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[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow (ループ3度目 スーパーじゃない武 1998年開始)
Name: 重金属◆cf1e341a ID:9b750810
Date: 2008/12/19 15:22



2008年12月10日追記



1.最初に

 我作、『Muv-Luv GetBackTheTomorrow』は、アージュ製作の『マブラヴオルタネイティヴ』を原作とする、所謂ファンフィクションです。よって我作は「設定上」上記の作品の続編であると同時に、上記の作品とはいっさい関係がありません。あしからず。


2.時代設定

 舞台は1998年、つまり上記作品において「BETA」(詳しくは作中及び『マブラヴオルタネイティヴ』公式HP、もしくはWikiにて)がいよいよ日本に侵攻する年です。ほぼ完全なオリジナルストーリー、そして独自解釈が若干混ざっています。そういうのが苦手な方はご注意ください。


3.主人公

 主人公、「白銀武」は上記の作品で起こった悲劇全てを乗り越え、本当の意味での「覚悟」を手に入れた後、再び時代逆行に「何らかの要因」で巻き込まれたという設定です。精神は兎も角、肉体は「この時代」の彼のものであるため、オルタネイティヴ時のような万能さはありません。

 その理由はおいおい説明することになりますが、実は彼も「全て」の記憶を持っているわけではありませんし、一部上記作品とは別の部分で「完全に欠落」した記憶も存在します。

 さらに言うのであれば、この作品の武は『スーパー』ではありません。 あくまで人間です。 完全無敵な武が好みの方は、この作品の武には好感が抱けないかもしれません……。


4.書こうと思った理由

 理由は至極単純、あまりに報われなかったからです。特にヒロインsが。

 上記作品では『断片的な「未来」の記憶と3年間の軍経験、そして「覚悟」だけを武器に~』と銘打っておきながら、主人公には肝心の「覚悟」が欠落していました……自分に言わせてもらえば、上記作品で彼が武器と出来たのは、断片的な「未来」の記憶と、「訓練経験」だけ、といったところでしょうか?

 なので今回は、『過酷極まる戦場での「実戦経験」、そして「覚悟」だけを武器に~』戦わせようと思ってみたわけです。


5.最後に

 原作をまったく知らない方でも楽しめるよう書き進めてゆく所存ですが、書くことに関してはまったくの初心者といっても過言ではないと思います。至らぬ点は多々あると思いますが、ご容赦の程を。ご意見、ご指摘、ご感想、随時募集中です。

 それでは、自分の処女作品、『Muv-Luv GetBackTheTomorrow』を、お楽しみください。




[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 序章 夢と現の狭間にて~Regret~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:9b750810
Date: 2008/12/10 23:11
 20年――それが長いと感じるか、短いと感じるかは人それぞれだろう。 ともかく、この数字を聞いて、まず思い浮かべるものはなんだろうか。


 国連第十一方面軍横浜基地へと繋がる、長い上り坂。 沿道に植えられた桜並木は、この地を守るために散っていった英霊を供養するために植えられたものだという。 彼らが見下ろす風景は、草木の一本も見当たらない、見渡すかぎりの荒野。かつて人類の天敵によって蹂躙され、さらに人類によって破壊された大地は、未だ回復の兆しを見せていない。

 しかし、それでも彼らはしっかりと地面に根を下ろし、天に向けて枝をいっぱいに広げている。 1月の、まだ松も取れない時期だというのに、その梢に芽吹いた小さな蕾は、もうすでに膨らみ始めていた。


 そんな桜並木の内の一本に、長方形の鉄板が立てかけられている木がある。 木に立てかけられた鉄板は、『墓標』だった。 『墓標』といっても、そこに誰の名前も刻まれてはいない。 その何も刻まれていない『墓標』を見つめながら、景色に溶け込むようにたたずむ、驚くほど気配の薄い一人の青年がいた。



 Beings of the Extra Terrestrial origin which is Adversary of human race――人類に敵対的な地球外起源種――略して『BETA』。 1973年4月19日の中国・新疆ウイグル自治区喀什(カシュガル)侵攻以来、かれこれ『この世界』の人類は28年間にも渡って、種の存亡を賭けた戦争を続けている。 BETAの銀河間航行すら可能とする圧倒的なまでの科学力、そして物量を前に、人類は開戦当初より敗北に敗北を重ねた。 2001年現在、ユーラシア大陸の8割はすでに敵の手中に落ち、もはや人類に残された道は地球を捨てるか、さもなくばこのまま滅亡するかの二択、否、人類の敗北という一択の未来しか残されていないと思われていた。


 初めて『この世界』に来たとき、彼はこんな『狂った世界』は認めたくないと思った。 この世界に住む人々に同情し、やがて彼はこの世界や『みんな』を救おうと思い始めた。 ――だがいざ蓋を開けてみれば、結局、救われていたのは彼のほうだった。 挫けそうな時、死と隣り合わせになった時、助けてくれたのは、いつも傍らに立つ『みんな』だった……そんな当たり前の事を、彼は度重なる戦いの中で、見失ってしまっていた。

 在りし日の仲間の姿を思い出しながら、彼はまだ細い桜の幹をジット見つめる。 傍から見たら奇妙に映るかもしれないが、今の彼にとってそんなことは微塵なことだった。


「(ありがとう、おかげで、俺はやっと一人前というものが、どういうものなのかわかった気がする。 俺は、『この世界』の人達に教えられた事を……)」

「――まだ消えてなかったみたいね。」


 突然背後からかけられた声に、青年はハッと我に帰った。 慌てて後ろを振り返る。 彼の後ろに、2人寄り添うように立っていたのは、白衣姿の女性と、10代半ばの少女であった。


「――先生……っ?!」


 青年の驚きの声に、『先生』と呼ばれた人物――香月夕呼は、滅多に見せない優しげな微笑みでもって答えた。







 青年の名は『白銀武』。 狂った因果に翻弄され、それでも明日を掴もうと、もがいて、もがいて、もがき続け、そうして手に入れたものは『猶予』という名の希望。 僅かと思うかもしれないが、人類にとってその希望は、非常に大きな意味を持つものであった。 己の果たすべき役割を終えた今、彼をこの狂気に満ちた世界に縛り付ける楔は、もはや存在しない。 後は、帰還の時を待つばかりである。

 ――そう、夕呼がここに来た目的は、去り逝く英雄に最後の別れを告げることだった。

 武は別れの話をする中で、過去を振り返るようなことはしなかった。 ただこれから先の未来がどうなるのかと、ただそれだけを夕呼に尋ね、夕呼もただ訊かれたことだけを答えた。

 ところが、一通り別れの挨拶を終えたころで、ふと夕呼は思い出したように切り出した。


「――そうそう……そういえば……。」

「今度はなんですか……?」

「あんた宛に遺書があるんだけど……どうする?」

「……え……?」


 夕呼の言葉に、武は戸惑いを禁じえなかった。 今度の作戦で先に逝ってしまった彼の近しい人々は、皆、遺書など書かないと生前に公言していたためだ。


「後ろ向きな話には、もう興味なかったんだっけ?」


 ニヤっと笑って、まるで武を挑発するかのように語りかける夕呼。 武はしばしの熟慮の後「読みます。」と、ハッキリした声で答えた。


「無理に読むものじゃないわよ。 本人達も、それは望んでいなかったし。」

「本人『達』……ですか?」


 怪訝そうに首を傾げる武。


「ええ、そうよ。 ……やっぱり止めとく?」

「……いえ、読みます。」

「いいのね?」


 何度も念を押す夕呼に、武は若干の疑念を募らせつつも、「それが、衛士の流儀ですから。」と、初心を突き通した。


「それに、その人たちも桜花作戦に参加していたんでしょう? その人たちの犠牲のおかげで、今回の作戦は成功したんですから。」


 一呼吸おいて「どの道俺はこれから消えてしまいますから、彼らの事を語り継ぐ事は出来ないですけど。」と、自嘲気味に付け足す武。


「そう、わかったわ……。 社!」


 傍らの少女――社霞になにやら指示を出す夕呼。 霞は「はい。」と短く返事をすると、4通の封筒を懐から取り出し、武に差し出した。


「ありがとう……。」

「……いえ。」


 封筒を開けようと宛名に目を落としたところで、思わず武はその手を止めた。何処かで見たことのある字体――まさか。 慌てて4通全ての封筒を裏返し、差出人を確認する。


「なんで……? 遺書は書かないって。あいつら……。」


 武はポカンと口を広げ、信じられない様子で呟いた。 震える手で封を破り、中身を確認する。 間違いない、『みんな』からの手紙であった。 一枚一枚手にとって、食い入るように読み進める。 一字読み進めるたびに、魂が抜け落ちてゆくような、そんな錯覚を武は覚えた。まるで示し合わしたかのように、同じ願いの書かれた4通の手紙。 ガンと、頭を鈍器で殴りつけられたような感覚に、堪らずよろめく。

 この瞬間、武は全てを悟ってしまったのだ。 何故、みんな命を張れたのか。 何故、あそこまで奮戦したのか。


 そして――


 ――何故、死に急いだのか……。


 武は溢れ出しそうになる涙を必死に堪え、今にもあげそうになった咆哮をぐっと飲み込み、天を睨みつけた。







 己を消し去ろうと足元から迫る純白の光をぼんやりと目つめながら、武は「ようやく故郷に帰れるのか」と、ただ漠然と意識した。

 実のところ、武は元々『この世界』の住人ではない。 彼の元いた世界でも確かに戦争はあったが、それは精々朝のニュースに10分ほど紹介されるぐらいで、興味の無い人間――例えば彼のような大多数の人間――にとっては、とても遠い世界の話だった。 人類の滅亡が目前にまで迫っているこの世界とは、似て非なる世界。 彼にとって『この世界』は夢、狂気以外の何ものでもなかった。 光が全身を覆ったそのとき、彼は深い眠りから醒め、再び『日常の世界』へと戻れるのである。

 しかしどういう訳か、本来なら喜ぶべきその光を見つめる武の心は、彼自身不思議なくらい空虚だった。


「世界は救われた、か。」


 別れ際に誰かから投げかけられたその言葉が、武の口からふいに滑り落ちた。 はたしてその呟きは彼の虚しさを埋めることはなく、それどころか心の奥底に押し込まれた何かを抉じ開けんと、鋭利な刃物となって自身の心に突き刺さった。


「本当に、オレの戦いは終わったのか……?」


 武は自問する。「あなたのこの世界での戦いは終わりました……。」と、確かに彼女はそう言ってくれた。

 しかし、本当にそうなのだろうか? 本当に自分は、己の成すべき事を成し遂げることが出来たのだろうか……? 薄れ行く意識の中、まるで走馬灯のように浮かんでは消えてゆく思い出。 そのどれにも『みんな』の姿があり、武は思わず涙ぐんだ。 ――結局、自分は何も出来なかった、してやれなかった。 『人類を、世界を救う。』などと大見得を切っておきながら……。

 刹那、武はハッとした。 そうか、そういうことだったのか。 頭の中を覆っていた、モヤモヤとした霧が一瞬にして開け、一筋の光明が差し込む。


「(なんだ、俺にもちゃんと有ったんじゃないか。)」


 皆には有って、己に無いと勝手に思い込んでいたソレ。 自分とは程遠いところに有るかのように、錯覚していたソレ。 武はこみ上げてくる笑いを堪えることが出来なかった。


「……ハハッ、なんだってんだよ。」


 口元に乾いた自嘲の笑みを浮かべ、目を細める。 己の立脚点。 それは人類の平和でも、まして世界を救うなどというおおそれたものではなかった。


「俺は、ただ『守り』たかったんだ……。」


 本当に単純なこと。 結局『世界を救う』という大義名分も、そのための一手段に過ぎなかったのだ。 何故、今の今まで自分は気がつけなかったのだろうか。 大義に呑まれて、酔って、本来の目的を見失ってしまっていたのだ。 いまさらそんな事に気が付いたとして、それはあまりに遅すぎた。


 気を抜けば今にも飛んでしまいそうな意識を必死に握り締め、武は『この世界』に縋り付いた。 彼自身とうに覚悟を決めていたはずなのに、である。 だが、それもそろそろ限界に近づいていた。

 自身の奥底に根付く、今までひた隠しにしてきた未練がましく浅はかな願望。別れ際の遺書によって、さらに肥大化したそれ。 ――もうどうせこれで最後なのだから。 悪魔が耳元でささやく。 もはや彼に、その甘い誘惑を断りきれるほどの精神は残されていなかった。 武はついに、厳重に封印されていたパンドラの箱に手をかけてしまった。


「――もし、もう一度やり直せたら……!!」


 全く持って自分勝手な願望。 ――『過ぎたことを悔やんでいる暇など無い、生ある者は、たとえ辛くてもまっすぐ前を向いて歩かなければならない。』――武がこの『狂った』世界で学んだ教訓の一つである。 第一、もう一度やり直したとして今より良い未来を掴み取れるとは限らない。 何度と知れないチャンスを与えられた現状において、さらにもう一度とは、志半ばで散って行った数多の同胞からすれば、酷く傲慢な望みと映るに違いない。

 しかし、武には生きるべき明日すら残されていなかった、文字通り、彼は『消え去ろう』としているのだ。 別れ際の夕呼の話によれば、『白銀武』という存在は人々の記憶の中から完全に消え去り、彼の存在自体が、元々なかったことになるらしい。 その言葉が本当ならば、つまりそれは、今ここに存在する『白銀武』の完全な死――『消滅』を意味する。


「……ワケわかんねえ因果に翻弄されて、業に業を重ねて……結局全て『なかった』ことになる……そんな事、ありなのかよっっ!!」


 一度開いてしまったパンドラの箱は、武の奥底に封じ込めていた慟哭を、一気に表層へと吐き出した。 悲しい、哀しい、カナシイ……心が悲鳴をあげる。文字通り『魂が二つに引き裂かれる』かのような痛みに、武は絶叫を上げた。


――…ケルちゃ………。


 突然響いてきた今にも消え入りそうなその声に、武は痛みすら忘れ、自身の耳を疑った。 それは、彼の良く知る幼馴染の声にあまりにそっくりだったのだ。


――タケルちゃん。


 愛しくて、悲しくて、今にも胸が張り裂けそうになる……そんな声。今度ははっきりと聞こえてきた。 やがて純白の光の向こう側に人の影がおぼろげに見え始める。


――……ねえ、それがタケルちゃんの望みなの?


 間違いない、この声は――武は確信した。


「……ああ、そうだ。」


 鑑純夏、彼女であると。


――タケルちゃんは、もう頑張りすぎるぐらい頑張ったよ。 だからさ、もう頑張らなくても良いんだよ? ……辛かったこと、悲しかったこと、みんな忘れちゃおうよ。


 純夏はやさしく武に語りかける。 確かにそれは彼にとっても魅力的な話だった。 外敵の侵攻に怯えることも無く、ただ『みんな』で平凡で幸せな毎日を送る。 過去の暗い記憶も何もかも全部なかったことにして生きてゆく。 一度は彼もそんな未来を夢に見たことがあった。

 しかし武は、あえてはっきりと断言した。


「すべてを忘れて、無かったことにして、自分だけ幸せになるだなんてこと、オレには出来ないんだ。 オレは……オレは今度こそ皆を、純夏を、守り抜いてみせる!! ……こんなクソみてえな『因果』、誰が認めてたまるかよ!!」


 武も薄々とは感づいていた。 この結末がいわゆる運命、あるいは『因果』と呼ばれるものだということに。


――そんなことタケルちゃんにできるの?


 純夏の問いに、武は一瞬言葉が詰まった。 武とて、自信が無かったのだ。ここで絶対に出来ると、断言し、見栄を張ることは出来る。 だが果たしてそれで純夏は納得してくれるだろうか。 武は思い悩んだ。


「――ハッキリ言ってわからない。」


 ややあって、武が漏らすや否や「だったらタケルちゃん!」と、純夏が間髪を入れず割り込んでくる。 武はそれを「でも!!」と、強く遮って言葉を続けた。


「知ってるだろ、純夏。 オレって往生際、悪いんだよな。」


 武はそう言ってニヤッと純夏に笑いかけた。 最初は唖然としていた純夏だったが、しばらくして不意に噴出した。


「な、なんだよ純夏! 俺は本気だぞ!!」

――あはははは、ご、ごめん。 あんまりにもタケルちゃんらしかったからさ、つい可笑しくって……。


 そう言って腹を抱えて笑う純夏。 武は一瞬右手を反応させるも、思いとどまって様子を見守った。


――……タケルちゃん。 後悔、しないよね? 後で泣きついてきたって私、知らないよ?

「ったりまえだろ、おまえなあ、オレのことみくびりすぎじゃねえか? コレでも少しは成長してるってーの。」


 武はその拍子に何も知らなかった頃のことを思い出してしまい、苦笑いを浮かべた。 そんな武をよそに、純夏は何処か納得したような表情で目を瞑っている。


――……そっか。 ねえ、タケルちゃん。

「なんだよ? 純夏。」

――約束して、ぜーーーったいに、最後まで諦めないって。


 いつも通りの口調でそう言う純夏。 だがその目はいつになく真剣で、視線は真っ直ぐと武に向けられていた。 当然、武の答えなど決まっている。


「……分かった、約束する。 オレは絶対最後まで諦めない。」


 純夏の目を真っ直ぐと見つめ返し、武は答えた。 すると、純夏はニッコリと微笑みながら呟く。


――ふふっ、それでこそかっこいいタケルちゃんだ。


 次の瞬間、武の意識は純白の光の中へと、完全に霧散していった。




[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第一章 第一話 再開 ~There is nothing new under the sun~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:9b750810
Date: 2010/09/03 18:00
 まだ日も昇らない頃、とある家の一室にジリジリというけたたましい音が響き渡る。 その部屋の住人であろう10代半ばの少年が、その耳障りな音の根源を絶つべく腕を伸した。 しかしすんでのところで指が届かない。 「後もうちょっと」と、さらに身を乗り出した、直後――少年は見事にバランスを崩し、冷たく冷えた床に顔面から突っ込んだ。


「~~っ!!」


 声にならないうめき声を上げ、床中を転げまわる。 しかし、いつまでもこうしている訳にも行かないので、少年はある程度痛みが引いてきたところで起き上り、明かりのスイッチを探して暗がりの中、腕を彷徨わせた。 数回の点等の後、部屋中を照らした蛍光灯のまぶしい光に、少年は思わず目を細める。


「っとに、今何時……うげっ、まだ5時じゃねえか。」


 時計の針が指し示す時刻に、少年は堪らず蛙を圧し潰したような声を上げた。 流石に夜明け前の町は静まり返っており、物音といえば時折聞こえてくる鳥の羽ばたきや何か動物の鳴き声程度。

 と、少年はハッとしたような表情を浮かべ、次の瞬間、部屋に一戸しかない窓に駆け寄り、視界を遮る厚手のカーテンを一気に退けた。 そのわずか数十センチ手前まで迫っていたものは――

 ――何の変哲も無い、隣家の窓。

 ただ、それだけ。


「『帰って』……きたのか。」


 ややあって安堵したような、それでいて何処か悲しみを携えたような、そんな様子で少年は呟く。 ふっ、と何か暖かいものが伝うのを感じ、少年は思わずぎょっとして自分の頬に手を当てた。


「うわっ、なに泣いてんだよ、オレ。」


 その事実に若干裏返った声を上げ驚く少年。 手の甲でもって未だ頬を伝う涙を強引に拭いとり、ずいぶん涙脆くなったものだと苦笑する。

 その時、階段をドタバタと誰かが駆け上がって来る音が聞こえ、少年は何事かと部屋の入り口の方を振り向いた。


「おっはよ~! タケルちゃん、時間だよーー!! ってえ、……う、嘘お!?」


 少年の目に真っ先に飛び込んできたのは燃えるような赤。 部屋に飛び込んできたのは、まるで元気を絵に描いたかのような少女だった。 なにやらひどく驚いた様子で、ただでさえ大きな目を見開き愕然としている。


「なんだ純夏、オレが起きてちゃ悪いってのかよ?」


 少女のあまりにもオーバーなリアクションに、少年、もとい武は不満そうに漏らした。


「いや、別にそういうわけじゃないけどさ。」


 黄色の大きなリボンで一結わえにされた自慢の長髪を弄りながら、ややうつむき気味で答える純夏。 それっきり会話が途切れ、しばらく時計の時を刻む音だけが部屋に響き渡った。


「で、オレ、服着替えたいんだけど?」


 このままでは埒が明かないと、遠慮がちに口を開く武。


「……へ?あっ、わ、私先に下で待ってるから!!」


 言い終えるなり純夏はあわてて部屋から飛び出した。 「そんなに慌ててたら――」などと武が考える暇も無く、案の定、廊下から純夏の切羽詰った声が聞こえてくる。


「わっ、わっ、ちょっと待った、落ちるのちょっと待ったぁっ!!!」


 続いて響いたすさまじい衝撃音に、事と次第を察した武は一瞬動きを止めるも、何事もなかったの用に身支度を再開した。


「――ん?」


 奇妙な違和感。 鏡に映る歯ブラシを咥えた少年は訝しんだ表情でこちらをにらみ返している。


「おかしいな……。」


 武は不審げに呟く。 彼が見つめる鏡が映し出しているものは、未だ半開きの目をした少年の姿。 しばらくそうして鏡と睨めっこを続けていた武だったが、どうせまだ寝ぼけているのだろうと自己完結し、身支度整え純夏の待つリビングへと向かった。


 武がリビングに入ったその頃、純夏はソファーに腰掛けながら退屈そうにテレビを見ていた。 ふと武は視線を落とす。 純夏の膝と手の甲に真新しい絆創膏が張られており、その足元には救急箱が無造作に転がっていた。


 「あ、タケルちゃんやっと来たの? お~そ~い~!!」


 武の姿を確認するや否や、純夏はテレビを消してソファーから勢い良く立ち上がり、武を怒鳴りつけた。


「もおー、もし遅刻したらタケルちゃんのせいだからね!!」


 頬を膨らませ捲くし立てる純夏。 一方、武はそれを馬耳東風とばかりに聞き流しつつ、彼女のまるで赤い風船のようになった顔を眺めていた。

 しかし、そんな彼女の愉快な顔を眺めているうちに、武は再び得体の知れない違和感を感じ、思わず眉を顰めた。


「……? どうかしたの、タケルちゃん?」


 武の様子の変化に気が付き、不思議そうに尋ねる純夏。 武は一瞬躊躇したものの、やや諦めたように口を開いた。


「なあ、純夏、おまえ一回り大きくなってねえか?」

「――え?」


 一瞬何を言われたのかわからず、ポカンとする純夏。 刹那、彼女は顔を真っ赤に染めて武に殴りかかった。 突然のことに武は体が動かない。 そのまま綺麗に重い一撃をレバーに貰った武は、謎の奇声を残し地面に突っ伏した。


「タケルちゃんのエッチ!!!」


 純夏は叫びながら自分の胸をかばうように両手で隠し、武をジロリと睨みつける。 一方の武は何故自分がこんな眼にあっているのか理解できずにいた。


「……ちょっと待った、なぜオレがおまえにエッチ呼ばわりなぞされなきゃならん? ひょっとして誤解してねえか? オレは身長のことを言ったんだぞ。」


 痛みのあまり腹を抱え、ゲッソリした様子で訴える武。


「……へ? 身長?」


 武の返答に、純夏は目を瞬かせる。


「なーんだびっくりしたな~。 タケルちゃん、いくらなんでも人の体がたった一日で小さくなったり大きくなったりするわけ無いじゃん。」


 純夏は武を小馬鹿にしたような口調で答えた。 その次の瞬間「スパーン」という子気味良い音が部屋に響き渡る。 高速で振り下ろされた武の手には、いつの間にやらビニルのスリッパが握られていた。


「アイターッ! ……い、いきなりなにするのさ!」


 涙目で武に抗議する純夏。


「おまえに言われる筋合いはねえ! ったく、いきなり急所狙いやがって。 まずそれを謝るのが筋ってもんだろ。」

「あうっ、ごめんなさい。 ……ってえ、それでもやっぱり叩くなんてひどいよー!」


 尚もジタバタと幼稚園児のように抗議する幼馴染の姿に溜息をつきつつ、武は己の現状把握に努めた。 朝から感じる違和感の正体、武はだんだんとクリアになってきた頭であたりを見回して、どうやら『自分の視線』が何時もより低いらしいことに気が付いた。 純夏の身長が何時もより高めに見えたのも、恐らくこのことが原因なのだろう。

 程なく一つの仮説に至った武は、それを確認すべく純夏に極力不審がられないよう問いかける。


「そういや、今年って何年だ? 西暦で。」

「えっと確か1998年だったと思うけど?」

「――そうか。 いや、なんだ、度忘れしちまってな。」


純夏の返答に、武は己の仮説に対する確信を深めた。


「ちょっとタケルちゃん、しっかりしてよー。 ……あ、ひょっとして、今日何の日か忘れちゃってたりしてないよね?」

「何の日ってえ~っと……。」


言いよどむ武に、純夏は開いた口がふさがらない様子で言った。


「ちょ、ちょっと、タケルちゃん大丈夫? 私冗談のつもりだったのに!」

「――そ、それで今日は何の日だっけ?」

「衛士訓練学校に行く日でしょ?! もおー、昨日まで『衛士訓練学校の一日体験入学に行くんだ!!』ってあんなにはりきってたのに。 葉書何百枚も送ってやっと当たったって自慢してたじゃん。」

「あーそうだったな……っなんだと?!」


適当に相槌を打った直後、武は聞きなれた、だが『この世界』では『ありえない』単語が純夏の口から飛び出していた事に気が付き、慌てて聞き返した。


「純夏!! 今なんて言った!?」

「えっ!? ……だからどうしちゃったのタケルちゃんって、」

「その後だ!!」


焦りのあまり、武は思わず語気を強めた。


「え~っとぉ……なんだっけ?」

「おいおい、しっかりしてくれよ!」


 口ではそう言いつつも何処か安堵した表情を浮かべる武。 彼自身聞き間違いであって欲しかったのだ。

 しかしそんな細な願いも、彼が何とはなしにテレビを付けた瞬間、無残にも崩壊した。


 『――えー、次のニュースです。 帝国陸軍省が、「近く、統一中華戦線を初めとする大東亜連合軍と合同で、光州付近に集結しつつあるBETAに対して大規模な掃討作戦を展開する。」との声明を発表いたしました。』


 国営放送のアナウンサーが無味無感に読み上げる文章。 その内容は武を絶句させるのに余りあるものだった。


 「……ちょっとタケルちゃんどうしたの? 顔、真っ青だよ。」


 顔を青白くして放心する武に、純夏が心配そうに声をかける。武はその問いには答えず、いや、答えることなどできずにいた。


 『――参謀長は、「この作戦が成功すれば、戦線は大きく前進し、ユーラシアのBETAに対し決定的な打撃を与えることが出来るであろう。」と、その強い意気込みを語っています。』


 武の頭の中でゆっくりと歯車が組み合わさってゆく。 やがて頭の中を好き勝手飛び回っていた一文字一文字が組み合わさり、一つの意味を持つ文章になった。

 ――『光州作戦』

 武の額を冷たく嫌な汗が伝った。 一瞬頭に浮かんだその結論を、武は「そんなばかな」と、否定する。 しかし一方で、今彼の周りにある全ての事象が彼の結論を肯定していた。

 そう、つまりここは1998年日本の横浜、柊町。『白銀武』が初めてこの『狂った世界』に『誕生』する4年前。

 そして……彼の、人類の宿敵、『BETA』が日本に上陸する、およそ半年前。







「(オレはいったい、これからどうすれば?)」


 用意された『握り飯と味噌汁』という簡単な朝食を前に、武は未だ思考の海に沈んでいた。 『何故こんなことになっているのか。』という疑問についてはこの際置いておくとして、目先の彼の問題は、『自分に何が出来るのか、何をすべきなのか。』ということだった。

 もちろん、武の脳裏にはすぐさま前史にて己を拾ってくれた『香月夕呼』に協力を仰ぐことが思い浮かんだ。 だが、同時に問題――それも如何ともしがたい致命的な――に気がついてしまったのだ。

 それは『時間を遡った白銀武』という存在を証明してくれる『証拠』が、一切ないことである。 今の『白銀武』は『白銀武』であり、それ以上でも、それ以下でもない。つまり、夕呼にとってはそこらにいる一般人となんら変わりがないのだ。

 今の状態では、『仮に』武が夕呼に会うことが出来たとしても、彼女が彼の『未来を知っている』などといった絵空事のような話を信じてくれるはずが無く、良くて狂人扱いされ精神科に連行されるか、あるいはスパイとして始末されてしまう可能性すらある。

 ――いや、事実『香月夕呼』なら躊躇せずそうするに違いない。武は思った。


「ねえねえ、タケルちゃん、本当にどうしたのさ? そんなぼーっとして……早くしないと、本当に遅刻しちゃうよ?」


 純夏の呼びかけに、武はハッと我に返る。


「……遅刻する? どこに?」

「タケルちゃん、まさかまだ寝ぼけてるの? 見学だよ見学!!」


 そう言って武を睨みつける純夏。


「……そういや、そうだったな。」

「もう、あんまりぼけぼけっとしてると、タケルちゃんの事おいてっちゃうよ!!」

「あー、もうわかったって! おまえこそ箸止まってんぞ、人のこと心配する暇あるんだったら、さっさと食っちまえよ。」


 その投げやりな答えに、純夏は無言で武のレバーに一撃を放った。




 玄関の外に広がる光景に、武は思わず息を呑む。

 何の変哲も無い住宅街。 新聞配達の自転車がベルを鳴らしながら通り過ぎ、散歩途中のおばさんがすれ違いざまに「おはようございます。」と言い残して去ってゆく――武の目の前に広がっていたのは、彼の『見慣れた』廃墟などでなく、何の変哲も無い、しかし確かに人の息づく町並みだった。


「タケルちゃん!こーれー!もってかないでどうするのさ!!」


 純夏が武の通学用鞄を片手に玄関から飛び出てくる。 武は慌てて目元を拭うと極力何事も無かったかのように返事をした。


「ん?なんだ?」

「ほら、許可証と地図、それにサイフ! これが無かったら訓練学校に入れてもらえないどころか、まず訓練学校にたどり着けないよ!?」


 ずいっと鞄を押し付けながら武に説教をする純夏。 武は目を瞬かせながらそれを受け取った。


「あ……ありがとな、純夏。」

「もう、タケルちゃん、楽しみなのはわかるけど、あんまり浮かれちゃダメだよ!!」

「すまんすまん……という訳で、俺、先頭な。」

「ええ!?なにが『という訳』なのさ!!」


 純夏は頬をリスのように膨らませ憤慨する。


「知るか、よし出発!!」

「ええ!?ちょ、ちょっとまってよ~、タケルちゃ~ん!!」


 その声にかまわず武は走り続けた――その目にわずかに光るものを、純夏には悟られまいと。




 横を過ぎ去っていく町並み。 かつては圧迫感を覚えた家々を囲う無骨なコンクリート壁にすら懐かしさを覚えつつ、武は駆けた。


「ま、待ってよ~、タケルちゃーん。」


 後ろから聞こえてきた情けない声に、武はしかたなく歩みをとめ、振り返る。


「どうしたんだ、純夏?」

「ううっ……ひどいよお、タケルちゃん。私がなにしたって言うのさー。もー意地悪しないでよー。」

「ん?……あっ、悪かった。ちょっと早すぎたか?」


 実のところ、無意識のうちに武は『いつも』のペースに近い速度で飛ばしてしまっていたのだ。 もちろんこの場合の『いつも』は、彼にとって3年後の『いつも』である。


「ねえ、タケルちゃん、気持ちは分かるけど訓練学校は逃げないんだからさ、『今日は』もっとゆっくり歩こうよ? ね?」

「……ったく、しょうがねえなあ、わかったよ。」


 武自身、妙に息が切れてしょうがなかったこともあり、あっさりと純夏の意見に同調した。


「う゛~~、やっぱり今日のタケルちゃん変だよ。 いつもなら『付いてこれないお前が悪いっ』とか言ってどんどん先に行っちゃうクセに。」

「そうか? じゃあ今のうちに慣れておくんだな。 これからのオレはずっと『変なタケルちゃん』なんだから。」


 武は笑いながら答えた。 そんな彼の様子に、純夏は諦めたように吐き捨てる。


「え~~……。 ん、でもちょっと安心した、なんだかんだ言っても、やっぱりタケルちゃんはタケルちゃんだね。」

「それって褒めてるのか? 貶してるのか?」


 そう武がジト目で尋ねると、とたんに純夏は目を泳がせはじめた。


「絶対言わないよ、言ったら怒るに決まってるもん。」

「はあ……。 なあ純夏、その時点でもう答え言ってるってことに、気がつかないのか?」

「……へ?」


 どうやら言われるまで本気で気が付かなかったらしい。 武は思わず頭を抱えた。 やはり殴りすぎたのがいけなかったのだろうか? と、武はそっと純夏の頭へ手を伸ばす。


「うわっ、ゴメンなさい!!!」


 叩かれるとでも思ったのか頭をかばって身をすくませる純夏。

 しかし、彼女の心配とは裏腹に、武はポンと彼女の頭に手を乗せると、そのまま優しく撫で始めた。


「ふえ、え?」


 驚きのあまり目を白黒させながら硬直する純夏。


「悪かったな、今まで叩きすぎた。 こんなお馬鹿な頭になっちまって……。」


 なんとなく性に合わなかったのか、武は誤魔化すようにわざとらしく言い放った。


「うわ~……なんだかすんごい貶されてるよう……」


 口を尖らせて文句を言う純夏。 だがその顔はどこと無く嬉しそうだ。


 傍らの無邪気な少女と、未だに活気ある町並みを見比べながら、武はふと思った。 今みたいに穏やかな時間を、『今度こそ』自分は守りきれるのだろうか? と。







 ――あたり一面に広がる広大な敷地。 周りを囲う壁には鉄条網が張り巡らされ、定間隔ごとに設置された監視塔が目を光らせている。 その向こう側には良く整備されたグラウンドが広がり、そのさらに奥には4~5階建ての真白な校舎がでんと構えていた。


「あと屋上に馬鹿でかいレーダーさえありゃなあ……。」

「え?タケルちゃん、今何か言った?」

「――あ、いや気にすんな、ただの独り言だ。」


 武は「横浜基地そのままなのに……」と言いそうになったのをすんでのところで飲み込み、そう答えた。


「そうなの?」

「ああ、そうなんだ。」


 武は答えつつ、視線を前に戻す。 すると偶然『帝国軍白陵基地』と、刻まれた青銅の銘板がゲート横の支柱に嵌め込まれているのが彼の目に入った。


「なるほど、ここが噂の……。」

「ねえねえ! それよりもタケルちゃん、あのヘルメット被ったおじさん達の持ってる鉄砲って本物かな?」


 独り言を遮り、純夏がはしゃいだ声で武に話しかける。


「鉄砲って、ったくお前なあ、本物じゃなかったらガードが持ってる意味ねえだろ?」

「あっ、それもそうだね。」


 ポンと手を打って納得の意を表す純夏。 武は本日何度目かの溜息をつき、少々苛立たしげに言った。


「ったく、アホなこと言ってないでさっさと行くぞ。」

「あ、待ってよタケルちゃん!!」


 武達がゲートの手前まで近づくと、門番であろう二人の警備員が武達に向かって駆けてきた。 「一般人は~~」などとお決まりの文句を言ってきた警備員を黙らせるため、武は彼らの目の前に許可書を叩きつけ、自分達が体験入隊の予約をしていることを説明する。 武達の許可証が本物であることを確認すると、警備員のうち一人が無線で誰かとやり取りを始めた。

 その間純夏が辺りを興味深そうに見回しているのを不思議に思った武が「実はおまえも楽しみにしていたんじゃねえか?」と聞いてみたところ「当然だよ!だって衛士ってカッコいいじゃない!」との返答が帰ってきた。

 思わず呆れずにはいられなかったものの、武自身、それと比べ物にならないぐらいミーハーな理由で軍隊に入った過去を持つ以上、それについて彼女にとやかく言うことは出来なかった。


「やあ、白銀君に鑑さんだったね。 もうちょっとしたら担当の人が来てくれるから、この中でしばらく待っててくれるかな?」


 無線での連絡を終えると、先程とは打って変わり紳士な対応をしてくる警備員。武は「了解しました。」と簡潔に答え、とりあえず彼の指示に従った。




 2人はゲートのすぐ横に建っている詰め所のようなところまで案内された。 もともと待合室としての役割もあるのだろう。部屋は詰め所というには広く、綺麗に整頓されていた。


「さ、ここに座って茶でも飲んでいてくれ。」


 そう言われてソファーにどっと腰を掛ける武。 続いて純夏が遠慮がちに腰をかけた。


「ふー……こうやってお茶とか飲んでると、案外落ち着くんだよなあ。」


 我ながら親父くさいと思いながらも、武はなんとなく呟く。 しかし純夏は緊張しているのかお茶に口をつけたまま微動だにしていない。 そんな彼女の様子に気がつき、武は思わず苦笑した。


「むー、なに笑ってるのさ?」


 自分が笑われていることに気がつき、純夏は恨みがましい目で武の事を睨んだ。


「あ? なに、ただの思い出し笑いだよ。」

「ほんとに~?」


 しばらくそうして武のことを睨んでいた純夏だったが、突然目を輝かせ、チャシャ猫のような笑みを浮かべた。 武にはその笑みが「とある危険人物」がよからぬ事を思いついたときの「あの笑み」と重なって見え、思わず体を震わせた。


「あっ、そう言えばタケルちゃん、さっき『了解しました。』なんて言ってなかった?」

「……そ、そうだったか?」


 ――しまった、ついいつもの癖で……。 武は平静を装うも思わず口元が引きつってしまう。


「ごまかしても無駄だよ! 私ちゃーんと聞いてたんだから。」


 純夏はまるで武の反応を楽しんでいるかのように、事実楽しんでいるのだろう、ニヤニヤとしている。


「ふっふっふー、ひょっとしてー衛士になったつもりだったのかなー? かっわいい~!」

「……ほっとけ!!」


 確かに武は子供の頃から『ごっこ』遊びが好きだった。 幼馴染である純夏を巻き込み、近所の仲良し連中と共に日がな一日中そうして遊んでいた日も少なくない。 時には武が譲歩して純夏の『おままごと』に付き合うことも有ったが、全体的に見て何時も譲歩するのは純夏の方だった。

 そしてそんな子供同士の『ごっこ』遊びの中で完成したのが、今もなお武を苦しめ続けている『どりるみるきぃぱんち』であり、伝説の左、『ふぁんとむ』である。 初回で綺麗に急所を直撃したあの一撃……武にとっては受難の始まりだったのかもしれない。


「あはははっ! ……そうそう、私たちを案内してくれる人ってどんな人だろうね?」

「さあな。」


 若干むすっとした表情で気の無い返事を返す武。


「優しい人だったらいいなあ~。」

「……そうだな。」

「むう~~、タケルちゃん私の話ちゃんと聞いてるの? っていうかなんか妙に落ち着いちゃってない?」

「なんだよ純夏、オレが落ち着いてちゃ悪いのか?」


 それも当然である。 見てくれは兎も角、精神年齢では武の方が純夏よりずっと年上なのだから。 『比喩』でなく『現実的』に。 いちいち興奮して迷惑をかけていたのでは、それこそ『大人気ない』というものだ。


「うん、だってぜんぜんタケルちゃんらしくないんだもん――アイタッ!!」

「……はあ、普段おまえがオレのことどういう眼で見てたのかよ~くわかった。」


 堪らずスリッパで叩いてしまったものの、武自身己が年相応、訂正、年齢よりも子供っぽい一面があることを自覚していた。 周囲の人間、特に担任の先生にはえらく迷惑をかけたことだろう、全く我ながら情けない限りだ、と、武は己を嘆く。 見方を変えればそれもまた『白銀武』の魅力の一つなのだろうが、それを彼が知る由も無い。

 ――そう言えば『彼女』は、元気にしているのだろうか? 武はふと自らの恩師である『彼女』のことを思い出した。

 『贖罪』のために教官になった、と、語っていた『彼女』。 ひょっとすれば、ちょうど親友の厄介ごとに巻き込まれ、頭を悩ませているところかもしれない。 かく言う自分も、結局最後まで苦労かけてばかりだったなあ。 と、武は思わず苦笑いを浮かべた。


「すまない、少しばかり待たせてしまったようだな。」


 入り口のほうから突然聞こえてきた、『若い女性』の声。 武はそのどこか聞き覚えのある声に、思わず目を見開く。

――再開の予感

 ある種の確信を胸に、武は入り口の方を振り返った。


「軍曹殿、お疲れ様です。」


 ちょうど、武達の面倒を見てくれていた警備員が姿勢を正し、自分より少し背の低い『軍服姿の女性』に対して敬礼をしているところだった。それに彼女は軽く敬礼をして返す。


「ああ、お疲れさま。 それで、私が案内すればいいのは、あそこにいる二人でいいのか?」


 そう言って武達のほうを振り向く『彼女』。 茶色いウェーブがかった長髪がゆれた。


「はい、白銀武君と鑑純夏さんの二人に間違いありません。」

「そうか、――さて、待たせてすまなかったな、二人とも。 私の名前は――」


――ああ、忘れるわけが無い。

 武は思い出す。 何も知らなかった自分に『生きる術』を叩き込んでくれた、第二の母親と言って過言でもない『彼女』。 紛れもなく、己が立ち直るきっかけを与えてくれた『彼女』。 救いたいのに救えなかった、初めての人。

 そう、『彼女』の名前は――


「まりもちゃん!!」


――辺りを奇妙な静寂が支配した。

 あろうことか、武は感極まって『彼女』の名前を自己紹介される『前に』叫んでしまったのだ。 しかも『ちゃん』付けで。 すぐに気が付き、慌てて口をつぐむも後の祭り。

 武は「毎度毎度懲りないよなあ、俺も。」と、心の中でさめざめと涙を流すのであった。



[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第一章 第二話 挨拶 ~Speech is silver, silence is gold.~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:9b750810
Date: 2008/12/10 23:38
 なんとも息が詰まるような、重たい沈黙。 なにやら言いかけて口を半開きにしたまま、武とまりもはお互いに言葉を失ってしまっていた。 そんな空気を切り裂き、最初に口を開いた猛者は、なんと純夏だった。


「……タ、タケルちゃん?」


 武の突然の奇行に、あっけに取られた様子の純夏。 呆れた様な、変人を見るような冷めた目で武を睨んだ。


「あ~……ごっほん、私の名前は神宮司まりも。 階級は軍曹、この基地で教官を務めている。 とは言ったところで……ふむ、貴様に自己紹介は不要だったようだな? 白銀。」


 再起動したまりもの名乗りを聞いて、驚いたのは純夏だ。 先ほどまで武に対して向けていた胡散臭そうな目は、瞬時に驚愕のそれへと変化した。 純夏とまりもの両者に凝視され、武は思わず一歩あとずさる。


「……あ、いえ、衛士をやっている先輩から、きょ、教官の噂は聞き及んでいたので……。」


 武はとっさに思いついた言い訳を口にするも、いかにも取って付けたようで胡散臭い。 まりもは「ほほう……。」と呟き腕を組むと、武の目を訝しげに見つめた。 武は引きつった笑みを浮かべながらも、視線だけはそらすまいと意地でまりもの目を見つめ返した。


「……まあ、何はともあれ今日一日貴様たちはココの訓練兵であり、私の教え子だ。 よって私の指示には絶対に従うように。 それと――」


 とりあえずは納得してくれたらしい、と、武はホッと一息つく。 写真撮影は禁止だ、基地の備品に勝手に触るな等といった一通りの注意を済ませると、まりもは武達を引き連れ『帝国軍白陵基地衛士訓練学校』の中へと足を踏み入れていった。







 凡そ3時間後、 午前の間に訓練校内部を一通り一周した武一行は、休憩もかねてPX――基地内の百貨店兼食堂。 軍で生活中に必要な日用品はココに来れば大抵手に入る――へと移動していた。 ちょうど休校期間だからだろうか、昼食時だというのに空席が目立つ。


「……お前達、午後はお待ちかねのシュミレーターと実銃の発射訓練だが、そのまえに腹ごしらえはしたくないか?」


 武達が席に着いたのを確認すると、まりもは特に何か含ませた様子も無く、さらりとそう言った。 それゆえに、武は反応が一歩遅れてしまう。 結果として、その一瞬が、武達2人にとって、致命的な一瞬となってしまったのだった。


「はい! タケルちゃんのせいでろくに朝ごはん食べられなくって、実は私、とってもお腹すいてたんです!」


 何の疑いも無く正直に答える純夏。 ――ッ、しまった!! 武はハッと顔を起こした。


「ま、待て純――!!」

「そうか鑑。 ならお前の分は特別に大盛りにしてやろう。」


 武の弁を遮り、満面の笑みを浮かべてそう言うまりも。 普段なら見ほれたであろうその笑みも、意味を知っている側からしてみれば悪魔の笑みに他ならなかった。


「わ~い、やった~~~!」


 無邪気にも、純夏は今にも飛び跳ねそうな勢いで喜んでいる。 武は見るに見かねて口を開いた。


「神宮司教官!」

「ん、なんだ、お前も大盛りがいいのか白銀? わかった、2人ともここでちょっと待ってろ。」


 そう言ってまりもは笑みを顔に貼り付けたままPXの人ごみの中へと消えていった。

 ……なんてことだ。武は伸ばしかけた腕を引っ込め、うなだれた。 止めに入った自分まで巻き込まれてしまった。 純夏だけだったら残した分は自分が食べるという選択肢があったのに……。 武は思わず純夏を怨めしげに睨まざるおえなかった。


 ――衛士を目指す者がまず乗り越えなければならない最大の障害。 それは訓練校での野外訓練ではないし、まして適性検査でもない……飯の山である。

 『伝統』と呼ばれているそれは、通常、適性検査のためシミュレーターに搭乗する『前に』執り行われる。 生贄は当日検査する一団の中から1人~2人選ばれ、今後人生において恐らく二度と目にしない、したくないような膨大な量の飯の山と格闘する羽目になる。

 しかも、その生贄は直後に俗に『人間シェイカー』と呼ばれ、新米衛士から恐れられているている物体に放り込まれる訳だから……結果起こりえる惨劇は言わずもがな。 もちろん事後処理も『自己責任』として生贄自身にやらされる。

 体にも精神的にも悪いことこの上ない『伝統』だが、それでも一応訓練兵達の間で脈々と受け継がれてきている立派な通過儀礼なのである。 武自身この『伝統』の犠牲者の一人なのだが、彼の場合は幸いにもその高い適正値のおかげでシミュレーター内を汚さずに済んだ。



「これは伊隅少尉、丁度いいところにいらっしゃいました。 例の『伝統』をあの子達に教えてあげようと思うのですが、出来ればトレイを運ぶのを手伝ってはもらえませんでしょうか?」


 PXの騒音の中、やたらはっきりと聞こえてきたその声に、武はPXのある一角に視線を移す。 そこには『過去』ずいぶんと世話になり、彼が最も尊敬する人物の一人である『伊隅みちる』、その人がいた。


「……ぐ、軍曹、本気ですか?」


 口元を引きつらせながらみちるは言った。 『伝統』の何たるかを知っている者なら、当然同じ反応をすることだろう。


「どうやら彼女は兎も角、男のほうはここの『伝統』をよく知っているようです、遠慮はいらないでしょう。」


 そう言って武の方を見やるまりも。 みちるは釣られて武達の方を振り向く。

 ――そして武と目が合った瞬間、みちるは何故かひどく驚いたような表情を浮かべた。

 だがそれも一瞬のことで、次の瞬間にはニヤリとした笑みを浮かべ、さも愉快そうに言い放った。


「……なるほど、そういうことですか。 了解しました、伊隅少尉、恩師である神宮司軍曹の頼みとあらば。」

「有難うございます。」


 そう言って互いにニヤリと微笑みあう2人の周りには、姦しい雰囲気が漂っていた。


「……ねえ、タケルちゃん、アレってどういうこと……?」


 先程のやり取りに聞き耳を立てていたのは武だけではなかった。 同じくこっそり聞いていた純夏が、少々おびえた様子で武に問いかける。


「なーに、気にする必要なんてねえんじゃねえか?」


 武のその言葉に若干ほころぶ純夏の表情。


「――気にしたって、もうどうしようもねえんだから。」


 暗に「腹をくくれ」というメッセージをこめて、武は純夏の肩を「ポン、ポン」と二度叩く。 にっと笑った彼の顔には明らかに影が差していた。


「そ、そんなー! ……タケルちゃん、最初からこうなること判ってたんでしょ?! 言っといてくれてれば、こんな事にならなかったのに!! 責任とってよ!!」

「――知るかっ!! そもそも全部おまえの責任だろ!! ってかむしろおまえが責任取りやがれ! この能天気ばかっ!!」


 あまりに理不尽な純夏の言い分に、武は思わず言い放った。


「うぐううう……、ばかって言ったなあ!! ――レバッ!!」


 迫り来る拳を前にして、しかし武は微動だにしない。


「(ふっ、んなへなちょこパンチが、今のオレに効くとでも思っているのか!?)」


 自慢の一撃を己の腹筋に跳ね返され、悔しさと驚愕に歪む純夏の顔が、武の脳裏には浮んでいた。 口をニヤリと歪ませ、純夏の一撃をあえて避けずに真正面から受け止めるべく、腹筋に力をこめる武。 ……そう、武はこの時、今朝油断していたとはいえ、純夏の一撃が綺麗に決まっていたことを、すっかり失念していたのだ。

 次の瞬間、凄まじい衝撃が武の肝臓を直に揺さぶる。 彼は自身の体にいったい何が起こったのか理解するのに数瞬かかった。


「んぐおっ!! ……ん……んなばかなあ。」


 断末魔をあげ、たまらず床に崩れ落ちる武。 腹筋を貫通した!? 馬鹿な、有り得ないと心の中で繰り返すも、呼吸すら困難なほど痛む腹が現実を武に突きつける。


「勝者「スミカ」、決まり手~、レバ~ブロ~!」


 突然、そんなふざけた言葉が2人の背後から聞こえてきた。 この人を小ばかにしたような口調、彼女に他なるまい。 武はうんざりしたように振り返る。


「――ゆ、夕呼先生。 まったく、いきなりなんなんですか。」

「……なにって、そんなの『ジャッジ』に決まってるじゃない?」


 ピクリと眉を反応させるも、何事も無かったようにしれっと答える夕呼。


「ジャッジって……はあ、もういいや。」


 どっと疲れて溜息をもらす武。 同時に頭が冷静になり、武は今朝純夏の一撃が己の腹に決まっていたことを思い出す。 先程まで増長していた自分を振り返り、武は思わず自嘲した。


「ねえねえタケルちゃん。」

「……なんだよ、純夏。」


 影を背負ったままニヤつく武をすこし不気味に思いながら囁く純夏。 「なんだ、いまさら自身の過ちを認める気になったのだろうか?」そんな事を考えながら武は一応、聞き耳を立てる。

 しかし、彼のその予想は全く見当はずれなものだった。


「――あの人、誰? タケルちゃんの知り合い?」

「……はあ? 誰っておまえ、そりゃあ……。」


 純夏のその問いに、全てを悟った武は暫く思考が停止した。 その間も夕呼は口元に笑み貼り付けたまま、面白そうに武達のやり取りを観察している。


「――っ、どわあ!!」

「ちょっとなによ、いきなり人指差して『どわあ!』って?」


 そう言って不機嫌そうに鼻を鳴らす夕呼。 と、そこへ丁度まりも達が戻ってきた。


「これは香月博士、いつも昼食はご自室にておとりになっていらっしゃるのに……わざわざPXにいらっしゃるなんて珍しいですね。」

「なによまりも、私がPXに居ちゃいけないって言うの?」

「いえ、別にそういうわけでは……。」

「ちょっとした気分転換よ。 ――ああー、それと伊隅、ちょっと急用が出来たから私と一緒に来て頂戴? 今すぐ。」


 一瞬夕呼の顔に険しいものが浮かんだのを、武は見逃さなかった。


「……はい、了解しました。」


 みちるも夕呼の微妙な雰囲気の変化に気がついたのだろう、表情を任務に当たるときのそれにして、一つコクリと頷いた。 夕呼はそれを確認すると、飲みかけのコーヒーモドキを一気に飲み干し席から立ち上がった。


「じゃあ私達はこれで失礼するから。 ――まりも、その子達のこと、よろしくね?」


 まりもに釘を刺すと、夕呼は返事を待たずにPXを後にした。みちるも彼女の後を追ってPXから去ってゆく。


 武はこの事態に困惑していた。 てっきり警備兵に拘束されるかと思ってみたら何の追求も無く夕呼は何処かへ行ってしまったのだ。 ――いや、もしかすればこの後すぐに警備兵が駆けつけてくるのかもしれないし、ひょっとすればもう少しの間泳がせて黒幕を探ろうと言う魂胆なのかもしれないが……。 なんにせよこうなったからにはもう流れに身を任せるしかどうしようもない。 武はとりあえず目先の『問題』を解決しようと気持ちを切り替えた。


 「さて、と2人とも、待たせたな。」


 まりもはそう言って手元のトレイに目を移す。 まるで山のごとく盛られたご飯、あきらかに器の許容量を大幅にオーバーしている。 先程からイヤに静かだと思ってみれば、純夏はその非常識な存在にずっと目が釘付けになっていたようだ。 「ゴクリ、」と、のどを鳴らしたのはいったい誰だったのか……。


「あー、純夏、あらかじめ言っとくが自分の分は自分で食えよ……。」

「――そ、そんなの分かってるって!! タケルちゃんこそ全部食べきれるの? 言っとくけど、私は手伝わないからね!!」

「勝手に吼えてろ!」


 お互い目の前の敵から目を離さずに軽口を叩く。 武は一つ大きな深呼吸をすると、意を決して目の前のチョモランマを攻略すべく手に箸を握った。


 それから数十分後、武の目の前に鎮座していた『山』はすでに半壊し、もはや攻略は時間の問題だった。 一方の純夏の方はと言うと――


「うう、もう食べられないよ~。」


 すでに、へばっていた。


「……それは困ったな。 降参するとなると午後のシミュレーターはキャンセル、と言うことになるのだが。」

「ええっ?! なんでですか!?」


 まりもの衝撃発言に、堪らず食い下がる純夏。 半分はそのために来たようなものなのだ。 文句の一つや二つは言いたくなるだろう。


「何でと聞かれても、『そういう決まりだから』としか答えようが無いな。」


 そう言って意地悪く微笑むまりも。


「そ、そんな~。 タケルちゃ――」

「却下、自分で何とかしろ。」


 純夏が何を言わんとしているか察した武は、先手を打って答えた。


「むうう、タケルちゃんのケチ!」


 武の耳元で叫ぶ純夏。 武はとっさに耳をふさぐ。


「ケチって言われてもだなあ……。」

「ケチケチケチケチケチケチ! ――アイタッ!!」

「ああ、もう、うるさいっ!! 他の軍人さん達に迷惑だろうが、っていうか、そもそも自分で撒いた種だろ!?」

「あう~、そりゃそうだけどさー。 ……ふんっ、もういいよ!! タケルちゃんなんてもう当てになんかしないからっ!!」


 威勢よく答え、純夏は再び目の前の飯の山と対峙した。



 ――それからさらに数分後、武は何とか目の前にあったチョモランマを完全克服し、ふと、だいぶ前から静かになっていた隣の様子を確かめようと首を捻る。 そこには案の定、完全に机にはいつくばった純夏の姿があった。


「……。」


 もうしゃべる気力も無いらしい。 純夏はぐったりとしてピクリとも動かない。


「……もう、ダメ。 今度こそダメ……。」


 純夏はそれだけ呟くと、今度こそ机に突っ伏した。


「(……はあ、そろそろ潮時か。)」

 
 武は覚悟を決めると、噛むことに疲れ果てた重い口を開く。


「おい、純夏。」


 一言喋っただけでアゴが外れそうな感覚に襲われ、思わず武はアゴに手をやり顔をしかめさせた。


「……なにさ。」

「よこせ。」

「――へっ?」

「だから、よこせって言ってんだ!!」

「な、何を?」


 純夏は怪訝そうな顔をして聞き返す。


「ああ、もう、分かんない奴だなあ!! オレはまだ食い足りないから、おまえの分もよこせって言ってんだよ!!」

「えっ?」


 要領を得ない純夏に、苛立ちを隠せない様子の武。


「ったく!!」

「あっ!!」


 武は痺れを切らせて強引に純夏の持っていた茶碗を奪い取ると、一気に中身を胃袋の中に掻きこんだ。



 ……結局武は純夏の食べ残し分も含め全てを平らげ、『超々大盛り』とはいかなるものかをこの身で実感する羽目になってしまった。 武は後日その時の事をこう語っている――「もうBETAが束になって襲ってきても怖くない、それよりもずっと飯の山のほうが……うっぷ。」


「タケルちゃん、大丈夫?」


 そう言って心配そうに武の顔を覗き込む純夏。


「……純夏、今は俺に話しかけんな。頼む。」


 その服の上からもわかるほど膨らんだ腹とは対照的に、かなりやつれた表情で武は答えた。


「う、うん。」

「……すまないが時間がかなり押している。 きついとは思うが、私についてとりあえず座学教室まで移動、出来るか?」


 まりもは気の毒そうな面持ちで言った。


「――なんとか。」


 戻しそうなのを必死にこらえながら、武は答える。


「タ、タケルちゃん、しっかり。」

「……すまねえ、純夏。」


 武は純夏に支えられながらも、何とか座学教室まで移動した。







 まりもに連れられて入った座学教室で2人にはシミュレーションに搭乗する前の『簡単な説明とレクチャー』が行われた。 武の予想通り、純夏は網膜投影装置に素直に驚きはしゃいでいた。

 新注の強化防護服――スケスケの訓練兵用――を受け取り、各自着替え室まで向かったまでは順調だったのだが……。


「こうも全く反応しないとはな……貴様、本当に男なのか?」

「え? あたりまえじゃないですか。 あははははは……。」


 全く動じない武の様子に眉を顰めるまりも。 そんなこと言ったって、見慣れたもん見て興奮も何も無いですって!! などと心の中で叫びつつ、武は適当に笑って誤魔化した。 そんな彼も最初は思わず前かがみになってしまったものだが……やはり男性衛士は一般的にそうらしい。


「タケルちゃん、絶っっ対こっち見ちゃだめだかんね!!」

「……畜生、腹がつっかえる……。」


 純夏の必死な声をバックに武はあさってのほうを見ながらたそがれた。


「2人とも、シミュレーターの準備が完了したようだ。 係員の指示に従って鑑は1号機に。 白銀は4号機にそれぞれ搭乗しろ。」

「あ、はい、了解しました。」


 まりもの指示を受け、条件反射的に返事をする武。


「タケルちゃん、また後でね~。」

「おう、また後でな、ってヴァルナ~ッッ!?」

「こっち見ちゃだめってば~もぉ~、タケルちゃんのH!!」


 武が振り返ろうとしたとたん、純夏は『どりるみるきぃぱんち』を彼の顔面めがけて撃ち放った。 よりによって強化防護服の無いところを殴られ、哀れ地面に突っ伏す武。 この世の不条理に武は思わず泣けてきた。


 係員によりがっちりとシートに体を固定される武と純夏。 係員が女性なのは恐らく純夏への配慮なのだろう。 実戦ではそんな事言ってられないとはいえ、あくまで武達は『体験』入隊者なのだ。


「よし、2人共、搭乗は済ませたな。 ……鑑、まだ始まる前だというのに心拍数がかなり上がっているぞ。 もっと肩の力を抜くんだ。」

「す、すみません!!」


 まりもが思わず声をかけてしまいたくなるほど、純夏は見るからにガチガチだった。 極度の緊張によるものだろう。


「ところで、本当に大丈夫なんだろうな? 白銀。 顔色もかなり悪いようだが……。」

「あ、俺は大丈夫です、心配しないでください。」


 まだ痛む額を擦りつつ武は返答する。


「貴方がそう言うのなら――わかった、それでは適性検査を開始する。念のためにもう一度言っておくが、シミュレーション起動中に余計なおしゃべりは絶対にしないことだ。 忠告を破って舌を噛み切ってしまったとしても、私は責任を持たないからな。」


 まりもの冗談交じりの忠告――といっても、可能性としては十分あり得るのだが――を聞いて、律儀にも身震いする純夏。 そんな彼女の様子に満足げな笑みを浮かべつつ、まりもはさらに言葉を続けた。


「それと、吐き気を催したら無理せず緊急停止ボタンを押すように。 それでも間に合わないようなら先程教えた場所に格納してあるエチケット袋を利用しろ。 もしシミュレーターの中にぶちまけてみろ? キチンと後始末はしてもらうぞ。 ――それでは、シミュレーターを開始する。」


 まりもからの通信が途切れ、同時に機械の駆動音と共に僅かな揺れが起こる。 続いて2人の網膜に機体状況、一瞬遅れていつもの市街地が映し出された。 やがて上下に激しく動き出すシミュレーター。 しかしそんな振動などどこ吹く風と、武は観光気分で辺りを見回していた。


 ――唐突に鳴り始める敵襲警報。 遠くに見えるBETAのシルエット。


「(最初はこれ見てビビッたんだよなあ……てか『オレ』ってBETAなんて見たことあったのか?)」


 ふと沸いてきた疑問に、武は思わず首を傾げる。


「ご苦労。 これで適正検査は終了だ。 係員が来るまで余計な物には一切触るんじゃないぞ。」


 聞こえてきたまりもの声に、武はゆったりとシートに身を預けた。








「ふ~、楽しかったー!!」

「おいおい、あんまりはしゃぐと怪我するぞ。」


 純夏はシミュレーターから伸びるタラップを一足飛びに降りてゆく。 そんな彼女のはしゃぎ具合に、武は呆れたように肩をすくめた。 そう、新米衛士をさんざんに苦しめているシミュレーターを、この2人はものともしなかったのだ。


「――あ~、2人とも、またずいぶんと元気そうだな……。」


 検査を終え、シミュレーターから元気そうに出てきた2人に、唖然とした様子のまりも。 明らかに頬が引きつっている。


「神宮司教官!! もう一度コレ、やらせてもらえませんか?!」

「……鑑それは出来な……いや、そうしたほうが良いかもしれないな……。」


 本来なら誰にせよ少なからず乗り物酔いのような状態になるはずなのだが……機械の故障だろうか、と、まりもは首をかしげた。


「なあ、純夏。 おまえ本当になんともないのか……?」


 一方で武も納得いかない様子で純夏に詰め寄る。


「うん、それがどうしたの?」


 本当に何ともないらしく、全く淀みなく答える純夏。 興奮のせいか、未だ自分が恥ずかしい格好をしていることもすっかり忘れてしまっているようだ。


「いや、なんともねえんなら別にいいんだけどよ。」


 三半器官がおかしいんじゃないだろうかコイツは? と、己のことを棚に上げ、失礼なことを考える武。 武の困惑する様子に、口元をニシシと歪める純夏。


「……あ~、さてはタケルちゃん、さっきので酔っちゃったんでしょ?」

「――はあ?! まさか! んなわけねえだろっ!!」


 武は「冗談じゃない」と、思わず声を張り上げる。


「ふっふっふー、タケルちゃんってば強がっちゃって~――ってイタッ!!」

「ばーか、調子に乗ってんじゃねえよ。」

「……うう、ひどいよー! 叩くことなんてないじゃんか!!」


 拳を振り上げ抗議する純夏。 だが武は「知るか!」とばかりに無視を決め込んだ。


「無視するなっ!」

「全くお前達は……。」


 ふう、と溜息をつき、まりもは口元に微笑を浮かべた。 去って行った日々を懐かしむような、そんな目で武達を見守りながら。

 一つ深く息を吸い、まりもは気持ちを切り替える。 表情を教官のそれに戻すと、2人に呼びかけた。


「取り込み中、失礼するぞ。」

「あ、すみません神宮司教官!!」







 まりもの指示により、武達はいったん服を着替え、座学教室まで戻ることになった。 検査結果が出るまでしばらく時間がかかるらしい。

 その間暇な時間を利用して座学教室では質疑応答が行われた。 純夏の「BETAってどんな格好してるんですか? やっぱりテレビに出てくる怪獣みたいな格好なんですか?」と言う質問に、たまらずまりもが「そんな可愛いものならいいんだが……。」と漏らし、直後に慌ててなんでもなかったように取り繕うなど、少々のハプニングはあったものの、至って穏やかに時間は過ぎていった。


「うーむ、そろそろ検査結果の紙が届くはずなのだが……。」


 まりもは時計を見つめ、困ったように呟く。 予定の時間を過ぎても検査結果の書類が手元に届かないのだ。


「すまないがお前達、ここで待っててくれないか?今から私が――」

「その必要はないわよ、まりも。」


 まりもがいよいよ様子を確かめに行こうとしたその時、まるでタイミングでも計っていたかのように夕呼が部屋に入って来た。


「ふ~ん、へ~え。」


 なにやら手に持った書類を楽しそうに読んでいる夕呼。 どうやら武達の検査結果が書かれているらしい。


「あの、香月博士……?」

「あら、ごめんなさい。 はいどうぞ。」


 そう言って夕呼はあっさり手に持っていた書類をまりもに手渡した。 渡された書類に目を通し、まりもは一瞬眉をひそめる。


「さて、検査結果だが……まず鑑、お前は類稀に見る優秀な戦術機適正を持っているようだな。」

「わ~い、どうだタケルちゃん、恐れ入ったか!!」

「おお、純夏、すごいじゃんか。」


 武の賞賛の言葉に、純夏は複雑そうな表情を浮かべる。


「むう、なんかこうあっさりタケルちゃんに褒められても、あんまりうれしくない。」

「……なあ、純夏、オレにいったいどうしろと?」


 そう言って溜息をつく武。 と、横から聞こえてきた咳払いに、2人は己の立場を思い出し、再び前に向き直った。


「さて、一方の白銀の方なんだが……。」


 そこで何故か言いよどむまりも。


「神宮司教官、どうしたんですか? ……まさかタケルちゃん不合格……とか?」


 純夏は尻窄みに問いかける。


「――安心しろ、ところどころおかしな点はあったものの、白銀、貴様も合格だ!」

「なーんだ神宮司教官、びっくりさせないで下さいよお。」


 ニヤリと笑うまりもに、純夏はホッと溜息をつく。 だが当の武と言えば、ずっと上の空で何の反応も返さない。


「なんだ白銀、嬉しくないのか?」


 武の様子を不審に思い、声をかけるまりも。 武は我に返ると、ぼーっとしていたのを誤魔化すように慌てて弁解した。


「――いや、純夏が大丈夫だったんだから当たり前というかなんと言うか。」


「……ねえ、ちょっとタケルちゃん。 それってど~ゆ~意味~?」


 よほど聞き捨てならなかったらしい、据わった目で武を睨みつける純夏。


「あ゛……落ち着け純夏、何もおまえがどんくさいとか、オレよりも馬鹿だとか、そういったことを言ってるわけじゃないんだからな?」


 口に出してしまってから武は己の失言に気がつくも、すでに手遅れだった。


「言ってるじゃん!! くらえっっ!!!」


 本日数度目の一撃が、武の腹に叩き込まれた。 その様子を呆れたように見つめるまりもと夕呼。

 
「……そう言えば『ところどころおかしな点があったー』ってさっき神宮時教官言ってましたけど、タケルちゃんどうかしたんですか?」


 床に蹲る武を尻目に、純夏はまりもに尋ねた。


「あー、鑑、それはだな?」

「それは今から説明するところよ。」

「香月博士、ちょっと……。」


 またしても、まりもの言葉を途中で遮る夕呼。 相手が上官とはいえ、流石に二度も話の腰を折られれば腹も立つことだろう。 まりもの声色は恨めしげだ。 そんな彼女に対し、夕呼はピシャリと言い放った。


「まりも、ここは私に任せなさい。」

「……はっ、博士がそう仰るのでしたら……。」


 上官にそう言われてしまえば、まりもは立場上引き下がる終えない。渋々といった様子でまりもは了承の意を表した。


「さて、話の続きだけど、あの適正検査の最後の演出は、突然危機的な状況に置かれたときに被験者がどのような反応を示すのか検査するためのものなのよ。 だから当然『どんな人が見ても』驚くよう、計算されて作られているわ。 ところが白銀、アンタは全く驚かなかった。 ……これがまず第一点目」

「そんな事言ったってそれは理論上の話でしょう? 例外ならいくらでもいるんじゃないですか?」


 いつの間にか復活していた武がとっさに言い返す。 しかし、夕呼は眉一つ動かさず逆に問いかけた。


「――確かにね、その可能性も否定できないけど、例えアンタがその例外だったとしても、それ以前の反応がおかしすぎるのよねえ。 例えば戦術機が動き出したときの反応。 緊張どころか、始まる前よりリラックスしてるってどういうことよ? それともなに、アンタの家は万年震度7で揺れてるってワケ?」

「いや、それは無いですけど……。」

「今のが二点目ね、そして何より――」


 言葉をそこで一端止め、夕呼は武のことをギラリとした目で射抜く。 武はその気迫に思わずひるんだ。




「――何故貴方は最初から私のコトを知っていたのかしら……?」




 無言となる一同。 壁掛け時計の針が進む音が、教室内にやたらと良く響いた。


「それは――」

「例え何らかの事情である程度特徴を知っていたにせよ、普通初対面の人間をそれだと一目でわかる?」


 武は自身の迂闊さを呪った。 ここで二の足を踏んでいる暇など無いというのに……。 営倉に入れられるのは確実として、その後どうしようか、そう言えばあそこって寒いんだよな……等と武が悩んでいると、夕呼はしばらくして不意にその口を緩ませた。

 
「ま、正直私はそんな事はどうでもいいんだけどね~、まりもがどうしてもって言うから。」

「わ、私ですか?!」


 突然話を降られ、思わず声が裏返るまりも。


「あれ?違ったっけ?」

「こ、香月博士~。」


 勘弁してくださいとばかりに、まりもは肩を落とす。 ほう、という溜息が重なり、夕呼を除く3人は思わずその顔を見合わせた。


「ふむ――それにしても、確かになんで貴様は私が私だとわかったんだ?」


 まりもはふと思い出したように武に向かって問いを投げかける。 まずいという顔をする夕呼。


「まあ良いじゃな――」

「夢ですよ、夢。」


 夕呼の視線から解き放たれ、少し余裕が出てきたのだろう。 武はあっけらかんとそう答えた。


「ゆ、夢~~?!」


 まりも、夕呼、加えて純夏の口からも異口同音に呆れた声が漏れる。


「そう、夢です。予知夢って言うんですかね? こうなんか神宮司軍曹に香月博士、他にも数人いたと思うんですけど学園でわいわい……って、なんだよ純夏、そのかわいそうな人を見るような目つきは!!」


 武が振り向いた先には、呆れたような悲しそうな眼差しで武を見つめる純夏の姿があった。


「タケルちゃん……そんな恥ずかしい言い訳するぐらいなら自首しなよ。」

「自首ってオレは何も悪いこと……って、おま、鼻から信じてねえな?!」

「いや、信じろと言われてもだな……例えそれが本当だったとしても、私ならもっと信憑性のある『ウソ』をつくと思うぞ?」

「――ま、神宮司教官まで?!」


 思わず悲鳴を上げる武。


「えーっと白銀……だったわよね?」

「はいっ!」


 最後の希望とばかりに、武は凝る様な視線で夕呼を見つめた。


「私の知り合いに優秀な脳外科医がいるんだけど、紹介状、いる?」


 めったに人に見せない心配そうな顔付きで武に声をかける夕呼。 武は膝から崩れ落ちた。


「あーあ、タケルちゃんいじけちゃった。」


 まるで人事のように純夏は呟く。


「うーむ、見たところ特に怪しい点はないように見えるのだが……。」

「さっき言ったところ意外は、ね。」


 まりもの言葉に付け足す夕呼。


「まあ私もコイツが何か企んでるとかそういうこと考えてるわけじゃないけど……でも今のは流石に『傑作』だったわね。」

「それって嫌味ですか?」

「あら、それ以外に聞こえる?」


 武のジト目をあっさりかわし、返す刀でさらに追い討ちをかける夕呼。


「うばーーー、誰かオレに優しくしてくれーー!!」


 はたして、武の魂の嘆きを聞き入れる者は、この教室内に誰一人として存在しなかったのであった。



[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第一章 第三話 入隊 ~Don't cross a bridge till you come to it!~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:9b750810
Date: 2008/12/18 23:46
12/12 誤字修正
12/18 加筆修正


「さて、と。 じゃあ、仕切り直しといきましょうか。」


 武が床に沈没してから数分後、ようやく彼が立ち直ったのを待って夕呼の話は再開された。 何時もなら沈んでいる間に話を進めてしまうのが彼女のやり方なのだが、いったいどうしたことだろうか? と首を傾げる武。


「何でワザワザ私がこんなところに来たって、本題はこれからなのよ。 さっきも言ったけど、私のことを知ってるとかそう言ったことは実際どうでも良かったわけ。」


 吐き捨てつつ、ポカンと間抜け面を晒している武を睨みつける夕呼。 じゃあなんでワザワザそんな話を切り出したのか? などと突っ込めるほど、武は命知らずではない。 第一、何時も理不尽な理由で――少なくとも武はそう思っている――酷い目にあっている身からすれば、この程度どうということは無かった。


「……ふんっ、全く、アンタのせいで余計な時間食っちゃったじゃないの。」

「す、すみません。」


 険悪な空気を纏う夕呼に、武は素直に頭を下げた。 ここで反発しても何の得も無い。 こんなくだらない事で無益な争いをして、いったいなんになるだろうか。 頭一つで済むのなら安いものである。

 幸い夕呼も武の反応に一応満足したらしく、嫌味の一つもなく武から視線をそらした。


「さてと、これ以上は本当に時間がもったいないからさっさと本題いくわよ? ――アンタ達2人とも強制徴兵、拒否権は無し、以上!!」


 夕呼は言うべき事は全て述べたとばかりに満足げな表情を浮かべ、くるりと体の向きを変え歩き出す。

 突然のことに皆呆けて反応が出来ない。 一様に夕呼の後姿を凝視するのみで、その間にも夕呼はどんどんと進んでゆく。


「……ま、待ってください香月博士!! そんな話、私聞いてませんよ!!」


 精神の再構築をいち早く済ませたまりもが、今にも教室を出て行こうとしていた夕呼をすんでで呼び止めた。


「当然でしょ? だから今話したんじゃない。」


 あっけらかんと言い返す夕呼。 全くもって悪気が見えないあたり、いかにも彼女らしい。


「――っ! まだ2人とも今年で15なんですよ?! そんな子供を――」

「あら、斯衛では15才でもう戦場に出るそうよ? 優秀な人材を野放しにしておけるほど、人類に余裕が無いのは貴方も知っての通りでしょ?」


 激高するまりもに、夕呼は凍りつきそうなほど冷たい眼差しを向ける。 それは仮にも友人に向ける類の視線ではなかった。 まりもは思わず息を呑む。

 良識とか常識とか、そういったものは『香月博士』にとって何の意味も持たない。 己の利益になるか、ならないかの二者択一……そんなロジック的な思考をしているのが『香月博士』である。


「……それともまりも、アンタは2人をスパイ容疑で逮捕して尋問にかけたほうが良いって言うの? むしろそっちの方が私は『カワイソウ』だと思うけど。」


 苛立ちを隠そうともせず切り返す夕呼。 良識に『良識』で返すあたり、随分とえげつない。 まりもはこんどこそ閉口した。 変わって素っ頓狂な叫び声を上げたのは純夏だ。


「スパイ容疑で尋問?!」


 目を皿のように丸くして叫ぶ純夏。 武は思わず耳を塞いだ。


「そうよ。 貴方自身は本来なら別に何の問題もないんだけど、貴方の連れがおかしな行動をしてくれちゃったからね。 『カワイソウ』だけど、その時は私を恨まないでよ?」


 それを聞くなりギンと武を睨みつける純夏。 申し訳なさで、武は体を萎縮させた。


「――でももしこのまま軍隊にいてくれるなら、別にそんな強硬手段取る必要も無くなるんだけど……。 まあ、どうしてもイヤって言うならしょうがないわねえ。 でも考えて見なさいよ、どうせ3年後には2人とも徴兵されるのよ? そうだ……いまなら特別待遇で入隊させてあげてもいいわよ?」

「……特別待遇?」


 その響きに惹かれたのだろう、純夏は思わず呟いた。 夕呼はしめたとばかりに一気に捲くし立てる。


「そう、特別待遇。 部屋は仕官用の部屋、ユニットバス付き。 訓練には一流の教官を付けてあげるし、もし無事任官できたら特別にスーパーエリート特殊任務部隊に入れてあげてもいいわよ?」


 スーパーエリート特殊任務部隊……A01のことなんだろうが、だったらあんまりオススメできないような……。 武はぼんやりと考える。 隊員は確かに誰もが優秀なのだが、任務が余りにメチャクチャなのだ。 夕呼の私兵団といって過言では無い秘密部隊、ある意味全世界で『サイキョウ』の部隊だ。 当然欠員率もハンパじゃなく、加えてどんな過酷な任務で死んでも事故死扱いなのだから、正直浮かばれない。


「あ、ちなみに3年後国から正規に徴兵された場合の待遇は、まず間違いなく部屋は男女混合の6~12人部屋で、もちろん風呂は共用でしょうね。 訓練は……そうね、鑑ほどの容姿があればオヤジ教官が文字通り手取り足取り教えてくれるじゃないかしら? 任官後のことまではわからないけど、ま、『死の八分』を乗り越えられれば何とかなるんじゃないの? 乗り越えられればね。」


 武の記憶が正しいとすれば、夕呼の言っている『普通に徴兵』された場合の待遇はほとんど事実だった。 いつか他の隊の衛士からそんな話を聞いた覚えがあったのだ。 それにもし違っていたとしても、今回ばかりは夕呼に加勢せざる終えなかった。 徴兵を前にして軍隊に入隊できるこの千期一隅のチャンスを見逃すことなど、彼には出来なかったのである。


「……わかりました、やります!!」


 武は思い切って声を張り上げる。


「ええ~?! ちょっとタケルちゃん!!」

「なあ純夏、考えてみろよ。 おまえは惨めな最期を遂げるのと、人類のヒーローになるのとどっちがいいんだ? その他大勢のやられ役とオグラグッディメンのどっちが良いんだ!?」

「……なんか例えがどっちもいやだけど……う゛~、タケルちゃんがそこまで言うなら……。」


 とは言いつつまんざらでもない様子の純夏。


「よし! 良く言った、オグラグッディメン!!」

「だ~か~ら~、オグラグッディメンは止めてっ!!!」

「グッバイキンッッ!?」


 武の体に再び突き刺さる『どりるみるきぃぱんち』。 ―――だから、おまえはオグラグッディメンなんだって!!! 武は腹に走る激痛に悶えながら心の中で悪態を付いた。


「さて、話も纏まったところで私は早速手続きを済ませてくるわね。」


 そう言い残して、夕呼は今度こそ教室を後にした。


 残された武達2人に、まりもはややあって声をかける。


「本当に良かったの? 貴方達。」


 その声色は穏やかで、心のそこから武達を気遣ってのものに違いなかった。 その姿に『神宮司先生』の面影を見つけた武は、やはり彼女は彼女なのだと頬を緩ませた。


「ええ、元はといえばオレが変な行動を起こしたのが原因ですし……。 それに、生身でBETAと戦うよりは、戦術機に乗ってたほうがまだ生き残れる可能性がありますから。」


 おどけた様子で答える武。 『恩師』である彼女に、これ以上心配をかけたくなかったのだ。 ところが、武の思惑とは全く逆に、まりもはそれを聞くなりハッと息を呑んで、表情をより翳らせてしまった。


「えっと……純夏、オレまた何かへんなこと言ったか?」


 思わず小声で幼馴染に確認を取る武。


「え? 別に今のは普通だったと思うけど……う~んでもちょっとおおげさだったかも? でもさっきのよりはずっとマシだったよ。」

「……ごもっともで。」


 なんだかんだと歯に衣を着せない感想を返す純夏に、武はゲンナリと答えた。


「――ごめんなさい。」


 やがてまりもは沈痛な面持ちでそう言った。


「え?えっと……。」


 事情を飲み込めず目を瞬かせる武。


「私達大人がもっとしっかりしていれば、貴方達を戦場に出さずに済んだかもしれないのに。 ――『戦術機の中の方が安全。』まさかそんな言葉を貴方達に言わせてしまうなんて、ね。」


 武はそれを聞いて、己が何を言ってしまったのかようやく気がついて顔をしかめた。 すくなくとも、彼女を前にして言って良い言葉ではなかったはずだ。 『日本本土は、日本海が守ってくれるから絶対に安全だ。』というのが、この頃の一般常識なのである。

 武は『2001年』における『軍部』の、それも『衛士の立場』から常識を述べたに過ぎないが、現在の段階では軍人含め日本国民の大半が本土の安全神話を信じていたし、まして志願を念頭に入れているものなど全体の1~2%に満たなかったのである。 この国民レベルでの認識の甘さが、BETAの九州侵攻を押さえ込むことが出来なかった原因の一つなのだが……。


「……神宮司教官、タケルちゃんの頭がおかしなだけですから、そんな気にする必要ない――イッター!!!」

「純夏、いくらなんでも『頭がおかしい』ってのは酷いんじゃねえか?」


 まりもを元気付けようと明るく振舞う純夏。 彼女の意図を理解した武も、それに便乗して何時も通りの『返事』を返した。


「イタタタタ……もうタケルちゃん、ちょっとは手加減してよ! 私これ以上馬鹿になったらどうすんのさ!!」

「ふん、これぐらいでお前は丁度いいんだよ。 それに叩けばちょっとはマシになるかもしれねえだろ?」

「ムッキー!! 私を古い電化製品と一緒にするな!!」


 顔を真っ赤にして本気で怒り出す純夏。 おいおい、冗談だって念じるも、残念ながら武にESP能力などあるはずが無い。 次の瞬間には純夏の拳が腹部に突き刺さり、肺の空気が全て外に押し出された。


「……ふふ、貴方達は強いのね。」


 2人のやり取りに、微笑を浮かべてまりもは呟いた。 どうやら目的は達成したようである。 武は思わずホッとした。


「――そうだな、おまえ達がそれで私がこんなザマでは教官として失格だな。 ……おまえ達、もし何か困ったことがあったらいつでも相談に来るんだぞ、こんな私でもよければなんでも相談に乗ってやろう。」


 そう締めくくってニヤリと笑った彼女は、武の知っている何時もの『神宮司軍曹』の顔であった。 『神宮司先生』の面影が消えてしまったことを少々残念に思いながらも、武はしっかりと頷いた。


「――はい、よろしくお願いします!」

「よろしくお願いします!」







 夕呼と入れ替わりに入ってきた金髪美人秘書、もといピアティフ技術中尉に連れられ、武達は今日仮に宿泊する部屋にまで案内された。

 施設内を移動すること数分。 ついた先にあった部屋はどうやら2人部屋のようだった。 部屋の左端に二段ベッドが置かれ、奥にはロッカーが二つ。 反対の隅のほうには小さな机が備え付けられていた。


「タケルちゃーん。 私上で寝ていい?」


 お泊り会に来た子供のようにはしゃぐ純夏。 すっかり現状を忘れてしまっているらしい。 こんなのでこの先大丈夫なのだろうかと、武は頭痛を覚えた。


「はあ、好きにしろ。 寝ぼけて上から落ちてくるなよ。」

「ぶう、私そんなにドジじゃないもん!」


 頬を膨らませて怒る純夏を、武は「……今朝、階段から愉快に転がり落ちたバカは誰だ?」とバッサリ斬って捨てた。


 それからしばらく部屋で今日の出来事について話していると、まりもが軍隊の決まりごとや入隊宣誓などがかかれた冊子を持って現れた。 しかも、『明日までに全部覚えろ』というありがたい宿題付きだ。 その冊子のあまりの分厚さに、純夏は顔面蒼白で固まってしまう。 まりもはそんな彼女の様子に苦笑して言った。


「今日は本当にご苦労様だったな。 いろいろあって疲れただろう、きちんと休養はとっておくんだぞ。」

「はい、わかりました。」


 ドアノブに手をかけた姿勢のまま、「ああ、それと……。」と武達の方を振り返るまりも。


「明日、入隊してからは覚悟しておくことだ。 たとえ15歳とはいえ、手加減は一切するつもり無いからな。」


 ニマアと笑ったその顔は、先程の優しさなど欠片もない、鬼コーチのそれだった。 武達の俄然とした表情に満足したのか、まりもはそのまま固まった2人を放置して部屋を後にした。







「ねえ、タケルちゃん。」


 夕食を終え、夜ベットで休んでいたところ、突然思い立ったかのように純夏が声をかけてきた。


「……なんだよ、純夏?」


 武は眠たい目を擦りつつ返事をする。 「あ、ごめん、寝てた?」と、ベッドの上からひょっこり顔だけ出して尋ねる純夏。


「いや、で、オレになんか用事でもあんのか?」

「用事って言う程のことは無いんだけどさ、毎晩こうするのが習慣っていうかなんて言うか……。 タケルちゃんの顔を見てからじゃないと落ち着いて眠れなくって!」


 純夏の返答に、何だ? 純夏は自分の顔を見ると眠たくなると、そう言いたいのか? と、少しムッとする武。


「じゃあオレの顔はもう見たから良いな、おやすみ。」

「わぁ~~!! 寝ちゃダメェ、もうちょっとお話しようよお!!」

「……まどろっこしいこと言わずに最初からそう言えって。」

「むう、タケルちゃんは乙女心が分かってないよ!」


 ようするに純夏は『察しろ』と言いたいらしい。 いつ頃からかよく使うようになった言葉だが、正直、純夏が乙女と呼べるかどうかについては、まだ微妙なところだと武は思っている。


「オレは男だ、んなもん永久に分かってたまるか!」

「そんなだから、タケルちゃんぜんぜんモテないんだよ!!」

「よ、余計なお世話だ!!」


 売り言葉に買い言葉、それが2人の『いつも』のコミュニケーション方法。 と、何故かそれきり会話が途切れ、辺りを静寂が支配した。

 しばらくお互い黙り込んでいたが、やがて純夏の方から口を開いた。


「……ねぇ、タケルちゃん?」

「……ん?」

「私達、これからどうなるんだろうね?」


 やはりそう来たか。 武はある程度予想していた……いや、予想以上の反応に、ある意味胸をなでおろした。 純夏はちゃんと自分の現状を受け止めている。 その上でこれからどうなるのか、不安に思っているのだろう。 『過去の自分とは大違いだ。』と、思わず自嘲する武。

 ――これからどうなる、か。

 武は思いをめぐらせる。 今回のことで図らずしも『避難の途中でBETAに捕縛される』という未来は回避できたかもしれない。 だがその代わり、全くと言っていいほどこれから先の未来が見えなくなってしまった。 今彼が確実に分かっていることは、『衛士訓練生』になったという事実のみ。


「どうなるって……明日から地獄の訓練が始めるんだろ、どうせ?」


 仕方なく、武は冗談半分にそう答えた。 「う゛……。」とうめき声で持って答える純夏。


「――てえ、そ、そうじゃなくて。」


 となると、それよりももっと先のことだろうか? 武は考える。 未来はもう武の知っている未来と同じとは限らないし、逆に同じであるほうが彼にとっては不都合であった。 何故なら、武の『記憶』の大部分が『己の死』を前提として成り立っているためだ。

 武とてむざむざ死ぬつもりは無いし、例え自身の犠牲で世界が救われる可能性が高いとしても、それは彼の身近なものの死、そして己の消滅と引き換えなのだ。


「そりゃ……任官してBETA共と戦うんだろ?」


 このくらいが妥当な線だろうと、武はそう答えた。 「うーんちょっと違うんだけどなあ……。」と困ったように呟く純夏。


「……そう言えば、タケルちゃんは怖くないの?」


「ん? なにが?」


 質問に質問で返す武。


「BETAと戦うことに決まってるじゃん。」


 若干イラついた様子で純夏は答えた。 当然武とてBETAは怖い。 他のどんな衛士、否、人類よりも武はBETAという存在の本質を知り、恐怖している。 大切なモノを汚され、奪われ、己の命までも幾度となく……。


「そりゃ怖えよ。 あんな気色悪いうえに数だけは無駄に多くて……ああ、イヤだ。」


 苦虫を噛み潰したような表情で武は吐き捨てる。 そんな彼の様子を不審に思ったのだろう、純夏は不思議そうに尋ねた。


「……ねえタケルちゃん、さっきから思ってたんだけどさ、タケルちゃんBETAに会ったことでもあるの? なんかまるで自分の目で見てきたみたいな口ぶりだけど……。」

「えっ? ……あ、いや、さっきまりもちゃんから聞いたんだよ。 ほら、トイレ行ったとき、偶然廊下でばったり会ってだな。」


 しどろもどろに答える武。 純夏は探るような目線で武を見つめた。


「神宮司教官から? 本当に?」

「だ……だったら逆に聞くが、まりもちゃんから教えてもらったんでなきゃ何でオレがBETAのことなんて知ってるんだ?」

「タケルちゃんのことだから口からでまかせかもしれないじゃん。 アイタッ!!」


 武は思わずスリッパで持って彼女の頭を引っぱたいた。 半分図星だったがために、余計腹が立ったのだ。


「んなつまらん嘘つくかっ!!」

「……それ言うんだったらさっきのアレ、どう説明するのさ?」


 アレとはつまり『夢がどうたら』というあの件のことだろう。


「だからアレは本当――」

「ふん、いくら私が馬鹿だからって、騙されないからね!!」

「誰もおまえが馬鹿だなんて一言も言ってねえだろうが。」

「どうだかね!!」


 そう言ってむくれる純夏。


「――あ、ひょっとしてお前、オレが『オレよりも馬鹿だ~』って言ったことまだ気にしてんじゃねえだろうな?」


 どうやら正解らしい、純夏はプイッと武から顔を逸らした。


「ったくお前はなあ、あんなの言葉のあやに決まってんだろ? バーカ。」

「あーーー!! また馬鹿って言ったー!! ……なんちゃって……アハハッ、タケルちゃんと話してたら、私なにが不安だったのか忘れちゃったよ。」


 純夏は笑いながら言った。 武は突然の展開についていけずボケッと呟く。


「はあ……?」

「な、なんでもない、おやすみ!! ……あ、やっぱりちょっと待ってタケルちゃん、もう一つだけ聞きたいことがあるの!!」

「なんだ?」

「私達さ、これからもずっっと一緒だよね?」


 その問いに、武は思わずふっと笑いを漏らす。


「……そんなの当たり前だろ?」

「そっか……。」


 純夏は安心したように呟いた。




「ってそうそう、タケルちゃん、入隊宣誓や隊規とか軍規ってちゃんと暗記したの?」


 心配そうに尋ねる純夏。 ――人が折角シリアスやってたってのにこいつは……。 ありがた迷惑だ、と、武は舌打ちする。


「――当っったり前だろ……」

「今の間って何さ? ……さてはタケルちゃん、まだ覚えてないんでしょ!!」


 「もしタケルちゃんが間違えたら、恥じ掻くのはタケルちゃんだけじゃなくて私もなんだよ!?」と言って武のことを指差す純夏。


「心配するな、純夏じゃねえんだから、もうちゃんと覚えてるって。」

「それってどういう意味さ!!」

「ん?だっておまえ、まだ覚えてないんだろ?」


 さも当然と武は答える。


「ムッキーーー! 何でそんなこと分かるのさ!?」

「純夏だから。」


 とどめの文句を武が言ったとたん、純夏はプルプルと震え出した。


「―――タケルちゃんの、バカ――!!」


 純夏はハラリと二段ベッドの上から飛び降り、地面に着地した刹那、その拳を振りかぶった。 この運動神経が平時にも生かせればいいのだが、生憎彼女の才能は武に突っ込むときのみに発揮される。 迫り来るこぶしを眺めながら、武は必死に次の吹っ飛び台詞を考えた。


「ストレルカッッッ!?」


 ――『ストレルカ』。 ソ連生まれの、人間よりも先にロケットに乗って宇宙飛行してきた犬の名前である。 地球帰還後にストレルカが生んだ子犬の内一匹は、アメリカ合衆国大統領にプレゼントされたとかなんとか……。

 武はその日、成層圏でストレルカと戯れる夢を見た。






 翌日、朝食の後すぐ講堂で執り行われた入隊式は恙無く終了した。 とはいえ、入隊式と言っても列席者は基地司令をはじめとする基地関係者数人とまりも、そして武達2人といった大変質素なものだったが。

 式典終了後、武達2人は207B教室へと一路向かった。 まりもからそこで待機するよう指示を受けたのだ。 なんでもこれからのことについて詳しく説明があるらしい。 その教室への道すがら、純夏は意外な人物を目にし、思わず足を止めた。


「あ、ピアティフ中尉だ。」

「ん? ピアティフ中尉だって?」


 武は釣られて前に視線を戻す。 なにやら大きな紙袋を両手に提げ、207B教室の戸を開こうとするピアティフの姿が目に映った。


「――ピアティフ中尉、どうなされたんですか? 神宮司教官に何か御用でしょうか?」

「丁度良かった、白銀訓練兵、鑑訓練兵、香月博士がこれを貴方たちに渡すように、と。」


 ピアティフはそう言って大きいだけでなく、やたら重い紙袋を2人に押し付けた。


「……っ!!」


 純夏が袋の中身を見て声にならない悲鳴を上げる。 中にはこれでもかと言うほどビッチリと何がしかの本が詰め込まれていたのだ。 昨日彼女は分厚い冊子を一冊丸暗記したばかり。 もう本などしばらく目にかかりたくなかったことだろう。 真っ白になってしまった彼女に同情しつつ、武は一番手前にあった本を手にとり、その背表紙を何とはなしに読み上げた。


「古典……ってん? 古典??」


 他にも数学、物理、現代国語、etc...なんと袋の中に詰め込まれていた書籍は殆どが所謂教科書の類だった。


「あの……ピアティフ中尉、これっていったい?」


 武は訝しげな様子でピアティフに尋ねた。 その問いに煮え切らない表情でピアティフは答える。


「貴方たちには、基地内でも教育を受けてもらうことになったそうです。」

「……はい?」


 その突拍子も無い内容に、武は思わず間抜けな声を漏らした。


「なんでも流石に15歳以下の子供を徴兵することには政府も難色を示したそうで……。 話し合いの結果、基地が責任を持ってあなたたちに教育を施すということで決着を付けたらしいです。 詳しい事情は私にも分からないのですが……。」


 ピアティフはそう補足して溜息をつく。
 

「でもでも、斯衛の人たちは15才から戦場に出るって昨日香月博士言ってませんでしたっけ?」


 純夏は納得いかない様子で言った。 それに相槌を打つ武。 ピアティフは「それは事実そうなのですが……。」と答え肩をすくめる。


「斯衛の大半が武家、或いは公家出身の方々なのは2人ともご存知の通りかと思います。 戦となれば率先して戦い、国民を命がけで守るのが元々彼らの『使命』なのだそうで。 ……守られるべき国民にはその義務も権利もない、と言うのが彼らの言い分だそうです。 ――香月博士もその考え方には猛抗議なされたそうなのですが……。」


 ―――全く、どんな理屈だよ。 政府の言い分に、武は怒りを通り越して呆れを覚えた。 幼い人命を尊んでいるあたり、BETAによって滅亡の危機に瀕している諸外国に比べ、まだ日本には余裕があるという証拠であるし、民を大切にするその態度には武とて好感が持てたが、後半の部分に承服しかねたのだ。 華族だろうが一般人だろうが、人類滅亡を前にしてそんなものは関係ないだろうに、というのが武の認識である。 まあ安全神話が公然とまかり通っている『今の』日本の認識など所詮それまでなのだろう。

 一方でまた武は、安全神話云々抜きでも己のこの考え方が、恐らく『大日本帝国』と言う国においては異端であろうことは重々理解していた。 だからあえて口にしなかったし、彼には珍しく心の内だけにとどめたのだ。 彼の良く知る『日本』とは違い、大政奉還が行われたにせよ幕府に実権が残り、しかもその体制が戦後もそのまま続いたこの『大日本帝国』においては、未だ色濃く士農工商思想の影響が残っているのである。

 武は改めて自身は『日本人』では無いのだと実感した。


「え~!? じゃあ私達、普通の勉強と衛士になるための勉強、両方一緒にやんなきゃいけないの!?」

「恐らく……そういうことになるかと思います。」


 ピアティフは言いにくそうに答えた。 がっくりと肩を落とす武と純夏。

 「……じ、じゃあ、私はそう言うことで。」そう言い残して、武達の視線から逃げるように足早にその場を後にするピアティフ。 彼女が去った後2人の前に残されたのは、大量の教科書の山。


「タ~ケ~ル~ちゃ~ん、タケルちゃんの責任なんだからねぇ~。」


 「どうしてくれるのさー」と、武に詰め寄る純夏。


「いや、オレじゃなくて夕……香月博士だろ?」


 純夏のジト目に耐えかねて視線を逸らす武。


「むう……まあそれは、そうなんだけどさあ。」


 純夏はガクリと肩を落とした。
 

「あう゛~……でもそういえばタケルちゃん、軍隊のなかで先生出来そうな人……っていうかむしろ教員免許なんて持ってる人居るのかなぁ?」

「免許持ってるかどうか知らねえけど、適任そうな人なら昨日お世話になったばかりだな。」


 と言うよりも、彼女以外に適任な教官等居ないだろう。 外部からわざわざ呼び込むわけにも行かないだろうし……。

 深く溜息をつく2人。 窓から見える、どこまでも続く雲一つ無い澄み渡った空が、妙に恨めしかった。







「あ~、なんというか……ここは『ご愁傷様』と言っておくべきなのかな?」


 開口一番にまりもはそう言った。


「まりもちゃんがそれを言ったらお仕舞いじゃないですか……。」


 ゲンナリとした様子で武はそれに答える。


「白銀、上官侮辱で腕立て50。全く貴様、上官への口の聞き方には気をつけろ。」


 「まあ大方香月博士の口調が移ってしまったのだろうが。」と内心溜息をつくまりも。 いい加減夕呼にも軍属と言う立場である以上、公の場だけでも軍規に従って欲しいものだと憤りを覚えた。


「白銀、香月博士は私の上官、一方貴様は訓練兵、つまりは一兵卒だ。 公の場では『神宮司軍曹』または『軍曹』と呼びたまえ。軍規は軍規だからな。」

「す、すみませんでした。」


 素直に頭を下げる武に「もしそんなにも私のことを『まりもちゃん』と呼びたいなら、ココを立派に卒業してからにするんだな。」と言って不敵に微笑むまりも。

 一方で武は己がまた「まりもちゃん」と呼んでしまった事に激しい自己嫌悪を覚えていた。 もう二度とまりもちゃんとは呼ばない……それが己の『甘さ』との決別だと思っていたのに――本人を前にしたとたんこのざまだ。 また自分は繰り返そうというのか? 武は腕立て伏せをしつつ、己を戒める。


「……とまあこのように、『普通』の授業とは言え、甘えは許さんからそのつもりでな。 おまえ達2人を腑抜けのまま戦場に送り出すわけにはいかんのだ。」


 戦場では『甘え』がそれこそ命取りとなる。 対BETA戦争においてはまさにそうだ。 年齢など関係なしに、油断したものから命を落とす。 それが戦場における不動の掟。


「その代わり私も一教師、一教官として、全力を持っておまえ達を鍛え上げるてやるつもりだ。」


 まりもは半分自身に向かってそう言った。 それこそが自分の『贖罪』であり、課せられた『責務』なのだ。


「ああまりも、ちょっといいかしら?」


 突然姿を現したこの騒ぎの元凶。 昨日といい今日といい、全くタイミングが良すぎる。 「ま、またなの?」思わず小声で呟くまりも。


「ねえねえタケルちゃん。」


 純夏はこっそりと武に耳打ちした。


「なんだ、純夏。」

「……ひょっとして香月博士って、いつも出番待ちしてるのかな?」


 ジッと廊下でタイミングを窺っている夕呼の姿を想像し、武は思わず噴出した。


「そこっ! 何2人でコソコソと話してるの?」

「わっ、す、すみません。」


 ば、ばれた。 慌てて姿勢を正し、謝る純夏。


「鑑! 特に白銀、貴様には先程言ったばかりだろうが!!」

「っ、申し訳ありませんでした!」

「――あ~、まりも、良いの良いの、別にそこまで気にしてないから。」


 手をひらひらさせながら、夕呼はまりもを宥めにかかる。 別に武の身を案じているわけでなく、ただ単に自分が面倒くさいのだ。


「ですが……。」

「もう、私が良いって言ってるんだから良いじゃない。」


 尚も食い下がるまりもに、面倒くさそうに答える夕呼。 夕呼が関わると軍規もへったくれもないと、まりもは肩を落とした。


「そうそう、話を元に戻すけど、まりもが授業を持てない時は私が授業を担当することになったから、よろしくね?」


 そんなまりもの気苦労を他所に、サラリととんでもないことを告白する夕呼。


「えっ!? ――こ、香月博士! そういう大事なことは事前にお知らせしていただくよう、いつも言ってるじゃありませんか! それにご自身のお仕事はいったいどうなさるおつもりなんですか!?」


 目を真ん丸くして驚くまりも。 彼女の言う通り夕呼の本職は研究、教育とは全く接点が無い。


「大丈夫よ、まりも。 最近私暇なのよね~、理論の研究だったらそれこそどこだって出来るし、別に問題ないでしょ?」


 何が大丈夫なのか良く分からないが、夕呼先生はしれっとそう答えた。 ――そうか、理論の研究はどこでも出来るのか……ってそうじゃない! 武は危うく乗せられそうになった己を責叱する。 彼女には世界を救ってもらわなければならないのだ。 自分達相手に油を売られていたのではたまらない。 効率主義の彼女が、一体全体どういう風の吹き回しだ……? 理由を考えようとして、刹那武は思考を取りやめた。 考えるだけ無駄だと、今までの経験が武に語りかけたのである。 一見無駄に見える行動でも、それは綿密に計算された上での行動のはずである。 とりあえず、今は彼女を信頼するほかあるまい。 

 全く、彼女の教えを請うのは何十年ぶりだろうか? 振り返ってみると、なんと最近まで彼女の授業を普通に受けていたことに気がつき、武は面食らった。 そういえば、自分がこの『狂った』世界に『生まれて』からまだ数年も経っていないのだ。 それが何故だろう、もう随分と前のように感じられる。 いったい彼女に何を教わっていたのかも、今となってはほとんど思い出せない。

 まあそんなことはともかく、いかに現在平時だとは言っても、夕呼にはその身分に応じたそれなりの仕事があるはず。 それが『暇』だとは一体どういうことなのだ? ひょっとして、ピアティフ中尉に雑務は全て押し付けているとか、そういうわけじゃないだろうな?

 ――まさかな。

 武は嫌に現実味のあるその妄想を、必死に頭から振り払った。


「さて、それじゃあ明日からの予定を組まないとね。」

「あの博士、失礼ですが―――」

「あ、それアンタの予定表? ちょっと貸してね。」
 
「え、あの、ちょ、ちょっと!?」


 回りを巻き込みながら、あくまで自分のペースを崩さず突き進む夕呼。 完全に夕呼のペースに巻き込まれてしまった3人は、もう呆然と事の成り行きを見守るしかなかった。

 まりもの努力と夕呼の気まぐれにより、『体育』は正規の衛士訓練兵達と合同で午前中に、午後は『普通授業』を5時間程行うことになった。 座学は毎日プリントが配られ、それを元に自主学習し、夏季試験で合格すれば免除、不合格なら半年後『体育』の変わりに行うことになるらしい。


「タケルちゃ~ん、ハードすぎだよこれって。」

「ああ、オレも正直そう思うぞ。」


 武と純夏は互いに顔を見合わせ、揃ってため息をついた。




[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第一章 第四話 笑顔 ~Take the bitter with the sweet.~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:9b750810
Date: 2008/12/22 22:57
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 夕呼の提案により、武達は施設案内などレクリエーションは全てすっ飛ばし、野外訓練を受けることになった。 とは言っても先日の体験入学がまさにレクリエーションのようなものだったため、特にこれと言った実害は無い。

 早速作業着に着替え、グラウンドへと集合した2人。 程なくまりもの威勢のいい掛け声がほぼ無人のグラウンドに木霊した。 繰り返すようだが、本来なら訓練校は休校期間なのである。


「1,2……1,2……1,2……ぜんた~い止まれ!! ――鑑、3度も足踏みしてどうするんだ!! 全く貴様は行進すらまともに出来んのか?!」


 まりもの檄が飛ぶ。 先日とは桁が違うその迫力に、一瞬ビクッと硬直する純夏。 たしかに、このギャップは驚くよなあ、と、武は彼女の様子に己の過去を照らし合わせながら苦笑した。


「すみません!!」


 慌てて謝る純夏に、まりもは「ふんっ、まあ良い……。」と鼻を鳴らす。


「さて、おまえ達には年齢という面でハンデがある。 だからといって他の訓練生の足を引っ張ってもらったのでは非常に困る。 よって、おまえ達にこの一週間で少なくとも訓練兵のレベルまでは体力を引き上げてもらう。 早速グラウンド20周行くぞ!」


 有無を言わせぬ勢いでまりもは叫ぶ。 下手な行動を起こせば罰が下ることは武の犠牲によって証明されていたため、もとよりやる気の十分な武は勿論、純夏も嫌々ながらも走り出した。


「私に遅れるなよ? もしどちらかでも遅れたら、さらに10周追加するぞ。」


 まりもは低い声色で武達を脅す。 こう言われてしまっては、あまり気が進まない純夏と言えども本腰を入れて走らざるおえない。 しかし、いくら気持ちがあっても基礎体力の問題は如何ともしがたく、3周目を迎える頃には、純夏はすでにまりも達から10m程引き離されてしまっていた。


「鑑訓練兵、遅れているぞ!! 10周追加されたいのか!?」


 流石に10周追加は勘弁願いたい。 武は顔を青ざめさせた。 前回とは違い、己の体は正真正銘ガキの体なのだ。 全く、前回の鋼のように鍛えられた体が懐かしい。


「おいっ、純夏!」

「そ、それだけは勘弁してくださ~い!!」


 どうやら10周追加は純夏も勘弁してもらいたいらしい。 涙混じりにそう叫ぶと、先ほどの倍の速度で走り、まりもに追いついてきた。







「……ほぅ、おまえ達、付いてこれたか。」


 訓練開始からおよそ一時間後、そこには不敵な笑みを浮かべ呟くまりもの姿があった。 そんな彼女の目の前では、武と純夏が膝に手をつきながら呼吸を整えている。 2人とも肩で息をしているとはいえ、その表情からはそこまでの疲労は見て取れない。

 日ごろから鍛錬を重ねていたのだろうか? ならばそれに合わせたカリキュラムを組んでやるべきだろう。 ニヤリとした笑みを浮かべるまりも。 その笑みに気がついた純夏は本能的に後ずさり、武は口元を引きつらせた。


「……よし、まだ余裕がありそうだな。 鑑訓練兵、白銀訓練兵、腕立て、背筋、上体起こし、スクワット各30回2セット。 終わらせたら、グラウンドをもう一度20周して来い!!」

「じ、神宮司教官、流石にそれはいきなり無理ですよ!?」


 「無茶苦茶だ!」と、思わず悲鳴を上げる純夏。 確かにまりもが言う程度の事は軽くこなさないと、訓練兵としても失格だ、だが……。

 ――明日、ベットから起き上がれるのか?

 訓練当初の、全身に針金が通ったような痛みを思い出し、武は身震いした。


「泣き言は聞かんと言ったはずだ! ――いや、そうだな、もしも時間内に終わらせたら褒美にいいところへ連れて行ってやろう。 だがもし時間内に終わらせられなかったら……さらにもう1セットだ。」


 鬼教官の名は伊達じゃない。 初日から半端無い内容を突きつけるまりもに、苦笑いを浮かべる武。 それでこそやりがいがある。 などと思えるあたり、まだ余裕があるのかもしれない。

 一方の純夏と言えば可哀想に、そのあまりに過酷な訓練内容に言葉を失い、硬直してしまっている。


「もう、こうなったらヤケクソだ~~~~!?」


 突然絶叫すると、猛然と腕立て伏せを始める純夏。 過剰分泌されたアドレナリンと精神的負担が相まって、ついにラリってしまったようだ。 こんなペースで、最後まで持つのか? 武は勿論のこと、命令を出したまりもさえも、半ば同情の視線を彼女に送った。

 ……結論を言ってしまえば、2人の心配は杞憂に終わった。 純夏は全工程を見事時間内に、しかも余裕を持ってこなしてしまったのだ。 もちろん武も一応時間内には終わらせることが出来たのだが――。


「う~む、……恐るべし、純夏。」


 思わず呟く武。 ある種の尊敬の眼差しでもって、傍らに大の字で転がっている汗だくの少女を見つめた。 彼は、幼馴染に対する評価を改めざるをえなかった。







 ――抜けるような青い空。 立ち並ぶ商店街。 そこを行き交う人々の目に、まだ絶望の影は見えない。


「……?」


 ニヤニヤしながら歩く武を、純夏は気味悪そうに見つめた。 しかし武はそんな彼女の目線には全く気づいていない様子で、未だ活気ある町々を眩しそうに眺めている。

 そう、今、武達は基地の外にいた。


 ――『さておまえ達、ご苦労だったな。約束どおり「良いところ」へ連れて行ってやろう。』

 そう言って上機嫌で武達を連れ出したまりも。 肝心の目的地は明かさずに、ズンズンと前に進んでゆく。 ついてからのお楽しみ、ということだろう。


「神宮司教官、一体これからどこへ?」


 昼食も抜いてきたので流石に疲れたのだろう、5分程歩いたところで、純夏がとうとう悲鳴を上げた。


「ん? ああ、もうそろそろだぞ。 そこの曲がり角を曲がったら目的地が見えてくるはずだ。」


 やがて差し掛かった曲がり角を右に曲がる。 そこから歩いてしばらく先にあったのは一軒の定食屋だった。 昔懐かしい平屋の入口に吊るされた暖簾に書かれていた文字は『京塚食堂』。 その中では、武もよく見知った人物が彼等の事を待ち構えていた。


「おばちゃん、お久しぶりです。」

「おや、まりもちゃん、まあ随分と久しぶりじゃないかい。 ちゃんと食べてるかい? PXの食事は余り上等じゃないようだけど。」


 「ああやっぱり。」武の口に自然と笑みが浮かぶ。 暖簾に書かれていた文字から大体予想はついていたが、当たるとやはり嬉しいものである。 割烹着姿の中年女性を前に武はそんな事を考えた。

 『京塚のおばちゃん』の愛称で衛士達に慕われる彼女。 鬼教官と恐れられるまりもの顔も、彼女を前にしては緩んでしまっている。 なんと、彼女には夕呼すら頭が上がらないと言うのだから、おかしな話である。

 店内はこじんまりとしており、L字型のカウンターテーブルに加えて普通の長テーブルが4つ、席は全部あわせても26程しかない。 店の大きさからは、やがてPX(食堂)という名の戦場を切り盛りすることになる凄腕のおばちゃんだとは誰も想像出来ないだろう。


「で、そこにいるお2人さんはあんたの教え子かい?」


 しばらくまりもと談笑していたところ、彼女の後ろにやたら小さな2人組みがいることに気がついて声をかける京塚のおばちゃん。


「え、あ、はいそうです。」

「『はいそうです。』じゃなくって、早く私に紹介しておくれよ。」


 「全く、いつまでたってもおまえさんは何処か抜けてるんだから。」と、屈託無く笑う京塚のおばちゃん。


「す、すみません……。」


 まりもはそう言って恥ずかしそうに頭を掻いた。 そんな2人のやり取りを、純夏はキョトンとした様子で眺めている。 さっきまでの鬼教官が形無しなのだから、武も笑いを堪えるのに必死だった。


「お、おまえ達!! さっさと横に整列しないか!!!」

「「了解。」」


 まりもは顔を赤らめ、恥ずかし紛れに言い放った。 顔がニヤつきそうになるのを必死に堪えながら武達は指示に従う。


「彼女の名前は鑑純夏。」

「鑑純夏です、よろしくお願いします!」


 ビシッと覚えたての敬礼を決める純夏。 本人は精一杯のつもりなのだが、何処か様になっていないのはご愛嬌と言ったところだろうか?


「そしてこの子は白銀武。」

「白銀武です。」

「2人共訓練部隊に配属されたばかりの新米です。 これから私が出来る限りのことを教えてあげようと思っています。」

「へぇ~! あんたが新入り連れてくるなんて珍しいじゃないか。」


 京塚のおばちゃんはニコニコ笑いながらそう言った。


「……そ、そうですか?」


 まりもは目を逸らして白を切る。


「まぁそんなことはおいといて。」


 京塚のおばちゃんはそう言うと純夏の方を振り向いた。


「ふ~む、こりゃまたあんた見事な赤毛だねぇ、純夏ちゃん。 へぇ~、しかも良く手入れされてるじゃないか。 これだけ長いと毎日梳くのに時間がかかるだろう?」

「あ、はい。」


 突然声をかけられ驚く純夏。 京塚のおばちゃんは、そんな彼女を安心させるように人の良さそうな笑みを浮かべた。


「純夏ちゃん、そんな畏まらなくたっていいよお。 髪は女の命だからねえ、これから訓練でよく汚れると思うけど、手入れを怠っちゃダメだよ? せっかくあんたの髪は綺麗なんだからねえ。」

「あ、ありがとうございます!!」


 自慢の髪を褒められ、純夏は嬉しそうに返事する。 純夏が髪を大事にしていることを一目で見破るとは、さすが京塚のおばちゃんだ、と、武は思わず感嘆の息を漏らした。


「さて。」


 そう言いつつ、京塚のおばちゃんがこちらに向き直った。 右腕がサッと横に伸びる。 はあ、やっぱり今回もそうなのか。 武は内心涙を流しながら、来るべき衝撃に備えた。


「……ッ!」


 重く鈍い音とともに、武の背中に激痛が走る。 一瞬よろめきそうになるも何とか武は踏ん張って耐えきった。


「ほう、今のを耐えられたかい。 武とか言ったね? なかなか立派じゃないか。 男だったら、ちゃんとこの娘のフォローもしっかりしてやるんだよ?」

「……わ、分がりまじだ。」


 背中がヒリヒリするのを堪えながら、武は何とか返答する。 毎度ながら痛烈な挨拶である。


「さて、あんた達、教官殿に扱かれて腹が減ったろう? 大盛りにしてあげるからじゃんじゃん食いな!! どうせ教官殿のおごりなんだろうから、遠慮するんじゃないよ!!」


 そう言って豪快に笑う京塚のおばちゃん。 まりもは苦笑しつつも、自覚があるためか否定はしなかった。


「私、鯨の竜田揚げ定食とラムネ!!」


 先陣を切ったのは純夏だ。 京塚のおばちゃんの言葉を聞くなり何の躊躇もなく注文をしたあたり、彼女も案外ちゃっかりした性格をしているのかもしれない。


「じゃあ、オレはサバミソ定食と玉露で。」

「私はいつものをお願いできるかしら?」

「はいはい、すぐ用意するからちょっと待ってなよ。」




 それから15分後、一行は京塚のおばさんの『本物を使った』料理を堪能した。




「美味い、美味すぎる……。」


 夕呼の以前言っていた『京塚のおばちゃんだから~』の言葉の真意を知り、武は思わず涙した。 一方で箸はその間も動き続けているのだから器用なものである。 その傍らで、純夏は幸せそうな顔でだれていた。


「うっぷ……おばちゃん、も~だめ、これ以上入んないよぉ。」

「本当にそうかい? 遠慮してんじゃないだろうね?」

「まさか、本当ですってば!!」


 これ以上食べさせられてはたまらないと、焦って手をばたつかせる純夏。 「冗談だよ!」と京塚のおばちゃんは豪快に笑った。

 
「ああ、それはそうと、アンタ達年は幾つなんだい?」


 京塚のおばちゃんは何気なく声をかける。 「え~っと確か17だったっけ?」とわざととぼける武に、純夏は思わず噴出した。


「っぷ、なに言ってるのさタケルちゃん!! 私達まだ15にもなってないじゃない。」


 純夏が武を罵倒した瞬間、室内の空気が凍りつく。 武は「あちゃあ……」と、思わず顔を覆った。


「――ちょっと待ちな。 純夏ちゃん、今いくつって言ったんだい?」


 穏やかな口調とは裏腹に、京塚のおばちゃんの目からは先程までの笑いが完全に消えていた。 ここにきてようやく純夏は己の失言に気がつく。


「あの、え~っとお。」

「お、お前なあ、いくらなんでもここ3年間ずっと誕生日が雨だったからってノーカウントはないだろ。 年齢詐称は立派な犯罪だぞ!」


 目を泳がせて答えあぐねる純夏に、武はとっさに助け舟を出した。


「……あ、あはははは。 だってもう私年取りたくないし~。」

「なに言ってんだよ、ったく。 その台詞はお前にはまだ十年はやいってーの。」


 武の意に気がついた純夏は、何とか話をあわせようとするも、3文芝居も良い所だった。 ――ワケありだな。 ほどなく悟った京塚のおばちゃんは、その目を哀しそうにスッと細めた。


「――はあ……やな世の中になったもんだねえ。」


 やがて京塚のおばちゃんは重苦しい溜息と共に吐き捨てた。 十台半ばの衛士がいると言う噂は聞いたことがあるが、まさか本当にお目にかかることになる等とは思ってもみなかった。 本来なら青春を謳歌しているはずの年頃だろうに。 全く、いつになったらこの惨たらしい戦争は終わるのだろうか?


「あのすみません――」

「ああ、心配するんじゃないよ。 わたしゃこれでも口は堅いほうだからね。」


 まりもの意を瞬時に察した京塚のおばちゃん。 「絶対に口外しないよ。」と約束し、まりもの肩を叩いた。 その気遣いに、まりもは申し訳なさそうに俯く。 そんな彼女を、京塚のおばちゃんは優しく叱った。


「ちょいと、教官がそんな様子でどうすんだい。 この子達が不安がるだろう? 悪いのは、アンタでもこの国でも、ましてこの世界でもなくて、BETAとかいう化け物だよ。」


 京塚のおばちゃんは「全く、お互いいやな時代に生まれたもんだよ。」と溜息混じりに苦笑する。 まりもは沈黙していたが、その表情が彼女の弁を肯定していた。

 方や置いてけぼりを食った武達2人組みは、お互い居心地悪そうに目配せしあっていた。 いわゆる「この空気、どうにかしてくれ!」というやつである。 静かで熾烈なやり取りの末、結局純夏に押し負けてしまった武は、仕方なしに言い放った。


「――じゃあその時代、オレが変えて見せますよ。」


 武の突拍子もない発言に、キョトンとした表情を浮かべる一同。 その中には、それを促した純夏さえも含まれていた。 ――やば、すべったか? 武の額を冷汗が伝う。


「ふんっ、なかなかいっちょまえなこと言うじゃないか。 武。」


 そう言って心底愉快そうに笑う京塚のおばちゃん。 それを皮切りにしてまりもと純夏も笑い出した。


「全く……白銀、貴様口だけは一人前だな。 それこそ貴様には十年早い台詞なんじゃないか?」

「武ちゃん、今のはちょっとキザすぎだよ~。」

「な、なんだよ……お、オレはマジだぞ?! いやだからマジなんだって!!」


 武の情けない叫びは、余計に彼らの笑いをのツボを刺激してしまう。  いよいよ収拾がつかなくなり、笑いの坩堝と化す京塚食堂。 武はむっと口をゆがめた。 こうなる覚悟があって引き受けた役回りとは言え、流石にココまで笑われてしまっては、さしもの武も傷つくというものだ。 まさか彼が嘘でも冗談でも迷い言でもなく、真実にそう決意していることなど、他の誰も知る由がないのである。


 ――ま、いいか。 武はしばらくして、ふっと口元を緩ませた。 例え己が笑いものになっても、それで皆が少しでも幸せになれるのであれば、それでいいじゃないか。


 限りない絶望を見てきた武にとって、皆の『笑顔』は、もはや何物にも変え難い宝物となっていた。 



[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第一章 第五話 教師 ~Never look a gift horse in the mouth~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:9b750810
Date: 2008/12/22 22:58
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「武、純夏ちゃん、まりもちゃん、また今度いらっしゃいな。 あたしゃいつでも大歓迎だからね!!」


 そう言って訓練校へ向かう武達に手を振る京塚のおばちゃん。 わざわざ店先まで見送りに出てきてくれたのだ。


「おばちゃん、ご馳走様でした。」

「またね~。」

「近いうちにまた来ますよ。」


 武達は想い想いの言葉で京塚のおばちゃんに別れを告げ、後ろ髪引かれつつも食堂を後にした。







 訓練校に戻り次第、武と純夏すばやく授業の準備を整えた。 部屋から飛び出す2人。 開始時刻に間に合うか、微妙だ。 2人は必死の思いで廊下を駆けた。

 なんといっても、次に行われる『授業』の教師は、よりにもよってあの『夕呼先生』なのである。 遅れたものなら一体どんなことになるのか、想像しただけでも恐ろしい。


「タケルちゃん、間に合いそう?!」

「ああ、このぶんなら多分な!」


 教室が視界内に収まる。 ――間に合った!! 武達は勢いをそのままに教室へと飛び込んだ。


「アンタ達、待ったわよ。」


 教室のドアを吹き飛ばさん勢いで入ってきた2人を出迎えたのは、しかめっ面の夕呼であった。 遅れてしまったのだろうか、と、純夏は時計を確認する。 まだ開始1分前だった。


「ほら、すぐに数学の授業始めるからちゃっちゃと座っちゃいなさい。」


 促されるままに各々の席に着く武と純夏。 2人が席に着いたのを確認すると、『夕呼先生』は、ニヤリと不吉な笑みを浮かべた。 その見覚えのありすぎる表情に、武は一抹の不安を感じずにはいられなかった……。


 ――かくして、その不安は的中する。


「さて、まず数学についてだけど、伝統的な数学分野で研究される対象は私の専門である物理現象と深い関わりを持つものが多いことは知ってるわよね? つまり分かりやすいように言えば物理と伝統的な数学分野は切っても切れない関係って訳。 その一方で、数学の応用分野では数理モデルという形で例えば計算機や言語などといったものを対象とした研究が日々行われているの。 もちろん、数理モデルにおける演繹から得られる成果と実際との間にいくぶんかのずれを生じることもあるけど、そのずれの評価とモデルの実用性・実効性については多くは数学の外の話よ。※1」


 早速なにを言ってるのか、武にもさっぱり分からなかった。 純夏は一応理解しようとしているらしく、夕呼の下手糞な絵が描かれた黒板を穴が開きそうなほど見つめている。 一方の武は「ああ、何時ものことか。」と、早々に全てを理解することは諦め、要点だけを聞き取りつつ、後は方耳半分に聞き流す。

 そんな2人(主に純夏)の奮闘を他所に、夕呼は完璧に自分の世界に入ってしまったらしく、その『ありがたい』演説は肝心の生徒を『完全に』置いてけぼりにして、延々30分程続いた。



「――というわけ。 あんたたちがこれから学ぼうとしている数学とはそう言うものよ。 はい、これで前置きはおしまい、早速授業に移るわよ。」


 ようやく前置きが済んだらしい。 既に純夏は頭の使いすぎで目がうつろだ。 頭のアホ毛も奇妙な形に捩れてしまっている。 全く、根が科学者であるためか、偶に自分の世界に没頭してしまうのが夕呼の悪い癖である。 人と話していようが、授業中だろうがお構い無しだ。


「教科書の8Pを開きなさい……って二次方程式? アンタ達低度な事やってんのねえ。 まあいいわ、これがわかんないとどうにもらならないし、これからいきましょう。」


 その後、夕呼の授業は教科書の内容をほとんど無視した独自の解釈で進めてられていった。 授業自体は、それはそれで分かりやすかったので別にいい。 教科書を購入した意味があったのだろうか? と問われれば疑問に思わないでもないが……。 しかし、いったい誰が教科書を選定したのだろうか? まあ夕呼本人では無いことは確かだろう。 と、武は思った。

 だがそれよりも武達にとっての切実な問題だったのは、夕呼の口から突然『訳のわからない単語≒専門用語』が飛び出してきたり、何の前置きもなく、いきなり応用発展問題を解かされたりすることだった。

 武は元々高校生、しかも一応は難関と言われる程の私立を合格した知識があったからまだいい。 ……問題は純夏であった。


「……あら、もうこんな時間。 今日の授業はこれでおしまい、明日までに私の出した例題を全て解いておくこと。」


 一方的に言いつけて教室から出てゆこうとする夕呼。 武は慌てて号令をかける。


「ありがとうございました!」

「……した。」


 純夏の声が力ない。 武がどうしたのだろうかと不思議に思って振り向くと、そこには、それはもう真っ白に燃え尽きてしまった幼馴染の姿があった。 これがアニメか何かなら、頭から白い湯気を立ち上らせていたことだろう。


「お~い、純夏。大丈夫か~。」


 とりあえず目の前で手をひらつかせてみる武。


「あ……タケルちゃん。」


 気がついたのかボーっとした様子で武のほうを向く純夏。 まだ頭が完全には復帰していないらしく、目が死んだ魚の目をしている。


「おいおい元気出せよ。 ほら、アホ毛も萎びちまってるぞ。」


 言いつつ武はアホ毛をつまんでいつもの位置に元に戻そうとするも、数秒経つと再び萎びてしまう。


 不思議なことに、純夏の頭頂部から1束飛び出している毛――いわゆるアホ毛は、彼女の精神状態に合わせて様々な動きを見せる。 喜んでいるときは頭の上で『ハート』を模るし、驚いたときは、まるで見えない糸で釣られているかの様に天に向かって一直線に伸びてしまう。 全くもって奇妙なアホ毛である。


「う゛ー、私バカだから理解できないんだよね? タケルちゃんは香月博士の言うこと、当たり前に理解できたんだよねえ?」


 そう言って項垂れる純夏。 武はそれに笑いながら答えた。


「いや、オレもさっぱりだ。 純夏、夕呼先生の言う事を全部真に受けてちゃ時間がいくらあっても足りねーぞ? ああ見えても、先生は間違いなく『天才』なんだから。」

「……うん、そうだね。 でも宿題こんなに……どうしよう?」

「ん? ああ、それならオレと純夏で半分づつやるってのはどうだ?」


 まるで今思いついたと言わんばかりに『常套手段』を持ち出す武。 純夏はその提案に飛びついた。


「ん、それもそうだね。 じゃあ私最初の10問をやるよ。」


 言われて「ん?」と首を傾げる武。


「ってことは、オレは後の10問をやれば……ってえ、おい純夏!! 応用問題全部オレに押し付けるつもりか?!」

「当然っ!」


 純夏は胸を張ってそう答えた。 一発殴ってやろうかと武がスリッパに手を伸ばしかけたちょうどその時、入り口の方から足音が聞こえてきた。


「あ、ほらタケルちゃん、神宮司軍曹が着たみたいだよ。」


 純夏はこれ幸いとばかりに話題をそらす。 まりもの手前、武もへたなことは出来ない。

 ――クソ、純夏め、後で覚えてろよ!

 武はギンと純夏をにらみつけた。


「起立!! 礼!! 着席!!」

「よろしい、ではこれより早速英語の授業を始める。 教科書の4ページを開け。 ……2人共開いたな? では鑑、音読しろ、もちろん主題からだ。」

「はい!!」



 武達の予想以上にまりもの授業はスムーズに進んだ。 恐らく昨日の間にどのように授業を進めるのか考えておいたのだろう、夕呼の行き当たりばったりな授業とは大違いだ。 黒板に板書した文字を書き取らせたり、生徒を当てて質問に答えさせたり……大方武の良く知る座学の授業と同じ要領で授業は進んだ。

 ――そう、『全くもって』同じ要領で。


「白銀、『energy』の発音は『エネルギー』でなく『エナジー』だ! 腕立て10回!」

「~~! 了解!!」


 国連軍基地で生活していたのだから、英語は大丈夫だと思っていたんだが……自動翻訳装置に頼りすぎたな。 武は己の不甲斐なさに、ガックリと肩を落とした。 まりもは武が腕立て伏せをしているのを脇目で確認しつつ、今度は純夏に照準を付ける。


「さて鑑訓練兵、ここに入る動詞は?」

「『eat』です!!」


 自信満々に答える純夏。 だがまりもはその答えに顔を顰める。


「え? eatじゃないんですか?」


 純夏はかわいらしく首を傾げた。 だがそんなもの、まりもに効果が望めるわけが無い。


「違うっ! 朝食、昼食、夕食のときは『have』だ! 学校で今まで何を勉強してきたんだ? このぐらい基本中の基本だぞ! 腕立て10、今すぐ!!」

「は、はい~~!!」


 普通の学校だったら体罰教師って言われてPTAに訴えられますよ、軍曹! 思わず武は嘆いた。 確かにこれなら普通の授業とはいえ気は緩まないだろうが。


「お前達、情けないぞ! これでは一向に授業が進まんでは無いか!! もっとやる気を出せ!!」

「「りょ、了解!!」」


 そのあまりの気迫に、武も純夏も竦み上る。 喉の先まで出かかっていた文句など、どこぞへと消散していった。

 ――嗚呼、『平和な世界』での神宮司『先生』の授業が懐かしい……。

 また目頭に熱いものがこみ上げてきた武。 ここのところやけに涙腺が緩くなってきたような気がする、ひょっとして年だろうか? などと頭の中でアホなことを考えている間にも授業は続く……。







「――さて、今日の授業はこれで終了する。 勉強は日々の積み重ねがものを言う、訓練も同じだ。 復習と予習は怠るんじゃないぞ!? それとこれから座学に関するプリントを配布する。 各自部屋で自習しておくように。」

「了解。」「はい!」

「それでは、解散。」

「気をつけ!礼!!」


 授業がすべて終了したころには、もう時計の針が18時を指し示していた。 当に日は沈んでおり、窓の外は真っ暗で何も見えない。


 武達はプリントを受け取ると、空腹を満たすため、一路PXへと向かった。


「ふあー、本来ならまだ私達春休みなのにーー、って言うか授業進むスピード早すぎーー!」


 PXのイスに腰掛けたと同時、愚痴をもらす純夏。 しかしその気持ちも分かる。 まったく、こんなハードなスケジュールが連日続くと思うと、こっちまで気が滅入りそうになる。 武は苦笑を浮かべた。


「……確かにな、たぶん全員が解き終わったり読み終わったりするの待つ必要ねえ分早くなってるんじゃねえか?」


 十倍以上の生徒が居れば、それだけ時間もかかるだろう。 逆を言えば、通常学級の十分の一以下の生徒しか居ないのだから、授業もそれだけスムーズに進んでしかるべきなのだ。

 まして夕呼は自他共に認める唯我独尊なので、生徒の事情なんて知ったことじゃないだろうし、まりもも分野は違えど『教える』ということに関してはプロだ。 これでペースが上がらないとすれば、それは生徒たる武達に問題があると言うことになる。


「そっか~、じゃあタケルちゃん、わざと問題解くのに時間かけてみてよ。」


 それを分かっているのか分かっていないのか、純夏は突然そんな事を言った。


「何でオレなんだ? 自分でやれよ。」

「イヤだよ、そんなことしたら、きっとグラウンド走らされるに決まってる―――アイタッ!!」

「分かってるなら言うな、分かってるなら。 って言うかオレならいいのかよ?!」

「え~っと……あはははっ!」


 笑って誤魔化そうとする純夏に、武はもう一発スリッパをお見舞いしてやった。







 激しい訓練の後だというのに、なんだかんだと騒がしかった食事を終え、武達は昨日使った部屋へと戻った。

 何故契約の通り1人部屋ではないかというと、なんでもまだ部屋の準備が出来てないとかで、当分あの部屋に2人して閉じ込められるそうである。 純夏はそれをピアティフから聞いたとき、『契約違反だ!!』とか騒いでいたが、武は端から期待していなかったので気にしないことにした。


 部屋に付くと武と純夏は早速宿題に取り掛かった。 一見簡単そうな座学のプリントから課題に取り組んだのだが、これが思わぬ落とし穴だった。 常識的に考えて、女子が戦術に詳しいわけがないのだが、純夏の場合それを考慮に入れても酷すぎたのだ。


「さて、純夏君。 この場合はどうすれば良いと思うかね?」


 一緒に勉強するはずが、いつの間にか教師役となっていた武。 性に合わないとか、贅沢を言っている暇は無いのである。 軍隊において連帯責任はあたりまえ。 もしも宿題を忘れたり、不完全な状態で授業を迎えたものなら、問答無用で2人仲良く『タイヤを引きずりながら校庭20周』といったところだろう。


「え~っと、正面突破? ……アイタッ!!」


 ――このバカ! 純夏のあんまりを言えばあんまりの回答に、思わず手を出してしまう武。 まりものことをとやかく言う資格は、彼には無いのかも知れない。


「ばーか、それじゃあ無駄に怪我人が出るどころか、下手しなくても全滅しちまうだろうが。 こういう場合は迂回するか、戦線を後退させるんだ。」

「戦線を後退? つまりそれって敵前逃亡だよね? そんなことしたら銃殺されちゃうよ。」


 純夏は眉を顰めて言った。 恐らく昨日覚えたての軍規と照らし合わせてそう思ったのだろう。 こいつマジで全部暗記したのか? と内心舌を巻きつつも、表面上は平静を装って武は純夏の疑問に答えた。


「純夏、『戦略的撤退』って言葉……知るわけないか。 時と場合によっては逃げるのも立派な手段なんだよ。」


 「まあ、指示が出る前に臆病風に吹かれて敵に背を向けたら、問答無用で銃殺されるだろうけど。」と、わりと本気で付け足す武。 幸運にも銃殺された兵士は見たことが無いが、帝国軍の中将が――真相は定かでないにせよ――敵前逃亡の罪で投獄されたという事件は聞いたことがある。


「へぇ~、じゃあさじゃあさ、両方とも同じぐらいの強さだったときはどうするの?」

「そうだな、敵の情報が十分に得られた条件下だったら側面や後方にあるブッシュからの奇襲攻撃も有効だろうな。 ともかく、敵は万全の防護体制を強いてないとはいえ、正面が開けたこの戦場では正面突撃だけは絶対やってはいけない。」


 BETAの場合、その一番やってはいけない手を使ってくるのであるが。


「ふーん……で、ブッシュって何?」

「そんぐらい自分で用語辞典でも何でも引いて調べやがれ! ……ああそれと、奇襲攻撃は少数で多数を打破するときに有効とかいう迷信があるが、それは嘘っ八だから信用するなよ。 敵に嫌がらせはできても、絶対に決定打は与えられないし、それどころか全滅するのが落ちだ。」


 ちなみに旧日本軍はココのところを取り違えていたため、無意味な突撃を繰り返し、イタズラに被害を拡大させたという。


「少数で多数を撃破する最も有効な手段はトラップを用いたゲリラ作戦だ……こちらに地の利があるのが前提条件だが。 まあそれでも圧倒的な数の暴力の前ではどんなトラップもはっきり言って保険にしかならないんだけどな。」


 例えば対BETA戦がそれに当たる。 BETA単体にはほとんど思考能力がないためトラップは非常に有効なのだが、何しろ数が多すぎて数が間に合わないのだ。 数の暴力とは真に恐ろしいものである。


「そうなんだ……で、ところでタケルちゃん。 そんなこと一体どこで勉強したのさ?」

「ん? ……そりゃ衛士になったとき困らないように、普段からそこらへんの本読み漁ってたんだよ。」


 武はあらかじめ準備しておいた言い訳を口にした。 しかしどうやら純夏はその答えに納得してくれなかったようで、こちらを訝しげな目で睨んでいる。


「な、なんだよ?」

「怪しい! タケルちゃんが漫画以外の本読んでるとこなんて想像出来ない!!」


 キッパリはっきり言い切られた。


「……ほっとけ!!」


 武は、身に覚えがあるだけに反論が出来ない自分が恨めしかった。







 宿題を終えると、武達は他にさっさと寝支度を済ませ、布団へと飛び込んだ。 午前も午後も精神的、肉体的に疲れることばかりをしてきたのだ、すぐに寝てしまいたかったのである。


「じゃあタケルちゃん、おやすみ。」

「おう、明日寝坊すんじゃないぞ!」

「う~ん、確かに。 私が寝坊したらタケルちゃんも寝坊確定だもんね。」


 などと軽口を叩いているうちに、だんだんと睡魔が鎌首をもたげ、だんだんと意識を侵食してゆき……やがて規則正しい寝息だけが部屋に響き始めた。



 ――それから数時間後。

 武は体が妙に火照っていることに気がつき目を覚ました。 なにやら体中がギチギチと音を立てているかのようである。 懐かしくも非常にありがたくない感触。 覚悟していたとは言えやっぱりか……。 武は少しでも違和感をほぐすため、いったんベッドから起き上った。


「……いない?」


 ふと純夏が寝ているはずの2段ベッドに目を向けるも、そこはなんともぬけの殻だった。 一瞬奇妙に思うも何のことは無い、ザアザアという水音が聞こえてきた。 純夏はどうやらシャワーを浴びているようだ。

 安心して寝なおそうとするも、やはり体が妙に熱くて眠れない。 純夏が出たらオレもシャワーを浴びよう。 武はそう決めると、とりあえずベットに腰掛けた。


 このまま訓練が順調に進めば、光州作戦には間に合わないかもしれないが、少なくとも『BETA』との本土対決には間に合うはずだ。 武は思った。 そのときいったい自分はどれだけのことが出来るだろうか? そもそも、何故帝国陸軍は『BETA』の九州侵行を少しも食い止められなかったのだろうか? 

 ――こんなことならもうちょっと『過去』についても勉強しておくんだったなあ。

 今更悔やんだところでどうしようもないが、ただ間違いなく、このままでは、今年中に西日本が、京都がBETAに落とされ、アメリカ軍の支援が受けられなくなってしまうだろう。


「……タケルちゃん? どうしたの?」


 声をかけられ、ハッと我に帰る武。 いつの間にやらシャワーの水音は聞こえなくなっていた。


「純夏こそどうしたんだ? シャワーなら寝る前に浴びてただろ?」


 そう言いつつ顔をあげる武。


「う~ん……それはそうなんだけどさあ。」


 「そうなんだけど、どうなんだ?」口を開きかけ、武は驚愕のあまり固まった。


「ちょっ、……おまっ! ……おまっ!」

「なんか体が熱くて眠れなくって~……ってタケルちゃん、どうかしたの?」


 口を金魚のようにパクパクと開閉させている武の様子に首を傾げる純夏。 その仕草に武は臨界点を突破し。


「――何でバスタオル一丁? 何故にバスタオル一丁?!」


 テンパった。


 ハラリと落ちるバスタオル。 気がつけば、武の目の前には暗闇でも判るほど赤く上気した幼馴染の顔。 ――いつからこんな表情も出来るようになったのだろうか? その潤んだ瞳に、武は思わず吸い寄せられ――


「純……夏……?」


 唖然とつぶやく武、その刹那――武は夜空に輝く星の仲間入りを果したのだった。


 その日の夜、2人の部屋からは、苦悩に満ちた謎の呻き声が一晩中響いていたらしい。







――翌朝



 「あう~、痛いよ~、歩けないよ~。」


 目の下にクマを携え、内股気味にひょこひょこと歩く純夏。 小鹿のように足が震えている。


 「……っ、これは……キビシイ。 こりゃ、ちょっとばかりがんばりすぎたかな……。」


 武は武で、腰に手を当てつつ苦悩の表情を浮かべていた。 もうお分かりだろう、この2人はつまるところ――

 重度の筋肉痛なのだ。 昨晩の火照りはコレの前兆だったのである。

 全身に針金を通したような痛みに襲われる武と純夏。 だからと言って、たかが筋肉痛で訓練を休むわけにもいかず、仕方なく壁を伝いながらも移動を開始する2人。


 初日の異常な成果は、いわゆる『ド根性』によって生み出されたものだった。 体中の筋肉が悲鳴を上げているのにもかかわらず、純夏はそれを気力で押さえ込んだのだ。 そして、そのツケが翌日になって彼らに回ってきたのである。 若さゆえに、どうせ一日寝ていれば直るだろうが……。

 ――もう二度と無茶はすまい。

 純夏はそう心に深く刻みつけ、重い足を引きずりながらグラウンドを駆けるのであった。


※1 wikipedia参照のこと。



[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第一章 第六話 花見 ~Boy meets girls.~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:9b750810
Date: 2010/08/28 21:58
「ターケールーちゃーーん、もう朝だよー!! おーきーろーッ!!」


 早朝の士官専用室の一室に、純夏の無駄に元気な声が木霊する。 ――むう、もうそんな時間なのか。 起きなければならないとは判りつつも、やはり眠いものは眠い。 武は無駄と知りつつもぼやいた。


「う~ん、後五分。」

「だめだよ、点呼の時間に間に合わなくなっちゃうよ!?」

「いいじゃねえか、後五分ぐらい。」

「良くないっ!!」


 叫ぶと同時に純夏は強引に布団を剥ぎ取る。 もう4月とはいえ、まだまだ朝は冷え込む。


「――っ、何しやがる、寒いだろうが!」

「うるさいっ!さっさと起きる!!」


 そう言って腕を組みつつ仁王立ちで武を見下ろす純夏。 武はヤレヤレと肩をすくめた。


「ふぁぁ……ったく、わかった、わかったって。 今起きる。」

「じゃあ私、先に廊下で待ってるから。」

「ああ、わかった。」


 朝の恒例行事を終え、武は改めて時計を確認する。 今のやり取りで5分経ってしまったらしい。 ほぼ同時にスピーカーから流れ出す、寝ぼけた頭には多少つらい軽快な音……起床ラッパだ。

 武はいよいよ観念してベットから起き上がると、いつものように服を着替え、部屋を整頓する。 長い軍隊生活で一連の動作は武の骨の髄まで染みついてしまっていた。


「さて、今日も一日がんばるか。」


 鏡の前で気分を引き締め直す。 もう一度部屋がきちんと片付いていることを確認すると、武は『自分の部屋』を後にした。

 遡ること一週間ほど前、なんと夕呼は契約どおり、武達にそれぞれ士官用の個室を割り当ててくれたのだ。 207訓練兵小隊の1件は出自が『特殊』だっための特別措置だと聞かされていたため、今回は流石に無理だろう、と、武は考えていたのだが、なるほど、自分達は十分すぎるほど『特殊』だった。 なんと言っても自分達は国では公に認めていない『少年兵』なのだから。

 そんな夕呼も、真面目に教師をしていたのは最初の3日間のみ。 4日目に突然何か閃いたらしく、例のごとく黒板に謎の数式を書き始め、ついにはそのまま教室から飛び出してしまってから、かれこれ1週間ほど彼女には会っていない。

 まあ、元々彼女の仕事は超高速並列処理回路の研究である。 たかが訓練兵相手に油を売っていたことの方が異常なのであり、本来の立ち位置に戻っただけだ。

 ちなみに武達の授業は、夕呼のかわりに助手のピアティフが受け持っている。 教科書どおりに進むため、夕呼の授業よりは取っ付き易いとは純夏の弁である。







 点呼を終え、真っ先に向かう先はもちろんPX。 『腹が空いては~~』というのは、古今東西関係なく当てはまる人間の摂理である。


「タケルちゃん、今日の朝ご飯のメニューは鯖の味噌煮定食だって。」

「そっか、そりゃ楽しみだな。」


 鯖の味噌煮定食、通称サバミソ定食。 武のどちらかと言えば好物である。 PX内での人気も上々らしい。

 ――サバミソ定食と言えば、やっぱり霞だよな。

 武は小動物を連想させる彼女――『社霞』のことを思い出した。 あの『あ~ん』攻撃。 嬉しかったと言えば嬉しかったのだが、いかんせん、周りの視線が痛すぎた……と、武がそんな事を思い出していたときだった。


「じゃあタケルちゃんここで待っててよ、私がタケルちゃんの分も取ってくるから!」


 笑いながら、いきなりとんでもないことを言い出す純夏。 武はある種のデジャビューを感じずにはいられなかった。 運動音痴な純夏のことである、2人分の食事を床に食べさせてしまうことになりかねない。 朝飯抜きでの訓練は、いくらなんでもキツすぎる、と、武は慌てて純夏を止めにかかった。


「いやいい、ってか、むしろよせ。」

「遠慮しない、遠慮しない!」


 純夏は武の真意に気づいてくれない。 気づかれたら気づかれたで、訓練のおかげで凶悪さを増しつつある『ドリルミルキィパンチ』を急所にお見舞いされることになるのだろうが……。 武は早朝の星になることと、朝飯抜きを天秤にかけ、結局朝飯抜きを選んだ。


「純夏~、間違っても滑って転ばないように注意しろよ。 朝飯がかかってるんだからな~。」


 内心諦めに似たものを感じながら忠告する武。 「んもぉ~、わかってるってば。」と、純夏はひらひらと手を振りながらPXの人ごみの中へと消えていった。 そこはかとない不安に駆られながら、純夏の後を目で追う武。 トレードマークのアホ毛のお陰で、見失うことはめったに無い。

 しばらくすると、2人分のトレイを持って人ごみの中から純夏の姿が現れた。 貴重な朝飯を乗せたトレイ両手に抱えて、あっちへフラフラこっちにフラフラ……。 見ている側としてはかなりの冷や汗ものだったが、純夏は何とか武の待つ席まで無事たどり着くことに成功した。


「なあ、純夏。」

「ん? なに、タケルちゃん。」


 たかが朝食でこんなに神経が磨り減るのは精神衛生上大変よろしくない。 武は定食を食べ終え箸を机に置くと、思い切って話しを切り出した。


「やっぱり明日からは何時も通りオレが2人分とってくる。 おまえが席を確保していてくれ。」

「……えーッ!? タケルちゃん、悪いよ~。」


 当然、純夏は猛反発……するかと思いきや、シュンと頭を垂れながら、「私訓練でもタケルちゃんの足引っ張ってばっかりなのに……。」とボソリと呟いた。 いや、そう思うなら余計に大人しくしていてくれ、と、武は内心突っ込む。

 初日の奇跡は、しょせん奇跡でしかなかったらしく、元々運動神経のあまり良くない純夏は気合でカバーできる基礎鍛錬は兎も角、その他の訓練ではとにかくダメ生徒で、武もよく連帯責任として罰を一緒に受けさせられている。 自分としては体がなまらなくて大変よろしいのだが、純夏はそれを気にして無謀にも2人分の食事を取ってくるという冒険に出たようである。


「――おまえ、ひょっとして自分はダメダメだとか思ってんじゃねえだろうなあ?」

「ギックゥッ!!」


 ご丁重に身振り手振り擬音語まで用いて肯定する純夏。


「はぁ……。 いいか、純夏。 みんな最初はそんなもんなんだから、別に負い目感じる必要なんてねえっての。」


 『最初』の1ヶ月間の己の様子と照らし合わせながら、武は溜息混じりに諭した。 主に精神的な方面で、彼は純夏以上に『ダメ生徒』だったと言えよう。 それは本人も深く自覚するところである。


「むう、だけどタケルちゃんはピンピンしてるじゃない。 何を根拠にそんな事言ってんのさ。」


 純夏は恨みがましい瞳で武を睨みつける。 確かに一見武にはそこまで疲労がたまっているようには見えない。


「オレが例外なの、はっきり言って異常なんだよ。」


 武はある意味反則だ。 一通りの訓練はそれこそ何度も経験しているし、何よりどう体を動かせば一番体を痛めないかを長年の経験で良く知っていた。 方や純夏はド素人、しかも元々運動はあまり得意なほうではない。 比べるだけ無駄であるし、むしろ武からしてみれば現段階で彼女が体調を崩していないことの方が不思議でしょうがなかった。

 バカは風邪引かないというが、案外本当なのかもしれない。 武は失礼にもそんなことを考えた。


「――そっか、タケルちゃんは変態だから平気なのか!」


 武の弁に、「なるほど」と頷く純夏。 彼女も武に負ける劣らず失礼である。 想定外の開き直り方に、武はたまらず脱力した。


「……いや、語意的には正しいけどよ、その言い方は酷くねえか?」

「や~い、変態変態~。」


 武の言い分を全く無視して囃し立てる純夏。 武は全力で殴りたい衝動を理性で押さえ込み、なんとか手加減をして引っ叩いた。


「あいたっ! ……う~ん、タケルちゃんの突込みがだんだん鋭くなってきてるー。」


 叩かれた額を押さえながら涙目で武を責める純夏。


「おまえがあんまりにもバカだからだ、少しは反省しやがれ!」

「むう、最近タケルちゃんと私の立場が逆転してるよ~。」

「なんだ、自覚はあるんだな。」


 またすぐに調子に乗った発言をする武。 当然ワザトだ。

 純夏も純夏で、そんな武の急所に思いっきり拳を叩き込んだ。 ……勿論、こちらもワザト……なハズである。







 入隊からすでに1週間と半分。 時間の流れとは偉大なもので、はじめのうちはてんてこ舞いだったこの不思議な生活にも、いつの間にかすっかり慣れてしまった。 二日目の朝はそれこそ「あう゛~」だの「イタタタッ!!」だの一日中唸っていた純夏であるが、ここ数日いつもの元気を取り戻しつつある。


「おい、純夏! いったいどこに行くつもりだ?」

「ん? どこっていつもの教室だけど……。」


 純夏の返答に、武は大きな溜息をついた。


「……おまえなあ、昨日の神宮司教官の話、ちゃんと聞いてたか?」


 武は純夏を呆れたふうに睨んだ。


「……何か言ってたっけ?」

「ったく、今日は入隊式だろ!」

「……あ、あははは! そ、そういえば昨日、神宮司教官そんなこと言ってたっけ?」


 そう言った純夏の目の下には、よく見ればうっすらとクマが見えた。 どうやらこう見えても疲労は溜まってきているらしい。


 ――今日は207小隊をはじめとする新たに徴兵された衛士達の入隊式。 そう、本来は今日からが『新学期』なのだ。 武達2人は4月以前に入隊しているが、それはもちろん特例中の特例。 今更だがこうして考えてみると、自分はつくづく『正規の入隊』というものとは縁が無いらしい。 武は思わず苦笑する。

 それはそれとて、自分達がかなり高い確立で今日編入されることになるであろう207隊は毎年10~12人衛士を輩出しているはずなのだが、自分がその内2人としか面識が無いという事は、残りの8人はこれから3年間のうちに……まあ、そういうことなのだろう。


「タケルちゃん、なに難しい顔してんのさ?」


 純夏はいぶかしげに武の顔を覗き込んだ。 武はとっさに当たり障りの無い答えを返す。


「いや、だから同期とは言え今日入隊してくる奴らは年齢的にはオレ達より3歳も年上なんだろ? どう接すりゃいいんだろうな~、なんてな。」


 実際これは悩みの種だ。 微妙に立場が異なるとはいえ、通常の訓練は合同で行うことになるのだから、結果として接点は何かと多くなるはずである。 それに何より、部隊としての行動の基礎を実地で学ぶことも、大事な訓練の一環だ。 自分はともかく、純夏には絶対に必要な体験だろう。


「タケルちゃんがそんな事悩むなんてめずらしいね。」

「グサッッ!!」


 スッパリと切り捨てる純夏。 どうやら類は友を呼ぶという奴らしく、純夏と同じく明らかなオーバーなリアクションでもって武は答えた。 『無礼なのが特技』と他人に言わしめた武である。 当然の報いであろう。

 
「でも……うーん、確かに。 神宮司教官は、『普段どおりでいい。』なーんて言ってたけど、さすがにちょっとね。」

「ってかそもそも年下だってばれても大丈夫なのか? おまえはともかく、オレは一発で気づかれるだろ、たぶん。」

「わ、私にそんなこと聞かれても……まあ、なるようになるでしょ!」


 そう言い切る純夏の笑顔が武には眩し過ぎた。


「はあ、ったくその空元気少しでいいかたオレに分けてくれないか?」

「ブゥー、なにさ、タケルちゃんだって人のこと言えないでしょ。 ……それに、私の取り柄って言ったらこれぐらいだもん!」

「――いや、格闘もだろ?」


 思わず突っ込んだ武。


「え゛っ!!……え~っと、それはあ。」

「なんだ?純夏が謙遜するなんてめずらしいな。」

「も、もういいでしょ! ほっといてよ!!」


 純夏はそう言ってそっぽを向いた。 嫌がっているのにあえて追求する必要もあるまい。 武は話題を変えることにした。


「――さて、今頃は丁度入隊式の準備も終わったころかな?」

「今日一日丸々休みだし……これからどうする? タケルちゃん。」


 「覗きに行く?」と、そう言って講堂の方を指差す純夏。


「いや、そんなもの見たところでどうしようもねえだろ。 だったらまだ自主訓練……って、そう言えばグラウンドも使うんだったな。」

 
 となると、本気でこれからの時間どのように使うか考えねばなるまい。 武は首をひねった。 宿題は溜めることすら許されていないので、蓄積0。 同様の理由で座学の方も問題無し。 第一、たまのオフまで勉強なんて真っ平御免だ。 受験をするわけでも無し。 ……となると、久しぶりに外に出かけるのが一番だろうか。 でも外で一体何を――?

 その瞬間、武の頭の中で何かが閃いた。


「そうだ!!」

「わわっ、いきなり大声出さないでよ、心臓飛び出るかと思ったじゃん。」


 本気で驚いたらしく、胸を押さえて息をつく純夏。 武は笑いながら答えた。


「悪い悪い。 どうせなら基地の裏で花見なんてどうだ? 今頃、丁度満開の時期じゃねえか?」

「あ、それいいね! ……ってえ、外出許可くれるかなあ? 今皆忙しそうにしてるよ。」

「だから、だよ。 親族連中の出入りも激しいし、適当に事務の方に出しちまえば特に何も考えず判押してくれるかも知れねえだろ?」


 ポンと手を打つ純夏。


「なるほど、タケルちゃん頭良いね!」

「ふっふっふ、今頃気づいたのかね? 純夏クン。」


 しかしその武のボケに誰も突っ込んでくれず、結局落ちがつかないまま彼らは外出手続きを取るべく事務の方へと向かった。

 ――やっぱり、最低6人は必要だよな。

 武はかつての他愛も無いやり取りを思い出し、肩を落とした。







 予想通り、外出許可証は何の苦も無く発行された。 武達はPXで弁当と飲み物を仕入れると、一路町が一望できる基地裏の丘を目指した。 本当なら摘みの一つや二つも欲しかったところだが、少年兵という立場上、贅沢は言ってられない。


「ふ~、こうやって外の空気を思いっきり吸うのなんて久しぶりだな。」


 そう言って背伸びする武。 辺りの木の梢には新芽が顔を見せ始めている。 ちらほらと梅の木や、早咲きで散りかけてしまっている桜も目に入った。


「ちょっとタケルちゃん。 それじゃまるで私達刑務所から出所してきたみたいじゃん。」


 不満げに返事する純夏に、武は「いや、正直似た様なもんだろ。」と返した。


「……それもそうだね。」


 どうやら純夏も納得したようである。 神妙な顔持ちで頷いた。


 武達はたまに神宮司教官と連れ立って京塚食堂に行く以外、外出許可を与えてもらえなかった。 いわゆる軟禁状態である。 だがそれも仕方あるまい。 武は思った。 自分達は少年兵という、ここ白稜基地でも特に大きな爆弾なのだから。


 ほどなく目的地である小高い丘に到着する2人。 町が一望できるこの丘は、武達お気に入りの場所でもあった。 月日が経っても変わらない風景に、武は幼いころ純夏と2人で一日中辺りを駆け回っていたことを思い出す。

 無邪気だった自分。 何の悩みも無く、ただまた明日が来ることを、何の疑いも無く信じていたあの頃。


「――なあ、純夏。」


 武は言いかけて口をつぐんだ。


「ん?何、タケルちゃん?」

「……いや、なんでもない。」


 武は頭を振りつつ、苦笑いを浮かべて言った。


「――そう? なんか変なタケルちゃん。」


 怪訝そうな顔で呟く純夏。

 ――こんなことを、純夏に聞いてもどうしようもあるまい。 武は自嘲した。 昔を思い出して、少し感傷的になってしまっているのだろう。 なんにせよ、一時の気の迷いであることは間違いない。

 ――『自分は変わってしまったのだろうか。』

 そんな事を聞いて、今更どうしようと……


「――な~んにも変わってないね。」

「えっ?」


 純夏の発したその言葉に、武はドキリとして純夏の後姿を凝視した。


「なんかココに来るのも久しぶりだからさ。 ちょっとは変わっちゃったかな~なんて思ってたんだけど。」

「……ああ、そ、そうだな。」


 なんだ、そのことか。 思わず溜息が漏れ、自分が落胆していることに気がつき、武はまた自嘲した。


「『花ぞ昔の 香ににほいける~』だっけ? 本当に何にも変わらないものなんだね~。」


 純夏はそう言って武に微笑みかけた。 ああ、この前古文の時間にやったあれか。確か上の句は―― 武は思まるで頭から冷水をかけられたかのような錯覚を覚えた。 一瞬足元がおぼつかなくなり、慌てて体勢を立て直す。


「……そんなに、変わっちまったかなあ。」


 何よりも彼女の口からそれを言われたことが悲しくて、武の声は思わず震えた。


「へっ?な、ど、どうしたの?! 何処か具合悪いの?」


 武の雰囲気が急激に変化したことに戸惑う純夏。 「いや、そうだよな。変わっちまったよな……。」武は悲しげに呟く。


「か、変わったって。 タケルちゃん! 私の話ちゃんと聞いてた?!」

「……ああ。」

「ウソだっ!! じゃあ何で『変わった』なんて言うのさ。 私、変わったなんて一言も言ってないよ!」


 新手の嫌がらせか? 武は悲しみを通り越して怒りを覚え始めた。


「――『花ぞ昔の 香ににほいける』って、お前さっき自分でそう言っただろッ?」

「そうだよ……あ、ひょっとしてタケルちゃん古文苦手なの?」

「……はあ?」


 急速に心から熱が引いてゆく。 純夏が何を言わんとしているのかさっぱりわからない。 武は呆けてしまった。


「『花ぞ昔の香ににほいける』っていうのは、お花の香りは昔のまま変わらないねって意味なんだよ!」


 純夏は腰に手を当てふんぞり返って言った。 どうも話がかみ合わない。 さてはこいつ……。 ピンときた武は、確認のために尋ねた。


「――なあ純夏、勿論その歌の上の句も覚えてるよな?」

「……え? も、勿論! 当たり前でしょ。」


 口ではそう言いつつも、武から目を逸らす純夏。 ああ、やっぱりね。 武はハアと溜息をつく。


「ほ~う、じゃあ答えてみろよ、3、2、1、ハイ!」

「……ん~っと……え~っと。」


 答えあぐねる純夏に、問答無用でスリッパは振り下ろされた。 いつ聞いても子気味のいい音に続いて、純夏の「イッターー!」という叫び声があたりに響く。


「全く、分からないなら分からないって最初から言えっての。」

「う゛~~」

「犬みたいに唸るな! ちなみにこの歌の意味はな――」


 『 人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほいける 』

 紀貫之が詠った有名な和歌だ。

 『人の心というものは、さあ、知らないが、故郷の花の香りというものは、昔と同じように私を迎え入れてくれることだよ。』

 現代語訳すると、だいたいこういった意味になる。

 久しぶりに会った女性に冷たい態度を取られた紀貫之が、その心情を詠って聞かせたものらしい。 ――要するに、心変わりしてしまった人への皮肉を籠めた和歌なのである。


「――わかったか?」

「へ~そういう意味だったんだ。」


 感心したように何度も頷く純夏の様子に、武は呆れたように答えた。


「……ったく、これ全部教官が言ってたことだぜ? 授業ぐらいちゃんと聞いてろよな。」

「――で、でもさ。 紀貫之が言ってるのとは違って、私達は何にも変わってないよね。」


 誤魔化すように純夏は言った。


「……そうか?」

「うんっ、だって生活がちょっと変わっちゃっても、結局部屋はお隣同士だし、タケルちゃんは何時も私が起こしに行くまで暢気に寝てるし、訓練だって何時も一緒だし……なーんにも変わってない。」


 木々の間から見える遠くの町並みを眺めながら、純夏は続けた。

 春風が丘をなぎ、木の葉が掠れあうザワザワという音と共に、桜がフワリと舞い上がる――。


「ねえタケルちゃん。 ……もし、私とタケルちゃんが幼なじみじゃなかったら、どうだったかな?」

「……は? なんだそりゃ。」


 唐突な質問に、武は眉を顰める。 以前にも、何処かで同じようなことを聞かれた覚えがある。 そのとき、自分はなんと答えを返しただろうか?


「……な、なんでもない、なんでもない。――アハハ、私何言っちゃってんだろ。」


 話を途中ではぐらかし、純夏は武から顔を逸らした。 気恥ずかしさからか、頬が若干桜色に染まっている。 武はフッと笑みを浮かべた。


「そうだな……まず幼馴染じゃないっていう前提事態考えられねえけど、たぶん変わんねえんじゃねえかと思うけどなあ、オレは。」

「え~、そうかな~?」

「ああ、そうだ。 オレがそう言うんだからそうに決まってる!!」


 断言する武。 今も昔も、この答えだけは変わらない。


「う~ん。何時ものタケルちゃんよりも、なんか無駄に説得力があるような。」

「オイオイ、無駄って何だよ。 ……まあ言いたいことは結局白銀武はどこまで行っても『白銀武』だし、鑑純夏だっていつまでたっても『鑑純夏』だってことだ。 世界が変わろうが、人であろうがなかろうが、オレ達はいつだってオレ達なんだよ。」


 『まあ、それをオレに教えてくれたのは純夏、お前なんだけどな。』心の中で感謝と共に付け足す武。


「……ウワッ、タケルちゃん、よくそんなジジ臭い台詞堂々と言えるね。」

「――うるせえ。」


 「クスリッ」と、 武と純夏は、お互い恥ずかしそうに笑いあった。 ――と、不意に前方から誰かの話し声が聞こえ、武は反射的に純夏を押し倒し、自身も地面に伏せた。


「あわ、あわわわ。 ま、待ってタケルちゃん、私まだ心の準備が!!――ムゴっ!」

「シッ! 静かに!! 誰か近くにいる!」


 混乱のあまり、あまりにもベタなコトをのたまう幼馴染を黙らせ、武は周囲の様子を窺う。 そして丘のちょうど開けたその場所に『彼等 』はいた。


「……ぷはっ、タケルちゃん?」


 一方を見つめたまま微動だにしない武の様子を不審に思い、顔を起こす純夏。 なぜかは判らないが、武は目を大きく見開いたまま、固まっていた。 その視線の先を追うと……。


「ここにはオレ達しかいないんだよ。 声を出したっていいんだよ。」


 乳繰り合う『野郎共』の姿。 純夏もたまらず絶句した。


 ――忘れもしない、武、中学二年、14歳の誕生日の出来事だった。

 下駄箱に届いた、可愛らしい便箋。 当然、中には「体育館裏で待っています。」といった内容の手紙が入っていた。 彼女いない暦絶賛更新中だった武は疑おうともせず、喜び勇んで体育館裏へと向かった。 そんな彼のことを待ち受けていたのは――『野郎』だった。

 ……リンチだったらならまだ彼の心の傷は浅かったかもしれない。 しかしよりによって、武は告白されたのだ、野郎に。 そのときの筆舌に難い思いを、誰が理解できよう、いや、誰も理解できない。 ――武はそう語っている。


 やがて胸を揉んでいた男が、今度は中空に手をかざし何か語り始めた。 『チチ』がどうだのとかやたら熱心に語っているようだ。 もう片方の男はそれを呆れたように聞き流している。


「大体、『速瀬にチチ無し!』っていう、有名な将軍の言葉があるくらいだからなッ!」


 やたらはっきりと聞こえてきた男の声。 「何をあほなことを。」武は呆けた頭で漠然と突っ込んだ。 ――刹那、スイカを棍棒で叩いたかのような、鈍い打撲音が丘に響いた。 同時に熱弁を振るっていた男が地面に倒れふす。 慌てて駆け寄る男の片割れ。


「失礼なこと大声で叫んでんじゃないわよっ!!!」


 一瞬遅れて、満開の桜の木の上から蒼いポニーテールを靡かせつつ、颯爽と乙女が舞い降りた。


「あっ……。」


 聞き覚えがある、どころの話では無い。 武は目を見張った。 倒れ伏したホモ男を、仁王立ちで見下ろしているのは――ヴァルキリーズ隊斬り込み隊長にして、己の恩師『速瀬水月』、その人に間違いなかった。


 なにやら揉めているらしい、ホモ男と速瀬は怒鳴りあいを始めた。


「チチ無しチチ無しチチ無しチチ無し――」


 また性懲りも無くそんな叫びを上げる男。 当然ながら直後、宙を舞った。


「あのホモ男、たぶん精神レベルは、おまえと一緒だな、純夏。」


 ゲンナリと呟く武。 純夏は「え゛~?!私あんなじゃないよ!!」と悲鳴を上げた。


「なに言ってんだ。 おまえだってあんな風に恥ずかしい言葉、連呼してるじゃねえか。」

「う゛っ……。」


 やはり身に覚えはあるらしい。 顔を赤く染めると、チラリと地面に倒れ伏している男の様子を伺った。


「よ~く見ておけよ純夏。 普段お前がやってることは、あんだけ不毛なんだぞ。」


 追い討ちをかける武。 あえなく純夏は撃沈した。

 その間にも目の前の事態は進行していたらしい。 速瀬がなにやら後ずさったと思ったら、その場に顔を覆って蹲ってしまったのだ。 男2人もこの事態には驚いて、なにやら必死に訴えかけているようだが、如何せん、距離がありすぎてよく聞こえない。 武は舌打ちした。


「ちっ、良く聞こえない。 純夏、もうちょっと前に出るぞ!」

「え、ええ~?! そんな事したら、見つかっちゃうよー!!」


 すでに身を乗り出している武の腕を引いて、訴えかける純夏。


「なら、おまえはここに残ってろ。オレは行くからな。」


 その腕を振りほどいて、武は前へ前へと匍匐前進を始めた。 後ろで純夏が文句を言っているのが聞こえたが、武は無視する。

 しばらく進んだところで、男2人の遣り取りがだんだんとはっきり聞こえるようになってきた。 どうやら自分達がホモじゃないことを、必死に速瀬に説明しているようである。 武は思わず胸を撫で下ろした。


「あ、ああ!! 孝之となんて死んでもヤダよ、それならまだデブ専の獣姦マニア呼ばわりされたほうが、まだマシだよっ!!」

「……ちょっと待て。 オマエそれ言い過ぎ。」


 男の胸を揉んでいたこの男の名前は『孝之』というらしい。 あまりにもあんまりな相方の言い分に、突っ込みを入れている。


「え? 仕方ないよ、本気でヤなんだから。」


 本気でいやそうに顔を背ける男。


「デブ専獣姦マニア!」

「なんだとう!?」

「その方がマシなんだろ? え? デブジューさんよ?」


 どうやら武の目の前でこの男の新たな渾名が決定したらしい。 デブ専獣姦マニア、略して、『デブジュー』。本名は知らないが、迂闊なことを言ったばかりに、全くご苦労様だ。 と、今まで蹲っていた速瀬が大声で笑い始めた。


「ちょっと、何ムキになってるのよ~。」


 笑いが未だ堪えられない様子で話す速瀬。


「はあ?」

「あ~おなか痛い! あんた達さいこ~!」

「あ゛あ゛ッ?」


 ここに来てようやく孝之も己がおちょくられていたことに気がついたようである。 ドスの聞いた声で速瀬に詰め寄った。


「あんた達の事、そんな風に思うわけ無いでしょ~? 気持ち悪いッ!! それとも……思い当たる節でもあるの~?」


 夕呼ばりのニヤリ笑いを口元に浮かべ、孝之の顔を覗き込む速瀬。「「あるかっ!!」」と、男2人組みは異口同音に叫びを上げた。


「あ~あ、完全に手玉に取られてるな、この2人。」


 武はボソリと呟いた。 目の前では孝之が尚も速瀬に食って掛かろうとしており、それをデブジューが押さえ込んでいる。


「おまえさあ、そもそも何しに来たんだよ。」

「あっ! そうだった。こんなことしてる場合じゃないんだった。 神宮司教官が探してるよ。」

「うえ゛っ!? ……で、でもまだ知らされてた時間にはなってないはず……。」


 そう言って腕時計を確認する孝之。


「予定が繰り上がったのよ! そういうこともあるから基地外には絶対出ないようにって教官言ってたじゃない。 ったく、だから私も止めたってのに。 もう教官ったらカンカンなんだから!」

「ほ、本当かよ?」


 デブジューはほとほと困り果てたように立ち尽くした。


「ご愁傷様あ~。 じゃ、私は一足お先に行ってるから。」

「ま、待ってくれ速瀬! っく、孝之、走るぞッ!!」

「チッ……わかった。」


 脇の道を駆け下りてゆく3人。 武はその姿を藪に身を潜めつつ見送った。


 結局あいつら、なんだったんだろう。 首を傾げつつ、武は3人がいなくなったのを確認すると、茂みから這い出した。


「……あれ? あの人達どこ行っちゃったの?」


 突然後ろから声をかけられ、驚いて振り返る武。


「――なんだ、純夏か。 驚かせんなよ。」


 ひょっこりと茂みから顔を出す純夏に、ホッと息をつく武。


「3人ならもうとっくに行っちまったぞ。」

「……そっか、じゃあ丁度いいし、お花見はじめよっか。」

「ん~そうだな。」


 そう言って武達は丘の上に一本だけ立つ木の下に陣取った。



 ――舞い散る桜のピンクと、その向こうに広がる住宅街とのコントラスト。 お酒の代わりにジュースを傾けながら、ただなんとなく食べ物を摘む。 何人も集まってワイワイ騒ぐのもいいが、こういった静かなのも悪くない。 武は聞こえてきた鶯の声に耳を傾けながら、そんな事を思った。


「ねえ、タケルちゃん。 来年もまた来ようね。」

「……ん? 花見に、か?」

「うん!」


 ニッコリと微笑む純夏。 武も釣られて微笑んだ。

 この風景をBETAなんぞに奪われてたまるか。 眼下の景色を前に、武は決意を新たにする。 『廃墟』を見るのは、もう十分である。

 ――そうだ、『また基地で桜の花が見たい。』という、そのために戦うのも、また一興かも知れない。


「……そうだな、ああ、そうしよう。」


 そう言った武の頬を、春の温かな風が優しく撫でた。







――翌日


 207Bの他のメンバーとの顔合わせがあると予め知らされていたので、武と純夏は何時もより早めの時間に座学教室へと向かった。 一昨日までは全く持って静かだった廊下が、まるで嘘だったかのように活気に満ち溢れている。

 教室への道すがら、武達は、新入の訓練兵達と何度もすれ違った。 どの顔にも興奮と緊張、そして僅かばかりの不安の色が見てとれる。

 が、しかし、武が共に過ごした『彼女達』から強く感じられた使命感、或いは覇気といったものが、あまり彼らからは感じられない。

 戦争とは言えど、しょせんは『まだ』海の向こうの出来事。 本土を危険にさらされた経験の無い彼らには、未だ遠い向こうの世界のように感じられているのだろう。

 ――だがしかし。 武は目を細める。 それも今年、いやあと数ヶ月限りだということを、彼らは知らない。 後ほんの数ヶ月で、日本本土は地獄と化す。

 そのとき、自分の横を通り過ぎてゆく彼らの内、はたして何人が『死の8分』を乗り越えることが出来るだろうか? ……いや、それ以前に、自分は横にいる『彼女』を、今度こそ守りきることが出来るだろうか……? 先の見えない未来に、武は重い溜息をついた。

 夕呼に本土上陸のことを伝えるべきだろうか? ――否、彼女はすでに気がついているはずである。 それに新潟の時とは違い、今回は正確な日付もわからなければ、規模も違いすぎる。 連日警戒態勢を命じるわけにもいかず――やはり、持っている情報が少なすぎる、か。 自身の情報を生かすには、まず自身が死ななければならないと言うのだからお笑い草である。


「タケルちゃん、だから心配してもどうしようもないってば。 リラックス、リラックス。」


 まるで武の心を読んだかのように、純夏はそう言って彼の肩を叩く。


「――なあ、純夏。 たまに思うんだが、お前、オレの心読んでないか?」


 そんな武の問いに、さも当然そうに答える純夏。


「フッフッフー。 私、これでもタケルちゃんのことは、何でも『なんとなく』だけど分かっちゃうんだよねえ。」


 これも幼馴染の性と言う奴なのだろうか? 隠し事の一つも出来ないとは……いや待てよ。 武は訝しげに純夏の顔を覗き込んだ。 まさか純夏には元から『リーディング能力』が?


「――なんちゃって~、確かになんとなく分かるってのもそうなんだけど、タケルちゃんの場合、すぐ表情に出るからとっても判りやすいんだよ。 知らなかった?」


 武の強い視線に耐えかねたのか、純夏は早々にカラクリを暴露した。


「マ、マジかよ。」


 衝撃の事実に、うめき声を漏らす武。 とは言え、以前に誰かから同じようなことを指摘されたような気がしないでもない。 これは本気でポーカーフェイスの練習をしたほうがいいような気がする。


「マジ? マジってどういう意味?」

「ああ、マジってのは『本気』って意味だ。」


 毎度の質問に、武は別段ギャップを感じるわけでもなく平然と答えた。


「……それって古文か何か?」


 再度尋ねてきた純夏に対し、「いや、オレの造語だ。」と、堂々と答える武。


「う~ん……。私が言うのもなんだけど、それ、絶対に流行らないと思うよ。」


 眉をハの字に曲げ、武に哀れみの視線を向ける純夏。


「……うっせ!」


 どうしようもなく惨めな気持ちになって、武は吐き捨てた。


 そうこうしている間に207教室に到着した武と純夏。 大体メンバーの予想はついているとは言え、やはり緊張するものは緊張する。 武は一つ深呼吸すると、教室のドアを思いっきり横に引いた――


「誰も……居ないね。」


 純夏は教室中を見渡しながら呟いた。 彼女のいう通り、教室の中は見事にガランドウで、人のいた気配すらない。

 教室を間違えた、と言うことは無いだろう。入る前に一度確認もした。 もしや、何か連絡を聞き忘れてしまったのだろうか? と、武は顔を顰めた。


「ねえねえ、タケルちゃん。 何か神宮司教官から聞いてる?」


 どうやら武と同じことを考えたらしい、不安げな表情で純夏は尋ねた。


「いや、オレはここで待つようにとしか……純夏こそ何か聞いてないか?」


 武の問いに、純夏は頭を振る。


「ううん、私も同じ。」


 純夏の返答に考え込む武。


「……仕方ない、ここで待機して神宮司教官が来るのを待とう。」

「えっ! 教官呼びにいかなくていいの?」

「下手に動くと行き違いになるかもしれねえだろ? 第一、良く考えてみたら時間まであと10分程余裕がある。 まあもし聞き違いだったら、腕立ての100でも200でもやるしかねえだろ。」


 そう言って肩を竦めてみせる武。


「う、う~ん。 判ったよ。」


 純夏もそれ以上の策は思いつかなかったらしく、ややあって頷いた。


 ――それから十分。 神宮司教官は勿論のこと、他の訓練兵達の姿もまだ見えない。 隣の教室ではすでに座学が始まっているようである。 いよいよ心配になってきた純夏は武に声をかけた。


「タ、タケルちゃん。」

「……う、う~む。」


 ひょっとして、マジで聞きそびれたか? 武の額に冷汗が伝う。

 自分が提案してしまった以上、責任は自分が取らねばなるまい、とは言ったところで、軍隊は連帯責任が原則。 好物でも譲ってやろうか、いや、彩峰じゃあるまいしそれは……などと武が悩んでいると、丁度廊下からこちらに近づいてくる複数の足跡が聞こえてきた。

 ――もしや……。 教室の入り口に目を向ける武。 程なく教室の戸がガラリと開かれ、廊下からまりもが不敵な笑みを携えて、教室の中へ入ってきた。


「待たせたな、2人とも。」


 教壇に立つと、まりもは愉快そうに武達を見やった。 思わずほっとして、2人は揃って溜息をつく。


「さて、では早速新入りを紹介するとしよう。 涼宮、速瀬、鳴海、平、入って来い。」


 まりもに名前を呼ばれ、ぞろぞろと教室に入ってくる4人。 うち3人は、昨日基地裏の丘にいた連中だ。

 純夏は開いた口がふさがらない様子で、目を見開いたまま呆然としている。 そんな彼女の様子にはかまわず、まりもは新入りの紹介を始めた。


「さてまず左から――涼宮遙」

 丸っこい顔に垂れ目、垂れ眉、そして小さめの鼻と、まるで本人の性格を現したかのようにおっとりとした顔立ち。 色物が揃ったメンバーの中でこそ地味だが、一般に言う『かわいい』部類に入る人間なのは間違いない。 どことなく小動物的な愛嬌さえ感じさせる。 部隊の中では一番華奢な体つきをしており、間違いなく、これからの訓練で一番苦労するのは彼女だろう。 へえー、髪、ショートカットだったのか……。 武は自分の知る『彼女』との相違点を見つけ、新鮮な驚きを覚えた。


「速瀬水月」

 少し釣りあがった、意志の強そうな瞳。 すっと伸びた眉。 キリッとしたその顔立ちは、男性は勿論のこと、女性をも魅了するだろう。 純夏張りに腰まで長く伸ばした水色の髪を、頭の後ろでもって1結わえ、俗に言う『ポニーテール』が特徴だ。 水泳をしていたため、全体的に引き締まった体つきをしており、肩幅も女性としては、それなりに広い部類に入る。 ……とは言え本人を前にしてその事を指摘をしたら、間違いなく血祭りにあげられそうだが……。 武は昨日目撃した彼女の一撃を思い出し、僅かに震えた。


「鳴海孝之」

 孝之はいろいろな意味で武とは対照的な顔貌だ。 武の顔が面長、長方形なのに対し、孝之の顔は逆三角形の卵形。 男性受けと言うよりは、女性受けしそうな柔和な顔立ちが、特徴と言えば特徴だ。 身長は武よりも高いが、数年後にはどうなるか分からない。 武と2人並べてみた場合、見ようによっては孝之の方が幼く見えてしまうのは、その身に纏う雰囲気の違いのせいもあるだろう。

 武は1目見たときから、妙に彼のことが気に入らなかった。 しかし、武自身、なぜ自分が彼のことを嫌っているのか良く分かっていない。


「平慎二」

 男人の中では最も厳つい顔立ち。 とは言ってもあからさまに目立つほどでは無い。 通った鼻筋に、優しげな瞳。 短めに切りそろえた髪を、軽く上に流すようにしている。 身長も6人の中で最も高い。 とは言え、男陣3人は正直どんぐりの背比べと言ってもいいかもしれない。


「さて4人とも、向かって右側が白銀武、左が鑑純夏。 貴様達の先任だ。 何かわからないことがあったなら、彼らに聞くといい。」

「「「「了解!」」」」


 入隊二日目だと言うのに一糸乱れぬ敬礼をする4人。 流石は年長者、と、純夏が見当違いな感想を抱く一方で、武はその裏に隠された真実を正確に読み取っていた。

 ――彼らはおびえているのだ、勿論、まりもに。


「以上の6名でもって207B小隊を発足する。 今現在この教室にいる6人一組で今後は行動してもらう。 指揮官適正の一番高い涼宮を隊長、速瀬を副隊長とし、隊員一同は連携して訓練に当たるように。 では、私はこれから用があるので少し席を外す。 本日10:00にグラウンドへ集合、それまでは自主鍛錬とする。 以上!」


 一斉に敬礼をする一同。 まりもはそれを見届けると、さっと踵を返し、教室を後にした。







 取り残された6人。 何故か教室中に緊張した空気が張り詰める。 

 結局誰も口を開くことができないまま、数分が経過した……。


「あ~ったく、息が詰まるかと思ったぜ。 軍隊って何時もこうなのか?」


 真っ先に姿勢を崩したのは孝之だった。 よほど堅苦しい空気が苦手ならしい。 ちなみに、昨日チチがどうのと騒いで水月に吹き飛ばされていた馬鹿者は彼である。


「オイオイ孝之、これぐらいでだらしないぞ。」


 そんな孝之を慎二は嗜めた。 昨日のやり取りといい、この2人はいわゆる『無二の親友』と言う奴らしい。


「今日だって危うく寝坊寸前。 もしオレがお前を起こしに行ってなかったら、オレ達いったいどうなってたことやら……。」


 「昨日みたいなのはもう御免だからな。」ウンザリしたように呟いた慎二の顔からは、若干血の気が引いている。


「う……うぐ……。」


 慎二の指摘に、流石の孝之も顔が青ざめた。 この2人、昨日まりもから余程キツイお灸を据えられたようだ。


「ホントホント、全く、軍隊でそのサボリ癖は通用しないわよ。 あ、そうだ、なんなら私が起こしに行ってあげようか?」


 慎二に便乗するように、水月はチャシャ猫のような笑みを浮かべ、孝之をからかう。


「チッ、うっせーなあ。」


 バツが悪そうに呟く孝之。 「あん?なんか言った?」孝之の舌打ちを耳聡く聞きつけ、水月はガンを飛ばした。


「ああ言ったとも。いらんお世話だッ!」

「なによ、人が折角心配してあげてるのに~。」

「だーかーらー、それがいらんお世話だって!!」


 傍から見たら痴話喧嘩とも取られかねないやり取りを続ける2人。 慎二は「何時ものことか。」と、仲裁を早々に諦め、傍観に徹することに決めたようである。


「あ、あの~……え~っと……ど、どうしよう。 隊長として……ここは、ビシッっと言っておくべきなのかな? ……あ、でもなんて言えば?」

「涼宮さん……あの~、もしも~し……。」


 なにやら一人ブツブツとつぶやいている遙。 武の呼びかけにも全く反応しない。 武は純夏に視線で助けを求めた。 純夏は最初こそ困ったような表情を浮かべ嫌がっていたが、やがて諦めたように席から立ち上がり、未だ思考の海に沈んでいる遙の目の前へと回り込んだ。


「え~っと、涼宮さん……でしたよね?」


 と、声量2割増し程度で呼びかける純夏。


「――ひうっ?! ……あ、ハ、ハイ!」


 考え込んでいた最中に突然声をかけられたためか、遙はビクッと震え、おびえた視線を前に向けた。


「私、『鑑純夏』っていいます。 いろいろと足引っ張っちゃうかもしれませんが、よろしくお願いします!」


 はにかんだ笑みを浮かべて、純夏は右手を差し出す。 「え、わ、私こそ……よろしくお願いします、鑑さん。」差し出された手をおずおずと握る遙。


「えーっと、私は速瀬水月。 遙とは中等学校の時からの友達よ。 速瀬でも水月でも呼びやすいほうで呼んで頂戴。」


 純夏たちのやり取りに興味を引かれたのか、飛び入りで会話の輪の中に入ってきた水月。 寸前に響いた鈍い打撃音や、床に無造作に転がっている孝之、そして未だ彼の横をコロコロと転がり続けている小汚いボールについては、誰も突っ込まない。 いや、突っ込めない。


「あ、それじゃあ速瀬さん、で。」


 なるべく孝之を視界に入れないようにしつつ答える純夏。


「そっか。 じゃあ私は純夏って呼んでもイイ?」

「はい、いいですよ。」


 ニコリと承諾する純夏。 ところが水月は喉に骨が引っかかったような顔をしている。


「……むう、やっぱり前言撤回! やっぱり私のことは水月って呼んで、私堅っ苦しいの苦手なのよ……だから出来れば敬語もやめて頂戴!」


 突然の提案に「――え?! でも良いんですか?」と、驚きの声を上げる純夏。


「私が良いって言ってるんだから良いじゃない。 それじゃあ早速呼んでみよう。 3、2、1……ハイッ!」

「あ、え~っと水月……さん。」

「……う~ん、まあ追々慣れて頂戴。 じゃ、これからよろしくね!」


 かなり強引に事を進める水月。 武は一瞬めまいを覚えた。 というのも、過去武は同じようなことを207の仲間達の前でやらかしているのだ。 武は自分がいかに突拍子もないことを言っていたのか、この瞬間初めて理解した。


「――で、あんたは?」


 首だけ向けて武に尋ねる水月。 いかにもついでという感じがしないでもない。


「オレの名前は白銀武です。 純夏とは幼馴染。 呼び方は、もう速瀬さんが呼びやすいように呼んでくれちゃって結構です。」


 先程のショックが抜けきれず、武は投げやりに答えた。


「ふ~ん、それじゃあ……『覗き魔』ってのはどう?」

「――え゛っ?」


 ひょっとして昨日覗いてたのバレてた? 武は反射的に後ずさった。 そんな武の様子を、水月は胡散臭そうに見つめいてる。 ごくりっ、と武の喉が鳴った。


「嘘嘘、冗談よ。 そうね……白銀って呼ばせてもらうわ。 私のことは速瀬って呼んで頂戴。」


 一転してケラケラと笑う水月。


「う、わ、わかりました。」


 半分命令形で頼んでくる水月の勢いに押され、武はとっさに頷いてしまった。 正直彼女、かなり図々しい。 まるで過去の自分を見ているようで、武の心はシクシクと痛んだ。

 まあ彼女は彼女なりのやり方で、自分たちと溶け込もうとしているのかもしれないが……。 武は過去の行動理念と照らし合わせ、なんとなくそう思った。


「ほら孝之! あんたもいつまでも床に這い蹲ってないで、さっさと挨拶ぐらいしたらどうよ?」


 そう言って、床に潰れた蛙のように横たわっている物体に蹴りを入れる水月。


「イツツツ、ったく、誰のせいだと思ってんだよ。 一瞬ヘヴンだぞ、ヘヴン!!」


 孝之は強打した後頭部を摩りながらも、なんとか起き上がった。


「あ~、もう、わかったから、いつまでもウダウダ言ってないで――」

「はいはい、言われなくてもそうするって。」


 水月の言葉を遮り、うざったそうに答える孝之。


「さっきあの『鬼』教官が言ったから知ってるだろうけど、一応。 ……オレの名前は鳴海孝之。 苗字でも名前でも、まあ好きなほうで呼んでくれ。 よろしくな!」


 『鬼』の部分をやたら強調する孝之。 武も純夏も思わず苦笑した。


「え~っと、最後はオレかな? オレの名前は平慎二。孝之とは中等学校の時からの腐れ縁だ。 オレを呼ぶときは――」

「デブジューって呼んでやってください!」


 慎二の弁を遮り、茶々を入れる孝之。


「なッ! ……おまえ、その呼び方は止めろッ!」


 血相を変えて止めにかかる慎二。 だが孝之は小声で「ホモ呼ばわりされるよりかはマシなんだろ? え?」とすぐに切り返す。


「……デブジュー? ホモ?」

「あーっと鑑……さん? 気にしなくて良いですよ、っていうか、どうか気にしないでください。」


 「この通り!」と、純夏に向かって手お合わせ、頭を下げる慎二。 純夏はそのあまりの必死さに、半歩足を引いた。


「う、うん。 それで、結局、平君のことは何て呼べばいいの?」

「好きなように呼んでくれていいですよ。」


 「……デブジュー以外で。」と、念を押す慎二。 その様子はあまりに滑稽で、武を含む一同は一斉に爆笑した。


「あの~……その~……皆さん?」


 後ろから聞こえてきたか弱い声に、武はふと振り返った。


「あれ、涼宮さん? どうかしたんですか?」


 武は珍しく敬語を使った。 いかに武とは言え、彼女は自分の中では上官にあたる人物。 そう簡単にフランキーに話しかけることなど出来ない。


「あの~……時間の方が、もうそろそろ……危ないんじゃないかなー……って。」


 彼女が指差した時計の長針は、とうに11を過ぎてしまっていた。


 数分後、グラウンドでは仲良く腕立て伏せをしている6人の姿が見られたそうである。


 第一章 了

 第二章に続く……



[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第二章 第一話 訓練 ~Things are seldom what they seem.~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:9b750810
Date: 2010/10/24 14:50




――どんよりと曇った空、連日の雨でぬかるんだグラウンド……。

 「それが何だ!」と言わんばかりに、今日も今日とてグラウンドには訓練兵達の威勢のいい掛け声が響き渡っている。 そして、そのグラウンドの一角にある射撃演習場では、207小隊による射撃訓練が行われていた。







 武は泥まみれになることもお構いなしに、小銃を小脇に抱えたまま土手に飛び込んだ。 粘着質な音とともに、生理的に受け付けにくい感触が胸から下半身にかけてを襲うが、それも慣れてしまえばどうということは無い。 発射機能を連射に設定、照準を定め――引き金を引く。

 乾いた破裂音が断続的に響く。 そのたびに、的の中央には2つ、3つと直径5~6ミリ程の穴が開いていった。


「へえ、白銀~、なかなかやるわね。 全弾命中じゃない。」


 水月は武に親しげな様子で話しかけた。 しかし褒められたにもかかわらず、当の本人はどこか不満そうに顔を顰めている。


「どうしたの?」

「どうも反動が殺しきれなくて……。 うーん鈍ったみたいです。」


 言われて水月はもう一度双眼鏡を覗き込んだ。 ああ、なるほど。言われてみれば確かに『的の中央から』逸れた場所にいくつか弾痕がある。


「……ねえあんた、それって嫌味?」


 思わず水月は漏らした。 武はキョトンとした顔で水月を見上げる。


「あのさ、言っとくけど私達、的の中心に当てるだけでも四苦八苦してるんだけど?」

「……あ゛、え~っと別にオレはそんなつもりで言ったわけじゃ。」


 しどろもどろに言い訳する武。 まったく、孝之張りにからかいがいのありそうな奴である。 水月はふっと笑みを浮かべた。


「わかってるわよ、そんな事。 本当に嫌味だってわかってたら、四の五の言う前にあんたのことぶっ飛ばしてるわ。」


 肩を廻してみせる水月に、武は顔を青ざめさせて後ずさった。


「――まったく、涼宮!! 貴様は何度言ったらわかるんだ!!!」

「……すみません! ……すみません!」


 突然響いてきたまりもの怒号。 何事かと振り返ると、遙がまりもに向かってペコペコと頭を下げている。 どうやらバースト射撃を指示されたにもかかわらず、フルバーストで全弾撃ちつくしてしまったらしい。


「あちゃ~、遙、またやっちゃったみたいね。」


 おっちょこちょいは相変わらずか。 言いつつ脇目でチラッと純夏の様子も観察する。 どうも照準がおかしかったらしく、額にしわを寄せ、唇を尖らせながらスコープを調節していた。


 孝之達はと言えばこの場にはいない。 というのも、朝寝坊で点呼に遅れた挙句、まりもへの報告もすっぽかした為に、罰としてグラウンドを走らされているのだ。 これが一度目ならまだしも、4度目なのである。 仏の顔も三度までとはよく言ったもので、まりもは罰を2人に告げるとき、まるで般若のような形相をしていた。 ちなみに言えば、1度目から3度目は私たちも連帯責任として一緒に走らされていた。

 207A小隊との接点は薄い。 ライバルとして競い合ってはいるものの、基本的にあまり交流はない。 これは恐らくこの隊特別の『事情』によるところが大きいだろう。


「ああ、そうそう。 敬語はやめてって散々言ってるじゃない。年齢が違うとは言え、私達同じ部隊の仲間でしょ!」

「そ、そうは言われても……やっぱり年上相手に敬語を使わないのもなんだか気が引けて……。」

「なによ、それじゃあまるで私が年増みたいじゃない。」


 まあ仕方ないか。 水月は溜息をつく。 3歳も年の差があれば、確かに敬語を使いたくなると言うものである。

 それにしても全く、この事実を知らされたときには、本当に焦ったものだ。

 水月は2週間前、入隊式翌日のことを思い出した。







 ちょうど武達との顔合わせの日、点呼が終わった後、水月、遙、孝之、そして慎二の4人は、まりもに呼ばれ、とある空き教室に集められた。


「貴様らには訓練を始める前に、1つ予め知らせておかなくてはならないことがある。」


 そう切り出したまりもの顔は真剣で、前日の激怒とはまた違うベクトルのプレッシャーを水月達に感じさせた

 ――ひょっとして、私達歩兵行きとか……?

 一瞬頭を掠めたその可能性。 ありえないとは知りつつも、一度意識してしまったためか、妙にその可能性が頭の隅に引っかかって、気になってしょうがない。 手がじっとりと汗ばんだ。


「207B小隊には、お前達以外に『もう2人』先任の訓練兵がいる。」


 ややあってまりもは、そう水月達に告げた。

 ――え?

 何を言われたのか良く分からず、水月は、一瞬思考が停止した。 しばらくして、とりあえず自分たちは衛士失格の烙印が押されたわけでは無いと言うことがわかり、ホッと肩の力を抜く。


「それってつまり、前年度落ちちまった奴らと一緒ってことですか?」


 眉を眉間に寄せ、不満そうに漏らす孝之。


「鳴海、貴様に発言の許可をした覚えはないぞ。」

「っ……はっ! すみませんでした!!」


 まりもに睨まれ、孝之はすぐさま頭を下げた。 『あの』孝之が素直に謝るとは、どうやらよほどまりものことが怖いようである。


「まあ、一応答えておいてやる。 答えは『NO』だ。 流石に2期連続で落ちるほどの無能を、軍隊にとどめて置くわけがないだろう? 2人は、今から約2週間ほど前に配属された、貴様たちと同じ、れっきとした『ひよっこ』だ。」


 「『ひよっこ』にれっきとしたと言うのも、また変だが……。」まりもは苦笑を漏らす。


「なんにせよ、次は無いからな鳴海訓練兵。 ……その緩みきった根性、訓練で叩きなおしてやるから覚悟しておけ?」


 再び鋭い視線に抜かれ、孝之はギクリと背筋を伸ばした。


「あの、質問よろしいでしょうか、神宮司教官?」


 孝之の犠牲から学んだのだろう、慎二は初めに発言の許可を求めた。 そんな彼のことを、孝之は恨めしそうに睨んでいる。 その気持ち、わからないでもないが……。 まあこれ以上私が気に揉んでも仕方あるまい。 水月は孝之から視線を逸らし、溜息をついた。


「なんだ平、言ってみろ。」

「何故彼らは我々より2週間も前に配属されたのでありましょうか?」

「ああ。 それは今から説明――」


 突然、まりもはそこで言葉を区切った。 何を思ったのか、ソワソワと教室の入り口の方を窺っている。 まるで誰かが来るのを警戒しているようだ。


「あの~、どうなされたのでしょうか、教官?」


 突然の奇行に、たまらず水月はまりもに尋ねた。


「――い、いや、なんでもない。 ……ゴホンッ、えー、それは今から説明するところだ。」


 まりもはワザとらしく咳払いをして答えた。 その頬は若干赤く染まっている。


「理由経緯云々は軍機につき答えられないが……まあ、結論から言ってしまえば、彼らはまだ今年で15だ。」


 今年で15? それがどうしたと言うのだろうか? 水月は首を傾げた。

 ――刹那、ゾクリとした寒気のようなものが水月の背中を貫いた。 その15と言う数字が、本来有り得ないものだと言うことに気がついたのだ。


「ええっと、それってつまりは……。」

「ああ、平。 これから貴様たちと訓練を共にする2人は、いわゆる『少年兵』というやつだ。」


 その場にいた、まりもを除く全員が息を呑んだ。

 この世界において少年兵を採用している国は多い。 いや、半数以上の国が少年兵を公に認めていると言っていいだろう。 逆に少年兵を認めていない国と言ったら日本、オーストラリア、そしてアメリカといった、BETA圏外の比較的少数の国々程度である。 だが前述の通り、日本は少年兵を採用して『いない』はずなのだ。 あくまで表向きは。


「……それって、オレ達に教えて大丈夫だったんですか?」


 まるで人が変わったかのような真面目な表情で、まりもに問いかける慎二。


「遅かれ早かれお前たちには、ばれてしまうだろうからな。 ならば予め知らせておいて、その上で『協力』してもらったほうが話が早い。 そういう訳だ。」

「すみません教官、協力って言うと具体的にどのようなことをすれば?」


 まりもの答えに、たまらず水月は口を開いた。


「そうだな、大きく分けて2つほどある。 まず第一に、彼らのことを外部に漏らさないで欲しい。 いろいろと面倒なことになるからな。 もしそれが守れないようなら、最悪の場合、貴様達を半軟禁することもありうるだろう。」


 脅し半分で言ったまりもの目は、確かに本気だった。


「もう一つは、彼らと出来る限り『同じ部隊の仲間』として接して欲しいということだ。 まあこれはあえて言うまでもないことなのかも知れないがな。」


 ――「同じ部隊の仲間として。」か。

 言われるまでもない。 水月はニッと笑った。 彼らがどのような境遇でこんな事になったのかは知らないし、知ろうとも思わない。 多少訓練では足を引っ張ってくれるかもしれないが、そのぶんは自分達がカバーすれば良いだけの話だ。 何の問題も無い。

 ならば、自分のやるべきことは一つ、なるだけ早く彼らと打ち解け、彼らを支えてやることである。


 ――そう決意して、教室の中へと入っていったわけであるが……。


 蓋を開けてみれば何のことは無い、むしろ足を引っ張っているのは自分達の方だった。 恐らく、言われなければ彼らが年下だとは気がつかなかったことだろう。 それほどに彼らは、少なくとも訓練においては『頼もしい』。


「え~っと、なんでしょうか?」

「えっ? あっ! なんでもない、なんでもない……。」


 いつの間にか凝視していたらしい。 確かに、無言で見つめられるほど気持ちの悪いことはそうもあるまい。 水月は慌てた武から視線を逸らした。


「そうそう、あんた狙撃するとき何時も決まった構え方してるじゃない、あれって何なの?」

「ああ、あれは英国式の伏射姿勢です。 呼吸がし易いのと、あとオレはこの姿勢で慣れてるんで。」


 スラスラと答える武。 何処か自慢げだ。


「へえ~、教官から習ったの?」

「いえ、タマ……じゃなかった、ちょっとその道のプロから直々に指南してもらったんです。」


 言いながら武は起き上がる。 体中泥まみれだ。 思わず笑いがこみ上げてくる水月。


「ほ~う、お前達、訓練中におしゃべりとはいい度胸だな。」


 背後から聞こえてきた底冷えのする声に、水月は湧き上がってきた笑いを飲み込み、竦み上がった。 遙への説教を終えたまりもは、続いて水月たちに狙いを定めたらしい。


「い、いえ、私はですね。 白銀訓練兵に狙撃の仕方を指南してもらおうと思いまして、その、お願いをしていたのであります。」


 水月はその姿勢のまま、いけしゃあしゃあと答えた。 勿論即席で作り出したでっち上げである。 それを知ってか知らずか、まりもは一端水月への矛先を収めると、変わって武に問いかけた。


「ほう、白銀。 貴様は狙撃が得意なのか?」

「得意と言う訳では……はい! 得意であります!」


 否定しかけた武だが、水月にギンと睨みつけられ、あえなく首を立てに振った。


「なるほど、ではお手並み拝見といこうか。 あの的は狙えるな、白銀。」

「あの300mぐらいの所にある的ですか?」

 
 タケルの指差す先にはまるで豆粒のようになった直径1mほどの的があった。 流石に素人では的に当てるどころか、かすることさえ難しいだろう。



「ああそうだ。 狙撃が得意だと言うのなら、この程度の距離、朝飯前だろう?」


 意地の悪い笑みを浮かべるまりも。 だが武は特に動じた様子もなく、平然と答えた。


「あっと、勿論伏射でいいんですよね?」

「――あ、ああ。 構わないが。」


 武のあまりにあっさりとしたリアクションに、まりもは若干戸惑っているようだ。

 銃にスコープを装着し、いよいよ射撃体勢に入る武。 1発、2発。銃口から火花が迸った。


「ちょっと、一発しか当たってないわよ~。」

「今スコープを調整してるんです。 次で真ん中に当てます。」


 武はそう宣言して引き金に指をかけた。 息を呑んでその様子を見守るまりもと水月。

 ――刹那、単発的に響く発砲音。 見る間に的は蜂の巣になった。 しかし、武はまだ引き金を引いていない。


「ああっ! 純夏! おまえやりやがったな!!」


 武は上半身だけ起こして吼えた。 慌てて純夏の方を見ると、まるで武と同じ構え方をした純夏が、武に向かって勝ち誇った笑みを投げかけていた。 その手には先程彼女自ら調整していた銃が握られている。


「へっへーんだ。 私の勝ちだね、タケルちゃん。」

「はあ? 誰がおまえと勝負するなんて言ったんだ?」

「ふっふっふー、負け惜しみなんて男らしくないよ~、タケルちゃん。」

「んだと?! っとに見てろよ純夏ッ!!」


 言うや否や再び銃を構えなおし、引き金を引く武。 弾はまるで吸い込まれてゆくかのように的のど真ん中へと突き刺さっていった。 まるで子供の木登り競争のようなやり取りだが、やっていることがあんまりにも無茶苦茶だ。 水月は言葉を失って、純夏と武の間で視線を漂わせた。


「どうだっ!!」

「そ、そんなの銃の有効射程範囲内なんだから当たり前じゃん!!狙撃が得意って言うんだったらあの800mの的に当ててみせてよ。」

「……おまえ、勿論この銃の有効射程知った上で言ってるんだろうな?」


 武はあからさまに顔を引きつらせた。 彼の反応も無理はない。 この銃の有効射程距離は500m、300mもオーバーしている。 熟練の兵士でも当てることは難しいだろう。


「あれ? ひょっとして怖気づいちゃった? そうだよね~、タケルちゃんに出来る分けないよね~。」


 調子に乗って武をはやし立てる純夏。


「……ふっふっふ。」


 なにやら黒い瘴気のようなモノを背負って、武は不気味な笑い声を上げた。 思わず武から距離を取る水月。


「言いやがったな純夏。 いいだろう、かけようじゃないか。 もしオレの撃った弾が当たったら、今日の昼飯のおかず一品よこせ。 その代わりもし外したらおまえに一品くれてやるよ。」


 そう言って狙いを定める武。


 いつの間にやらどんよりと曇った空が晴れ、暖かな日差しが射撃場を正面から照らし始めていた。 太陽の光に足元の泥が熱せられ、ジワジワと蒸気が体を蒸らす。 グラウンドの隅に掲揚された日の丸の国旗は、力無さげにポールにその身を預けていた。

――閃光が迸る。

 急いで双眼鏡で水月は確かめにかかった。 的は先程の姿のまま何の変化も無い……ハズレだ。


「どうですか? 水月さん。」

「――残念ハズレ。 まあ、無理も無いでしょ。 あの距離じゃあ流石にね。」


 水月はそう言って武の肩を叩いた。 ガックリと膝をつく武。


「……速瀬、的の右少し上の弾痕が見えるか?」

「はい?」


 まりもに言われて確認する。 逆光で見にくくてしょうがないが、確かに的の10cm程右上に小さな弾痕が見えた。


「あの教官、あれってひょっとして……。」

「ああ、白銀の撃った弾だ。」


 コイツは化け物か。 水月は舌を巻いた。 逆光、しかも太陽の熱でもやが立って、双眼鏡ですら揺らめいて見える的に、武は超至近弾を叩き込んだのである。 もう少しコンディションがよければ当たっていたかもしれない、いや、間違いなく当たっていただろう。


「白銀~、あんた言うだけのことはあるみたいね。」

「いや、でも結局外しましたし……ああ、オレのサバミソがあ!!」


 ガッデム! と天を仰ぐ武。 どうやら彼にとっては水月に認められることよりも、今日の昼飯のおかずが一品減るほうが重大な事らしい。 対照的に純夏は小躍りをしている。 ああ、そう言えば今日はサバの味噌煮が出る日だった。 水月はそんな事を思い出した。


「なんだ? なにか面白いことでもあったのか?」


 丁度そこに、グラウンドのほうから孝之と慎二が姿を現した。 2人揃って肩で息をしており、額には玉のような汗が浮かんでいる。


「もう、遅いわよ慎二、孝之。 もうちょっと早ければ面白いものが見れたのに。」

「な、何だよ、何があったんだよ。」


 興味心身な様子で食いつく孝之。 だがお喋りはそこで、まりもの雷に遮られてしまった。


「こらッ! 鳴海訓練兵! 平訓練兵! おしゃべりしている暇があったらさっさと小銃の整備をして来ないか!!」

「「っ、了解!!」」


 罰を消化した孝之達と合流し、その後も射撃訓練は続く。







 午前の訓練が終了し、一行はPXへと足早に移動を開始した。 一週間前なら急がなくても何の不自由も無かったPXであるが、一週間前からは様子が一変し、それこそ『戦場』の様を呈している。 それを避けるためには一刻も早くPXに乗り込むか、時間をずらして午後の座学開始ギリギリの時刻に入るしかないのだ。

 と言う訳で、武達は野戦服から着替えると、シャワーもそこそこにPXへと向かっている訳である。


「なあ、純夏、頼むからサバの味噌煮だけは勘弁してくれ。」

「知らないよ、タケルちゃんが勝手に自分で約束したんでしょ。」


 純夏は全く聞く耳を持たない。 だが武もこの時ばかりは何も言い返さなかった、いや、言い返せなかった。

 ――増長してたんだろうなあ。

 武は肩を落とした。 結局、体がまだ出来上がっていなかったのである。 知識や経験があっても、体が言うことを聞いてくれなければ本末転倒だ。 これからは、訓練にこれまで以上に熱心に取り組む必要があるだろう。


「……でも、鑑さん。 白銀君もがんばってたし……」


 以外にも、武に助け舟を出したのは部隊長の遙だった。


「だ、だめだよ涼宮さん。 そんな事したら、きっとタケルちゃんまた増長しちゃいますって。」


 「そ、そうなの?」可愛らしく首を傾げる遙。 「そうなんです!」と純夏は力強く頷いた。


「――ああ、もうわかったって。 もってけドロボー!」

「うんうん、潔くてよろしい!」


 「えっへん」と胸を張る純夏を、武は恨めしそうに見つめた。 よほどサバの味噌煮に未練があるらしい。 「オレのサバ味噌……」と未だにブツブツ呟いている。


「そうだ、そうだ! 漢たるもの、一度した約束はキッチリ守らないとな。」


 突然首を突っ込んできた孝之。 おかげで話が混ぜ返されてしまった。


「……孝之、おまえの言えたことじゃねえだろ。」


 武は溜息混じりに孝之を睨んだ。


「なにッ! って言うか、おまえ何でオレは呼び捨てなんだ? 速瀬と涼宮には敬語使ってるくせに!」

「そんなの自分の胸に聞いてみたら~?」


 武の変わりに答える水月。 まったく、呼び方どうのこうのを気にするとは、孝之もまだまだ子供である、と、自分のことを棚に上げてそう思った。


「速瀬、おまえには聞いてないってーの!!」

「まあまあ落ち着け孝之、そんなんじゃ言われても仕方ないだろ。 もし言われたくなかったら大人の余裕でもってだなあ――」

「慎二、お前もか! このデブジューめ!!」


 慎二が言い終わる前に罵倒する孝之、これにはたまらず慎二もカチンときた。


「なんだとーッ!!」

「はいはい2人ともそこまで。 全く、2人とも大人気ないと思わないの?」


 水月の的確な突っ込みに、男陣2人はお互いに矛先を納めた。 完全に、尻に敷かれてしまっているようである。


「これじゃあどっちが年長なんだか分かんないじゃない。 慎二の言うとおり、少しは大人の余裕をは持ちなさい?」

「ぐぬぬ……。」


 この恨み、晴らさでおくべきか! そう言った形相で孝之は水月のことを睨みつける。


「あの、水月……そのぐらいに……。」

「――う~ん、遙がそう言うなら。」


 遙はこの部隊において、ストッパーのような役割を果たしている。 誰に対しても中立的な姿勢にある彼女は、言わば部隊内のご意見番として非常に重宝されているのだ。

 一見、隊長と副隊長の立場が逆なような気もするが、『気弱な指揮官と強引な副官』というのも、パワーバランス的にはそんなに悪くは無い組み合わせである。

 逆に一番問題なのは、隊長と副隊長の性質が同じだった場合だ。 もし性質が同じだった場合、刻々と移り変わる戦況において柔軟な対応が取れなくなったり、或いは部隊としての行動そのものに支障をきたす場合がある。 何事もバランスが大事なのだ。


 そんなこんなで、207Bは賑やかでこそあれ、一見平穏な日々を送っていた。




[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第二章 第二話 交錯 ~Porcupine's dilemma~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:9b750810
Date: 2009/01/02 23:33
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 座学教室に『カツ、カツ、』という、チョークで黒板を叩く音が木霊する。 黒板に描かれた地形図らしきものをぼうっと眺めていた武だったが、やがてそっと溜息をつくと、気だるそうに視線を窓の外へと移した。

 空には灰色の雲がどこまでも広がり、至極健康なものでも陰鬱な気持ちにさせる。 世の中には、このアンニュイな雰囲気を好む輩もいるらしいが、残念ながら武には彼らの気持ちが理解できそうになかった。


「鳴海! 貴様何をよそ見しているッ!」


 どうやら自分以外にも余所見をしていたバカがいたらしい。 「そんなに外に出たいなら、今すぐグラウンドを10周して来てもいいんだぞッ!!」と、孝之がまりもに凄まれている様子を尻目に、武はそっと姿勢を正した。







 ――六月

 長い梅雨も真っ盛り。 武達は特に五月病に悩まされることも無く、訓練に、勉学にと励んでいた。

 しかし勉学とは言っても、まだ2ヶ月しか過ぎていないというのに中等学校3年で習う範囲は全て終了してしまった。 そのため、近頃はもっぱら夕呼に出されるであろう恐怖の終了試験のための試験勉強と、少々おろそかになっていた座学、緊急治療の補講が行われている。

 その席には何故か当初から孝之の姿があり、釣られるように1人増え、2人増えした結果、結局207B分隊全員が参加している。 成績上トップはなんと遙で、ついで武、慎二、水月、純夏と続き、ダントツ最下位で孝之、といった具合だ。 孝之もやれば出来るはずなのだが、本人が本気を出そうとしないため、どうしようもない。 流石に脱走こそしないものの、座学の授業中は隙あらばボーっとしている。

 座学は今一歩――とは言っても、あくまで207Bメンバー内であって、成績自体は優良――な水月だが、野外実習となると様子が一変。 最近調子を取り戻しつつある武と並ぶほどの実力にまで急成長を遂げていた。 その後に慎二、孝之、純夏がほぼ同列で並ぶ。 遙は最上位と最下位の両方を手にするという極めて稀な境遇に立っていた。 純夏を越えるほどのドジ……というよりは天然ぶりで、何も無いところで転倒することもしばしば。 これには教官であるまりもも、頭を抱えている。

 成績的にはあまりパッとしない純夏であるが、決して一般的訓練兵に比べ劣っていると言うわけでは無い。 むしろ優秀な部類に入るのだが、如何せん、夕呼が故意的に優秀な人材を集めた207小隊である。 その能力が霞んで見えてしまうのも致し方ないというものだ。 本人もそれは分かっているらしく、それで落ち込んだりと言う様子もあまり見られない。

 結論からすると、207B分隊は多少個人差はあれど、ほぼ横並びの成績と言えた。


 そんな彼らの身の回りでは最近大きく分けて3つの変化があった。

 まず第一に、とうとう水月が武達にタメ口を使わせることを諦めたことだ。 勿論、年齢差を理由に部隊が分裂したわけでは無い。 むしろその逆で、狙撃の一件以降207B分隊は互いに『仲間』と呼びあえる程度までに親交を深めている。 水月が諦めた理由を一言で表すと、『親しき仲にも礼儀あり』だ。 すでに仲間となった以上、あえて馴れ馴れしく接することで強引に接点を作る必要性がなくなったのだ。

 つまるところ、水月は武達を本当の意味で仲間と認めたが故に、彼らにタメ口を『強制』することを止めたのである。


 第二に、207小隊における夏の総戦技評価演習……基礎訓練課程の卒業試験……の予定が、一ヶ月ほど繰り上がった。 本来8月に予定されていたそれが7月7日、七夕に変更されたのだ。 丁度純夏の誕生日と重なるが、それはただの偶然だろう。 繰り上がったのは『207小隊の習熟度がすでに演習に耐え得るにまで成長したため。』とまりもからは伝えられたが、恐らくそれだけではあるまい、と、武は睨んでいる。

 ――恐らく、『香月博士』は光州作戦、若しくはその後の作戦に自分達の任官を間に合わせる気なのだろう。 彼女の元には国民や一般衛士に与えられる情報とは質、量ともに比べられないほどの情報が、日々なだれ込んできている。 その情報から遠からずBETAの本土侵攻が発生するであろうことぐらい、十分推測出来ているに違いない。

 それは武にとっても望むところであった。 九州が壊滅すると分かっていながらぬくぬくと関東で過ごしていることなど、武にとって許容し難いことである。 出来るなら参戦したいとも思っていたが、夕呼に掛け合うまでも無くことがうまく運んだことは、彼にとって真に都合が良かった。


 しかし、それは同時に純夏達が戦場に立つ時が近くなるということも意味する。

 ――はたしてそれは喜ぶべきことだろうか?


 同時に武はある種の不気味さも感じていた。 あまりにもことが都合よく運びすぎているのだ。 突然の徴兵といい、今回のことも、本来ならばありえない。 武にはそこに何らかの意志が働いているように思えてならなかった。

 ――まあ考えすぎなのかも知れないが。


「武、おい、武!!」

「……んあ?」

「『んあ?』じゃ無くて人の話ちゃんと聞いてたのかよ?」


 武が顔をあげると、そこには呆れたように眉を寄せた慎二の姿があった。


「あっ、と。 すまん、少し考え事してた。」


 答えた武に、「お前がボーっとしてるなんて珍しいなあ。 孝之じゃあるまいし。」と言って、慎二は苦笑した。

 余談だが武は男陣にはあまり敬語を使っていない。 特に理由と言うものは存在せず、気がついたらそうなっていたと言うのが3人の共通した見解だ。 お互いタメ口の方がしっくり来るようで、現在ではすっかりそれが定着してしまっている。


「アン!? オレが何だって?」


 どうやら2人の会話が耳に入ったらしい。 突然引き合いに出された孝之が、半眼で慎二を睨んだ。 しかし慎二は全く動じない。


「何か言い返せるか? 全く、総戦技評価演習まで後一ヶ月切ってるんだぞ? もうそろそろ、真面目に座学受けようとか考えたらどうなんだ?」


 思わぬ慎二の辛辣な言葉に、孝之は「ぬう……。」と、口を閉ざす。


「お前1人だけなら、それでも良いかも知れない、あくまで自己責任だからな。 ……でも下手したら分隊丸ごと落第もあり得るんだぞ?」


 一旦そこで言葉を区切るも、慎二はためらいがちに言葉を続けた。


「――いや、それ以上におまえにはがんばらなきゃいけない理由があったはずだと思うんだが?」


 真正面から孝之を見据え、慎二は問いかける。 孝之は無言で罰が悪そうに目を背けた。


「涼宮に良いところ見せておいたほうがいいんじゃないか? おまえ、いい加減愛想尽かされちまうぞ。」

「……それは、そうだな。」


 そう言った孝之の表情は、決して納得した人間の浮かべるモノではなかったが、慎二はその答えで満足したらしい、「ま、分かってればそれでいいんだ。」と、存外あっさり追及の手を引っ込めた。


「……涼宮を泣かせるんじゃないぞ?」


 慎二はあくまで親切心から釘を刺すも、対する孝之はとても居心地が悪そうである。


 ――第三の変化、それは孝之と遙が付き合い始めたことである……何の前触れも無く、突然に。

 いや、前触れが無い、といったら少し語弊があるかもしれない。 少なくとも遙が孝之に対して特別な感情を抱いているであろうことは、傍から見れば一目瞭然であった。 唐変木の武でさえ気がつくほどだ。 ――いや、武の場合は、『気づいた』と言うよりは、予め知っていたのを『思い出した』と言った方が適切かもしれないが……話題休談。

 事の顛末を言うと、『突然、遙の方から孝之に告白し、その突然の告白に孝之はOKしてしまった』らしい。 『らしい』と言うのは、本人から聞いたことでなく、全てが水月からの伝聞であるため、詳細なことは知らないのである。 しかし、孝之達が否定しないところからすると、おおよそ事実なのだろう。

 純夏含め、207B分隊のメンバーは、この新たなカップル誕生を極めて好意的に受け取り、何かと2人をサポートしようと躍起になっている――


「なあ、孝之。」


 ただ一人、武を除いて。


「何だよ武?」


 気だるそうに顔を起こす孝之。 「――お前、本当にソレでよかったのか?」喉まで出てきたその言葉を、武は必死に飲み込んだ。


「……いや、なんだ。」

「――ッ、おまえに言われなくてもわかってる。」


 武が何かを言う前に、孝之はそう吐き捨て、いきなり席を立った。


「お、おい孝之!!」


 慌てて止めに入る慎二に、孝之は「遙のところに行ってくるだけだよ。」と言い残し、そのままPXを後にした。


「……あ~っと、あまり気にすんなよ?」


 申し訳なさそうにそう言う慎二。 武は頭を振った。


 正直、武にとってこのカップル誕生は、あまり歓迎できることではなかった。 それは別に武が遙を狙っていたからでも、まして孝之の幸せをねたんでいるわけでもない。 単純に、彼らが新たなトラブルの火種になりかねなかったからである。

 武からしてみれば、孝之と遙は、周りの思っているほど『上手く』いっているようには見えなかったのだ。 純夏にそれを話したところ『武があまり孝之を好ましく思っていないためだ。』と、一瞬で反論されたが、武にしてみれば色眼鏡を掛けているのは、むしろ周りであるように思えた。

 武は確かに孝之をあまり好ましく思っていない。 それは、孝之が過去の己の姿に重なって見えた為だ。 切り捨てる、『選択』する勇気の無かった……『覚悟』が無かったころの自分に。

 孝之は常に周りの意見に流されている。 『恋人』である遙に対するアプローチですら自発的でなく、他者に促されて行動することが多い。 武に言わせてみれば、それは『逃げ』だ。 無意識かもしれないが、孝之は『選択』することによって己が背負うことになる『責務』から、目を背け続けている。

 周りは良かれと思ってアドバイスをするが、孝之はそれを特に吟味することも無く行動に移すため、行動に『心』が見えない。 遙も薄々そのことに気がついているらしく、孝之が行動を起こせば起こすほど、表情に影が差していっているように、武には思えた。


「ねえ、孝之見なかった?」


 孝之が席を立って間もなく、彼が去っていった方とは反対側から水月が姿を現した。


「ああ、孝之なら今さっき向こうの方へいったぞ。」


 あっちあっち、とジェスチャーを交えながら慎二は答える。 「えっ、本当?」水月は意外そうに目を瞬かせる。


「ったく孝之の奴、遙ほったらかしていったい何をやってるんだか……。」


 苦虫を噛み潰したような表情で孝之の去っていったほうを睨む水月。 武は慌てて「その涼宮さんを探しに行ったみたいですよ。」とフォローを入れた。


「――えっ? あ、そうだったの? ……ねえ慎二、本当?」


 「ああ、間違いないな。」と、慎二も相槌を打つ。 水月はそれを聞くと、少し考えこむような仕草を見せた。


「あ~、でもやっぱりちょっと心配だから様子見てくる。 じゃあねっ!!」


 どっち道行くらしい。 武は難儀だな、と思いつつも、あえてそれは口にせず、水月の後姿を見送った。

 足音が完全に遠ざかったのを確認して、武は口を開いた。


「なあ、慎二。ちょっといいか?」

「ん?なんだ武。」


 怪訝そうな表情を浮かべる慎二。 武は思い切って口を開いた。


「なんだか少し孝之達に干渉しすぎじゃねえか? 当事者同士でそっとしておいた方が良いとオレは思うんだが……。」


 これで少しは干渉を控えてくれると嬉しいんだが、という希望を込めて慎二に訴える武。


「……まあ、武の言うことにも一理あるかもしれない。 でも武だって知ってるだろ? なんてったって涼宮も、孝之も、元々オレ達の友達だ。 友達同士が付き合い始めたんだから、色々構いたくなるんだよ……わかるだろ?」


 「ほら、孝之も遙も、結構奥手だし。」そう言って肩をすくめて見せる慎二。 ――ったく、それだけじゃねえんだよ。 武は内心毒気ついた。


 水月が孝之に対して特別な感情を抱いて『いる』ことを知っているのは、207B分隊において、本人を除いては武だけだ。 それほどまでに水月は徹底してそのような素振りを見せないよう、気を使っている。 或いは彼らの距離が近すぎるが故に気がつかないのかもしれないが……例えば過去の武と純夏のように。

 水月はまだ孝之のことを諦めていない、いや、諦められずにいる。 水月が2人を盛り上げようとしているのは、そうすることで自らの気持ちと決別しようという意思も働いてのことなのだろう。 武はそう思っている。


 例えば先日の一件もそうだ。







 それはグラウンドで、珍しく早く到着していた孝之と2人で分隊の集合を待っていた時の事だ。


「孝之~ッ?!」


 玄関から聞こえてきた尋常じゃない水月の声に、武は思わず振り向いた。 肩を怒らせながら、地響きでも立てそうな足取りで孝之に詰め寄る水月。 その顔は般若の面のようである。 しかし当の孝之は、その鬼気たる気配に全く気がついていない。


「おお、速瀬か、丁度良い――」

「あんた、バッカじゃないの?」


 孝之が何か言い終える前に罵倒する速瀬。 「え……? オレ?」孝之は心当たりが無いらしく、不思議そうに首を捻っている。


「あんた以外に誰がいるのよ。」


 つっけんどんに言い返す水月。 孝之はムッとした表情で水月の顔を見下ろした。


「なんだなんだ? また孝之が何かやらかしたのか?」


 後からやってきた慎二が騒動を聞きつけ、小走りにこちらへ向かってくる。


「そうそう、ちょっと慎二、白銀、聞いてよ! 孝之の奴、遙を夕食に誘わなかったのよ!」


 いやいやいや、誘うも誘わないも本人の自由じゃないか? と突っ込みたいのをガマンして、武は様子を見守る。


「――え? 誘ったよ! あっちが『行かない。』って言ったんだ。」


 水月の言い分に、慌てて弁解する孝之。 結局一応は誘ったらしい。 アドバイスされて即日実行とは、孝之らしい。 武は思わず呆れて溜息をついた。 しかし武の溜息を違う意味で捉えたらしく、水月は「白銀、やっぱアンタもそう思う? その溜息つきたくなる気持ち、よ~く分かるわ。」と、言って孝之を睨んだ。


「そんなこと、遙は言ってない!!」

「……確かに……正確には言ってないけど、何でおまえそんなこと知ってるんだよ。」

「そんなの当たり前でしょう? 部屋隣なんだから、直接話し聞いたのよっ!」

「「直接?」」


 武と孝之の声が偶然にも重なった。

 なんでも水月は昨日の夜、遙と話をしたと言う。 内容は「本日のディナーについて」。 どうやら水月の中では孝之がディナーに誘うことは確定済みだったらしい。 ところが実際には実行に移していなかったわけだからこうして怒っている、そういう訳である。 ――理不尽にも程があるような気がする。 一歩間違えればストーカーだ。 武が水月の行いを諭そうとしたとき、再び水月が口を開いた。


「孝之がもう少し強く『行こうっ!』って言えば……。 遙だって行きたがってたんだよ?」

「そんなこと言われてもさあ、そうならそうって言ってくれなくちゃ伝わらないだろ?」


 確かに孝之の言う通りだ。 言う通りなのだが、それは今ここで言って良いセリフでは無い。 武は開きかけた口をそのまま閉じた。


「遙の性格考えてみなさいよ!」


 結果は火を見るよりも明らかで、当然ながら水月は顔を憤怒に染めて孝之を攻め立てた。 慎二も顔を顰めている。 ここで己が苦言を漏らせば、全ての矛先がこちらに向くことは目に見えていた。 まったく、人の事をいえないが孝之も余計なことを言うやつである、と、武は思った。


「そうかも知れないけど、こっちがそこまで考えてやんなくちゃいけないのか?」


 墓穴を掘り続ける孝之。 武は頭痛を覚えて眉間を揉んだ。 思わず「少しは考えてものを言え!」と、柄でもないことを言ってしまいそうになる。


「孝之、おまえなあ……。」


 流石の慎二も呆れたように呟く。


「そうよっ! 遙は孝之の彼女でしょ? 好きで付き合ったんじゃないの?」


 言われて言葉に詰まる孝之。 微妙に動揺しているようにも見える。


「……何よその間。」

「そ、そんなこと、イチイチ言えるかッ!」


 逃げたな。 武はジト目で孝之を睨んだ。


「――とにかく、もっとリードしてあげてよ。 あんた、どうでもいいことには強引なんだから、その調子で!」

「……うるせえ!」


 そんなやり取りをしていると、ようやく遙が純夏と連れ立ってこちらに歩いてきた。 「もっとしっかりしてよ!?」念を押すと、水月は遙の方へと走っていく。



 ――その日の午後



「あ、遙~!」


 訓練を終え、PXへの道すがら、突然遙のことを呼び止める水月。


「なに?」

「孝之がね、言いたいことあるんだって。」

「え……?」


 そうなのか? 武は孝之の方を振り向く。 しかし孝之もまた怪訝そうに首を傾げていた。


「え、えっと……。」

「ほらあ、さっき謝るとか何とか言ってたじゃない。」


 ピクリと眉を動かす孝之。 なにやら少し様子がおかしい。 ややあって孝之は一つ深呼吸すると、こう言った。


「あのさ……ごめんな。」

「え……え?」


 何に謝られたのか判らないらしい。 遙は目をキョロキョロとさせている。


「夕食、ホントは2人きりで食べたかったんだろ?」

「あ……。」

「今夜、一緒に食おう。」

「あ……うん……うれしい……。」


 そう言ってはにかんだような笑みを浮かべる遙。


「オイオイオイオイ……なんかいい感じだな! 孝之。」


 慎二は嬉しそうに孝之の肩を叩いた。 速瀬も隣でニコニコと頷いている。 対して孝之は何処か2人の反応に戸惑っているように見えた。


「そ、そうなのか?」

「ああ、涼宮は兎も角、オマエの初々しさは見てて楽しいぜ!」


 慎二は意地悪げな笑みを浮かべて言った。 恨めしげな視線を送る孝之。


「あはははっ! 2人ともお似合いよう!」

「ほんと、アツアツですね!」


 ニヤニヤと笑う水月と、それに便乗して微妙にずれたことをのたまう純夏。
 

「もう、……やめてよ、水月! 鑑さん!」


 遙は顔を熟したリンゴのように真っ赤に染め、困ったように訴えた。


 一見すれば、初々しいカップルと、それを見守る友人たち……なのだろうか? 武は己の経験と照らしあわし、首を捻らざるをえなかった。 なんと言うか、まるで『彼氏』と『彼女』を舞台の上で演じている高校生のようにしか見えないのは、己の気のせいだろうか……?


 ――それぞれの気持ちが微妙に擦れ違い、徐々に軋みを上げ始めている。


 これが平時だったなら良かったかもしれない。 大いに悩み、その上でそれぞれが『選択』すれば良い。 ともすれば今の関係は壊れてしまうかもしれないが、それは仕方ない。

 だが生憎、今そんな悠長なことを言っている時間は無かった。 総戦技評価演習に失敗すれば、それは半年足踏みしなければならないという事になる。 最悪、明星作戦にすら間に合わないかもしれない。

 武は歯噛みした、たった一人、事情をわかっていながら行動に起こせない自分に。

 後もう少し早ければ、時が解決してくれたかもしれない。 後もう少し遅ければ、ボロが出る前に関門は突破出来ていたかも知れない。 武の中で浮かんでは消える『IF』。 だがIFは所詮IFだ。


 武は自身が行動を起こすべきかどうか、悩んでいた。 自分が加わったことで、物事がよりこんがらがり、部隊内の結束に亀裂が入って泥仕合とかしてしまったのでは、元も子もないのだ。

 散々悩んだ挙句、武は結局まだ静観していることに決めた。 その結果が吉と出るか凶と出るか、それは後にならなければ、誰にもわからない。





[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第二章 第三話 喧嘩 ~Misfortunes never come singly.~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:9b750810
Date: 2010/08/28 22:00


「……遅いわね。」


 いつになくシンと静まり返る廊下に、水月の呟きが響いた。 彼女をはじめとする毎度おなじみ207の面々は、壁にもたれ掛かったり、あるいは廊下に座り込んでしまっている。 その様子は、まるで長い手術が終わるのを待っている親族であるかのようだ。


「ねえ、鑑さんたち、大丈夫かな……?」


 遙が呟く。


「な~に、あいつらのことだから、大丈夫に決まってるだろ!」

「――そうそう、タケルたちなら心配要らないって!」


 孝之が答え、慎二もそれに追従する形で首を大げさに縦に振った。 2人の心配りに、遙の硬い表情が幾分ほころぶ。


「まあ私達がココでどうこう言っても仕方がないんだけどね。 ようは、本人たち次第なわけだし。」

「つまりオレたちに出来ることって言ったら、あいつらを信じて待ってるだけだってコトか?」


 何処か腑に落ちない様子で漏らす孝之。 水月は手のひらを空に向け、呆れたように首を振った。


「違うでしょ、2人が終わって出てきたところを、パーッとお祝いしてあげるのよッ!」

「……そうだな、これであいつらようやく訓練と関係の無い勉強から開放されるわけだからな。」


 慎二は、水月の弁に納得したように何度も頷いた。


「――そう考えてみると、あいつらってよくやってたよなあ。」


 孝之は思いをはせるように呟く。 「勉強しながら訓練だ何て……。」と、しみじみと語りつつ、身震いをした。 あまりにも情けない孝之の様子に、水月はジト目でつっこむ。


「ホント、あんたとは大違いよね。 まったく、白銀の爪の垢でも煎じて飲ませてもらったら?」

「ッ?!」

「なによ、何か言い返せるの?」


 食って掛かろうとする孝之を瞳でけん制しつつ、「……え~っと、この前座学のノートを貸してあげたのは誰だったかしら?」と、ニタリとした笑みを口元に貼り付けたまま、何気なく呟く水月。 図星であるだけに、孝之はグーの根も出ないようだ。


「ぐむむむ……。」

「まあまあ水月、そのぐらいにしといてやれって。 ほら、わざわざ彼女の前で恥かかせなくてもいいだろ?」


 フォローを入れているようで、実はちゃっかりと止めを刺してしまうあたり慎二らしい。 孝之は堪らず床に膝をついた。


「えーっと、鳴海くん? 大丈夫?」


 心配そうに孝之の様子を窺おうとする遙。 慎二は「今はほっといてやれ。」と言って、遙を手で制した。

 ――と、不意に教室の扉が横に開く。 教室の中から夕呼、続いてピアティフが一見何食わぬ顔で姿を現し、その後に続くようにして武と純夏が顔を出した。


「おつかれさまー! ねえねえ、どうだっ……た?」


 早速武達に詰め寄る水月。 しかし2人とも無言で床を見つめたまま、ボーっとして何も答えようとしない。


「……ねえ、ちょっと白銀?」


 ただ事じゃない武の様子に、水月は慌てた様子で武の肩を掴む。 武はココにきてようやく顔をあげると、ゲッソリとした顔で答えた。


「やれるだけのことはやりました。 もう後はどうにでもなれって感じです。」


 死んだ魚のような目で、「煮るでも焼くでも好きにしろ!」とでも言いたげな態度を取る武に。 水月は引きつった笑いを浮かべ、慌てて手を離し後ずさった。


「微分積分いい気分~っ! サイン、コサイン、なんだそりゃっ!! あはははははっ!」


 武とはある意味対照的に、空ろな瞳で天井を見つけながら乾いた笑いを漏らす純夏……。 どうやら今回の激戦は、2人の心に重大なダメージを与えてしまったようである。


「お、おい、しっかりしろ2人とも! 正気に戻れ!!」


 力任せに武の肩を揺さぶる慎二。 だが武はそれになんの抵抗をする様子もなく、成されるままに、首を激しく前後に揺らした。







 孝之と遙が付き合い始めてから、1月ほどが過ぎたある日。 武の危惧はどうやら杞憂に終わったらしく、207B訓練兵分隊は特に何事も無く、演習1週間前を迎えていた。

 そんな折、まさに忘れたころに実施された武と純夏の学力テスト。 当然普通のテストであるはずがなく、2人とも思わずさじを投げたくなるのを必死に堪えて問題に望んだのだが、結果はあまり芳しくなかったようだ。 「戦術機に乗りながら勉強だ何てイヤだよ!」とは、純夏の弁である。
 
 ともかく、このままでは埒が明かないとPXに移動した一行。 数分後、武と純夏が正気に戻るのを待って、非公式の事情聴取が分隊内で執り行われた。


「それで、つまり明らかに中等学校3年の内容を超えてたと?」


 神妙な面持ちで、武達に念を押す慎二。


「そうそう、微分とか積分とかもう本当意味分かんないッ!! そりゃ、授業中にサラッとはやったけど、まさか最後の数日でやった内容が固まって出るなんて思わないじゃんッ!」

「……ありゃ少なくとも中等学校5年の内容だったな。」


 純夏が悲鳴のような叫び声を上げ、武が気だるそうにそれを補足した。

 微分積分と言えば、武の認識で言う高校2~3年、つまりこの世界においては中等学校5年の内容に相当する内容である。 結局数学は単元につき数個の公式さえ覚えてしまえば、後はパズルの要領で出来るわけだから、数ヶ月で中等学校3年間の内容を修めるのも不可能『では』無い。 しかしそれが5年となれば話は別である。


「まあ、そのかわり参考書持込自由だったんだけど。」


 純夏の呟きに、水月が「はて?」と、首をかしげた。


「それじゃあ後は計算だけだったんでしょ? な~んだ、楽勝じゃない!」


 水月は夕呼の恐ろしさをまだ知らないから言えるのだ。 武は肩を落とし、真っ直ぐ水月の目を見つめ、ため息交じりに答えた。


「香月博士を甘く見ちゃいけませんよ、速瀬さん。」

「……えっ?」


 目を瞬かせる水月。 どうやら本当に舐めていたようである。


「あれはもう参考書とか関係ないよ……どうして朝鮮半島を根こそぎ吹き飛ばすのに必要なエネルギー計算なんてしなきゃならないのさ。 朝鮮半島の面積や、半径すらしらないのに。」


 机に、蕩けたアイスの如く体を委ねながら愚痴る純夏。 水月はどうにも状況というものが想像できず、ますます首を捻った。


「まあようは、まず数学とか物理の問題に付き物の、『条件』から考えなきゃならなかったってことじゃないか?」


 孝之が言ったとたん、全員の視線が彼に集中した。


「な、なんだよッ?」

「……よく今ので理解できたな。」

「孝之~、あんた偶にはやるじゃない。」

「鳴海君、すごい。」

「やるじゃん、孝之!」


 仲間の口々から発せられる、賞賛の言葉。 だが当の本人たる孝之は、不服そうに口の端を引きつらせた。


「いや、そんな褒められることか? 普通に考えたらわかることだろ?」

「だって孝之だし……ねえ?」


 サラリと言った水月。 そんな彼女に、慎二は迷わず相槌を打った。


「そうだな。」

「え~っと……う~ん。」


 どう答えるべきか判らず、アセアセする遙。 しかしその反応で既に内心がバレバレなのはご愛嬌……なのだろうか。 どうやら『孝之=バ○』の構図は仲間内で既に確定してしまっているようである。 身から出た錆とは言え、多少不憫に思う武であった。


 例年より長かった梅雨もいつの間にやら通り過ぎ、初夏の日差しが窓越しに武達を容赦なく照り付けた。 久しく聞くことのなかった蝉の鳴き声が基地裏の方角から聞こえてくる。 初めてその音色を聞いた時、思わずホロリと来てしまったのは、武だけの秘密だ。


「――え~っと、結局何の話だっけ?」


 気まずい雰囲気に耐えかねて、口を開いた純夏。


「……まあいいじゃない。 そうそう、孝之。 今度の日曜は演習前日で休みだけど、もちろん予定は立ててあるんでしょうね?」

「えっ? 予定? ……自主訓練のか?」

「――ちょっと孝之、それ本気で言ってるんじゃないでしょうね?」


 水月は孝之の――彼女からしてみれば――シャレにならないボケに、ほとんど間をおかず突っ込んだ。


「あ、ああ、そういうことか。」


 孝之は水月の殺意すらこもった視線に耐えかねて慌てて言葉を撤回する。 ふと遙の様子を見ると、何かを期待するような目で孝之のことを見つめていた。 孝之も彼女の様子に気がついたらしい、目が合うと同時に、気まずそうに視線をそらした。


「――っと、その前に確か遙、神宮司教官から何か提出するよう支持されてたんじゃなかったっけ? 行かなくていいのか?」

「……っ! そうだね、もうそろそろ行かなくちゃ。 ……じゃあ、また後でグラウンドで。」


 遙は言い切ると、突然席を立った。 「――ってちょっと遙、遙~?!」慌てて水月が呼び戻そうとするも、遙は「また後でね、水月。」と答えてそのままPXを出て行ってしまった。


「おい、孝之! 今のはいくらなんでも酷かったんじゃないか? 涼宮さん寂しそうにしてたぞ?」

「そうよッ! 孝之、いったいどういうつもり?!」


 完全に遙の後姿が見えなくなった後、慎二はめったに見せないしかめっ面で孝之のことを睨み付けた。 当然のことながら、水月も相当お冠な様子だ。 ここのところ日常化している風景なだけに、武はもはや何の感慨を抱くこともなく、ただ「またか。」と内心呟くに留めた。


「え? ちょっと待てよ、オレはただ遙が忘れてたらいけないと思って。」

「そう? 私にはまるで追い払ったようにしか見えなかったけど?」


 問い詰める水月。 孝之を責めるような目で見つめている。


「別に……そういうわけじゃ――」

「いや、悪いがオレにもそう見えた。」


 孝之の弁解をさえぎり、慎二が述べた。 孝之は一瞬何か言いたげに口を開きかけたが、そのまま口を閉じてしまう。


「……ひょっとして孝之、涼宮さんと上手くいってないんじゃないか?」


 孝之の普段らしからぬ様子に、慎二はいぶかしげに尋ねた。 ――あれ、これはちょっと雲行きが怪しいんじゃないだろうか、慎二の一歩踏み出した発言に、武は片眉をピクリッと吊り上げる。


「――っ! 違うっ、だからそういうわけじゃないんだって。 ……だいたい、オレと遙の問題だろ! なんで慎二達がそんなに気にするんだ?」

「気にするに決まってるじゃない! 遙は私の友達なのよ?!」


 孝之の配慮にかけた言い分に、水月も余計に声を荒げた。 次の瞬間――


「……じゃあなんだよ。 オレはお前たちの何なんだよ?!」


 言ってはならない一言が、孝之の口から漏れた。


 水を打ったように静まり返る一同。


「――は?」


 水月の声のトーンが落ちた。 顔は真っ赤に染まり、目は鋭く孝之のことを睨み付けている。 一瞬触発とでも言うべき、険悪な雰囲気があたりに漂う。 純夏はどうしたら良いか分からないといった様子で、泣きそうな瞳をしてこちらに『SOS』を送ってきた。

 ――こうなるだろうって事は分かっていたのにッ!! 武は顔を覆った。 この一ヶ月ほどほとんど変化が見られなかったことから、武は心のどこかで「このまま上手くいくのではないか?」と油断してしまっていたのだ。 ただこうなってしまったからには、いまさら後悔しても仕方がない。 武は事態を収拾すべく躊躇していた一歩を踏み出した。


「――待て、待てよ3人とも。 ちょっとストップ!!」

「……武?」


 突然の大声に、怪訝そうな視線を武に向ける水月、孝之、慎二。 皆驚いて一様に毒気が抜けたような表情を浮かべている。


「いったいどうしちまったんだよ、孝之。 おまえはオレ達の『仲間』だ。 当たり前だろ? もちろん涼宮さんだってそうだ。 2人とも、大切な仲間だ。」


 急に熱弁を振るい始めた武だが、孝之は黙って彼の言葉に耳を傾けた。 あるいは、その迫力に威圧されていたのかもしれない。


「――そりゃあ、付き合ってる人との行動を一々指図されてたら、癇癪起こしたくなる気持ちもわからなくは無い……。」


 慎二と、特に水月が何か言いたげな視線を武にぶつけてくるも、武はかまうことなく言葉を続けた。


「わからなくは無いけど、だからと言って仲間の気持ちを疑うのはあんまりじゃねえか?」

「――っ! ……そう、だよな。」


 孝之は苦しそうに言葉を漏らす。


「オレ、つい頭にかっと血が上って、何がなんだか分からなくなって……。 ――なんて、言い訳にもならないよな……本当にゴメン。」


 そう言って頭を擦り付ける勢いで机に手を突き、頭を下げる孝之。


「――いや、オレの方こそ武の言うとおり、おせっかいが過ぎたかもな。 ちょっとオレも調子に乗りすぎたよ。 ごめん、悪かった。」


 慎二は己にも非があったことを認め、頭を下げた。


「……うん、確かにちょっと煩かったかも。 ごめん、孝之。」


 頭が冷えたらしい。 最後に水月も罰が悪そうに謝罪を口にした。


「さっきの、ただの照れ隠しだったなら、私からはもう別に何も言わない。 ……でも、孝之。 女の子って、なんだかんだ言ってもやっぱり行動に見せてほしいんだってことは、忘れないで。」

「……ああ、わかった。」


 念を押す水月に、孝之はしっかりと頷いた。

 思いの外あっさりまとまったものの、やっぱり何かが引っかかる。 あと2週間、2週間でいいからもってくれれば、後は何とかなるんだがなあ。 武は天にすがるような気持ちで祈らざるをえなかった。








「207小隊、集合!」


 まりもの号令が夕日で赤く染まるグラウンドに響いた。 黒く長く伸びる影が、一斉にまりもの元へと集まってゆく。 全員が集合したことを確認すると、まりもはひとつ咳払いをして、遙に問いかけた。


「さて、お楽しみの『旅行』まで後何日だ、涼宮訓練兵。」

「はいっ! あと4日であります、神宮司教官。」


 そう言って敬礼した遙の姿は、4月のたどたどしかった姿とは打って変わって様になっている。 まりもは彼女の成長に満足しつつも、表面上は何事もなかったように頷くと、全員に向けて一喝した。


「そうだ、たったの4日間だ。」


 そこで一旦言葉を区切り、部隊全体に目を行き渡らせるまりも。


「本来なら、貴様たちにはあと一ヶ月弱の訓練期間があるはずだった、が、しかし、『基地司令』の取り計らいにより貴様たち207小隊は、他の訓練小隊に先駆けて演習が行われることとなった。 これはひとえに基地司令、強いては帝国軍白稜基地が貴様たちの能力に期待を寄せているからに他ならない。 そして貴様たちにはその期待にこたえる義務がある。」


 真剣な面持ちでまりもを見つめる12対の瞳。 各自それぞれが、まりもの言った言葉の『重さ』を噛み締めているのだろう。


「貴様たちの能力を高く評価してくださった司令の顔に泥を塗ることが決してないよう、各自全力を尽くせっ! わかったなっ?!」


 まりもは司令と言っているが、裏で動いているのは間違いなくこの学校の創設者と言って過言でない夕呼であろう。 武は言い知れない不安と期待の両方を胸に、ピンと背筋を張る。


「了解ッ!」


 一糸乱れぬ敬礼を返す12人。


「207小隊解散ッ! 本日の訓練はこれまでとする!」

「一同、神宮司教官に、敬礼ッ!」


 号令にあわせて、再び一斉に敬礼をする小隊一同。 それを見届けると、まりもは訓練校のほうへと戻っていった。


「よっし、皆、早速PX行こうぜッ!!」


 まりもがいなくなったのを確認すると同時に、今にも駆け出しそうな勢いで孝之が叫んだ。


「おいおい孝之、その前に汗流しといたほうがいいんじゃないか? 風引くぞ。」


 苦笑気味に孝之を嗜める慎二。


「なに言ってんだよ慎二。 総戦技演習の最中はシャワーなんてどこにも無いどころか野宿だろ? このぐらいで風邪を引いてるようじゃ、そもそも合格なんてできないって。」

「――まあそれはそうだが……。」

「ちょっと、なに言い負かされそうになってるのよ慎二。 演習中と今はまったく別問題。 だいたい日頃の健康管理も演習に向けた準備のうちでしょ?」


 「ま、ナントカは風引かないって言葉もあるけどね。」水月はそう言って挑発するような笑みを孝之に送った。


「んだとうッ?!」


 例のごとく反応する孝之。 遙はその傍らでただおろおろとしており、見かねた慎二が仲裁に入るといういつもの光景が展開される。 どうやら先の一件は、彼らの間柄に深刻な影響を与えたわけでは無さそうである。 武はほっと一息ついた。


「孝之のやつ、そんなに腹減ったのか?」


 安心感と相まって、まるで人事のようにつぶやく武。


「――まあそういうタケルちゃんも人の事言えないと思うけどね。」


 間をおかずに純夏が突っ込みを入れた。


「……そうか?」

「私ちゃんと見てたよ、鳴海君が『PX行こう』って言う前に、タケルちゃん、PXのほうに行こうとしてたよね。」

「ギクウッ」


 ワザとらしく身を仰け反らせる武。 純夏もまたワザとらしくため息をついた。


「はあ……。 全く、男の子ってみんなそうなのかなあ? ねえ、涼宮さん。」

「えっと……どうなんだろう?」


 唐突に声をかけられ、遙は小首を傾げて考え込んでしまう。


「まあ、食い意地だけならオレたちより速瀬の方が勝ってるんじゃないか?」


 孝之が会話に割り込んできた。 「えっ?」いまいち呑みこめない様子で、額に眉を寄せる純夏。


「だってそうだろ、なんだかんだ言ったところで、オレたち分隊の中で一番先に食い終わるのは速瀬だし、なんだか知らんが量が多いし。」

「うっさいわね。 私は食べた分運動してるからいいのよ。」


 罰が悪そうに吐き捨てる水月。


「水月、暇さえあればいつもトレーニングしてるからね。」


 遙は朗らかに笑って言った。


「そういえば、タケルちゃんもいつもトレーニングしてるよね。 速瀬さんと一緒にやってるの?」

「ん、ああ、偶にな。」


 別段隠しておくような事柄でもないため、武はあっさりと白状した。


「……速瀬さん、タケルちゃんトレーニングの邪魔とかしてませんか? もししてたら、問答無用で無視しちゃっていいですから。」


 純夏の言葉に、水月は「その点心配はご無用よ、鑑。」と笑って返した。

 武が水月と訓練を始めるといつも競争になる。 もし武が勝ったら「もう一回っ!!」となるし、負けたら負けたで「手え抜いてるんじゃないわよっ!!」と、再戦を要求されるため、必然的に彼女とのトレーニングはハードなものとなってしまうのだ。


「そうですか? ならいいんですけど……。」


 答えた純夏の顔にはどこか不安の色が見て取れた。 そんな意地らしい純夏の様子に、思わずクスリと笑みをこぼす遙。


「ふふふ、鑑さんは水月に取られないか心配なんだよね?」

「え……ええええええッ?! ちッ、違いますよ! 私は別にタケルちゃんのことなんか……。」


 遙の問いかけに、鳩が豆鉄砲で撃たれたような表情をする純夏。 混乱のあまり己が墓穴を掘ってしまったことに気がついていない。


「あれ~? 別に遙は白銀とは一言も言ってなかったわよね?」

「は、速瀬さん?! ……だって今のは話の文脈的に――」

「お、おおおおお?! ここに来て新カップル誕生かッ?!」

「平君まで……。」


 泣きそうな表情でへたり込む純夏。 見るに見かねて武は口を開いた。


「もうそのぐらいにしといてくださいよ。 純夏がそういうつもりで言ったわけじゃないってことぐらい、分かってるんでしょう?」


 さらりと言ってのける武。 周囲は拍子抜けしたように肩をすくめた。 からかわれていた純夏までどこか不服そうな顔をしている。


「……なんだか白銀ってからかいがいが無くて詰まんないわよね。」


 水月のその言葉に驚いたのは武だ。 今まで「からかいがいがある」、と言われたことはあっても、「からかいがいが無い」などといわれたことは初めてだったのだ。


「そ、そうですか?」

「白銀~、ひょっとしてこういうの慣れちゃってる?」

「――まあ学校では少なからずこの手の話題でからかわれてましたから。 なあ、純夏?」

「……言われてみればそうだね。」


 純夏は納得したようにぽんと手を打った。


「タケルの場合、軽くかわしてると言うよりは、むしろ『それがどうした』って、開き直ってる感じだよな。」


 ――む、なかなか鋭いな。 思わず心の内がばれてしまったのではあるまいかと焦る武。


「それもそうね。 ――ひょっとして私たち、中てられちゃってる?」

「……やだなあ、速瀬さん、なに言ってるんですか。 そうだ、こんなところで立ち話もなんですし、続きはPXでってことで……」


 「チッ、逃げたわね。」水月の呟きが聞こえたような気がしたが、武は何も聞かなかったことにした。


「ん、そうだね。 それじゃあ、また後で!」

「おう、またな。」

「また後でね、鑑さん。」

「さて、飯だ飯。」


 純夏を筆頭に返事を返し、それに同調する隊員達。 すっかり解散ムードだ。


「――っ、白銀、次は逃がさないからねッ!」


 悔し紛れに言い放つ水月。 武は苦笑交じりに答えた。


「あー、程ほどによろしくお願いします。 じゃあまた後で。」


 それぞれ思い思いのあいさつを済ませると、すっかり暗くなってしまったグラウンドから、各々自分の宿舎へと戻っていった――。







 自分の部屋へと戻るや乱暴に扉を閉め、汗と泥でベトベトになった訓練着を脱ぎ捨てる純夏。


「ふいー、今日も疲れた。」


 ボスンとそのままベットにダイブする。 布の柔らかな感触が体を包み込んだ。 とたんに猛烈な疲労感とそれに伴う睡魔が襲うも、それを何とかこらえつつ、純夏はごろりと天井に向き直った。


「……あと4日間かあ。」


 4日後の演習に成功すれば、一週間後には真の意味での『訓練』が始まる。 ただの兵士ではなく、人類の最後の剣、『衛士』となるための訓練だ。 思い返してみればこの数ヶ月は本当に長かった。 突然強制徴兵され、グラウンドでしごかれ、教室でしごかれ、先輩達にしごかれ――。

 それにしても、半年前には自分がまさかこんな風に泥まみれのままでベットでウトウトする羽目になろうとは、夢にも思わなかったことだろう。 ふと薄汚れた自分の腕を見る。 この腕も、半年前にはもっとふくよかで、肌も年頃並には張りがあったはずだ。 それがどうだろうか? 今や二の腕は筋肉が引き締まってカチコチ、肌もよく見れば細かい傷だらけ。 唯一髪の手入れだけには気を使っているが、以前と比べれば張りも艶も落ちてしまっていることだろう。

 ――それもこれも、全部……

 真白の壁をにらみつける。 この壁の向こう側では、『彼』がシャワーを浴びているはずだ。 或いはすでにPXに向かってしまっているかもしれない。 なんにせよ全く、どう責任を取ってもらおうか。 彼が「訓練校を見に行きたい。」等と言い出さなければ、私は今頃こんな煎餅布団で無く、暖かい毛布に包まって眠っていただろうに。


 ――戦うのは、やはり怖い。 いや、半端に知識を得てしまったからこそ、尚更戦うのが怖い。 「もしかしたら、自分は半年後にはもうこの世にいないかもしれない。」そう思うと、恐ろしくて体が震えてくる。 ……彼は怖く無いのだろうか? それとも、そんなこと全く考えてなどいないのだろうか? 彼のことだから、ただ『衛士』という存在にあこがれて、その後自分がどうなるかなんて考えてなどいないのかも知れない。


「――ううん、それは違う。」


 そう、違う。 私が『そうであってほしい』と思っているだけ。

 確かに、半年前の彼はそうだったに違いない。 その頃彼は、「オレは衛士になって、世界の救世主になるッ!」などと歯の浮くようなセリフを口癖のように言っていたが、最近の彼はどうも様子が違うように思える。 訓練校を見学しに来た『あの日』から、彼はまるで別人のように頼もしくなってしまった。 以前は私から見ても子供じみた思考回路の持ち主だったはずなのに、だ。


「タケルちゃん。」


 思わず彼の名前が口から漏れる。 『タケルちゃん』のことは私が一番よく知っている『はずだった』。 『タケルちゃん』のことなら、何でも知っている『はずだった』。 確かに今でも『タケルちゃん』が『タケルちゃん。』であることは間違いない。


 ――負けず嫌いの唐変木、そのくせ誰にでも優しくて、バカがつくほどの正直者。


 そう、『タケルちゃん』の本質は何一つとして変わっていない。

 しかし、純夏にはまた一方で『タケルちゃん』が自分を置いて、どこか遠くに行ってしまったような気がしてならなかった。


 ――「ふふふ、鑑さんは水月に取られないか心配なんだよね?」


 先ほどの遙の言葉が蘇る。 「ひょっとして、タケルちゃんは速瀬さんのことが好きなのかな?」そんなことをおぼろげながら考えていると、ふと脳裏に昼間楽しそうにふざけ合っていた水月と武の姿が通り過ぎた。

 ……2人とも、本当に、楽しそうに、笑っている。


 ――ズキリッ


 胸に鋭い痛みが走る。 純夏は思わずシーツをギュッと握り締めた。 急に感情が高ぶって、息が乱れ、苦しくて目に涙が浮かぶ。 何とか精神を落ち着かせようと、武に貰った大切な、いつも肌身離さず持っている人形を探して訓練着のポケットを弄った。


「あれ?」


 いつもなら感じる手触りが感じられない。 慌てて純夏はポケットを逆さまにひっくり返す。


「……無い。 そんなッ……!!」


 サッと血の気が引いた。 純夏は急いで服を着替えると、夕闇に沈むグラウンドへ向かって駆け出した。



[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第二章 第四話 追跡 ~To bury one’s head ostrich-like in the sand.~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:9b750810
Date: 2009/01/09 00:46
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 訓練を終えた訓練兵達でにぎわう廊下。 訓練を終えた安心感からか、廊下を歩く訓練兵達からは、ほんわかとした空気が漂っている。 

 しかしどこにも例外はいるもので、今廊下を背中に厄を背負いながらヨロヨロと歩く少女など、まさにそれに該当した。 自分達とはまったく逆の方向を目指す彼女のことを、訓練兵達は怪訝そうな目で見つめこそすれ、話しかける勇気を持ち合わせている者は存在しなかった。


「はあ~。」


 少女――純夏の口から溜息が漏れた。


「はあ~~。」


 まさか、あんな大事なものを無くしてしまうとは……。 純夏は嘆く。 勢いよく飛び出してはきたものの、「もし見つからなかったらどうしよう……。」と、そう考えると、次第に足取りも遅くなってしまう。 早く行かなければ完全に日が落ちて、それこそ探すことすら出来なくなってしまうだろうことは分かっているのに、『もしも』のことを考えてしまうと、次の一歩がなかなか踏み出せない。 純夏はもう一度せりあがってきた溜息をどうにか飲み込み、前方の曲がり角を左に曲がった。 もうしばらく行けばグラウンドへと繋がる出入り口につくはずである。

 恐らく他の訓練兵達は皆PXに向かっているのだろう、玄関付近の人通りはまばらだった。 もうすっかり日は暮れてしまったらしく、はるか西の空が黒く赤く染まっているのが、かろうじてまだ窓から確認できた。 今から外に出ても、見つけるのは至難の業だろう。


「はあ~~~~。」


 もう何度ついたか分からない溜息が、再び口から漏れた。 溜息をつくと幸福が逃げるというが、案外本当かもしれない。 とりあえず状態が悪化しているのは事実だ。

 涙こそ出ないが、心の中にぽっかり穴が開いてしまったようで、全てが空しく感じられる。 それでもあの人形……『サンタうさぎ』は、武からはじめてもらったプレゼントなのだ、何としてでも今日中に見つけ出さねば。 純夏は何とか己を奮い立たせると、もう一度正面に向き直る。


「……? あれは。」


 どこかで見たような後姿。 純夏は目を細めた。


「涼宮さんに、鳴海君。 まだこんなところにいたんだ……。」


 彼ら以外には人影は見られない。 人の恋路を邪魔するものは、馬に蹴られてなんとやら。 せっかく二人きりなのに声をかけるのも無粋だろうと、純夏はそうっとその場を去ろうとしたその時――

 ――突然、背後から紙が擦れるような物音が響いてきた。 先ほどまで人の気配は一切なかったというのに、だ。 驚いて辺り見回すも、誰の姿も確認できない。 ふと廊下の隅に視線を落とすと、そこには何の変哲も無い段ボール箱が無造作に転がっていた。 こんな大きな段ボール箱、こんなところにあったっけ? 純夏は不気味に感じると共に、ちょっとした好奇心を覚えた。 サッと下駄箱の陰に隠れ、孝之達ではなく段ボールの様子を伺う。 一見普通の段ボール。 特に不審な点は見られない。 どんなに見つめたところでそれは変わることなく……。


「(う~ん、やっぱり気のせいだったのかな。)」


 そう思って視線をそらそうとした、その矢先……段ボールからニョキリと2本の足が生えてきたではないか。 驚きのあまり声が出そうになるも、必死にこらえる純夏。 そのまま段ボールは、彼女の横を通り過ぎるようにしてゆっくりと前進を始めた。 純夏は目の前で起こっている事態を把握するのに数瞬かかった。 段ボールから足が生えて歩き回るなど、常識的に考えてあり得ない。 

 ――まさか幽霊か妖怪の類だろうか?

 いや、それこそまさかだ。 どうせ中に人間が入っているに違いない。 足つき段ボールの後姿を見送りつつ、純夏はそう見当をつけた。


「さては――。」


 純夏の知る限り、こんな突飛であほらしい行動に出るような人物は、訓練校広しと言えども彼しかいなかった。 足つき段ボールは数メートル移動すると、足を収納してまた地面に無造作に転がった。 純夏はその隙にそっと足を忍ばせて段ボールの背後に回りこむ。 そしてむんずと段ボールの端を掴み一気に――


「タケルちゃん、いったい何やってんのさ。」


 そこには予想通り、うさぎ跳びの様な間抜けな格好をして、酷く驚いたような表情でこちらを見上げる幼馴染の姿があった。







「ええッ?! 鳴海君の後をつけて――モゴッ?!」

「シーッ! 孝之達に聞こえちまうだろうが!」


 大声を出しそうになった純夏の口を、武は慌てて塞ぐ。 純夏はなおもモゴモゴと言いながら武のことを恨めしげに見上げている。 しばらくして、ようやく純夏が落ち着くのを待って、武は彼女の口から手を離した。


「プハーッ……もう、いきなりなにすんのさ!」

「今オレ達は孝之を尾行中なんだぞ? バレたら元も子もないだろうが。」


 いつの間にか、純夏まで孝之を尾行していたことになってしまったらしい。


「むう、で、何で『タケルちゃん』は鳴海君のこと『ストーカー』してるの?」


 「タケルちゃん」と「ストーカー」の部分をやたら強調する純夏。 武は口元を引きつらせながらも、平静を装って答えた。


「ほら、今朝あんなことがあったばかりだろ? また余計なことするんじゃねえかと思って。」

「『また』ってことは、前もこんなことあったの……?」


 純夏の問いに、武は「ん……まあな。」とあいまいに答えるにとどまった。 当然、そんな答えで納得できるはずがなく、純夏は「それっていつさ。」と食い下がる。


「だーーー!! もう一々煩いな。 とにかく、オレは孝之がなんか馬鹿な事をしでかすのを未然に防がなきゃならねえんだ!」


 武はもう話すことは無いとばかりにそっぽを向いた。


「――あやしい、やっぱりタケルちゃんあやしいよ。 じゃあ私はタケルちゃんが涼宮さんの邪魔しないように監視する!」

「……あーもう好きにしろ。 その代わり静かにしてろよな。」

「それはタケルちゃんの行動しだいだよ。」


 結果的に、純夏まで孝之の後を尾行することになってしまった。 早くグラウンドに出て人形を探さなければならないとは思いつつも、野次馬根性と、何より『武と2人きりで危ない橋を渡れる』という誘惑に負けてしまったのだ。

 武を先頭に、姿勢を低くして通路を進んでゆく2人。 傍から見たら怪しさ全開だが、幸いなことに彼等を除いて通路には人影が見当たらない。 ――と、不意に武が片腕を上げた。


「どうしたの、タケルちゃ――。」

「静かにッ!」


 言われて純夏は慌てて口をつぐんだ。 武は通路から顔だけを除かせて何やら観察しているようだ。


「むう、タケルちゃんがそこに居ると見えない。」

「――わかった、わかったって。」


 煩くされるよりはマシと踏んだのだろう。 武は少し体をひねって横にずらすと、純夏にも見えるよう空間を作った。


「……2人とも、静かだね。」

「お前、やっと気がついたのかよ。 ――あいつら、かれこれ20分もああして何も話さずに歩いてんだぞ?」

「ええ? 本当? それ。」

「ああ、大マジだ。」


 マジって何さと心の中で突っ込みつつ、純夏は孝之達の様子を尚も観察した。 孝之が通路側、遙が壁側を人1人分ぐらいのスペースを維持したまま並んで歩いている。 本当ならその初々しい様子に、微笑ましく感じられれない! ――となるはずなのだが、どうしてかあの2人を見ていると背中がピリピリと痒くなってくる。

 と、孝之の方が何やら動き出した。 右手をおずおずと遙の方に近づけている。 どうやら手を握ろうとしているようだ。 ジリジリと近づいてゆく2人の手。 純夏はゴクリと息を呑んだ。 後もう少し、もう少し――その次の瞬間だった。 音自体はそこまで大きなものではなかった。 だが、その音、そしてその光景は武達を唖然とさせるに不足無かった。


「あっ――」


 遙は己の手を信じられないように見つめ、そしてそのまま孝之から逃げるようにして何処かへと走り去ってしまった。 後に残されたのは、払われた右手を伸ばしたまま、呆然と固まる孝之の後姿のみ……。


「あーっと、タケルちゃん。 ひょっとして私達、見ちゃいけないもの見ちゃったのかなーなんて……。」


 そう言って純夏は武の顔を除きこんみ、そして思わず「ひっ」と短く悲鳴を漏らした。 武は目を大きく見開き、そしてその顔色には全く血の気が無かった。


「……純夏、いったん戻るぞ。」


 武は苦虫を噛み潰したような表情でそう言うと、そのまま立ち上がろうとした。 しかしタイミングが悪かった。 武は丁度彼の顔を覗き込んでいた純夏の体にぶつかってしまったのだ。


「うおっ!」

「わわッ!!」


 2人の悲鳴が重なる。 そのまま体制を崩し、折り重なるようにして武と純夏は通路のど真ん中へと倒れこむ。


「……タケル?! それに鑑??!」


 目を皿のように丸くする孝之。


「あ、あははは……。」


 もう乾いた笑いをあげるほかに、2人にはどうしようもなかった。 気まずい沈黙があたりに漂う。 武は何か言わねばと必死に頭を回転させるも、孝之にかけるべき言葉が見つからなかった。


「あー、不味いもん見られちまったな。」


 ややあって、酷く疲れたような危うい様子で孝之は言った。 口元には明らかに自嘲の笑みが浮かんでいる。


「……ごめんなさい!!」


 我に返った純夏は、急いでその場に立ち上がり孝之に向かって頭を深く下げた。


「お、おいおい、そんないきなり謝られたって困るって。」


 両手をひらひらとさせながら答える孝之。


「それよりも、このことは、他の2人には内緒にしておいてくれないか?」 


 2人に頼んだ後で孝之は、「……まあ、たぶん無駄だろうけど。」と、苦笑いを浮かべて付け足した。 確かに、水月あたりはすぐに嗅ぎ付けそうである。 大事にならなければ良いのだが……。 3人願うことは一緒だった。


「――あ~、それともしよかったら、こんな時間からで悪いんだが、ちょっと基地裏まで付き合ってくれないか?」

「……孝之?」

「2人にちょっと相談したいことがあるんだ。」


 「ここだと『あいつら』に聞かれるかも知れないから。」と、いつになく真剣な眼差しで孝之は言った。

 当然、断ることなど、できるはずが無かった。






「なあ純夏。 孝之と涼宮さんのことなんだが、どう思う?」


 武の問いは唐突だった。 6月中ごろだったか、いつものように部屋で勉強会を開いていたところ、何の前触れも無く、武はそう話を切り出したのだ。


「どう思うって……どういうこと?」

「いや、見た感じどう思うかってことだ。」

「う~ん、……いきなりそんなこと聞かれてもなあ。」


 純夏が答えたきり、会話がしばらく途絶える。 幾ばくかの後、再び武が口を開いた。


「――なあ、あいつら、実はあまり上手くいってないんじゃねえか?」

「……ええっ?!」


 武の思いもしなかった発言に、純夏思わず鉛筆を床に落としてしまう。 そんな純夏の動揺も想定の範囲内だったらしく、武はそのまま言葉を続けた。


「だってそうだろ? いつまで経ってもあいつらぎこちない……っていうか、そもそも、あいつらお互いちゃんと向き合ってねえような気がするんだ。」

「向き合ってない?」


 思わず口をついて出た言葉に、武は首を縦に振った。


「あいつら、結局第三者の目を通してでしか、お互いのことを見えてねえんだよ。」

「――ええ~!? そんなことないよー!!」


 あんまりにも断定的な武の発言に、純夏はたまらず声を荒げた。 武がいったい2人の何を知っていると言うのだろうか。 純夏は無性に腹立たしくて仕方がなかった。 純夏にとって、遙はこの訓練生活が始まってから初めての同性の友達だった。 もちろん、彼女の孝之に対する真剣な思いも知っている。 だからこそ、純夏にとって武の発言は許しがたいものだった。


「タケルちゃん、ひどいよ、何でそんなこと言うの?!」

「い、いや、だからオレはあくまで感じたことを素直に述べただけであって……。」


 純夏の凄まじい剣幕にたじろぐ武。 純夏は尚も武を追及した。


「女の子が告白するってね、男の子が考えてるよりずうっっっと勇気が必要なんだよッ?! 遊び半分じゃ絶対出来ないんだから!!」

「だ~か~ら~、誰も2人が遊び半分だとかそう言ってるわけじゃねえっての。 人の話ちゃんと聞いてろよ。」

「……むう。」


 とりあえず口はつぐんだものの、純夏の視線は尚も鋭く武を射抜く。 武はぼりぼりと頭をかいた。


「2人とも速瀬さんとか、慎二とかの意見に振り回されすぎじゃねえか? ……いや、特に孝之が。」

「鳴海君が? ……そうかなあ?」


 純夏の目には、あくまで孝之は『恋愛経験豊富な』2人にアドバイスを貰っている程度にしか見えていなかった。


「それに、あんまりあの2人が話してるとこって、見たことねえんだよな。」


 武は尚も言葉を続ける。


「そりゃもちろん、速瀬さん達と混じって話してるところはオレもよく見る。 でも孝之達が本当に2人きりで話してるとこって、見たことあるか?」

「そりゃ……」


 純夏はとっさに言い返そうとするも、次の言葉が出なかった。 言われてみると、確かにあまり印象にない。


「……だろ?」


 そう言って武は肩をすくめて見せた。


「隠れて話してるって訳じゃねえだろうし、大体そうする意味もわかんねえし。」

「――それはタケルちゃんがあんまり鳴海君と仲良くないから、そう思うんだよっ! うん、そうに決まってる!」

「……おい、おまえもなんだかんだ決め付けてるじゃねえか! ……ったく、おまえに聞くんじゃなかった!!」


 あまりにも頑なな態度を取る純夏に、武は思わず怒鳴ってしまう。 怒鳴った後でしまったといった顔をするも、もうそれは手遅れだ。 本人の意思とは別に、怒鳴った時点で武は話し合いと言う手段を放棄し、相手を力でねじ伏せると言う選択肢を取ってしまったのだから。

 一方、怒鳴られた純夏は一瞬ほうけた顔をするも、怒鳴られたことを理解するや否や、顔を憤怒で真っ赤に染めて構えを取った。


「うるさいうるさいうるさ~い! ふん、女の子の気持ちがわかんないなんてタケルちゃん最低だよッ!! これでも食らえッ!!」

 
 次の瞬間、武の鳩尾に、純夏の拳がめり込む。

 ――結局その日以降、純夏と武はその話題について触れることは無くなってしまった。 今にして思えば、あの時の自分は思考を停止してしまっていたのだろう。 武の言うことが確かに的を得ていると、心の中のどこかでは理解していたのだ。 ただ感情的に、遙の友達としてそれを認めてしまうわけにはいかなかったのだ。

 夕闇に沈むグラウンドのなか、前を歩く武の後姿を見つめながら純夏はそう思った。







 正門とは全く別方向に進みだす孝之。 「どうするつもりなのか?」と、武が聞くも、「黙ってついて来い」らしき事を言って、孝之はそのまま足を進めていった。

 疑問に思いながらも黙って言われたとおりついて行くと、基地裏のとある一角へと案内された。 どうやら裏の林が寸前まで迫っているらしく、基地を覆う高いフェンスの向こう側から、木の『こずえ』が顔を覗かせていた。


「ほら、ここから裏の丘に抜けられるんだ。」


 そう言って孝之の指差したのは、フェンスと地面の間に出来た人一人がかろうじて抜け出せそうな微妙な隙間だった。


「おいおい、報告しなくていいのかよ、コレ。」


 当然のように突っ込む武。 基地の警備上、フェンスに人一人通り抜けられる抜け道が存在するのは問題だろう。 しかし、そんな武の突っ込みに孝之は「まさか!」と首を横に振った。


「せっかく苦労して見つからないように掘ったんだ。 誰がそんなことするか。」


 一斉に向けられる白い目線もなんのその、孝之は堂々と胸を張っている。


「……とりあえず行こうか。」

「ああ、そうだな。」


 純夏は何も聞かなかったことにして、フェンスの下をくぐった。 訓練着に着替えなおしたため、スカートの中身を披露してしまうという心配は無い。 その後に続くようにして武もフェンスをくぐりにかかる。


「い、いや、何か突っ込めよ!!」


 どうやら孝之なりのジョークだったらしいが、孝之のことである、もしかしたらジョークだったことにしようとしているのかもしれない、と、2人は思った。 正しく孝之の日ごろの行いの結果、因果応報とはこのことだろう。

 林を掻き分け掻き分け進んでいくと、程なく視界が開け、目の前に小高い丘が姿を現した。


「ねえ、タケルちゃん、ここって。」

「ああ、あの丘だな。」


 丘の上に一本だけ生えた木。 正しく武達にとっても馴染み深い『あの丘』である。 満点の夜空の元、天に向かって伸びた枝葉が月明かりを反射してキラキラと輝いていた。


「綺麗……。」


 そんな言葉が純夏の口からついて出た。 隣に立つ武も、またその光景に見入るかのようにジッと夜空を見上げている。


「――で、涼宮さんとは実際のところどうなんだよ?」

「……へ?」

「まあ見てのとおりと言うか。」


 後ろから聞こえてきた声に、純夏はここに来たのは孝之の話を聞くためだったことを思い出した。


「――あまり上手くいってねえんだな。」


 背後の孝之に、武は前を向いたまま尋ねた。


「そういうわけじゃ……いや、そうなのかもしれない。」

「ったく、はっきりしねえ奴だなあ。」


 そう言って武は孝之の方を振り返った。 呆れたような、はたまた哀れみのような眼差しを孝之に送っている。


「――わからないんだよ。」

「いや、だから何がわからないん――」

「ねえ、タケルちゃん! まずは鳴海君の話を聞いてあげようよ。」


 武の弁をさえぎって、武を諌める純夏。 武はしぶしぶといった様子で矛先を納めた。


「それで鳴海君、何がわからないの?」


 やさしく孝之に問いかける純夏。 孝之は口をあけたり開いたり、言いずらそうにモゴモゴとしている。 武はそんな孝之の様子にイライラを募らせるも、純夏の鋭い眼差しに根負けしてとりあえず大人しくしているようである。


「なんで、遙と付き合っているのか、わからなくなっちまったんだよ。」


 3人の間を一陣の風が通り抜けた。 純夏は存外に重いその告白に、思わずブルリと身を振るわせた。


「えーっと、涼宮さんが好きだからじゃないの?」

「わからないんだよ。 自分でも、わかんねえんだよ、自分の気持ちが……!!」


 そう言うと孝之は、力なく項垂れた。 純夏は孝之の言葉に心の底から驚いていた。 彼女からしてみれば恋愛、特に『付き合う』という行為は相思相愛が原則であるからだ。

 時間が経つにつれ冷静さを取り戻した純夏は「孝之は今上手く行っていないからそう思い込んでいるだけなのでは?」と、思った。 マリッジブルーと呼ばれる現象で、結婚前の女性によく見られる現象らしいが別に男性に起きても不思議ではないと、そう考えたのだ。

 一方で、武は孝之が口にしたことがそのまま真実であると考えていた。 孝之のことである、その場の空気に流されて、なんとなく告白を受けてしまったに違いない。 今更といえば今更すぎる孝之の『告白』に、呆れを通り越して哀れみすら覚える。


「――いや、別にそれって普通なんじゃねえか?」

「へっ?」


 武がまるで「朝起きたら歯を磨く」とでも言うかのように何ともなく言ったのに対し、孝之は勿論、純夏もそろって間抜けな声を上げて呆然とした。


「確か同じ学校出身とはいえ、涼宮さんとは面識がある程度で、ここに来るまで碌に話したこともなかったんだろ?」

「……あ、ああ、そうだ。」


 孝之は多少どもりながらも頷いた。 純夏もまた、遙からそんな話しを聞いていた事を思い出す。


「だよなあ? だからオレだって、お前達が付き合い始めたって聞いたときはマジでビックリしたんだぜ? 実質、会ってから一ヶ月も経ってなかっただろ、あの時。」

「――そうなるかな。」


 孝之はまるで今気がついたかのようにハッとした顔で相槌を打った。


「ちょ、ちょっと待ってよタケルちゃん。」

「なんだよ純夏?」

「わからないのが普通って……じゃあタケルちゃんは好きでもない人から告白されて、うんって答えるの?」

「おいおい、話を元に戻すなって。」


 武はかなりイラついた口調で純夏に答えつつ「ったく、どいつもこいつもなんでそう極論で物事を考えようとするんだ?」と、ボソリとつぶやいた。


「なあ、確認だが別に孝之は涼宮さんのことが嫌いだったわけじゃないんだろ?」

「そりゃあ、当たり前だろ。」

「もちろん、他に付合ってる奴や、好きな奴も別に居なかったんだろ?」

「それはそうだけど、だからそれがどうしたんだ?」


 不満げに返す孝之に「だったらOKしても、別に無理はないって。」と、武はそう言って肩をすくめて見せた。


「だーかーらー、何でそうなるの?」


 純夏は納得行かないとばかりに声を上げた。 孝之もその後ろで首を縦に振っている。


「――じゃあ純夏、もし断ったとして、その後どうなる? 嫌でも毎日顔あわせることになるんだ。 『これからも良いお友達で居ましょう。』って、それですんなり上手く行くと思うか?」

「それは! ……う~ん。」


 確かにそれは難しいかもしれない。 純夏は思った。 やはり何処かシコリが残ってしまうだろうし、更に言えば遙は水月の友達でもある。 もしも孝之が遙の告白を断っていたら、最悪今頃部隊がバラバラになっていたかも知れない。


「まして相手は涼宮さんだぞ? あんな美人に声かけられて断ることが出来る男って言ったら、大事な人が他にいるか、でなけりゃ不能だな。」

「不能って! もう、タケルちゃん下品だよ。」


 顔を赤らめて武を非難する純夏。 武はそれを「若いなあ」などと思いつつ受け流す。 そうだ、ちょうどいい頃合だし、あの話をしておくべきかもしれない。 武は思い立ったが吉日と、突然話題を切り替えた。


「……なあ、ところで孝之。 お前にとって今一番大切なものって、何だ?」


 まったく関係ないと思えることを、急にのたまい始める武。 孝之は動揺しつつもとっさに聞き返した。


「な、なんだよいきなり藪から棒に。 大体、大切なものってなんだ?」

「世界でも国でも恋人でも、何でもいい。 何としてでも『守りたい』ものって、あるか?」

「いや、そんなこといきなり言われても。」


 そう答えつつ、孝之は困ったように頭を掻いた。


「じゃあ今考えてくれ。 ……あ~純夏、お前もついでに。」

「わ、私もッ? っていうかついでってなにさッ?!」

「いや、どう考えてもついでだろ。 とりあえず、考えて置いて損は無いと思うぞ。」


 武はそう言ってまた満天の星空を見上げる。 今日は天気が良い為か、天の川がいつもよりもはっきりとよく見えた。


「……ねえねえ、私たちにそんなこと聞くって事は、勿論タケルちゃんにはちゃんとあるんだよね?大切なもの。」

「ん? ああ、勿論。」

「なら言ってみてよ。」

「お、それオレも気になるなあ。」


 まるで空に浮かぶ三日月のような笑みを浮かべる孝之と純夏。 武は居心地悪そうに咳払いをした。


「……なんだ、そうだな。 オレの守りたいものは……。」

「守りたいものは?」


 先を促す純夏と孝之。 いかにも興味津々と言った様子で身を乗り出している。


「『仲間』かな?」

「『仲間』?」


 意外とありきたりな答えに、途端にテンションが下がる2人。 しかし武はそれを見越したように言葉を続けた。


「隣に立つ『仲間』たちを守りたい。 ただそれだけだ。 だから仲間の住むこの国を――いや、『この世界』を守りたいって、そう思うんだ。」


 何処か遠い空の向こう、そこにまるで何かがあるかのように一点を見つめながら、武は答えた。

 そう、BETA戦後の世界や、国がどうなろうと武にはどうでも良いことだ。 どの道、己が生まれ育った『故郷』には、二度と戻ることはかなわないのだ。 他の価値観を否定するわけではないが、少なくとも自分は、何の親近感もわかないこの国を、世界を、『タダ』で命を懸けて守ろうとは思えない。 そこに『仲間』たちがいるから。 『仲間』たちがいる『この世界』だからこそ『守りたい』と、そう思うのだ。


「――タケルちゃん突然なに言ってるのさ! ぜんぜん似合わないよ~!」


 ややあって噴出す純夏。 武は「うるせえ、んなこと分かってる。」と、恥ずかしそうに吐き捨てた。


「『世界なんてついでだ、隣に立つ仲間たちを守りたい』……か。 まあよくそんなこっぱずかしいセリフが言えたよな。」


 純夏に同調するようにして孝之は言った。 武は恥ずかしさに顔が赤くなりつつあることを自覚しつつ、その傍らでかつての戦友がいかに生真面目だったのかを思い知った。


「――でも確かに……あえて言うならオレもそうかも知れないな。」


 武の見据える方向を見つめながら、孝之はそう言葉を続けた。


「結局告白にOKしたのも、おまえの言う『仲間』を傷つけたくなかったからなのかもしれない。」


 ポツリとつぶやく孝之に、武はただ「そうか。」と返した。


「……鳴海君、それはいけないと思う。」


 純夏は孝之の背中に語りかけた。


「……え?」

「たぶん、涼宮さん傷ついてるんじゃないかな? 例え言葉にしなくっても、何となく相手の気持ちがわかっちゃうんだよ、女の子って。」


 純夏の訴えに息を呑む孝之。 どうやら「今のままでも相手を苦しめている。」などとは思いにもよらなかったらしい。 孝之は何か考え込むように目を伏せて沈黙した。


「……そうか。 うん、確かにそうだな。 わかった、オレ、こんど遙と2人で、きちんと話してみるよ。」


 しばらくして、孝之は真剣な表情で答えた。 孝之の表情に、何か間違った決意をした者が浮かべるような、そんな不吉なものを感じた武は、思わず声をかけた。


「なあ、ちょっといいか孝之?」

「ん、なんだよ?」

「もしも、わかれること前提の話し合いなら、今はやめておけ。」

「――っ?!」


 図星だったらしく孝之はギクリと顔を引きつらせた。 「はあ、まったくそんなことだろうと思った。」武は苛立ちを隠そうともせず、呆れた声を漏らした。


「おまえなあ、涼宮さんのこと少しでも知ろうとしたか?」

「……はあ?」


 武の言った内容に、孝之は目を瞬かせる。


「付き合うって言うのは、本来そういうことだろ? 2人で食事を取ったり、デートしたり、とか、そう言った行動をすることが『付き合う』ことだとでも思ってたのか?」


 孝之はわけがわからないらしく、相変わらずキョトンとした顔をしている。


「あのなあ、デートってのは、お互いを良く知るための1手段だっての。 目的と手段を履き違えてどうすんだよ!!」


 どうりで恋愛『ゴッコ』をしているように見えたわけである。 孝之は、肝心の目的と手段を履き違えていたために周りと理解の齟齬が発生していたのだ。


「――今からでも遅くない。 涼宮さんのこと、もっと注意深く観察してみたらどうだ? ああ、それと、分かってるとは思うが、オレ達は絶対に4日後の演習を乗り越えなきゃいけねえんだ。 そのことも忘れるなよ?」


 心配性な武に、孝之は「それはわかってるって。」と苦笑交じりに答えた。 本当にわかっているのかいささか不安だったが、孝之がそういうからには信じざるをえない。



「……まあなんだ。 ありがとな、武、それに鑑。 おかげでなんだか胸のつっかえが取れたような気がする。」


 孝之が清々とした表情で述べた刹那――夜空に一筋真白に輝く光が横切った。


「あ! あれ今の流れ星じゃない?」


 純夏ははしゃいだ様子で夜空を指差す。 孝之は釣られて夜空を見上げるも、当然もう流れ星はどこかへと消えてしまっていた。


「お、運良いじゃんか鑑。 なにか願い事はしたのか?」

「――あーー!! 願い事するの忘れてた……。」


 愕然とした表情で純夏は叫んだ。 そんな彼女の様子に、思わず腹を抱える武。


「はははッ! いかにも純夏らしいな。」

「むう、タケルちゃん、それってどういう意味さ!」


 再び始まるいつものやり取り。 夜空の星たちは、そんな彼等の様子をただ静かに見守っていた。




[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第二章 第五話 人形 ~After a calm comes a storm.~
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Date: 2009/01/11 13:03
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 ジトジトと洋服が体に吸い付く。 林のせいで辺りが湿っているのだろうか……否。 それとも訓練着を着替えていないせいだろうか……それも否。

 結局、自分は今緊張しているのだ。 洋服がべたべたと体にくっついて気持ち悪いのは、つまり冷や汗のせいだ。


「あーと、ちょっといい、タケルちゃん。」


 帰りの道すがら、純夏は武の背中を「ちょんちょん、」と遠慮がちに叩き、小声で話しかけた。


「なんだ、純夏?」


 なにやら純夏がこちらに向かって手招きをしている事に気がつくと、武は不審に思いながらも純夏の傍へと近寄った。


「――ん? どうしたんだ2人とも?」


 背後から2人の気配が消えたことに気がつき、孝之は後ろを振り返る。


「えーっと、ちょっと長くなると思うから鳴海君は先にPXのほうで待っててよ。」


 純夏は「はあ? だからどうしんだよ、なんだよ用事って?」という、武の当惑した声を掻き消すような大声で孝之に言った。


「――わかった。 じゃあまた後でな。」


 何か納得したように頷くと、そのまま何の疑問も挟まずに林を駆け抜けてゆく孝之。 武は「そこで納得しないでくれ。」と思わないでもなかったが、純夏の手前仕方がなくそのまま後姿を見送る。


「で、なんだよ用事ってのは。」


 孝之の後姿を見送った後、武は改めて純夏に問いかける。 やっぱり今言わなければならないだろうか? 純夏は、一応武を呼び止めてはみたものの、彼に『人形』を無くした事を白状する決意がまだ固まっていなかった。


「えーっと……怒らないでよね?」


 思わず確認を取ってしまう純夏。


「つまり、オレが怒るかも知れないような話題なんだな?」


 『タケルちゃん』は私の心を見透かしているかのように、すぐさま切り返してきた。


「う゛っ……。 ま、まあそうなんだけどさ。」


 ぽりぽりと頬をかく純夏。 武は溜息をつきながら面倒くさそうに「怒らないから言ってみろ。」と純夏に先を促してくる。


「本当に?」

「本当だ。」

「ホンとの本当?」

「……どうせオレが『本当だ。』って答えたら『ホンとのホンとの本当?』とか聞き返すつもりなんだろ? 怒らないから取り合えず言え。 じゃねえと本当に怒るぞ。」


 そう言ってどこからか取り出したスリッパを構えて見せる武。 純夏はビクリッと、電流でも流されたかのように背筋を伸ばした。 どうせ白状するしかないのに、頭を叩かれてはたまらない――白状したら白状したできっと叩かれるに違いないのだが。 純夏は観念して重い口を開いた。


「『サンタうさぎ』……タケルちゃんが私にくれたの、覚えてる?」


 どうせ『タケルちゃん』は忘れてるだろうけど……内心でそう思いつつ、というよりは、この時ばかりは願いつつ、純夏は武に問いかけた。


「――ああ、なんだそのことか。」


 ところが武は、純夏の問いを聞くなり、なんでもないようにそう返事すると、ズボンのポケットを探り始めた。


「ほら、これの事だろ?」


 そう言って武が差し出した手に握られていたのは、ウサギを模ったらしい、手のひら大の古ぼけた人形だった。 すっかり色は褪せ、ところどころ解れてしまっている。 間違いない――私の、『サンタうさぎ人形』である。


「た、タケルちゃん、ど、どこで見つけたの? っていうかなんでタケルちゃんが持ってるの?!」


 私は驚いて『タケルちゃん』に詰め寄った。 武は純夏のあまりの勢いに、思わず半身を仰け反らせる。


「待った待った。 まずは落ち着けって純夏。 帰るときグラウンドで見つけたんだよ。」


 続けて、何処か困ったような、照れくさそうな表情を浮かべて「まさかとは思ったけど、やっぱりおまえのだったんだな。」と呟く武。


「ありがとー……ふう、無くしたらどうしようかと思ったよ。」


 純夏はほうっと溜息をつき、顔を綻ばせた。 正直なところ、8割ぐらい諦めていたのだ。 だから、プレゼントをくれた武に『無くした』ことを白状しようと思ったのである。 スリッパでしこたま殴られるぐらいの覚悟は当に決めていたのだ。


「ったく、それにしてもこんな人形のどこが良いんだ? さっさと捨てちまえばいいのに。」


 人差し指と親指で人形をつまみ、シゲシゲと見つめながら話す武。 何て事を言うのだろうか。 純夏は武の物言いに憤慨した。


「ええー?! だめだよお。 それ、大切なんだから。」

「こんな汚ねえのが?」


 武は人形を純夏の目の前に突き出しつつ言った。


「う゛……まあ確かにボロボロだけどさ。」


 自覚はあるらしく、ぼそぼそと呟く純夏。


「わかった、さてはお前『捨てられない症候群』なんだろ? よしわかった、オレがかわりに捨ててやる。」


 武は言いたいだけ言うと、突然、人形を握ったその腕を大きく振りかぶった。 ――え? 一瞬思考が止まる純夏。 数瞬後、武がとんでもないことをやらかそうとしている事に気がつくと、純夏はあわてて武に飛び掛った。


「わー、わー、わー、タケルちゃんだめえッ!」


 そんな純夏の悲痛な叫びも空しく――風を切る鋭い音――武は勢いよく腕を振り下ろしてしまった。


「……た、タケルちゃんヒドイよ。あんまりだよ。」


 まるで全身から力が抜けたかのように、純夏は思わず伸ばした腕をそのままに、その場にへなへなと尻餅をついてしまった。


「人でなしだよ、信じられないよ、信じたくないよお……。」


 弱弱しく呪詛を吐く純夏。 武はそんな純夏の様子を見ながら、ニヤニヤといやらしく笑っている――


「おーい、純夏、こっち見ろよ。」


 さめざめと涙を流す純夏に武は呼びかけるが、完全にへそを曲げてしまった彼女は、全く反応を返さない。


「だからこっち見ろって!」


 武の二度目の呼びかけに、純夏はユルユルと顔を上げた。


「……なにさ。 って、えええッ?」


 驚嘆の声を上げる純夏。 振り返ってみれば、武の手に今しがた闇夜に消えていったはずの大切な人形が握られていたのだ。


「ばーか、フェイントだって――うげッ!」


 武が言い終わるよりも先に得意のレバーブローを叩き込むと、彼の手から己が宝物を奪取する純夏。


「よかったー、一瞬心臓止まったよ。」


 人形を大切そうに胸ポケットに仕舞いながら純夏は安堵の溜息をついた。 「……こっちは物理的に呼吸が止まったがな。」武は恨みがましい様子で吐き捨てる。


「タケルちゃんのばーか! 冗談でもやって良いことと悪いことがあるんだよ?」


 「そのぐらい今時の小学生だって知ってるのに。」純夏は尚もグチグチとタケルを責め立てた。


「ったく、悪かったって、確かにちょっと調子に乗りすぎた。 だがなあ、純夏。 おまえもいきなりレバーブローは、明らかにやりすぎだろ?」

「フンだ。 そもそもタケルちゃんが紛らわしいことするのが、いけないんでしょ。」


 武は「うぐっ」と言葉に詰まった。


「――っと、そんな事言ってる間に戻ろうぜ。 多分速瀬さん達待ちくたびれてるぞ。」


 結局、武は話題を転換することで、その場をやり過ごすことにしたようだ。 純夏の返答も待たずに武は再び基地の方へと坂を下り始めた。


「速瀬さん……。」


 純夏は呟きながら、顔色を曇らせた。 ポケット越しに、タケルから返してもらった人形を握り締める。 ――タケルちゃん、やっぱり……。 頭をよぎる、嫌な予感。


「おーい、純夏、なにやってんだ? 置いてっちまうぞっ!!」


 下から聞こえてきた武の声に、純夏は、ふと我に返る。 ボーっとしているうちに、武はもう随分下の方まで降りてしまっていた。 辺りは静まり返っており、夜の森独特の不気味さが、今更になって純夏を猛烈に襲った。 ヌラリ、と、頬を生暖かい風が撫でる。 


「ヒッ!」


 思わず、純夏の口から小さな悲鳴が漏れた。


「ま、待ってよタケルちゃん、こんなところに一人で置いてかないで~!」


 純夏は叫び声を上げながら、武の後を全速力で追いかけるのだった。







「……ふむ、それで?」


 所変わって座学教室。 まりもは能面のような表情で、目の前で正座している武、孝之そして純夏に向かってそう問いかけた。


「……い、以上です。」


 武が恐々とした表情で締めくくる。 武達3人は、それぞれ如何とも表現しがたい表情をしているが、3人に共通して言える事は、まりもに対する恐怖で顔が真っ青であることだ。 そんな彼等の事を、他の207Bメンバーは同情とも呆れとも取れる表情で冷ややかに見つめている。


「つまり、何の相談かは知らんが鳴海の相談を受ける、たったそれだけの為に訓練校を脱走した、というわけだな?」


 「仲間想いで大変結構なことだな。」と、まりもは見るものを震え上がらせるような、そんなステキな笑みを浮かべて言った。


「そ、そんな、神宮司教官脱走だなんて、私たちそんなつもりじゃ!!」

「よせ純夏。 許可もとらずに基地の外にでたんだから『脱走』って言われても仕方ないだろ。」

「ほう、白銀。 そこまで分かっていながら何故止めなかったんだ?」


 聞こえてきた武の囁きに、まりもは鋭く突っ込んだ。


「うっ……申し訳ありませんでした。」

「『申し訳ありませんでした。』では無いわ、この馬鹿者ッ!! ――全く、貴様達は軍の規則をなんだと思っているんだ!?」


 まりもの怒声が武達の鼓膜を直撃した。 耳が「キーン」と悲鳴を上げるが、ここは3人とも根性で耳を塞がずに耐えた。 と言うよりは、その迫力に身動きが取れなくなってしまったというのが正しいだろう。 その脇では、武達の説教を聞いていた速瀬達までもがハトが豆鉄砲を食らったような表情をして固まってしまっている。


「全く、これが正規の軍隊だったら貴様達は二の句も告がせず銃殺刑だぞ?!」


 まりもはそう叫んで「ハア……。」と、眉間を押さえつつ深い溜息をついた。


「本来なら『営倉で頭を冷やして来い!』と言っておきたいところなのだが……今回の件は諸事情により、特別に不問とする。 ただし、このようなことが再び起こるようだったら、その時は営倉でなく『桐の箱』に入ってもらうからな。」

「諸事情……ですか?」


 『桐の箱』という気になるけど聞きたくない表現を意識の外に追いやりつつ、孝之は不思議そうに首をひねった。


「それは今から話すところだ。」


 まりもはイライラとした口調で言い切ると、ゴホンと一つ咳払いをした。


「――さて、こんな時間に緊急招集をかけたのは、何も馬鹿な脱走兵を炙り出すためでも、貴様達の楽しい夕食を邪魔するためでもない。」


 まりもは皮肉交じりに言いながら、207Bメンバー全員の顔を見回した。


「時間があまり無い、単刀直入に言うぞ――『今日中に総合戦闘技術評価演習の準備を済ませ、明日の演習に備えよ。』との命令だ。 基地司令からの、な。」

「……っ?!」

「急の事態に驚いているようだな。 まあそれも仕方がないだろうが。」


 武達は驚きのあまり言葉を失ってしまった。 そんな彼等の様子も想定の範囲内だったらしく。 まりもは特に褪せる様子も無く――どちらかというと、先にも増して疲れたような表情で――その先を続けた。


「――なんでも大型の台風が南シナ海に出現したらしい。 その予想進路上には、演習の準備が施されている某島も含まれている。 よって予定を繰り上げ、明日急遽実施することになった、ということだ。」

「ちょ、ちょっと待ってください。 いくらなんでもそれは急すぎます! それに何故延期でなく繰上げなんですか?!」


 いち早く我に帰った水月が、呑み込めない様子でまりもに訴えた。


 「それは――。」まりもは言いかけて口をつぐんだ。 なにやらブツブツと呟いているようだが、小さすぎて武達には聞き取れない。


「あのー、神宮司教官?」

「――ああっと……それはだな、どうやら香月博士の差し金らしい。」


 思わず頭を抱える207B一同。 武と純夏の2人を除く207B隊員は、ここに来てようやく武の「香月博士を舐めてはいけない。」という言葉の真意が分かったような気がした。


「『演習の下準備はすでに整っているのだから、台風で使い物にならなくなってしまう前に済ましてしまったほうが、金も時間も節約できる。』ということで、基地司令もあっさり納得してしまって。」


 「あーもう、だから夕呼は。」「なんでこうなるの?」などと呟きながら頭を振るまりも。 そんな彼女の哀れを誘う様子を見ながら、武は「夕呼先生のことだから、絶対に基地司令の弱みを握って強引に認めさせたに違いない。」と、今までの経験上から当たりをつけた。


「――それって、もう、どうしようもないんですか?」


 遙がビクビクしながら尋ねると、まりもはきっぱりと答えた。


「それが軍隊というところよ、覚えておきなさい。」


 その言葉に、揃って意気消沈する一同。


「(――まりもちゃん、それはラダビノッド司令のセリフです!!)」


 武の心の叫びはともかく、まりもは「さて、私はこれからやらなければならないことが、それこそ山のようにあるのでな。 各自準備は完璧に済ませておくように。」と、言い残すとそのまま教室を後にした。 武達もまりもの影響で完全に気力を失ってしまったらしく、各々無言のままそれぞれの部屋へと引き返してゆく。


「ったく、勘弁してほしいよなあ、夕呼先生にも。」


 愚痴りながらも準備を進める武。 準備とは言っても、必要なものは意外と少ない。 演習自体が極限状態を想定しているため、持ち込めるものと言ったらお守り程度なのだ。 とは言っても、「ヘビ除け対策」など、裏ワザ的な細かな下準備は怠ると悲惨な目に会うので、それなりにしっかりやらねばならないのだが。


「よし、これでいいな。 後は――」


 机の上に置かれたあるモノを前にして武の動きがピタリと止まった。 ソレはウサギを模した木彫りの人形。 少々不恰好だが、作るのはこれが二度目ということもあって、出来はそれなりに良い。


「なんで、『アレ』がこの世界に……?」


 人形を見つめる武の顔にはありありと困惑の色が浮かんでいた。 アレとはすなわち、純夏の持っていた『サンタウサギ人形』の事である。

 確かに『サンタクロース』という存在自体があまり浸透していない『この世界』において、サンタ衣装をまとったウサギの人形が存在することは不思議なことであるが、それ以上に武にとってあの人形は特別な意味を持つ人形であった。

 幼き日、「サンタクロースからのプレゼントが届かなかった。」と、泣いていた幼馴染をどうにかしてなだめるために渡した、今考えてみれば彼女に対する始めてのプレゼント。 それが『サンタウサギ』。 それ以来武は毎年のように色々なもの――大半がガラクタであるが――を、必ず彼女にクリスマスプレゼントとして送っていた。

 だが、それは『この世界』の話ではない。 武の主観からすれば元々住んでいた、正確には『白銀武』という存在のモデルになった因果世界においてあった出来事である。 『この世界』においても同様のことがあったとすれば納得できるが――否、そうでなければ今回の事態はあり得ない。


「――どうでもいいか。 それでどうこうなるわけでもなし。」


 まるで自身に言い聞かせるように、ワザとらしく声に出す武。 机の上の人形を拾い上げると「やっぱり似てねえなあ。」と呟きながら、訓練着のポケットに、乱暴に突っ込んだ。



[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第三章 第一話 孤島 ~Penny wise and pound foolish.~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:9b750810
Date: 2009/01/11 13:01


 見渡す限りの海、彼方には白い雲。 一見すると、台風が近づいてきているとは信じられないほどの穏やかな天気。

 しかし、台風の影響が全く無いというわけではなく――波の砕ける、まるで怒れる野獣の唸り声のような音が、辺りに鳴り響いた――『グラリ』と、武達の乗るゴムボートが三度傾く。 船内から、誰のものとも知れない悲鳴が上がった。


「あら、やっと到着? それにしても……フフ、随分快適な船旅だったみたいじゃない?」


 荒波に流されかけながらも、何とか『無事』上陸した武たちを出迎えたのは、夕呼お決まりのふざけた笑みであった。 やたら露出度の高いビキニ姿で、ビーチパラソルの下、ビーチチェアに横たわりながら、ひらひらと手を振っている。

 そんな彼女の開放的な姿とは対照的に、上陸組は、大変みすぼらしい格好を晒していた。 ビショビショに濡れた野戦服、一様に青白い顔――その姿はまるで、海の亡霊が陸に這い上がってきたかのようである。


「はい、これ。 今回の任務よ。」

「命令書、受領いたしました。」


 船酔いが抜けきらないのだろう。 若干ヨタつきながら、部隊長である遙が命令書を受け取った。 そんな彼女の様子を見て、夕呼は肩を竦めつつ「ま、せいぜい死なない程度に頑張りなさい。」と忠告を入れた。


「……了解。」


 水月は、「余計なお世話だ。」とばかりに、ねっとりとした恨めしげな目で夕呼を睨んだ。 しかし夕呼には全く効果が無かったらしい、涼しい顔でグラスに口をつけている。


「いざって時は、荷物の中の通信機を使いなさい。 まあその場合、当然、試験は失格だけどね。」


 ふと見れば彼女の座る椅子の脇には、氷が山のように入ったバケツ。 そこに差し込まれた、細長いボトルに貼られているラベルからは『Dom Perignon』――『ドンペリ』の文字が読み取れる。 フランスが壊滅してしまったというのに、いったいどこから取り寄せたのだろうか? 恐らく、BETA大戦以前に日本に持ち込まれたものなのだろう。


「白銀、装備よ!」


 水月は憎らしげに溜息を漏らしながら、八つ当たり気味にベルトキット――ウエストポーチの様なもの――を武に向かって投げつけた。


「うわっと。」


 衝撃を吸収しつつ何とか受け取る武。 念のため、具合を確かめる。 どうやらそこまで使い込まれたものではないらしい、目立った破損箇所はほとんど無かった。


「純夏、お前のベルトキットは大丈夫か?」

「大丈夫って?」

「ボロかったりしないかって聞いてるんだ。」

「ん~、多分大丈夫。」


 ベルトキットを力任せに引っ張りつつ答える純夏。


「おいおい、そんなことやってて、もし切れたらどうするんだよ。」

「その時はタケルちゃんのを……アイタッ!」


 純夏が何を言わんとしているか察した武は、彼女が言い切る前に実力行使に出た。


「ったく、馬鹿は休み休み言え。そっちはどうだ?」


 武は同じく様子を確かめている孝之達の方に首を捻って呼びかけた。


「そうだな、オレのは少しやばそうだ。」


 そう言って孝之は自分のベルトキットを掲げてみせる。 確かに今にも切れてしまいそうなほど、ベルト接続部分の劣化が進んでいた。


「孝之君、えっと……私のと。」


 遙がなにやらモゴモゴと言っているが、孝之はそれに全く気がついていないようだ。 「こりゃいつ切れてもおかしく無いな。」等といいながら思案に暮れている。


「孝之ッ!」

「なんだよ水月。 あ、ひょっとして交換してくれるのか?」

「誰がッ! それよりも遙が呼んでるわよ!」

「――っと、悪い悪い。 それで、どうしたんだ? 遙。」


 孝之は改めて遙に問い直す。 遙はチラチラと孝之の様子を伺いながら、遠慮がちに口を開いた。


「……よかったら、ベルトキット、私のと交換する?」

「え? いいのかよ。」


 孝之は怪訝そうに尋ねた。 孝之の問いに、遙は「コレぐらいなら、多分、私でも補修出来ると思うから……。」と答えて、恥ずかしそうに顔を伏せる。


「――そうか、ならよろしく頼む。」

「……うん。」


 まだ少々ぎこちないが、及第点と言ったところだろう。 武は思った。 遙のことは良く分からないが、少なくとも孝之の態度は、肩の力が抜けたと言うべきか、以前よりは自然な感じに見える。


「全員集合!」


 まりもの掛け声に、207隊員全員が背筋を伸ばす。 数ヶ月の訓練の賜物だろう、脊髄反射的に体が動いていた。 程なく、まりもの前に整列する一同。 まりもは全員が整列が完了したのを確認すると、咳払いなどをしながら、ややもったいぶって口を開いた。


「これより本作戦についての説明を行う。 本作戦は、戦闘中、戦術機を破棄せざるを得なくなり、強化外骨格も使用不能という状況下で、いかにして戦闘区域から脱出するかを想定した物である。 従って脱出が第一優先目的だ。」


 なるほど『いつもどおり』か、と、武はホッと胸をなでおろした。 いつも通りとはすなわち、彼が経験してきた演習の内容と大差無いと言う事である。

 ちなみにほとんどの場合、演習で想定されているような状況に追い込まれた時点で、生還は絶望的だ。 本来ならば出来る限りそのような状況に追い込まれないよう、最善を尽くすべきなのである。

 ――だからと言って、この演習が『全くの的外れな内容』という訳ではない。 そもそも、この演習の目的は体力、知力、決断力といった個人の能力に加え、チームワークや分隊単位での作戦行動など、衛士として最低限必要とされている技術、態度がきちんと習得できているかどうかを評価することにある。 よって、演習には『現実的』云々よりも、評価基準の明確さが要求されるのだ。

 第一、歩兵対BETA戦闘戦術など、衛士前期訓練課程の訓練内容にはまったく含まれていないのだから、対BETA戦を想定した演習を行うことは、すなわち演習の意義全体を損なうことになる。 習っていないことを突然やらせて、いったい何を評価しようというのだろうか? 名目上、トラップはBETAによる追跡を模したものとされているが、使われているトラップは、すべて授業中に紹介されたもの――しょせんは対人用に人間が作り出したトラップに過ぎない。


「また行動中、地図中に記した目標の調査――可能ならば破壊する事を、第二優先目的とする。 調査対象は全部で4箇所。 破壊の必要性、方法については各自の判断に任せる。 本作戦は144時間後、所定のポイントに待機している回収機に搭乗後、離陸をもって完了するものとする。 ――以上が現時点で貴様らが知り得る情報の全てだ。」


 武は「む?」と首をひねった。 しかし、よくよく考えてみれば当然の事である。 毎年演習の内容が『完璧』に同じであるはずが無い。 自身が経験した演習の内容と、多少差異があっても、それは仕方がないだろう。 場所が増えたことが唯一気がかりだが、任務が破壊でなく調査となっていることから、差し引き0と言ったところかもしれない。 と、武はそう自分を納得させた。


「各自時計合わせ…………57、58、59、作戦開始!」


 まりもが声高らかに総戦技評価演習の開始を宣言する。

 ――こうして、207B分隊における『南の島でのバカンス』初日の幕は切って落とされたのであった。







 演習開始と同時に一斉にジャングルの中に飛び込む――わけがなく、207訓練兵小隊は、各々の分隊ごとに上陸地点の浜辺で輪を作っていた。


「それでは、これより作戦会議を始めます。」


 部隊長である遙を中心に、作戦会議が開かれる。 闇雲にジャングルに突入して「ハイ、任務完了。」と行くほど、この演習は甘くない。 何せ、およそ一週間がかりでギリギリ間に合うかどうかという計算で行なわれている演習なのだ。

 ジャングルの中は追跡者を想定したトラップだらけで、落とし穴のような低度なモノから、下手をしなくとも怪我ではすまない本格的なモノまで多種多様なトラップが多数設置されている。 それ以外にも小型の野生動物――例えば蛇――や、移り変わりの激しい気候、訓練校側も想定外のアクシデント(ということになっている)によるコース変更など、不確定要素が多分に存在する。

 現に武は、以前経験した演習で、少なくとも3度は死に掛けていた。


「皆、地図を開いて。」

「うわ、ナニコレ、ほとんど真っ白じゃない!」


 遙に促されるまま地図を開き、目に飛び込んできた眩いばかりの白に悲鳴を上げる水月。


「なんだよこれ、等高線すら全く引いてないじゃねえか。 コレって地図って言えるのかよ。」


 眉間にしわを寄せながら文句を漏らす孝之に「これはヒドイな……頼りになるのは方位程度か。」と慎二も同調した。


「うわー、夕呼先生の試験の答案用紙みたい。」

「……純夏、たぶんその例えは、オレたちにしかわからないんじゃねえか?」


 結局言いたいことは「白地図同然だ。」ということだろう。 武は数学、物理の際に渡された解答欄の無い無地の答案を思い出し、ゲンナリとした表情を浮かべた。


「――地図の縮尺と制限時間から考えると、たぶんみんなで回ってる時間は無いと思うの。 だから3つにグループを分けて、それぞれACD地点を調査、B地点で集合するのはどう?」


 地図を改めてみてみる。 やや東西に広い島のほぼ中央にB地点があり、その南西にA地点、南東にD地点がある。 上陸地点を基点としてみた場合、A地点、D地点ともに距離的は対して変わらない。C地点は、A、B、D地点とは少し離れたところにあるが、上陸地点からは最も近く、B地点への総延長も最も短い。

 遙の提案に、武達は各々の言葉で揃って賛成の意を示した。 遙は満足そうに口元を綻ばせると、部隊の仲間の顔を伺いながら言葉を続けた。


「それで部隊分けなんだけど、孝之君と慎二君、白銀君と鑑さん、私と水月の組み合わせが良いと思うの。」

「え? 遙、孝之と一緒じゃなくて良いの?」


 水月は素っ頓狂な声を上げた。


「そ、そんなことしたら部隊のバランスが崩れちゃうから……。 私、実技は苦手だし。」


 遙は慌てたように手を振りながら答える。 水月は「あ、そっか……。」と納得したように呟いた。


「それって暗にオレが頼りないってことだよな……?」

「そうだろうな。 まあ、日ごろの行いだよ、残念だったな、孝之。」

「……は??」


 慎二に同情の言葉をかけられ、目を白黒とさせる孝之。


「惚けなくても良いって、どうせ演習中も遙とイチャイチャするつもりだったんだろ?」

「んだと?! さすがのオレもソコまで不謹慎じゃないって!!」


 「ったく、だからお前はデブジューなんだよ。」孝之は吐き捨てた。


「だから、もうその呼び方はよしてくれ!! というか、デブジューは関係ないだろ?!」

「こらこらソコ、喧嘩は演習が終わってからにする!!」


 水月はピシャリとじゃれ合う孝之達を叱り付けた。


「で、鑑もこの組み合わせで問題無いわよね?」

「え、私は良いですけど……。」

「そ、じゃあ組み合わせはコレで良しと。」


 水月はそう言って遙に目配せした。


「それじゃあ目的地だけど――」

「あ、すみません、オレ達C地点行きたいんですけどいいですか?」


 今までダンマリを決め込んでいた武が、ここで突然口を開いた。 皆驚いて、武に視線が集中する。


「C地点?」

「えーっと、ダメですかね?」

「……ダメって訳じゃないけど、良かったら理由を聞かせてくれるかしら?」


 遙は小首をかしげて武に問いかけた。


「理由は……理由はズバリ、純夏がとんでもなくドジだからです。」


 武のあまりに酷い言い分に、全員が唖然とした表情で固まった。 中でも突然引き合いに出された純夏などは、口をポカンと開けたまま呆然としている。


「いや、なんですか。 純夏のやつ、最初は何も無いところでズッコケル程大ドジだったんですよ。 訓練で少しはマシになったみたいなんですけど、やっぱり心配で……。」

「少しでも距離が短い方がいいと、そういうことだな。」


 慎二が先を促す。


「まあそういうこと――っう?!」


 武が頷いたその刹那、なにやら呻き声と友に水っぽい音が響いたかと思えば、武が体をくの字に折り曲げた。 純夏のコブシがレバーを直撃したのである。


「ムッキーー!! よくも言いたい放題! 殴るよッ!!」

「……だから……殴ってから……言うなって。」


 息も絶え絶えに、それでも突っ込みを入れる武。 水月は呆れたように溜息をついた。


「ったく、男どもってみんなこうなのかしら? それで遙、どうする?」

「……私は別に問題ないと思うけど。 それじゃあ孝之君たちにはA地点に行って貰って、残りの私たちはD地点に回るのはどう?」


 そう言って広げた地図を示す遙。 水月はしばらく白地図をじっと睨んでいたが、やがて手をヒラヒラとさせながら口を開いた。


「ん~、ま、それが妥当なところかしらね。 慎二、孝之の面倒は任せたわよ。」

「任せとけって、首にリードつけてでも無事連れて帰るさ。」


 慎二はドンと胸をたたきながら答えた。 「――オレは犬かッ!!」孝之が顔を真っ赤に染めて怒鳴る。


「犬、ねえ。 ――それって流石に失礼じゃない?」

「そうだ、そうだ!」


 水月の尻馬に乗るようにして慎二を責める孝之。 しかし、水月はにやりと口をひずめると、ボソリとこう付け足した。


「犬に、ね。」

「あ゛んッ?!」

「アハハハ、冗談よ冗談。 って、こんなことしてる場合じゃなかった。 それじゃあB地点で会いましょ、遙、行くわよ!」

「え、ま、待ってよ水月!」


 遙を引きずりながら、脱兎のごとく熱帯のジャングルの中に消えてゆく水月。 孝之はその後姿をぼうっと見送るほか無かった。


「あーったく、オレたちも行くぞ、デブジュー!」

「だから、デブジューはやめろ! 本当に、やめてくれ!」


 水月の後に続くようにジャングルへと飛び込んでゆく孝之、慎二のコンビ。


「……私たちもそろそろ行く?」

「そうだな。 うん、それにしても皆は元気だな。」

「タケルちゃん、そこで他人の振りするのは卑怯だと思うよ。」

「そうか?」


 最後に武、純夏のペアがそんな会話をしながらジャングルへと足を踏み入れてゆく。 そんな彼等の後姿を、まりもは何も言わずに、ただ静かに見送った。

 ――演習終了まで、あと144時間。







「タケルちゃーん! おーい!」


 手をメガホンのようにし口に当てて、先行する武に大声で呼びかける純夏。 ゾッ、と、武の背筋に冷たいものが走る。


「馬鹿ッ、叫ぶんじゃねえ……! 音響式の地雷があったらどうするんだ、静かにしてろッ!!」


 押し殺した声で、武は純夏をしかりつけた。


「あう、ごめん。 それで、トラップは解除できそう?」

「あと少しだからおとなしく待ってろ。」


 演習開始から5時間弱、武達はジャングルの中を順調なペースで進んでいた。 初夏のジャングルは武の想定した以上に蒸し暑く、ジャングルの湿気と相まって、まるで天然のサウナである。 拭いても拭いても沸いて来る汗に、2人とも頭に布を巻くことで対処していた。


「よし、これでもう大丈夫だな。」

「もう行って大丈夫~?」

「おう、さっさと先に進もうぜ。」


 ナイフで周囲の藪を切り払いつつ、武は答える。


「うん、わかっ……うわっ!!」


 悲鳴とともに、突然武の視界から消える純夏。 武は思わず頭を抱えると、気だるそうな足取りで純夏のいた方向へと歩き出した。


「おーい、毎度毎度何をやっているのだね、君は。」

「あうー、タケルちゃん、手~貸して~。」


 地面にぽっかり開いた穴の中から情けの無い声を上げる純夏。 これで4回目か。 武は頭を振りつつ、穴の中から純夏を引きずり上げた。


「おまえなあ、1時間に1回のペースで落とし穴にかかってどうすんだ?」

「そ、そんなこといってもさあ。 タケルちゃんの言ってたトラップ避けたら落っこちちゃったんだもん。」

「はあ……わかった。 とりあえず先に進むぞ。」


 当の昔に突っ込む気力も無くしてしまったらしく、武は再び目的地へと足を進めた。







「純夏、今日はここで野宿にしよう。」


 数時間後、武は頃合を見計らって切り出した。


「え~なんで? まだまだ私、大丈夫だよ? 日だってそんなに低くなってないし。」


 自分に気を使っているとでも思ったのだろうか。 純夏は飛び跳ねながら、元気が有り余っていると主張した。


「なんだ、そんなに落とし穴落下記録を更新したいのか?」

「うぐ……。」


 あれからさらに数回落とし穴に落下していた純夏。 こう言われてしまっては、口ごもる他無かった。


「それに、演習はあと1週間続くんだぞ? この先何があるか分からないんだから、なるべく体力は温存しておいた方が良いんだ。 それに日が暮れてからどうやって食べ物の用意をするんだ?」

「うーん、そう言われてみると、そうだね。」


 目を丸くして答える純夏。 どうやら盲点だったらしい。


「よし、納得してもらったところで純夏君、ここに寝床を作っておいてくれないか?」

「うんわかった、タケルちゃんはどうするの?」

「そこらで今日の夕飯でも捕まえてくるさ。 ……ほら、おまえあんまり歩き回ると、また落とし穴に引っかかるだろ?」

「――っ! タケルちゃん!!」


 コブシを構えてみせる純夏に、武は「冗談だって!」と言いながら逃げるように藪へと飛び込んでいった。

 数分後、野草や、偶然にも捕まえることが出来た野鼠といった食材を手に帰ってきた武。 その頃には純夏も寝床の用意――とは言っても雑草を刈り取って敷き詰めた程度だが――を済ませていた。

 早速武の取ってきた食材を簡単に調理し、食事を取る2人。 蒸し風呂のようなジャングルでの移動は思いの外体力の消耗が激しく、ここで貴重なタンパク質を取れたことは2人にとって非常に幸運であった。

 ささやかな食事を済ませると、武と純夏は交代で歩哨に当たりながら仮眠をとることにした。 まず最初に武が歩哨に立ち、来るはずの無い追撃者を警戒する。 来るはずがないことは分かっていても、どこで監視されているか分からないので、一応はマニュアル通りにやらなければならないのだ。


「ふう、まあこのペースならいけるか。」


 純夏が寝息を立てていることを確認しつつ、武はつぶやいた。 真っ先にB地点に到着し、周囲を警戒していれば不測の事態にも対処できるだろう。 何とはなしに、ジャングルに生い茂る葉の隙間から覗く星空を見上げると、昨日『あの丘』で見た星空とは、少し見え方が違う。 ややあって、それはここが南の島だからだということに武は気がついた。







 ――演習2日目

 本日は生憎の曇り空。 ジットリと湿った服が体に張り付き、足取りが中々前に進まない。 直射日光がない分気温的には昨日よりも低いはずなのに、異常なまでに高まった湿気のせいで、体感温度的には昨日よりもツライのだ。 昨日の暑さがサウナならば、今日の暑さは例えるなら「ぬるま湯」である。 全く、気色悪いことこの上ない。


「う゛~……。 ア~ツ~イ~、だ~る~い~。」


 純夏はとうとう暑さに耐えかねて悲鳴を上げた。 腕をだらりと下げ、足を引きずるようにして歩いている。


「あ゛ーもう、ガキかおまえは。 わかったから静かにしてろ!」


 ただでさえジトジトしているのに、加えて辛気臭い声など聞かされてはたまった物じゃない、と、武は純夏を怒鳴りつけた。


「むうー、『コウキ』でもあればラクラクなのに。」


 唇を尖らせ愚痴る純夏。 『コウキ』とは帝国軍で使われている『高機動車』の愛称である。 10人乗りの兵員輸送車で、高い馬力を誇り、未舗装の道路でも十分走破できる能力を持っている。 様々なバリエーションが存在しており、現場では人員は元より大砲、ミサイル、物資等様々なものを輸送するための足として非常に重宝されているらしい。


「バーカ、いくら高機動車だろうが、こんな道にすらなってない場所走ったら――」


 純夏の愚痴を鼻で笑った直後、武はふいに歩みを止めた。


「どうしたの、タケルちゃん。 急に止まっちゃって。」


 そんな純夏の声が、武にはやけに遠く感じられた。


「(――忘れてた。)」


 武の額を嫌な汗が伝う。 そう、武は207小隊『全員』に伝えておくべき『重大なこと』をすっかり忘れてしまっていたのだ。

 総戦技評価演習は、言うなれば衛士となるべき人材を篩い分ける為の、2つ目の『ふるい』だ。 富士学校における幹部レンジャー課程に匹敵する過酷さを誇るこの演習では、毎年怪我人や脱落者が続出している。

 武の知る限りで演習中最悪の事故と言えば、とある年度に起きた高機動車による事故だ。 その年、放置されていた高機動車でもって、無謀にもジャングルの獣道に乗り入れたグループがあった。 いかに高機動車とは言え、万全の整備もされていない状態で、しかも道なき道を走って無事なわけが無く、走行途中にブレーキと油圧装置が破損。 しかも運の悪いことに、運転手が異常に気がついたときにはもうすでに手遅れで、そのまま仲間が野営していた陣地に突っ込んでしまったのである。 運転手含む死亡者2人に重傷者1人を出す惨事で、重傷者も命こそ助かったものの、轢かれた両足がひどい炎症を起し、脛から下を義足に取り替えねばならなくなって、結果衛士としての道を閉ざされてしまったのだ。

 ちなみにその事故が起きたのは1998年夏の演習である。 つまりは――


「ねえ、ちょっとタケルちゃん、聞いてるの?」


 純夏が不思議そうな顔で武の顔を覗き込む。 顔が真っ青を通り越して蒼白に染まっていた。


「……純夏、急ぐぞ。」


 武はそれだけ口にすると、純夏の返事も待たずに走り出す。


「えっ?! ――待ってよタケルちゃん! い、いきなりどうしたのさ!?」

「いいから黙って走れ!!」


 言いながら武はジャングルの中へ飛び込んでいった。 それでも罠に引っかからないのはさすがといったところか、いや、それともただ単に運がいいだけなのか。 そんな事を考えながら、純夏は唖然と武の後姿を見つめた。


「おい、純夏! さっさとしねえと置いてくぞ!」

「あ、待って、今行く!!」


 鬼気迫る武の呼びかけに、我に帰る純夏。 あわてて武の後を追いかけて、走り出した。



[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第三章 第二話 水難 ~Haste makes waste.~
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Date: 2009/01/19 21:28
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 演習二日目、日の出からおよそ4時間後。

 1日目と同じく数多の罠に行く手を阻まれつつも、武と純夏は昨日の倍近いスピードでジャングルを走破し、無事第一目標地点にまで辿り着いていた。

 道中何回か小休憩をはさんでいるとは言え、2人、特に純夏にとってかなりの強行軍であったことは否めない。 武はそれを理解しつつも、内心の焦りをどうしても隠すことが出来ずにいた。

 ――『自分の不注意で、207隊員全員の命が危険に晒されている。』

 本来なら傲慢とも取れる思考であるが、武の置かれている特殊な状況下においては、多少仕方がない部分も存在する。 『未来を知っている』ということは、何も良いことばかりではない。 未来を知っている者は、何か事件が防げなかった、あるいは思わず悪い方向に転がるたびに罪悪感に悩まされることとなる。 IFを歩むものは、これから起こるはずのことを『知って』いるがために失敗が人の10倍も20倍も響くのだ。







 『廃墟』――ここまでこの名前がシックリ来る建物もそうはないだろう。 天然の偽装が施された巨大な建物を目の前に、武はそんなことを思った。

 大型の無線用マストと思しき鉄塔や、倉庫らしき建物が何棟か見られることから、かつて物資集積所か、仮設の基地だったのだろうと推測できる。 ずいぶんと前に放棄されたモノらしく、建物全体をツタが覆っている。 ツタの隙間から除く倉庫の外壁はすっかり錆付いてしまっており、窓ガラスは当然のことながらほぼ全滅。 武が『廃墟』と聞いてまず頭に思い浮かべる光景に、それは見事なまで合致していた。


「うわー、すごい。 本当にこんなのってあるんだ――ってえ、タケルちゃん、ちょっと待ってってば!」


 いつまでも唖然と倉庫を見上げている純夏を置き去りに、さっさと倉庫の方へと向かってゆく武。 純夏はいつになく余裕に欠けているように見える武の様子に首を傾げつつも、仕方なく彼の後に続いて倉庫に向かっていった。

 入り口に立ち、改めて建物の全体を見渡してみると、トタンでできた外壁は錆どころか、ところどころ剥がれ落ちてしまっていた。その隙間から倉庫の中を覗こうとするも、中が暗くてよく見えない。

 倉庫の入り口は完全に破壊されてしまっていたため、仕方なく武達は捲れあがったトタンの隙間から体をねじり込むようにして倉庫の内部へと侵入した。


「さて、とりあえず手分けして探索するか。」

「ええっ?! なんで?」

「2人で同じところ探しても効率悪いだろ?」


 悲鳴にも似た甲高い声を上げる純夏に、ジト目で返事をする武。「……あ、さてはお前――」武が言いかけると、純夏はよせばいいのに慌てて「べ、別に怖くなんか無いってば!」と、言い繕った。


「ふーん、なら別に問題ねえな。 じゃ、また後で。」


 純夏の返答を聞くなり、武は倉庫の暗がりの中へと何の躊躇いもなく歩いていく。


「え、ちょ、タケルちゃん?! ……もー、自分勝手すぎだよ!」


 純夏の真っ当な叫びは、倉庫の暗闇にただただ吸い込まれていった。







 すきまだらけのクセに風通しが悪いのか、かび臭い匂いが当たりに充満している。

 明かりと言えば割れた窓から漏れてくる太陽の光程度、お世辞にも明るいとは言えない。 屋根だけは今でもまともなようで、天井のほうから光が差し込んでくるようなことは無かった。 はっきり言ってありがたくない。

 こんな気味の悪いところ、早く調査を済ませて抜け出してしまおう。 そんな事を考えながら、純夏は暗がりの中辺りを模索した。

 しかし、物事そんなには上手くいかないもので、どこをどんなに探しても空のダンボール箱ばかりで、銃どころか弾の一発も見つからない。

 あんまりにも悔しいのでムキになって探すうちに、いつの間にやら「さっさと抜け出してしまおう。」という思考は、純夏の頭の隅へと追いやられてしまっていた。 床一面に広がる空の段ボールを蹴散らし蹴散らし探し回る。 やっとのことで未開封のドロップ缶を見つけるも、結局それっきり……。

 数分後、純夏はこれ以上探しても時間の無駄なのだとようやく悟り、一度入り口へ引き返すことに決めた。


「はあ、結局これだけか。」


 呟きながら、純夏は先ほど見つけたドロップ缶の封を開け、適当に一粒口へと放り込んだ。 口内に広がる甘酸っぱい感覚――。 少しだけ気が晴れたような気がした。

 ――そういえばこれ、賞味期限大丈夫なんだろうか。

 口に入れてしまってから気がつく純夏。 恐る恐る缶をひっくり返すと、そこには『賞味期限 2001.10.22』の刻印が施されていた。







「なんだ、遅かったな純夏。 ずっと探しまわってたのか?」


 倉庫の奥の方から、髪をまだらに白くした純夏が気だるそうにやってきたのに気がつき、武は呼びかけた。


「うん、そうだけど……。 で、タケルちゃん! 何かそっちで見つかった?」

「ああ、ライフル一丁に弾が1箱、それに水筒があったぞ。」


 答えてから、純夏が何やら口をモゴモゴと動かしていることに気がついた武。


「……純夏、お前なに口の中にいれてんだよ?」


 尋ねてきた武に、純夏は「待ってました!」とばかりに、ニヘラと悪ふざけが成功した子供のような笑みを浮かべて答えた。


「ドロップだよ。」


 極め付けに、嬉しそうに口を「あーん」と開け、わざわざ舌の上に乗せたドロップを見せ付けてくる純夏。


「あー、わかったから口閉めろって。」

「――タケルちゃんもいる?」

「じゃあ一粒……って、それよりも純夏、他に何か見つからなかったのか?」

「えーっと……あはは、はは。」

「――結局ドロップ以外は何も見つからなかったんだな。」

「はは、は……ごめん。」


 「でも一応はちゃんと探したんだよ!」と、一瞬遅れて付け足す純夏。 武は小さく溜息を漏らしながら仕方がないと首を横に振った。


「ま、とりあえずさっさと撤収しよう。」

「そうだね……。 って、そういえばどうやってココ壊すの?」

「いや、無理だろ。 こんな無駄にだだっ広い倉庫ぶっ壊すなんて、爆薬がいくらあっても足りねえよ。」


 オンボロとは言え、この倉庫は無駄に大きい。 そもそも破壊に使えそうな爆薬のひとつも見つからなかったのだから『可能であれば』と命令されていることだし、今回破壊は諦めた方が無難だろう。


「うん、そうだね。」

「よし、じゃあさっさと出発するか。」


 純夏の返答を聞くなり、くるりと方向を変え、一歩踏み出す武。


「――えっ、もう行くの? ちょっと休憩しようよ~。」

「はあ? なに言ってんだよ純夏。 ココまで来るまでに散々休んでるだろ?」

「――確かにそうだけどさあー。むう、タケルちゃんのケチ!」

「ケチってお前……。」

「ケチケチケチケチケチケチケチケチ!――いっったぁ!」


 子供のように地団駄を踏んでわめく純夏にむけ、武はいつものようにスリッパを振り下ろす――その結果、何が起こるかをまったく考慮に入れずに。 『……ボスッ!』と、そんな鈍い音を立てながら、スリッパが純夏の頭に直撃したその途端、もふぁりと埃があたりに舞い散った。


「――ゲホッ、ったく分かったって、じゃあ10分だけ休憩したら、出発するぞ。」

「……その前にこの埃っぽいところ出よう。」


 自慢の髪が埃まみれになってしまっていたことに今更ながら気がついた純夏。 声に先ほどまでの勢いが微塵も感じられない。武は苦笑いを堪えながら「そうだな。」と、適当に相槌を打ち、トタンの隙間に体を滑り込ませた。







――二日目、夕方。

 激しく体を打つ雨、あたりを劈くように鳴り響く雷鳴。 泥を跳ね飛ばしながら、武たちはそんな嵐の中を駆けていた。


「クソっ、どこか雨宿りできるところはねえのか?!」


 普段ならまだ明るいジャングルも、嵐のせいで視界は30メートルが限界。 聴覚も雨粒が葉に落ちる音でかき消されてしまいよろしくない。  土砂降りの雨ですっかり冷えてしまったため、体が思うように動かない。 すぐにでも雨宿りが出来るところを見つけなければ、体力の大幅な消耗は避けられないだろう。


「タケルちゃん! 向こう側になにかあるよ!!」


 そう叫んだ純夏の指差す方向には、恐らく周りを覆っていたであろう擬装はこの雨風で吹き飛ばされてしまったのだろう、コンクリートで塗り固められた灰色の建物が辛うじて目視できた。 「特火点(トーチカ)」である。


「純夏、よく見つけたな! よし、あそこで雨宿りしよう。」


 あそこなら、雨風どころか何があっても平気だろう。 荷物を背負いなおすと、武は特火点に向かって一直線に走り――数メートル進んだところで、急に視界が開ける。

 ――目の前では、水が濁流となって流れ落ちていた。

 なんてこった、川があったのか。 武は舌打ちした。 あまりにも風雨の音が激しくて、川の音を聞き逃してしまっていたらしい。 普段ならありえないミスである。

 ふと、もう一度トーチカの方を良く見てみると、こちら側と向こう岸とをつなぐ釣り橋が目に入った。


「タケルちゃん、どうする?!」


 どうやら彼女も気がついていたらしい。 いつのまにか隣まで来ていた純夏が、息切れしながら問いかけてきた。 あの特火点に滑り込むことができれば、この風雨は間違いなく凌げるだろう。 しかし、吊橋を渡るにはあまりに風が強すぎた。


「――今、川を渡るのは危険すぎる。 ジャングルの中で何とかしのごう。」


 恨めしげに特火点を睨みつけながら、武は苦渋の決断を下した。


「ひとまずここから離れるぞ。 川がこれ以上増水したら、オレたちまで飲み込まれちまう。」


 武はそう言って、今度は川から離れるようにして走り出した。 純夏も武に遅れまいと、息を整える暇も無く再び走り出す。


『ブツリ。』


 そんな何かが千切れるような音が鳴るとともに、急に純夏の腰元が軽くなった。 ベルトキットが木の枝に引っかかり、動いた拍子に千切れてしまったのだ。 それに気がついた純夏が、慌ててベルトキットを掴もうと反射的に手を伸ばした、その瞬間――ぐらり、と、純夏の体が前のめりに傾いた。


「へっ?」


 純夏のやたら大きく間抜けた声に、武は何事かと後ろを振り返る。――その時、彼の目に映ったものは、今まさに頭から濁流の中に飛び込もうとしている、鑑純夏の姿であった。


「な?! 馬鹿ッ、純夏!!」


 叫ぶまもなく盛大な水しぶきがあがる。 武の目の前で、彼の幼馴染はあっという間に濁流の中へと飲まれていってしまった。



[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第三章 第三話 夜天 ~Happy birthday.~(誤解修正)
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Date: 2009/01/20 09:57
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 ザラリとした感触。 パチパチ、という弾けるような音で目を覚ました純夏の目にまず飛び込んできたのは、天井に映る、ユラユラと揺らめくオレンジ色の光だった。

 妙に体が重く、言う事を聞かない。 仕方がないので、純夏は首だけ回して周囲を見渡した。 ようやくクリアになってきた視界に、土の壁がくっきりと映る。 どうやら何処かの洞穴の中のようだが、当の純夏には、こんなところに入った覚えなど全く無かった。


「……ここ……は?」

「純夏っ! よかった、目が覚めたのか?!」


 聞こえてきた声に、純夏はふっと安堵の笑みを漏らす。 寝たふりをして、そっと薄目だけ開けて周りの様子を伺っていると、やがて武が喜々満面といった顔でこちらに駆け寄ってきた――上半身裸で。


「うわっ、タケルちゃんなんて格好してんのさ?!」


 思わず顔を真っ赤に染め、飛び起きる純夏。 というのも、武がトランクス一丁という、ホームラン級に想定外の格好をしていたからだ。


「あ?」


 武は間抜けた声を上げ、自身の体に目を落とした。 純夏が言わんとしている事を程なく理解した武は、焦りからか多少どもりながら弁解を口にした。


「……し、仕方ねえだろ! あんなずぶ濡れの服、何時までも着てたら体が冷えちまうからな。 今乾かしてんだよ。」


 そう言って武が指差す先には、焚き火から少し離れたところに2人分の野戦服が干してあった。

 ――え? 2人分?

 一瞬思考が停止した。 やがて純夏はひとつ大きな深呼吸をすると、恐る恐る己の体に視線を向ける。


「あわわ……あわわわわわわ。」

「あーっと。 ……純夏、とりあえず落ち着いてオレの話を聞いてくれ?」


 両手で純夏を制しながら、何故か疑問系で純夏に呼びかける武。 一方の純夏と言えば、何時ぞやのごとく口をパクパクと、酸欠の金魚のように開閉しながら、硬直してしまってしまっている。

 武は頭の中で警告灯がチカチカと点滅するのを感じ、純夏を刺激しないように一歩、また一歩と後ずさった。 そんな折、タイミングを見計らったかのように「パチンッ!」と、焚き火にくべられていた生乾きの枝が、大きな破裂音を立てる。 その音に反応し、純夏の瞳に正気が戻った。


「タ、タ、タケルちゃんのお――」


 拳を握り締め、まるで地の底から這い出てきた悪鬼のようなオーラを纏う純夏。 武は結局こうなる運命なのか、と天井を仰いだ。


「待て、これは仕方なく!!」


 だめもとで訴えるも、当然今の純夏にそんな言い訳が通用するはずが無く――


「エッチーーーーーーーーッ!!」

「ぬおあーーーーーーー?!」


 ――これまたいつものように、武はドップラー効果を残しつつ雨が降りしきる洞窟の外へと吹き飛んでいった。







「……で、落ち着いたか、純夏。」


 土砂降りの屋外に数分間放置されてしまい、すっかり体が冷えてしまった武。 ズルズルと鼻をすすりながら純夏に問いかけた。 しかし純夏は武の言うことなど全く耳に入っていないようで、生乾きの野戦服を羽織りつつ「うう、もうお嫁にいけないよー。」などと、愚痴を漏らしていた。


「あーもう、悪かったって。 でも、しょうがねえだろ? まさかびしょ濡れの服を着せたまま、放っておくわけにもいかねえし。」


 「なんてったって、命に関わるからな。」と、武は神妙な顔でそう続けた。

 水難にあった人間にとって、溺れる次に怖いのが低体温症である。 いくら真夏のジャングルとは言え、濡れた服をそのまま着ていては体温は下がってしまう。 そのため、濡れた服をとりあえず脱がせたのである。 もちろん脱がす際に良心の呵責はあったが、そんなもの命あってこそである。

 本来ならその上から暖かい毛布などを被せるべきなのだが、生憎そのような便利なもの、無人島の洞穴の中になどあるはずが無い。 裸で抱き合うことも考えたが、そこまでしたら起きたときにもはや言い訳のしようがなくなる上、気温もそれほど低くなく、純夏の様態もそこまで急を要するものではなかったので、結局武はバナナの葉で作った急ごしらえのベットの上に、純夏を下着姿のまま放置することにしたのだ。


「……わかるけどさー。 でもー。」


 尚も納得のいかない様子の純夏。 もちろん純夏も、武が取った行動が最善とは行かなくとも、少なくとも適当な処置であったことぐらい理解している。 理解しているが、そこは乙女真っ盛り、花の十代である。 羞恥心とか、乙女心とか、とにかく微妙なお年頃なのである。


「って、そもそも私たちなんでこんな所にいるんだっけ?」

「……おいおい、大丈夫かよ純夏。 足滑らせて川に落ちたんだろ。」

「タケルちゃんが?」

「オマエだよ、オ・マ・エ。 ……ったく。」


 ああ、そう言えばそうだった。 純夏はぼんやりと、先ほど自らが川に転落してしまったことを思い出した。

――確かあの時私は……


「っタケルちゃん! 私のベルトキットは?!」


 必死の表情で武に詰め寄る純夏。 反動で完璧に前がはだけてしまっているのにも気がついていないようだ。


「あー……たぶん流されちまっただろうな。」


 答えながら、武は紳士を気取って顔を横にそらした。 しかし彼もまた一人の男である。 視線は大きく成長した……ただし、記憶にあるものよりは幾分小ぶりなような気がしなくもない、たわわに実った2つの果実が気になってしょうがない。

 しかし、自分の胸元がはだけているとかそういったことは、今の純夏にとってどうでも良いことだった。

 武の答えを聞くと、純夏はただ「……そっか。」とだけ呟き、全身を襲った脱力感に身を任せて俯いた。

 今頃私の宝物は、ナイフや携帯式の無線機と一緒になって暗い海の底を漂っているのだろうか。 ありありと浮かんできたその光景を、純夏は力なく首を振って打ち消した。

 そんな純夏の豹変振りに驚いた、武は「べ、別にそんなに気にしなくても良いって。 ほら、レーションならオレの分けてやるから。」と慌ててフォローをいれた。 まったく見当違いなフォローだったが、いかにも武らしいその反応に、純夏は思わずクスリと笑みを漏らす。


「――なあ、純夏。」

「ん、なに? タケルちゃん。」


 ゆっくりとした動作で首を起こす純夏。 武は深く息を吸うと、何かを決心したような表情で、真正面から純夏に向かい合った。


「いや……何て言うか……すまねえ。」


 途中途中つっかえながらも、慣れない謝りの言葉を紡ぐ武。


「――へっ?」


 突然真顔で謝ってきた武に、純夏は「はて?」と首を捻った。


「服のこと?」

「いや、それもそうなんだけどな――。」


 帰ってきた煮え切らない答えに、純夏は余計に混乱した。 やがて一つの可能性に思い当たった純夏は、恐る恐る武に尋ねかけた。


「……も、もしかしてタケルちゃん、私が眠ってる間にあんなことやこんなこ――あいたっ!」


 とんでもない事を口走る純夏の頭を、武は躊躇なく引っぱたいた。「んなわけねえだろ! おまえはオレをなんだと思っているんだ!」と、声を荒げる武に、純夏は尖らせ文句を言う。


「ぶうー、じゃあ一体なんなのさ。 いきなり謝られたってワケわかんないよ!」


 今度は武が閉口する番だった。 転じて気まずそうな表情を浮かべ、小さく舌打ちをする。


「えーっとだな……正直昼間のオレ、かなり自分勝手だったろ? ――振り回しちまって、悪かったなって……。」


 武のらしくない言葉に、純夏は思わず噴出しそうになるのを必死に堪えながら、同時に何故武が『たかが』そんな微塵な事で謝ってきたのか考えた。

 純夏の知る限り、この手のことで武が謝ってきたことなど、それこそ両手で数えられるほどしかない。 そういう時は決まって武が参っているか、さもなくば本気で反省しているかのどちらかなのである。 そして、今回の場合は、恐らく前者であろう。 そう思いたった途端、純夏は何故だか無償に胸の奥が熱くなって、ふっと口元を緩めた。


「……むう、タケルちゃん。 やめてよ、そういうこと言うの。」

「純夏?」


 突然純夏の雰囲気がガラリと変わったので、武は不思議そうに聞き返した。 純夏は悪ふざけっぽい笑みを浮かべると、こう言葉を続けた。


「あーあ、これできっと明日も嵐だね――って、アイタぁ?!」

「……はあ、お前って奴は。」


 今しがた振り下ろしたスリッパを面倒くさそうに仕舞いながら、溜息を付く武。


「もおー、そんなにバシバシ叩かないでよー。 もし私が馬鹿になっちゃったらどうしてくれるのさ?!」

「それは元からだろ?」

「ヒードーイー!」


 武曰く「オグラグッディメンくりそつ」の表情で地団駄を踏む純夏。

 ちなみにオグラグッディメンとは、お腹を空かせた哀れな人々に、なんと自らの顔を千切って食べさせるというカニバリズム全開の子供向け絵本の名前であり、また主人公の名前でもある。 その主人公の顔の特徴というのが、まん丸の顔、肉付きの良い頬と、これまた頬を膨らませた純夏の顔にそっくりなのだ。


「ふん、その調子なら大丈夫そうだな。 ま、どの道今日は行動できねえし、一日ゆっくり休もうぜ。」

「うーん、でもそれで間に合うの?」


 心配そうに呟く純夏に、武は肩をすくめて見せた。


「仕方ねえだろ、外は嵐なんだ。 第一、今自分達がどこにいるのかさえ分かんねえんだから。」

「えー?! じゃあこれからどうするのさ!!」

「だー、もう焦るなって。 晴れたら一度外に出て星や地形と照らし合わせて考えるしかねえだろ?」

「……もしそれでも無理だったら?」


 純夏の問いに、やや考えてから武は「その時はその時だ。」と答えた。 行き当たりばったりと言えなくもない武の答えだったが、純夏は仕方ないなと頷くと「うんうん、タケルちゃんはそうでなくちゃ!」と、朗らかに言い切った。







 それから何時間経っただろうか。 やはり疲労が溜まっていたのだろう、程なく眠りに付いた純夏の横で、武は木彫りの人形を手で転がしながら、物思いにふけっていた。 その顔は先ほど純夏の前で浮かべていた表情とは比べ物にならないほどにくたびれ果てており、強い疲労が見て取れた。

 実のところ、武はこの2日間眠っていない。

 それは純夏の看病をしていたせいもあるが、胸に燻り続ける嫌な予感によるところが大きい。 気がつくと「何故前もって伝えていなかったのだろう。」と考えている己に、武自身嫌気が差していた。

 結局自分は何も変わっていない、否、変わっていないのでなく、成長していない。 数多の恩師から教えを受け、命を吸い続け、仲間達に未来を託されたというのに、気がつくと『後悔』してしまっている。


「はあ、これじゃあ『アイツら』に笑われちまうな。」


 自嘲気味に呟いた言葉が、洞窟の中を反響していく。 そう、自分はまだまだ青二才である。 目先のことに気を取られ、夕呼や伊隅のように大局を見通すことなど、到底出来ない。 こんなことでは、『皆』を守ることなど、出来ようがない。 武はもはや誰も居なくなった島で、なお洞窟を未だに支え続ける古ぼけた梁を見つめながら、己を戒めた。

 ここは大戦中に掘られた防空壕か何かなのだろうか? 或いは地下要塞の跡かもしれない。 何れにせよこの洞窟のおかげで、嵐から身を守ることが出来たのは幸いだった。

 ふと外に目を向ければ、一昨日から降り続いていた雨は、いつのまにやら止んでいた。 嵐がすぎ、先ほどまで猛威を振るっていた凶暴な風の音に変わって、ジャングルにはいつものように、生き物達の息づく音が響き始めている。

 少し風にでも当たろうか。 そう思った武は、傍らに眠る純夏を起こさないようにしてそっと立ち上がり、足音を忍ばせながら洞窟の外へと足を運んだ。


 洞窟から抜け出した武は、まず辺りの様子を伺った。 純夏を運び込んだときは視界が悪かったため気がつかなかったが、どうやら随分と河口のほうまで流されてしまっていたらしい。 すぐそこに白い砂浜と、その向こうに広がる『大きな水溜り』が見えた。 嵐の影響なのだろう、砂浜には巨大な漂流木やらゴミくずやらが浜辺に散乱し、夜であまり目立たないものの、海も完全に濁ってしまっているはずだ。

 ――しかしその一方で、嵐のおかげで綺麗になったものがひとつだけ存在した。


「うわー、綺麗だねえ。」

「――わりい、起こしちまったか?」


 振り返ることも無く、武は背後の純夏に問いかけた。


「ううん、今起きたところ。 それよりもタケルちゃん、上を見てごらんよ。」


 純夏に促されるままに、武は夜空を見上げた。 どこまでも広がる、まるで吸い込まれそうな漆黒。 そこにちりばめられた、まるで宝石のような星々。 中でも一際綺麗に写るのは、まるで大河のように夜空を横切る、虹色の星の群れ。

 遠くに少々雲が映るものの、直上の天は普段快晴という言葉で連想するイメージ以上に透き通っていた。


「天の川って、こんなに綺麗だったんだね。」


 目を輝かせて呟く純夏に、武は内心の感動を隠すかのような仏帳面で「柊町じゃ周りが明るすぎるからな。 街の光に負けちまってるんだよ。」と、事実を淡々と並べたてた。


「うん、でも町の光よりも、こっちの方がずっと綺麗だよね。」

「……そうだな。」


 ――この光る星ほどBETAの親玉がいるっていうんだから。

 武はハアと、長く細く息を吐き出した。

 『10の37乗。』

 この宇宙にはそれ以上の数『存在』する。 7×10の22乗個が、地球の周囲三億光年にある星の数相当だというのだから、そのあまりに天文学的な数字には、もはやお手上げである。 有体に言ってしまえば、つまり今肉眼で見えてい星々には必ずといっていいほどBETAが存在するということだ。 『天の光はすべて敵』といったところだろうか? いや、それでも宇宙全域の星の数には到底及ばないというのだから、全く宇宙は広すぎる。


「どうしたの、溜息なんてついちゃって?」


 怪訝そうな顔で武を見つめる純夏。 はっと我に帰った武は「あー、なんでもねえから気にすんな。」と、慌てて言いつくろった。

 そんな武の様子を少し不審に思いつつも、純夏は「ふーん……。」とまた夜空に視線を戻した。


「あ、そういえばさ、織姫と彦星って、絶対に会えないんだってね。」

「――あん?」


 突然何を言い出すかと思えば……武は少し呆れを覚えつつも、純夏の誰に吹き込まれたか知らない、誤った知識を訂正すべく口を開きかける。


「もちろん、7月7日が七夕で、織姫と彦星が唯一会える日だっておとぎばなしは知ってるよ? でも、本当はね、どんどんどんどんはなれてっちゃってるんだって。」


 「だから、どんなことがあっても、織姫と彦星は会えないんだって言ってたよ、香月博士が。」純夏はそう言って武に微笑みかけたが、彼女の言葉に、武は眉をひそめずにはいられなかった。


「――逢えるさ。」


 ボソリとなにやら呟く武。 純夏はよく聞こえなかったのか、思わず「えっ?」と、聞き返した。


「逢える、ゼッテーに逢えるんだっ!!」


 繰り返した武の瞳は、冷静さの中に刃の様にギラリとした情熱を携えたものだった。 武のあまりに大げさな反応に、純夏は驚きのあまり口をぽかんと開けた間抜けな表情を晒してしまう。


「ちょ、ちょっと、タケルちゃん。 いきなりどうしちゃったのさ。」

「……っと、すまねえ、つい熱くなっちまって。」


 純夏に指摘され我に帰った武は、頭を振りつつ純夏に謝った。


「う、うん。 別にいいけど……何かあったの?」

「いや――なんつーか、ロマンが無いよな。 まったく、夕呼先生らしくもない。」


 そう言って苦笑いを浮かべる武を、純夏は「へえ~。 タケルちゃんって実は結構ロマンチストなんだね。」と言って茶化した。


「うっせえ!」


 恥ずかし紛れに純夏の頭をポカリと叩く武。


「って、あ、そうだった。 また忘れるところだったな。」

「むう、なにさ。」


 今しがた叩かれた頭をさすりながら、恨めしげに武を睨む純夏。


「まあそう膨れるなって、ホラ、ちょっと遅くなっちまったけど、これやるからさ。」


 そう言って、武は握りこぶしを純夏に向かって突き出した。 かたや突き出されたほうの純夏は、状況が読み取れずキョトンとしている。


「……なにぼっとしてんだよ。 手え出せよ手。」

「タケルちゃん、何か変なモノじゃないでしょうね?」


 疑いのまなざしを向ける純夏に、武は「んー、それはちょっと保障しかねるな。 嫌だったら別に受け取らなくてもいいぞ。」と、さらりと答え、突き出していた腕を引っ込めた。


「うそうそ、いる、いるってば!!」

「ならさっさと手、出せよ。」


 武に促され、恐々と両手を差し出す純夏。 すると武の手が、そっと純夏の手の内に置かた。 思わず目を瞑る純夏。


「ハッピー・バースデー、純夏。」


 そんな声とともに、何か硬いものが手に押し付けられるのを感じ、恐る恐る片目を開ける。

 ――手の中には小柄な、何か人形のようなものが置かれていた。

 とりあえず昆虫の類ではなかった事を確認すると、純夏は思い切って残る片方の目も開いた。夜の暗がりの中浮かび上がったシルエットは、幼き日より今尚肌身離さず持っていたソレに酷似した、しかしソレより少しばかり硬質で不恰好な『ウサギのキーホルダー』であった。


「……タケルちゃん、これって。」


 目を瞬かせながら武に訊く純夏。


「――ウサギ人形、この前言ってたろ? 新しいのが欲しいって……。」


 「まあ本物より輪をかけてぼろっちいけどさ。」そう言って武は自嘲気味に笑ってみせた。


「ねえ、ひょっとして、これってタケルちゃんの手作り?」


 純夏は、手の中にある人形を覗き込みながら尋ねる。


「……はは、やっぱバレるよな~。 まあ不恰好なのは認めるが、それでも結構手間かかってんだぜ?」


 まるでイタズラがばれた子供のような、無邪気な表情を浮かべる武。 しかし純夏はうつむいたままで、武のほうを見ようともしない。

 ふと、何か光るものが、武の視界を掠めた。

 一粒……また一粒、と、不定期ながら確実に現れては地面に吸い込まれてゆく光の粒。 それが純夏の流す涙だと、武が気づいたのは、10粒程の光が視界を横切ってからであった。


「なっ! ……純夏、おまえなに泣いてんだよ?!」


 素っ頓狂な叫びを上げる武に、純夏は手の甲で涙をぬぐうと、無理やり笑おうとして失敗したような、なんとも情けない表情を向けた。


「……おかしいな、私嬉しいのに……嬉しいのに涙が止まらないよ。」


 しゃくり上げる純夏。 まさかそこまで喜んでくれるとは思いもしていなかった武はどう答えていいかわからず、恥ずかし紛れに「おまえなあ、たかが人形一つでそこまで感激するか? 普通。」と、苦言を漏らした。


「だって、本当に嬉しいんだもん。 ――ありがとう、タケルちゃん。」


 ニッコリと微笑んだ純夏の頬を、一筋の涙が伝った。 真正面からその笑みを拝んだ武は、一瞬で頬が沸騰するのを感じ、それを純夏に悟られまいと、ほぼ反射的に天を仰いだ。


「あー、星が綺麗だな。」


 あまりにもわざとらしい独り言に、純夏はただ「そうだね。」と一言返し、武の隣に寄り添うようにして星の瞬く夜空を見上げた。


 ――時に7月7日、七夕の夜の出来事である。




[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第三章 第四話 兵舎 ~Don’t worry. Be happy.~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:8b4e2465
Date: 2009/01/25 18:29
 読者様方、ならびにMLRSさま、お騒がせして大変申し訳ありませんでした。 特にMLRS氏には多くの迷惑をかけてしまい、本当に申し訳ありません。

 ただ、「けじめ」は「けじめ」として確りしておかないと、管理人様の手を煩わす事態になりかねないので、あえて過剰ともいえる対応を取らざるをえなかったことをご理解のほどよろしくお願いします。

 許可もいただけたので、皆様からのご指摘を反映し、少々加筆修正したものを改めてUPさせていただきます。

 今後とも『Muv-Luv Get Back The Tomorrow』を、作者共々よろしくお願いいたします。







 ――演習4日目



 測量を終えた武達が、地形の特徴や野生の感などから予測した現在位置は、島の南西海岸部、それもA地点に極めて近い場所であるというものだった。

 その結果を踏まえて今後の行動方針について話し合いを行なったところ、A地点を経由し、可能であれば孝之達と合流、その後B地点に向かうという結論に至った。

 結論に至った主な理由としては、例えばB地点に行く際、必ずA地点付近を通るであろう事や、孝之達と合流した方が一人当たりの負担が少なくて済むということなどが上げられる。

 が、しかし、いかにもっともらしい言い訳したところで、1番の理由は『武が強く推したから』であるという事実は覆すことの出来ないものであった。


 無論、武の目標は事故の未然回避である。


 武は未だ諦めていなかった。 すでに手遅れかもしれないが、可能性が0でない限り、最善を尽くすのが武の流儀である。

 絶望的な戦いの数々を区切りぬけてきた彼にとって、『諦め』の二文字は、随分前に死語と化していた。







 天候はまさに台風一過といったところで、見上げる空には雲ひとつ見当たらない。

 ぬるま湯の中、と、評した一昨日に輪をかけて上昇した気温や、台風が置き土産として残していった100%近い湿度が、演習に参加している者全員に牙を剥いた。

 大量の雨水を溜め込んだ大地は粘着質な音を立てて安全靴に纏わり付き、容赦なく照り付ける太陽の光によって温まった大地からは、凄まじい勢いで熱気が噴出す。


 ――ボイルされて美味しく頂かれてしまうのは、そう遠くない未来かもしれない。


 武の頭にそんなバカな思考が過ぎった。

 もはや文句を垂れ流す元気すら残っていないらしく、黙って武の後を付いて歩く純夏。 武も寝不足に加えてこの猛暑ですっかりダウン気味だ。

 しかし、それでも進むペースが落ちないのは、なにも2人のド根性によるところだけではない。 もっと単純で決定的な理由がそこにはあった。


 工兵がこの試験のためだけに手塩にかけて設置したであろう、膨大な数のトラップのほとんどが『パー』になっていたのである。


 まさに不幸中の幸いと言うべきだろうか。

 台風は島に設置してあったトラップのほとんどを誤作動させる、ないし巧妙に設置されていたトラップの擬態を剥ぎとり、その脅威度を著しく低下させていたのだ。


 よって今、トラップの残骸を除けながら進む武達にとって気がかりなことと言えば、わずかなことだった。

 例えば、漬物石のように重かったはずの水筒が、今や腰についているのかどうかも判らないほど軽くなっていることぐらいである。







 2人がA地点付近に到着したのは、ちょうど日が天に差しかかろうか否かという、そんな頃合であった。


 バラックで作られた、かまぼこ型の建物。 かまぼこの側面には定間隔で出窓が設置されている。

 外見上の特徴から考えるに、恐らく元兵舎か何かであろう。


 例のごとく2手に分かれ探索を行なうこととなり、くじ引きの結果武が兵舎内部を、純夏が兵舎の周りを担当することになった。


「うわっ……。」


 床一面に散らばる木の葉や瓦礫のたぐい。 文字通り、『嵐の過ぎ去った後』のような兵舎の様子に武は思わず絶句した。


 「もしかしたら、まだなにか『使えるモノ』が残っているかもしれない。」と、気を引き締めなおして探索を開始するも、どれもこれも本当にゴミとしか言い様が無いくらいのガラクタばかり。


 武が「これは貧乏くじを引いたかな?」と、思いつつ、汗を拭いつつ溜息をついた時だった。


「タケルちゃんタケルちゃん!」


 表を探索していたはずの純夏が、そんな叫び声を上げ息を切らせながら兵舎内に転がり込んできた。

 つい先ほどまで気だるそうに足を引きずっていたと言うのに、これはどういう風の吹き回しだろうか。


「ん? どうしたんだ純夏?」

「あっちにスゴイのがあったんだよ!! ほら、早く来て!!」


 武の手首をぐいぐいと引っ張り、兵舎裏へと駆ける純夏。 引きずられながらも、武は「さては。」と、口元をニヤリと歪めた。


 ――はたして純夏に引きずられ、たどり着いた先には、武を数日に渡って苦しめていたソレの姿があった。


「見て見て! ほら、高機動車だよ!」


 モスグリーンに塗られた大型の車を前に、嬉しそうに飛び跳ねる純夏。 武は一緒になって飛び上がりたい気持をどうにか抑え、冷静を気取った声で純夏に問いかけた。


「えー、ゴホン。 純夏君、どうしてそんなに喜んでいるのかね?」

「……へ?」


 武に言われた意味がわからないらしく、可愛らしく小首を傾げる純夏。


「まさか、これに乗ってB地点まで突っ走ろうとか、無茶なことを考えているのではなかろうね? ん?」

「……え? いけないの?」


 武の冷めた声に、純夏はついに飛び跳ねるのを止め、キョトンとした表情で武の顔を見上げた。


「おまえ、おとといのオレの話、全く聞いてなかっただろ。」

「おとといって……。」


 怪訝そうな表情を浮かべ、考え込む純夏。 程なくピクリとアホ毛が反応し、つづいて「あ。」と短く声が漏れた。 どうやら思いあたる節があったようだ。


 純夏は口元を引きつらせ、刹那感じた殺気に急いで頭をかばおうとするも、それよりも早く武が勢いをつけて振り下ろしたスリッパが頭を直撃した。


 ――『スッパーン!!』


 軽快な破裂音に続いて「いたっ!」という、可愛らしい悲鳴がジャングルに響いた。


「ったく。 人の話し真剣に聞いてろよな。」


 武はスリッパで肩を叩きながら呆れた表情で純夏を見下ろした。


「うー、じゃあ高機動車は諦めだね。」


 肩を落として散策に戻ろうとする純夏を、武は「いや、ちょっと待て。」と呼び止めた。


「なーに? どうしたの?」


 すっかりやる気を無くしてしまったらしく、気だるげに返答する純夏。


「純夏、おまえ確かドロップだけは、まだ持ってたよな?」


 武の問いに純夏は怪訝そうな表情を浮かべた。


「なに言ってるのさ、ベルトキットと一緒に流されちゃったに決まってるじゃん。」

「いや、おまえ上着のポケット探ってみろよ。」


 「……ないと思うけどなー。」ボソボソと呟きながら腰に巻いていた上着の、ポケットを探る純夏。


「で、どうだったんだんだ?」

「……ごめんなさい。」


 一瞬、「なぜそんな事を知っているのか?」と、問い詰めたい衝動にかられたが、そういえば昨日武は私の上着を干していたっけと思い出し、純夏は素直に頭を下げた。


「2つでいいから分けてくれねえか?」

「うん、べつにいいけど、何味がいい?」


 「イチゴ? それともチョコレート?」と尋ねる純夏に、武は「何でもいい。 ……いや、お前の嫌いな味で。」と答えた。

 何でわざわざ嫌いな味をと思いつつも、純夏は缶からから2個アメを取り出し、武に手渡した。


「サンキュー!」


 しかし飴玉を受け取った後の武の行動は、純夏にとって完全に理解不能だった。

 武は飴玉をポケットに入れず、まして口に放り込むわけでもなく、手に握ったまま高機動車の周りをぐるぐる回り始めたのだ。


「……タケルちゃん、ついに暑さで頭が。」

「サラッと失礼なこと言ってんじゃねえよ。」


 文句を言いつつも、ようやく高機動車の給油口を見つけた武は給油口を保護していたキャップを外し、何の迷いもなく手に持っていた飴玉を2つとも、ガソリンタンクの中へと放り込んだ。


「――ちょ、ちょっとタケルちゃん! なんでそんなもったいないことするの?!」

「……保険だよ、保険。 エンジンは糖分が大の苦手だからな。」


 ガソリンに角砂糖を投入するとエンジンが焼きつくのは、その道では結構有名な話である。

 燃料中に溶け出した糖分が、ガソリンが燃焼する際に一緒に燃えて炭化。 その炭がピストンに詰まり、エンジンを停止させてしまうのだ。

 ちなみにこれはディーゼルエンジンにも有効で、例えば戦車ですら砂糖で使用不能にすることが可能らしい。

 ……というのは、武が元の世界で読んだ漫画からの知識である。

 実際のところ、最近の車には異物を取り除くフィルターがつけられているため、よほど大量の砂糖を投入でもしない限りエンジンが故障するのはありえないらしい。

 漫画からの知識という極めて不明確な知識に頼り、エンジンの直接破壊という単純な発想が思い浮かばないあたり、武も相当疲れているのかもしれない。


「だから、何で壊さないといけないのさ?」

「そりゃ……破壊しておいた方がポイントになるかもしれねえだろ? 追跡を阻止するためにやりましたーって。」


 まさか正直に「孝之達が使って轢き殺されたらかなわないので破壊しました。」などと言える筈がない。

 予め用意しておいた言い訳を口にした丁度その折、遠方から武達を呼ぶ声が聞こえた気がして、武は背後を振り返った。


「おーい、武ー! 鑑ー!」


 生い茂る熱帯性の植物の向こうに、見慣れたシルエットが浮かび上がる。 声の主は慎二だった。

 もちろん、孝之も一緒だ。 慎二の後ろを、息を切らしながら必死になって追いかけている。

 手を振って、返事をする武と純夏。 慎二は2人の一歩手前で立ち止まると、汗を拭い拭い武達に話しかけた。


「なんでおまえたちがこんな所にいるんだ?」

「あーっと、それは――。」


 言いかけたところで尻を思いっきり抓られ、武はギロリと傍らの純夏を睨みつけた。


 ――黙っていろって事か。


 武はそう納得すると、0.5秒程で言い訳を考え、若干溜息混じりに、「――嵐で道に迷っちまって。 気がついたらこんな所にいたんだ。」と、苦し紛れな言い訳を続けた。

 これで文句ねえだろ、と、純夏に目で訴えかける武。 と、同時に、尻の鋭い痛みが少し和らいだ。 一応は満足してくれたらしく、手を離してくれたようである。


「なんだ、武達もか。 実はオレ達もついさっきまで道に迷っててな。」

「おいおい、慎二。 そこですぐばらすか、普通?」


 信じられないといった様子で慎二に詰め寄る孝之。 続けて「せっかくタケルを弄れる数少ないチャンスだったってのに。 残念だ。」と、肩をすくめた。


「大人気ないぞ孝之。 いや、そもそもおまえが嵐の中移動しようなんて言い出さなければ――。」

「だーかーらー。 何でもかんでもすぐにばらすなってーの!!」


 ガーっと頭をかきむしる孝之。 そんな孝之の様子を、慎二はグレた子供の面倒を見る親のような視線で見つめている。


「漫才はそのぐらいでいいから。 で、早速なんだが調査手伝ってもらって構わないよな?」


 このままでは埒が明かないと、折を見て武はここには居ない水月の替わりに会話に水を差した。

 慎二は「当然だろ? むしろこっちが手伝ってもらってるみたいなモンなんだから。」と、快くその提案を受け入れる。

 完全に無視された孝之と、一人取り残されてしまった純夏は少々不満顔であったが、結局なし崩し的にA地点の探索が合同で行われることとなった。







 探索開始から間も無く、バラック内で孝之とともに探索を続ける武のもとに、外で純夏を手伝っていた慎二が顔を出した。


「おい、あっちに高機動車があったんだが……。」

「し、慎二!! それって本当か?!」


 慎二が皆まで言う間も無く、孝之は慎二に飛びついた。


「ちょ、ちょっと待った。 確かにあったはあったんだが……。」

「……なんだ、『あったんだが……。』どうしたんだよ。」


 それに続くであろう慎二の言葉を予測していた武は、表面上は不思議そうにしているよう装いつつも、決定的な言葉が慎二の口から発せられるのを今か今かと待ちわびた。


「動かせないんだ。」


 武は「よっしゃ!!」と叫びそうになるのをグッと堪えて残念そうに――


「なにせ、エンジンが丸ごと積んでなかったからなあ。」

「はあっ?!」


 見せかけようとするも、次なる慎二の言葉で何もかもが頭から吹き飛んだ。


「エンジンが、なかったのか?!」

「あ、ああ。」


 武の食いつきように驚きつつも、何とか首を縦に振って肯定する慎二。


「丸ごと?!」

「そう、丸ごと。」


 それっきり、バラックの中を、静寂が支配した。


 どういうことだ? 初めからエンジンが積んでなかった?

 武は混乱する頭を何とか落ち着かせようとするも、連日の寝不足が祟ったのかなかなか動揺を抑えられない。


 とすると、この高機動車は事故を起こしたものとは別物?

 いや、2台も3台も用意して、一つだけエンジンを抜く意味がわからない。 たとえ他に高機動車が存在しても、エンジンが抜かれている可能性が高い。

 だとすると何のため? まだ演習で事故は発生していないのだから、予防策も講じられていないはずなのだが……。


 いくら武が考えたところで思考はグルグルと回るばかり。 出口はどこにも存在しないように思えた。


「あーあ、ったく。 エンジンがねえならどうしようもないな。」


 期待して損した。 と、慎二を冷たく睨む孝之に、慎二は「別にオレのせいじゃないだろう!」と、声を荒げる。

 横で無邪気に騒いでいる2人の姿が、武には無性に怨めしく思えた。


「(今までのオレの苦労って、一体なんだったんだろう。)」


 しばらくして武は、その苦労の原因が己にあったことを思い出し、行き所のなくなってしまった怒りにただ深く深く溜息を漏らした。



 その後も数十分にわたり手分けして探索したものの、結局武達は目ぼしいものの一つも見つけ出すことが出来なかった。

 これ以上の探索は無駄だと悟り、B地点へと向け『徒歩で』移動を開始する。


「あーあ、それにしてもどうせエンジン無かったんだから、飴玉2つとも無駄になっちゃったね。」

「……まあ、今更どうこう言ったところでどうしようもないだろう?」

「飴玉? それがどうかしたのか?」


 エンジンと飴玉、という明らかに結びつかない2つの要素。 慎二は思わず聞き返した。


「それがね、平くん、ちょっと聞いてよ!」


 純夏の口から事の推移が語られる。 大方事実だったため武は口を挟まず、ただその様子を傍観した。


「……へえ、やっぱ武って物知りなんだな。」


 そんなことちっとも知らなかったぞ、と、孝之は驚いた表情で感想を述べる。

 しかし一方の慎二は、なにやら顔をしかめて考え込んでいる。


「……なあ、武。 それっていったいどこで知ったんだ?」

「――え~っとそれは……あれ? なんだっけな? 確かなんかの本で読んだ気がするんだけど……。」


 思いもしなかった慎二の突っ込みに、武は言葉に窮した。


「――そうか、いや、普通砂糖ってガソリンに溶けるものなのかなって思って。 でも、武がそういうならそうなのかもしれないな。」


 まあ、何の本か思い出したら教えてくれよ。 慎二はそう言って武の肩を叩いた。

 そんな言われ方をされると、逆に気になってしまう。

 武は必死に知識の原点を探ろうと頭を捻るも、ついに思い出すことはかなわず、ただ悶々としたものが心の片隅に残る結果となってしまった。


 ――後日、そのことを夕呼に相談した結果、馬鹿なこと言ってんじゃないわよ! と、こっ酷く叱られてしまってのはまた別の話……。


 歴史が小さく、だが確実に変化しつつあった。




[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第三章 第五話 狙撃 ~Shoot Niagara.~(加筆修正)
Name: 重金属◆cf1e341a ID:8b4e2465
Date: 2009/01/29 16:04
1/29 掲載
1/29 加筆修正




 一度沢に下り、水筒の補給を済ませた武、純夏、孝之、そして慎二の、計4人となった一行は、B地点に向け行進を始めた。


 南国のジャングルというものは極端なものだ。

 例えばうっそうと草木が茂り、未だ太陽が頭上にあるはずだというのに薄暗い場所があるとする。

 そうかと思えば、ある場所では昨日の嵐にもかかわらず、正午にはすでに地表は乾きはて、アカギレのようにひび割れてしまっているのだ。


 気がつけば山ビルが肌に吸い付いているし、蚊などは追い払っても追い払っても沸いてくる。

 ああ、南方戦線に参加した兵士達は、これに飢餓が加わったというのだから、どれ程の地獄だったのだろうか。


 己の腹が発した、情けない音を聞きつつ、そんなことを考える武。

 彼の目の前にはC地点で回収した銃を杖のように使って歩く純夏の背中が、

 その向こうには背中を曲げ、「汗だけでは追いつかん」とばかりに、まるで犬のように『舌』を出して歩く孝之と慎二の姿があった。







 移動を続けること3時間ほど。 正午をすぎ、ジャングルもいよいよ暑さがピークに達しようという頃に、武達はB地点へと到着した。


 武達が雨宿りした洞窟よりも、少し大きめのソレ。 岩の斜面に不自然に開いたその穴は、確実に人工的に作られたであろう事は誰の目からも明らかであった。

 かつては偽装も施されていたのだろうが、今では入り口が向き出しになって目立つことこの上ない。


 やっと付いた、と尻餅をつく一行を片目に、武は一歩洞窟へと踏み入れた。



「白銀ー、遅かったじゃない。」



 真正面かけられた声に、ぎくりとして武は動きを止めた。



「――速瀬さんですか?」



 武はやれやれ先を越されたかと、暗くてよく見えない洞窟の奥の方に目を凝らした。



「まあったく。 待ちくたびれたわよっ! ……って、アレ? 何で孝之達まで一緒なの?」



 顔に疲労を滲ませながら不敵に笑った彼女は、次の瞬間キョトンとした顔で、意外そうに孝之達の姿を見つめた。



「なんだよ、オレ達がいたら悪いかよ?」

「べっつにー。 まあアンタのことだから、もう半日ぐらい遅れてくるんじゃないかとは思ってたけどね。」

「んだとう?」



 普段ならもっと食ってかかるのだろうが、暑さでそんな気力もわかないのだろう。 その傍らで慎二は「たはは。」と笑っている。



「ま、何はともあれ、やっとこれで皆揃ったわけね。 それじゃあ早速回収地点に出発しましょうか。」



 一方的にそう述べると、水月はくるりと向きを変え歩き出した。 一瞬なにを言われたのか分からず、呆けた顔をする武達到着組み一同。

 やがてシナプスが正常に脳内に伝達され、状況が正確に理解されるとともに、武達は一様に水月の後姿を、凍りついた表情で睨みつけた。



「い、いやちょっと待てって、速瀬!!」

「は? どうかしたの?」



 血相を変えて背後から詰め寄る孝之に、水月はヤレヤレと言った様子で振り返った。



「どうかしたのってお前……オレたち今ここに着いたばっかりなんだぞ! 少しは休憩させろよ!!」



 孝之の言葉に同調するように、武達は水月を見つめながら必死に首を縦に振った。



「そうだよ水月、皆に休ませて上げないと。」



 突然背後から聞こえてきた声に驚いて振り向く武。 いつのまにやら遙が武達のすぐ後ろまで迫っていた。

 眉をハの字に曲げ、困ったような表情を浮かべている遙に、水月も己の失敗に気がついたのだろう「あっちゃー」と、気まずそうに一歩あとずさる。



「昨日の嵐のせいで丸一日行動できなかったから、水月が焦るのは分かるけど、やっぱり焦りすぎは禁物だよ。」

「あ……あははははは、そうだよね。 ゴメン、皆。 それに遙も、勝手に仕切っちゃってゴメン。」



 「私副隊長なのに。」と、うつむく水月に、遙は「気にしないで。」と言って、ニッコリ笑って見せた。



「たぶん、水月が言わなかったら私が言っちゃってたから。」



 水月はしばらく目を瞬かせていたが、やがて「ありがとう。」と、笑い返す。

 ジャングルの暑さを一瞬でも忘れさせるような清清しい光景。

 何かと水月に突っかかる孝之も、空気を読んだのか詰まらなそうに鼻を鳴らしただけで、特にとやかく言う様子は無かった。


――しかしそんな中隣から聞こえてきた、穏やかな雰囲気に水を差すような、なんとも間延びした情けない声に、武は思わず眉間にシワを寄せる。



「あーつーいー。 お腹減ったー。」

「だあ、こんな時に。 少しぐらい我慢しろ!」



 ってか空気読め……いや、空気を読んだからこそのボケ発言か? 武は内心で突っ込みを入れた。

 しかし、純夏はそんなこと知るか、と言うかのごとく畳み掛ける。



「そんなこと言ったって、お昼抜きでここまで強行軍してきたんだよ? 仕方ないじゃん。」



 正論といえば正論――ただし、根性が足らないといわざる終えない。

 武はハアと溜息を付くと、幼児をあやすようにして語りかけた。



「あのなあ純夏、今演習中だぞ。 腹が減ったぐらいガマンしろよ。」

「いやいやタケル。 『腹が空いては戦は出来ぬ』って諺があるぐらいだ。 部隊全員合流できたことだし、ここは今後のためにも昼飯を取っておくべきじゃないか?」



 武の弁を否定し、真顔で純夏に助け舟を出す慎二。 するとそれに同調するようにして孝之も「メシだ!何が無くともまずメシだ!」と拳を振り上げる。

 純夏を筆頭に次第に盛り上がっていく「メシ!」コールに、武はオドオドと、助けを求めるような視線を遙に送った。



「時間は……うん、まだ大丈夫そう。 2時間ぐらいだったら休憩取れるから、その間に――」



 遙が言い終える前に、一斉にジャングルへと飛び込んでいく3人。

 その元気があったなら別に休憩など取らなくても良かったんじゃないだろうか、というのが残された3人の共通認識だった。







――数十分後、

 野草に椰子の実、緑色のバナナらしきものやら、どこで捕まえてきたのか蛇に至るまで様々な食材を手に戻ってきた3人を、武は火の番をしつつ出迎えた。



「ちょっとタケルちゃん、何してたのさ?」

「みりゃ分かるだろ、火を起こして待ってたんだよ。 ついでに水のろ過。」



 この怠け者! と目で訴えてくる純夏に、武は渋柿を噛んだような表情で言い返す。



「火を起こしてって、そんなの――。」

「うおっ!! 火ってタケル、おまえ、いったいどんな魔法使ったんだっ?!」



 純夏の弁を遮って驚きのあまりか、少しワザとらしい程までの叫び声を上げる孝之。

 その反応に、純夏は言おうとした言葉を飲み込み、孝之がいったい何に対して驚いているのかと、首をうんと捻った。



「ああ、ココヤシの実を火種代わりに使ったんだよ。 流石に濡れた葉っぱや朽木だけじゃあ、そう簡単に火はつきそうに無かったからな。」

「なるほどな……って、いや、おまえソレだいぶ勿体ないんじゃないか?」



 孝之の後ろからひょっこり姿を現した慎二に、武は「ついさっき、同じ事を速瀬さんに言われたばかりだよ。」と苦笑気味に答えた。



 通常濡れ木を引火させるのは至難の業だ。 どうしても使用する場合、引火材が必要となる。

 油ヤシの実があれば一番良かったのだが、生憎ここはプランテーションではないため、元々南アメリカやアフリカを原産とする油ヤシなど自生しているわけが無い。

 仕方なく武はココナッツを代用として用いたのだが……



「ねえ、どうせならソレ食べちゃった方が早かったんじゃないの?」



 と、すかさず水月に突っ込みを入れられ、武自身そのことを少し後悔していたりする。



「あ、そうかっ! 昨日まで雨降ってたから、火を起こすの大変なのか。」



 濡れ木に火を起こす訓練をやらされた時のことを思い出し、ハッとした表情を浮かべる純夏。

 武は「今更気がついたのかよ」と、軽く溜息をつくのであった。



 207B分隊は遅めの昼食をとりつつ、その席で作戦会議も行うこととなった。


 まずはお互いの収穫物を見せ合い、隊のおかれた状況を確認する。

 武器として有用だったのは武の見つけてきた小銃1丁と弾薬1ケースのみ――孝之達の探索地点が壊滅状態だったのは武達もよく知るところである。

 結局、その他の収穫物といっても遙のグループが見つけてきた回収地点の記された、詳細なこの島の地図と、ラペリング用のロープ程度であった。



「それで、問題なのは、このいかにも怪しい平原を迂回していくか、それとも突っ切っていくかなのよね。」



 島の北東部にある岬のような場所に指定された回収地点。

 その手前には不自然な平原が広がっており、迂回するにしてもかなり遠回りになる上、峡谷のような場所を越えなければならない。



「ま、私は回りくどいことしてないで突っ切っていきたいけど。」



 言いつつ、孝之から掠め取った蛇の肉を噛んで「やっぱり臭いわね。」と、渋柿でも噛んだような顔をする水月。



「オイオイ速瀬、言いたいことは分かるが、いかにも罠っぽいぞ、この平原。」



 反論しながら。「マズイなら食うなよ。」と、目で訴えつつ水月から蛇肉を奪取する孝之。

 一口噛んで、彼女と同様に渋い顔をして肉を遠ざけたのは、お約束だろうか。



「……うん、地雷原とかになってそうだよね。 遮蔽物も無いから、トーチカで狙い撃ちにされるかも。」

「いや、孝之たちの言うことは最もだけど、迂回した先にあるこの峡谷だってなんか『いかにも』って感じがしないか?」



 遙が孝之の意見に同調し、慎二がそれに異を挟む。 一方、武は双方の意見に同感であった。


 平原にはそれこそ「足の踏み場も無い」程に地雷が埋設されていることだろう。

 いつぞやの演習では、チームワークの悪さが原因で移動に手間取ったとあるグループが、回収地点への最短距離を取ろうとし、結局地雷原で全滅を余儀なくされたらしい。

 そう考えると、最短距離を取るのは、やはりリスクが大きいと言えるだろう。


 しかし、その一方で迂回した場合も『峡谷』という不吉な場所を通過せねばならない。

 この峡谷にしても何か罠を仕掛けるには絶好のポイントである。



「うん、そうかもしれない。 ……どちらの道を選んだにせよ、絶対に何かあるだろうから、覚悟はしておいたほうがいいかも。」



 遙がいつになく滑らかな舌で付け足した。

 結論を言ってしまえばそういうことなのだ。 進む以上、何かしらの試練が待ち受けているに違いない。



「どちらの道を取るにせよリスクがあるのなら、最短距離を取った方が良いんじゃないの?」



 速瀬はそう言って仲間たちを見渡す――と、偶然、武と視線がぶつかった。



「そうだ、白銀と鑑はどう思う?」



 ずいと迫りながら二人に問いかける速瀬。



「――えっと……」



 武は答えあぐねた。


 速瀬の言うことは最もである。

 しかし、平原全てが地雷原だったと仮定した場合、1m進むのにいったい何分かかるか分からない。

 だからといって、迂回したほうが早くつけるとも一概に言うことができない。

 はたしてどう返答したものか……。


 武が悩んでいる傍らで、純夏が先に口を開いた。



「私は迂回した方が良いと思います。」



 断言する純夏。


 ほう、と、武は意外そうに純夏の横顔を見つめた。

 こう言ってはなんだが、純夏は猪突猛進型である。

 特に後先の事を考えずに行動するのが常であり、だからこそ同じく猪突猛進型の武と馬が合ったのだろう。

 それゆえに、彼女の口から「迂回」の言葉が発せられたのは、武にとって新鮮な驚きだった。



「……え、どうして?」



 速瀬は責めると言うわけでもなく、ただ意外そうに尋ねた。

 周りを見れば、他の隊員の視線も純夏に集中している。 彼女の一挙一動に興味津々と言った様子だ。



「えっと……感です!!」



――ああ、やっぱり純夏だな。


 そんな声が、全員の心から発せられたような、なんとも締りの悪い、同情と何かが入り混じったような生暖かい雰囲気があたりを漂う。

 最も彼女の場合、この感とやらが凄まじくイイので、そうバカにはできないのだが、武以外がそんなことを知る由もない。

 武は仕方ないなと思いつつ、腐れ縁の振りまいた、どうしようもない空気を回収しにかかった。



「まあ、結局こんなところで議論したところで、実際どうなってるかなんて分からないですよ。」

「――白銀の言うとおりね。 卓上の空論なんて、もうよしましょ! ……ということで、『涼宮隊長』。 どうするの?」



 あえて『涼宮隊長』と、遙のことを呼んだ水月。

 口元にはいつもと変わらない笑みが浮かんでいるが、目はお遊びのときとは全く別物の、何か鋭い光のようなものを携えている。

 彼女の意を汲んだ遙は、改めて表情を引き締め直し、答えた。



「……水月には悪いけど、やっぱり私は、迂回したほうがいいと思う。 正面突破はやっぱり、リスクが大きすぎるから。」



 真っ直ぐと水月の目を正面から見つめる遙。

 水月はコクリと頷くと、すっと身を起こし、声高らかに宣言する。



「さてと、それじゃ皆、さっさと準備を済ませて、回収地点まで急ぐわよっ!! ――ほら、孝之、いつまでもダラダラしてる暇なんて無いわよ。 これからだだっ広い平原を迂回するんだから。」







 ――演習5日目



「それで、これからどうする?」



 岩に背中をつけ、身を隠しながら問いかける水月。 額には大量の汗が浮かんでいる。

 その一方で顔はすっかり青ざめており、語尾も若干震えている。 貧血になったか、余程恐ろしいものを見ない限りこうはならないものだ。


 そして今回の場合は、その後者であった。



「どうするったって……。」



 同じく息を弾ませながら雄雄しげに岩肌からそっと顔を出す孝之。


 と、一瞬送れて音速で飛来したゴム弾が頬を掠める。


 慌てて顔を引っ込め、孝之は盛大に舌打ちした。



「どうにもこうにも、アレ死角ねえだろ? いったいどうやって突破すりゃいいんだよ!」

「体勢を立て直そうにも、これじゃあ後退すらできない。」



 泣き言を喚く孝之に続いて、遙が溜息混じりに漏らした。


 まさに武達の恐れたことが、現実のものとなっていた。

 有体に言えば、渓谷となっていた部分にモーションセンサー形式の重機関銃が設置されていたのである。


 そうとは知らずに歩いてきた207B分隊はもろにその身を射線に晒してしまい――

 誰も被弾こそしなかったものの、チリジリになってそれぞれ手近な岩陰に身を潜めることとなってしまったのだ。


 岩陰から一歩でも出れば射線に身を晒すことになるので、後退すら間々ならない。

 ここまで非常に順調なペースで進んできた分隊も、この突然の事態に足止めを余儀なくされてしまったのだ。


 それから20分、何もできないまま時間だけが無意味に過ぎ去っていった。



「それにしても、よくこの間の台風で壊れなかったよねえ。」



 場の雰囲気を和ませようと、純夏が軽口を叩く。 隊員は揃って「そうだそうだ。」と笑いあった。



「まったく、他のトラップは全部壊れてたから、ちょっと油断したわね。」



 苦笑交じりに呟く水月。

 直後、再び機関銃のけたたましい発砲音が周囲に響き渡った。



「ってそれはそうと、おーい、武。 さっきから何石ころ放り投げてるんだ? 弾切れでも狙ってるならよしておいた方がいいぞ。 日が暮れちまう。」

「いや、ちょっと確かめてたんだ。」



 呆れたように語り掛けてきた慎二に、武は答えた。


 この20分間、武はあることを確かめるために、ひたすら石を放り投げている。

 その度に機関銃はゴム弾を撒き散らし、他の隊員たちは肝を冷やした。



「ああ、そうだ、皆聞いてくれるか!」

「どうしたの、タケルちゃん。」

「なになに?何か良いアイディアでも浮かんだの?」



 興味津々と言った様子で食いついてくる2人。

 武は他の仲間も自分の方をむいている事を確認すると、一呼吸おいて語り始めた。



「あの機関銃は一つの目標を補足するまでに数秒。 一通り撃った後、他の目標を補足するのに12秒ほどかかる。 そしてより大きいもの、より早いもの、より高いところにあるものに反応するみたいだ。」

「おい、タケル。 それって本当か?」

「ああ、大マジだ。 オレが保障するよ。」



 勿論、全てが石を投げた「だけ」で分かったわけではない。 しかし、その結論に至る根拠を、武は確かに持っていたのだ。

 それは、このトラップは光線級BETA(ルクス)を意識したものであろう、という、一種の確信であった。



「タケルちゃんの保障? う~ん、なんか頼りないなあ。」

「うっせえなあ、それで、作戦なんだが――。」



 武の口から語られた、その奇想天外な作戦に、思わず全員が目を剥いた。



「『だるまさんが転んだ大作戦』?!」



 隊員の叫びと同調するように、南国の鳥たちが一斉にジャングルの空へと舞っていった。







「なあ、こういっちゃなんだがタケル。 それはいくらなんでもリスクが高すぎねえか?」

「12秒で向こうの岩陰まで突っ走って飛び込む、か。 正直、かなりギリギリだな。」



 孝之、それに慎二が口々に不平を漏らした。


 武の作戦とは、

『機関銃に撃たせるだけ撃たせて強制冷却に入った所を見計らい、全力疾走して100mほど先の岩陰に飛び込む。』

 という、いたってシンプルなものだったのだ。


 シンプルゆえに下準備もいらず、作戦としての難易度も低い。

 が、しかし、もしも岩陰に飛び込むのが1秒でも遅れれば、暴徒鎮圧用のゴム弾をしこたま背中に食らう破目になる。



「……白銀君、私もそれはちょっと難しいと思う。」

「タケルちゃん。多分、私間に合わないよ。」



 純夏、それに隊長である遙までもが武の意見に反対した。

 彼女達なら十二分にいけると思うのだが……。 そう思った武のことはさておき、遙は「でも――。」と、言葉を続ける



「その12秒間が確かなら……利用するのは良い考えだと思う。」



 「その間に、あの銃座をどうにかできればいいんだけど」と呟き、首を捻って考え込む遙。

 確かにそれはその通りなのだが……。 武は眉を寄せて溜息をつく。 方法は無くも無いが、ハッキリ言って危険なのだ。



「あ、そうだ、白銀!」



 今まで皆のやり取りを黙って聞いていた水月が、ここに来て突然武に呼びかけた。



「なんですか?」



 武が返すと、水月は続けざまに「あのセンサーみたいなの、そこから狙撃できる?」と、憎らしい銃座の方を指差し尋ねた。

 ああ、やっぱりそうきたか。 武は半分予想していた答えに、諦めたように鼻を鳴らすと、手鏡をそっと伸ばし、銃座の状態を再び確認した。


 50mほど先、機関銃の銃座から伸びる複数本のコード。

 その全てが小さなレンズの付いた、ティッシュ箱のような大きさの箱に接続されている。

 水月の言う「センサーみないなの」とは、恐らくアレの事なのだろう。


 正直、この距離から撃ちなれていない銃で中てられるかどうかは不安だが、幸い弾だけは1箱分残っている。



「ほら返事は?3、2、1、ハイッ!」


「……ああ、できる。」



 武は少し躊躇したものの、しかしハッキリと答えた。

 水月の真剣な目線に、たぶんや恐らくなどといった曖昧な答えは許されないと感じたからだ。


 武の返事を確認すると、水月はついで部隊長である遙をジッと見つめた。

 言わんとした事が分かったのだろう、遙は何も言わずに、ただコクリと頷いた。



「タケル、狙撃はアンタに任せたわよ。くやしいけど、狙撃ではこの隊の誰もアンタに敵わないから。」



 そう言って、水月はニヤリと不適に笑ってみせる。

 ふと気がつけば、他の隊員達も同様に武へと期待を込めた熱いまなざしを送ってきていた。



「――了解っ。ったく、やってやろうじゃねえか!」



 武は自棄を起こしたかのように吠える以外、どうしようもなかった。







 けたたましい発砲音が谷に響き渡る。

 バサバサと鳥や昆虫たちが慌てたように空中に飛び立ち、その内の何羽かは、不幸にも高速で飛来したゴム塊の餌食となってしまった。


――あー、貴重な野生動物が!!


 BETA日本本土上陸後の惨状を知っている身としては、目を覆いたい光景である。

 一瞬にして騒然となったジャングル。

 もはや石を投げるまでも無く、機関銃は空中に向けて無数のゴム塊を吐き出している。


 しかし、それもほんの数十秒間に過ぎず、突如、機関銃はその銃口を中空に向けたまま動作を停止した。

 射撃インターバルに入ったのだ。



「タケル、今!」



 言われるまでも無く、武は岩の上に体を乗り出すと、ライフルの照準を目標に合わせた。


 1射目……弾はあらぬ方向へと飛んでいってしまった。

 照準を再調整。


 2射目……わずかに上に逸れた。

 慌てずに再装填。 照準の微調整も済ます。



「タケルちゃんッ!!」



 純夏の叫びがタケルの鼓膜を打った。



「言っただろっ! 様子見だよ、様子見!!」



 次こそ中てる――返事をしたその時、銃本体の冷却が終わったようで、いよいよ銃座が武の方へと回り始めた。


 脳裏を過ぎるは、HSSTを撃ち落した、戦友の在りし日の姿。 感傷に浸りつつ、武は銃の引き金に指をかける。

 いつぞやの様に、熱気で風景が揺らめいていた。



 刹那、眩い閃光が銃口からほとばしり、続いて金属同士が衝突する、甲高い音が辺りに鳴り響いた。



 中った。 武は手ごたえを感じ、思わずほくそえんだ。

 ……それにもかかわらず、機関銃はそのまま旋回を続け、程なく直径12.7mmの銃口を、武の顔面にピタリと合わせた。


――何故? 武は軽い恐慌状態に陥った。


 武の放った鉛弾は、確かにセンサーに命中していた……ただ、考えていた以上に、センサーを覆う金属ケースが硬かったのである。

 鉛弾は、ケースを貫通することなく、外側のケースにのめりこむようにして止まってしまっていたのだ。


 ほんの一瞬、武はライフルを構えたまま、呆然とその場に立ち尽くしてしまう――そして、その一瞬が致命的だった。


 こちらを見つめる、無機質な真っ黒い穴。


 思わず奥歯を噛み締めた武の目の前を、青色の何かが横切る。

 それを追うようにして、魔の銃口も武から逸らされて行った。


 つんざく様な爆音、そして絶叫に近い悲鳴が空気を揺らす。

 武は目の前を横切ったソレが何かを認識するよりも先に、再び銃の引き金を引き絞った。





[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第三章 第六話 閉幕 ~All good things come to an end.~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:8b4e2465
Date: 2009/02/06 14:51
2/2 投稿
2/6 修正




 脱出地点として指定された、島の北東に位置する岬。

 着陸したヘリと、星の見え始めた空をバックに、教官であるまりもは仁王立ちで207B分隊の到着を今か遅しと待ち構えていた。

 腕時計に目を落とす。 まもなく制限時間に差しかかろうとしていた。



「全く、あの子達は何をやっているんだか。」



 散々人を心配させて……帰ってきたら腕立て200でもやらせてやろう。 そんなことを考えながら、まりもはジャングルに浮かぶ夕日を睨む。

 と、風とは別の、草同士の擦れる不自然な音が前方からかすかに聞こえてきた。 その音は時間が経つにつれしだいに大きくなっていく。

 ようやくお出ましか。 まりもは一瞬安堵の表情を浮かべるとともに、改めて鬼教官として恐れられる、熱く厳しい仮面を被り直した。


 ほどなく藪の中から姿を現した207B分隊一同。 一人足を負傷したのか背中に背負われていたが、かねがね元気そうである。



「小隊集合っ」



 まりもの号令に、すばやく横一列に並ぶ分隊メンバー。



「タケル、たつことぐらいはできるから、下ろしてくれない?」



 即席の『背負い子』に乗せられていた水月が、武に声をかける。 武は頷くと、そっと腰を下ろして水月を地面に下ろした。


 横一列に並んだ分隊を改めて眺めているうちに、ようやく異変に気がつくまりも。 隊員全員、肌のところどころに虫刺されのような赤い斑点が浮かび上がっている。

 中でも武はひどい物で、顔面を集中して狙われたのか、鼻の頭が膨れ上がってしまっている。

 まりもはそんな隊の惨々たる様子に一瞬眉をひそめるも、気を取り直して言葉を続けた。



「よく全員無事――とはいかなかったようだが、戻ってきたな。 演習はこれにて終了とする。」



 まりもが宣言したと同時に、先程まで硬い表情を浮かべていた分隊員全員が緊張を緩め、疲れと安堵の入り混じった表情を浮かべた。

 合格と聞いたわけでもないのに、現金なものだ。

 まりもは失笑しつつ、わざとらしく咳払いをした後、「ではこれより、評価訓練の結果を伝える。」と言い放った。

 これには一瞬緩みかかった分隊員全員がギョッと目を剥いた……否、一人だけ表情の分からないものがいた。

 ――『白銀訓練兵』だ。



「施設の調査、破壊についてだが、フム、全ての地点において、破壊は諦めたようだな。 ――なぜだ?」



 唇を噛んだり、視線をさまよわせたりと、動揺を隠しきれない様子の分隊一同。 そんな中、遙が一歩踏み出した。



「涼宮訓練兵、いいぞ、答えろ。」

「第一に時間的余裕が無かったため、第二に破壊に必要な道具が揃えられなかったためであります。」



 はっきりとした口調で述べる遙。



「そのため、第一目標である時間内の脱出を優先し、優先度の低い施設の破壊は断念しました。」

「ふむ、なるほどな。 涼宮、下がっていいぞ。」



 まりもの言葉に、遙はさっと元の位置に戻った。 なかなか堂に入っている。 入隊したての頃のオドオドした様子はほとんど見受けられない。

 この数ヶ月で良くぞここまで成長したものだと、まりもは内心関心しつつも、表面上は決してそれを現さないよう、表情を取り繕った。



「……また、この中で嵐の中移動したものが居るらしいが、それは事実か?」



 淡々と問いかけるまりも。 しかし隊員はダンマリを決め込むばかりで、返事を返さない。



「無事だったから良かったものの……下手をすれば増水した川に押し流されて命は無かったぞ。」



 まりもの責叱に、次第に孝之の顔が俯いていく。 まりもはカマをかけたに過ぎないのだが、それに見事引っかかってしまったというわけだ。

 ここら辺が潮時だろうか。 これ以上苛めてもかわいそうだ、と、まりもはイタズラっぽい笑みを浮かべ、言葉を紡いだ。



「とはいえ、嵐という悪条件の中、任務を達成し回収地点までたどり着けたのは事実だ。 特に、あの重機関銃を狙撃でしとめた各員の連携は特筆に価する。」



 武は「毎度ながらもったいぶった言い方をするものである。」と、冷めた様子でまりもの表情を見つめていた。

 実のところ、回収地点にたどり着けた――第一目標を達成できた時点で演習は合格とみなされるのである。

 それをここまで引っ張るのは、ひとえにまりもの趣味であろう。



「それでは評価結果だが――おめでとう、貴様らは合格だ。」



 一瞬の空白の後、まるで爆発のような勢いで騒ぎ出す207B分隊。

 お互いを抱きしめあう遙と水月。 何故か殴り合いを始めた孝之と慎二。

 ワイワイと嬉しそうに飛び跳ねる鑑と、その傍らで疲れたように地面にへたり込んだ武。


 皆それぞれに、それぞれのやり方で喜び、お互いを称えあっている。


 一方まりもは、そんな彼等の様子を一歩引いたところで、少し悲しげな様子で見守っていた。

 演習に合格したということは、即ち戦場に一歩近づいたということでもある。

 後半年もしないうちに彼等は戦場に向かうことになるだろう。


 一年後、彼等の内いったい何人が生き延びているか、それすらも分からないこの世の中……。


 彼等の浮かべる笑顔の眩しさに、まりもは思わず目を細めた。



「……地獄は、もう目の前よ。」



 静かに呟いたまりもの表情は硬い。 その手に握られた急電であろう、走り書きがされたメモ用紙が、潰れてクシャリと音を立てた。







「はあ、それにしても速瀬。 最後、機関銃の目の前に飛び出したときはマジでビビッたぜ?」



 ひとしきり慎二と合格を祝いあった孝之は、ふと速瀬に向かってそう漏らした。



「え? あ、ああ。 あの時は私も頭の中真っ白って言うか何て言うか――その、必死だったから……。」



 恥ずかしそうに返す水月。 その様子に孝之は目を細めると、何を邪知したのか、ニヤニヤと笑い出した。



「ちょっと、何よ? 急にニヤニヤしだして、気持ち悪い。」

「……速瀬、お前ってそういう趣味あったのか。」



 なるほどなるほど、と、呟きながら、ジーっと水月を見つめる孝之。 「は? なんのこと?」水月は、口をポカンと開け、混乱した様子で聞き返した。



「何ってショタ――」



 ショタコン。 言い切る寸前に孝之はその顔に椰子の実を食い込ませ、その勢いのまま地面にもんどりうった。



「孝之~? あんまり馬鹿なこと言ってると、本気でコレ、ぶん投げるわよ。」



 鬼のような表情で、地面に仰向けに倒れふした孝之を見下ろす水月。

 しかし、孝之はと言えば一球目ですでにノックダウンされてしまったらしい。 椰子の実を食い込ませたまま殺虫剤を吹きかけられたコードGよろしく、小刻みに危ない痙攣を繰り返している。


 そんな彼の醜態に、遙も呆れを隠せない様子で「もう、孝之君ったら……。」と、溜息をついた。



「でもね、あはは……わたしも水月が地面に倒れこんだとき、大怪我したんじゃないかって勘違いしちゃって。」



 思わず叫んじゃった。 微笑を顔に張り付かせて、水月に語りかける遙。 異様な迫力に、水月は一歩たじろいだ。



「もうあんな無茶なことしちゃだめだよ……?」
 
「っ――ごめんね、遙。 もうしないからさ。」



 目が笑ってない。 水月は膝が笑いそうになるのを必死に堪え、引きつった笑顔で返事した。 「約束だよ?」念を押した遙に、水月は必死にコクコクと上下に頷いて、了解の意を示す。



「ま、タケルが4発目でセンサーカメラを潰したから良かったものの。 あれが外れてたら速瀬、お前本当に危なかったぞ。」



 慎二がそう言って水月を諭す。



「というか、速瀬の悲鳴よりも、涼宮の悲鳴のほうがよほどビックリしたけどな。」



 プレッシャーの外にいたためか、はたまた鈍感なのか、孝之は冗談めかしに言った。



「ほんと、タケルちゃん。 出来るって言うんだったら、3発で中ててよね!」



 ジト目でタケルを睨む純夏。 武は思わず呻き声を上げ、「……そうだよな。」と答える。



「速瀬さん、すみませんでした。」



 そう言って頭を下げる武。 水月は目を瞬かせ「や、やだなあ、もう。 別に気にしてないわよ。ほら、頭上げて!」と、武を励ました。



「それは、ここに来るまでアンタの背中で楽チンさせてもらったんだから、それでちゃらでいいじゃない。」

「……はい。」



 あの時、水月が武をかばった折、ゴム弾が運悪く彼女のスネを直撃、青痣をこしらえてしまったのである。

 責任を感じた武は、『背負い子』をラペリング用ロープと廃材でもってこしらえ、途中慎二や孝之に交代してもらいつつもここまで歩いてきたのである。

 おかげで足の具合はそれほど悪化しなかったらしく、水月は普通に立って歩くことができる程度には回復していた。



「そうそう、そういえばあの後すぐ飛び出した平君もかっこよかったよね! 速瀬さんかばう様にしてこうガバーッと。」



 武を元気付けようとしたのか、あるいは2人の雰囲気に嫉妬心を燃やしたのか、純夏は身振り手振りを交えて大げさに言った。



「そうか? オレにはドサクサに紛れて役得~、って感じに見えたんだが。」

「――っ、そんなわけ無いだろ!」



 気だるそうに呟く孝之に、慌てて反論する慎二。



「孝之、あんたはそこでしばらく寝てなさい。」



 そんな言葉とともに、放り投げられる椰子の実。 人力で投げられたとは思えないスピードで孝之の側頭部に炸裂し、孝之は再度轟沈した。



「はあ、それにしても、地蜂の巣踏んづけたのは一体だれだったんだ? ……まあ、オレが非難できた口じゃねえけどよ。」



 赤く腫れた腕を擦りながら愚痴る武。



「い、言っとくけど、私じゃないからね?」



 すかさず純夏が答えた。



「ふーん」

「……ああー!! タケルちゃん、その目は私の事信じてないでしょっ?! ヒードーイー!!」

「まあまあ、おかげで時間内に間に合ったことだし。」



 フォローなのか何なのかよく分からない突込みを入れる遙。 どうやら純夏が巣を踏みつけた事は否定する気が無いらしい。



「確かに、アレで大ダッシュかましたからなあ。 ……ありがとな、純夏。」

「どういたしまして……じゃなくてー! だから私じゃないってば、お願いだから信じてよ!」



 しまいには泣きついてきた純夏を、武は「わかった、わかった。」と適当にあしらう。



「そうそう、なぜかタケルばっかり狙われて……あっと、お願いだからその顔でこっち見ないで。 思わず笑っちゃいそうだから。」

「速瀬さん、そりゃないですよ!」



 じゃれ合う武と水月。 遙はその様子を見ていて、ふと違和感に気がつき、ボソリと呟いた。



「……あれ、そういえば水月。 水月って、白銀君のこと、白銀ってよんでたよね?」



 遙の一言に、一瞬時が止まった。



「えーっと……そうだっけ? 別に呼び方なんてどうでもいいじゃない。あ、そうだ、タケル。 アンタも別に私の事、速瀬って呼び捨てにしてもいいわよ?」


 ついで水月は、「なんだったら水月って呼んでみる?」と、早口でまくし立てる。

 どうやら相当に慌てているようだ。 手をわたわたと振り、そんなんじゃないから、とアピールしている。



「そうですか、じゃあ。」



 武が言いかけたところで、再起動した純夏が割って入った。



「ダメダメダメダメ~! それは絶対ダメ!!」

「どうしてだよ、純夏。」



 真顔で怪訝そうに尋ねる武。



「だって、そりゃあ……年上の人を呼び捨てなんて、やっぱりいけないよ!!」



 一瞬言葉に詰まるも、以外に至極真っ当な理由を述べた純夏。 武はウンと首を捻り、やがてコクリと頷いた。



「……確かにそうかもな。」

「な~に~? タケル、あんたは私が年増だって言いたいのかしら~?」



 これは聞き捨てられないと、孝之の横に転がっていたココヤシ片手に笑顔で尋ねてくる水月。

 当人とて最初は単なる冗談のつもりだったのだが、年増認定されたのでは黙っていられないと言う物だろう。


 年上=年増というのも論の飛躍だと武は思ったが、ここはそれ、場のノリ、空気という奴だ。



「いや、別にそういうわけじゃ……。 ってえ、なんでオマエまで構えを取ってるんだ、純夏?!」



 同じく空気を呼んだのか、浅く低く息を吐き、臨戦態勢を整える純夏。

 武は助けを求めて周囲を見渡すも、孝之は地面で永眠中、慎二に至っては素晴らしい笑顔で首を掻っ切るジェスチャーをしてくれた。

 お前には何もしてないだろと心の中で絶叫する武。 慎二に対する復讐を固く心に誓い、その時を待った。


 しかし、その時はついぞ訪れなかったのであった。 何故なら――



「小隊集合っ」



 まりもが再び集合をかけたからである。


 後に武曰く、その時のまりもは、一瞬天使のように見えたと言う。







 晴れ渡る空、青い海、白い砂浜……。

 目の前で踊る、水着の美女達。

 ここはどこの楽園だろうか――。


 顔面を包帯でぐるぐる巻きにした、不審者同然の男は、そう思いながらビーチパラソルの元、地面に横になっていた。


 演習の翌日、特別に休暇を与えられた分隊一同は、南国島でつかの間のバカンスを満喫していた。

 とはいっても、蜂に刺されて顔面がパンパンに腫れあがった武に関しては、こうやって海を遠めに見ているしかないのだが。


 せっかく今回は水着も用意してきたのに。 武は己の不運さに、思わず溜息を漏らした。



「ねえ、そこのミイラ男さん、あんたも飲む?」



 隣でビーチチェアに腰をかけている夕呼が、ワイングラスをユラユラと揺らしながら、赤い顔で武に話しかけた。

 こりゃもう完全に出来上がってるな――相当、研究のストレスが溜まっていたのだろうか。 武は何となくそう感じた。



「いいんですか香月博士? 今時ドンペリなんて超々貴重品でしょ?」



 第一、オレはまだ未成年ですよ。 溜息交じりに応じるミイラ男、改め武。



「まあまあ良いじゃないの、こんな時ぐらい。」

「……じゃあ、お言葉に甘えて。」



 夕呼の差し出したワイングラスを受け取り、舌で転がす事も無く、一気に飲み干す。

 乾いた喉を、炭酸の清涼とした刺激が通りすぎていった。

 舌に残る仄かな甘みと、濃厚なブドウの香り。 ついで頭がフワリと軽くなり、体がポカポカとしてくる。



「どう? 美味しいでしょ?」

「うーん、他のシャンパンと飲み比べた事が無いんであまり強くはいえないですけど。 ……美味しいと思いますよ。」

「でしょでしょ~? やっぱりシャンパンと言ったらドンペリよねぇ?」



 武の返事に満足したのか、夕呼は心底愉快そうに笑った。



「……そういえば、香月博士。 207Aの連中はどうしたんですか?」



 ふと、B分隊以外の207メンバーの姿がみえないことに気がつき、武は夕呼に問いかけた。



「……3日前に本土に戻ってるわよ。」

「――3日前!?」



 あまりにも常識ハズレなその数字に、武は素っ頓狂な声を上げた。



「うるさいわねえ、耳元で大声出さないでくれる?」

「すみません。 ――ちなみに3日前ということですが、となると……。」

「ま、たぶんあんたの想像通りだと思うわよ。」



 夕呼の答えに、武は表情を曇らせた。 つまるところ、207A分隊は試験に『落第』したのである。



「――全員、無事ですか?」

「とりあえず、命に別状は無いみたいよ。」

「……そうですか。」



 これは試験を強行した基地司令、ひいては香月博士も詰問は禁じられないだろう。

 いや、あるいはこの『運試し』も、A01に入る資格があるかどうかの『フルイ』なのだろうか?


――だめだ、上手く頭が回らない。 武は頭のクラクラを振り払うように頭を振った。



「そうそう、白銀~。 私もアンタに一つ聞きたいことがあるんだけど、良いかしら?」

「……なんでしょう?」

「いつか聞いたけど、アンタの夢の中の私って、どんな奴だったの?」

「夢の中の先生……ですか?」



 武は呆けたように中空を見つめたまま、鸚鵡返しに答えた。

 何故だろう、頭の中が必死に何かを警告しているのに、頭がボヤボヤして思考が回らない。 暑さでまいってきているのだろうか。

 見当違いな事を考えながら、浜辺を見やる武。

 まりもと、それに純夏、冥夜……だろうか? が楽しそうに水を掛け合っている。 見知らぬ顔もあるが、恐らく横浜基地の連中なのだろう……か?



「……スゴイ人でしたよ。 オレなんて、絶対にかなわない……たぶん、オレが夕呼先生の立場だったら、潰れてたと思います……心が。」

「……心が?」

「はい、心が。」

「それはどうして?」

「――先生は、夕呼先生はやっぱりどこまでも優しかったですから……。」

「私が……優しい?」



 突然、口調が変わる夕呼。 鋭い眼差しで、武を観察するように見つめている。



「……先生はとっても優しいんです、だからA-01の隊員が死んだときだって、本当はものすごく悲しんでるんです。 ……表面には出さないだけで。」

「それって、アンタがそう勘違いしている……そう思い込まされているだけなんじゃないの?」

「それはないですよ、だって普段の先生は、鬼畜で冷酷な姿を演じてますから……。 オレだって、先生の優しさに気づいたのは、随分経ってからです。」



 一時期随分と恨みましたよ。 そう言って苦笑した武に、夕呼は「ふーん……。 私もまだまだ甘いわね。」と、自嘲気味に答えた。



「それで白銀……って……ひょっとして寝てる?」



 すうすうと小さな吐息を立てて眠る武。 演習で相当疲れていたのだろう。

 夕呼には何故か、包帯に隠れて見えないはずの、年相応のあどけない寝顔が一瞬、見えたような気がした。



「……失礼します。」



 背後から声をかけられるも、夕呼は振り返ろうともせず、かわりに「……ピアティフね、それで用件は?」と答えた。



「何故、もっと強力な『モノ』をお使いにならないのですか? あるいは尋問にかけることも……。」



 どうやら先のやり取りをずっと聞いていたらしい。 ピアティフは理解しがたそうに眉間にシワを寄せて夕呼に尋ねた。



「ポーンとは言え、8段目まで上り詰めればクイーンになるのよ?」



 「ここで使い潰しちゃうのは、もったいないじゃない。」さらりと、そんな事をのたまう夕呼。

 だがそれでピアティフは納得したらしい。「……なるほど。 そういうことですか。」と、そう呟き、それ以上の追求を止めてしまった。 元より夕呼がこれ以上話す気はないと判ったのだろう。



「それでピアティフ、伊隅からの連絡は?」

「は、作戦成功との事です。 ただ今回の作戦で少なからずA-01から犠牲者が出ています。 特に第一大隊は、『全滅』とのことです。 再編成が必要かと……。」



 ピアティフの報告に、夕呼は痛ましげに唇を噛み締める。 だが、それも本の一瞬の事で、次の瞬間には元の科学者としての表情が戻っていたが。



「わかったわ、書類はあとでまとめて私のデスクに回して頂戴。」

「了解しました。」

「あーっと、それとピアティフ。」



 返事をするなり仮設指揮所に戻ろうとするピアティフを、慌てて夕呼は呼び止めた。



「……はい、なんでしょうか? 香月博士。」

「あなたもたまには羽を伸ばしなさい。 これから今まで以上に働いてもらう事になるでしょうから。」

「――わかりました。 では明日期限の報告書をまとめ次第。」



 そう言って、今度こそピアティフはその場を後にした。



「フフ、まったく、真面目ねえ。 休むときぐらい、しっかり休めばいいのに。」



 去ってゆくピアティフの後姿を、夕呼は苦笑しながら見送る。



「(それは、アナタも同じですよ、夕呼先生。)」



 そんな2人の会話をコッソリ盗み聞きしていた武は、ポツリと、心の中で呟いた。




 ――武達が光州作戦の失敗を知ったのは、翌日、基地に帰還してからのことであった。





[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第四章 第一話 分岐 ~Need to know~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:8b4e2465
Date: 2010/08/28 22:02
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 南の島でのバカンスを終えて基地に帰還するや否や、座学教室に召集をかけられた207B一同。

 基地内を漂うピリピリとした重苦しい空気から、何かがあったのだろうということぐらいは、誰にも容易に推測できていた。


 だがしかし、そこで改めて知らされた事実は、武をはじめ隊員全員の予想を上回るほど強烈なものだった。



「光州作戦が――失敗した?!」



 慎二の口からもれ出た声が、隊員全員の鼓膜を揺らした。 他の隊員達がざわめき立つより先に、まりもはコクリと頷き「そうだ。」と、重苦しい声で紡ぐ。



「作戦の失敗の責任を取り、部隊を指揮した彩峰中将以下複数の将兵が降格処分を受けた。」



 降格処分――それで済んだだけましである。

 『正史』を知る武だからこその思考かもしれないが、事実今回の作戦失敗による帝国軍、ひいては極東方面諸国軍の士気低下には無視できないものがあった。


 『極東のパレオロゴス作戦』と前もって宣伝、謳われた光州作戦の失敗――それはつまり、ユーラシア全土がBETAの手に落ちたことを意味する。

 それだけでも悪夢と言って過言でない衝撃的なニュースであるが、それに加えて、今回の作戦失敗は、帝国陸軍の信頼を大きく揺るがしたのである。


 大陸に展開していた帝国軍の9割が参加したと言われるこの作戦の失敗は、帝国陸軍に東進するBETAに抗うだけの力が無いという証明になってしまったのだ。

 

「昨日ようやく全軍の撤退作業が完了し、本日未明を持って日本海沿岸の基地に防衛基準体制4(デフコン4)が発令された。 我らが白稜基地には引き続き防衛基準体制5が施行されている。」



 まりもの説明が続く中、一方で武は上の空だった。 降格処分? 敵前逃亡で捕まったのではなく? 記憶とは違う結末に、武は内心の動揺を隠せない。

 そんな彼を現実の世界に引き戻したのは、遙のこんな一言だった。



「神宮司教官、質問よろしいでしょうか?」

「……いいぞ。」

「日本も――本土も戦場になるんでしょうか?」



 本当に恐る恐るといった様子で、遙は尋ねる。



「今のところ、BETAの渡岸行動は確認されていない。 だが、本土を守りきれるかどうかは我々の、貴様達の努力次第だ。」



 まりもは遙の顔をまっすぐに見つめながらそう答えた。



「今度の作戦は惜しくも『ハイヴ攻略』という最大の目的こそ果せなかった。 だが彼らの挺身により、少なくとも当分の間、安全は約束されたはずだ。」

「……あの、失礼します教官。 仰っていることがよくわからないのですが?」



 『安全』と言っておきながら『努力次第』と言い、また『安全』と言う。 まりもの意図がわからず、遙は思わず眉を眉間に寄せた。



「残念だが、今の貴様たちにそれを説明してやることはできない。 軍規に抵触するがゆえな。」



 『Need to know』

 そんな言葉が武の頭を掠めた。

 軍隊において、兵士は知るべき事を知っていれば良い。 その兵士が知る必要のない知識は、伝えられない。

 もしもより多くの事を知りたいなら――それなりの『力』を手に入れなければならない。 そしてその代償により多くのものを背負わなければならなくなる。

 それは例えば責任であったり、人命であったり……はてにはこの国の、否、この星の未来であったりする。


 以前の己は、それこそ口癖のように「この星の未来を守る!」と宣言していた。 今とて決して「未来を守る。」という決意が薄れたわけでもないが――


 今の心境は例えるなら、幼い頃「オレは正義の味方になる!」と豪語していた子供が、現実を知って、それでも夢を捨てきれないというジレンマに襲われた瞬間に似ている。

 そう、背負っているものの重さに気が付いてしまった今となっては、おいそれと口にしていい言葉ではなくなってしまったのだ。

 それは過去に過ち……手段と目的を履き違えてしまった己に対する戒めでもある。



「――対BETA戦争は今後ますます熾烈さを増すことだろう。 各員一層の努力を持って訓練にいそしむ事。」

「了解!!」

「ああ、それと、涼宮に戦術機のマニュアルを人数分渡しておいた。」



 まりものその言葉に、隊員の視線が一斉に遙の元に向いた。 遙はピンと反射的に姿勢を正す。



「各自退出前にマニュアルを受け取り熟読し、明日までには内容をすべて頭の中に叩き込んでおく事。 以上、解散!!」



 号令とともに、一糸乱れぬ敬礼がまりもに向けられる。 まりもはサッと敬礼を返すと、踵を返してドアの向こうへと消えていった。


 まりもが去った後、遙の手からマニュアルと言うには分厚すぎる、百科事典なみのソレを受け取ったとき、隊員のほとんどが卒倒しかけたという。







 一言で兵舎と言っても、ピンからキリまで千差万別である。

 大抵、内地の兵舎の方がすごしやすいが、それでも個室を割り当てられるのは尉官以上の軍人のみ。 下士官や一兵卒は相部屋が当たり前である。

 訓練兵ともなれば例え初級士官教育を受けている者、つまり任官すれば尉官殿の身分を与えられる者でも、部隊単位で一つの大部屋に放り込まれている場合が多い。


 そんな中、207訓練兵小隊に関しては、訓練小隊しては異例な事に、一人一人に個室が割り当てられている。

 それは、本来志願兵であっても基本的には徴用しない年齢の訓練兵の存在、つまり武と純夏の存在による影響が強い。

 それが契約だからという側面も確かにあるが、幼い子供を戦争に巻き込んでしまった大人達の僅かばかりの誠意とも受け取ることができる。


 前置きはともかく、武達は今日も今日とて士官用の個室が並ぶ1フロアの廊下で、いつものように寝る前のおしゃべりを続けていた。

 この「寝る前に話をする。」という2人の習慣は、住居が変わった今でも続けられている。

 窓越しではなくなってしまったものの、特にその内容や目的といったものは変わるわけがなかった。

 日々の鬱憤不満、愚痴を言い合ったり、取り止めのない会話や言葉遊びをすることで、訓練で緊張し、疲れた頭をほぐしあっている。


 ようは、気分転換だ。



「う~タケルちゃ~ん、これ、全部覚えなきゃいけないの~?」

「なに言ってんだよ純夏、そんなのあたりまえだろ。」



 さも当然そうに言いながら、純夏を見下す武。 勿論冗談である。



「……だよねえ。」



 武の冗談を本気にしたのか、重い溜息をつきながら純夏はうなだれてしまった。



「ほら、この140ページあたり開いてみろよ!」

「え?……ウワー!! 数字ばっかり!!」



 よく分からない数式と、それに関する考察のようなもの、そして戦術機のシルエットと、シルエットを起点にした数本の放射線が描かれた図。

 どうやら戦術機の噴射跳躍に関する注意点らしきものが記述されたページを見て、純夏は思わず悲鳴を上げる。

 武は予想していた反応にニヤッと笑みを浮かべると、得意げに解説を始めた。



「よく読んでみろよ純夏。 この空間ベクトルとか、ついこの前夕呼先生から教わったばっかりじゃねえか。」

「あ、本当だ。」

「他にも、こことかこことか。 さっきさらっと読んだ限り、この本に書いてある内容のほとんどが、先生から教わったことで、何とかなるみたいだったぞ?」



 ま、理解できなくてもいいんだけど……戦術機に関しては『習うより慣れろ』って感じだからな。 心の中で舌を出す武。



「う~ん、じゃあ何とか理解できるかなあ。 ――って、そういう問題じゃなくて、こんな量たった一晩で覚えるなんて無理だよ~!!」



 話の軸がずれてる!と、叫ぶ純夏。 武はゴホンと咳払いをすると、突然声色を変え、命令口調で言い放った。



「『出来るか出来ないかを聞いてるんじゃない、やれ!』」

「へ?」

「――って、神宮司教官なら言うんだろうなあ。」

「……タケルちゃん、今のモノマネ、ぜんぜん似てないよ。」



 いたって冷静に突っ込む純夏。 さらにジト目で武を睨みつけながら



「それと……いつか訓練中に神宮司教官の事『まりもちゃん』って呼んで、私まで腕立てさせられたの、忘れたんじゃないでしょうね~?」



 と、恨みがましい声で付け足した。 予想外の反撃に「……あれは悪かった。」と、頭を下げる武。



「なーに、大丈夫だって。 もう、あんなヘマはしねえから。」

「……はあ、もういいよ。 じゃあこれからマニュアルの暗記しなきゃいけないし、そろそろ私は部屋に戻るね。」

「おう――と純夏、さっきまでのは冗談だから。 ……程ほどにな?」



 ふと、純夏なら無茶しかねないと思い立ち、今更ながらネタ晴らしをする武。 純夏は一瞬ビクリと体を震わせた。



「へ、へへーん、そんなの最初から分かってたもんねー。」



 言い放って、内心の動揺を誤魔化す純夏。 しかし、傍から見ればバレバレである。

 あまりにも分かりやすい幼馴染の反応に、ムズムズとした、なんとも言い知れぬ感覚が背筋から鼻にかけて駆け上った。

 もっと苛めてやろうか……と、冷めかけていた武の加虐心に再び火が灯る。



「ほんとか~?」



 武はニマーっと嫌味な笑みを浮かべながら上半身を乗り出し、探るような視線で純夏の目を見つめた。



「ほ、ほんとだよー!!」

「うそつけ、オマエ誤魔化すのが下手糞なんだよっ! オマエの嘘は全部お見通しだってーの!」



 ま、そんな不器用すぎるオマエの嘘も見抜けなかったオオバカヤロウが、今お前の目の前にいるんだけどな。 心の中で武は自嘲する。



「むう……なんか最近のタケルちゃん昔と比べて嫌ーに鋭いよ。」

「そりゃ良かった。 オレだって無駄に年重ねてるわけじゃあねえからな。」

「むむむ、そこは『なに言ってんだ! 昔からオレは鋭いだろ!』って、怒るところでしょ?」

「――純夏。 オレが図星突かれて怒るとでも思ったのか?」

「うん!」



 純夏は断言した。 やっぱりコイツは誰よりも『俺』の事をわかってるなと思いつつ、少しは乗ってやるべきだったか、と、ちょっとばかり後悔する武。



「ま、今日はちょっと疲れてんだ。 ごめんな。 ……なーに、今日ゆっくり寝て気力が回復したら、またオマエのバカにも付き合ってやるよ。」

「……うん、わかった。 じゃあおやすみ。 タケルちゃん、ゆっくり休んでね? あまり無茶したらだめだよ?」



 イザと言うときは私がフォローしてあげるから。 そう言って純夏は「エッヘン!」と、胸を張った。



「おう、お休みな。 頼りにしてるぞ、純夏!」



 純夏が自室に戻ったのを確認して、武もまた部屋の戸をくぐった。







 固いベットの上に体を横たえ、暗い天井を見上げると、つい先ほどのまりもの言葉が頭の中に蘇ってきた。



「『責任を取り、降格処分』……か。」



 ――歴史が知らないところで動き始めているのだろうか? 少なくとも、己の知っている未来とは少しばかり違う道を、この世界は歩み始めているらしい。

 まだそれと言ってこの世界に干渉した覚えはないのだが……。 武は眉間にシワを寄せつつ考え込む。

 これは誤差に過ぎない出来事なのか、それとも大局に影響を及ぼすであろう大きな出来事なのか、材料が少なすぎて判断できない。

 もしかすると、己のあずかり知らぬところで、事は大きく動いているのかもしれない。


 だとしたら ――それは、とても恐ろしいことだ。 夏の湿気からか、武の額に粘ついた汗が浮かびあがった。


 ――Need to know

 今の自分はただの訓練兵にすぎない。 何をするにしても力が足りなさすぎる。

 それとなく匂わせてはみたものの、『香月博士』は思った以上に慎重で、なかなか餌に食いついてこない。

 いくらこちらがカードを切っても、まるでソレぐらい見透かしていたかのように、彼女は何のアクションも起こさない。


 最強の手札は未だ温存しているものの、そのカードが使えるようになるのは、明星作戦を生き残った後の話である。

 あるいはそれ以前に夕呼から信頼を勝ち取ることができれば、その時点でほとんどのカードを提示する覚悟があるが……。

 今のところはこのままの路線を維持、つまり情報の小出しで様子見しつつ、臨機応変に行動するのが『ベター』だろう。



「なんにせよ、次はOSか。」



 そう言えばどうやって「夕呼先生」にOSのことを伝えればいいんだ? 寝る間際に浮かび上がった難問。

 結局その日、武はきちんと寝付く事が出来なかった。







 翌日の朝、B分隊は、いつもよりは早めの時間にPXへと集合していた。


 武を中心に右隣が純夏、左に孝之、孝之と向かい合うようにして遙、その隣に水月、そして慎二という順で席に付いている。

 訓練当初こそ若干の入れ替わりがあったが、最近はほとんどこの席順で固定化されていた。



「いよいよ今日から戦術機の訓練が始まるのね。 くう~、ワクワクするわ!」

「だよな?! オレも楽しみで仕方ないぜ。 ほんと、ここまで長かったよなあ。」



 水月と慎二は、お互い興奮を隠せない様子で頷きあった。 そう、今日からようやくまともに衛士としての訓練を受けさせてもらえるのだ。

 今まで衛士を目指す身でありながら、まるで歩兵と同じような訓練を受けさせ続けられていた彼等である。 浮かれているのも無理は無かった。



「全くだぜ、もう腕立て伏せは勘弁……ん? 遙、どうしたんだ? 具合でも悪いのか?」



 浮かない顔で俯いている遙の様子に気が付き、声をかける孝之。 その様子を見て、ほう、この唐変木も少しは成長したか、と、慎二はほくそえむ。



「え……あ、孝之君、これは違うの。 ただ、もし適性が無かったらどうしようって。」

「もお、遙ったら。 入隊したときに適性検査は一度受けたじゃない。 今度だって大丈夫よ。」



 遙の心配性は相変わらずのようだ。 水月は苦笑しながら、安心させるように遙の肩を軽く叩いた。



「そういや様子がおかしいといえば、タケル、それに鑑もいったいどうしたんだ? 今日はやたら静かだな。」



 慎二に声を駆けられ、同時に顔が引きつる武と純夏。



「う~ん、だって、ねえ?」

「……ああ、あれは正直吐きそうだったからな。」



 目元を擦りながら答える武。 ふいに富士がごとく盛られた白米を思い出し、思わず口元に手を当てる。

 純夏も純夏で何かを思い出したのか、肩を抱いてブルリと震えた。 そんな彼等の様子に、水月は合点が言ったとばかりに手を打った。



「なるほどね、確かにあの適性検査だっけ? 無茶苦茶にゆれるからね……私もあれはちょっと苦手かも。」



 ちょっと違うんだけどなあ。 そう思いつつも2人が口にしなかったのは、その隣で遙が真っ青な顔をしてコクコクと激しく頷いていたからだ。



「うっ、そういやそんなのもあったな。 ……いや、でもこれから俺達は衛士になるんだぜ? アレぐらいの揺れ、戦場じゃあ当たり前なんじゃないか?」



 慎二の言葉に、孝之も相槌を打つ。



「ああ、たぶんな。 それにしても――純夏はともかく、なあ、タケル、それに速瀬。 おまえらあの程度の揺れで普通吐きそうになるか?」

「……なによ、悪い?」

「いや、タケルはなんだかんだ言って万能だし、速瀬だって運動神経だけは良いから、こういうのは結構得意なんじゃないかと思ってたんだ。」

「わ、私だって苦手な事の1つや2つぐらい――って、ちょっと待ちなさい!! アンタねえ、私より座学の成績低いのになに失礼な事っ!!」

「おいおい、やめろよ2人とも。 ――ここはPXだぞ?」



 何故だかいつも以上に混雑しているPX内、こんなところで騒動を起こしては他の利用者に迷惑がかかりかねない。 慎二はそう言って2人をたしなめた。

 慎二の弁にはっと目を覚まし周囲を見渡す2人。 何対かの怪訝そうな視線がこちらに注がれていた。

 確かにこれはまずいと、水月はむすっとしながらも矛先を収める。



「さてと、じゃあオレ、そろそろ朝飯貰ってくるから。」



 頃合を見計らって切り出した武。



「あ、タケルちゃんちょっと待って! 私も一緒に行く!」

「別に構わねえけど……。 あーっと、孝之すまねえ! オレ達の席見張っといてくれるか?」

「ん? ……ああ、気が向いたらな!」

「ちょっと孝之っ? 2人とも、心配しなくても良いわよ! この私がしっかり確保しといてあげるから――このバーカのかわりに。」

「な……オマエ、バカはねえだろ、バカは!!」



 背後で再発した騒動。 武と純夏は他人の振りをしながら、カウンターへと向かった。

 程なく、先ほどまで自分達が座っていたテーブルの方から、嫌に頭にこびりつく打撲音とともに、奇妙な悲鳴が聞こえてきた。



「うーん、ねえタケルちゃん。」



 カウンターの一歩手前、仲間たちから十分距離を取ったところで、純夏は唐突に切り出した。



「あん? なんだよ?」



 歩みを止め、純夏の方を振り向く武。



「なんで速瀬さんと鳴海君って、いつも喧嘩ばっかりしてるんだろう?」

「さあな。 ま、そんなに心配しなくても良いと思うぞ。 あの2人に関して言えば、オレと純夏みたいなもんだからな。」

「……言われてみれば、確かに。」



 武に指摘され、はっとした表情を浮かべる純夏。



「だろ? どうせ演習も終わった事だし、好きにやらせとけば良いんじゃねえか?」



 頬に張ってあるガーゼ――先日蜂にさされた場所が未だ腫れている――を弄りながら武は答えた。


 武が思うに、水月は未だ孝之への思いを断ち切れていない。 根拠は、水月の孝之に対する態度が以前と全く変わっていない事である。

 人間、やはり振られた相手に――例え本人に自覚がなかったにせよ――今までどおり接する事は難しいはずだ。

 もし水月が孝之のことを諦めていたのなら、真っ直ぐで人一倍繊細な水月のことである。 すぐに態度となって表面に現れるはずだ。


 ――友情と恋愛の板ばさみ。


 聞くだけなら美しいが、もしも我が身にと考えただけで、正直胃がきりきりと痛んでくる。

 水月もまた不器用な人間だ。 ことさら恋愛ごとにかけては純夏よりも下手くそかもしれない。 素直じゃない分、余計に話が拗れているのだろう。

 これが水月の片思いなら、よくある初恋物語……「青春の甘酸っぱい思い出」というだけですんだのだろうが……。 武は首を振った。

 これは最近ようやく気が付いた事だが、どうやら孝之もまた水月の事を憎からず想っているらしいのだ――遙がいるにもかかわらず。

 しかし、孝之本人は己のそんな気持ちに全く気がついていないようだ。 もちろん、遙のことも大切にしている。


 孝之は周りの空気を読む事に関しては、この隊の誰よりも機敏だ。

 その気遣いが人に「やさしい」と言わしめるのだろうが、孝之のそれは強さに裏づけされたものでなく――こう言ってはなんだが――本人の心の弱さに起因するものだ。

 性質の悪いことに、空気は人一倍読めるくせして、何故か周りの好意に鈍感。 おまけに己の心にも鈍感。


 まるで一昔前の自分を見ているかのようだ。 武は溜息を禁じえなかった。

 まあ、とは言っても自分の場合はさらにそれに「空気読めない」と「熱血」が加わるのだから、もっと救いようが無かったかもしれない。

 今思い返してみれば、以前の自分はただのクソガキだった。


 武は、遙、それに水月の両者とも尊敬している。 2人のどちらにも傷ついて欲しくないのが本音だ。

 だが現実的に考えて、例えどんな結末に終わったにせよ、どちらか、あるいは両方が傷つくことになることは明白である。


 孝之はいずれ己の矛盾と正面から向き合わなければならなくなる。

 そしてその結果は――孝之達「3人」が背負うべき業だ。


 ――もしも、遙が水月にとりなしを頼まなければ、
   水月が孝之に興味を抱く事もなかっただろう。

   もしも、水月が遙に力を貸さなければ、
  あるいはもっと自分の気持ちに素直になれたかもしれない。

   もしも、孝之にもう少しばかりの勇気があったならば、
  もっと違う未来があったかもしれない。――



 三者三様に責任はあるのである。


 勿論、一番責任が重いのは甲斐性なしの孝之だ。 孝之みたいな奴の事を、あの世界では確か、そう……「へたれ」と呼んでいた筈だ。



「おいボウズ! そんなところで突っ立ってんじゃねえ! 邪魔だ!」

「――っ、すみません!」



 どうやらぼうっとして、通路の真ん中で立ち止まってしまっていたらしい。 怒鳴りつけられた武は、とっさに謝って道を譲った。

 怒鳴った兵士はフンと鼻を鳴らすと、不機嫌そうにカウンターの列へと向かって行く。



「もお~、タケルちゃん! なにボーっとしてるのさ!」

「悪い悪い……。 まだ疲れが残ってるみたいでさ。」

「え! そうなの? ……大丈夫?」

「あ、ああ。 大丈夫大丈夫。」



 本気で心配そうな顔でこちらをのぞきこんでくる純夏に、内心気まずい思いをする武。



「そう? ならいいんだけど……。 それでさあ、タケルちゃん。」

「ん? なんだ?」

「あの人たちが着てる服って、帝国軍の制服じゃないよね?」



 いったい純夏が誰の事を言っているのか探すのに、そう苦労は無かった。

 純夏が視線を向ける先、この基地内ではあまり見かけない、武にとっては馴染み深い青ジャケットを羽織った一団の姿があった。

 数名を除き異様なテンションで盛り上がっており、朝から酒を飲み交わしている。



「……ああ、アレは国連軍の制服だな。」

「ねえ、なんで国連軍のひとがこんな所にいるの?」

「おいおいオマエ……って、そういやそうだな。」



 青服を見ているうちに、ここが国連軍横浜基地でなく、帝国軍白稜基地であったことを一瞬忘れてしまった武。 確かに言われてみると違和感があった。



「貴様達は知らんのか? ここ、帝国軍白稜基地には帝国軍の部隊だけでなく、国連太平洋方面部隊第11軍の部隊も駐屯しているんだぞ?」



 そう言って2人に近づいてくる青服の女。

 武達のすぐ手前で止まると、クセのある栗色の毛を揺らしてニヤッと笑った。



「久しぶりだな、『白銀』。 それに『鑑』。 演習合格、オメデトウ。」



 「伊隅みちる」――久しぶりに会った彼女の笑顔は、目の下に浮かぶクマとあいまって、何処か影を帯びているように見えた。



[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第四章 第二話 流儀 ~Ill news comes too soon.~
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Date: 2009/02/13 12:10
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「――っ、た……少尉殿!!」



 見知った顔を前に、一瞬『大尉』と言いそうになる武。 階級章を見て慌てて言い直し、同時に姿勢を正して敬礼をした。

 純夏もそれにならって、みちるに対し敬礼を送る。



「ふむ、元気そうでなによりだ。 これから朝食をとるところだな? 良ければ一緒に――」

「……えっと……すみません、少尉殿。」



 親しげに話しかけてくるみちるに、純夏が遠慮がちに手を上げた。



「どうした? 鑑。」

「えっと、何処かでお会いした事ありましたか? ――あ、ひょっとしたらタケ――白銀訓練兵のお知り合いでしょうか?」



 その問いかけに、同時にハトが豆鉄砲に撃たれたような顔をするみちると武。 お互い顔を見合わせる。

 そういえば『この世界』でみちるとまともに顔をあわせたのはこれが初めてじゃないか? はたと気が付く武。 いや、でも彼女はこちらの事を知っているようだ。

 ということは何処かで会っている筈なのだが……。 拳をアゴに当て、昔の記憶を掘り起こしにかかるものの、なかなか思い出せない。



「あー……そうだ、はじめてあったときは、確かここ、PXだったと思うのだが。 そういえば、まだ自己紹介を済ませていなかったかも知れないな。」

「――あ! ひょっとして私達がここに見学に来たとき、教官のお手伝いをしていた方ですか?」

「そうだ。 どうやら思い出してくれたようだな。」



 なにやらほっと安堵の表情を浮かべるみちる。

 数泊遅れて、ああ、と、武は首を縦に振った。 まりもと一緒になってあの大盛りご飯を運んできた時に一度会ったのか。



「では改めて――私は伊隅みちる。 貴様達と同じように、神宮司軍曹から教導を受け、昨年任官した者だ。」

「よろしくお願いします。 私は――。」



 言いかけたところで「いや、結構。 よく知っているからな。」と、みちるに制される純夏。



「……それにしても、何で伊隅少尉は私たちの名前を知ってたんです?」

「ん? ……香月博士から、貴様達の噂は常々聞いているからな。」



 そう言って怪しげにニヤリと笑うみちる。



「なかなか頑張っているそうじゃないか。 香月博士も喜んでおられたぞ。」
 
「香月博士が……」



 そういえば、みちるは夕呼の腹心中の腹心だった。 自分達の事を知っていても特に不思議は無いかもしれない。 武は思った。


 ということは、なんだ? 夕呼は俺達の事を噂して回っているのか? 一体どんな噂をされているのだろうかと考え、一瞬背筋が寒くなる武。



「それにしても、皆さんどうしてこんなに朝から賑やかなんですか?」

「ああ、それは今……なんだ……今『儀式』の最中なんだ。」



 こんな時間に、いつもとは違う団体が居ると思ったら……。 武は気づかれないようにすこし眉を潜めながら集団を見やった。

 みちるはオブラートに包んだ言い方をしているが、要するに――



「儀式? ……あ、もしかして転属になる衛士さんがいらっしゃるんですか? ひょっとして日本海側の基地に?」



 微妙にずれたことをのたまう純夏。 いや……あながちそういう捉え方も出来ないことは無いか。 武は、はたと気が付いた。

 光州作戦で失った兵力を立て直すために、恐らく今日本中で部隊の再編成が行われているはずである。

 どちらかといえば後方であるこの基地から移動となる部隊があると考えてもおかしくは無い。



「いや、確かにそういう連中もいるにはいるが……。 ふむ、ひょっとして貴様達、こういうのを見るのは初めてか?」

「――へ?」



 首を傾げる純夏。 無数の疑問符が頭の上で踊っている。

 武は己の考えが正しかったことを確信すると、なんともいえない表情を浮かべた。



「やはりそうか――『儀式』という言い方がまずかったようだな。 今私達が行っているのはな、有体に言ってしまうと、そうだな――お通夜なんだ。」



 突然発せられたお通夜という言葉。 純夏はとっさに意味を理解できず、よけいに目を白黒とさせた。

 だが純夏が驚くのも無理は無い。 『常識』的に考えれば、とても目の前のどんちゃん騒ぎと『お通夜』は結びつかないだろう。

 加えて、まさかこんな後方の基地からワザワザ大陸くんだりまで遠征するような部隊があるとは、誰も思うまい。



「『おつや』って……あの『お通夜』ですよね?」

「そうだ。」

「そう……でしたか。 すみません! こんな事聞いてしまって。」



 純夏の落ち込んだ様子に、みちるは懐かしいものを見るような目でふっと笑みを漏らす。



「ふふ、気にするな。」

「……でも……。」



 なおも申し訳無さそうにしている純夏に、みちるは諭すように問いかけた。



「……そうだな、鑑。 ここで一つ問題を出そう――人は、いつ死ぬんだと思う?」



 何の前触れも無く、唐突に投げかけられた哲学的な質問に、言葉に詰まる純夏。

 みちるとて本気でこちらが答える事を、期待していたわけでは無いようで、特に発言を待つわけでもなく、再び言葉を紡ぎ始めた。



「これはあくまで私個人の意見だが、」



 みちるはそう前置きをして話し始める。



「人は、その人を知る人がこの世から誰一人居なくなる……つまり、人々の記憶の中から、完全に忘れ去られた時、死ぬのだと思う。」



 みちるのその言葉を聴いたとき、武の心臓がドクン強く脈打った。

 忘れられる、それは死よりもつらい事……確か誰かがそう言っていた。

 となると、あの時の俺は名実ともに死にそうになっていたわけだろうか? まったくシャレにならない。



「故人は、人の心の中だけでしか生きられない――ならば、我々衛士は戦友を失ったとき、戦友の死を、その意味を……彼等がいったい何のために剣を取り、どのように戦い、そして何のために散ったのか……それを誇らしく後世に語り継いでやらなければならない。」



 「――私たちは、この考え方を『衛士の流儀』と呼んでいる。」みちるは一呼吸置いてそう言った。



「衛士の……流儀……。」



 一言一言噛み締めるように呟く純夏。 みちるはさらに言葉を続ける。



「戦友が先に九段に行ってしまった時、私達はこうやって逝ってしまった戦友の好物を食べながら、語らうんだ。 生き様を、心に刻み付けるためにな。」



 そう締めくくると、みちるは何か訴えかけるような目で、武達の目を真っ直ぐと見つめた。



「ご高説痛み入るよ……さすが、任官早々に中隊長に抜擢されただけの逸材だ。」



 突然割って入ってきた刺々しい声。

 振り向くと、そこには、まるで腐った魚のような目でみちるを見つめる一人の国連軍衛士の姿があった。

 どうやら完全に酔っ払ってしまっているようだ。頬から鼻にかけて真っ赤に染まってしまっている。



「な、紫苑……オマエ、ちょっと落ち着けよ。 伊隅は今度のことに何も関係ないだろ?!」



 しかも訓練兵の目の前で……。 隣に座っていた年若い衛士が男――紫苑の耳元で囁いた。 だが彼はそんな忠言には全く耳を貸さない。

 一見女性と見紛う程の中性的な顔立ちに隠し切れない疲れを浮かべ、怨念がこもったガランドウの瞳をギョロギョロと動かしている。

 そんな紫苑の様子に心を痛めた男性衛士は、彼を慰めるようにして語りかけた。



「つらいのは分かるさ、紫苑。 でもオレたち第一大隊が全滅したのは――そう、運が悪かったんだ。」

「運が悪かった?」

「そりゃそうだろ。 前線を押し上げてる最中に背後から軍団規模のBETAの奇襲を受けて、完全に包囲されちまったんだから――。」



 ほっと溜息をつくと、「壊滅しなかったのが奇跡って言ってもいいぐらいだ。」と男性衛士は漏らした。



「まったく、それもこれも新OS様々だよ。」



 目の前の男の呟きに、武は思わず目を見開いた。 今、彼は何と言った? 新OSだって? そんな武の混乱をよそに、2人の会話はさらに続く。



「新OS? 確かに、生き残れたのはそれのおかげかもしれない。」



 紫苑はやや穏やかな口調で呟いた。



「じゃあそもそも、後方任務に当たっていた僕たち第一大隊が、前線を押し上げなきゃならなくなったのは、なんでだ?!」

「それは彩峰中将が即時移動命令を無視したからで……」

「本当にそう思ってるのか? たかが1大隊の行動で戦局が左右されたと思うのかよ?!」



 人形のような顔を悪鬼のように歪めて激憤する紫苑。 そのあまりの勢いに、声をかけた衛士はたまたず閉口した。

 叫んだことで少しは落ち着いたのだろう。 紫苑は荒い息を静めると、空しそうに自らの足元へと目を落とした。



「何が『極東のパレオロゴス作戦』だ。 『極東のダンケルク』の間違いだろ?」



 紫苑は悪鬼のような表情を沈め、しかしコレまでになく不吉で、不気味で……何かおぞましいものを感じさせる薄ら笑いで言葉を紡いだ。



「いいか、僕たちは、捨て駒にされたんだよ。 ――大陸の民間人じゃなく、国連と極東と、帝国の軍隊を安全に撤退させるためにッ!!」

「――っ?!」



 紫苑の言葉が発せられたと同時に響く、イスを引きずる耳障りな音。

 それまでテーブルの向かい側で黙って椅子に腰掛けていた衛士が唐突に立ち上がったのだ。


 その男は人目見ただけで印象に残るだろう、独特の風貌をしていた。

 まるで定規で輪郭線を引いたかのように角ばった顔から突き出したアゴ、への字に結ばれた口元、ギラリと光る鋭い瞳に、太い眉――

 中でも目を引いたのは、日本人には珍しい鉤鼻である。

 髪は短く切りそろえられており、そのためか厳つい顔立ちがより威圧的に感じられる。

 がっしりした健康そうな肉体。 伸長は座っているため良く分からないが、恐らく慎二に匹敵すると思われる。 かなり大柄な男だ。


 男は何も言わずツカツカと、地面をぼんやりと見つめる紫苑の脇へと歩み寄ると、その腕を思いっきり振りかぶった。


 刹那響く丸太を棍棒で殴ったような鈍い音――


 そのたった一発で、平均的と比べ華奢とは言え、一端の男が椅子から吹き飛ばされた。

 突然のことに受身をとることすらも出来ず、そのまま頭から床に墜落する紫苑。



「無様にも戦友に八つ当たりするだけでなく、世迷いごとを吹聴しよって……貴様それでも軍人かッ?!」



 太い喉から発せられる、図太い声で罵声を浴びせつつ、男性衛士は床に倒れふした紫苑の胸倉を掴みあげた。



「貴様のその肩章は飾りかッ?! そんなことで、この先衛士として戦っていけるとでも思っているのかッ?! 恥を知れ、恥を!!」



 男はそう言って紫苑を前後に激しく揺さぶる。 唇が切れていたのか、揺さぶられる紫苑の口元から血が滴り落ちた。

 はじめて見る凄惨な様子に相当ショックを受けたのだろう。 純夏は両手を口元に当て、目をギュッと瞑っている。



「――大尉い、そのぐらいで許してやったら? そのヒヨっ子、こんな大規模作戦に参加したのは、はじめてだったんでしょう?」



 のんびりとした口調で嘲笑混じりに吐き捨てたのは、同じく国連軍の集まるテーブルに座っていた女性衛士だった。

 なんとも軽そうな女性だな、というのが武の第一印象だった。

 どことなくみちるに似たその容姿だが、雰囲気は全くの別物。

 みちるがフライトジャケットをキッチリ襟まで閉めて着こんでいるのに対し、この女性は露出の気を疑いたくなるほど胸元を大きく開けている。

 その間からはまるでスイカのように膨らんだ2つの脂肪の塊が姿を覗かせていた。

 ジャケットの左腕には所属する部隊の象徴なのだろうか? 武の良く知るワルキューレとはまた違う腕章が――

 斧と盾で武装した兵士、そう、北欧のヴァイキングを模したような絵柄の縫いこまれたパッチが貼られていた。


 忠告を受けた大尉は、チラリと女性の方に目をやると、フンと不機嫌そうに鼻を鳴らし、今度はゆっくりと、自らが掴み上げている男に問いかけた。



「確か貴様、水代中尉の弟だったな?」

「……はい。」

「ならば尚更、泣き言など漏らすな。 先ほどの伊隅少尉の言葉をしっかりと胸に刻み、その上で今自分のすべき事をもう一度考え直せ。」



 男はふんと溜息をつき、「貴様がそれでは、先に逝った中尉が安心できんだろうが。」と紫苑をたしなめる。



「貴様にはあとでミッチリと軍隊という組織について教える必要がありそうだな。」



 耳元で怒鳴りつけると、大尉はやっと紫苑の胸元から手を離した。 

 支えを失い尻餅をつく紫苑。 大尉の覇気にやられたのか、完全にへたり込んでしまっている。



「ま、確かに今回『も』とんだ貧乏クジだったわよねえ。 まあ今はそんなこと忘れて飲みましょ!」



 女衛士の言葉を合図に再び酒盛りを始める国連軍衛士達。

 事前に『TVニュース』や、『神宮司教官』から知らされていた『光州作戦』内容と、今衛士達の話している内容には、大きな齟齬がある。

 もし衛士達の話が『事実』なのだとすれば、『光州作戦』はハイヴ攻略を目的とした戦闘ではなく、もとから撤退を支援するための作戦だったということだ。

 報道の内容は、『飼い犬、飼い主求め千里を走る。』といったような、一種の戦意高揚のための『プロパガンダ』だったと考えれば、確かに辻褄も合うが……。



「おい、武! 純夏! いったいそんなところで何やってんだよ!」



 目の前で起きた目まぐるしい事態に困惑し、放心していた武。 遠くから聞こえてきた声にはっと我に帰り、慌てて後ろを振り返る。

 見渡す限りの人、人、そしてまた人。 どうやら騒ぎをかぎつけた野次馬達に何時の間にやら囲まれてしまっていたらしい。

 さらに声のするほうに目を凝らすと、人肉バリケードの向こう側で、孝之が必死に手を振っているのがチラリと見えた。



「ったく、どこで油売ってるのかと思って探しにきてみれば……おかげでオレまで朝飯パーだよ!! もう座学が始まる時間だぞ、さっさとしろ!!」

「なっ、もうそんな時間か?!」



 慌てて腕時計に目を落とす。 座学開始10分前だった。



「だそうだ白銀、鑑。 ……悪かったな、引き止めてしまって。」

「い、いえ、そんな事は……ではまたいつか!」

「――伊隅少尉、ありがたいお話、有難うございました!」



 急ぎではあるが、礼儀としてみちるに敬礼をする武と純夏。



「ああ、貴様達には私も期待している。 さあ、神宮司軍曹を待たせるな。」



 みちるはニヤっと笑うと、「軍曹の恐ろしさは私が身をもって体験しているからな……早く座学教室へ行かないと、大変なことになるぞ。」と、2人を脅しにかかった。


 みちるに促され、2人は再度一礼した後、人の合間を縫ってPXから飛び出ていった。







 
 午前中の座学は戦術機の乗り込み方と、衛士強化装備の取り扱い説明。 及び戦術機の歴史とその意義についての解説にほとんどが費やされた。


 戦術歩行戦闘機――略して戦術機が実戦に登場したのは1974年のこと、カシュガルにハイブが落着し、光線級という、高度1万メートル上空の飛行体を寸分狂わず打ち落とす能力を持った化け物によって、人類の航空戦力が無力化された翌年の事である。

 傑作機の名高いアメリカ軍のF-4ファントムから始まった戦術機の開発は、各国それぞれの思想にあわせて今現在でも進められている。

 人型というシルエットが持つ高い汎用性と3次元機動能力。 まりもに言わせれば「非力な自分達に何十倍もの力を与えてくれ、なおかつ人として不可能な機動すら可能にする」この鉄壁の鎧は、この20数年間で対BETA戦争における人類戦力の中核を支えるまでに普及した。

 しかしその戦術機とて、欠陥を抱えていなかった訳ではない。 その主たるものと言えば、そう、火力不足とヒューマンエラーであった。


 ――8分


 衛士の間ではあまりに有名な、そして恐れられているこの数字の意味するものは、初戦における衛士の平均的な『寿命』である。

 空がBETAに奪われた事により、多くの国で空軍が解散させられたのだが、その際元々戦闘機や爆撃機を乗りこなしていたパイロット達がどうなったかと言うと、実はそっくりそのまま戦術機の運用に当たったのだ。

 そんな彼等が初戦において弾き出したのが、この『8分』という、あまりに馬鹿げた、人類にとって悪夢以上の何者でもない数値だった。

 この数字は全世界を震撼させた。 戦術機乗りには、戦術機乗りになるための特別な教育を施す必要があるという、今ではほとんど世界常識として定着している見解が生まれたのには、こういった背景があったのだ。

 今、武達がこうして戦術機乗りになるための訓練を受けさせてもらっているのは、彼等先立ち達の犠牲あってのものなのである。


 今更といえば今更な、通算三度目にもなるであろう講義。

 武は必死に欠伸をかみ殺しつつ、腹の虫と戦いながら時計の長針が回る様子をじっと睨みつけた。

 当然そんなことをしても時間が早く進むはずが無い。

 結局うつらうつらとしてしまった武は、まりもの質問攻めに会うこととなり、そして――



「そうだ、外出許可を出してやるから、今日は京塚食堂で昼食を取るといい。 ――ああ、そうそう白銀。 聞いたところによると、貴様は朝食を食い損ねたらしいな? 大盛りで出迎えるよう話は通しておく。 これは今まで頑張ってきた貴様への、私からのささやかなご褒美だ。」

「――えっ?」



 ――にこやかな笑みでもって、死刑宣告を突きつけられた。




「なあ、白銀……こりゃなんだ?」

「みりゃ分かるだろ、飯の山だよ。」



 ここに来るのは、これで何度目かなあ……。

 京塚食堂に到着して早々、口を間抜けにぽかんとあけて放心している孝之の横で、何かを悟ったような、危うい表情であさっての方向を向いている武。



「えーっと……どういうこと?」



 状況を全くの見込めないらしく、引きつった笑みで武に問いかける水月。



「あれ、速瀬さんはひょっとして知らないんですか? 衛士訓練学校の伝統らしいですけど……。」

「い、いや、それはもちろん私も知ってるけど……って言うか前は私だったし。」



 言いながら、水月はチラリともう一度飯の山を確認する。

 己の幻覚でなかった事を確認すると、今しがたグラウンドを完全装備で走らされてきたような疲れた表情で遙に問いかけた。



「……でも精々いつもの3倍程度だったわよ――ねえ、遙?」

「う、うん。」



 目の前にある、どうみても6~7人前は下らないであろう量の白米。水月と遙の生暖かい哀れみの視線が、武には痛すぎた。



「うだうだ言ってないでさっさと食べちまったらどうだい? いつまでも見つめてたところで量は減らないし、早く食べちまわないと折角の料理が冷めちまうよ!」



 ドスの効いた声で京塚のおばさんにどやされ、武は詮方なく箸を取る。



「タケル、無茶すんなよ?」



 後ろから肩を二度叩いてきた慎二に、武は血の気の引いた笑みでぐっと親指を立てると



「今日は『一人前』だから大丈夫だ。」



 と、返した。

 皆がハテと首を傾げる傍らで、純夏がギクリと震えた事に気が付いたのは、幸い京塚のおばちゃんだけだった。







「なあ、タケル……なんでオマエはそう堂々としてるんだ?」



 この格好、恥ずかしくないのか? と、尋ねる孝之。



「いや、だからと言ってオマエ達みたいに内股になってるのもどうかと思うぞ。」



 武はフンと溜息を付くと、呆れたような表情で言い返した。

 彼等に配られたのは、訓練兵用の白い衛士強化装備。

 孝之達も男とは言え胸や谷間の危険区域ギリギリまで微妙に透けて見えるのは心もとないらしく、まるで罰ゲームで際どい水着を着せられたような有様だ。

 一方の武はといえば、すでに己の裸に対する羞恥心といったものはほとんど麻痺してしまっている。

 別に開き直って仁王立ちする、というわけでもなく、ごくごく自然体でその場に佇んでいた。

 まあそれでも孝之達の目からしてみれば「堂々としている。」と映るらしいが……。



「まったく……おい、孝之、慎二。 今のうちに警告しておく。 速瀬さんたちが入ってきたら絶対に顔より下を見ないこと。」

「……はあ?」



 武の突然の忠告に、わけがわからないと首を傾げる孝之。



「まあ、別にガン見してもかまわねえけど、どうなってもオレはしらねえぞ。」

「――タケル、それってどういう意味……ッ! ま、まさかッ!!」



 何かを感づいたのか、慎二が鼻息を荒くして武に詰め寄る。 武はニヤッと笑みを返すと「そ、その『まさか』だ。」と、受け答えた。

 タイミングを見計らったかのように、背後から聞こえてきた圧縮空気の抜ける音。

 孝之と慎二は、餓えた狼のように血眼となって更衣室の方向を凝視した。


 命知らずだなあ。 武は、こりゃ言わない方が良かったかな? などと思いつつ、巻き込まれないようそそくさとその場から退散した。



「よし、全員集合している……な……?」



 やがて入ってきたまりもの見た光景は、まりもの教官史上もっとも悲惨な光景だった。

 古びた軟式ボールを頭に食い込ませて昏倒した孝之。

 その傍らで関節技を食らって必死に降参をアピールしている慎二と、そんな彼を鬼のような表情で締め上げ続けている水月。

 この騒動を収拾すべき部隊長である遙はといえば、両腕で胸を隠し、目に涙を浮かべて床にへたり込んでいる。

 そんな彼女の背中を年下の純夏が優しく擦っていた。



「……白銀。 状況を説明しろ。」



 一人その騒ぎを遠巻きに見つめていた武に、まりもは眉間をもみつつ問いかける。

 しかし武は武で「はじめて、この手のことに巻き込まれなかった。」という現実に、感涙を流しており、かなり不気味だった。







 衛士強化装備――誰が見ても破廉恥極まりないデザインのこの装備であるが、それにはちゃんとした理由がある。

 対BETA戦争の長期化にともない、女子供も戦場に出るようになって久しい今日。

 つい数年前には、女性の徴兵年齢をさらに数年引き下げられる法案が国会審議を通過した。

 悲しい事だが、もはや前線で女性衛士の姿を探すのは、そう難しい事ではないのだ。


 となると、必然的に前線における彼女らの扱いが問題になるわけであるが、設備のままならない前線では、フェミニストが絶叫をあげそうな扱いを受けていた。

 即ち、他の男性衛士に混じって雑魚寝しているのである。

 当然シャワーも男女共用、便所も共用。 まして緊急発進もありうる前線においては、男女で着替えるスペースが分かれているはずがなかった。

 正常な男女がこのような空間に押し込められれば、ことあるたびにお互い意識せざるおえない。 しかし、それでは作戦行動に支障が出る。

 ならどうすればいいか……? 上層部の出した答えは至極単純なものだった。


 ――『正常がダメならば、異常にしてやればいい。』


 つまり、男女間の羞恥心を麻痺させてしまおうと考えたのだ。 その結果生まれたのが現在の訓練兵用衛士強化装備なのである。

 肌の色が見えるか見えないか程度に透けてはいるが、装備本来の性能に変化はない。

 ただ素材がもとより透過性のある物質であるため、塗装を施さなければこうなってしまうだけらしい。


 ともあれ、衛士強化装備が衛士の命をつなぐ上で非常に重要な役割を果している事は周知の事実である。

 頼りない外観とは裏腹に、優れた耐G性、耐衝撃性、防弾、防刃、耐腐食性を持つ。

 さらにカウンターショックや体温調節機能など、生命維持機能をも備えているのだ。


 また、衛士強化装備には戦術機の操作ログや、その間の思考を数値データ化したものが記録されている。

 これら蓄積されたデータをもとに、機体は自動的に衛士に最適化され、たとえば機体制御の補佐やGによる影響の軽減が行われるのである。


 衛士強化装備は、言わば衛士の生命線であり、よって歩兵が己の銃を大切にするように、衛士は己の強化装備を大切にしなければならないのだ――



 まりもによるあり難いお説教を、連帯責任の名目の下全員で受けた207の面々。

 あげく前を隠す事を禁止され、女性陣は一様に不満の声をあらわにしたが、そんな余裕があったのも、シミュレーターによる適性検査が始まるまでだった。







 高さおよそ5m。 シミュレーターの名で衛士に親しまれるこの大型装置は、砲弾消費による重量変化や、被弾や破片による損害の判定など、あらゆる戦闘における物理現象をシミュレート可能とする最新鋭の装置だ。

 勿論それは重力に関しても言えた事で、搭乗中の衛士は、シミュレーターゆえの限界があるとは言え、実機さながらの揺れに揉まれる事となる。

 ここ、帝国軍白稜基地には、数連隊が一度に訓練が行えるほどの数のシミュレーターが設置されている。

 現に武達が適性検査をしているその横で、帝国軍や国連軍の衛士たちがシミュレーターによる訓練に勤しんでいた。



「うー……。 やっぱりこれ、苦手だわ。」



 水月は二日酔いのようなだるさに思わず顔をしかめる。

 その傍らでは、遙が青を通り越して血の気が引いた真っ白な顔で通路の手すりにもたれかかっていた。



「おいおい、遙、速瀬、それに慎二。 オマエ達大丈夫か?」

「……孝之、オマエ、嘘でも冗談でもなく、本当になんでもないんだな。 素直に尊敬するよ。」
 


 表情には出ないものの、かなり具合の悪そうな慎二の尊敬の目線に、孝之はむず痒そうに眉を寄せる。



「そうか? 武や鑑だってピンピンしてるじゃねえか。」



 そう言って談笑に講じている武と純夏を指差した。



「お前たちが規格外なんだ。 ――全く、今日だけで3回も歴代適正最大値を上回る者が出るとは……正直、機械の故障じゃないかと疑いたいところだが、貴様達のその様子からすると、データに強ち間違いは無さそうだな。」



 孝之の弁に反論したのは、教官であるまりもだった。



「安心しろ涼宮、速瀬、それに平。 お前たちも平均的衛士の適正値と比べて褪色無い、むしろ高い素質を持っている。 本来、隊員の一人もシミュレーター内を汚物で汚さなかった、それだけでも快挙なんだぞ?」



 慰めとも困惑とも取れない口調で諭すまりも。

 初回でのシミュレーター酔いの経験があるが故に、目の前で武達がピンピンとしている現状に、理解が追いつかないらしい。



「そして、そんなお前たちにとっておきの朗報がある。 なんと訓練期間中、シミュレーターを優先的に利用できる許可を基地司令から頂く事が出来た。 今日は初日と言う事でこれにて訓練を終了するが、明日からは吐こうが倒れようが、一日中シミュレーター三昧だ。 一刻も早く衛士としての能力を身に付けられるよう、各自努力せよ。」



 そのまりもの知らせに、B分隊の半数が心の中で絶叫したという。






 
 自室に戻った武は、机の前でとある作業に没頭していた。

 己の知る歴史とは違う運命をたどりつつあるこの世界。

 より比較を明瞭にするため、一度己の知りうる限りの情報をノートに書き出し、整理しようと考えたのだ。


 カリカリと、鉛筆がノートに文字を刻む音が深夜の室内に木霊する。

 すでに消灯時間を迎えているため、手元を照らすのは緊急用の懐中電灯の明かりのみである。


 作業を開始してまもなく、武はとある問題に直面していた。 想定していた以上に、記憶に抜けが目立ったのである。

 自身にとって強烈に印象に残った事柄――例えば、人の死に生死に関わる出来事こそ頭に残っていたが、平時の皆との他愛もない会話、平和な世界での日常の記憶などがあやふやになってしまっていた。

 特に小さい頃の思い出などは、まるであたかも元から存在しなかったかのように抜け落ちてしまっている。


 ――否。


 誤魔化すのはよそう、にわかには信じられない、信じたくない事だが、思い出そうとするたびに、記憶が次から次へと消えてゆくのだ。

 この現象を、自分は知っている。 武の脳裏を駆け巡る苦い記憶……己の甘さの代償は、あまりにも大きすぎた。



「……因果流出……なのか?」



 武にとっては悪夢としか言いようのない事態。

 大切な人を失ったあの事件は、武にとって最悪の出来事として今でも心に重くのしかかっていた。


 ――『因果流出』


 武は元々『この世界』の住人ではない。 他の平行世界から半場強制的に引き寄せられた因果情報で持って再構成された、仮初の存在なのだ。

 有体に言えば、白銀武の亡霊なのである。

 武が、「武は『武』である」と認識する人が少なくなれば、少なくなるほど存在確率が薄くなり、いずれは消散してしまうような儚い存在である。

 一方で、少ないにせよ因果情報を奪われた平行世界は不安定なものになってしまった。

 平行世界は常に欠けた武の因果を求め、引き寄せたのである。

 ただでさえ近かった二つの世界が「白銀武」というパイプで繋がり、因果情報のやり取りが行われるようになってしまったのだ。


 その結果起こった最悪の事態が「死の因果情報」の共有であった。


 夢破れて一時的に帰った『平和な日常の世界』で起こった悲劇。

 武は己を責め、一時は自殺すら考えたものである。 それがまた起きようとしているのだろうか……?


 いや、だがそれにしては少し様子がおかしい。 武はまた別の違和感に気がついた。

 訳の分からない事に、昔の事を思い出そうと探れば探るほど、全く覚えのない記憶ばかりが湧き出てくるのだ。

 それはあたかも、日常の記憶の上に他人の記憶が上書きされてゆくような、極めて不快な感覚だった。

 時空転移実験の後必ず夕呼の言っていた「気持ち悪い」の言葉の意味とは、この感覚の事だったのかもしれない。


 知らないはずの事を知っている、知っているはずの事を知らない。 これほど気持ち悪い事が果してあるだろうか?


 訓練と授業の両立の過酷さから、平和な日常のことなど意識する事がなかったために今まで気が付かなかっただけで、本当は『この世界』で目覚めた瞬間からこの現象は始まっていたのだろう。


 それでも武は黙々と作業を進める。


 『史実』とは違う運命をたどった光州作戦、食堂で耳に挟んだ『新OS』という呟き、記憶の混濁……


 ――サンタウサギを見つけたそのときから胸の奥にくすぶり続ける不気味な予感。


 それらを紛らわすには、何かしらの作業に没頭する以外どうしようもなかったのである。



[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第四章 第三話 限界 ~Just asking for trouble.~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:8b4e2465
Date: 2010/08/13 08:41
 シミュレータールームで教官の到着を待つ空白の時間。

 本来なら退屈を持て余すであろうその時間も、何故だか武には何時もより楽しく感じられた。

 それも当然か。 武は思った。 なんだかんだ言った所で、武は戦術機を操縦することが好きなのである。

 シミュレーター上とは言え、久しぶりに戦術機を操縦できるとなれば、自然と心が疼いてくるのだ。

 ……まあ、昨晩の出来事に対する現実逃避という側面も否めないが。


 一方で、先ほどから世話しなく周囲を歩き回っている幼馴染へと視線を移す。

 律儀にもまりもから指示されたとおり、胸を隠さずにいる純夏。 それでもやはり恥ずかしいものは恥ずかしいらしく、頬が薄く染まっており、若干の挙動不審だ。

 今は小うるさい教官もいないのだから、隠していても問題ないと思うんだが……。 あまりに要領の悪い彼女の様子に、思わず苦笑を漏らす武。



「なにニヤニヤしてるのさ。」



 タケルちゃんのスケベ。 と、小声で呟く純夏。



「……っと、スマン純夏、今何か言ったか?」

「ふーんだ! 男の子はいいよね! 上半身裸でも恥ずかしくないんだから。」

「いや、それはたぶん人それぞれだと思うぞ。」



 偏見とも取れる純夏の言いように、それとなく反論する武。



「……でも、タケルちゃんは恥ずかしくないんでしょ?」

「ん~、まあな。 もう慣れたからなあ。」

「やっぱり! この変態! 露出狂! 強姦魔!」

「……おまえ、流石にそれは言い過ぎだろ?! ってか強姦魔ってなんだよ強姦魔って。」

「うるさい、うるさい、うるさーい! タケルちゃんなんて強姦魔で十分――ッ、いったーい!!」

「ったく、うるさいのは、おまえだ! すこしは涼宮さんを見習っておしとやかさを身に付けたらどうなんだ?」

「……むむむ、女の子と話をしているときに他の女の子の話題をだすのはまずいんじゃないの?」

「む……ろ、論点をすりかえるじゃない!」



 そんなバカらしいやり取りをしていると、やがてまりもが珍しい客を連れてシミュレータールームへと姿を現した。

 己にとって鬼門に近い白衣と国連軍制服のコントラスト――

 特徴的な紫色の髪が目に入った瞬間、つい先ほどまでの高揚感が、まるでシャボンの泡のようにパッと弾けてしぼぼんでしまったのを武は感じた。


 あまりお目にかかりたくない人、個人ランキング上位に食い込む彼女――香月夕呼。


 自ら足を運んできたという事は、また何か妙なことでも思いついたに違いない。

 武は眩暈を感じて一瞬体勢を崩しかけたが、一応上官の手前必死に堪えた。 よりにもよって彼女の前で腕立て伏せなどもってのほかだ。

 敬礼の体勢を維持していると、お得意の意地の悪い笑みを口元いっぱいに浮かべ、夕呼は口を開いた。



「ふーん、やっぱりまだ慣れてないみたいねえ。 そんなに恥ずかしいものかしら? 減るもんじゃなし、男どもに見せ付けてやれば良いじゃないの。」



 何の遠慮もなく色仕掛けできるチャンスなのにね? なぜか武に向かって語りかける夕呼。 彼女の言葉に、女性陣は一様にざわめき立った。

 彼女の一言で逆に意識してしまったのだろう。 男性陣を不審者でも見るような目でにらみつけ、警戒心を剥きだしにする女衆。


 全く、開口一番に何を言い出すかと思えば……。 確かに誰しもが貴方のような立派なプロポーションと、価値観を持ち合わせていたらそうでしょうけど。


 あまりの夕呼らしい発言に、武は脱力せざるおえなかった。



「夕呼先生、来て早々無茶なこと言わないでください。 そもそもなんでそこでオレに振るんです?」

「そんなの、アンタの方が弄りがいがありそうだからに決まってるじゃない。 あら、そう言えば白銀、アンタは全然平気そうね? ひょっとして露出の気でもあるの?」

「……。」



 先ほどの己の発言を翻し、己を露出狂呼ばわりする夕呼。 彼女のこういった反応には、もう慣れっこだ。 いちいち反応をしていたのではきりが無い。



「――それで先生、今日は一体どのようなご用件でいらっしゃったのでしょうか?」

「あら、否定しないのね。 ……ま、あなた達がいったいどんな訓練受けてるのか、ちょっと気になってね。 ほら、一応私の教え子一号だし。」



 夕呼はおどけたように述べた。

 ようするに、ただの暇つぶしって訳ですか。 思わず武はまりもに送る。 すると、まりももどこか困ったような表情で武を見つめかえしてきた。



「……私がここにいちゃ迷惑だった?」



 いたく傷ついたといった様子で問いかけてきた夕呼。


 ――「はい、すごく迷惑です。」


 別に超能力を持っているわけでもないのに、確かにまりもと心が通じ合ったのを感じた武であった。



「もう、軽い冗談よ。 あなた達で遊んでいられるほど、私も暇じゃないからね。 ――じゃ、まりも、あなたから説明して頂戴。」

「……よいのですか?」



 意外そうに目を瞬かせて夕呼に尋ね返したまりも。 それは小隊のメンバーも同様のことであった。

 彼女の説明狂ぶりは、もはや基地内で有名な話だったのである。



「なによ? 私が自分で説明しろって言うの? いやよ、面倒くさい。」



 夕呼の返答に、なんとなく肩透かしを食らった一同。 相変わらず猫のように気性の変化が激しい人だ。

 間違いなく、今日の彼女は少し苛立っているのだろう。 武は、彼女の様子から冷静に分析した。

 もしかすると、想像以上の面倒ごとを連れてきたのかもしれない。



「白銀、何だその目つきは? それが上官に向ける視線か?!」

「――っ!! 失礼しました!!」

「まったく、人が話している最中に邪知をめぐらせるとは……。 先ほどの態度といい、どうやら私の教導が足りなかったようだな。」

「め、滅相もありません!」

「いや、私も常々貴様に甘すぎたのではないかと思っていたのだ。 腕立て50! 今すぐに!」



 50って、いくらなんでも多すぎなのでは? 内心思いつつも、まりもの怒声が飛ぶやいなや腕立てをはじめる武。


 未だに直らない武の悪い癖……考えがすぐに表情に出る。

 最近は少しマシになってきたものの、未だ目つきとか微妙な動作に変化がおきてしまう。

 そうなると、まりもや夕呼のようなその道に深く携わっている人物からは、程なく見破られてしまうのだ。


 ポーカーでもしてもっと実力を磨いたほうが良いだろうか? と、真剣に悩む武。

 今のままでは夕呼を相手取っても「また」手のひらのうちで良い様に転がされてしまう。


 ――「衛士と科学者」


 女狐と恐れられる彼女と渡り合う必要は、衛士たる自分には本来必要無いはずなのだが……。

 ある程度その辺がコントロールできるようにならなければ、彼女の信頼すら得られない……つまり使い捨ての手駒とされる恐れがある。

 彼女に少なくとも『使える駒』と認識されることで、それだけはなんとか防がなければならない。 できれば共犯者となれれば一番なのだが。


 そんな事を考えながら腕立て伏せをしている武の様子を、初めはニヤニヤしながら愉快そうに見ていた夕呼だったが――

 何かをひらめいたのだろう、より一層笑みを深くすると、突然武の視界から消えた。



「っ~~!!」



 直後、武は背中にやわらかな、しかし分隊支援火器並に重い何かが乗ったのを感じ、思わずうめき声を上げた。

 程なくそれが夕呼だと気が付くも、上官相手に文句を言うわけにもいかない。

 最後の望みといえばまりもが直々に止めてくれる事だが、恐らくそれは無いだろう。



「まりも、説明、早くして頂戴?」

「……ハッ!」



 促す夕呼に、慌ててまりもはくるっと体の向きを回転させ、小隊の方へと向き直った。



「皆よく聞け! 本日より、207B分隊は、国連が開発し、先の光州作戦で実戦証明の成された新OSを用いた動作訓練を行う。」



 まりもの宣言に、皆訳がわからないといった表情をしている一方で、武は思わず顔を強張らせる。

 だが夕呼の重みにハッと我に帰り、表情を『何食わぬ顔』に取り繕って腕立て伏せを続けた。



「もちろん、先の戦いで実戦証明されたばかりの新OSを用いた訓練が施された部隊など、まだ世界のどこにも存在しない。 つまり、貴様たちが後の衛士達のさきがけ、ということになる。」


 伊達に軍隊で教導を受けてきたわけではない。 一期生だ――つまりモルモットだと言われた程度でざわめき出すような連中は、207Bにはいなかった。

 ただし漏れ出す雰囲気で不安や恐れ、期待や喜びといった感情がすぐ読み取れたが。



「『新OS』は、恐らく対BETA戦争に革命を起こすだろう。 現に、新OSを搭載した部隊の損耗率は、同作戦に参加した他の部隊の平均的損耗率に比べ3割も少なかったという。」



 ――あえてはっきり言おう。 この数字は奇跡と言っても過言ではない。


 興奮を隠せない様子で語るまりもの横顔。 もしそれが事実とすれば、教官という立場上この上なく喜ばしい知らせに違いないだろう。


 そのかたわらで、武は貴重な対夕呼用のカードが、切る前に1枚失われてしまった「らしい」ことに内心焦りを覚えていた。

 恐らくは、自身の知っている新OS――『XM3』と大差の無い代物なのだろうと検討を付け、それが何故なのかと思考を進める。


 思い至ったのは、昨晩己が経験した『因果流出』だ。


 幼い頃の記憶が次から次へと抜けてゆく――否、存在しなかったその一方で、抜けた部分を補うように入ってきた何らかの因果があったとすれば?

 昨夜の懸念が再び表面化し、思わず腕が震えそうになるのを必死に堪えた。 今動揺すれば、間違いなく背中に乗っている夕呼に悟られてしまう。



「そのOSを開発してくださったのが、今日見学に来てくださった香月博士だ。」



 まりもが言ったとたん、皆の視線が一斉に夕呼へと向けられる。



「博士に恥ずべき姿を見せぬよう、気合を入れて訓練にのぞめ!」



 一糸乱れぬ敬礼と、一斉に響いた返答でもって、207B分隊は答えとした。

 唯一、未だ夕呼の尻の下で腕立て伏せを続けている武を除いて。







 結論を言ってしまえば、訓練は武にとっても、また夕呼にとっても退屈なものだった。


 『動作教習課程』、つまり戦術機の動作に慣れる為のプログラム。

 武はすでに死の8分どころか、人類最大規模の戦闘を3度も経験し、生き残った男だ。 目を瞑っていてもクリアできそうなものである。


 当然、それを見学している夕呼も面白いわけがない。

 最初の内こそ新OSの即応性に翻弄される水月達の様子を満足げな笑みを浮かべて眺めていたものの――

 時間がたつにつれ、素人の操る戦術機のたどたどしい機動に飽きてきたのだろう、だんだんと口がへの字に曲げられていった。



「……ねえ、まりも。 いつまでこんな退屈なことやってるの? ヴォールクとかはやらないわけ?」



 時間は正午を迎えようという頃、とうとう夕呼は痺れを切らしてまりもに問いかけた。



「ヴォールクって……香月博士、いきなり正規兵用のプログラムなんて無茶です! それと、訓練兵にBETAの詳細な情報の開示が禁止されているのをご存知無いのですか?」



 「そうだったっけ?」目を丸くして惚ける夕呼に「そうですっ!」と、やや声を荒げるまりも。



「ふ~ん、かったるい事やってるのね。 どうせ1~2ヶ月後には実戦に出るってのに。 上の連中はいったい何を考えてるんだか?」



 そう言って夕呼は肩をすくめて見せた。 実のところ、事情はわかっているのだがそれでも彼女にしてみれば「ぬるい」と言わしめる理由なのである。


 1998年現在、訓練兵に対してはBETAの姿かたちなどの詳細な情報の開示は原則禁止されていた。

 なぜならば、訓練兵の段階で適正不足や事故などで脱落し、民間に戻る訓練兵が少なからず存在したためである。


 BETAに関する情報は、その人間の恐怖心を煽るおぞましい造形とあいまり、混乱を防ぐため民間に対しては一切の情報が遮断されている。

 人の口には戸は立てられぬ、といわれるように噂話――とくに悪い噂――を国が制御するのは難しい。

 そのため、少なくとも脱落者から情報が漏れる危険性を減らすために、訓練兵に対しては最低限の情報しか提供されないのである。



「ですが、何事も基礎が大事なことは変わりありません。 今変な癖が付いてしまうと、後々大変なことになってしまいますから。」

「まあ、確かにね。 ……でも、『動作教習課程』が終わったら、今度は対戦術機訓練が始まるんでしょ? あれって本当に無駄だと思わない?」



 どうやらあらかじめ訓練予定に目を通していたらしい夕呼の素朴な疑問に、まりもは言葉に窮した。


 実際のところ、戦術機はあくまで対BETA用の兵器であり、既存の人類兵器に対しては極めて無力なのである。

 的が大きく、生産性、整備性ともに他の兵器に比べると極めて劣悪。 飛行できるとはいえ、その速度は旅客機並。

 戦闘ヘリでも防げる12.7mmの弾丸を貫通させてしまう、あってないような装甲。


 ――『歩兵にすら撃墜が可能。』


 それが戦術機の現実であった。



「それは……。」

「――あー、ごめんなさい。あんたの立場じゃ答えられないわよね。」



 はたと、まりもの立場に気が付いた夕呼。 まりもの返答を遮るようにして謝った。 「全く、だから軍は嫌いなのよ。」小声で愚痴るように夕呼は漏らす。


 根っからの軍人であるまりもは、なぜ? などと悩むことは、当の昔から止めている。

 命じられたとおりに命令を実行するのが兵隊の役目。 命令系統が混乱するのを防ぐためだ。

 命令系統が麻痺してしまったのでは、特に対物量戦において致命的な損害に繋がる。

 それは即ち、自分の生死に直結するのだ。


 だから訓練の非合理性に気が付かなかった……否、気が付いてはいたが、上申することなど念頭になかった。


 対して夕呼は科学者だ。

 思考停止は、人としてもっとも愚かなことだと思っている人種であり、「思考停止は、人間をやめることと同義である。」という、ある種過激な信念を持っている。

 故に、自分の子飼の部下には命令に疑問を挟む『思考』を禁止しておらず、代わりに自分に対して『敬礼』――軍隊を連想させる象徴的な行為――をすることを禁じている。


 この無茶苦茶な規則は、彼女の部下たちが文字通り『エリート』だからこそ実現できるというものだ。

 これがもし何の選定もされていない普通の軍隊で同じ事をさせれば、突如に指揮系統は混乱し、作戦行動が成り立たなくなってしまうであろう。

 公私の切り替えという面で、A-01は他のどんな部隊よりも優れていた。

 本人の素質もさることながら、これはひとえに、まりものような優秀な教官による教導の賜物であろう。


 ちなみにこの凸凹な2人の間に何故友情が芽生えたのかを知るものは、本人たち以外には、某食堂のおばちゃんしか存在しない。



「あ、そうだ。 ねえ、まりも?」



 猫なで声で名前を呼ばれたとき、まりもは背筋に冷たいものがゾワッと走るのを感じた。

 そして親友のその表情を見たとき、己の悪寒が間違いでなかった事を悟ったのだ。



「いい事思いついたんだけど、ちょっと耳貸してくれる?」



 この上なく怪しく、なまめかしい笑みを浮かべ、夕呼はまりもに問いかける。

 シミュレーターの中、最後の動作教習課程を他の隊員より頭2つ以上早く終了した武が、一つ大きなクシャミをした。







 ――「えーっと、すみません。未だに状況がよく把握できないんですけど……?」


 喉まで出かかった突っ込みを何とかガマンして溜息をつく武。 なぜ、どうしてと聞いて答えが返ってくると思ったら大間違いだ。 

 それに、今回は誰のせいでこうなってしまったのかも見当が付く。 というよりも、訓練兵にこんなむちゃくちゃな事をさせるのは、彼女以外この基地にいないだろう。



「着座調整……って言うんだっけ? もう、何でもいいから準備はちゃんと済ませたわね? ……じゃあこれから行う事をもう一度説明するから、よく聞いてなさい。」



 武の返答を待たず、勝手に話を進める夕呼。 恐らく今こうして自分がここにいることのなった元凶を作った人物である。

 
 今、武は一人シミュレーターの中に放り込まれていた。 PXで昼食をとっていたところ、武一人が夕呼に拉致されてしまったのである。

 他のメンバーはといえば、座学教室にて午前中の訓練の反省会を行っているはずだ。



「これからアナタの行うシミュレーターの内容は、ハイヴ内での戦闘をシミュレートしたもの……『ヴォールクデータ』と呼ばれるものよ。 ヴォールク連隊についてはもう座学でやってるわよね?」

「はい、確か史上ではじめてハイヴに突入した部隊の名前でしたよね? かの連隊が命がけで持ち帰ったハイヴ内のデータが俗にヴォールクデータと呼ばれていると……。」

「そ、分かってるなら話は早いわ。 まあ、アンタがこれからやる事といえば単純よ。 なるべく『下』を目指して突き進みなさい。」



 つまりは主軸坑を目指せということか、と、武は自分なりに彼女の言葉を理解した。

 しかし、彼女はいったい何をさせたいのだろうか? そもそも、訓練兵にBETAの姿を見せるなんて、少なくとも日本では前代未聞なんじゃないのか?

 武の頭上にいくつもの「?」が舞い飛ぶ。



「BETAの特徴については説明してる時間がもったいないから省略するわ。 ま、間違いなくアンタの想像以上に気色悪いでしょうから覚悟しておきなさい。 でも、ビビって1分も持たずにやられました~なんてことになったら……。」



 そのときは分かっているわよね? と、夕呼は鋭い視線で武を貫いた。



「難易度設定は『なるべく低め』にしておくわ。 せいぜい頑張りなさい、白銀武。」



 武は溜息を禁じ得なかったが、わざわざ薮蛇をつつく気にもなれなかったので、反論はせず、彼女の言うに任せた。

 何か口出しすれば口出しするほど自分に不利に働く事は、長年の経験で重々理解しているのだ。


 重低音を響かせながら起動するシミュレーター。


 機体のコンディションを現す情報と共に、武の網膜には見慣れた光景――360度青白く光る、巨大で不気味な洞窟――が映し出された。



「どうしたの? もうシミュレーターはとっくに始まってるわよ。」



 夕呼の言葉に、はたと我に帰る武。 気が付けば、今まで平坦な線を描いていた震度計が小さな波線を描き始めていた。



「えーっと、すみません、どっちに進めばいいんでしょう?」

「――あら、ごめんなさい。 そういえばCPのこと忘れてたわ。 ……まあ、ハイヴ内では当てにならないのが普通なんだから自分で何とかしなさい。」



 夕呼の物言いに今度こそ武は閉口する。 助手のピアティフはどうしたのだろうか? 彼女ならCPをこなせるハズなのだが……。

 そんな武の考えを見透かしたように、夕呼が一瞬ニヤリと笑った。



「(こりゃ罰ゲームだな。 いや、そうとしか思えない。)」



 単機でハイヴ突入。 CPからの報告すら一切なし。 マップなど当然あるわけが無い。

 本来ならその状態に追い込まれた時点で「積み」だ。 まともにやりあえば、たとえエースと呼ばれる衛士達であっても一分と持たない。


 そうこうしているうちにトンネルの奥のほうから赤い何かが、まるでペンキでも流し込んだかのように迫ってきた。 ……どうやら己の不運を嘆く暇さえ与えてくれないらしい。


 赤色の何か――戦車級。

 大きさは大型トラックほどで、頭や首はなく、胴体から2本の腕と3対の足がトカゲのように横に向かって突き出している。

 いや、複数の目と思しき黒い大豆のような何かが付いた突起状のものが背中から突き出しており、それが頭と見えなくも無い。

 それよりも何よりも特徴的なのは、体の大きさに不釣合いなほど大きな口だ。 頬や唇といったものは存在せず、むき出しとなった歯茎は何故か人間のそれとよく似ている。

 ハイヴ内で最も多く出没し、数多の衛士をその強靭なアゴで戦術機ごと食い殺してきた、まさに戦場の掃除屋というべき存在。

 ……とにかく言えることは、この世のものとは思えないほど醜い、ということである。

 ただし、「醜い」という一点に関しては、ほとんどのBETAに関して同様の事が言える。


 全く、コイツを作り出した奴は頭がどうかしているな。 武は憎々しげに正面をにらみつけ、操縦桿をゆっくりと握り直す。


 轟音とともに、噴射跳躍ユニットに火が灯り、武の操る機体は砂煙を巻き上げつつ空中へと舞い上がり――全力で逃げ出した。







 シミュレーター開始からおよそ20分後――

 武は未だハイヴ内を彷徨っていた。


 ハイヴのシミュレーションにしては、BETAの数があまりにも少ない。

 推進剤にはまだ十分余裕がある。

 弾はまだ一弾倉も消費していない。

 機体の損傷も許容範囲内だ。


 『要撃級』――甲羅でなく、白色のブヨブヨとした表皮で覆われたサソリのような姿で、尾節には毒針の変わりに苦悩に満ちた人間の顔のようなものが付いている化け物――や、『突撃級』(矢じりに足をつけて走らせたような姿で、正面装甲はひたすら硬い代わりに背中はプリンのように柔らかい。 BETAの中では戦車とも言うべき役割を果している――の姿も見られたが、数が少ないため脅威ではない。

 武がすべき事といえば、推進剤の残量に気を使いながら主軸坑目指して突き進むことぐらいであった。


 ……とはいっても、武には自分がいったいどこに向かって進んでいるのか全く把握する事ができなかった。

 完全無欠に迷子である。


 燃費が悪く、機体に負担のかかるアクロバティックな行動は出来るだけ控え、しかし時には大胆にBETAを踏み台にしながら奥へ奥へと突き進む……。

 正直、どちらが奥なのかもわからないのが現状なのだが。



 推進剤が心もとなくなってきたので、ふと時間を確認してみれば、シミュレーター開始から実に一時間が経過しようとしていた。

 前面からはBETAの群れが迫ってきている。 生憎ここには奴らをやり過ごせるだけの空間的余裕が無い。

 残り燃料の問題から、後退して別のルートに向かうということも難しい。



「(まあ、最初はこのぐらいで十分だろう。そろそろ切り上げるか。)」



 武は覚悟を決めると、突撃砲の引き金に指を伸ばした。

 断続的な炸裂音。 空気を切り裂き劣化ウランの塊がBETAに向かって殺到する。

 2丁の突撃砲から吐き出される鉄の雨に打たれ、10以上のBETAが一瞬でその醜悪な姿をただの肉塊へと変えるが、その残骸を押し流すようにして、また新たなBETAがなだれ込む。


 ハイヴ内にて武が戦闘を避けてきた主な所以はここにある。

 対BETAの戦いにおいては何時もそうだが、ことさらハイヴ内部においてはほぼ無尽蔵というべき量のBETAが前から後ろから押し寄せて来るのだ。

 トンネル内のため見通しが悪く、しかも、なかには壁から穴を掘って出現してくるBETAもいるものだから、戦線の維持は困難を極め……いや、事実不可能だ。

 どんな大火力を持ってしても、ハイヴ内のBETA相手には意味を持たないことは、ヴォールクデータが証明している。

 火力を支えられるだけの兵站が維持できないし、なにより弾薬がいくらあっても足りないのだ。


 有体に言ってしまえば、例えば電磁投射砲のような弾薬食いの面制圧兵器は、限りなく防衛用の兵装なのである。


 まして今は単独行動。 圧倒的な火力不足で、BETAを一時的にも退けることすらできない。

 怒涛の勢いで迫る赤褐色の戦車級の群れは、さながら燃え広がる炎のようで、いくら『水鉄砲』で消火しようとしたところで、「焼け石に水」とでも言うべき状態である。


 結局接敵から4分後、突撃砲の弾が切れたと同時に武は自ら戦車級の濁流へと飛び込み、禁断のボタンに拳を叩きつけた。







――シミュレーター管制室



「それで、彼についてどう思う?」

「……。」



 武が今まさに操っているシミュレーターの様子を眺めながら眉を潜め沈黙するまりもに、夕呼は問いかける。



「――本当に、今シミュレーターに乗っているのは白銀訓練兵なのですよね?」

「ええ、そうよ。」



 困惑するまりもまりもの様子を楽しむように目を細める夕呼。



「……くそッ!!」



 そんな悲鳴にも似たような声が聞こえてきたので、何事かと夕呼が画面に視線を戻すと、今まさに大量の戦車級に飲み込まれてゆく戦術機の映像。

  ――刹那機体は純白の光に包まれ――

 数秒のタイムラグの後、耳障りな音とともに、機体が大破した旨がデータとして画面に転送された。



「58分53秒……へえ……。」



 心底面白そうに笑み崩れる夕呼。 一方で、すでにその視線は管制室のモニターではなく、手元の小型端子へと注がれていた。



「白銀。 着替えはいいからすぐに管制室まで来てくれるかしら?」

「了解しました。」



 雑音混じりにスピーカーから聞こえてくる音声。 その声は不気味なほどに「何時もどおり」で、高揚も、恐怖も、はたまた落ち込んだ様子も聞き取れない。

 それから程なく、圧縮空気の抜ける音とともに武が管制室に姿を現した。



「……神宮司教官?」



 目を丸くして入口に立ち尽くす武。 よほど驚いたのだろう、基本である敬礼することすら忘れてしまっている。

 背後で扉が自動的に閉まった音に、ようやく武は我を取り戻し姿勢を正すと敬礼をした。



「まりも、何か聞きたいこと、あるんじゃないの?」

「……はっ。」



 まりもは返事をすると、武へと向き直った。



「――あ~、白銀。 貴様は何故最初に接敵した際に交戦を避けたんだ?」

「は、香月博士からは『下を目指せ』という指示を頂いていたので、空間的余裕もありましたし、交戦するよりも前進する事を選びました。」



 武の言葉に嘘は無い。 しかもBETAを殲滅しろと命令されたわけではないのだから、彼の行った行動は正しい。


 だが、いったい何人が同じ指示を出されて、彼と同じ選択が出来るだろうか。



「……そうか。 では何故最後、後退しなかった? 別の道を探るという選択肢もあったはずだが。」

「――はい。 あの時点でほぼ推進剤が切れかかっていました。 よって後退は建設的でないと判断し、せめて同時に接触しなければならないBETAの数を極力減すため、あの場所に陣取り、BETAを迎え撃ちました。」

「ふむ、なるほど。」



 確かに、コンテナからの補給が絶望的なあの状況からして、それがとり得る中で最善の選択だろう。

 一対多数における戦いにおいて、武の言っている事にはこれといって矛盾が無い……いや、矛盾が「無さ過ぎる」。



「もうひとつ聞きたいことがある……。」

「はい、なんでしょうか?」



 まりもは躊躇するように一瞬押し黙ったが、やがて一つ息を吐くと、言葉を紡ぎだした。



「――いや、なんでもない。 ……まったく、はじめて会った時の事といい、どうやら貴様には常識というものが全く通用しないらしいな。」



 武もこれには「は、はあ。」と曖昧な返事を返すほか無かった。

 彼はごく当然の事を並べ立てたに過ぎないのだが、皮肉なことにその当たり前すぎる答えが、まりもには奇妙に映ったらしい。


 しかし、それも当然だろう。 武の語っている「当然」は、幾多の死線を潜り抜けた兵士の感覚から生まれたものだ。

 本来実戦を経験したものにしか起こらない、一種の感覚麻痺。 言い方を変えれば、武はすでに人としてどこかしら「狂って」しまっているのである。


 まりもは、そのことを薄々感じていたが、あえてそこには突っ込まず――あるいは返ってくるかもしれない答えに、まりもは恐怖していたのかもしれない――話をそらした。


 その後「シミュレーター上とはいえ、はじめてBETAと戦った感想はどうだ?」と、いったような当たり障りの無い問答が繰り返さた。

 数十分後、武はようやくまりもの質問攻めから解放され、同時に夕呼の「気まぐれ」からも開放された。







「ねえねえ、タケルちゃん。 昼間夕呼先生に呼び出されてたみたいだけど、どうしたの?」



 午後の訓練を終え、PXでの食事中に真っ先に切り出してきたのは、やはり純夏だった。

 他の面々も武の返答を待っているようだ、先ほどまでの雑談がピタリと止まり、皆目に爛々と好奇心を携え武達を見守っている。

 そらきたか、と、溜息をつく武。



「……一応軍機ってことになってるからな。 いくら純夏たちにでも、それは教えられない。」

「むう、そうなの? なら仕方ないか。」



 純夏も随分と聞き訳がよくなったものだ。

 数ヶ月前の彼女なら軍機だろうが法律だろうが関係無しに、武が口を割るか、はたまたスリッパではたかない限り、まるで5歳児のようにわめき散らしていたことだろう。

 軍隊に入ったことで大人びた……というわけではないが、少なくとも『Need to know』ぐらいは身に付いたようである。



「はあ、それにしても……武が今更何したって驚かないけど……まさか孝之が……ねえ。」



 微妙な雰囲気を変えるべく切り出した水月。 シミュレーター訓練の事を言っているのだろう。

 なんと信じられない事に、孝之は武に告ぐ好成績で今日の訓練を終えたのだ。

 彼ら2人以外はどんぐりの背比べといったような状況で、特に比べる要素も無い。 あえて言うならば、遙と純夏が何も無いところでよく転ぶぐらいである。



「なんだよ、オレだって取り得の一つや二つぐらいあるっての。」

「アンタの場合、取りえ云々以前に、努力すらしてなかったでしょうがっ!」

「んだとうッ?!」



 獣のような唸り声を上げて睨み合う2人。

 ここですぐさま取っ組み合いの喧嘩にならないあたり、彼らも少しは成長しているのだろう。

 それでも一触即発の雰囲気は拭う事が出来ず、見かねた遙が声をかけた。



「そ、そんなことないよ、水月。 ――最近は孝之君だって少しは頑張ってるんだよ?」



 彼女の一言に、空気が一瞬で氷結した。



「……すまん、涼宮。 それ、多分フォローになってないぞ。 いや、むしろ止め?」



 やや遅れて突っ込みを入れる慎二。 それを皮切りに孝之は机に「うば~」と倒れこみ、水月は腹を抱えて爆笑した。

 一方の遙は己の失言にまだ気が付いていないらしく、きょとんと首をかしげている。



「自業自得って奴だな、孝之。」



 ポン、と、孝之の肩を叩きながら言う武。

 その口元はニヤニヤと笑っている。 以前は自分が弄られ役立ったので、弄られる側の気持ちがよく分かるのだ……そして、どうやったら一番乗りやすいのかも。

 武の手を払いのけ、孝之は背中を丸めるのだった。



[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第四章 第四話 遭遇 ~Wishes never can fill a sack.~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:8b4e2465
Date: 2009/02/19 10:42


 ――97式戦術歩行高等練習機『吹雪』


 元々不知火のデータ取り用に開発された機体だが、『不知火』の量産パーツ流用を前提に再設計され、97年に正式配備となった機体である。

 ハンガー(格納庫)に新たに運び込まれた5体のそれらは、周囲に並ぶ撃震よりも随分と洗練されたイメージをキャットウォークから熱いまなざしを送っている207の訓練兵達はもちろん、機体の点検をしている整備兵らにも与えていた。


 帝国の主力戦術機『不知火』や、今年EUに配備されたばかりの『タイフーン』などの第三世代機がなかなか普及していかない背景には、もともと『新兵器』というものを好まない軍の気質に加えて、今最も各国の軍隊で普及している『F-4』系列の第一世代機に比べてあまりにも高い機動性が要因のひとつとして上げられる。

 全身を分厚い装甲で覆った第一世代機と、装甲を重要部分にのみ限定し、運動性及び機動性を重視した第三世代機では運用思想が根本から異なる。 本来なら衛士の再教育が必要なところなのだが、当然そんなことをしている余裕など、人類に在るわけが無かった。


 そしてここ日本では、第二世代機の導入という前段階を踏まずに第三世代機を導入してしまったがために、人材不足が各国の中でも特に深刻であった。

 未だ軍の主力は旧式の撃震で、肝心の最新鋭機である不知火の配備はといえば、量産体制の不備云々に加えて「肝心の衛士が乗るのを嫌がる」という嘘のような本当の理由も加わり、当初の予定よりもずいぶんと遅れてしまっているのが現状だ。 誰しもろくな慣熟訓練も受けられないまま、乗りなれない機体で戦場に出るなどゴメンこうむりたい、というわけである。


 その点、207B分隊は幸か不幸か『魔女』の指示により、他の訓練校に先駆ける形で第三世代機習熟訓練、及び新OS慣熟訓練を並行して受けさせられているため、第三世代戦術機に対する拒絶反応は無いに等しい。

 しかし一方で、どちらの訓練方法も未だセオリーが確立されたとは言い難い状態なのは、紛れも無い事実である。 実際に訓練を受けさせられている武達はもちろんのこと、一切の責任を背負わなければならない、教官であるまりもの心労も押して知るべし……といったところであろうか。


 とまあこのように、なんとも先行きが不透明な207B訓練分隊であるが、今日はどういうわけか起床ラッパも鳴る前だというのに戦術機ハンガーへと集結していた。 前日に自分たちが乗ることになる練習機が搬入されることを、まりもから知らされていたのだ。



「くぅう、かっこいいなあ。 なあ、お前もそう思うだろ?! 慎二っ!!」



 まるで子供のように目を輝かせはしゃいでいる親友に、慎二は「ああ、そうだな。」と、苦笑を浮かべつつ相槌を打った。



「……それにしてもまさか吹雪に乗れるなんて夢にも思ってなかったぜ。」

「全くそうよね。 どうせ廃棄寸前の撃震か何かだと思ってたのに。」

「うんうん、まさか去年配備されたばっかりの新型に乗れるなんて!!」

「確か吹雪って第三世代機だったよね? 私、大丈夫かなあ、やっとシミュレーターに慣れてきたばかりなのに……。」

「なーに、遙なら大丈夫だって。 何てったって、このオレですら乗れるんだからな。」



 何時ものことながら不安そうにしている遙に、孝之は若干自虐ネタを混ぜながら言い放つ。



「……そうかな?」



 孝之の励ましに、遙は少しばかり表情をやわらかくした。



「はあ、何て言うか、平和だなあ。」



 孝之が「そこは否定して欲しかったんだけど。」と、ガックリ肩を落とした姿に近親間を覚えつつ、武はふっとまぶしそうに目を細めた。



「ほーう、日本海側では未だ厳戒態勢が続いているというのに、よりにもよって平和とは……。 おまえも随分とふ抜けているようだな、白銀。」



 脇から聞こえてきたその声に、武はギクリと体を硬直させた。 遙の号令が飛び、一同はまりもの前に一列に集合する。



「楽にしていいぞ。 ……まったく、揃いも揃って物好きだな、貴様等は。」



 フッと微笑みながら「まあ気持ちが分からんでもないが。」と、付け足すまりも。 「点呼の時間までには自室前に戻ってくるように」と念を押すと、特に他に何か言うわけでもなく、すぐに踵を返してハンガーを後にした。 どうやら彼女も様子を見に来ただけだったらしい。 武は彼女の後姿に敬礼をしつつ見送った。



「まあ、どうせ戦術機に乗れるのは明日以降だろうな。」



 まりもがいなくなったのを確認して、ポツリと呟く。



「ええっ! な、なんで?」



 武の言葉に、素っ頓狂な声を出して驚く純夏。 武は純夏の方に向き直ると、仕方ないなといった口調で説明を始めた。



「たった今搬入したばかりなんだから、普通整備とかで一日以上かかるだろ。 ……ねえ? 涼宮さん。」



 武の問いに「うん、私もたぶんそうだと思う。」と相槌を打つ遙。



「そうなの? ……もう、せっかく本物に乗れると思ったのに。」

「マジかよ……。」

「そんな~……むう、楽しみにしてたのに。」



 口々に不平を漏らす水月、孝之、そして純夏。 一瞬、ほんの一瞬だが、その様子がかつて共に戦った『仲間達』の様子とダブってしまい、武はあわてて頭を振った。 そういえば、あの時は武御雷が搬入されて大騒ぎになったんだっけ? 空のハンガーを見つめながら、過去に思いをはせる武。 いつになく感傷的になっているようだ。



「(……この空気のせいか?)」



 体ごと戦術機に見入っている仲間達の様子を見て、武はふとそう思った。


 武が訓練生になってはじめて「『衛士訓練生』になったのだ」という実感を覚えたのは、訓練用とはいえ、自分達の戦術機が搬入されるのを見たあの瞬間だ。 当然ながらその光景は、強烈な印象とともに心に焼き付いている。

 そして今現在、この空間には武の認識における『かつて』と似たような空気が漂っていた――ともすればフラッシュバックが起こりやすい状況であると考えられなくも無い。



「……? どうしたの、タケルちゃん?」

「あ、ああ。 悪い純夏、オレはもうそろそろ戻るよ。」



 適当な嘘をつき、一先ずこの空間から離れようとする武。 因果流出が起きているかもしれない現状において、これ以上過去を振り返るのは危険だと、そう判断したのだ。


「え、何処か具合悪いの?」

「いや、別に。 ただ、ここでいつまでもこうしてても仕方がないだろ?」



 尚も腑に落ちない様子の純夏だったが、事情を詳しく説明するわけにもいかず、武は適当に別れの挨拶を述べると、そそくさと一人ハンガーを後にする。



「(ったく、いったいどうなってるんだ?)」



 武は宿舎へと繋がる通路を駆けながら舌打ちした。 次から次へと湧いてくる記憶に歯止めがかからない。 まるで走馬灯のように過去の出来事が頭の中をよぎってゆく。 武はいままで何度かフラッシュバックを経験したことがあったが、流石にここまでの規模のものは一度も経験したことが無かった。 脳が過負荷を受けているのか、こめかみの辺りがズキズキと痛む。


 結局、その痛みは一日中尾を引き、武はその日の訓練にあまり集中することが出来ず、まりもから何度も叱責を貰う破目になった。







 一日の訓練を終え、いつもなら雑談で盛り上がっているはずの夕食の席にも関わらず、嫌に静かで空気が重い。 だがそれも無理は無かった。 なんだかんだと話に加わっている武が、今日に限って生返事以下の返答しか返してこないのだ。

 なにやらいつになく考え込んでいる様子で、普段明るく振舞っている武の姿からは想像も出来ないほど、その姿は弱弱しい。



「……タケル、ちょっと大丈夫? 朝からずうっと元気ないみたいだけど……。」

「大丈夫です、速瀬さん。 心配しないでください。」



 やや躊躇気味に問いかけてきた水月に、武は本日何度目となるかも知れないセリフを口にした。



「武、だらか何度も言うように、そんな真っ白な顔して言われてもぜんぜん説得力がねえっての。 それに、心配して欲しくないなら、それなりの態度をとるべきなんじゃないのか?」

「ちょっと孝之! そんな言い方ないじゃない!!」

「いや、孝之の言うとおりだ。」



 孝之の突き放すような弁を水月は非難したが、慎二が直後に肯定した。



「なあ、武。 なにか悩み事があるんだったら、何も一人で抱え込まないでオレたちを頼ってくれてもいいんだぞ? こう見えても、一応おまえより年上なんだから、少しは力になってやれると思うが。」



 慎二の言葉をあり難いと感じつつも、同時に武は内心溜息を付いた。 年齢を傘にするのだとしたら、自分の実年齢は20歳をとうに超えている。

 それに加え、今度の件ばかりは全く相談のしようが無い。



「ありがとな、でも――」

「デモもストも無い!! まったく、少しは私たちを頼りなさいよ! それともなに? そんなに私たちって頼り無い?」

「――そ、そんなことないです!」

「ならキリキリ白状する。 3、2、1、ハイ。」



 怒涛のごとく詰め寄る水月。 武が答えあぐねていると、遙が見るに見かねて声をかけてきた。



「――水月、気持ちは分かるけど、強引なのはよくないよ。 誰でも、一人で悩みたいときぐらいあるんだから……ね?」

「う……。」



 遙に凄まれ、水月は罰が悪そうに引き下がった。



「……白銀君、どうしても言えないって言うんだったら、無理に聞こうとは思わない。 でも、気が変わったら、私は……私達はいつでも相談に乗るから、遠慮せずに相談してね。」



 そう言って弟をいつくしむ様な微笑みを浮かべる遙。 仲間達の心使いに、武は肩が少し軽くなったように思えた。



「――その気持ちだけで嬉しいです。 でも……たぶんこれは、オレ一人でどうにかしなくちゃいけない問題ですから。」

「そうなのか? ……まあ、ならとりあえずその湿気たツラ何とかしてくれよ。 こっちまで気が滅入っちまう。」

「た~か~ゆ~き~ッ?! アンタいい加減にしなさい! 殴るわよ!!」



 水月の怒声と共に孝之が地面と強烈な接吻をした、丁度その時だった。



「白銀訓練兵、白銀訓練兵はいますか?」



 自分の名を呼ぶ声が聞こえ、武は声のした方向に首を伸ばした。



「――ピアティフ中尉、何か御用ですか?」



 武の姿を確認すると、崩れてしまっていたブロンドの髪を直しながら、ピアティフは口を開いた。



「香月博士が呼んでいます。 着いて来てください。」

「……わかりました。 だそうだ、純夏。 悪いがオレの分の食器も片付けておいてくれないか?」

「う、うん。」

「じゃあ皆、明日の訓練、頑張ろうな!」



 武は無理やりに笑顔を浮かべて仲間にそう語りかけると、ピアティフの後に続かんと席を立つ。



「た、タケルちゃん!」

「なんだ、純夏?」

「えっと……その……無理は、しないでよね?」



 憂いに満ちた瞳で武を見つめる純夏。



「……ああ、わかってるって。」



 武は恥ずかしそうに返事をすると、今度こそPXを後にした。







 もうどれだけ歩いただろうか、ゲートを潜るごとに人通りは疎らとなり、今では自分とその前を歩くピアティフの足音のみが廊下に木霊している。 ピアティフは迷いの無い足取りで歩を進めており、その後をやや遅れて武が付いていく。


 しばらくすると、とある一室の前でピアティフは唐突に足を止めた。 どうやらここが目的地らしい。 コンコンと、彼女が部屋のドアを2回ノックをすると、中から「連れてきたのね? 入ってきなさい。」と、よく聞き覚えのある声で返事が返って来た。


 部屋は想像していたよりも一回り小さな、しかし何処か見覚えのあるような懐かしい作りをしていた。 入口正面の壁には『ALTERNATIVE 4』の垂れ幕が掲げられており、その手前に設けられたデスクには、本日武を呼び出した張本人が不敵な笑みを浮かべつつ回転イスに腰掛けていた。



「いらっしゃい、白銀。 私の研究室にようこそ。 ――ピアティフ、あなたはもういいから下がってくれるかしら?」

「……はい、わかりました。」



 夕呼に命じられると、ピアティフは命令どおり、部屋をそそくさと後にした。 結果、部屋の中に残ったのは武と夕呼の2人のみ。



「えっと……香月博士、今日は何の用ですか?」



 突然人払いをした夕呼に不気味なものを感じつつ、問いかける武。 不遜な態度だというのに、夕呼はそれを特に気にするわけでもなくその問いに答えた。



「ええ、ちょっとあなたに訊きたいことがあってね。」

「訊きたいこと……ですか?」



 夕呼は「――そ。」と短く返事をして、同時に足を組み直した。



「……ねえ、白銀。 あなた最近『夢』は見るかしら?」

「『夢』……ですか?」

「そうよ、『夢』。」



 突然何を聞かれるかと思ったら、夢は見るかだって? それを知って彼女に何の徳があるのだろうか? 武は首を捻った。



「『夢』って言われても……そりゃ勿論見ますけど、それがどうかしたんですか?」

「……ごめんなさい、聞き方が悪かったわね。 ――そう、何か『不思議な夢』は見ないかしら? 例えば記憶には無いはずなのに、やたら生々しい夢とか……。」



 瞬間、夕呼の眼光が鋭くなったのを感じ、武の背筋に冷たいものが走った。 それはまるで、「嘘をついてもお見通しよ。」と言わんばかりだ。 武は喉が一瞬で干からびたのを感じたが、決してそれを表情には出さないよう、なんとか取り繕う。



「で、どうなの?」

「……そうですね、最近よく見るような気がします。」

「それは何時頃からかしら?」

「総戦技評価演習が終わってから……戦術機の訓練が始まってからだったと思います。」



 確かに、自身の記憶について気になりだしたのはこの時期だ。 少なくとも嘘はついていない。

 夕呼は武の答えに「ふ~ん。」と返事をすると、急にその視線を緩め、デスクへと向き直った。

 武はそんな夕呼の反応にますます彼女の目的が分からなくなり、ついにはその思考を停止させる。


 カタカタと、夕呼がパソコンに何かのデータを打ち込む音だけが部屋に響く……。
 


「あの~、すみません、夕呼先生。」



 10分ほど経過した頃、武は居たたまれなくなって口を開いた。



「あら、アンタまだそこにいたの? 質問はもう終わったから、帰っていいわよ。」



 武へと視線を戻すと、夕呼は露骨に顔をしかめさせ、シッシと野良犬を追い出すように手をヒラヒラつかせた。



「そういえば先生、試験の結果まだ返してもらってないんですけど……。」

「はあ? 試験の結果? ……なにそれ?」

「ちょっと……先生、忘れたんですか? 自分で『このテストに合格できないようだったら、後期も継続して私の授業を受けさせる。』とか言っていたのに。」

「……あら、そう言えばそんなこと言ってたかしら。」



 アゴに手を当て、そんなことをのたまう夕呼。



「ここのところ忙しかったからすっかり忘れてたわ……えっと確かここら辺に……。」



 夕呼はそう言ってデスクの上に積んであった書類の山を崩し始めた。



「あったあった、はい、アンタ達の答案。 これでいいでしょ? 私は忙しいんだから、さっさと出てって頂戴。」



 夕呼から答案を受け取ると、これ以上夕呼を刺激すると薮蛇をつつくことになりかねないので、武は言われたとおり、おとなしく部屋を後にした。







「うわー、こりゃひどいな。」


 見事に真っ赤に染まった自らの答案に、武は思わず目を覆った。

 そもそも合格点に達しているのかどうかさえ怪しい己の回答。 なぜ合否を夕呼に聞き忘れてしまったのだろうと己を責る。


 間違ったところを復習する気もないのに、渡された答案をなんとなくめくってしまうのは人の性質だろう。 だが今回は場所が悪かった。 廊下を歩きながら書類を読むと言った行動は、どんな理由があるにせよ本来自粛するべきであった。


 武は答案を読むのに夢中になるあまり、曲がり角から突然現れた人影に気が付くのが致命的に遅れてしまったのだ。



――ボスン



 正面から強い衝撃を受けて、思わずよろめく武。 何事かと周囲を見渡すが、何も見当たらない。



「……ごめんなさい。」



 ひょっとしたら聞きそびれてしまいそうな、そんな小さな声が胸より下のあたりから聞こえてきた。 はてと目線を下げた武の目に入ってきたのはピコピコとまるで本物のように動く、ウサ耳のようなもの――そして、2本に結わえられた銀髪と、真っ直ぐとこちらに向けられた、クリクリと大きなグレーの瞳であった。


 突然のことに頭の中が真っ白になり、武は目を見開いて、ポカンと口をあけて呆然とその場に立ち尽くす。 しばらく『彼女』はそんな彼の間抜けた顔を、感情を写さない瞳でジッと見詰めていたが、やがてそれも見飽きたのかクルリと体を反転させると、今来たであろう道をそのままトコトコと戻っていってしまった。



「……かす……み?」



 武のかすれた声は、幸いなことに誰の耳にも届くことは無かった。 何故? 彼女は「まだ」、「ココ」にはいないハズ……。

 我を取り戻した武はすぐさま彼女の後を追おう扉に飛びついた。 だが、その扉は開かなかった。 己のカードでは、セキュリティーレベルが足りないのである。 当然、行きに武が通ってきた道も、勿論夕呼の研究室に繋がるドアも彼のセキュリティーカードでは開くはずがない。


 結局、武はピアティフが通りがかるまで、約30分ほどその空間に閉じ込められる破目となった。



[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第四章 第五話 約束 ~Outfoxing the foxes game.~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:8b4e2465
Date: 2009/02/26 11:14


 何故、何故何故何故……何故?

 武の頭の中を、その言葉だけがぐるぐると回っていた。 ピアティフに連れられて自室に戻る間も、部屋に戻ってシャワーを浴びている最中も、そして今こうして、まるで赤子のように丸くなって布団の上に転がって、無様にガタガタ震えている間も……


 ――『社霞』


 彼女の存在は、武にとって完全に想定外だった。 『イレギュラー』……本来なら「まだ」ヨコハマにはいないはずの彼女……。

 武は体中にビッシリと冷や汗を張り付かせ、凍えるような寒さに身を震わせた。 身を蝕む恐怖に。 突然目の前に広がった底なしの虚無に。


 社霞が恐ろしいのか? 否、彼女は最後のその瞬間まで共にあった戦友であり、そして武にとっては唯一の理解者とも言えるべき存在であった。

 ゆえに彼女は己にとって守るべき存在でこそあれ、畏怖の対象にはなり得ない。


 ならば武は「何に」こうまで怯え、慄いているのか?

 それは己の浅はかさであった。 軽率であった。 何度繰り返しても変わらない、傲慢さであった。



「(触らぬ神に祟りなしって、今までずっと先送りにしてきた結果がこのざまか?!)」



 恐らく『読まれていた』に違いない。 いや、確実に『読まれていた』はずだ。


 そう、自分はずっと監視されていたのだ。 そうだと仮定すれば、今までの違和感全てに説明がつく。 光州作戦、新OS、ハイヴ突入シミュレーション――今思いつく限りで、3つも大きなヒントが与えられていたにも拘らず、その可能性を「ありえない。」と切り捨てていた己に吐き気すら覚えた。


 だがそんなおり、武の混乱する思考に一つの疑問が浮かび上がった。



「(なんで、夕呼先生は歴史をなぞろうとしなかったんだ……?)」



 彼女の計画が完成する未来が『確定』しているとなれば、その未来に向かってただ突き進めばよいのではないだろうか?

 何故わざわざ歴史に介入するというリスクを、彼女は犯しているのだ……?


 灼熱に沸騰、あるいは極寒に凍っていた思考が、正常な状態へと復旧を始める。

 そうだ、何故そんなリスクを彼女は犯しているのだろうか? 因果律量子論は、彼女が提唱した理論。 歴史介入のリスクは、彼女が一番よく知っているはずだ。



「はなから歴史をなぞる気は無い……そういうことか?」



 武は無機質な天井を見つめながら呟いた。

 確かによくよく考えてみれば、「前回」のような奇跡的条件が揃う可能性など、それこそ生身で兵士級BETAと殴り合いをして打ち負かす程度の確立かもしれない。 計算高い彼女だからこそ、白銀武の知っている「可能性の低い未来」に賭けるよりも、白銀武の持っている情報を利用して「より彼女にとって都合のいい未来」を作り出そうとしているのかもしれない。


 ふっと、武は肩の荷が下りたように感じた……まだ己の安全が確約したわけでもないのに。 いや、安全どころか、おそらく00ユニット筆頭として自分と、そして純夏の名前が載ってしまっているだろう。 だが見ようによっては、BETAによって辱めを受けたり、生きたままバラバラに解体されるよりは、00ユニットになるほうが幾分マシかもしれない。

 あるいは今のうちから夕呼に取り入っておけば――


 そこまで考えて、武は口元を引きつらせた。

 全く、まさか自分が打算で動くようなことになるとは……しかも、自分の身勝手のために。 自分を助けるため、先に逝ってしまった彼女達は、今の自分を見てなんと言うだろうか?



「――ッ! しっかりしろよ、白銀武!!」



 口元が自嘲の笑みを浮かべるより先に、武は自身の心に活を入れる。 今は思いつく限りで最善だと思う道を突き進むしかない。  「もう一度」は、無いかもしれないこの世界。 せめて悔いのないようにしなければ。 この世界の人類と同様に、己もまた手段など選んでいられないのである。


 ――そして、そのためにはどんな微塵な努力も惜しんではいけない。


 武はベッドから起き上がると、机の上に紙面を広げた。







 朝、武はイスの上で目を覚ました。 ああ、あのまま寝てしまったのか。 武は寝ぼけた頭ながらも的確に現状を把握する。 ウンと背伸びをして肩を回した。 息を細く長く吐き、気分を切り替えると、続いて机の上の惨状をどうしようかと考える。


 机の上に散らばった紙くず、紙くず、そしてまた紙くず――『香月博士』に提供する情報を絞り込むため、何時間にもわたって己の知りうる内容を紙面に書きなぐり整理を試みた結果である。 ……とはいっても、整理どころか逆になにが重要で、なにがどうでもいい内容なのかがサッパリ分からなくなってしまったのだが。


 とりあえず全ての紙片をファイルに綴じ込み、ベットの下に押し込む。 安直だが、それ以上の隠し場所が考えられないのもまた事実だった。 第一、この整理すらされていない、情報の断片ともいうべき落書きを見て理解できるのは、書いた己自身か、あるいは夕呼クラスの変態ぐらいなものだろう。



「タケルちゃん、朝だよー!……って、な~んだ、今日はもう起きてたんだ。」



 ノックもせずに飛び込んできた幼馴染。 どうやら武が偶に起きている事ぐらいでは驚かなくなったらしい。 言葉の後半が少しトーンが下がる程度で、初日のように天地がひっくり返ったかのような反応は示さなかった。 その事実にちょっと物足りなく感じている己を自覚しつつ、武は何時ものように言い返す。



「おう、おはような、純夏。 ……なんか残念そうだな。」

「べ、別にそんなことないよ!」

「『私の唯一の仕事を取らないでよ!』ってとこか?」

「そうそ……え、ちょっと、タケルちゃん!! それってどういう意味ーッ?!」



 歯をむき出しにして、今にも飛び掛らんと詰め寄る純夏。 武はあいかわらず単純な奴だと思いつつ、冗談交じりに答えた。



「なにいってんだよ、おまえが出来る事って言ったら、朝オレを起こすぐらいじゃねえか。」

「ムカッ!! 人を目覚まし時計呼ばわりするなーッ!!」



 飛んできたレバーブローを真正面から受け止める。 一時期は訓練で腹筋が鍛えられた事により効果を失った純夏の必殺技であるが、それ以来純夏は何を思ったのか熱を入れて筋トレに励むようになり、今では以前より格段に凶悪なものへと進化を遂げいていた。


 ――久方ぶりの、内蔵にメリ込む感覚。 呼吸が止まり、体が衝撃で宙を舞った。



「……まさか、私との約束、忘れたんじゃないでしょうね?」



 捨て台詞を残して去ってゆく純夏の後姿を、床に突っ伏したまま見送る武。 昨日彼女と何か約束したのだろうかと首を捻るが、とんと思いつかない。 しかし約束という言葉を聞くと、どうも頭の隅に引っかかるものがあるのもまた事実……


 突然、頭の中を衝撃が貫いた。 まるで夜の闇が、朝焼けの光を受けて消え去るがごとく、心を蝕んでいた不安が消散してゆく。



「(約束? そうだ、約束だ!!)」



 武は思い出したのだ。 半年ほど前、『彼女』と結んだ約束を。

 そうだ、なぜ自分は衛士になろうとした? もし生き残るだけだったなら、わざわざ衛士にならなくとも、東北に避難すればそれで済んだ話だ。 そもそも平和な日常を生きたいだけなら、あの時『彼女』と一緒に『日常の世界』に帰ることも出来たのだ。 それを断ってまで、ここに居残り続けたわけは……?


 それは守りたかったからだ。 この手で、今度こそ守りたかったからだ。 ずっと己を支えてくれていた皆を――皆が命をかけてまで守ろうとした、この世界を。


 平和だった「あの頃」の記憶は、もはや欠片も残っていない。 『香月博士』には、自分の正体がばれてしまったかもしれない。 だがそれがどうした? 例え記憶がなくとも、己には今という時間が有るじゃないか。 正体がばれたところで、己は確かに今、ここに存在しているじゃないか。

 自分が生きているのは、過去でも未来でもなく、今という時間。 その時間を守るために、自分は弱きものの盾となろうときめたんじゃないか。


――『別に世界がどうとか、国がどうとか、そんなことは、もうどうでも良い。 隣に立つ仲間たちを守りたい。 ただそれだけだ。』


 あの夜の決意は変わらない。 世界は『夕呼先生』や『珠瀬国連事務次官』、『鎧衣課長』、『榊首相』、そして『煌武院殿下』に任せておけばきっと大丈夫だろう。 第一、衛士である自分が政治に首を突っ込むのはお門違いだし、危険だ。 己の戦場は、宮中ではない。 真に己が刃を振るうべきはそう、BETAのいる場所だ。 この国の、この世界の民を、そして仲間達を守るために己は戦うのである。


 絶対に諦めない。 こんどこそ守り抜いてみせる、現在という時を。 そして人類だれしもが明日を信じることができる、そんな世界を作る。

 それが彼女との――自分が『最も愛したモノ』との約束なのだから……。







 結局、武は純夏との本当の約束がなんだったのか思い出すことは叶わなかった。 というのも、朝の点呼直後に再び夕呼に呼び出され、仲間に心配そうな目で見送られながら研究室へとピアティフに連行されてしまったのである。



「さて、今日はちょっとあなたに紹介しておきたい子がいてね。」



 回転イスを揺らしつつ、夕呼は武に語りかける。



「ほら、入ってらっしゃい。」



 夕呼の言葉と共に、扉が開いて一人の少女が入ってきた。 武は「やはり。」と思いつつ、「いよいよ正念場か。」と、腹をくくる。



「この子は社霞。 こう見えてもあんたなんかよりずっと頭がいいのよ?」

「……はじめまして、社霞……です。」



 相変わらずの無表情で武の顔を覗き込む霞。 だが武はそれに動じることもなく、その吸い込まれそうな灰色の瞳をジット見つめ返す。


 互いに無言。 武はやがてふっと微笑むと、右手を霞に向かって差し出しながらやさしく語りかけた。



「はじめまして。 オレの名前は白銀武。」



 話しかけられてもなお、しばらく霞はじっと武の顔を見つめていた。

 やがておずおずと、霞がその小さな右手を武の手に添えるように差し出すと、武は添えられた彼女の手を優しく包みこみ、静かに上下に振った。



「握手……ですか?」

「そう、握手だ。」



 武はニッコリとわらって、霞の頭をやや乱暴にクシャクシャと撫でる。 されるがままに頭を撫でられていた霞だったが、突然、ビクリと震えると、武を上目使いに見上げた。



「……私の事、『知って』るんですね……。」



 表情こそあまり変わらないが、どこか怯えているような雰囲気を全身からにじみ出している霞。 武はそんな彼女を安心させるよう、今度は頭を優しく撫でながら、ゆっくりと告げた。



「――ああ、オレは霞のことを『知って』いる。」



 それだけ言葉を交わすと、2人は再びお互いだまって見つめあう。 もう霞の表情から怯えの色は見えなかった。



「――さて、お互い自己紹介も済んだところで、本題に入っていいかしら?」



 完全に2人の世界に入ってしまった武達に業を煮やしたらしい、若干不機嫌そうな表情で夕呼は言った。



「……えっ? あ、はい。」



 夕呼の問いかけにすばやく頷く武。



「あなたの見た夢のことだけど……詳しく話してくれないかしら?」



 ああ、ついにこの時が来たか。 武は静かに息を吸い、脈打つ鼓動を鎮めにかかった。



「えっと……話すにしてもとても長くなりますし、整理もあまり出来ていないんですけど……?」

「そう、じゃあ私の質問に『YES』か『NO』で答えてくれればいいわ。」



 つまり、夕呼の確認したいことは、ある程度特定されているということだろう。 武は迷わず「わかりました。」と返事をした。 『YES or  NO』での応答ならば、全て洗いざらい話すよりも薮蛇をつつくような真似をする確立が格段に下がるため、武にとってもまさしく『渡りに船』の提案だったのだ。



「じゃあ、まず一つ目。 あなたの見た夢は、今より数年後の『この世界』の夢じゃないかしら?」



 何を聞いてくるかと思えば、いきなり本質から迫ってきたことに内心動揺する武。 極力顔には出さないように注意しつつ、返事を返す。 

 実際のところ、霞が傍らに控えている以上、ポーカーフェイスもまったく意味を成さないのであるが。



「……YES……だと思います。」

「そう、なら『ヴァルキリーズ』の名前は聞いたことあるかしら?」



 A-01でなく、ヴァルキリーズときたか……。 おそらく、先日の発言を受けてのことだろう。



「YES。」



 武ははっきりと答えた。



「ひょっとして、あなたも一員だったの?」



 『あなたも一員だったの?』――続けざまに問われた時、武は真に確信した。 彼女は自分がいったい『誰であるか』を知っている。 恐らく『夢』がいったいなにを指すのかも、彼女はわかっているのだろう。

 何せこの現象を立証する理論は、彼女自身が作った理論なのだ。 彼女に判らないはずがない。



「――YES。」

「そう、わかったわ。」



 夕呼はしばらく武の顔をジッと見つめ、何かを考え込んでいる様子だったが、しばらくしてコーヒーモドキをひとくち口に含むと、急にとんでもないことをのたまい始めた。
 


「白銀武。 一週間社を貸してあげるから、新OSを絶対に完成させなさい。 これは命令よ。」



 あまりにも突拍子もない命令に、武は思わず夕呼の正気を疑った。



「……そ、そんな?! オレはただの訓練兵――」

「『ただの』訓練兵ねえ、どの口でそんなことを言ってるんだか……?」

「――っ!」



 武はゴクリと喉を鳴らした。 背中に嫌な汗が伝う。



「……はあ。 ったく面倒くさい。 ねえ、そろそろ茶番は終わりにしない? もうあなたも疲れたでしょう。 ちょうどいい頃合だし、どう?」



 夕呼はそう言ってすうっと目を細めさせた。 恐らくココで返答を誤れば、己は勿論のこと純夏もどうなるか分からない。


 手札を相手に見せながらのポーカー……勝負は始まる前から決まっていた。



「……そうですね。 そろそろ頃合でしょう。」



 ここに呼び出されたときから、正確には『社霞』に会ったその時から、武の覚悟は決まっていた。



「オレは――オレは未来から来ました。」

「……。」



 武の突拍子もない発言を受けてもなお、夕呼は平然としている。

 真っ直ぐ向けられた視線。 恐らく品定めされているのだろう。 武は真っ直ぐと夕呼の目を見つめ返し、己が体験したことを、最初から最後まで夕呼に説明した。


 ――『平和』な世界から、この『狂った』世界に飛ばされてきたこと――不審者として捕まっていたところを夕呼に助けられ、訓練兵として迎えられたこと――仲間たちとの出会い、そして辛くも充実した訓練生活――11月11日の新潟BETA上陸――南島での総戦技評価演習――戦術機の訓練で、いままでダメ訓練兵だった自分が皆を「アッ」と驚かせるような機動を編み出したこと――それが『平和』な世界でのゲームから発想を得た機動であること ――SSTO落下事件――天元山事件――そして12月24日、クリスマスイヴに、オルタネイティヴ4が破棄されたこと。



「オルタネイティヴ4が破棄?」



 12月24日の話をした際に、ようやく夕呼がリアクションを見せた。



「はい、何も成果を残せなかったため、オルタネイティヴ4は破棄され、予備計画だったオルタネイティヴ5がそのまま発動されました。」

「『何も成果を残せなかった』、ね。 ……それにしても『クリスマス・イヴ』ねえ。 ふんっ、まったくクリスマスプレゼントのつもりかしら?」



 随分と落ち着いた様子で返事する夕呼。 時間的余裕も精神的余裕も十分なためだろう。 武は思った。 『前』の世界ではこれを話したとたん、掴みかかってくるような勢いで詰問されたものである。 武はさらに話しを続けた。


 世界の終焉(これは何故か記憶にあまり残っていない)――目覚めると『振り出し』に戻っていた自分――世界を変えようと足掻き、実際いくつかの歴史を変えたこと――その結果、思いもしなかったような事態……帝国軍の将軍親政派によるクーデターが発生したこと――00ユニットの理論回収、完成と、その犠牲――佐渡島作戦――人類のデータの流出、そしてその流出元が00ユニットであったこと――横浜基地防衛戦――人類の総力を集めて行われた、桜花作戦。



「『オリジナルハイヴ』は、確かに破壊しました。 その際虎の子の00ユニットと凄乃皇四型は失われましたが、夕呼先生によると、人類はあと30年は戦えるようになったそうです。」



 武はそう言って話を締めくくった。 そんな武の顔を、夕呼はつまらないものを見るかのような冷たい目線で見つめている。



「ふ~ん、よく出来てるけど、ハッキリ言ってバカの見た夢みたいな内容ね。 あなた、作り話の才能あるんじゃない? 作家にでもなったら?」



 夕呼は口元に嘲笑を浮かべながら、にべもなく言い切った。 だが、その程度の反応は、武の想定の範囲内だ。



「信じてもらえないことは判っています。 なんて言ったって何も証拠がないんですから。」

「オルタネイティヴ5を知っていることや、社霞の『存在』。 私の研究――00ユニットの目指す所を知っていることは、証拠にならない――と?」



 夕呼の問いかけに、武は頭を振った。



「それは、『現在』でも知りうる情報です。 オレが未来から来たという証明にはなりえません。 知っている人は、もちろん限られるでしょうが、オレの話に信憑性を持たせるために誰かが吹き込んだんだろう、と、言われてしまえば、それを否定する材料を、残念ながらオレは一切持っていません。 信じるも信じないも、夕呼先生次第です。」

「ふん、一応、身の程は判っているということかしら? ……だから今まで周りにも、そして私にも黙ってきたってことね? おおよそ、喋る気になったのはそこに居る社に会ったから、といったところかしら? 社の能力を使ってもらえば、少なくとも嘘をついていないことは立証できるものね。」



 武は夕呼の言葉に「加えて、『事実』を隠し通せる見込みがなくなりますから。」と、付け足す。



「ふ~ん。」



 気の無さそうな返事をする夕呼。 だが次の瞬間、それまでの雰囲気が一変した。



「――50点! と、言いたいところだけど、特別に60点あげるわ。」



 「ギリギリ及第点ね。」と、付け足す夕呼。 突然雰囲気をガラリと変え、口元にはいつもの不敵な笑みを浮かべている。 武は彼女の豹変振りについていけず、「――はあ?」と、間抜けな声を漏らす以外どうしようもない。



「残念だけど――アンタはアンタ自身の思っているような存在じゃないわ。」



 口元は笑ったまま、夕呼は言った。

 しかしその目は、人を嘲るような、見るものを不快にさせる視線だ。



「え――?」



 先ほどからろくな言葉を吐き出さない己の口に嫌気を覚えながら、武は散漫になりかけた意識を再構築し、夕呼の一挙一動に細心の注意を向ける。



「言っておくけど、聞いたら答えが返ってくるとは思わないこと――でもそうね、せっかく『正直に』話してくれたごほうびに、何か一つぐらいヒントはあげようかしら?」



 そう言ってまた意地の悪い笑みを浮かべる夕呼。 もしかしたら己を混乱させるためのブラフを口にしているのかもしれないが、それは杞憂だろう。

 というのも、今更武に精神的揺さぶりをかけるメリットが、夕呼にはないのである。 すでに武は自白剤を飲まされたようなものなのだ。 いや、精神が朦朧となる自白剤よりも、よっぽど信憑性のある言付けがとれるのだから、自白剤よりもずっと強力である。

 霞の存在は、それほどまでに決定的なアドバンテージを夕呼に与えているのだ。



「まず『根底』を疑ってみることね。」

「『根底』、ですか?」

「『根底』が何かなんて聞くんじゃないわよ。 まあ、とりあえず 『根底』を疑うことは、科学者にとってとっても大切なことよ。 ――あなたもさっき、私にそう言っていたでしょ?」



 「正直、耳が痛かったわ。」と苦笑する夕呼。

 00ユニット……正確には00ユニットの中核部分となる量子伝導脳の開発を夕呼は行っているのだが、実は研究の『根底』が間違っていたのだ。 どう間違っていたのかは門外漢である武にはさっぱりわからなかったが、理論を回収して1週間もたたないうちに現物を完成させたということは、技術的には今すぐにでも実現可能で、しかしその発想がないために開発が進んでいなかったのだろうということは推測できた。



「それじゃあ、00ユニットの理論は――」

「待ちなさいっ! ……そんなこと、あなたに教えると思う?」

「――すみません、つい口が滑りました。」



 夕呼の鋭い視線に晒され、武は某諜報部員にならいとっさに謝った。



「そうねえ、もしも80点以上の答えを持ってきたなら、その時はもっといい事を教えてあげるわ。 ――それで、さっきの返事は?」

「……えっと、さっき?」



 首を傾げる武に、夕呼は「OSの開発のことよ!」と声を荒げた。 話がいきなり戻りすぎだが、武にそれを指摘する余力は残っていなかった。



「了解……しました。 でも一体何をどうすればいいんですか?」

「まあ、OSを完成させるといっても、雛形はほとんど完成してるから、あとはあなたの機動を叩き込むだけでいいわ。 この程度のことが一週間で出来ないって言うんだったら、あなたはもうこの基地では用なしよ。 まりもにもこのことは伝えてあるから、今後一週間はOSの完成を最優先に行動しなさい。 なんなら訓練には出なくてもいいわよ。」



 ――『だって、あなたには必要ないでしょう?』 言葉には出していないものの、夕呼の目は武にそう語りかけていた。



「それじゃあ、もう帰っていいわよ。 っと、また忘れるところだったわね。 コレ、あんたの新しいセキュリティーカード。 これで昨日みたいなことにはならないから安心なさい。」

「あ、ありがとうございます。」

「どういたしまして――くれぐれも私の期待、裏切らないで頂戴ね?」



 渡されたセキュリティードは、ほんの数グラムにも満たないはずなのに、武にはそれが訓練で使う鉄アレイよりも重く感じられるのであった。







「おまえら、何やってるんだ?」


 翌日、朝起きた武の第一声である。 目の前で見詰め合う赤と白。 お互い無言で、にらみ合っている。



 ――今日も朝から一波乱起きそうだ。




[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第四章 第六話 珍客 ~It is an ill wind that blows nobody any good.~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:8b4e2465
Date: 2010/08/28 22:05
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 たっぷりにらみ合うこと数分たった頃だろうか、少女達は一斉に武のほうを振り向くと



「タケルちゃん、朝だよ。」

「……白銀さん、起きてください。」



 と同時に言葉を発した。

 いや、もう起きているんですけど、と突っ込みそうになるのを必死に堪えた武の口から出てきたのは、



「……え?」



 という、酷く間抜けた声だった。



「それで、え~っと、タケルちゃん。 覚悟はい~い?」



 なにやらものすごくイイ笑顔で微笑みかけてくる純夏。 未だ現状が良く把握できていない武だったが、己の命運が付きかけていることだけは何とか理解できた。 必死に弁解の言葉を口にしようとするも、寝起きの頭で現状が正確に理解できるはずもなく――



「は、話せばわかる!!」

「タケルちゃんの、バカーーーーーッ!!」



 ひどくありきたりな問答の末、武は早朝の空に輝く星となった。







「え~っと、純夏?」

「……。」



 PXへの道すがら、武は何かと純夏に話しかけているものの、朝の一件以降、彼女は一言も武と口をきいていない。 純夏がこういった反応をするときは、相当怒っているか、ひどく寝不足かのどちらかである。 そして今回は間違いなく前者であろう。

 純夏が怒るのもまた無理がない。 いつものごとく武を起こそうと、意気揚々と乗り込んだ先には既に先客がおり、しかも――それがどこから見ても小~中学生としか思えないほど小さな、色白の少女だったのだ。

 そんな彼女の心情を的確に表した一言が、ついに彼女の口から発せられた。



「タケルちゃんのロリコン、サイテー。」



 何か汚らわしいものを見るような目で、武を見下しながらそう言った純夏。

 武が二言を次ぐまもなく、純夏は言い放つとずんずんと廊下を進んでゆく。 武はショックでしばし思考が停止した。



 数分後、何とか純夏の発言による精神的ダメージから回復し、PXへと来てみたものの、朝のPXは相変わらずの盛況で、見渡す限りの人、人、人……。

 どう見ても空いている席などありそうにない。



「こりゃ今日は立ち食いかな?」



 思わずぼやく武。



「……白銀さん、こっちです。」



 武が途方にくれていると、PXの喧騒の中、鈴の音の鳴るような声がどこからか聞こえてきた。

 驚いて辺りを見回すと、今朝の少女――社霞が、競争率の激しい窓際の席に陣取ってこちらを見つめていた。



「……霞?」

「……隣、空いてます。」



 武の為にと確保していたのだろうか? この混雑するPXの中で、霞の隣の席は奇跡的にも空席だった。



「おう、サンキューな、霞!」



 武が霞の好意に甘えてイスに座ろうとした途端、妙な圧迫感が彼を襲い、彼は思わず動きを止めた。



「……どうしましたか?」



 怪訝そうな顔で尋ねる霞。 どういうことか、彼女にはこの圧迫感が感じられていないらしい。 ウサギを思わせる容姿とあいまって、小首を傾げるその姿はなんとも可愛らしかった。



「え~っと、オレ座ってもいいんだよな?」



 武はひしひしと感じる圧迫感に怯えつつ、霞に確認を取る。 コクリ、と、霞が頷いたのを確認し、武は今度こそ席についた。

 先にも増して圧迫感が強くなってきている。 辺りを見回すも、圧迫感の発生源が全く分からない。



「え~っと、じゃあオレ飯取ってくるから、霞はここで席見張っててくれな。」

「(コクリ)……わかりました。」



 武は圧迫感から逃れるように席を立った。 それと同時に圧迫感も急速に引いてゆく。 一体なんだったのだろうかと疑問に思いつつ、武はPXで2人分の食事を手に席へと戻った。



「ほら、霞。 今日は合成鯨の竜田揚げ定食だったぞ。」



 そう言って武が席につくと、再び……今度は先ほどより強烈な圧迫感が武を襲う。 武にしてみれば、まるで毒ヘビか何かに睨まれているような気分だ。



「鯨の竜田揚げ……サバの味噌煮じゃないですか。」



 一方でマイペースにも残念そうに呟く霞。



「霞は竜田揚げ、苦手なのか?」

「……違います。」



 霞の返答に「ハテ?」と首を傾げる武。



「え? じゃあなんで? ……あ、いや、答えにくいんだったらいいんだけどさ。」

「…………ごめん、なさい。」



 和やかな会話が進む中、もはや殺気すら感じさせるまでに巨大化した圧迫感に内心冷や汗が止まらない武。

 何とか自身の緊張を霞には気づかれまいと細心の注意を払いつつも――とは言ってもリーディングされてしまえばそれまでなのだが――背中をダラダラと流れる冷汗だけはどうしようもない。



「あ、いや、別にオレは気にしてないから。 ってかオレの方こそへんな事聞いてゴメンな。 おっと、もうそろそろ飯食い始めないと訓練に遅れちまうな。」



 焦りもあり、矢継ぎ早に自分の用件を並べる武。



「……そうですね。」



 端的に言葉を返したと同時に、霞の持つ箸が武のトレイへと伸ばされる。 ちょうど掴みやすい位置にあった竜田揚げを一つひょいと持ち上げ自身のトレイへと移動させる霞。

 霞の突然の行動に、武は目を瞬かせた。

 霞は武から掠め取った竜田揚げを自身の口に運ぶわけでもなく、ただジッと見つめている。 何か考え事をしているようだが……。 刹那、武を悪寒が襲った。


 ――確か前にもこんなことがあったような……



「ど、どうしたんだ、霞。 竜田揚げの1個や2個別にかまわないけど……。」

「……あ~ん。」


 武の悪寒は的中した。 霞が口走った瞬間、PX内の温度が急激に下がったように、武には感じられた。 懐かしくも強烈な圧迫感が武を襲う。

 ――ああ、そうだ、この空気だ。 武は思った。 なんとも懐かしいこの空気。 まるで『昔』に返ってきたみたいじゃないか。



「……あ~ん。」



 武が現実逃避をしている間にも、口元に迫る竜田揚げと小さな手。  武の口から竜田揚げまでの距離と反比例するように膨れ上がる殺気。

 このままでは息が出来ない。 酸欠で死んでしまう。



「え~っと、霞?」

「……ダメですか?」



 シュンとして上目遣いで武を見上げる霞。 これは正直反則だろう、と、武は唸った。 竜田揚げは、もはやトレイに戻り、PXに満ち溢れていた殺気は急速に引いていく。

 しかし、今度は代わりに猛烈な罪悪感が武を襲っていた。 霞のこんなに悲しそうな顔は見たことが無い。 そのつぶらな瞳からは、今にも涙が溢れ出しそうだ……。



「い、いや、そうじゃないけどさ。」



 罪悪感に負け、武はついに言いつくろった。



「……あ~ん。」



 霞は返答を聞くなり元の表情に戻って、再び武に竜田揚げを食べさせようと、箸を突き出した。 同時に再び勢いを取り戻す殺気。

 まさに前門の虎、後門の狼。 背中は汗でぐっしょりとぬれ、ベトベトと服が張り付いて気持ち悪い。 孝之に勝るとも劣らない己のヘタレさを呪うも、そんな事をしたところで状況が改善されるはずが無い。 武は覚悟を決めた。


 ――え~い!南無三。


 差し出された竜田揚げに食らいつく。 瞬間、今度こそPX内が凍結した。



「……おいしいですか?」

「お、おいしいぞ。 霞も食べてみたらどうだ?」



 「ごめんなさい、全く味など分かりません。」等と言えるはずも無い。 武はやっぱりヘタレだった。 しかし、その答えを聞いて霞はなんとなく嬉しそうにしている。 一方で武はなんとなく生命の危機を感じていた。



「……あ~ん。」

「あ、あ~ん。」



 四方八方から武一人に迫る殺気。 まるで導火線であるかの如く急速に『命の蝋燭』が燃え尽きてゆくのを感じながら、もくもくと武は食事を続けた。







 シュミレータールームに入室した武を出迎えたのは、仲間達のニヤニヤとした――若干嫉妬と殺気混じりの――笑みだった。 特に純夏のそれはステキすぎて、絶対に目を合わせたくない。



「……す、純夏、どうしたんだ?」



 それでも、口をきかないわけにはいかないだろう。 爆発するのを座して待つよりは、と、恐る恐る声をかける武。



「え? 何? タケルちゃん。」



 不気味な笑みを貼り付けたまま純夏は返事をした。



「い、いや、今朝よりずいぶん機嫌いいみてえだけど……何かいいことでもあったのか?」

「……へ~、タケルちゃんにはそう見えるんだ、へ~。」



 純夏の笑みは崩れない。 崩れないからこそ怖い。 普段なら言葉を発するより先に手が出る純粋だからこそ、手をプルプルとさせながらも、自制心で押さえてるとしか思えない姿が、武には恐ろしかった。 



「まったく、武の奴もすみに置けないよなあ。 まさかガイジンの娘に手を出すなんてさ……。」

「そうそう、しかも『アーン』なんて……。」



 武を睨みながら、「オレだってまだだってのに。」と呟いた孝之。 どうやら遙との関係は、そこまで進展していないらしい。



「慎二!? それに孝之まで……!!」



 事の一部始終を観察されていたらしい。 もしや食堂で感じた殺気の正体はこいつらだろうか? 男の嫉妬とは、なんとも情けない。 男2人に裏切られることとなった武は、救いを求めて水月達の方を振り向く。



「た~け~る~? 『アーン』なんて、随分ラブラブだったみたいだけど……」



 そこには地獄の閻魔がいた。 普段これほどの殺気を浴びていながらよく孝之は耐えていられるものである、と、初めて向けられる水月の殺気に、奇妙な感慨を抱く武。



「いつ、どこで彼女と知り合ったのかしら? ちょっと私に教えてよ。 3、2、1、ハイ。」

「霞とは一昨日、夕呼先生の研究室前で会ったばかりですっ! ついでに霞とは速瀬さんの考えてるような仲じゃありません!」



 武は水月に必死に訴えたが、朝食の風景を見られてしまっている手前、『ただの知り合い』だと納得してもらえるわけがない。

 当然、孝之は日ごろの仕返しとばかりに、武を冷やかしにかかった。



「へえ、あの娘の名前、霞っていうのか。 それにしても武、たった2日で落とすとは……さすがだな。」

「だから誤解だって……。」



 この手のことではいくら反論しても無駄なことは重々わかっていたが、霞の名誉のためにも、そこだけはハッキリとしておかねばならなかった。 それでも女性陣にはまったく通じていないらしく、純夏の笑みはより壮絶に、水月の目は爛々と輝きを増してしまう。



「いや、でもあの娘ちょっとちいさすぎやしなかったか? ……ひょっとしておまえ――!!」

「お前たち! いつまでグダグダと無駄口を叩いているつもりだ?! 訓練開始時間は、とっくに過ぎているぞ!!」



 慎二のとっておきの爆弾発言が不発に終わり、変わってまりもの怒声が轟いた。 振り向けば、いつのまにやら水月や遙、純夏たちは男陣をほっぽらかして、自分達だけちゃっかりとまりもの前に整列している。

 どうせ罰は分隊単位で科せられるのだから、嫌がらせにはならないんじゃないだろうか? と、疑問に思わないわけではないが、そんなことを突っ込んでいる時間は無さそうだ。 まりもの第二声が発せられる前に、武達は慌ててまりもの前に整列した。



「さて、白銀訓練兵。 今回の騒ぎは『また』お前が発端なのか?」

「はっ! 申し訳ありません、神宮司教官。」



 名指しされ、とっさに謝る武。 そんな彼の様子に、まりもは不機嫌そうに鼻を鳴らした。



「総戦技演習を乗り越えたからといって調子に乗るんじゃない! 戦術機訓練では、毎年怪我人が出ているんだぞ!!」



 まりもの言うことは誇張でもなく事実だ。 現に、みちる――武達の一期上の先輩――の代では、不幸なことにも死者が1人出ている。

 その事故にまつわる逸話『まりも狂犬伝説』は、ここ白稜基地において知る人ぞ知る物語であるが、それはまた別の話……。



「白銀を除いた207B分隊は、本日より実機による訓練を開始する。 各々09:30までにハンガーに移動した後、指示があるまで待機せよ。 ――白銀、貴様は罰として以後1週間シミュレーター訓練だ。」



 まりもは武に向かって言い放った。 彼女の指示に、ざわめきこそしないものの、一斉に武のほうをみやる207B一同。 特に一緒に騒いでいた孝之、慎二などは面食らった顔をしていた。



「す、すみません神宮司教官!」

「なんだ、速瀬?」

「その、白銀訓練兵に対する罰はあまりに理不尽ではないでしょうか? もう少し何とか――」

「速瀬訓練兵、それは貴様らB分隊全員に同じ罰を下すべき、と、そういうことか?」



 冷たい声で水月の言葉を遮るまりも。 水月はそれ以上の言葉を紡ぐことが出来ず、「――いいえ。」と悔しそうに呟いた。



「他に、何か意見のあるものはいるか?」



 まりもはそう言って207B隊員達を見下ろした。 まりもに威圧されたためか、はたまた仲間に累が及ぶことを警戒したためか、それ以上手が上がることは無かった。



「それでは、戦術機格納庫1階に移動するぞ。 白銀、貴様はしばらくそこで反省していろ。」



 まりもの号令と共に移動を始める207B部隊。 仲間達の申し訳なさそうな視線に、武は苦笑して返した。


 仲間たちが扉の向こうに消えていったのを完全に見送ると、武はほっと溜息をつく。 まったく、あの人も趣味が悪い。 武はクスクスと1人笑うと、さも当然そうに口を開いた。



「そこにいるんでしょう、香月博士。」

「あら、なんだ。 わかってたの? ……それにしては、まりもがココに入ってきたのにも気がつかずに、バカ騒ぎしていたみたいだけど?」



 そう言って夕呼はニヤリと笑った。 まりもによる先ほどの命令には、間違いなく彼女が一枚噛んでいるのだろう。 武は思った。 確かに最近緩み気味であった訓練兵小隊の雰囲気を引き締める手段として、少し厳しい罰を下すのは有効かもしれないが、それを加味しても今回の罰は行き過ぎ――というよりも、時間と金の無駄遣いである。 最初からOS調整期間中は、自分を通常の訓練から外す予定だったと考えていいだろう。

 実機にいつバグで落ちるかもわからないβ版OSを積んで動かすなど、色々な意味で恐ろしくて考えたくも無い。



「……ま、そんな事はどうでもいいわ。 それじゃあ、早速データを取らせてもらいましょうか。」

「あの、余計なお世話かもしれないですけど、『仕事』のほうはいいんですか? あと3年あるとは言え、そこまで余裕があるとは思えませんが……。」



 武の問いに、夕呼は「これも立派な『仕事』の内よ。」と、断言する。



「どうも、どこぞの頭が固い連中を納得させるためには、数式よりも目に見えた分かりやすい『成果』の方がいいみたいだからね。」



 どうやら光州作戦での『実戦証明』結果が、夕呼の想像以上に効果的だったようである。



「でも、なにも夕呼先生がわざわざココまで来る必要は……」

「……そんなに私がいると迷惑かしら?」

「いえ、そんなことは無いですけど――。」

「ならウダウダ言ってないでさっさとはじめるわよ。 ピアティフ、管制をお願い。 社は私と送られてくるデータの解析よ。」

「……はい。」



 突然背後から聞こえてきた霞の声に、思わず飛び上がる武。 まったく気がつけなかったのだ。 どんなに霞の気配が薄いとは言え、こんなに接近されて気がつけないのは兵士として失格じゃないだろうか? どうやら、自分は本格的に警戒心が薄いのかもしれない。 2人の後姿を呆然と見送りつつ、武は己の不甲斐なさに、肩を落とした。



「白銀、なにぼーっとしてんのよ。 時間は有限なのよ、さっさとシュミレーターに乗んなさい。」



 夕呼にせかされ慌ててシミュレーターに搭乗する武。



 シミュレーターが音を立てて起動する。 網膜に投影される風景は、どこまでも続く草木の一本も無い平らな大地。

 本来なら自然界においてありえないはずの風景だが、実は『この世界』における陸地のおよそ半分が、今武の目に投影されているような『何も無い荒地』の状態になっている。

 BETAの侵略を受けた大地は、動物はもちろん、草木の一本も残らず、山も川もその痕跡すら残さず平らに整地されてしまうのだ。 何を目的にBETAがそんなことをしているのかは解らないが、命の欠片も感じさせないこの大地が今なお広がりつつあることは紛れもなく現実である。


 とまあ散々前置きはしたものの、このステージ選択にはこれと言って含むところは無い。 ただの偶然である。


 シミュレーターが始まると、武はわざと激しい機動をしてデータの蓄積を図った。 BETAとBETAの間を縫うように進み、突撃砲で周囲の敵を薙ぎ払う。


 要塞級――確認されているBETA種の中でも最大級の巨体を誇り、スズメバチの胴体に、羽の変わりにハルキゲニア(古生代カンブリア紀前期-中期の海に生息していた動物)を2体くっつけたような不気味な化け物。 ピンポイントで関節を狙わなければダメージをほとんど与えられない厄介な奴。 たまに小型種を運んでくることもあり、尾節から繰り出すカギ状の触手による攻撃は、掠っただけでも飛び散る強酸によって機体が深刻なダメージを受ける――の股の下を潜り抜けるといったふざけた機動は、新OS導入によって始めて可能になったものだ。

 というのも、旧来のOSでは地面付近で機体が仰向けになると、強制的に姿勢が直立状態に補正されてしまうのである。


 想定外の激しく奇怪な挙動――主に連続コンボと強引なキャンセル――によって吐き出される細かなバグは、夕呼らによってすぐさまその場で修正される。 それでも、いきなりには思い通りには動かないもので、幾度と無く転倒し、そのたびに武はシミュレーターの中で激しくシェイクされた。



「あんた、無茶な機動するわねえ。」



 次々に吐き出されるバグにいいかげん嫌気が差してきたのか、はたまた目の前で猛烈に揺れているシミュレーターを見て呆れたのか、ウンザリした表情で武に話しかける夕呼。 その目は「その機動、実際の戦闘で本当に使えるの?」とでも言いたげだ。



「ただの曲芸に見えるかもしれませんけど、BETAの多いハイヴ内や、乱戦時にはかなり効果的なんですよ。」



 武は夕呼の質問に答えるため一旦機動を停止してから返事をした。 うっかり高速機動中に口でも開いたものなら、舌を噛み切ってしまうのだ。



「ついでにオレの機動を持ってすれば、平地でもレーザー種に撃たれる事なく単機での陽動が可能です。 というか、今やってます。」



 自らの経験を踏まえて説明する武。 夕呼は訝しげに膨大なデータの流れる画面から、BETAの分布に関するログの示されたモニターに目を移す。


 まるでアリの行列のさなかに飴玉でも放り込んだかのように、武機を中心としてBETAが群がっている。

 一概には言えないが、ただ突撃砲を撃ち放していただけではココまでBETAをひきつけることは出来ないだろう。



「フン、面白いじゃないの。」



 夕呼は不気味に笑った。



「じゃあせっかくだったら高難易度のハイヴ戦データでもする……?」

「……ええ! む、無理ですってば!!」

「そうかしら? 物は試しって言うじゃない。」



 武に彼女の提案を退ける権限などあるはずが無かった。 視界が暗転し、変わって青白く光る洞窟の光景が、すぐさま網膜に映し出される。



「ヴォールクデータ起動。 地上陽動成功率10%、兵站維持率――」



 管制を勤めるピアティフは、忠実に夕呼の要望に答えたようである。 なんとも仕事が速い。 無常に流れるアナウンスに、武は心で涙した。



 何十万というBETAの蠢くBETAの巣の中に放り込まれ、しかも撃墜されるたびに強制リトライをかけられ続ける――正直トラウマものだ。

 これほどまでに『ある意味で』過酷かつ無意味なシミュレーションは、ハイブ攻略戦前にも行われないだろう。



 3時間後、途中休憩を挟みつつもほとんどぶっ続けでデータ採集を続けた結果、さしもの武も激しい機動と精神力の消耗で完全に弱ってしまっていた。

 武のその顔色は、まるで漂白剤を入れた洗濯機で3時間ほど回したTシャツのように真っ白である。



 武はその後すぐさま医務室に運び込まれ、人生で初めてスコポラミンを処方され、同時に己の限界を悟ったのだった。





[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第四章 第七話 和解 ~Cloudy mornings turn to clear afternoons.~( 重大ミス発覚のため修正
Name: 重金属◆cf1e341a ID:8b4e2465
Date: 2009/03/15 08:23
 重大ミス発覚のため修正あげ

 12・10→12・5

 クーデターとBETA襲撃事件の日付を取り違えてしまいました。
 指摘してくださった璃音さんに感謝

―――




 ――地獄のデータ取りが始まって3日ほど経ったある日の早朝


 その日、武は連日の激しい戦術機操作に伴う激しい疲労に、ぐっすりとベッドで眠りこけていた。

 煎餅とはいえ、暖かな布団のぬくもりは殺伐とした軍隊生活のなかでも数少ない癒しの一つである。


 武はもとより朝は苦手な性質の持ち主であったが、それは軍隊という規則に雁字搦めにされた組織に入ってもなお変わることがなかった。

 というのも、誰かが必ずギリギリで彼の事を起こしてくれたからだ。

 人間に限らず生命は本来必要を感じなければ進歩しない、ワガママなものなのかもしれない。



「タケルちゃ~ん、朝だよ~~~~。」



 朝になり、いつものごとく純夏が武を起こしにかかる。 が、しかし、武は身じろぎ一つしない。

 起こしてもらっている身分で何様だと思うかもしれないが、ちょっと待って欲しい。 現在の時刻は、起床約1時間前である。


 しかし、純夏はそんな事情などお構いなく、目の前の青年を起こすべく、武の体を強く揺さぶった。 それでも武は呻き声を上げるばかりでなかなか目を覚まさない。

 当然のことながら、それほどまでに気が長くはない純夏の笑顔は、時間が経つにつれ段々と引きつっていった。



「いい加減目を覚まさないと……」



 握りこぶが振り上げられ――そして「――レバッ!!」という、お決まりの掛け声とともに、武の鳩尾へと問答無用で振り下ろされた。



「――ッ!! なんだなんだ?!」



 突然の衝撃、そして鈍痛に、さしもの武も一発で目を覚ます。 慌しくベッドから飛び起きたものの、純夏と目が合ったとたん「――なんだ純夏か。」と、武は落ち着きを取り戻した。



「……いったいどうしたんだ? こんな時間に。」



 不機嫌そうに尋ねかける武。 腹に響く鈍痛の原因も、長年の経験でおおよそ見当がついていた。



「え? だからタケルちゃんを起こしに来たんだよ。」



 武の質問に、あっけらかんと純夏は答えた。 そんな彼女に、「……いや、まだ起床30分前だぞ。」と、時計を指差しつつ、武は問い直す。



「早起きは三文の徳!!」



 純夏はにこやかに答えた。

 武は彼女のまぶしい笑顔に思わず目が眩みながらも、その頭に恨みを込めた一発をお見舞いした。



「アイタッ!なにすんのさ!!」

「おまえなぁ、こっちは連日のシミュレーター訓練でへとへとなんだっ!!」



 夕呼による「嫌がらせ」は日に日にエスカレート……とまではいかなくとも、少なくともデータ取りの範疇を超えていた。 武が連日利用していたシミュレーターが部品の磨耗で故障してしまい、昨日から解体修理を行っているという事からも過酷さの片鱗がうかがえるだろう。



「何言ってるのさっ!! そんなこと言うんだったら、私なんて実機で毎日走り回ってるんだよ?!」

「いや、そうは言ってもだなあ。」

「もう、そんなこと言ってタケルちゃん昨日も寝坊しかけたじゃん。 神宮司教官に反省期間延ばされたらどうするのさ!!」



 純夏はそう言って頬を膨らませる。

 なるほど、どうやら純夏なりに武のことを心配しての行動だったらしい。 武は純夏がただ己の安眠を妨げに来たのではないことを理解し、少し顔を綻ばせた。


 確かに、本来なら純夏の言い分の方が正しいのである。 シミュレーター訓練よりも実機によるソレのほうが体に負担がかかるのが当然だ……そう、本来ならば。 Gによるプレッシャーや、実機でしか味わえない独特の緊張感などがその主たる原因である。

 しかし同時に、実機での訓練ではそこまで過激なことが出来ないという欠点を持っている。 なんと言っても戦術機は、戦時体制下で量産化されているため、かなり低価格に抑えられているにもかかわらず、1機何十億、何百億とかかる超高級機械である。 シミュレーターも十分高価な機材だが、戦術機の比ではない。

 たかが訓練で貴重な戦術機の部品を食い潰してしまったのでは申し訳が立たないし、何より衛士訓練兵の命が足りない。 下手な運転をして事故死してしまったのでは、もうどうしようもないのだ。 加えて、BETAとの模擬演習はシミュレーター上でしか行えない。 例えば日頃『罰ゲーム』的な要領で武がやらされているハイヴ内戦闘訓練などは、シミュレーター上でしか今のところ再現のしようがないのである。


 ただし、今それを武が純夏に説明したとして、彼女には半分も理解できないだろう。 なにせ武を除く207隊員は、ハイヴ内戦闘訓練どころか、未だシミュレーターの上でさえBETAと戦ったことがないのである。



 戦術機の操作に慣れる為とは言え、最初に行われるのが『対戦術機戦闘訓練』だということに武は疑問を感じざるをえない。

 BETA戦争が終わった後、戦術機を人類同士の戦争でも使う気なのだろうか? はっきり言ってナンセンスだ。 厳しい激戦を――そして無茶苦茶な設定のシミュレーターを――潜り抜けてきたからこそわかる。 戦術機の火力も、装甲も、機動力でさえ正直過信できない。


 支援砲撃が実質無力化され、加えて戦術機の十八番たる機動戦闘が制限された状況下での防衛戦――横浜基地防衛戦による、事実上の『敗北』は記憶に新しい。


 現在、陸上戦において戦術機の役目は、光線級の排除と対BETA用の『囮』である。 高性能なコンピューターを積み、空を飛び、しかも人が乗っている……まさに囮として最高の素質を持っているのだ。 戦術機自体もその優れた機動性から『光線級』に対抗できる数少ない人類戦力ではあるが、ことさら間引き作戦において期待される役目は『囮』としてBETAの侵攻ルートを絞り、釘付けにすることである。

 戦術機は戦域展開能力と突破力こそ人類の保有する対BETA戦力のうち最大であるが、火力に関しては実のところそうでもない。 「BETAの数を減らす」という一点においては、火砲部隊の面制圧能力ほど頼りになるものはないだろう。


 もちろん、戦場において「前線の維持」という最も重要な役割を果たしているのは戦術機であることには間違いない。 しかし、支援火力の不足もまた即戦線の崩壊に繋がるのである。


 戦術機にも限界がある――武は連日のシミュレーターで、ソレを理解せざるをえなかったのだ。


 そもそも、戦術機は火砲による面制圧が不可能なハイヴ内戦闘、そして『光線級』の支配する空域において、航空機の役割を肩代わりする目的で開発された兵器なのだから、BETA戦争が終わり、航空機が復活してしまえば、無用の長物になってしまうであろう事は明白なのである。

 さらに言えば戦術機の装甲には機関砲でさえ有効なのだから、極論、例えばスティンガーなどの個人携行地対空火器でも「撃墜は可能」かもしれない。


 ――などと、武が一人悶々と考え込んでいると、突然、ドアが静かに開き、小さな影が部屋の中に入ってきた。



「……!!」



 武と目が合ったとたん、カーライトで照らされたシカのように固まってしまう彼女。



「あれ、霞ちゃん? どうしたの?」



 純夏が彼女、社霞の存在に気がつき、声をかけた。 無言で見つめあう純夏と霞。 何故だかは武にはわからなかったが、空気が緊迫している。

 先に目を逸らしたのは霞だった。 霞は一言も発さずにその場で回れ右をすると、そのまま部屋から飛び出さんとした。



「あ、霞ちょっとまった!!」



 何か呼び止めなくてはならないような気がして、とっさに呼び止める武――しかし、呼び止めたタイミングがまずかった。 『ガツンッ』と凄まじい音を立ててドアと激突する霞。 かなり痛そうな音である。 うめき声を上げ、打ち付けた額をゴシゴシ拭う霞。 額は摩擦で擦り剥けてさらに真っ赤になってしまった。



「ご、ごめん霞。 あ~っと……そういう時は、『あが~っ』って言うといいぞ。」



 なんと声をかけるべきか迷った挙句、武の口から出てきたのはそんな言葉だった。



「あが~~っ!」



 武に言われたとおり、「あが~~っ」と悲鳴を上げる霞。 純夏は突然の出来事にしばらく唖然としていたようだったが、我に帰るとドアのところで立ち尽くす霞の元へと駆けて行った。



「だ、だ、大丈夫!?」



 霞をぎゅっと抱きしめながら、尋ねる純夏。 突然のことに霞は驚いて目をウサギのように丸くしている。 そして霞みを抱きしめたまま、純夏は武をギンと睨みつけた。



「タケルちゃん、ヒドイよ!! 霞ちゃんをこんな目に合わすなんて!!!」

「う、わ、悪い。」



 純夏の凄まじい剣幕にたじろぐ武。



「私じゃなくて霞ちゃんに謝って!!」

「霞、ごめんな、突然声かけて……。」

「心がこもってない!!もう一回!!」

「うぐっ……、ご、ごめんなさい。」



 頭を下げたままで霞の様子を確認する。



「うっ……グスッ……えっ……。」



 小さなしゃくりあげるような声が聞こえてきた。 一瞬状況の判断に困る武。 ……もしかして、泣いていらっしゃるのだろうか?



「か、霞!? お、おま、おま!」

「あ~~~!! 霞ちゃん泣かせた~~~!!」



 純夏は、「今度こそ勘弁ならない!」と、拳を振りかぶった。



「ま、待ってくれ純夏!! これは何かの間違――」

「食らえっ!!!」



 ここのところ連日だなぁ。 迫ってくる拳を前にふと武はそんな事を考えた。



「レッドアイ!!」



 武は今日も今日とて早朝の空に輝く星となった。



 しばらくして、目を覚した武の目に映ったのは、彼のベットに腰をかけて2人仲良さそうに話をしている霞と純夏の姿であった。

 もちろん武は冷たい床に放置である。

 この世の不条理を嘆きつつ、ふと時計に目をやり、武は顔を一気に引きつらせた。


 ――点呼5分前。



「ぬわぁあああ!!」

「……!!(ビクッ)」

「うわっ、タケルちゃんどうしたの!? いきなりそんな大声なんて出して……。」

「どうしたじゃない、点呼5分前だぞ!!」

「えっ!? う、嘘!?」

「純夏さん、嘘じゃありません。 点呼4分27秒前です。」



 霞がありがたくも詳細なところまで報告をしてくれた。



「あ~~~!! とにかく、オレは着替えなきゃならんから2人とも出てってくれ!!」



 武は2人の背中を押して出口へ追いやると、部屋の扉を強引に閉める。 そうした後で、ふと武は疑問に思う。 普通こういうことって女が男に対してやることなのじゃないだろうか? と。

 ……いや、今そんなことを考えるのはよそう。 とにかく一刻も早く『ドリルミルキイパンチ』の影響で散らかってしまった部屋を復元しなければ。







「それでさ~、霞ちゃん。その時タケルちゃんったらね~。」

「……(コクコク)。」



 仲間と合流して後、朝食の席でも純夏は仲間そっちのけで霞と仲良くおしゃべり中。 傍から見るとまるで姉妹みたいだ。 やはりこの2人の相性は、生まれながらに良いらしい。



「タケルちゃん、なにニヤニヤしながらこっち見てるのさ!」

「ん? いや、なんだかお前たちってまるで姉妹みたいだな~って思ってな。」



 特に言い訳するでもなく、武はただ思ったことをそのまま呟いた。



「……姉妹……ですか?」



 そう言うと霞が複雑そうな顔をしてうつむいてしまう。 その様子を見て武はハッとした。 そうだった、霞の『姉妹』達は……。



「もう、タケルちゃん! なに言ってんのさ!! あ、そう言えば霞ちゃんにお兄ちゃんとか、お姉ちゃんっているの?」

「ばっ……純夏!!」



 一番恐れていたことを純夏はさらりと言ってしまった。



「……たくさん、いました。」



 霞は何処かさびしげに言った。 なんとなくニュアンスが伝わったのか、純夏も言葉を失ってしまう。

 気がつけば純夏とは別の話題で談笑を続けていた水月達も、話を止めて微妙な雰囲気となったこちらの様子を伺っているようである。

 ……しまった、余計な一言でまた場の雰囲気を壊してしまった。 武がどうやってフォローを入れようか悩んでいると、純夏が突然口を開いた。



「へぇ~、そうなんだ。 私、一人っ子だったから、そういうのちょっと憧れるなぁ。」

「……そうですか?」

「そうだよ!」



 霞はキョトンと首をかしげる。 純夏はその仕草に笑って返した。



「霞ちゃん、何か困ったことがあったら私に言ってね! 純夏おねえちゃんが絶っ対に力になってあげるから!!」



 ……そういえば、コイツ誕生日が来るたびに自分のこと『純夏おねえちゃん』って呼ばせようとしてたっけ? はるかかなたの記憶を、懐かしく振り返る武。



「…………(コクリ)」



 やがて戸惑い気味に頷いた霞の表情に、さびしげな様子は見えない。 武はひとまず安心してほっと一息ついた。



「純夏がおねえちゃん、か……。 ならオレは孝之お兄ちゃんだな。」

「……『お兄ちゃん』?」



 調子に乗って、突然脇から便乗してきた孝之。 少からず危なげな要素の混じった彼の発言に、慎二は思わず一歩孝之から距離を取った。



「な、なんだよ。 悪いかよ!!」



 憤慨しつつ、慎二ではなく水月を睨む孝之。 水月もまた慎二と同じように――いや、もっと大げさに孝之から距離を取っていた。



「いや、だって、ねえ、遙?」



 水月は表情を強張らせつつ、遙に話題を振った。 いきなり話を振られた遙は慌てるでもなく、ただはっきりと言い切る。



「ダメだよ、孝之くん。 『お兄ちゃん』だなんて。」

「そ、そうか?」



 膨れっ面の遙に戸惑う孝之を傍目に、水月と慎二は同調するように「うんうん。」と、頷く。



「だって……まだ私たち自己紹介もしてないんだよ?」



 何かが微妙にずれているにもかかわらず核心を突いた一言に、周囲から「あ。」という、なんとも間抜けな声が漏れ出た。


 ――207B分隊は、今日も今日とて平和である。


 武が微妙に黄昏た表情で霞のほうを見ると、彼女は武がこの世界で始めてみるだろう笑みを、口元に小さく浮かべていた。







 武が訓練から外れて1週間後。


 ついに部隊へと復帰する日を翌日に控えたこの日の朝、まだ起こされてもいないのに、武は布団の中で悶々としていた。

 何でこんなことになってしまったのだろうか。 武は己に問いかけた。 何を間違えたらこんなことになってしまったのだろうか、と。



『6対1』



 まったく、いったい何の冗談だろうか。 武は研究室でほくそえんでいるだろう夕呼を思って、深く長く溜息をついた。 こともあろうに彼女は、



――『実機でのテストついでに模擬戦でもしたらどう? ……207B訓練兵小隊と。』



 などと要求してきたのである。

 しかも、自分の抜けた穴は撃震に乗った『神宮司軍曹』が埋めるらしい。


 彼女の実力の高さは、普段の教導の様子、そして何よりも、12・5事件での奮戦の様子から容易に想像できる。

 彼女はあの米国の最新鋭機、『ラプター』を相手に互角以上に戦ったクーデター部隊の『不知火』を相手に、訓練兵というお荷物を抱えた状態で、しかも2世代前の旧式機たる『撃震』を操って退けたのである。 言い過ぎかもしれないが、これはジェット戦闘機にゼロ戦で喧嘩を売って勝ってしまったようなものなのだ。

 恐らく、戦術機を操る『技量』だけで言えば己など足元にも及ばないだろう。


 いよいよ明日の朝日が拝めるか、不安になってきた武であった。







[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第五章 第一話 戦術 ~Forewarned is forearmed.~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:8b4e2465
Date: 2009/04/02 15:28
 ―――「アンタは顔が割れてるから先に吹雪ん中入って待ってなさい。」


 夕呼が一方的に言い放ち、有無を言わせぬ間に武を狭苦しい戦術機コクピット内に放り込んでからかれこれ30分。 武は演習場で暇をもてあましていた。 まだ時間もあるし、もう一度頭の中で対戦相手に関するデータの整理でもするとしよう。 暗い天井を見上げながら、武は何度目とも知れない情報整理に取り掛かった。


 207B分隊。 いわずと知れた、己の所属する訓練兵分隊である。

 特に注意が必要な訓練兵は、まず将来の『突撃前衛01』――ストームバンガード1――としての才能の芽が芽吹きはじめている水月だ。 データで見る限り、現状では彼女が恐らく207では最強の訓練兵だろう。 戦域把握能力、作戦立案能力、部隊統率能力ともに及第点以上だ。

 孝之は意外なことに、1対1での勝負では水月に勝るとも劣らない技量を持つものの、状況判断が甘いためか孤立しがちなようである。 当然、戦術機の操縦ではこちらに1日の長があるため、はっきり言ってこういったタイプは『脅威』ではない。

 むしろ厄介なのは、戦況把握能力と作戦立案能力に優れた遙のようなタイプだ。 こちらはたった一人。 的確な部隊運用をなされれば、動きの自由を奪われ、窮地に追い込まれかねないだろう。

 後の連中はデータで見る限り平凡レベルに毛が生えた程度にすぎない。 どのポジションでもそつなくこなすだろうが、逆に言えばこれといって長所がない。

 最も警戒しなくてはならない『神宮司軍曹』は、迎撃後衛として訓練兵達の尻拭いをするのがセオリーだが、遊撃部隊として一人突っ込んでくる可能性も十分ありうる。


 包囲されればこちらの負け。 当然真正面から殴り合っても数に勝てるはずが無い。 敵をかく乱し、敵に状況を把握させる間も無く各個撃破して早期に決着を図るしか勝機は無い。


 武がそう結論を導き出したそのタイミングを見計らったかのように鳴り響くコール音。 管制からだ。



「<おまたせ、白銀。 訓練兵達の準備がようやく出来たわ。 そろそろ模擬戦を開始するわよ。>」

「了解。」



 どうやら準備が整ったらしい。 武は夕呼に短く返事を返すと、操縦桿を握り締め、自らを軽い緊張状態へと誘った。



「<あ~そうそう。 白銀、アンタ一応OSの開発関係者って向こうには伝えてあるから。>」

「――へ?」

「<まりもったら随分と張り切ってたわよ~。 そいつの鼻をへし折ってやるって。>」



 度重なる衝撃発言。 画面の向こうでケラケラと笑う夕呼に、武は階級差こそ忘れなかったものの、久しぶりに食って掛かった。



「……香月博士、いったい神宮司教官になんて言ったんですか? っていうか、オレ、先生の気に障るようなことなんかしました?!」

「<何? ひょっとして怖気づいたの? 情けないわね~。>」

「そうじゃなくて――」



 自分が負けたらいったいどうするつもりなんだ――? そう言いかけて武は言葉をつぐんだ。

 OSの開発関係者が――仮に6対1とはいえ――訓練生ごときに敗れたとなっては、新OSに対する信頼に影響してくることぐらい、夕呼にもわかっているはずである。

 そこをあえて任せてくれているのだから……見方によっては、その程度には腕を信頼されていると捕らえることもできるのではないだろうか?



「……わかりました。 とりあえずそれぐらいには信頼されているととっておきます。」

「<あらそ。 まあご自由にして頂戴。 それじゃあ、そろそろ演習始まるから回線切るわよ。>」



 夕呼の顔が移されたウィンドウが消えたのを見送り、武はほっと溜息をつく。 さて、久しぶりのCOM以外との戦闘。 己はどこまでやれるだろうか?


 唐突に機体の電源が入り、主機の発する微妙な振動が体を揺らした。 網膜に演習場の風景が映し出されるそれとほぼ時を同じくして、演習の開始を告げるピアティフ中尉の声が耳に届く。


 6対1の変則マッチ。 207B分隊が全滅するか、己の機体が打ち落とされるかした時点で演習終了。 また、光線級を想定した装置が演習場のそこらかしこに設置されており、一定以上の高度を取る戦術機に向けて微弱なレーザー光が当てられる。 対レーザー塗膜の許容範囲を超える時間、照射を受け続けると、撃墜判定が下る。


 ――まあ、ようは数の差が絶望的な以外はいつもどおりの演習である。


 武は所定の配置に移動を完了すると、急いでマップに目を走らせ、敵の出方を予想した。


 数でごり押し、という手もあるが、ここは恐らく障害物の多い中央での交戦を避け、演習場端の平地に己を誘い込み、最小限の被害で倒そうと試みてくることだろう。


 武は見当をつけると、経験からすぐさま砲撃支援機が潜んでいそうな場所と、待ち伏せが予想される地点の予測を立てた。



「さて、お手並み拝見といきますか。」



 興奮からか、いつになく好戦的なセリフを一人ごちる武。

 武は一気にペダルを踏み込むと、大通りを超低空の匍匐飛行で突っ切った。 着地による振動と、レーダーによる補足の両方を防ぐためだ。 音によりばれる可能性もあるが、普通外部集音マイクの電源は落とされているためその心配はほとんど無い。 ――さもなければ、自らの放つ突撃砲の作動音で耳があっという間にやられてしまうのだ。


 ちなみにこの超低空の匍匐飛行も新OSの賜物である。 今飛んでいるのは、本来なら自動姿勢制御装置が作動して機体が自動的に直立してしまうような高度なのだが、その行動を『キャンセル』しているのである。


 目標のエリアに差し掛かる。 反転ブースト。 強制姿勢制御2回。 ビルを蹴って一気にT字路を曲がりきった。



「まずは一機!!」



 恐らくレーダーにも振動センサーにも反応がなかったので接近に気が付かなかったのだろう。 大通りにボーっと突っ立っていた吹雪1機に銃口を向ける。 ロックオン警報でようやくこちらに気がついたようだが、もう遅い。 両腕の突撃砲で弾幕を張り、蜂の巣にする。 追い抜きざまに駄目押しとばかりに120mmをコクピット近辺に叩き込んだ。


 崩れ落ちる吹雪を尻目に匍匐飛行のまま通り過ぎ、次の目標へと向かう。 先の要領でビルの合間を縫って飛行し、発見した機体を背後から急襲、無力化した。 装備の特徴からして、敵の砲撃支援機のうちの1機だろう。


 と、いきなり上空に現れた2機が突撃砲を乱射してきた。 慌ててビルの陰に身を潜める。 先ほどまで立っていた道路を、高速で飛来してきた模擬弾が薙ぎ払う。

 さらに追い討ちをかけるように警報が鳴り、上空を見上げると数秒の時間差で上空から小型ミサイルが殺到してきた。 回避するまでもなくミサイルは周辺のビルに吸い込まれてゆき、はじけとんだ塗料がこちらに向けて降り注いでくる。

 鼻から今の攻撃を直接当てるつもりなどなかったようだ。 実戦では多少破片を被ったところでどうということは無いが、今は演習中である。 浴びれば被弾判定が下る。 恐らく、周囲にペンキの雨を降らすことで己をビル郡から燻り出そうという作戦だろう。


 誰の案かは知らないが、即席にしてはまったく恐れ入る。


 感心している間にもビルの壁がペンキでカラフルに染まりあがった。 うかうかしていると己の機体まで超近代的なモニュメントモドキにされてしまいそうである。



 「後もう2人は削って起きたかったんだけどなぁ……。」



 悔しそうに、しかし思いもしなかった展開からか、口元に獰猛な笑みを浮かべながら武はつぶやいた。


 覚悟を決め、上空へと身を躍らせる。 やはり敵は待ち伏せしていたようだ。 飛び出すと両側面下方から無数の36mmが機体に迫ってきた。 同時にレーザーの照射を知らせるアラームも鳴り響く。

 しかしそんなことは予想済みだ。 予め入力しておいたコンボどおりに、戦術機は空中で無理やり上半身を逸らし、ブーストを噴射。 あくまで対BETA用の甘いFCS(火器管制装置)に助けられ、全弾回避に成功した。 お礼とばかりに36mmを薙ぐように放いつつ、噴射跳躍装置を逆噴射して地面に強制着陸する。


 音声からして、回避が遅れた1機を小破させることに成功したようだ。 撃破した機体は、ちらりと確認した装備の特徴から言って先ほどミサイルをばら撒いてきた制圧支援機……だろうか?


 考える余裕もなく、再び上空からミサイルが殺到してきた。 どうやら制圧支援機はあの1機だけではなかったらしい。 ミサイルがビルに直撃し、再びインクの雨が降る。


 武はすぐさま大通りを脱出し、敵からひとまず距離を置くことにした。







 このままだといずれ敵に戦場の主導権を握られてしまう。 いや、先のやり取りでもう握られてしまったかもしれない。 武は歯噛みした。 しかし、ここで焦って突撃をするのは下策だ。 口惜しいが、ここは地味にかく乱作戦を続けるしかない。


 次の目標は迎撃後衛。 両翼のうち一方でも潰してしまえれば、敵の脅威度は格段に下がる。 しかしそれは恐らく相手も予測しているはずだ。 両翼は部隊の司令塔である。 最低ドッグファイト、または生き残り全員を相手にした混戦にもつれ込むことも覚悟しておかなければならないだろう。


 いや、混戦に持ち込めればいいほうだ。 混戦になれば、敵は数の有利は生かしづらくなる。 特にこの演習場のような障害物のやたら多い地形となるとそれは顕著だ。 いくら数を揃えたところでお互いがお互いの射界をジャマするため、実戦力は2~3機だけとなってしまうのである。


 そんな事を考えていると、完全にこちらの姿を見失ったのか敵がブーストジャンプによる挑発を始めた。



「チッ、舐めやがって。」



 逸る気持ちを抑えて冷静にあたりを索敵する。 恐らく何処かでまた己を待ち伏せしているはずだ。 ……と、背後で微弱な振動が起こった。 戦場で培った勘が警報を鳴らす。 武はすぐさま反転して銃を向けた。


 そこには長刀を振りかぶり、今にも振り下ろさんとする撃震の姿。 


 慌てて後ろに飛ぶも、右手の突撃砲がはじき落とされてしまう。 どうやら、ロックオン警報で感づかれることを防ぐため、わざわざFCSを切って必殺の位置まで接近してきていたらしい。


 それにしても、さすがは神宮司教官だ。 撃震の無骨なデザインと相まってか、感じるプレッシャーが他の機体にくらべ段違いすぎる。



「今度は待ち伏せじゃなくて囮かよ!」



 自分の位置がばれていないと高を括っていたのがまずかった。 レーダーを確認すると先ほど武を挑発していた2機まで真っ直ぐこちらに向かって来ていた。 このままだと迫ってくる2機と挟撃されてアウト。 どちらかを抜いて行くしかあるまい。 武は迷わず迫ってくる2機に向かって跳躍した。


 下方から放たれたチェーンガンの弾丸が迫る。 小刻みに機動を繰り返し、高層ビルを盾にしてそれを回避しつつ、迫ってくる2機を36mmの弾幕で阻勢。 怖気づいて完全に動きが鈍ったところを狙い撃った。


 撃破を音声で確認する前に噴射装置を下げ、180度反転を試みる。 ところが、武の予想以上に機体は機敏に反応し、結局空中で1回転してしまった。 気を取り直してもう一回。 反転を確認した武は強引にキャンセルを実行し、一気にアフターバーナーを全開にした。


 Gが普通の6倍にまで跳ね上がり、目の前が一瞬真っ赤に染まりかける。


 ブンブンと頭を振って意識を保ち、正面を睨みつける。 目の前には空中で無防備になった撃震の姿。


 突撃砲の引き金を引く。 高速で吐き出される鉄の塊。


 ところが、数十発撃ったところで、なんとリロードが始まってしまった。 予備弾装まで残弾数に表示されていることをド忘れしていたようだ。 阻勢に弾丸を大盤振る舞いしすぎたのか、いつの間にかカートリッジが空になっていた。


 結局、お互い焦って何も出来ないまま通り過ぎる。


 ひとまず地面に着地。 背部マウントから長刀を取り出し、右手に装備する。

 吹雪は、一体どこにいるのだろうか? 武はレーダーに目を走らせる。 まずそれを何とかしてからでないと、『神宮司教官』の撃震相手は荷が重い。


 ……探すまでもなかった。 レーダーがブーストジャンプでサイドから突撃してくる2機を発見。 背後からは神宮司教官の撃震が迫ってきている。 どうやら数の有利があるうちに押し切る作戦に切り替えたようだ。 


 武は一番手薄そうな前方に躍り出る。 四方八方から迫る鉄の雨を辛うじて凌ぎながら、ノンストップで前進。 なんとか包囲を脱出したかと思ったその時だった。


 急に視界が開け、眼下に町の風景が広がった。 どうやらビル郡の外までおびき出されてしまったらしい。 武はまんまと敵の作戦に嵌められたことを自覚しつつ、迎え撃つべく広場の中央に向かって跳躍した。


 ちょうど広場の真ん中には、機能停止したのか吹雪が地面に横たわっていた。 はて、何でこんな所に? 背筋を走る悪寒にとっさに回避行動をとるも間に合わず、36mmが左腕を直撃。 仕返しに右腕に持っていた長刀で応戦、ヘッドユニットに破壊判定を下し、今度こそ無力化した。


 同時に、後方から高速でこちらに飛んでくる機体をレーダーが捉える。 機能停止判定された左腕が取り落とした突撃砲を右手に持ち変えつつ確認。

 2機は盾を前面に装備し、36mmを闇雲に乱射しながら突っ込んでくる。 心もとなくなってきた噴進剤の残量を気にしつつも高速機動で回避。 36mmでは弾かれてしまうため、HEAT弾設定の120mmで反撃。


 しかし遠距離では短砲身のためなかなか当たらない上に、リアクティヴアーマー補正で1撃で判定が下りない。 盾を破壊したころには随分近くまで詰められてしまったが、それでも冷静に36mmを急所を狙って叩き込む。


 何とか2機共撃破、と、崩れ落ちる2機の陰からもう1機が飛び出してくる。 撃震だ。


 両手で長刀を握り、上空から切り込んでくる。 再び再装填に入った突撃砲を放りだし、こちらも長刀を構えた。


 ――凄まじい金属音が鳴り響き、長刀が交差する――


 撃震の体重を上乗せした重い一撃を受け流しきれず、右肘から紫電が飛び散った。 多少流したとはいえ、受け止めた衝撃に耐え切れず、右腕が『本当』に中破してしまったようだ。


 刃が潰されていたとはいえ、あんなものを打ち込んでくるとは……。 思わず殺意を疑いたくなるような一撃だ。


 再び長刀を振り上げる撃震。 この右腕の状態では、流石にもう一撃防ぐ事は不可能。


 ……次の瞬間には勝負がついていた。


 網膜いっぱいに映し出されるは『YOU WIN』の文字。 武は全身の力を抜くと、ほっとひとつため息をつき、シートに身をうずめるのだった。







 撃震切りかかってきたあの瞬間、武は避けるのではなく、あえて撃震に体当たりを食らわせた。 旧OS設定だったのか、まりもがまだキャンセルを使いこなせていなかったのかは定かでないが、とりあえず硬直した撃震に倒れこみながら長刀で『突き』を放つ。


 撃震は機体大破どころか、乗っていたまりもには戦死判定が下り、その衝撃で武の吹雪は右腕が完全に捥げてしまった。


 はっきり言って、無様な勝ち方である。



「<207訓練兵部隊の皆さん、お疲れ様です。>」



 模擬戦終了――と、同時にピアティフ中尉から通信が入った。



「<これにて模擬戦を終了します。 207小隊は格納庫規定の位置に戦術機を収容後、座学教室に移動してください。 教室にて今回の戦闘データを配布後、講義が行われます。 また、試作OS搭載機に登場中の衛士は別命あるまでその場で待機していてください。>」



 通信が終了する。


 このままでは神宮司教官の撃震を下敷きにしたままなので、とりあえず機体を立ち上がたせようとする武。 だが転んびかたが相当まずかったらしく、左腕まで動作不良となり起き上がれない。 武はあわてて夕呼にコールを入れた。



「<――なに?>」



 不機嫌そうな顔で通信に出る夕呼。



「すみません、機体が中破してどうにも動けません。」

「<……はあ、アンタねえ、さっきの戦い見てたけどもうちょっとスマートな勝ち方できなかったの? まったく、戦術機もただじゃないことぐらい、アンタもわかってるはずでしょ?>」



 それを指摘されるとさすがに頭を下げざるをえない。 武は「申し訳ありませんでした。」と、頭を垂れた。



「(そう言えば、前にもこういうことあったよな……。)」



 実を言うと、武は実戦以外で戦術機をダメにしたことが1度ある。 ただ、そのときは武ともう一人、彼のかけがえのない戦友の内の一人である『御剣冥夜』も一緒だった。


 たった1人の老婆を助けるために、高価な吹雪を2機もジャンクにしてしまう……。 今考えてみれば、軍人としておろかな行動以外の何物でもなかった。


 それでも武は、己の信念を通した冥夜は立派だったと、そう思っている。 彼女は覚悟を持っていた。 自分の信念のために、自らの命を懸ける覚悟を。


 そして、あの事件を思い出すたびに、武は己に問いかけるのだ――今の自分に、その覚悟があるだろうか? と。



「<人を呼び出しておいていきなり黙らないでくれないかしら?>」



 通信機越しに響いてくる刺々しい声。



「――っ! す、すません。」

「<まあこっちでも大体様子はわかってるわ。 機体には後で回収班を回すから、アンタはさっさとベイルアウトしちゃいなさい。>」



 評価されるどころか、機体を1機ジャンクにして今回の功績は『パー』といったところかもしれない。 夕呼のあからさまに不機嫌な態度に、肩を落とす武。



「あ、そういえば神宮司教官はどうするんですか? 下敷きになってるんですけど。」



 武の疑問はその後すぐに解決されることとなった。 答えは簡単――問答無用で振り落とされたのである。





[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第五章 第二話 経験 ~Experience is the father of wisdom.~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:8b4e2465
Date: 2010/08/22 00:52

 いつぞやのようにテープで固定された吹雪。
そのひしゃげた両腕は、見るからに痛々しい。

 また派手にやってしまったものだ、と、武は夕日をバックにたそがれた。



「白銀さん、お疲れ様です。」

「おう、霞。わざわざ迎えに来てくれたのか?」



 霞はコクリと頷き、「香月博士が待ってます。」と、ありがたくない一言を付け足した。



「……そ、そうか。 なら、急いだ方がよさそうだな。」



 もう一度無残な姿になった戦術機を見やりながら、額に汗を流す武。
やがて気を取り直し、霞と頷き合うと、2人連れ立って演習場をあとにした。







「まったく、条件を『機体に傷つけないで勝利』にしておくべきだったかしら。 結局あの吹雪、部品取り用に回されるらしいわよ。」

「――すみません。」



 武はぺこりと頭を下げる。
さすがに何百億とする『高価なオモチャ』を破壊したとなれば、どんな言い訳も意味を成さないであろう。



「それに……アンタ、本気出さなかったでしょ?」



 ボソリと呟く夕呼。



「……え? 今なんて?」

「――ま、過ぎた事を今更どうのこうの言っても仕方がないわ。 アナタには今後の働きで埋め合わせをしてもらうことにするわ。」



 サラリと述べられた夕呼の言葉に、表情筋を引きつらせる武。
霞はそんな彼の顔を気の毒そうに見上げた。



「さて、明日からはアナタも原隊復帰するわけだけど……どうする?」

「どうするって、何をですか?」

「ナニって、アンタが今日の演習の仮想敵だったことをバラすかどうかに決まってるじゃない。」

「……えっ!? そ、そんなのオレに聞くまでもなく、黙っておくべきでしょう?!」



 夕呼の問いに、武は驚いて素っ頓狂な声を上げる。



「あら、なぜかしら? それで何か不都合でもあるの?」

「――いや、そう言われると……。」



 改めて問い返されると、確かにこれといったデメリットはあまり思い浮かばない。
自分は何故反論したのだろうか? と、悶々と思い悩む武。

 武のそんな様子に痺れを切らしたのか、夕呼は軽く溜息をつきつつ言葉を続けた。



「アンタ、どうせ手加減なんてできっこないんだから、訓練中もその調子でしょ? ばれるのは時間の問題じゃないかしら?」

「……あの、それって、『オレに聞くまでもなく』、結論は出てたってことですよね?」

「さあ? どうかしら?」



 あくまで白を切る夕呼。
武はそんな彼女を半眼で睨みつつ、さらに問いかける。



「神宮司教官にどう説明する気ですか?」

「神宮司――ああ、まりもに? そんなの、ありのまま伝えればいいだけじゃない。」

「ありのままに伝えるって……。」

「ま、あんたの身になにが起きようと、私には関係ないからね。 どうせ死にやしないでしょ。」



――『この人、鬼だ。』

 と、今更ながら『香月夕呼』の性質の悪さを再確認した武。
世界が変わろうと、立場が変わろうと、人の縁と同じようにまた彼女の性質も不変のものらしい。



「あ、そうそう。 まりもったら演習が終わった後、物凄い顔してたわよ。 よっぽど負けたのが悔しかったんでしょうね。」



 まりも、ああ見えても古巣は富士教導隊で、しかもエースだったのよ? ケラケラと笑いながら付け足す夕呼。

 彼女の言葉がとどめとなり、武はがっくりとその場に膝を着くのだった。







 ――次の日の朝



「タケルちゃ~ん、おっはよ~!!」

「白銀さん。 おはようございます。」

「……後5分。」

「だめです。」



 断言する霞の声とともに、ズルズルとスローで引き剥がされる掛け布団。
とてつもなくやるせない気持ちになり、武は渋々ベットから起き上がった。



「やっと起きたね。 じゃあ私達は先に廊下で待ってるから。」

「バイバイ。」

「……おう、バイバイな。」



 空元気な純夏ボイスに、罪悪感を誘う霞の布団剥ぎという無敵コンボの前に、さしもの寝坊魔たる武も敗北を余儀なくされてしまう。

 身支度を整え廊下に出ると、丁度起床ラッパが鳴り始めた。
どうやらいつもより1分ほど早く起きたらしい。



 点呼終了後、207B+霞のメンバーは、揃ってPXへと向かった。
朝の時間帯はどうにも混んでしまうため、やや急ぎ足だ。



「タケルちゃんも、ようやく今日から実機訓練だね!」

「……そうだな。」



 道中、突然振られた話題に一瞬言葉に詰まる武。



「……どうしたんだ? 武は嬉しくないのか?」



 不振な様子に気がつき問いかけてきた孝之に、武は曖昧な笑みを浮かべて誤魔化した。

 悪気はないのだろうが、その察しのよさはもっと身近なことに発揮して欲しいものである、と、心中で愚痴る武。



「――あ、さてはタケル、アンタ緊張してるんでしょ。 大丈夫よ! シミュレーターも戦術機も対して変わり無いんだから。」

「そうだよ、タケルちゃん。 私だって半日で慣れたんだから、タケルちゃんだったら1日もあれば――」

「純夏、それはオレに突っ込んでほしいから言ってるんだよな?」

「じょ、冗談だよ、冗談!」



 スリッパを構えて見せる武に、純夏は慌てて言い繕った。



「そういえば、昨日の模擬戦の衛士。 すごかったよな。」



 純夏の助け舟を出したつもりだろうか? 突然そんな話題を口にする慎二。



「――ああ、あの変態?」

「変態って……確かに速瀬がそう言いたくなる気持ちも分かるが、ちょっと失礼じゃないか?」

「いいじゃない、どうせ本人が目の前にいるわけでもなし。」



 顔をしかめて返事をした水月に、慎二は苦笑しつつ同意した。

――『いや、目の前にいるんですけど。』

 とは口が裂けても言えない武。
割り切って仲間達の純粋な感想を聞くことに専念することにした。



「まるでバッタみたいに跳ね回ってたけど……光線級のこと、習わなかったのかな?」

「……どうせ、孝之みたいに座学の授業中ずっっっとボケーっとしてたんじゃないの?」

「それは……ありえるな。」

「ぐぬぬぬ!! 言いたいほうだい言いやがって、オレをあんな変態と一緒にするな!!」

「そうね、アンタなんかと一緒にしたら、いくら変態とはいえ、あの衛士が可哀想よね。」

「あ゛ん?」



 孝之がガンをつけるが、水月はどこ吹く風とまったく動じていない。

 これが格の違いというものだろうか? と、バカな感想を抱く武を、どこか冷ややかな目線で見つめる霞。



「――でも、間違いなくあの変態に私たちが手も足も出なかったことは事実よね。」

「ああ、そうだな。 神宮司教官からは褒められてたから、もうちょっとはできるかと思ってたんだけど。」

「現実はそんなに甘くなかった、ってわけだ。 ……な、速瀬?」



 そう言ってニタリとした笑みを向けてくる孝之に、水月はすかさず豪腕を叩き込む。
まったく性懲りも無いやつだ、と、武は呆れた。



「調子に乗ってんじゃないわよ、孝之。 た、確かに真っ先に落とされたけど、あれはいきなり後ろから攻撃されたからであって!」

「……マジで?」



 水月の衝撃発言に、思わず『白銀語』を漏らす武。



「マジ……ああ、『本当?』って意味だったっけ? ……そうよ、文句ある?」

「い、いや、別に……。」

「まったく、あの変態にはいつか10倍でこの借りを返してやらないと……。」



 手をワキワキと鳴らしながら、水月は宣言する。



「(青ですね……。)」



 霞は苦笑いを浮かべる武の心の色を読んで、そんな感想を抱くのだった。



 朝の訓練開始前のブリーフィングで、その『変態衛士』が武であった事を知らされた207B一同。

 騒ぐよりも前に唖然として武の顔を見つめ、



「なんだ、武か。」



 という、誰かの一言と共に、この一件は存外にあっさり事実として受け入れられることとなった。

 ひと悶着を覚悟していた武としては、肩透かしを食らった感があったが、とりあえず無事で済んだことを、信じてもいない神に感謝したそうだ。

 ちなみにこの日より武の二つ名に『変態』の文字が加えられたのは言うまでもない







 編隊を維持しつつ、時速600km/hという壮絶なスピードでビルの合間を縫うように進む3機の吹雪。



「こちら鑑、レーダー、目視ともに敵影見えません。」

「こちら平、右に同じ。 タケル、そっちはどうだ?」

「こちら白銀、同じく――ちょっとまった! 3時の方向、敵影あり!! ――ッ、まずい、ミサイルだ! 全機散開!!」



 武が叫ぶないなや、白い帯を引きながら殺到する無数の小型ミサイル。
誘導性はほとんどないが、面制圧能力は非常に高い。



「全機、周囲警戒を怠るな! 必ず近くに――」

「こちら鑑!! 敵と交戦中!!」

「――ッ、わかった! 慎二、援護に向かってくれ。 いいか純夏! 慎二が着くまで無茶な真似はするな!! オレは囮になってさっきの機体をマークしつつ、最後の一機を探す!」

「了解!!」



 矢継ぎ早に指示を出しつつ、武はマップに目を走らせる。

 先の先を読む、なんてかつての戦友たる『彩峰慧』のような芸当は己にはできない。

 まして『榊千鶴』のように効率的な部隊運用など、できるわけがない。

 結局、彼らと比べた時、『白銀武』は多少戦術機の操縦が上手いだけの、凡人なのだ。

 唯一誇れる操縦の新概念も、『元の世界』には、己と同程度のゲーマーなど腐るほどいることを考えれば、己だけが特別などと自惚れられるわけがない。

 そんな才能の差を補うために、己が頼りにするべきは――



「見つけた!!」



――長年の経験、そして運である。



「見つけたのはこっちよ! タケル!! 私と勝負しなさい!!」



 オープン回線で怒鳴りつけてくる水月。

 つまり、今までの動きは己をこの状態に追い込むための――水月との一騎打ちに追い込むための布石だったらしい。

 まんまと敵の手に乗せられたと言う訳か……面白い!

 武はニヤっと獰猛な笑みを浮かべ、操縦桿を握り直す。



「速瀬さん、言っとくが――手加減は、出来ねえぞ?」



 武にかけられた言葉に一瞬きょとんとした表情を浮かべる水月。



「ふふふ、上等!! さあ、かかってらっしゃい!!」



 銃口が、交差した。







 ――戦術機格納庫


 人間の9~10倍にも及ぶ巨体が何十機、整然と並ぶ姿は始めて見る人間を圧巻すること請け合いだ。

 そんな格納庫に、また新たに6機の戦術機が搬入された。
先ほどまで演習場で接戦を繰り広げていた、207部隊の『吹雪』である。



「もう、孝之!! アンタねえ、たかが2人ぐらい相手に時間稼ぎもできないって、どういうことよ!!」

「無茶いうなって! そんなこと言うんだったら速瀬、おまえが2人の相手をすれば良かっただろう?」

「あのねえ、あの時1番動きやすい位置にいたのはアンタだったでしょう?!」

「ふ、2人とも……喧嘩はダメだってばあ!」



 タラップを降りる間にもギャーギャーと元気に騒いでいる衛士の卵たちを、吹雪の整備のために駆け寄ってきた整備員たちが苦笑気味に見守る。

 彼らの視線に程なく気がついた遙が、顔を真っ赤に染め、恥ずかしそうに頭を下げた。



「はあ、まったく。 孝之はオレがいないといつもああなんだよなあ。」



 頭を掻きながら、しかしどこかうらやましげに水月達を見やる慎二。



「……それ、孝之に直接伝えておいてやろうか?」 

「や、やめてくれよ。 冗談でもない。」



 武に耳打ちされ、慎二は血相を変えて手を横に振った。



「――それにしても、今回はお手柄だったな、純夏。」

「えへへー、もっと褒めて褒めて~!」

「こら、調子に乗るんじゃねえ。 っていうか、おまえいい加減、戦術機に振り回せれないようになりやがれ!」



 舞い上がる純夏の頭を、ポカリと叩く武。
純夏は叩かれた頭を擦りながら、怨めしげに武の顔を見上げた。

 訓練でバランスのよい運動をしているせいか、武の身長はこの数ヶ月でグンと伸び、限りなく「元の身長」に近づいていた。
もちろん良いことばかりではなく、それに伴う成長痛にも悩まされているのだが。



「それにしても、鑑はあんな動きしてて、本当に目を回さないのか?」

「――え? うん、別に?」



 仮にも水月と並ぶ腕を持つ孝之を押さえ込めたのは、純夏の「謎な機動」による部分が大きい。

 急加速、急減速、そしてまた急加速――まったく未来予測が出来ない奇奇怪怪な動きが、今の純夏の持ち味だ。

 一見物凄い機動に見えるかもしれないが、何のことはない、純粋に純夏は微妙な動作を苦手としているだけ――つまり、不器用なのである。

 本来なら中の人間が加速度病に犯されてもおかしくないような動きだが、なぜか本人はケロッとしている。



「あー、孝之。 こいつはどんだけ回しても酔わないと思うぞ。 なにせ、三半規管の作りが凡人とは違うんだから。」

「――私、褒められてるの? なんだか、物凄いけなされているような気もするんだけど。」



 純夏の疑うような視線に、武は笑って手を振りながら誤魔化した。



 戦術機での訓練が終わると、決まって反省会が開かれる。

 反省会の場では、教官であるまりもを中心として活発な意見交換が行われ――
というよりも、指名されても何も答えられなかった場合、教官から懲罰が下されるため、反省会が始まる前に自分の意見をまとめてしまっている者が多い。

 もちろん、それは207B部隊とて例外ではない。
各々反省すべき点を割り出し、座学教室へと到着する前に頭の中で整理してきている。



「さて、今回の貴様らの反省点はなんだ? ――速瀬!」

「ハッ、白銀訓練兵ばかりに気を取られ、他の2人に対する警戒を怠ったことかと思います。」



 ハキハキと自分の意見を述べる水月。
一瞬、首筋にちりちりと感じた殺気に、思わず武は首をすくめた。



「なるほど、確かにそれもあるかもしれんな。 涼宮、貴様はどう思う?」

「私も速瀬訓練兵と同意見ですが、加えて、部隊が広域に展開しすぎ、相互の連携が取れない状況になってしまったことにも原因があるように思えます。」

「……ふむ、そうか。 では、なぜそれに対処できなかった?」

「はい、作戦を変更しようと思ったそのときに、すでに戦端が開かれてしまっていたので……。」

「つまり、どういうことだ?」



 言いよどむ遙に、まりもが先を促す。



「――私の状況判断が遅れたのが原因です。」

「なるほど、涼宮の意見はわかった。」



 まりもは頷くと、部隊全員の顔を覗き込んだ。



「皆、覚えておけ。 戦場では1分1秒の判断の遅れが、作戦の成否、ひいては自分や部隊の仲間達の生死に直結する。 慎重さは美徳だが、時には決断も必要とされることを忘れないように。」



 まりもの忠告に、揃って返事をする一同。

 それから数十分間、反省会は続き、それぞれ意見が出揃った頃合で反省会はお開きとなった。
 






「それにしても武、おまえなんで『6対1』なんて状況で勝てたんだ?」



 一日の訓練が終わり、例のごとくPXでつかの間の休息を取っていたところ、孝之が思い出したかのように武に問いかけた。



「オレなんて2対1でも手一杯だったぜ。」

「そりゃあ、おまえ、オレだって『2対1』じゃあ手一杯だよ。」

「……はあ? いや、おまえ、現に6対1で勝ったじゃないか。」



 不可解そうに首を傾げる孝之「いや、だから――」武が説明しようとしたところ、思わぬところから突込みが入った。



「だって、鳴海くんは2人相手に戦ってたじゃない。」

「……えっと、鑑までいったい何言ってんだ?」



 一方で武もまた純夏の突っ込みに驚いていた。
こいつ、変なところで観察眼が鋭いな、とは武の感想である。



「――はは~ん、そういうことね。」

「わかった、そういうことか!」

「そっか、なるほどー。」



 やがてその他の面々も気がついたらしく、口々に「わかった」と言葉を口にする。

 しかし、孝之はいまだよくわかっていないようで、目を白黒とさせていた。



「いや、なんなんだよいったい!」

「ねえ……孝之くん。 この前見せてもらった、模擬戦での白銀くんの機体の映像……覚えてる?」

「あ、ああ、でもそれがどうしたんだよ?」

「ったく、鈍いわねー。 武のガンカメラに移ってた戦術機の数は?」

「えっと……。」



 眉を潜め、考え込む孝之。



「ああ、なるほど! そういうことだったのか!!」



 遙と、そして水月の指摘により、ようやく孝之も武の言わんとしたことに気がついたようだ。

 武の言葉の真意――それは、2機以上の敵を「1度に」相手にしたら、自分でも負ける、ということであった。

 武とて、何機もの相手を同時にできるわけがない。
戦場を動き回ることで敵をかく乱し、常に1機以上の相手をしないように立ち回っていたのである。

 孝之は、己の技量を過信して1度に2機を相手にし、そして敗北を喫したのだ。



「それとだな孝之、おまえの役目は時間稼ぎだったんだろ? なにも2機相手に真面目に戦う必要はなかったのに、おまえわざわざドッグファイトしてただろ。」

「う……。」

「基本、戦術機の戦い方はヒットアンドウェイだ。 弾が切れたら格闘戦に移るしかないが、それでもその場に踏みとどまって刀を振るい続けるのは、よほど腕に自信がない限り自殺行為だぞ。」

「ふーん、そういうものか。 ……いや、でも斯衛部隊や帝国軍精鋭部隊では、乱戦を重視した訓練をしているって聞いたことがあるけど?」



 武の発言に、慎二がどこで聞いた噂なのか、そんな言葉を口にした。



「……彼らは別格。 物心ついた頃には刀を握っているような連中と比べても、不毛なだけだぞ。」



 接近戦で斯衛に勝とうなんて夢見ちゃいない。
武は知り合いの衛士達を思い浮かべつつそう思った。



「まあ、でも戦術機にはある程度の太刀筋が入力されてるから、いざとなればド素人でもボタン一つで敵を真っ二つにできるんだが……」

「……? さっきの話と食い違ってないか?」



 慎二が眉を潜めて武に尋ねる。



「いや、乱戦をしようとなると、立ち回りとか、間合いとか、そういった機械じゃどうしても補正しきれない部分があるだろ……?」



 その質問は予想の範囲内だったようで、武はすらすらと答えた。



「なるほど……。 となると、日頃の模擬刀や模擬短刀を使った訓練は、そのためにやってたのか。 言われてみれば、無意識に間合いとか意識していたような気がする。」

「そうだな。 あと、接近戦に限らず、どんなレンジでの戦いでも基礎訓練は重要だぞ? なんせ、戦術機のFCSには、そのためにわざわざ遊びが作られているみたいだからな。」

「どうりでちゃんとロックオンしているはずなのに、タケルや鑑には弾があたらないわけね。」



 しみじみと漏らす水月。

 純夏の場合、半分はそのあまりにも高い運のせいだと、武は心の中で呟いた。



「……えーっと、そこらへん神宮司教官から説明されなかったか?」

「え? あ、一応説明はされてたんだけど――どうもFCSを意識しすぎて忘れちゃってたみたいで。」



 最初はトリガーを引くのが早すぎるって注意されてたんだけどね……。 水月は苦笑いを浮かべつつ言った。



「私もFCSばかりに気をとられてたかも……。 あ、でも私は水月とは逆で……。 ほら、私、もともと実技は苦手だったから。」

「……うーん、まあ、BETA相手の戦いの時には、むしろFCSまかせのほうが、そのぶん別のところに注意を払えるからいいと思うぞ。」

「なに、タケルちゃん。 その引っかかる言い方。」



 純夏が口を尖らせて言った。



「あ、ああ。 ちょっと言い方が悪かったな。 別にFCSに頼るのがまずいとか、劣っているとか、そういうわけじゃねえんだ。」

「そうじゃなくて、まるでBETAとの戦いが特別みたいな口ぶりだったけど。」

「ああ、そっちか。 そりゃそうさ、BETA相手の戦いと、戦術機相手の戦いは、根本的なところで違うんだからな。」

「――エエッ?! た、タケルちゃん! それって本当なの?」

「ふむ、そうだな。 白銀訓練兵の言っている事は、概ね正解だ。」



 純夏の素っ頓狂な叫びに続いて聞こえてきた、聞き覚えのある力強い声。



「じ、神宮司教官?!」



 突然の来客に、慌てて立ち上がり、敬礼をする207隊員一同。



「座ったままで結構。 今はプライベートの時間のはずだが、勉強会か……熱心でいいことだ。」



 不敵な笑みを浮かべつつまりもは言った。



「さて、ついでだ白銀。 皆にシミュレーター上でBETAと戦い、感じたことを話してやったらどうだ?」

「は、はい。」



 突然振られた話題にまごつきながらも、とりあえず率直な感想を述べようと武は頭を捻った。



「まず、あの量に圧倒されましたね。 まるで地面が動いてるかのように真っ赤な津波になってBETAが押し寄せて来るんですから。」

「赤……戦車級のことだな。 ああ、戦車級とは、BETAの内、小型種と呼ばれるものの内の一種だ。 小型と言っても、大きさは大型トラック1台程もあるんだがな。」



 武の言葉に補足説明するまりも。

 武はふと、己がまだBETAに関して何の説明も受けていないことを思い出した。
うっかり固体名を口にしなくてよかった、と、胸をなでおろす。



「BETAにも何種類かいるみたいですね。 座学でも説明があった光線級はもとより、他にも山のように大きなBETAや、戦術機ほどのBETAも数種類確認しました。」

「BETAの詳しい説明は後日座学でするとして、他に何か感じたことはあるか?」

「囲まれたら終わりってことと、動けば動くほど寄ってくるってことでしょうか? 特にちょっとでもジャンプしようものなら、離れたところにいたBETAまでUターンしてきますし。」

「飛翔体や、動くものを優先して狙うのも、BETAの特徴だな。」



 他にも有人機、無人機では有人機を狙うらしいが、それをあえてここで口にする必要もないだろう。



「あとは、一撃必殺なんて狙ってたらあっという間に距離を詰められてしまうんで、脅威となりそうなBETAを見つけたら、ロックオン完了次第撃った方がいいってことですかね。」



 武は一度言葉を区切ると、「人の操作する戦術機と違って、BETAはロックオン外しのための急加速なんてしませんし。」と、付け足した。



「それと、さっきは動き回ったらBETAが寄って来るって言いましたけど、動かないと今度はBETAの波に飲まれてしまうんで、結局動き回る破目になりましたね。」

「動いてこその戦術機、と、言って差し支えないだろう。 戦術機から機動力を取ってしまえば、戦車と何の変わりもなくなってしまうからな。」

「オレもそう思います。 戦術機はいかに動き回ってBETAを翻弄、拘束できるかだろうと。 習性を利用すれば、存外に簡単に動きを制御できるようですから。」

「ふん、油断して実戦で足元をすくわれんようにな。 シミュレーターは、所詮シミュレーターだということを忘れるな?」



 知ったような口を利く武をたしなめるまりも。

 だが、武はすでにシミュレーターの想定した『最悪』のさらに上を行く、それも人類史上最大級の過酷な『実戦』を3度も経験しているのだが、それをまりもが知る由もない。



「ところで貴様の話からは光線級の話題が出てこないようだが、光線級について何か感じたことはないのか?」

「高度を取れば脅威になりますけど、BETAの群れの中にいる限り撃たれることはないので、BETAの動きに注意していれば何とかなりましたね。」



 モーゼが大海を割るかのようにBETAがザーッと左右に分かれていく姿は圧巻ですよ、と、両手を広げ、苦笑交じりに述べる武。



「BETAの群れの中にいれば……か。 面白い考えだな。 だがそれでは、BETAに囲まれてしまうのではないか?」

「はい、だから常に動き回ってなくちゃいけないんです。 そう、例えるならバッタみたいに。」



 武は、水月が己の動きを「バッタのよう」と形容したのに習って己の機動を説明した。



「光線級も最初から全力照射してくるわけじゃないんで、初期照射を浴びているうちに地面に戻れば粘膜にダメージを蓄積することもありません。」

「理論的にはそうだが……口で言うほど簡単に出来ることではないぞ。」

「従来なら、確かにそうでしょう。 でも新OSを使えば、あるいは誰でもそれができるようになるんです。」

「ほほう。」



 まりもは興味深げに相槌を打った。



「具体的に言えば、跳躍噴射の最中にキャンセル――直前に入力した動作を中止するか、あるいは最初からコンボ――動作の事前登録を済ませてしまえばいいんです。」

「キャンセルにコンボか。 香月博士から機能は伺っていたが……なるほど、コンボにそういった使い道があるとは。」

「それだけじゃないですよ。 コンボは、うまく使えば動作後の硬直をほとんど0にすることすら可能なんです。 そのメリット……神宮司教官ならわかるでしょう?」

「……それが事実だとすれば、まさに夢のようなOSだな。」



 まりもはそう言って顔を綻ばせた。



「とは言っても、やはり無理なキャンセルや、飛んだり跳ねたりっていうのは機体に無理がかかるので、多様を避けるか技量を磨くかしなければならないんですけどね。」

「言うなれば、そこが新OSの欠点と言うわけか。」

「そうとも言えるでしょう。」



 渋い顔をして頷く武。 現に過去、武は無理な暴れ方をして、『不知火』を機動だけで中破寸前まで追い込んでいる。

 一方、同じ戦いを戦い抜いた熟練衛士の乗る『武御雷』は――機体が違うので、一概に比較できないが――作戦継続にほとんど支障がない程度の損害にとどまっていた。



「……っと、すまない。 話こんでしまったな。 」



 他の訓練兵達がおいてけぼりを食らって呆けた顔をしているのに気がついたまりも。
すこしだけ頬を赤らんでしまったのを誤魔化すように咳払いをした。



「そういえば神宮司教官、何か御用があってPXに来たのでは?」

「ああ、そうだ。 明日からの訓練で重要な知らせがあってな。」



 まりもは再び咳払いをして声色を整えると、おもむろに表情を引き締めて言い放った。



「207B訓練兵部隊は、明日より対戦術機訓練と平行し、対BETA訓練を行う。 午前中はBETAの特徴についての講義を行うため、ハンガーではなく座学教室に、08:30までに集合するように。」

「――ッ、了解!!」



 なるほど、だから神宮司教官はワザワザ自分にあんな話を、と納得しつつ、同時に武は一種の危機感を抱いた。

 対BETA訓練……どうせ提案したのは夕呼先生あたりであろうが、なにを彼女はそんなに急いでいるのだろうか?



「(まさか奴らの第一陣にオレたちをぶつける気じゃ……。)」



 ありえない、妄想だと首を振りつつも、しかし拭いきれない疑念は武の心の中に、まるで真水に一滴垂らした油性インクのごとくたゆたう。

 ――今夜あたり、夕呼先生と話をしておいたほうがいいな。

 武はなぜかそう確信した。



[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第五章 第三話 機械 ~Good fences make good neighbors.~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:8b4e2465
Date: 2010/08/22 00:53


「で、アンタからここに出向いてくるなんて珍しいじゃない。 どうしたの?」



 突然研究室を尋ねてきた武を、面倒くさそうな顔をしながらも招き入れる夕呼。
武は部屋の前で軽く一礼すると、夕呼の座るイスの手前まで歩み寄った。



「先生にちょっと聞いておきたいことがあったので。 もちろん、タダでとは言いません。 こちらからも情報を提供します。」

「ふーん、ギブ&テイクって訳ね。 でも霞のことを忘れたのかしら?」

「霞のリーディングだって『完璧』な訳じゃない。 そうでしょう?」



 夕呼の質問に平然と答える武。

 手札を見せたポーカーといえど、自分がこれから引く山札の内容まで見えている訳ではない。
それに、たとえ手札を見せた状態とはいえ『役』がこちらのほうが強ければルールー上こちらの「勝ち」だ。

 冷静に考えてみれば、勝ち目などいくらでもある。



「……まったく、やりにくいわね。 わかったわ、用件だけでも聞いてあげましょうか?」

「207部隊にBETAに関する講習が明日から行われるということですが……いったい先生は何を考えているんですか?」

「……質問の意味が、よくわからないのだけれど?」



 夕呼はまったく表情を動かすことなく武に問い返す。
そんな彼女の態度をシラを切っていると理解した武は、やや語気を強めて言い直した。


「単刀直入に言います。 207部隊は、まだ実戦に耐えられるような練度ではありません! まさか、夏の九州~京都防衛戦に207をぶつけようとか、そんな無茶を考えているのだとしたら――」

「実戦に耐えられるかどうか判断するのは、アナタじゃないわ。 それに、いくら私だって有能な部下となるべき人材をドブに捨てるような真似はしないから、安心なさい。」

「それはつまり、必要と判断すれば――」



 武の言葉を遮り、夕呼は



「――白銀、ストップよ。 ……そのあとは妄想にとどめておいた方が無難だと、私は思うけど。」



 と、言った。
武の脳裏を夕呼から『鎧衣課長』に向けて贈られた言葉がかすめる。

 返答内容からして、懸念は十中八九中っていると覚悟するべきだ。
回答を得た以上、これ以上竜の逆鱗を撫でる真似はよしておいたほうが良いだろうと、武は思った。



「……そうですね、つまらない話を聞かせてしまい、すみませんでした。 かわりに1つ有益そうな情報はいかがですか?」

「もちろん、そういう約束だからね。 でも、もしもタダのくだらない話だったら、今すぐここから放り出すわよ?」



 目で武を威圧する夕呼。
これから切るカードに価値が無かった場合、言葉どおりになるに違いない。

 もっとも、これから話す内容は『タダのくだらない話』であるわけがない。
むしろ、本土防衛戦が始まる前にきちんと検討してもらわなければ困る、そんな類の情報だ。

 ギブ&テイクと夕呼は言ったが、例えテイクが無かったとしても『この情報』だけは確実に夕呼に受け止めてもらう必要があった。
ゆえに武は『取引材料』として『この情報』を持ち出したのだ――夕呼の性格を考慮した上で、少しでも『この情報』の信頼性を上昇させるために。



「『BETAが人間を生命体とみなしていない』という成果がオルタネイティヴ3から得られたことは、もちろんご存知ですよね?」

「――ええ、それがどうかしたの?」



 武はオルタネイティヴ4に深く関わっていたことは、夕呼もよく知るところである。
前身であるオルタネイティヴ3の成果を武が知っていても、やはり驚かないらしい。



「では、なぜBETAが人間を生命体とみなしていないか、知ってますか?」

「……まさか、アナタがそれを知っているなんて言い出すんじゃないでしょうね?」



 口元に嘲笑を浮かべる夕呼。



「まあ、信じるも信じないも先生次第ですが……。」

「……前置きはいいわ。 とりあえず言ってみなさい。」



 武は一呼吸おくと、



「それは、BETAが『セイメイタイ』ではないからです。」



 と、己の知る紛れもない『事実』を口にした。



「――ちょっと待ちなさい。 アンタ、自分の言っている言葉の意味、わかってるわよね?」

「ええ、もちろん。」

「それがオルタネイティヴ計画の根本にあるものを覆すことだと、わかっていて?」

「はい。」



 武はしっかりと首を縦に振った。



「有益というから何を言うかと思えば、へえ、なかなか面白いこと言ってくれるじゃない。 でも、アンタの言っていることは間違っているわ。」

「BETAは炭素生命体であるという事実が、オルタネイティヴ2で判明しているから……でしょうか?」



 武に先手を取られ、沈黙する夕呼。



「残念ながらBETAを生み出した『セイメイタイ』と、オレ達人類の定義する『生命体』とでは定義が微妙に違うんですよ。」

「BETAを生み出した……今、私の耳にはそう聞こえたんだけど。」



 武の口から発せられた聞き捨てられない言葉に、夕呼は思わず聞き返した。



「先生の耳は正常ですよ。 BETAはオレたちとは違う文明、生態系を持つ星の『チテキセイメイタイ』によって生み出された『資源収集用機械』なんです。」

「寝言は寝てから言って頂戴。 証拠でもあるのかしら?」



 とたんに口調が冷たくなる夕呼。
オルタネイティヴ計画の成果そのものを否定するような戯言を、10代も半ばの若造が話しているのだ。
武とて、このぐらいの反応は予想済みだった。



「証拠はありません。 ただ、これは地球上のBETAの親玉……『上位存在』、つまり『あ号標的』から聞いた話です。」

「へえ、『あ号標的』とは一応意思疎通ができる訳ね?」

「00ユニットと、霞を通してやっとですが。」

「なるほど、ね。 ……あ、話の腰を折って悪かったわね。 続けて頂戴。」

「わかりました。 まあとにかく『上位存在』曰く、炭素から生命は発生しえないそうで、故に地球上の生物は『生命体』じゃないそうです。」



 そもそも、生命の存在する惑星にはBETAは送られないらしいですよ。
武は苦笑気味に付け足した。



「はあ?――じゃあ、その『上位存在』とやらにとって生命ってなんなのよ?」



 夕呼は、まるで子供の語るおとぎ話に付き合うかのような口調で、武に問いかけた。



「えーっと、確か……珪素を基として、自己形成、自己増殖するうんたら構造だったはず……。」



 とたんに曖昧になる武。
残念ながら、6ヶ月も前に言われたこと、しかも訳の分からない単語の羅列がスラスラと出てくるようには、武の頭はできていなかったようである。



「ふ~ん。 まあ、だいたいわかったわ。 でも、珪素を炭素に置き換えれば、それは人間にも当てはまるんじゃないの?」

「だから、BETAは機械なんですってば。 発展性とか、柔軟性は皆無に等しいんです。 A=B、B=Cがわかっていても、A=Cであることが導き出せないバカな連中なんですよ。」



 武は繰り返すように言った。



「確かオルタネイティヴ3でも、BETAに思考の柔軟性というものがほとんど無いことは立証されているはずです。 確か、世界中で同じ内容の陽動作戦を行なったんでしたっけ? もっとも、実験の結果得られたBETAに対策が取られるまでの期間にばかり目が行っていたようですが。」

「……確かに、そんな実験結果も出てたわね。」

「BETAの行動は予測不能って言いますけど、それはあくまで相手を『知的生命体』という尺度で考えているからです。」

「つまりアナタは、BETAはなんらかの学習型プログラムに沿って行動しているだけって言いたいわけね。 ……確かに、そう考えれば今まで謎とされてきたBETAの行動の多くが説明できそうだけど。」



 夕呼の呟きに、武は満足げにコクリと頷く。



「相手を生命体と仮定して戦略を練ってきた上のジジイ連中は、勝手にBETAの行動を深読みして、勝手に自滅していたわけ……? 笑い話にもなんないわね。」



 そう言って肩を竦めてみせる夕呼。



「なかなか面白い意見だったわ。 証拠が無いから鵜呑みにはできないけどね。 精々参考にさせてもらうわ。」

「参考にしてもらえるんですか? ああ、よかった。」



 武は皮肉でもなく、ニコリと笑みを浮かべ頭を下げる。
純粋に、夕呼に一応話を聞いて貰えたことが嬉しかったのだ。
彼女なら、自分よりもこの情報を生かせるだろうという確信が武にはあった。

 そんな武の様子になにか気がつくことがあったのだろう、夕呼はほんの一瞬、複雑そうな表情を見せた。



「それじゃあ、オレはもう戻りますね。」



 そう言って、まっすぐ研究室の出口へと向かう武。
夕呼は迷うように口を数回開閉させた後、言葉を漏らした。



「……8月下旬よ。」



 後ろから唐突に投げかけられた夕呼の言葉。
武はほどなく言葉の意味を悟ると、振り返らずに一礼し、今度こそ研究室を後にした。








「ねえねえタケルちゃん、対BETA戦のシミュレーターってどんなの?」

「……はあ、さっきも言っただろうが。 数時間後には嫌がおうにも訓練が受けられるんだから、それまでのお楽しみでいいだろ?」



 午前中のBETAの特徴に関する座学を追え、仲間達より一足早くPXに赴いた武たち。

 しかし、朝から何度目かという純夏の質問に、さすがの武もウンザリした様子だ。



「ぶ~~、少しぐらい教えてくれたっていいじゃない!!」

「……純夏さん、BETAはとっても怖いです……」

「ふーん、やっぱりそうなんだ。 霞ちゃんありがと~! ……べ~っだ。」



 霞に笑顔でお礼を言った後、わざわざ武のほうを向き直って舌を突き出す純夏。



「純夏、それよりもちゃんと座学は聞いてたのか?」

「もちろん、ちゃんと聞いてたよ!!」

「ほ~う……じゃあ超深度を穴掘って進行してきて、たった一度で大量のBETAを戦場に輸送してくるBETAの名前はなんだ?」



 しつこい純夏に、武はちょっと意地悪な質問を出した。

 答えは『母艦級』……武が以前いた世界でさえ、存在は一部にしか知られていないBETAの一種である。

 もちろん、座学中に解説などあるはずがない。



「うぇ!?……確かそれは……って、そんなBETAの説明無かったよ!?」

「おお! 正解。 なんだちゃんと聞いてたんだな。」

「へっへ~ん、どうだ、偉いだろ!」



 そう言って胸を張る純夏。

 武はかつての戦友の口調をまねて答えてみた。



「……とてもすごくえらい。」

「何で片言なのさ、っていうかタケルちゃん私のことバカにしてるでしょ!?」

「……そんなことない。」

「絶~対に、嘘だっ!!」

「……バレた?」



 ―――この言い方されると無性に腹が立つんだよなぁ。 そんな事を思い出しながら、武はふと純夏のほうを振り返る。



「レバッ!!」
「ぐへぇ……」



 肝臓に直撃。 追憶は相当の代償を必要としたようだった。



「……純…オマ…、マジ…やりやが……カヒッ?」

「……白銀さん、大丈夫ですか?」

「霞ちゃん、大丈夫だよ。 タケルちゃんとっても丈夫だからあと20秒もすれば歩けるようになるって。」



 ―――油断したな純夏。 武は一気に起き上がると反撃に出た。 『スッパーン』という子気味よい音が辺りに響く。



「アイタッ!!」

「全く、よくもやりやがったな! 少しは手加減ってモノを覚えろ!!」



 拳を振り上げ講義する武。

 純夏は純夏で



「女の子ブツなんてタケルちゃん最低だよっ!」



 と言って一歩も引かない。



「それ以前に何の躊躇も無くレバーに一撃を決めるお前はどうなんだ?」

「たった数十秒で復活できたんだからいいじゃん!!」

「並の男なら10分は悶絶してる痛みだぞこれは。」

「……タケルちゃんだからいいんだよ!」

「よかないわっ!!」

「……純夏さん、白銀さん、ケンカよくないです。」



 悲しそうな表情でそう言う霞に、思わず武と純夏は顔を見合わせる。



「……そ、そうだよね~、ゴメンね霞ちゃん。」

「あ、ああ、ちょっと悪乗りしすぎたな。」



 最近はこうして霞が武達2人のストッパー役を務めている。

 以前は誰も止めてくれなかったものだから、ひどい時には数時間に渡って不毛なやり取りを繰り広げていた記憶が武にはあった。



「……仲直りしてください。」

「あ~……分かったよ。」

「っとタケルちゃん、手~貸して。」



 霞の前で手を握ってみせる2人。 それを見て納得したのか、霞もニコッと笑みを漏らす。

 武と純夏はホットお互い顔を見合わせるのだった。



[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第五章 第四話 戒心 ~Hope for the best and prepare for the worst.~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:8b4e2465
Date: 2009/05/16 13:12
 迫りくる突撃級、要撃級、戦車級……その他様々な小型種からなる群れが、旧市街の大地を覆った。
まるで川のように一筋となって迫りくるBETAの大群は、人類の心に恐怖と絶望を刻み付け、いとも簡単に勇気を、そして希望をも奪い去ってしまう。



「くう、シツコイわね! 撃っても撃ってもキリが無いんだから……!」

「タケルちゃん、どうすればいいの?!」

「どうすればもこうすればも、とりあえず、撃って、撃って、撃ちまくれ!! 狙いはFCSが勝手につけてくれる!」



 真っ青な顔で助けを求める純夏に、武は怒鳴るように返事をした。
かく言う武は、2丁の突撃砲でもって弾幕を張りつつも、戦況の変化を見逃すまいと目を鋭く光らせている。

 すると、今度は孝之の悲鳴のような叫び声が通信機越しに聞こえてきた。



「そんなこと言っても、こっちはもう弾がもう無いぞ! どうすればいい?!」

「涼宮さん!!」

「え……? あ、えっと……。」



 目の前のBETAのことで頭がいっぱいになってしまっていたらしい。
突然声をかけられた遙が呆けた声を出す。



「し、白銀くんと鑑さんは孝之くんのカバーを! 孝之くんは2人がカバーしてくれている間に、急いで弾を補給してきて!」

「了解!」



 遙の指示が飛ぶやいなや、早速行動に移る武。
純夏もそんな彼につられるように配置についた。



「悪い……。 すぐ戻るから、頼んだぞ!!」

「だから、言ってる間に行って来い!」



 武は要撃級の顔のようなもの――実際は尾節なのだが――を粉砕しつつ、孝之をせかす。


 たった6人で支えている戦場。
1人欠けただけでも、それは大幅な戦力ダウンを意味する。

 特にBETA相手の物量戦ともなると、己の技量など保険にしかならないのが現実。
技量があればそれだけ長く生き残れるが、しかし『=多くのBETAを粉砕できる』とは一概に言えないのだ。


 案の定、1人減ったことにより、ほどなく形勢はBETA側へと傾き始める。
時間が経つにつれジリジリと押され始め、戦線のところどころで綻びが生じた。
戦車級以下小型種の浸透はもちろんのこと、中型種まで食い込んできている。



「涼宮!! これ以上は無理だ! 一度後退して、体勢を立て直そう!!」



 足元にまで迫った戦車級を蹴飛ばしながら、遙に向かって叫ぶ慎二。



「で、でもHQからはまだ何も……。」

「うわああ! クソッ、このままじゃあ食われちまう!!」

「落ち着け慎二! お前、なにやってんだ! 戦術機はトーチカじゃねえんだぞ!!」



 足がすっかり止まってしまっている慎二に向かって、武がやや目じりを吊り上げながら叫ぶ。



「日ごろの訓練を思い出せ! っていうか、昨日のオレの話を聞いてたのか?!」

「そ、そうだな。」



 武の剣幕にややたじろぎながらも返事をする慎二。
顔色からすると、どうやらなんとか落ち着きは取り戻せたらしい。

 そんな折、ようやく孝之が戦線に復帰してきた。



「武、待たせたな!」

「孝之、次はもうちょっとはやく来てくれよ。 そろそろ限界だったぞ。」

「悪い悪い、コンテナを運んでくるのに手間取ってな。」

「コンテナをココまで運んできたのか? 通りで時間がかかるわけだ。」



 物事には優先順序があるだろうと突っ込みたくなる気持ちをどうにか抑えながら、武はつぶやいた。



「涼宮さん、孝之のやつがわざわざコンテナを持ってきてくれました! このチャンスに交代で一気に弾を補給しましょう!」

「うん、それじゃあ水月、平くん、鑑さん、私の順で弾を補給しましょう。 白銀くん、悪いけどもう少しの間頑張れる?」

「中型種だけなら余裕で排除できますよ。 ザコはどうかわかりませんが。」

「――わかった。 孝之くん、白銀くんが撃ち漏らした小型種に対処して。 鑑さんは私と一緒に水月のバックアップを! あと15分、みんなで頑張って生き残ろう!!」



 「了解!」と、了承の意を表す返事が重なる。



「遙、背中はオレに任せろ!」

「孝之くん、気持ちはうれしいけど、孝之くんがまもるのは白銀くんだよ?」

「孝之~、おまえちゃんと命令聞いてろよな。」

「うっせえな、デブジュー! お前こそさっきはピーピーと情けなかったじゃねえか。」

「なっ……! おま、人のこと言えねえだろう?! っていうかデブジューはやめてくれってば!!」

「ハイハイ、今戻るから。 そこ! 私がいない間に喧嘩しないの。」

「ねえねえタケルちゃん。 涼宮さん達は私が守るから、無茶しないでね!」

「……いや、頼むから純夏は自分のことに集中してろ。」

「え? ど、どうして!?」



 動揺する純夏に、武はニヤっと笑って答える。



「どうしてって、そりゃあ背中を『フレンドリーファイア』されたらたまらねえからなあ。」

「……タ~ケ~ル~ちゃ~ん?!」

「お前の気持ちはわかったから、今はBETAに集中しろよ? な?」

「むう、タケルちゃんなんかに言われなくてもわかってるよ。 ふんだ!」



 なんだかんだと言いつつも、皆余裕そうだ。
武は満足げに口元をほころばせる。

 武は淡々と判子を押す仕事をしているかのようにBETAを『処理』しているが、新米衛士はそうもいかない。
迫りくるBETAは人間の性器を連想させるような不潔なデザインで、しかもカサカサという音が似合いそうな動き方は、まるでゴキブリやムカデのようだ。
存在そのものがグロテクスといって過言ではないオゾマシイ存在を必死に近寄らせまいと過剰に弾幕を張るも、それでもBETAはジワリジワリと接近してくる。
どうやら急所ではないようで、尾節を半分ほど失った要撃級が接近してくる姿はトラウマものだ。
漏らしそうになりながらも必死にこらえ任務を遂行すべく行動する姿は、立派なヒヨッコ衛士と言えるだろう。

 迫りくるBETAのうち、脅威となるBETAを判別して排除する、ただそれだけの作業が続く。
劣化ウラン性の弾を浴びるたび、熟しすぎたトマトのように弾けるBETAの姿は、「慣れてしまえ」ばなかなかに滑稽なものだ。
一種の感覚麻痺なのだろうが、相手が機械だとわかってしまっている今、コレらに同情する余地はなかった。

 しかし、突撃前衛としてはエース並みの武とはいえ、万能とまではいかない。
普段弾を盛大にばら撒き、機動で敵を翻弄するような戦い方をしてきた武にとって、この手の弾薬や燃料を節約した戦い方は不慣れだった。
己の力量不足を感じ、思わず歯噛みする武。
とはいえ、実のところ集弾率の悪い『突撃砲』で支援をしようということ自体がかなりの無茶なのだが、それを普段『支援突撃砲』を使わない武が知る由もなかった。



「武! おい、武!」

「孝之?! こっちは手え離せねえんだ! 後にしろ!!」

「そうじゃなくて、次はお前の番だぞ!」



 孝之に指摘され、ようやく我に返る武。
己が狙撃に夢中になるあまり周りが見えていなかったことに気がつき、愕然とした。


「……わかった、すぐ――。」


 武が口を開きかけたところで、唐突に機内の証明が落ちる。


「<訓練兵の皆様、お疲れ様でした。 所定の条件をクリアしたので、シミュレーターを終了します。 係員の指示に従って、速やかにシミュレーターを退出してください。>」


 無機質に流れるアナウンス。
やや間を置いて、武はシミュレーターが無事終了したことにようやく気がついた。


「一応、1時間は全員生き残れたってわけか……。」


 スピーカー越しに聞こえてきた己の声が疲れ果てた老人の声のように聞こえ、武は思わず失笑を漏らす。
『夕呼先生』の無茶な課題につき合わされている間ですら、こんな声を出したことはなかった。
なるほど、どうやら「生き残る」ことよりも、「生き残らせる」ことのほうが何倍も難しいらしい。
武は己のなそうとしていることが、いかに難しいのかを改めてかみ締めた。







 一日の訓練が終わり、静まり返る訓練校の廊下。
夕日で赤く染まった光景は、なぜか人に哀愁を感じさせる。

 対BETA訓練が、これほどまでに繰り上がって開始されたのは、日本では前代未聞だろう。
しかし、一度目を海外に向けてみれば、なにもそれほど珍しいことではない。
終わりの見えない戦争――BETAは人として守らなければならないはずの最低限のものすら残さず、何もかも喰らい尽くそうとでも言うのだろうか?

――ふざけるな

こんなことがあっていい筈がない……そんなはずがないのだ。



「……神宮司教官、失礼します。」

「なんだ、貴様。 まだ残っていたのか?」



 沈む夕日を窓から眺めながら考え込んでいるまりもに、やや遠慮がちに声をかけた武。
まりもは少し驚いたように返事をすると、武の方へと向き直った。



「すみません、あの、教官に折り入ってお願いしたいことがあるんです。」

「なんだ?」

「教官……もしよかろしったら、自分に特訓をつけてはもらえないでしょうか?」

「特訓、だと?」



 言いながら武の顔を覗き込むまりも。
どこか思いつめたような危うい様子に、思わず眉をひそめる。



「立ち話もなんだろう。 白銀、ついて来い。」

「は、はい。」



 武が案内されたのは、まりもの部屋であった。

 こじんまりとした、整頓された部屋は、広くて乱雑な夕呼の部屋とは見事に対照的だ。
夕呼の部屋のほうが物理的に広いはずなのだが、見た目にはまりもの部屋のほうが数倍広く感じてしまう。
机の横にある、いろいろな教本が詰まった書棚以外に備品以外のインテリアは見受けられない。
女っ気がないと言ったら失礼だろうか? 質素や機能的という言葉が似合いそうな、いかにも教官らしい部屋ではある。

 武はふとベッドが一つしかないのに対し、イスが数脚用意されていることに気がついた。
おそらく、元から生徒指導室としての役割もかねているのだろう。



「それで、突然どうしたんだ? 特訓などと。」

「オレは……オレはもっと強くなりたいんです。」



 武は隠すことなく己の本心を口にした。
「強くなりたい、か……。 何かと思えばたいした理由でもなかったか。」と、溜息をつくまりも。
毎年こういった生徒の1人や2人はいるものである。
彼女は気だるげに口を開いた。



「貴様はいったい演習で何を学んできたんだ?」

「もちろん、一人でできることに限りがあることぐらい、自分にもわかります。 ……わかってます。」

「ならばなぜ?」



 その問いに、武はじっとまりもの目を見つめながら、「……失いたくないんです。」と、一言呟いた。



「オレは……皆が思っているほど、強くはないんです。 今日だって、正直賭けみたいなものでした。 偶然うまくいったから良かったものの、次はどうなるかわかりません。」



 搾り出すように答える武の様子に、まりもは顔をしかめる。
今日のシミュレーターの成果は訓練兵として、否、新米衛士と比べても褪色ない高記録である。
決して危機感を覚えるような内容ではないはずだ。
本来なら、『たかが』シミュレーターの成果に舞い上がった訓練兵達に対し、釘を刺すのが恒例なのであるが……



「……白銀、いったい貴様は何をそんなに焦っているんだ?」



 まりもは心配そうに武の目を見つめた。



「それは――」



 まさか「BETAの大群が8月下旬にやってくるんです。」などと言えるはずもなく、武は口ごもる。



「臆病だからです。」



 やっと武の口から出てきたのはそんな言葉だった。
武の口から出てきた意外な言葉に、しかしまりもはどこか納得したように首を縦に振った。



「臆病だから、か。 なるほど、貴様は『力』の本質を、どうやら少しは理解しているようだな。」



 生物が『力』を求める根本的理由――その最もたる1つは『恐れ』から身を守るためである。
遙かカンブリアの太古から、生物は捕食者、すなわち『恐怖』から身を守るために硬い鎧で実を固め、あるいは鋭い凶器で武装してきた。

 何十億という月日が流れても、それは変わることはない。
人類は『脅威』にはそれ以上の『脅威』を生み出し、あるいはそれが原因で多くの悲劇が発生した。
戦術機とて、BETAという『脅威』に対抗するため人類が生み出した『力』にすぎない。



「つまり貴様は、『失う』ことが怖いから力を求めるんだな?」

「――はい。」



 まりもの問いに、力強い声で答える武。
ここで「何を失うのが怖いのか?」と問いかけるのは野暮だろう……というよりも、返ってくる答えなどわかりきっている。

 それにしても、彼はなぜココまで恐れているのだろうか? まりもは顎に手を当て考え込んだ。
彼の成績ならば、普通、驕っていてもおかしくない――いや、私なら間違いなく驕っていただろうと、まりもはかつての己を振り返って思った。
まさか己が取り返しのつかない過ちの末、ようやく行き着いた先にたどり着こうとしているとでも言うのか?
だが、それはあまりにも大人びすぎてはいないだろうか?
いったい何が、彼をそこまで追い詰めたのだろう?
まりもの疑問は潰えない。



「まったく、貴様はどこからどこまでも判らない奴だ。 わかったいいだろう。 ただし1つ条件がある。」

「な、なんでしょうか?」



 安堵と不安の両方が入り混じったような歪んだ表情を浮かべる武に、まりもな不敵な笑みを浮かべて答えた。



「私と『旧OS』で戦ってもらう。 その結果で貴様に特訓をつけるかどうか、決めさせてもらう。」

「――ええ?! きょ、教官……さすがにそれは……。」

「なんだ白銀、ひょっとして私と戦うことすら『怖い』のか?」



 まりもの挑発に押し黙る武。



「どうした? 声を出すことすら怖くなったか?」

「……わかりました、やります!」



 武は真っ直ぐとまりもの顔を見つめ返して答えた。



「いいだろう。 21:00シミュレータールームで待っている。 1秒でも遅れてみろ? その時はただでは済まさんからな。」

「了解!!」



 答える武の表情は先ほどとは打って変わって明るい。
なんとまあ、初めて会った時から何かと世話のかかる生徒である、と、まりもは苦笑する。

 それと同時に、心のどこかで稀代の才能を持った『衛士』との再戦に心踊る自分がいることもまた、まりもは自覚していた。




[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第五章 第五話 稽古 ~The chain is no stronger than its weakest link.~
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Date: 2009/06/06 15:45
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 武はまりもに指定された時間より20分ほど早くシミュレータールームへと到着した。


 BETAの上陸が一度も確認されていない現状では、休憩時間まで訓練に勤しんでいる衛士の数はそう多くない。
何台かのシミュレーターは稼動していたが、それでも『横浜基地』時代の稼働率に比べて低すぎる。
その横浜基地ですら、「危機感が薄い、抜け切っている」と、一部では指摘されていたのだから、相当な腑抜け具合としか言いようが無い。



「仮にもユーラシアが陥落したんだぞ? もう少し危機感がもてないものか?」



 武は思わず溜息をつく。



 しばらくすると、稼動していたシミュレーターの内の1台がゆっくりと停止し、中から栗毛の女性衛士が降りてきた。
どこか見覚えのあるシルエットに目を凝らす。


 見覚えがあるも何も、我らが教官――つまり、まりもだった。


どうやら彼女も武の存在に気がついたらしい。
目を一瞬大きく見開くと、不敵な笑みを浮かべて彼の方へと近寄ってきた。



「まだ約束の時間には余裕があるはずだが……ふむ、どうやら気合は十分のようだな。」



 黒の国連軍衛士強化装備に身を包んだまりもの姿を見るのは、武にとっても数ヶ月ぶりだった。
しかも、最後に見たときは実戦の最中だったため、あまりよく覚えていない。
訓練の最中はといえば、彼女は管制室からこちらに指示を出すだけなので強化装備には着替えていないのだ。


 ともなると、自然と目が行く場所は決まっていた。
想像以上に巨大なソレ――目の前にたわわとぶら下がる、2つの果実……いや、もはやこれは西瓜レベルか?
おそらく現207部隊の誰よりも大きいじゃないだろうか。



「ん、なんだ? ……貴様いったいどこを見ている?」

「――っ! す、すみません!」



 武が謝るより先に、まりもの拳が武の頬を捉える。
鈍い痛みに思わずよろけるも、武は何とか踏みとどまった。



「まったく、貴様はなにより上官に対する態度がなっとらん。 もう少し身の程をわきまえろ!」

「はい!」



 確かに失礼をしたことは事実なので、武はもう一度頭を下げる。
まりもも彼のそんな様子にやや視線を緩めると、今度は悪ふざけな笑みを浮かべ問いかけた。



「それにしても――やはり貴様も男だったか。 お前は確か仲間たちの胸には反応していなかったはずだが……あの程度のサイズでは胸のうちにはいらんと、そういうことか?」

「いえ! 決してそういうわけじゃなく――そう、教官の強化装備姿は珍しかったものでつい……!」

「なに、言い訳せんでもいい。 他の訓練兵達には黙っておいてやろう。 それよりも、早く模擬戦を始めるぞ。」



 武は喉まで昇ってきた溜息を何とか飲み込みつつ、まりもの指示に従った。







 新OSが開発されたことにより、戦術機は以前に比べ格段に扱いやすくなった。
コンボや事前登録、キャンセルといった新機能は、戦術機の操縦をより簡略にし、なおかつ機動の応用性を飛躍的に向上させたのである。



 逆に言えば、旧OSは非常に扱いにくいと言い換える事もできるだろう。


 何よりも厄介なのは、一度入力した行動をキャンセルすることができない点だ。
刻々と移り変わる戦場では、一瞬の判断の遅れが致命的で、それゆえ衛士はすぐさま判断を下し、行動をしなければならないのだが、往々にしてミスというものは起こるものだ。
一言でミスと言っても、判断ミスであったり、入力ミスであったりと色々だが、なんにせよ旧OSの場合そのミス1つで己の運命が決まってしまうのである。


 吹雪の肩装甲を36mm弾が僅かに削ぐ。
あわや被弾というすんでのところで操作が戻ったのを確認すると、武は大きく反対側へと跳んだ。



「白銀、動きに無駄がありすぎるぞ!」



 撃震に乗ったまりもの声が響く。
まるで予め予想されていたかのごとく、行く先に展開される弾幕。
武は跳躍噴射装置に点火すると、むりやり軌道をそらして回避した。


 思うように動かない機体に戸惑いつつもなんとか武が撃墜を逃れているのは、ゲームでの経験と、僅かに残っている『前々世』での記憶によるものであろう。


 本来ならば、1対1での戦いに限定すればもともとゲーマーであった武にとって、対戦術機戦は十八番とも言って良い分野である。
並の衛士では彼にかなわないだろう。


 だが今回に限っては、話がそう単純に片付くはずがない。
武の出撃回数がわずかに片手で数えられるほどしかないのに比べ、対するまりもの出撃回数は、軽く20を超えている。


 しかも、彼女の古巣はかの有名な富士教導部隊――12・5事件において、数に勝る米国の部隊を一時的とはいえ押し返した日本屈指の精鋭部隊である。
つまり、戦術機の操作に関しては、まりものほうが武の数枚上手を行っているのだ。



「――ッ!!」



 突然殺気を感じ、急ブレーキをかける武。
刹那、ビルを貫通し120mmの弾丸が彼の目の前を通り過ぎていった。
このまま進んでいれば、間違いなく撃墜判定1をもらっていただろう。



「――中ってたまるかよッ!!」



 冷や汗をかきつつ、武はビルを蹴って進行方向を大きく転換した。
反撃とばかりに空中から突撃砲をばら撒く。
しかし、まりもも慣れたもので、わずかに横へステップするとビルを盾に攻撃をしのぎきってしまった。


 武の攻撃が止むと同時に、今度はまりもが機体の上半身だけをビルから覗かせて突撃砲を放ってくる。
武はいまだ空中に全身を晒しており――本来ならば、勝負は決まったも同然であった。



「(いったいどれだけ訓練したら、戦術機であんな動きができるようになるんだ?)」



 まりもの戦術機が見せる人間じみた器用な動作に舌を巻きつつも、空中噴射跳躍という曲芸を駆使し、まりもの攻撃をあっさりとかわしてしまう武。
まさか空中でもう一度跳躍するとは夢にも思っていなかったまりもは、決定的とも思えたチャンスを逃してしまった。



「まさか空中で――まあ今更なにをされても、たいして驚かんがな。」



 武の奇抜な動きに、思わず悪態をつくまりも。
己の発想の外にある彼の機動に、いまだ思考がついていかないようだ。


 武とまりも――ある意味、2人は対照的な衛士と言えよう。
まりもは模範的な帝国衛士である一方で、武は世界のどんな国の衛士の特長にも当てはまらない――いわゆる異端児である。


 まりもを初めとする帝国軍人の多くは、戦術機をいかに己の体のように動かすかに全身全霊をかけており――いわば、戦術機を「もうひとつの体」として捉えているのだ。
戦術機を『汎用兵器』として捉える米国とは対照的と言えよう。


 余談ではあるが、戦術機に求められる性能もまた、帝国と米国では大きく異なる。
帝国では密集したBETAに対する近接格闘戦能力が何よりも重視されるのに対し、米国では汎用性と、そしてなぜか対戦術機性能が重視されているのだ。
ちなみに米国の戦術思考よりも、帝国の考え方のほうがこの世界では一般的なのは言うまでもない。


 さて一方で、武の発想はやや米国よりだが、しかし近接戦を軽んじないと言う点で米国と大きく異なっている。


 武は戦術機を『ロボット』という既存のどんな兵器とも違う別個の存在として捉え、一つ一つの技を磨くと言うよりは技の連携や機を見た行動に特化したのだ。
逆を言えば、現状では一つ一つの技の精度はおざなりになってしまっているという事の裏返しでもある。
『ゲーム』で人型兵器という存在に慣れてしまったがゆえの効用と弊害が一度に出た形だ。


――とは言いつつも、中~近距離戦を織り交ぜた独特の戦闘方法は対BETA戦のみならず、対戦術機戦においてもすぐれた戦闘力を持つことは紛れも無い事実である。



「ええい、ちょこまかと――っ!!」



 まりもは頭上を我が物顔で跳ね回る武機に向かって突撃砲を放つも、FCSが武機の機動を補足仕切れず弾は明後日の方向へそれていってしまう。
そのまま武はまりもを無事追い越して着地し、チャンスとばかりに引き金を引くも――



「ああ、畜生、なんで腕まで!!」



 着地の硬直で機体の腕がうんともすんとも言わない。
そうこうしている内にまりもの機体は体勢を立て直してしまった。


 まりもが撃てば武が跳び、武が跳べばまりもが隠れるという、まさにイタチゴッコ。
お互いに決定打を欠いたままなおも戦闘は続いた。








 戦場はいつの間にかビル群から仮想空間の隅にある丘陵地帯へと移動していた。


とうとう痺れを切らしたのか、はたまた弾薬が切れたのか判らないが突撃砲を捨て長刀を引き抜くまりも。
高速接近してくる彼女の機体に対し、武は残り少ない残弾を惜しみなくばら撒いた。


 しかし、まりもがまるでFCSの特性を見切ったかのように絶妙のタイミングで『切り替えし』をしてくるため、放った弾は地面を削る以外の仕事をしてくれない。
すべる様に動き回るまりもの機体――どういう仕掛けかは知らないが、動きにまったく隙がなかった。



「この動き、どこかで見たような……?」



 武は見覚えのあるまりもの機動――

 その正体に気がつき、武は思わず口元を引きつらせる。
そう、この動きは己を追い詰め、そしてラプターを仕留めた『沙霧大尉』の動きにそっくりだったのだ。
もしや、帝国のエリートたちの間では有名な操縦技術なのだろうか?



「(――いや、それにしても、同じ旧OSを使っているはずなのに、なんで神宮司教官の機体には、ほとんど硬直が発生しないんだ?)」



 頭に浮かんできた疑問を頭のふちに追いやり、武は再び目前の脅威に集中した。


 沙霧大尉に追い詰められたあの時と酷似した今の状況――だが、一つだけ、しかし大きな違いがあった。
自分以外の同乗者に対し、気を使う必要がないのである。


 まりもが地を蹴り、一気に飛び込んできた――おそらく、ここで勝負を決めるつもりなのだろう。
武は来るべきそのときを見極めるため、あせらずジッと身構えた。



「(チャンスは一度――今!!)」



 武は噴射跳躍で上空に飛び上がった。
まりもの突撃をすんでのところで回避。
続いて空中で機体を反転、倒立させ、再び跳躍装置に火を点す。


――『反転倒立ジャンプ』
武がとっさの思いつきでとった行動は、皮肉にも旧OSを使いこなした者たちが戦場で愛用する技と同じであった。


 一転して、まりもの背後を取った武。
この距離なら、まず攻撃をはずすことは無い。
武が勝利を確信した、まさにその時――パイプでドラム缶を叩いたような大きな衝撃音とともに、武の機体が大きく揺れた。



「――ッ、ぐうう!!」



 くぐもった呻き声が武の口から漏れる。
どうやら撃震の背中に搭載されていたもう一振りの長刀が跳ね上がり、それが機体に直撃したようだ。
機体にダメージらしいダメージはほとんど無いが、着地直後で重心が不安定だったこともあり、武の機体は大きく仰け反って硬直してしまった。


 次の瞬間、こちらを振り返ったまりもの長刀が振り下ろされる――







「なかなかがんばったが、私にも意地があるのでな。 勝たせてもらったぞ。」



 汗で額に張り付いた髪を鬱陶しげに払いのけながらまりもは言った。



「さて、私がなぜ旧OSを貴様に使わせたかわかるか?」

「はい、自分の欠点を見つめなおさせるためですね。」



 武の言葉に、まりもはうなずいた。



「その通り。 私に言わせて見れば、貴様の機体の扱い方は――まったくダメだ。 話にならん。」



 顔を顰めさせながら、まりもは答えた。



「第一に、貴様の操縦は戦術機に負担がかかりすぎだ。 加えて、一つ一つの動作がいちいち大げさすぎる。 さらに、重心の運び方が下手すぎる。 機体を無理やりに動かしすぎる。」



 まりもは言いながら武を見下ろす。



「よくもまあ訓練中に機体が分解しなかったものだ、貴様は運がいい。 ――あの様な戦い方を続けていれば、事故を起こす前に、遠からず自身の体を壊すだろうがな。」



 まりもの指摘に、武はひたすら沈黙で返した。
事実、基地防衛戦の際には機体をスクラップ寸前にまで追い込んだ経験がある以上、何も反論ができなかったのだ。



「とはいえ、確かに貴様の戦場を空間的に捉えた動きは、今までに無い画期的なものだ。 その出鱈目な操縦さえ何とかすれば、あるいはもっと伸びるかも知れん。」



 唐突におだやかな口調に戻り、まりもは続けた。



「もし覚悟があるなら、明日、同じ時間にココに来い。 あらかじめ行っておくが、教導隊式の特訓は伊達じゃないぞ?」

「――ハイ!」



 まりもの返事に、思わず会心の笑みを浮かべる武。
まりもはそんな彼の様子を眩しそうに見つめつつも、その視線には一抹の憐憫をにじませていた。







「タケルちゃ~ん! もう、どこ行ってたのさ?」

「ああ、タケル! ちょうどいいところに着たわね。」



 まりもとの訓練を終え、PXに入ったとたん呼び止められる武。
驚いて振り向くと、そこには207Aの面々が勢ぞろいしていた。



「な、なんでこんな時間にお前らがPXにいるんだ?」

「なに言ってんだよ武。 207隊が今日PXを自由に使えるのは、今の時間しかないだろう?」



 武の疑問に笑いながら答える孝之。
言われてみれば確かにそうだ。
PXにかかっている時計を見て、武は首を縦に何度か振った。



「いま皆で面子遊びしてたんだけど……白銀くんは、どうする?」

「ああ、ならせっかくだから混ぜてくれよ。」

「そう言うと思ってたぞ。 ほら、お前の分の面子。」



 そう言って慎二は数枚の面子を武に渡した。
プリントされているキャラクターは皆古めかったが、なぜか武にはどれもどこか見覚えがあった。
この世界のキャラクターや俳優はほとんど誰も知らないはずなのに、これはどういうことだろうか?



「なあ、純夏。 このキャラクターって……。」

「え? なに、タケルちゃん? チョップ君がどうかしたの?」

「こ、これがチョップ君?!」



 熊の体になぜかアヒルの嘴……いや、アヒルの体に熊の耳をつけたのだろうか?
なにやら眉を困ったように「ハ」の字に曲げた、自分の札の中で一番滑稽な姿をしたキャラクターが、因縁の『チョップ君』だったらしい。
こんなものに自分は似ていると言われていたのか? 絶対に認めないぞ、と、武は天を仰いだ。



「いきなりどうしたの、タケルちゃん?」

「いや、なんでもねえ! ちょっと懐かしいことを思い出してだな。 ……あーちょっと聞いていいか?」

「……? 別にいいけど。」



 一瞬躊躇しつつも、武は勇気を振り絞って口を開いた。



「……オレって、チョップ君に似てると思うか?」



 ――刹那、PXに静寂が訪れる。



「――っ! あーはっはっはっは!!」



 唐突に豪快な笑い声を上げる純夏。



「な、なんだよ!! 別にそんなに笑うことねえだろ!」

「ご、ごめん。 でも深刻そうな顔してたから、なにを言うかと思ったら……ぷっ!」



 よほど壷に入ったのか、再び噴出しかける純夏。



「どうしたんだ鑑? いきなりそんな馬鹿笑いして。」

「ねえ、ちょっと鳴海君聞いて――あぐうっ!!」

「純夏、ストップ!! そこから先はオレが自分で言う。」



 いきなり言いふらそうとする純粋の頭に制裁を加えながら、彼女の言葉を遮るように言った。



「……あれ? 孝之君たちどうしたの?」

「なんだなんだ?」



 遙を筆頭に、騒ぎを聞きつけ集まってくる隊員たち。
武は面倒くさそうに頭を描きながらぶっきらぼうに口を開いた。



「あー笑わないで聞いてくれよ。」

「いいからまず用件を言えっての。」

「わかった。 ……オレって、チョップ君に似てると思うか?」



 武の言葉は結果として、さらに3人分の笑い声を増やす結果となった。



「……だから、何で笑うんだよ。」



 割と真剣に聞いてるのに、と、うなだれる武。



「ごめんごめん……。 うーん、そうねえ……言われてみれば確かに似てるわね。 ちょっとだけ違うけど。」

「うーん……、私は、あまり似てないと思う。」



 似てるという水月と、似てないと言う遙。



「どうだろう、似てるって言えば似てるし、似てないって言えば似てないんじゃないか?」



 結局似ているのか、似ていないのかはっきりしない皆の答えに、武は眉をひそめた。



「チョップ君ねえ……あ、そういえば。」

「――速瀬、なんだよこっち見て?」



 いきなりジッと見つめられ、居心地が悪そうに問いかける孝之。



「うん、やっぱりそう。 タケルもそうだけど、孝之もチョップ君に似てる。」

「――は、速瀬っ! それってどういう意味だよ!!」



 水月の聞き捨てなら無い言葉に、孝之はすぐさま噛み付いた。



「……孝之君には悪いけど、確かに似てるかも。」

「確かに、むしろチョップ君のほうが孝之に似せたんじゃないかってぐらい似てるな。」

「うん、そっくりだね!」



 孝之の必死の反論もむなしく、口々に賛同の声が上がる。



「遙、慎二、鑑まで……。」

「まあなんだ……チョップ君同士、仲良くやろうぜ、な?」

「……なんだろう、チクショウ、心の汗が!!」



 ガックリと項垂れる孝之の背中をさすりながら、武は思った。



……チョップ君って、結局なに者なんだ?
って言うか、チョップ君に似ていると、やっぱりまずいのか?!



 ――それは夏も盛りを迎えた、8月の初めの出来事だった。






[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第五章 第六話 遅刻 ~The husband is always the last to know.~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:8b4e2465
Date: 2010/08/22 00:55







 ――特訓開始から数日


 207の面々は、武が『特訓』を受けていることをひょんな切欠で知るなり、その『特訓』を自分たちも受けさせてもらえるよう、教官に直談判を行なったのだが――



「貴様たちにはまだ早い。」



 と、一言であっさりと却下されてしまった。
まりもが言うには、「まだお前たちには、他に学ぶべきことが山ほどある。」とのことらしい。
ごねてもしょうがないことは分かりきっているので、純夏達はしぶしぶながら教官の言葉に従ったようだ。
……教官に鋭い眼光で一喝された後に、だが。


 まりもが訓練兵たちに己の『機動技術』の表面的な部分しか教えない理由――
武は「なんとなく」にとどまるものの、その理由が理解できるような気がした。



 まず第1に、まりもの『機動制御技術』は、素地のない者がたった2ヶ月で習得できるほど簡単ではない。
教官の機動は、武の機動よりずっと洗練された、それこそ芸術とも言っていいほどの『技術』を必要とする。


 もしも、たった2ヶ月という短期間で1から身につけようとするならば、日がな一日訓練していても足りないぐらいだろう。
正直なところ、武本人も27日までに間に合うかどうか、微妙なところだ。


 加えて、教官の機動は明確に未来を見据えて組み立て……コンボを繋げなければ、その有効性がほとんど失われてしまうことがわかった。
そのコンボを組み立てる上で必要とされるのが素地――つまり、戦況を冷静に分析する能力や、仲間との連携を視野に入れた行動の取捨選択能力などである。
武は、いわゆる『前世』からゲームでこの手の考え方には慣れ親しんでいたので特に抵抗を覚えることは無かったが、一般の訓練兵にとっては未知とも言える考え方だろう。



 ようするに、「素地のない者=訓練兵」がいくら努力して彼女の機動制御技術「だけ」を身に着けたところで、実戦ではほとんど役に立たないということだ。



 さらに言えば、先に述べた「操縦以外の分野」の学習のプライオリティを下げてまで、機動制御技術を掘り下げて学ぶメリットが武にはほとんど思いつかなかった。
武は『前世』で3対3の模擬戦を行なった際、とある理由から仲間内の連携が酷かったがために、ほとんど一矢も報えぬまま連続で大敗けした経験がある。
その経験から、武は仲間同士の連携技術が、操縦技術に勝ることを理解していた。


 それに、操縦技術は例えここで学ぶことができなくとも、いずれ戦場で戦うにつれ自分に最も合った技術を身につけられる。
配属された先で、先任に教えてもらうという手段もあるだろう。



 仮にうまくいって個人レベルでの操縦技術がある程度形になったとしても、他の部分が欠落していたのでは『死の8分』を、たぶん乗り越えられない。
逆に言えば、個人の操縦能力が特別優れなくとも、隊の連携や決断力、判断力さえしっかりとしていれば、案外何とかなるものだ。



 その証拠が、先の対BETA訓練の結果である。
技術的には新米衛士レベル以下の訓練兵が一人も欠けることなくミッションを突破できたのは、新OSの効果もさることながら、それ以上に拙いながらも各々が役割をこなしたからである。
武はと言えば、このとき慣れない援護射撃に徹していたため、実のところさほど目立った戦果を挙げてはいない。



 教官は、訓練兵たちを戦場で「少しでも長く生き」させるため、訓練期間中に「教えられる限り」の事を教えてくれていると、武は思っている。
ただそれでも、『時間』という大きな制約がある以上、ものごとには優先順位というものが生まれるはずだ。
もちろん、時間外訓練をさせれば間に合うかもしれないが、それは訓練兵に無理を強いるということでもある。


 ……あるいは、『伊隅みちる』の代に起きたという『死亡事故』は、連日の時間外訓練で疲労を蓄積した訓練兵が起こしてしまったのかもしれない。


 そして、もしも教官がその時間外訓練を「強制してやらせていた」とするれば……みちるが教官に食って掛かったというのも頷ける。
例え仲間を失った後とはいえ、挑発や、教官の涙程度であの『伊隅みちる』が我を失うなどとは考えられない。



「武、だからそんな難しそうな顔して黙り込むのはやめろって。」



 孝之に横から話しかけられ、武の思考が強制的に中断する。



「あ、えーっと……。」

「言わなくても判ってるわよ。 特訓のことでしょ?」

「――っあ、ああ。」

「まったく、別に私たちのことなんて気にしなくてもいいのに。」

「……? いや、そのなんていうか……。」

「なんだそうだったのか、別に気にするなよ。」



 水月の言葉を聞いて、笑いながらそんな事をのたまう慎二。
まあ、あえて否定して話を混ぜ帰す必要も無いか、と、武は開きかけた口を閉ざした。



「まあ、なんだ武。 ……別に悩まなくとも、すぐに追いついてやるから待ってろって!」

「あら、慎二、良いこと言うじゃない。 そうよ、すぐに追いついてやるんだから、首を洗って待ってなさい!」

「水月……そんな、『首を洗って』だなんて、物騒がせすぎだよ……。」

「あはははは! や、や~ね~、遙。 言葉のあやよ、こ・と・ば・の・あ・や!」

「言葉のあや、かあ……。」



 孝之が何かいいたげな目で水月を流し見る。



「……なによ、孝之。 なんか文句あんの?」

「いや、別になんでもねえよ。」



 水月にギロリと睨まれ、視線をそらす孝之。
以前に比べれば良い判断だろう。



「まあまあ速瀬さん。 そんなことより、早くお昼ご飯食べちゃおうよ。」

「それもそうね鑑。 ――さて、午後の訓練の分も、たくさん食べないと!」

「いや、速瀬、お前は明らかに食いすぎだぞ。 そのうちう太って後悔――ゲフッ!」

「……孝之、いつも思うんだが、お前一言多いぞ。」



 顔面から昼飯――今日は餡かけそばだ――に突っ込んだ孝之。
自業自得とはいえ、思わず合掌する武。
女性に体重の話題はタブーだということぐらい、孝之も分かっているはずだが……ひょっとしてわざとなのだろうか。


 夜の特訓――こんな言い方をすると卑猥に聞こえるが――を断る際に、まりもは隊員たちに1つチャンスを与えた。
そのチャンスとは、「もしも、武とまりものエレメンツに5人がかりでも勝つことができたなら、特訓に加える。」というものだ。
武の時とは違い、お互い新OS同士の戦いである。


 それを聞いた207隊は、翌日から連日5人そろって夜の9時、つまり特訓の開始時間に武たちの前に姿を見せ――そして2人に返り討ちにされている。


 実質なんだかんだと、教える内容が違うだけで特訓には参加させているのではないだろうかと思わないでもない。
教官と戦う機会など、『前世』では一度も無かったことから考えて、仲間たちはとても貴重な体験をさせてもらっている事になるのだろう。



「(とは言っても、どうせあと一週間もしないうちに、こいつらは条件をクリアするだろうけど。)」



 武は思う。
特訓がばれてからというもの――正確にはまりもに特訓を断られてからというもの――隊員たちの訓練に対する打ち込みようは間違いなく上昇している。



 つい先日の訓練で、武の所属したチームについに黒星がつくという一幕があった。
まんまと敵の罠に引っかかり、武以外の2人……孝之と慎二が早々に撃墜され、孤立してしまったところを女性衆3人がかりで撃ち落されたのだ。
武は最後に、何とか意地で純夏を道ずれにしたものの、結果は「キル:デス=1:3」……完敗である。


 ちなみに、このときは武の采配ミスももちろんあったが、一番の敗因となったのは慎二の独断専行だった。
意外に慎二は冷静そうに見えて、孝之以上に視野狭窄に陥りがちなところがあるらしい。



 余談だが、模擬戦をする際の組み合わせは、ほぼ毎日といって良いほどの頻度で変更される。
おそらく、どんな組み合わせでも連携を組めるようにするための訓練の一環なのだろう。
名目上、訓練兵たちは卒業後はバラバラの隊に配属される「はず」なのである。


 ……もっとも、207隊の場合は、そのまま丸ごとA01に編入されるのだが。



「いやあ、それにしてもコンボって便利だよなあ。」

「そうさ、あれさえあれば、ほとんど硬直発生しないからな。」



 重心移動に手間取り、硬直する機体――そしてその度に飛ぶまりもの罵声を思い出しながら武は言った。
旧OSを使っていると、まれに新OSの先行入力、そしてコンボが恋しくなってたまらなくなる。
恐らくそれに頼りきりだったからこそ、基地防衛戦で機体を壊してしまったのだろうが。



「硬直……。 ああ、まあそれもそうだけどよ。」



  しかし、返す孝之の言葉はどこか中途半端だった。



「あっと、『それはそうだけど』って言うと?」

「いや、覚えさせさえすれば、むちゃくちゃ操作が複雑な機動とか、簡単な入力でできるようになるじゃねえか。 あれが便利だなあと思って。」

「ああ、そういえば……。」



 「そんな機能もあったっけ。」言いかけて、武はウンと首をひねった。



「(コンボ……複雑な機動の簡略化……ちょっとまてよ、ということは……!!)」



 背筋を閃光のような速さで衝撃が駆け巡る。
武は思わず叫びたくなるのをぐっとこらえ、孝之の肩をつかんで言った。



「~~っ!! でかしたぞ孝之! お前やっぱすげえよ!!」

「……はっ?! 何が?! ってか、いきなりどうしたんだよ?!」

「こうしちゃいられねえ、純夏!! オレの分のトレイも一緒に帰しといてくれ。 オレはこれからちょっと教官、いや、香月博士のところに行ってくる!!」



 武は言うなり床を蹴ってPXから飛び出した。



「へ? もう武ちゃんっ! なんでいつも私に押し付けていくのさ!」



 後ろで何か聞こえたような気がしたが、武はかまわずに走った。
久々に腹の底から浮かんでくる爽快な感覚に、走らずにはいられなかった。
まったく、発案者が忘れてたんじゃ世話が無いと笑いながら、そしてヒントをくれた仲間に感謝しながら。
あまりにも『コンボ』の存在に慣れすぎていたのだろう、こんな簡単なことに気がつかないなんて。



「は……ははっ!」



 武は不器用に、しかし心の底から笑った。


 これで……これで、間に合う。
いや、きっとBETAすらも食い止められる。


 武は確信を胸に、夕呼の部屋へと通じる道を、ひたすら駆けた。







「先生! 先生先生先生っ!」

「――五月蝿いわね~。 これでも飲んで少しは落ち着いたら?」



 部屋に入ってくるなりものすごいテンションで叫びまくる武に、無地の、何の飾り気も無いマグカップに注がれたコーヒーモドキを差し出す夕呼。



「……ゲホっ! 貰っておいてなんですけど、こりゃ酷いですね。 どれだけ濃く淹れたらこんなになるんです?」



 冷めたコーヒーモドキを一口であおり、その墨汁に酢を足して砂利で割ったような味に咳き込む武。



「……白銀さん、水です。」

「お、サンキューな、霞。」

「……どういたしまして、です……。」



 水を持ってきてくれた霞に軽く礼を言いながら、武は夕呼に向き直った。



「なによ、コーヒーモドキなんて、ようは眠気が吹き飛べばいいんでしょ? ちゃんと淹れたってどうせ泥水以上にはならないんだから。」

「――まあ、先生の言うことにも一理ありますけど。 それでもできる限りおいしいのを飲みたくありません?」



 武は返事をしながら、まだ舌の上にザラザラと残る不快な感触に渋い顔を浮かべた。



「その時はちゃんとした豆を使ってコーヒーを淹れるわよ。 で、そんなことはどうでもいいでしょ? 用件はなんなの?」

「――そうでした! 夕呼先生、衛士達の技量を簡単に底上げする方法を思いついたんです!」

「へえー。 そんな虫のいい話があるのなら、ぜひ聞かせて頂戴?」



 口調からして、夕呼は武の答えにそこまで期待を抱いていないらしい。
その済ました顔が、驚愕で歪む様を想像し、武は顔がにやけそうになるのをこらえながら口を開く。



「OSに、あらかじめ技量の優れた衛士の機動を覚えこませておくんですよ!」

「……ふ~ん、そう。」

「『そう』って、先生! これ、けっこう画期的なアイディアなんですよ!」



 武は必死に、OSにあらかじめベテラン衛士の機動を記録させておく利便性を説いた。


 曰く、本来複雑な入力が必要とされる機動が、簡単な入力で即座にできるようになる。
 曰く、新米衛士に複雑な操縦を教える時間が短縮できる。
 曰く、戦術レベルでの選択肢が大幅に拡張されるetc...


 思いつく限りの利点を武は並べ立てたが、一向に夕呼の表情は動かない。



「なるほど、ね。 それにしても白銀、アンタまだ気がつかないの?」



 武の説明が一区切りついた頃、見計らったように夕呼が口を開く。
「アナタって、やっぱりバカだったのね。」ともいいたげな、冷たい表情で武を見つめている。
霞は、そんな夕呼の様子を無表情で見上げていた。



「ええっと……。」



 何に気がつくというのかが、武にはさっぱり理解できない。
そんな彼の様子に夕呼は溜息をつくと、先ほどとは打って変わり、顔に悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。



「そんなこと、アンタに言われなくても、もうとっくの昔からやってるわよ。 アンタだって協力したじゃない。」

「……ええっ?!」



 夕呼の衝撃的な発言に、武は大口を開けて固まった。



「気がついてなかったの? でなきゃ、もうOSは完成しているのに、わざわざアンタのデータを取り直す必要ないじゃない。」

「データ取り……ああ、7月中のあれですか? ……え、でもあれはバグ取りだったんじゃ……。」



 武は、仲間と一週間離れていた間に行われた過酷なスケジュールを思い出しながら言った。



「それは物のついで……だったはずなんだけどねえ。」



 夕呼にジト目で睨みつけられ、武は思わず背筋を伸ばす。



「誰かさんの機動が想定以上に乱暴でね~。 機動制御系と直接は関係ないから放っておいたデフォルトのクソ対衝撃用慣性制御プログラムじゃ処理がおっつかないのなんのって……。」



 「気がついてみれば、そっちの作業量のほうが多かったわ。」夕呼はそう言って肩をすくめた。
霞も何時の間に移動したのか、となりでコクコクと頷いている。



「う……すみません。」

「別に謝ることじゃないわ。 結局、旧OS自体が私の想定以上にバグだらけのクソの塊みたいな代物だっただけなんだから。」

「で、でも、それじゃあなんで最初からそう言ってくれなかったんですか?」

「あら、私はちゃんと、『雛形はほとんど完成してるから、あとはあなたの機動を叩き込むだけでいいわ。』って言っておいたはずだけど?」



 夕呼に指摘され、武はようやく気がついた。
あの時、自分に要求されていたことは、夕呼に言われた事以上でも以下でもなかったことを。



「なに深読みしたのか知らないけど、勝手にアンタの妄想を押し付けないでくれる?」

「すみませんでした……。」

「ま、いいわ。 それにしても気がつくのが遅かったわね。 まあ、次回のOSの更新には間に合ったのだから、一応合格としておいてあげようかしら?」

「OSの更新……?」



 夕呼の口から発せられた耳慣れない言葉に、武は首をひねった。



「そうよ。 ようやく、A01やまりものデータ収集が終わったから、それを反映させた新OSを暫定的に導入しようと思ってね。 1週間以内にはあなた達の訓練兵部隊にも搭載する予定よ。」

「ま……神宮司教官のデータも収集してたんですか?! いったい何時の間に……。」

「アンタねえ――。 はあ、もう少し身の回りの情報に気を払いなさい。」

「は、はあ……。」



 つまり、身の回りの判断材料は山ほど転がっていたと言うことだろう。
武を見る霞の様子も、どこか呆れているように見える。
武は己のあまりの鈍さに溜息をついた。



「……それよりいいのかしら? もうそろそろ訓練が始まってるんじゃないの?」



 言われて時計に目をやる。
訓練開始時刻から、すでに10分が経過していた。



「――まずっ!! せ、先生! 霞! それじゃあオレはこれで!!」

「まったく、次来るときはもっと有益な情報を持ってきて頂戴よね。」

「……バイバイ。」



 夕呼の苦言を背に受けつつ、武は来た道を再び走って――否、来るとき以上の猛烈なスピードで駆けた。
しかし、そんな努力もむなしく武は無断遅刻の罰として、強烈なストレートを一発と、腹筋腕立て200というあり難い罰を科せられた。

 そして、その日の夜行われた特訓は、普段にも増して熾烈さを極めたらしい。








[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第六章 第一話 警鐘 ~Lay up for a rainy day.~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:8b4e2465
Date: 2009/06/21 16:23




 いつもの特訓を終え、時刻は11時を回ったあたり。
消灯時間はとうに過ぎているはずなのだが、武たちがいるシミュレータールームの電灯が消えることは無かった。
そんなことが起こらないよう、まりもがキチンとした手続きをとっているためだ。



 軍隊と言うところは、形式に異様なまでにこだわりを見せており、例えばシミュレーターの利用許可についても、教官が毎日利用許可申請書を提出しなければならないのだ。
もちろん利用が終わったら終わったで報告書を提出しなければならないのは言うまでも無い……とは言っても、ここ白稜基地ではちょっとした例外が存在する。


 『香月博士』の「鶴の一声」さえもらえれば、報告書など面倒な手続きのいっさいがっさいが吹き飛んでしまうのだ。


 もちろん、来るべき『横浜基地時代』のように万能とまでは行かないが、現在でも多少の無理は利いてしまうのが恐ろしいところだ。
彼女のことだから、上層部の弱みを握ってしまっているに違いない、と、武は考える。



「そういえば……。 あ、あの、神宮司教官!」



 夕呼の事を考えていてふと思い出したことがあり、武は今まさにシミュレータールームから出て行こうとしていた教官をあわてて呼び止めた。



「ん? どうした、白銀?」

「1つ質問をよろしいでしょうか?」

「消灯時間は当に過ぎてるからな、手短に頼むぞ。」

「はい。 あの、香月博士から伺ったのですが、教官も新OS開発に携わっているんですよね?」

「ああ、その通りだ。 それがどうかしたのか?」



 武の問いに、まりもはひどくあっさりとした口調で答えた。



「あの、だとしたら、なぜ自分の我侭を聞いて下さったんです?」



 新OSにあらかじめ搭載されることが分かっているのだとしたら、自分の教導など後回しにして、その時間をOSの完成のために時間を割いたほうがよかったのではないか?
武の言いたいことは、つまりそう言う事だ。



「ああ、それは――」



 口を開きかけて、まりもは口をつぐんだ。
そのまましばらく何か思案するようにウンウンと唸っていたが、やがて再び口を開いた。



「香月博士からの要望でな、貴様の出鱈目な機動をできる限り矯正してくれと頼まれたのだ。」

「せ、先生がですか?!」

「なんでも、データを取っている最中に気がついたらしい。 当然、数値上の話だがな。」



 ああ、そういえばその事で文句を言われたばかりだったか……。
武は夕呼の表情を思い出し、どこか納得した。



「博士にいわれた通り、改めて見直してみると確かに貴様の操縦は機体に無駄な負担をかけていた。 あれでは戦場で半日もたたんうちに機体がジャンク行きだったろうな。」

「……『だった』ということは、少しはマシになってきてるって事ですかね?」

「そうだな、『少しは』マシになってきているだろう。 もっとも、そうでなければ困るのだが。」



 まりもはそこで一旦言葉を切ると、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて続けた。



「なにせ、貴様には新OSの更新が完了次第、207隊員に対する教導の補佐をしてもらうつもりだからな。」

「え――っ?!」



 武は驚きのあまり叫びそうになってあわてて口を押さえた。
消灯時間に廊下で大声を出すなど正気の沙汰ではない。


 武は大きく深呼吸をすると、心を落ち着かせながらまりもの様子を伺った。
やはりと言うべきか、まりもに冗談を言っている様子は見当たらない。
いや、そもそも武の知る限り、彼女はこういった類の冗談を言う性格の持ち主では無い。
ということは、本気で訓練を手伝わせる気なのだろう。



「あの失礼します。 補佐と言うと、具体的に自分はいったいどのようなことをすればよろしいのでしょうか?」

「なに、別に特別なことをしろと言っているわけじゃない。 普段通り、仲間にそれとなく助言を渡す程度でかまわん。」

「は、はあ……?」



 「素地がなくては、貴様とてソレすらできんだろう?」そう言って微笑むまりもの意図がますます分からなくなり、武はあいまいにうなずいた。



「普段の様子を見ていて気がついたんだが、どうやら貴様には人にモノを教える才能があるように思える。 その才能、眠らせておくには惜しいのでな。」

「才能ですか?」

「なんだ? 私の言葉が信用ならんのか?」



 武はウンと首をひねった。
というのも、今まで誰にもそんな事を言われた記憶がなかったのだ。



「……すみません。 そんな事、今まで誰にも言われた記憶がなかったんで、ちょっと混乱しているだけです。」

「ふむ、そうか? 私には、どこか教え慣れているようにさえ見えたんだが……。」



 まりもの言葉を聞いて、武は己が転生を繰り返すその度に、仲間達に戦術機の操作方法について教えていたことを思い出した。
なるほど、確かに「教え慣れている」と言えなくもないだろう。



「なんにせよ、初日は隊員たちに見本として『立ち回り』を見せる予定だ。 さっそく貴様の出番だぞ。」

「……ぜ、全力を尽くします。」

「いい返事だ。」



 まりもはそう言って、武にニコリと笑って見せる。



「もう時間も遅い、明日の訓練に響かないよう、貴様はもう休め。」

「はい、ありがとうございました。」



 今一度姿勢を正し、まりもに敬礼をすると薄暗い廊下を兵舎へと静かに向かって行く武。
そんな彼の後姿を見送るまりもの手は、なぜか強く握り締められ、わなわなと震えていた。



「同じ穴の狢……か。」



 はたして、ソレは誰に向かって呟かれた言葉なのだろうか……。
まりもは握り締めていた手を解くと、自らもまた暗い廊下の先へと姿を消していった。







 ――教官は、たぶん何かウソをついている? いや、隠しているのか?
常夜灯に照らされた廊下を進みながら、武は先ほどまりもが見せた不可思議な様子の意味を考えた。


 博士に教導を頼まれていた? ならば何故自分が言い出すまで黙っていたのだろうか? あるいは自分が特訓を頼んでから博士に相談に行った?
確かにそう考えることもできないが、しかし何かが引っかかる。


 幸いなことに、どうやら教官は博士と異なり、ポーカーゲームはあまり得意でないほうらしい。
なにせ、いつも鈍いと叱られている己でさえ違和感に気がつけたのだ。
あるいは、ワザと『気がつかせていた』とも考えられるが――



 「気のせいか。」呟きかけて、武は口を閉ざした。
夕呼に投げかけられた言葉を思い出したのだ。
そうだ、いつもこうして思考を停止するから、手遅れになる。
何か手がかりがあるはずだ……!


 ――『身の回りの情報』


 先生がヒントをくれるなんて、これ以上に無いサービスじゃないか。
きっと何か身の回りにヒントがあるはずなんだ、きっと。



「タケルちゃん、今日は遅かったね。」



 声と同時に、目の前の暗がりが隆起したかと思うと、それは人の型を取った。
こんな暗がりでも目立つ朱色の髪……彼女以外には考えられない。



「おいおい、純夏……。 こんな時間まで廊下でなにやってんだよ。」

「決まってるじゃん、タケルちゃんを待ってたんだよ。」

「ま、そうだろうな。」


 
 武は苦笑いを浮かべながら答えた。
どうやら考えているうちに部屋の手前までたどり着いていたらしい。



「今日は元気そうだったから、久しぶりに楽しくおしゃべりできるかなって思ってたんだけど……タケルちゃん、やっぱり元気ないね。」

「……そんなこと、ねえよ。」



 こうして寝る前に会話をしていると、ふとした拍子で口を滑らせそうになる。
彼女にならいいんじゃないだろうか? 甘い言葉は常に己の心の中にあれど、その言葉に流されることだけは決してしない。
弱さは、破滅を呼ぶ……甘えは『タブー』、許されない。



「また、嘘ついてる。」

「……。」



 武は言い返せない。
いや、何かを言おうと必死に口を開くのだが、喉を通り抜ける間に言葉は形を失い、塵散りになって、出てくる頃にはただの溜息になってしまうのだ。



「あーあ、速瀬さんがダメでも、私にならきっと話してくれると思ってたんだけどな……。」

「いつか……いつかきっと話す。」



 武がようやく口にした言葉は、問題の先送りを意味した。
どうしても、己の弱さを捨てきることができなかったのだ。
甘えは許されない、それでも、どうしても己の弱さは隠しきれない。
それが今の武の限界であった。



「あはは、ごめんねタケルちゃん。 私、もう待てないよ。」

「――っ!」



 しかし純夏は、武の弱さを残酷に切り捨てた。



「タケルちゃんが大丈夫そうなら、私、何も言わない。 でも――最近のタケルちゃん、ぜんぜん大丈夫そうじゃないもん。」

「……純夏。」

「タケルちゃん、いつも苦しんでる。 笑いながら、心で泣いてる。」




 まったく、こいつは霞と同じESPなのでは? それとも、よほど自分はポーカーフェイスに向いていないのだろうか。
武は悩むものの、純夏にそれを聞いたところで


――「タケルちゃんの事なら何でもお見通しだよ!」


 といったような、返答になってない返答が帰ってくることは目に見えているので、武は何も言わずに純夏の言葉に耳を傾けた。



「タケルちゃんが、いったい何に苦しんでるのか、わからないよ。 ……でも当然じゃん! タケルちゃん、何も話してくれないんだもん!」



 だんだんと声を荒げる純夏。



「話してくれなきゃ分からないよ! そんなに辛そうな顔されて、大丈夫だってウソついて……。」



 鼻をすする音が聞こえる。
どうやら自分は、「また」純夏を泣かせてしまったらしい。
公園での『彼女』の姿と、今の純夏の姿がダブり、武は唇をかんだ。



「ねえ、お願い……。 もう、見てるだけは耐えられないよ。 私、頼りないかもしれないけどさ、力になれるよう努力するから! いっぱい、いっぱい、がんばるから!!」

「――純夏っ!! やめてくれっ!!」



 叫ばずにはいられなかった。
このままだと、また自分の弱さに負けてしまうことが、武には分かっていたから。


 しかし、それだけはできなかった。
武は、繰り返すわけにはいかなかった、否、繰り返すことが恐ろしかった。
なぜなら、彼が弱さをさらけ出した存在は、みんな彼よりも先に逝ってしまったから。



「いつか、いつかきっと話すから。」

「……イヤだ! 今、話して!」

「いつか話すって言ってるだろ?!」

「いつか話すなら、今話してくれたっていいじゃん!!」

「だから――!!」



 武が怒鳴り返そうとした刹那、吼えるような警報音が武の言葉を打ち消した。
耳障にがんがんと響くこの音……久しく聞いていなかったが、これほどまでとは。
まるで甲子園の会場を知らせるようなサイレン音――だが、そのサイレンが意味するものは、甲子園などという平和なものではない。



『──デフコン(防衛基準態勢)2発令。 全戦闘部隊は即時出撃態勢にて待機せよ! 繰り返す──デフコン2発令。 全戦闘部隊は30分以内に即時出撃態勢にて待機せよ!』



 一斉に廊下の電灯に灯がともり、一瞬眼がくらんだ。
備え付けの赤い警告灯が回りだし、主が寝静まっていたはずの周囲の部屋からも、バタバタとあわただしい音が響き始めた。



「た、タケルちゃん……。」

「ちっ……純夏! 急いで着替えて来い!」

「う、うん!!」



 すぐさま服を着替えると、混乱する純夏の手を引いて武はブリーフィングルーム……207隊の座学教室に向けて駆け出した。
どうやら、今回も僅かながら『遅すぎた』ようだ。







 207小隊のブリーフィングは、通常座学教室にて行われる。
もちろん『座学』教室というだけはあって、ブリーフィング用の機材も全て整っているので特に不都合はない。



「――これより、状況を説明する。」



 隊員たちが集まったのを見計らって、まりもが口を開いた。



「本日1150時に、オホーツク海から北海道稚内市方面に2個連隊規模のBETAの上陸を確認。 同時刻に防衛基準態勢2が発令された。」



 BETAの上陸――あまりにも非現実的なその言葉に、一瞬207隊員たちが一瞬ざわめく。
まりもの1睨みで表面上は隊員たちに平静が戻ったが、内心の動揺は武でも容易に感じ取れるレベルだった。



「BETAの進攻ルートから予想される攻撃目標は東北、及び関東方面。 現在北海道に展開中の帝国陸軍3個師団および帝国第1、第5艦隊が総力を持って撃退にあたっている。」



 なるほど、それだけの戦力が集中していればそう簡単に抜かれることはないだろう。
それにしても、BETA上陸は九州から始まったはずでは? それに連隊規模? あまりにも少なすぎやしないか?



「貴様らは別命あるまで座学教室に待機。 万が一の時には出撃もありうるので、心しておくように。」



 「了解!」と唱和する仲間たちの勇ましい口調とは裏腹に、その表情からは緊張と、突然の事態に対する恐怖が読み取れた。
遙はやはり緊急時に強いらしく、混乱するどころかいつもより落ち着いているようだが、他のメンバー、特に水月と孝之の動揺は濃いようで、視線が完全に泳いでしまっている。
もっとも、かつての武のように卒倒する者は誰1人としていなかっただけで十分及第点だろう。







 それから2時間後、武の予測どおり、急襲してきたBETA群は米軍の1個師団が合流したこともあり、いともあっさりと殲滅された。
やはり、本格的な東進ではなかったらしい。


 だが、だからといって安心してもいられない。
今回の侵攻で、間違いなく帝国軍の目は北に向かうだろう。
しかし、『前世』でBETAの本格的な侵攻の起点となったのは九州~中国地方である。



「(面倒なことにならなきゃいいんだが……。)」



 武には、どうしても不吉な予感をぬぐいきれなかった。



「BETAなんてやっぱり大したこと無いわね~、2時間で殲滅だって。」

「しかも、今回は核も使わなかったらしいぜ?」

「帝国軍の損害もほとんど無かったみたいだし、よかった。」



 水月、慎二、遙が口々に言った。
緊張の糸が切れ、多少気分が楽観的になっているのだろう。
今あえて「BETAを甘く見るな!」などと指摘するほど、武も野暮ではなかった。
そんなことは、シミュレーター上とはいえ対BETA戦を経験する彼らが一番よく分かっているだろうから。



「あーあ、どうせなら九州あたりに配属されれば、楽なんだろうなあ。」

「だよね~、あそこなら帝都も近いし、休みになったら遊びにいけるかもしれないし?」

「……鑑、さすがにそれはちょっと無理じゃないか?」



 孝之と純夏の平和な会話。
『九州に配属されれば楽』なんて、この先のことを知っていれば口が裂けてもいえないセリフである。
もっとも、今回も九州からBETAの大群が上陸してくるとは限らないのだが。



「それで、今度はどうしたんだ武? まーたボンヤリして。」

「あっと、結局オレたち今回出番が無かっただろ? せっかく任官前に出撃できるチャンスだと思ったのに『残念だ』って思てな。 孝之はどうだ?」

「おいおい武、おまえそんなこと考えてたのかよ。」

「あはははっ! 確かに、それって言えるかも。 でもタケル、分からないわよ? ひょっとしたら撃ち漏らしのBETAがココまで攻めてくるかもっ?!」

「白銀くん、それに水月……縁起でもないからそんなこと言うのはやめようよ……。」

「そうだよタケルちゃん、涼宮さんの言うとおりだよ!」

「……悪い、ちょっと不謹慎だったな。」



 確かに、ごまかすためとはいえ話題がマズかったかもしれないと、武は思った。
それに、あくまで今回は被害が「少なかった」のであって、「無かった」わけではないのだ。
今回のような大戦勝の影でも、日本、あるいは世界のどこかで涙しているヒトが必ず存在するのである。







「ふぁああっ、と……それじゃあ、そろそろ寝るか。 あーあチクショウ、さすがに4時間睡眠で訓練はキツいなあ。」

「孝之! グダグダ文句言わないの、仕方が無いじゃない。 それじゃあみんな、おやすみ!」



 警報が解除されて10分もすると、207隊員たちは口々に別れの挨拶を済ませて各々の個室へと引き返し始めた。
武もまた同様に欠伸をかみころしつつ、せんべい布団を求めてフラフラと自室へと引き返し始める。


 静けさを取り戻した廊下は相変わらず薄暗く、奥へ進めば進むほど人通りはまばらとなる。
兵舎の、しかも武の部屋の近くともなると常夜灯の明りのみを頼りに歩くほかしょうがない。



「ねえ、タケルちゃん。」



 いよいよ自分の部屋のドアに手を触れようとしたそのとき、背後から自分を呼び止める声が聞こえてきた。
覚悟はしていたが、やはりきたか。
武はゆっくりと後ろを振り返った。



「なんだよ、純夏。」

「……私、もう少しだけ待つことにする。」

「いいのかよ?」



 武は思わず純夏の顔を覗き込む。



「なんとなく分かっちゃったんだ! たぶん私に話したら、タケルちゃんはきっとその事でずっと悩むんだろうなっ……て。」

「そうか……。」

「だから、私待つよ。 でも、忘れないで。 私もそうだけど、みんなタケルちゃんのこと心配してるんだって。」

「……そうだな、ありがとう。」



 武は申し訳なさから頭を下げた。
どうしても、これだけは話すわけにはいかないのだ。
未来を不確定なものにして、情報がまったく役に立たなくなることだけはなんとしても避けなくてはならないから。



「――あはは! けっきょく私、速瀬さんと同じことしか言えなかったね……。」



 そういって、純夏はくるりと武に背を向けた。



「……、純夏?」

「な、なんでもない! それじゃあタケルちゃん、また明日ね!」

「お、おう……。」



 なにやら不自然な様子の幼馴染の後姿を、ただただ呆然と目で追う武。
武は純夏の部屋のドアが閉まるその時になっても、彼女の背中に何一つコトバをかけることができなかった。




[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第六章 第二話 雌雄 ~Much ado about nothing.~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:8b4e2465
Date: 2009/08/12 22:27
 まるで深酒を飲み、足元がおぼつかなくなったサラリーマンのような不規則極まりない軌道で疾走する戦術機。
しかし、そのスピードは酔っ払いのそれとは比較にならない。

 しなやかさとスピードを両立させた、まるで猫科の動物のような動き――本来ならば戦術機では不可能とは言わないまでも、相当の操縦技術が必要とされるはずの機動制御である。
新OSの機能を使えば確かに真似事はできるが、ここまで生物くさい動きをするには、それ相応の訓練と場数を踏む必要があるだろう。
まして、激戦とはいえ出撃回数2ケタ未満の衛士ができる動きではない″はず″だ。



「(――すげえ、すげえよ!)」



 予想以上の感触に、武は舞い上がった。
新OSの更新による恩恵は、彼の想像を遥かに上回っていたのである。

 連日の特別訓練でもなかなか身につかなかった、教官であるまりもの複雑な操縦技法。
昨日の晩までの出来事がまるでうそだったかのように、武の機体は彼のイメージ通り滑るように動いた。
操縦がたった1晩寝ただけでここまで上達するはずがない――間違いなく、更新された新OSによる賜物だろう。

 しばらくすると、コール音とともに視界端のウインドウが開き、神宮司教官のバストショットが隊員達全員の視界に映った。



「<どうだ、白銀、更新されたOSの感想は?>」



 大写しになったまりもの表情からして、武の答えなど聞かずともわかっているのだろう。



「スゴイです! まるで昨日までの苦労が嘘みたいに、思い通りに動いてくれます。 例えるなら――」



 教官が後ろから操縦を手伝ってくれているような、そんな感覚……。
そう続けようとしていた武の脳裏に、ふと、かつての仲間たちが新OSに始めて乗った際に口走った言葉がよぎった。



「そう、まるで神宮司教官の中にいるみたいです。」

「『……え?』」



 通信機から空気が抜けたような間抜けた声が響く。
武は己がとんでもないことを口走ってしまったことに気がついたものの、一度口にしてしまった言葉を今更もみ消せるはずがない。
水月の顔はヒクヒクと細かに痙攣しているし、かたや純夏はカメラの向こう側にいる少年に向かって暗いジト目を飛ばしていた。
孝之と慎二にいたっては、いったい何を想像しているのか鼻息を荒くしている。



「<あー……私の中にいるとは具体的にどのような感覚なのか、説明してくれるか?>」

「それは……教官殿が乗り移って操縦を補佐して下さっているような、そんな感覚でありますっ!」



 教え子たちに負けず劣らず混乱した様子で問うてきたまりもに、背筋をピンと伸ばして武は返事する。
彼の答えに「なるほどな。」と、まりもは納得したようにうなずいた。

 207の隊員達もおおよそ納得したような表情を浮かべていたが、その中でなぜか1人、水月だけは眉をハの字に曲げ、釈然としない表情を浮かべていた。



「<う~ん、確かに言いたいことはわかるんだけど……。>」

「<――ん? 速瀬、貴様には違う意見があるようだな。>」

「<え、あ、いえ……私はどちらかといえば、教官というよりは『タケルの中にいる』と、言ったほうが適切かと感じたので。>」



 突然、そんなことを口走る水月。
まりもに突然指名された衝撃で、己が″2重の意味で″危ないことを口にしてしまったことに気がついていない。
あいにく、この手のことで自覚を持ちながら平静な顔でいられるほど、彼女の神経は図太くないのだ。



「<……水月、おまえ、なかなか大胆だな。>」



 口をポカンと開け、はたから見るとひどく滑稽な面でつぶやく孝之。



「<な、なによ。 ただタケルの言い方を真似しただけじゃない、悪い?>」



 「別におかしくないでしょ?」と、言って水月は片眉を釣り上げる。



「<いや、そうじゃなくて訓練中なのに名前で呼んでただろ? ……あ、ひょっとして何か進展でも――」

「<――っ! うっさいわねっ、名前で呼んじゃ悪いってのっ?! べ、別に他意は無いわよっ!!>」



 孝之のつぶやきを耳にするや、水月は『ボンっ!』と効果音でも聞こえそうなほど一瞬で顔を真っ赤に染めあげた。
その様子を見て「孝之も孝之だが、彼女もこんな激しい反応をするから彼にからかわれるのだ。」と、呆れる武。

 ふと、首筋にチリチリとした感覚を覚えて武は視線を移す。
そこにあったのは、なにやら顔に影を落とし、妖しく目を光らせた純夏の姿だった。
カメラ越しに突き刺さる冷たい視線……完全にとばっちりだ。



「ほほーう、訓練中におしゃべりとはいい度胸だな。 そんなに喋りたりないなら、2人共あとで私の部屋に来るといい。」



「是非、時間をかけてジックリと″お話し″しようじゃないか。」通信機から洩れてきた、まりもの1オクターブほど低い声に『ビクリッ!』と、体を硬直させる2人。

 この場合、″お話し″とは、別に肉体言語的なことを指しているわけではなく――いや、多少はあるが――ただの説教である。
しかし彼女の説教はえらく的を得ているため、心を深く抉るのだ。
もちろん、それとは別に腹筋なり背筋なりの罰則が付け加えられるであろうことは想像に難くない。



「<それはそれとして、慎二、貴様はどう思う?>」

「<は、自分も速瀬訓練兵と同じく、白銀訓練兵に補佐してもらっているように感じました!>」



 顔面を蒼白にした孝之の姿を視界の端においやりつつ、慎二は答えた。

 さすがにその振りには無理があるんじゃないだろうか、と、慎二の反応に戸惑う武。
旧バージョンから己の機動データは入っていたのだから、何もいまさら引き合いに出される謂れはないと、そう思っていたのである。

 ところが、まりもにとって隊員達の反応は予想の範疇だったらしい。
首をかしげる武の様子を、笑みすら浮かべて愉快そうに観察している。



「<やはりな、念のために聞いておくが、涼宮と鑑の意見はどうだ?>」

「<はい、私も水月と同意見です。>」

「<あ、私もそう思います。>」



 遙、それに純夏までもが水月の意見を押した。
ここまでくると、この意見を水月に対する同情とか友情で説明するのは困難だろう。
つまり、ほんとうに207隊の武以外のメンバーは″武の中にいる″ように感じていると考えた方が適当だということになる。



「<白銀、その表情からすると、なぜ己が引き合いに出されているのか分かっておらんようだな?>」

「……はい、正直サッパリ。」



 予想通りの反応に、まりもはクスリと笑い声をもらす。



「<よくよく考えてみるんだ白銀。 貴様は――>」

「<そりゃ、アナタの操縦データも反映してあるんだから当然じゃない?>」



 教官のセリフを遮るように誰かが通信に割り込んできた――いや、誰かと言って現実逃避するのはよそう。
武は避けられないであろうドタバタ劇に、一瞬顔をしかめさせた。



「……っと、先生、いらっしゃってたんですか?」

「<なんとなく、暇つぶしにきてみたのよ。 それで白銀、どうかしら? 更新されたOSの調子は。>」

「そりゃもう最高ですよ! 昨日までの苦労が嘘みたいです。」

「<そう、後で社にお礼を言っておくのね。 アンタのために予定を1日ほど繰り上げて完成させたんだから。>」

「そうだったんですか。 はい、後で必ずお礼を言っておきます。」



 通信の向こうで「香月博士、突然通信に割り込まれては困りますっ!」といった教官の声が聞こえる。
しかし、哀れまりもの必死の抗議は夕呼に届いていないらしい。
無視されているとも言う。



「それで、さっき先生はオレの操縦データをOSに反映したって言ってましたけど、確かオレのデータは前のバージョンですでに――。」

「<ああ、なにそのこと? アナタのデータがこの前採ったのと全く違ったから、参考までに追加しておいたのよ。>」

「データがぜんぜん違う?」



 武は鸚鵡返しに聞き返した。



「<この前採ったデータと、今のアナタのデータ……数値上はまるで別人のデータね。 特に間接部分にかかっている負荷はおおよそ3分の1程度まで減ってるわよ?>」

「――っ! 本当ですか!?」

「<ま、とは言っても、前回と違って今回は部隊内訓練中に採ったデータだからってのもあるだろうけど。>」



 そう言ってわずかに苦笑をもらす夕呼。
上げて落とす――教官とは正反対のこの方法。
どちらの方が精神的に受けるダメージが大きいかは、今更問うまでもない。

 そして、おそらく夕呼は狙ってやっているのだろう。
その証拠に、彼女の口元はいつにもましてニヤニヤとイヤらしく嗤っているように、武には見えた。



「<それじゃ、そろそろ準備はいいかしら?>」

「……えーっと、準備って――」



 何ですか? と、口にしようとしたところ、夕呼の眉がピクリとつり上がったのを見て武は慌てて口を閉じた。
怒らせてもロクなことにならないのだから、ここはしっかりと考えなければ。

 武はふと、違和感に気がつく。
そもそも何故、香月博士がワザワザこんな所まで足を運んできたのだろうか?
彼女は己の興味関心のないことには、それこそよほどの利益でもないかぎり動かない性質の人間だったはずだ。
更新されたOSの調子を見にきただけとは到底思えない。

 武はふと、先日まりもから夕呼が好き好みそうな″とあるイベント″の予定を聞かされていたことを思い出した。



「ひょっとして、アレですか?」

「<そうよ、アレよ。>」



 ニマリ、夕呼が笑う。
彼女のあまりにもイイ感じの微笑みに、武はバレないように口元を引き攣らせた。



「<失礼します博士。 アレと仰りますと……?>」

「<あら、まりも。 まだこんなところにいたの? アンタもこんなところでウロウロしてないで、さっさと自分の準備をしたら?>」

「<え? ……ええっ?!>」



 混乱するまりもを連れて、管制室のカメラから姿を消す夕呼。
2人の声もフェードアウトしていき、やがてわずかに空調の音と電子音とが定期的に聞こえる以外、シミュレーター内の音が消え去った。



「<なあ、武。 結局、『アレ』ってのはなんのことだよ?>」

「……ま、もう少しすれば、わかるだろ。」



 訝しげに尋ねる孝之に、武は乾いた笑みを浮かべながら返事をした。









 演習用に用意された戦場は、毎度お馴染みの横浜市街地を模したステージ。
今回の戦闘領域は、新横浜を中心に10km四方。
中央挟んで西には畑作地域、東には住宅地が広がっている。
とくに戦闘の中心となることが多いビル群は、戦闘領域中央の新横浜周辺に集中していた。

 ちなみに、まりもの搭乗した撃震の居る場所は、ちょうど戦闘領域北東の角に位置する場所。
一方、武の乗る吹雪が待機しているのは、まりも機のちょうど対角線上に当たる南西の角だった。
両機とも突撃砲2門に長刀2振りという、完全攻勢とも言うべき『強襲前衛装備』で、来るべき時を待っている。



「<さて、皆さんお待ちかね、本日のメインイベントを開始するわよ!!>」



 やたらハイテンションな夕呼の声が、武の耳に響いた。
管制室へと強制的に移動させられた隊員達の間から、やけくそ気味な「おおーーー!」という歓声があがる。
事態を正しく飲み込み、なおかつ楽しめている者は、この場においては極少数だ。



「<赤コーナー、ここ白陵基地にて『狂犬』の2つ名で恐れられる、泣く子も黙る鬼軍曹『神宮司まりも』!!」



 再び上がる歓声、網膜にはまりもの何かを諦めたような虚しい笑みが映し出された。
夕呼に度々訓練を引っ掻き回されているまりもの心労を想い、武は胸のなかで手を合わせた。
そろそろストレスで胃に穴が開いても、誰もおかしいとは思わないだろうと、彼は思っている。



「<ちなみにまりもは、こう見えても大陸ではその名を轟かせていたエースなのよ? 教官になっていなければ、今頃は佐官だったかもね~?>」

「<ちょ……こ、香月博士?!」



 夕呼の付け足した情報に、目を丸くして抗議の声をあげるまりも。
突然の暴露に、207隊員達は騒然としたが無理もない。
まりもがかつては大陸で我武者羅に戦っていたことなど、武を除く誰も知らないのだから。
しかも訓練兵にとって″佐官殿″といえば雲の上の存在なわけだから、むしろこれは兵士として健全な反応ともとれる。
まあ、佐官殿はいくらなんでも言いすぎだろうが。



「<はいはい、静粛に。 さて、対します青コーナーは、異才の訓練兵にして新OS開発者の一人『白銀武』!」



 夕呼の紹介が入るやいなや、先ほどにも増して激しい歓声があがる。
ただ何故かスピーカーから聞こえる音声は「タケルちゃーん!!」というどこぞの能天気娘の声ばかりだった。



「<訓練開始から出す記録のほとんどが規格外。 ことさら戦術機に関する事柄に関して言えば、『変態』と言っても過言じゃないわね。>」



 これは……褒めているのだろうか? いや、褒められているのだろうな……たぶん。
武は胸からわいてきた何とも言えない感情を押し殺しつつ、不器用な愛想笑いを浮かべた。



「<さて、2人の戦績だけど勝敗は1勝1敗、いまのところ両者ゆずらずの戦いが続いているわ。 つまり、今日の結果で決着がつくということになるわね。>」



 夕呼は愉快そうに断言した。
いったい何の決着がつくのかについては、武はもちろん、まりもも知らない。
だが、それも当然である。
なにせ、言い出した夕呼すらよく判っていないのだ。



「<試合のルールは簡単。 戦闘領域内で戦うこと、1対1で戦うこと、そして新OS搭載設定で戦うことよ。>」



 夕呼が監督する場合、以上で上げられたルールを守ってさえいれば、他のどのようなことも許される……例えそれがどんな卑劣な手段であっても、だ。
例えば雑言罵倒で相手の感情を揺さぶるもよし、罠を仕掛けて吹き飛ばすもよし。
可能ならばESP能力を使ったり、コンピューターにハッキングをかけて制御不能にしても許されるだろう。

 もっとも、両者ともそんな技術は持ち合わせていない。
いや、それよりも今後の人間関係や己の誇りと天秤にかければ、最初から結論は出ているとも言える。

 「ああ、それと」呟きながら夕呼はカメラをまっすぐと見つめ、ニッコリと微笑む。



「<もうわかってると思うけど、今回2人にはシミュレーター上で戦ってもらうわよ?>」



 続けて「前々回は″誰かさん″が実機で派手にやらかしてくれたおかげで、戦術機が2機パーになっちゃったからねえ。」と、聞こえよがしに呟く夕呼。
しかし、事実が事実だけに、当事者たる武は何も言い返せない。



「<まあ起こっちゃったことは今更どうでもいいのよ。>」



 なら口に出さないでいいのでは、とは、いかに武とて口が裂けても言えない。



「<あーところでまりも、アンタ本当に撃震でいいの? ……まさか、ハンデとかそんなくだらないことを考えてるんじゃないでしょうね。>」

「<まさか! 私にしてみれば、ムリに乗りなれない最新鋭機に乗る方がハンデみたいなものです。 ……もっとも、技術畑の博士には解りづらい感覚でしょうが。>」



 やや冷たい声で問うてきた夕呼に、相当頭にきているのだろうか、普段はとても言わないような挑発的な言葉で返すまりも。



「<あっそ、アナタがそれで構わないなら私は何も言わないわ。 それじゃあ続きいくわよ。>」



 まりもの態度に特に反応することなく、どちらかといえば安心した様子で夕呼は説明を再開した。



「<勝敗はどちらかの機体が戦闘続行不能になった時点で決まり。 判定は、CP将校経験のあるピアティフに一任するわ。>」

「<香月博士の助手を務めさせていただいております、イリーナ・ピアティフ″技術″中尉です。 本日はよろしく。>」



 新しくウィンドウが開き、ピアティフの姿が映し出される。

 彼女に訓練中お世話になるのは、これが初めてだろうか。
武には、心なしかいつもより彼女の表情が冷たいように感じられた。
まりもの″技術畑″云々の話に怒っているのかもしれない。



「さてと、それじゃあ2人とも、準備はいい? そろそろ試合をはじめるわよ。」



 「了解っ!」武とまりもの声が重なった。


 10...9...8...網膜に数字が投影されては、また消える――どうやらカウントダウンが始まったらしい。
武はもう一度操縦桿を握り直すと、正面をキッとした表情で睨んだ。



「<3...2...1...状況開始!!>」



 ピアティフの言葉を合図に、武は動き出した。

 新OSの更新により、ようやく可能となった″重心移動″を駆使し、まるで風に舞う蝶のような軽やかさで市街地を駆ける武。
その独特の動きは、跳躍ユニットと機体関節を酷使することでようやく実現していた猛禽のように荒々しい以前の彼の機動とは、確定的に明らかに異なるものだった。









 試合開始から5分、町の中心部にて待ち構えていたまりもは、待てど暮らせど武機が姿を表さないことに頭をひねっていた。



「……どういうことだ?」



 思わず呟くまりも。

 ――武は己の得意とするビル群を戦場に選ぶはずだ。
検討をつけたまりもは、試合開始直後に新横浜周辺の環状道路へと移動し、武の到着を待ち構えていた。

 しかし、いくら時間が経とうと、肉眼はもちろんのこと音響センサー、振動センサー、そしてレーダーにも全く反応がない。
全長十数メートルもある戦術機が大通りを避け、なおかつレーダーにも映らないようにビル群を通過するのは不可能。
また今回設定された戦闘区域で、戦術機が移動中も身を隠せるような高層ビルが存在しているのは新横浜周辺のみだ。

 となれば、当然のことながら″武はビル群を利用する気がない″という結論に至るわけだが――だとすれば、一体どこにいるというのだろうか?
まりもは場所が割れることを覚悟の上で、連続噴射跳躍による索敵を開始した。


 結論から言ってしまえば、まりもの考えは正しかった――武は最初から町の中心部になどいなかったのだ。
ひょっとして舐められているのか? まりもは理不尽とは知りつつも、武に対して怒りを覚えずにはいられなかった。
彼の機体はなんの遮蔽物も存在しない、白陵基地の北側に広がる畑作地帯の真ん中で棒立ちしていたのだ。

 まりもは盛大に噴射跳躍ユニットを噴かせると、ひとっ飛びで武機へと詰め寄る。
武もまりもの接近に気がつき、36mm弾を盛大にバラ撒き始めた。



「馬鹿な! この距離で突撃砲の弾が当たるわけがなだろう?!」



 87式突撃砲の命中精度は、確かに高い。
プルパップ方式を採用することによって得られた、全長に比べて長い銃身が銃の命中精度と集弾性を向上させているためだ。

 しかし、向上させていると言っても限度はある、突撃砲で支援突撃砲の真似事などできようはずが無いのだ。

 そんなことは衛士の常識であり、戦術機に乗る前の訓練兵ですら知っている。
まして武が知らないということはありえない。



「(だとしたらなぜこんなことを……ただの牽制なの?)」



 まりもが思った直後に弾幕は止み、武機は後退をはじめた。
しかしそのスピードは140km/hと吹雪の巡航速度と比べても非常に遅く、追いつこうと思えば容易に追いつけるほどのスピードだ。

 間違いなく、こちらを誘っているのだろうと、まりもは考えた。
どうする、誘いに乗るべきか? 一瞬、まりもは追うのを躊躇する。
武の思惑が検討もつかない以上、うかつな行動は避けるべきなのだが……。

 ここで問題になるのが、武に攻めてくる様子が全く見えないことだ。
正直、このままでは埒があかない。



「はあ、全く……。 仕方ない、誘いに乗ってやるか。」



 まりもは決断を下すないなや、いよいよ噴射跳躍ユニットの出力を全開にした。
稲妻のような爆音とともにまりもの機体は「あっ!」という間に加速し、獲物を見つけたふくろうの様に武機へと襲い掛かる。

 それにしても、武は何故わざわざ平地での戦いを選んだのだろうか? と、まりもは武との距離を縮めながら考えた。
彼とて、対戦相手が平野での戦闘を得意としていることぐらい知っているはずだ。
だいいち、遮蔽物の少ない場所では己の機動特性を十分に生かせないだろうに。

 まりもは武の不可解な行動を分析しようとするが、いかんせん判断材料が少なすぎた。
可能性をいくつか考えてみるものの、なぜかどれもシックリとこないのだ。



「(まさか、まだ隠し玉を持っているというわけじゃないだろうな? 白銀。)」



 ――ゾクリっ!

 見上げる吹雪の顔が刹那笑ったように感じ、思わずまりもは背筋を震わせた。







[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第六章 第三話 猛者 ~Take heed of the snake in the grass.~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:8b4e2465
Date: 2010/08/22 00:56
 刹那、武機が動き出す。
フラリと傾いたかと思えば、次の瞬間には視界からその姿を消す武の機体。
まりもは咄嗟に機体を反転、急降下させた。


 ――ガクンッ!


 まりものシミュレーターが1度大きく振動する。
肩部装甲を武の放った36mm弾が貫いたのだ。
反応がギリギリ間にあったためか、機体が深刻なダメージを負うことは無かったようだ。



「(……やっぱ、一筋縄ではいかないよな。)」



 あわよくば最初の一撃で決めたい、と、考えていた武。
肩を落とす暇もなく、今度は着地の硬直を狙って突撃砲を″マニュアル″で撃ち放った。


 ところが機体が着地した刹那、まりもはとんでもない動きを見せる。



「そんなのありかよ……っ!」



 武が思わず呟いたのも当然だろう。
まりもは、着地したその瞬間に足をバネのように使って運動エネルギーのベクトルを変換。
撃震らしからぬ俊敏な機動で、吹雪の射線から離脱するという、大道芸をこなして見せたのだ。


 虚しく土煙をあげる36mm弾。
見越し射撃による追撃は完全に空を切り、武の放った劣化ウラン弾は、さながら豆まきの要領で畑へとバラ撒かれた。


 まりもは得意の体重移動でまったく勢いを殺すことなく武機へと向き直る。
直後、被ロックオン警報が武の耳を叩いた。



「わかってるって!」



 武は慌てずペダルを踏み込み、噴射跳躍ユニットに火が灯す。
アフターバーナー全開――耳をつんざくような轟音と共に空へと舞い上がる吹雪。


 撃震のFCSは一瞬、相手の機影を見失ってしまう……そして、その一瞬で十分だった。
2丁の突撃砲から中空を縫うように無数の砲弾が放たれるも、一つとして武の機体を傷つけるには至らない。


 と、まりもの目の前で武の機体が空中で一回転する。
″デジャビュー″まりもの脳裏に警告が走った。



「――来るっ!!」



 慌ててその場から飛びのくまりも。
突撃砲を乱射しながら突貫してくる武機の射線から、すんでのところで脱出する。


 武機の攻撃をやり過ごすと、まりもは息つく間もなく、すぐに体勢を建て直して突撃砲を構えた。
ロックオンを待つまでもなく、2門の砲口を並べ濃密な弾幕が形成せんとするまりも。



「そう易々と、やられてたまるかっ!」



 まりもの動きを悟った武は、すぐさま噴射跳躍装置を逆噴射をして急停止。
続いて空中で機体を捻り、再びアフターバーナーを全開にする。
直角的な急加速でまりもの攻撃圏内から離脱する吹雪。
まりもは慌てて追撃しようとするも、武の的確な阻勢攻撃のために2の足を踏んでしまい、せっかくの追撃のチャンスをふいにしてしまう。


 いくら攻撃しようとも、FCSが武の機動を捉えきれないために意味をなさない。
樹木や高層ビルといった″障害物″が無くなったことで、武の機動はいつになく冴えているように、まりもには感じられた。
ここにきて、まりもは己の失策を悟る。


 そう、ここは白銀武の″ホーム″なのだ。


 武がこの場所を戦場に選んだ理由。
それは、この地形が彼のもっとも愛したゲーム″バルジャーノン″の基本ステージによく似ていたためだ。


 コンボや先行入力、キャンセルといった″新OS″の発想のモデルとなったゲーム『バルジャーノン』。
少数対戦――特に1対1での戦闘を基軸とした、人気のロボット対戦ゲームである。
武は、高校での小遣いのほとんどをこのゲームに費やしてきたと言っても過言ではない。
前回と違い、新OSというピースが揃った今度の戦いは武にわずかながら有利に働いていた。


 そして、ほどなく形勢は武側へと傾きはじめる。
その有様は、物語にて語られる牛若丸こと義経と弁慶の″五条大橋の決闘″の様子を周囲に彷彿とさせた。


 空中で逆さまになったままの状態で撃震を攻撃する武。
まりもはちょうど射線から逃れるように移動しつつ、突撃砲を上空に向ける。
だが、銃口が指す先にはすでに武機の姿は無い。
刹那、側面から殺到してきた機関砲弾を、まりもは前に飛ぶことでかろうじて回避した。



「ええい! ちょこまかとっ!!」



 半身をひねりながら、87式を薙ぐように放つまりも。
無数の曳光弾が空に金色の帯を引く。
しかし武はあっさりと攻撃を回避し、120mm徹甲榴弾を2発発射、うち1発がまりも機の左肩を直撃した。
撃震の左肩装甲は大破、破片で左腕までもが中破した。


 身軽な吹雪が周囲を縦横無尽に飛び跳ねる。
鈍重な撃震は必死に追いつこうとあがくものの、操縦者の力量に機体が追いつかない。
徐々に傷を増やし、もはや撃震自慢の″タフさ″で何とかしのぐのが精一杯であった。


 撃震の大きな弱点は、その機動性および格闘性能にあるといえよう。
全身を覆う装甲はそれだけで手足の稼動範囲を狭めており、重量と相まって重い足枷となっている。
さらに、各国の戦術機中1~2を争うほど少ない推進剤積載容量が撃震の機動性悪化に拍車をかけていた。
まりもは技術でカバーしているが、それでも2世代分の性能差は大きすぎた。



「――っちぃ!」



 ほとんど飛んでいないにも関わらず、緊急回避運動で危険域までに減った推進剤の残量を見て、まりもは口惜しげに舌を打った。
身を隠せるほど大きなビルも無く、武の高速機動を阻害する森林もない。
性能に加えて地形もまた、まりもにとって不利に働いていた。







 ――教官が押されている。


 この事実は、連日2人に集団戦闘を仕掛けて完敗している207の訓練兵達にとっても、信じ難い事実だった。


 しかし、モニターに映し出される現実は変わらない。
画面からはみ出さんばかりの勢いで飛び回る武と、そんな彼に翻弄され、本来の動きを鈍らせているまりも。
どちらも″致命傷″は未だに受けていないが、どちらが有利かは一目瞭然である。



「武のやつ、まさかとは思ってたが本当に化物だな。」



 慎二が飽きれ顔で言った。
そんな彼に釣られるように純夏が「あれ、本当にタケルちゃんが戦っている……んだよね?」と、目を画面に釘付けにしながら誰にともなく呟いた。



「さっすがタケルね。 私が見込んだだけはあるわ!」



 信じ難いものを見たという慎二たち2人の反応とは対照的に、純粋に、まるで己のことの用に喜ぶ水月。



「う、うーん。 私、何か見てるだけで酔いそう……。」

「おい、遙! 大丈夫か?」

「う、うん。 大丈夫だよ孝之くん。」



 と、砂糖のような会話をするバカップル2人。
後に曰く、遙たち2人は試合そっちのけでイチャついているように他のメンバーには見えたらしい。


 モニターを前にわいわいと騒いでいる訓練兵達からは少し離れたところで、夕呼もまた2人の戦闘の様子を眺めていた。
薄暗い管制室でモニターからの光に照らされた彼女の顔は、能面の用に無表情だ。


 と、武の攻撃を受けて、まりも機の左肩が吹き飛ばされる映像が管制室に流れた。
悲鳴とも歓声とも言えない熱狂した叫びが、訓練生達の間から爆発的に沸き起こる。
一方夕呼は、己の懸念が1つ中っていたことに軽く溜息をついた。



「(まりもの奴、鈍ったわね。)」



 もともと、この勝負には武に勝ってもらう予定だった。
未だに第一世代機などという骨董品にしがみついているまりもの目を覚まさせるためにも、彼には勝ってもらう必要があったのだ。


 しかし、この試合展開は頂けない。
訓練兵に圧勝されるなど、本来あってはならないことだ。
どんな事情があれ――例え武が名ばかりの訓練兵であったとしても――だ。
このまま圧勝されるようだったら、いくらお気に入りとはいえ″処分″せざるをえない。
夕呼は鋭い視線で画面を睨んだ。



「どうしたのまりも、アナタはこんなものじゃないはずでしょう?」



 自分でも知らずのうちに呟いていた夕呼の横顔を、傍らで霞が不安気に見上げていた。


 試合が急速に動いたのは、それからすぐのことだった。







「(――このままじゃ、負ける?)」



 対戦術機の戦闘においてジワジワと追い詰められるという、久しぶりの感覚。


 まりもは苛立つどころか、まるで恋する乙女の用に顔を紅潮させ、興奮で眼を潤ませていた。
脳からドバドバと大量分泌されたドーパミンにより、胸が不自然に脈打ち、肺が酸素を求めて荒い呼吸を繰り返す。


 体調の異変に気がつき、思わず鎮静剤のスイッチへと手を伸ばしかけるまりも。
しかし、まりもの手がスイッチに届くことはなかった。
まりもが自分で手を引っ込めてしまったのだ。


 まりもは懐かしい感覚に酔いしれていた。
かつて、大陸で我武者羅に戦っていた頃の野獣が如き魂。
″教わる人″から″教える人″へと立場を変えてからというもの、まりもの心の奥底へと封印されていた過激な闘争本能。
いつしか再び戦場に立つまで心の奥底で眠っているはずだった″狂犬″の眼が、ゆっくりと開く。


 乱れた呼吸を静めつつ、まりもは目を爛々と輝かせ獲物の姿を睨みつけ、口端を歪な三日月型に釣り上げた。



「(動きが……変わった?)」



 撃震の不自然な様子に、武は目をこらした。
平地に誘き出し――というよりも、向こうが勝手に飛び込んできたのだが――予定通りの高速機動でまりもを翻弄。
いよいよ戦場のイニシアチブを握り、チェックメイトも時間の問題かと武が一息つこうとした矢先の出来事だった。


 突然、まりもの動きに異変が起きたのだ。


 別に動きが極端に変わったわけでも、まして撃震のスピードが突然上がったわけでもない。
一言で言い表すなら″動きから迷いが消えた″とでも言ったところだろうか。
周囲の空気がいきなり重くなったような、そんな錯覚を武は覚えた。


 気のせいだろう、武は自分に言い聞かせ、再び攻勢に入る。
そうでもしなければ、突然圧力を増したプレッシャーに屈してしまいそうだったのだ。


 突撃砲が火を吹く。


 しかし必中を狙ったその攻撃は、まりもにすんでのところで回避されてしまう。
すぐさま始まったまりもの反撃。
武は慌ててその場を飛びのいた。



「――っ!! 今度こそっ!!」



 空中から再びまりもを狙って攻撃するも、やはり紙一重で逃げられる。
いや、誤魔化すのはよそう。
まりもは、完全にタイミングを見計らって、″最低限の動きで避けている″のだ。


 と、まりもが武の着地のタイミングを狙って突っ込んできた。
今から噴射跳躍装置を噴射させたところで間に合わない。
武は残りすくない残弾を用いて阻勢攻撃を行なった。


 ところがまりもは多少の被弾を無視して突破をしかけてくる。
中破した左腕を盾代わりに、急速に距離をつめるまりも。



「――あああああああっっ!!!」



 まりもが咆哮をあげた。
強烈な寒気に、慌てて武が回避しようとしたときには手遅れだった。
近距離から120mm弾の直撃を受け、吹雪の右腕と腰部装甲、右足の一部が吹き飛ばされる。
更に追撃をかけようとしてくる撃震の突撃砲を蹴飛ばして、武は近距離から120mmを叩き込もうと銃口を向けた。
しかし、その突撃砲も撃震の体当たりで取り落としてしまう。


 両者無手のまま対峙する吹雪と撃震。
同時に背部の長刀が跳ね上がり、コンマ何秒差で吹雪が先に長刀を振り下ろした。


 「ゴンッ!」と、強い衝撃が武の機体を襲う。
長刀が撃震を左肩から胸元にかけて切り裂いたのだ。
しかし、長刀は半ばで止まり、コクピットに損害を与えていなかった。
吹雪の主機出力では、片手で撃震の分厚い装甲を、しかも袈裟に切り裂くには力不足だったのである。


 次の瞬間、試合終了のブザーが鳴った。



「<まりも機、胸部および主機に致命的損害、大破。 武機、頭部に致命的損害、大破。 よってこの勝負、両者引き分けとする。>」



 静まりかえったシミュレーターの中で、武はようやく己の体が震えていることに気がついた。 







「武、最後は残念だったな……。 ま、まあ、次はきっと勝てるさ!」



 模擬戦を終了し、シャワー室から出てきた武を出迎えた孝之は、まずそんなことを言った。



「ねえ、ちょっと孝之、なんでアンタはそう嬉しそうなのよ。」

「……え? いや、別にオレは喜んでなんかっ――。」

「そう? 私には喜んでいるように見えたけど?」



 オロオロとする孝之を、ジト目で見つめる水月。
そんな彼女の様子を見かねて、遙は口を開いた。



「ねえ、水月。 たぶん孝之くんは、ほんとうに白銀くんのことを励まそうとしただけだと思うよ?」

「……え?」



 思わぬ人物からの横槍に、水月は目をまん丸くして驚いた。



「そうだぞ速瀬。 別にオレは悪意を持って言ったわけじゃないんだ。 ……あ~、ちょっと意識しすぎなんじゃないか?」



 孝之の言葉にウンウンと頷く遙。



「ちょ、ちょっと遙あ~、孝之の肩を持つなんてヒドイじゃない! 私たちの友情はどこへいっちゃたの~?」

「はあ、もう……水月ったら。」



 芝居っぽくヨヨヨとしなだれかかる水月に、困ったように眉をハの字に曲げる遙。
周囲にどっと笑い声がみちた。



「タケルちゃん、いつの間にあんなに強くなってたんだね。」

「そうだろ、そうだろ!? ……なーんてな! 純夏、褒めたところで今日はミートボールぐらいしかやれるものはないんだが?」

「え? くれるの?! ヤッホー!」



 嬉しそうに笑う純夏。
ミートボールで笑顔になれるのだから、幸せなやつだと微笑む武。



「あら、貴方達まだこんなところにいたの? まあちょうど良かったわ。」

「あ、先生! それに霞も!」



 管制室側の通路のドアが開き、夕呼と霞が2人連れだって姿を表した。



「……白銀さん、お疲れ様、です。」

「お疲れ、白銀。 今日の勝負は″まあまあ″といったところだったわ。」



 最後におもしろい物を見せてもらえたし。 夕呼はホクホク顔で言った。



「面白いもの? それってなんでしょうか?」

「ま、それはあとで教えてあげるわよ。 それよりもアンタ、先に社に言うことがあるんじゃないの?」



 さらりと武の質問を交わし、夕呼は逆に問いかけた。



「あ、そうでした! ……霞、ありがとな? OS、最高だったぜ!」

「……白銀さんの力になれて、よかったです。」



 武に褒められ、うっすらと嬉しそうに微笑む霞。



「ん? OSと社に何か関係があるのか?」

「ああ、白銀がデータをとってる間、社が横で応援してあげてたのよ……ずっとね。」



 武に変わって夕呼が孝之の質問に答えた。
確かに夕呼は嘘はついていない――ただ、本当のことをすべて言ってはいないだけだ。
うまいごまかしを思いついたものだと、内心苦笑する武。



「ええー?! そ、そうなの?」

「――だあ! いきなりうるせえよ純夏っ! 霞がビックリしてるだろ?」



 突然の大声にウサミミをピンと伸ばし、目を皿の用に丸くしてしまった霞。
容姿と相まって、仕草がどうも小動物っぽい。



「あ、ごめん。 それでそれで、訓練中のタケルちゃんってどうだった?」

「……一生懸命でした。」

「へえ、やっぱりそうだったんだ。」



 霞の答えに、感慨深げにウンウンと頷く純夏。
それで納得するのもどうかと思ったが、あえて武は何も問わなかった。
そんなことはどうでもよかったし、なにより彼女にその手のことを聞いたところでマトモな返答が帰ってきた試しがなかったからだ。
武の理解力が乏しいのか、それとも純夏の表現が難解なのかは人によって判断が分かれるところだろう。



「はいはい、積もる話はまたあとでね。 じゃあ、これから私たちはちょっと仕事があるから。」



 そう言って、武たちとの会話を強制的に切り上げる夕呼。



「先生、お疲れさまです。 それじゃあまた夜に――。」

「何言ってんのよ白銀。 アンタも来るのよ。」

「……へ?」



 武の唖然としたつぶやき。
夕呼は何食わぬ顔で歩き始め、遅れて霞がヒョコヒョコと彼女の後ろについて歩き出す。



「白銀さん……。」



 廊下の曲がり角で、くるりと振り向いて霞は言った。



「っと、待ってください!」



 名前を呼ばれ、武は慌てて夕呼の後に続いて歩き出す。
取り残された207組は、肩をすくめながらそんな3人の様子を見送った。






[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第六章 第四話 成果 ~More people know Tom Fool than Tom Fool knows.~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:8b4e2465
Date: 2009/09/26 17:34
8/30 投稿
9/26 修正






 夕呼の研究室で明かされた内容――それは武が想像していたようなハッピーな事柄ではなかった。
民衆の動揺を抑えるため公表していないが、いよいよ帝国が東進するBETAの上陸目標は東北以北と断定し、準備に取りかかったらしい。
先の戦いで突破された樺太(カムチャッカ半島)の前線基地は急ピッチで再建され、帝国および米軍、国連軍は半島および北海道北部沿岸に前線を再構築。
まだ軍による避難誘導は始まっていないが、風の便りで事態を知った東北以北の一般住民は、数々の防衛線で守られた"鉄壁の関東地方"へと続々と避難してきているらしい。
マスコミは封殺しているが、人の口に戸は立てられないのだろう。



「どうする? 私は予言者として国連に雇われている訳じゃないからね。 まだ起こってもいないことを国連や帝国、あるいはかの国に忠告することなんて不可能よ。」



 夕呼は言いながらニヤリと笑った。



「……先生、今度も本当にBETAは九州からやってくるんですよね?」



 武は唇をかみながら、深刻そうな表情で問いかけた。



「さあ? そんなのBETAに聞いてちょうだい。 第一、BETAが九州から上陸してくるって言ったのは白銀、貴方でしょう?」

「……。」



 確かに夕呼の言うとおりだ。
九州からBETAが上陸してくると言ったのは武本人である。
しかしそれは明確な根拠があって言ったわけではなく、まして己が体験した事柄でもない。
知識として知っていただけの情報に、いったいどれだけの自信をもてというのだろうか?



「……っ、夕呼先生。」

「なにかしら?」



 鋭い視線で武を睨む夕呼。
武は一瞬気後れしたものの、気を取り直して再び口を開いた。



「オレは、オレはたぶん今度も朝鮮半島から奴らは来るんじゃないかと思います。」

「……へえ?」



 夕呼は「何故?」とは聞かない。
だがその目が先を言ってみろと武に促していた。



「オレの推測だと、樺太から下ってきているのは東進しているBETAのなかでも傍流の集団です。」

「理由は?」

「もし本格的な侵攻が始まっているのなら、前世での勢いを鑑みるに、この対応の遅さでこの程度の被害しか出ていないのはおかしいです。」

「貴方は"この程度"って言うけど、曲がりなりにも前線基地が一つ潰されているのよ?」



 武の物言いに、夕呼は不快感をあらわにした表情で言った。



「前の世界では、九州、四国、中国地方が一週間で完全に制圧されました。」



 夕呼の人間じみた反応にすこし驚きつつ、武は返事した。
あるいは自分を試すために一芝居打っているのかもしれない。
前世で新潟侵攻を警告した時の夕呼の反応を思い出し、武は思った。



「それは何度も聞いているわ。 でもそれは相手が点でなく、面で上陸してきたからじゃないの?」

「突破力で言えば、点となったBETAの力も侮れません。 横浜基地防衛戦ではBETAが集中してきたがために最下層まで突破されかけました。」

「でもそれは大規模作戦の後なんだからしょうがないんじゃないの?」

「それを言ってしまえば、日本も長年の大陸遠征と光州作戦での傷が癒えているとは言い難いと思いますが……。」



 武の言い訳は苦しい。
なぜなら、面と点という違い以前に横浜基地防衛戦ではBETA大戦史上初めてBETAが明らかな戦術行動を取ったという、他の戦いとは明らかに異なる事例が発生しているからである。
ただ闇雲に飛び込んでくる集団と、統率された行動をとる集団ではどちらが強力か論ずるまでもない。
そして、夕呼の口からとどめの指摘が入った。



「光州作戦はあくまで撤退の支援作戦よ。 最初からBETAとまともにやり合う気はないのだから、当然、武器弾薬だって温存しているわ。」

「……っ。」



 夕呼の言うことは事実だろう。
状況が違うために、武のあげた例は判断材料になり得ない可能性がある。
しかし、武にはもう一つBETAが九州~中国地方から上陸してくるという推論の明確な根拠を持っていた。



「忘れてならないのが朝鮮半島にある光州ハイブの存在です。 落とされたのは確か約半年前ですから、そろそろ一通り建設を終えBETAが飽和する時期かと。」

「飽和量に達したBETAが再侵攻を始める、ってこと?」

「そうです。 そして朝鮮半島から一番近いのが九州~中国地方、そして佐渡島。 わざわざBETAが迂回して攻めてくることも考えづらいですから、やはりこの一帯が狙われるはずです!」



 時計の針が進む一定のリズムが、2人の耳に響く。
武はひたすら夕呼の顔をジッと睨んだ。



「貴方の言いたいことはわかったわ。 でもさっきもいったけど、私は予言者として雇われている訳じゃないの。」



 夕呼は冷ややかに「まさか、私にいつ来るかもわからないBETAの襲来に備えるよう命令させようなんて訳じゃないわよね?」と、武に訪ねた。



「半島のBETAの動きに異常が見られたら、その時点で帝国に情報をリークするか、あるいは太平洋側の基地全体に戒厳令を発令するぐらいのことはできるんじゃないですか?」

「へえ、悪くはないわね。 いいんじゃないの?」



 夕呼の回答は意外なほど速かった。
それはまるで、あらかじめ武の答えを予測していたかのように。



「せめて正確な日付を覚えていればよかったんですが。」

「あんたねえ……。 はあ、まあいいわ。 それじゃあ新OSのことだけど……。」



 その後、武は戦闘中に感じた更新版新OSの利点・欠点などを夕呼に聞かれた後、研究室から追い出されるように解放された。







 ――22:00 シミュレーター室



 エレメンツを組んで環状道路を疾走する2機の吹雪――まりもと、そして武の機体である。
まりも機は馴染みの突撃前衛装備、一方の武は支援突撃砲と多目的追加装甲、背中に長刀を1本背負うといった迎撃後衛用の装備をしていた。


 そんな2機へと巧みにフォーメーションを変えながら接近する5機の吹雪。
およそ3000と迫ったっところで、一斉に周囲へと散開した。



「神宮司教官、連中、これからどう来ると思いますか?」

「そうだな、恐らく何機かを囮に飽和攻撃を仕掛けてくるつもりだろう。 あるいは何処かに砲撃支援機を忍ばせているかもしれん。」



 ビルの乱立する地域、そして森林地域を舐めるように見回しながらまりもは言った。



「狙撃――ですか。 放置すると厄介ですね、オレが燻り出しましょうか?」

「だめだ白銀。 貴様はどうも仲間達を見くびっている節があるようだが、連中の練度は決して低くはないぞ?」



 陽動を提案した武に、返り討ちにされかねないと、釘をさすまりも。



「だからこそ、ですよ教官。 後方の憂いがあっては下手に跳べません。 まずは狙撃手さえ潰せれば――。」

「なに、ちょうどいい機会だ白銀。 貴様はもう少し″地に足をつけた″戦い方に慣れるべきだろう。 どんなときでも噴射跳躍ユニットが使えるとは限らんのだからな。」



 第一、今回貴様は迎撃後衛だろう? まりもは呆れ顔で武を叱った。



「――了解。」

「さて、話している間にお出でなすったらしいぞ。」



 まりもの言う通り、レーダーの端に接近してくる3つの光源が映っていた。



「敵右翼をまず叩く。 白銀、援護は任せたぞ!」

「神宮司教官?! まさか突っ込む気――大丈夫なんですか?」



 まだ吹雪の挙動に慣れていないのでは? 武が口にしようとしたところをまりもが遮った。



「ふん、見くびるなよ白銀訓練兵。 第3世代機の挙動にいちいち振り回されていたのでは、恥ずかしくて貴様等の教導は務まらん。」

「失礼しました! 教官。」

「それよりも貴様、人の心配をしている暇があったら、まずは自分の為すべきことを確りこなせ。」

「了解っ!!」



 力強く返事をする武。
まりもは満足げに頷くと、戦闘速度で敵陣へと切り込んでいった――。







「水月、そっちに2機ともいったみたい、注意して。 平くんと鑑さんは水月を援護、先頭の1機に攻撃を集中させて。」



 「了解!!」と、各機から返答が帰ってきたのを確認して、遙は再び口を開いた。



「孝之くんは回りこんで待機。 連携を崩せさえすれば、私たちにも勝機はあるはずだから、みんな頑張って!」

「了解っ! ……おい、みんな! 今日こそ2人に目に物見せてやろうぜ? 教官と武に、黒星をつけてやるんだ!!」

「なにアンタが音頭とってるのよ。 ま、いいわ。 大口叩いたからにはしっかり働いて頂戴よ?」



 水月の言葉に、孝之は「あったり前だろ。」と虚勢をはった。



「そうだな孝之。 でもハリキリすぎて勝手に動くんじゃないぞ? 作戦の邪魔でもしてみろ、味方でも遠慮なく蜂の巣にするからな。」

「あん? 慎二、お前こそ速瀬や鑑に迷惑かけるんじゃねえぞ?」

「わかってるさ。」



 お互い憎まれ口を叩きながらニヤリと笑いあう男二人。
相変わらずだと、女3人は微笑みあった。



「速瀬さん! 平くん! 敵が速度をあげて突っ込んでくるよ!」

「了解、鑑。 それじゃあ2人とも、ブリーフィング通りに行くわよ!!」



 言いながら、牽制弾幕で直線移動を阻害しにかかる水月。
続いて、遙機の放ったAL弾頭小型ミサイル4発が地上付近で爆発、舞い上がった土煙とチャフ代わりの金属片で視界状況とレーダー精度を低下させた。
そのスキに純夏機と慎二機が水月機を中心に左右に展開。
くさび形、つまり火力を中央に集中させた迎撃体制を完成させた。



「全員配置についたわね? それじゃあ一斉射、開始!!」



 分遣隊を指揮する水月の号令の元、3機の吹雪、合計4門の突撃砲および突撃支援砲の射撃が土煙を切り裂いて殺到する。
視界をサーモグラフィーに切り替え、赤外線情報をもとに攻撃したのだ。
しかし、そこは武とまりもの2人である。
ミサイルが着弾した瞬間に攻撃を予見し、各々回避行動をすでにはじめていた。


 情報は部隊内データリンクを通して後方の遙機にももたらされる。
想定内ではあったものの、ファーストアタックが不発に終わったことに落胆を隠せなかった。
しかしウジウジと失敗した作戦について悩んでいる暇はない。
遙は待機中の孝之に通信をいれた。



「孝之くん、配置についた?」



 孝之は崩していた姿勢を正しつつ、ニヤリと笑って答える。



「待ちくたびれたぜ、それで、オレはもう参戦していいのか?」

「……あともう少し待って。 水月、貴方の隊でもう少し派手に敵を挑発できる?」

「おやすい御用よ! 鑑、追加装甲を前面に構えて突撃! 私と慎二は鑑の援護よ!!」

「ええ! わ、私――りょ、了解!!」



 悲鳴を飲み込んで、純夏は晴れはじめた土煙の中に突入する。
瞬間、弾幕が途切れたのを絶好の好機と見たのか突撃してきた吹雪とかち合った。



「どひゃああっっ!!」



 攻撃するのも忘れて盾を構え、飛びのく純夏。
幸運にも敵機の攻撃は全て分厚い盾に弾かれ、純夏は無傷でやりすごすことに成功した。



「チャンスよ慎二! 突撃してきたアイツに攻撃を集中させなさい!」

「了解――っておわっと!」

「どうしたの?!」



 援護射撃に移ろうとした矢先、慎二機の鼻先を36mm弾が掠める。



「8時の方向に敵機! ちくしょう、やりやがったな!!」



 攻撃の邪魔をしてきたもう1機の吹雪に悪態をつく慎二。
命令を無視して応戦をはじめた。



「慎二! 命令が聞こえなかったの?! 1機に攻撃を集中させるのよ!」

「そうは言われても、横から攻撃を受けてるんだぞ?!」

「だから……っ! うーん、なんとかやり過ごしながら攻撃できない?」



 「きっとタケルならできるんだろうけど。」ボソリと呟く水月。



「――っ! オレはアイツじゃない。」



 軽い感じで答えた水月に、慎二は突然抗弁した。



「ちょ、ちょっと慎二、いきなりどうしたのよ?」



 突然の豹変に、水月は驚いて理由を尋ねる。
しかし、慎二は唇をキツく閉じたまま何も話そうとしない。



「わかったわ。 私が鑑の援護をするから、あんたはこれ以上そいつが邪魔してこれないよう見張ってて頂戴!」

「――っ、了解。」



 搾り出すような声で水月の指示を受諾する慎二。
水月は慎二の様子を不審に思いながらも、とりあえず目先のことに集中しようと意識を切り替えた。



「鑑、大丈夫?! 」

「な、なんとか。」

「返事ができるってことは、まだまだ余裕ってことね。 それじゃあ反撃といきますか!!」



 言いながら水月は先鋒の吹雪に攻撃を加えた。
吹雪は巧みなフットステップでこれを避けると、照準のやたら曖昧な弾幕を水月達に向かって放った。



「そんな攻撃で私を落とそうなんて、甘いっての!!」

「速瀬さん!! 左!!」


 
 純夏の切羽詰まったような声に、水月はとっさにバックステップをとった。
金属同士が擦れる嫌な音がシミュレーター内に響く。
避け損ねた敵弾が胸部装甲を軽く抉ったらしいが、戦闘継続に支障が出るようなダメージではない。
ほっと一息つきつつ、警告をくれた純夏に感謝する水月。


 それにしても、側面から攻撃がきたと言うことは……。
水月は目つきを鋭くすると、慎二にコールをかけた。



「こら慎二、いったいアンタ何やってるのよ! そっちは任せたって言ったじゃないっ!!」

「さっきから何度も攻撃してるさ! でもこいつオレのことなんて、はなから無視して……。」

「ああ、もう!! もっと気合い出しなさいよ! そんなだからなめられるんでしょ!」



 悪態をつきつつも、水月は攻撃の手は緩めない。
バックステップ直後に牽制と見せかけた本命のフルバースト射撃を展開。
たまらず前衛機が避けたところを純夏が追撃にかかるものの、例の後衛機が支援砲による攻撃を仕掛けてきたため失敗。
慎二は痺れを切らしたかのか後衛機に接近を試みたが、これは前衛機の割り込みによって阻止された。
数に勝り波状攻撃をかける水月隊と、技量に勝り相手に絶対に隙を見せない武とまりも。
いつの間にか磁気障害も消え去り、FCSは完全に動いているにもかかわらず戦力が拮抗しているのかお互いに有効打は与えられなかった。


 それにしても、さすが武とまりものエレメンツだ。
お互いが死角をカバーしあって――



「あれ?」



 どうも、前衛の動きが不自然だ。
突然感じた違和感に、水月は頭をひねる。



「ちょっと遙、なんかこの2機の動き変じゃない?」

「……やっぱり水月もそう思う? 私も違和感は感じてたんだけど。」



 どうやら遙も同様の違和感を感じているようだ。
水月はますます慎重に敵の動きを探った。
まさか、前衛が後衛の動きに合わせて動いているんじゃ……。
浮かび上がってきた考えに、水月は頭を振った。



「ひょっとしたら、前衛が後衛の死角に入らないように動いているのかも?」

「……ええ?! まさかそんなわけが。」



 遙の口から出た自分と同じ結論に、水月は言葉を飲み込んだ。



「……もし仮にそうだったとすると、どちらの機体にタケルが乗ってるかは、、だいたい見当がつくわね。」

「速瀬さん、それってどういうことですか?」



 水月達の会話を聞くに徹していた純夏が"タケル"の言葉に反応して会話に首を突っ込んできた。



「教官の現役時のポジションは、確か迎撃後衛だったわよね?」

「そうらしいですけど……ってことは、今私が戦ってるのがタケルちゃんで、平くんが相手にしてるのが神宮司教官ってことですか?」

「ちがうわよ鑑。 もしも援護に慣れてる教官が後衛なら、前衛はわざわざ背中に気をつかわなくとも思う存分戦えるはずでしょ?」



 純夏らしい素直な答えに、水月はクスリと笑いを漏らしつつ答えた。
前衛機は守りに入ったらしく、なかなか攻めてこない。



「――ってことは、目の前にいるのが教官ってことですか?!」



 笑われたのが不服だったのか、ムッとした表情で言い返す純夏。
一方で後衛機の攻撃から盾で身を守りながら回避行動をとるのは忘れない。



「まあ、教官が第3世代機の動きになれていないから、タケルがわざわざ教官の動きに合わせてるってのも考えられなくもないけど。」



 水月はそう言って純夏の反応を待った。



「……うーん、タケルちゃんがそこまでできるとは思えないから、やっぱり教官だと思う。」

「え? どうして?」

「だって、タケルちゃんは筋金入りのにぶちんだもん。 前衛ならまだしも、後衛の動きに合わせるなんて器用なことできるわけがないじゃん。」

「……! 確かにそうかも。」



 本人が聞いていたら間違いなく鉄拳制裁が下るであろうことをのたまう純夏だが、水月も同感らしく口元に笑みを浮かべつつ首を縦に振る。



「えっと、でも速瀬さん。 前衛が軍曹だってことはわかりましたが、それでどうしましょう?」

「それは……。 つ、つまり前衛向きの武が何故か後衛をしているってことは、わざわざ後衛から切り崩すよりも前衛を崩す方が楽そうってことよ!」

「ってことは、作戦に変更は無しってことでいいんですよね?」

「あ、うん。 そうだけど……。」



 純夏の追求に、水月はしどろもどろに答えた。



「水月達、お疲れ様。 そろそろ作戦を次の段階に移すから準備して!」



 話の腰を折るように入ってきた遙の通信に、水月は内心感謝した。



「――了解っ。 聞いたわね2人とも! 合図が出たら、一斉に全力で後退するわよ!!」

「「了解!」」







「……!! 教官、連中一斉に後退を始めました。 なにかしでかす気でしょうか?」


 突然、派手な"牽制攻撃"をしながら後退して行く3機の吹雪の様子に、武達は慎重な判断を迫られた。
本当ならこのまま追撃に入りたいところなのだが、あまりにも行動が胡散臭いことに加え、未だ姿を現さない2機の吹雪が気になる。
しかし、いまさら207隊がBETAもひっかからないような陽動作戦未満に出るとも考えられない。
とすれば、彼らの狙いはいったい何なのだろうか? 武は悩んだ。



「よりによって今仕切り直しというのもおかしいな。 迂闊に深追いはせんほうがいいだろう。」

「はい、連中の動きは気になりますが――っ!! 教官、レーダーに無数の飛翔体! 発射源は側面の住宅地です!」

「先ほどの小型ミサイル、か。 また私たちの目をくらまそうという訳か?」



 言いながらまりもはレーダーに目を落とす。
見る間にミサイルを表す点の数は増え、あっという間に10を超えてしまった。



「……このミサイルの数、さっきの比じゃない。 本格的な飽和攻撃だ!! 連中が下がったのはこいつのせいか!」

「落ち着け白銀、連中の動きの検証は後だ! まずはこの場から待避するぞ。」

「っ、了解!」




 207隊が待ち伏せしているであろう前方のビル街を避け、後方の森林地帯目がけ飛翔する2機の吹雪。
しかし背後にはいつの間にか1機の吹雪が行く手を遮るかのように待ち構えていた。



「教官、前方に敵機が!!」

「たかが一機、強行突破する!!」



 宣言すると、速度を上げて突っ込むまりもの吹雪。
視界の端、住宅地で何かが光ったように感じ、思わず武はカメラをそちらに向けた――刹那、金属板を思いっきり叩いたような鈍い音が響く。

 武が慌てて視線を戻すと空中で跳躍装置を打ち抜かれ、凄まじい勢いで地面を転がるまりも機の姿があった。



「じ、神宮司教官!!」

「<教官機、左跳躍装置、両手足、頭部ユニットに致命的損害――大破。>」



 武の叫びもむなしく、非情な宣告が通信機から漏れた。
おそらく、さっきの光は支援砲のマズルフラッシュだったのだろう――かなり距離があったはずだが。
おそらく遙だろう、まったくずいぶんと腕を上げたものである。
前方にはこちら目がけて突っ込んでくる吹雪が1機。
後ろからもミサイルの着弾の影響でレーダーにこそ映っていないものの、例の3機が迫ってきていることだろう。
くわえて、先ほど狙撃してきた機体は既に己に狙いを定めているはずである。



「万事休す、か。」



 口ではそういいつつも、武は右手の盾でもって突っ込んできた吹雪を見事殴り飛ばしていた。
不屈と言ったら聞こえは良いが、ようは最後の悪あがきである。







「わーい! タケルちゃんに勝ったぞー!! やっほー!」

「はいはい、オレの負けね。 わかったわかったって。」



 例のごとく全身で喜びを表現している純夏に、武はうんざりした様子で答えた。


 武が吹雪を1機殴り飛ばしたところで狙撃が命中し脚部が中破。
追いついてきた3機にタコ殴りにされ、勝敗はすぐについてしまったのだ。
当然結果は武達の負け。
一見作戦勝ちにも思える今回の戦いだが、実のところ新OSによる底上げが勝利の要因として大部分を占めていた。
以前までなら、207隊は最初の小競り合いで1機から2機の被撃墜機を出していたのである。
少々のイザコザがあったにもかかわらず、たった1機の被害で勝利を収められたのは、まさに更新された新OSの効果様々と言ったところだろう。



「神宮司教官、これで私たちも特訓の仲間入りさせてもらえますよね?」



 遙がニコニコと笑いながらまりもに訪ねる。
まりもはため息をつきつつ



「ああ、そういう約束だからな。」



 と、端的に答えた。



「っしゃああ! 頑張った甲斐があったってもんだぜ!」

「ちょっと孝之、今回アンタは何もやってないどころか、唯一の被撃墜機じゃないの。」



 はしゃぐ孝之に冷ややかな言葉を浴びせかける水月。
孝之はすねたように口をとがらせながら答えた。



「……んなこと言ったって、まさか盾をあんな使い方するなんて思わねえだろ、普通。」



 接近した時点で「勝った!」って油断しちまったんだよ、と、孝之は言い訳する。



「でも孝之くん、確かあの使い方は座学でも一度教わったし、仕様書にも書いてあったと思うけど……。」

「うぐ……。」



 遙からの指摘に、孝之は言葉を詰まらせた。



「あ、あ、でも今回は作戦で孝之くんの出番は最後だったから。 活躍できなくても仕方ないよ。 それに、あの時孝之くんが目立ってくれたから私の狙撃が当たったんだし。」

「ねえ遙、そうやって孝之をすぐに甘やかしちゃダメよ? すぐコイツつけあがるんだから。」

「……えっと、やっぱりそう思う?」



 水月の指摘に、遙は笑ってごまかした。



「そういえば、どうしたの慎二? せっかく勝ったってのに元気ないわねえ。」



 一人黙りこくっている慎二に気がついた水月が声をかける。
しかし慎二は「いや……、別に……。」と曖昧に答えただけで水月を見向きもしない。



「なに? ひょっとしてタケルのビョーキが移っちゃった?」



 冗談めかしに訪ねる水月。
武がいつも黙って考え事をしているのは、もはや隊内でも見慣れた光景になっていた。
何か考え事に没頭すると、武は周りが見えなくなったかのように自分の世界に埋没してしまうのだ。
しかし、慎二は水月の意図とは違う取り方をしたらしい、突然バッと顔を上げると、



「――っ! 別にそういう訳じゃない。」



 と声を荒げた。
驚いて目を瞬かせる水月の姿に、「しまった。」と、再び顔をそらす慎二。



「……ただちょっと具合が悪いだけだよ。」

「そ、そう。 ま、あんまり深いこと考えすぎないほうがいいわよ?」

「だから違うって言ってるのに。」



 「わかってるわよ。」と、ヒラヒラと手を振りながら仲間の輪の中に戻ってゆく水月。
残された慎二は、しばらく浮かない表情で彼女の後ろ姿を眺めていたが、やがて表情をやや強ばらせながら武のいるほうへと視線を移した。



「白銀。 どうやら貴様はまだ後衛に慣れんようだな。」

「はい、自分なりに改善はしているんですが、突撃前衛の時の感覚が抜けなくて。」

「口でなんと言おうと、結果に出なければ改善していないのと同義だぞ白銀。 まったく、何事にも視野狭窄気味だ貴様は。」

「っ、今後気をつけます!」



 ビシッと敬礼を決めながら答える武。



「フッ、少しばかり肩に力が入りすぎているようだが……。 視界が狭くなっているのは、それが原因じゃあるまいな? 何にせよ明日から一段と忙しくなるぞ、覚悟しろ。」

「了解しました。」



 武の返事に、まりもは仕方がなさそうに口元を綻ばせて踵を返した。
まりも去り、ホッと肩を下ろす武。
そんな彼の後ろから慎二はそっと近づき、躊躇いつつも声をかけた。



「……なあ、武。」

「ん? ああ、なんだ慎二か。 どうしたんだ、オレに何か用か?」



 返事とともに、まっすぐと慎二の顔を見つめる武。
気のせいなのだろうが、彼の瞳に映し出される自分の姿が汚れているような気がして、慎二は思わず身を縮めた。



「(ちくしょう、何でオレのことをそんな顔でみるんだよ!)」



 武はいつも通りで、自分に後ろめたさがあるから彼が聖人のように見えるのだと慎二にはわかっていた。
わかっていたが、どうしてもいざ武の目の前にたつと、どうしようもなく心が荒れるのだ。
それはまるで、エルサレムの城壁を目の前にしたユダヤ人のような気持ちになるのである。
今の彼にとって、エルサレムを囲う城壁とは武のことだった。
そして、相手にその自覚がないであろうことが、慎二にはたまらなく悔しかったのだ。



「お前は水月さんのことを……いや、なんでもない。」

「は? 速瀬さんがどうかしたって?」

「なんでもないって言ってるだろ!」



 つい口に出てしまった言葉に猛烈に後悔しながら、慎二は逃げるようにその場から走り去った。
突然のことに掛ける言葉も見つからず、唖然と見送る武。



「……おいおいまったく、最近は人の問いに答えずに走り去るのがはやってんのか?」



 あきれ気味につぶやく武。
大きく一つ伸びをすると、名前を呼びながら手招きする純夏達の方へと歩いて行った。





[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第六章 第五話 相談 ~Don't beat about the bush.~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:8b4e2465
Date: 2009/09/26 18:16




 ――八月中旬


 森に群生地があるのだろうかヒグラシの鳴き声が真昼から五月蠅いほどグラウンドに響く中、武達は暑さとは無縁なシミュレーター内で日夜激しい訓練を続けていた。


 BETAの日本初侵攻から早くも1月が経過したが、あの侵攻以来BETAは不気味なほど全く行動を起こしていない。
今こうして新OSの使い方を仲間達に教導している間にも、BETAはその数を着々と増やしつつあるはずだと思うと、武の心は憂鬱だった。
基地内の、そして仲間内の空気が緩みつ続ける一方で、武の耳にはしっかりと砂時計の砂の落ちる音が聞こえていた。


 しかし、だからと言って何ができるというわけでもなく、それでも日は一日一日と過ぎて行く。
その間にできたことと言えば、来るべき日に供えて自分と仲間達を鍛えることぐらいであった。



「武……ちょっと、聞きたいことがあるんだが、良いか?」



 午後の訓練を終えた更衣室で、慎二が先に出ていったのを確認してから孝之は武に問いかけた。
素っ裸だった武は、とりあえず下着を身につけてから答える。



「ああ、別にかまわねえけど。 どうしたんだ?」

「あーっと……。 なんて言ったらいいか。」



 どうにも歯切れの悪い孝之の様子に痺れを切らし、武は尋ねた。



「……ひょっとして、この前言ってたオリジナルコンボのことか?」

「あ……あーあーソレソレ。」



 なにやら慌てた様子で取り繕う孝之。
そんな彼の様子を不思議に思いつつも、武はストレートな感想を告げた。



「アイディアは良いけど、今のままじゃダメだな……あれじゃあ、ただの魅せコンボってやつだ。」

「みせコンボ? なんだよそれ。」



 自信のあったコンボを否定されたこともさることながら、武が発した新たな"白銀語"に孝之は困惑した表情を浮かべる。
ああ、そういえばコンボの概念が無かったんだから、まして"魅せコンボ"なんて知るわけもないか、と、ロッカーから制服を取り出している最中に気がつく武。



「ああっと、魅せコンボってのは格好ばかり気にして実戦向きじゃないコンボのことだ。」

「実戦向きじゃない? 一体どういったところが実戦向きじゃねえんだ?」



 服に腕を通しながら訪ねる孝之。



「人間相手ならまだしも、BETA相手に牽制攻撃なんてしてどうするんだ。 やつらは無視して突っ込んでくるぞ?」

「……それも、そうだな。」



 孝之の疑問に、武はうなずいて答えた。



「あと、やっぱり一番不味いのは途中で強引なキャンセルを入れることを前提にコンボを組み立ててるってところだな。」

「なんだ、せっかくの機能なのに使わない方が良いのかよ。」

「使いどころを選べって話だ。 確かにキャンセルは便利な機能だが、機体に余計な負担がかかってるのはわかるだろ?」



 武は上着を羽織りながら答えた。



「まあ、動作を途中で止めたり別の動作を滑り込ませるんだから、そりゃそうだろうな。」

「戦場じゃあ碌に整備も受けられないまま連戦なんてこともあるだろう。 だから、なるべく機体の損害は押さえた方が良いんだ。」

「なるほど。 武の言いたいことが何となくわかったぜ。」



 孝之の答えを窘めようと口を開きかけたものの、まあ何となくでも良いか、と、思いとどまる武。



「孝之は新OSの扱いにも慣れてきてるみたいだし、そろそろ機体をなるべく壊さないように戦う方法も考えた方が良いと思うぞ。」

「そういうもんか。」



 孝之はまだ少し不服そうなかを押していたが、頭では理解している様子だ。
孝之は決して頭が悪いわけではない……ただ目標のない努力、言い換えれば"興味の感じられないこと"に対して集中出来ないだけだ。
むしろ、納得さえしてしまえば吸収は人より早い部類の人間だというのが、武の孝之という人間に対する理解だった。
現に戦術機の操縦分野に関する成長はめざましく、思わず武が嫉妬してしまいそうになるぐらいである。



「――さて、そろそろPXに行くか?」

「その前に、もう一つ相談があるんだが良いか? っていうかむしろここからが本題なんだけど。」

「……いや、すまねえ。 これ以上PXにアイツらを待たせとくのは、さすがに不味いと思うぞ……?」



 壁に掛けてある丸時計を指さしながら武は答えた。



「そ、そうだな。 じゃあ今日、午後の訓練が終わった後、大丈夫か? できればオレの部屋で。」

「ああ、別にオレはかまわねえが……でも新OS関連の質問なら皆の前でしてくれないか? そうすれば、皆の勉強にもなるし、オレも説明が二度手間にならなくて良いんだが。」

「い、いや。 実はOSどころか戦術機も関係なくて……。」



 孝之はそう言うと、恥ずかしそうにそっぽを向いた。



「……まあ詳しい話は、また後でにしよう。 そろそろ速瀬さんの雷が落ちる頃合いだぞ。」

「ヤバっ! 飢えたアイツは熊みてえになるからなー。」

「おいおい、速瀬さんに今の発言知らせちまっても良いのか?」

「うわー、それは"マジ"で勘弁してくれよ!」



 武の冗談に、"白銀語"で返事する孝之。
軽口を叩きながらも、飢えた獣どもが待ち構えているだろうPXへと向かうのだった。







 午後の訓練を終え、約束通り孝之の部屋を訪れる武。
『コン、コン、コン!』と3度部屋の戸を叩くと、中から孝之の「開いてるぞ!」という声が帰ってきた。



「悪いな武、つきあわせちまって。」



 武が部屋に入ると、孝之はマズそう言って彼のことを出迎え、そして今度は部屋の扉にロックをかけた。



「気にするなって。」

「……まあ、取りあえずどこでも良いから座れよ。」

「おう。」



 孝之に促され、ベッドの縁に腰を下ろす武。
孝之もまた、武の隣に座り直した。



「それで、相談って何なんだ?」

「あーっと……それは……。」



 言いずらそうにモジモジしている孝之の姿が不気味すぎる。
過去、校舎裏でのトラウマが頭をよぎり思わず表情を引きつらせる武。
初めてされた告白が男からだったなんて、忘れたくても忘れられない過去である。



「た、孝之?」

「その、遙のことで相談なんだが!!」



 孝之の言葉を聞いた途端、武の顔から血の気が引いた。



「――っ!! まさか、うまくいってないのか?」



 この気に及んで仲間割れは勘弁してくれ! 武は頭を抱えたい思いで問いかけた。



「あ、いや、そう言う訳じゃなくてだな……。」

「……なんだ。 ならいったい、どうしたって言うんだよ。」

「えーっと、もうアイツと付き合い始めて2月ほどになるわけなんだけど……その……。」



 なおも言いずらそうに、握り拳を乗せた膝に目を落とす孝之。



「だー!! もういい加減、はっきりと用件を言ってくれよ。」

「……ああ、実はな……。」



 武の言葉に押され、孝之はついにゴニョゴニョとだが用件を述べた。



「オレと遙ってさ、武から見たらどういう風に見えるよ。」



 突然の質問に面食らって、思わず息をのむ武。



「どう見えるって……6月頃に比べればずいぶんと良くなったと思うぞ。 両方とも自然体というか、何というか……不自然な馴れ馴れしさが無くなったな。」

「――っ!! やっぱ、オレたち上手くいってるんだよな?!」

「孝之……そう言うのって、人がどう思うかよりも、まず自分たちがどう思うかなんじゃないか?」



 孝之の物言いに呆れ混じりにアドバイスする武。



「現に6月の頃、純夏達はお前らのことを『上手くいってる』だの『お似合いのカップル』だの満足げに言ってたけど、孝之、お前自身は涼宮さんとの関係で悩んでたじゃねえか。」

「……まあ、それはそうなんだけどさ。」

「じゃあ一体、何が不満なんだ?」

「いや、不満って訳じゃないんだ。」



 孝之は慌てて言いつくろった。



「武に言われたとおり、あれから遙と色々話をしてみたんだけど……あいつ、思ってたよりずっとおもしろいやつでさ。 やっぱりちょっと抜けてるんだけど、そこが可愛いって言うか。」



 孝之の言葉を聞いた武は「あー、なんだ。 こいつら案外上手くいってるんじゃねえか。」と肩の力を抜いた。
孝之の「そこで遙が~」だの「思わず抱きしめたく~」とかいった惚気を半分以上聞き流しつつ、話が一区切りつくのを待つ武。
長々と続く惚気話にウンザリしないでもなかったが、少なくともウジウジした話を聞かされるよりは100倍マシだった。



「と、とにかく、遙との付き合いにはなんの不満もねえんだ。 ……ただ、ちょっと何か最近物足りねえって言うのかなあ。」

「つまり、孝之。 お前の言いたいことは、何となくお互いにマンネリになっちまったからどうにかしたいってわけだな。」

「……有り体に言っちまえば、そうなるのかな。」



 孝之のことを責める事なかれ、軍隊生活を送っていれば嫌でもマンネリになるというモノだ。
早朝起床したかと思えば点呼の後、大混雑のPXに突入、続いて激しい日中の訓練が始まる。
日が沈めば今度は特訓が待っており、夜は訓練の疲れで泥のように眠る。
……毎日毎日これの繰り返し、2人のプライベートな時間を作るだけでも一苦労だ。



「単純に考えれば、何か気分転換になるようなイベントを入れりゃあいいんだろうが……。」

「んなこと言ったって、忙しくてとてもじゃねえがデートなんてしてらんないぜ?」

「だろうなあ――っていうかお前、そもそもこういったことはオレよりも速瀬さんや慎二のほうが詳しいんじゃねえのか?」



 ふと気がついて指摘する武。
しかし、武の言葉に孝之は首を横に振った。



「ここだけの話、アイツらのアドバイスってどうもこう、シックリこねえんだよな。 それに相談したらしたで煩いし。」

「……まあ、気持ちはわからなくもねえな。」



 武はそう言って視線を遠くに向けた。
あの2人、特に水月の"アドバイス"は武の目から見てもアドバイスの域から逸脱していた。
アドバイスを積極的にすることは良いとして、あとで孝之が指示通り行動したのか遙に確認する行動は、いくら親友同士とは言えいただけない。
まるで孝之をゲームの主人公、自分をプレイヤーかなにかと勘違いしているように見えた。
本人達の意思を軽く無視していたと言って過言ではないだろう――とは言っても、当の本人達に歩み寄る行動力が欠けており、やきもきさせられたのは事実だが。
7月の一件以降は落ち着きを見せているようだが、武にしてみればいつか火種が再燃するんじゃないかとこの1ヶ月間は内心冷や汗ものだったのだ。



「……そうだ! 何かプレゼントを渡すってのはどうだ?!」

「プレゼント……おお、良いかもしれねえな!」



 武の提案が気に入ったらしく、孝之は食いつくように返事した。



「それで、いったい何をプレゼントしたら良いんだ?」

「そこからは孝之、お前が自分で考えなきゃダメだろ。 だいいち、オレには涼宮さんの好みなんてわからねえし。」

「……まあ、そりゃそうだよな。」



 何度も頭を縦に振って相づちを打つ孝之。



「これは経験だけど、やっぱりプレゼントってのはモノが重要なんじゃねえと思うんだ。」

「じゃあ何が重要なんだよ?」

「それはやっぱり渡す側の気持ちとか、受け取る側の気持ち――つまり『気持ち』の問題だと思うぞ?」



 大まじめな顔で結構恥ずかしいことを口走る武。
本人も地味に後悔したようで、顔が一瞬赤らんだ。



「気持ち、ねえ。 まあ確かによくそう言ったことは耳にするけど、実際最低ラインってものはあるんじゃねえか?」

「……そうか? 別にオレは気持ちがこもってたら、それこそ何でも良いと思うんだが。」

「う~ん、そういうものかあ?」



 孝之はそう言って布団に仰向けに倒れた。



「参考までに、武は今まで誰かにプレゼントって渡したことあるか?」

「……? あるけど、ろくなもんじゃねえぞ?」



 孝之に問われ、武は何でもないように答えた。



「ろくなもんじゃないって。 武、お前は一体どんなもんプレゼントしたんだよ?」



 布団から跳ね起きながら尋ねる孝之。



「えーっと……サンタうさぎだろ、綺麗な石だろ、瓶の王冠に缶バッチ、クレヨン…(中略)…クレーンゲームで偶然手に入れた人形、ハンカチ、手彫りのキーホルダーってとこか。」



 武は指折り答えた。
謙遜どころか、思い起こしてみればどれもこれもガラクタで、武の口元は徐々に引きつっていく。



「お前……本っ当ーに、ろくなもんプレゼントしてねえな。」



 孝之は武をジト目で睨みながら言った。



「うるせえなあ、相手はものすごい喜んでくれたぞ? ……不思議なことに。」

「渡した本人が言うセリフかよ?」

「……。」



 武はスッと孝之から目をそらした。



「……だあ!! こうなったら乗りかかった船だ! オレもそれとなく探りを入れてみるさ。」



 誤魔化すように言った武に、孝之は「くれぐれも速瀬や慎二に悟られないようにしてくれよ?」と念を押したのだった。







 夕食が終われば全員そろっての特訓が207A分隊を待っている。
コンボのつなぎ方、イメージの構築を実戦方式で学ぶ貴重な機会だ。
しかもベテラン2人が見張っているため、間違った訓練をして変な癖がつくような心配もない。

――とはいったところで、それらはすべて日中の訓練でも行なっていることである。
違いと言えば、神宮司教官がシミュレーターに乗っているか、管制室にいるかの違いだけだ。
もっとも、その差が大きいがために自主参加にも関わらず1人とかけることもなく全員そろって来ているのだ。



「う~ん……やっぱり教官は強すぎるよ。」

「同感。 まったくタケルといい教官といい、同じ人類なのか疑問に思うわね。」



 1対1での戦闘でボロボロに敗北し、意気消沈しかける遙と水月。
訓練から学ぶべき点が多すぎて消化不良を起こしているのだ。
シミュレーターの壁により掛かりながら、いかにも幸福が逃げていきそうな深いため息をついている。




「まあ、そうは言っても2人とも人間だからな。 特に武はオレ達の同期。 もっと頑張れば、ひょっとしたら追いつけるかもしれないじゃないか?」

「ま、あくまで可能性としては、だけどな。 少なくとも、お前じゃあ難しいとおもうけどな?」



 孝之はそう言って勢い込む慎二をからかう。
しかし噛みついてくるだろうという孝之の予想を裏切り、慎二は暗い顔をして黙り込んでしまった。



「……やっぱりオレってそんなだめかな。」

「……っ! おい、どうしたんだよ。 冗談だよ、冗談。」



 途端に元気のなくなった慎二にびっくりして、孝之は取り繕うように答えた。
しかし慎二の顔は浮かないままで、孝之はどうしようもなく口の開閉を繰り返した。



「あー……でも武って何だかんだとけっこう変わった奴だと思わねえか?」



 苦し紛れに出てきたのはそんな言葉だった。
言った後で「武、すまねえ。」と心の中で頭を下げる孝之。



「何よ藪から棒に。 そんなこと、前から解ってたことじゃない。」



 水月はそう言って肩をすくめた。
思いもしなかった反応に、孝之は自分のことを棚に上げて口元を引きつらせた。



「…・・速瀬、おまえサラッと酷いこと言うな。」

「ちょっとなによ、孝之がこの話題振ったんじゃない?!」

「まあそうだけどよ。」



 決まり悪そうに鼻の頭を掻く孝之。



「それにしてもホント変わった奴よねえ。 変に大人びてる割には年相応――ううん、それ以上に子供っぽいところもあってさ。」

「そうそう、なんていうかギャップが酷いよな。」

「おいおい、孝之、それに速瀬さん。 ギャップって言ってもそこまで酷くはないんじゃないか?」



 諫めつつも口元は笑っている慎二。
少しは元気が出てきたようだと、孝之は内心ホッと胸をなで下ろす。



「うーん、言われてみれば白銀くんって変わってるかな? 座学も実技も人並以上に出来るし、戦術機の操縦も上手いし……まるで元から衛士だったみたい。」



 遙は首を縦に振りながら言った。
微妙に話の路線がずれているのはいつものことか、と、苦笑を浮かべる孝之。

 

「出来るところは出来るのに、どうして抜けてるところは抜けてるのかしら? 不思議よね。」

「……完璧だったらそれはそれで怖すぎるけどな。」

「それもそうね。 ……で、鑑はタケルのことどう思う?」

「うーん……。 タケルちゃんが変わってるってのは間違いないと思うよ。 やること為すこといつも突拍子がないし……。」



 純夏は顎に手を添えながら神妙な顔で頷いた。



「ほんとーに変というか、無茶苦茶というか、理不尽というか……。」



 日頃の鬱憤不満を吐き出すかのようにつらつらと武の悪口を並べ立てる純夏。
まわりが必死に口元に手を当てたり、ジェスチャーで何かを伝えようとしていることに全く気がついていない。



「そう、いつだってタケルちゃんはヘンテコなんだよ!」

「ほーう、純夏。 誰がヘンテコだって?」



 背後から聞こえてきた、背筋が凍るような声。
いずこからか発せられた「あちゃー」という声が純夏の脳内に響いた。
ゴクリと息を飲み、ゆっくりと背後を振り返る――前に純夏の頭頂部から小気味の良い破裂音がシミュレーター室内に響き渡った。



「いったーーーい!! タケルちゃん、今ぜっったい思いっきりやったでしょ?!」

「まったく、バカと純夏には付ける薬がないってことわざがあるが、マジみたいだな。」

「そんなことわざ無いよー! っていうか、何でそこまで言われなきゃなん無いのさーっ!!」



 半べそで文句を言う純夏に、タケルは悪そびれもなく答えた。
片手で便所スリッパをもてあそぶその姿は、もしも純夏がおかしな行動をするようなら、またその場で引っぱたくと主張しているかのように純夏には思えた。



「純夏、そんなことよりも次お前の番だろ。」

「えっ?」



 タケルの指摘に、ぽかんとした表情を浮かべる純夏。



「あ……。 う゛~! おぼえてろよ!」

「わかったから、早く行ってきやがれ! 教官を怒らせたら連帯責任を取らされるだろ?!」



 武が犬のようにうなる純夏を一喝すると、純夏もようやく観念してシミュレーターへと身を滑り込ませた。





 

 今日の特訓は時間がかなり長引いてしまった。
仕上げの一騎打ちで隠れん坊作戦を決行したところ、隠れた場所が悪くて決着がつくまでに無駄な時間がかかってしまったのだ。
けっきょく、時間がかかっただけで作戦は効を為さず、純夏は粘った割に呆気なく負けてしまった。
教官の集中力が切れるより先に、己の集中力が切れてしまったのだ。


 皆を待たせてしまって悪いなと思いつつ純夏が廊下に出てみれば、そこには誰もいなかった。
薄情にも仲間達は先に帰ってしまったらしい。
少しムカッとしたものの、程なく自分も同じ事をしたことがあるのを思いだすと、怒りは彼女の心からスッと引いていった。


 常夜灯の明かりで照らされた薄暗い廊下……基地には慣れたとはいえ、不気味なモノは不気味である。
誰かから見られているような気がして、純夏はビクビクしながらキョロキョロと周りを見渡した。
一通り見回して、誰もいないことを確認しホッと一息を着く。



「おう、純夏。 まだこんなところにいたのか。」

「うひゃああああ!!」



 純夏の絶叫にたまらず耳をふさぐ武。



「だああ! うるせえなあ、まったく。」

「いきなり後ろの扉から出てこないでよお。 もう、心臓が口から飛び出てくるかと思ったじゃんか!」



 バクバクと脈打つ胸を押さえながら、涙目で文句を言う純夏。



「あー悪かった悪かった。」

「むう、タケルちゃん本当に悪かったって思ってないでしょ?」

「思ってるって。 それより、いつまでも突っ立ってたってしょうがねえだろ。 歩きながら話そうぜ。」



 純夏は文句を言おうとしたものの、返答を待たずに武が歩き出してしまったので仕方なく喉まででていた言葉を飲み込んで彼の後に続いて歩き出した。


 こうして2人きりで話しながら歩くのは、純夏にとって数週間ぶりだった。
自分は何も変わっていないのに、いつの間にか自分を置きざりにして変わってしまった日常。
2人で歩いていると、今となっては"思い出"の一つとなってしまった下校中の風景が、まぶたの裏に浮かんでくるようだった。



「おい、なにやってんだよ純夏。 目閉じたまま歩いてたらこけるぞ。」

「大丈夫だよ、その時はタケルちゃんにしがみつくから。」

「ちゃんと前を向いてあるきなさいって、子供の頃習わなかったのか?」

「むう、うるさいなあ。 目を開ければ良いんでしょ!」



 人の小さな楽しみに水を差さないでほしい、と、腹を立てる純夏。
武は純夏が一体何に怒っているのかわからず、ただただ怪訝な表情を浮かべた。



「ああ、それと、いきなりだが純夏、もしお前が大切な人にプレゼントを渡すとしたらどんなものにする?」



 ――「大切な人にプレゼントを渡すとしたら……。」


 プレゼントを渡す? 大切な人?
純夏は顔面が沸騰しそうになるのを感じ、両手を頬に当てた。



「……い、いきなり過ぎだよ! まったく、こんなだからタケルちゃんはタケルちゃんなんだよ!」



 全くいきなり何を聞いてくるかと思えば、と憤慨する純夏。
しかし武には彼女の怒りの真意は伝わっていないようで、真顔で返事を返してきた。



「純夏に言われるまでもなく、オレはオレだ。」



 冷静に返されると冷静になるという物である。
純夏は武の返事のおかげで何とか平静を取り戻すと、ややあってプレゼントの内容について考え始めた。


 しかし、どんなに考えたところで結論が出ない。
結局、本当に大切な人からのプレゼントだったら、心さえこもっていれば、それが何であれ嬉しいだろう。
とはいえ、それを説明したところでこの唐変木が納得するだろうか?
いや、無理だろうと勝手に自己完結すると、純夏はまた深く思考の海に沈んでいった。



「で、純夏だったら何を渡すんだ?」

「むう、そんなに急かさないでよ。 いきなり聞かれたって答えられるわけないじゃん! だいいち、なんでそんなこといきなり聞くの?」

「え……? あ、いや、お前ぐらいにしかこんな事は聞けねえからな。」



 そう言って、何かを誤魔化すようにそっぽを向く武。
純夏は、武が何か大切なことを隠している事を悟った。


 それにしても、いきなりプレゼントとはどういう訳だろうか? 純夏は疑問に思う。
自分の誕生日はこの前過ぎたし、教官の誕生日は聞いたことがないので解らない。
あとは……



「……あ!!」

「ん、どうかしたのか? 純夏。」



 武の心配する声も、今の純夏の耳には届かなかった。
数週間後、8月27日は『彼女』の誕生日だ――速瀬水月の。
ということは、彼が言う大切な人っていうのは……
純夏の顔から血の気がスッと引いた。



「……おい、純夏?」

「そ……そんなこと、本人に聞けばいいじゃない! 何が欲しいって!」

「――っ!!」



 突然声を張り上げた純夏に、武は訳もわからず目を白黒させた。



「そんなこと……そんなこと私に聞かないでよ……!」

「な、なんでだよ? このぐらい協力してくれたって良いじゃねえか。 幼馴染みだろ?」

「――っ!!!」



 幼馴染み――その一言で、彼女の中の何かが音を立てて切れた。
純夏は腕を思いっきり振りかぶると、叫びと共におもいっきり突き出す。



「タケルちゃんの……バカーーーっっ!!!」

「れう゛ぃあたーーーーーーん?!」



 武を思いっきり殴り飛ばしたまま放置して、泣きながら走り去っていく純夏。
「うわぁああん」という泣き声が深夜にひたすら迷惑そうだ。
いや、案の定休息を取っていた兵士達が何事かとぞろぞろ部屋から出てきた。



「……まったく、なんだってんだんだよチクショウ。」



 彼らにこの状態をどうやって説明しようかと、天地が逆転したまま頭を悩ませる武であった。







 走っている内に、いつの間にか部屋の前の廊下へと着いていた。
純夏はどうやってここまで歩いてきたのか覚えていなかったが、とても長い時間がかかった気もするし、ほとんど時間がかからなかったような気もした。
全身にまとわりつく汗が、涙と鼻水でベトベトになった顔が気持ち悪い……まずはシャワーに入らないと。
そんなことを考えながら、部屋の扉へと手をかける純夏。



「ど、どうしたの鑑さん?!」



 ああ、しまった。 その声を聞いたとき、純夏は何となくそう思った。
孝之の部屋から戻ってきた遙と純夏がちょうど鉢合わせてしまったのだ。
酷い顔を見られてしまっただろうか? と、ボーッとした頭で心配する純夏。



「な……、……なん、なんでもない。」



 慌てて声を出そうとしたが、過呼吸で上手く声が出ない。
言葉が一々喉に引っかかって、それが情けなくて再び涙があふれそうになる。



「……ねえ、鑑さん、ちょっと私の部屋に寄っていかない?」



 差し出される遙の手。
純夏はまるで誘われるように、暖かなその手を強く握っていた。







[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第六章 第六話 密会 ~You cannot see the city for the houses.~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:8b4e2465
Date: 2010/08/28 21:52
 昼食の席で全員が揃うのを待つ間は暇なものである。
退屈しのぎに、武はなんと無く純夏の後ろ姿を目で追った。


 ふと、彼の方を振り向く純夏。
しかし、目があった途端彼女はプイッと顔をそらしてしまった。


 どうも最近純夏の様子がおかしい――武は溜息と共に頭を振った。
思えば3日前の朝から彼女の様子はおかしかった。
毎朝頼みもしていないのに目覚まし時計よろしく決まった時間に起こしに来る純夏が、どういう訳か姿を現さなかったのだ。
霞も純夏が居ないことに困惑していた様子で、武を起こし終わると挨拶も無しに部屋から出て行ってしまった。


 具合でも悪いのかと心配した武だったが、点呼の時には姿を現していたし、訓練中の彼女は元気そのものだった。
違いと言えば、決して武と顔を合わせようとしないぐらいである。
原因を聞き出そうと意識的に声をかけるものの、帰ってくる返事は生返事か必要最低限の内容だけ。


 ああ、どうせあの夜の事なんだろうなあと、武はうすうすとではあるが気がついていた。
しかし、気がついたところで対処法が彼には全く解らない。
純夏に聞いたところで「別に気にしてない。」の一点張りなのだ。
全くの唐変木であった過去よりはマシになった――と、本人は思っている――が、それでも乙女心は武にとっては彼方の存在だった。
武には何で純夏がそこまで腹を立てているのか、皆目検討がつかなかったのだ。



「なあタケル、お前ら何かあったのか?」



 2人の様子を心配した孝之が、武に耳打ちした。



「いや、オレにもどうしてこうなっちまったのかさっぱりわからねえんだ。」



 まったくお手上げだよ、と、武は溜息をつく。



「……そうか。 まあ、何かあったらオレも協力するから遠慮無く言ってくれよ。」

「ありがとな、その時は頼んだ。」



 武はニッと孝之にほほえんだ。



「な~に~? 男2人そんなに顔寄せ合って内緒話なんて、キモチワルイ……。」



 顔をしかめて文句を言う水月。



「あん? 別に男が内緒話しちゃいけないって軍規はないだろ?」

「それはそうだけど孝之……端から見ていて、あんまり気持ちの良い光景じゃないぞ?」



 水月に対する孝之の反論に、今さっき戻ってきた慎二が小言を漏らした。
確かに、皆の揃う昼食の時間帯に堂々と内緒話をするのはいかがな物だろうか、と気がつく武。



「――悪い、無神経だったな。」

「ああ、オレも悪かった。」

「2人とも解ればよろしい。 さ~て、それじゃあ遙と鑑も戻ってきたみたいだし、お昼にしましょうか!」



 昼食の間も純夏はタケルと顔を合わせようとせず――とは言っても、たまに目はあったのでチラチラと横目で見ているようだが――それは午後の訓練でも同様だった。
いつもの彼女ならばストレートに己の感情をぶつけてくるが故に、いざこういったモーションをかけられると武は弱かった。


 悶々としたストレスで訓練には身が入らず、妙なところでヘマをしては皆にバカにされるどころか心配される始末。
教官からは「弛んでいる!」と、完全装備で校庭20周を命じられてしまった。
ところが走っている間も武の頭の中は純夏のことでいっぱいで、気がつけば25周目を回ろうとしていたところで教官からストップをかけられていた。
挙げ句の果てに、教官にまで医務室に行くよう進められる醜態をさらしてしまう武。


 この3日間で、武は完全に調子が狂ってしまっていたのである。


 溜息は回数を加速度的に増やしていき、結局終始ボーッとしたまま一日を終える武。
心ここにあらずというか、普段武の存在感が人一倍有るが故に目の前にいる武がまるで抜け殻のように水月には感じられた。
純夏も純夏で武に近づくのを意図的に避けており、結局2人とも丸一日まともな会話を成立させていない。
この様子には207隊のメンバーもただ事ではない雰囲気を感じ、武達には内緒で夜に集会を開くこととなった。







 シンと静まりかえった、物音一つしない室内で向かい合う4人の人影。
消灯時間を超えたため、部屋を照らすのは電気スタンドの淡い光のみだ。
4人の真剣な顔が下から照らされたその様子は、あたかも怪談でも語り出そうかといった雰囲気である。
特に孝之などは巫山戯て怖い顔をして……遙の悲鳴と同時に、水月が放った野球ボールが彼の側頭部を抉った。



「それで、2人のことだけど……何か心当たりのある人いる?」



 コホンと咳払いをしてから切り出す水月。
しかし、傍らに力なく倒れる孝之の姿がシュールすぎてなかなか空気が締まらない。



「オレは確か3日前ぐらいからだったと思うぞ、2人の様子がおかしくなったのは。」



 いち早く頭の中を切り替えた慎二が水月に答えた。



「私もだいたいそのぐらいだと思うわ。 遙はどう思う?」

「……え? あ、あ、私もそうだと思うよ?」

「遙、今ちょっとボーッとしてたでしょ。 ダメよ? 確かにカップルはお互いに似てくるって言うけど、孝之の悪いところまで似ちゃったら。」



 水月の言葉に、遙はボッと顔を赤くした。



「いや、遙のは元からだと思うんだが。」

「あら、孝之もう起きたの? 新記録じゃない。」



 そう言って頭をさすりながら上半身を起こした孝之を茶化す水月。
しかしその視線はまるで孝之を射殺さんがごとく冷たい。



「巫山戯たのは確かにオレが悪かった。 だからそんな目で睨むのはよしてくれ。」

「昼のことしかり、アンタも少しは『時と場所と場合』を弁えなさいよね?」

「――くれぐれも胸に刻んでおきます。」



 孝之は珍しく素直に頭を下げた。



「……あ~もう! 孝之のせいで雰囲気がメチャクチャじゃない!」

「落ち着いて、水月。 場の雰囲気も和んだみたいだし、ちょうど良かったと私は思うよ?」

「むう、まあ遙がそう言うなら。」



 渋々と遙の説得を受け入れる水月。



「それで孝之、あんたは3日前武達に何があったか知ってる?」

「……3日前? それといったことは起こってねえ様な気がするけど……というか、アイツら朝から機嫌悪そうだったから4日前に何かあったんじゃねえか?」

「4日前? でも、特訓が終わるまではいつも通りの2人だったじゃない。 やっぱり3日前に何かあったんじゃないかと私は思うけど。」



 水月の言葉に「あ、そういやそうだな。」と、笑って答える孝之。



「まあ仮に孝之の意見が正しいとすると、何かが起きたのは4日前の夜って事になるな。 まったく、夜に何が起こったって……いや、まさか。」

「どうしたの慎二、何か思い当たることでもあったの?」



 突然眉間に皺を寄せて固まってしまった慎二に、水月は恐る恐る問いかけた。



「まさかとは思うけど……武の奴、無理矢理に鑑を押し倒したとか。」

「ちょ、ちょっと慎二! いきなり何てこと言うのよ! まさかタケルがそんなことするわけ無いじゃない!! あんたタケルをなんだと思ってるのよっ!!」



 とんでも無い意見を言う慎二を烈火のごとき勢いで責め立てる水月。



「――いや、わかんねえぞ。 純夏のあの避け方は尋常じゃなかったからな。 もしそうだと考えれば、全部つじつまが合うし。」

「孝之まで?! ……でもそんな、あり得ないわよ! 2人とも幼馴染みなんでしょ?! それを無理矢理にだなんて……。」

「……あの、ちょっといい?」



 なにやら話が変な方向に向かいだした頃、遙は突然切り出した。



「えっ、いいけど。 ……ひょっとして遙、あなた何か知ってるの?」



 水月の問いかけに、遙は真剣な顔でこくりと頷く。
固唾をのんで見つめてくる3人を前に、遙はゆっくりと口を開いた。



「あのね、実は……。」







 基地内のとある一角、まるで人目を避けるかのようにブロックから2枚扉を挟んだ先の部屋に、夕呼の部屋はあった。
ほとんどの研究チームを帝国大学に残して出向している夕呼の部屋はそのまま彼女の研究室であると同時に応接間でもある。



「火のないところに煙は立たず……なんて世間では言うらしいけど。」



 渋く入れたコーヒーを一口すすりながら夕呼は誰にともなくつぶやいた。



「でもボヤに気を取られて、油を火にかけたまま家を飛び出すなんてバカにもほどがあると思わない?」

「まったくですな。」



 夕呼の呼びかけに、パナマ帽を被った男が頷いてみせる。
表情は薄く、不細工ではないが全くどこにでもいそうな顔立ちは特徴をあげるのが難しい。



「ああ、そういえば最近寝苦しい日が続いておりますが、そのためか扇風機をかけたまま寝入ってしまい低体温症で命を落とす事故が多発している様です。」



 「博士も気をつけられた方が良いのでは?」男はうっすらとした笑顔を浮かべて言った。



「せいぜい注意しておくわ。 アナタも火事で家主の連帯保証人に逃げられないよう見張っておく必要があるんじゃない?」

「おお、それは何とも……。 さすがに連帯保証人に逃げられてはたまりませんなあ。 毎年多額の保証料を払っているというのに。」

「そうなれば良くて半焼、最悪全焼どころか周りの家に飛び火するんじゃないかしら?」



 そう言いながら愉快そうにクスクスと笑う夕呼。
男はそんな夕呼の顔をただジッと見つめている。



「……確かに、あり得ない話ではありませんな。」

「言っとくけど、私は火事の中いつまでも居残るほどこの家に未練はなくてよ?」



 夕呼の言葉に、一瞬男は鋭く目を細めた。
その視線を真正面から受けながらも、全く平静な顔を浮かべている夕呼。



「ふむ、いつもながら博士は私に無理難題を押しつけなさる。」



 男はいかにも困った風に、眉をハの字に曲げて答えた。



「それにしても、何故博士は"かの国"が我らを見捨てて撤退するとお考えで? 面子を大事にする性質上、彼らがそう簡単に条約を反故にするとは思えんのですが。」

「知りたかったら自分で調べてみたらどう? 私はとりあえず警戒ぐらいはしておいた方が無難だと思うけど。」

「……ふむ、そうですか。 確かに一理ありますな。」



 不気味に笑う夕呼に、男は無表情で返した。
夕呼がこの話題についてこれ以上話す気はないと悟ったのだ。
同時に、確証に足る何らかの理由をすでに見つけているであろうことも。



「おっと、忘れるところでした。 私の息子……いや、息子のような娘……娘のような息子……ハテ?」

「言葉遊びに付き合ってる暇はないの。 アナタは何が言いたいのかしら?」



 惚けたように首をかしげる男に、夕呼は辛らつな言葉を浴びせた。



「実は娘が最近小物作りに凝っているようでしてな、押し花ならぬ押し草のしおりを送ってきたのです。 なんでも幸運を呼ぶとか。 残念ながら博士の分はありませんが。」

「……もうそろそろ帰りたいのね?」



 なおも惚け続ける男を鋭い目で睨む夕呼。
この男は一度脱線すると強い言葉で遮ら無い限り延々とくだらない話を話し続ける事を知っているためだ。



「日本人最年少の衛士が近々この基地から誕生するらしいという噂を聞いたのですが――それも2人も。」



 男は顔にアルカイックスマイルを貼り付けたままの表情で言葉を紡いだ。



「学徒志願兵よ。 ここは戦線からは遠い内地の基地、なにも不思議なことじゃないでしょう? それともアナタは何か気になることでもあるのかしら?」

「いや、失礼いたしました。 息子と同年齢の子供が衛士になると聞いて驚いただけなのでお気になさらず……おっと、娘でしたな。」



 そう言って男は、ニコニコと人好きの良さそうな笑みを浮かべた。
目まで笑っているため、本心で笑っているのか、演技が徹底しているのかは夕呼にも判断は付かない。
それが解るのはESP能力を持つ霞のみだ。
しかし、心の色がコロコロと変わる上に思考が統一しない彼の心を理解することは、心を覗くことが出来る霞ですら手を焼いている。



「ならさっさと帰りなさい。 なんなら今迎えの衛兵を呼んであげるわよ。」

「それは結構、私一人でも帰れますので。 ――と、忘れるところでした、もしよかったらコレを2人に渡しておいてくれませんかな? ささやかなお祝いと言うことで。」



 返事も待たずに奇妙な首飾りを夕呼に押しつけると、男は「ちなみに捨てたら呪われますぞ?」と忠告を残して廊下の暗がりへと姿を消した。


 途端に静かになる室内。
夕呼は男が去っていったドアをしばらくボーッと眺めていたが、やがて飽きたのかウンと背伸びをした。



「まったく、私から呼んだとはいえアイツの相手は疲れるわね。」



 重い溜息とともに愚痴る夕呼。
男が残していった首飾りを改めて眺める。
目玉模様の施された小さなトンボ玉が連なった不気味な首飾りだ。
ゴミ箱へと投げ捨てようとして、ふと手が止まる。
以前、彼の忠告を無視して捨てた結果しばらくの間「これでもか!」というほどツキに見放されてしまったことを思い出したのだ。
迷信を信じる訳ではないが、何となく捨てることに抵抗を覚える夕呼。



「……そうね、せっかくだからアイツのご希望通り白銀にあげようかしら。」



 つぶやきながら、夕呼は部屋を後にした。 

 






「「――くしゅんっ!!」」



 同時に大きなくしゃみをする武と純夏。
純夏の部屋中に大きな音が響き渡り、びっくりして思わずお互いに見つめ合う2人。
何となく気まずくて「ニマッ」と、微笑みあった。
ところが純夏は我に返った途端、またプイッと顔をそらしてしまう。



「えーっと、それで純夏。 何でそんなにお前は怒ってるんだ?」

「……。」



 しかし純夏はタケルの言葉に全く耳を貸そうとしていない。
顔をそらしたまま、ふてくされた顔をしている。
彼女の態度にムカッときたものの、そこは伊達に何回もループは繰り返していない。
武はようやく成長してきた自制心を総動員して己の怒りを静めた。



「オレが何か悪いことしたなら謝る。 でも、何も言ってくれないんじゃ解らないだろ?」

「……別に、タケルちゃんが何か悪いことしたって訳じゃないよ。 っていうか、そのセリフだけはタケルちゃんに言われたくないよ。」

「――!!」



 純夏の言葉に、武は返答に窮した。

 ――「タケルちゃん、何も話してくれないんだもん!」

 武の脳内にフラッシュバックする、いつぞやの純夏の声。
黙りこくる武に、純夏は大きく溜息をついた。



「ハアァ……そうだよね。 タケルちゃんは『超』が付くほどの鈍感なんだから、ハッキリ口で言わなきゃ解らないよね。」



 これまた図星であるため、武は何も言い返せない。
純夏は武の顔をまっすぐと見つめ、大きく深呼吸をした。


 私も、そろそろ覚悟を決めるべきなのだろう――「変わる」覚悟を。
「永久不変」なものなんてこの世には存在しない、人と人を結ぶ縁なんてその最たる物だ。
どんなに私が否定しようと、変わらざるをえない。
ただ、予定より"ちょっと"それが早まっただけだ。


 純夏は己に言い聞かせた。



「あのねタケルちゃん。 私がタケルちゃんに付いてここまできたのは、タケルちゃんが幼馴染みだからじゃないんだよ?」

「……へ?」



 タケルはキョトンとした顔でつぶやいた。
全くコイツは、そんなことにすら気がついていなかったのかと頭痛を覚える純夏。
一方、武は武でなぜ純夏の口から突然『幼馴染み』などという言葉が出てきたのか理解できず、やはり頭を悩ませていた。



「もちろん、ちょっとはあるけどさ! あとは、タケルちゃん一人だと心配だからって理由とか……。」

「あ、ああ……。」



 純夏が何を言わんとしているのかさっぱり解らず、曖昧な返事をする武。



「あー! もう、私が言いたかったことはそんな事じゃなくて!!」



 一体自分は何を言っているのだろうかと心の中で自問自答する純夏。
覚悟を決めたはずなのに、全然覚悟が決まっていないではないか。
こんなじゃあ"ライバル"に彼を取られてしまっても、何も文句が言えない。
手遅れになる前に、不戦敗になる前に言わなくてはならないのだ。
今度こそ決意を固め、いざ口を開く。



「私、『鑑純夏』がタケルちゃんといつも一緒にいるのは――」


 
 ずっと胸の奥にしまってきた言葉を言おうとしたその瞬間、部屋の扉が開いて数人の人影がなだれ込んできた。
運悪く部屋の入り口に立っていた武は「ドンっ!」という鈍い音と共に、はね飛ばされてしまう。
突然倒れ込んできた武を支えきれず、純夏は押し倒されるようにしてそのまま仰向けに倒れてしまった。



「武!! お前、鑑を大泣きせたんだって?! いったい何を――って、おま!!」



 飛び込んできた孝之が大きく身をのけぞらせる。



「どうしたの孝之――って、ちょっとタケル!! あんた、何してるのよ!!」

「……?」
 


 水月の素っ頓狂な声に、武は改めて己の状況を確認し直した。
突然後ろから誰かに突き飛ばされたかと思ったら、目の前が真っ暗になってしまった。
この感触からして、布団か何かに突っ込んだに違いないが……。
立ち上がろうと手をつくと、そこにはなにやら棒のような物が転がっていた。



「あいたたた……。 もうタケルちゃん腕離してよ……痛いよ。」



 やや現実逃避をする武の意識を引き戻したのは、純夏のうめき声だった。
今度こそガバリと立ち上がり、後ろを振り返るとそこには壮絶な笑顔を浮かべ仁王立ちする水月の姿。
今までの経験から、武はなにやらとんでも無い誤解をされたらしいことを悟った。



「――い、言っとくが誤解だぞっ!!」



 即座に弁解するも、状況が状況だけに誰もそれを信じる事はなかった。
それどころか火に油を注いでしまったようで、いよいよ水月は具合を確かめるように肩をぐりぐりと回し始めた。



「まさかアンタが、か弱い女の子を無理矢理押し倒して乱暴するような下衆男だったとは思わなかったわ。」

「武、見損なったぜ。 お前はもっと模範的な人間だと思ってたのに。」

「まったくお前がそんな最低なヤツだったなんてな。 どんなに衛士として優れているか知らないけど、人間的に腐ってるぞ。」



 口々に武を責め立てる水月、孝之、そして慎二。
武は救いを求めて純夏に視線を送るも、サッと顔をそらされてしまう。
再び視線を戻すと、そこには青色の髪をユラユラとたなびかせる阿修羅が居た。



「タケル、覚悟は良いかしら?」



 そんなものは無いと心の底から叫びたい衝動に襲われたが、終ぞタケルがその言葉を口にすることは出来なかった。
3人の凄まじいまでの怒気に、完全に闘争心が萎縮してしまったのである。
何も言わないタケルに、ニコリと頷いて腕を振りかぶる水月。

 その日、武が最後に見た物は、純夏のそれと勝とも劣らない神速で鳩尾に叩き込まれた水月の豪腕であった。







 翌朝、武は4日ぶりに純夏の空元気な声によって目を覚ました。
彼女が戻ってきたことで、どことなく霞も嬉しそうだ。
その証拠に3日間いつも項垂れていたウサ耳が、今日はピコピコとせわしなく動いている。

 着替えを終え、武が廊下に出ると待ち構えていた水月が突然頭を下げてきた。
どうやら昨日のうちに誤解は解けていたらしく、完全に目を回してしまった自分は孝之達によって布団まで運ばれたらしい。
申し訳なさそうに何度も頭を下げる水月に、だんだんと言われている方が申し訳なくなってきて、武は特に文句を言うわけでもなく許してしまった。



「あ、そうだった。」



 点呼のため部屋に戻ろうとしたところで水月が武を呼び止めた。



「孝之の奴は私がとっちめておいたから、それで許してやってちょうだい?」



 水月の一言に「ああ、結局涼宮さんの件がばれたんだな。」と気がつく武。
通りで水月がしつこく謝ってくるわけである。
水月が去ってしばらくすると、向かいの部屋から純夏が姿を現した。



「おう、純夏。」

「あ、タケルちゃん。」



 気まずそうな笑みを浮かべつつも返事をしてくれることからすると、どうやら許してくれたらしい。
武はホッと一息ついた。



「それにしても……純夏、お前一体何に怒ってたんだ?」

「……えっ? あ、うん。 ごめん、私の勘違いだったみたいだからもう良いの。」

「勘違い?」

「うん……プレゼント、涼宮さんたちのために一生懸命考えてたんでしょ?」



 純夏は頬を掻きながらそう言った。



「ああそうだけど……って、ひょっとしてお前、そのことで勘違いして……。 まったく、こっちは振り回されて良い迷惑だったぞ。」

「あ、あははは! ……ごめんなさい。」



 謝る純夏に、武は溜息をつきつつも同時にホッと安心していた。
どうやら、何か不味いことをして嫌われたわけではないらしい――そのことが解っただけでも、武には大きな収穫であった。
このところ特訓や博士の手伝いなどでほとんど純夏をほったらかしにしていた武。
ひょっとして、ついに愛想を尽かされたのではないかと内心ヒヤヒヤしていたのだ。
実戦が数週間以内に迫っている以上、隊内の不和やメンタル面での不調はなんとしても避けたかったと言う理由ももちろんある。
だがそれ以上に、憎からず思っている人に邪険に扱われるのはつらかったのだ。




「そういや、来週にはもう卒業か。」

「……っ!! そ、そうだね。」

「あっという間だったな。」



 本当にあっという間だった。
武はここまでの道筋を振り返る。
1998年に戻ってきたのがつい4月ほど前、その頃はまだ肌寒かったというのに今ではノースリーブの訓練服を着ていても汗がにじんできそうだ。
歴史を変えるための手段は手元になく、守るための力も持っていなかったあの頃。
少しでも歴史を変えるために白稜基地へと身を投じ、その中では意外な出会いもあった。
速瀬水月、涼宮遙、平慎二、そして鳴海孝之との出会いである。
特に水月の思い人であったらしい孝之との出会いは、武にとって衝撃だった。


 207Bとして集められた6人は、特に特技といった者こそ無かったがそれぞれが並以上の才能を持っていた。
年の差や入隊時期の差は、障害になるどころかお互いの競争意識を煽って結果的に短期間で並の衛士程度の体力、技術を持つに至る。
旧207隊でも直面した――いや、ある意味それ以上のメンタル不安を乗り越え、悪条件が重なった総戦技評価演習を突破し、その過程で仲間達との結束も深められた。


 新OSの早期完成と、それに伴って開いた時間を利用して行なわれた特訓。
中でも神宮司教官の操縦技術をかじる程度とは言え学べたことは非常に意義が大きい。
隊としての練度に関して言えば、12月のクーデター発生時点の旧207隊に匹敵するかそれ以上まで高めることが出来た。


 一方で不安材料も残っている。
彩峰中将の生存を皮切りにするかのように、突然変化し始めた歴史。
中でも気になるのは、北海道にBETAが上陸したことにより九州地域が手薄になってしまっていることだ。
しかし、国連軍基地が前史より持ちこたえたがために戦力が温存できたことや、新OSの効果かA01が未だ連隊規模を維持しているなど悪くないニュースもある。
これらの誤差が今後どういった変化をもたらすのかは、1訓練兵である武には情報量が少なすぎて全く解らないのが現状だ。



「タケルちゃん、なにボーッとしてるのさ? もうそろそろ点呼が始まっちゃうよ!」

「おっと。」



 何にせよ、今は出来ることから最善を尽くすだけである。







 ――訓練校卒業日


 順調に訓練を終え、立派な衛士へと成長した207隊はついにこの日を迎えることとなった。


 内輪だけで行なわれた前回や前々回と違い、ささやかなセレモニーをもって送り出される207A訓練兵分隊。
旧207Bのように泣き出すメンバーは居なかったが、それぞれが訓練校卒業の幸福をかみしめていた。



「そういや、207B分隊も今日で解散になるんだよな……。」



 そう、慎二のこの発言が聞こえるまでは。



[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第七章 第一話 紋章 ~Hope deferred makes the heart sick~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:73d44ffd
Date: 2010/08/13 08:40
 ――訓練校卒業日
順調に訓練を終え、立派な衛士へと成長した207隊はついにこの日を迎えることとなった。
内輪だけで行なわれた前回や前々回と違い、ささやかなセレモニーをもって送り出される訓練兵分隊一行。
旧207Bのように泣き出すメンバーは居なかったが、それぞれが訓練校卒業の幸福をかみしめていた。



「そういや、207B分隊も今日で解散になるんだよな……。」



 そう、慎二のこの発言が聞こえるまでは。


 慎二の発言は、207隊員達に少なからぬ衝撃を与えた。
純夏と孝之は暗い影を背負ってガックリとうなだれ、遙はそんな2人の様子にオロオロとするばかり。
微動だにしない水月はさすがに肝が据わっているかと思えば、ただ真っ白に燃え尽きていただけだった。

 どうやら、皆わざと意識しないようにしていたらしい。
これには言い出しっぺである慎二も匙を投げてしまい、ただただ混沌とした状況がその場に残されてしまった。







 まるでお通夜に向かうような表情で座学教室へと入った“元”訓練兵たち。
しかし、数十分後に出てきた彼らの表情は、個人差はあれど喜びに満ちていた。
下された配属命令の結果を要約すると以下のようになる。

 ――『涼宮遙、速瀬水月、鑑純夏、以上3名がA01連隊第09中隊に配属。 残りの白銀武以下3名はA01連隊第01中隊に配属。』

 A01第09中隊に配属になるものと思い込んでいたため、武はこの命令に多少驚いたが、少し考えれば簡単に理由は分かった。
A01が未だ連隊規模を維持しているのだから、1つの中隊に新兵全員が配属されることは、特別な指図が入らない限りは有り得ない。

 まして第09中隊――後のヴァルキリーズ――は"隊結成以来、2001年に武が入隊するまでは隊員が代々女性のみだった"部隊である。
そもそも、よほど歴史が狂いでもしない限り、男が第09中隊に配属されることだけは有り得なかったのだ。



「まさか同じ基地の同じ連隊に配属になるとはね。 まったく、これが縁ってヤツかしら?」



 配属先を知って、水月はホッとしたような、釈然としないような曖昧な笑みを浮かべて言った。
彼女の言葉に、孝之が「流石に中隊まで一緒ってなわけには行かなかったけどな。」と、続ける。



「お、やっぱり孝之は涼宮と一緒じゃないと寂しいか?」

「――悪いかよ。」



 ジロリと茶化してきた慎二を睨む孝之。
慎二は慌てて「いやいや、ごちそうさま。」と取り繕った。



「よかったわね、遙。 孝之のヤツ遙がいないと寂しいってさ。」

「あ、う……うん。」



 あせあせしながら恥ずかしそうに答える遙。
孝之と目を合わせ、2人そろって顔を赤く染めた。
ニヤニヤとした笑みを浮かべて2人を見やる武の脇を肘で小突く純夏。

 さて、この様子を見て面白くないのは水月である。
友達としては喜ぶべき光景なのだろうが、それでも心の隅では割り切れないモノを感じざるを得ない。
とは言っても半年前、遙から「告白が上手く行った」と、聞いた時の衝撃に比べれば、ソレは全く無視できる程度のモノであったが。

 ――何よりも、今の自分には面白いオモチャがある。



「あーあ、私にもイイ人がいればなあ。」



 水月はそう言いながらさりげなく武へと身を寄せる。
ソレを目ざとく察知した純夏は、慌てて2人の間に身体を滑り込ませた。
必然的に真っ向から衝突する視線――このやりとりが溜まらなく楽しい。

 認めよう、自分は確かに鳴海孝之に淡い恋心を持っていた。
もしかしたらそれは、初恋だったかも知れない。
運命のいたずらか、始まる前に終わってしまった甘酸っぱい初恋。
本来は、こういった恋愛の駆け引きを楽しみたかった。

 さすがに純夏から武を本気で略奪しようとは露程も思っていない。
それでもしばらくの間、この“恋愛ごっこ”に付き合って欲しいというのが水月の素直な気持ちであった。

 交差する2人の視線――紫電がバチバチと火花を散らす幻覚が見え、蚊帳の外にされた慎二は「トホホ」と、苦笑いを浮かべる。

 しかし、そんな二人のあからさまなアプローチをあえて無視しているのか……いや、気がついていないだけだろう。
武は傍らで高まる緊張感をつゆ程も感じない様子で、1人黙々と思考にふけっていた。



「……武はあいかわらずだな。」

「ああ、まったくだ。」


 慎二の言葉に頷く孝之。
遙まで傍らで「うんうん」と首を縦に振っている。



「まったく、これじゃあ張り合うのが馬鹿らしくなってくるぜ。」



 慎二は、もはや諦めの境地に至った表情でつぶやいた。







 入隊の挨拶をするため、武達はその日のうちに"第一大隊のブリーフィングルーム"で待機するよう指示された。
A01の入隊式は、他の部隊のそれと比べて明らかに異質である。
他の部隊で行なわれるような"入隊式"は行なわれないのだ。

「オルタネイティヴ計画に従事する特殊任務部隊であるから、あまり目立った行動はするべきでない。」


 という表向きの理由も確かに存在するが、本当のところは誰も解らない。
中には「香月夕呼が"儀式"は時間の無駄だからと言って取りやめさせたのだ。」という眉唾物の噂も存在する。
彼女の性格からして100%否定できないのが武にとって複雑だ。

 彼女が形式や格式――既存の価値観の中でも精神的・非合理的なもの――を執拗なまでに嫌っているのは、武もよく知るところである。
いかにも科学者らしい超合理主義的思考だが、それゆえに精神論が横行する帝国や斯衛内で煙たがられることも多いようだ。

 と、武達の待機する部屋へと、ぞろぞろと衛士が入室してきた。
トレードマークなのだろう、北欧の戦士である"バイキング"を模したような部隊章が、全員のジャケット左肩に縫い付けられている。



「総員、整列!」



 集合の合図がかかり、武はサッと姿勢を正す。

 武は隊員達を見回して、一瞬表情を曇らせた……人数があまりに少なかったのである。 
男6人に女3人、武達を加えて12人という数字は中隊規模にすぎない。
これで"第一大隊全員"だというのだから、今までの戦いがどれほど過酷だったのかを推測できるというものだ。
02、03中隊が人員不足から欠番になったとは聞かされていたが、ここまでとはさすがの武も予測していなかった。

 第一大隊は、A01において最初の突撃および橋頭堡確保を担当する部隊“だった”らしい。
当然、死傷率はタダでさえ高いA01の中でも際立っていたが、前作戦中におけるBETA奇襲による被害は流石に“想定外”だったようだ。

 大隊のおよそ3分の2が死傷するという忌まわしき事態。
1度の作戦におけるモノとしてはA01連隊設立後最大の損害であった。

 しかし、これほどの悲劇でも"この世界"においては、さほど珍しい出来事ではないのが辛いところである。
BETA相手の戦闘では、1度の戦いで連隊が大隊1個程度の損害を被ることはザラである。
地下からの奇襲や光線級の奇襲を受ければ、一瞬で"消滅"することすら有るのだ。
特に損耗の激しい兵科……例えば軌道降下兵などは、3度突入して生き残った兵はほぼ"0"に近いと聞く。
それほどまでに、対BETA戦における戦場は人類にとって過酷なモノなのである。



「楽にしてくれたまえ。」



 見慣れない階級章を付けた中年の男は、そう言って微笑と共に姿勢を崩した。



「私は第01大隊隊長、金田將一(かねだ まさかず)中佐だ。 ようこそ第01大隊01中隊へ、新兵諸君。 我々は君たちを歓迎しよう。」



 年齢はおよそ30代中半であろう。
貫禄と言うべきだろうか、久しく感じたことのなかったプレッシャーを武は感じた。


 まず始めに、彼の口からA01隊の概要の説明が為される。
オルタネイティヴ4に特化した精鋭特殊部隊であること…任務が過酷きわまること…失敗は許されないこと…云々。
2度目の説明を聞きながら、武はざっと新たな仲間達の顔ぶれを眺めて回った。
やはりというべきか、見慣れた顔はそこには無い。



「さて、では隊員の紹介をはじめようか。 最初に……。」

「あ、そこのきみぃ! ひょっとして食堂でみちるとおしゃべりしてた子ぉ?」



 大隊長の声を遮り、目の前で退屈そうにしていた女の口から間延びした声が発せられる。
武は自分に向けて言われていることに気がつくも、彼女の言っている意味がわからなかったので不可解そうに尋ね返した。



「え? ……あっと、どこかで合いましたっけ?」

「むう、この前大尉から助けてあげたのに、もう忘れちゃったの? ――って、あ、そうか。 あの時シバかれてたのって君じゃなかったっけ?」



 そこまで言われてようやく武は2月前、PXのイザコザに巻き込まれた際のことを思い出した。
どことなく“知り合い”に似ていたため、多少印象にのこっている。



「じゃあ改めてぇ……私の名前は日比野照子(ひびの しょうこ)、階級は中尉、ポジションは強襲掃討でーす! よろしくぅ!」

「……よろしくお願いします。」



 どうやら第一印象に間違いは無かったようだと、ウインクをしてくる中尉の姿に武は心の中で溜息をついた。
今までどちらかというと初心、あるいは硬派の人間ばかりを相手にしてきた武にとって、この手の"浮ついた"人間は苦手の部類に入る。
別に嫌悪しているという訳ではなく、純粋に対処の仕方が解らないだけなのだが。



「日比野中尉、新入りの目の前だぞ! もう少し、その、態度を何とかできんのか?」



 日比野中尉の態度に、同僚らしい男が腹に響く声で腹立たしげに唸った。
しかし馬の耳に何とやら、日比野中尉に悪そびれた様子は全く無い。

 よく見てみれば、彼もまたPXでみかけた大男であった。
姉を失って悲嘆に暮れていた新任少尉を殴り飛ばしていた彼である。




「またまた大尉ぃ、別に今は任務中じゃないし、ここにいるのは内輪だけなんだからそんな堅いこと言わないでよ!」



 「それに、堅苦しいのはやめなさいって香月博士からの命令でしょ?」日比野中尉はニヤニヤと笑いながら答える。
男は中尉の物言いに呆れたように溜息をつくにとどまった……言っていることが事実なので、反論したくてもできないのだろうか。
あるいは、呆れてものも言えないというだけかも知れない。
そんな彼の様子を見て、大隊長は苦笑いを浮かべている。



「福山、お前の負けだ。 そうだな、ついでに新任達への挨拶も済ませてしまえ。」

「……私の名前は福山允(ふくやま みつる)、階級は大尉で、ポジションは迎撃後衛だ。」



 福山大尉はいったんそこで言葉を切ると、ややあって言葉を続けた。



「貴様らに多くは望まないが、せめて今日以降、誇り有る1衛士としての自覚を持って行動してくれ。」



 いかにも軍人前としたその姿は衛士としては正しいのだろう。
しかし、この場においてはどこか可笑しさを感じてしまうのは失礼に当たるだろうか?



「少々順番が狂ってしまって悪いが……大橋、自己紹介を頼む。」

「はい。 ――私の名前は大橋坂江(おおはし さかえ)、階級は大尉。 ポジションは突撃前衛01、この隊の副隊長よ。」




 「何期先輩か、何て質問はしないように。」にこやかに付け加える大橋大尉はどこか落ち着いた、あるいは大人びた雰囲気を感じさせる女性だ。
雰囲気とは裏腹に身長は140と小柄で、福山大尉と並ぶとまるで親子のように見えてしまう。
フニャッと垂れた褐色の瞳と、肩まで伸びた烏色の髪が印象的である。
その容姿からは、とてもじゃないが彼女がこの部隊1の凄腕とは思えない。



「貴方たち、本来なら6ヶ月の訓練過程を1ヶ月も短縮されちゃったのよね……。」



 大橋大尉はそう言って困ったように眉を潜めた。
憐憫というよりは、厄介者を見るような嫌な視線を向けられたように感じる武。
補充兵を受け入れただけでも再教育が大変なのに、まして訓練不足の新兵を抱え込むことになってしまったのだから彼女の気持ちはわからなくもない。



「まあでも安心してちょうだい。 もし必要なら、私が1からしごき直してあげるから!」



 武の心配とは裏腹に、にこっと笑いながら大橋大尉は続けた。 
ひょっとしたら本気で自分達のことを心配してくれていたんだろうか?
なら失礼なことを考えたかな、と、武は少し反省した。



「はっはっは! たいした気合いの入り用だな。 ならば大橋、新米たちの管理は貴様に任せるが、かまわないな?」

「はいっ、むしろ望むところです。」



 金田中佐の問いに、自信満々と言った様子で大橋大尉は答えた。
これは中佐なりのジョークなのか、それとも本気なのか……。



「ならば良し。 全力で鍛えてやってくれ。 次は大竹!」

「はっ、制圧支援の大竹政文(オオタケ マサフミ)中尉です。」

「はいっ、制圧支援の大竹弘文(オオタケ ヒロブミ)少尉です!」



 金田中佐の言葉に食らいつくように2人の衛士が揃って反応した。



「……あー、すまん。 いつも通り名前で呼ぶべきだったな。」



 苦笑いを浮かべる中佐の様子に、2人は気まずそうに顔を見合わせた。
どうやら2人は兄弟のようである。
イガグリのようにそり上げた髪と、遺伝なのだろう、長い眉が2人に共通した特徴だ。
兄はやや細型で背が高く、弟は兄と比べガタイが良いかわりに背は低い。



「2人は見ての通りの兄弟だ。 弟の弘文は、部隊の中で貴様達に一番年が近い。 何かあれば相談すると良いだろう。」

「たぶん、1期上ってことになるのかな? 年の差もほとんど無いと思うし、ま、仲良くしような!」



 金田中佐の言葉を受け、大竹少尉が人好きの良さそうな笑みで言った。
そこに兄の政文が茶々を入れる。



「弘文が頼りないって言うなら、オレに相談してくれてもかまわないぞ。」

「兄貴、そりゃねえよ……。」



 仲の良さそうな兄弟だ。
今まで女の園でばかり生活をしてきた身の上としては同性の、しかも同世代の仲間が増えることは素直に嬉しい武であった。



「次はそうだな……水城、頼めるな?」

「……はっ。」



 中佐に呼ばれ、長身黒髪の女性が背筋を伸ばして答えた。
切れ長のややつり上がった目が、どことなく月詠真那中尉を連想させる。



「私の名前は水城 皐(みずしろ さつき)。 階級は少尉です。 CP将校を担当しています。」



 言い終わるなり、鋭い眼光でギロリと武達を睨み付ける水城少尉。
孝之や慎二はともかく、武までもがその迫力に思わず息を呑んだ。



「これから貴方たちが向かう先は、地獄の一丁目です。 どうしても生き残りたいなら、私や中佐の言葉によく耳を傾けてください。」



 水城中尉は真面目な顔で念を押すように言った。
その迫力に押され、「了解」という言葉は武達が意図したよりも一瞬遅れて出た。
一応満足したのだろう、彼女が視線をそらしたのを確認し、ほっと息を吐く3人。



「まあまあ水城少尉、そんな最初から堅苦しくしなくてもイイじゃないか。」

「佐倉中尉、お言葉ですが物事は最初が肝心なのです。 これ以上隊の雰囲気がゆるんでしまうと、全体の士気に関わります!」

「……あー、まあ一理はあるかもしれないが。」



 佐倉と呼ばれた長身の青年は、微妙に口元を引きつらせながら答えた。
その目線は日比野中尉に向けられている気がしないでもない。



「そう言えば佐倉中尉の自己紹介はまだだったな。」

「あ、はい金田中佐。 えーっと、オレの名前は佐倉 尚人(さくら なおと)、階級は中尉だ。 突撃前衛を担当している。」



 佐倉中尉はそう言うといったん言葉を切った。
どうやら、その先何を言えばいいのか悩んでいるらしい。
平均よりも整った顔立ちに、シワを寄せている。



「ん~~、まあとりあえず、仲良くやろう。 お互い生き残るためにもな。」



 軽い口調で放たれた言葉だが、真剣な眼差しのせいか妙な説得力を持って武達に響く。



「さて、……ああ、そうだ水代少尉が最後に残っていたな。」

「……打撃支援の水代紫苑です。 よろしく。」



 たったそれだけの自己紹介を終えると、水代少尉はボウッと正面に向き直る。



「ちょっとー!! 自己紹介ってたったそれだけなの?! せっかく新入りが来たのに――」

「日比野中尉。」



 ぴしゃりと注意する金田中佐。
日比野中尉は渋々といった様子で口を閉ざす。

 彼もまた、武にとって見覚えのある衛士であった。
食堂で福山大尉に殴られていた彼である。
あの時は顔を鬼のように歪ませていたが、今はだいぶ落ち着いているようだ。

 いや訂正しよう、武はこっそりと唇をかんだ。
水代少尉からは、ほとんど気迫というモノが感じられなかった。
何か大切なものをゴッソリと持って行かれた成れの果て、といった様子である。
果たしてこの様子で本当に戦う事が出来るのだろうか?

 もしかすると、"鳴海孝之"を失ったときの"速瀬中尉"もこのような酷い状態だったのかもしれない。
だとすれば、孝之にはなんとしても明星作戦を生き抜いて貰わねば――武は思った。
彼女がこんな姿になるところなど、見たくはない。


 武の目的――皆の笑顔を守り抜く――の達成は、正直なところ非常に困難である。
現在のこの世界、この部隊を取り囲む状況は、彼の知っているどの"世界"のモノよりも"最良"に近い。
しかし、それでも現にこうして犠牲者は目の前に存在しているのだ。 
正攻法で目的を果たすのは、まず不可能に等しいだろう。

 とは言ったところで、武は基本的に"常識人"である。
夕呼のように"目的のためには他のどんな犠牲すらも厭わない"やり方を選択することも難しかった。
彼はそこまで物事を割り切ることは出来ないし、彼女のように高度な頭脳戦を展開できるだけの能力もない。

 命を天秤に取った"決断"を過去何度か下した経験があるとはいえ、だからなんだと言うのだろうか。
結局、あの時の決断も、誰かからの後押しがなければ出来なかっただろう。
再び同じシチュエーションで決断を下せと言われて、即断出来るかと問われれば難しい。
あまり認めたくないが、今度もまた自分は躊躇するだろう。

 「(こんなだから"青臭い"などと、言われてしまうのだ。)」と、自嘲する武。

 いずれ理想と現実の間に致命的な齟齬が発生するのではないかと朧気ながら武は感じていたが、それでも武は理想を曲げない。
何故ならソレが"彼"の存在意義であり、一つの"覚悟"の形だからである。



「以上で、これから貴様達が所属することになる第一大隊隊員全員の紹介は終わりだ。 では新任諸君、順番に自己紹介をしてくれたまえ。」



 金田中佐がそう言うと、武は一歩前に踏み出し、不安を振り切るかのように宣言した。



「オレの名前は、白銀武です! AL4計画、人類の未来、そして仲間を守るために全力を尽くす覚悟です! よろしくお願いします!!」








 その後全員自己紹介を終えた武たちは、さっそく正規兵用の“89式”を手渡されて、シミュレータールームへと移動していた。
レクリエーションと技量把握を兼ねた模擬戦を行なうのである。
ふと『ヴァルキリーズ』の戦闘を最初に間近で見た時の衝撃を思い出す武。
孝之と慎二がいったいどんな反応をするのか、楽しみになった。

 今回のシミュレーション内容は、いたって簡単。
武達新兵3人と、先任第一大隊01中隊のメンバーから選出された3人が模擬戦形式で戦闘を行なう、というものだ。
シミュレーションの主目的は、各々の適正把握と能力習熟度テスト。
一言で言ってしまえば、"小手調べ"である。



「こちらエインヘルヤル09白銀武。 準備万端、いつでも行けます!」

「同じくエインヘルヤル10平慎二、準備完了。」

「エインヘルヤル11鳴海孝之、今準備完了した。」



 それぞれが新しく貰った“コールナンバー”でもって誇らしげに報告した。
ようやく再び正規兵になったのだという実感が今更ながら沸いてくるのを感じ、武は思わず武者震いをする。



『皆さん、準備は整いましたね? それではシミュレーションを開始する前に、もう一度ルールを確認します。』



 回線から水城少尉の冷静な声が響いた。



『今回のシミュレーションマップは、市街地での遭遇戦を想定したモノです。』



 網膜に3Dの地図が投影される。
仮想の地図上には、それぞれの初期位置がアイコンで示されていた。
縮尺から考えると、仮想戦場はおよそ10km四方といったところだろうか。



『光線級の驚異は無し。 本模擬戦における追加禁則事項も特にありません。』



 光線級の判定は通常より緩いようだが、シミュレーションの趣旨から考えると適当な設定だろう。
特に強い制限がないため、思う存分力を発揮できそうである。



『両チームのどちらかが全機戦闘不能になった時点で勝敗が決定されます。 ルールの説明は以上です。』



 『それでは、シミュレーション開始まで少々お待ちください。』そんな言葉とともに、水城少尉からの通信が切れた。



「なあ、武。」



 孝之から部隊内通信が入る。



「どうしたんだ、孝之? 時間があまりねえから手短にしてくれよ。」

「ああ、大したことじゃないんだが……オレ達って勝っちゃっても大丈夫なんだよな?」

「……随分と強気だな、孝之。 とりあえず、手加減したらタダじゃすまないと思うぞ。」



 武はにやりと笑いながら答えた。

 孝之は万が一勝ってしまった時に、先任から邪険にされるのではないかと危惧したのだろう。
だがそんな程度のことを恐れて媚びを売っていたのでは、この夏を生き残れない。
第一、その手のプライドを捨てた媚びへつらいをこの世で最も嫌う人種の人間がこの基地にはいる。
そう、香月夕呼博士その人である。



「全力で戦え。 そして、先任達にはわりいが勝たせてもらおう。 あれだけ特訓したんだ、無理とは言わせねえぞ? 2人とも!」

「了解。 ったく、武も孝之も、ほんと無茶言うよな。」



 そう言いながらも慎二の顔には獰猛な笑みが浮かんでいた。
そんな折、丁度カウントダウンが始まったのを確認し、集中を高めていく3人。



「いいか? さっきはああ言ったものの相手は正規兵、それもエリート連中だ。」

「それで?」



 孝之が続きを促す。



「実戦経験も豊富で、オレ達が勝っている要素は無いと思っておいた方が良い。 絶対に油断するな。」

「……おいおい、本当に勝てるのか?」

「慎二、相手も同じ事を考えてるんじゃないか? "新兵に負けるわけがない"って。 だったらそこに漬け込めばいい。」

「相手が全く油断していなかったらどうするんだよ?」



 慎二の不安げな言葉を笑い飛ばすかのように、武は言った。



「そりゃ光栄だ。 全力で相手をして貰おうぜ。 そんでもってオレ達が全力を出しても勝てなかった時は……まあ仕方がない。」

「なんだか投げ槍だな。」



 ジト目で孝之はつぶやく。



「ようは、神宮司教官や純夏達の顔に泥を塗るような、無様な戦いをしなけりゃいいんだ。 今までの集大成を見せつけてやろうぜ!」



 武が言い切るとほぼ同時に、模擬戦の火ぶたが切って落とされた。









 後書きのような何か

 今回は、本編ビフォーモノの鬼門、明星作戦以前のA01ーメンバー登場回でした。
オリジナル展開ばりばりで今更な感じではありますが、賛否両論あるであろうオリキャラの取り扱いに自分としても困り気味。
安易な使い捨てキャラではなく、そこに一人の人間を描き出せるよう努力する所存です。


 そして皆さんにもう一つ、


 大変長らく更新を怠ってしまい、大変申し訳ありませんでした。
主な原因は就職活動と、11月某日に発生したHDクラッシュです。

 あの日の夜、ものの見事に全データが破損し、その中にはarcadiaのパスワード、およびマヴラヴGBTX2の草稿も含まれていました。
その後直ぐに就職活動の波に晒されたこともあり、突然の蒸発のように更新が途絶えてしまったことは、誠に自分の不徳の致すところです。
本当に申し訳なく思っております。

 今後は無理のないペースで、しかし完結を目指して更新を重ねていく予定です。
今後とも、作品共々、私、重金属をよろしくお願い致します。



[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第七章 第二話 理運 ~There are two sides to every question.~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:73d44ffd
Date: 2010/08/13 19:28
 入隊早々に催された3対3のデスマッチ。
初めて正規兵と戦うということもあり、各々闘志を体に漲らせる武達。
一方で迎え撃つ先任らは、武達の実力を計りかねていた。



「で、どうするんです大尉。 相手の出方を待つんですか?」

「……いいえ、こちらから攻めるわ。」



 冷たい声で言い放つ阪江に、目を丸くする政文。



「私が突っ込んで攪乱するから、政文、紫苑、援護は任せたわ!」

「まさかとは思いますが、新兵相手に最初から本気を出す気じゃあ……」

「ええ、そうよ? 文句有る?」



 何を当たり前のことを聞いてくるのだ? と言わんばかりの阪江。
政文は助けを求めて紫苑に目配せをする。



「し、紫苑。 お前はどう思う?」

「……別に、良いんじゃない?」



 紫苑が感情を感じさせない声でつぶやく。



「あー、新兵達も気の毒に。 不知火相手に吹雪で戦うって時点で無茶だってのに。 ま、フォローでも今の内に考えておくか。」

「何言ってるのよ政文。 あんまり甘く見てると、瞬殺されるわよ?」

「――へ、瞬殺される?!」



 余裕に思っていたところに飛び込んできた阪江の辛辣な言葉。
政文は驚きのあまりオウム返しに聞き返した。



「実は昨日のうちに、あいつらの訓練データをちょろっと見といたんだけど……。」

「何か気になることでも書いてあったんですか?」

「ええ、もし報告書通りなら、あいつらの技量は並の衛士のレベルを軽く超えてるはずよ。」



 目つきを鋭くして阪江は言い切る。



「特に09、確か白銀武……だったけ? あいつは訓練兵のくせに、どういうわけか“XM3”の主任開発衛士も勤めてたらしいわね。」

「――はい?! そんなこと聞いてませんって?! だいいち、大尉はそんな情報をいったいどこから……。」

「そんなこと、今はどうでも良いでしょ。」



 切り捨てるように言い放つ阪江。



「とりあえず、例の"ヴァルキリーの乙女"のお気に入りなんじゃないかってところまではわかったわ。」

「あの今度、新OS発案の功績が認められて中尉になるとか言う、09中隊の戦乙女・伊隅みちるのことですか?」

「へぇ~、そりゃおもしろいや!」



 今まで黙って聞いていた紫苑が突然嬉しそうに声を上げる。
何事かとウインドウを見て思わずギョッとする政文。
紫苑は三日月のような笑みを浮かべ、隙間から白い歯がのぞいていた。



「ねえ、その白銀って奴、自分がやっちゃっても良いですよね? 大尉。」

「紫苑……。」



 顔をしかめさせて政文はつぶやく。



「別にいいわよ。」

「た、大尉?!」

「ありがとうございます! 大尉!」



 阪江の言葉に驚きの声を上げる政文と、喜ぶ紫苑。



「ただし――私が援護するわ。 一騎打ちは無し。 いいわね?」

「……了解。」



 やや不満を残した声で紫苑は答える。



「09さえ倒しちゃえば、あとの二人は新兵に毛の生えた程度のはず。 なんとでもなるわよ。」



 阪江の推測を聞きながら「(だといいんだけど……。)」と、政文はげんなりとした顔で思った。



「ということで政文、しっかり私たちを援護してちょうだいよ?」

「ちょ、ちょっと待っ」

「――っと、もうのんびり話している暇は無さそうね、おいでなすったわよ!! エインヘルヤル02、エンゲージ!!」

「エインヘルヤル07、エンゲージ!」



 政文の言葉を遮り、用件だけ言うと突っ込んで行ってしまう阪江。
続くようにして紫苑も飛び出していった。



「ど、ド畜生! どうなってもおりゃ知らねえぞ! エインヘルヤル04、エンゲージ! FOX2!!」







「09と10が高速機動で攪乱しつつ敵中に突貫する! 11は後に続き、距離500で飛び出せ!」 



 ミサイルの接近に動揺することもなく、武達の操る吹雪は十八番の連続噴射跳躍を駆使し、敵陣へと切り込んでいく。



「うわっ?! 3機まとめて突っ込んできた!!」

「へ~、大胆なことしてくるわね~。」



 「ただの蛮勇か、それとも何か勝算があるのか。」阪江は面白そうにつぶやいた。



「感心してる場合じゃないでしょう!」

「エインヘルヤル07、FOX3!」



 紫苑が政文の言葉を遮るように叫びながら、支援砲とガンママウントに積んだ突撃砲を乱射する。



「ほらほら、政文。 あなたも泣き言言ってる暇があったら手足を動かす!」

「まったく、無茶苦茶だ!」



 政文が叫んだ丁度そのタイミングで、2機の戦術機の合間から1機の戦術機が飛び出した。
皆の意識がその1機に集中した隙を突き、残りの2機も散開し、一斉に反撃してくる。



「くそっ!」



 回避行動が間に合わず、右腕に数発被弾してしまい舌打つ紫苑。
幸い大破にまでは至らなかったが、打撃支援の紫苑にとって利き腕を撃たれたのは痛かった。
このままで済ますモノかと、ガンマウントを含めた全力射撃で空中の敵機に向け弾幕を張る。
しかし、敵機はひらりと空中で一回転し、これをあっさり回避してしまった。
敵機からの応射、しかし照準は甘い。



「――っ!!」



 紫苑はすぐさまビルの陰に待避し、攻撃をかわす。
攻撃が途切れた瞬間に反撃を試みるも、敵の援護射撃によりタイミングを逃してしまった。
しかし程なく、政文による支援砲撃が再開される。
連携を崩された敵機らは攻勢を弱め、逆に紫苑・阪江らの士気を復活させた。

 紫苑が援護射撃を再開すると同時に、阪江機が敵中に飛び込み敵機を蹴散らそうとする。
しかし敵はすぐさま連携を回復させたため、どうにも攻めあぐねた。
どうにか再度連携を崩そうと政文・紫苑が援護するもなかなか上手く行かない。

 と、一瞬の空白を利用し、先ほど紫苑に襲いかかった敵機が再び単機切り込んできた。
阪江はこれを迎え撃たんとするも、敵からの援護射撃により行動を制限され上手く行かない。
あわやというところで、紫苑が割り込み窮地を脱した。
しかし紫苑が目を離したその隙を突き、他の2機はビル群のどこかへと待避してしまう。
残りの1機もネズミが巣穴に逃げ去るかのごとき素早さで都市中心街へと消えていった。



「へえ、やっぱり良い動きするわね。」



 敵機が飛び去った方向を眺めながら、愉快そうに阪江は言った。



「まずいです大尉、あっという間に見失ってしまいました。」

「そんなこと解ってる。 まったく、あなたは泣き言しか言えないの?」



 悪態をつきながらも阪江は思考する。



「敵は3方向に散ったのよね。 だったらバラバラに追うなんて馬鹿げたことはせず、各個撃破を狙いましょう。」

「了解。 もちろん紫苑もそれで良いよな?」

「……そうだね。」



 2人の同意を得たのを確認し、阪江はさらに指示を繰り出す。



「まずは、切り込んできたあの1機の後を追うわ。」

「あの機体のパイロットが"白銀武"って訳ですか?」



 政文はすかさず疑問をぶつけた。
阪江はその問いに首を振りつつ答える。



「確証はまだ無いわ。 機体番号もよく見えなかったし。」



 でも、と阪江は続けた。



「"白銀武"は空中機動が得意らしいの。 可能性は高いと思うわ。」



 その言葉だけで十分とばかりに、政文は言い放つ。



「ようっし、じゃあジークフリート様とやらにご対面と行きますか!」

「政文、紫苑、解ってると思うけど、もう相手を新兵だなんて思わないように。」



 「古参の連中を相手にするぐらいのつもりで戦いなさい。」という阪江の言葉に口を挟む者は、今更皆無だった。


 



 第一攻勢に実質失敗した武ら旧207B分隊3人。
原因は阪江の練度が想像以上に高かったことと、政文・紫苑による的確な援護射撃であった。
もちろん機体の性能差も多少影響しているだろうが、そんな事は微々たる問題――というよりも、微々たる問題でなければ困る。
なぜなら、吹雪は第3世代機である不知火に対する慣熟訓練を前提に生産されている機体なのだ。
スペックに著しい差があっては慣熟もへったくれもないのである。

 その事は孝之と慎二も解っているようで、機体に関する文句は一言も口にしていない。
むしろA01の正規兵に揉まれて世の中が未だ未だ広かったことを痛感し、闘志と向上心をあらわにしていた。
そのおかげで武の一時退却指示にも素直に従い、弾薬以外の無駄な損害を出さずにすんだのである。
何事も引き際が肝心、あのまま混戦を続ければいずれマシンパワーの差で押し負けていたかも知れない。



「こちらエインヘルヤル11、弾薬および推進剤補給完了っと。」

「エインヘルヤル09より11、直ぐに移動を開始しろ。」

「ああ、了解。 09どうかしたのか?」



 武のやや焦った声色に、孝之が急いで移動を開始しながら何事かと聞き返す。
望遠レンズを最大にし、ある一点を見つめながら答える武。



「喜べ孝之。 どういうわけか先任衛士の方々は、お前が気に入ったらしい。 全員そっちの方向に向かってるぞ。」

「なあ?!」


 武は口では何も言わずに、自機のカメラ映像を孝之の機体へと転送した。
映し出される噴射跳躍を繰り返しながら移動する3機の不知火。
確かに、このまま進めば孝之と鉢合わせになるのは間違いなかった。



「げぇっ! "マジ"かよ。」

「どうやら"マジ"みたいだぜ。 良かったなあ、モテモテで。」



 白銀語でやりとりをする孝之と慎二。
もうすっかりと武に毒されていた。



「おふざけはここまでにしておこう、そろそろ会敵してもおかしくない頃合いだ。」

「ちっ、まったく。 さては武、お前こうなるってわかってたな?」



 孝之の追及、しかし武は「まさか! 偶然だっての。」と言って全く取合わない。



「……ちっ、単機陽動は苦手なんだがなあ。」



 不安げに漏らす孝之。
陽動無しに奇襲攻撃しても、返り討ちに遭うのがオチだと察したようだ。
そして、陽動が可能な位置にいるのが自分だけということも。



「大丈夫だ、孝之は随分強くなったとオレは思うぞ。 今のお前なら出来るはずだから、自信を持て!」

「そうだぞ孝之。 もっと自分に自信を持てって!」



 武と慎二はそう言って孝之を励ました。



「……わかった、2人にそこまで言われちゃあ引き下がれないよなあ。」



 孝之は一瞬レーダーに敵機の反応が出たのを確認し冷や汗を流す。
恐らく、向こうも完全に此方を補足したことだろう。



「よーし、やってやろうじゃないか。 その代わり武、慎二! お前達も早く回り込んできてくれよ!」

「ああ、言われなくとも。 上手く陽動さえしてくれればこっちも仕事はするさ。」




 


「よーし追いついたな。」

「各機、もう少し近づいたら一斉に攻撃するわよ!」

「了解っと!」



 良いながら狙撃に備え、機体を徐々にズームしていく政文。
ふと違和感に気がつき、写り込んだ肩の部分のマークを高解像度のものに切り替える。



「――てぇっ!! ……ちょ、ちょっと待った、あの機体、09じゃないぞ!!」



 目の前の機体が白銀機ではないことに気がつき、政文は叫んだ。



「……どうやら外れだったみたいね。」

「それなら早くつぶして、白銀武を探しに行きましょうよ。」



 孝之のことなど眼中に無いらしい、紫苑は好き勝手なことをつぶやいた。



「おいおい、あまり甘く見ると痛い目を見るぞ?」



 己の感が警鐘を鳴らしているのを感じ、政文は紫苑を窘めた。



「そうね、囮かも知れないけど一応叩いておきましょう。 政文は周囲の警戒を。 紫苑、援護して。」

「了解、気をつけろよ。」



 「当然!」と政文に答え、阪江は矢のように飛び出した――







 アラート、阪江機の接近に気がつく孝之。
急降下し、ビルの陰に身を潜めた直後、36mmの集中砲火。
着弾の度に建造物のシルエットが変わる。

 このままでは持たない。
跳躍、直後、背後で轟音、倒壊するアパート。
振り返れば、数条の煙が視界をよぎった――120mmを使ったのか?
思考する間もなく、曳光焼夷弾が機体を掠める。

 阪江機が目前にまで迫ってきた。
ロケットエンジン点火、急上昇、エンジン停止、半身を捻り、再点火。
右腕、ガンマウントの火器管制を自律制御モードに移行、機体後方の敵機に自動反撃を開始。
左腕前方の打撃支援機および制圧支援機に照準――弾種120mmキャニスター弾、装填――発砲。
散らばった無数の弾子が雨のように政文と紫苑を襲う。

 散弾で2機が怯んだ事を祈りつつ、ロケットエンジン点火、急加速し上空を通過する。
孝之機を取り囲むかのように、曳光弾が空に無数の線を描く。
右へ、左へ、上へ、下へ、乱数回避ではない、武直伝の空中機動。
火器管制装置の"クセ"を突き、孝之は弾幕を紙一重で避け続けた。



「このまま行かせるかよ!!」



 政文が咆哮をあげた。
政文、紫苑が孝之機に対し3度の狙撃を行なう。
孝之機は胸部に1、跳躍装置に2被弾するも、戦闘継続に支障なし。
これに伴い自律火器管制、2機の危険度を自動的に上方修正。
ガンマウント、攻撃目標を阪江から政文・紫苑へ変更、反撃開始。

 阪江はその隙を突き、再び孝之機に接近。
絶好の位置、突撃砲の引き金を引く、しかし数秒と持たずに弾切れ。
慌てず120mm滑腔砲を撃つも、単砲身が災いしてカートリッジ丸1本、6発中、直撃弾0。

 しかし阪江は諦めない。
突撃砲のリロードを待たずして追加装甲で殴りかかった。

 迫る盾の一撃。
しかし、孝之は過去の経験もありコレを回避することに成功。
隙だらけとなった阪江機に、全突撃砲の照準を合わせた。
阪江は咄嗟に追加装甲を正面に構え、全速で後退する。

 36mm機関砲及び120mm滑腔砲門から閃光が迸り、4条の筋が高速で阪江機に迫った。
肉薄したのが災いし、回避行動を取る間も無く、無数の36mmと120mm弾3発が追加装甲を直撃。

 阪江は瞬時の判断でコレを投棄。
次の瞬間、2発の徹甲榴弾が遅延爆発し、盾が内部から弾けるように爆散した。
盾内壁に隠していた120mm予備弾装を巻き込んで大爆発したらしい。

 間近で起こった爆発にカメラを焼かれ、一瞬動きが止まる孝之。
阪江は長刀をムンズと掴むと、爆煙をかいくぐり36mmを乱射しながらの抜刀突撃を敢行する。
孝之が回避行動を取ろうとしたその時、左噴射跳躍装置が黒煙を上げ出力低下。
紫苑の援護射撃が命中したのだ。
肉薄する阪江。



「ちぃっ!!」

「貰ったわ!」



 2人の叫びが交差する――衝撃。
孝之機を突き飛ばすようにして、阪江の機体が通り抜けた。



「……?」



 何時まで経っても被撃墜の嫌なブザー音が鳴らない。
確かに貫かれたはず……孝之は何が起こったのか解らず、一瞬呆けてしまう。



「孝之、待たせたな!!」



 慎二から通信が入り、孝之は我に返る。
気がつけば、推力低下で高度は落ちているものの、己は空中にとどまっていた。

 ――突如、背後から爆発音が鳴り響く。

振り返れば片腕がもげた阪江機が、今まさに火だるまとなって地上へと墜ちていく様子が目に映った。



「エインヘルヤル09よりエインヘルヤル10、背後からの強襲は成功。 2機を無力化した。 そっちはどうだ。」



 武から通信が入る。
マーカーの示す方向を見てみれば、不知火2機の残骸を背に佇む1機の吹雪が居た。



「こちらエインヘルヤル10、何とか間に合った。 エインヘルヤル11は健在。 ――オレ達の完全勝利だ!」

「えっと……。」



 孝之が状況を読み取れず、呆然としている所へ水城少尉――皐からの通信が入る。



『エインヘルヤル02、機体全損、パイロット死亡、大破。 04、胸部に致命的損害、大破。 08、主機停止、大破。』



 流れ込んでくる情報を聞いて、ようやく孝之は気がついた。



『Bチームの目標達成を確認。 模擬戦を終了します。』



 自分は、己のなすべき事を全うできたのだ、と。







「すごいじゃない! 孝之!!」



 シミュレーターを降りた先で、孝之は思わぬ人物からの賞賛を受けた。
なぜここに?と言う疑問より先に、言葉の内容に驚く孝之。



「よ、よせよ速瀬。 お前がそんなことオレに言うなんて、明日雪が降っちまうだろ!」

「あら、このクソ熱い季節に雪なんて素敵じゃない。」



 水月はケラケラと笑いながら答えた。



「……鳴海くん、すごく格好良かったよ!」

「ん、え、ああ、ありがとな、遙。」



 遙に真正面から褒められ、孝之は照れくさそうに応じた。



「……ちょっとなによ孝之。 私の時とは随分反応が違うじゃない?」

「あたりまえだろ速瀬。」

「おい、孝之。 いくら何でも言い過ぎじゃないか? せっかく褒めてくれたんだぞ。」



 遅れてシミュレーターから降りてきた慎二が孝之に突っかかる。



「だからだよ。 滅多に褒めないってのに今回に限っていきなりだぜ? 勘ぐりたくもなる。」



 孝之はそう言って手のひらを宙に向けた。



「それは、アンタがいつも余計なことしかしないせいでしょうが!!」

「だとよ、孝之。」

「うるせえよ! デブジューのくせに!」

「な、お前まだそのネタ引っ張るのかよ!!」



 ワイワイとじゃれ合う仲間達。
武は穏やかな気持ちで、そんな彼らの後ろ姿をシミュレーターのタラップから見つめる。
さて自分も戻ろうかと思った刹那、なぜか自分が酷く場違いのように感じ、武は一歩踏み出そうとした足をそのまま戻した。
“ワザと負けることも出来た”のに、それを“させなかった”自分にその資格が無いように思えたのだ。

 今回の模擬戦は一見何も不自然がないように思えたが、実は重要な意味を持っていたのではないかと武は考える。
解隊式当日にA01へ編入、そしてその日の内に模擬戦――あまりにも詰め込みすぎである。
何をそんなに急ぐ必要があったというのだろうか?

 そして、よく見てみれば、旧207隊だけではなく、伊隅みちるの姿も……いや、それどころではない。
シミュレーター搭乗前には居なかった数十人の衛士で、デッキが溢れかえっていた。
自分たちの戦いが何らかの特別な意図を持って企画されたことを示す端的な証拠である。

 長期的に、そして隊全体のことを思えば、本気を出すという己の決断は間違いないと断言できる。
しかし、彼らに何の相談も無しに、自分一人で決めてしまっても良い内容だったのかと、その一点に関しては引っかかっていた。



「白銀武少尉、ご苦労だったな。」



 背後からの渋い声に驚いて振り返ると、金田將一中佐がにこやかに手を軽く振っていた。
突然、思いもしなかった人から声をかけられたところで、中々話題は見つからない。
武は仕方なく、今考えていたことを遠回しに中佐へ伝えることにした。



「えっと、これは……。」



 武は水月達のほうをチラッと見る。
中佐も釣られてそちらの方を見て、やがて武の言わんとしたことに気がついた。



「ああ、模擬戦の話をしたところ、どういうわけか香月博士がA01連隊全員を招集してな。」

「香月博士が、ですか?」

「そうよ、白銀。 それにしても今回は貴方、ずいぶん大人しかったじゃない?」



 中佐の陰からひょっこりと夕呼が姿を現す。
「ひょっとして怠けてたの?」そう言ってニヤリと笑う彼女。
武は「来たか」と体が強張りそうになるのをこらえ、どうにか笑顔を取り繕いながら返事をした。



「――香月博士、ご無沙汰しています。」

「ご無沙汰って言うほどご無沙汰してたっけ? まあいいわ、それで、今回の模擬戦を見てどう思った? 金田。」



 武を弄るのも程々に、夕呼は中佐に向き直る。



「はっ、正直なところ予想を遙かに上回っていました。」



 中佐は顔に浮かんだ戸惑いの色を隠そうともせずに答えた。



「再編から日が浅いとはいえ、大橋大尉らは熟練の衛士。 それがここまで一方的にやられてしまうとは……。」

「ふ~ん。」



 夕呼はいつもの笑みを口元に貼り付けたまま、中佐の言葉に相槌を打った。



「まるで、夢でも見ていたかのような気分です。」

「でもこれは現実。 夢でも仮想でも無い。 違う?」



 「ま、ここにいる全員が同じ白昼夢を見たって言う可能性も"0"じゃないけど。」夕呼はそう言ってフフフと笑う。
中佐は「ご冗談を。」と破顔しつつ、言葉を繋いだ。



「私の見たところ、彼ら1人1人の技量はすでに衛士の平均を上回っているか、それ以上と思われます。」

「……で、どれくらいで使いものになりそう?」



 夕呼は“夕食まであと何分?”とでも聞くかのような調子で問いかけた。
それに対して中佐は「長くても1~2週間頂ければ。」と断言した。



「だそうよ、白銀。」



 そう言って聖母のような笑みを浮かべる夕呼。
武は思いの外、冷静に夕呼の言葉を受け止めている己自身に驚きながら口を開いた。



「……帰りに"出雲参り"とかする時間はありますかね?」

「突拍子が無いわね。 なに? アンタって神道だったの? てっきり無宗教だと思ってたけど。」



 夕呼は人を小馬鹿にするような口調で言った。
一通りクスクス笑うと一転、今度は見る者を威圧するような気配を発しながら答える。



「そうね、"残っていれば"別に構わないわよ。」



 夕呼と武はお互いを見つめながらも、お互いの姿をまったく認識していない。
2人の浮かべる貼り付けたような笑みが妙に寒々しく不吉で、金田は思わず喉を鳴らした。


 喧噪から少し離れたところ、物陰でフリルのドレスがフワリと揺れる。
黒のウサギが、今にも泣きだしそうな瞳で2人の様子を見つめていた。





[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第七章 第三話 夏祭 ~All truths are not to be told.~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:73d44ffd
Date: 2010/08/22 01:47
 響く笛や太鼓の音――囃子の音色は聞く者の心を興奮させてやまない。
屋台の威勢の良いかけ声や、子供大人の笑い声が柊町全体にこだまし、包み込む。
軍人も一般市民も関係なく、この日一日を共に楽しみ騒ぐのだ。

 笑いの絶えない街……提灯の明かりに彩られ、本来ならばアリエナイほど美しいその光景は、まるで桃源郷のよう。
誰しもが今この瞬間は全てのことを"忘れ"、目の前の熱狂に身をゆだねていた。

 忘れる――それはもしかしたら、"この世"に住む人々にとって最後に残された贅沢なのかも知れない。
今まさに人類の存亡を賭けた戦争中であることも忘れ、日頃の苦しみを忘れ、馬鹿になったように騒いでいる。
それは何も、武達とて例外ではなかった。



「ねえタケルちゃん! みんな! 次はあのお店に行こうよ!」

「待てって純夏! 落ち着けよ!」



 純夏に腕を引っ張られ、ずりずりと引きずられて行く武。
隊全員が5M内に集まっているこの場所において、プライベート空間を作ろうと言う魂胆らしい。



「鑑もなかなかヤるわね。 よし、私も負けてられない!」

「おいおい、いったい何を鑑と張り合うつもりなんだ?」

「平くん、水月は何事にも負けず嫌いだから……。」

「要はとりあえず張り合いたかっただけなんだろうな。 まあ、速瀬らしいってったら速瀬らしいじゃねえか。」

「うるさい孝之、黙ってないとぶっとばすわよ。」



 模擬戦に勝利した翌日の夕方、旧207B分隊は祭りで賑わう街の中にいた。

 4月から武達の"特殊性"が故に軟禁状態にあったB分隊の面々。
ところが7月~8月にかけての情勢変化に伴い、志願兵に関する法律が一部改正されたことにより状況が一変する。
武と純夏の存在が一応合法になったことに伴い、守秘義務は解かれ軟禁の必要性が無くなったのである。

 この知らせを聞いて真っ先に動き始めたのは、誰であろう行動派の水月であった。
訓練校卒業予定日が『柊町お盆祭り』と重なることを知り、隊の仲間達を外出に誘ったのが、およそ1週間前。
反対者など出るはずも無く、卒業記念もかねて全員で街に繰り出すこととなったのだ。

 正確に言えば、隊の仲間達足すことのもう一匹、もとい、もう一人の"ゲスト"を迎えて。



「霞、そんなに提灯が珍しいのか?」

「……(コクリ)はい、初めて見ました。」



 頭上の提灯を飽きることなく見つめる霞。
ぼんやりとした暖かい光がお気に召したようだ。
と、彼女の視線を露天から戻ってきた純夏が遮った。



「はい霞ちゃん、コレあげる。」

「……これは……なんですか?」

「ソースせんべいっていって、ちょっとずつココに付いてるソースをつけながら食べるの。 美味しいんだよ!」



 食べ方を"リーディング"でもしているのだろうか、霞はしばらくじっと純夏の顔を見つめた。
しばらくすると、今度はせんべいに視線を戻し、おずおずと口を開く。
おっかなびっくりにせんべいを口に運び、控えめに租借する霞。
するとどうだろう、ピクリッとウサ耳が反応し、目が大きく見開かれた。



「(コクリ)……おいしい……です。」

「でしょでしょ~?」



 霞は口周りにソースがつくことも構わずに、勢いよくモグモグと頬張り始めた。
安直な例えだが、その仕草はまさしく小動物のようで、頬ずりしたくなるほどの愛らしさだ。



「ソースせんべいも良いけど、ほら、この水飴も美味しいわよ!」



 対抗するように水月がよく練られた水飴を差し出した――彼女の食べかけのようだ。
しかし、気にすることなく霞はそれを手に取ると、パクリと食いつく。
かみ切れないのか、しばらくモグモグとしていたが、遂にはしびれを切らして勢いよく引っ張ってしまう。

 拍子に『ビヨン』と伸びる水飴。
今まで駄菓子をあまり食べたことがなかったのだろう、霞は突然のことに驚いて目をぱちくりとさせる。
慌てて落ちそうになった水飴を手でつかみ取ったものだから、さあ大変、手がベタベタになってしまった。



「ほら、霞、これ使って良いぞ。」

「……白銀さん、ありがとうございます。」



 武から手拭いを受け取ると、霞はソレで手と顔をぬぐった。
しかしなかなか水飴は取れないようで、手を握ったり開いたりしながら悪戦苦闘している。



「この焼きもろこしも美味しいぞ! 食べるか?」

「ん――この芋菓子美味しい。 ……霞ちゃんもいる?」

「!!……あ……う。」



 孝之に加え、まさかの参戦をする遙。
まだ水飴も、ソースせんべいも食べきっていない。
一斉に差し出された駄菓子に、霞はオロオロと武たちの顔を仰いだ。



「こらこら、社さんが困ってるだろ。」



 見かねた慎二が2人を窘めた。



「――あ、ごめん、霞ちゃん。」

「つい食べてる姿が可愛くってな……ははっ。」

「カワイイってアンタ……やっぱりそうだったのね。」



 まるで幼女性愛好者を見るかのような目線で、孝之をにらむ水月。



「……おい速瀬、なんだその人を蔑むような目は。 お前はカワイイって思わなかったのかよ。」

「そりゃ思ったけど、なんかアンタが言うと不潔って言うか……。」

「あ゛ん? それはひょっとして喧嘩売ってるのか? 喧嘩売ってんだよな??」

「だからよせって、社さんが見てるだろう。」



 再び慎二が窘める。
ハッと顔を見合わせたかと思ったら、とたんに「フンッ!」とそっぽを向く2人。
そんな二人のやりとりに、霞はニコリとかすかな笑みを浮かべた。



「あ! 霞ちゃんが笑った!」



 その笑顔を見て、純夏が嬉しそうに歓声をあげる。



「おいおい2人とも、社さんに笑われてるぞ。」

「う゛……。 ちょっとグサっと来たかも。」

「……ごめんなさい。(ペコリ)」

「あ、いや、別に笑ったことは怒ってないわよ?? むしろ笑って当然いや笑われたくないんだけどそうじゃなくて……。」



 シュンと落ち込んでしまった霞に、水月が狼狽える。
彼女の見事な慌てふためき様に、たまらず武達は笑い声を上げた。

 霞がココにいる理由――それは、武が誘ったからではなく、何と夕呼の提案だった。
水月から祭りの話を聞いた折、いつか霞が「ほとんど基地の外に出たことが無い。」と言っていたことを思い出した武。
ソレと共に浮かんできたのは、"彼女"とは終に果たせなかった"思い出をたくさん作る"という約束。
この機会に果たせやしないかと、武は最初そう考えた。

 しかし、しばらく考えてその案は現実的でないことに武は気が付く。
霞を不特定多数が集まる場所へと連れて行くことは、極めて高い危険性を伴うのだ。
出自故に拉致や暗殺の危険性が付きまとうし、何よりESPである彼女には雑踏に入るというそれだけで負担がかかるのである。

 結局、半分以上諦め賭けていたところに夕呼の方から「どうせなら霞も一緒に連れて行ってあげて頂戴。」と、頼まれた武。
彼女の正気を疑いつつも、武や彼の仲間達は喜んでこの提案を受け入れた。

 さらに夕呼は念には念を入れ、数名の護衛官を遠巻きに配置し有事の際に直ぐ動けるよう手配してくれた。
やはり彼女にとって霞は特別なのだろうと、武はなんとなく微笑ましく思った。

 

「……そういや、なんだか"いつも"より祭り、盛り上がってるな。」



 突然、なんの前触れもなく孝之がそんなことを呟く。



「やっぱり孝之もそう思う? 私も何かそんな気がするんだけど。」



 突然の孝之の呟きに、しかし水月は頷いた。
確かに武も、同種の感覚と言うべきか、違和感を感じてはいた。



「そうだな、確かに何時もより盛り上がってるな。 涼宮はどう思う?」

「……う、う~んどうだろう?」

「そっか……武はどう思う?」

「そうだな~、確かに盛り上がってるような気がしなくもない。」

「私も、去年よりは盛り上がってると思う。 なんでだろうね?」



 武が答えて、純夏がそれに同調した。



「確かに、なんで盛り上がってるのかしら? ひょっとして私たちを祝ってくれてるのかしら?」

「……水月、さすがにソレはないと思う。」

「遙が言うんだから、そうなのかしら? ……う~ん、だったら、みんなは何だと思うわけ?」

「そりゃあ、みんな戦争の成り行きが不安で、その気持ちを吹き飛ばそうとしてるんじゃねえのか?」



 武の何気なく放った一言で、空気が凍り付いた。
あまりに歯に衣を着せぬ彼の言い方に、思わず頭を抱えたくなる純夏。



「……タケルちゃん。」

「おいおい、いくらなんでも口にして良いことと悪いことがあるだろ? オレ達はもう1軍人なんだぞ。」



 純夏と慎二が口々に武を非難した。
冷たい視線が体を貫き、武は身を縮める。



「わ、悪い……。」



 武は素直に己の非を認め、謝った。
しかしここで思わぬ横やりが入る。



「まあ、実際武の言う通りなんだろうけどな……。」

「(コクリ)……白銀さんは、間違ったこと言ってません。」



 何を思ったのか、孝之と霞が武に加勢したのだ。



「ま、まあまあ。 そんなことよりもさ、ほら、早くお店回らない? ね?」

「ん、そうだね。 みんな、どこにする?」



 緊張した雰囲気をほぐそうと、水月と遙が全く別の話題を持ちかけた。
孝之はつまらなそうに鼻を鳴らすと、フンと視線をそらす。



「あ、そうだ、あそこのドネルケバブのお店行ってみようよ! ね、そうしよ!」

「ドネル……なんだって? なんだその変なの。」



 聞き覚えのない名前が耳に入り、孝之は聞き返した。
水月は孝之の物言いに多少むっとしながら答える。



「変なのじゃなくてド・ネ・ル・ケ・バ・ブ。 去年来たときは、あんなお店無かったと思うんだけど。」



 「……今年から新しく始めたのかしら?」水月はそう言って小首をかしげた。



「あのデカイ合成肉の固まりを回しながら焼いてる屋台のことだよな……?」



 慎二が訝しげに屋台の方を睨む。
顔が「美味いのか、あれ。」とあからさまに怪しんでいた。



「まあ、物は試しって言うしいいんじゃねえか?」

「あれ、私もちょっと気になるかも。」



 一方、武と遙は水月に同調した。
霞はと言えば、じっと露天の方を見つめ、ナニカをしているようだ。



「……みんな、"意外と美味しい"って言ってます。」



 ボソリと呟く霞。
どうやら購入者の心をリーディングしてしまったらしい。
しかし、純夏は良い感じで勘違いしたらしく、霞にこう問いかけた。



「……? それってひょっとして誰かから噂で聞いてたの?」

「(フルフル)……ちょっと、違います。」



 彼女の問いかけに、霞は首を控えめに振って答えた。



「ふ~ん……まあとりあえず、食べに行ってみよう!」



 純夏の声が音頭になり、武達はドネルケバブなるものの屋台へと向かう。
それ以降、武達は祭りの盛り上がり方に関する話題を口にすることはなかった。







 ちょうど日も沈んだ頃、武達は3手に分かれて祭りを回る事になった。
「遙と孝之を2人きりにしてあげた方が良いんじゃない?」という水月の提案に、純夏を始め他のメンバーも賛同したためである。
残された5人であるが、最初の内は「残り5人は一緒に回ろう。」という武の意見で纏まろうとしていた。
しかし、それではつまらないと主張した若干2名の主張により、残り2組を決める抽選となる。

 結果は、慎二×水月ペアと武×純夏ペアという、なんとも妥当な組み合わせで落ち着いた。
水月がすねたような、純夏が勝ち誇ったような対照的な表情をしているのを目にしてげんなりする慎二。
彼は自分の存在意義について自問自答しつつ、恨めしげに武を睨み付けた。
しかし武は武で全く気がつくそぶりもなく、慎二は一人「はあああ。」と深い溜息をついた。



「あ、そう言えば霞ちゃんはどうする?」

「あ、そう言えば!!」



 組み合わせが決まってから騒ぎ始める面々。
あんまりじゃないかと思う武でさえ、気が付いたのは抽選が始まった時だった。



「……私は、純夏さんと一緒に行きます。」

「あ、え、私と?」



 突然名指しされ、狼狽える純夏。



「……嫌ですか?」

「そ、そんなこと無いよ!」



 しかし、上目遣いに見上げる霞の表情に、純夏はすぐさまノックアウトされた。



「じゃあ、社は鑑達と一緒って事で決定ね。 じゃあ集合は2時間後、"あの丘"で待ってるから!」



 水月は言い残すと、慎二の手を引っ張って人混みへと走り去ってゆく。
反論する気もないが、有無を言う隙もなかった。
後ろ姿を見送りながら、武は「(さて、これからどうするか。)」と思考を巡らせる。



「それじゃあ私たちも、そろそろ行く?」

「はい、純夏さん。」

「……そうするか。」



 結局ノープランのまま、武達は夜の屋台通りを彷徨い始めた。

 やや遅れて歩く霞の手を、純夏がぎゅっと握る。
霞が純夏の顔を上目遣いに見上げると、純夏はニッコリと笑みを浮かべた。
霞は驚いたように目を丸くしたが、ややあって嬉しそうに目を細める。
そんな2人に何気なく歩調を合わせて歩く武。
武は本人も気が付かない間に、久方ぶりの純粋な笑みを浮かべていた。



 そんな彼らとは少し離れたところで、一人の男が影からゆらっと姿を現す。
作られた笑みを浮かべたその男は、武達3人の後ろ姿を黙ってジッと見つめている。
やがて男はなにかに気が付いたのか、パナマ帽を深く被り直すと、忽然とまた姿を消してしまった。







「……あ、あの人形可愛い! ねえねえタケルちゃん、あれ取ってよ!」



 そう言って純夏が指さした先にあったのは、射的小屋に並ぶ人形の一つであった。
どことなく見覚えのある風貌に記憶をたぐってみれば何のことはない、因縁の"チョップ君"であった。
お世辞にも"カワイイ"とは言えないが……。



「……そうかあ?」

「もう、タケルちゃんはやっぱりセンスが無いよ。 チョップ君の良さが解らないなんて。」



 純夏は口をとがらせるが、しかし、それでも武には本当にあの人形の良さが解らない。
と、今度は霞がなにか言いたげな様子で武の顔を見詰め始めてくる。
見つめ返すと、霞は小さな口を遠慮がちに開いた。



「……白銀さん、取って上げてください。」

「……あー、わかったわかった。 取ってやるから。 だからそんな目で見ないでくれ。」



 捨てられた子犬のような目で見つめてくる霞に、武は為す術もなく降参した。
後ろで純夏がガッツポーズを取っているが、極力気にしないこととする。
屋台のオヤジに代金を手渡し、武はコルク銃を手に取ると、“マジ”になるわけでもなく、適当に引き金を引いた。



「……へっ?」



 『ポンッ』と、真抜けた音と共に飛んでいったコルク栓――なぜか人形の眉間を打ち抜いてしまった。
グラグラと揺れ、そのままもんどり打って倒れるチョップ君人形。
これには武自身もビックリで、思わず何か細工がしてあるのではないかと銃口を覗き込んでしまった。



「わー! 武ちゃんすごーい!」

「白銀さん、すごいです。」

「……ま、ざっとこんなもんだ。」



 2人に褒められ、満更でもない様子の武。
嬉しそうに景品の人形を抱いてハシャグ純夏と、そんな彼女をにこやかに見つめている霞。
どちらが年上なのか分ったものじゃないと、武は苦笑する。

 祭りで賑わう街を、まるで子犬のように無邪気な様子で走り回る彼女――鑑純夏。

 これこそが彼女の本来有るべき姿なのだろうと、武は思う。
泥に塗れて地を這ったり、まして巨大な人型兵器を操る姿など、ほんの数ヶ月前までは想像すらしていなかった。
……そんな世界に引きずり込んだのは、間違いなく自分だ。

 後悔はしていない――だが、どうしても罪悪感を捨てきれない。
この世界において戦争を知らずに生きるなどということは出来ないが、それでも彼女は女性である。
あるいは人並みの幸せを手に入れ"させ"、内地で穏やかに暮ら"させる"という手段もあるのではないだろうか?
武はそう思わずには居られなかった。



「……白銀さん。」

「どうしたの? タケルちゃん。」



 2人に顔をのぞき込まれ、武は思わず3歩後ずさった。



「……やっぱり私とじゃ嫌だった? そりゃ、タケルちゃんは速瀬さんとのほうが良かったと思うけど。」



 先ほどまでの歓喜はどこへやら、純夏はそう言って物鬱げな表情でうつむいてしまった。
武も最近ようやく気がついたのだが、どうやら彼女は水月に妙な対抗心を持っているようなのである。
水月が好きなのは孝之なのに……武の“認識”からすると、彼女が何を悩んでいるのか全く理解できなかった。



「嫌なわけねえだろ、ちゃんと楽しんでるって。」

「ほんとに? ならいいんだけど……。 タケルちゃん、なんとなく、つまらなそうだったから。」



 ポロリとこぼれた純夏の言葉。
武はその原因が何となく分っていた。



「……白銀さんは、つまらないですか?」

「い、いや、違うんだ。 なんて言うか、ここの空気がどうしても肌に合わないんだけで……。」



 一度"平和な世界"を訪れた時にも感じた違和感。
自分だけが阻害されたような、空間そのものから拒絶されたような、そんな感覚。
武はその感覚を再び……あの時ほどではないがうっすらと感じていた。



「……やっぱり、タケルちゃんもそうだったんだ。」

「――なんだって?」

「うん、だから、やっぱりタケルちゃん"も"そう感じたんだな~って思って。」



 純夏はそう言って寂しげな笑みを浮かべる。



「なんて言うかね、私、久しぶりに基地の外に出れて嬉しいはずなんだけど……なんだか、変なんだ。」



 純夏は手を繋いで屋台を巡る親子の様子を眩しそうに見つめながら、語り始めた。



「なんて言うか、落ち着かないの。 "自分の居場所はここじゃない"ってような気がして……。」



 純夏は両手を広げてくるりと回り、武の正面を向いてピタリと止まる。
その顔には、今にも崩れそうな儚げな表情が浮かんでいた。
どこかで見覚えのあるその顔に、武は思わず愕然とした。

 なぜ気が付かなかったのだろう――武は己を責めた。
武は、ここに来てようやく気がついたのだ……彼女もまた例外なく"染まって"しまったのだと。



「可笑しいよね! ほんの数ヶ月前までここに住んでたはずなのに……。 こうやって生活してたはずなのに。」

「……純夏……さん。」

「……あんなに、帰りたかったはずなのに……なんで……。」

「――っ、純夏!!」



 武は居ても立っても居られず、純夏をギュッと抱きしめた。
純夏は予想外の展開に言おうとした言葉が『ポンッ!』と頭から飛び出してしまう。
言葉を失いパクパクと開閉する口とお揃いで、その頬もまた金魚のように真っ赤に染まっていた。



「純夏……大丈夫だ。 オレがいるから、オレが……いるから。」



 そう言って彼女の頭をゆっくりとなでる武。
純夏の強張っていたからだから、徐々に力が抜けていった。



「……痛い。」



 むずがるように純夏は体を揺らす。
しかし武は抱きしめる力を緩めず、そのまま彼女の耳元で宣言した。



「純夏――ごめん、何てことは、オレは絶対に言わねえ。 でも、これだけは誓っても良い。」

「……?」

「オレは……お前を守る。 例え、どんなことがあっても、絶対に守り抜く!」



 純夏は"合成うどん大盛り"を頭から引っ掛けられたかのような熱さを頬に感じたが、どうしようもなかった。
あんまり武が強く抱きしめるので、全く体を動かせないのである。
恥ずかしくて嬉しくて苦しくて、他にも色々の感情が溢れて心の中がグチャグチャ……死にそうだ、いや、死ぬ。
心臓は破裂寸前の勢いで脈打ち、胸が鼓動に合わせて大きく上下しているのが自分でも解った。
とうに頭の中は真っ白にトロけ、もう口を開いても声にならない声しか漏れない。

 それでも純夏は2つ理解できることがあった。
彼は、間違いなく本気なのだということ、そして

 ――今こそ絶好の“チャンス”なのだと。

 しかし、その言葉はついに彼女の口から発せられることはなかった。
何故なら、彼女の目の前に唖然とした顔で立ち尽くす"彼女"の姿が目に入ったからだ。
一気に冷静さを取り戻すどころか通り過ぎて背筋が凍る純夏。



「お、お母さん……?」

「……純夏……よね? それにもしかして貴方、武くんじゃない?」



 実に約5ヶ月ぶりの親子の再会。
武は、背後からの、そして純夏が呟いた言葉に『ビクッ』と体を震わせて、ゆっくりと彼女を解放すると背後を振り返った。
そこには、浴衣姿の純夏の母親、そして一緒に来たのであろう己の母親が口をぽかんと開けて立ち呆けていた。







 祭りの会場から少し離れた、小さな公園の広場。
砂場に遊具、そしてぽつりぽつりと、街灯に照らされたベンチが寂しげに佇んでいる。
2組の親子は、それぞれ別々のベンチに腰をかけた。
霞は武の隣にちょこんと座り、ぼんやりと空を見つめている。
満月が夜空に上っているからだろう、夜だというのに周囲は明るい。



「あの日から手紙の一通もくれなかったけど、元気だった?」

「……ああ、元気だ。」



 武が答えると、それきり再び沈黙があたりを包む。
祭りの会場とは打って変わり、虫の音が聞こえるほどあたりは静まりかえっている。
遠くから聞こえてくる祭り囃子と、人々の笑い声に混じり、微かに聞こえてくる鈴の鳴るような音。
気の早い虫が、『リーン…リーン…』と、秋の音をあたりに響かせていた。



「訓練学校、一足早く卒業したんですってね。」

「……っ!! なんでそのことを?!」



 連絡が行っていないはずなのに、なぜ彼女が知っているんだ? 武は驚いた。
しかし母も情報源をまともに答える気は無いらしく、「内緒よ。」といたずらっぽく答えるにとどまる。
いくら何でも実の母親に尋問紛いのことはしたくはないし、別に知られて困る訳でも無いので、武は追及を断念した。



「やっぱり影行さんの子ね、貴方は。」



 そう言った母親の顔は、暗がりでよく分らないが笑っているのだろう。
武は直感とでも言うべきだろうか、なぜかそう確信した。



「あの人も大陸で死に損なって、まだ戦ってるらしいけど、手紙の一通も寄越さないのよ?」

「……わりい。」



 武は己が攻められているように感じ、謝った。
武とて、別に母親の存在を忘れていたわけではない。
ただ、後ろめたく、そして怖かったのだ。

 もはや自分は彼女のよく知る『白銀武』ではない……それは確かだ。
それがどうにも後ろめたくて、彼女との接触を意図的に避けていたのである。
例えどんな世界でも、己が白銀武であり続ける限り、彼女が母親であることには違いない。
己はそう思っているが、彼女はどうだろうか。

 それだけではない。
体感で何年ぶりに会おうという彼女の姿……もしも会えば、甘えてしまうのではないか。
いらぬ事を口にしてしまうのではないだろうか。
武は、そう悩んでいた。



「――それにしても、思っていたよりも元気そうで安心したわ。 無理してるんじゃないかと心配したんだけど。」

「……(フルフル)白銀さんは、少し、無理してます。」



 いつもの平坦な口調で、突然切り出す霞。
「か、霞……。」武は声にならない声で呟いた。



「霞……このお嬢ちゃんの名前ね? 内の馬鹿息子が世話になってるみたいだけど、迷惑かけてないかしら?」



 母の問いかけに、霞はフルフルとゆっくり首を横に振った。



「白銀さんは、やさしいです。 ……今日も、私をお祭りに連れてきてくれました。」

「あら、そうなの?」

「思い出、いっぱい作るって約束しました。」

「そうなの……。」



 嬉しそうに話す霞に、柔らかい笑みを浮かべる母親。



「……でも、私が起こしに行かないと起きません。」

「あら、軍隊に入れば直るかと思ったのに、武ったらまだ一人じゃ起きれないの?」

「純夏さんと、何時も一緒に起こしに行ってます。」



 「(何でも話しちゃうのね……。)」武はもはや諦めの境地にいたっていた。



「武、あなたまだ一人で起きられないの?」

「……面目次第もない。」

「そう思うんなら、少しは努力しなさいね。」



 「起きたら怒るから起きない。」などとは口が裂けても言えない武。
例え言ったとして、いったい誰が信じてくれるというのだろうか。



「ふう……それにしても、武、貴方体だけは大きくなったわね。」

「体だけかよ。」

「――ごめんなさい、違うわね。 少しだけマせたかしら?」



 「往来のど真ん中で純夏ちゃんを抱きしめちゃって、まあ。」と、武を茶化す。



「う゛……あれは! 色々と事情があってだな……。」

「……分ってるわよ。 ちょっとだけ話、聞かせてもらったから。」

「――ええっ!? いつの間に?」

「あなたね、あんな大きな声で話してたら、意識して無くても聞こえるわよ。」



 母の呆れた声に、武は口元を引きつらせながら「……マジで?」と問いかけた。



「マジ? ソレってどういう意味? 知らないけど、ちょっとした人だかりが出来てたわよ。」

「ま、マジかよ……。」



 母の証言に、武はガックリとうなだれた。
我を忘れていたとはいえ、それはいくら何でも恥ずかしすぎる。



「何しょぼくれてるの? 武にしては良くやったじゃない。 昔はあんなに鈍くさかったのにね~。」



 感慨深げに呟く母。



「まさか武にあんな甲斐性があるなんて、思ってもなかったわ。」

「それは、あれだ。 "男児3日過ぎれば刮目して見よ"って言うだろ? オレだって少しは成長してるんだよ。」

「――馬鹿っ! それを言うなら"男児3日合わざれば括目すべし"でしょ?」

「そ、そうだったか? まあ細かいところはどうでも良いんだ……って、何で笑うんだよ?」



 突然、くすくすと笑い始めた己が母に、武は眉をひそめる。



「ふふ、ごめんなさい。 それにしても――

 ようやく武の"顔"、見せてくれたわね。」



 気がつけば、武は母の顔を真正面から覗いていた。
月明かりではっきりと写し出される、懐かしい母の面影。

 体感時間にして、何年ぶりかという母との対面。
しかし特に感慨を抱くわけでもなく、あまりにも"あっさり"とした己の気持ちに、武は困惑した。



「……そう……か?」

「何を遠慮しているのか分らないけど、私は貴方の母親なんだから、いまさら気取ったってしょうがないでしょう?」

「……。」

「別に根掘り葉掘り聞こうと何て最初から思ってないわ。 守秘義務の事ぐらい、こんなおばちゃんでも知ってるわよ。」

「自分でおばちゃんって言うかよ? 普通。」



 武は苦笑混じりに呟いた。
しかし母は気にした様子もなく、すました顔で続けた。



「ここから先はそんな"おばちゃん"の独り言だから別に聞かなくても良いわよ。」

「……なんだよ?」

「強くなるってことは、背負い込むことだけじゃない。 適度に息抜きが出来て、初めて一人前よ。」



 武とて、そんなことは分ってはいる。
目の前に良い例――香月夕呼――がいるのだから。
彼女のオンとオフの切り替え具合は端から見ていて感心するぐらいだ。
仕事に私情を持ち込まない、徹底的な合理主義者。
そのくせ仕事以外ではハチャメチャで、周りを巻き込んだ騒動を起こす。
彼女の壮大な息抜きにみんな頭を悩ませつつも、気がつけば全員が楽しんでいる。



「――そんなことは、わかってる。」

「だから、独り言だから返事しなくて良いってば。 まったく……。」



 呆れたように呟く彼女の顔は、悲しそうにほほえんでいた。



「……でも、不思議と男のコって、いつもそこのトコロをはき違えるのよね。」



 溜息を一つつくと、母は続けて言った。



「本人はそれで満足かも知れないけど、その小さなプライドを誰が支えてあげてると思ってるんだか。」



 言い返そうとして、武は口をつぐむ。
全く心当たりがないわけではなかった。



「まったく、そんなところまで影行さんに似なくてもいいのに……。 親子って嫌ね。」

「親父が……?」



 武は思わず聞き返した。



「ええ、ソックリよ。 ほんと、年齢が上がるごとに似てくるんだから嫌になっちゃうわ。」



 そう言われたところで、武にはほとんど父と過ごした記憶がない。
母の記憶は朧気ながら残っているが、どういう訳か父はその顔すら覚えていないのだ。
全く薄情な奴だと自分自身を責める武。



「……そんなに、似てるのか?」

「あ、そう言えば武、あなたほとんど影行さんのこと覚えていないんじゃない?」



 母の問いかけに言葉が詰る武。
しかし、彼女は武を攻めるどころか、同情の視線を向け始めた。



「まったく、あの人と来たら偶に帰ってきたと思ったら、直ぐ前線にとんぼ返りだもの。」 

「……。」

「“息子に顔ぐらい見せなさい!”って、いつも言ってるんだけど。」



 そう言った母の横顔は、とても寂しそうだと武は感じた。



「ああ、ごめんね。 こんな事、武に話してもどうしようもないのに。」

「……いや、今度親父にあったら、何とか言っておく。」

「あ、そう言えばもう武は衛士になったんだものね。 ひょっとしたら次は私よりも早く会えるかもしれないわね?」



 「もし遇ったらその時は、“この戦術機馬鹿!”とでも言っといて頂戴。」
冗談めかしに言う母に、武は苦笑しながら「了解。」と答える。



「やっぱり武は何か息抜きの方法、考えた方がいいと思うわよ?」

「そうか?」

「ええ、さっきはああ言ったけど、武ったら最初に見た時“ヒドイ顔”してたもの。」

「うぐ……。」



 また表情に出ていたかと、武はたまらず呻いた。
気を抜いたらいつもこうだ、と、溜息をつく武。
まだ公以外の場では完全には己の表情をコントロール出来ずにいるようだ。



「アレじゃあ周りの人から元気を吸い取っちゃうわよ? もうちょっと余裕を持ちなさい。」

「……肝に銘じてはおくよ。」



 断言できない、何故なら、武は“知って”しまったから。



「……そうだ、オレからも1つだけ、頼みたいことがあったんだった。」

「――? 何かしら?」



 怪訝な様子をする母をそのままに、武は用件だけを述べていく。



「これから言うことの理由は聞かないで欲しい。 そして、黙ってオレの言う通りにしてほしい。」

「……え?」

「無茶苦茶なことを言ってるのは自分でもよく分ってる。 でも頼む!……これがオレの“最後”のワガママだから。」



 武の真剣な物言いに、母の顔から柔らかな笑みが消え、真剣な表情になる。
それを確認すると武は霞に向かって躊躇いがちに問いかけた。



「さすがにこのぐらいは、夕呼先生も見逃してくれるよな?」

「……(フルフル)わかりません、でも……。」



 霞は武の目をまっすぐ見つめて答える。



「……私は、言いません。」

「十分だよ。 ありがとう、霞。」



 コクリと頷く霞。
武は意を決すると、己の母に向かい合う。
深く一つ深呼吸をすると、静かに切り出した。



「半年以内に、純夏のおばさんも説得して柊町から出て、東北の太平洋側に引っ越して欲しい。」



 武の言葉を理解するのに、彼の母には少し時間が必要だった。
街灯の明かりを反射して琥珀色に染まった瞳は、泣いているようにも、あるいは燃え上がっているようにも見える。



「……わかったわ。 東北の太平洋側に引っ越せばいいのね?」

「出来るだけ早いほうが良い。 本当なら、明日にでも引っ越しの準備を始めて欲しいぐらいだ。」



 武の真剣な様子に、彼の母も納得したのだろう。
疑問を飲み込み、武の言葉に頷いた。



「あと、オレから言われたことは、純夏のおばさん以外の誰にも言わないで欲しい。」

「……わかってる。 でも、武は大丈夫なの?」



 母の問いに、武は薄く笑みを浮かべるだけで何も答えない。
しかし、彼女にはそれで十分だった。



「全く……武はどこまで影行さんに似れば気が済むのかしら?」

「……わりいな。」



 そうとしか、武は答えられない。



「――純夏ちゃんも、ちょうどお話が終わったみたいね。」

「あ、ああ。」



 純夏が此方に歩いてくる様子を見ながら、2人は会話を続ける。



「武……。」

「……なんだよ?」

「お母さんたちのことは気にしなくても大丈夫。 だから……貴方は思うようにやりなさい。」

「――わかった。」



 武は、力強く頷くことで、母へのせめてもの償いとした。



「……それじゃあ、ほら、行ってらっしゃい。」

「――行ってきます。」



 答えると、武は霞の手を取って純夏の方へと歩み寄った。
3人並んで公園から出て行く様子を、2人並んで見送る、それぞれの母。
結局、武達は、もう2度と振り返ることはなかった。



 再び静寂が訪れる夜の公園。
しかし、二人を見送った母親の顔は、彼らの背中を完全に見失うなり険しい物へと豹変する。



「……良かったのですかな? もう少しお話されなくて。 積もる話もあったでしょうに?」

「やはり、見ていらしたんですね。」



 背後からかけられた声に、武の母が応える。
振り返ると、その男の存在を拒絶するように強く睨み付ける2人の母親。



「のぞき見とは、あまり良い趣味とは言えませんわね。」

「おお怖い。 そのような目で見られては、たまりませんな。」

「純夏に会わせていただいたことには感謝致します。 でも、それ以上何も言うべきことはありませんわ。」



 純夏の母が、男を警戒しながら強く言い切る。
パナマ帽の男は寂しげに顔をゆがませると、悲しそうに言った。



「いえいえ、私はただあなた方の為を思って――。」

「口では何とでも言えますわね。」



 武の母がにべもなく彼の言葉を遮る。



「……息子は、何も言いませんでした。 いったい貴方が何を知りたがっているのかは知りませんが――。」

「そうですか……。 いえ、それならば別に良いのです。 失礼しました、マダム。」



 男はそう言うと、彼女たちの間を擦り抜けて行く。



「それでは、良い夜を。」



 入り口で、男は帽子を取って会釈をする。
母親達が呆然と見つめていると、男はそのまま身を翻して公園から出て行ってしまった。
2人は、拍子抜けした様子で彼の後ろ姿を見送る。



「……引っ越し……とな。 やはり、横浜の“Enigma”は、かの青年と関係ありか、ふむ。」



 男は呟くと、スッと足を止める。



「おお、こうしていてはいけない。 息女を待たせていたんだったな。」



 手にしていた小さな黒い物体……小型集音マイクをポケットに仕舞いながら呟く男。
独り言を言いながら、男は足早に祭りの雑踏の中へと紛れていった。







「ねえタケルちゃん、まだおばさんとお話ししたいことあったんじゃないの?」

「ねーよ別に。」

「本当に? なんか私にはまだナニカ話してたように見えたんだけど……。」



 申し訳なさそうに、ひたすら呟いてくる純夏。
武はしびれを切らして純夏に向き直る。



「ばーか。 純夏がオレに気を遣うなんて100万年早いっての。」



 いつもの調子で彼女をからかう武。



「えええ?! 100万年も生きられるわけ無いじゃん!」

「暗に一生無理だって言ってんだよ。 わざわざ言わせんな。」



 武は純夏の肩を軽く叩いて歩き出した。
純夏は遅れまいと、そんな彼のあとを急いで追いかける。




「あー! あー! あー!」

「鎧衣、うるさい。」

「鎧衣さん、どうしたんですか?」

「また外れた~~……僕って射的下手くそなのかなあ?」



 しかし、程なく聞こえてきた懐かしい名前に、思わず武は歩みをとめる。



「貸して鎧衣。」

「え、慧さんもやるの?」

「……お手本を見せる。」

「え、彩峰さんって射的得意だったの?」



 そこにいたのは、紛れもない……彼女たちの姿。



「……どうしたの、タケルちゃん、いきなり止まって。」

「白銀さん……。」



 武は目の前の光景が信じられずにいた。



「この銃、絶対銃身曲がってる。」



 ――彩峰慧



「……あははは!……えーっと、鎧衣さん。」



 ――珠瀬壬姫



「わわ、僕は悪くないよ! どうして僕に振るのさー?!」



 ――鎧衣美琴



 ああ、何と懐かしい……。

 武は、夏の夜の奇跡に、感謝した。







[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第七章 第四話 写真 ~One must draw the line somewhere.~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:73d44ffd
Date: 2010/09/04 09:38
 懐かしい光景に、武は思わず立ち尽くす。
"生きてそこにいる"という、ただそれだけのこと。

 しかし、武にはそれが嬉しくてたまらない。



「ねえ、タケルちゃん。 本当にどうしたの?」

「……白銀さん……。」



 純夏が不満げに声を張り上げ、霞が不思議そうに武の名を呼んだ。
タケル――その声が響いたとき、『ピクリッ』と、慧、壬姫、美琴の肩が揺れる。
そして慧がゆっくりとこちらを振り向いた。



「――っ!!」

「……?」



 武の目を、無言のままジッと見つめる慧。
武は、そんな彼女の反応を不審げに見つめた。
 


「……なにか、用?」



 慧は、抑揚の無い声でぶっきらぼうに武へと問いかける。
彼女の無表情に、わずかな困惑を見て取る武。



「いや、別に。」



「(それを聞きたいのはこっちの方だ。)」そう思いつつも、武は適当に言葉を濁した。



「彩峰っ! あなたねえ、人に買い物を頼んでおいていったい何を……。 って、あら、彩峰、どうかしたの?」



 特徴的なおさげを揺らしながら、ついに榊千鶴までもが雑踏から姿を現した。
ここであともう一人……御剣冥夜さえ居れば旧207B分隊全員集合という状況に、武は目を丸くする。

 そんな武の心情を知ってか知らずか、慧は呆然と武たちを見つめ続ける。
武もさすがに居心地が悪くなり、そろそろ声をかけようかと思った時……



「あ、ひょっとしてあの人、彩峰さんのお知り合いなんですか?」



 いち早く慧の目線の先に気が付いた壬姫が、慧に問いかけた。



「……彩峰、知り合いなの?」

「え、そうなの? 慧さん?」



 3人に問われ、慧はそっと武から視線を外す。
そして彼女は目をつむり、一呼吸を置いた後に、静かに答えた。



「ブンブン……ごめん、なんでもない。」



 言いながらも、目を細めてもう一度武の姿を見つめる慧。
武と視線が交差し、一瞬何か言いたげに口を開くも、結局そのままくるりと背を向けてしまった。



「行こ。」

「……えっ? い、良いの彩峰さん?」



 壬姫の問いには答えずに、慧はどんどんと歩を進めてしまう。
まるでこの場にこれ以上長居したくないかのようだ。
壬姫はそんな彼女の様子に困惑しているようだったが、それでもとりあえず彼女の後を追った。



「ちょ、ちょっと彩峰! 待ちなさいよ!」



 壬姫に続くようにして千鶴が彩峰の後を追いかける。



「ねえねえ。 タケル……でいいんだよね?」

「……ん?」

「あ、やっぱりそうか! それでさ、この後タケルは何か用事あるの?」



 しかし、ここにマイペースな人物が一人。
先に行く2人に気が付く様子もなく、親しげに武へと話しかける美琴。
しばらくすると先行した3人も、美琴が付いて来ないことに気が付いて歩みを止めて振り返った。



「……ちょっと待ち合わせがあるけど、まだ時間があるから……って?!」



 今、こいつは何と言った? 武は驚いて美琴の顔を凝視する。



「そっか。 ねえ、だったらボクたちと一緒に行こうよ!」

「……。」

「……あれ? どうしたの"タケル"? ボクの顔に何か付いてる?」



 ――聞き間違いではなかった。
武は驚愕のあまり、美琴を指さしたまま言葉に詰る。



「なん、なん、なん……」

「ナン? それって確かインドの食べ物の事だよね! え~っと、どんな食べ物だっけ~?」

「ちょ、ちょ、ちょ……」

「あ、そうそう! 確かカレーに"ちょ、ちょ、ちょ、"って浸して食べる食べ物だよね!」

「ちょっとまった! 何でお前がオレの名前を知ってんだ?!」



 美琴の肩をがっしりと掴み、武は吠える。



「ん~? えっと、隣の娘がタケルの名前を何度も大声で呼んでたからだけど……?」



 さらりと答える美琴、"なぜそんなことを聞かれたのか"を不思議がっているようだ。
「ああ、そう言えば純夏がさっきからずっと何か騒いでたっけ。」と、思い出す武。

 彼女の様子からして、"何かを誤魔化している"という訳でも無さそうだ。
初対面でいきなり人の名前を呼ぶというのも、おかしな話だが、彼女ならやりかねない。



「……な~んだ、驚かせるなよ"美琴"。」

「あははは、ごめんねタケル~。」



 そう言って笑い合う武と美琴。



「……なぜ、鎧衣の名前を知ってるの?」

「えっ?」



 突然『ぬっ』と武の至近距離に姿を現す慧。
武は驚いて一歩飛び退いた後、彼女の問いかけの意味について考えた。
なぜ"美琴"の名前を知ってるかってそりゃあ――そして、彼女が言わんとしたことを理解した瞬間、



「(……ヤバっ……。)」



 己の注意力散漫を悟り、武は硬直する。
誤って"初対面の人を名前で呼んでしまった。"
……それもはっきりと、である。



「そりゃあ、ほら、さっきそこの的屋で騒いでた時に……。」

「私も珠瀬も、鎧衣のことは"鎧衣"としか呼んでない。」



 武は在りし日の彼女たちが、お互いを何と呼び合っていたのかを今更思いだし、苦笑いを浮かべる。
そうだ、美琴のことを名前で呼んでいたのは、確か自分だけだった。



「(マジでヤバイな……いったい、どうする?)」



 武は誤魔化しようが無い状況に陥りながらも、必死に頭を回転させる。
1秒1秒過ぎるごとに慧の目は鋭くなり、やがて千鶴、美琴、そして壬姫までもが武の顔を不審げに見つめ始めた。
隣を見れば、恐らく純夏も此方を睨んでいることだろうと気配で察する武。
参ったな―、とポケットに手を突っ込んだその時、何か固いものが武の手に触れる。



「(……!! これは!)」



 手に触れた数珠状のナニカ……。
武は起死回生の言い訳を思いつき、心の中でほくそ笑んだ。



「あー、実を言うと美琴の親父が以前に美琴のことを話していてだな……。」

「えっ! タケルって、ボクの父さんと知り合いなの?!」

「そ、そうなんですか?」

「……ジー、怪しい。」

「私としては無闇に人を疑いたくないけど、証拠が無いと信じられないわね。」



 美琴と壬姫が驚きの声を上げる一方で、慧と千鶴は、なおさら武を胡散臭そうに睨み付ける。
彼女たちの対称的な反応も、武の予想範囲内だ。



「何おう? だったら、ほら、コレが証拠だ。」



 『バンッ!』と、慧たちに向かって、ガラス製の怪しい目玉模様の連なったナニカを突きつける武。



「……あっ! それ父さんがお土産で送ってきたのと一緒だ!」

「ふっふっふ。 そうだ! 鎧衣のオジサンから貰った謎の首飾りだ!!」



 夕呼先生から押しつけられるようにして先日渡された首飾り。
身に付けるには毒々しく、だからといって捨てると呪われるらしい。
扱いに困り、着ていた訓練校制服のポケットに入れたままにしておいた事が吉となった。
本当に捨てなくて良かった、と、己の幸運にほっと溜息をつく武。



「な、なんだか、変わった首飾りですね~。」

「確かに……変わってる、わね。」

「……遠慮しなくとも、不気味って言っても良いと思うぞ?」

「……不気味……というか、むしろ変?」



 この時間軸において、初めて4人の心が一つになった瞬間である。



「え~? そうかな~? ボクは結構良いと思うんだけどな~。」

「鎧衣、絶対にその趣味はおかしい。」

「彩峰、何も頭ごなしに否定することは無いじゃない。」

「……なら、榊はどう思うの?」

「え……私は……ちょっと変わってる?」



 何とかオブラートに包んだ言い方をしようと試みる千鶴。
慧はそんな彼女の様子を冷ややかな目で見つめる。



「……ふ~ん。」

「な、なによ、何か言いたいことがあるなら、はっきり言いなさいよ!」

「まあまあ2人とも、落ち着けって。」



 このままでは埒があかないと、武が仲裁に入る。



「で、お前達は鎧衣家以外の人間がわざわざこのチョイスをするところを想像できるのか?」

「そ、そうねえ……。」

「……無理。」

「……にゃ、にゃはははははは。」



 三者三様の反応を示すも、誰一人として反論する者は居ない。
結局、彼女たちの認識における美琴の存在もまた"変わり者"ということなのだろうか?
聞いておいてなんだが、不憫に思わないでもない武であった。



「鎧衣のおじさんと知り合いなのは分った、信用する。 でも、名前を知っている理由は別。」

「……娘の美琴がシオリを作ってどうのこうのって向こうが勝手にしゃべり出したんだよ。」



 夕呼の愚痴を思い出しながら答える武。



「鎧衣、どう思う?」

「うん、父さんなら十分あり得ると思うよ……。」



 微妙に苦笑いをしながら答える美琴。
「この親にしてこの子あり。」とはよく言ったもので、特に目の前にいる彼女に関して言えば顕著だ。
間違いなく親の血を受け継いでいると誰もが確信できるだろう。



「鎧衣さん、シオリを作ってるんですか? 本に挟む?」

「うん、この前四つ葉のクローバーをたくさん見つけたから、押し花風のシオリにしてみたんだ~。」

「へえ~、そうなんですか。」



 壬姫が感心した様子で美琴の話を聞いている。
やはり女の子は占いとか、ラッキーアイテムの類が好きなのだろうかと考える武。



「で、納得してくれたか?」

「……いろいろ納得がいかない。 だから、保留。」

「私もこればかりは彩峰に同感ね。 貴方の説明、なんだか胡散臭いわ。」



 慧は武への疑いの視線を隠そうともせずに言い放った。



「ま、今はそれで十分だ。 ……って、なんだよ?」



 突然、背中をつつかれ、苛立ったような声を出す武。



「……ね~ね~タケルちゃん、ひょっとして、私たちのこと忘れてな~い~?」

「白銀さん。」



 純夏と霞のジトーっとした目線が背中に刺さり、武は冷や汗を流す。
まずい、会話に夢中ですっかり2人のことを忘れていた。



「そ、そんなことねえぞ!」

「本当かな~。」 「本当ですか?」 「嘘。」 「嘘ね。」 「嘘です。」 「嘘つき!」



 美琴、壬姫、慧、千鶴、霞、そして純夏が総ツッコミを武に入れる。
なぜこんなにもまあ、息が合っているのだろうか。



「白銀、無様。」

「……ほっといてくれ。」



 武は目尻から熱いナニカが零れ落ちそうになるのを、必死にこらえた。



「――あ、そうだ! とりあえず皆さん、お互いに自己紹介をしませんか?」



 壬姫が注目を集めるためだろう、小さい背を補うようにぐっと背を伸ばして言った。
地球上のあらゆる法則に喧嘩を売ったような、ピンク色の髪が武の目の前で揺れる。



「そうだね~、じゃあまずボクから。 ボクの名前は鎧衣美琴。 鎧衣でも美琴でも好きな方で呼んで!」



 「あ、でもタケルは美琴って呼んでくれると嬉しいかな~。」美琴は付け足した。



「それじゃあ、次は私。 私の名前は鑑純夏。 みんなからは姓で呼ばれることが多いかな?」



 続いて純夏が名前を述べる。



「……彩峰慧、よろしく。」



 簡単に自己紹介を済ませる慧。



「はじめまして。 私は柊中等学校3年生の榊千鶴よ。 3人とも、よろしく。」



 千鶴は少し堅い感じの自己紹介を済ませた。



「珠瀬壬姫です! 彩峰さん、榊さんとは柊中等学校の同級生です。 よろしくおねがいします!」



 元気いっぱいに壬姫が無難な挨拶をした。

 彼女が自己紹介を済ませたところで、一瞬の空白が出来る。
霞が上目遣いに武の様子をうかがい、武はそれに対して優しく頷いた。



「……社霞です。 よろしくお願いします。」



 ぺこりと律儀にお辞儀する霞に対し、壬姫が「よろしくね、社さん!」と返事をした。



「え~っと、オレで最後かな? オレは白銀武――」



 いったん言葉を切り、目の前の3人に視線を走らせる武。



「"美琴"、"彩峰"、"たま"、そして委員長――オレはお前達をそう呼ばせて貰うことにする!」

「うん、良いよ~。」

「……好きにすれば。」

「何だか私、ねこみたいですねー。」

「なっ! なんで私だけ"委員長"なのよ!」



 どこかで聞いたような返事をする面々。
やはり、どこの世界でも彼らは彼らなのだと武は痛感した。



「そんなの、委員長が委員長っぽいからに決まってるだろ?」

「……無茶苦茶だわ。」

「どんまい、"委員長"。」

「あ、彩峰~っ!!」



 仲が良いのか悪いのか、再び問答を始める千鶴と慧。



「オレの名前を呼ぶときは、美琴は"タケル"、彩峰と委員長は"白銀"か"タケル"、たまは"たけるさん"って呼んでくれ!」

「たけるさん……ですか? なんだかちょっと恥ずかしいかも。」

「私は……今度は普通ね。」

「個々に呼び方まで指定するなんて、白銀は変。」

「タケルって変わってるね~。」



 「("初対面"の時に呼び方を一方的に指定してきたお前にだけは言われたくないぞ、美琴。)」
内心そう思いつつも、武はぐっとこらえる。



「ところで、彩峰とたま、委員長が同級生なのは分ったけど、美琴はどうなんだ?」

「あ、僕は柊町に父さんの都合で着ただけなんだ。 住んでるところはずっと遠くだよ。」

「……へ?」



 じゃあ、なぜこの2人とこんなにも打ち解けているのだろう? 特に考える必要もなく、結論は導き出せた。
美琴はかなり人懐っこい性格をしている……だから、表面上は溶け込んでいるように見えたに違いない。
そう言えば、"尊人"も高校2年の時に出会う前は、どこか別の場所に住んでいると言っていただろうか?



「壬姫さん、慧さんとはココのお祭りで知りあったんだ~。」

「美琴から声をかけたのか?」

「ううん、一人でぶらぶらしてたら、慧さんから誘ってくれたんだよ。」



 意外な人物の名前が出てきて、武は思わず「彩峰が……?」と聞き返してしまう。



「私から誘ったらダメ?」

「い、いや、別にそう言う訳じゃあねえけど……。」

「うん、でも私も彩峰さんの方から鎧衣さんに声をかけた時にはビックリしたな~。」



 武の質問に、壬姫が便乗した。
「……どして?」と、慧が不思議そうに壬姫へと訪ねる。




「だって彩峰さん、なんだかこの前の冬ぐらいから、誰も寄せ付けないような雰囲気だったから……。」

「――気のせい気のせい。」



 そう言いながら手を前にかざしてゆっくり首を振る慧。
胡散臭いことこの上ない……恐らく、誤魔化しているのだろう。
なにせ彼女の父親は……。



「そう言えば、鎧衣はあとどのくらい柊町にいるの?」



 話をそらすかのように、さりげなく慧は美琴に話題を振った。



「1~2日ぐらいかな~? 父さんの都合次第だよ。」

「ええ、そうなんですか?! せっかくお友達になれたのに……。」



 壬姫がションボリとした様子で呟く。



「うん、僕も寂しいよ。……そうだ! まだ夏休みも何日か残ってるし、みんな家に遊びに来ない?」

「え?! でも、鎧衣さんの済んでるところは遠いんでしょ?」

「大丈夫だよ! 遠いと言っても僕の家は"京都"市内だから、交通の便だけは良いんだ!」



 美琴は勢いのあまり、前のめりになって宣言した。
しかし、話の要点がずれているような気がしてならない。



「壬姫さんに慧さん、千鶴さん、霞さん、それに純夏さんとタケルもか~。 部屋は足りるかな~?」



 美琴の脳内ではいつの間にか決定事項、しかも泊まり前提になってしまっているようだ。
ニコニコとした顔でそんな独り言を口走っている。

 しかし、武には彼女の大呆けを諭している余裕など無かった。
――京都――彼女の口から飛び出してきた言葉。
武の全身から血の気が引いた。



「きょ、京都だって?!」



 我を取り戻し、美琴に詰め寄る武。



「う、うん……そうだけど、どうかしたの、タケル?」



 説明を求められたところで、本当のことを言う訳にはいかない。
武は言葉に詰ってしまった。



「えっと、それは……。」



 おかしなところで言葉に詰った武。
慧は訝しげに彼を睨み、千鶴もまた不審げにめがねを光らせている。
BETAの事で頭がいっぱいになり、簡単な言い訳の一つも出てこない武。
パニック寸前の頭で、どうしたものかと視線を彷徨わせた。



「そうだな、京都よりもこっちが気に入ったなら、なるべく早く引っ越した方が……。」



 ふと、硬直した霞の姿が目に入り、武は目の動きを止める。
霞は己の話など興味の範疇外だったらしい、ただとある一点を見つめて、目を大きく見開いていた。
彼女の視線の先を追うと、その先には――



「ふむ、"京都"がどうかしたのかね? シロガネタケルくん?」

「……っ!!」



 今、遭いたくない人物、武脳内ランキング堂々のワースト1位、鎧衣のオジサンこと鎧衣左近その人が居た。
パナマ帽を深く被っているため、彼の表情は武の位置から読み取れない。
なぜ彼が? よりによってこのタイミングで? それ以前に……ひょっとして聞かれた?
困惑のあまり、ついに武の思考回路は限界を突破した。



「……知り合いっていうのは本当だったのね。」

「榊、まだ疑ってたんだ。」

「何よ、悪い?」



 千鶴と慧の問答も今イチ頭に入ってこない。



「あ、父さん! 仕事は良いの?」

「仕事……仕事か。 ああ、もちろん良好だとも。 いや、予想以上の収穫と言うべきか……。」

「……鎧衣のおじさん、美琴は『どうだったか?』じゃなくて『終わったのか?』って聞いたんですよ。」

「ん? おお、そうだったか。 そうだな、仕事は終わったとも言えるし、まだ終わってないとも言える。」



 もはや開き直った武のツッコミに、曖昧な返事をする鎧衣課長。



「そんなことより……ふむ、ちゃんと身につけているようだな、白銀武。 関心だ。」



 武がトンボ玉の首飾りを持っていることに気が付き、顔をほころばせる鎧衣課長。



「トンボ玉は、古代エジプトを起源としていることを知っているかね? 古代エジプトでは目玉模様に魔除けの意味が――」

「あー、蘊蓄は良いですって。」



 長くなると直感で感じ、武はすぐさま話を打ち切りにかかるも、しかし、鎧衣課長の知ったところではなかった。
彼はひたすらマイペースに、彼の知る蘊蓄を放流し続ける。



「と、いったように、古代ガラスはよく宝石の代用品として用いられていた。 かの有名な黄金のマスクにも――」

「父さん、そんなこと誰も聞いてないよ~。」

「……話、長すぎ。」

「ん? つい夢中になってしまったようだな、申し訳ない。」



 美琴と慧のツッコミに、帽子を正しながら鎧衣課長が答える。
と、慧の姿を見つけて彼は瞳をワザトらしく見開いた。



「……これはこれは、誰かと思えば彩峰殿のご息女では?」


 
 端から見てもあからさまな様子で驚く鎧衣課長。
慧はそんな彼の様子に、スッと目を鋭くとがらせた。



「……なにか?」

「まあそう鋭く睨まんでくれ。 ふむ、今日はどうやら幸運と同程度に女難の相もあるようだ。」



 「つい先程も麗しの奥方にしかられてしまったよ――」また自分の世界に戻っていこうとする鎧衣課長。



「誤魔化さないで。」



 しかし、とぼけようとする鎧衣課長を慧は許さなかった。
低い声色には、あからさまな怒気が混ざっている。



「父のこと? それとも……私?」

「……さてはて何の事やら、私はただ偶然、娘の姿を見つけて立ち寄っただけなのだが。」



 尚もとぼける鎧衣課長に、慧の視線がますます鋭くなる。



「え~っと、み、みなさん! 仲良くしましょうよ!」

「そうだよ父さん! 訳の分らないこと言って慧さんを困らせないで!」

「いったい彼女がどうしたんですか? 興味半分の詮索は止めてください!」



 険悪な雰囲気に壬姫が仲裁に入り、美琴は珍しく声を荒げ、千鶴は太い眉をつり上げた。
千鶴が慧を庇う場面など想像したことも無かった武は、思わず「ほぉ。」と、関心の声を漏らす。



「おやおや、どうやらいささか不躾だったようだな。 すまない、彩峰くん。」



 曖昧な笑みを浮かべながら反省の言葉を述べる鎧衣課長。



「ふむ、私はそろそろ失礼するとしよう。 ……美琴、あまり遅くならないうちに宿へ帰るんだぞ。」



 美琴の返事を聞くまでもなく、鎧衣課長は歩き出す。
しかし一瞬後、何か思い出したかのようにこちらを振り返った――『ギクっ』として、思わず一歩後ずさる武。
嫌な予感は的中するモノで、案の定、彼は武へと真っ直ぐに近寄っていった。



「ああ、忘れるところだった。 白銀武くん、この後、時間はあるだろうか? なに、少し話がしたくてね。」



 鎧衣課長の問いかけに、「(何と答えたものか。)」と、武は悩んだ。
彼の意図が読めない、が……彼の口ぶりからして、何かしらの尻尾を捕まれたことは間違いないだろう。
それが自分にとって致命的な物なのかどうかは分らない。
また、バレてどうにかなるほどやましいことをした覚えは無い。

 一方で、ココで鎧衣課長と関係を持っておけば、という打算が武の中で働いた。
夏のBETA上陸による中国地方以西の被害を最小限に抑えるには、彼の協力が不可欠かも知れない。
ひょっとすれば、3000万からなる人の命を救える可能性も、いやそれどころか歴史を変えることさえ可能?

 しかし、だからといって安易に返事をしてしまって良いのだろうか?
第一、彼は100%信頼に値する人物か? ――答えは否。
彼は己の目的のため、クーデター部隊や米国すらも利用した男……油断ならない。



「オレとしては望むところですが、夕呼先生に許可を取ってから、基地の敷地内でヨロシクお願いします。」

「ふむ、意外と"堅実"だな……それもまた良し。 何はともあれ、白銀武、鑑純夏、2人とも訓練校卒業オメデトウ。」



 「これは、私からの卒業祝いだ。」と言って、手のひらサイズの紙袋を武に押しつける鎧衣課長。
受け取りを拒否する時間も与えずに、トレンチコートをなびかせながら彼はこの場を去ってしまった。



「……鎧衣さんのお父さんって、嵐みたいな人だったね。」



 鎧衣課長の後ろ姿が完全に人混みに消えた後、純夏が呆然と呟く。



「う、うーん。 ごめんね、みんな。 ときどき父さんって、ボクでも訳の分らないようなことを言うんだ。」



 申し訳なさそうに述べる美琴。



「鎧衣は別に悪くない。」

「うん、私も鎧衣さんは何も悪くないと思う。 それに、オジサンも別に悪気があった訳じゃ無いと思うし。」

「そうね、鎧衣は何も悪く思う必要は無いと思うわよ。」

「わ、私も別に鎧衣さんを責めるつもりで言った訳じゃ……。」



 慧、壬姫、千鶴、純夏が慌てて美琴を慰めた。



「……みんなありがとう、でも……本当にゴメン。」



 彼女にしては珍しく、ペコリと頭を下げて謝る美琴。



「あーもう、みんな良いって言ってるんだから良いだろ? ほら、いつまでも悄げた顔してるなよ!」

「白銀、態度が偉そう。 でも言ってる事には賛成。」

「……(コク)そうです、鎧衣さんは悪くありません。」

「……ありがとう、タケル! みんな!」



 ニコリといつもの元気な笑みを浮かべる美琴に、武達もまた笑みを取り戻した。



「え~っと、何の話だったっけな。 あ、そうそう、京都の話だったな。」

「うん! それで、タケルはいつが都合良い?」

「あ~、その事なんだが……。」

「白銀は無理だよ。」



 武が言いよどんでいると、慧が代わりに返事をした。



「え? どうして?」

「鎧衣、さっきオジサンが言ってたこと、聞いてなかった?」

「ええっと……父さん何か言ってたっけ?」



 慧の問いかけに、首をひねる美琴。



「……確か彼、"訓練校卒業おめでとう"って言っていたような気が……まさか、あ、あなた達、ひょっとして……!」



 千鶴が美琴に先んじて気が付き、武と純夏を凝視した。
壬姫も続いて気が付いたようで、口に手を当て叫んだ。



「た……たけるさん達って、もしかして、そこにある白陵衛士訓練校の?!」

「う、うん……そうだよ。」

「ま、きのう卒業したばかりだけどな。」



 千鶴と壬姫の問いに、2人は首を縦に振った。



「……驚いた。 確かにどこかで見た制服だとは思ったけど、まさか白陵のだったなんて。」

「タケル、それって本当なの?! ってことは衛士ってことだよね? スゴイや!」

「にゃあああ……まさか衛士の方と知り合いになれるなんて!」



 驚きと賞賛の声を上げる3人。
しかし、慧だけはどこか浮かない顔をしている。



「……あれ、彩峰さん、どうしたの?」

「なんでも……ただ、白銀みたいなお調子者でも衛士にはなれるのかって思ったら……。」



 「ふう、」っとこれ見よがしに溜息をつく慧。



「……サラッと酷いこと言うなよ。」

「そうかな? タケルちゃんなら言われても当然だと思うよ。」



 純夏が冷静に突っ込んだ。
刹那、『スッッッパーーーンッ!』と、久しぶりの音色が辺りに木霊する。



「イッターーーーーー!!」

「純夏、口は災いの元って言葉、知ってるか?」



 武は便所スリッパを握ったまま額に青筋を浮かべて問いかける。



「にゃあ! たけるさん、暴力はダメですよ!」

「タケル、今のはひどいよ~!」

「ちょっと白銀! あなた女の子を叩くなんて、何を考えてるの?!」

「白銀、鬼畜。」

「うぐっ……。」



 全員から非難され、呻く武。



「た~け~る~ちゃ~ん? 今の、本気で痛かったんだけど~?」



 結局こういう役回りなのか。
涙目でブンブンと素振りをする純夏を傍目で見ながら、武は己の運命を呪った。
人、これを自業自得と言う。







「武達、遅いわね~。」



 1本木の丘で、木にもたれかけながら水月が愚痴る。



「あ、見て孝之くん! 今流れ星が!」

「ああ、見えたけど……なんだか人の形に見えたのは気のせいだよな?」



 2人並んで町の方を見ていた遙と孝之が夜空を指さして呟いた。



「どうでも良いけど、まだ武達は来ないの~? 待ちくたびれたんだけど。」

「そうは言っても仕方がないだろ。 まだ約束の時間まで15分近くもあるんだから。」

「むうう、それはそうなんだけど~。」



 慎二に諭されても、なお不服そうに水月は足を揺らした。



「はあ、こんなことなら約束を1時間早めるべきだったわね~。」



 肩を落として溜息をつく水月。



「そういや、なんで祭りを一番楽しみにしていたお前が一番先にココにいたんだよ?」

「……それは……孝之にだって、わかるでしょ?」



 水月の問いかけに、孝之は渋い顔をして答えた。



「何となく街の雰囲気が落ち着かなかったってことか。」

「ま、そんなところよ。 遙は?」



 水月が首だけを回して問いかける。



「……私は……妹と会ったんだけど……喧嘩しちゃった。 茜の目が、眩しすぎて……。」



 後半になるにつれ、少しずつ声のトーンを落とすようにして答える遙。



「結局、みんな感じたところは一緒って事か。」

「割り切れないわよね……まるで浦島太郎にでもなった気分。」



 水月の発言に、孝之、遙、慎二の3人は頷いた。



「まあ、半年もずっと基地に缶詰だったんだから、しょうがないんじゃないか?」

「孝之の言うとおりだ。 慣れればきっと、また街に出られるようになるさ。」

「……2人の言うとおりなら良いんだけど。」


 
 水月は今ひとつ浮かない顔で頷いた。
 


 閃光――ついで衝撃、空を鮮やかな火が彩り、大輪の花をいくつも咲かせる。



「あちゃあ……もう花火始まっちゃったわね。」



 ―ドーン、ドーン、ドーン



 花火の腸を揺らすような振動がビリビリと3人の体を揺らす。
この丘が、柊町で最も花火が綺麗に見えるポイントだという事実はあまり知られていない。



「……うーん、やっぱり綺麗よね~。」



 何となく呟いた言葉の内容に、水月は破顔した。
夏の風物詩である花火……それを美しいと思える心が、まだ残っていたことに安堵したのだ。
もしも、花火を見ても何も感じなかったら、それこそ本当にどうしようかと内心ヒヤヒヤしていたのである。



「……もうそろそろかな。」



 時計を見ながら呟く慎二。
すると、遠くから馴染みの声が聞こえてきた。



「おーい! わりい、ちょっと遅くなっちまったか?」



 武が霞を背負って丘に登って来る。
どうやら、運動不足の霞には丘登りすら少々厳しかったらしい、武の背中でぐったりとしている。



「いや、時間ピッタリだ。 どうだ、祭りは楽しめたか?」

「……ああ、ボチボチってところだな。」



 霞を背負ったまま、慎二に返事をする武。



「そう言うわりには時間ぎりぎりまで楽しんでたみたいだけ……ど……。」



 憎まれ口を叩こうとして、水月は絶句した。
純夏の後にぞろぞろ続いてくる人影……。
水月は目を点のようにして立ち尽くす。



「……えっと、どなた?」



 武に問いかける水月。



「ああ、オレの友達です。」

「と、ともだちね、なるほど。」



 言いながら水月は彼女らをガン見する。



「初めまして、ボクは鎧衣美琴って言います!」

「珠瀬壬姫です、よ、よろしくお願いします!」

「彩峰慧……よろしく。」

「は、初めまして……榊千鶴です、どうぞ、よろしくおねがいします。」



 先輩相手だからだろうか? どこか緊張した面持ちで挨拶をする3人。
それぞれ性質こそ異なれど――水月視点では――"美"少女だ。



「あ、う、うん。 私は速瀬水月よろしく。」

「こんばんわ、私は涼宮遙、よろしくね。」

「鳴海孝之だ、よろしく。」

「初めまして、平慎二だ。」



 そう言って、握手をしたり頷き会ったりする面々。
各々が一通り自己紹介を終えたところで、クルリと水月が武の方を振り向いた。



「……で、ひょっとしなくても全員女の子……よね?」

「え、あ、はい。 そうですけど?」



 武が不思議そうに頷く。



「ふ~ん、へ~、そういうこと……。」



 笑いながら肩をグルグルと回す水月。
顔に影が差しており、表情が窺い知れない。
 


「私が、今か今かとずーーーーーっとアンタを待っている間、アンタは他の女の子達とヨロシクやっていた、と……。」

「あ、えっと……速瀬……さん?」



 第六感で生命の危機を感じ、咄嗟に霞を背中から下ろす武。



「(霞、逃げろ!!)」

「(フルフル)」



 思考で逃げるように伝えるも、霞は首を横に振って離れない。



「(オレのことは構うな、大丈夫だから! それより自分のことを心配しろ!)」

「(……)」

「(ほら、早く行け!)」

「(……コクリ)」



 後ろ髪を引かれるようにしながらも、とうとう頷く霞。
彼女が純夏の背後にちゃんと待避したのを確認し、武はいよいよ覚悟を決めた。



「武、覚悟は良いわね?」



 実にイイ笑顔を浮かべる水月。
――目が死んでいる――と、武は顔を引きつらせる。



「(厄日だ……。)」



 ゼロレンジスナイプが迫る中、武はもはや一切の抵抗を諦めた。



 ――ズンッ



 どうやら1つ目の見せ場に入ったようで、花火が20発同時に打ち上げられ、空一面を色とりどりの炎が彩った。
照らし出された世界は余りに美しく、この世のモノとは思えない――

 そんな中、夜空を切り裂くようにして柊町上空をナニカが過ぎ去った。



「ねえ、孝之君……ひょっとしてさっきの流れ星って……。」

「遙、それ以上は言ってやるな……。」



 花火の彩る空に舞う1条の流れ星。
白銀武は、本日2回目の無動力飛行の旅に出た。







 花火もいよいよ佳境を迎えたようだ、先にも激しさを増して打ち上げられる花火。
雲のようにたなびく爆発煙を7色に照らすその様は、思わず孝之の口から感嘆の溜息が漏れるほど見事だった。



「……ねえ、孝之くん。」



 隣りに立っていた遙が、孝之の耳元でポツリと呟く。



「ん? どうしたんだ遙?」

「やっぱり私、茜を連れて来てあげるべきだったかな……?」



 花火を見ていて何か思うことがあったらしい、彼女の表情には影が差していた。
孝之は困惑した様子で彼女の名を呼ぶ。



「……遙?」

「私、あの子に冷たい態度取っちゃったから……嫌われてなければ良いんだけど。」



 遙はそう言って目を伏せ、唇を軽く噛んだ。



「……大丈夫、茜ちゃんだって、わかってるハズさ。」

「そうかな?」

「ああ、そうとも。 オレが保証する。 ……だから、心配すんなよ。」



 笑顔を浮かべて遙を諭す孝之。



「今、遙は気が立っているだけ、いずれ慣れる。 そしたら、今度は2人で遙の家に挨拶に行こう、な?」

「孝之君……。」



 見つめ合う2人、距離は限りなく0に近づいて行き……。



「甘~い雰囲気なトコロ、大・変・申し訳ないんだけど、写真撮ることになったからちょっと来てくれない?」



 2人の肩をガシッと掴み、顔を2人の間に割り込ませる水月。



「な、速瀬っ!」 「わっ! 水月?!」

「ほら、イチャイチャしてないでサッサと並ぶ!」



 水月はもう一度『ポンッ』と2人の肩を叩くと、「TPOは大切よ?」と言いながら歩いて行った。



「全く速瀬の奴……空気読めよな。」

「孝之君、こんなところで、その……イチャイチャした、私たちも悪いん、だし……。」



 そう言って顔を真っ赤にする遙に釣られて孝之も赤くなる。



「あ、も、もう並ばないとね。」

「お、おう。」



 孝之はぎこちなく返事をしながら、遙を追いかけた。

 武は歩いて来る2人の様子を見て、「目に毒だ。」と、思いながらもニヤニヤを隠せない。
孝之の肩をすれ違いざまに軽く拳で小突き、振り向いた孝之に向かってニヤリと笑ってみせた。



「えーっと、みんな~! なるべく真ん中に集まって~!」



 美琴がインスタントカメラを覗きながら、全員に指示を飛ばす。
持っていたインスタントカメラでもって、卒業の記念写真を撮ろうというのだ。



「……あの、す、すみません!」

「あら、どうしたの珠瀬?」



 遠慮がちに声をかけてきた壬姫に、水月が反応した。



「あの……本当に私たちも写っちゃって良いんですか?」

「え? 何で悪いの?」

「だってこれ、卒業の記念撮影なんですよね? なのに関係ない私たちが入っても良いのかなって……。」



 壬姫が申し訳なさそうに言うのに対し、水月は目を丸くして返事した。



「別に良いに決まってるじゃない。 未来の後輩との記念撮影……結構乙なものだと私は思うけど?」

「で、でも……。」

「珠瀬は気にしすぎ。」

「……貴方は、もうちょっと気にすべきじゃないかしら、彩峰?」



 千鶴に注意されるも、慧はどこ吹く風といった様子だ。



「でも、タケル達が良いって言ってるんだから、良いんじゃないかな~?」

「そ、それはそうだけど……。」



 さらに美琴の援護射撃も加わり、千鶴は声をトーンダウンさせていく。



「そんなに心配しなくても大丈夫だよ! ねえ、鳴海くん、涼宮さん?」



 純夏が孝之達の方を向いて呼びかける。



「ああ、オレは全く気にしないぞ。 遙もだよな?」

「うん、私もそういうのは気にしないよ。」

「と、いうことだ。 オレ達が気にしてないんだから、問題ないだろ?」



 孝之の言葉に、千鶴もようやく納得がいったようだ。
恥ずかしげに笑みを浮かべて、「は、はい……。」と答えた。



「で、それよりどうしてオレが前なんだ?」



 壬姫、霞が先頭なのは当たり前だし、美琴、ぎりぎり純夏までは分る。
だがなぜ己なのだろうか? と、武は頭をかしげた。



「まあ、いいじゃない。 それが一番収まりが良いんだし。」

「そうだよ武ちゃん、気にしたら負けだよ。」

「……(こくこく)」



 女性陣の説得で、武は渋々頷く。



「え~っと……タケルはもうちょっと屈んで! 純夏さんはもうちょっと右! 他のみんなは動かないで!」


「……こうか?」


「うん、大丈夫! それじゃあタイマーをセットして……と。」



 『カチリッ』とカメラのタイマーボタンを押す美琴。
ちゃっかりと、武の隣に滑り込むようにして入った。



「3...2...1...!」



 『パシャリッ』と、フラッシュが炊かれたと同時に夜空にひときわ大きな花火が花開く。
一瞬遅れて体を揺さぶるような鈍い轟音が体を貫き、目を白黒とさせる一同。



「っと、どうなったかな?」



 『ジーッ……』という音と共に吐き出される1枚の写真を真っ先に覗き込む慎二。



「へえ……良く取れてるじゃん。」

「どう? 私にも見せてよ。 ……すっごく、良くとれてるじゃない! これは早速焼き増ししないとね~。」



 慎二と水月が嬉しそうに写真の出来を賞賛する。



「なにない、ちょっとオレにも見せてくれよ。 お、確かに良く取れてるな。」

「孝之君、私にも見せて? ……わあ! とってもキレイに撮れてるね!」

「涼宮先輩、見せて。 ……うん、イイネ。」

「ちょっと彩峰、私たちにも見せなさいよ。」

「どうしようかな。」

「あ~や~み~ね~?!」

「まあまあ榊さん……って、わわ! 本当に良く撮れてる!」

「え? 私にも見せてください鑑さん! ……うわー、本当にキレイに撮れてる。」

「ほんとだ、とっても綺麗に写ってる! う~ん、みんな良く静止していられたね~。」

「どれどれ、オレにも見せてくれよ。」


 姦しく騒ぎながら写真を取合う一同。
武は頃合いを見計らってヒョイと写真を取り上げた。
そこには、確かに言うほどのモノが写っていた。

 バックには空に花開いた一輪の大花と、フラッシュに照らされた伝説の木。
写真の中心には笑顔で肩を組む水月と、驚いた表情の遙がおり、それを優しげな表情で見守る慎二と孝之が後方に写る。
彼女たちの左右には、澄ました表情で写る慧と千鶴が、そして2人の手前には、美琴と壬姫が無邪気な笑顔を浮かべている。
そして最前列中央にはポケッとした表情の霞が立ち、直ぐ背中に、武の腕を取り弾けんばかりの笑顔を浮かべた純夏の姿。
そして、彼女の隣には、恥ずかしげに苦笑を浮かべた武が佇んでいた。



「……あーほら、コレで霞にも思い出、出来ただろ?」



 恥ずかし紛れに霞へと写真を差し出す武。



「……(コクリ)、はい。」



 そう言って、胸に写真を掻き抱いて、眩しいほどの微笑を浮かべる霞。
それを間近で見た武達は、騒ぐことも忘れて、つられるように微笑を浮かべた。



 轟音と共に、花火大会を締めくくる大輪の花が夜空に散る。
ひょっとすると、その音は夏祭りの終わりではなく、何かの始まりを告げる合図だったのかも知れない。













「ん? これは……。」

「どうしたんだ? 孝之。」



 騒動が一段落した後、そろそろお開きかと言う時に、写真を片手に固まっている孝之を見つけ、武は声をかけた。



「あ、いや、ほら武。 ここんところに"緑色の髪"が見えないか?」

「ん? どこだよ……。」

「ほら、この木の陰。」



 言われて見てみれば、確かに木陰に、周囲とは明らかに異質な緑色のナニカが写っているように見える。



「……どうせ葉っぱか何かだって。」

「そうかな……?」

「ほら、人間の目って、不自然なモノを見るとなんでも怪しく見えるって良く言うだろ?」

「だ、だよな! いや、ごめんよ騒がせて……。」



 刹那、背後から視線を感じ、後ろを振り返る孝之。



「……どうしたんだ?」

「い、いや……なんでもない。」



 そう言って遙の元へと急ぐ孝之、武もそれに続いた。
ふと、武は孝之の見ていた方向をなんとなく眺めてみる。
刹那、藪がガサリと揺れ、黒い影が通り過ぎた……ような気がした。



「き……気のせいだよな? いや、それとも護衛の人か? そ、そうだよな、はははは……は。」



 武は孝之と顔を見合わせると、皆の集まっている方向へと、足早に戻っていった。



[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第七章 第五話 戦友 ~Too much curiosity lost Paradise~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:73d44ffd
Date: 2010/09/19 07:14


 夏祭りの夜から数えて数日は、文字通り"瞬く間"に過ぎていった。

 本格的に開始された部隊内訓練は、対BETA戦・対戦術機戦を主眼に入れた"衛士"としての物だった。
訓練校が基礎的な"戦う術"を身につける場だとすれば、部隊はより本格的な"戦術"を学ぶ場と言えるだろう。

 訓練機の出力が下げられていることを象徴するように、訓練校での内容は訓練兵向けに調整されている。
一方、部隊配属後の訓練は、"実戦"を念頭に入れた、より過酷なものであり、要求される技術も相応のモノだ。
恐らくコレは、A01の『オルタネイティヴ計画直属・即応部隊』という特殊な位置づけのせいでもあるのだろう。
他の訓練兵に比べれば扱かれていたものの、それでも孝之らはその生活に慣れるまでに数日が必要だったようだ。
武も1度経験しているとはいえ、内容的にここまで充実した訓練を受けたことは初めてだったので、学ぶべきことは多い。
ちなみに、武と孝之は突撃前衛に、慎二は強襲掃討に配置されることが前の演習結果で決定している。

 ともあれ、慣れてしまえば訓練校生活よりも軍隊生活は時間的に余裕があるため、楽になったと言えるかも知れない。
問題があるとすれば、大隊ごとに1日のカリキュラムが異なるため、なかなか同期全員集合とはいかないところだろうか?
それでも夕方には任務から解放されるため、会える時間が全く無いというわけではない。

 それも横浜基地が後方の基地で、しかもBETAの脅威が未だ本土決戦が始まっていないからだろうことは、武にも解っていた。
外国の最前線の基地では、兵士が連続80時間以上にも及ぶ出動を行なっている末期的な戦域もあると聞いている。
そして、恐らく自分たちも遠からず彼らと同じような境遇に立たされるのだろうと言うことを、武は薄々感じていた。



 さて、訓練自体はほぼ何の滞りもなく行なわれていたのだが、別のところで1つ問題が発生していた。
基地に配備されている不知火の稼働率が、一時的に著しく減少してしまったのである。

 事の発端は光州作戦時にA01隊の不知火がほぼ全機スクラップ寸前状態にまで追い込まれたことにある。
間接部の制御システムを旧OSからの流用で済ましたまま実戦導入した結果、想定以上に機体へダメージが蓄積したのだ。
事前の試験では、戦術機としての性能を越える過剰な運用をしていなかったためこのようなバグは起きなかった。
しかし、BETAの奇襲という"異常な状況下"で"極限運用"した際のデータが不足していたがために、問題が発生したのだ。
まさかOSではなく、制御システムに限界があろうとは、まさしく盲点だったとは夕呼談である。
それも無理はないだろう、なにせ、彼女は量子物理学者であって戦術機の専門家ではないのだから。

 教訓を生かし、香月夕呼はすぐさま"開発衛士"である武の戦闘データを参考に、制御システムを再構築した。
内部処理は複雑化したが、全力運動下で間接部への負担を最大1/10にカットできるよう調節することに成功したという。
複雑化した制御システムは既存の物では動かないが、夕呼製CPUをもってすれば、容易にカバーできる範囲内に収まったようだ。
加えて戦闘データが蓄積してきたことにより、もはや新OSの性能は、2月前と比較にならないほど上昇している。
しかし、OSがいかに進歩しようとて、それを乗せる不知火が万全の状態でなければどうしようもない。



「まったく、どうするつもりなんだろうなあ、夕呼先生は。」

「……また不知火のことか? 一応オレ達が乗る分はあるんだし、気にしたってしょうがないじゃないか。」



 思わず漏れた武の呟きに、慎二が箸を止めて答える。



「確かにそうかもしれないけど、間接の電磁伸縮炭素帯が肉離れ状態で、オーバーホールが完了するまで1週間はかかるって話だ。」



 一度その経験がある物だから、武は心底うんざりした口調で答えた。



「中破した機体で出撃なんてしてみろ、片道切符になりかねねえんだぞ?」

「……それは勘弁して欲しいな。」



いやに真実みのある武の言葉に、慎二は妙に共感してしまう。



「まあ、なんだ。 成るようになると信じようぜ。」

「……お前が言うと妙に説得力があるな、孝之。」



 慎二はそう言って孝之をちゃかす。



「なんだよ、ひょっとして梅雨の時期のことじゃないだろうな?」

「さあな。」



 言いながらも慎二の口がニヤリと笑っている様子からすると、まさしくその通りらしい。



「……どうせ"割れ鍋に綴じ蓋"とでも言いたいんだろ? あん?」

「いや、別にそこまでは言わないよ。」

「口で言って無くても、顔に書いてあるって。」



 ジト目で睨む孝之に、慎二は笑み引きつらせた。
向かい合う二人の食事は、完全に止まってしまっている。
しかし、どうやら険悪なムードが原因で……という訳でもないらしい。
武はその理由をだが、何となく解っていた。

 ――飯が不味いのである。

 実は先日から、緊急時に備えての食料の備蓄が始まり、合成食材がより多く食卓に並ぶようになったのだ。
消化に良い合成食材は、衛士の食料としては最高だが、とにかく味が……非常に不味い。
箸の進みが自然と遅くなったとしても、頭ごなしに責めるわけには行かないだろう。



「合成食材は確かに美味くはねえけど、早めに慣れた方が良いぞ。 今後ずっとコレになる可能性だって有るんだからな。」

「そう言う武は……ってお前、もう完食したのかよ。 良くこんな不味いのが食えたな!」

「贅沢を言うなって、巷の一般市民の食事はもっと貧相で不味いって噂だぞ。」



 慣れている、と言うことも出来ず、武は曖昧に言葉を濁した。
もちろん、京塚のおばちゃんが作った物ですらないので味は最低だったが、食えないほどではない。
なにより武は、今後そんな贅沢を言えない境遇になるであろうことを、この場にいる誰よりもよく分っていた。



「なるほど、祭りの時は出血大サービスだった訳か。 そりゃあ盛り上がるはずだ。」

「ほらほら、喋ってないでサッサと食えって!」



 時計を見て、休憩時間も後半に差し掛かっていることに気がつき孝之を窘める武。



「良い衛士の条件は食べるときによく食べ、寝るときには良く寝られることだって先任が言ってただろ。」

「あーもう、わかったって。 ちゃんと食うからせかすなよ。」



 孝之は文句を言いながらも、合成味噌汁で白米を喉に流し込む。



「……なあ、武、何時かも言った気がするが、お前最近、速瀬に似てきたんじゃないか?」

「そうか? オレは特に意識してねえんだけどな?」



 慎二の問いに、武はそんなことはないと頭を振った。



「ああ、その口うるさいところとか、本当にアイツによく似てるぞ……。」

「今までの発言、そっくりそのまま速瀬さんや涼宮さんに伝えてやっても良いんだぞ?」

「……悪かった、この唐揚げをやるから、黙っててくれ。」



 そうこうとやり取りをしながら昼食を終える武一行。
午後はブリーフィングの後は大隊揃っての合同シミュレーション演習だ。
とはいえ、武の大隊は1中隊しか残っていないため、実質普段の訓練と代わりはない。
そして今日の訓練内容は……河川を利用したBETAとの戦闘である。







「エインヘルヤル1より各機。 フォーメーションが崩れ始めてる。 各機所定の配置に戻れ!」



 金田中佐が声を張り上げるのを聞いて、武は改めてマップを確認した。
確かに、前衛のフォーメーションが崩れ、その結果隙間からBETAの浸透を許しているようだ。
特にエインヘルヤル11……鳴海機が突出してしまっている。



「こちらエインヘルヤル2、エインヘルヤル11、前に出すぎよ!」

「こちらエインヘルヤル09、エインヘルヤル11を援護する。」

「エインヘルヤル1よりエインヘルヤル9、よろしく頼むぞ!」



 通信が交差する間にも、武はトリガーを先程から引きっぱなしだ。
劣化ウランの五月雨が2丁の突撃砲から吐き出され、挽肉を量産してゆく。
突撃前衛として全力で砲撃を行ない、後衛への戦車級浸透を防いでいるが、それでもやはり限界はある。
浸透阻止は諦め、特に脅威度の高い敵の確実な殲滅を心掛けているが、十分に狙っていたのでは攻撃が追いつかない。
銃の進化で弾が尽きるほどにフルオート射撃を続けても、そう簡単に焼け付かないのが嬉しい限りだ。

 気が付けば、すでに辺り一面腐ったトマトをぶちまけたような惨状である。
シミュレーターなのだから、ここまで表現する必要はないんじゃないだろうか?と思う武。
余計なことを考えながらも、丁度鳴海機へと飛びかかろうとしていた戦車級の一団へとキャニスター弾を叩き込む。
群がっていた小型種の一団が、真っ赤に弾けて一面に肉塊と屍をさらした。



「っ、助かった武! あと少しであいつ等に食われるところだった……。」

「もっと注意しろ! 次は後ろから機関ブチ抜いて、爆弾代わりにするからな!」

「エインヘルヤル9、エインヘルヤル11、おしゃべりしている暇があったら目の前のタコ助共をどうにかしろ!」



 気が付けば、直ぐ目の前にまで要撃級の群れが迫ってきていた。
両腕の黒光りする鈍器を振り回して突進してくるソレら、そのスピードは軽く既存の陸上兵器の最高速を超える。
あの図体で何故時速100km/h超のスピードが出せるのかと、本当に不思議に思う武。
福山大尉は吠えながらも、ちゃっかりこちらを援護してくれていたらしい、数体の要撃級が脚部を撃ち抜かれ藻掻いている。



「エインヘルヤル11了解。」「エインヘルヤル9、了解!」



 返答しつつ、後ろにバックステップを踏みながら要撃級の手足を狙い、両椀の突撃砲を唸らせる武と孝之。
貫通性能を誇る弾は、要撃級の肉と骨を砕いて辺りにグロテスクな肉片を飛散させた。
しかしBETAは確実に絶命させるか、四肢をバラバラにしない限り脅威性を失わない。
うっかりしていると、瀕死の個体にやられることすら有る。
それにしても、奴らには果たして脳とか心臓と言った概念はあるのだろうか?
少なくとも内蔵や眼球といった生物にあってしかるべき臓器は全て無いはずだと武は記憶している。



「武、孝之、その調子でしっかりしてくれよ!」

「そうそう、そうやって働いてくれればオレ達後衛の仕事も楽になるってもんだ。」



 慎二と大竹中尉が支援をしながら呟く。



「兄貴、偉そうに言ってるけど、さっきから急所ハズしすぎだぜ?」

「ぐっ! 今日は調子が悪いんだよ!」



 弟の弘文に指摘され、大竹中尉は苦し紛れに言い放った。
彼らはそう言っているが、彼らの支援は確実にBETA群に効いている。
ついさっきも狙撃で要撃級の感覚器を吹き飛ばしたばかりだ。



「ちょっとHQ! 水城少尉、援護射撃はまだなの? いいかげん持ちそうにないんだけど~っ?!」

『エインヘルヤル・マムよりエインヘルヤル6。 現在砲撃部隊は弾薬の補充を完了しました、砲撃再開まで凡そ1分。』



 皐に冷静な声で返され、照子は露骨に顔を歪めた。



「――っとにあ~もう! まだなのかしら、イライラするわね!!」

「こちらエインヘルヤル3。 日比野中尉、今は目の前のことに集中しろ!」

「了~っ解、大尉殿! ……はあ、ねえ中佐! これ設定に無理があるんじゃないの~? もう、しんじらんない!」



 彼女がぼやくのも無理はないだろう。
なにせこれは、"史実"でのBETAの進行速度を元に、さらに難易度を上げたプログラムなのだから。



「っ、要撃級がわらわらいやがるな。 おかげでレーザー級の的にはならねえけど。」

「ははっ! この状況で、それだけ減らず口が叩けるようなら上等だ。」



 孝之の様子に、佐倉中尉がニヤリと笑った。



「こちらエインヘルヤル5。 金田中佐、砲撃開始前の"掃除"を提案したいんだが……。」



 掃除とは、光線級殲滅のことを佐倉中尉は言っているのだろう。
しかし、光線級が群れているのははるか向こう岸、匍匐飛行でもしなければたどり着けない。




「こちらエインヘルヤル1。 エインヘルヤル5、現在の重金属濃度では危険だ、その提案は却下する。」

「こちらエインヘルヤル2。 中佐、それなら第一斉射直後の強襲はいかがでしょうか?」



 佐倉中尉の意見が却下された直後、大橋大尉が再提案をした。
突撃前衛というものは、やはり好戦的な性格の者が選ばれるのだろうか?
武は自分の事を棚に上げてそう思った。



「……AL弾の撃墜数次第では許可する。 念のために言っておくが、訓練だからと言って無茶はするなよ。」

「当たり前です中佐! さて、聞いたかしら尚人、鳴海、白銀。 突撃前衛としての意地を見せて貰うわよ!」

「了解……って言うことは、オレ達は囮役ですか?」



 武は大橋大尉に聞き返した。



「何寝ぼけたこと言ってるの? 後衛の連中のために突貫して血路を切り開くに決まってるでしょう!」

「ええっ!? でもソレじゃあ途中でBETAが妨害してきたりしないですか? 友軍は向こう岸に居ないんですよ?」

「その時はそいつらごと蹴散らすに決まってるでしょ。 いい? 私たち戦術機部隊ってのはね、現代の騎兵なのよ!」

「それは突進力を活かして全戦を突破、敵陣に突破口を開けるってことですか? 言い得て妙かも知れないですね。」



 通信を聞いていた慎二が頷いた。



「そうよ平、よく私の言葉の意味を理解できたわね。」

「あ~、慎二。 コレはあくまで大尉殿の持論だ、通説じゃないからな~。」



 満足そうに頷く大橋大尉の後で、すかさず佐倉中尉が忠告を入れる。



「……通説じゃない、イコール間違いって訳じゃないでしょう? 違う? 尚人。」

「間違いじゃないかも知れ無いが、お前は"やりすぎ"だ。 突っ込んで攪乱するだけじゃなくて、もっと色々な戦術を考えろ!」

「人を暴れ牛みたいに言わないで! 尚人こそ、色々武器は使うくせに、特技が無いってのいうのはどういうことなの?」

「なっ! オレもそれは気にしてるってのに!!」

「エインヘルヤル6より大橋大尉と佐倉中尉へ。 どうでも良いけど、痴話げんかは止めてくれな~い~?」



 げんなりした様子で日比野中尉が言った。
……いや、げんなりとした様子を演じているだけのようだ。
口元は明らかに笑っているのを見て、武は苦笑いを浮かべた。



「ち、痴話げんか?!」

「はは、確かに痴話げんかだな。 なあ弘文。」

「兄貴、そこでオレに振らないでくれよ……後でとばっちり食らうのはオレなんだから。」



 言葉を交わしながらも狙撃のスコアを競い合う2人。
そんな彼らの足止めのおかげで、前衛は正面に集中していられるのだ。



『こちらエインヘルヤル・マム。 支援砲撃が再開されます。 第一斉射の内、8割がAL弾頭、残りは通常弾頭です。』

「聞いたな大橋大尉、"痴話げんか"は後にして任務に集中しろ。」

「ちゅ、中佐まで……はあ。 っ突撃前衛各機突撃用意っ!」

『……予め最も効率の良い突撃ルートをデータから算出しておきました。 大橋大尉、確認してください。』



 水城少尉が言うと同時に、武達の網膜に移るマップデータが更新される。
確かに、敵に肉薄するためには最も効率の良いルートだろう。



「毎度毎度ありがと、助かるわ!」

『前線で戦うあなた方を全力でサポートするのが、CP将校としての勤めですから……。』



 彼女たちの口ぶりからして、いつものやり取りなのだろうか? 武は思った。
だとすれば、彼女は情報分析においてかなりの力と、仲間からの厚い信頼を持っているのかも知れない。



「……白銀少尉、長生きしたければ、彼女の提案は常に参考にするべきだよ。」

「水代少尉……?」



 突然のアドバイスに真意を測りかねて問いかける武。



「……あの時だって、もっと水城少尉の意見をアイツが真剣に受け取っていたら……。」

「エインヘルヤル8、今は訓練中だ、任務に集中しろ。 それに今更、終わったことを蒸し返すつもりか?」

「いいえ、大尉。」



 それきり水代少尉は再び口を閉ざしてしまった。
刹那、頭上に光が瞬き、ついでエミュレートされた衝撃が機体を揺さぶった。



「――っ!! 奴ら食いついたわね。 撃墜率は?!」

『およそ50%、大気中の重金属濃度、急速に上昇していきます! ……規定値に達しました!』

「よし! それじゃあ――全機、飛ぶわよっ!!」



 合図と共にロケットモーターが火を噴く。
噴射跳躍装置から爆煙が上がり、何条もの軌跡を描きながら飛び立つA0103の不知火達。
爆発的に得られた揚力でもって、一気に人口運河を飛び越し向こう岸の光線級混成集団へと飛び込む。
しかし、どうやって気が付いたのやら反対側を向いていた60対の瞳が、ゆっくりとこちらを振り向いた。



「全機噴射降下! 犬みたいに這いつくばってやり過ごしなさい!」



 再びの合図に全機が機体を地面に向け反転、跳躍装置を噴射して強行着陸、対レーザー姿勢を取る。
とは言っても、ただたんに機体を限界まで低い姿勢に保ち、レーザーをやり過ごすだけだが。

 一瞬遅れて、何十もの光線が、空を切り裂く。
しかし対処の効果は覿面で、対レーザー蒸散塗膜に殆どダメージはなかった。



「エインヘルヤル1より各機、損害報告!」

「こちらエインヘルヤル7! 肩部装甲を少し焼かれたが、メイン機能に支障はない。 戦闘続行可能だ!」

「エインヘルヤル3、対レーザー蒸散塗膜に僅かな消耗有れど戦闘継続に支障なし!」



 その後も報告が続いたが、甚大な被害を被った機体は皆無のようだった。
全機の生存を確認し、金田中佐が号令を下す。



「作戦を続行する。 各機突撃前衛機を先頭に、敵光線級の排除を開始せよ!」

「私と尚人は先行して露払い。 鳴海と白銀は残って周囲の敵の殲滅、突破口を維持なさい!」



 「了解!」と、3人の声が重なる。



「まったく、何て言うか、結局武の言う通りかよ! ってか、最近囮とかそういうのばっかりだよな! オレ!!」



 突撃級の突撃を横っ飛びにヒラリと躱し、そのままの姿勢で尻に36mm弾をたたき込みながら孝之が愚痴った。



「文句言うなって。 それだけ信頼されているって捉えたらどうだ?」



 武は要撃級の一団を戦車級ごと突撃砲でなぎ払いつつ答える。
要撃級の横殴りを噴射跳躍で回避し、ついでに空中で地面に向かって再跳躍して群れの反対側へと着地する。
その瞬間、光線級の攻撃が掠るように瞬いた。
間一髪で避けられたようだが、大橋大尉達はまだ仕留め切れていないのだろうか?



「それって、どういうことだよ?」



 突撃級の群れを捌ききったところで孝之が武に問い直した。



「お前は、信頼できない相手に背中を任せられるのか?」

「……言われてみれば。」



 孝之に返答しつつ、新たに迫ってきた要塞級と要撃級、さらに言うまでもなく戦車級の混成集団に目をやる。
ふと、最悪のシルエットが隙間から顔を覗かせたような気がして、武は全身に鳥肌が立つのを感じた。
異様に長い2本の足と、ブヨブヨとした厚い肉壁を重たそうに抱え、眼を思わせる器官をギョロつかせるソレ。



「こちらエインヘルヤル9! エインヘルヤル・マム、応答せよ!」

『こちらエインヘルヤル・マム。 どうしました? 白銀少尉。」

「重光線級らしき敵影を確認、至急確認してくれ! 今、座標を転送する!」



 慌ててHQに照合を頼む武。



『……照合完了しました。 どうやら光線級の母集団と分離して重光線級が移動していたようです……迂闊でした。』



 彼女の返答に、武は「やっぱりか。」と唇を噛んだ。



「ちょっとちょっと! 皐ちゃん、しっかりしてよね~!」



 照子が文句を言いながらも母集団のBETAを殲滅していく。
一見弾を盛大にばらまいているだけのように見えるが、的確に敵が集中しているところを狙っているようだ。



「こちらエインヘルヤル1、こちらは母集団の対処で手一杯だ。 エインヘルヤル9と11で重光線級を排除できないか?」

「こちらエインヘルヤル9! 出来ます、やらせて下さい!」

「同じく11、やります!」



 武は自信満々に言い放った。
もちろん、出来るという確信があってのものだ。



「少尉、言ったわね? そうねえ、もし重光線級をやれたら、何かご褒美をあげようかしら?」



 大橋大尉が面白そうに獰猛な笑みを浮かべる。



「2人とも~! もしお勤めを果たしたら、大尉殿が夜のお相手をしてくれるらしいわよ! がんばれ~!」

「……はい? もう、中尉! 勝手にいい加減なことは言わないで頂戴!」



 顔をほんのり赤くして反応する大橋大尉を、日比野中尉がケラケラと笑いながら囃し立てる。
軍隊という組織にいながら、意外に初な反応をするものだと、武はすこし驚いた。



「白銀少尉だって、急にそんなこと言われても困るわよね?」

「夕食のおかず1品で結構です。 じゃあ、そういうことで……!」



 巻き込まれては敵わないと、武は逃げるように戦地へと向かった。



「あらあら~? ねえ大橋大尉、アッサリ振られちゃったけど、今どんな気持ち~?」

「おかずぐらいどうでもいけど……それより即答って……そんなに私って魅力無い?」



 なんだか面倒くさいコトになりそうだな、と思いながら要塞級の衝角を躱し、間接に一撃を加える武。
いちいち返答していたのでは、あっと言う間にBETAにつぶされてしまう。



「確かに私はチビよ。 えーそ~よ。 洗濯板がなんだってのよ。」



 ブツブツと愚痴りながら、光線級と要撃級の群れを恐ろしい勢いで殲滅していく大橋大尉。
噴射滑走で敵中に飛び込むなり光線級をなぎ払い、側面から迫ってきた要撃級の攻撃をサイドステップで回避。
さらに戦車級の飛びつきと突撃級の突進をも噴射跳躍&噴射降下で捌ききった。
回避動作から流れるようにして、突撃級の群れの、先頭を走る個体に狙いを定め――玉突き事故を誘発する。

 蝶のように舞い、蜂のように刺すその高機動戦闘は見る物を魅了するが、拗ねた子供のような発言のせいで全てが台無しだ。
普段の大人びた雰囲気とはかけ離れた、容姿相応の反応に、武も孝之もかけるべき言葉が見つからない。
日比野中尉はそんな彼女の様子を見て愉快そうに笑っており、一連のやり取りに福山大尉はげんなりとしていた。
大竹兄弟と水代紫苑はいつものことらしく我関せずで、水城皐は冷静を装いながらも、どこか呆れているように見える。




「……あ~、少尉。 大橋大尉のことは気にするな。 どーせ演習が終わる頃には忘れてる。」



 彼女の2機連携のお相手である佐倉中尉は、苦笑いを隠そうともせずに言った。



「尚人! 何サボってるのかしら? しっかり援護して頂戴!」

「了解、大尉殿もあまり突出しないでくれよ。」



 言いながらBETAの集団に殴り込みをかけていく2人、良いコンビなのかも知れない。



「武っ!」

「わかってるっ! ったく要塞級め、どきやがれ!」



 別に佐渡島の時のように盾となっているわけではないが、丁度目障りなところに群がっている要塞級。
武は早々に殲滅を諦め、股下をくぐり抜ける作戦に変更していた。
とはいえ、それはつまり衝角の真横を通り抜けていくことに他ならない。
BETAとてみすみす見逃すわけが無く、尾節がひっきりなしに襲ってきている。



「孝之! 要塞級にあまり構うな! 倒しちまったら、光線級への“盾”が無くなっちまうぞ!」



 要塞級の間接を砕こうとする孝之に釘を刺す武。
光線級唯一の弱点は、直線上にBETAが居る場合、一切の攻撃が出来ないことにある。
つまり、背の高い要塞級を背にしている限り、光線級に撃たれることはまず無い。



「――っ、わかった。 にしても肝が冷えるぞこれは……。」



 文句を言いながらもこなしている辺り、孝之の腕も相当優秀だ。
武はレーダーで孝之がついてきていることを確認しつつ、背面跳びや空中再跳躍の連続といった無茶な機動を続ける。
さもなければ、あっと言う間に要塞級の衝角の餌食だ。

 と、要塞級の足によって出来た林が途切れ、おぞましい姿の重光線級の姿が姿を現した。



「今だ! 要塞級を背中に撃ちまくれ! マグヌス・ルクスの横っ腹に120mm徹甲榴弾をお見舞いしてやるんだ!」

「だああああっ!!」



 吠えながら滑腔砲からありったけの120mm弾を敵にお見舞いする2人。
重光線級は為す術もなく肉塊へとその姿を変えていき、およそ6体の重光線級は凡そ数十秒で平らげられていった。







 演習はその後順調に推移。
所定の目標を達成し、訓練終了と成った。

 先日の訓練では4機の被害を出したが、今日は1機の損害も出さずに済んだ。
やはり、早期に光線級を殲滅できたことに勝因はあるのだろう。
空が飛べさえすれば、BETAは恐るるに足ら無いのだ。 



「今日の功労賞は白銀少尉と鳴海少尉に間違いないわね。」



 久しぶりに損害無しで演習を終えられたことが嬉しいのだろうか、大橋大尉はご機嫌な様子だ。
反省会も終わり、いよいよ「本日は解散」という段になって嬉しそうに言い放った。



「大尉~、少尉達に約束しましたよね~?」

「解ってるわよ照子。 えっと確か今日の夕食は確か……って、うどんじゃない?!」



 しかも“エビ天うどん”ならともかく“素うどん”だ。 
分けようにも“おかず”が無い。



「大尉~、これはひょっとして、本当に“ナニ”をするしかないんじゃないですか~?」

「う……。」



 言葉に詰る大橋大尉。
日比野中尉はネコがねずみをいたぶるような様子で大尉の反応を伺っている。



「中尉、あまり大橋大尉をいじめないでやってくれ。」

「金田中佐~、ちょっとしたスキンシップじゃないですか! このぐらい大目に見て下さいよー。」



 体をくねらせながらワザトっぽく媚びる日比野中尉。
福山大尉は彼女の仕草を見て、あからさまに顔をしかめさせる。
これはいけないと、武は慌てて口を開いた。



「あーオレは別に、明日の朝食は合成焼き鮭が出るみたいですから、それでいいですよ。」

「……ねえ、さっきから白銀少尉は即答するけど、そんなに私って魅力無い?」



 一難去ってまた一難、今度はフォローしたはずの大橋大尉がドンヨリとした表情で聞いてきた。



「いえ、別に他意はないんですけど……。」



 他に何か言い訳はないものかと頭を回転させる武。
すると「ふっ」と、丁度良い免罪符が頭の中に舞い降りてきた。



「いや、実を言うと、孝之にはですね、すでに彼女がいるんですよ。」

「えっ?! 嘘?! 本当? ねえ誰誰?」



 孝之の「お前、何言って?!」という視線を強引に無視して、武は答える。
大橋大尉ではなく、日比野中尉が興味津々な様子だが、気にしない。



「普段は優しそうなんですが、浮気なんてしたらどうなることか……。」



 大げさに天を仰ぐ武。
そんな彼に、孝之は耳元でささやいた。



「武……!! お前なんで勝手にばらすんだよ……。」

「……名前は明言してないだろ? それに孝之、ばれたところで困ることがあるのか?」

「いや、特にねえけど……。」



 ジトーっとした孝之の目をいなしつつ、大橋大尉の反応を待つ武。



「……ああ、そういうことね。 だったら良いんだけど。」



 どうやら納得したらしい大橋大尉の反応に、武はフット肩を下ろす。



「あ~、ひょっとして可愛らしい感じのあの子? ちょっと意外かも。 あ、でもそう言えば真っ先に――」

「日比野中尉、いい加減にしないか。 人の恋路を邪魔する者は~と言うだろう?」

「福山大尉は固すぎ~。 そんなだからモテないんでしょう? この若年寄!」

「む……!」



 そう言えば、福山大尉は何歳なのだろうか?
見た目は30~40代に見えるが、日比野中尉の口ぶりからすると、もっと若いのかも知れない。
武はそう思った。



「ふ、仲が良いのは結構なコトだ。 さて、私はこの後報告書を提出せねばならんからな、お先に失礼するぞ。」

「あ、金田中佐、今日もお疲れ様でした~。」



 ヒラヒラと手を振る日比野中尉。
金田中佐は困ったように笑みを浮かべた。



「ああ、そうだ。 先程も言ったが、夕食の後、ブリーフィングルームに必ず集合するように。 詳細はそこで説明する。」



 「了解!」と、全員の言葉が重なったことを確認し、今度こそ金田中佐は部屋を後にした。



「……さてと、私たちも早くPXに行きましょう? 早くしないと席がなくなっちゃうわよ!」

「それもそうだな。」



 大橋大尉が音頭を取り、佐倉中尉がそれに従った。



「ねえねえ、ところで鳴海クン? カノジョの話、PXで聞かせてよね?」

「うえっ、話さなきゃいけないんですか?」



 日比野中尉の標的に選ばれてしまったらしい、孝之は哀れに悲鳴を上げた。



「水くさいぞ鳴海少尉! オレ達の後学のためにも是非話を聞かせてくれよ! 馴れ初めも含め全部な!」

「そうだ! 万年モテナイ兄貴のために、その話、是非聞かせてくれ!」

「……弘文、モテナイのはお前もだろう?! 他人のフリをするな!」



 そう言うと、大竹兄弟は取っ組み合いのじゃれ合いを始めた。



「ぬわー畜生! 武、慎二! 助けろ!」

「……済まない、お前の犠牲は忘れないよ孝之。」

「孝之、諦めろ。」



 示し合わせたように孝之の要求を突っぱねる2人。
孝之は最後の頼みの綱とばかりの眼で、福山大尉を見つめて言った。



「助けて下さい! 大尉!」

「……今は任務中じゃないのでな、止める理由がない。」

「そ、そんなー!」



 最後の砦が崩壊し、孝之が断末魔の悲鳴を上げる。



「さて、そういうことでキッチリ話は聞かせて貰うわよ~?」

「く、くそ~! 武、てめえ覚えとけよ!!!」



 恨み言を残して引きずられていく孝之を見ながら、武は思った。
後もう少しでいい、今の時間が続いて欲しい、と……。



[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第七章 第六話 夢幻 ~The best way to make your dreams come true is to wake up.~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:73d44ffd
Date: 2010/10/03 09:57



 夢を見た 平和の意味も知らず、無邪気に暮らしている人達の夢を――
  夢を見た 命を危険にさらしながら、守るべき物のために、生きる人々の夢を――

 夢と現実の境界は、目覚めたときに見えた物をどう感じるかだけだ。
  それを区別できるのは、神様だけなんだろう……


 白い海をたゆたいながら、思った。



 ――ゆさゆさ……ゆさゆさ……



 誰かに体を揺さぶられる、"懐かしい"感覚。
もう少しこのまどろみの中で……

 

「白銀さん、起きて下さい。」

「ん……? ああ、霞か、おはよう。」



 眠い目をこすりながら立ち上がる武。
眠りが浅かったのだろうか、妙に頭が重い。



「……今日は、純夏は一緒じゃないんだな。」

「(コクリ)……具合が悪いみたいです。」



 純夏の具合が悪い? 武は霞の言葉を聞いて少し驚いた。



「風邪でも引いたのか? あいつが体調崩したなんて何年ぶりだろうなあ。」

「……後で、様子を見て上げて下さい。」

「ああ、わかった。 教えてくれてサンキューな、霞。」



 声をかけたその時、霞は器用にも立ったまま船を漕いでいた。
寝不足になるようなことをしていたのだろうか?
そう思ったとき、霞がハッキリとこちらを見て頷いた。


「……、またね。」

「あ……ああ、霞も早く寝るんだぞ?」



 武が声をかけると、よたよたと危なっかしい足取りで部屋を出て行く霞。
程なく、廊下で壁にガツンッとぶつかり、「あが~。」と奇声を漏らした。



「霞の奴、大丈夫なのか……?」



 彼女の様子を見ていたら、己の眠気もぶり返してしまった。
武は起床ラッパをBGMに身支度を済ませると、点呼のため廊下に出た。
いつもなら純夏がそこで待っているはずなのだが、どういう訳か今日は居ない。
本当にどこか具合が悪いのだろうかと、武は心配になってきた。



「そういや、今日は孝之達もいねえなあ。」

「……呼んだかよ、武。」



 不機嫌そうにぬっと部屋から顔を突き出す孝之、その傍らでは慎二も大欠伸をしている。



「なんだ、お前等も寝不足なのか……。」

「"も"ってことは、なんだ? 武もなのか?」

「ああ、まあな……。」



 武は曖昧に返事をした。
まさか“あんな夢を見た”とは言えるはずもない。



「涼宮さんも居ないところから見ると……孝之、おまえ程々にしとけよ?」

「……な゛っ!! ば、馬鹿野郎! ちがうっ! そんなんじゃ無いっ!」



 武が冗談めかしにからかうと、孝之は顔を真っ赤に染めて否定した。



「ははっ! 武、あまり孝之をからかうと痛い眼を見るぞ? こいつが直ぐに本気にするってことは知っているだろ?」

「そうだな……悪かった孝之、少しふざけすぎたな。」



 謝ってはみたものの、孝之は、まだムスッとした顔をしている。



「……ったく、こっちは悪夢のせいで不機嫌だってのに。」

「悪夢……?」



 普段なら気にもとめなかったような呟きだが、今朝は"あんな"夢を見た後だ。
武は妙に気になって、聞き返した。



「……いや、なんでもない。」



 孝之が気まずそうにはぐらかしたところで、水月と遙が部屋から姿を現した。



「武、遙、みんなおはよう! って、あら? 鑑はどうしたの?」

「それが、実はまだ部屋にいるみたいなんだ……。」

「こんな時間まで出てこないなんて珍しいじゃない。」



 水月はよほど驚いたのか、目を皿のように丸くしている。
無理もないだろう、何と言っても純夏は朝寝坊したことが1度もないのだ。
何故なら武を霞と一緒に起こしに来るのが日課だからである。
その日課が途切れたのは、武の記憶中でも片手で数えられるほどの回数しかない。



「……ひょっとして何かあったんじゃないの?」



 ジロリと武を睨む水月。



「いや、それがまったく見当がつかねえんだ……。 オレも心配してんだよ。」

「だったら直接聞けばいいじゃない? 何でぼさっと突っ立ってるのよ。」

「……そりゃそうだな。」



 武は返事をすると、純夏の部屋のドアを開けようとドアノブに手をかけたその時――
勢いよく扉が開かれ、誰であろう純夏その人が飛び出してきた。
咄嗟のことに避けることもできず、彼女と正面から激突してしまう。



「あいたっ!!」

「――っ、と、純夏か。 今朝はどうしたんだ? まさかとは思うが、風邪を引いたとか言うんじゃねえだろうな?」



 武は彼女の"体当たり"にもビクともせずに持ちこたえ、問いかけた。
まず視界に入った彼女の髪は、髪を誇りにしている彼女にしては珍しく、ボサボサしている。
不審げに見つめる武の目の前で純夏は2~3歩後退すると、何が面白いのかマジマジと彼の顔を見つめ始めた。



「……おい純夏、本当に大丈夫なのか、おまえ!」



 彼女の顔が真っ青――頬だけ妙に腫れているが――なことに気が付き、声をかける武。
しかし、そんな彼の反応を全く意に介さないように、純夏は蒼白な顔で武の姿を頭の先からつま先までジッと見つめる。

 やがて恐る恐る彼の胸板に触ると、そのまま両手を体を撫ぜるようにして手を上へ上へと移動させる純夏。
そのまま武の顔を挟み込み――思いっきり頬をつねった。



「イダダダっ!」



 たまらず悲鳴を上げる武。
女の物と思うべからず、その力が尋常ではないのだ。
正規兵は伊達じゃないのである。




「……よかった、夢じゃない。」



 のんきにも呟くと、武の頬から手を離してへたり込む純夏。
理不尽による痛みに、久しぶりに武がキレた。



「お・ま・え・なあ、そう言うのは、自分の頬でやるもんだろうが!!」



 そう言って武は、思いっきり純夏の頬をグイッと引っ張る。



「いらいいらいッ! いらいふぇどひゃあった! ひゃあったよう!」



 頬を引っ張られたまま嬉しそうに喚く純夏。
武は、「熱で変になったか?」と思い、頬から手を離すと彼女と自分のデコに手を当てた。



「うーん、熱はないみたいだな。 おまえなあ、いきなり人様の頬を抓るとか何考えてるんだ?」

「だって、夢かどうか確かめる時は、みんなそうやるじゃん!」



 純夏はまるでそれが当然かのように騒ぎ立てた。
武もこれにはアングリである。



「だああ!! そう言うのは自分の頬でやらないと意味ないだろ!」

「それはさっきからやって確かめたもん!」



 通りで頬が腫れているわけである……決して、自分が強く抓りすぎたわけではないだろう、武は思った。
もはや武はあきれ果てて、突っ込みの言葉も思いつかない。



「あーもう、わかったって。 わかったからさっさと並ぼうぜ。 もうすぐ点呼の時間だぞ。」

「う、うんわかった。」



 頷いたのを確認して、武はきびすを返す。
と、その背中に向かって純夏が言葉を探すようにして問いかけた。



「ね、ねえタケルちゃん……タケルちゃんは……その……。」

「……なんだ?」

「タケルちゃんは、私たちは、その、BETAと戦った事ってあるんだっけ……?」



 突拍子もない質問に、武は答えるのも億劫だったが、気を取り直して"いつも通り"に答えた。



「なーに言ってんだよ。 "ここ"に来る前はいつもおまえと一緒だったんだから、おまえが一番よく知ってるだろう?」

「う、うん。 そうだよね。 ……そう、だよね。」



 まるで己に納得させるようにして呟いている純夏の様子に、武は妙な胸騒ぎを覚えた。



「なあ、純夏。 本当におまえ、どうしたんだ?」

「……なんでもない! ちょっと、変な夢……見ちゃっただけだから。」

「変な夢……?」



 武は胸騒ぎを覚えながらも、それ以上この場で追及することは出来なかった。
点呼の号令が、向かいの通路から聞こえてきたためである。







 夢……と言えば、武も夢を見ていた、それも飛びっ切りに懐かしい"悪夢"である。
霞を、慧を、千鶴を、たまを、美琴を……そして冥夜を乗せた最終連絡艇を見送ったあとの世界……。
バビロン作戦……塩の大地……喪われた故郷……それでも斃しきる事が出来なかったBETA共。

 無効化などという手間のかかることを、奴らはしなかった。
人類が得体の知れない技術をよく知りもせずに使い続けた結果、自滅したのである。
空前の規模で起きた重力異常……結果ユーラシアが海底に沈み、代わりに残されたものは無限に続く塩の大地。
有頂天を目指したバベルの塔が崩れ去ったように、バビロン作戦は多大な犠牲を出して失敗に終わったのだ。

 そして、人類はBETAを侮っていた――
奴らの驚異的な環境適応・対処能力からしてみれば、"その程度"の変化は許容範囲だった。
G元素はもはや海の底、虎の子のG弾も底をつき、いよいよ人類は瀬戸際まで追い詰められた。

 オレはそれでも諦めなかった……諦められなかった。
戦術機を駈り、戦場に立ち続けた……人類のため、愛する者達のため、戦友のため、そして……彼女のために。
滅び行く世界で、それでもオレが戦い続けられたのは、きっと彼女を――



「白銀少尉! 何ボーッとしてるのかしら?」




 呼びかけられ、武は己がPXの長い列へと並んでいることに気が付いた。



「……っ! 大橋大尉?」

「全く、さっきから何話しかけても生返事しか返さないんだもの。 いくら任務中じゃないとは言っても怒るわよ?」



 大橋大尉に睨まれるも、武はそれどころではなかった。
今、自分は何を考えていた……? その内容に、武は愕然とする。
確か、12/25日以降の記憶はあやふやだったハズなのに……それが、なぜ朧気ながらも思い出せるんだ?



「なんだか具合が悪そうね。」

「いえ……何でもありません。」



 心の中で渦巻く不気味な予感をあえて無視して武は答えた。



「全く、体調管理も衛士としての義務なんだからね? しっかりしなさいよ。」

「……はい。」

「私たちは明日から"教導隊"として帝国軍に出向するんだから。 部隊の恥をさらすようなマネは私が許さないわよ?」



 そう言って凄む彼女に、武は二の句がつげない。
彼女の言うことは最もであり、その事実がまた武を悩ます悩みの種だったからだ。


 それは、本当に急な知らせだった。
教導隊として帝国軍に出向する――その命令が告げられたのは、夕食を追えた後のことだ。
招集された先で金田中佐からその言葉が告げられたときの衝撃は相当の物だった。

 表向きの理由はちゃんとある。
戦術機がほぼ全機オーバーホール中であるため、その穴埋めのため予備の戦術機を帝国軍からレンタルすることになった。
その交換条件として、帝国は未だ習熟が進まないXM3の教導手伝いを要求してきたらしい。
そして、帝国軍への派遣部隊として突然白羽の矢が立ったのが武達第一大隊だった……というわけである。

 余談だが、香月夕呼はこの提案に珍しく……本当に珍しく、二つ返事で了承したのだという。
夕呼の返事を聞いた某帝国軍高官は、10回ほど答えを確認したというのだから、その困惑は察するに余りある。

 いずれにせよ、武達が派遣部隊に選ばれたのは「練度が高いから~」とかそんな名誉的、あるいは単純な問題ではない。
A01で大隊の体裁を成していない唯一の大隊であるため"抜けても支障が少ない"と見なされたのだと、金田中佐は嘆いていた。

 派遣先はよりによって呉……夕呼先生はひょっとして殺す気だろうかと、武が思わず天を仰いだことは言うまでもない。
確かに、不知火の生産工場には近い……それに帝都にも近く、海軍の一大拠点であり、兵の練度も高い事で有名だ。
……だが、それだけが理由ではないだろう。

 未来を知る身としては、胃が痛くなるばかりだ。
確実に待っているであろう修羅場を思い、武は再び頭を抱えた。

 これ以上、過ぎたことを考えてもしょうがないだろうと、武は頭を振って思考を振り払う。
――と、行列を擦り抜けるようにして脇を通り過ぎようとしていた人影が、武と大橋大尉の間でピタリと止まった。
振り向いてみれば、そこにいたのは朝食のトレイを持った日比野中尉だった。



「ねえねえ大橋大尉、今朝はおかずが一品減っちゃったみたいだけど、シロガネクンとの約束は、しっかり果たすのよね?」

「……そう言えば、そんな約束もあったわね。 って、1品おかずが減った?! どうして?」



 突然、彼女から告げられた内容に、大橋大尉は思わず聞き返した。



「なんでも今朝方、基地全体で停電があったらしくて~、それで電気釜が使えなく成っちゃったから、代わりに~」

「もういいわ、わかった。……はあ信じらんない。 本当についてないわ……。」



 ガックリと肩を下ろす大橋大尉の傍らで、武は今朝の夢に関する1つの解を導き出して全身を硬直させた。
武は、以前にも似たような状況を経験していた……そして、その原因を、武だけは知っていた。
基地の停電は、間違いなく"大電力を必要とする何か"を動かすために起きたに違いない。
そして、そんな莫大な電力を消費する物と言ったら……。



「……大橋大尉、オレ、ちょっと用が出来たんで朝食は要りません!」

「へ……あ、ちょ、ちょっと?!」



 困惑する大橋大尉の声を聞きながら、武はPXから飛び出し、夕呼の居る研究室へと駆けた。







「夕呼先生……っ!!」

「あら、以外と気が付くのが遅かったわね。」



 夕呼はまるで武が来ることが解っていたかのように、眉一つ動かさずに武を迎えた。



「それで、良い夢は見れたかしら?」



 いやみたらしく聞いてくる彼女に、武は不快感を感じずには居られなかった。



「いったい"何"を動かしたんですか……いいえ、一体"何の目的"で動かしたんですか?!」



 武は夕呼に詰め寄った。
しかし、それでも夕呼は全く動じず、それどころか口元に笑みすら浮かべている。



「貴方は知る必要のない事よ。」



 アッサリと、夕呼はそう返事した。



「……それは、つまりオルタネイティヴ計画に関係すること……ということでしょうか?」



 武は慎重に言葉を選ぶことはせず、単刀直入に問いかけた。
彼女相手に舌戦で勝てるわけがないことぐらい、彼とて理解できたのだ。



「さあ? 少なくとも、私やこの世界にとっては有意義なことのハズだから、安心なさい。」



 相変わらず、彼女は核心を話さない。
自分に知られると不味いことでもやっているのだろうか?
武は夕呼の思惑を少し疑った。



「オレ達を呉に派遣するって金田中佐から聞きましたけど、何故なんです?」

「金田から説明は聞いたんじゃないの? アンタ達にはXM3の教導をして貰う。 私が望んでいることは、ただそれだけよ。」



 あえて「私が望んでいることは」と夕呼が前置きしたと言うことは、望まない事態もあり得ると言うことだろうか?



「やはり、BETAが来るんですか?」

「そんなの、私に聞かれたってわからないわよ。 奴らの行動原理が解ってるなら、そもそもAlternative計画は必要ないわ。」



 夕呼はそう言って肩を竦めてみせた。



「来る可能性はある、と言うことですよね?」

「そんなの前から解ってることでしょ、いちいち確認すること? アンタの知ってる“歴史”では、そうなんじゃないの?」



 “この世界では違う”とでも言うのだろうか、夕呼は不機嫌さを隠そうともせずに吐き捨てた。



「アンタがそうやってどうしようもないことでグダグダ悩んでいる間にも、時間は過ぎてるのよ?」

「……任務には最善を尽くします。 でも、情報が少なすぎるんです! 先生が何を目指しているのか、それだけでも教えて下さい!」



 武は自らの切実なる思いをぶつけた。



「……“人類の勝利”よ。」



 夕呼の答えを、信じて良いのだろうか?
武はジッと夕呼の顔を見つめた。



「……。 アンタもまさか"聞けば何でも答えて貰える"なんて思ってるわけじゃあ、ないでしょう?」



 有無を言わさない威圧感と共に放たれた言葉。
それはかつて、鎧衣課長から投げかけられた言葉だった。

 当然、そんなことは武とて解っている。
言わばコレはチキンレースだ……彼女からどこまで情報を引き出せるかという。
もちろん、騙されて良いように利用される可能性もあるが、そもそも立場が違いすぎる。
そんなことに文句を言っていたのでは、僅かな糸口とて見過ごすことになりかねない。
武は夕呼とのやり取りで、それが十二分に解っていた。



「……オレは何をすれば良いんです?」

「フンッ、そんなの自分で考えなさい? それとも貴方は誰かからの指示がないと動けないツマラナイ人間なのかしら?」



 夕呼は武の問いを鼻で笑い、冷たく彼を突き放す。
それは軍人、及いては軍隊のあり方を完全に否定する物であったが、武にとってはどうでも良いことだった。
伊達に彼女と長く付き合っているわけではない、彼女の考え方は武もよく知っている。
何より、この場で程度の低い挙げ足取りをして何になるというのだろう?
今は彼女の機嫌を損ねさせることよりも先に、やるべき事がある。



「……今は時じゃないと、そういうことですね。」



 武は最初から解っていた結論を口に出した。
もしも時が来たというのなら、彼女の口からすでに全ては語られているはずだ。
それが語られないと言うことは……すなわち、彼女が"その必要ない"と判断したからだろう。
今の己は、彼女のその決断を覆せるほどの材料など持ち合わせていない。
……それでも、聞かずには居られなかったのだ。



「わかってるじゃない。 それが解ってるなら、なんで私の所にきたの? その様子じゃあ、私の答えだって予測済みでしょう?」

「"確かめ"に来ただけです。」



 そう、確信を得たかったのだ。
今朝の事象が夕呼の企みにより引き起こされたもの、すなわち必然であり、偶発的な事象ではないという確信が。
もしそれ以外ならば、それは武にとっても、そして夕呼にとっても由々しき事態を意味する。



「……なーんだ、じゃあ最初の私の一言で、アンタの目的は果たせていたわけ?」

「……。」



 武は沈黙する。
壁に掛けられた時計が、間もなく休憩時間の終わりを告げようとしていた。



「……そう、それでいいのよ。 馬鹿は喋っても自分を追い詰めるだけ。 下手な言い訳はせず、沈黙するのが一番よ。」
 
「そうですか?」

「私みたいな天才にはどうやっても敵わないでしょうけど、俗物相手ならかなり有効なはずよ。」



 そう言った後で夕呼は、「ま、私なら誰が相手でも、舌戦で負けるつもりは無いけどね?」と怪しく微笑んだ。



「一つだけ……オレの仲間達のうち、何人かが不調を訴えています。 "何が原因かは分りませんが"訓練に支障が出るかと。」

「……ふーん、それで、誰が反応してたの?」



 武は一瞬、真実を言うべきか悩んだが、霞の存在を思い出し、諦めて口を開いた。



「鑑純夏、鳴海孝之……あと解りませんが、平慎二にも多少影響が見られました。」

「それで、アンタはどうなの? "不思議な夢"は見なかったかしら?」

「……嫌と言うほど。」



 夕呼に恨みがましい視線を向けながら、答える武。



「そう……。 言わなくても解ってるでしょうけど、内容は絶対に誰にも漏らさないこと。 もちろん私にも。」



 「理由は、分るわね?」夕呼に問いかけられ、武は無言で頷いた。
伝えたその瞬間から無価値化が進む可能性がある、あるいは起きない可能性すらある与太話で、夕呼を悩ませる気は武にもない。



「……行かないの? もう訓練は始まってるんじゃないの?」



 夕呼に促され、武は研究室を後にした。

 武は不気味な予感を確信に替えるも、己が取るべき行動が解らなかった。
夕呼が一体何をしたのか、何をしようとしているのか……それは推測の域を出ない。
あるいは、彼女が"アレ"……次元転移装置を使用したのだろうか? 自分で? まさか。
それならば全ての事象は説明できるが……"リスク"を知るであろう彼女が、そんなことをするとは思えない。

 第一、彼女はこの世界の存在だ……因果導体でない、平行世界を知らない彼女が世界を渡ることは不可能だ。
いくら自暴自棄になったとしても、彼女が闇雲に己の因果情報を量子に分解・放出するとは考えられない。
一体彼女は何をしようとしているのだろうか?

 夕呼に協力する……ただそれだけで良いはずがない。
彼女がオレを信用していないように、オレが彼女を100%信用することは出来ない。
それでも、オレは籠の中の鳥……たかが1兵卒にすぎず、戦力差がありすぎる。
いったいオレに何が出来る……? 武は答えの見えない問いを、己に向かって問いかけ続けた。







 その後、部隊に合流した武は、その日の訓練中、大橋大尉から執拗に追い回される羽目に陥った。
「どんな理由があったにせよ、ペナルティーを遂行しなかった」という理由で、大橋大尉が無茶を要求されていたのだ。

 聞けば、再び賭に負けた場合、武に“ナニ”を捧げるという契約を、その場のノリで交わされてしまったのだという……本人不在の間に。
ちなみに武が負けた場合は「純夏との思い出を本人同伴で話す」という事に、勝手に決まっていた。
発案は、もちろん鳴海孝之だ……昨日の今日で早速、報復する気らしい。



 結局、乙女を散らさせる訳にもいかず、武は純夏の口から語られる黒歴史と、仲間から送られる好奇の視線に必死に耐える羽目になった。
もちろん、その場に旧207BどころかA01連隊全員が集合していたことは、言うまでもない……。



「でね~武ちゃんったら、かたつむりを引っ張り出してきて『生き返った!』なんて言い出したんだよ~。」

「純夏、もうやめてくれ~!」



 ……



「それでこいつと来たら、こけしみたいになっちまってよ!」

「うわわわ! そんなこと今話さなくても良いじゃん!」



 ……


 数時間後――話が終わった時には、純夏、武ともに恥の晒し合いのダメージで真っ白に燃え尽きていたという。



[5207] Muv-Luv Get Back The Tomorrow 第八章 第一話 会者 ~We never meet without a parting.~
Name: 重金属◆cf1e341a ID:73d44ffd
Date: 2010/10/25 23:07
 頭上のエンジン2発から生まれる唸るような低く力強いエンジン音と、爆音に近いタンデムローターの羽音が機内に響く。
思わず耳を塞ぎたくなるような騒音、しかし慣れればその一定のリズムの影響かまるで子守歌にように聞こえてくるのだから不思議だ。
現に、この騒音にもかかわらず機内に座るほとんどの仲間達は皆船を漕ぐか、ぐっすりと眠っている。
BDUさえ着ていなければまるで修学旅行の一風景のようだと、まるで場違いなことを思って武は苦笑を浮かべる。

 一方、ヘリを飛ばしているパイロット達は眠るわけにはいかない。
いや、それどころか基地を出発してからというもの、緊張しっぱなしなのではないだろうか?

 武は小さな窓から町並みを覗いている間に、それが戦術機のメインカメラから見える風景とさして変わり無い事に気が付いていた。
それはつまり、光線級による撃墜を恐れて匍匐飛行に近い高度で飛行を続けていることを意味している。
慣れも多少はあるのだろうが、それでも安定した飛行を続けるパイロット達の技量に敬意を覚えずには居られない。

 と、視界から建物が消え、かわりに眩しいばかりの一面の青が眼に飛び込んでくる。
どうやらついに瀬戸内海に到達したらしい、ここまで来れば目的地まであと少しだ。



「江田島……かあ。」



 かつては一度も足を運んだことがないその地……『江田島』。
武は己の辿るべき運命が、完全に史実のソレとは切り離されたのだと改めて実感した。



「なんだ、武は眠ってなかったんだ?」



 隣に座っていた紫苑が武に声を掛けた。



「そう言うお前もな……どうしたんだ?」

「それはボクの台詞だよ。 タケルこそ、一番に寝るんじゃないかと思ってたんだけど……。 何かあるの?」



 紫苑は笑いながらそう言った。
最近はようやく姉の死から立ち直りつつあるらしく、たまに彼も明るい一面も見せるようになった。
本人曰く、「改めて考えてみれば、むしろ気が楽になった」とか。
……どういうことだろうか?



「あ~、まあなんだか気が立って眠れなくてな。」

「……ボクも似たような感じ。」



 紫苑は何故か複雑そうな顔をして答えた。



「なんだか、嫌な予感がするんだ。」

「嫌な予感……?」

「うん、何故かはよく分からないけどね。」



 憂うような声色で呟き、眼下の海を横目で見下ろす紫苑。
武は複雑な心境でそんな彼の横顔を見つめた。







 遡ることおよそ6時間、"出向"に関するブリーフィングが白陵基地にて行なわれた。
普通に考えれば、教導官の訓練を受けていない01中隊に"教導せよ"などと命令をすることは無茶以前の問題である。
帝国軍とてその辺りは想定済みらしく、01中隊に要求された仕事は、厳密に言えば教導官としての任務ではなかった。
"教導官にXM3の仕様を伝え、部下に教導をこなせるようにする"それが彼らに課せられた本当の任務であった。



「つまり、私たちは正確には"教導官"なのではなく、"技術アドバイザー"という形で出向するんですね?」



 大橋大尉が、確認するように言った。



「そういうことだ、今回の出向は正確には"教導の補佐"が目的であり、直接の教導は任務に含まれない。」

「なるほど、教導官にXM3の使い方を"伝授"するわけですね。」



 大竹弘文少尉が納得したように呟く。



「中佐殿、それはつまり教導隊としての訓練を受けていない我々の出来る範囲内、ギリギリで活動するということでしょうか?」

「福山大尉、まさにその通りだ。 我が隊は大橋大尉を除き、本格的な教導官としての教育を受けた衛士がいないからな。」



 そもそも"即戦部隊であるA01が教導を取ることになる"などと言うことが想定されている訳が無い。
言い換えれば、01中隊はA01本来の趣旨から外れた行動を取らされることになるわけだ。



「それにしても、やっぱり大橋大尉は教導官だったのか。」



 武の呟きを聞いた大橋大尉は意外そうに小声で返事をする。



「(そうよ? 言ってなかったかしら。)」

「(え……。 あ、はい、初耳です。)」

「(まあ、そう言うこと。 私はA01の設立と同時に神宮司中……あ、今は軍曹だっけ? と一緒にきたのよ。)」

「……ってことは、まさか富士教導隊出身ですかっ?!」



 世界はやはり広いようで狭い。
武は思わず口を半開きにして彼女の顔を見つめた。
道理で神宮司教官対策用に編み出した戦術が彼女にも通用したわけである。
そう言えば、設立当初からA01は全員日本人で構成されていたんだっけ? と、思い出す武。
何故かは思い出せないが、確か戦術機に関する機密的な問題が関係していたような気がする。



「私語を許した覚えはないが……?」

「はっ、失礼しました!」



 金田中佐に鋭い眼差しで一喝され、姿勢をただす武。
「ブリーフィング終了後、校庭30周」と付け足し、金田中佐はブリーフィングを再開した。



「――我々の任務はXM3の運用方法を帝国に普及させる第一段階の試みとなる。」



 重々しく言った後、部隊員達の顔を見回す金田中佐。



「教導補佐という本隊の設立趣旨と異なる任務ではあるが、BETA相手の戦闘と変わらず我々に任務失敗は許されない。」



 金田中佐の言うとおり、この任務に失敗は絶対に許されない。
何故なら――多くの隊員は知らない、知る権利を持たないが――BETA上陸は目前まで迫っているのである。
もはや一刻の猶予も許されないと言って過言ではない、歴史を変えるため、未来を取り戻すために用意された時間はあまりに短い。



「本日14:00に格納庫前に荷物を持ち集合、チヌークに搭乗し、江田島へ向け出発する。 それまでは各自自由時間とする。」



 「各員、全力を尽くして任務に当たるよう。」金田中佐が締めくくると同時に、隊員達は一斉に敬礼を送った。







「ぶ~、何でタケルちゃん達だけ江ノ島になんていけるのさ~! ずーるーいー!!」



 駄々っ子のような口調で喚く純夏の様子に、予想済みとは言え武は溜息を禁じ得ない。



「江ノ島じゃない、江田島だ! 誰が水族館に行くなんて言った?」

「それでもだよっ! はあ、いいな~。」

「あのなあ、純夏。 遊びに行くんじゃねえんだぞ……。 霞も何か言ってくれよ。」



 頬をふくらませて不満の意志を表す純夏に、武は疲れた様子で霞に話を振った。



「……純夏さん……。」



 悲しげな表情で純夏を見つめる霞。
純夏もこの攻撃には為す術がなく、途端に勢いが削がれていく。



「む、むう……。 霞ちゃんを出汁にするなんて、タケルちゃんずるいよ~。」



 昼のPX、久しぶりに集合した旧207隊は武、慎二、孝之達3人の江田島出向というニュースに色めきだっていた。
というのも、今日の午前訓練の時はじめて純夏達に出向の報がもたらされたためである。
流石に守秘義務は理解しているため、表だって黙っていたことを非難する者はいない。
しかし、それでも女性陣は不満な様子を全く隠そうともせずに武達へと食ってかかったのであった。
つまるところ、八つ当たりである。



「まったく、もしもあっちで浮気なんか……遙を泣かせるようなコトなんかしたら、私が許さないからねっ?!」



 低く唸り声でもあげそうな勢いで孝之を威嚇する水月。
そこに慎二が、ポンと手を水月の肩に置いて、冷静に突っ込んだ。



「速瀬落ちつけって、孝之にそんな甲斐性があるわけないじゃないか。」

「……それもそうね。」



 ワザトらしく納得したフリをする水月。
まるで示し合わせたかのように、2人揃ってニヤッと嘲笑を孝之にぶつけた。



「くそっ、言いたい放題言いやがって!」

「孝之君……。」



 激高する孝之に、遙が優しく声をかける。
しかし何故だろう、孝之は急に寒気を覚え、腕をかき抱いた。



「……別に釘を刺さなくても、孝之君は浮気何てしないよね……?」

「……ッ!! あ、あったり前だろ!」



 咄嗟に返事をする孝之。
それはも早生存本能から来る反射と言っても過言ではなかった。
「返答を間違えればヤラレル。」孝之はそう確信していたのかも知れないし、事実そうだろう。
「私、信じてるから。」と呟いた遙には、まだ微妙に危険な雰囲気が残っている。



「あーそれよりも遙……。」

「え、なに? 孝之君。」

「あー……オレが居ない間、車とかそういうのには、十分気をつけろよ?」



 突然、そんなことを言い出す孝之。
水月は不審そうな顔で2人の会話に割って入った。



「何よ孝之、藪から棒に。」

「速瀬、ほらだって遙の奴、その、なんていうか! 抜けてるところがあるからさ、事故に巻き込まれたりしないか心配で。」

「もう、孝之じゃないんだから、いくらなんでもそこまで遙がおっちょこちょいな訳が無いでしょ?」

「は、はは! そうだよな~……って、あ゛あ゛ん? 速瀬、おまえ今なんて言った?!」

「何よ、否定できるの?」

「もう、水月も孝之君も周りの迷惑になるから……。」



 てんやわんやと騒ぐ4人。
この光景もしばらく見納めになるのかと思うと、武はすこし寂しさを覚えた。
それにしても、最近孝之の言動がおかしい……やはり例の実験でなんらかの影響を受けていることに間違いなさそうだ。
一方、水月や遙には目立った変化は見られない。

 武はふと、頭に引っかかるモノを感じて眉をひそめた。
変化があった者と無い者の間に、何か関連性があるのでは?
武は記憶をたぐり、違和感の根本を探ろうとする。



「ちょっと武ちゃんなに黄昏れてるの?! まだ私の話は終わってないんだから!! 逃げちゃダメだよっ!」

「白銀さん……逃げるんですか?」

「ああ~、っとに何だよホントに。」



 投げ槍に武は返事をする。
おかげで考えていたことが全てパーだ。

 先程からの追及ですでにヘトヘト、しかも内容はグルグルと回っていて進展がない。
それは、よそ見もしたくなると言うものだ。



「私や霞ちゃんが居なくても、朝ちゃんと起きれるの? 鳴海くん達や、隊の人達に迷惑かけないでよね!」

「何度も言わせるなって、わかってるっつーの!」

「それと、一日一回……は無理でも出来る限り連絡すること! お風呂に入って清潔にすること! それからそれから……。」

「だあああ! おまえはオレのお袋かーーーっ?!」



 PXの喧噪はそれから1時間すぎても収まらず、結局出発ぎりぎりの時間まで武達は"一時"の別れを惜しみあった。
もしかしたらそれは予感だったのかも知れない――もう二度と、この優しい日々には戻れないという。



「それと最後に……。」

「なんだよもったいぶって……言いたいことがあるならハッキリ言えよ。」

「タケルちゃん……ぜっっったいに、無理しないこと! 戦ってるのは、タケルちゃん一人じゃ無いんだからね!」

「……(コクリ)、白銀さん、気をつけて下さい。」



 その言葉を訴えてきた時の彼女たちの表情を、忘れることはないだろう。



「ああ、じゃあ行ってくる。」



 武は、胸に新たな一つの目標を刻みつけて返事をした。
再び彼女の、彼女たちの元へと帰ってくるのだという、ありきたりな目標を。







 白陵基地を出発してから2時間超が経とうという頃、01中隊は目的の基地にたどり着いた。
帝国軍江田島海軍兵学校……日本最大の軍港であり、海軍の鎮守府も置かれた呉基地に併設された海軍の幹部養成施設。
訓練設備は白陵基地のそれより充実、戦術機の生産拠点にも近く、整備環境はこれ以上にないほどに万全。
帝国の未来を担う幹部候補生と優秀な教官が数多く在籍しているらしい。
まさにXM3の教導地としては最適というわけだ。

 チヌークことCH-47がゆるやかにヘリポートへと着陸した後、キビキビと支度を済ましてヘリから降りる武達。
あらかじめ中佐から指示されていたとおりに整列すると、数台のジープとトラックが校舎らしき建造物の辺りから此方に向けて走ってきた。



「総員整列!」



 金田中佐の合図で、改めてピッタリと整列する中隊一同。
そんな中隊員たちの目の前で、真白の将校服に身を包んだ若々しい男がジープから降りてきた。
背は高く体格は武人として申し分が無い、目鼻立ちが整っており、鼻下には短く整えられた口ひげが生えている。
しかし、その様子は過去に出会ってきた帝国軍人達とは違い、どこか穏やかな印象がする。



「(それもそうか……。)」



 武は考えるまでもなく納得した。
友軍、しかもこれから共同任務にあたる仲間にあからさまな敵意をぶつける馬鹿がどこにいるというのだろうか?
加えて、この世界では米軍が日本を見捨てて逃げたという事実は存在しない。
帝国の人間が米軍や国連軍を敵視する理由など、おおよそどこにもないのだ。
例外があるとすれば、彩峰中将……今は大佐の腹心達ぐらいだろうか。



「大尉に敬礼っ!」



 合図と共に一糸乱れぬ敬礼を見せる01中隊。



「国連軍第十一方面軍国連軍白陵基地所属、A01連隊01大隊01中隊金田將一中佐以下12名、ただ今到着した。」

「長い道中ご苦労様でした、そしてようこそ、江田島海軍兵学校へ。 私は案内を任されました米内というものです。」



 米内大尉はまるで型どおりの言葉を言うと、いわゆる営業スマイルを浮かべて武達に歓迎の意を表した。
帝国の人間とは初対面の際、必ず睨まれるか敵対するかしていた武にとっては、このような当たり前の対応でさえ新鮮だ。
とはいえ、武の知っている帝国の人間は斯衛の月詠中尉達や、帝都防衛隊の狭霧大尉といったごく一部の人間にすぎないのだが。



「実は現在校長殿はご来客と会議中ですので、まずは先に兵舎へとご案内致したいのですがよろしいでしょうか?」

「うむ、よろしく頼む。」



 金田中佐は予め分かっていたかのように迷い無く首を縦に振った。



「はっ、それでは移動用に車両を用意したので、皆さん分乗して頂けないでしょうか? 宿舎までは少々距離がありますので。」

「諸君、聞いての通りだ。 各員、大尉の指示に従って速やかに各車両に分乗せよ。」



 「了解!」という声が重なり、大尉の指示に従って各々の荷物を手に兵員輸送トラックへと乗り込んでいく01中隊一行。
たった2人、金田中佐だけは米内大尉と共にジープへと乗りこんだ様子が見え、武は少し驚いた。
やはり隊長、しかも佐官殿といった身分にもなると、同じ隊でも他の隊員とは別格な扱いを受けることがあるらしい。



「うわ、板張りかよ。」



 孝之の押し殺した悲鳴を聞き流しながら武もトラックへと乗り込む。
なるほど、座席はいかにも固そうな"ただの木"で作られており、クッション性は全く見込めそうもない。
痔の時には、絶対に腰をかけたく無いなと、武は冷や汗を掻いた。

 武達が乗り込むと、間もなく車は出発した。
舗装された道路を走っているとはいえ、振動が板から直に響いてくるため、お世辞にも乗り心地が良いとは言えない。
普段は衛士強化装備で身を包んでいるため、この程度の衝撃は露とも感じないはずだが今着ているのは国連のBDUだ。
ただの布きれでしかないそれに耐衝撃吸収機能などついているはずもなく、背骨に直に来る痛みに顔をしかめざるを得ない。
あまり長いこと座っていると、文字通り「尻の青い若造」になってしまいそうだ。

 幸運にも武の不安は杞憂に終わり、程なく外来用の兵舎前へとたどり着いた。
建物は白のコンクリート製で、そのデザインはよく言えばレトロ、感じたままに言えば古くさい。
明治時代と言えば流石に古すぎかも知れないが、どことなく洋風の建築様式を彷彿とさせるデザインだ。

 年期を伺わせる汚れ、特に雨水とほこりのせいで出来ただろう染みが見窄らしさを際立たせている。
見渡せば周囲の建物も、まるで昭和の時代に遡ったかのような木造建築ばかりで武は思わず絶句した。
もう、ここにある建物それだけで歴史的価値が認められるのではないだろうか?



「驚かれました? 何しろ建物の修繕費用が下りないもので……。」



 武達の視線を察したのか、米内大尉が頭を掻きながら勝手に答えた。



「相変わらず……か。」



 金田中佐がボソリと呟く。



「それでは、中を案内いたしますので着いてきて下さい。」



 米内大尉に促されるままに、まるで新入生が先輩の後について歩くが如くおっかなびっくりに建物へと足を踏み入れる武達。
しかし外観とは異なり、室内の清掃はかなりのレベルで行き届いている……ひょっとすれば、白陵基地以上かもしれない。
やや古ぼけてはいるものの、不潔な様子やカビなどの繁殖はほとんど無く、清潔そのものだ。
どうやら武達しか建物内を歩く者はいないらしく、歩いた足音が反響して何とも言えない雰囲気を醸し出す。

 部屋は一人につき一部屋用意されていた。
指示された部屋に入り、武は再びその完璧なまでのベッドメイキングに仰天する。
白陵基地の自室と比べて、比べるのがおこがましいほどに整理が行き届いていたのだ。
完璧なまでに整頓された室内の様子に、武の帝国軍に対するイメージはより神経質なものへと変化した。



 荷物をドサリと床に下ろし、うんと背伸びをしながら周囲を見渡す。
簡素なベッド、机や衣類掛けといった調度品はどれも超機能的なデザインで、いかにも海軍らしい。
部屋は白陵のソレより狭いが、生活には何の支障もないだろう。

 武はそのままドサリと布団に倒れ込むと、目を閉じて思考の海へと埋没した。
意図せず、対BETA戦闘緒戦の主戦場となる中国地方へとたどり着いてしまった……。
しかし、戦況の大局に自分が与えられる影響は、焼け石に水どころか、大海の一滴に等しいだろう。

 1度や2度の戦闘で勝利を収めたからと言って、全体の勝利に結びつけられるわけがない、物量に潰されるのがオチだ。
そして何より、一度大きく歴史を変えてしまえば、未来を知っているというアドバンテージはその時点で消え失せる。
すなわち、未来を知っているというそれだけではアドバンテージたりえない。
そして何よりも、たかだか個人の力でどうにか出来るほど戦争は甘くない。
それは前の世界で十二分に理解している。

 しかし、だからといって何もしなくて良いわけでは決して無い。
今できることを精一杯果たし、己の未来を勝ち取っていかねばならないはずだ。

 そう考えてみれば、今回の任務は個人が大勢を変えられる数少ない機会なのではないだろうか?
もしも帝国軍に1人でも多くXM3を教えられる人材を用意できれば、遠からず衛士の平均寿命は飛躍的に伸びるだろう。
兵士が温存できれば、それはすなわち反撃の機会を残すことにも繋がる。
ベテランの衛士の育成・温存が、対BETA戦争終結への近道になるだろうことは疑いようもない。
と、ドアを叩く音が聞こえ、武は我に返った。



「オレだ、孝之だ。 20分後、校長に挨拶しに行くから、17:10までに正装に着替えてエントランスに集合だってさ。」

「サンキュ-、孝之。」



 武は勢いを付けてベッドから起き上がると、身支度を調えるべく鏡と向き合った。
着慣れない国連軍の将校服……どうにも堅苦しくてかなわない。

 試しに帽子も被ってみて、あまりの似合わなさに「ああ、絶対に純夏には見られたくないな。」と思う武。
彼女に見つかれば、間違いなくネタにされて馬鹿にされるに違いない……その時は叩き倒してやるつもりだが。
しかしそれは有り得ない仮定だろう、何故なら彼女は遠い陸の向こうにいるのだから。



「はあ……。」



 鏡の前で一人溜息をつく武。
その後ろ姿には、何故か哀愁が漂っていた。







 武が支度を終え、エントランスルームへ着いた頃には、すでに隊員達が皆揃っていた。
どういう訳か皆、あの日比野中尉でさえ制服を着こなしており、武は目を丸くする。
ひょっとすれば、自分が最も似合っていないんじゃないだろうか?



「遅いだろ武、なにやってたんだ?」

「わりい、あんまり着慣れないもんだから、ちょっと手間取ってな。」



 苦笑いを浮かべて武は先に到着していた慎二に挨拶した。
めずらしく孝之もすでに到着しており、暇そうに視線を漂わせている。



「まだ時間じゃないよな?」

「ああ、というか、かく言うオレ達もさっき着いたばっかりなんだけどな。」

「なんだ、そうだったのかよ。」



 武は笑いながら孝之の言葉に応じた。



「……白銀少尉、ネクタイが曲がって居るぞ。」

「――っ! 失礼しました佐倉中尉。」



 佐倉中尉に指摘され、慌ててネクタイを直しにかかる武。
そんな彼の行動を制するように佐倉中尉はガツンと武の頭を殴り、ネクタイを掴むと、思いっきりグイッと閉めた。
「グエッ」と、思わず武が呻くのを無視して、中尉は慣れた手つきで武のネクタイを整える。



「いずれは慣れるだろうが、この程度の事が自分で出来ないでどうするんだ?」



 そう言う佐倉中尉は完璧なまでに服を着こなしていた。
ひょっとして、慣れているのだろうか? 今ココに集まっている隊員達の中では一番平然としているように思える。



「まったく、まさか"ガールフレンド"が居ないと何も出来ないのか?」

「……ガ、ガールフレンド?」

「別にとぼけなくても良いだろ。 何て名前だったか、黄色の大きなリボンを付けた、09中隊のす……す……。」



 黄色いリボン、09中隊まできて武は悟った。
どうやら佐倉中尉は純夏のことを言わんとしているらしい……しかしそれは、とんでもない勘違いだ。
武が誤りを正そうと口を開きかけたその時――武の言葉を遮り、大橋大尉が佐倉中尉を怒鳴りつける。



「もう、佐倉中尉! な~に新入りにちょっかい出して遊んでるのかしら?」

「……別にこのぐらい良いだろ? スキンシップだよスキンシップ。」

「スキンシップだかなんだか知らないけど。 程々にしなさいよ?」

「わかってるって……。」

「……今から江田島の学校長に会いに行くってのに、なんでよりにもよってアンタがそんなに落ち着いてるのよ。」

「そりゃあ、なあ? いつ何時も平然としているのが良い兵士の基本……じゃないのか?」

「ぐっ……確かにアンタの言うとおりね。 と、とりあえず舐められるようなことはしないでよ!」


 まくし立てる大橋大尉は、いつになくそわそわしている。
落ち着かない様子で通路を行ったり来たり……正直、傍から見ると彼女のほうが目立っている。



「(……佐倉中尉。 なんだか大橋大尉、いつにも増して張り切ってません?)」



 武は佐倉中尉に耳打ちした。



「(ああ、大橋大尉は教導隊の出身だって話はしただろ? 実はそれだけじゃなくて、富士学校の卒業生なんだ。)」

「(富士学校の?)」



 武が聞き返すと、佐倉中尉は頷いた。



「(ああ、そうだ。 ちなみに富士は帝国No.1と言っても過言じゃない学校だが、ココほどじゃない。)」

「(……そうなんですか?)」

「(ああ、そうだとも。 何せココは世界で3本の指に入る学校だからな。)」



 そう言う佐倉中尉の顔は、何故か誇らしげだ。



「(まあ、おおかた大尉が緊張している原因は、陸軍の富士学校出身衛士としての対抗心と興味からだろうな。)」

「(おっと、その話をするんだったらオレ達も混ぜてくれよな?)」



 突然後ろから割り込んでくる大竹政文中尉。
そんな彼に対し、佐倉中尉はあからさまに迷惑そうな視線を向ける。



「(政文っ?! お前一体どこから……。 こんなに集まったら大尉に怪しまれるだろうが!)」

「(まあまあそう言うな友よ。 そうだな、その話をするならまずオレ達の馴れ初めから……。)」

「うおっほん。」



 武達の内緒話を遮ったのは、大橋大尉の大げさな咳の音だった。
ギクリと体を震わせる3人をジロリと睨み、大橋大尉は続けざまに言う。



「ねえアンタ達、さっきからずっっっと聞こえてるんだけど? 別に隠すような話じゃないでしょ?」

「あ……ああ。」

「なら普通に話せばいいじゃない、"『江田島』の卒業生さん"?」



 嫌みたっぷりに吐き捨てる大橋大尉。
向かう視線の先を辿れば、佐倉中尉の姿。



「……え゛え゛っ!」



 武の叫び声と、聞き耳を立てていたらしい孝之と慎二の悲鳴が重なる。



「さ……佐倉中尉ってココの卒業生なんですか?!」



 孝之が佐倉中尉に詰め寄った。



「ま、まあ一応、な。」

「金田中佐、福山大尉、ついでに大竹兄弟もココの出身なのよ? なんだ、知らなかったの貴方たち!」



 そう言ってからからと笑う日比野中尉。
兄弟が揃って首を縦に振っていることからすると、本当のことらしい。
……ということは何だろう、隊の約半数がここ、江田島の出身というわけだろうか?



「まあ、基本的にA01の連中はココか富士の連中ばっかりなんだがな。」

「その割にアンタたちはマナーが成っていないようだけどね。」



 挑戦するように獰猛な笑みを浮かべて佐倉中尉に突っかかる大橋大尉。



「郷にいらば郷に従え。 香月博士の部下になったからには、やり方も合わせなくちゃいけないでしょう、大尉殿?」



 負けじと佐倉中尉も言い返す。



「要するには、染まった訳ね。」

「む……。」



 けんか腰のやり取りを、横で福山大尉がやや表情を険しくして聞いている。
しかし、彼は元々難しい顔をしているため、何を考えているのかはよく分からない。
ひょっとしたら「一緒にするな。」とでも考えているのかも知れない。

 しかしそれにしても、誰も国連の雰囲気、もしくは香月博士のやり方に染まった、という言い方には反論しないらしい。
夕呼のいつもの様子を思い出し「無理もないか。」と、あっさり納得する武。



「盛り上がっているところ済まないが、そろそろ時間だ。 出発するぞ。」

「――っ、はっ!」



 金田中佐が一声掛けるや、不毛な舌戦を止めて姿勢を正す01中隊の面々。
オン・オフの切り替えの早さでは、A01は他のどの隊にも負けないのではないだろうか?
あまりにも切り替えの早い仲間達の様子を見て、武は驚きと呆れと賞賛とが入り交じった感情を抱いた。



「任務に向け士気を高めるのは構わん。 しかし言うまでもないが、非礼の無いようにな。」



 付け足した金田中佐の声色からは、呆れと疲労が滲み出ていた。



 徒歩で本舎へと向かう一行。
途中帝国軍衛士達から奇異の視線を受けながらも、特にこれといった問題は起こらない。
それよりも武には、兵舎から本舎までの道のりに連なる建物群を眺める間に気が付いたことが1つあった。
どの建物も見てくれこそ古ぼけ、汚れて見えるが、実際は非常に清掃が行き届き大切に使われているようなのである。

 これは自分たちも基地生活には相当気を遣わなければならなそうだと、思わず身構えてしまう武。
そして、その覚悟に誤りがなかったことを痛感するのはもう少し後の話である。


 慣れた様子で受付の事務官に所属を名乗り、取り次ぎを頼む金田中佐。
程なく一人の案内役――例の米内大尉だ――が現れ、01中隊は学校長室の手前まで案内された。

 建物内の様子は白陵衛士訓練学校とさして変わりない。
程なく校長室手前までたどり着くと、隣の応接室のドアを3度ノックし入室の意を伝える中佐。
程なく入室の許可がおり、武達01中隊はコールナンバーの順番通りに入室した。
部屋は調度品こそ1級品であったが、悪趣味な装飾などはなく、質素に徹していた。
黒檀の長テーブルにモダンなデザインのイスが、英国の貴族邸宅を連想させる。

 そして部屋の中央には2人、中隊員を待ち受けている者が居た。
一人は海軍の将校服を着ており、もう一人はどういう訳か陸軍の将校服に身を包んでいる。
二人とも死線をくぐり抜けてきた猛者らしく、凄まじい威圧感に武は思わず尻込みしそうになる。
特に陸軍の将校から感じる視線はいちだんと強く、金田中佐すら心なしか気押しされているようだ。
何をもって睨まれているのかわからず、武はただ唾を飲み込む。



「国連軍第十一方面軍白陵基地A01連隊01大隊、金田將一以下12名、ただ今到着致しました。」

「うむ、長旅ご苦労だった。 確かに、到着を確認した。」



 左側に座っていた海軍式将校服の男がニコリと笑いながら返答した。
どうやら、彼がこの学校の学校長らしい。



「金田、福山、大竹兄弟に佐倉か。 貴様達は、我が校の卒業生の中でも抜きんでていたな。 期待しているぞ。」

「恐縮であります。」



 そう言って軽く頭を下げる金田中佐ほか4人。
しかし、彼ら以外の隊員達の目線は、すっかり隣の陸軍将校に集まってしまっている。
その強い視線もそうだが、何よりも外見的特徴が目を引く。

 猛禽類の類を思わせる鋭いつり目、細く長く伸びた眉に、スラリと伸びた鼻筋。
顔の彫りは全体的に浅く、野性味の中に気品を感じさせる――どこからどう見ても美男子だ。
しかも、どちらかというと女性受けしそうな顔立ちである。
歳は……恐らく40代ぐらいであろうか。



「ああ、この際だ、貴様達にも紹介しておこうと思う。」



 校長がふと思い出したかのように切り出した。
妙な予感――肌をちりちりと焼くような不吉な予感を感じ、武は全身を緊張させる。
校長は武の変化に気が付くわけではないようだが、しかしどこか遠慮がちに口を開いた。



「私の隣に座っておられるこの方は、先月、中国地方及び基地防衛のため呉に配備された帝国本土防衛軍 第12師団『鋼の槍』連隊隊長の――」



 最後の単語が聞こえて来たと同時に、気配を察した武は今まさに崩れ落ちかけていた紫苑の体を支える。
一瞬にして紫苑の顔から血の気が引いていく様子を見て、武は事の重大さを再確認した。



「……金田中佐! 紫苑の具合が悪そうなので、医務室に連れて行ってやっても良ろしいでしょうか?」

「――私の権限で許可する。 大竹少尉、貴様も付き添ってやってくれ。」

「了解しましたっ。」



 紫苑の様子を見守る隊員の顔は、驚きよりも深い同情に満ちていた。
当たり前だろう、よりにもよって“彼”が目の前に突然現れたのだから。



「部下がお騒がせしまして申し訳ありません。 私の不徳の致すところであります。」

「う、うむ……いや、不測の事態というのは何時でも起こりえるものだ。 ああっ、米内大尉、彼らを案内してやってくれ。」

「はっ、了解しました。」



 金田中佐が学校長に謝っている――これは後で折檻だな。
武は苦笑いしつつも、胸の中で真っ青な顔で震えている紫苑の体を支えた。
唇は冷や水を浴びせられてが如く真っ青で、発汗がひどい……恐らく、精神的ショックによる貧血だろう。
武は紫苑の脇を抱えて彼の体重を支えようとして、まるで女性のように華奢な彼の体に驚いた。



「タケル……ごめん。 ボクのせいで……。」

「気にすんなって。 あー、弘文! 反対側から支えてやってくれないか。」

「わかった。 紫苑、今医務室に連れて行ってやるから、あともう少し辛抱してくれよ。」



 紫苑の両脇を武と弘文で支え、米内大尉の後について無言のまま廊下を歩く。
医務室への道すがら、チラチラと紫苑の様子を確認する武。
過呼吸を引き起こしているのだろうか、息が不規則で、かなり辛そうだ。

 彼が異常なまでの反応を見せた元凶――それは、あの場にいた陸軍将校だ。
学校長の口から出た彼の名前は、A01連隊、とりわけ01大隊にとっての鬼門だった。


 ――「彩峰大佐」
光州作戦にて民間人の保護を優先する余り指揮系統を混乱させ、A01の大被害を間接的にも生み出した張本人。
……彼の姉、水代葵の命を奪い、彼の隊を全滅させる原因を作った、彼にとっての仇敵。
いかに彩峰大佐の行為が倫理的に貴くとも、彼の罪や犠牲となった命に対する言い訳にはならない。

 運命のいたずらとは、まさにこういう事を言うのだろう。
武達は紫苑を励ましながら、医務室へと続く暗く長い廊下を歩き続けた。


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