 
「洞窟か……わしが本で読んだところによれば、確か洞窟に住むモンスターは大抵視覚があまり強くなく、主に匂いと振動で敵を捕捉するはず。馬車を止めないと、この振動を察知されるかもしれん」
「ミスト!」
 私の言葉とユーリィの声に、馬車の先の方にいたミストが慌てて御者に馬車を止めろと声を掛けた。
 しかしNPCの御者はまだ間近に敵が居ないせいか、その指示を聞こうとしない。
 
「こんなとこで止めたらかえって危険さぁ。もうちょっとでサラムだから、トイレは我慢してくれや」
「トイレじゃねぇ! いいから止めろって! 見ろ、あそこにでかいのがいるだろ!?」
「いんやぁ、何だか雨が降りそうだなぁ」
 こういう時だけNPCらしいNPCが憎らしい。どうやら御者が敵を認識する範囲は相当狭いようだ。
 そうこうしているうちにまだ逃げているプレイヤーと追いかけている蛇は段々と街道に近づいてくる。
 
「これは……本格的にまずいわねぇ」
「あ、食べられた」
 スピッツののんきな声の先で、最後の一人ががぶりと蛇に喰らいつかれる。
 蛇は捕まえた獲物を食べたりはしないらしく、遊ぶように数度首を横に振ると咥えていたそれをぽいと放り出した。それでもまだ彼は消えていない。どうやら他の二人よりも多少レベルが高いらしい。
 しかし彼の幸運はそこまでだったようで、無常にもふらふらと起き上がろうとしたところにその太い尾が打ち振るわれた。
 遠くに叩きつけられた体が、パン、と呆気なく弾け、彼は姿を消した。
 その姿の消えた場所に数秒の間小さな光の玉が現れ、チカチカと瞬き浮いていたがやがてそれも掻き消える。
 死亡したプレイヤーが登録してあった蘇生ポイントに戻ったのだ。
 アレは蛇嫌いのトラウマになったりしそうだなぁ。
 
 それらの一連の騒動にも気付かず、御者は相変わらずガタゴトと馬車を走らせ続けている。
 まずいなぁ、と誰もが思った瞬間、獲物を屠って満足げに首をゆらゆらと揺らしていた蛇がピタリと動きを止めた。
 どうやら、事態は実に悪い方向へと転がったらしかった。




[4801] RGO22
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:bd601240
Date: 2011/07/17 16:21


「んじゃあ、会議を始めましょ」
 
 ユーリィの声とともに、馬車の中でののんきな会議は始まった。
 車内の隅では相変わらず御者が震えているし、馬車の外からは蛇がこちらの動きを窺っている。
 五人はそれぞれウィンドウを開き、情報掲示板などを眺めながらこれからのことを話し合う。
 
「お、あったあった。コイツの討伐報告。えーと、今のとこ五件くらいか。あんま人気ないな。報告されてないのもあるだろうけど」
「最後は十日とちょっと前ね。レベル23から25の六人パーティで討伐。ドロップは鱗や牙なんかの素材系に宝石、それと討伐報酬あり、か」
 
 二人の声を聞きながら、私も掲示板の蛇に関する記事を検索して眺めていた。
 ブレスなどの特殊攻撃はなし、ただし牙には毒あり。噛み付きと尻尾の振り回し、胴での締め付けが主な攻撃、などの情報を読み、頭に入れる。
 サラムは三つ目のエリアであり、レベル的にはまだそれほど厳しい地方ではないためボスもすごく強いという訳ではないらしい。
 それでもここを歩く推奨レベルが15から20くらいである事を考えると、何の準備もなしに遭遇してしまった場合の危険はかなり大きい。
 多分さっきの三人はそのくらいのレベル帯だったのだろう。
 
「討伐じゃないけど、目撃報告もありますね。『天気が悪い日に洞窟の外で遭遇しますた。木に登ってひたすらじっとしてたら見つからなかったけど、マジでかかった!』 だそうです」
「天気かぁ。確かに今日は曇りだけどねぇ」
 チラリと空を見やれば、今日は確かに灰色の曇り空だ。
 雨こそまだ降ってきてはいないが、晴天とはとてもいえないだろう。
 降らないで欲しいな、と思いながら、私は視線を空からウィンドウへと戻した。
 
「効果が高いのは斬撃系、ただし鱗が滑るので苦労する、か。魔法に関しては書いてないが、魔道士抜きのパーティだったのかの。うーん、爬虫類なら氷かのう。それとも洞窟に住むなら火か光か……」
「やっぱり、逃げた方が良くないですか? 多分俺ならあいつを引き付けて安全地帯まで逃げ切れると思うんですよね」
 エリアマップを見ていたらしいヤライがおずおずと声を上げる。
 
 私も画面を切り替えてマップを見回してみたが、ここから一番近い安全地帯は少し前に通り過ぎて来た所で、戻るとしてもまだ少し距離がある。
 だがさっきの蛇の動きを見ている限り、確かにヤライならどうにか引き付けつつ逃げ切って辿り着けそうだ。
 転移石や転移魔法で全員で逃げてもいいのだが、それらはこの馬車から出ないと使えないし、使ってから転移されるまで十秒ほど立ち止まる時間が必要になる。その時間を作れれば問題は無いが、私のように低レベルだと自分だけでは逃げられる可能性は低い。
 もし捕縛魔法があの巨体にも効果があるとすれば、その限りではなくなるのだが。
 
「俺が引き付けている間に、皆さんは転移してくれたらいいですよ」
「えー、やだやだ! せっかく出会えたんだから、潔く戦って散ろうよ!」
 意外にも好戦的らしいスピッツが、可愛い声と共に片手を高く振り上げた。
 見ればいつの間にか少女は装備を変更して、普段の軽装からガラリと姿を変えている。
 簡単な胸当てくらいだった鎧は肩や胴回りをしっかりと覆う金属と革を組み合わせた物に変わり、足元は頑丈そうなブーツに包まれている。篭手に包まれた小さな手は、刃の大きな長柄の斧をしっかりと握っていた。
 頭もいつもの帽子ではなく、金属の額当てのようなものに変わっている。
 防具の下に着ていた服も膝丈のワンピースから姿を変え、長めだが動きやすそうなチュニックとスパッツになっていた。
 私はスピッツの姿の変化に驚くと共に、今まで隠されていて気付かなかった彼女の持つ特徴に更に驚かされた。
 
「こら、スゥ、あんた気が早すぎよ。レベル的には私達じゃちょっと厳しいってこと、ちゃんと考えなさいよね」
「だいじょぶだって! いーじゃない、どうせ今日手に入れた経験値だってたかが知れてるし! ここであいつを逃がす方がもったいないよ!」
「馬鹿ね、あんたには大した経験値じゃなくても、ウォレスには違うでしょ? こういう時はちゃんと全員のことも考えなきゃ駄目なの」
 バタバタと足を踏み鳴らしてスピッツが暴れると、彼女の後ろに垂れた長い尾が一緒に揺れる。姉に叱られてしゅんとしたら、その尻尾もだらりと垂れ下がった。
 
「スゥちゃん、その尻尾……」
 私の声に顔を上げたミストも、少女の姿を目にして動きを止めた。
「お前……その尻尾と、頭……まさか、竜人かよ!」
「あったり~!」
「竜人? 獣人の一種かの?」
 得意そうに胸を反らした少女の足元で、呼応するように尾がはためいた。どうやらアレは本人の気分によって勝手に動くものらしい。
 その青光りしている尾は竜という言葉の通り、確かに外に居る蛇やトカゲ系のものに良く似ている。
 頭には左右の上の方から斜めに生えた、細くて青い二本の角が存在を主張していた。
 今まではずっと二つにとんがった帽子を被っていたのと、裾の広がった長めのワンピースを纏っていたので気付かなかったのだ。
 ヤライもユーリィも当然それを知っていたようで、二人は顔を見合わせて少しばかりすまなそうな表情を浮かべた。
 
「ごめんね、黙ってて。スゥは獣人の中じゃかなりレアな竜人って種族なのよ。今までに勧誘とかがうるさくて、何回もトラブルがあったから街ではずっと隠させてたの。後で言おうと思ってたんだけど……」
「いつもは尻尾は服の下で、ベルトで腰に巻いてるんだよ!」
 パタパタと揺れる尻尾が可愛い。
 あれはやっぱりひんやりすべすべした手触りなんだろうか。ああ、触ってみたい。
 揺れる尻尾を目で追う私の脇で、ユーリィとスピッツの言葉を聞いていたミストは顎に手を当てて何か思案するような表情を浮かべた。
 
「竜人は極端なパワー系だって話だよな……武器がソレって事は攻撃力は期待できるんだな?」
「もっちろん。それに職業は闘士だもん! HPも自信あるよ!」
 闘士とは戦士系の職業の一つで、主に剣以外の重たい武器を得意とする人がなる職業だ。
 その戦い方で細かい分類もあるらしいが、私はそっちの方は余り詳しくない。
 斧がメインの武器とは、可愛い見掛けに反してなかなか攻撃的だと感心していると、ユーリィがスピッツの額を指先でピンと弾いた。
「それしか自信がない、の間違いでしょ」
 
 ミストは二人のやりとりに頷きを返し、それから全員のレベルを聞いた。
 それぞれの答えによると、スピッツとユーリィは24、ミストは22、ヤライは19、そして私は11だ。
 私だけが突出して低いのが実に申し訳ない。
 掲示板で討伐報告をしていたパーティより人数が一人足りない上に、私の存在が平均レベルを大きく下げている事になる。
 このパーティで蛇を倒せるかどうかはかなりギリギリの賭けになりそうだった。
 
「どうする? このメンバーだとかなり厳しいかもだけど、戦うかどうかはウォレス次第かな。俺らは今日はまだ大した経験値稼いだ訳でもないから、デスペナは大したことないからな」
「私もどっちでもいいわよ。ウォレスが選んで」
「俺もどっちでもいいですが、無理しなくてもいいですよ。一度逃げて出直せば、時間はまたかかっちゃいますが、多分アイツも居なくなりますから」
「うう、もったいないけど、我慢する……」
 四人の言葉に私はしばらく考え込んだ。
 馬車の外でとぐろを巻いている蛇が一体どういう理由でこんな所に居るのかは知らないが、これが最高に運が悪くも珍しい出会いであることは間違いないだろう。
 チラリと外を見ると、金の瞳と目が合う。
 ……ああ、どうしよう。面白そうだ。
 
「皆は、デスペナを受けても特に不都合はないということでいいのかの?」
 私が問うと、それぞれはもう一度軽く頷いた。
「失うものは多くないし、半日ステータスが下がるくらいどうってことないわよ。でもウォレスはレベル一つ上がってるし、もったいなかったら止めてもいいよ?」
 ユーリィはそう言ったが、それなら私の答えはもう決まっている。
 未知の刺激に胸が高鳴り、思わず顔がほころんでしまう。
 私は笑顔を浮かべて四人を見回し、大きく頷いた。
 
「なら、ここは行くしかないじゃろう」
 それを聞いた馬車の外の蛇の瞳も、心なしか煌いたように見えた。
 



[4801] RGO23
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:bd601240
Date: 2011/07/17 16:21


「んじゃ、作戦通りまずは私から。とりあえず土手じゃ戦いにくいから、下に引き付けるからね。ヤライ君もすぐよろしく」
「了解です」
「その後にスゥが出て、ミストはウォレスと一緒にね。ちゃんと守りなさいよ」
「おう、任せろ」
 しっかりと答えたミストに頷いて、ユーリィは皆にひらひらと手を振ると蛇が覗き込んでいるのとは反対側の方から馬車の外を見た。
「行くわよ」
 銃士らしい軽装備を纏ったしなやかな体がぐっと深く沈みこむ。
 これも無意識で動くらしい黒い尻尾がピン、と空を指した。

「はっ」
 軽い気合と共にユーリィは荷台の床を強く蹴り、弾かれたように外に飛び出した。
 猫系の跳躍力の恩恵らしいが、その体は相当な速度でかなりの距離を軽々と跳んでのけた。当然外でとぐろを巻いていた蛇の体も軽く飛び越し、そのまま彼女は滑るように土手を駆け下りてゆく。走りながら構えた銃から銃声が一、二回響き、鱗に当たって蛇の意識を引いた。
 するとすぐに蛇がユーリィを追って、ズゾゾ、と鈍い音を立てて動き出した。
 
 動き出した蛇の死角を突くようにヤライが間を空けず馬車から飛び降り、蛇がユーリィだけを追わぬようにとどこからか取り出した飛び道具でちょっかいをかける。
 二人の人間に挟まれて両方から突つかれ、蛇は土手から草原に降りてとぐろを巻き、ぐるぐると首を回した。
「スゥ!」
「はぁい!」
 ユーリィの呼び声にスピッツが馬車から元気よく飛び出し、重たそうな斧を振り回してたかたかと走っていく。私も覗いていた窓から離れ、ミストと共に馬車から飛び降りた。
 外で見る蛇は本当に長くて大きかった。見た感じ十から二十メートルくらいはあるだろうか。とぐろを巻いている上、うねうねとのたうっているので正確なところは良くわからない。
 あれに追いかけられたらやっぱりトラウマだろう。
 馬車から降りた私はミストに先導されながら、蛇から十分に離れた足場の良い場所を選んで移動した。
 立ち止まる頃には歩きながら詠唱していた呪文が完成する。
 
『奮い立て我が戦友、魂よ、赤き炎を宿せ』
 攻撃力を増加させる魔法が目の前のミストや仲間達を赤く包む。
 補助魔法を他人に使うのは初めてでちょっと緊張したのだが、一定距離内ならパーティ全員に届く魔法なため失敗はなかった。
 
「ウォレス、あんまり近づくなよ。少し距離を開けて、なるべく俺の後ろの範囲内にいるように時々移動してくれ」
 私が次の詠唱をしながらも頷くと、ミストは大きな盾をしっかりと構えて走って行く。
 氷の盾、背を押す風、と続けて補助魔法を唱え終え、私は一旦口を止めて仲間達の戦いを眺めた。
 
 スピッツ、ミスト、ヤライの三人は蛇の攻撃を一箇所に集中させないように、毒のある噛みつきだけは避けるために頭の正面には立たないように、と小まめに位置を変えてかなり上手く立ち回っている。
 その合間を縫うようにして少し後ろからユーリィが蛇の注意をそらすように遊撃を加える。流石に皆パーティでの戦い方に慣れている。
 それらを見ていると、前衛職を選ばなかった事が何だか少しだけ寂しく思えた。
 
「くっそ、流石に鱗が硬いなっ」
 蛇が振り回した尻尾を盾で逸らしながらミストが声を上げる。
 ミストが右手に握った剣は片手剣のせいもあって少々軽いらしく、鱗の表面を滑りやすいようだ。
 小剣を扱うヤライも同じように苦戦しているらしい。一箇所を狙って鱗に多少の傷をつけても蛇がすぐに身をくねらせてそれを隠してしまうため、小さな傷では埒が明かないのだ。
 鱗に苦戦していないのはスゥだけのようだが、その代わり彼女は余り素早くないため、不規則にうねって迫る巨体を避けきれず時々弾かれてしまっている。
 私が攻撃魔法をどのタイミングで打ち込もうかと見守っていると、外から全体を見ていたユーリィが声を掛けた。
 
「一度下がって時計回りに場所をチェンジして! スゥが傷つけた場所を、他の人が受け持つやり方が良さそう! その間は私が頭を引き付けるから!」
 三人からの了解の返事を受けて、ユーリィは銃声を響かせた。
 目を狙って放たれた弾丸が蛇の頭を彼女に向けさせる。
 リアルに出来ているが生身ではない蛇の目は、一発の弾丸を受けたくらいでは塞がらない。それでも蛇はそれを嫌がり、原因を排除しようとを首を伸ばす。
 それをユーリィが素早く避けて居る間に、蛇の周りを三人が走る。
 
「でぇぇい!」
 尻尾の方に回ったスゥは斧を高く振りかぶってその尾にダン、と振り下ろした。
 ジャァァ、という音と共に激しく尾が打ち振るわれ、砕けた鱗と共にスゥが弾き飛ばされる。
 しかし少女はとっさに斧を体の前に構え、ダメージを減らしたらしい。
 倒れた場所からすぐに転がって飛び起きると、スゥは暴れる尻尾を避けて走り出した。
「いいよ! 鱗が割れたからもう一回チェンジ!」
「了解です!」
「おうっ!」
 私はその様をじっと眺めながら口の中で呪文を唱えた。
 四人の仲間の頭の上にはHPを現す青いバーが浮いている。
 戦闘時に見えるそれを見ながら、回復魔法をかけるのは私の果たすべき役目だ。
 初めて他人に使う回復魔法はやはり少し緊張した。
 
『――光よ瞬け、その命を癒せ』
 
 私は単体の癒しの魔法をスピッツに向けて放った。
 全員のHPや私のMPの事を考えれば範囲回復の方が効率がいいのだが、それを使うには敵が大きすぎて仲間達の居場所がバラけすぎているから仕方ない。
 小柄な体はすぐに白い光に包まれ、HPバーがぐんと回復したのが見えた。

「おじいちゃん、あっりがとー!」
 すぐに元気な声が返ってきて、私を少し嬉しくさせた。
 
「さて……弱体化の補助魔法を使ってみるか」
 私は記憶の中から敵を弱体化させる魔法を呼び出し、詠唱を始めた。
 これはロブルの古書店で手に入れた本の一つ『衰残の書』に載っていた魔法で、初級魔法と違い結構呪文が長い。出来るだけ早口で唱えるが、少しばかり時間がかかるのは仕方がない。
『岩は小石に、小石は砂に。風よ時駆け、命を削れ』
 私は戦う仲間達をじりじりとした思いで見ながら風化を促す言葉を次々と唱え、最後に杖を振り上げた。
 
『堅牢なる砦よ、無常なる時の前に跪け!』
 唱え終えた瞬間、赤茶けた光が蛇の体を包み込み鈍く光らせた。
 ちゃんと掛かった魔法に私はホッと息を吐く。
 次の瞬間――
 
「ウォレス!」
「わっ!?」
 ドン、と突き飛ばされ、私は後ろに転げて尻もちを着いた。慌てて顔を上げれば目の前には盾を両手でしっかりと構えたミストの姿があり、その体が蛇の尾の一撃を受けて地面に跡をつけながら大きくずり下がる。
 どうやら蛇が巻いてくねらせていた体を爆発させるかのように突然長く伸ばし、その尾を私の方に叩き付けたらしい。
 かろうじてミストの防御が間に合ったものの、盾に叩きつけられた尾の衝撃に彼のHPもかなり削られている。
 
「スゥ、タゲ取って!」
「りょーかいっ!」
 激しい気合と共にスピッツが蛇に突っ込む。それに気を取られた蛇は伸ばしていた尾を引っ込め、またとぐろを巻いて体をうねらせた。
 私は転がって跳ね起きると、慌てて少し位後ろに下がって回復魔法を唱えた。
 蛇のターゲットから外れた事に内心で胸を撫で下ろしつつ、唱え終えた魔法がミストの体を白く包む。
 そのHPが回復していく様にほっとし、私は礼を述べた。
 
「すまん、助かった」
「いいって、お互い様。それよりあいつ、魔法に対してかなり激しい反応だったから気をつけろよ!」
 そういうとミストはまた蛇に近づいて行った。それを見ていると、良くあそこから私を守るのが間に合ったと不思議に思う。
 何かそういうスキルでもあるのかもしれない。
 後で聞いてみようと考えていると、ユーリィが私の傍に走ってやってきた。蛇がまたパターンに収まった動きを始めたので、少し余裕が出たらしい。
 
「ウォレス、大丈夫?」
「うむ、平気じゃよ。ミストが守ってくれたから」
 私の答えにユーリィは頷き、蛇の姿を視界に入れながら口を開いた。
「さっきの魔法は何?」
「装甲劣化の補助魔法じゃよ。五分ほどは持つ」
「補助魔法であんなに過敏な反応を示したってことは、もしかしたらあいつは魔法耐性が低いのかもしれないわ。タイミングを合わせて攻撃魔法を交えれば、もっと効率がいいかも。発動がわかりやすくて攻撃力ありそうな魔法って持ってる?」
 それなら考えるまでも無い。私は一番初歩だが、一番育っている魔法の名を答えた。
 
「それなら炎の矢が一番じゃろうな。本来は弱い魔法じゃが、かなり鍛えてあるからそこそこ使えるじゃろう。炎が五発出るだけだから、わかりやすいしの」
 私の答えに大きく頷くと、ユーリィは蛇を順番に引き付けて攻撃している三人に向かって声を張り上げた。
「やり方を変えるわ! ミスト、こっちに来てウォレスをガード、スゥはウォレスの魔法が五発着弾したらすかさず強攻撃でタゲ取り! ヤライ君と私は今まで通りタゲを散らして気を逸らすわよ!」
「わかった!」
 
 ミストがタイミングを見て素早く後退し、入れ替わりにユーリィが走ってゆく。ユーリィはミストのように前には出られないが、種族特性である素早さや跳躍力で蛇を翻弄し始めた。
 私は目の前に来たミストに頷くと、彼が背を向けて盾を構えるのを見てから呪文を詠唱する。もうこの呪文もすっかり使い慣れ、ごく短時間で詠唱は終わる。
 
『射て 炎の矢よ』
 己の後ろでボウッと燃え上がった、五本の矢というよりも槍のような炎が立て続けに真っ直ぐ放たれる。
 最初の一発が着弾した瞬間、蛇が大きく首を仰け反らせ、苦しむような音を出した。
 二発、三発と着弾するごとに、HPバーが今までよりも大きく、目に見えて削れて行く。
「ミスト!」
 ユーリィの鋭い声が飛ぶ。
 五発目が着弾する寸前に、蛇が大きく尻尾を横なぎに振るった。蛇は炎の矢全てをその身に受けても怯まず、すぐさま反撃に出たのだ。
 しかしそれをミストの盾がかろうじて受け止める。
 
「ぐぅっ、重っ!」
 盾を持つミストの手がぶるぶると震えるのが 後ろからでも良く見えた。
 ミストの今の職業である騎士というのは他職より比較的防御に長けているが、重戦士ほどの耐久力は無い職業だ。攻守のバランスの取れた職業で本来なら真正面から全力で敵の攻撃を受け止めるようなタイプではないのだが、それでもミストは懸命に持ちこたえ確かに私を守ってくれた。
 私はミストの背に向けて、衝撃に削れたHPを回復する為の魔法を投げる。
 こちらに向けられた蛇の敵意はスゥによってすぐさままた逸らされたが、それでも一回ごとにミストを回復してやらなければ危険が残る。
 
 回復の光が目の前の背中を包むのを見ながら、こういうのも悪くないな、と私は考えていた。
 誰かを背中に守って、誰かの背中を守って、そうやってお互いに背中を預けて戦うと言う事を味わえるのも、現実ではなかなかできない体験だ。
 一瞬振り向いたミストと目線を交し、頷き合った私は再び呪文の詠唱を始めた。
 ミストの背中が何だかいつもよりもずっと大きく見えた。
 
 
 あれ、これってひょっとして吊り橋効果ってやつ?
 ……いや、やっぱり違うか。私、爺だもんな。




[4801] RGO24
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:bd601240
Date: 2011/07/17 16:22


 一体どのくらいの間戦っているのか、私はしばらく前からもう考えるのを止めていた。多分時間にしたらそれほど長い時間ではないだろうと思う。
 とりあえず補助魔法を何回かかけ直すくらいの時間が経っていることは確かだ。けれど私達の上に流れるのはそんな事を数えるのも馬鹿らしくなるくらい濃密な時間だった。
 
 
 
 口を動かす事に体力が関係なくて良かったと思いながら、私は呪文紡ぐ。
 これが現実だったらそろそろ口がだるくなっている頃だろう。
 蛇のHPは残り三分の一をギリギリきったくらいだろうか。
 私は口は止めないまま腰につけたポーチの中を手で探り、戦いに入る前にオブジェクト化しておいた小瓶を取り出した。その瓶の中身が青い液体である事を一応確かめると、急いで蓋を取り去り、瓶の中身を頭から被った。
 口を動かし続けているので飲む時間が惜しいのだ。こうすると飲むより効果は遅いのだが今はそれでも構わない。
 灰色の髪や髭を液体が伝う感触が不快だったが、どうせしばらくすれば消えるのだからと我慢する。
 視界の端に浮く自分のHPとMPを見ると、残りが心許なかったMPがじわじわと増えていくのが見えて少しほっとした。
 
 MP回復薬は食べ物の類よりも遥かに回復量が多くて即効性がある。もちろんその分高価なのだが、そんなことを心配している場合じゃないので諦めている。
 いつも安全地帯で瞑想したり休憩したりしつつ狩りをしていた私にとって、実はこの薬を使うのは今回が初めてだった。今更ながらそんなことも新鮮だ。
 もう何度目か数えるのも忘れた炎の矢が当たり、また少しHPを削られた蛇は首を大きく反らし尻尾を叩きつけようと持ち上げる。
 しかしその前に側面からスピッツの強力な一撃が炸裂し、その動作は中断を余儀なくされた。
 更に振り向いた頭をユーリィの銃弾が狙い、ヤライの刀があちこちに出来た傷を抉って蛇の気を逸らす。
 
 この連携もかなり全員が慣れてきて、良い具合に私が狙われる事を避けることが出来るようになった。
 何回かに一回は攻撃を受けるが、それはかろうじてミストが受け止めてくれている。
 魔道士が安心して魔法が使えるというこの状況は、きっとかなり幸運な事なのではないだろうか。
 炎の魔法を届かせる為には、どうしても蛇が体を伸ばせば届いてしまう距離まで近づかなければならない。
 一撃喰らえば簡単に死んでしまう状況で、私は仲間のありがたさをしみじみと実感していた。
 
「結構削れたから、もう一息ね!」
 ユーリィの言葉に誰もが頷き、気合を入れなおす。
 私は頭の中で手持ちのMP回復薬の残量を数えた。ポーチの中の残りはニ本で、オブジェクト化していない分があと四本はあったはずだ。
 攻撃魔法は使用MPが少ないものを使っているのでいいのだが、合間に挟んでいる防御力を上げる魔法と回復魔法がMPを食っている。
 皆も回復薬を使ってはいるのだが、それが切れた時が不安なので私も小まめに回復をかけているのだ。
 それでもどうにか最後まではMPも持つだろう。
 勝てる、という言葉が頭を過ぎり、思わず頬が緩むような気がした。
 
 
「ごめん、弾が切れたから下がって補充するよ! ヤライ君、フォローよろしく! ミスト、上がって!」
「了解です!」
「わかった!」
 ヤライは返事をすると立ち位置を少し移動し、ユーリィが下がった代わりにミストが走って前に出た。
 私もユーリィの言葉を受けて再び唱え始めていた攻撃魔法を止め、回復魔法に切り替える。
 蛇の通常の間合いから離れたユーリィはウィンドウを操作して銃弾や予備のカートリッジをオブジェクト化して腰や肩に回した革ベルトに手馴れた仕草で次々着けていく。
 オブジェクト化させて身に着けられる弾やカートリッジの数には限界があるそうで、長引く戦闘ではそうやって時々補充しないと弾切れになるらしい。
 銃士というのはかなり格好良さそうなのだが、弾代といい補充といいそれなりの苦労があるらしい。やっぱり何でも一長一短のようだ。
 
「お待たせ!」
 ユーリィの弾の補充が終わり、彼女が走って行く背中を見ながら私は魔法の詠唱を開始した。
 炎の魔法を最後の一言を言うだけにして待機し、ミストが駆け戻ってくるのを待つ。
 戻ってきたミストのHPが少し減っているのにすぐに気付いたが、このくらいなら尻尾の一撃には十分耐えられると判断し、私は魔法を切り替えなかった。
 蛇を指差した私にミストも頷き、盾を構えて背中を向ける。
 私は杖の先を蛇に向け、炎の矢の最後の一言を放った。
 それが、最大の失敗だった。
 
 
 
 私の背に現れた炎の矢が風を巻いて飛んでゆく。
 二本目の矢が放たれた直後、ヤライの鋭い声が周囲に響いた。
「ウォレスさん、後ろ!」
「えっ?」
 その言葉に振り向いた動作が私の明暗を分けた。
 ガツン、と右肩に殴られたような衝撃を感じて視界が流れる。
 体が浮いた感触がし、次いでドサリとどこかに打ち付けられる感覚。
 システムの恩恵で痛みはなかったが、衝撃に意識が一瞬揺れた。何が、と思う間もなくミストの声が響く。
 
「ウォレス!」
 ザン、と鼓膜を打った音が、ミストの剣が振られた音だと気付くのに一瞬の間を要した。
 倒れた体を起こそうと伸ばした手が草の中に沈み、私は自分の置かれた状況をやっと理解した。
 蛇の攻撃を防ぎながら少しずつ場所を移動していた私とミストは、いつのまにか草丈の高い見通しの悪い一帯を背にする位置まできてしまっていたのだ。
 うつ伏せに倒れた状態で頭を起こし、振り向いて斜めに見上げた視界に入ったのは、草むらから出てきたらしい大きなカマキリのモンスターを切り払うミストの姿と、まるでスローモーションのように剣を振った直後の彼の側面に迫る蛇の尻尾。
 風を切る音と、すさまじい風圧に私は思わず地面に身を伏せた。
 伏せた頭の上でひどく重い音が響き、思わず息を呑む。
 
「ミスト!」
 ユーリィの悲鳴のような声に慌てて顔を上げると、蛇の尻尾に弾き飛ばされたミストがガシャンと音を立てて地面に落ちるところだった。
 パン、と銃声が響き、私の後ろにいたカマキリがとどめを刺され光へと変わる。
 けれどそんな姿は視界に入っていても、私の頭に届いてはいなかった。私はふらふらと立ち上がり、倒れたままのミストに回復をかけなければと走り出そうとした。
 
「ウォレス、駄目! 危ない!」
 ユーリィの言葉に止められ、私はハッと上を見上げた。
 倒れたミストに蛇の頭が迫る。スピッツやヤライがそれを止めようと動くが蛇の動きは止まらない。ミストの落ちたところが運悪く蛇の顔に近すぎたのだ、と気付いた時には、ミストの体は蛇の顎にがっぷりと捕らえられていた。
 
「ミスト!」
 私は思わず叫んだが、それはもちろん何の助けにもならなかった。
 まるで獲物で遊ぶように、ミストの体が左右に振り回される。かろうじてHPが残っていたミストは顎を外そうと暴れたが、蛇の力には叶わない。
 立ち止まったままの私の頭の中が、一瞬白く染まった。
 まだ生きているミストに回復魔法をかければ間に合うだろうか――それとも、攻撃魔法でターゲットを外させるべきなのか。
 思考がめまぐるしく空回りし、纏まらない。
 私は自分がパニックに陥っているという事にすらその時は気付かなかった。
 
 
「こっの、離しなさい、よぉっ!」
 状況を変えたのは、蛇の頭をその跳躍力で駆け上がったユーリィだった。
「たぁっ!」
 シャキン、と音を立ててユーリィの右手の爪が一瞬長く伸び、瞼のない蛇の目玉を鋭く引っ掻く。
 弱い部分に攻撃を受けた蛇は嫌がるように首を振り、ぶるん、と頭を大きく振ってミストを放り出した。
 
「ミストっ!」
 ミストが地に落ちる音が私を思考の渦から解き放った。
 遠くに飛ばされたミストを追って、慌てて彼の元へと走る。
 ミストが落ちた場所は背の低い草地で、蛇から十分距離がある。すぐに回復魔法をかければ何とかなるかもしれない。
 ああ、しかし蛇の牙には毒があるんだ。魔法よりもすぐに出せる回復薬を出すべきかも知れない。
 けれど、そう思った私の行動は間に合わなかった。
 
「ウォレス、来……」
 それがミストの最後の言葉だった。
 
 目の前で、本当に私の目の前で、ミストの体はパチン、と軽い音と共に弾けた。
 



[4801] RGO25
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:bd601240
Date: 2011/07/17 16:22


「――っ!」
 
 立ち止まった私の目の前で、消えた青年の姿の代わりに草の上に光が一つポゥっと灯る。
 それは十分経つか、彼が蘇生ポイントに戻る事を選択するまでそこに留まる、ミストだったもの。
 
 間に合わなかった、という思いが胸を浸した。
 プレイヤーの蘇生は今のところアイテム以外に方法はないと言われており、そのアイテムも稀少でひどく高価なため、仲間達に持ち合わせはない。
 誰もミストを生き返らせる事は出来ない。
 
 これはゲームだ、と頭のどこかで冷静な自分の声がする。
 ミストはちょっとしたペナルティを受けて、街の神殿に戻るだけだ。
 それがわかっているはずなのに、仲間を死なせてしまったという事実が、どうしてかこんなにも重い。
 さっき他のプレイヤーが消えた時には何とも思わなかったのに。
 
 
 
 
「ウォレス! ウォレス、大丈夫!?」
 ミストの光を前に私が呆然としていたのは、多分そう長い間ではなかったのだろう。
 私は私を呼ぶ仲間の声にハッと我に返った。
 顔を上げてそれに頷くと、ユーリィはほっとしたような顔を浮かべた。
 そして、またこちらに向かって声を張り上げた。
 
「ウォレス、転移魔法で街に戻って!」
「え?」
 何を言われたのか判らず眉を寄せた私に、ヤライも叫ぶ。
「ウォレスさん、ここは俺達が引き付けますから、今のうちに! ミストさんがやられたなら、結構厳しいです! 俺達もすぐに後を追って逃げますから気にしないで下さい!」
「おじいちゃんももうHP真っ赤だよ! またさっきみたいな雑魚が寄ってこないうちに、早く!」

 そう言われて視界の端を確かめれば、確かに私のHPは瀕死を示す赤ゲージだった。
 草原で現れるモンスターの一種であるあのカマキリは私よりずっと高レベルなのだから、一撃食らっても生き残ったのは幸運と言っていい。
 どうやら振り向こうとして体を動かしたことで、カマが肩を掠めただけですんだようだった。
 もしあそこで私がやられていればミストはどうしただろう?
 倒れた仲間を庇うことはしなくて済み、まだここに立っていただろうか?
 ほんの些細な出来事が明暗を分けたという事実に、私はなんだか笑い出したいような気持ちに襲われた。
 
 そして、幸運にも生き残った私は、ここで仲間を見捨てて逃げるのか?
 
 
「……冗談じゃない」
 
 例えゲームでも、ここで諦めるのは私は嫌だ。
 いや、むしろゲームだからこそ。ここでだからこそできる事がまだあるはずだ。
 仲間を置いて一番に逃げるだなんて、冗談じゃない。
 ミストの光はまだ私の目の前で瞬いている。恐らく心配でこの場を離れられないのだろう。
 私は周囲に敵がいないことをざっと確かめると、ポーチの中に手を突っ込んで残っていた二本のMP回復薬を取り出した。
 
 その二本の蓋を開け、立て続けにぐっと煽る。少々強すぎるミントのような香りが喉と鼻にツンときたが、それも今の私の思考をクリアにしてくれるような気がして心地よかった。
 視界の端のMPゲージが見る間に回復していく。二本でほぼ満タンになるだろうからなんとかぎりぎり足りるだろう。
 
「ミスト……ミツ、聞こえる?」
 目の前で瞬く光に声をかける。もちろん返事はないが、私は言葉を続けた。
「聞こえると思うけど、私、これから魔法を唱えるよ。それが発動すると、私は五分間、まったく動く事が出来なくなる」
 逃げる気はない。そして、仲間と一緒に負ける気も、今のところはまだ。
 
「おまけに、三十秒に一回くらい、定期的に周りのタゲ取っちゃう困った魔法なんだよね」
 そう、普通ならリスクが大きすぎるといって誰も使わないだろう、こんな魔法。
 
「だからさ、頼むよ、ミツ。……守ってよね」
 私はMPが一杯まで回復したのを確かめ、杖を地面に着け、真っ直ぐにその場に立って蛇の方を見据えた。仲間達は全員声が届く範囲にいるのはわかっているが、一応声を張り上げる。
 
「皆、魔法使うから、私の声が届く範囲から出ないでね!」
「ウォレス!?」
 ユーリィ達の訝しげな声には応えず、私はもう一度傍らのミストである光を見る。
 
「じゃあ、よろしく」
 にっと笑って視線を正面に戻し、私は頭に思い浮かべた言葉を読み上げ始めた。
 
『始まりの庭に立つものよ、王と御手繋ぎしものよ。囁くは葉ずれの音か、歌うは枝打ち鳴らす音か』
 
 それは呪文というよりも叙事詩のような言葉の連なりだった。
 この大陸のどこかにあるという白い木を表し、讃え、謳う言葉。
 かなり長いその詩を謳う私の視界に、まだ戦っている三人の姿が見える。私が逃げないため、彼らもあそこから動けないのだろう。
 前衛が減ったことで、スピッツとヤライの負担は大分増えているようだった。
 攻撃を受ける回数が増え、HPが多いとは言え素早くないスピッツはダメージが蓄積してきている。
 ヤライはかなりのスピードで蛇の体を上手く避けているが、その分攻撃の隙をなかなか作れないでいる。ユーリィは相変わらず遊撃に徹しているが、二人の負担を少しでも減らす為、合間を見て近づく事もしているようだった。
 急がなければと焦る気持ちを抑え、間違えないように幾分慎重に口を動かす。
 
『耳ある者はその歌声を聞くが良い。其が繋ぐは大地との絆、紡ぐは風との友愛、湛えるは水との約束、伝えるは炎との親和』
 
 私の視界が白く光を帯びてくる。これは多分私自身が光っているのだと今は気付いている。初めてこの魔法を使った時は一体何が起こっているのかと随分焦ったものだが。
 ミストが倒れてもうおよそ五分ほどだろうか。まだ彼は隣にいてくれている。
 もう少し、この魔法を唱え終えるまでまだ戻らないでいてと半ば祈るように呪文を唱えた。
 
『歌え歌え、白き木よ。根を伸ばし、枝広げ、葉を茂らせ。響くは岩を割る音か、若枝のしなる音か、新芽の芽吹く音か』
 
 視界の端でMPがものすごい勢いで減っている。この魔法は途中で止めたり間違えて失敗したりしてもMPを消費してしまうという欠点もあるのだ。
 憶えたものの恐らく使う場面なんてないだろうと思った不自由な魔法を、今使おうとしている。
 身を浸す奇妙な気分の高揚とは裏腹に、頭はどこまでも冷静だった。
 どこか私の傍で、シャラシャラと軽いものをこすり合わせるような不思議に優しい音が聞こえる。魔法が、完成しかけているのだ。
 さぁ、これで最後だ――
 
『響け、我が声。響け、我が歌。我歌うは悠久に響く、白き大樹の歌』
 
 最後の文節を唱えた瞬間、私の足元の地面が白く輝いた。
 視界を奪う白い光は徐々に強さを増し、更に枝分かれして放射状に大きく広がっていく。
 微妙にうねりつつ円状に広がる光は、木の根が大地に伸び広がる様子に良く似ていた。
 だがそれを見ている私はもう首を回す事も、指を動かす事も出来なくなっていた。
 隣で聞こえた驚くような声と誰かが立ち上がる気配で、魔法が完全に成功した事がわかる。
 白く輝く根のような光は既に蛇の足元と、その周りの仲間達の足元まで完全に届き、黄色くなっていた仲間達のHPが回復していくのが遠目にも見える。そして、蛇の目が私の方をぎょろりと向いたのも。
 
「何これ! ウォレス、何したの!?」
「蛇が動くよ!」
 立ち尽くす私を倒すべき相手と認識した蛇がぞろりと動く。
 蛇の金色の目に見据えられ、全く動けない背中に冷や汗が流れるような心地がした。
 しかし、目の前に現れた背中を見た途端、不意に心が軽くなる。
 蘇生したミストは盾をしっかりと構え、私を庇うように蛇の前に進み出た。
 
「ミスト!? 何であんた生き返ってるのよ!」
「ウォレスさんどこいったんですか!?」
「南海の魔法だ! 動けない上に周囲の敵に狙われるらしいから、南海に絶対近づけさせるな! 南海はここにいる!」
 不可思議な言葉と共にミストは立ち尽くす私を後ろ手に指差した。
 どうやら仲間達には私の姿がいつものようには見えていないらしい。
 
「りょーかいっ」
 ミストの言葉にひとまずスピッツが動き、私を目指して這い寄る蛇の背に強烈な一撃を叩き付けた。
 途端、蛇のHPゲージが目に見えて削り取られる。
 
「えっ? なんかすごく効いたよ!?」
 スピッツの言葉に、まさか、と言いながらヤライも小剣を振るう。その剣が与えたダメージはスピッツの一撃よりも遥かに小さいが、確かに通用している。
「ステータスが上がってるんだわ……何その反則みたいな話……」
 手元にウィンドウを開いたユーリィが呆れたようなため息を吐いた。
 
「ぼさっとすんな! 南海は五分動けないって言ってた! その間に片付けるぞ!」
「わかったわよ!」
 蛇を私に近づけないよう散開した仲間達はそれぞれの役割を果たすべく動き始めた。
 
「索敵は俺がします! 雑魚が来たら知らせますから!」
「オッケー、ならそれは私が殺るわ!」
 全く動く事のできない私はそれを頼もしく思いつつも、歯痒い思いを抱えて見つめていた。
 
 この魔法を練習室で初めて使った時、動かせない体を抱えて、これはバグだろうかと真剣に焦ったものだ。
 あの時はさすがの私もはっきり言って涙目だった。
 魔法の効果時間が終わり、元通りに動けるようになった時には心底ほっとした。
 
 白き木の歌――範囲内の味方の蘇生、回復、ステータスの大幅アップ、さらに二十秒ごとの一定回復と、それらの効果を五分間もたらす、始まりの木の葉の魔法。おまけにその蘇生効果はデスペナ一切なしという反則的な代物だ。
 ただし、その代わりに代償となるのは、使用者の最大MPの九十五パーセントと五分間指一本動かせない完全な硬直、そして三十秒ごとに周辺の敵のターゲットを全て引き寄せるという多大なリスクだ。おまけに魔法を憶えてから読んだ説明文によると、使用者である私はHPこそ回復しているもののステータスは特に上がっていないらしい。
 という事は、私はうっかり一撃食らえばすぐに死ぬという事だ。
 まったく、こんな魔法を用意しておくなんて、運営の底意地の悪さに何度呆れた事か。
 
「雑魚が二匹きます、南東と東から!」
「オッケ!」
 私を目指して走ってきた鹿に似たモンスターをユーリィの銃弾が打ち倒した。
 その隙に蛇の尾がブンと振るわれ、私に当たりそうな軌道で迫る。
 思わず息を呑んだがその尾の一撃はミストの盾によって防がれた。
 ミストのステータスもアップしているせいか、正面から受け止めてもHPの減りは先ほどまでよりかなり少ない。
 
 懸命に戦う仲間達を見ながら、私は練習室で初めて使った時とは明らかに違う胸の高鳴りを感じていた。
 それは、一人ではないと言う事に対する喜びであるような気がした。
 こんな魔法、きっと使わないだろうと憶えた時は思っていたのだ。
 絶対の信頼を寄せられる仲間がいなければ、そして彼らが私を守りつつ敵と戦うという面倒を引き受けてくれるという奇特な人たちでなければ、とてもじゃないが使う気にはなれない。
 下手をすれば仲間は回復したものの私は死んで、犠牲を払うのは私だけ、という羽目になるかもしれないような魔法なのだ。私だって普通の人間なのだから、そんな死に方はごめんだと思っていた。
 
 それが今のこの状況。
 ああ、幸運だな、と私は笑った。
 声も出せず、顔も動かなかったけれど、私は確かに笑っていた。
 この魔法を使えたことの喜びに、私の心は笑っていた。
 



[4801] RGO26
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:bd601240
Date: 2011/07/17 16:23


「いくよっ、ラストォッ!」
 
 淡い光を帯びた斧が高い位置から打ち下ろされる。
 ダン、と重い音がして、それは深々と蛇の体に食い込んだ。
 蛇は大きく口を開き、苦悶するような音を立てて高く首を反らした。
 その体がピシピシとひび割れ、そこから光がこぼれる。
 
「終わった……」
 呟いたのはミストの声だったろうか。全員が息を呑んで見つめる目の前で、蛇はパァン、と弾けて無数の光へと姿を変えた。
 それらの光は少しずつ寄り集まって五つの群れに分かれ、それぞれが仲間達の体に吸い込まれるように消えてゆく。
 未だ動けぬままの私のところにもそれはもちろん届いた。
 
「勝った……嘘みたい」
「お疲れ様です!」
「すごいすごい!」
 喜びよりも半ば呆然という雰囲気で、ユーリィが深い息を吐く。
 不自由な視界にもどうにか入るその様子を見つめていると、不意にミストがハッと顔を上げ、私の方へと走ってきた。
「この!」
 ザクッ言う音が斜め後ろで立ち、ミストの剣にやられたらしい何者かの断末魔が響く。
 
「あ、すいません! まだ敵が出るんですね」
 うっかり気を抜いていた仲間達は慌てて私の所に駆け寄ってくると、動けない私の傍に立ち、油断無く辺りを見回した。
 
「ほんとにコレがウォレスなの?」
 周囲を警戒しながらもユーリィが私を見る。彼女が恐る恐る伸ばした手は私の顔の手前十センチくらいのところで止まり、視線は何故か私の頭のずっと上を見上げていた。
 一体皆には私がどういう風に見えているのだろうと内心で首を傾げていると、その答えをヤライが口にして教えてくれた。
「信じられませんよ。この木がウォレスさんだなんて。こんな魔法聞いたこともないですよ」
「幹も葉も、白くて綺麗だね」
 
 木か! そうか、そう言われて見れば納得できる。動けないのはそのせいなのか。
 そうするとあの呪文の最後の、我が声や我が歌というのは、私自身が一時白い木になって歌を歌うということを意味していたのかもしれない。
 ではこの私の耳元でずっと聞こえているシャラシャラ言う音は葉ずれの音なのだろうか。
 私は自分の姿を外から見られないことが実に残念だった。一体どんな木なのか、見てみたかったなぁ。
 
 
 
 仲間達が私を囲んで警護してしばらくすると、私の体が帯びていた白い光が少しずつ薄れ始めた。
 そろそろ魔法が切れる証拠だ。
 それに気付いたらしい四人も警戒を解いて私の方を見る。
 白い光が完全に消える頃、私の体はようやくの自由を取り戻していた。これを使うのはまだ二回目だが、相変わらず長い長い五分間だった。たった五分がこれほど長く感じられる事はあまり無い気がする。
 
「ウォレス!」
 ハァ、とため息を吐いて自由になった体を手に持っていた杖に寄りかからせる。生身でない体のはずなのにずっと立っていたことで、何だか背中が痛くなったような錯覚を覚えた。
 顔を上げると私に詰め寄った仲間達が口々に名を呼び、声を掛けてくる。
 
「大丈夫か?」
「良かった、元に戻ったんですね」
「このままだったらどうしようって思ったよ!」
 それは私が一番そう思うことだ。
 私は皆を安心させる為にもそれぞれの顔を見回して頷き、笑顔を向けた。
「大丈夫じゃよ。もう元通りに動ける」
「良かった! もう、何よアレ! びっくりさせるんじゃないわよ!」
 ユーリィがそう言ってがばっと私に抱きついてくる。
 現実と違って今はかなり背の高い彼女に抱きつかれると前が見えなくて少し困る。
 伸ばした腕でポンポンとユーリィの背中を叩くと、彼女は体を少し離して笑顔を見せた。
 
「とりあえず、お疲れ様でした。けどびっくりしましたよ、今の……魔法、ですよね?」
「そうだよ、一体何だアレ? 俺もまさか生き返るなんてさ」
「それは後でゆっくり説明するから、とりあえず馬車に戻らんかの?」
 何せ私のMPはほぼ空だし、長く続いた緊張で大分精神も疲れた気がする。
 どこかに座って少しゆっくりしたいところだ。
 
 それは皆も同じだったようで、私の提案に全員があっさりと頷くと、私達は馬車に向かって歩き出した。
 振り向いた草原は戦う前と何も変わらず草が風にそよぐのみで、もうそこには巨大な蛇の姿も他のモンスターの姿も無い。四人がかなり倒したので、リポップするまで間があるのだろう。
 あまりにも何もなくて、さっきまでのことがまるで幻のようだ。
 それでも、確かに残ったものもある。
 それぞれの顔に浮かんだ明るい笑顔も、きっとその一つなのだろう。
 
 
 
 
 
 
「始まりの木の葉、ねぇ。そんなものがあるのかぁ」
「そんな変なもんを見つけるなんて、お前らしいというか……」
 ガタゴトと再び動き出した馬車の上で、私は皆にさっきの魔法について説明をしていた。手に入れた経緯は長くなりそうだったので適当に省いたが、それよりも皆はあの魔法のもたらす効果の大きさに驚いたようだった。それと同時に私が負ったリスクについても、だが。
 
「説明する時間が無かったから、突然使ってすまんかったの。守ってくれてありがとう」
 私が礼を述べると皆はそれぞれに首を振った。
「そんなの、こっちがお礼言うところです。逃げ出さずに済んだのはあの魔法のおかげです」
「そうそう。俺も生き返らせて貰えたしな。ありがとな」
「そうよ、お互い様よ。ウォレスはリスクを承知で使ってくれたんだしさ」
 そう言ってもらえると私も何となくほっとする。相談もなくしたことで、皆にいらぬ面倒をかけたのではないかと少し気になってもいたからだ。
 けれど、私のそんな心配を、皆は杞憂だと笑い飛ばしてくれた。
 
「終わりよければ全て良しよ。勝ったんだから気にしない!」
「そうだよ。それにすごい楽しかったもん。レベルも上がったし!」
 スピッツのその言葉につられてそれぞれが自分のステータスを開いた。
 今の戦いで全員がいくつかずつレベルアップしており、私はなんと五つもレベルが上がって16になっていた。
 うーん、これで一気にこの辺りの適正レベル帯に入ってしまった。
 まだ心の準備ができてないのになぁ、と思っているとユーリィが横で嬉しそうな声を上げた。
 
「ねぇねぇ、ドロップ見てよ」
 促されるままにそれぞれがウィンドウを開き、パーティ共有アイテムボックスの中身を覗く。
 パーティを組んでいる時に手に入れたアイテムなどは、分配の方法もランダムや順番、共有など色々とあるのだが、私達はとりあえず共有のままにしてあった。
 どれどれとウィンドウを開くとそこにはいつの間にかそこそこの数のアイテムが貯まっている。雑魚からドロップした物もあるからだろう。
 蛇を倒して手に入ったものは、黒蛇の鱗が十二枚、牙が二本、肝が一つ、それとアイテムの加工に使える宝石が三つほどある。
 どれも素材としては貴重な品のようだが、まだ生産職を始めていない私にとっては今ひとつ実感が薄い。それよりも討伐報奨金の60000Rの方が嬉しかった。五人だから一人頭12000Rの配当になる。私にとってはかなりありがたい。
 
「あ、なんか気になるの出てますね」
 ヤライが示したのはウィンドウに出たアイテムの一番下のものだった。
 見てみると、『???の杖』 と表記されているアイテムがある。
「ほんとだ。スゥ、出してみてよ」
 ユーリィに促され、スピッツはそのアイテムをオブジェクト化して取り出した。
 パーティに所属していればこんな風に共有ボックスから誰でもアイテムを取り出せるらしい。取り出されたアイテムは個人のアイテムボックスに移されるまでは所有権は定まらないようだ。
 
 スピッツの手に現れたアイテムを見て私は首を傾げた。取り出されたそれは確かに細長い杖のような形状をしていたが、全体がほの白くもやが掛かったようになっていてその実態が良くわからないのだ。
 私が不思議そうにそれを見ていると、鑑定が必要なアイテムはああなっているのだとミストが教えてくれた。
 
「スピッツは副職で商人やってるから、鑑定スキル持ってるのよ」
「まっかせてー! えーっと……」
 どのような事をしているのか、杖を片手に掲げ持ったままスピッツがウィンドウをちょいちょいと操作する。
 しばらくじっと杖を見ていたかと思うと、不意に彼女は大きな声を上げた。
 
「見えました! 命名、『アスクレピオスの杖』 」
 その言葉を浴びた途端、少女の手の中の杖が光を放ち一瞬大きく膨らむ。その光は次の瞬間にはパッと霧散し、そこにはさっきとは全く違う杖が現れていた。
「わ、すごいな」
 始めてみる鑑定スキルに思わず驚きの声が漏れる。
 
 現れたのは細く長い白木の柄の杖だった。
 繊細な模様があちこちに彫りこまれた細身の柄は、下に行くほど緩やかに細くなる握りやすそうな形状だ。
 目を引くのはその柄に縋るように、一匹の金の彫刻の蛇がくるくると下から上に巻き付いていることだろう。杖の天辺には大人の拳ほどの大きさの水晶のような透明な玉が飾られ、杖に絡まる金の蛇はもたげた頭をその上に乗せ、優雅にくつろいでいるようにも見えた。とても優美で、美しい杖だ。
 スピッツは、現れた杖とウィンドウを交互に見比べてそのスペックを確認し、ため息を一つ吐いた。
 
「治癒系魔法の効果に特に補正がついてる杖みたいだけど、装備するための必要数値がすごい高いやこれ。おじいちゃん持てる?」
「わしかの?」
 ぐいと突き出された杖を受け取っていいものかどうか戸惑って仲間達を見回すと、ユーリィが頷いた。
「このメンバーでウォレス以外の誰がそれを持てるっていうのよ。ほら、受け取って」
「う、うむ……」
 私は手を伸ばしてスピッツからその杖を受け取った。
 手にしてみるとかなり長い杖で、私の背丈とほぼ同じくらいありそうだ。狭い馬車の中では少々邪魔に感じるくらいだった。
 
「どう?」
「ん、数値的には余裕だの。知性も精神も十分足りとる」
 杖の説明に出た必要数値は確かにクリアしている。
 今までの地味な努力の結果が現れた私のステータスは激しく偏っているが、その分魔法系装備には強いのだ。
 
「そ、良かった。ならそれはウォレスのね」
「は?」
 私の言葉に頷いたユーリィは事も無げにそう言い放ち、私はぽかんと口を開けた。
「いや、それはいかんじゃろ。公平じゃない」
 慌てて杖を皆の方に差し出すと、私を除いた四人はお互いの顔を一瞬見合わせ、思い思いに首を横に振った。
「このメンバーでウォレス以外に杖装備なんかいないんだから、それが普通だろ」
「そうですよ。貰っても売るしかなくて困ります」
「杖って人気装備じゃないからあんまり買い手もいないんだよ。売るだけもったいないよ!」
「ほら。そういうことよ。ウォレスがそれ要らないっていうなら仕方ないけど、そうじゃないでしょ?」
 
 そう言われれば確かにこの杖の存在は私にとってはありがたい。
 要求数値が高い分補正効果もかなり期待できそうだし、恐らくはこの先かなり長く付き合える装備になるだろう。
 しかしパーティでのアイテムの分配に不公平があっては良くないのではないかとも思うし、悩むところだ。
 私がまだ迷っていると、ミストが笑ってその杖を指差した。
 
「確かに今回のドロップの中では、一番のレアだろうからお前が悩むのもわかるけど、気にすんなよ。多分これは特殊ドロップの類だと思うし」
「特殊ドロップ?」
「特定の敵を倒した時のメンバーの中に条件に叶う人間がいた場合だけドロップするっていう、条件付のドロップアイテムがあるんですよ。その条件も色々ではっきりしないことも多いらしいんですが、大抵は職業やステータスだっていう話です」
「つまりこれは、ウォレスがいたからこそ、ウォレスの為に出てきたアイテムって事よ。情報掲示板にも杖の情報はなかったし、他の誰もこんなの装備できないもの」
「そういうアイテムは条件に叶う人が貰うって言うのがアンモクノリョーカイなんだよ!」
 
 そこまで言われればもう受け取るしかない気がしてくる。
 私はその杖を手にしたまましばらく考えたが、結局それを受け取って皆に頭を下げた。
「なら、言葉に甘えてこれは譲ってもらうことにするよ。ありがとう」
「もう、気にしなくて良いって言ってるのに。どうせ皆いらないんだから」
「そうそう。それに、反対にお前は鱗とかの素材系はいらないだろ? 十分公平だって」
「俺としては、鱗とか譲ってもらった方が嬉しいですよ。その鱗でまた黒い装備作れます」
「よーし、じゃあ相談しよ!」
 
 私達は顔をつき合わせてわいわいと残りのアイテムの分配について話し合った。
 私はその話し合いには参加せず、この杖と報奨金以外のアイテムの全てを皆に譲ることにした。手にした杖をそっと撫でると艶やかに磨かれた木の感触が気持ちいい。これ一つで私は十分だ。
 しかし皆はなかなか納得せず、結局最後に皆がMP回復アイテムを私に一つずつ譲ってくれて恐縮したりもしたのだが、それもまた楽しいやり取りだった。
 そんな風にして、馬車は賑やかな一行を乗せてサラムへと進み、高い塔が立ち並ぶ街が見えたのは、その相談もようやく終わりが見えた頃の事だった。
 
 
 
 
 
 
 一瞬の闇に沈んだ意識が、浅い眠りからゆっくりと覚めるように浮上する。
 目覚めを促すようにまぶたの裏にちかちかと白い光が数回明滅し、私は現実を認識した。
 寝っころがっていて強張った体をゆっくりと起こし、頭に被っていたVRシステムの端末を取り外す。
 電源を切って端末を脇に置くと私はうん、と伸びを一つした。
 
 このベッドはVRシステムと一緒に買ってもらった特殊なマットレスが敷いてあるので、システム使用時に寝返り等をほとんどしなくても体に変調が出ない仕組みになっている。
 しかしそれでも長時間寝転がっていれば多少は体が強張る気がするのは仕方ない。
 しばらくの間ベッドの上で伸びたり縮んだりして全身をほぐしてから、私はベッドから足を下ろして座り、ため息を吐いた。
 
 あの後、サラムに着く直前に現実の体の変調を示すサインが出たので、私はひとまず街に入って宿を取り、ログアウトしてきたのだ。
 皆とは私のクエストが終わったらまた遊ぼうと約束をして、街の入り口で別れてきた。
 今頃はそれぞれログアウトしたり、また冒険に出たりしていることだろう。
 置いてきた皆を思い、私はまた一つため息をこぼした。
 
 
「あー、困ったのう……っと、違う違う」
 思わず出てしまった爺言葉を反省しつつ、私はまだ日の高い窓の外をぼんやりと見つめた。丁度時刻はお昼時くらいだ。
 くぅ、と小さく腹がなって、私にログアウトしたきっかけがなんであるかを教えてくる。
 
「これから……どうするかなぁ」
 私は空腹よりも今現在の悩みを思い返しながら、寝乱れた髪を指で軽く梳く。
 レベルが一気に上がった事や、新しい杖が手に入ったことは実に喜ばしいことだ。
 私の目標とする立派な魔法爺にまた一歩近づいたのだから、純粋に嬉しい。
 ただ、これからどういうプレイをするかが私の頭を少しばかり悩ませている。
 
「……楽しかったなぁ」
 そう。悩みはそれだ。
 要するに、さっきまでの時間が楽しすぎたのだ。
 皆で力を合わせて冒険する、という時間があまりにも濃密だったため、それに惹かれて方針を変えてしまいたいという気持ちが私の中に生まれてしまった。
 私としてはもう少し一人で色々な可能性を探ったりしてみるつもりだったのだが、さっきのような体験をしてしまった後では何だかむずむずしてしまう。
 多分これが、MMOの魅力の大きな部分なのだろう。
 それは確かに私を強く惹き付けている。
 
「あの魔法も……そういう意図なのかな」
 さっき初めて実戦で使った、一人では決して使わないであろう魔法を思い出して、私は小さく笑った。
 使用者にとってはデメリットばかりのあの魔法は、それゆえにかひどく心をときめかせるような気がした。
 仲間がいると言う事の喜びを教えるような、そんな魔法だ。
 そして同時に、もっともっとあの世界を探求したくなるような、そんな魅力も持っている。
 あんな面白い魔法があるなら、もっともっと探してみたい。一人では使えないものばかりだとしても、それでも。
 あちこちに見え隠れする開発者達の思い入れのようなものも、探すのを諦めてしまうには魅力的過ぎた。
 一人でそれらを探求する道を行くか、仲間との更なる冒険を楽しむか。
 
 
「ん……よし、決めた」
 私は自分自身に向かって一つ頷き、勢い良く立ち上がると部屋を出て足早に台所に向かった。
 何よりもまずはこの空腹を攻略するべく、あらかじめ買出ししてあった材料を眺めメニューを決める。
 少し柔らかくなったトマトと、半分残った生クリームのどっちを先に使おうか一瞬悩んだが、結局私はその両方を手に取った。
 少し残ったソーセージを入れたトマトクリームパスタにしてしまえばいい。
 
「一人での探求も、仲間との冒険も、どっちかにする必要はないしね」
 人よりも歩みが遅くても、回り道をしているように見えても、楽しみ方は人それぞれだ。
 私はどうせなら、楽しい事は欲張りたい。
 そう決めた私は立派な魔法爺への道を進む前にまずは現実をキチンと片付けるべく、包丁を片手に玉ねぎに戦いを挑んだのだった。




[4801] RGO27
Name: 朝日山◆7a40860f ID:8d21292c
Date: 2011/07/17 16:24


 ――ファトスの街は今日も快晴だ。



 かなり久しぶりに訪れた始まりの街ファトスの神殿前の噴水広場はなかなかに賑わっていた。

 
 今日は現実では土曜日なせいもあってどの街もフィールドもいつもより人が多く、ここも例に漏れないらしい。
 その賑わいの大半を、まだこのゲームを始めたばかりなのだろう、すでに懐かしく感じる布の服やローブに身を包んだプレイヤーの姿が占めているのがこの街らしい光景と言える。
 ただ以前と少しだけ違うのは、広場を囲む店を覗き込んだり待ち合わせなのかきょろきょろしながら立ち尽くしている彼らの服装が、普通の服の人とローブ姿の人の割合が半々とまではまだまだいかないが思ったより偏りが少ない、ということだろう。
 話にだけは聞いていたその小さな変化に、私は思わず口元をほころばせながら久しぶりに訪れた広場の端をゆっくりと横切って歩いた。


 
 このゲームのサービスが開始されてからそろそろ三ヶ月くらいになるが、聞いたところによると最近RGOを新規で始めるプレイヤーがまた増えているらしい。
 少し前まで人気のあった別のVRMMOの運営の評判が悪く、いよいよどうしようもないと言うことで利用者離れが進んでいたり、期待されていた新しいゲームの開発に遅れがでて大幅な発売延期が決定されたりといった、この業界にごくありがちな理由によってその現象は緩やかに続いているようだ。
 
 RGOは最近のゲームの中ではオーソドックスな題材ながらも難易度や自由度のバランスが良く、色々な楽しみ方ができるところが魅力だとネットでは講評されていた。
 バランスなどの改善を求める声は依然多いのだが、運営は細かな対応はともかく今のところそれらの大幅な変更などには応じる気配はない。
 けれどそのかわりプレイヤー達の今日までのプレイによって、バランスを論じるよりも素直に楽しめる要素が沢山あると言う事が徐々に明らかになりつつある。むしろそのバランスの厳しささえも、ちょっぴりM気質なプレイヤー達の注目を集めているらしい。
 そういった事情で今でもこうして始まりの街の賑わいが続いているのだろう。この街に馴染んだ私としてもそれはとても嬉しいことだ。
 


 そんな事を思い返しながら広場の端をなるべく目立たないようにゆっくりと歩いていると、色々な声が聞くともなく耳に入ってくる。
 パーティを募る声や、待ち合わせの相手を呼ぶ声、一緒に始めたらしいリアルの仲間とお互いの姿や今後の予定について話し合う声。
 そんな沢山の当たり前のやりとりを面白く思いながら、私は広場の奥にある高台の神殿へと続く階段の傍まで近づいた。
 
 階段には用はないのでその脇に寄って辺りを見回すと、少し離れた場所で小さく手を振る待ち人の姿が目に入る。
 手招かれるままに広場の端に近づくと、待ち合わせの相手であった少女――スピッツ嬢はニコニコと笑顔を浮かべて駆け寄ってきた。
 

「おじいちゃん、おっそいよ~!」
「すまん、ちょっと寄り道をしておったら遅くなっての」
 もともと待ち合わせの時間は曖昧にしか決まっていなかったのだが、私は苦笑しつつ軽く頭を下げた。
 もちろん少女もそれは承知の上のようで文句の言葉とは裏腹に顔も声音も笑っている。
 私がわざと神妙な顔をして見せると少女はくすくすと笑い声を上げ、ホントはボクが早かっただけだけどね、とぺろりと舌を出した。
 私の知る限りのリアルでの彼女はサバサバとした姉とは対照的に大人しく几帳面な少女だ。少なくとも私の前ではそうだった。時間にもきっちりとしているタイプだったのだが、そんなリアルでの癖というものはやはり仮想の世界の中であっても出てしまうものなのかもしれない。 

 彼女との待ち合わせの時はやはりもう少し気をつけることにしようと思いながら、私は少女に袖を引かれて広場の端の建物の壁際まで歩く。
 人に話を聞かれない位置まで移動し、壁を背にして二人で並んで立ち、更に念を入れて少女は短い言葉を紡いだ。

 
「チャット申請、ウォレス」
「了承」
 たったそれだけのやり取りで自分たちの声だけが外界から切り離される。それと同時に周囲の喧噪が薄い壁を一枚隔てたように少しだけ遠のいた。そんな変化にももう慣れたものだ。
 
「これでよしっと。おじいちゃん、この前のメール読んでくれた?」
「うむ。送られた代金も受け取ったよ。しかし、アレは少し多くないかね?」
 私の言葉にスピッツはパタパタと右手を振って、否定を示した。

「そんなことないよ。だって預かった分全部売れたし、この前試しにオークションに出した奴も予想外にいい値段ついたもん! ボクの方こそ何にもしてないのに三割も貰っちゃって悪いくらいなんだよ?」
「いやいや、自分で売らずに済んで非常に助かっておるよ。スゥちゃんに損がないならそれでいいんじゃよ。トラブルとかはないかね?」
 商品の代行販売を頼んでいる身としてはその辺がとても心配だ。
 しかしスピッツは首を横に大きく振ってそれも明るく否定した。
 
「だいじょーぶ! 売るっていってもほとんど『自販機』任せだもん。購入時の条件や制限も細かくかけてあるからその分お客はちょっと減るけどトラブルはないよ」
「そうか、なら良かった。それならまた追加も頼めそうじゃな」
「うんうん、任せて!」
 
 スピッツに促された私はウィンドウを開き、彼女にトレードを申し込む。そして自分のアイテム欄に並んだ大量のアイテムを次々とトレードウィンドウに放り込んだ。
 その様子を自分の手元で眺めながら、スピッツが嬉しそうな声を上げる。
 
「うわ、おじいちゃん随分がんばったね!」
「うむ、スゥちゃんが前のを売ってくれたから素材を買い込めたしの。スキルも結構上がって助かったよ」
 ちょいちょいと作業を終えて完了のボタンを押す。
 それを確認した少女もまた自分の画面に指を滑らせ、それによって私が渡した沢山のアイテムは彼女の預かりとなる。
 もう並べちゃうね、と言ってスピッツはさっそくそれらを売るための作業にかかった。



 私は壁に寄りかかって私からは不可視の彼女の作業をぼんやりと眺めつつ、頭の中で今後の生産の予定を立てていた。
 今回のまとまった生産でスキルが結構あがってきたからそろそろ上位の素材にチャレンジできそうだ。
 ファトスで売る分はこれからはほどほどにして、次の段階に進むかなぁ。
 そんな事を考えていると、スピッツが画面に目を落としたまま声を掛けてきた。
 
「ね、おじいちゃんって表の情報サイト見てる?」
「ああ、たまに見とるよ。ここしばらくは見ずにすぐにログインして作業してる事が多かったが……」
「そっか、じゃあ知らないかな? あのね、ちょっと前から掲示板とかでちらほら噂になってきてるみたい」
 主語のない言葉だったがその言いたい事を大体察した私は軽く首を傾げた。
 
「……そうか。噂はどんな感じに?」
「買った人からの情報の流出がまだ少なめみたいでちょっと怪しまれてたよ。でもほんとにあるなら手に入れたいって人が多いみたい。
 まぁボクの店って利用者が限られてるからさ。怪しい都市伝説の類扱いされてたりもするんだけど……商人スキルについて知ってれば、それで店自体に色々と条件かけてあるんだってわかっちゃうからね。おじいちゃん待ってる時にちょっとうろうろしてみたけど、探してる風な人をちらほら見かけたよ」
「ふむ。まあ、ここで待ったり、探したりしてもらえるのは光栄かもしれんがの」
 
 呟きながら広場に視線を巡らせる。
 きょろきょろと辺りを見回したり、周辺のNPCの店やファトスではあまり数の多くないプレイヤーの営む露店を覗き込みながら歩いている人の姿が目に入った。
 確かにローブを着ている人間にその傾向が多い気がしないでもない。
 いったいそのうちの何割がそうなのかは知らないが、本当に手に入れる事を望まれているなら本音を言えばそれなりに嬉しい。
 しかし、今のところ目立った商売をする気はないのだが。



 
「よし、これで終わりっと。全部お店に並べたから、設置するよ?」
「おお、お疲れ様。ではここは邪魔かの」
 私は壁から背を離してその場を離れ、スピッツから少し距離をとった。
 それを確認した少女が頷き、画面に触れると今まで私が立っていた場所が一瞬ゆらりとぶれる。
 
「んふふ、一見さん”以外”お断りの店、スッピーハウス一号店開店でーす!」
 チャットモードのままなのでその声は私達以外に聞こえず、誰が注目することもない。
 二人だけが見つめる目の前の地面からはほんの一瞬光が立ち上り、それが消えると同時にそこには小さな小屋が魔法のように出現していた。
 
 それは人より少し高いくらいの背丈で縦横は一メートル四方ほど。今はもう殆ど姿を見なくなった昔の電話ボックス位の大きさだろうか。
 三方の壁が木でできた三角屋根の小屋の中は空洞で、中にある腰くらいの高さにある台にいくつかの品物が乗っていたり、壁にぺたぺたと張り紙がしてあったりする。


 これがいわゆる『自販機』だ。正式名称は「商人スキル:無人販売所」というらしい。 
 普通に露店というと地面に敷物を敷いてそこで商売したり、小さな机(これは露店用アイテムとして商業ギルドや雑貨屋などで買うことができるらしい)を置いて商品を並べたりといったスタイルがRGOの中では一般的だ。
 そういった普通の露店はどの職業のプレイヤーでも設置することができ、自分が生産スキルで作った物やドロップアイテムなどを並べることができる。
 ただし、当然そこには店主である本人がその場にいなくてはならず、対面販売が基本となる。
 だがそれらの例外として、生産職で「商人」をやっている人だけが、スキルによってこの無人販売所を作ることができるのだ。
 商人のメリットはなんといっても鑑定スキルとこの無人販売所だろう。その場にずっと居なくて済み、交渉などをしなくても物を販売できるのは非常に便利だ。その他に商人はNPCに対する売買に対してもスキルの熟練度に応じたボーナスがつく。
 そんな訳で今私がスピッツに依頼したように、付き合いのある商人プレイヤーにドロップ品や生産物を委託して販売してもらっている人間は結構居るらしい。多少のマージンを取られたとしても自由になる時間が多いということの方がMMOでは重要視される事が多い。身内に一人居るとかなり有難がられる職業といえるだろう。
 

「よし、設置かんりょー。さ、離れよ」
「うむ」
 スピッツに手を取られ、引っ張られるようにしてその場を静かに離れる。
 私はなるべく目立たないようにとゆっくりと歩いた。
「おじいちゃん、そんな心配しなくても大丈夫だよ? アレ自体は設置して一分後からお客に見えるようになるようにセットしてあるし」
「そうなのかの? しかしわしには見えておるが……」
「フレンドは見えるように設定してあるもん。ボクのフレンドにはあんま変な人いないしさ!」
 
 その言葉には少々疑問を感じるような気がすると思いつつ、私達は広場の喧騒から離れて比較的静かな西通りに歩を進めた。
 置いたままの自販機の様子は気になったのだが、せっかくログインしているのにそればかり眺めている訳にも行かない。
 それに今日の予定はもう色々と立ててあるのだ。
 その予定の一つ、待ち合わせと商品委託をたった今クリアした私は次の予定を実行すべく隣を歩く少女を見下ろした。
 


「さてスゥちゃん、お礼という訳ではないが良かったらこれからお茶でもどうかの? 最近サラムで美味しい店を見つけたんじゃよ」
「いいの? うわーい、行く行く!」
「よしよし、ではまずはサラムまで移動しようかの」
 スピッツの返答を得て、私は彼女を伴ってその場に立ち止まる。
 巻き込む範囲に少女以外の人間がいない事をさっと確かめて口を開いた。
 
『開け天の窓、地の扉、我望むは遠きサラムの地。天と地の理の狭間を通りて、我らをかの地まで運べ』
 
 私は手には何も持っていなかったが、転移魔法だけなら装備品は関係なく普通に使える。
 口早に呪文を唱え、最後の一節を口にする前にスピッツに片手を差し出した。
 その手を取ったスピッツ以外の人が魔法の範囲内にいない事をもう一度確かめて、私は最後の言葉を呟く。
 
『開け 転移門』
 
 私の足元に光が弾け、直径二メートルほどの魔方陣が花が咲くように大きく広がる。
 足元からの光に視界が白く染まり思わず目を細めたその一瞬の後、気がつけば私の目はすぐ傍に見えるサラムの街の門を捉えていた。
 転移魔法は転移所を使う場合と違って街の中に移動することはできず、街の正門の付近に転送されることになっているのだ。

 この転移魔法にももうすっかり慣れたはずなのだが、それでもやはり移動する時は少し身構えてしまう。現実では絶対に不可能な、こんな風に一瞬で遠くに移動するという行為になんとなく緊張するのだ。
 ホッと息を吐いて顔を上げると頬にポツリと雨が当たった。
 
「ありゃ、こっちは降ってきたか」
「ホントだ。サラムって結構雨多いねぇ」
「そうじゃのう。ではあまり濡れないうちに行こうか」
「うん!」
 
 ポツリポツリと降り出している滴から逃げるようにスピッツと並んで早足で門に向かう。
 門の向こうに見えるサラムの街の大通りも今日はいつもより少し賑やかだ。

 大きな門を潜りながら私は、そういえばこの街を始めて歩いたあの日も雨だったな、とそんな事を思い返していた。
 



[4801] RGO28
Name: 朝日山◆7a40860f ID:69171cb2
Date: 2011/07/17 16:25

 
 サラムの街を初めて訪れたその日――休憩を終えて再度ログインすると、時刻は夕方の少し前だった。
 
 
 
 私は宿屋を出るとログアウトする前に地図屋で買っておいたマップを開き、それと街並みを見比べながらのんびりと目的地へ向かって歩きだした。
 歩きながらサラムの街について人伝に聞いたり掲示板で読んだりした情報を頭の中で繰り返す。
 
 
 サラムは魔法の街、塔の街、あるいは蜘蛛の巣の街。
 
 
 だが今は私がログアウトしていた間にとうとう降り出したらしい雨に彩られ、通りを行く人も少なく、静かな雨の街といった印象だ。雨のせいか街にはNPCの姿もプレイヤーの姿も少ない。

 ここが魔法の街だと言われる所以を示す物は、開いたマップの中央に魔法ギルドのマークがあることだろうか。
 セダでは街の中心にあるのはオークションハウスなどがある商業ギルドだったし、フォナンでは武術系の訓練所などの施設のある戦士ギルドが中心にあるらしい。闘技場も戦士ギルドと隣接して中心地に建っていると聞いた。

 あとは今まで訪ねてきた他の街よりも魔法関係の店の数が多いことも特徴的だろう。回るのが大変そうだなと思うくらい地図のあちこちに魔法具店を示す杖のシンボルが描かれている。 
 塔の街と言われる元になっている幾つもの塔は街のどこにいても一つくらいは見えるのだと聞いたのだが、今日は生憎の雨でおぼろに霞んでいた。
 
「……蜘蛛の巣の街というのも良くわかるかの」
 開いたウィンドウの中のマップに視線を流し、私は一人呟いた。
 
 
 
 この街は地図で見るとほぼ円形を成している。
 外壁に囲まれた円の中心には大きな広場があり、その更にど真ん中には魔法ギルドの印のついた塔が一つ。その背後に隣接する形で、白の塔、黒の塔と呼ばれる二つの塔が建っている。
 
 その中央広場からそれぞれ少しずつ幅の違う通りが十二本、ちょうど時計の文字盤の数字の方角に放射状に伸び、それらの道と道をところどころで細い路地が繋いで、地図で見るとまさに蜘蛛の巣にそっくりな姿を作り出しているのだ。
 
 あと地図の上で目立つものと言えば、東西南北に伸びる通りの先にそれぞれ塔が一つずつ建って計四つ。中央広場のものと合わせて数えれば、この街に塔は全部で七つあることになる。
 ちなみに街の出入り口は一時と七時の方角に一つずつ作られている。
 サラムの街はこんな風に少々変わってはいるがセダと比べると格段にわかりやすい作りをしていた。
 
 
 
 私が今いるのは七時の方角の門から伸びる大通りだ。名称はそのまま、「七番通り」だと地図には表記してある。
 このまましばらく歩けばその内広場に着くだろう。そう思いながら道の両側に視線を走らせると、蜘蛛の巣の横糸に当たるらしい細い路地が幾つも目に入った。
 通りの左側に見える路地に入って北西に向かえばそのうち目的地の九番街に行けそうではあったが、初めて歩く街でいきなり路地裏に入るのも少々躊躇われる。
 やっぱりここは一度広場まで行き、魔法ギルドの塔なんかを眺めてから九番通りを目指すのが良さそうだ。
 
「うむ、そうしよう」
 そう決めて頷くと、大通りを曲がらずに真っ直ぐ歩く。
 しとしとと降る雨が髪やローブを濡らしたが、傘や雨具を買うほどでもないし、気にするのはやめた。
 雨といってもこの程度なら多少ローブが重くなるような気がするだけで寒かったりはしないし、建物や軒下に入れば十分ほどで乾くシステムなのだ。
 髭を濡らす滴が少々煩わしくはあるが、それよりも見慣れぬ街並みへの興味の方が勝り足が進む。
 時折目に入る魔法道具店の窓を覗き込みながら歩いているとやがて道は終わりに差し掛かり、目の前には大きな広場と三本の塔が現れた。
 


「これが魔法ギルドか……」
 呟いた私の目の前には、確かに聞いた通りの三本の塔が立っていた。
 魔法ギルドの看板のかかった手前の塔は七、八階建てのビルくらいの高さで、後ろの二本の塔よりも幾らか背が低い。
 その代わり直径が太く、全体的にずんぐりとした形をしていた。筍に似ていてなんだかちょっと可愛い。
 きっとあの中には他の街と同じく図書室があるのだろうと思うとすぐに突撃したくなるが、それよりも今はまずはクエストだ。そのためにここまで来たのだから。

「さて、行くかの」
 ギルドに未練を残す自分に言い聞かせるように呟いて広場から真っ直ぐ西へ続く道に入る。
 通りに入る前に視線を上に向けると入り口脇の建物に沿うようにして柱が立っており、そこには確かに九という数字書かれた看板がかかっていた。
 
「えーっと、九番通りの魔法具店……って、何件かあるが、どこじゃろう?」
 地図の中の九番通りには魔法具店のシンボルが四件ほど見える。
 主要な通りに面しているNPCショップは街を歩く時の目印となるためこうして地図にも場所が載っているのだが、それらは武具店、魔法具店、雑貨店、薬屋などといった数種類のシンボルによるごく曖昧な区分けしかされていない。
 同じ区分けの店でも実際に行ってみれば武器系や防具系、アクセサリーその他と細かい違いがあり、その中でも店によって少しずつ品揃えが違う。
 多分この通りにある魔法具店も行ってみれば色々違いがあるのだろうが店の個別の名前までは掲載されていないし、地図の上からはそこがどんな店なのかはさっぱりだ。ましてやそこに目当ての人物がいるかどうかはわかるはずもない。
 
「店の外見の特徴とか聞いておくんじゃったの……」
 まぁ、そんな事を今更言っても仕方ない。こういう時は一軒一軒回ってもいいが、それよりももっと早い手段がある。
 私は地図を閉じ、通りに入りかけていた足をくるりと回してすぐ傍にあった食料品系雑貨店を覗き込んだ。



 
「こんにちは」
「はい、いらっしゃい!」
 扉を開けたままの店の中には椅子に腰を掛けてパイプをふかしてのんびりしているおじさんが一人いた。
 雨だから客も少ないし暇なのだろう。
 私は入り口脇の台の上にある携帯用ビスケットの袋を一つ手に取って彼に差し出した。休憩時によく食べる軽食の類だ。
 
「これを一つ頼むよ。それと、この辺にグレンダさんという方のいる魔法具店はないかの?」
「毎度、50Rだよ。グレンダねぇ……さて、そんな人いたかな?」
「多分、老婦人だと思うのじゃが。何でも最近子供を生んだ娘さんの手伝いにこっちに来ていると聞いたんだがの」
 クエスト画面からではグレンダさんがロブルの奥さんなのか娘さんなのかははっきりしなかったのだが、多分ロブルのあの口調からすると、娘さんへの届け物と言いつつメインは奥さんなんじゃないかと思っているんだが。
 代金を渡してビスケットをしまっていると店主は心当たりがあったらしく大きく頷いた。
 
「ああ、それなら多分オットーのとこだな! あいつんとこは確かに少し前に子供が生まれて、かみさんがまだ寝込んでるって言ってたよ。そういえば、時々うちにもお袋さんらしき人が買い物に来るから、あの人かもな」
「そのオットーさんの店はどの辺かの? 届け物に来たのじゃが」
「オットーの店はここから西の塔に向かって六件ほど数えて歩いたら左側にあるよ。両開きの青い扉の店だからすぐわかるさ」
「そうか、助かったよ。どうもありがとう」
 
 またどうぞ、という声に送られて店を後にし、一つ、二つと建物を数えながら歩く。
 街で何かを探す時などに役に立つのこういうやり方はファトスにいた時に覚えたものだ。この街のNPCも親切な人が多そうでほっとした。
 時間ができたら隅々まで街を探検しようと考えているうちに、左側に青い扉の店があるのが目に入った。
 扉の脇の窓を覗くと窓辺には何の飾りもないシンプルな腕輪や指輪がいくつか置かれ、その向こうには色々な物が乗った台や、棒状に巻かれた布らしいものが何本も立てられた籠が幾つも置いてあるのが見える。
 どうやらここは魔法具店の中でも、魔法具生産の為の材料を中心に販売する店のようだ。
 材料を売る店は今まで用がなくてほとんど覗いたことがなかったので興味をそそられる。
 私はさっそくうきうきと両開きの扉の片方をぐいと押し開いた。

 カラン、と軽やかなドアベルの音を響かせて扉が開く。
 目に飛び込んでくるのは色とりどりの小物が置かれた台や、壁を埋める背の高い棚。天井にも良くわからない草や紐などが沢山吊るされている。
 そんな細かなものが所狭しと並んだ店内に半歩足を踏み入れた私は、しかしそこで思わず動きを止めてしまった。
 
「いらっしゃい」
 店内に片足を踏み入れた私を迎えたのは店主の静かな声と三つの視線。
 視線の一つは奥のカウンターに座る店主のもので、もう二つは店内にいた二人の先客のものだった。
 私の姿を確認してすぐに視線を外した店主とは違い、その先客らはひどく無遠慮に私をじろじろと見つめている。 
 あれ? うーん、何か……やな感じ?



 先客二人はどちらも若い男だった。一人は人間、もう一人は耳からしてエルフだろう。
 二人共魔道士らしく、私と良く似たローブ姿だった。
 しかしこちらに向けてくる彼らの視線は友好的とはお世辞にも言いがたく、それどころか不躾な上にどことなく険が感じられる。
 全くの初対面の人間に出会い頭にそんな態度で迎えられた私は思わずその場に立ち止まってぽかんとしてしまった。
 居心地が悪くなって視線を彷徨わせれば、買い物でもしていたのか彼らの手元にはウィンドウが開いたままで、そこに添えられた手には幾つもの指輪がはまっているのが見て取れる。
 あれはもしかして、と考えた次の瞬間――私を襲ったのは突然の衝撃だった。
 
「わっ!?」
「だっ!」
 
 ドン、と何かが背中に思い切りぶつかり、私は勢いよく弾き飛ばされて店内の床にべしゃりと倒れこんだ。
 痛みはないし街中なのでHPが減ったりする訳ではないが、生来の運動神経の悪さからか手を突き損ねて思い切り床に転がってしまった。うう、RGOはこういう所が変にリアルで困る。
 倒れたままびっくりして動けないでいる私の背後で、私にぶつかった誰かが慌しく起き上がる気配がした。

「って、くっそ、何でこんなとこに突っ立ってんだよ!」
「うひゃっ!?」
 どかどかと足音が響き、今度は乱暴な言葉と共にぐいと襟首を掴まれこれまた乱暴に引き起こされる。
 思い切り上に引っ張られて立ち上がったものの勢いに負けて足元がよろけ、今度は後ろに倒れそうになる。しかしそれをまたその誰かが支えてくれた。

「おら、しっかり立て! 何ともねぇな!? よし!」
 襟首を持たれたままぐるりと回され強制的に振り向いた私の視界に、筋肉がしっかりついた体育会系っぽい見かけの人が入る。
 私にぶつかり、次いで引き起こしたのは何だか随分と大柄で強面な男だった。
 顔立ちは彫りが深くて大き目のパーツが目立つどことなく荒々しい作りで、ちょっと目つきが怖い。短めで後ろに流した赤い髪と、顔を彩る同じ色の無精髭が見た目を更に怖そうにしている。
 ついでに言うとその顔と身に纏った簡素なデザインの革の上下の服が普通すぎて逆に似合っていない。どう見ても真っ黒な革ジャンとか、ヤクザスーツとかが似合う見掛けだ。

 私は彼のその姿と顔に少々面食らいながらもこくこくと頷いた。
 動きは乱暴だったが、私がしっかりと立ったのを確認してから手を離したところを見ると意外に親切な性質なのかもしれない。
 そんな事を思う内に彼は私から手を離すと慌ててウィンドウを開いた。しかし、その動作は後一歩遅かったらしい。

 
「毎度どうもー」
 
 唐突に店主ののんきな声が店内に響き、彼の動きがぴたりと止まる。ついで、吐き出されたのは深いため息とうめき声。
 どうやらタッチの差で店主の声を受け取ったのは最初から店にいた二人連れの魔道士達だったらしい。
 二人の方を見れば彼らは何となく嫌な笑いをニヤニヤと顔に貼り付け、私と隣の男に視線を投げかけると店内を悠然と横切って出口の扉を開いた。
 
「残念でしたぁ」
「っ!」
 出て行く瞬間に嘲笑うように残された言葉に隣の男が息を飲む気配が伝わる。
 確かに、今のは大変イラっとくる態度だった。
 カランとドアベルの音を響かせて二人が店から出て行くと、男は自分の髪をぐしゃぐしゃとかき回して低いうめき声を上げた。

「ああもう、ついてねぇ! 今日に限ってログインが遅れるとは……」
 察するに、どうやら彼は何かを手に入れ損ねたようだ。不可抗力ではあるが何となく申し訳ない気持ちになって、私は彼に頭を下げた。

「あの、何か邪魔をしてしまったようで申し訳ない」
「……いや、あんたのせいじゃねぇ。遅れた上に前をよく見ていなかったんだから自業自得だ。こっちこそ、思い切りぶつかっちまって悪かったな。俺のせいであんたまで買いそびれちまって……」
 私は別に買い物に来た訳ではなかったので彼の言葉を否定しようとしたが、その前に彼の手元に一度閉じたウィンドウが勝手に開いてピピッと小さな音を立てた。

「おっ、やべぇ! 次の店の予定時間になっちまう! 悪かったな、えーと、その……爺さん? あ、いや、この詫びはまた!」
 ぶつかったり引っ張り上げたりしたくせに私が爺さんであることに今ようやく気が付いたらしい彼は、一瞬言葉を濁してもの珍しそうに私を見下ろした。
 しかしすぐに我に返って片手を上げると、ばたばたと慌しく店を出て行った。乱暴に開かれた扉が抗議するように音高く軋み、ベルを鳴らす。


 後に残ったのは一気に静かになった店と、文句を言うようにチリチリと揺れるドアベルの音と、取り残されてぽかんとしている私だけだった。




[4801] RGO29
Name: 朝日山◆7a40860f ID:69171cb2
Date: 2011/07/17 16:26


「……何だったんだ、一体」
 
 強面の青年が慌しく出て行った扉を呆然と見ていると背後から、大丈夫ですか? と声がかかった。
 振り向くと申し訳なさそうな顔を浮かべた店主と目が合い、彼が頭を下げる。
 改めて見ると、この店の店主は人のよさそうな三十代前半くらいの男だった。
 多分この人がオットーさんなのだろう。
 
「災難でしたね、お客さん」
「……うむ、いや。まぁいいんじゃが、今のは一体?」
 ため息とともに吐き出された私の問いかけに、店主は不思議そうな顔で答えた。
 
「あれ、お客さんも今日の入荷が目当てじゃなかったんですか?」
「入荷?」
「ええ、うちは三日おきの夕方、ちょうど今頃に商品が入荷するんですよ。それが今日だったんです。最近どうもそれ目当てのお客さんが多くて、ああいう風にかち合う事が結構あるんですよね」
 
 店主の言葉に納得がいき、私は試しに自分のウィンドウを開いた。
 店内メニューを見ると販売アイテムの一覧が呼び出され、色々な布地や革、ある程度加工された木材、手軽に手に入る貴石の類などなどがずらりと並んでいるのが見える。
 その中で売り切れの物はと探すと、貴石のうちのほとんどの種類と銀や金などの装飾品用インゴット、それとそれらの金属で出来た指輪や腕輪の土台という物の脇にSOLD OUTの文字が出ているのを見つけた。
 どうやら彼らはこれらが目当てだったらしい。
 
「売り切れている物には販売数に制限があるのかね?」
「ええ、最近妙に需要が多くて供給が追いつかないんです。申し訳ありません。
 うちみたいな小売店で分け合って店頭に並べているので、再入荷までには少し日にちを頂くし、余り多くは入らないんですよ。ですがまだ個人の購入数の制限なんかは商業ギルドから通達が来ていないので……」

 なるほど、それでさっきの二人が買い占めて去ってしまったというわけなのか。
 店に入った途端にあんなに睨まれたのはライバルが現れたと思われていたのかもしれない。
 そういえば確か、販売数が限られている商品を複数人がほぼ同時に購入処理しようとすると、それを行った人数での頭割りになるシステムだとかなんとか、マニュアルで読んだような記憶がある。
 店主は申し訳なさそうな顔で再入荷は三日後になると告げたが、別にそれが欲しい訳ではなかった私は笑って首を横に振った。

「わしは買いたい物があった訳ではないからかまわんよ。それより、さっきの青年は別の店へ行くようなことを言って走っていったが?」
「ああ、商品の運搬屋は街の中を順番に回ってくるので同じ商品を仕入れている店でも入荷に少し時間差があるんですよ。多分、あの人の目当ての店が他にもあるんでしょう。そっちで買えているといいんですが……」
 そうするとあの時ウィンドウが開いたのはタイマーでもセットしておいたのか。
 しかしそこまでして時間差で街中駆け回らないと材料が手に入らないというのは実に面倒くさい話だ。
 
 金属や石系の生産素材はモンスターからドロップしたり採掘スキルでも手に入れたりできるものなので、そういう職や入手アイテムの意味を無くさないようにNPCショップでの流通量にはある程度の限度がある。
 しかし限度と言っても何せ大人数がプレイしているゲームなのだから、ちゃんと流通やその素材を必要とする生産職の人数のバランスを考えられた量になっているはず。それが売り切れて手に入らないとは、現在の需要の高まりは相当なものなのだろう。

 もっとも、さし当たってそれらが必要な職についていない私には余り関係のないことなのだが。
 しかしこうして並んでいる素材を見てるとやはり知らない物も沢山ある。この近辺で採集できる素材について書いた本が読みたいなぁ。
 素材系がこんなに人気ならいっそそういう採集系の生産を取るのも悪くないかもしれないし。
 やっぱり早いところ図書室を訪ねて……
 
 
「あの……ところで、買い物が目当てじゃないとすると、お客さん、何用で?」
「あ」
 
 危ない危ない、うっかり目的を忘れ去って本を求めに行くところだった。
 
 
 
 
 
「まぁまぁ、あの人からだなんて、わざわざこんな遠くまで届けてくださって……本当にありがとうございます」

 しばしの後、私はNPCショップの奥に通され、お茶をご馳走になるというある意味レアなイベントを体験をしていた。
 クエストで一般家屋には入ったことがあるがこういう店にも奥がちゃんと用意されているとはちょっと驚きだ。
 居間から続く仕切りの向こうには台所があるようだし、二階へと続く階段も見える。
 居心地良く整えられた居住スペースはあまりにも普通で、ここがVRのゲームの中だということを忘れそうなくらいだ。
 イベントがある場所だからこうして奥まで丁寧に作りこまれているのか、それともどこか別のイベント用スペースに通されているのか。
 
 そこまではわからないがとりあえず店主に義母だと紹介されたグレンダさんは、実に穏やかで上品な雰囲気の老婦人だった。
 正確な年はわからないが思っていたよりも若々しいし、きっと若い頃はさぞかし人気があったろうと思わせる。
 もっと爺さんとガンガンやりあえそうな、婆さんって感じの人を想像していただけにちょっと意外だ。
 一体どんな紆余曲折を経てあの頑固爺としか言いようのないロブルと夫婦になったんだろう。
 そんな事を考えながら事情を説明した私は、当初の目的を果たそうとアイテムウィンドウを開いてロブルからの小包を取り出し、テーブルに置いた。
 
「いや、どのみちいずれ旅に出る予定でしたからの。良いきっかけになりました。で、これがロブルさんからの届け物です。娘さんに、エッタの実を干したものだとか」
「あらあら、それは娘が喜ぶわ。エッタの実は日持ちしないし干すのも手間がかかるから作る人も多くないし、この辺まではなかなか届かないんです。あの人にしては珍しく気が利いてるわ」
 くすくすと上品に笑いながら私の差し出した包みを受け取ったグレンダさんは、上品な仕草でそれを開く。
 中から出てきたのはロブルの告げた通り、木の皮で丁寧に包まれた干した果実らしき包みと、その上に重ねられた茶色の薄い包み、それと一通の手紙だった。

 
「ちょっと失礼しますね。……まぁ」
 グレンダさんがそれを開き、時折小さく呟きながら中身を読んでいるのを眺めつつお茶を頂く。
 普通の紅茶なのだが、ファトスやセダの喫茶店で飲んだものと少し香りが違うような気がした。
 お茶にも地方で特色があるのだとしたら、なかなか凝っている話だ。

 しかし上品な老婦人が手紙を捲る音を聞きながら静かにお茶を楽しむって……ああ、和む。
 娘さんとお孫さんは今お昼寝中だそうで会えなかったのだが、会ってみたいなぁ。
 あ、でもロブルより先にお孫さんの顔を見ちゃったら友情にヒビが入ったりするだろうか?

 そんな事をつらつらと考えながらお茶を楽しんでいると、手紙を読み終わったらしいグレンダさんが顔を上げた。
 にこにこしながら丁寧に手紙を畳んでいるところを見ると、中には何か嬉しい事でも書いてあったらしい。
 黙って見ていると彼女は私の視線に気づいたのかこちらに向かってにこりと微笑み、それから小包の中にあった薄い方の包みを手にとって私に差し出した。
 何? と思いつつ受け取って中を開くと、出てきたのは一冊の本だった。


「ふふ、私からお礼を渡しておいてくれだそうです。お礼を渡す本人に運ばせるなんて、困った人で……ごめんなさいね」
「いや、実に彼らしいですな。どうもありがとう」
 ……くっ、面と向かってお礼を渡せないだなんて、何だその捻くれ具合! 最高だ!
 内心の感動を笑顔で隠して本を受け取る。薄めの本はどうやらステータスアップか何かのアイテムらしいが、後でゆっくり見よう。

 本をしまって顔を上げると、グレンダさんが私の方をまだ見つめていた。ものすごく喜んでいたのがばれてしまったかとドキリとしたが、そうではないらしい。
 彼女は何かを思案するような顔つきで私をひとしきり眺めると、おもむろに口を開いた。
 
「ねぇ、ウォレスさん」
「はい」
「貴方……『編纂者』になる気はないかしら?」
「……は?」


 ポーン、と音がしてウィンドウが開く。
 そこに記された文字は。

『クエスト「ロブルの届け物」が終了しました。
 生産クエスト「知を編む者への道」が発生しました。
 クエストを受理しますか?
 Yes   No  』




[4801] RGO30
Name: 朝日山◆7a40860f ID:8d21292c
Date: 2011/07/17 16:27


「……編纂者、ですか?」
 
 
 突然現れたウィンドウとその文字に内心ではかなり驚きつつ、私は確かめるようにグレンダさんの言葉を繰り返した。目の前の老婦人は相変わらず上品な微笑を浮かべたまま、私の問いに静かに頷き返す。
 
「ええ、そうです」
「それは……ええと、副職の一種ですかの?」
「そうなりますわね。編纂者とは、この世に散らばる知を集め、それを新たに編みこむ者。長ずれば様々な書物を手がける事ができるようになるでしょう」
「ということは……要するに、本が作れる、という職業なわけですかの?」
「ええ、私はその伝承者なのですわ」
 
 グレンダさんは声に少しばかりの誇らしさを滲ませて微笑んだ。
 伝承者とは、プレイヤーが各種職業を身に着ける際にお世話になる師となる人の事を言う。
 様々な戦闘職や生産職のエキスパートであるNPC達がその名で呼ばれ、転職を求めるプレイヤー達を導くべくあちこちの街に存在しているのは私ももちろん知っている。ただ、こんな風に予期せぬ場所で出会うとは思ってもみなかった。
 これは私にとってもかなり嬉しい出会いと言えるだろう。
 
 しかし、古書店を営む爺さんと、本を作る奥さんというのは何だかものすごくお似合いだなぁ。そういう繋がりで出会いがあったりしたとかいう設定があったりするんだろうか? 
 ああ、機会があったら二人の出会いとかを根掘り葉掘り聞いてみたい。ロブルに聞いても多分絶対答えてくれないだろうからここはやはりグレンダさんからどうにかそれを聞き出して、あのツンデレ爺さんをからかうためにすぐにでもファトスへ帰りたい。
 
 
「どうかしまして?」
「……いえ、何も」
 まずいまずい。つい思考が脱線してしまった。
 ツンデレ爺さんの件はとりあえず横に置いておいて、それよりも今は目の前のクエストだ。
 私は自分を落ち着かせるため、胸元に流れる髭を撫でながら彼女の言葉について考えた。
 
 本を作れる、という事は魔道書とかを作れるようになるという事だろう。
 現在進行形であちこちの図書室を荒らしまわっている私にはあまりにもぴったりの職業で何だか笑えてくる。恐らくだからこそ、その生産職へのフラグが立ったのだろうけど。
 私はYesかNoかを呼びかけるウィンドウを放ったまま、もう少し情報を得ようとグレンダさんに問いかけた。
 
「本というと、例えば魔道書などを作ったりできるということでしょうか?」
「ええ。本といえば魔道書が一般的ですわね。ただし魔道書に綴れるのは貴方が知っている魔法に限ります。それと技量と素材の質にもよりますが、一冊に収蔵できる魔法の数には限りがあります。一番初歩の素材でしたら、市販の初級魔道書と大体同じくらいの数しか入りませんわ」
 彼女の言う「知っている」という定義は多分、「今までに一度でも魔道書を使って覚えたことのある魔法」 ということだろう。そこら辺は魔法を使う時の条件と同じっぽい。
 
「……つまり、知らぬ知識は当然入れられないから、新しい魔法を創造できるわけではない。無尽蔵に魔法を詰めた本を作れるわけではない、と。
 しかしわしが覚えている魔法といっても、それらはもともと市販の魔道書から覚えている訳ですからそうなるとあまり役に立つ魔道書を作る事はできないような……。あ、始まりの木の葉の魔法なんかは入れられるのですか?」
 私の言葉にグレンダさんは驚いたように一瞬目を見開き、それから少し間をおいて頷いた。
 
「……始まりの木の葉は、確かに書に記す事は可能です。しかしあれは書物にして人に譲ると貴方の元から去ってしまいますよ。あれらはそういう魔法ですから」 
 彼女の言葉に頷き返した私は特に落胆はしていなかった。まぁ考えて見れば当然の話だ。
 偶然手にしたとは言え、あんなに出会う条件の面倒そうな魔法が量産されて広まったら私もきっとがっかりするだろうし、色々なバランスの崩壊もあるだろう。
 
 しかし、という事は今のところ目新しい魔法を入れた魔道書を作って売る事は実質不可能だという事か。
 編纂者という聞いた事がない職業に本音を言えば飛びつきたいところだが、具体的にどんな手順の生産なのか、どういうメリットがあるのか、今ひとつイメージがわかない。
 
 魔道書を作れるのはそれだけ聞けば楽しそうではあるのだが、問題は私が魔道書を別に必要としていないということと、知っている魔法しか本に出来ないというところだ。
 私はどの生産職につくかは決めていなかったけれど、出来れば少しくらいは自分で作ったアイテムを利用したり出来る自給自足可能な職がいいなぁと漠然と思っていたのだ。
 
 それに作った本の需要があるかどうかも何だか微妙な気がする。そこら辺の魔道具店で普通に手に入る魔法ばかりが載った魔道書なら、私だったら多分買わないだろう。
 普通の魔道具屋で売っていない魔道書を手に入れる事が出来たりすればかなり稼げるだろうが、そういう本を手にする機会がこれからどのくらいあるのかはちょっと予想がつかない。
 
 でもグレンダさんの話の感じからすると、生産レベルが上がって上の素材を扱えるようになれば一冊に入れられる魔法の数が増えそうなのでそこは救いかな? 
 一体どのくらいまで一冊に収蔵できる魔法の数が増えるのかはわからないが、沢山入れられるようになれば需要はかなり見込めるだろう。それに、もし属性や魔法の種類に限らず一冊の本にできるとしたら、中にどの魔法を入れるかを十分考えれば結構喜ばれるかもしれない。
 そうなると残る問題はそこに行き着くまでの間、例え作った物が売れなかったとしても私自身が頑張れるかということだ。
 
 うう、好奇心は尽きないが、色々考えると即答しかねる。どうしたものかと悩んでいるとグレンダさんはそれを察したかのように、テーブルの下から取り出した一冊の薄いノートのようなものを私に差し出した。
 
「お返事はすぐでなくてもかまいませんよ。良ければこれをどうぞ。編纂者という職業について簡単に記したものですの」
「あ、これはどうも」
 ノートを受け取るとそれは私の手の上でスッと消え去り、開いたままのウィンドウの中の文字が勝手に変化した。
 
『 ヘルプに新しい項目が追加されました:生産 』
 
 どうやらこの生産職に関する項目がオンラインマニュアルに追加されたらしい。
 生産クエストの受理もフラグを立てたまま保留にできるようで、私はほっと息を吐いた。気持ちはかなり傾いていたが、まだ心の準備ができていなかったからこれは助かる。
 
「それでは、これを読んでから後日またお伺いしても?」
「ええ、いつでもどうぞ。お待ちしておりますね」

 にっこりと微笑む彼女に気を悪くした様子がないことに安堵しつつ、私はカップに残ったお茶を飲み干した。
  更にお茶のお代わりを頂いた後、礼を言ってお暇を告げる私に、グレンダさんは笑顔と共にこんなことを言ってくれた。
 
「正直申しますとね、編纂者というのは別にさして珍しいことができると言うわけでもないのですよ。職業としては、地味で人気の出ない部類に入るかもしれません。
 貴方の仰った通り、作れる魔道書と言っても知っている魔法しか記せなければその可能性はある程度限られています。けれど、ここへ辿り着いた、知の価値を知る貴方ならきっと役に立てることが出来ると私は思っていますわ」
「……少々買い被りのような気もしますが、ありがとうございます。ゆっくり考えてみます」
 
 
 
 
 
 
 グレンダさんとオットーさんに見送られ、店を出た頃には外はもうすっかり夕暮れになっていた。
 とりあえず私は彼女の言葉の数々を思い起こしながらのんびりと広場まで戻り、雨も止んでいたのでそこにあったベンチに座ってヘルプを開いた。
 
「新しい項目は、えーと……む、これか、編纂って」
 システムウィンドウから基本的な操作情報などが見れるヘルプを開き、そこに収められたマニュアルの中の生産に関する項目を見る。
 生産と聞いて真っ先に思い浮かぶだろう代表的な幾つかの職業の簡単な紹介や、その職を身に着けるための一般的なやり方、それらの特徴などが載った項目の中に、『編纂者』 という職業の名が新しく追加されていた。
 
「えーと……『編纂者とは、ゲーム内で得た知識を元に書物を作成できる職業である』と。さっき聞いた通りだの。
 生産職クエスト発生の最低条件は、『各地の図書室などにある書物を四百冊以上読んでいること。その他』って条件の本、もうそんなに読んだのか。しかし何じゃこの『その他』って、そのいい加減なのは……」
 
 ここに辿り着いた経緯であるロブルのクエストなんかがあるから、そういう前提クエストを含めた『その他』なのかな?
 そういえば、同じ職業でもそれに至る条件やクエストは一本道じゃないみたいだって報告が掲示板にちらほらと出ていた気がする。私の場合は何がその条件を満たしたのかは知らないが、まぁとりあえずはこうしてフラグは立った訳だし、それは置いておこう。
 
「基本生産スキルは、『編纂・記』、『編纂・合』、他、か。他の部分はその職につかないとわからないのかの」
 
 マニュアルによれば、『編纂・記』は素材となる『白紙の書』に自分が知っている魔法などを書き記すことが出来るスキルのようだった。出来上がった書には自分で名前をつけることが出来るらしい。それは嬉しい話だ。
 
『編纂・合』は、全く同じ種類の本同士を合成することが出来る、とある。
 合成した本を装備すると、そこに収蔵されている魔法の威力と装備時の各種ステータス数値が変わるようだ。合成することの出来る本の数は生産レベルの上昇に伴って上がるらしい。
 例えば、「赤の魔道書Ⅰ」を沢山買い込んでそれらを合成していくと、なんか色々すごい「赤の魔道書Ⅰ」が出来る、とかいうことだろう。
 
「これはちょっと売れそうかも……しかし原価が高くなりそうなのが問題かの」
 赤や青といった色名を冠した魔道書Ⅰは、全ての魔道士が一番最初にファトスで手にするだろう初期の装備だ。
 価格はどれも店売りで800Rで、キャラクター作成時に配布される1000Rで一冊は買えるという値段設定になっている。他の初期武器よりも結構高めの価格だが、その分初期から発揮できる火力は段違いなので妥当な範囲だろう。
 今の私にとっては別に高くはない値段だが、それでもそれが沢山必要になるとすれば一体原価が幾らになるのかあまり考えたくない。
 
「オークションで安く手に入れられれば少しは違うだろうけど、それでも結構大変そうじゃの。ここに来る準備の為に魔道書を売ったのは失敗だったか……」
  思わずため息を吐いたが、売ってしまったものは仕方ない。手持ちの魔道書全てを売った訳じゃなく幾つかまだ残っているだけでも良しとしよう。
 そう自分を納得させてマニュアルの残りにざっと目を通すと、下の方に嬉しいことが書いてあった。

「補助スキル……『速読』! うわ、これは欲しい……!」
 スキルの説明には、『書物の閲覧時間の短縮』とある。これは嬉しい、絶対欲しい! 生産が商売にならなかったとしてもこれだけあれば全然いいよもう!
 これがあれば各地の本を読み漁る時に楽になりそうだ!

 どうやら編纂者という職業は、魔道士向きの生産職であることにやはり間違いはないらしい。
 RGOでは戦闘職と生産職の間にはその組み合わせによって相乗効果が生まれる事が認められている。
 もちろん相性の悪い組み合わせも存在するのだが、上手くはまれば戦闘職の苦手分野や低いステータスを生産職の付属スキルやステータス補正で補ったり、得意分野を更に伸ばしたり、という事が望めるのだ。

 ただし、個人差や種族特性によってそれらの組み合わせにも色々違いがあり、誰もが認めるベストな組み合わせ、というのはまだ幾つも見つかっていない。情報サイトでも自分の発見がベストだ、という発見報告や議論が絶えないみたいだ。
 そこら辺も、その人のプレイスタイル次第で如何様にも変化するというRGOらしい仕様なんだろうと思う。
 それらを考えると、多分魔道士と編纂者というのはかなりいい組み合わせに違いない。
 というか、むしろ本ばっかり読んでいた「私」にとって「編纂者」がベストっていうべきかな?


 マニュアルを読み終えたが、判断の参考になりそうなこれ以上の情報は特に見当たらなかった。グレンダさんの言葉通り、貰った冊子はあくまで簡単な紹介であるらしい。詳細は実際にその職に就いた時に追加されるのだろう。
 
 とりあえず、魔道書の最近の需要とか、セダのオークションでの出品の具合とか、そういうのをちょっと確かめてから結論を出そうかな。後でログアウトしてからネットでRGOの相場サイトを見てみるのもいいかもしれない。外のサイトの情報は中よりは少し遅いが、魔道士用装備は元より動きが悪いはずだから参考にはなるだろう。
 それと魔法職に人気の高いような、使い勝手の良い魔法とかも調べておきたい。他の魔道士とまだ殆ど会話したことがないから、その辺は私にもよくわからないし。


 さて、そうなるとログアウトする予定の時間まではまだ間がある。今後の方針も簡単ではあるが決めたことだし、ひとまずはもう少し街の中を見て回る事にしようかと私は立ち上がって辺りを見回した。
 広場に聳え立つ魔法ギルドの塔も気になるが、それより先に近場の魔道具店を幾つか覗いて、新しい魔道書なんかを探して見ようかな?
 
「蛇を倒したお金も入ったことだし、何か買おうかの」
 臨時収入があったばかりなこともあり懐は結構暖かい。
 生産を始めることになると多分最初にある程度素材を買わないといけないと思うので全て使い切るようなことは出来ないが、それでも新しい魔道書を一、二冊買っても問題はないだろう。

 考え事はひとまず棚に上げて保留として、私はうきうきと地図を開いて近場の通りの入口に足を向けた。
 相変わらず広場も道も空いているが、暖かなオレンジ色の明かりの灯り始めた街が何となく気分を盛り上げてくれる気がする。
 ロブルのクエストもようやく終わり、新しい道にも出会えた。
 この街では他にも一体どんな出会いがあるだろう?
 鼻歌でも歌いたくなるような気分で、足元で跳ねた水が光を反射して散っていくのを見ながら角を曲がった私は。
 
「おわっ!?」
「えっ?」
 
 次の瞬間、冗談のように出会い頭に誰かとぶつかり、また手を突き損ねて本日二度目の地面との抱擁を交わす羽目になったのだった。
 今度は背中からだったが。
 ああ、街中ではHPが減らなくて本当に良かった……。




[4801] RGO31
Name: 朝日山◆7a40860f ID:f37ee68f
Date: 2011/07/18 10:32

 バシャン、と大きな音と共に水が高く跳ねた。
 
 体よりも幾分遅れて地面に着いた手元からも水飛沫が上がり、頬にかかる。その水滴の冷たさと不快さに私は思わず顔をしかめた。最近何だかこうして跳ね飛ばされることが多い気がするなぁ、と頭のどこかで人事のように思う。
 ステータスには表示されていないが存在するらしい数値の一つである体重が軽過ぎるのか、そもそもの体力や防御力が低すぎるのか。
 水溜りに座り込んだままそんなことを考えながら私を跳ね飛ばした人物をぼんやりと見上げ、次いでそれが無意識の現実逃避だったと気づいて軽く頭を振った。

 その揺れた視界の端に一瞬何かが映る。気になってそちらに目をやれば、私のすぐ脇の地面に何か少し欠けたお好み焼きのような物が転がっていた。それが目の前の男がぶつかった拍子に落とした物だと気が付いた瞬間、その姿がゆらりと歪み、次第に薄れてゆく。
 消える、と思って伸ばした手は、しかし目標には届かずに宙に浮いた。
 
「ひゃっ!?」
「大丈夫か?」
 私は突然感じた浮遊感に驚いて手足をばたばたと動かした。
 どうやら手を伸ばした隙に脇に手を入れられ、急に上に持ち上げられたらしい。足もつかない高さに持ち上げられてやっと相手と目線の高さが合う。あ、この人は。

「あの、下ろし」
 そう最後まで言い切らないうちに彼は私を両手に持ったままスタスタと歩きだした。急なその行動にかなり驚いて思わずもがいたが、腕力の違いなのか私がじたばたしても男の腕はびくともしない。RGOは仕様上こういう行為も可能なのは知っているが、これはちょっと困った。もちろんハラスメント申請の操作をすればすぐに距離は開くのだが、今のところ彼から悪意の様なものは感じられないし。
 どうしようか、と辺りを見回すと広場の端のベンチが目に入る。

(あ、ひょっとしてあれか)
 ぶつかった時に動かずに呆けていた私を心配したのか、どうやら男は私をそのベンチの一つまで運ぶつもりのようだった。そう予測がついてほっとした私は暴れるのをやめ、手足をぶらんと下げた。大柄な男とは身長差があるのだから仕方ないが、足元が完全に浮いているのがちょっと気に食わない。
 だが彼はそんなこちらの気分など知るはずもなく、軽々とベンチの前まで私を運ぶと、そこにひょいと下ろしてくれた。
 男は私から手を離すと、軽く頭を下げた。
 
「悪かった」
「……いや、ええと、こちらこそ。よそ見しとって、申し訳ない」
 さっき離れたベンチに再び腰を下ろす羽目になった私も、目の前に立った大柄な男に向かって同じように頭を下げる。それから、もう一度彼を見上げてじっくりと眺めた。
 ああ、やっぱりあの人だ。
 
 私に向かってどことなくむっとしたような顔つきで頭を下げている男は、やはりどう見てもつい先だってオットーの店でぶつかったばかりの、あのヤクザスーツ(希望)の彼だった。
 同じ日に同じ人と二回もぶつかるという馬鹿げた偶然に、私だってしばし呆然としても当然だろうと思う。
 今度は曲がり角でぶつかるとは一体どんな運命の出会いだと思いつつ、ぐっしょりと濡れた自分のローブの端を持ち上げてベンチの背もたれに引っ掛ける。こうしておけば直にまた乾くだろう。
 
 服や装備が濡れるというのはシステムとしてあるが、幸い汚れというのは今のところ存在しない。
 このローブも今は濡れているが、乾けば染みも残らず元通りになるから助かる。あとは気分の問題だが、洗濯という行為はさすがにないので気にしても仕方ない。
 それよりも元に戻らないのはさっきぶつかった時に目の前の男が地面に落としてしまった食べ物っぽい物の方だ。
 
「さっき、ぶつかった拍子に何か落とされたようじゃったが……拾うのが間に合わず申し訳ない」
「ん? ああ、別に構わねぇよ。食いかけだったからシステムに使用済み消費アイテム扱いされたんだろう。まぁ、汚くなくても落ちたもんをまた口に運ぶのもなんだしな」
 確かにそれは気分的にあんまりよろしくはなさそうだ。しかし結果的にまた彼に損をさせてしまったらしいことがかなり申し訳なかった。
 
 同じ物を買って返そうかと考えながら何度目かに下げた頭を上げると、こっちを睨むように見つめる彼と視線が合う。どうも彼はさっきから私をものすごく見てるんだけど何だろう。
 上から下までじろじろと見つめられてはっきり言って落ち着かない。こちらはベンチに座っているので、彼に目の前に立たれると何かすごい威圧感を感じるし。
 何か怒っているようならもう一回くらい謝罪した方がいいのかと悩んでいると、彼は不意に一つ頷き、ぼそりと口を開いた。
 
「爺さん、さっき魔道具店で会ったよな? それも含めてすまなかった。俺は、ギリアムという」
「ん、うむ。確かにさっき会ったが、それもお互い様じゃろ。わしはウォレスじゃよ。よろしく、ギリアムさん」
 彼の謝罪に首を横に振って名を告げると、ギリアムの口角がぐぐ、と下がり反対に眉がぎゅっと上がる。いや怖いから怖いから。やっぱり何か怒っているのかな?
 
「……名前」
「へ?」
「ギ、ギリアムでいい。呼び捨てで。いや、殿とかついてても似合うか? いやいや、でもそれだと俺が偉そうになっちまうからだめだ……むしろここはいっそギルとかって愛称の方が……」
 
 ……うわぁ。
 これはひょっとすると、どうやらまたちょっと変な人だったのかもしれない。内心で少し引いてる私には気づかぬまま、彼は一人で何か己の呼称についてぶつぶつと呟いている。
 この場合考え込む彼を置いて全力で逃げ出した方がいいのだろうかと一瞬悩んだが、何となく面白そうなのでそのままそっと見守ることにしてみた。
 割と好奇心に殺されるタイプだという自覚はあるが、面白そうな事にはやはり勝てない。
 私が内心でドキワクしたりしているうちに、彼の脳内会議はどうやら議決したらしく、ギリアム青年(?)はパッと顔を上げて握りこぶしと共に雄々しく宣言した。
 
「やっぱ呼び捨てで! 出来れば重々しく!」
 
 ……うん、やっぱり変な人だった。
 握りこぶしを固め眉間に皺を寄せた顔で、でもどこかこちらの出方を伺うようにそわそわしているヤクザっぽい男の姿ははっきり言って限りなく不気味だ。でもじっと見ているとそこはかとなく可愛い気もしないでもない。
 ぶきカワって奴かと思いつつ、面白そうなので彼のリクエストに応えてなるべく重々しく聞こえるよう意識して口を開いた。
 
「……ギリアム」
「っ!」
 
 わぁ、何かすごく嬉しそう。
 ギリアム青年は名を呼ばれた瞬間ガッツポーズを決めると、コレだ、コレだよ! などと呟いてどすどすと地団駄を踏んだ。
 
「くっ、そうだコレだ、俺はこういうのが見たかったんだ! これこそファンタジーだ! 美形はもう見飽きたっつーの!!」 
 ああ、ここにも変な方向に夢見がちな男が一人。
 うん、そこまで喜ばれると私としてもリクエストに応えたかいがあったというものだ。
 でも広場に人が少なくて良かったなぁって、さすがの私もちょっと思うな。
 控えめに辺りを見回して安堵の息を吐く私には気づかぬまま、ギリアム青年はひとしきりじたじたと不気味に喜びを表現すると、再びガバッと顔を上げて私の肩をぐっと掴んだ。
 
「後はアレだ! アレがあれば完璧だ! 爺さん、あんた今週はどのくらいログインする!?」
「うぇっ? ええと、最近は平日の夜なら割と毎日おるが。多分リアルで七時半……いや、八時くらいには入っとるよ。週末なら大抵昼間から……」
「よし、八時だな! じゃあえーと、三日後……いや、材料の調達があるし、色々準備がいるか……いい加減な仕事はできねぇしな。ならいっそ週末がいいか。よし、じゃあ土曜だ! 土曜の十二時くらいに、ログインしたらまたここで待っててくれ! 今日の詫びをしたい!」
「え、いや、それはお互い様だから別に必要は」
「それじゃ俺の気が済まん! 土曜だ! 良いな、必ずだぞ!」
 
 えええ、そんな果たし合いの約束みたいに言われても。
 私が驚いている間に一方的に捲くし立てると、彼はじゃあ! と片手を上げてあっという間に走り去っていった。
 と思ったらまたすぐに戻ってきて、呆然とする私の手に近くの屋台で買ったらしき食べ物をぐいと押し付けると、「サラム名物、魔法焼きだ、美味いぜ!」 と言い残して彼はうすら怖い笑顔で去っていったのだった。貰ったのはどうやらさっき彼が落としてしまったものと同じ物らしい。
 
 ……変な人だけど、やはり実はいい人だったようだ。
 なら、まぁいいか。
 あ、これほんとに結構美味しい。



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 大変お待たせ致しました。
 あちらの方で読んで下さった方も沢山いらしたようですが、大体今書いてる章の流れも決まり、今までの掲載分の訂正もざっとですが一通り終わりましたのでこちらでも投稿を再開したいと思います。
 個別での感想にお返事できずに申し訳ないのですが、全て大切に読み励みにさせて頂いています。
 更新はあまり早くないとは思いますが、地道に続けていきたいと思いますので良ければ気長にお付き合い下さい。



[4801] RGO32
Name: 朝日山◆7a40860f ID:f37ee68f
Date: 2011/07/18 10:33


「ナーミー」
 月曜日、授業も終わり教室を出たところで名を呼ばれて振り向くと由里が手を振る姿が見えた。
 
「一緒に帰ろ」
「うん」
 頷いてそのまま二人で並んで玄関へと歩く。私も由里も帰宅部なので、学校帰りはお互いに何か用がない限りは一緒になることが多い。とはいっても、私の家は学校から歩いて十分程の所だし、由里はそれよりもう五分くらいの所に家があるので一緒に歩く時間はさほど長くはないけども。

 私達が帰宅部である理由は単純だ。私は現在一人暮らしなので買い物や家事の事を考えると早く帰りたいというだけだし、由里は趣味に時間を費やしたいのだ。私は家事は好きだしそこそこ得意な方だとは思うが、残念ながら手も足も素早いとは言いがたいので一つ一つに結構時間がかかる。
 由里は家に帰るとまず課題などを終わらせ、風呂に入って食事を取って、あとは寝るまでずっとVRゲームに入りっぱなしだということだ。考えて見ると結構不健康な生活っぽいが、やることはやっているので家族からの文句は出ないらしい。
 今日は帰りに買い物をする予定だ、と由里に告げると一緒に行くというので校門を出た後二人で方向を変えた。最近こうして由里と一緒に帰る時の話題は大抵一つに決まっている。
 
「ね、南海、あの後サラムでのクエは無事に終わった?」
「うん、無事にクリアしたよ。ありがとね」
 サラムまでの道程を付き合ってくれた皆のお陰だと言うと、由里は笑って手を横に振った。
 
「結局こっちにも得があったんだからいいわよ。何より楽しかったしね」
「私も楽しかったよ。実質初のパーティプレイだったからすごく勉強になったし、皆立ち回りが上手くて驚いたな」
 私がそう言うと由里は嬉しそうな笑顔を見せた。

「MMOやってて言われると嬉しい言葉の一つね、それ。即席パーティにしては悪くなかったわよね。 まぁ、そうは言っても私とリエとヤライ君は結構固定で一緒に遊んでるから慣れてるってのはあるんだけど。ナミこそ、初のパーティプレイだとは思えないくらいの活躍だったわよ?」
 由里はそう言ってくれたが、私は今ひとつそれには頷けなかった。確かに初めてプレイしたVRMMOで、初めてのパーティでの戦闘、と考えれば悪くはなかったかもしれないがそれでも私の理想とは程遠い気がする。とは言っても、じゃあ理想のプレイはどんなのかと問われても上手い魔道士の立ち回りとかはまだ見たことがないので多分答えられないけど。
 でも少なくともこの前の私は戦闘中に仲間の死亡で呆けるなんて失態も見せてしまった。いつでも冷静沈着な魔法爺を目指す身としては失格もいいとこだ。

「うーん……そう言って貰えるのは嬉しいけど、個人的にはちょっと残念だったかな。ミストを死なせちゃったし」
「あんなのナミのせいじゃないわよ。ちょっと運が悪かっただけで、よくあることだもん」
 そういうものだろうとは思ってはいるのだが、それでも取り乱したことが今となっては少しばかり恥ずかしい。あの時私がもっと落ち着いていれば、回復が間に合った可能性だってあるのだ。
 私はついでだから昨日からずっと気になっていた事を由里に聞いてみようかと口を開いた。

「ねぇ……由里はさ、色んなVRゲームプレイしてるんだよね? プレイしている時の、仲間とか自分の死亡って、VRだと普通のゲームより気になったりしない?」
「あー、うーん……私は別に気になんないかなぁ。最初は気にしたこともあった気もするけど、もうVRも結構長くやってるからすっかり慣れたし、初めての時も随分前だから忘れちゃったわ。繰り返し死んで体でプレイを覚えるようなVRゲームも沢山あるからどんどん気にならなくなるのよね。
 最近のゲームは死亡時でもグロくしないのが当たり前だから余計に実感薄いしね。そうじゃない奴はR指定だもの。RGOは死亡頻度で言えば普通程度だし、弾けて消えて光になるってだけだからソフトな方なんじゃないかな。だから特に気にしたことないわね」
「そういうもんなのか……」
 呟いた声は我ながら力がなかった。由里もそれに気づき、心配そうに視線を向けられたので曖昧に微笑んで返す。自分でもあの時あんなにショックを受けると思ってもいなかったのだ。あの瞬間までは。

「やっぱり、初めてだとショックだった? でも実際自分が死んでみると結構あっさりしてて、なんだこんなもんか、って思うくらいだからそんなに気にする事ないよ? ナミはまだ死んだことがないみたいだからそれもあるのかも」
「うん……いや、なんていうかな。そういうのとは少し違う、かな? 自分が死んだのなら私も多分気にしないと思うし。そうじゃなくて……むしろゲームだってわかってたのに仲間が死ぬのにショックを受けたことに、驚いたのかな。後から考えてみると」
 口に出してみるとその考えは何となく当たっている気がした。
 多分私は、ゲームだとわかって割り切って楽しんでいたつもりだったのに、いつの間にかそう感じてはいなかった事に気が付いたのだ。ミストが目の前で消えたあの時に。
 当たり前のように”ゲーム”を楽しむプレイヤーとの交流を殆どせず、あの世界で”生きている”NPCと触れ合いすぎたからなのかもしれない。
 
「私はいつの間にか、あそこにいる間はあそこで生きているような、そんな気になってたのかも。それにあの時初めて気づいてびっくりしたのかもね。VRと現実と混同してる、とか言われて笑われそうだけど」
「そっかぁ、なるほどね……でも、それって別に悪くないんじゃない? 何かちょっと羨ましいかも」
「羨ましい?」
 問い返すと由里は笑顔で何度も頷いた。

「オンしてる時のナミは、ウォレスとして一生懸命生きてるって事でしょ? 私みたいにVRとかMMOに慣れちゃうとそういう新鮮さって段々となくなるからさ。
 どうしても効率とか重視して、仲間が死のうが自分が死のうがそういうの全部数字で考えちゃうもの。何時間無駄にした、何%のロスだ、とかさ。デスペナなんて別に取り戻せないものじゃないのに、結局そっちのが気になっちゃうのよね」
 ナミにはそうなって欲しくないな、と由里は苦笑と共に小さく呟いた。

「いいんじゃない、ウォレスは仲間の死が嫌いって事で。そういう性格なんだって言い張って、仲間を死なせないようにがんばればいいんだし。ナミならすぐ立ち回りも上手くなるわよ」
「うん……いいかもね、それ。じゃあ、がんばろうかな。もっと頼れる魔法爺になれるように」
「あはは、楽しみにしてるから!」
そんな話をして笑いあううちに、私達は目的地である近所のスーパーに着いた。早速中に入り、籠を手にとって野菜なんかを選ぶ。
 あんまり頻繁に買い物をするのは面倒なので、ついでに数日分の料理の予定をざっと決めて材料をまとめて籠に入れた。とはいっても一人なのでさほど買い物の量は多くない。ある程度日持ちする野菜や冷凍できる食材を中心に選んでゆく。最近夜はRGOにすぐログインしてしまうため、ついつい簡単に済ませてしまう事が多いので栄養には気をつけないとなぁ。

 色々と持てる範囲で籠に入れた後、最後に由里のお勧めの新発売のお菓子を少しばかり買い足し、店を後にした。今度は二人で家路をのんびりと辿る。
 今日は特に課題もないし、今から帰って料理を作ったり風呂に入ったりしてもゆっくりとログインできるだろう。ログインする前に相場サイトを覗いて、インした時の中の時間が丁度よければグレンダさんを訪ねようかな、などと考えていると由里が誘いをかけてきた。

「ねぇ、ナミ。クエストクリアしたなら今度一緒に狩りとか、別のクエとかどう?」
「んー、それも惹かれるけど、もうちょっと待って欲しいかなぁ。クリアしたクエスト、別のクエストの前提クエストだったみたいなんだよ。だからまた新しいクエストが出たんだ」
「また時間かかりそうなの?」
「まだわかんないよ。多分そんなに時間かからないとは思うけど。でもせっかく新しい街に着いたばっかりだから色々探索もしてみたいし、そろそろ生産もしてみたいし、時間がいくらあっても足りない感じかも」
 私の言葉に由里は残念そうにため息を吐いた。一緒に遊びたいと言って貰えるのは嬉しいのだが、その他にもまだ私には予定が山盛りで(クエストとか読書とか読書とか読書とか)すぐには遊べそうにないのがちょっと申し訳ない。
 
「そっかぁ、なら仕方ないわね。またリエ達と狩りでもして待ってるわ。ところで、生産は何にするか決めたの? やっぱり魔法系?」
「んー……まだその辺は決定じゃないから、内緒。ちゃんと職に就いたら教えるよ」
 私がそう答えると由里は、相変わらず秘密主義ね、と呆れたように笑った。
 そういえばサラムに着いて早々に、変な男と出会いがしらにぶつかるという運命の出会いっぽいのをしたことを言おうかなぁ。でもそれを言うと由里の事だから心配だから着いてくるとか言い出しそうだ。
 どうせ数日後にまた彼と会う約束を(一方的にだが)しているのだし、まぁそれから考えればいいか。

「そういえば、由里は生産は何をしてるの?」
「んーと、私は色々試したけど、一番やってるのは薬師かな。自給自足できるから便利なんだけど、あんまりお金にはなんないのよね。他にも薬師っていっぱいいるから、せいぜい経費削減になるってくらいかな。身内に一人くらいいると助かるっていう感じね」
「あ、やっぱりそうなんだ」
「そ。だから、もし南海とパーティ組めるならそのうち薬師やめようかなぁとか、ちょっと思ったりもしたけど……あ、でも南海を回復薬扱いするわけじゃないからね? 単純に火力が上がるなら狩りのリスクも減って今より稼げるかもだから、薬くらい買ってもいいかなって思っただけの話だから……ってやだ、これもなんか火力目当てみたいでひょっとして感じ悪い?」
 私は由里の言葉にわかっていると笑いかけて首を横に振った。
 別に私は由里になら回復薬代わりにされても悪い気分はしないけどね。由里ならこちらの都合も考えてくれるから無理は言わないのは分かっているし、どうせ私だって危ないところにはなかなか一人では行けないのだからお互い様だし。

「あ、そうそう。昨日サラムで、魔法焼きって言う食べ物を食べたよ。名物らしいんだけど、由里も食べた?」
「え、何それ食べた事ない! どんなの? 私サラムってあんまり用がなかったから、長居してないのよね」
「甘いクリームをお好み焼きっぽい型に入れて魔法で凍らせて、それにワッフルみたいな感じの衣をつけて、また魔法で外側だけカリっと焼いたものだって。屋台の人に教えてもらったよ」
「へぇ、何か美味しそうね」
 ギリアム青年に貰った魔法焼きはなかなか美味しく、お代わりに行った時に屋台の人に作り方なんかを簡単に聞いたのだ。外側がほんのり暖かく香ばしくて、中がシャリシャリとしたミルクアイスっぽいのが気に入っている。
 
「結構美味しかったよ。広場の近くに大体いつも屋台が出てるらしいけど……そのくらいなら今日は時間取れるかな。良かったら一緒に食べに行く?」
「行く行く! 甘いお菓子なら絶対探さないと!」
 RGOの中で食べ歩きをするのも由里の最近の趣味らしい。私も今度お勧めの店を紹介してもらおうかなぁ。
 そういえば食べ物の話をしていたら何だかちょっとお腹が空いてきた気がする。今日は早めのご飯にしようかな、などと考えていると、いつの間にか私の家がもうすぐそこに見えた。  
 
「それじゃあまた後で。ちょっと相場サイトを見てからログインするから、入ったら連絡するね」
「うん、待ってる。じゃあ、また中でね」
 バイバイ、と言って由里はパタパタと手を振ると自分の家の方角へと歩き去った。
 去ってゆく後ろ姿は本当にいつも通りの彼女で、何だかオンの中のユーリィの姿を思い返すとそのギャップに不思議な気持ちになる。
 自分の髪質があまり好きじゃない、と昔こぼしていた由里は、その反動のようにVRではいつも真っ直ぐな黒髪を選んでしまうのだと酒場であった時に笑って教えてくれた。けれど現実の由里にも、きっとあの耳と尻尾はよく似合うだろう。
 そういえば由里やリエちゃんも、私やミツのようにたまには現実とVRの境を忘れて失敗したりすることがあったりするんだろうか?
 今度聞いてみよう、とそんなことを思いながら私は家へと入った。
 
 



[4801] RGO33
Name: 朝日山◆7a40860f ID:f37ee68f
Date: 2011/07/18 10:47
「うわ、安い」

 RGOのアイテム相場のまとめサイトに載っていたのは、予想通りとはいえ実に酷い数字だった。
 私が思わず素直な感想をパソコン相手に呟いたって許されるだろうこれは。
 それくらい、魔法職用アイテム、中でも杖の相場はとりわけ低かったのだ。
 まだ私が名前を聞いたことのないようなそこそこランクの高そうな杖でもかなり評価が低く、せいぜいNPCに売るよりはまし程度の値段しかついていないように思える。
 横に参考として書かれているちょっと前までの相場からすると最近は少しは上がっているようだが、到底売れているとはいい難いようだった。

「需要がなければ仕方ないとはいえ……当分買う必要はないけど、ちょっと欲しくなっちゃいそうな値段だなぁこれ」

 この間良いドロップがあったばかりの私には必要ないけども。
 なら本の方はどうかと見れば、こちらは新規の魔道士の数が増えてきたという話もあったせいか、以前より少し相場が上がっているようだった。それでも他職向けの装備品に比べればやっぱりかなり安い。

 魔法職自体の全体的な人口が戦闘職と比べてまだ少なめなので、戦闘職の人が拾って売りに出したドロップ品が結構余っているのだろう。
 魔道書はものによってはあまり使い勝手の良くない魔法しか入っていないものもあるし、転職してしまったら必要なくなった、というものも出てくる。
 そういうものもアイテム欄を圧迫するので露店やオークションに出てくることが多い。まぁ私にとっては非常に嬉しい話だ。
 実際、ファトスから移動できなかった頃には魔道書の値段に悩まされた事も多かったがセダに行ってからは安価な魔道書を幾つか手に入れる事が出来ている。

「あ、この魔道書知らないや。ドロップかな……今度オークションで探してみようっと」
 情報サイトで見たところによると、フォナンの周辺は様々な生産素材に使えるアイテムのドロップが増えているようだった。確かサラム辺りまでは装備品や薬の類もたまにドロップしていたはずだ。
 生産職の種類も色々出てきたし、生産をやりこむ人も増えているようだからそっちの市場を活性化させるためにそうなってるのだろう。とすると、今後もどんどんその傾向は強まるということだろうなぁ。

 とりあえず今のところはまだ魔道書の類を安く手に入れるのは難しくはなさそうなのは幸いだ。
 作ったものが売れるかどうかは別として、編纂者になってから必要となる素材を手に入れることが容易いならそれに越した事はない。

「速読スキルはどうしても欲しいし、やっぱり決まりかな。どうしても役に立たなかったら最悪転職すればいいし……」
 生産職は一度に一つの職業しか選べない。しかし、別の職業に転職した後再度もとの職業に戻った場合、スキルの熟練度等は全てまた始めからスタート、というわけではない。
 転職した職業と元の職業の種類が近い場合はスキルや職としての熟練度は七割から九割くらいは保持されているのだ。
 そういう救済策があるので、多少のロスは覚悟しても他の職業に試しについてみる、という事も出来なくはない。
 ただ、ついた生産職の種類があまりに元のものとかけ離れている場合は、当然その熟練度の保持率は大幅に落ちるので注意が必要だけども。

「どうせ私は体力勝負な職業には就けないし……ま、何とかなるでしょ」
 職に就く前から転職の心配をするなんて馬鹿げた事をする趣味はない。どうせするならもっと楽しいことをしないとね。

 とりあえず知りたかった最近の相場はわかったのでサイトを閉じた。
 ついでに情報サイトを開いて新着情報や、生産関連の情報をチェックしてみる。今まで生産関連は現在発見されている生産職それぞれのなり方や特徴をざっと見ただけで、あまり細かくは読んでいなかったのだ。
 詳しく読み込めば、それぞれの職についたあとの具体的な生産物や熟練度上げのお勧め生産品など、色々な情報が載っているから気にはなっていたんだけど。

「んー……編纂者っていうのはやっぱりまだ載ってない、と。魔法職の人はやっぱり魔法具の生産とか薬師とかが多いみたいだけど……なんか情報少ないなぁ」
 魔法具生産はもうある程度出来上がった素材に対して魔法効果を付与したり、魔法効果を持つものを合成したり、というスキルが主となるみたいなんだけど、具体的な生産物なんかに関する情報がすごく少ない。
 よく売りに出されてるような魔法具なんかについては載ってるけど。

「新着情報がすごく少ないのって何でだろ……魔法職の絶対数の問題かな?」
 私は首を傾げながらも用の済んだサイトを閉じて、端末を手に立ち上がった。
 魔法具の生産と編纂者に似たところがないかと思って参考までに覗いてみただけなので、役に立たなくてもさほどがっかりはしなかったが、新着情報の少なさが何となく気になる。
 ログインしたら中の情報掲示板も覗いてみるかな。



 エレベーターが下の階に着いた時のような一瞬の浮遊感とごく軽い振動の後、目を開けるとそこには天井の太い梁が見えた。茶色いレンガとこげ茶色の木材、少しくすんだ漆喰の壁の組み合わせで作られている部屋は現実では余り見慣れない作りだ。
 異国の田舎町にでも泊まったらこんな風だろうかとあちこちの宿屋を利用する度にいつも思う。街や宿屋によって少しずつ造りが違うところも面白い。こういう異国情緒を手軽に味わえるのもVRの魅力なのかもしれないが、あまり慣れると現実で旅行する気がなくなってしまいそうだ。

 そんな事を考えながらベッドに横たわった身を起こす。カーテンが開いたままの窓の外に目をやると、今日は雨は降っていないようだった。時間帯は多分夕方の少し前くらいだろう。昼間の街を見て回るにはまだ都合が良さそうだ。

 RGOの世界での一日は二十四時間よりも数時間短く設定されている。だから現実で毎日同じ時間にログインしても毎回少しずつ中での時間帯がずれる。そのためいつも望む時間帯にログインできるとは限らないが、ギルドなどは基本的に二十四時間営業だし夜間営業の店も沢山あるので、街の中ではさほど不便を感じることはない。むしろ夜間営業の店は昼間とはまた品揃えが少し違ったりして、別の面白さがあったりもする。

 街の外は夜になるとモンスターの種類が変わって数が増えるので、私のような夜間の狩りや旅にあまり向いていないソロの人間は少し困る事もあるがそれは仕方ないだろう。それにその分、それらを補うように夜の時間帯には掲示板などでのパーティ募集も増える傾向にあるから、遊ぼうと思えばやり方は色々ある。

 自分のステータスや身なりなどを何となく癖で確かめた後、私は女将さんに挨拶をして宿屋を後にした。
 歩き出すとやはり晴れた昼間の街並みは気持ちが良かった。今日のサラムは遠くの塔が良く見える。晴れているせいかログインする人が増える時間帯のせいか、人の姿も昨日よりも多いようだった。



「あ、ほんとだ。美味しい」
「うむ。暑い季節に外で食べたいような味じゃろ」
 宿から出た後ユーリィに連絡を取ったが、彼女はもうサラムで待っていてくれたのであっさりと合流する事が出来た。
 昨日は一人で座っていた広場のベンチに、今日はユーリィと二人で座りながら魔法焼きを食べる。
 爺とオカマが仲良く並んで甘い物を食べている姿をミストが見たならきっとまた盛大に嘆いたことだろうが、幸いなことに今日はここにはいなかった。

「確かにこれなら外で食べるおやつに丁度好さそうね。まとめて買っておこうかな」
「わしもそうしようかと思っておるんじゃが、歩きながらちょくちょく食べてしまいそうでの」
「あはは、確かにちょっと危険かも」
 これって食べ歩きに丁度いいサイズなのが良くないんだと思うな。
 まぁ、食べ過ぎたところでお金が少々出て行くだけで、お腹は膨れないんだけども。

 ユーリィとそんな話をしながらも、私はさっきからウィンドウを開いてRGO内の情報掲示板を眺めていた。ユーリィもウィンドウを開いているが、どうやらアイテムの整理をしているらしい。荷物におやつを追加する余裕があるかどうか調べているようだ。
 そんな彼女を横目で見ながら、私は今見ていた掲示板の様子に溜息を吐いた。

「のう、ユーリィ」
「ん、なーに?」
「この情報掲示板の、魔法具生産関係のスレッドなんじゃが……何でこんなに荒れとるのか知っとるかね?」
 ゲーム内の情報掲示板を覗いてみたところ、外の情報サイトの新着情報が少ない理由はすぐに分かった。どうやら中の掲示板がひどく荒れていて、確定した情報が非常に少なかったのが原因のようだった。
 この内部の情報掲示板はゲーム内の時間で進むため、未確認情報や誤情報も数多く元より結構荒れやすい。
 真偽を問う会話が飛び交ったり、議論が紛糾して、罵詈雑言の応酬に変わったりといったことがよくあるのだ。
(罵詈雑言と言っても、あまりに酷い発言はさすがに運営の方から削除されたり、控えるように警告がいったりするらしい)
 けれどそんな中でも検証に熱心な人と言うのはかなりいるので、そういった真偽も時間とともに徐々に明らかになり、大抵のスレッドは次第に鎮静化していくのだが。

「あー、最近どこも荒れやすいけど、魔法具生産系のスレッドは特にそうなのよねぇ。私はここんとこあんまり見てないんだけど、どんな感じ?」
「何というか……誤情報と疑いの嵐、という感じかの」
「じゃあ通常運転ね。それがいつも通りよ。それ系のスレッドはいつもそうなの。古いのでも新しいのでもいいから、いくつか開いて流し見してみてよ。すぐわかるから」
 ユーリィの言葉に頭痛を感じる様な気分になりながら、もう一度ウィンドウに目を落とす。
 生産レシピなどの発見報告に関するスレッドなんかを適当にいくつか開き、最初からざっと流し見てみた。
 そうやって見てみると、確かに彼女の言う通り、どのスレッドも似たような感じで展開しているのがわかる。

 大体の流れはこうだ。
 まず、誰かが新しい発見を報告する。そうすると当然それの真偽を図る発言が出る。しばらくすると、その発見を検証してみたけれど合っていなかったという報告が相次ぐ。発見を報告した人は反論するが、結局は反対意見に負けてしまう事が多いようだ。最後には報告者が嘘吐き呼ばわりされ、これは誤情報だった、という結論が出て話は流れてしまう。
 この流れは他の情報に関するスレッドでも良く見るものだが、魔法具生産に関してだけはそれが随分と多い気がした。
 というか、ほとんどそれだと言ってもいいくらいだ。他の報告スレッドと比べると明らかに誤情報が溢れすぎている。

「これは……ひょっとしなくても、前にミストが話していた、アレなのかの」
「多分そうだろうって言われてるわ。でも、残念ながら証拠がないのよねぇ。否定派の発言者も毎回違う事が多いから追及も難しいみたい。オマケに情報を地道に検証した人の話じゃ、嘘や間違いも結構混ざってるらしいのよ。それも、多分意図的に」
 なるほど。真実が嘘となるよう誘導し、そしてそれを悟られないように更にわざと嘘を投じるということか。

「それは……そんなだと、魔法具生産職の人は大変じゃろう」
「荒れてる掲示板に関しては、皆もう検証するのは半ば諦めてるみたいよ。まぁ、こういうMMOだと仕方ないところもあるのよ。他人より少しでも強くなりたい、多くの物を得たい、先に行きたいって思う人は多いもの。そうなれば情報の秘匿や資源の奪い合いはどうしたって起こる話だしね」
「……他人と一緒に遊ぶゲームでは避けられない話なのかもしれんのう」
 MMO歴の長いユーリィは流石に達観しているが、こういうゲームで遊んだ時間の短い私には何だか馴染みのない話でもある。
 一人で遊ぶゲームの場合攻略サイトを作ったりして自分の得た情報を提供したがる人は多いから、情報の秘匿なんて話はまず出てこない。

「まぁ、私は別にそういうのを悪いとも良いとも思わないのよ。そういうプレイの方法もあるって言うだけの話だもん。PKとかそういうのに比べれば、囲い込みとか情報の隠匿、撹乱くらいは可愛い方だしね。まぁ、私はしようとは思わないけど。大人数の集団行動とか苦手だし」
「それも一つの遊び方、と言う訳か。確かに、責める筋合いの話ではないのかもしれんのう」
 私も別にモラルとか正義とかそういう事を持ち出して声高に主張する気は特にない。そういう観点で言えば、私だって自分の得た情報をどこかに提供するという事はしていないのだから、人の事はとやかく言えた話ではないのだろう。自分がステータスを上げた方法も、得た出会いも、友達以外に話す事は多分ないだろうと思うし。
 けれど得た情報を黙っているだけならともかく、こんな風に嘘をばらまき、他人を否定し貶めることで情報を操作するやり方は好きじゃない。同じ事をしようとは到底思わないだろう。

 顔を上げて、広場に目を向ける。
 夕暮れが近い広場は人通りも多い。緑のマーカーをつけたNPC達は足早に家路を辿り、あるいは食事でもするのか明かりの灯り始めた大通りへと消えてゆく。決められたその動きは自然で淀みない。
 その彼らの生活の脇で、旅人達は店を覗いてうろうろと歩きまわったり、立ち止まって談笑している。
 NPCとは違う頑丈そうな装備で身を包み、狩りの相談をしているらしい人達も見える。

 いつも、こうしてそれを見ているだけで私は楽しい。
 人がそこにいるだけで、それがなんとなく嬉しいのだ。
 別に現実で人付き合いがなくて寂しいという境遇でもないのに、不思議だけれど。
 どこか遠くに住んでいるのかもしれない、リアルでは一生出会うこともないはずの人達が目の前を行き交うのを見ているのが好きだ。
 そこに自分以外の誰かがいる、というのもMMOの楽しみの一つなのだろう。
 その自分以外の誰かが、私の知らない事を知っているのも、私とは違う楽しみ方をしているのも当り前の話だ。

「こういうやり方はわしも好かんが……そんな風に色んな人がいるから飽きないんじゃな、きっと。楽しいことも楽しくないことも含めて、これはこの世界に一人ではないことを楽しむものなんじゃな」
「そうそう、流石ウォレスは分かってるわ。多少の煩わしいことがあったとしても、そういうのもひっくるめてしょうがないって笑うしかないわ。楽しんじゃった方の勝ちなのよ。現実だって同じだもんね」

 確かに、現実だって同じだと言えばそうだろう。
 頭の固い大人なら、ならば現実で良いじゃないかとか言うかもしれないな、と思いながら私は荒れた掲示板を閉じ、魔法焼きの最後の一口を口に放り込んだ。

「ま、少なくともわしは当分は大きな組織には関わらんようにしながら、自分なりに楽しむかの」
「あはは、同感だわ」
 ユーリィとひとしきり笑い、立ち上がる頃には空はもうすっかり夕暮れの色に染まっていた。
 少しのんびりしてしまったが、まだこの時間ならオットーの店は開いているはずだ。
 さて、では昨日保留にしておいた、新しい楽しみに出会いに行くかな。




[4801] RGO34
Name: 朝日山◆7a40860f ID:f37ee68f
Date: 2011/07/18 10:54

「色々考えましたが、やはり弟子入りをさせて頂きたく」

 オットーの店を再び訪ねた私は、応対してくれたグレンダさんにそう告げた。

 今日は商品の入荷の日ではないせいなのか店には客はおらず、ヒマそうにしていたオットーさんに声をかけるとすぐに奥へと通してくれた。
 一日ぶりにあったグレンダさんは相変わらず美しく年をとった老婦人、と言う感じで非常に和む。
 私の言葉に彼女はにこやかな笑みを浮かべ、心得たように頷いた。

「ありがとうございます。後継者になって下さるというのなら、こちらこそ大歓迎ですわ」
 彼女の言葉と共にポーン、という音が鳴ってウィンドウが開く。

『生産クエスト「知を編む者への道」を受理しました。
 クエスト達成条件 :伝承者からの皆伝
 達成後就職可能職業:編纂者 』

 それらの文字に一瞬だけ目を走らせたが手を触れる事はせず、よろしくお願いしますとグレンダさんに頭を下げる。
 グレンダさんはもう一度こくりと頷くと、立ち上がって部屋の奥にあった棚に近づいた。私は椅子に座ったままそれを視線で追う。やがて彼女は棚を開けて中から幾つかの品を取り出し、また戻ってきた。
 テーブルの上に置かれたのは本が二冊と黒のインク瓶、そして羽ペンだった。

「これらが編纂者が使う基本の道具となります。これは白紙の書。その中でも一番基本となる、白紙の書Ⅰです。後は見ての通りインクと羽ペンですわ」
「シンプルですな」
「ええ。編纂とは言っても、要するに書き記したい内容を写本するだけですから。ただし書を作るときには魔力を消費しますので、魔力量には気をつけて下さい」
「魔力はどのくらい消費するのですか?」
「それは何とも言えませんわ。魔力の消費は一文字に対して幾らという形です。ですから当然記す文の長さによって変わるのです。ウォレスさんは魔道士ですから魔力は多いでしょうし、熟練度が上がれば消費する量も減りますので、気をつけることさえ忘れなければあまり心配しなくても良いでしょう」
「なるほど……わかりました」
 そうするとたまに休憩して瞑想を挟んで生産するといい感じかも。

「生産可能な場所はやはり工房ですか?」
 確かこの街の魔法ギルドには、魔道具などを作る時に便利な貸し工房があるという話なのだ。
 鍛冶や魔道具製作、薬の調合や料理といった生産は大抵がそれ専門の工房へ行って作業する必要がある。騎獣生産が厩舎を借りなければいけないのと同じ理屈なんだろう。そういった各種の工房はその生産職の伝承者のところや各ギルドなどで借りることが出来るらしい。
 ファトスやセダでは建物が小さかったせいか魔法ギルド内には工房は設置されていなかった。商業ギルドや伝承者の所には幾つかあったらしいが見る機会はなかったので、この街でついでに見てみようと思っていたのだ。魔法ギルドなら私は施設利用料が掛からないので覗く為だけに借りるなんてこともしやすいし。

「そうですね、できれば工房で作ったほうがよろしいでしょう。幸いここサラムには魔法ギルドに設備の整った工房がありますし、そこを利用するのが良いかと思いますわ」
 私の質問にグレンダさんはそう答えてくれたが、今の言葉には引っかかるところがある。

「工房で作ったほうが良い、ということは、それ以外の場所でも可能ということですか?」
「一応可能ですわね。先ほどもお話しました通り、編纂はとてもシンプルな工程です。道具も特別と言える物は白紙の書だけです。魔法具生産のように床に魔法陣の設置された部屋が必要と言う訳でもありませんし、薬を作る時に使うような特別な道具も要りません」
「魔法具生産はそんな部屋が必要なんですか?」
「ええ。物に魔力を付与するためには、中心に置いた素材に対して効率よく魔力を集積する魔法陣が必要なのです。工房にはそれが常設されていますから、魔法具生産は工房でなければ行えないのです。その代わり消費魔力は実は魔法具生産の方が大分少ないのですよ」
 そんな細かい設定があったのかぁ。なんか、そういう話を聞いているだけでもかなり楽しい。工房に行ったら絶対あちこち確かめてみよう。
 私が決意を固めているとグレンダさんは更に言葉を続けた。

「ですから、編纂は理論的には道具と必要魔力さえきちんと揃っていれば外でだってできない事はないのです。ただ、書に文字を記すという作業になるのですから、机と椅子があるに越した事はないでしょう?」
「確かに……膝に本を置いて書けないこともないですが、やりづらいでしょうな」
「ええ。当然それらは生産の成功率を左右することになります。せめて机と椅子がある場所でないと難易度が上がり、成功率は大分下がることでしょう」
「良くわかりました。ありがとうございます」
 そういうことならやはりちゃんと工房を借りた方が良さそうだ。そうでなければ、各地の図書室を使ってもいいかもしれない。図書室なら小さくても一応机と椅子くらいはある。写本するにも楽だろう。
 そう納得して頷くと、グレンダさんも笑顔を浮かべた。

「では、説明はこのくらいにして。編纂者になるための試験は簡単です。この場で二冊の魔道書を作成してもらいます。それが完成したら、貴方を編纂者と認めましょう」
「はい。よろしくお願いします」
 この辺は一般的な生産クエストとあまり変わりがないようだ。他の職業の場合も、材料を渡されて教えられる通り生産してみろとか、師匠についていって採集や動物一匹の捕獲とか、そういう簡単な課題の場合が多いらしい。

「白紙の書は初歩のものですので、書き記せる文字は約二百文字くらいですわね。この数字は熟練度によって多少変わります」
 そう言われても二百が多いのか少ないのかさっぱりわからない。普段使っている魔法を文字数で数えた事なんかないよ……。
 困惑していると、そんな私の内心を予想していたのか、グレンダさんは安心させるように微笑んだ。
「最初は初級魔道書に載っている魔法を三つ選べば大体丁度良いくらいでしょう。お好きなものをどうぞ」
「あ、はい。わかりました」
「それでは、まずはこちらの白紙の書をどうぞ」
 促されるままにテーブルの置かれたままだった本を一冊手に取ってみる。
 白紙の書の名の通り、白い布張りの本はその表紙も背表紙も、そしてちらりと開いた中身も当然真っ白だった。
 大きさはB5サイズくらいだろうか。市販の魔道書と同じくらいの大きさだ。

「次に……ウォレスさんは見本となる魔道書を何かお持ちですか? 先ほども言った通り初級魔道書が良いかと思いますが」
「あー、と。一冊だけなら。他は初級魔道書じゃないのですが……」
「大丈夫ですよ。今は中身は問いません。同じ本を二冊作っても構いませんし。もし魔道書がなくても覚えている呪文があるのでしたらそれを書き記して頂いても結構です。見本はあくまで脇に置いて見るだけですから」
 アイテムウィンドウを開き、赤の魔道書Ⅰを取り出す。
 これは最初にミストがわざわざ買ってくれたものだから、何となく捨てずにとっておいたのだ。
 呪文はどれも頭に入っているが、一応見本にと開いて並べた。意外なところで役に立ったなぁ。

 とりあえず最初はこれでいいや、と魔道書のページを開き、『炎の矢』の文字に触れる。
 すると魔法を使う時と同じように、ページに呪文が現れた。

「よろしいようですね。では、これを」
 そう言ってグレンダさんが何かを取り出す。
 コトン、と小さな音と共にその魔道書の脇に置かれたのは、ガラスと木で出来た、小さな置物。
 その存在が目に入った途端、私は思わず息を呑んだ。

「これは……ひょっとし、なくても」
「ええ。ご覧の通りの、ただの砂時計です」
「え、じゃあ……せ、制限時間があるのですか?」
 思わずこぼれた私の問いにグレンダさんはにっこりと微笑んで頷いた。

「ええ、けれどそんなに厳しいものではありませんよ。一つの呪文を書ききるのに許される時間はこの砂時計が落ちきるまでですが、初級の呪文くらいならまず問題なく終わるでしょう。字がわからないようなことがあっても見本と見比べる時間は充分ありますし、熟練度が上がれば時間も徐々に伸びますから呪文が長くなってもさほど心配はありませんわ」
 全く問題なし、と言うような彼女の明るい口調での説明は、しかし私にはいっそ絶望的に響く。
 しかし固まっている私に気付かぬまま、彼女は当然の如く羽ペンをとることを促した。

「さ、どうぞ。まずはお試しになって下さいな。書くページはどこでも構いませんから適当に始めてみて下さい」
「は、はい……」
「書と見本を並べて開いたらペンを持ち、『筆記』と告げて書き始めてください。その言葉を合図に砂が落ち始めます。インクは一度付ければ書ききるまではそれでもちます。全ての内容を記し終えたら、『筆記終わり』と告げてください。手が早ければ文字数の上限までの呪文を一気に書き上げる事も可能ですが、できれば最初は呪文を一つずつ書いて一休みした方がいいでしょう。
 全て書き終えたら最後に表紙に書の名前を書き入れ、それで完成です。市販の書と全く同じ内容の本を作った場合は自動的にその名前になります。簡単でしょう?」
 確かに簡単だ。内容だけ聞けばそれだけかと大抵の人間は思うだろう。
 自分の手で書き記すのは多少面倒かもしれないが、脇に見本を置いて見ながらでいいというのなら、授業で黒板を写すのと大した違いはない。ない、はずなのだが。
 とにかく、やってみるしかないかな……。

「ええと、では……『筆記』と」
 私は覚悟を決めて羽ペンを手に取ると、なるべく開きやすい真ん中辺りを選んで白紙の書を開いた。しっかり開いたページに片手を置き、筆記、と告げる。
 グレンダさんの言葉通り、途端に目の前の砂時計の砂がさらさらと動き出し、私は慌てて羽ペンをインクに突っ込むと『炎の矢』の最初の言葉を記し始めた。

 カリカリと羽ペンの動く音だけが室内に響く。
 羽ペンなんて手に持ったのも初めてだったがそれほど使いにくいこともなかった。多分本物ならこうはいかないのだろうがインクのすべりも良く、紙に引っかかるような事もない。頭の中に思い浮かべた呪文が、私の手の動きと共にゆっくりと紙の上に記されていく。
 そう、ゆっくりと。

「……あの、もう少し早い方が」
「す、すみませんっ、と、あっ!?」
 グレンダさんの言葉に焦った瞬間、ぼふん、と手元から白い煙が上がった。私は驚いて思わず本から顔を上げたが、幸い謎の煙はそれ以上特に何かあるわけでもなかったらしく、本の上で小さなきのこ雲を作った後に空気に溶けるように掻き消えた。私がたった今まで書いていた文字と共に。
 後に残ったのは開かれたままの、白いページのみ。

「あー……間違えた、せいですかの?」
「そうですね……呪文の場合は文字を明らかに書き間違えると今のように途中で消えてしまうのですわ。すみません、私が声をかけたばっかりに……」
「あ、いえいえ。わしこそ次はもう少し早く書くようにします」
 気を取り直してもう一度羽根ペンを手に取る。今度は筆記、と言う前に先にインクを付けて準備万端で始めることにして……。


 ぼふん、とまたも白い煙が上がったのは、それからしばし後のことだった。




[4801] RGO35
Name: 朝日山◆7a40860f ID:f37ee68f
Date: 2011/07/18 10:53


 目の前に置かれた、いつまで経っても白いままの本を見ながら私はもう何度目かにがっくりと項垂れた。
 現実だったらとっくに腕が痛くなっているだろうくらい同じ事を繰り返しているのに、まだ一度も筆記が成功しないのだ。
 私の挑戦と失敗に根気良く付き合い続けてくれたグレンダさんも、その間に浮かべていた笑顔が困惑へと変わり、困惑から呆れを経由し、今はまた笑顔を浮かべていた。
 その笑顔が若干乾いている気がするのは多分私の気のせいじゃないだろう。

「なかなか……時間内に終わりませんわねぇ……」
「……申し訳ない」
 少し字が崩れても認識できる程度だったら構わないとか、綺麗な字でなくても本が完成すれば勝手に字体は統一されるので大丈夫なのだとか、何度かそうやってアドバイスを貰ったのに、一向に私の書く速度は上がらなかった。
 流石に彼女ももう言葉がないらしい。

「その、もともと憶えるのは得意なのですが、書くのはかなり遅い方なのを忘れていまして……」
 そう、私は昔から文字を書くのがものすごく遅いのだ。
 運動音痴が影響しているとは思いたくないのだが元から手が遅いのもあったし、なまじ記憶力が良かった分面倒くさがって書くということに関しての努力は放棄してきた面がある。

 学校ではどうしてるかと言えば、まず教科書は貰ったら一通り目を通してほぼ暗記し、授業のノートは適当に取るフリをしながら黒板に書かれた事を憶えておいて、家に帰ってからゆっくりと教科書にない部分や大事なポイントだけをパソコンに打ち込んで整理するだけの生活を長く続けてきた。その甲斐あってそういった入力くらいはどうにか人並みよりほんの少し遅いくらいの速度を保っている。
(私の通っている学校は誰の方針なのか、「自分の手で書いてこそ真に身につくのだ」という建前を武器に、個人端末の導入に今もなお非積極的で本当に残念でならない)

 テストでは暗記問題から片付ければどうにか時間内に粗方終えられるのでそれなりに点数は取れていたし、マークシートの場合もある。うちではまだだけど、全国規模の模試や受験なんかは最近は紙を節約する為に専用端末に入力する形式の採用が増え続けている。
 これから先もパソコンさえあれば人生に何の問題ないと思っていたのに、こんなところでその弊害が出るとは。
 呪文の筆記に時間制限があるなんて最初に聞いていたら、多分私は端から諦めていただろう。

「そうなのですか……けれど普通なら書くのが遅い方でも問題のない時間のはずなのですが」
「……多分、わしが特別遅いのではないかと」
 うう、切ない。
 もう編纂者という職業に就く気満々だった分、こんな最初の第一歩で躓いたのははっきり言ってショックだ。
 ていうか、VRなのにちっとも早くならないなんて、一体何が悪いんだろう……私の脳の認識とかの問題なんだろうか?

「熟練度が少し上がればすぐに補助スキルとして『速記』が身につくので、そこまでいけば楽になるとは思うのですが……」
「そこまでの道のりがまず果てしなく遠そうですな……」
「困りましたねぇ。これは編纂者にとってはしなくてはならない基本の作業なのですよ」

 そう、そこが困った所なんだよねぇ……。
 RGOでの生産活動というのは、どうしても外せない作業というのがそれぞれの職によって決まっている。
 例えば、鍛冶師は武具を作る際には必ずハンマーを手にして金属を一定回数打たなければいけないとか、魔法具生産は作ったものに魔力を込めるために決められた呪文を唱えなければいけないとか、そういう指定された作業があるのだ。
 薬の生産や料理なんかにしても、材料となる素材はそれ一つが一回に使う分量として決まっているので(同じ素材が複数必要な場合はまた別だが) 計ったり切ったりする必要はないが、作りたい品ごとにレシピがあり、それに沿った順番で鍋やフライパンに材料を投入し一定回数混ぜたりフライパンを振ったりしないといけないらしい。

 そういった作業はどれも多少の面倒くささはあるがさほど難しくはない。
 むしろそれこそが、完全にシステム化されてウィンドウでの作業だけで済ませるよりも楽しさがある、とプレイヤー達を生産に誘う一因にもなっているようだ。
 しかしその外せない作業が、編纂者にとってはこの『筆記』になるのだとしたら、ひょっとしたら私にはもう無理かもしれない。
 はぁ、やりたかったな、編纂者……。

 あ、でもいっそログアウトしてからリアルで練習してから出直す、とかどうかな。しばらく繰り返せばちょっとくらいこっちでも早くなるかもしれないし。いつもは黒板を眺めるだけの普段の授業中も、もっと一生懸命手を動かせば練習になるかもだよね。時間を計りながらやれば早くなったらわかるし、脳内のイメージも早くなるかも……と思いたい。

 少しでも可能性がないかと考えを巡らせていると、目の前でしばらく黙って考え込んでいたグレンダさんがついと顔を上げた。
 あ、編纂者のフラグ折られると困るから一度出直すって言わないとかな。

「……ウォレスさん」
「はい、あの」
「実は、これ以外の方法がないわけではないのですよ」
「え!? マ……真、ですか?」
 あ、危なかった。うっかり驚きのあまり、マジですかそれ早く言って下さいよ! とか一瞬返しそうになっちゃったよ。
 幸いグレンダさんは私の内心の狼狽はスルーしてくれたようで、静かに頷いただけだった。

「こうして手で書く方法は編纂に必要な作業である『筆記』となります。それに対して、別の方法として『口述筆記』というものがあるのです」
「口述筆記、ですか」
「ええ、その名の通り、書に記す内容を読み上げることで書き込む方法ですね。けれど、こちらの方法は身につけるには資格が要ります。そしてそれを身につけるとその後一切『筆記』はできなくなります」
 え、そのぐらいなら全然オッケーだし。むしろそっちに絞りたいよ私は。

「資格があるかどうかは自信がありませんが、そのぐらいなら別に全然……」
「まだあります。『筆記』では新しい書に書き記したい内容の書かれた本をこうして隣に置き、見本とすることが出来ます。けれど、『口述筆記』ではその一切は暗記するしかないのです。
 今は短い呪文しか試していませんが、これが長い呪文になった場合や、例えば呪文以外の書物の内容を編纂し自分用の資料などを作るような場合でさえ、その一切を口頭で、見本無しで行わなければならないのですよ」
「……」
「さらに魔道書の場合は記述を始めてから完成まで、書に記したいと望む全ての呪文を一回で詠唱し終えなくてはいけません。時間の制約もはるかに短いものですし、消費する魔力も筆記よりも多くなります。その上、この手法をとる編纂者に一度なってしまうともう変更は叶いません。非常に厳しい道なのです。ですから良く考えて……」
「ぜひそれでお願いします!」
 その条件なら普段私が呪文唱えるのとそんなに変わんないよ! 楽勝楽勝! もー、そんな方法早く教えてくださいよ、ぜひ!




「……本当によろしいので?」
 しばしの問答の中、グレンダさんは何度も何度も私に意思を確認し、最後に大変不審そうにそう聞いた。
 もちろんそれに対する私の返事は一つだ。
「むしろそれ以外は考えられません」
「はぁ……まさかこれを憶えたいという方がいらっしゃるとは……」
 彼女の様子からするとひょっとして運営としては、一応作ってみたけどこんなのやる奴いねーよ的なネタスキルとかだったんだろうか。まぁ、それを言ったら白き木の葉だってネタ魔法みたいなもんだしな。
 というか、このゲームって探すと結構そういうネタっぽいもの多そうだよね。

「意思は固いようですし……よろしいでしょう」
 グレンダさんは諦めたようにため息を一つ吐くと、徐に側にあった小さな棚の引き出しから銀色の板を一枚取り出した。
 大きさはB5くらいだろうか。つるりとした銀の板は向かい側から見る限り、表も裏も何も描かれてはいないただの金属板のようだった。

「ここにこうして、手を当てて下さいな」
「こうですかの?」
 差し出された金属板に言われるがままに手のひらを当てる。板は見た目のままにひんやりと硬い感触だった。
 手を当てる事数秒、もういいですよ、という彼女の言葉に促され手を放す。
 自分の手元に戻した金属板に、グレンダさんはそっと手をかざして何やら言葉を唱えた。

「彼の者の記せし足跡をここに」
 彼女の言葉と共に金属板が白い光を放つ。私は驚いて見つめたが、光は一瞬ですぐに消えてしまった。
 後に残ったのはさっきと変わらない金属板だったが、グレンダさんが見ている面には何か変化があったらしい。
 向かいにいる私からは見えない面を見て、彼女は何かに驚いたように目を見張った。

「これは……ウォレスさんは、今までほとんど杖の装備なのですね」
「は? ああ、ええ……そうですな」
「あら、失礼しました。これは貴方が資格を持つかどうかを確かめるための道具なのですよ」
 彼女の説明によれば、金属板には私が今までどのように魔法を使ってきたかが記されているのだという。つまり簡単なプレイログらしい。うわ、ちょっと恥ずかしいかも。

「戦闘時の杖の装備率98%、魔法の成功率87,3%、魔法の平均詠唱時間34,6秒……」
 へぇ……結構かかってるな詠唱。一番短い呪文なら大体十秒かかるかどうかくらいで詠唱が終わるから、その平均時間はちょっと想定外かも。
 長い呪文もそれなりに増えてきたからか、実戦では時々呪文の待機時間をとって放つ魔法のタイミングの調整をしているからか。どっちもかな。
 魔道書は最初の日にミストと試しに外に出た時と、新しい魔法を憶えるための練習室での使用以外ではもう長い事使っていないからそんなものだろう。
 魔法の成功率は思っていたよりも高いような気もしないでもない。意図的に魔法を止めて変更する場合もあることを考えると結構いい方かも。
 しかしそんなことまでちゃんとログに残っているとは、すごいなぁ。
 グレンダさんは金属板に載った情報をざっと上から下まで確かめると納得したように一つ頷き、またこちらに顔を向けた。

「どうやらウォレスさんの資格は充分なようです」
「本当ですか? それは良かった」
 どうやら私は無事に口述筆記を教えてもらえるらしい。ああ、良かった。
 私の様子にグレンダさんがくすりと一つ笑う。
 あー、きっとあからさまにほっとした顔だったんだろうな。

「では、改めて編纂者の技の継承ですが……」
「はい」
「……ですが、その前に」
 ん? その前に?


「私と、勝負といきましょう」
「……はい?」

 年経てなお美しい彼女は、にっこりとものすごく楽しそうに微笑んでもやはり美しかった。
 ……でもなんかちょっと怖いです。




[4801] RGO36
Name: 朝日山◆7a40860f ID:f37ee68f
Date: 2011/07/18 11:44
 

 一体どのくらいの間戦っているのか、私はしばらく前からもう考えるのを止めていた。多分時間にしたらそれほど長い時間ではないだろうと思う。
 もし補助魔法をかけていたら何回かかけ直すくらいの時間が経っているんじゃないかとは思うが、それも予想でしかない。けれど私達の上に流れるのはそんな事を考える暇もないくらい濃密な時間だった。

「さすがになかなかやりますわね、ウォレスさん」
「そちらこそ……」 

 口を動かす事に体力が関係なくて良かったと思いながら、私は言葉を紡ぐ。
 これが現実だったらそろそろ口がだるくなっている頃だろう。
 あと口の回る速さにステータスが関係していなくて本当に良かったと思う。

「次は私の番ですわね」
「ええ、どうぞ」
 私は何が来てもいいよう気合を入れなおし、彼女の発する言葉を一音も聞き漏らすまいと耳を済ませた。開いた足にぐっと力がこもる。そういえばいつの間にか二人共何となく立ち上がっていて、テーブルを挟んで仁王立ちで対峙している。
 きっと見た目だけ見れば、まさに真剣勝負、と言う様子なんじゃないかな。
 っと、そんな事を考えている場合じゃない。
 彼女が口を開く。
 来る!

「それでは、これでどうです? ――家のつるべは潰れぬつるべ、隣のつるべは潰れるつるべ!」
「――家のつるべは潰れぬつるべ、隣のつるべは潰れるつるべ!」

 彼女の言葉を最後まで聞き、間髪要れずに一息で言い切ると、シンと一瞬の静寂が戻る。
 今回も彼女の言葉を一字一句違わず復唱できたことに、思わずほっと息を吐いた。
 また勝負がつかなかった事をどう思っているのか、グレンダさんは特に悔しがるでもなく笑みを浮かべたままだ。


 私と彼女の真剣勝負。それは――早口言葉勝負。

 私達は至極真剣だが……多分、間抜けな勝負に見えるんだろうなぁ。





「早口言葉で勝負しましょう」と最初に言われた時、私は何を言われたのか解らず一瞬固まった。
 ええと、と意味のない言葉が思わず口から零れたが、後に続く言葉を捜して目線が彷徨う。
「その、早口言葉というのは……早口言葉、ですよね?」
「ええ。早口言葉ですね」
 グレンダさんはあっさりと言い切り、にこりと笑った。

「ルールは簡単です。お互いに早口言葉を出題し、出された方がそれを復唱する。間違えたら負け。簡単でしょう?」
 はい、簡単です。確かに簡単ですが……。
 NPCとかAIとかそういう言葉が一瞬脳裏を過ぎる。それって私に勝ち目はないんじゃ……?
 いや、でも彼女が聞いた音をそのままシステム的に復唱するんだったらそりゃ勝負にならないけど、それならそもそも勝負とか言い出さないんじゃないだろうか。なら適当な所で許してくれるとか引き分けになるとか、手抜いてくれるとか。……っていうか、やっぱり中の人……いやいや、そういう事を考え出したらきりがないし!
 それに私はもうとっくにNPCをNPCと思うのはやめにしたはずだ!
 唐突でびっくりしたが、この勝負が口述筆記のスキルへの道だというなら断ることは出来ない。
 筆記の道が絶望的な私に他に選ぶ道はないんだから。

「受けて立ちましょう」
 内心の動揺を治めると、私は重々しく(つもりだけだが)頷いた。

「あら、自信がおありのようですわね」
「こう見えても早口言葉には些か自信がありますのでな。久しぶりですが、そう簡単には負ける訳にはいきませんよ」
「それは楽しみですこと」
 にこにこと笑うグレンダさんが怖いが引く気はない。

 そう、私の数少ない――正確には二つしかない――特技と言えるかもしれない事の二つ。
 それは何を隠そう記憶力と、早口なのだ。
 (いや、どっちかっていうとあんまり自慢できるものでもないから隠しておきたいかもしれないけど)

 実は昔小学校で早口言葉が流行ったことがあって、私は学年で一番になったこともあったりするくらいだ。実際は学年でとはいっても別に学校中で競ったというわけではないんだけどね。
 まぁそういう訳で、その二つしか得意だと言える事がない私に親しい友達は口を揃えて、だったらいっそアナウンサーでも目指せば、と言ってくれるくらいには得意といえるだろう。
 将来それを目指すかどうかは置いておいて、そもそもミツが私に魔法職を勧めたのだってアイツもその事を覚えていたからだろう。
 流行っていたのは小学校の頃なので早口を誇れたのは随分前の話だが、RGOで魔法を唱えるようになってから結構勘も戻ってきている気もするのでそれなりにがんばれるだろう。

「口だけは早いナミちゃん」と呼ばれた私の実力、見せてやる!

 ……思い出したらなんか哀しくなってきた。





「では次はこちらが。……お綾や親におあやまり お綾やお湯屋へ行くと八百屋にお言い!」
「――お綾や親におあやまり お綾やお湯屋へ行くと八百屋にお言い!」
 私の発した言葉に続き、彼女もまた一字一句違わず繰り返す。

 勝負を初めてから、こうして結構時間が経ったわけだが未だに勝敗はつきそうにない。
 生麦生米とか、隣の客はとかの定番から始まって、それぞれが出題した数はもう二十近いんじゃないだろうか。私の方はそろそろ早口言葉のストックがなくなりそうで、どうしたものかとさっきから悩んでいる。
 思い出せる限りのものを思い出して頑張っているのだが何せ昔覚えたものが殆どなのだ。

「月づきに月見る月は多けれど月見る月はこの月の月!」
「――月づきに月見る月は多けれど月見る月はこの月の月!」

 ちなみにグレンダさんの方は出題傾向からすると、一応このRGOの世界観的にアウトな言葉の入ったものは言わないようだ。私は普通に東京特許許可局とか言ってるけども。
 彼女の出題した、「魔術師魔術修行中」とかは、なんか自分の今の姿と被っていてうっかり笑いそうになってしまって危なかった。

「旅客機百機客各百人、旅客機百機客各百人、旅客機百機客各百人!」
「――旅客機百機客各百人、旅客機百機客各百人、旅客機百機客各百人!」
 うう、今のは結構私もやっとやっとだったのにあっさりとクリアされてしまった。
 お互いに長い早口言葉を選んだり、時々短い早口言葉で複数回繰り返すものを混ぜたりもして揺さぶりを掛け合ったりしているのだが、決着は一向に見えてこない。
 このままではどう考えても私の方が不利な気がする。けど、勝つって言ったってな……
 そんな考えに囚われている間に彼女がまた口を開く――っと、やばい、気が散ってた!

「歌うたいが歌うたいに来て 歌うたえと言うが 歌うたいが歌うたうだけうたい切れば 歌うたうけれども 歌うたいだけ 歌うたい切れないから 歌うたわぬ」
 ちょっ、いきなり長いし!

「う、歌うたいが歌うたいに来て 歌うたえと言うが 歌うたいが歌うたうたい……っ」
 あああ、間違えたぁっ!

「ま、負けました……」
 がっくりと項垂れた私を見て、グレンダさんがくすりと笑う。
 集中力が切れて考え事をしていたのが悪かった。
 これでは課題はどうなるのか、と不安に思う私に、けれど明るい声が掛る。

「あら、まだ終りではありませんよ。これは私から出題を始めた勝負です。まだウォレスさんの出題が一回分残っていますわ。それを私が言い切れば私の勝ち。間違えれば引き分けです。そろそろ私の知っている早口言葉も少なくなっていましたし、丁度良いので次を最後の勝負と致しましょう。そうですね……これだけ良い勝負をしてくれたんですもの。次の勝負でウォレスさんが勝てば、貴方の勝ちと致します」
 その彼女の言葉に項垂れていた頭を起こす。
 確かに勝ちはないが、引き分けはまだ残っている。おまけに引き分けたら私の勝ちでいいって言うのはいい条件だ。

 けれど勝てるんだろうか、と私は心の中で呟いた。
 さっきまで出していた早口言葉だってかなりの難易度のものも混じっていたのだ。しかし彼女はどれも余裕で繰り返していた。
 やっぱりこういうことでNPCに勝とうなんて土台無理なんじゃないだろうか、という思いがまた頭を過ぎる。
 一体何を出題すれば勝てる見込みがあるのか、もうさっぱりわからない。有名どころもマイナーなのも知っているものは既に色々取り混ぜてきた。正直もうネタ切れなのだ。簡単なのなら使ってないのは幾つかあるが、彼女が言えないような難しいものなんてもう思いつかない。

 そうなるといっそ……即興で作る、とか? 確かにそれなら幾らか有利になるかもしれない。
 早口言葉を作る時の注意点てなんだったっけ? 小学校でもやったはずだ、即興の早口言葉。
 確か、似たような言葉が羅列されているだとか、発声しにくい配置になってるとか……

「考えはまとまりまして?」
「ええと、少々お待ちを」
 あ、あとマ行の後は発声しにくいっていうのもあった気がする。
 似たような言葉、発声しにくい配置、マ行、それと何よりグレンダさんが知らないような。
 そんな条件、ぱっと思いつくわけがない。私は暗記は得意だけど応用は人並み程度だ。
 何かないかな、何か……マ行ってつまりマミムメモな訳だけど、マ、ミ、ム……ミ?

「……決めました」
「はい」
「これで、勝負です」
 考えをまとめ、覚悟を決めてグレンダさんをひたと見つめる。
 どこまでも余裕の笑みを浮かべた彼女を見ていると思わず負けそうな気分になるが、これで最後の勝負だ。勝手も負けても悔いはない。

 私は深呼吸を何回かし、それからたった今考え付いた早口言葉を慎重に頭の中で繰り返す。
 あまり短い言葉ではないが、三回くらいの復唱にするのが良いだろう。
 私が間違えたら元も子もない。
 精一杯心を静めて、すぅ、と息を大きく吸った。

「いきます――ミナミナミミミナガギミミミナガスギ、ミナミナミミミナガギミミミナガスギ、ミナミナミミミナガギミミミナガスギ!」
「み、ミナミナミミミナガギミミミナガスギ、ミナミナミミミナガギミミミナガスギ、ミナミナミミミナガミミ、」
「アウト!」
「っ!」
 今間違った! 

 私の言葉にグレンダさんはハッと口に手を当てた。沈黙が二人の間に落ちる。
 彼女はそうしてしばらく固まった後、やがて、ふっと息を吐いた。その肩から力が抜け、余裕の笑みを浮かべていた顔が困ったようなものに変わる。

「……負けましたわ」

 や……、やったぁぁ!
 勝った! っていうか引き分けだけど、でも一応勝ちだ!

「聞いた事のない早口言葉でした。オリジナルですか?」
「ええ。たった今即興で作ったものです。賭けだったのですが……これで、引き分けですな」
「約束ですから、ウォレスさんの勝ちということになりますわ」
「ありがとうございます」
 あああ、良かった。いっそ自虐ともいえるネタを披露したかいがあったというものだ。ミナミナミが何の事かなんてグレンダさんにはわからないだろうけど、これを繰り返すのは私の心情的には結構切なかった。
 はぁ、と安堵の息を吐いて後ろに押しやられていた椅子に腰を掛けると、グレンダさんがふふふ、と楽しそうに笑う。
 彼女は本当に楽しそうに、目じりに皺を寄せてくすくすと笑っていた。

「どうかしましたか?」
「いえ。あの人の言った通りだったと思いまして」
 あの人って、ロブルか。手紙に何か書いてあったのかな?
「ロブルは、何と?」
「この荷物を届ける旅人は随分な変わり者で面白いから、ちょっと遊んでやれって」
「……」
 ロブル……友達だと思ってたのに!
 がっくりと肩を落とした私の姿が面白かったのか、グレンダさんには更に笑われたし。うう、確かにロブルの言葉どおり、グレンダさんは手強かったよ。

「ふふふ、ほんの冗談ですわ、あの人の。そんなにがっかりなさらないで」
「はぁ……」
「さぁ、しゃっきりなさって。貴方は編纂者の試練を突破したのですから」
 あ、そうだった! じゃあこれで、クエストクリア!?
 ついに編纂者になれるのか!

 グレンダさんは顔を上げた私の前に、どこからか取り出した一冊の本を差し出した。
 赤茶色の革張りの表紙の本は魔道書より少し薄くて小さい。表紙には『編纂の書』と書かれていた。

「これは編纂者となる資格を得た者に渡される極意書です。こちらを貴方に。ただしこれは、最初に言いましたとおり口述筆記の方法を記したものです。これを受け取れば以後筆記はできなくなります。これを受け取りますか?」
「はい、勿論!」
 迷いなく書に手を伸ばすと、それは私の手に渡った途端にスッと掻き消えた。
 と同時にポーンと聞きなれた音が鳴り、ウィンドウが現れる。

『生産クエスト「知を編む者への道」をクリアしました
 クエスト報酬:編纂の書 』

 やった! ついに編纂者だ!
 なんかもう、職に就けただけですごい嬉しい。役に立つとか立たないとか、全部今日のこの苦労の前に吹っ飛んだ。これだけ苦労したのだ。役に立たなくてももう絶対止めない。多分。

「おめでとうございます、ウォレスさん。それともう一つ。私から、私との勝負に勝った貴方への贈り物です。ラウニー、出ていらっしゃい。そこにいるのでしょう?」
「はぁい」
 部屋に小さな声が響いた。
 慌てて辺りを見回すと、こっちだよ、とまた小さな声がする。
 慌てて下を向くと、私の前のテーブルの上に小さな子供が立っていた。
 紺色のチュニックとズボンで細身の体を包んだ、その子供は間違いなく――

「知の、妖精」
「やっぱり知ってるんだね! 僕の仲間に会ったの? 誰?」
「ええと、ブラウじゃよ。ファトスの図書館で知り合ったよ」
「元気だった?」
「ああ、とても。とっておきのクッキーを取られてしまったよ」
 あはは、と明るい声を上げてラウニーが笑う。こうやって見るとやっぱり妖精って可愛いなぁ。
 しかし、グレンダさんとロブルは夫婦して妖精と友達なのかぁ。一人で感心していると、グレンダさんがラウニーに声を掛けた。

「ラウニー、さっきの勝負はずっと見ていたのでしょう? ウォレスさんは充分貴方の祝福を受けるに値すると思うのだけれど、どうかしら?」
「もちろんいいよ! さっきのすごく面白かったし、ブラウの友達なら僕にとっても友達だもん!」
 うわ、嬉しいな。こんなところで祝福が受けれるなんて思ってもみなかった。
 サラムにはいるんじゃないかなーなんて思ってたけど、会うまでに図書館の本を全部読みきる覚悟は決めていたのに。

「じゃあ、ウォレスさん顔貸して」
「はいはい」
「――知の道は目に見え難く、時には薄闇に続く。貴方の志が、その道を照らす光たらん事を。言の葉の合間に住まう知の妖精ラウニーがここに祝福を贈る――」
 ブラウが告げたのと同じように、可愛らしい声が厳かに祝福の言葉を紡ぐ。
 頬に触れた小さな唇はやっぱりくすぐったかった。
 でも、ラウニーの祝福は何の意味があるんだろう?

「じゃあ、またね!」
「ああ、どうもありがとう、ラウニー」
 ラウニーは祝福を終えるとぱたぱたと手を振り、笑い声を一つ残し、くるりと一回転して姿を消した。
 残された空気が少しの間キラキラと光り、それもやがて消える。
 それを見届けた後、私はグレンダさんの方に向き直った。

「あの、ありがとうございました。実際は引き分けだったのに、こんな……」
「いいえ、勝負は勝負です。条件を出したのは私ですもの。貴方の勝ちは変わりませんわ」
「それでも、感謝します。ところで、彼の祝福にはどんな効果が?」
「あの子の祝福は技能の一つとなります。何を得られるのかはあの子の気まぐれやその出会い方など、その時々で違いますので、後でご自分で確かめられると良いでしょう。ただ妖精はあの子に限らず気まぐれで悪戯好きですから、役に立つものとは限らないかもしれませんが……」
 ……なんか嫌な予感がするのは気のせいだろうか。
 とりあえず後で確かめてみよう。

「さて、ではこれで編纂者としての伝承は終りです。後は実際にご自分で書を作ってみてください。口述筆記の場合、必要な物は白紙の書と魔力だけです。やり方は編纂の書に記してありますから、やってみる方が早いでしょう」
「わかりました。お世話になりました」
「いいえ、こちらこそ。優秀な後継者が誕生した事は何よりの喜びです。また何かありましたらいつでも訪ねて来て下さい。貴方の歩く知の道が明るくありますように」
 ではまた、と何度も頭を下げて暇を告げ、店の方へと戻る。
 ついに私も生産職につけたんだ、と思うと思わず足も早くなる気がした。
 とりあえず外に出て、またベンチにでも座ってマニュアルを読んで――

「あ、ウォレスさん!」
「はい?」
 と、思ったら背後から急に声が掛かった。
 誰かと思えば店主のオットーさんだ。何か?
「白紙の書、買っていかれませんか? 他ではなかなか手に入りませんよ!」
「……お願いします」
 くっ、この商売上手!




[4801] RGO37
Name: 朝日山◆7a40860f ID:f37ee68f
Date: 2011/07/18 11:32

 
「暖かき灯火、燃え盛る焚き火、地を舐め風に踊るものよ、大いなる怒りを身に宿した一筋の矢となれ、我が眼前の敵を赤き舌で焼き尽くせ――」

 朗々と流れる声に合わせて周囲の空気がキラキラと光る。いや、光っているのは空気ではない。
 紡がれる音に合わせて徐々にその数を増し、煌くのは文字だ。
 小さな文字が明滅しながら列を成し、くるくると立っている私の周りで螺旋を描く。
 一つの魔法分の呪文を言い終えると繋がった線は勝手に途切れ、一つながりの円になった。
 私はそれを眺めながらも詠唱を止めることなく次へと進める。一つの呪文から次へと移る時に全く間を挟まなくても、こんな風に勝手に切り離されるので私はただ繋げて最後まで言い切るだけでいいから楽だ。
 やがてもう一つ分の呪文の詠唱が終わると円がまた一つ増える。そしてもう一つ。
 くるくると私を囲み回る円は、三つを数えた所で増えるのを止めた。

「筆記、終り」
 三つ目の呪文を唱え終えたところで終りを告げる言葉を放つ。
 すると輪になって回っていた文字達はさらさらとほどけ、私の目の前の空中に浮かんだ白い本の中に列を成して吸い込まれていった。
 本の表紙は文字を吸い込むごとに赤く染まって行く。最後の一文字を飲み込むと、本はふっと力を失ったかのように地面へと落ち、パタン、と音を立ててその表紙を閉じた。
 表紙に描かれたのは「赤の魔道書Ⅰ」の文字。
 私は表紙をそっと撫でてそれを確かめると、ふぅ、と息を吐いた。

「うわ、減ってる」
 ふいと手を振ってステータスウィンドウを開き、残りのMPを確かめるとかなり減っている。
 今日はまだ二冊試しに作ってみただけだと言うのに数値はもう半分を割り込みそうだ。MPだけは、このレベル帯にしては多分ちょっとは自慢できるっていうくらい多いというのに。
 普通に戦闘しているよりも消費が桁違いに多いのが痛い。
 けどしょうがないかなぁ。私はこの方法しか出来そうになかったんだし。

「一番初級の魔道書二冊作っただけでこれかぁ……材料が安いのはいいけど、数は作れないなぁ」
 場所が宿屋の部屋の中ということもあり私の独り言を聞く人もいないので、つい素になってしまう。
 私はたった今完成した赤の魔道書をアイテム欄に放り込むと、側にあったベッドに座り込んだ。

「やっぱり熟練度が上がるまでは結構大変かな……気長にやるしかないか」
 ぼふんと寝転がると逆さまの窓の外が目に入る。今のRGOの中の時間は明け方だ。
 朝もやに包まれた街はとても静かだった。





 結局あの後、オットーの店を出た頃には私はもう寝ないといけない時間になっていた。
 セットしておいたアラームがチカチカと点滅して急かすので、仕方なくそれ以上遊ぶのを諦めてログアウトしたのだ。
 次の日を待ち遠しく眠りにつき、今日ばかりは授業もそぞろに聞いて、終わった途端に家に帰ってきた訳で。
 しかしログインしてみるとRGOはまだ夜明け前で、今日は朝の時間を探索したかったので外に出るには少士早かった。ので、こうして部屋の中で編纂者について書かれたマニュアルを読み、実際に魔道書を作ってみた訳なんだけども。

 マニュアルを読むと、心配した生産の方法は至極簡単だった。
 白紙の書を開き、口述筆記開始、と唱えて書の中に詰めたい内容を制限時間内に読み上げるだけ。開始を告げると同時にウィンドウが現れ、そこに砂時計が表示される。それが落ちきるまでが制限時間だ。グレンダさんが言っていた通りその時間は普通の筆記の時よりも確かに短いのだが、早口言葉をあれだけ繰り返した後なら気分的にも楽勝だった。
 同じ種類の魔道書を合体させる「編纂・合」に関しても、「口述筆記・合、開始」と始めの言葉を言い換えるだけでいい。合の場合は二冊の魔道書にかかれた全く同じ内容を二回繰り返さないといけない。だが制限時間も倍に伸びるので、要は間違えないことと根気の問題だけになる。ただし、出来上がった書に更に合成して行くと徐々に成功率が下がるらしい。
 それでもやり方としては、今の所どちらも難しくはない。

「やり方とか、時間は問題ないんだよね……問題なのは、作った魔道書が売れるかどうか……まぁ、最悪当分はNPCに売るしかないか」
 NPCに売ると市価の半額での買い取りになってしまう。つまり赤の魔道書Ⅰなら800Rで売られているので、買取は400Rということだ。幸いな事に白紙の書Ⅰが200Rと思ったよりずっと安かったのでそれでも利益は一応出るのだが、MPを全部消費しても一度に四冊しか作れない。もっと上位の素材を使って、上位の呪文を込めるとなればその効率はきっとうんと落ちるだろう。

 ちなみにこれが筆記になると多分MP的には余裕が出るのでもっと数を作れるはずだ。その代わりインクや羽ペンなどは何回か使うとなくなる消耗品との事なので、その分の経費が少しだけ上乗せになる。でも多分最終的な収支はどっちも似たようなものなんじゃないかとは思う。

「宿屋でもこうして生産できたんだから、後はやっぱり瞑想室で出来るかどうか試してみるのがいいかな。また引きこもりになるのが難点といえば難点だけど。エフェクトとかは気に入ってるんだけど、人に見せるわけでもないのがちょっと惜しいなぁ」
 生産の時に本が浮く様とか、文字が躍る姿がキレイだし、すごく魔道士っぽくて気に入ってるんだけど、残念ながら宿屋も瞑想室も単独使用なので人に見せることはできない。かといって外でやる気もないし。
 それでもグレンダさんの言葉の通り、編纂者の生産工程は専用の工房でなくても行えたことはとても嬉しかった。
 筆記だと机と椅子があった方が良いとの事だったが、口述筆記を選んだ私にはそれも必要ない。ただマニュアルによれば例え呪文を言い間違えたりしなくても熟練度が上がるまでは一定の確率で失敗するらしく、工房などを使った方が成功率が上がるのは確かなようだった。

 今作った魔道書は赤の魔道書Ⅰを二冊だったので、いっそ合成してしまうのが良いだろう。
 しかし合成するためには二冊分の呪文を唱える必要があるので、それをやるともうMPが空になる。「赤の魔道書Ⅰ(+1)」を一冊作るだけでMPが空って考えてみるとすごい。ちなみに詠唱中は唱えるごとにMPがぐんぐん減っていくので、途中でMP切れになった場合は生産失敗になる。
 そうなるとMP欄を見ながら生産して、足りなくなりそうな時はいつかのようにMP回復薬を頭から被れるようにしておいた方がいいんだろうか……。でもあれ種類によっては結構高いから使ったら赤字になる可能性があるからそれは最終手段にしたいなぁ。

「とりあえずどんな本を作るかをまずよく考えて見ないとね。材料だって好きなだけ買える訳じゃないし。MPに関しては熟練度が上がって消費が減るまで我慢するしかないか……後はサラムでも本を漁って知力を上げて、少しレベル上げてMPの底上げとかくらいしかできることはないかな」
 とりあえず地道に頑張るしかなさそうだ。ま、何事もそんなもんだし、別にそういうのは嫌いじゃないからいいしね。

 そんな事をつらつらと考えているうちに外は更に明るくなってきていた。
 そろそろ街に出て、早朝に出会えるものを探しながら歩くのもきっと楽しいだろう。この街の探検も、色々なお店巡りもまだ殆ど出来ていないし。

「生産もすごくいいけど……まずは、この街と仲良くなるのが先、かな」
 よし、と勢いをつけて立ち上がると、私は部屋を出るべく歩き出した。
 宿屋の一階の食堂へと出ると、朝は女将さんではなく、旦那さんが起きていて何かの仕込をしていた。
「おはようございます。早いですね、ウォレスさん」
「ああ、おはようございます。今日はちょっと朝の街でも歩いてみようかと思いまして」
 最初は適当に選んで泊まった宿屋だったのだが、雰囲気が気に入ったのでこの街にいる間はここを使おうかと決めている。その旨をもう告げてあるので、主人とも女将さんとも大分気安い仲になっていた。

「そうですか。今朝は晴れているし、確かに散歩には丁度良さそうですよ」
「それは何より。もっともこの街は雨の日も風情があって捨てがたいですがのう」
「ははは、なかなか通ですね。では、いってらっしゃい。どうぞごゆっくり」
 主人の声に送られて通りに出る。外はまだ朝もやが残っていたが確かに天気がよく、立ち並ぶ家々の間から日差しが差し込み始めている。
 私はのんびりと歩きながら街を行く人々を眺め、その中から緑のマーカーを探した。店の前を箒で掃いているおばさん、家の前に置いた植木鉢に水を与えているおじさん、何か届け物をするのか走っていく子供。
 さてさて、今日は誰に話しかけようかな。





「作ったものをNPCに売るの? ならリエに頼むと良いわよ」
「リエちゃんに?」
 数日後の昼休み、珍しく由里と一緒にご飯を食べながら、生産職に就いたけれど作ったものが売れるかどうか微妙だ、という話をするとそんな提案をされた。
 まだ何の職に就いたのかは具体的に明かしていないのだが、魔法系の生産だと言う事だけは話してある。今の所それが売れるかどうかはわからないことも含めて。
 由里なら話してもいいんだけど、もうちょっと熟練度が上がって使える本が作れるようになるまで何となく気恥ずかしいから内緒にしとこうかな、とか思っているのだ。

「商人だと熟練度によるけどNPCとの売買全般にボーナスがつくのよ。すごく沢山つくとかじゃないけど、普通に店売りするよりちょっとだけお得なの。リエならマージンなしで売り買いしてくれるわよ」
「それはリエちゃんに悪いじゃろ」
「ナミ、言葉」
「あ、ごめん」
 つい語尾が……由里とかミツ相手ならいいけど、他の友達やクラスメイトと喋る時は気をつけないと……。

「あの子はナミからお金なんて取らないと思うわよ。けど、オークションとかに一応出してプレイヤーにも売れるかどうか試してからでもいいんじゃないの?」
 それは私も考えなくもなかったんだけど、ちょっと気が進まないんだよね。

「それもちょっとは考えたんだけど、オークションって出品者の名前出ちゃうからさ。魔法具生産系のスレッドの荒れ具合とか色々考えると、まだあんまり名前出したくないなって思って」
「あー、なるほど。ならそれもリエに依頼すればいいのよ」
「オークションも?」
 その言葉に首を傾げると、由里は頷いて言葉を続けた。

「商人だけはどこにいてもオークションに出品したり入札したり現在の情報を見たりできるようになってるのよ。だから忙しい人から商品を委託されて代わりに出品したり、依頼されて特定の品を落札したりとかしてる人、結構いるのよ。他にも通称「自販機」っていう無人の販売所を作れるスキルもあるから、露店販売でも委託する事ができるし」
「じゃあ、その委託者の情報は?」
「委託を受けた商人が公開非公開も設定できるから、非公開にしてもらえばわからないわよ」
「それ、すごく助かるかも。じゃあ今度試しに頼んでみようかな」
「そうしたらいいわよ。リエもきっと喜ぶし。普段は鑑定とか買い物くらいにしか今のトコ役に立ててないから。アイテムは結構仲間内で回して融通し合っちゃうから、余った物とかいらない物が出たときじゃないと露店とかしないのよね」
「そっか。じゃあお願いしてみようかな。まだ街の探索ばっかりしてたからそんなに作ってないんだけど、そろそろ熟練度上げるためにも少し集中してやろうと思って。売りたいものが溜まったら連絡するって、良かったらリエちゃんに伝えといて」
「うん、家に帰ったら言っておくね」

 そこで会話が途切れたので、膝に乗せたまま放って置いたお弁当にまた箸をつけた。
 一人暮らしなので普段から余ったおかずを小分けにして冷凍して取ってあって、それを適当に詰めてくるだけの簡単なものだ。後はミニトマトを詰めたり玉子焼きを朝焼いたりするだけで彩りもいいし問題ない。たまに由里と弁当ごと取り替えて違う家庭の味を楽しんだりもする。由里のお母さんも料理は上手いのでお弁当はいつも美味しかった。

「そういえば、委託者非公開ってことは、作ったものにも名前入れないの?」
「そのつもり。適当に偽名入れとこうとおもって」

 生産した物はその殆ど全てに生産者の名前を設定する事が出来る。別に物そのものに書かれている訳ではないが、アイテムウィンドウでアイテムの詳細を確かめると見ることが出来る項目だ。
 武器防具はもちろん薬や魔法具、騎獣なども、作った人によってその数値や効力が少しずつ違ってくることが多いので、自分の作った物に多少の自信があれば名前を入れることが多い。
 名のついた品物が売れて人気が出たり品質に信用が出来れば更に人を呼ぶ事になるから、あまり酷い数値のものでなければ名前を入れる方が得なのだ。
 名は自分の好きに設定できるので、個別注文などを受けたくない人はいわゆる号のような感じで別名を使うこともできる。

「名前が売れるのもいいことばっかりじゃないもんね。注文が増えすぎて他の時間が取れなくなったとか、注文されて作ったらやっぱりいらないとか言われたり、数値が平凡だからまけろとか言われた、なんて聞くことも結構あるし」
「そういうのもあるのかぁ。リエちゃんに委託して迷惑掛けないかな?」
「大丈夫よ。商人にはブラックリストって言うスキルがあって、悪質な客がいた場合はその客とのやり取りのログを取って、商人ギルドとかで閲覧できるリストに載せることができるのよ。そうなると悪評が広がるし、下手すれば商人全員に相手にされなくなったりするかもでしょ? だから商人相手に強気に出る人は少ないの」
 へぇ。それは思ったより大分便利だ。ちゃんと商人も副職として成り立つようになってるんだなぁ。
 じゃあ、オークションに出せるようなものが出来たら委託してみようかな。

「じゃあ露天とかオークションでは売れた金額から原価だけ引いて、利益から何割かちゃんと払うって言っておいてね。NPCにしか売れないようなものの時だけはちょっとだけ甘えてもいいかな」
「オッケー、伝えとく。そのくらいなら全然大丈夫だと思うわ。今日はインするの?」
「今日は定期連絡の日だから、夜は長話につき合わせられるんじゃないかな。課題も出てるから土日ゆっくり遊ぶために終わらせておきたいし、ログインしないかも」
「そっか、おばさん達元気?」
 単身赴任中の父とついていった母とは二週間に一回くらい連絡を取っている。普段は電話とかメールのやりとりだけど、たまにVRチャットで団欒? のようなことをすることもあり、今日はその予定だった。

「元気元気。VRチャットだとなんか二人共普段しないようなすっごい若い格好してくるからこっちがぎょっとするくらいだよ」
「あははは、わかるわそれ! VRアバター用の衣装って、普段絶対着ないようなのが色々あって着てみると意外と面白いもん」
「由里なら何でも似合うだろうけどさ、親の場合それを見るほうの身になって欲しいかなぁ」
 両親も私もそうだが、仮想ショッピングモールなんかを利用する人は大抵がリアルの自分そっくりのVRアバターを持っている。どの街にも一つくらいは設置してある有料の3Dスキャンシステムを使って自分の全身映像を撮影し、それをアバターにできるよう加工して登録するのだ。
 そうして作った自分そっくりのアバターは試着の必要な買い物や親しい人とのチャット、遠方での会議とかのビジネス用に使われることが多い。アバターは幾つでも作れるので、リアルタイプと、デフォルメしたキャラクターっぽいアバターとかとの使い分けをしている人がほとんどだろう。
 もちろんリアルアバターは由里も持っている。たまに一緒にVRで買い物に行ったりするのだ。
 
 可笑しそうな由里の笑い声を聞きながら最後に残ったプチトマトを口に放り込む。由里の方はとっくに食べ終わっていた。同じ時間に食べ始めるのにどうして食べ終わりはこんなに違うんだろうといつも思う。

「ごちそうさまっと。じゃあ、リエちゃんによろしくね。この土日はちょっと頑張って生産してみるよ」
「そのうち見せてよね?」
「ん、わかった」
 頷いて食べ終えた弁当をしまい、時計を見るともうそろそろ昼休みも終わる時間だった。
 帰りも一緒に帰る約束をして、二人で教室へと戻る。
 今日は金曜だからログインできないかもしれないのが少し残念だ。でも少しなら遊べるかなぁ。それと明日もログインしたら約束があるから、生産するなら後かな……約束忘れないようにしないと。
 朝に洗濯とか掃除とかすませちゃって、早めにログインして少しだけ生産しようかな。
 とりあえず初級魔道書を何種類か作って、その合成を考えているんだけど……できればちょっとくらい、売れますように。



[4801] RGO38
Name: 朝日山◆7a40860f ID:f37ee68f
Date: 2011/07/18 11:44


 次の日。

 結局、早めに起きたものの色々と家の事をこなしていたらログインできたのは昼の少し前になってからだった。
 今からでは約束の時間まであまり時間は取れないが、それでも少しくらいは生産をしておこうと考えて魔法ギルドへと向かう。
 目当ては勿論瞑想室で、そこで少しだけ生産をするつもりなのだ。
 工房も一応一度使って生産をしてみたが、別に手順も出来上がったものの数値も変わらなかったので、成功率は気にしないことにしてMPを回復する時間の事を考えて瞑想室を使うことにした。

 とはいっても瞑想室でも編纂ができる事は確かめたが、呪文を唱えている間はどうやら瞑想しているとみなされないらしく、精神の値の上がりは普段使う時のようにはいかないようだった。
 普段のMP回復兼瞑想スキル上げに使う時は大抵情報掲示板を見ているので、たまに独り言を呟くぐらいで殆ど静かに黙っている。
 つまり、あの部屋にいる時に精神の値にプラス効果を得るには、黙ってそこにいる事が重要だということらしい。喋っていると駄目だった事は少し残念だが、理にかなっているので仕方ない。
 それでも瞑想室を黙って使用している時間は積算されるらしいので、あそこで生産するのも全くの無駄と言う訳ではない。MP回復のために黙っている時間や瞑想スキルの熟練度の上り具合を考えると、やはりあそこで生産するのが得なのだ。


 ぼんやりと今日の予定を考えながら歩くうちに、気が付けば魔法ギルドの塔はすぐ目の前だった。
 もうすっかり見慣れたずんぐりとした筍に似た塔。塔の正面には広い階段が設けられ、その階段の先には大きな両開きの扉が来訪者を威圧するような風情で待っている。
 なかなか雰囲気を出しているそれを、実は結構気に入ってたりする。しばしその場で立ち止まって眺めていると、流石に今日は土曜日でサラムも人が多いせいか利用者が結構いるらしく、見ている間にも何人もの魔道士らしき人達がその重たそうな扉の向こうに消えていった。

「よし、わしも行くかな」
 歩き出す前に一応待ち合わせのベンチへと目を向けるが、まだそこに彼の姿はない。
 それを確認した私は塔に近寄り、階段を登ってドアノブのない押すだけの扉に手を掛けた。
 魔道士が使う為にだろうか、見かけよりもずっと軽い扉はすんなりと開き、私は片方だけ開けた入口をするりと潜る。
 入った場所は天井の高い広いホール……の、はずなのだが、今日は少しばかり様子が違った。

「……なんじゃこりゃ」
 見渡す限り、人、人、人。私はギルド内に一歩踏み込んだところで驚きとその人波に阻まれて足を止めた。
 しかも驚く事にと言うか当然と言うか、全員ローブ姿。こんなに沢山の魔道士を一度に見たのは初めてだ。広いはずの入口ホールは魔道士達でぎゅうぎゅうで、その向こうにある受付は入り口からではちらとも見えない。
 人種的にはざっと見た感じ六割ほどがエルフで、残り三割くらいが人、後は獣人がちらほら、と言うところだろうか。

 何かイベントでもあるのかな、と思いつつ壁際へとよって、壁伝いに受付が目指せないかと横へ進んでみる。しかし壁に寄りかかって談笑している人達もいて、どうにもすんなり行けそうにはなかった。
 このホールは塔の形の半分くらいを使った広めの扇形をしているのだが、その奥の方で何か声を上げている人達がいてそちらへ行くほど人の層が厚くなっていくのだ。そここそが受付の前のはずなんだけど。
 うーん、困った。
 部屋の貸し出しとかの受付自体は、窓口まで行かなくてもここでウィンドウを開いて出来ないことはない。しかし各部屋への移動は受付の側にある扉を潜らなければ行けないのだ。
 参ったなぁとため息を吐いた時、立ち尽くす私に声が掛けられた。

「あれ、あんたNPC……じゃないよな。参加者さん?」
 顔を上げると近くに立っていたエルフの男が私の方を見ていた。もちろん知らない顔だ。
「いや、魔法ギルドを利用しに来ただけだが……何かイベントですか?」
 知らない人なのでとりあえず爺言葉はなしで普通に問いかけたが、男は私の言葉に少し困ったように眉を寄せ、頭を掻いた。上げた手に指輪が幾つも嵌っているのがちらりと見える。

「あー、んーと、今日はうちの旅団で貸切なんだよ。悪いけど、できれば日を改めてくんないかな」
「……貸切って、ここを? 魔法ギルドの貸切なんてできるんですか?」
「んー、まぁ、貸切つっても集合場所がここってだけだけどさ」
 なんだそりゃ。ここが集合場所って、それなら外の広場で集まればいいじゃないか。
 それに旅団の集会なら、普通は旅団ギルドへ行って旅団の専用部屋を使うはずだ。
 旅団ギルドはその名の通り、旅団を組もうとする者、組んだ者達が利用する専用施設で専用金庫や専用部屋がある。専用部屋の広さは旅団員の人数に比例して広くなるらしいので大勢でも特に不便はないだろうし、この街にもあるはずなんだからそっちに行けばいいだろうに。
 はた迷惑な理由にちょっとむっとしたが、とりあえず顔には出さずにその辺を質問してみた。

「集会なら、外の広場や旅団ギルドの専用部屋で行うのではだめなんですか? サラムにも旅団ギルドはあったはずですが……」
「あっと……今日のは新規の入団希望者への説明会とか兼ねてっからさ。旅団員じゃないと入れない場所じゃ困るだろ? 外だと声が通りにくいしな。そういう訳で、入団希望じゃないなら、悪いんだけど出直してくんないかな?」
「奥の扉を使いたいだけなので、ちょっと通して貰えれば済むんですが……」
「部外者がいるとなるとうちも場が混乱するかもで困るんだよ。一、二時間もすりゃ移動するからさ」
「個室に入ってしまえば別に外の会話も聞こえないし、邪魔にはならないと思いますが……」
 というか、公共施設を勝手に集団で占拠すんなこの迷惑野郎ども、と言いたいところなんだが。
 いい加減ちょっと腹が立ってきたので、いっそ人並みを掻き分けて奥の扉に飛び込んでしまおうか、と考え始めたころ、不意に横合いから別の声が掛かった。

「どうなさいました?」
 柔らかな声に振り向くと、いつの間にか別のエルフの女性がすぐ近くまで寄ってきていた。少したれ目でおっとりした雰囲気の金髪美人だ。癒し系っぽい感じの男に好かれそうな顔立ちだが、私としてはそれ以上の感想はない。段々美人を見てもどうとも思わなくなってきたなぁ。

 女性は優しげな微笑を浮かべ、私と男を交互に見やり首を傾げた。
 どうやら声こそ荒げていなかったが押し問答をしているうちに、私達は少しばかり周囲の注目を集めてしまっていたらしい。目の前の男は第三者の介入にあからさまにほっとした顔を見せた。

「あ、すいません。実は……この人がギルド使いたいっつって、事情話したんすけど、譲って貰えなくて」
「あら、それは困りましたねぇ」
 えーと、譲って貰えないって何だそれ。まるでこっちの心が狭いような言い方だなぁ。困ってるのは私の方だってのに。
「使う人数分だけ部屋が用意される公共施設で、譲るも譲らないもないのでは? 私はただ、奥の扉まで通してもらえないかとお願いしているだけなのですが」
 その公共施設のロビーを不当に占拠している貴方達は何なんだと。
 私が苦笑と共にそう告げると、エルフの女性は指輪の沢山嵌った手を頬に当てて、美しい顔を困ったように曇らせた。

「まぁ……ご迷惑をおかけして申し訳ありません。でも、奥の方はもっと混み合ってて、ちょっと今列の整理と集合の点呼中なんです。途中で人が動くと点呼が途切れてしまいますし……もう少しだけ、外でお待ち頂けませんか?」
 あくまで穏やかな口調ではあるが、彼女もまたこちらに譲るつもりはないらしい。
「あの、こちらも壁際を少し通らせて頂くだけでいいんですが……」
 こっちにも予定が、と続けようとした時、私の耳が小さな舌打ちの音を捉えた。

 ふと気が付けば周りから随分と見られている。それとなく視線を巡らせれば、私の存在がいかにも邪魔だと言いたげな幾つもの視線とぶつかる。中にはあからさまに眉を寄せ、今にも罵声を発しそうな顔で睨んでくる輩もいる始末だ。
 察するに、どうやらこの女性はこの旅団内では結構上の方の人間だとか人気者だとかなのかもしれない。こちらから折れるのは全く面白くないが、これ以上ここにいると、更に面倒なことになりそうだ。何せ目の前の女性が困ったように目を潤ませて頭を下げるたび、周囲の温度が冷えていくようにすら感じるのだ。私はため息を一つ吐いて、少々うんざりした気分で軽く頷いた。

「……わかりました、仕方ないので出直しますが……なるべく早めにここが使えるようにして頂けると助かります」
「ありがとうございます、ご理解頂けて助かります! なるべく早く移動できるよう気をつけますね。あ、そうだわ!」
 女は私の言葉にぺこりと頭を下げた後、ぱっと顔を上げ、少しばかり大げさな仕草で両手を前で合わせて笑顔を見せた。

「ここに丁度来られたのも何かの縁かもしれませんよ! あの、良かったら貴方も集会に参加して行かれませんか?」
「は?」
「あっ、いいっすね、それ。あんたもローブ姿ってことは魔道士なんだろ? うちは魔道士ならいつでも入団歓迎だし」
「ね、良いアイデアよね? どうでしょう? うちの旅団は魔道士の人ばっかりなんです。お互い助け合って仲もすごく良いし、他のギルドからも頼りにされてて評判いいんですよ」
「……あー、えーと」
 にこやかな笑顔を浮かべたままの女性にぐいっと間近に迫られ、私は思わず後ろに仰け反った。
 清楚な白いローブを押し上げるふくらみを強調するような前傾姿勢と上目遣いが素晴らしく型にはまっている。
 中の人が普通に男なら、即頷いてたんだろうけども……私はものすっごく遠慮したい。

「あー、大変申し訳ないが、ここでの用事が果たせないなら次の予定が詰まっているので、又の機会にさせて下さい」
「えっ、参加されないんですか? そんなぁ……」
 残念そうな彼女の言葉に回りからの視線が痛いが無視だ無視。空気読めよとでも言いたげな視線が鬱陶しいが、そんな視線に流されるようなら爺プレイなんてしていない。ここから出て行くことは折れたが、今度は折れる気はない。
「では、私はこれで」
 私は纏わりつくそれら全てを無視して笑顔を見せ、会釈をするとくるりと踵を返した。

「あっ……! あの、良かったら、うちの旅団は魔道士の方ならいつでも入団を受け付けてますから、いつでも見に来てくださいね! 説明会を兼ねたこういう集会も掲示板で告知して時々開催してますから、歓迎します!」
「……機会があれば。では」
 もう無言で立ち去っちゃおうかなとも思ったが、一応の礼儀として顔だけ後ろに向けて会釈をする。このくらいしておけば角も立たないだろう。
 にこにこと頭を下げる女性に見送られて、私は人口密度の高いホールをため息と共に後にした。


 外に出ると、何となく呼吸が楽になったような気がして思わず深呼吸をしたくなった。
 久しぶりの人ごみに疲れたのか、それとも今のやり取りに疲れたのか。
 私はふらふらと広場の端にあったベンチの一つに座り、気分を落ち着かせようと片手で髭を梳いた。
 深呼吸をしようと口を開くとため息がまたこぼれる。

「何かこう……もやっとするような……」
 短い時間のやり取りだったのに、何故か心がちょっとささくれた気がするというか。
 ただ奥へ行きたかっただけなのに、結局交渉にもならなくて逃げ帰ったような形になったせいだろうか。けど無理を通して奥まで行って、変にマークされるのも避けたかったし。
 しかし公共施設を集団で占拠するというのはありなのか? 掲示板で告知しているとか言ってたけど、運営に注意されたりしないのかなぁ。

 プレイヤー主催のイベントとか集会みたいなのは結構盛んなので、その告知専用の掲示板があるのは一応知っていたけど、今のところ自分には関係ないと思って見たことはなかった。
 これからもあんなのに遭遇するようなら、たまには見ておいてその時間を避けた方が無難だろうか。
 でもやっぱり何かもやっとして、面白くない。
 一応謝罪を受けて帰ってきた形になっているので、運営に苦情を申し立てるほどではないんだけども……。

「……約束の方を先にするかの」
 もやっとするのに気を取られていたが、目的が果たせなかったならもう約束の場所で待っていてもいいかもしれない。とりあえず今の出来事は脇に置いておいて、待ち合わせ場所に行ってようかな……っていっても待ち合わせ場所はこの広場の別のベンチなんだけども。
 私はもう一つため息を吐いて座っていたベンチからゆっくりと立ち上がると、広場を横切りこの間彼と話をした場所を目指した。




[4801] RGO39
Name: 朝日山◆7a40860f ID:f37ee68f
Date: 2011/07/18 11:47

「えーっと、ギリアムさんは……」
 私は歩きながら周囲を見回したが、まだ待ち人の姿は見えなかった。
 とりあえず座って待とうかと更に足を進めると、目指すベンチの近くの細い路地から誰かの声が聞こえた。
 
「……から、悪い話じゃないだろ?」
「どこがだ。それじゃ話にならない。こっちの都合はお構いなしか」
 ……なんか物騒な雰囲気の話し声だ。しかも声の片方には明らかに聞き覚えがある。
 そっと近づいてちらりと路地を覗いて見れば、そこにいたのはやはり待ち合わせの相手であるギリアムさんともう一人の姿だった。会話の相手はもちろん私の知らない男だ。ただ、オーバーアクション気味に持ち上げられたその手の指に沢山の指輪をつけていることにはすぐに気が付いた。
 
「あんただって作ったもんが多少なりとも売れれば助かるだろ? 今よりインゴットは手に入りやすくなるし、スキルも上がるし、何が不満だって言うんだ」
「勝手を言いやがる。あんた達の提案じゃこっちのスキルは彫金しか上がらねぇじゃねぇか。スキルレベルのバランスが悪くなりゃ、後で苦労するのは俺の方だってのによ。それに提示された値段じゃどう考えたって原価ギリギリだ。あんた達は一体どこまで人を馬鹿にすりゃ気が済むんだ?」
 盗み聞きするのは少々心苦しいが、私は二人の声を聞きながらそっとベンチに腰を下ろした。
 どうやら彼らは生産か何かのことで何か揉めているらしい。だが会話を聞いただけではどちらに理があるのかはわからないので、部外者としては黙って聞こえないフリをするしかない。
 
「別に馬鹿にしてなんかいないさ。ただの提案だろ? お互いがこれ以上限られた資源を奪い合わないための、平和的解決って奴だ。大体、この話を蹴って苦労するのはあんたの方だろうに」
「へっ、生憎だが、そっちの生産者がダセぇ指輪しか作れなくて旅団内から不満が出てるのは知ってるんだぜ」
「……そんなことは」
 ギリアムさんがそういうと、相手はむっとしたように押し黙ってしまった。どうやらギリアムさんの指摘は図星だったようだ。

「とにかく、その話を受ける気はねぇ。自分の作った土台やデザインを二束三文で買い叩かれて流用されるくらいなら、NPCにでも売る方が俺にとってはまだ気分がいいさ」
 相手は舌打ちを一つすると、後悔するなよ、と悪役まんまな捨て台詞を残して歩き出した。
 足音が路地の出口であるこちらに向かっていると気づいた私は、とっさにその場で腕を組んで頭を少し下げ、目を瞑る。
 秘技NPCのフリだ。これをすると大抵のプレイヤーに、緑のマーカーが出ていないNPCがいるけどきっとちょっとしたバグか何かだろう、で済まされるのだ。
 案の定、路地から出てきた男は私のことを気にも留めず、そのまま足を止めずに広場を横切って歩き去った。
 
 ……上手くいったけど、何となく少しだけ悲しい気がする。




 そのまま動かずにいるともう一つの足音がカツカツと私に近づき、私の座るベンチのすぐ側で止まった。
 声をかけてくるかとそのまま待っていると、しばしの沈黙の後にぽそりと小さな声が聞こえた。
 
「……これでここに猫でもいりゃあなぁ」
「いやいや、縁側で昼寝とかじゃないんだから」
 がばりと身を起こして反論するとギリアム青年が驚いて仰け反る。
 
「おわっ、起きてたのかよ!」
「当たり前じゃよ。宿屋以外で本気で寝てたらそりゃただの状態異常じゃろ」
「う、まぁ、そういやそうか。じゃあなんで寝たふりなんか……って、ああ、原因は俺か」
 彼は待ち合わせの相手である自分がさっきまで別の人間と言い争いをしていたことに思い至ったらしく、ばつが悪そうな顔を浮かべる。そんな彼に私は頷いて軽く頭を下げた。
 
「すまんな。途中からじゃが、聞いてしまった」
「いや、待ち合わせの時間も場所も丁度だったんだ。んな場所で話してた俺が悪いさ」
 ギリアムは首を横に振ると、ドカっと私の隣に腰を下ろした。
 それから耳につけたピアスに触れ、システムウィンドウを開く。
 何をしているのかは私からは見えないが、何かを探しているようだった。しばしの後、探し物が見つかったのか彼は操作の手を止めた。
 
「胸糞悪い話は置いといて、まずはこれだよな。えーっと、爺さんはウォレスさん、だったよな」
「ん、ああ。そうじゃが」
「オッケー、じゃあ『アイテム贈呈、ウォレス』」
 え、と彼の言葉を疑問に思うまもなく、座っていた私の膝の上に白い光が現れた。
「わ、何……」
 驚いてその光に両手で触れた瞬間、パチンと弾けるように光が消える。そしてあとに残ったのは。

 
「……こ、これは! まさか、これをわしに!?」
「つまらんもんだが、詫びの品だ。受け取ってくれ。そして出来れば今すぐここで装備してくれ!」
 そういう言葉って、もっと可愛い女の子キャラに萌え系装備をプレゼントした時なんかに言う台詞なんじゃなかろうか。と、頭のどこかで冷静な突っ込みが思わず入ったが、私は内心ではかなり興奮していた。
 
 私の膝の上に現れたアイテムは二つ。
 一つは、いかにも魔道士装備の定番って感じの、つば広で先のとがった帽子。
 もう一つは、良く磨かれた艶が美しい、こげ茶色の木製のパイプ。これもまたこの上なく定番っぽい作り。

 しかもなんかこの帽子を良く見れば、とんがり部分の緩やかな曲がり具合とか、つばが少しくたびれた感じとか、今私が着ているローブと同じ色合いとかがやたらと良く出来てるし。
 私が今装備している灰色のローブは実はまだミストから最初に貰った毛織シリーズの物だ。
 中に着ているシャツやズボンや靴はセダでもう少し良い物に買い換えたが、ローブは色合いが気に入っていた事もあって変えていない。他と一緒に買い替える事も一応は考えたのだが、どうせ何を着ても紙装甲なのは変わらないのだから一つくらい気に入った物を着たままでもいいかと思い直し、未だにそのままなのだ。
 
 それは余談として、今貰ったこのとんがり帽子はその毛織のローブとセットのような全く同じ色をしている。
 しかし確かこの毛織シリーズの帽子はこんなデザインじゃなかったはずだ。
 ミストから貰った装備の中には帽子がなかったので後から自分で探してみたのだが、毛織シリーズの頭装備はふんわりした丸い帽子で、そのデザインが気に入らなかったので結局買わなかった覚えがある。
 その点この帽子は、はっきり言ってツボだ。ものすごく私のツボだ。
 
 ちらりと彼の方を見ると、何だかきらきらした瞳でこっちを見ている。
 私はきちんと彼の方に向き直ると、黙ってすっと片手を差し出した。
 ギリアムはその手を見つめて一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに私の意図に気づいたらしくがっしりと手を握り返してくれた。
 
「ありがとう……! まさかこんなにツボな帽子に出会えるとは思ってもみなかった。もしかしてこれは自作かね?」
「気づいてくれたか! そう、あんたのために素材から揃えて作ったんだよ。やっぱり魔法使いの爺さんには帽子がないとな! それさえありゃ完璧だって思ってたんだ。詫びなんかだからぜひ受け取って使ってくれ!
 いやぁ、その風合いを出すの苦労したぜ。もう少しくたびれた感じがあった方が理想なんだが、そうすると今度はローブと釣り合いが悪くなっちまうからなぁ。パイプもやっぱりもっと使い込んだ感じを出したかったんだが、こっちはあんまり中古っぽいと使うの嫌がられるかと思ってよ。せめて渋い色合いにしてみたんだ。結構自信作なんだぜ?」
 
 ほぼ一息で言われたそれらの言葉で、彼のアイテムと魔法爺への思い入れは大変良くわかった。その思い入れの詰まったアイテムを私にくれたのかと思うととても嬉しい。
 でも、そんなにこだわりがあるなら自分でも老人をやればいいのにとちょっと思わないこともないかなぁ。そしたら私も老人仲間が出来てちょっと楽しかったかもしれないのに。
 そんな事を少しだけ残念に思いながら、帽子と私を見比べながらそわそわしている彼が不気味なので、とりあえずパイプを膝に残して帽子だけ持ち上げてひょいと頭に乗せた。
 
 む、つばが広いと結構視界が狭まるな。
 仕方ないのでちょっと後ろを下げてつばの前側を少し曲げるようにして持ち上げ、全体的に斜めに被って視界を確保するように位置を微調整する。
 ついでに微調整しながら片手を振ってウィンドウを開き、装備欄を呼び出して帽子の名前を確認した。
 
「んー、位置はまぁこんなもんかの……『毛織のとんがり帽子、装備位置固定』」
 そう声に出すと、ポーンといつものシステム音が聞こえ、ウィンドウに『頭装備の位置が固定されました』とメッセージが出る。
 これで帽子は微調整した位置から動かなくなる。ずり下がってきて視界を塞いだりということもないし、大きく斜めに傾けて被っていても落っこちたり、風で飛ばされたりすることもない。
 
 膝の上のパイプはどうしようか少し悩んだが、分類としては装飾品の類のようだったのでとりあえずは片手に持つことにした。
 今は本を左手に装備しているので右手が開いてるし、位置は固定せず邪魔になったらしまえばいいからこれでいいや。
 ああ、鏡見たいなぁ。これは外見だけならかなり完璧な魔法爺なんじゃないだろうか。サラムに来てからはしまったままの杖も出してみたい。でも杖と本とパイプだと、どれをどうやって手に持つかが重要な問題だ。って、ああ、なんか燃えの余りどんどん思考が逸れてる気がする。とりあえず彼にもう一度お礼を言って、それからすぐそこの建物の窓でも覗きこんで自分の姿を確認しよう。
 
「どうかの? 似合って……」
 重要な案件はひとまず脳内で保留にして振り向いた私は、しかし最後まで言葉を紡ぐことは出来なかった。
 なんかすぐそこに三脚立ててスクリーンショット撮影用のカメラを設置してる人がいるんだけど。
 ……うーん、ま、いいか。後で私にもその写真送ってもらおう。





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とりあえず今回はここまで。
連投ですみません。



[4801] RGO40
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:f37ee68f
Date: 2011/07/23 01:00



「ああ、癒された……」

 ヤクザまがいの男と魔法使いの爺さんがベンチに並んでツーショット、という謎の多い記念撮影の後、私達はまだベンチに並んで座り、すぐそこで買った魔法焼きを食べていた。
 この前は彼におごられたが今日はせめてものお礼代りに私のおごりだ。どうやら彼は見かけによらず甘党らしく、食べ慣れたものでも随分と喜んでくれた。
 何か良い仕事をやりきったような清々しい笑顔と手に持った甘いお菓子が、強面の彼には激しくミスマッチだがもう何だか慣れてきた。
 それにしてもたった今ため息と共に吐き出された彼の言葉と口調、どうにも気持ちがこもり過ぎだ。何だか可笑しさが込み上げて私は思わずくすりと笑ってしまった。

「ギリアムさんも老魔法使いに何か思い入れでも?」
「ああ、ギリアムでいいって。まぁ俺もファンタジーはもともとかなり好きでな……つっても、むしろ最近美形に飽きがきてたという方が強いかな」
 あ、なんかそれわかる気がするなぁ。
 確かに最初は私も美形な人たちを珍しく眺め回していたが、最近では全く意識を向けなくなりつつある。むしろNPCの方が色々個性的な顔立ちだったりして、そっちの方が話をしていると落ちつくのだ。
 あまりにも皆がかっこよかったり美人だったり可愛かったりすると、段々どれも同じに見えて区別がつかなくなってくるから不思議だ。

「いや、最初はすげー感動したんだよ、俺も。俺はVRゲームは初めてだったからよ。ログインしたら目の前に昔見たファンタジー映画の中みたいな世界が広がってて、見るもの全部がなんか古めかしいのが逆に新鮮でさ。美人は多いし、エルフとか獣人とか珍しかったし。けど、段々見慣れてきたらなんかな……」
「……飽きるのう、確かに」
「だよな! 普通飽きるよな!?」
「普通かどうかはわからんが、まぁわしも最初は楽しく見ていたが、もともと美人よりも老魔法使いなんかの方に憧れを抱く類の人間じゃから、あっという間に興味は薄れたかの」
 私の言葉にギリアムは何度も嬉しそうに頷いた。彼も見栄えや萌えよりも憧れや拘りを優先する性質のようでちょっと嬉しい。
 彼が愛すべきジジコンなのか、それとも老け専かの判断に迷っていたが、どうやら前者であってくれたらしいことにもほっとしたし。後者じゃなくて本当に良かった。

「ものすごくわかるぜ、それ。だから今回のその帽子とパイプ作りはかなり燃えたんだ。久しぶりに楽しかったぜ」
「本当に良く出来ておるよ。わしもまさにこういう物を探しておったんじゃよ。しかし、自作と言う事はギリアムさんは生産は防具系なのかの?」
「だから、ギルでいいって。俺は生産は確かに防具系だな。防具生産も色々あるが、俺は軽装備と装飾品の二つをとってる」
「ほう。防具や武器の生産は系統が色々あるとは説明を読んだが、二つも取れるのか」
「いや、防具や武器の生産カテゴリに入ってる系統なら限定はないんだ。けど何でもそうだが、それにかけた時間と熟練度はイコールみたいなもんだからな。半端にやっても意味がないだろ。大抵の奴はせいぜい二つまで、多くても三つってとこだろうな。まぁ数は少ないが、狩りをしないで生産専門でやってる奴にはもっと手広く色々作ってるってのもいるけどな」
 
 ギリアムの話によれば、武器なら片手剣、両手剣、槍、斧、銃、等々の種類別の系統に分かれ、防具なら全身鎧などの重装備系、もう少し軽めな標準装備系、部分鎧や服などの軽装備系、装飾品などに分かれているらしい。
 
「装飾品か……同じような指輪でも装飾品と魔道具と、結構違いがあるのかの?」
「うーん、そこら辺は物によるが……単純なステータス上昇とかの数値的な補正効果とか、スキル効果の補助とか、そういうのあるのが装飾品だな、大体は。もっとファンタジーっぽい効果……例えば、一定時間敵から身を隠せるとか、クリティカルが出やすくなるとか、魔道書の代わりにカンペの役割を果たすって噂の奴とか、そういうのは魔道具の類になる。装飾品は一般的な耐久値がついてるだけが、魔道具は回数制限があったりするものも多いな」
「なるほど……」
「まぁ、そういう定義もまだ割と初期だから曖昧だけどな。もっと生産に熟練してくる奴が出たり、新しい職業が出たりしたら、また変わるだろうしな」

 魔道具の中で一番有名なのは今のところ転移石や洞窟探索時に使用する光石、野外や洞窟で安全地帯が見つからない時に使う結界石なんかだろうか。
 どれもさほど安くはないアイテムなので、自分で作って店売りより少し落ちる値段で売りに出しても十分に利益があるし需要もあるらしい。他に有名といえば魔道士の持つ杖は武器ではなく魔道具生産の中に入るのだが、需要があまりにもないので作っている人間はほぼ皆無だという。

「不躾ですまんが、もう一つ聞いてもよいかの? じゃあその、そういう生産素材が理由で、初めて会った時やさっきのような事が?」
「……ああ。最近どうも、あいつらとかち合うことが多くてなぁ。って今更だが、あんたはウィザーズユニオンじゃねぇんだよな? あいつらがそうだってのは知ってるのか?」
 ギリアムはそう言うと、ミストから貰ったドロップ品の指輪が二つはまっているだけの私の手にちらりと視線を流した。
 
「うむ。まだこの街に来て数日だし、どの旅団にも参加してはおらんよ。友人から話は少しだけ聞いておったし、さっき魔法ギルドの中でそれらしい集団に会ったのじゃが、やはり彼らがそうなのか……」
「中で会ったって、今日は連中の集会の日だろ? 掲示板の告知、見なかったのか?」
「告知?」
 私が首を傾げるとギリアムはあちゃあ、とでも言いたげな渋い顔を浮かべた。

「その様子じゃ今日が連中の集会だって知らなかったみたいだな。そりゃ運が悪かったなぁ。今日は連中の定期集会兼、旅団勧誘会かなんかだったはずだ」
「定期集会……やはりこの街ではあれも常識なのかの?」
「まぁ……情報掲示板の中にある、サラム専用のイベント告知板にアレが告知されると、関係ない奴はその日ばかりは魔法ギルドに近寄らないのが普通だな」
 そんなものがあったのか……イベントは今の所興味が薄かったから見ていなかった。
 何かついてないなぁ。次からは私もサラムに関する情報掲示板を定期的にチェックするか。

「しかし、あんな風に公共の場所を大勢で占拠する事が許されて良いものなのかの?」
「あれに関する抗議は旅団や運営に結構行ってるらしいんだがな。けど、今のところそこまでの迷惑行為じゃないって目こぼしされてるらしい。一応運営からも注意や警告は旅団にしてるらしいんだが、あいつらもその都度注意されたことに合わせて開催方法や時間を変えたりして改善してはいるらしいしな。運営としてはあんまり煩く規制して、他のイベントの開催を抑制する羽目になっても困るから悩んでるっていう立場らしいぜ」
 なるほど。確かにイベントが主催者の意図を外れて大規模になって騒ぎになってしまった、とかは聞く話だもんね。それをさばけるかどうかはその主催側の手腕によるだろうけども、一つが失敗したり迷惑だったからといって、何もかも規制していたらプレイヤー主催のイベントが減ってしまうことも十分考えられる。
 運営としてはそれはそれでゲームの盛り上がりを維持するのに困る、という観点なんだろうな。

「そういえば、ウォレスさんも中で声かけられなかったか?」
「ああ、確かに掛けられたが……」
「事情を説明されて、やんわりと引き取って貰えないかとお願いされ、それから勧誘されたり、詫びだと言ってアイテムを差し出されたりは?」
「アイテムはなかったが、それ以外は確かにあったかの」
そう言うと、ギリアムはやっぱりな、と呟いて頷いた。

「そう言うやり方なんだよ。運営に苦情が行くと、当然調査が入るだろ? だが連中は事前に一、二時間魔法ギルドを集合場所として使う事を掲示板で告知してある。それを知らない人間が迷い込んだ場合、あくまで丁寧に『お願い』して引き取って貰っている。
 入り口付近でギルドの出入りをチェックする奴や、交渉に当たる担当者も決まってるらしくて、ログを見られても問題がないようにしてあるらしい。苦情を言った方も、何だかんだ言っても一応自ら納得して引き下がった会話ログを出されたらそれ以上の文句は言えないし、物を受け取ったなら尚更だしな」
「ははあ……なるほどのう。それならまぁ、確かに強くは抗議できないのう」
 となると私が出会ったあの一連のやりとりも全て彼らのシナリオ通りだったというわけか。しかし、逆にそっちの方が面倒だと思うんだけどなぁ。

「そこまで手間を掛けて、彼らに何かメリットがあるのかね?」
「さぁなぁ……まぁ、恐らくはあれも魔道師の囲い込みのためなんだろうとは思われてるけどな。一所にあれだけ集まればさすがにギルドの力とか勢いを感じさせることはできるだろうし、偶然迷い込んじまった魔道師も細かくチェックして勧誘したりすることができるからな。ウォレスさんを誘ってきた奴は美人じゃなかったか?」
「美人……まぁ、そう言われてみれば、確かに美人の部類じゃったとは思うが」
「それ、相手が女だとイケメンがでてくるらしいぜ」
 そう言ってギリアムさんは苦笑を浮かべた。
 その言葉になるほどと頷いたものの、私も思わず苦笑いを浮かべてしまう。美人でもどうとも思わなかったが、イケメンが来ていても困ったろうなぁというのが素直な感想だ。
 そもそもこれだけ美男美女が溢れているRGOの中で、その行為に意味はあるんだろうか。顔だけじゃなく、人に好かれそうなタイプを用意したりしてるのかな。

「何にせよ、用がないなら告知がある日は近づかない方が賢明だな。連中は大体二時間もありゃ引き上げるから、その間だけの我慢だし」
「うむ、肝に銘じておくよ。で、さっきの質問じゃが」
「ん? ああ、話が逸れたな。まぁ本当なら俺もあんまり関わりたくはねぇんだが、何せああやって 装飾品を大量につけてるのが連中のスタイルだろ? だからソレ関連の生産素材を買いに行くと必然的に顔合わせちまってなぁ。それでも以前はあんな風に嫌味を言われるようなことはなかったんだが、最近連中が人出を使って店売りの素材を買い占めるようになってな。それ以来、先週みたいな事が多いんだよ」
 はぁ、と彼から吐き出されたため息は随分と重かった。

「俺は装飾品やってるんで彫金のスキルがあるから大体インゴットと石だけ買うんだ。既製品の指輪や腕輪の土台とかそういうのは要らねぇんだが、あいつらは人海戦術で時間調整して大体何でも買占めちまうからなぁ。最近はちょっと困ってるって訳さ」
 彼の話によると、魔法具生産では彫金はできないので最初は必要素材はそんなに被ってはいなかったらしい。しかしこの所、既製品の土台だけでは足りなくなったのかインゴットも彼らに買い占められるようになったのだという。
 まぁそもそもそうやってお互いに協力するために旅団を組んでいるのだし、時間調整してログインしている者が買い物を担当するのもごく当たり前の話だ。資源の取り合いもMMOでは良く聞く話だから、それに負けたからといって一概に彼らを非難することは出来ない。
 だからギリアムさんもああやって走り回って頑張っているんだろうなぁ。
 
「素材を売っている場所はここだけではないのじゃろう?」
「確かにそうなんだが……装飾品や魔道具に使う材料ってのはまだあんまり他の街じゃ店で売ってないんだ。今のところサラムが一番品揃えがいいのさ。ファトスでは素材はごく初歩の奴しか売ってないし、セダは様々な商品が溢れる分、他職用の品も多いから広く浅くって感じだな。フォナンは鎧や武器向きの素材が多いな」
「インゴットなんかは共通なのでは?」
「いや、装飾品用のインゴットってのは鎧や武器用の奴よりも小さくて純度が高いんだ。素材も銀や金が中心だな。大きい奴から小さいインゴットを作ることは出来るが、『精錬』とかのスキルが必要になる」
 ギリアムさんはそのスキルを一応取ってはいるが熟練度が余り高くないことと、装飾品を求める者よりも武器や防具を求める人間の方が数が多いのだから、むしろそちらを手に入れて精錬する方が効率が悪いということらしい。そのために彼はサラムへ来れるようになってからはもうかなりの時間ここに腰を据え、ここで日々生産スキルの研鑽を積んできたようだ。

「熟練度が上がるとな、生産の時に専用のエディタが使用できるようになって、テンプレにある物を作るんじゃなく、自分で色んなデザインができるようになるんだよ。俺もやっと色々できるようになって、楽しくなってきたとこだったんだけどなぁ……そうなったらなったで、作ったもんのパーツだけ売れとか、新しく作って登録したデザインテンプレートごと買い上げるからよこせとか言われるとか、ねぇわなホント」
 最後の方は思わず独り言が零れた感じで、ぶつぶつと呟くような小さな声だった。
 どうやらさっきの男とのやり取りへの愚痴らしい。せっかく自由度が増え、自分の思い通りの装飾品を作れるようになったのにそんな事を言われたらそりゃあ腹も立つだろうなぁ。

 けどこの帽子の出来具合や拘り加減を見る限り、確かに彼はセンスも良さそうだ。自由度が上がって個人のセンスによって出来上がりに差が出てくるとなると、それを欲しがる人間が出ても不思議じゃない。
 私は美術は可もなく不可もなくという成績で、そっちの方には全然自信がない。センスのある人がちょっと羨ましい。
こんな無骨そうな見かけの人が他には一体どんな装飾品を作るんだろう、と興味深く視線を投げると、彼はそれをどうとったのかガシガシと頭を掻いて眉を下げた。

「あ、悪ぃ。まぁ、そういう訳なんだが……そうは言っても今のは俺の個人的事情だからな。話半分くらいで聞いといてくれよな、ウォレスさん」
「話半分、とは?」
「いや、そのな、話しといて今更だが、ホントはあんま楽しい話でも褒められた話でもねぇからよ。他の旅団の噂話とかさ。あいつらにはあいつらの言い分があるんだろうし、あんたに変な先入観持たせても悪いだろ……っても、もう手遅れか」
 ああ、そういうことか。この人、強面で荒っぽい感じなのに意外に常識的だな。

「いや、そういうことならそもそも聞いたのはわしの方じゃろう。わしもこれから本格的に生産を始める予定でな。あまりトラブルがあるようだと困ると心配しておったから教えてもらって助かっておるよ。余計なトラブルは避けて通るに限るからのう」
「それならいいんだが……」
 こういう街の事情とかRGO内の有名人や有名旅団とか、私はそういう情報にも疎いから実際とても助かるのは間違いない。どんな情報も鵜呑みにしないのは必要としても、知っておく事に越したことはないはずだ。
 
 そもそも私は対NPCスキルばかり養ってきたせいで対プレイヤースキルが全くといって良いほど培われていない自信がある。
 そんな状況で何も知らずに生産を始めて、何かトラブルに見舞われたら途方に暮れてしまうかもしれないし。
 そういう意味では、今日のあのイラっとさせられた出来事は、一種の予行演習になったと言えなくもないのかも。まぁ、全く面白くはなかったけどもね。



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感想などを頂きありがとうございました!
実はまだ帽子は未装備でした。理想の帽子に出会えていなかった、という理由です。
何を身に着けても所詮紙装甲。ソロなら安全地帯を利用したチキンプレイが基本なので、いっそ外見に拘っています(笑)



[4801] RGO41
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:f37ee68f
Date: 2011/07/30 08:32
「それにしても、ギリアムさんは随分と生産が好きなんじゃな」
「ギルでいいって。まぁな、この為に俺はRGO始めたようなもんだからなぁ。狩りとかも結構面白いからまだ生産は専業って言えるほどじゃねぇがな」
「生産のためにRGOを?」
 私が不思議そうな声を上げると、ギリアムは少し照れくさそうな仕草と共に頷いた。
 
「あー、その……リアルの話であれなんだが、俺は実はそういう系のデザイナー目指してる訳よ。けど、彫金とかってデザインした奴いちいち作ってると金かかるだろ。だから、もともとVRはそういうデザイン関連の練習用として使ってたんだよ」
「ああ、なるほど。VRを利用した美術工芸や服飾関係の制作用シミュレータソフトの話は聞いたことがある。最近は随分出来の良いソフトが色々出ておるらしいの」
「そそ。あれならデザインから3Dに起こしてソフトに入ってる汎用モデルに着けさせてみるとこまで全部出来て、材料費はかからねぇからな。自分も中に入って目の前で身に着けたところを見ながら微調整できたりするから結構参考になるんだ。ついでに重さや材料の試算までしてくれるから見積もりまでできて楽だしな。まぁ実際に作る腕は上がらないがな。けど、最近どうもそれが物足りなくなってきてなぁ」
 
 そこまで語るとギリアムは顔を上げて広場を見回した。
 私もつられて顔を上げれば、広場をNPCやプレイヤー達が行き交っているのが目に入る。
 
「VRモデルは何身に着けさせても、良いとも悪いとも言わねぇだろ。やっぱ生きた感想とか聞きたくなってな。どっかのコミュニティにでも参加するのも考えたが、どうも俺はああいうのに溶け込むのが苦手だし、できれば作る側からじゃない意見が聞いてみたくてな……んな感じでモヤモヤしてたら、ダチにこれを勧められたんだよ。
 まだ発売前だったけどクローズドβからこれをやってた仲間がいてな。稼動前だから機能はある程度限定されてたが、生産のエディタも結構細かくて面白そうだったから気分転換を兼ねてどうだってな」
「なるほどのう……そういう遊び方もあるのか」
「や、俺みたいなのは少数派だと思うぜ? けど、やっぱいいな。中に人がいると全然違う。人に意見が聞けると、ほんと勉強になる。作る喜びとか、そういうの実感できるしな」
 ギリアムはそういって頷いたが、すぐに少しだけ顔を曇らせた。
 
「まだ何か不満でも?」
「不満っつーか……いっこだけ惜しいっつーかな。生産も始めて、最初は作業でたるかったけど、少しずつ作れる物が多くなって色々とデザインも出来るようになって、固定の客やフレもちょっとずつ増えて……増えて……なのになんか、皆美形なんだよな。さっきも言ったけど、最近は段々それに食傷気味になってきたっつーかなぁ……」
 ああ、なるほど。わかるわかる。
 
「飽きるのう」
「……ああ。美人がアクセサリー色々つけても、そりゃ変なのじゃない限り普通にどれも似合うだろ。どれもこれも似合うなら、どれでもいいじゃねぇか、というような気分に段々と、な」
 ギリアムは呟くように語ると少し寂しそうに、ふ、と笑った。
 どうやら彼はちょっと自分の目的を見失いかけていたらしい。その上トラブルに見舞われるようになっては、そりゃやる気も減るだろうなぁ。

「その中で、ウォレスさんみたいな爺さんはほんっと久々に癒しだった。ありがとうな。まだまだこういう出会いもあるもんだとほっとしたぜ!」
「はは、礼を言われる覚えはないが、まぁ役に立てたなら良かったがの」
 私は苦笑しながら膝に置いたパイプに目をやった。魔法焼きを食べる時に邪魔だったので手から離したそれをひょいと拾い、口に咥える。
 しばらくするとその火皿の部分がほんのり赤くなり、かすかな煙が上がった。もちろん私は咥えた以外何もしていないのだが、これはこういう一種のネタを兼ねたアイテムらしい。役に立つかどうかは置いておいて、なかなか良く出来ていると感心してしまう。
 パイプをしばらく見ていると、うっすらと上がっていた煙がぽこん、と輪を作る。
 おお、と感心していると、隣の男がガッツポーズを作った。

「うし! 煙のランダム設定も上手くいってるな!」
「凝っておるのう」
「そりゃ、拘ったからなぁ。あ、それ効果としては消化力を20%高めるっつーのが着いてるからな。休憩する時にでも使ってくれよな」
「消化力……確か飲食に関する隠しパラメータ、だったかの」
「ああ、それそれ。だからそのパイプは何か食った後に使うといい。そうじゃないとただのパイプだからな」
 休憩の時に良く使われる食べ物系のアイテムはそのほとんどがHPやMPを回復してくれる効果を持っているが、実は即効性がない。大体が四、五分、あるいはもう少し時間をかけて緩やかに回復するのだが、それにかかる時間は隠しパラメータである「消化力」によって左右される。
 消化力が低いと食べ物での回復が遅く、高いと早くなるようだ。しかし同時にそのパラメータは腹持ちの良さと反比例しているので、消化力が高い人は低い人よりも短い間隔で物を食べないといけない。
 要するに、RGOでは定期的に食事をした方がいい、という話と連動しているのだ。
 このパラメータは数値としてステータスの中に並んでいるわけではないが公式ではその存在と高低の大体の理屈は公表されている。まぁ、数字としては見えないが、大体の人が何となく実感しているパラメータ、という感じだろうか。

「なるほど。まぁ、ただのパイプだとしても、これは定番にしたいところじゃな」
「そうしてくれると俺も作ったかいがあるってもんだ」
 私は瞑想があるからMP回復では食べ物はあまり必要ないのだが、HPに関しては助かるかも……といっても基本がチキンプレイだからあんまりHPも減らないんだけどね。
 あ、そうだ、今度老眼鏡とか作れないか、聞いてみようかな。

 などと考えていた私の思考は、次の瞬間彼が放った言葉に凍りついた。


「いいよなぁ、渋い魔法使いの爺さんってよ。正統派ファンタジーって感じで。いやぁ、俺も生産に種族ボーナスが付くんじゃなかったら、ドワーフじゃなくて老魔法使いとかやりたかったぜ」


「……は?」
「あ、でも俺頭あんまよくねぇから、どのみち無理だったかな」 
 などとニコニコと続ける彼の言葉が耳を素通りしてゆく。
 え、今なんて言った? え? ド……ドワー、ふ?

 思わず隣の彼を下から上まで見上げた。
 私よりもかなり背が高い。すごく高い。髭は一応生えているが短いし、髪も長くはない。顔のパーツは確かに彫りも深く濃い造りだが、別に種族的特徴と言えるようなものはない。とてもじゃないが全然、これっぽっちもドワーフには見えない。
 そもそもドワーフにはキャラクター作成時に種族的身長制限があったはずだ。 

 これがドワーフって、それは詐欺だ。嘘だ。私は老魔法使いを選ばなかったら一回くらいドワーフになって斧を振ってみたかったと思うくらい、ドワーフという存在も好きなのだ。斧を自分の足に振り下ろしそうだから多分選べなかったとは思うけども。きっとさっきのは聞き間違いだ。信じないぞ。

「あー……ギリアムさん? 今、何と?」
「ギルでいいって。だから俺はあんま記憶力とか自信ねぇからよ」
「その前! その前に、その、ドワーフ、とか言われたような……あの、ギリアムさんはまさか、いや、そんなことはないとは思うが、種族は……」

 私がその問いを発した次の瞬間の変化は劇的だった。
 彼はハッと口をつぐみ、まずいことを言ったというような態度で片手で口元を押さえた。そしてその顔が見る見る内に曇る。
 一体何が、と思う間もなく、彼は座った膝の上に腕を下ろし、ガックリと項垂れた。

「……すまねぇ」
 そして小さく呟かれたのは謝罪の言葉だった。
「あの……何がかの?」
「俺なんかがドワーフなんて名乗って本当に申し訳ない……爺さんみたいな、ファンタジー好きに合わせる顔はねぇって本当はわかってるんだ……。俺はドワーフじゃない、負け犬なんだ。ドワーフの面汚しだってわかっているんだ……」
 うっわ、何か良くわからないが、ものすごく落ち込み始めた。
 どうやら私は何か地雷を踏んでしまったらしい。あわあわと彼を宥めようと声を掛けてみるが、彼はぶつぶつと何事かを呟きながら頭を上げようとしない。
 呪いのエフェクトが頭上に現れていてもおかしくないくらいの落ち込みようだ。

「一体、何がどうしたんじゃ? ドワーフって……いや、じゃあやっぱり、本当にギリアムさんはドワーフなのか」
 問いかけると、彼はごく微かに頷いた。
 えええ、やっぱ本当なのか。一体どうやって種族制限ぶっちぎったんだろう。
 ものすごく気になるからどうにか宥めて聞いてみなくては。






 
 小一時間ほど後、私は四苦八苦しつつも何とか彼を宥めすかして話を聞き出し、彼の複雑な事情をどうにか理解することが出来た。
 彼曰く。
 
「そりゃ俺もファンタジー好きの端くれだ。最初はちゃんと種族制限通りの姿でキャラクターメイキングをしたさ……」
「じゃあ最初はやっぱり小さかったのかの?」
「今の爺さんよりも大分背が低かったろうな……」
 ウォレスの身長は大体165センチくらいだ。現実の自分よりも高くしたけれど、差が大きすぎないようにしてある。
 ドワーフの種族身長制限は大体160センチくらいまでだったはずだ。その制限内で作れば確かに私よりも低くなる。
 ちなみにエルフには身長制限はないので背を高くするか低くすることを選ぶ人の方が多いようだ。私はどちらかというとエルフプレイヤーの中では少数派に入るだろう。
 
「さっきも言った通り、俺はダチに勧められてこのゲームを発売日に買って始めたんだが、初めてログインした日はもう全然馴染めなくてよ」
 ギリアムさんは現実では今と同じくらいの長身らしい。要するにかなり大きいということだ。
 ドワーフに憧れてキャラクターメイキングをしてみたものの、まず戸惑ったのはその身長の低さだったらしい。
 
「発売日ってのがまた悪かった。とにかく人でごった返す始まりの神殿やファトスの広場で、慣れない低い目線で人波にもまれて、すぐに人に酔っちまってな……」
 結局初日は一時間もいない内に気分が悪くなってログアウト。
 その後同じ事を数日繰り返し、ようやく人波が落ち着いて自分も視線の低さに慣れた頃、今度は現実の方で問題が起こったらしい。
 
「俺はなんつーか、どうも現実とVRの切り替えが下手くそな部類に入るらしくてな。いや、もうむしろド下手っていう域で……」
 まず問題はドアだったそうだ。
 少しでも入口が狭いと、部屋に入ろうとする度に頭を打つ。車なんかの乗り物に乗るときもしょっちゅう目測を誤る。絶えない頭痛に気を取られながら歩けば、通れると思った隙間が通れない。足や肩をあちこちにぶつけ、あっという間に痣だらけになった。
 最後には、ベッドに寝転ぼうとしてまたも目測を誤りヘッドボードに後頭部を強打。とうとう血を見たところで周囲からストップがかかったのだという。
 
「それで結局仲間とか家族に、RGO止めるかドワーフを止めるか選べって言われてよ……」
「そりゃあ何というか……災難じゃったのう」
 私の口調やミツの騎士っぷりなど全然甘かったらしい。なるほど、そういう失敗もあるのかぁ。
 
「で、それから?」
「俺をこれに誘ってくれた友人が運営に申請したらどうかって言ってくれてな。こういうゲームで、現実の本人とVRの差が余りにあって本人にも予想外にプレイに支障が出たような場合は、事情次第では何かしらの救済があるかもしれないって教えてもらったんだ。
 それで運営に連絡して、事情説明と順応力とかを確かめる簡単なVRテストをして、どうしてもドワーフが良いんだって事を訴えてな」
 
 テストでは彼はやはりVRの感覚への順応力がかなり低いという結果が出たらしい。
 彼のように現実とVRの切り替えが極端に下手な人もやはりたまにいるそうで、運営会社は救済措置適用を決めてくれた。
 それでも最初は運営にもキャラクターの作り直しを勧められたそうだ。そういう事情で作り直す時は、育てたレベルやステータスを程度引き継げるようにするなどの救済の仕方もあるからだ。
 
 しかし結局は熱く訴えた彼のドワーフへの拘りが認められ、たまにはそういう変り種がいてもいいだろうと言うことで今までのキャラクターデータを運営側が修正し、種族などはそのままで現実の身長を適用してもらえることになったのだという。
 粋な計らいと言えなくもないが、運営も思い切ったことするなぁ……。
 
「けど身長が高くなってみたら、今度はもっさりした長い髭とか髪の毛とかが余りにも似合わなくてな。仕方なく床屋で髪型とか変更してもらって、今に至る訳さ……」
「ああ、なるほど……確かに、あの髭や髪型はずんぐりした体型だからこそ似合うっていうのはあるかもしれんのう」
 彼のこの身長で髭とか長かったら何というか、どこのバーバリアンですか、という感じだろう。
 そうして結局トレードマークのことごとくを変更し、これっぽっちもドワーフに見えない異色のドワーフが出来上がった訳か。
 うーん、本人には切実な問題なんだろうが、申し訳ないが何だか色々面白すぎる。はっきり言って笑いをこらえる努力もそろそろ限界をむかえそうだ。しかし彼は真剣なんだからここは我慢しなければ。
 けどなるほどね。VRと現実の間にはそういう悩みが生まれたりもするのか。
 
「結局……俺は現実とVRの差に勝てず自分の理想を曲げた負け犬だ。ドワーフの風上にも置けない駄目ドワーフなんだ。それがわかっていても、結局はドワーフを選択しちまった面汚しだ」
 あ、また最初に戻ってしまいそうだ。どうにか励まさなくてはこのままループしてしまう。
 
「そんなに気にする事はなかろう。そもそも、ドワーフが小さくなければいかんというのも生みの親である人がそう描いたからで、それに対して抱く我々の勝手な憧れや幻想かもしれんし」
「だがそれが定番だし……」
「ドワーフの全てが背が低いことをよしとしているとは限らんじゃろ。背が高いことに憧れを抱くドワーフだって実は沢山いるかもしれん。そういうドワーフから見れば、お主はまさに理想じゃよ。エルフより背が高いなんてはっきりいって格好良すぎ! まさに英雄じゃろ!」
「え、英雄……?」
 お、ちょっと食いついた。まぁあくまでそういうドワーフがもしいたら、という話だけど。RGOにもそれ以外にも恐らく居はしないだろうという事はこの際置いておくことにして。
 
「そう、お主はドワーフという種族にとっては期待の新星、いわば希望の星なのじゃよ。だからもっと胸を張りなさい!」
「俺が……俺は、ドワーフでいてもいいんだろうか」
「当たり前じゃろう! こんな素晴らしい帽子を作ってくれたお主がドワーフでなくて何だというんだね? もっと自信を持つんじゃよ、ギリアム!」
 おずおずと顔を上げた彼の背中を軽く叩き、名前を呼ぶと彼の目に光が戻ってきたように見えた。
 項垂れていた頭が上がり、背筋が伸びる。
 
「そうだな……一人くらい、俺みたいなのがいたっていいかもしれないよな」
「そうとも。運営もそう認めてくれとるんじゃ。種族の限界を超えた新しいドワーフとして、胸を張っていくべきじゃよ。ドワーフに対する既存のイメージを打ち砕く勢いでの!」
「……ありがとう、ウォレス」
 おお、浮上したした。案外単純な人だったようで良かった。
 でも私はドワーフはずんぐりした方が好きだけどね。
 



[4801] RGO42
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:f37ee68f
Date: 2011/07/30 08:35
 

 まぁ、そんな訳で。
 事情も色々わかったし彼もどうにか元気を取り戻したし、丁度いいからこの辺でさっきから考えていた事を提案するかな。
 そう考えてギリアムの方を見ると、彼は何か希望を取り戻したような顔で遠くを見つめていた。ちょっと不気味だが、そそのかしてやる気を取り戻させた本人としては見て見ぬふりをするのが正しいだろう。

「ところで話は変わるが……良かったらわしとフレンド登録をしてくれんだろうか?」
「えっ」
 まだ話した時間なんかは短いが、私はこの強面の異色ドワーフの彼をすっかり気に入っていた。是非ともこれっきりの関係にしたくない。どうせ友人になるならこういう面白い人が良い。
 きっとこの人となら、一緒に狩りなんかに行っても楽しいだろう。

「まぁ、わしも見ての通りの全身軽装備の身の上だからのう。どうせ身に着けるなら、自分と同じように色々とこだわりを持つ職人の手になる物を選びたい。生憎そんなに金に余裕があるわけでもないから防具を頼むとしてもまだ先になるとは思うが……良かったら、顧客の一人にさせて欲しいのじゃがの」
「マジか! いやもう喜んで!!」
 ギリアムはこくこくと頷くと、早速ウィンドウを開く仕草をした。
 私も同じようにウィンドウを開き、音声で相手を指定する。

「フレンド申請、ギリアム」
「お、きたきた。オッケーっと」
 ギリアムの操作と共にこちらのウィンドウでも登録を知らせる音がし、私のリストにまた一人フレンドが増えた。なんか濃いメンバーばっかりになっていっているような気もするが、新しい友人ができた事は純粋に嬉しい。
 さてあとは面白い話を聞かせてくれたお礼に、ちょっとだけ彼の悩みの解消に貢献できるんじゃないかと思ってるんだけどどうかな。

「ところでギリアム、これからまだ時間があったら、ちょっと付き合って欲しいんじゃが、どうかね?」
 ウィンドウをしまいそう言って横を見ると、彼はなんだか拳を握って打ち震えていた。
「呼び捨てキタ! ついに!」
「……」
 思わず胡乱な目で見つめると、ハッと我に返った彼に謝られる。
 いや、いいけども。私も彼のような立場で理想の魔法爺を目の前にしたら、絶対に挙動不審になる自信があるから。

「すまん、ウォレスさん、つい」
「いや、構わんよ。ついでだからわしの事も好きに呼ぶといい。呼び捨てでも爺さんとでも」
「それは……どう呼ぶのが理想的か、また悩む問題だな」
「……とりあえず悩むのは後にして、ちょっと付き合わんかね」
 そう言って私が立ち上がると彼も釣られて立ち上がる。
 歩き出した私達はそのまま広場を横切り、ここ数日ですっかり通いなれた通りに向かって歩いた。目指しているのは七番街の横、八番街だ。
 七番街は街の入り口に繋がる通りなので道幅も広く、大きな宿屋や酒場、冒険者の良く使う薬屋などが数多く並んでいる。では今目指している八番街はといえば、主要な通りの裏通りと言う雰囲気で七番街よりも大分狭く、大通りに店を出せないような小さな店が沢山並んでいる場所だった。

「どこに行くんだ?」
「ただの買い物じゃよ。薬を少し買おうと思ってな」
「七番の方が品揃え良くねぇか?」
 彼の最後の言葉には返答せず、私は一軒の店の前で立ち止まると彼を手招いた。上を見ればぶら下がった小さな木の板には壷のマーク。薬屋の印だ。ギリアムも私に釣られたのかそれを見上げたが、彼がこのマークの横に描かれた小さな印に気付いたかどうか。

「ギリアムはいつもどんな風に買い物しとるかね?」
「どんな? 買い物にどんなもこんなも、普通に店に入ってウィンドウ開いて、後はメニューから選んで、だろ」
「うむ。では、わしと一緒に店に入って黙って見ていてくれんかね。暇ならウィンドウでも開いて、メニューでも眺めとると良いと思うよ」
「よくわからんが……わかった」
 彼が頷いたのを受け、私は質の悪いガラスがはまった戸を開けて中に入った。ガラン、と重い音を立ててドアベルが鳴る。もうこの音を聞くのも何回目かだ。実は私はここ数日、毎日この店でMP回復薬を少しずつ買い足しているのだ。

「いらっしゃい。おや、またあんたか、ウォレスさん」
「邪魔するよ」
 昼間なのにどこか薄暗い店の中、奥のカウンターから私達を迎えたのは恰幅のいい髭面の親父だった。

「客に向かってまたとは、随分な歓迎の言葉じゃな」
「はっは、ちまちま訪ねてこないで、まとめ買いでもしていってくれたら大歓迎するんだがね」
「なら、あんたの顔を見に来とると考えたらどうだね」
「生憎、爺さんの顔を見て喜ぶ趣味もなけりゃ、自分が見れた顔をしているとも思ってないんでね」
 確かにそう語る髭面はむさ苦しい部類に入るだろう。
 おまけにこの親父さんは接客向きの顔でも態度でもないし、横も縦も大きい男が小さな店にいるのは窮屈な印象を与える。ついでに言えばこの店はメニューで見ると品揃えも一般的で、大通りでも買えるありきたりな物しか売っていない。
 普通のプレイヤーなら、こんな裏通りでむさ苦しい親父がやっている小さな店ではなく、表通りの大きくて若い美人の店員なんかが迎えてくれる店で買い物するだろう。
 しかし私がこの店を選んで買い物をするには、それなりの理由がある。

「わしもそれには同感だが、この店の品には何度でも会いたいのじゃから仕方なかろう」
「ま、それは光栄だがね。で、今日は何をお求めで?」
 私は横に立っていたギリアムがウィンドウを開いて店のメニューを眺めているのをちらりと見やった。彼は私と店主のやり取りに戸惑いつつも、言われた通り黙っていてくれている。

「この前売って貰った飴が欲しいんだがね。今朝また入荷予定だと言っておったろう」
「ああ、入っているよ。と言っても、数は少ないんだが……赤と青どっちにするんだい?」
「もちろん青で。幾つあるね?」
「青なら三つだけだ。あれは知合いの魔道士が小遣い稼ぎに作ってるから量にばらつきがあるのが難点でな。もっとも、今回は入ってきただけいい方だが。一瓶500Rだが、幾ついるね?」
「三つ全部頼むよ」
 毎度、という言葉を受けてウィンドウを開き、所持金の数字に触れる。出てきたメニューから所持金取出しを選び、1500と数値を入れる。
 すると中空に手のひらに乗るくらいの大きさの膨らんだ革袋がうっすらと現れる。それに手を伸ばして掴むと途端に袋は実態を持ち、私の手の中にずしりと納まった。

「では、1500Rで」
「毎度どうも」
 お金の入った袋と引き換えに、店主は小さな素焼きっぽい壷を三つ差し出した。コルクのような蓋がはまったそれを受け取り、アイテムとしてしまう。店主も金を確かめたのか、確かに、と呟いて一つ頷いた。

「次の入荷は少し先になるよ。十日か、長ければもう少しだな」
「そうか。なら取り置きを頼めるかの。しばらくはこの街にいるじゃろうが、出入りもするだろうしの」
「はいよ。まぁ数は入らないが、こんな店に買い物にくるのはあんたみたいな物好きくらいだからな。売れることもないだろうが、一応取って置くよ」
「ありがとう、助かるよ。では、また来るからの」
「次は美人でも連れてきてくれると嬉しいんだがね」
「ははは、ならわしの親友でも連れてくるかの」
「あんたの親友じゃあなぁ……ま、期待しないで待ってるさ」
 よし、次はユーリィを連れてこよう。


 ガラン、と再びベルを鳴らして外に出る。ギリアムも黙ったまま私に続いてドアを潜り、店を出た。
 私が広場の方向に歩き出そうとすると、ぐい、と腕を引かれて止められた。振り向くと眉をぎゅっと寄せたギリアムと目が合う。うわ、怖い顔。

「今のは……爺さん、一体何をしたんだ?」
 お、どうやら私の呼び方はじいさんで落ち着いたらしい。
 私は彼の問いににやりと笑って、彼の腕を逆に取って引いた。

「ここではちょっと、の。そこの路地でいいから、こっちへ」
「あ、ああ」
 蜘蛛の巣の横糸のように隣の通りへと繋がる沢山の小路の一つへと入り込む。丁度良く人通りはなく、私達はその小路に少し入ったところで立ち止まった。

「さて、何が聞きたいんじゃね」
「何って、そりゃ色々あるが……じゃあ、とりあえずあんたが買ってた『飴』とやらは店の品物の中には見つからなかった。あれは一体?」
「ふむ、それはこれじゃな」
 そういってウィンドウを開き、そこからさっき買ったアイテムを取り出す。ぱこ、と壷の蓋を開けると中には十円玉くらいのサイズの丸い物が沢山入っていた。この半透明の青い物が、呼んでいた通りの『飴』に他ならない。青いのはミントに近いような爽やかな味と香りがする。

「飴……だな」
 中を覗き込んだギリアムは小さく呟いた。
「飴じゃよ。正式名称は『ブルードロップ』という。そのまんまじゃな」
「そんな商品、あそこのメニューに載ってなかったぞ?」
「そりゃ載ってないじゃろう。あれはいわゆるとっておきという奴だそうだからの」
 私は壷の蓋を元通りに閉めると、ギリアムに手渡した。アイテムの効果などを見せるためだ。私がトレードや贈呈を承認しなければ彼が持ち去ったところで私のアイテム欄からはなくなったりしないので不安はない。

「ブルードロップ、MP20%回復、ただし回復率は使用方法によって変動? 何だこりゃ。どういうアイテムだ?」
「それは口に入れて噛み砕くか、あるいは飲み込めば瞬時に使用者の最大MPの20%を回復してくれる、という薬の一種でな。ただし、それは液体の飲み薬と違い、あくまでも飴じゃろ。飴を噛まずにずっと舐めていれば、回復は緩やかに続くんじゃよ。最後まで舐めきると最大で40%くらいの回復効果があるそうじゃよ。舐めている途中で噛み砕くと、その時残った量に応じた回復をするらしい」
「……そんな薬、初めて聞いたんだが」
「だから、とっておきだと言ったじゃろう。わしだってあの店にこの一週間何度となく通って、補充しようと思っていたMP回復薬を毎回少しずつ買って世間話をして、ようやく教えてもらえたんじゃからの」
何日も通って顔を見せ、会話をして軽口を言い合うくらいの仲になってやっと、「こんなに毎日魔力回復薬を買いに来るなんて、よほど困っているのか」と言われて割安で効率のいいこの薬の存在を教えてもらえたのだ。

 薬の類はプレイヤーメイドなら差が出るが、NPCショップで買うとその効果は一律だ。今のところ買える品は全て小瓶に入った液体で、飲むか体にかけるかして使う。
 回復量もMP30ポイント回復、HP50ポイント回復、というように数値ではっきりと決まっている。食べ物の類もそうだ。薬と食べ物で違うのは値段と回復にかかる時間というところだろう。
 割合で回復するのはスキルや魔法でしかまだ見ることはない。そういう意味では、コレは結構珍しい品だと言えるのだ。

「この飴は一見大したアイテムではないようにも思えるが、利点は幾つかある。口に含んでいればなくなるまでずっとMPの微回復が続く事。割合で回復するからHPやMPの数値が多くなると得なこと。瞑想のようなスキルと違ってじっとしていなくてもいいので、歩きながらでも回復できること。噛み砕くことで回復にかかる時間をコントロールできること。まぁ、呪文を唱えるわしにはちと邪魔になるんじゃが、戦いながらでも使えること。後は何より、500Rで十粒入り。お買い得じゃろ。ちなみに味は甘くて爽やかなミント味じゃよ」
「いや、俺も欲しいわ、それ。HPバージョンもあるのか?」
「さっき店主が言っておった赤と青のうち、赤がHP回復じゃよ。味は確か唐辛子……」
「食えるか!」
「……というのは冗談じゃよ。本当は木苺のような味らしい」
「嫌な冗談は止めてくれ……」
 がっくりと肩を落とした彼の姿に気分を良くした私は思わず笑ってしまった。鋭いツッコミが返ってくるというのはなかなか楽しいものがある。
 笑っている私をじろりと軽く睨むと、ギリアムはさっき通ったこの小路の入り口を見た。

「あと、さっきなんかものすごく気になることを言ってたろう。最後の方で」
「ああ、取り置きを頼んだ事かね?」
「取り置き! それだよそれ! つーか、そんな事が出来るなんて初めて知ったんだけど、ホントに出来るのかよ!?」
 勢い良く問いかけてくる彼に頷くと、ギリアムは喜んでいいのか驚いて良いのか解らないというような複雑な顔をした。

「あんたに聞かせたかったはあのやり取りもそうじゃが、一番はそれじゃよ。結論から言えば、あの店主はまず間違いなく、わしの為にあの商品を取り置きしてくれるだろうのう」
「マジか……そんな事ができるなんて」
「別に不思議でもあるまい? 現実でも行きつけの店でなら出来るじゃろう。店に通って常連になって店員と仲良くなれば、とっておきの商品の情報を教えてもらったり、お勧めの使い方を聞いたり、次の入荷の時に取り置いて貰えたり……それと一緒じゃな。」
「それは、確かに現実ならそうだが……」
「ならばわしとあの店主のやり取りが、現実と大きな差のあるものだと思えたかの?」
「……いや」
 ファトスにいる時にNPCとひたすら仲良くしたおかげで私は色々な事を知る事が出来た。それをここでも同じように活かしているだけだ。

「このゲームはこちらが驚くほど、NPCも『生きている』んじゃよ。だからそんな彼らと仲良くすれば、色々なちょっとしたおまけに出会う可能性がある」
「けど、NPCの数なんて半端ねぇだろ。片っ端から話しかけてたら遊ぶ時間がなくなっちまわねぇか?」
「そこら辺はコツじゃな。面白いNPCのいるショップなんかは、見分けるコツがあるんじゃよ」
 私はそこまで言うと、寄りかかっていた壁から背を離して小路の入り口へと足を向けた。八番通りへと出るぎりぎりのところで止まり、ギリアムを手招く。
 彼は素直にやってくると、私が指差す方を見た。

「あの看板がどうかしたのか?」
「壷のマークが書いてあるのは見えるじゃろう」
「ああ、薬屋のマークだろ?」
「その薬屋のマークの脇に、小さな模様があるのがわかるかね?」
 言われてギリアムが目を凝らす。木の板に描かれた薬のマークの脇にあるのは言われなければ気付かないような小さな花の模様だった。紡錘形の五枚の花びらが形作る小さな花の模様。
 それを目にした彼は首を傾げて私の方を見た。

「あの花みたいな模様か?」
「そう。あれはの、その店で扱う品を自家生産している、あるいは生産者から直接仕入れているという事を表しているマークなんだそうだ」
「……それに何の意味が?」
「表通りの店は問屋から仕入れた汎用品を売っているからマークはない。その代わり品切れも滅多にないし、品揃えも豊富じゃな。対してこういう裏通りの小売店は、その独自性で勝負している店が多い。品揃えは一見余りよくないが、実は意外な掘り出し物があったりするのはこういう店の方じゃろう」
 もちろんこれらの情報は全て本やNPCから仕入れたものだ。だから私は買い物の時は裏通りのこういう店の看板ばかり見て歩いている。そのせいで躓いたり人とぶつかったりした事も一度や二度ではないんだけども。

「あのマークの花びらの数はその店と繋がる職人の腕の確かさを示している。大体三つくらいから腕に自信ありとマークを入れるようになり、数が多くなるほど良いそうじゃよ。商業ギルドで規定されているので嘘は許されんと聞いたから、信用できるじゃろう」
「つまり、そういう店ならあんたが買ったみたいなとっておきの品があるかもしれないってことか」
「それもあるが、それだけでもない。あのマークは、より個性的なNPCがいる目安になるのじゃよ。個性的なNPCは仲良くなるのに結構通わなければならんが、仲良くなってしまえば色々な事を教えてくれたり、さっきの取り置きのように便宜を図ってくれたりする可能性が高い」
「……魔法具店にもあるか?」
「それはもちろん。もう何件も見かけておるし、わしとあんたが最初に会ったあのオットーの店も、そうじゃったよ」
「オットー……そんな名前だったのか。つーか店に……店の人間に、名前があったのか」
 その事実にギリアムは目を見開き、それから視線を落としてため息を吐いた。

「爺さんは、いつもあんな風に買い物を?」
「ああ。慣れると楽しいもんじゃよ」
「そっか……それを俺に教えてくれたってことは、俺が同じ事をしても?」
 おずおずと掛けられた問いに、私は笑顔で答えた。
「無論じゃよ。そうでなければわざわざ教える訳がなかろう」
「そりゃそうだけどよ、なら、何でこんなすげぇ事を教えてくれたんだ?」
「わしが知っとる事なんて、他にも気付いとる人はいるだろう。いずれ広まることなら、まずは自分のフレンドに教えたいと思っても不思議じゃなかろう? ましてや、この街をアラームに従って走り回ってがんばっとる友人になら、なおさら。まぁ、この素敵な帽子とパイプの礼と思ってくれたら良いよ」

 手にしたパイプを持ち上げてそういうと、ようやく彼も嬉しそうに笑った。
 ギリアムには頑張って熟練度を上げてもらって、いつか素敵な老眼鏡を作ってもらうんだから、応援するに決まっているってもんだ。

「まぁ、店が騒がしくなると困るから、できればさっきのやり取りや今語った事はあまり広めんで欲しいところじゃがの」
「もちろん広めたりしねぇよ。これからあちこち通って仲良くならなきゃなのに競争率を上げるほど馬鹿じゃねぇしな。ばれないように、客がいない時にNPCに話しかける事にするさ」
「なら良かった。では常連目指して頑張ってな」
「ああ! まずはこれからさっそく街中の店をチェックして小まめに通うとこから始めるぜ。ありがとうな、爺さん」
「こちらこそ、良い品を貰ったし、楽しかったよ」
「また何か自信作が出来たら連絡するぜ。そのうち狩りも良かったら一緒に行こうな!」
「ああ、是非。ではまたいずれ」
 別れを告げるとギリアムは最初に出会った日のように走り去っていった。これから魔法具の材料を売る店を一軒ずつ訪ねるつもりなのだろう。
 NPCと仲良く喋る強面の男の姿を見てみたい気もしたが、やる気の所を邪魔しても悪い。私は彼が走っていった道をのんびりと歩き、広場へと向かった。




[4801] RGO43
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:f37ee68f
Date: 2011/07/30 08:36
 

 広場の入り口に差し掛かったところで、私は思わず足を止めた。
 どうやら魔法ギルドを占拠して行われていた集会は終わったのか移動時間がきたのかしたらしく、ギルドの塔からはぞくぞくと人が溢れて一番街に向かって消えていく所だったのだ。
 一番街には旅団ギルドがあり、旅団専用ルームが使えるからそっちに移動するつもりなのだろう。
 私はまた絡まれたりしないように広場の入り口から少し路地の方に戻り、街灯の側に寄って彼らがいなくなるのを静かに待った。

 眺めていると本当に人数が多くて、勢いのある旅団なんだなと確かに充分感じさせられる。
 不遇な魔法職同士の支援を目的としているからか、集団の中には凝った装備の人もいれば初期装備の布のローブや衣服を纏った人もいて、レベルも様々なようだった。
 楽しそうに仲間と喋っている者もいれば、むっつりと押し黙って一人で足早に歩いている者もいる。
 アクセサリーをジャラジャラつけている人間が多い、と聞いていたし実際そうなんだろうと思っていたのだが、必ずしも全員がそういう訳ではないらしいということも見て取れた。
 人数が多いからアクセサリーなんかは狩りに行く時の貸与とか、何か役割を持っている人に優先的に配布とかなのかな。

 ここへの移動の時から数えて、私が彼らの事を知るようになってからまだそう日は経っていない。その間に見聞きした事を合わせて考えると、私はあの旅団とは多分合わないだろうことは想像がつく。
 もともとあまり集団行動向きではないのだ。そういうところは、私と由里は良く似ている。
 だからと言って別に彼らを否定する気も特にない。学校のクラスに色々な人がいて色々なグループがあるのと結局は同じなのだ。気が合う者同士が一緒にいる事もあれば、成り行きで一緒に居て我慢していることもある。そこから逸れて、小さなグループを作ることも。

 あそこに居る人はああやって自分達なりに楽しんでいるのだから、それはそれでありだろう。
 魔法職の相互支援という目的だって別に悪いことじゃないし、むしろ運営に頼らず自分達で工夫しようというのは良い考えだと思う。
 そうして組織が大きくなる中で、目的がいつしか刷り変わったり、周囲との多少の軋轢を生むというのも良くあることで、ある意味仕方ないとも言えるかもしれない。
 ただそのやり方が私とは合わなそうだから、距離を置きたいとは思うけども。遊び方が合わない人達と一緒にいても疲れるしね。

「ようやくいなくなったか」
 流石にあの人数だと移動も時間がかかるようで、塔から流れ出る人並みが途切れたのは十分ほど後のことだった。これでやっとギルドを使うことが出来る。
 私は辺りを軽く見回しながら塔へと向かい、大きな扉を少しだけ開けて潜った。
 ギルドに入るとそこはさっきあれほど人がいたのが嘘のように静まり返っていた。
 正面にある受付に近づくと、受付嬢が頭を軽く下げる。

「ようこそ、知の道を歩く御方。今日は何の御用ですか?」
「こんにちは。瞑想室を借りたいのじゃよ。そうじゃな、とりあえず二時間ほど」
「かしこまりました。ではあちらの扉へどうぞ。延長申請は中からもできますので、ごゆっくり」
「ありがとう」
 受付けを済ませてその脇の通路の先にある扉へと向かう。やっとゆっくりと利用する事が出来そうでほっとした。

 誰もいない通路を歩き、扉を開けるとそこは見慣れた小さな部屋だ。
 私は早速とばかりにラグの上に座り込み、足を伸ばして、ほっと息を吐いた。みっともない姿だが、ちょっとだけのんびりしたかった。
 伸びを一つして深呼吸を一つ。ようやく落ち着いた気分になった私はウィンドウを開き、先に情報掲示板を開いてみる。

「えーと、サラムのイベント告知板……あ、あったあった。これかの」
 スレッドを覗くと確かにギリアムが言っていた通り、ウィザーズユニオンからイベントの告知が出されている。
「定例集会兼初心者勧誘説明会、か。確かに運が悪かったかもしれんのう」
 まさにその只中に踏み込んでしまうとは私だって思わなかった。
 スレッドはブックマークしておくと最新情報を見やすいので、そうしておくことにした。一週間に一回くらい覗いておけばかち合うこともなくなるだろう。あんな居心地の悪い体験は一度で充分だ。

 それからいつも覗いている掲示板をいくつかチェックして、情報掲示板を閉じる。
 次いでアイテムウィンドウを開き、買い込んで来た白紙の書をドサドサと取り出した。
 とりあえずまずは赤の魔道書Ⅰとかを量産して、熟練度を上げる所から始めようと思っているのだ。
 出来上がった魔道書はそれ同士を合成してプラスのついた魔道書に変えて売るつもりでいる。
 スゥちゃんが快く協力してくれると言っていたとユーリィからメッセージが入っていたから、売る方も安心だ。売れるかどうかは置いておいて。

「ま、とりあえずようやく本腰を入れて生産できるし、頑張るかのう。目指すところもはっきりしてきたしの」
 白い魔道書を一冊手にとって眺める。ここに、この表紙や背表紙に、自分のつけた名前が載るのはきっと嬉しい事だろう。
「どんな書を作ったら売れるのかばっかり考えていたが……それはとりあえずは忘れるかの。まず作りたい物は決まったことだし」

 私は一度閉じたウィンドウをまた開き、スキルの欄を見る。私のスキル欄に並ぶのは覚えた魔法の名前が殆どだ。私はそれらを一つ一つ眺めながら、それぞれの魔法の基本の効果や範囲、持続時間、呪文の長さを順番に再確認していく。

「使いやすいのが良いじゃろうの。単体、範囲、補助、回復から一つずつ、とか? 範囲は別にして、それだけで一冊にするか……属性は色々取り混ぜて……出来上がりが一種じゃ少ないか」
 私が目指すのは、できるだけ使いやすい魔道書だ。熟練度を上げて、できれば白紙の書Ⅰに四つまで魔法を詰めたい。文字数の制限は熟練度が上がれば上限も上がるし、頑張ればどうにかいけるはず。
 出来れば最初の所持金である1000Rでも買える値段にしたいところだ。
 ファトスの周辺の敵の事なんかを考えると、一種類だけじゃなくて少しバリエーションも増やしたい。

「特化型の魔道書も作るか……各属性の補助魔法だけを抜き出して詰めた魔道書とか。最初から友達と遊ぶ人、白魔道士を目指す人向け、とかにいいかも」
 ぶつぶつと零す独り言だけが部屋の中に落ちる。時間を掛けて何種類かの案を考えたが、どれがいいか今ひとつ悩む。後で実際に魔法を使って、それから決めようかな。

「とりあえずはまず熟練度をを上げるために、汎用品を作るところから始めるかの。ある程度上がるまでは我慢じゃな。上がったら、作りたいものを作る、と……その時は、名は何にしようかのう」
 出来上がったらそれをスゥちゃんに託して、売ってもらおう。それを初心者の人なんかに手にとって貰えると嬉しい。あと魔法職の難しさに辟易してる人に手に取って貰えるような物も作れるようになるといいなぁと思っているのだけど。

「そうじゃな、最初の魔道書の名は……『初心の書』にしよう。できれば、魔道士に成り立ての人に使ってもらえるような、そんな書になるように」

 それはこの前ユーリィとサラムの広場で話した時からずっと考えていた事だった。
 そして今日ギリアムとの話の中で、決めた事でもある。
 いや、正確には今日のあの旅団との不本意な出会いで決意が固まったというか。

 私は誰かのプレイの仕方を否定する気はないし、表だって邪魔するつもりもない。
 けれど私は私のやり方で、魔法職を支援したいと思ったのだ。少しでもいいから、魔法職の裾野を広げる手伝いが出来ればとても嬉しい。
 そうしたら、きっと面白い。

 ……それでついでにあの旅団以外の魔道士がもっと増えたり、あの旅団にいる旨みがちょっぴり減ったりすると、きっともっと面白い。

 正直に言えば、今日のアレは結構不快だったからそれについては改善して欲しいと思うのだ。私だって人並みに苛立つことくらいあるし、聖人君子でもない。
 だから、私の信条的に言えば彼らを声高に非難したりはしないが、何もしないのも面白くないという気持もある。

 とは言え、別に表だって何かする気は全くないし、真っ向から対立したりする気もない。だって面倒だし。
 でもやろうと思えば、陰に隠れながらでも少しくらい影響を与えることなら私にもできるんじゃないかなと思うのだ。
 例えば、ギリアムにお取り置きについて教えたみたいに。

 まぁそうは言っても、今考えているのはそんな感じにあくまで遠まわしに、そのうちちょっとくらい連中をイラっとさせることができるといいなー程度のささやかで可愛いことだ。言うなれば道に小石を置くとか、草原で草を結んでおくとか、その程度の。
 そういうのって相手が忘れた頃に効果が出るといっそう面白いよね、とか別にそんなことは思ってない。うん、そんなには思ってない。

 実際やることはと言えば単純だ。私は私の方法で生産を楽しんで、作ったものを売ること。ただそれだけだ。

「私は、私の方法で、皆と一緒に楽しめたらいいよね」
 ぽつりと呟いた後、口調が素だったことに気付いて思わず笑ってしまう。

 当分は出来る限り表には出ず、隠れまくるつもりでいるけども、その楽しみを追求するといつかギリアムみたいにトラブルに見舞われることもあるかもしれない。
 けれど、そうなったらそれはそれで仕方ないと諦めて、受けて立つなり逃げるなりする気でいる。
 ま、今はそれ以上そんなことは考えないけどね。
 新しく出来た友人が、好きな事を楽しむために一生懸命この街を走り回っているように。
 私も私のやり方で先のことなんか恐れずに、好きなものを作り、好きなように隠れ、素知らぬふりをしてゲームを楽しむのだ。
 
「さ、やるぞ!」
 気合を入れて傍らの本を一冊手に取る。
 開いたページは新しい楽しみを書き込まれる事を待っているかのように、白く煌いて見えたのだった。



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キリが悪かったのでまとめて投稿しました。
生産編はもう少しで終わりです。
いつも感想などを頂きありがとうございます。
全て読んで励みにさせて頂いています。



[4801] RGO44
Name: 朝日山◆56f2e972 ID:f37ee68f
Date: 2011/08/06 07:37
 

「……という訳で、今に至る、と」
 無駄に長い回想終わり、と。


「何の話?」
「ああ、いや、独り言じゃよ」
 六番街の小さな喫茶店でスピッツと向かい合いながら、甘いものを食べる。
 窓の外の雨はいつの間にか本降りになっていた。酷くなる前に喫茶店に滑り込めて良かった、と思いながら手にしていたスプーンを口に運ぶ。うん、美味しい。
 私が食べているのは甘酸っぱいソースの掛かったブランマンジェのような食べ物だ。
 ような、というのは味は似ているのだがその色合いがすごいからだ。本体が綺麗な水色で、掛かっているソースがどぎついピンクというそれは微妙に食欲をそそらないのだが、味は美味しいのであまり目に入れないようにして食べている。

「あはは、おじいちゃん変なの」
 そう言って笑うスピッツが食べているのは青汁のような色をしたアイスの乗った、毒々しい紫色のケーキだった。抹茶なんて可愛い色じゃないそのアイスは、さっき一口貰ったら苺のような味で美味しかった。ケーキはココア風味だ。
 セダの料理は普通だったのに、ここサラムの料理は味はいいのに見た目がチャレンジャーという物が多い気がする。魔法を使って開発したり作ったりしてるからなんだろうか?
 それぞれテペロのムース・コルソース掛けとか、ママナンのケーキ・ピロロのアイスを添えて、とかいうよくわからない名前がついていて、原材料はさっぱり想像がつかない。
 そういえばこの付近には似たような名前のモンスターがいたような気もしたな、と考えかけて思考を止めた。
 美味しいものは美味しいのだから問題はない。


 深く考えるのを止めてテーブルから視線を上げれば、片手でウィンドウを操作するスピッツの姿が目に入る。彼女はさっきからケーキを食べながら、出したままのウィンドウを時々操作していた。
 オークションの手続きをしたり、出品した品物の経過を見ているらしい。
 先ほどファトスで渡した物ももう出品され、早速幾つか入札が入ったと少女は教えてくれた。

「おじいちゃん、生産レベル上がってきたって言ってたけど、次はどんなの作るの?」
「うむ、今オークションに掛けてもらってる初級魔道書の上位のが結構人気あるじゃろ。プラス5くらいまではどうにか安定して作れるようになってきたから、あれをもう少しだけ続ける予定じゃよ。
 あとはそろそろ色々取り混ぜた複合型の魔道書をオークションで売り出してみようかとも思っとるかの。もう少し熟練度が上がると本の表紙に模様を入れたりして外装を変更できるエディタが使えるようになるようじゃから、そこまでいったらにしたい気もするが……」

 スピッツにオークションで売りに出してもらった初級魔道書の合成上位版は、今の所結構良い値段で落札されている。出しているのは四から五くらいの合成に成功したものだけだ。
 編纂・合で同じ書同士を掛け合わせると熟練度によって確立で失敗するので、一度にあまり沢山は作れない。失敗しても材料はなくならないのだが、魔力はなくなるので休まないといけないからだ。

「合成した魔道書、かなり強いみたいだもんね」
「プラス1するだけで、普通の物より結構ステータスが上がるからのう。初級の魔法は皆長く使っているから熟練度も上がっとることが多いじゃろうから、尚更効果が高い。初級だからといって馬鹿にしたもんでもないだろうの」
 私だって覚えている魔法の中で、一番使っているのはやはり炎の矢などの初級魔道書に入っている魔法だ。呪文も短いし熟練度が上がっているので威力もかなり高い。初心者でも使えるように使い勝手も結構いいと来ている。私の作った合成上位版の魔道書はその威力を更に上乗せしてくれるのだ。

 ただし、合成となると当然原価も上がるので今のところは初心者向けじゃなくオークションで出している。
 プラス5くらいだともう1000R以下では販売したくないので開始の値段はそこからだ。売れるかどうか最初はビクビクしていたのだが、そこそこ人気が出ているようで本当に良かった。
 伝え聞いた話だと、初級魔道書の呪文くらい暗記していても、装備しているだけでそこに載る魔法やその本と同じ属性の他の魔法の威力も上がるので結構便利に使っている、という人もいるらしい。それは嬉しい話だった。


「ファトスでの無人販売は続けるの?」
「うむ。今のところ、そっちの方が目的じゃからの。スゥちゃんにはまだ面倒をかけることになるが……」
「ううん、そんなの全然いいよ!」
 結局、『初心の書』は幾つかの属性の初級魔法を混ぜた魔道書とした。どれも単体、範囲、補助、回復が一つずつ入っていて、回復は白の単体回復魔法と決まっているが、あとはその時々の気分によって属性を変えて作っている。その辺は手にする人が適当に選べばいいだろうという仕様だ。
 別に同じ魔法ばっかり唱えてると飽きるとかそういうことでは決してない。ないったらない。
 販売価格は800Rと初期魔道書と同じ額にした。
 魔道書としては多分ちょっと中途半端だと思うのだが、魔道士を始めたばかりの人なんかが色々な魔法に触れたり、自分の戦闘スタイルを探したりする役には立つんじゃないかと思うのだ。
 後は最初っから仲間とプレイする人用に、攻撃魔法一つと使い勝手の良い補助魔法を二つ、回復魔法を一つ入れた奴とか多少の変化を持たせてもいる。

 売値や販売方法では色々と悩む事もあったが、今のところファトスでの販売はスピッツに相談して無人販売機スキルの機能を利用し、一度そこで買い物をしたことのある人は、二度と店を見ることが出来ないように設定してある。一見さん以外お断り、という訳だ。更に買占めなどを防ぐため、購入できるのは一人一点だけだ。
(ちなみにこの設定は他にも項目があり、性別やレベル制限、職業制限など様々な条件を付けることができたりする。本来は冷やかしで覗く人を減らして、買ってくれそうな客だけを呼び込むための機能らしい。対象者を限定して住み分けすることで、広場が無人販売所で埋まるとかそういうのを減らす効果も期待されているようだ)

「そういえば、商人スキルは熟練度が上がると何か変わるのかの?」
「うーん、基本はあんまり変わんないかな。鑑定は成功率が上がるとか、売買スキルが上がるとNPC相手には有利になるとか、そんくらい? 自販機は、一度に並べられる数が増えたりとかはするけど。
 あ、でももう少し熟練度が上がると商人ていう呼称から、商会っていうのになって、自販機の設置可能数が増えるんだよ。今は一号店って言っても一軒しか出せてないけど、それが増えるんだよ! そうなると自販機に販売用NPCを置けるようになるんだって! って言ってもそれは別になくても変わんないから、ただのネタって言われてるんだけどね」
「ほう……NPC販売員も置けるのか。商会の名前は好きに変えられるんじゃったかの?」
「うん! 名前はまだ決めてないんだ。何がいいか悩んでるとこ。でもおじいちゃんのおかげでもうちょっとだよ!」
「これからも販売は頼みたいから、スゥちゃんの個人名と遠い名をおすすめしたいかもしれんの」
「そっかぁ、じゃあどうしよっかなー。販売員は今のとこメイド系にする人が多いらしいんだけど、それも悩むよぅ」
 商会になるとその商会名でオークションなども出品できるらしいから、更に個人が特定しにくくなるだろう。
 スゥちゃんに迷惑かける率も減るかもだし、ありがたいなぁ。
 販売員と名については少しばかりアイデアが浮かんだので、後で提案してみようかな。

「しかし、売買スキルが上がってもプレイヤー相手には何かが変わるという事はないんじゃな」
「それはないかなぁ。そういうのは個人の交渉スキル次第になっちゃうみたい。でもボク、商人なのにそれ全然なんだよね」
 そういうとスピッツはちょっと肩を落とした。このRGOの中ではいつも明るい彼女にしては珍しい。

「対プレイヤーの売買交渉は苦手ということかの?」
「うん。全然ダメ。そういうのはお姉ちゃんの方がずっと上手。ボクにできる事なんて、製作者を知りたい、とか言われたりしたのをハイテンションな会話に巻き込んでうやむやにしてきっぱりお断りするくらいだよ」
 いや、それが出来ればそんなに肩を落とすほどの事はないんじゃないかな。私はそれすら面倒くさいもん。

「そういえば、スゥちゃんは何故商人を選んだのかの? やはり鑑定目当てだったり、ユーリィに頼まれたりしたのかの」
「え、うーんと……違う、かな」
 あれ、てっきりそうかと思ってたのに違うのか。なら何故? ともう一度問うと、少女は少し言いづらそうにもじもじと話し出した。

「あの、ね。セダの露店広場、おじいちゃんも行った?」
「ああ、行ったよ。すごい活気であれは驚いたのう」
 セダの中心部にある商業ギルドの周囲はかなり大きな広場になっている。そこは露店広場としてプレイヤー達に解放され、昼も夜も大変賑わっている場所なのだ。確かに、RGOの中で今のところ一番活気のある場所は、といえばあそこだろう。

「すごいよね。すっごく賑やかで、うるさいくらいで。でも楽しそうでさ。あのね、セダに行くまでは別のことやろうって思ってたんだよ。けどあそこ見てたら、なんか、楽しそうで、羨ましくて……やってみたくなっちゃって」
 ぽつぽつと語る少女はさっきまでのスピッツというよりも、どこかリアルでの理恵ちゃんを思い出させるようだった。普段の大人しい中学生の少女と、このゲームの中での彼女はあまり印象が重ならないように思っていたのだが、やはりこうして静かに語っていると本人の雰囲気がよく出てくる。

「ボクね、おじいちゃんみたいに、ロールプレイっていうの? そういうのしてみたかったんだよ。自分じゃない自分になりたくて、色々考えて、結構成功してたと思ってたんだけどね」
「わしも成功しとると思うがの。最初にあった時は、スゥちゃんがリエちゃんだとはさっぱり気づかんかったよ」
 リエちゃんが考えたスピッツというキャラクターがどんななのかはわからないが、リアルと違うという点では成功していると言えるんじゃないだろうか。
 私はそう思ったけれど、それでも彼女は不満そうだった。
「普段はいいんだよ! お姉ちゃんとか、ライたんとかと冒険してる時はさ。でもフレンドだけじゃなくって露店なんかでお客さんと色んなやり取りしたりとか、もっと知らない人相手にも、『スピッツ』でいられるようにしたくって、それで商人になってみたかったの。このゲームの中では、何となくテンションも上がっちゃうから、スピッツのキャラならいけると思ってたんだけど」
 けど、とそこまで語って少女は視線を落とす。

「実際なってみると、全然勇気がでなくってさ。露店開くと途端にお客さんと上手く会話できなくて、いっつも自販機頼りで、全然だめなんだよね。商人なんて、ホントは名乗れないのかも」
 確かに性格的にはリエちゃんはもともと大人しいタイプだし、人見知りも多少する。それに中学生が交渉事に長けてるなんてことは少ないだろうしな。ずうずうしく値切る度胸やそれをあしらう余裕が身についていなくても当たり前……っていうか、むしろそんなものあまり身に着けないで欲しい気すらする。

「そうなのか……意外、でもないのかの。しかしヤライ君やミストには結構元気にふるまっとったし、わしとも初めて会った時から元気にしとったし、もう一息のような気もするがの」
「ミストはリアルでも知り合いだからまた違うもん。ライたんは……なんか話しやすいんだよね。なんでかな? お姉ちゃんとすごく仲が良いからかな? ライたん優しいしね。おじいちゃんの時は、何ていうか、こんなに本格的なおじいちゃんキャラの人見たのなんて初めてだったから、ついテンション上がっちゃって……ライたんの知り合いっぽかったっていうのもあったしね」
 少女は傍らに置かれたコップを手に取ると、半分ほど残っていた蛍光ピンクの飲み物をコクリと一口飲んだ。味はレモンスカッシュだそうだ。

「お姉ちゃんがいっつも楽しそうだったからボクもこういうのやってみたくてさ。中学に入ってから勉強頑張って、ご褒美に買ってもらったんだよ、このゲーム」
「小学生まではできないからのう。頑張ったんじゃな」
「うん。でもね、ボクまだおじいちゃん以外の人で、こうしてお姉ちゃんがいない時に一緒に遊べるの、ライたんだけなんだ。後は緊張しちゃってなんか駄目なの。いっつもお姉ちゃんとライたんにくっついてて、それもよくないって思うんだけど……」
 そう言ってスピッツはまたしょぼんとする。あんなに元気なのは姉と友達の前だけということか。
 けど、リアルの彼女を思い出すとそれもありそうなことのようにも思えた。結局、人の本質はそう簡単には変わらないという事なんだろう。

「わしは、そのままでも構わんと思うよ。無理してなりきっても疲れが溜まるだけじゃろう。商売の交渉が多少上手くなくても構わんしの。無人販売所とオークションのみの、謎の商会、なんてなかなか渋いと思うがのう」
「渋いかな……? でも、有望な前線プレイヤーや大手ギルドと交渉して色んなアイテム流してもらったり、生産に力入れてる人から委託されたハイクオリティの生産品を前線で高値で売って回ってたりしてるやり手の商人も結構いるっていうよ?」
「そういう人はそういう人。スゥちゃんはスゥちゃんの自分のプレイスタイルを探せばいいんじゃよ。少なくともわしは助かっておるし、スゥちゃんが望むなら将来有望そうな新しいフレンドを紹介する事も出来るかもしれん。いい職人友達ができたんじゃよ」
「ホント!? どんな人?」
「こだわり派で強面のがっかりドワーフじゃよ。面白い人でな」
「がっかりドワーフ?」
 この帽子を作った人だと教えると興味を持ったようで、スピッツも会ってみたいと言ってくれた。
 今度会ったら紹介していいか聞いておく、と約束をする。こういう風に少しずつ交友関係を広げていけばいいのだ。別に焦ることは全然ない。
 私なんてフレンド欄にはまだ五つしか名前がないが気にしたこともない。NPCの友人知人は山のようにいるけど。

「……あのさ、おじい……ナミちゃん」
「ん?」
「あの……ありがとうね」
 お礼の言葉に顔を上げると、スピッツがにこりと笑った。
 何に対して礼を言われたかわからず首を傾げると、委託だよ、と答えが返ってくる。

「商品をさ、ボクに売らせてくれて。なんか、さっき言ったみたいな感じだったから商人って言っても鑑定と買い出ししか役に立ってなかったからさ、嬉しくて」
「ああ、それか。こちらこそ、スゥちゃんが商人でいてくれて感謝しておるよ。お互い様じゃろう」
「でも、今すごく楽しいから。ありがと」
 そう言う彼女は確かに嬉しそうだった。役に立ったことが本当に嬉しいという雰囲気で、私もなんだか嬉しくなる。

 そうやってしばらく二人でにこにこしていると、そういえば、とスピッツが何か思い出したように声を上げた。

「おじいちゃん、自販機はあれでいいとして、オークションの条件はあれでいいの? あれだとあんまり値段も上がらないし、損じゃない?」
「ん、ああ、あれかの。あれはあれでいいんじゃよ。その方が面白いじゃろ?」
「面白いの? うーん、よくわかんない」
 首を傾げるスピッツに頷いて笑顔を見せる。
 そう、あれはあれでいいのだ。あの条件こそ私の望みだ。

「なんかよくわかんないけど……おじいちゃんが楽しそうだからいっか」
「おや、楽しそうだったかの?」
「うん、すっごく楽しそうな顔してたよ、今。けどなんていうか、おねえちゃんが意地悪する時の顔っぽかった!」
 なるほど。そう言われてみれば心当たりはあるかもしれない。
 今実際ちょっとだけ意地悪な気持ちだったしね。ほんのちょっとだけね。

「でもやっぱり変わってるよ。入札可能なのは魔術師系職業の人だけっていう条件はまだわかるけど、『団員数が三十人以上の旅団参加者には入札できないようにする』だなんてさ」
「いいんじゃよ。大きな組織の庇護下にいる人は、仲間探しにもアイテムを手に入れるにも有利じゃろう? それ以外の人にほんの少しチャンスがあれば、というのがわしの目的なんじゃから。組織力で値段を釣り上げて落札されても面白くないしの。それでも十分稼ぎになるんじゃから、いうことなしじゃよ」
「ふぅん。まぁ、おじいちゃんがいいならボクもいいけど」
 そう、その条件だと、あの旅団なんかは私の作品を手に入れられない訳だ。
 要するに、これは私の地味な嫌がらせなのだ。いや、嫌がらせっていうと語弊があるよね、違う違う。
 私の生産に関するプレイスタイルだ。弱者救済。素晴らしいじゃないか。
 いずれ話は広がるだろうけどそれはそれで構わない。そうなった時の条件付けも考えてあるし。

「もう少ししたらもっといい魔道書を売りに出すから、それにはまた条件を付けてくれるかの」
「うん、もちろん! 今度はどんな条件?」
「次は、商会の名前が使えるようになったらそれで出品して、その商会からの出品物を一度でも落札したことがある人は、二度と入札できない、というのが良いかと思っておるんじゃよ」
「それだともっと売上落ちない?」
「大丈夫だと考えとるよ。それに、少しくらい落ちてもいいんじゃよ。それよりもできるだけ沢山の魔道士に手にするチャンスを得て欲しいからの。一つの組織に買い占められたり、転売目的で入札されるよりはずっと良いよ」
 だから売り上げは落ちても別にいい。けど、多分そんなに落ちないだろうと踏んでいる。
 私が問題として想定しているのは、話が広まって大規模旅団の団員に入札参加制限がかけてあると知られた時、恐らくそこからの買い出し部隊が一時旅団を抜けてでも入札に参加するかもしれないということだ。
 だがそれを一度きりに制限すれば、旅団側は毎回違う人物を送り込まないといけないことになる。それも当然してくるだろう。
 だが、それがいつまで続くか。旅団の幹部は信頼がおける人間ばかりだろうから最初はいいだろう。
 けれどその幹部達では足りなくなった時、更に下の人間に購入資金を託して一時旅団から脱退させなければならなくなった時。その下の人達にどこまで信用がおけるのか。その旅団の真の結束力が試されるというものだろう。

「その時は……どうなるじゃろうのう」
「……おじいちゃん、その笑顔なんか怖いよ?」
「ん? そうかの?」
 スピッツにそう指摘されたので、私はにっこりとなるべく好々爺っぽく見えるよう意識して微笑む。
 これは決して嫌がらせとかじゃないのだ。私はただ自分の作った品が、なるべく私の望む人達の手に渡るように工夫して販売するだけだ。私のプレイスタイルなんだから、誰にも文句は言われる筋合いはない。
 もっともどんな組織にも何も問題が発生しなかったという事も十分ありうるだろうし、そうなったらそれはそれで構わない。
 そういう状況でも揺るがない組織なら、きっと所属している人はそこで満足しているんだろうから、良いところなんだろうしね。
 もちろん大規模な旅団こそ、その鋼の結束力をきっと私に見せつけてくれるに違いない。
 そう信じているとも。
 ああ、楽しみだな。本当に。
 まだまだこれからも頑張って生産するぞ。
 目標は魔道士救済だもんね。


「あ、そうだ、スゥちゃん。ユーリィからまだ遊べないかとせっつかれとるんじゃがの、転職してからにしようと思っておるのじゃよ。スゥちゃんももう少し待っとってくれるかの」
「あ、おじいちゃんもう転職?」
「うむ。こないだ蛇を倒してレベルが上がったのでステータスが足りたらしくての。そろそろ、塔に上ろうかと思うのじゃよ」
 もうここしばらくずっと私のステータス欄には転職可能職業が現れたことを示すアイコンがつきっぱなしだ。
 今まで保留にしておいたのだが、どうせなら次の冒険の前に転職してしまいたい。

「もう何になるのか決めたの? 黒? 白……はないよね。色付きとかは強いけど属性が偏るし……おじいちゃんなら黒かな、やっぱり」
「ははは、それはお楽しみじゃよ。今はまだ、秘密じゃな」
 そう、それはまた今度会う時のお楽しみ。

 顔を上げてゆっくりと視線を巡らせれば六番街の突き当りの塔が目に入る。
 次の私の楽しみの在り処はこの街に聳えるあれら塔の上か、それとも。

「楽しみじゃのう」
 呟いて、ケーキの最後の一口を口に運ぶ。
 さて、次はどんな冒険と出会えるのやら。






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いつも読んで頂きありがとうございます。
とりあえず生産職話はあと閑話で終わりです。
転職についてちらっと出ましたが、多分書かずに飛ばすかと。
とりあえず閑話はあまり遅くならないうちに更新します。



[4801] RGO45-閑話 彼女への既視感(前)
Name: 朝日山◆0271fe8b ID:0f0543f3
Date: 2011/08/20 15:41
 

 セダの街はいつ来ても相変わらず賑やかだ。
 ここしばらく行きっぱなしだったフォナンから戻ってくると何だか余計にそう感じた。
 今日はこの街でナミと待ち合わせしているのだ。

 といってもリアルのナミとじゃなくウォレスの方で、たまにはセダの街で昼食でもどうかと珍しく向こうから誘われたのだ。ナミがウォレスの姿なのは色々複雑だが、それでも嫌という訳ではないのでもちろんオッケーだった。
 そういえば何か渡したいものがあるって言ってたけど、それが何かは教えてもらえなかったな。
 しばらく前にあいつは生産職を選んだといっていたからそれ関係かもしれないと当たりをつけているんだけど。


 そんな訳でセダまで来たものの、約束の時間までまだ結構あったので暇つぶしにセダのオークションハウスや露店を覗こうと、俺は商業ギルドの前まで来ていた。
 商業ギルドはセダで一番賑わっている施設だろう。セダに来たら大体一日に一回くらいはここを覗くという人間は沢山いる。
 新しいクエストが定期的に発生するし、オークションは見ているだけで飽きない上に掘り出し物があったりもするし。
 商業ギルドはセダの街の中心地にある古めかしい石造りの大きな建物で、いつも両開きの大きな扉が開け放してある入り口は人の出入りが絶えることがない。


 ギルドと呼ばれる場所(というか本当は組織というべきなんだろうけど)は種類が幾つかあるが、俺が出入りするのはもっぱら戦士ギルドと商業ギルドばかりだった。魔法は使わないので魔法ギルドには用がないし、まだ旅団にも所属していないので旅団ギルドにも縁がない。

 戦士ギルドとはその名の通り戦士系職業全般のための場所だ。戦闘チュートリアルやスキル取得のための訓練所、騎乗スキルを取得するための訓練用馬場などがある。
 俺には用がないので詳しくはないが多分魔法ギルドにも魔道士用の似たような施設があるんだろう。
 商業ギルドには副職である生産職の紹介なんかの簡単な副職チュートリアルやオークションハウス、露店を開く時に便利な関連商品を売る店なんかがある。
 旅団ギルドには旅団を作る時の手続き所や旅団専用部屋なんかがあるわけだ。

 ちなみに各ギルドで受けられるクエストは、それぞれの場所で少しずつ傾向が異なっている。
 ソロや少人数パーティでの討伐系なら戦士ギルドか魔法ギルド、アイテム入手や届けもの系なら商業ギルド、旅団単位で出張るほどの大きなクエストやいくつもの旅団で協力するレイドクエストなら旅団ギルドがそれぞれ斡旋してくれる。
 それ以外にも街中で小さなクエストが発生することも多くあるが、稼ぐためなら各ギルドへ行くのが手っ取り早い。



 商業ギルドの中に入った俺はついでにクエストの受付所に行って終了報告を申請し、手持ちのカードを一枚納入した。このカードは騎獣生産で育てていた、馬に似たパムという生き物の権利書だ。
 騎獣は普段は借りている牧場にいるのだが、この権利書によって持ち運んだり売買することができる。
 騎獣に乗る時はこのカードを使うことで呼び出すことができる仕組みになっている。外ではどこでも自由に呼び出せるが、街中では街や村では入り口付近にある専用の厩舎でしか呼び出せない。街中を連れて歩くこともできるが、道幅や人の量によっては邪魔になるため乗り入れしない、というのがプレイヤー間の暗黙の了解だ。

 今納入した騎獣は最近忙しくて片手間に育てたせいであまりいい数値に育たなかった奴なのだが、そういう騎獣はプレイヤーの買い手を求めるよりも商業ギルドのクエストで納入した方が割がいいことがあるのだ。
 プレイヤーを相手にすると買い手を探すのにも時間がかかるし、数値を理由に値切られたりして交渉も面倒くさい。
 ギルドのクエストなら期限がないものを選べばいつ受けていつ納入してもいいから気が楽だ。
 報酬も適正価格だし、時々色がつくこともある。
 今回の報酬は普通だったが特に不満もなく、俺はそれを受け取ると他に受けておけそうなクエストを幾つか漁ってからそこを後にした。

「さて、後はオークションをざっと眺めたらちょうどいい時間かな」
 独り言を呟いて、入り口脇にあった受付から歩き出して奥を目指す。奥には大広間があり、そこがオークションハウスとなっている。
 いつも通りに大広間の入り口を潜った俺は、しかしいつもと違う光景に面食らって立ち止まった。

「……何だ?」
 何かすごく人が多い。
 しかもその客層がいつもと違い随分と偏っている。なんと部屋にいる人間のおよそ半分くらいがローブ姿だ。
 あ、偏っているという言い方はおかしいか。むしろ、いつになく平均的だ、というべきか。
 何か魔法系アイテムの大量放出のイベントでもあったろうかと考えたが、あいにく魔法系にはあまり用がないので記憶になかった。しかしこんなに沢山の魔道士を一度に見るなんてRGOの稼働直後以来だ。

 とりあえず俺は妙に真剣に手元のウィンドウを眺める彼らの邪魔にならないように大広間には踏み込まず、その手前の人の少ない廊下の端に行ってそこで自分のウィンドウを開いた。商業ギルドの建物内では、オークション会場の一定距離内ならどこにいても参加したり閲覧したりすることは可能なのだ。

 オークションに出されているアイテムは、武器防具をはじめとした色々なカテゴリに細かく分かれている。
 俺は画面を操作して気になっていたアイテムの出品の有無や入札経過だけ確かめ、それから何となく好奇心で魔法系のアイテムのカテゴリを開いた。部屋に大量の魔道士が溢れる理由を知りたかったのだ。
 魔法系アイテムの欄を開き、入札数でソートすると上に出てきたのは幾つかの魔道書だった。

「……これが原因か?」

 入札数が軽く百を超える魔道書が数点表示されている。現在の金額もかなり高額だ。
 魔法系のアイテムにこんなに入札が入るのはかなり珍しい。
 あまりオークションなんかに熱心でないウォレスの為に、俺もたまに魔法系の方を覗いていたのだがこんな事は初めてだった。普通なら魔法系のアイテムは余り人気のあるカテゴリではないのだ。杖なんかはどれも買い手が付かずに終わることもよくあるし、魔道書も並んでいるのは魔法職以外の人間が手に入れたドロップ品中心で珍しい物は少ない。かろうじて人気があるのは他職でも使えるステータスアップの効果のあるアクセサリーや魔法薬くらいだったはずだ。
 それを考えるとこの魔道書の入札数や金額はちょっと異常だ。

「聞いたことのない名前の本だけど……ひょっとしてプレイヤーメイドか?」
 名前をクリックして説明文を見ると、そこには確かに魔道士達が入札に来るにたる説明が書かれていた。

『加賀美の書』:補助系魔道書。基本の属性補助魔法四種と敵弱体化補助魔法三種を入れた七種類の魔法が使用可能。
『獅堂の書』:火属性特化魔道書。赤の魔道書1と2の魔法が収蔵。火属性に補助効果あり。
『森谷の書』:回復魔法特化魔道書。白の魔道書1と2、他属性補助魔法2種収蔵。

 その他にも『夢野の書』、『神崎の書』といったアイテムが同じ出品者の名前で出品され、どれにも相当の数の入札が入っている。
 細かい情報を見ると確かにどれも説明に書かれた通りの魔法が収蔵されているのがわかった。どの本も普通の魔道書よりも使用できる魔法の数が多く、各属性に特化したり使い勝手のいい魔法が万遍なく入っていたりと、今まで見たことのないような類の魔道書なのだ。
 これなら確かに人気が出るわけだ。
 どれも一冊あれば魔道士達の戦闘での役割がぐっと大きく、楽になることは間違いなしだ。

「しかし……何つー名前だ。誰だよ、加賀美とか夢野って。まさか本名じゃないだろうけど……」
 製作者か? と思ったが、どの魔道書も製作者は不明となっていた。プレイヤーメイドのアイテムはそこに自分の名前を刻むかどうかは任意で選べるのだ。これを作った人物は名前を残したくなかったらしい。

「変な名前付けるから残したくなかったのかな。出品者は……G&B商会? これも聞かない名前だなぁ」
 聞かないって言っても俺もそんなにオークション全部を見てる訳じゃないからな。
 そんなことを考えていると、大広間の中にどよめきが走った。顔を上げるとこの廊下でも魔道士達が何人かがっかりとした顔をして画面を睨み付けたりため息を吐いたりしている。
 つられて手元の画面を見てみると、魔道書の名が一つ消えていた。どうやらどれかが落札されたらしい。こういうのは最後の方になると半ば運の勝負みたいになるからなぁ。じゃんけんで負けたみたいな地味に痛い悔しさがあるよな。
 ウォレスの為に一冊くらい手に入れてやりたい気もするけど……かなり頑張らないと無理そうだな。
 もうちょっと金稼いでから考えようかな。

「――からさ、誰が落としたかって、わかんねぇじゃん」
 ふいにぼそぼそと話し声が聞こえた。声の聞こえた方をちらりと見れば、俺が今いるこの廊下の片隅の、更に少し奥にいた二人連れの魔道士達が何かぼそぼそと相談している。
「そうだけど……絶対後でばれるって」
 その雰囲気が妙に刺々しいのが気になって、つい耳を傾けてしまう。二人の声は小さかったが、周囲は静かだったのでかろうじて会話は聞こえた。

「大丈夫だって。落とせるまでここで張ってますって言えば時間は稼げるし。その間にこれで狩りして、金返して後は抜ければいいんだからよ」
「そう上手く行くかなぁ」
「せっかく手に入ったんだから俺はこれ渡すのは嫌なんだよ。入札制限されてっから、出品者が制限解いてくれない限り俺はもう二度と入札できないんだぞ? それなのに戻ったらこれ渡さなきゃとかさ」
「そりゃ気持ちはわかるけど、予算は団から出てるわけだし……」
「ちゃんと返すって! それにさ、オクの為に一度脱退することになった時だって指輪全部返せとか言ってきて、向こうだってこっちを信用してないの見え見えじゃねぇか。お前不満じゃねぇの?」
「それは俺も結構頭きたよ。確かにあれはないよなぁ」
「だろ? 俺らだってちゃんと旅団に貢献してきてんのに、それを幹部連中ときたらさ……」

 そこまで聞いたところでピリリ、と画面から小さなアラームの音がした。
 あ、やべぇ、もう約束の時間だ。なんかつい盗み聞きしちまったけど、残念ながらここまでみたいだ。
 褒められたことじゃないのはわかってるけどついつい聞き入ってしまった。
 他人の旅団やパーティのもめ事って、MMOだと妙に気になるんだよな。それこそ他人事じゃないからなんだろうか。どこにでもある手軽なゴシップっていう感じもするし。
 つってもまぁ俺はまだ旅団には入ってないけど……VR研でそろそろ旅団を作ろうって最近熱心に言ってきてるんだよな。どうすっかなぁ。
 以前だったらあいつらと旅団を組むことにすんなり頷いただろうけど、今は少し躊躇われるんだよな。VR研の連中と一緒じゃ、ウォレスは絶対俺と一緒の旅団に入るなんて同意しないだろうし。どうせだったら一緒に遊びたいと思ってんだけど……。
 そんなことを考えながら、相変わらずぼそぼそと会話を続ける二人を横目に俺は足早に大広間を後にした。とりあえず今は約束が先だ。




 ウォレスと約束したのはセダの大通りから随分と外れた小さな路地の奥の店だった。
 周りは住宅ばかりで他に店らしい店はない。細い路地の風景は、親父が居間に飾っていた、出張で行ったというスペインの街並みの写真に少し似ている。
 セダの入り組んだ裏路地は地図を見ながらでも歩きにくく、結局目的地まですぐには辿りつけなくて仕方なくウォレスに連絡してナビしてもらう羽目になってしまった。
 指定された店の前にようやく辿りつくと、確かにごく小さいが料理店を示す看板が出ている。
 どうやって見つけたんだ、こんな店。
 店の扉を開けると、中は随分と薄暗い空間だった。中に入ってすぐのところに呼び鈴や小棚の乗った小さなカウンターがあり、その脇を窓もない通路が続いている。予想していたものと全然違った内装に困惑していると、通路の奥から一人のおばさんが現れた。

「あら、いらっしゃいませ。お一人ですか?」
「あ、いや、えーと、待ち合わせを……」
「ああ、お連れ様は先ほどからお待ちですよ。こちらにどうぞ」
「あ、はい」
 ここが本当に店なのか疑っていたのだが、どうやら間違いはなかったらしい。
 案内されるままに通路を通り、奥にあったすだれのような仕切りを潜ると、そこはまた別の世界だった。

「うわ……」
 仕切りの向こうから明るい光が零れていたから暗いのは通路だけだという事はわかっていたが、実際に明るい場所にでるとその落差に一瞬目が眩む。
 手をかざして光を遮り、目を細めて自分がいる場所を確認すると、どうやらそこは中庭のような場所になっているらしかった。
 目が慣れるのを待って見回すと、四方を建物に囲まれたそこは思ったよりも大分広い。
 昔テレビで見た外国のホテルの中庭にそっくりだ。中央にゆっくりと水を吹き出す噴水があり、あちこちを色とりどりの花々が飾り、木々が明るい緑の葉を揺らす。
 セダでは当たり前に見かける裏路地の雑然とした並びの建物の、薄汚れた白壁の中にこんな空間が広がっているなんて信じられない気分だ。

「ミスト、こっちじゃよ」
 四角く切り取られた空を驚きとともに見ていた俺に聞きなれた声がかけられる。
 視線を戻すと噴水の向こう、屋根から木々へと渡された日よけの布の下に丸テーブルのセットが幾つか置かれ、その奥まった一つにウォレスの姿があるのを見つけた。

「遅かったの」
「悪い、ちょっとオークションハウスに寄ってたら時間食っちまって」
「ほう。何か掘り出し物でもあったかの?」
「ん、まぁ……」
 他人の会話を盗み聞きしてた、とは言えずに思わず言葉を濁す。
 ウォレスも突っ込んで聞く気はないらしく、案内してくれたおばさんにメニューも開かず今日のおすすめセットを二つ、と話しかけていた。

「よくこんな店知ってたな。こんなとこに店があること自体驚きだけど、中がこんなだと全然思わなかったよ」
「裏路地の店の開拓はもはやわしの趣味じゃからの。ここはおまかせだと美味しいものが出てくるのじゃよ」
「……おまかせじゃないと?」
「味は悪くないが、名前とはかけ離れたものが出てくるよ」
 いや、意味がわからん。
 テーブルの上をトントンと軽く叩いて店のメニューを呼び出すと、書かれていたのは普通に肉料理や魚料理などがいくつかと、何故かパスタとかピザとかオムライスとか言ったファミレスのような名が並んでいた。

「ここって、プレイヤーの店とかじゃないんだよな?」
「NPC店じゃな。店主が料理人でさっきのが奥さんなんじゃがの、奥さんの話だと、店主が表通りで旅人が好む料理を聞きこんでこの店のメニューにも反映させたそうじゃよ。上手くいっとるとは言い難いようじゃが……」
 聞きこんだだけで後は想像で作ったから、名前から俺らがイメージする物と違う物が出てくるらしい。
 それで結局美味しいのはお任せ料理って。

「なんか……努力の方向を間違ってるような気がする話だな」
「まぁ、メニューに載っているもの以外がとても美味しい、と覚えておけば困ることはないじゃろう」
 じゃあそもそもメニューいらないんじゃ……。

「お待たせしました」
 意外に早く横から声がかかり、俺たちの目の前にそれぞれお盆が置かれる。
 お盆に載っていたのは半円状の薄焼きのパンが何枚か入った籠と野菜サラダ、豆か何かの煮込み料理の入った小さな器と、蓋のされた大きいが高さのあまりない壺のようなものだった。
 奥さんが壺の蓋を開けるとふわりと蒸気とともにいい匂いが辺りに立ち込める。
 中に入っていたのは肉や野菜をとろけるまで煮た料理らしい。

「こちらはメイル牛と地物野菜の壺煮です。そちらは今朝上がったばかりのオウヒという魚と地物野菜の壺煮になります。ごゆっくりどうぞ」
 どうやら二人の料理の中身を変えてくれたらしい。ウォレスの方を覗き込むと魚が丸ごと一匹と野菜が入っていて、こちらとはスープの色も結構違う。そっちも美味そうだった。
 薄焼きパンは中が開けるようになっていて、そこに煮込み料理とサラダを詰め、豆の煮込みだと思っていたのは実は薬味の役割をするソースで、それを軽くかけて食べるのだとウォレスに教えてもらった。
 食べてみるとここの料理は本当に美味かった。一つ平らげたところで、お互いにパン一つ分を交換して食べる。
 ウォレスのものは柑橘系の香りの効いた塩ベースの味で薬味のナッツの歯ごたえがいい。俺のは良く煮込んだデミグラスソースに似た濃いめの味でとろりとした柔らかな食感がとても良い。どちらも甲乙つけがたい美味しさだった。
 ウォレスも気に入ったのか言葉少なに食事をしている。ナミは食べている時はあんまり喋らないので食事の合間に俺が一方的に近況を語る感じになるが、それもいつも通りだった。
 しかし……VRでもナミはやっぱり食べるの遅いんだな。




[4801] RGO46-閑話 彼女への既視感(後)
Name: 朝日山◆0271fe8b ID:0f0543f3
Date: 2011/08/20 15:43

「ふぅ、美味かった。いいな、ここ。人も来ないし」
「セダは人が多いから、どこに行っても賑やかだし、落ち着く場所は貴重じゃろうの」
 食後に出てきたデザートとコーヒーっぽい飲み物を飲んで一息つく。
 俺がコーヒーを飲んでいる傍らでウォレスはウィンドウを開いて何やら操作をし始めた。
 それを眺めていると、目当ての物を見つけたのか何かを取り出し、そしてウィンドウを閉じる。
 それからウォレスは俺の方に手に持った何かを差し出した。

「それで、今日の本題じゃがな。これをミストに。今まで色々と貰っていたささやかなお礼じゃよ」
 そう言ってウォレスが差し出したのは、一冊の小さな黒い手帳のような物だった。
 大きさは俺の手よりも少し小さいくらい。厚みも薄く、表紙は革のような手触りで、まさに手帳だ。魔道書のような本の一種としてはかなり小さい。
 こんなアイテムを見たことがなかった俺は珍しく思いながらそれをくるりと回して眺めた。
 つん、と指先で突付くとポーン、と音がしてウィンドウが開く。
 そこに記されたアイテム名は――

『黒歴史の書』

 ……ここがVRで本当に良かった。そうじゃなかったらコーヒーを鼻から吹いてるところだ。

「……ウォレス」
「ん? 何じゃね?」
 全く悪びれもせずにお茶を飲んでいるウォレスに俺は声を最大限潜めて荒げた。
「これは何かの嫌がらせかおい!」
「……器用だのう。他に人はいないし食事も終わったんじゃから怒鳴っても別にかまわんが」
「じゃあ遠慮なく、ってそうじゃねぇぇ!! 何だこの名前は! 」
「それは仕方ないのじゃよ。だって使える漢字の範囲が内容の傾向によって決まってるんだもん」
「もん、とか言うな!」
 爺さんの姿でもんとか言っても色々無理だから!
 現実でも滅多に言わないような可愛い言い方しても流されたりしないんだからな! 
 ……多分!

「っていうか、え、じゃあ……これお前が作ったのか!?」
「無論そうじゃよ。わしは本を作ることのできる生産職に就いたのでな」
「そんなのがあるのか!?」
「うむ。いつもは魔道書なんかをメインで作っておるがの。これは魔道書ではなくて、装備アイテムなんじゃよ。アクセサリーの類じゃな。鎧や服の下に装備するお守りみたいなもので……そうじゃな、ポケット聖書みたいなもんじゃな」
「なんだそりゃ……」
 アイテムの詳細を良く見てみると、確かにHPや筋力体力に、装飾品としてはかなり大きい補正数値が書かれている。その分少しだけ知性が下がるようだが、それでも十分装備して役に立つ数字だ。

「こう見えてもこれを作るまでにうんと試行錯誤して苦労しておるんだからの。目当ての効果が現れる書を見つけて上手に組み合わせるまでに何度やり直したことか」
「本の中の文にステータスアップの効果があるものがあるってことか? 一体中には何が書いてあるんだ?」
 俺はその本を開こうと手をかけたが、ページがめくられることはなかった。がっちりとページがくっついていて板のようになっているのだ。本らしいのは見かけだけらしい。

「その本は開けないように設定してあるから中は見れんよ。わし以外は」
「そんなことも設定できるのか……俺はお前から貰ったもんを人に売ったりしないぞ?」
 何となくちょっと寂しい気持ちになってそういうと、ウォレスは違う違うと笑って手を横に振った。
「そんな心配はしとらんよ。ただ、なんと言うかの……その本の内容がその、大分昔に勇者と呼ばれた男の自伝のようなものの一節をメインに、幾つかの書の内容を組み合わせたものなんじゃがの」
「えっ!? 何だよそれ! それ、グランドクエストのヒントとかじゃねぇの!?」
 思わず興奮してテーブルに身を乗り出すと、ウォレスは言い辛そうに視線をそらし、小さく首を横に振った。
「いや、そんな格好の良いものではなく……前半は勇者やその仲間の冒険を書き記したものなのじゃが、後半がの」
 ウォレス曰く。

『――こうして、俺と仲間達の最初の冒険は終わりを告げた。共に戦った王子は王となり、俺はその王の友が一人として、彼を支えて欲しいと望まれた。しかし未だ若輩の身であるし、まだ世界は安定したとは言い難い。俺はもっと人々のそばでその生活を守るべく力を尽くしたい――(中略)――と、まぁ、そんな感じにテキトー言って断っておいたけどな。俺ってば超カッケー! つーか、この俺様が一国の将軍なんかに納まる器かっつーの。勇者様なんだぜ? もっと強い敵ぶっ倒したりしたいし、どうせなら自分で建国してハーレム作るとかもいいよな! ま、俺様の暗黒覇王幻影剣にかかればそんな偉業もあっという間に決まって――(以下略)』


「……などなどといったことが書かれている訳じゃよ」
「……それって、良いのか、ゲーム的に」
 聞いてるだけでなんかぐったり来た。
 それはどう考えても開発者のお遊びというかむしろヤケになって暴走というか。
 多分開発スケジュールがタイトで、本の中身を入れるのがもう嫌になった誰かの仕業とかなんじゃないだろうか。
 そんな隅っこにある本の最後まで真面目に読むやつはいまいと考えたのかもしれないが……。

「まぁ、面白かったといえば面白かったし、良いんじゃないかの。それにそういう変な文こそステータス補正効果が高かったりするし、ある意味お遊びなんじゃろ。作る時にそれを復唱するのは結構辛かったがの」
「そういうのが詰まってるからこの名前な訳か……」
 呆れてため息が口からこぼれる。
 俺のため息を受けて、ウォレスはにっこりと笑った。
「や、それは半分趣味。面白いじゃろ」
「……面白くねぇ!!」
「まぁまぁ、これをおまけにつけてやるからそう怒るな」
 俺の心からの叫びもどこ吹く風といった風情で、ウォレスは笑いながらアイテムウィンドウを開き、そこからもう一冊の本を取り出してこちらに差し出した。
 しかし俺は差し出された本をまじまじと見つめ、反射的に伸ばしかけた手を思わず引っ込めてしまった。


「……呪いの本?」
 それはこれでもかというほどおどろおどろしい見た目の、くすんだ銀の縁取りで飾られた黒い革張りの本だった。
 大きさは普通の魔道書サイズなのだが、とにかく見かけが何かすごい。
 黒い革張りの表紙は随分と年季を感じさせる風合いでところどころはげたり色褪せたりしている。おまけに閉じられたページを含むあちこちに何故か赤茶けた染みがこびりついていた。
 その上表紙の真ん中には手の平くらいの大きさのくすんだ銀のメダルが貼り付けられ、何故かその中心にぎょろりとした妙に立体的でリアルな目が象嵌されている。動かないようだが、何となくこっちを見ているように思えてマジで怖い。
 更にそのメダルの端から伸びた何本かの鎖が本をがっちりと縛り上げているのだ。魔道書なのだとしたら鎖はただの飾りだろうが、とりあえず不気味なのに変わりはない。

 あー、こういうの良くゲームとかに出てきた気がするよな。
 中二設定がいっぱいついてたりして、主にトラブルの元となるアイテムっぽい位置付けで。

「呪いなんぞかかっとらんよ。ほれ、受け取れ」
 恐る恐る受け取ってアイテムを突付くと、ポーン、という音と共に名前が記されたウィンドウが出てくる。
「『森谷の書?』 どっかで見たような……」
「あ、オークションにも一冊同じ名前のを出しとるからそれかもしれんの。アレと効果は同じじゃが、こっちは装飾に凝ってみたんじゃよ。スキルの熟練度が上がったら作ったものの外装を色々カスタマイズできるようになっての。それで試しに遊んでみたんじゃ」
 って、じゃあまさかあそこで売ってた魔道書を、ウォレスが作って売ってたってことか!
 しかし遊んでみた結果がこれとは、なんという趣味の悪さだ。
 呆れながら魔道書の詳細を見ると、使える魔法一覧が載っていた。なんと並んでいるのは見かけとは裏腹に光系統の回復魔法ばかりだった。

「わし特製の回復魔法特化魔道書じゃよ。少しだけ補助魔法も入っとるな。良かったら、前に会ったあのリナたんとかいう子にでもプレゼントしておくれ。白魔道士にはぴったりじゃろ」

 ……どう考えても嫌がらせです本当にあ(略)

「大枚はたいて競り落とした事にしておけば好感度アップ間違いなし! ここはもう行くしかないじゃろ!」
「いや、どう考えても嫌われるだろこれは!」
「外見はどうあれ今オークションで話題のアイテムなんじゃよ? オークションハウスに寄ってきたというなら、魔道士がたくさんいたのを見たじゃろ?」
「見たけど……あれの原因がまさかお前だったとは……」
 この場合、さすがお前だ、と言った方がいいんだろうか。
 というか、これをリナにやるって、ファトスでのアレもやっぱり密かに根に持っていたのか……。

 そうだよな、ナミはそういう女だった。
 やった方は忘れてもやられた方は忘れない、とよく言うが、やった方が忘れた頃を見計らってごくささやかなお返しをするのがナミという女だった。本人に言わせれば別にお返しなどではなく、単なる善意の試みや自分の楽しみを追及したのをおすそ分けしただけだ、ということらしいが、もちろん俺は信じていない。
 俺も喧嘩したらしばらく後に外側をプリンで包んだ人参ゼリーを食わせられたり、トウガラシがいやに効いた料理ばかり続いたり、食べさせてくれたメニューが妙に質素だったりしたもんだ。
 食い物関係ばかりなところがなんか切ない。

「じゃあ、アレをオクに出してたG&B商会ってのは……」
「スゥちゃんに委託販売を頼んでおるんじゃよ。あ、これは内緒にな」
「スピッツか。そういやアイツ商人だったもんな。商会になったんだな」
「うむ。スゥちゃんには自販機やらオークションやらで色々助けて貰っておるよ」
「G&Bって何の略なんだ?」
「無論、爺さん&婆さんじゃよ」
 ……聞いた俺が馬鹿だった。
 ウォレスの語るところによれば、スピッツが商会になったことで自販機を設置できる数も増え、販売用NPCもおけるようになったらしい。まだ設置してはいないが、そのNPCは全て執事風の爺さんと女中頭風の婆さんにする予定なんだそうな。

「もちろんお前が名前とそれを提案したってのは……聞くまでもないよな」
「うむ。愚問じゃな」
 相変わらずナミの趣味は良くわからない。
 とうとう爺さんだけじゃなく婆さんまで出てきたのか。
 しかし、このネーミングセンスの酷さから行くと、アレは一体……

「なぁ、お前のこの魔道書さ、森谷の書ってのはどういう意味でつけたんだ? オークションに出してたのも皆、苗字っぽいの使ってたろ」
「ああ、それは簡単じゃよ。色んな魔法少女から苗字だけとったんじゃよ」
「……魔法少女?」
「古いアニメとかに良くいるじゃろ。あれの有名どころを適当にネットで検索して、普通にありそうな苗字を選んでつけてみたしたんじゃよ。名前と本の中身に脈絡はあんまりないがの」
 ……オークションハウスで頑張って張ってる人たちが聞いたら落札を躊躇うような話だなオイ。

「それは……特殊な人達しか、喜ばないんじゃないかな、と」
「だって、名前考えるの面倒だったんだもん」
「だから、もんって言うな!」
「それでも本の外見は普通じゃから良いじゃろ別に。気づく人はその道のプロじゃろうし、問題はない。むしろ全ての本が魔法少女の名に相応しいピンクのハート形でキラキラしい飾りを散りばめた魔道書、とかじゃないだけ良心的じゃろ」
「……まさか、作ったのか?」
「さぁのう?」
 絶対作ってるー! 間違いない!

「そんなのをどこに売るんだ一体! 買うやついないだろ!?」
「ふふふ、そういうのやこういうのは制限なしにしてオークションにかけるのじゃよ。本は欲しい、けど外見が嫌。でも他の本には入札ができない……と、まぁそういうジレンマが楽しいじゃろ」
「最高に地味な嫌がらせだな……」
 はぁ、と俺は思わずため息を吐いた。
 ナミはそういう地味な嫌がらせ、というか、ささやかな悪戯なんかを考えるのが相変わらず上手い。
 しかも本人はちょっとしたお茶目程度の気分なんだよな。必死になって入札している魔道士達、可哀そうに……。

「まぁ、アイテムの外装も詳細見れば確認できるからな……それに入札するなら本人の選択か。けど、魔道書が作れる職業だなんて、そんなのがばれたら多分厄介ごとになるぞ?」
「それはわかっておるよ。だからこそ委託にして、署名もしないのじゃから。当分は隠れておることにするよ。ミストもその黒歴史の書は人には見せぬように頼むよ」
「絶対に見せないから安心しろ」
 見せられるかこんなもん!

 ……しかし、いくら周到に隠れているといっても、本当にウォレスがトラブルに巻き込まれるようなことはないんだろうか?
 あのオークション会場でも何か揉めてた連中もいたことだし。
 どうせだから一応注意しておこうと、盗み聞きしたことはぼかして今日オークション会場で見聞きした話をすると、ウォレスは何故か妙に楽しそうな顔を浮かべた。

「それはそれは。揉め事には巻き込まれんよう、十分に気を付けんとな。とりあえずオークションハウスに近づくのは当分やめにするよ。ありがとうミスト」
「いや、俺はお前が面倒なことにならないならそれでいいからさ。気を付けてくれよ」
「うむ。いや、しかし……楽しくなりそうじゃの」
 そういって小さくつぶやき、ウォレスはまた明るい笑みを浮かべる。
 その呟きと浮かべた笑顔に、俺は何故だか一瞬既視感を覚えた気がした。



「それじゃあまた。もう少ししたらまたどこかに遊びに行けると思うから、そしたら連絡するからの」
「ああ、待ってる。じゃあな」
 食事を終えて店を出て、路地の出口で別れ、歩き去っていく老魔法使いの背中を見送る。
 背筋が曲がったりはしていないが、ゆっくりなその歩き方は老人のロールプレイが実に板についているように見えた。
 けどあれ素なんだろうな。ナミは歩くのが相当遅いから、その速度がもう感覚的に染みついてるんだろう。それが老人のロールプレイに見えるって、一体どんな皮肉だ。本人に言ったら多分落ち込むか拗ねるかするだろうから言わないけど。

 さて、俺はこの後はさっきから届いてるVR研のフレからのメールに返事して、もう一度オークションでも覗いて……貰った本、どうしよう。特に魔道書の方……。

「あ」
 ウォレスと逆の方向に歩き出そうとした俺は、さっき浮かんだ既視感の正体に気が付いて振り向いた。

『けっこううまくいくもんだね』

 さっきのウォレスの笑みが、昔そう言って笑った小学生のナミとどこか似た笑顔だった――と気が付いた時には、視界の中にはもうウォレスの姿はどこにもなかったのだった。




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閑話でした。
遅くなってすみません。ちょっと腱鞘炎気味で書く時間を減らしています。
次までまた少し間が空くかと思います。
感想をいつもどうもありがとうございました。励みにさせて頂いています。


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