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[4970] 聖王と王冠  (現実→リリカルなのは) 【完結】
Name: 男爵イモ◆16267a69 ID:23e52052
Date: 2008/12/14 20:31
・いわゆる現実からの憑依モノ(?)ですが、憑依先は原作キャラクターではありません。
・男→幼女です。
・物語の開始は機動六課の解散後です。

 話数はそれほど多くならないかと思いますが、お付き合いいただければ幸いです。


 



[4970] 第1話
Name: 男爵イモ◆16267a69 ID:23e52052
Date: 2008/11/24 20:23
◆◇◆

 広域指名手配犯ジェイル・スカリエッティによる一連の事件は終結を見たが、幹が唐突に朽ちたところで枝葉はしばらく生き残る。幹の健在期間中にまかれた種の存在も、誰にも否定できはしない。それらをしらみつぶしに探し、文字通り潰すのが仕事の捜査官たちにとっての本当に忙しい日々は、スカリエッティが逮捕されてからのことだった。
 スカリエッティは捜査に非協力的な姿勢を崩そうとしないが、それが必要ないほどに、撃てば当たる状態だったのだ。それらしいところを調査すれば十中八九違法研究が行われた、あるいは現在進行形で行われている研究施設にたどりつくという現状は、今日までにどれほどの悪が見逃されてきたのかを否応なく物語り、見せつけ、管理局の捜査官たちを大いに唸らせた。
 以前からスカリエッティを追っていたため、他の捜査官たちよりもある程度の覚悟ができていたフェイト・T・ハラオウン執務官にしても、それは同様だった。彼女の出生には違法研究であるプロジェクトFが関わっている、否、そのものであるといっていいため、倫理を踏みにじり人命を材料に発展するその手の研究への思いは複雑なものがある。しかし態度は一貫し否定的だ。生まれた命に罪はなくとも、命が生まれるまでの犠牲を積極的に容認する研究は、憎しみの対象に十分なる。人として正常な感覚だった。

 機動六課が解散し、本局次元航行部隊に復帰してからというもの、フェイトの仕事は山のように積み上がり、その重量によるものだろうか、時間は圧縮されたかの如く短く感じられ、瞬く間に過ぎていく。
 一匹見たら十匹いると思え。捜査の結果、今ではそう言われるほど、調査すべき違法研究施設が多々発見されている。この日も、幾百幾千の内の一つと思わしき施設への突入ならびに確保を目的に、執務官補佐であるティアナ・ランスターを伴って現場へ向かっていた。
 愛車の助手席から窓ガラス越しに見上げた曇天は、腐った獣の亡骸みたいに濁っている。そのように感じられるのは、心が疲れているからだろうか。連日の勤務は身体に疲労を刻むが、精神の消耗と比べれば大したものではなかった。
 犯罪の捜査は、矢面に立って人間の悪意に接する仕事だ。それは刃で以て切り結ぶのによく似ている。人の善性を信じたがる心を守るために用意した防壁は、けれども鋼鉄のように重くて、維持するだけで多大なエネルギーを消費してしまうのだ。傷ついた表面をどうにか取り繕うのにだって、少なくない労力が必要となる。

「フェイトさん?」

 運転席でハンドルを握るティアナが、視線を前方に向けたまま尋ねた。
 わずかに反応が遅れ、フェイトは返事をする。

「……うん? どうしたの? ティアナ」
「いえ。お疲れのようでしたので」

 そう言うティアナは、最近になってフェイトの下に就いた補佐官だった。もし彼女がいなかったらと思うとぞっとする。要するに、それだけの激務をこなしているのが現状だった。今日も、睡眠不足の重たい頭で各所に渡りをつけ、各所から入ってくる気が遠くなるような量の捜査資料に目を通すだけで、午前が終わってしまっていた。しかしそれはティアナにしても同じこと。執務官を目指す彼女にとっての良き先達であるためには、自分だけが疲れているなどと思いあがるわけにはいかない。

「どこかで少し休憩していきますか?」

 今度はちらりと視線をよこした運転手に、首を振ってみせる。

「大丈夫。それに今回はいつもに増して早さが命だから、急がないと。でも、これが終わったら少し休もうか」
「わかりました。でしたら今だけは全力全開で頑張って、後でたっぷり休みましょう」

 二人ともが望んで無茶をすることで生まれた共犯者めいた了解が何やらおかしくて、口の端に笑みが浮かんだ。
 空を見上げる。
 停滞していた雲がいつの間にか流れ去り、ほんの小さな切れ間から陽光が差していた。陰影は先ほどとは全く違う模様を描いている。
 もう少しだけ頑張れそうだ。
 交通量の少ない道を、黒いスポーツカーが唸りをあげて疾走する。







 違法な施設というものは、研究所に限らず地下にあることが少なくない。主な理由は、存在の隠匿がしやすいからだ。地上に建造物がないだけで、発見の難度は大幅に上昇する。入口の偽装をされると、発見はさらに遅れることとなる。
 違法行為を自覚しているからこそ施設の隠匿に努めるのだろうが、なぜ違法だと理解しながら違法行為を行うのか。その理由の一つの可能性について、フェイトは自身の過去に心当たりがあったものの、まっとうな人生を送ることを許された結果、今では犯罪者たちの思考は辛うじて理解できても共感はできない域にあるものとなっていた。それに、フェイトが捜査を手がける種類の犯罪についていえば、自ら好んで罪を犯す者が圧倒的に多い。代表的なのは、やはりジェイル・スカリエッティだ。
 逮捕された彼は、逮捕前にあれほどよく喋った口をつぐみ捜査に非協力的な姿勢を貫いている。しかし管理局の中枢とどのようなつながりがあったかは、既に明らかとなりつつあった。今回の施設に目を付けたのも、実は管理局の内側からのびた細い糸を辿った結果である。

 最初はまさかと思ったが、実際に見てみれば間違いない。多くが人の存在しない世界に設けられる研究所が、今回は、次元世界の軸ともいえるミッドチルダの、さらにその軸たる首都クラナガン――つまり管理局のミッドチルダ地上本部――の目と鼻の先に存在していたのだ。

 打ち捨てられた廃墟の森を形作るビルの一つに踏み込んだ時点で、この建物が最近まで利用されていたことが知れた。厚く積もった砂や埃に足跡が残っていたなどという迂闊すぎるものではないが、それと似たりよったりで、足跡が残る砂や埃がそもそも存在しないという確たる証拠があったからだ。
 そうであるとの確信のもとに調べれば、地下へと下る階段が隠されていることにも、二人はすぐに気がついた。
 薄汚れた床に、置いていたものを最近どかしたかのように、綺麗な正方形。一メートル四方ほどのそれは、よく見ると床に入った切れ込みが四辺になっている。他の施設と比べて偽装が甘いのは、そもそもこの場所であるということが隠れ蓑になっているからか。それとも、廃棄済みなので最低限で済ませたのか。だとすれば、大した残留品はないだろうが、果たして……。

 ティアナが周囲を警戒している間に、フェイトが床の隠し扉を開き、予想通りに階段が姿を現した。
 暗い穴は、まるで獲物を丸呑みする蛇の口。悪意が舌のようにちろりちろりと見え隠れする錯覚。
 バリアジャケットを展開し、魔導師としてランクの高いフェイトが先に立ち、慎重に階段を下っていく。せまく細長い空間に二人分の足音が反響する。
 体感にして数階分下ったころ、ついに奥へと続く扉に突き当たった。開くための鍵は、設置されている装置から見て網膜と指紋による認証のようだが、電気が通っていないため、機能していないらしかった。取っ手などはなく、手動で開くようにはなっていないようである。
 振り返り、ティアナと顔を合わせ、頷きあう。
 再び扉に向きなおり、

「バルディッシュ」
『Sir』

 黒い杖を扉に押し当て、

『Break Impulse』

 扉が持つ固有振動数に合わせた振動エネルギーを送り込み、一瞬の間を置き―――粉砕。間髪入れず室内に身を滑り込ませ、バルディッシュを構えて警戒しつつ人の気配を探す。
 少し遅れて、後方にもいくらか意識を割いたままのティアナも室内に足を踏み入れる。

「廃棄済み、ですか」

 ティアナが呟いたとおり、人の気配はなく、場には機能停止した施設特有の伽藍とした気配が漂っていた。照明も機能しておらず、適当な魔法で照らされた部屋の隅には暗闇が澱んでいる。

「五分五分だったとはいえ、間に合うかもしれないと思っただけに、残念ですね……」
「……うん。そうだね」

 最高評議会が倒れても、その周囲から外へと伸びたラインには生きたままのものがあった。今回、その一つを追った果てにたどり着いた場所なだけに、施設を稼働させていた人間の確保も期待されたのだ。が、現実はこれだ。恐らく、ろくな資料も残っていないだろう。

「とりあえず、中央の制御室を目指そうか。十分くらいで終わると思うから、周囲の警戒、頼めるかな」
「了解です」

 十分。突入と同時に放った数十のサーチャーで施設内の経路を調べるのにかかる時間だ。きっかりそれだけの時間をかけて経路を割り出してから、やはりフェイトの先導で暗い道を進み、中央制御室へと向かう。
 途中の通路は綺麗なもので、この施設がつい最近まで稼働していたのだと確信するに十分なものだった。
 施設の入り口と同じ要領で扉を砕き、ひときわ広い管制室に入る。そして、二人でそれぞれ時計回りと反時計回りに室内を検めた結果、

「電気は通ってるみたいだね。システムが落ちているだけ。見た限り、設備が物理的に破壊されているということもないみたいだし……」
「ってことは、何か残ってるかもしれませんね」

 慌てて逃げだしたということ。
 データの削除はされているだろうが、それが完璧かどうかはわからない。電子的に残っていなくとも、施設内をつぶさに調べれば、研究員の個人的な持ち物が見つかる可能性も低くない。しかし、その捜査は今ここで、たった二人で行うべきことではない。
 今すべきは、

「まずは、応援の要請、……私がしましょうか?」

 その言葉を聞き、頼もしくなってきたなあ、と考えながらフェイトはうなずく。

「じゃあ、お願いしてもいいかな」
「はい。任せてください」







「これは―――」「……ヴィヴィオ?」

 フェイトとティアナが同時に声を上げ、目を見開いた。二人の視線が向く先は、四分割されたモニタ。先日踏み込んだ施設から回収された唯一の映像データだった。音声データはない。
 映像の視点、すなわちカメラの位置は、部屋の天井四隅だと思われる。
 モニタの中には、皮肉にもこの種の犯罪の撲滅を目指す捜査官ほど見慣れずにはいられない生体ポッドが、樹木のように乱立している。執務官とその補佐の二人が声を上げたのは、そのポッドに満ちた液体の中で眠るように目を閉じた少女の姿を目にしたからに他ならない。

 現在の名を高町ヴィヴィオという少女は、フェイトの親友にしてティアナの恩師にあたる高町なのはという女性の義娘である。
 ヴィヴィオはフェイトと同じく、動物として自然な生まれ方をしなかった人間だ。その誕生には、クローン技術が大きくかかわっている。フェイトがアリシアという少女のクローンであるように、ヴィヴィオは約三百年前に生きたとされる古代ベルカ王族のクローンなのだ。ヴィヴィオの元となった人物の遺伝子は、十年ほど昔、聖王教会から聖遺物が盗み出された折に世界中へばらまかれてしまったことがわかっているので、ヴィヴィオの『姉妹』となる存在がいないとは決して断言できなかったが、こうしてそれらしいものを直視させられると、フェイトは胸を締め付けるような苦しさに襲われる。

 二人の驚きをよそに、時間は流れ続ける。数分経っても画面に変化は起きず、ゆらゆらとたゆたう少女の髪だけが、これが静止画ではないことを訴えていた。
 動画を早送りし、画面に白衣の男が現れたところで少しだけ巻き戻す。
 再生を始める。
 正常な速度に戻った画面内に、再び白衣の男が現れた。その手には、

「杖と……冠?」

 剣十字があしらわれた杖と、小さな冠に見える。
 男はそれを近くの机に置いてから、何か手元で数秒作業をしたようだった。その目的は、すぐにわかった。男の正面に立った生体ポッドが緩やかに倒れていき、ついに完璧に横倒しとなったのだ。
 ポッドの内側に満ちていた液体が引いていき、上面の透明部分が開く。見た目、簡易なベッドの完成だった。その上に、ヴィヴィオそっくりの少女が身動きなく横たわっている。
 少女が目を開いたのは、男が白衣の内側から取り出した手錠――管理局でも使われる、魔法を封じるものだろうか――を少女につけたすぐ後のことだ。翡翠の右目と紅玉の左目は、離れた位置にあるカメラの視点からでもわかる。



 映像を最後まで見終わったときには、二人とも最悪の気分で、剃刀のように鋭い眼になっていた。




◆◇◆

 目が覚めたら素っ裸になっていた。というか、素っ裸の体に毛布の一枚もかかっておらず、しかも背中に当たる感触が妙に硬くて冷たくて、そのせいで目が覚めた。
 ちなみに、おれには裸で寝るような習慣はないし、裸で居眠りするほど迂闊でもない。ではいったい何事なのか、と考える前に、体が髪が濡れていることに気がついた。肌寒いのは、濡れたままで寝てしまったからなのだろう。
 風呂を上がって体をふく前に倒れでもしたのか。寝起きのぼんやりした頭で考える。そのような推論が働くくせに、体を動かそうなどとはこれっぽっちも思わないのは、全身に巨大なアメーバみたいな気だるさが圧し掛かっているからだった。
 寒いのは不快だが、それ以上に目を覚ますのが不快。トイレに行きたいけど起き上がりたくなくて、結果いつまでたっても眠りにつけない状況とよく似ている。
 どちらに転んでも嫌な思いをする選択肢。そんなもの、世の中にはありふれているわけだが、しかしそれを素直に割り切るための理性は夢と現のはざまに漂ってお留守なので、正常な判断なんざできやしない。よって、眠りに落ちかけ、目覚めかけ、転んでは起き上がるダルマみたいな時間が延々と続くかと思われた。

 しかし均衡を遮る声。

 この状況に欠けていた決定的なひと押しとなって、声が目覚めの側へと意識を突き飛ばした。
 目を開く。

「…………」

 なんか変なおっさんと目が合った……ような気がした。
 拓けたばかりの薄暗い視界はぼやけていたので、確信はない。けれどもモザイクのかかったその人物は、体格や雰囲気がおっさんぽくて、そしてこちらの顔を見ているっぽかった。あと"変な"の部分はおれの創作だった。
 詳しい事情はわからないが、とりあえず自分が全裸で人前にいることはわかる。文明人としては断じて許容しがたいシチュエーションなので、おれは当然のようにおっさんの視界から逃れるために、まず上半身を持ち上げようとして、

「……ッ!?」

 ゴン、と良い音を立てて後頭部を固いベッドに叩きつけたのだった。
 上半身を起こす補助に両肘をつこうとし、しかし腕にはまった手錠のせいで両手首が胸の上に押し付けられ、勢いつけて持ち上げた身体が押し返された。ついでに頭もぶつけた。言語に直せばそうなるが、実際のところ、驚きやら衝撃やら予想しえない視界の動きやらで、何が起きたか全く認識できていなかった。ただ動物的な本能で、体が物理的に拘束されていることだけは理解でき、また力づくで抜け出そうとはしたと思う。もっとも人間の腕力で壊れる手錠なんて使用済みのティッシュ以上に役立たずなものが存在するはずもないのだが。

「……ていうか手錠ってなんだよ」
「おお、目が覚めたのかね!」

 おっさんが言う。目が合った時点で気付いてほしかった。
 会話をするために、今度はゆっくり慎重に上半身を持ち上げて、目をこする。視界はようやくクリアになり、おっさんの顔――おっさんはやっぱりおっさんだった――を見ることができた。

「あの。……えーと」

 どういう質問をぶつけるのがいいのか。自分は何を知りたいのか。声をかけてから考え始め、終着駅につく前におっさんが言った。

「見事なものだ。御身、聖なるかな!」

 声は弾んでいる。思ったことを口にしたというよりは、戯れにカッコよさ気なセリフを口にしてみた感じ。今にも「ヤー!」とか叫びだしそうで嫌だ。

「まず、これ、どうにかできませんかね?」

 手錠のついた両腕を前に差し出しつつ、体は後退。実際に接したことはないが、これが既知外というやつかもしれないと思い至り身の危険を感じたせいだ。
 案の定というべきか、おっさんはおれの言葉を無視してこちらに背中を向けた。その間に後ずさり、おっさんとの間にベッドを挟む位置に降りる。それからなんとなく白衣についたシワを目で追っていると、おっさんが再びこちらを向く。

「聖王の笏を受けよ。聖王の権力と正義の印を」

 やけに装飾された十字がついた杖を渡されたので、受け取ってみる。受け取ってから両手が塞がったことに気づく。

「そして、……これを」

 ベッドを迂回し、おっさんが近付いてきた。負けじとベッドを中心に円を描くように後退するも、すぐに追いつかれる。そして、これまた装飾過多な冠を頭に乗せられた。
 ここで、はたと気付く。おれとおっさんの身長差が大きすぎる。そして見た限りでは、おっさんは長身に過ぎるというわけではない。ならばと対比するように自分の体を見下ろして、

「――――ちょっ、っと待て。おい。ないぞ」

 ナニがないのかはあえて言わない方針で。
 目に映る自分の体は、全体的に白くてぷにぷに、つるぺったん。

 ……そうか、幼女が自分の体を見下ろすとこんな風に見えるのか。

 あまりにもあんまりな現実に、白昼夢めいた浮遊感を得た。と思ったら、実際に体が浮いていた。
 脇の下に差し入れられた両手で持ち上げられ、気色悪い体温に自然と体が震えるうちに、再びベッドの上の住民にされてしまう。そしておっさんもベッドの上の住民になっていた。しかもハァハァと息が荒い。
 これはあれだ、ペドとかいう病人。全裸の幼女に杖と王冠装着させて欲情するとか、どんだけレベル高いのか。いやでも、自分の体ながら、こんなぷにぷに柔らかくて気持ちよさそうなものを自分だけのものにできるのなら、ペドフィリアの気持ちも―――やっぱりわからないな。

 四肢をついて覆いかぶさるおっさんは、さながら鳥かごだった。
 抵抗しようにもこの体は非力すぎて、そのうえ手錠という文字通りの縛りまであってはどうにもならない。が、性犯罪の被害者に女性としてなるつもりは少しもないので、じたばた暴れてみる。

「ってうわ、触るなバカ! いや! うそ! ごめん! バカじゃないからほんとやめてギャー!」

 体をムカデみたいに這いまわる手、と表現するとムカデに申し訳なくなるぐらいに気持ち悪かった。ペド野郎が「ふふふ魔法は使えないよ」とか言った気がしたが、やっぱり気のせいかもしれない。白熱した思考に任せ、力いっぱい手を突き出し足を蹴り出し抵抗する。第三者が見れば診療台に患者を押さえつける小児科医に見えるかもしれないが、子供はいつだって注射マグナムが怖いものだ。
 自分の口から飛び出る耳をつんざく叫び声はいつの間にか意味ある形を失い、獣めいた絶叫に変わっていた。腹の底から叫ぶという行為が動物としての本能に火を入れる。
 視界が激しく点滅する。脳が激しい閃光に晒される。
 野生に圧迫されて退行しつつあった理性が、

「素手がだめなら、武器で殴ればいいじゃない」

 という助言だか悪魔の囁きだかわからない言葉をすんなりと受け入れ、いつの間にか手放していた杖を再び手元に手繰り寄せ、手足の代わりに無茶苦茶に振り回していた。それが運よくいい所に当たったらしい。下半身丸出しの下品な性犯罪者はベッドから転げ落ち、頭から血を流して倒れこむ。そしてピクリとも動かなくなった。
 一方おれはといえば、それを見て罪悪感に駆られるどころか更なる追い打ちをかけたい気分だったのだが、

「もう死んでるよ。ひき肉作りたいのなら止めないけど」
「……誰だ?」

 気が立っているだけあって、息も口調も荒い。しかし話しかけてくる正体不明の声の主はそれが気にならないようで、特に声色に変化もなく言葉をつづけた。

「人に名を尋ねるときは、まず自分が名乗るべし、とかなんとか」
「おれは……………………あれ?」

 思い出せない。
 日本で男として生を受け、小中高校と進学し、現在文学部に所属する大学生。家族構成は両親と妹一人で、友人はあまり多い方ではない。
 ……ここまで思い出せて、どうして自分の名前が出てこないのか。

「ちなみにおまえの名前はコロナっていうんだけど」

 声が言った。
 コロナ。
 いや、違うな。ぜんぜん違う。

「おれは日本人だから。そんな変な名前じゃないはずだ。ていうか知ってるのかよ」
「うん、そうじゃなくて、その体の名前っていえばいいのかな? まあ、普通は心と体は対になってるからわざわざ別物としては考えないんだけど、おまえの場合はちょっと違うよね。まず体があって、後づけの心があるみたいだ」

 つまり自意識のない体に乗り移ったみたいなものか……などと納得できるはずもない。
 脳移植でSFなのか、魂が移し替えられてオカルトなのか知らないが、どちらにしてもファンタジー。ファンタジーは現実ではないからファンタジーなのだ。

「いや待て。流されるところだった。―――もともとおれの状態の話じゃないだろ。まずは答えろ、おまえは誰だ?」
「デバイスってわかる? ああ、そうだ、そうじゃない。まずはおまえ、自分の顔を見るといい。ほら、そこのガラスにうつるから」

 のらりくらりとはぐらかされる。問い詰めるのも疲れそうなので、エネルギーを節約するため素直に従い、円柱状のSFじみた装置の表面、曲面のガラスをのぞきこむ。そこには不細工に歪んだ顔。
 翡翠の右目と、
 紅玉の左目が、こちらを覗きこんでいた。
 加えてブロンドの髪。
 閃きにも似た記憶の再生が起きる。

「ヴィヴィオ?」
「違う。おまえはコロナ。遺伝子的には同一人物だけど、別の生産ルートで作られた別の個体」

 訂正の声は耳を素通りに。
 ヴィヴィオの顔と名を起点に、脳の中で情報が有機的に連結していく。
 デバイス。
 魔法。
 聖王。
 アニメの世界?

「どうしておれはここにいる?」
「ここで生まれたからだろ? それよりさっきの質問に答えていい?」
「どんな質問したか忘れたけど、今は少しでも情報が欲しい」
「私が誰だって話。答えは、おまえの頭の上にある王冠なんだけど」

 聞くやいなや、頭の上に乗ったそれを手に取る。飾り付けられている奇妙にとげとげしい十字架は、そうだ、聖王教会のトレードマーク、剣十字だ。

「さっきデバイスとか言ったか?」
「言ったよ。なんならおまえの足りない頭を補ってやってもいいけど? もともとそのための人工知能だし」
「何の罠だ? 唐突過ぎて気持ち悪いわ」

 タダより高いものはない。困っているときに差し伸べられる手を無我夢中で握ってしまうと、後々になって泣くはめになること請け合いだ。

「だから……、もう……、そんな風により好みできる余裕がないってことに気付かない不自由な脳みそを手伝ってやるって言ってるんだよ。それにタダでなんて誰も言ってない」
「じゃあさっさと条件を言え」
「なんでそんなに強気? まあいいけど。……私はこの施設を出たい。おまえが殺したそいつは、ここの最後の研究者だったから。代わりの足が欲しいんだ。今ならもれなく最短脱出ルートと手錠の鍵も付いてくるよ?」
「よし乗った」
「もう少し考えろよ!」

 即答したらなぜか怒られた。理不尽な話である。

「考えるんじゃない、感じるんだ。それに今さっきおまえが言ったばかりだろ。おれの足りない頭を補うのがおまえの役目だって」
「…………」デバイス、絶句。かと思いきや、「……おまえ、ほんとうにバッカだなあ」

 と呆れられてしまった。しかし、こいつ自身が言ったことではあるのだが、より好みできる余裕などないのが現実なので、手をこちらへと差し伸べたのが悪魔だろうがなんだろうが縋らざるを得ないのだった。いや、ペドフィリアだけには縋らないが。
 涙と鼻水とよだれで汚れた顔を、嫌々ながらペドフィリアの白衣でぬぐってから、おれは冠を頭に載せ、杖を拾い、歩き出した。

「そうだ。忘れてた。おまえのこと、なんて呼べばいいんだ?」
「うん? なんて呼んでもいいけど。王冠でいいんじゃない?」
「そのままだな、おい。それ、おまえがおれを人間と呼ぶのと同じなんじゃないのか?」
「じゃあコロナが考えてくれればいい」
「よし、先を急ぐぞ王冠」
「……いいけど。騎士甲冑、どんなのがいい?」


 



[4970] 第2話
Name: 男爵イモ◆16267a69 ID:23e52052
Date: 2008/11/28 20:56
◆◇◆

「ああ、くそ。仕事がしたい、金が欲しい。……腹が減った」

 とぼとぼ歩く足はあからさまに力ない。衣食住のうち、生命維持に直結する食の要素が決定的に足りていないのだった。
 例の研究施設から逃げ出して数日。冷静になってみると、人を殺してしまったせいで管理局にも連絡が取りづらい。
 正当防衛は認められるだろうが、殺したという事実はあまりよろしくない結果を導くと思われる。たとえば管理局の手足となって働くのだ、それが社会復帰への近道なのだ、みたいなことになったら嫌だ。嫌だが、いざとなったら管理局に駆け込むつもりではいる。
 そのための通報というか自首というか、その準備は王冠がしているらしい。

「おい王冠? ここ、どこだよ」

 指示どおりに移動した結果、数時間ほどでなにやら薄汚い裏路地っぽいところにたどりついたわけだが。

「ミッドチルダ」
「そのくらいわかるわこのポンコツ。おれが訊いているのは、この場所の特徴と腹を満たす方法だ」

 途中からは飛行魔法も使わず、短い脚でペタペタ歩いてきた。具体的には、悪目立ちして仕方がない管理局のミッドチルダ地上本部がよく見える首都に入ってから。
 なんでも市街地にはあちらこちらにセンサーが設置されているらしく、空を飛べば一発でお縄につけるとか。
 王冠の言っていた管理局への通報ってこれじゃないよな? と疑いを抱かざるをえない情報だったが、特に追及はしないでおく。

「とりあえずおまえを質に入れれば当分食べていけそうな気がするがどうだ?」
「おまえ服がないだろ? 誰が騎士甲冑作ってやってるか忘れるなよ?」
「おまえを売れば金ができるだろ。それで買えばいい」
「ああもう、どうしておまえはそんなにバカなんだよ。私を売るまで金はない、よって服を買うのは私を売ったあとだ」
「だから?」
「実際にやってみろ、バカ人間」

 というわけで実際に都合よく見つけた質屋に駆け込んだワケだが、ここで騎士甲冑を解除されると困ることに気がついて、王冠がため息をついた気配と共に逃げ出した。
 またつまらぬ運動をしてしまった。つぶやき、刀の血脂をぬぐう代わりに額の汗を袖でふく。
 ぎゅう、と腹の虫が断末魔みたいな音で鳴いた。

「余計に腹が減ったなあ、おれ頭悪いなあ」
「そんなのわかってる。それよりコロナ、そろそろ何か食べないと本当に危ないんじゃない?」
「なんでそう他人ごとなんだ」

 口が文句を言うかたわらで目は高級そうな料理店を探す。半時間ほど歩いて見つけ、さっそく裏手に回る。
 野良犬よろしく残飯あさり。この行為への抵抗も、ほんの数日で薄れてきた。かくも空腹とは人を変えるものなのである。特に成長期にある子供の体は飢餓にめっぽう弱い。
 くそ、人間様はいいもの食ってるなあ。
 残飯の方が記憶にあるジャンクフードより美味いというのはどういう魔法なのか。空腹は最高の調味料というヤツなのかもしれない。あるいは舌の好みが違うのか。ともあれ飽食大国日本に生れて食のありがたみを知らなかった自分はすでに過去だ。
 一通り腹を満たして落ち着くと、一つアイディアが浮かんできたので言ってみる。

「いいこと思いついた。騎士甲冑を食えばいいんじゃないか? 王冠。全身に生クリームの騎士甲冑を展開しろ」
「どうしてそういう発想ができるのか小一時間ほど問い詰めてやりたいけど、やっぱり面倒だからやめとく。食えないよ。物質みたいに見えるけど、実際はフィールドタイプの防御魔法だから。それに食えたとしても、おまえの魔力で構築してるんだからプラスマイナスでゼロじゃない?」
「魔力って大気中のエネルギーをリンカーコアでぐるぐるぽんして精製してるんじゃないのか? だったら結果的には空気中から食料調達できるってことだろ?」
「……心配だから、もう一回言っとくけど。騎士甲冑は、食・え・な・い!」
「なんだ、食えないのかよ」
「やっぱり聞いてなかった。いいか? 絶対かじるなよ? ……それにしても、リンカーコアの仕組みなんてよく知ってたね」
「そりゃあ、そのくらいは知ってるだろ」

 アニメを見ていたし、設定や大きな出来事についてもそれなりには知っている。逆に言うと、ジェイル・スカリエッティが捕まるまでしか知らないともいえるのだが……。

「ん? 待てよ? もしかしてスカリエッティって逮捕されているのか?」
「されてるけど、どうして?」
「おまえがヴィヴィオという名前を知っていたから、あとは確率の問題だ。ヴィヴィオの存在が表に出てからスカリエッティが逮捕されるまでの期間と、スカリエッティが逮捕されてからの未来と、どちらが長いか考えれば、今は後者の可能性が高い」
「バカがほんの少しだけ頭よさそうな発言したところ悪いんだけど、疑問に至った理由じゃなくて、スカリエッティの逮捕がおまえに何か関係あるのかって訊いたんだ」

 そうですか。
 言われてみれば、たしかにあまり関係ない。JS事件の結末はそれなりにハッピーエンドだ。介入できるチャンスが目の前に転がっていたと仮定して、その時の自分の行動を思い描いてみると、面倒事に巻き込まれるのはごめんだと一目散に逃げる姿しか浮かんでこなかった。

「……いや、やわらかいベッドと温かい食事が出るならあるいは」
「なに妄想してるのか知らないけど、コロナ、お客さんだ。ほら、さっさと現実に戻って来い」
「客だと? ……うわ」

 なんか十人くらいに囲まれていた。年齢に上下の幅があれども、どれもこれも子供。着ている服はところどころ擦り切れていたりするが、何日も着続けたという汚れ方ではない。
 おれとあまり変わらない境遇であることは想像に難くない、それは少年少女らの群だった。
 先ほどおれは残飯をあさる自分を野良犬にたとえたが、すっかり忘れていた。野良犬にも野良犬のルールがあって、縄張りはその最たるもの。野生の動物は縄張り争いで命を落とすことも少なくないと聞く。
 侵入するものに対しては一切の容赦もしない、鉄より硬い野生の掟。破った者には死を、と言わんばかりに彼らの手に角材やら鉄パイプやらが握られているのが、いや、なかなかどうしてけっこう怖い。







 かくして大乱闘が起こり、魔法が使えるおれは敵を一方的に虐殺したのでした。などという結果になるはずもなく、野良犬同士で人間らしく話し合った末、彼らの群に入れてもらえることになった。はじめて幼女でよかったと思ったのが複雑だったが、すぐに忘れた。
 彼らが"グループ"と表現した群は、数十人ほどから成る集団なんだとか。中には両親がいて自宅があって学校に籍を置いているという者もいるようなので、ストリートチルドレンの互助組合というわけではない。では何なのかと尋ねたところ、おまえみたいなガキに言ってもわからない、とのありがたいお返事をもらった。

 ……なんとなく想像はつく。

 ある程度以上に豊かな社会があれば必ず生まれるといっていい、法を嫌い血と暴力と何より金を好む集団。ぶっちゃけヤクザの類。そのものではないとしても、下部組織、あるいは予備軍みたいな扱いなのだろう。
 役目は、いいように使われること。それでもカスみたいなおこぼれをもらって生きていくことはできる。
 おれが拾われたのは、同じ境遇の者が多く、この外見が彼らの同情――というほど卑屈な感情でもない、彼らは皆たくましいのだ――を引いたからだ。これが中年のおっさんなら扱いはまた変わっていたはずであるし、元の大学生の男でも、たぶん危なかった。
 なるほど、たしかに幼い姿であることのメリットは、ペドフィリアに遭遇したときの危険を考慮しても小さくない。
 他に影響を及ぼした要素があるとすれば、

「ちょっといい? おうかんタン」
「いい加減やめなよ、その口調。肌なんてないのに鳥肌立ちそう」

 器用にもカタカタ震えながら失礼なことをおっしゃるのは、我らの王冠タン。その言にならって言えば、顔なんてないのに顔をしかめてそうな口調で文句を言う人工知能。いまはおれの体を覆う騎士甲冑を維持したまま待機状態の指輪になっている。位置は右手の親指。正直かなりジャマである。でも頭の上に鎮座されるのはもっとジャマなので黙っておくが吉と見た。
 ちなみにもうひとつのデバイスである、例の施設で性犯罪者の頭をカチ割った杖――なんと非人格型アームドデバイスだった!――は物干し竿として絶賛活躍中。

「で? なに、またバカな頭でバカなことバカ思いついたの?」
「三回言いやがった。いや、ここと管理局とではどっちがマシなのか考えてたんだが」

 この場には他に誰もいないので舌っ足らずの口調はやめる。あれはあれでクセになりそうなのだが、そんな自分を絞め殺したくなるので。
 まだ自殺するような時期じゃない。

「うへ、まだそんなこと言ってたの? コロナは面倒が嫌なんだろ? だったら管理局って選択はないはずだけど」
「だけど低次の欲求が満たされると次へ次へと欲しくなるんだよなあ、人間ってやつは」

 マズローの欲求段階説みたいなもの。生物は生まれながらにして貪欲なのだ。

「一般論にしてごまかすな。つまり三十歳の無職童貞ヒキコモリがそろそろ働かないといけないなあ、と思うようなもの?」
「え? そうなのか? ……いやぁ、違うだろ。あとさりげなく童貞とか混ぜるな」
「言ってるだけで結局動かないところとかそっくりじゃない? まあでもあんなミッドチルダ式の総本山みたいなところは―――」
「ああうるさい黙ってろ。おまえが管理局が嫌だっていうなら聖王教会でも……いやダメだな。下手すれば祀り上げられる」
「だいたいあんなミッドチルダに尻尾を振るような軟弱は―――」
「だから黙ってろって。古いデバイスだか何だか知らないけど、おまえ野蛮すぎるぞ? 現代に原始時代の価値観を持ち込むな骨董品」
「なんだと? いいか? よく聞けよ? いいものは時代を超えて生き残るんだ。そして聖王の威光にひれ伏せミッドの愚民ども」
「だったらおまえの大々々好きな原始ベルカは滅んだからいいものじゃなかったと」
「原始って言うな! そもそもおまえ、自分の"母親"が誰だか知ってるのか? 私が骨董品ならおまえは三百年前の原始人だ」
「やかましい。原始人だって文化を着込めば現代人だ。ヴォルケンリッターやヴィヴィオなめるな。もういい、おまえは直径に対する円周の比率でも延々と計算してろ」

 世紀末覇王教会、もとい聖王教会のお偉方が聞けば憤死しかねない応酬だった。
 さて。くだらない暇つぶしだったが、得たものもある。
 今日までの短い期間でさんざん思ってきたことではあるが、王冠のやつは妙に世情に詳しい。それに、こちらは確証がないが、なにか知っていながら黙っているような気配がある。相手がそこらのデバイスなら気付かなかっただろうが、王冠の人工知能は無駄に成熟してすでに腐りかけの領域に片足つっ込んでいるので、それに助けられた形となる。
 王冠の知っているなにか、、、
 これは、おれの事情についての情報だと睨んでいる。心と体が別物であると出会った時から知っていたし、もしかしたらその原因や、あるいはおれが自分の名前すら思い出せない理由まで知っているかもしれない。しかし、どうしておれが研究所このせかいにいるのか尋ねても、ここで生まれたからじゃない? と返してきた過去がある以上、いま尋ねたところではぐらかされるだけだ。
 そういうわけで、こうなれば持久戦しかあるまいと決意を新たにする。
 王冠がボロを出すのを時間をかけて待ちながら、自身でも積極的に情報を集める。どのような目的によるものなのか、王冠もおれの下から離れようとはしないし、それしかあるまい。
 と。

「てててっててー、あいつのー、頭をー、輪切りでyhea! 挽き潰せ! 抉れ! ミキサーにかけろ! 刺せ! 刺せ! 刺せ!」

 結局ひきこもりのごとく現状維持を決め込んだおれの耳に、いかれた歌(刺せ! 刺せ! 刺せ!)が飛び込んできた。ここは廃ビル。うちっぱなしのコンクリの壁には声が無駄によく響くが、ご近所さんなどいやしないので近所迷惑は考えなくてもいい。
 声の主は十五歳より少し上くらいの少女、マラネロさん。グループの一員にしてこの廃ビルの住人の一人。
 どうやら一度、外回りから帰ってきたらしい。お昼休みだ。
 徐々に近づいてきたシャウトが、この部屋と廊下とを隔てる扉の前で止まる。

「世界の中心で」マラネロ。
「鼻から牛乳」おれ。

 合言葉である。発案はマラネロ。勘弁してほしい。

「いま帰ったぞぅ」

 ギギギ、と立てのけの悪いドアを無理やり開き、細身で赤毛の女が入ってくる。
 その足元にテテテと駆け寄りながら、

「マラネロさん、おかえりなさい」

 習得済みの幼女ヴィヴィオ口調で話しかけた。
 相手を選んでいるとはいえ、いまのところ撃墜率100パーセントを誇る新兵器。ひょっとしたらこれだけで食べていけるやもしれぬ。

「ほれ、食べな」

 わしゃわしゃと髪をかき混ぜられながら、酔っ払ったダメおやじがご機嫌取りに買ってきたお土産みたいな包みを受け取った。
 そう、受け取ってしまったのだ。
 その中身、よくわからないタコなしタコ焼きみたいな食物を胃に収め、どんどん返品が利かなくなっていく最中に話を切り出された。

「コロナ。あんたさ、魔法、使えるんだろう?」

 もしゃもしゃ食べながら頷き返す。
 マラネロは、そっか、と眉根を寄せて呟いて、黙りこんでしまった。その目は遠くへ、いや、むしろ自身の内側へと向けられているように見える。どんなバカでもこういう目をしているときは本人なりに真剣なので、ほうっておくのがいい。もちろん彼女がバカだという意味ではないのであしからず。

 ところでペーパードライバーでもプロのレーサーでも、車を運転できるという表現に違いはなかったりする。初めて杖を手にした魔法資質ありの素人と教導隊のエースでも、やはりそれは同じこと。看板がそっくりでも実態はかけ離れたものだったという話は、その辺を見渡してみればしばしば見受けられる。そしておれの場合、どれほど基準を緩くしたところでヘボ集合に含まれてしまう。
 可能と不可能の間には天地ほどの開きがあるのだろうが、可能な人間というカテゴリ内でのピンとキリには、地球とアルファ・ケンタウリくらいの差があったりするのだ。距離的にも、大きさ的にも。だから魔法が使えると答えてしまったことに対して、ちょっとだけ罪悪感を覚える。詐欺師もこのくらいは感じるだろう、というほど少量ではあったけれど。

「ごちそうさまでした」

 マラネロのしかめっ面を眺めているうちに、昼食はなくなってしまった。代わりにお腹はしっかりふくれており、このまま昼寝でもすれば世界でいちばんの幸せ者になれる自信がある。
 もちろん幸せ者になれるはずがなかった。

「よっし。じゃあちょっとついて来な。ここでの生き方を教えてやるから。あー、えっと、デバイスだっけ? とにかく魔法が使えるように準備しておくこと」
「はーい」

 と答えて、物干し竿を回収してから、背の高い後ろ姿を追いかける。
 グループに拾われたのは昨日なのだが、さっそくお仕事だ。いくら同情から拾った子供であっても、タダ飯食らいを置いておく余裕はない。
 何をさせられるかはまだ聞いていないが、たぶん管理局とそれほど違いはないと思われる。ならば少々タイヘンでも、負う責任の小さいこちらの方がよいといえるでしょう。







 ヤクザ屋さん社会の構図は箒型にあらず。ピラミッド型である。
 頂点の組織を治める王と、複数の下部組織を治める部下たちがいて、さらにその組織の下にも類似した構造が段々と積み重なっている。年若い子供たちで構成された"グループ"はその中でも下層の下層、組織に正式に組み込まれてすらいない、上からかかる重量が一番厳しい位置に存在しているらしかった。
 もともと貧弱である収入を容赦なく吸い上げられれば、手元に残るのはスズメの涙ほどの小銭だけなので、日本でコンビニの店員をやっている学生の方がよほど裕福な生活を送っている。だというのにグループの皆がこの状況に甘んじているのは、ひとえにまっとうな社会に適応できない―――するつもりがないからだった。

 親がいないから。まともな幼少期を送ってこなかったから。これらは言い訳にすらならない。
 社会の一員としての責任を果たしてまっとうな生き方をするか、怖い怖い本職の方々に搾取されて、果ては自分もその一員となるか。どちらを我慢するか天秤にかけて、後者を選んだだけのことなのだから、現状を嘆くのは甘えだろう。
 しかしそれを責めるつもりはないし、そもそも責める権利などおれにはない。なぜならおれは元大学生。日本という裕福な国の裕福な家に生まれ、働くか進学かという二択を迫られ後者を選んだ典型的な学生だ。もちろんアクションゲームマリオの強制スクロールは大嫌い。でも逆らって壁にはさまり圧死する勇気もないので、学生生活という執行猶予が過ぎれば素直に働くつもりではいた。
 そんなダメ人間の前に、

「お疲れさん、コロナ」
「えへへー」

 一般人相手に適当に魔法を放つだけで最低限の生活が保障されるという環境が差し出されたら、そちらに流されるに決まっているのだった。
 ……いつかは報いを受けるだろう。それが逮捕なのか、大けがなのか、あるいは死なのかはわからない。きっとその時、おれはみっともなく泣きわめいて無様をさらす。その姿を思い描くと、

「やばい。興奮してきた」とおれ。
「マゾめ」と王冠。
「ん? なにか言った?」とマラネロ。

 場にいた他の面々からもちらりと視線を向けられて、なんでもないよと手を首を振る。この分だと擬態が見破られるのもそう遠くない未来かもしれない。

「いやー、それにしても魔法ってのは便利なもんだね。あんなに鬱陶しかったバカどもが虫みたいにコロッと倒れるなんてさ、魔法みたいだ。あ、魔法なのか」

 携帯端末と社会的に信頼のある個人識別票――日本でいう運転免許証のようなもの――を今日の獲物から回収し終え、マラネロがいう。

「それに見た目も、なんだい? あの虹色の光は。魔法っていうのはあんなもんだった?」
「んー?」

 なに言ってるのかよくわかりませんよ、という意味をこめて首をかしげておく。
 質量兵器が禁止されて久しいこの世界、魔法を使えるということは、拳銃以上の近代兵器を所持するのと同じ程度の力があると思われる。
 この体は平均よりも魔力があるようだが、所詮その程度。戦略兵器みたいな人たちと比べれば、豆鉄砲もいいところ。しかし豆鉄砲であっても、使えない人からすれば十分な脅威になるのだから、大きな組織がこぞって魔導師を集めようとするのは理解できる。

「さて。じゃあ親分への報告は他のやつらに任せて、あたしらは帰ろっか」

 初めて聞く単語が出た。

「おやぶん?」
グループあたしらを使う人なんだけどね。今日のオシゴトもその人の命令なのさ。最近このあたりでヤンチャしてるガキを躾けておけって。でもまあ、安心しな。こういうのは少ないんだ。普段は物を運んだり、情報集めたりのパシリが主な仕事だよ」
「ふーん」

 なるほど。
 その一環として、自分たちの縄張りで残飯あさりをしていた小娘を囲んだのか。

「あんたには少し難しかったかな? ま、しばらく魔法の出番はないってこった。ほら、行くよ」
「はーい」

 "は"の発音は"あ"と"は"の中間くらいを維持するのがポイントだった。
 不意に、頭の上で王冠が何やら言いたげに震えたので、歩く速度を緩める。前を行くマラネロから少し距離を取って、

「そうだ。王冠、円周率の計算終わったか?」
「終わるわけないだろ? 五千万桁で面倒になってやめたよ。復唱する?」
「いらん」
「そう言うと思ったから実は五桁しか計算しなかった。そんなことより、コロナ、あんまり魔法で暴れない方がいいと思うんだけど。おまえの魔力光目立つし、さっそく不審に思われてたじゃないか。こんなんじゃすぐに捕まるよ?」
「それにしたってだいぶ先だろうし、だったらそれはそれでいいかもな」

 状況が安定するとボロを出しにくくなりそうだ。ならばめちゃくちゃに振り回すのも、選択肢の一つに入れていい。

「コロナ、おまえね……。つい数時間前まで管理局は嫌だって言ってたのに」
「我ながら呆れるほど気分屋というか山の天気というか。でも実際、今はそう思っているんだから仕方ない。明日は聖王教会がいいとか言い出すだろうから、華麗にスルーしてやってくれ」

 なぜか王冠は、おれが管理局や聖王教会に近づくのを嫌がっている節がある。だから今日から定期的にこのような話題を振って、時には実際にそれらしく行動してみるのも効果的かもしれない。
 相棒ではあっても適度な緊張感で暮らしイキイキな二人の関係なのだった。







◆◇◆

 さて、バカな主従がバカなやり取りをして暮らしイキイキな感じだった頃。

「フェイトさん。あまり根を詰めすぎて体を壊しては元も子もありません。お願いですから、一時間でも仮眠を取ってください」
「でも、あの子はきっと今も泣いている。早く助けてあげないと―――」
「ですから! それで倒れたら何の意味もないと……!」
「私は……、まだ大丈夫。ティアナこそずいぶんと無理してるよ」
「しないわけないでしょう! ……すみません」

 フェイトとティアナはほとんど不眠不休で、二人揃って目を血走らせて捜査に当たっていた。
 もちろん、そんな恐ろしいことをバカ二人は知りもしないのだった。


 



[4970] 第3話
Name: 男爵イモ◆16267a69 ID:23e52052
Date: 2008/11/30 00:49
◆◇◆

 粗大ゴミそのものなカビ臭いベッドの上で目を覚ました。この廃屋にはカーテンなんて上等な濾過装置は存在しないので、強烈な朝日が直接降り注ぐ。どうやら今日は天気がいいらしい。
 窓から差す光の筋の中に、埃が乱れ舞うのをぼんやりと眺める。実際は部屋中にあの密度の埃が舞っているわけで、それを考えると息をするのが少し怖くなった。
 隣にはマラネロが、溶けた餅のようにぐったりと眠っている。彼女に寝顔を見られたことは、朝に限っていえば、たぶんまだない。子供は朝が早いのだ。そのあたりは肉体に依存するらしい。ラジオ体操だってしてしまえるほどに体が軽い。健康的でまことによろしい。

 マラネロを起こさないよう、そっとベッドを降りる。立てつけの悪いドアを開けるには、この細い腕では非力すぎた。なのでガムテープで修理に修理を重ねた死にかけの窓をこれまた静かに開けて、そこから飛び降りる。
 地上三階からのダイブは花火みたいに一瞬だった。
 王冠がサポートを入れたので、着地の衝撃はほとんどない。

「なんだ。起きてたのかおまえ。おはよう」
「……起きてなかったらどうするつもりだったんだよ? そもそも私は寝ないからな。これ、この前も言わなかった?」
「知らん」

 両方に対する答え。もちろん嘘だ。騎士甲冑という身の守りがあったし、知っていたに決まっている。
 改めて廃ビルの一階に入り直し、汲み置きの貴重な水を使って顔を洗い、口をゆすいでから、散歩に出た。
 雲ひとつない空は、ぞっとするほど冷やかな青に塗りたくられている。
 人ひとりいない道は、はっとするほど静やかな空気に埋めつくされている。
 ざ、ざ、と足音だけが響く中、誰も住んでいない町を無言で探索する。気分は実験材料、迷路課題に挑むマウス。トライ・アンド・エラーを繰り返し、空間を脳に取り込む作業に没頭する。
 楽しいから没頭するのではない。没頭するのが楽しいのだ。どんなに嫌な作業でも、始めれば苦にはならないのが、最近気づいた数少ない取り柄の一つだった。あるいは、人間が本質的に持つ性質なのかもしれない。

 まずは住居にしている廃ビルの周辺から。次に縄張り。最後に縄張りの外。徐々に行動できる範囲を広げていけ、とマラネロに指示されている。
 地図を覚えるだけなんて下の下もいいところ。目的地までの最短ルートを自然に選べるようになっても二流にすら届かない。目を瞑って街中を歩き回ればようやく二流だ。一流ほんもののストリートチルドレンは、建物の窓から下水道までもを利用して、街中での神出鬼没を可能にするものなのである、とかなんとか。
 その基準に照らし合わせれば、おれなどストリートチルドレンの中では一番の下っ端。言うならば雑魚。いや、それにも満たない、せいぜいがカスといったところだろう。

 廃墟を徘徊しているうちに本格的に日は昇り始め、おなかも減ってきたので、来た道とは違う経路で以て住居の廃ビルに戻る。そこには、迷ってもいざとなったら王冠という心強いサポートが存在するという打算があったのだが、本気で体に覚えこませるつもりなら命綱など不要なのかもしれない。今度からは王冠も物干し竿同様アジトに放置していこう。
 廃ビルに入る前から漂っていたいいにおいは、中に入るとますます魅力を増した。

「今朝もパンケーキモドキだね」

 王冠がつぶやく。自分が食べるわけではないのに声が弾んでいるのはなぜなのか。

「おまえ、デバイスのくせに嗅覚まであるのか」
「人間が備える感覚は標準装備してるよ」
「味覚は?」
「ある」
「口もないくせにどうやって使うんだ、そんな感覚」

 相変わらず謎の多いやつだ。
 部屋に戻ると、ガスコンロとフライパンが大活躍中だった。

「ん? ああ、おかえりコロナ。ほら、さっさと食べちゃいな」

 マラネロが差し出す縁の欠けた皿。バターやらメイプルシロップやらといった基本的なトッピングすらないパンケーキモドキだが、文句などあろうはずもない。味以上に量が欲しいお年頃なのである。
 ぱさぱさしたパンケーキモドキを咀嚼しながらマラネロを見ると、目が合った。妙に柔らかい眼差しは、はじめて見るものだった。

「よかったね、コロナ」

 なにが?
 問い返す前に、マラネロが続けた。

「親分の親分の親分あたりから声がかかったんだ。最近グループに入った魔導師をよこせって。戦力としての魔導師には年齢は関係ないって言ってたよ。実際、あんたの年齢は知らなかったみたいだし。……これでマトモな生活が送れるね」

 だから、よかったね、と。
 いくらかはもらったのかもしれないが、決して彼女らが売ったのではない。金だけでなく人的資源も吸い上げられるのだ。
 しかし、ますます管理局じみてきたというか……。生活の安定と引き換えに戦力として期待されるあたり、実のところ全く同じである気もする。

「今日のお昼にあんたの新しいボスのところに連れて行ってあげるから、それまでに準備をしておきな。っていっても持ち物なんてないみたいだし、着の身着のままってことかね」







 で。
 別れの挨拶もそこそこに、マラネロにくっついて新たなる親分さんの顔を拝みに行く途中、はぐれて迷子になった。街頭テレビに目を奪われた隙に、マラネロの背中が消えていたのだ。なんでも白昼堂々通り魔事件が発生したらしく、偶然通りかかった管理局の空戦魔導師と暴走自動車とのチェイシングがヘリコプター視点で生中継されており、ついそちらに集中してしまった。
 そういえば、JS事件前のレジアス中将の言葉によれば、その時点での地上の犯罪検挙率は最高でも65パーセントのようだったし、ミッドチルダは意外と危険な世界なのかもしれない。
 あたりを見回しても、背の高い大人たちが自分の目的のために闊歩する空間が広がっている。目的地は聞いていないし、マラネロの位置もわからない。どうするべきか少し考えて、中継を見続けることにした。

 首都クラナガンの中央区を俯瞰する映像。画面の右下には『白昼の凶行! 犯人は魔導師か!?』などと、衝撃を伝えたいのだと思われる凄まじい字体と色の文字が書かれている。
 そして画面中央に映し出される黒塗りの自動車と、それを追い、空を駆ける魔導師の姿。
『襲われたのはミラ建設株式会社の専務、ジーノ・ミラ氏。犯人は周囲の人間を巻き沿いに、自動車に乗っていたミラ氏を襲った後、その自動車を強奪、逃走して―――あ、いま新しい情報が入りました。ジーノ・ミラ氏は……運び込まれた病院で死亡、繰り返します、ミラ氏は運び込まれたクラナガン中央区の病院で死亡したとのことです。死因は公表されていませんが、目撃者の証言によれば、犯人は、ミラ氏を乗せて停まっていた車に近づき、いきなり砲撃魔法を放ち―――』
 自動車はかなり無茶な走行をしているようで、時おり対向車線にまで身を乗り出す。そして豊かな金髪と白いマントを風になびかせ黒い杖を持つ魔導師は……見なかったことにしよう。

 ミラ氏はもちろんのこと、犯人もご愁傷様だ。車体の後方にぴったりくっつくように飛行を続ける某空戦魔導師は、攻撃するつもりはないのだろう。犯人に投降を呼びかけているのか、それとも囲むための応援を待っているのか。どちらにせよ、犯人はものすごいプレッシャーを感じているのではなかろうか。少なくともおれは、犯人と同じ状況にあって冷静な思考ができるとは思えない。
 そんな風に犯人に同情……というよりはもっと生暖かい感情を向けていたその時。
 ぐわし、と。
 背後から頭を掴まれた。

「うひっ!?」

 変な叫び声を上げて、恥も外聞もなく飛び上がる。
 周囲から視線が向けられる。おれの頭を鷲掴みにした人物が、なんでもないですよー、と手を振ったので、集まった興味はすぐに散っていった。それでいいのかミッドチルダ人。
 頭から手が離れたので振り返ってみる。
 バカっぽい顔をした長身の――おれから見れば誰だって長身なのだが――男が立っていた。
 男はこちらの顔をじぃっと覗き込み、

「んー……高町ヴィヴィオ?」

 その名を聞くやいなや脱兎の如く駆け出すも、あっという間に再び頭を鷲掴みにされてしまう。

「違うよ、ぜんぜん違うよ」
「えー。でもその目の色はちょっと他にいないだろ?」

 言い訳してみるも、男が信じる素振りはない。ないのだが、おれとしてもここで引くわけにはいかなかった。なぜなら、高町ヴィヴィオの存在を知るこの男は管理局員の可能性が高い。それも、極めて本人に近い位置の。そんな人に偶然出会うなんて、どれだけ運がないのか。
 このままでは、下手をすると迷子か何かだと思われて――実際迷子なのだが――、一緒にママを探してあげようということになりかねない。そうなれば、あら不思議、昨日まで一人だったヴィヴィオちゃんが今日は二人、という事態になって、なし崩し的におれの出自が明らかになってしまう。ああいうトラブルの渦中にいることが多いというかアニメの主人公になっちゃうような人の近くには、いないに越したことはない。

「ま、いいや。それよりお兄さんとちょっとお茶でもどうだい?」

 問いつつ手を引き近くの喫茶店へと直行する強引さは見習いたいものがあった。友達少ないんだろうなあ、とか思いながらも、喫茶店からこぼれるいいにおいにつられてホイホイついていくおれは、たぶんあっさり誘拐されるタイプ。でもこの人はきっと大丈夫。ペドフィリア警報はまだ鳴っていないから。
 最近までは"目を見ればわかる"なんて表現は物語の中だけでのことだと思っていたが、実際わかるものである。グループ内にいたときも、それらしい視線を感じていなかったといえばウソになる。あんな視線を四六時中感じるのであれば、女性が専用車両を欲しがるのもわからなくはない。

「いらっしゃいませ。何名様で―――」
「二名様ですよ、っと」

 入口の店員を置いてけぼりに、奥の席へと向かう男。引きずられるおれ。
 少し薄暗く、アンティーク調の内装で統一された店内は、この世界に来てから初めて目にする上品さだった。もっともその上品さも、椅子にどかっと座るこの男にかかれば台無しなのだが。

「ほら、座れば?」
「…………」

 無言で向かいの席に座る。飴色をした正方形のテーブルに広げられるメニュー。

「値段は気にしなくてもいい。これでも一仕事終えたところなんで、懐は暖かくなる予定だから」

 誇らしげな職人の顔で男がいった。

「ふーん……、じゃあこれとこれと、これを」
「容赦ないな、おい」

 とか文句を言いつつも、自分も同じくらいたくさんの品をオーダーする男。喫茶店でのティータイムにこれだけお金を使って嫌な顔一つしないということは、本当になにか大きな仕事を終わらせたのかも。
 注文を繰り返した店員が去り、テーブルに静けさが戻ってきた。それを押しのけるように、男がぬぅっと上半身でテーブルに乗り上げて、顔をこちらの顔に近づけてくる。そして囁く。

「おまえクローンか?」

 とりあえず飲んでいた水を噴き出しておいた。男は水も滴るいい男にクラスチェンジした。

「正解か。世知辛い世の中だなあ……」
「どうして……、何を知っている?」
「あ。おれは管理局員じゃないからそんなに心配しなくていい。え? 名前? 人に名を尋ねるときはまず自分から名乗るものだ」

 なんか勝手にしゃべり始めたぞ。
 王冠に思念通話の回線を開く。

《おい王冠。こいつが何なのか、おまえ知らないのか? それに、なんだ? この感覚。妙に威圧感があるというか》
《知るか。……でもよく気づいたね。こいつ、魔導師だ。魔力も多い。たぶん管理局でもエース張れるくらい。その感覚を忘れないようにした方がいいよ。いまのコロナじゃ何をやっても絶対に勝てない相手だ》
《絶対に勝てないって……逃げられもしないのに。どうしろっていうんだ?》
《諦めろってこと。出会ったときはできるだけ敵対せず、敵対したときは生き延びられたら奇跡って程度に考えた方がいい》
《なんだ、闘争大好きベルカ魂が今日はやけに弱気だな。景気づけにここで一発ブチ込んでみるか?》
《だからそんな風にふざけられる相手じゃないんだ。こいつが後先考えずにいきなり暴れ出したら、管理局が動き出すまでの短時間で、冗談抜きでこの区画が吹き飛ぶよ? まあ、おまえだけは聖王の鎧があるから助かるだろうけど》
《おいおい。なんで管理局はそんなやつを野放しにしてるんだ》
《そんなこと私にいうな。いいから相手してやれよ。ほら、不審そうにこっち見てる》

「どこかの誰かとナイショ話か?」
「あ、ああ、いや……、パフェ楽しみだなあ、と」

 男はにやにや笑っている。逆の立場なら、もし目の前にしどろもどろに言い訳をする幼女がいたのなら、おれだって同じように笑うだろう。

「えっと……? 名前の話だったか?」

 思わず素の口調で話しかけるおれに、男は平然と頷く。

「……コロナ。コロナだ」
「へえ……、なるほど。なるほど。いい名前だ」

 何がなるほどなのかすごく気になる。が、ここは敢えて口をつぐむ。

「で、あんたは?」
「おれ? おれはインテグラ・イイオトコ。強い妖戦士インテグラ、と呼んでくれ」

 ひどい名前だった。

《こいつラリってるのか?》
《いちいち私に話を振るな》

 エサを待つ犬のように、名を呼ばれるのをまだかまだかと待つインテグラ。ジャンボパフェを食べる前から胸焼けしそうな、嫌な方向に濃いキャラクターだ。しかし、ここは奢ってもらうという立場上、こちらが譲歩すべき場面なのだろう。

「えーと、強い妖戦士インテグラさん?」
「ぶほっ」

 吹き出しやがった。
 二度と呼ばないことに決めた。というか二度と会いたくない。どういうわけか、性格が気に入らないとかそういうレベルではなく、もっと根本的な部分で相容れない感触がある。いや、また奢ってもらえるなら考えないでもないが。
 こちらの不機嫌な目に気づいたインテグラが、笑う。

「いや、すまん。まさか本当に呼ぶとは思わなかった」
「うるさい黙れ」

 インテグラが肩をすくめると同時、注文の品が次々と届き始める。そして二人ともがベッタリ甘いデザートを食べ始め、テーブルはようやく静かになった。
 間に休憩をはさむことなく三十分ほど食べ続け、ついに完食。

「ああ美味かった。それじゃあおれは行くけど、おまえは? コロナ」
「さあ?」

 マラネロを探すか、それとも廃ビルまで戻るか。自分でも決めかねていたが故の返答だったが、何を勘違いしたのか、インテグラはニヒルに苦笑してから去って行った。

「また会えたらタッグ組むのも面白いかもな、美しい魔闘家コロナ」

 という頭の痛いセリフと、ついでに連絡先を書いた紙を残して。
 ……死ねばいいのに。







◆◇◆

 コロナがインテグラ・イイオトコと出会った時刻から数十分ほど時計の針を巻き戻す。

 フェイトとティアナの疲れ果てた二人は、それでも各所の協力を得て、件の研究施設から逃れた少女を探していた。名目は、違法研究施設の重要な情報を保有している可能性のある被害者の捜索だ。半分以上が私情によるものではあったが、幸いにして被害者の保護に関しては、管理局は力を入れる傾向にある。それがまだ幼い子供であればなおさらで、フェイトが協力を取り付けた捜査官たちは、皆一様に力強い言葉と共に頷いたものだった。

 二人があの施設に突入した日から、既に二週間以上が経過している。少女が施設を脱出してからは、さらに長い時間が流れていた。映像の中の少女はヴィヴィオと同年代だったので、五歳か六歳かといったところだ。
 ヴィヴィオと同じ目的で生まれたのなら、同年代の他の子供より多少は高い知能を持っているのだろうが、それでも高が知れる。そもそもフェイトには、頼れる人のいないヴィヴィオが一人でこの広いクラナガンに放り出されて生き延びるという光景が、まったく想像できなかった。
 いまこの瞬間にも、誰に助けられることもなく道に倒れ伏しているかもしれない。そう思うと、居ても立ってもいられなくなる。
 焦ってもいいことなどないどころか、それで体を壊せば結果的にマイナスとなることぐらい、嫌になるほど理解していた。それでも今は寝る時間が、一分一秒が惜しい。一人の人間としてのフェイト・T・ハラオウンの前には、長年積み重ねてきた執務官としての経験など何の役にも立たなかった。
 ヴィヴィオがジェイル・スカリエッティに連れ去られたときと同じ心境だ。唯一違うのは、今度は手を伸ばせば届くところにいるかもしれないという点。その一点が、フェイトに無茶をさせる要因であった。

 今日はティアナとは別行動なので、自分でハンドルを握っている。疲労が原因で交通事故を起こしては元も子もないので、擦り切れかけた神経を傾けて、周囲への注意は怠らない。
 それでも、やはりいつもの調子とまではいかなかったのだろう。
 街中で、停車あか信号につかまり停止する。前の車との距離はきちんと確保。ふと周囲を視線で薙げば、一台前の車両に近づく人影があった。
 男だ。
 彼がフェイトの目を引いたのは、着用していた服による。フェイトのものと同じ、黒い制服。年齢は二十代の半ばごろ。その顔に見覚えがあるが、名前が思い出せなかった。恐らく執務官としての仕事中に知り合ったのだろうが、さて、どこでのことだったか。
 頭の奥の方に格納されているファイルを探り当て、アクセスする。この行為が、普段は楽しい。けれども疲れた頭脳はなかなか思い通りの結果をはじき出すことができず、苛立ちばかりが募っていく。
 そのような思考と並行して、彼は何かの捜査の最中なのだろうか、とも推測する。ならば自分も手を貸すべきか、とも。

 フェイトの視線の先で、執務官の男は乗用車の運転席――左ハンドルだ――の窓をノックした。
 その制服が管理局執務官のものであると理解する人間であれば絶対に無視はできないし、管理局の人間であると理解できるだけでも無視する人はほとんどいない。運転手は当然のように窓を開き、

「え―――」

 その声が自分の口から出たことに、フェイトは気付かなかった。いや、そもそも聞こえなかった。
 ドン、と体を叩きつける音……弾性波、いや、振動というよりは過激な圧力。加えて閃光じみた赤い魔力光が目を直撃する。
 執務官の制服を着た男が、いきなり杖型のデバイスを構えて砲撃魔法を撃ち放ったのだ。
 砲撃は運転席と助手席を貫いて、助手席側の窓ガラスから一直線に飛び出ていった。そのまま対向車線を走行する自動車を直撃し、爆破。一瞬の出来事だった。
 しかし男はそれだけでは止まらず、先の砲撃で消し飛ばされた窓から車内に手を伸ばし、ドアのロックを解除。ドアを開き、首から上の無くなった運転手の死体を引きずり出し、路上に投げ捨てる。そして自身の体を運転席に滑り込ませた。が、ハンドルは握らず、後ろを向き、後部座席に座っていた人間に同じく赤の極光を放った。
 フェイトが反応したのは、このときだった。

「バルディッシュ!」

 窓を突き破り、そのまま後方の自動車をまとめて何台も焼き払おうとした砲撃を、黄金の防壁が受け止める。
 魔力の奔流の中、確かに男と目が合った。
 信号が、切り替わった。







 状況を説明し、応援を要請しつつ、フェイトは被害者の救出活動に入った。もっとも、救出された被害者は一人もいなかったのだが。
 現場に残されただけで死者は四名。全員即死だった。首のない運転手の遺体と、三人が乗っていたもはや原形をとどめない乗用車とにそれぞれバリアを張って、現場を保存する。
 地上の部隊からの応答はすぐに来た。

 ―――犯人を追ってくれ。

 犯人の男は、信号が青になると同時にアクセルを踏み、まだ遺体を二人分乗せたままの自動車で逃走していた。つい一分ほど前の出来事である。飛行許可は下りているので、すぐに追いつける。
 フェイトは地を蹴り空に舞い上がった。紅の瞳は鷹のそれだ。十年以上の時を共にしたデバイスあいぼうの助けもあり、ほんの数秒で獲物を発見、追跡に入る。
 逃走を続ける黒い高級車のほぼ真上を位置取り、滑空から急降下に切り替えた。重力に飛行魔法を重ね積み、その加速は次元世界の人々に忌み嫌われる質量兵器のそれに近い。あるいは黄金の尾を引く極大の流星か。
 けれども目的は犯人の剪滅ではない。こちらから無闇に攻撃を仕掛けるわけには―――

「―――ッ!?」

 どのようにしたのか、運転席のドアを外し道路に放り投げ、男はハンドルを握ったまま半身を外に。"当てる"ではなく"当たれ"とばかりに乱射する射撃魔法。青い空に赤い軌跡が幾筋も描かれる。それはまるで地から天に向けて降る赤い雨。
 しかし高速の近接戦闘を得意とする金の閃光を墜とすには不足が過ぎる。針の穴を通すような回避を数十と繰り返し、フェイトは無傷で弾幕を突破した。そして念話で投降を促すメッセージを送る。返事はない。再び赤い流星群が放たれる。
 同じことを数度繰り返し、犯人はフェイトに攻撃の意思がないことをようやく確信したのか、攻撃の手を止めた。
 民間の報道ヘリも飛び始めた。あとは時間の問題だ。地上の局員が囲むまで、ひたすら張り付き決して逃がさないのが自分の仕事。どうやら運転席の犯人も、落とし所を探っているような気配がある。投降は早ければ早いほどいいのだが、この手の犯罪者にはそういう理屈が通用しないことも少なくない。

 追跡を開始してから二十分。ようやく航空隊員たちが駆け付けてきた。人数は、ちょっと数えるのも億劫になるほど多い。犯人の魔導師ランクが高いことが原因の一つだろう。
 そうして遂に暴走していた自動車が停まる。

 同時に犯人の姿は空気に溶けるように消え去った。

「な―――に?」

 呆然とする空隊の面々。それはフェイトにしても同じだった。
 後に発見される、シートに残されたメモ用紙。

 "残念! 無念! あっぱれじゃ! インテグラ・イイオトコ"

 それを見て、フェイトはやっと男の正体を思い出す。

 三年ほど前に管理局から無断で離脱して以降、殺人を含む複数の犯罪の容疑で、数々の世界で指名手配されている凶悪犯インテグラ・イイオトコのミッドチルダ再来だった。
 フェイト・T・ハラオウン執務官がぐっすり眠れる日はまだまだ遠い。







◆◇◆

 マラネロとはぐれ、インテグラ・ヘンナオトコに色々と奢ってもらった後、どうにか日が沈む前にマラネロと合流できた。そこで散々叱られて――マラネロも怖い人に散々叱られたらしい――から、本来の目的地に向かう。
 引き渡しは、意外や意外、人通りの少ない裏道ではなく普通に町中で行われた。
 こういう別れは多いのか、マラネロは彼女らしいさらりとした言葉で送り出してくれた。それにちょっとだけ感動するも、初めて乗った高級車のフワフワなシートに負けて、たちまち忘れる恩知らずな生き物がここに一人。そんなおれを、新しい親分がこいつ本当に大丈夫なのかよ、という顔で見ているのがかなり怖い。

 新しい親分が言うには、彼は組織の中でも特に武力関係を取り仕切っているらしい。その一環で魔導師を集めているそうだ。組織における魔導師の運用は主に護衛目的だというが、本当のところはどうなのかも実に怪しいところだ。カチコミと書いて護衛と読む、とかあんまり洒落にならないことを想像してしまう。
 ……まあ、幼女にもわかりやすい言葉でわざわざ説明してくれるあたり、強面のおっさんだけど好感度は高い。あるいは奥さんや幼い子供がいるのかも。

「まあ、嬢ちゃんはしばらくは基礎訓練だろうな……。久しぶりに帰ってきたバカタレがいるから、そいつに面倒見てもらえ。なに、頭は悪いが性格はそれほど悪くない」
「はい」

 なんかもうこの時点で嫌な予感ビンビンだったのだが、それが何に起因するのかはわからなかった。
 やがて車は背の高いビルに到着する。このビルを丸々占領する企業が、組織の隠れ蓑だそうだ。急に場違いなところに連れてこられた気がするが、組織の人員は表向きは社員として扱われるんだとか。さすがに五歳、六歳の子供を雇うのはアウトっぽい気がしないでもないが、そのあたりは見ないフリをするのが賢い生き方だ、とさっそく親分に教わった。
 社員専用の入り口からビルに入り、親分のでっかい背中を追いかける。そしてエレベーターに乗り、どんどん上へと昇っていく。途中で一度乗り換えて、再び上へ。
 チン、と安っぽい音がして、ようやく目的の階にたどりついた。
 それからまた歩き、角を数回曲がったところで重たそうな木の扉が現れた。その前には、彼らが護衛なのだろう、杖型のデバイスを抱えた二人の男が立っている。黒いスーツを着た大人が魔法の杖を持つ姿がシュール。
 護衛二人は親分に頭を下げる。親分は偉そうに片手を軽く上げるだけで通り過ぎるので、代わりにおれが頭を下げておく。
 そして室内に入ると、

「あれ? なに、新しい魔導師ってコロナだったのか?」
「なんだ? おまえたち、知り合いだったのか?」
「知りあいというか、テーブルはさんでパフェ食った仲というか……」

 そこで待ち構えていたのは、何を隠そう、インテグラ・イイオトコであった。


 



[4970] 第4話
Name: 男爵イモ◆16267a69 ID:23e52052
Date: 2008/12/01 01:01
◆◇◆

 インテグラ・イイオトコ。
 言動を見る限り頭はあまり良くないが、とにかく強い。元管理局員で、捜査官と武装隊とを経験したことがあるそうだ。
 最終到達魔導師ランクはAAA。上位5パーセントに含まれる、生まれながらのエリートだった。そりゃあ突っ立っているだけで強いわけだ。いや、強いというより大きいというのが正しいか。山の表面をスコップで掘ったところで何の意味もないのとよく似ている。
 そんなインテグラに、赤色――本人いわく華麗なるバラ色――の魔力光がトラウマになるくらい徹底的にしごかれた結果、

「おまえダメだわ。才能云々以前に、あまりにも若すぎる」とインテグラ。
「おまえな……。そんなこと、初日に気づけ」とおれ。

 ちなみにこの日、訓練を初めてから五日目の夜。毎日毎日フルボッコにされれば痛くない被弾の仕方くらいは学べるが、それだけだ。ぶっちゃけ幼児虐待の域に入っている気もするが、そういうのが通じない社会なのだから我慢するしかない。そろそろ管理局に逃げ込むべきやもしれぬ。
 それにしても、汗ってこんなに出るものだったのか。湿った髪の毛先からポタポタと、まるで絞った雑巾のように滴り落ちる。放っておけば体まで一緒に溶け出してしまいそう。恐ろしいのは、同じことを昨日も思ったという点だ。昨日も、その前日も、これ以上汗が流れることはないだろうと朦朧とした意識の中で思ったものだったが、それが毎日覆されるのはどういうことなのか。

「これを飲め」

 インテグラが男らしく差し出したのは怪しいビン。中身は緑色のあからさまに怪しい液体。なんだか薬品臭いのだが、ラベルを見るに市販品のようだ。
 味は……なにやらドクトルでペッパーな味わい。運動の後に適さないこと請け合いだが、とりあえず液体なら何でもよかった。
 おれが喉を鳴らしてごくごく飲むかたわらで、汗一つかいていないインテグラが空間にモニターを展開した。ここに来てから訓練と睡眠だけで一日が構成されていたので、少し興味がわく。重たい体を持ち上げて、わきから覗き込んだ。
『―――○月×日正午にミッドチルダ首都クラナガン中央区で起きた、魔導師による大規模な通り魔事件の犯人は、いまだに逃走を続けている模様です。管理局の発表によれば、インテグラ・イイオトコ容疑者は、複数の世界で凶悪犯罪の容疑者として指名手配を受けており、また元管理局員ということもあり、JS事件後に体制見直しを進める管理局にとって―――』

「…………」

 いま話題の容疑者インテグラ・イイオトコ氏を見上げてみる。
 目が合った。

「……さて。指名手配犯の潜伏先の情報でも手土産に、管理局に鞍替えするか」
「別にいいけど。そうなったらおれはさっさと逃げるから、この会社がつぶれるだけだぞ? 管理局に密告チクるにしても、おれの庇護下でもうちょっと甘い汁吸ってからの方がお得だといえるでしょう」

 もちろん今日までの付き合いでそれがわかっているから言ってみたのだが、こんなにも淡白なものなのか。結構古い付き合いがあるらしい親分さんがちょっと可哀そうになってきた。でもこんな凶悪犯を雇い、匿っている時点で同情の余地はほとんどない。それを言うなら、ヤクザな組織である時点で人から同情をもらえるはずがないのだが。

「で?」
「ん? なにが?」

 首をかしげるインテグラ。

「だから、何やったら凶悪犯なんて呼ばれるようになるんだ?」
「いまニュース見ていただろ? あ、でも関係ない人間を巻き込むのは仕事の時だけだから安心してほしい」

 できるはずがなかった。

「というか仕事以外とかあるのか……。趣味?」
「―――ふふふ」

 口を斜めに、不気味に笑う凶悪犯。
 こいつがどういうつもりでおれを傍に置いているのか知らないが、明らかに贔屓されているのは感じられる。でもロリコンとかペドフィリアとかいう感じでもないし、そもそも女に興味ないっぽいし。
 ただひとつわかるのは、観察されているらしいということ。
 ときおり能面のように無表情な、あるいは昆虫のように機械的な黒い瞳がこちらをじっと見つめていることがある。そこには暴力とは別種の、幽霊の類に近い恐ろしさがある。全身が震えるのではなく、背筋が凍るタイプ。人間の想像力が生み出す恐怖はこちらである。
 あと王冠がやたらとインテグラを嫌っているのも謎だ。いや、逆に好く人間がいたらそちらも大いに謎なのだが、王冠はインテグラの前では絶対に口を利かないあたり、かなり徹底している。知らない間に喧嘩でもしたのかしらと邪推するも、インテグラは気にした風ではないし、王冠は貝のように口を閉ざすので、わからず終い。王冠の隠し事を解き明かすどころか増えていく一方なのが実に歯がゆい。
 それらを総括してここ最近の日常を振り返ってみるに、どうにも引き際を間違えた気がしてならなかった。どう考えても、ここの組織に来る前に管理局に逃げ込むのが正解だ。それともインテグラに出会う前、というのが正しいか。
 王冠だけでなくインテグラも絶対になにかを知っている。確信は日々強まり、けれども突破口が見えてこない。あるいはもともと突破口など存在しない―――ブラフの可能性もあるが、管理局に逃げ込めば二度と会えないだろうから、ずるずると今の位置に居続けてしまうのだ。
 それに今の自分の状況がひとえに好運によるものだということも忘れてはならない。いつでも逃げ出せるつもりでいたが、本気で監禁されたりすれば、それさえも果たせないところだった。ちょっと現実甘く見ていたというか、なめていたというか。
 ……これは自分で期限を決めないと危ないかもしれないな。

「インテグラ」
「なんだ?」
「おまえ、いつまでここにいるつもりなんだ?」

 直球でど真ん中な問いかけだったが、インテグラは視線を斜め上にさまよわせてから、

「そう……、具体的には決まっていないが、近いうちに地上本部の捜査官たちが踏み込んでくる。あと半月もないな。逃げ出すならその直前か、もしくはドサクサに紛れて色々と持ち出すのもアリといえばアリなんだが」

 それがやけに自信に満ちた口調だったので、さらに突っ込んでみる。

「おまえ、もしかして―――」
「おれもダテに捜査官していたわけじゃないからなあ。今でもつながりがあったり? なかったり? 司法取引、とはまた違うけど? この会社に捜査官を紛れ込ませるのを手伝ってみたことも?」

 気味の悪いしゃべり方をして、ひひひと笑う。
 雇い主を裏切るヒットマン……。死神すぎる。そのうち自滅するんだろうなあ。できれば早い方がいいなあ。

「まあ、それまでの辛抱だからコロナも訓練を頑張るといい。若い内に反復訓練で効率のいい脳ミソを作るのがエリートへの第一歩だ。おまえ、魔法は見ただけで覚えられるんだから、なおさらその習熟に力を注ぐべきだろう」
「へーい」
「あと、どんなに疲れていても最低限の身繕いをするクセはつけておけ。人間、見た目の良し悪しを性質のそれに結びつけて考えやすいからな」

 裁判で心証良くなるかも、とかなり意外な助言を残してインテグラは去った。しかし捕まること前提で話すのは止めてほしかった。

「王冠」
「……なに?」
「管理局への投降準備、できているよな?」
「できてるよ。廃ビルに住んでた時からいつでもできるようにしてる。なんなら今この瞬間にしてもいいけど?」
「魅力的だな……。でもやめておこう。あいつが何を知っているのか知りたいし、どうせだからあいつが逮捕されるように動くのもいいかもしれない。できそうか?」
「難しいだろうね」

 王冠は即答する。

「おまえはどんなに頑張ってもBにも届かず、あいつは三年前の時点でAAAだっけ? だとすればニアSくらいあるかな。下手すればオーバーSだ。ま、少なくとも当時より落ちてるってことはないと思う。おまえにそっくりだ。才能はなくとも指向性は卓越してる。どんなにきつくても、一度始めた努力は捨てないよ、ああいうのは。だからいまなら無傷で一つの都市の住民を片っ端からハゲ頭にして回ることもできるんじゃないかな」
「ひどいオチだな、おい。っていうか、絶対本人に言うなよ? それ。やりそうだから。計画犯として逮捕されるなんて洒落にならん」
「実行犯じゃないところとか、小物っぽくてよく似合ってる気がするけど?」

 シャワールームに入って、

「騎士甲冑、解除」

 甲冑がほどけていく。途端に体の表面に空気が触れ、襲いかかる不快感。慣れすぎるのも問題だ。
 いまならどこぞの執務官が制服姿が新鮮だと言われるほどにバリアジャケットを着続けたのも理解できる。魔法というのはどれもこれも戦闘を前提に作られていると思っていたが、騎士甲冑は快適すぎる。
 滝のように強い水流を頭から浴びて汗を流す。騎士甲冑も快適だったが、体表を湯が這う感覚も眠気を誘う心地よさがあった。生物としての本能なのかもしれない。
 眠ること。たゆたうこと。何も考えないこと。
 どれもこれも気持ちがいいのは、きっと静止こそが生物のデフォルトだからだ。起きているときが、動いているときが、考えているときが、まさに異常動作を起こしているのだ。
 ならば生と死は、どちらが正常でどちらが異常なのか……と中学生みたいなことを考えながら風呂を上がる。
 風呂上がりの一杯は欠かせないのでさっそく冷蔵庫に突撃し、中にドクトルでペッパーなビンしか入っていなかったことに絶望した。

「インテグラのやつ、こんなものどこから調達してくるんだ……」

 元捜査官すげー、と嘆息。
 仕方がないのでグラスになみなみと注いだ水を飲み干すことにした。液体が喉を流れる快感。冷たさに胃が驚くのも同じく。

「さて。寝るか」

 つぶやいて、念願の柔らかくて大きいベッドに倒れこむ。
 枕に顔を伏せて視界が闇に包まれる。眠りは刹那のうちに訪れた。







◆◇◆

 翌日、夜明け前。

 空間に展開されたモニターには、しかし映像は映っていなかった。獣が爪で引っ掻いたような白黒のノイズが乱れている。

「ふーん。なるほど。じゃあ踏み込みは八日後の昼、と。いや、思ったよりかなり早い。驚いた」
『……そちらの準備は整っているのだろうな?』
「整えますよ。そりゃあ、……ねえ?」

 挑発するように、不安を煽るように、インテグラは囁く。かつての上司が顔をしかめる気配は、モニター越しの無言に紛れてしっかりと伝わってきた。
 現在の彼らの関係は、インテグラが優位にある。
 失うモノの違いだ。インテグラは逮捕されても刑罰を受けるだけだが、かつての上司は家庭に地位にと守るべきものが多い。一度手を組んだ以上、インテグラが逮捕されればそこからつながりが表出するのは間違いないので、かつての上司はインテグラを逃がさざるをえないのだ。
 たった一度の過ちに付け込まれ、ずるずると三年。まるで悪い薬だ。加えて、彼は知らないが、インテグラが同じような関係を結ぶ相手はまだ数人存在している。誰も彼も、それなりの地位についている者たちだ。中にはインテグラを消そうと刺客を送り込んできた者までいたが、結果は、いまここで指名手配犯がニヤニヤ笑っていることから知れる。

「まあ、しかし最近の局は体制見直しなんて面白いことをやっているそうじゃないですか? そのへん、大丈夫なんですかね?」
『……それはおまえの気にすることではない』
「はいはい。それじゃあ、くれぐれもお気をつけて」
『…………』

 奥歯を噛みこぶしを握る姿が、インテグラには見えた。
 一方的に通信が終了される。

「八日後、ね。……かわいそうに。奥さんもお子さんも泣くだろうなあ。いやー、他人の不幸は美味い旨い」







◆◇◆

 同時刻。

 フェイトは薄暗い車内でシートを倒し、軽くまぶたを閉じていた。眠りにはつかない。水銀じみたどろりと重たいため息がもれる。
 少女はまだ見つからない。それどころか、新しい仕事が入ってしまった。

 フェイトの元に捜査協力の依頼が来たのは、彼女らが指名手配犯インテグラ・イイオトコを取り逃がした二日後だった。捜査協力というよりは、むしろ戦力として当てにされている。突入員としてオファーがかかったのだ。
 強制捜査の対象は、とある企業だった。かねてより別の目的で内偵を行っていた捜査官から、その企業がインテグラ・イイオトコを匿っているとの報告が上がってきたのだ。それをひょんなことから小耳にはさんだ"イイオトコ通り魔殺人事件捜査本部"が横からぶんどった形になる。知ると鬱になりそうなドロドロしたやり取りの末のことだったが、上から正式に認められた以上、捜査が行われるのは決定事項なのだ。
 かくして決まった陸での久し振りの大捕り物にどうしてフェイトが呼ばれたのか。フェイトが実際に顔を合わせた捜査主任は、体制見直しの一環として海と陸が協力して大物犯罪者を捕らえるのは云々と語ったが、どう考えてもインテグラ・イイオトコを逃がした責任を取って手伝えというのが本音らしかった。そんなだから海と陸の溝が埋まらないのだが、それを口にすれば埋まるどころか深まること間違いないので、フェイトは素直に頷いておいた。ヴィヴィオの妹にあたる少女の捜査で忙しかったが、断れる空気でもなかった。

 幸いにして、足を棒に一日中歩き回る仕事ではない。奇襲じみたやり方で、電撃的に制圧するとのことだ。
 決行は五日後、、、の昼。それを絶対に口外するなと言いつけられた。言われずとも吹聴して回る気はないが、それが同じ捜査員たちにまでとなると、多少は訝しまざるをえなかった。が、理解はすぐに訪れた。
 似たような状況は今日までにも何度か経験していた。つまるところ、内通者のあぶり出しも兼ねているのだろう。
 インテグラ・イイオトコが元管理局員だというのなら、それなりに納得のいく話でもある。そもそもあれだけ派手に動いておいて三年も逃げ続けているというのがおかしいのだ。いくら捜査官の手口を知り、かつ高ランクの魔導師であったとしても。

 通り過ぎる車のライトが、まぶた越しにも感じられた。
 ティアナはもう寝ているだろうか。フェイトは閉じた目を手のひらで覆って考える。
 フェイトの補佐官であるティアナにも、参加するよう要請が来ていた。その要請はいまだフェイトの元で止まっている。テキストで送るより、明日、口頭で伝える方がいいだろうと判断してのことだった。外に漏らさないためには、データとして残さないのが鉄則だ。
 ティアナ・ランスター執務官補。陸戦AAランクのストライカー。フェイトの見立てでは、彼女が執務官になるまであと二年もかからない。魔導師としてもまだまだこれからが伸び盛りであるし、性格は真面目、人柄も良し。
 自分で言うのも何だが、フェイトは魔導師としての才能に恵まれていた。だからこそできなかった経験が数多くあるということが、最近になってようやく見えてきた気がする。そして、それらの経験こそが管理局の魔導師に必要なものであるということも。
 その点に関して言えば、ティアナは恐ろしく優秀な執務官になるだろう。分類すれば、血反吐を吐くほどの努力を知るクロノ・ハラオウン提督と同じ。そんなティアナにとって五日後の強制捜査は、執務官補佐となってから初めての、高ランク魔導師犯罪者と遭遇する可能性のある仕事だ。それも凶悪犯と呼ばれるほどの、極めて危険な魔導師と。

 絶対に大事があってはならない。
 思いを強く抱き、フェイトは身を起こした。まだまだ先は長かった。







◆◇◆

「―――ってなわけで、管理局が突っ込んでくるのは五日後の昼だってさ」

 唐突だが聞き逃せないことをインテグラがいった。

「半月もないどころか、一週間もないのか……」
「少数精鋭で一気に制圧しにくるらしい!」

 恐ろしい話だ。
 魔導師は能力面での個体差が大きく、ゆえに精鋭というと冗談抜きで超人とか化け物なのである。その一例がちょうどいま目の前にいるわけなのだが……。

「なんでおまえそんなに嬉しそうなんだよ?」
「そりゃあ嬉しいだろ。聞いて驚け? なんとその突入部隊にはフェイト・T・ハラオウン執務官が含まれているとか!」

 ファンなのだ、などとのたまう頭の悪い凶悪犯罪者。まあ、たしかにおれだってファンだと言えばファンなのだが、敵対したいとは思わない。
 こいつも会えるのがそんなに嬉しいなら逮捕でもされてあげればいいのに。

「……って、ちょっと待て。おまえ、逃げ出さないのか?」
「せっかくの機会なんだ。逃したらもったいないだろ。まあ、勝てはしないが負けもないだろうから、適当に遊んでもらって、満足したら撤退だ」

 空戦S+相手にそこまで言い切るとは、すごい自信だ。などと感心していると、

「いいこと思いついた。おまえ、おれの―――」
「黙れ」

 インテグラの危ない発言に割り込みをかけた。
 すると変態は肩をすくめ、

「おれの……代わりに、いざとなったらカミカゼアタックしろ。おれはその隙に逃げる」

 苦しいつなぎだった。

「で?」

 おれが尋ね、
 インテグラは人差し指を立てて解説。

「おれは逃げ切る。おまえはお縄につく。なに、少年法……じゃなくて、年齢がおまえを守ってくれる。それに連中は魔導師には甘い。聖王なんてまず間違いなく無罪で身内に引き入れようとするだろうな。いつだって将来の、一点の曇りすらない穢れなきエース候補が欲しいんだ、あそこは。もう一匹の方は義母が管理局員とはいえ実質的に聖王教会に取られたし、躍起になっておまえを獲得しにくるんじゃない?」
「いやに辛辣だな」
「いやあ……、なぜか反体制は楽しいんだよなあ。ここでボロクソ言っても言い返してこないからか?」
「壁に向かってぶつぶつ呟いてろ」

 フェイト・T・ハラオウンに会えるのがそれほど嬉しいのか、やけにテンションが高い。もともと躁っぽいところがあるのだが、おかげで相手をするのも一苦労だ。
 しかしインテグラの言では、おれも当日までここにいるのが決定のようなのだが、そのことについて訊いてみると、

「コロナは拉致監禁されていたってことにして、部屋の隅でブルブル震えていればいいんじゃないか?」
「おまえらが戦ったらビル倒壊するだろ」
「そりゃあするだろうけど、でもいま駆け込んでも誰も喜ばないと思うんだが」
「むぅ……」

 たしかに、いまおれが管理局に駆け込むと、インテグラはともかく捜査官の人たちが困るのか。
 完全にタイミングを見失っていた。機を読む能力の欠如が恨めしい。

「そんなに嫌なら、とりあえず前日にでも避難しとけばいい。適当なところ準備してやってもいいけど?」

 試すような視線が腹立たしいが、しかたない。

「……対価はなんだ?」
「よくできました。レインボーサイクロンを所望する」
「……。なんだよそれ?」

 というわけで、美しい魔闘家としての修行を積むことになった。







 半日かけて習得したレインボーサイクロンはくその役にも立たないことが判明した。もともと魔力光が七色で、適当に魔力を放出するだけで実現するのだから当然といえば当然だ。習得する前に気づけという話だが、インテグラのハイテンションに引っ張られる形でおれもノリノリだったのだ。
 もちろん素に戻って死にたくなった。

「よし、王冠。目からビーム出す魔法プログラムを組め」
「なにが"よし"なのかわからないんだけど。……単純に射撃魔法のスフィアを文字通り目の前に設置するのはだめなの?」
「だめだ。傍目にはネタでありながら効果も高く、かつ誰が見ても明らかにオリジナルだとわかる技が欲しい」
「またバカなことに夢中になって……。でもまあ、最近はちょっとマジメになってたし? 久しぶりに廃ビルで生活してた頃みたいにバカやるのもいいかもね。わかった、適当にプログラム組み上げて徐々に修正していくから手伝って」

 それでこそコロナ、となかなかどうして失礼なことをいいつつも、王冠も乗り気なのは見え見えだった。

「おまえの魔力資質は純粋魔力の射出、放出だから、目からビーム魔法自体は習得しやすいだろうけど、そもそもベルカには少ない資質だから……、必然、ベルカ式はそっち方面の術式が少ないんだ。その点ミッドヘボ、、チルダ式は洗練されてる。自分だけ安全圏で戦おうとする卑怯な根性染みついてるってことだね。癪だけど、コロナがあいつインテグラから盗んだ術式をベースにしよう」
「無茶苦茶いうなあ。なんだ? 今日はやけに口が悪い……あ、さてはインテグラに何度も撃たれたのが気に入らないんだろ?」
「…………」

 黙り込む王冠。集中してるんだから話しかけるなバカ、と無言で。
 墜とされまくった本人がちっとも気にしていないのに、そのデバイスが気にするとは。ミッド式が嫌いなのかインテグラが嫌いなのか。両方だろうな。少なくともおれを心配しているわけではないのは確かだ。

「……おまえ、なんでインテグラ嫌いなんだ?」
「なんだよ藪から棒に。コロナは好きなの?」

 王冠が問い返してくる。

「残念ながら冗談でも頷けない。でも嫌いというよりは、気持ち悪い? というのが正確なところだと思う」
「私も嫌いなわけじゃないよ。ただ、私は常におまえといるから、あいつの前ではしゃべりたくない。そっくりな人間が二人いるなんてすごく気色悪い」

 かなりひどい暴言を吐かれた気がする。あんな変人にして凶悪殺人犯とそっくりだなんて、ナマコとそっくりと言われるより屈辱だった。
 それにしても珍しい。王冠は本当に機嫌が悪そうだ。これがインテグラにおれを取られて嫉妬しているとかなら可愛いものだが、絶対そんな感じじゃないし。本気で気持ち悪がっているっぽい。
 よくわからないが、ともかくこれ以上やつの話を振るのは得策ではないだろう。

「ま、いいか。それよりできた? プログラム」
「もうちょっと待って。あと何をメインにするか指定がほしい」
「威力と弾速と射程と操作性と貫通性と発射速度をメインにしろ」
「他に何がメインの射撃があるんだよ! 調子に乗るなよバカ人間。とりあえず勝手に速度重視にしといたからな。無防備な標的と目が合った瞬間にジュッ! だ」
「ジュッ! って……」

 目玉焼きのできる音?

「おい、それ危ないんじゃないか?」
「おまえの目も潰れるからおあいこだ」
「あ、ああ危なすぎるわ! なんで捨て身の切り札なんだよ?」
「針みたいに細い直射型にして貫通性能上げて、バリアジャケットぐらいなら抜けるようにしてみる?」
「人の話を聞け」

 とか言ってぎゃーぎゃー騒いでいるうちに完成してしまったのか、デバイス側で魔法プログラムを走らせる気配。

「おい王冠? おれの目は大丈夫なんだろうな?」
「瞬きするなよ? まぶたの裏が焼けるか、出力高いと貫通するかも。目を閉じてても見えるようにしたいなら止めないけど」

 そんな恐ろしいことを言われたせいで、我慢大会みたいに目を開けたままにする。瞬きできないのはとても辛い。
 と、眼球の前にリング状の魔法陣が出現。ほぼ同時、SF映画に出てきそうなレーザーじみた虹色の光線が発射され、視線の先がジュッ! と音を立てた。あとどこかから「アッー!」と叫び声が上がった気がした。

「……なんか壁に穴が開いていないか?」
「バリアジャケット貫通して肉を焼くくらいだからね。なんの魔法的な防御もない壁なんて紙みたいなものだよ」

 騎士甲冑ではなくバリアジャケットと言うあたり、何を標的にしているのかよくわかる。
 しかし、バリアジャケットを抜く貫通力に、防御魔法の展開を許さない弾速。照準は視線をそのまま利用し、場合によってはデバイスの補助が入る。欠点は弾丸のサイズが小さい――壁の穴は一センチにも満たない――こと。あと失敗するとまぶたに穴が開くこと。
 封印すべき魔法のような気もするが、人間を撃ち落とすには上出来だといえよう。

「……。……まあ、でもコロナ、魔力を研ぎ澄ます才能は意外とあるね」
「なんだよ? その間は」
「うん、まあ……、計算より貫通力が高くなったから。……最初は冗談だったんだよ?」
「なに言ってるんだ? わけわからないぞ、おまえ」
「すぐにわかる。……ほら、来た」

 王冠が言い終るやいなや、部屋の扉を蹴破る勢いで素っ裸のインテグラが突入してきた。すわペドフィリア来襲かと身構えるも、そうではないらしい。インテグラはおもむろにこちらに尻を向けて、

「てめおまえこのやろ! なんてことしやがる! 大事な尻が焼けたぞ!」

 そういえば先ほどの光線を延長すると、隣室、インテグラの部屋に届く。しかしこいつは自室で素っ裸で何をしていたのか。
 問う代わりに、変わらずこちらに向いたままの尻に、かつて物干し竿として活躍していたデバイスを突き出した。

「アッー!」


 



[4970] 第5話
Name: 男爵イモ◆16267a69 ID:23e52052
Date: 2008/12/08 21:38


◆◇◆

 ついにインテグラともおさらばできる。待ち遠しかった強制捜査予定日の前日。さわやかな朝である。
 もちろん今日までも特訓と称した残虐ショーが行われたわけだが、たった数日で劇的にパワーアップできるなら、どいつもこいつも試験の回転が間に合わないから書類上はF級だけど実力はS級魔導師だ。管理局は大喜びだろう。いや、犯罪者もモリモリ実力をつけるから結局は変わらないか。

 しかしこの体は本当に幼い。背が低い、体力がない、足が短い。戦闘に向いていないのは誰が見ても明らかなのだが、日常生活にも問題があるのはいただけない。
 たとえばいま洗面所にいる。踏み台がなければ手が蛇口に届きもしない。もちろんそんな便利なものなどないので、王冠の尻を叩いて魔法を発動を発動させる。ふわふわ浮きながら顔を洗い、歯を磨き、相変わらず鏡の中からこちらを見る紅と翠の瞳にため息をついた。
 こちらを見つめる幼女は、見れば見るほどヴィヴィオだ。どうにもしまらない顔をしている。キリッとした顔を作ろうとして、自分で笑ってしまったのがショックだった。が、それ以上にショックだったのは、この世界に来る前の自分の顔がかけらも思い出せないことだった。
 名前も顔も思い出せない。それは自身だけにとどまらず、記憶の中に存在するあらゆる人物に共通する。だというのに、彼らが存在したという事実のみを覚えている。
 ……覚えている? 本当に?
 この感覚は、どちらかといえば―――

「コロナ? なに一人でにらめっこしてるんだよ? グロいからやめなよ」
「グロいとか―――うわ? グロいぞおれ」

 鏡に映った顔がぐにゃぁ、とスライムみたいになっていた。反射的に自分の顔を小さな手でペタペタ触って確認するも、きちんと人間の顔の形を保っている。

「幻術魔法だね。下らないいたずらだ」

 王冠があっさり看破した。
 幻術。使い手の少ない魔法。理由が適性の問題なのか人気がないだけなのかは知らない。知らないけれども、今日までの特訓の中でインテグラが使用したそれは効果が抜群だったのを体が覚えている。インテグラが言うには、人の心や脳について学ぶ過程で習得したとのことだ。
 人間は目に頼りすぎる生き物である。
 率直な感想をいえば、来ることがわかればどうにか避けられる砲撃と比べて、幻術は十倍くらい恐ろしい。"原作"のせいで支援用の魔法であるという認識が強かったが、悪意を持って使えばこれほど攻撃的なものもそうそうないように、今なら思える。
 鏡に手をかざして幻術を解除。戻ってきたのはやっぱりしまらない顔だったが、先ほどよりは幾分マシに見えた。

「今日、昼だったか?」
「そうだよ。……なにが?」
「わからないのに返事するなポンコツ」

 最近めっきりズボラになった人工知能だった。しかし当然ながらこちらにも問題があるので、王冠は怒る。

「だったらわかるように質問しろよ欠陥脳」
「この家を出て、一度会社、あのビルに向かうのは昼ごろだったよな?」
「そうだよ。で、そこから新しい隠れ家にまた移動。アイツが捕まろうが逃げようが、そのあと私たちは管理局に投降……なんだけど、本当にするつもり?」
「なんだよ急に?」

 そういえば王冠がなぜ管理局や聖王教会を嫌がるのか、一度も聞いていなかった。

「ほら、私は古いデバイスだから、ああいうところと接触するとバラバラにされて調べられたりするかもしれない」
「おれの心配をしていたなら容れてもよかったが、なんだ、自分の心配か。だめだ。我慢してバラされろ」
「本当は、コロナは特別な体だから連中が好き勝手いじくりまわす可能性があるのが許せなかったんだ」
「バカめ。もう遅いわ」

 珍しく王冠をバカ呼ばわりして悦に入る、平和な午前中だった。






 午前中が平和だと午後は荒れる。そんな法則は断じてない……はずだ。
 正午である。当初の予定通り、インテグラと共に車に乗って数十分。何事もなくビルへと到着した。
 社員用の入り口から建物に入り、エレベーターに乗り、親分さんの部屋へと向かう途中。ぐにゃ、とゼリーの海に飲み込まれたかのような違和感が肌を撫でて通り過ぎた。

「あれ? ……これは管理局が使う結界っぽいな」

 インテグラが、おかしいな、と呟く。

「おい。明日じゃなかったのか?」
「そう思っていたんだが……、見事に騙されたみたいだ。内側に閉じ込めて、転送での脱出を防ぐ結界だろう。閉じ込める人間の基準は……、魔力資質の有無か、あるいはデバイスの所持か。……まず後者だろうな」

 要するに、インテグラがどのようにしてか調べ出した強制捜査の日にちは間違っていたということだ。管理局による襲撃の前日であったはずの今日、あっさりと結界内に閉じ込められてしまった。だというのに飄々とした態度を崩さないインテグラを見て、閃きにも似たロクでもない何かが生まれた。

「……おまえ。知っていたんじゃないのか?」
「いや、これは完全に予想外。だからといって予定と違うところを挙げてみれば、おまえがいるってことだけなんだが」

 大したことなさそうに言うが、おれにとっては大問題だ。こうなるのが嫌だから隠れ家を求めたのに、何の意味もなかった。
 早足で廊下を進むインテグラをほとんど駆け足で追う。そして親分さんの部屋に。

「―――おう。インテか。これはいよいよ腹を決めるときが来たようだな」

 こちらを一瞥し、すぐに窓の外に厳しい視線を向けなおした親分さんがいう。既にバリアジャケットを身にまとい、黒い杖を手にしている。
 対するインテグラは、

「申し訳ない。おれのせいでしょうに」
「なに、捕まらなければ文句は言わん。引き金はおまえだが、おまえという戦力で帳消しだ。それに、どうせ早いか遅いかの問題だったからな」
「そうですか。それはよかった。じゃあさようなら」
「あ?」

 厳つい顔をこちらに向けた瞬間、親分さんはその場に倒れ伏した。

「実はあなたを殺す仕事も請けていたんですよ。おれが言うのも何ですが、相当酷いやり方をしていたとか? まあ、おれとしてはこれで関係ない人を巻き込む名目もできたわけで、助かるんですがね。いやあ、マイルールを守るのも中々タイヘンです」

 声が遠い。
 どくどくどく。
 血が床に広がっていく。
 領土を広げていく侵略国家の地図。

「あ…………」

 言葉が出ない。目が釘付けになる。
 嘔吐感や嫌悪感はない。ただ頭が軽くて体が軽くて、まるで足が地についていないかのような不安定。
 このまま風船みたいに飛んでいってしまいそうなおれの体を上から押さえつけたのは、この光景を作り出したインテグラ本人だった。
 頭に手が置かれ、ぐい、と地に押し込むように圧力がかけられる。

「あれ? 人が死ぬのを見るのは初めてか? でも大丈夫。おれも最初はそうだったけど、すぐに慣れた。だったらおまえもすぐに慣れる」
「おまえと……、一緒にするな」

 どうにか言い返すが、インテグラは口元を斜めにするだけ。そしてすぐにこちらから視線を切って、窓の外に目を向ける。

「ふーん……上と下からサンドウィッチ作戦か。連中が突入してくるまでは、やることないなあ。あと五分もないだろうが、おまえもそれまでに心を切り替えた方がいい」

 無言を返す。できるだけ親分さんだったものが視界に入らないようにして。
 と、無言でいるのが耐えられない生き物なのか、インテグラがしゃべり始めた。

「コロナは高町なのはについてどう思う? おれは嫌いなんだよなあ、あれ。おれだって何かの間違いで人並み以上に努力はしたけど、それは勢いづいていたからだ。バブル経済みたいなもので、心に勢いのある時は加速度的に伸びていくんだが、正直、一度墜ちればそこから這い上がる努力はおれには無理だ。そう……、将来を期待されるエリートとして入局し、本人もその期待にこたえようと努力し続け、また自身の信じる物を押し通そうと無茶を続けた結果、溜まった疲労が祟って撃墜され、歩行すら困難となり、おまえバナナとサクランボどっちが好き?」
「リンゴ」
「はいよ。で、……歩行すら困難となり、一生そのままかもしれないと言われた時、それでも再び空を夢見て努力するなんて、おまえにはできない。ほら、食え」
「いま、それズボンの中から取り出さなかったか?」

 ポケットの中ではなくズボンの中。ばっちい。あとバナナとかサクランボとか答えなくてよかった。
 インテグラは仕方なさそうに自分でリンゴに齧りつく。シャクシャクと音を立てて、丸いリンゴが削り取られていく。

「で? 結局なにが言いたいんだよ? おまえは」
「忠告。ただの忠告だ。どうもおまえはハズレっぽいしな。最初はムカムカ? ムズムズ? いや、ムラムラ? ……ともかくアタリかと思ったんだが、近くに置いて観察してみた結果、かなり際どいが陰性と判定されたわけだし。なのでここは先達ver.1として、後発ver.2のおまえに一つ忠告をしておこうと」

 わけのわからない単語を――意図してだろう――連ねてしゃべるインテグラ。

「コロナ。おまえは高町なのはをまぶしいと思うだろうが、おまえはまぶしい存在にはなれない。一応言っておくが精神的な話だぞ? だから、一度努力を始めたら、絶対に墜とされないことだ。……おまえバカだしもう一度言っておくが、精神的な話だぞ?」
「まさかおまえにバカと言われる日が来ようとは……」

 これ以上ないほどの侮辱である。

「あとは、そうだな。強いて言えば、出会わないこと、、、、、、、ぐらいか。まあ、こっちはほとんど運なんだが。……さて、それよりそろそろ来るぞ。窓の外を見てみろ。もう下の方からは陸戦魔導師が入ってきているかもしれないな」
「ん……」

 背が足りずに見えないので、ふわりと浮く。もう不安定感はなかった。少し自分が嫌になる。そんな気持ちを無理やり忘れ、窓の外をそっと見た。
 ビルの周辺を装甲車が囲み、空中は魔導師による包囲がなされている。さらにダメ押しで結界が張られており、ネズミ一匹逃さないという姿勢がうかがえる。が、正直、これは悪手に思えてならなかった。というのも、認めるのは嫌なのだが、十日にも満たない付き合いだというのに、おれはインテグラの性格を把握してしまっていたのだ。
 この状況。インテグラなら、まず間違いなく大暴れする。バカだから。
 インテグラも窓の外を眺め、呟く。

「ラピュータは本当にあったんだ」
「……唐突になんだよ」
「こっちに人差し指を出せ」

 言われたとおり、プギャーと指さすように人差し指の先をインテグラに向ける。インテグラは一つ深い頷きを見せてから、同じようにこちらに人差し指を差し出した。

「ちゃーんちゃーん、ちゃらららーらーん♪」

 星戦争のテーマ。宇宙つながりなのか、間違えているだけなのか。もう無茶苦茶というか、ぶっちゃけたというか、解禁したというか、インテグラはやりたい放題だ。
 さっさと母星に帰れ、と冷たい目で見ていると、二人の指先がぶつかり合った。
 こちらを見るインテグラの黒い目が何を期待しているのかわかってしまう。どうせこれで最後だろうし、しょうがないので付き合ってやろう。
 二人揃って大きく息を吸い、

「「バルス……!」」

 瞬間。
 立て続けに爆音。
 地震としか思えない大振動。
 それもやがて収まる。
 おれはといえば、恥ずかしながら腰が抜けて尻もちをついていた。本当に爆発するなんて思うはずがなかった。
 そんなおれの目の前で、インテグラは杖の先端を床に向けて構える。そして、まさかと思うよりも早く赤い光が―――







◆◇◆

 数日前に協力要請をよこした捜査主任から再び連絡が入ったのは、強制捜査予定日の前日、早朝のことであった。
 踏み込みを一日前倒しにする。可能であれば来てほしい。その言から察するに、フェイトとティアナの参加は必須ではないようだった。二人が参加しなくとも、捜査が行われるのは決定しているのだろう。名の通った執務官とその補佐が戦力に加算できれば幸運である、といった程度の考えだと思われる。
 それでも二人が参加を決めたのは、捜査主任のもたらした情報が原因だった。

「嬢ちゃんには……と、失礼、ハラオウン執務官殿には、犯人逮捕以外の仕事を頼みたいんだ。この、昨晩遅くに入った情報が、突入予定を繰り上げた理由の一つでもあるんだが、なんでもイイオトコの野郎、子供を一人手元に置いているらしくてな。で、その子供の特徴なんだが―――」

 ―――幼い少女。
 ―――翠と紅の瞳。
 ―――ブロンドの髪。

 目を見開いたフェイトを見て、モニターの向こうの男は苦笑した。やっぱりか、と呟きながら。

『最近なりふり構わず動いてる執務官がいるとは聞いてたからな。嫌でも耳に入る。まあ、知っていながら協力を頼んだのは許してほしい。めでたくクソ野郎、失礼、イイオトコのヤツを捕まえることができたら、礼ってわけじゃあないが俺のトコこっちからもあんたの方に人員を回そうと思ってたんだ。で、そこにこの情報が入ったってわけだ。お互い、ようやくツキが回ってきたってところか』

 捜査主任は口を斜めにして、不幸中の幸いだがな、と締めくくった。以前同じ表情を見た時は、海と陸の対立から抜け出せない人物だと思ったものだったが、いまは違う。
 自分も現金なものだと考えながら、フェイトは敬礼する。

「協力させていただきます。いえ、こちらからお願いします。ぜひ協力させて下さい」
『ああ、助かる。で、早速だが仕事の話だ。突入は本日正午を予定しているんだが、大丈夫か? 打ち合わせのために、まずは捜査本部こっちまで来てほしんだが』







 そうして呼び出された捜査本部。捜査員たちはすでに出払っており、実際会ってみると、モニター越しに見たときよりも若く見える捜査主任が一人残っていた。フェイトとティアナ、それにもう一人、モニター越しの補佐官シャリオ・フィニーノシャーリーへの説明のためだけに。
 恐縮するフェイトらに、捜査主任は笑って言う。

「なに。俺は部下に恵まれててな。実のところ俺抜きでも回りやがるんだが、バレたらクビになりかねんので黙っておいてもらえると助かる」

 頂点なしでも仕事が回るようにチームを作り上げただけで、有能さの証明には十分だった。

「さて、じゃあ作戦について説明を始めるか。時間が惜しい。―――と、そのまえにイイオトコについて説明しておくべきだな」

 空間にモニターが展開される。
 しかしイイオトコについての詳細は、海のデータベースから既にシャーリーが抽出していた。それが表情に出でもしたのか、捜査主任はティアナの顔を見て笑う。
 自嘲?
 疑問に思いながらフェイトは尋ねる。

「海と共有するに至らない、現場だけの情報がある、と?」
「そうだ。あの野郎が幻術魔法を使うのは状況から見て明らかだってのにな、データベースには登録されてないんだよ。この間の逃走劇にしたって、どう見ても自動運転用AIと幻術の組み合わせだってのに。実際に対峙して、ヤツが幻術使いだと確信を持ったと思われる捜査官は全員やられてるからな。それにデバイスも種類にかかわらず完全に破壊していきやがる。加えて最悪なのが、クソ忌々しいことにあの野郎、人質を殺すことに何のためらいもない。最初から複数の人質を用意して、捜査官の前で次々と殺していくんだ。カウントダウンのつもりなんだろうな。唐突にヤツに遭遇した捜査官は、これまたいきなりその光景と要求とを同時に突き付けられて、動揺と焦りでマトモな判断力を失ったところに一撃入れられる」

 一気呵成に言い切って、捜査主任は深く息をついた。
 そして続ける。

「……これにしたって、現場に残された状況からの判断だからな。あんまり信頼しすぎるのも問題だが、何もないよりかはマシだろうよ。……で、今回は運良くヤツの潜伏先がわかってる。ようやくこっちから先手を打てるってわけだ。まずは逃走と人質を取られるのを防ぐために―――」
「あの―――」

 声を上げたのはティアナだった。
 場の視線が年若い執務官補に集まり、代表して捜査主任が尋ねた。

「ん? なんだ、嬢ちゃん」
「その、容疑者が使うという幻術についてのことなのですが」
「ああ、そう……、そうか、そういえばあんたも幻術使いだったな。そうだ。思い出した。いかんな、これだから年をとると……。だから頼れるかと思って協力を依頼したってトコもあるんだった。なにせ使い手が少ないせいでな、助言を求めようにも求められない状況にあった。頼りにしてるぜ? 専門家」
「あ、はい。ありがとうございます。―――それで、容疑者が用いるという幻術についての情報は、他には何かないのでしょうか?」
「そうさなあ……、カメラの角度の問題で映像は残ってないんだが、音声だけでもよければ、ないことはない、んだが……」

 言いにくそうに言葉尻を濁す。ここまで散々いいたい放題だったのに、どういうことなのか。

「あの……?」
「いや、……すまん。見た感じ、もとい聞いた感じ、後味最悪な資料なもんでな。イイオトコのヤツを追うことになった捜査官は大抵あれを聞いてる途中で顔を真っ青にして便所に駆け込む。ベテランでも。この前なんて、といっても数日前なんだが、新人なりたての女の子がこっちに回されてきてな。かわいそうに。周りが止める中、大丈夫だって勇み足で閲覧しに行って錯乱しちまってなあ……、そりゃあ酷いことになった。……そんな資料でよければあるが、正直、お勧めはしない」

 夢に出るぞ、と舌うちする捜査主任。思い出してしまったのだろう。しかめっ面。
 そこまで言われれば、さすがのティアナも戸惑ってしまう。そこに助け舟のように、捜査主任が口を出す。

「ま、聞くか聞かんかは後で決めればいい。先に進むが、いいか?」
「はい。失礼しました」
「ん。じゃあ続きだ。あー、何の話してたんだったか……」
「容疑者の潜伏先がわかっていて、逃走と人質を取られるのとを防ぐために……、というところでした」

 フェイトが指摘する。

「そうだそうだ。そうだった。で、それらを防ぐために、まずは結界魔法でヤツの潜伏しているビルを―――」








◆◇◆

 12:00

 作戦開始。
 下からは陸戦魔導師が、上からは空戦魔導師が、インテグラ・イイオトコを捕らえるために動き出した。その機敏さは訓練された猟犬か、それとも獲物を狙う猛禽か。
 ティアナと同じく正規の入り口からビルに侵入したのは、他に陸戦魔導師七名。加えて空を抑える、フェイトを含めた空戦魔導師六名。陸戦魔導師がビル内で犯人を捕縛できればよし、そうでなければ追い立てて空に逃げたところを空戦魔導師が囲んで撃墜するという単純極まりない作戦だった。しかし、今回の作戦の中でも特に突入の第一陣、すなわち実力による制圧作戦に投入された魔導師は、最低でもAランク。誰も彼もがエースやストライカーと呼ばれ、現場で重宝されて止まない凄腕たち。その実力があるからこそ、単純な作戦は非常に高い効果を期待されるのだ。
 考えてみれば、土壇場で予定日を繰り上げた作戦のためにいまだにゴタゴタの続いている陸の部隊から彼らを引っ張って来きたというのは凄まじい話だった。元から極秘に協力を取り付けていたにしても、その調整には多大な労力が費やされたはずである。この犯人の逮捕には、それだけ熱を上げる価値が、理由があるということか。
 そこまで考えて、今すべきことは他にあるとティアナは首を振った。突入チームのメンバーからちらりと視線が向けられるが、大丈夫だ、という意味を込めて頷く。そうか、と頷きが返ってくる。それだけのやり取りだったが、心は落ち着いた。この頼もしさが、本物のストライカーが自然と身にまとう雰囲気なのだろう。いや、その雰囲気をまとう者こそが、本物のストライカーなのか。彼らのようになりたいとティアナは強く思う。
 このビルには階段が二つあった。突入チームは二手に分かれ、階段を駆け上がる。途中で遭遇する魔導師を、それが抵抗していようが投降の姿勢を見せようが、片っぱしから殴り飛ばし、縛り上げ、迅速に上層階を目指す。捕縛された者たちの回収は、後詰め班が行う予定だ。ゆえに先行部隊は取り逃がしにさえ注意すれば、他の事に気をとらわれずに全速で進軍できた。
 快進撃だった。だからこそ、意識しないところで生物としての油断がなかったとは言い切れない。いや、なくても結果は変わらなかっただろう。
 最初は地震かと思った。しかしそれは、他の経験豊富なメンバーによって否定される。

《さっそく爆破か。無茶苦茶しやがる》
《畜生め。いきなりやりやがった》
《奴さん、相当焦ってるみたいだな。このままだと更に何かやらかしかねん》

 轟音に阻害されぬよう、部隊内で思念通話の回線が開かれる。飛び込んできたのは、この揺れが爆弾の爆発によるものであるだろうという推測だった。
 伝わってくる声々はひどく冷静だ。言葉の内容からは、早々に爆弾による建物の内部構造の破壊が行われるのは多くないケースだと窺えるが、口調からはそれがどうしたという気概がにじみ出ている。
 歩行が困難になるほどの大きな揺れ。軋みを上げ、ヒビが入り、崩れる壁。しかし、この程度で膝を屈すれば陸戦魔導師の、エースの、ストライカーの名が廃る。

《こちら01。負傷者はいるか?》

 揺れが収まると、すぐにリーダーが尋ねた。

《こちら02。問題なし》
《こちら03。同じく問題なし》

 同じような報告内容が続き、ティアナもそれに続く。

《よし。Bチームむこうの方も全員無事だそうだ。それでは作戦を続行―――と言いたいところだが、こりゃあ厳しいな》

 皆の視線の先にあったのは、道を塞ぐ瓦礫だった。天井が抜け落ち通路を潰す代わりに、上の階への直通ルートが開けている。恐らく、ここだけではない。

《むしろこっちが目的だった……?》

 思考の垂れ流しに近い呟きを、ティアナはこぼす。すぐに同意の声があちらこちらから来る。進路の妨害と、あわよくば部隊を分断するつもりだったのだろう、と。
 今回はたまたま全員がひと固まりで残り、かつ上への道が開けたが、そうでなければ面倒なことになっていた。それに、現在の状況にしても、上の階へと進むことはできてもこのフロアの未探索区域を残すことになる。このまま上に登れば、ここまで以上に背中を気にしながら進まなければならなくなる。進行速度は当然落ちる。

「仕方ない。想定の範囲内だ。速度を落とす」

 リーダーの呟きで方針が決まった。その瞬間だった。

『Master!』

 ティアナが手にした相棒、銃型インテリジェントデバイスのクロスミラージュが警告を放った。それに遅れること数瞬、地上の指揮車からも同様の警告。

《ビル上層部に高魔力反応! 推定AAA+ランク! 真上からデカイ砲撃、来るぞ……ッ!》







 12:47

 ティアナたちが留まっていた場所以外に向けても、さらに数度の砲撃が行われたようだった。その度に本部から警告が届き、直後に地響きのような音と振動が発生、ビル内部がかき回される。
 砲撃で変わった地形―――ビルの内部構造によって切り離されたのはティアナだけではなかった。四人編成のチームは三つのグループに分断されてしまっている。もう一方のBチームも似たようなものだとのことだ。けが人は出ていない。全員、直撃は逃れたそうだ。
 放たれた砲撃はたしかに現在の自分では望むべくもない威力を見せつけはしたが、ただそれだけだ。そう思うのは、ティアナがもっと強く、もっと輝かしい魔法を知っているから。
 あの人の、絶望や悲しみを撃ち抜くための魔法に比べれば、先ほどの赤い閃光などはまだまだ対処のしようがある攻撃だ。
 ティアナは努めて心を平静にし、仲間と念話で連絡を取りつつ、合流するための経路を探索しはじめた。
 合流までの間、犯人には自由な行動が許されてしまうと心配したが、本部との通信により、それは杞憂だと知ることになった。空の檻を固めていた空戦魔導師チームから二名が、ビルの上層階からの突入を敢行したのだ。こちらはフェイトを含めた正真正銘の管理局のエース。部隊の代表ではなく時空管理局まどうしの代表に近い存在である彼女らは、決して墜ちず、決して負けず、決して果てず、常に輝き照らす役割を負う。生まれもった資質と、それを生かすための厳しい訓練、そして何より折れず曲がらず一直線に伸び進む鋼の意思を持った不屈のエースたちがいれば、犯人もこちらに気を割く余裕はないだろう。
 ならば今できることは、出来る限り早く仲間たちと合流し、主戦場が空に移る前に本来の任務に戻ることだ。
 一人でいるせいで警戒に大きな力を割かねばならず、必然、移動速度は極端に落ちる。しかしこのように環境の悪い閉所でこそ陸戦魔導師の本領は発揮される。
 突入した時にはゴミ一つ落ちていなかった通路は、見るも無残に破壊されつくしていた。靴の裏が踏むのは平らな床ではなく、欠けて散ったコンクリートの破片や砕けたガラス片だ。一歩踏み出す度に耳障りな足音。結界で隔離された空間なので、町の音がしない。細かい音まで拾うことができる。
 だから、その音に気づくことができた。
 砕けたガラスを更に小さく踏み割る音が、曲がり角の向こうから、聞こえたのだ。
 ティアナは足を止めデバイスを構える。見えざる気配も同じように動きを止めたようだった。音は、遠くから届く鈍い響きだけ。それだけでは、この場に満ちる静寂と緊張を動かすには不十分。
 場を動かせるのは、いつだってその場に存在する人間だけだ。

「―――こちらは時空管理局の捜査官です」

 間を置く。
 反応はない。
 やはり味方ではない。この近くで合流できるはずの味方がいないことは、そもそも知っていた。やはりか、と思う。久しぶりの、単身での接敵だ。

「あなたがこの会社に所属する魔導師であるならば、デバイスを待機状態でこちらに見える位置に投げ、それからゆっくりと、両手を頭の後ろで組んで姿を見せなさい」

 犯人に告げるのと同時に、仲間たちに対して、

《こちらA-04。17階の東側通路で魔導師と遭遇。投降を呼びかけています》
《こちらA-01リーダー。了解。投降に応じた場合は無力化をした上で拘束、抵抗した場合は叩きのめせ。ただし無理はするな》
《04、了解》

 短い通信の間も、もちろん注意は逸らさない。
 しかしティアナの緊張に反して、角の向こうから返ってきた声は穏やかなものだった。

「―――了解した。投降する」

 よく通る、男の声。聞き覚えがあるような気がしたが、意外にも素直な返事への驚きが上回り、すぐに気にならなくなった。ここまでにも何人かいた、最初から投降の意思を示した者と同じだろう。もちろんそれでも殴り飛ばして無力化はしてきたし、ここでも同じことをするつもりだ。

「そう。なら、まずはデバイスを」
「わかった」

 言葉に遅れて、小さな金属音が聞こえてきた。鎖の音だ。待機状態のデバイスをアクセサリとしてチェーンで身につける魔導師は多い。ネックレスを外す音だろうと想像する。
 想像は外れず、ペンダントヘッドが銀鎖の尾をなびかせながら放物線を描き、床に落ち、小さく跳ねる。

「次は、両手を頭の後ろに組んで、こちらに背を向けながら、出てきなさい」
「……ああ、わかった」

 返事までに、少し間があった。それを訝しく思いながらも、ティアナは鋭い眼を維持したまま、クロスミラージュを前方に向ける姿勢を崩さなかった。
 だから、凝視してしまった。

「……こいつを見て、どう思う?」

 角の影から出てきたのは、全裸でこちらを向いたインテグラ・イイオトコだった。
 汚いモノを見せるな、などと返す余裕もなく念話ですべての仲間に連絡しようとするが、

「念話が……、通じない!?」
「ジャ・ミ・ラ……じゃなかった、ジャ・ミ・ン・グ」

 くるりとターン、こちらに尻を向けクネクネと尻文字を描きながら発音する犯罪者。とりあえず猥褻物陳列罪の現行犯だと判断し、今すぐしょっ引こうとスタンバレットを放つ。ほとんど反射的な動作だった。
 直撃すれば一日はまともに動けなくなるはずの弾丸は、しかしイイオトコにかすりもしなかった。いや、ティアナの目の前にいるそれ、、の尻に当りはしたが、それ、、は弾丸が命中した瞬間にすぅと溶けて消えたのだ。
 一瞬、高速移動の類だと思ったのは、背後からの声に正答を知らされたからだった。

「世の中には幻術という魔法がありまして。なんでマイナーなんだろうなあ、これ。便利なのに」

 ゴリ、と後頭部に突き付けられる冷たく硬い感触は、魔導師の象徴にして相棒―――すなわちデバイスであった。見れば、先ほど床に放り投げられたはずのアクセサリも姿を消している。
 ……クロスミラージュのセンサーすら誤魔化す幻術か。ティアナは内心で唸る。まさかこんなところで大本命とぶつかるとは。それも、一人でいるときに。

「あ。わかっているとは思うけど、動くなよ? そう……、せっかくだからここはさっきのセリフを借りて、こう言おう。―――こちらは指名手配犯のイイオトコです。あなたが管理局に所属する魔導師であるならば、デバイスを待機状態でこちらに見える位置に投げ、それからゆっくりと、両手を頭の後ろで組んで姿を見せなさい。もちろん全裸になる必要はないぞ?」







 13:03

 ティアナは指示に従い、右手を塞いでいたクロスミラージュを床に落とした。対の存在である左手用のものは元から構えていなかった。外からでは見えない位置のホルスターに収められている。
 まだ、チャンスはある。

「おや。意外と素直だ。管理局、大丈夫なのか? それともこれが世代の違いなのか」

 背後でイイオトコが呟く。
 もう少し抵抗を見せた方が良かったか。ティアナはそう考えるも、この男は平気で人を殺す人間であったことを思い出す。任務の前、結局は例の捜査資料に目を―――耳を通し最悪な気分になっていたのだが、それがなければここで強気の対応をしてすぐに殺されていたかもしれない。
 ……そうか。最初、声に聴き覚えがあったと思ったが、それだったか。自身の迂闊に舌打ちしたくなる。

「さて。じゃあドキドキ尋問タイムといこうか。せっかくなんで面と向かって話そう。ゆっくりと回れ右をしてこちらを向くように」
「わかったわ」

 言われて、ティアナは素直に従う。左に回ってやろうかとも思ったが、やめておいた。
 ティアナの正面に立つのは、黒い髪、黒い瞳、背の高い男。捜査資料にあった顔写真より幾分骨ばっている。体格は、それほど横幅はなく、しかし戦う者として鍛えられているのは見ればわかる。管理局の魔導師であったというのは嘘ではなさそうだ。
 そんなインテグラ・イイオトコ、こちらの顔を見てなぜか少し驚いているようだった。

「ん? あれ、おまえは、えーと、ルンルンじゃなくて、ランランでもなくて……、そう、ランスター二等陸士、もとい執務官補」
「……どうして?」
「正解か。いやなに、おまえの恩師に興味があって。あと上司にも。機動六課もずっと観察していた、わけでもないけど。まあ……、でも良かったね! 君には特に興味もない。原作キャラじゃないし、、、、、、、、、、! だから、そうだな、このビルに侵入した局員の居場所を教えてくれれば見逃してやってもいいが」

 こいつ、なにか危ない薬でもキメてるのかもしれない。言動がめちゃくちゃだ。ティアナは思う。そして、警戒する。よりにもよってこんな精神状態の人間が高ランク魔導師だなんて。誰でも扱える質量兵器が危ないのと同じ理由で、この男が高い魔力を持っているのは危険なことである。

「……。教えてもいいけど、ジャミングが酷くて私でも知ることができないわ」
「んー……、だったらやっぱり一人ずつ当たっていくしかないか。でもなあ、面倒な上に、出会った時には魔力切れなんて面白くないんだよなあ。ジャミング解除したら騒がず喚かずなんて、おまえ、できないだろ?」

 問いかけというよりは、自身の中で出た結論を声に出すことで固定するための言葉に聞こえたので、返事はしない。
 代わりに問いを放つ。

「ねえ?」
「ん? なんだ?」
「あなた、どうして、なのはさんやフェイトさんに……?」
「おやおや、これは知りたがりのお嬢さんだ。そうだな……、」

 自身を語る言葉を検索するための間。イイオトコは浅く目を瞑る。
 ―――瞬間。
 ティアナの体が爆ぜるように動いた。首に突きつけられた長杖を払いのけ、敵の胴に槍のような蹴りの一撃。バリアジャケットを貫通こそしなかったが、バランスを崩したたらを踏ませることには成功する。イイオトコは体勢を整えるために一歩、二歩と後ずさる。その間、ティアナは自由に動けた。イイオトコを蹴り飛ばした反動に逆らわず、逆に身を任せ、勢いのままに地を蹴り場からの離脱を図る。床に落としたクロスミラージュをしっかり回収してから、振り返らず背後に射撃魔法を乱射、そのまま先ほどイイオトコの幻術が出てきた曲がり角へと飛び込んだ。この狭さの屋内ならば、空戦魔導師よりも陸戦魔導師の方が移動あしは速い。逃げ切れる。ティアナがそう確信したその時、

「づ……ッ!? いったぁ……」

 固い不可視の壁にぶつかって、跳ね飛ばされて尻を地に着く。

「結界……」

 やられた。念話を妨害していたのもこれか。しかし、各種センサーの働いている管理局の結界内にこのようなものを展開すれば、すぐに援軍が―――

「―――来られないようにするために、爆弾やら砲撃やらで通路を塞いだのね」
「正解」

 のんびりとした足音と、声。

「知らなかったのか? イイオトコからは逃げられない」

 振り返る。覚悟を決めて、クロスミラージュを構えた。
 獅子のように吼える。

「知るか! それよりインテグラ・イイオトコ。同じ射撃型の、あるいは幻術使いのよしみで、少し付き合ってもらうわよ」

 自身の言葉で自身の心を奮い立たせる。
 大丈夫。必ずや一矢報いてみせる。
 兄から受け継ぎ高町なのはに鍛えられたランスターの弾丸は、あらゆるものを貫くために存在するのだから。







◆◇◆

 少しだけ未来。

「おーい、誰か助けてくれー」

 コロナは瓦礫の下に閉じ込められて、かなり詰んでいたりする。


 



[4970] 第6話
Name: 男爵イモ◆16267a69 ID:23e52052
Date: 2008/12/08 22:17
◆◇◆

 何度も床に向けて砲撃するインテグラ。それはそれは楽しそうで、おれも射撃や砲撃を扱えるようになればこいつみたいになるのかもしれないと思うと気分が沈む。この体、王冠によれば適性がそっち方面らしいから不安も増すというものだ。
 大音とそれに伴うビルの振動とを間近で叩きつけられて思考がほとんど停止している間に、インテグラは満足したらしい、一息ついてデバイスの形態を元の杖に戻す。

「さて、おれはちょっと遊んでくるが、コロナは……いや、もういいや。興味もなくなったことだし、どこへなりとも行っておしまい」
「なんかおまえ、テンションおかしくないか?」
「いやあ、もう楽しみで楽しみで。娯楽の少ない人生だから」
「おまえストレスなんてなさそうだけどなあ……」
「バカ言え。おれなんて寝ても覚めてもストレス感じていたりする。もう、こう、我慢できずにウオー! とかアッー! とか叫び出したくなる感じで。まったく。無駄なことは知るものじゃないな、本当に」

 言いつつ、インテグラは自分で作った吹き抜けの穴を覗き込む。つられておれも覗き込むが、遠近感が狂いそうな高さに腰が引けた。

「あ、そうだ。おまえ、局に保護してもらうときにフェイトの居場所がわかったら、おれに教えてくれ」

 インテグラが提案した。

「内通しろってことか? バレたら怒られるじゃ済まないだろ。捕まってしまえ犯罪者」
「目の前で人を殺したのがそんなに気に入らないのか?」
「……いや、別に。親分さんには世話になったし、おれではおまえを止められないのがよくわかったのは気に入らないけど。どちらかといえば、いま思い出させられたことの方が気に入らないぐらいだ」
「そう! それだ! その開き直りというか他人への無関心というか!」なぜかエキサイトするインテグラ。「おれもそれと全く同じものを、初めて人を殺した時に感じたわけだ! ほら、どうだ? 気持ち悪いだろ、自分とそっくりさんがいるなんて」
「いや、おまえが気持ち悪いのはわかっているから……って、待て、おい、それは」

 自分でも把握できない過程を経て、情報の連結が脳内で起きる。いわゆる閃き。まったく関係ないもの同士がつながる思考の跳躍。追って訪れた驚愕が、その熱量で以て脳を焼こうと暴れまわる。
 目の前が真っ白になる。ふらついたおれの背を、インテグラの手が支えた。
 やや時間をかけて、おれはようやく言葉を絞り出した。

「つまり、―――そういうこと、、、、、、なのか? 趣味の殺人っていうのは。だからおれはおまえが気持ち悪くて、それを外から見ていた王冠も―――」

 その質問をした瞬間、インテグラの顔に壮絶な、三日月みたいな鋭い笑みが浮かぶ。それを見て、おれの足は一歩引いていた。

「そうだな……」もう真顔に戻っていた。「強いていうなら害虫退治というか。いると知ったら退治せずにはいられない、存在を知ってしまえば安心して眠れない。ほら、ゴキブリみたいなものだろ? それともおまえ、タンスの裏にヤツらが逃げ込むのを見て、平気で眠れるタイプ?」
「無理だ。……それにしても、だったらおれは危なかったってことか。どうやらギリギリ違う……のか? ハズレだった、とか言ってたよな?」
「いつもよりムカムカが小さかったから、どちらか迷っていたんだが。どうも最近、第二世代みたいなの生まれてきているようなんだ。で、そっちはおれのターゲットじゃない。もともとわかりにくいのに、余計に見分けがつきにくくなったというか、本当にメーワクな話だよなあ。でもまあ、一度ハズレ認定したらどうあっても見逃すのがマイルールだから、心配しなくていい。で、おまえは実のところアタリなのか? それとも本当にハズレ? 何期まで"見た"んだ?」

 非常にクリティカルな問いかけ。これほどのものが来たのは初めてだったが、焦らず迷わず正直に答える。

「JS事件終結までだ」
「へえ……よかった。実はいま語ったマイルールは真っ赤なウソなのだ。それに、第二世代が存在することの確証がとれた。今後の狩りもいくらか楽になる」
「おいおい……」

 思わず呆れてしまう。危なかった。
 そんなおれに、インテグラは最後とばかりに言葉を続ける。

「本当のマイルールは二つあってだな。一つ、仕事の時以外は無関係の人間を殺さないこと。二つ、魔法少女アニメの話でアタリかハズレかを見分けようとしないこと。これがないと殺しすぎていけない」
「ペナルティは? ルールを破ったときの」
「前者は素直に捕まる。後者は、それがアタリだったとしても見逃す」

 ということは、おれはアタリでも生き延びられたわけだ。つい今しがた、件の魔法少女アニメについての話題を振られたばかりなのだから。

「ゴキブリが顔を這いまわる可能性を我慢する、と。なんだ、意外だな。殺しが好きってわけでもないのか。それに、親分さんを手にかけたのは」
「察しがいい。これでモリモリ局員を殺せるぞー!」

 前言撤回。やっぱり最悪の殺人鬼だった。

「頭が痛くなってきた。あと気持ちが悪くなってきた」
「頭が悪い、気持ちが痛い、じゃなくてよかったじゃないか。さて、それじゃあ今度こそ本当に行くが」
「はいよ。あまり頑張らないように。あとできれば捕まってくれ」
「そう言わずに、活躍を期待していてほしい」

 とうっ、と掛声あげて、インテグラは穴へと飛び込んで消えた。
 無論、やつの言う活躍とは殺人である。親分さんの死をいまさらどうこう言ったりはしないが、正直、殺しはどうかとも思う。しかし無力な幼女では釘を刺すくらいのことしかできないのであった。
 この時のおれは、無力であることをその程度のことであるとしか考えていなかった。いや、それよりもようやく見えてきた真実に、何も考えられなくなっていたと言うべきだろうか。







 インテグラとの別れを済ませ、部屋は静かになった。台風の被害を俯瞰できるのは台風が去った後だ。それと同じで、ようやくおれは自分がひどく落ち込んでいることに気がついた。それを咎めるように、あるいは慰めるように口を開いたのは王冠だった。

「コロナ?」
「……結局おまえ、最後まであいつと喋らなかったな。まあ、外から見ていればたしかに気持ち悪かったかもしれないけど」
「ようやくわかったのか。このマヌケ」

 相変わらず口の悪い王冠。最近のおれはインテグラと共にいる時間が長かったせいで、こいつはめっきり口数が少なくなっていた。その分、一言に込められる濃度が上がっているらしい。それでも、短くない期間をずっと共に過ごした毒舌が救いだといえば救いだった。
 ……しかし、こいつ。最初からすべてを知っていたわけか。

「おい、王冠。どうして黙っていた?」
「言ってもいいことなかったからだよ。おまえ、"元の世界"とやらに戻りたいなんて一言もいわなかっただろ。それに、どこまで行っても結局は仮説だ」
「だよなあ。この世界の技術についてもおれは詳しくないし、どこまで可能なのかはわからない。これは専門家に話を聞く必要がありそうだ」

 それが希望となるか絶望の確定となるかはまた別だが。

「そのためにも、まずは生き残らないと。ほら、安全な経路を算出したからさっさと行こう」

 王冠の指示に従い、部屋を出た。そして進む。右へ、左へ。インテグラによる内部の破壊によって、綺麗だった廊下は悲惨なことになっていた。
 壁は砕け、コンクリートの灰色がむき出しに。砕けた蛍光灯が床に散らばり、歩くたびに足の裏は凸凹を感じ取る。
 時折聞こえてくる衝撃音や破砕音。そこらで戦闘が散発的に起きているようだ。遭遇したとき、反射的に殴られないか少しだけ心配だった。

「ん……こっちの道、ちょっと危なそうだ。コロナ、さっきの分かれ道まで戻って」

 素直に従う。

「そう、この道を反対側に進めば少しは安全だと思う」
「わかった」

 そちらに踏み込んだ直後、大きな振動が再び起きる。立ち続けることすら難しく、壁に手をついてどうにか体を支える。パラパラと天井から降ってくるのは、軋んで砕けたコンクリートの破片。そして、揺れが収まる前に天井が崩れて、おれの上に降ってきた。

「おい、どこが安全―――」
「――――」

 反応はない。する時間がなかったのか、それとも―――







 意識を取り戻したのは数秒後だったのかもしれないし、数時間後だったのかもしれない。
 最初に感じたのは、背中に当たった冷たさと固さ、そして鈍い痛みだった。騎士甲冑のおかげで、もうずいぶんと縁がなかった感覚だ。
 まぶたを開き、体を起こす前に首と目を動かす。やはり甲冑は解除され、全裸だった。騎士甲冑に頼りすぎて私服を持たなかったことの弊害だった。
 それから周囲を、やはり首だけ動かして見まわす。背中と床との間にはさんだ髪が引っ張られ、少し痛い。これはなにも体を起こすのが億劫だったからではなく、単に起こすことができないだけ。
 そう。命だけは助かったらしいが、しかしそれを手放しに喜べる状況ではないようである。

「これ、天井か……?」

 眼前三十センチの距離に見覚えのある模様があれば、誰だって驚く。
 どうやらおれは、崩れた瓦礫の下にできた小さな空間に、奇跡的に閉じ込められたらしい。手足が無事なのが逆に不気味なくらいなのだが、いまはこの小さな体に感謝だ。
 さて、どうするか。とりあえず、王冠とコンタクトを取りたい。

「おーい、王冠? いるなら返事しろ」
「いるよ」

 頭の上から声。特に緊張感もなく、平静な口調。それでいて騎士甲冑が解除されているということは、

「おまえ、どこか壊れたのか?」
「……まあ、似たようなものだけど」
「騎士甲冑、無理か?」
「無理といえば無理」

 どうにも要領を得ない発言が不思議だった。

「どういう意味だ? いや、その前に現状の説明をしてくれ。どうなっている? 救助は来そうか?」
「救助はそのうち来るだろうね。現在、この場所は非常に微妙なバランスの上に成り立った安全地帯だ。次、誰かがビルを揺らせば、おまえは圧死かな」
「……おい、それマズくないか? 聖王の鎧は発動しないのか?」
「どうだろう。あれ、基本的に本人の意思とは別に発動する、いわば反射行動に近いスキルだから。圧し掛かってきた一瞬だけは無事でも、徐々に潰されていくかもよ? そうでなくとも、魔力が絞りつくされたら自然に消滅して、おまえはペシャンコ。時間との勝負。運の良し悪し。ほとんど賭けだね。で、最初の質問、どういう意味かっていうのについてだけど、私が甲冑を展開したくないから無理だって意味」
「はぁ……?」

 意味がわからず思わず出た疑問の声に、王冠はいつも通りの、憎まれ口を叩きあうときの口調で、告げた。

「だから、賭けだって言っただろ? 私にとっては千載一遇の、おまえが死ぬかどうかの、、、、、、、、、、、賭けなんだよ。すべて失うか、一番欲しいものを手に入れるかの博打だ。そして残念ながら、私にとって一番欲しいものはおまえじゃない。まあ、おまえが生き延びて私が賭けに負けた時は、好きにしていい。その権利はあるよ、おまえには」
「ちょっと待て。じゃあおまえ、この状況も計算通りだってことか?」
「いや。本当ならこんな空間なんてできずに、今ごろおまえは死んでいた。そういう意味では、既に私は一度負けているんだけど、お互い運がいい、、、、、、、。賭け―――勝負は続行だ」

 それきり王冠は口を閉ざした。考えてみれば、ここまでの応答も王冠には何のメリットもなかったはずなのだが、最後の義理ということか。まったく、主人思いの素晴らしいデバイスだ。
 それからの時間の流れは、生物の進化のように遅々として進まなかった。
 頭の中で時間を数える。
 一分が、異常に長い。
 五分は、一日に匹敵する。
 ならば十分は、一めぐりする季節だった。
 落ち着けと念ずるほど、呼吸が思考が乱れていく。それをごまかすために声をあげる。

「おーい、おうかんタン、返事してくれよー」
「…………」
「だんまりかよー」
「…………」
「おまえの一番欲しいものってなんだよー」
「…………」

 返事はない。仕方がないので、心の裡に意識を戻す。
 インテグラから情報を引き出すのは諦め、管理局に行こうと決めた途端に、欲しかった情報はすべて入ってきた。喜びこそしても、嘆くのは間違いだろう。それはいい。
 おれが"この世界"に存在する理由についても、どういうわけか、それほど衝撃は大きくなかった。もしかすると、最初から理解していたのかもしれないし、あるいはおれがそういうことにショックを受けないようにできていただけなのかもしれない。
 何にせよ、それが大したダメージにならなかったことは確かだった。
 それよりも、そんなことよりも、王冠の裏切りの方がよほど堪えた。いや、裏切りの前提は信頼だから、裏切りとすら呼べないのかもしれない。なぜなら、おれが王冠に抱いていたのは、信頼ではなく甘えという感情だったのだから。
 相手の思考に対する楽観的な期待。甘えの正体は、これだ。
 今日までの王冠との付き合いは、表面上のそれを徹底してきた。いつか知ろう、ボロを出すのを待とう。そう考えて、王冠は何かを隠しているけれどもおれに対しては好意的なのだと勝手に考えて、そしてこのザマだ。
 デバイスがなければ、この場で役立つ魔法の一つも使えない。
 無力な幼女。
 何やら無性に笑えてきた。
 殺人を止める力がない? 思い上がりもいいところだ。
 無力とはつまり、自分の身さえ守れないということなのだ。
 インテグラを相手にしていた時にしても、やつがその気にならなかったから、おれは死ななかった。そして、おれはその環境に満足し、与えられる課題を淡々とこなす形の努力しかしていない。自分から力を求めたことなど、一度もなかった。

「ああ、無力って惨めだなあ……」

 やがて、火の手が上がった。
 充満する煙に、意識が途切れた。







◆◇◆

 フェイトが要請に応じビルに突入してから十五分。ティアナからの連絡が途切れた、と通信が入った。連絡の途絶えた時間、位置から考えて、ほぼ同時刻に発生が観測された結界に閉じ込められているのだろう、との分析も伝えられた。これにより、フェイトは一時的に少女とインテグラ・イイオトコの捜索を中止、ティアナの救助に向かうことになる。
 当然、フェイト以外にも陸戦魔導師の面々が援軍として向かっているはずだが、陸戦AAランクを保持するティアナの足止めに成功する術者だ、油断できる相手ではないし、大勢でかかるに越したことはない。もしくは、ティアナと対峙しているのは、本命たるインテグラ・イイオトコの可能性もある。そうであれば、捕えてから少女の居場所を吐かせることができるかもしれない。

 逸る心を抑えて、フェイトはときに地を蹴り、ときに空を飛び、ときに障害物を排除して前進する。
 際立って大きな震動が起きたのは、フェイトが魔法で宙に浮いたときのことだった。
 体に揺れが伝わらないのに、自分を囲む光景だけが揺れているというのは、名状しがたい違和感を生む。しかしいまはそのようなものに構っている余裕がない。徒歩ならばかかる体重で足場が崩れることも考慮せねばならない障害物を飛行で飛び越え、また一つ指定のポイントへと近づいた。

《こちら本部》

 震動が収まってから十秒も経たない内に、通信が入った。

《たった今、犯人の張ったと思われる結界が内側から砲撃で破られた。今の振動はそれによるものだ。ランスター執務官補の生存は確認されたが、意識を失っている。また、結界を破った砲撃の魔力パターンがインテグラ・イイオトコのものと一致した。よって、ランスター執務官補はイイオトコに捕縛されたと判断し、以降、その救出を最優先とする。また、イイオトコは彼女を人質として使う可能性があることに留意されたし。過去の事件では、イイオトコは人質が複数名いる場合、躊躇うことなく手にかけている。その点についても考慮に入れて行動せよ》

 具体的な行動の指示は何一つない。たしかに、今回のような個々人の能力が極めて高い現場においては有用なやり方ではあるが、囚われているのがティアナだとすれば、話は別だ。状況が判明してから一分も経っていないことを忘れて、フェイトは眉を寄せた。
 それから更に時間をかけて、フェイトは道を切り拓き進んだ。途中、やはり孤立していた陸戦魔導師の一人が、ティアナを抱えたイイオトコと遭遇し、これに討ち取られたと報告が入る。状況は、ここにきて管理局側の不利となりつつあった。数の上では圧倒的な有利を保っているが、流れが敵側に傾き始めている。ティアナのチームが分断されてから接敵するまでの時間が極めて短かった。その不運が、ケチのつき始めだった。追い打ちをかけるかのように、火災の発生が告げられる。防火装置は作動しない。タイムリミットまでの猶予が大幅に短縮された。火の手が回れば、更なる混乱に乗じて、身軽な敵は好き勝手に暴れまわることができる。そしてそれ以上に、フェイトの本来の目的である少女の生存すら危ぶまれる。
 分断された突入組がどれだけ早くチームを再結成できるか。いかにして、イイオトコとの接触前に仲間と合流するか。それが鍵だ。いくら人質がいようと、大人数の魔導師に囲まれればどうしようもないのだから。もちろんイイオトコとてそれを理解しているから分断工作を行い、火を放ち、実際に各個撃破のためにビル内を徘徊しているのだろう。
 思考を巡らせる余裕を無理にでも保ちながら、本来なら陸戦魔導師の独壇場である進行が困難な屋内を、フェイトは身軽な動作で駆け抜ける。そこに声をかけたのは、常に彼女をサポートする相棒バルディッシュ。

『There is―――』
「まさか―――」

 ほぼ同時に、フェイト自身も声を上げる。先行させていたサーチャーが、生命反応を拾ったのだ。
 今にも崩れそうな瓦礫の下に、弱々しい命の反応があった。

「ようやく」

 見つけた。
 追いに追い、求めに求め、ようやく手の届く場所までたどり着いた。無意識に、手を強く握っていた。
 救助を急がなければならない。既に通路には煙が充満しており、バリアジャケットを着たフェイトはともかく、時間が経てば少女の命は危うい。ここにきて、優先順位が再び切り替わる。
 瓦礫の撤去―――ひどく時間がかかりそうだが、仕方がない。他に手はない。魔法を用いて、一つずつ、確実に取り除いていくしかない。
 バルディッシュに計算を任せ、自分は必要な作業を機械の正確さで手早くこなす。それを繰り返す内に煙はますます濃さを増し、あらゆるものを舌で舐める炎はすぐそこまで迫りつつあった。今は魔法で築いた防壁が防いでいるが、この範囲だけを守っても意味はない。周囲が焼け落ちれば、当然ながらこの場も崩れてしまう。
 焦燥を抑える強い自制と、なにより根気が必要な作業だった。終了までにかかった時間は十四分。全神経を傾けて作業するには、短くない時間。加えて、一刻一秒を争うこの現場においては、非常に大きな消費である。
 それでも、やり遂げたのだ。

 瓦礫の下から現れた少女は、何も身に纏っていなかった。ところどころに小さな傷が付いているが、どのような好運によるものか、大きな外傷は一つもない。
 フェイトはその体を抱き上げようと手を伸ばし、けれども指が触れる直前、聞こえてきた声に驚いて手が止まる。

「―――そうか。コロナは死なず、私はヴィヴィオの元には至らず、賭けは私の負けか。本当に、最後の最後まで運だけはよろしいようで。……結構。以後、貴女を正式なロードと認め、許されるのであれば、貴女のためだけに存在しましょう。コロナ。いまは御身をお借りすることを、どうかお許し願いたい」

 声の源は、少女の近くに転がっていた王冠――見覚えがある。最初に見た映像で少女が戴いた冠だ――デバイスだった。

「あなたは?」

 フェイトが問う。
 冠型のデバイスは答えない。代わりに、これが返答だと言わんばかりに、床に横たわる少女の体に変化が訪れた。
 変身魔法―――ではない。
 すらりと伸びた手足、胴、髪。外見的な変化はそれのみだ。この変化にもっとも合致する概念は、変身ではなく、成長だろう。
 これを見たのがフェイト以外であれば、その変化自体に驚いていたはずである。しかし、彼女は知っている。JS事件の終結後に目を通した資料に、親友が義娘と戦ったときの映像があった。映像の中のヴィヴィオは、レリックウェポンとして、また聖王として覚醒し、身体的な成長を遂げていた。それを、フェイトはよく知っている。
 だからフェイトが驚くとすれば、この少女の変化が、映像の中のヴィヴィオと同じものであるという点に対してだった。
 頭の中を様々な可能性が駆け巡る。
 スカリエッティと同種の実験。聖王の復活を目指す人間の存在。未だ残る違法研究。レリックと同等のロストロギア。イイオトコの狙いはこれかもしれない。
 これからの状況がどのように推移するか計算を続ける意識の裏で、それにどのように対処すべきか考える。同時並列的に行われる高度な演算、推測、意思決定。
 この場で、高ランク魔導師犯罪者との戦いの場で、あの時のヴィヴィオと同じ暴走をされれば、管理局側の不利は否めない。この場合の不利とは、すなわち目的を果たし難いという意味だ。この少女が暴れれば、ただでさえ混乱した現場は更に荒れ、本来の目標であるインテグラ・イイオトコの逮捕が格段に難しくなることは、当然のように考えられる。それどころか、味方に更なる被害者が出かねない。イイオトコに拘束されているというティアナのことも心配だ。
 圧倒的に時間が足りない。人手が足りない。
 それがどうした。
 こんなこと、今までに何度も経験してきた。言い訳をする暇があれば、一歩でも前へ進むために、今日まで努力を続けてきた。絶望が行く道を塞ぐなら、それを押しのけてでも進んできた。だから今、自分はここにいる。

「……なんか一人で熱血してるところ悪いけど。自分で自分を奮い立たせるのが大事なのも知ってるけど。……おまえたちの大本命、こっちに近づいてきてるみたいだ」

 燃え盛る烈火の気迫に、無遠慮に水をかける声。

「あ……、え……?」

 目を丸くするフェイトに向けて、少女(?)は言葉を続けた。

「だから、あの変態魔導師がここを目指して一直線に進んでるって。管理局員から情報を得たか、それとも私の起動で発生した大魔力をおまえのものと勘違いでもしたのか。なんかおまえのファンみたいだよ?」
「えっと……」

 空気を読まずにしゃべり続ける声が、もともと驚きで止まりかけていた思考の処理能力をさらに圧迫する。
 そのせいでまともな返事を返せないフェイトに向かって、あからさまにバカにするようなため息をつく少女(?)。

「ああもう、これだから愚鈍なミッドチルダ人は嫌なんだ。でもあいつの方がもっと嫌いだし、叩くなら手を貸すのも吝かではない。ほら、あと十秒もかからないから準備すれば?」

 頭の上に鎮座した王冠の位置を直しながら、面倒くさそうに告げる少女(?)。
 フェイトは慌ててバルディッシュを構え、それからようやく落ち着きを取り戻す。
 尋ねる。

「あなたは、誰?」
「なんだ。意外と鋭い。いいよ、答えよう。私は暫定名称"王冠"。ベルカ生まれのデバイスが管制人格にして、聖王の血族のために作られた融合騎。……まあ、結局一度も使われなかったんだけど」

 王冠が言い切るのを待っていたかのように、床をぶち抜く紅の砲撃。もう慣れを通り越して聞き飽きつつある大音が響き、床に空いた穴から、管理局が憎んでやまない犯罪者が姿を現した。







「来たぜ! どうにか間に合った! イイオトコ参上!」

 バリアジャケットの擦り切れすら補修せず、何やらボロボロなインテグラ・イイオトコ。右手には杖を握り、左肩には、気を失ったティアナが米俵のように担がれていた。
 生きている。フェイトは内心ほっとするも、すぐに気を引き締めた。ティアナが生きている―――生かされているというのは、すなわち人質としての役割が課せられているということだ。
 フェイトの視線の先にいるインテグラ。こちらを見て、次に隣を見て、舞台役者みたいにオーバーな仕草で首をかしげる。

「うん? おや? おまえはコロナ……じゃないよな? 向き合ってもムカムカやらビリビリやらが無い。ってことは、そうか、ユニゾンデバイス?」
「よくわかったね。コロナが意識を失っているから、私が代わりに動いている。コロナはおまえが捕まるのを期待していたみたいだし、おまえには悪いけど、いや、悪いなんて少しも思ってないけど、コロナの意思に沿って行動させてもらう。流石のおまえでも、自分とほとんど同じレベルの二人を相手に戦えば無事では済まないだろうね」

 剣十字のあしらわれた杖を、槍のようにインテグラに向けて言う。
 イイオトコ、苦笑。

「おいおい、こっちには人質がいるんだが」
「知らないよ、そんなの。武力で犯罪を取り締まる組織の人間が、武力で犯罪者に敗れたんだ。潔く死ねばいいのにわざわざ人質になるなんて、何を期待しているんだか。これだからミッドチルダ人は」
「うわ、なんてスパルタ……。コロナのやつ、こんなのと付き合ってたのか。驚きだ。でも、まあ、二人相手3Pはおれとしても望むところなんだけど……、どうやらもう一人の方は、そうは思っていないみたいだが?」

 二人の視線がフェイトに集まる。答えを求めるように。それが気持ち悪い。わざわざ聞かなければわからないというのが、ティアナを無視して戦端を開くなんて到底容認できることではないということがわからない知性が、恐ろしい。
 こちらを見る二人の常識は、フェイトのそれと大きくずれているようだった。

「インテグラ・イイオトコ。あなたには複数の犯罪の容疑がかかっています。抵抗しなければ、あなたには弁護の機会がある。投降の意思はありますか?」

 バルディッシュの先端を向けて尋ねる。
 インテグラ・イイオトコは肩をすくめて、

「定型文はいらん。がっかりだ。これなら嫌がる執務官補を黒くて太くて長いおれの愛棒デバイスでいじめ抜く方が遥かに楽しかった」
「いじめ抜くだって? そういう割に、インテグラ、おまえ随分と削られてるみたいだけど?」

 王冠が割り込み、
 インテグラはそれに乗る。

「そうなんだよなあ」実に楽しそうな口調。「やたらとタフで、根性もある。追いこまれてからの粘りも見事なものだった。まるでキッチンの黒い悪魔だ。こいつ、本当にAAなのか? 面倒だからテストを受けていないけど実はAAAだった、とか? ……まったく。せっかくフェイトタソに遊んでもらおうと思っていたのに。やっぱり娯楽も息抜きも許されない人生なのかなあ。邪魔の多いこと多いこと」
「で? 見た感じ、もう戦う力は残ってないんじゃない? ここに来るまで、何人を相手をしたんだよ? もう逃走を考えてるんだろ? だったら、何か面白いこと言ったら、私は見逃してもいいよ」
「へえ? どういう心変わりで?」
「コロナはおまえが捕まればいいと思ってるけど、それ以上にその子が死ぬのは嫌みたいだ」
「それはまたどうして……そうか、JS事件解決までを"見た"とか言っていたな。コロナにとってはモブじゃないということか。だったら生かしておく価値はありそうだ」

 やはりフェイトを置いてけぼりに進む会話。状況を見ようと、あるいは情報を集めようと、意識して一歩引いたためだった。しかし融合騎とイイオトコとの間には彼らだけに共通する知識があるらしく、それに基づいて会話をされると、フェイトには二人が何を話しているのかまるで理解できない。

「よし、わかった。じゃあとっておきの芸を披露しよう」

 口元を斜めにして、デバイスを構えるインテグラ。
 それを見たフェイトは警戒を強くし、いつでもこの場を飛びすされるよう重心を低くする。一方、少女の体を操る融合騎は、既に戦闘態勢を解いている。騎士甲冑の一部であろうワイン色の分厚いビロードのマントの下で、腕を組んで目を細めていた。
 イイオトコが大きく息を吸い、叫び声にて杖に命ず。

座薬カートリッジ挿入ロード!」
『Penetration!』

 酷い掛声にさっそく頭が痛くなってきたフェイトだったが、まだ続きがあるようだ。
 イイオトコは、カートリッジをロードした杖を天に掲げ、更に叫ぶ。

「アナルパールモード!」
『Ah!』

 球体を数珠つなぎにしたフォルムに変化するデバイス。これこそがコロナが今まで一度もインテグラのデバイスの各モードについて言及しなかった理由であるのだが閑話休題。
 イイオトコは変形したデバイスを構えなおす。

「これぞ幻術魔法の到達点!」

 煙の充満する部屋であっても、よく見えた。瞬間的に出現する数十の人影。素っ裸の人物たちが、そこで絡み合っていた。

   「いまだ! 尻にドリル!」 「腹の中がプラズマスラッシャーだぜ」 「アッー!」
 「やらないか」  「あたしのギガントハンマーを見て、どう思う?」 「縛り上げて、クラールヴィント」
    「なのは! 僕のケツの中でディバインバスターを!」  「レヴァンティン、ヤツの尻を叩き斬れ!」

 ステレオで聞こえてくるあえぎ声はまさに地獄。見事な精神攻撃だった。また事件の結果とは関係なく、フェイトは今後数週間悪夢にうなされることになるのだがやはり閑話休題。
 これに満足した王冠は完全にイイオトコへの追及を止め、こうして執務官と人質を取った犯罪者が向き合うという本来の構図がようやく出来上がったのだった。


 



[4970] 第7話
Name: 男爵イモ◆16267a69 ID:23e52052
Date: 2008/12/14 20:29
◆◇◆

 ベッドの上で目覚める者は幸いである。
 嗅ぎなれないにおいの部屋で目が覚めたが、混乱はなかった。内装から判断するに、ここはどこかの病室だろう。
 もともと怪しいものであることが判明しているものの、認識できる範囲において記憶に混濁はない。ビル内でのことについては、意識を失うまでの流れを鮮明に覚えている。

「……そうか。助け出されたのか」

 どうやら賭けには勝ったらしい。いま生きているということは、そういうことだ。となると、ここは管理局関係の施設なのかもしれない。
 自分はどのくらい寝ていたのだろう。窓の外は明るいが、まさか数時間ということはないと思う。
 煙を吸い込み、のどに酷い痛みを感じたのを覚えているが、その痛みももう残っていない。手足を見ても、傷一つ残っていない。しかし医療の発達した世界だ。ケガの治癒を経過時間のバロメーターにするのはあまりにも信頼性に欠ける。

 ぐう、と腹の虫が鳴いた。
 どうやら自分は空腹であるらしい。それを感じないのは、行き過ぎているからだ。この世界で目覚めて最初の数日、"グループ"に拾われるまでにも、似たような感覚に襲われたことがある。
 しかし、起き上がり食料を探すのも面倒だ。
 気だるさに身を任せ、再び体の力を抜く。
 もう少し眠ろう。







 次に目を覚ましたのは、枕元で人の話し声がしたからだった。窓の外から差す眩しい茜色が、いまが夕方であることを示している。
 手でひさしを作りながら、首を動かす。

「あ、目が―――」

 初めて聞く声、、、、、、。だというのに、それがティアナ・ランスターのものであると知っている、、、、、
 視界に入った顔が、フェイト・テスタロッサとティアナ・ランスターのものであると知っている。
 まずはどのように声をかけようか。思案していると、先手を打たれた。

「おはよう。はじめまして」

 フェイトが屈み、目の高さをこちらに合わせてから、柔らかい笑みを浮かべて言った。
 夕日に輝く金の髪。大きな赤い瞳。白い肌。長い睫。……ちょっと震えが走るくらい美人だ。だというのに、それを目の前にして生起するはずの男としての感情が浮かんでこない。
 廃ビルに住んでいた頃、マラネロと同じベッドで寝て感じたことでもあったが、この美貌を前にした自分が無反応でいることから、ようやく強く実感できた。ああいう感情は、どうにも体に依存するものらしい。大きい胸を見て大きいなあ、としか思わなくなったことにわずかに落ち込む自分と、当然だと納得する自分とがいる。

「おはようございます」

 とりあえず久方ぶりの幼女口調を駆使して挨拶しておいた。最後には全部ゲロるつもりでいるが、まだ確信が持てないから、それまでは中身、、については黙っておく方針でいこう。そこまで考えて、思い改める。
 ……助けられておいてその対応は、あまりにも不義理にすぎるか。
 少々迷う。話してしまった方が、裏付けを取るのも楽になるだろうことは間違いない。インテグラや王冠といったマトモではない連中相手に使うタメ口でなければ大丈夫だろう。
 方針の転換までわずか数秒という風見鶏っぷりを発揮して、よいしょ、と上半身を持ち上げる。

「はじめまして」息を吐き出すように言い、一度頭を下げる。「自分とインテグラ・イイオトコとの関係についてですか?」
「――――」

 息をのむ気配。
 表に現れた驚きは、フェイトの方が大きかった。それは、より正確に事態を把握しているということなのだろう。

「まさか」
「恐らくは、あなたの思う通りかと。けれども自分だけでは確信を持てない部分があるので、それを確かめるために、一つだけお願いがあるのですが―――」







 それからの数日は、随分ゆっくりと時間が流れた。
 例の執務官、執務官補トリオの誰かがほぼ毎日様子を見にやって来るので、病院生活も退屈はしない。あまり美味しくない食事を取り、本を読み、眠くなれば寝る。そんな生活の中で、いつの間にか、彼女らと会話を交わすその時間が楽しみになってすらいた。一時的な身元引受人にもなってくれたフェイトには、もう足を向けて寝られないだろう。
 また、それらが理由というわけでもないが、時おり行われる事情聴取にも素直に回答することに決めていた。
 尋ねられることは、主に二つ。おれが最初に目覚めた施設について。逃亡したインテグラ・イイオトコについて。
 前者に関しては、答えられることはほとんどない。しかし後者については、いまだ確信が持てぬことも含め、語るべきは多かった。

「……というか、あの状況で逃げられるっていうのが凄まじい話だよなあ」

 独り言のクセは抜けない。もともと独り言ではなかったものが、話しかける相手がいなくなり、独り言になったのだ。

 王冠。数週間という時間を共にしたデバイスは、管理局本局の技術部で検査を受けているそうだ。そして、このことについて尋ねられたときは逆に驚いたのだが、あいつは古代ベルカのユニゾンデバイスだったらしい。骨董品は骨董品でも、そこらに埋まっている化石ではなく、大事に大事に保存された最高級のアンティークだったということだ。ちなみにそのアンティーク、たった一度の融合で、現代の技術では修復できない欠損が生まれたらしく、このままでは恐らくは二度と融合騎としては機能できないだろうと聞かされている。もう一度会いたいものだが、それはまだもう少し先のことになりそうだ。独り言のクセが抜ける前に会えることを祈る。

 そしてインテグラ・イイオトコ。こちらについては、なんというべきか……。
 こちらも聞いた話。逃げる直前のインテグラが対峙していたのは、おれの体を動かす王冠――なんかよく知らないけれどSランク近くまでパワーアップしていたらしい――にフェイトという、世にも恐ろしい二人組だったそうだ。そんな危機的状況にあった凶悪犯罪者は、あらかじめ準備されていた大がかりな転送魔法を、ティアナを人質にしたまま発動し、あろうことか結界内に移動した。無理をすれば、強引に結界から脱出できたというのに、だ。そして管理局が反応をロストしている間に局員に変身し、重傷を負った武装局員として当然のように病院に運び込まれ、いつの間にか姿を消していたという。
 まったく、どこの怪盗なのか。
 バカバカしすぎる思考をまっとうな局員ではトレースできないのが、ヤツの強さの秘訣なのかもしれない。もしくは王冠の要求に従い行ったという、幻術でのパフォーマンス。その、つまらないギャグを繰り返す芸人みたいな空気の読めなさが、強いのか。

 ……まあ、何にしても彼らとの関わりは一時的に切れている。考えることは無駄ではないが、考えすぎるのも問題だ。たとえば、そう、そろそろ迎えに来てくれるはずの執務官組に雑な対応をするわけにはいかないのだ。

「偉い偉い」

 と、準備を済ませて待っていたおれの頭を撫でるのはシャリオ・フィニーノことシャーリー。いや、逆だ。シャーリーことシャリオ・フィニーノ執務官補佐。彼女、ニコニコしながら子供扱い――冗談なのだという共通認識は勿論ある――してくる人なのだが、引き際の見極めが鮮やかなので、追手を差し向けるのも面倒になってしまい、結果、子供扱いが進むという悪循環に陥っている。何が恐ろしいかといえば、意識しなければそれを悪循環だと思わないところが恐ろしい。

「さて。それじゃあ行こっか?」
「はい。まずは打ち合わせということで変わりは?」

 さりげなく手を取ろうとするので、するりと避けてから質問する。

「うん、変わりないよ。まずはみんなで作戦を練って、それからだね」

 病院を出て、表に止めてあった自動車の後部座席に、挨拶しながら座る。魔導師二人のデバイスも返事をくれたのが、毎度のことながら少し面白い。
 運転席にフェイト。助手席にティアナ。この構図を見るだけで、ティアナが生真面目に運転役を買って出て、フェイトがいやいや自分がするから大丈夫だよ、いえ私が、いやいや私が、というやり取りの後、最終的に上司が勝利をその手につかむところまで想像できてしまった。
 若くして社会に出て人々のために働く人間は、やはり良くできているということだ。主観年齢は同年代、あるいは彼女らの方がわずかに年下だというのに、非常に大きな差があるのは間違いない。おれが彼女らに感じる気後れは、不登校児童が下校時刻に出歩きたくないのと似ているかもしれない……などというと、不謹慎か。行きたくても行けないのと、単純に怠けて働かないのとは、大きく違う。
 そういうわけで、おれも更生というか社会人としての第一歩というか、とにかく世のため人のためになることをしてみようと思ったわけで、これから行うことが、その第一歩。







 思ったよりも簡単に、こちらの要求は通っていた。要求―――フェイトやティアナと出会った日に頼んでおいたことである。
 管理局史上に名が残るほどの重犯罪者であるから、言葉を交わすことでさえ難しいと思い込んでいたのだが、ダメ元で頼んでみてよかった。軌道拘置所に入っている犯罪者に関しては、事情聴取も一時裁判も通信で行われるのだそうだ。直接会ってそれらを行うよりもよほど安全であり、脱獄の心配もほとんどないことから、ある意味では逆に顔を合わせやすいともいえる、とのこと。
 そう。現状において、広大な次元世界で最も人間という生物に詳しいと思われる一人、ジェイル・スカリエッティ博士との面会が、おれの望んだことであった。
 ほとんどすべての問いかけに対して頑なに口をつぐむ彼であるが、おれならばあるいは興味を引けるかもしれない。そのようなあざとい考えもあり、子供を使うことを嫌がるフェイトらをどうにか押し切り、直接会話するチャンスを得た。そして、それが実現する瞬間は刻一刻と近づいてきていた。
 実はこれ、前から楽しみにしていたので、モニタが展開される前からそわそわしてしまう。椅子に座り、床に届かない足をぶらぶら揺らしていると、それを不安と取ったフェイトが心配そうな視線をよこす。一方、通信の準備を行ってくれているシャーリーは、ちらりと目を向けて、人好きのする笑みを浮かべた。とても目がいい。

「……よし、準備完了。コロナ。そっちはどう?」

 フェイトを介さず直接訪ねられたので、無言で頷きを返す。同じく無言の頷きが返ってきた。

「それじゃあ回線、開きます」

 空間モニタが展開される。手錠をはめられた男がベッドに腰掛けて、モニタの中からこちらを見ていた。

「―――おや。これはこれは。聖王の器ともあろう方が、この私に何の用かな?」

 映し出された金色の瞳が、要件を問うた。それには答えず、しばらく観察する。観察し合う。といっても、彼にはおれについての情報が何一つ――ヴィヴィオとは別人として存在することさえも――教えられていないので、いま目の前にあるのは、ヴィヴィオに対する態度である。したがって、それほどの興味は向けられていないはず。
 こちらを眺める彼の視線には囚人の卑屈さがまるでない。精神力の問題ではなく、認識の仕方に原因があるのだろうと勝手に想像した。
 十秒と少しの無言を、こちらから破る。

「……はじめまして。ジェイル・スカリエッティ博士。今日はJS事件には特に関係のないことをいくつかお尋ねしたと思い、この場を用意していただいたわけですが―――」

 スカリエッティの、おや? といった表情がすぐさま理解の笑みへと変わる。反応が恐ろしく早い。その反応速度は、この瞬間にゼロから組み立てた推論によるものではなく、元から仮説を持っていたから実現したものなのだろう。そして、彼がその仮説をあらかじめ持っていたということは、つまり、おれの聞きたいことはほとんどわかったと言ってもいい。
 なので、本題はちょっと横に置いておくことにしよう。

「用意していただいたわけですが―――、まあ、それは後回しでいいか。…………牢獄の中、暇じゃないか?」

 いきなり予定と違うことを尋ねるおれに、管理局トリオから視線が集まる。いや、この目は口調に関する驚きかもしれない。今までずっと綺麗な言葉で通してきたのだ。
 どちらにせよ本当に申し訳ない上に、世のため人のためと決意した直後に自分のための行動をしてしまったあたり、非常に情けない。が、モニタの向こうの博士が笑ってくれたのでよしとする。

「なに。構想を練るだけであれば、どこでもできるさ。それにここは意外と快適でね。悪くない」
「ふーん……」

 要するに暇だということか。言いかえれば、構想を練るくらいしかすることがない、と。
 いつかインテグラのやつをこういう所にブチ込んでやりたい。人生の目標が一つ増えた。

「なにか欲しいものとかあれば、差し入れとか―――」

 一度、この場で最も権限を持つフェイトに目を向ける。頷きが返ってくる。

「してもいいけど? どういうジャンルが好きか教えてもらえれば、ちゃんとそういうのも……ああ、でも一日中監視カメラが回っているのか。露出プレイになるよなあ。実際、そういうのはどうしているんだ? もしかして見せつけて喜ぶタイプ? バナナとサクランボどっちが好き?」

 スカリエッティは、のどの奥で笑う。くつくつ、と。
 こういう会話にも付き合ってくれるらしい。……好きなのか? いや、しゃべっているのがおれだからか。飽きられたら終わる。芸人みたいだ。

「人間もまた、動物であることは否定しないがね。しかし、人間には脳の性欲とでもいうべき欲求がある。君の心配することではない」
「構想を練ることしかできないような空間で、知識欲を脳の性欲と呼んでしまう人間、と……」

 一日中自慰しているようなものか。実のところJS事件の時と大して変わらないのではなかろうか。

「まあいいや。ところであんた、犯罪者もまた犯罪の被害者である、という状況についてどう思う?」
「ふむ。事件については関係のないこと、と最初に宣言した以上、私自身について尋ねているわけではないね。……つまり、君がそうなのかね?」
「……なんでそんなに嬉しそうなんだ? いや、違う。自分じゃない。まあ、似たようなものなんだけど。インテグラ・イイオトコって知っていたりする?」

 スカリエッティはわざわざ考えるような仕草をしてから、いかにもいま思い出したとばかりに頷く。

「―――名前だけならば聞いたことがある」
「へえ……、本当に有名人だったんだな。―――それで、なんというか、イイオトコにも関係する話、なのかな? それについてあんたに聞きたいことがあるんだが」
「ようやく本題かね? 言ってみたまえ」
「どうも」姿勢を正す。「今日あなたに聞きに来たのは、生命操作技術の中でも特に記憶という分野についてです」
「プロジェクトF関係ということかい?」
「いえ、正直に言って、それに関係することなのかどうかもわからない、というのが現状で。プロジェクトFというのは、記憶転写クローンによる同一人物の製造……誕生が目的なわけですよね? つまり、オリジナルそのままを再現する」
「ああ、なるほど。つまり、記憶転写によらない記憶、オリジナルのない、ゼロから組み上げられた記憶が存在するかどうかを知りたいということかい?」

 何なんだ、この人。やたらと察しがいい。敢えて半分くらい見なかったフリをしてほしいものだ。でないと、相手をしていて疲れてしまう。
 そして始まる"教えてスカリエッティ先生"のコーナー。

「その話を始める前に、まず前提として知っておくべきは、あらゆる生命操作技術は人間の限界を超えることを目的としている、ということだ。これは努力では突破できない、純粋に人間を一つの機構と捉えた際の、物理的な限界、という意味でね。たとえば戦闘機人や人造魔導師は、戦闘能力という分野に関しての限界を突破したいという欲望に後押しされている。誰が後押ししたのかは、言うまでもないがね」

 視線がこちらから逸れる。最後の言葉は、向こうのモニタには映っていないはずのフェイトに向けたつもりらしい。先ほどおれは、差し入れについてフェイトに尋ねていた。その時の目線を追ったのだろう。
 金の目がこちらに戻る。

「プロジェクトFも?」
「もちろん。同一人物の複製は、ただの結果さ。"他人の記憶は学習できない"という不可能を崩す記憶の研究と、クローン技術とを組み合わせることが、同一人物を複製したいという欲望を満たすのにちょうどよかった。所詮はその程度のこと。
 そして、君の聞きたがっている記憶というものについてだが、これは学習という現象と密接な関わりがある。そう、先のたとえを用いれば、学習という欲望を満たすためには、記憶の研究により判明した成果を用いるのが都合がいい、といったところか」

 スカリエッティは一度言葉を止める。両腕を掲げ、手首に嵌った枷を見せる。

「こと学習という分野についていえば、挑むべき枷は二つあってね。時間と記憶容量が、それに当たる。前者は、一生涯を学習に充てても辿りつけない領域が存在すること、すなわち寿命の問題。それを解決すると、次は後者、すなわち脳の容量の問題が立ち塞がるだろうが、まあ、こちらは現状では特に触れる必要もない。
 さて、時間に関する問題に挑むには、大きく分けて二つのアプローチが存在する。一つは、単純に個体の寿命を延ばすこと。もう一つは、学習効率を上げること。記憶に関する研究は、捉え方によっては前者、後者のどちらにも含まれる。新しい体に既存の記憶を焼き付け、これを以前の個体と同一視するか否かという問題だ。同一視するなら個体の寿命を引き延ばしたといえるし、しないなら生まれたばかりなのに学習済みである、すなわち学習過程を省き最高の学習効率を実現したといえる。もっとも、もはや両者を切り離して考えることは無意味であるともいえるがね」
「プロジェクトFは明らかに寿命を延ばすという考え方を強調……突き詰めたものですね。なるほど。概要については、大体わかりました。具体的な操作方法や専門用語などが一切含まれていないのがいい」
「サルでもわかるように話したつもりだからね。わかってもらえなければ困る」

 酷いことをおっしゃる。

「いや……、もしかして今の話を理解できるサルを扱ったことが?」

 不気味な笑みが返事だった。

「さて、それではようやく前提の確認が終わったところで本題に入りたいのだが……、その前に、今の君の状態について、詳しい情報がほしい」
「ええと……、それは餓死しそうだから食料が必要という意味で? それともティータイムに茶菓子が欲しいという意味ですか?」
「どちらでも大差ないと思うがね。餓死すれば話すことはできないし、茶菓子が出なければ機嫌を損ねて口を閉ざすかもしれない」

 そういうわけで、あまり喋りたくないことをずるずると引き出されることになった。







「簡潔に言って、自分はこの世界を現実だと認識していません」
「……」

 先を促す無言に従い、続ける。

「もちろん、それでは簡潔すぎて語弊があるかもしれません。なのでもう少し詳しく言いますと、自分はこの世界をアニメ作品の世界だと認識しています。つまり、朝目が覚めたらアニメの世界にいた、と」

 噴いた! スカリエッティ先生が噴き出した……ッ!
 肩を震わせて笑っておられる稀代の天才。人が嫌々切り出したというのにこういう反応をされるのはとても腹が立つのだが、ここは我慢だ。
 そうして我慢すること十秒、ようやく落ち着いたスカリエッティは、しかし口元の緩みを残したまま言った。

「残念だが、君は元の世界には帰れないだろうね。そも、存在しない世界に帰れるはずがないのだが」
「ですよねー」

 そういうわけで、やっぱりおれは"現実からアニメ"なんて現象に巻き込まれたわけではなかったようだ。
 まあ、常識的に考えればアニメの世界に入れるわけがない。アニメに入ったと思い込んでいる人間がいれば、それは夢を見ているか妄想をしているかのどちらかだ。あるいはトラックに轢かれて昏睡状態にでもなっているのだろう。さっさと目覚めて現実に帰ってしまえ。妬ましい。
 こうして、この世界におけるそっち方面の権威にお墨付きを貰ったことで、黒に限りなく近かったグレーは見事な真っ黒になった。
 ちなみにおれが記憶している魔法少女のアニメは全四期で、

 第一期:高町なのはとフェイトの出会い、PT事件の解決。
 第二期:なのはたちとヴォルケンリッター、八神はやての出会い、闇の書事件の解決。
 第三期:高町なのはの被撃墜と負った重症、そこからの再起、彼女の周囲の人間模様。
 第四期:高町なのはや起動六課での日々、JS事件の解決。

 以上であるが、まあ、それはどうでもいいことだ。
 ……と思ったら、あまりどうでもいいことではなかったらしい。
 結局、覚えている限りのアニメの内容についても話をさせられ、聞き終えたジェイルさんが一言。大方理解できた、と。

「君の言うアニメ―――」笑う。「失礼、アニメは高町なのはを主人公とし、彼女を中心とした環境を描いている。つまり、君の記憶のソースは、高町なのはの周辺を常に見ることができた存在のものに限られる。しかも、その情報が本人……から写し取られたことが不自然ではない存在。だとすれば、それが誰のものであるかは明らかだろう」

 エレベーターの中のような不自然な沈黙が生まれる。
 モニタのこちら側、フェイト、ティアナ、シャーリー、おれの四人の中で、最初に答えに至ったのは、シャーリーだった。

「―――まさか」

 それは悲鳴じみた声だった。
 口元を手で覆う仕草は、叫び声を抑え込むためだったのか。それでも声が、指先が、震えている。
 その声を心地よさそうに聞きながら、スカリエッティが告げた。

「そう。彼女のデバイスの記憶だよ。そして、そうであるならば彼女のデバイスだけであるはずがない。当然、彼女の周囲の人間が所持するインテリジェント・デバイスの記憶も外へと持ち出され、どう考えても余興としか思えない研究――というのもおこがましい、娯楽というのが適切だ――に用いられ、哀れな犠牲者を作る手伝いをしていたということさ。―――さて。ここまで聞いて、気分はどうかね? フェイト・T・ハラオウン執務官」







 素晴らしい名探偵っぷりを発揮したジェイルさんであったが、それで興味が失せてしまったのか、返事をしてくれなくなった。そういうわけで、この場もそろそろお開きだ。
 そしてこちらは意地悪な博士に苛められて顔面蒼白な執務官組であったが、肝心の犠牲者であるおれは、不思議なことにそれほど衝撃を受けていなかった。もともと覚悟ができていたし、もう"この世界"に慣れつつあったからだろう。それに、帰りたいと思うほど"元の世界"の記憶がないのも原因の一つに違いない。

「最後だし、一つ聞いていい?」
「…………」

 促す無言ではなく単に無視されているだけなのだが、気づかないフリをして尋ねる。

「あんた、どうして自分を量産しなかったんだ?」

 興味がひけたようだ。こちらを向いてくれた。
 金色の瞳だけが、チェシャ猫みたいにニヤニヤ笑っている。

「―――恐らくは君の思う通りだろう。そもそも、それを問うということは、既に君の中で結論が出ているのではないかな? あるいはほとんど確信に近い仮説か。そう、仮説を持たない者は何も考えないし、何も観察しないのだから。そして、その仮説は恐らく正しい」

 おれは無言で頷く。
 スカリエッティは少しの間を置いてから、再び口を開く。

「……あとは、そう。単純に、私が二人いては、この私、、、ができることが半分になってしまう。それは面白くない」
「ふーん……、じゃあ二人いても結局は一人に戻る、と」
「ふふ。やはりわかっているようだ。あるいは実体験による結論かい? そうだ……、たしかインテグラ・イイオトコが関わっていると言っていたが。良ければ感想を聞かせてほしいものだ」
「そうだな……、たぶんあんたが思う通りだろう、と言っておく。まあ、鏡の中の自分が勝手に笑いだしたら、思わず叩き割りたくなっても仕方がない。いまなら少しだけ、そう思える」

 インテグラが気色悪かったのは、つまりそういうことだったのだ。
 そして、インテグラのいう趣味での殺しとは、恐らく……。






 それからは、再びゆっくりと時間の流れる病院での日々が戻ってきた。
 執務官組、特にフェイトとシャーリーがやたらと気を使ってくれるようになったのは、たぶんデバイスの記憶が云々というあたりに関係しているのだろう。そのことについては、現在、捜査を進めているそうだ。忙しいだろうに毎日欠かさず来てくれるのが、ありがたいやら申し訳ないやらで複雑だった。
 そして退院も近付いてきた頃、ようやく王冠と再び話す機会が得られた。


 



[4970] 最終話
Name: 男爵イモ◆16267a69 ID:23e52052
Date: 2008/12/14 20:45
◆◇◆

「久しぶりだな、王冠」
「お久しゅうございます」
「うわ……。なに、この綺麗な王冠。気持ち悪いんだが」
「貴女をロードと設定したので、そのままの口調というわけには」

 融合もできないガラクタにロードは必要なのかどうか。

「……クビ」
「……なんだと? 人が下手に出れば、バカのくせに調子に乗って」
「いいから解説。おまえは何がしたかったのか。何を知っていたのか。さっさと話せ」

 なんかもう投げやりだった。名探偵によって衝撃のトリックが明かされ、追い詰められた犯人が聞きもしないのにペラペラと動機やら何やらを喋り始めた時くらい気が抜けていた。
 ちなみにこのポンコツ、どれだけ尋問されても一切口を割らなかったそうだ。ロードの許可なく口を開くことはできない云々とのこと。そういうわけで、面倒に付き合わされている今この時。
 おれの命令を受け、王冠は渋々といった口調でしゃべり始めた。

「まあいいけど。私がコロナを作った研究者に出会ったのは、今から五年くらい前かな。簡単に言えば、協力関係。私はロードが欲しかったし、彼は私の持つ古代ベルカの知識が欲しかった。お互いの利害が一致したから一緒にいたんだ。コロナが生まれたのは、だから、私が頼んだからだ。聖王のクローンが欲しい、と。そしてアイツはそれに応えた。それが、世に言うJS事件の少し前だね。おまえの誕生を今か今かと待ちわびていた私が、聖王のゆりかごを起動させた聖王クローンの話を聞いたときの絶望といったら……」
「そんなことどうでもいいわ」
「わかってるよ。うるさいな、もう。それで私は、ゆりかごを起動させた、聖王により近い存在をロードにしたくなった。だから計画を変更して、管理局との戦闘中に事故でコロナを殺そうとした。そうすれば、回収された遺体からコロナが遺伝子的にヴィヴィオと同一の存在だとわかり、その所持品だったデバイスは、ヴィヴィオの手元に流れる可能性が大きかったから。まあ、見てのとおり失敗したけど」

 全然悪びれていない。最悪のデバイスだった。
 腹が立ったので少し反撃しておく。

「やあい、ざま見ろ」
「やかましい。そうそう、思いだした。コロナ。おまえの人格や記憶の一部は、その研究者が基本になってるみたい。なんでもそいつ、現実、、からアニメ、、、の世界に来たんだとか言ってたけど」
「…………。……なんだと?」
「だから、おまえが現実からアニメのキャラクターに憑依したと思っているのは、実際に現実から憑依した人間の記憶が元になっているから、ってことだね」
「アニメだと思い込むように記憶が捏造されているからじゃないのか?」
「それもある。その研究者の記憶に加えて、JS事件の終結までがアニメとして付け加えられているだろ?」

 つまり、研究者から引き継いだ記憶は本当にアニメを見たという記憶。
 JS事件をアニメで見たと思い込んでいるのは、そう思うように記憶が捏造されているから。こちらの記憶は、レイジングハートやバルディッシュから抽出したデータを使って偽造されたもの。
 だとすれば"元の世界"は本当に存在することになる。

「うわ、辻褄が合うな。合ってしまうなあ。いや、でも、現実からの憑依なんて、それこそ現実的じゃないだろ」

 酷い吐き気がする。
 鼓動が耳元で鳴る。

「最初は信じてたくせに。それに正統ベルカの融合騎一つまともに修復できない管理局ミッドチルダが……、扱いのわからない物を片っ端からロストロギア指定している管理局が……、どこまで世界を知っている? この次元世界をアニメとして観測する高次の世界から、まだ見ぬロストロギア、魔法、あるいは科学技術によって、人格だけを召喚し、人体に憑依させることが不可能だなんて、証明されてる?」
「いや……、しかし、そんな飛び抜けた技術なんて」
「おまえの頭をめちゃくちゃいじり回した技術だって、数十年前までは理解不能の超技術だったろうね。アルハザード時代の技術は今でもそのほとんどが神の御業としか思えない威力を発揮するものだよ」

 視野が狭くなる。
 呼吸が苦しい。
 膝から力が抜け、壁に手をついた。
 ようやく自分がこの世界で生まれ、生きていく存在なのだと覚悟した途端に、これだ。
 まったく。これだから空気を読まずに厳しいことばかりを言うポンコツデバイスは……。







 で。
 精神的なショックで倒れるという驚異的な打たれ弱さを発揮してから数分後、どうにか復活したおれに、王冠は今度こそ申し訳なさそうに謝った。

「ごめん。議論のために反対意見を言っただけなんだけど。コロナがそこまで弱ってるとは思わなかった。正直言うと、おまえを作った研究者自身、自分が憑依してると思い込んでるだけなんじゃないか、と私も思ってる」
「洒落にならないことしやがって」

 とは言うものの、自分でも驚いているくらいなのだ。
 いろいろと真実が判明した時にはほとんど取り乱すことなく受け入れることができたつもりだったのだが、今回だけはダメだった。緊張が氷みたいに融けたところへの不意打ちじみた一撃だったからなのかもしれない。ようやく足もとが固まったと思った直後にそれが崩れたら、誰だって驚くに決まっている。

「たぶんおまえを作った研究者は、インテグラと同じ生産ラインで作られ、同じ記憶を持つ人間なんじゃないかな。インテグラのやつ、コロナを第二世代とか呼んでただろ? あれはきっと、自分は現実から憑依したんだと思い込んだ人間が、さらに同じような人間を作ってしまったことを指してるんだろうね。で、生まれたのがコロナ」
「インテグラが趣味と称して殺し回っているのは、自分と同じ生産ラインから生まれ、自分と同じ記憶を持つ人間だった、と。そういえばあいつ、JS事件についてはアニメとして見た記憶がなかったみたいだしな。まあ、生まれた時期を考えれば、当然といえば当然だ。その差のおかげで、第二世代は際どいけれどもギリギリ殺しの範囲外だったわけか」

 最後の最後でおれをハズレと認定したのは、そういうことなのだろう。
 もしかするとインテグラは管理局で捜査官をやっているときに、何かの拍子で気付いてしまったのかもしれない。自分は憑依したと思い込んでいるだけなのだ、とか、他にも似たような人間がいるのだ、とか、そのようなことに。
 大元の人格が同一である以上、インテグラも本来はおれみたいに打たれ弱いはずだし、そこからガタガタと崩れて、果てはうだつの上がらない殺人鬼をやっている、などというのもあり得ない話ではない。

「王冠。おれを作った研究者について、他に知っていることは?」
「特にないよ。いや、動機についてはちらほらこぼしてたことがあったかな。たしか"この世界の人間に憑依したおれが、どれほどの確率の下で今まで生きながらえたのか。確率の樹形図上の自分の現在位置を知りたいのだ"とかなんとか。どう考えても自分に酔ってる。コロナは私の注文で作られた存在だから、研究の対象になっていたかは怪しいけど、記憶をいじられている以上、他の個体と同じ処置はされてるんだろうね」
「……最低だな。最低研究者だ」
「まあ、ね。コロナみたいな幼児体型を襲うようなヤツだし」
「はあ? ってあの時のペドフィリアか!?」
「うん。おまえが生まれた日に頭カチ割ったアイツ」

 くそ。なんてことだ。青い鳥は昨日食べたヤキトリだったのか。存在そのものをさっぱり忘れていた。
 もしかすると、これで第二世代の存在や数を把握している人間はいなくなってしまったのではなかろうか。

「あんまり思い悩まない方がいいよ。今おまえが何かしたところでどうにもならない。自分が無力だって学んだはずだろ?」

 王冠が励ますように言う。
 その通りだった。

「……そうだな。そうだった。うん。おれは無力、無力はおれだ。だからさしあたっては、執務官でも目指すか。あとおまえが言うな」
「もう裏切らないってば。それで、どうして執務官なのか訊いてもいい?」
「捜査官より執務官の方が頭良さそうだろ? なんか権限もありそうだし、強そう。給料もいい、のか?」
「執務官だから頭良くて強いんじゃなくて、頭良くて強いから執務官なんじゃない?」
「じゃあ強くなればいい」
「頭良くはならないの?」
「おまえがカバーしろ。で、執務官になったらとりあえずインテグラのバカを撃墜して、ブタ箱にブチ込んでやる。今回の件でようやくわかった。あいつは危なすぎる」
「相変わらずズレてるというか、気づくの遅いというか」
「その後は、おれと同じ第二世代や、おれを生みだしたペドフィリアやインテグラと同じ第一世代を片っ端から保護していくかな。その過程で第一世代を生み出したヤツを叩ければ、もっといい」
「なんだ。結構いいプランじゃん。もちろん途中でインテグラみたいに殺人鬼に転向するんだろ? ミッド人狩りはきっと楽しい。いや、それとも聖王教会率いてミッドと一戦やらかしてみる?」

 物騒なヤツめ。そもそも聖王って人は戦乱を収めるために戦い、ベルカの統一を図ったはずだろうに。

「やっぱおまえクビだな」
「嘘もとい軽い戯言にございまする。聖王陛下におかれましては―――」
「だからそれ止めろって。あ、けれども聖王教会っていうのはいいアイディアかもしれないな。おまえ、古いベルカの記憶とかいろいろ持っているんだろ? きっとその内依頼が来るだろうし、代償に新しい体を作るための費用でも出してもらうのはどうだ?」

 王冠は融合騎であると同時にレリックのような役割も果たすデバイスであったらしい。その機能が生きていれば、いまのおれでもいきなりオーバーSランクの騎士になれるという"ぼくのかんがえたさいきょうのでばいす"を地で行く存在であったようだが、現在、そのチート機能の不全が起きるどころか融合すら出来ない有様だ。そして、そもそもそんなことが出来るとは知らなかったのだが、管制人格の実体具現化もできなくなっている。つまり喋るだけ。口を開けば出てくるのはあまりよろしくない言葉ばかりで、何の役にも立たない状態である。そのうちファービーみたいに電池が切れてただの置物になってしまわないか、少しだけ心配だ。
 その心配を解消するための手段としてシャーリーが提案したのが、王冠に新たな体をくれてやるという心優しいものだった。
 管理局にはリインフォースⅡという融合騎が存在する。そして融合騎製作のためのノウハウも、特殊な条件下でのみ有効であるとはいえ、存在している。現代の技術で元通りに修復できないなら、様々な機能をオミットし、本来の機能より大きくレベルが落ちるのを受け入れて、一から作ってしまえばいい、という強引かつ無駄の多いやり方だったが、まあ、悪くはない。いや、それどころか、良い。むしろ素晴らしい。
 どうしてそう思うかといえば、リインフォースⅡが一個の管理局員として認められているということを知っているからだった。
 地位と役目がある。それはすなわち給料が貰えるということ。

「これは勝ち組の香りしかしないな。おれのために頑張れ王冠。しっかりと働いて稼いでこい王冠。応援だけはしているぞ王冠。おれはやっぱり執務官なんて目指さず引きこもる」
「やっぱりおまえ、現実なめてるだろ? 子供じゃないんだから働け、大人」
「あーあー聞こえない聞こえない。やっぱり小学校からやり直すんだ。テストで100点量産して虚しい優越感に浸りつつ少年探偵団でも結成して毎週殺人事件に巻き込まれる楽しい人生を送るんだ」
「はいはい言ってろ。シャーリー、もういいよ。私は話すべきことは話したし、このままだとコロナがますますバカになるだけだ」

 王冠が締めくくり、そこでようやくおれは気付いた。というか思い出した。

「あ。そうだった。この会話、聞かれていたんだよな」
「なにを今さら」
「まずいなあ……。いや、ほら、どうもおまえとは波長が合うらしくて話をしていると地が出るんだが、今まで彼女らの前で"おれ"なんて一人称使わなかったというか、男だと言っていないというか」

 精神年齢が肉体年齢を大きく上回る女性であると当然のように思われていたので、訂正するタイミングを逃し続けて今に至ったのだ。

「お風呂に一緒に入ったというか?」

 王冠が楽しそうに尋ねる。

「そうそう。おっぱいおっぱい。あと眼鏡外したシャーリーは美人」

 ほとんど病院住まいだったが、スカリエッティと面会した日だけは院外で一泊したのだ。
 そんなことを話している内に、話題に上っていた人たちが部屋に入ってきた。
 誤魔化すのがとても大変だった、とだけ言っておく。
 性別に関しての問題が表に出るのはもっと先の話だろう。きっとその頃には今とは比べ物にならないほど洗練された擬態能力が身についているに違いない。それでも困るようなら、困っているその時のおれが解決すればいい。
 もちろんこれから色々なことを決めていく必要があるだろうが、面倒を未来の自分に丸投げして、こうしてひとまずの安寧を得た。







◆◇◆

 ケガの治療と各種検査を終え、とうとうコロナが退院する日がやってきた。それを一番待ち望んでいたのは、本人を差し置いてフェイトであったのかもしれない。
 事件に大きく関与する人物であるということで、最近までは少女の存在を、ヴィヴィオやその義母にさえ教えてあげることができなかった。ぎりぎり話せても、オフレコだと前置きした上で管理局幹部たる義兄と義母までだったが、もちろんフェイトは話さなかった。
 フェイトが親しい知人らと最後に話をしたのは、インテグラ・イイオトコと変則的なカーチェイスをした日の夜のこと。その事件は、次元世界の中心ともいえるミッドチルダ首都での大きな事件であったため、広い範囲で報道がなされれていた。その中に、暴走する自動車を追うフェイトの映像も含まれており、上空からの視点で追跡劇を見た知り合いたちが心配し、連絡をくれたのだ。そのときのフェイトはコロナを捜索中であったのだが、それを口にできなかったのが酷くもどかしかったのをよく覚えている。
 そして今日。
 どのような偶然によるものなのか、コロナが退院するこの日はフェイトの親友高町なのはの、そしてフェイト自身の休日でもあった。二人の休暇が重なるだけで貴重だというのに、そこに都合よく退院日が重なるとなると、これはもう何者かの意図を感じてしまう。義兄の仕業だった。
 そのことを数日前から知っていたフェイトは、さりげなく、さりげなく、と自身に念じながら、雑談の合間に提案したのだ。

「ねえ、コロナ。ハラオウンの家に行く前に、なのは―――高町なのはさんとヴィヴィオに会ってみない?」

 レイジングハートやバルディッシュの記録を元にした記憶を持っているコロナは、高町親子のことを当然ながら知っている。
 ベッドの上に座っている少女は少し考えて、

「みない、い……、インモラル」
「類人猿」王冠型のデバイスが即答した。
「いきなり終わらせるなよ……」
「下手クソな逃げ方するからだ類人猿が。後でいくらでも付き合ってやるから、今は彼女の話を聞いとけ」
「誰が辞書機能を搭載した機械相手にしりとりなんて挑むか。おまえ、そんなにヴィヴィオに会いたいのか?」
「嫉妬してる?」からかうような口調。
「また生き埋めにされたらたまらないからなあ」

 呟いて、コロナはフェイトの方へと体の正面をむけた。表情がガラリと変わる。真面目なものに。
 フェイトがそれを見て感じたものは、機動六課に入ってからの子供たち―――エリオとキャロが急にしっかりしだしたときに感じたものによく似ていた。しかし話し合うことで全てが解決したあの時とは違い、現在のコロナの扱いは、社会的にも対人関係上でも、非常に難しい。背伸びせざるを得なかった子供ではなく、背を無理やり引き延ばされた状態で生まれてきた存在なのだから。……みたいなことをコロナ本人と話し合った結果、なのはと出会った頃のあなたのがよほど大人だった、と切り返されてしまった。過去を知られているというのはこれほどまでにやり難いものだったのか。フェイトは内心で唸ったものだった。クロノの友人、アコース査察官は教育係のシスター・シャッハに頭が上がらないと聞くが、たぶんそれに近い。

「自分はその二人と会うことに何の問題もありません」コロナが言った。

 習いたての言語を辞書片手に訳したような固い言葉に、フェイトは苦笑する。困ったなあ、歳は離れていても姉妹になるというのに。
 そう。フェイトの義母こそが、コロナを引き取ることになった人物なのである。
 当初はフェイトが保護者として引き取るつもりでいた。しかし、そこに待ったをかけたのがコロナ本人。曰く、エリオとキャロに悪い、と。そのようなことを妬んだり悪く思ったりする二人ではないと言ったが、バルディッシュの記憶を持つコロナはすなわちその二人がどれほどフェイトを拠り所としているかを知る者でもあり、こればかりは拒んで譲らなかった。二人から親を奪うぐらいならどこかの施設に放り込まれた方がマシだ、とまで言った。
 そこにデウス・エクス・マキナの如く現れたのが、リンディ・ハラオウンだ。
 彼女は上品な手つきで皿の上の料理を切り分けるかのように、鮮やかな手際で問題をかっさらい、至極あっさりと解決してしまった。しょっぱい顔でああだこうだと言い返すコロナを圧倒的なまでの話術で押し切って、こうしてフェイトとクロノに義妹ができた。哀れな長兄がそれを知ったのは、全てが決まってからだった。もちろん彼の妻もグルだった。

「えっとね、その、もう少し砕けた言葉を使ってもいいんだよ……?」

 どうして自分の方が恐る恐るなのか疑問に思いつつも話しかける。
 返ってきたのは、

「綺麗な人には綺麗な言葉を、まともな人にはまともな言葉を、バカには死を。ポリシーなので」
「同じこと鏡見ながら言ってみなよ?」

 すかさず合いの手を入れたのはデバイス。

「この顔ならどうせすぐに見ることになるんだ」コロナは肩をすくめ、フェイトへと視線を向ける。「ハラオウンの家に向かう前となると、退院してからすぐですか?」
「うん。そうなるかな。お昼はもうお店を押さえてあるから」

 退院は昼前の予定だ。

「二人とも、楽しみにしてるって」
「珍妙な生き物を見られるとなれば、誰だって楽しみにするでしょう。かく言う自分も、動物園の爬虫類コーナーや水族館の深海魚コーナーや植物園の食虫植物コーナーが大好きで」
「あ、コロナは照れてるだけだから気にしないで」王冠がフォロー。
「やかましい」コロナが顔をしかめる。

 ふとフェイトの中で蘇る記憶があった。もう十年も昔のことになる、フェイトが出会ったばかりの頃の、クロノとエイミィとのやりとりだ。
 昔から他者の立場でものを考えることのできる優しさを持っていたクロノではあるが、当時の彼はあまりそれを表に出そうとしなかった。そのため一見すると人当たりが強い人間であったのだが、内心をエイミィに言い当てられることが多々あり、その度にある程度パターン化された反応を示していた。いまでは夫婦であるそんな二人とよく似た関係が、フェイトの目の前にいる主従の間にも存在するらしい。しかもこちらはほんの数週間で築き上げられたものだという。
 ならば、きっと自分たちもすぐに仲良くなれるだろう。コロナと王冠がそうであるように、あるいは自分とクロノがそうであったように。

「そっか。それじゃあ今度、行ってみようか。動物園と水族館と植物園」
「いや、そういうのはヴィヴィオやエリオ、キャロとでもどうぞ」
「これも照れてるだけだよね?」今度はフェイトが言う。
「ああ、もう……、だから……」

 頭を抱えた少女を前に、にやにや笑いの止まらないフェイトであった。







◆エピローグはいつだって次の物語のプロローグ◆

 瞬く間に四年くらい経った。

 ハラオウンの家には元提督やら元執務官補佐やらがおり、また現役の提督と執務官、戦闘に長けた使い魔までもが揃っていたので、勉強するにはもってこいの環境であるといえた。その分重たい姓であるともいえるのだが、メリットの方がはるかに大きいのは間違いない。しかも彼ら、努力を非常に尊ぶ人たちであるし、教えるときに甘さを見せる意味がないことを知っている人たちでもあるので、おれはあっという間によく訓練されたマゾになってしまったのだった。かつてインテグラに鍛えられた数日で芽生え始めていたマゾの資質が、長い期間のスパルタな環境により完全に花開いたのだといえよう。
 余談だが、得意技はセルフ・バインド。無駄に派手な虹色のバインドで自分を雁字搦めにするという、何の役にも立たない宴会芸である。

「……なんか腹立つくらい見え見えのエサがぶら下がっているんですけど」

 モニタの向こうへと呼びかける。
 返ってきたのは、現在の直属の上司ティアナ・ランスター執務官の声。

『美味しそう?』
「少なくとも見た目は美味しそうでないと、エサとして機能しないかと。どうします?」
『そうね……』

 綺麗な輪郭を描く顎に手を当て考える仕草は、とても様になっていて格好いい。
 ティアナとおれとのつながりは、ひとえにインテグラの逮捕を目的としている点にある。
 四年前。おれがフェイトに保護されたあの日、ティアナはインテグラ相手に一矢報いるも撃墜され、人質として利用されている。ティアナでなくとも同じ結果になっていただろうし、ティアナの攻撃でインテグラの魔力が大きく削られていたからこそ被害が抑えられたという事実があるものの、もちろんそんな言葉は彼女にとって慰めになどなりはしない。
 そのような過去があり、おれたちはインテグラに仕返しするために手を取り合う仲なのだ。
 そして二人の標的であるインテグラであるが、ここ数年、ますます派手な活動をするようになっていた。タガが外れたのか、後先を考える知能がついになくなったのか、一年に二度ほどのペースで行われてきた仕事としての殺人は、時間が経つごとに増加している。"殺人鬼イイオトコ"といえば今や次元世界中で最も有名な犯罪者の一人であり、非公式ながらファンクラブまで存在する有様だった。
 ヤツが出没する各世界の警察機構ではもはや手がつけられないので、管理局本局にて、単独犯を追うには異例といえるほどの大規模な武闘派追跡チームが編成されたくらいの活躍ぶりである。まったくもって忌々しい。

『ところでコロナ。あんた、次の試験は受けるつもり?』
「……唐突になんですか?」

 話題が大きく変わり、言葉に詰まる。試験とはもちろん執務官試験を指している。

『もう三回落ちてるんだから、そろそろ受からないと精神的にきついわよ? まだ若いとはいえ、失敗しても次があるっていう状況に慣れすぎるのも問題だし』
「いや、その……、義兄が一度、義姉が二度落ちている以上、義妹としては空気を読んで三度くらい落ちておかないといけないかなあ、なんて」
『苦労してるのね。……で、本当のところは?』
「実技をパスすると筆記で落ちて、筆記をパスすると実技で落ちます。あれ、本当にどうにかなりませんかね? 具体的にはコネとかで」
『まあ、JS事件後の綱紀粛正でさらに難易度が上がってるから仕方ないといえば仕方ないんだけど』

 そのハードモードに挑み合格した人間がなにを言うのか。
 管理局内における最難関試験の一つである執務官試験であるが、これに臨む人たちの大部分がマゾっぽい顔をしているのが気にかかる。合格するのはそれ以外の人がほとんどであるという事実も見逃せない。
 つまりは脱マゾし、厳しい業務を嫌いながらも確実にこなすことのできる人間にならなければ受からないということなのかもしれなかった。

『何にせよ、早々に受かって悪いことなんてないんだから、次できっちり合格しなさい』

 ティアナの表情が、知り合いのおねいさんから頼れる執務官のものに切り替わる。

『あんたが次の試験に集中するためにも、ここで確実に逮捕するわよ? そうすれば、執務官になってからの仕事にもつながるし、ちょうどいいわ』
「―――了解。では、エサに食いついてみるということで」
『武装隊への応援要請はそっちでお願い。こっちはこっちの準備を済ませておくから』
「はい」

 モニタが閉じられる。
 いい上司である。幼い外見に騙されてくれないのが特にいい。

「コロナはすぐに怠けるからね。人の目がないと」

 王冠が茶々を入れる。
 融合騎たるこいつのメンテの都合もあり、将来に渡っておれたちは管理局に縛られる運命なのだが、待遇は悪くないのでそれなりに満足している。やはり二人分の給料がもらえるというのは大きい。これによって軌道拘置所の某博士に約束通り大量のエロ本を差し入れたり(受け取り拒否される!)、カレルとリエラを餌付けしようとしてエイミィに叱られたり(晩ご飯抜かれる!)、ヴィヴィオに数々のロリコン撃退用携帯兵器を送りつけたり(送り返される!)できるのだ。
 そしてそれら以上に、おれが他の第二世代と出会ったとき、王冠は融合事故を起こしてでもおれを止めてくれる、という確信を持てるのがありがたい。
 きっとインテグラにはそういう相手がいなかったのだろう。だからこうして止まらず、止まれず、止めてくれと懇願するように自己の存在をアピールし続けている。とうの昔に壊れた自動車が惰性で走り続けているようなものだ。

「妄想乙」
「やかましいわ。ほら、さっさと応援要請するぞ。武装隊に。捕まえたら第一世代探知機として酷使する予定だから、できれば殺さないように頼んでおかないと」
「あれは何やっても死なないよ。ゴキブリみたいに生き汚いんだから。むしろ手足の一本や二本ぐらい落としといた方が安全な気もするけど?」

 相変わらず過激なことを言うが、今回に限っていえばあまり反対できなかった。
 しかし、手足を残すか否かを決めるのはおれではない。

「まあ、インテグラも元機動六課の隊長陣に手足をもがれるなら本望だろうけど」
『―――大丈夫だよ。無傷で、とは言わないけど、絶対に逮捕、、してみせるから』

 タイミングよく開いたウインドウ。映し出されるフェイト・T・ハラオウン執務官と愉快な愉快な仲間たち。何が愉快なのかといえば、彼女らに袋叩きにされる犯人の姿を想像するだけで愉快なのだ。
 突撃要員はニアSかオーバーSランクしかおらず、後方支援も歴戦のAAランク以上しかいないという本気で世界の一つ二つを狙える恐ろしい陣営が、今回のインテグラの敵だった。こればかりはどんな猛者であっても逃げ切れまい。味方であっても頼もしすぎて脚が震えるというのだから、敵対することになった人間の心境やいかに。まったくもってコネクションの勝利である。

『武装隊への応援要請はもう済んだ?』

 画面の外にいるのであろうティアナに問われ、

「あ、やば。今からします」
『はぁ……。さっさとしてきなさい。こっちの準備はもう整うわよ?』

 これ見よがしに呆れのため息をつかれてしまった。そして、そんな上官然としたティアナをからかうような、それでいて祝福するようなわいわいがやがやが音だけで伝わってくる。
 おれの口元が緩んでいるのは、それを聞いているからではない。数時間後にはタコ殴りにされて手錠をはめられるはずのインテグラにどのような言葉を投げかけようかと考えているからだった。
 インテグラが捕まれば、するべきことがまた増える。でも、それはいつだって同じなのだということに、最近になってようやく気がついた。一つの課題を乗り越えれば、また新しい課題が目の前に現れる。今日までがそうだったし、今日からもそうなのだろう。そしてそれはアニメの世界だろうが現実だろうが変わらない。
 なので、次の物語に切り替わる直前の今この時を以て、一つの区切りにしておこうと思う。

「おれたちの戦いはこれからだ」
「うん? コロナ、いまなにか言った?」
「いや、何も」







//////////
・あとがき

 なにやら打ち切りエンドの気配濃厚ですが、この後は第二、第三のイイオトコが現れこれを次々と撃退ないし捕獲するというイタチごっこになってしまうので、このあたりで区切ろうかと思います。
 主人公はきっと時々何もかもが面倒になって、時々悩んで、三歩も歩けばすべて忘れて、それを繰り返し、一生を費やしてクローン狩りに専念するのではないかと。

 そして反省ですが、本来は物語のための設定であるべきなのに、設定のための物語に近くなってしまった点が、今回、最も反省すべき所であったかと。
 そんな最初から最後までグダグダなssでしたが、完結までお付き合い頂きありがとうございました。


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