そこは雑多な商店街だった。行政による計画された商業地域には無い種類の活気と、喧騒に満ちたところである。
地元の住民はその商店街のことを単に「高架下」とだけ呼んでいる。名称の由来は実に単純で、国営鉄道の高架の下に延々と1キロほども続く商店街だからだ。
やたらと歴史を感じさせる煤けた看板を出す店もあれば、一ヶ月、二ヶ月でコロコロとお店が入れ代わるのもさして珍しく無く、売っているものにも統一感などというものはまるで期待できない。
服、靴などの生活用品から東エイジアン辺りの輸入雑貨、最早通常の流通経路には乗っていないほどに古い電化製品などなど、港町ウベのアングラかつディープな部分が地元住民にも理解不能な形で凝縮されたところなのである。
レオリオはそんな高架下がお気に入りだった。何せ二週間も経てば発掘しがいのありそうな妙な店が増えたり減ったりしているのである。
今回はたまたま前回訪れた時から一ヶ月ほど期間が空いていたので、何か面白い店は出来てないかなといった面持ちで、薄暗い照明の中を歩いていた。
果たして儲かっている店があるのだろうかと疑問に思う店が連なっているものの、今彼が歩いているのは駅の近くであり人通り自体は決して少なくはない。
レオリオと同じように冷やかし目的の連中がダラダラと歩いており、元々狭い通路であるからすれ違う際には肩がぶつからないよう気をつける必要がある。
雰囲気から誰でも分かることだが、治安は全く持って良くは無い。安っぽいケースに入れられて無造作に積まれた一枚六百ゼニーの裏ビデオなどを冷やかしながら、ただブラブラと進んでいく。
そしてふと気が付くと人通りの途絶えた場所まで来てしまっていた。
(シタロクまで来ちまったか)
高架下商店街六番街、通称シタロクはほぼ完全に廃れてしまったシャッター街である。開いている店もあるにはあるが、正直足を踏み入れたくない雰囲気の店ばかりだ。
何というか一度入ったら二度と出てこれないのではないかと思わせる不気味さがあるのである。ここまで歩いてきてしまうと、元々降りたミヤサン駅にUターンして戻るよりもこのまま直進してチマトモ駅を目指した方が早い、そこから今日は帰宅しようと決めてシャッター街の中を進んでいくことにする。
そうして少しした時だった、十メートルほど先をこちら側に歩いてきていた少女が突然レオリオから見て右側の店の中へと引っ張り込まれたのである。
「やーなもん見ちまったなぁ」
そういうことが行われても不思議ではない場所であるし、行方不明者が出たなどの話を聞いたこともある。
しかし、レオリオの目の前で起きたのは初めてだ。どれどれと少女が引っ張り込まれた店の前まで歩いて中を覗き見ると、少女も店番の姿もない。
それどころか商品も何も存在せず、何年も使われていなかったことが簡単に伺えるほどにかびた匂いが鼻をついた。
誰かを引っ張り込むために最近開けられた穴だということが丸分かりである。
(おいおい、誘拐確定かよ。どうする、どうするってか踏み込むしか無いんだけどよっ。ちまっこい女の子だったしなっ。なあにこの喧嘩無敵のレオリオ様にかかりゃあ誘拐犯の一人や二人くらいって――何で俺は一歩も動けないんだ!!)
店の裏手から出て待機している車に押し込むのならば、少女が抵抗することを考えにいれてももうギリギリのタイミングだ。
なのに何故かレオリオは店の前から一歩も中に進むことができないでいた。
首筋を冷や汗が流れるのが分かる、荒くなった呼吸音が耳にうるさい。とんでもなく嫌な予感が全身を支配し、叶うならば今すぐ逃げ出したいくらいだ。
(畜生! 動けよ俺の脚!!)
レオリオがそうやって逃げ出そうとする身体を必死に留めていたのはたかだか三十秒といったところだっただろう。
しかしレオリオにとってその三十秒は余りにも長く、精神の消耗は激しかった。だから彼を襲った怖気が突然霧散した瞬間、必死に前を目指していた身体から足の力が失われて、レオリオは店の中へと倒れこんだ。
口に入った埃を慌てて唾とともに吐き出していると店の奥にあったドアが開く気配がしたので、しゃがんだ姿勢ながらも咄嗟に身構える。
そうして現れたのは誘拐犯ではなく引っ張りこまれた少女の方だった。身長はおおよそ百三十センチといったあたりだろうか、黒目にこれまた黒くすっきりとしたショートカットが良く似合っている。
彼女はレオリオを見るとすぐに状況を察したようで、彼に近づいて腰を落とした。
「ごめんなさい、大丈夫ですか?」
覗きこんで来る彼女の表情からするとどうやら本気で心配されているらしい。
何故だか分からないが目の前で少女誘拐という事態はさったようである。レオリオは安心して座り込むと少女に尋ねた。
「何でお前が謝るんだ? っていうか誘拐ぽかったけどもう大丈夫なのかよ」
そのように尋ねながらも、レオリオは直観していた。
恐ろしく馬鹿らしいが先ほどまでの怖気は彼女のせいであり、少女は自分で誘拐犯をどうにかしたのだろうと。
「あー、えっとですね、とりあえず誘拐犯さんは大丈夫です。問題なし」
「ならいいけどよ」
ぎこちなく答える少女に自らの直観が合っていることを確信しつつも、やはりひどくふざけていると思う。
十七歳にして百九十センチに届かんという長身のレオリオからすると彼女は酷くか弱く見えた。
スラリとした手足と顔立ちからして将来美人にはなるだろうが、誘拐犯を叩きのめしたりレオリオをその場に磔にした怖気を発する姿など想像もつかないのである。
「気分、悪いですよね?」
「――ああ、まあすぐ治るだろ」
レオリオに問う内容からして彼女はレオリオがひどく精神的に消耗している原因をしっているに違いない。
だが、ごくごく普通の女の子としてやり取りをしている中でそこを質問してしまって大丈夫なものだろうか、どうなったのかは知らないが誘拐犯と同じ状態になってしまったら目もあてられない。
内心で警戒を深くするレオリオに対して、少女はそのことに気づいているのかいないのか、よしと頷くと微笑みながらこう提案した。
「ここじゃ気分も晴れませんから、外に出ましょう。座るところを探してゆっくりしませんか?」
その顔に何となく毒気を抜かれて、しりもちをついていたレオリオは彼女の伸ばした手を取る。
そして、もしかして馬鹿力の持ち主だったりするのかなとふと思った彼はぐいっとその手を引っ張ってみた。
「わっと」
少女の細身の体そのままの手応えで、体半分回転させながらレオリオへと倒れこんできたので両手で抱きかかえる。
「もー何するんですか」
「いや悪い、もしかしたら軽々と引っ張り挙げてくれるのかなって思ってよ」
上を見上げてレオリオに文句を言う少女に適当に返しつつ、あまり長くこの体勢でいると問題があるので素早く少女を持ち上げながら立ち上がって横に降ろした。
「質量的に無理ですからね、それは」
「はは、悪かったよ」
ポーズで口先をとがらせ、正当な不満を表明する少女にわびを入れておく。そろそろ名前が分からないのも不便になってきたのでまずは自分からと口を開いた。
「俺はレオリオだ、お前は?」
そうレオリオはただ名前を告げただけである。だが少女の反応は少々変だった。
「えっ、ウソっ」
口に手を当てながらやたら失礼な事を呟くとまじまじと彼の顔を観察し始めたのである。まあ十秒かそこらで自らの不審な様子には気がついたらしい。
「あっ、えっとね。私はエレナ、エレナ=マグチ」
「何か今すげえ失礼なこと小声で抜かさなかったか?」
妙に怪しげな反応が気にかかって、レオリオは彼女のファミリーネームを聞き流してしまった。その事により彼は後々苦労することになる。
「いやいやいやいや何をおっしゃるリオレオさん」
「レオリオだっ」
「うんっ、じゃあ行きましょうレオリオさん」
そう言ってエレナはレオリオの手を掴むと引っ張って外へと歩き始めた。
■
「へー、レオリオさんってハンターを目指してらっしゃるんですか」
「ああ、まあ高等部卒業した後の話だけどな」
チマトモ駅近くの喫茶店で二人はお茶を飲みつつ話をしていた。レオリオとしては何をやっているんだかという気分が拭えない。
あの時の怖気の原因は気になるが、正直踏み込む気はしない以上目の前の少女とはあそこでお別れしておくのがベストだったはずだ。年齢も十歳ということだから手をつけるというわけにもいかない。
(ま、お喋りに付き合うくらいならいいか)
とても楽しいというわけではないが、ひどく詰まらないということもない。
基本的には少女の質問に答えているだけだが、彼女の様子を眺めていることで退屈にはならなかった。妹がいればこんな感じかもしれないと少しだけ思う。
「ところでお前さ、俺みたいなまー何というかチンピラといて怖くないのか?」
今日出会ったばかりでもあるし、身長や体格の違いからしても怖がるのが普通だろう。そもそもレオリオの顔からして品があるとは言い難いのは自覚している。
「大丈夫です。助けようとしてくれたのだと分かりますから」
第三者から見れば無様に立ち竦んでいただけのはずのレオリオに、そんなことをさらっと言うからにはやはりその原因について確かに知っているのだろうなという認識を深める。
そしてそのことはもしかしたら秘密でも何でもないのかもしれない。
(それとも俺のことをとんでもない馬鹿だとでも思ってんじゃないかこいつ)
どちらにせよこうも"ちらつかされる"とやはり質問しないわけにもいかないだろう。
「そうか。でもあの時何かすげーやな感じがして一歩も動けなかったんだが、ありゃ何だ?」
「何だと思います?」
澄ました顔で質問に質問を返してきた少女に適当に思いついた言葉を告げる。
「超能力とか」
「アタリです」
何とも適当に答えて紅茶に口を付けるエレナに対して、レオリオはテーブルの下で握った拳に力を込めた。
やはりどうにも馬鹿にされているような気が拭えない。
「正確に言えば、ほぼ正解といったところですね。ハンター試験をお受けになるのなら役に立つと思いますけど、習ってみますか? 超能力」
何だかなーと言った感じである。普通の女の子が通常の誘拐事件に巻き込まれたところに関わったというのとは余りにも妙な事態になってしまっている。
出会ったときからずっと彼女のペースで物事が進んでいることもあって疑念は膨らむばかりだ。だがどう考えても自分を詐欺にかけるようなメリットもない。
エレナの狙いなど考えても分からないのは確かなので、面倒になったレオリオは直接確かめることにした。
「何を企んでるんだお前、正直俺を騙しても何のメリットもないと思うんだが」
レオリオの言葉に何故かエレナは照れ笑いのような表情を浮かべてみせた。
「いや、メリットも何も、人を騙すのって楽しいじゃないですか」
「なるほど、騙すことそれ自体が既にメリット……ってだからって俺を騙すなって」
思わずしてしまったノリ突っ込みにたいして、おぉっとエレナから感嘆の息が漏れる。
「まあ、本音は置いておくとして、超能力というのは別に騙してはいませんよ」
「で、結局何だったんだよあれ」
じゃあ遠慮なく聞かせてもらおうというレオリオの言葉にエレナが口をとがらせる。
「えー、そこはまず"本音は置いておくとして"の部分の突っ込みから入りましょうよー」
「そこまでいちいち突っ込んでたら疲れるだろうが。で、俺はどうすりゃいいんだ? からくりを教えてもらうにはよ」
予想はしていた不満に苦笑で返す。全てのぼけに突っ込みを返すようなサービス精神はレオリオには無かった。
最も、基本的に直情径行な人間ではあるので大抵のぼけには突っ込むわけだが、目の前の少女に対してそれをやっていたらきりがなさそうである。
「というわけでですね、私と友達になって下さい」
レオリオが求めた条件の提示なのだろう、エレナが笑いながらそう切り出す。
「はぁっ?」
意外と言えばあまりにも意外な物言いに、思わず呆れた声が漏れてしまった。
レオリオは十七歳であるためエレナとの歳の差は七つにもなる。二十を超えてからの七歳差であればともかくとして、今現在の彼らの年頃では通常友達とはなりえない年齢差と言えるだろう。
「友達って、お前なあ」
「じゃあ私とレオリオさんが仲良くなった場合その関係は何って言うのが良いと思います? 友達くらいしか無いような気がしますけど」
友達という表現に違和感のあったレオリオだが、じゃあ他に何かあるかと聞かれれば確かにこれといった適切な単語は無い。
男と女とはいえ、どう考えても恋人には成り得ないのだからやはり友達くらいしか無いだろう。
が、それは仲良くなるならの話である。
「お前俺と友達になりてーとかって思ってんのか?」
「はい、是非仲良くさせて頂ければと」
どうやら話が彼女の望む方向へと進むのではないかと感じたらしいエレナが微笑む。まあ何というか可愛らしいなあと思いつつレオリオは言葉を紡いだ。
「そっか、でもまあその条件は無しだな。何か他に教えてくれる条件はあるか?」
「えっ」
彼の言葉に固まるエレナに向けてニヤリと笑いつつ、レオリオは返事を催促しようとして――
突如全身を襲った恐怖感に耐え切れずに嘔吐した。