私とサッちゃん。神魔の最高指導者が念入りに張った多重結界の中に彼がいる。【荒神】横島忠夫。死して荒ぶる神へと至り、数百年という僅かな時間の中で幾多の神魔を屠りし者。最後の人間の守護者。
彼は結界の中で静かに私たちを見つめている。その瞳には憎悪はなく、路端の石に目を見つめるような瞳。一切の感情を持たない瞳。
違う。
彼はこんな瞳をする少年ではなかった。
そうさせてしまった失策を、今更ながらに悔やまれる。
「わいらが2人がかりでようやっとってとこやな。最も、中で暴れよったらそれすらも危ないようやけどな」
「ええ。遅すぎたと悔やむべきでしょうか?それとも間に合ったことに感謝すべきでしょうか?」
「何に感謝せいっちゅうねん!キーやん。おのれにか?」
「そんなわけないでしょう!いいえ、私の失言でしたね。すみません」
「もうええわ。今更悔やんだところでどうにもならへんしな」
そう、もうどうしようもない。神魔のほとんどが死に絶え、魂の牢獄に捕らわれた最上級の神魔たちも復活するにはまだまだ長い時間が必要だろう。神族から袂をわかった竜神王をはじめとした仏教系の一派も、魔族から離れたオーディンを代表とするアース神族系の魔族の一派もその数を減らしている。人間の数も1億を切り、多くの種がこの最終戦争の中で滅んだ。この世界はもう、取り返しがつかないのかもしれない。
もうすでに遅すぎるのだ。
ことの始まりは、横島忠夫と彼の仲間達を一部の保守的な神族と、旧アシュタロス派の魔族の集団が皆殺しにしたことから始まった。
彼の関係者が一堂にかいした彼の結婚式の日に悲劇は起こり、その惨劇の中から横島忠夫は【荒神】として復活する。
彼はすぐさまにその場にいる神魔に襲い掛かり、殲滅された。
生まれたばかりの人間出身の神が上級神魔を含む者たちにかなうはずもなかった。
その場の戦いは神族側が勝利を収めたが、その一件以来神と魔のデタントは暗礁に乗り上げた。中立地帯である人間界での戦闘。アシュタロスの乱での英雄達の死は軽いものでは決してなかった。
そして程なく、彼は復活して見せた。
彼はあの場にいた神族、魔族を殺していった。
いくたび殺されて時間をおかない内に復活し、復活するたびに力を強くしていく彼に神族も魔族も討伐命令を出したが、彼は何度でもよみがえる。厳重に封印しても彼はその封印を破り、同じ封印は2度と通用しなかった。帰って来れない異空間に追放しても帰還を果たした。
彼を巡っての戦いは神族と魔族の仲を決定的に破局させ、最終戦争の引き金となってしまった。
その戦いは地上の生命体をも巻き込んでしまったが、神族にも魔族にもそれを気にするものはほとんどなかった。
神族、魔族と袂を分かった者たちと彼が地上を巻き込む争いの中で人間達を守り続けた。
「あなたにどれほど詫びようとも、最早許されるものではないでしょう。神も、魔も、己の役割を捨て宇宙のエントロピーをはやめてしまいました」
「きっかけはお前にあったかも知れんけど、それすらもわしらの不始末やったわけやしな」
「この世界はすでに滅びようとしています。ですが、あなたまで共に滅びる必要はないと考えました。あなたがまだ理性を残しているうちに、あなたに過去に戻ってもらおうと思います」
「これは命令でも何でもあらへん。わしらのせいで何もかもなくしたお前に対するせめてもの償いのつもりや」
「どの道、未来がすでに閉じたこの世界の先など考える必要はありませんしね」
「もし、戻る気がないっちゅうことならわしらの首でも何でもやるさかい、選んでくれや」
「……お前達はどうする気だ?」
「私たちは、過去の私たちに記憶だけ渡します。このような結末にならないように」
「一応、最高指導者としての責任っちゅうもんが有るしな。もしかしたらこの世界も滅びずに立て直せるかも知れへん」
「私たちのほかには竜神王と、オーディンの記憶を持っていこうと思います。彼らのお陰で、あなたが決定的な破壊者にならなかったという意味もありますから」
もし、彼らが神魔と袂を分けて人間達を守っていなかったら、こうして彼と話すことすらかなわなかっただろう。
「……いいだろう」
初めて彼の瞳の感情がこもった。
「あなたが過去に戻ることで、その宇宙は平行宇宙へと変わり未来も変わるはずです。あなたの未来に安らぎがありますように」
私とサッちゃんの力で時を捻じ曲げた門を彼がくぐっていく。
過去の私よ。どうか彼のことを頼みます。