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[484] あの素晴らしい日々をもう一度(セガサターン版ときめきメモリアル~forever with you~)【逆行】
Name: 牙草 流神◆cbfc02d5
Date: 2011/02/16 15:02
「あなたと幼馴染みだっていうだけでも嫌なのに!」

目を覚ます。悲鳴を上げる様な類の夢ではなかったが、それでも夢が終わったことに安堵する。
…それがほぼ一月前に実際にあった情景だったとしても。

―――4/4 06:29

枕元の時計で現在時刻を確かめる。目覚ましが鳴るには少し早いが、さりとて二度寝するには時間が足りない、そんな時間。

(今日から大学生になるんだった、な…)

外は既に明るくなっており、カーテンの隙間から陽光がこぼれている。
カーテンを開け、目覚ましのアラームが鳴り出すことのないよう止めると、主人 公ぬしびと こう)は寝巻きのまま部屋を出て階段を降りて行った。
…向かいの家の窓から目を背ける様に。


あの素晴らしい日々をもう一度


第一幕 始まりはいつだって唐突だ




「おはよ~」
「あら、おはよう。一人で起きてくるなんて珍しい」

台所に顔を出して母親に挨拶するとこんな返答をされる。
公は苦笑いしながら返す。

「俺だって子どものままってワケじゃないよ」

そんなセリフを言いながら、まだ父親が起きていないことを確認し、表まで新聞を取りに行くことにする。
そうよね、もう高校生ですもんね…なんて、母親の半分感心、半分からかいの呟きを聞き流しながら。

(お母様、僕ぁ今日から大学生ですよ? 失敬だなぁ…)

公も負けじとからかいと呆れを含んだ返答を返す心の中で。
朝食前に母親の機嫌を損ねるとまずいのだ。




つっかけに足を通し、玄関を出て表のポストまで出る。
余談だが、主人家のポストは少し壊れており、敷地の中から中身を取り出すことが出来ない。わざわざ外まで回りこむ必要があるのだ。
門を開け、ポストの前に回ると中には新聞のみが入っていた。

「牛乳、配達忘れかよ…。電話して文句の一つでもつけねばならんな…」

主人家では毎朝牛乳を届けてもらうように業者と契約している飲むのは公のみなのだが。
そのことも思い出しつつ、そもそも牛乳を取り始めたのって俺が部活を始めてからなんだよな…などと考えていると、隣の家の門が開き

「いってきま~す」

なんて、鈴を、転がしたような、声が、する。
そちらを見るまでもなく、その声の主が誰かなんて公には分かっている。分かりきっている。

藤崎 詩織

その名は公の胸に鋭い痛みと共に1ヶ月前とは全く逆の感情と共に浮かび上がる。
1ヶ月前、そう、今では彼の母校と呼ばれる存在となったあのきらめき高校の卒業式のあの日、彼は彼女に告白したのだった。

そもそも彼がきらめき高校に入学したのは自分の隣人であり、幼馴染であり、そして長年の想い人であった彼女が入学したからであった。
もっとも、一口に入学したといっても公と詩織では学力に大きな差があり、彼女は推薦で早くも進学が決まっており、彼の方はギリギリまで勉強し、それでも補欠による滑り込みの入学だったが。フォローするならきらめき高校がこの辺りでは所謂『進学校』であったということも記載しておくべきか。
とまれ、同じ学校に入学した二人だったが、公はすぐに彼女に想いを告げるワケにはいかなかった。

藤崎 詩織は完璧なのだ。

勉学、運動は言うに及ばず、その容姿、性格、その他全てが文句の付けようのない水準、最高水準で整っていた性格については人によって意見が分かれるかもしれないが。
そんな彼女に告白し、OKをもらう…つまりは彼女の『彼氏』になる為には自分を磨き上げる必要があると公は考えた。
その当時の公は補欠入学の例からも分かるように、勉強は中の中、運動そこそこ、容姿人並み…まぁ性格については優柔不断と言うか優しいと言うか…さらに他にこれといった特技があるわけでももなく、そこら辺の一般生徒に埋もれるような人間だったのだ。
そこで彼は高校の3年間で自分を鍛え上げることにした。彼女の、藤崎 詩織の隣に立つに相応しい男になるために。もっともそこには入学式の日に彼の悪友(入学式の日に初めて出会い、その時から既に悪友と定義された)から聞いた『伝説』に賭けてみた、なんて事情もあったが。

…しかし、現実は過酷だった。

彼女の後を追う形で入部したバスケ部だったが、元々適正がなかったのか3年になってもスタメンには選ばれず、さらにはベンチ入りも認められず、補欠のままで終わってしまった。
勉強に関しても要領が悪いのか、3年間励んだ割には定期テストでもよい結果は残せず、最終的に入学できた大学も二流止まりだった。
そして、何より問題だったのが………高校生活において様々な女友達が出来た公だったが、詩織を差し置いて彼女達と遊びまわるかのような行動をとってしまった事であろう。
健康的な高校男児である彼を責めるのは酷であるかもしれないが、それでも彼の節操のなさは詩織公のことをどういう風に思っていたかは分からないがの気に障ったということなのだろう。それを彼が自覚していないという点がさらに問題を悪化させているのだが。
きら高の卒業式のあの日、『伝説の木』に呼び出されなかったのは無念が残るが、それでも自分から告白すれば受け入れてもらえるだろうそう考えて詩織に告白した公への返答は………今朝夢に見たような内容だった。
目を見張るような結果を残せなかったとは言え、彼の3年間の努力を否定されたという思い、そして彼の手元に何も残らなかったという現実、そんな持って回ったことよりも、単純に恋に破れたという事実。それらにより公はこの一月、『女々しい野郎』と言われてもしょうがない生活を送ってきた。
それでも大学が別詩織は一流大学に進学したのだったなので相手に顔を合わせなくてもよい、という事でなんとか心を落ち着けていた先に、早速彼女と顔を合わせなくてはならないという事態に直面してしまった。
もっとも、隣に住んでいる以上、二度と彼女と顔を合わせないでいるなどということが出来るはずもないのだが…。そこは精神状態を安定させる為の目隠し、心の不思議といったところだろうか?

…などと感慨に耽る暇もなく、公は家の中に引っ込もうとする。現状で顔を合わせるのは避けたいからだ。その現状とやらがいつまで続くのかは不明だが。
しかし彼の努力は一生報われない運命にあるのか、彼が家に戻る前にあっさりと詩織は出てきてしまう。

「………」

公の方から声をかけることなど出来るはずもなく、目を逸らしながら家に入ろうとすると

「おはよう、公!」

などと詩織の方から声をかけてくる幻聴が聞こえてくる。

(……俺ってそこまでまいってたのか…?)

なんて思いながらチラっと詩織の方を見ると、『きらめき高校』の制服に身を包んだ詩織がこちらを見て『ニコニコ』してる。

(……幻覚まで見えているんだろうか…?)

一瞬、唖然としながらも公が考えていると、不審に思った詩織(の幻影?)が傍に来て、続けて声をかけてくる。

「どうしたの、公? そんな難しい顔して。どこか具合でも悪いの?」

まるで公を振ったことなんてこれっぽちも覚えてませんよ~なんて感じの詩織の様子に、公は幻覚・幻聴の類であるという思いを強くする一方、近くで見るこの存在感は幻ではないと考え返事をする。

「い、いや…。なんでもない。なんでもないんだ。しお…、藤崎さん」

詩織は目を丸くして、自分の事を苗字で呼ぶ幼馴染を見つめ、怒ったように事実、怒っているのだろう言う。

「どうしたのよ、急に私のこと苗字なんかで呼ぶなんて! それに、なんでもないって様子じゃないわよ? 何かに怯えるような素振りをして…」

名前で呼ぶなって言ったのは君だろとか、なんでもないって様子じゃないのはそっちだろとか、貴女に怯えてるんですよとか言い返したいことは山のようにあるのだが、彼女のまるで昔のようなそう、例えるならきらめき高校に通いだした頃のような様子に困惑しつつも、きっと何か企んでいる彼女がその明晰な頭脳を駆使すれば俺の想像もつかないような効果的な拒絶の仕方を思いつくだろうと考え、別の話題を出すことにする。

「そっ、そう、その制服だよ! どうして、し…藤崎さんはそんな服着てるんだよ!!」
「え? あぁ、これ? 恥ずかしかったから言ってなかったんだけど、実は私、今日の入学式で新入生の代表として挨拶しなきゃならないの。それで、式の前に打ち合わせとかがあって早めに学校に行かなきゃならなくて……」

相変わらず自分を苗字で呼ぶ幼馴染に不自然なものを感じながら答える詩織と、幼馴染が新入生代表になったことを聞きながら、その実、全然自分の疑問に答えを返してもらえていないことを考える公。
詩織の大学の入学式では新入生代表は高校の時の制服で行うんだろ~か? いやいや一流大学の考えることはわからん、きっとそこの校長の趣味なんだろうな~とか取り留めのない想像(妄想)をして公が現実逃避を図っていると、詩織が続けて話しかけてくる。

「だから、ごめんね?」
「ごめん? 何が?」
「今日は一緒に学校に行けないのよ」
「一緒…に?」
「うん。最初の日くらい一緒に学校行ってもいいんじゃないかって話してたじゃない? だけど、私はもう出ないといけないから…」

公は何か会話の歯車が噛み合わさっていない事を感じる。

「いや、一緒にって…。俺達、違う学校じゃん? 方向も全然違うし」

それに一緒に行くような間柄でなくなったし…などと心の中で付け足す。それも彼女の方から拒絶されたのだが。

「…公、やっぱりどこか変よ? 私達、同じ学校に通うことになったじゃない! …それとも、補欠入学が駄目になったの……?」

詩織が不安そうに聞いてくる。その不安は公の振る舞いがおかしいことに由来するのか、補欠入学が無効になった可能性に由来するものか?
そんな詩織の様子に露と気付かない公はそれを聞いて頭の中を『???』で一杯にしながら、決定的な質問をする。

「学校って…?」

それを聞いた詩織は一寸びっくりしたように、でもすぐに、とても優しく微笑みながらそう、その微笑みは後になってもはっきりと思い出せるくらい公の心に残った答えた。

「私立、きらめき高校よ?」

刻が、止まる

「………」
「……公?」
「………………」
「……………公っ!?」
「………………………」
「……………………公君っっっ!?」
「………………………………あ」
「………………………………あ?」
「あんですとぉ~~~~~っっっ!?」

公の声が朝の住宅街に響き渡るのであった。



[484] Re:あの素晴らしい日々をもう一度 第二幕
Name: 流神
Date: 2006/03/20 00:38
耳元で大声を上げられたことを怒り、そしてすぐに公の事を心配しだした詩織そりゃ、どう思っているかは分からないが、仮にも幼馴染が自分の通う高校の名を聞いて大声を上げるようなことをすれば心配もしたくなるだろうを納得させ学校に送り出した後、公は現状の確認を行おうとしていた。
とりあえず、手元にある新聞の日付を見ると

―――1995年(平成7年) 4月4日(火曜日)

公は空を仰いだ。
空は、どこまでも快晴だった。
公の大声に対して近所のおっさんが怒鳴っていた。


あの素晴らしい日々をもう一度


第二幕 入学式は危険が一杯




とりあえず、母親に確認してみる。

「母さん、俺って大学生だよね?」
「………顔、洗ってらっしゃい」

肯定も否定もされなかったが、なんとゆ~か、相手にされていない感じがする。というか事実、されていない。
なのでもう一度聞いてみる。

「母さん、俺って大学生だよね?」
「………そうね、そうかもしれないわね」

肯定されたが、なんだか釈然としないものを感じる。母はというと、たまに早起きしたかと思うと…なんてブツブツ呟いている。
なので三度聞いてみる。

「母さん、俺って大学生だよね?」
「………公。あんたは今日から補欠で入学したきらめき高校に通うのよ? 詩織ちゃんと一緒にね。よかったわね~?」

なんてとってもイイ笑顔で返された。もうお前に後はないって感じのイイ感じな笑顔だ。
なので四度聞いて、自分の命を危険に晒す気にはなれなかった。質問を変えてみる。

「俺ってば、きらめき高校はもう卒業したと思ったんだけどさ?」

質問を変えた意味はなかったようだ。公は今、生命の危険に晒されていた。




せっかくだから公は赤の扉部屋から起き出てきた父親にも聞いてみる。

「父さん、俺って今日から高校生?」
「………何故疑問形なのかとか、その腫れた顔はなんなんだとか、朝はまずおはようだとか、突っ込み所は沢山あるが、とりあえずお前は今日から高校生だ。私の記憶が確かならば。おはよう、公」
「うん、おはよう。父さん」

そして、おやすみ…と続けたい気分で一杯一杯だったが、とりあえず公は次の確認をすることにした。




カレンダー、時計、TV、電話を使用した確認、その他自分の部屋の荷物やらアルバム高校を卒業するまでに誰が撮ったか知らないが、凄い量の写真がアルバムに収められていたのだとか、そして自分しか知らないハズのマル秘アイテム実は母親にはバレているのだがを確認してみて、確かに今日が『きらめき高校』の『入学式』であり、自分が『それ』に参加する立場に『設定』されていることを理解した。
ぶっちゃけ、全てが自分のきら高入学式のあの日を指しており、公がきら高を卒業するまでに積み上げてきた一切がなかった事になっていたのだ。そりゃ牛乳が届かないのも当然だ。
考えるべき事は山のようにあるように思えて実は一点のみなのだがにあったが、ともかく後回しにして移動することにした。

入学式に間に合わなくなるのだ。




実に通いなれた通学路を走りながらペヤング家捜しに時間をかけ過ぎてしまい、望まぬ早起きをした分も帳消しされ、今は走ればなんとか間に合うって時間になっている公は思う。

(ホントは全てを無視して大学に向かうって手もあるんだけど…)

思うだけで公にはそのつもりはカケラもないのだが。




クラス分けの掲示板を眺め、公は何色とも形容しがたい溜息を漏らす。それから苦笑する。

(全く、あの日と同じでやんの)

1年A組。
一番前に伊集院 レイ
ついでに早乙女 好雄
当然ながら主人 公

そして藤崎 詩織




一旦教室に鞄を置いた後、体育館に集合し、現在入学式の最中である。
式自体は単調で退屈で…どこの入学式でも同じようなものだろう。しかし、だからこそ公はその式を気にするのだった。

「以上をもちまして、新入生代表の挨拶とさせて頂きます」

詩織自分たち新入生の代表の声を遠くに聞きながら公は思考に没頭していた。

(同じだ。全く同じだ。校長の挨拶も、生徒会長の挨拶も、…詩織の挨拶も。そりゃ俺だって一字一句覚えてるわけじゃないし、『前回』って言うのか? 3年前? の時に真面目に聞いていたわけではないけど…。それでも同じだと思う)

あえて違いを探すのであれば、『前回』はこの場面で初めて詩織が新入生代表であることを知り、公が驚いていたという点と、『今回』詩織が心配そう不安そう? 詩織に限ってありえないだろうに公の方を見ていたことぐらいか。
後者に関しては、今朝の出来事を心配した詩織がこちらに視線を投げたのか、それとも『前回』は気づかなかっただけなのかははっきりしないが。

(一体、この状況はなんなんだ? 流されるままに今ここにいるんだが…)

公は朝から合間を見て、二流大学に入学できたなかった事になっているが頭脳を回転させ、現状を解析していた。普通なら『合間を見て』ではなく、何を差し置いても行うべきことだろうが、その点、公は大物なのか、大馬鹿者なのか…。
ともかく、公が導き出した、可能性という名の選択肢(?)はそう多くない。

1.実は夢である
2.実は公はタイムスリップしている
3.実はみんなで公のことを担いでいる
4.実は公の記憶がおかしくなっている
5.実は公は植物人間となっており、目の前にはドラ○もんの人形が…
6.実は公は植物人間となっており、目の前にはウラワザ○もんの人形が…(いや、ホントは担当の先生がウラワザ○もんなんだケド)

5.と6.は1.に含まれるとして、実際には1.~4.の4択なのだが、それぞれに説明し得ない点がある。
1.については、朝、母親に撫でられた母の辞書にはアレを撫でると書かれてるらしい顔の痛みが矛盾を生じさせている不思議な事に今では腫れも引いているのだが。あの痛みは夢なんかぢゃなかったですよええほんとに。
2.については、公がタイムスリップしたとすれば、体はそのままのはずだ。補欠とは言え、バスケで鍛えられた体と今の貧弱な坊やと罵られそうな体とでは天と地ほどの違いがある。
3.についてだが、これが一番否定できないのが性質が悪い。公や詩織朝見た詩織は公の記憶の中の彼女よりも幼かった…と言うと語弊があるが、『若かった』でも語弊があろうの見た目が昔のものに戻っているのは一見説明不可能なように感じるが、公の知り合いにマッドなサイエンティストがおり、彼女ならその程度のことは簡単に為し得そうな気がする。ってゆ~か、する。
公以外の人間の記憶についても同様だ。そもそも、その人物が演技している可能性も否定できないのだし。
朝確認した電話やTV、自分の部屋についても、どこぞの財閥の御曹司女性の場合でも御曹司と呼ぶのだろうかの財力と政治力を持ってすれば容易な事だろう。
よって、現状ではこれが一番可能性が高い候補としておく。ただ、動機というか、このような茶番を行う理由が欠如している点が残るのだが。
では最後に4.についてだが、これは全て公の記憶違いであり、きら高入学以降の記憶は全て公の妄想である、と言うことだ。しかし、その割には今現在展開されている現実(?)と一致する点が多いので単純な既視感一般にデジャビュと呼ばれる事の方が多いとも言い難い。
仮に妄想だったとしても、それが未来を忠実に再現した妄想であればそれは妄想を超えたもの未来予測とか未来予知かになるだろう。何にせよオカルトチックだが。
現時点では未来の再現性マッドなサイエンティストに改造されそうな造語だが不十分なのであまりはっきりしたことは言えない。

ともかく、現状で一番可能性が高い3.の状況に陥っている陥れられているとして、どうすれば現状を打破できるかを考察してみる。
この状況が作られたものだとすれば、全てがその設定者仮にY.H.とするの可能な限りに過去を再現していると考えられる。しかし、この『可能な限り』というのが勝利の鍵だ。
逆にY.H.に不可能な事というのはY.H.が知りえないこと、協力者の存在も否定できないので突き詰めれば公しか知りえない事は再現できないであろう。
また人道的な観点から再現不可能な事、例えば人の生き死にやらに関わるようなことは行わないであろう。Y.H.の良心に賭ける事になるがそしてその分はあまりよくないが
例えば、人を危険な目に遭わせる様な事故…と考えて、公は

「あ゛っ!?」

と声を上げてしまった。体育館中に響く程の大声を。
公は思い出したのだ。確か『前回』の入学式で事件が起きたことを。
あれは詩織の挨拶が終了したくらいのことだっただろうか。次のプログラムに移ろうとしていたところに、天井に固定されているはずの照明が落ちてきたのだ。
幸いにも落下地点の付近には人は居らず舞台の上なので発表者がいなければ誰もいないのだ、そのおかげで式も早く終了して公としては万々歳だったのだが…

(あれがもう少し早く落ちるか、挨拶がもう少し長かったら詩織が危なかったよな~)

詩織の挨拶の終了のセリフがついさっきだったので、そろそろなのかと思い、おかしな声を上げた自分に集まる視線を感じながら舞台上を見ると…

そこには
彼女が
いた

公の上げた声が聞こえたのだろう。そして、その声の主まで彼女には分かったのだろう。舞台の上から彼女が心配そうに自分を見ているのが見える。そこから動く様子はない。

そこは公が記憶している、照明の落下位置だった

そこまで認識して、公は、自分の血が逆流するような感触を感じた。

「詩織ッ! そこから逃げるんだぁッッ!!!」

彼女のことを名前で呼んでしまったことを意識つつ、そんな些細なことを修正する気にもなれずに公は思いっきり叫んだ。と同時に列から飛び出した。




《 KOH 》

時間の流れがゆっくりに感じる

詩織は驚いているだけで、その場から一歩も動かない。当然だ。いきなり逃げろと言われて逃げれる人間なんてそうはいない。いや、好雄なら可能か…なんて雑念が浮かんでくる余裕があるくらい時間がゆっくりだ。

周りの連中は驚いている

そりゃそうだ。俺だって突然こんな行動をするやつがいたら驚いて見てるさ。見てるしか出来ないってのが正しいんだけどな。

体が思ったように動かない

所詮、この体は特に運動もしていないような脆弱な体だ。俺の記憶しているバスケに最適化された体には遠く及ばない。

何も起こらないんじゃないか?

紐…、じゃなくてY.H.も流石にそんなに危険な出来事まで再現しないだろう。下手すれば死人が出るしな。

なんて考えは
グラグラ揺れる
彼女の頭上の照明を見て
――消し飛んだ

一跳躍で舞台の上に飛び上がる。今の俺の体でもこの要求には答えてくれたようだ。多謝。
全く呆気にとられている詩織の顔が迫ってくる。いや、迫っているのは俺か。呆気にとられている詩織の表情なんて幼馴染の俺でも滅多に拝めるものではない。貴重だ。

視界の隅で照明が落下を始めるのを感じた

俺は無意識のうちに叫んでいた。叫んだことにすら気付かないまま、跳んでいた。

「詩織いいいいいぃぃぃぃぃィッ!」

詩織に向かっての横っ飛び。

間に合ってくれ

何故か、今朝見た彼女の優しい微笑みが見えたような気がした。




「きゃ、キャァァァァッ!」

名も知らない女生徒の悲鳴と、照明の破砕音、それはどっちが先だったろうか。



[484] Re[2]:あの素晴らしい日々をもう一度 第三幕
Name: 流神◆cbfc02d5
Date: 2011/04/14 13:17
公はうつ伏せの格好で担架に乗せられて運ばれていた。
詩織が泣きそうな顔で、隣を付き添っている。

「公、公! 大丈夫!? 大丈夫よね!?」

それを聞きながら、公はぼんやりと考えていた。

(そんな心配されてもなぁ…。立てないだけだし。………膝が笑ってて)


あの素晴らしい日々をもう一度


第三幕 保健室の秘め事




「これで、よしっと!」

完了の宣言が保健室に響くと共に背中を叩かれる。そこはたった今まで治療を受けていた箇所だったハズだが。

「ぐ、ぐぉぉぉぉっ!」

公は声にならない声を上げる。

「せ、センセ…。も少し優しくお願いします…」

涙目で訴える公。しかし悲しいかな、養護教諭は取り合ってくれないようだった。

「この程度で文句を言わない! 全く、あれだけの大立ち回りをやらかしたヤツとは思えないぞ」
「い、いや…。別にあれは俺が何かやらかしたってワケでは…」
「四の五の言わないの!」

ベットに寝そべったままでは迫力に欠けるからだろうか?相変わらず公の抗議は届かないようであった。

(昔っからこ~ゆ~人だったよな…)

『前回』の出来事を昔と呼ぶのが正しいのかは不明だが、かつてバスケで突き指なんかをした時に体の弱い女生徒の付き添いって時もあったが、何度か保健室のお世話になったことがある。
その時もこの女性はよく言えば大らか悪く言えば雑な対応をしてくれたものだった。
それでも人気があったのはきら高ならではといったところだろうか?

「じゃ、あたしは用があるから消えるけど。立てるようになったらちゃんと戻るのよ?」

なんて言い捨てて、公の返事を聞く間もなく部屋を出て行ってしまった。雑だなぁ…なんて公が思ったかは秘密である。



結局、体育館での詩織の救出劇の顛末としては公が名誉の軽傷を負ったのみで済んだ。
直接照明が当たったとかいうのではなくそれでは軽傷で済まない、照明の破片で背中を切ったという切り傷と、跳んだときに打ち付けた打ち身が少々といった内訳だ。
仮にも厚手の冬服を着ていたにも関わらず背中に傷を負うというのも怖ろしい話であるが、この程度で済んでなにより詩織に怪我がなくてほっと胸を撫で下ろす公であった。
ただ、怪我というのではないのだが、日頃から大した運動をしていなかった体に無理をさせた代償として、彼の脚は極度の疲労の為に力が入らない状態になっている。その為、この保健室まで来るのに担架でもって運んでもらうなんて栄誉を賜る羽目になってしまったのは余談である。

(我ながら無茶したよなぁ…。夢の中(?)だからど~とでもなるって考えたんだろうか? もう一回やれって言われても無理だよな~って、アレ?)

公が物想いから我に返ると、何か申し訳なさそうにこちらを見ている詩織に気付いた。ホントは公が保健室に担ぎこまれてからこっち、ず~っと隣にいたのだが。
そんな詩織の表情から、先手を打った方がよさそうだと考えた公は、ベットの上で身を起こしてから声をかけた。

「ごめん、藤崎さん。俺のせいで危険な目に遭わせてしまって…」

相変わらず自分を苗字で呼ぶ幼馴染に機先を制され、しかも覚えもなく謝られてしまい、詩織は戸惑いながら反射的に答える。

「えっ!? 公の…せいって?」
「いや、あの時、俺、変な声あげちゃっただろ? あれを聞いて、藤崎さんは動かなかったんだよな? 俺さえ静かにしてればあんな目に遭わなかったワケだし…」
「でも、それは…っ! 公が声を上げたからって照明が落ちたんじゃないし…。それにあれって照明が落ちそうなのに気付いたからでしょう?」

公が声を上げたのは確かに照明が落ちることに気付いたからだが、でもそれは詩織が言っている意味とは違う『気付き方』であり、現に『前回』では詩織がこんな事故に巻き込まれることはなかった。
その辺りを上手く説明できればいいのだろうが、生憎、公はそんなことが可能とは思っていなかった。それどころが公の方が説明して欲しいくらいだ。
公が何かを言いよどんでいる風なのに気付くと、詩織は言葉を継いでくる。

「それに、私を…その、助けてくれたでしょ? だから、私の方こそ謝らなくちゃいけないくらいだし…」
「いや、詩織が謝ることなんてないと思うんだけど…」
「うううん、謝らせて。怪我をさせてしまって、ごめんなさい。それと助けてくれて、ありがとう」

詩織が頭を下げる。そして、公の方を見て、微笑む。

「詩織……」

公が詩織の名を無意識で呼ぶと

「ウォッホン!」

なんて、聞くからにワザとらしい咳払いが聞こえてきたりする。
何も後ろめたいことなんてないはずなのに、公も詩織もお互いから距離をとり、そっぽを向いてしまうのは若さの為せるものなのだろうか。若さとは、振り向かないことのはずなのだが。

「いやぁ、失敬失敬。お取り込み中だったようだねぇ?」

慇懃無礼な台詞を吐きつつ、こちらに近寄ってくる金色の長髪の男?それをベットから落ちそうになりつつ見返し、呟く公。

「伊集院………レイ………」



公が好雄からその情報を聞いたのは新年度の開始の日、4月1日のことだった。

「大ニュースッ、大ニュースだぜっ!! 聞いてるか、公っっ!」
「聞いてる、聞いてる、お前の大ニュースはいつものことだってのも聞いてるよ…」

衝撃の卒業式から一月ほど経っており、精神的に大分立ち直った公は、それでも面倒くさそうに突然かかってきた好雄の電話の相手をしていた。

「今回の大ニュースは今までのとはレベルが違うんだってばよっ!」
「それも毎回聞いてるんだが……」
「うるさいっ! いいから、黙って聞けぇぃっっ!!」

電話を耳元から離しながら、それでも公はこの悪友に付き合ってやることにする。

「わ~った、わ~ったから。それで何だ? 今更、きら高の女生徒の話を聞かされても関係ないぞ?」
「いや、女の話じゃないんだっ! あ~いや、女の話か。」
「はぁ?」
「い~か、よく聞け。心して聞け。落ち着いて聞けよ? 伊集院レイは女だッ!
「………」
「………」
「………………」
「………………」
「………………………」
「………………………」
「………………………………あぁ、そうか。今日はエイプリルフールか」
「ホントだっつ~のっっっ!」



(あの後、2時間に渡って説明されて、無理矢理納得させられたよな~。まぁ、実際本当だったらしいが。)

目の前の男装の麗人を見やり、体感時間で数日前の現実(?)の時間で3年後の出来事を思い出す公。
そんな公の胸の内を知ろう筈もなく、レイは言葉を進める。

「なんだ、僕の事を知っているのかい? 結構、結構。いや、この僕が入ってきたのも気付かないで話し込んでいたみたいなのでね。無粋な真似をしてしまったかな?」

公の方を見てニヤリと笑う。こいつ、ホントに女なのだろ~か? なんて考えが公の頭に浮かぶ。
と、ここでレイは表情を改め、真面目な口調それでもどこか尊大さを感じさせるがで話を続ける。

「僕がここに来たのは他でもない、先ほどの事故の件だ。見たところ二人とも大した怪我は負っていないようだが、あのような事が起こったのはこのきらめき高校の理事をしている以上、伊集院家の不始末だ。許して欲しい。」

(…こいつ、ホントに許して欲しいんだろうか?)

「そこで、迷惑をかけてしまった詫びとして、何か伊集院家で償える事はないだろうか? 何、庶民の頼みとは言え、状況が状況なのでね。無碍に扱わないつもりだ。何でも言ってみたまえ。」

(………俺だけならまだしも、詩織に対しても『庶民』呼ばわりしていいのか?)

そんなことを思いつつ公が詩織の方を見ると、今まではレイの突然の登場とその態度に呆然としていたが、いい加減、その明晰な頭脳が追いついて来たのだろう。こめかみに青筋を浮かべながらこれは幼馴染である公にしか見つけ得ないものだがあくまでいつもの口調を崩さずに答える。公はヤバいかな?と思ったが、止める間もなく………

「はじめまして、伊集院君。でも私は貴方に自己紹介すらして頂いてないんですけど?」
「あぁ、すまない。彼の方が知っているようだったので、てっきり君も知っているものだと。それによもや知らないものもいないと思ったのでね。順番が逆になってしまったが、僕が理事長の孫の伊集院レイだ。まぁ仲良くやっていこうじゃないか」

レイの背後にバラが出てきたように見えたのは気のせいだろうか?

「ご丁寧にありがとうございます。私は藤崎詩織といいます」
「あぁ、知っているとも。この僕を差し置いて新入生の代表として挨拶をした君の事を知らぬはずはあるまい? それよりも、そちらの彼の名を知らないんだがね、僕は」

(ぐぁぁぁぁ…。なんだ、この空気わ。胃に穴が空くようだ………ッッッ!)

「………主人、公だ」

この二人、『前回』は少なくともこんなに険悪な空気ではなかったぞ?やっぱり出会いは大切なんだなぁ……なんて現実逃避をしつつ、自分の名を告げる公。

「主人君か。それで、どうだろう? 我が伊集院家の申し出を受ける気はあるのだろうか?」
「あ、俺は…」
「私は結構です。ご覧のとおり、私は彼に助けてもらって怪我一つありませんし、そもそも学校側の責任を問うにしても伊集院家ではなく、もちろん貴方に何かお願いするなんてことはしません。それでは失礼します」

公の台詞を阻んで詩織が言う。悪意のスパイスをふんだんに効かせた極上のヤツだ。

「あ、あぁ、そうか。それは残念だ」

レイが気圧されながら答える。
それを聞きながら、詩織は公に目線でゴメンね、なんて言いながらそれを読み取れるのも幼馴染の特権なのだろう保健室の出口に向かう。これ以上ここにいると爆発する何が、とは言わないがと判断したため、早めに出て行くことにしたのだろう。その辺りの判断力を失っていなかったことに公は安堵する。火事は対岸で起こってこそ、見応えがあろうというものだ。



ぴしゃ!

「………」
「………」

詩織が出て行った後も、なんとなく二人は沈黙を続ける。しかし、それを気を取り直した様子でレイの方から破ってきた。

「………で、藤崎君はあのように言っていたが、君の方はどうなんだい? 主人君」
「………一つ、頼みがある」

少し考えた後、公は答えた。

「ほう? 何だね、言ってみたまえ。庶民」

レイは興味深そうに聞いてくる。
そのレイの顔をじっと見つめ、公は彼の頼みを告げる。決して彼女の表情を逃さぬように注意して。

「この事故が、何者かが、作為的に起こしたものでないかを調査して欲しい」
「な゛っっっ!?」

レイが驚いて、日頃ありえないような声を上げる。その驚きようは演技ではないように………公には見えた。

「どういう、ことかな? 君は藤崎君が誰かに狙われた、とでも?」
「いや、そういう意味ではないんだが……」

公は少し間を置いて続ける。

「あれが詩織の上に落ちそうになったのは、様々な偶発的な事象が重なったからだってのは俺にもわかっている。俺自身がその事象の一つだからな。詩織とは関係なく、『あの照明』が『あの時間』に落ちるように、誰かが細工をしていなかったかを調べて欲しいんだ」
「藤崎君を狙ったワケではないが、照明を落とそうと画策した者がいる、と?」
「いるかどうかは分からない。だから、それを調べて欲しいんだ」

あっさり詩織を狙ったものを疑って見せたほうが話が早かったかな?なんて後悔しながら公は答えた。

「………わかった。君の言い分はいまいち理解し難いが、何か庶民なりの考えがあるのだろう。伊集院家の私設シークレットサービスを使って調査させよう」
「頼む。………すまないな」
「なに、侘び云々を言い出したのはこちらだ。気に病むことはない。…そうだな、調査の結果は明日でいいだろうか?」
「………そうだな、それでかまわない」

『明日』なんて日が俺にあるのだろうか、なんて気にした公だが、明日がなければこの問題自分の置かれた状況が人為的なものであるを考える必要がなくなると判断し、肯定を返す。

「そうか、委細了解した。少し待て」

レイは携帯電話を取り出し、どこかへダイヤルする。短縮を使ってるのが公から見て取れた。

「…僕だ。そうだ。いや、これは違う。ああ。外井を頼む。………外井か。そうだ。犬を使う。準備しておけ。詳細は追って知らせる。ああ。個人的な用件としておけ。いや、違う。ああ、頼んだぞ」

そこまで話してレイは電話を切った。

「すまなかったな。結果は明日、僕の方から伝えさせてもらうよ。………しかし、庶民には庶民の気苦労のようなものがあるものだな?」
「まぁ、な。でも伊集院ほどではないと思うぜ?」
「どういう意味だ?」
「さぁて、ね。言葉通りだろう?」

公は昔自分にとってのと同じ調子で伊集院に軽口を投げる。彼女が女性であるという秘密も知っているという優越感からかもしれない。
しかし、相手からすれば初対面の人間からこのような台詞を投げられたワケだ。公の思っていたものとは異なる反応を返すこととなる。

(この男、何者? 何を知っているのかしら?)

たかが一庶民の戯言…と流してしまえるほどにはレイは今の自分の状況に慣れていなかった。今日だって一日、朝から誰彼が自分の事を見破るのではないかと内心冷や冷やしていたのだ。
それに、この男は自分の名前を知っていた。知らないものなどいないと思うなどと嘯いているが、『男』の伊集院レイは今日からしか存在し得ない存在であり、今朝からここに来るまでの間にこの得体の知れない男に自己紹介をした記憶はない。『女』のレイにしても面識がないという意味では同様だ。

(主人、公…。この男についても調査する必要があるかもしれないわ…)

自分が焦らされていることを認めざるを得ないレイ焦らしている当人には自覚が欠如していたが。それが面白くないので去り際に軽く置き土産をしてやることを決めた。



「それでは僕もお暇させてもらうことにするよ。そうそう、クラス担任が終わったら職員室に顔を出すようにと言っていたよ。全く、この僕に伝言を頼むなんて教師とは言え、なんて身の程を知らない男だ………」

ブツブツと文句を呟きつつ無論、フリなのだが、出口に向かうレイ。さて、お楽しみはこれからだ。
出口で公の方を振り向き、告げる。

「しかし、君がナイトだってのは本当なんだな」
「………はぁ?」

公が心底ワケ分からんって顔でこっちを見ている。面白い、レイは素直にそう思った。
だがこれから告げる台詞は彼をもっと面白く変化させるだろう。

「クラスの女子が話していたのだよ。君は、藤崎君という姫君の危機に颯爽と現れる騎士様だ、ってね。この僕への依頼もその絡みということだろう?」

公の時が止まった。と、徐々に顔が赤らんでくるのレイには見て取れる。どこまで赤くなるのかを見てみたかったが、それを待つことなく次の行動に移る。
レイが部屋を出て扉を閉める寸前に声が聞こえた。

「ち、違」

ぴしゃ!

さて、公はなんと答えようとしたのだろうか?
残念ながら扉越しのレイの耳には届くことはなかった。



[484] Re[3]:あの素晴らしい日々をもう一度 第四幕
Name: 流神
Date: 2006/03/19 16:44
公は職員室から教室へと続く廊下を歩いていた這うような速度で

(しかし、伊集院にもまいるよな……。『前回』はあんな悪質な冗談を言うヤツではなかったんだがなぁ?)

詩織と伊集院の関係が微妙に変わったように、俺との関係も少し違ったものになっているのだろうか?なんて見当違いな事を考える。それもある意味で真実なのだが、少なくともこの件主人君の騎士発言に関してはレイは事実を述べたに過ぎない。そう遠くない未来、公はそれを嫌というほど味わうこととなる。

(だが、先ほどの反応を見る限り、伊集院は『シロ』だと考えていいのかな?)

なんだかんだ言って、伊集院とも3年付き合う信頼関係(?)があったワケだが、その中で公は伊集院のあの振る舞いあの鼻につくセリフや態度は意識して行っているものであり、その裏に秘められたものを察するくらいには理解していたつもりだ。その経験から憶測するに、レイは嘘や隠し事はしていないと思われた。
………最も彼女が女性である、って事を見抜けない程度の付き合いだけどな。なんて、公は自嘲気に笑った。


あの素晴らしい日々をもう一度


第四幕 悪友の定義




ほとんどの生徒が帰宅しており人気の少なくなった廊下だったが、それでもちらほらとすれ違う人もある。部活の新勧の類だろうか?
しかし公が気にしているのは、何故かその生徒達が自分の方を見ているような気がするからだった。

(自意識、過剰ってか? それとも背中が破れた制服なんて着てるからかな? シャツは血がついてしまっているが、制服のは目立たないはずだし…、この亀の如き歩みのせいだろうか?)

取り留めもなく考えながら歩いていると、懐かしき我が教室が見えてくる。

(結局、今日は何も出来なかったな。ま、あっても自己紹介ぐらいだったんだけど)

なんとか自力で立ち上がれるようになった頃には初日ということもあり、とっくに放課後となってしまっていた。その後、職員室の担任のところに出頭し、つい先ほどまで今日の連絡事項なんかを聞いていたのだ。と言っても主に入学式での騒ぎの事を聞かれたのは周りの先生達も興味津々って顔で聞いてきてたがご愛嬌ってことで。

(しかしヤツと知り合いに成り損ねたな。明日にでも挨拶するか。アイツならこっちが何もしなくても声をかけて来そう…、ってゆ~か実際かけて来てたしな)

先に伊集院と知り合うってのも皮肉なもんだよな~などとボヤきながら教室に入ると………話題の彼が、いた。




彼は自分の席で、自身のアイデンティティと言っても過言ではないメモ帳を広げて何事かを書き込んでいた。非常に真剣な表情で。

(アイツも、いつもあんな顔してたら彼女の一人も出来ただろうにな~。ってゆ~か、その情熱を他の事に向けられないもんかね……?)

自分の事を棚に上げながらも大分失礼なことを考えつつ、教室に一人残る影に近づいていく公。
近づいていくとは言ってもその歩みは相変わらず鈍重そのものであり、ズルズルと音を立てた移動だったのだが、それでも件の人物は作業に没頭しているのか公が隣に来たのにも気付かなかった。

「え~っと、何をしているんだ、よ…お前は?」
「はぇっ!?」

思わず名前で呼びかけそうになったのを訂正しながら初対面の『ハズ』なので、公は呼びかけた。
突然声をかけられた方はとても奇怪な悲鳴を上げつつメモ帳を懐に隠し、その後、公の姿を認めると安堵の溜息を付きながら抗議の声を上げてくる。

「なんだ、お前かよ……。女の子かと思ってビックリしたろうがっ!?」

なんで俺が責められねばならんのだ……と理不尽な思いを抱き、公が睨みつけると慌てたように取ってつけてくる。

「じ、自己紹介がまだだったな。俺、早乙女好雄。これからよろしくな。お前は何ていうんだ?」
「俺は、主人 公。こっちこそよろしくな。」

かくして、3年来の悪友と再び自己紹介を行う公であった。




「で、話は戻るが、好雄は何でこんなトコに残ってるんだ?」
「いきなり名前を呼び捨てかよ、なれなれしい奴だなぁ……別にかまわんが。」

かつては自分の方が馴れ馴れしいと判断した相手に『なれなれしい奴』と言われ、ちょっとヘコむ公。
そんな公には気付かずに理由を語る好雄。

「お前を待ってたんだよ」
「俺を? ……俺達って初対面だよな?」

相変わらず回りの連中が自分のことを騙しているのではないかと考え、思わず聞いてみる公。それが表情に出てたのだろうか。

「おいおい、そう警戒するなって。確かに俺達は初対面だよ。今だって自己紹介したろ?」
「まぁ、そうだが……」

答えながらも、公はそれがアテにならない今の状況を恨めしく思う。

「さっきの事故のことだよ。あれでお前に聞きたいことがあったんでな。」
「聞きたいことって?」

(どうせ女の子のことだろうから……詩織のことなんだろうけど)

「あの時、お前が助けてたあのかわいー女の子、藤崎詩織ちゃんだっけ? あの娘についてだよ。お前、あの娘知ってるのか?」

思った通りの質問だった事に嘆息を付きたくなるのを隠し、公は答える。思いっきり嘘をついて。

「いや、知らない」
「はぁっ!?」
「知らない娘だよ」
「知らないの?全然?ホントに?」
「あぁ。なんでそんなに疑うかな? 知らない娘でも危険な目に遭いそうだったら助けるだろ?」
「まぁ、そうだろうが……」

(俺なんかとお隣同士で幼馴染なんてバレたら詩織に迷惑だろうしな……)

というのが公の言い分であったのだが…。

(こいつ、何で嘘吐くんだ?)

なんて、早乙女さん家の好雄君にはバレバレだった。

(さっき藤崎さんに聞いた時には「大切な、幼馴染なの……」なんて顔を赤らめながら答えてたのに……? ってゆ~か、思い出したらなんか腹が立ってきたぞっ!!)

「コンチクショ~ッ!!」
「な、なんだっ!?」
「あ、いや悪ィ。考えごとしてて……」

思わず声を上げてしまい、公をビビらす好雄。形式上謝っておき、思考の海に戻る。

(照れて隠してるって感じでもないしな……。まぁいいか。こいつの嘘を突き崩すには、相応しい舞台ってのがある……)

「そうか、知らないのか。残念無念。お前の知り合いなら誕生日とか血液型とか趣味とかスリーサイズとかを聞こうと思って待ってたのにな……」

さっきから考え込んだり、突然叫びだしたりと公の知っている『前回』より右斜め上を行く奇行を繰り返す『今回』の好雄を見て不安になっていた公だが、ようやくいつも通りの台詞が出てきたことに安心し、思わず漏らしてしまう。

「他はともかく、趣味はさっきの自己紹介で言ってただろ?」
「あ、そ~かそ~か。よし、チェックだ。チェック。」
「………」
「………って、なんでお前が藤崎さんの自己紹介の内容知ってんだよっ! お前、保健室にいたんだろっ!?」
「………げっ。………あ、いや、自己紹介だから、多分そういうことをいうんぢゃないかな~って。ハハハ……」

好雄にジト目で睨まれ、冷や汗を流しながら公は苦しそうにそう言い逃れる。「げっ」とか言ってるし。
そんな公の様子を見て、好雄はますます疑いを深めるのだった。




その後、公は好雄のメモ帳のことや、『伝説の木』の話を聞いていた。『前回』での知識を『今回』も知っていることにしておかないと色々と厄介なことになると判断したからだ。

「へぇ、そんな伝説があるのか…」
「誰が言ったかしらねぇが、うらやましい話だな」
「伝説か…。そうだな、俺なら……」

昔と同じように誰かの姿を思い浮かべようとする公。しかし、その脳裏に浮かぶのは……。




《 YOSHIO 》

また公が難しい顔をしていた。さっき、嘘を吐いていたときと同じ表情なのが気になるが……。

(こいつ、かなり挙動不審だよな~。ま、全ては明日だ。楽しみにしてろよ、公?)

途端、公は悪寒を感じたように身を竦ませ左右を見回している。俺の企みを感じたんだろ~か?妙なところで鋭いヤツだ。
それも一段落したらしく、

「じゃあそろそろ帰ろうぜ、好雄」

と誘ってくる。当然、それに肯定の意を返そうとして、なんとなく窓の外に目が行った。と、俺の目にある人物が飛び込んでくる。

「いやぁ、悪ぃ。一緒には帰れないわ、俺。急用があってな?」
「急用って、お前、今までここで時間潰してたじゃないか……」
「いいんだよ。それにお前にだって先約があるだろ?」
「先約……?」

何のことかわからないって顔してやがる。本気なのか、なんなのか。

「わからないならいいんだよ。じゃあな、また明日」

そう言い残して、俺は風と共に去ることにした。あっけに取られている公を残して。

「お、おい、待てよっ!好雄~っ!?」

……誰だって馬になんて蹴られたくないしな?
あぁ、明日が一段と楽しみになってきたぞ。コノヤロウ。



[484] Re[4]:あの素晴らしい日々をもう一度 第五幕
Name: 流神
Date: 2006/03/19 16:48
一人寂しく下駄箱で靴を履き替える公君。しゃがむ動作が世紀末的にツラいのは秘密だ。

(まったく好雄にせよ、伊集院にせよ、なんで俺の話を最後まで聞かないでいなくなるかねぇ? 特に好雄には帰りに手を貸してもらおうと思ってたのに……)

思い返してみると自分の周りに居る(居た)の人間の約8割は自分の話を聞かずに突っ走るタイプだったなぁと、なんだか目から心の汗が流れそうになる公君だった。


あの素晴らしい日々をもう一度


第五幕 始まりの終わりに




公は校門のところまで辿り着いた時、門柱『KIRAMEKI HIGH SCHOOL』と書かれた校名板が掛けられているに背中を預けて立っているの少女を見つけた。

(あれは……詩織?)

再度確認するまでもなく藤崎詩織その人であった。

(そういや、さっき好雄が窓から外見て『先約』がど~のとか言ってたな……。このことを言ってたのか)

溜息を一つついて続ける。

(俺なんかを待ってるわけがないだろ~に。美樹原さんかな? 確か、中学からの知り合いだったハズだし。ま、俺には関係ないが……)

溜息は好雄の邪推に対するものなのか、自分の今の心境に対するものなのか。
見咎められなければ十中八九無理だろうがそれでよし、もし見つかって、あまつさえ声をかけられても軽く挨拶を交わすだけで済むだろう……そう考えて公は歩く速度を上げた。それでも通常よりは大分遅いが。
無意味に緊張してるな~、なんて苦笑しながら校門を抜けようとすると

「あ、公っ!」

ってやっぱり見つかっちまったよ、でも大丈夫さ、このアクションに対するリアクションはばっちりさっ! って感じで

「やぁ、藤崎さん。誰かを待ってるのかな?」
「うん……。貴方を待ってたの……」
「そうなんだ。じゃ、俺は先に失礼するよ。さよなら……って、えぇっ!?」

公の、今まで作り物の笑顔を貼り付けていた顔が驚愕に彩られる。ついでに動揺の余り、不要なことを口走ってしまう。

「み、美樹原さんを待ってたんじゃないの?」
「え、メグ? 違うわよ? ……あれ? 公ってメグのこと知ってたっけ?」
「あ~、いやいや。前にしお…、藤崎さんと一緒のトコを見ただけで……」

やぶ蛇だったなぁ……と後悔しても後の祭り。気を取り直して素直に聞いてみる。

「えぇ~っと。俺に何か用なの……かな?」

用事があるから待っていたのだろうが、今の公にそ~ゆ~冷静な判断を求めても無駄である。

「家もお隣同士だし、一緒に帰ろうと思って……」

公の目が点になる。いやいや、あの詩織がこんなことを言い出すはずはない……と何を血迷ったか、過去に言われたことを聞いてみる公。

「一緒に帰って友達に噂とかされると恥ずかしいんじゃないか?」
「迷惑……かな?」

そんな上目遣いな目で俺を見ないでくれ、その表情は反則だっっっ! と公が思ったかどうかは定かではないが、慌てて否定する。

「いや、そんなことないさ! 俺じゃなくて、し…藤崎さんの方が迷惑なんじゃないかなって。俺なんかと一緒に帰ると……」
「そんな……。私の方から誘ってるんだし、それにお話したいこともあるし……」

公の方から誘って断られまくった過去を振り返り、内心複雑なものがあるのだが、願ってもない申し出であることに代わりはないので了承することにする。

「よし、一緒に帰ろう。ただ……」
「ただ?」
「俺、今日は歩くのスッゴく遅いよ?」




一緒に家に向かって歩き出して詩織が公の歩調に合わせている。普通逆だろうすぐに詩織が話しかけてくる。

「さっきは、ごめんなさいね」
「……さっきって?」

咄嗟に公には思いつかなかった。逆に思い当たることが多すぎたのかもしれないが。

「さっき、保健室で……」
「あぁ……」

レイと口論(?)して出て行ったことを指しているのだろう。公自身は大したことだと思ってなかったのでそれどころか巻き込まれなかったことに感謝すらしているのだが

「気にすることないよ。別に俺も伊集院も大して気にしてなかったし」
「伊集院君は別にいいの。でも、公には……」
「……?」
「私は公にずっと付き添っておくつもりだったから……」

詩織が済まなそうに言う。実際、申し訳なく思っているのだろう。
そんな詩織の様子に、公は溜息を吐いて溜息を吐くと幸せが逃げると言うが、今日だけで公はどれだけ幸せを逃がしてるだろう?保健室で言ったことを繰り返す。

「だからさっきも言ったけど、アレは俺が勝手にしたことだし、そもそも俺が悪いんだから……」
「公はそう言ってくれるけど……、私はそうは思わないし、思えないもの」

(詩織は一度言い出すと頑固だからな……)

幼馴染の性格を思い出し、またもや嘆息する公。不幸は確定だ。そんな様子を見ながらも、詩織がかまわず続けてくる。

「だから、ね? 伊集院君じゃないけど……、私に出来ることで公にお返ししたいの。公は、命の恩人でもあるんだから……」
「んな、大げさな……」

そうは言いながら、その申し出は公にとって大変魅力的なものだった。不純な男子高校生精神年齢は大学生のハズだがが邪な思いを抱いたとしても無理ならぬことである。

(向こうから言い出したことだし、彼女の性格からしてその意思を曲げないだろう。だからなんでも言ってやれ!)
(相手の弱みに付け込んで、好き勝手にするなんて言語道断だっ!)

公の中の天使さんと悪魔君が大合戦を繰り広げた結果、勝者となったのはどっちだったのだろうか?
ゴクリと唾を飲み込んだ後、公は詩織に告げた。

「じゃぁ、二つほど、お願いがあるんだ……」




「さっきはああ言ったけど、やっぱり伊集院と仲良くして欲しいんだ」
「でもあれは伊集院君が……」
「あぁ、分かってる」

詩織の発言を遮って公は続ける。

「アイツの態度、口調なんかは他人に喧嘩売ってるとしか思えない。さっきは珍しく詩織にも突っかかってたけど、基本的に男相手限定でな」

と言って、微かに笑う。

「でも、アレがアイツの本心ではないんだ。ああいった奴だし、とてつもなく分かりにくいんだが、さっきだってアイツはああいった態度に隠して俺達のこと心配してたし、悪い奴じゃないんだ」

一息入れて、続ける。

「アイツは伊集院家の跡取りだ。だから俺達なんかは想像しか出来ないが、アイツの周りにはよくない輩も集まるし、馬鹿げたしきたりなんかに従わなければならないこともある。だからあんな態度をとっているんだと思う」

そろそろなんで自分が伊集院の弁護なんかをしてるのか分からなくなってきていた。

「繰り返しになるけどアイツは悪い奴じゃないんだ。仲良くってのは難しいかもしれないけど、せめて嫌わないでやってくれないか? 俺も知り合い同士が喧嘩してるのは気分がよくないからさ。それが一つ目の頼みだ」

多分伊集院が女だと知って、彼女の立場を、彼女を取り巻く環境をなんとかしたかったのだろう。公はなんとなく、自分にそう説明付けた。
そして今の説明下手な自分の話を詩織がどう受け止めているかを知りたくて彼女の方を見てみると、何故か微笑ましいものを見たかのように微笑んでいる。

「な、なんだよ? 笑ったりして」
「ふふっ……。ごめんなさい」

少し笑ってから、詩織は言う。

「貴方が、意外なことを頼んできたから。それに、随分と伊集院君のことを心配してるみたいだったから…かな?」
「そんなんじゃないさ」

公としてはそっけなく返したつもりだったが、顔が赤らんでいるのでせっかくの演技も台無しだった。それを見てますます笑う詩織。

「ふふっ。伊集院君とは、いい友達なのね」
「と、友達……? うん、そうだな、友達……なんだろうな」

思ってもない単語を出されて驚いた公だったが、今は不思議と素直にそれを認められた。
この詩織の言葉が公とレイの関係を『前回』と大きく異なったものにするとは発言者、当事者共に考えもしないのであった……。




「それでね、藤崎さん。もう一つのお願いなんだけど……」
「ちょっと、待って?」

詩織のちょっとキツめの口調で公の言葉は止められた。

「話の腰を折ってごめんなさい。どうしても聞きたいことがあって……。あの、ね? 朝からずっと気になってたんだけど、公はなんで私のことを苗字で呼ぶの?」

とうとう聞かれたか……、公にしてみればそういう心境だった。だから、予め準備しておいた台詞で説明する。

「俺達ももう高校生だろ?」

俺は実際には大学生なんだが……、なんて公の心の叫びは詩織には聞こえない。だからこその心の叫びなのだが。

「だから、いつまでも幼馴染だからって気安く名前で呼ぶのも自粛しようかなって。藤崎さんだって迷惑だろ? 俺なんかに……」
「そんなこと……、そんなこと、ないっっ!

例によって公の台詞は途中で阻まれ、詩織の声が響く。
公は呆気にとられ、詩織は大声を出したこともしくはその内容に赤面しながらも続ける。

「大声出してごめんね。でも、本当よ? 貴方に、公に名前で呼ばれるのを迷惑だなんて思ったことはないわよ? だって……大切な、幼馴染だし……」
「詩織……」

なんて、思わず詩織の名を呼んでしまった公だったが、内心はというと……

(この頃はまだ嫌われてなかったのか、俺? 向こうから名前で呼ぶように言ってくるなんて……。幼馴染ってだけでも嫌って言われたのに……。てゆ~か、やっぱり夢なんだろうか?)

などと余計なことを考えていた。ついでに辛いこと思い出してダメージを受けていたりもした。
それはそれとして、詩織の方から許可が出たのであれば何も遠慮(?)することはない。

「うん。わかったよ、詩織……」
「あ……。うんっ!」

公の呼びかけに詩織が嬉しそうに頷く。
お互い、幼馴染のはずなのに何か気恥ずかしく、それでいて居心地のいい、矛盾した空間は発生させながら言葉もなく歩く。ただ、それは気まずい沈黙というわけでもなかった。
そうして二人は、第三者例えば好雄とかが見れば「ダッシャーッ!!」って叫びつつ卓袱台をひっくり返し出しそうな雰囲気を醸し出しながら、会話を交わすことのないまま家に到着するのだった。




「やっと着いた~。やっぱ、いつもの3倍くらいはかかるか……」

ようやく自分の家の前に辿り着いた公がそんな愚痴をこぼす。

「わざわざ送ってくれてありがとう、詩織……ってどっちかってゆ~と男のセリフじゃないよな」
「うふふっ。どういたしまして」
「うん。それじゃ」

そんなやり取りを交わして公が家に入ろうとすると、声をかけられる。

「あ、ちょっと待って!」
「ん、なに?」
「そういえば、さっきの二つ目のお願いって聞いてなかったな~って……」

そんなこともあったなぁ~と、ついさっきのことなのに遠い目をして思い出す公。

「あれね。もう済んじゃったことだから今更なんだけど」
「?」
「歩くのがキツいから肩を貸して欲しいな~なんて、ね」

冗談だけどね、と続けようとすると

「どうしてもっと早く言わないのよ!」

公君、怒られましたよ?

「もっと早く言ってくれれば肩ぐらい貸すのにっ!」
「あ、いや……」

それは実際にやると恥ずかし過ぎるだろう……と公が意見を述べようとすると

「じゃ、明日。明日の朝、公のこと迎えにくるから、一緒に学校行きましょ? そのときに肩でも手でも貸すわ」
「えと、その……」
「明日の朝、ちょっと早めに来るからね? それじゃ、また明日~」

公の言い分なんて何一つ聞かずに、一方的に決めて去っていく詩織。
ポツンと一人残された公は、こう呟くしかなかった。(ちなみに駄洒落ではない)

「キャラ変わってますよ、詩織さん……」




「しかし、俺に明日なんて日は来るのかね?」

気を取り直して、家に入る公は思わず独り言を呟く。微妙に哲学的な命題かもしれない。
とりあえず、今日一日学校だけだが終わった。
今日は朝から非日常的な事態に巻き込まれ、流されるまま一日を過ごしたが、なんら現状を打破するような事柄は見つけることは叶わなかった。
仮定はいくつか立ててみたが、一番有力視されていた説もアッサリと崩れてしまいそうな勢いだ。今ではやはり夢なのではないかと疑いだしている始末。

(とりあえずは伊集院に調査を頼んでるから、明日の結果待ちか……。結局明日なんだよな)

今更じたばたしてもしょうがないので、公は明日が来ることを考え、今現在出来ることをしておくことにする。基本的に楽観的な性格なのだろう。同時に懐疑的でもあるが。

「たっだいま~。母さ~ん、家に湿布ってあったっけ~?」

蛇足ながら、入学式初日から制服を破いてきた息子を母親がやさしく『撫でてくれた』ことを、ここに記しておこう。



[484] Re[5]:あの素晴らしい日々をもう一度 第六幕
Name: 流神
Date: 2006/03/19 16:51
寒い

目を覚ましてまず感じたのは異常なまでの寒さだった。
とにかく現状を確認しようと思い、身を起こそうとしたが、体が動かないことに気付く。

金縛りってやつか? この寒さも?

今まで心霊現象というもの正確には金縛りは心霊現象ではないがを体験したことのない彼にしてみれば未知の恐怖を呼び起こすのに十分な状況だった。
何もすることの出来ないまま、悪夢のような時間だけが過ぎていく。時刻の確認が出来ないので、彼からすれば永遠とも思える時間が過ぎたような気がした実際には数分程度だったのだが。
体の寒さが堪えきれないくらいになってきたとき、彼に救いの手が差し伸べられた。

「公? 今日は早く起きるんでしょ?」

母親の声だ。その声に彼主人 公はようやく日常に帰ってこれたような安堵を感じる。

「か、母さん……。俺、体が動かないんだ……」
「あら、起きてたの? おはよう」

公の切羽詰ったような声に対してなんら感慨を持った様子もなく、息子が起きていたという事実のみを認識したらしい母親。
そんな薄情な母親の態度に怒りを感じている公に母親は近づいてきて、

彼を
優しく
――蹴り起こした


あの素晴らしい日々をもう一度


第六幕 寸劇Ⅰ・家族百景




ベットから転がり出された衝撃で公はなんとか身動きがとれるようになった。ストレッチ紛いに体を動かすと大分調子が戻ってきたようで、昨日ほどツラい状態ではなくなっていた。若いっていいわね……、母親の表情がそんな事を言っているような気もする。
結局、先ほどの悪寒&金縛りは心霊現象でもなんでもなく、金縛りは筋肉痛によるもので、悪寒に関しては昨晩、親の仇のように両親は一応、共に健在なのだが貼りまくった湿布の所為だと分かった。

(湿布って貼り過ぎるとこんなに寒くなるのか……)

豆知識として欲しくないような事を知ってしまった公は体中の湿布薬を剥がしながらそんなことを考えていた。ムダ知識度でいうと『3へぇ』くらいか。
全ての湿布を剥がし終えた後、まるで一月前までの自分のもののように着慣れた感じの3年ほど着続けるとこうなるであろう制服に袖を通す。
母親は既に階下に戻っている。朝食を摂る為に昨日の話が本気なら詩織が来ることになっているのだそれを追うような形で階段を下りていく公は、なんとなく今着ている制服の入手時の状況を思い出していた。




「ったく、初日で制服を破いてくるなんて、そんな子に育てた覚えはありませんっ!」

(育てられた覚えもないよ……)

母親のお叱りに対し、そんなことを思いながら二人は主人家の物置に来ていた。
公の制服の損傷は一晩で、かつご家庭で修繕できるようなものでなく、新たに購入するか業者に依頼する必要があったため、どちらにせよ少なくことも明日回想時点での今日は別の上着を着ていかなければならないことになった。
公自身は別に破れたままでもかまわないのだが、息子にみっともない格好はさせられないと母親が止めた、といった一幕もあったのだが。
かといって二着も上着を持っているわけでもない公は、別の制服を用意する必要が出てくる。しかし、幸いな事に公には当てがあった。実は公の両親はきらめき高校の卒業生なのである。
残念ながら女子の制服は現在のものとデザインが変わっているらしいが変わっていなければ公が着ていくというわけでもないが男子用の制服は父親が着ていたものと変わっておらず、それがここ、物置に収納されているとのことで今に至るのである。

「あ、この箱みたいね」

比較的出し易い位置に置かれていたようだ。大して時間をかけずに目的のものが納められてると思しき箱が見つかる。
その箱を公に下ろさせ、母親は早速中身を物色している。この箱であってるみたいね~とか呟いているのを見ると制服が見つかるのもそう遠くはないだろう。

(やれやれ、虫に喰われてなきゃいいけどな。もしくは色褪せてるとか……。しっかし、無駄に物持ちいいよな、父さんって)

公がそんな心配をしていると母が箱から二着の制服を取り出す。

「あ~ん、残念だけど私の制服はこの箱じゃないみたいね……」

見つからんでいい、とかその歳で「あ~ん」はどうか? なんて思いながらその制服を受け取る公。
パッと見、少しくたびれてるのとナフタリンの匂いがするくらいで特に問題はなさそうだ。……少なくとも片方は。

「あの~、母さん、こっちの制服……は?」

問題はもう一着の方にあった。なんとゆ~か、無意味に長く、何故か裏地が朱でそこに金色の龍の刺繍までされている。そう、それはまるで……

「あ~、それ? 確か父さんが昔、公園でバンチョーって人から『貰った』とかなんとかって……。趣味が悪いから捨てたらって言ったんだけどねぇ? アンタなら気に入るかと思って」

そう、例えるなら『前回』公園で絡んできた不良の親玉、宇宙(?)番長が来ていたガクランのような……。状況から鑑み、父親も同じような事に遭ったと考えるべきか。

(父さん、アンタって何者なんだよ……)

過去、自分が勝てなかった番長からガクランを『奪った』父親に対して恐怖と畏怖の念を抱く公であった。その頃から番長がいたというのもかなりのホラーだが。
まさか母親もバンチョーってのが番長を指すとは思わなかったようだ。そもそも、そのような人種が生き延びていること自体が天然記念物指定物だ。
ついでに番長戦のとき、父が誰を母は知らないようだったので護って闘ったのか? と思ったが、その疑問を追求する気はカケラもなかった。好奇心は猫をも殺すのだ。




公が無事に翌日を迎えたことについて朝起きたら大学生に戻ってる、なんて展開も覚悟してたのに考察しながら洗面所から出るとチャイムの音が聞こえてきた。どうやら詩織が(ホントに)来たようだ。

「は~い……って、あら? 詩織ちゃんじゃないっ! おはようございますって、なんだか久しぶりね~」

なんて対応する母親の声が家中に響く。しかし、それに答えてるはずの詩織の声は全然聞こえない。

「ウチの馬鹿息子を迎えに? ごめんなさいね、すぐに呼ぶから。 こらぁ、公! 詩織ちゃんが来てるんだから早くしなさいっ!

さらに大声を上げなくても聞こえてるっての……なんて内心呟きながら鞄を持って玄関に向かう公。
どうやらこれ以上、ゆっくりと考え事をしてる余裕はないらしい。




「体、ホントに大丈夫なの? やっぱり鞄だけでも持つわよ?」
「い~いって。昨日より大分回復したんだから。それよりも早く行こうぜ?」

愚息が幼馴染と肩を貸す、貸さないと言い争っているのを苦笑交じりに見ている母親。その眼差しは優しい。

「んじゃ、行ってくるよ。母さん」
「それじゃ、行ってきます。おば様」

二人とも挨拶もそこそこに出かけようとする。

「気をつけるのよ~。詩織ちゃん」
「自分の息子は心配じゃないんかいっ!」
「あ、あははっ……」

そんな親子のやり取りを微笑ましく見ている詩織。ちょっと笑いが引き攣っているが。
時間に余裕を持っているのだろう、特に急ぐでもない足取りで二人は出て行った。
楽しそうに話しながら、少しずつ遠ざかる背中を見やり、母親は面白そうに漏らす。

「高校生活二日目から疎遠になってたお隣の可愛い幼馴染が迎えに来る……かぁ。制服の破れといい、昨日一体何があったのかしらねぇ?」

転んだだけだと息子は主張していたが、それを信じるほど甘い母親ではなかった。あの時のぶっきらぼうな様子からするに、なかなか恥ずかしいことがあったようだけど……と母親は予想を立てている。
実際は昨日一緒に登校するという話だけは出ていたのだが、彼女がそれを知るはずもない。それに予想はあながち外れたものでもないのだし。
と、そこに新聞を取りに来たのであろう父親がやってくる。

「おはよう。……何を笑ってるんだい?」
「あら、アナタ……。おはようございます」

朝の挨拶にこだわる主人家の住人らしく、とりあえず挨拶を交わす。
既に遠目にしか見えない子供たちを示しながら続ける。

「ほら、あの子達。ああやって並んで歩いてるのを見ると昔を思い出さない?」
「あぁ、そうだね。もう公も高校生か……。私たちが出会った時の年齢になったんだな……」
「そうね……」

夫は妻の肩に手を回す。その仕草は長年連れ添った夫婦のソレだった。
二人の少し遠くを見るような目は、子供たちにあの頃の自分たち姿を重ねているのだろう。

「あの子達にも……」
「ん? なんだい?」
「あの子達にも、伝説の樹の祝福があればいいわね……?」
「あぁ、私たちのようにね……」

4月の柔らかな陽気は二人の永遠なる幸せな関係を祝福しているかのようだった。



[484] Re[6]:あの素晴らしい日々をもう一度 第七幕
Name: 流神
Date: 2006/03/19 16:56
(まさかホンキだったとは……)

公は詩織と一緒に登校しているという現実を受け入れられず、そんなことを考える。少し前までなら泣いて喜ぶ状況だったろうに。

「どうしたの、公? やっぱり調子が悪いの?」
「いや……。大丈夫だ」

心配げに聞いてくる詩織に対して、あえて言葉少なげに答える。
あまりおかしな態度をとってしまうと昨日の『約束』を持ち出して公に肩を貸そうとしてくるのだ、このお嬢さんは。家を出るときになんとかこっちの意地を通して説得したが、彼女が納得していないのはその表情からも明らかだ。現に今の台詞もそれを伺ってのことだろう。

「ったく、進学校だからって入学式の次の日から6時間授業ってのはど~なんだろうな……。ところで今日の一時間目ってHRだったよな?」
「えぇ。確か、委員とかを決めるって先生が言ってたわよ?」

公とて昨日、担任とマンツーマンで聞いていたので忘れているハズもない。とりあえず話のタネというか、話を逸らす為のものだ。

「そか。詩織は学級委員とかに選ばれるだろ~から大変だよな~。ふわぁぁっと」

なんて、欠伸交じりに他人事のように言ってみる。実際、他人事なのだが。

(とりあえず、一時間目は眠れそうだな……)

流石に授業で寝るつもりはないが今のところ、という注釈がつくがHR程度だったら大丈夫だろう、自分に責任のある役を振ってくるやつもいないだろうし……という計算の元に立てられた綿密な(?)計画だ。
しかし、その穴だらけの計画は現実の前に脆くも崩れ去るのだった……。様々な意味で。


あの素晴らしい日々をもう一度


第七幕 自己紹介をしよう!?




「はよ~っす」

公が軽く挨拶しながら教室に入ると、それまでざわめいていた室内が途端に静かになる。不思議に思って回りを見渡すと、クラスメートの視線が自分に集まっていることに気付く。

(まるで、昨日の放課後のような……?)

その視線の種類に思い当たるものはあるものの、その原因が分からない為に隣の詩織を救いを求めるように見ると……なんか含み笑いしている?
詩織のそんな表情を見た公は追求を諦め、気にしないことにする。この状態の詩織に尋ねてもロクな返事が返ってこないことは過去の経験からわかっているので。
数瞬後、再び喧騒を取り戻した教室でレイ正確にはレイとその取り巻きの女子達を見かけたので声をかけることにする。

「よう、伊集院。おはようさん」
「おはよう、伊集院君」

続いて詩織も挨拶してくれたことに、公は安堵した。昨日の『お願い』は有効なようだ。もっとも、逆に声をかけられた方は多少表情が引きつっているような気がするが。それでも伊集院家の誇りによるものか、平静を装って挨拶を返してくる。

「おはよう、藤崎さん、庶民」

名前の順番はレイの敬愛の証か、はたまた畏怖の念を覚えた順か。と、表情を改めて公に話しかけてくる。

「……ところで庶民」
「ん~?」

突然真面目な話をする空気が流れ、詩織やレイの取り巻き達は困惑している。対照的に公は気負った風もなく返事を返している。

「後ほど、昨日の件で話がしたい。時間をとってもらえるだろうか?」
「あぁ、例の件ね。……そだな、昼休みでいいか?」
「かまわないよ。まぁ、ホントだったら僕の貴重な時間を割いてもらえることを泣いて感謝してもらいたいところだがね。ハッハッハッハ」

話がまとまった途端に尊大な口調に戻るレイに少し閉口しながら、用件は済んだので元々、挨拶だけのつもりだったのだ公は席に向かうことにする。レイの取り巻きが『告白』とか『宣戦布告』とか、不穏当な単語を口にしているが……。

「じゃな、詩織」
「うん」

公と詩織の席は同じ列であるが、最前列と最後列の一つ前に分かれてしまっている為に距離的には結構遠い。なんとなく軽い別れの挨拶を交わしつつ、席に座る。
隣の席を見ると、好雄はまだ来ていないようだ。彼は『昔』っからギリギリに来ていたので特に気にしないことにする。気にしても無駄だし、その義理もない。実は今日は早く来ることになったとは言え、平時は公も似たようなものなのだが。

(まぁ、詩織と一緒に登校したのを見られるとうるさいしな……。あ、10分は寝れるな……)

家では二度寝などしないが、学校では例え5分でも寝る男、主人 公。彼は好雄のことなど忘れ、早速机に突っ伏すのだった。




「起きなさい、公。私のかわいい公や……」

ユッサユッサと体を揺すられる感覚。誰かが公を起こしているようである。

(……ん?)

「今日はとても大切な日。公が初めてお城に行く日だったでしょ」

ユッサユッサ

(……誰だ?)

「この日のためにおまえを勇敢な男の子に育てたつもりです。さあ、ついていらっしゃい」

「って、誰が覆面パンツの息子かぁ~っっっ!!?」(1995年現在、SFC版はまだ出てません)

公の中に眠れるエンターテイナーとしての性だろうか、ツッコミしつつ飛び起きる。と、公の視線の先には予想し得た顔がある。

「公。俺ぁお前がノリのいい男で嬉しいよっ!」

ビシッ! ってな感じでサムズアップしている好雄。白い歯を見せたとってもイイ笑顔だ。

「俺もさ、好雄っ!」

負けじと公もビシッ! っと親指を立て返す。こちらも清々しいくらいイイ笑顔だ。お互い、歯が光らないのが残念なくらいの。余談だが、このやり取りを見ていた公の後ろの席の女生徒は「三年…。いえ、十数年来の親友に見えました」と後に語ったとか語ってないとか。
とまれ、公が好雄との友情の確認を終え、教室を見回すと朝とは別な意味で視線を集めていた。教室を見渡し……
詩織を見ると、「しょうがないわね」なんて言いたそうな苦笑めいた笑顔を浮かべ……
レイを見ると、「これだから庶民は」なんて言いたそうな心底呆れた表情を浮かべ……
教卓の方を見ると、いつの間にか来ていた担任がちょっとコメカミに青筋を立てて……

「主人、俺はお前が覆面パンツの息子でも差別はしないつもりだぞ?」

なんて血の涙が流れそうな優しい言葉を、生暖かい笑みと共にかけられた。
額が赤くなった顔を薄ボンヤリと教師に向ける公。いつの間にか授業が始まっていたようである。




教室中を巻き込んだ笑いの波が収まると、ようやくといった感じで教師は授業を進める。といってもHRなのだが。

「え~、これからこの一年での各種委員を決めてもらうことになるんだが……」

そこでチラリと公の方に視線を投げる。

「昨日の自己紹介で一人だけまだの奴がいるんだよな。というわけで、主人、前に出て自己紹介しろ」
「げっ……俺? しかも前ぇ?」

さっきのやり取りの罰か、それとも元々予定に組み込まれていたのか不明だが自己紹介を命じられる公。一人だけなんていい晒し者である。しかも何故か前に出て。『前回』の記憶によると昨日の自己紹介は自分の席でよかったはずだが。
かといってついさっきまで寝ていた弱みもあり文句を言えるわけでもなく、それに何故かクラス中が視線が朝のそれと同じ色になっているのを感じた。クラス中が自分の自己紹介に期待してる、公はそんなプレッシャーを一身に受けていた。
見えない力に強制されるように教壇に向かう公。どこからともなくドナドナの曲が聞こえてきそうだ。

(まぁ、過去に一度したことだしな……)

他人が聞いたら負け惜しみにしか聞こえないような想いを胸に抱きつつ。
クラスメートを一望できる場所に立ち、一度目を閉じ覚悟を決めているのだろう、再び目を開くと自己紹介を始める。

「はじめまして。きら中から来ました、主人 公ぬしびと こう)です。特技は牛乳の一気飲みとバスケが多少ってトコです。以上、これからよろしくお願いします」

息継ぎなしに最後まで一気にしゃべって軽く頭を下げる。

(早ッ!!)

クラス中が一致した感想を持ったかどうか定かではないが、なんにせよ期待を裏切られた、物足りていないといったような不満気な空気が満ちる。
と、そこに我らがヒーロー公から見ると諸悪の根源なのだろうが早乙女 好雄がここぞとばかりに質問を投げかける。

「しっつも~ん! 藤崎さんとはどういう関係なんですか~?」

公は発言の主に鋭い視線を向けると、同様に好雄も皮肉気な笑いを浮かべながら公を見ていた。自然と視線が交差する。

(好雄ッ! なんでわざわざそ~ゆ~事を聞くっ!?)
(昨日、お前が嘘吐くからだろうが)
(ちっ! 知ってたのか……。謀ったな、好雄ッ!!)
(君の父上がいけないのだよ)

実際、いくら悪友とは言え、そこまでアイコンタクト出来たかは不明だが。
とまれ、視線で人を殺せそうな程多少の誇張を含む好雄を睨みつけた後、深い溜息を吐いてそろそろ溜息も吐き飽きた感もあるがとりあえず質問に答えることにする。変に律儀だ。

「え~っと、俺と詩織は隣に住んでる幼馴染同士で……」

公がそこまで言ったところで、これまで妙に静寂を保っていた教室内が爆発少なくとも公にはそう思えたした。

「詩織だって~っ!呼び捨てよ、呼び捨てっっっ!!」
「やっぱし、アイツが藤崎の騎士ってのはマジだったんだなッ!」
「え~、私は白馬の王子様って聞いたわよ?」
「いやいや、お隣を400年守ってる忍者だって話が……」
「そいや、今朝一緒に来てたよな?」
「伝説の勇者の血を引く子孫に決まってるわ!」
「どうも、親同士が決めた許婚らしいぜ?」
「あの方は前世で私と一緒に世界を救った7人の英雄の一人ですわ~」
「覆面パンツの息子らしいけどな」

皆、口々に好き勝手言っている。稀に公の耳に入ってくる単語から類推するに、どうやら彼自身のことを話しているらしいが……。
一人状況についていけない公は誰かに事情を説明して欲しくてそして居たたまれなくなって、一番手近な人物に声をかけた。

「どういうこと……なんだ? これは……」
「昨日話した通りだ。昨日の大活躍によって君は一躍有名人になって、褒め称えられているってことだ。もっとも、多少噂に尾鰭が付いて話が大きくなっているものもあるし、それでも僕には敵わないがね。ところで何故僕に聞く、庶民?」

とりあえず、目の前に居たレイ彼女は昔っから席替えを行っても一番前の席から動くことはなかった。伊集院家の特権という奴なのだろうか?に質問すると、意外にあっさり答えてくれた。まぁ多少の文句と自慢はもれなく付いてきたが。
公以外は当然のように気付いていたことだが、昨日からの視線もこれに由来するものらしい。説明されてようやく気付く辺り、他人からの好意それ以外も含まれるがに無頓着なのは相変わらずのようだ。

「アレって、冗談じゃ……なかったのか……?」
「僕の言うことを信じていなかったのかね? 失敬な男だ」

張本人である公を無視して盛り上がっている級友達を見渡しつつ、呆然と呟く公。見渡すと言っても焦点はどこにも合っていないが。相変わらずレイが文句を付けているが、彼の耳には届いていない。
もう一人の当事者?になる詩織に目を向けてみると、何故か公より先に周りの連中から質問攻めに遭っているようだ。その様子に同情の念が沸くが、こちらに矛先が向く前に離脱すべきだろう。といっても教室を出るわけにもいかない。
とりあえず人はそれを現実逃避と呼ぶ好雄を殴り倒すことに決めた。決めたったら決めた。奴が原因ではないがきっかけではあるし、なによりこの理不尽な気持ちをぶつけ易い。

「好雄っっっ!」
「よぉ、公」

騒いでる連中の目を逃れるように教壇を降り、教室の後ろの方の席にいる好雄に詰め寄ったが、敵はまったく動じていなかった。

「お前っ! どういうつもりだよッ!?」

さっき目で会話してた内容を今度は口に出して言ってみる。

「どうもこうも、俺は疑問に思ったことを聞いてみただけだぜ? 昨日の話じゃ、お前さんは藤崎さんの事知らないみたいだったからな~」
「てめ、分かっててやりやがったな……」
「ふん、知り合って初日から嘘を吐かれた哀れな青年のささやかな復讐さ」
「くっ……」

嘘を吐いたのは事実なので強く出れない公。好雄はこれを好機と見て、さらに突っ込んでくる。

「公。お前、藤崎さんと幼馴染なんだって? 羨ましいよなぁ~。幼馴染ってアレだろ? 毎朝、起こしに来てくれたり、お弁当作ってきてくれたりするんだよな?」

好雄君、キミ、なんかの読みすぎ。だが、そんな好雄の軽口に慌てる事もなく、公は逆襲する。これも全てを知る者の余裕か。

「へ~。好雄の幼馴染ってのはそんなことをしてくれるのか……」
「んなっ!」

ニヤリと笑う公に対して、まさか自分にも幼馴染がいる事を知られていると思っていなかった好雄は不意をつかれて冷静さを失う。

「ち、違うぞっ! 俺と夕子はそんな関係じゃなくて……っ! てゆ~か、むしろ俺が起こしに行かないと……って何言ってんだ、俺はっ!」

黙っていればいいものを、下手に口を滑らすからだからこその好雄なのだが深みにはまる。その様子を見て、調子に乗った公はかくして彼と同じ失敗を犯すのだった。所詮、コイツら同じ穴のムジナだ。

「はっは。誰も朝日奈さんの事だなんて言ってやしないさ」
「はっ、嵌めやがったな、公っっ! ……って、俺、夕子の苗字なんて言ってないよな?」

あ、ヤバい。なんて思った時にはもう手遅れ。後悔先に立たずとはよく言ったものだ。

「公、お前、なんで夕子のこと知ってるんだよ? もしかしてお前も愛の伝道師を目指してるとか?」
「ふっ、何、庶民の事ならなんでも知ってるというだけさ」

なんとなくどこぞの御曹司の真似をして誤魔化そうとするが、当然好雄はそんなことで納得するわけもないだろう。
続けて、弁解の言葉を重ねようとする公の肩に誰かの手が置かれた。

「はっ?」

咄嗟に後ろを振り向くと、そこには愛すべきクラスメート達が集団でこちらを見ていた。一様に気味の悪い笑みを貼り付けながら。遠くに疲れきってヘタってる詩織が見える。南無。
とりあえず、好雄の事は有耶無耶にできるな~なんて楽観的に考えてるこれもまた、現実逃避だ公に、代表で公の肩を掴んでる女生徒が話しかけてくる。

「それじゃ、今度は主人くんの口から藤崎さんとの関係を話してもらいましょうか? じっくり、たっぷりとね」

それを話そうとしたら君らが勝手に騒ぎ出したんじゃん、なんて公が主張しても一瞬で却下されそうな雰囲気だった。
とにかく分かっていることは、公の受難はまだまだ終わらないということだ。



[484] Re[7]:あの素晴らしい日々をもう一度 第八幕
Name: 流神
Date: 2006/03/19 17:00
ホームルームという名の主人 公に対する拷問はまだ続いていた。


あの素晴らしい日々をもう一度


第八幕 選ばれし者




「大丈夫か、公? 人気者はツラいな……」
「あ゛~」

好雄の心配半分、冷やかし半分といった感じの労いに対して呻き声で返事をする公。心身共に消耗し尽くしたといった風情で机に突っ伏している。
結局、公がクラスメート達に詩織との関係を説明し終わるのに1時限目の半分を費やした。彼の「ただの幼馴染」という説明を聞いても「今は、だろ?」とか「またまた~」、「そういうことにしといてやろう」果ては「詩織が可哀想……」なんて反応しか返って来ず、納得させるにはそれだけの時間を要したのだ。しかも多分納得してないだろう。
公がそうやって必死に説明している最中、「ただの幼馴染」と連呼する度に詩織の機嫌が見る見る悪くなっていくことに気付いた。多分、自分と幼馴染だという事を知られるのが嫌だったからだろうと思い、後で謝っておかねば……なんて考えていた公だった。その予想、行動が正しいかはともかく。

「じゃあ、残り時間も少なくなってきたことだし、手早く各委員を決めてしまうか」

公が質問責めにあっている間、教室の隅に座って「青春だね~」なんて呟くだけで助けてくれようともしなかった担任がその時の胸の内に芽生えた感情を振り返り、「これが殺意ってヤツか……」なんて公が呟いた一幕もあったりしつつ仕切り直しする。ようやく通常の流れに戻るようだ。
とりあえず、黒板に役職と人数を書き出している。それを見るに、まず学級委員を決めてしまい、以後の運営は彼らに任せてしまおうという腹積もりらしい。素晴らしい怠慢教師だ。

「学級委員、男女各一名ずつなんだが、誰か立候補はないか? ……ないようなら推薦でもかまわんが」
「藤崎さんがいいと思います」

間髪入れずに公がよく知る少女を推薦する声が上がる。

(あれは確か詩織の中学の時のクラスメートだな……)

公は机に倒れたまま睡眠モードに移行しつつついさっき、寝てたせいで吊るし上げを喰らった事はきれいに忘れたようだ思う。声だけで判別出来るなんて流石だ。

「ん。藤崎、どうだ?」
「推薦されたのでしたら、期待に答えたいと思います」

(まぁ、予定調和か)

あの怠慢担任も『藤崎 詩織』が中学から優秀な生徒であり、こういった役もそつなくこなすことは知っているのだろう。ついでに生徒諸君にもそういった情報は伝わっているようで、特に反論も上がらない。そもそも学生にとっては学級委員なんて雑事は他人に押し付けるに限る、といった考えが主流であるものだ。内申点なんて一年生から考慮してるヤツもいない。
ただ、詩織の受け答えの仕方、あれってある意味優等生っぽいながら角が立たないか? 詩織だから大丈夫なのか? などと思考が他所に飛びかけてる公は夢の世界に程なく近い。

「じゃ、女子は藤崎に決定だ。藤崎、後頼む」
「はい」

(せめて男子の学級委員まで決めてから代われよ……。詩織も承諾するかぁ?)

「では、引き続いて男子の学級委員を決めたいと思います。立候補、ないしは推薦はありませんか?」

公の心のツッコミに気付くはずもなく、前に出て司会進行を引き継いだ詩織。担任と同じことをしているはずなのに教室の雰囲気が引き締まった感じがするのは……詩織が、というより担任のヤル気がなかった為か。
「お前やれよ」「推薦してやろうか?」等と男子どもが騒ぎ出す。しかし誰も立候補も推薦もしないのは前者は前述のように厄介事を引き受けたくない為で、後者は推薦した相手から推薦され返すという報復を恐れた為である。平穏な日常を生きる為の高校生の処世術と言えよう。
平穏な日常を望んでおらず、またクラス一番の賑やかしである好雄高校生活開始二日目にして自他共に認めるところだろうは相方が寝に入っているので一緒の騒げず沈黙を保っている。彼が学級委員というキャラではないのも既に周知されているようだ。
平穏な日常なんて単語が吹いて飛ぶような人生を歩んでいるレイはこういった時に一番に名乗りを上げそうなものであるが、何故かこれまた沈黙を保っている。
平穏な日常を望んでいる我らが主人 公はそんな喧騒の中、我関せずとばかりに可及的速やかに夢の世界へ旅立ちかけていた。あと一歩、だったのに……

「は~い、はいはい。主人君を推薦しま~っす!」

そんな発言を聞いて眠りにつけるほど図太い神経をしていなかったし、学園生活を投げてもいなかったようだ。
どうやら、その爆弾発言あくまで公の主観だがの主はどうやら女子のようだ。公の記憶力がもう少しよければ「詩織が可哀想……」と勘違いしていたこれまた公の主観だが娘だと気付いただろう。

「あんでさ?」

先ほどの推薦から静まり返っていた室内に、飛び起きた公の訛った訛りか?台詞が響く。反射的に上げた声だったが、結構切実で的確だ。
ここで適当な「いい加減な」ではなく「この場に相応しい」という意味での推薦の理由を上げられなければ自然とこの推薦は却下されるはずである。そういう意味で的確な問いだったのだが……。

「主人君なら責任感を持って役目を果たしてくれそうです。それに多分クラスの全員が信頼を置けると思います。なにより……」
「なにより?」

(あぁ、相手の語尾を継いで聞き返すなんて話に飲まれてるな……)

そんな公の思いを他所に回りだした歯車は止まらない。

「藤崎さんを絶対っっっ! 助けてくれます!」

(断言かよ!)

あまり他人から褒められる機会に恵まれなかった公だけに嬉しいことには変わりないのだが、この場面でだけは避けたかっただろう。

「そうだよな、責任感あるよな。うん」
「身を挺して他人を助ける人だもの。私も信頼できるわ」
「なによりもう一人の学級委員が藤崎なんだから全然問題ないよな」
「詩織も嬉しそうだし……」
「「「「異議なしッ!」」」」

あれよあれよと言う間に公を除いたクラスの総意は固まったようだ。
もっとも意見の一致の裏に、発言された内容以外の不純な動機面白そう、とか押し付けちまえ、とかが含まれるのは止むを得ないことなのだろうが……。

「ちょっと待てェェェェェい!」

そんな級友達に公が物申すのは当然だろう。
とは言っても、一応理由を述べられてしまった上、それにクラスの大半が賛成の意を表明している以上、それ以外の点から攻めるべきであろう。『彼ら』の説得には1時限の半分の時間を費やしても無理だというのはつい先ほどいやと言うほど思い知らされたばかりの公君である。

「あ~、え~っと……そう、伊集院だよっ! こういう面倒な事……もといッ! こういう責任の問われるような仕事は頼まれなくてもアイツがやってくれるんじゃないのかっ!?」

昨日の友達発言もなんとやら、自分の安全の為なら宿敵と書いて『とも』でも売り払うぜ! という勢いで伊集院を推薦? する。何気に貶めている気がするが……。
そんな人情紙風船な公の態度を不審とも思わず、レイが答えてくる。その内容は公が望んだものと正反対だったが。

「庶民。この僕、伊集院 レイを推薦してくれるのは有難いのだが、残念ながら無理なのだよ……」
「な、何故にっ!?」
「君に説明する義理はない。……と言いたいところだが、それではクラスの女性陣も納得しないだろうしな。しょうがない、説明してやろう」

相も変わらず公の神経を逆撫でしてくれるレイ。だったら最初っから説明しとけ! と言いたいのは山々だが、説明を聞かなくてはならないので黙っていることにする。人、それを負け犬と言う。

「君も知っての通り、僕は伊集院家の跡取りとしてこの学校の理事長の代理のようなことをせねばならないときがある」
「あぁ、そうだったな」

昨日、理事長の代理として公と詩織に会いに来たのだし、実際、公の知っている『過去』では学校で何か催し物をする度にレイが出張っていた。

「だから僕はクラスの委員として一クラスのみの利益の追求を行う立場にはいられないのだよ。許して欲しい」
「りえきのついきゅ~って……」

そんな大層なものではないだろう……、そうは思わないではなかったが、それは別としてそういうある意味『役職』のようなものがあるのに学級委員を押し付けるのも忍びない。現実問題、手が回らないだろう。それに何故か先手を打って謝られてしまったし。
それにクラス内の雰囲気があまりレイに任せるのを良しとしていないような節があるのに公は気付いた。残念ながらその理由までは想像つかなかったが。
解説をいれておくと、男子はレイの任せると理不尽な苦労を買う恐れがあったし、女子は詩織とレイをいう組み合わせが気に入らなかったに過ぎない。組み合わせ云々については男子にもあったが。では公ならいいのか? ってな疑問も湧くが。

「そうか。それじゃ、しょうがないな……」

(しょうがないのかなぁ?)

自分で自分の台詞に疑問を抱きつつ、次なる犠牲者を探す。自分の平穏な日常を確保する為に手段を問わない公。無敵に素敵だ。
自分の隣の席に目を移して……鼻で笑って次の獲物を探す。

「流石にちょこっと傷ついたぞ、マイ親友……」

件の人物が何か呟いてるが、見事なまでに無視する。そんなのに構ってる暇はない。
と、そこで望ましい人材に目を留める。公の『記憶』によると、確か一年生の時につまり『過去』の『今』だ学級委員を勤め上げた男だ。

「あ、あそこの彼がいいと思うぞ」

公は彼の名前を知っているが、昨日と今日の失敗を踏まえ、あえて名前を出さないで指名する。それが返って悪い結果を招くこともあるのだが。

「あの、公ッ、じゃなくて、主人君? あなた、名前も知らない人を推薦するの?」

今まで司会そっちのけで進んでいたが、流石に放ってもおけず詩織が聞いてくる。

「ぐっ……。いや、彼ならきっと学級委員をこなしてくれる。俺はそう信じてる」
「根拠は?」
「……そういう顔をしている」

今更知ってることにもできず知ってることにしたとして、何故知ってるかを問われたらどうする?、公は詩織の涙の出そうなほど厳しい質問に自分でも呆れ果てる様な返答しかできない。彼には学級委員を勤め上げた実績がある! そう答えられたらどんなに幸せなことだろう。永遠に続く二人の関係ぐらいだろう、きっと。

「……主人君はこう言ってるけど、どうかな?」

辺りを漂う白けた空気を裂いて、詩織自身も直前まで呆れていたが公の推薦? した男子生徒に聞く。まったく司会は大変だ。

「いや、やれって言われればやりますけど……」

ちょっと戸惑った風に答える男子生徒。彼も『過去』に学級委員をしただけあって、詩織ほどではないにせよ真面目な優等生なのだ。可哀想なことに。
それにちょっと笑みを浮かべながら気の毒そうな、という形容詞がつくが頷いて、詩織は司会を続行する。

「他に立候補、推薦はないですね? ……それでは推薦者二名で決を採ります。いいわね、主人君?
「あっ……、ああ」

いいも悪いもない。藤崎さんに睨まれた主人君にそれ以外の選択肢なんてあるわけなかったのである。




かくして、挙手による多数決により、男子の学級委員が選出された。
敗因勝因?は知名度の差とクラスメートの団結と答えておこう。

「大丈夫か、公? 人気者はツラいな……」

公はさっきと同じ台詞を吐く悪友に今度は答える術を持たなかったのであった。



[484] Re[8]:あの素晴らしい日々をもう一度 第九幕
Name: 流神
Date: 2006/03/20 00:45
「よぅ、学級委員様っ!」
「あんだよ、好雄ッ!?」

悪夢のような実際、公はどれだけ夢であれと望んだろうかHRを含めた午前中の授業は終了し、早くも昼休みとなっていた。
クラスメイト達がこの学校に来て初めての昼食を食べる為に右往左往している中、勝手知ったるなんとやらとばかりに悠然と座っている公に対して好雄が声をかけてきた。

「昼飯どうすんだ? 弁当持って来てるのか?」

当然のように好雄の話題も昼食の事となる。食欲旺盛な男子高校生なので仕方ないと言えない事もない。

「いや、持って来てないし、仮に持って来てても昼前に喰い終わってるしな」

そしてそれを遥かに上回る答えを返す公。かつて部活に青春の汗を燃やしていた頃(意味不明)は早弁はあたりまえ、それでも4時限目には高らかに鳴る腹を押さえながら授業を受けていたものだ。

「それに、悪いが今日は先約があってな?」
「先約? …藤崎さんか?」
「違う」

公の断りの台詞に対し、昨日の帰りのことも含めた憶測を述べる好雄。その推理に至った経緯は好雄ならずとも納得の代物だったが、間髪いれずに否定される。0.1秒だ。

「伊集院だよ。飯はどうするか分からんが…昼休みにアイツに用があってな」
イジュ~イン~っ!? お前ってもしかしてアイツと仲いいのか?」
「いや」

これまた間髪入れずに否定される。ただ、『今は』という意味合いを含んでいるかは公のみぞ知る。

「まぁ、いいや。んぢゃ、俺はお前の代理として藤崎さんとランチと洒落込むかね~」
「誰の代理だ、誰の。お前とは一度きっちり話を着ける必要があるな。…それと、悪いな」

別に一緒に昼食を摂る約束をしていたわけでもないのだが、謝っておく。気の置けない友達だとしてもこういうのは必要だろう。
気にするなと片手を上げて教室を出て行く多分食堂に向かうのだろう好雄を見送る。ここで本当に詩織と一緒に昼食を食べようと動いていたら勇者と認めてやるのに…なんて思っていた公は、さっきの好雄の馬鹿でかい声に反応していたのだろう、こっちを見ていた伊集院に気付く。
それを見た公は早速、伊集院の所に向かうことにした。あまり待たせるのも何だし、もっと切実な問題としてこのままでは昼飯を食べる時間をなくしかねないので。


あの素晴らしい日々をもう一度


第九幕 四月に降る雪




「ここが理事長室だ」

公としては屋上辺りを密談場所候補に考えていたが、レイに先導される形で理事長室に来ていた。
これから話す内容は聞かれて困る類のものではないが、それでも歓迎すべきものではない。屋上では誰に聞かれるか分かったものではないし、何より…

「まぁ、悪巧みするならここだよな」
「聞き捨てならないことを言うな、君は。そもそも君から頼まれたことなのだがね。…それにしてもここに入ったことのあるような口振りだね?」
「あぁ、いや。俺って偶に見てきたように話す癖があってな…」

レイは「そうか」と興味なさ気に返し、多分校長の机よりも立派な理事長の机に向かった。公が校長の机を見たのなんて『前』に好雄と校長室に忍び込んだ時っきりだが。
公はそれに続くわけでもなく、来客用のソファーに身を沈める。レイが机に向かったのは書類を捜すためだろうと検討をつけていたからだ。それがここに来た際のパターンだった。
案の定、少ししてから小脇に準備してあったのだろうファイルを抱えたレイが公の対面に座る。

「君はまるでここに馴染んでるように振舞うな?」
「そか?」

レイが嫌味を含んだ疑問を投げかけるのも無理はない。普通レイの思う普通は一般とかけ離れていることが多々あるがこの理事長室に連れて来られた生徒ここに来れるという時点である程度の資産家の子弟なのだがは無駄に豪華な内装に萎縮して入り口辺りに所在無く立っているのが常である。昨日の様子からして物怖じしないような人間であろうとは予想がついていたが、こうまで伸び伸びと振る舞われると逆に呆れてしまう。
実際のところ、公は『過去』に何度もこの理事長室を訪れたことがある。学校行事の際、レイが何か企む度にそれこそ悪巧みと言われるような好雄共々この部屋に呼ばれ、企画書と称された悪事の計画書を元に夜明けまで討論したものさ…なんて遠い目で思い出してみる公。夜明けまでってのは嘘だが。
そんな公の様子にますます怪訝そうな表情をするレイだったが、頼まれごとに対する責任感からかようやく本題を切り出す。

「それで、これが君に頼まれた調査の報告書だ。目を通すがいい」
「あぁ、サンキュ」

非常に人を喰ったレイの態度だが、他の者ならいざ知らず公としては慣れ親しんだものなので礼まで言って書類を受け取る。
それはパソコンからプリントアウトされたのであろうほんの数枚のA4用紙だったが、その内容は伊集院家の誇るシークレットサービスが調べ上げた最高級のものだ。
前述のように、公は事ある毎にレイの企みに巻き込まれているため、このようなレポートに目を通す機会も少なくなかった本人が望む、望まざるに関わらず。
その為、このように渡されたペーパーに何の疑問も抱かず目を通し出したし、そこに何の不都合もなかった。よく見知った『伊集院フォーマット』だったのもあるだろうが。
だが、それは一介の平凡な男子高校生、しかもつい先日まで中学生だったような『庶民』に可能なことだろうかッ!(反語)←ここで「いや、ない」まで入れると反語にはならないらしい

「なんだよ、コレ。わかんないよ~っ! 教えて、伊集院様~!!」←ドラえもんに泣きつくのび太の口調で

なんて公が泣きついてくるのを待ってから勿体つけて解説を入れてやろうと待ち構えていたレイにとって、その光景はただでさえ誤解している主人 公の像を間違った方向に加速させるには十分だった。

(この男…、本当に何者なのかしら? 一見…というかどう見ても普通の高校生のようなのに。お爺様が送り込んだ監視とかかしら? にしてはその隠身がお粗末よね。…やっぱりただの高校生が背伸びして報告書を理解しているフリをしてるだけ…?)

「すまない伊集院」

丁度そんなことを考えていたレイに公が声をかけてくる。そろそろギブアップなのかしら? レイは考えながら公に視線を向ける。

「ここにある入学式の欠席者と途中退席者のリストなんだが、やっぱり名前は見られないか?」
「君の頼みで調べたものだとは言え、君は一介のきらめき高校生に過ぎないからな。彼ら、彼女らのプライバシーに関わるので無理だ。そのリストに挙がっている人物に関してはシロだと調べてあるから問題ないはずだが?」

本当はプライバシー云々の問題など建前で、入学式の欠席者・退出者なんて公がこれから調べても分かるような事だ。だが敢えてレイはそう言ってみた。

(一応、調査書の要点は押さえてきてるみたいだけど、それをどう判断するかよね?)

「そか。まぁ大した問題じゃないんだけどな。気になったんでな」

公はレイの考えを他所にアッサリとそう返すと再び資料に目を落とす。

(むぅ…)

そうして、しばらく公の質問に対してレイが引っ掛けを含めた答えを返すといった時間が流れることとなった。




時間にして10分弱程度だったろうか。公は漸く調査書の最後まで目を通し終った。
短い時間とはいえ集中していたらしく、息を吐きながら伸びをしたり首や肩をグルグルと回している。
そんな公の様子を見ながらレイは『主人 公』の『採点』を終えていた。

(満点とはいかないけど…かなりの高得点よね?)

今の『テスト』の結果からレイが判ずるに、公は完全に報告書の中身を把握出来ており、かつそれを十分に吟味するだけの能力があると思われた。その読解力及び思考は高校生とは思えないものだ。
種明かしをするまでもなく、『今』の公は大学生程度の頭を持っており、その高校3年間も『前』のレイの元で幾度となくこの手のレポートを読まされる機会があったために身に付いたものだったが、『今』のレイには知るよしもない。
一方、自分がそんな『試験』をされていた等と想像もしていない公は、テーブルの上にあった灰皿を近づけながらレイに聞く。

「なぁ、伊集院。火ィ、持ってないか?」
「……君は、煙草でも吸うつもりかね?」

灰皿と公の顔を見比べながら聞き返すレイ。その表情は厳しい。

「まさか。仮にも学級委員様がそんなことするわけないだろ?」

おどけながら答える公。言いながら自分の役職を思い出し、自嘲気に笑ってる。
なんだかよく分からないが、もう一度理事長机に戻り、引き出しから無意味に高そうなライターを取って来る。いつもなら「この僕をパシらせようだなんて…」なんて文句を付けそうなものなのに何も言わないところを見ると、公が何をするつもりなのか興味があるようだ。レイが『パシる』なんて単語を知っているとも思えないが。

「そら」
「サンキュ♪」

レイらしくもなく、ライターを投げて渡す。それでも公に気にした様子は見られないが。
受け取ったライターの蓋を片手空け、おもむろに火を点ける公。その妙に手馴れた様子にやはり喫煙者なのではないかと疑ったレイだったが…その火が書類に燃え移るのを見てそんな考えは吹き飛ぶ。

「なっ、何をしているんだね、君はッ!?」

声が裏返ってますよ、レイさん。

「何って? いや、この書類って『EYES ONLY』だろ? だからこ~やって処分したんだけど…?」

不思議そうに答える公。レイが何を焦っているのか分かっていない様子だ。

「いや、まぁ…。ハァ……」

自分の行動に何の疑問も持っていない公の様子にレイはすっかり毒気を抜かれる。溜息付きだ。確かに表紙に『EYES ONLY』と銘打たれていたし冗談半分だとしても、公が見た後はシュレッダーにかけるつもりだったから燃やされたとしても別に文句はないのだが…
「アチチ…ッ!」なんていいながらほとんど燃え尽きた書類を灰皿に入れる公を見て、妙に疲れた口調で問いかける。

「一体、誰がそんな処分の仕方を…」
「いや、誰って…」

「お前だぁ~っっっ!」なんてレイを指差して叫びだしたいのをグッと堪え、別の答えを探す。全く、世の中なんか間違ってるぞ、なんて考えながら。

「まぁ、スパイ映画とか……かな?」

レイは先ほどの『採点』を30点ほど下げておくことにする。ちなみに100点満点だ。




ちょっと間、妙な沈黙が室内を包んだが所謂『天使が通り過ぎる』という状態だこのままでは昼にあり付けなくなることを危惧した公が切り出す。

「んで、結論から言うと…」
「あの事故は人為的なものではない、ということだ」

遮ってレイが続ける。
調査の結果、落ちてきた照明に人の手が加わった跡は見られず、ただの老朽化であったと結論付けられている。
証拠の残らない細工という線も考慮して、ここ10日ほどの体育館の人の出入りについても調査してあったが、春期休暇であったことも含め、怪しい人物は浮かんでこなかった。入学式や始業式の準備中も壇上に脚立を持ち出したりして遥か高い位置にある照明に手を加えるような事はなかったし、そのような素振りを見せる人物もいなかったそうである。
以上のようなことを様々な角度から多岐に渡って調査されたかつて資料だったものは、現在灰皿の中で消し炭と化している。

「この答えで、満足したかな?」

いっそ、冷酷とまで言える口調でレイが告げる。伊集院家の総力、とまでは行かないがそれなりに力を尽くした調査によって何も出てこなかったのだ。これ以上、心配することもないだろうというのが彼女の意見だ。その言い方に多分に問題はあるが。

「そうだな……やはり一点、気になることがあるのを除けば、な」

そして、そんなレイの考えを、伊集院家の調査を否定するような返事を返される。それがただの被害妄想や思い込みでなさそうだと感じるのは、それこそレイの思い込みか。

「一体、君は何をそんなに心配しているんだね? 彼女、藤崎君はそんなに狙われるような覚えのある生活を送っているのかね?」
「……それは、違う」
「じゃあ、何がッ!?」
「スマン。それは、言えない……」

言えない。公からすればレイが自分を陥れているそんな計画があるのだとすれば、だがとは既に思っていないが、しかし現在の自分の状況を説明して理解してもらえるとは思えない。自分なら相手に入院を勧めるだろう。
だが、レイからしてみれば公の額面通りに受け取るしかない。

「……信頼出来ないということか? 伊集院家が?」

人にはそれぞれ様々な事情があり、言えない事の一つや二つくらいある。それはレイにだって分かっているのだが、仮にも命を狙われると疑わなくてはならないような状況に立たされていて、そしてそれを解決できる権力を持っているはずのレイに何も言わないというのは疑われているから、信頼されていないからとしか考えられなかった。

「いや、これは俺の手で解決しなければならない問題なんだ……」

苦い顔でそう言って、公は席を立つ。そして、続ける。

「それに伊集院家はともかく、俺はお前、伊集院 レイのことは信頼してるぜ?」
「僕のこと…を?」

何を言われているのかわからないって口調でレイが返す。

「ああ。今だって、俺を…この場合は詩織のことか、心配してくれてるんだろ?」
「え? いや、これは……」
「理事長代理としての責務、ってか? そうじゃないだろ? そうかもしれないけど、それだけでもないはずだ。」
「う……」

レイとしてはなんとも言い返せない。図星のようでもあり、そうでないような気もする。この男、主人 公の雰囲気に飲まれているだけのような気もする。
そんなレイを置いて、公は理事長室を出て行こうとする。それを黙って見送るレイ。
扉を開けて出て行く直前、公は最後に振り返って、こう告げた。

「少なくとも、俺はお前のことは友達だと…友達になれると思ってるぜ? 今日はサンキュな、伊集院」




公は理事長室を出て、食堂に向かって歩いていた。この時間ではもう食堂で食事は無理なので購買で売れ残りを買うことになるだろうが。

(これで、放課後の行動は決まったな…)

結局、伊集院に色々調べてもらったが、決定的な事はやはり自分の手で成さなければならないようだ。

(それにしても、友達かぁ…)

最後にレイに告げたことに嘘偽りはない。ただ…

(なんで俺達、『前回』は友達になれなかったんだろうな……)

あそこまでツルんでて、結構バカやってた気がするのにお互い一線こう書くと語弊があるがを越えれなかったってことなのだろうか…、校庭をまるで雪のように舞う桜の花びらを見ながら思う。

「友達、か……」

その呟きは、図らずも理事長室で丁度同じように呟いたレイの声と共に、予鈴に飲み込まれて儚くも消えてしまうのだった。



[484] Re[9]:あの素晴らしい日々をもう一度 第十幕
Name: 流神
Date: 2006/03/19 17:10
「放課後だぜ、公っ!」

どこぞのいとこよろしく放課後になったことを嬉しそうに報告してくる好雄。『従兄妹』か『従姉弟』か悩んだが、ひらがな表記が公式らしい

「んなこと、いちいち教えてくれなくてもわかってるよ」
「公、ちょっといいかな?」

好雄の無駄な親切に対して報われない返事を返していると誰かが声を掛けてくる。誰か、と言っても公を名前で呼んでくる相手なんて目の前の好雄を除くと一人しかいないのだが。

「ん、詩織か。なんだ?」
「あのね……」

詩織は用件を述べようとして一旦言葉を切り、何事かと好奇心で目を輝かせながら様子を見ている好雄に視線を走らせる。

「あ~、俺、席を外したほうがいいのかな?」
「あ、うううん、別に構わないのだけど…」

視線に気付き、退席を提案する好雄にそれを制止する詩織。それを見て用件を想像してみる公。
2つ、3つ思いつくものはあったがどれも推定の域を出ない為、結局詩織の言葉を待つことになる。

「あのね、私、バスケットボール部に入部しようと思ってるの。それで、ね? 公も一緒に見学しに行ってみない?」
「見学?」

詩織の口から予想外の誘いが出たので戸惑う公。
詩織がバスケ部に入るのは『前回』と同様という意味で別段不思議はない。しかし、何故に公を誘ってくるのだろうか? 『前回』こそ公は詩織を追って同じ部活に入ったが、それは公の自主的な行動であり、詩織が誘ってくるようなことは一切なかった。…あったら喜んで入っていただろうが。
公の様子をみて勘違いした詩織は別に誘われたことに驚いている、という意味では勘違いという訳でもないのだが何か慌てた様子で言葉を続けてくる。

「べ、別に他意はないのよ? ほら、自己紹介のときにバスケが得意とか言ってたでしょ? だから、公もバスケ部に入るかなと思って…」

その説明に納得する公。確かに『前』の自己紹介ではバスケ云々は言っていない。『歴史』(?)が変わる原因と結果を見たような気がして何か酷く感慨深いものがある。実際には原因はそれだけではないし、さらに詩織が妙に顔を赤くしている理由までは察せなかったが。
しかし公の返事は色よいものではなかった。

「あ~、悪い。行けないんだ」
「おい、いいのか、公?」

それまでは詩織の様子を見てニヤニヤしているだけだった好雄だが、流石に公の返事を聞いて口を挟む。

「あぁ、詩織には悪いがちょっと用事があるんだ」
「用事? なんだよ、藤崎さんの誘いを断ってまで行く用事があんのか?」
「あ、あの早乙女君、別に私は…」
「藤崎さんは黙っててくれ。俺は女の子の誘いを断るヤツは許せないんだっ! 『愛の伝道師』としてなッ!!」

ああ、好雄らしいなぁ…、と苦笑する公に好雄は詰め寄る。

「で、何の用事だよっ!?」
「一言で言って『調べ物』、かな?」
「調べ物? …図書室か? 別にそれなら今でなくても…」
「いや、電脳部だ」


あの素晴らしい日々をもう一度


第十幕 VSマッドサイエンティスト




電脳部には魔女が住んでいる。そう主張し、公を止めようとする好雄を説得し、さらに詩織にバスケ部の見学には今度行かせてもらうと約束し、ようやく公が電脳部に向かうことが出来たのはそれから数十分後の事だった。

(魔女ね…。俺がその魔女に会いに行くって言ったら好雄はもっと止めたかな?)

好雄の言う、魔女の事を考える。それだけで背中に薄ら寒いものが走るのは『過去』の経験からか、噂の所為か。
昼休みのレイとの秘密の会合で得られた情報の中で真っ先に目に付いた物に『入学式の欠席者・退出者』があった。名前までは記載されていなかったが、仮にも高校の入学式を欠席する人間なんてそうはいない。そういう公は大学の入学式をサボったことになっているのかもしれないが。
欠席者1名。退出者1名。退出者の方は式の途中で貧血を起こし保健室に運ばれたらしく不審な点はないがさらに言えば公にはこの退出者の見当も付いているが、欠席者の方、しかも資料によると学校には来ていたのに式を欠席したらしい。伊集院家の調査の結果では『シロ』と報告されていたが…。
気になった公は5・6時間目の休み時間を利用して聞き込みを行ってみた。すると、労することなくその人物が浮かび上がった。さらには『彼女』を取り巻く噂話までてんこ盛りで手に入った。中には眉唾なものもあったがただ、『彼女』をよく知る公にはそれが全て真実だと分かったが

曰く、入学する『前』にそれまでの電脳部を壊滅に追い込み、今では自分が部長に納まっている。
曰く、『彼女』に知り得ないことなど存在しない。
曰く、巨大ロボットを開発している。

前の二つはともかく、最後のに至っては機密が漏洩しているような気がしないでもないが、ここはきらめき高校である。気にしたら負けだ。
ともかく、公自身『彼女』を前から怪しいと睨んでいた事もあり、またそうでなくても『彼女』の力を借りたいと思っていたところである。どちらにしても接触を持つ必要がある。
公は、相手を疑いながらも利用しようと考えてる自分が酷く汚れてしまったような、そんな気分に囚われるが、今から相対しなければならない『彼女』にはそんな甘い考えは通用しないと頭(かぶり)を振って打ち消す。仮にも魔女とまで謳われる、紐緒 結奈には。




とまぁ一頻り気分を高めたところで電脳部の部室の前に到着する。この部室棟には他にも文科系のクラブが入っているはずなのだが、人っ子一人いないような静寂が支配している。それが余計に緊張を高める。
『敵』とは言い過ぎにしても、結奈には公をこのような状況『過去』に戻るに追い込む動機、そして手段は十分にある。もしそうならその企みを暴き、潰えさせなければならない。他ならぬ自分の為に。
だが、逆に彼女が原因でなかった場合。その場合は彼女に公の現状を知られる事を避けなければならない。絶対に。もし彼女がその事を知れば公は間違いなく実験体サンプルとして扱われるだろう。生命の危険すらありえる。
もっとも、結奈がそんな与太話を信じるとは思えない実際、自分の身に起きた公でも未だに信じられないし、実は信じていないのだが、それでも用心してし過ぎるという事はない。ほんの二日間で何度かミスを犯してきた公だが実際には公が気付いている以上にポカやらかしているのだがそんな失敗を結奈の前でしてしまうのは致命的な事態に陥る。今以上に。
そんな事をつらつらと考え、気を引き締めなおすと公は扉をノックしようとする。

幸運

正に、運の成せる業だっただろう。公が『過去』の経験から彼女の行動パターンを推測出来た分を差し引いたとしても。単に『不幸のニュータイプ』なだけかもしれないが
公が扉に触れるよりも早く、扉が自動的に開こうとする。一般人なら自動ドアなのかと考え、そのまま佇んで待つであろうところを公は思いきり廊下に伏せる事で対応した。頭で考えた動作ではない、身体に染み込まされた条件的な反射だ。例え公の身体が3年前のものであろうとも。
その無茶な動作にほとんど忘れかけていた、治りかけていた筋肉痛がぶり返し両脚が小さく悲鳴を上げた。そして、その行動は哀しいことに正しく報われることとなった。伏せる公の頭髪を数本切り取って、『何か』が超スピードで通り過ぎたのだ。
物騒な音と共に飛んでいった『それ』が向かいの壁に当たって鈍い音を発てると同時に、どっと冷や汗が出てきた。当然、『何か』が通り過ぎる際の風圧で涼しかったから、なんて理由ではない。

「誰かしら? 入部なら現在お断りよ?」

そんな声が公の頭上から聞こえてくる。
公が視線を上げると、そこには制服の上に白衣を身に纏った女生徒が立っていた。声と同じく、冷たい視線で公を見下ろしながら。

「紐緒、結奈さん?」
「えぇ、そうよ」

とりあえず人と人とのコミュニケーションは自己紹介からだ。公としては分かりきっている事だが、彼女からすれば初対面となる自分に対する警戒を少しでも緩める為にそう言葉をかける。その効果は毛の先ほども見込めないが。
その返事を聞いた後、公は脚の痛みに軽く顔をしかめながら立ち上がる。目に見える汚れはないが、気持ち程度に身体を払う。そして、自分の紹介を続ける。

「俺は主人 公。ちょっと、紐緒さんに尋ねたいことがあって来たんだ」
「主人 公…?」

どうやら公が予想しなかったことに結奈は公の名前に聞き覚えがあったようだ。公の名を訝しげに口ずさんでいる。

「主人 公…。確か入学式で…、伊集院家…」

続いて、公の素性を思い出したようになにやら呟いている。生憎と公には聞こえなかったのだが…。

「いいわ、話は中で聞かせてもらうわ」
「えっ!?」

しばらくするとなにやら結奈の中でまとまったらしく、公を部室内へ誘う。が、これに驚いたのは公の方だった。
公としては結奈が初対面となる自分の話を素直に聞いてくれるとは思っておらずそれどころか時間を割いて会ってもらえるかどうかすら微妙だった、どうやってそこまで話を持っていくかを色々と考えていたのだ。結局いい案は浮かばず、『当たって砕ける(確定)』の精神で臨機応変に言い換えると行き当たりばったりに対応する予定だったのだが…。
そんな公の気負いとは関係なく、あっさり話を聞いてくれる気になった結奈。考えていた試練がなかったので肩透かしを喰らった気分になってしまう。もっとも、物理的な意味の試練なら一つ越えたし、本当の意味での闘いはこれからなのだが。

「何? 中に入りたくないのかしら?」
「いや、そんなことないよ。お邪魔させてもらうよ」

慌てて弁解する公をつまらなそうに一瞥すると、白衣を翻して部室に戻っていく。
その後に続こうとする公だったが、入り口にあるピッチングマシーン? らしき物体を見て、後ろマシーンの射出口が向いている方向を振り返る。
そこにはコンクリートの壁にめり込んだ『何か』が見えた。

(やっぱり、彼女なら照明を落とすくらいはやってのける…のかな?)

公は何とはなしに引き攣った笑みを浮かべながら結奈の後を追った。そのこめかみに流れる汗が全てを物語っていた。




電脳部の中はここが本当に他の教室と同じものなのかと疑いたくなるくらい様々な機械で埋め尽くされていた。幸い整理は行き届いているので足の踏み場もないなどということはないが、回りの機材で凄まじい圧迫感を感じる。ついでにコンピューターの管理の為か気温は肌寒いくらいだし、窓が塞がれているのに照明をつけていないため部屋が薄暗くなっている。光源といえば何台かのパソコンのモニターくらいだ。
等々、かなり一般人を拒んだ環境にある電脳部であるがしかも、この数日間でこの状況になったと言っても誰も信じないであろう公には見慣れたものだった。逆にこうでない電脳部にこそ違和感を感じるだろう。まぁ、つまりはそういう『過去』だったということなのだが…。
そんな狭い部屋にソファーなんぞあるはずもなく、公は適当にパソコンチェアの一つに腰を下ろす。密かに座布団まで敷いてあってなかなか座り心地がよい。

「何か飲むかしら?」
「い、いや、いいです」
「ちっ!」

結奈に飲み物を勧められて思わず敬語で答える公。つ~か、紐緒さんに飲み物勧められるなんて初めてですよ? そんなもの怖くて飲めませんよ? ついでに断ったら舌打ちされましたよ?
お茶を入れてくれる案外、それもロボットかもしれないが結奈を見てみたいと思わないでもなかったが、代償が大きすぎるような気がしたので止めておく。誰だ、世の中『等価交換』だなんて言ったのは
そんなやり取りの後、結奈もパソコンの前に座り公の記憶によるとあれは結奈専用機のはずだ何か作業を始める。その流れるようなタイピング音に聞き惚れていた公に結奈は用件を聞いてくる。

「それで、何を聞きたいのかしら?」

その間、その視線はモニターから離れることはない。非常に失礼な対応だが、公には慣れたものだ。特に気にせず問い掛けることにする。本音を言えば表情の動きを読み辛いのか難点だが。

「昨日、入学式のことだけど…どうして欠席してたのかなって。学校には来てたんでしょ?」

その公の質問を聞いて、結奈は手を止めて公を見る。その表情は…呆れ、か?

「わざわざ何を聞きに来たのかと思えば…。あなた、そんな事でこの私の時間を無駄にしに来たの?」
「そんな事って…。俺には大事なことだし、それに入学式を休むなんて大事だと思うけど?」

その公の返答に結奈は溜息をついて間違いなく呆れているのだろうそれでも公に答えてくれた。

「その理由があなたに何の関係があるのか私には見当もつかないのだけど。…ちょっとした発見があって、それの解析で忙しかったのよ」
「発見?」
「そう、発見。あの日、4日の6時半頃かしらね。きらめき市のほぼ全域に渡っておかしな反応が検出されたのよ。今もその解析を続けているんだけど…」

結奈にしては信じられない事に、公の質問に対してかなり突っ込んだ説明を返している。自分の作業をなんとなく誰かに話したかったのか、それとも解析作業が上手くいかなくて愚痴りたかったのか、…公の持つ雰囲気がそうさせたのか。
と、そこまで言って結奈自身も自分のしている事の無意味さに気付く。公にこんなこと説明してもなんの意味も為さない。ナンセンスだ。

(私もヤキが回ったものね…)

確か、最後に眠ったのは3日前だっただろうか…? 予定外の作業が入ったせいで徹夜が続くことになってしまったのだけど…などと結奈が自嘲を交えながら思い返していると、公から続けて質問が飛んでくる。

「…6時半って、朝のだよね?」
「ッ、えぇ、そうよ?」

物思いに耽っていた所為で結奈の反応が遅れる。咄嗟だったので疑問も抱かずに答えたが、一言付け加えておくことにする。

「でなければ入学式には出れたわ」

しかし、その一言は公の耳に届いていなかった。結奈の言う『おかしな反応』に心当たりがあったので。
結奈がどういう手段を使ってかは知らないがきらめき市に各種の『目』を配置しているのは知っている。彼女の言う世界征服の為の足掛かりだそうだ。
それが検知したというのなら、そうなのだろう。その程度には信頼性が高い。しかも、『紐緒 結奈』が知りえないような反応を。
ついでに発生した時間だ。確か、その時間は…

「紐緒さん、端末借りるねっ!?」

結奈にそう断って目の前の端末に向かう。電源を入れる必要はなく、スタンバイモードで放置されていたようだ。

「ちょっと、待ちなさい! それはあなたには…」

使えるはずがない、結奈はそう続けようとした。この部屋にあるPCには彼女が独自に開発したOSが入っている。それは今までの市販OSとは一線を画した彼女の会心の作で、…だからこそこれまでの既存OSとも扱い方が一線を画す。それを一見で使えるはずないのだ、彼女以外の人間に。
だが、結奈の目の前でそれは否定されていた。
確かに彼女と比べると、そのタイピング速度といい、OSの使いこなし方といい、段違いに劣るものだ。だが、開発者自身は別格として、その手付きは『使い慣れている』と称してもかまわないものだった。

「あなた、一体…」




結奈の前で不審な態度を取らない。公は部室に入る前にそう自らに課していた事などすっかり忘れていた。今、目の前に自分の置かれた状況の手がかりがあるかもしれないのだ。これが結奈の考えた罠である、なんて考えも思いつきもしなかった。
市内の廻らせてある『目』のデータを抜き出す。反応の種類・種別共に『UNKNOWN』。計測出来なかった物を後から後から再計測するのは不可能だろう。現物が手元にあるならまだしも。
続けて、発生位置を航空地図と重ねてモニターに表示する。確かに結奈の言うように市内全域に反応がある。その規則性も特に認められない。この情報だけでは何も割り出すことは出来ないだろう、結奈のように。
だが、その情報に一つの条件を追加する。

収束地点――主人宅

仮定、あくまでも仮定に過ぎない。この『現象』が公の身の上に起こっている事象に関係あるなんて。だが、少なくとも公が知る限り、『過去』においてこんな『現象』は発生していなかったはずである。もっとも、公が知らなかっただけという可能性が高いことは否定できない。
この無作為にしか見えない点の集合に対して収束地点を設定し、そこから発生地点を割り出す。そんなことが出来るはずもない。普通のOSに普通のPCでは。
しかし、ここにあるのは電脳部の魔女、『紐緒 結奈』の開発したOSに、彼女自身がチューンを加えたPC群である。何よりこのOSの真の機能として、一つの処理を複数の同OSマシンで完全並列に行うことが可能である。謂わば、部室の全PCを一つとして扱えるのだ。噂によると軍事衛星すらハッキング可能らしい。出来ないはずがない。
かくして、部の名称に相応しく部室内全ての電脳を使用し、全ての演算を終えたPCが彼の目の前のモニターにその結果を出力する。
その発生地点として印が付いている地点は…

なんとなく、納得した。有り得ないとも思う。だが、今はこれしか手がかりがないのだ。今くらいこの結果を盲信してもいいのではないかと公は思った。
最後にもう一度だけ確認して、演算結果のデータを破棄する。これを結奈の目に触れさせる訳にもいかないから。

「ありがとう、紐緒さん。助かったよ」
「そ、そう…」

何となく公に気圧されている結奈。返事もはっきりしない。
そんな結奈の様子を不思議に思いつつも、公の心は既にここにはなかった為、早々に部室を去ることにする。

「俺の用事は済んだから、これで。今日はほんとにありがとう。今度、何か俺に出来ることがあったら言ってよ。それじゃ」
「えぇ」

勢いで口走っている公。後にこの発言を深く後悔することとなるのだが…。
そんなこと今の公に知る由もなく、早足で部室を出った。




主人 公。入学式で照明が落下するという事故から藤崎 詩織を助け、何かしら伊集院家とも繋がりを持つ男。ついさっきまでの結奈の認識はそういったものだった。それも彼女の『情報網』から得られた知識に過ぎなかったのだが。
部室に招いたのも伊集院家からのちょっかいだろうと思って、下手に追い返すよりは探りを入れた方が妥当かと判断した為だった。
だが、その認識はこの数十分で大きく変えさせられることとなった。

部屋に入る前に鉄球が飛んできて、それを避けるのも然ることながら、そのことに一言も文句をつけないなんてどういう神経なんだろうかそういう罠を仕掛けている結奈にも多分に言えることだが
結局質問といっても結奈が入学式を休んだ理由を聞いたのみ。伊集院家が手を回してどうこうする様子もないようだった。
使えないはずのOSを使用し、さらには電脳部内の全ての演算機を使いこなしていたようだ。
件の『反応』にしても、残念ながらその作業内容は結奈の位置からは見えなかったが、公の様子から察するに結奈には分からなかった何かしらの結果を得たようである。そもそも、『目』のデータをあんなにあっさりと部外者が抜き出せるはずがない。

「面白い、面白過ぎるわ。主人 公…」

結奈の目は獲物を狙う肉食獣のような色に彩られていた。
去り際に彼は「何か俺に出来ることがあったら言って」と言っていた。これを利用しない手はないだろう。
公をどうするのか、どうしたいのか。その為に採る手段は…。結奈はあれこれと考えるのが…。

「でも、とりあえず…」

立ち上がって、部室の出口に向かう。

「トラップを再セットしようかしら」

死者が出ないことを祈る。



[484] Re[10]:あの素晴らしい日々をもう一度 第十一幕
Name: 流神
Date: 2006/03/19 18:12
――始まりがあれば終わりがあるように、出会いがあればまた別れもあるのです

何時の間にか空が真っ赤に染まっていた。公が思っていた以上に時間を喰っていたようだ。
詩織と、ついでに好雄を説得する時間が余分だったと言えば余分だ。

――永遠に続く二人の関係、それはどんなに幸せなことでしょう

公は自然と早足になる。電脳部の部室を出るときからそうだったのだが、今では小走りとも言える速度になっている。多少、脚の痛みが気になるが。
もしかすると今の不安定な状態を説明できる原因が見つかるのかもしれないのだ。無理からぬ事なのかもしれない。

――ここ、きらめき高校には一つの伝説があります

今まで公には意識的に考えないようにしていたことがある。今の公自身の状態に関することで。
もしかすると、自分は所謂『ループ』と呼ばれる状態に陥ってはいないだろうか? もし、そうなのだとすれば公は高校の3年間を永遠に繰り返すこととなるかもしれない。
それはとても恐ろしいことに違いない。人による気がしないでもないが

――校庭の外れにある一本の古木

そんな公を考え過ぎだと笑うのは酷である。彼自身のある意味での気楽さによって助けられてる部分が多いが、実際恐慌に陥っても仕方がない状況に、彼はいる。そんな考えの一つや二つ、浮かばない方がおかしい。
それに『何が起きているのか分からない』ということは『これから何が起こるのか分からない』という事にも繋がりかねない。今のこの状況が安定しているのかなんて、誰にも分からないのだ。

――その袂で卒業の日に女の子からの告白で生まれた恋人達は永遠に幸せな関係になれるという

だから彼は急ぐ。例え微かであっても希望を求めて。
かつて『永遠』を望んだこともある公にとって、それは皮肉なのだろうか?

――伝説が

その場所が『伝説の木』であったのは。


あの素晴らしい日々をもう一度


第十一幕 あの素晴らしい日々をもう一度




公が伝説の木の袂に辿り着いた時にはすっかり息が上がっていた。相変わらず軟弱な身体に舌打ちするのも忘れ、公は目の前の大樹を見上げる。
夕焼けの中に佇む樹は、昼間見るのと異なりなんだか寂しそうに見えた。夕日が生み出す寂寥感のせいだろうか。
息が整うまではそうやって樹を眺めていたが、一息つくと春先とは言え流石に身体が冷えてきた。いつもまでもここで眺めている訳にもいかない。
…かといってどうすればいいのだろう? 公はここの事を知って衝き動かされたように走ってきたが、かといって「こうすればいい」なんて明確な手段を持っていた訳ではない。
急に『伝説の木』が輝き出すようなファンタジックな展開や、見知らぬ誰かがいて公の身に起こった出来事を一から解説してくれるようなご都合主義を期待していたわけではない。…していたのだろうか?
ともかく、怪しい場所が特定出来てもそれに対して取り得るアクションがなければどうしようもない。公が嘆息して樹に手を付くと

――意識が、暗転した




公の目に入ったのは白と黒のコントラスト。
逆光の所為か、目の前の風景は光の部分である白と、影となっている黒でのみ構成された世界だった。

(ここ、は…?)

一瞬、立ち眩みのような気分に襲われたかと思うと目の前の様子が一変してしまったので、公は混乱に囚われた。だが落ち着いて回りを観察してみると、自分は未だ『伝説の木』の側にいることが分かり安堵する。ただ、先ほどは手を触れられるほど近くにいたはずなのに、今は樹とその周辺を視界に入れられるほど離れた位置にいるという違いはあったが。
いや、違いはもう一点あった。

(人…がいる? 女の子…? きら高の生徒みたいだけど……)

『伝説の木』の袂、そこに一つの人影があった。
遠目には、ついでに黒一色でしか見えない為に細かなことまでは分からないが、公が感じたようにその人影はきらめき高校の制服に身を包んだ女生徒のように見受けられた。

――校庭の外れにある一本の古木

いつか聞いた、きらめき高校に伝わる伝説。
そう、今、公の目の前の情景は伝説の一説なのだ。校庭の外れにある一本の古木、その袂で待つ女の子。多分今日は卒業式の日であり、『かつて』の公の教室3年A組に行くと黒板には「さよなら! きらめき 3-A一同!!」などと書かれている事だろう。見慣れた、親友の少し歪んだ字で。
何故だか分からないが物語の舞台設定あらすじを読むかのように、そう公には理解できた。
ついで、もう一つ理由もなく分かったことがある。


あそこで待つ少女は、公のよく知っている女の子であること。


途端、公は強い焦燥感に駆られる。彼女の元に駆けつけて、聞かねばならない言葉がある。伝えなければならない想いがある。
同時に公の中にはもう一つの感情も生まれていた。早くこの場から立ち去れ。今更彼女と何を話す必要がある。『あの時』、俺が選んだのは……。

しかし、公がどんな風に考え、決断を下したとしてもそれは意味を為さなかった。
実際には彼は身動きが取れなかったし、声すら絞り出すことも叶わなかった。まるで公の身体がこの場にないかのように。
だが、彼の視線、それだけは魅入られたように彼女から、そして『伝説の木』から離すことが出来なかった。




……どれほどの時間が過ぎたのだろう。相変わらず公の目に映る景色は白と黒のみで構成された、灰色すら存在の許されない世界であり、その風景から時間の経過を計ることは不可能であった。
唯一、彼女の様子から人を待つには絶望的とも言える時間が経過したことだけは分かった。それを理解する事は公にとっても理由のない痛みを伴うものであったが。

彼女が『誰か』を待つ間、公とて無為に時間を過ごしていたわけではない。まず、何とかして自分の身体を動かそうとしどのように動くにせよ、また公の知り合いそんな曖昧な単語で括れるような関係であったかも明瞭ではないのだがらしい彼女の特定を行ってみた。
しかし、結果から言うと、そのどちらもが徒労に終わった。
身体の方は『石のように固まった』とかであるなら根性でそう、「根性よっ!」だ動かすことも出来るのかもしれないが、前述のように身体がないかのよう、自分の身体の感覚が感じられないのだ。例えるなら自分が意思だけの存在となったかのように…。なので、公は早々に努力を放棄した。後で虹野さんに折檻されそうだ。
彼女の特定も、いかんせん距離があり過ぎるために細かい特徴が掴めない。身の丈や髪の長さだけでもかなり絞り込みが行えるのだが。また、公の知る誰彼を想像してみたが、『誰』でもあるようでいて『誰』とも違っているようにも思える。結局、こちらも断念せざるを得なかった。

そうして公が自分の惨憺たる戦果を振り返っていると、彼女の挙動に変化が現れた。

(諦めたのか…)

これ以上待ったとしても待ち人は来ないだろう。それは公の目から見ても明らかであったし、他の誰も待つ事を諦めた彼女を責めることはないだろう。ただ、公にはそのことが酷く哀しく感じられた。それもまた、先ほどから繰り返し公を襲う説明の出来ない感情であったが。
しかし、少女は諦めたのではなかった。今まで俯いていた顔を決然と上げると、駆け出していった。公には、それが待ち人を探しに言ったのだと分かった。

(そっか、強くなったんだな…)

彼女が誰であるか分からない、だが公の胸の内にそんな言葉が浮かび上がってきた。その去り行く背中を見送る公の眼差しは優しかった。




それからどれくらいの時は経ったのか分からない。先ほど、少女が木の下で待っていた時間よりも長い様に感じた。だが、どれくらい長かったのかは分からないし、もしかすると一瞬だったかもしれない。
少女が帰って来た。俯き、重い足取りで。探し人が見つからなかったか、もしくはそれ以上の事があったのか。表情を見ずとも落ち込んでいる事はその醸し出す雰囲気だけで察することが出来た。そして少女は今一度、木の袂に戻ってきた。
公の見ている前で観客がいるなんで気付いていないだろうが彼女は暫し俯き続けた後、顔を上げて『伝説の木』を見上げる。樹に片手を付いて。彼女が囚われている感情は、諦観か、悲哀か。その表情が見えないことが悔しい。

そして、彼女は願う。始まりを告げる、魔法の言葉で。

「あの……日々を、もう……、…と」

その言葉が公に、はっきりと聞き取れなかったのは何かしらの意思が働いた結果だったのだろうか? しかし、十分だった。その声だけで。

「………っ!!」

公は『彼女』の名を、呼んだ。

――暗転




「痛……ッ!」

何かが顔に当たったようだ。大して痛みはなかったのだが、公は反射的に声を上げてしまった。
目の端に映る黒い影を無意識のうちに手の中に収めていた。反射神経万歳。

「木の実…」

開いた掌にあったのは小さな木の実だった。頭上の『樹』から落ちてきたものだろう。『伝説の木の実』というヤツになるんだろうか? そもそも『伝説の木』って何の木なんだ、なんて益体もない事を延々を考えてしまう。
この木の実で我に返れたが、どうやらここに来てから意識が『跳んでいた』ようだ。西の空を見ると既に夕日がほんの少し顔を覗かせているに過ぎない。空はほぼ闇色に侵食されている。

「疲れてるのか…?」

呟いてみてから、自嘲する。そりゃそうだろう。昨日からおかしな事続きで精神的にも肉体的にも疲労もしよう。こんな症状が続くようならホントに心配しないといけないかもしれない…。
と、そこまで思ってみて、公は今の自分の心境を不可解に感じる。確か、ここに来るまでは自分の身の上に起こっている事態で一杯一杯になってたハズだった。その解決の糸口を求めて、藁にも縋る思いでここに来たのではなかったろうか。
だが、今の自分の気持ちはというと、その事に対しての不安感はなく、代わりに何に対してか分からない罪悪感や哀しみ、そして……期待が心を占めている。
公は自分が気分屋だと思ったことはないが気分屋でないとも思ったこともない、こうも短時間に気持ちが変わると自分が信じられなくなる。

「夢でも、見たかな…」

意識を失う前から付きっぱなしだった手木の実を取った方とは逆の手だで、樹のゴツゴツした表面を撫でる。
ここに来て何一つとして解決していないのに、何かどうでもよくなったというか、吹っ切れたというか。兎に角、なんとかなりそうだ。そんな気持ちにさせてくれる。
何となく、頭上の『伝説の木』を見上げる。すると、自分でも意図しないうちに言葉が滑り出てくる。

「あの素晴らしい日々をもう一度、か…」

その時、誰かの顔が公の脳裏に思い浮かんで、消えた。そしてそれはもう二度と、雲の切れ端のように掴むことは出来ないのだった。




こうして、公の不安と期待の高校生活が再び始まった…。




"That Wonderful Days, Again" Chapter 1
――closed.




[484] Re[11]:あの素晴らしい日々をもう一度 第十二幕
Name: 流神
Date: 2006/03/19 18:26
ノックの音がした。

「誰か?」
「外井です。例の報告書をお持ちしました」

これからプライベートな時間を過ごす予定だった部屋の主は暫く考えた後、答えを返す。

「入れ。鍵は開いている」


あの素晴らしい日々をもう一度


第十二幕 寸劇Ⅱ・Floating mines!




「あぁ、もう着替えていらしたのですか。申し訳ありません」
「かまわない…かまわないわ。」

謝罪された側伊集院 レイは口調を女性のそれに切り替えて答える。
謝罪した側外井 雪之丞も彼の主が承知の上で招き入れたのだろうと理解していたので、儀礼上そう述べたに過ぎず、別に部屋を出ようとすることはない。

「それで?」
「はっ。こちらが報告書になります」

恭しく数枚の紙を差し出す外井。だが、レイはそれを手に取ろうとしない。

「読み上げて頂戴」
「はっ」

突然のレイの要求にも淀みなく答える外井。基本的に彼はレイの秘書のような立場にいるため、このようなことは日常茶飯事である。

「それでは、主人 公の素行及び人物・身上・身元調査の結果を報告させて頂きます」




分かりきっているはずの公の氏名や学校・学年から始まり、生年月日、住所や電話番号、家族構成や家族の職業まで報告される。

「以上のように対象の身辺にいずれかの組織の影は見えません。もちろん、伊集院家の関与もありません」
「そう…」

納得したのかしてないのか、レイが気のない返事を返す。
その様子を気にした風もなく、外井は報告を続ける。

「あと、交際をしている異性などは存在していないようです」『など』って何だよ。あと同性はいるんかい
「そうなの?」

今度は分かりやすい反応が返る。深く腰掛けていたソファーから身を乗り出しているほどだ。レイにしては珍しいリアクションといえる。
流石にそんな主の様子に筆頭執事は怪訝そうな声をかける。

「どうか、されましたか…?」
「いえ、私はてっきり…。あ、何でもないの。続けて」

そう答えて、座りなおす。
それを見て納得したのか外井は先を続ける。いや、多分納得してないだろう

「続けて、対象の成績についてですが…」




「わざとではないわね…」

暗い室内にモニターの光に照らされた人影の呟きが響く。
周りには誰もいないはずなのに、誰かに解説するかのように人影紐緒 結奈の声が続けて聞こえてくる。

「この答案用紙に書かれた解答。わざと空欄にしたり、間違えたりしてるのではないかと思ったけど…」

そう言って、手にした紙切れ答案用紙だろうを光にかざしている。そうすることによって何かが浮き出てくることを期待するかのように。
その答案用紙の名前の欄には『主人 公』と書かれている。

「手間ではないといっても、わざわざ入試の解答用紙を入手したのに…」

結奈は興味を持った公の事を調べる為に色々と情報を集めていた。その中の一つ、入試での成績に気になる点でもあったのか、わざわざ彼の答案用紙まで入手したのである。
といっても彼女は物理的な手段に訴えたわけではない。
ここ、きらめき高校は出資者伊集院家の関係上、伊集院家が推し進めている「次世代のデジタル化社会に対応した地域づくり」とやらのモデル校となっていた。これはきらめき高校のみならずきらめき市全体が対象となっているのだが。
その一環として、きらめき高校では生徒の成績をコンピュータで管理しているのはもちろんのこと、各人の答案のイメージデータまでデジタル化して保存しているのである。教師達の間からは余計な手間がかかるとクレームが多いようであるが…。
まぁ、そういった理由で『魔女』たる結奈には非常に融通の利きやすい世界になりつつあり、解答用紙のデータの入手も行えたのである…かといって彼女が語るほど大したことでないわけではない。
天下の伊集院家の管理するシステムに対してクラッキングを仕掛けているのである。今のところ白星だけを飾ることが出来ているようだが…。
閑話休題。

続けて結奈は公の中学時の成績を調べている。もっとも、きらめき中学はこのようなシステムを導入していなかった為、きら中から上がってきた内申書しか手掛かりがない。
結奈が公の成績を事細かに調べているのは彼の授業態度に原因がある。彼女自身が見たわけでなく、彼女の『目』の記録を視たのだが。
高校の授業というものは結奈自身には何ももたらさないとしても、全ての人間が彼女でない以上、それなりに真面目に受ける必要があるものであるということは認識している。そしてそれは主人 公においても例外ではないだろう。
だが、彼の授業態度というのは…なんと言ったらいいのだろう? 不真面目ではない授業中に寝るなんて有り得ないのだが、かといって真面目かと問われると返答に困ってしまうような。そのくせ、教師に当てられるとあっさり回答する。特に難しい問題でもないので当たり前といえば当たり前だが。
別段気にすることのない事なのかもしれない。ただ、結奈には彼の様子に思い当たる節があった。
よく、似ているのだ。彼女が授業を受ける様に。既に分かりきっていることをもう一度学ばねばならないような人間の態度に。その様子は予習を済ませた程度のものではなく、一般人彼女の言い方を借りるのであれば愚民で例えていうのであれば高校生が中学生の授業をもう一度受けているような…。

「結局、定期試験でもないと分からないわね」

結論、そういうことだ。現状では判断材料が少なすぎる。
とりあえずこの件については保留しておき、次は公の日常の様子から考察を始める結奈だった。




「朝6時起床。柔軟・筋肉トレーニングの後、マラソン。筋トレの回数・マラソンの距離は徐々に上げているようです」
「へぇ、主人君がそんなことしてるだなんて…。彼、部活はしてなかったわよね?」
「はい。それについては後ほど別に報告すべきこともありますが…」
「順を追ってでかまわないわ。それで、貴方の目から見て主人 公のトレーニングはどんな感じかしら? 外井」

外井の強い要望があり、ここの監視に関しては彼一人によって行われている。

「そうですね。運動能力の測定結果から考えるに多少無理をしている感があるものの、十分理に適った運動量だと思います」
「運動能力の測定? そんな事、何時行ったの?」
「先日、体育の時間に行われたものです。レイ様は休まれておられましたが…」
「そう、ね…。私は、体育は受けれないものね…」

レイの顔が一瞬、歪む。それを見た外井は胸中苦い思いが沸くが、それを顔に出すことはない。それは彼の主を侮辱にこそなれ、何の助けにもならないからだ。
その様子に気付かなかった振りをして話しを続けることが彼に出来る唯一の行動だった。

「それで気になったことなのですが…、その…」
「どうしたの? 貴方が言いよどむだなんて」
「はぁ、これは完全な私見になってしまいますが…」
「いいわ。私が、貴方の意見を聞きたいと言ったのよ?」
「では…」

そう言って、外井は一拍間を置く。

「手馴れ過ぎている気がするのです。筋トレやマラソンのフォームが」
「部活もしていないのに、ということ?」
「それもありますが、聞き込みから判断するに対象がこれらのトレーニングを始めたのは調査の直前のようなのです」

当然、公の監視に留まらず、彼の周辺への聞き込みなども行われている。無論、プロによるものなので聞かれた本人達は世間話くらいにしか思っていないだろうが。

「始めてすぐなのに手馴れているのはおかしいと…。でも中学で部活していたのかもしれないし、本なんかで…」
「いえ、対象は中学時には部活はしておりません。確かに本人の自己紹介ではバスケをしていたと言っておりますが、それを裏付けるものは見つかっておりません」
「そういえば、そんな事も言っていたような…。でもお遊び程度だったってことなのかしらね?」
「それは何とも。あと書物を参考に、という線ですが、少なくともきらめき市内では対象がそのような関連の書物・雑誌を購入した記録はありません」

前述の「次世代のデジタル化社会に対応した地域づくり」によってきらめき市ではPOSシステムPoint of Sales System・いわゆるコンビニのバーコード読んで何が、いくつ売れたというのを管理するシステムによる商品の一元管理が行われている。正確にはそれをもう一段拡張したものだが。これも一般の商店からはとても評判が悪い。

「きらめき市内では、ね…。でも別のところで買った可能性はあるわけか。お隣の、ひびきの市へのシステムの導入は…」
「メイ様があちらに通われるようなので、来年度には」
「そうだったわね。……でも、正直私は好きになれないわね、こんなシステム。学校のものも含めてね。これじゃ、体のいい監視じゃない。それに今度は街の各所にカメラを設置して写真を…」
「レイ様っ!」

外井が大きな声を上げたため、そこで言葉を切るレイ。外井の表情は険しい。

「レイ様。レイ様がどのように思われていたとしても、使用人の前ではそのように伊集院家の方針に異を唱えるような真似はしてはなりません」
「……そうね。ごめんなさい、外井」
「いえ、私の方こそ口が過ぎました。お許し下さい」

気まずい雰囲気を裂くように外井が言葉を続ける。

「フォームに関しては私の気にし過ぎかもしれませんし、ここで保留と致します。それで対象の行動ですが、トレーニングの後、牛乳200mlを一気呑みします」
「…えぇと、それに報告するような特異な点があるの?」
「普通の牛乳ではなく、私特製のプロテイン入り牛乳を差し入れしたいと思いまして。さすればっ! 主人様にッ!! より一段と輝いた筋肉がぁッ!?
外井 雪之丞
「はっ?」

レイの、身を切るほど冷たい声で外井が我に返る。

「止めてね?」
「はっ」

外井一人の監視体制は止めようと思うレイだった。




「主人 公を語る上で外せないのが、藤崎 詩織ね。特記事項、幼馴染…」容姿端麗、清廉潔白、一撃必殺…等は省かれてるらしい

相変わらず光源が目の前のモニターしかない暗い部屋電脳部部室で結奈の独白は続く。それは常に一人だった彼女の孤独故の癖なのだろうか?

「登校は入学式翌日を除いて別々だけど…。多分、部活に所属しているか否かで登校時間がずれているからであって、時間があってたら一緒に登校しているんでしょうね…」

何が楽しいんだか、なんて気持ちを言外に込めて呟く。

「放課後は…毎日のように藤崎 詩織が主人 公を部活の見学に誘う。そして毎日のように断られている…と」

そこまで読んでモニターから目を離し、伸びをする。

「毎日誘う藤崎 詩織も藤崎 詩織だけど、主人 公もなんで見学くらい行かないのかしらね? バスケが得意とか言ってたらしいのに」

所詮、人の行動なんかは記録することは出来るが、その心の内までは見通せないということだろうか。などと結奈らしくない事を考えてかぶり)を振る。

「何にしても、こんな調査書自体が伊集院家に存在している以上、彼は…主人 公は伊集院家と何らかの繋がりがあるということなのかしら…?」

繋がりがある人間の事をこうやって調べ上げるのは不自然な気もするが、事実として主人 公は入学式とその翌日に伊集院 レイと密談を持っている。残念ながらその内容までは結奈には分からなかった。
と、その時、入り口の方から例えるなら鉄球が何かにぶち当たるような音例えでもなんでもなく、そのままなのだがが聞こえた。
結奈は悠然と立ち上がって、現場に向かう。
と、そこには結奈の思っていた通りの風景が広がっていた。この前の主人 公が転がっているような場面の方が例外だ。
より抉れた壁と、壁にめり込まずに転がっている鉄球と、……三本の爪痕と。

「やっぱり、この程度じゃヤツらには効かないみたいね」

そう呟いて、ニヤリと嘲笑った。




「あと、先ほど組織の関与はないと申し上げましたが、この対象に関する情報を…多分、この報告書の事も含まれますが…『彼女』が調べまわっているようです」
「『彼女』…紐緒 結奈さんね」
「はい」

レイの回答に外井が肯定してみせる。

「一体、主人君は『彼女』とどういう繋がりがあるのかしらね?」
「レイ様と理事長室で会った後、『彼女』の事を調べ、会いに行ったようです」
「その時までは知り合いではなかったけど、知ってはいたってこと?」
「対象に見せた事故の調査書には『彼女』の名前は出ていませんでしたから」

そこまで話してお互いに黙り込んでしまう。結局、情報が少なすぎるということだ。

「しかし、『彼女』に伊集院家の情報が漏れているのは何とかしないといけませんね…」
「そうね…。でも『彼女』は優秀なハッカー…いえ、クラッカーらしいから。メイにでも情報部門を任せれば大丈夫かもしれないけど…」
「……ですが、メイ様が情報部を、ひいては情報の全てを握られるというのは……」
「………」
「………」
「………外井、発言が不穏当です」
「………はっ」




『…って、とこだな。他になにかあるか?』
「ハックションッ!」

好雄の問いに対してクシャミで返事をする公。

『おいおい、風邪かぁ? 俺に感染すなよ?』
「残念ながら馬鹿は風邪ひかないらしいから無理だ」

お互い電話越しに軽口を交わす。電話越しでは感染しないだろ、って面白味に欠けるツッコミはしないらしい

「用件も済んだし、そろそろ切るよ。サンキュー、いつも悪いな、好雄」
『なーに、いいってことよ。女の子の情報なら俺に任せてくれよ。それにギブ&テイクだしな。お前も何か情報あったら俺に教えろよっ!? 特に詩織ちゃんのこととかなッ!』
「分かったって。じゃな」
『あぁ、お大事な~』

本人のいないトコだと詩織ちゃん呼ばわりの好雄に内心ツッコミを入れながら公は電話を切る。
好雄との電話が終わった後はいつもとても静かになったような気がする。そしてそれは間違っていない。

「それにしても…くしゃみ1回はいい噂、だっけ?」

窓際に置いてある鉢植えに話し掛ける。窓の向こう側には幼馴染の部屋が見て取れる残念ながら(?)カーテンは閉まっているが。
そうは言っていても、先ほど背筋を走った悪寒は残念ながらそれを肯定してくれないようだった。



[484] Re[12]:あの素晴らしい日々をもう一度 第十三幕
Name: 流神
Date: 2006/03/19 18:33
新入生の部活見学や上級生による勧誘は4月、それも上旬が一番活発である。
きらめき高校はその自由を尊ぶ校風なんてものを持ち出すまでもなく、制度上はいつでも過去一年以内に退部したことがない限り各クラブに入部することは可能であるが、実際に途中から入部するのは「転校生」やら「スカウトされた者」、または「よっぽどの変わり者」ぐらいのもので、どの部の部員も大多数どころかほとんど全員一年の四月入部生で構成されている。
また、新入生の歓迎会は大体4月の中旬、遅くても5月上旬の所謂ゴールデンウィークには行われ、これから苦楽を共にしていく若干の脱落はあるにしても先輩・後輩と親交を深める。そんな催しのせいもあって、それ以降に入部してくる者は部外者として扱われがちなのである。

物語はそんな連休も過ぎた5月の平日から始まる。


あの素晴らしい日々をもう一度


第十三幕 あ~・ゆ~・れでぃ?




チャイムの音と共に教師が教室を出て行き、残された生徒達はその開放感に酔いしれる。ようやく今日の授業が終わったのだ。
これからは帰宅する者、寄り道する者、部活に打ち込む者、各人が思い思いに時間を過ごすこととなる。
そんな中、公は帰り支度を始めていた。当然「置き勉」などせず、教科書の類は全部持って帰ることにしている。全て鞄に詰め終え、ジャージの入った袋と合わせて持とうとしたところで待ちかねた好雄が声をかけてくる。

「まだか~、公?」
「今終わったトコだよ。さ、帰ろうぜ」
「まったく何で毎日教科書なんか持って帰るかねぇ…?」

見るからにペッタンコな鞄を持った好雄が不思議そうにぼやいてる。
「予習と復習のため」と正論を返してやってもいいのだが、好雄に言っても無駄だし、何より公自身がそれを行っているわけではなかったのでサボっているのではなく、少なくとも「今は」必要がない為だ曖昧に笑って流すことにした。
と、そんな公の思考を呼んだかのように声をかけてくる者がいた。

「予習と復習のためよ、早乙女君」

その声に振り向くと、そこには公の幼馴染が立っていた。

「あ、藤崎さん」
「詩織…」

さすが優等生。俺に言えない事を平然と言ってのけるッ! そこにシビれる! あこがれるゥ! …などと思ったか思わなかったかはさておき、何故か苦い顔をする公。無意味に彼にとってはかわいい女の子に話し掛けられたというだけで十分意味をもつのだろうが嬉しそうにしている好雄とは対称的だった。

「藤崎さん、今日も?」
「えぇ。グズグズしてるうちにゴールデンウィークも終わっちゃったし、今日こそは何としても来てもらわなくちゃっ!」

詩織が妙に力の入った様子で答える。二人の会話からこれが恒例の出来事であることが窺える。
ただ、何が詩織をそんなに一生懸命にさせるのかが公には分からなかったが。

「悪い、詩織。今日はこれから好雄と用事があるんだ」

何か言われる前に先手をとった公がそう発言する。どうも、詩織の用事とは公に関係した事らしい。
ちなみに公の用事云々は本当である。昼休みのうちに放課後、寄り道して帰ろうと好雄から話を持ち掛けられていたのだ。

「えっ、そうなの早乙女君?」
「いや、スマン、公。別に用が出来たんだわ、俺。だから今日の件はキャンセルって事で」
「はぁ? キャンセルって…」

突然そんなこと言われて虚を付かれた公だったが、好雄のいやらしいまるで罠に嵌まった獲物を見るような笑いを見た時、公は気付いた。

「ハメやがったな、好雄…」
「いやいや、悪いと思ってるって。今度埋め合わせするって」

微妙に噛み合ってない会話を交わす二人。それも好雄が意図してのことだったが。
その好雄を半眼で睨みつけている公に、満面の微笑みで詩織が聞いてくる。

「じゃあ、放課後は暇なのよね、公? それじゃ…」
「いやいやいや、ボク、家に帰って宿題しないといけないし…」

好雄なんぞにガンくれてる場合ではないと、慌てて弁解する。が、悲しいかな、その口調は激しく棒読みである。内容もどこぞの小学生レベルの域を出ない。

「あら、課題はどの教科でも出てないはずよ? それに、早乙女君の用事に付き合うつもりだったんだから代わりに私の用事に付き合ってくれても大丈夫よね?」
「…くっ」

当然、そんな言い訳では詩織を納得させることなど出来ず、アッサリと追い詰められる。元々、好雄に裏切られた時点で公に勝ちなどなかったのだ。
そんな、イメージとしては断崖絶壁ギリギリの位置に立っている公に、最後の一撃が襲い掛かる。

「駄目…かな?」

詩織が、躊躇うような口調と共に上目遣いで見つめている。その目の端に光るものが見えるのが目の錯覚だったらどれだけ幸福だろう。とりあえず、まだ残ってたクラスメイトの視線が突き刺さるように痛い。
公は既視感を覚えるその視線に抗う事は出来なかった。男の悲しい性(さが)である。

「はぁ…。わかったよ…」

これ見よがしに溜息を吐くのが公に出来る最後の抵抗だった。
そんな二人の様子を他人事のように見ていた公を陥れた以上、こいつは当事者の一人なのだが好雄は…

「藤崎詩織、恐ろしい娘…。つか、最初っからこ~してりゃこんなに長引かなかったんじゃ?」

などと、もっともな事を呟いていた。前半の台詞は白目剥いて言ってたりする。

かくして、公は詩織にいざな)われて体育館に向かうことになった。
バスケ部の見学に、である。




見学と言っているが、バスケ部に見学に行くともれなく一日体験入部をさせてもらえる。というかさせられる。
内容としては既に入部している部員と同じメニューをこなすだけなのだが、これが十分以上にキツい。きらめき高校のバスケ部は男女共に名門と呼ばれるほどではないが、それに追い縋っている…といったレベルにある。逆に、下手な強豪チーム末賀高校や大門高校などよりキツいかもしれない。
そんなレベルの練習メニューを行い、きら高バスケ部の厳しさを叩き込む。これに耐えられないような輩は来るなと言わんばかりに。「――ついてこれるか?」と言わんばかりに。
もっとも、公はその練習が嫌で見学を渋っていたわけではない。仮にも『過去』3年間、バスケ部に所属した身だ。血反吐を吐いて、血涙流して、泣き言を漏らしてこれ以上の練習という名のシゴキに耐えてきたのだ。今更、体験入部如きで弱音は吐かない。…いやまぁ、今の身体能力的に厳しいものがあるのは確かだが。

公が気にし、悩んでいたのはバスケに対する心構えというか、公の今後のスタンスだった。
『前回』、公がバスケを始めた動機は「詩織の側にいられる」という不純なものだった健全な男子高校生としては可愛い不純さではあるが。だがきっかけはどうあれ、彼は最後まで投げることなくバスケを続けた。
前述のように何度泣いたか分からない。止めようと思った事だって一度や二度ではなかった。それに、残念ながら公にはバスケの才能というものがなかったようでもしくは開花するに至らなかったか、だが補欠止まりだった。中学までバスケなんて遊びでしかしたことのなかった公から考えると、それは十分な結果だったのかもしれないが。
ともかく、いつの間にか彼は当初の「詩織」という目的はどこかに置き忘れ、純粋にバスケに対して『前の』高校生活を費やした。卒業の日、失恋の衝撃でそれどころではなかったのだが、もし高校生活を思い返すような機会があったとしたら「クラブにばかり出ていたような気がするなぁ」といった自己評価が出ていただろう。そんな風に過去を振り返る精神状態になかった原因の一環に詩織を忘れてバスケに打ち込んだということが含まれていたというのは皮肉だが。
ダラダラと能書きを垂れてきたが、要するに今の公にとってバスケとは『過去』の象徴と言っても過言ではない存在となっている。それだけにどう向き合うか、公には判断がつきかねていた。
『二度目』の入学式の翌日、あの伝説の木の袂で『夢』を見てから残念? ながら『夢』の内容は覚えていないのだがそれまで心を占めていた心配事は不自然なまでに消え去った。しかし、だからといって全ての悩みが消え去ったわけでもなかった。
この『二度目』の高校生活で自分は何を為すべきなのか。そんな理由を求めること自体ナンセンスなのかもしれない。だが、それでも『前』と『今』にそれぞれ意味を見出したがるのは公の若さ故だろうか? これでも外見に比べ、精神年齢は3歳ほど上のはずなのだが。
そして、公にとっての『過去』の象徴にして、これからの付き合い方を決めかねているのは「バスケ」のみならず「詩織」という存在もあったのだった…。一時期忘れてた癖にな。




「…ところで」
「あん?」
「なんでお前が付いて来てるんだ、好雄?」

公と詩織の後ろを歩いている好雄に声をかける。

「何か用事があるんじゃなかったのか? 俺との約束を放っぽる程のっ!」

後半は恨みがましく付け加えられていたが。
そんな公の様子を嬉しげに見やる好雄。

「俺もこっちに用事があるんだ」
「へぇ」

どんな用事だよ、ゆ~てみ? てな含みを持たせて公が相槌を打つ。

「お前がバスケ部を見学するのを見学するって用事が、な」

(こいつ…)

ニヤリ、なんて擬音が似合う笑みを浮かべる好雄に対して、公が殺意を抱くのを止めることは難しかった。




詩織に連れられてついでにオマケも一匹付いて来ているが体育館に辿り着いた公を迎えたのは、練習に入ろうと準備体操をしているバスケ部員達だった。
入学式も体育館で行われたし、体育の授業で既に何度もここには来ている。だが、「バスケをしに」という名目で訪れ、また実際に目にするとなると気分が違ってくる。その中に『過去』の自分を見出すような…

「あら、藤崎…っと。どうやら、王子様をエスコート出来たみたいね?」

詮無い妄想に囚われかけた公を現実に引き戻したのは、そんな女生徒の言葉だった。
詩織と、詩織が連れている公に気付いたので興味を持って輪から抜けてきたようだ。

「キャ、キャプテンっ! そんなのじゃ…」
「まぁま。貴方が主人君…ね?」

キャプテンと呼ばれた女性は詩織の言葉を遮り、値踏みをするように公を見る。

「思ったより……アレね?」

「アレ」とは「どれ」のことなのか気にならないではなかったが、よくない返答が得られそうだったので敢えて問い質さない非常に前向きな公だった。
前向きな公君としては、用事はさっさと済ませんとばかりに早速用件を告げる。

「すいません、男子部のキャプテンはおられますか?」
「ん? あぁ、あの馬鹿なら今日はお休みよ。ご用なら私が承るけど?」
「あの馬鹿って…」

まだ見ぬ会ったことはなくても一方的な面識はあるのだが男子バスケ部の部長さんのあまりの言われように同情の念が湧く。
キャプテンが休みなら副キャプテンとかが代行しそうなものだが、『公が所属していた頃』から男子部・女子部の関係はこんなもんである。ちなみに微妙に女子部の方が権力が強い。何故と問われても昔からの風習としか答えようがない。先ほどの男子部キャプテンの呼び方もその辺に由来するものである。以上、余談。

「で?」
「あ、はい。バスケ部の見学させてもらいたいんですが」

それを聞いたキャプテンこの場には男子部のキャプテンはいないので、男女別は省略してもいいだろうは何故か詩織の方を見る。

「へぇ。藤崎、ホントに承諾させたんだ。私の授けた、必ず殺すと書いて必殺の作戦が上手くいったみたいね?」
「キャプテンッ!!」

一人、頷いているキャプテンに向かって詩織が怒鳴っている。詩織が目上に対して怒鳴るなんてなかなか珍しい光景だ。
続いて、なんか小声でキャプテンさんに対して抗議した残念ながら公には内容が聞き取れなかった後、

「なんでもないのよ、公。じゃあ、私は着替えてくるから」

なんて取って付けたように告げ、そそくさと更衣室(兼女子部室)の方へと消えていった。
そんな詩織らしくない態度を公が訝しんでいると、笑いを堪えたような様子でキャプテンが話しかけてきた。

「藤崎も、もう少し素直になったらいいのにね? そう思わない、主人君?」
「はぁ…?」

肯定とも否定とも取れない、意味が分かってない風な返事を返すと、何故か呆れたような溜息を吐かれた。横目で好雄忘れがちだが、実はいたのだを見てみると、同じような表情をしている。
どうも、分かってないのは自分だけだと悟った公は一層首を傾げるのだった。




詩織が戻ってくるのを待つことなく、部長さんは話を進めようとする。

「それで、見学だったわよね。ウチだと体験入部って形になるのは知ってる?」
「はい」
「それじゃ、1on1しましょう」
「はぁっ!?」
「え? 1on1知らないの? 藤崎からバスケは大の得意だって聞いたんだけど…。まぁいいわ。1on1ってゆ~のは、オフェンスとディフェンスが1人ずつで…」

部長さんは懇切丁寧に説明してくれようとする。

「いや、それは知ってますけど…」
「それなら問題ないわね。ねぇ誰か、彼の相手をしてやってくれないかしら~?」

後半は既に準備運動を終え、こちらの様子を興味津々に窺っていた男子バスケ部の諸君に投げかけられたものである。

「じゃなくてっ! なんでいきなりそんな事になってんですかっっっ!?」
「えぇ? 何か不満なの?」
「不満っていうか…体験入部って普通、筋トレとかボール拾いとか、その場でドリブル練習させるとか、そんな地味な事させるもんでしょっ!?」
「そんなの、面白くないじゃない」
「面白くないとかじゃなくて…」

(駄目だ、なんか違う。話が通じない。こんな人だったか?)

『過去』入部したての頃は周りを見る暇もなく、ある程度余裕が出来た時には既に3年は引退していたという公にとって、この部長さんの事は全然知らないと言ってもいい。いきなり見学に来た部活の女子部の部長さんなんて知らないってのが普通なのだが。
ともかく、詩織が戻って来るまで待って、なんとかしてもらおうと他力本願な事を考え出した公だったが…。

「俺が相手します」

背後から聞き覚えのある声を聞こえた。公が振り返ると、そこには『かつて』のチームメイトがいた。
それ以外の部員も周りに集まってきている。

「あら、確か君は一年の…」

キャプテンの言葉で公も思い出す。彼は公と同じ学年で、2年後、いや1年後にはチームの中核となっている男だった。公とは違って。
その才能はこの頃から片鱗を表しており、既に1年の中では一番の実力の持ち主だったハズだ。
その癖、何故だか知らないが事あるごとに公に突っかかって来て、ボコボコにされた記憶がある。あくまでバスケでだが。しかしそれが前述の、公が部活やめようと何度も思った原因の一つでもある。
もっとも、公は気付いていなかったようだが、彼が公にちょっかいを出す理由は周りからすれば明らかだった。

藤崎さんの幼馴染だかなんだか知らないが俺がお前の実力、試してやるよ」

そういう事である。

「藤崎さんの話じゃ大した腕前らしいけど、そんなのここでは通じないってのを教えてやるぜ」
「詩織の話…? っていうか、そういう問題じゃなくて」

「教えてやるぜ」って、お前は何処の人間だよっ!? と突っ込みを入れたいのを我慢して答える公。詩織を後で問い質さないとな、なんて内心思ってるのは秘密である。
一方、憧れの藤崎さんを名前で呼ばれて、いよいよ逆上した彼は明らかに喧嘩腰で対応してくれるようになった。

「問題じゃないだって? 俺じゃ駄目だっていうのか」
「いや、駄目とかじゃなくて。第一、アンタと俺なんかじゃ勝負にならないだろ?」
「勝負にならない、か…。大した自身だな、主人 公」

射殺さんばかりの視線で睨みつけられる公。何気にフルネームで呼ばれてるが、非友好的な意図は明らかだ。
何か、大きな誤解が生じている。しかも致命的な。

「いや、あの、そうじゃなくて」
「いいだろう、主人 公。試すだなんて言って悪かった。本気で相手をしてやるよ」

口調は平静を装っているが、「ギリッ…」と奥歯を噛み締めるような音まで聞こえてくる。ヤバい。

「だからっ!」
「但し、俺に勝てないようならお前の入部は認めない。ついでにお前なんかには、負けない。せいぜい、無様に負かしてやるよ」

ざわ‥ざわ‥

彼の一言が、一際大きな喧騒を生み出す。
どうしてそうなる。お前にそんな権限あるのか。ていうか俺の話を聞いてくれ。なんでお前にそこまで言われなきゃならない。ツッコミどころが満載過ぎて一瞬躊躇してしまう公。
だが、その公の沈黙を肯定と受け取ってしまったのか、事態は公を置いて勝手に動き出す。止めろよ、部長。

「決まったみたいね。じゃあ私が審判やるから」
「お願いします」
「コート、半分空けてね~。得点表、出してこなくちゃ。そこのキミ、お願いできる?」
「あ、分かりました」
「あ、ゴメン。ついでにボールもお願い」

キャプテンさんが仕切ってゲームの準備が進む。
対戦相手も黙々とウォーミングアップをしている。その沈黙が怖い。
どうにも今更試合を拒めるような雰囲気ではなくなってしまった。
そして、公とて既に拒む気はなかった。

(ここまで言われて黙ってられるかッ!)

元々、入部の意思があった訳でもなかった。それどころか、今でも迷っているというのが実情だ。入部云々以前にバスケをするという点において。
だが、あんな風に言われて何も感じないほど思い入れがないわけでは、決してない。言われた直後は咄嗟に反応出来なかったが、今ではこちらも完全に臨戦態勢だ。
公も準備を始める為、きびす)を返す。…勝算なんて何もなかったが。
『昔』から彼と勝負して勝てたためし)はなかった。『今』は相手はバスケ部で、公は帰宅部。差が開きこそすれ、狭まることはないだろう。考えれば考えるほど、明るい材料はない。しかし…

「何処行くんだよ、公。あ、藤崎さんの着替えを覗こうってのか? だったら俺も…」

腰が砕けた。床に頭から倒れ込まなかったのは奇跡だった。安っぽい奇跡だが。
この場に、そんな気の抜けた発言をするような奴は一人しかいない。もっとも、公も今の今まで忘れてたが。

「俺も着替えるんだよっ! お前と一緒にするなってのッ!」

好雄に向けて、言葉を叩き付ける。こいつの今の一言で抜けきってしまった気合を込め直す意味も込めて。

「お~、怖っ。だけどよ、も~ちょい肩の力、抜いた方がいいんじゃないか? 気負い過ぎだぜ、お前」

だが、当の好雄は公の予想を裏切って、真面目な顔でこちらを見ていた。

「勝つつもりなんだろ?」
「あ、あぁ…」
「信じてるからな、俺は」
「好雄…」

目頭が熱くなる。今まで殺意抱いたり、邪険にしたり、オマケ扱いしたり、忘れてたりしたことを申し訳なく思った。

「じゃ、な。頑張れよ、公」
「あぁ!」

力強く頷く。好雄はそんな公を満足気に見遣って、頷いた後。

「と、言う訳で俺は主人に全部ッ!」

叫びながら、背後で繰り広げられていた賭けバスケ部の伝統として、身内の試合毎に賭けが発生するに参加して行った。
好雄の友情ってのは基本的に疑わしい。公は、先ほどとは別の理由で目頭が熱くなった。
公に出来るのは涙が零れないように上を向くくらいの事だった。



[484] Re[13]:あの素晴らしい日々をもう一度 第十四幕
Name: 流神
Date: 2006/03/19 18:41
「ど~してこんな事になっちまう、かな?」

いつの間にか話が「入部したければ勝たなくてはならない」という流れになっていた。公としては入部するか迷っている状態なのだが…あんな風に喧嘩を売られて黙っているほど大人でもなかった。精神的には大学生とはいえ。
何より売ってきた相手が相手だったからかもな…などと考えつつ、キュッとバスケットシューズの紐を結ぶ。かつてボコにされた記憶は結構根深い。
公が今座っているのは男子バスケ部の部室兼更衣室内に設けられた長椅子だった。室内は公の記憶の中にある姿、そのままに雑然としている。その中には、凡そバスケに関係ないだろうとしか思われないものも見受けられるが。

「しっかし…」

他に誰もいない部室に引き続き公の独り言が響く。

「どっからこんなモン、持ってくるのかね? アイツは…」

公の視線は今履いたばかりのバッシュに落ちる。確かこれは出回った数が非常に少ない限定版で、少なくともバスケ部内にこのモデルのものを持っている者はいなかったはずだ。もっとも、居たとしても立場上「敵」にあたる公に貸してくれるとも思えないが。
そんな靴が程よく履き慣らされており、公の足にフィットする。サイズなんて教えていないにも関わらずだ。まぁ、彼好雄の情報網を持ってすれば、そんなことを調べるのは造作もないことなのだろう。
「お前に賭けてるんだから、勝てるようにお膳立てするのは当然だ」なんて言いながらこのバッシュを調達してきてくれた好雄の、大義名分を盾にする天邪鬼さに苦笑しつつ部室を出た。


あの素晴らしい日々をもう一度


第十四幕 彼と彼女とバスケット




(どうしてこんな事になってるのかしら?)

自問すれど、答えが返るはずもない。
彼女が着替えを済ませて戻ってくると、彼女の幼馴染の姿は消えていた。着替えにでも行っているのだろう事実そうなのだがと思ったが、それにしては回りが妙に盛り上がっている。
もしや公が怒って帰ってしまったのかと、何故かこの場についてきた彼の友達親友、という言葉が当てはまるのだろうか? 当人達に聞くとお互いに否定するだろうがに聞くと、どういう流れか入部を賭けて試合をすることになったのだと言う。しかも同じ一年ながら次期エースと噂されるような相手らしい。名前に聞き覚えはなかったが。その『相手』とやらが聞いたら血涙を流しただろう。
今はウェアに着替え戻ってきた公とその相手がキャプテンからルールを聞いているところだった。

「主人君も1on1は知ってるって言ってたよね? 細かいルールって言っても、ディフェンスがボールを奪るかラインを割ると攻守交替。後は普通の試合と同じだし…あ、時間は3分ね。何か質問はある?」
「いえ、特に」

当然、公もこのルールで何度もプレイしたことがあるのだ。今更聞きなおすこともない。

「そう、大丈夫? …それでは審判は私が務めさせてもらいます」

ボールを片手に持って、キャプテン兼審判が告げる。

「どっちが先制?」
「ボールは主人にあげますよ。これくらいのハンデはないとな?」

鼻で笑って、公の対戦相手が吐き捨てるように言う。いっそ傲慢とも言えるそんな提案も今は黙って受け入れる。正直ムカつくものがあるが、礼は試合の中で返せばいいのだ。タップリ上乗せして。そんな決意を胸に秘め、公は優に頭一つ分は高い位置にある相手の顔を睨みつける。
それぞれ、攻守に分かれて位置に付く。それぞれの違いはボールの有無と、立ち位置の違いと、そしてこれから始まる試合への態度。

「3分か…長いな」

そんな二人の様子に見入っていた詩織は突然横から聞こえてきた呟きに振り返る。

「早乙女君…。バスケ、詳しいの?」
「あ、いやぁ、妹が少しね」

実際には妹によって色々と詳しくなったのはバスケよりもむしろプロレスしかもその身をもってなのだが、流石の好雄もこの場ではそんなことは言わない。それにバスケにもある程度の知識は持っている。
というか先ほどの呟きはシリアス風味だったのに、詩織に話しかけられた途端いつもの軽い口調になってしまう好雄。この辺は染み付いたキャラクターというヤツか。

「でも公のヤツ、部活も何もしてないんだから体力ないんだろ?」
「そうね…」

詩織が不安そうに表情を曇らせる。
本当は自主トレを行っているので普通の帰宅部と比べてある程度の体力は持ち合わせているそして好雄の情報網でもそのことは掴んでいるのだが、それでも明らかに分が悪い。相当鍛えた人間でも3分間全力で動き回れる体力は持ち合わせていないのだ。

「でも、早乙女君は公に賭けたんでしょ?」

明るい材料が欲しくて詩織が話題を変えてくる。そう言う彼女自身は賭けてはいない。そもそも伝統とはいえ賭け事自体どうかと思っているし、彼女の立場ではどちらに賭けることも出来ないから。もっとも、その心情がどちらに傾いているかは誰の目にも明らかだったが。

「まぁ…ね。あ、でも俺だけじゃないんだぜ? 驚くべき事に」
「えぇっ! 他に、いるの? …誰?」
「私よ」
「って、キャプテンッ!?」

コートの中に居たはずのキャプテンがいつの間にか詩織達の横におり、話に割り込んでくる。
…しかし二人とも、他に公に賭けるような人間が居ないことを前提で話している時点でどうかと。

「公に賭けたって…本気で本当ですか?」
「えぇ、ホントよ」
「じゃあ、何か勝算があるってことですかっ!?」

仮にも女子部の部長を務める人物が勝ち目を見出しているのだ。そして彼女の実力が信頼に足るものであるということも詩織は理解している。公の勝機が決して低くないのだと、そう考えた詩織は勢い込んでキャプテンに詰め寄る。
しかし、彼女の性格までは信頼に足りなかったようだ。

「あ、私、分の悪い賭けは嫌いじゃないから」
「は?」
「じゃ、私は審判しなきゃなんないから。じゃね」

軽く、あくまで軽く、目を点にしている詩織にそう告げる。彼女の意地の悪い笑みが語っている。これだから藤崎をからかうのは面白い、と。
だがそうそう巫山戯ているわけにもいかない。彼女の開始の合図を待っている者がいるのだ。コート内の二人の対戦者。
コートに向き直り、彼らに目を向ける。二人とも早くもお互いを睨み合い、牽制しあっている。彼らの溢れんばかりの闘志に苦笑が漏れる。開始の合図が遅すぎたようだ。

「それじゃ、始めるわよ?」

彼女が詩織に言った台詞、その半分は嘘だ。言った内容自体は嘘ではないが、言っていない内容もある。
彼女が見るに、藤崎 詩織の幼馴染確か主人 公という名の男子生徒は話に聞いていた以上にバスケ慣れしている、ように見える。ただ遊びでやっていたというレベルでなく、ある程度ちゃんとした練習を積んでいるボールを手渡して、それを扱う様子を見てそう感じた。
ただの思い込みだろうが、ボールの扱いがまるで去年引退した3年生彼女の一個上の先輩が久しぶりにボールに触ったことを懐かしんでいるような、そんな風に見えたからだ。…なんてカッコつけてみたが、先日その先輩が来て同じようにしてたってだけなのだが。

「レディ~」

それだけだが、公に賭けさせるには十分だった。分の悪い賭けは嫌いじゃないし、何より…面白そうだったし。「面白ければOK」が彼女の信条である。

(確かめさせてもらうわよ、藤崎の彼氏さん?)

ピーッ!

開始を告げる笛の音が体育館に響き渡った。




(畜生っ! なんで、こんな事になってるんだッ!?)

彼は心の中で毒づいた。だが、その間も目の前の相手から視線を逸らすことはない。
試合が始まって1分強といったところか。都合、攻守は4度入れ替わっていた。バスケットはそのゲームの性質上、展開が速い。
現在のスコアは4-0。未だ無得点なのが彼で、4点…つまりは2度、ゴールにボールを通したのが彼の憎き怨敵主人 公だった。

(本当なら俺が…ッ!)

そう、本当ならあくまで彼の言う『本当』だが彼が一方的に公を蹴散らし、ここぞとばかりに嘲笑ってやる予定だったのだ。藤崎さんの前で。
だが現実には彼のボールは全て奪われ、逆に公のボールを奪うことは出来ず、ゴールを許してしまっている。それも2度ずつ。
確かに主人 公は彼が思っていたよりも格段にいい動きをする、それは認めよう認め難い事実だが。
だが、それも運動能力が高いというわけではない。動き自体は取り立てて速いとも言えず、息も早くも切れ始めている。身体能力だけを見ると決して彼の敵ではないはずだった。しかし抜けない。そして止められない。
話を漏れ聞いたところによるとそれも呪わしいことに『彼女』から出た話らしいバスケが得意とのことらしいが、とんでもない。そんなかわいいものではない。
いくら上手いとは言っても自己流の、強引なプレイならいくらでも止め得る自信はあった。所詮お遊びの域を出ないものならば、仮に運動神経が卓越していた人間が相手だったとしても押さえ込める自信が。ずぶの素人が素質だけで選手に勝つなんて展開、漫画の中だけの世界なのだ。別に『アレ』に他意はないですよ?
ましてや今の相手は素人に毛が生えた程度の体力しかない。勝てない道理がなかった。
しかし公の動きは基本に忠実で、それでいて洗練されていた。それはどこかで、しかも長期間、正式にバスケを習ったものの動きだ。まだ少ししか対峙していないが、下手すればその技術は自分よりも…。

(そんなわけあるかっ!)

頭こそ振らなかったものの公の持つボールを睨みつけていた為、強く否定する。そんなことあるはずがない。気の迷いだ。
そう、今までは油断していたのだ。相手が素人だと思って無意識のうちに手加減していた。ほら、俺って優しいから。気のせいか今まで技術云々以前に、まるで常に相手に先手を打たれているような違和感が付きまとっていたが、それすらも油断の産物だ。
そう考え、改めて本気で公に対峙する。腰を心なし低くし、左右どちらを抜きに来ても即座に対応できるように身構える。
ちなみに、ここまで長々と考えてたように見えるが一瞬の出来事である。

「さぁ、来いッ!」

気合を入れ過ぎた為か、声まで出ていたがかまわない。こういうのは勢いが大事なのだ。現にあの憎き主人 公も威圧されたかのように一歩、後退っているではないか。
…などと余計な事に気を取られていたのが原因だろう、仇敵・主人 公の次の動きに対応するのが遅れた。いや、横の動きのみに気を配りすぎていたので後手に回ってしまったというのが正解か。
公がボールを両手で頭上に構え、放る。慌てて下半身をバネにして跳ぶが、彼の長身を以ってしても頭上を行くボールに触れることは叶わなかった。
着地しながら審判に目をやると指を三本立てている。3ポイント。まさかそんなものを狙ってくるとは。思わず舌打ちが漏れる。
だが、それを予想し得なかったのにもそれなりの理由がある。何より初心者に毛が生えた程度ではなかったのだが、都合の悪い情報は忘れるに限るの主人 公がこの長距離シュートを決めれるはずがないというのが第一。後はまぁ1on1でそんなもの狙ってくるヤツはいないという、ある種の油断だが。
入るはずもないと確信しながら振り向く。そこにあったのはリングを通り抜けるボールと、揺れるネット。そして、沸き上がる歓声。




「これは…出来過ぎだよな…」

息を整えながら思わず呟く公。
公としてはこのシュートは狙ったものではなく、ただの牽制のつもりだった。できれば体力の残っているうち、相手が油断しているうちに点が欲しくて無茶したというのもある。
左右にのみ警戒が強いようだったので頭上から直接ゴールを狙い、リバウンドを拾う。事実、ボールを放った後にゴールに向かって走り出していたのだ。…今思うと自分より背の高い相手に対してリバウンドを取れるかはかなり微妙だったが。杞憂に終わってなによりだった。
かつての公のポジションはSGシューティングガード)。一応、3ポイントシューターという役割を負っていた。だがこれは消去法で決まったポジションであり、実際それほど3ポイントが得意というわけではなかった。それは過去、ベンチ入りも出来なかったことで明らかだろう。
練習で立ち止まって撃つならともかく、試合中部内の練習試合にしか出たことがないがに放つ公の3ポイントのシュート率なんて1割にも満たない。いや、満たなかったと言うべきか。さらに何度も述べたことだが、現在の身体能力は『過去』のそれに劣る。入ると思える方がおかしい。
どんな幸運が作用したのか、公のシュートが『入ってしまった』。周りの観客も大分沸いているが、一番驚いているのは公自身かもしれない。
スコアが加算されるのを見て、ますますその思いを強くする。7-0。あまりにも出来過ぎだ。何かの意思が働いているのではないかと勘繰ってしまう程だ。いやまぁ、主人公最強系SSですし。
だが、すぐに表情を引き締める。上手くのはここまでだと思うべきだ。本当の勝負はこれからだと。俺達の戦いはまだ始まったばかりだと。そんで太陽に向かって走ると。流神先生の次回作にご期待くださいと。笑。
なけなしの体力とあの日から出来る限り鍛えた運動能力、この身体に染み付いたというのはおかしいのだがバスケの経験、そして目の前の彼と『過去』に散々対戦し敗北した記憶から公の身に刻み付けられた彼の技術とその癖。その全てが『過去』とは異なるが、それを十全に生かしてなんとかここまで優位に運べた。
だが、体力は早くも尽きようとしているし、こちらの手の内も十分相手に読まれただろう。なにより目の前に立つ男の表情が今までのようにはいかないことを公に悟らせた。
油断も驕りも捨てた、一人のバスケットボール選手がそこにいた。

「まだまだ、お楽しみはこれからだ…ってね」

その姿を前に、これから始まる後半戦に、公は軽口を叩くのが精一杯だった。



[484] Re[14]:あの素晴らしい日々をもう一度 第十五幕
Name: 流神
Date: 2006/03/08 10:41
バスケットボールがゴールリングに当たることなくその間をくぐり抜ける。歓声が上がるのと審判の笛が鳴り響くのとどちらが先だったろうか。
ボールを放った、バスケ部のユニフォームを着た少年が小さくガッツポーズを取る。対してディフェンス側だった、ジャージに身を包んだ少年は膝に手を付き、息を整えている。

(公…)

少女は肩を大きく上下させる背中を見つめながら、その名を口に出すことなく呟く。
残りは10秒を切っている。得点は7-8。今の一投によってとうとう逆転されてしまった。いや、ここまでよく持たせたと言うべきなのだろうか。
試合開始後半分を経過し、公が3ポイントを決めた辺りから戦況は一変する。得点の上では圧倒的優位を保っていた公だったが、その動きが目に見えて悪くなってきたのだ。それでも追加点こそ取れないものの、何とか攻撃を防ぎきり相手を抑えてきた公だったが、さらに時間が経過し試合も終盤に移って来た時点でとうとう点を与えてしまう。そこからは雪崩を打つように得点を許してしまい…今に至る。

「もう…無理だよ」
「早乙女君…ッ!」

彼女の横に立って観戦していた好雄の声に抗議の色を示す。しかし好雄はそれを受け入れる事を是としなかった。

「俺にだって、いやバスケ初心者の俺だから余計に分かるのかな? ここから公の逆転だなんて無理だ。どう見ても限界だよ、アイツは」

言葉に詰まる。そんな事を言われずとも彼女にも分かっていた事だ。ただ言葉に出す事は憚られた事実を好雄は口にしたに過ぎない。それに彼とて望んでそんな事を言った訳ではない事は、彼の握り締めた右手そしてその中にある半券を見れば明らかだった。
だが…彼女には、長く彼の幼馴染をやってきた彼女にだけは確かにブランクはあるし、しかもそのブランクは彼女が思っているよりも『3年』長いのだが分かる事がある。

でも公は、まだ、諦めてない」

そう、公の瞳は諦めた者のそれではなかった。その眼差しは前を、相手とそしてゴールを見据えており、このままで終わらない事を彼女に信じさせてくれた。ていうか普通、前髪に隠れて目なんて見えないし。

それでも

「残り5秒ッ!」

彼女、藤崎 詩織は

残り時間を告げる審判の声に弾かれたように、それまでお互いの出方を窺って静かに対峙していた二人が一斉に動き出す。

自らの立場を忘れて、彼女の幼馴染の名を呼ばずには居られなかった。

「公ッ!」


あの素晴らしい日々をもう一度


第十五幕 彼の本気




目の前に立つ公のシュートコースを巧みに防ぎながら、彼は今の状況に満足しつつ、同時に不満も抱いていた。
3ポイントを決められた直後から、彼は公を強敵として認識し、もう一切手を抜かない事を誓った彼のプライドに賭けて。
そして明らかに自分より体力的に劣っているという点に着目し、残り時間の半分を使って公を引っ張り回して運動量を増やし、一層体力の消耗を狙う。そしてその後に一気に得点の挽回を狙ったのだ。
その作戦は功を奏し、残り10秒の時点で逆転に成功、後はこの公の攻撃を凌ぎきれば彼の勝利である。出来得るならばここで公の攻撃を阻止し、再度攻撃権を得て駄目押しのもう1ゴールを決めたい所であったが…

(いや、駄目だ)

その考えは危険だ。無理にボールを奪いに行くと、どうしても隙が生じてしまう。いくら体力的に消耗しているとは言え、目の前の男主人 公を甘く見てはいけない。それだけの警戒を抱かせるには十分な相手だ。
前半の3ポイントまでの流れも然ることながら、その後にも見るものが見ればはっと(・・・)させられるようなプレイが各所に見られた。あのまま油断…いや、奢ったままでいたならばもっとヤバい状況に追い込まれていたに違いない。ここは守りに徹して、時間一杯逃げ切ることだけを考えるべきだ。
理性的にはそんな考えに納得しているが、感情面ではそうはいかない。「こんなヤツに」「どうして俺が」そんな思いがあるのも事実だ。だがそれらも理性が押し込めており、残り時間はこのまま時間稼ぎに徹するつもりだった。
残り時間を告げる女子部のキャプテンの声と同時に公が動き出すのを見、その動きを妨害する為に動き出した瞬間までその考えは変わらなかった。
彼女の声を、聞くまでは。

「公ッ!」

多数の歓声の中から、その声を聞いて、その声の主に思い至り、その声の内容を理解し、そして彼女を視界の隅に入れてしまう、その数瞬。
想い人が、自分と敵対している相手を応援するような声を聞いて、思わずそちらを見てしまった、ただそれだけの事。時間にしても1秒にも満たない間だっただろう。だが、それは致命的な隙だった。

そして、風が吹いた。

自分の横を駆け抜ける疾風に我を取り戻し、咄嗟に手を出す。公に当たったとしてもファールを取られてしまうような動作だったが、それでも構わなかった。彼の中の何かが、公をこのまま行かせてしまっては手遅れになる事を告げていた。
しかし結局の所、その手は何も掴むことはなく、従ってファールを取られることもなかった。
手を出す勢いのまま振り返った彼の目の前で、公の身体は高く跳躍()んでいた。




好雄はこの瞬間の事をしっかりと思い出すことが出来る。だが同時にその記憶が確かな物なのか、確証が持てない。
コード上の二人が同時に動き正確にはオフェンス側が先に抜きにかかり、それを阻もうともう一人が動いたのだろうが、その様子に彼の横に立っていた少女が声を上げ、他の歓声に掻き消えるハズのその声が届いたようにディフェンス側の少年の動きが止まり、そしてもう一人は声を上げた少女の『大切な幼馴染』はその速度を上げた。
そして次の瞬間には、何故かオフェンスの少年彼の親友の主人 公の服装がジャージからバスケ部のユニフォーム、しかも通常の部員用のものではなく公式試合のメンバー用のもの好雄もこの時は知らなかったのだが、後で調べて分かったに変わっていた。いや、実際に変わっているハズはないので錯覚だったのだろうが…。
その時、ディフェンスがまるで思い出したかのように腕を振り回してくる。それを公は背中に目が付いているかのように跳んで躱す。『跳んで』という表現は適当でないかもしれない。何故ならその跳躍は彼の身長分にも達していたから。『飛ぶ』と言っても過言ではないかもしれない。もしくは『空中を歩く』か。

「ナイアガラーーッ」

そのままの勢いでゴールへと接近、片手でボールを掴んだ公は、その手をゴールリングへと叩きつけるッ!!

「ダーンクッ!!」

公の掛け声と、壊れるのではないかと思えるほど激しくゴールの揺れる音。それがこの魔法の時間を解く合図だった。
一瞬の後、得点を告げる短いホイッスルが、続けて試合終了を告げる長い、永いホイッスルがコート内に響き渡った。




「どうして……?」

目の前で行われた一連の出来事に目を白黒させている好雄好雄だけでなく、この場の誰もが歓声を上げるのも忘れ、そのような状態であるの耳に、そのような呟きが入ってきた。
その声の主を探す…までもなく、見つかった。

「キャプテンさん?」

好雄の呼びかけにも反応する様子を見せない。どうやら先ほど得点及び試合終了の笛を吹いたのも半ば反射的なものであり、彼女も茫然自失としているようだった。
さらに彼女の独り言は続く。

「有り得ない、有り得ないわ…。あの………はウチの部活奥義。どうしてあの子が…? ウチの部員でもない、新入生でしかない、あんな子が…っ!?」

部活奥義。その単語が好雄の耳に強く残った。
確か聞いたことがある。部活を極めた者だけが使える技、それが部活奥義。門外不出の技で、部活において極めたと認められた者のみが、口伝によって部の先輩から伝えられるという幻の技。それゆえ部活をしない生徒、それどころか普通に部活をしている程度の生徒にはその存在すら知られていない技。好雄だからこそ聞き及んでいたのだ。実際には3年間合宿に参加すれば身に付くんだが…

(公、お前は一体…?)

好雄は、自分は親友やってる公の事を何も知らないのではないか、そんな思いに囚われていた。
なので、キャプテンが先ほどまでの様子とは一変して、

「欲しいわね、あの子」

とか言ってニヤリと邪な笑みを浮かべていたり、またようやく我に返った詩織が幼馴染の少年の下に駆けて行った事などに全然気付かなかった。
ちなみに、これを切っ掛けとして部活奥義を追い求めた彼が、他校の剣道部の部活奥義(モドキ)を修める事になるのは別の話。不動明王唐竹割り! の事ですな。マジで使えねぇ。




豪快なダンク所謂スラムダンクを決めた公はしばらくゴールにぶら下がっていたものの、すぐに力尽きたように落ち、今は床の上に座り込んでいた。動き回ってすぐに座り込むと痔になるぞ?
荒く、ひたすら荒く息をついている公の頭上に影が射した。のろのろと顔を上げると、そこには今まで対戦していた相手が立っていた。
酸欠と疲労でいまいちハッキリしない頭だったが、それでも『今まで』の経緯と今回のやり取りを鑑みて思わず身構える。と言っても身体は動いてくれなかったが。しかし、目の前の相手は公が思いもしなかった台詞を発した。

「完敗だよ、主人 公」
「えっ……?」

有り得ない、『今まで』ならば決して有り得なかった台詞。そんな言葉を聞いて公は混乱し、頭の中は一層ぐちゃぐちゃになる。騙されてる? 幻? そんな詮のない考えすら浮かんでくる。

「俺の、負けだ。っとに、あんな奥の手まで持ってるんだもんな。手に負えねぇよ」

そう言って、髪をかき上げる。その仕草、声には嫌味な調子はなく、どこか晴れ晴れとした印象すら受ける。

「だけど、次やれば俺が勝つ。少なくとも…お前が居れば楽しそうだ」

そう言って、座り込んでいる公に手を差し出す。
『次』? 『お前が居れば』? 公には彼が何を言っているのか分からない。それではまるで…。
考えがまとまらないまま、反射的にその手を掴もうと腕を伸ばす。その手が触れ合おうとしたその時…

「公ッ!」

その聞き覚えのある声に振り向くと、そこには彼の幼馴染が満面の笑みで立っていた…がッ!

「こぉぉうぅぅぅぅぅ!」

何を思ったか、そのお嬢さんは公に向かってダイビングをぶちかましてくれました。

「ちょ、待て、詩織ッ! ぐはっ!?」

力を使い果たして座り込んでいた公に詩織を受け止める力が残っているはずもなく、かといってすぐ後ろは床な為に衝撃を逃がせるわけでもなく、その恩恵を一身に受けることとなった。救いは詩織が軽かったことか。何Kgかって? そんな事聞く人嫌いです。

「凄い、凄いわ、公ッ! やったわッ!!」
「がはっ、ぐほっ、げへっ、ちょっ、し、詩織ッ!? またキャラが変わってる? ていうか柔らかっ!?」

何が柔らかいかは公の名誉の為に伏せておく。
ともあれ、凄まじい勢いでスイッチの入ってしまった詩織さんは回りの視線に気付くまで突っ走ったままだった事のみを記載しておく。




あと、差し出していた手をその拳から血を流しそうな程固く硬く握り締めながら

「やっぱりお前は俺の敵だッ! 主人 公っ!!」

と人知れず叫んでいた負け犬が一匹居たことも付け加えておく。



[484] Re[15]:あの素晴らしい日々をもう一度 第十六幕
Name: 流神◆ba754d32
Date: 2007/07/22 02:21
夏の訪れが近い事を感じさせるような朝焼けの中を走る。とは言っても本日のランニングも終盤に近く、スピードはそれなりに落としている。
主人 公はここ最近、かなり高圧的にメニューを増やしており、その分身体にかかる負担も大きい。その疲労感が生み出す恍惚感、ランニング・ハイな状態の中、公はこのように早朝トレーニングの増加を決意した原因となった事件言わずと知れた先日のバスケ部への一日体験入部の顛末を思い起こしていた。

結局、公はバスケ部に入部することはなかった。1on1において公がなんとか勝利を納めた直後、彼の予想だに出来ない行動を取ってくれた幼馴染。彼女を落ち着かせ、さらに顔を真っ赤にして疾風のように去っていく後ろ姿を見送る羽目になった後、その場に残された彼もなんとなく居た堪れなくなって早々に立ち去った。なので好雄が残っていらん事して回ってたという事実には残念ながら気づかなかった。
それ以降、本日に至るまで詩織は公に対して部活に再び勧誘する事がなかった、というか彼女はあれから公と距離を置いているような気がする。まぁそれは詩織からすれば仕方がない事のように思うし、何より公からすれば哀しい事に詩織と距離がある方が自然であった。『今回』における、今までの詩織が傍に居てくれるという状態が不思議であったのだ。
話を入部の件に戻すが、公の方も元々入るつもりもなかった為入る決心が付かなかった、とも言えるそのままにしている。何故か女バスの部長が何度か公を誘いに来たりもしたが、それは丁重にお断り申し上げている。
だが、あの勝負において体力不足を痛感した公は毎朝行っていたトレーニングの分量を増やした。その量たるや、公が気付かないながらその様子を監視するいくつかの『目』からすると「普通に部活するよりも多い運動量なのではないか」と評される程である。
特に公としては再戦しようと考えてるわけでもなく、このように身体を鍛えたからといってどうするつもりもない。ただ不満であり、また不安であった、それ故の行動であった。だから出来る事をしている、それだけである。
ちなみに、今の運動量でもバスケ部のそれには及んでいない。『あの』バスケ部の異常な練習という名のシゴキは「普通」には含まれない。

だが、世の中にはそういったものから超越した人種というのもいて。
公がランニングのゴールとしている公園正式な名前が分からないので「近所の公園」と呼んでいるに入ろうとした所で異常にペースの早い足音が近づいてきてるののに気付いた。こんな、凡そランニングとは思えないペースで走るような人は公の記憶の中には一人しか居ない。
振り返ると、思ったとおりの少女がいた。彼女の方も公に気付いたようで、公の顔を見ると一瞬考えたようだが、挨拶を交わしてきた。

「おはよう、主人くん」
「お…、おはよ」

それだけ言うと凄まじい勢いで公を追い越していく。ちなみに公がどもっているのは緊張とかではなく、単純に息が切れているからである。
見る間に小さくなっていく後ろ姿を見送りつつ公園に入り、クールダウンを兼ねたストレッチを行う。その途中でふと気になった。

「…『今回』、清川さんと知り合ってたっけ?」


あの素晴らしい日々をもう一度


第十六幕 Here come a new Challenger!




いつの間にか手を休めて、真剣に悩んでる公。混乱しがちな『前回』と『今回』の記憶を分けて整理する。

「水泳部には近づいてないし、朝も今日初めて会ったハズだし…」

クラスはG組なので教室は大分離れているし、体育が一緒になることもないそもそも男女で別だが。学食やらですれ違った事はあったかもしれないが面識を持った事はない、ハズだ。
ブツブツとこの2ヶ月近くの行動を思い返してみるが、やはり望との接点はなかった。望が公の事を知っている事はない筈である。公の知る限り。
逆に公は望の事を知っている。『前回』の事もあるが、それがなかったとしても彼女程の有名人の事なら自然と耳に入ってきていた。かつて、『前回』の望と会う前から彼女の事を知っていたように。曰く、超高校生級のスイマー。曰く、入学直後にきらめき高校の最速記録を塗り替えたらしい。曰く、毎朝50キロのロードワークを欠かしたことがないとか。彼女を知らないきら高生徒はもぐり(・・・)と言えよう。
だからこそ、そんな有名人が公の事を知っていて、かつ声を掛けてくるなんて事が信じられない。まぁ『前』から彼女は気安い娘ではあったが。…思わず「馴れ馴れしい」なんて思ってしまうくらいに。

「もう走らないの?」
「うわぁッ!?」

公を悩ませる、件の人物が、背後にいた。特に足音を消して近づいたワケでもないだろうに、公が考えに没頭していた為に気付かなかったようだ。

「き、清川さん…」
「へぇ…。私の事、知ってるんだ」
「ま、まぁね…」

ドキバクする心臓を押さえ、気のない返事を返す公。急に声を掛けられて驚いたからだけではない。公は、今、ある突拍子もない考えに囚われていた。しかも、彼の現状を鑑みるに、有り得ないワケではない考え。それは。

(もしかして、彼女も俺と同じ、『二度目』なんじゃないか?)

それならば、彼女が自分を知っていても不自然ではない。それに、いくら現状に慣れてきたとは言っても、やはりこの状況は異常だ。だから、誰か同じ境遇の人間が居て欲しい…公の弱さが、そんな考えに囚われてしまっても無理からぬ事なのかもしれない。

「清川さんこそ、俺の事を知ってるんだ?」
「え? うん。よく知ってるよ」

(やっぱりっ! 清川さんは…)

「男子バスケ部をたった一人で壊滅に追い込んだ男、主人 公君だよねっ!?」

目が、点になった。



望が言うには、ある日男子バスケ部が練習している所にふらりと現れ、プロ顔負けのテクニックを持って部員をバッタバッタと薙ぎ倒し(?)、次期エースを一騎打ちで打ち負かした後に風と共に(?)颯爽と去って行った男が居たそうだ。

「しかも、『勝負にならない』とか言い放ったらしいし。…主人君なんでしょ?」

(ちがうちがうんだそういういみでいったんじゃないんだっていうかやっぱりかこにもどってくるなんてそんなひといないよね)

望に同意を求められた公は現実逃避していた。
いくら運動部系の話題とは言え、あまりゴシップとかに興味を示さないような望が知っていたのだ。後は推して知るべし。むしろ、何故そんな噂になっているのが公の耳に入らないのかが不思議だったが。
そんな疑問も、現実逃避すらも、次の言葉を聞くまでの事だった。

「って、事を乙女座くんだっけ? なんか食堂で豪華なお昼ご飯食べながら面白可笑しく話してたって聞いたよ?」
「ヨシオ、ムッコロス」

棒読みで、公が呟く。その感情が込められてない言葉から返って押し込められた鬼気を感じられる。幸い、望の耳には届かなかったようだが。
多分、賭けで買った食券当然、現金なんて賭けないですよ? 高校生ですからっ!で豪遊してるうちに、調子に乗って話をでっち上げたんだろう。その光景が目に浮かぶようだ。
公に入ってくる噂話の類は全部好雄経由の為、彼が意図的に話を避ければ公の耳に入ることもない。…本当は、噂が流れて興味の視線に曝されていたのだが、入学早々の奇行からその手の視線に慣れつつあった公は気付かなかったのだった。幸か、不幸か。
ともあれ、これで詩織が公を避ける理由も明確に分かったし、何よりそんな状況でバスケ部に入部なんて有り得るはずもない。何故にそんな状況の中で勧誘して来てた、女バス部長ッ!? なんか色んな意味で頭を抱えたくなった公だった。だが、ここで哀れむべきなのは望に名前を覚えてもらっていない好雄なのかもしれない。
そんな公の様子に若干引いた望が話を変えるかのように聞いてきたもっとも、あの清川 望を若干でも引かせたのなら十分なのだが。

「えぇ…と、それで主人君はなんで私の事知ってるの?」

想像の中で好雄を100億万回ほど血祭りに上げた公は、気を取り直してその問いに答えようとするが…。

「え? そんなの…」
「あ、そっか。水泳かぁ…」

だが、公が答えようとする前に望自身が自分で答えを出す。ちょっと困ったような、バツの悪そうな様子で。
その表情を見て、公は同じ顔をした望を『前』に見たことがあるのを思い出した。



「よくできてるね。本当に生きてるみたい」
「本当。よくできてるよね」
「何で、できてるのかな?」
「あっ、清川さん。触っちゃ駄目だって」
「そ、そう? あっ!」
「と、取れちゃった」

(そうそう、あれは美術館の春の彫刻展に行った時だっけ…)

望が触った彫刻像の腕が取れてしまったのだ。多分…いや、きっと壊れやすい彫像だったに違いないッ! 今でもそう信じている公だったが。

(で、俺、清川さんを引っ張って逃げ出したんだよな)

「やっぱり、謝りに行ってくる」
「あっ、清川さん。しょうがない、俺も行くか」

(結局、謝りに行く事になって。確かその後だったよな、清川さんがあんな表情してたの)

「ありがとう。一緒に謝ってくれて」
「別にそんな事はいいよ。でも、良かったね。簡単に許してもらえて」

気軽に公が言ったその言葉に望が暗く…いや、ちょっと困ったような、バツの悪そうな顔になって。

「あの館長さんね、私のファンなんだって。超高校級女スイマー、清川 望の」
「へぇ~そうだったんだ。そりゃラッキーだったじゃない?」
「うん…」

だが、彼女の表情は優れない。それに先ほどの彼女の言い回しが気になった。

「どうか、したの…?」
「うん…」

だが、すぐに望は答えることなく、しばらく二人とも無言で歩く。
遠くに中央公園の桜並木が見える。自然が好きな彼女に見せてあげたら元気になるだろうか? そんな事を考えていた公に、ようやく続きの言葉が紡がれた。
いつの間にか彼女は立ち止まっていて、公の少し後ろからこちらを見つめていた。

「あの…ね? 笑わないで聞いてくれる?」
「うん」

躊躇なく、公は頷いた。
ほんとかなぁ、なんて呟きながらも望は続きを話してくれる気になったようだ。

「私って何なのかな~って、思って。皆が私の事を知ってる。知ってくれてる。私が全然知らないような人さえも。でも、それは…」

そこで言葉を切って、公を窺う。笑うでもなく、問うでもなく、公は何も言わずに居た。

「でもそれは、私じゃなくて『水泳をしてる清川 望』の事で、私を知ってる人なんていないんじゃないかな、なんて…」

そこまで言い切り、表情を変える。今までの緊迫した空気が嘘のように。

「あはは、私、何言ってるんだろうね。自分でも何言ってるか…って主人君、今笑ったでしょッ!? 笑わないって言ったのに~っ!」



そう、『あの時』の表情と『今』の彼女の表情が同じなのだ。
あの時漏らした少女の想いは多分、心からのものだったのだろう。いつもはそんな素振りを見せない彼女だったが、だからこそあの時に見せた姿は清川 望という…水泳だけじゃない全てをひっくるめたものだった、ように思う。
それを「有名税だよ」なんて言い切ってしまうのは簡単かもしれない。その認識に間違いはないだろう。当事者でない第三者から見れば確かに事実だし、その事自体に対する憧憬や嫉妬もあるかもしれない。だが彼女が欲しいのはそんな言葉ではなくて。
公は、なんと返したのだっただろうか。肯定だったのか、否定だったのか。もしくはそれ以外の答えだったか。そう、あの時は確か…。

「違うよ」
「え?」

思い出の中ではない、『今』の彼女に答える。『あの時』の彼女に伝えたものとは違った言葉で、しかし同じ意味を込めて。

『俺が知ってる清川さんは確かに水泳が得意で大好きな娘だけど、それだけじゃなくて…』
「確かに水泳関係で名前を聞いたこともあるけど…」
『花なんかも大好きだし、雷も怖がる可愛い女の子だよ』
「俺が知ったのは、清川さんが学校の花壇の世話をしてるのを見かけたからだよ?」

水泳だけじゃない、普通の女の子として彼女を見ている人間も居る。その事を伝えたくて言葉を紡ぐ。今も昔も。
ただその言葉が、今はともかく昔の方は凄まじく恥ずかしい台詞になっていた事に気付かず、その後の彼女の照れ隠しの攻撃(攻撃?)に沈められた事までを思い出せなかったのは公の不覚である。

「えぇ…っ!? み、見てたの?」
「うん。やさしい娘だなぁって」
「も、もうっ!」

駄目押しの公の台詞に望が顔を真っ赤にして、軽く彼女にしては、軽く公の事を叩いて来る。その光景を見て、ようやく以前を展開も思い出した。身を以って。



「…えぇと、大丈夫?」
「あ…、うん。ダイジョウブだよ」

近くにあったベンチに腰掛けて休む公の顔を覗き込みながら、心配そうに聞いてくる望への返答が若干ぎこちないのは仕方ない。彼女の軽い攻撃(攻撃?)は今の疲労した公にはちょっぴりヘビー過ぎた。特に足を使って背後に飛ぶ事にとって衝撃を和らげる事が出来なかったのが痛い。物理的な意味で。
だが大丈夫だと答えたその事自体は嘘ではない。この程度は日常茶飯事だ。…少なくとも、以前では。そんな事を考え、その殺伐とした事実に精神的にもダメージを受けたりしつつ。
勝手に被害を大きくしている公に気付くはずもなく、だがその疲労具合は見て取った望はふと思いついたように聞いてくる。

「でもなんで主人くんはこんなに自主トレしてるの? もうすぐ体育祭だからそれに向けての特訓ってとこ?」
「あ~いや、俺は借り物競争くらいしか出ないし…」

そう、来週の土曜には体育祭が行われるのだ。まだ一週間以上あるとは言え、既に学校でも放課後にそれに向けて練習が組まれたりしている。そこで行われるのは主に高得点に繋がる競技に出場する者を対象としたものだが。例えば…

「え? 主人くん、リレーには出ないの?」

そう、クラス対抗のリレーだ。体育祭の一番最後の競技フォークダンスは競技に含まれないにして、一番大きな得点源となる競技。これに関しては他の競技との掛け持ちが認められるので各クラスとも最大戦力を投入出来るとあって、最も熾烈な、だからこそ最も盛り上がる種目となっている。

「いや、俺はそんなのに出るほどじゃないよ」
「そうなの? ふ~ん…まぁいいか。当日になれば分かるし」
「だから違うって…」

何故か望は信じてくれてないっぽい。例のバスケ部を壊滅させたとかってデマをまだ信じてるんだろうか? そう疑ってかかる公だが、その理由として望が彼の走るフォームを見たから、なんて理由は思いつく筈もなく。
だが公がリレーに出ないってのは本当である。前述のようにリレーに出場するのはクラスで一番早い者達である。男女の別はあるにしても記録の上の者から選んでいくのが当然だ。クラスで真ん中程度の(好雄と同程度だ!)の公が選ばれるはずもない。…ただ、その記録が4月が始まった時点のものである、という注釈が付くが。

「あ、でもA組って事は藤崎さんは出るんだよね?」
「詩織か…まぁね」

リレーのメンバーが男女二名ずつである以上、クラスの女子でダントツの詩織が出ないはずがない。いや、あまり公のクラスの男共がパッとしないので男女混ぜても一番だったりするのだが。しっかりしろよ、男子。なんて自分の事は棚に上げて評する公。
ともあれ、他所のクラスから見ても詩織が抜きん出てるのは一目瞭然であろうし、わざわざ隠す事もない。

「そっか、やっぱり藤崎さんも出るんだ」
「『も』って事は清川さんも出るの?」
「うん。藤崎さんって結構早いって聞いてるから勝負出来るといいんだけどね」

どうやら清川さんは詩織と走る事を楽しみにしてるらしい、と公は理解した。もしかすると今日、公とニアミスしたのも望がそれに向けての強化特訓か何かでコースを変えた為かもしれない。
一人で納得している公に対して更に望が問いを投げかける。

「主人くんは、藤崎さんと私ってどっちが早いと思う?」

幼馴染なら分かるよね? なんて続きが隠されてるように感じるのは公が穿ち過ぎてるのだろうか。それ以前に個人競技ならまだしもリレーで個人の早さを競う事はないと思うのだが。確かに二人ともアンカーになりそうではあるけど。
しかし、それでも公は考える。確かに水泳なら詩織に勝ち目はないだろうが、今回は陸上である。そちらでも望は勇名を轟かせているが、詩織はコンスタントに優秀…いや、完璧なので十分に勝負になるだろう。
強いて言えば詩織は体育祭の実行委員を兼ねているので練習に集中出来るワケではなく、それが不利な材料となるくらいか。…体育祭実行委員は学級委員が兼ねる、という事になっているので公も選ばれていたりするのだが。まぁそれは分析には関係ない。

「う~ん、清川さんの方が有利かな?」
「へ~、そうなんだ。主人くんはそう思う、っと。ちょっと自信出たかな? さて、と」

ホントに勝負するって決まったわけでもないのに、とか、俺の言葉で自信持たれても、とか思ってる間に望が中腰の姿勢から立ち上がる。
別に汚れてもないだろうにパンツを叩いてから手持ちのスポーツドリンクを飲もうとして口をつけ…眉を顰める。

「あれ?」
「ん? どうしたの?」
「あ、ジュースがなくなったみたいで。結構話し込んでたからかな」

確かに何だかんだで時間が経ってる。話の間もちょくちょく望がストローを咥えるのを見てたのでドリンクがなくなるのも納得出来る。が、『前』に残りのジュースを貰った事を覚えている公には若干残念だった。当然、間接キスの事も覚えている公君はちょっと気になるお年頃ですよ? 中身は大学生だが。
だから『前』を覚えているから、公は冗談めかして提案してみた。

「この牛乳、余ったからあげるよ」

なんて。
何故にこんなトコに牛乳を持ってきてるかとゆ~と、なんとなく勘が働いたからというか。勘と言っても、望と遭遇する事を予想したわけではなくて牛乳に何か混ぜられるような気がするという後ろ向きな予感だが。流石は『不幸』のニュータイプ。しかし仮に混ぜ物されても危険物なら判断出来ますよ? 過去の経験から。
とは言っても決して飲みかけのを渡そうとしてるわけではないですよ? 2本あるうちの口の空いてない方を渡そうとしているんですよ? ついでに言うと公だって万人が運動した後に牛乳を飲みたい、だなんて考えるだなんて思っては居らず、そんな状況でも牛乳を飲む(それも望んで)自分は希少な例だって自覚していますよ?
だが、目の前の彼女はそんな公の考えの右斜め上を逝っていて。

「ありがと」

なんて言って。
口の空いた方の牛乳を取り。
公ですら惚れ惚れとするような飲みっぷりを披露してくれた。

「ごちそうさま。ビンは返したらいい? …って、どうしたの、主人くん」
「あ、いや、その…間接キスが…

動揺のあまり、口の空いてない牛乳を掴んだまま、呟く公。次の瞬間には我に返って口を噤む。
多分、今のは聞こえてなかっただろうと思った。目の前の顔が、段々と赤く染まっていくのを見るまでは。人間ってここまで赤くなれるものなんだな~、なんて場違いな感想を持った公に。

「ば、馬鹿~ッッ!!」

という叫び声と一緒に空きビンが全力投球でプレゼントされた。その、眉間に。



その日、きらめき市にて早朝から顔を真っ赤にして爆走する少女の姿が見られたとか、見られなかったとか。



[484] Re[16]:あの素晴らしい日々をもう一度 第十七幕
Name: 牙草 流神◆cbfc02d5 ID:a584a97b
Date: 2011/02/16 15:03
早朝。
とは言っても、公としてはいつも起きていて近所の公園で一人で最近は何故か望が乱入してくることもあったが自主トレをしてる時間だったが、今日は違う。
早々に制服に着替え、登校中である。でもやっぱり一人で。通学路には他に人っ子一人見当たらない。
通常であれば、この時間帯であれば部活の朝練に急ぐ生徒が多々見られるはずであるのだが…。

今日は6月3日。6月の第一土曜日である今日は、きらめき高校で体育祭が行われる日であった。当時は当然のように土曜はお休みではないのです。だから代休もないよ?
そして彼、主人 公は学級委員の片割れなんぞを務めさせられてられていた。本人の意思に関わらず。
さて、この2つの事情がどのように絡んでくるのかというと…何のことはない、ここ、きらめき高校では一つの伝説があります学級委員が体育祭の準備委員、そればかりか文化祭、2年時に至っては修学旅行のまとめ役、3年ではアルバム委員、その他諸々を兼ねなくてはならないという恐怖の役職なのである…っ!!
それが知れたのは入学後のコトであるので、大多数の生徒は自分が選ばれなかった事に安堵の息を漏らしていたのだが、当然のように事前に知っていた公としては万難を排しても避けたかった事態である。元々『避ける』とかの意識もなく、自分には係わり合いのない出来事であるはずだったのだが…。その分、内申点アップも狙えるよ?
詩織? この程度の仕事でどうこう思うはずもない。

閑話休題。

かくして主人 公は体育祭の当日準備を執り行う為に一人とぼとぼと通学中なのであった。ちなみに体育祭の日は部活の活動は強制中止(隠れて活動した者が居た部にはペナルティ)となっている為、他に人影はないのである。他の準備委員? たまたま居ないんじゃね?
だが同じクラスの学級委員を務め、更にはお隣に住んでるどこぞの優等生くらいは一緒に居てもいいはずなのだが…。

(なんとゆーか、当たり前の光景なんだが…)

朝早くから、人気(ひとけ)のない道で独り言を言っている絵はあまりにも挙動不審な為、心の中で思うだけにするが。

(こうも改めて突きつけられると…ヘコむな)

その一緒に通う候補に挙げられた少女は、公とは同行出来ないことを伝えるまでもなく…彼らは別々に通学することとなった。お隣に住んでいても、約束しなければ一緒に通えるわけもなく。お互いに待つ義理もない。
そもそも、バスケ部の一件から開かれた詩織との距離は未だ縮むことはない。原因は分かった(つもりでいる)のだが、だからってどうする事も出来ない。
詩織とは学級委員、準備委員の仕事で事務的な言葉は交わすものの、それだけであった。あくまでも仕事上必要な最低限の交流。懐かしいと言えば懐かしいとも言えるのだが…入学式からの短い時期ではあったが、一時期仲良くしていた期間があった為、それが尚更堪える。真夏日なのに心に隙間風が染みる。

(ここまで計算の内だったりしてな…っと)

いつの間にか教室の前に辿り着いていたようだ。校門をくぐった記憶や、靴を履き替えた記憶もない。どうやら物思いに耽り過ぎたようだ。
この集中力? のせいで何度も失敗しており、そして今回も失敗する運命にあるのだがそれを彼は(いま)だ知らない。

とまれ、気を取り直して、誰も居ないであろう教室の扉を開ける。詩織はきっと、早々に準備にかかっていることだろうから教室に残っているわけもない。

「はや~っす」

帰宅部の次期エースと見込まれている程の逸材とは思えないくらいの体育会系な挨拶と共に。
だが、誰も答えないはずのその挨拶に返事があった。公の予想に反して。

「遅いっ! 遅いぞっ!? 公ッ!!」


あの素晴らしい日々をもう一度


第十七幕 或る兄妹




数分後、そこには学校外周にカラーコーンを陰鬱に置いて回る公の姿がっ!

「はぁ~」

溜息の重さがその陰鬱さに拍車を掛ける。
その原因は当然のように先ほど教室で公を待ち受けていた人物に起因する。
つい先ほどの出来事が今の公の脳裏が占めていた。



「好雄? なんで?」
「なんでもかんでもあるかっ! 俺が、俺達が勝利を掴む為には、弛まぬ努力が必要であることは明白ッ! そして、その為の仕込みを行う為に、俺は、今、ここに、居るんだっ!!」
「仕込み…?」

ここに居るはずもない男、早乙女 好雄あの毎日遅刻ギリギリの好雄がこんなに朝早く来ているはずがないっ!の姿に怪訝な声を上げた公だったが、その返答にさらに怪訝な声を上げさせられることとなった。
好雄の言う勝利とは、今日の体育祭での勝利体育祭ではクラス毎に各競技の点数を合計し、競い合うようになっている。ただし特に景品もないを指しているのだろう。多分。きっと。おそらく。そこまでは公にも分かる。だが努力…はともかくとして仕込みとは?
それに、過去3年以上の付き合いのある好雄がかつて、体育祭でここまでやる気を出していたことはなかったとある特定の種目を除いて。だが、この妙な気合の入れようはなんだろうか。

「そう、その通りっ! よくぞ聞いてくれた、公よっ!! 俺達のクラス、1-Aは有力な選手が居ない為にオッズが最低になってしまっている。それは仕方がないことだ…。だが、だがっ! 俺は気付いたんだ。だからこそ優勝した場合には大穴になれるとッ!!」
「オッズ…? 大穴…?」
「その為には俺は手段を選ばない。この俺の持てる情報網を活用し、他クラスの走順、選手の弱点、そして各競技の情報を入手し、クラスを勝利に導くのだーっ! そして賭け…げふんげふん」

今、『賭け』って言った。

「ではさらばだ、公っ! また後で会おうッ!!」

そう言うと、好雄は公が入っていた入り口とは別の教室の後ろ扉から飛び出していった。
止める暇もなかった。



その後、公は準備の指示を出す体育教師の元に行き、学校外周を走る3000メートル走(距離が長いので大変不人気な競技である)の為にカラーコーンを置いて回る役目を仰せつかった。
だがしかし、公の心を占めるのは先ほどの好雄の奇行である奇行だけならいつもの事なのだが。でも公も奇行に関しては他人の事を言えるような立場にはない。

前述のように好雄は間違っても体育祭に情熱を注ぐタイプではない。いや、なかった。そう、『以前』は。
だが、今回は暴走気味に動き回っているようだ。それにしてもこの好雄、ノリノリである。
それはきっと、好雄の口走っていた『賭け』に起因しているのだろう。
体育祭において実施される『賭け』自体は公も聞いたことがあった。他ならぬ好雄から。まぁ『前回』の話だが。
しかしその時は「博打で蔵を建てた奴は居ないしな」って、好雄が一笑に付し話は終わったはずだった。『過去』では。

なのに、『今回』の好雄はあのザマである。
『前』と何が違うのか…と公が考えるまでもなく、思い当たる点が1つだけある。

「バスケ部の件かよ…」

他ならぬ公が起こした事件である。もう、回りを気遣って独り言を止めることも思いつかない。というか独り言を吐いている自覚もない。
確か、好雄は公の勝利に賭け、散々利益を得たはずである。公もそのお零れのご相伴したので(食堂のランチ的な意味で)はっきりと覚えている。そして、どうやらあれで味を占めてしまったようである。

別に公とて何もかもが全て『前回』と同じである必要があると考えているわけではない。
だが、友達悪友であってもが賭け事にのめり込む、というのは『以前』と比べて良い変化ではないだろう。しかも、それが自分の行動によって引き起こされてしまったというのだから…。

「あ゛ー…」

どうしたものか頭を悩ませつつも、カラーコーンを定間隔で置いて回る作業は止まっていない。
だが、公は一つのことに集中し過ぎて他を疎かにすることが多々ある。いわんや、2つの作業を同時に進めていた場合、その他の出来事に対しての反応はどうなってしまうか。

「すいませ~ん。あのぉー、お兄ちゃん、知りませんか?」
「ん? 好雄なら学校の中を走り回ってると思うよ」

そうですか、ありがとうございます。そんな言葉も聞き流しながら公は悩み続けていた。
それからしばらくして、ふと違和感に気付いて顔を上げた時、そこには誰も居なかった。
年下の少女など、何処にも。



よくない予感がする。公の予感はよく当たる。特によくない場合には。しかも手遅れになってから。
どうも、自分は考えに夢中になっていた為に『何か』に自動的に対処してしまったような気がする。
それまで悩んでいた内容を幸か不幸か綺麗さっぱりに忘れ、新しい問題に頭を悩ませている公。
それでもカラーコーンの設置作業は自動的に行われていたが…それも校門に来たところでピタリと止まってしまった。

門柱の所に佇む、一人の少女。
その身を包む衣装は明らかにきらめき高校のものとは異なる、灰色を基調とした制服であった。もちろん女子の。

カラーコーンの設置が一通り校門から初めていた為、校門まで戻れば一回りである完了した公は、その少女に視線を合わせないように通り過ぎることにした。重労働であったけでもないのにビッシリと汗をかきつつ。
そのまま何事もなく待ちぼうけの少女の隣を通り抜けようとした…が、そんな公の望みが叶うはずもなく。

「あ、さっきの人だー」

捕まった。
声を掛けられては流石に無視するわけにもいかない。諦めて応対することとする。

「えぇと、君は? とき中の娘?」

知っているのに白々しくも誰何してみる。
ちなみに『とき中』とは『ときめき中学校』の事である。ときめき中学校は公(と詩織)が通っていたきらめき中学(通称とき中)とは別の中学校で、隣接した学区を持つ。目の前の彼女が着ている灰色の制服がとき中のものであり、見る人が見れば一目瞭然である。
更にはとき中には好雄がかつて通っていた学校であり…

「あ、はい。私、早乙女 優美って言います」

彼の妹である優美が現在進行形でそこに通っているのであった。



「じゃあ早乙女さんはお兄さんにお弁当を届けに来たんだ」
「はい。お兄ちゃんたらお弁当も持たないで珍しく早くに飛び出して行っちゃったんです。それで優美が届ける羽目になっちゃったんですよぉ!」

まぁ好雄のあの様子なら(むべ)なるかな、と思う若き日の公であった。

優美の自己紹介の後、彼女がこんなトコ中学生の彼女にとって兄が通うとは言え、早朝の高校の校門は『こんなトコ』であろうに居る理由を聞いてみたところ、そんな話が聞けた。
彼女自身もこれから部活バスケ部であるがあるだろうに全くご苦労な事である。

「そっか。大変だったね」

じゃあ俺はここで、なんて繋げようとした公だったが、それは優美の発言に遮られた。

「でもー、優美、高校に入るわけにもいかないし、部活があるから急がないといけなくて…」

上目遣いに公の事を見る優美。それは優美のお願いのポーズである事を公は知っていた。『かつて』、そのお願いに頻繁に振り回されてきた公は、よっく知っていた。

「…はぁ。分かったよ。それじゃ、それをお兄さんに渡しておけばいいんだね?」
「はいっ! お願いします!!」

輝くような笑顔で答える優美。どうやら公の溜息は聞こえなかったようである。それでこそ早乙女 優美である。

「で、お兄さんの名前とクラスは分かる?」

彼女の兄である好雄の事など嫌と言うほど知っている出会って二ヶ月程度であるが、三年来の付き合いであるっ!のだが、優美とは初対面であるという設定の為、敢えて聞いてみる。知っているのに知らないフリをするのは大変だ。でも同じミスを繰り返さない為には必要な手順である!

「あ、お兄ちゃんは好雄って名前で…確か1-Aだったと思います」
「あー、好雄の妹だったのか」

どうりで聞いたことのある声だった、と、『今回』好雄の家に電話した際に優美の声を聞いた事がある公は続けておこうと思った。フラグ管理は地獄だぜ! フゥハハハーハァー
しかしそれも優美に遮られる事となった。

「でも…さっき、お兄ちゃんの名前を言ってませんでしたっけ?」

公の顔が凍りついた。



優美の言う「さっき」とは、当然、公がカラーコーンを配置している際に無意識に答えていた時の事である。
その時は、優美の声に自動的に反応して好雄の名前を出していたが、優美とは知り合っておらず、当然好雄の妹である事など知っているハズがない。
彼女の「お兄ちゃん」を聞かれて「好雄」の名前を出しては駄目だったのである。駄目駄目である。
校門で優美と再開した時にすぐにツッコんでくる様子がなかったので安心していたのだが、やっぱり流せなかったようである…。

好雄に電話した時に取り次いでくれた優美の声を聞いていたからすぐに分かったと答えるか? いや、それでは弱過ぎる。それに知っていたなら彼女の兄の事を聞いた理由にはならない。いや、案外「あはは、ボケてたよー」の一言で済むかもしれないが。
しかし公は妥協しなかった。その二流大学になら入学出来る程度の頭脳(あまり凄くはない)をフル回転させて、なんとか言い訳を考える。そして、その結果、余計なドツボに嵌るのだった。

「そうですかー、お兄ちゃんが…」
「ああ、実は優美ちゃんの写真を見せて来てね。『これが俺の妹なんだぞー、可愛いだろっ!』って煩くって」
「ふーん…」
「でもね、好雄が『俺が妹を自慢しまくってる事は妹には言わないでくれよ』とか言うからさ、俺も知らないフリするしかなくってさ」
「そうなんだー。もう、お兄ちゃんったらっ!」

ドツボに嵌った。いや、嵌めた。好雄を。売った、とも言う。
でも人間、我が身が一番可愛いよね?

優美の事を知っていて、かつそれを隠していた理由として好雄経由で知ってた事にした。更に好雄から口止めされていた、とも。
実は妹の事が大好きで周りに自慢しまくっているけど、恥ずかしいから一緒には帰れない妹には言わないでね、とのたまうシスコン兄の一丁上がりである。汚い公マジ汚い。

「お兄ちゃんったら、外でそんな恥ずかしい事を…」

しかしそれを当の妹がどのように受け取るかは別である。

「帰ったらお仕置きしないとね」

呟くような声。しかしそれは公にも聞こえていた。なにそれこわい。
本日、体育祭の後に好雄がプロレス技の実験台にされることは確定なようである。
公の背中に薄ら寒いものが走ったが、それを無視して明るく声を掛ける。

「さ、早乙女さん…? とまれ、好雄にそのお弁当を渡しておくよ」

動揺しているのは見逃して欲しい。

「あ、はい。ありがとうございます。あぁ、私の事は優美でいいですよ? お兄ちゃんのお友達みたいですし」

そういえば、電話で声を聞いた覚えもありますし、と続ける優美。

「わかったよ。優美、ちゃん…」
「はいっ!」

懐かしい呼び方。『前に』優美に会ったのは卒業式の日だから三ヶ月程度しか経っていないはずなのに、とても懐かしい呼び方な気がする。
この二ヶ月の間、好雄に電話して優美が出る度、知らない人間に対する態度を取られていた為に余計にそう感じるのだろうか。
しかし仮に本当に好雄から写真を見せられていたとしても、先ほどは優美の顔も見ずに声を聞いただけで返事をしていたという矛盾はあるのだが…優美がそこまではツッコんでこなくてよかった。いや、全く。ご都合主義なだけだが。
公がそんな感慨に(ふけ)っていると、ようやく優美が弁当を渡してくる。

「それじゃ、お願いしますね」
「うん、任された」

そう言って、腕を伸ばしてお弁当を受け取る。
その時、絶対零度(アブソリュート・ゼロ)が世界を支配した。

「主人君…準備は終わったのかしら?」



その声を聞いても公はこの、肌を刺すような寒さの原因にすぐには思い至らなかった。いや、気付かないようにしていた。

(あぁ、優美ちゃんからお弁当を渡されるのが『以前』の優美ちゃんの手作り弁当を思い出させるからかな? いやいや、大丈夫だよ。今回のこれは優美ちゃんの手作りじゃないし、仮にそうだとしても食べるのは俺じゃないんだし…)

先ほどの、優美が好雄に対しての「お仕置き」を誓っていた際に感じた寒さが暖かくすら感じる程の、寒さ。

(ははは、寒いなぁ。お弁当を持った腕が動かないや。早く引き戻さないと優美ちゃんが変に思うだろ、俺。ほら、動け動け動け…っ!)

だが彼の意思とは反して腕は動かない。その代わりに、彼の首が、何かに惹き寄せられるように動き出す。後ろを振り返るように。
そこには、居た。
鬼が居た。
紅い、鬼だった。



「…」

声が出なかった。ヒューヒューという音がやけに耳につく。何の音かと思ったら何のことはない、自分の呼吸音だった。

「戻ってくるのが遅いようだったから様子を見に来たの。まだ他にも準備しなきゃいけないことはあるのよ?」

台詞は公の事を気遣っているような内容だが、その言葉の温度はそれと一致しない。
静かな、だが深い怒りを感じる。ビリビリと。

「そうしたら主人君たら、中学生と仲良くしてるみたいだったんだけど。お邪魔だったかしら?」

文末は疑問文になっているが、それは公に対する問い掛けではなかった。
目の前の存在が発する重圧(プレッシャー)にゴクリ、と生唾を嚥下する音すらも大きく聞こえる。
だがこのまま黙っているワケにもいかない。

「ち、違うんだ、詩織…いや、藤崎さん…」

目の前の紅い鬼藤崎 詩織嬢を名前で呼んでしまい、その際の眼光の鋭さに慌てて苗字で呼び直す。
だがそれにどれほどの効果があったというのだろうか。

「ふぅん、何が違うのかしら?」

何が違うのだろう? 笑ってしまう事に公は自分自身ですらその回答が見つけられなかった。
あまりの非現実感に現実逃避し、今の状況を客観的に見てしまうくらいに。
何だ、この状況は。まるで浮気現場を目撃された夫、いや彼氏みたいな状態じゃないか、と。
現実にはそのような事は有り得ない。詩織と自分はただの幼馴染、いや、最近は幼馴染ですらなくなっているのかもしれない。ただのクラスメート、強いて言えば同じ学級委員というくらいか。
ただ単に、準備委員としての仕事をサボっている公を見つけ、注意しに来ただけなのだろう。元々、バスケ部の件もあって公に隔意を感じていた上での出来事なのでつい口調(口調?)が厳しくなっているだけだと思われる。そうであるはずだ。だが、何か忘れていないだろうか…?

「あら? お弁当、かしら?」

そうこうしている間にも詩織はこちらに近付いて来ており。
そうして公と中学生優美の事だけでなく、彼らがお弁当を受け渡しているのが視界に入ったらしい。

「へー、この娘にお弁当を作ってもらってたのね、主人君」
「あ…う…ちが…」

何だろう。なんでこんな状況になっているんだろう? なんでこんなに重圧(プレッシャー)を感じるのだろう? でもって何で俺はこんなに焦らないといけないんだろう?
ワケも分からず公が弁解しようとしていると…この場に居た、最後の一人が動き出す。

「詩織…? 藤崎…? あっ、あのッ! もしかしてきら中の藤崎さんですかっ!?」

詩織の登場に今まで置いておかれていた優美が、突然声を上げた。
どうやら詩織の事を知っているらしいが。
公の手に渡されかけていた弁当を放り出して(慌てて公がキャッチしたが)、詩織の傍に駆け寄っている。あ、抱きついた。

「え、えぇ?」
「あ、私、とき中の早乙女って言いますっ! きら中の藤崎さんですよねっ!! 大会で活躍してるの、見てましたっ!!!」

凄い凄い。テンション高ぇー。エクスクラメーションマークが飛び交っている。
そういえば優美はバスケ部であった。中学からバスケを続けており、『かつて』は高校でもバスケ部に入学。公とは男女の別はあるにせよ、ちょこちょこと交流があった。詩織よりもよっぽど。
そういえば、きらめき高校に入学した当初も詩織の追っかけみたいなことをしてたなー、と懐かしくも思い出す。
どうやら自分が窮地を脱したようなので余裕な公君です。

「あ、そうなの。ありが…」
「大会の時、藤崎さんの動き、凄かったですっ! 相手のガードを、こう、パッと躱してシュートに持っていく姿なんて…っ!!」

詩織のお礼すら聞こえないように、顔を真っ赤にして捲くし立てる優美。微笑ましい光景だなぁ、当人以外は。
そこに自分という不要な因子が混じるのはよくない。無粋である。よって、一刻も早くここを離れよう、そうしよう。

「じゃあ積もる話もあるようだし、俺は先に戻ってるよ。体育祭の準備もまだあるみたいだしね。いや、大丈夫。しお…、藤崎さんは少し用事があって遅れるって伝えておくからっ!」

何かに急き立てられるように、一息でそこまで伝えるとその場を後にする。後ろは振り向かない。俺は過去を振り返らない男。若さってなんだ? 振り向かないことさっ!
もっとも、優美に纏わり付かれている詩織にそれが聞こえているかどうかは不明だが。

「あっ! 主人君、ちょっと待ちなさいっ! 待って、待ってってばー、公ーっ!」
「藤崎さん、優美の話を聞いて下さいよっ! それで、その時優美は藤崎さんみたいになるんだって誓って…」

離れ行く公の姿を見咎めた詩織が声を上げるが、残念ながら公には聞こえないのだった。そう、聞こえないのです。



数分後、そこには元気に学園祭の準備をする公の姿がっ!
「もうあんなことはこりごりだよ」と公が言ったかは定かではない。
ついでに「大魔王からは逃げられない」を翻した男として賞賛されることも、またなかったのである。


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