――序文――
それまで外部に興味を示さず東洋の小国であり続けていた日本帝国が世界進出を開始した切っ掛けは何だったのか。
豊臣政権による天下統一がその一端であるというのは衆目の一致する所ですが、16世紀後半から始まる世界進出を、何人かの特定個人に焦点を合わせて史実の流れに沿って考察してみる事は歴史研究に新しい観点をもたらす物と思います。
まず、基本認識としておきたい事に次の四点があります。
①潜在していた日本のマンパワーは元々西欧諸国を上回っていた。
(別紙XX頁参照。16世紀末の世界各国の人口比)
②とはいえ、アジア圏においては明国、ムガル帝国と日本を上回る人口を抱えた国も幾つもあった。
③しかしそれらの所謂大国は海外進出を可能とする能力を持ちながら、様々な理由からそれを行うことは無かった。
(一番大きな理由は大陸国家であったことが大きい。)
④日本本体は国内統一したばかりであり、全体的に上り調子であった。
以上の点から見て、日本は海外進出してもおかしくない社会環境を整えていたと言えます。
しかし、してもおかしくない事と実際に進出する事には大きな違いがあります。
例えば豊臣でないもっと閉鎖的な政権であったなら、あるいは鎖国などという歴史に取り残されるような方向に国の舵を取っていたかも知れないのです。
それでは何故、日本は海外を目指すことが出来たのか?
歴史的に見て島国である日ノ本は、国内だけで纏まろうとする傾向がありました。
私たち歴史家はそこに、大きな人の意思を感じざるを得ません。
歴史はいつも人の意思によって積み上げられていくのです。
―――――歴史書『日本の軌跡』の序文より抜粋―――――
*この作品は原作者そる様に二次創作おっけーの認可を頂き投稿させて頂いております。
*08/12/19 文体修正および細部の加筆、分割を行いました。
*08/12/27 細部の加筆修正、文字列の位置微修正を行い、チラシの裏からその他板へ移動しました。
*09/03/18 その他板からチラシの裏に移動。2話をアップしました。
*09/03/26 1話、2話の加筆修正を行いました。
*09/03/27 チラシの裏からその他板に移動しました。