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[6318] 異界の扉は⇒一方通行 『ゼロ魔×禁書』
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:e4b7aa8d
Date: 2011/02/28 13:22
『注意』

・いろんな人の様子がおかしいです。
・ちょこちょこと小ネタあります。苦手な方は気をつけてください。
・記事名の「00/~~」は読んでも読まなくてもいいです。
・誤字脱字があったら教えていただけると嬉しいです。
・このssは「一方通行もしかして天使?」くらいまでの設定を使って書いています。二次殺しにそげぶされないという保証はありません。そげぶられたら、独自設定などが出てくることになります。
・このssは「ハルケギニアやばい浮く」くらいまでの設定を使って書いています。二次殺しにノボルされないとも限りません。とある魔術の禁書目録との噛み合せが悪かった場合や、ノボルされた場合は独自の設定が出てきます。


頑張ります。よろしくお願いします。



[6318] 01
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:e4b7aa8d
Date: 2011/06/23 00:39




『手前ぇは何でそんな簡単に人を殺せるんだ!』


未だに耳に残るその台詞。
そんなのは簡単な事だ。答えなんかとっくの昔に出ている。
だから、こう答えた。


『あァ? 殺される為に生まれてきてンだから殺すのは当然だろうがよォ』


それは本心だっただろうか。偽りだったろうか。
だがすでに一万三十一人のサツジンを犯しているこの身としては今更手を引けるような状況じゃなかったのは確かだ。
───だからかもしれない。


『ふざけんじゃあねぇ!! そんな幻想、───俺がぶっ潰す!!』


あのクソ忌々しいガキがそう言ったのに対して自分は救われるかもしれない、なんて淡い希望を抱いてしまった。
その右腕で、何事にも侵されることの無かった神域を壊してみせろ。そう、思った。

決して、断じて、負け惜しみではないがヤツを殺す方法はその場で考えただけで八十四通りほど浮かんでいた。
それをしなかったのは単なる気まぐれで、自分では殺すしかなかった『妹達』をそいつなら救えるかも知れないと思ったから。
あのガキは救ってみせるとほざいた。それならそれでいい。

所詮この身は『一方通行』。救いの手を差し伸べられてもそれを跳ね除け直進するしかない。それしか出来ない。





01/『異界の扉は一方通行』





もぞり、と薄いシーツに包まった物体がうごめいた。
学生寮の一室。ベットの上。特に珍しい光景でもない。今は早朝で、カーテンの隙間から覗く太陽の光に当てられて睡眠からの覚醒が始まったのだろう。

なんら珍しい光景でもない。だが、その部屋が異常ではあった。

住人は物欲に乏しいのか、基本的に物が少ない。しかしこの部屋からはどうにもごちゃごちゃとした印象を受けてしまう。
その原因たる物ははっきりとしていて、ただ部屋そのものが崩れかけているだけだ。
主が寝ている寝具は無事なようだが、その傍にある壁には大穴が数多く開いていた。何をどうしたらそのような惨状になるのか疑問ではあるが、穴は開いているのである。さらには寝具以外で唯一の家具であろうソファーも中から弾けたようにスプリングがいたるところから飛び出している。
そのような破壊の痕はいたるところに及んでおり、まるで何かの武装組織に襲われたといったような有様だ。


「うぉあっ」


その馬鹿部屋の住人、一方通行は突然はねる様に飛び起きた。
ぜっぜ、と荒い呼吸を落ちつけるように顔に手をやる。びっしょりと濡れる感覚。かなりの量の汗が彼の顔には張り付いていた。


(……気持ちわりィ。悪夢で飛び起きるなンて柄じゃねェだろォが)


その事実を無きものにするように、汗を吸った拳を握りこみ壁に叩きつける。
ゴギャ、という音を立てて見事に拳が壁にめり込んだ。
一方通行は穴だらけの壁を一瞥すると舌打ちをひとつ。とりあえずこの不快な汗をどうにかするべくバスルームへ向かった。





最後に食事を取ったのはいつだったろうか。
少なくとも『アイツ』にぼこぼこに殴り倒されてからは一度も食事をしていない。もともと食が細いせいもあるのか、この二日は水分しかとっていなかったがそろそろ限界のようだ。

一方通行は『反射』で身体にまとわりついた水分を残らず弾き飛ばすとバスルームから這い出た。

正しく這い出た。

肉体を動かす為の養分が足りていない。
一方通行のベクトル操作は脳内で演算した『答え』を現実に送り出す能力だ。身体をまとう『反射』はすでに癖のようになっているが、あの時の戦闘で使った、空気中のベクトルを操り竜巻を起こすような現象は疲れる。頭の中で演算する計算量が半端な数ではない。そしてさらに、脳を働かせるという行為は人間の行うどのような行動よりもカロリーを消費する。要するに、

ぎゅるる。腹の虫が鳴いた。


(人間は一週間なら水と塩だけで過ごせるンじゃねェのかよ……)


よたよたと思い通りに動かない身体に喝をいれ、財布だけを尻のポケットに突っ込んだ。

この家には食料は無い。あるのは気に入って馬鹿買いしたがすぐに飽きてしまった無糖缶コーヒーの山だけ。糖分が無いのなら当然カロリーは少ない。いくら飲んだ所で今の状態を維持するのが精一杯だ。
食料が必要だ。なるべく甘く、糖分がたっぷりと入って、さらには空腹を埋める物が良い。

意を決して一方通行は食い物へと続く扉を開けた。
瞬間、ギラリと照りつく太陽。どうにも今日は真夏日の様だった。

もう条件反射、または癖のようになっている『反射』を使用。
一方通行は色素欠乏症だ。燦燦と降ってきている紫外線には弱い。すぐに肌は赤くなり、アレルギーではないかと思うほどに水ぶくれが出来てしまう。その為の防衛手段だったのだが、それがさらに体中のエネルギーを奪っていく。


「───っぐ……学園最強の能力者が餓死じゃ洒落になンねェぞ」


一方通行は皮肉げに唇をゆがめながら、こんな事になった原因であるとある幻想殺しを脳内で二百二十三回は殺しながら食糧確保に向かうのだ。





やけに学生が多い。
いや、ここは学園都市だ。学生はもちろん多いはずなのだが、今日は休日ではないはず。
今は午前十一時を少し回ったところで、このような時間は普通の学生なら学校で授業を受けている時間なのではないだろうか。


(まァ俺には関係ねェか)


厳密には一方通行も学生ではある。
しかし彼のカリキュラムは通常の物とは違い『絶対能力進化《レベル6シフト》』に重きを置いたものであり、所謂学校には通っていない。だがそれも上条当麻によって打ち崩された。これでもう一方通行はサツジンを犯さずにすむ。


(ハッ、犯さずにすむ、ねェ……)


一方通行はくだらない思考をカット。学園都市ではそれなりの人気を誇る喫茶店へ。
二十四時間営業であり、一方通行も何度か利用した事がある喫茶店。静かでそれなりに気に入っていた店だ。いつもは夜、それも深夜にしか来ないのだが、今日はいつもと雰囲気が違っていた。とにかく、混んでいる。
この店にここまで客が入っているのを見たのは初めてかも知れない、と内心の驚きを顔に出さないようにしながら店員が近づいてくるのを待った。


「申し訳御座いませんお客様。ただいま店内混みあっておりまして。お待ちになるか、または合い席という事になりますがよろしいでしょうか?」


辺りを見回してみれば、確かに席は空いてないようだ。ただでさえそれほど広くない店内。見れば軽いすし詰め状態。
合い席というのは気に入らないが仕方が無いだろう。現状を鑑みるに、これは死活問題だ。真剣に餓死が迫っている。

しかし、合い席といっても空いている所はあるのだろうか。一方通行は外にあるベンチにも数人、席が空くのを待っていた者がいるのを思い出した。
もしかしたら何処も空いてはいないのではなかろうか。


「合い席ってェことは空いてるトコがあンだよなァ?」

「はい、あちらの席になるのですが……」


店員は手のひらを上に向けて店内の角席を指した。
学生が二人。こちらに背を向けているので顔はわからないが、あの制服はこの学園都市内でも有名なお嬢様学校、常盤台中学の制服であった。


「なにぶん有名なもので、他のお客様も敬遠なさるようで」

「……かまわねェ」


一瞬、一方通行もやめようかと思ったのだが、なにぶん相手は人間の三大欲求のひとつである食欲だ。しかもそいつはさっさと食い物をよこさねぇと殺す、と切実に訴えかけてきている。早めに何か腹に入れなければ本当に死ぬのだ。

一方通行の葛藤を何か別の物と勘違いしたのか、店員はにやりといやらしい笑みを浮かべ、


「では、こちらへどうぞ」





。。。。。





その日、白井黒子は心底上機嫌だった。

その理由は簡単で、彼女がお姉さまと慕う御坂美琴の機嫌が良いからである。
ここ最近、何かに悩むようにして伏せっていた憧れのお姉さまの機嫌が良くなったのだ。二日前から。

いつもはスタンガン程度に威力を抑えた電撃が来るであろう『瞬間移動抱擁《テレポーテーションハグ》』をしても“もう、仕方ないわね”で終わった。
ついに自分の愛が届いたのだと思い、物理的に合体を果たすべく急いで服を脱いでいたら電撃が来たのだが。
何にせよ、彼女の機嫌が良いのはとてもとても良い事である。

そして今、黒子は美琴と共に食事に来ている。
大覇星際準備期間という事で授業は午後から。“それならあそこでお昼を食べていきましょう”という美琴の誘いに黒子は喜んで食らいついたのだ。
店内は随分と混んでおり始めは合い席になるかも知れない、と美琴とのデート(だと黒子は思っている)を邪魔される危惧が浮かんだのだがそんなことも無く平穏無事に。
“合い席になるかもしれませんから”と、自然に美琴の隣に座り、偶然を装いすでに七回は太ももを撫で回している。いつもなら三回目あたりでビリビリが来るのだが今日は何度やってもこない。来る気配も無い。

先ほどから美琴の話の話題が上条当麻という人物一色なのは気に入らなかったが、それでも黒子にとって彼女の隣に居られて太ももの感触を堪能できる今は至福の時間だった。
だったのだが、


「失礼します。合い席のお客様をご案内してよろしいでしょうか?」


その一言で至福の時間は終わってしまった。


(まったくよろしくないです! わたくしとお姉さまの至福の時間を邪魔しないでくれませんこと!?)


黒子はギラリと店員をにらみつけた後“断ってください!”と視線に言霊をのせ美琴を振り向いた。
きっと美琴なら自分の思いを汲み取ってくれて、丁重にお断りするはずだ。


「うん、いいんじゃない」

(ああん、おねえさまぁ!)


軽い調子で美琴はうなずいた。


「では、ご案内させていただきます」


黒子の意に反して颯爽と踵を返す店員を視線だけで殺せそうな目でにらみつけながら、いったいどんなやつが来るんだコンチクショウ、とこちらに重い足取りで歩いてくる人物を視界に入れた。


(お姉さま級の美人じゃないと、ゆる、さ、な……)


そこに見えた人物。


「───いいっ!?」


黒子は思わず口から漏れてしまった声を手でふさぐ様にして一気に目をそらし、乗り出すようにしていた身体を全力で引っ込めた。
背後からこちらに近づいてくる足音に絶望を覚える。


「ちょ、どうしたのよ?」


美琴は余りに挙動不審な態度を諌める様に眉根を顰めたが、黒子はそれどころでは無かった。
別にかくれんぼをしているわけではないのに呼吸を浅く保ち、気配を殺してしまう。

黒子の要望どおり、歩いてくる人物は確かに美人だったのだ。
ちらりと視界に入った白髪は、何処のビジュアル系気取りが来やがったかと思ったがよく似合っていた。肌は雪のように白く、瞳は血の色。男なのか女なのかよく分からない風貌。肩幅は狭いが男性っぽくはある。腰は女性的に少しふっくらとしているような気もするが、気のせいだろうか。決め手はその顔のパーツ。若干切れ長の目に、すらりと顔の中央を走る鼻梁。少し薄くはあるが綺麗な赤色をした唇。
確かに、美人なのだ。

だが、それは外見だけの判断。

その人物はこちらの面子をちらりと見るとはぁ、と大きくため息をつき気だるそうに腰を下す。
同時にバクバクと黒子の心臓が高鳴りだした。
黒子は己の『瞬間移動能力者』としての力を思う存分に発揮する為に、生徒による学園都市学園自治組織『風紀委員《ジャッジメント》』に所属している。
そこではこう教わるのだ。

ヤツには手を出すな。手を出せば殺される。
ヤツには近づくな。近づけば壊される。
ヤツの能力の前には等しく何もかもが無意味。戦略兵器を人間一人で相手にすることはできない。

そう、教わる。


「よぉ、合い席オジャマシマス」


その人物、『風紀委員』の仲間を何人も再起不能にしたレベル5能力者はそういって黒子と美琴にぺこりと頭を下げた。


「あ、ああ、あく、せられ……た……?」


ようやく思考の海からの帰還を果たし、黒子は聞いた。
いや、聞かずとも分かっているのだが聞かずにはいられなかった。他人の空似であることを祈りながら。
もちろんその願いは、


「ハイ、『一方通行《アクセラレータ》』デス。ひゃひは」


一方通行の邪悪な笑いの前に一蹴された。

そう、今日この日、白井黒子は上機嫌『だった』のだ。





「なんのつもり?」


自分の声に自分で驚愕した。
まさか自身の口からこのようなドス黒い声が出るとは思わなかったのだ。
見れば黒子も美琴の発した声に驚いているようでちらちらと横目で盗み見してくる。

目の前に居る人物。美琴の『妹達』を一万人以上殺した者。

割り切ったつもりではいた。あれは美琴自身の弱さも原因だ。一方通行だけを糾弾しても何の解決にもならない。
美琴はふぅぅ、と自信を落ち着ける為に長い息を吐き、ごめん今のナシと手を振った。


「ふぅ。……で、何しに来たのよ」

「あァ? 飯食いに来たに決まってンだろォが」


美琴の問いに一方通行はやや気まずそうに答えた。
一方通行としても今会いたくない人物ナンバーワンの美琴に会ったというのはやや堪えるのか、面倒くさそうに髪の毛をかき上げながらメニューを開く。

その答えが、その様が美琴には気に入らない。
自身が殺した人物の親族、もとい同一人物ともいえる者がいるのにどうしてそう平然としていられるのか。


「あら、学園都市最強の能力者でもお腹が空くのね」


美琴としては出来るだけ皮肉っぽく言ってやったつもりだったのだが、当然失敗。対面に居る一方通行からの“何言ってんだこいつ当たり前じゃねェか”という視線が若干耐えられない。さらには隣に居る黒子もオロオロしながら成行きを見ている物だからなんともいえない気分になりながら、やっぱ今の無しと再度手を振った。

ピンポーン。

頼むメニューを決めたのか一方通行が従業員呼び出しのベルを鳴らす。
そんな一方通行の一挙手一投足にぴくっぴくっと反応を見せる黒子をやや不憫に思いながら、この殺伐とした雰囲気をどうにかできないものか、と。


「……何頼んだのよ?」

「何だっていいだろォが」

「……」

「……」


気まずい。この気まずさは尋常ではない。
はぁ、と美琴は何度目かになるため息をついて、もう帰るべきだろうかと隣で小さくなり若干涙目になっている黒子を見ながら思った。


「お待たせしました~。ご注文を御聞きします」

「ジャンボストロベリーミックスパフェ。あと無糖のコーヒー」

「はい、少々お待ち下さい」


店員が静々と厨房に入って行くのを目で追いながら美琴は何とか笑いを収めようとする。
驚愕した。これは一方通行と鉢合わせた以上の驚愕だった。


(一方通行がパフェ……ぷふっ)


思いは黒子も同じだったようでぽかんとした顔を一方通行に向けている。

学園都市最強の超能力者。
近寄ると殺されるとさえ噂がたつ人物。
絶対能力者にまでなれるといわれた『一方通行』が、そんな一方通行が、


「ぷ、ふふ……くく、ぱ、ぱふ……くくく、パフェて……一方通行がパフェて!」

「わ、笑っては、いけませんわ、お姉様、ぷ、くくくっ」

「ンだよ、マズイのかこれ?」

「キャラ考えろって言ってんのよ。ぷっ」


未だに何で笑われているか分かっていない一方通行を見て美琴は初めて同じ人間なんだという確信を持ったのだ。





甘いものが苦手な上に、思いのほか大量だったパフェを悪戦苦闘しながらも平らげ、やけに目を輝かせながら色々と質問してくる黒子を適当にあしらう。非常に面倒くさい女である。一瞬だが、その生体電流を乱して昏倒させてしまおうかとも考えた。
そしてその隣。


(謝るっつーのはなンか違ェか)


そう、御坂美琴だ。
彼女の妹達を殺したのは間違いなく一方通行である。一万三十一人。それだけの数の人間を殺した。
心中は察しきれないが正直、よくも仇である自身を前にして笑っていられる物だと一方通行は思ったものだ。

自分には家族というものが存在しないので当て嵌まらないが、大切な物を傷つけられるのは非常に腹が立つだろう。もし一方通行が何かしらの大切な物が出来、それを破壊されたのならばその者には殺してくださいと言われるまで痛めつけてもまだ足りないに違いない。

であるからして『超電磁砲《レールガン》』である御坂美琴に鉢合わせた時はまぁ一発くらいなら食らってやってもいいとまで思っていたものだが、


(なンか違ェ)


そもそも謝ったくらいで許されるような罪ではないのだ。それほど一万三十一人の妹達と、それより以前に行われていた実験で殺してきた人物たちの命は軽くない。
さてどうした物かと糖分を過剰に摂取して軽くなった頭で考える。

すると美琴がすい、と優雅に席を立った。


「そろそろ行くわよ黒子」

「え、あ、はい」

「っ!」


瞬間、一方通行の体は意に反して動いてた。


「ちょ、ちょっ……なによ?」


なんだろうか。
一方通行自身も分からなかった。気がついたら美琴の腕を掴んでいたのだ。
身体が意識に反する反応をしたことに自身で驚きながらも気を落ち着けるようにゆっくり息を吐き、


「俺の話を聞いていけ」


予想だにしない言葉に本日三度目になる驚愕をし、美琴はなるべく平静を装って黒子に顔を向けた。


「……いいわ。黒子、先に行ってて。すぐに追いつくから」

「ですが……」


黒子は一方通行の方を一瞥し不安げな顔つきになる。
美琴はそんな黒子の心中を察し、


「それなら店の外で待ってて。私が襲われそうになったらすぐに飛んでくるのよ」


少し冗談まじりに言った。





。。。。。





結局。


(そりゃそォだ。ンなもんうまくいくわきゃねェンだよな)


結局対談は失敗に終わった。
話を聞けといったにも拘らず一方通行は何を話していいか分からなかったのだ。
その聡明な頭をフル回転して、悩んで、悩んで、口から出て行った言葉は、


「───俺は、謝らねェぞ」


どこのガキ大将かと。

予想通り、美坂美琴は、そう、と短く頷き颯爽と去っていった。
去っていく時に一度も目が合わなかったことを考えると、怒らせたか。

まぁ、


(関係ねェか)


恐らくもう会うことはあるまい。
コレだけ大々的に実験失敗をかましてしまった。これから俺はどうなるのか。そればかりが一方通行の頭を駆けた。硬く握った手のひらがじっとりと濡れている事に気付き、さらに自己嫌悪。


「柄じゃねェ……ッてンだよ!」


っち、と舌打ちを吐き捨て雑に一歩を踏み出そうとした時、それは起こった。


「……何が?」


くい、と袖を引く感覚。


「───っ!」


別に一方通行は格闘の達人ではない。最強ではあるが。よって、誰かの気配を読む、感じる、などのニュータイプ補正も無い。最強ではあるのだが。
しかしここまで、袖を引かれるまで接近されて気が付かないなど愚の極みだ。自分の命を狙っているやつなどそれこそ五万といる。
0.1秒の思考。
ちり、と首筋が燃える感覚。

瞬間、一方通行は瞬時に演算。背を向けたまま袖を掴んでいた手を反射ではじき返した。


「きゃあ~」


なんともやる気のない悲鳴。
生体電流の一つでもぐちゃぐちゃに乱してやろうかと考えていたのだが、どうにも敵意は無い様子。
肩透かしを食らったように一方通行は振り向いた。

そして、本日何度目かのため息。
ここ(学園都市)に奇人変人が多いのは認めるが、


「……」

「……」

「……」

「……今の。なに?」


巫女は、初めてだ。





「だから。募金」

「ンなモンは善人に頼め」


一体何度この問答を繰り返したか。

名も知らぬ巫女。どうもこの女は募金をしろといってきているらしい。よくよく見れば足元にあるダンボールにはちょこちょこと小銭が散らばっている。何とあつかましい事か。
しかし銀行の前で座り込み、募金を寄越せという根性にはさしもの一方通行であろうと驚嘆したものだ。


「……悪人?」


会話のペースがつかめない巫女は一方通行を指差し言った。


「っハ、真っ向から堂々と悪人だぜ。俺を捕まえて善人といえる奴ァそうそういねェ!」


俺を善人と呼ぶ奴がいたら褒めてやってもいい、と一方通行は続けた。
自覚しているのだ。100%悪人。悪党。悪者。一万人以上を、自らの手で殺している人間は悪党だろう。それに今更善人になりたいとも思わない。
……また、気分が悪くなってきた。

もうコレでいいだろう。そろそろ帰りたい。

だがこの巫女、諦めない。


「じゃあ。募金……して」


一方通行はもともと気が長いほうではない。いや、短い。
流石にこの女を殺したくなってきた。話が通じていないはずはないのだ。それをしつこく食い下がってくる。


(……もういい)


気絶でもさせて帰るか、と生体電流を乱すべく右手を伸ばした時、


「ワルモノはお金持ってたら。悪いことに使うから……募金。して」


っハ、言いえて妙だな、そりゃアよ。





「……」


柄にもない。
こちらもため息と数えて本日何度目だろうか。

結局、募金してしまった。百万ほど。人を殺してもらった金。実験協力代。あの巫女はそれを知らずに使うのだろう。所詮この世はそんなものだ。

がさり、と右手に持ったやけに大きなビニール袋が鳴った。中には白い部分と赤い部分がまちまちの、塗装が随分とへたくそな羽がぎっしりと入っている。
コレはなんだと聞いたところ、募金してくれたからやると言うのだ。
当然、一方通行は断った。のだが、ここでも暖簾に腕押し。こちらの話を聞いているのか聞いていないのか。募金に続き、結局押しに負けてしまった。正直な所かなりいらない。


(捨てるか)


そう思い、その思いのままにビニールを放り投げようとした時、


「っ!!」


突如として眼前に赤い鏡(?)のようなものが出現したのだ。
当然の如く一方通行は一歩のけぞった。そしてこの攻撃を仕掛けてきたものを探るようにあたりを見渡す。


「っく、くく、どこのどいつだァ、この俺に攻撃を仕掛けてくるたァよォ。プチっと蛙みてェに潰しちゃうぞォ」


咽喉からでたのは引きつったような笑い声。
ああそうだ。やはり、『こっち』の方がいい。『こっち』の方が、自分に合っている。今日は自分にしてはおかしな行動が目立った。合い席をしたのもそう。黒子の質問にいちいち答えていたのもそう。美琴の手を引いたのもそう。さらには募金など、それは目も当てられない行為だ。

俺は何だ? 一方通行だ。学園都市で『最強』の能力者だ。悪党だ。


「殺してやンよ。ひゃひっ」


つかつかと足音高く、左手を前に突き出し妙な鏡に向かって歩く。
ちゃちゃっと壊して実力の差を教えてやるのがいいだろう。

身体の『反射』は万全。
目の前の鏡からマシンガンが出てきて掃射されても欠伸をしながら迎え撃つことが出来る。

だが、


「───あァン?」


壊すつもりで触れた鏡に手が埋まった。
とぷん、とまるで水面に小石を落としたときのような波紋が広がり、


「おろ?」


ぱくり、と一方通行を引き込んでしまった。





その日、学園最強の能力者は消えた。
学園が誇る屈指の衛星を使っても探し出せないどこかに。

おろ? という、おおよそ『最強』には似つかわしくない言葉を残して。







[6318] 02
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:4020f1db
Date: 2011/06/23 00:40



「どうかしたんですの、お姉さま?」

「ん~?」

「先ほどからニコニコ……いえ、ニヤニヤ、でもないですわね。何か、ふわふわしてますわ。一方通行となにか?」


一方通行と鉢合わせた喫茶店を出て程なく黒子から指摘され、そこまで酷いかと美琴は口元を指先で揉んだ。

本日は真夏日。快晴。ギラギラ照りつく太陽は女の子の肌には敵にしかならない。一歩でも移動すれば汗は引っ切り無しに毛穴を通過。日焼け止めは流れ落ち、メラニン色素が黒く変色してしまう。はっきり言って、不快だ。不快晴とでも言えばいいのか。
そんな中、美琴は口元をやや歪めながらボンヤリと口を開く。


「ん~、別に何かあったって訳じゃないけど……」

「ないけど?」


この学園都市で『最強』の超能力者、『一方通行《アクセラレータ》』。
その人物に遭遇した今日、驚きの連続で既にまともな思考は出来ていない。
合い席になったのもそう、パフェを頼んだのもそう、そして、

『俺の話しを聞いていけ』

羨ましくなるほどの白い肌。すらりと長く、細い指。いつの間にかつかまれていた腕。それらは美琴に衝撃を与えるには十分な威力を発揮した。
瞬間、感じたものは『死』だったのだ。まずいと思うよりも早く、条件反射で額に電撃が集まったのを覚えている。
しかし、しかし振り向いた先にあるその赤い瞳。真摯な光を湛えるその瞳には、嘘はなかった。


「お姉さま?」

「あ、ゴメンゴメン。まあ結局、私とあいつは……同じくらいに悪いヤツって事よ」

「そ、そんなことありませんわ! どうしたんですのお姉さま、一方通行に何かされまして?」

「そんなじゃないわよ。ホントにちょっと、ほんの少~しあいつの事が分かったかな、ってね」

「……わたくしには、全然分かりません」


それはそうだろう、と美琴は心中ため息をついた。
『妹達《シスターズ》』の実験を知っているのはほんの一部の人間だけだ。
しかし、それはこれから明るみに出るのではないだろうか。数多くの美琴クローンが存在する以上、それは仕方のないことであろう。それに美琴自身もそれでいいと考えている。

世間はなんと言うだろうか。さも自分が被害者のように扱ってくれるだろう。涙の一つでも流せと『どこか』から命令が下るかもしれない。が、美琴にはするつもりなど、同情を引くつもりなど一切ない。

一方通行は言った。『謝らない』と。

喫茶店の、冷房が過剰に効いたその一角。そこで、額に汗をかいていた。それほどまでに悩んで、その末に自分にそれを言いたかったのか、と若干一方通行が間抜けに見えたのは内緒だ。

だって、そんなことは分かっている。当たり前の事だ。
謝られて美琴にどうしろというのか。

一方通行は『妹達』を一万人以上殺した。確かに殺している。
そして美琴は『妹達』を一万人以上、見殺した。
その殺される様を見て、実験施設の機材を破壊するなどの行動を起こすまでに、既に何人殺されていただろうか。

なぜ最初からアクションを起こさなかったか。理由は簡単で、ただ、怖かっただけ。
学園都市で三位という地位。
常盤台中学での生活。
その他もろもろの保身。それを優先した。

そして何人も、何人も何人も殺されていくうちに、美琴は夢を見るようになる。
なぜ助けてくれなかったの? と血みどろの自分が映し出される。程なく睡眠が恐ろしくなり、寝不足が限界を超え始めたところで行動を起こした。

結局、そういうことなのだ。
一番大切なのは自分。何処かのとある無能力者のように、人のために命を投げ出せないでいた。

だから、当たり前のように一方通行を責める事はできない。
一方通行は悪い。美琴は悪い。黙って殺され続ける『妹達』は悪い。実験を提唱した科学者は悪い。許可する『学長』は悪い。
誰が一番悪いなど、そんなもの分からない。
ただ一つ分かること。それはあの実験での善人は、関係など一欠片もないのに強引にキャストに入り込んできた上条当麻、ただ一人。

それを分かった上で、一方通行は『謝らない』。
だから“そう”と軽く返事を返し店を出たのだ。


「んぅ~っ……!」


美琴は考え込みすぎて硬くなり始めている肩を、伸びをするようにしてほぐした。
らしくないな、と自身を否定。もっと動こう。もっともっと、頭より先に身体を動かすのが自分の性分のはず。

起きたことには後悔しか出来ない。けどこれから起こることには今のところ後悔はないだろう。是非とも喜びを選び取りたい。
だから、


「黒子」

「はい、なんでしょう?」

「言ってなかったけど……私ね、妹がいるの」

「それはそれは、さぞかしお姉さまに似て可愛らしいのでしょうね」

「ん~、可愛いかどうかは分からないけど……うん、すごく似てるわよ」


そこで黒子はふと疑問を表情に出す。


「双子ですか?」

「違う……けど惜しい」

「そういえばお姉さまにはお姉さまがいらっしゃると……。妹さんはお一人なんですの?」

「んふ」


そして美琴は若干気味が悪い笑みを浮かべる。


「10000人よっ!!」


不思議な顔で、黒子の時は止まった。
言った本人、美琴も。





02/『マホーツカイ』





どんっ! と耳を劈く爆音。煙幕のように広がる土煙。
辺りが見えないその中で一方通行が感じたものは『移動』だった。確かに自分はアスファルトの上に立っていた。それが今踏みしめているのは土。目の前の赤い鏡(?)のようなものを触って、飲み込まれて、初めて感じたものだった。

己の『反射』が通用しなかったことに、既に動揺はない。
それは既に経験済みの事態だった。その聡明な頭脳で思考。学園都市に一人いたのだ。どこかに『最弱』と似たような存在がいたとして、何を驚こうか。

上条当麻との戦闘経験は一方通行にとって、確かにプラスに働いていた。
全力。全ての力。己の限界。未知の領域。その果て。そして『絶対能力《レベル6》』。
一方通行は確信している。己以外に『6』の領域に届く存在はいないと。自分自身が最強で、それ以外は弱者。

1。『最弱』となんら変わりない、蟻と同義の存在。
2。蛙と同じ。アスファルトにへばり付いてカリカリになっているのを想像。
3。一万人と死合っても傷一つつかない。
4。右手一つで了。
5。自分と『それ以外』。
6。己が未来。

くく、と咽喉がなった。
口角はつり上がり、その唇を邪悪に歪める。

ああ、


「───ブチ、殺しちゃうぞ。あひゃ」


ああ殺す。全部殺す。脳みそを欠片も残さずザクロのように弾き飛ばす。四肢をへし折り犯し抜く。血液を逆流させ身体中の毛穴から噴水のように血を抜く。殺す。皮膚をはがし何割で死ぬか観察する。一枚一枚爪をはがしその悲鳴で息をつく。目玉をくりだし咥えさせる。殺す。地上高くに吹き飛ばし落ちてくる様を哂う。殺す。腹を裂いて腸を引きずり出す。体中の関節を外す。生きたまま埋める。殺す。横隔膜の動きを止める。沈める。食わせる。殺す。殺す。摘み取る。殺しましたさようなら。

戦闘思考。

毎日が殺し合いだった。
いや、一方通行にとっては既に殺し『合い』ではなかった。ただ、殺していただけ。虫の羽をもぎ取るように、蟻の巣に水を流し込むように。

しかし、此度の敵は『最弱』を思わせる相手のようだった。
少なくとも『反射』を無視し、ココまで移動させたのは間違いない。

殺し合い。素敵。


「い、ひ。ひィひっひゃはははァぎゃひゃははぁははははっ!!」


その声は高らかに、一方通行は何かを崇めるように両腕を伸ばした。体表に感じるベクトルを操作。周囲の空気に流れを作り爆煙を弾き飛ばす。落としたビニールからは紅白まだら模様の羽が舞い散り、一方通行の表情にマッチング。堕ちて来た神の使いと言って、信じない者はいるだろうか。

予想以上に濃い爆煙を残らず弾き飛ばし、


「はじめまして、ってかァ?」


今回の敵を視認した。

おおよそ日本人らしくないその顔立ち。他人の事は余り言えないとはいえ、何処の馬鹿かと問いかけたくなる髪の毛。その色。一昔、二昔前に流行ったマホーツカイが着ているようなローブ。

いい。
疑問を感じるのは後でいい。

一方通行の中ではもう始まっているのだ。
だから目の前で“アンタ誰?”と疑問を投げかけている少女の頭に、優しく優しく手を置いた。
指先に柔らかな髪の毛の感触が広がり、


「な、ななな何よいきなりっ!」


もはや問答無用。
若干の肩透かし感にため息をつきながら一方通行は能力を発揮した。
『反射』ではなく『操作』。体内の生体電流を知覚。


「死ね」

「は?」


そして生体電流を、身体の動きをつかさどる電気の流れをズタズタに乱れさせる。
健常者に電気ショックをするようなその行為に、彼女はぎゃんっ、と犬のように鳴きその場にぱたりと倒れ伏した。


「……はぁ」


一方通行は大きくため息をつく。
今度こそ本物の肩透かしを食らった。何の茶番だ、と辺りを見渡すと同じような格好をした少年少女。
何かの宗教か、犯罪組織か。
学園都市の財産といえるほどの超能力者、『一方通行《アクセラレータ》』を呼び出した。それが、この程度であっていいはずがないのだ。


「見ろ! ゼロのルイズが自分の呼び出した使い魔にやられたぞ!」


少女と同じような格好をした少年が言った。
続く笑い声。

ゼロのルイズ。
この女のことか、と一方通行は適当に一瞥。興味なさげに足元に倒れている少女を跨いだ。実際に、興味はない。今気になっていることは聴きなれない言葉。使い魔。
大してやった事はないが、ゲームや、『その類』の小説などに出てくる言葉。

脳内でありとあらゆる可能性を算出。ありえる出来事、ありえない出来事。
この場合、もちろん在り得ないと断言できるが、現に今ここは? 催眠誘導あたりの能力者でもいるか。これが幻覚で、かってに自分自身がキマっている状態なのだろうか。

もちろん、否定。

一方通行自身に起きている事だ、幻覚か否かの区別はつく。
何よりも『反射』。自身を丸ごと移動させることは出来ても、その体内に影響を及ぼすことが出来るとは思えない。

一方通行は自身の体内ベクトル、その全てを認識している。何処がどうなっている、ではなく、それは既に『感覚』。
物心つく頃には既に自分の一部である『反射』。それから時を待たずして扱えるようになった『操作』。
たとえ半身不随になろうが、腕の一本、足の一本吹き飛ぼうが、何の制限なく生活できる。まさしく『第六感』、『第七感』なのだ。
極端な話、一方通行は心臓が止まっても生きていける。血液の流れを操作し、脳に酸素を送り、『思考』『計算』『発現』。この三つさえ出来れば、脳髄だけになっても人を殺すことが出来るはずだ。

故に一方通行の体内に影響を与えるのは、自分自身。それ以外にはありえない。

結果、面白い状況になっている。確信した。
それもすごく。


「一瞬ツマンネェなンて思っちまったなァ。いや、おもしれェ……」


内心を表情に思うまま出しながら、その顔に笑顔を貼り付けながら、足を向けるのは先ほどの少年の集団。げらげらと笑い声を上げる集団を視界に納める。


「ひゃは、あンまり笑わせンなよ、楽しくなってきちゃうゾォ」


呟くように言った。
視界の先、そこには一方通行のおおよそ平凡とは言いがたい人生の中でも見たことのない生物のオンパレード。


(目玉に羽が生えたまりも。尻尾に火がついてるトカゲ。でかいモグラ。……何だありゃ、あれか、ドラゴンってヤツかァ?)


一方通行が近付いてくるのに気が付いたのか、率先して笑っていた少年が口を開いた。
当然その顔は醜悪。一方通行とタメを張っている。


「ああ君、なかなか面白いものを見せてもらったよ。ふむ、見たところ平民のようだが何処の出身かな?」

「ヘーミン? ……あァ、平民って事か?」


少年の眉がピクリと動いた。


「……君、口の聞き方には気を付けた方がいいな。僕はルイズのように無能な貴族ではない。簡単には気絶してやらないよ?」


さも、自分のほうが上位存在だといわんばかりの物言い。鼻を膨らませ、胸を張る。体形が丸々としているのでまるで達磨のような印象。
そして、何と言っただろうか。

気絶?

笑いが口から滑り出るのを押さえられはしなかった。


「ぎゃはっ、気絶!? 気絶でございマスですかァ!」


心底馬鹿にするようにして一方通行は笑った。事実、馬鹿にしている。
それは仕方がないことだった。

馬鹿にもするさ。余りに能天気。レベル5の能力を何の防御もせずにして、そして気絶とは。
止まらない。止められるはずがない。面白い。


「く、くくく、ひゃひはははっ!! 脳ミソ腐ってンじゃねェンですか御貴族様ァ!」

「き、貴様、無礼だぞ! 僕を誰だと───」

「───死ンでんよ」


言葉にかぶせる。


「っ……、は、あぁ?」

「死ンだぜアイツ。俺が殺した。体内の生体電流を乱してやった。もう心臓も止まってンな、多分よォ」

「?」

「ルイズっつうのか『アレ』?」


振り向きもせず、肩越しに親指でさした。
一方通行は自身の背後がにわかに騒がしくなるのを感じる。ヴァリエール、ミス・ヴァリエール、と恐らく名前を呼んでいるのであろうその声は焦燥に駆られていた。

少年の顔が見る見るうちに青ざめていく。取り巻きも同様に。
その様が一方通行をさらに興奮へと導いた。


「死ん、だ?」

「ああ、死ンだなァ」

「え、なんで……死ぬなんて、平民が貴族を……え?」


耐えられ、ない。


「っっっぐはばァ! っぎゃアっひゃひゃひゃひぎぃいひひひゃあああッハア!! 最高だぜその表情ォ! 理解しろよ、死ンだんだよ、イっちまってンだよ! わからねェわきゃネェだろォがッ!
テメエみてェの相手にすンのは久しぶりだよ、何も知らねェで突っかかってきて、果ては命乞いだァ! ええおい、オメーはどうすンだ? 言ってみろ!」

「い、いやだ……」

「わからねェよ」


一歩だけ下がった少年を、その腕を取ることで阻止。
同時に、

ゴクンッ。

嫌な音が響く。
見れば少年の肩は不自然に盛り上がっていた。
脱臼。肩の骨が一方通行の『操作』によって軽々と外されたのだ。


「かっ、ああっあああ!」

「くかっ! ほらほらァ、言って下さいマセ御貴族様ァ! 意外と難しいンだぜこれよォ!!」

「いやだあ! 死にたくないっ!」

「上ッ等ォ! この俺を呼んだンだ、死ぬに決まってンだろォ!!」


ぎゅ、と掴んでいる腕にさらに力を込めた。
その力は、手首を掴むそのベクトルは方向を変化。対象の肘関節部を目指す。軟骨繊維の一本一本を丁寧に破壊。剥離作業に掛かり、その筋、腱を破壊するまでもなく、コクンッと小気味良い音が響いた。


「ほら二つ目ェ!」

「うわっ、うわぁああ、なんでああぁっ! ああ!」

「ひゃはっ、痛くねェよなあ! 関節『だけ』綺麗に剥がしてやってンだ、グニャグニャの軟体動物見てェにしてやンよ!」


げらげら笑う一方通行は気付いていない。もともと注意すらしていない。絶対の自信がその身には存在している。
だからその背後にやや頭のさもしい人物が近付いていることには、気が付かなかったのだ。


「───止めたまえ」

「あァン?」


静かに肩越しから突きつけられた小枝程度の棒。
それは抑止のつもりか。この木の棒に、何の意味があるというのか。

一方通行は鼻で笑いながら握っていた手首を離した。転がるようにして、叫びを上げながら逃げていく少年を見てさらに哂う。
別にこの男に脅威を感じたわけではない。そもそも一方通行に脅威など存在しない。しかし、この男の瞳に興味はある。マトモなふりをしている様だが、見覚えのあり過ぎる暗い光り。
それは毎日のように、鏡の中で見ていた。


「居るじゃねェか、楽しそうなのがよォ」


人殺しの色。
同族にしか分からないそんなニオイ。

一方通行は確かに感じた。
殺した者には何かテレパスのような感覚がある気がすると以前から思っていた。何となく、分かってしまうのだ。似ているから。

しかし男は答えない。
義務のように口にするのは質問の答ではなかった。


「君の主は息を吹き返したよ」

「それはそれは的確な処置ゴクローさン」


主という言葉にひっかかるものの、なんにせよルイズという女は助かったらしい。
そのことに関しては何の感慨も浮かばない。死のうが、助かろうが、別にどちらでも良い。ひらひらと手を振り、ご苦労と告げる。
今の興味は、この男だ。


「君は自分が何をしたのか理解しているのかね?」

「あァ? 醜い嫉妬してンじゃねェよ。俺とヤりあいたいンだろ? いいから来いよ」

「……余りに危険すぎる。その思考も言動も、存在そのものが」

「ひひっ、よくお分かりで」


一方通行の引きつったような笑いを見て、男の瞳が鋭く光った。
恐らく禿頭の男も理解しているのだろう。その存在が、自分に近しいものがあることに。

そして一方通行はその男を見、ふと疑問符を掲げる。


「なンだァ、震えてンぞテメエ?」

「───っ」


小枝の先が、恐らく武器であるのだろうそれが細かく揺れていた。上下左右。いうことを聞いていないのが一目で分かる。


「まさかテメエ……っち、拍子抜けだ」


かくん、と一方通行の肩が落ちた。
それはそれは、心の底から残念そうに。
そしてまるで侮蔑するかのように男を見る。心底、蔑む。一瞬でも似ていると思った自分自身を殺してやりたくなるほどに怒りがわいた。
そう、あろう事にこの男は、


「っけ、日和やがったなテメエ。ガキ一人助けて今更善人にでも成るつもりか? 成れると思ってンのか? 戻れねェよ、この悪党が。
 テメエまさか、善行を重ねれば罪が軽くなるなンて夢見てンじゃねェよなァ。あァおい、人殺しがよォ。そうだろ、テメエは殺してんだろうがよォ。キタネェんだよ。悪党なら気取ってンなよ。自分以下を犯せ、侵せ。ソレでこそ『存在』の意味だろォが」

「黙れ」


男の視線に篭る光り。暗い色のソレは、確かな殺意だった。どうやら期待を捨てるのは早かった様子。
次第に止まっていく震えを見ながら一方通行は実に愉快そうに表情を歪めた。
まだまだ、もっともっと、と続ける。


「くくっ、そうだよ、そのイロだァ……その向き《ベクトル》で合ってンだよ。
 なァ、わからねェか? お前はもう無理なンだよ、光を見るなンざ、到底出来はしねェンだよ。俺『達』みたいなのはよォ、死ぬまでとは言わねェ、死ンでからもずっとだ、ず~っっっっっと! 救いなんざ、無ェンだよ!」

「黙れと言っている!」

「殺した殺した殺した殺したァ! 人殺しの鬼畜ヤロウ! 気持ちよかったかァ!? なぁそうだよなァ、っくく、ひぃ、『発射』しちまいそうだったろおおおおおおお!!」

「黙、れええっ!!」


禿頭の男。振り上げた杖の先には炎が宿っていた。





。。。。。





熱い。眠い。重い。
体中が倦怠感に苛まれている。一体何が、と己に起きている事に確信が持てなく、仕方無しにルイズは目を開いた。


「……んあ?」

「あら、目が覚めたみたいね」


視界いっぱいに乳が広がった。非常に見覚えのある乳。顔をあわせる度に強調し、さらに自慢してくるのだから嫌でも覚えてしまう。
ルイズ自身のコンプレックスをそのまま映し出したようなその胸の持ち主、名をキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーという。
燃えるような赤い髪の毛。赤い瞳。褐色の肌。そして抜群のプロポーション。抱きかかえられている今、妖しげで艶やかな香りが鼻腔を通った。


「あれぇ、なん、でぇ……?」


口を開くのすら億劫そうにルイズは言った。

正直、仲がよくないのだ、彼女とは。
宿舎の部屋が隣同士のため口を聞く回数は他の学園生よりも多いだろうが、それでも悪態をつき合い、果ては杖を取り出す。
そのような仲の人物に抱きかかえられているのだ。驚くなと言うのが無理だろう。


「……ん、まぁ隣部屋のよしみってやつよ。アンタも寝たまま死ぬなんて冗談じゃないでしょう?」

「ん~……死ぬぅ?」

「あ、こら、ちょっと!」


覚醒しきれない頭で、そのふくよかな胸の感触に姉の姿を思い出しながら、甘えたような声を出した。同時に肉に顔を埋める。
そして何があったんだっけ? と考えを巡らせた。

思い起こせば、確か使い魔召喚の儀式だった。
爆発を起こした。何度も何度も起こした。召喚に応えてくれる使い魔は毛ほども居らず、教員、コルベールがため息を吐きつつ次が最後だと言った。


(……うん、憶えてる)


それで、爆発。
破れかぶれの様にして杖を振ったのだった。
それは既に何かの境地だったような気がする。そう、ルイズは口汚く罵り声を出しながら『出てこいやコラァ!』杖を振ったのだった。

そして、


「ひゃあはひゃハハハッ!!」


笑い声を聞いた。
脳に酸素が十分に行き渡った。眠気からの覚醒が促され、良い匂いがするソコから顔面を引っこ抜く。


「あんっ」


やや艶かしい声が聞こえたがルイズには意識している暇などなかった。
聞きたいことが山ほどあり、何から聞いていいかも分からずにとりあえず口から出ていたのは、


「───私の使い魔は!?」


答えも聞かずに笑い声を探す。が、身体は自分の物ではないかのように言うことを聞かず、さらに人だかりが周囲にずらりと並んでいた。
皆一様に広場のほうに目を向けている。


「わた、私の使い魔、どうなったの!?」

「……ちょっとすごいわよ、あなたの使い魔」


キュルケが非常に微妙な表情をしながら答えた。
身体を支えられている腕が若干震えているのも感じ、何がそうさせるのか疑問を感じるよりも早くその声が聞こえる。


「『発火能力《パイロキネシス》』のつもりかァ!? 貧弱脆弱ッ、最弱だア!」


上空に向かって炎が奔る。
人だかりの中、誰かが言った。

エルフ。

ルイズは瞬時に自身の使い魔の事を言っているのだと気が付いた。
ぱいろきねしす、と聞きなれない言葉。姿は見えないが、恐らくコルベールが放ったのであろう炎は大きく、力強かった。それを貧弱と言い切る胆力。何よりもルイズ自身が感じた『得体の知れない力』。スパークを起こしたように次々と記憶が繋がっていく。

『死ね』

そこまで。そこまでで途切れている記憶。
ルイズは怒りを感じる機能が壊れているのではないだろうかと思うほどに何も感じなかった。

風に舞い踊る羽根。
優しく撫で付けられた頭。
体中を走った衝撃。


「……行かなきゃ」


思ったことはそれだけだった。

ルイズには自身の精神状態がわからない。いや、自身の事を完全に理解できる人間などこの世には居ないのかもしれない。だからこその言葉。行かなければならない。何故。行かなければならないから。その程度の問答だった。


「本気で言ってるんだったら心底馬鹿にしてあげる。また死ぬわよ?」


また、ということは自分は一回死んだのだろう。
感覚的なものではあるが、何となく理解できた。力の入らない身体がそれを教えてくれた。


「うん。ありがとう」


意外なほどに素直に出てきた礼をキュルケに向けた。
身体を支える腕をやんわりと払い、震える膝に力を込める。よたよたとたよりない足取りで人垣に向かった。

その様を見たキュルケがうそでしょぉ、と情けない声を出しながら諦めたようにため息をつく。


「ああもうっ調子狂うわね。ほらほら、道を開けなさい! アレのご主人様が通るわよ!」


モーゼ、とまではいかないまでもルイズの存在を確認した者は全て道を開けた。

そしてルイズは初めてその闘いを目撃する。
白髪の男は笑みを浮かべていた。対して禿頭の中年は無表情。
禿頭の男、コルベールが放つ炎は全て、その全てが上空へと奔って消えた。ルイズ自身が呼び出した白髪の使い魔に当たるとなぜかその『向き』を変えてしまうのだ。

しかしコルベールは何の落胆も感じさせず無表情のまま攻撃を続けた。いつもの人の良い笑顔からは考えられないほどに、見たものの心臓を鷲づかみにするような暗い瞳。


「はい四発めェ。さっきのはなかなかのモンだ、人間一人位消し炭にできらァな。
 ……けど、違うよなァ? まだまだこンなもンじゃねェ。この程度だったら3~4辺りの奴らで十分なンだよ」


一方通行の言葉にコルベールは答えなかった。
ただ静かに杖を掲げる。その先に宿るのは蒼い炎。不要なものをそぎ落とした純炎。

それを見た一方通行は満足そうに頷く。


「そうだよ、そういうのだよ。そういうのを待ってンだ、俺は」


朗々と続ける。


「考えてたンだ。同じような相手を同じように殺して、それを一万、二万と続けようが本当に意味はあったのかってよォ。ダセェ『作業』だぜ、ありゃあよ。
 くく、笑っちまうぜ。俺に気付かせたのは『レベル5』でも『一万三十一人』でも『樹形図の設計者《ツリーダイアグラム》』でもねェ。たった一つの経験だ。たった一つの『不可思議な存在』が俺に力の使い方の、その先を教えてくれた」


ルイズには一方通行が何を言っているかなど欠片ほどもわからない。
コルベールの炎が密度を高くし、逆巻くようにして大きくなる。
熱い。
離れた場所にいるにも拘らず熱が襲ってきた。

しかし一方通行はどこ吹く風、にやにや口元を崩したまま。


「確信したぜ。お前らアレだろ? 所謂よォ……くかっ、き、ひひひ、まほ、っぶふ、っマホーツカイってヤツだろォ! 理解できねェよテメエらの存在! けどわからねェって事はその先にあるんだよなァ、アイツと戦った時みてェな『発展』がよォ!!」

「……私も確信したよ。資格は無いが言わせてもらおう。……君は、生きていてはいけない存在だ」

「ぎゃは! そのとぉぉぉおおおっっり!!」


一方通行は笑う。

同時、コルベールが杖を振り下ろした。

瞬間、一方通行が両腕を突き出す。

そしてルイズは駆け出した。


「───っ!」


背後でキュルケが息を呑んだのが分かった。

力の入らない両足で、その身体で、使い魔を目指す。
炎が迫っているのに気がつかない筈が無い。熱を感じている。

にやにやと笑う使い魔を見て、


「だめぇぇええええええええ!!!」


なにに対してなのかは未だに分からない。







[6318] 03
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:4020f1db
Date: 2010/03/02 16:24



炎が迫る。純炎。蒼い色。
灼熱といっても過言ではなく、ひとたび触れれば焼け焦げる。広がり、燃えて、待つのは死。
それはもちろんただの人間だった場合。

『反射』。

敵意を向けられたのなら『反射』する。敵意をそのまま返す。
悪意を向けられたのなら『反射』する。悪意をそのまま返す。

では、善意はどうすればいいのか。そのまま返していいのだろうか。

優しさを、ぬくもりを感じてしまった場合、一方通行はもちろん『反射』する。必要の無いものはいらない。
悪を超える。超悪者。ぬくもりよりも冷たさを求め、優しさよりも冷たさを求め、血液の代わりに悪意が血管を通っている。

反射する。全て。

しかしそれはどこへだろうか。
マイナスを貰えばそのまま反射してやるのが良い。相手がのた打ち回る様を見て大いに喜ぼう。
だが、プラスは、何処へ反射するのが良いだろうか。

そもそも笑顔を受けたことがあるだろうか。遠い遠い昔になら、あるだろうか。

理解不能。
そのような状況が無い。経験でしか物を語れない人間だとは思っていないが、それでもこれは脳をいくら働かせても答えは出そうに無い。

聞こえる“だめ”と叫び声。

そして目の前に見えたのは背中だった。そう、背中が見えたのだ。

『最強』であるこの身。それを守る。

冗談ではなかった。そして現実、蒼い炎が今まさに、目の前に見える背中を燃やし尽くそうとしている。一度殺して蘇った女。ルイズ。そう呼ばれていたことを記憶している。

馬鹿め。一方通行はそう思った。
拾った命をまたも投げ出すか。あまりに無能。あの炎は中々の威力を誇るように見える。人間一人を摘み取るのは至極簡単なのではないだろうか。
それを、それなのに自分から死に突入してくる。

理解できなかった。
自分から死に向かう最弱を。
死ぬと分かっているのに向かってくる一万人を。
何よりも自分の死が一番に理解不能。

一方通行は死に鈍感だった。殺しすぎたし、強すぎた。幼い頃から自己完結している、死ぬということ。終わるということ。

人間じゃないと誰かに言われた。
当たり前だ。人間以上。

化け物だと誰かに言われた。
ふざけるな。化け物以上。

神の様だと誰かに言われた。
一緒にするな。俺は誰も救わない。

0.3秒間思考に費やした。

炎が迫る。
伸ばした両腕が行き場を無くし、だらんと垂れた。

向かってくるのなら撥ね返そう。
そこに居るのなら弾き飛ばそう。
しかし、背に守られれば、どうすればいい?


「っだらね」


ため息をつき目を閉じた。

一方通行。直進する。加速する。誰も救わないし、誰も助けない。
踵を返したその瞬間、背後で炎が逆巻いた。己の『反射』は万全。また一人、自分以外が死ぬだけ。どうでもいいこと。さようなら。





03/『ちがう世界』





「……?」


目を覚ませばそこには白い天井が広がっていた。
人間は寝ている間に記憶の整理をすると聞いた事があるが、まったく出来ていないのではないだろうか。全然覚醒が始まらない。脳内はぼんやりと寝ぼけているし、開いた瞼も今にも閉じそう。

だって、天井が白いのだ。

ここは自分の部屋ではなくて、どこか知らない場所で、だからこれは夢なんじゃないかと。
思えば激動に飲み込まれすぎだろう。


(召喚で、そう、召喚して……)


二度目のスパークが脳を刺激した。
ビクリと身体が反応し、大事な事が次々と、その情景まではっきりと思い出す。

今はベッドの住人であるルイズは、召喚の儀を確かに成功に修めた。
しかし現れたのは、白い悪魔。


「……何処まで不幸なのかしら、私」


ポツリと言葉を吐き出した。


「さぁ? けど、まな板に赤くてすっぱいあんちくしょうが二つ乗ってるような胸は確かに不幸ね」


返ってくる言葉に最早言い返す力もなくて、ただただため息が漏れた。
動かすとやけに痛い身体に難儀しながら首だけを向けると、当然のようにキュルケがベッドの脇に座っていた。読んでいた本をぱたりと閉じ、赤い瞳でルイズを覗き込んでくる(胸を強調しながら)。
そして艶やかな唇を開いたかと思えば、


「死んだと思ったわ」


ルイズは“私もよ”と返してやろうかと思ったが、ツェルプストーに本音を語るのはいけない。それ即ち『何となく負け』なのである。
先刻(実際にはどの程度時間が経っているのか分からないが)はパニックの最中、悔しい事に素直に礼など言ってしまったが、今回はそうは行かない。
だからルイズも、もちろん憎まれ口を返す。


「何であんたが私の看病なんかしてんのよ」

「頼まれたんだから仕方ないじゃない。学院長じきじきによ? 断ってもよかったんだけど、まぁ、他の授業どころじゃないのは確かだし、皆と居てもあんたの使い魔の話でもちきりなのは目に見えてるし。それなら静かにここで本でも読んで適当に看病してるほうが楽かなって思ったの」

「もぎ取れろ、乳女」

「残念ね。張りと弾力と柔らかさ、さらには完璧なサイズを兼ね備えた私の胸はそう簡単にもぎ取れやしないわ」


相変わらずの会話だが、ルイズは確かに感謝しているし、キュルケも割と重傷を負った人物を前にして適当にとはいかない。
両者とも口を開けば自然にこうなってしまうのだ。

もう一度だけため息をついてルイズは静かに目を瞑った。


「それで、私の使い魔は?」

「さっき見に行ったけど、まだ学院長室でお話の最中みたい」

「……そう、そうよね……あんな馬鹿みたいなことやっといて……」

「でも強いわ、彼。……彼よね?」

「男でも女でもどっちでも良いわよ。それよりなんだって私の使い魔があんななの?」

「本人に聞いてみなさい。何とかしないと契約する前にまた殺されちゃうわよ?」

「冗談じゃないわよ、二度も三度も殺されてたまるもんですか。大体よ、ご主人様を見捨てる使い魔なんてありえていいわけ?」

「ま、頑張んなさい。今度寝込んでも看病はしないからね」


言い残しキュルケは席を立つ。
ルイズは閉じた瞼をもう一度だけ開き、


「ツェルプストー」

「なぁに?」

「あれよ、ほら、遺憾ながら私はあんたに看病されたわけで、まぁ、それに付いては感謝しないでもないわ」

「あら、一度目のありがとうの方が心地よかったけど?」

「ぐぬ……っだ、だから、感謝してるって言ってるの!」

「はいはい。あんまり大きな声出してると障るわよ」


クスクス笑いながら今度こそキュルケは扉を開き、手をひらひら。
最後に髪の毛切っといてあげたから、と訳の分からぬ事を言い残し去って行った。


「髪の毛……?」


痛む身体をゆっくりと起こし、その時になって気がついた。
頭が軽い。髪の毛が短くなっている。それもかなりばっさりと。


「……」


なぜ? という疑問は出なくて、そう言えば燃えてたな、と。
耳元でちりちりいいながら髪の毛が焼け焦げていく臭い。蒼い炎が眼前いっぱいに広がって、広がって、自分は見事なまでに燃えたのだった。
学園側もまさかラ・ヴァリエール家の息女を授業で死なせるわけにも行くまいて、迅速な対応と破格の治療薬を用意して何とか一命は取り留めている。あろう事かルイズは一日に二回死ぬことになったのだ。

髪の毛を触っていた指先から体温が消えたような気がした。よく生きていたものだと自分自身そう思う。


「……ていうか助けなさいよね、あの馬鹿使い魔……!」


拳骨を握って己の使い魔の事を思うのであった。





。。。。。





「では君は何者で、何処から来たのかね?」


ルイズの消火がなされた後、そこに現れたのは長い髭を蓄えた老人だった。
戦いの熱が完全に霧散してしまい、ぼんやりとしていた一方通行は一応大人しく学院長室に同行。用意された椅子(もちろん椅子を寄越せと要求)にどかりと座り、その両足は老人の机に乗っていた。


「あァ? この俺を知らねェってか」


くっく、と咽喉を震わせ一方通行は不気味に笑った。同時にそれはそうだと自分に言い聞かせる。
それはルイズの消火と治療を見ている時だった。
何となしに息をつきながら空を見上げたのである。そこで目撃した物は一方通行を驚愕させた。ちょっとやそっとのことでは驚かない自信はあるし、そんなに可愛い性格でもない。
しかしその空に在る物、白昼の残月は一方通行を大いに驚かせたのである。

魔法使いは良い。居ることを許容してやってもいい。
ほんの二十年ほど前は超能力だって存在しないはずの物だったのだ。それが時間の経過と、少し度を越えた科学力で生まれた。それだけの事。
だから魔法使いも、まぁ、居ても良い。一方通行は学習した。『有り得ない』は無い。

そして、月は二つあるのだ。
思わず鼻で笑ってしまったのを咎める者は居まい。

寒いとは感じていた。それは移動したからだと思い、恐らく異国のどこかだろうと、学園都市を出る事を許されていない一方通行からすればむしろ感謝したいほどだった。
しかしあの鏡(?)、移動などと生ぬるいものではなかったのである。


「一方通行《アクセラレータ》。名前はこれだな。どこから来たかっつーとだ、テメーらの知らない遠い遠いどっか、ってトコか」

「……真面目に答えたまえ。我々は君を牢に繋ぐ事さえ出来る」

「これこれ、いかんぞコルベール君」


背後から聞こえる声。先ほどまで死闘を繰り広げていたコルベールである。

火の扱いに長けた彼は炎がルイズに当たった瞬間その威力を弱め、そして的確な指示で火傷を治した。彼が居なければ恐らくルイズは黒焦げの焼死体であっただろう。


「言わせて下さいオールド・オスマン。彼は何も分かっていない」

「ッハ、テメーは燃やした女の事でも心配してろよハゲ」

「っ! ……自分のした事の咎は受ける。しかしその前に君を消す。私は君の存在を認めはしない」

「ちっ、随分硬ェ頭してンなァおい。理解できねェか? テメェじゃ俺には勝てねェンだよ」

「……やってみらねば、わからない事もある。私には君を殺す術がある」

「面白ェこと吠えるじゃねェか、『最強』の俺に向かってよォ」


じわり、と空気が歪んだ。
殺気とでも言うのか。一瞬にして学院長室は弱者が住めぬ空間に成り果て、一触即発。どちらかが動けば即ち殺し合いの始まりである。

しかしその中にあっても柳のようにつかみ所の無い一声。


「あーこれこれこれ、イカンぞ。ほっほ、君もまだまだ若いの、コルベール君。それとアクセラレータ君……だったかね? 君もあまり彼を挑発せんでくれ。心労が祟ってこれ以上頭がさみしくなったら可哀想じゃろ?」

「オ、オールド・オスマン! 彼はっ!」

「コルベール君、まずは話し合うんじゃ。わしは誰も見捨てたりせん。人殺しだろうが何だろうがの。……そうじゃろ? わし最高」


ぱちりと随分下手糞なウィンクを老人は放った。


「……はい。申し訳ありません」


室内に充満していた空気の無産と共に、取り出していた杖をコルベールは懐に収める。

まるで演劇のような『クサさ』を感じながら一方通行はため息をついた。


「だりィ」

「おお、すまんの。なかなか血気盛んな若者のようじゃな、君は」

「そういう熱血ものは他でやってくンねェか? 気持ちわりィンだよ、テメェら」

「ほっほ、そう言わんでくれ。じじぃになると若いモンが羨ましくなるんじゃよ」


途端に気分が悪くなってきた。
一方通行は他人の心の機微に疎いところがある。読もうとした事は数少なく、友人など、そう呼べる人物など一人もいない。これまでの人生で全て反射してきた。
そんな一方通行からすれば目の前で行われる茶番。前記の通り演劇にしか見えない。

老人の笑顔はうそ臭く見える。
禿頭が収めた杖はすぐさま取り出せそう。

違和感。いや、異物感か。
最強のこの身は常に頂点にある。隣になど誰も立っては居ない。シンパシーを感じる相手といえば人殺し位なもの。


「……学校なンだろ、ここ」

「そうじゃな。ここはトリステイン魔法学院。貴族の子を預かる所じゃ」

「図書室は?」

「もちろんあるぞい。何とその蔵書数はっ」

「どうでも良い、ンな事は。案内しろ」

「……なんじゃ、いじけるぞ? じじぃがいじけた姿はそりゃ見れたモンじゃないぞ?」

「死にてェンだったら今すぐ送ってやンぞ」

「おお怖。ホレ、学園の見取り図。行きたきゃ勝手に行けい。終わったらちゃんと説明を頼むぞい。人間が召喚されるなんて初めてなんじゃ」


鼻を鳴らし、一方通行は奪い取るように見取り図を受け取った。

話なんて必要ない。
異世界である事はすでに理解した。必要な情報は適当に探る。まずは情報から。行動した後に考えるのも嫌いではないが、今は違うだろうと判断。
何とかして帰る術を見つけ出し、そして、そして?

はた、と気がついた。
帰る手段を見つけ出して、それで自分は一体どうしたいのか。
もし帰ったとして一方通行に未来はあるのか。

大々的な実験失敗。付きまとう一万人の処遇。
幸せになりたいだとか、そんなことを思った事は一度も無いが、帰ったとしてどうなる。


「どうかしたかね?」

「……なンでもねェ」


少しだけ。ほんの少しだけ考え込みながら部屋を出た。





。。。。。





雪色の肌は今日も健在である。
ちんまい身体を椅子の上に、黙々と読書中。

ただ静かに本を読みたいだけ。
それだけなのに周りの喧騒は聞こえてくる。

誰もが噂した。

ゼロのルイズ。
使い魔。
エルフ。

やかましいだけだった。
興味が無いわけではないが、むしろ少なからずある好奇心を刺激してくれたが、それはそれ。関係ないと割り切れば、本に集中するだけ。
授業どころではないのは目に見えていた。だから自室で本を読んでいたら、今度は妖艶な赤色が進入してくる。
やはり授業に出ると嘯き、そしてたどり着いたのが図書室だった。

ここは良い。ほっと一息。
もぐもぐとおやつを頬張っていた司書には嫌な顔をされたが、この静寂は落ち着かせてくれる。

雪色の少女、タバサは積上げた本を見つめ、一度本棚に返そうと杖を握り魔法を使った。
ふわりと浮かぶ十冊ほどの本の束。明らかに自分の身長よりも高い場所にある棚の一段目、そこに本を差し込んでいく。

そしてそこで一人の人物と目があった。


「あ」


タバサの肌は雪のようだ、と友人は言った。
それはちょっとした自慢だった。誰にしてもそうであるように、やはり容姿を褒められたのは嬉しかった。

そして目があった人物、その人は赤い瞳に、雪のように白い肌と髪の毛をしていた。
何となく同族意識を駆り立てられ、感情の篭らない瞳で見つめてしまうその先は、先ほどゼロと呼ばれる人物が召喚した使い魔。


「……」

「……ンだァ?」

「……本」

「あァ?」

「……本が」


使い魔は本に座っていた。
七冊積上げた本に腰を下ろし、その彼の周りにはいかにも適当に放り出した本。今読んでいる本にも、なにやら落書きしている様子。
本が、タバサの好きな本が、汚れていく。


「っち」


使い魔は舌打ち一つ。
無視を決め込んだようで、またも本に向かって落書きを開始した。

許されざる行為ではないだろうか。
ここは図書室で、その本は今までにタバサが六回借りて、そしてとても楽しかったと、読了後に充足感を与えてくれるものであったはずなのに、まだ読んでいない人が居るのは当たり前で、それはタバサのお勧めブックだったのだ。
読書など気が向いた時にしかしないという赤い友人、キュルケに勧めて、そして楽しいと言ってもらった本なのだ。
瞬時に杖を向けて使い魔が持っている本を宙に浮かし、そして一言。


「ダメ」

「はぁ……おいガキ、今すぐそれを返すなら許してやンぞ」

「……」

「……おい、聞こえてンのか? ソレを返せっつってンだがよ」

「……」

「はいはい出ました、ここでも話が通じねェってか。俺ァあンまり気は長くねェぞ?」


使い魔、一方通行は立ち上がりぷらぷらと手首を振った。

何をするつもりなのかと疑問を感じながらも、タバサは別に戦うつもりなどなく、落書きを止めてもらえればそれで良い。あと本の上に座らないで欲しい。

一方通行の振る舞いは、少なからず実戦を経験しているタバサにとっては隙だらけだった。瞬間に『戦う者』ではないと判断。
ちらりと見たが、脅威なのは魔法を跳ね返すあの技と、ルイズがやられた右手だけのようだ。

口を開き、もう一度本に落書きをしては駄目だと言おうとしたとき、タン!と一方通行が足踏みを。
ついピクリと反応してしまい、ただの足踏みだと理解するまでもなく、足元に散乱している本がタバサに襲い掛かってきた。


「っ!?」


身を翻してソレを避け、まん丸に開いた瞳で一方通行を見た。
面倒くさそうに頭を掻きながら、今度は本棚をコン、コン、コン。


「おら、さっさと返しやがれ。やっと文字が理解できそうなンだよ」


タバサから向いて左の本棚から一冊づつ、当たったら痛いだろうなぁ、程度の速度で本が飛び出してくる。
いったいどんな魔法を使っているのか、容赦なく飛んでくるソレは全て顔面を狙ってくる。メガネをかけているタバサにとっては正直かなり喰らいたくない部類の攻撃である。

何より飛んでくる本達が全て読んだことのある本で、全部雑に扱って欲しくないものばかり。密かに自分のお勧めを一つの棚に集めていたのが仇となった。

避けるよりもキャッチ。
飛んでくる本を受け止め、次が飛んで来る前に足元に積上げていった。

雪崩のように降り続く本は勢いを止めず、本棚の中身を全部足元に積上げた時にはすでに逃げ場はなかった。自ら逃げ場を塞ぎこんでしまった。
積上げた本達を張り倒すわけにもいかず、つかつかと近づいてくる一方通行は欠伸をしていた。


「くぁ、ああクソッタレ、眠ィ。余計な手間取らせやがって」

「……ダメ」


手を伸ばしてきた一方通行に取られぬ様、持っていた本を背に隠す。
行き場を失ったその手。それはそのままタバサの頭の上に置かれた。一方通行はわざとらしくため息をつきながら、


「5」

「……?」

「4」

「……ダメ」

「3」

「落書きは……」

「2」

「ダメ……」

「1」

「だ、だめ……」

「はいゼロォ」


プツリと目の前が暗くなった。





変わらぬ姿、変わらぬ格好のまま彫像のように一方通行は本を読み漁った。隣で倒れている子供はそのままに。


「ろめ、ろうめ、ろまれ、ろまれあ……ろまりあ、ああ、ロマリア、ロマリアか……地名だったな」


そして手に持っていた本をポイと放り投げ、子供が積み上げた中の一冊を取る。

図書室に来てどれくらいの時間が経っただろうか。
学院長と名乗る老人から見取り図を奪い、そしてまずその見取り図が読めないという事態。すごすごと引き返し教えてくれと頼むのは一方通行の美学に反する。
迷いながらも何とかたどり着き、たどり着いたはいいが今度は本のタイトルが読めない。
一方通行としては歴史書や地図が欲しかったが、手にするタイトルはどうにもファンタジー世界のファンタジー物語だったようで、半分ほど読んだところで気がつきそれを投げ捨てる。何度か繰り返したところで文字の規則性などを発見し、その聡明な頭で理解していく。
するとなぜか随分小さな子供が現れ、本を奪われる。その際魔法を使われたようだった。物体を移動させる魔法。随分便利なものだ。


「べりぃみゃ……? べりぃみぁれ、べぇる、違う、ぶ、ぶりぃみぁ……クソが」


どうにもこの世界は人名や地名などが随分読みにくい。
英語とドイツ語を掛け合わせ、フランス文法で読み取り口に出す時はそのどれでもない音として出てくるような、一方通行の頭脳でも多少手間取るものだった。
文章はそれなりに読める。だが、人名や地名が出てくると途端にあやふや。文法そのものが変わったような、顔の向いてる方向が先になるヒュポノグリフのような……。


「ぶりみぃれ、ぶりみぃれが世界の左腕……左手をぐん、がん……がんどらろべ? に、し、し……意味がわからねェ」


またもポイと投げ捨てる。
読んだ感じだと『世界』やら『救う』等の言葉が出てきている。恐らくファンタジー小説。
先ほどから取り出す本取り出す本全てがこの類のものばかりだった。読みたい本にまったく当たらない。第一に、文系は嫌いなのだ。

唾でも吐きかけてやろうかと一度立ち上がり、固まった背中を伸ばした時、もぞりと視界の隅で動く小さな物体。


「っち、起きやがった……」

「……何処?」

「あァ?」

「ここは?」

「……さァな」


面倒くさそうなので一方通行は知らん振りを決め込んだ。
気絶させるとその前後の記憶はあやふやになる様で、もちろん記憶を失わない奴もいるのだが、この子供はどうにも状況が分かっていない様子。


「私は……本を読みに来て……?」


関わると思い出されるかもしれない。
そうなるとそれはそれは面倒くさい。また“本が……”とわからない事を口走りながら読書の邪魔をされる。ここに来る前に会った巫女と同じくらいに厄介だ。

一方通行は思う。

恐らくこの子供やあの巫女は『足りていない』のだ、と。
何がとは言わないが、恐らく足りていないのだ。流石の一方通行もそういう人物に対しては多少寛容にもなろう。もちろん殺しはしない。今のテンションは先ほど(コルベールとの戦闘)とは違う。


「おいチビガキ、テメーが散らかしたンだからちゃンと片付けとけよ」

「……わかった」

「あとよ、歴史書と地図は何処にあるか分かるか?」

「あっち」


足りていない子供は一方通行の事など見ず、本を浮かせながら指した。
最初から言うつもりも無いが、礼など言っても恐らく分からないだろうと判断し、子供が指した本棚を漁る。

何となく読む限りでは『世界地図』のタイトルを取り、そして表紙をめくった。


「……く、くく……流石、ファンタジーってヤツだ」


わかっていた事だった。ここが異世界であると。
しかし本を開いての一ページ目、見開きである世界地図は確かな現実感をもって一方通行に襲い掛かる。
当たり前のように形の違う大陸。読めない文字。


「いよいよもって面白ェことになってンぞ、こりゃァよ」


窓のほうを向けばもう外は薄暗かった。
二つの月が照らすのは、何も無い平原。

吸い込まれそうだと思った。
恐らくもう少し時間が経ち、太陽がその姿を消してしまったのなら完全な暗闇が訪れるのであろう。
学園都市ではあり得ない。どこかに必ず人工光があり、何も見えないことなど、それこそ目を瞑った時だけ。
しかしここでは違う。夜が来れば暗くなり、光は魔法か炎、そして上空の双月だけ。

この世界で、何をしようか。

目的など何も無い。
手を伸ばせば、違う世界に届いてしまった。ここでする事など何もない。日本は無い。学園都市は無い。図らずも一万人の殺人から逃れ、さぁ、一方通行はここで何をするのか。


「……」


一方通行が『最強』であるのは間違いない。
まだ『無敵』ではないが、恐らくこの世界でもランクをつけるのならレベル5である。
6の領域に行くのは一方通行しか居ないとはいえ、ここでそれが叶うのかと言えば疑問が浮かぶ。

この世界には科学が無い。見れば分かる。空気はまったく汚れていない。
科学の無い世界で、脳を弄繰り回すような実験も出来るわけもなく、上空には人工衛星の一つも飛んでいない。100%の天気予報など期待できるわけもなく、雨を感じればそれから準備しなければならないのだろう。


「俺は何をする、ここで」


誰かに言ったわけではない。だが、


「使い魔」

「……ガキは寝ろ」


いつの間にか子供が隣に立っていた。
身長が低く、パーツも一つ一つがいちいち小さい。一方通行は子供が苦手なのである。つもりも無いが、触ればすぐに崩れてしまうに違いないのだ。


「あなたは使い魔」

「冗談じゃねェな。誰かに使われるなンざ……」


御免だ、と言おうとした時、ふと思ってしまった。

今まではどうだったのだろうか。
6に成るために科学者を利用してきた。それが一番の近道だった事は間違いなく、一応力の使い道なども発展を見せた。
もちろん利用されてたのは知っている。一方通行の実験データは何処かの誰かに適応されているはずだ。“誰かの為なンざクソ喰らえ”とは思いつつも、6というニンジンを吊り下げられて一万人を殺し、データを提供。そして、


(……結局が誰かの犬ってか)


笑ってしまう。
学園都市に居た時は学者と学長の、そして異世界に来れば今度は使い魔と来た。


「……どうしたの?」

「あァ、誰かに使われるなンざ、そう、御免だッてンだよ、クソッタレが」


瞬間、やりたい事が出来た。

自分勝手に生きる。それだけの事。

ここで『無敵』になり、そして帰る。
科学者どもの鼻を明かしてやる。無敵の一方通行を見せ付けて、学長を殺そう。学園都市というシステムを完膚なきまでに破壊して、旅に出よう。そう、向こうでマホーツカイを見つけ出すのも良いかもしれない。
愛着など何も無い。縛るものは何も無い。一万人の殺人も関係無い。最弱に、リベンジだ。


「タバサ」

「あァ?」

「名前。私はタバサ。あなたは?」

「……くく、乳臭ェガキに名乗るような名前は持ってねェンだよ」

「あなたに興味がある。あの魔法は何? 杖が無くても?」

「さァな。お子さまにゃわからねェこった」


一度も目を合わせずに会話を打ち切り、そして踵を返した。
やりたい事が出来たのなら行動しようと、そう思った。

一万人で足りないのならもっと血を浴びる。
一方通行の能力はつまるところ認識力と計算能力に依存する。経験はそのまま力になる。新しいものを見、理解し、そして反射すればその分強くなる。

超能力者を一万人ほど殺したが、それはほとんど効果はなかった。
だったら、と。


「……行くぜ……」


己に言い聞かせたに過ぎないのだが、それに返事が返ってきた。


「何処へ?」

「……、……。何処……? ……っは、ははは、くく、スゲェ、ガキみてェだ!」


己も馬鹿さ加減に思わず笑いが出てしまった。
そう、何処へ、だ。
何処へ行けば良いかなどまるで知らない。文字もあやふや。世界の常識すらも。
そんな状態で、やりたい事が見つかったからと足を踏み出すとは、自分自身が信じられなかった。


「くは、っははははは!!」

「……?」


タバサと名乗った子供の不信気な表情がさらに笑いを呼び、その後も決して短くない時間一方通行は背中を丸めて笑い続けた。







[6318] 04
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:4020f1db
Date: 2010/03/02 16:35



「はてさて、どういう人物じゃと思う、アクセラレータ君は?」


その老人の問いはコルベールには大変答えにくい物であった。
何と答えるのが良いか。“自分と同じ人殺し”とでも答えればいいのか。


「……わかりかねます。ただ、私は出来ることならもう彼と戦いたくない。関わりたくも無い」

「ふむ、君にそこまで言わせるか。やはり、エルフじゃと?」

「申し訳ありませんオールド・オスマン、私はエルフと戦った経験はありませんので何とも。しかし話に聞く限りではエルフ達はその土地と契約して力を発揮すると。恐らく彼は違うでしょう」


自分なりの見解だが、恐らく彼は人間だ。
土地の精霊との契約が簡単に行えるはずもなく、エルフの身体的特徴である耳も尖ってはいなかった。


「そうじゃな、彼はエルフではない……しかしあの『反射』は……」

「そう、問題はそこなのです」


そもそも根本的な問題として、一方通行と名乗る彼が使った力、あれは魔法なのだろうか。
杖を付き合わせた(一方通行は持っていないが)からこそ感じる違和感。人殺しのシンパシー。その両方が彼とは関わるなと言っている。連想させる物は全て死に直結していた。


「おかしな話ですが、彼は恐らく我々の想像を超えた存在だと、私はそう感じました」

「……皮肉な物じゃな」

「はて?」

「ヴァリエールの娘……何といったかの?」

「ルイズ・フランソワーズです」

「そう、そのミスじゃよ。彼女は何とも、なんと言うかの……」


ごにょごにょと尻すぼみになっていくオスマンに変わりコルベールはハッキリと言う。


「魔法の才がありません」


ゼロのルイズ。
ルイズのあだ名は彼女の魔法の才能ゼロからくる。
貴族連中が嫌いそうな身体を使う授業や所謂『お勉強』である座学などは学院でもトップクラスの成績だがいかんせん、いざ実践となると途端に爆発を起こすボム女なのだ。

召喚の儀でもそうだった。
一度杖を振れば爆発が起こり、二度目も起こり、三度目も起こり、そして貴族の娘が吐いてはいけない言葉を口にしながら振った最後の魔法は、あれは一応成功なのだろう。


「才が無いのにあれを召喚するんじゃからなぁ……ふん、何とものぅ」

「彼女はこれからどうするのでしょうか。とても言うことを聞くような人物ではありませんよ、彼は」

「……留年か。ここに残るかヴァリエールに帰るか……どっちにしろ幸せとは程遠いじゃろうな」

「……」

「まぁ、期待はしとるがの、ほっほっほ」


オスマンの笑声を聞き、コルベールは重い息をついた。
この老人の考えている事は自分には分からない。とんでもない慧眼を見せたかと思えば、その目は秘書の下着に移る。
本当の年齢すら分からない老人は、実はとんでもない楽天家かそれとも、と。

どちらにせよ、使い魔を了承させねばルイズに先は無い。
オールド・オスマンに期待されるほどの腕はまったくもって無い筈なのに、不思議と自分も焦ってはいない。
あの肉体派のヴァリエール三女が今度は何を起こしてくれるのか、正直楽しみだ。

コルベールは薄い頭を撫でながら、


「頑張りたまえ。未来を開くのは自分自身だ」





04/『筋肉少女ルイズ』





院長室で話題にあがったルイズ。

結局キュルケが帰った後すぐに寝てしまった彼女は、朝になってようやく医務室のベッドから降りた。
もともと薄かった股間の毛がさっぱり燃え失せている事にちょっとしたショックを受けながらも、用意されていた制服(キュルケの仕業)に着替え、しかし下着が無い(キュルケの仕業)のでそこらの包帯を捲きつけこそこそと自室に戻ったのだった。

自室に戻りまず下着をはき、姿見で自分の姿を確認する。

治療をする際に気を利かせてくれたのだろう。肌が見える部分には傷一つ無い、いつもどおりの自分が映っていた。
しかし、じくじくと疼くような痛みは背中から。服をめくり、包帯を外し見てみれば、思わず目を背けたくなるような火傷が広がっていた。


「うげっ」


乙女の柔肌がこんなにも。
瞬間に怒りが湧き上がったが、それを何処に向ければいいのか。

テンパって自ら炎の中に突っ込み火傷した。

ルイズがやった事はこれだけ。
誰に責任があるかといえば自分自身。むしろこの程度で済んでいることに感謝しなければならないのだ。


「消えるかなぁ、これ……」


もとより至近で毎度爆発を起こしているのだ。よくよく見れば手や腕、スカートから露出している足にも細かな傷はある。まるで下町のおてんば娘のようなあり様だった。

さらに今回何が悲しいかと言うと、一番が頭の軽さに要因する。
頭に捲かれていた包帯を外すと、分かってはいたが、髪がばっっっさりと切られていた。

下の姉、ちぃ姉さまに憧れて伸ばしていた髪の毛。腰の辺りまで伸ばしていたそれはよく燃えたのであろう。肩に届かないほどまでで切りそろえられ、前髪に至っては眉毛を露出させるまでに。柔らかなクセ毛と少しだけ吊った瞳は上等なネコを連想させ、コンプレックスである体形と相まって余計に子供っぽく見えてしまう。

そして何が悔しいって、似合ってしまっているのだ、その髪型が。


「き、切りすぎ、よね……? きゅ、きゅるきゅる、キュルケあんチクショォオアア!!」


隣の部屋から高笑いが聞こえてくる気がした。

ベッドの上で鼻息荒く抱き枕(中に砂が入っている。人の形)を殴り飛ばし、ストレスを解消。
ルイズはもうパンクしそうだった。
爆発して召喚して目の前が真っ暗になって目を覚まして燃えて髪を切られる。
きっと人生の半分くらいの不運を昨日の一時間にも満たない間で昇華してしまったのだ。
そうでも思わなければ、本当にパンクしてしまう。


「うぅ、ぉおおおお!!」


ヒトガタ枕を抱え込み、そしてそのまま変形エメラルドフロウジョンを枕相手に決めた。人間で言うならば頭部が下になり、そのまま叩き落す技である。
確かな手ごたえ。たちまちテンションが上がってくる。
素早い動きでポジションを変え、ラ・マヒストラルへ。そのまま押さえ込むのかと思われたが、あえてルイズはカウント2,5で枕を解き放つ。


「どうだツェルプストー! ふ、ふふはははー、シャイシャイシャイ!!」


パチンパチンと両手を鳴らし、誰もいない所へ指差しながら“行くぞ!”と声をかけた。
抱き枕を握る。掴む。今、ルイズの心は最強だった。
ゼロ、ゼロと蔑まれるのもこの枕が居たから乗り越えられた。
しかしもう必要ない。もうゼロではない。召喚したのだ、使い魔を。

色々とたまっていた物が爽快感と共に昇華され、だがまだ終わりではないのだ。

今度は枕の腕にあたる部分を逆に固め、背筋を使い大きく持ち上げた。
すぅ、と息を吸い込み、渾身の力でソレを、


「んぉおんどりゃぁぁあああ!!」


タイガー・ドライバー‘91。

叩き付けた。相手が人間であったなら後頭部をしたたかに打ちつけ、死に至ってもなんら不思議ではない技。
ずしん。砂の入った(あくまでルイズは抱き枕と言い張る)それはついに破れ、ベッドの上を盛大に汚した。これは実家から持ってきた物で、まぁ割とお高いベッドなのだがそんなことすらも頭からは抜けている。

ふしゅぅうと熱い息をつき、うふふふふ、と気持ちの悪い声が響いた。同時にバタバタと暴れだし、どこかの精神病棟から抜け出でもしたような。
汚れようが何だろうが背中の火傷すら忘れてはしゃぎまわった。あはは、うふふと大きな声で笑い出し、平手でベッドを叩く。


「っ召喚、成功したんだぁ!」


随分遅れてやってきた達成感。

今までゼロだったが、これからはイチだ。努力は実を結ぶのである。
入学してから一日だって授業をサボタージュする事はなく、筆記の試験だって上位に立つ。勉強だったら誰にも負けない。毎日毎日本と睨みあって、寝る前は精神力を鍛える為に瞑想を欠かさない(効果があるかどうかは不明)。
それでも出来なかった魔法が昨日、遂に。

気分が良かった。
使い魔は主の為に目となり耳となり、様々な効果があるが、同じ人間だとどうなるのだろうか。そもそも人間なのか。
聞きたい事が沢山ある。文句の一つも言いたい。自分が燃えているのに何で助けないんだ。
だが、今なら許せてしまう。殺されたのに。確かに一度、やられてしまったのに。

しかしルイズはこう言いたい。

『召喚に応えてくれてありがとう』

名前も知らないけれど、白い人。
殺されたけれど、強い人。
助けてくれなかったけれど、美しい人。

問題はある。むしろまだ契約すらしてない。そして、シロは契約を絶対に拒む。


「……負けない。私はルイズよ。行くわよルイズ、やるのよルイズ。シロを手に入れて、メイジになるのよっ!」


両の頬を気合一発、割と力を込めて叩いた。

彼女はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
得意なものは勉強全般。趣味は自分でも上手くはないと思っているが、編み物。
ヴァリエールの資産狙いで告白してきた数多の男や自分をゼロと蔑む者達を、その拳と小さな身体から繰り出される数多の技で地に沈めて来た女である。





。。。。。





一方通行が目覚めた場所は本の上であった。

昨夜図書室である程度の読み書きを記憶した彼はそのまま学院から出て行こうかとも考えていたのだが、あまりにも土地勘が無さすぎると断念。
ちらりと見渡しただけで分かる低文化。18世紀にも届いてはいないだろう。何となくヨーロッパのような、知識でしか知らない異文化が一方通行を笑わせる。


「……あァ……そういやそうだったか」


寝起きでハッキリしない頭をボリボリかきながら立ち上がる。その際にベキリと何かを踏み潰したような音がしたが一切気にせず、足元に転がっているもう一人の人物に目を配った。
学園都市でも見かけた事があったが、そんなヤツは完全に頭がおかしい、と一方通行が思っている青い髪の毛。まだまだ子供らしく、乳臭い未成熟っぷり。自分の部屋であるはずなのにベッドも使わずに床に寝ている。


(哀れなもンだな、足りねェっつーのも)


鼻で笑いながらその娘を無視し、部屋から出た。ぽけぽけと眠そうな顔をしながら水場を求めて廊下を歩く。
洗顔がしたかった。余裕があるなら熱めの風呂にも入りたい。

そもそも睡眠時間はどのくらいだったろうか。少しだけ覚醒が遅い頭は後ろから近付いてくる足音にまったく気がつかなかった。


「ハァイ、おはよう。昨日はタバサのところに泊まったの?」


ここでやりたい事は決まった。
見たことが無いものを見て、知らない物を見て、その悉くを反射する。
魔法がある。それだけで一方通行には来た価値があるのではないだろうか。一方通行は学園都市で一番強い。一番強いということは一方通行に反射できない物が学園都市には無いということだ。もちろん戦った事の無い相手もそこらじゅうに居たし、全て理論の中の話なのだから現実にはどうか分からない。しかし第一位を冠していた一方通行は、それは当たり前に最強だった。


「ね、ねぇちょっと……!」


馴れ合うということを知らない一方通行なので、自分以下の能力者の全てを知っているわけではない。
しかし、『存在しない物質』を操る能力者がいたのは知っている。さて、そいつは学園都市で何位だったろうか。反射は出来たのだろうか。その力を理解する事は出来たのだろうか。

身体が疼くのを感じた。

三位など微妙な位置ではなく、やるのなら二位のクローンでも作っていればよかったのだ。いや、それだけではない。二万の軍勢を倒させるつもりなら、最初から揃えて来いと言う。
仕方がないとはいえ、長いスパンで物事を考える科学者たちは嫌いだった。彼らは慎重に慎重を重ね続け、そして三位を選んだのだろうが、一方通行は馬鹿にされていたと考える。


(……考えりゃ、腹が立つ話だ)


そう、科学者どもは、樹形図の設計者は一方通行が負けると思っていたのではないだろうか。いくら最強でも二万は倒しきれないと、そう思っていたのではないだろうか。


「ちょっと! 私を無視するなんてこの学院じゃそう居ないわよ、使い魔君!」


無視されていると気がついているのなら黙って消えていろという。

舌打ちを一つ、一方通行はゆぅっくり振り返り、先ほどからちょろちょろと視界に入ってくる人物を視界に入れた。

赤い。

一方通行が感じた印象はそれだけ。
もう馬鹿とかアホとか、そういう物さえ鬱陶しい。赤い。いいじゃないか、それだけで。


「あら、ようやく気が付いてくれたのかしら?」

「……水場は何処だ」

「私はキュルケ。キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーよ」


長ったらしい名前だと思うが、どうしようもなく優秀な頭脳は勝手に記憶してしまう。


「顔を洗いてェンだ、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーさんよォ?」

「二つ名は『微熱』っていうの。
ねぇ貴方、昨日は凄かったわ。私ね、疼いちゃってるのよ。貴方に微熱を感じているの。一緒に燃え上がらない?」


そういうと彼女は腕を組み、そのたっぷりとした乳を強調する。

これには最早ため息すら出なかった。一瞬だけだが、こちらの言葉が通じていないのかもしれないと思ったほどであった。
こっちの世界の人間が人の話を聞かないのはデフォルトなのだろうか。何故、水場に行きたいと言っているのに乳が目の前にあるのか。


「俺は水場に行きてェンだ」

「私は貴方とお話したいわ」


話にならない。しかし水場は分からない。
恐らく外にあるのだろうが、この学院は割と広いのである。昨日さんざ迷ってよく分かっている。

もう一度ため息をつきそうになり、そしてふと思い立った。
学院内の見取り図。尻のポケットに入れっぱなしだったのだ。

ある。ここから外に出れば、すぐに水場がある。昨夜女子寮に入るときは暗くて何も見えなかったが、そこには水場がある。
となればキュルケになぞ用はなく、一方通行は踵を返した。


「あ、ちょっと待ってよ」


着ているTシャツの端をつかまれ、ああ、昨日もこんな事があったな、と何となくデジャヴを見たような感覚に陥った。
さっさと『反射』して消えればいいのだろうが、キュルケがあの時の巫女のように『足りていない』女なら面倒くさい事になる。物事に流されるのは好きじゃない。自分より身長の高い女も好きじゃない。

だから一方通行は物事をきちっと終わらせる。


「っち。おら満足か、あァ?」


たぷたぷたぷと三回。
先ほどから強調してくる乳を下から三回持ち上げてやった。

あまりにもキョトンとした顔のままキュルケが口を開き、


「は、あ……うそぉ?」


その様は少しだけ笑えたが、いちいち構ってやるほどお人よしでもないし暇でもない。


「馬鹿女が。消えろ」

「……」


乳がデカイと馬鹿と言うのは割と当たっているのかもしれない。
特に何の感慨もなくキュルケの乳を最後にぴしゃりと叩いた一方通行は、今度こそ立ち止まる事無く水場へと向かった。





「じょ、情熱的……」


腰が砕けたように廊下に座り込んでいたキュルケが一つ呟いた。
おませさんだが、処女である。





。。。。。





「がらがらがら~……ぉうぇえ! ……かぁー、ぺっ!」


そしてルイズの歯磨きは終わった。
朝日が昇るか昇らないかのこの時間。未だ誰も起床しておらず、ルイズはいつも通りに水を汲みに来ていた。
使用人を学院へ連れて来ている者ならそのような事するでもなく任せるのだろうが、ルイズは実家から殆んど勘当のような形でこの学院に来ているので使用人を連れてこれるはずもなく、身辺の事は全て自分でするはめに。

この学院に来て一年。いい事など一つもなかったが、この朝の時間は好きだった。
太陽が昇り始め、双月は薄くなってゆく。少しだけ露の乗った芝に触れると冷たくて、


「……ん~、幸せな時間って、ホントこれだけ~……」


ごろんとうつ伏せに寝転がり、突如としてプッシュアップを始めた。
ふしっ、ふしっ!と規則的に口から吐く息はやけにこなれた空気をかもし出す。

ルイズには魔法の才能がない。
もちろん嘆いた。何故だと両親を恨んだこともあった。
しかしそこで最後まで落ち込んでしまうほどルイズは愚か者ではなかったのである。
魔法が使えないのなら使えないなりに努力を最大限続け、馬鹿にされるのが悔しくて身体を鍛え続けた。

一度しか使えた事がないので実感は薄いが、魔法には精神力を使うという。
そして両親の話では肉体と精神は密接に関係しており、モヤシが使う魔法は所詮モヤシだと。

だからルイズは身体を鍛える。
昨日、遂に魔法が使えた。それに奢ってはいけない。よい精神はよい肉体から。

入学当初は10回が限界だったこの腕立て伏せももう40回を超えて、あとちょっとでワンセットめの回数をこなす。
あぃっし!!とプルプルしながら50回目を向かえ、今日は少しだけテンションも高いのであと200回ほどいこうかしら? と、一旦立ち上がり首をぽきぽきと鳴らす。

その後、腹筋、背筋、スクワットをテンションに身を任せいつも以上に気合を入れてこなした後、


「やっぱこれが無いと一日が始まらないのよね~」


ごそごそと馬小屋の裏から持って来たのはまたも枕だった。
今回のその枕は牛の皮を幾重も縫い重ね、その中に砂を詰め込んだもの。人の形はしておらず、頭からは鎖が生えている。
馬を一匹小屋から連れ出し、そのサンドピローをずるずる引きずり、近くの木に引っ掛けた。


「……よしっ! ありがと、もう戻っていいわよ」


馬の顔をゴシゴシと撫でつけ戻れと促すがその馬はそこに跪いた。まるでルイズを見守るように長いまつげの奥の瞳を柔らかく輝かせる。

いつもこうだ。
この馬は誰か貴族のものではなく、学院のもの。
黒の毛並みが美しく、ルイズは何となくクロと呼んでいる。トレーニングの際にいつも手伝ってもらっていたのだった。
頭の良い牝馬で、以前ルイズがサンドピローに押しつぶされたことがあって以来ずっと見守るようになった。

ふ、とルイズは微笑み返し、しかしサンドピローを前にした瞬間にはその目に笑みはなかった。
そして、


「あぃっし!! しゃらァっし!!」


掛け声と共に蹴りを放つ。
布団でも叩いているような、ぱぁん! パァン! と。

この音を出せるようになったのは割と最近になって。
本を読んで始めたトレーニングであったが、生まれつきの骨格の小ささから筋肉は付き難く、筋肉がつかないのならやはり弱々しい蹴りしか放てなかった。
ストレッチを念入りにし、関節の可動域を広げスピードアップも図ったりしたが、やはりそれだけではこの音は出なかった。


「ぅあいっし!! んあぃっし!!」


日ごろの努力は無駄にはならない。
続けに続けた筋力トレーニング。身体を柔らかくする為のストレッチ。
小さなルイズがこれほどの蹴りを放っている。
無駄ではない。
無駄では、なかった!


「ンッん、だらッしゃァアアア!!」


最後に後ろ回し蹴りを放ち、サンドピローは苦しげに縦揺れした。
ぎし、ぎし、と木が傷んでいく音。
悪いとは思いつつも毎日ここに引っ掛けて練習している。


「んはぁっ! ……はぁ、ああ、きたきたきたぁ……」


ぴくんぴくんと痙攣している下半身。二の腕も腕立てのせいで熱を持っている。
腹筋なんて、


「うふ。どう、クロ。この私の腹筋は」


着ているシャツをペロンとめくり、馬に己の腹筋を誇示する。
トレーニングの直後なので今は筋肉が張り、うすく割れていた。いつもだったら触ると凹凸が分かる程度だが、今の腹筋はしっかりと割れているのである。

ルイズは思う。
魔法だって、魔法だってこうだったらいいのに、と。
練習すれば誰でも使えるような、簡単なものであればいいのに。筋トレを重ねれば誰だって筋肉はつく。個人差はあれど、それは間違いない。
しかし魔法はそうはいかない。なによりも大切なものが『才能』という、ルイズからしてみればふざけるなと言いたくなるような物。いつもゼロ、ゼロ、と蔑まれた。

やかましいのである。んなもん分かっているのである。我輩はゼロである。

だから努力している。
誰にも負けないよう、沢山沢山。
ただそれが未だ実を結ばないだけで……。


「……ああ、やだやだ、ダメだわこんな考え。そう、ちょっと爆発しちゃうだけよ。昨日はちゃんと召喚できたんだから、頑張れば……うん、頑張ればきっと……」


少しだけ考えながら片付けを。
その際にクロが頬を舐めてくれたのになんだか癒されてしまった。

私の味方はあなただけね、とやや自虐的なことを考えながら後片付けを完了し、クロを小屋に戻したあとに水場へと向かった。
ちょうど皆が起き始める時間で、この時間になると使用人どもが主の為に水を汲みに来るのだ。

その中に毎日顔をあわせる彼女。


「シエスタ、おはよ」

「あ、おはようございます、ミス・ヴァリエール」

「持って来てくれた?」

「はい、いつものですね」

「ん」


使用人シエスタ。メイドである。

珍しい黒髪に黒い瞳。
身長も胸もルイズより大きい。胸なんて得に大きい。
しかしキュルケと違いこちらは使用人なのだ。ことさら強調して挑発してくるような事が無いだけましか。

そしてそんな彼女に毎日用意してもらっている物、それが手渡されたドリンクである。
マルトーという、学院生たちの健康管理を一任されている人物に作ってもらっているもので、簡単に言うと筋肉にいい物である。

ルイズは鼻をつまみ、それを一気に飲み下した。
筋肉にいいものなので飲むのは大賛成なのだが、不味い。とてもじゃないが美味しいとは言えない代物である。
以前、味の改善は出来ないかと頼んだ所“これ以上は無理”とハッキリと言われた。そこまで言うのならばこれが限界なのであろうが、それでもいつまで経ってもなれないものである。原材料など聞きたくも無い。


「おえっ、まず~」

「毎朝お疲れ様です。昨日はお怪我をされたと聞きしたので心配しました」

「そうそう、そうなのよ。なんかちょっと燃えちゃってさ~、髪の毛なんてこんなんなっちゃった」


毛先をつまみ上げ、少しだけおどけた調子でルイズが言うとシエスタはクスクス笑い“よくお似合いです”と。

彼女たちの関係は主従ではなく、所謂友人同士である。
ルイズは貴族で、シエスタは平民。
しかしルイズは魔法が使えないのだ。この学院にも捨てられたような形で入学したような物。なのでその辺りは割り切って、入学して月が一回りした頃に宣言した。


『私は魔法が使えない。それがどうした!』


貴族たちからは笑いを呼び、使用人たちからも笑いを呼んだが、唯一笑わなかったのがシエスタである。
毎朝顔はあわせつつも挨拶程度だった関係が変わったのもその辺りから。
シエスタは“ご立派です”と静かに頭を下げながら言い、料理長マルトーを説得し、そして筋肉にいい飲み物を作ってくれるようになった。


「でも、魔法が成功されたと。もう誰もミスをゼロとはお呼び出来ませんね」

「んふふ~、ありがと」

「それで、どのような使い魔を?」

「あ~、ん~、何て言ったらいいかしら……え~と……白い悪魔、みたいな?」

「まぁ、悪魔とは随分強そうですね。きっとミスのような立派な貴族様には強い使い魔でないとつり合わないのでしょう」

「で、でもでもアイツったら私の事みるなり殺しにかかったのよ! っていうか一回くらい死んじゃってるのよ、私!」

「それはそれは……いきなり大勢の前に呼び出されてビックリしたのでしょう。ミスはしっかり御生還なされていますし、それは何らかの試練だったと考えればよろしいかと」

「違うのよ! そのあと私が燃えてるときにぽけっと空なんか見てたんだから!」

「燃えている最中なのにしっかりとご自分の使い魔がお見えになられたのですね。普通の貴族様にはとてもできない事です」

「……え、えへへ、そ、そうかな?」

「ええ、そうです」


いつもどおりシエスタの話術にはまりながら気分をよくしたルイズは顔面をばしゃばしゃと無造作に洗い、タオルで拭き拭き。さあ今日もやるぞと気合を入れたところでその声が聞こえた。


「邪魔だ。どいてろ」

「ひょっ!?」


ビクリと肩を震わせ、忘れるはずが無いその声。恐る恐る振り向けばそこには白い人。眠そうに欠伸を噛み殺しながら頭をかいていた。
昨日ルイズが召喚したその人である。

しっかりと目を合わせたのは深い眠りに着かされる前と、そして今回が始めてである。
初めての印象と同じ、随分と綺麗な人物であった。
どうあっても目を引く純白の頭髪。雪色の肌。切れ長の瞼の内にある鮮やかすぎる赤色の瞳。中央にすらりと高い鼻梁が伸び、その下にはやや薄いながらも綺麗な唇。シャープな印象だが、見るだけには女性らしい丸みがあるような気がする。
酷く中性的な、本当に、何か呼んではいけない者を呼んでしまったか。


「あァ? テメェ……」


自分をアレに喩えるのは凄く嫌だが、蛇に睨まれたナントカとはこのことか。

ルイズは一方通行の瞳に睨まれると身体が動かなくなってしまった。緊張よりも恐怖、畏怖。恐ろしい。
あんたのご主人様よ、と声を大にして言いたいのだが、


「わ、わ、わたし」

「……?」

「わたわた、わたしはっ」

「こっちの奴ァ言語中枢に問題でもあンのか? オメェあれだろ、昨日一発目にやった奴だ」

「そ、そう! 昨日貴方を召喚したの!」

「くはっ、やっぱりお前の仕業だったわけか。そりゃそりゃまた、何だ、誰か殺してェ奴でもいンのか?」

「違うわよ! そうじゃなくて、その、あなたはね、わたしの、私の使い魔なの! 私はあなたのご主人様なの!!」


ルイズは目を瞑って一息にそこまで言った。
伝えたいのだ、召喚に応えてくれて、


「だ、だから、ありが」

「っひ、くはは……」

「あ、あのね?」

「ははは!! ご主人様ときたかァ! どうぞどうぞ卑しい私めにご命令をってかァ!!」


一度目に聞いた狂笑とは違い、本当に、実に愉快そうに一方通行は笑っていた。
おもしれェ、おもしれェと呟きながらばしゃばしゃ水を弾く。

その様はルイズにとっては一応僥倖なのか、曖昧に笑みを浮かべながらシエスタと目配せをしていた。

何一つ分からないのだ、この使い魔の事が。
昨日なぞ一瞬でトばされて、燃え上がっている。話す時間などなく、これがファーストコンタクトといってもいいような、そんな関係。
ルイズとしてはさっさと契約して進級を決め込みたいのだが、どうなるか。


「それでね、使い魔になってくれる……わよね?」


本来なら聞く必要すらないのだが、それでも相手は一応人間だ。話が出来るのなら一応聞いたほうがよかろう。
ルイズにとっては当たり前の事。話せば当たり前に契約できるものだと思っていたのだが、相手が分かっていなかった。相手は何を隠そう、いやまったく隠すところもなく、最強なのだ。


「ンなわきゃねェだろ。死にてェのか」


へ、と耳をほじりながら一方通行が言った。


「んな、何でよ!? こう言っちゃなんだけど私って結構良心的な貴族よ!?」

「僭越ながら、まさしくその通りかと。おはようございます使い魔さん、私はシエスタと申します。メイドです。そして、このメイドの私とお友達になりましょうと仰る彼女がヴァリエール様。立派な貴族様です。そうそういらっしゃいませんよ?」


ナイスフォロー、と内心ガッツポーズを決め込むルイズを余所に、一方通行は顔を洗いながら瞳すら寄越さずに聞いてくる。


「……お前、何が出来ンだ?」

「え~と……」


とても、とてもとても難しい質問である。
魔法は使えませんなどと言うものなら、今まさに、ここでそのまま何処かへ行ってしまいそうだ。困るのである。大変困ってしまう。実家になんぞ絶対帰りたくないし、留年もしたくない。
とは言うものの、嘘はつきたくない。嘘をついて契約しても絶対に出て行くに決まっている。末代までの笑いものではないか。

むぅ、とルイズが言葉に詰まっていると代わりにシエスタが口を開いた。


「先ほど申し上げたとおり、彼女はヴァリエール様。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール様です。音に聞こえるラ・ヴァリール公爵家の三女様で、それだけでも使い魔としては誉れであるどころか、彼女は私たち平民に対し威光を振りかざすことなく自分の立場を落としてまでも話をしてくださる立派な貴族様です。私はこの学院付きの使用人なので叶いませんが、使い魔になれるのなら飛びつきますよ」

「っくく、褒めちぎるじゃねェか」

「まだまだありますが……」

「あァ、そういうのはもういい。お前ェの言うとおりなら大層立派な奴みてェだがよ、ええおい、どうなんだ?」

「……まぁ、嘘は無いわよ、嘘はね」

「嘘は、ねェ。肝心な事言ってねェだろうが」


ああきた。


「どの程度使えンだ、マホーはよ」

「……ええと」

「使い魔さん、それはとても難しい問題でして、魔法を使える方が立派な貴族かといいますと、それはまた違いまして、魔法なぞ、その人間を測るにはあまりにも小さな小さな、まるでミジンコかダニのような存在で、私はそのような能力、毛ほども必要ないかと」


二回目のナイスフォローとはとても言えないが、それでもシエスタの気遣いは嬉しかった。
同時に平民であるシエスタにこんな心配をさせている貴族、自分に対して腹が立つ。

何故当たり前の事が出来ないのか。
ここで自分はスクウェアのメイジだと胸を張って言えたのならどれほど嬉しいだろうか。いや、スクウェアでなくったっていい。トライアングルだって、ラインだって、ドットだって、なんでもいい。
魔法を使えるという当たり前を取り上げられたルイズは、ゼロなのだ。平民となんら変わりない、ゼロ。


「わ、私は……」

「あァ?」

「わ、わ私はっ」

「……」

「私はっ、私はゼロ! そうよ、ゼロのルイズよ! この学院で最弱の魔法使いなの!!」


構うもんか。そう思った。
嘘はつきたくない。自分を偽るくらいなら、使い魔なんていらない。本当は欲しいけれど、これ以上ルイズは自分を嫌いになりたくなかった。
魔法を使えない自分が嫌い。その穴を埋めるように筋トレに励んでいる自分も嫌いだし、プライドなんか無いんだよ、というポーズを取るのも最低だ。
本当は使いたいさ。しかし一年が経って、思い知っている。あ、無理なんだな、と本当の本当は心の奥底で諦めがじわじわ湧き出てきている。


(……もうホント、死にたい……)


と思うほどに魔法が使えないのは、貴族にとって最悪な事なのだ。

しかし、ここで少しだけ予想だにしない事が起こった。
一方通行が立ち上がり、ルイズの前に。一瞬ドキリとしたルイズだが、これはまさかオーケーか?と期待も。


「……やれ」

「へ?」

「使ってみろ、マホー」

「あの、聞いてた? 私は使えないの、魔法」

「俺を呼ンだのは魔法じゃねェのか?」

「……一応、そうね。まぁ、魔法……かな」

「お前ェが使えないっつーと、だ」

「う、うん……」


マズイ気がした。何か地雷でも踏んだか。
先ほどまでなかった空気。肌を刺す眼差しだ。

そっと伸びてきた右腕。
一方通行のソレは、一度目と同じようにルイズの頭の上に優しく置かれた。

今度は違う意味で心臓が高鳴った。
これはまさか、死んでしまうのではなかろうか。


「俺は、どうやって帰ればいいと思う?」

「……あ、歩いて……な~んちゃっ、ッンぎゃん!!!」


そして目の前は真っ暗になった。







[6318] 05
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:4020f1db
Date: 2010/03/02 16:36



最低だ。

最低その1。帰還のことが頭からすっぽ抜けていた自分。
最低その2。帰還の魔法が頭に存在しないマホーツカイ。
最低その3。死なないと言ってるのに喧しく喚くメイド。


「最低です! ミスに呼び出された使い魔なのに、それなのにご主人様に手を上げるなんて! 最低です!!」


二回言うなとよほど言ってやろうかと思ったが、それではまた喧しくなるだけだろうと一方通行の聡明な頭脳は判断した。
ルイズを医務室に運ぶ際に、無視してそのまま何処かへ行こうかとしていた一方通行はメイドに捕まってしまったのだ。
やけに強気なその女はシエスタであり、メイドなのだ。

叫び倒れたルイズを見るなり一方通行に掴みかかり、もう何を言っているのか分からないくらいの声量で捲くし立てた。
ギリギリで可聴領域の声だけを判断するなら、『ルイズ様に何かあったらあなたを殺して私はヴァリエールに頼み込み無罪放免』のような事を言っていた。

何となく逆らいがたい物を感じ、何となく手伝ってしまい、何となく医務室に残っている。


「最低ですっ!」

「あァそうかい」

「またそんな態度! あなたは自分のした事がまったく分かっていません!!」

「ちょっと生体電流乱してイかせてやっただけだろが」

「い、イかせ……最低です!!」


ため息をつきながら反射を行使。鼓膜の振動をゼロにした。喧しいのが相手の時にはいいものである。音は消え、目を瞑れば一切の闇。ああ、世界は今日も狂とて平和ではない。

そして尻のポケットから見取り図を取り出し、また開く。
毎度毎度迷いでもしていたらたまった物ではない。きちんと憶えるつもりで、しっかりと脳内に刻んでいく。
目の前で大口開けて叫んでいるメイドは無視。

数分が経ったか、ベッドの上の住人がもぞりと蠢いた。


「ん~、うるちゃ~い……」


一方通行には聞こえなかったが、わずらわしそうな顔からするに、何か文句の一つでも言っているのであろう。
反射を切り、一方通行にとっては大問題である帰還の件に聞こうと口を開く。


「お」

「ああ、ミス・ヴァリエール、申し訳ありません私が間違ってました! この使い魔は悪魔です! 外道畜生の類の魔物です! 即刻解雇するべきです!!」

「ん~、シエスタ、何言って……」

「ミスの使い魔は本物の悪魔だと申し上げております! 人ではありません! あのような所業、トロル鬼でも可愛らしく見えてしまいます!」

「んあ? ……ってそうよ! またやったわねアンタァ!!」


やかましい。
起きて早々に元気のよい事である。

ルイズの健康状態もメイドの興奮状態にもまったく興味が無い一方通行は今度こそ口を開き、問う。


「俺は帰れねェのか?」

「何処によ?」

「……俺が居た場所にだ」

「へ、へん! 知らないわよそんなの! そ、ん、ぐずっ、そんな、に帰りたいんだったら、帰れば、っいいじゃない! もう知らない!」


涙を瞳いっぱいに溜めながらルイズは言った。

帰ればいいじゃない。
分かっていない。召喚主は自分が召喚した者の事を一切わかっていなかった。

一方通行も帰る事が出来るのなら、それは嬉々として帰ろう。帰る手段があるのなら当たり前のように帰るさ。
しかし今、目の前の小さな女が帰還の手段なのだ。
呼び出しておいて、帰れない。


「っは、まさしく一方通行ってか。冗談にしちゃ随分ツマンネェな……」

「……何よぉ、まだ何かあんの?」

「っち……」


くそったれ。
そう呟きながら一方通行は説明した。

己が呼び出された場所。なにやら不可思議な鏡。月は一つが常識で、魔法などあるわけが無い。
一つ一つを丁寧に、どのような馬鹿でも分かるように説明していった。

家族も恋人も友達も居ないが、見返したい連中が居る。殺してやりたい奴が居る。そしてあの『最弱』に、無敵になった姿を見せるのだ。指先一つで昏倒させ、その様を存分に哂ってやるのだ。

やりたい事がある。もちろんこの世界でも。
しかし帰れなければ意味がない。魅せ付けてやる、『無敵』の一方通行が『最弱』の上条当麻に勝つ様を、全ての人に。


「俺は帰るぞ。それこそどんな手段を使おうが」

「ま、待って待って、そんな急に世界が違うとか、そんな、本気で言ってるわけ?」

「お前ェらと違ってこっちの頭はしっかりしてンだ」

「信じられるわけ無いじゃない、そんなの。何か証拠は無いの?」


そう言われて身体を探るが、もともと昼食を食べに行っただけなのだ。出てきたのは財布だけ。
一応カードキーと電子マネーIDも出てくるが、それが証拠になるかといわれるとそうではないだろう。携帯なんぞ最初から持ち歩こうとすら思わなかった。

一方通行は自嘲気味に笑いながら財布を放った。

『一方通行』。
学園都市だったら知らぬものは居まい。それほどの有名人なのだ、彼は。テレビの中のアイドルよりも何よりも。

何不自由無い生活が送れる金を貰い、実験に協力した。もとより学園都市から出る事の叶わぬ身。不自由の中の自由を求め、突き抜けて、最強になり、6の可能性を知り、負けて、鏡に喰われた。

超超わがままに生きてきた。ウルトラマイペースなのだ、一方通行は。


「く、くく、成る程な。有名なのも面倒クセェが、ここまで『俺』を知らねェか。まァ、当たり前っちゃ当たり前だ、クソッタレが」


そんな彼は言い、踵を返す。

すぐに帰るというわけではない。科学者どもの頭の中身は分からないが、実感としてあと一万人を殺しても6に成れるとは思わなかった。だからこっちで成る。魔法という摩訶不思議なモノがあるこっちで。
なので今すぐにどうこうしろという訳ではないが、それでも何の保険も無いままに行動しようとはさしもの一方通行であろうと思わなかった。


「ちょ、待ちなさい、何処行くのよ!?」

「お前ェにゃ関係ねェな」

「んな訳ないでしょう! こら、ちょっと!」


制止も聞かずにズンズンと歩を進め、廊下に出、そして目指すは学院長室。学院長と呼ばれる老人なら何か知っているかもしれないと思ったのだ。
脳内で何処をどう行けば最短ルートか瞬時に算出。
勝手に足が動いていますというほどにルイズを無視し続けた。

足元がややおぼつかないルイズがふら付きながら、言う事を聞かない太腿を叩きつけ追って来る。シエスタが心配そうに肩を貸そうとするのを断り、その足で。


「何処に行こうっていうのよ! あんたホントに帰っちゃう気!?」

「……」


花札の鹿の絵。モミジと共に鹿の写っている花札。
それを語源にした任侠用語、それが『シカト』である。

一方通行はまさしくシカトした。むしろ何も聞こえていなかった。


「このっ、人の話くらい……っ聞けぇ!」


ちらりと振り向けば拳を振り上げながらルイズが猛然と駆けてきている。
呼吸をするよりも自然に反射。一方通行に触れたルイズの拳はそのベクトルの一部を返された。
ごち、と嫌な音が響く。


「いっ! か、硬っ! なん、あ、あんた一体何で出来てんのよ!?」

「ああ、いけません。すぐに治療をっ」


当然硬い。今の一方通行は鉄よりも。
力を反射するとはそういうことだ。例えば其処にある壁だって殴れば当然痛かろうが、それでも力のいくつかは伝わり、逃がしてくれる。
しかし一方通行の場合はそうは行かない。殴ればベクトルは返ってくるのだ。当然、硬すぎるほど硬いし、殴った拳が壊れなかっただけ僥倖なのだ。

『殴られる』という作業の中で脳裏に映るのは別の『最弱』。


「……最弱でも、その中でも弱ェ部類だぜ、テメェ」


拳に息を吹きかけているルイズにしっかりと捨て台詞を残して一方通行は蔑むように鼻で笑い、またも歩を進めた。
確信する。二度も三度も殺されかけて、それでこの身に潜む脅威に気がつかないのはただの馬鹿。相手にする時間すらもったいない。
一方通行からするならば目を瞑っても勝てる相手(どんな相手でもだが)。帰還の方法も知らないならば意を向けるだけ無駄な存在だ。


「消えてろ」


感情を感じさせない声色。
ほとほと興味が失せたといった表情をしていた。

しかし、である。

ゼロ、ゼロと入学当初から毎日言われ続けているルイズが、毎日を筋トレと枕殴りで過ごしてきたルイズが、消えろと言われて素直に引くか?
当たり前だが、この程度で諦めるはずもなかった。


「ふぇっ、うえ、あんたなんか、あんたなんかぁ! ふっとべぇええ!!」


ルイズが腰の裏に差し込んでいた杖、それを振った瞬間、一方通行の歩く先で爆発が起こった。

吹き飛べといいながら何処を狙っているのだろうか。
しかもつまらない爆発。この程度の規模の爆発ならばレベル1でも起こせる。
触るのすら気を使いそうなほどに可愛らしい。


「あ、あれ? この、えいっ!!」


杖を振ったのだろう。またも一方通行の先で爆発。
狙いすらも定まらないらしい。
この辺りがゼロと云われる所以か、と可愛らしい風を感じながら思考。

思考。


「もう、何で当たんないのよっ! でぇい!!」


爆発。廊下自体が揺れるような。
爆風。一方通行の前髪をなびかせる。
思考。風を感じた。

瞬間、口角が吊りあがった。
考えてみれば当然か。そう、一方通行の後ろで可愛らしい爆発を起こしている少女は一方通行を召喚した。あの鏡の元凶なのだ。


「……あァ、そういう事か」


爆発で風を感じた。あろう事かゼロと呼ばれる女の魔法が反射を抜いてきているのだ。
つくづく因縁めいたものを感じる。よほど『最弱』との相性が悪いらしい。いや、寧ろ良いのか。

くっく、と咽喉を鳴らしながら振り向いた。
その際にビクリと跳ね上がるルイズの肩。余りにも可愛らしすぎる。本当に、触れば壊れてしまいそうな。


「……なァ」

「っうぅ」

「ルイズさんに触らないで!」


またも頭の上に手を置いた。

ルイズの瞳いっぱいに溜まっていた涙がはらはらと流れ落ち始めた。
メイドが先ほどから脛をげしげしと蹴りこんでくる。

何もかもが気にならなかった。


「腹ァ減ったな、おい」


6。随分早く道が見つかった。かも知れない。




05/『虚無』





ちょうどよく朝食の時間だった。運がいいのか悪いのかは分からないが。
ただ間違いなく言えるのは、


「く、くくく……」


気持ち悪い。
自分で呼び出しておいてなんだが、とても気持ちが悪い。
突然腹が減ったといい、突然従順になり、突然咽喉を鳴らし始めるのだ。
いくらなんでも恐ろしすぎるだろう。


「ちょ、ちょっとシロ、あんた前歩きなさいよ。いきなり殺されそうでたまったもんじゃないわ」

「仰せのままに、ゴシュジンサマ」

「何なのよ行き成り……」


先ほどまで居たシエスタが居ない事に不安を感じる。
彼女はメイドだ。当然朝食の準備になると忙しくなる。流石に学院付きの使用人を拘束する事も出来ず、かなり名残惜しかったのだが仕事に戻ってもらった。

結局名前の交換すらすんでいない使い魔はシロと呼んでいる。失礼かとも思ったが、どうやら名前に何か思うところも無い様で、このまま固定でもいいかも知れない。


「ああ、何か首筋がぞわぞわする」


呟きながら先を歩く使い魔を見る。
大股でコツコツと足音高く歩ていくその姿は確かに男らしいのだが、やはり何ともいえない中性さ。
身長も高くは無い。流石にルイズよりは高いが、それでも男性にしては少し低いくらいではないだろうか。体格だってよくない。ひょろひょろのモヤシ体形。一見すると美しいその顔だって、あの狂笑を聞き、見た後では逆に恐ろしいだけ。


「……はぁ、何だってあんたみたいなのが召喚されちゃったんだろ。ねぇ、ちょっと聞いてる? 私はありがとうって言いたかったのに、そんな気持ちどっかに飛んで行っちゃったじゃない」

「礼は必要ねェ。その内言えなくなる」

「何よそれ……はぁ、もうホントに“はぁ”よ」

「く、くく、それも必要ねェ。その内でなくならァな」

「……」


ああ、やっぱり殺されてしまうのかもしれない。
契約だってまだしていないのに、この緊張感は一体なんなのだろうか。ご主人様と使い魔の立場が逆ではないか。
使い魔に捨てられるかもしれないご主人様など御免だ。

大体にして、


「何であんたが私の前を歩いてるのよ。ご主人様は私なんだからね!」

「死ぬか、お前ェ」


一応従順なふりをしているだけであろう一方通行をからかいながら、ルイズは重たい食堂の扉を開いた。
今日は余計な気絶をした分いつもより遅かったようで、すでに配膳されており皆も席に着いている。

ルイズは少しだけ早歩きになりながら一方通行を手招いた。


「こっちこっち」

「……随分とまァ、朝からよくこンなもン喰えるな」


嫌そうな顔をしながら、コツコツと一方通行が歩く音。
そして周囲がざわついた。

ルイズとしては嬉しいのと面倒くさいのが半々くらい。
間違いなく質問が飛んでくるのだろう。

ルイズ自身も書物で読んだくらいでよくは知らないのだが、あの『反射』。アレはエルフと呼ばれる種族が使うものによく似ている。と、思う。見た事が無いのだ、仕方ないじゃないか。
しかし現実としてエルフは魔法を反射し、倒すには十倍の戦力があってもまだ足りないと言われる。
先住魔法を使う彼等は、友好関係には無い。

周囲の視線から感じる畏怖。
ルイズは少しだけ小さくなりながら席に着いた。対して一方通行は気に留めた様子も無くルイズの隣にどかりと座り込み、そして不遜に腕を組む。
当然だが、使い魔に貴族と同じ朝食など用意されているわけも無いのだが、


「あ、あの、そこはね」

「あァ?」

「……なんでもない」


ルイズは日和った。


「君、そこは僕の席なんだ、が……」

「あァ?」

「……いや、失礼。勘違いのようだ」


貴族も日和った。

結局席を取られた貴族も寝坊のために時間に間に合わなかった人物の席に座り万事解決。
ルイズは心の中で謝りながらその貴族に目配せすると“気にするな”とのジェスチャーが返ってきた。あまり見た事の無い顔だが、隣の席はあんな奴だったろうか。割といい奴もいるものだな、と一年間気がつかなかった自分の事は棚に上げ、少しだけ気分をよくしながら始祖にお祈りを捧げた。朝食開始である。

隣を見れば、食材に若干の困惑を見せながらも己の使い魔がきちんと口をつけていた。


(……いつもこんな顔してれば可愛いのにね)


眉間にしわを寄せながら食べているのだが、口に食べ物を入れたときにソレがふわりと薄くなる。正直、少し萌えた。
さらにスープを口に運ぶ一方通行は中々に様になっており、貴族と言われれば信じてしまうかもしれない。そう思うほどであった。
口調などは下品なくせに、ふと見れば何となく気風を感じてしまう。


「ちょっと、口の端ソース付いてんじゃない」

「……」


ハンカチでふき取ってやると赤い瞳を少しだけ薄め、黙って動かないのも中々可愛いものだ。
憮然とした表情でそのまま食事に移ったのも、もしかして照れているのかもしれないし、


(う、うん。ホントはそんなに怖くないのかも……お腹すいてたのかな?)


人間誰だって腹が減れば機嫌が悪くなる。
さらに隣の使い魔からするなら別の世界に行き成り飛ばされて周りは敵だらけと勘違いし、さらには教員と戦闘も行っているのだ。ストレス度数は計り知れないものがあったのかもしれない。


「ねぇ、あなたの世界の朝ごはんはどんなだったの?」

「シリアル。コーヒー。ビタミンE。カロリーメイト(プレーン)」

「分からないものばかりだわ。昼食は?」

「コーヒー。カロリーメイト(ブルーベリー)」

「朝と同じものを食べるのね。夜は?」

「ウィダー。カロリーメイト(チーズ)」

「かろりぃめいとばっかりじゃない。この鶏肉のソテーみたいなのは食べなかったの?」

「っは、食っときゃ良かったな」

「そんなんじゃ筋肉付かないわよ。もっとお肉食べなきゃ。男は筋肉よ、筋肉付けなさい」

「気持ちわりィンだよ」


小さくだが、適当に会話をしてみればそれなりに弾む。
ご飯が好きなのか、それとも本当に機嫌が悪かっただけなのか。少しだけ悩むが、まぁ恐らく答えはどちらでもなく、どれもが彼の本当の姿なのだろう。何か間違えれば今チキンを握っている右手はすぐに自分の頭の上に乗るに決まっている。

契約できるかどうか、それが勝負だ。

何のメリットも無く使い魔になってくれるはずは無いし、まず、彼が何をしたいのかを聞き出そう。帰りたいといわれるのは目に見えているが、それ以外で、何とか留まってくれるように。

考え込みながらもパクパクと箸は進む(もちろんナイフとフォークであるが)。ルイズは出されたものはしっかりと食べ尽くす派なのだ。
しかし問題は隣の一方通行。徐々に動作が鈍くなり、遅くなり、ついには止まってしまった。


「……喰えねェ。多すぎだ」

「はぁ? 何言ってるのよ、半分も食べてないじゃない」

「入らねェもンは入らねェ」

「っもう! ほら、寄越しなさいよ」


そしてルイズが筋肉のために一方通行が残した半分も何とか胃に収め、少しだけ食べ過ぎたかと脂汗をふき取っている頃、待っていましたといわんばかりにその人物は動いた。

口の周りをソースでしっかりと汚し、丸々としたお腹をコレでもかと張らした彼、マリコルヌ君。
彼は食事とルイズを馬鹿にする事に人生の半分くらいを掛けているらしく、しっかりと食事を取り終わった後にケンカを吹っかけるのである。


「ソイツはエルフだ! 悪魔だぞ!」


噂の広がりきっていない上級生側の席が大きくざわついた。
対して下級生側はマリコルヌに若干の同情の目。昨日やられているのに大した胆力だと拍手を送るものまで居た。


「何故僕たちと同じ席について朝食をとっている! 信じられない、僕はゼロのルイズが召喚した使い魔と同じ席に座っているんだ!」


大仰なジェスチャーを加える彼はさながら舞台俳優のようで、しかしそれは貴族の役柄ではないだろう。

最早いつもの事か、とルイズはため息をつき、その際に可愛らしいげっぷをかました。


「けぷ。ん、こほん。無視しなさい、いつもの事よ」


これで少しでもご主人様を庇う様を見せればもっと可愛くなるのだが、


「くく、無能の使い魔だとよ、この俺が」


ルイズの予想通り、その顔はしっかりと笑顔を作っていた。
笑顔というのはもともとリラックスからくるのもだが、この使い魔は恐らくソレから程遠いものから来ている。間違いなくリラックスなんてものじゃないのだ。

嬉しいのか? 楽しいのか? 気持ちいいのか?

わからない。が、確実なのは一方通行の邪悪な笑顔が時間に比例し深く刻まれ、ルイズの額には嫌な汗が出て来ていることくらい。


「む、無能とは言ってないわよ!」

「変わらねェな。ゼロ、無能、最弱」

「あんたねぇ、一体どっちの味方よ?」

「味方ァ? くはッ、笑わせンなよ……」


そういうと一方通行は右手を高々と持ち上げ、


「俺は、俺だけの味方だッ!」


どごん!
食卓に腕を、それはもう渾身の力だろうといわんばかりの威力で叩き付けた。
ルイズの肩は跳ね上がり、ざわついていた食堂は一気に静まる。喚いていたマリコルヌもビクリと一瞬身をすくめたが何も起きない所を見てははは、と乾いた笑いを上げた。


「は、はは、何だ、今回は何もなしか? そうだろう、僕は風上の―――」


彼が風上の何かは分からない。
そこまでしか言えなかったのだ。

指先一つ。
静まり返った食堂で、一方通行が指先で軽く用意されていたグラスを弾いた。
チィ、ン……と静かな音色。
しかしソレは美しいだけではなく、スタートの合図だったのだ。


「っ!?」


ルイズには分からない。分からないが、恐ろしい速度で飛んでいく食器たち。食卓を飾っていた皿は、ナイフは、フォークは、全てがすっ飛んでいった。驚愕のあまり思わず“はおっ!?”と、はしたない声まで上げてしまったのだが、誰にも聞こえてはいないだろう。
食器はそこに食い物が乗っていようが乗っていまいがお構いなしに加速。全てマリコルヌに飛ぶソレは彼の服を、顔面を、肌を、その全てを汚しつくし、


「あぶぶぶっ!! 肉が、肉が飛んで来るだと!?」


肉たちの圧に負け、すってんころりんと転んだ先には椅子の角が。
ごっ、と鈍い音を響かせ、彼は肉まみれになりながら、しかし幾分幸せそうな顔で意識を失った。


「……な、何よあれ……肉たちの復讐? 魔法なの?」

「さァな、言った所で理解できねェよ」


相変わらずの態度。くっくと咽喉を鳴らしている様はとんでもなく気持ち悪いが、それでもルイズは少しだけスッキリした様子で息をつき、呆れたような笑顔を作ってこう言った。


「あなた、なかなかいい子かもね」

「あァ? 何だァそりゃ?」


今回間違いなく言える事は、一方通行の聡明な頭にはマリコルヌの名前が『風上のあぶぶぶ』と記憶された事。それだけの朝食だった。





。。。。。





「いい? まず魔法には二種類あるの。系統魔法って云われる魔法語の魔法と、コモンマジックって云われる口語の魔法ね」

「あァ」


何を考えたか、何故かメガネをかけたルイズに何か授業のような感覚で魔法の事を教わっている一方通行。

魔法の事は知っていて問題ない。むしろ知らなければならないことだ。
知らずとも反射はできるだろうが、それでも知っているのと知らないのでは計算量がまったく違う。『分からない物』よりも『こういう風な物』の方が感覚的に捕らえやすいのは当たり前で、6に成るための努力は一切惜しむ気は無い。


「系統魔法っていうのは土・水・火・風の四つの系統。メイジの強さは大体この系統をいくつ足し合わせる事が出来るかによるの。一つだったらドット。二つだったらライン。三つだったらトライアングルで、四つならスクウェアって名乗れるわ」

「あァ」

「でも純粋な戦闘力って訳じゃなくて、トライアングルがスクウェアに勝ったりも出来るし、ドットでも強い人は沢山いる。ようは使いようよね」

「あァ」

「……で、でね、魔法を使うには精神力が必要で、肉体的な疲労じゃなくて、まぁ、精神的にも疲労を感じるって人は少ないみたいだけど、とにかく精神力が必要なの。どんなに凄い魔法使いでも大きな魔法使っちゃったら休まなくちゃいけないし、中には一月くらい魔法が使えなくなっちゃう人もいるんだって」

「あァ」

「……」

「……」


一方通行は本来書きながらモノを憶える性質ではない。
文字を覚えるときは流石に筆を執ったが、人の話の丸暗記くらいお手の物だ。開発が進んだ脳はスーパーコンピュータに匹敵するとも言われていた。
だからルイズの話も頬杖をつきながらノートを取るでもなく適当に聞いていたのだ。勝手に脳内で答えは見つかる。一方通行にとっては当たり前の事だったのだが、どうにもルイズはそれが御気に召さない様子。


「続けろ」

「あ、あんたねぇ……あぁ、あぁってホントに分かってんの!? 熟年夫婦か!!」

「冴えてンじゃねェか。なかなか愉快だな、お前」

「後で質問してきても答えてやんないからね!!」

「お前ェの講義に漏れがなけりゃな」

「馬鹿にして!」

「続けろ」


その後もぷりぷりしながらルイズは説明を続ける。何とか見返してやろうという気持ちがあったのだろう、その説明、口上は異常に長く、教科書を丸々語りつくした。
だが、結局のところ一方通行の出来のよさが際立っただけで、ルイズはしくしくと涙を流す嵌めになるのである。

当然、一方通行は全て憶えている。
ルイズが咳払いした回数も思い出そうとすれば可能だし、何度“えーと”と言ったかも憶えているが、そこはもう意識的に削除。その脳内は魔法の事でいっぱいになっていく。


「……そういうこと、か」


一方通行の考えでは、『魔法、恐るるに足らず』である。もともと恐れるものなどありはしないのだが。
特に攻撃に役に立つと思われる系統魔法。ソレが四大元素を基に発動するというならば完全反射可能。すでに科学で証明されているものを操っているに過ぎない。
しかし面白いのはここから。超能力と対して変わらないな、と若干の落胆を見せたときに出てきた『虚無』である。


「おい」

「なによぅ……」

「最も小さき粒ってなァ、結局なンなンだ?」

「最も小さき粒は最も小さき粒よ……何言ってんの?」

「……いや、いい。認めたくはねェが、聞いた俺が馬鹿だったみてェだ」

「な、何よ、なんなのよ!? 今馬鹿にした? したわよね!?」


正直、ここの魔法使い達が学園都市に雪崩れ込んだのなら、学園都市は潰れる。間違いなく負けるであろう。一方通行と、数人程度生き残るか。
もちろん魔法使いが自分のやっている事を科学的に理解できればの話ではあるが。

何を隠そう、魔法使いは核爆発を連発で放てるのである。えい、と杖を振れば、核。ふふん、と優雅に降っても、核。おんどりゃあと気合を込めても、核。まぁ間違いなく撃った本人は死ぬだろうが。

そしてまたしてもとんでもないのが『虚無』。

さしもの一方通行もまさかとは思う。まさか、そんな馬鹿な事は無いはずだと思うが、話を聞く限り、『虚無』とは『不確定純物質』を操っているのではないだろうか。
素粒子、量子、そして学園都市にもいたが、『存在しない物質』を自在に操れる存在が居るとするのなら、ソレは人ではない。一方通行自身も自分は人間の領域から外れていると思っているが、ソレを超えて、それはすでに、喩えるなら神で、世界でも作る気かと。

もしかしたら時間を飛ぶなどお手の物ではないだろうか。
身体を自在に作り変え、好きな時間に起きて、あ、ちょっと太陽熱いなと思ったら壊しにかかれるのではないだろうか。そして壊して寒くなったら創るのではないか?
宇宙空間に酸素を撒き散らし、マントルの中に生身で散歩して、マグマの湯に浸かり酒を一杯。もちろんコレは、完璧に、自在に操れてではあるが、可能なのではないか?

そして、である。

目の前の女。
髪の毛は最初見たときよりも随分短くなっており、今もいじけながらぐだぐだとうるさい女。

ゼロのルイズ。
随分としゃれた名前をつけたものだ。本当は分かって付けていたのではと疑うほどに。


「はっ」


思えば、最弱如きに呼べるはずも無い。この身を、一方通行を。


「な、何よ気持ち悪いわね。なまじ頭いいんだから馬鹿なことしてると余計に気持ち悪いんだけど?」

「なァおい」

「だから何よ」

「貴族ってェのは、絶対魔法が使えンだろ?」

「……普通はね」

「くく……」

「あんたケンカ売ってんの!? 絶対買わないわよ!!」


若干弱気なこの女、作りやがったのだ。
『存在しない物質』。一方通行の理解の範疇外にある物質を。反射を抜けたのだ。それしか考えられない。


「喜べよ。お前ェはゼロだ」

「んなこたぁ分かってんのよぉお! 喜ぶ要素が何処にあるってのよコンチクショウ!!」

「今日からは、虚無のルイズに格上げだなァ」

「……あぁ? あんた頭大丈夫?」

「世界くらい軽く超えて見せますってかァ!? ふざけんじゃねェぞ!! この俺が帰れねェ訳ねェよなァ!」

「なななんなのよ、怒ってんの? そ、それとも喜んでんの?」

「いやなに、ちょこっと殺したくなっちゃったなァ。表出ろよ」

「い、嫌よ。だ、だだ大体あんたから魔法の事教えてって言ったのに、教えたのに何で殺されなきゃなんないのよ!!」

「はっはァ……いいから出ろっつってンだよ、ダークマター」

「いやぁ、なんでよぉ……何で、やだぁ……ふぇ、シエスタぁ!」


そしてグズグズ泣き始めたルイズの首根っこを引っつかみ、一方通行は屋外へ。

帰還も6も、全てこの女が握っている。そんな気がする。
運命など信じた事は無い。しかし、今なら少しだけ、ほんの少しだけ信じてやってもいい。

住まう世界すら違うこの女は、俺のために生まれてきた。







[6318] 06
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:4020f1db
Date: 2010/03/02 16:33





爆発音が聞こえる。次いで、少しだけの振動も。
恐らく一番多くこの爆発を聞いた事がある、さらに喰らった事があるキュルケはすぐに気が付いた。


(何してるのかしら。ついに蹴りで爆発でも起こした?)


ルイズ自身は知らないが、キュルケや他の貴族、その他使用人にいたってもルイズには感謝しているのである。

だって、あれほどに便利な目覚まし時計は無い。

気合を込めた声と、何かを破裂させたような音。
始めの内は不思議で堪らなかったが、アレはルイズがトレーニングしている時の音だったのである。今日はなかったが、いつもはアレにプラスして魔法の失敗爆発まで付いてくるのだから起きないわけにはいくまいて。
彼女のおかげで遅刻者の数はグッと減ったと上級生が言っていたのを聞いた事がある。

ゼロのおかげで感謝される彼女は、それはそれは不名誉だと喚き立てるだろうが、しかし一片でも感謝の気持ちを持っているのだ。その点に関しては素直にありがとう、である。
まぁ、キュルケはルイズ本人を目の前にして言う気は皆無だが。

そしてまた爆音。


(……あの馬鹿。授業にも出ないで何やってんのよ……本気で留年するつもり?)


決して心配したわけではないが、授業が始まる前に聞いてみた。ルイズは留年なのかと。ちょうど使い魔召喚の儀で監督を務めていたコルベールの授業だったし、あくまでもついでなのだ。

キュルケから見て、少しだけ目つきが悪くなったかな、と思うコルベールは、さらに顔を歪ませながら言った。


『保留だね。一応使い魔自体は召喚できているし、学院長も鬼ではない。慈悲を願うばかりだ』


再度爆音。埃が天井から降ってきた。

さて、どうなるのだろうか。
決して心配なわけではないが、自分が好きな火の授業をこれ以上爆音で邪魔されるのも腹が立つ。ここは一つ、手を貸してやってもいいかも知れない。ヴァリエールに貸しを作るのは大変有意義な事だ。

笑い声と噂話で若干うるさくなり始める中、キュルケは立ち上がり挙手をしながらコルベールへと声をかけた。


「ミスタ」

「……うむ、分かっている」

「あら、何をご存知なのかしら?」

「君等は友人なのだろう。心配なのが分かっているのさ」


柔らかく笑いながら言うコルベールにはぜひとも反論をしたいのだが、ここで時間が潰れてしまうのも馬鹿みたいなものだ。だからキュルケは大して否定もせず“ご冗談を”とだけ言い、続ける。


「行っても?」

「ああ。……ただ、あの使い魔には気をつけたまえよ。学院長が“視て”おられるが、何かあったらすぐに助けを呼びなさい」

「まぁ、物騒な事ね。彼、とても情熱的でしてよ?」


妖艶な笑みを浮かべながらキュルケが言うと、コルベールは嫌そうな顔を隠しもしないで、


「破滅的の間違いだろう、それは」





06/『反射の一方通行』





流れ出そうになる涙を根性で塞き止め杖を振る。
振るのだが、もちろんそれは爆発を起こすだけ。しかも何度振っても狙い通りのところには行かず、自分を狙って撃てと言う一方通行の機嫌が悪くなっていく。加速度的に悪くなっていく。それが手に取るように分かってしまうのだから余計に怖いのだ。


「え、えいっ!」


爆発が起こった。
一方通行のだいぶん後ろで。

冷ややかな目と、腕を組んで立つその佇まいがまたルイズの恐怖心を煽るのである。


「……」

「な、何か言いなさいよ」

「無能」

「ぐぅ……!」


一応まだぐうの音は出た。

一方通行はルイズの事を虚無だといった。虚無のルイズと。
はっきり言って、昨日今日魔法に触った人間が何言ってんだか、といった程度。

ありえるわけが無い。
始祖が使った伝説の系統と呼ばれ、未だかつて存在が確認されたのは物語の中くらいだ。
そんな伝説がこの身に宿っているなど夢のまた夢。第一に伝説の系統だと言うなら、何故魔法が使えないのだ。使えてもいいじゃないか。空くらい飛ばせろと言う。


「続けろ」


少しだけ考え込んでいたルイズに一方通行から声がかかった。

未だに一度も当たらない、魔法でもないただの爆発。
それを自分に当てろと言われたときは真性のマゾヒストなのかと疑ったが、そんなわけが無い。一方通行がマゾな訳が無い、と思った後でそういえば謎の反射があるのだったと気が付いたのだ。それほどまでに一方通行はルイズに対して攻撃的だった。
ご主人様と使い魔の立場が完全に逆転し、もうむしろコレでいいかもとルイズも思い始めている。


「おい、聞ィてンのか?」

「ん……あの、さ」

「あ?」

「休憩しない? 私、疲れちゃったんだけど……」

「寝ぼけてンのか? 一回も当てずにやめる気かよ……あァ、ゼロっつーのはそういうことか?」

「……へ、へへ」


乾いた笑いしか出なかった。
まさしくその通りだから。

恥ずかしいのだ、自分が魔法を使うという行動そのものが。むしろ魔法にすらなっていないのだが、恥ずかしい。
もちろん魔法は使いたいけれど、その思いは誰よりも強い自信はあるが、ルイズは自然と自分から魔法を遠ざけようとしていたのかもしれない。


「シロにはわかんないのよ、魔法を使えないというこの気持ちが……いくら努力しても届かないっていう虚しさが……」

「こっちも流石に太陽は一つか」

「っ慰めなさいよ!!」


大体ね、と鼻息荒くルイズは続ける。


「私は怪我も治ってないの! 背中に火傷しちゃってるの!! んなこたぁ言いたかないけどねっ、私はっ、ヴァリエールの三女なのよ!? 世界の違うアンタにはわかんないかも知んないけどねぇ、私ってそこそこ、なかなか、まぁまぁの貴族様なの! お家柄だけならこの学校じゃ割と偉いのよ!? それをアンタ、こんな辱めに……っ! ゼロで悪いか! 無能がどうした! ……ふぅえ、うえっ、うわぁあんっ!!」


今度こそ、涙腺崩壊である。
まだ会って一日だが一方通行には泣かされっぱなしだ。これが嬉し涙であるなら大したジゴロだと褒めてやるが、全部が全部恐怖か悲しみである。
ルイズは思った。己が呼び出した使い魔は余りにも人の事を軽く見ている。自分本位なのだ。ルイズは割と『俺様』は好きだが、コレは余りにも度が過ぎるだろう。男たるもの我が道を行けとも言うが、その道の隣すら歩けないではないか。
そして、


「終わりか? さっさと使えよ、マホー」


これである。


「ふぇっ!? 鬼かアンタ!」

「鬼程度じゃ及ばねェな、俺の足元にも」

「悪魔! 吸血鬼!!」

「雑魚ばかりじゃねェか」

「こ、このっ、魔王! アンタなんか魔王よ!!」

「悲しいなァ、俺の評価はその程度か?」


心底心外だという調子で口を開く一方通行は自信に満ちている。
本当に、微塵たりとも思っていないのだ。鬼にも悪魔にも吸血鬼にも魔王にも、微塵たりとも負けるとは思っていない。

本当に、冗談ではなくだばだばと滝のように涙が出てきた。

腹が立つと同時に羨ましいとも思ってしまっている。
何故そこまで自分に自信がもてるのか分からない。立ち居振る舞い、先日見せた戦闘、それを見れば確かに強いのは分かるが、その心が一体何で出来ているのか不思議だった。プレッシャーは無いのだろうか。自分自身に潰されそうになった事は?

ルイズは毎日感じている。
魔法が使えぬままに今ではもう16歳。
始めは温かく“いつかきっと”と言ってくれていた家族すらもため息を付く始末。果ては学院に押し込められた。

使えるようになるとでも思ったのか?

今まで使えなかったものが学院に放り込まれただけで使えるようになれば誰も苦労はせんのじゃクソジジイ!

昨年の年の瀬。
実家にも帰らず学院の寮に残ったルイズに一通の手紙が届き、その手紙の返信にこう書いてあげました。
下の姉から届いた手紙によると大変ショックを受けていたそうな。

ルイズは手紙一通にもビクビクしなければいけないのに、なのに一方通行は。

輝いて見えた。
これで使い魔が適当な平民だったのならそれはそれで諦めが付いたかもしれないのに、出てきたのはとんでもない魔王然としたこの男。

元来、努力と反骨心だけは誰にも負けない自身を持っている。
だから、


「ぅ、ぐす……だ、だったら教えなさいよ、アンタの事。ご主人様であるこの私が直々に評価を下してあげるから……」


珍しい服の袖を引きながら言うと、一方通行は舌打ちをしながらもその場に座り込んだ。





一方通行が語った内容は信じられないものばかりだった。

化学や科学が進歩し、人間は『超能力』という人を超えた能力を手にしたと言う。その能力は様々あり、デンジハの波を読み取り電撃を放つ者や瞬間移動するものまでいるらしい。
学園都市と言う囲われた空間で一番強かったのが何と自分が呼び出した『一方通行《アクセラレータ》』なのだ。


「それでそれで、そのウチュウって何処にあるの? ジンコウエイセイって落ちてこないの?」

「あーウルセェウルセェ」

「あなたの能力は何なの? やっぱりあの魔法を跳ね返したり、バチってくるやつ? 電気で動いてるの? 科学なの?」

「っち、ガキかテメェ……」


一方通行がため息と共に吐き出したとき、


「あら、私も興味あるわ」


その声は二人の後ろから。

ルイズ自身はよく聞いた事のある声で、毎日のように嫌味を言ってくるその口を物理的に縫い付けたくなるようなそれ。
振り向きもせずに“うげ”と呻き、首だけを向ければやはり見知った顔。


「何の用事よ、ツェルプストー。あんた今授業中でしょう?」

「それは貴女もじゃない。ああ、そういえば留年保留ですって」

「やたっ! ラッキー!!」

「それで、異世界から来た貴方はどんな事が出来るの?」

「めんどくせェのが増えやがった……」


そのときの一方通行の言い草、態度。
何となくではあるが、


「……んん?」


何となくである。女の勘ともいうか。
何となくピンと来たのだが、二人は知り合いなのだろうか。

ルイズにとっては面白くない状況である。

何故ツェルプストーなんかと知り合いなんだ。いや、誰と知り合おうが特に支障は無いけども、だがしかし、ツェルプストーはダメだろう。これは個人ではなく、小さな頃から聞かされ続けた『クソッタレのツェルプストー家秘話』による、いわば刷り込みのようなものだが、それでも嫌なものは嫌なのだ。

ちらりと視線をキュルケに移せば、なにかルイズの視線に感じ入るものがあったのだろう、ワザとらしく一方通行の肩にしな垂れ掛かり、その胸を、ルイズよりもたっぷり大きな胸を腕に押し付け始めた。


「ねぇダーリン、朝みたいにはしてくれないの?」

「あァ?」

「ちょ、まっ、何、あんた昨日はツェルプストーのトコに居たの!?」

「うるさいわよ、ヴァリエールの小胸娘(しょうきょうにゃん)。私はダーリンと話してるの」

「やかましいのはそっちよ! って、んな事はどうでもいいの! シロ、あんたホントに」

「そうよぉ? 今朝は三回もおっぱい持ち上げられちゃった」

「な、何よその持ち上げられたって……!」


まさかルイズには持ち上げるほど乳が無いとでも言うのかまさにその通りだが。句読点すら挟まずにその通りだが。

ギロリと一方通行を睨めば我関せずといった調子に欠伸をしている。
次いでキュルケを睨めばふふん、と鼻で笑っていた。

信じられなかった。
まさか一夜にしてツェルプストーに奪い取られるなぞ思いもしなかったのである。その尻の軽さは話に聞いた以上じゃないか。

自然と、怒りに震えるルイズの手は腰の後ろに挿していた杖に伸びた。
それを見た一方通行がニタリと笑うのにも再度腹が立つ。


「ハ、今度は当たンのかよ、それ?」


プチ、と。


「あ、あああ当ててやるわよコンチクショオ!!!」


振った杖の先から一瞬の閃光が奔り、爆発。

後にルイズが“これまでで一番だった”と語った爆発は、地面を少しだけ焦がし、もうもうと爆煙を立ち上らせた。
ゆっくりと風に乗って煙が晴れて行き、その爆心地にはもちろん三人。

ルイズは黒く焦げながらケホと咳をし、キュルケはとっさに盾にした一方通行をそっと見やり、直撃を食らったはずの一方通行はぴかぴかの無傷だった。


「……とんでもねェ女だ」


ポツリ一方通行が何か呟いたようだったが、ルイズには聞こえない。爆音で鼓膜がちょっとおかしいのだ。
爆発を放った自分がボロボロになり、一方通行は無傷。理不尽じゃないか、そんなの。

ルイズは怒りに震えながら、頭に上った血はそのまま下に降りる事はなく、


「キュルケッ!」

「何よ?」

「風呂に行くわよ!!」

「……はいはい。じゃあまたね、ダーリン」


一方通行に投げキスをするキュルケを小突きながら浴場へと向かうのであった。





。。。。。





「……ッハ、何が魔王だ。爆弾が裸で歩いてるようなもンの癖してよく言うぜ」


一方通行は自身の腕をさすりながら言った。

反射で感じた『訳の分からないもの』。
朝方の爆風に乗ってきた物と同一のものだったからよかった。ギリギリで『訳の分からないもの』として『反射』が間に合った。理解には至らなかったが、反射するだけなら。
そして反射が出来ると言う事は一方通行にとってそれほどの脅威が無いというわけだが、彼の表情は硬い。

理由はもちろんルイズの放った爆発にあった。

傍目で見れば一発の小規模爆破だが、その実態はまるで違う。
小さな小さな破裂が重なり、幾重にも、さらに、もっともっと、とその存在を大きくしていくのだ。ルイズの爆発は多重のものである。

一方通行が先ほどの爆発で反射した『訳の分からないもの』の総数は8万飛んで3つ。
恐ろしい事にその『訳の分からないもの』の種類が71種類カウントされているのだからたまった物ではない。そう、『反射』の『一方通行』が、小さな小さな爆発に、なんと71回も抜かれたのだ。

『最弱』に負けて以来、一方通行は自分の能力を『膜』と考えている。
そこには膜があり、当たったものを跳ね返す。
だが、相手によっては跳ね返らないものもあるのだ。『最弱』の右手を筆頭に、この『虚無』もそう。
ただの『訳の分からないもの』ならいくらでも跳ね返す事が出来る。前記の通り、『訳の分からないもの』として処理してしまえばいいだけの事。
しかし、『訳の分からないもの1』×1000発。『訳の分からないもの2』×1000発。『訳の分からないもの3』×1000発……。このように、一方通行を倒す為だけにあるような、『穴』を付いてくる『訳の分からないもの』。

種類が違う。いや、そもそも『種類』という言葉にくくれるものではなかったのではないだろうか。
スパコンにも勝るその頭脳で一方通行は8万3個の計算の答えを瞬時にたたき出したわけだが、一瞬だけ計算が間に合わないかもしれない状況が脳裏を掠めたほどであった。

実際のところ、威力としては先ほどのルイズを見れば分かるように少しこげる程度。
だが、もしアレを完全に使いこなせるようになれば、とゾッとするような想像が沸き立つ。


「っくく、面白くなってきやがったァ……」


理解してみせる。
誰となしに誓った。

あの『訳の分からないもの』≒『最も小さき粒』≒『存在しない物質』を『理解』してしまえばどうなるのだろうか。
『反射』ばかりに目が行きがちだが、一方通行の本質はあくまでベクトル操作。計算能力にこそその威力は在る。

この肌に触れた最も小さき粒はどういう反応を見せるのだろうか。
そのとき自分は何を感じ何を見るのだろうか。
頂点から外れた『無敵』とは。


「俺を導くか……いや、違ェな……」


道は一本しかない。
先にしか進めない、細い一本道。
先頭を歩いているのはもちろん一方通行。だがそこには道が在る。


「俺は進む。来たきゃ勝手に来いッてかァ? ひ、ひゃはは、マジで、面白く、なってきやがったァ……!」


笑う一方通行。
魔王と呼ばれても何らおかしくない邪悪な顔をしていた。





。。。。。





「何なのよアイツはホントに! ホントにっ! 何なのよぉお!!」

「あーもぉうるさいわねぇ。ちょっとはじっとしてなさいよ」

「もともとアンタのせいなんだから! って言うかアイツ! いい訳くらいしろってのよ!」


わしゃわしゃとキュルケに頭を洗われながら怒りをあらわに。

昨夜はキュルケのところではなくタバサのところに止まったらしい一方通行。
確かにキュルケよりはマシだ。マシだが、自分が殺しかけた人物が床に伏せているのに様子くらい見に来たらどうなんだ、と今まで湧かなかった憤りがふつふつと湧いてくるのである。

そう、よく考えたら(よく考えなくてもだが)ルイズは一方通行に殺されかけているのだ。
背中のやけどだって治っていないのに、今まで一回もサボった事の無い授業にも出してもらえず、そして言う事が“今度は当たるのか?”である。


「力いっぱい蹴りを見舞ってやりたいわ……!」

「はぁ、あなたもよほど体育会系ね」

「……どう、この腹筋?」

「はいはい、細くて羨ましいわね」

「ウエストじゃなくて筋肉の事聞いてるのよ!」

「ん、んー……まぁ、それなり?」

「ち、ちくしょー……」


背中の火傷に泡が落ちないように気を使って洗ってくれているのか、キュルケの洗髪はやけにゆっくりで気持ちがよかった。

はぁ、と一つため息。
馬鹿な事を話しているが、もちろん頭は一方通行の事でいっぱいである。良くも悪くも。

別の世界から来たらしい彼は超能力者だった。
一番強くて、魔王で、反射する。
恐らく彼の能力と言うのはあの反射なのであろう。本当にエルフのような能力だ。

世界の事は話してくれたが、自分の事は一切教えてくれなかった。
もちろん会って一日で信頼しろとは言わないが、少しくらい話してくれても良いだろうに。


「あぁ、よく考えたら私もそんなに話してないか」

「何を?」

「……自分の事」


魔法が使えなくて、劣等生。家から追い出されるような形で入学して、未だゼロ。
キュルケの指が気持ちよくて、なんだかいらない事まで考えてしまう。

愛想を付かされてしまうだろうか。
自問。

恐らく無いだろう。そもそも彼は自分に愛着なんて無いはずだ。
自答。

ルイズは堪らなく欲しかった使い魔。
召喚に応えてくれた時はハグしてキスの雨でも降られてやってもいい気分だったのに、一方通行は違ったのだ。
訳も分からず召喚されて、でも自分の意志で戦って、それで、それで。


「……あいつ、何で私に付き合ってくれてるんだろ?」

「衣・食・住の確保とか?」

「そんなに可愛い性格じゃないと思うけど……」

「あんなに可愛い顔してるのにね」

「……顔はね。顔だけはね」


可愛いと言うよりも、美人だろう。羨ましくなるような綺麗な肌をしていた。
こっちは生傷だらけだと言うのに、使い魔は傷一つ無い。
別に卑屈になる事は無いのだが、ここでも一方通行のほうがご主人様のようだ。


「流すわよ~?」

「うん」

「もうちょっと頭下げて。背中にかかっちゃうわよ」

「うん」


言われて、キュルケの太腿に頭を落とした。
むっちりとした感触と妖艶な褐色の肌に、自分には無い『女』を感じてしまってさらに別の劣等感。腹が立つのである。


「……がぶッ!」

「痛っ! 何すんのよ!?」

「寄越せ! この肉を寄越せー!」

「いたたたたっ、ちょっと、コラ!!」

「怨めしい! 憎らしい!」


その後、ぎゃーぎゃー騒ぎながら全身を洗い終え(全部キュルケが洗った)、湯船には浸からずに足だけを浸からす。ちょっとした足湯である。


「……で、ホントにどうするのよ。あの使い魔君」


ぷかぷかと湯に浮いている乳に腹が立つも、今はちょっと真面目に聞いてきているらしい。
こちらも真面目に返答してやる義理は無いが、ちょっとだけ、ほんの少しだけは感謝しているのでまぁ答えなくもないか。


「……契約するわ」

「まぁそうなんでしょうけど、どうやって説得するのよ?」

「説得も何も、私はもともとご主人様よ……なんて言っちゃうとバチっとくるのよ、きっと」


おどけた調子でルイズが言うとキュルケはクスクス笑いながら“でしょうね”と。

ルイズは正直、今のままで使い魔として認められるのならそれでいい。契約にそれほどの拘りは無い。言う事を聞こうが聞くまいが、自分の世界に帰ろうがこっちにに残ろうがそれは一方通行の自由だ。

だがしかし、本当に面倒な事に己の留年がかかっている。

留年は本当にまずい。
魔法の成績がまったくよくないルイズが留年などすれば、ルイズの両親は間違いなく辞めろと言ってくる。実家には帰りたくない。姉達には会いたいけど、両親に会いたくない。嫌いではないが好きでもない。まったく好きではない。嫌いの一歩手前である。

留年自体は保留の状態だが、この話が両親に伝わる前に何とかしたい。
そのためには使い魔召喚の儀と、呼び出した使い魔との契約が必要で、その契約がなされていない以上するしかないのだが、相手が悪い。すっごく悪いのである。


「……命令はしないとか、自由にしていいとか、そんな事で契約に応じてくれるわけ無いのよね」

「言うだけ言ってみたら? ルーンを刻めなきゃどうしようもないじゃない」

「そうだけど……あんたはあのビリってくるのを食らってないからそんな事言えるのよ。ホントに、なんていったらいいのかしら、ふわふわ~っと魂抜けてるって言うか……“あ、死んじゃったかも”って、現実にそう思えちゃうのよ?」

「……想像できないわ、少なくとも私には」


でしょうよ、とため息をつきながらルイズは考えに耽ったが、結局いい案は出てきそうにはない。


(……はぁ。ま、ツェルプストーの言うとおり、聞いてみるだけならタダか)


己の近い未来に不安を感じながら湯に浮いている乳を蹴った。





。。。。。





「契約してくれない?」


広場で考え込んでいた一方通行は風呂から上がったルイズに部屋へと連れ込まれ、そして開口一番こう言われた。
何の契約かが分からない以上“ハイいいですよ”と言うはずがないのだが、なにやらルイズは妙にギクシャクしている。
恐らく一方通行にとって不利に働くような『契約』を持ち出そうとしているのだろうという空気を感じた。

一方通行はやけに豪奢なベッドや物珍しい暖炉などに目をやりながら適当に口を開く。


「契約……?」

「つ、使い魔の契約の事よ」

「わからねェな。俺はテメェに呼び出されてンだ、そりゃ使い魔じゃねェのか?」

「そうなんだけど……まだルーンは刻んでないの」

「ルーン?」

「そう、使い魔のルーン」


ルイズは続けた。
呼び出しただけでは本当の使い魔ではなく、『使い魔になる生物』に過ぎないのだと。契約を交わして初めて本物の使い魔と言える。
当たり前だが一方通行は契約は行っていない。よって厳密には一方通行は使い魔ではないのだ。
一応その契約とやらの内容をルイズに聞くが、それがまた何ともいえない。

主の目となり耳となり、その身を守る。

ざっくりと言うとこの程度。
薬草を見つけて来いといわれても一方通行には不可能。感覚を共有する事が出来るらしいが、それが人間に通用するのか分からない。そもそも人間を使い魔にすると言う事自体があり得ない。

出来る事といえば主の身を守る事だけだが、一方通行にその気がまったく無い。
死んだら“もったいない”とは思う。聞くところによると『虚無』は伝説らしいのでまた探すのも面倒臭そうなのも確か。だが、それでも一方通行の手は、足は、その肌に触れるベクトルは何かを守るようには出来ていないのだ。

いや、守る気が無いというよりも、不可能。
恐らくそっちの方が近いな、と脳内にとある幻想殺しを映し出しながら思った。
守って欲しいのなら、助けて欲しいのならそれに相応しい奴を呼べばよかったのだ。


(俺は、)


そう、彼は一方通行なのだ、何処までも。
何度でも言おう。彼は助けない。彼は救わない。ただ進むだけ。迷いがあろうが無かろうが、そこは先に進む道しか用意されていないのだ。


「えと、もちろん衣食住は保証するわ。それに他の使い魔みたく何か見つけて来いなんてのも言わないし……ダメ?」


可愛らしく小首を傾げながらルイズは言うが、


「ダメだな。契約っつーのはな、互いにメリットがあって成立すンだ。俺は獣じゃねェ。喰いモン程度でこの俺を動かす気かよ」

「で、でもっ、この契約にはあなたの生活がかかってるわ! こっちの世界の事何にも分からないんじゃ生きていけないじゃない」

「分かってねェな。この俺を動かすのに『生存』程度かってンだよ」

「わ、わ、わっわわ私のファーストキスがつい」

「ガキに興味はねェ」

「せめて最後まで言わせなさいよっ!! 大体私の何が不満なのよ。条件なんて、ただダラダラしてるだけでも生きていけるのよ?」

「不満もクソもねェ。俺の生き方はもう決まってンだ。契約とか意味のわからねェ横槍はいらねェンだよ」


6に成るまでだ。
ルイズの魔法が必要なのは一方通行が無敵になり、元の世界に帰るまでだけなのだ。
いや、もしかしたら『魔法』というものを『理解』してしまえばその必要すらも無くなるかもしれない。
そんな一方通行に契約は必要ない。したくもない。

不満気な顔を隠しもしないルイズを鼻で笑いながらベッドに腰掛け横になるが、何故かやけに砂が乗ってじゃりじゃりとしていたので一度シーツをめくりソレを全て床に叩き落とした。
女臭さに一瞬顔をしかめたものの、よほどいいベッドなのだろう。文明は一方通行がいた時代と比べて大分遅れているはずなのだが、それはそれは『良い物』だと感じてしまった。一方通行が使っていた、眠れればいいだけのものとは違う。


「……それ、分かってるとは思うけど、私のベッドよね?」

「そうか」


再度ベッドに横になる。
ふかふかとしたマットレス。程よく身体は沈み込み、腰が痛くなる心配なんてなさそうだ。


「つ、使い魔が、ご主人様のベッドに、ね、ねね寝るかしら……?」

「テメェの目の前にある現実はどうだ?」


目も合わさずに一方通行は枕を手繰り寄せ頭を落としたが一瞬後にまたも顔をしかめ、くれてやるとばかりにルイズに放り投げた。ルイズの足元に落ちた枕はぽとり、と虚しい音を。
そして、


「俺は寝る」

「……信じらんない……信じらんない!」


鼓膜の振動を反射設定。
目を閉じる寸前まで騒いでいるルイズが見えるが、閉じてしまえばもう何もない。
音は無い。静寂とはまた違う、本物の無音。

疲れているようだ。すぐに睡魔が襲ってきた。
今日は計算を沢山した。反射を沢山した。脳が休みたがっている。

そして一方通行は眠りに落ちる。
己の反射に絶対の自信があるから。先ほどの『訳の分からないもの』も反射設定にしているから。

目を覚ますときに何があるかなんて、それは誰にも分からない。ことも無い。かもしれない。





。。。。。





寝た。
ぐっすりと眠っている。まつげをちょいちょいと触っても起きなかった。
ベッドから叩き落そうと殴ったら自分の拳から嫌な音がしたのだが。


「ヤっちゃおうかしら……」


ぶるぶると拳を震わせながら、ポツリと呟いた。

寝ているところを無理やり、というのはルイズも躊躇した。葛藤の最中である。
だが、この使い魔の態度は駄目だ。本当の本当に駄目なのだ。
何に腹が立つのか分かっているくせに、そこを的確についてくるのだ、一方通行は。ようは舐められているのである。己の使い魔に。

確かにご主人様らしいことはしていない。していないが、それでもルイズはご主人様なのだ。

ぺろり、と舌先で唇を湿らせた。


「そう、そうよね、私、ご主人様だし……何かやらせるわけでもないし、自由にしていいよって言えば流石に殺されたりは……」


ルイズにいつもの判断力があれば間違いなく愚考だと自分に言い聞かせる所だったろう。それは馬鹿な行いだと。一度殺されかけたのを忘れているのかと。
しかし今の彼女は怒り心頭で、悩み抜いている頭は重たくなっているし、目の前に使い魔になってくれる生物はすっかり眠ってしまっているのだ。
気分は『待て』と命じられた犬である。食べちゃいたいのである。

そこまで考えて、もう自分は止まれない所まで来ている事を知った。

はぁ、と今度は熱い吐息を。
心臓が高鳴っている。耳元で大きく、どくどくどく……。

欲が湧いてしまっている。
あれほど憧れて、追いかけ続けた『メイジ』になれる。形だけでもメイジになれるのだ。

使い魔が欲しい。


「……お願い……お願い……」


起きないで、と願った。
成功して、と祈った。

唇を舐める。

ゆぅっくりと呪文を紡いだ。呟きながら、一方通行の綺麗な寝顔へと近付いていく。
ルイズの唇と一方通行のそれは次第に距離を短く、短く。吐息の触れる距離。僅かに開いている一方通行の赤い唇からは規則正しい息遣いと、のぞく舌。

目を瞑った。


(使い魔……。使い魔を、私も……)


もう、触れてしまいそうだった。

使い魔。

出来る。

寝てる。

メイジに、なれ……る。

そしてルイズは、


「~~~っ!! やっぱダメぇぇえええ!!!」


ごちっ!
ベッドの縁にしこたま頭突きをかました。ごつ、ごつ、と鈍い音。額は痛いがこれは自分への戒めである。


(馬鹿か! 馬鹿か! 私は変態かっ!!)


ぴゅっと一吹き血が出たところでそれをやめ、身を投げ出すようにベッドに寝転んだ。
純白のシーツで適当に額の止血をし、隣の一方通行の方を体ごと振り向き、その頬をつつく。


「寝顔に騙されるとこだったわ。そうよ、コイツは危険な奴なの。知らないうちに使い魔なんて、ホントに殺されちゃう!」


ああ恐ろしい、と身震いしながら、そして笑った。
どうやら自分は魔法の才の変わりに貴族の誇りが存分に詰まっているようだ。卑怯な手は使わず正々堂々と行こう。どんなに時間がかかってもいい。もう留年だっていいじゃないか。一方通行を説得する時間だと考えよう。親が帰って来いと言ったら一方通行を差し向けてやる。


「あ~もう恥ずかしい。穴があったら入りたい気分だわ。な~にが使い魔と成せ、よ……」


ふにふにとキメが細やかで柔らかい頬と突付く。
むづがる一方通行がちょっと可愛い。


「殴ったら硬いくせに、触ると柔らかいのね」


ルイズは一方通行の能力を完全には理解していない。一方通行が一定以上の力だけ反射設定している事を知らないのだ。
初めてまともに触れる一方通行は、その寝顔は起きている時とは一転して、まさに天の使いのよう。
もしかしたら見納めかもしれないと思いながら一度だけため息をつき、それに色んなものを込めて吐き出した。


(これから頑張ればいいじゃない。そう、これまでだってゼロって言われ続けてきたんだから、召喚が出来ただけでも大きな一歩よ)


ルイズは少しだけ自嘲気味に笑み、後、不意に一方通行が寝返りを打った。


「は、むっう……?」


視界に一方通行が広がって、至近で頬をつついていたルイズの小さな身体は見事に巻き込まれ、


「ん、ん~?」


理解が追いつかないうちに唇は重なっていた。
気付き、ぞわりと背筋が熱くなる感覚。

私、死んだ。

憶えのある感覚だったのだ。一度だけ、ごく最近に。
一方通行を召喚した時にもこの感覚はあった。魔法の成功感。先ほどの使い魔契約の魔法。呟いた呪文。その効力が切れていなかった。
中断の方法など知らない。と言うよりも多分存在しない。

重なり合う唇から魔力(?)とでも呼べばいいのか、何らかの力が一方通行のほうへ流れ込んでいくのが分かり、


(やば、いっ!)


急いで離れようとする前に、


「おん?」


そのこと如くが自分に返ってきた。そんな気がした。


「はぁ……?」


帰ってきたのだ、確かに。

考えてみれば一方通行の能力は『反射』だ。教員コルベールの魔法も跳ね返していた。ルイズ程度の魔法じゃ寝ていても反射できる。そういうことだろう。
腹立たしいのとほっとするのが同時にやってきて、何ともいえない気分。
これは要するに、一方通行を使い魔にするには説得しか道が無いというわけだ。いや、そうするつもりだったが、この事故で使い魔になっててもそれはそれでラッキーだったのかもしれない。


「いや、いやいや、何考えてるのよ。正々堂々。さっき誓ったばっかりじゃなっ熱、あちちち!! なんじゃあ!?」


突如として襲ってきた左手の熱。燃えているかと思うほどに熱かった。
燃えるのは若干のトラウマになっているので勘弁してもらいたいルイズだが、左手の熱は炎ではない。何か光っている。ああ、まさか、そんなバカな話があるものか。

ゆっくりと、徐々に収まっていく熱と光。
ふぅふぅと息を吹きかけながらのぞくと、そこにはしっかりとルーンが刻まれていた。

使い魔のルーン。


「……どこまで不幸……っ、なんっで、なのよぉお!! ふえ、ぅえっ、誰か助けてぇぇえええ!! しえすた! しえすたぁ!!」


恥も外聞もなく、この日ルイズは全力で啼いた。







[6318] 07
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:4020f1db
Date: 2010/03/02 16:58




はてさて何故だか自分に使い魔のルーンが刻まれてしまったルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールだが、どんなに叩こうがどんなに騒ごうがどんなに泣こうが一向に起きる気配すら見せない一方通行に怒りを通り越して、最早その寝顔に何かの神々しさすら感じ始めているのである。


「すごい……すごいわ。ゼロが使い魔なんて、タイトル変わっちゃうじゃない。うふふ……」


常人には見えないお花畑を眺めながらルイズは静かに呟いた。
使い魔のルーンが出てしまったのだ。自分に。間違いなく、この左手の甲に。
あひぃ、と何か分からないため息をつき、どうしたものかと思案するも、どう考えても自分でどうこう出来る問題ではない。素直に頭を下げて誰かに相談するしかないのだが、一体誰がこの解決法を知っているだろうか。
断言できる。使い魔のルーンを自身に刻む事の出来た魔法使いは有史以来、己だけだ。


(……ていうか、んな無駄な事誰もしないっての……)


取り合えず落ち着くために腕立て伏せをはじめ、カウント50までいった所で汗を拭いた。
どうしようかとまたも頭を悩ませ、そこで部屋の扉がノックノック。


「……はぁい?」

「あの、シエスタです」

「!」


主人の車の音が聞こえた犬のよう。
ルイズはピクンと反応し、狭い部屋を走って扉に近づくと、全力をもって開け放った。
ごつ、とか、がち、とかなにやら硬い音がしたがまったくもって気にしない。
額を押さえたシエスタは少し涙目になりながらもしっかりと微笑んでそこにいてくれた。
視界に入れた瞬間に今までのほの暗かった気持ちは吹き飛んで行き、そこには本物のお花畑が見えたようで、そしてシエスタが天使に見えた。己の召喚した凶悪な奴じゃなくて、絶対に慈愛とか、癒しとか、何かその辺の。


「しえ、しぇ……っ!」

「はい」

「っしぇすッたぁ!!」

「シエスタですよ、ルイズさん」


平民に抱きつき、涙と鼻水を存分に擦り付けるルイズは一応貴族である。
二人きりの時だけ“ルイズさん”と呼んでくれる彼女には、この時ばかりは本当に下の姉を超えるほどに癒された。ぐずぐずと涙を流す細い身体を抱きしめられ、ぽんぽんとあやすように背中を叩かれる。


「もう、もう訳わかんないよぉ……」

「大丈夫。大丈夫ですよ、ルイズさん」


これがシエスタの魔法であった。
何故か落ち着いてしまうその言葉。大丈夫、と言い方を変えればただ無責任なだけとも思える言葉だが、シエスタが言うとそれは魔法に変わる。
ルイズは何度となくこの言葉に救われてきた。ルイズに嫌なことがあると何故かそれを敏感に察知する彼女。シエスタの“大丈夫”を聞くのは何度目だろうか。


「さぁ、ルイズさん。ルイズさんは立派な貴族様なんですから、ゆっくり涙を拭きましょう。ゆっくりゆっくり、一歩一歩、今までそうやって努力されて、遂には魔法に成功されたではないですか。これからだって何も変わりません。分からない事だって、ゆっくり解決していきましょう」

「……うん……うんっ」


鼻をすすりながら、そこから十分ほど抱きついたままで。





07/『パニック・グラモン』





「あン?」

「だから私が使い魔になっちゃったの!」

「あァ、それがどうかしたのか?」

「どうもこうもないわっ! 使い魔のあんたにルーン刻もうとしたら跳ね返ってきたのよ! どうなってんのよあんた!」


その前に寝ている間に使い魔のルーンとやらを刻もうとしたお前の頭はどうなっている、と問いたい一方通行であるが、非常にやかましいルイズの後ろからとんでもなく剣呑な眼差しをしているメイドがいるのだ。

正直に言おう。苦手なタイプだ。
恐らくあのメイドは命を掛ける。今、一方通行が手を伸ばしルイズを黙らせようものなら、ルイズを助けるためなら、その命を掛ける事が出来る人種だ。
『最弱』を筆頭に、一方通行はその手のタイプの人間が苦手だった。嫌いと言い換えてもいい。なぜならそういった存在は理解の範疇に無いから。
明らかな居心地の悪さを感じ、騒ぐルイズを前にしてため息をつく。


「自業自得って言葉……知ってるか?」

「知ってるし今まさに体感してるわ! その通りよ、自業自得よ! でもねぇ、それだけじゃ納得できないトコまで来てんの!」

(……開き直りやがった……)


とてもじゃないがお話にならない。すごいとさえ思ってしまった。最強の一方通行ですらこうは生きられない。珍しい事に一方通行がきょとん、と目を丸くしてしまうほどである。学園都市の誰かが見たらそれだけで大事件なのではないだろうか。


「な、なによ、そんな可愛い顔しても許してやらなっ……じゃない! 違う違う、うん。許す許さないじゃないわ。これは自業自得なの。そう、悪いのは私だから、だから謝るわ、ごめんなさい。
 ……で・も! きっとあんたも、シロも悪いわ! 『反射』の事、もっとちゃんと説明しててくれたらあんな邪な思いを抱きはしなかったのよ! 反則にも程がある、あんなの!」


確かに説明は不十分だったかもしれない。
しかし、体表に感じるベクトルをあーだこーだと説明した所で理解は出来ないだろうと思い(あとかなりの面倒くささがあったので)説明しなかっただけだ。
善意(?)で説明を省いたのに、それでここまで言われるのはとてもとてもオンコーな一方通行も腹が立ってくる。
自分では自業自得と言っているが、本当はそう思っていないのではないだろうか。
恐らく何らかの正当性のようなものが欲しくて口にしているだけで、その本心は分からない。


「ちょっと、聞いて───」


振動反射。音は消えた。

『無敵』に成るまでの付き合いだが、もつかどうかが真剣に危うくなってきた。もしかしたら我慢できないかもしれない。もしかしたら人殺しの血が騒いでしまうかもしれない。
気に入らないと思って、殺す事が出来るだろうか。今まで殺してきた人間たちは、それは気に入らなかったから殺したのだったか。
違う。目的があり、その無敵にたどり着くには殺すのが一番だったから。存在自体は気に入るとか、気に入らないとかそういうものですらなかった。

ふと、思った。
そういえば気に入らないと思って殺しをやったのはいつだろう。
思えば随分と昔の話のような、まだ力の制御も上手くない、随分と子供の時以来か。
殺そうと思って殺してきたのだから殺人には違いないが、もっと、わがままに殺したのはいつだったろうか。

目の前で身振り手振りを加えて、そして大声で話しているであろうルイズ。
殺したいかと問われれば、それには否と答える。
殺したい殺したくないではなく、これは、


(どうでもいい)


かち、と何かがはまったような感覚。答えはこれか、と。

絶対能力を手にするまでは一緒に居よう。『虚無』という魔法特性が伝説と言われるほどに少ないのなら、ここで手放すのはもったいない。帰還の事もある。
しかしそこから先はどうでもいい。
何処で死のうが、どうやって死のうが、誰かに殺されようが、自殺しようが、それは自分に関係の無い事だ。
一方通行にとってルイズの価値は6と帰還にだけある。

うん、と自分自身納得。
そしてもう一度ルイズに目を向け音を復活させた。


「───なのっ! 分かった!?」

「おい」

「なにっ!?」

「風呂に入りてェ」

「舐めとんのか!」


くっく、と咽喉を震わせる一方通行は変わらず冷めた目をしていた。





。。。。。





そしてルイズはほかほかと湯気の立つ一方通行をつれて学院長室を訪れた。
正直、もうどうしようもない。ルーンの事などさっぱり分からないし、反射された事例も一度だった聞いた事が無い。
しかし、ここの学院長ならどうだろうか。もしかしたら何か解決法を知っているかもしれない。百とか二百とか適当な歳のとり方をしている老人だ。
もしかしたら、とルイズは藁をも掴む思いで学院長室の扉をノックしようとし、すると一方通行は無言のままノックも無いまま扉を開けて
、まるで自分の部屋のような気軽さで侵入。


「ちょ!」


ルイズは余りの事に咎める事すら忘れて右手を伸ばしただけに終わった。
室内にいる秘書と思しき人物が非難の目を浴びせてくるが一方通行はなんのその。つかつかと足音高く学院長の机の前に椅子を移動させると、どかりと座り込み足を上げ机の上へと。面白そうに目を細めるオスマンの気が知れない。

頭には退学の二文字が。
厳密には違うのだが、己の使い魔が学院長に対しまさか、こんな態度をとろうとは。いや、多少の失礼は覚悟の内だったが、まさかここまでとは思わなかった。
言い訳も思いつかず、あ、う、と謎の言葉を話してしまうわけだが、とにかく謝らなければなるまい。そうだ、どう考えても。


「……ミス・ヴァリエール」


心臓が掴まれた思いだった。
声の主は学院長、ではなく秘書。


「は、はひぃ……」

「貴女は、使い魔をここまで自由に?」

「いえ、あの、こ、この使い魔は、すこし特殊でして、人間でして……」

「特殊なのも人間なのも見れば分かります。私が言っているのは───」

「ほっほ、よいよい。この若人はアクセラレータ君と言っての、わしの友人なんじゃ」


流石にそれは苦しいぞ、と突っ込みかけたのを何とかこらえ、そして一方通行を見ればだらりとこれでもかと言うほどにだらけていた。


「わし等は少し話がある。ミス、少しだけ散歩でもしてきてくれんかの?」

「……はい」


オスマンに言われ、秘書はその鋭い目でルイズをまじまじと眺めながらも部屋外へ。
扉が閉まる音と離れていく足音に安心を感じ、ゆっくりと息をついた。

ミス・ロングビル。物凄い秘書だ。
雰囲気が語っているが、怒った彼女はなんだか堅気の人間が出せないものを放っている気がする。
美人という言葉がぴたりと当てはまる彼女は、無表情で居るとやや目つきが鋭い。眼鏡の奥にあるその目で睨まれるとどうしても捕食される側になってしまうのである。
ルイズはその目をさらりと流してしまう一方通行を改めて人外だと思い、助けてくれたオスマンに深い感謝を。


「申し訳ありません、学院長」

「良い。それに実はわしにも謝る事があっての」

「はい?」

「覗いておったのじゃ、主らの事を」

「それは、その……シロ、じゃなくて、アクセラレータを?」

「……悪いとは思ったんじゃが、まぁ仕方のない事だろうて。大暴れじゃったからなぁ、のう?」

「っハ、あの程度でかァ?」


けらけらと笑いあう二人。
オスマンはさほどでもないが、一方通行は明らかにその腹を探っているような眼差しだった。

はらはら、どきどき。ルイズの心臓はもうもたない所まで来ている。
余りにも礼儀知らず過ぎる。いくら別の世界から来ていても、年上でしかも学院長だと教えたのだ。それにも拘らず一方通行は敬語どころか、その態度はついさっきまでルイズと話していた時と何ら変わる事なく、まさしくフリーダム。世間知らずな若者を気取っているのではなく、自由人。


「自由か!」

「?」

「ミス・ヴァリエール、確かに彼の自由は約束しておるが……?」

「あ、いえ、違うんです。えと、それで……」

「おお、そうじゃ、謝ろう。ミス・ヴァリエール、君等を覗いておった事は真に申し訳ない」

「いえ、アクセラレータが暴れたのは知っているので、それは当然の事かと思います」

「ん。ミスの寛大な心に感謝を。
 ……それでの、ちょっと言わせて貰えば、いくら乳やら太腿やらに噛み付こうが、己のは育たん。よぉく憶えておくといい」


入・浴!


「……」

「じじいの道楽じゃよ?」

「……は、い。ええ、そうですね。そう……いくら、噛み付いても、自分のものには、なりません……っ」


いけない。決して怒ってはいけない。
犬にかまれたと思えばいい。豚に裸を見られたと思えばいい。何年生きているかも分からないような老人だ。彼の言うとおり、本当に道楽のようなものにちょこっとだけ巻き込まれたと思えば、大丈夫、我慢できる。

ルイズは震える咽喉と手を根性で押さえ、随分と遠回りをしたが、何とか平常心を保ったまま本題へと入った。


「オールド・オスマン、私、自分に使い魔のルーンが出てしまったのですが……」

「ふむ」

「アクセラレータの『反射』に跳ね返されちゃって……」

「うむ」

「解除の方法、あります?」

「……」

「学院長?」

「……見慣れぬルーンじゃの……」


ルイズの質問には答えず、その左手を見ながら呟くようにオスマンは口を動かした。思案をめぐらせているその表情は迂闊に話しかけるのも躊躇うほど。

ルイズはルーンのスケッチを始めたオスマンをただ待ち、暇をしている一方通行はすこしだけニヤついている。
彼がなにを考えているのかは分からないが、どうせ碌な事はしないに決まっている。だって、一方通行が召喚されてからというもの、ルイズには不幸しか訪れていない。
また何かやらかす気か、と少しだけ緊張感を高めたルイズだが、止める間もなく一方通行は加速。


「こいつ、『虚無』だぜ」

「……はぁ、何言ってんのよ。いいの、そういうのは。部屋に帰ったらちゃんと聞いてあげるから」


思わずため息が出てしまった。
なにを言うのかと思えば、まさかここで虚無の話とは思わなかったのだ。
ルイズは思う。一方通行の言うとおり、もし自分が伝説の虚無であったなら、まさか使い魔との契約に失敗する筈が無いであろうと。

この馬鹿の言う事は信じないで下さいね、と口に出すのは怖いので視線に乗せてオスマンへ。


「……なるほどのう」

「納得!? え、納得!?」

「なんで二回言うんじゃ」

「あ、いえ、まさか学院長がこんな話し信じるなんて思わず、その、すみません」

「メイジは己の力量に合った使い魔を召喚するもんじゃ。ミスが虚無だとするなら、まぁ分からんでもない」


オスマンがにやにやしながら一方通行に視線を送った。
使い魔を見よ、との格言通り使い魔のレベルを見れば自ずとその主人の実力も分かるもの。
一方通行を召喚して見せたルイズがただの無能者のはずが無いのだ。


「ンなモンただの消去法だろうが。コイツに聞きゃ、貴族ってのはレベルの違いがあろうと誰だって使えンだろ。そンで失敗で爆発起こすような例も自分だけっつってたな。系統ってのが5種類あるとして、土・水・火・風の四大元素以外の『最も小さき粒』を操るってのは『虚無』以外ありえねェだろうが。ちったァその足りねェ頭働かせて考えてみろ。そこらのガキにも分かるような簡単な問題だ。この世界で生きてきたテメェ等が何でその答えに気が付かねェのか不思議でならねェよ」


そこまで言うと一方通行は足を組み替え、両手を組んだ。態度と視線に心底馬鹿にしています、と出ている。

己の使い魔の言い分は、まぁ分らないでもないが、違う。ルイズ達はこの世界で生きてきたからこそその事に気付かなかったのだ。
例えばルイズが“私は虚無だ”と誰かに言ったところで、それは笑われるだけに終わる。思う存分馬鹿にされて、そこまでで終る。現実に魔法は使えないし、虚無を感じた事も無い。
説明はちゃんと聞いてたんだな、とその事をきちんと憶えている一方通行に舌を捲きながらも、やはり自分が虚無だと言う事は信じられない。


「ゼロか」

「学院長……?」

「ミス、君は随分と洒落た二つ名を付けられたもんじゃな」

「ほ、本当に信じてるんですか? こいつはこの世界に来てほんの一日しか経っていないんですよ?」

「この世界、かね?」

「そうです! このアクセラレータは違う世界から来たんですもの! こいつの本当の世界はチキューって言うところで、ウチュウって言うところに浮いてる星で、そこにはジンコーエイセーって言う、天気や時間を百発百中で当てる物まであるそうです!」

「……と、ミスは言っておられるが?」

「まァ、だいたい当たってらァ。くく、証拠が何一つねェのが悔やまれる、ってな」

「ふむ。参考までに聞くが、そこに住む者は皆『反射』が使えるのかね?」

「さァな。似たような事出来るヤツはいるだろうが、俺の『反射』を真似できるやつは中々いねェだろ」


クローンでも作ってなけりゃな、と一方通行は皮肉気に笑った。
ルイズは一瞬、ほんの一瞬だが一方通行に陰りが見えたような気がした。
傲岸不遜を絵にかいた様な人物だが、元の世界の事は(特に自分の事)は語りたがらない。何か自慢の一つでもしてくると思っていたのだが、そこに見えたのはなんだったろうか。
悲しみではない。
怒りでもない。
喜びでもない。
絶対に見た事のある感情のはずだが、あの目の色はなんだったろうか。


「ミス・ヴァリエール」

「あ、はい」

「まだわしも確信があるわけではない。虚無の事は伏せておきたまえ」

「ええまぁ、私自身信じていませんので」

「それとルーンの事じゃが、これはわし等で調べてみる。解除の方法も一緒にの」

「……ありがとうございます」


とは言うものの、やはり自分の左手に刻まれたルーンを現時点で消す方法は無いようである。若干の気落ちをしながら小さくため息をついた。


「それとの」

「はい……?」

「進級、おめでとう」

「お? ……い、いいんですか? 使い魔じゃなくて、私に出てますけど、ルーン!」

「よい。言い換えれば、彼の能力が無ければきちんと刻む事が出来とったということじゃ。それに、ミスは貴族の誇りを存分にもっておるようじゃ。あの時引き返す事が出来た。己の利己心だけに囚われず、相手を慮る事が出来、最近の貴族が忘れがちな事をミスはしっかりと分っておる」

「……やっっったぁああ!!」


この喜びはどう表現したものだろうか。
一旦落とされてからのこの喜び。学院長も人が悪いなぁ、とルイズはオスマンの髭を撫で撫で。
ふぉっふぉと笑うオスマンと変わらずダルそうな一方通行を置いて部屋を飛び出ていった。後ろ手に扉を閉め、走りながら失礼します、と大声で。
進級確定である。授業にだって出ていい。誰かに自慢せねばなるまい。誰がいいだろうか。といってもルイズの話を聞いてくれる人物など決まっていて、


「しっえっすったぁあああああ!!!」


ルイズは廊下をブーンしながら走り去っていった。





「……随分甘ェンだな」

「良心的じゃろう?」

「ッハ、言ってろよ」

「それで、ものは相談なんじゃが……」





。。。。。





バキリ。
明らかに何かを踏み潰した感触だった。
そういえば朝方にもこんな事があった。あの時はなにを潰したのだろうか。

舌打ち一つ。
潰したものは足元を確かめるまでも無くその正体がわかった。香水だ。強烈に香るそれは少量ならいい香りなのだろう。一方通行の好きなブランドのものと少しだけ似た匂い。しかし、瓶一本を丸々と潰してしまっているのだ。割と高額だったジーンズにもかかったようで、


「……クセェ!」


砕けた瓶を廊下の隅に荒々しく蹴飛ばした。
今は若干腹が立っているのである。
短気は損気と言うが、それはまさか運自体が悪くなるのか、と馬鹿な事を考えながらルイズを探す。

先ほどオスマンが相談といってもちかけてきたのは、一言で言えば『ルイズを守れ』である。
当然、“その気はねェ”と突っぱねたのだが、老人はその代わりに帰還の方法を探すと言う。一方通行としては帰還の方法はルイズが握っているものだと考えているので当然断った。
だが、虚無と言うのは一方通行が考えていたものより厄介らしい。今、この世界の情勢は危うい均衡の上に立っており、虚無の存在が見つかれば戦争に繋がるものであるらしい。当然、虚無の担い手であるルイズもそれに参戦するだろうと。

それがどうした。

よほどそう言ってやりたかったのだが、『理解』も『帰還』も何もないうちに死なれるのは流石に困る。


『そうなったら困るじゃろ? 困るじゃろ? じゃから守ってやってくれぃ。なぁに、君がその背中に彼女を置いておけば死にはせんじゃろ? あ、なんじゃその目は。この世界にはわし位の地位が無いと入る事が出来ん場所が沢山あるんじゃがのう。そこにはもしかしたら違う世界の事や虚無の魔法の事が沢山あるかも知れんのじゃが、ここでわしが死んだら大変じゃな。もうお主はもと居った世界に帰る事は出来んのう。ん、ん? そうじゃろ? そうじゃよ』


思い出しただけでムカムカしてくる。
何よりこっちの事を知っていますといったあの態度が腹立たしい。
老人は生体電流を軽く乱しただけでもポックリ逝く可能性があるので伸ばした右手は行き場をなくし、机を強かに殴りつけただけに終わった(その後羽ペンが老人の眉間に刺さった)。

ルイズを探さなければならない。
彼女が死んでいいのは、最低でも一方通行を元の世界に帰してからだ。脅しすかし、これでもかと言うほどに虚無の事を口止めしよう。まぁ、一応オスマンにも口止めはされている。しかもルイズ自身が虚無である事を信じていないのでそれほど急ぐ必要も無いが、やはり最善は尽くすものだろう。

そして一方通行は廊下を早足に歩くのだが、そのときの周囲の視線がまた彼を苛立たせる。
もう授業は終わったのか、それとも休み時間というやつか。進む先進む先に貴族達は居る。視線自体は学園都市に居た時からなので慣れたものだが、その中身が違う。
学園都市に居た時は畏怖がその殆んどだった。皆一方通行を恐れ、そして馬鹿なやつは尊敬した。
しかしここでの視線の意味は違い、それは嘲笑なのだ。
未だに一方通行の危険性に気が付いていない貴族は大勢いる。当然、一方通行の戦闘を見たのは一つのクラスだけであるし、殆んどは『ゼロの使い魔』としての認識。

ゼロに召喚された無能のエルフ。
これが実しやかに流れる噂である。
他人からどう思われようと余り気にしない一方通行だが、流石に八つ当たりしてしまいそうだ。

イライラが頂点に達そうとしているのを、何故気付かない?
最も強いのがこの俺だと、どうして分からない?

足元からは強烈に芳醇な匂いが漂ってくる。
人を小ばかにした態度の老人からは無理難題を突きつけられる。
そしてルイズを探せば何処に居るのか見当も付かない(自室にも居なかった)。

そして、


「何故君がその香水をつけている! それは僕がモンモランシーから貰った―――」


付けた訳ではなく踏み潰したのであってモンモランシーと言う人物も見当に無いほか今話しかけてきている金髪にも興味は無い。
どう考えても、一方通行の歩みを止めるには不十分だった。


「邪魔だ」


出来るだけ普通に返した。
恨みがあるわけでもない。殺したいわけでもない。ストレスは溜まっているが、それをそのまま破壊に費やすほど一方通行は子供ではない。と、自分では思っている。


「貴族に向かって……! 君はエルフじゃない、そうじゃないのかね?」

「あァそーだな」

「やっぱり! どんな手品を使ったのか知らないが、僕の魔法はコルベール先生のようにはいかないぞ!!」

「そォかい」

「っ、平民め、僕は貴族だぞ!」

「そうでゴザイマスカ」


進む一方通行。後から付いてきてあーだこーだと文句を飛ばしてくる金髪の少年。

一方通行は知るよしもないが、金髪の少年、ギーシュは『青銅』の二つ名を持つメイジである。
プレイボーイを自称している彼としては、手をつけた女の匂いが自分とは別の男からするのはとても腹が立つことであり、尚且つそれが所謂『本命』であるから余計に。

さらに、先日の戦闘を見ていたギーシュには少しだけの余裕があった。
身体的な特徴からエルフではないと始めから思っていたが、それは的中。そして『反射』だが、ギーシュの得意としている魔法はゴーレムを操作する事。
『物体』を操作する以上、コルベールの炎のようにその操作権を奪われ、そのまま魔法を反射される事は考えられなかった。

だから彼は強気に出る。
本当は多少腰も引けているが、女の子に良いトコ見せたいのである。今まさに周囲の注目を浴びているが、チョーキモチーなのである。


「待て、止まれ! 侮辱罪で極刑にも出来るんだぞ!!」


それを聞いて一方通行の歩みは止まった。


「……極刑?」

「そ、そうだっ。平民は貴族を侮辱してはならない、敬わなければならないんだ!」

「俺を殺すってか?」

「そうさ! またルイズはゼロに逆もど───」


逆戻りだな。
恐らく彼はそこまで言おうとしたのだろう。
ちょうど、り、と口を動かそうとした所、不自然な形で、少しだけ歯を食いしばったような形で言葉を発しようとした時、その時三階にいたのだが、不幸な事に彼の横には窓があった。

ゴキッ!と一方通行は全て計算ずくでギーシュを殴った。
能力を使わず何かを殴るという行為に不思議な感覚を抱きながら、顎を狙ったその拳はややずれて頬の辺りに。
奇妙な顔のままよたついたギーシュは開け放たれている窓に近付いたが、もともと非力な一方通行の拳打ではその体を落とすことはできず、


「おらよ」


足を踏み鳴らせば石造りの建物のその壁、窓の枠ごとガポリ、と巨大な何かに食われたかのようにすっ飛んでいった。


「は、お……?」


身体を支えようとしたそこには何もなく、ギーシュはまるで出来の悪いコントでもやっているかのよう。すぅ、と音も無く落ちていくのである。
周囲の貴族連中もあまりの事に呆気に取られ、その中で唯一動いたのはもちろん一方通行だった。
自然に、まるで階段を一段降りていくように壊れた廊下から外へと飛び降りる。手をポケットに突っ込んだまま、ずしんと鈍い音を立てて着地。身体にかかるベクトルはもちろん反射。

ギーシュも何とか魔法を使って着地に成功したようで、落下による怪我は無いように見える。何か呆然とした顔で一方通行を眺め、パクパクと金魚のように口を動かしていた。
その表情は予想を超えて面白く、一方通行は自身の口角が自然と吊り上がるのを感じた。


「くく、言わねェのかよ、“親父にも殴られた事無いのに”ってよォ」

「こ、ここ、こっ!」

「鶏でもやってンのか? トサカ立てろよ、もうちょっとはマシにならァ」

「こっ、後悔させてやる!!」


瞬間、右手に持っていた杖(?)をギーシュは振った。妙な、不思議な形をした杖は先端に薔薇の意匠が施されており、その一枚散るようにその魔法は発現する。
花びらの一枚は地面に付くやその姿を変え、周りの土を取り込み青銅へ。姿かたちを変えるソレはやや女性らしいフォルムをした甲冑に成った。


「僕はギーシュ・ド・グラモン、『青銅』のギーシュだ! 貴族の顔を殴ったんだ、覚悟は出来ているんだろう!?」

「ワリィ。生まれてこのかた一度たりともした事ねェンだ、カクゴ」

「こ、のっ! そうやって死ぬか、平民っ!!」


裂帛の気合と共に、青銅の戦乙女は駆け出した。武装は何もしていない。素手、と言うのもおかしな話だが、その手はただ拳を握っているだけである。

そしてこの戦乙女だが、一方通行にとってはただの石を投げられたのと同じ事である。一定以上の速度と力を持った物体は、最早無意識下で張っている『反射』に妨げられる。
当然それはいくら魔法の力で動こうが、それが青銅(笑)で出来ていようがまったくもって関係なかった。

がっちゃがっちゃと関節を鳴らして迫る戦乙女に対し一方通行はハンドポケットのまま。迎え撃つだけ馬鹿だ。
ふぁ、と欠伸を噛み殺した時、その拳は確かな速度と力をもって一方通行の顔面に吸い込まれた。

木の幹を叩き折った様な、嫌な音。
勿論、戦乙女の腕から。


「……せめて鉄くらい作れねェのか、『青銅』のギーシュさんよォ?」


ぐしゃぐしゃに潰れ果てた戦乙女の腕を毟り取り、まじまじと観察。
確か、『練成』とか『錬金』とか云われる魔法だと確認した。
甲冑の中身は空で、空洞が広がっているのみ。しかしその甲冑は精巧に作られており、人間が着たのならそこそこ出来のよさそうなものだ。
ただ突っ込ませるだけなら何もこんなに複雑な構造のものを作らずとも、適当な形でいいだろうに。
一方通行は退屈そうに解体を続け、その顔面にあたる部分を片手でいとも簡単に潰した。


「……あれ?」

「よォ、御貴族様。聞きてェンだが、まさかこの程度で俺に喧嘩売ったわけじゃねェよな?」

「えと……は、反射って……え?」

「あァ、テメェ俺の反射が『物体』には通じねェとでも思ったわけか? 魔法だけを弾くって」


呆れた様に一方通行は息をつき、


「死ぬのか?」

「っ、あ、そのっ」


底冷えするような声だった。思わず耳を塞ぎたくなるような。その視線だけで人が殺せる。睨まれれば絶対に普通ではいられなくなる。
そう思わせるだけの雰囲気が、一方通行からは出ている。

ここまで馬鹿だとは思わなかったのだ。
余りにもお気楽すぎやしないか。

一方通行を殺すとまで言ったのだ。『反射』の一方通行に。
許されざる事だ。
だって、マイナスを貰ったら跳ね返すしかないじゃないか。今までそうして生きてきて、今更どうやって生き方を変えられる?
ヒントはこれまでに沢山あったろうに。
反射するのだ、一方通行は。殴られれば反射する。害意を貰えば反射する。敵意を向けられれば反射する。
勿論、殺すと威を向けられれば、


「───殺すぞッ、クソガキがァ!!」


一歩、大きく歩を進めた。本当に殺すつもりで一方通行は前に出た。

一方通行が冗談では無く殺すつもりで来ていると分ったのだろう。ぎゃあ、と叫びギーシュは杖を振った。
漸くになって分ったのだ、一方通行の危険性が。彼は『反射』した。馬鹿丁寧に反射したのだ。『反射』は彼の能力ではない。彼の生き方そのものだ。

それは本能的なものだった。ギーシュは本当に『死ぬ気』で魔法を行使。生まれて初めて精神力の減衰というものを感じるほどに、花びらは全て散り練成。
今、最も信頼している魔法を、そのレベルを限界まで上げて、計二十体の戦乙女を作り上げた。それぞれに武装を施し、剣も盾も持っている。
だが、それでも一片たりとも消える事の無い絶望感。
まさかこんなところで本物の『死闘』というものを感じるとは思ってもみなかった。

『命を惜しむな、名を惜しめ』。

グラモン家に伝わる格言だが、馬鹿な、そんなの、死んだらオシマイじゃないか!


「う、ッわぁあああ! 行ってくれ、ワルキューレェエエ!!」

「ハッハァ! 面白くもねェ人形劇だァ!」


迫る戦乙女達に、一方通行は無造作に腕を振っただけだった。
虫を払う時によくやるあの動作。そのゆったりとした腕が触れただけで、全力で迫り、そしてその手に剣を持った甲冑はぶっ飛んでいく。
それも当然で、それなりの速度で走ってきている甲冑は、やはりそれなりの運動エネルギーを持っているのだ。単純にそれを反射するだけでポンポンと玩具のように飛んでいく。

掌で触れただけでその足は爆発した。剣で叩かれれば折れたその刀身が何故か戦乙女に突き刺さる。足を踏みならすと上空にすっ飛んで行き、落ちた衝撃で潰れる。
その様を見、聞き、感じて一方通行はきゃははと実に愉快そうに笑った。


「何だ何だ何ですかァこのザマはァ!! この俺に向かって殺すとほざきやがったテメェはッ、殺されたって文句ねェよなァ!?」


錬金の魔法。
一方通行自身はとても便利なものだと思う。
この世界に科学が発展し、魔法使いが自分のやっている事に気付きさえすれば、錬金は間違いなく凶悪なモノになる。いや、魔法というものそのものが凶悪だ。
自分の持っている力すら知らず、その発展性にも気が付かず、先を見ようとしない。
6という頂を目指し続ける一方通行からすると存在自体が鬱陶しい。魔法使いという存在自体が。


「ひゃはっ! 面白ェもン見せてやンぞ」

「っ何を……?」


戦乙女の数が半分程度に減った所で一方通行は歩みを止めた。
そしてその場に立ち尽くし、両腕を広げる。感じるベクトルを計算、演算。自身の反射の計算は勿論万全。

結局これを完成させる事は無かった。
『最弱』にちょこぉぉぉおおっとだけ追い詰められて、その時に、負けてやってもいいと思った時に考え付いた技。

世界は、風に満ちている。


「いま自分の住んでる所が球体の上だってのは理解してるか? 惑星っつーモンなンだが、何とコイツは回ってやがるんだ。重力、引力、斥力、科学の発展してねェここじゃ何言ってるかさっぱりだよなァ? ベクトルっつー言葉すら伝わらねェ。だがな、確かにここには『力』があンだ。その力を知覚し、操作するのが俺の能力……」

「な、何を言っている!」

「割と最近になって考え付いた新技なンだぜ。これ見て死ねるンなら、本望ってヤツだろ?」


瞬間、ギーシュは熱を感じた。
熱い。とても熱かった。何かが焼きついたような臭いが鼻につき、周囲の温度がさらにさらに上がっている。熱い。肌が焼けていくようだった。
崇める様に上空を見上げる一方通行に釣られ、見上げてしまえば、そこにはもう一つの太陽があった。


「……はぁ?」


そんなことがあるわけが無い。
そう思うも現実に熱く、真夏を越えて熱く、肌が焼けて痛くなってきた。


「高電離気体(プラズマ)ってンだが、知ってるか? 空気ってのは圧縮すると熱を持つ。風を操ればこういうモンが作れんだ。まァ、大体一万度ってトコか。生き残ってたら褒めてやンよ」

「冗談じゃ、ない……」

「あァ、冗談じゃねェな」

「まだ死にたくないんだっ、僕は!」

「この俺に殺すとまで吠えやがったんだ。そりゃしょうがねェよ」

「いや、だ……!」


そして、ギーシュが涙を湛えてそこまで言ったとき、漸く彼女が動き出す。


「ギーシュゥウ!!」


ギーシュには背中が見えた。
小さな小さな、しかしとんでもなく力を溜め込んでいるであろう背中。そして短くなっているが、見覚えのある桃色の髪の毛。


「私の使い魔にッ、ん何してんのよぉおおッ!!!」


めしゃっ!! と、何かが潰れた様な音がし、ギーシュの鼻っ柱には後ろ回し蹴りは叩き込まれた。
筋肉が好きな少女の登場である。







[6318] 08
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:4020f1db
Date: 2010/03/02 17:03




こんこん。

無視である。

こんこん!

無視である。

こんこんこ……がちゃ。

魔法で鍵を開けられた。


「タバサ、また本読んでたの?」

「そう」


侵入者は勿論赤い友人キュルケである。彼女は何の躊躇もせずにこの部屋に侵入してくる。
別に咎めるつもりは無いがタバサも一応女の子なのだ。人には見られたくない行いやら営みやらをしていたらどうするつもりなのだろうか。
少しだけじっとりとした視線をタバサが向けると、そんな事は知らんといった調子でキュルケはけらけらと笑い始めた。
心当たりはある。恐らく、


「何その眼鏡。あまり可愛くないわよ?」

「起きたら割れていた。スペアがこれしかない」


視力自体はさほど悪くも無いがやはり眼鏡が無いと落ち着かないのだ。
今朝方起きてみると自分は床の上で寝ていて、しかも眼鏡がしっかりと割れていた。フレームはグニャグニャに歪み、レンズは粉々に砕け、小さな小さな螺子類はどこかへと消えている。流石に修理のしようもなく、仕方なしにスペアをかけているのだ。

勿論犯人は分っている。一方通行だ。
昨夜、読み書きを教えている時に恐らく自分は寝てしまったのだろう。交換条件として能力の事を聞こうとしたのに寝てしまったのだ。そして起きればしっかりとメガネが踏み潰されていた。
ふつふつと決して小さくない怒りが湧き上がるが、あの反射は厄介だ。コルベールほどの実力者が手も足も出なかったのだ、流石に力技でどうこうするには無理がある。

そう、彼女は本を読んでいる振りをして何とか報復してやろうと考えていたのだった。


「そういえばルイズの使い魔、アクセラレータ……っだったかな? あの子ね、別の世界から来たらしいわよ」

「意味が分らない」

「ん、だからこの世界の人じゃないの。なんて言ってたかしら……チキューって所から来たとか何とか……」

「東方?」

「そんなんじゃなくて、まったく別の場所から来たんですって。彼も大変ね。いきなり召喚されたんでしょうし、まぁ大暴れの理由も分からなくは無いわ」


しかし別の世界から来た事とタバサの眼鏡を潰してごめんの一言も無いのは関係が無い。
それに大暴れは何とか理由が付くが、それでも自分の主を殺そうとするのは良くない。魔法使い側からしても、もしかしたら一生連れ添うかもしれない生物を召喚しようとしているのだ。それに殺されかけるなど、余りにも先が心配になりすぎる。

タバサの召喚した竜も変わり者だが、流石にルイズには負けた。だって、ルイズの召喚した人間は、恐らくこの学院の中で一番強い。周囲の貴族達は笑うが、あれは間違いなく今年最強の使い魔だ。

そして窓の外を見れば、


「無茶苦茶」

「……そうね、無茶苦茶」

「太陽?」

「随分低い所にあるけどね……」


二つ目の太陽が輝いている。
魔法ではない。あんなものはタバサの知識の中には存在しない。魔法ではない不思議な力を使う存在はこの学院には今のところ一人しかいないわけで、その答えはすぐに見つかる。

タバサは自分には関係の無い事だと割り切り、


「今度の虚無の曜日、眼鏡を買いに行く」

「そ、じゃあ私も付いて行くわ。ちょっと欲しい服があってね、きっとタバサに似合うわ」

「私に?」

「タバサに。ドラゴンを召喚したんですもの、そのプレゼントよ」

「そう」


ならばキュルケには何をプレゼントしようか、とその脳は働く。
外の事など、そう、どうでもいい。





08/『私の可愛いウサギちゃん』





こぱぁ!と言いながらギーシュは飛んでいった。
キラキラと鼻血の放物線を描き、こぱぁ!と言いながら飛んでいったのだ。


「うしっ!」


ぐっとガッツポーズを決め込んだわけだが、まずは言い訳をさせて欲しい。
何もギーシュが憎くて飛び蹴りを放ったわけではないのだ。ギーシュの事は正直好きじゃないが、それでも行き成り蹴りを放つほど嫌っているわけでもない。
ただ、彼を助けるためにはああするしかなかった訳で、今までゼロと言われ続けた分も大いに含んで蹴ったが、それでも下から突き上げるように蹴り穿ったのは唯一の正解だと信じている。

その証拠に、二つ目の太陽は徐々にその姿を薄くしていき、今消えた。


「さ、あなたにケンカ売った馬鹿は仕留めたわよ。私たちもっと分かり合うべきだと思うの。ちょっと部屋でお話しましょう?」


ルイズは額にかいた汗を無造作にふき取りながらさわやかに言った。
こうでもしないと、本当に本当に一方通行はギーシュを殺してしまっていたのではないだろうか。
ギーシュが死ぬのはいいが、いや、あんまり良くも無いが、それでも己の使い魔が貴族殺しになるほうがもっと良くない。そんな事になったらルイズ自身の命まで危うくなってしまうし、家族たちにも迷惑がかかる。

ギーシュだって鼻骨と命なら、鼻骨が折れるほうがマシだったろう。気絶はしていないと思うがピクリとも動かない所を見ると死んだ振りをしているらしい。顔面からだくだくと赤い水が出ているが、必至に痛みをこらえて死んだ振りしているのだろう。
空気を読まずにここで起きて来るよりも、それは随分いい判断だと言わざるを得ない。


「ほら、行くわよ?」


ルイズが再度促すと一方通行は咽喉を鳴らし、


「頭は悪くねェらしいな、あァ?」

「な、何がよ」

「オマエはこう考えた訳だ。『一方通行なら気絶した相手には興味を失い、矛を収めるだろう』ってよォ」


ドキーン! である。
まさしくその通りに考えギーシュを仕留めただけに、少しだけ焦ってしまい、


「ぎょ、ばっ! べ、べべ別にそんなあざとい考えしてないわっ!」

「癪だがその通りだなァ、よく分ってンよオマエ。確かに気絶してりゃ、面白くとも何ともねェ。……気絶、してりゃァな?」

「してるわよ! 間違いなく気絶してる! 私はこれまで50人もの屈強な男たちを沈めてきた肉体派なんだから!」


本当は18人だし、皆貴族様らしくモヤシだったが。


「肉体派、ねェ……」

「そ、そうよ。肉体派よ」

「気絶したソイツの魔法が未だ消えずにそこらじゅうに残ってるのは?」

「え、えと……そう! 固定化っていうね、物体の劣化を防ぐ魔法も一緒にかけてるのよ、ギーシュは!」

「……まァ、ギリギリで合格って所か」


ルイズはほっと一息。
ギーシュが空気を読まずに魔法を解除してしまうのがとても心配だったが、いくらおつむの足りない彼も自分の命がかかっている時は本気が出るらしい。
もしかしたら本当に気絶していて本当に固定化をかけているのかもしれないが、戦乙女たちは数体残っているし剣やら盾やら、ギーシュが作り出した魔法は姿を消していない。


「だがなァ、おい」

「え?」

「俺の中に溜まってるフラストレーションは一体何処に向くンだろォなァ?」


にやにやと趣味の悪い笑みを貼り付けながら一方通行が足をならす。
たん、と小気味良い音の後に動き出したのは一振りの剣だった。地面に突き刺さっていたそれは空中で弧を描き、ルイズの目の前へと落ちてくる。
足元でからんと鳴り、その意味を判断するより早く、


「来てみろ、肉体派。あァ、勿論マホー使ってもいいンだぜ、『最弱』?」


きっとルイズの前世はたった一人でとんでもないほどに殺人でも犯したとある悪党か、神様の加護なんかも全部打ち消すようなとある馬鹿に違いないのだ。


「な、何で、ちょっと待って、違うわ、それなんか間違ってる……だって、そ、そ、それって、不幸すぎる、私!」


ルイズが己の不幸を大きく叫ぶと一方通行は少しだけ考え込み、


「……探せば居ねェ。なのに呼ばれもしねェ所で出てきやがる。馬鹿にしてンのかテメェ?」

「た、ただ暴れたい理由を人のせいにしてんじゃないわよ!」

「ハッハァ! よく分ってンじゃねぇか!! 相手しろよ、ストレスで死んじまったらどォすんだ! 俺のハートはガラス製なんだぜェ!?」

「見た目が似てるからってウサギみたいな事言ってんじゃない! 何でもかんでも跳ね返すガラスがよく言うわよ!」


実力は伴わないが、口喧嘩はお手の物だ。毎日毎日隣の部屋の住人と顔をあわせて、そして鍛えてあるのだから。

口上は終わりとばかりに一方通行が右手を上げた。赤い瞳の中には実に愉快そうな色が映っている。
最初の目的である“とりあえずギーシュを殺させない”は達成したが今度はこっちが危ないと来た。いや、楽しそうな表情から察するに殺されはしないかもしれないが、絶対にやられるのだ、アレがくる。バチっとくるヤツが。
痛いわけでもないし、何か後遺症があるわけでもないのだが、アレは駄目だ。本当に駄目だ。アレは続けて食らうと絶対何らかの障害が出る。何か悪い事が起きるに決まっている。

一方通行が一歩進むと、それにあわせてルイズは一歩下がった。
足元に転がっている剣など無視である。ルイズは剣を振った事は無いし、見るからに重そうなそれは逃げるのに絶対邪魔になる。

爪先に力をいれ、逃げる為に走り出そうとしたその時、一方通行が立っていた地面が爆発したように弾け、その一方通行は物凄い勢いで加速してくる。


「っ!」


何をどうしたのかは分らないが、きっと彼の能力のはず。と判断する前にルイズの反骨心と毎日サンドピローへと向かう身体が反応してしまった。
逃げる為に準備していた爪先は地面を離れ、その上体は一方通行の明らかに顔面を狙ってきていますという、素人然とした右腕を避けるために斜め後ろへと倒れる。そして溜めた力を解放するように、向かってくる一方通行の顔面に上段蹴りを放った。


「っしゃらぁ!!」


パァン! といつもの練習どおりの音が響いた。
毎日の反復練習とは恐ろしいもので、心より先に身体が反応したのだ。火に油どころかガソリンを撒き散らす行為だが、誰もルイズを責める事は出来まい。
だって、蹴った本人のルイズのほうが痛いのだ。
今履いている、ひよこのプリントされた下着(シエスタから貰った)を晒してまで放った上段蹴りは、いつぞや一方通行を殴った時のように、


「っ硬いぃ……っ!」

「肉体派ってのに嘘はねェらしい。折れちゃいねェだろ、くく」


そこまで言うと一方通行は反射を行使したのだろう。ルイズの足は弾かれた。
よたよたとバランスを崩し、足の痛みに耐えかねて跪くとそこには一振りの剣。

一方通行の笑い声が聞こえ、はてさてどうしたもんかとルイズは考える。

恐らく一方通行は遊びたいだけなのだ。ムカつく事に、一方通行は自分で遊びたいだけなのだ。弄び、ボロボロになったらその遊びは終わり。猛獣が狩りを学ぶ為に残虐な行為をするように、ただ遊びたいだけ。

これはなんだろうか。ふつふつとわきあがるこの感情は。


(冗談じゃないってのよ。私……)


きっと一方通行は分かっていない。他人にどう接したらいいか。
彼の能力は『反射』だ。他にも色々とあるだろうが、一番はやっぱり反射だ。生き方が反射している。威を向ければ返される。だったらまともに相手をするのはただの馬鹿。ただの馬鹿なのだが、


(……こいつに、同情してる……?)


怒りのほかに湧き上がる感情。
自分の使い魔というのを抜きにして、一人の人間として同情してしまった。

だってそうだろう。とても口には出来ないが、コイツは、


「あんたぁ……っ!」


口にしてしまっているが、一方通行は、


「絶っ対友達いないでしょ!?」


間違いない。
人との接し方。その距離がまったく分っていない。
人の事は言えず、自分にも友達が多いとは言えないが、それでも人との接し方くらい知っている。心を見せないとその人だって信用してくれるはずが無い。
それなのに、一方通行はきっとそういうのも反射してきたのだ。きっと全部。一体何年生きているのかは知らないが、そういう機会が今まで一度も無いはずがないのだ。彼が自分で作らなかっただけに決まってる。
元の世界で頂点に立ってるからって、能力が反射だからって、だからって友達くらい作ってもいいだろうに。


「あァ? 何だァそりゃ?」


一方通行は心底不思議そうな顔をしていたが、本当に分かっていないのだろうか。それとも本当に友達なんていらないと思っているのだろうか。
ルイズの心は決まっていて、どっちにしろ、


(……ムカつくのよ、そういうの!)


以前の自分がそうだったから。
魔法を使えなくて、ずっと孤独だったから。独りで、本当に分かり合える人なんかいなくて、友達なんか要らないというポーズを取っていた。そんな自分が、ルイズは堪らなく嫌いだったのだ。

ふぅ、と一つだけ息をつき、何となしに目の前にある剣を握って立ち上がった。

瞬間、身体が軽くなるのを感じるが、しかしルイズの心はまたも最強になってしまったのだ。
一方通行を召喚して、ベッドの上ではしゃいでいた時と同じ最強に。自分の左手が輝いている事にはまったく気が付かなかった。

剣は左手に、何故か使い方が理解できてしまうものだから不思議だ。
それを肩に担ぎ、半身になって右手を伸ばした。

くいくい、と指先だけで手招きし、


「……遊んであげるわよ、私の可愛いウサギちゃん!」


もちろん、殺されはしないだろうという確信、いや、確信には届かないまでも、多分殺されはしないだろうと思うからこそいえる言葉。
召喚した時の、あの時の一方通行にはとてもいえない言葉だった。


「ぎゃはッ! 面白ェ事言ってんじゃねェか、女ァ!!」


実に愉快そうに、本当の本当に愉快そうに笑い一方通行は両腕を振った。

瞬間に巻き上がる風。身体を支えきれないほどの暴風にルイズは襲われた。浮き上がり、吹き飛ばされる。
風に吹き飛ばされるという冗談のような状況の中、ギーシュが顔面を真っ赤に染めながら転がり騒いでいた。

ルイズは吹き飛んでいく地面に剣を突き立て、右手で腰の後ろから杖を引き抜く。
なんだか分らないが、こうすると良いと思った。脳内がやけにクリアで、何もかもが透けて見えるような全能感。失敗するはずが無いとの確信と、一方通行の反射も考えて杖を振った。

当然、爆発。
それは二箇所で起こる。


「きゃっ!」


狙いは違わず一方通行へと。さらに反射で返ってきた爆発は自分自身も焦がす。が、確かに成功した。自分にも結構なダメージが返ってきたが、一方通行から湧き上がる暴風を止める事にはしっかり成功したのだ。


「ハッハァ! またまた11種類も超えてきやがったァ! テメェは一体どの次元で生きてやがんだろォなァ!? もっとだもっと、もっと感じさせてみせろ!」

「言われなくてもっ!」


足を踏み鳴らした一方通行に危険を感じ、隙を見せずに駆け出した。景色がすっ飛んでいくようなスピードが出ているが、これは一体何が起こっているのだろうか。

ちらりと目を向ければ先ほどまで自分がいた場所にギーシュが作り上げた甲冑やら盾やらが馬鹿みたいな速度で突っ込んでいる。うげ、と心中呻き、上空を見上げてみれば、同じくギーシュが作り上げた剣が矛先をこちらに向けて降り注いできているではないか。
冗談じゃない! 叫びながらさらに速度は上がった。
剣を肩に担ぎ、上体を限界まで倒して走るその姿はさながら猫化の猛獣のようで、明らかに人間の出せる速度の限界値を超えているように見える。
地面を蹴る足には力を感じ、左手に持つ剣はしっかりと使い方が分かる。
疑問は無い。感じている暇も無い。ただ今は一方通行とのじゃれあいを優先。ザクッ。ザクッ。ザクッ。と徐々に近付いてくる降剣の音が堪らなく恐ろしい。

視線を向ければリズムを取るように足を慣らしている一方通行の表情はやや硬く、何かを考えるように鼻の頭をかいていた。
その脇を走りぬけるのは、今のルイズにとっては余りに簡単な作業。足は地面を潰すほどに力が入る。それを蹴ってしまえば小さな身体は弾丸となり、そして一方通行の背後を取った。


「ッでぇい!!」


振り返るのと同じ動作で、まさしく竜巻のように横に薙いだ。
当然ルイズは一方通行に剣如きが通じるとも思っていなかったが、しかし余りに簡単にそれが折れてしまうのはどうだろうか。
ルイズとしては劇でよくある様に、キン、と硬質な音を立てて終わりかと思っていたのだが、まさか折れるか。


「んなっ、何よこのボロ剣! もっとまともなモン作りなさいよね!」

「……お前ェは一体全体どういう身体構造してやがンだァ?」

「普通の女の子っ!」

「っは、言いやがる!」


変わらず不思議そうな顔で手を伸ばしてくる一方通行のそれを背後に飛んで回避。地面に突き立っていた剣を手に取った。
そしてまた湧き上がる力。流れ込んでくる情報。輝く左手を目撃し、瞬間、理解した。

ダンッ! と音が鳴るほどに地面を蹴りつけ、今度は一方通行を中心に大きく円を描くように駆け出した。
そのスピードは今までよりもさらに速く、疾く。びゅうびゅうと風を切る音は自身のスピードを語る。

武器だ。剣を持つ事で身体能力が限界を超えて強化されている。一方通行がスローモーションに見える。

一方通行は何と言っていただろうか。『反射』すると言っていた。それは、何処で? 何を?
彼は何でも反射できるはずである。何と言ってもルーンが跳ね返ってきたのだ。
そしてそれは何処で反射するのか。身体? 触れたもの? 肌? 何か、膜?

戦える。一方通行は、触れたものの力を操作している。
ルイズはバチっとくるものの正体を知った。アレは身体の何かを乱しているのだ。痺れがくるような感覚から、恐らく電気。
納得し、さっきの竜巻のような暴風の正体も。身体に感じる空気に反射で流れを作ったのだ。風とは大気の流れ。一方通行がどの程度の風を操れるかにもよるが、一応自分の魔法で邪魔する事が出来る。

結果、


(触れる事さえ出来ない速度で戦う事が出来れば……?)


一応、一方通行の敵になれる資格を持っている。
頂点に立っている一方通行の隣に立てる。ルイズはその可能性を持っている、この学院にただ一人の存在のはずだ。


「……あはっ」


おかしな事に、ルイズの心は喜びに支配された。単純に嬉しかったのだ。
同時に左手の光は輝きを増し、もっと速く、もっと速く。それ自体が力だというように速度は上がってゆく。

走りながらスペアとしてもう一本の剣を手に取り、右手に持った。
魔法は簡単に反射されるので使うのは危険。勝てないまでも一方通行と遊ぶには速度が重要だ。

一方通行と並び立つのは、ご主人様であるルイズ以外に許されない。というよりもルイズが許さない。
もっと知りたい。違う世界の事を。学園都市というところの事を。ウチュウの正体も知りたいし、ジンコウエイセーは何なのか非常に興味がある。
そして何より、一方通行の事が知りたい。使い魔の事が一番知りたい。語りたがらないが、きっと友達の一人もいない生活を送って来たに決まっているのだ。
こんな死闘のような事以外にも楽しいものは沢山有る事を教えてやりたい。一人で反射する人生以外を知って欲しい。
なぜなら使い魔なのだから。ルイズの使い魔だから。シロはルイズのものだから。
使い魔は『最強』で、ルイズにも借り物のような力だけど、今は左手に力がある。

だから、


「私はルイズ! ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール! 私はこの学校でゼロのルイズって呼ばれてるわ! なぜなら魔法の成功率0%の劣等生だから!」


走りながら声を張り上げた。
怪訝な表情で鼻の頭を擦っていた一方通行はふと顔を挙げ、人間外の速度で走るルイズを見る。


「五人家族でねっ! でもその中で魔法が使えないのは私だけなの! お父様もお母様も諦めちゃった! ぶっ殺してやろうかと思ったわ! でもお姉様が居てね、二人が一生懸命励ましてくれたの! 上のエレオノール姉さまは厳しくて怖いけど一生懸命教えてくれた! 下のカトレア姉さまはいつかきっとって、いつも励ましてくれた! そのお陰かどうかは分らないけど、ホントに、十六年目にしてやっと成功したわ! 召喚できたの!」

「っは、俺がのこのこ現れたってかァ!?」


そしてルイズは速度を落とす事無く一方通行に斬りかかった。
一瞬の交差。一方通行から突き出された腕をギリギリのラインで避け、袈裟に斬り付ける。当然、剣はポキリと半ほどで折れ、刀身はくるくる回りながら宙を舞う。

それを見、一方通行は何か思いついたのか。
スペアを拾い上げ、そして爆速で走り去るルイズを尻目にテクテクと歩き始めた。


「それでね、召喚は出来たけどすごいのが現れちゃってね! アンタの事よ! シロ! アクセラレータ! 最初に会ったときは“アンタ誰”ってかわいくない事言ったけど、ホントはすっごい嬉しかったのよ! それなのにアンタ行き成り私の事殺しにかかるし! でもいいの! それはどうでもいいわ! とにかく召喚に応えてくれてありがとうっ!!」


一方通行の歩みは止まらない。
もと居た広場を越えて、学院をぐるりと囲むように建つ塀まで来た。

何をするつもりか知らないが、今のルイズは最強に近付いているのである。何がきても対処できると自信に満ちていた。
だから続ける。聞いて欲しい。きっと聞いてるだろうという願いを込めて。


「でねっ! アンタも知ってると思うけど私その後燃えちゃって! だって助けてくんないんだもん! 熱かったわよ! 改めてコルベール先生の魔法のすごさを体験しちゃったわ! 髪の毛なんかこんなに短くなっちゃうし、アソコの毛なんてつるつるてんよ! 赤ちゃんみたいじゃない! ただでさえ薄いのにどうしてくれんのよ! キュルケとお風呂に入った時すごく恥ずかしかったわ!」


もう一度一方通行に斬りかかる。
刀身は宙でくるくる回る。
スペアを握りまた加速。

その時目があった一方通行は趣味の悪い笑みが復活していた。きっと碌な事は考えていまい。
ルイズはちょっとした焦りを感じるが、一方通行はそ知らぬ顔でその手を塀へと。レンガ作りのそれは当然巨大で、学院を囲んでいるのだから長い。


「そのキュルケってのはねっ! 顔あわせたら嫌味ばっか言って来るけど、ホントのホントはっ、ちょっとは、少し、ほんの少しは感謝してるの! まともに話しかけてくれるのなんてシエスタ以外じゃあいつ一人で! 憎らしいけどなかなかいいおっぱいしてるわ! 先っちょがね、肌の色より薄いのがセクシーなの! アイツとシエスタが居なかったら学院辞めてたかもしれない!!」


そして塀のレンガの一つが飛んできた。
ルイズに分るのは何か力を操作してそれを飛ばしているのだろうという事のみ。
今の自分の速度なら防御するよりも回避の方が得策と割り切り、渾身の力で地面を踏みしめグルンと縦に一回転しながらそれを避けた。

けたけたと笑う一方通行の声が聞こえ、


「ちゃんと聞いてよ! それでね、シエスタっていうのはね! この学院のメイドでっ! すごく可愛くて、優しくて、珍しい髪の色してる! 一緒にお風呂に入った時はちょっとエッチだったし、ドキドキしちゃったわ!
 この学院には馬鹿貴族が大勢居るけど、平民にも良い子は沢山いるのよ! 貴族の皆は誰がご飯作ってるか知らないの! こんな世界だけどね、嬉しい事も楽しい事も悲しい事も当たり前に存在してるわ! あなたの世界は!? シロの世界はどうなのよ! 教えてよ! 私は言ったわよ、恥ずかしい事も、嬉しい事も全部!! あなたの事を教えてよ!!」


そして塀が飛んできた。
そう、塀が、その全部が飛んできたのだ。それはさながら雪崩のようだった。
何でレンガなんかで作ってるんだ、と訳の分らない文句を言いながら、点ではなく面で押し寄せるように向かってくるそれらに対し、ついにルイズは足を止めて、そして剣を構えた。

斬る。

覚悟を決めた。
ギーシュが作った剣なので強度に不安が残るが、こうでもしなければレンガの雪崩に押し潰されてしまうだろう。
結局一方通行の方が一枚上手だったわけだ。
涙が出そうになるのを根性でこらえ、


「ここはハルケギニアでね! トリステイン魔法学院! 歴史ある魔法学院よ! あなたの世界みたいに科学は無いけど魔法があるわ! 知りたいの! シロの事が、っ知りっ、たいっ、っのぉぉおおお!!」


ぬおぉぉおお! と乙女には似合わない声を上げてルイズは剣を振う。その速度と動き。まるで舞っているかのようで、美しい。
一流と呼ばれる剣士は、相手に悟られる前に絶命させると噂を聞いた事があるが、今のルイズはまさにそれでは無いだろうか。
一方通行の隣に立てる可能性で心は喜びに震え、ちっとも話を聞いてくれない一方通行に怒りを感じ、友達のいない一方通行には悲しみを感じている。
心の震えが力になり、そのまま肉体は強化され、剣を振る速度が上がってゆく。

ごつん、と斬り損ねたレンガが一枚顔面に。鼻血が噴出すが関係ない。
今は一方通行へと。先へ進めと身体が吠えていた。熱を持ったように熱くなるルーンは力をくれる。
音が鳴るほどに歯を食いしばり、そしてルイズはまたも走った。


「こっんのぉおおおああッ!!」


不思議な事に痛みは感じなかった。
降り注ぐレンガを斬り、勿論のこと全部を切れるはずもなく、ごん、ごん、と中々にいい音をさせて体中にヒット。しかし痛みは感じないのだ。
感じるべき機能が麻痺しているのはあんまりいい事じゃないなぁ、と不思議な事を思いながらも足は休ませる事無く進め、そしてついに雪崩を抜けた。

だりゃあ! と気合一発抜け出た先に居るのは勿論、


「……っくく、とんでもねェ女だ」


二度目になる一方通行のその言葉はまたも聞こえなかったが、その表情はちょっと、ほんの少し、ほんのちょびっとだけ、素直に笑っているようだった。
ルイズは身体の色々な所から流血し、特に顔面は鼻血で酷い事になりながら、そして刃毀れでもう使い物にはならないであろう剣を一方通行へと突きつけた。


「わたしの、勝ち、でしょ……?」

「ッハ、『最強』としちゃ、ソレばっかりは譲れねェなァ」


言うと一方通行は青銅で出来た剣を、その刃の部分を素手で握りつぶした。
同時にルイズのルーンは輝きを失い、体中に、今まで眠っていた痛みが湧き出てくる。


「なひゃっ、くっ、~~~っ!!!」


声にならないとはこの事だ。今までに受けてきた分のダメージが一気にやってきた。
ぺたりと地面に座り込み、バシバシと地面を叩きながら何とか気を紛らわそうにもこの痛みは余りに巨大。
ズキズキする所の話ではない。痛みが衝撃としてやってきたような感覚だった。それは波のようにルイズの体中をうねり、そして津波を起こす勢いで痛覚を刺激してくるのだ。


(あっ、あぁ、うそぉっ……)


お腹に力が入らない。
分かって欲しい。お腹に、下っ腹に力が入らないのだ。力を入れる事が出来ないのだ。


「やっぱりか。武器を持つと反応するたァ、これまた王道。随分ファンタジーじゃねェか」

「……」


一方通行は興味深そうにルイズの左手を取り、そして愉快そうに足を鳴らした。近場に落ちていた剣を呼び寄せ、それをルイズに握らせればルーンは輝く。
光は先ほどよりも弱いが、ルイズは身体の痛みが引いていくのを感じた。
しかし、もう遅いのだ。今更痛みが引いても遅いのだ。


「こりゃ剣だけにしか反応しねェのか?」

「……」

「……おい、死んでンのか?」

「……まだ生きてるわよ、ふ、ふふ……」

「あァ?」

「でもね……私、女としは死んじゃったかもしれない……」

「……」

「いやよ、そんな目で見ないで!」

「……おい、……おいおいおいおいっ……くく、冗談デスよねェ貴族様ァ! っく、くははは!! テメェまさか───」

「いぃぃやぁぁああああああああ!! 言わないで言わないで! 言 わ な い でぇぇええええ!!!」


一方通行が召喚されて何度目かの絶叫をルイズは放った。





。。。。。





「って事が昨日あった訳よ」

「馬鹿ね、あなたって」

「っ、ま、まぁ、その時はちょこっと気分が上がってたの。だからしょうがないの」

「医務室が好きなの?」

「はぁ……誰が好き好んでこんなとこに来なきゃなんないのよ」


ため息をつきたいのはこっちだ、とキュルケは窓辺から空を仰いだ。貴重な時間がまたもルイズの看病で失われていく。
せっかくのいい天気なのに、とぽかぽかの太陽光は柔らかく、キュルケは大きな欠伸まで。


「はしたない。大口開けて欠伸なんかするんじゃないわよ、淑女なら隠しなさい」

「あらごめんなさい。でも淑女は人前でおしっこ漏らしたりしないものよ?」

「っシ、シロしか見てなかった!」

「あのメイド、クスクス笑いながらアンタのパンツ洗ってたわよ」

「だ、だってシエスタにはオネショしちゃったって言っちゃったんだもん……」


まぁ、恐らく理由は心配を掛けたくないからなのだろうが、しかしどう考えてもバレているだろう。血みどろで“オネショしちゃったからパンツ洗って”と言われたメイドも相当なショックを受けたのではないだろうか。
お勉強には頭が回るくせに変な所でヌけているもんだから始末に終えないのだ、この女は。
代々からライバル関係にあるわけだが、恐らくここで終わってしまう気がする。自分ではライバルになりきれないのだ。
端的に言おう。ルイズは天然だ。キュルケはそう思う。


「……ホントに手のかかる子ね、アンタ」

「子って言うな、子って!」

「はいはい。あぁそれとね、ギーシュがアンタのこと女神とか言ってたわよ」

「うげぇ、何それ気持ち悪い」

「こほん、ん、ん……『ああ、僕は全部見ていた! 女神と悪魔が戦う所を! 彼女は僕の顔に救いの蹴りを入れ、そしてこの僕が作り上げた剣で戦ったんだ! 僕はもう彼女をただのゼロとは呼びはしない。彼女は戦いの女神……魔法が使えないなんて彼女にとっては些細な事だったんだ! 敬意を込めてこう呼ぼう、戦女神・ゼロと!』だって。すごく気持ち悪かったわ」

「それ敬意は込められてるわけ? ゼロって言ってんじゃない。気持ち悪いわね」

「さあ? でも取り合えず気持ちが悪かったわ」


アレはとんでもなかった、とキュルケはもう一度だけ言い、少しだけの沈黙。
大して仲が言い訳でもなく、共通の話題と言うものが乏しいので何となく会話が途切れてしまった。

程なくして、


「ツェルプストー」

「ん、なによ?」

「……キュルケ」

「だからなに?」


頭でも打って悪くしたのか、と少しだけ失礼な事を考え、ルイズの顔が赤いのに気が付いた。
思い浮かんだのは発熱。怪我の一つ一つは大した事無かったが、体中に数多くの傷があった。何処からか雑菌でも入ったのかもしれない。


「あら大変っ」


少しだけ焦りながら薬品棚に行こうとした瞬間、はしとルイズに腕を掴まれた。包帯の捲かれているその腕は小さく、同じく熱を持っている。
まずい。水の教員を呼んできたほうがいいのかもしれない。


「気分悪い? 吐き気は?」

「キュルケ」

「なにか欲しい? 怪我人なんだからちょっとは優しくしてやるわ」


いかにキュルケであろうと流石に寝ているところを鞭打ったりはしない。
ちょっとは優しくしてやらねば、と思った時ルイズは布団で口元を隠しごにょごにょと呟いた。


「私、これからはキュルケって呼ぶわ」

「……はぁ?」


これまでも入り混じって何度かキュルケと呼んでいるだろうに。今更なにを言っているのだろうか、この女は。
そこまで考えて、ふと思った。
まさか、


「何あなた、もしかして照れてるの?」

「う、うるさい……とにかくそういう事にしたの! もう寝る! 寝る寝るっ!!」


布団を完全に頭までかぶり、見えるのは短くなった桃色の髪の毛だけ。
小さくだが、キュルケは自然に笑みがこぼれ、


「そうね、おやすみなさい……ルイズ」

「……うん」


これは存外照れるものだと思い、シルフィードの上には三人乗れるのかな、と次の虚無の曜日の事に考えは及んでいくのである。







[6318] 00/後、風呂
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:4020f1db
Date: 2011/06/23 00:40
「あの、先輩っ!」

「あ?」


時。  午前の授業が終わり、ようやくになって中休憩に入ったばかり。
場所。 昼飯をかっ食らうための広場。椅子の上。
手。  チキン。


「す、す、好きですっ、付き合ってください!!」


ルイズは生まれて初めて愛の告白を受けた。
マントの色で学年は一つ下と知り、自分を先輩と呼ぶのだから歳も下なのだろう。
真っ赤に顔を染めるその様子は、うん、可愛いといってもいい。確かに可愛い顔をしている。身長は高いがやや童顔気味で、なるほどモテそうな感じ。勇気を振り絞って、余り貴族らしいやり方ではないが、それでも真正面から堂々と告白してくる度胸も気に入った。
しかし、確かに気に入ったがそれは駄目だ。それだけは聞けない願いなのである。


「……ごめんなさい」


大口を開けて、片手にチキンを掴みながらルイズは告白を断った。
もしゃもしゃと肉を頬張るルイズに、それこそ涙を流す勢いで下級生は詰め寄ってくる。


「どうしてですか!? いけない所は直します、もっともっと魔法の腕だって磨いて、『戦女神』の隣に立つ資格だって手に入れて見せますから!!」


バキッ! とルイズは骨を噛み砕いた。
かるしうむかるしうむ、と謎の言葉を発するその様は絶対にモテる様には見え無いが、しかし現に告白を受けているのである。


「お願いします!」

「無理よ」

「理由を教えてください!」

「り、理由ってあなた……」


何故分かってくれないのだろうか。黙って昼食を食べたいのに。
理由もクソも無いだろう。そんなに可愛い顔をしているのだから何も自分でなくていいじゃないか。
ルイズはしっかりと自分の事をわかっているのだ。
モテる様な性格ではないし、容姿だって、まぁ顔には少しだけ自信があるが、それでも脂肪よりも筋肉が好きなのでグラマラスよりスレンダーな体形をしている。スレンダーだ。誰が何と言おうとスレンダーなだけである。
さらに言うならばルイズの股間にはナニは無い。だってルイズは女の子なのだ。だからあえて理由を言うとすれば、


「……あなた、女の子じゃない」

「小さな事です! 私は超えて見せます、性別の壁を!」

「あの、だからね、そういうのを否定するわけじゃないの。アリだと思うわ、私も。でもね、私は『そう』じゃないの。分かってくれるわよね?」

「私のテクニックにかかればきっと先輩も『そう』なります! 」

「人が物を食べている時にそういうの、よくないわ」

「ああ失礼しましたっ、ですが、そう、何と言えば分かってもらえますか!? こう、えぇと……」

「とにかく駄目なものは駄目。ごめんなさいね、あなたの新しい恋が見つかるのを応援してるわ」


そしてルイズは優雅にチキンを食らい尽くした。骨すら残さずにすべて。ヴァリヴァリ。
椅子を引き、立ち上がり、上級生らしく、大人らしくその場から颯爽と踵を返す。


「ま、待って下さい! 一度、一度だけ触らせてもらえ―――」

「っちぇす!!」


彼我距離1.2メイル。
ルイズにするならば、そこは射程圏内。
全てを言わせる前にルイズは下級生に拳を叩き込み地に沈めるのであった。

骨まで食べるヴァリヴァリエールだが、テンパっていたのを分かってあげて欲しい。
最近、一年生や同性からの視線が気になるのだ。なんだか熱いものを感じるのである。注目されるのはもう慣れたものだが、なんだかこれは違うだろう。

私はレズじゃない、と小さくため息をつきながら。





08/後、風呂=『ただのERO話』





「ちゃんと聞いてる!?」

「はいはい」

「一回で結構!」

「は~い」

「あんたはどう思うか聞かせて御覧なさいツェルっ……きゅ、キュルケ……」

「照れないでよっ、こっちまで恥ずかしくなるじゃない!」

「にゃっ!」


ばしゃりと顔面に湯を引っ掛けられた。

所変わって、風呂である。昼時の事を誰かに言いたくて言いたくて堪らなかったのだ。
公衆の面前での愛の告白。頭がメルヘンな女の子なら一度は夢想することだろうが、それをまさか同姓から受けるとは思いもよらなかった。さらに触らせろと喚いてくるのも予想を大きく上回る。
ギーシュを潰して以来、『ゼロ』に加えて変な渾名を付けられたのがよくなかった。

そう、下級生たちはルイズのゼロっぷりを余り知らなかったのである。入学してまだ一月もたっていないので仕方がないといえばそうなのだが、多少なりとも分かっていてくれれば『戦女神』が広まる事もなかったろうに。

もともと一方通行がギーシュを殴り飛ばしたのはよく下級生の授業がある場所で、そこから見える広場、ルイズと一方通行が暴れまわったあの場所も一年生がよく使用する所。ルイズはものの見事に全てを目撃されていたわけだ。
もともと暇を持て余しているような貴族が集まる学院。教室からあの戦闘が見えたら誰だって興味を持つことだろう。

女を物色しにそこに赴いたギーシュに軽い殺意を覚える。いや、殺すのは駄目だが、女癖を矯正させる為にもチョン切ってやるのが一番いいのではないだろうか。勿論何をとは言わないが。ナニをとは。

口元まで湯船につけて大きくルイズはため息。ぶくぶくと空気を吐き出しながら、出来るだけ視界に乳を入れずにキュルケへと。


「キュルケはどうなのよ、その辺」

「どの辺よ?」

「だからその辺よ、その辺」

「『戦女神』?」

「それはもう諦めたわ。言いたいのはアレよアレ」

「ギーシュ? 死んでもいいとは思ってるけど……」

「別に殺すつもりは無いわよっ! だから、その、そういうナニについてよ」


ルイズの顔が赤いのは長湯だけのせいではないだろう。
年頃の女の子なのである。自分の体のことも気にかかる年頃だし、そういった話が出るとやっぱり気になってしまうものなのだ。


「ああ、ヤらせてくれれば分かるってやつね」

「ちょっと、乙女を前にしてヤるだのヤらないだの言わないでくれない?」

「おぼこ気取ってんじゃないわよ」

「おぼ……こ、古風なのねあなたって」


おぼこて。
正直吹き出しそうになったのは秘密である。

ん?


「っていうか、私はまだよ。気取ってんじゃなくてホントにおぼこなの」

「はぁ? あんた使い魔君と一緒に寝てるんでしょ?」

「……」

「……手、出してくれないのね」

「……」

「ごめんなさい、もう聞かないわ」

「わ、私の事はもういいわ。それよりどうなのよ、恋多き女なんでしょ、あなた?」


ルイズが質問を投げかけるとキュルケは非常にいやらしい笑みを浮かべた。
別にそういうのが羨ましいわけではないが、経験豊富なんだろうなぁ、と。ルイズには出せない色気、艶、そういうもの全てが詰まった、非常にキュルケらしい笑み。

聞きたいか聞きたくないかで言えば、正直聞きたい。
トリステインの貴族達は基本的に結婚を迎えるまで処女だ。しかしゲルマニアでは少し違っていて、結構そういうところにアバウトな面があるらしい。誰でも彼でも股を開くわけでもあるまいが、トリステインよりは開放的なんだとか。
そういうところで育ってきたキュルケだからこそルイズは異常なほどに色気を感じているのだろうし、自分に無いものはもしかしたら其処にあるのかもしれない。
だって、今まさに自分の胸に湯をかけているキュルケは非常にいやらしい肉体をしている。


(……肉感的って、きっとこういう事言うのね)


ルイズがしげしげとキュルケの肉を見ていると、彼女はクスリと一つ笑い、


「んふ、あなたもそういうのに興味あるのね」

「おぼ、っぷ……おぼこ、ですもの……くくっ」

「なに笑ってるのよ?」

「ん、んーん、何でも」

「でもよかったわ、脳みそまで筋肉で出来てるのかと思ってた。ちゃんと女の子してるじゃない」

「筋肉が男のものだと思ったら大間違いよ?」

「はいはい」

「一回で結構」

「は~い」


キュルケが右手を上げていったのを聞き、さて本題である。


「……それで、どうなのよ?」

「それはどの辺りの事を聞きたいのかしら」

「しょ、初級者編……くらい?」

「×××××とか?」

「いっ、行き過ぎ行き過ぎ! もっとそういうのが始まる前といいますか……」

「×××××?」

「だからそれ始まっちゃってんでしょうが!」

「まだ始まってないわよ! なにが聞きたいってのよ!?」

「だっ、だから……きす、とか……」

「あ、あー……そこからなのね、あなたって……」


そしてキュルケは湯船から一度立ち上がり縁へと腰掛けた。肌の色のせいで少し分かり難いがのぼせ気味なのであろう。二人して随分長い事入っている。
ふむ、と考えるそぶりを見せるキュルケは、うん、美しい。ルイズから見ても十分に美しい。
褐色の肌と、真っ赤な髪の毛。そして肉。言えばエロい身体をしている。

少しだけ不安になりルイズは鼻の下に手を持って行った。
大丈夫である。流石に鼻血は出ていなかった。


「キスねぇ……」


ルイズは知らないが、キュルケだっておぼこである。
ただルイズよりも経験豊富なおぼこであるだけで、そういった事になりそうになったのは何度だってあるし、実際に結構やりてなのだが本番はまだ。なんだか最後まで行く前に冷めてしまうのだ。キュルケの微熱は熱しやすく冷めやすい。
流石に一方通行がしたように初対面で乳を持ち上げられたのは初めてだったが。

さて、恋愛の酸いも甘いも知っているキュルケは何を語るのだろうか、とルイズ誤解をしたまま鼻をフンフン鳴らしながら期待の眼差しを送るのである。


「もったいぶってんじゃないわよ」

「別にもったいぶってるわけじゃないんだけど……」

「……し、舌とか入れられたことある?」

「ええ、まぁそのくらいは」

「ど、どどどうなのよ、その辺!」

「何興奮してんのよ?」

「いいから!」


ルイズはばしゃばしゃと水面を叩いた。


「……私は普通のやつの方が好きよ、キス」

「へぁ、何で?」

「だってがっついてくるんだもの。男なんて皆心に野獣飼ってんのよ? それをきちんと躾けてる人ならいいんだけど、そうそう居ないもんなのよ、これが」

「ど、どういう意味よ?」

「唇の奥をゆるすとね、私達くらいの年頃の男はヤらせてもらえるって思うわけ。たまんないわよ、そういう空気を読んでくれない人って」


そして今度はキュルケがため息をついた。
あふれ出る色気にルイズは圧倒されながら、空気を読まないことには定評のある一方通行を思う。
彼はまったくこちらの心を慮ってはくれない。読めてないのだ、空気。今王都で流行っている言葉で言うならばKYである。
空気が読めていないからがっつくかといえば、しかし彼はまったくそういう雰囲気を出さない。


(ヤるヤらないって言うか、殺る殺らないって感じ)


別に一方通行とキスしたいわけでもないが、相手は覚えていないとは言え一応唇を重ね合わせた仲なのに、まったくもってルイズに対してそういう感情をもってくれていないように感じるのだ。というか絶対にそうに決まっている。
同じベッドで寝ているのに、と悔しさに似た何かが。


「悔しいですッ!」

「何馬鹿やってるの。ほら、体洗うわよ?」

「へ、変な事しないでよね」

「私はノーマルよ」


そしてルイズは湯船から立ち上がった。
その際にキュルケの視線が己の股間に向き、ふ、と鼻で笑われるわけだが、何とか我慢。思わず拳を握ったが、ギリギリのラインで我慢しきれた。
ルイズだってきっとそんなヤツを見てしまったら笑ってしまいそうになる。

ルイズはキュルケの前にぺたりと腰を下ろしタオルに石鹸をこすり付けわしゃわしゃと泡立て始めた。
現在体中が傷だらけなのでそのまま洗ってしまうと流石に痛い。泡だけをタオルから絞るようにとって、それを腕や足に擦り付ける。


「はひっ」


ぴりぴりと傷口にしみるが貴族としては、さらに寝る時にすぐ傍に人がいるために『洗わない』という選択肢は浮かんでこなかった。
背中の火傷も少し高かった水の治療薬のお陰で大分治ってきている。背中には手が届かないので、


「あ、後は任せたー」

「もう、別に洗わなくたっていいじゃない」

「いいから一思いにっ!」

「……えい」

「っ! ぐ、にぅ」

「変な悲鳴ね」

「おぉうっおぉう」


背中を這い回るキュルケの手自体は気持ち良いのだが、やはりしみる。
ルイズはひぃひぃ言いながらキュルケに身体を洗ってもらい、結局頭もまかせっきりに。
先日一緒に風呂に入った時も洗ってもらったのだが、キュルケはこういうのが上手い。洗ってあげたりとか、してやったりとか。どこでこんなスキルを磨くのかはとても謎なのだが、気持ちいいのはいい事だ。とてもいい事だ。
なんだか終わってしまう嫌で随分長いことルイズは頭を洗われ、そしてキュルケが疲れたように声を上げる。


「まだぁ?」

「もうちょっとほ~」


悦。

今回もキュルケの太腿に頭を落としての洗髪である。
太腿はしっとりと濡れていて、肌はルイズと違って傷も無い。すべすべつやつや。どんなお手入れをしているのだろうか。
そして目線をちょっと変えれば、


「あんたってこっちも赤いのね」

「……何にも無いあなたには羨ましいものでしょ?」

「いつもの私だったらぶっこ抜いてるところだけど、あんたの洗髪技術に免じて許してあげるわ」

「あら、有り難い限りね」


笑うキュルケに泡を流され、後、交代してルイズがキュルケを。
痛い痛いとキュルケは喚いたが、ルイズはいつもの通り洗っただけだった。別に痛くしてやろうなどとは微塵も考えていなかったのだが、やはりこの辺りにお肌の差などが出てしまうのであろう。

まぁ何というか、まったりとしたお風呂の時間だったわけである。







[6318] 09
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:4020f1db
Date: 2010/03/02 17:15



本日も晴天。春に相応しいぽかぽか陽気だ。
いつも早起きをしているだけに、まさか自分が太陽に起こされようとは、とルイズは眠い目を擦る。
今日も今日とて体の節々が痛むが一方通行を召喚してから数日、もうそれは毎日の事なので慣れ始めている自分が怖い。

上半身だけをベッドから起こし、隣に眠る一方通行を欠伸を噛み殺しながら見た。


「ふにぃ、ん~……っはぁ! あぁまったく……眠ってれば可愛いのにねぇ」


天使の寝顔とはまさにこのことだろう。
肌の色が白く、ともすれば死人にも見えてしまいそうだが、しかし一方通行は美しかった。

寝床を同じにするのはこれで何度目だろうか。
絶対に嫌がると思っていたのだが特に何か考えた調子もなく“かまわねェ”と。
やけに素直なものだなとも思ったが、しかし一方通行は一方通行だった。

彼はいつもの調子でベッドに横になる。真ん中に横になる。そこでルイズが叫ぼうが暴力を振おうがまったく聞かないし効かない。自分の体を痛めつけるだけと諦め、ベッドの隅のほうに小さくなりながら眠るしかないのだ。
いくら春といっても、布団も取られてしまえばやはり寒い。そして恥ずかしい事に、眠っている自分は暖かい所を求めて一方通行へと擦り寄ってしまうのだ。だから朝起きるといつも一方通行は傍にいる。たまに抱きついている時もある。

勿論ルイズは男の心に潜むという野獣を呼び起こしてしまう可能性も考えたが、一方通行はまるでルイズに興味を持たなかった。色気の無い身体をしているのは自覚しているが、しかしここまで無視されると逆に悲しくなってくる。
初めて一緒に寝る時なんかルイズはドキドキしっぱなしで一睡も出来なかったのだ。いつ野獣になるのか心配で心配で眠れなかったのに、それなのに一方通行はまったく、どういうことかまったく素直にすやすや眠っていた。
こんな時だけ素直になるんじゃない!と怒りを感じたのは女として当然だと思う。


(私って割と美少女だと思うんだけどなぁ。筋肉付いてるけど)


釈然としないものを感じながらルイズは眠っている一方通行の頬をぷにぷに突付く。
可愛い事に寝ているときの一方通行は子供のような反応をするのだ。む、ん、と何事か呟き、そして逃げるように背を向けてしまう。


「寝ぼけシロたん萌え~」


なんて事は決して起きているときには言えない。
一方通行は寝ているからこそその美人度を発揮できている。起きてしまえば最後、それは冷たい何かに変わって、その性格も相まってとんでもないものの出来上がりである。

昨夜遅くまで何かしていたのでまだ起きないだろうが、だからこそ『反射』されないこの一瞬の時間はルイズにとってとても大切なものになっていた。

相変わらず何もかも反射してしまう彼はまだ心の一部すら見せてくれない。元の世界でなにをしていたかを詳しく教えてくれない。
信用が無いとかそんなものではなく誰にだってそうやって生きてきたのだろうが、しかしルイズはご主人様なのだ。
いつかきっと、という思いを、めげてしまわない様にこの時間で補給する。

そしてそこから数分一方通行を眺めていた時、不意に扉をノックする音。
こんこん、と。


「……? はい?」


せっかくの虚無の曜日なのに一体誰だろうか。
わざわざ休日を自分に会うために潰す馬鹿など今のところシエスタしか知らないのだが、と失礼な事を考えながらもベッドから降り、扉を開いた。


「やぁルイズ、今日もいい天気だね。暖かな太陽はまさ───」

「お呼びじゃないわ」


そしてぱたりと扉を閉めた。

ベッドの上に戻り、己の召喚した可愛い可愛い使い魔で補給開始。
そこから数分一方通行を眺めていた時、またも部屋の扉が鳴った。
こんこん、と。


「……? はい?」


せっかくの虚無の曜日なのに、一体誰だろうか。
わざわざ休日を自分に会うために潰す馬鹿など今の───。


「おはようルイズ。今日は虚無の曜───」

「チェンジ」


そしてぱたりと扉を閉めた。

ベッドの上に戻り、またも一方通行の寝顔を見ようと身体を乗り出す。しかしその瞬間、示し合わせたようにパチ、と何か機械の様に一方通行の目が開かれた。
ビクッ、と肩を震わせながらルイズは一応、


「お、おはよ」

「……何やってンだ、お前ェ……?」

「べ、べべ別に何も! それより眠たそうね、昨日は晩くまで何やってたの?」

「……あァ、何だろォな……頭が働かねェ」


頭痛でもするのだろうか。一方通行はこめかみを押さえながら身体を起こす。
酷く疲れたような顔で、召喚して以来始めての表情だった。

何かあったのだろうか、と流石に心配になり、ルイズは一方通行の額にゆっくりと手を当てた。


「熱はないみたいね」

「俺ァ風邪はひかねェ……ふぁ、ねみィ……」


本当にただ眠いだけなのだろう。
今日は虚無の曜日で、どうせなら一方通行を連れて何処かへお出かけしようと思っていたので少しだけ落胆。
休日を寝て過ごすのは行動派であり部屋の中より外が好きなルイズとしてはとても許されない。今日は一人で限界腕立て(何もかもが嫌になるまで腕立て伏せ)かぁ、と小さくため息をつきながら一方通行の隣にぺたんと落ち着いた。

そしてまた、こんこん。


「あぁもうっ、しつこいわねぇ……!」

「……ん、誰だァ?」

「きもちわるい男よ」


一方通行が目を擦る様は非常に可愛いのに、しかしとんでもなく邪魔な存在が。
鼻息荒くルイズは立ち上がり、そして扉を開けた。


「ルイズ、ルイズ! 今日は一緒にお出かけしようじゃないかルイズ!!」


先ほどからしつこくルイズへアプローチしてくる男は勿論の事ギーシュである。
顔だけは美形と言って差し支えないのだが、おつむの足りない彼は今までマリコルヌと共にルイズをこれでもかと言うほどにこき下ろしてきた人物の一人だ。
それが先日の一件以来、人が変わったように殊勝になり、そしてルイズを女神と呼び始めた。
とても相手をしていられない。気持ちが悪いのだ。学校の制服ではなく私服を着て授業を受けるのも気持ちが悪いし、いつも第三ボタンまで空けて貧相な胸筋を見せてくるのも気持ち悪い。


「街まで出よう! 君にお似合いの剣を見繕ってあげるよ!」


堪らなくイラッとくるのは自分だけではないはずだ。
ルイズは一度だけ嫌だと言い、


「そんなこと言って本当は期待しているはずさ。僕には君の心が手に取るように分かるんだ! まるで子猫のようだよルイズ!」

「ギーシュ、もう一度言ってあげる。私は、貴方と、街へは、行かない! お分かり? あんだすたん?」

「照れているのかい? そんな君もプリティーだ!」

「きもちわるい!」


そしてルイズは硬く拳を握りこみ素早くファイティングポーズを取った。


「ま、待ってくれルイ───」

「やかましっ!」


まずは左のジャブで牽制。たたんっと二発、小突くようにして額を打った。
そしてくあ、と間の抜けた声をあげ頤を晒したギーシュに、その顎をめがけて右ストレート。ゴキ! と右手に確かな手ごたえを感じた。
身長差の為、顎を下から打ち抜く形になったそれはギーシュの脳を揺さぶりたたらを踏ませる。
よたよたとたよりない足つきで、しかしギーシュもまだ諦めてはいなかった。自由にならない両手を伸ばして何と抱きついてこようとするのだ。
ここまでアグレッシブな男だったか、とルイズは更なる嫌悪感を感じる。


「るいるい、るいひゅ……っ」

「きもちわるいっ!」


叫びながら向こう脛を強かに爪先で蹴りつけた。
ああっ! と気持ち悪い悲鳴の後にしゃがみ込んだギーシュを尻目にルイズは背を向け部屋の中へ入ろうと───、


「き、君の愛情表現は過激だね、ルイズっ」


なんと言う男だろうか。
今までの男たちはここまですれば全員引いていったと言うのに、ギーシュは脛をさすりながら微笑んで見せた。
ルイズはもう意識を刈り取るしか他に方法が無い事を悟った。気持ち悪い男の意識を刈り取るしか、この一週間に一回しかない休みを謳歌する事が出来ないのだ。

ふしゅぅぅぅうううと息を吐き、助走を取る為に部屋の中へと。


「っくく、何やってンだアイツ?」

「きもちわるい事してるのよ」


初速を最大限上げる為に身体を前傾、そして床がきしむほどにダッシュ。
ギーシュは涙目ながらも微笑んでいた。しかし跪いた彼の顔面は、身長の低いルイズにとってとても良い位置にあり、そして両足のしっかりと揃ったドロップキックが吸い込まれるように、


「だりゃぁぁああ!」

「こぷぶぅッ!」


決まった。

廊下を一回転二回転しながらギーシュは転がり、ルイズはすぱぁん、と両手で受身を取る。
息が若干乱れたルイズはこれでどうだ、と睨みつけるようにギーシュを。
しかし、ルイズの目に映るのは、またも予想に反して大の字に伸びたギーシュではなかった。


「ぐ、ぐぅ……ま、またも救いの蹴りを貰うとは、ははは、嬉しい、限りだッ! ……不思議かい、ルイズ? 僕がここまでされて起き上がれる理由が。これはねルイズ……これは愛だッ!!」

「愛!?」

「そう! 僕の胸のうちにある想い。……熱く、火竜のブレスにだって匹敵する想い、受け取ってくれ! 愛しているぞ、ルイズゥゥウウウ!!」

「このッ、歪んでるのよ、アンタァ!!」


でかい口を叩きつつも、もう動けないギーシュはそこに留まるばかり。
ルイズはもう一度駆け出し、今度は己の跳躍力に任せ飛び膝蹴りを叩き込んだ。顔面へと叩き込んだ。メメタァ、と自身の膝に水っぽい感触。ギーシュは鼻血を噴出すも、それでもにやにやとした笑みを崩す事は無い。
ルイズの背中にゾッとしたものが走り、それはそのまま嫌悪感へと様変わり。さっさと仕留めようと素早く背中へと取り付き、ギーシュを羽交い絞めにした。


「るいず! るいず!」


とてもきもちわるい事にギーシュは元気を取り戻すようにジタバタと暴れ始めるが、もう遅い。
この体勢に入ってしまえば最後。ギーシュは後頭部の心配しか出来ないのだ。
ルイズはギーシュの膝裏に蹴りを入れ、身長差による技の誤爆を防ぐと同時に背筋へと力を込める。

そして、


「んぉぉおおッ! ッドラゴォン!!」


ゴチャッ!!
羽交い絞めにしたまま、そのままの体勢でのスープレックスを決めた。
ギーシュは強かに後頭部を打ちつけ、そしてやっと静かに。それほどルイズの繰り出したドラゴンスープレックスは強力だったのだ。
とんでもない男だった、とブリッジのままため息をつき、そしてちらりと部屋の中に視線を送れば一方通行がけらけらと笑っていた。
途中から悪乗りして笑いを取りにいっていたために少しだけ嬉しくなり、ギーシュを物の様にポイして部屋へともどる。


「えへへ、面白かった?」

「わからねェ感性だ、貴族ってのは全員アレなのか?」

「気持ち悪いでしょう、アイツ。こないだシロと暴れて以来ああなのよ。変な事したんじゃないの?」

「俺ァ殴っただけだぜ? テメエの蹴りのせいだろ」

「そうかしら」


何かツボにでもはいったのだろう。未だに肩をプルプルと震わせる一方通行を見、こんな顔をして笑うんだなと再確認。
知らない事が多すぎる同棲相手は、どんなに怖かろうがやっぱり人間なのだ。
ルイズは少しだけ勇気を出し、


「き、今日ね、学院はお休みだから……だから、王都に買い物に行かない?」

「王都?」

「うん」

「何買いに行くンだ?」

「ほら、貴方の着替えとか色々よ、色々」

「……」

「……ダメ?」


きゃるるん♪ と小首をかしげ可愛いオーラを全開に。
予想に反し一方通行はすごく嫌そうな顔をした。正直ショックだった。シエスタにだったらビチョビチョの下着を洗ってもらえる程度には効くのに。


「……テメェは武器でも買ってろ」


それだけ言い残し、一方通行は一人でさっさと部屋を出ようと。
やっぱり一緒には行ってくれないのか、と肩を落としかけた時、


「何やってンだ。買いに行くンだろォが、服」

「へぁ、う、うんっ!」


ルイズはもしかしたら、とその考えに至った。
一方通行はもしかしたら服が好きなのかもしれない。本人は決して見せないように、悟られないようにしているのだろうが、それにしたって雰囲気がわくわくしている。アレは絶対にわくわくしている。
いつも大股で歩く一方通行だが、その歩幅がいつもより広くは無いだろうか。

じぃ……と目玉をくりくりさせながら観察。
両手を頭の後ろに組みながら歩く一方通行は今にも口笛でも吹きそう。とんでもなく機嫌がいい事に気付く。
もう疑う事は出来ない。ルイズの疑念は確信へと変わった。

一方通行は買い物orファッションが好きだ。絶対好きだ。間違いなく好きだ。そういえば一方通行は潰したモンモランシーの香水を気に入っていたようだった。
これからは何かをさせたい時にファッションを餌にしよう。


「服、好きなのね」

「別に好きでも嫌いでもねェ。着れりゃ何でもいいだろが」

「何よ、素直じゃないわね。好きなものくらい好きって言ったらどうなの?」

「あァ? 何様だお前ェ」

「ご主人様よ」

「……」

「あんまり上手い事言われたから反論の仕様が無いのね?」


ふふ、とルイズは一つ笑い可愛い所あるじゃない、と続けようとした。
したのだが、一方通行の右手が伸びて、


「っなんちゃって! そうねごめんなさい使い魔のルーンが自分に出てるご主人様なんていないわよねっ!!」

「……っち」


そして一方通行は歩いて行く。
ルイズの疑念は変らず、絶対にわくわくしながら。
ぼそりと、


「……わくわくシロたん萌え~」

「あン?」

「な、なんでもないっ!!」


殺されるのを何とか回避したルイズであった。





09/『わくわくシロたん』





馬。馬である。予想よりも、実際に見ると随分大きい。
当然だが一方通行は馬には乗った事は無い。乗馬なんていう優雅な趣味は持ち合わせてないし、見る機会もテレビでやっている競馬くらいしかなかった。


「ほら、早く乗りなさいよ」

「……」


乗れない、と泣くのは一方通行の美学に反する。反するが、実際に乗れないのだ。
まさか馬で移動だとは思わなかった。いや、当然この世界の文化レベルを考えれば自動車などあるはずもなく、納得は出来るのだが。
しかし納得できるからといっても、とてもじゃないが乗りたいとは思わない。


(コイツはどうやって『運転』すンだ……?)


車の運転ならお手の物だ。バイクだって簡単に乗り回してやろう。求められれば戦闘機だってショベルカーだって動かしてみせる。しかし、馬だ。目の前の乗り物は機械ではなく生物。言ってしまえば乗り物ではなく、生き物なのだ。

黒色の毛並みの良い馬に乗っているルイズは早く乗れと急かしてくるが、


(ンな目で見るンじゃねェ)


一方通行にあてがわれた馬はまるで見透かすように一方通行の瞳をじっと覗き込んでくる。
大人気なくも睨み返すと馬は興味なさげに顔をそらした。そしてテクテクと歩いて何処かへ行ってしまう。追う気にもなれずそのまま何処かへ行く馬を何となく見ていると、馬上のルイズがクスクスと笑っている事に気が付いた。


「ンだァ?」

「ふ、ふふ、シロ、もしかして乗馬出来ないの?」

「生憎『向こう』じゃ馬なンかで移動してる奴ァはごく一部でな。生で見るのも初めてなンだよ」

「何よそれ。長距離はどうやって?」

「馬なんかより随分速ェ乗りモンだ」

「グリフォンとか?」

「……俺ァ何でテメエ等が生き物に乗りたがるのか理解できねェよ」


そもそも一方通行には乗り物は要らない。
どこか遠い場所に移動しようというなら取って置きの方法がある。もといた世界では使った事すらないが、理論上は可能なはず。文化レベルの低いこっちならではの移動法になるかもしれない。

ルイズは馬で二時間くらいかかると言っていた。馬で二時間。距離にするとどのくらいだろうか。70km位だろうか? 馬がどの程度のスピードでどの程度の持久力を誇っているのか知らないが、絶対に一方通行の方が速い。

一方通行は一度だけ目を閉じ、


「ほらほら、おいで。私の後ろに乗りなさいよ」


方目を開けて腹の立つ笑い方をするルイズを視認。
馬鹿にしている。ルイズは間違いなく馬鹿にしている。
度肝を抜いてやるから少し黙っていろ。

ムカつく顔をもう一度闇の中へ投じ、反射設定のパターンを構築していく。
自身の肌に感じる力を。
生まれた時から当たり前に存在するものの為、設定が少しだけ面倒くさい。当たり前は当たり前ではなく、自分にとっての現実は、全てのベクトルを操る一方通行にとっての現実は、『それ』もまた一つの力。
地球に生まれれば当たり前。ハルケギニアに生まれても当たり前。

人は、星に引かれる。
中心へと向かっていて、常に『ここ』あり続けるベクトル。引力。


「……捕らえた。先に行ってるぜ、お馬さんに乗ってゆっくり来な」

「へ?」


瞬間、一方通行は空へ落ちる。
いや、落ちるのではなく、それは押し出される。無重力ではなく斥力。引かれる力は押される力に変換され、一方通行は空へとすっ飛んでいった。
ドンドン小さくなっていくルイズはポカンと口をあけている。面白い事に、馬鹿みたいな速度で高まる高度。隣を見れば、


「───へぁ? ダーリン何やっ、て、ぇ……」


最後まで聞こえなかったが、何と竜が居た。その背中に二人の人間を乗せて飛ぶ姿はそれなりに美しい。青い翼を広げ旋回している。なるほど、あの二人はルイズを拾う気なのだろう。
さすが、本物のファンタジーは一味違う。


(小せェな、ドラゴンさんよォ)


大の字になりながらまだまだ上昇。
薄い雲をつきぬける前に遠くに城らしきものを見つけた。王都。あそこへ向えばいいのか、と確認。
雲の中は湿っぽく、これが雨を降らせるものなのか、と当たり前の事を当たり前に考え、そこを抜けてしまえば、太陽はかなり近付いたが気温は低い。咽喉を通る空気に冷たさを感じ、年甲斐もなく、恥ずかしい事にわくわくしてしまった。

そこは空だった。

一面は蒼く、何にも邪魔される事の無い太陽はぎらぎらと輝き、下を見れば白い絨毯が。
一方通行は今まで景色に関心を寄せた事は無い。生まれてから一度も。
春の桜は花びらを除去する掃除ロボットを哀れに思い、夏の太陽はいつもより強い紫外線の反射が面倒で、秋の紅葉は視界に入れても心は動かず、冬に雪が降ればただ寒いだけ。

しかし今居る場所。
何にも邪魔される事無く、たった一人の、しかし広大な空間。地上から35000フィートの、一方通行だけの場所。対流圏を超えて成層圏の目前まで。地球だとジャンボジェットが隣を飛んでいてもおかしくない高度だ。地上の百倍近い宇宙線が降り注いでいるが、一体一方通行に何の関係があるというのか。そんなものは無意識レベルで反射している。
ッハ、と思わず笑いが漏れ、


「……悪かねェ。悪かねェな、ここは」


もう一度だけ目を閉じて反射設定をリライト。
急上昇を続けていた身体は頂点で一度だけ止まり、そして降下を始めた。
ここで真っ直ぐ落ちてはただの馬鹿なので、勿論身体にかかる風、空気の流れを『操作』。両腕を広げ、感じる大気に循環を発生させ揚力を生み出す。
ジェット気流の流れるこの高度は、風さえ掴めば面白いように一方通行の身体を運んでくれるのだ。さらに正面から受ける風は具合よろしく後方へとベクトルを。それだけで一方通行の身体は滑空を始めた。

ばたばたばたばた! と服がうるさくはしゃぐがまったく気にならない。
スカイダイビングをしたがる奴の気持ちが分る。空との一体感。自身が風になった気分だ。
以前一方通行は世界中の風を手中に収めようと考えた事があったが、その時になったらスカイダイビングをする奴の邪魔はしてやるまい。やっててもいい。これは、いいものだ。

たったの一分考え事をしていただけで王都が近付いてくる。

星の力を知った気分。
一方通行は『力』を操る能力を持っている。ただそれだけの人間。一方通行がレベル6になろうが、最強で無敵でどんな人間だろうが星にとっては『事も無し』。

そして風を受け、引力に引かれ、斥力を感じ、一方通行の現実はゆっくりと広がっていく。


(……星、か)


そこまで考えて、勿論何度か上昇と滑空を繰り返し、そして王都から約500mくらい離れた所に着地した。
身体にかかるベクトルを全て地面に弾き返すとそこには隕石でも振ってきたかのような穴があいてしまい、ちょうどその時運悪く通行人に目撃されぎゃああ! とでかい声で喚かれる。
一方通行はさりげない調子で近くに立っている木の幹へ背中を預け、そして座り込んだ。
もう一度だけ目を瞑る。

今感じている力。ベクトル。当たり前に存在しているもの。
巨大すぎて扱えないだろうか。研究員たちが大好きな言葉、『理論上』ではいける筈だが。

もったいない事をしてきた、と一方通行は感じた。
頭が良すぎるのも困りものだ。いや、当然頭が良くないと計算を立ち上げられない為、馬鹿でも困るが。

一方通行は子供の頃から宇宙を知っていた。恐らく誰だって知っているように、無重力、真空。だから頭の中に正解があって、それ以上を求めようとはしていなかった。自分だけの現実の中で正解を作り上げて、事実それは正解だろうが、まだ新しい発見もあったかもしれないのに。
一方通行最大のミスは研究員たちに捕まった事だ。
幼い頃から周囲は大人たちに囲まれ、大人たちの固まった脳みそで自身の能力を伸ばそうとする。それでは駄目だったのだ。
一方通行の能力は認識力と計算能力に依存する。
計算能力の『開発』には感謝してやっても良いが、しかし認識力は凝り固まったままだ。

極論、今の一方通行は『当たり前』を『当たり前』と捉えてはいけない。
風が吹いているのは大気の流れと捉えるし、人間は電気信号で動いていると捉える。
しかしそれだけではまったくもって足りないのだ。

もっと子供の頃、見るもの聞くものに疑問を感じれる子供の頃に知りたかった。きっと疑問を感じれば見に行ったろう。
宇宙とは何なんだろうと考えればそこに行く方法を考え、引力を知り、斥力を知り、そして宙へ。宇宙を感じ、血液が沸騰してしまわないようにするにはどうするか考え、重力圏から離れる前に帰還を願ったろう。
そしてその体験は『自分だけの現実』になり、そういうものなんだと捉えるようになったはずだ。

風は風だ。
一方通行の『自分だけの現実』中では空気の流れだが、そうではなくて、風は風だろう。
頭が固まった今、一方通行は風⇒空気の流れ⇒操作可能の考えをしているが、『体験』を『経験』していれば違ったのかもしれない。風を風として捉えたままでの操作だって、空気そのものだと捉えたって、ワンクッションおくこと無く操作可能だったかもしれない。

ベクトル⇒何でも出来る。

こういう考えが、レベル6なのではないだろうか?
一方通行の馬鹿なところはレベル6になる為に計算能力を重視しすぎた事。大切なものは、認識力と『自分だけの現実』。

とはいえ、


(今更バカになれっかァ?)


ふん、と自嘲にも似た笑みを吐き捨て、


「……俺ァ今の俺のままで無敵になる」


瞳を閉じたまま地面に手を付き、星を知覚する。
触れたもののベクトルを操作する。空気だって、何だって。この肌に触れてさえしまえばその操作権は一方通行にある。

知覚。脳内で演算。深く、もっと深く。奥まで覗いて、触れて、ベクトルを感じて。
気付いていなかったが、このとき一方通行は自身の反射が曖昧になるほどの計算量の演算をしていた。
額に汗をたらし、そして、


「……こう、か?」


一方通行が呟いた瞬間、先ほど自身であけた大穴が盛り上がり、地面が競り上がって来た。
地震のような響きを鳴らし、土や石を巻き込みそれはどんどん高く。
馬鹿のような泥山は止まる事を知らず高く高く、漸くになって動きを止めたかと思うと、それはすでに周りの景色を楽しむ事の出来ない高さ50mほどのとても邪魔くさい遮蔽物へと成り果てていた。


「……ッハ、なンだそりゃ」


一応、穴を埋めるつもりだったのだ。
『星』の運動ベクトルを操り、内部に流れる地脈を感じ、そしてやってみれば計算が間に合わない。
くそったれと唾を吐き捨て、近々ここでは小規模な地盤沈下か地震が起こるだろうなァととんでもない事を呟いた。

思ったよりも疲れる作業だ。
当然だが、ベクトル操作にも『慣れ』がある。毎日毎日同じような事をしていればいずれ上手に扱えるようになろう。『星』を操る事が出来れば、風を操るよりももっととんでもない事が出来る。
しかし、


「ままならねェな、実際」


ため息をつきつつ空を仰ぎ、そして青い竜が目に入った。
思ったよりも長い事考え事をしていたようで、たったあれだけの事を起こすのに時間も忘れて操作しなければならない。素敵な素敵な殺し合いではとても使えるものではあるまい。

竜の背中には三人乗っているようで、突如として出来た山に驚いているのだろう。何を喋っているのかは聞こえないが、こっちを指差したりあっちを指差したり。実にわずらわしい。
ゆっくりと一方通行に向って降下してくる蒼い竜はきゅい、と一声ないた。


「ちょ、ちょっとシロ、あれ何!? こないだ街に来た時は無かったんだけど!」

「あァ? 知るかよンなモン。誰かがスコップ持って童心に還ったンだろうよ」

「んなわけ無いじゃない!」


耳をほじりながら適当に。
まさか自分がやったとは思うまい。

一方通行が適当にスゲースゲーとアホの子みたいに興奮するルイズの相手をしていると、くいくいと袖を引く感覚が。
袖を引かれる事に良い思い出が無いのでどうせ今度も碌な事ではないのだろうな、と諦め半分で振り向けば、いつぞやの馬鹿な色の髪の毛をした足りない子供だった。


「ンだァ?」

「……眼鏡」

「あン?」

「眼鏡」

「……俺ァお前ェの言ってる事が何一つ理解できねェンだが、脳ミソは起動してンのか、おい」

「ふふ、眼鏡を壊したのはシロ君だから弁償して欲しい、ですって」

「……、……あァ、あの時……ありゃ眼鏡か」


聡明な一方通行は憶えていた。
そう、香水を踏み潰す前に潰していたのは眼鏡だったのだ。恐らく部屋から出る前だ。確かに踏み潰した感覚がある。

キュルケはクスクス笑いながら、


「ルイズに出させなさいよ。あの子はシロ君のご主人様なんだから」

「子っていうな!」

「眼鏡」

「それよりシロ君はどうやってここまで来たのかしら。空飛んでたみたいだけど?」

「だいたい何でキュルケがシロの事シロって呼んでるのよ! シロって呼んで良いのは私だけなの!」

「眼鏡」

「あら嫉妬? なかなか可愛いトコあるのね」

「っはん、私から可愛い抜いたら筋肉しか残らないじゃない。人間一つや二つ取り得があるものよ」

「眼鏡」

「気持ち悪いわねぇ。筋肉も程々にしておかないとおっぱい大きくならないわよ?」

「いいの。良くないけどいいの。私、大胸筋を育てるわ」

「眼鏡」

「そんなかっちかちのおっぱい触って嬉しいのかしらね、男は」

「……筋肉ごと愛してくれる人のところに嫁ぐわ、私」

「眼鏡っ!」


女が三つで姦しいだが、本当にその通りだ。
しかもこの中の一人が一方通行ですら理解できていない物質を操っているのだから驚きである。
一度だけため息をつき、辟易した顔で静かに呟いた。


「……たまらねェ」


来なければよかった、とひそかに後悔しているのかもしれない。







[6318] 10
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:4020f1db
Date: 2010/03/02 17:27




武器といえば何だろうか。
やはり剣か。銃は何となく違う気がするので、うむ、やはり剣だろう。
ルイズは少しだけ考え込みながらタバサの手を引いてその店へ向う。タバサはなんだか不思議な少女だ。目を離すとどこかへ消えていってしまいそうな気がするので仕方なく。
というか、事実目を話すとタバサは消える。さっきまで隣に居たと思ったらいつの間にか消えていて、探せば本屋の前でつっ立っていた。隣に居るものだと思い込んでいたので普通に話しかけていたのがすごく恥ずかしい。
眼鏡を買うのに付き合ってやったというのに、しかも金はルイズが出したのに、それなのにこっちの買い物には付き合えないというのか。


「……あ、武器屋じゃない、アレ?」

「そう」

「やっと見つけた。こんな路地裏みたいな所に作って……よほど人気が無いのね、武器って」

「平民が買うには高すぎる」


そう、武器が必要なのは平民だ。
貴族は魔法を放っていればいいが、しかし平民は領地内で戦争があれば軍に吸い上げられる。一部の貴族と平民で軍隊が編成されるわけだ。一応支給品なんかもあるだろうが、もともと武器を使わない貴族が用意するものなど高が知れていて、ボロか役に立たないものばっかり。そんなもので戦えといわれる平民や傭兵は死にたくなければ自分たちで新調するしかないのだ。だから武器を売りたければ戦争があっているところにいくといい。

とはいえ、しかしここは王都なのだ。よほどの馬鹿で無い限り攻め込んでくる事は無い。よって武器屋は寂れる。平民自体は潤っている。


「可哀想なものね、武器屋も。傲慢かしら」


ここはいっちょ入学して最低限以外一度も使った事のなかったラ・ヴァリエール家の金を撒き散らしてやるか。
鼻息荒くルイズは扉を開いた。


「たのもー」

「へいへ~って、ちょ、何ぇう、……貴族様がこんなしがない道具屋に何のようで?」

「冷やかしに来たわけじゃないわ。ちゃんと買いに来たんだから」

「は、はぁ、最近は貴族様も武器を振うわけですか?」

「どうにも魔法よりこっちの方が性に合ってるみたいなの。魔法学院知ってるわよね? 私、そこで『戦女神』って呼ばれてるわ。何の冗談って感じでしょ?」

「戦女神たぁまた随分な二つ名ですねえ……」

「違うわ。それは渾名みたいなもんで、ホントの二つ名は『ゼロ』っていうの。戦女神ゼロよ。強いのか弱いのかよくわかんないでしょ?」

「ゼロですか」

「ゼロよ。魔法が一切使えないの、私。成功したのは最近二つだけ」

「貴族様ですか?」

「貴族様ですよ?」


訝る様な店主の視線にルイズは笑いながら言った。
どのくらいからだろうか、ゼロと呼ばれても大して腹が立たなくなったのは。ムカつく事はムカつくが、それでも以前のように食って掛かるような事はなくなった。相手は平民。魔法の事が理解できていない平民なのだ。こちらの心情を分かっていないわけで、それは単純な疑問だったのだろう。

ルイズがお勧めを持って来てと言うと不思議な顔で店主は店の奥に引っ込んだ。


「タバサ、暇してない?」

「……楽しい」

「そう?」

「そう」


壁にかかっている剣や甲冑などを見ながらタバサは店内をあっちにウロウロこっちにウロウロ。
どう見たって楽しそうには見えないが、まぁ本人がいいのならいいのだろう。
ルイズもタバサを見習い、そして壁にかけてある一振りの剣を手に取った。


「あ~、きたきたきたぁ……!」


麻薬中毒者のような声を出しながら、そして左手は輝く。
流れ込んでくる情報。体の動かし方や剣の振り方。おおよそ戦いに必要なものは全て左手から流れ込んでくる。
なぜ使い魔のルーンにこんな力があるのかは疑問だが、せっかく『返って』きた力だ。存分に使わせてもらおう。
そして同時に思うのは、


(……シロに刻まなくてよかった。ホントよかった。ファインプレーよシロ、そして私)


ちょっといやらしい言い方だが、寝込みを襲ってよかった。
下手に説得してあの使い魔がこの力を得てしまったらそれこそ最強ではないか。ただでさえ凶悪なのにこれ以上の力をもってもらっては困る。
それにルイズはこの力があるからこそ一方通行と付き合ってられるのだ。これがあるからこそ一方通行と『遊んで』いられる。
半信半疑だが、一方通行の言う『訳の分らないもの』を操っているという爆発も今考えてみれば可愛いものだ。あんなに嫌いだったのに、たった一人の存在がルイズの幻想を根底からぶち壊した。


(ぷふっ、『幻想壊し《イマジンクラッシャー》』……なんちって)


身体強化と共に脳内の分泌物がいい感じにどぱどぱと。妙なアヘ顔で笑うルイズはとても危険な人物のようだった。
証拠に色んな刃物をもってきた店主は帰ってくれといわんばかりの顔をしている。
少しの気まずさを残しながらルイズは一度咳払いし、持っていた剣を壁にかけた。


「ごめんなさい、ちょっとお花畑が見えていたの」

「そ、そうですか……貴族様も大変なんですねえ。あっしはこの辺でお花畑は見た事ねえですが……」

「咲かせてみる? きっと気持ちいいわ」


グッと拳を握るルイズに何かを感じ取ったのか、店主はその話は終わり、と持っていた刃物をカウンターの上に並べた。
がらがらがら、と音が鳴るほどに置かれた刀剣類は基本的に小さいものが多い。ナイフや短剣が大部分を占めていた。

お勧めを用意しろといってこれだ。一瞬馬鹿にされているのかと思ったルイズだが、店主はそういった瞳をしていない。本当にお勧めを持って来たのだ。小さなルイズが振れて、最も効率よく人を殺せるであろう武器を。
よく考えて編成された武器類は店主の優しさに溢れていた。それに触れたルイズは、実力は伴わないが誇りだけはしっかりと存在するルイズはそれだけで大変嬉しくなり、


「……オヤジ」

「へ、へい、なんざんしょ」

「『買い』よ」

「ま、まさか、冗談はいけねえ貴族様……いや、失礼承知でお嬢さんと呼ばせてもらおう」

「度胸があるのね。気に入ったわ」


笑みを浮かべながらルイズが言うと、店主の顔つき不機嫌そうに変わる。


「有り難いですがねお嬢さん、……刃物、いやさ武器を舐めるのはいけねえ。ナイフ一つ扱うのだって熟練を目指すにゃ膨大な時間がかかるもんだ。
 俺ぁこんなしがない道具屋で大した武器も扱ってねえが、それでも仕事には矜持をもってんだ。望まねえ戦争に駆り出される兵隊さん達を帰還させるためにもいい武器を。そんな思いをもって毎日毎日刀身を磨く。お嬢さんみたいな衝動での武器買いは許せはしねえ……!」

「い、いいわオヤジ! あなたいい!! マルトーと同じ匂いがする……そう、職人ね! あなた職人だわ!」

「マ、マルトー? 何でお嬢さんが……いや、そんな事はどうだっていい! とにかくあんたにゃ売れねえな!」


憤慨したように腕を組み、ついに店主は出て行ってくれと声を張り上げた。

こういった所謂『変態』が好きなルイズとしてはたまらない。
笑みをさらに深く刻み、そして担いでいたサックをカウンターにどんっ!と。随分重そうな音がした。
紐を解き、そして中身を見せ付けるように、


「……二千五百エキューあるわ。勿論現ナマ」

「っ! ガキがふざっけんじゃあね―――」

「私の親はね! ……私の親はね、手紙の代わりに金を送るのよ。手紙は今までで、一年間でたったの一回。死ねばいいのにって返信してやったわ。だって、こんな沢山のお金どうやって使えばいいのよ? きっとお父様もお母様もちょっと頭おかしいんだわ。少し早いけど痴呆が始まってるのかもしれない」

「……それがどうしたんでえ」

「最低限以外使わないつもりだった。学院を卒業してつき返してやるつもりだったの。ま、あってもなくても同じ金って所よ」

「はんっ! 傲慢な貴族様だ!」

「でもお金はお金。使ってやるわ、今、ここで!」

「仕事人のプライドを金で買おうってか! いくら出されようが売る気はねえ!」


頑固オヤジとはこの事だ。
いいじゃないか。気に入った。
貴族然り、当たり前だが平民にも矜持はある。ただ、平民は力のなさから矜持を売って生活するしかないのだ。
だが、勿論それを売らない者もいる。一部にだが、確かに存在するのだ。売らない一握りの人間。こういった変態がルイズは大好きなのである。

ルイズははっはっはと大口を開けて笑い、


「私を見なさいっオヤジィ!」


そしてカウンターの上にあるナイフを掴んだ。
瞬間に湧き上がる力と情報。
本来は相手を刺し殺すものだが、それは勿論投げても使えるわけで。脳内を武器の情報が駆け回っている今のルイズは千の武器を扱える女だ。


「っふ!」


小さく息を吐き出しながら下手投げで投擲。カウンターを越えて店主の背後に突き刺さった。
たんっ、と音を立てて突き立ったそれは、勿論それだけで終わるはずもない。


「ちぇいさー!」


ルイズはカウンターに並べられた刀剣を全て掴み上げ、そして投げる。
たんっ! たんっ、たんったんたんたんたたたたたたた!! 壁に突き立っていく刀剣たちは所狭しと身を寄せ合っていた。
オーバースロー。サイドスロー。アンダースロー。ルイズはどの状態だって、どんな体勢だって投げて見せる。
身体強化は伊達ではない。

すたぁんっ! と最後の一本、総数四十本の全てを投げ終え、店主の唖然とした顔を見ながら笑みを深めた。
ゆっくりと針山のようになっている壁を指差し、


「これが私の、最近になって成功した一つの魔法よ。それが武器なら、きっと何でも使ってみせる」

「……冗談だろ」


店主は呆れたように両手を挙げた。
それを見てルイズは少々挑発的に笑み、


「二千五百エキューある訳だけども、どうしましょうかしらね?」

「……負けたぜ。この店で最高級のものを最大限ご用意いたしましょう、貴族様」

「んふ、よしなに」


ルイズは優雅に手をひらひら。店主は苦笑しながらもう一度店の奥に引っ込んだ。
そして、


「おでれーた。もしかして使い手じゃね?」

「ん?」


何処からか店主以外の声が聞こえてくるわけだが、探しても誰もいない。
店内にはルイズとタバサしかいないのだ。


「ここだここ。ああ反対、そうそう、そのまま真っ直ぐ」


誘導されつつ声の発信源を目指すが、タバサの方が一足早かった。
彼女は無表情のまま、そしてなにやらルイズをじろじろと見ながら剣郡に手を突っ込む。
そして取り出したるは、


「インテリジェンスソード」

「応ともさ。インテリジェンスソード、デルフリンガー様でえ」

「へぇ、これが……」


喋る時に鍔の部分がかちゃかちゃとなるその剣。
タバサから受け取り、その視線に何か嫌なものを感じながら、そして左手は輝く。


「……ただの剣……よね?」


流れてくる情報ではそう。
この剣はただの剣だ。確かに頑丈そうな素材で出来ているようだが、他のと比べて少し重い。さらにでかい。ルイズの身長よりも大きいのだ。
流石に自分よりも大きな得物を振るのはかっこ悪いような気もするし、もしかしたら振り回されてしまうかもしれない。身体強化は確かにありがたいが、それは絶対ではない。


「ただの剣とは言ってくれるじゃねえか娘っ子。こちとら伝説とまで謳われるモノホンの魔剣だぜ?」

「ボロ剣じゃない。これならギーシュが作った剣(笑)の方がマシよ」

「おいおい嬢ちゃん、魔剣と剣(笑)を比べるなよ。流石に傷つくね」

「そ。んじゃお戻り、元いた場所に」


言い終えルイズは剣郡の中にデルフリンガーを突っ込んだ。
刃も錆びてたし、多分インテリジェンスソードだからこその珍しさを買われてあそこにいるのだろう。


「ちょ、おま! 待て待て待て待てっ、買ってくれ! 絶対損はさせねえ!」

「買う時点で五サント損するわ」

「流石にもうちょっと高えよ! お箸じゃねえんだぞ!」

「……何よあなた、中々良い合いの手入れるじゃない」

「ツッコミには定評があるんでな。……じゃなくてっ!」


インテリジェンスというには愉快すぎるその剣は、しかしルイズのお眼鏡には叶わなかった。
武器を持つと身体能力が上がる。これは確かな事だ。厨房でシエスタやマルトー等の使用人たちに囲まれて包丁を握った時はそういうのがなかったため、『刃物』ではなく『武器』に限定されている事が分かる。
そしてその線引きはどこで行われるかと言うと、それはルイズの脳内。確かに包丁を持ったときはルーンの反応は見れず、シエスタにも自慢する事は出来なかったが、そこでシエスタが言った一言。

『ルイズさんはミスタ・グラモンに見初められたようですね』

その一言は手に持っていた包丁を確かに武器に変えた。
何故かは分らない。もしかしたらルイズはギーシュを殺したいと思ってしまっているのかもしれない。それほどギーシュは面倒くさく、ウザく(くるくる回って蹴りを放つ彼ではない。KMFを華麗に操る彼ではないのだ)、気持ち悪いのだ。
閑話休題とにかく、『武器』の認識は脳内で行われているらしい。
折れた剣はルイズにとって武器ではなく、ムカつく顔を思い出しながらでの包丁は武器になる。

そんなルイズからすると、かちゃかちゃとやかましい剣は余りに錆びすぎているし、ボロ過ぎる。
先ほどは一応ルーンが反応したが、これから先もそうなのかは分らない。もし全然切れなかったらこれは『武器』じゃないと思ってしまうかもしれない。

ルイズのお買い物は高くつく。『武器』を持つと身体能力が上がるという特性上、質より量ではなく量より質でもない、その両方を選択しなければならないのだから。


「お待たせしました、貴族様」

「ん、別にお嬢ちゃんでも構わないけど?」

「いやいや、お嬢ちゃんは本物の貴族様だ。一応敬意は払わねえとな、一応」

「ふふ、安い敬意だったわね」

「硬い事言いっこ無しですぜ。こっちだって店が傾くほどのモンもってきてんでさぁ」


店主は又も大量に武器を抱え、


「おいオヤジ! この娘っこに俺の有用性を語ってみな!」


そしてため息をつく。


「まぁたお前かデル公! 失礼なこと言ったんじゃねえだろうな!?」

「俺はそこの娘っこに買われてえんだ!」

「ああ? 珍しいじゃねえか、お前がそんなこと言うなんて」

「そうさ、こりゃとんでもない事なんだぜ娘っこ! 俺が買われたいなんて早々言う事じゃねえんだ!」

「あぁもうやかましいわねぇ……」

「買え! 買うんだ! 俺を買ってくれ! 絶対損はさせねえ! なぁそうだろ! お前ぇさんガンダールヴなんだろ!?」

「……なんですって?」


がんだぁるぶ? とルイズが効きなれない言葉に首を捻っていると、隣からくいくいと袖を引く感覚。
可愛らしいそれはタバサである。


「始祖の使い魔」

「へ?」

「ガンダールヴはブリミルの使い魔」

「……あん?」


なんだか、一気に色々なものが繋がった気がした。
始祖。描くのも恐れ多いそれはなんだかよく分らない神様だ。伝説といわれる『虚無』の使い手だったという。そしてその使い魔はガンダールヴ。
ルイズの使い魔は一方通行。
使い魔はなんと言っていただろうか。

『お前ェ、虚無だぜ』

ちょっとだけ、信じてしまった。
もしかしたら自分は、そう、『虚無』なんじゃないかと。
心に喜びが浮かび上がり、


「やっば……」


一気に冷めていった。
ルイズは約束を交わしたのだ、一方通行と。先日の『お遊び』のあと、ビチョビチョの下着に涙を流しながら。
一方通行はルイズの頭を右手で掴みながらこう言っていた。

『お前ェが虚無っつーのは誰にも言うなよ? ン? 分かってンのか? 分かってンだったら頷けよ、なァおい』

泣き続けるルイズの頭を掴んで笑いながらそう言った。愉快そうに一方通行は言っていたのだ。
正直お股の事情のせいで全然聞いてなかったのだが今になって思い出した。
とても危険な状態である。
泣く子を黙らせる事なくさらに泣かしながら約束を紡ぐ一方通行。彼とのそれを破ってしまえば、ルイズはどうなってしまうだろうか。
殺される? いや、愛想をつかされてしまうのだ、きっと。
それは非常に困る。せっかく己の使い魔が可愛く見えてきたところなのだ。やっと一方通行の心の反射に一歩だけ踏み出したのだ。ここでそれは困ってしまう。


「おい娘っこ、そうなんだろ? ガンダー───」

「分かった! 分かったから! それ以上言ってみなさい、鍛冶場にもっていってドロドロにするわよ!?」

「お? 買ってくれんのか!?」

「たったの五サントくらい安いものね!」

「俺は箸じゃねえ!」

「タダでいいぜ、嬢ちゃん」

「箸よりもっ!?」


そしてルイズはデルフリンガーと出会った。





10/『もう一人』





ルイズがタバサに連れられ眼鏡屋へと向うと、キュルケは物珍しそうにあちこち覗きながら歩いている一方通行の腕を取った。
勿論自分の自慢の一つ、胸を押し付けながら。
一方通行の表情は変わらない。相変わらず商店を覗き込みながら、時折コクコクと頷いたりしている。
自分では分かっていないかもしれないが、随分と可愛い。
年下(おそらく)には今まで興味は無かったが、なるほどこういうことか。身長もキュルケより少しだけ低く、なんと言えば良いだろうか、すっぽりと収まってしまいそうな気さえする。『萌え』の意味を知った。


「ねぇシロ君、あなたの世界にはどんなものがあるの?」

「科学」

「それはどんな事が出来るの?」

「金さえかけりゃ何でも出来らァ」


胸を押し付けようが耳元で囁こうがまったくの無意味。
多少自信は失われていくが、一緒に寝ていて手さえ握ってもらえないルイズに比べればマシだな、と自分自身を納得させた。

ここ数日付き合ってわかった事だが、一方通行はがっついていないのだ。
キュルケたちの年頃なら所謂『ヤりたい盛り』だろうに、今までの恋人たちと比べてもそういう空気を全くといっていいほどに出さない。
一瞬、同性愛者なのかと疑ったが誰を見るときも同じ目をしている。単純に興味が無いんだろうな、と。色恋が大好きな自分では考えられない事だった。

キュルケはさらに胸を押し付け、一方通行の手を握った。


「元の世界に帰りたい?」

「あァ。ちょっとやりてェ事があンだ」

「……怖い顔してるわ」

「つーか離れろ、歩きづれェ」


一方通行が煩わしそうに口を開くとキュルケは何か不思議なものに弾かれた。
バチ、と何か叩かれたような衝撃。
なるほどこれがルイズの言っていたものかと理解し、さらに一方通行に興味が湧いてくる。
キュルケの傍に居なかった人種だ。身体で攻めても何の反応も返ってくることはなく弾かれるとは。ホイホイ付いて来る貴族なんかよりよっぽど紳士的ではないか。
キュルケは下っ腹がじんわり疼くのを感じ、己の微熱が燃え上がっているのに気が付いた。


「……んふ」

「あ?」

「美味しそうね、あなた」

「はァ?」


心底分かりませんといった表情の一方通行。
キュルケもそれはそうだろうな、と。
そして、


「私、こう見えても処女だから」

「……」

「未使用なのよ?」

「……」

「ねぇ」

「っハ、残念ながらガキに興味はねェ」

「私は十七よ? 絶対あなたより年上だわ。それにルイズよりマシでしょ?」

「……こっちにゃ馬鹿か変態しかいねェのか?」


熱っぽい視線を送るキュルケを置いて一方通行はさっさと歩を進めて行ってしまう。
相変わらず覗く店は、服、靴、アクセサリー。
ファッションに興味があるのだろうか、と少しだけ意外な驚きをキュルケは感じ、そして一方通行はいつもキュルケが寄る服屋へと入っていった。何となく趣味が合ったような気がしてほんの少しだけ嬉しい。

店内の一方通行は興味深げにブーツを手に取っていた。


(あら、良いセンスしてるのね)


お勧めの、前列に陳列されているものではなく、その奥から見つけ出したものの様だった。
新しい物好きのキュルケは見向きもしなかったものだが、シックな色合いのそれは一方通行に良く似合いそう。
彼は今穿いているジーンズとの色合いを確かめ、そして棚の奥に戻した。よく似合っているように感じたが、何か不満だったのだろうか。


「……買わないの?」

「金がねェからな。ウィンドウショッピングってヤツだ」

「王都に来るのにルイズからは1サントも貰ってないわけ?」

「何で俺がアイツから金を貰うンだ?」


俺はアイツを殺しかけただけだぞ、と一方通行が続け、キュルケはまたも一方通行の意外な一面を知った。
彼は、何というか、ルイズから無理やりにでも金を取ってきてそうだったのだ。雰囲気がそう語っているではないか。誤解していたキュルケを責める事は誰にも出来まい。

しかし一方通行の考えでは、今、衣食住があれば死ぬことはあるまいと考えている。もともと金に執着心があった訳でもないのでそれはどうでも良い事だったのだ。

そしてさっさと店から出て行ってしまう一方通行を追ってキュルケも外へ。
ウィンドウショッピングと彼が言ったとおり、本当に見て回るだけだった。


「いいの? さっきのブーツ、すごく似合ってたわよ」

「良いも悪いもねェだろが。万引きでもしてこいってかァ?」

「そういうわけじゃないけど……買ってあげましょうか?」

「いらねェ。借りを作るのは趣味じゃねェ」


一方通行はひらひらと手を振り今度はアクセサリーショップへ。
そこでも趣味のいい指輪やブレスレットなどを見て回るも、結局何も買わずに外へ。金が無いので買わないのは当たり前だが、欲しくは無いのだろうか。
キュルケだったら仕送りを送れと両親に連絡している所かもしれない。

その後も一方通行は入る店入る店で中々のファッションセンスを見せ、しかし何も買わないで去っていく。店員の白い目が怖くないのだろうか。貴族はその辺りも覚悟して、店に入ったら絶対一つは買わなければいけないのに。プライドの生き物なのだ、貴族は。

キュルケは流石に一方通行が不憫になってきた。


「ね、ねぇ、買ってあげるわよ、そんなに遠慮しなくて良いのよ?」

「だからいらねェっつってンだろ」

「でもあの服もすごく似合ってたのに、もったいないわ。あなた綺麗なんだからもっとお洒落なさいよ」

「ウルセェな、洒落たモン着て何しろってンだ?」

「私の隣を歩いてくれるだけで良いわ」

「何だそりゃ?」

「いいからホラ、来て来て! あっちの方にすごくいいお店あるんだから。タバサとルイズの分も一緒に買うわよ! あなたきっとレディースの方が似合うからちょうど良いじゃない!」


そしてキュルケは一方通行の腕を取りズンズンと大またで歩き始めた。
抵抗するかと思われた一方通行は一応大人しく付いてきている。またも反射されたらと思うと心理的なショックが大きい為に大変重畳である。
自然と笑みが浮かび一方通行には何を見繕ってやるか、と服の事について考えた時だった。


「あいたっ!」


バチ、と再度反射。
腕と胸が少しだけ痛かったものの、一方通行のその表情を見れば声は出せなかった。


「……っ」

「シロ君?」


一方通行が驚いているのだ。目を見開き、信じられないものを見ているかのような、


「おいオマエ! 止まれっ……オイ!!」


一方通行の視線の先、一体誰の事を言っているのか分らない。
狭い道と、喧騒に満ちた周囲。余りにも人が多すぎる。虚無の曜日の今日、それは仕方のない事だ。


「───っオイ!!」


一方通行は先に進もうとしているのだろうが、それは人の波が許さなかった。
道幅5メイルほどの大通りにはこれでもかと言うほどに出店と人間たち。
キュルケは一応一方通行の力を知っているので、なぜそれを使わないのか非常に疑問を感じるところである。


(……焦ってる?)


キュルケの考えは概ね正解だった。
表情からも読み取れてしまうほどに一方通行は焦っていたのだ。いつもニヒルな笑みを絶やさない彼がこうまで。

結局喧騒の中に飲み込まれ、一方通行はその姿を見失ったのだろう。伸ばしていた手がゆっくりと下りてきた。


「……大丈夫、シロ君?」

「……ウルセェ」

「顔色が悪いわ。今日はもう帰る?」

「ウルセェ!」

「な、何よ、どうしちゃったの?」

「……何でアイツが、ここに居やがる……っ」


そして一方通行は小さく小さく何事かを呟いた。
きちんと聞こえなかったが、こうまでショックを与える人物とは一体誰なのだろうか。


(……ああ、そっか)


そしてキュルケはソコへ思い至るのだ。
きっとその人物も元の世界から召喚されたのだろうな、と。





。。。。。





そして無事に買い物を済ませたルイズたちだが、帰りの竜の上、ぴりぴりと肌を刺す感覚。無言の圧力。それは勿論一方通行から放たれていた。
非常に居たたまれない。何か理由を知らないか、とキュルケに視線を送っても彼女は肩をすくめるだけに終わった。
はぁ、とルイズはため息をつき、一方通行を見るが彼は変わらず無言で方膝を立てるだけ。目つきが一層キツクなり、ここ最近やっとの事で解かりかけた一方通行はまた何処かへ行ってしまった。
内緒で買った服なんかを是非見てほしいのだが、そんな雰囲気を今出そうものなら竜の背中から叩き落されてしまうだろう。


(なんなのよぉ……)


ルイズに限らずきっと全員が思っていることだろう。
タバサは無表情で読めないが、ルイズが握っている手は少しだけ震えていた。
これでは駄目だ。また最初に戻ってしまうだけになる。
よし、と自分に喝をいれルイズは一方通行へと。


「……シロ、何かあった?」

「黙ってろ」

「でも、何だかあなた……」


消えてしまいそうな顔をしている。結局ルイズは最後まで言えず口を閉ざしてしまった。

こういったときが一番腹立たしい、ちっとも自分の事を教えてくれない一方通行は。教えてくれなければ何を言って欲しいのかも分らないし、何をして欲しいのかも分らない。
ご主人様として何かしたいのに全然懐いてくれない。踏み込んでしまえば絶対に弾き返される。
とは言うものの、やはりルイズはルイズで、反射? やってみなきゃわかんないじゃない! と。


「あ、あのね、私、シロの言ったとおりたくさん武器買ってきたわ」

「……」

「そこの店主が結構いい人で、剣を一本サービスしてくれたのよ」

「……」

「デ、デルフリンガーって言ってね、インテリジェンスソードで……」

「……」


一方通行からは何も返ってこない。なんと『反射』さえしてくれない。
鼻の奥がつんとする感覚。じんわりと涙腺が弛みルイズの瞳に涙が溜まっていく。

だめだ。
使い魔を召喚して数日経つが、やっぱり自分は駄目なのかもしれない。
諦めたくないのに、それなのに、どうしたって一方通行の事が分らないのだ。一生懸命なのに、ルイズはいつも一生懸命なのに、一方通行は行ってしまう。手の届かない何処かへ。

鼻水を啜り上げ、まだ諦めるものか、と袖で涙を拭った。
しかしその時、


「ちょ、ちょっと、あれ何!?」


キュルケが指したのは地上。
すでに学院が見えており、そこには何かがいた。


「ゴーレム」


タバサは変わらず抑揚の無い声を上げる。

ギーシュとはレベルの違う、超がつくほど巨大なゴーレムだった。戦乙女のような無駄な意匠が無いそれは非常に実戦的であり、そして何より恐ろしい。がつんがつんと学院の壁を殴っているのだ。
あの辺りはルイズが毎朝筋トレと魔法の練習をしている場所で、その近くには馬小屋がある。脳裏に浮かぶのは黒い毛並みが美しく、ルイズが勝手にクロと呼んでいる牝馬。


「ちょっと、冗談じゃないわよ!」


激情に駆られ、タバサに降下してくれと大声で頼むが、それはゆっくりと首を振られる。


「なんでよ!?」

「危ない。きっと死ぬ」

「やってみなくちゃ分らないじゃない!」

「トライアングルかスクウェアクラスじゃないとあのレベルのゴーレムは作れない」

「それがどうだって言うの!?」

「勝ち目が無い」


静かにだが、しかしそれは現実だ。
いくら切れる剣をもっていようが、30メイルを超える土人形にどうやって対抗しようというのか。
タバサの言っている事が現実で、それは覆しようの無いもの。

だが、それでもあそこにはクロがいて、それを見捨てていい訳があってたまるもんか。
ルイズはシルフィードの背から身を乗り出して下を見た。何メイル程かは分らないが、目も眩むような高さ。ゴーレムよりも上空を飛んでいる。


(……ルーン全開でも、死ぬ……かな?)


心臓が高鳴り始めた。
キュルケが馬鹿な真似はやめろと諌めてくるが、聞こえない。
馬の為に命をかけるのは馬鹿か? そうだろう。きっとそうだ。
しかし一年間、毎朝毎朝傍にいてくれたのだ、クロは。他の貴族たちにとってはただの乗り物でも、ルイズにとっては、


「……友達なのよ」


そしてルイズがシースからナイフを取り出し、上手い事学院の屋上に飛び降りようとした時、


「……あれ?」


がっちりとキュルケから襟首を掴まれていた。


「ちょ、放して!」

「何考えてんのよあなた! 魔法も使えないのに飛び降りる気!?」

「そうに決まってんじゃない! 学院殴ってんのよ!? 傍にはクロが居んのよ!!」


ルイズがそれでも尚飛び降りようとすると、一方通行が一言。


「……殺す」


その表情は言葉に出来るものではなかった。

何の違和感もなく、それはそれは自然に一方通行はシルフィードの背から飛び降りていく。
ルイズは目を剥き、自分のために行動してくれる一方通行に驚きを隠せなかった。

落ちて行き、そして普通に地面に立っている一方通行はとても小さい。
その隣にゴーレムが居るのだから余計に。

そして、二つ目の太陽が輝いた。
当然のように猛威を振うそれは、余りにも凶悪。
ゴーレムの身体は直視できないほどに発光する太陽の威力を全身に浴び、赤く赤く。どろり、と一部解け始めた。



「……く、くひ、ひゃはは……ッぎゃあひゃはぁっはひゃはははは!! 殺す殺す殺す殺すっ、ブチッ殺ォす!! ひゃあっははは!! 聞いてっか最弱! 俺は何だァ!? 一方通行だろォがッ! 何やってんだ『最強』がよォ!! 笑っちまうよなァ、笑っちまえよ!! 教えてやンぜクソッタレが!! く、くくひひゃひゃははは、俺はァ、俺はなァ、」


狂笑の一方通行は、


「俺は人殺しなンだよォォおお!! 愉快痛快たまンねェじゃねェかァ、なァそうだろッ!? ひひゃ、あはっくひひゃはははははははははは!!!」


決して自分のために降りたのではないんだな、とルイズは確信を持った。
むしろ、悲痛な叫びに聞こえる笑声を聞きながら。







[6318] 11
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:e4b7aa8d
Date: 2011/06/23 00:40



一人殺せば殺人犯、十人殺せば軍人で、百人殺せば貴族入り、千人殺せば英雄だ。

だったら、一万人は?
たった一人で一万人を殺した人はどうなるの?

ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる。回る。廻る。

そんなの関係ないと言えなかった。ルイズにはどう声をかけていいか分からなかった。始めは冗談だと思って、一方通行の瞳を見て、それから初めて本当の事だと知った。
ルイズの可愛い使い魔は、悪党で、最強で、稀代の殺人鬼だったのだ。

一万人って、どんな数?

まずはここからではないだろうか。
それはもう軍隊だ。しかも一方通行の話では全てが何らかの能力をもっていて、『向こう』に存在する非常に高性能な武器まで装備していたという。もうそれはルイズの理解の範疇にある事ではない。ビルからよく狙撃されていたと聞いて、ビルってなんだろう。
ルイズに分かる事は一つ。一方通行は一万人を殺した。それだけである。

彼はどういう思いで今までルイズと付き合ってきたのだろうか。
殺されそうになったのは幾度となくある。しかし今を何とか生きているルイズは幸運だっただけなのか、と問われればそれだけでは決して無いと言いたい。言ってみせる。

ルイズからの一方通行ではあるが、其処には何かある。きっと一方通行も何か感じ取ってくれているはず。
虚無に興味がある。それだけだっていい。そこには触れ合いが絶対に存在する。そこから始めればいい。

一方通行は、そもそも少しくらいルイズを好いていてくれているのだろうか。
その自信さえもてれば、きっと、


「……ルイズさん」


大体にして、重すぎるのだ。
一方通行はその事をなんとも思っていないように話していたが、そんな事は無い。あるはずが無い。自分のエゴで一万人を殺しておいてまともでいられる訳が無い。
どこか何か足りないように感じた一方通行は、きっとそういうことだったのだ。嫌な言い方をするならば、オカシクなってしまっている。

ルイズは『反射』の内側に入り込もうとしていた自分を改めて恐ろしく感じ、そして一方通行の事をまともに見れなくなっていた。
だってそうだろう。就寝時に隣で寝ていた彼は、自分の手で一万人を殺しているのだ。
言えば軍人だって人殺しだが、それとこれとはまた違っていて、命令ではなく自分の我を通して殺したと言っていた。


「……ルイズさん?」


無敵。
彼が唯一固執するもの。
ルイズから見るならば一方通行はすでに無敵だ。しかし彼はその先を目指しているのである。わき目も振らずに、ルイズに注意を払わないで。

良くも悪くもルイズの心の中には一方通行がいっぱいである。恋とか愛とかそういうのではない。ただの印象値の問題として、いつも一方通行の事を考えている。
ルイズは一方通行の事が嫌いではない。嫌いになりたくない。
初めて成功した魔法で初めて呼び出した使い魔を嫌いになんかなりたくは無いのに、しかし彼は一万人を殺しているという。
もう、どうしていいのか分らない。
好きになってくれ、私の事を。最初は『死ね』から始まったけれど―――、


「ルイズさんっ……!」

「へあっ!? あ、ゴメン!」


ビクリと肩を跳ね上げて考えに沈んでいた頭を浮上させる。
隣を見ればシエスタが心配そうに顔を覗き込んでいた。


「大丈夫ですか?」

「う、うん」

「……今日はもう寝ましょう。盗賊さんも襲ってきましたし、明日の授業はきっとお休みですよ」

「あは、そうかもね」


今はどんな顔をして一方通行と話していいか分らない。だから今はシエスタの部屋に避難中。

宝物庫を狙っていたあのゴーレムは最近巷を騒がせている盗賊、『土くれ』のフーケだったのだ。
学院長たちが駆けつけた時にはすでに煮えたぎった、本物の土くれになってしまっていたゴーレム。余りにあっけないそれは改めて一方通行の危険さを示した。
彼はけらけらと笑いながらゴーレムを破壊したのだ。“殺す”と何度も口にしながら。

終わった時、彼の表情からは何もかもが消えていた。
学院長からの感謝の言葉も一方通行には何ら興味を引くものではなかったらしく、全てを無視しながら普通に歩いて、普通に自室に戻って、そしてあたかも当然のように口を開いた。

『一万人を殺した』。

彼はまた遠い所に行こうとしている。





11/『行通方一×一方通行』





宝物が盗み出される事はなかった。
コルベールが大嫌いで、視界にすら入れたくない使い魔の少年がゴーレムを潰してくれたお陰で。
別に個人的な感情だけで生きているわけではない。勿論礼も言おう。しかし、人間としては最も付き合いたくない人種。同族嫌悪。どうしたってその瞳の中に自分自身を幻視してしまう。

そして、学院長室の机に一枚の紙切れ。


「……オールド・オスマン」

「わかっとる」


『明日もう一度盗みにきます。よろしくお願いします』。

綺麗な字で書かれたそれはもちろん予告状であった。誰が送ったかなど当然で、土くれ以外にあり得ない。
よろしくお願いしますなど、非常に馬鹿にしたそれはどうやってこの部屋に入ったのか、どうやって盗むつもりなのか、なぜ自分の不利になるような手紙を残すのか、勿論疑問は腐るほど出てくる。
しかし考える時間すら与えてくれない制限時間。
すでに丸一日を切っている予告時間。
クソが、と口の中だけで小さくコルベールは呟いた。


「王室に報告しますか?」

「ふむ、援軍を送ってくれると思うかね?」

「無理でしょうな」


一度は撃退した相手に何を言っている。そう返事が来るのは間違いないであろう。
貴族はプライドの生き物だ。ここの教員たちが“自分たちで撃退してやる”と在りもしない実力を振りかざすのが目に見えている。そもそも使い魔に出来て私たちに出来ないはずがあるものかと。『土くれ』も大した事が無いなと笑っていたのをついさっき聞いたばかりだ。

コルベールは元軍人だ。人も殺してきた。だから分かる、あのゴーレムの危険性が。
『土くれ』のフーケは間違いなく上位レベルのメイジだ。
無駄な意匠を省き、どこまでも堅実かつ実践的に立ち上がる土人形。30メイルというのはその質量が武器になる。その足が自分の頭上から降ってきてみろ。ここにいる教員がどんな魔法を使おうとプチと蛙のように潰れるのは当然じゃないか。

殺した事も無いたかだか『教員』が、実戦を知っているものに敵うと思っている。
相変わらず平和ボケをしているものだな、とため息をついた。


「して、生徒たちには何と?」

「知らせん訳にはいくまいて。どこぞの馬鹿が前に出てくるのは見えておろうがの、それでも情報を一切与えんのは教師としてどうかとも思う。ここは軍隊ではないからの」

「……慧眼、御見それします」

「やってられんわい、まったく。アクセラレータ君がもいっちょぶっ潰してくれりゃ楽なんじゃがのう……」

「彼に命令できるはずが無い。絶対に」

「……てこずるわい」

「やってられませんな」

「じゃろ? やってられんわ」


そしてコルベールは杖を抜いた。
戦うしかないのだろう。嫌だとごねている場合ではない。
それに、


「これ、ちょっと怖い顔をしておるぞ、コルベール君」

「……失礼しました」


体が疼くのを感じる。
どうしようもない愚か者だ、とコルベールは口元を揉んだ。妙に力の入っているそれを揉みほぐす。


(……人殺しが、抜けていないな)


そしてコルベールは学院長室を後にした。
恐れ入る慧眼はこちらの事情など何でもお見通しのはずなのだ。一緒に居るのはやや気まずい。

コルベールがコツコツと廊下を歩くその姿は、まさしく軍人のようだった。





。。。。。





そして朝、シエスタの胸に顔面を埋めたまま目を覚ましたルイズはいつもの様にトレーニングへと。
昨日のゴーレムの残骸が残っており、それで一方通行を思い出す。
取り合えず一晩が経ったがそれで何か解決するわけでもなく鬱々とした気持ちで蹴るサンドピローはいつものような音はたてない。


(なによ……一万人って何よ……んなもん、分らないっての!)


ルイズは鋭く蹴りを放つがそれもベチ、と。気持ちの乗らないトレーニングはまったくもって身にならない。
ため息をつきつつ、もう終わろう、とクロに乗ってサンドピローを木から外した。

俺は誰も助けない。誰も救わない。そこにいたら弾く。殺す。それしか出来ない。

先日の一方通行の言葉である。
なんと言うか、納得。確かに彼はそういう風な生き方をしているのだろうと容易に想像が出来る。ルイズは一方通行の事を知りたかった。知りたかったが、いくらなんでもこれは無いだろう。

毛並みの美しい馬を撫でながら、


「昨日は危なかったね、クロ」


頬を舐めてくるクロは非常に愛らしい。
パニック状態にあった馬の中で一頭だけ何時もの佇まいで凛とした姿勢をとっていた。相も変わらず頭がいい馬だな、とゴシゴシと身体をさする。


「それじゃあね、また明日」


そしてサンドピローを馬小屋の裏に隠し、もう朝食の時間だ。馬もルイズも。
気分は晴れないまま、水場へ向かい、起きていたシエスタと一言二言言葉を交わし、食堂へと向かった。





「昨日フーケから今日もまた来ると予告嬢が届いておる。よって本日の授業は全て休み。生徒は寮から出る事を禁じる」


オスマンの一声。馬鹿な貴族達はもちろん喜んだ。

シエスタの言ったとおり、本当に学校は休みになってしまった。
ぼんやりと考えながら、最早一方通行の指定席となった隣を見るも、そこには誰もいない。並べられた朝食は誰にも相手されることなくそのままの姿を晒している。
そこまで空腹なわけではないが、これをそのままゴミ箱に行かせるには心苦しい。
ルイズは隣にあるスープと肉たちをもくもくと食べつくし、そしてどうしたもんかと考えるのだ。

一方通行が朝食に来ていたら来ていたでそれなりに気まずかったであろうが、それでも会わないよりはいいはずなのだ。
何かきっかけが欲しい。初めの一歩を進めるきっかけが。
それがあれば、よく回る口だ、きっとお話も出来るはず。そんなの関係ないんだよって、もしかしたら言えるかもしれないのに、しかし一方通行に会いに行くのがどうしても怖い。
だって、用意していった言葉を並べたってきっと見破られるし、本心で付き合いたいのだルイズは。一方通行とは、初めての魔法で召喚した使い魔とは心で繋がりたい。
それが出来ないから鬱々してるし、イライラしてる。初めて心を見せてくれた一方通行は重すぎる。


「……自室から出ちゃ駄目なのよね、皆」


重いため息。
キュルケの部屋にでも逃げ込もうかと本気で思ってしまった。
これをきっかけと思って一気に勝負に出てみるかと言われればまたそれは怖くて、怖くて。

結局いい策は見つからずにルイズは食堂を後にした。
寮を目指し、そして重くなる足取り。

遠目から見ても自分の部屋から負のオーラが出ている気がする。勿論気がするだけだが。
そして部屋の前に来てついに重い足は動かなくなってしまった。ついついノックなぞしようとして、ああ、ここは自分の部屋だと妙な確認まで。

すぅはぁすぅはぁ。
目を瞑って深呼吸。顔をあわせて、まずは何を言おうか。元気? とでも声をかけて大丈夫だろうか。無視されないだろうか。こっちに反応はしてくれるだろうか。そして何より、自分自身がまともでいられるだろうか。
どくんどくんとやけにやかましい鼓動。耳の横に心臓でもついているのかと疑うほどにそれは響いた。

緊張でがちがちに固まってしまっている右手を上げて、ドアノブを掴もうと―――、


「ルイズ!」

「~~~っ!」


ぎゃああああああああああああ!!! と、声にならない悲鳴を口の中だけで止め、そして声の主は、


「ああルイズ、君に一目でもあえてよかったよ。この緊張状態で僕達の」

「ぎ、ぎ、ギー、あんたっ何!?」

「いや、今回は君に用があるわけじゃないんだ。だからその固めた拳を仕舞っておくれ、僕の可愛いルイズ」


勿論仕舞うことなく殴ったわけだが、それにしても女子寮に何のようなのだろうか。
一応、誰も守っていないが一応、女子寮には男子の出入りを虚無の曜日以外禁じる規則がある。それをこうも堂々と破ってきているのだからそれなりに大事なことなのだろうな、と鼻血を吹き出しているギーシュを踏みつけながらギロリと睨みを利かせた。


「あ……ああっ!」


恍惚とした表情の彼は非常に気味が悪い。


「で、何の用なわけ?」

「いや、だから今回は君に用があるわけじゃなくてだね……」

「またシロにケンカでも売ろうっての? アイツ今機嫌悪いからよした方がいいわ、今度は助けらんないかもしれないから」

「僕もそこまで愚かではないよ」

「じゃあ何しに来たのよ?」


ルイズが再度疑問を投げると、ギーシュは足をやんわりと払いながら立ち上がった。
特に何かを決意した、などの特別な感じでもなく完全に普通に言ってのけるのだ。


「ちょっと、彼にお礼を言いにね」

「……あぁん?」


完全にたちの悪い任侠屋さんのそれ。下から睨みつけるようにルイズは視線を送る。

お礼。
ありがとうとか、その辺りであろうか。
完全に意味が分らない。ギーシュが一方通行に礼を言う意味が分らない。まさかこれはお礼とは隠語で、お礼参りとでも言っているのだろうか。


「そう睨まないでおくれ。当然の事だろう?」

「……いえ、全然当然じゃないわね、うん。あなたがシロにお礼を言うことなんて何にも無いはずよ」

「それはグラモンを馬鹿にしているのかい?」

「どうやったらそういう解釈が出来るわけ? シロがあなたに何したって言うのよ?」

「助けてもらったじゃないか」

「はぁ? 何時? 何処で? 誰を!?」


そしてルイズは馬鹿にするのも大概にしろ、と拳を繰り出そうと。
だってそうだろう、一方通行は一万人を殺しているのだ。助けるなんてこととは、それこそ真逆。

しかしギーシュが続ける言葉、それには、


「―――昨日、此処で、学院生全員をさ!」


ルイズの考えを全てひっくり返す力を持っていた。





。。。。。





その部屋に閉じこもったまま天井のシミの数を数えて、一体どのくらいだろうか。
王都で見知った顔を見て以来、それこそ何も考えられなくなっている。


「……クソッタレが」


一方通行は吐き捨てる様に呟き、そして立ち上がった。

妙にちらつく顔。
さらに一万人ほどぶっ殺した話をしたときの、一方通行を召喚したゴシュジンサマ。
全てが一方通行にストレスを与えている。
聡明な頭脳は簡単にイライラの基を思い出すことが出来てしまい、それは忘れる事が出来ない戒めに。
一方通行をして『とんでもない』と言わしめた最弱は、今回ばかりはショックだった様だ。

っは、と一度だけ乾いた笑いを。


(……一万人ってなァ、流石にねェよな)


自身も感じていることである。よくもまぁ一万人も殺したものだと。
数の問題ではないものの、それでも一万人だ。10000人なのだ。想像がつかないであろう。一万人はそれほどの数だ。
殺した本人が思うのもなんだが、お悔やみ申し上げます、と。

罪に問われない一方通行は幸運なのだろうか?
死ねば許されるか?

今更である。
それは全部『あっち』に置いてきた事だった。それゆえにストレスを感じているのだ。

そして少しだけの空腹を感じ、食堂にでも行くかと部屋を出ようとした時にちょうどよくノックが。


「あァ?」

「……失礼」

「こりゃまた珍しい客じゃねェか。俺の部屋じゃねェが、その辺の椅子は空いてンぜ」

「ここは元々来客用の部屋だ。君が使っても問題はない」


現れたのは禿頭の男、コルベールだった。
一方通行は自身でも気がつかなかったが、コルベールが現れたときに感じたものは『安心』だったのではないだろうか。
いつもの一方通行であったのなら部屋に入れる前に扉を閉めているはずである。それなのに椅子まで勧めてやる始末。人殺しのシンパシーに縋ったのだ、彼は。
だって当たり前であろう。15、6年しか生きていない。もしかしたらルイズよりも年下かもしれない。一方通行だって、子供なのだ。ガキなのだ。いくら頭が良かろうが、その事実は絶対にそう。
学園都市の連中が聞くならば耳を疑ったことだろう。
今の一方通行がオカシイのか、それとも普段の一方通行がオカシイのか。その判断はどうやってもつける事は出来ないが、王都での出会いとルイズの表情がちらつくのはまぎれも無い事実。


「で、何の用なンだ?」

「……打ち明けたらしいじゃないか。ミス・ツェルプストーから聞いてね」

「ッハ、人殺しだってかァ? ちょろっと一万人ほどぶっ殺しただけの話だ。事実だろォが」

「実に彼女らしく、随分遠まわしな相談を持って来てくれたよ。まぁ、たまたま最初に会った『大人』が私だからかもしれないがね」

「く、くくっ、『友達の使い魔が人殺しなんですけどどうしたらいいですか』ってかァ? 笑えンじゃねェか、お前ェに答が出せるわけねェよなァ、人殺し」

「よくないな、そういう態度は。一万人を殺した時もそうだったのかね? 頑張ったものじゃないか、殺人鬼」


コルベールの瞳に暗い色が映りこむ。
一方通行はこれだ、と思った。きっと自分もこういう瞳の色をしている。今まさに。
鏡が見たくてしょうがなかった。人殺しという事実から逃げたがっている自分を殺してやりたい。一方通行は一方通行を殺してやりたい。世の中から人殺しを全員殺してやりたい。瞳の色の、赤色の奥に映る闇を、何もかも。

一方通行はひく、と口角が釣り上がるのを感じた。
それを感じて、そしてやっと自分が笑っている事に気がついたのだ。


「……それは一体どういう表情かね」

「テメェをプチっと殺したくてたまンねェ微笑だ。美しいもンだろう、天使の微笑ってヤツだ」

「随分愉快な事を言うな、君は」

「あァ?」


今度はコルベールが笑みを浮かべた。
普通の人間が見ればそれは普通の笑みだが、一方通行が見れば少し違っていて、それは嘲笑に似た何か。同情の隣に居るどれか。
瞬間、腸が煮えくり返り、もう殺そうと思った。
殺してしまえと誰かが叫んだ。

勿論一方通行は何の疑問も感じずにその声を受け入れる。過去に一万回以上も繰り返している。今更耳を塞ぐなんて出来やしない。
ゆっくりと右腕を伸ばし、コルベールに触れようかという時、


「泣かないのかね」

「……はァ?」

「そんな顔をしているよ、君は。微笑とは大分遠い所に居る」

「っく、くく……」

「可笑しいかね?」

「ぎゃはッ、これが可笑しくねェってかァ!? まさかここで最大級のジョークとは流石の一方通行さんでも予想だにしませンでしたよォ!!」


けらけらと一方通行は笑う。
まさか、まさか泣けといわれるとは思わなかった。
一方通行が感じているのはそういうのではない。求めているものもそういうのではない。
脳内のムカつきを止める方法を提示してくれ。そうしてくれれば殺さないでおこう。目玉をくりぬくかもしれないが、それだって生きていけるだろう?
違うんだ、そうじゃない。
一方通行は『そう』じゃない。涙を流すという行為が、朝起きて欠伸をしたとき以外に流れた事が無い一方通行は『そう』じゃないのだ。

げらげら笑いながら見てみれば、コルベールの瞳には暗いものが浮かんだままだ。

こっち側の人間のくせに、なぜそれが分らない?


「あァ、あァ、ひィ……、まさか俺を笑い死にさせて『最強』になろうってンじゃないだろうなァ?」


腹を抱える一方通行に、再度コルベールは口を開く。


「……私の瞳には、何が映っているかね」


余りに簡単な問題。


「流麗で美しく甘美な艶やかさを兼ね揃えた実にドス黒い輝きが宿ってらァ。同じ目ェしたヤツが舐めた事ほざいてンじゃねェぞ」

「……同じ、か。そうなのだろうね。きっとそうだ。人殺しの色で、殺人鬼の色で、私の右手は人を燃やす事を躊躇いはしなかった。今も求めていると感じるときもある。夢を見るんだ。炎の匂い。空気を焼き滅ぼし、そして自身の体が熱く滾る、そんな夢を」

「よく分かってンじゃねェか。よかったぜ」


興味なさげに一方通行は手を振った。
しかし、


「だがね、これはそれだけじゃ無い。この瞳の色がそれだけじゃ、余りに悲しいじゃないか」

「……何が言いてェンだ」

「これはね……、この瞳の色は―――」


そして学院全体が揺れるような衝撃が響いた。




。。。。。





「朝っぱらから随分まじめな盗賊ね」


外を見ながら思わずため息をついた。またもゴーレムが現れたのだ。
昨日と同じ場所、同じ土人形。馬たちはすでに非難済みなので別に何ら問題は無い。

特に注意を払う事無く、窓から身を乗り出していた身体を引っ込めた。ルイズにはやる事があるのだ。『土くれ』は消えていてくれていい。
一方通行を探す。それだけだ。
今胸のうちにある熱が冷め切らないうちに会いたい。今なら言える。一方通行を嫌いにならないですむ。

一方通行は助けた。確かに助けたのだ。
一万人を殺したと告白した時に、自分は一方通行だから誰も助けることが出来ないなんて言っていたけれど、そんなことは無い。しっかりと助けているじゃないか。それが結果論に過ぎないんだってのは分かっている。それでも、彼は誰かを救うことが出来るのだ。

何で自分はこんなに簡単な事に気が付かなかったのだろうか。
ルイズは自分自身を抹殺してやりたい気持ちでいっぱいになった。ヒントはいくらでもあったはずなのに、今日の朝だって、クロに会って、それでその無事を喜んだくせに。

ぎり、と唇をかみ締める。
仕方がないとは言えないが、しかしルイズはあの時の一方通行を見ているのだ。
殺す、死ね、そして笑い声。見てしまっていたからこそ気がつかなかった。


「……ああもうっ、考えるのヤメ! 動きなさいルイズ! 私はご主人様なんだから、だから動くのよ!」


短くなってしまった髪の毛を手でクシャクシャに乱しながら叫んだ。

考えが詰まったら行動。
考えが詰まる前に行動。
考える前に行動。

効果があるかどうか分らない瞑想なんてものを一年間も続けてきた。
貴族なのに身体を鍛えることばかりが好きだった。
魔法のことが嫌いだった。


「変わるわよ!」


頬をぴしゃりと打ちつけ、乱雑に置かれている刀剣類を掴み上げる。
しっかりと体が軽くなるのを感じ一つだけ頷いた。

まずは着ている服を全て放り捨てる。さっさと全裸になり取り出したるは先日買った黒のインナー。ぴったりと肌に張り付くような素材で出来たそれは割と高額だったものである。少しだけ余った袖はたくし上げ邪魔にならないように。
下に穿くものも同じようなもので、ぴったりとルイズの、やや肉の足りない尻のラインを浮かせる。
次いで取り出したるは甲冑である。といっても重装甲のそれではなく、買ったのはパーツだけ。
胸当てを被り、左側の肩当ては外した。脚甲を取り付け、そして、


「めんどくさいわね、どうなってんのよコレ……」


ルイズが取り出したもの、皮で出来たそれは一見すると縄梯子のような形をしていた。
二、三度考え込み、取り付けに失敗して、そして正解にたどり着いた時にそれの全体像が見える。
シースだ。鞘である。ぐるりと腰に巻かれた連結型のシース、一回りで十五本ずつ、上下三十本のナイフを収納可能なそれはあたかもスカートのようで、ルイズはこれからスカートと呼ぼう、と脳裏でどうでもいい事を考えた。


「おーおー、なかなか様になってるじゃねえか娘っこ」

「黙ってなさい、連れてってやんないわよ?」

「冗談はよせよ。やる気なんだろ、メイジと」

「そうよ、こうも喧しくっちゃ人探しも出来ないわ。サクッと倒してシロに伝える事があるの」

「言うねえ。頼もしいこった」


カチャカチャと鍔を鳴らすデルフリンガーを抜き身のまま背中に担ぎ、そして窓から身を乗り出した。
戦っている。馬鹿でかいゴーレムと、余りに小さな人間。一様に魔法を使っているがゴーレムはそんなの関係ないとばかりに足を踏み鳴らし、そして宝物庫の壁を殴りつけている。
そして目を凝らしてみれば、肩に誰かが乗っているのだ。フードを被ったその人物の顔は見えないものの、あれがフーケだろうと。

打倒すべき敵。そう認識した瞬間に体が熱くなるのを感じた。


「いくわよ、ボロ剣。あんたは背中で見てなさい、私の戦いっぷりを」

「おいおい、使わねえ気かよ?」


ルイズは返事も返さずその窓から身を投げ出、すのは怖かったのでしっかりと階段を使って寮から出た。





。。。。。





『―――この瞳の色はね、後悔の色(思い)さ』


それだけ言うと、教員コルベールは消えた。地震の様な振動が起きている事から、恐らくまたあのゴーレムというのが出たのだろう。一方通行にはまったく関係の無いことだ。

自身しかいない部屋でポツリと呟いた。


「……それだけか?」


お笑い種である。よりにもよって、後悔?
っは、と。鼻息だけで飛んでいってしまいそうなものだ、それは。

一方通行は部屋の隅にある化粧台の前に座り鏡を、己の瞳を覗き込んだ。
どんよりと暗い輝きのある瞳。一方通行の瞳。コルベールも似たような輝きがある。
後悔などとんでもない。これはそういうのではない。これは、ただ人を殺した証であるはずだ。

その瞳を覗き込み、鏡の中の人物は人殺しで、ずき、と『脳』に痛みが響いた気がした。そう、『脳』が。


「いっ、てェ……」


一方通行は痛みと無縁にある生活をしているだけに耐性が無い。頭痛というのは非常に厄介な敵になりえる。心臓の鼓動と共にずくん、ずくんと痛む頭は、これは、一体なんだろうか、不思議な、感覚を、彼は感じる。


「ぐッ……あ、ァ……? ンだァ、クソッタレ……」


なんだろうか、と考える前にすでにコルベールが己の前に立っていた。
驚きを表す前にそれは口を開く。


『君は気付いているだろう、その答えに』

「あァ? 殺すぞテメエ……!」


映るコルベールに向けて右手を伸ばした。
聡明な一方通行すら分らないこのムカつきを、この痛みを、コルベールはすでに体験しているとでもいうのか? なぜ分かる? コルベールは答を出しているのか?

そんな馬鹿な事は無いはずだ。

だって、一方通行の方がたくさん殺している。
だって、一方通行の方が頭がいい。
一方通行の方が、一方通行の方が……。

ヂリヂリと脳が焼き切れてしまいそうだった。眩暈を感じ、気分が悪い。嘔吐感がこみ上げてきて思わず口を押さえて、瞳を瞑った時に聞こえてくる声は自分自身のもの。


「後悔?」


駄目だ。それは駄目だ。


「後悔だァ? ンな事が、ありえねェン、だよっ」

『何故でしょうか、と■■■は疑問を投げかけます』


出やがった、と一方通行は口だけを動かす。目の前の人物は誰だ? 殺した女だ。一万人殺した女だ。
気分が悪い。


「後悔ってなァ、悔やんでンだよ! 殺した事を! ッハ、ハハ、何だそりゃ? 後悔していいはずがねェだろォが!」

『なんでよ?』


笑いが出てくる。オリジナルが、出て、きやがった。
吐きそうだ。もう、口元を押さえている右腕は先にある顔面を鷲掴みにしてしまいたい。ころ、ころ、―――、。


「何故ェ? 何故だとテメェ! 俺ァ手前ェのエゴで殺してンだよ、わがままで殺してンだよ!」

『何でだよ?』


ころしたい。殺してしまいたい。目の前の『最弱』を。名前はなんて言った? 調べて、調べたら、かみかみ上・条当麻っ・!
眩暈が、とんでもない。現実が歪んでいく。一方通行の、スーパーコンピューター・の『脳』が、何かを見せている。理解している。これは、現実じゃない。当たり前、そんなもの、現実のはずが無い。自分自身の脳味噌のくせにこの俺様に疑問を投げかけてくるとはいい度胸をしてやがるなテメエころ、す、と、口は、何で、その先の答を。


「『絶対』に成る為だ! 俺こそが『無敵』でッ、他は全部クズ・ゴミ・ムシケラ! ひゃは、そォだ! 一万三十一人の命を奪った俺が後悔していい訳がねェ!! だって、だって、後悔なンてしちまったら、一万三十一人が、……?」

『……それが、どうしたッてンだァ?』


赤い瞳がこちらをのぞきこんでいた。
グラグラと地面が揺れている。


「一万三十一人が、無駄になっちまう……? そう、おれが、ころした、いちまん、さんじゅう、いちにん、が、……?」


脳が・すぱぁくを、起こし始めた。
ジレンマが、トラウマが、
今までに記憶されている一万三十一人の死に様と、そのレポートが、
意識的に奥の方へ奥の方へ追いやっていた記憶が、その記録が、

殺した。
 殺して。
殺し、
=殺しました・

思い出すのは、ここ最近、自分に近しい人物を見た時の言葉で、とんでもなく腹が立ったのだった。
だってそうだろう?
同じくせに、俺と、同じくせに、

『っけ、日和やがったなテメエ。ガキ一人助けて今更善人にでも成るつもりか? 成れると思ってンのか? 戻れねェよ、この悪党が』
これは一体誰に向けた言葉だったのだろうか。

『テメエまさか、善行を重ねれば罪が軽くなるなンて夢見てンじゃねェよなァ。あァおい、人殺しがよォ。そうだろ、テメエは殺してんだろうがよォ』
これは一体誰の夢だったのだろうか。

『キタネェんだよ。悪党なら気取ってンなよ。自分以下を犯せ、侵せ。ソレでこそ『存在』の意味だろォが』
これは一体誰の意地だったのだろうか。

『なァ、わからねェか? お前はもう無理なンだよ、光を見るなンざ、到底出来はしねェンだよ』
これは一体願いだったのだろうか。

『俺『達』みたいなのはよォ、死ぬまでとは言わねェ、死ンでからもずっとだ、ず~っっっっっと! 救いなんざ、無ェンだよ!』
これは一体誰の───、ブツン、と。

痛い、痛い痛い。
脳が引きちぎれてまいそうだ。
どうにかしようと思うも、この現象が何なのかさっぱり見当がつかない。そんなことは無い。分かっているはずなのである。ただ気が付かない振りをしてきただけで。うるせぇ殺すぞ。凄んでみてもその先には何もなく、そもそもそれは誰に向けた言葉なのかすら分らない。


「っひぎ、いてェえへ、ひひゃあ、ッガ、は、ァ亜あァあ?亞ア/アア亜a,#$%&='&|&%あlalaaAAア!!!!」


力いっぱい叫んでみれば、目の前にいるのはこの身を召喚した彼女。


『あんたは一体『どう』なりたいのよ?』


そんなものは千切れ気味の脳内でもしっかり検索可能。

『手前ぇは何でそんな簡単に人を殺せるんだ!』

そういったアイツが羨ましくて、殺してやりたいほど羨ましくて、だから負けてやったんじゃないか。
残したミサカが、ミサカに、ミサカを、ミサカの夢を見る。
一方通行はユメを見る。
毎日毎日おなじ夢を見る。
まだミサカを殺す夢を見る。
9745号の首をブチ折った。
2952号の足をねじり切った。
10019号の咽喉をぶち抜いた。

他にもたくさんたくさんたくさんたくさん。殺して殺して殺して殺しまくった。
楽しかった。能力を使う事は、それが日常になって、ミサカを殺しているのに同じ顔のミサカが湧いて出て、ミサカを殺してまた殺してミサかはいったいいいいつになったら いなくなるのでしょうか? 実験は中止に・中止に・中止になったけどミサカはいるまだいるたくさんいる、ころさなければならないと、考えはじめたのはいつでしょうかわかりませんぅ・6があってだからそこをめざしていたら~っ軍事りよー計画の『いもうとたち』がでてきたんだから、ホントはい、い、い、一方通行ぅは240ねん生きて能力開花のはずだったのに、ひとっ殺しなんてほんとのほんとのホントは■■だったのにィ・かがくしゃが変態びゃっかで学長はへんたいでじゅけいずの設計者が変態でアイツは人工えいせ、いなのにろくな事しないのになのになのに・なのに向かってくるからハンシャしてころして。ミサカはミサかはミサカミサかミサカをころしたから無敵になれるはずだったのに無敵になりたくって#なりたくって”なりたくって・・ころ、ころころ、コロシタのだろうけどだってなんでそれだって―――、


「ウルセェ黙ってろ! 認識してンじゃねェぞ!」


言葉とは裏腹に、考えは深く。


(……だからって、俺は、殺した……?)


憶えていない?
そんなはずが無い。見ようとしていないだけだ、『裏側』を。
記憶の底を広げろ。
忘れているはずが無いのだ、一方通行が。スーパーコンピューターに匹敵するその脳内は、忘れる事を許さない。


「やめ、ろ、考えるな、考えるな!」


行通方一がいる。いるいるここにいる。
『ひとごろしが大好きナんダ』こっちは? 。 成長の中で作り上げた自分。きっとこっちが『表側』。
もう一人だって、ちゃんといる。どこかに、居る。

だって、小さなころ、ヒーローに憧れたのは一方通行だって同じ。
人には無い力を持っていたわけだし、自分はヒーローになれる存在だったんだ。

歪む。
少しだけ時間が経って、クソッタレの■■から捨てられて、けど力は強くなった。
その頃だってまだ信じてた。きっと、人を助ける事が出来るんだって。

歪む。
ちょっとだけ時間が経って、研究員がたくさん居た。この頃は何だか自分の力の事に没頭してて、あんまり思い出がない。
ヒーロー? ちょっと忘れてた。

歪む。
いつもいつもケンカ売ってきやがる。皆死にてェのか?
正義の味方気取りか? 俺ァ何もやってねェよ、向ってくるからだろ。

歪む。
『最強』。皆ゴミ見てェなモンだ。これで───、
ヒーロー? っは、夢見てんじゃねェよ。

歪む。
オカシイな。俺ァ『最強』の筈なのに、なのになんで向ってくるんだ? 俺は別に戦いた───、
正義の味方が居るのなら───、

歪む。
そォか、足りねェってか。『最強』じゃ足りねェってンなら、だったら仕方ねぇよなァ?
っくく、『誰』か『俺』を止めてみろォ!

捻じれて捻じれて、しかし一方通行は千切れてしまうにしては強すぎた。


「俺は、一方通行だろォがっ! こんなモンは必要ねェ! 俺は殺して───」

(―――だからッ、殺した事を受け止めろ!)


不自然な実験の中止、突然の異世界、王都での出会い、ルイズ、使い魔。


(殺したからって、それがどうしたってンだ!)


正義の味方だって人を殺す。
向こうの『最弱』はきっと気がついていない。自分がやった事を。

いったい何人の研究員が路頭に迷う? その家族は?
『誰か』が暴走しないと言い切れる? ミサカが巻き込まれる可能性は?

誰かが死んでいる。『最弱《ヒーロー》』が起こした事で、きっと誰かが死んでいる。
全部救うなんて、ッハ、やって見せろよクソッタレ。

殺し殺されその先にあるのは無だなんてよく聞く話。
何で分かる? 惑星の全生命体でも殺してみせたかよ?
やって見せろ。やってから言ってみせろ。

『一方通行』は誰も救わない。誰も助けな───。

自分で、脳の中の現実だ、それは。
認めよう。最弱に殴られて、よほど痛感した。
きっとあの時から、幻想殺しの上条当麻に『一方通行』という幻想を殺されて、一方通行は『一方通行』ではなくなったのだ。

もう後悔しない。十分した。
わがまま? その通りである。いつか記したとおり、ウルトラマイペースなのだ、一方通行は。
だから、


「ッ! ……ア、があァ亜墓あかくきかいききききっきひひひゃはああああっっっは、っはははははひぃっひゃはははははははははははははははははあああああああああああああァァ!!」


叫びながら、中途半端に伸びた右手を伸ばしきれば、それはいつの間にか自分の頭に。

【───一方通行は自身の体内ベクトル、その全てを認識している。何処がどうなっている、ではなく、それは既に『感覚』。
物心つく頃には既に自分の一部である『反射』。それから時を待たずして扱えるようになった『操作』。
たとえ半身不随になろうが、腕の一本、足の一本吹き飛ぼうが、何の制限なく生活できる。まさしく『第六感』、『第七感』なのだ。
極端な話、一方通行は心臓が止まっても生きていける。血液の流れを操作し、脳に酸素を送り、『思考』『計算』『発現』。この三つさえ出来れば、脳髄だけになっても人を殺すことが出来るはずだ───】

感覚とは何だ。無意識だ。
意識しての行いではなく、それは『第六感』『第七感』。

一方通行は勝手に、そう、勝手に自分にベクトル操作を施していた。
『そういう風な考え』を持たないようにベクトル操作を。脳の電気信号を操り、見たくない記憶を奥の方に奥の方に奥の方に。
脳が作り上げた自分自身に酔っ払って、人殺しをたくさん楽しんだ。そうしなければオカシクなってしまうから。
自分の脳味噌のくせにまったくもって舐めたものである。最強である一方通行は、やはり最強である一方通行に阻害されていた。

認めてしまえ。

俺は誰だ。

最強。

無敵。

ガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリ! と一方通行の口から凡そ人間の出す音ではない声が響いた。
自身の額を掴む右手は暴れだす。
脳が、一方通行のスーパーコンピュータに匹敵する脳が、電気信号を、一方通行の望むべき姿を。

本来なら、自然に分かっていく事だった。
『誰か』との出会いを重ねて、その出会いの中で、自然と分かっていくものだったはず。
『表』と『裏』の余りにかけ離れた距離はきっとその誰かが埋めてくれるものだったのだ。

でもここはどこ?
『一方通行《アクセラレータ》』を知っているやつなど、今のところ王都で見かけたただ一人。

そう、彼は自分で気付くしかなかった。
願いを、思いを。本当の『■■ ■■■』という人物を。
だから、ベクトルを操作。
無意識が勝手に『そういう風』に向けていた考えを、元に戻す。

そしてガリガリと何かを引っかいていた声はぴたりと止まり、


「あァ、そォか」


やけに明瞭な声。
両方の瞳からは一つずつ水がこぼれた。


「……一万人を殺したからって───」


漸くになって、その事を知ったのだ。







[6318] 12
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:e4b7aa8d
Date: 2010/06/02 16:51


三十メイル。
聳え立つそれは近くで見るとこれまたでかい。常識では考えられないくらいにでかいのだ。
考えてもみて欲しい。三十メイルなのだ。それは正確にではないがおおよそ人間の形をしていて、地面を揺らしながら暴れまわっている。最早兵器では無いだろうか。『魔法』で作ったからどうだのという前に、三十メイルもの巨人を生み出す『土』。その質量は武器だ。踏まれてしまえば簡単にあの世に行って始祖ブリミルとご対面である。


「……早まった、とか思ってんじゃねえだろうな嬢ちゃん」

「あ、あんたバカァ? 何よあんなもん、ただの泥人形じゃない」

「へっ、言うねえ。今代のガンダールヴは実に豪気で痛快だ。俺もやる気が出るってもんよ!」

「使う気はないわ。あんたは大人しく私の戦いぶりを見てなさい」

「ちょ、マジで使わねー気かよ……」


寮の玄関口で外を覗きながらルイズは抜き身の長剣を握った。
とたんに軽くなる身体。最後まで消しきれなかった恐怖心が消えて、そしてそれは絶対の自信になる。

メイジとの戦い。
仮に魔法の使えないルイズを平民とするのならこれ以上馬鹿なことは無い。
平民 < 貴族。
この構図はどうあっても取り外すことが出来ない絶対的なものである。実際、貴族と平民が戦闘になっても十中八九貴族が勝つであろう。
それほどまでに魔法の力は強く、便利で、どうしようもないほどの壁を作ってしまうものなのだ。

しかし、ルイズの左手に輝く印。それは魔法が使えない平民とほぼ同じ存在のルイズを『最強』の隣へと押し上げた。
もちろんその剣は『最強』に届かなかったが、心はいつでも最強無敵。
そうなのだ。彼女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、


(私が勝てないはずが───ない!)


絶対の自信を持って地面を蹴りつけた。
風を切り裂き、長剣を肩に担いだまま向かう先はゴーレムの足元。

目立ちたかったのであろうか、それとも使い魔に負けた『土くれ』などには負けはしないと高を括ったか、その教員は前に出すぎていて、たった今にも土につぶされてしまいそうだった。
さすがに顔見知りがひしゃげた死体になるのは許せない。

ルイズは狩りをする猫科の猛獣のようにそこにたどり着き、ギージュ曰く『救いの蹴り』を教員の顔面へと埋め込んだ。


「ごッ!」


苦悶の声。教員は数メイル飛び、瞬間にゴーレムの足が降ってきた。
ち、と舌打ちをし横っ飛びになりながらそれを回避。
ずしぃん! と思わず耳を塞ぎたくなる様な轟音。地面を見れば見事に陥没してしまっている。
鼻血を出しながら地面に転がっている教員はギリギリのところで圧殺を免れたようだった。何事もなかったかのように立ち上がり、目の奥にぎらぎらとした光を宿しルイズに詰め寄る彼は、


「き、貴様、私を蹴ったな!?」

「雑魚は引っ込んでなさいよ。私が居なきゃあなた死んでた」

「あの程度のゴーレムに敗れるものかっ、私は『風』だぞ! 避けて見せるさ、あの程度!」

「そう? それはごめんなさいね、謝るわ」


ルイズの目はすでにその教員のことを捉えてはいない。

ゴーレムは相変わらず暴れているだけだ。周囲に展開している教員連中の魔法はその身体の一部を小さく小さく削っているに過ぎない。
術者はゴーレムの肩に立っているのだ。幾らゴーレムを削ろうがその瞬間に地面から土を吸い上げている。術者本人を狙わなければ意味が無いのだ。
しかし、言えば三十メイル上にある的に石を当てろといっているようなもので、魔法で狙うのは中々難しかろう。

ぺろ、とルイズは唇を舐めた。
欲情にも似た火照りは体の奥から。お腹の奥から。そして、左手から。

自信がつくと思った。もっともっと、今よりもずっとたくさん。
メイジを倒すことが出来れば、嫌いな自分に自信がつく。可愛い使い魔に言ってやることが出来る。

『一万人を殺したからなんだ。そんなもん私は知らん!』

言ってやりたい。是非言いたい。
これからだって強くなる。もっとずっと強くなる。誰にも負けない『最強』にだって、一方通行が目指す『無敵』にだって、何にだって成ってみせる。
だから隣を歩いていいのはルイズだけで、この世界で一人だけ。

ぞろり、と背筋に走ったそれは快感だった。左手が今まで以上に熱くなって、熱くなって、気持ち、いい。


「……おいおい、冗談だろ」


背中に挿した剣から聞こえた声は脳で理解することが出来なかった。

心が震えている。
絶対に届かないと思っていたメイジを倒せる。この場でそれを成せるのはルイズで、ただ一人で、なんだって出来そうな、そんな気がする。


「……きもちぃ。すごい気持ちいい……」


とろとろに溶けた瞳で見るのはもちろんゴーレムと、それを操作しているであろうメイジ。
どぱどぱと。じゃぶじゃぶと。
普段感じることの出来ない何かがルイズの脳から分泌されている。

勝てないはずが無い。

さっき感じたとおり、それは確信に変わって、


「んはぁ、行っくわよぉ?」


瞬間、彼女は駆け出した。
酔っ払いのような言動からは考えられない速度。空気を裂き、地面を沈める。

三十メイルを支えるものはもちろん足だ。どれほどの重量があるかは分からないが、おそらく簡単に数えることの出来るものではなかろう。だからこそその足は太くて、大木と称する木々を三つも四つもまとめたようなそれ。
それは当然剣の一振りで切れるようなものではない。頭が気持ちよくなってしまっているルイズにもそれは分かる。


「お、んっどりゃぁぁああ!!」


だが、だからこそルイズは剣を振りかぶりその足を斬りつけた。どちらかというと斬るよりも削るに近いそれは、もちろんたったの一回で終わるはずも無い。終始笑顔で、あは、あは、と危ない笑声を上げながら削り取る。最早木を斧で切り倒すような作業。

気持ちいい頭で考えたのだ。肩に乗っている術者にはどうやって斬りかかればよいか。
単純。ゴーレムの足を切り落として転ばせてしまえばいい。

高みでこちらを虫けらのように見ていることだろう。笑いが止まらないのではなかろうか。見下されるのには慣れている。笑え笑え。その腹に、顔面に、鍛えぬいた拳と蹴りを叩き込んでやる、と。
上にいるのなら引き摺り下ろす。それがダメなら自分が登る。いまのルイズは最強で、


「───私が勝てないはずが、無ぁい!」


しっかりと口にし、どぱぁん! とゴーレムを支える土を吹き飛ばす。
削れど削れど一向に減らないそれは、しかしルイズの心を折るに値しない。一つ一つ、一歩一歩、小さく小さく。毎日毎日筋トレに励み、毎日毎日瞑想して、毎日毎日魔法を失敗するルイズにとっては最早ご褒美。
言えばルイズはマゾヒストなのだ。こういったイライラしそうな作業は嫌いではない。

きゃっきゃと笑いながら削り続け、そして『土くれ』も危機感を抱いたのか、今度は拳が振ってくる。それはそれは巨大で、当たればひしゃげたカエル間違いなしであろう。

その時、ルイズの心に浮かんだのは危機感ではなく喜び。自分を、『ゼロ』を敵としてみてくれた。メイジの敵になれている。
その事実だけで十分。もっともっと気持ちよくなって、もっともっと速くなって、もっともっと強くなる。


「あったらな~い! こっちこっち、何処狙ってるの!」


上空から降ってくる必殺をルイズは避けてみせる。避けながら更に攻撃を加える。
土を吹き飛ばし、猛獣のように機敏な動き。自信にわいた表情。
まるで踊っているかのようだった。巨人と少女のダンス。それはその場に居る全ての者の目に焼き付けられる。

誰かが言った。


「戦女神……」


ルイズには聞こえない声。だが、本人の了承がどうあれ、それは決まった。
この日、『ゼロ』のルイズは『戦女神』ルイズに成ったのだ。





12/『悪党の美学』





「うわ、あの子頭おかしいんじゃないかしら?」


寮の窓から身を乗り出せばルイズが戦っていた。戦っているのだ、今まで『ゼロ』と呼ばれ、それは魔法の才能もそうで、成功率もそう。とにかくその『ゼロ』のルイズが戦っていたのだ。
しかもそこは『必殺』の間合い。足を狙えばいいと分かっている教員ですら近づけない領域。そこにルイズは居る。

キュルケの心中に何かが渦巻く。

つい先日まで悪態を付き合う仲で、それは今でもあまり変わってないが、それでも名前で呼び合うようになった。
正直に言うが、キュルケはルイズのことを友達だと思っている。今に始まったことではなく以前から。向こうがどう思っていたのかは知らないがキュルケはそう思っていた。

その友達が今、死ねる領域で剣を振っている。
どこか抜けている友達。ゴーレムの攻撃が徐々に速くなっていることに気がついているだろうか。気が付いているのならいいが、それでなかったら、死。

どき、と。
あまりにもリアルに想像できるそれはキュルケの胸を打った。
一度考えてしまえば止まる事無く溢れてくる。つぶされて死ぬ。それ以外はありえなくて、何が何でも潰されて死んでしまう。


「……冗談じゃないわよ」


それは誰に向けた言葉であろうか。
まさかあの、戦場といってもいい場所に赴こうというのか。ルイズが死ぬのは嫌なのか。ああ、嫌だ。嫌に決まっている。
だからといって、あそこに行くか、キュルケ、と自分自身に。


「……無理に決まってるじゃない……無理に……決まって、るんだけど……、……ああもうっ!」


紅蓮の髪の毛をくしゃくしゃにかき乱し、


「やったろうじゃないの。『微熱』が燃え上がるところを見せてやるんだからっ!」


自分の杖を腰に挿し込み、バタン、と音が鳴るほど乱暴に部屋の扉を開けた。
そして視界に飛び込んでくるのは廊下ではなく、タバサだったのだ。キュルケの妹分で、いつも本を読んでいるイメージのある彼女は興味なさげにキュルケに視線を送り、


「やっと出てきた」

「……ちょっとあの子に見せ場をあげただけよ」

「もう十分」

「そうね。だから行くのよ、私が」


珍しいことにタバサがくすりと一笑いし、それを見たキュルケは何か良いことのある前兆なのかもしれない、と。





。。。。。





一本目の剣が折れてしまった。
瞬時に腰に差している中剣を取り、


「まだまだまだまだぁあ!」


そして土を弾く。

いったい何度繰り返しただろうか。
十の攻撃を与えて、八ほど回復されて、また十の攻撃を与える。実質的にルイズは一回の攻撃で二のダメージしか与えていないのだ。
積み重ねて、攻撃を避けて、攻撃を与えて、剣が一本使い物にならなくなってもゴーレムの足はまだまだ太い。

疲れは無い。とルイズはそう思っている。
動きの鈍重なゴーレムの攻撃は簡単に避けることが出来るし、今の自分の速度さえあればそれほど脅威ではない。
だが、


「おい娘っ子!!」

「あはぁ?」


その声が聞こえた時、ついに自分の疲労を感じたのだ。
まだ剣を振れると、そう信じて疑わなかった腕が青く鬱血しているのに気が付いた。いつもの如く痛みは感じなくて、別にどうとでもなるだろうと判断。が、上空から『必殺』の拳が降って来て、当然簡単避けることが出来るはずのそれは、なぜだか中々動こうとしない体に妨げられる。


「あれぇ?」

「ラリッてんじゃねえ!!」


俺を使えと叫ぶ剣に返事を返そうにも必殺が降ってきて、なんだか妙にスローモーションに見える。
自分の死は、当たり前だが微塵も考えてはいない。だが如何せん、降ってくる拳は必殺。


(んー?)


よく働かない脳は考えることを放棄。視線だけは拳を見つめ、瞬間、潰れようとするルイズの足元で爆発が起きた。足元で爆発が起きたのだ。

予想以上に強力なそれはルイズの小さな体を吹き飛ばし、『必殺』の拳は地面を潰すに終わった。
己の目の前を土で出来た馬鹿でかい拳が通過。同時に現実感が、


「馬鹿ルイズ! 呆けてるんじゃないわよ!」

「キュルケ」

「もう動けないなら下がってなさい!」

「キュルケ」

「……な、何よ」

「えへ、キュルケー」


ルイズを吹き飛ばしたのはキュルケの魔法だったのだ。
大分気持ちよくなってしまっている頭でもそれが分かった。
ルイズは生まれたての動物のように膝をけたけた笑わせながらも何とか立ち上がり、そして剣を構える。


「下がってなさい、もう無理よ」

「気持ちぃの」

「あん?」


またも拳が降ってくるが、キュルケを突き飛ばし今度は何とか回避。
よた付く体でまたも駆け出した。


「気持ちいいの、私! 凄く気持ちいい! だって、『ゼロ』の私がこんなに戦えてる! 皆の役に立ててる!」


何処にそんな力が残っているのだろうか、ルイズの振るう剣は変わらずゴーレムの足を、その土を弾き飛ばす。が、徐々にその力すらも弱って、衰退していって、


「人はねっ、変われるのよ!」


ぺたり、と尻餅をつきながらルイズは叫んだ。

伝えたい思いがある。たくさんある。
それを伝えるべき相手は今ここにいなくて、それだけで涙が出そうになるが、その心の震えはルイズに力を与えるのだ。


「『ゼロ』だろうが───」


その時ゴーレムの挙動が一瞬だけ止まり、その両腕をまっすぐに伸ばした。地面に向けて、指先を向けているのだ。
何をしてこようと避けてみせる。自信はあるが、はたして体がついてくるだろうか。

当たり前だがガンダールヴにも限界はあった。特に今回のように、初めから麻薬中毒者のようにハイになっているとそれは近い。
いくら限界を超えた動きが出来るといってもそれは人間なのだ。いくら強化されようと、それは結局人間の体なのだ。当然腕を伸ばすことなど出来やしないし、血中に酸素が足りなくなれば苦しくもなる。限界を超えた動きの代償は、当たり前に存在するのだ。


「『人殺し』だろうが───」


えふ、と咳が。口の中に鉄の味が広がり非常に気持ちが悪い。
しかし、それが一体なんだと言うのか。まったく関係ないことである。
吐血がどうした。
腕が動かないからどうした。
足が動かないからどうした。
それが、


「───それがぁ、どうしたぁぁああああ!!!」


天へ届け、と。アイツへ届け、と。

そしてゴーレムの伸ばした指先から何かが打ち出された。十の指から吐き出された土に似たそれは、どちらかと言うと岩のような。

誰よりも早く反応したのはキュルケ、タバサ、コルベールの三人。
ルイズの近くに居たキュルケは杖を飛んでくる岩に向けて炎弾を放った。一発、二発、三発。
狙いたがわずそれぞれに命中する。だが、三つが今のキュルケに出来る限界だった。

上空から使い魔の背中に乗り、術者本体を狙っていたタバサはルイズの叫びを聞き視線をそちらに向け、そして彼女の危険を察知。
口の中だけで呪文を高速展開。風は意思を持って放たれた岩を破壊する。一発、二発、三発。
実戦を経験しているタバサにはそこまで難しい状況で無いのは確かだが、それでも一度に十の弾岩を捌けというのは無理があった。

そしてコルベール。今回一番不幸であったのは彼かもしれない。
彼は元々軍人で、その力を十二分に発揮できればゴーレムを破壊することなどそう難しいことではないのだ。その肩に乗る術者に魔法を当てるのは難しいと判断した彼はもちろんルイズと同じように足を破壊しようと考えた。
しかし、そこでルイズの登場である。彼女はちょろちょろとゴーレムの足元で動き回り、コルベールが魔法を使うのを躊躇わせた。
なんといっても一度燃やしているのである、コルベールはルイズを。あのような所業をもう一度繰り返してしまうかもしれない。そう思ってしまったが最後、彼には魔法を放つ勇気は出なかった。
そして十の弾岩がルイズの体を貫こうとしているのを見、一瞬だけ生まれた迷い、ワンテンポ遅れての魔法の発動は一発、二発、三発。そこまでしか破壊しきれなかった。

三人の心臓が一度だけ飛び跳ねる。あと一つだけ、ルイズに向かっている弾岩は、


「誰かっ! やだぁ!!」


キュルケの叫びが聞こえて、





「まさかまさかの展開だよなァ? この俺にやられてまた向かってくるかよ、泥人形」





右手をかざせばそれは逆様に再生した映像のように、綺麗な綺麗な軌道でゴーレムの指先に戻って行き、そして爆散した。
ぎゅ、と硬く目を瞑っていたルイズが恐る恐る目を開けば、


「……シ、ロ?」

「あン?」

「シ、シロ、私ね、私ね、あなたに伝えたいことがたくさんあるの! いっぱいいっぱいあるの!」

「ッハ、聞ィてたっつーの」


一度もルイズと視線を合わせる事無く、そして一方通行はゴーレムを見上げた。
顔と思しき部分には適当に穴が開いているだけで、もちろん意思疎通など出来るはずも無いそれに向けて口を開く。


「くく、見下してンじゃねェぞテメェ。この俺を誰だと思ってやがンだ?」


やけにすっきりとした気分だった。
今までそこにあった足かせが外れたような、雁字搦めになっていた縄が解けたような。

そう、一方通行は見つけたのだ、答えを。己が望んでいた、本当のものを。


「あなたはシロよ。私の使い魔、シロ」


く、と咽喉を鳴らし、


「いいや違うなァ、俺は一方通行(アクセラレータ)だ」

「一方通行……?」

「そう、一方通行。学園都市で『最強』だった一方通行。誰も助けねェ一方通行。誰も救わねェ一方通行。そこに居れば弾く。向かってくるなら反射する。敵を見つければ殺す。人殺しの一方通行」

「そ、そんなことない! あなたは変われる!」


地面に尻をつけ、お気に入りのジーンズを掴みながら必死に詰め寄ってくるルイズが妙に滑稽でついつい笑いをこらえることが出来なくなってしまった。
けらけらと笑う一方通行はゴーレムを見上げていた視線を、初めてルイズへと向ける。

その時ゴーレムが『必殺』を振り下ろしてくるが、それは『最強』にとってなんら脅威になるものではなかった。
右手をかざしただけで、『必殺』をそのまま反射。力の方向を逆転したそれはゴーレムの腕を軽々とぶち折ったのだ。


「変われるの、絶対に変われる! だってあなた助けたわ、いろんな人を!」


『そういうの』に鈍感な一方通行にも流石にルイズの言いたい事はわかる。
結果論に過ぎないんだって、どう言われようが確かに一方通行は誰かを救った。それに間違いは無い。
しかし、そこには一方通行の意思は存在していないのだ。
ただイラついていて、ただ破壊がしたくて、その時たまたま見つけた泥人形。ストレスが向いただけに過ぎない。それは救ったといえるのだろうか。助けたといえるだろうか。


(よォ、『俺』。お前はどうなりたかったンだろォなァ……)


思う。特に何かが変わったとも思えないが、それでも何かが変わっていた。
あなたは変われる、と叫ぶゴシュジンサマは非常に必死の表情で、その鼻から血が垂れてきている事に気がついているのだろうか。それとも笑いを誘おうと、そこまで体を張ったギャグでも?


「あなたは私の使い魔なの! あなたは誰かを助けていいの! あなたは今! 私を助けているの!!」


その言葉に一方通行は、





「───違ェなァ……違ェよ、それは」





呟き、そしてもう一度ゴーレムに視線を。

確かに自分の願いは見つけた。
ヒーローになりたかった。誰かを助けて、誰かを救って、光のあるところでありがとうと言ってくる少年たちに“当然のことだ”と言ってやるのが一方通行の幼い頃の夢だった。

だが、今はどうだろうか。

ゆっくりと右腕を上げて。
この右腕は、いったい何人の人間を殺しただろうか。

ゆっくりと左腕を上げて。
この左腕は、いったい何人の人間を殺しただろうか。

ざっくりと数えて、一万人である。
確かに答えは見つかった。ヒーローになりたかったのだ、一方通行は。
しかしすでに一万人を殺しているこの両腕は、誰かを救うためには機能しない。させない。そんなのは虫が良すぎる。

一方通行は静かに静かに目を瞑った。体表に感じるベクトルを、その力を、今まで『一方通行』に圧迫されていた脳は非常に働きがよく、開放された今、一方通行の演算能力はもう一段階先に行った。


「……ルイズ」

「ぅえ、あ、うん」

「俺ァ悪党だ」

「……変われる。だって、あなたを召喚して私は変わったもの。あなたもきっと変われる。あなたは誰かを助けていいし、救っていい。英雄にだってなれるんだから!」


その言葉をしっかりと胸に刻み、しかし一方通行はどこまでも一方通行だった。

喜べよ『俺』、と。
焦がれた存在はこんなにも近くに居た。
変わる。それは一方通行がもっとも欲しかった現実。変化が欲しくて、現状が嫌で、だから6を目指して、だけど、しかし───


「───だがなァ、悪党には悪党の美学ってモンがあンだ」

「え?」


ルイズの顔は見ない。真っ直ぐに見ていては、余りに眩しすぎる。
落とした瞼を開けばゴーレムが無駄な攻撃を続けている。『反射』。『反射』。『反射』。
そう、全てを反射してきた一方通行に、今さら変わる権利は無い。悪党には善人になる資格は無い。人殺しはいつまでたっても人殺し。その事実は間違いなくそうで、そこから逃げることは一方通行自身が許さない。

一方通行。直進し、加速する。誰も救わないし、誰も助けない。


「だからテメェらはよォ───」


表側では体表に風を感じて。

裏側では『星』の動きを感じていた。

演算は滞りなく、完了。


「───勝手に助かってろォ!!」


震脚。それが始まりの合図だった。
ダン! と力強く踏み込まれたそれは、数えるのですら億劫なほどの重量を持つゴーレムを宙へとぶっ飛ばしたのだ。
『自分だけの現実』から、この世の理、その中にある99%の不可能から1%の可能を選び出し、現実へと送り出す。

一方通行以外、そこに居る誰もが目を疑った。
だってそれはありえない現象ではなかろうか。どうやったら足踏み一つであの巨体を上空へと持ち上げることが出来ようか。
理解が出来ないその他大勢を置き去りにして、一方通行は愉快そうに笑う。

星の自転。そう、星は回っているのだ。
その自転ベクトルをちょいと間借りすれば巨体だろうが巨人だろうがビルだろうが城だろうがなんだって破壊できる。それほどに膨大な力なのだ。


「安心して落ちてきな泥人形ォお!! そのまま地面に落とすなんてこたァしてやらねェ!!」


そして二つ目の太陽は輝くのである。これまでよりも大きく、高く。
高電離気体(プラズマ)。
体を焼くような熱はもちろん反射。この身は『最強』で、一万人を殺した現実の上に立っている一方通行は、誰よりも強くなくてはならないのだ。


「くはっ、ハハ……!」


上空でぐずぐずとその体を分解させていくゴーレムと、その術者は確かに燃え尽きようとしている。
一万度の灼熱の中で、一方通行の言葉の通りに。


「殺す、殺す殺す殺ォす! そォだ、俺は先に進むだけだ! そォだろ『俺』、そォだろ最弱! 俺は、一方通行だぁぁあああああああああっひゃははははははははは!!!!」


彼が得た答えはそれ。
誰よりも、誰よりも悲しい道。

『光を見るなんざ、出来はしねェ』

だったら、と。


(だったら俺は、誰よりも素敵な悪党になってやンよ)


殺すと決めたのなら殺す。殺さないと決めたのなら殺さない。進む。先へと。
誰かを助ける?
そのようなこと、まったくもって知ったことではない。道を塞がなければ慈悲を見せよう。向かってこなければ存在を許そう。
だがもちろん、善人でないこの身に向かってくるのなら迷わず『反射』。敵意を向けるのなら当然『操作』。後悔を感じるまもなく三途を渡らせる。

ヒーローになれないのなら、その先にあるものを目指し続けるだけだ。レベル6を見つけ出す。
そのための一万人で、そのための殺人で、そのための『一方通行』だった。

全てを肯定して、後悔して、そしてまた一歩だけ暗い場所へと歩を進めた彼は誰よりも、そう、誰よりも一方通行だったのだ。







[6318] 13/一部終了
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:e4b7aa8d
Date: 2010/03/02 17:58


視線の先、己の作り出したゴーレムがただの土くれに変わっていく様を見、彼女、『土くれ』のフーケは大きくため息を吐き出した。
学院に五つある塔の屋上。彼女はそこに居るのだ。
当然、ゴーレムの肩に乗っていたのは土で作ったダミー。服を着せフードを深く被らせれば、三十メイルもの距離、遠目には中々判断がつくまい。
『物を操る』という魔法特性を持つ彼女はその姿を戦闘領域に出すというような馬鹿な真似はしない。こうやって視界にさえ戦場が見えていればしっかりと戦えるのだ。
であるから、『青銅』のギーシュと名乗る生徒が真正面からあの使い魔と戦っていると聞いた時は馬鹿な真似をするやつも居るものだ、との感想しか浮かんでこなかった。


「やれやれ、こりゃ信じないわけにはいかないねぇ」


眼鏡を外し、鋭い目つきで睨む先には一方通行。
別の世界から来たという異常性をフーケは信じていなかった。『反射』という反則も、一万人という殺人記録も。
しかし二度だ。二度も敗れた。これでは信じないわけにはいくまい。
そして、





「───ふむ、何を信じるのかね?」





心臓が口から飛び出すほどの驚きが。
いつの間にかその老人はフーケの隣に立ち、一緒になって眼下を覗いているのだ。


「……学、院長」

「うん? 何かあったかね、ミス・ロングビル」


にこやかな笑みを絶やさないその老人にフーケは無駄を悟った。


「……下手な芝居はよしとくれ。知っているんだろう?」

「それは何をかね。君が『土くれ』であることか? それとも君の下着が紫色であることか?」

「ふんっ、とぼけた爺さんだよ、まったく……」


自身の髭を撫でつけながら老人は、


「ま、誰も死にはせんかったしの、まだ引き返すことも出来ると思うが……どうするかね、ん?」

「ごめんだよ。アンタの秘書は下着にすら気を遣わなきゃなんないじゃないか」

「ふむ、残念じゃの」


そしていつの間にか杖を抜いていた老人がいつの間にか完成させていた魔法を使い、そしてフーケは魔法を使われたと感知する前に、既に両手が拘束状態。
全てが一瞬の出来事だった。フーケが一息つく暇もなくそれは完成されていた。あまりの速度に逃げ出そうと考える、という脳の反応すら起こる間もなく既に拘束『されていた』のだ。

それがフーケの感じた老人の実力。
それがフーケの感じた学院長の本気。
いつもいつも下着を覗いてくるスケベジジイは、やはり国の学院を任されるだけの実力を持っていたのだ。


「はっ、はっはは! なんだいこりゃ、バケモンかアンタ?」

「んにゃ。人間自分の年すら忘れるほどに生きておるとな、意外と出来るモンなんじゃよこれが」

「大したくそじじいだよ」

「じゃろ?」


ぱちり、と下手糞なウインクはその老人に、それはそれは実に似合っていた。





13/『戦女神の不幸』





そして医務室。
ここ最近医務室の番人と化しているルイズにとっては非常に心地よくなってきた空間である。
担当の水の教員すらルイズに全てを任せて、自分は欠伸をしながら空いたベッドに眠るのだ。

『ん、このくらいなら問題ないね。慣れたもんでしょ?』

本当は医務室の担当教員ではなくきちんと授業を教えたかった、という彼の言である。
しかし、それでもクビにされないのは彼の実力が伴っているからであり、やはりそれなりにメイジをやっているのだ。

ルイズは勝手に薬品棚に近づき、そして液体状の『水』の薬を飲んだ。
鎮痛効果のあるそれはそれなりにお高い薬なのだが、うむ、ここは自分の部屋のようなものなので良いだろうと判断。
そしてもう一度怪我をしているところの包帯を替えようかな、といったときにそいつ等は現れたのだ。


「ハロー、ちゃんと寝てる?」

「げ、何しに来たのよあんた……」

「お見舞いよお見舞い。あの騒動で怪我したのあなただけだもんね」

「やかましゃ! 帰れ! 帰れ!」


と、ルイズがつばをも散らす勢いで叫べば、


「あぅ、やっぱりお邪魔でしたでしょうか……?」

「いやぁん、シエスタはいいのシエスタはぁ。ほらほら入って、私のじゃないけど美味しいお茶があるの」


キュルケの後ろからシエスタが不安げに顔を出してきた。
ルイズがシエスタを不当に扱うはずもなく、そしてまたその後ろからタバサが静々と現れるのだ。

四人でのお茶会。
ルイズには入学以来一度もなかったイベントである。
自然と口元はむずむず。微笑みの形をとろうとするそれを手で押さえつける。何となく寂しいやつだと思われそうで悔しかったのだ。
三人にお茶を入れてやろうと立ち上がったところでシエスタに制され、それは自分の仕事だと言う彼女に任せる。


「でね、この子ったらキュルケ~キュルケ~ってもうとろっとろの目で言ってきてさ、いやぁ、あの時はちょっと心臓に悪かったわね」

「そ、そんなことっ……い、言ったかもしんないけど、別にそんな他意はないわよ! あと子っていうな、子って!」

「あらあらまぁまぁ、そんな事があったのですね」

「そもそもあんなに大きなゴーレムに剣もって突っかかる馬鹿がいるかしら。寮から覗いたとき頭おかしいんじゃないかって思ったんだけど……まさかその通りになってるなんて思いもよらなかったわ」

「アレはっ、その、何か剣握ったら気分よくなってきちゃって……」

「気持ちぃの~……ですって」

「変態」

「ちょっと! 私はノーマルよ!」

「あらあらまぁまぁ」


ぐびぐびと一気に紅茶を飲み下し、そしてシエスタから御代わりを注がれ、そしてルイズが鼻息荒く続けた。


「大体何よ、私聞いてたんだからね!」

「……何をよ?」

「誰か~、いやぁ~……だって。何よあんた、私のことがそんなに心配だったのー?」


身振り手振りを加えながらいささか大仰にその場面を彼女は再現。

にたにたと非常にいやらしい笑みを浮かべるルイズにはむかっ腹が立つが、それでもキュルケの言は詰まる。
そもそも、キュルケにとってあれは本当に衝動で出た言葉であって、それこそそんな他意はないのだ。
あのときルイズの使い魔である彼が来てくれていなかったら間違いなく大怪我では済まされないダメージがルイズを襲っていたはずだ。
実際に心配していたし、怪我が酷いものではなくてよかったとも思っている。


「アレは……アレよ、アレ」

「どれよ」


はぁ、とキュルケは一度だけため息をつき、


「……心配だったのよ、あなたが。よかったわ、そんなに酷い怪我じゃなくて」

「お、ほぉ?」

「なによその顔」

「……あ、あんたがモテる理由が分かった気がする。何かずるい」

「あらあらまぁまぁ」


そしてシエスタはキュルケのカップに紅茶を注いだ。
キュルケとルイズ、この二人はちょっと見ない間に随分と仲が良くなったみたいだ。
それはシエスタ自身非常に嬉しいことで、これからも友達が出来るのは大歓迎。定期的にこういったお茶会のような場を開いてくれるのなら是非誘って欲しいものである。

しかし、嬉しいのと同時に少しだけの喪失感。寂しさや侘しさのような物が胸中に残った。

ルイズに友達が出来た。それ自体はとても良いこと。
だが、そうなると彼女はこれまでの様に自分ひとりに頼ってくるようなことは無くなるのだろうな、と。
シエスタにとってルイズは尊敬できる貴族様で、とてもがんばっている友達で、少しだけ手のかかる妹のような存在だった。
ちょっとだけキュルケに嫉妬のような、曖昧な感覚。


「あ、シエスタ」

「はい、どうされました?」

「ちょっとこっち座って。……あ、もうちょっとこっち」

「はい」


ルイズの言うとおりにベッドの上に腰を下ろし、


「えへ、特等席~」


そしてルイズが膝の上にちょこんと座った。


「あの……?」

「シエスタのおっぱいには癒しの効果があるのよー」


ぐいぐいと後頭部をシエスタの胸にあてがうルイズ。
もともと少しだけ幼い顔立ちに、そして髪の毛を切ってからはそれが際立っている。やはりどうあっても『妹』の印象は消せそうになかったし、同時に可愛いな、と。
ふ、とシエスタから自然に笑みが零れ落ちた。


「ミス、これからもたくさんお話しましょうね」

「当たり前じゃない。私を癒してくれるのはシエスタとクロとサンドピローなんだから」

「あら、私は癒しの中には入ってないのかしら?」

「はぁ? あんたは『癒し』じゃなくて『いやらし』でしょ。何よそのおっぱいは。えろいのも大概になさい?」

「セクシーの何がいけないってのよ!」

「フェロモン出すぎなのよ! 谷間こすったらグレープの匂いでもすんじゃないの!?」

「なによそれ! ソースは何処よソースは!」


ルイズはおっぱいおっぱいと叫び、キュルケはセクシーさを見せつけ、シエスタがそれを見てくすくすと笑っているとき、





「グレープの匂い……しない」





ごしごしと胸をこすり、タバサはポツリと呟いた。





。。。。。





少しだけ軽くなった(と思う)頭。
自身の中で決着をつけた後悔。
分裂しかけていた自分。

その時、一方通行の機嫌は良かった。
医務室へ運ばれるルイズを無視し、しかし置いていった剣を拾い上げて部屋に戻るくらいには。


「ったく、後悔ね……『最強』が情けねェ」


言葉とは裏腹にその顔はすっきりしているし、機嫌も良いのだ。
自身の中だけの決着だが確かに一方通行は開放された。己を戒めていた『一方通行』を解き放ったのだ。
くっくと咽喉を鳴らし、剣を暖炉の前に放る。
そして一方通行は倒れるようにベッドに横になった。今日は非常に快適な眠りにつけそう。

しかし、


「おい坊主」

「あァン!?」

「あ、いやすみませんニィさん」

「……ンだァ?」


眠りへの旅を邪魔する一声。男性のものであるそれは暖炉のあたりから聞こえるようだった。
一方通行はきょろ、と辺りを見回し、どう考えてもこの部屋には自分以外の人間がいないことを確認。
だとするならばそれはいったい何処からだろうか。

一方通行はまさかと思いつつも先ほど放った剣に視線を送り、


「おう、デルフリンガーだ」

「……おいおい喋るンじゃねェよ、何の冗談だこりゃ」


剣が喋っているのだ、剣が。
鍔のあたりをかちゃかちゃと鳴らす様はまさしく人の口のようで。


「冗談じゃねえよ。俺はインテリジェンスソード。ま、簡単に言や喋る剣だな」

「……いくらなんでもファンタジーしすぎだろ、クソッタレ」

「何言ってやがんでい、俺にとっちゃお前さんこそファンタジーだ」

「黙ってろテメェ。分解して構造解析すンぞ」

「ひぃ!」


一方通行は無視を決め込んだ。ルイズの匂いが残っている枕に顔を埋め、そして顔をしかめながらもなお無視を決め込んだ。
だって、あまりに分からなさすぎる、デルフリンガーの存在が。こちらの世界に科学が発展していない以上、対話機能のあるCPUやその他機械が入っているわけではないのだ。それは剣。『剣』が喋っているのである。
驚きではなかろうか。驚くしかないのではなかろうか。一方通行の世界で言うならば、その時履いた靴が喋っているようなもので、いや、何か混乱があるが、とにかく一方通行は驚いたのだ。


「……いや、この程度でどうこう言ってたら続かねェな」

「お、話聞いてくれんのか?」


ため息をつきながら一方通行は顔を上げ、言ってみろ、と不遜に。
そう。一方通行はこの程度で驚いてはいけない。これから先、どんな『常識』が出てくるのか分からないのだ。そのたびに一々乱れていては心がもたなくなってしまう。


「んでよ、あの娘っ子のことなんだが……」

「あァ?」

「アイツ、やべぇぞ」

「何がだ」

「頭だ」

「……、……」


何か言おうかと思って、そして口を噤んでしまった。
まさかルイズも自分が買った剣から“頭がやべぇ”と言われているとは思うまい。
一方通行もルイズの頭は大分おかしいと思っているが、とんでもない女だとは思っているが、しかし剣ごときに“頭がやべぇ”とは。さすがの一方通行も多少の同情を感じてしまった。


「……いや、頭がおかしいとかそういう事言ってんじゃねーぞ?」

「あン? だったら何だってンだ」

「お前さん知ってるか? 人間ってのはな、頭の中で麻薬を作れるんだぜ?」

「……エンドルフィンのこと言ってンのか?」

「えんどる……? いや、そんなのは知らねえがとにかく『ハイ』になる物質を出すことが出来んだよ」

「そりゃどっちかってェとドーパミンだな」

「どーぱみん? ……何だ、お前さん知ってんのか? だったら話は早ぇや。いいか、お前さんの使い魔はな───」


一方通行を御主人様だと思っているデルフリンガーの勘違いはさておき。

ガンダールヴ。始祖の使い魔である。
そのガンダールヴには特殊な能力があり、それは一方通行も知っての通り武器を操る能力があることや常識を超えた身体強化にある。
ひとたびその能力を開放すればそうそう負けることはなかろう。それほどの能力なのだ。

しかし、もちろん先日のように限界もあればある種の弊害もある。
それがデルフリンガーの言っている、所謂『脳内麻薬』と呼ばれる物質である。
ギャンブルをやめる事が出来ない。そういう話を耳にしたことがあるものは大勢居ようが、それは何故だろうか。
実はここでも脳内麻薬で、『当たった!』と思った瞬間に人間は快楽物質を分泌しているのだ。それはもちろん依存につながり、酷い時には滅ぼすまでになる。
当然だが脳の『開発』を日常的にうけていた一方通行は知っていること。それがどうしたと言ったところである。


「いや、話の肝はこっからでよ、ガンダールヴってのはそういうモンも『強化』しちまうわけだ。いい気持ちで戦えるってのは正直スゲーと思うぜ。
 だがよ、そりゃあもちろん『いい気分』の時だけさ。心の震えを力にするガンダールブにはちっと厄介なモンになっちまう。戦闘依存。……まぁそこまではいかなくても『日常』に何かしらの不満を持っちまうのは間違いねえだろうな。もともとあの娘っ子、思い込みが激しそうだし『突っ走る』タイプじゃね?」

「知らねェな。その辺には一切興味ねェ」

「そうかい? 俺はそうだと思うね。あの娘っ子はアホだ。友達でいるのは楽しいが、良い男にゃことごとくフラれるタイプの女だと見た。ありゃ絶対B型だぜ」

「だからよォ、それが何だってンだ? 思い込みが激しくて突っ走ってB型の女はガンダールヴになるとどうにかなっちまうってかァ? 気持ち良くなって戦いが恋しいんなら戦争にでも行きゃいいじゃねェか」

「冷たいねえ。俺にとっちゃ久々の使い手だ。大事にしてほしいもんなのよ」

「ッハ、それこそまさか。アイツが何処でどう戦おうが俺には……、……どう戦おうが……?」

「気付いたか?」

「……」


一方通行は指先を口元にそえ、そして少しだけ目を細めた。

ルイズが『ハイ』になるのは別に関係がない。結局のところ一方通行の脅威にはなり切れはしないのだ。それはそれで良い。
『ハイ』な気持ちになるのは脳内物質のドーパミンが分泌されているときである。気持ちが高ぶるし、アドレナリン系の分泌と似たようなところがある。
しかしこれはどちらかというと自身に『危機』が訪れたときに出るもので、先刻の対ゴーレム戦、ルイズの状態はエンドルフィンが出ていると考えたほうが良くないだろうか。

ドーパミンには毒素があり、それを中和するためにエンドルフィンは分泌される。

一方通行の考えでは、おそらくルイズは武器を握った瞬間にドーパミンが出ているのだろう。『ハイ』になり、戦闘行動への意欲が燃えるはずである。
そして過剰に分泌されたそれを抑えるためにエンドルフィンが。もちろんそちらも過剰に出ることだろう。
それはそれは気持ちの良いことではないだろうか。モルヒネの六倍以上の鎮痛効果を持つそれは攻撃に当たっても大した事がないと考えさせ、精神的なストレスを軽減し、α派が出ているのだから集中力も持続させやすいのだ。

『最初からランナーズ・ハイ』。

一方通行との馬鹿な『お遊び』やゴーレムとの戦闘。そのときのルイズを端的にあらわすならこれである。
これだけならとても良い。
戦闘への依存はいずれ出るだろうがそれは一方通行に関係のないことだし、戦いを恐れないというのはそれだけで多少の役に立つものだ。

しかし、


「……面倒くせェ」

「そういうこった。迷惑極まりねえだろ?」


過剰なストレス状況に置かれたとき、人間はストレスを終わらせるための脳内ホルモンを分泌する。ノルアドレナリン。それは『闘争』か『逃避』の行動を選ばせるわけである。
例えばルイズが殺されそうになった時に剣を握ってしまえばどうなるだろうか。
デルフリンガーの話を聞く限りでは、『ガンダールヴ』はノルアドレナリンの分泌ですら『強化』してしまうはずである。
攻撃ホルモンであるアドレナリンがじゃぶじゃぶ脳内に補給。ついでにノルアドレナリンには恐怖感や強迫観念を生み出す作用がある。

暴走。

言葉にするとあまりにチンケなそれは簡単に想像が出来た。
お笑い種である。なんとルイズは暴走してしまう可能性を他の人間よりも大いに持っているのだ。

一方通行は知るよしもないが、ルイズは脳内麻薬といわれる分泌物を放出しやすい環境にある。
毎朝“がんばろう!”と思って自己鍛錬。このときルイズの脳内にはドーパミンが出ている。
高カロリーの『筋肉にいい物』や、これまた高カロリーな貴族の朝食を残さず食べるお口と胃。一方通行がいつも顔をしかめるアロマ。好きなことや楽しいことを考えるポジティブ感。そして口先の魔術師シエスタに褒められて、それらはエンドルフィンを。
嫌だ、面倒くさい、ちくしょう、最悪、爆発、爆発、爆発。小さな頃から続いたそれはノルアドレナリンを。
毎日のストレッチや、寝る前にやっている瞑想。暇があれば太陽の下に出るアウトドア。それらはセロトニンを。

脳にも慣れはある。毎日続いた刺激はそれだけで分泌しやすい脳内環境を作ってしまったのだ。
ルイズのお脳様は非常に優秀で非常に健康体。しかしそれが今回の仇となった。


「あんなにラリッてる使い手は初めてだ。暴走まで強化されたらたまったモンじゃねえぜ?」


デルフリンガーがそういうと一方通行は少しだけ不思議そうな顔を作った。
確かにたまったものではないだろう。暴走して、錯乱して、暴力的になっているガンダールヴはそれだけで洒落にならないものになる。
しかし、その脅威はまた一方通行には届かない。おそらく自動的に『反射』してしまうに決まっているのだ。


「どうするんでい。なるべく戦わせないのがベターだと俺は思うがね。剣なのに戦えないってのも変な話だが……まぁ、仕方ねえか」

「くく、余計な心配してンじゃねェよ。安心していいぜ? 誰もお前の存在意義を否定したりはしねェ」

「お、何だ、何か名案でもあんのか? 暴走は厄介だと思うぜ? 特に味方に剣を向けたりしちまったら……」

「そんときゃもう俺が殺してンだろ。どうだ、なかなかの名案じゃねェか?」





。。。。。





「……なんかぞくっと来たわ、今」

「あら、それはいけません。そろそろお休みになられてはどうでしょうか?」


シエスタが心配そうに顔を覗き込んでくるのに対しルイズは笑顔を作った。
別に体の調子がどうこうというよりも、何となく『虫の知らせ』的なものだ。ルイズは七歳のときから一度も風邪をひいたことがないのが自慢の一つ。何が何でも風邪ではないのだ。


「だいじょぶだいじょぶ、私風邪ひかないから!」

「あら、確か馬鹿は風邪ひかないって言うわよね?」

「うるっ、うるさい!」

「違う。馬鹿は風邪をひかないのではなく風邪をひいたことに気が付いていないだけ」

「そのくらい気付くもん! 私馬鹿じゃないもん!」


ルイズは若干涙ぐみながら叫んだ。
今日はじめて気が付いたのだが、タバサはその小さな口からは想像も出来ないほど大きな毒を吐く。
私よりもおっぱい小さいくせに! と心中言ってやりたい思いでいっぱいだが、タバサには将来性という、ルイズにとっての強敵が居るので何とか飲み込むことに成功。両手で自分の胸を揉みながらため息をついた。


「……何やってるのよあなた」

「やっぱ諦めきれないわ、巨乳」

「そんな……ミスは今のままでも十分魅力的です。綺麗な足をしていらっしゃいますし、体型だって嘆くようなことはないと思いますが……」

「でもシロったらキュルケのおっぱいは持ち上げても私のおっぱいは見もしないわ。……視界に映らないほどひ、ひひ貧乳とでも言うのかしら!」


ルイズはシエスタの膝から立ち上がりこのおっぱいが、このおっぱいが! とキュルケの胸をばしばし叩いた。
そもそもあの使い魔は異性に興味がないのだろうか。夜一緒に寝ているのに手も握ってくれない。布団は取られる。寒い。心も体も。

しかし、そう言えば、あれは嬉しかったのだが、


「……キュルケってさ、いつもシロから何て呼ばれてる?」

「ん? ん~、おいとか馬鹿女……あとは乳女とか?」

「シ、シエスタは?」

「メイドと呼ばれています。おいメイド、とかですね」

「タバサ?」

「チビ。ガキ。チビガキ。青髪。お子様。メガネ」

「ふ、ふ~ん」

「何なのよ一体」

「いえいえ、なんでもございませんよー」


勝った。そんな気がする。
そう、あの傲岸不遜で唯我独尊な一方通行はルイズをルイズと呼んだのだ。
あの綺麗な唇を動かして、綺麗な舌を動かして、そして咽喉を震わせ『ル』『イ』『ズ』。幻聴が聞こえてしまう。一方通行からもう一度呼ばれたい。

ルイズは顔を少しだけ赤くしながら目じり眉じりをたれ下げた。
たった一回だが、もしかしたらこれからもそう呼んでくれるのだろうか。何となく、一度千切れかけた絆が深まったような気がするのは、これは錯覚だろうか。
いつの間にかキュルケの胸を揉んでいた右手は動きを止め、


「ま、まぁ許してあげるわ、このおっぱい」

「私のおっぱいは私のものなんだけどね」


そしてキュルケがずれた下着を服の上から直しているとき、


「入るぞい。……ふむ、一応生徒は寮から出ることを禁じておるのだがの」


長い髭を蓄えた老人、オスマンが現れた。
彼はぐーすか寝こける養護教員をちらりと見、仕方ないのう、と柔らかく笑いながら呟く。


「が、学院長……」

「何と言ったらよいかの。君ら三人は非常に……ううむ、まぁあのゴーレムの前に立ったことは非常に賞賛するべきことだとわしは思っとるよ」

「はい」

「ミス・ヴァリエール。お主は困難に立ち向かう度胸を持っておる。頭も悪くない。ゴーレムの足元であれだけ動けたのは賞賛するべきことじゃ」

「ありがとうございます」


ルイズはぺこりと。


「ミス・ツェルプストー。お主の気転でミス・ヴァリエールは死なずにすんだと言っても良い。魔法の技術、その精度、共に学生とは思えぬほどのものじゃ」

「あ、ありがとうございます」


キュルケが今さらあわてた様に椅子から立ち上がり一礼。
あまりに突然な登場のために放心していたのだろう。


「そしてミス・タバサ。主はシュヴァリエじゃからあの程度は当然……とは思わん。二名同様ようやったとしか言えんが、わしの気持ちは伝わるかね?」

「はい」

「うむ。……さて、三名には何か褒美を取らせようと思っておる」


どきり、とルイズの心臓が一つだけ跳ねた。
この学院に入り一年、誰からも褒められる事無くがんばり続けてきた。厳密に言えばメイジから、だ。シエスタという甘甘な友人がいるのでそれは褒められたが、しかしそこにある貴族と平民の差。それは埋まることはないだろう。だって、シエスタがルイズに友達言葉で“やったじゃん! これからだって頑張れるよ!”なんていうのはあまりに想像が付かない。
そういう意味で、人からまともに褒められるのは初めてなのである。
こういうことを期待していたわけではないが、自分自身で勝ち取ったものなのだ。それは両親が送りつけてくる金のように与えられたものではなく、自分の力で得たもの。
内心、なかなか分かっているじゃないかひげじいさん! といったところである。


「お主ら三人……」


ついつい生唾を飲み込み、


「停学ね。一週間くらい」

「……は、はぁ?」


停学。学校に来てはいけないこと。間違いなくご褒美ではないもの。
そのくらい知っている、と自分の脳に突っ込みを入れて、さて、停学である。

ルイズには何故だと疑問がわく前に考えたことがあった。
停学と言うのは、それはまさか実家に帰らなければならないのではないだろうか。手紙をよこさず金を送ってくる両親のもとに行かねばならないのだろうか。やだ。それだけは、絶ッ対に嫌なのだ。
顔すら見たくない。まだギリギリで嫌いではないだろうが、それでも顔をつき合わせてまた失望の瞳が飛んでくるかと思うととてもではないが耐えられそうにない。嫌いになってしまう。


「そんなのってないわ。私たち、一応活躍したもの」


キュルケのその言葉にまさしくその通りだと頷いてしまう。


「うん。じゃから停学は体裁的なモンで、ほら、アレじゃろ? 一応わしの言うこと聞かなかった訳じゃし。まぁ単なるお休みじゃととってくれてよい。授業に出ても良いし、街に遊びに行くのは……まぁ、変装は忘れんようにな?」

「な、何だ……ああ良かった。学院長も人が悪いです。一瞬お父様とお母様の顔が浮かんじゃった……」

「ああいや、ミス、お主には実家に帰ってもらうぞい」

「なしてか!?」

「お、おお、中々聞かん訛りじゃな?」

「そ、そうじゃなくて、何で私だけ!」

「……お主の親御さんが五月蝿いんじゃよね。何で娘じゃのうてわしに手紙送ってくるの? 毎月毎月お主の近況報告書くのがいい加減面倒臭いんじゃけど……」

「知らん知らん! 私はそんなの知らない! 帰りたくない!」

「いやいや、そこを何とか。命令しちゃうぞい? トリステインにこの人ありと言われとるオールド・オスマンが命令するぞ?」

「いや……いやぁ、そんなの、そんなの……」


そしてルイズは肺にいっぱいの空気を溜め込んで、


「不幸よおおおぉぉおおおぉぉぉおお!!!」



















ルイズ停学END。さて、これにて一部おしまいです。
しかし、いくらクロスオーバーさせたとは言え、一巻相当を書くのに13話とか……もっとぴゃぴゃっと書く技術が欲しいです。何かいらない事を書いているのでしょうね。というかギャグをなくせば良いんですが、しかし私は根っからのギャグ体質。書かずにはいられない、と。
次からは話が大きくなって、さらにワルドとか出てきますね。なんかもうかませ犬にも成りきれない臭いがぷんぷんしますが。

そしてついにルイズのガンダールヴに制約が付きました。前々から言っていましたが、虚無にガンダールヴに一方通行は強すぎるだろということです。
作者自身には脳みそから出るホルモンとか授業で習った程度でしか知らないので、間違ったこと書いてたらすみません。随時修正していきますのでおかしい所があれば教えてくれると嬉しいです。

独自設定とか、改変とか色々あると思います。
分かるかとも思いますが、ゼロ戦にルイズは乗れません。ゼロ戦の活躍を待っている方がいれば申し訳ない限りです。

長くなりました。ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。



[6318] 01
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:e4b7aa8d
Date: 2010/05/07 18:43



憂鬱である。とても憂鬱である。
今まさに、この目の前にある現実を破壊して、素っ裸になって、何もかもから開放されたい。走り出したい。馬を盗んで十五ではなく十六だが、その十六の夜を演出してもいい。


「盗んだお馬で走り出すー……」

「あン?」

「ん、んーん、何でも」


いまルイズと一方通行の前にはとても大きく、豪奢で、隅々にまで金がかけられているであろう屋敷が立っているのだ。
そう、ここはルイズの実家、ラ・ヴァリエール公爵家である。

ため息をついたルイズは門扉を睨みつけ、睨みつけ、睨みつけ……。足が動かない。
一年前から何処も変わらずに存在している。従者が手入れしているのであろう庭も綺麗で、ちょっと寄って来た池(一方通行は湖の間違いじゃねェのか、と疑問をあらわに)にも小船があったし、ルイズが学院に放り出されたときから全然変わらないヴァリエール。

ルイズはこの家が嫌いである。両親は嫌いではないが苦手。姉は二人とも好きだ。
出来ることなら帰って来たくはなかった。が、停学と、オールド・オスマンから見せてもらった両親の手紙。文面は堅苦しく、いかにも『貴族』な手紙だったが、その内容はいつもルイズのことを教えろといった物だった。
見せてもらったときは我が目を疑ったものだが、それはルイズを心配している手紙だったのだ。
両親のランクが嫌いの一歩手前から苦手に変わったのもそのせい。なんだ、意外と親なんだな、と当たり前のことを当たり前に思った。


「だがしかし……」

「いい加減入らねェか」

「ちょ、ちょっと待って! 心の準備が必要なの。言ったわよね、私は親が嫌いではないけど苦手なの。出来ることなら顔を見ずに停学を終わらせようと画策しているの。ちい姉さまの部屋にいれば安全とかそういう問題ではないわ。そう、もう何て言ったらいいかしら……、ヴァリエールの空気が私には合わないのよ。窒息してしまいそうなの。魚が陸に上がったら息は出来ないでしょう? 同じなの。ゼロはヴァリエールに入ったら呼吸が───」


一方通行が門に触れようとし、それを何とか阻止するためにくどくどと口上を垂れていたのだが、もちろん一方通行には効かなかった。
ルイズの心情など知ったことかと言わんばかりに彼は玄関の大扉に触れ、何故かそれはとんでもない勢いで開かれるのだ。ばたぁん! とそのものを破壊するように。
そして開いた先にいた人物は、


「……随分長いこと考え込んでいましたね」

「おほっ、お」

「少しは変わったかと思っていましたが……」

「おか、おかかっ」

「相変わらずよく分からないことを言うわ、ルイズ」

「お母様! ああ嫌だわ、どうしましょう! よりにもよってお母様が一番だなんて、どうしましょう!」

「まるで会いたくなかったかのような言い草ですね」

「はい!」

「……」

「ああ、どうしましょう、どうしましょう……」


その場をぐるぐると回り始めるルイズは滑稽で、非常に微妙な顔をしたルイズの母は哀れで、そして一方通行が小さく呟いた。


「頭がヤベェ、か……」





01/~ラ・ヴァリール~





母と思しき人物に連れて行かれるルイズをさくっと見捨てた一方通行は特にすることもなく、しかし屋敷の散策をするほどに好奇心もなく、結局屋敷の外に出て、そして先ほど少しだけ立ち寄った池へと。
どう考えても、これはもはや湖だと思うのだが、しかし庭の中にあり、ルイズが池だと言うのなら池なのだろう。周りには春らしく綺麗な花々が咲き乱れている。
一方通行の心はぴくりとも反応しなかったが、しかし他の人間なら綺麗だと思うのだろうな、と。今さら風景を見て綺麗だと思うことは難しい。一方通行の目は常に暗闇を向いている。光は似合わない。

とはいえ、この暖かい太陽光と春色の風は一方通行の眠気を誘うのに十分な威力を発揮。
ふぁ、と大口を開けて欠伸をし、どこか寝る場所はないかときょろきょろ。


「あら?」

「……」

「あらあら?」

「……」


聞こえてくる声に無視を決め込み、そして一艘の小船を見つけた。
ちょうど良く人間一人が横になれるサイズで、ゆらゆらと風に揺れている様は更に眠気を誘ってくる。
いよいよもって眠くなってきた一方通行は片足を船に乗せ、


「うおっ!」


ぐらり、と船は揺れた。
船に乗るのは初めてで、特にこんなに小さなボートなど乗ったことはない。存外難しいものだな、と。

ちらりと視線を送れば、


「横からじゃなくて前から乗るとバランスがとりやすいわ」

「……」


女が一人、くすくすと笑いながら一方通行を見ていた。

助言の通りに船の横は避け、前から乗れば、うん、その通り。船は一方通行を乗せ、そして優しく揺れ動いた。
一方通行は『ハンモック』を経験したことはないが、おそらくこういう物ではないだろうか。ゆらゆら、ふわふわ。ぐらぐらではない。ゆらゆらなのだ。
同年代の子供と比べると『経験』が少ない一方通行はこの世界の何もかもが珍しい。もちろんもとの世界でもそうだ。学園都市に居れば間違いなくボートに乗る経験は無かったはずだ。
こういったものまで『力』になるとは思わないが、しかし経験しておくことは無駄では無かろう。一方通行はそう自己完結して(決して眠気に負けたわけではないのだ!)、そして眠ろうかという時。


「私もご一緒していいかしら?」

「沈む」

「そ、そんなに重くないわ」

「どォだか」


少なくともアイツよりは重そうだ、と片目をあけて一方通行は続けた。
にこにこと柔らかそうな雰囲気を放つその人物は、ルイズによく似た女性であった。似たような髪の毛の色に顔立ち、体型はまぁ、うん、あまり似ていないのだが、それでもあのやかましいゴシュジンサマを女らしく成長させたのならこうなるのだろうな、という完成形のような印象があった。

余りにぶっきらぼうな一方通行の態度はその女性にすると珍しいのであろう。綺麗な瞳をまん丸に開き、そして何処までも柔らかそうに笑う。


「面白いかた。お父様に用事が?」

「ここには何の用事も無ェ。ただアイツが学院に居ねェと俺の飯が出ねェからな。たまにゃ言うこと聞くのも悪かねェだろ?」

「あら、もしかしてルイズのお友達かしら。あの子もう帰ってきているの?」

「鼻水垂らしながら母親に連れてかれたぜ」

「ふふ、停学ですって。何かしたの、あの子?」

「……なンつったか、『土くれ』の何とか……ソイツのゴーレム? に突っかかって、ンで死にかけてたな」

「まぁ、怪我はしていないかしら?」

「少なくとも死ンじゃ居ねェよ」


毎日毎日ルイズを物理的にぶっ飛ばしている一方通行にはなかなかキツイ質問である。
いつもの一方通行なら気にもしないのだが、何となくこの女には泣いて欲しくないなと思った。
一方通行をしてそう思わせるのはひとえにこの女が放つ雰囲気。柔らかくて、そういうのが似合わない一方通行にすらも安らぎを与えるような、そういったモノ。
学園都市にはまず居ない人種。少なくとも一方通行は会ったことがない人種である。
科学者どもは毎日毎日研究ばっかりで、レベル6シフトの研究員はちっとも優しくない。というより、皆自分のことで精一杯なのだ。他人に構う暇など『現代』で見つけるのは難しい。わが身を犠牲にしなければそういった時間は取れないから。


(あァ、そういや居たな、一人だけ……)


ふと思い浮かべるのは最弱。あの男は、敵対していなければこういったモノを持っていたのかもしれない。
包み込まれるような包容力というか、何といったらいいだろうか、母性? そういったもの。

馬鹿なことを考えてるな、と自身そう思い思考をカット。
いよいよ目を瞑ってしまおうという時。


「……私もご一緒していいかしら?」

「沈む」

「そんなに重くないわ」

「……勝手にしろよ」


一方通行はため息をつきながら身を起こした。

何かが変わっていた。何か、どれかよく分からないが、絶対に何かが変わっていたのだ。





。。。。。





「言いたい事と聞きたい事が山ほどありますが、さて、どちらからいきましょう」


どちらとも飲み込んで私を学院に帰してくれ。
もちろんそれは声になることは無く、口から出て行くのはあ、う、と意味をなさない音ばかり。

幼い頃からのお勉強部屋。そこにルイズは連れられた。
何度ここから逃げ出したことだろうか。窓を開けて飛び降り、少しだけ高い場所にあるのでいつも足がしびれていた。そこからは植え込みに身を隠して、そして猫のようにこそこそといつもの池に行くのだ。いつもの小船に乗り込んで、ゆらゆらと揺れるそこで毎回泣いていたのを覚えている。

ちら、と窓のほうに目を向けると、


「無駄です」


母から送られる冷たい視線。
今まで何度逃げ出したのか分からないが、しっかりと対策は練られていたようだった。
鍵が三つもついている。一つ開けるのに半呼吸。三つ開けて、窓に足をかけ、そして飛び出す。ああ、その間に首根っこを捕まえられること間違いなしである。
ランブル・フィッシュのように目を泳がせながらルイズは汗をたらした。


「ルイズ……」

「は、はい」

「私に言いたいことがあるように、あなたにもあるでしょう。これまでの手紙は読ませてもらいました」

「て、手紙? 送った覚えは……」

「カトレアに送られてきた手紙は私も読ませてもらいました」

「ひょッ!」

「考えなかった、と? ええそうでしょう、あなたは私達が嫌いなのでしょう。そうね、あなたの前でため息を漏らした事もあります。あなたをたくさん傷つけた事でしょう。そのことは謝ります。私の配慮が足りませんでした」


だが、と母は、カリーヌは続ける。


「……ですが、だけどねぇっ、親の! 親の痴呆を心配するとは何事ですか!! 父親に向かって! 母親に向かって! 死ねばいいのにとはどういう事ですか!!」

「あ、あれはそのっ」

「正座なさい!」

「はいっ!」


カリーヌの眼光に貫かれルイズは足を折りたたんだ。床の上に直に座りこみ、そして思わずため息。とほほ、といった調子である。
考えてみれば、両親に一通の手紙も送らず姉にばかり送っていれば、それは親として気になるところだろう。
最初は渋ったのだろうが、それでも親が子供を心配している様を見て無視できるほど心無い女ではないのだ、姉は。


「お説教です!」


子供の頃から何度も聞いたその言葉。
小さな頃は体が震えるほど怖くて、今も大して変わってはいないが、しかしルイズだってちょっとは成長しているのだ。
一年前とは違い魔法が一度だけ成功して、そして今の自分には使い魔も居るではないか。
ルイズは大きく息を吸い込み、


「ど、どんとこい!」





。。。。。





小船で向かい合い、一方通行は視線を合わせずに水面を見つめる。
気を許してしまうと吸い込まれてしまいそうな印象があるのだ。


「それでね、ルイズはお母様のお説教のときにいつも逃げ出してこの小船で泣いていたわ」

「そォかい」

「だから今日は先回り。きっと今頃お説教されてるもの」

「ッハ、そりゃ停学だからな。怒られンのも仕事のうちだろ」

「そうなの。あの子、昔から無茶するところがあったから。皆がどれだけ心配してるのかきちんと分かってもらわなくちゃ」


カトレアと名乗った女はふわふわと笑った。そしてう、と何気に一方通行は引いてしまうのだ。

なんと言えばいいだろうか、非常に居心地の悪い空間である。
そもそも何で自分は律儀に話を聞いてやっているのか。一方通行にはそれが分からなかった。眠ろうと思って船に近づいて、バランスを崩して、そして何故か一緒にゆらゆらと風に揺れている。
いつもの一方通行ならば無視するところだったろう。しかし、何となく、本当に何となくなのだ。何となく話をしてもいい気分になった。
何か魔法による攻撃かと考え、自身の反射設定を見直したがそんなことも無く、これはカトレアの人間性がそうさせるのだろうな、と。

はぁ、とため息をつきカトレアに視線を送れば、ん? と小首をかしげてまた微笑む。
一方通行は薄ら寒いものを感じながら、そして考えるのをやめた。駄目だ。とても理解の範疇にあるような女ではない。


「眠たそうな顔ね」

「誰かさンのおかげでな」

「はい、いいわよ」


ぽんぽん、とカトレアが自身の膝を叩いた。


「何だそりゃ?」

「頭。膝枕。おいで」

「……あン?」

「ルイズは好きなのよ、膝枕。嫌い?」

「いや、好きとか嫌いとか……、そういうモンか?」

「そういうものよ、きっと」


どちらにしても遠慮しておく、と一方通行は首を振った。
『最強』が膝枕など、今この瞬間も大分おかしな状況なのに、それこそ目も当てられなくなってしまう。

一方通行はぼりぼりと頭をかきながら片手を水面につけた。話をしている間に風に運ばれ、池の中ほどまで移動していたのだ。


「漕ぐときはこれを使うのよ」


『ふわふわ』が手にしたのは小さなオール。まるでおもちゃのようなそれは、一方通行には必要のないものである。
水流操作系の能力者に倣って、そこに動きがあるのなら一方通行はなんだって操ってみせる。
風と同様、全てを操ることは出来ないが流れを作るくらいなら、この小さな船を動かすくらいならお手の物である。

一方通行は静かに目を瞑り、改めて自分の眠気を感じ、そしてベクトル操作。一つの波を掴み取り、もう一つ掴み取り、それは風の方向を無視して二人を運ぶ。静かに揺れる小船はゆっくりともとあった場所に進んだ。


「あら? あらあら?」

「……っは、何かおかしいかよ?」

「ええ、何だか変な感じ。水が意思を持って私達を運んでくれているみたい」

「それはそれは。どうにも美しい表現ありがとさン」

「まぁ、お上手ね」


皮肉すら効かない。
一方通行は顔をしかめながらさっさと陸地に上がった。


「行ってしまうの?」

「寝ンだよっ」

「そうね、今日は太陽が気持ちいいわ。私もルイズが来るまでそうしてようかしら」


適当な場所で横になった一方通行は頭の後ろで腕を組み、そして目を瞑った。
……瞑ったのだが、またもカトレアが傍に来るのだ。
パーソナルスペースにたやすく入ってくる彼女は、しかし一方通行にストレスを与えることなく、ただそこに居る。一方通行の隣に座りこみ、ぽんぽん、ぽんぽん、と自身の膝を叩き、またもふわふわと微笑んで。

くそったれ、と口の中だけで呟き、


「俺ァ枕は低い方が好みなンだよ」

「大丈夫。私の足、そんなに太くないわ」

「……、たまンねェ……」


諦めた。何かを途中で投げ出すのは余り好きではないが、これはいよいよもって諦めた。

大きく大きくため息をつきながら一度だけ体を起こし、そして頭をカトレアの膝の上に落とした。
香る香水は一方通行の好みに似ていて、どういうことか眠気は強くなるばかり。


「どう?」

「ん、あァ、なンつーか……ねみィ、な……」

「うん、おやすみなさい」


怖いマホーツカイも居たもんだ、と何かよく分からないことを考えながら一方通行の意識は沈んでいった。





そしてカトレアは一方通行の額にかかる髪の毛をさらりと流す。本当に寝てしまったようで、瞼は静かに閉ざされていた。
カトレアは自身、結構勘のいい女だと思っている。身体は生まれつき良くなかったが、その代わりに勘が良かった。
何となくピンと来る事が小さな頃から良くあった。ああ、この人はもうすぐ……、そう思えばそうなった事も何度となくあったし、少しだけ薄ら寒いものすら感じるが、事実として勘がいいのだ。
春色の風を身体に感じながら大きく息を吸い込んだ。
同時に思うのは一方通行のことで、何となく、そう、何となくなのだが、異質な感じがする人物だ。なんだか今まで知らないところで育ってきたような、それともちょっと違っていて、本当に『違う存在』、そんな気が。

一目見たときからカトレアは痩せっぽちなこの少年の事が気になって気になって仕方がなかった。
瞳の色は今まで見た誰とも違っていて、放つ雰囲気は鋭いくせに、ともすればぽきりと折れてしまうような危うさも残している気がする。
思う、気がする等の何の根拠も無い話だが、カトレアは自分の感覚をなるべく信じるようにしているのだ。
この少年は目を離してはいけない。そう思わせる何かが彼からは出ていた。


「……一目ぼれかしら?」


くすくすと笑いながら。

さらさらの髪の毛。長いまつげ。形の整った眉。
どれもこれもが純白で、新雪にも勝るそれは美しかった。非常に珍しい毛色で、冬に父が獲って来るウサギに似ていた。


「それにしても……」


カトレアは少しだけのんびりした口調で、


「今日は粘るわね、ルイズ」





。。。。。





足が痺れてきた。なかなか高レベルの痺れである。今まで経験した中で一番の痺れかもしれない。
限界が近い。その事を母に伝えようとするも母の眼光は鋭く、ルイズの発言は未だ許されていないようだった。


「いいですか? あの人はあなた達に甘いですからそう強くは言わないでしょうが、これでも私達はあなたを心配して───」


聞いたよ聞いた、それはさっきも聞いた。なんというエンドレスリピート。
ルイズの思考がちょっとずつアレになっていっているのは、もちろん下半身の痺れが原因である。
もう脂汗が出てきているのである。お説教を聞いてやろうと思ったのはいいが、まさか身体的な限界が先に来るとは思っていなかった。
心臓の鼓動は速くなっているし、指先で足を触れば感覚なんてない。
はぁ、はぁ、とルイズは呼吸すら満足にできず、そしてついに、


「お母様! その話はもう四回目です!」

「そうですか。あと六回は聞かせましょう」

「たまらん! もう無理です!」

「そんな事はありません。無理無理と言っていたあなたはちゃんと魔法を成功させたのでしょう? オスマン老からの手紙に書いてありましたよ」

「無理の種類が違います! 例えるなら私の無理はみかんでお母様の無理はリンゴだわ!」

「またよく分からない事を言うのですね。それより、魔法に成功したというのは本当のことなのですか?」

「う……ま、まぁ……、成功と呼べるのかどうかは分かりませんが、一応使い魔は召喚できました」


とんでもない者をだが、一応召喚は成功している。コントラクト・サーヴァントはしっかり返ってきたが。


「ふむ、そうですか。一目見たいものですね。何を召か───」

「人間です! しかも異世界から来た人間です! 魔法なんか全然効きません! ぜ~んぶ跳ね返ってきます!」

「ルイズ」

「本当です! 私は嘘もつくし約束を破る時だってあるけど、今この瞬間には絶対無いと、始祖ブリミルに誓います!」

「……はぁ、分かりました。ではその者を連れて来なさい」

「は、はいー!」


ようやく開放された、とルイズは立ち上がった。
だが足の痺れでよろけ、


「ありゃりゃ、っとと」


ついつい母に手を伸ばした。

その手を母は当然のようにとり、そしてルイズは抱きしめられたのだ。

へ? と間の抜けた声を出してしまって、ちょっとだけ恥ずかしかった。
いつ以来だろう、母に抱きしめられるのは。その最後の思い出は随分と昔のもので、おそらく小さな小さな子供の頃以来だったろう。まだ無邪気に魔法の力を信じていた時から、そして自分にはその才能が無いと知ったときからルイズは両親に甘える事を一切しなかった。
こうやって抱きしめてくれるのは魔法が成功したからだろうか、と無粋な事を考えるも脳内ではしっかりと答えが出ていて、自分がこうやって甘えたかったように、母もそのタイミングを今か今かと待っていたのではないだろうか。顔を合わせて話し、ようやくになってその事が分かった。
心臓は跳ねて、懐かしい母の匂い。鼻の奥がつん、と痛くて、母の優しい手の平にルイズの頭は一度だけ撫で付けられた。
じわりと涙腺が緩んでしまって、


「よく帰って来ました、ルイズ」


その言葉で涙が流れ落ちた。


「心配していました。勝手な事を言っているのでしょう、私は。だけど……本当に心配していたのよ、私のルイズ」

「……ん……今までごめん、なさい……」


母の服に鼻水をつけるのは申し訳なかったが、これは我慢できそうにはなかった。
わんわんと大声を出して泣き、母の手は誰よりも暖かくて、ようやくルイズはお母さんのことが分かったのだった。







[6318] 02
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:e4b7aa8d
Date: 2010/05/07 18:44




「ルイズ……」

「はい」

「本当に“コレ”を召喚したというの?」

「コレ? コレときやがったか、おい」

「……ルイズ」

「は、はい」

「平民……、でしょう?」

「ンだテメェ……、反射すっぞこら」

「ル、ルイズ……」

「はい……」

「ルイズっ」

「は、はい、なんでしょうか?」

「ルイズ!!」

「あだっ、あだだだだ!!」

「な、何ですかこの無礼者は!!」

「おかっ、お母様、ギブ、ギブッ!!」


カリーヌのチキンウィング・フェイスロックがルイズの肩と首の両方を極めた。





02/~恋とか愛とか主従とか~





異世界。私の使い魔はそこから来ました、とルイズはカリーヌに懇切丁寧説明した。
カリーヌは一方通行の態度にこれでもかというほど腹を立てており、ルイズの言葉が届いていたかは定かではない。というより、信じているかどうかが分からない。
ルイズは一方通行の事を信じている。異世界から来たという事も信じているし、一方通行が『最強』なのも信じている。が、この不遜な態度とにやついた表情は慣れないとなかなか腹が立つものである。初対面の人間には間違いなくマイナスイメージをもたれる人間だろう、一方通行は。……もたれるはずなのだ。マイナスイメージをもたれる筈なのに、


「それでね、ルイズったらなかなかオネショなおらなくて……」

「そォか。……あァ、そォいや学院でも───」

「ストォォオオオップ!! そういうこと言うのは感心しないなぁご主人様は! まったく感心しない!」


一方通行が姉にとんでもない事を暴露しようとし、ルイズは寸での所でそれを止めた。
何故だろうか。何故一方通行と姉はあんなに仲良しなのか。
一方通行は今までに見たことも無いような表情を、いや、雰囲気をしていた。変わらずにやついた表情なのだがいつものぴりぴりとした緊張感は無い。
なんだかずるい。ルイズはそう思った。

ちょうど昼時なので母に紹介するついでに食卓に着いたのだが、カリーヌの隣にルイズ、その対面に一方通行、その隣にカトレアである。
違うのではないか? この席順というか、組み合わせはなんだか違くないだろうか?


「ちい姉さま、何で一方通行とそんなに仲良しなの?」

「あら、アクセラレータって言うの、あなた」

「一方通行《アクセラレータ》だ」

「一方通行ね、わかった」

「だ、だから何でそんなに……」

「だってルイズったらなかなか池に来ないんだもの。たくさんお話して一緒にお昼寝していたわ」


誰にでもそうあるように、またもカトレアはふわふわと微笑んだ。
何かよく分からない感情がルイズの心中に渦巻き、う~~っとルイズは唸る。
ずるい。ずいるいずるい。『一方通行《アクセラレータ》』を教えてもらったのはルイズだって最近になってからなのだ。それなのに姉は初めて会ったその日に教えてもらって、そして一方通行の隣でご飯を食べている。
腑に落ちないものを感じながらモソモソと食事を口に運び、


「一方通行といいましたね」

「あン?」


ひく、と母の口角が動いたのをルイズは見逃さなかった。


「あ、貴方は使い魔として召喚されたのでしょう? ルイズがどうしてもと言うので許しましたが……、本来なら貴族と平民が共に食卓に着くなどありえない事なのです。それを理解していますか?」

「これはこれは、御高説クソ賜りました。わたくしのようなクソ下賎なものと一緒にクソ高貴なメシを食ってもらえるとはクソ感激至極。クソ嬉しくて嬉しくてたまンねェよクソッタレ」

「───ッ、ルイズ、ルイズ……!」


食卓の下でルイズはカリーヌに手を取られた。
片手で軽々とルイズの手首は極められ、みりみりと関節が死んでいく音が。


「くぉっ! お、お母様、どうか、どうかっ! あの者の無礼は今に始まった事ではなく───」

「私は、平民に、使い魔に、クソッタレとっ、言われたかしら?」

「違います、違うんですお母様! と、異世界では褒め言葉なのかもっ……い、いた、いたっ」


ふーっ、ふーっ、と自身を無理やりに落ち着ける母は今までに無いほど怒りを蓄えているようだった。
どちらかというといつも冷静で静かに怒る母なのでその姿には驚きを隠せない。そしてここまで怒らせるという使い魔にも驚きを隠せない。

一方通行の心臓はいったい何でできているのだろうか。緊張とか、身体が硬くなったりとか、そういうのは無いのだろうか。
ルイズの召喚した使い魔は頭がいい。それはこれまでの生活でよく分かっている。だからいくら違う世界から来たといっても、貴族と平民の間にある決して越えられない壁も理解しているはずなのだ。

しかし彼はそれを軽々と乗り越える。というよりもぶち壊す。理解しているのならちょっとはその通りに動いてみろと言いたい。なんだってわざわざ挑発するような事をするのだろうか。

手首がちょっと変な方向を向き始めたところでルイズは笑顔を作り、


「あ、一方通行? さっきのはちょこぉっと失礼ではなくて?」

「……」

「あ、あ、一方通行? ちょっと御免なさいしてくれると、私の手首は、元の位置に戻れるのだけれどっ!」

「……」

「ちょ、ホントに、ねぇ!」

「……このスープ……なかなか美味ェな」

「シカトかコラっ!!」


いつもはそんな事しないのに一方通行はわざとらしくずずずずっ! ととんでもない音を立ててスープを飲み干し、かちゃん、ではなくがちゃん! と手に持っていたナイフとフォークを食卓に放った。

同時にルイズの手首が、ぽくんっ。

ひょ! と縦に開いたルイズの口は塞がらず額から脂汗が垂れる。
変な音がした。人間の身体から聞こえてくるのはおかしい音がした。ルイズ自身の手首から聞こえてきたのだが、それはそれはおかしな音が響いたのだ。
そっと食卓の下を覗けば母に捕まれていた左の手首はぷらぷらしていて、その視線をゆっくり上げると満面の笑みをたたえた母カリーヌが。


「ルイズ、ちょっと、あなたの使い魔と、食後の運動をっ、したいと! 考えていますが!!」

「お、おおおお勧めはできませんが私の制止などお母様は聞かないでしょうし私がどう言った所でそうしてしまうつもりなのは分かっています!!」

「つ、ついて来なさい。貴族がどういうものか、しっかりと───」

「口上述べなきゃ喧嘩もできねェってか? 立派なもンだな、貴族ってのは」

「……ふぅ。……」


ぼそりと呟いてカリーヌは背中を向けた。
殺します。と呟いていたように聞こえたのはおそらくルイズの幻聴に違いないのだ。





水の秘薬を飲みながら、そして手首に塗りこみながらルイズは一方通行の耳元で。


「ちょっと、ちゃんと手加減してよね」

「はァ? 何言ってんだテメェ。俺は反射するだけだ。手加減の仕方なンざ知らねェよ」

「だ、駄目よそんなの」

「……分かってらァ。ちょっと『風』ってのを受けたらすぐ終わらせてやる」


そう、一方通行はそのために挑発していたのだった。
ルイズは毎朝毎朝特訓していて、それに一方通行も参加する。毎日爆発を身に受けて、それで演算。反射設定を超えてくる得体の知れないものを理解するために。
それはルイズも聞いていて、すると一方通行は違う魔法使いでも試したい事があると言い始めた。『火』はキュルケで、『土』はギーシュで、そしてルイズの知り合いで一番『風』を上手く使えるのはタバサである。
一方通行の言うとおりタバサも特訓に参加させようと部屋をノックするのだが、しかし彼女は出てこなかった。とにもかくにも出てこなかった。

そこで思い出したのが母の事で、そういえば母も『風』だったなと思った。停学の三日目。色々と準備をしていざヴァリエールへというときに思い出したのだった。
そして一方通行にその事を伝えて、彼はいつもの通りにニヤつくだけだった。

はぁ、とルイズはため息をつく。
まさか喧嘩を吹っかけるとは思わなかった。素直に頼めば母も断らなかったとは言わないが、何故わざわざ挑発するような真似をするのか。そのせいで手首が。私の手首がっ!


「……あなたってホント負けず嫌いよね」

「あァ?」

「ま、その辺も可愛いけど」

「何言ってンだオマエ?」


一方通行が嫌そうな顔をしてそう言った時に、前を歩いていたカリーヌの足が止まった。
庭の、池の畔。


「ここらでいいでしょう」


ルイズとしては幼少の頃の思い出がいっぱい詰まった場所なので破壊して欲しくないのだが、どうだろうか、なんと言っても母と一方通行がちょいと戦ってやろうというのだ。脳内には焦土に成り果てた池しか思い浮かばない。


「ルイズ、下がっていなさい。怪我をしますよ」


すでに手首がぷらぷらしているところです。
ルイズは頷きながら久々に小船に乗った。懐かしい感じ。以前よりも狭く感じるのはルイズの成長の証だろう。


「では始めます。ええ始めます。準備は終わっているでしょう?」

「あァ」


短く答えた一方通行は珍しく真剣な顔をしていて、いつでもそういう顔をしていれば大層モテるであろうに。両方から。いや、どちらかというと男性を魅了するような顔つきをしている。
以前からそう思っていて、ルイズは不安になって夜、一方通行が寝ているときに色々と確かめた事があるのだ。

まぁ、結論から言うと、男の子だった。いや、あの感じだと『男』だろうか。


「……えへ、えへへ……」


ルイズは二人の様子など一切見らずにだらしなく口を開け、


「ん。ごくろォさン」


一方通行の声が聞こえた。
いけないいけない、と首を振りながら視線を母に持っていき、瞬間、ルイズの乗っていた小船が浮き上がった。

ん? と小首をかしげ、

ドッパァアン!! と轟音と共に夥しい数の水の雫が見えて、それはまぁるくまぁるくなりながらルイズの周囲を舞う。
いつの間にかルイズは小船と共に空を飛んでいた。
風が吹いていた。人間を軽々と持ち上げて吹き飛ばすほどの風が。暴力的なそれは、そのまま暴風で、狂ったように威力を発揮するそれは狂風で、凶風だ。
発生源は目視が難しいが、一方通行に違いあるまい。

上下が逆転した視界の中、わたわたと必死に小船に捕まって、そして母が水切りをしながら池の真ん中までぽーんぽーんと飛んでいっているのが見えた。人間が水面を跳ねている。


「あらぁ?」


ここらでルイズにようやく現実感が戻ってきて、


「───ぎゃぁぁあああ!! お母様ぁあああああああああああ!!!」


言い終えるのと同時に着水。
それなりに水深があって助かったと思えるほどの高度から落下したので全身を打つような痛みに襲われたが、それよりも母が心配だった。
まるで何か、いや、例えるものが無いほどにシュールな絵面だった。
人間だ。人間が回転しながら水切りしていたのだ。最早驚愕を超えた何かがルイズを襲う。


「お母様、お母様! 大丈夫ですかお母様!!」


水を跳ね上げながら進んだ先にいる母は、


「……ふ、ふふ」


まずい、と思った。
多分どこか悪いところでも打ったに違いない、と。


「……何か失礼な事を考えていますね?」

「ほあっ!?」


そしてカリーヌは楽しそうに笑いながら、


「私の四肢は千切れていませんか?」

「……いえ、ちゃんと付いています」

「頭が朦朧とします。身体が痺れて感覚がありません」

「ご、御免なさい、私の使い魔が」

「いえ……、そうですね、使い魔でしたね」

「お母様?」

「ルイズ、あなたに魔法の力が無いのは、もしかしたらあの者を召喚するためだったのかもしれませんね」

「……、そんな、私にはただ才能が……」

「異世界ですか……、面白い」

「……?」

「いつか行ってみたいものですね、ルイズ」

「……はい」


柔らかい表情のままカリーヌは続け、ルイズはそんな母の様子に可愛いところもあるのだなと思った。
そしてちゃぷちゃぷと風でできた波に揺られていたのだが、何故だかそれがちょっとずつちょっとずつ方向を変えている。

今度はなんだと呆れた調子で陸地にいる一方通行を見れば、彼は地面に座り池の水に手をつけていた。
ルイズは一方通行の能力の全容を知らない。知らないが、どうせ何か禄でもない事をやるのだろうという予想は、それはそれは簡単に立ったのだった。


「ああ、お母様」

「本当に面白い使い魔を召喚したわね、ルイズ」


母が愉快そうに笑うその様子はまるで子供のようだった。
その視線の先には大きな大きな波ができていて、飲み込まれてしまうかと思えば何故か二人の身体はその波に乗り、まるでサーフィンでもしているかのように畔へ向かう。

そして、


「どォだ、ヘーミン様の実力の程は」


いつも通りの態度、表情の一方通行の前まで運ばれた。


「馬鹿シロ! 殺す気!?」

「いえ、いいのですルイズ。一瞬ですが、とても楽しい時間でした。幼い頃に戻ったよう」

「こう言ってンぜ?」

「ぐ、ぐぬぬぬ……! そ、それで、試したい事って何だったのよ!」


ルイズが鼻息荒くそう言うと、一方通行は目を瞑り指を一本だけ立てた。


「……?」


難しい顔をしながら、そしてその指は左側に倒れ、ルイズはつられてそちらを向いてしまう。


「こうだ」

「ぶごっ!!」


ばご! と、直撃。
目に見えない何かがルイズの顔面を直撃した。たたらを踏みながら鼻血を噴出し、いったい何が、と。
風の魔法使いに比べれば威力は弱まるが、エアハンマーを受けたような衝撃だった。

ルイズの目の前をちかちかした光が通り過ぎ、一方通行の笑い声が聞こえる。


「テメェらがどォいう風にして魔法を使ってンのか気になってな。俺ァ今までデカイ風ばかりだったからよ。圧縮じゃなくて、まとめンだよ、束みてェに。考えてみりゃこンな使い方すらしてなかったンだな、俺は。
 『火』は加速。『風』は流れ。『水』は結合。『土』は……、こればっかりは操作しかねェか? ……ふん、簡単なことじゃねェか。必要かどうかは分からねェが……知っておくのはマイナスにはならねェ」

「ひ、一人で納得するのはいいからっ、乙女の鼻血を見て、何か思わないの!?」

「汚ねェ」

「おか、お母様! こいつやっつけて! こいつやっつけて!!」


ルイズの願いは結局聞き入れられず、カリーヌはけらけらと笑っていた。





。。。。。





一方通行はカリーヌに大層気に入られた様子で、夕食のときは一方通行の右隣に母カリーヌ。左にはカトレア。そして一方通行の対面にルイズ。
納得いかない、納得いかない、と計三人前ほどの食料を食べ終えたルイズは母と一方通行を置き、先に風呂へと向かった姉を追う。
脱衣所でむくれ面のまま服を脱ぎ捨て、


「ちい姉さまー!」


扉を開けた先、ごしごしと身体を擦っていた姉にダイブした。


「ちい姉さまちい姉さまちい姉さま!!」


ふんがふんがと鼻先を姉に擦りつけ精一杯甘える。
一年分の『甘え』をこのときでしっかり補給しようと思った。
姉と一方通行が異様に仲良しなのはあんまり気に入らないが、それは多分一方通行が姉の雰囲気に中てられただけなのだ。目を離すとすぐにどこかから動物を拾ってくる姉は、なんだかそういう雰囲気を放っている。


「あらあら、甘えんぼさんね、ルイズ」

「えへー」

「一方通行は?」

「お母様に魔法の事色々聞いてた。私より実際に使える人のほうが良いんだって」


失礼しちゃうわとルイズは続け、カトレアが微笑みながらルイズの身体に泡を塗りたくる。
ルイズは姉に身体を預けされるがままに。わき腹にタオルが伸びてうひひと笑った。


「あの子のこと、ちゃんと見てなきゃ駄目よ?」

「ん?」

「あなたもそうだけど、一方通行も何だか危なっかしい感じ」

「んー? 確かにアイツは危険人物だけど……」

「そういうんじゃなくて……、何だかあの子、寂しそうな目をしてる」


その言葉を聴いてルイズははっとなった。
寂しそう、とは思わなかったが、何かをマイナスを背負っているとは思った。
先日の一件から随分と穏やか(?)というか、少しだけ棘が取れたような印象だったので見逃していたが、一万人を殺しておいてそれをすぐに忘れるなど出来るはずもない。
ルイズは『それがどうした』と言ったが、もちろん現実は分かっているつもり。
それをしっかりと理解した上でルイズは首を縦に振った。


「うん、ちゃんと見とく」


カトレアがそうなさい、と優しくルイズの髪の毛を洗い始めた。
気持ちよくて、ゆっくりと目を瞑った闇の中、ちょっとした不安に襲われる。
何だか、初対面なのに気にしすぎというか、何だか、何だか、……そうなのだろうか、と。もしかしてカトレアはそうなのではないだろうかと。


「……ち、ちい姉さま、一方通行の事好きなの?」

「あらやだこの子ったら。今日会ったばかりよ?」

「い、いいからっ、す、好き? 嫌い?」

「好きよ。あなたのお友達ですもの。でもあなたが心配してるのとは違うみたい」

「そ、そっかぁ……」

「ルイズは?」

「ほぁ?」

「ルイズは好き? 一方通行の事」

「ん、んー……、好きとか嫌いとか、何だかそういうのじゃないけど……、でも大事にしたいとは思ってる。初めて成功した魔法で、初めて召喚した使い魔だもん」

「そう。……好きになりそう?」

「分かんない。っていうか、そういうのは意味ないって思ってるから」


一方通行と仲良く手を繋いでラグドリアンの湖畔でも歩くか?
無理である。まったく持って想像がつかない。
ルイズが一方通行を好きになる。それはありえるかもしれない。一方通行は強いし、先日だってルイズを守ってくれた。今だって、姉に一方通行を取られるかもしれないと考えて不安になった。もしかしたら『そういうの』の前兆かもしれないし、うん、ありえてもおかしくない出来事である。

だがしかし、とルイズは考える。
一方通行がルイズを好きになる。それはありえない。断言できる。ありえない。何が何でもありえない。

だから『意味がない』、だ。
何となく感じる分で、一方通行との関係は『恋人』には成り得ないだろうな、と思った。
ものすごく頑張って、頑張って、普通の人だったら結婚して子供が生まれましたと言える所まで頑張って、ようやくそこで友達になれるような。何となくだがそう思った。


「アイツって多分“そういう”感情、無さそうな気がする。凄いストイックで……、んー、冷血?」

「だったら頑張らなきゃね、ルイズ」

「私、叶わない恋はしたくないわ」

「でも、惹かれているんでしょう?」

「多分そういうのとは違うと思う」

「そうなの? あなた、一方通行と一緒に居ると凄く安心した表情してるわよ?」


それはさすがに姉の見間違いだと言いたいが、しかしカトレアの目はそういうのを見抜く。
カトレアがそういうのならそういう顔をしているのだろう、ルイズは。

はぁ、と諦めたようにルイズはため息をつき、


「ちい姉さま、私ね、こう思うの」

「うん?」

「男女の関係って恋だけかな。その間に愛があったら皆恋人になっちゃうのかな?」

「どうかしら……、わからないわ」

「愛とか恋とか、きっと素敵なんだわ。狂っちゃうくらい凄いものだって話も聞くし。……でも、でもね」

「うん」

「主従がそれに劣るなんて、私はそうは思わない」

「……」

「ご主人様と使い魔の関係が恋人に劣るなんて、そんなことない。恋とか愛に勝つ主従があっても良いと思うの」


どっちがご主人様か分からないけどねー、とルイズはへらへら笑った。
カトレアは嬉しいような悲しいような、どちらとも取れない表情をし、


「びっくりしちゃった。随分大人になって帰ってきたのね、ルイズ」

「……ど、どの辺り?」


ルイズは自身の胸を揉み、一年前からちっとも育ってないのを確認。次いで太ももを触る。こちらも筋肉はついたが女らしいとは言えないだろう。尻を撫ぜて、うむ、こちらも変わらず。
ルイズは姉の顔を覗きながらはて? と不思議な表情を晒した。


「ふふ……」

「ど、どうかな? お尻かな?」

「いいえ、ココかしらね」


ぽん、とカトレアはルイズの胸に手を置き、


「……大胸筋のおかげかしら……?」


ルイズは再度胸を揉んだ。







[6318] 03
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:e4b7aa8d
Date: 2010/06/11 21:40


ゆさゆさと身体を揺さぶられる感覚。
いつも以上にふかふかのベッドで、いつも以上に寝付くのも遅かった。普段だったら簡単に開くはずの瞼はやけに重い。
昨夜は……、そう、魔法の講釈をされていたのだった。
目指す先は『絶対能力』。そこまで一直線に進んで、とにかく魔法というものを理解する事から初めて、それで、虚無っていう、なにかを考えて……、眠い。


「シロ、シロ」


声が聞こえる。。


「シ、シロちゃーん……?」


聞き、脳の方に酸素を行き渡らせて、重い瞼を気合で開けた。少しだけぼやけた視界の中で己の召喚主を確認し、至近でこちらの瞳を覗きこんでくる様は寝ぼけた頭で考えても子供のようだった。


「……、……、う、ン……?」

「おはよ」


顔面の三センチ前でゴシュジンサマは言った。


「……」

「帰る準備しなきゃ。ちょっと早めに出るわよ」

「……ねみぃ。ちけぇ」


一方通行はルイズの顔面を引っつかみ無造作に引き離す。欠伸をしながら身体を起こし一度だけ目を擦った。
頭が働いていないのが実感できた。体感としては一時間も眠っていないのではないかというほどに。カリーヌの話す『風』の魔法の話に少しだけ真剣になりすぎたか。

一方通行はもっと力の事が知りたかった。
以前にも考えた事がある。世界中の風を意のままに操る事ができれば『絶対能力』などいらないと。考えてみればおかしな話で、世界中の風を操る演算能力を手中にした時点で『絶対能力』ではなかろうか。
指先を曲げただけで任意の場所に竜巻を起こし、史上最大級の台風を発生させ、高電離気体で焼き滅ぼす。世界の風を操れば簡単にできるのだろう。そのためにはもっと知らなくてはならない。
正直に言うとカリーヌの話はあまり役に立つものとは言えなかったが、風を考え、大気を意識する事は無駄にはならないだろう。

ゆっくりと二、三度瞬きをし、一方通行はふぅと息をついた。


「もういい?」

「……あァ」

「ご飯食べて、お風呂入ったら学院に帰るわよ」

「いらねェ」

「お腹すいてないの?」

「寝起きじゃテメェらの飯は食えねェよ」


ゴテ。である。擬音にするならゴテゴテとかモリモリとかそのへん。
貴族の食事というのは高カロリーで、更に量が多い気がする。
一方通行は基本的に小食なのであまり食べなくていいし、あまりに脂っこいものも好まない。あんなものを毎回二人ないし三人前は食べているルイズの基礎代謝が気になるところである。いったい一日に何キロカロリーを消費しているのだろうか。


「それならまだ寝てる? それともお風呂入る?」

「ん……風呂入る」


未だに覚醒し切れていない脳はぼんやりと返事を返し、ルイズの瞳がキラキラと輝きを増した。


「お、お風呂入るの?」

「ん」

「じゃ、じゃあ準備しなきゃね」

「そォだな」

「……も、もう一回“ん”って言って」

「あン?」

「もう一回“ん”って言って」

「……」


一方通行は訝るような表情のまま、ちょっとだけ鼻息が荒いルイズを無視し立ち上がった。
ルイズは時々、一方通行には理解できない言動を発する事がある。そのたびに喋る剣が言っていた“頭がヤベェ”が思い出されるのだ。
いくらなんでもまだ依存性はない筈なのだが、それは一方通行の常識で、実はもう頭のほうに害が出てきているのかもしれない。魔法のことを完全に理解していないだけに、一方通行には判断がつかないのだ。

未だに瞳をキラキラさせながら迫ってくるルイズをかわし、一方通行は部屋の扉を開けた。


「何よ、言ってくれてもいいじゃない……」


聞こえなかったふりをしてきょろ、と見回す。


「風呂は?」

「ここの廊下まっすぐ行って、そしたら階段があるから下りて。そこから右に曲がってまたまっすぐ。突き当たって左手側にあるわ」

「無駄に広ェンだな。家なンざ食って寝れりゃ何だっていいんじゃねェか?」

「言ったでしょ、貴族も大変なの。こういう大きな家がないと平民との差を見せ付けられないじゃない。貴族はプライドと魔法にしがみ付いてなきゃ生きてけないの。こういうところで無駄にお金を使ってヒーヒー言ってる人も居るんだからね」

「……本末転倒。くだらねェな」

「そのくだらない物が大切なのよ、私達には」

「そォかい」


鼻で笑いながら肩をすくめ、一方通行は風呂へと向かった。
家が広すぎるのは気に食わないが、風呂が広いのはなかなかに気持ちがいい。
一方通行は学院でも堂々と貴族用の風呂を使っている。昼に入っているので誰かと一緒になったことがなく、広々とした風呂はそこそこに綺麗だとも思った。
本来一方通行には風呂は必要ないものである。身体を汚すものは徹底的に反射している。風呂に入るのは本当に気分転換のようなもので、身体を洗うのが目的ではないのだ。

ルイズに言われたとおりに階段を下りて廊下を右に曲がる。まっすぐ行った先に風呂があった。
無造作に扉を開き、脱衣場へ。学園都市から着ている長袖のTシャツにデニム、下着を脱ぎ捨てさっさと向かった。
白い湯気が立つそこは公爵家といわれるだけはある。豪奢な風呂場であった。大理石のようなもので浴槽は囲われており、湯は乳白色。鼻を鳴らせば香水のような、少しだけ甘い匂いがした。おそらく湯に混ぜているのだろうと考え、お湯をすくう。柔らかい。軟水である。滑らかに肌をすべり、この白いのは何であろうか。乳液?


「……贅沢してやがる」


椅子と思しき物に腰を下ろし反射設定を変更。頭から少しだけぬるくした湯を被った。
石鹸を手に取り頭に塗り身体に塗り適当にわしゃわしゃと。必要がないものだが気分的に。後は反射。一方通行の身体についていたものは残らず弾かれる。


「……」


そして張られた湯に足をつけるのだが、


「……っ」


熱い。
一方通行はこれまでの人生で『痛い』を経験した事があまりない。一方通行の触覚、痛点は幼いのだ。あの戦闘で上条当麻に殴られたのはとても痛かった。小さな刺激でも、常人だったら何でもないただのお湯でもぴりぴりとした刺激が襲ってくる。反射をしてしまうと風呂に入るという行為そのものの意味がなくなってしまうために我慢しながらそぉっとそぉっと湯につかった。


「はぁ……、極楽とは、言えねェな……」


ため息をつきながら、しかし気持ちよさそうに入浴していたときだった。
がらり、と脱衣所へと続く扉が開けられ誰かが入ってくる。
一方通行は別に気にした様子もなくお湯をブクブクしたりしていたのだが、


「誰だ貴様」

「あン?」

「……使用人の風呂は別にある。ここは家の者の風呂だ」


と言う事はこの男はヴァリエールの家の者で、おそらくだがルイズの父親なのだろう。
白が混じり始めている金髪に、堂々たる威厳を持っていて、一方通行がこっちの世界に来て初めて『貴族』と思えるような人物だった。


「いや……、アンタの娘にここを使えって言われてンだが……」

「……カトレアか?」

「その下だな」

「ルイズか!?」


一方通行はその大声に嫌そうな顔をしながらうんうんと頷いた。


「ルイズが……ルイズが帰ってきているのか? いやそもそも貴様ルイズの何だ? ……いやいい、やはりいい、何も言うな、いや、だが……だが、えぇい……!」


めんどくせェ。一方通行は小さく呟き浴槽から立ち上がった。
ルイズも面倒臭いが、この親父も面倒臭いに違いない。何だか良く似ているような気がする。


「お先」


男の隣を抜けようとしたその時、


「やはり待て!」


はぁ、と一方通行は大きくため息をついた。





。。。。。





「───むごっ、んふっ、んー! んー!」

「あらあら、急ぎすぎよ」


カトレアから差し出された水をルイズは受け取り、口の中と咽喉につっかえている物を一気に飲み下した。ゴキリ、とかなりいやな音が咽喉からしたが大丈夫だろうか。


「あー、あー、危なかったぁ……、食べ物咽喉に詰まらせて死んじゃうところだった……」

「そんなに急いで食べるからです」


母の苦言などものともしない。
ルイズは死に掛けてもなおむしゃむしゃばくばくと朝食を皿の上から消していく。出されたものはしっかりと食べつくす。ルイズがシエスタと出会ってからの習慣。誰が作ろうと何が使われていようと、食べ物に罪はない。食べずに捨てるなんてただの傲慢である。

とても貴族らしい食事の仕方ではないのだがその食べっぷりに給仕の女は微笑み、調理師であろう青年も笑みを浮かべていた。どうにもルイズは貴族よりも平民に好かれる性質らしい。
最後の一口を大口開けて頬張り、


「ごひほ……んぐ、ご馳走様! 美味しかったわ!」

「光栄でございます」

「ムニエルがとても美味しかった! あとこの木の実が入ったパンと、この鶏肉が入ったスープも! でもこの海老のソテーはちょっと味が濃かったかも。お父様もお母様もそろそろお歳だから塩加減考えてね」

「はい。確と承りました」


それじゃ! とルイズはすばやく右手を上げて椅子の下に隠していた洗面用具を取り出す。
もちろん目的は風呂である。おそらく食事にはそれほどの時間はとられていない。今風呂に行けば一方通行がいるはずなのだ。ここ最近は穏やかに過ごしているのでご褒美として背中の一つでも流してやろう。そう考えた。決して一方通行の裸を見たいとかそういうのではない。
意味深なよだれを垂らしたルイズはじゅるりとそれを啜り脱兎のごとく風呂場へと走る。こら、と後ろから母の声がするが、ルイズにはまったく聞こえてはいなかった。

廊下を駆け、そして風呂場の扉を開けようと手を伸ばしたその時、


「ありゃ?」

「……ンだよ」


内側から開いてしまった。一方通行が出てきてしまった。
ほかほかと湯気を立ち上らせるその姿はルイズの心臓を跳ねさせ、やや高潮した頬といつもより赤くなっている唇がやけに印象的。
う、と訳もなくルイズは唸ってしまい、改めて自分が呼び出した使い魔の美しさを確認した。


「も、もう上がっちゃったの?」

「あァ」

「むぅ。一緒に入ろうと思って死ぬ思いしながらご飯食べたのに」

「そりゃ残念だ」


とは欠片ほども思っていない調子で一方通行は肩をすくめ鼻を鳴らした。帰る頃になったら起こせと残し、テクテクと廊下を歩いていってしまう。また眠るつもりなのだろう。昨日は随分晩くまで母と話しこんでいたようだから仕方がないか。

ちぇ、ちぇ、と唇を尖らせながら服を脱ぎ捨て、浴室の扉を開けた。
朝方なので気温が低く、立つ湯気で視界が奪われる。とはいえ生まれてから十年以上暮らしてきた家である。感覚を頼りに動けば転んでしまうような事はない。
手近な椅子を引き寄せ腰を下ろし、持ってきたタオルに石鹸を擦りつけ泡立てる。身体の怪我はもうほとんど治ってしまっているのでしみるような事はもうない。傷跡はそこらじゅうにあるが、そのものはようやくになって治ったのだった。


「ふんふんふ~ん♪」


鼻歌交じりに身体を洗って、


「そぉいっ、そぉいっ、そ───げふっ、ごほっ、ごほ!」


顔面を、顔のほうを動かしながら洗い、気合を込めながら洗い流す。口の中に泡が入る。苦い。


「あ~らよっとぉ!」


立ち上がりスパーン! とお馴染みのアレ。
そして浴槽に向かって一歩、二歩、さん、グニ、と。


「……?」


何かを踏んだ。間違いない。何かを踏んでいる。薄ぼんやりとだがそれは見えていた。
誰かというのは湯気のせいではっきりとは見えないのだが、ここはヴァリエールの実家で、母と姉には食卓で会っており、一方通行にもすでに会っている。
消去法として、ここの風呂を使うものはもう一人の姉と、後は、父。

ルイズはもう一度だけ足の感覚を確かめた。

ぐにゃり。

……。

とたんに背筋に走る怖気。確かめたくない。
ルイズはあわあわ言いながらそぉっと足を上げ、ゆっくりゆっくり視線を下に。


「だ、だ、だれか……、だれかぁ……」


見えた。


「誰か来てぇぇええええ!! おと、お、おおおお父様が! お父様がっ、おちん♂んモロ出しで倒れてるっ! おちん♂んモロ出しでっ! たおれてるぅぅぅううう!! わぁぁあああ! うわぁぁあああああ!!」


顔面を赤く染めながらルイズは絶叫した。





03/~お姫さま~





はぁ。
何度目のため息であろうか。数えはしていないが、先ほどから何度となく自分がため息を零しているのには、もちろん気が付いている。
望みもしない婚姻。政治を絡ませた結婚。
たまらない。女としての幸せが、これで全部飛んでいってしまう。


「……つまらない人生だったわね」


誰に言うでもなくアンリエッタは呟いた。だったわねと呟いた。
終わりだと思っているのだ。これで全てが。
結婚して、アレが見つかって、同盟が破棄されて、不穏な動きをしているアルビオンに攻め込まれ、ゲルマニアからも攻め込まれ、ガリアは果たしてどうだろうか。どちらにせよ、どうなろうがトリステインに未来はない様に思えた。

自分のせいで国が滅ぶ。その可能性がある。
未だに実感はわかないが、これは所謂一大事なのだ。

何とかせねばならない。そう考えてはいるが、いったい何をどうすればいいのか。
アレは、ウェールズに送った手紙は、どうやっても取り返さねばならないものである。ゲルマニアとの同盟はそれで決まってしまう。
今からゲルマニアと結婚しようとしている女が、ウェールズすきすき愛してるなんて書いてある手紙が、アルビオンに見つかってしまえば大惨事。同盟破棄。勃発ではないか、戦争が。

はぁ。

またも大きなため息。
好きな男に好きと告げただけなのに、それが国の命運を左右している。


「こういう時、何て言うんだったかしら……」


思い出したのは幼い頃に遊んだ友人。
活発で、いつも笑顔を絶やさない彼女は、高貴な身にしては少し口が悪かった。

ラ・ヴァリエール。
ちょうど先ほどその領地を遠目に確認できたところである。ゲルマニアと隣り合うヴァリエール。幼い頃の記憶を刺激するにはちょうどよい材料となった。


「えぇと、そう……、マジ───」


アンリエッタが鬱気に独り言を呟くと、





「やっべぇぇぇええ!!」





そうだ、マジやばいだ。

何処からともなくとても大きな声。
周囲を囲む護衛隊が何事かと騒ぐのが何となく滑稽だった。


「見ちゃったじゃない見ちゃったじゃない! 踏んじゃったじゃない!!」


懐かしい声。
片時も忘れる事のなかった声。

思わずアンリエッタはレースで仕切られた窓から身を乗り出した。
周囲に展開している魔法英士隊が警戒し杖を突き出しているのが見える。その先には桃色がかったブロンドの髪の毛の持ち主。幼い頃からあまり変わっていない容姿に体型。髪の毛は短くなっていたが見間違えるはずがない。一目見ただけで上等だと分かる馬に乗っていた。

英士隊の一人が馬から降り、やや混乱気味の彼女に向けて杖を向けた。


「お待ちなさい、よいのです!」

「ひ、姫様……、しかし……」

「そなたの忠義、感謝します」

「……は、失礼いたしました」


ユニコーンに引かせている馬車を止めさせたアンリエッタは扉を開いた。
地に足をつけ、久しぶりに見せる笑顔で。


「ルイズ? ルイズ・フランソワーズではなくて?」

「ひ、姫?」





懐かしいわねとアンリエッタは口を開いた。
ああ懐かしい。確かに懐かしい。懐かしいが、もうちょっと空気読めと思ったルイズに間違いはないだろう。
ルイズはアンリエッタに連れられて馬車の中へと。お姫様の馬車の中にいるのだ。
レースのカーテンを引いているので外からは見えないだろうが、なんとも視線を感じてしまうのである。何だアイツ。何者だアイツ。視線というか、意思というか。
そんなものを感じながらだと話に花を咲かせることもできない。ルイズはアンリエッタの話す事に曖昧に頷くだけ。


「……ごめんなさいね、呼び止めて」

「あ、いえ、良いんです。久しぶりに姫様の顔も見れましたし、……その」


何となく距離感がつかめず、なかなか出てこない言葉にルイズが難儀していると、アンリエッタは非常に儚げな笑みを浮かべた。


「私ね、結婚するのよ」

「……おめでとう、でよろしいですか?」

「そうね……。どう思う、あなたは」


間違いなく政略結婚なのだろう。
タイミングを考えるとそうとしか考えられない。最近はアルビオンの方に不穏な空気が流れているというし、ゲルマニアとの同盟が欲しいのだ、トリステインは。


「立派だと、そう思います」

「……立派、ね」

「私に政は分かりませんが、姫様の結婚の意味くらい理解しています。だから、立派だと」

「ありがとう、ルイズ」


数分の沈黙。
ルイズは俯き加減で何か声をかけたほうがよいのか、と。どう考えても元気には見えないアンリエッタ。なにか自分にできることがあればしてあげたいと思った。
そして顔を上げ、いざ口を開こうとしたとき、ちょうど同じタイミングでアンリエッタが顔を上げた。
その瞳の奥には何か決意したような輝きが宿っており、


「ルイズ、学院に着いたらお話があります。聞いてくれますか?」


厄介ごとだ。間違いなくそうだ。
だが、目の前にいるのは一国のお姫様。お願いと言われたら断れるはずがない。断るつもりもない。幼馴染が困っているのならば、それを助けるのは当たり前。見て見ぬふりは誇りが汚れる。

ルイズはちょっとだけ微笑みながらサムズアップ。


「もちろんさぁ」

「ふふ、ありがとう」





。。。。。





停学期間中、タバサを連れて遊びに出かけ、酒を飲み、男を堕として、時には魔法を使って乱闘騒ぎ。キュルケの一週間は実に有意義なものだった。
今日で停学期間は終了。また明日から退屈な授業を受ける毎日が始まる。考えれば考えるほど憂鬱で、キュルケは夏休みの終わりが近づくと何処かに行方をくらませるタイプの人間だった。


「あ~あ、お休みも今日でおしまいね」


ね、と隣でこくりこくり舟をこいでいるタバサに向ける。
今は昼だが、つい先刻まで夜通しでワインの飲み比べをしていたところだった。魔法を使ってこっそりと食堂から持ち出したアルビオン製のものがキュルケのお気に入り。そこまで高い物ではないが、好みの風味。

タバサにもやや無理やり飲ませたが、いくら飲もうがちっとも印象が変わらない。ただしきりに眠い、眠い、と呟くだけである。


「お休みなんてあっという間。さっさと夏期休暇がこないかしら」

「眠い」

「そしたらシロ君とゲルマニアに旅行に来なさいな。案内してあげる」

「……ねむい」

「ゲルマニアは良い所よ。皆自信に満ち溢れてる。トリステインみたいに暗い連中ばかりじゃないし」

「ね……むい」

「そうね、ルイズのバカも連れて行ってもいいかも。あの子ってどっちかっていうとゲルマニア向きじゃないかしら」

「……」

「タバサ? なぁによ、眠っちゃったの? た~ば~さ~?」


キュルケは微笑みながらタバサをベッドへと運んだ。
フレイムがきゅるきゅると鳴いたのを、人差し指を立てて黙らせる。

口数の少ない少女。そう、少女だ。タバサはまだ幼い。どんな理由があって『タバサ』なのか。この幼さであの魔法の腕はどうなっているのか。聞きたいことは沢山あるが、キュルケはそれを無理に聞こうとはしない。だからこそ今の関係が成り立っている。
ルイズ達と馬鹿をやっているときには気がつかないが、キュルケは仲間内では一番お姉さんで、一番大人なのだ。それはよく育っている身体だけではなく内面的なものもそう。皆と騒いでいるときもいつだって気を配っている。

タバサの青くさらさらの髪の毛を二、三度なでつけ、太陽光が入り込む窓際に腰掛けた。暖かな日差しは酔いを醒ましてくれることはないが、それでも気持ちがいいものである。


「ま、何があるのかは知らないけど……」


ちゃんと味方でいてあげるから。
呟いたのと同時、それは流星のごとく堕ちてきた。

ずしんっ! と学院を一度だけ揺らした物は上空から降ってきた人で、砂煙の舞う中から白い頭髪が。


「……無茶苦茶よね、ほんと」


ケラケラと笑いながらキュルケは魔法を行使。窓から飛び降りて地面にふわりと着地した。
驚いた様子もない一方通行に向かって右手をふりふり。


「はぁい、久しぶりじゃない」

「たったの数日だろ」

「それでも私は久しぶりだって思ったの」


いつものように腕をつかみ取り自慢の胸を押し付ける。


「あの子は? 置いてきちゃったの?」

「……」

「シロ君?」

「……クセェ」

「え、うそ?」


思わずキュルケは掴んでいた腕を放し、そして自分の髪の毛を一房だけ鼻へと持っていった。これがルイズだったら外聞なく脇の下を嗅いでいるところである。
いや、確かに先日は風呂に入っていないが、というかずっと酒を飲んでいたので気がつかなかったが、しかしそれでもまだ臭ってはいないだろう。
女の子は自分のにおいには気を遣う生き物なのだ。まだ大丈夫なはず。うん。


「く、くさいかしら?」

「あァ、酒クセェ」

「あ、そっち?」

「どっちがあンだ?」


キュルケはほっと一息つき、


「えぇと、それでルイズは?」

「まだお馬さんにでも乗ってンじゃねェか?」

「置いてきたの?」

「あァ」


キュルケが口を開くたびに一方通行のほうから優しい風が吹いてくる。一方通行が風を操れる事を知っているだけにショックが大きいが、まだ体臭ではなく酒臭いと思われているだけマシか。

というか、そんなに臭いだろうか。多少(?)アルコールのにおいがするだけだろうに、何もそこまで避けなくてもいいのではないか。
キュルケは少しだけ考え、


「ワイン、飲む?」

「……いらねェ」

「美味しいわよ?」

「いらねェ」

「あれはいいものよ~? ちょうど今の感じの、ほろ酔い気分。最高。いつもより貴方が綺麗に見えるわ」

「いらねェって言ってンだろ」


そして一方通行は背中を向けて歩き出した。

キュルケは確信すると同時ににやけた笑みを貼り付ける。
なんだ、顔以外にも随分と可愛いところがあるではないか。

テクテクと歩く一方通行の背中に向けて人差し指を伸ばし、


「あなた、お酒飲んだことないんでしょ?」


ぴたり、と一方通行の歩みは止まった。





。。。。。





学院によっていくとアンリエッタは言った。
へぇそう。それだけでは済まないのが貴族である。お姫様が寄って帰るというのだ。歓迎せねばなるまい。
しかしアンリエッタに聞けば学院にはまだ知らせていないと言うし、さぁ大変。

すぐさまルイズはアンリエッタの馬車を降り、学院への帰路を進んだ。
ルイズが乗る馬、クロは疲れなど知りませんがなにか? と言った調子で進めや進め。景色が流れるスピードは一向に変わる事無くルイズを学院まで運んだ。
馬小屋でクロに三回キスをして、


「ありがと。また明日ね」


少しだけ痛い尻をさすりながら今度は学院長室に猛ダッシュ。
ノックをし、返事が帰ってくる前にドアを開いた。

来る来る来ちゃう姫様来ちゃう。

まじかやばくね?

そして学院の全授業は中断された。


「あ~疲れた……。そして絶対また疲れる」


厄介事としか思えない姫様のお話。
一体全体どんな『お願い』なのか。昔からそうだが、アンリエッタはたまに無茶をやらかすときがある。替え玉を頼まれたときは死ぬ気で寝たふりをしたものだ。
今度は楽な仕事がいいのだが、はぁ、ありえない。しかし力にはなってあげたい。姫様だし、友達だし。

ルイズは重い足取りで寮の階段を登り、自室のドアノブを捻る。先に帰ってきているであろう一方通行に向かって、


「ただいまぁ……」


間違えたキュルケ居た裸で居た。


「……ん、ごめん」


ぱたん。


「……?」


ここがルイズの部屋なのは、間違いないのだが、はて?

ルイズは首を傾げながら、今度はそっと部屋の中を覗き込んだ。
キュルケがいる。裸で。布団は被っているようだが、そこから出ている肩と足。両方とも生で、寝てるようである。ベッドの脇に転がるワインの瓶はいち、に、さん、し、ご……。アホかアイツ。
おそらく飲みすぎて自分の部屋と間違えてしまったのだろう。勝手に人の部屋で酒盛りか。いい度胸である。


「くぉらぁあ!」


ばたーん! とルイズは扉を破壊する勢いで開放。何の反応も見せずにすやすや寝こけるキュルケに向かって唾をも散らす勢いで文句を垂れた。


「勝手に人の部屋で酒盛りとはいい度胸じゃないマジぶっ殺すわよアンタホント何でこんな事になってんのよ信じらんない信じらんない! そもそもこのワイン何処から持ってきたのよ! 今日姫様来るのよ! こんな酒臭い部屋に入れろっての!? ふざけんな!」


はぁ、はぁ、と息継ぎ。
一向に起きる気配のないキュルケは幸せそうに笑顔のまま夢の中。


「こ、この……!!」


ぶるぶると拳を握り、いや、さすがに女の顔面を殴るのはどうかと思い直し、そして布団を剥ぎ取った。
これで起きなかったら裸のまま廊下に転がしておこうと思っていて、そしてルイズの視界には人間が二人映ったのだ。

まずルイズは目の病気だと思い、五回瞬きをした後に両手で目を擦った。
未だに映りこんでくる幻はもしかしたら現実かもしれないと思い、キュルケは一方通行に背中から抱きついていた。裸で。
キュルケよりも身長が低く、キュルケよりも細い一方通行はさぞ抱き心地がよかろう。キュルケの幸せそうな寝顔の訳を知った。


「……」


ルイズは布団をそっと元に戻し(キュルケの色んな所が色々見えるので色々困った)、布団の上からキュルケの拘束を解いていく。一方通行にからんでいた足と手を外し、まぁ仕方がないのでベッドの端っこで寝かせた。意識のない人間の肉体は思いのほか重く、特に肉感的なキュルケの身体は触っていて腹が立つのである。


「……」


そしてルイズは何も言わずにそっとキュルケと一方通行の間に挟まった。
顔をにやつかせ、そぉっとそぉっと一方通行に足を伸ばし、手を伸ばし、先ほどキュルケがやっていたように拘束する。あまり男らしくない背中が眼前いっぱいに広がり、何となく匂いを嗅いでしまった。


「ま、まぁ貴方の勇気に免じて許してやるわ、キュルケ。さすがのあたしもここまでは出来なかったわ。だってアレじゃない、起きそうじゃない。起きたら何されるか分からないじゃない? でもさすがねキュルケ。恋多き女って、ちょっと尊敬してやるわ。こ、こ、こんな、こんな事しちゃうのね、恋多き女って。抱きついたりするのは分かるわ。私も布団とられたりしたらたまにそんな事になってる時もあるし、で、でも、足とか、手とか、こんなえっちに絡ませたりするのね恋多き女って。凄いわキュルケ。アンタの乳にはきっと何か凄いのが詰まってるのね? えっちなのね? だからそんなに大きいんだわ。間違いないわ。こんな、手とか、足とか、て、てて手とか、足とかっ、絡んじゃってるじゃない、どうしよう、絡んでるわ。き、きっとこういう事して男を落すのね、キュルケ。そうなんでしょう? あなたえっちよ。も、もうちょっとこのままでも罰は当たらないと思うの。当たらないわよね? そ、そうよ、一緒に寝てて手も繋いでくれないならこのくらいしょうがないのよ。か、か、絡んじゃったりとか、しても、おかしくないわ。ちょっとしたお昼寝で、たまにこんな事があっても全然おかしくないし、これって何だか自然な事だわ。やばい。気持ちいいじゃない。とんでもない事するのねキュルケ。こ、こんな事裸でしちゃうなんて、とんでもない事するのねあなたって。で、でもそっちのほうが気持ちいいのよね。別になんでもないわ。ただちょっと熱くて、汗かいてきたから服を脱ぐんであって、そういう意図は無いの。私って今までクロに乗ってきたし、ちょっと汗かいてるじゃない? だ、だだだだから服を脱ぐんであってそういうことしようとかちっとも思ってないんだけど、で、でもそういうことになったらそれはそういうことになっちゃっただけで仕方がないことだとも思うわ、私。違うのよ? 最初っからそんな事しようとか思ってるわけじゃないの。ああ、大変だわ、いつの間にか脱げちゃったじゃない。脱げちゃったじゃない。やばいわ。何この密着感。ああ、どうしよう。こ、こ、これ、いけないわ。いけないことだわ。こんないけないことしてたのねキュルケ。あなたえっちよ。大変だわ。キュルケえっちよ。た、ちょ、ほんと、え、いいのこれ? いいのこれ? 大変なところに当たっちゃわないかしら? ねぇ、ちょっと、ホントに、キュルケ、これ、シロの腰の、ほ、ほ、骨のトコが、大変なトコに当たっちゃわないかしら? これ大変よ、ホント大変だわ。全然違うわ。はは裸で、こんなことしちゃってるなんて、キュルケ変態よあなた。変態のHでエッチってよく言ったモノだわ。あなた本物の変態だったのねキュルケ最低よキュルケ凄いわキュルケ。あ、ちょ、あ、……、これ、ホントに、ひ、姫さま来ちゃうのに、裸で、何やってんのよ私っ。だ、大体なんで起きないのよシロっ。やめるタイミング失っちゃったじゃない。ホントに大変な事になっちゃうわよ馬鹿。起きなさいよ、いやよ、起きちゃ駄目だわ。アンタも脱ぐべきなのよ。女が二人もベッドで、裸で寝てて、何で自分だけ服着てるのよ。ずるいわ。そ、それって何だかおかしいことだわ。寝るときにそんな服着てるなんておかしいわ。脱ぐべきなのよ。間違いないわ。だって私ご、ごごご主人様だし? 使い魔の世話をするのもご、ご主人様の勤めっていうか、何かそんな感じ? ほ、ホントなら着替えくらい自分でしなさいって言うとこだけど、アナタ最近穏やかに過ごしてるし、ホンのちょっとだけ優しくなった気もしないでもないし、以前みたいに私のことブッ飛ばさなくなったし、そこそこに可愛げも出てきたからしてやってあげてもいいって思ってるだけでべべべ別に大した意味は無くて、一緒にお風呂にも入れなかったし、あ、あっ、ちょ、動いちゃ駄目よ、大変な事になっちゃうじゃないっ、う、っとにもう、あ、ああアンタがいたから一回もしてないってのに、ちょっと、もうっ、早く脱がしたいのよ、じっとしててよ。アンタいっつも同じ服着てるのに何でこんないい匂いするのよ、たまんないわ。たまんない。新しいの買ってあげるからこれ私に寄越しなさいよ。ホントに、もう、な、ん、で、脱げないのよ、何か脱げないような服でも向こうの世界には売ってあるっての? ずるいわそんなの。脱げなさいよ。私は脱いでるのに、キュルケも脱いでるのに、何でアンタだけ服着てるのよ。違うでしょそういうの。もっと空気読むべきだわ。きゅる、キュルケが脱いでてあうっ、ちょと、ホント、うごいちゃだめだってばぁ、う、うぅっ!」


一度だけルイズが跳ねて、





「……えと……、終わった?」





背中から聞こえてくる声は、もちろんの事キュルケである。


「……、……、いや、違うの、これ、違うの」

「え、ええ、そうよね、違うわよね」

「ちょ、ほんとに違うのっ、ま、ちょ、ちょっとまって、いま言い訳考えてるからっ」

「そうよねっ、い、言い訳はしっかり考えなきゃ駄目よね」

「そうなの! あは、はは、ははは……」

「……」

「……」

「あのね……、なんて言えばいいかしら、その、そういうことって、やっぱり一人のときが良いと思うわ、私」

「お願いします誰にも言わないでください」


ルイズはベッドの上で深々と土下座した。







[6318] 04
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:e4b7aa8d
Date: 2011/06/23 00:41

04/~赤色アルビオン・急~





とても自然な事だった。それはそれは自然で、何の違和感も無く、むしろそれは当然の事だったのかもしれない。

姫から受けたお願いは、ウェールズ皇太子から手紙を返却してもらう事。
正直な話、戦時中のアルビオンに行くなどたまった物ではない。実際に戦争に行くよりも危険は少ないだろうが、しかし戦場へと赴くのである。
行ってくれますかとアンリエッタに聞かれたとき、ルイズはそれこそ知恵熱が出るほどに悩んだ。悩んで、悩んで、結局もう一度サムズアップ。もちろんさぁ、と返してしまったのだ。
アンリエッタは安心したように微笑むとウェールズへの手紙をルイズに渡し、水のルビーという王家に伝わる指輪までも。
フードをもう一度深く被った彼女は深々と頭を下げて酒臭いルイズの部屋から出て行った。


「ありがとうルイズ。やっぱり貴女は一番の友達だわ」


後悔はない。姫の役に立てるのは嬉しい。怖いけど、それだってルイズには特別な使い魔が居て───、


「あァ? テメエが勝手に受けたンだろォが。一人で行けよ、馬鹿くせェ」


とても自然な事だった。それはそれは自然で、何の違和感も無く、むしろそれは当然の事だったのかもしれない。


「な、何言ってんのアンタ」

「俺が行く道理が何処にあンだ?」

「使い魔でしょうがっ、私の!」

「何とか隊の隊長サンが護衛してくれンだろ? だったら俺が行こうが行くまいが関係ねェな」

「ちょ、待って、何でいきなりそんな……」


ああそうだ。そういえばこんなヤツだった。
ルイズは一方通行を再確認し、しかし最近はそこそこ仲が良かったのに、何でいきなり不機嫌になっているのだろうか。
そう、一方通行は見るだけで分かるように不機嫌なのだ。眉根を顰め、組んだ腕の先、人差し指は不規則に不気味なリズムをとる。久々に見た冷たい瞳。奥の光は暗く。
少なくとも、こっちの世界で一番一緒に過ごしてきた期間が長いルイズだからこそ言えるのだが、一方通行は人に理不尽に怒るような人間ではない。と、思う。八つ当たりはあるだろうが、それだって何らかの怒りの原因がある。はずである。

今回、ルイズにはそれが分からなかった。何に対して怒っているのかさっぱり分からない。


「どうしちゃったの? 頭痛い?」


これでハイそうですと言われるはずがないのだが、お酒を多少なりとも飲んでいるので二日酔いが原因ではないかと考えた。


「……オマエ……、……、いや、いい」

「駄目よ、ちゃんと言って。そんなんじゃ分からないわ」


自嘲気味に笑う一方通行には哀れみの色が現れていた。
同情しているわけではなく、ただ単に可哀想なものを見るような瞳。ルイズが初めてみるような瞳であった。
そんな感情もあったんだな、と何となしに得をした気分になってルイズはクスクスと笑う。


「ハッ、何か面白ェかよ」

「だって何だか、あなた面白い」

「あァ?」

「初めて見た、そんな顔」

「随分とめでたい頭してンのな。お話にならねェよ」


一方通行は話は終わりとばかりに手を振って、そして部屋から出て行く。
ルイズは一応、まぁどうあっても聞かないだろうが一応、


「来なさいよ。ね?」


その背中は扉が閉まる音と共に見えなくなり、とたんに、なんだか悲しくなった。





。。。。。





かつん、かつん。

ただ廊下を歩く音だけが響いた。
好奇の視線にさらされて、しかし一方通行からは簡単に話しかけられないような雰囲気が出ている。
全授業が中断されたので歩く先にはもちろん貴族。だが、いつかと違ってその視線の内容は変わっていたようだった。

好奇嫉妬羨望尊敬様々様々。
こんなところは学園都市とかわらないな、と一方通行は心中ため息をつく。


「ちっ」


唾でも吐きかけてやりたい気分である。
たった一言。たった一言の言葉が引っかかっていた。

『貴女は一番の友達だわ』

苛立つ。
一方通行も一応アンリエッタの話は聞いていた。
どうにも国の一大事のようで、その手紙を取り返さないと今居るトリステインが無くなってしまうかもしてない。一方通行からしてみればそこまで大事ではないのだが、ルイズにとっては大変な事態だろう。
だからこそルイズはそのお願いを受けた。ヒト科の心に疎い一方通行にもそのくらいのことは分かる。

姫様だし、友達だし。
ガンダールヴのルーンを手に入れて、ルイズは人の役に立つ事の快感を知ったのだろう。今までのルイズの話を聞けば、まぁ、それも分からなくはない。恐らくありがとうと言われる事が気持ち良いのだ。
少しいやらしい話だが、快感を求める事は人間として当然のことで、それは善とか悪とかで片付けられる話ではない。

一方通行の苛立ちは前記の通り、たった一言にあった。


(友達……?)


だったら、

だったら何で友達を戦場へと送るような事をするのだろうか。それが分からない。
一国のお姫様というのならそこまで浅慮ではないだろう。分からないはずがないのだ。戦場というのは人を殺すところであって、人を殺すという事は、それは悪だ。悪党だ。
一人殺そうが一万人殺そうが、そういうのは人数の問題ではない。人間が人間を殺すというのは、何がどうあっても良い事ではない。

足音高く、進む先はもう少し。

あの時、フーケを撃退したあの時、ルイズは眩しかった。直視できないほどに眩しくて、だから一方通行はずっとそこに居て欲しいと思った。
ヒーローを望んでいた一方通行の、その願いがそのまま形になったような、そんな思いすら抱いた。
そんな彼女に、簡単に人が人を殺しているようなところに行って欲しいという『お友達』。
一方通行が羨んだほどの光を簡単に捨て去る場所へと、簡単に赴こうとする彼女。

もちろん、自分のエゴだと理解している。
ルイズにはルイズの人生があって、一方通行には一方通行の進むべき道がある。
彼女の価値を、元の世界への帰還と絶対能力に進化する事以外にないと考えている者の言う事ではない。分かっている。守るつもりもない人間に、誰かを助けることを止めろなど言えるはずもなくて、だけど、その前に、

ばがぁ! とその扉は前蹴りの一発で粉々に吹き飛んだ。
いつもの通りの一方通行がいて、彼はハンドポケットのまま扉を吹き飛ばした。目的の人物を見つけて口角がつりあがる。


「よォ、ちょこォっとお邪魔するけど構わねェよなァ?」

「……来る頃じゃと思うとったよ」


ぎらぎらと光る瞳で睨みつけるのは学院長、オールド・オスマンと呼ばれる老人。
老人は何時だか言ったのだった。ルイズを守れと。
虚無は戦争に繋がるような膨大な力を持っており、一国が所有しているなら他の国へと戦争を吹っかけてもおかしくないものだと。

一国のお姫様が、盗賊を捕まえるのに活躍したからといって、それでただの友人を戦場へ送り込もうなどと考えるだろうか。
よほどの馬鹿か、阿呆か、○○○イくらいしか思い浮かぶはずがないと一方通行は思っている。

そしてアンリエッタがルイズの部屋に来、戦場へ行けと言って、一番最初に思い浮かんだ顔が目の前の老人。
オスマンにルイズが虚無である事を気付かせたのは一方通行だが、その時はまさか戦争に連れて行かされるほどのものだとは思ってもみなかった。
一方通行も迂闊といえば迂闊だが、それでもこの老人を許せるほどに一方通行は心身ともに大人ではない。


「ハッ、アイツを守れか。こりゃまた随分と上手いこと言ったもンだな、あァ? テメェあの女に漏らしやがったな?」


だからこそアンリエッタはつい先日まで『ゼロ』と蔑まれていたルイズを頼ろうと思ったのではないだろうか。

老人は静かに目を瞑っているだけだった。
一方通行の腹の中で育っている苛立ちは更に募る。


「殺されてェのか、テメエ……」


ポケットから手を抜き、ゆっくりと右手を伸ばした。
一歩二歩と老人に近づき、その額を掴み取ろうというとき、


「取って置きの話があるんじゃがの。聞くかね?」


考え、一方通行は顎をしゃくって言ってみろ、と。


「君達がヴァリエールに行っておるときにの、手紙が届いた。いや、届いたというのもおかしな話じゃな。ココにあった、のほうが正確じゃ。わしには分からん文字で書いてあるのでな、すぐに王立の図書館に向かった。そこの図書館に行くには、まぁある程度の地位と、姫か、もしくは王妃に許可を貰う必要があっての。わしは姫に許可を貰いに行った。暗い顔をしておったよ。アルビオンとの結婚……。重く、辛いものだと……」

「興味ねェ」

「……薄情じゃな」

「無情の間違いだろ。それで、結局言いてェのは口滑らせた事に対する言い訳かよ、それとも手紙の内容か?」


オスマンはため息をつきながら両方だ、と小さく呟いた。


「半端な優しさは……いかんな。ヴァリエールの娘の話をすると喜んでなぁ。虚無という事は伏せておいたんじゃが、まぁ、彼女のやった大立ち回りは報告させてもらったわい。その結果がこれ。いくら歳をとっても人の心など読めはせん。
 ……ほれ、手紙。わしにはなんて書いてあるか結局分からんかった。お主の方でしたい様にすればよい」


事実かどうかは分からないが、虚無の事は言っていない様子。また簡単に信じるのもどうかと思うが、心底疲れきったといった表情の老人は見ていると笑ってしまいそうになって、実に愉快だった。
この辺が普通の人間とは違う感性なのだろうな、と自身思うが、もうこれはどうしようもない事だ。他人が見たら悲しいものが、一方通行が見れば愉快に映ってしまう。ただそれだけのこと。

この国の、名目上のトップはあまりに頭が悪い、ただのゴミだ。苛立つ。消えていい。
姫がゴミなら、貴族だって、ゴミみたいなものだろう。

変なツボにはいって、くつくつと咽喉を震わせながら『一方通行へ』とこちらの世界特有の文字で書いてある手紙を開いた。


「───あン?」





。。。。。





「言いなさいよ」

「無理よそんなの」

「言いふらすわよ」

「駄目よそんなの」

「じゃあ言いなさいよ」

「無理よそんなの」

「じゃあ言いふらすわ」

「駄目よそんなの」

「それなら早く言って楽になりなさいよ、おなルイズ」

「おなルイズって言うな!!」


このおなルイズが何かを隠しているのは間違いない。そんな事、余裕綽々で分かってしまう観察眼にキュルケはちょっと酔っていた。
なんと言っても部屋からお姫様が出てきたのだ。何かあるに違いない。観察眼もクソもない話だが、そこには絶対に何かがある。
ルイズとお姫様が知り合いなのも驚いたが、ここまで隠し事が下手糞なことにも驚きである。

アンリエッタがルイズの部屋から出て行って、さてどうしたものかと考えて、一方通行が出て行って、一人のうちに話を聞こうと思ったらルイズはくすくす笑いながら涙を流し、そわそわと挙動不審に剣を鞘に入れたり出したりしていた。
これは恐らく頭によく効く水の秘薬が必要だろうな、と思ったところでルイズと目が合い、彼女は何とキュルケに抱きついてきたのであった。

わかんないわかんないアイツのことがわかんない、とキュルケの服に鼻水をつけながらギャンギャン喚いた。
とりあえず話を聞こうと思って、何でそんな事になったのかと聞いたところでだんまりである。


「だから、話してもらわなきゃ私だってわかんないわよ」

「だから、話していい事かどうか私にもわかんないのよ」

「……姫様関係?」

「うぉっ、な、何でアンタが姫様の事知ってるのよ」

「あんなフード被っただけで正体隠せてると思うわけ? 騙せるやつなんて殆どいないわよ」


言うとルイズは言に詰まり、う、む、と何となく気まずそうに唸った。
キュルケは思わずため息をつきたい衝動に駆られ、その衝動のままに重く長く酒臭いため息をついた。
アホ。そんな言葉がぴったりで、しかし今言ってしまえば止めを刺してしまいそう。キュルケは俯いてもじもじしているルイズにどうやって話させようかと考えていると、


「いいんじゃねえの、娘っ子。言っちまってもさ」

「ボロ剣……」

「……俺の名前覚えてる? デルフですよ、デルフリンガー」

「あら、あのとき買ったインテリジェンスソードね。あなたもお話聞いてたの?」

「ま、ね」

「教えて。ルイズったらちっとも話してくれないし」

「んー、まぁ俺はかまわねえんだが……、どうするよ娘っ子。俺はこの姉ちゃん気に入ったね。こいつぁ真剣に聞いてくれる耳を持ってるぜ」

「で、でも……キュルケはゲルマニア人なのよ? これはトリステインの問題で……」


ルイズが横目でキュルケを覗きながら言うが、そんな事知ったことではないとばかりにキュルケは攻める。


「今さらそういうの、無しにしましょう。私、あなたとは友達になれたと思ってたんだけど?」

「……え、へへ、ほほ、んふ、ふ……」

「ほら、いいから言いなさいよ」


そこからルイズはぽつりぽつりと語りだした。顔をにやつかせながら。こういうところはキュルケも素直に可愛いやつだなと思う。
語る内容は、姫様のお願いよりも一方通行の話のほうがちょっとだけ多めで、ルイズの今の心情を表しているんだなぁ、と端的に思った。
やれ一方通行は冷たいだとか、やれちょっとだけ仲良くなったと思ったのに、だとか。なんというか、惚気話を聞かされているような、そんな気分。

一通りの話を聞いて、キュルケには何となく分かる。いや、予想する事ができる。一方通行の気持ちを。

まぁ、お姫様には悪いがちょっと無茶がすぎると思う。
これでルイズがとんでもないほどの優等生で、この学園で一番魔法の扱いに長ける人物だったのならまだ話は別だが、ここのルイズは『ゼロ』のルイズにちょっとだけ毛が生えたようなものなのだ。実際にゴーレム戦では一方通行が来てくれなかったら死んでいる。

思い出し、ぞっとしながら姫様の世間知らずぶりにちょっとだけ腹が立った。


「んー……、シロ君も、まぁ、何考えてるかは分からないけど……、んー……」

「私はね、シロに付いてきてもらいたかったの。強いからとか、そういうんじゃなくて……、いや、そういう思いもあったけど、けどね、アルビオンに行って欲しいって言われたときね、私はシロだったらなんて言うだろうって思ったの。空に浮いてる島をみてなんて言うだろうって。水が空中で雲になっていってるのを見て、なんて言うだろうって。こっちの世界の事、沢山知ってもらいたくって、私のことも、皆の事も」

「あなたの言う事も分からなくはないけど……、やっぱり心情的にはシロ君に一票かしら」

「どうして?」


すがるような瞳。
迷子になって、親を探している子供のようだと思った。


「一万人殺して、それがどうしたって、あなた言ったじゃない。あれってさ、何だかんだ言っても結構嬉しかったと思うわよ、あの子。でもあの子もあの子で頑固だし、聞いた感じじゃ忘れるなんてありえないし。その一万人の殺人を許す? 包む? 気にしない? ……まぁ、とにかく何でもないように付き合ってくれてるあなたが戦場に行くのよ? もしかしたらだけど、人を殺すかもしれないのよ? そりゃ、見たくないわよね。行きたくは……ないでしょうね」


まぁ、あくまでも予想だけど、と付け加えキュルケは口を閉じる。
しかし、恐らくはそういうことではないだろうか。一方通行は見たくないとか、本当に自分のわがままで行きたくないと言っている様に思えた。恐らくそこにはルイズがどうなるかとか、そういうのは無くて、ただ単に見たくない。それだけ。
マイペースな子供だな、とキュルケは一方通行の事を少しだけ可愛らしく思い、ついつい含み笑いを。
あれだけの力を持っていて、嘘か真か分からないが、一万人も殺しておいて、随分と可愛らしい。

結局、ルイズが自分の為に人の役に立ちたいように、一方通行は一方通行のためだけに生きているという事なのだろう。
ちょっとだけ、二人とも危ない感性をしていると思うが、人の為に生きるのはとても良い事だと思うし、自分のために生きるのは当たり前だ。
キュルケは人の生き方までどうこう言うような女ではない。ただ友人が困ったときに、力になってあげる事ができればそれでいい。
暑苦しい訳ではなく、ただドライに冷たい訳でもない。
ちょっとだけ暖かい『微熱』がキュルケなのだ。


「……おでれーた。姉ちゃん、見る目あるぜ」


キュルケは抜き身の剣に一度だけ笑いかけ、そしてルイズの頭を撫ぜた。
俯き加減で、膝を涙で濡らしている。
小さな身体に、小さな胸に、けれどもいつでも元気いっぱいで、泣いているところを見たのは、そういえば今日が初めてではなかろうか。
泣き顔を見られてもいいと思われるほどに友達だと思われているのだろうか。

キュルケ自身が切った髪の毛。タバサとは違い、ふわふわの猫毛。柔らかくて、子供のように細い。
たまにタバサにしてやるように、キュルケはルイズを抱きしめた。己の自慢の胸にルイズを導く。


「出発は?」

「……明日の、朝」

「ん。許可がないだろうからこっそり着いていくわ。ほら、何泣いてんのよ。そんな顔じゃシロ君に嫌われるわよ」

「……うん。ありがと」





。。。。。





一夜明け、朝もやの立つ中ルイズは一人学院の正門で佇んでいた。
背中にデルフリンガーを背負い、軽甲冑で上半身だけを覆った。下は『スカート』。ナイフを計三十本装着済みである。
その表情は、あんまり人には見せられないような、そんな顔。目は腫れているし隈ができている。一日中泣いていましたと言わんばかりである。


「ぅおーい娘っ子、起きてる?」

「やかましいわね、起きてるわよ。立ったまま寝るはずないでしょ」

「いや、おめーさんならやりかねんと思ってね。ホントは出来んだろ?」

「出来るわよ。それがどうかした?」

「……人間やめちまいな」

「夢の中でヌーにでもなるわ」

「もういやだ何この子どきどきしちゃう」


言うとおり、本当にうつらうつらと眠くなってきてしまった。
本当に、昨夜は本当に眠れなかったのだ。一方通行は何時まで経っても帰ってこないし、不安になって探しに行けば何処にもいない。
どうにもやきもきして、結局一人では眠れなくてシエスタの部屋にお邪魔したのだった。
シエスタはルイズの話を嫌がる事無くはい、はい、と聞いてくれて、日ごろの愚痴とか、一方通行の生態とか、何だか話していたら止まらなくなってしまった。

ルイズの頭がいよいよ舟をこぎ始めて、


「ルイズ!」


ビクッ、と一瞬だけ硬直。


「やあ、おはようルイズ。覚えているかい?」

「ワルド! 覚えているわワルド!」


実は先日、姫を護衛していた部隊の中にもワルドは居た。
知った顔を見つけたルイズは声をかけようとしたが、ワルドはまるで知らん顔で、覚えているかい? はどちらかというとルイズの台詞だ。


「ひどいわ、手を振ったのに無視するんですもの」

「いや、さすがに姫様の御前で昔を懐かしむ訳にもいかなくてね」

「姫様はそんなの気にしないわよ」

「部下に格好がつかないだろう。何のためにこんな髭を生やしてると思っているんだい?」

「ん、んー……、おしゃれ髭?」

「……相変わらずだな、ルイズ。一応威厳が欲しくてね。若くして隊長なんかやっているものだから風当たりも強い」


そういってワルドは髭を撫で付けた。
ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。『閃光』の二つ名を持つ風のスクウェアメイジである。
本人の言うとおり、若くして魔法英士隊の一つ、グリフォン隊の隊長をやっている。もちろん実力はそんじょそこらのメイジじゃ歯が立たないほど。努力の末に隊長の座を獲得した男である。

アンリエッタが力強い護衛を派遣すると行っていたが、それはワルドの事だったのだなとルイズは得心。
幼い頃からの憧れであったワルドが一緒なら、妙な緊張感もなく旅が出来そうだ。


「でもよかった、一緒に行ってくれるのが貴方で。私これでも緊張してたのよ、変なやつが来たらどうしようって」

「その割には随分と可愛い寝顔を見せていたよ」

「う、えと……、昨日ちょっと、使い魔と喧嘩しちゃって……、それであんまり眠れなかったの」

「喧嘩? 使い魔とかい?」

「ええ。私ね、人間を召喚しちゃったの」

「それはまた、随分面白いことをしたじゃないか」


腹を押さえて笑うワルドに、ルイズはむっとした顔つきになった。


「貴方まで私を馬鹿にするの?」

「そうじゃない。そうじゃないが、君は、くく、昔から変わらないね、本当に。羨ましい」

「まぁ、魔法英士隊が一つ、グリフォン隊の隊長様に羨ましいだなんて! 私も出世したものね!」


ルイズはそういうとつん、と顔をそらし、そしてワルドが乗ってきたグリフォンへと深々とお辞儀した。


「今日はよろしく。私はルイズ。馬だとあなたの速度には追いつけないわね。ワルドと一緒に乗せてくれる?」


じ、と試されているような視線がルイズを貫いた。グリフォンの視線が圧力を持って。
グリフォンは気位が高い動物だと聞いたことがある。決して人間を恐れている訳ではなく、あくまで対等。もしくは自分達のほうが上だと思っているのだとか。
そんなグリフォンを操るには相応の実力を示すか、もしくはお願いする事。馬にも似たようなところがあって、目を逸らしてしまうとたまに舐められる事がある。

明らかに知性を持っているような、ただ言葉が話せないだけで、絶対に頭がいいと感じさせるグリフォンの瞳。鳥の、鷲の上半身に獅子の下半身。受ける威圧感は半端なものではない。ルイズはちょっとだけドキドキしながら、しかし決して目は逸らさなかった。


「乗せて」


一言呟くとグリフォンはゆっくりと足を折りたたみ、ルイズに背中をさらす。
ワルドがルイズの後ろで“おいおい”と静かに、信じられないものを見たように呟いていたのがルイズには気持ちがよかった。
ふふん、と高飛車に笑いながらルイズはグリフォンの背に乗り、ワルドを見て、


「行くわよ、隊長殿」

「……了解だ、レィディ」


ワルドを後ろに乗せて、ルイズは馬と同じようにグリフォンのお腹を軽く蹴った。馬とは全然違う加速。景色がすっ飛んでいき、ルイズは楽しそうに笑う。
そして小さく小さく呟いた。

行ってきます。

もちろん、あいつに向けて。





。。。。。






痛む頭を、こめかみを押さえつけながらコルベールは学院長室へと足を運んだ。
急に姫は来るし、その歓迎会の準備に追われて、ようやく一段落かと思ったらまた要らない情報が舞い降りてくる。気の休まる暇がない。

薄くなった頭をぽりぽりと掻き、少しだけ速度を上げた。早く学院長に報告したほうがよかろう。
なんと牢獄に捕らえていたはずのフーケが逃げ出したというのだ。
杖は取り上げており、魔法は使えるはずがない。なんと言っても牢獄なのだ。当然囚人の自由などないし、あるのは暗闇と死なない程度の食事だけ。排泄なども勝手にやっていろといったところ。

だがフーケは脱走した。
看守は何者かに気絶させられており、目を覚ましたときにはフーケの姿は、あった。もちろん監獄の中にあった。看守も安心したろう。誰も逃げ出していない事にほっと一息つき、だから報告を怠った。誰かに気絶させられましたなど、言えるはずもなかった。
だからそのフーケが偽者だと気づくのが遅れたのだ。

土の魔法で精巧に作られたダミー。一日一食の食事を与えようかと思った看守がようやくになって気がついたとき、全ては遅くて、まぁ、まんまと出し抜かれた訳である。


「はぁ……質が落ちたものだ。逃げられるくらいならさっさと……」


つい呟こうとした言葉を意識して飲み込む。どうにも先日の戦闘以来考え方が昔に戻っているような気がした。
いけないな、と首を振り、口角を揉み、にっこりと笑顔を作った。
学院ではコルベール先生で居たい。

視界に学院長室を捕らえ、


「オールド・オスマン……?」


扉が粉々になってしまっているのは、いったい何事だろうか。
そして部屋に入って、更に驚く事がもう一つ。


「あ、あー、オールド・オスマン、フーケが逃げ出したそうですが……」

「ああ、知っちょる知っちょる。ちょっと前じゃろ、それ」

「ええ、一昨日に食事を渡そうとしたときに気がついたそうですから、少なくとも三日、四日前には逃げていたのでしょうな」

「ん」

「気付いていたと?」

「いんや。ただ手紙がきとったからの。わしには分からん言葉で書かれておったが、表に書いてある『一方通行へ』で気がついた。わしの秘書じゃったし、筆跡くらい見れば、まぁそのくらい気がつくもんじゃ」


一方通行、の単語にコルベールはぴくりと反応し非常に嫌な顔をさらした。


「……手紙」

「うん、手紙。言ったとおり、わしには読めんかったがね」

「渡したのですか?」

「当たり前じゃろ。人の手紙をわしが貰ってどうすんじゃい」


中身を読もうとしたくせに。
コルベールはその事にはあえて触れずに、視線を扉のほうへ送った。
粉々になっているそれは、一方通行がやったのだろう。コルベールはため息吐いた。


「それで、彼は?」

「行ったよ」

「何処へ?」

「さて?」

「野放しにするのはいささか危険ではありませんか?」

「内におっても危険じゃろ。言う事を聞くはずがないと言っておったのは君じゃなかったかね?」

「……ですな」


頬をかきながら、コルベールは外を見る。
窓からではない。そこには窓はなかった。というか、壁がなかった。
まずこの部屋に入って、壁がないことに驚いたのだが、また学院長のお茶目だろうと判断。判断したが、これは一方通行の仕業だったのだ。
扉を破壊して進入し、壁を破壊して出て行く。
どこの破壊神だと心の中だけで突っ込みをいれ、


「とりあえず、直しましょうか」

「ああ、さぶさぶ! そうしてくれい!」


何処に行ったのかなど知ったことではないが、取り敢えず面倒ごとだけはやめてくれ。
コルベールは杖を振りながら、そう願わずにはいられなかった。







[6318] 05
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:e4b7aa8d
Date: 2010/06/02 17:15



05/~赤色アルビオン・転~





彼らは傭兵だった。
雇われて、お金を貰うから戦う。もともと農夫だったものも居るし、それが戦争に行って、価値観が変わってしまって、入ってくるお金も違っていて、だから傭兵になった。
人を殺してお金を貰う。それで残してきた家族にお金を送る。

すぐに慣れた。

剣の一振りで簡単に人間が死ぬことを知った。剣じゃなくったって、石ころ一つでだって人間が死ぬのを知っていた。
ぼろぼろになった甲冑を着込み、少しだけ錆びてきている剣を振って、王様のため、王様から貰ったお金の分だけ戦った。愛国心なんてものは最初から存在しない。どころか、もともとアルビオンの人間ではない者だって沢山居る。だって傭兵だから。戦場が職場なのだ。彼らは戦ってなんぼの存在で、戦争に負けるような惰弱な王様には興味なかった。

戦況をギリギリまで見極め、金を貰うだけ貰って、そして逃げ出した。
なかなかに羽振りのいい王様で、まぁ、負けるのが分かっていたからだろうが、それでも傭兵にしてみればお目にかかれないだけの額を貰った。装備を一新して、久しぶりにきちんと『斬れる』剣でも買おうかと思っていた。
仲間達と酒を飲み交わし、戦場でいかに勇敢だったかを自慢げに話す。

俺は七人殺した。

俺だって五人も殺した。

俺はメイジもやった。

はっはっは、たいしたもんだ。

酒場は賑やかで、初めて会った人とだってすぐに仲良くなれる。
次は何処の戦場へ行くのかと論じ、だったら俺達は敵同士になるかもしれないな、と。
だけど今は一緒に生き残っている事を喜ぼう。戦争から逃げてきた身だが、それがどうした。雇われてなんぼの傭兵が、金を払えなくなってしまう依頼人のために戦うなんて、そんな事はありえない。

ただお金。
名誉なんてものは期待していない。彼らは自分達が汚れた存在だと理解していた。
仲間内には死体にしか興奮できないなんて危ない性癖を持つものが居る事だって、人を殺すときの、完全に興奮しきっている自分にだって、エキサイトして何が悪い。戦争をしているお前らのために戦っているんだ。このくらいの個人的な趣味は許して欲しい。

がちん! と杯を鳴らし、ごっくんごっくん酒を飲む。彼らは傭兵で、まだまだイケルと息巻いていたが十分に酔っ払っていた。

ぎぃこ。

はね扉が軋んだ。
またまたアルビオンのお仲間か、と傭兵達は視線を向けて、それが女だという事に気がついた。
フードをすっぽりと被っていて顔までは見えないが、入り口の近くに居た男が一人、すげぇいい匂い! と酔った勢いのままハッピー・タイムに突入していた。
傭兵達は各々顔を見合わせ、いやらしい笑みを浮かべる。
さて、どうやって手をつけようかと女の肩に手を置いて、その女は瞬時に杖を向けてきた。


「やぁやぁ臆病兵隊の諸君。酒は美味いかい? 私の話をちょっと聞けば、ゆっくり杖をおろしてあげるよ」


女はメイジだった。
貴族ではないが、メイジだといった。

何をしにきた、とちょっとの緊張感を持ちながら誰かが言った。


「雇いに来たのさ」


女が座るカウンター席に料理が運び込まれ、美味しそうに女は食べる。
久しぶりにまともなものを食ったと嬉しそうだった。

仕事の内容を聞けば、それはそれは簡単な事。
危険も少ないし、払いもいい。傭兵達はもう一度顔を見合わせ、仕事を受けた。愉快そうに笑いながら、酒をいっぱいいっぱい飲んだ。





思えば、そんな簡単な仕事で、そんなに羽振りのいい話があるものか。





雇われた傭兵は七人で行動していた。もっと人数を増やせばいいのにと言われたが、今の仲間が一番安心できた。
三つ前の戦争で仲間になった二人以外、幼い頃から知っている気のいい連中だった。
まず二人が死んだ。三つ前の戦争で知り合った二人が死んだ。
何をされたのかは分からなかったが、ただ、全身の穴という穴から血をだくだくと流しながら死んだ。

もちろん残りの五人は逃げ出そうとした。
だが、進む先の地面が盛り上がってきて簡単には飛び越えられない壁になってしまう。
絶望が男達を襲うが、相手は一つ提案を出してきた。

質問する。答えろ。それなら……、と。

まず一人がこう聞かれた。物盗りか、それとも雇われ者かと。


「はっ、知らないね! 俺達は───」


その先を言おうとしたやつの首がくるん、と一回転した。横に一回転した。
ただ単に、ちょこんと頬を触れられただけでそうなった。その傭兵は鼻と口からぶくぶくと血を吐き出しながら死んだ。

再度その人物は口を開いた。物盗りか、雇われ者か。


「い、いやだ、助け」


命乞いをした一人は上半身と下半身が反対の方向を向いた。ぴくりぴくりと二、三度震えて死んだ。

その人物は長くため息をついてもう一度。物盗りか、雇われ者か。


「う、あぁぁあああ!!」


傭兵の二人が剣を持って駆けた。
黙って殺されるくらいなら殺す。傭兵達は当然そのような考え方を持っていて、闘争か逃走の本能が、逃走が出来ないのなら、闘争を選んだ。
二人は昔馴染みだったし、息も合っていた。もしかしたら、二人でかかればメイジだって倒せるかもな、と酒を飲みながらそんな話をしていたのを思い出す。

傭兵の一人が剣を振った。薄く笑うその人物に向けて剣を振った。
肩口に当たった瞬間、殺したと思った瞬間、ぽきりと剣が折れた。
折れた先がもう一人の傭兵の首に突き刺さった。死んだ。


「えぁ」


困惑しながらの声が最後の言葉だった。斬りかかった傭兵は自分の胸にぽっかりと穴が開いていることに気がついた。
なんだかよく分からないけれど、とにかく死んだ。

さて、とその人物は面倒臭そうに前髪を持ち上げた。ただ単純に、話せと言った。

最後の一人の傭兵は全部話した。全てを話した。
メイジで、女で、切れ長の瞳に高い鼻。美人で、沢山金を持っていた。そう、土を操っていた事も話した。変な仮面をつけた男がやってきたのも話したし、最後の傭兵が持てる全ての情報を渡した。

ただ助かりたかった。
こんなときに限って、思い起こす事は先日飲んだ酒の種類ばかりだったが、それでも助かりたかった。
せっかく稼いだ金の使い道を、故郷に残した弟夫婦。彼自身は結婚していなかったが、甥っ子がとても可愛かった。彼にもよく懐いてくれた。弟夫婦は一緒に葡萄畑をやらないかと誘ってくれたが、それでも稼ぎがいい傭兵の道を選んだ。
だって、葡萄の栽培を始めるにはお金がいるし、これだけの金があればそれだって夢じゃなかった。幼い頃から可愛がっていた弟と、その妻。子供。傭兵という、ちょっとだけ汚い仕事をしている彼を、家族だといってくれた。


「これだけだ! 俺が知っているのはっ、これだけなんだ! 金で雇われたんだ、知らないんだ! 助けてくれ! いやだ、こんな死にかたはいやだ!!」


恥も外聞もなく彼は命乞いをした。唾を飛ばしながら死にたくないと願った。

呆れたように口を開いた人物はもういいといった。
どっちにも取れるその言い方に、ゆっくりと伸びてくる右手に、彼の心臓はもっともっと早く、動悸を起こし始めた。


「いやだ、助けてくれるって、話せば助けてくれるって!」

「ワリ。俺ってさァ、意外と嘘吐きなンだわ」


ぷつ、と最後の一人の命が消えた。





。。。。。





学院を出て半日ほど。
慣れないグリフォンの背中に、ついにルイズの尻は悲鳴を上げ始めた。


「ぅあ、お、お尻が、お尻が」

「どうかしたのかい?」

「お尻が痛いわ」

「乗馬は得意だったと思ったが……、あぁ、今日はいつもよりも身体が重いからか」

「お、重くないわよ! 例え重くてもそれは筋肉よ!」

「いや、僕はその剣とナイフの束のことを言っているんだが……」


ワルドは手綱を引きながら、少しだけグリフォンの速度を落とした。
ルイズは尻を浮かすのを止め、ワルドの目の前でふりふりしていたそれをグリフォンの背中に戻す。
ワルドの言うとおり、今日のルイズは重いのだ。ナイフは三十。何となく選んだデルフリンガーはルイズの身長を超える。これだけあれば馬に鍛えられている尻も痛くなろう。
ゆっくりと進むグリフォンにルイズはごめんね、と声をかけた。


「ところで、聞こう聞こうと思っていたんだが……、君は剣が使えるのかい?」

「うん」

「ふむ。どの程度?」

「んー……」


少しだけ考えて、そういえばルイズは自分がどの程度強いのかよく分からない事に気がついた。
一方通行との戦闘では負けたし、先日のフーケとの戦いも一方通行がいなかったら死んでいる。うむむ、と顎に手をやり考えて、


「……たぶん、相当な化け物でもない限りは負けないと思うんだけど……」

「それはいざという時、戦力になると考えてもいいのかな?」

「ん、それは任せて。ただの人間にならきっと負けない」


実際のところルイズの実力はそれなりに高い位置にある。
武器を使って、一対一での戦闘。それならば恐らく誰にも負けない程度の実力はある。しかしメイジの魔法のことを考えるとあやふやになって、そもそも一方通行が近くに居るのが悪い。一方通行は最強で、ルイズもその事を知っているものだから、強いといえば一方通行になってしまうのだ。
メイジの実力にしたって、仲がいいのはキュルケとタバサ。おまけでギーシュくらいか。
キュルケは強いし、タバサだって。ギーシュは置いといて、ルイズの母親など、とんでもないほどの実力を持っている。ルイズの周りには優秀な人間が多すぎた。だから自分になかなか自信がもてなくて塞ぎこんでいた訳だ。

しかし左手にあるルーン。今は籠手のせいで見えないが、これさえあればきっとという思いはある。
最強にだってもしかしたら届くかもしれないし、一方通行が言っていたように、本当に虚無の魔法使いなら伝説である。
むふふ、とルイズは笑いながら尻をさすった。


「ほら、あまりはしたない真似をするんじゃない。せっかく可愛く生んでもらっているんだ」

「だ、だって私のお尻は痛がってるのよ」

「貴族なら、屁をこくときも美しく、だろ?」

「あら、なかなか良い事言うじゃないワルド」

「光栄だよ、まったく」


くっくと笑うワルドは、ルイズにとって兄のような存在だった。
母の説教から逃げ出した先の小船。そこで泣いているところを見つけられて、いつもワルドは母と父に“もうその辺で”と口を利いてくれた。
ルイズが小さな頃は、ワルドだってお調子者で、ルイズと一緒に悪さばかりしていたのに、いつの間にか髭なんか生やして、いつの間にかグリフォン隊の隊長である。
離れたところに行ってしまったんだな、と思っていたところに“屁をこくときも~”。何だか昔を思い出して、ルイズはちょっとだけ嬉しくなった。


「久しぶりに見ると……、貴方けっこういい男ね。いい筋肉してるわ」

「今さら気がついたのかい? これでも交際の申し出が後を絶たないんだがね」

「な、何人くらい手篭めにした?」

「……今のところ……、二十二、いや、二十三かな……?」

「きゃー! いやらしいいやらしい! 降りなさいよ! えろ菌がうつる!」

「君が聞いたんじゃないか! あぁ、君は変わってしまったんだね、ルイズ。僕のルイズ。昔は僕の後をずっと着いてきて、ワルド様と結婚するって言っていたのに」

「貴方と結婚なんかしちゃったら二十三人の女達から謀殺されちゃうわ」

「最近は僕が殺されそうだよ。女は怖いね」


笑いながらワルドは髭をさする。
反省などしておりません。後悔もしておりません。しっかりと態度に出ていた。

ルイズもワルドのそんな態度に笑い、そこで視界の先の異変に気がついた。
ルイズたちが進んでいる道は一本道である。このあたりに分かれ道はない。しかし視線の先、一本道は何か妙なものに塞がれている。壁といえばいいのだろうか。それとも山か。
ただ土が盛り上がっていて、なかなか簡単には超えられそうにない高さまで。三方を囲うようになっていて、袋小路を思わせた。


「んー? 何あれ……」


じっと目を凝らし、


「───ぅあ、え、あ、あれって……?」

「……見ないほうがいい。目を瞑って、僕に捕まって」


闇に慣れた目が捕らえたのは奇妙なオブジェだった。死体だった。
いくら目を瞑ろうが強烈な印象を残したそれは簡単に忘れる事など出来ない。上半身と下半身が逆転している男が居た様に見えた。闇のせいでよくは見えなかったが、胸に大穴が開いている男だって、首に何か突き刺さっている男だって。

とたんに湧き上がる吐き気。
咽喉を這い上がってきたものを、ルイズは無理やり飲み下した。

ワルドが察してルイズの背中をさする。


「盗賊か何かだったんだろう。土のメイジに返り討ちにあったのか?」


ワルドはそういったが、ルイズはこの地面が盛り上がったような山を何処かで見たような気がした。
何時だったろう。何処だったろう。剣が折れている。身体が、反対を向いている。
もしかして、とルイズは思った。

ルイズが学院を出る頃、確かに彼は居なかったが、もしかして。
どくん、と心臓が一つだ跳ねて、


「キュルケぇ!」


ルイズが叫ぶと上空からばさりばさりと羽音が聞こえてきた。


「はいはい、どうしたのよ。って、うげぇ、何よこれぇ」


シルフィードに乗り、空から降りてきたのはキュルケとタバサ。
タバサはキュルケに巻き込まれたのだろうが、何も言わずに付いて来るあたり彼女らしい。

ルイズはグリフォンから飛び降りて、掴みかからんばかりの勢いでキュルケへと迫った。


「シ、シロ、上からシロ見えなかった!?」

「こんなに暗いのにそんな遠くまで見えないわよ」

「タバサは!?」


聞けばゆっくりと首を振る。

信じたくはないが、信じるなんて出来ないが、これが一方通行のやったことだとするといったいルイズはどうするのだろうか。彼女は自分自身、それがよく分からなかった。
すでに一万人殺していると聞いたが、それを超えて迫り来る現実。死体。ちょっとだけ一方通行のことが分かって、これを、あと、一万人殺している。

そんなはずがない。これは一方通行じゃない。ルイズはぶんぶんと首を振る。


「ルイズ、紹介してくれるかい?」

「あ、ああ、ごめんなさい。私の……、と、友達なの」

「一応、秘密の任務だと聞いているが……」

「うん。だから内容は教えてないわ」


嘘である。


「あんまりしつこく迫ってくるから、勝手になさいって言っただけ」

「ん、そうか……。ふむ、まぁ、いいか。お嬢さん方、名前を聞いても?」

「こんな奇妙なオブジェのあるところで乙女に名乗らせる気? あなた、顔だけ良くても駄目よ?」

「これは失礼を。……埋葬している時間はないか」

「貴族が平民を?」


キュルケは少しだけ意外そうに。


「貴族も平民も関係ない。人間なんて、死んだらただの肉の塊さ」


そのときのワルドの顔は暗がりでよく見えなかったが、少し怖いなとルイズは思った。

遠くのほうに明かりが見える。人の営みの明かり。町はすぐそこだった。
すぐ近くにある死体は何だか現実感が伴っていないように感じて、だからこそリアル。
ルイズは思わずキュルケとタバサの間に入り込み手を握った。

なんだか、空に浮かぶ双月は重なりかけていて、人が大きく口を開けているような、なにかの穴のような。
食べられちゃいそう。ルイズはそう思った。





港町ラ・ロシェール。
港町とはいうものの、近くに海があるわけではない。渓谷の山道、その間に作られた小さな町である。
なんと言っても、アルビオンは空を飛んでいる。ここでいう船は空を飛ぶものなのだ。

向こうの世界の常識は知らないが、船が空を飛ぶというのは聞いたことがない。一方通行にも見せてやりたかった、とルイズは小さく口を開いた。

一行はラ・ロシェールで一番上等な宿に泊まることにし、その一階、酒場になっているフロアでゆっくりと息をつく。
一日の大半を生き物の背中の上で過ごしたのだ。ルイズは疲れているという自覚はなかったが、自覚はなくともじわじわと出てくるのが疲労である。ワルドに休んでいたほうがいいと言われ、外に出て行こうとしたのを止められた。
そわそわと落ち着きなくあっちをきょろきょろこっちをうろうろ。相変わらずの挙動不審ぶり。


「何やってるのよ」

「いや、その……」

「シロ君?」

「う、うん」


ルイズは一方通行を探していたのだ。ラ・ロシェールに一歩入るなり道行く人波をじろじろと見、凝視して、観察して、そして目的の人影を捉えることができなくて落胆とも安心とも取れるため息をこぼす。
そんなルイズの様子を見、タバサがいつもの通りの表情で、


「見つからない。人が多すぎる」

「……うん」


何故かなど分かりきっているが、この街には人が多すぎる。
もともとがアルビオンとの中継点だし、更に今は戦時中ということで何処を見ても傭兵だらけだった。嫌でも耳に入ってくる戦争の会話。王様は終わっただとか、アルビオンは潰れるだとか。
ただでさえ心配事があるのにこれ以上余計な心労を増やさないでくれ。ルイズは心底祈った。

どうにも戦況はあまり良いとは言えないらしい。
アルビオンは王党派と貴族派に分かれて戦争をしている。ルイズが会いたいのは王党派のトップツー、ウェールズ皇太子である。このままだと、このラ・ロシェールの状況を見るに、多分数日中に王党派は潰れる。ウェールズは死ぬだろう。だからその前に姫の手紙を届け、以前の手紙を回収せねばならない。

自分の近い将来に不安を抱き、ルイズは深々とため息をついた。
いや、後悔はないのだ。軽々しく請け負った事に反省はしているが、後悔はない。

けどそのせいで自身の使い魔と喧嘩になってしまった。
しかもなんか人死んでるし。
さらに一方通行怪しいし。


「たまんないわ。ホント馬鹿、私……」


ご主人様の私よりも、キュルケのほうが一方通行の事を分かってるではないか。


「うかない顔だね。そんなに使い魔君のことが気になるかい?」

「そうね、気になるわ」

「正直者だ。……しかし人間を使い魔に、か」

「もういいでしょ。そんなにおかしい?」

「違うよ、馬鹿にしているわけじゃない。ただ、以前調べ物があって王立の図書館に行った事がある。そのときに興味深い文献を見つけてね」

「うん」

「なんとなんと、始祖ブリミルの使い魔も人間だったという。君と使い魔君はその再来かもしれないな」


はいはい出ました。
正直に言うとこの程度の反応である。もうその話は何度聞いたであろうか。虚無虚無虚無って、だったら早く魔法を使わせろ。
確かに使い魔は人間で、その使い魔もルイズのことを虚無だと言うが、ルイズは未だにそれを信じ切れてはいなかった。
最近はまったく信じていない訳ではなくて、そうだったら良いなとは思ってきているが、それでも自分が虚無だという話を信じるくらいなら一方通行が実は女だと言う話のほうが信じられると言うものだ。

とにかくそのくらい信じていない。
だって、期待しすぎると外れたときにつらいし。あんまり保険をかけるようなことは好きじゃないけれど、こればっかりは仕様のないことである。
一方通行からも言われているし。虚無は秘密に。二人だけの秘密である。ちょっと何だかむずむず。
だからルイズはわざとらしく気のない返事を。


「へぇー」

「……なんか反応薄いな。もっと喜んだらどうだい?」

「ん、まぁそんなモンなんじゃない?」

「……ほう?」

「ル───、っ」


ルーンなら私に出てるわよー、なんて言おうとした時だった。タバサが机の下で左足のつま先を杖でぐりぐり。ルイズはびくりと反応。


「な、なによ」

「カエルがいた」


凍りついた。


「潰した」


ざぶいぼが立った。


「あなたの足に臓物をぶちまけながらくっついてる」


ちょっとだけおしっこ漏らした。


「あ、蛆」

「ぎゃふーんっ!!」


失神した。





。。。。。





ワルドは紳士的で、食事中でも時折ジョークを混ぜ込む。
それが面白くて、あまり表情の変わらないタバサも何度か吹き出しそうになったのは秘密である。

失神したルイズはワルドに軽々と抱き上げられ、


「ちょっと狭いかもしれないけど、そっちの部屋に三人でも構わないかな?」


紳士である。
タバサはキュルケと顔を見合わせて一つ頷くと、ワルドはルイズをベッドの上へと。お休み、と背を向けるワルドにはいと答えた。
ルイズは寝ている。グーグー寝ている。
顔をつつきながらタバサは部屋の鍵がかかっている事を確認。


「それで?」


キュルケが口を開いた。少しだけにやついた表情は、わかっているのよとでも言いたそう。
タバサは頷き、部屋にディティクトマジックをかけた。探知の魔法。覗かれていたり、聞かれていたり、そういうのは困る。
別段何の魔法干渉もないことを確認したタバサは静かに口を開いた。


「あのとき目が怖かった」


ルイズが口を滑らせてルーンがどうとか言おうとしたときである。そのときのワルドの目は笑っていたが、その奥の光に嫌な感覚を覚えた。瞳の奥は決して笑ってはいなかった。
タバサには少しだけ特殊な事情があって、そういう汚いものを見てきたという自負がある。その直感が伝えた。紳士だけど、何かがある。面白い人だとは思うけれど、何処かが違う。
自分の気のせいならそれでいい。事実、彼がルイズを見るときの瞳は慈愛に満ちている。ような気もする。優しいし、風のスクウェアと言うのなら相当な努力もしてきたのだろう。グリフォン隊の隊長などなろうと思って簡単になれるものではない。地位があり、名誉も持っている。タバサは誰かのおかげで髭が嫌いなのであまり好きではないが、確かに美男子。

そんなワルドが、ルイズの言葉を聞きそうになったときの、あの瞳。


「注意が必要……だと思う」

「ん、了解」


タバサの煮え切らないその言い方が意外だったのか、キュルケは笑った。
ちょっとだけ不安になって、


「本当に?」

「ん?」

「わかってる?」

「分かってるわよ。あのね、私キュルケよ? あなたより男を見る目は、そりゃもう磨いてるんだから」


これにはタバサも素直に感心したものだった。
ちょっとだけむずむずする口元を笑みの形にしながらすごい、と呟いた。
事実、タバサはその一瞬しかワルドにおかしいところはないと思っていたのだ。しかしキュルケは見抜いていたという。タバサとは違って実践の経験などほとんどないキュルケが。嫉妬なんか感じなくて、だから素直に凄いと賞賛した。


「すごい。私は少ししかわからなかった」

「ふふん、見直したでしょ」

「どこで気付いた?」

「学院を出るときからず~っと!」

「すごい」

「でしょでしょ~?」

「なんで、どうして気付いた?」


若干興奮気味にタバサが言うと、


「だってルイズをあんな目で見てるのよ? あんなねっとりじっくり優しげに! あんなのロリコンよロリコン。ロリコン以外何だってのよ。嫌よねロリコンは。ロリコンは困るわよねタバサは。でも大丈夫。あんなね、この私のこと眼中にありませんみたいなロリコンはね、何かしでかしたときしっかりと燃やしてあげるの。この、おっぱいの大きな、このキュルケが!
 あのロリコン、こんなにいい女がいるのにルイズルイズって……、真性よ、あれ絶対にマジのロリコンだわ。もったいないわね、あんな美男子に限ってゲイとかロリコンとか。あなた見た? あの男カップ持つとき小指立ってたわよ? 信じられないわ。ゲイかロリコンで確定じゃない。
 まぁいいんだけどね。私ね、最近のマイブームはすっぽり収まる系なの。こう、何て言ったらいいから、ぎゅってして、すぽっと。そうね、あなたとかルイズはすっぽり収まる系女子よね。私はむっちり包む系女子かしら?」

「……」

「やっぱりいいわよね。おっぱいにね、顔をぐにっとされるとね、気持ちいいの。包んであげたくなっちゃうの」

「……包む?」

「そう。守ってあげたくなっちゃうわけ」

「守る」

「うん。だからね、あなたもルイズも、ま、このフォン・ツェルプストーに任せときなさい」


分かっているのかいないのか。キュルケはけらけらといつもの通りに笑いながら、タバサはその胸に包み込まれた。
やっぱいいわぁ、とキュルケが酒も入っていないのに酔ったように言うと、そのままベッドにダイヴする。タバサもそのまま引きずられて、ぐえ、とルイズの声が聞こえたが、キュルケに抱かれるのが気持ちよくて気にしていられなかった。

言いたい事は、何となくだが伝わっているようないないような。
タバサがキュルケを慕う理由。何だかこのあたりが大人なのだ、彼女は。物事をはぐらかすのは上手いし、怒るときは怒るし、たまに作ってくれる料理は美味しいし。
言えばお母さんみたいで、そういうのが足りていないタバサからするならば、もう大好き。


「頼りにしてる」

「まっかせなさい」







[6318] 06
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:e4b7aa8d
Date: 2010/06/11 21:32


06/~赤色アルビオン・裂~





ルイズ達一行がラ・ロシェールに着く少し前、すでに街に到着していた一方通行は、とりあえずスタジオ・ジヴリが大喜びだなと思った。
なんとなんと、空を飛ぶ島とな。笑うぜ畜生くそったれ。呟きながら、面倒臭そうに狭い道を歩き三件目の酒場に入る。
とたんに耳を劈く喧騒。うるさいとは思いつつも、いま音を反射してしまうわけにも行かなかった。一方通行は人を探しているのだ。
手紙に書かれていた内容。いや、内容よりも驚いたのが、日本語である。表に書かれた『一方通行へ』以外は、全て日本語で書かれていた。

『わたしはあなたをしっています しりたかったらら・ろしぇーる さんのきかだるていえきて』

下手糞な字を、文章を見て、恐らくハルケギニアの人間が書いているのだろうとは思ったが、しかし日本語がある。
日本語があるということは、少なくとも一方通行以外の日本人がこの世界に迷い込んでいる事を指す。最初に思い浮かんだのは王都で見かけたやつだったが、あいつならばここまで汚い文字は書くまいし、さて。

オスマンの部屋で手紙を読み、一方通行はラ・ロシェールに向かって飛んだ。
上昇と滑空。繰り返せば割と早く着く。町が見えたところで、以前のように騒がれては面倒だと思い山道に降り立つと賊が襲ってきた訳だが。
当然だが、殺す気でかかってくる人間は反射。別に特に何かを考えた訳ではなく当たり前のように反射した。


「ごちゃごちゃしやがって。何処に居ンだァ?」


岩を切り崩されて出来た町並みは物珍しかったが、もう飽きた。
酒場のカウンターに近づいて、まずは探し人の片方。一方通行を襲うように指示したと思われる女を捜す。もう片方は勝手に向こうが接触をはかってくるだろうと高を括った。目立つ風貌をしているのは自覚している。
人ごみを掻き分けてカウンターへと。


「あァ、なンつーかな、探してる人間が二人いンだが、まずは女だな。切れ長の目に、高い鼻。メイジで、土を使ったって言ってたな。美人だそォだ。メイジだが貴族じゃねェとよ。心当たりは?」

「ここは酒を飲む場所なんだけどな?」

「……これで足りる分だけもってこい」


そういって一方通行は金貨を三枚放った。盗賊が持っていたもので、なにかの役に立つかと思って一応盗ってきたのだ。
カウンター主人はわお、と口笛を吹き一方通行の前に一杯のミルクを置いた。


「その女なら上に居るよ。部屋を取ってたから、そこだろうね」


一口だけミルクを飲み、馬鹿にされているのはもちろんわかっているが、一方通行の口角はつりあがる。
さてどうしてくれようか。人に命を狙われる覚えはそれはそれは沢山あるが、しかしこちらの世界ではあまりないはずである。大人しく、静かに、まるで子猫のように過ごしてきた一方通行を殺すように指示する女とは、とても興味深い。


(……うン?)


興味深くて、考えてみれば、そうである。

わざわざ人を雇ってまで襲われる理由はないのではないだろうか。確かに多少暴れはしたが、それだってとても小さな事である。多少学院の生徒を殺しかけて、二人目を殺しかけて、学院を囲っている塀を半壊させ、土人形をぶっ壊し、それだけである。
たったのそれだけで、まさか殺そうとする人間はいるだろうか。
学院の関係者だとするならば随分と短気なヤツだな、と自分のことを棚にあげて一方通行は呟いた。
呟いて、勢いのまま行動をしている自分に気がついて、そこで己の馬鹿さ加減にうんざりした。


「……アホか俺ァ。あァくそ、手紙のせいで気が回ってねェ。ありえねェ」


同一人物に決まっているではないか。
そうだ、手紙を寄越したやつと盗賊を寄越したやつは同一人物だ。
そもそも一方通行がラ・ロシェールに来る事を知っているのはオスマンと、手紙を寄越した人物だけだ。そして待ち伏せをしたようなタイミングで現れた賊。
もしかしたらオスマンが一方通行を殺そうとしているのかもしれないが、それならそれで、なかなか面白そうである。
しかし恐らくそれはないし、そうなると間違いなく手紙の主しかいなくて、


「信じらンねェ……。アイツのアホが伝染ってンじゃねェだろォな」


ルイズのアホを思い出しながら薄ら寒いものを感じ、一方通行は腕をさすった。あのアホには伝染する可能性があるのかと真剣に考えてみて、ンな訳あるかと唾を吐く。

ただ、本当のところはただ一方通行は頭が一杯だっただけだ。こっちで見かけたあの子の事で。一方通行との関係が深い、あいつの事で。
いったん働き始めた脳は次々に可能性を見出していく。このままならあいつにたどり着くのも遠くはないと一方通行は思った。
当然である。ここまであからさまに日本語を使われて。ここまで誘われていて。

はっ、と自嘲気味に息を吐き、いったんはね扉を開いて外へと出た。
そこでもう一度手紙を開き、読んで、日本語の難しさを再確認。

『わたしはあなたをしっています しりたかったらら・ろしぇーる さんのきかだるていえきて』

手紙をぐちゃぐちゃに潰して、酒樽の形をした看板を見て、


「“き”んの“さ”かだるていだろォが」


正直に『さんのきかだるてい』を探していた自分がアホのようだった。

はぁ。

深々とため息をついて二階へと上がる。階段を上りながら自分の心臓の具合を確かめ、神経伝達物質も正常で、何か特別な思い入れもないようである。だから緊張はなくて、一方通行は店主から聞いたとおり、角部屋から三つ目の部屋をノックノック。
中からはぁい、と若い女の声が聞こえた。
頭をぼりぼり掻きながら、なんと言えば良いだろうかと考えていると扉が開く。あの賊の言うとおり、目は鋭く、鼻は高くて、美人という言葉がぴったりの女性が出てきた。
何処かで見たことのある顔をしている人物で、ああ、そういえば学院でみたような。


「おや、えらく早いね」


学院で会ったときとは随分違う印象。人違いかもしれない。


「あァ……アレ、足止め?」

「まぁそういう意味合いもあったけど……、どうだった?」

「くはっ、全部死ンじまったよ。意外と親切すンのなオマエ」


きゃはきゃはと一方通行は笑って、女も笑った。
一方通行と一緒になって、女も笑ったのだ。

背中を冷たくて黒いものが走った。
女と一度だけ目が合う。

空気が凍りつき、

瞬間、一方通行は笑う女の髪の毛をつかみ取り、強引に部屋へと入り込んだ。


「なァに笑ってンだテメエ!」


面白いことをしてくれたものだ。無駄に人殺させてンじゃねェよ、と。能力は使わずに腕力だけで頭を揺さぶりどォしてくれるンですかァ?
まさか笑うか。自分のせいで、人間が七人死んでいて笑う。たまらない、こいつはイイ悪党ではないか。自分以外でこんなに頭がイっちまってるヤツは久しぶり。

一方通行は笑顔のままに女をベッドへと叩きつけた。きゃ、と小さな悲鳴が。
それでも女はにやにやとした笑みを貼り付けたままだった。頤をさらしながらもその眼光は鋭く。
楽しい。そう思った。炭酸の抜けたような人殺しをやった後だからだろうか。こいつは面白いと思った。


「……っ! は、いけない坊やだ。欲情でも、しちまったかい?」

「あァたまンねェ、たまンねェよ。ゆっくりシてやるからさァ、ちょっと話してみろ、お前が知ってる事をよォ」


演算という意識はしなくとも、その計算に沿うイメージを持てば、一方通行の脳は勝手に能力を行使する。
何がいいか。面白いことをしよう。自分に殺された七人の痛みをちょっとでも思い知るといい。それはとても理不尽で、とてもとてもいいことではないだろうか。

一方通行は女に馬乗りになり、顔面を引っつかむと掌に力を込めてベクトル操作。
女の右腕はちょうど肘の辺りで逆を向いた。ぼき。女の肘は山折になってしまったのだ。


「……え?」

「あァ? 話してみろって言ってンだけど?」


そこまでやって、初めて女の顔に腹の立つ笑み以外が生まれた。
困惑。女は困惑しているようだった。己の身体に何が起こっているのか分かっていないよう。


「───あっ、ぐ、ぁあ!」


苦痛の声が聞こえるが、それでも女の瞳には諦めが映っていない。絶望のようなものは全然見えない。
さっき殺した盗賊さんは簡単に見せてくれたのに、この女は見せないのだ。
さすが親玉。一方通行は笑いながら、女がのた打ち回るベッドに立ち上がり、足で目いっぱい肘を踏みつけた。


「んっ、ぅ、ぐっ!」

「……話せって言ってンだけど……理解してマスかァ?」


一方通行は踏みつけながら。
しかし女の表情は笑みに変わる。


「く、ふ、っふふ、話してくださいだろう、坊やッ」

「……どの辺からその余裕は出てくンだろォな。オマエ、もしかして自分が死なないとでも思ってンのか?」

「その通りだよッ、アンタにゃ私は殺せないね……!」

「だっせェ。違ェよなァ、そうじゃねェよなァ? お前が出来ることってさァ、そうじゃねェンだよ」

「いいや、これが正解だよ、クソガキ」

「面白ェこと言ってンじゃねェかよ」


美しい笑顔のままで一方通行は能力を行使。蹴り付けた腕から更に力の向きを変更。女の顔面向けて流した力は、その口を広々と広げた。
ぱかり、と間抜けな顔をさらす女は、まだまだ挑発的に笑う。

ああ、とても楽しくなってきた。冗談ではない。とても面白くなってきた。
筋繊維の一本を破壊するくらい、指先一つの力で十分。ぴり、と女の口の端が繊維単位で裂けて、血の珠を浮き上がらせて、それは口の中に零れていった。


「ふぅ! ん、んッ!」


女は気丈にも涙を流さない。だがその様が一方通行を興奮させるのだ。
一方通行は咽喉を震わせた。たまらない。


「く、くひ、……、だ、だから、話せって、あいつのこと」


ついつい一方通行は力を入れすぎてしまった。ちょっと楽しくなりすぎた。
そう、決してわざとではないのだ。人間誰しもそういうことはあるだろうし、だからこれは故意ではなくて、過失なのである。

がこッ! と変な音。


「あゃぁ! はぁっ、あぁ!!」

「ぎゃはッ! だからさァ!」


けれども口が開くのは止まらなかった。
みりみりみり、と肉の裂ける音を小さく響かせながら、口の端からそれは頬へと進んでいく。
ついに女の瞳に涙が浮かぶが、残念ながら一方通行に女の涙は効果なし。
ちょっと、頭が気持ちよくなってきているのだ。こんなところで涙なんか見せられたら、なんだか殺したくなってきてしまうではないか。大変である。そうなったらあいつの話が聞けなくなるし、ああでも、もうそれならそれでもいいのかも知れない。過去は全部過去。過ぎ去った事を一方通行の脳みそは許さないけれど、わざわざ未来に繋げる話でもないのかも。

冷たい光が瞳に宿る。
それを見た女は、いよいよ暴れ始めて、それを感じた一方通行の背筋に愉悦による快感が。


「ひ! は! はぁ!」

「……あン?」

「ひぃ! はぁ! はぁ!」


大きく“開きすぎた”口の中で、舌だけが何かを伝えようと必死に動いていた。
赤く湿っていて、赤く濡れていて、やけに扇情的に動くそれをえっちだなぁと思い、一方通行は頭を掴んでいる反対の手で舌を摘んだ。
この器官で人間は味を知る。いま、真っ赤に染まっているこの女の味覚は何を伝えているのだろうかと思い、それは当然ながら血の味に決まっているかと自己完結。
人間の血なんて、美味しいものでもなんでもない。というか、多分人間は全体的に美味しくない。指を食べた一方通行が言うのだ。間違いない。
その情景を思い出しながら、そういえば何だか味のないガムを噛んでいるような、そんな感触だったのを覚えている。焼いて食えばもう少しマシだったのか等と楽しい思い出に耽り、指先で舌を弄びながら、呟くように言った。


「……人間の舌って、美味ェのかな……」


ただ単純に気になった。


「んぅ! はぁッ、ッん」

「わっかンね」

「んー!」

「あァいや、お前の言いたいことは分かってンだよ。けどさ、それを聞いて俺はどォすンだろォなって。なンつーか、俺って結構ガキみてェだ。意外と物事考えてねェの。わりとあンだよな、あの時こうしときゃよかったって。でもそれって今さらっつーか、今が楽しければそれでいいみてェな、そォいうトコあンだよ」


一方通行は一度だけ目を瞑った。
さぁどうしようかと自分に問いかける。わざわざ空を飛んでここまで出向いたのだ。何の情報も無くさようなら、ではちょっと遊びがすぎるであろうか。
だが、組み敷いたこの女が余りに愉快なのも事実。思わず殺したくなるほどにイイ女だ。

話を聞きたい。

殺したい。

女は暴れながら何か言っていて、ぐらりと揺れた一方通行のポケットでちゃり、とコインが鳴った。


「……」


決めた。

コインを一枚ポケットから取り出して、一方通行は女には何も言わずに、視線すら合わせる事無くそれを放った。
女の目は見開かれ、何がどうなればどうするのか分からないのに、ただその視線はコインを追う。

くるくる回って、ぺたりとベッドの上に。


「オマエ、最ッ高に運いいじゃねェか」


一方通行は子供のように笑いながら。
取り敢えず女の、フーケの命は助かったらしい。





とんだ○○○○ヤローだよ、とフーケが言った。
現在日本では口にしてはいけない言葉だったのだが、ここはハルケギニアだし、それは自分を表すには非常にぴったりの言葉だと一方通行は思った。
フーケは化粧水を浸すように水の秘薬を肘と頬にぺたぺたしていて、怪我自体は見る見るうちに治っていくが、頬には傷跡が残ったようだ。
一方通行はにやつきながらそれを見、更にフーケが口に含んだ秘薬が頬から噴水のように吹き出るともう抱腹絶倒。どうにも傷が塞がりきれていなかったらしい。


「ちっ、クソガキ」

「年増が妬いてンじゃねェよ」

「アタシはまだお姉さんだよ!」

「はいはいそォかいお姉さん」


一通りの話を聞き終えた一方通行はテーブルに置いてある水を一口飲み込んだ。
フーケはレコン・キスタという組織に所属しているらしい。何でも聖地(笑っちまう)を奪還するのが目的なんだとか。
その聖地とやらには何があるのかと聞いても、さぁ? としか返ってこなかった。正直に話しているのかどうかは分からないが、もし本当だとして、何があるのかもわからないのに随分とまぁ。そう思った一方通行を責める者は居まい。

次いで俺を襲ってきたやつは何だ、である。
そんなの指示されたから送っただけだよ。事も無げに言うフーケは悪びれた様子もなく、中々どうして、いい悪党ではないか。
実力を調査せよ。もしくは殺せ。そう言われただけで、特に生きようが死のうがどっちでもよかったとフーケは言った。

そして、


「ンで、あの手紙だがよォ」

「ん、まぁ気付いてるとは思うけど。聞いた話じゃ随分と頭が良いそうじゃないか」

「……」

「どうしたらいいか分からないって、あの子は……ミサカは言ってたよ」


一方通行はピクリと反応した。


「今までさ、殺す事だけを考えてきたって。強敵を倒すのにどうすればいいか、姉妹達と一緒に考えて、考えて……、そしたら急にやることが無くなったって。殺す事だけを考えてきたミサカは殺す以外のことを考えなければならなくて、だけどどうしていいか分からない。だから姉に、妹に聞こうと思ってお話しようと思ったら、いつの間にかこっちの世界に来ていました。……だとさ」


フーケが言うと、一方通行は静かに瞳を閉じた。
ミサカ。一方通行が今までに一万三十一人殺した女。指があまり美味しくなかった女。
一方通行が王都で見かけた人物はミサカだったのだ。遠目からだったが、絶対に見まがう事はない。何せ沢山見てきた。毎日見てきた。
今さら彼女をどうこうしよう等という気はないが、それでも会ってみようかなとは思った。ミサカオリジナルに会って、結局何もいえなかった一方通行だが、それでも会ってみようかと思ったのだ。

一方通行は俯き加減のまま足を組み替えた。
一息ついて、


「あいつは何処にいる」

「教えると思ってるのかい? あの子の姉妹を殺したんだろうが、あんた」

「あいつは、今、何処にいるッ」

「……初めは妄言の類かと思って相手にもしてなかったんだけどね。でも、私のゴーレムを簡単に壊すくらいだ。あれだけのことが出来るなら一万人くらいサクっと殺せるね」


嘲笑うようにフーケは続けた。


「そもそも会ってどうしようって? 謝る? 殺す? ……とてもじゃないけど、会わせる訳にはいかない」

「だったら……、だったら何でアイツは王都に居た。お前が呼んだんじゃねェのかよ」


見なければこんな思いはしなかったのに。口にはしなかったが、一方通行はそういう思いでいっぱいだった。
素敵で無敵な悪党になろうと思っているのだ、一方通行は。
悪党には悪党の美学がある。そう言ったのはつい最近である。決して忘れてはいない。どんなに暗かろうが、どんなに汚かろうが、それでも一方通行は前に一歩踏み出したのだ。
それなのに、後ろから袖を引く存在が。断ち切ろうと思っても、会わせてもらえない。今度は自分ではなく他人が絡みついてくる。


「ちっ。じゃあなにか? 俺をここまで呼んどいて、たったこれだけかよ? さすがに殺すぞ」

「やかましいね、吠えるんじゃないよ」

「テメエ……」


フーケを睨みつけ、


「ほら。これは学院に置いてくる訳にもいかなかったから。あんたに宛てた手紙。あの子から」


一方通行の足は前にいく事無く、その場に止まった。


「読むだろう?」


返事をする時間すら惜しい。そう言わんばかりに手紙をフーケから引ったくり、封を無造作に破り取った。
几帳面そうな文面。綺麗な日本語で書かれたそれに一瞬だけ懐かしさを感じる。


『一方通行へ。

お元気でしょうか。私は最近死に掛けましたが、どうにか生き残っています。手紙を書くというのは何だか気恥ずかしいですね。
マチルダ姉さんからあなたの事を手紙で知らせてもらい、私はすぐに学院の近くまで行きました。会っては駄目だと姉さんから言われたので遠くからこっそりと。変わらず不健康そうで何より。胸の大きな女の人と腕を組んでいましたね。恋人でしょうか? 私には恋がどういうものか分からないので羨ましいです。

絶対能力。あの実験が終わり、私はすぐにこちらに来てしまいました。恐らく、あなたよりも早く召喚されたのでしょう。始めは戸惑う事ばかりで、姉妹達とのリンクも切れ、最終調整すら済んでいない身。死に掛けました。
魔法の力は凄いですね。能力者では太刀打ちできないのかもしれません。ですがあなたのことです、きっとわがままに過ごしていることでしょう。あまり召喚主に迷惑をかけないよう気をつけてください。

私はいつもあなたの事を考えています。目を瞑ればあなたのことを考えます。あなたは今、何をしているのだろうと。
人生の七十パーセントはあなたのことを考えています。当たり前ですね。あなたとの決められた戦闘の中で、何処まで生き残れるかが私の命題でした。常に一方通行のことを考えて、常に自身の戦闘スキルを照らし合わせます。今までずっとそうでした。
ですが、最近は少しだけ違っていて、一方通行という人間が気になってきています。これが恋の前兆だろうと予想していますが、どう思いますか?

私の脳内の半分以上を占めているあなたは今、何をしてるでしょうか。
私は最近『生』の意味が見え始めて、人生というものをそれなりに楽しんでいます。決して殺されるためにあなたに挑むような、過去の私ではありません。

ネットワークを通して聞いた、わざとこちらを挑発するような物言い。自身が危険な存在だと思わせる振る舞い。戦闘中の無駄口。考えれば、あなたのような聡明な人物がするには余りに不相応な行動でしたね。
あの時の言葉は、あれがどういう意図から生まれたものなのか、いつかあなた自身から聞きたいと思っています。
いつか私を殺しに来るのなら、もちろん受けて立ちましょう。ですが私は、あの時と同じ、優しいあなたを想像しています。
ミサカ一一〇七二号より。

追伸。私のシリアルナンバーでいやらしい想像をしないように、とミサカは筆に力を込めながら念を押します』


「……?」


どう反応したらいいものか。それが分からなくて一方通行は静かに手紙を閉じた。
これを本気で、真剣に書いたというのならまだいいが、そこはかとなく馬鹿にされているような、なんだかよく分からない気分に陥ってしまった。
もともとが本気か冗談か分からない存在なので頭の出来はよくないだろうとは思っていたが、これを真面目に書いたのなら本物の馬鹿だ。

一方通行の言葉に意味はない。
実験中に言ったことなんて、覚えてはいるが、意味なんて無い。ただそう思ったから口にした言葉。そう感じたから口にした言葉。

と、あのときは本当にそう思っていた。

今になって思い返せば、あれはSOSだったのだろう。一方通行から、何処かの誰かへ。
向かってくるなと強がって、反射するぞと威嚇して、なのに逃げない『妹達』。当たり前だ、そういう風に創られている。それを前にして騒ぐ一方通行は確かに子供だったのだ。
ネットワークから切り離されたミサカはそれに気が付いたというのだろうか。気が付いたのなら、ありったけの罵倒でも書いてくれればいいものを、優しいあなたを想像していますとは。馬鹿だ。馬鹿すぎて話にならない。

一方通行は右手で顔を覆ってくつくつと咽喉を振るわせた。馬鹿だ、馬鹿だと笑う。
みんな馬鹿だ。俺も、ミサカも。もしかしたら誰も傷つかないエンディングを選ぶ事だって出来たのかもしれないのに───カット。もうこれはいい。もう終わった。後悔はもう沢山したはず。選ぶのはその先だ。


「なんて書いてあった? カンジ……だっけ? それは私には読めないしね。あんた等のお国の言葉は随分と難しい」

「……俺に惚れてンだとよ」

「何だって?」

「とンでもねェ馬鹿だぜ、ったくよォ。笑わせてもらった」

「……はぁ。まぁいいよ、アンタが暴れだしやしないかとこっちはヒヤヒヤでね」

「暴れるなんて、まさかまさか。こいつに言わせると優しいンだぜ、俺は」

「その手の冗談はもういいよ」


フーケは右手をふりふり。そして、


「んで、まぁ本題っちゃ何だが……アンタ、レコン・キスタに入る気は?」

「あン?」

「だから、私達と手を組まないかって事」

「戦争なんざ興味ねェよ。勝手にやってろ」

「はぁ……だろうねぇ。でもこっちもはいそうですかと帰す訳にも行かなくてね」

「やろうってかァ?」

「いやいや、もう十分。生き残ったのならこちらに取り込め。それしか言われてない。この傷見せれば納得してくれるだろうよ」

「……」

「まぁ、身体を使ってやってもいいけど……、その辺はどうだい? 結構だらしないタイプ?」

「……」

「アンタ整った顔してるし、モテるだろ。こっちになびくってんならしてもいいよ」

「ありえねェ」

「だろうねぇ」


一方通行が笑いながら手を振るとフーケはあーあ、と少しだけ残念そうにベッドに横になった。
誘ってんじゃねェよ。一方通行は呆れたように口を開き、ミサカのことを考え、フーケのことを考え、マチルダのことを考えた。

ミサカがマチルダ姉さんと書いているのは間違いなくフーケの事であろう。ルイズと同じように人間を、ミサカを召喚しているという事は、もしかしたら虚無。もしくはミサカを召喚した人物は別にいて、それに従っているか。
所属している組織に虚無がいるのかもしれないが、一方通行はそういう戦争とか、貴族とか王様とか、そういうものに興味がもてない。そんな事をしている暇があるのなら、レベル6を見つけ出すほうが先である。

しかし、もしマチルダが虚無だとするならば間違いなくルイズよりも優秀な使い手である。なんと言ってもあれだけの土人形を動かして、更に一方通行には理解できない物まで操るのだ。
戦争にはまったく興味はないが、保険はいる。ルイズは阿呆だから何時死ぬか分からないし。


「レコン・キスタ、ねェ……」

「えろガキ」

「あァ?」

「興味無い振りして、実はドキドキ?」

「何言ってンだオマエ」

「したくなったんだろう?」


片眉を上げて、にやけながら口を開くフーケに一方通行は黙ってろと視線に乗せた。


「つーか、そもそもアイツは今何やってンだ。その組織に入ってンのか?」

「だったら、入る?」

「……さァな」

「臆病者。ホントはあの子に会うの、怖いんじゃないかい?」

「言ってろ」


関係ないことだ。ミサカが何処で何をしようが、一方通行に止めろとは言えない。
自分がわがままだと自覚している部分がある。だから他人のわがままには口出しする権利なんてないはずなのに、だけど、気になるのだ。
もしミサカが、ルイズが死んでしまったら、いったいどうなってしまうのだろうか。自分自身にもわからない。
ただ言えるのは、ミサカやルイズが自分以外に傷付けられるのは、何だかいやだ。

一方通行は何となく思い、それこそわがままか、と自分の考えを鼻で笑った。
フーケが不思議そうな顔でこちらを見、


「そう言えばあのお嬢ちゃん、虚無だろ。いいのかい、あんなに簡単に置いてきちまって」

「そりゃそっちだってそォだろ。あいつを連れてきてねェ」

「まぁね」

「……」

「よしなよ、私は何にも喋らない。今疑ったろ、私が虚無かどうか」

「わかってンなら言えよ。あいつを召喚したのは誰だ? オマエじゃねェのかよ」

「さぁ?」

「ッテメ……」


一方通行はテーブルを蹴りつけ、


「まぁ、私が言えるのは一つ。……狙われてるよ、アンタのご主人様」

「……」


結局数分間、一方通行はそこから動くことが出来なかった。





。。。。。





思案顔で一方通行が出て行くまでベッドの上でごろごろとしていたマチルダは、彼が出て行くと一気にワインをあおった。
ごくっ、ごくっ、と音が鳴るほどに飲み下し、ぷはぁ! と息継ぎ。テーブルの上に荒々しく瓶を叩きつけ、


「……死ぬかと思ったぁ!」


必死に必死に作っていた仮面がぼろぼろと崩れ落ちる。ついでに涙もぼろぼろ零れ落ちていく。


「何だってんだいアレ! 無茶苦茶!」


ミサカを知っている。
マチルダのアドバンテージはそれだけだ。それだけで一方通行と敵対した。よく生き残ったものだと自分自身を褒めてやりたい気分である。
可愛い妹分の妹分の頼みなので手紙を届けたが、こんな事なら手紙だけにするんだった。あの時の恐怖がよみがえって来る。死んでもおかしくなかったというよりも、死んでなくてはおかしい状況だった。
レコン・キスタの命令と一緒にしたのが悪かった。いくらなんでも平民の傭兵をあそこまで簡単に殺してくるとは思いもよらなかった。女の顔にでかでかと傷を残して去っていくところなど、まさしく外道。本当に、死ぬかと思った。

マチルダはぐずぐずと鼻水をふき取り、


「どこが優しいんだい。まったく、これっぽっちも優しくないよ」


妹分の妹分に恨み言をぶつける。
一方通行は意外と優しいと思うので素直に受け取ってくれると思います、とミサカは静かに手紙を差し出します。はいはい冗談ではありません。死に掛けましたよ、と。
恐らくマチルダはもう一度ミサカは何処だと尋問されていたのなら、笑いながら“孤児と一緒に養ってまーす!”とでも言ったであろう。そのくらいの緊張感の上に立っていたという自信がある。
意外と話の分かる男で助かったものだ。

対面しての感想だが、一方通行は極端だった。とにかく極端だった。
子供のくせにすでに自分の生き方を持っていて、ミサカの為だけにマチルダは生き残った。
白か黒かで決める訳ではなく、白かろうが黒かろうが自分の生き方で決める人間である。昨日まで大切だったものが、ふとした事でゴミに変わってしまう人間。そんな印象を受けた。とにかく無茶苦茶だったのだ。なんだアレほんとに。

必死に必死に強がって、何とかお姉さんを演じていたが、さて、アレは効果があったのだろうか。

マチルダは金の払いがいいからレコン・キスタに所属しているのだ。
そうでなかったらこんな所、すぐにでも出て行っていい。ただ金がないと妹分やミサカを養えない。どうにもミサカは隠れてこそこそと盗賊の真似事をやっているようで、これは言わなくてよかった。一方通行に知られたら、監督不行届きとか、そんな冗談のようなことで殺されていたかもしれない。
あんなのと敵対していたら命がいくつあっても足りはしない。アレだけミサカを前面に出して、レコン・キスタの目的を教えて、ご主人様の危機を教えて。いつか戦場であったとき、手加減、してくれればいいなぁ……、なんて。


「……」


ため息をつきながらフーケは下着を取り替えた。
別に何かあったわけでは断じて無いが、ただ下着を取り替えただけである。断じてそうである。

ぽい、とゴミ箱に放り、


「あたしゃ今日ほど上手い酒は知らないよ……ったく」


もう一口ワインを飲み込んだ。





。。。。。





『ぎゃふーんっ!』


何処かから聞こえた悲鳴は、何となく聞いたことのある声だったような。

一方通行は眠たそうに目を擦りながら街を歩く。狭い道。多すぎる人間。
マチルダの話を聞き、レコン・キスタの目的が虚無である事を知った。随分と親切に口を開いたものだが、まぁ所詮は雇われ者だという事だろう。
ルイズのことを心配するなど、そんな愚かなことはしない。なんと言っても戦場である。殺し殺され、そんなところに自分で行くといったのだ。いくら危険が少なかろうが、自分で決めて自分で行った。心配などする必要はない。

ルイズ達もこの街を通ったのだろうな、と一方通行は町並みを眺める。
一方通行が学院を出て、すでに一日以上が過ぎている。大至急手紙を取り返してこいというのなら、恐らくはもうアルビオンに飛んだ後だろう。


「……帰るか」


帰ると言うのも不思議な話で、一方通行のあるべき場所は学園都市。帰る場所はトリステイン学院ではない。
胸中にもやもやした物が溜まっていく。自分がどうしたいのかさっぱり分からなかった。
ルイズに人を殺させたくない。
これは間違いない事である。でもこれは一方通行の押し付け。
ルイズをレコン・キスタに持っていかれるのも困る。
これも当然。帰る手段が無くなるのは駄目だ。だけど、今日、たった今別の虚無の可能性を見つけた。ルイズは代わりが利く存在である。

ふむ、と右手で顎をさすった。

アイツだったらこんな時どうする。
一方通行を殴り倒したあの人物なら。


「……」


少しも頭が働かない。
何を考えてもイライラする。ミサカだと知ってちょっとホッとしたのに、ルイズのことを考えるとイライラする。
ち、と舌打ち一つ。狭い街道、肩がぶつかった傭兵が喧嘩を売ってきて、一方通行の瞳を見るだけでごめんなさいしてきた。


「わっかンねェなァ。全ッ然わかンねェ」


イライラとした調子で一方通行は頭をかいた。
何が分からないのか分からないし、分からない事を分からないままにするのは嫌いなのに、とにかく一方通行には分からなかった。
俺はどうする?
そればっかりが頭の中をぐるぐる。

一方通行は手近な宿を視界にいれ、さっさと寝てしまおうとポケットに入った金貨をカウンターに放った。







[6318] 07
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:e4b7aa8d
Date: 2010/06/21 21:05
07/~赤色アルビオン・乳~





朝日が目に沁みた。


「ふにゃふにゃ~、なんで朝かー……?」


ルイズはふにゃふにゃ言いながらふにゃふにゃ起きた。ベッドの上で正座し、いち、に、さん。覚醒である。


「あー、朝。起きた。いま凄い起きた」


ぱちくりと瞬き。ルイズは寝起きでご飯を三杯食べられる人間である。要するに朝に強い人間だ。毎日 日の出と共に起きてトレーニングをしているものだから、太陽の光を見ると完全に目が覚めてしまう。
ひとまずお腹が空いたなと思い、自分の右側にタバサが眠っているのに気が付いた。一方通行ではなくタバサが。そしてその奥にキュルケが眠っている。おっぱいはみだしながら寝ている。


「あん?」


はみだすおっぱいを見ながらルイズは取り敢えずキュルケにビンタした。


「ほら、起きなさいよ。起きなさいってば」


ばしばしばしと三発。
もちろん頬ではなく、はみだしたおっぱいをビンタしているのである。ルイズにとってキュルケ=おっぱいなのでそれでいいのである。きっとキュルケはおっぱいで物事を考えていて、おっぱいの中に脳みそがあるのだ。脳挫傷確定である。
はいっ、はいっ、とルイズはリズムよくおっぱいを叩き、ようやくキュルケの寝顔が不機嫌そうに変わっていった。


「んあっ、あ、いた……、いたいいたいっ、ちょ、痛いわよ!」

「やっと起きたわね」

「なんて事するのよあなた! こんな起こされ方したの初めてだわ!」

「私も誰かのはみだしおっぱい叩いて起こすなんて生まれて初めてよ! なんてもの見せるの!? あんたのおっぱいははみだすからいいけどねっ、タバサのおっぱいははみださないのよ! 教育に悪いでしょうが!」

「タバサの、とか言ってんじゃないわ! あなたのでしょ! あなたのおっぱいがはみださないの!」

「その代わりに下腿三頭筋がモロだしじゃない! 流血モンでしょうがッ、鼻血的な意味で!」


下腿三頭筋。簡単に言うと、ふくらはぎである。
その筋肉、彼女的に言うと下腿三頭筋をうっとりとした目で見ながら、手のひらで撫ぜながらルイズは口を開く。


「今日も……美しい」

「……気持ち悪いからそこまでにして。タバサが起きちゃう」


言われて、いや、むしろルイズはこの騒ぎを利用してタバサを起こそうとしていたのだが、しかしタバサはしっかりと眠っているようである。
せっかく寝起きと共に笑いの一発でもくれてやろうとしたのに、しっかりとハズしてしまった。
ルイズはいつも一方通行にするようにタバサの頬をむにむに突付き、キュルケにこら、と怒られてしまった。タバサは起きない。子供のようにキュルケのお腹辺りに抱きついたまま寝息を立てている。


「何で起きないのよ……スベったじゃない」

「……あなたね、そうやって愉快な女なのはいいけど、いい加減にしないとモテないわよ?」

「シロは笑ってくれるもーん」

「それって嘲笑じゃないかしら?」

「え、うそ?」


そんなはずはないと言えないのが痛いところである。

自身の『笑い』の感性をもう一度見つめなおす必要がありそうだ、とルイズは腕を組み考え、キュルケは微笑みながらタバサの頭を撫ぜて、そしてタバサがゆっくりと瞼を開ける。
ルイズは眠たそうに目を擦っているタバサを見、取り敢えず腕を組んだままブリッジした。ごん、と頭と床がぶつかる。首をぶるぶるさせながらルイズは、やけに低い声で飛ばした。


「おはよう」


ノー・ルックおはようを。





。。。。。





一階に降りて朝食。ワルドを起こすのは気が引けたので置いてきた。恐らく一番疲れているのは彼だろう。姫の護衛が終わったと思ったらすぐにルイズの護衛なのだ。
大変ね、とキュルケは呟やいて、やけに目を輝かせているタバサとそれにぶんぶんと手をふっているルイズが視界に入った。


「何をしていたの?」

「いやよ! 聞かないで! 私の黒歴史!」


変わらず馬鹿なルイズの護衛なのだ。本当に大変だろう。いくら彼が真性のロリータ・コンプレックスであっても大変なものは大変のはずなのだ。よくも笑顔を絶やさずにここまで来れたものである。
キュルケは寝起きのくせにもぐもぐと口の中に次々食べ物を入れていくルイズを見ながらそんな事を考えた。


「……それで、今日はこれからどうするの?」

「ご飯食べてからね。ワルド起こしてすぐにでもアルビオンに行かなきゃ」

「王子様、生きてると思う?」

「まだ大丈夫でしょうけど……、正直あと二、三日だと思う。グズグズしてたらまずいかも」


お勉強は出来るのだ、ルイズは。その状況把握には自分の望み、まだもって欲しい、などの願いは一切無く、冷静に見ていた。
キュルケは危ないところばっかり優秀なんだから、と小声で呟き、疑問を視線に乗せてくるルイズになんでもない、と手を振った。

アルビオンは終わる。
これはもう、間違いないことであろう。昨日の夜、貴族しか泊まらないような高価なこの宿に、どこぞの傭兵が紛れ込んでいた。しっかりとお金は貰ってから逃げ出してきたやつらである。たまには良い所に泊まろうと思ったのか、それとも他に空きが無かったのか。
その傭兵達は口々にアルビオンは駄目だ、もう駄目だ。今からそこに行こうという人間に、よくも聞かせてくれたものだ。

これからアルビオンに行く。王党派の王子様に会いに行く。貴族派の人間から見るならば敵である。
ちょっとだけ緊張して、キュルケは唇を噛んだ。
ルイズもタバサも特にそういうものは無さそうだが、キュルケには心配事が沢山ある。

まずタバサの言うワルドの事。
冗談抜きに言うと、タバサが警戒しているのだからそれに越した事はないだろうと思う。タバサはどういうことか、そういう部分に鋭い。マイナス面を見抜ける目を持っているのだ。一度は魔法を撃ち合った仲である。そのあたりは信用している。
いま、キュルケにとってワルドはロリコンで、もしかしたら悪いヤツ。ていうか、タバサが言うのだから、多分悪いヤツ。気の抜けない相手であることは間違いない。

そしてルイズ。
ルイズはアホなので心配が絶えることなど無い。

最後に一方通行。
なんで人の使い魔の心配までせにゃならんのだ。そうは思うも、あの寂しそうな目をした使い魔の少年を放っておこうとも思えない。深く入り込もうとも思わないが、もうちょっと何とかしたほうがいい。絶対に。
一方通行は恐らくルイズに人を殺させたくない。その思いが強かったのだと思う。それはキュルケだって同じで、友達が今から人を殺しますといったら止めるのが当たり前だろう。
だが、これから赴くのは戦場で、そこではきっと、いちいち相手の命など心配している暇はないだろう。ルイズに限った事ではなく、キュルケだって、もしかしたら人を殺す。

ぞく、と背筋を冷たいものが走った。

人を殺したい人間なんて、快楽殺人鬼以外にはきっと存在しない。
キュルケはとにかく殺さないように、殺させないようにしようと心に決めた。


「なぁに難しい顔してんのよ」


と、こちらは色々とサムいことを考えているのに当のルイズはへらへらとしまりのない顔をしている。ちょっと腹が立った。


「……あなたはゆるい顔してるわね、相変わらず」

「やかましい。あのね、考えても何にも変わらないのよ? 考えるだけじゃ、何も変わらないの。私のやる事は姫様からもう聞いてるんだから、後は動くだけじゃない。決めた事に向かってるの。何も考えてないわけじゃないの」

「……私はね、服を買うときに迷う派なの」

「私は欲しいものを決めていく派よ」


フォークでハムをぶっ刺しながらルイズは言った。
キュルケは考え、つまりルイズは、すでに殺す覚悟を持っているのだろうか。いや、自分が生きるのがもちろん最優先なので、それも仕方がないのかもしれないが、それでは一方通行が余りに───、


「何勘違いしてやがる」

「ひょ?」

「顔に出てるわよ、顔に。何あんた、私のこと人殺しにしたいわけ?」

「そ、そんな事ないわよ。でもあなた、覚悟完了しちゃってるじゃない」

「あのね、私はね、殺さないって覚悟完了しちゃったの。いやよ私、殺すのなんて。怖いじゃない」


事も無げに言うルイズに、キュルケはぽかんと口を開けて、次いで笑い始めた。


「なるほど。あぁ、ホント、なるほどって感じね。あなたらしい」

「馬鹿にしてる?」

「素直に感心してるの。凄いわよ、あなた。ね、タバサ?」


苦いサラダを食べているタバサはこくりと静かに頷いた。

戦争があっているところに行って殺さない、なんて。一方通行との共通点を見つけたかもしれないな、とキュルケは呆れたように息をついた。
なんて事はない。二人とも、超超わがまま。自分のしたい様にしている。
ルイズは自分勝手で、そのくせに結局は人のために行動している。何だか矛盾が発生しているようだが、そうではないのだ。ルイズはわがままに人の役に立とうとしているのだろう。おせっかい、と言うところか。


(……面倒臭い女ね、まったく)


こちらが心配しているなど知っているくせに、そんなの知らんという調子である。
何だか考えるのが馬鹿らしくなってきて、ようやくキュルケのおなかの虫が鳴いた。


「……私も何か食べとこうかしら」

「そうなさい。食べなきゃ大きくなれないわよ」

「あなたに言われたくないわよ。食べても大きくなってないじゃない」

「なってるわよ。去年より筋肉付いたでしょ? ほら、見なさいよほら」


可愛らしい力こぶを作るルイズを“はいはい”と流しメニューを開いた。
タバサが食べているハシバミ草のサラダはキュルケにはとても食べられたものではないので、朝のお勧めメニューと書いてあるサラダを頼む。
そして、メイドの格好をした女がそれを持ってきたところで、そう言えば、とふとした疑問が頭をかすめた。


(……?)


何だか、昨日はあんなに賑やかだったこの場所、夜は酒場になっているが、あれだけの人間が騒いでいたのに、随分少なくはないだろうか。
いや、もちろん早い時間なのも分かっているのだが、それにしたって自分達以外に見かけるのは二人だけというのは、いくらなんでもおかしいような気がする。
心配事が多くて疑心暗鬼になっているだけなのだろうか。ただ何となく違和感を覚える。

もやもやとしたものがキュルケの心中に育っていき、その時、サラダを食べていたタバサが不意に杖をとった。キュルケたちが使っている指揮棒のようなものとは違い、自分の身長より大きなそれをタバサは握った。

あ、とキュルケは口を開き。
瞬間。宿の出入り口が吹き飛んだ。


「あらぁ?」


自分の出した声にまぬけだなぁ、と感想を。
木造の扉は砕けて飛んで、キュルケの顔面すれすれをすっ飛んでいった。
大穴があいてしまった壁は、それが岩を切り出して作られているために濛々と砂煙を上げて、それがはれる頃になんとも似つかわしくない綺麗な声が聞こえてきた。


「おはようさん。昨日はよく眠れたかい?」


どこかで聞いたような。どこかで見たような。傭兵達をぞろぞろと引き連れての登場である。
ああなるほど。だからここにはこんなにお客が少なかったのか、と得心。


「ミセス・ロングビルじゃない」

「まだミスだよッ。……どいつもこいつも」


まだサラダを一口も食べてないのに。
言おうとしたときにはすでに遅くて、そのときにはルイズが敵に向けて突っ込んでいた。あの喋る剣は部屋へと置いてきているくせに突っ込んでいくのだ。
彼女は走りながらグラスの中の水を飲み干すと、フーケと一緒になって来た傭兵達、その中の一人に向けて投げつけた。グラスの砕ける音と共に一歩のけぞった傭兵に向けてルイズは蹴りを放つ。
がつん! と頭部を直撃したそれは傭兵を怯ませ、


「貰うわよこれ」


ルイズは剣を盗んだ。
きたきたきたぁぁ! んほぉぉぉおお!
なにやら叫びながら剣の腹で傭兵たちを吹き飛ばしていく。本当に吹き飛ばしているのだ。ルイズの振り回す剣に当たった傭兵はおもちゃの様に。

キュルケは思わずため息をつき、迷惑そうな表情をフーケへ。
ゴーレムの肩に乗っている彼女は楽しそうに笑っていた。


「あー、何かしらコレ。あれ? あんまり楽しくない事情?」

「いやいや、おもしろいねアンタのお友達は」


フーケが傭兵相手に一騎当千しているルイズへと視線を向けながら言った。


「でしょう? 今度はやられちゃうわよ。さっさと逃げなさい」

「そういう訳にも、いかなくてねえ!」


ついにキュルケに向けてゴーレムの拳は振り下ろされた。
きゃーきゃー騒ぎながらキュルケはそれをかわし、タバサと一度だけ目を合わせた。キュルケの意図を理解したのか、タバサは頷くとルイズのほうへと駆け寄っていく。

どうやら、タバサの勘は間違いなく当たりらしい。
何をどう考えてもこの中の誰かと連絡を取っていなくては、ここまでタイミングよくは現れないだろう。
思うに、ここで暴れて何がしたいかというと、戦力の分散なのだ。
もともとはワルドとルイズと一方通行。この三人だったはずが、まず一方通行が付いて来ていない。これは相手にとって僥倖だったのだろうか。とにかく、その辺りはよく分からないがとにかく、キュルケとタバサ、この二人は完全に想定外だった筈だ。

完全にワルドを敵として見ている考えだが、この襲撃で疑いはより深くなった。
ワルドはなにかを隠している。隠しているだけならいいが、こんな、フーケまで使ってくるなど、完全に敵なのではないだろうか。
目的など、分からない事は沢山あるも、今はとにかく、


「きゃーきゃーきゃー! ま、待って! 当たったら───」


口の中だけで呪文を紡ぎ、


「───死んじゃうでしょうが!」


杖を振った。
炎弾が杖の先から二つ飛び出していきゴーレムの拳に当たる。だが、先日のルイズと同じようにグズグズと小さく崩れるだけで、ゴーレムはまだまだ御健在。
よくもこんな化け物と戦えたものだな、と改めてルイズの馬鹿を恐ろしく思い、キュルケはもう一度杖を振った。


「ははっ! そんなんじゃこのゴーレムには勝てないねえ!」

「うるさいわね、わかってるのよそんなこ───、……あら? 随分深いしわがお口の端に出来てるけど?」

「これは傷だよ!」

「わわっ! とッ、ちょと、そんなに怒んなくてもいいじゃない!」


キュルケは危なげなく、は無いが、どうにかこうにかゴーレムの攻撃を避ける。当たったら死ぬので避けるしかないのだ。
ちょうど人間の顔面程度の大きさの岩がゴーレムの指先から飛んできて、それを炎弾で迎撃。そしてまたパタパタ駆け回って、逃げ回って。
心中で泣きを見せながら、おほほと挑発的に笑った。


「ほらほら、当たらないわよ!」

「黙りなぁ!」


正直、ジリ貧である。勝てる気なんてまったくしない。
しかしまぁ、これが今回の自分の役目なんだろうな、とキュルケは冷静な部分で考えた。多分きっと、ここでフーケを足止めすることがキュルケの役目。先のことは分からないから、自分よりも強いタバサに任せてもいいのかも。

三度目の拳が降って来て、それを避けて、宿の店主が「俺が何をしたぁ!!」叫んで。
そこで出てくるのは、


「ルイズ!!」


ワルドは颯爽と現れた。まるで見計らっていたかのような絶妙なタイミングで。ルイズが持ってきていた喋る剣を携えて。

キュルケはいよいよもって怪しいな、と考え、タバサに向かって視線を飛ばす。
タバサはふるふると首を振った。
もう一度視線を。
ふるふる。
視線を。
……こくん。

私が囮になるから。
駄目。
なるから。
駄目。
から!
……わかった。

炎弾を、ゴーレムの肩に乗っているフーケに放ち、当然当たるはずはないのだが、十分注意をひき付けたところで、


「ルイズ! タバサ! 行って!」


キュルケは叫んだ。


「そう来ると思った!」


そう来ると思っていたからこそ、ルイズは突っ込んでいったのだろう。
ルイズはあと三人しか残っていない傭兵の一人、大柄で、感想としては『臭そう』な男の顔面に剣の腹を叩きつけた。
ごぇあ、と臭そうな悲鳴を残してすっ飛んでいった男は残りの二人を巻き込みながらごろごろと転がっていく。

そしてルイズはタバサの手をとってワルドと合流。裏口に向かって走り出した。


「アンタッ! 死んだらぶっ生き返すからね!」

「あなたこそ! 死んだらシロ君もらうから!」


三人の背中を見送って、


「おやおや、一人で私に挑む気かい?」


呆れたように言うフーケに、はぁ? と心底馬鹿にしたような視線を送った。


「あのね、女の戦いって言うのはね、若い方が勝つの。これ鉄則」

「ど、どこまでも馬鹿にしやがって……!」

「何言ってるの。若い子は怖いもの知らずなだけ。これも鉄則」

「ふざっけんじゃあないよ!」

「ふざけるのはね、若さの特権なの。これすっごい鉄則!!」


内心ドキドキで、キュルケは杖を構えた。





。。。。。





裏口から出て、ルイズ達三人は桟橋へと向かう。
桟橋は桟橋のくせに山の中にあるので長い階段をひたすらに上る羽目になるのだ。
ぜぇぜぇと荒く息をつきながらルイズは船を目指した。

キュルケが戦っている。
宿の裏口を出てからしばらくが経っているのでもう決着は付いているかもしれないが。
冷静に考えて、あの場でルイズが囮になることは出来なかった。それも当然で、姫様のお願いはルイズがアルビオンに行かなければ話にならないのだ。それはワルドにも言えることだ。姫から護衛を任されている以上、ルイズをほったらかしにしてアルビオンに先行させるなど出来るはずはない。
そしてタバサ。彼女が残るといえば、今度は絶対にキュルケが許さない。そうなるとキュルケが残るしかない。

瞬間的に考えて傭兵達をぶちのめしたが、アレは本当に正解だったのだろうか。
今さらになって胸騒ぎ。
ああやだやだ。あんな殺しても死なないようなやつが簡単に死ぬはずがないじゃない。そうは考えるも───、


「大丈夫」


ルイズの隣を走っているタバサが言った。
どのあたりに根拠があるのかは謎だが、タバサはキュルケのことを信じているようである。一片たりとも疑っていない澄んだ瞳。本当にキュルケなら大丈夫だと思っているのだろう。
そんな彼女に慰められながらルイズは走る。迷いを振り切るように。


「そう、よね。そう、あいつがそんな簡単に死ぬはずないか」

「そう」

「ええそうね」

「そう」


そしてルイズは前を見据え、


「止まれ」


前を走っていたワルドが手で制した。
不思議に思い前方に目を凝らすと、何かいるのだ。いや、人間だという事は分かるが、こんな朝ッぱらから真っ黒なローブで身を包み、果ては白い仮面までつけているとなると、最早『誰か』ではなくて『何か』だろう。


「何の用かな? 我々は先を急いでいるんだが……」


ワルドが接触をはかり、次の瞬間には仮面の男が無言のまま杖を取り出した。


「───ッ!」


ちり、とルイズの脳に電気が走る。
先手必勝。
メイジと戦うときに一番安全なのは、魔法を使わせる前に倒す。これに限る。と、ルイズは思う。
魔法を使われるとフーケ戦のときのようにじりじりと追い詰められてしまう。使われる前に。使われるとしても、強力なのが出てくる前に。

デルフリンガーを握った。とたんに巡る情報と身体強化。
ぶん殴るから! ルイズは叫びながら獣のように駆けた。
右の肩にデルフリンガーを構えたまま、ワルドの背中を超えて愚直なまでに直進。弾丸のようなそのスピードは人間の反射神経を凌駕していて、剣の腹で仮面の男を打ち据え───、


「あ、うそ!?」


だが、それは黒塗りの杖に邪魔をされてしまう。
がちぃ! とかみ合う杖と剣。メイジがルイズの剣を止めたのだ。タイミングや力、その他諸々、絶対に決まると思っていただけにショックが大きくて、一瞬の硬直。
仮面の男が杖でデルフリンガーを弾き飛ばし、ルイズの体勢はぐらりと崩れた。
大きすぎる隙が出来て、仮面の男の左手がルイズの首へとまっすぐに伸びてきて、


「おいおいおいおい、人の幼なじみをどうしようって? あまり舐めてくれるなよ!」


ルイズの背中から現れたワルドがその手を叩き落とす。

ち、と舌打ちのようなものが仮面の男から聞こえた。
不利と悟ったのかその足は一歩後退し、背中を見せようというときに、


「逃がさない」


すでにタバサは退路を断っていた。

ルイズが斬りかかり、ワルドが守って、タバサは攻める。コンビネーションとは言いがたいが、それぞれが出来る事をやり遂げた結果だった。
ルイズ達が作る三角形の中にぽつんと取り残された男は、しかし焦るでもなくじっとそこから動かない。
暴れまわる心臓を押さえつけてルイズは男に向かって言った。


「目的は?」

「……」

「貴族派?」

「……」

「色々聞きたいから、逃がさないわよ」


優位性を示して、ルイズはゆっくりと男に近づく。
三人の中で接近戦が一番得意なのは自分だと思っているから。メイジは呪文を呟く時間が必要なのだ。ルイズならそれがいらない。
仮面を剥ぎ取って、色々と聞くべきだ。そう判断しての行動。間違いはないだろう。


「顔、見るからね?」


ルイズは仮面に向けて手を伸ばし、


「お前は我が手中にある」


仮面の男が初めて口を利いた。
瞬間的にルイズは手を引っ込めて、そこでそうしてよかったと思える現象が起こった。
なんと、男の身体に雷が降り注いできたのだ。ばぢ! 一瞬だけ空気を震わせて、稲妻は仮面の男を蹂躙した。

なんじゃらほい。ルイズは訳の分からない顔をしながら後方のワルドに向かって視線を飛ばすが、彼は「僕じゃない!」と両手を振った。
タバサにしても同じで、首を横に振るだけ。

そうなると考えられる事は一つで、自爆。自殺しかない。
そこまで守りたい秘密でもあったのか。それともそう指示されているからなのか。


「く、くく、はぁっははは───」


男は笑い声を上げる。笑い声を上げて、そして消えた。


「あらー?」


消えた。
雷光が止んだかと思ったら、そこには黒塗りのローブしか残って居なかった。


「え、なんで……、き、きき消えちゃったわよ!?」

「そう驚く事でもない。彼が使った魔法は『ライトニング・クラウド』。風の魔法だ」


ワルドがまいったな、と呟き、


「偏在」


タバサがいつもどおりの声色で。


「偏在って……」

「風のユビキタス……。こりゃまた、随分と強敵のようだ」


困ったように言うワルドに、ルイズは近い将来への不安を高めた。

風の偏在を自由に扱うようなやつが、もしかしたらこの先に居るのかも知れない。あの電撃の魔法にしてもそうだが、まったく、どいつもこいつも簡単に魔法を使ってくれる。
自身の剣が通用しない相手なんかと、絶対に戦いたくない。死んじゃう。物理的に。


「ワ、ワルド、タバサ」

「うん?」

「何?」


ルイズは神妙な顔で、それに少しだけ照れも混じりながら指先をもじもじ。


「王様のとこに付くまで、私の事、頼んだわよ。守って。お願い」


ワルドは了解だレィディと笑いながら呟き、タバサは友達だから、と少しだけ目線をうろうろさせながら言った。







[6318] 08
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:e4b7aa8d
Date: 2010/12/13 16:29

08/~赤色アルビオン・羨~




「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ! きゃーきゃー! ちょっと待ちなさいよ! わッ、ちょ、待った! 待って! 待ってくれないかしらッ!?」

「待ったなし!」

「聞いてみただけよ!」


キュルケはルイズが打ち倒した傭兵を踏みつけて屋外へと遁走した。
いやもう、ホントに死んじゃう。そんな思いで逃走を開始である。初めから勝てるとは思っていなかったし、そもそも真面目に戦う気がなかったのだから、これはこれで正解である。
とにかくルイズを先に進める。これがキュルケの思惑。さっさと任務を終わらせて、さっさと学院に帰って、そしてのんびりお茶でも飲もう。その時にはまたあのメイドを呼んでお茶を入れさせよう。なかなかよくできたメイドだ。一家に一台シエスタ。

ぶるんッ! ぶるんッ!
走るたびに揺れる乳がちょっと痛くなってきて、後ろを振り向けばゴーレムの肩に乗ったフーケが追ってくる。


「ああもう、そろそろ諦めればいいのに……!」


走りながら毒づいて、息を切らせながらも全力疾走。キュルケはメイジなのである。さっさと空でも飛んで逃げればいいのに、しかし今は精神力が空っぽなのだ。フーケをひき付けるためにちょっと調子に乗りすぎた。
シャツから胸がこぼれてしまわないように抑えて、ついでに役に立たない杖を胸の間に押し込んで、まだ行けると息巻いた。
何の騒ぎだとそこらじゅうから平民やら傭兵やらが出てくるが、キュルケには相手をしている暇がない。さっさと逃げなさい。その一言すらも酸素が惜しい。逃げる。ただ逃げる。貴族なのに走って逃げる。運動はわりと得意なので、今のところは大丈夫だけど、それも何時まで続くだろうか。

狭いラ・ロシェールを一周二周と走り回って、ついにキュルケの肺が悲鳴を上げ始めた。もう無理限界。足が動かない。そろそろ止まってもいい頃だと思う。何とかなるか。
ぜぇぜぇと荒い息をついて、わいてくる吐き気を無理に飲み込んだ。汗が地面に零れ落ちて、キュルケは珍しくスッピンをさらした。もう化粧なんて何にも残ってない。


「鬼ごっこは終わりかい?」

「あら、自分を、鬼に例えるなんて、分かってるじゃない、あなた」


死にそうになりながらキュルケはか細い声を上げる。
フーケの口元が引きつったように動くのを見て、それだけは勝った気がした。


「死にっ、死にたいようね……」

「死にたいはず、ないでしょう。生きたいわよ」

「ざぁんねん。あんた、調子に乗りすぎたよ」


キュルケはそのフーケの言葉を聞いてないように続けた。


「ふぅ……。誰だってね、生きたいのよ。分かる? 私なんか、こんな、普通ありえないわよ? 私のスッピン見たのなんて、タバサ以外じゃなかなか居ないんだからね。私はね、生きてタバサに会いたいし、生きてルイズに会いたいわ。あの子達のこと、心配だもの。二人とも下手糞なのよね、生き方が。その点私はどう思う? いい男が向こうからよって来るのよ? そして私はね、『うぃ』って言うだけなの。とても上手に生きてるの。勝手に勘違いした男達が勝手に貢いでくれるの。どうよこれ。私って、とてもお上手に生きてきたわ」

「何言ってんだい? 狂った?」

「まぁいいから聞きなさいって。上手に生きてきた私はね、きっとこれからも上手に生きていくわ。だって、この生き方を変えようとは思わないもの。私はちゃんと考えて行動できる女なの。ルイズみたいに考え無しじゃないわ。上手に生きて、ま、上手に死んでいくんでしょうね。人の人生に干渉しようなんて私は思わないし、されたくもない。そんな私がね、ここ最近とても困った事に、なんだかおかしいのよね。狂った? まさしくその通りかもしれない。狂わされてるのかも。馬鹿は一生なおらないらしいけど、アホなら何とかなるかなって思って構ってるんだけどね、これが中々難しいわけ。そもそも私が守ってあげたいなんて思うの、あの二人だけよ、ホントに。もう二人ともダメダメ。この私が言うんだから間違いないわ」

「そろそろいくよ?」

「後ちょっと。それでね、これまたアホの子みたいなこと言うのよ、ルイズったら。あの子ね、殺さないんだって。殺さないほうに覚悟完了しちゃったんだって。ここに極まるって感じよね。きっとアホも一生なおらないのよ。……あの子はね、戦争なんて似合わないの。あの子達に戦争なんてさせたくないの。ほら、あの子達ってさ、生きるのがヘタクソじゃない。すぐ死んじゃうって、あんなの」


一息に話して、フーケが大きな疑問を頭の上に生み出しているのが分かる。
キュルケはそれを無視して、舌を丸めて指を咥えた。ぴぃ、と甲高い音が鳴って、キュルケの身体に影がかかる。


「なっ!」

「どう思う? ヘタクソでしょ? これね、タバサが置いていったのよ」


一匹の翼竜が空を舞っていた。蒼い鱗に覆われた竜は、間違いなくシルフィードである。


「普通さ、自分が一番じゃない? 逃げるにしても戦うにしても、普通自分が一番でしょ。でもね、あの子達はどうにもその辺りの回路っていうか、何て言ったらいいのかしら、もう病気よね。こんな事されたら、どうにかしたいって思っちゃうでしょ? 可愛いでしょ? 可愛いのよ私にとったら。それでね、今シルフィードが上空に居る訳だけど、私はゴーレムの拳が落ちてくるほうが早いと思うのよね。どうかしら?」

「その通りだよ!」


フーケは杖を振って、キュルケに対してゴーレムの腕を振り下ろした。確かな速度を持っていて、確かな威力を備えている。
当たり前だが、キュルケにそれを防ぐすべはない。精神力は切れていて、走りつかれて、喋り疲れて、もう身体だって動かない。
人間は、奇跡の生還を果たすかと思えば、逆に「え、それで?」といった事で死んでしまう。振ってくる拳は、多分死ぬ威力。あくまでも多分だけど、手加減してくれるなら死なないだろうけど、うぅむ、これはどうであろうか。死ぬほうが、多い気がする。

そんな事を考えながら、キュルケはやけにのろのろした調子で胸を持ち上げた。視線はすでにゴーレムを捕らえていなくて、どうやれば一番綺麗に見えるか、なんて事に疑問を抱いて。
そして一言。


「また触っていいわよ。だから助けて、シロ君」


ぽぉん、とゴーレムの腕がすっ飛んでいった。フーケがあんぐりと口を開けているのがとても面白かった。
そして、隣の宿の窓からふってきた白い人。一方通行はやっぱり来ていて、そしてここに泊まっていた。窓に頬杖を付いて、こちらを見ているのになんか、ラ・ロシェール一週目で気が付いていた。
キュルケは一方通行へ顔を向けて、そしてくすくすと笑いかけた。


「……ンだよ」

「結構エッチなのね、あなた」

「……」

「なぁに? 触りたいの?」


視線の外れない一方通行に、キュルケはたっぷりとした胸を持ち上げた。
しかし一方通行は真剣な顔でキュルケを見つめながらこう言うのだ。


「オマエ、眉毛どこに落としてきた?」


ああ、そんなもの、とっくの昔に地面のシミになっている。





。。。。。





系統は何が得意かと聞かれれば、それはもちろん風である。
思ったとおりだとワルドは言った。だったら二人で船を飛ばそう、と。


「……」


断るべきか。もちろん迷ったが、ここで断ってしまえば何故だと聞かれるだろう。何故だと聞かれれば、あなたは怪しいからと答えるだろう。あなたは怪しいと答えれば、ガリアのタバサが、トリステインの姫を護衛する魔法英士隊の隊長に、あなたは怪しいなんて答えてしまったら、国際問題に発展しかねない。証拠も無い今、侮辱しているのかといわれれば、どう言い訳をしても通用しないのだ。

タバサは杖に精神力を込めて、風石へと力を送った。
ワルドと二人、トライアングルとスクウェア。こんな船一隻を飛ばすのには十分な力である。


「いや、悪いね。ルイズの護衛を任されているから、精神力は無駄にしたくなかったんだ」

「はい」

「はは、おとなしいレィディだ。ルイズと付き合うのは楽しいかい?」

「はい」

「だろうね。彼女は小さい頃からいつも違う世界を見せてくれる。魔法が使えない事を嘆いても、あれでなかなか諦めないから」

「そう」

「羨ましいな、君達が」


言葉の通り、心底羨んでいるという視線がタバサを貫いた。嫉妬ではなく、純粋な羨望。本当に羨ましいと思っている視線。
タバサは何となく息が詰まってしまって視線をあっちにうろうろこっちにうろうろ。髭は嫌いなのに高鳴る心臓がやかましかった。
自分でも挙動がおかしいことが分かるので、ワルドから見るならばたいそうおかしな女だと思われたことだろう。はっはっは、とワルドは大口を開けて笑い、その大きな手をタバサの頭の上へと乗せた。


「君はなかなか筋がいい。同じ風だからこそ分かる。君はきっとスクウェアに届く。……ただ真っ直ぐ、自分の目標へと向かいたまえ。わき道にはそれないほうがいい。大きな大きな落とし穴があるかもしれないからね。自分の信じた道を進めば、それはきっと君の力になるだろう」


どきり。
駄目だと思っても、心臓はバカみたいに反応してしまった。何だこの男。
表情には出さないが、タバサの顔はちょっと赤い。それを見てワルドはまた笑った。豪快に撫で付けられる頭は、駄目だと分かっているのに気持ちがいい。
まずいな、と心中で呟いき、どうしたものかと考えて。そのときばたん! と扉が開いた。


「こらロリコン! 今まで手ぇ出した女に殺されるわよ!」

「おっとと、誤解は止めたまえよ、ルイズ。僕は全員を愛しているんだ。女性に優劣なんて付けられるものか」

「変態変態! いくらなんでもタバサは無いでしょう!」

「ふむ、嫉妬かい? 嬉しいじゃないか。君がそんなに僕のことを想っているとは考えなかったよ」

「ア、アアアホ言うでねっ! わしゃシロ一筋じゃ!」

「ぐはっ、くく、ははは! ひさっ、久しぶりに聞いた、その変な訛り!!」

「文化をバカにするんじゃない!」

「今どき爺さんも使わないよそんなの!」

「ぐぬぬ……ほら、行くわよタバサ! 子供出来ちゃうわよ! 膜破られるわよ! あいつの股間はモンスター!」

「ひぃっ! くく、く、っあひゃはははは!」


腹を押さえ馬鹿笑いを続けるワルドに、ルイズはぷんぷんと頬を膨らませ、タバサはそのルイズに手を取られた。
機関室から出る直前、ワルドのほうから小さく小さく。


「本当に、羨ましいな……」


聞き違いかもしれないけれど、声も小さかったし、もしかしたら違うのかもしれないけれど、しかしその声質はタバサの警戒心を上げるのに十分な役目を果たした。





。。。。。





「う、うう嘘吐き!」

「あン?」

「あんた帰るって、昨日帰るって言ったくせに!」

「あァ、眠かったから。そもそもオマエ、悪党の言うこと素直に信じてンじゃねェよ」

「ううう~~!」


呻きながらフーケはキュルケへと視線を合わせ「覚えておきなっ!」と、それこそ悪党のように去っていった。
一方通行はため息をつきながらそれを見届け、キュルケにさっさと背を向けた。自分が何をしたのか、理解しているだけに気恥ずかしくて。


「なに、昨日会ってたの?」

「さァな」


後ろから付いてくるキュルケに曖昧に返し、するといつものように腕をとられた。


「ちょっと話聞いていきなさいよ」

「断る」

「まぁまぁ、そう言わずに」

「何で俺が」

「ルイズが危ないの。死んじゃうかもしれないの」


またも、昨日のように一方通行の身体は言う事を聞かなくなった。むにゃりむにゃりと腕に圧し掛かる胸の感触すら何処かへと飛んでいったよう。
だからどうした。この一言がなかなか咽喉を上がってこない。何がなんだかわからなくて、それに怒りを感じて、しかしそれは自分の事なのだ。自分が何を考えているか分からないなんて、それこそビョーキみたいで。

関係ない。まさしく現代日本人のように、脳裏でそう呟いた。
でも、口から出て行く言葉は別物で。


「……話してみろ」

「あら素直」

「いいからさっさとしろテメッ」

「はいはい」


キュルケの語った内容は裏切り者がいるかもしれないという事。ワルド。その人物が裏切り者かもしれないという事だけ。
まず腹が立つのが、そこまでわかっているならさっさと殺してしまえばよかったのではないだろうかという事である。いや、殺すのが実力的に難しいなら、とにかく逃げてしまえばよかったのに。


「あのね、相手は魔法英士隊の隊長様なのよ? ただでさえトリステインと仲悪いのに……ゲルマニアの私がそんなこと言ったら首が飛んでいっちゃうわ」


なるほど。一方通行には全然分からない話だが、とりあえずなるほどと自身を納得させた。
次に腹が立つのが、


「クソが。あの女、話が違うじゃねェか」


もちろんの事、フーケである。
彼女はルイズが狙われているといった。どこの誰かは知らないけれど、とにかく狙われていると。
しかし話を聞く限り、どうにもそのワルドはレコン・キスタなのだろう。だったらどこの誰かなど、分かりきっているではないか。

フーケが嘘を付いた可能性が出てきて、


(……いや)


それは無いのかもしれない。人の心の機微を感じる事が下手糞な一方通行だが、何となく嘘ではないだろうと思っているのだ。嘘の可能性は、状況とか、その辺を色々踏まえて、低い気がする。
だったら、フーケの知らない第三者の可能性が出てくる。フーケが本当に知らない人物。
ワルドとフーケがつながっていて、恐らくこれはもう間違いないことだろうと一方通行は考えた。ルイズは虚無で、情報が出回っているなら何処からでも狙われる存在である。

『狙われてるよ、あんたのご主人様』
フーケはレコン・キスタでそれを知った。狙われてる、と言ったのだ。レコン・キスタが狙っている、ではなく、狙われている。誰に? フーケも知らない誰かに。
薄暗くて、やや黒い影が見え隠れ。いるのかいないのかもハッキリしない第三者的存在。

めんどくせぇ。一方通行は呟き頭を掻いた。
本当にルイズは狙われているのだろう。レコン・キスタではないどこかに。フーケはその情報をレコン・キスタで手に入れて、一方通行へと渡したのだ。レコン・キスタの目的は聖地の奪還。虚無がどうとかという話は、今のところ聞いていない。


「何処のどいつだァ、イライラさせやがって……」

「……?」

「そのワルドってヤツ、本当に敵かよ」

「え、ええ……いや、間違いないかと言われれば自信は無くなるんだけど、まぁ勘で言えばそうね」

「オマエ、アイツを狙うやつに他の心当たりは無ェのか? 大体分かってんだろ、アイツの力」

「……もし虚無だとしたら、その力を狙うヤツなんて多すぎて分からないわ」

「そォかい」


大きくため息をついて、一方通行は上空を優雅に旋回しているドラゴンを見据えた。
状況は思ったよりも複雑で、面倒で。
もしも、仮に、絶対に無いが仮に一方通行がルイズの立場にあるとしたら、その時自分はどうするのだろうかと考えた。
まず怪しいと思えば、恐らくそのワルドという奴を殺しているし、そもそもアルビオンには行かないかもしれないし、いや、行ってもいい。行って、全部殺した上で手紙とやらを手に入れるのも楽しそう。


「……はぁ……」


まるでガキみたいだと自重した。頭を乱暴に掻き毟り、この日何度目かになるため息。
何でこんなことを真剣に考えているのだろうか。『もし』の話は嫌いなのだ、一方通行は。『もし』は希望だろう。そういうのは、見慣れていない上に輝いてるから嫌い。

もし一方通行が、小さい頃にたくさんの経験をしていたら。
もし一方通行が、上条のようなヒーローだったら。
もし一方通行が、もっと他人のことに興味がもてたら。
そして、もし一方通行がここで動けば。

もしとかかもとかあやふやあやふやいらないモノはいらないモノなのに、だけどその『もし』は、今の一方通行には非常に魅力的なものに見えた。見えてしまった。
昔だったら鼻で笑っている事が魅力的に見えたということは、一方通行の感性が変わっている以外にないのだ。


「……アホくせェ」


たまらない。こんなことに巻き込まれている時間は無いのだ。さっさと虚無を理解して、レベル6へと上りたいのに、それなのにルイズが居ない。
何でルイズが居ないのか。
くだらない事やって、人殺してるバカがたくさんいるから。


(っだらねェな、クソが)


心中呟いて。


「おい、そのアルビオンってトコの方角は」

「え? えぇと……あっち、かな?」

「曖昧だなテメエ……、ホントに分かってンのか?」

「アルビオンはいつも動いてるの。きちんとした方向なんて、船の船長さんくらいにならないと分からないわ」


眉毛の無いキュルケに舌打ちをかましながら空を見るが、もちろんそこには青色が広がるだけである。
いや違う、一匹だけ空を楽しそうに旋回している竜がいる。そう、こっちの世界の住人は生き物を乗り物にするのだ。そして竜といえば、一方通行の世界でだって、お話の中だけでならたくさん活躍する乗り物である。

キュルケは一方通行がシルフィードを見ているのに気が付いたのだろう。笑い声をもらしながらもう一度指笛を吹いた。ぴぃ、と甲高い音が鳴る。


「降りてきて、シルフィード!」


降りてこなかった。


「あら? シルフィードぉ?」


降りてこなかった。


「おい」

「も、もうちょっと待って」


そこから数分間、キュルケは指笛を鳴らし降りて来いと叫ぶが、シルフィードはこちらの反応を見て、それで愉快そうに空を飛ぶ。
とてもではないが、我慢できることではない。アレは何だ。動物だ。それがそれが、あの馬鹿にしたような飛び方、旋回、滑空、翼、それが起こす風、全部が全部、


「……ムカついた」

「え?」


一方通行はその場から一歩も動かずに、右手の人差し指を軽く折り曲げた。空間に干渉。意図して、気圧、圧力差を作り出す。
するとどうだろうか、一方通行のだらりと垂らした右手の付近に、ゆらめきが見えた。蜃気楼のようなそれは、当然風である。いや、風というのはおかしいかも知れない。なぜなら空気の『流れ』こそが風で、これからこそが、風に成るのだ。

曲げた指先を伸ばす。
纏め上げた風たちを解き放った。それ自体が空気のくせに風を突き破り、弾丸のようにごうごうと音を立てて迫る先は、もちろんの事舐め腐った竜である。
ひらりと一発目をかわした竜は、さすがに風竜と呼ばれるほどはある。目には見えないもの、どうやって避けているのか。人間には無い特殊な感覚器官でも備わっているのか。
一方通行は苛立たしげに舌打ちをし、二回三回と指を折り曲げて何度も何度も風を解き放った。

はらはらとシルフィードと一方通行の、ある種ダンスとでも呼べるものを見ているキュルケだが、んなもん一方通行には関係ないのである。
叩き落す。とにかくアイツを叩き落して、実力を持って言う事を聞かせる。それしか考えていない。それしか考えていないけど、けれども、いい加減に当たれ。ちょっと意固地になってきているのは自分でも分かっているのだ。シューティングゲーム感覚やっているだけ。そう、これはゲームみたいなもので、こんなことに本気で怒ってしまうのは美しくない。まったく美しくない。この風で叩き落すのが美しいのであって、他の方法を取るのはなんだか負けたような気分に───、


「───いい加減ッ! 当たれクソッタ」


両手を広げた一方通行はついに竜巻に近い暴風を作りだそうとして、


「だぁ! ちょっと待って待って待って!!」


キュルケの胸にすっぽりと収められてしまった。
何度も言うが、キュルケは身長が高い。一方通行は低くはないが、高くない。身長だけで言うならば一方通行 < キュルケなのだ。
年齢と身長以外、何一つとして負けている部分などないが、この差だけは如何ともしがたい。すっぽりと胸の谷間に収められてしまって、一方通行はちくしょう、と小さく呟いた。


「……離せ」

「あのね、シルフィードはタバサの使い魔なの。言いたいこと、分かるわよね?」

「……」

「はい、は?」

「……」

「ホントひねくれものなのね、あなた」


キュルケはクスクスと笑いながらそう言って。
きゅいきゅい楽しそうに、ゆっくりゆっくり降りてきたシルフィードに殺意を覚えたのは、これは間違いではなかった。



[6318] 09
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:f417fde6
Date: 2010/10/24 16:20
09/~赤色アルビオン・悪~





スカボロー。そこが一方通行の今現在の目的地である。
ルイズ達は船に乗りアルビオンへと向かった。それ以外に選択肢が無いのだから間違いないだろう。当然、船は港を目指すものであり、そのルイズ達が目指す港はスカボローの港なのだ。そこから王子様が居るというニューカッスルに到着するまでには約一日がかかるらしい。
移動時間が『一日』という時点で若干笑いがこみ上げてきたのだが、それはそれ。科学技術が発展していないここでは当然のことなのだろう。

一方通行は風竜、シルフィードの背中に乗り、背びれに背中を預けている。何かに乗って空を飛ぶのはあまり経験がした事がないし、確かに楽しくはあるのだが、どうにも不安だ。自分で動かさないと何となく、いつか落ちやしないかと、あまり安心は出来ない。一方通行は他人の運転する車に乗りたくない派の人間である。
この竜に乗ったままでも、その港に到着するのはまだ先の話。飛行機の一つでもあれば楽なのに、とない物ねだりに興じた。


「シロ君」

「うン?」

「もしかしてさ、自分で飛んでいったほうが速いのかしら?」

「速さだけで言うなら……、どうだろォな、まァ同じくらいなンじゃねェか?」

「……置いてく? いいわよ別に」

「それじゃ色々不都合があンだよ」

「うん?」


一方通行が重力を反転させ空を飛び、ジェット気流に乗り込んだらそりゃもう速い。だって、それは本物の風の速さなのだ。恐らくシルフィードの速度は超えるだろう。
しかし、一方通行が出来るのはあくまでも滑空。昇って、斜めに落ちていくのである。落ちていくのである。目的地をはっきりと確認して飛ぶのならいいが、その目的地がまだ見えないのだ。どのくらいの高度にあるのかもわからない、方角も定かではない場所。しかも浮いている国になど、どうやって『滑空』して行けようか。可能不可能だけの話なら当然可能だが、それはやるやらないの話ではない。普通に考えて、このままシルフィードに乗っていくのが正解であろう。アルビオンが見えるまではこの背中の上でだらだらしておくのが一番良い選択だ。

キュルケが不思議そうに視線を送ってくるが、一方通行はそのまま無視して空を眺めた。
空に浮かぶ島とは、一体どういったものなのだろうか。馬鹿馬鹿しくて笑いが出てくる。帰りたい。眠い。気になる。ミサカもルイズも。勝手に死なれるのは、うん、何だか腹が立つ。そもそも戦争なんかしているやつらが気に入らないし、アルビオンが気に入らないし、トリステインのオヒメサマ(笑)はもっと気に入らない。
一方通行は歪んだ笑みを口元に浮かべ、


「どォなっても知らねェぞ。この俺が行こうってンだからなァ……」


くつくつと咽喉を鳴らした。





◇◆◇





甲板へと上がり、デルフリンガーを抜き、「行けー! 財宝は目の前だー! ……なんちゃって、なんちゃって!」と海賊、空賊ごっこをして、そしてアルビオンが見えた。
水がアルビオンという一つの国から零れ落ちていて、途中で雲になっている様はまさしく幻想的。
一緒に来たかった。ルイズはそう思った。シロと一緒に、一方通行と一緒に。
水蒸気がアルビオンを支えているような光景。どうだ、この国が浮くという現実。そっちの世界はどうだった? 空を飛ぶ『ヒコォキ』は聞いたけれど、こんな物は世界を飛んでいた?

どうせ返ってくる言葉など、「あァ」だの「そォか」だの「うるせェ」だの「黙れ」だの、そして最終的には「殺すぞ」って言われるのくらいルイズは、そりゃさもちろん分かっている。分かっているけれど、もっと知りたいのだ。
一方通行と顔を合わせるたびに彼の世界の事を聞きたいし、彼の能力の事を聞きたいし、彼自身の事をたくさん聞きたい。知りたくってたまらない。ミステリアスな男がモテる時代は、ルイズの中で終わりを告げた。ルイズは一方通行の髪の毛の数だって知りたいし指の甘皮がどの程度の硬さなのかも知りたいし瞬きを何秒間隔でしているのかだって知りたいし、そして何より、ルイズを、自分の事をどう思っているのか、それがとても気になるのである。

好かれている、なんて甘い幻想はそげぶされた。そんなもの、豚のクソにも劣るような、ホントのホントに甘い幻想である。豚のクソが甘いかどうかなんてこの際どうでも良くて、とにもかくにも、自分は、一方通行には好かれていない! 何てことだろうか! こんなことばっかり自信を持っていえるなんて頭がどうにかなっているとしか思えない! ああ、ああ、シロシロシロシロ。こんなにご主人様が思っているのにあなたは一体何をやっているの? 大変なのよ大変なのよ。姫様の秘密の任務、頑張ってるのに大変で! こんなのってないわ! こんな、こんな、アレってまさか、何てことよこんな事!


「嬢ちゃん……、そろそろ俺、背中に戻ろうか?」


左手はビカビカしてた。


「あはぁあん! シロシロシロシロォ! なにやってるのよこんなに想ってるのにあんたはちっともこっちの事なんて見ないのね! 最低最低最低甲斐性無しの根性無し! 夜が来るたびに誘ってるこっちの身にもなりなさいよぉ!」

「じょ、嬢ちゃん! ちょ、おま、マジ嬢ちゃん!」

「ああ心配になってきたわ、凄く心配になってきたわ! だってだって! キュルケは置きっぱなしにしてるし! やだ、殺されたりしてなきゃいいんだけど……、ああ、ああ、何だか胸とお尻がざわ…ざわ…するわ! これはきっと良くないことが起きるような気がするようなしないようなっ」


何だか、そう、何だか気持ちがネガティブに入ってきた。嫌な想像まで何故かは分からないがどんどん出てくるし、やだやだ、キュルケ、キュルケぇ。たまんないわ、たまんない。この胸がきゅんとすぼまる様な感覚。何でもないのに涙があふれそうになって、何だかネガティブが増幅されているようで、


「───ルイズ!」


はた、と。
『ル』『イ』『ズ』。一方通行にそう呼ばれたときのことを思い出した。あの時の全能感ったらなかった。あの時は本当に何だって出来るような全能感が、ルイズの全身を駆け巡っていた。剣の一振りでゴーレムを叩き壊せると信じていたし、自分が負けるなんて事は想像外。何たって、あの時は最強だったのだ、ルイズは。

様々思い出を駆け巡って、一つだけ息を付く。
訳の分からない考えでビカビカと輝いていた左手の甲。そこにある『ガンダールブ』は徐々に輝きを薄くしていった。


「……、……。……、そうよね、考えたらあんな、殺しても死なないようなやつが簡単に死ぬ訳もなし、シロだってこれからたくさん時間かければ……、お婆ちゃんの一歩手前くらいで仲良くなれるかもしれないし」

「そうそう……、落ち着いて考えんだ。失敗なんぞどこにもねえ。万事OK。問題も、何もねえ」


そう、考えてみれば、自分はどういう女だったか。
何事もスマートに済ませてきた女ではないか。スマートに爆発を起こし、スマートに魔法を勉強し、スマートに筋肉をつけて、スマートに屈強な馬鹿男どもを沈めてきた。貴族の風格、その上に立っていたような、出来る女なのだ、ルイズは。
そんなルイズが考えて。


「……ボロ剣」

「おう?」


考えて。


「アレってさ」

「OH……」


脳みそ働かせて。


「問題発生じゃないかしら?」

「……おう」


大砲がこちらを向いている船は、敵だろうどう考えても。


「───……行くわよ、ボロ剣!!」

「おう!!」


ばったり出会ったのか、それとも計画されていたのか。
謎の敵が襲ってきたのは半日ほど前。警戒レベルはそれだけでマックス。
甲板を蹴り付けて、床板をばきばきをぶち壊しながらルイズは駆け出した。大砲の狙いはぴたりとこちらの船を捕らえていて、この船に武装は無い。

だが、それがどうした。
またもやルイズは馬鹿(さいきょー)になっていた。


「ぶっっっつぶすから!」


ぎゃっはっは! そんな声を上げながら、後頭部に衝撃直撃。
ぎゃふぼぉお! そんな声を上げながら、タバサに殴られた。

くるくると目を回すルイズはそのままズルズルとタバサに足を引かれて、シエスタからもらった田舎パンツ(ひよこ)を盛大に空賊様方々に披露。
何をどう考えても、タバサのファインプレーである。





◇◆◇





快適とはいえない空の旅。ようやくその終わりが見えた。ラピュタである。間違えた。アルビオンである。
一方通行はもう一度スタジオジブリが大喜びしてその後に卒倒するほどのものだなと思い、しかし相も変わらず冷静で冷血でどこか壊れているような自分の心を馬鹿にした。
普通だったら。

すげェ、こンなの見たことねェよ。感動だな。

くらいの感想は抱いてもよさそうなものなのに、一方通行が思ったのはただ一つ。口に出すのもただ一つ。


「どこの馬鹿がンなトコに建国しやがった……、頭イッてンな、オーサマ」

「あ、あなたね、そんなことアルビオンで言ったら大変よ? アルビオンの貴族はあの空中国家を誇りに思ってるんだから」

「事実だろォが。他国との交流もままならねェだろ、コレ」

「まぁ……ちょっとはあるわね、そんなとこ」

「くはっ、滅ンで当ォ然。戦争なンてくだらねェことやる訳だ」

「別に滅ばないわ。ただ単に治める人が変わるだけ」

「いや、そりゃァ分かンねェだろ」

「……? ……あッ、あなたまさ───」


一方通行が触れただけでキュルケは倒れた。それはもうぷつりと人形のように。ルイズのように犬の鳴きまねはしなくて、綺麗に綺麗に気を失った。このあたりに気品や、その他諸々の『いい女』の材料が詰まっているのだろう。

一方通行はシルフィードの上で立ち上がり、バランスを崩して背びれを握った。暖かくない。爬虫類。冷血。しっとりとした肌触り。
鼻で笑いながら口を開く。


「よォ、ドラゴン……、シルフィード」


きゅい。


「俺ァちょっと用事があってよォ、その女の世話なンざ、まったくこれっぽっちも出来ねェ訳だ」


きゅい。


「……オマエは帰れ。分かるか? 帰れ。どこだっていい。あの学院でも。とにかく、俺についてくるな。分かるな? 分かれよ」


一方通行には珍しく、というよりも初めて、どこか感情と呼べるようなものが映った瞳だった。
非常に遠いけれど、凄く凄く遠いけれど、どれかと言われれば、優しさ。と呼べるような呼べないような。あやふやな、瞳の色を見てしまえば吹き飛んでしまいそうだけれど、それは、この世界で初めて見せた優しさかもしれなかった。
言葉の通じない動物。だからこそかもしれない。
コレが人間相手だったら、もちろん諭すような言い方なんてしないに違いないのだ。帰れ。以上。コレで終わり。
言葉が通じなくて、だけれど賢くて、だからこそ一方通行は言葉を使った。


「わかったら、行け」


瞬間、一方通行は空へと落ちた。落上。反転させた重力は、簡単に一方通行を持ち上げた。
くつくつと咽喉を震わせて、瞳はぐらぐらと燃え滾って。
きゃは。
一つ聞こえた笑い声。実に楽しそうな声だった。

行き先は目視可能。スカボローの港。周りにはうじゃうじゃと人ごみ。ゴミ。きっとアルビオンの兵隊さん。何だか戦争中なので、そりゃもう港を大勢で取り囲んでいる。
優勢なのは貴族派。王党派は貴族派に追い詰められている。ルイズの用事を済ますには、王党派が生き残っていなければならない。
だが、どうだ、この大軍! 上空から見渡す限りに人人人人!
隊列を組んでいた。長い長いその列は、遠く遠く続いていた。あの先が、ニューカッスル。敵軍へと進む兵隊さんたち。人ごみ。だから、ゴミ。一方通行は知らないことだけど、その数実に五万。五万人ものゴミを見つめて一方通行は。

きゃは。もう一度聞こえた。
きゃはは。もう一度。


「っっ、ぎゃはッ!」


狂笑だった。


「ゴミが集まったところでッ! そりゃただのゴミ山だろォが!!」


港へと、ミサイルのように飛ぶそれは、もちろん一方通行。
突撃で散った木片を片っ端から弾き『反射』。戸惑いの声も、不安の声も、怒りの声も、全部の怒号をそれすら『反射』。
当然そこに居る平民だろうが貴族だろうが傭兵だろうが、全ての視線を集めた。

もう、面倒なのだ。ルイズのことを考えるのは結局答えが出ないので飽きた。ミサカのことを考えるのだって結局答えが出ないので飽きた。虚無のことなんて、もっと理解不能。もう理解とかそういう範疇にあるものなのかどうかすら不安。不安。不安? っか、笑っちまう。不安? そのようなもの、一方通行には存在しない。一方通行にあるのは自身と自信のみ。自分こそが最強で、己こそが頂点。人間? そんなものはゴミである。人ごみとは良くいったモノ。もう一方通行には目の前の人間達が、そのあたりに転がっている空き缶に見えてしまう。この世界には空き缶が無い? だったら石ころでもなんでもいい。その程度の存在に見えてしまうことさえ理解してくれたらそれでいい。

一方通行はぽつりと呟いた。


「オマエら、悪党だなァ」


人を殺したら、それがどんな理由だって、殺そうと思って殺したのなら、


「決まってンだよ。悪党だ」


だから、と一方通行は続ける。
浪々と、詩でも刻むように。
悪党は、殺されて文句を言えるような筋が無い。もちろん一方通行はそれを理解している。だから一方通行は殺されたって文句を言うつもりも無い。物理的に無理だとかそういう話は置いておいて、つまりはそういうこと。
殺しの正当化。一方通行は悪党が大嫌いだ。人が人を殺すなんて、とても虫唾が走る。未来ある人間を殺してしまうなんて、何てことをするんだと、全世界の悪党一人一人に怒鳴り散らしたいほどに。当たり前だが自分の事は棚に上げる。棚どころか、天にも上ってしまってる。

だから、口から零れる言葉はこれで、


「戦争なンざくだらねェ……」


一方通行は歌なんて歌ったことが無いのでそういう戦争の終結策は取れなかった。だってギターなんて弾けないし、バルキリーの操縦方法なんて聞いたことも無い。
だから、一方通行の戦争終結方法は、当然これで、


「全員、俺に、あはっ……───殺されちまえってンだよなァ!!」


暴力以上が始まった。





◇◆◇





「……捕まったー……」


縄でぐるぐると蓑虫にされたルイズはため息混じりに呟いた。
本来なら今頃、ズカボローの港について、馬を拝借して、一日ほどかかろうがニューカッスルへと向かっている最中なのだ。
それなのに突然の空賊襲来である。

あ り え な い !

なんだろうかこのタイミングは。まるで計算されているように不都合が起きる。フーケはなぜか襲ってくるし、突然黒ずくめの男に襲われるし、そして空賊は来るし。
いや、確かに空賊ごっこはしていたけれど、こんなものを呼び寄せてしまうなんて思いもしなかったのだ。
ふんがーふんがーと暴れまわった結果、ルイズだけぐるぐるの蓑虫にされて、他の二人は杖を取り上げられて両手を後ろに縛られているだけである。


「ああもう、何でこんなことになるわけ? ホント意味わかんない。なによこの扱いの差は」

「暴れるから」

「暴れるわよそりゃ。目が覚めたら縄持った男が目の前に居るのよ? どんなことされるか分かんないじゃない」

「?」

「……だから、何か変なことされるんじゃないかなって思ったの」

「変なこと?」

「だ、だから、犯されでもするんじゃないかって思ったの!」

「そう」

「そうよ」

「そう」


変わらず冷静なタバサに胡乱気な視線を贈り、ルイズはがじがじと縄にかじりついた。まずい。毛羽立ってる。ちくちくするし、たまんない。今度は尺取虫のように身体を動かして、どうにかこうにか縄を解こうともがくが、どうにも強烈に締め上げられている様子。ちょっとやそっとじゃ解けそうにない。
ああもう。
ルイズはため息をつきながらころころ転がった。


「あんまり動かないほうがいいぞ。体力を温存しておくんだ」


壁に背を預けて目を瞑っていたワルドが、少しだけ笑いながら。さすがにルイズの奇行に突っ込まざるをえなかったらしい。


「んなこと言ってもねぇ……、もうこの現状だけで疲れてくるんだけど」

「こういう時はいつでも動けるように準備しておくんだ。頭の中でシミュレートして、こうなった場合はこう動く、こうなったらこう動く、ってね」

「なにそれ、経験者は語るってやつ?」

「いや、何かの小説で読んだだけ。なんだったかな、平民が貴族に復讐していく話なんだ。もちろん廃盤になったけどね」


本の話になったとたん、タバサの眼鏡が光る。


「エリオールの復讐」

「ああ、それそれ。よく知ってたね」

「四回読み直した」

「そんなに面白かったかい? 僕は嫌いだったね」

「なぜ?」

「だって、復讐が簡単に成功するはずがないじゃないか。彼は単純だったよ。力で貴族を殺しまわっただけだ」

「内面はよく表現されていた」

「あんなの卑屈になってるだけさ。どろどろのネトネト。もうちょっと救いがある話のほうが好きだね、僕は」

「……そう」

「それで、その人最後はどうなるわけ?」


ルイズは多少興味を持って会話に参入。
しかし、


「死ぬよ」

「げ、なによそれ。私絶対読まないわ。ハッピーエンド推奨派だから」

「けれど、復讐は完了したよ。一応はハッピーなんじゃないかな?」

「どこがよ。生きて結婚して子供作って大きな白い犬飼って最後は孫達に囲まれて老衰する。このくらいの想像が後からついて来るのがハッピーエンドよ」

「そりゃまた……、究極だな」

「だって、私が本の作者なら、想像の世界でくらいは幸せを書いていたいわ」

「そりゃそうだが……、使い古されてる。売れないよ、それじゃ」

「大丈夫よ。どっちにしろ作家になんかならないから」

「ずいぶん投げっぱなしな答えだね、ルイズ」

「そもそも受け取るつもりがないでしょ、こんな馬鹿話」

「まぁね。よくご存知だ」

「いい加減な男ね」

「はっは、本当に僕のことをよく分かっているよ、ルイズ」


ワルドは笑って、そして目を瞑ってしまった。本人の言ったとおり、体力を温存させておく作戦のよう。タバサは変わらず何を考えているかは分からないけれど、何かを考えているだろうことは分かった。話し相手にはなるまい。
ルイズは静かにため息をついて、もう寝てしまおうかと思った。どうにもこの三人で解決は出来ないような状況。だったら何か起こるのを待つしかなくて、それなら寝てたっていいのかも。うん。よし、寝よう。
ルイズは目を閉じた。床が固くって安眠は出来そうにもないが、それでも思考を始めてしまったらネガティブな事ばっかり考えてしまう。状況が状況なので仕方が無いのかもしれないが、それはあまり好きではない。ネガティブは良くない。ポジティブのほうがずっと良い。だから、そう、寝てしまおう。

縛られている身体を仰向けにして、枕が無いから寝違えてしまうかもと心配をしたときだった。
閉じられている扉が乱暴に開いた。入ってくるのは痩せぎすの男で、三人は一様に瞳をその男に向ける。一歩だけ男が後ずさりしたのがルイズは滑稽だった。


「お、お前ら、アルビオンの貴族派か?」

「そういうアンタはどうなのよ」

「っは、俺か? そりゃ空賊なんかやってんだ。貴族派の皆さんのおかげで商売できてるってわけ。当然のことながら貴族派ってこったな」

「そ。じゃあ私も貴族派ってことで。ほら、仲間でしょ。縄解きなさいよ」

「……」

「なによ?」

「……信用できねぇな。本当は王党派なのかも知れねぇし」

「アンタ馬鹿ぁ? 今さら王様に協力するような馬鹿が居るわけ無いでしょう。全部今更なのよ、今更。戦況はどうなのよ。貴族派は優勢なんでしょう? もう勝ちの目前に居るんでしょう? だったら王党派に残るのは王様と勇傑のみよ。戦況を分かってる人間は今更アルビオンなんかに行かないっての。そんなの馬鹿でしょ。ただの馬鹿」

「……ふん……その通りだな、まったく。……頭に報告してくる。じっとしてな」


そういうと男は出て行った。
またも乱暴にドアを閉める音。バタン、と今度は余計に乱暴だったように感じた。


「……ワルド、やっぱこの船貴族派の船よ。早く逃げなきゃ」

「出来たらやってるよ」

「それもそうね」


ルイズは虫のように身体を起こして、



「……貴族派って言っちゃった」

「別に気にする必要は無い。僕でもそう言ったさ」

「そうかしら? あなたプライド高そうだしね、王党派って正直に言うんじゃない?」

「馬鹿にするなよ。僕のプライドなんて犬のクソにも劣るさ」

「あら、あなたが犬のクソにも劣るんだったら私は何?」

「君か……、うぅん、そうだな……」

「ゴミ以下」

「……そ、そうね。私のプライドなんてゴミ以下ね。プライドなんて売ってもいいんだけど、ゴミ以下じゃ誰も買わないわね」


そう、プライドなんて、必要なときにだけ必要な分取り出せばいい。さっきはいらない。ゴミ以下である。
だってルイズは、確認した。あの痩せぎすの男は、それはそれは空賊のような格好をしていた。もう胡散臭いほどに空賊だった。ターバン巻いて、爪とかも何だか汚くって、ちゃらちゃらと妙なアクセサリーまでつけて。そして、短剣を腰から下げていた。
そう、短剣を腰から下げていたのだ。

いくらルイズのプライドがゴミ以下でも、それだって譲れないものは譲れないのである。売っても誰も買わないなら、それは持っているしかないのだ。


「ゴミ以下の意見だけど、聞く?」

「犬のクソにも劣る僕でよければね」

「本の紙魚程度の私も」


ごにょごにょごにょ。
準備完了である。

バタン。男が入ってきた。


「───ぶっ殺すぞゴラァ!!」


まずはワルドだった。彼は実に活き活きしていた。このような言葉、幼い頃から中々使っていなかった。久しぶりである。
皆そうであるように、ワルドも幼い頃、ごっこ遊びに興じた事がある。ワルドはヒーローよりも悪役に魅力を感じる男であった。親と見に行った舞台劇。ヒーローよりも、悪役のほうが格好よかった。
何にもとらわれないアウトサイダー。自身が貴族という犬のクソにも劣るプライドを背負わされているだけに、非常に魅力的だった。だって、強そうじゃないか。だって、格好いいじゃないか。

だから幼い頃はいたずら者で、しかし、親が死んでからはそうはいかなかった。犬のクソにも劣るプライドを大事にしなければならないのだ。貴族だのどうだの、そんなの、意味が無いとワルドはわかっているのに。
痩せぎすの男に体当たりを食らわせる瞬間、そりゃもう活き活きとした表情で体当たりを食らわせる瞬間、ワルドは大口を開けて笑った。


「あっはっは! 任せたぞタバサ嬢!!」


声を聞いて、いや、その前の「ぶっ殺すぞゴラァ!!」から動き出していたタバサは、倒れた痩せぎすの男のわき腹に蹴りを入れ込んだ。まさしく入れ込んだという表現が適切で、その軽い体重でどうやればそこまでの威力が出るのか、つま先は中ほどまで食い込み、めきめきだのぼきぼきだの、生々しい感触が伝わる。


「あがッ───」


痩せぎすの男の苦悶が聞こえ、とっさに身体を丸めようとした男にもう一発。
ビクリと跳ねた男の上には。


「準備完了」

「まっかせなさいよ!」


ごちん。
蓑虫ルイズのヘッドパッドはミラクルヒットした。両者共に額からぴゅーぴゅー血を流して、しかし気を失ったのは男だけだった。ルイズはゴミ以下のプライドにしがみついて、決して意識だけは失わなかったのだ。


「作戦通り。さすが私ね」

「僕の体当たりが最高だったな」

「私の蹴りが一番だった」


三者三様自画自賛。
ワルドが後ろ手に、痩せぎすの男の腰から短剣を抜き取り、己の縄を切り裂いた。順に二人の縄も切り裂いて。
その時になって「何事だ!」と大声が聞こえた。なんとも運が悪い事である。もちろん、空賊の方々。
だってワルドの手の中にある短剣はルイズの手に渡り、殺気立ってる今、心がドキドキワクワク勃起しまくってる今、


「よしきたぁあ!!」


ルイズは駆けた。
空賊を倒すという目的を持っている今、簡単にはネガティブに落ちはしない。目的を持って、その目的を目指して動くという行動はドーパミンの発生を促して、じゃぶじゃぶ出てくる快楽物質を抑えようとエンドルフィンが出てきて。
今度こそ、


「ぶっっっつぶすから!」


角から出てきた男目掛けて、短剣すら使わずに拳を叩き込んだ。ゴキィ! と異音が響き、男は鼻からどぴゅどぴゅ血を流し、床に頭を強かに打ちつけて昏倒。ガンダールブ万歳。
こちらを取り押さえようと二人三人と出てくるが、ルイズには何の問題も無い。相手がナスビとかキュウリに見えるくらい何の問題も無い。
死屍累々。嘘。もちろん殺していない。だが、来る男来る男ルイズは叩きのめしていく。そこそこに技量を持っている相手もいるように見えるのに、それでもルイズには届かなかった。

ふしゅぅぅうう……。どこか闘牛を思わせるルイズの鼻息。


「やだ、下品だわ。あは」


すでに気になっていない。
そして見つけた、なにやら守りの堅い部屋。異変を察知しているだろう空賊は、短剣を抜いて……いや、杖を抜いていた。
杖。杖というのは、平民が持っても何の意味も無いものである。なぜなら魔法を使うときに必要なアイテムであり、魔法を使えない平民にとってはただの木の棒。
という事は、貴族。そういうことでしかない。貴族が空賊をしているのだ。なんだ、戦争に勝ちそうな派閥は、空賊をしなければいけない義務でもあるのだろうか。

妙な違和感を感じながらもルイズは一歩だけ歩を進めた。


「待て、待て待て! お前たち、貴族派ではないのか!?」

「ゴメンあれ嘘」

「嘘とな!?」

「そ。嘘。ごめんなさいね、私、約束も破るし嘘も付くような、普通の人間なの」


聖人に会いたければ天国へでも行ってこいと言う。
慌てふためく空賊を尻目に、ルイズはもう一歩距離を詰めようと足を動かす。たん。やけに大きく響いた。
相手が杖を抜いている。今までのように簡単に行く相手ではない。ワルドに一度だけ視線を向けて、下がっていろと念を押した。
今までよりも前傾に体を倒し、踏み抜く勢いで床を蹴り付けた。

その時。

そこで空賊が守っていたであろう部屋の扉が開いたのだ。
空賊たちがいけませんだのどうだのと口を開いて、出てきた人物はキラキラの金髪イケメン野郎で、


「王党派に残るのは王様と勇傑のみ。戦況を分かってる人間は今更アルビオンなんかに行かない。そんなのはただの馬鹿、か。……ふむ、なかなか面白いことを言う。だったら君達は、どうなのかな?」

「……ただの馬鹿で十分よ」


ルイズは普段から馬鹿なので十分も何もただの馬鹿以外に選択肢は無いのである。


「君は、何者だ?」

「黙れ貴族派」

「……すまないな。敬意を払おう。私は───」


ルイズは駆け出した。
拳を硬く握り、そりゃもう全力で駆け出した。


「うぉ待て待て待て!! ウェールズだ! 私はウェールズ・テューダーだあ!!」

「嘘付け馬鹿者ぉ!!」


拳は王子様の鼻っ柱を的確に捉え───る前に、タバサの蹴りがこめかみにヒットした。
ルイズはくるくると目を回しながらぽてんと倒れこみ、ぜぇぜぇと荒い息を付く王子様に田舎パンツ(ひよこ)をご披露したのだ。



[6318] 10
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:f417fde6
Date: 2011/06/23 00:42
10/~赤色アルビオン・王~




船の中、乗組員の一人が言った。あれは何だ。
別の乗組員が言った。わからない。
そして王子様は、ウェールズは蚊の鳴くような声で。


「……何だ、あれは」


遠見のレンズを覗いても小さく小さく映る影。遠見の魔法を使ってもその影ははっきりと映る事は無い。本当に小さく、人間の視力の限界範囲ほどで、どんなに目を凝らしたってはっきりとは映らない。
しかし、何かが起こっているのは確かだった。

空賊の真似事をして、せめて貴族派の補給線だけでも絶とうと空に出て、何の因果かトリステインからの大使を乗せている。
トリステインはゲルマニアとの同盟を結ぶようで、それは、うむ、寂しさを感じるも、いい判断だといわざるを得ない。
アルビオン王党派は負ける。それは間違いのないことだった。トリステインの国力は年々減少傾向にある。少しでも対抗したいのなら、民のことを思うなら、ゲルマニアとの同盟は一番の策である。
トリステインが大使を遣わせたのも分かる。手紙だ。あれがあっては、そりゃまずかろう。なぜなら王党派は負けるのだ。どうあっても覆らない戦力差で、王党派の戦力は今でもどんどんと減少しているだろう。いろんな命が散っていって、貴族も平民も、どうあっても死んでいる。あの手紙が貴族派の連中に見つかってしまえば、それを口実にゲルマニアとの同盟を破棄させ、トリステインへと攻め入る足がかりとなる。

王党派は負ける。
ウェールズは、もって後一日程度だと考えていた。
でも、王党派が負けるのは、間違いのないこと『だった』のだ。


「奇跡が、起きているぞ」


上空から城へと向かうこの船の中、それはもう戦場が綺麗に見えるというものだ。
王党派の連中は頑張っているが、攻め込まれれば、このまま終わってしまうだろう。長い長い蛇のような大群。敵の隊列は太く、長く、硬そうだ。我がニューカッスル城へと移動しているそれは、見るだけで背筋が凍る。

なのに、それなのに、あれはどういうことだ。ぶつ切りになっている蛇の腹はどういったことか。城へと向かって前進している兵隊は、後ろから追われるような形で、崩壊している。いや、崩壊しているように見えるだけで、実際はそうではないのかもしれないが、しかし、あれはどう見たって『なにかから追われている』。そう見える。急いているのだ。


「一体何が起こっている、戦場をああまで混乱させて……! 城へと急げ! 何か起きているぞ!」


もしかしたら。そういう思いが心中に湧き上がってきた。
そうなってしまうと、そう思ってしまうと、なぜだか余計な恐怖が。覚悟を決めていた心臓は揺れて、指先が小さく震える。それは血液を通じて全身に回って、ウェールズは震える肩を抱いた。


(いまさら希望を見るな……。私の覚悟は、この程度なのか!)


死への恐怖が無い人間などいない。誰だって怖い。だけれど、覚悟することは出来るのだ。それを受け入れる準備をすることは出来るのだ。
君は明日死ぬ。君は一年後に死ぬ。これなら、誰だって後者を選ぶのではないだろうか。準備が要るのだ、死ぬのには。覚悟がいるのだ、死ぬのには。
ウェールズは覚悟した人間だったのだ。戦争が始まる前から、貴族派の連中が不穏な動きをしていたときから。もしかしたら死ぬかもしれないと準備を始めて、死んでしまうだろうなと心を決めて、華々しく散ろうと覚悟を決めたのだ。

あなた……覚悟してきてる人……ですよね?

もちろんイエスと答えよう。
なのに、それなのにアレは何だ。あんなものを見せられたら、それに縋ってしまいたくなる。奥のほうに隠した恐怖が、また表に出てきてしまう。

クソ、とウェールズは小さく、王子様には似合わない毒を吐いた。





◇◆◇





三百六十度、全方位を敵に囲まれた状況で、それでも口元は吊りあがったまま降りてはこない。
傭兵が一斉に剣を持ってきても、


「反射」


魔法使いが呪文を唱えても、


「反射!」


どう見ても人外の化け物、それが奇声を上げながら襲い掛かってこようとも、


「反射ァ!!」


その一切が変換された。折れたブレードは持ち主の胸に刺さり、放たれた魔法は行く先を変え、人外の棍棒は宙を舞う。
雑魚雑魚雑魚。どいつもこいつも木っ端ばかり。こんな程度で戦争なんかして、どう考えても頭が悪いとしか思えない。いや、きっと頭が悪いから戦争なんか起こすのだ。

何故なんだろうかと考える一方通行の視点は、それは上からものを見ている者のそれである。上から下を。↑から↓を。レベル6。ベクトル操作。思えば、神ならぬ身にて天上の意志にたどり着くもの。そうなる筈だった一方通行が『人間』を下に見るのも当然か。
『その可能性』がある一方通行は、もしかしたら半分くらいは人間をやめているのかもしれない。

なっちゃいねェ。口の中だけで呟きながら、一方通行は大仰に両手を振るった。
肌に触れ、知覚できるベクトルを操作。操るは風。高い位置にあるアルビオンはとてもいい風が吹いている。周囲を取り囲まれてもそれは揺ぎ無く空間を支配しているし、そもそも空間というのが、惑星上の空間というそのものが風。気圧の高低差で起きるそれは、空間の全て。

お前はあっちへ行け。お前はこっちで、お前はそっち。
一方通行の脳内演算を言葉にするならこの程度。圧縮ではなく渦を巻く。回れ回れ、くるくる回れ。意思が無いなら従える。お前たちは風で、俺にとっては素敵な武器。
一方通行の頭上から渦がゆっくりと降りてくる。ゆっくりゆっくり降りてくる。もうすでに、ただの『強い風』は、一方通行の知覚能力がなくったって、一般人にだって分かる形で発現した。
竜巻。
ごうごうとうねる様に身体をくねらせ、そして中心には一方通行。本来の竜巻とは違い、結局は馬鹿でかいただの上昇気流なので雹も雨もふってはこないが、そこには一方通行が居るのだ。


「……テメェ等が俺の先を進ンでンじゃねェよ。そこは俺の領分だろォが、あァ?」


ゴミのように舞い上がっていく者。暴風に吹き飛ばされる者。飛んできた何かに当たってしまう者。運がいい奴以外は全て死ぬ。
当たり前である。なぜなら一方通行なのだ。そこに居るのは一方通行(アクセラレータ)なのだ。


「分かってンだろォ……?」


爆音の中でも聞こえる、聞こえてしまう小さな笑い声。
あは。


「そっから先は、俺だけの一方通行だ」


ごッ! 風が騒いだ。
威力を増す風は、傭兵だって魔法使いだって人外だって皆を運んでいった。死へと運んでいった。
おおよそ百ほどの命が空へと消える。一方通行の世界で言うところの『自動車』すら持ち上げる風は、人間の命など「軽い軽い」と言わんばかり。

どんな人間が死んだだろうか。それは悪党だったろうか。殺してもいい人間だったろうか。
一方通行は考える。考えるけれど、それは別に大したお話ではない。ただ人が死んだだけの話なのだ。すでに決めた道。今更後に引けるわけが無いであろう。だってこれこそ一方通行。踏み出す足しか持っていないわけで、後に引けばそこには道は無い。許されないことだ。先を行くのだけは、許さない。一方通行である一方通行の先を一方通行で進むのなら、そりゃ死んでしまうのが道理であろう。

脳内で作ったくだらないギャグ(つまらない!)にくすりと笑って、風は止み、最早爆心地のように周囲からは一切の影が消えた。
とは言うものの、消えたのは一方通行の周囲のみ。先を見ればまだまだ的(てき)は沢山いるのだ。
皆々様敵意しか映さない素敵な視線。体の芯から熱くなって、これを鎮めるために殺しているのかと錯覚するくらい。
そうじゃない。目的はある。忘れてはいけないのだ。でも、あは、ちょっとだけだけど、


「楽しくなってきちゃったなァ」





◇◆◇





城に着いたと思ったら、やけに急ぎ足で居室へと向かう皇太子ウェールズ。
何か様子がおかしいなと思いながらも、まさか王子様の足を止めてしまうわけにはいかず、ルイズとワルドは少しだけ小走りで付いていった。タバサはガリアの人間なので別室である。
ウェールズの居室は質素で、王子がこんなところで寝ているのかと驚かせるもの。粗末なベッドに小さな机と椅子が一組。ついついルイズは部屋に入るのを躊躇って、


「入れ」


そしてやや乱暴ながらも部屋に招かれた。
ウェールズが手に取るのは小さな箱。それもあまり豪勢とはいえないようなもので、ルイズが目ざとくじろじろ眺めていたのに気付いたのであろう。ウェールズは「宝箱だ」とはにかむように笑った。
開き、出てくるのは手紙。ボロボロに端が擦り切れて、何度も読み返したのだろうと思わせる。


「殿下……」

「女々しいと笑うか?」

「とんでもない!」


ルイズが両手と首をぶんぶん振りながら言うと、後ろに控えたワルドが小さく笑った。


「こら!」

「ああすまない。いやなに、女の心を男は一生理解できんが……、男の心も女は一生理解はできんな、と」

「ふむ……、なかなか分かったような口をきく」

「……殿下、失礼を承知で申し上げます」


余計な事を言うなというルイズの視線を何のその。ワルドは口を開く。


「守ってあげて。アンリエッタ姫はそう申されました。はて、私は船に乗るまでそれはルイズのことだとばかり。いや、この言い方は正確ではありません。もちろんルイズのことも入っているのでしょうが……、殿下。殿下のその手紙、恋文では?」


一つ間が空いて、ウェールズが困ったように頭をかいた。


「……よい男ぶりだな、子爵」

「で、ではやっぱり!」


正直なところ、ルイズだってうすうすは感じていた。こいつらからゲロくせぇラブ臭がただよってくるぜぇ! と言ったところだろうか。
アンリエッタがルイズに手紙を渡してと頼むあの様子、ただ事ではなかった。ルイズの女の感は、姉には負けるがなかなか鋭いのである。
恋仲だったのだろう、二人は。そして、たった今ルイズが受け取った手紙には、愛を誓う言葉が綴られているのだ。今からゲルマニアと結婚しようと言う女が、それはよろしくない。だから手紙を回収して、証拠隠滅。はれてゲルマニアとの同盟を結び、国力を上げるのが狙いか。

恋人が戦争で死んで、自身は望まぬ結婚へと。
他人事ではない。アンリエッタのことなのだ。もちろんルイズはどうにかしたいと思った。思ったけれど、一体何をどうすればいいのか。
とにかく言えるのは、目の前のこの男に死なれては、アンリエッタがひどく悲しむであろうと言う事だけ。
ルイズは口を開き、


「あのっ……、えと……」

「よい、申せ」


閉じて。
もう一度開き、


「トリステインへの、亡命を考える気は……、ございませんか?」


小さく呟いた。
自分でも分かっているのだ。これはいくらなんでも無茶がすぎると。
王族であり、皇太子であるウェールズ。誇り高い瞳に、獅子を思わせる金髪。この人は『王』なのだ。きっと、自分ひとりで逃げ出すことなどしない男。それが分かってしまうのである。
さらに言えば、亡命したところでどうなるという問題もある。アンリエッタはゲルマニアへと嫁いでしまうだろうし、アルビオン貴族派には『ウェールズを匿っている』という進攻理由を与えてしまう。
政治などに詳しくないルイズにだってこのくらいのことが想像できるのだ。水面下で何があるか分かったものではない。


「……ミス、分かってくれぬか?」


ウェールズは特に何を言うでもなく、ただその一言。

分かってくれぬか? 分かっているけれど、それをどうにかしたいと思っているのだ。
ルイズはうんうんと頭を悩ませ、そして肩に手を置かれた。ぽん、と優しげなそれはワルドで、


「亡命……、なかなかよい案に聞こえますが」


なんとワルドまで亡命を勧めたのだ。
これには驚いた。国のためを想う魔法英士隊隊長が、爆弾と同義の存在をトリステインへと持ち込むか。
ルイズはえ、と間抜けな声を出してしまった。


「子爵……、私に恥をかけというのかね」

「恥で人は死にますまい」

「そうだな。確かに人は死なん。だがな、貴族は、はたまた王族はその恥で死んでしまうのだ。分かっているのだろう? もとよりどうにもなりはせん。我が軍は三百。対して敵軍は五万。亡命したとして、その五万がトリステインへと向かう事を考えてしまうなら、私はここで散りたい。勇敢に戦ったという事実を残して、ここで死にたいのだ」


死ぬ。その事実は間違いなくそう。
誰かさんを召喚してやたらと人の死や『そういう思考回路』に敏感になっているルイズは、


「そ、そんな簡単に死ぬ死ぬ言わないで! 生きる事の、その先を模索する事はいけない事!?」

「よせ、ルイズ」

「誰だって生きていたいに決まっているじゃないッ、簡単に死ぬなんてことを覚悟しないでください!」


そう。ルイズは皇太子に生き残って欲しいのだ。
それがどんな事を招くかは、ルイズが想像しただけでも最悪だが、それでも生き残って欲しいのだ。
触れ合った機会など、トータルでもほんの数十分。それでもルイズはウェールズに死んで欲しくはなかった。目の前の、いま話している人間が死んでしまうというのは気分が良くないし、何よりアンリエッタが不幸すぎる。
王家に生まれたと言うだけで好いた男と死に別れねばならないのだ。

そんなのって。ルイズは俯いて、拳を振るわせた。


「そんなのって、ないわ……」

「泣くな、ルイズ・フランソワーズ。私、ウェールズ・テューダーは勇敢に戦ったとアンリエッタに伝えて欲しい」

「姫様の事を考えてください。お願いします、お願いします」

「アンリエッタのことを考えぬときなどない。いつも想っているさ。だから、幸せになって欲しい。私が亡命する事はアンリエッタにとって幸せかね?」

「……」

「きっとな、個人ではそうだ。アンリエッタ個人では、私と一緒に居るのは……。いやはや、照れてしまうな」


口元を揉むように、ウェールズは上がろうとした口角を止めた。


「だが、王族はそうも言ってられんだろう。どこで何をどう上手くやっても戦争は起こるのだ。無くなりはすまい。人間と亜人。貴族と平民。王族と貴族。簡単に考えてこれだけの衝突材料がある。そこに力が加わってみよ。王族同士が争い、貴族同士が争う。平民だってそうだろ」

「でも、それじゃあ戦争がなくならないから、殿下は死ぬのですか?」


ルイズが涙を瞳いっぱいに溜めながらそう言うと、ウェールズははっはと豪快に笑った。


「いやいや! さすがに人柱になるつもりはないな、神頼みはもう飽きたよ!」

「それでは……?」

「うむ。私はそうだな、戦争を終わらせるために死ぬのだと思う」

「終わらせるために?」

「ああ、そうさ。私はな、アルビオンが好きだ。物資の流通すら、いちいち他国の顔色を伺うほどに不便だが、それでもこの空中国家を誇りに思っている。美しかろう、艦から見るアルビオンは。白の国。私の先祖はネーミングセンスにあふれ出る才能を持っているよ」

「……」

「だから、もう終わらせなくてはならんだろう。博愛主義とは違うのだが、同じアルビオンの人間がこの美しい国を血で染めるわけにはいくまい。……そんな顔をしてくれるな、ミス。いやなに、これは諦めとは違うところにあるものでな」


ウェールズは少年のように笑い、ルイズはそれはそれは似合っていると思った。
そしてそのままに口を開き、


「まぁ、悟りの境地ってやつか?」


嘘だと思った。ルイズは嘘だと思った。
どんなに格好よくったって、どんな言葉を並べたって、誰だって、何だって終わるのは怖いはずなのだ。やせ我慢のハードボイルドだ。怖いのなら怖いといえばいいのに、それを許されていないのが王族。

ふと、アンリエッタのことを思い出した。こういう立場に立っているお友達。戦争が起きれば真っ先に死を覚悟しなければいけない立場に彼女は居る。
そもそも、この手紙の不始末というか不備というか、とにかくこの旅の原因はアンリエッタだけれど、ルイズはそれに大して何か思うところは特になかった。友達を助けられるのなら。そういう思いでここまで来たのだ。
けれど、ここに来て少しだけ考えが変わってしまった。


(ああ、お友達だけれど、それは昔の話なのかもしれない)


嫌いになったとかそういう事ではない。
ただ、住む世界が違いすぎる気がした。アンリエッタはお友達だって言ってくれるけれど、それはどうだろうか。
どこまで考えてルイズにこの依頼を託したのか。アンリエッタは知っていたはずである。ルイズが魔法をまったく使えない事を。何故ルイズなのか。単純に考えて、誰かが戦女神(心情的に戦女神(笑)だが)を洩らしたのだろう。別に口止めしているわけではないし、それはいい。それはいいけれど、アンリエッタが戦女神を知った上でこの依頼をルイズに持ってきたとするなら、なかなか打算的で、頭のいい選択である。
混乱の上でルイズに依頼してしまったというなら可愛げもある。しかし、もしかしたら死んでしまうかも知れない旅に、そういう情報を取り入れて、その上でルイズに依頼したというならば、それは、うん、なかなか、それはもう、何と言うかそれはもう『王』ではなかろうか。

ルイズはウェールズの思いに触れて、初めてアンリエッタのことが分かった。
いや、もちろん分かった気になっているだけかもしれないけれど、たぶんこれが正解。ウェールズを心配するあの様子が演技だとは思わないが、しかし腹の中では何を考えていたのかは分かるまい。

もう一度言うが、決して嫌いになったというわけではない。
ただ単に、昔のままではいられない、そう思っただけだ。

そして。

コンコン。
扉が二度叩かれた。

ウェールズが入れと言うと、扉を開いたのはルイズがヘッドパッドをかました痩せぎすの男であった。
男は空賊の格好から一転し、貴族らしく小奇麗に。印象がガラっと変わってしまって、気付いたのはおでこにあるたんこぶのおかげである。
失礼しますと一声置いて、こちらに気が付くと、パチリと不細工なウィンクをかましてきた。


「殿下、敵が近づいてきております。ご用意を」

「……足が速いな。追われる羊はいつも全力かね?」

「追い足が犬か狼ならどれほどよかったことでしょうか」

「笑えんな」


ルイズに理解できたのは敵が迫っているという事だけ。
足が速いと言っているところを見ると、予想よりも貴族派の進攻が早かったのであろう。あまりグズグズしている暇はないかもしれない。
ルイズに出来る事は、終わったのだ。手紙を受け取り、それでお終いなのだ。


「子爵、ミス、君達の仕事は終わりだ。帰りの船を用意させる。早々にアルビオンから出たほうがよかろう」


御武運を。
そう言ってお終いのはずだったのに。


「いえ」


ワルドが小さく首を振った。


「申し上げたい事があります、殿下」


二度目だった。
ワルドの笑顔を怖いと思ったのは、この旅で二度目だったのだ。



[6318] 11
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:f417fde6
Date: 2010/11/09 13:47
11/~赤色アルビオン・終~





風が耳元を走りぬけ、その音で目が覚めた。貴族の証である外套がなびく。
ここはどこで自分には一体何があったのか。キュルケはこめかみを押さえながら考えて。

きゅい。

そうだった。視界に入ってくる風竜はシルフィード。一方通行と一緒にシルフィードの背中に乗って、そしてアルビオンへと飛んだのだ。そして、それからどうなったのだったか。覚えていないというか、記憶が曖昧で、もやがかかっているような感覚。
キュルケはもう一度こめかみを押さえて、静かに目を閉じた。
一方通行がいなくて、自分ひとりなのだから何かあったのは間違いないのである。
というか、想像では答えは出ているが、それが正解だとすると非常に腹が立ってくる。


「え、と……、だめだわ、思い出せない……」


まぁいい。アルビオンへと向かっていたのは事実だ。
何があって眠っていた(眠らされていた?)のかは知らないが、とにかく旅は続いている。ルイズとタバサは心配だし、ワルドは一体どうしているのかだって気になる。
キュルケはシルフィードの背中を撫でながら、


「あなたが言葉を話せたらよかったのにね。さぁシルフィード、アルビオンへ行きましょう?」


このときシルフィードが何を考えていたのかは知るよしもない。知るよしもないが、シルフィードはこれが答えだとばかりに横に一回転した。くるりと。
きゃ、と小さく悲鳴を上げながら背びれに捕まって、その時に初めて眼下を覗いた。目に入ってくるのはぞろぞろと隊列を組んだ軍隊連中。キュルケは目をまんまるにひらいてぼそりと呟く。


「あらやだ、戦争じゃない」


そこはすでにアルビオンなのだ。
ここにきてキュルケは初めて気が付いた。随分とシルフィードが急いでいる。タバサに頼んで何度か乗せてもらった事があるから分かるが、シルフィードはもっと優雅に空を翔る竜ではなかったろうか。

ぎく、と体が硬くなるのを感じた。
召喚主と使い魔は深いところで繋がっている。主に危機があれば使い魔はそれを察知する事が出来るのだ。
考えたのはタバサのこと。何かあったのだろうか。


「シルフィード?」


何も答えない。ばさりばさりと風を切る音ばかりが響くだけだった。
不安は徐々に大きくなっていって、キュルケはバシバシとシルフィードの背中を叩いた。


「ちょっと、急ぎなさいよシルフィード!」


きゅい! と元気のいい返事が返ってきて、さらに速度は上がった。
恐らく今までキュルケが背中でぐーすか寝てたものだから気を使っていたのだろう。風竜と呼ばれるのがよく分かるというもの。風のようなスピードでシルフィードは王城へと飛ぶ。
心優しい使い魔である。主の下へ一刻も早く文字通り飛んで行きたいはずなのに、恐らくはキュルケを気遣ってギリギリの速度で飛んでいたのだ。
キュルケは胸元から杖を取り出し右手で強く握った。
精神力は回復しているだろうか。あのワルドという男と戦闘になった場合、勝てるだろうか。色々と要素はあるが、やらなくてはならない状況で逃げ出せるほどの勇気を、キュルケは持っていない。キュルケはやらねばならない状況ではやってしまう程度の、流される女なのだ。
ふぅ、と一度だけ息を付く。どういう状況になっているかは分からないけれど、進むしかない。





◇◆◇





「申し上げたい事があります、殿下」

「すまんな子爵。我々には時間がない。聞いている暇もないようだ」

「いいえ、聞くはずです。殿下のご懸念は、貴族派の足を速めているあれでしょう?」

「……あれを知っておるのか?」


はてさて、戦争の事などさっぱり分からないルイズには、本当にさっぱりな話である。
あれとかそれとかどれとか。全然意味が分からない話である。
すでにウェールズの心は聞いた。このままこのとおりにアンリエッタに伝えるのがベストであろう。手紙も回収した事だし、後は帰るしかないのだ、ルイズには。
しかし。


「殿下は伝説をご存知でしょうか?」

「子爵、今はそんな話をしているときでは」

「あれは伝説なのです、殿下。あれこそが伝説の使い魔なのですよ」


ぴく、と体が反応した。
伝説の使い魔。それは、ルイズにとって馴染み深い言葉だ。なんと言っても学院長から伝説だと言われて、己が召喚した使い魔にだって伝説だといわれて、自分はもしかしたら伝説の『虚無』かも知れないと思っていたから。

思い出されるのはワルドの表情。なんだか怖いと思ったあの表情は、何故怖いと思ったのだろうか。
何かが透けて見えたから?
ルイズは、勘は悪くない。むしろいい。姉と比べればそれはそれは小さいだろうが、それでも勘の悪い女ではないのだ。

ちらりと視線をワルドに───その右手に、彼は杖に指をかけた。

ぞろり。
背中を舐め上げられたような、そんな感覚。
何でもいい、武器を。ルイズはそう思った。質素な室内。簡素な室内。狭く、ベッドや机、椅子。あまり大物を触れるような状況ではない。
コンマ一秒の思考。


「何が言いたい、子爵」


ウェールズのその言葉は、耳には入ってきても理解する事は出来なかった。
己の『スカート』からナイフを抜き取り、危機感をそのまま力にしているのか、左手は熱を持つ。
そんな馬鹿なことってない。ワルドの表情は、いたずらが成功したような、子供のように無邪気な顔だった。


「あまり人が多いところで死ぬなよ。探すのが面倒だろう?」


首の裏に電気が走ったような感覚。


「───ダメぇえ!!」


ルイズはナイフを投擲。同時に床を踏み抜く勢いで駆けた。
ワルドの杖はウェールズの胸の中央に吸い込まれるように。吸い込まれるように伸びていくが、ルイズの放ったナイフは銃弾のように飛んでいき、その矛先へとヒット。
狙いをやや外して、恐らく心臓を狙うはずだったワルドの杖は、胸の右側を深々と突き刺した。

どつ。

聞いていてあまり気持ちよくない異音。
ウェールズは何をされたのか、いまいち分かっていないような表情で、一瞬後、咳と一緒に少量の血を吐き出した。


「貴様何を!」


痩せぎすの男が杖を抜いた。
ルイズはすでにワルドに飛び掛っていて、右手にナイフを。
とにかく無力化。何がなんだか分からないけれど、とにかく無力化。このナイフをどこかに突き立てればいい。死なないように、腕でも足でも何でもいいから───、


「遅いよ」


ワルドはルイズとは対称に、非常にゆったりとした動きで、とはいっても動作そのものは早くて、ただ単純に動きに無駄がなさすぎてそう見えるだけで、とにかくウェールズの胸から杖を引き抜き、ルイズのナイフを受け止めた。ガンダールヴを発動しているルイズの攻撃を受け止めたのだ。
がちん! と杖とナイフがかみ合い、しかしワルドはルイズに視線すら寄越さない。無造作にルイズを払いのけ、ルイズがなかなか良い筋肉をしているといったその右足で痩せぎすの男の鳩尾を蹴り付けた。

呪文の詠唱中だった男は見事にくらってしまって、がくりと膝を付いた。「なっちゃいないな」ワルドが呟きながら放ったもう一発。それは男のこめかみを強かに打ち抜き、倒れこんだ男はもう二度と目覚めない。

一瞬の出来事だった。ため息を一度つく。その程度の時間の経過だったのに、一人は胸を貫かれて、一人は死んだ。
もう分からなかった。意味が分からなかった。なにがあってこんな事になったのかすらルイズの頭では検索不可能。グーグル先生もこの状況だとNot Foundである。
ルイズは一気に騒がしくなった心臓を必死に落ち着けようとして、床に倒れて血を流し芋虫のように蠢いているウェールズを見て不可能だと悟り、そして大声を上げた。


「何なのよ……どうなってるのよこれは!」


返事は返ってくるも、それはこの状況を作り出した張本人からなのだ。


「どうもこうもないさ。僕が皇太子を刺して、そこの付き人を殺した。それだけだろう?」

「あな、あなたっ、こんなことして、こんなことして!」

「まぁそう騒ぐな。大丈夫だ、ちゃんと考えて行動しているさ。これでも一世一代の賭けみたいなものだからね」

「馬鹿なこと言わないで! 何なのよ、これ、なんなのよぉ……」


トリステインのメイジが皇太子を殺したとなれば、それはもう大変なことになる。いま外で繰り広げられている戦争がそのままトリステインにきてもおかしくないのだ。
今のルイズにそんなことは考えられないが、とにかく大変な事が起きているのは分かる。だって、ワルドが、小さい頃からの憧れで、もしかしたら初恋の相手だったかもしれないそのワルドが、ウェールズを刺したのだ。出血がひどくて、このままだと死んでしまう。戦争で散りたいと言って、誇り高かったウェールズが死んでしまう。
どうにかしなければいけないのは分かっているけど、一体どうしたらいい? もうそれが分からない。

ルイズは床に尻餅をついてしまって、ワルドから逃げるように後ずさり。
怖い。目の前のこの人は、知ってる人じゃない。


「さぁルイズ、僕と一緒に来い」


その意味も分からなかった。


「僕と一緒に世界の真実を突き止めよう」

「やめ、てよ……、人が、死んでるのよ」

「気にするな。そりゃただの肉の塊だ。行こう、ルイズ。君は特別な力を持っている。気付かないか?」

「殺されちゃうわ、あなた、殺されちゃう」


もう泣きそうだった。これはさすがに、きつすぎる。


「はは、大丈夫だよ。言ったろう、これでも考えてるんだ。城の連中は彼が持ち帰った硫黄と、外の戦争の事で頭がいっぱいさ。君は知らないだろうけど、君の使い魔君がどうにも暴れまわっててね、貴族派の連中の足を速めてるんだよ。分かるかい? 貴族派の連中はね、勘違いしてるんだ。王党派の新兵器かと思ってるわけさ、使い魔君のことを。そりゃもうすさまじい戦果のようだね。一発で何人もの人が死んでるよ。危機感が足を速くして、この戦争の早期終結を願ってる」

「……シ、ロ?」

「そしてこのウェールズの自室。ここは城の一番高い天守閣、その一角の部屋だ。下の連中は今頃最後の酒でも飲んで、いかに格好よく死ぬかを語り合ってる頃だろう? そうなるとどうだ、この騒ぎに気が付くものは中々いないだろう。可能性があるのは彼の付き人だけ。でもその彼ももう死んでる。いくらなんでもないとは思うが、……もしかしたら最後の最後まで気が付かれないことだってあるかもしれないね。余計な気を利かせて、最後の時間を過ごしているんだろう、なんて思うかもしれないし」


饒舌に語るワルドは最早ルイズの知るワルドではないのだ。
彼の口から出てくるのは最早異世界の言葉である。右耳からはいっていって、左耳から抜け出ていく。
ただ一つ理解できたのは、使い魔のことだけ。一方通行がアルビオンに来ているんだよって、ただその一言だけ。

一方通行が来ている。胸中に湧き上がるこの感情は何だろうか。またしても分からない。以前に助けてくれたときとは違う感じ。単純な喜びなんかじゃない。
ワルドの話に惑わされているのだろうか。いま起こったこの事件が、ほんの少しだけでも一方通行のせいだとでも思っているのか。そんなことはない。そんなことはないはずなのに、変な感覚がルイズの心臓を鷲掴みにするのだ。


「だから……、だからこの騒ぎに気が付く人間は、二つ隣の部屋にいる彼女だが……。どうかな、彼女はどうすると思う、ルイズ。下の人間に騒ぎを伝えに行くか、それとも……君を助けにここに来るか。僕だったら下の人間を呼んでくる。でも彼女はどうかな───」


ワルドを見れば、その視線は扉の向こう。


「───今頃その扉の奥で、この会話を聞いているかもしれないね」


瞬間、小さな体が扉をぶち破る勢いで入ってきて、それは同時に氷の矢を吐き出した。





◇◆◇





よくあることである。
ああ、先に行っているかと思ったらまだ居たのか。先に行っているかと思ったら後から付いてきたのか。
まさにそのそれ。この現象はどちらが悪いとは言えない。いや、そりゃ遅刻しそうになったとか、いつも待たせてるとかそういう状況を除いてだけど。
まぁ、とにかく、行き違いの発生である。

一方通行は頭がいい。トークの上手いお笑い芸人よりよく回転するそれは、しかし向こうの世界の常識で考えているのだ。
空を飛ぶ船。これを聞いて飛行機を想像した一方通行は何も悪くない。誰だってそうではないだろうか。空を飛ぶ船。もしファンタジーの世界に迷い込んだとして、これを聞いたら飛行機か飛行船を思い浮かべるであろう。
一方通行が考えたのは、飛行機みたいなもの。空を飛んで移動するもの。だから、そんなに遅いものだとは思っていなかった。

考えてみて、もう帰っているだろうと思っていた。
スカボローの港について、もしかしたら一方通行はここで会うかもしれないと思っていたのだ。しかしルイズ達の姿はなく、王様のところに順調に進んでいるだろうと判断。
まさか途中で空賊に襲われているかもしれないなんて突飛な妄想はしない。それが現実に起こっていたとしても、それはかなりありえない事である。

戦争なんてくだらない。
考えは変わらないし、戦争を殺したいのも事実。
だけど、どこかではこう考えていたのではないだろうか。一方通行本人に聞いたって絶対否定するだろうけれど、ここで暴れまわって注目を集めれば。そう、考えていたのではないだろうか。

関わるだけでイラつくのだ、戦争なんて。ルイズが関わっているという事実だけで何故かムカつくのだ。
笑いが出てくるけれど、なんとこのスカボローから王様の城まで着くのに馬で『一日』がかかるのだ。この『一日』というのは約十二時間の事で二十四時間ではないが、それでも十二時間この戦争の中を進む。そうなるとどこに危険があるかなんて分かったものではない。堂々と隊列の中を走るわけにも行くまいし、もちろんこそこそと見つからないように進んでいるだろうことは理解しているが。

一方通行がどんな思いで能力を振るっているのかは分からない。分からないけれど、そこにはいつもとは違う何かがあったのだ。
だが、もういいだろう。そろそろいい頃だろう。いくらなんでも王様のところにたどり着いている筈だし、手紙とやらも回収しているはずだ。
いつもとは違う感覚にモヤモヤしながら、ふんと自嘲した。そこそこに満足げな顔は何を表しているのか。

ただ、一方通行は知らないのだ。自分が何をしたのかを。
能力で暴れまわって、人間なんかゴミクズのように吹き飛ばして。それはもう注目を集めた事だろう。この戦争に出ているものに絶望を与えた事だろう。
だが、その存在が脅威になって軍隊の足を速めたことに彼は気が付いていない。
あれには勝てないからさっさと王様を殺せ。そういう空気になっている事に、一方通行は気が付かないのだ。彼は人の死に鈍感で、人の想いに鈍感で、人の思いに鈍感すぎた。全部反射してきたんだから、一般人なんて彼から見れば全部低脳だから。
強すぎる彼は、全部が上手く行くと思っている。いや、上手く行くと思っていた。

そして何度目かの高電離気体の発生を確認。
おおよそ一万度のそれはじりじりと全てを焼き尽くし、またも後に残ったのは一方通行だけになった。


「ハッ、いい加減飽きちまうっつーの」


先を見ればまだまだまだまだ沢山の戦争屋。
腹が減ったなと一方通行はお腹をさすり、なんとなしに上空を見上げた。


「……」


上空を見上げた。その先に、


「……あァ? おいおいおいおい、クソッタレが、そうかよ、そういう事か! ……グズグズしやがってクソガキ!!」


一方通行は、もう目視で王城を確認できるほどにそこに近づいているのだ。
その王城へと向かうあの青い竜は、間違いなくシルフィードだろう。
何のために向かうのか。帰れと行っていたのに、何のために向かうのか。当然、そりゃ使い魔というのだから主のために向かうに決まっているだろう。





◇◆◇





ぺたりと尻を床につけて、涙を流しながらこちらを見つめる『友達』に、タバサの心臓は熱くなった。
ルイズ・フランソワーズと言えば学院でも有名で、とにかく彼女は強い女だったのだ。
ほんのちょっと前まで友達もいなくて(それはタバサもあまり変わらないが)、彼女はいわゆるいじめの対象だった。誰もが『ゼロのルイズ』という自分よりも下の存在に安心して、彼女の話題は常にこき下ろすことだけ。
タバサはそういったものに興味がなかったので無視を決め込んでいたが、タバサの友人はそうではなかった。

キュルケはいつも口にしていた。何でやり返さないのかしら、と。悔しくないのかしら、と。
実の所裏で色々と暴力を振るっていたらしいルイズだが、それはあくまでも裏でだ。彼女はゼロと言われようが無能と言われようがいつもすました顔をしていた。今のはちょっと失敗しちゃったの、と爆発を起こしていた。
ルイズは孤高の女だったのだ。孤独なだけではなく、きちんと誇りを持っていた。
だって、彼女が泣くところなど、一度だって見たことがなかったから。


「タバ、サ?」


弱弱しい声。
そんな彼女が泣いている。ルイズが泣いている。友達になってから、いつだって元気いっぱいで、うざったいほど暑苦しくて、今の今まで泣き顔なんて一度も見たことなかったルイズが、泣いているのだ。
実際はシエスタに泣きついてストレス解消していたとか、サンドピロー殴ってストレス解消していたとかそんなことはどうでもよくて、とにかく『友達』が泣いているのだ。

胸が熱くなった。こういうところで泣き崩れるような、そんなたまじゃないのに。

杖を再度振って、口の中だけで呪文を展開。氷で出来た矢を飛ばしながらワルドとの距離を詰める。
小柄なタバサは速度に自信を持っていた。中距離から近距離の魔法戦ならスクウェアにだって負けないと自負していた。
しかし、相手は魔法英士隊の隊長なのである。放つ魔法は華麗に捌かれ、打つ杖は簡単に防御。今までに実戦を経験した事のあるタバサはすぐに気がつく。強い。ワルドは強い。

睨みを利かせながらタバサはかばう様にルイズの前に立った。後ろからずるりと鼻を啜る音が聞こえる。


「……」

「終わりかい? なかなかいいコンビネーションだ。その杖がいいね、力の不足を重さでカバーか? その辺のおきらく貴族の考える事じゃない。君、もしかして実戦経験あり?」

「……」

「いやいや、実はそう思っていたんだ。ただの学院生にしては余裕がありすぎる。ああ、これは精神力の話でね。ほら、船を飛ばしたろう? 風石に魔法力を込めていたとき、随分と余裕があるなと思っていたんだ」

「……それが?」

「なに、単純な疑問さ。……君は後どのくらい魔法を使えるんだろう」


思わず舌打ちをついてしまいそうになった。
やはり船を飛ばすのを手伝ってくれと言われたとき、断っておくべきだったのだ。
メイジのランクは精神力の量で決まるものではない。だから、馬鹿でかい精神力を持ったドットのメイジだっていることにはいる。だけどそれは稀な話で、やはりランクと精神力の量は比例しているのが普通なのである。精神力を量で量るというのもおかしな話だが、事実としてそうだ。
タバサはトライアングル。対してワルドはスクウェア。


「自分ではあまり判断がつかないだろう? そういうものさ、精神力なんて。いつの間にか切れていることなんてよくあることだし。だからこそ僕は……、いや、僕達みたいに戦う者はそれを正確に判断しなくちゃいけないんだ」


ワルドは口元に笑みを浮かべながら続ける。


「僕は君をリタイアさせる程度の魔法を、あと二十は放てる。君はあといくつだろう。あれだけの船を飛ばしたんだ。そうそう余裕があるとは思えない。……五発くらい? いや、トライアングルであの船だからな。僕、実はちょっとサボったし、あと四くらいかな」


タバサは正確に精神力を量るすべを知らない。ワルドのように完成しきったメイジならばそれも出来よう。これだけの魔法をこれだけ撃つと精神力がなくなる。そう判断できるのも分かる。
しかし、タバサはまだ子供で、魔法も精神力も完成には至っていない。その日のテンションや感覚で発動回数がばらつくのである。自分の限界を図るのは難しかった。

口の中の唾を飲み込んだとき、額から一筋汗が零れた。嫌な相手である。頭もいい。戦わずして相手をしとめる方法を知っている。
ワルドの言うとおり、タバサの『何となく』で判断してもいいのなら、放てる魔法の回数は四回くらいだろう。


「タバサ」


スカートを引っ張られて。


「逃げましょう。こんなところで戦っても、仕方ない、逃げましょう」


それはそうだ。戦うよりも、逃げたほうが良いに決まっている。
しかし、簡単には逃げ出せまい。ワルドが何を考えているのかは知らないが、逃がすつもりがないことは分かる。さらに皇太子が血を流しながら倒れているのである。恐らくはまだ死んでいない。ここで逃げ出せば、国家間でどんな問題が起こるか分からない。
スカートを下ろす勢いのルイズの手を取って、タバサは静かに口にした。


「いく。あなたは下の人を呼んできて」

「だ、だめよ」

「そうだな、やめておいたほうがいい。君じゃ僕には勝てないよ、絶対に」


いや、勝算はゼロではない。
だって、こちらは下の人間すら呼んで来れば勝ちなのである。ワルドを裏切り者だと確定させてしまえば勝ちなのだ。


「あなたは走って。下に行って。人を呼んできて」

「ダメ、そんなのダメよ」

「お願い」

「そんなの……」


キュルケだってそうした。
自分ひとりが残って、敵をひきつけて、それがあったからここまでくることが出来た。
キュルケはルイズを助けようと思ってそうした。キュルケがそうするのなら、タバサだってそうしよう。何も死ぬようなことはしなくてもいい。ただ目をひきつけて、防御に専念しておけば、いくら相手がスクウェアでも簡単にやられてしまうようなことにはなるまい。

タバサはポン、とルイズの頭を撫で付けた。どちらが年上か分からないこの行為はどうやら効果があったらしく、ルイズは小さく頷き立ち上がる。
二人で顔を見合わせて、タバサは一度大きく息を吸った。ルイズは反対に大きく息を付いた。


「またあとで」


言い終わると同時、呪文を展開。
狭い部屋の中、小さな身体を全力で活かしながらワルドに肉薄。己の最も自身のある『速度』で勝負を挑んだ。小柄な身体を存分に活かし、超至近での魔法戦。展開中の呪文を停止させないように杖を振りかぶって、氷の矢を放った。
にやつくワルドは避けるそぶりすら見せないままその氷の矢を身に受け───、


「───残念。そりゃ『偏在』だ」


声が横から聞こえた。ルイズが駆け出した方向、開け放たれた扉の奥から聞こえたのだ。


「あ?」


これはタバサではなくルイズの声。
ワルドが二人居る。


「しまっ───」


タバサが珍しく慌てた声を上げたとき、魔法の直撃を受けた『偏在』は蜃気楼のように掻き消え、『本物』が杖を振っていた。
ふわりと風がタバサを通り過ぎていき、一瞬の空白、ひらりと学院の制服が風に揺れて。

ぶしゅ。
冗談ではなく、床に散っていく血液はこんな音を立てた。炭酸か。

痛みというよりも熱。熱い。血が流れている。久しぶりに味わった敗北は、ここまで痛いものだったか。平行感がなくなる。ああ、ごめんなさい、キュルケ、ごめんなさい。
意識が沈んでいって、最後に聞こえたのは。


「───う゛あ゛、ぁあああぁぁああああ!!」





ルイズは剣を握った。この状況で。
ウェールズが刺されて、その付き人らしい人物は死んで、そして何よりもタバサが血を流して。
脳の許容量をぽーんと飛び出した現状。
タバサの、空気中をいままさに舞っている血液。赤い赤い珠になって、その何滴かはルイズへと降りかかって。暖かい。部屋が、生臭い。ぷちぷちと頭のほうで何かが切れているような音すら聞こえてきそうな予感。
ウェールズのときはまだよかった。よかないがまだ『意味が分からなかった』からまだよかった。
今はしっかりと理解してしまっている。ワルドは敵で、その敵であるワルドはなんとタバサを攻撃して、いま、タバサは血の海に倒れこんだ。
駆け出した先のワルドが(顔をにやつかせている!)敵なのだ。
もちろん恐怖を感じた。タバサが簡単にやられたという事実が恐怖感を煽った。仲間の血液がそれをさらに増長させて、その恐怖を消し去りたくて、だからこそ、何とかしてくれと祈るような気持ちで背中のデルフリンガーを抜いたのだ。

あひぃ。

瞬間に脳を駆け巡った武器の情報。それに何だか、高揚感とはまた違うこの感覚。どろどろとしてて、普段の意識は掻き消えて、ただ怖かった。どうしようかと考える暇なんかなくって、とにかく考えたのは一つで。

どくん。鼓動が一つ。
戦わなくっちゃ。
ぶつ、と何かが切れたような。


「───う゛あ゛、ぁあああぁぁああああ!!」


咽喉の奥が切れてしまいそうなほどの絶叫。
ルイズのガンダールヴは、逃げ出すよりも戦うほうを選んだ。


「いけねぇ娘っ子!」


鞘から解き放たれて、ようやく喋る事が出来たかと思えばこれである。デルフリンガーもつけるものならため息の一つでもつきたい事であったろう。
しかし、今のルイズの思考回路は、というよりも思考という行為すらどこかに飛んで行って、ただ単に本能のみで剣を振っていた。

その日、最速をもう一つ超えたルイズの剣は、しかしそれでもワルドには当たらない。何で当たらない!
袈裟に振ろうが逆袈裟だろうが唐竹を狙おうが、避けられてしまうのである。

焦りを感じる余裕はなかった。ただ『この感じ』に身を任せたままルイズが上段から、本当に目にも止まらぬほどの速さでデルフリンガーを振った。ワルドは飛び込むようにルイズの脇を転がり避けて、簡単に避けてしまう。またも部屋の中に逆戻り。


「っとと、今のは危なかったな! 上出来だよルイズ!」


とは寸分も思っていないような表情でワルドが。

ルイズの剣は素直すぎた。頭の中は情報と意味の分からない恐怖感でぐるぐるぐる。目の奥はぎらぎら光り、ふぅふぅと鼻息は荒い。
たおさなくっちゃ。きらなくっちゃ。思考しているものはそのくらい。
ワルドも負ける気は毛ほどもしないだろう。だって、ただ真っ直ぐに向かってくる猪と一緒だ。ルイズは猪突猛進にワルドに斬りかかっているだけなのである。


「さぁ行こうルイズ、僕と共に! 我々レコン・キスタと共に! 君の力を狙っている奴なんて沢山居るぞ! 死んでしまう前に僕と共に来い!!」


返事はしなかった。そもそもそういうことを考えていられない。聞いた言葉は、ただ単純に記憶にとどめておく事しか出来ない。
ルイズはぶつぶつをたおさなくっちゃ、たおさなくっちゃ、と呟きながら、そしてまたも剣を振る。


「手負いの獣も顔負けだな。ちょっと痛いけど……いや、死んでくれるなよ?」


剣を振った。避けられる。
腰からナイフを抜き投げた。壁に刺さる。
剣を振った。避けられる。


「んんんぅッ!!」


なぜ当たらない。怖い。ワルドは強い。意味が分からない。たおさなくっちゃ、たおさなくっちゃ。

馬鹿になっているルイズは部屋の空気がひんやりと冷たい事に気がつかなかった。ワルドが何か呟いているようだったけど、それも何か注意を引くようなものではない。とにかく今、この剣で、斬らなくてはならない。倒さなければならない。
ルイズの考える『倒す』はそのまま『殺す』に繋がってしまう事にすら気付かない。剣を、突き立てる。それだけ。
とにかくとにかくとにかく、この胸を騒がせる恐怖感の終わりは、ワルドを倒さなければ終わらないのだ。ひんやりと手足が凍ってしまいそうに冷たいこの感覚は死を思わせる。嫌いだこんなもの。剣を、剣で、この武器で、

ひぃ。恐怖に引きつったような声をルイズは上げる。上げるのに、その身体は前を目指した。何故だか逃げる事を選択しなかった。それが最善であるはずなのにそうしなかった。
左手の熱が濃くなる。熱くって、怖くって! 進む、足を、先に、


「ライトニングクラウド」


ワルドが呟いて、杖を振り下ろした。
部屋の冷たい空気はパチパチと音を鳴らし始めて、ばちん! 弾けた。
青白い電流はルイズへと伸びて行き───、

ああ、これは何だろうか。
ルイズは剣を振っていた途中であった。
肩に自分よりも背の高いデルフリンガーを振りかぶった。途中で部屋中の空気が鳴り始めて、そのことに疑問すら感じないで。
斬る。倒す。
頭にあるのはこれだけだから、目の前を真っ白に染めるその電撃が放たれたその瞬間も、とにかく剣を振った。ぴゃん。風をも切り裂くその速度。

ふと。


「は、なん……だと……?」


電撃はその姿をかき消された。ルイズの剣の一振りで。
ルイズは、魔法を斬ったのだ。
ワルドに隙が出来ていた。だけど結局隙があろうがなかろうが、


「ッはいだらああぁあああ!!」


猪突猛進なのだ。何も考えてはいないのだ。
ルイズにその現象を不思議と思うような思考リソースはない。


「なるほどこうかい娘っ子! これが俺の本当の姿かい!」


呆けたようなワルドに肉薄。もともと狭い室内、四歩先にたどり着いて、輝き綺麗になっていくデルフリンガーを無視しながら無茶苦茶に振った。
一振り目でワルドの身体を薄く裂いて、ワルドは舌打ちしながら横に飛ぶ。
二振り目の追撃。ギリギリで剣が届く範囲にあった左手を斬り飛ばした。手元に残る、肉と骨を断ち切った感触。くるくる血を零しながら飛んでいくワルドの腕は、ベッドの上へと着地した。
更に追撃。勝てる。勝てる。今しかない。早くこの剣を突き立てて───、


「がッ、こ、のぉ!」


ワルドの杖が青白く光った。
さっきも見た現象。ウェールズが刺される前も、そうやって光っていた。
防御?
そんなもの今のルイズには考えられないのだ。その身を動かすのはただの恐怖心なのだ。やらなきゃやられる。この思考回路では防御のことなんか考えられなくって。

不用意に接近したルイズのわき腹をワルドのエア・ニードルが通り過ぎた。ごっそりと肉を削ぎとられて血がぴゅっぴゅと飛び出るも、痛みは彼方へとぶっ飛んで行ってしまっている。
きゃあああ! 絶叫しながら、しかしルイズを動かすガンダールヴのせいで、正確に腰からナイフを抜き放ち、ワルドの肩口へと突き立てた。

やった!
やったやった!
抜いて、刺す! 抜いて、刺す! 抜いて───、


「いッ───てえ! ちくしょう!!」


毒を吐いたワルドの膝が、ルイズのわき腹を襲った。自身の体から聞こえるボキリという異音に首をかしげながら。
折れた? 折れた。ごほり。無意識に咳が出た。
一瞬体が言う事を聞かなくなって、二、三歩後ずさり。
すると。


「オラァ!」


二発目の蹴りはお腹のちょっと上、鳩尾に入った。ワルドのつま先が、最早入ったというよりも沈み込んだ。そう表すのが正解なほどに深く。
痛くない。小柄なルイズは壁際へと吹き飛ばされながらそう考えて、ちょうどよく窓があった。ああ、なんか空きれい。剣は?「娘っ子!」デルフリンガーがない。「娘っ子! しっかりしろ! 俺を掴め!」落しちゃった。


「ウィンドブレイク!」


ワルドは杖の切っ先をこっちに向けてて、一度優しい風が通り過ぎて。

どごん!
ルイズは壁に沈み込む勢いで、痛い。全身から、なんだか急に痛みが噴出して来た。


「ウィンドッ、ブレイク!」


どごん!
烈風にもう一度襲われて、全身を壁へと強かに打ちつけ、意識が飛んで行ってしまいそう。今度はまた痛くなくなってきた。「掴め!」代わりに寒い。冷たい。助けて。「俺を掴め! 娘っ子ぉ!」


「ウィンドォ! ブレイクゥ!!」


どがん!
衝撃と共にルイズの背中の壁は何処かへと吹き飛んでいった。そうだ、窓が見えたから、外に落ちていったんだ。
外が見える。空が見える。青くて、青くて。落ちそうだと思った。下にじゃなくて、空に。空色の。青いのが、あの青いの───、


「ウィンドォオオ───」


大穴が開いた壁。
外が見えて、戦争が見える。もう王様達は戦いに出たのかな。もうすぐそこに敵が来ている。見える。外が見える。ああ見えている、その蒼い姿、高速で迫る竜。
その背中に立って、杖をこっちに向けてて、


「きゅるきゅる、けぇへへへ……」


なんだか笑いが出てきた。

───フレイムボール。

空から聞こえた声。
床に仰向けに倒れたルイズの目の前を通っていく炎球。それは魔法を放つ瞬間のワルドに直撃した。どぉん! と爆音が部屋を揺らし、炎は姿を変えて渦を巻き、そして消え去った。
倒れるワルドは動く様子はなく、ようやくになって安心感。

終わったんだ。





外のほうから戦争の雄たけびと、シルフィードが風を切る音。シルフィードの顔面が、ズタボロになったルイズの真横に着地した。同時にキュルケが華麗に降りてきてきゃ、と小さな悲鳴。


「なにこの地獄絵図! タバサ!」


こっちの心配もしてくれ。ルイズはピクリとも動かない身体でなんとか声を上げようとしたが、どうにも無理のようである。
キュルケは取り出した水の薬をばっしゃばっしゃとタバサにふりかけ、血が止まったのを見てようやく一息ついたようである。ルイズのほうにタバサを抱えながら歩いてきて、


「大丈夫?」


もうむり。ほんとしんじゃう。


「ほら、あとちょっとしか残ってないけど、何にも無いよりもマシでしょう? そのままだとほんとに死んじゃうわよ」


いやもうとにかく身体が動かないのだ。
キュルケもそれを察したのか、動かないルイズの服をびりびりと破り始めた。


「───! んあ、あふん」

「変な声出さないで。わき腹、血がひどいわ。ああ気持ち悪い。とにかくここ塞いで、近くの街に行きましょう。戦時中だからぼられるわよ、覚悟しときなさい」


いたずらっぽく笑うキュルケは相変わらず美人だった。美人だったが、


「あ、あんら、まうげ」

「うん?」

「まゆれぇ」

「あ?」

「まゆ、あふ、いたた、まゆ、まゆふふふいたた」

「ああ? なに言っているの?」

「まゆげぇ、まゆげぇ……」


ルイズは眉毛眉毛言いながら意識を失いかけて、肝心要のことを忘れている事に気がついた。
そう、ウェールズである。生きているのなら、どうにかして生かさねばなるまい。それが例え無駄だったとしても、生かさねばならないのだ。

そして。


「……満身創痍たァそういうこと言うンだろォな」


上空からもう一人。
品の無い話し方。姿が見えて、いつでも白いその姿。太陽光を背負っていて顔がはっきり見えないけれど、間違いない。間違いようが無い。それはルイズの使い魔。ルイズだけの使い魔、一方通行なのだ。
嬉しかった。ただ嬉しかった。同時にワルドが言ってた事が思い出されて微妙な気持ちになった。ここに来てくれた事は嬉しいのに、それを素直に喜べなかった。

何のために来たの?
ただ戦争があってるから、殺しに来たの?

一方通行に聞いたって、どんな言葉が返ってくるかなんて分かったもの。関係ねェとか言われるのだ。
関係ないことなんか無いのに、関係ないって言われるのだ。


「し、ろぉ……」

「……」

「わたひ、ね、こんかいね、がんばった」

「……あァ」

「だか、だがら……」


意識が徐々に落ちて行って、暗幕が下りて、ねむい。


「こうたいひの、こと……」


助けてあげて。
こんなところで死なせないで。
その誇りのままに、戦争で死なせてあげて。
口には出来なかったけれど、伝わっていると信じて。





◇◆◇





わりと一刻を争うというルイズとタバサをつれて、キュルケは先に飛んで行ってしまった。
部屋の隅に倒れこんでいる金髪が王子様らしい。キュルケがあの顔は早々忘れないと言っていたので間違いは無いだろう。
死人のように血の気がなく、どうにも死んでいるようす。
一方通行は面倒臭そうにつま先でちょいちょいとさわってみて、


「───!」


生きている。
出血がひどくて、どうしようもないところまで来てはいるが、この世界の水の薬品とかいう冗談のような効果を出すあれがあれば、恐らくだが治る。
弱弱しい体内の生体循環。このまま放って置けば死ぬ。しかしルイズは助けろと言った。

っち。
一方通行は舌打ち一つ。その部屋を出て、慌しい城内へと───行かなかった。
ルイズは助けろと言ったのだ。この男を。そして助けて、それからどうなる。
ルイズのことだ。見殺しになど出来ないと言い出すのではないだろうか。この戦争があと何日続くのか分からないけれど、身体が治ると同時に、今度は助けに行くなどとつまらない事を考えるのではないだろうか。

どくん。
いつも通りのはずの鼓動が、やけに大きく感じた。
どうなる。そうなるとどうなる。助かると、こいつはどうなる。この戦争は王党派と貴族派の戦争だ。最悪を考えれば、きっとルイズは亡命など、本当に勧めてしまう。どうなってしまうだろうか。この皇太子がトリステインなどに亡命したとなれば、それは、いったい。

どくん。

どくん。

一方通行は、ゆっくりとウェールズへと手を伸ばした。


「……水の薬ならここにあるが、どうするかね?」


倒れていたワルドからだった。
彼はうつ伏せに倒れていた身体を起こしかけ、無理だと悟ったのか、そのまま仰向けに寝転んだ。


「テメェ……」

「おっと、そう殺気立つなよ。僕は何も出来やしないさ」

「ハッ、あのガキにやられる程度の奴、警戒なンざしねェよ」


ワルドは生きていた。フレイムボールが当たる瞬間、同時にウィンドブレイクが発動したのだ。相殺した魔法は炎の渦になって消えた。ワルドはそのまま死んだ振りしていたのである。


「いたた……、化け物みたいになっちゃって。そんなに怒ることないのに。さすがに最後のほう本気出しちゃったよ」

「あァ?」

「腕を斬り飛ばされたって話さ」

「……ふん。オマエが『ワルド』?」

「ああ、始めまして、使い魔君。アクセラレータって言うんだって? 変わった名前だ。こんな格好で失礼かな」

「気にするこたァねェ。この部屋で立ってンのは俺一人だ。こっちがおかしいのかと思っちまうぜ」

「はは! ユーモアにあふれるね、君、ってぇ、いてて」


一方通行はがしがしと頭を掻き、そして、


「それで、テメエの目的は?」

「ん? ルイズだよ。殺すかい、僕を」

「……しっくりこねェンだよな、それ。なンだって俺にそれをわからせる様なことをあの女に言わせた? アイツが狙われてるってよォ」

「いやいや、そんなのフーケの独断だろう」

「そォだと思おうとしてたよ、俺も。でもよォ、それじゃさっきの『さすがに最後のほう本気出しちゃったよ』は何なンだ。確信しちまったっつの。テメェ、本気じゃなかったんだろ? 何のために? 狙われてるって何に? その情報はどこから? レコン・キスタって? ……考え出したら止まらねェな。違和感がありすぎる」

「……」


黙り込んだワルドは大したものだと小さく呟いた。
一方通行はそんな彼のほうに歩を進め、右手に持っていた水の薬を取り上げる。それをじ、と見つめながら、


「……まさかとは思うけどさァ、オマエ、アイツの為に?」

「おいおい、どこをどうやったらそういう考えに至るんだい?」

「狙われているってのは、事実なんだろォな。そりゃ分かるぜ。虚無ってのはそれだけでそういう風になっちまうモンなんだろ。そしてオマエが所属しているで“あろう”レコン・キスタってのも、虚無を狙ってンだろうな」

「……」

「オマエ、アイツに危機感を与えたな? 狙われてるっていう事実を与えたな? 多分あれだ、テメェが上に与えられた内容は『手紙』だけだろ。恐らく『レコン・キスタ』自体はアイツが虚無だってことをまだ分かってねぇ。その事実は、オマエにとって都合がよかった。レコン・キスタに所属してるオマエは、ルイズの虚無を知ってるオマエはそこで考えたってわけだ。ルイズを他に取られる訳にはいかない。けどレコン・キスタにも来て欲しい存在ではない。自分がそこから抜けるわけにも行かない。だったら……、だったら、本人が自分の身を守る以外にねェ。狙われているという事実を残して、これだけのことが先にも起こるってことを示唆して、それで敵に回ったってわけだ。小せェ頃からの知り合いってのは、面倒なモンなンだな」

「……まいったな」

「すっきりしたぜ。まさしく悪役(ヒーロー)。映画の見すぎだっつの」

「エーガ?」

「こっちじゃ舞台っつーのか」

「ははは。よく分かっているじゃないか。小さな頃から悪役に憧れてね」


一方通行は水の薬の封を開けた。小瓶にはいったそれは無色透明。いや、若干水色。


「助けるのかい?」

「……」

「気にする事はない。それはもともと死んでいるはずの人間だ。僕が殺すつもりだった」

「……アイツはなン言ってた」

「いやいやそれはもう凄い剣幕で亡命なさいませってさ。一回皇太子に向かってタメ口きいてたよ。さすがに焦ったね、あの時は」


本当は違う。一回タメ口を聞いたのは事実だけれど、ルイズは誇りを理解して、戦争で死ぬのを『あり』だと判断したのだ。
しかし、一方通行が情報を得るのは、ここだけ。ワルドの口からだけ。
それを簡単に信じてしまう。この辺りが子供で、さらに、いかにもルイズの言いそうな事ではないか、亡命。
現代の感覚で生きている一方通行は、亡命を勧められて、それを断るような『お国のトップ』はいないと考えている。当然のように生きる事に執着するものだと考えている。
だったら、それはもう。


「亡命ねェ……」

「亡命だな」

「するってェと、さすがにな、無ェよな、そりゃ」

「そういうことかな」


ごきり。
何があったのか、それは分からない。ただ異音が響いた。それだけで王子様は死んだ。ただそれだけの事だった。
一方通行は水の薬をワルドへと投げて寄越し、ワルドは受け取るために身体を起こして。


「君、僕んトコに来いよ」

「あの女にも言った。断る」

「いや、断るな」

「断るね」

「じゃあ言い方を変えよう。ルイズのところから消えてくれ」

「……くく、昔の男は引っ込んでろよ。ありゃ俺のモンだろ?」

「違うな。そういうことじゃない」


一方通行が疑問を視線に乗せてワルドへ送ると、ワルドは意外にも真剣な表情だった。
さっきまでのニヤついた顔を引っ込めて、真摯に眼差しを送ってくるのだ。
キモチワリィ。そう思うも、その視線からは逃れられないよう。


「君は彼女の隣に相応しくない。いや違うな、彼女が君の隣に相応しくないんだ。君は異質すぎる。ルイズは素直だからさ、そういうのは良くない。簡単に影響される。彼女はいい仲間に恵まれているから、君がいなくとも大丈夫だ」

「……」

「この状況で、そうまで簡単に皇太子を殺すのは、こちら側の人間の選択だ、アクセラレータ。僕はいつだって君を歓迎しよう。世界の真実を見たいのなら、僕のところへ来い」


ワルドは水の薬を一口だけ口に含み、残りを肩とルイズに斬り飛ばされた腕へと塗りつけていた。そしてそのまま何でもないように立ち上がり、彼は壁にあいた大穴から身を投げ出す。狙い済ましたように使い魔であるグリフォンが飛んできて、


「それでは、また会おう」


一方通行は特に何をするでもなく、少しだけ考え込んだ顔で、どこを見ても戦争ばかり。嫌気がさす。


「……どいつもこいつも、クソッタレばかりだ」


ポツリとこぼしたその言葉。
結局それは、自分を含めて。



[6318] 12/アルビオン編終了
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:f417fde6
Date: 2011/06/23 00:43
12/~くるかもみさか~



むう。寝言のようにルイズは呟いた。
いや、実際目は瞑っているし、ベッドの上で寝かされているもんだから、寝言のようなものかもしれないけれど、しかしルイズは起きているのだ。もうばっちり覚醒中である。
だって、だって、


「痛いわ。うん。身体が凄く痛い」


最早痛いを通り越して痺れのような感覚まで生まれ始めている。
まずい。非常にまずい気がする。もしかしたらものすごくひどい怪我をしているのかもしれない。
なぜなら相手はあのワルドだったのだ。
そう、ワルドは敵だった。


「……レコン・キスタ、だったかしら」


ワルドはそのような事を言っていた。
ルイズを物の様に、こちらに来いと行っていた。
戦っていたときの事はなんだか現実感が伴わなくって、まるで夢のようにふわふわしている。でも、確かに戦ったのだ。夢であるかを否定するように身体は痛いし、この手に残っている、人間を切った感触。
ザクリ、と野菜を切るような感覚ではなかった。もっと重くて、硬くて、後味の悪いもの。どちらかというと、『断ち切った』。ぶちん。刺したときは、ステーキにフォークを刺すときとよく似ていた。ぶちゅぶちゅ。

とたんに湧き上がる吐き気。
何とか抑えようとお腹に力を入れようとしたけれど、身体が痛くてそれも出来ない。


「おぅべろろろ~~! げほっ、うおえ! かぁーッ、ぺっ!」


ルイズは見事に寝ゲロした。ついでにベッドの脇に唾まで吐いた。


「あ~、気持ち悪い……、もう、何なのよ……」


ゲロまみれになった枕元を何とかしようと思っても、やっぱり身体は動かないので、


「誰かー、誰かいないのー? いやもう恥ずかしいけどやっちゃったものは仕方ないので片付けてこれー。自分のゲロにもらいゲロしちゃいそうよー」


がちゃりと部屋のドアが開く音がして、ふと、ここはどこなのだろうと思った。
町医者にしてはやけに部屋が豪奢で、まるで王様が住む部屋のような。

寝こけるルイズの側にやってくる人物は、


「目が覚めたのね。すぐに片付けさせます。少し待ってなさいな」

「……」


OH! アンリエッター!





◇◆◇





お姫様が用意した部屋で、ちょうど半日がすぎた。
一方通行は特に何をするでもなく空に浮かぶ双月を覗き込んで、はぁだのふぅだのとため息をついている。
その様子を見て、キュルケが恋する乙女みたいねと呟いた。


「あン?」

「女の子はね、あの双月を男女の関係みたいに捉えるの。くっついたり離れたり」

「そォかい」

「あなたとルイズは、ずっと同じ距離みたいだけどね」


一方通行は適当に返事をしながらベッドに寝転んだ。先に寝ていたタバサがむぎゅ、と苦しそうに唸る。

あの後、ルイズを適当な町医者に見せて、そのあと水のスペルで癒してもらって、そしてシルフィードでアルビオンを抜けてきた。
空で見た光景と、どうやっても入ってくる噂では、どうやら貴族派が勝利したらしい。王政は崩れたのだ。これからは貴族の、横のつながりがアルビオンを治めるのだとか。
正直、一方通行はそんなことに微塵も興味が無いのでどうでもいい。
ただ気になるのはレコン・キスタ。あのワルドが所属している組織である。聖地の奪還がどうとか。

聖地って何なの?
さあ。

ふざけるな。スカウトなら真面目にやれってンだクソッタレ。
ワルドは一方通行に来いといったが、一方通行にその気は無い。一方通行は、そういった寄り道をしている暇は無いのだ。帰る手段も見つけなければならないし、何よりも虚無。何よりもレベル6。やることが沢山ある。
沢山あるのに、ルイズは戦争に行った。
はぁ。


「っだらね」

「なにが? ていうか、タバサ潰れてるわよ」

「潰してンだよ」


子供のように言う一方通行に、キュルケがくすりと笑みをこぼした。


「それで、なにがくだらないの?」

「さァな」

「素直じゃないわね。いいから言いなさいよ。お姉さんが聞いてあげる」

「はっ、ガキがほざいてンじゃねェよ」

「だから、絶対私のほうが年上だって」

「知らねェよ」


キュルケがたまらないといった調子でケラケラ笑い、一方通行はまたもため息をついた。
思い出されるのはワルドの言葉で、ルイズの側からいなくなれといったものであった。
ちょっとまて。あいつが勝手に呼んだんだ。それなのにいなくなれとはどういうことだ。ルイズが言ったわけではないが、魔法使いは勝手がすぎるのではないだろうか。
帰る手段があるのならさっさと消えてやる。でも、それがないのだろう? だったら、こっちでやれることをやる以外に、一方通行にすることはないのだ。
ルイズが一方通行に影響される?
知った事ではない。
簡単に影響されるほど自分がない女なら、それまでの人物だっただけの事。

一方通行がそこまで考えたとき、部屋の扉が二度叩かれた。
はい、とキュルケが返事をし、一方通行の隣で寝こけるタバサの目がパチリと開く。


「やほ」


入ってきたのはルイズとアンリエッタであった。
ルイズは車椅子(本当に椅子に車がついたようなもの)に乗って、アンリエッタに押されての登場である。
そのアンリエッタは深々と頭を下げた。


「皆さん、大変なご迷惑をお掛けしました。そしてルイズ、ご苦労様。これまでのことを、話していただけますか?」





◇◆◇





ニューカッスル城。かつては名城と謳われたこの場所も、今となっては瓦礫の山。
ワルドはフーケを連れて、皇太子を殺した一室を目指した。


「旦那、旦那、休んでなくていいのかい?」

「旦那はよせ」

「じゃあ、旦那さん?」

「旦那から離れろ」

「それなら、ワルド」

「それでいい」


右を見ても左を見ても傭兵達が火事場泥棒に執心していて、ワルドはため息をついた。


「……ああいうのは嫌いかい?」

「ん? ああ、違う違う。馬鹿な奴らだと思っただけだ」

「馬鹿? 火事場泥棒は馬鹿?」

「そうじゃなくてな……、こっちに来てみろ」


ワルドが向かった先は宝物庫だった。
当然ながら、すでにそこは傭兵たちが荒らした後で、あるのは重くて持っていけなかったものや、壊れてしまってガラクタ同然のものばかり。
ワルドは髭をなでつけながら宝物この中をぐるぐると歩き回った。一歩一歩、何かを確かめるように。
銅像があって、その足元を見て。そこで確信した。


「ワルド?」

「まぁ見ていろ。たぶん、このあたりだ」


ワルドは魔法を放った。銅像が砕けて、その奥の壁も一緒に砕いて。
ガラガラと瓦礫が崩れ落ち、砂煙がはれたそこにあるのは、


「わお。さすが王様」


フーケが口笛を吹いた。
宝物庫の、その壁の先にはもう一つ部屋があった。そこには、いやもうホントのホントに金銀財宝の山があったのだ。
ワルドは事前に物事を調べてから、これで成功すると確信してからしか動かない人間である。
トリステインの王立図書館。そこには膨大な数の資料が眠っている。その中にはニューカッスル城に関する資料もあって、妙な部屋があると思っていたのだ。

ワルドはずかずかと宝物の中に足を進め、マントを脱ぎ、そこに入るだけの宝石や金を詰め込み始めた。
フーケがあっけにとられているのが見えて、にやりと笑ってみせる。


「どうした、いらないのか? 宝石だぞ」

「いや、あんた、なんだその、プライドとかそういう……」

「役に立たんプライドなど随分昔に犬に食わせた。今のプライドはその犬がひりだしたクソ程度さ」

「……は、ははは! いいね、そういうの」

「お前も持てるだけ持っておけ。金は要るぞ」

「あいよ。旦那がそういうなら、そうしようかね」

「だから旦那はよせ」

「ワルド」

「そうだ。ただのワルドだ」


ワルドとフーケはぱっつぱつになったマントを固く結び、さらにワルドなどはポケットまでもパンパンに張らせた。
フーケが笑っているのが聞こえたが、これでいいのだ。金はワルドの目的のためには沢山必要だし、あって困るものではない。他の貴族に後ろ指を指されようとも、これでいいのだ。

金目のものを大分せしめたワルドは宝物庫から出て、そこらの死体から宝石をあさっている傭兵に声をかけた。


「おい、あそこの宝物庫、まだ金目のものが残ってたぞ」

「まじかよそれまじかよ」

「ああ、まじだから行って来い」

「まじかよまじかよ」


頭の悪そうな傭兵は仲間を引き連れて宝物庫へと向かった。

さて、とワルドは一息ついて、そして上へ上へと城を上る。目指す先は天守閣。ワルドが皇太子を刺した部屋である。
階段を上るあいだ、静々とついてくるフーケがおかしくってワルドは小さく笑った。

上りついて、廊下を渡って、そして扉の壊れた部屋へと。
部屋の中はぼろぼろになっていて、壁にはなんと大穴まであいている。というかワルドが開けた穴である。
自分のした事なのによくもまぁこれだけ暴れたものだと感心した。
いや、あのときのルイズはちょっと本気で怖かったのだ。やべぇこれ殺されるんじゃねぇかと本気で思った。きゃああ! とか絶叫しながら剣を振ってくるのである。恐怖を感じない人間なんかいないだろう、あんなの。
虚無も大概だが、あのガンダールヴは余計に厄介なものだ。まさか、自分があそこまで押されるとは思わなかった。


「悔しい?」

「うん?」

「手、拳握ってるよ」

「あ、はは……なんだろうなこれは。悔しいっていうよりも……そうだな、寂しい、だな」

「婚約者だったんだろう?」

「親同士が酒の席で決めたことだ。本気になんかしちゃいない」

「愛していなかった?」

「なんだ、恥ずかしいな。そういうこと言うなよ」


ワルドはこの話は終わり、と両手を振った。その時に腕が片方しかなくって、それがなんだか笑えてきた。
ちっくしょう、腕がねえよちくしょう。腕、そうだ、俺の腕は。ワルドはベッドの上にちらりと視線を。あった。ぽとん、と寂しそうに腕が一本落ちている。
ワルドはそれを拾い上げて、


「王子一人で腕一本か」

「安い買い物じゃないか」

「どこがだ。この調子じゃ目的にたどり着く前に俺がなくなっちまうよ」

「俺」

「なんだ」

「はは、俺だって」

「いいだろう。気を遣う相手がいないんだ。俺だろうが何だろうが、俺は俺だ」

「いいね、あんた。鼻につく感じが無い。気に入ったよ」


ワルドは何となく居心地の悪さを感じて、皇太子の死体へと近づく。うん。死んでいる。
足で皇太子を仰向けにさせて、胸のあたりは真っ赤に染まっていた。うげ、結構えぐいな、と自分がやったことなのにそんな感想を漏らして、そして、その指先に光る指輪を見つけた。

指輪。恐らく、アルビオン王家に伝わるという風のルビー。


「……」


ワルドは何でもないしぐさでその指輪を抜き取り、団子のようになっているマントの中に入れた。

そして。


「おっとと、これはこれは、随分と暴れたようだね子爵」


思ったとおりのタイミングで現れた男。かけられた声。
それは三十台半ばほどの男だった。一見すると聖職者のような格好をしていて、しかしそれを払拭させる軽い雰囲気。


「どうだね、手紙は見つかったかね?」

「申し訳ありません、閣下。やはり、持っていかれたようです。何なりと罰を」

「なにを言うか、子爵。君は一人だった。一人でそこの皇太子殿を殺して見せたのだ! はは! これが君以外に出来ようか! 褒美は取らせても、罰など与えはせんよ!」

「ですが……」

「よい。手紙よりも、ウェールズのほうが重要だ。君はしっかりと仕事をこなした。誇れ」

「は……、ありがたきお言葉」


ワルドは頭を下げて、


「それで……そちらの女性は?」

「ああ、彼女は『土くれ』のフーケ。私の手伝いをしてもらいました」

「おお、では君がミス・サウスゴータ! 始めまして、私はオリヴァー・クロムウェル。まぁなんだ、今ではアルビオンの皇帝などをやっているよ」

「そうですか」

「ふむ。なんともクールな女性だな」


せめて頭でも下げたらどうだとワルドは思ったが、まぁ、正直ワルドもクロムウェルなど三流だと考えているので結局は言わずじまい。

そう、ワルドはこの男、オリヴァー・クロムウェルになど忠誠を誓ってはいない。
ワルドは自分のためにしか動かない男だ。自分がやりたいように動くのが、一番好きなのだ、ワルドは。
自分が世界の真実を知りたいと思っているから動いているのであって、こんな男のために働いているわけではない。ただ、今はここにいるだけだ。組織に入るということは、少しだけ足が遅くなったりしがらみにとらわれる事もあるが、悪いことはない。食えるものは食えるし、着る物も寝るところも用意される。

そう、レコン・キスタは、ワルドにとって、衣食住なのだ。

心の中でワルドは鼻をほじっていた。


「ふふふ、それでは見せようか、私の虚無を」

「おお、虚無ですか。すばらしい」


とか言いながら、ワルドは今夜何を食べようかと考えた。


「おはよう皇太子」

「おはよう大司教」

「すまんな、今は皇帝だ」

「失礼した、皇帝閣下」


そんな光景を見ながら、ワルドはちょっとおしっこがしたくてもじもじした。


「それでは行こうか、おともだち」

「ああ行こう」


そしてクロムウェルとウェールズが消えて、


「ワ、ワルド! アイツ、あの男は、虚無の───」

「はは! 見ろフーケ! 虹が架かったぞ!」

「きゃあ! なんっ、なにやって!」


ワルドは大穴があいた壁から立小便をかましていた。フーケが顔を両手で覆うのを見て、なかなか初心なのかな、何て思ったり。
いやいや、話が長くて困っていたのだ。まさか漏らす訳にもいかないし、ここからトイレまでいくには、自分の膀胱が信用ならない。そうなればもうね、ほら、これしかないじゃない。


「あんたっ! 仮にもここには皇帝がね! いるんだよ! 皇帝閣下が!」

「なんだフーケ、君はあんなのが怖いのか?」

「で、でもね、死者を蘇らせるなんて、あんな」

「気にするな。ありゃ小物だ」

「え?」


腰を二、三度振って雫を切った。
なにやら顔の赤いフーケに向かってもう一度。


「ありゃ小物だと言った」

「で、でも、虚無……」

「確かに。俺には虚無かどうかを確かめるすべは無い。けど、多分あいつは違うよ」

「何を根拠にそんなこと言ってんだい?」

「簡単さ。アイツからはゲロくせぇ小物臭がぷんぷんしやがる。それだけのことだ」

「い、いや、だから……っていうかアンタね! ちったぁ隠しな! 前!」

「あっはっは! あまり初心を気取るなよ! 女の子から嫌われるぜ?」


ワルドはほれほれどうだー! と自慢の息子を見せびらかし、フーケはぎゃーぎゃー言いながら部屋をぐるぐると回った。
部屋を二週三週と回って、ついにワルドはフーケから殴られた。若干涙目だったので、少しだけ悪いことをした気分になり、その涙をふき取ろうとすると、


「きたない!」

「なかなかグサッときたな」

「ち、ち、ちち、ちん! っあれ、アレ触った手で! 女の顔触るんじゃないよ!」

「なんだ君! 処女か! そんなの気にしてたら本番なんか出来ないじゃないか!」

「だまっ、黙れぇ!」

「あっはっは! 声裏返ってるよ! あっは!」


ワルドはげらげらと腹を抱えた。
フーケがその様子を見ながらはぁ、と大きくため息をつく。


「……、もう……、何でこんな男について来ちまったんだか……」

「悪いことをしたな」

「いや、別に……本気で言ってる訳じゃ」

「僕が魅力的すぎるのがいけないんだろうね。婦女子は僕を見ると大抵骨抜きだから」

「……」

「……おっと」


無言のままに拳を降らせて来るフーケのそれをワルドはひょいひょいと馬鹿にしたような動きで避けて、フーケの顔はさらに真っ赤になっていく。
単純な女だ。だからこそ使えるし、可愛げもある。
ワルドがフーケを助け出した理由は、ただ部下を作るためだけではない。ここはレコン・キスタだ。部下が欲しいといえばクロムウェルが用意してくれる。
だが、それではダメなのだ。レコン・キスタではなく、ワルドのために動いてくれる部下が欲しかった。ワルドはレコン・キスタなどに尽くす気は無い。だからこそのフーケ。だからこそのスカウト。


「フーケ」

「今度はなんだい」

「ちょっと真面目な話をする」

「……いっつもそんな顔してりゃあねぇ」

「お前の知り合いに、使える者はいるか?」

「うん? それはどういう?」

「そうだな、戦闘よりも尾行や隠密に長けた奴がいい。もちろん弱かったら話にならないから強いほうがいいが、まぁそりゃ二の次だな。あまり目立つ容姿はしていないほうがいいし、出来るだけ平民くさい奴」

「……いや、まぁ、うん、なんて言ったらいいのかねぇ……」


詰まったような言い方をするフーケにワルドは疑問を。


「いるのか?」

「いやまぁ、いるっちゃいるが、その子も、頼めば断らないだろうけど……」

「なにか問題が?」

「いやぁ、うぅん……えぇとね、うん、まぁうん、いや、うん、よし、聞くだけ聞いてみよう。そうさね、こりゃアイツの自由意志だ。あいつに決めさせるんだ。無理強いは無しで、それでもいいかい?」

「まぁ、使えるんならそれでいい。裏切りは無しだぞ」

「ああ、それは安心しとくれ。裏切りとか、そういったところまで感情が育っちゃいないよ」





◇◆◇





「そうですか……」


全てを話し終えたとき、アンリエッタは静かにそれだけを口にした。
そうですか。それだけ。
恐らくまだ理解が追いついていないのであろう。呆然とした面持ちで天井を見上げている。

ルイズは小さく姫様、と呟いた。
それはそうだ。呆然となってしまうのも無理からぬ事であろう。ルイズ達は手紙を取り返してきたが、それでもウェールズは非常に凄惨な最期を遂げてしまった。
そう、ウェールズは『ワルドに刺されて死んだ』のだ。一方通行は言っていた。自分が何かしようとしたときにはもう遅く、すでに死んだ後だと言っていたのだ。

ルイズもワルドの裏切りはショックである。
ショックというか、まだ現実感が伴っていないと言ったほうがいい。だって、魔法衛士隊の隊長が裏切るなど、これは前代未聞の事である。


「姫様」


ルイズはアンリエッタの顔をのぞきながらもう一度。


「あ、ああ、そうね。はい、本当にあなた方には迷惑と苦労をかけました。子爵の裏切りはさすがに予想外で、それで、ウェールズ様も、ああ、……死んでしまったのね、ウェールズ」

「皇太子は勇敢でした」

「ありがとう」

「あなた方には、公には出来ませんが何か褒美を取らせないといけませんね」


キュルケがぴく、と反応したのを横目で捕らえ、ルイズはじと目を送った。


「今日はこのまま休んでください。では明日、あなた方を学院へ送るついでに褒美を。このことは内密にお願いします」


アンリエッタはぺこりと頭を下げて部屋を出て行った。
すこし、なんだか、少し危ない感じがした。一国の姫ともなると脆くて繊細だから、これで壊れてしまわないかと。


「……それであなた、身体は大丈夫なの?」


キュルケが顔を覗き込んで言うものだから、ちょっとだけ恥ずかしい。


「だ、大丈夫よ。姫様が直々に魔法をかけてくれたんだから」

「そ。そりゃよかった。あんた運んでるときにさ、膝とか肩とかぷらぷらしてたからちょっと心配だったのよね」

「おかげで私はしばらく車椅子生活ですよ」

「あなた、しばらく療養に出なさいな。ゲルマニアに来る?」

「い、いやよ。何だかうるさそうじゃない」

「まぁ、そうね。トリステインよりは喧しいけど、国土は広いし、きれいな場所も沢山あるわよ」

「いいのいいの。私はシエスタに看病してもらうんだから。あーんとかしてもらうんだから。それに、シロもいるし。ね?」


ルイズは一方通行に視線を送った。
一方通行はタバサから取り上げた本を読んでいて、タバサが返して返してとじゃれ付いている。
ピク、とこめかみがひくついたが、そう、私は大人。私は大人。そしてタバサは子供。


「あァ?」

「あんた、ちゃんと私の看病してよ? たくさん怪我しちゃったし、少しのあいだ歩いちゃダメって言われたし」

「ドタバタうるせェのがなくなってすっきりすらァ」


一歩通行はタバサの首根っこを引っつかみ、そして自身の膝の上に押し付けた。
タバサももう諦めたのか、そこで大人しく。
ピクピク、とルイズのこめか(ry そう、私はおと(ry


「ふ、ふーん! そういうこと言うんだ!」

「ンだよ」

「私のこと好きなくせに! そういうこと言うんだ!」

「また妄言の類か。知らねェのかよ、寝言ッつーのはな、寝てから言うモンなンだぜ」

「あたしの後ついてきてアルビオンまで来て! そういうこと言うんだ!!」

「……?」

「な、なによ」

「あァそォか、勘違いしてンだ、オマエ」


何だか嫌な予感がした。一方通行が鼻で笑うのを見て、何だか嫌な予感しかしなかった。


「俺ァ女に会いに行ってただけだ。ちょっと、手紙で呼び出されてな」


聞いて。
それを聞いて。


「げふぁっしゅ!!」


ルイズは血を吐いて車椅子からすってんころりん落下した。



[6318] 00/おとめちっく・センチメンタリズム
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:f417fde6
Date: 2010/11/17 17:58
00/~ギーシュ・ド・グラ、グラ……、グラ、ハ……?~





その朝、彼は目覚めた。おめめパッチリ、寝起きは良い。
部屋の窓を開けて、まだ朝もやのたつ時間である事を確認。随分と早く目が覚めたようである。
ふむ。
顎に手をやり彼、ギーシュは一言。


「あえて言おう。ギンギンであると」


決して股間のナニがギンギンではなく、目がバッチリと冴えてしまったという表現のもとその言葉を発したのだ。
かぶっていたナイトキャップをベッドの上に放り、着替えを開始。
ギーシュは服にこだわりを持っている。この学院の制服は何の面白みもない。シャツに、ズボン。それだけである。
だからこそ、だからこそ! だからこそギーシュは制服を着ない! その何の面白みも無い制服に、学院に入学して三日で飽きたのだ!

これは教師、先輩、同級生全てを敵に回すのと同義であった。
シャツはオーダーメイドで仕立て、ボタンは常に上から三つまで開放。タックインなどという、シャツに対する不敬はしない。そう、ギーシュの仕立てたシャツは、裾のところに細かく、目立たないように金糸が通っているのだ。この金糸は自身の髪の毛をイメージしたもので、己の金髪に勝るものはウェールズくらいだと思っているギーシュにとって、金=ME! の勢いなのである。

きん と言えば かね だが、かね には縁が無いグラモン。であるならば、己のきんには誇りを持つ。
だからギーシュは金玉(ツインドライヴ)を磨く事にだって余念が無い。風呂に入るたびに「また始まった」と周囲の友人達は言うが、己のきんに誇りを持っているギーシュにとっては大事な事なのである! 圧縮粒子の開放に不備があっては困るではないか! トランザム! ヒャッハー!


「……馬鹿か僕は。馬鹿か僕は」


寝ぼけてとんでもない方向へとかっとんで行こうとしている思考を鎮めて、ギーシュは部屋の扉を開けた。
まだ皆寝ている時間らしく、しんと静まった廊下。いつもはこんな時間になんか起きないので、何だか知らない場所のよう。ちょっとだけ楽しくなってしまって、こりゃ二度寝をする気分は消えたなと悟った。
ふ、と小さく笑みを零して、ギーシュは散歩でもするかと寮を出た。





朝もやがうっとうしい。せっかくセットした髪の毛がしとしとになってしまった。
まじ後悔、くそ、がっでむ、と小さく呟きながらも、一度決めたことはやってしまおう、と変な意地が出てきてしまって散歩を続行。
まだようやくになって空が明るくなってきた時間だ。朝食が始まるまで、暇をもてあましてしまう。

そしてふと女子寮のほうを覗けば(完全なる無意識。女子を目で追う事はギーシュにとって最早当然。生活の一部。心臓を動かす事の次に重要な事である)、ルイズが随分と重装備で、さらに眠そうに出てくるではないか。

もちろん声をかけようと思った。ギーシュは公言している通り、今やルイズを尊敬しているのだ。そう、リスペクトしているのである。
しかしギーシュは声をかけようと上げた手を、ゆっくり下ろす。

彼女は今までゼロ、ゼロと言われてきた。いや、ギーシュが言っていた。ギーシュはルイズのことを無能だと、自分よりも下に見ていた。だって、ホントに無能だったのだ、ルイズは!
女の子をそんな目では見たくないのも事実。だけれど、『魔法が使えない』。これはいけない。これはもう、貴族ではないではないか。
だからギーシュはマリコルヌと一緒になってルイズをこき下ろしてきた。

『いくらゼロだからって胸まで消してしまうとは何事だい?』

恐らく、自分が言ってきた暴言の中で一番ひどいのはこれであろう。
もちろん忘れるなんてそんなことはない。
いま改めて考えると、なんてひどいことをしたのだろうと思う。だからこそ、ギーシュはいままでの事をルイズに謝った事はない。ごめんなさいだけで済ませてしまうなんて、なんだか、変な言い方をすれば、『もったいない』。

一方通行との決闘(と、ギーシュは思っている)。
そこで感じた優しさ。鼻がもげるかと思ったけど、感じた優しさ。
何をする! 叫ぼうとしたときに、それが『救いの蹴り』だと分かったのだ。

ちくしょう。ギーシュは思った。
この僕を、救いやがった! いままで暴言製造機だったこの僕を!

断言する。
自分だったら、いい気味だと思う。やられて、死ねばいいとか、骨折れろとか、地味に禿げろとか、そんな事を思う。だっていうのにあの『ゼロ』は、この僕を救いやがった!
ちくしょう惚れた。惚れちまったぜちくしょう。これがまさしくあえて言おう! ギンギンであると! ちくしょう!

ここでもう一つ、あえて言わせてもらおうか。
僕は、ギーシュは、ルイズに惚れているのである。これまた厄介で、こちらを振り向いてくれる可能性は、無い! 無いんだよちくしょうちくしょう! これこそまさに彼女を貶めるときに使った『ゼロ』だってかちくしょう!

そう。ギーシュは分かっているのである。彼女がギーシュを好きになる事は、無い。
けれど、それでいいのだ。ギーシュはそれでいいと思ったのだ。
もちろん考えた。ベッドの中で自分の女の趣味について再考した。

好きってなんだろう?
思春期か恥ずかしい。

愛ってなんだろう。
倦怠期か恥ずかしい。

結論。
うん。僕が好きならそれでいいのでは?

その瞬間、ギーシュは漢になった。もともと深く考える事をしないギーシュ。その答えは簡単だったけれど、とても大きいものだった。だって、その考えはまさに、忠に生きるものの考え。忠義、尽くす。見返りを求めず、ただそれのために。

もちろん本人はそんなことには気がついていない。けれど、ギーシュは何となく貴族の階段を二、三歩飛ばしで上ってしまったのだ。
ギーシュはルイズが「許す」と言うまで背中を追い続けるつもりである。「もういい」と言うまで構うつもりである。「うざい」と言われたって気にしないのである。「ドラゴォオン!」くらったってなんだって、ルイズを追いかけるつもりである。

だから、宙をさまよった右手は降りた。
ルイズのその瞳は少しだけ悲しげだったけれど、何か決意をしている瞳だった。遠目にだが、日ごろ女の子の観察に余念が無いギーシュにはわかるのである。

ルイズはグリフォンで颯爽と現れた人物と一緒に、外へと出てしまった。一瞬だけ身体に影がかかり、上を見上げれば青い竜。

迷い?
あるわけないだろう。
ギーシュは急いで馬を用意して、その後を追った。
相手はグリフォン。相手はシルフィード。馬では追いつけない。グリフォンは足が速い。たまに空も飛ぶ。
けれどもギーシュは『土』のドット。じろじろと道を観察し、足跡を追った。変なところでスキルが高かった。
分かれ道のたびに止められる馬は迷惑そうな顔をしていたけれど、僕の愛のためにも頼むと懇願すると、よだれだらけの舌でベロリとギーシュの顔を舐め上げた。
進めや進め。
そう、これは愛だ! 愛しているぞ、ルイズゥゥゥウウウ!!





◇◆◇





死体を見つけた。
え、ちょ、なにこれ、え? ルイズ殺した? これ、ルイズ達がやったの?

グラモン家は軍人家系である。父は元帥。兄も軍人。隊で指揮を執っている。
それはもう、人の死になどは慣れっこだろう。友が死ぬこともあろう。部下の死などざらであろう。

けれど、目の前のリアル。
胸に穴が開いていたり、剣がぽきぽきぽっきー折れていたり、身体の前後が逆転していたり。もうこれは人間の仕業ではない気がした。
うん。死んでる。間違いなく死んでいる。あぁ……死んじゃってるよ。
その死体を呆然と見ていて、ギーシュは気がついた。メイジではない。道を塞ぐように盛り上がっている土山。この『感じ』は、メイジではない。
ギーシュは『土』のメイジである。またしても変なスキルが発動。
だって、道を塞ぐためにこの山を作ったとするならば、こんな不細工な土山にはならない。もう少しスマートに作り上げる。
これは美的観点とかそういう意味じゃなくて、無駄を省くと言う事。ドットのギーシュでさえももうちょっとマシな遮蔽物を作り上げることが出来る。
そういう訳で、これはメイジの仕業ではなくって、だって、この程度の山しか作れないメイジだったら、この死体たちに殺されてるはずで、だから、うん、これ、メイジじゃない。


「……にしても、もうちょっとこう、穏やかに殺す事は出来ないものなのかね? いやおかしいな。穏やかに、話し合いとか、そういう事は考えてもよさそうなものだけどね」


はぁ、とギーシュはため息をつきながら杖を振った。
傭兵の死体はワルキューレに運ばれて、脇の林の中へ。土を操作。人数分の穴を作り、その中に一人一人丁寧に入れていった。


「なんで僕が見ず知らずの平民の墓を作らなきゃならないんだ、まったく」


ぶつぶつと文句を言いながらも、その瞳は真剣だった。
軍人家系。死者に対する礼は、これでもかと躾けられている。それが平民であっても同様に。
ギーシュは錬金した青銅に『ナナシⅠ』『ナナシⅡ』『ナナシⅢ』……と加え、それぞれ埋めた場所に突立てた。
その後、一礼。黙祷。特に何か考えたわけではなく、こういうものだと父から教わった。
顔を上げて手近な『ナナシ』にぽん、と手を置き、


「アーメン ツケメン 僕イケメン、ってね。知ってるかい? いまトリスタニアで馬鹿ウケのギャグさ。僕には神に喧嘩売ってるとしか思えないよ。あの芸人も近いうちそっちに行くんじゃないかな。ほら、敬虔な信者から見るなら、そういう対象だろう? 知らないならそっちで見せてもらうといいさ」


馬の背に颯爽と乗り、あぁ忘れてた、と。


「ここまでしてやったんだ、生まれ変わったら美少女になってくれよ? 僕が声をかけたら一も二もなく付いて来てくれ。そのくらいの役得あってもいいって、そう思わないかい?」





◇◆◇





ラ・ロシェール。
どうやらルイズ達は戦場へと行くらしい。だってこの町、アルビオンに行く以外に来る意味がない。
なんだってアルビオンくんだりまで旅行しなきゃならんのだ。今は戦時中なのに、そこに何の用があるというのか。
少しだけ考え込んで、同時に心がちくりと痛んだ。

ルイズは、キュルケとタバサを連れている。
そこにギーシュは居ない。当たり前である。なんと言ってもここに居るから。
自分に声がかかるなんて、そんなうぬぼれは無いけれど、それでも一緒に行きたかった。あなたも一緒に来なさい、と行って欲しかった。
いや、大それたことを言っているのは理解している。簡単だ。嫉妬しているのである。タバサに、キュルケに。

ギーシュは、皆がフーケに立ち向かっているときも、一歩踏み出せずに居た。
元来目立ちたがり屋だが、あそこにはひっじょぉぉぉおおおおおおおおおに現実的な死があった。
ギーシュは寮の出入り口まで来ていたのだ。当たり前であろう。あの時の馬鹿でかいゴーレム、その足元にはルイズが居たのだ。助けに行きたい。行きたいのに、足が動かない。
情けなかった。悔しかった。涙は根性で止めたけど、夜、寝ているときにいつの間にか泣いていた。

はぁ。
またしてもため息をついてギーシュは手ごろな宿に泊まった。
自分は何をやっているんだろう。そんな思いが、ちょっとだけ出始めていた。





◇◆◇





轟音。
びくっ、と布団を跳ね上げながらの起床である。何事?
ギーシュは窓を開け放ち、ラ・ロシェールの町並みを一目見ようと、


「……夢じゃない」


頬っぺたをつねってみたが、この痛みは間違いなく現実である。
ゴーレムが居た。あの馬鹿でかいゴーレム。ギーシュに一歩を踏み出させなかったゴーレム。そしてそれに追われて、キュルケ。


「夢じゃないなら、なにかの冗談……というわけではないようだから、と言う事はこれは本当で、本気で……、───なんで魔法を使わないんだ、キュルケ!」


使わないのではなく、使えないのだ。キュルケの精神力は底をついていた。

その時、ギーシュはまたも足が動かなかった。
何度足を叩いても、何度頬を張ろうとも。

夢でも冗談でもなくキュルケが追われている。当たり前だが、三十メイルのゴーレムと人間の歩幅はそりゃもう全然違う。
ゴーレムの動作が遅いということを知っていても、ありゃ当然追いつかれる。フーケのほうを見れば、なんだか青筋たてまくってて鬼の形相。ギーシュをしてあの女怖いと思わせるその顔。般若も裸足で逃げていく。

助けなきゃ。そう思う。そう思っている。
キュルケはルイズと最近仲がいいようだし、そうなれば彼女はルイズの友達と言う事で、それは、ギーシュの守る範囲に入っているのではないだろうか。


「なんでっ、なんで動かない、僕! 足が言う事をきかない! 恥知らず! 僕は、ルイズに、今まで、何をしてきた!」


暴言を吐きまくった。お家に連絡されたらグラモン取り潰しくらいの勢いで。


「恥ずかしい! 愛の伝道師ギーシュ・ド・グラモン! 動け!」


これは、彼は、大真面目に言っているのだ。
開け放たれた窓に向かって。自分の足をぽかぽかと殴りながら、じわりとその瞳に涙を溜めながら。


「やるぞ! 足が動かないってんなら、僕には! 手があるじゃないかぁあ!!」


ギーシュは杖を抜いた。
相変わらず足は動かなかった。だから手で、腕でその窓から飛び降りた。同時にフライ。
着地は見事に失敗だった。顔面から地面に落ちて、みっともなく鼻血を出した。
ずるずるとそれを啜って、その時にはキュルケとゴーレムは遠くのほうへ。
ギーシュは目いっぱい息を吸って、そして叫んだ。


「ヴェルダンデェエエ!!」


ぼくり。
地面から顔を出したのはギーシュの使い魔、ヴェルダンデ。ジャイアントモールの彼(?)はヒクヒクと鼻を動かした。


「みっともないと僕を笑うかい?」


モグラはつぶらな瞳をギーシュに向けてくるだけであった。


「だけど、みっともなくっていいんだ、僕は。……いや、本音を言えば格好よくありたいよ? でもね、ここはそういうことを言っている場合じゃないらしい。分かるだろう、ヴェルダンデ。さぁ、僕を連れて───」


言い終わる前に、ギーシュは穴に引きずり込まれた。
その穴の中は当然、光がない。魔法で光を作ることも可能だが、ジャイアントモールは強い光を嫌う。余計な精神力も使いたくない。このまま暗闇を進むのが一番なのである。

そして覚醒を始めるギーシュのセンス。才能。使う場所がやけに限定されるその能力! 土! ギーシュは土だけで像を作るほどのセンスを持っている!
そもそもがグラモン家の末っ子。どいつもこいつも年がら年中『土』を操り、『土』と共に生き、『土』と共に育んできた家柄! 魔法を使えるという貴族! 当然ながらギーシュに至るまで平民の血は流れていない! 濃く! その濃度! 『土』を操るというスペシャリズム! アビリティ! シックスセンシズ! そして乙女座の彼にこそ感じることの出来る! センチメンタリズム!

ずしん。

ゴーレムの足音。

ずしん!

ゴーレムの、足音!

ギーシュの頭の中には、その図が鮮明に浮かんだ。追われるキュルケの図さえも、刻明に。
何も見えない空間というのが幸いだったのかもしれない。目には頼らない。ただ、土、砂、石、岩。その全てが伝える。

そうか、ここはラ・ロシェール。山を切って、そして作った町。石が多いのか。ヴェルダンデ、硬いだろうが、頑張ってくれ。


「わる、きゅーれ」


もちろん真っ暗である。
けれどもギーシュには、ギーシュの瞑った瞼の奥。その瞳には、見えていた。
建築物。逃げ惑う人達。
その中に、三体のワルキューレ。


「いってくれ」


自分の足が動かないなら、魔法で作った足を動かす。
地上のワルキューレを操作。ワルキューレには、攻撃力なんてほとんど無い。だから───!


「投げろ投げろ投げろ! ああ! 違うそっちじゃない! うわ、ああすまんそこの平民! そうじゃないんだ! わざとじゃないそんなに怒らないでくれ! よせ! 止めろ! そんな事をしたらキュルケが危ないだろう! ほら! ほらほら! 僕の愛を邪魔するんじゃない! 投げろ! とにかく投げろ! 注意を引くんだ! 何でもいいから! よし! そうだいいぞワルキューレ! それを操っている僕! カッコいいじゃないか僕! これは近年稀に見るカッコよさじゃないか! いけるぞギーシュ・ド・グラモン! 愛の伝道師ギーシュ・ド・グラモン! カッコいい! すばらしい! このセンス! ギーシュ・ド・グラモォォオオオン!!」


ギーシュのその攻撃は、確かにフーケの邪魔をした。
フーケ自身は町を壊したので平民達が怒って物を投げつけているのだろう、程度にしか考えていなかったが、平民にはそんな蛮勇は居ない。全て、ギーシュがやったのだ。
地中で叫びながら、ミミズのように、モグラのように。みっともない。それがどうした。だって僕、いま輝いてる!


「あえて言わせてもらおうか! これが、ギーシュ・ド・グラ、げほ、げぇっほ! はむぅ……土を飲んでしまった」


そして、町を二週。そう、町を二週だ。
いくら狭い町と言っても、人間とゴーレムの追いかけっこ。町二週は、ゴーレムが勝つはずであった。
だけれど、ほんのちょっとの時間。ほんのちょっとの隙。それを稼いだのは何を隠そう、ギーシュ・ド・グラハムだったのである。

精神力を限界まで使って、使い切って、何故だか地上にゴーレムの気配が消えて、ギーシュはゆっくりと意識を失った。
確かに一歩。いや、その一歩は手だったけど、それでも一歩、彼は前に進んだのだ。



[6318] 00/11072・レディオノイズ
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:f417fde6
Date: 2010/11/24 12:54
00/~11072・レディオノイズ~





その時何があったのかは分からない。
ただ、とても寂しくなった。いつもみんなでおしゃべりをしていた。
『感情』の発達を見せた一部の固体が、『上条当麻』にどうやら恋をしたらしく、いつもいつもその話題で持ちきりだった。


れでぃおのいずちゃんねる
新・ミサカは上条当麻をどう思うのか

1 :ナナーシ10032号さん:20**/8/21(*)
  あの人はどう考えても馬鹿としか思えません
  とミサカ10032号は思うのです。

2 :ナナーシ10048号さん:20**/8/21(*)
  >>1乙。そんな>>1には上条さんくんかくんかする権利を与える
  とミサカ10048号は軽い嫉妬を覚えながら呟きます。

3 :ナナーシ10112号さん:20**/8/21(*)
  みんなミサカなのにキャラ付けのためにミサカミサカと安易に発言するのはどうだろうか
  とミサカは苦言を呈します。

4 :ナナーシ11072号さん:20**/8/21(*)
  >>3はスルー推奨。下手にかまうと前スレの二の舞
  とミサカは以前あった災厄に震えながらスルーを推奨します。

5 :ナナーシ12476号さん:20**/8/21(*)
  ちょww >>4ww いいオナニーwwwwww

6 :ナナーシ14998号さん:20**/8/21(*)
  なんと言う個性ww   

7 :ナナーシ10061号さん:20**/8/21(*)
  ナンバリングで馬鹿にされている>>4はあの上条当麻並みの不幸をしょっていると思うのだが、どうか?
  とミサカ10061号は哀れみをこめて書き込みます。

8 :ナナーシ18503号さん:20**/8/21(*)
  まぁ、正直なところ上条当麻のことは語りつくした感がある。たしかに>>1乙だが、これいじょう彼の何を語ると言うのか
  とミサカはミサカはミサカはミサミサミサ

9 :ナナーシ10132号さん:20**/8/21(*)
  どうしたw

10 :ラストオーダー:20**/8/21(*)
  やほやほー! なに語ってるわけー、ってミサカはミサカはー?

11 :ナナーシ10032号さん:20**/8/21(*)
  でたぁぁああああああああああ!!

12 :ナナーシ11112号さん:20**/8/21(*)
  おいおいおいおい

13 :ナナーシ17302号さん:20**/8/21(*)
  いいのこれ? これいいの?

14 :ラストオーダー:20**/8/21(*)
  上条当麻はもういいからさ、一方通行について語ろうぜ。

15 :ナナーシ15849号さん:20**/8/21(*)
  なん……だと……?

16 :ナナーシ19923号さん:20**/8/21(*)
  >>14の空気の読めなさに絶望した
  
  スレ違いも甚だしい

17 :ナナーシ11072号さん:20**/8/21(*)
  ……正直語りたいと思った私は異端だろうか?

18 :ナナーシ10057号さん:20**/8/21(*)
  これだから個性持ちはッ! 戦争はいつもインテリが始めry

19 :ナナーシ10032号さん:20**/8/21(*)
  いいと思う。スレ立てといて何だが、上条当麻については>>8が言ったように語りつくされてる感が強い。

20 :ナナーシ11072号さん:20**/8/21(*)
  一方通行の事、気になっていました
  と、ミサカは恥ずかしげもなく語ります。

21 :ナナーシ10111号さん:20**/8/21(*)
  わああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ


…。

…。

…。


992 :ナナーシ11072号さん:20**/8/21(*)
   ですから私は一方通行に濃いなど!

993 :ナナーシ11111号さん:20**/8/21(*)
   そんなに照れるな。その誤変換が全てを物語っている。いや、その個性は正直羨ましいぜ
   とミサカは自分のナンバリングがぞろ目である事を密かにさらします。

994 :ナナーシ10112号さん:20**/8/21(*)
   いまさらミサカミサカいってるミサカが居る事にワロた

995 :ナナーシ15422号さん:20**/8/21(*)
   >>994粘着消えろ

996 :ナナーシ11072号さん:20**/8/21(*)
   ちょ、変な鏡が目の前にあるんだがなにこれwww
   くるくる、こっちきてr

997 :ナナーシ11399号さん:20**/8/21(*)
   妙な事言って逃げるきかwww

998 :ナナーシ10995号さん:20**/8/21(*)
   1000なら11072が一方通行でいいオナニー

999 :ナナーシ14778号さん:20**/8/21(*)
   1000なら一方通行が11072でいいオナニー

1000 :ラストオーダー:20**/8/21(*)
   1000なら一方通行と11072がらっぶらぶ!


そして目を開けると、目の前には金髪の女が立っていた。
さすがにミサカ一一〇七二号は混乱した。今の今まで他のミサカと会話をしていたのに、妙な鏡に食われて、目の前には金髪の女が居るのだ。
目を見開いて、自分が全裸であることを確認、女の耳が妙に長いことも確認、その隣に目つきの鋭い女性が居ることも確認、確認、確認。
洗脳装置(テスタメント)を用いて、言語・運動・倫理の強制入力をされたミサカの脳は、この現状をどう捉えるか。

状況把握。
結論。
戦闘開始/コンバット・オープン。

あまりに簡単な答えだった。
わけの分からない状況で、目の前には人間だか何だか分からない耳長族。そして自分は全裸。全裸。全裸である。

バヂッ!
ミサカの額から威嚇するように電撃が奔った。
それは自分に手を伸ばしてきた耳長に走り、


「きゃ!」


その程度で終わった。いくらミサカが欠陥電気でも、人一人を昏倒させる程度の力はある。
ただ、それが出来なかったのはミサカの能力に問題があるわけではなく、体調である。

ぐらり、と視界が揺れるように傾いた。
全裸なのだ、ミサカは。今の今まで、生体的な不足を補う治療を施されていたのだ。培養液につかり、その中で夢見心地でネットワーク通信していて、突然それは強制終了。体がびっくりしてしまうのは当たり前である。治療も完全には終わっていない。手術中にいきなり外に放りだされれば、誰だって死んでしまう。

ぐらぐらと揺れて、相変わらず無表情で、ミサカは意識を失った。





◇◆◇





次に目を覚ましたとき、またもや目の前に居る長耳。


「……あ、あの、おはよう」


寝ているあいだに何かされたのだろうかと身体をチェック。


「……?」


妙なことに、体調は悪くない。いや、悪くないどころか、良い。かなり良い。
おかしい。ミサカは強制的に、たったの十四日間で十四歳まで成長する。その不備がどこにも出ないわけがない。なんと言ってもミサカには一四四時間弱の稼働時間しか与えられていないのだ。
それを治すための治療で、それはいきなり終わりを告げている。体調がいい事が、おかしいのだ。


「ミサカの身体に何かしましたか?」

「あの、きゅ、急に倒れて、凄い熱が出て、死んじゃうかと思って……」

「身体に、何かしましたか?」

「あ、はい。あの、治療を……」


しかし、どこにも治療痕などは無い。見渡してもミサカの不調を治すような機材も無い。
今更死ぬことを恐れるような事はないが……、いや、今だからこそ死ぬのをおそれるようなことはない。死はミサカにとって当たり前のことなので、それは何も恐れるような事ではない。ミサカにとって、死とは今から怖くなるものなのだ。
死ぬのは怖くない。だが、おいそれと受け入れられるようなもので無いことも事実。

ミサカはらしくもなく、少しだけ焦ったような意思を見せた。
布団をぎゅっと握り、


「どういった治療を?」

「指輪を……その……」

「聞こえません。はっきりと言って下さい、とミサカは再度治療内容の説明を要求します」

「は、はい! その、指輪で、お母様からもらった指輪で治しました!」

「意味が分かりません」

「あう……」


がっくりと肩を落す長耳を見て、本当に大丈夫なのだろうかと不安が広がった。
不安?
そう、ミサカは、不安を感じたのだ。
これは非常によいことである。ミサカはまだ〇歳で、感情の発露をあまり覚えていない。これからそういったことを学習していくのである。これはぜひともネットワーク上に広めてやる必要がある。またしても新しい個性を手に入れたぞ、と。


「……?」


再度、ネットワークを───、


「───!」


繋がらない。ありえない。
地球上に居るなら、そこが完全に電波を通さない場所で無いなら、どうやってもミサカネットワークをさえぎるような事は出来ない。

ミサカはがばりと身体を起こし、窓から身を乗り出し、そして目を疑った。
森が広がっている。見渡す限りに、森が広がっているのだ。
今更ながらに混乱が押し寄せてきて、ミサカの不安は大きくなった。顔は変わらず無表情だが、額に一筋汗が流れた。


「どういうことでしょうか、とミサカは説明を要求します」

「あ、あのね、そのね……」

「どういうことかと聞いています」


ミサカはベッドから降りて、額にバチバチと紫電を奔らせながら長耳に近づき、


「ほら、そんなにいきり立つんじゃないよ。きちんと説明してやるからさ」


部屋の入り口に、目つきの鋭い女性が立っていた。





笑ってしまいそう。異世界? いやいや、……いやいやいやいや。
ミサカは呆然とした面持ちで、ベッドに浅く腰掛けた。
今の話が本当だとするならば当然、ネットワークは繋がらない。

ミサカは現実主義者である。超がつくほどの、現実主義者なのだ。上条当麻が何とかしてくれるまで、希望なんか見たことすらなかった。そもそも希望という単語に意味があるのかどうかすら疑問だった。
ただ現実を見て、それを受け入れて、そして死にに行く。
ミサカはそれだけの存在だったし、だから、だからこそいま目の前にあるミラクル・ファンタジーを現実として受け入れてしまう事に、抵抗を感じるのだ。


「……ハルケギニア、ですか」

「う、うん。それでここはね、アルビオンっていう所なの。私も外の世界の事はあまり知らないんだけど……」

「なんだアンタ、ホントに異世界から来たって言うのかい?」

「はい。私が以前居たところは日本、学園都市。これを聞いて分からないのなら、ここが言葉に出来ないほどのド田舎か、あなた方の頭がおかしいかしかありません、とミサカはサラリと侮蔑の言葉を並べます」

「残念。私はニッポン? もガクエントシ? も両方とも知らないね。そんでもって、頭もおかしくないときた。こうなっちゃ、アンタが嘘ついてるか、本当に異世界から来たか、そう思ってるんだがねぇ」

「……異世界……」


ミサカはぽつりと呟き、


「ご、ごめんね。ちゃんと帰る方法、さがすから」

「……」

「本当に、ごめんなさい……」

「耳……長い」

「あう……」


ミサカはようやくになって現実を受け入れる準備をして、目に付いた耳に手を伸ばした。
うにうにと引っ張ったり、撫でたり、揉んでみたり。あうあう、あうあう、と耳長がいちいち反応するものだから、それが何となくおかしくって、十分はそうして遊んでいた。

そしてミサカは耳から手を離し、立ち上がり、そして一礼。
ありがとうございます、とミサカは慇懃無礼に御礼をしました。


「ミサカの身体は、恐らく死に掛けていたはずです。助けてもらったことに、御礼をします。ありがとうございました」

「いいの、私が勝手に呼んじゃって……。あなたを家族と離れ離れにしちゃったわ」

「いいえ、ミサカに家族はありません」

「……え?」

「ミサカは固体番号一一〇七二の、ミサカ一一〇七二号です。ミサカには家族は居ません。ただ、同一人物と呼べる存在が九九六八人居ます」

「えと、えと……?」

「クローンという言葉をご存知ですか、とミサカは文化レベルの違いに若干困惑しながら問いかけます」

「……ごめんなさい」

「では簡単に。ミサカが居た世界には、ミサカがあと一万人ほど居る。それだけの話です」


ひう。
長耳は引きつったような声を上げて気絶した。





◇◆◇





この世界に召喚されて、早くも一ヶ月が過ぎた。
使い魔のルーンとやらは刻まれる事はなく、月が二つあることにもなれてきて、自分が住んでいるこの国が空に浮いている事にも疑問を感じることはなくなった。
生活は質素で不便が多いが、それすらもミサカにとっては輝かしいもの。いろんな経験値を取得するチャンス。
ミサカは働いた。薪を暖炉にくべるのも面白いし、森に山菜を取りに行くのもわくわくしている。
召喚主のティファニアは優しいし、ここでの生活は、悪くない。全然悪くない。

これは、ミサカの『感情』が発達していなかったからこそ受け入れられた現実かもしれない。
単純に、帰れないならばここで生活するしかないと答えを出せたことが幸いした。

ミサカはティファニアに頼まれ、森の中に木の実をとりにいくところであった。
そして、


「お? こんなところに女が居るぜ」

「ほぉ、変わった顔立ちしてるが……上玉だ」


いやらしい笑みを零しながら、


「それ以上近づくと攻撃します」


ミサカは抑揚のない声で言った。


「はは、聞いたかよ、攻撃だと」


けたけたと笑う男達を無視し、もう一度。


「それ以上近づくと攻撃します」


男達は笑うのをやめなかった。
男達の狙いは分からない。ただ、単純にナンパでもしようと思っている、はずはなかった。それぞれに武装をしているのだ。
何か噂でも聞きつけてここに来たか。単純に女を見つけて近づいてくるのか。

ミサカは、超電磁砲量産計画『妹達』は、軍事利用のための兵器である。
ハードは確かに女子中学生のそれだが、ソフトは、思考はそうではない。なにせ一方通行との戦闘を前提に生産されたのだ。
その頭の中は戦闘用の事柄でいっぱい。兵隊さん学ぶべきマニュアルが、完全に強制入力されているのだ。

男が一歩、足を踏み出してきた。

ミサカは何の容赦もせず電撃を放った。雷の槍は男の心臓を通り過ぎて、背後まで伸び、近くの木に突き刺さるようにしてその姿を消す。
男は死んだ。
二人めも同様に。
そして三人目、助けてくれと懇願する男を、ミサカは何の躊躇もなく殺した。

心が痛んだ。
これは成長の証だ。喜ばしい事である。

例えクローンでも、命がある。
上条当麻が言った事であった。それを簡単に殺してしまうとは何事だと、あの最強である一方通行に挑んだのだ。
きっと彼に見られたら、ミサカは目いっぱい殴られてしまうのだろうと思った。思ったけれど、この世界に彼は居ない。会いたい、ともあまり思わない。ミサカ一〇〇三二号だったらそう思うのだろうけど、ミサカ一一〇七二号は上条当麻に会いたいとは思わなかった。
だってこの行動は、どちらかといえば彼だ。あの人だ。

なんだか最近は、あの人のことを考えてばかり。あの人なら、一方通行ならどうしただろうと思うことばかり。
文化レベルの低いここでの生活。上条当麻の真似をして、一度はこういう賊を助けた。二度とこのような行いはしてはいけませんよと、と聖母のように微笑んで(無表情)帰したのだ。

次の日、前日の意趣返しのつもりか、仲間を連れてやってきた。
ティファニアの魔法も大人数には分が悪い。
ミサカは学習した。理想だけでは、希望だけでは、誰も救えないようである。
その日初めてミサカは人の命を奪うことが出来た。相手は一方通行ではなく、普通の人間だが、ようやく強制入力された知識を生かすことが出来た。
それ以来ミサカは、この森に害意を持って入った人間を帰していない。


「ミサカ」


考え込むように俯けていた顔を上げて、声が聞こえたほうを振り向くと、そこにマチルダが居た。
どうにも困ったような、そんな表情。


「あんたがやったのかい?」

「はい、とミサカは可愛らしく頷きます」

「……たいしたもんだ」

「……」


マチルダは杖をふり、男達を埋葬していく。


「逃がしてないだろうね?」

「ええ」

「上出来だよ、ったく。あ~あ、こりゃまぁ、なんて言えばいいのかね……」

「いつ帰ってきたのですか、とミサカは疑問を投げかけます」

「今だよ。すぐに出るけどね」

「そうですか、とミサカは少しだけ落胆します……」

「ん、可愛い奴だよ」


わっしゃわっしゃと頭を撫でつけられて、そして───、


「あんたのご友人がトリステインに召喚されたみたいだよ」


衝撃である。





◇◆◇





遠目で見た一方通行。相変わらず不遜な態度をとっていた。

目が、合った。

ドキリと心臓が跳ねた。


「え、あ、うそっ」


この世界に、ミサカを知っている人間が居るという安心感。
ミサカに関わりが深い人物、一方通行。
おい! と背中にかけられる声。
その全てがミサカを震わせた。
殺されたのに。確かにミサカ達は、一方通行に殺されたのに。

なんだか分からないけれど、この世界に来るまでみんなで話していた事が頭に浮かんだのだ。

一方通行ってさ、止めたかったのかな、この実験。
いやぁ、思えばペラペラペラペラよく喋ってたね。
わざわざ逃げないのか? なんて聞いてきたときもあったし。
あったあったw
ミサカの指、美味しかったかな?
豚肉には勝つ自信があります。
それないわwww

背中にかけられる声。必死に、必死に呼び止める声。


(うわぁ、うわぁ、とミサカはなんだか混乱しているようでミサミサミサ!)


会ってはいけない、とマチルダに言われていたからではなく、ミサカはなんだか恥ずかしくなってその場から逃げ出したのだ。





◇◆◇





そしてアルビオンでの政権戦争が終わった。
村に、久しぶりにマチルダが帰ってきたのだ。金銀財宝を山のように持って帰ってきた彼女は、これをカネにするのが面倒だと呟いた。
三人は久しぶりの再会を静かに祝い、ティファニアが眠って、そしてミサカにこの話を持ってきたのだ。


「ま、あんたじゃなくってもいいんだ、これは」

「はい」


抑揚のない声でミサカは言った。
一緒に来るか、とのことであった。
アルビオンでの戦争がおわった今、以前のようにごろつきが出ることも少なくなるだろうし、何よりここにはティファニアの『忘却』がある。
召喚主のことは、あまり心配が無さそう。


「そこそこに腕は立つし、平民に見えるし、何より杖を使わないあの攻撃、メイジにとっちゃ脅威だよ」

「ですがミサカは空も飛べませんし、電気を操る以外の事となるとお姉様にも遠く及びません、とミサカは冷静に自己分析をします」

「お姉様ってのがどれほどの奴かは知らないが、あんただって十分使えるさ」

「……マチルダ姉さんは、ミサカに来て欲しいですか?」


マチルダはゆっくりと首を振った。
そして、違うよ、と微笑みながら言う。


「いいかい、ミサカ。誰に何を言われたって、自分の事は自分で決めるんだ。私はあんたがアクセラレータに会いに行きたいって言ったときだって」

「一方通行です」

「……そう、その一方通行に会いに行きたいって言ったときだって、止めはしたけどさ、会いにいったって、怒らなかったよ」

「……」


ミサカは『自分で決める』という事になれていない。
実際に戦ったわけではないが、一方通行との戦闘ではもちろん命令の通りだったし、ここに召喚されて、ティファニアが一緒に住もうといったからここに居て。
自分の意見を通したのは、一方通行を一目みたいと言ったときだけ。
まだ生まれて間もない身体。意思。幼い心。なにか先を示す『親』の存在を望むのは当たり前だった。


「ミサカ、あんたはどうしたい? 一緒に来る? それともここに残る? 旅に出たっていいよ。一方通行に会いにいってもいい。私は反対するけどね」

「ミサカは……」

「自分で決めるんだ。私ばっかりを悪役にすんじゃないよ」


一度だけ俯いて、『自分の考え』をまとめて。
ここにはミサカネットワークはない。完全孤立のミサカ一一〇七二号しか居ないのだ。
けれど、それこそが個性を得る最大のチャンス。ネットワークに依存するミサカではなく、ただのミサカとして。


「ミサカは、マチルダ姉さんについていきます。ティファニアには一緒に怒られましょう、とミサカはこっそり道連れを希望します」

「はは、いいよ。こき使うからね、覚悟おし」

「イエス・マム、とミサカは───」

「はいはい。ほら、寝るよ」



[6318] 13
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:f417fde6
Date: 2011/06/23 00:44
13/~女子力-JOSHIRYOKU~





 その日はやけに月が印象的だった。赤と蒼の双月は各々輝き、暗い空を淡く照らす。雲にグラデーションが出来るのがなんとも美しい。
 城からの帰り、心臓の付近に嫌な感触が残っているものだから、この光景は彼女の心を潤わせた。
 竜の背に乗る彼女、タバサはぶる、と一度だけ身震いし、風に流れる外套を手繰り寄せる。いくら春だと言っても、さすがに夜、しかも上空の空気は冷たい。祈るように両手を擦り合わせた。
 すると、タバサを背に乗せる使い魔は一度ぐるりと回転して、楽しそうな声を上げる。


「もうちょっとなのね」


 使い魔がそう言って、まぁ、人前ではないから喋るのはよしとして。
 シルフィードは韻竜と呼ばれる種族であり、知能指数がそこらの竜とは違う。当然、いまこうして話しているように、人間の言語を使う事も出来るし、精霊魔法を使って人間に化ける事だって可能。
 ただ、韻竜はすでに絶滅したとされる種族。存在がばれてしまうと、研究に使われてしまう可能性も高い。だからタバサは普段、シルフィードに言葉を話さないように、と深く念を押していた。……深く、念を押しているのだが、


「見えたのね、学院! ただいま。ただいま?」

「そう。ただいま」

「きゅい、ただいま、るーるる」


 どうにもシルフィードはまだ子供のようで、人間でいうと、十歳。らしい。韻竜に関する書籍など、普通の本屋に売ってあるはずはなく、タバサは図書室で本を探すとき、ついでに韻竜の事が書かれている本も棚から抜き取る。生体に関してなど、本によって書いてあることがばらばらな事も少なくない。そういうギャップもタバサは楽しんでいた。
 
 
「お姉さまお姉さま、今日は月がとってもきれい。もう少し飛んでもいい?」


 タバサは少しだけ考えて、


「かまわない」


 今夜の月光は、タバサも中々綺麗だと思う。まるで独り占めしたような、ほんの少しだけ得した気分。
 ぼんやりと夜空を眺めて、きらり、と星が流れた。


「あ」

「おー」


 月と重なるように流れたそれは、


「……」

「お姉さま、あれはあれなの、あれなのね」

「喋っちゃだめ」


 髪を、服を、ばたばたとなびかせて、彼は落ちてきた。本当に、ただ落ちてくるのだ。両腕を大きく広げて、こちらに背を向けて。まるで舞台から飛び降りる役者のようだとタバサは思った。そこにあるのが一番自然で、月から落ちてきたようなその光景。白い髪の毛は月光を反射して赤色にも蒼色にも輝く。
 依然、こちらに気がついたような挙動はない。まっすぐ、まっすぐ落ちてくる。ぶつかるかも知れない。そう思ったときにはすでにシルフィードが動いていて、衝突コースはもちろん避けた。
 
 ごうッ───。

 風を切る音。一瞬の交差。すれ違いのその瞬間。
 薄く開いた彼の双眸は、背筋を凍らせるほどに美しかった。





「……ンだよ」


 着地後、タバサがその姿を追うと、彼、一方通行は不機嫌そうに(恥ずかしそうに?)眉根を寄せた。どうにも月光浴をしていたのを見られたのがおきに召さなかったらしい。
 そんな子供のような反応に、タバサは口の端が持ち上がりそうになってしまい、根性で無表情を貫く。気性の荒い一方通行を怒らせるのは避けたい。
 

「なにをしていたの」


 聞くと、一方通行は余計にしわを寄せて、


「べつに」


 最近、ハルケギニアでも蔓延している現代っ子発言。子供達にやる気がなく、何を聞いても「べつに」。大変な社会問題である。
 そしてタバサも、心中はどうあろうが、そう、と短く返した。
 タバサは一方通行の事が嫌いではない。何か一本、軸が通っているような、そんな生き方をしている人間だと思っている。発言は高慢、行動は傲慢。だけれど、それを不自然だと感じさせない強さが、一方通行にはある。我侭がどうした。自分勝手で何が悪い。そんな、ある種の開き直りが彼の数少ない人間的魅力だと感じている。

 ぼんやりと突っ立っているタバサを、一方通行は興味無さ気に一瞥し、そして歩き出した。寮の方向ではない。はてさてどこへ行くのかと。なんとなく、そう、なんとなく、タバサは背中を追った。
 タバサは、吸血鬼を殺して帰ってきたところだった。深くは語らないが、とりあえず殺して、そして帰ってきた。生き残ったのだ。残るのはムラサキヨモギの苦味と、心臓の付近に存在感を漂わせるムカムカやモヤモヤ。
 この、彼の後を付いて行くのは、そういうものがあるからなのだろうな、と冷静に自己判断。
 一方通行が顔だけをタバサに向けて、


「……ンだよ」

「べつに」

「あァ?」

「べつに」


 っち。聞こえる舌打ちは、実によく彼の心情を表していた。
 男と女と竜。三人(?)で星を見上げながらぐるりと学院を一周して、そして一方通行が広場で座りこんだ。以前ギーシュやルイズと大立ち回りを演じたこの場所。いまだに芝がめくれてしまっているところがちらほら。
 タバサは一方通行の隣に、スカートを尻に巻き込んで、静々と座りこんだ。シルフィードが気を利かせて背もたれになってくれる。うむ。なかなか良い使い魔である。 


「……」

「……」


 雲の合間に見える星が、きらきらと輝いていた。
 そしてふと、一方通行が何かに気付いたように鼻を鳴らす。すん、すん、と。


「風呂、行って来い」

「くさい?」

「くっせェな。蛋白質。肉が焼けて、髪の毛が焦げる、独特の臭いだ」

「……」

「殺したろ、オマエ」


 城から一分一秒でも早く離れたくて、風呂にも入らずに帰ってきたのが良くなかったようだ。こうまで敏感か。
 タバサは一方通行の瞳に剣呑な輝きが宿るのに気がついて、ふるふると首を振った。


「吸血鬼」

「あン?」

「吸血鬼退治の仕事」

「……あァ、ンなモンも居るわけ。さっすが、ファンタジーしてンのな」


 ふん、と鼻で笑う一方通行は、またも星を眺めた。
 言えば、初めから気が付いていたことなのだが、どうにも様子がおかしい。というか普通、この時間はみんな眠っているはずの時間である。空で遭遇すること自体が驚きなのに、部屋にも帰らずに、こうしてタバサが付いて来ても姿を消さずに、一方通行は一体何をやっているのだろう。
 タバサは疑問を表情に出さず、ただ一方通行の横顔を眺めた。無表情に、そのどんぐり型の瞳を開いて。
 何かを期待していたわけではないが、一方通行が横目でこちらを捕らえると、なんだか落ち着かない。この不思議な空気と空間がなければ、もしかしたら顔が赤くなっていたかもしれない。

 
「どうかしたの」


 タバサが聞くと、


「あァ。皇太子、俺が殺したンだよな」


 一方通行の視線の先。星は、変わらずきらきらと輝いた。





◇◆◇





 はぁ、はぁ、と少しだけ荒い息遣い。階段が長い。教室が遠い。
 ルイズは杖をついていた。どうにも足の具合がよろしくなくて、完治までもう少しかかるとの事。その間は無理をせずに杖を突くように言われたので、仕方無しに松葉杖をついている。ようやく医務室の暇空間から開放されたものだから、杖をついてでも授業に出たい。


「足の、ありがたさが、わかるって、もんよねっ」


 こつん、こつん、と杖が階段を叩く。
 誰か手伝ってとも言えず、ど根性で階段を上っているわけだが、これがまた辛いもの。普通だったらこういう時、魔法を使って飛んでいくのだろうが、ルイズは魔法が使えない。
 そして使い魔である彼、一方通行がルイズの手を取って「大丈夫か?」など、夢の中ででもありえない。

 ルイズは一方通行の事を思い、小さくため息をついた。
 最近、姿を見ない。一体何をしているのか分からないけれど、朝ルイズが目覚めるとすでに部屋に居なくて、授業を受けている間はもちろん姿は見えないし、夜、ルイズが眠ってしまったあとに部屋に戻ってきているらしく、それこそ夢の中でしか会ってない。
 ルイズはなにかしたかな? と首を傾げるが、覚えがないのである。
 戦争に行ったのどうので怒っているならわかるが、それはもう過ぎたことだし、謝ったのだ。ルイズが「ゴメンね」と言うと、一方通行は「あァ」と言った。一方通行が言葉足らずなのは随分前から理解しているので、あの「あァ」は分かったとか、うんとか、いいよとか、そういう「あァ」なのだ。だって、一方通行が納得していないなら無視だもの。


「ん~……、何かしたかなぁ……」


 べつに、怒っているという感じではないのだ。少ない機会を利用して何か話しかければきちんと返ってくるし、一応部屋にも帰ってきているし。
 何時からだっただろうか。何をしたからだろうか。


「アルビオンでのこと話してて……、ウェールズ様に亡命勧めたこと話して……、ワルドと戦ったこと話して……ん~……」


 そう、ルイズは話してしまったのだ。ウェールズが死ぬことを受け入れていた事も、それに納得した事も。嫌だったけれど、皇太子の覚悟は固く、けれどもワルドに刺されて、だから、こんなところで死んで欲しくないから、一方通行に助けてあげてと頼んだ事も。
 まさか、一方通行が皇太子を殺しただなんて、毛ほども考えてはいない。一方通行が死んでいたといったから、死んでいたんだろうと。己の使い魔への信頼は耐震強度マックスで、揺れる事を知らない。
 間に挟んだ、たった一人の男。ワルドのせいで起きたすれ違い。ルイズはいまだ、気がつかないで居た。

 頭から煙がのぼる勢いで考え込んで、当然、杖のつき方は不規則に。微妙に階段を踏み外したルイズはおふっ、とあまり少女らしくない苦悶を上げて、階段をゴロゴロと転がっていった。





 火の授業。担当教員はコルベール。
 彼の授業は、そこそこに人気のあるものであった。ルイズにはさっぱり分からないが、コルベールの授業は『魔法が上手になる』授業なのだとか。理論指導はそこそこに、とりあえずやって見なさい、というのが彼のスタンス。研究員を名乗っているわりには随分いい加減だな、と進級以来ルイズはずっと思っていた。
 一時間半の授業はコルベールの場合、一時間で終わる。残りの三十分は、なにやら怪しい研究自慢のようなものが始まるのだ。生徒は各々、騒がなければ好きなことをやっても良いし、コルベールが披露する『研究成果』に興味があるものは、教卓の周りに移動する。
 ルイズは基本的に理論指導以外がまったく分からないので、一時間を過ぎるととたんに暇になってしまうのだ。


「ほら、へびくんが! へびくんが!」

「おお~」


 まったくもって興味がわかない研究成果である。 四、五人集まっている生徒達はけたけたと笑いながらコルベールのそれに杖を振ったりしているが、ルイズがやれば爆発必至。研究成果を粉々にしてしまうのは心もとないので、黙って席に座って今日の授業の復習でもしようと羽ペンを握った。
 魔法を使うには術者のイメージが重要となり、イメージの強さ、込める精神力、瞬間のテンション、その全てが最高潮であるなら、トライアングルでもスクウェアクラスの魔法が扱えたり、ドットがラインを超え、トライアング───、


「ルーイズ」

「おっぱいが大きい女は私に近づかないでください。私に近づく事の出来るおっぱいは、家族とシエスタと姫様を除くとBまでです」

「あらやだ。だったら私、ゲルマニアに帰ってもまだ足りないわ、あなたとの距離。国境を挟むくらいじゃどうしようもないもの」


 ルイズはため息をついて、胡乱気な瞳を向けた。
 国境を挟んで隣の領地はキュルケさん家である。


「なによ」

「お姉さんが相談に乗ってやろうかと思って」

「なんのよ」

「あら、とぼけちゃうの? いいの? 私ね、とっておきの情報持ってるのよ?」

「うん?」


 にたぁ、とキュルケはいやらしく口元をゆがめた。嫌な予感しかしない。


「シロくんがぁ、こないだぁ、タバサとぉ……、うふ♪」


 ミサカオリジナル最大電流くらいの衝撃がルイズを襲った。大体十億ボルトの衝撃である。
 ぎらりとタバサを睨みつければどこ吹く風で読書中。ぶるぶるとルイズは震えて、右足だけでキュルケに飛び掛った。


「うふ、じゃあるもんか! 吐け! シロとタバサはなんばしよったとかーッ!」


 粘着物のようにルイズはキュルケに取り付き、憎きおっぱいを引きちぎろうともぎゅもぎゅ。
 そもそもなんだ、このおっぱい。ずるいずるい。私にもこんなものがあったらシロを逃がさずに側にはべらすのに! とルイズはギャンギャン騒ぎ、キュルケはからからと笑いながら「タバサ>ルイズ」と。
 コルベールから注意を受けるまで騒ぎは収まらず、クラスメイトの一人がぽつりと呟いた。


「仲良くなったなぁ、あの二人」





 授業が終わり、ルイズはキュルケのレビテーションでふわふわ移動。残りの授業、もちろんサボります。
 ルイズ、キュルケ、タバサの三人は、まだお昼でもないのに広場へ。
 というか、まだ一限しか終わっていないのにこれである。ルイズはもともと『お勉強』の方しか上手く出来ないので、授業をサボった事は、一方通行を召喚するまで一度もなかった。なのに、彼を召還してからと言うもの、授業には出させてもらえないし(一方通行に捕まる)、アンリエッタからの妙なお仕事は入るし、最近はよく授業を休んでいるなぁ、と少しだけ背中が寒くなった。 

 そして、昼食をとるのに利用するテーブル。ルイズは広場にぽつぽつとある一つに決めて、椅子を引いて、何か三人とも牽制したような面持ちで。
 どっかりと座りこんだルイズは「問題ない」とでも呟くかのように肘を立て、口元を隠した。


「……さて、一体どういうことか、教えてちょうだい」 


 ルイズがそういうと、まず反応したのはキュルケ。
 彼女はタバサのほうにちらりと視線を送ると、少しだけ楽しそうな口調で言った。


「ほらタバサ、言っちゃいなさいな」

「やましいことはない」 
 

 いつもの通り、無表情にタバサが口を開く。
 やましいことはない? ルイズはふん、と鼻息荒くそんなことは分かってる、と。

 当たり前である。ここまで普段の生活、風呂、実家、夜、ベッドの中、ルイズが一体どれだけのモーションをかけたと思っているのか。一方通行の食べ残しを腹に収め、あらやだ間接キスだわとルイズだけがドキドキし、夜中に風呂に入る一方通行について行っても彼は欠片とも興奮した様子を見せず、実家に帰って家族に紹介した時だって緊張のきの字も表さず、ベッドの中で手を握ろうが抱きつこうが迷わず『反射』されてしまう。
 ここで簡単にタバサになびいてしまうようなら、彼は、本物のアレだ。小さな女の子が好きな、アレ。
 ルイズだって十分小さいが、さすがに小ささではタバサに負けてしまう。大きさではキュルケに負けてしまう。言えばルイズは中途半端なのだ。突出しているのはラリッた時の脳みそくらい。
 ルイズははぁ、とこれ見よがしにため息をついた。

 
「聞きたいのはね、ここ最近帰って来ないシロのことなの」

「飽きられちゃったんじゃない?」

「飽きられるほど堪能されてないわよ。シロったら私の魅力の百分の一も理解してないんだから」

「み、魅力?」

「なにその顔は。その顔はなに。私に魅力がないって言うの? このルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールお嬢様に、魅力がないって言うの?」

「ほらそれよ。なんかいちいち笑いを取ろうとするその感じ。だからシロ君も疲れちゃうんじゃないの?」

「分かってないのね。笑いは人間の活力なのよ? ほら、シロも元気いっぱいで暴れてるときはギャハ! とかひゃっはっは! とか言ってるじゃない」

「……なんか根本が違うわ、きっと」

「うん。自分で言っといて何だけど私もそう思う」


 こく! と力強くルイズは頷き、そしてタバサを見やる。彼女は微妙に口の端をヒクヒクと震わせて、必死に表情を殺そうと努力していた。
 ルイズはタバサのことを人形みたいだと思っていたが、それは違った。タバサにももちろん感情はある。どんな理由でそれを押し殺しているのかは分からないが、面白ければ笑うし、悲しければ泣く人間なのだ。
 だから、そんなタバサだからこそ、こちらの気持ちも察してくれるはずだと感じた。
 ルイズは寂しいのだ。隣にあの冷たい使い魔が居ないと、夜がとても長いのだ。これってなんだか悔しいことだわ、とむらむらしてくるが、事実、一方通行が居るのと居ないのでは、寝つきが違う。
 ルイズは頭をわしゃわしゃとかき回し、なんだか熱くなってくる頬っぺたを手のひらで冷やして、テーブルに突っ伏して、顔を上げて、視線を微妙にうろうろとさせながら、タバサに。


「あのね……、そのね……、さみ、ささ寂しいの、わたし。ここ一週間くらい、アイツから罵倒されてないし、殴られてもないわ。なんだかペース狂っちゃう。べ、別にいじめられるのが好きなわけじゃないわよ? ただね、だから、なんて言ったらいいのかしら、その、……側に、側にいないと、なんか不安なの。あの白いのが視界に居ないと、こう、なんか、ね?」


 むはーっ! とルイズは顔を真っ赤にして、またも突っ伏して、


「だ、だから、シロのこと……教えて?」


 ちらりと視線だけを上げて言うと、タバサは非常に微妙な表情をした。無表情は少しだけ代わって、微表情。
 珍しいそれにルイズは少しだけ期待を大きくしたが、


「……、本人から聞くのが、一番だと、思う……」


 タバサは悔しそうにそう言った。悔しそうに言ったのだ。
 ルイズは空気の読めない女ではない。むしろそういうのは、わりとよく気が付くほうだ。だから、タバサが『言いたいけれど言えない』と言う事にももちろん気がついた。口止めされているのか、それともタバサ自身がそう思っているのか。それは分からないけれど、ただタバサがこちらの事をそれなりに心配してくれているのは分かった。
 
 ルイズはそっかぁ、と小さく呟き、


「役に立てなくて……」


 表情はまた無くなったが、寂しそうな声色でそういうタバサにいいのいいの、と慌てて両手を振った。 
 それはそうだ。タバサの言うとおり、自分の使い魔の事は自分で決着をつけるのが一番である。タバサに責任を感じさせるなんてのは、筋違いもいいところ。
 結局、自分の事は自分でやる。そういうシビアな世界が貴族であり、メイジなのだ。
 ルイズはよし、と立ち上がった。うむうむ、と二度頷き、


「シロのとこ行ってくる!」
 

 杖をついて駆け出そうとしたその瞬間、キュルケに首根っこを掴まれて、ぐえ、と潰れたカエルのような声を出した。


「無理だから。絶対無理だから。一週間も避けられるって、結構深いから、それ」

「んなもん、やってみなきゃ分かんないわ。原因がわかんないんだから、行かなきゃなんないじゃない」

「あのね、玉砕覚悟でいくのは格好いいかもしれないけれど、ホントに玉砕しちゃうと結構“くる”わよ?」

「……、じゃあ、どうしたらいい? 私いやよ、こんな、原因不明で離婚寸前みたいな空気」


 するとキュルケは懐から……、いや、胸元から何かを取り出して、テーブルの上にばさりと広げた。


「ラァヴラヴ・レクリエィショーン……」

「へ?」

「んふ。宝探し、行っちゃうかい?」


 取り出したるは宝の地図。
 ルイズは目をまん丸にしてそれを見つめて、視線をキュルケに送ればぱちり、と似合いすぎる流し目にウィンク。
 この時ばかりは、彼女が神よりも輝いて見えた。



[6318] 14
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:f417fde6
Date: 2011/06/23 00:45
14/~ここ考えるのいつもしんどい~




 浮遊大陸アルビオン。その街、ロサイスは首都ロンディニウムの郊外に位置していた。戦争の以前から工廠であったロサイスには、赤いレンガ造りの工場、錬鉄場、そして、空き地には所狭しと大小さまざまな艦が並んでいる。
 そこに、ワルドの姿があった。視線の先、アルビオン皇帝オリヴァー・クロムウェルは、改装されていく艦、ロイヤル・ソヴリン号をキラキラとした眼差しで見つめ、すばらしいすばらしいと子供のように口にする。
 改装されてゆく艦は名前を変え、レキシントン号を名乗る。名前一つを変えるのに大した手間をかけるものだと、ワルドは内心唾を吐いた。

 ヘンリー・ボーウッド。クロムウェルは艤装主任を任されている彼と話しこんでいるらしく、二、三度、喧騒にも負けない大きな声が聞こえた。ボーウッドの表情を見るに、『ロイヤル・ソヴリン(王権)』の方がよかったのだろう。
 そしてクロムウェルがお供を促し踵を返す。どうやらこちらに向かってくるよう。相変わらずニコニコしていて、いやさ、動画を見ているわけではない。ニコニコと、笑顔のままで、ワルドへと向かってくるのだ。


「子爵、君は竜騎兵隊の隊長として、レキシントンへ乗り組みたまえ」


 一声だった。厄介だなと思うも、まさか断るわけにはいかない。実力があるというのはこういうことだ。
 ワルドは羽付き帽の影で小さく舌打ちした。


「子爵?」

「あの男の目付け役、と言ったところですか」

「何を言うか。私は信頼しているよ。あの男は頑固で融通が利かない。だからこそ、馬鹿は扱いやすいと言うものだろう? 失礼、言葉が悪かったかな。余は魔法衛士隊を率いていた君の実力、先日の任務成功、どちらをとっても、その能力を買っている」

「有り難きお言葉」


 頭を下げるワルドが感じるのは、視線。値踏みするようなそれ。
 その視線は皇帝から来るものではなかった。彼の後ろに付き従う一人の女。真っ黒な、身体にフィットする服を見に付け、顔をフードで深く隠している。東方に存在するロバ・アル・カリイエから来たと言う彼女を、ワルドは警戒していた。
 彼女は常にクロムウェルと共に居る。常に、だ。クロムウェルが姿を見せるとき、彼女の姿が見えなかったことはない。


(……人形が。信頼だと?)


 つまりはそういうこと。クロムウェルは傀儡にすぎない。もちろん確証はない。あなたは誰に操られているのですか、などと、とてもではないが言えた物ではないから。
 これは勘だ。ワルドはクロムウェルを小者だと感じている。元は司教の彼に、国を変える力などあるものかと思っていた。すると、常日頃からチラチラと視界に入る女。怪しさ爆発の風貌。これを怪しまないで誰を怪しむと言うのか。


「子爵、君はなぜ余に付き従う?」


 予定調和の質問かい。
 ワルドは思わずにやりと口の端をゆがめた。


「私の忠誠を、お疑いになりますか?」

「いいや、そうではないぞ、子爵。君は功績を上げても、余に何も要求はしない。かといって、名誉に生きると言う男でもあるまい? 金も名誉もいらん男を、余はどう扱えばいいかね」

「聖地を」

「ほう」

「閣下は私に聖地を見せてくださる男だと、そう信じております」


 はっは、とクロムウェルは笑い、そして去った。もちろん、シェフィールドという怪しい女を引き連れて。
 聖地。見せてくれるなど、そんなことは期待しない。ワルドは、自分でそこへ行くのだ。レコン・キスタがどうなろうと知った事ではない。頭が傀儡なのだ。いずれどこかで潰れるのは目に見えている。それまではここで情報を収集し、次の雇われ先を探し、金を貯める。
 二人の背中が完全に見えなくなるのを待ち、ワルドは羽付き帽をかぶり直した。ふぅ、と一息。あの女は、なんだか苦手だ。ワルドが好きなのはもっと、


「よくもまぁころころと態度の変わる男だよ」


 そう、こういうはすっぱな女が好きなのだ。


「人よんで七変化のワルドだ」

「馬鹿なこと言ってんじゃないよ。子供が真似するからよしな。ねぇミサカ?」

「ったくよォ、理解に苦しむっつーの。ころころと態度変えてンじゃねェよ、髭子爵が」

「……」

「……」

「……とミサカは七変化のミサカを披露します」
  

 若干顔を赤くするミサカに、ワルドははっはっは、と大口を開けて笑った。
 マチルダがはじめてミサカを連れてきたときは、こんな少女が使えるわけがない、と思った。ワルドはマチルダに冗談じゃないのか、と視線を送り、彼女はこう言ったのだ。「だったら試験でもしたらいい」。どこからそんな自信が沸くのだろうかと疑問だった。ワルドはそれならばと杖を抜き、瞬間、気を失ってしまった。
 目覚めたときにはベッドの上。ミサカがこちらの顔を覗き込み、どうですか、と無表情に問いかけてきたときは、さすがのワルドも乾いた笑いしか出てこなかった。
 十分に使える。戦闘に関しては、合格点である。この自分がやられたのだから、そう簡単に死にはしないだろう。
 だから、使えるものは最大限に使うワルドの策は。


「さっきの女、わかるか?」

「黒づくめの?」

「ああ。シェフィールドというらしい」

「なんだい、アイツが相手なら、私でいいじゃないか」

「いいや、そうじゃないんだ」


 ワルドは辺りに人が居ない事を確認し、ミサカに向き直った。そこにあるのは先ほどとは違い、真剣な表情。


「ミサカ、君はあの女を追え」





◇◆◇





 一方、トリステイン。アンリエッタの居室は、結婚式の用意でてんてこ舞いである。ドレスの仮縫いがいちいち面倒で、逃げ出してしまおうかと考えるのもこれで三度目。
 愛しのウェールズが死んだときいて、その悲しみにふける間もない。結婚などと、どこの誰がするのだろうと考えて、そういえば自分の事だな、と現実があとから付いて来るような感覚だった。
 ため息と同時に、アンリエッタが三着目のドレスに腕を通す。ドレスは美しく、こんな結婚でなければはしゃぎでもしたかもしれないな、と考えたとき。こんこん、と二度のノック。扉を開けたのは、母である太后マリアンヌだった。


「……母さま」

「元気がないようね、アンリエッタ」


 ふるふる、とアンリエッタは首を振った。


「望まぬ結婚なのは、わかっていますよ」

「……ええ、そうでしょう」


 望まぬ結婚。当然、相手は好いていた人間ではない。ウェールズは死んだのだ。
 アンリエッタの瞳から、ぽろりと雫が零れ落ちた。この結婚は自他共に認める政略結婚なのだ。勢いを増すアルビオンから自国を守るための。自身が王家に生まれているため、そういう可能性はもちろん見つめていた。見つめていたが、なんともタイミングが悪い。もう少しだけ、アンリエッタはもう少しだけでいいから、ウェールズの事を考えていたかった。


「恋をしているのね」


 涙を拭う事すら忘れて、


「私のそれは、届かぬところに行ってしまいました」

「恋ははしかのようなもの。熱が冷めれば、すぐに忘れてしまいますよ」

「……え?」


 ああ、とアンリエッタは口にした。
 なんと、なんという事だろう。いままで疑う事すらなかった母が、とたんに嫌な位置に付いた。恋ははしかのようなものだと。すぐに忘れてしまうようなものだと。
 だめ、だめ、と心中で呟いて、必死に必死に自分を押し殺した。爆発してしまいそうな感情を、ぎゅうぎゅうを押さえ込んだ。
 一言だけ言えばいい。そうですね。その一言だけ。アンリエッタは咽喉を震わせて、一度だけ唾を飲み込み、そして声を出そうと。
 しかし───。


「あなたは王女なのです。忘れねばならぬ事は、忘れねばなりませんよ」


 かあ、と顔が熱くなった。同時にもうだめだ、と悟る。


「───前王の喪に服してッ、国を動かさなかったあなたが言うことですか! 王位を空席にしたままのあなたが! 忘れる事の出来ないあなたが! よくもそれを言う!」


 太后マリアンヌは、女王になる事を拒んだ。理由は王の喪に服すと、そういう理由だった。
 全てが今更なのはわかっていたが、それでも、それだけは言いたかった。母に対してなんという口のきき方だろうかと頭の後ろ、冷静な部分で考えたけれど、それでも止まってくれる事はなかった。


「国のために、民のために結婚をするのはいい! 納得の出来る理由を、私自身に与えてくれました! でも、でも、あなたは、母さまは……、……私は、何のために結婚するの? なぜ、一緒に泣いてくれないの? なぜ、何も言わなくていいから、なぜ、抱きしめてくれないの? わたしは、あなたの娘よ、母さま……」


 アンリエッタは放心したように、いよいよ泣き出してしまった。愕然とした表情のマリアンヌが、とても憎らしく思える。
 結婚を祝福してくれれば、それでもよかった。ごめんなさいと一言でも言ってくれれば、これも抑えることが出来た。抱きしめて、辛い思いをさせますと言ってくれさえすれば、こんな事にはならなかった。
 だけれど、『忘れなさい』。それはあまりにひどい暴言だ。前王を忘れられないマリアンヌが言っていいことではないではないか。

 アンリエッタにも、冷静な部分では分かっているのだ。たとえマリアンヌが女王として国を統治していたとしても、おそらく結果は変わらなかったろう。アルビオンは結局戦争をするのだろうし、トリステインの状況は、今とたいして変わる事はなかったろう。
 しかし、王として表に立っていたわけではなく、そりゃさ苦労もあったのだろうが、太后として裏に居続けた人間に、そう言われるのだけは勘弁ならなかったのだ。人身御供のように娘を他国に渡すその精神性が。おめでとうも、ごめんなさいも無いままに『忘れろ』と言う人間性が、アンリエッタには理解できなかった。
 がくり、とアンリエッタは膝をついて。


「わたしは、わたしは……」


 静かに首を振りながら。
 膝を濡らす雫は、しばらくのあいだ止まる事がなかった。





◇◆◇





 宝探しは三日後に決行ね。
 そう三人で話し合って、もちろんその間にある授業はサボると決めて、そしてルイズは頭を悩ませていた。
 一方通行である。どう誘ったものかと。単純について来て、と言っても来てはくれないだろうし、お願いしますと額を地面にこすり付けてもついて来てくれないだろうし、暴挙に出たとしても反射されてしまうだろうし。
 うぬぬ、とルイズは唸った。そもそも、多分、いや確実に、一方通行は宝探しに興味が無い。あるのかどうかも分からないそんな物に、彼が興味を示すはずがない。彼が興味を持つのは無敵と帰還。そこまで長くない共同生活だが、そのくらいの事は分かっているのだ。
 どうしたものかと、ルイズは柔らかいベッドの上で片足立ち、己の体幹を鍛えながら考え込んだ。
 

「ん~……んん~……ふむぅうん……」


 ゴロゴロと転がってみたり、突如としてプッシュアップを始めたり、太ももの裏の筋肉群ハムストリングスを撫で付けたり、ルイズの変態性はとどまる事を知らなかった。
 見かねたのだろう。そんなルイズに、ついに声がかかった。


「どうしたね、娘っ子」 

「ボロ剣……」

「いまは綺麗なデルフリンガーです」

「ボロ剣……」

「魔法も食べちゃうデルフリンガーです」

「ボロ剣……」

「ガンダールブの左手と伝説されているデルフリンガーです」

「ボロ剣……」

「……ボロ剣です」

「うん、あのね───」


 こんこん、と二度のノック。デルフリンガーがあ、これで終わり? 俺の出番これで終わり? とせつない声を上げていた。
 はい、とルイズが扉に向かって返事すると、わたしです、と。ルイズが聞き違えるはずのない声、それはシエスタ・ヴォイスである。


「入って入ってー」

「失礼します」

「座って座ってー」

「あ、いえ、そんな」

「いいからいいから」


 ルイズはシエスタをベッドへと座らせ、その膝の上にちょこんと腰を下ろした。頭の後ろでシエスタがくすくす笑って、へら、と自身も表情を崩す。
 アルビオンから帰ってきたとき、一番説明が大変だったのはシエスタだった。クラスメイトもどうした、なんだと面倒だったが、シエスタはそれとは違い、一切何も聞いてはこなかった。ただ、泣かれた。ひ~ん、ふえ~ん、といつもの『大人』具合からは考えられないような声を上げてシエスタは泣いた。ごめんシエスタごめん! と車椅子からジャンピング土下座すると余計に泣かれた。
 それからシエスタが泣き止むまでルイズは四十の顔芸を披露。一週回って『禿げないコルベール』を顔だけで表現したところで、ようやく笑いを取ることに成功したのである。

 「怪我しないでください」。シエスタは言ったが、ルイズは頷く事が出来なかった。だったら、とシエスタはルイズを抱え上げて、「看病は私に任せてください」。
 なんとできた娘であろうか。これだこれ、こういうのがモテるのだ。ルイズにはない魅力がモリモリ詰まっている。
 だから、そんなこんなでここ最近、シエスタは毎日ルイズの部屋へと来ている。車椅子生活のときは常にバックを陣取られ、トイレとかもう色々世話をしてもらったのはいい思い出であるいやまったやっぱり恥ずかしい思い出であるぜんぜんいい思い出ではないのである。
 ルイズは微妙に思い出して顔を赤くし、後頭部を柔らかく包むシエスタおっぱいを堪能した。


「シエスター」

「はい」

「宝探し、行っちゃうかい?」


 キュルケの真似をしてバチューン! とウィンクを放ったが、シエスタは、ん? と首を傾げるだけに終わった。


「……え、えっとね、明々後日から行こうかって話してるんだけど……」

「ああ! 仲直り計画ですか、もしかして!」

「ぐふぅっ、よくお分かりで」

「最近、ちょっと様子がおかしいですからね、あの人」

「いつもどっかおかしいから今どこがおかしいのか分からないっていう状況に陥っててねぇ……、へへ、ご主人様失格だい」

「そんなことはありません。ルイズさんはよく頑張っていますよ。私だったら、きっと耐えられません」

「そう? わたし頑張ってるって思う?」

「はい、とても」

「えへ、そっかぁ」

「そうですよ」

「そかそか」

「そうですよ」


 ルイズはもぞもぞと動いて、シエスタに正面から抱きついた。これ、この顔面を包むおっぱいの感触、どこまでも柔らかく、しかし張りがあり、持ち上げれば心地のよい重みを感じ、揉めばいくらでも形を変えるこれこそが、ルイズを優しい気持ちにしてくれるのだ。キュルケのいやらし攻性おっぱいではなく、限りない癒しを含むこのこれは銀河(コスモ)。むはーっ、ふごふご、むはーっ! とルイズはシエスタの胸から癒しを吸収した。
 少しだけくすぐったそうな笑い声。背中と頭を撫でてくるシエスタの手のひらは、とても温かい。


「今日はなんだか、甘えんぼさんですね」

「世間が許すのならいつも甘えてたいわ」

「ふふ、私でよければいつでも」

「いいの? その内おっぱい吸いたいとか言い始めるかも知れないわよ?」

「っ、い、いいです、よ?」

「冗談だってば」


 はた、と目を合わせて、そしてケラケラと笑いあった。
 
 一時間ほどそのままで色々と堪能し、そして話題は一方通行の事へと移る。
 ルイズは言った。一方通行と何とかして宝探しというか仲直りというか、いや、別に喧嘩しているわけじゃないのだけれども、それでも何かおかしいから出来ればそういう色んなことを聞きたく存じておりますですはい、と。
 シエスタは少しだけきょとんとした様子で、


「では、誘えばよろしいのではありませんか?」

「んー、だから何て言って誘おうかなぁ、ってね。ほら、“勝手に行ってろよ、俺ァ興味ねェ”とか言いそうじゃない?」

「あはっ、ルイズさん、ちょっと正直すぎですよ」


 ルイズは小首を傾げた。


「そういうのは、嘘ついちゃえばいいんです!」


 珍しく、シエスタは若干興奮した様子でそう言った。





◇◆◇ 





 その日、一方通行は図書室へと来ていた。適当に選んだ本を手に取り、適当に目を滑らせる。それだけで一方通行の脳に『記録』されていくのだ。まず記録、その後に理解がついてくる。超のつく速読であった。
 読み終えた七冊目の本をぱたりと閉じ積み重ねる。答えの出ない疑問をこれ以上考えないように選択したのが読書。ゲームの一つでもあればいいのに、と久々にこの世界の不便さを感じた。
 さて次はどんな要らない情報を脳に溜め込むか、と席を立ったその時。


「こんなとこに居たのね、あんた」
  
「……あァ?」


 非常に会いたくない顔が出現。
 ルイズ が あらわれた。
一方通行 の こうげき。


「ンだよ、授業サボってンじゃねェ。行け」 


 ルイズ は 749の ダメージ を くらった。


「うう、うう~~! なによ! あ、あんた、私の事ちょっとくらい心配したらどうなの!?」

「ハッ! ンな事するような人間に見えンのか、俺が」

「見えないけどしろって言ってるの! 私だけでいいから! 他は全然見なくていいから!」

「残念だ。お前とは分かり合えそうにねェよ」


 一方通行は顔をゆがめながら言い切った。こうやって、ルイズをいじるのが日課のようになってしまっているのだ。久々である今、なんだか懐かしさのようなものを感じてしまった。たかだか一週間程度でこの感じ。どうにも異世界に汚染されているな、と一方通行はため息をつく。
 今回の件、ルイズには一切非がない。あくまでも一方通行がワルドの言う事を簡単に信じて、それで殺してしまった。自分の馬鹿さ加減に腹が立っているのだ。さしもの一方通行も、確かにルイズの顔は見たくないが、それでも八つ当たりでルイズを攻撃するような事はなかった。


「あんたねぇ、結局私のことどう思ってるわけ? 怒んないからちょっと言ってみなさいよ。私のこと好き?」


 とんでもない質問が出たな、と心中両手を挙げた。


「いや、あンまり好きじゃねぇな、正直」

「う~……、それなら……き、きき嫌い?」

「まァ、どっちかってェと、そっちだな」

「げは! ……だ、だったら、好き寄りの嫌い? 嫌い寄りの嫌い?」

「……嫌い寄りの嫌い……だなァ、うン」


 こくん、と一方通行は子供のように頷いた。
 好きなはずがない。この女は、いちいち一方通行に幻視させるのだ、あの最弱を。やることなすことキラキラと輝いているし、それを見ていると、自分の影が深く濃く見えてしまう。そんな人間を、一方通行が好きになる訳がない。なっていい訳がない。
 当然、『人間が良い』とは思っている。ルイズは良い人間だ。上条当麻も良い人間だ。ただ、一方通行が悪い人間だから、好きか嫌いかと聞かれれば、それはもちろん『嫌い』に位置してしまうのが当たり前。
 一方通行がそんな事を考えているとは思っていないのだろう。ルイズの瞳がうるうると輝きだした。零れ落ちる寸前の涙が、目いっぱいに溜まっている。


「じゃ、じゃあ、し、したいとか、ちっとも思わない?」

「あン? 何だ?」

「だ、だから、あなたの凸と私の凹で嬉し恥ずかしドッキングっていうか何ていうかごにょごにょ……」

「───、……本物の馬鹿かッ、テメエ!」

「だって! 男の人って考えるより先に下半身が反応するんでしょ! それってそういうことでしょ! アレがこうなってああなるんでしょ!」


 くい! とルイズは水平に立てた手のひらを。くい! と。
 目をまんまるに開いた一方通行はぱくぱくと二、三度口を開け閉めし、ふるふると首を振った。ありえねェ、この女……。


「と、とにかく! アレだから! あんたの世界からなんか来てるとかそういうアレがあったから宝探し行くから三日後だから! 絶対行くわよ! 元の世界よ! 元の世界!」


 一方通行が未だに現実に帰って来れずにいると、ルイズはそれだけを言い残し、ひょっこひょっこと杖をついて走り去った。随分と“わやわや”な言葉を残して。
 元の世界。もちろん『記録』している。だけれど、それを理解するのはもうちょっとあとだ。その前に、理解の前に、一方通行は はぁあ……、と中年のサラリーマンのようにため息をついた。


「っ、くそ、勘弁しろよ、クソガキ……、思春期かちくしょう……」


 こっちはつまらない事を考えないようにと思ってつまらないことを考えているのに、ルイズはズカズカと土足で一方通行の内面を乱す。
 良くも悪くも、一方通行にとってルイズは初めて過ぎる女なのだ。



[6318] 15
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:f417fde6
Date: 2010/12/03 14:17

15/~赤色の王様~





 宝探し(という名のラヴラヴ・レクリエーション/仲直り計画)出発の日、夏の近い朝は太陽が弾けたような晴天で、それだけでルイズの心は踊りだしそうだった。というか踊った。


「コッコォロオドル アンコールわか───」


 これ以上はなんだか危ないようなので誰にも聞こえなかったし何も見えなかった。

 ルイズは隣で未だに寝息を立てるシエスタの髪の毛をサラリと流し、出発まではまだ時間があるので寝かせてやるか、と。
 準備はすでに終えている。遠足の前日になると寝られずに夜をふかしてしまうタイプの人間であるルイズは、結局この日も眠る事が出来なかった。出来なかったが、体調は驚くほどに良い。身体が求めているのだ、使い魔との接触を。


「シロ、ちゃんと準備してるかな……」 


 私と居たくないのは分かったから、とルイズは数日前から自分の部屋を空けている。キュルケの部屋に泊まり、タバサの部屋に泊まり、そして最後はこの部屋、至福のシエスタの部屋に泊まった。狙い通り、一方通行は誰もいない(喋る剣が居る)ルイズの部屋で生活をしている様子。それを見たルイズはにやりと口角を上げて、計画通り、と呟いたものだった。 
 ん~っ! と大きく伸びをして、ベッドの脇に立てかけてる杖をとった。魔法杖ではなく、歩く手助けをしてもらうための杖。水の薬や魔法で治してもらおうとも思ったのだが、医務室で居眠りばかりしている彼はこう言った。

『いいかい? 人間には自己修復機能がきちんと備わっている。『水』に頼りすぎるとそういう……わかるかな、メイジの間じゃあまりこういう話は出ないから……、まぁとにかく、免疫力とか、耐性とかが減っちゃうわけ。怪我は中々治らなくなっちゃうし、簡単に風邪をひいたりしてしまう。君、筋トレ好きなんでしょ? それと一緒さ。人間の身体はね、サボっちゃうと衰えていくばかりだ。自分で治せるぶんは、苦労してでも自分で治しなさい。死に掛けたときに、また来るといいさ』

 そう何度も死に掛けてたまるものかと思ったが、なんだか自分の未来予想図は、そういう血みどろに塗れている様な気がしないでもない。なるほど、と納得して、この足の怪我は自分の力で治そうと誓った。


「よいしょこらぁ」


 ルイズはシエスタを起こさないようにベッドから立ち上がり、こつんこつんと杖をついて廊下へ。よほど朝早いのだろう、使用人の寮はまだ静かだった。
 このまま自室まで行って、一方通行を確認して、出来ればそのまま拉致気味に出発してしまいたい。異世界からどうだのこうだのというのは、シエスタが思いついた嘘なのだ。親指を立てたシエスタはいい笑顔で嘘をつけと言って、バレたらどうするのと聞くと、

『な、仲直りがしたくて……、うそ、ついちゃったの……、と泣きます』

 なるほど成功しそうな作戦であった。そのときのシエスタの上目遣いと言ったら鼻血が噴出するほどの威力を持っていた。ルイズはかなりアレなのでそれをそのままマルっと信じたのだ。くすくすと楽しそうに笑っているシエスタには全然気がつかなかった。

 わくわくと心を躍らせて、ルイズは女子寮へ。階段を上るのが少しだけきつかったが、このわくわくがそれすら消してくれた。
 ふぅ、と息を付きながら廊下を曲がって、そして、そこで自室の前に誰かが居た。誰かというか、オスマンが居た。見紛うわけがない立派な髭を蓄えて、それを困った様子で撫で付けている。


「が、学院長?」

「おお、ミス・ヴァリエール」

「どうなさったんですか? ……ここ、女子寮ですけど」

「そんな目で見るでない。いくらわしでも分別くらいは持っておるよ。覗くのが楽しいのじゃ、覗くのが。ここまで身を現すなど、馬鹿のすることよ」

「……」

「冗談じゃよ。冗談じゃよ」

「……なんで二回言うのよ……」


 いつぞやの会話を再現したようなそれだった。


「で、じゃ」

「なんじゃ?」

「おぬし、どっか行く気?」

「……あぁ、えぇと」


 はいそうです。授業をサボって宝探しへと。
 言える訳がない。この目の前の老人は、この学院の長なのだ。言えば当然止められる。ルイズは何とか言い訳を考えようと足りない頭を総動員して考え込むが───、


「宝探しと称して仲直り計画ラァヴラヴ・レクリエィショ~ン……、行く気?」

「変ッ態! この変態じじい! ホントに覗いてるのね! 決闘よ! 乙女の肌と誇りをかけてッ、決闘よ!」


 ルイズは補助杖でオスマンの脛をバシバシ叩き、オスマンがギブギブ! まじギブ! と手のひらを向けてくるまでそれは続いた。
 脛をすりすりと擦りながら、オスマンは言う。


「……おぬしね、わしの名前知っとる? トリステインにこの人ありと言われとるオスマンよ? オールド・オスマンよ、わし? そのわしの趣味を、脛を叩いて妨害とは何事?」

「時代の流れをわかってないのね。今は女の時代なの。女が男を食べる時代……そう、私はクーガー女。若さに任せて捕食する。流れに乗れない老人は、私に蹴られて地獄に落ちろ!」

「ぬぐぅ、ヴァリエールの鬼子っ、じじいの楽しみをッ! それをこうまで!」

「あっはっは! この私を止めたくば、始祖でも連れてくることね!」

「……」

「……」

「それでの?」

「はい」


 何でもないように二人の会話は続いた。





 結局、オスマンはルイズを止めなかった。


「行け行け。わしゃ知らん。見とらん。覗きなんぞ、なんもしとらんわ。脛を叩かれるのは勘弁じゃて」


 一冊の本。古めかしいそれと、非常に厄介な役目をルイズに渡して、オスマンは去った。
 ずしりと重量感のある本、それは、始祖の祈祷書と呼ばれる国宝であった。姫の結婚と共にこれを携え、ルイズはなんと詔をくどくどと述べる権利を承ったのである。
 なんと面倒な役目を押し付けるのだろうか、とオスマンを見たが、それはオスマンが決めたことではなく、結婚するアンリエッタ自身が「せめてルイズに祝福して欲しい」と言った結果だという。そう言われてしまうと、ルイズはどうしても断ることが出来なかった。
 アンリエッタの結婚式まで、あと二週間。それまでに詔を完成させなければならない。


「あーもう、なんだってこんな……、私はねぇ、そりゃお勉強は出来るけど、体育会系なのよ」


 一週間は、宝探し。それはもう決めたことだ。
 ルイズは自身、よく感じている事がある。『深く考えたって、いい事なんかない』。これはあくまでルイズ自身のことなので、他人に当てはまるかといったらそうではない。そうではないが、しかしルイズは“そう”なのだ。詔なんか全然思い浮かばない。それならば、この本とにらめっこをしているより、動いて、活性させて、天啓を待つ。ある意味、いさぎよかった。

 何より、ルイズには最終手段が残っている。一方通行だ。
 彼がとんでもない脳みそを持っているのを、ルイズは知っている。こちらの文字を一日で完全にマスターし、こちらの生活様式に順応し、こちらの『魔法』という、彼にとっての常識外に、すでに理解を示している。何も思い浮かばなかったら、一方通行の脳みそを使う。うんうん、とルイズは頷いた。
 それは、普通の人間並みに打算的で、普通のメイジ並みにご主人様的で、実に、一方通行という、泣く子も恐怖で黙らせる、メイジも風で吹き飛ばす、貴族も力でねじ伏せる、そんな凶悪な一方通行を、だけれど心底好きなルイズ的考えだった。
 そのためにも! とルイズは拳を握る。そのためにも、シロたんぺろぺろ出来るくらいには、仲直りする必要があるのだ。


「頑張れわたし。ルイズ、やれば出来る子!」


 自室の扉を、開く。シロの寝顔、最近見てない!





◇◆◇





 宝探し(という名の帰還方法/それに関係するもの探し)出発の日、夏が近いらしい朝は、まるで高電離気体が弾けたような快晴で、それだけで一方通行の眉間にはしわが寄りそうだった。というか寄った。


「ちッ、眩しィっつの……、クソッタレ……」


 遮光カーテンなど上等なものはこの世界にはない。光はカーテンをらくらくと通過し、一方通行を覚醒させる。
 もう一度の舌打ちと共に身体を起こし、ぬぼー、と数分間天上のシミを数えた。一方通行は基本的に寝つきはいいし、一度も行った事はないが、遠足の前に興奮するような性質でもない。なのに、なかなか働きがよくならない頭。
 もちろん原因はウェールズだ。考えていたら、いつの間にか夜よりも朝が近くなっていた。考えないようにしていても、一方通行の聡明な頭脳はそれに答えを出そうと勝手に働いてしまう。


「……、……」

「おう、起きたか?」


 少しだけ低めの声。デルフリンガーだ。
 ベッドの脇に、ルイズの杖の代わりのように立てかけられている彼(?)は、かちゃかちゃと鍔を鳴らす。 


「今日だろ、お前さんの世界とやら、その一片を探しに行くのは」

「あァ」

「俺は反対なんだけどねえ」

「アイツが行くっ言ってンだ。諦めろ。俺の帰還方法も、何かしら見つかるかも知れねェしな」

「あっるぇ? お前さん、そんなの信じてんのか? んなもん、嘘に決まってんだろうさ。あの娘っ子が簡単にお前さんを帰すかよ。ベタボレだぜ? 寝言で何度『シロたんぺろぺろ』って聞いたかわかんねえもんよ」

「……」

「男だね。女の嘘は黙って見逃す。女みてえな顔してっけど、ニィさん男だね」

「黙ってろテメエ」


 そう、一方通行は気が付いていた。おそらく、餌として吊るした『元の世界』は嘘なのだろう。ルイズは現状が嫌で、それを変えようとして、それでこの作戦を思いついたというわけだ。
 多分、と一方通行は考えた。宝探しのどうのは、恐らくキュルケが思いついたのであろう。あの女の性格を鑑みるに、そういったことが好きそうな気がする。一方通行が付き合ってやるかと思ったのは、いつもの気まぐれではない。彼自身、このイライラに決着を付けたいのだ。こういう心理的な障害は、一方通行にとってなんら益になることはない。それは、身をもって知っている。分裂する前に己の中で決着をつけるのが一番だとわかっているのだ。

 一方通行はそう考えて、うむ、と心中頷いた。殺したと、言ってみようと。言わなければならないことなのだと。
 どうせ死んでいた命。そう考えるのは簡単だった。戦争をしていて、皇太子だったのだから。どっちみち死んでいた。しかし、どうせ死ぬ命というのならば、それは一方通行だってそうだ。寿命がくれば死ぬ。だれだって死ぬ。今に意味が無いのなら、今すぐ死ぬのがいいのだろうか。そうではない気がしているのだ、今の一方通行は。

 人は、何かをするのだから生きている。ウェールズのすることを、一方通行は勘違い(?)で奪った。
 一方通行も『無敵』のために生きていると言っていい。もし一方通行よりも上位の存在がいたとして、その勘違いで『無敵』を消されたら、一方通行は怒る。怒って、怒るけれど、その時は、多分死んでいる。
 だからこそ、一方通行は考えた。ウェールズの“何かをする”は、どこに行ったんだろうな、と。殺した事よりも、“それ”はどこに行ってしまったのかと。
 またも深く沈みそうな思考の波にとらわれ掛けたとき、デルフリンガーが言った。
 

「だからさ、ニィさん、ちゃんと守る気ある?」

「あァ? 自分で行くンだろォが。そこまで面倒見切れねェっつの」

「ほら出たこれ」

「あン?」

「お前さん、どこかおかしいや」

「ンだよ、剣が人間様に説教か? 舐めンじゃねェぞ、テメエ」


 一方通行は笑ったが、デルフリンガーは違うようだった。
 表情がないためにそれがどういう心情で語られているのか、それはわからないが、ただ真剣な声色が響く。


「娘っ子よ、まじでやばいよアレ。ちょっと思い出したんだけどね、前にもいたぜ、あんな感じで騒ぎながら戦うガンダルールヴ。霞がかってよく思い出せないが、ありゃなかなか壮絶な死に様だった。悲しいね。寂しいね。そうだ、これ以上、戦わせないほうがいいんだ」


 ぶつぶつ、と独り言のようになっていくそれに、一方通行は首を傾げた。
 様子がおかしいといえばそうだが、そもそも剣が喋るというこの現状がおかしい。特には気にとめなかった。


「ああ、そう、たしか、そうなんだよ。なんかよお、俺にはあったんだよ、そうならない為の、能力が。なんだったかなぁ、なんだったかなぁ。魔法を、……いや、魔法が、俺が、使い手を守れる、そんな能力が、俺にはあったんだよなぁ。娘っ子は、死なせたくねえなあ……。今まではみんな死んじまったから、娘っ子は、死なせたくねえなぁ。死なせたくねえよ、ニィさん」

「そォかい」

「冷たいねえ」

「……『守る』っつーコマンドはな、俺にゃ付いてねェンだよ。今までがそォだ。だからこれからも、きっとそォだ」

「冷たいねえ」

「だろォよ」


 ふん、と鼻で笑い、そして、部屋の外がやけに騒がしくなった。覗きがどうのこうのとルイズの大声が聞こえる。いつものごとく、あの頭の悪さを発揮しているのだろうな、と一方通行は思った。
 馬鹿にしたような笑いだろうが、凶悪につり上がった笑いだろうが、ルイズの側に居る一方通行は、以前より口角が持ち上がっている時間が長い。


「シロたんぺろぺろ……ふひひ」
 

 きぃ、と扉が静かに、緩やかに開いた。入ってくるのはもちろん、変態性を止め処なく発揮する女。
 守る気はない。欠片ほどもない。ただ一方通行が思うこと。
 虚無(ゼロ)は、自分をどこかに連れて行く存在。そんな薄ら寒い予感がした───、かもしれない。
 




◇◆◇





 隣の部屋がばたばたと騒がしくなり、取り敢えずは第一関門クリアなのかな、とキュルケはほっと息を付いた。
 一方通行を連れて行く。それこそがこの宝探し計画の、一番の問題なのだ。一方通行がルイズと離れたままではまったく意味をなさない。
 思うに、ルイズも一方通行も、子供過ぎるのだ。妥協を許さず、深くまで考えて、互いを傷つけあう。
 それは、キュルケには出来ない事だった。どこまでも『微熱』でしかないキュルケは、そこまで行く前に自分から身を引くし、どうしても踏み込めないし、踏み込まない。そんな一線がある。
 しかし、ルイズは違う。恐らく、一方通行も違う。彼等はぶつかり合う。衝突しあう。そして、それでしか先に進むことが出来ない人種であるようにキュルケは感じた。要するに彼等は、


「馬鹿なのよね。馬鹿。それでへったくそ」


 傍から見ていてはらはらとするような場面があったかと思えば、今度はつんと顔を逸らして消えてしまいそうになる。一方通行のお子様具合がよく分かるし、そういう所があるからこそ、ほっとけない。
 キュルケはベッドから身体を起こし、どたばたとうるさい隣室に笑い、そして化粧を始めた。念入りに、念入りに、しかしあざとくなく、それらしく見えるように眉毛をかいて、紅を塗る。ウォータープルーフなので、今度は落っことさないだろう、眉毛。

 よし、と鏡の前で一声上げたキュルケは、前日に用意したバッグを抱えて、タバサの部屋へと向かった。
 扉をノックノック。あいてる、と小さく聞こえる声。


「おっはよ」


 小さく手を上げると、タバサはこくりと頷いた。


「準備、出来てる?」


 タバサはこくりと頷いた。


「それじゃあちょっと早いけど、外行きましょうか」


 タバサはこくりと頷いた。





 空は青く、祝福しているような晴天だった。
 キュルケは笑みを浮かべてよかった、と呟く。出発が雨では、気持ちも中々上がるものではない。
 ん~、と大きく伸びをしていると、タバサがぴぃ、と口笛を吹いた。翼で風を切りながらシルフィードが降りてくる。今回はシルフィードで行くかどうか迷ったのだが、一応授業もあるのだし、行きと帰りの移動時間は短いほうがいい。結局はそうすることに。

 
「よろしくね、シルフィード」
  
 
 キュルケはシルフィードの頭を撫で付けた。目を細めてきゅるきゅると鳴くシルフィードは、本当にこちらの言葉を理解しているよう。
 これで準備完了である。あとは人を待つのみ。
 のんびりと、本を読んでいるタバサの頭に顎を乗せてぐりぐりしている時、馬鹿でかいサックが目に入った。まさしく『馬鹿』でかいのだ。人間一人の身長と重量を超えるようなそれを軽々と背負う平民、シエスタのスペックが気になるところである。


「あらまぁ。あなたどうしたの、それ?」 

「皆さんの日用品と、食料と、調理道具と、お菓子と、お紅茶と、こっそりワインと、あとテントです」 


 何でもないように言う彼女に、キュルケは目をぱちくりと。


「出来たメイドだこと。あなた、家で働く?」

「あは、ありがとうございます。ですが、私は学院つきのメイドですから」

「んふ。そんなこと言って、ヴァリエールが誘ったらすぐに飛んでいくのね?」

「あ、いえ、そんなことは……」

「いいのいいの。ヴァリエールで働くなら、家にも来なさいよ。出張でいいわ。お隣だからそんなに遠くないし、メイド交流会でも開きましょ」

「ふふ、考えておきます」


 シエスタがそう言って微笑んで、こりゃ脈無しね、とキュルケは肩をすくめた。
 彼女は、見ていてわかるように、ルイズのことが大好きなのだ。ぴったりと張り付いているのはやや過保護に見えるが、キュルケはそれもありだろうと考えていた。ルイズはもともとあまり貴族らしくはないし(馬鹿にしているわけではなく)、平民に好かれるのも納得がいく。
 シエスタがうんしょ、と荷物を地面に置いた。ずしん。ずしんである。おいおい、とキュルケは再度目をぱちくり。
 そして、そしてその荷物の影に、土下座男が居た。なにをどう見ても、土下座男が居たのだ。びく、とキュルケとシエスタは肩をすくめて、


「わっ! なにしてるのあなた!」

「今度は……、今度は僕も連れて行ってくれないだろうか」

 
 彼は、恐らくリーダー格をキュルケと見たのだろう。地面に額をこすりつけて、キュルケへと。


「置いてけぼりはもう嫌だ。土下座すらするぞ、僕は! 格好悪くてもするぞ、僕は!」


 まぁ、ギーシュだった。


「どうせまた、ルイズは怪我をするんだろう? 僕はギーシュだ。『青銅』のギーシュで、戦乙女(ワルキューレ)のギーシュだ! 戦乙女はね、戦女神を守るための存在なんだ!」

「あ、ああ……、だから『戦女神』なのね?」

「そうさ! 僕も役に立つぞ! 頑張るぞ! 最近ね、以前とはちょっと魔法の感じ方が違うんだ! ギーシュ・ド・グラモン、ちょっと違うんだ!」

「いや別に……」

 
 困ったようにキュルケは頬をかいた。
 本人さえそれでいいのなら、勝手に付いてこいというところである。なにも強制参加というわけではないし、来る者拒まずのこの宝探しに、まさか決死の覚悟を持って望む男が居るとは、さすがに予想が付かなかった。
 ギーシュは頼む! 頼む! と顔面を地面に、最早埋もれさせて、キュルケは慌てていいから、わかったから! と。
 キュルケがギーシュを立たせ、服に付いた汚れをシエスタがはらい、タバサが汚れた顔面に水を浴びせた。そしてようやく、今回のメンバーが集まる。


「なにやってんの、あんたたち?」

「ちッ、うぜェのが居やがる」


 仲良く寮から出てきた二人を見て、キュルケはにっこりと笑顔を作った。





◇◆◇






 出発。
 そこには汗。喜び。落胆。
 そこには努力、友情、勝利。

 俺たちの旅はまだまだ続く。
 夕日に向かって競争だ。

 キュルケは相変わらず、皆に優しかった。深くは入らず、浅くもなく。その距離感は、安心を感じさせるものであった。
 タバサも相変わらず、無口の中に愛らしさを湛えた。戦闘では先頭に立ち、小さな体から吐き出す魔法は強力だった。
 ルイズは全然、役立たずだった。けれども満足のいく笑顔。にぱー。
 ギーシュは動かない己の足に怒りを覚え、叫んだ。彼は、もう一歩だけ先へと進む。
 シエスタは、こっそりと隠し持ってきたワインをぐびぐび飲んで『ルイズさんお世話します』した。本人は覚えていないが、次の日のルイズの様子は少しだけおかしかった。
 一方通行は皆のそんな光景を見、皮肉げに唇をゆがめた。

 何が言いたいかというと───。

 キング・クリムゾン。
 そこには、結果だけが残る。五日間を、宝探しを、戦い抜いたという結果だけが。





◇◆◇





「なかったわねー」

「なかったですねー」


 ルイズとシエスタがワザとらしく口にして、一方通行はそォだな、と。
 この五日間、やけにルイズが迫ってくるものだから、一方通行は少しだけ疲れた様子を見せていた。シロ、シロー、シロぉ、シーロー。かまってかまって、とルイズは頭を差し出してくる猫のように。一方通行はこの宝探しの意味をわかっているだけに、なんだか気恥ずかしいような、そんな寒気が背中をずっと彷徨っていた。

 学院に付いたら、話す事を話そう。一方通行はそう思っており、そのための準備を、心の中で終わらせている。ルイズがどんな顔をするのか。楽しみはそればかりだ。彼女はどんな反応を見せるのだろう。彼女はどんな言葉をつむぐのだろう。彼女は自身を、どうするのだろう。
 自分の精神状態がよく分からない一方通行は、はぁ、とため息をついた。


「なぁに疲れた顔してるのよ」

「……俺ァな、ンなガキみてェな事しなくても、話しくれェ出来ンだよ」

「な、何のことかさっぱりでござる」


 ぴゅー、とルイズはシエスタの陰に隠れてしまった。シエスタから頭を撫でられて、その顔はすぐに元通り。単純な女だな、と一方通行は呟いた。
 あとは帰るだけ。何箇所か回ったが、あるのはボロかゴミクズばかり。決して宝といえるようなものではなかった。そもそもが胡散臭い地図。ゲルマニアの商人から買ったというそれは、あまりにも嘘だらけだった。
 だが、これに助けられたのも事実なのかもしれない。一方通行は「話くらい出来る」と言ったが、事実として一週間、ルイズの事を避けてきた。彼は自分が思っているよりも子供で、他人との接触に慣れていない。他人との距離のとり方が、不器用なのだ。『きっかけ』は必要だった。


「それじゃ帰るわよー!」


 キュルケが言って。


「あ、その前に、最後の宝探し、あります!」


 シエスタが手を上げた。


「異世界からの宝、見に行きましょう!」


 それはシエスタにとって、予防線のようなものだったのだろう。一方通行が怒ったときの、予防線。
 彼女は常にルイズのことを考えているのである。簡単に「嘘を付け」といって、その後のことを考えていないような女ではなかったのだ。

 一方通行はまだなにかあるのかと、面倒臭そうに頭をかき回し、次はまともな物であってくれよと祈った。シエスタの村に、何の期待も持たず、しかし、行く先には確かに宝があるとも知らずに。



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Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:f417fde6
Date: 2011/06/23 00:46
16/~それぞれの戦争~





 それは巨大な鉄の塊だった。


「東の空から飛んできたとも言われてますし、月が重なったときに現れた、とも言われています。村人達も与太話だとしか思っていないらしくって、そのあたりは曖昧なんです」


 シエスタが困ったように言うと、一方通行はそォか、とだけ口にした。
 目の前には戦闘機。そういう知識は乏しい一方通行だが、たしか、零式艦上戦闘機。ゼロ戦と聞けばポンと手を打つものもいよう。それは第二次世界大戦期の代表機で、学園都市という最先端に居た一方通行からするならば、骨董品もいいところ。鉄くず程度の印象しかないはずだったが、これが『ここ』にあるという事実。それは虚無以外に何も期待していなかった一方通行に、多少の驚きを与えた。


「パイロットは……、……これに乗ってた奴はどうなった」

「死んでます。……実は私の、ひいお爺ちゃんなんです」

「……なるほどな。まァ、言われりゃどこかそォいう血が流れてねェとも……」


 一方通行はシエスタの顎に手を伸ばし、しかしそれは華麗に避けられた。
 自重したように鼻で笑った一方通行は、その手をそのままゼロ戦へと。ぴたりと触れれば、何のことはない、ただの鉄くずだ。一秒とたたずに、本当に鉄くずに出来る程度のものだ。


「俺ァオマエみたいにはならねェよ。UCCもジョージアも無ェ世界なンざ、俺には耐えられねェ」


 望郷の念は無糖缶コーヒーに向けられて。
 だが、


「佐々木武雄、ね。……見たモン聞ィたモンを簡単に忘れちまえるよォな、そンな出来の良い脳みそじゃねェンだ、俺のは。覚えとくぜ、アンタの名前」


 こつん、と一方通行は指先でゼロ戦を弾いた。
 




◇◆◇





 お構いなく。そうは言ったものの、何のお構いもないはずがない。なんと言っても平民の家に、四人の貴族が現れたのだ。シエスタの母はあまりのことにひっくり返り、父は身を投げ出して平伏した。
 ルイズはいいから顔を上げなさい、と。


「あなたの娘、よく出来た子よ。あなたと、そこでひっくり返ってるお母様の教育がよかったんでしょう。誇っていいわ」

「あり、ありがとうございます」

「最高よ、シエスタは」

「は、はぁ……」

「……でも、お酒は飲ませないようにね」

「……、ま、まさか、……飲ませたの、でしょうか、シエスタに……?」

「私の胸の中にしまっておくわ。……というか、恥ずかしくて公言できないわ」

「もしや、もしやもしや、大変な失礼を……?」

「しまっておくのよ、これは、私の胸の中に」


 ほろり、とルイズは涙を流した。小さな胸の中に秘められたもの。それは、シエスタに酒を与えるのはいけないという、たった一つの事実。
 その後、狭い食卓を貴族平民並んで埋めて、タルブ名物、ヨシェナベのご披露となった。その独特な、しかし食欲をそそる匂い。貴族の四人が鍋に向かって鼻をならすのが面白かったのか、シエスタはくすくすと笑っていた。
 ルイズははふはふと息を付きながら食べて、横目に一方通行を見ると、手に持ったフォークを行儀悪くまわしていた。こら、と注意すると、違和感がありすぎる、と小さく呟く。このヨシェナベは、一方通行にとってフォークで食べるものではないらしい。
 そして、ご馳走様。おもにルイズとギーシュが美味い美味い言いながら食い尽くしたヨシェナベ。貴族も平民もなく同じ鍋をつついた、不思議な時間であった。





 夕方。腹もちょうどいい具合に膨れ、ルイズがぼんやりとしていると、


「ミス、少しお時間よろしいですか?」

「別にルイズでいいわよ」

「いけません。他の方もいらっしゃいますから」

「シエスタは真面目さんねぇ」


 そんな会話を楽しみながら、シエスタに手を引かれ向かった先は草原だった。わあ、とルイズは瞳を輝かせる。
 だだっ広いそこは、ついはしゃぎたくなるようなそれ。杖をついていなかったら、食後の運動と称して筋トレに勤しんだであろう。小さく可愛らしい花がちょこちょこと草の陰から顔を出していて、ついつい顔がほころんでしまう。
 ルイズは一方通行も連れて来たかったな、と心の中だけで呟いた。シエスタが一方通行を嫌っている(苦手?)のを知っているだけに、意外と気を遣っているのである。


「最後の最後で大当たりだったわ、この宝探し」

「ふふ、この草原をいつかミスに……」


 きょろ、とシエスタはあたりを見渡して。


「……ルイズさんに見せたいって、思ってました」

「ありがと。すごく綺麗。すさんでいた心が洗われるようだわ」

「あら、すさむなんてとんでもない。ルイズさんの心はいつでもピカピカです」

「えへ、言ってくれちゃってぇ……えへへ」


 このこの、とルイズはシエスタを肘でつついた。
 シエスタは本当にルイズをノせるのが上手い。そしてルイズ自身も、ノせられていると気がついている。しかし、シエスタのそれは、貴族に媚を売る平民のそれとは違い、気持ちがよかった。自身に何の見返りも求めてないのがよく分かった。先ほど彼女の父親に、メイド界を背負う、と言ったが、それはルイズにとって、あながち嘘でもないのだ。将来、本当にやってしまいそうな気がする。
 シエスタはルイズのお友達なのだ。学院に来て初めて出来たお友達。とてもいい子で、有能で、ルイズをいつも気持ちよくしてくれる。だから、一方通行とも仲良くして欲しい。ルイズはそう思っていた。 
 一方通行は特になんとも思っていないようだが、シエスタは一方通行を避ける。露骨にではないが、ルイズが一方通行と話していたりすると、なかなか話に入ってこなかったり。
 ルイズはどうしたものだろうかと考えて、


「ルイズさん」

「うん?」

「一方通行さんのこと、考えてます?」

「シエスタの事もね」

「……」

「ま、私は何とも言えないわ。私もキュルケと仲良くなるなんて考えてなかったし、ありえないって思ってた。でもまぁ、人生何が起こるか分からないわね。いまじゃこれよ、これ。宝探しとか来ちゃってる。タバサも変な子だって思ってたし、ギーシュなんて殺したいと思ってたわ、実際。けどさ、意外と変わるモンなのよ、これが」

「……でも、あの人、いつかルイズさんの側からいなくなっちゃいます。そんな気がします」

「そうね。私もそんな気がしてる」


 ルイズはおどけたように肩をすくめた。


「そのときはそのときよ。だからちゃんと私の側に居るように、何回だってぶつかって、たくさんお話しなきゃ。私の使い魔なんだもん」

「心配です、ルイズさんのこと」

「私は好きよ、シエスタのこと」

「私は嫌いです、一方通行さんのこと」


 だって、とシエスタは指先をこねくり回した。


「だって、ルイズさんったら、いっつもあの人の事ばかりなんですもの」

「あらやだ、モテモテじゃない、わたし」

「ずっと前から、ルイズさんは素敵ですよ」

「またまた、言ってくれちゃってぇ」


 ルイズは皆と仲良くしたいのだ。どこかに旅行に行くとき、『アイツとアイツは呼ぶな』のような関係は、嫌なのだ。
 シエスタもルイズの言いたいことは理解しているのだろう。肘でつつくルイズの頭を撫でながら、柔らかい笑顔を作った。
 ルイズは自分と、シエスタと、キュルケと、タバサと、一方通行。まぁついでにギーシュも呼んでやらなくはない。この六人で、いつかお茶会を開きたいと思っている。夏期休暇はもうすぐで、ヴァリエールの領地を使って、ほんのちょっとだけ豪華にやってもいい。他にも仲良くなれる人物が居るのなら、それだってたくさん呼んで。これが私の友達よ、と家族に紹介して。ツェルプストーを呼ぶとは何事だって怒られても、それでもいいのだ。
 ルイズの人間関係は、一方通行を召喚してから随分と良くなった。彼のおかげで皆と仲良くなれた。そう言って良い。だから、皆と仲良くしたいのだ。


「シエスタ」 

「はい」

「アイツのこと、シロって呼んでいいわよ」

「それはちょっと……、時間がかかりそうです」


 困ったような笑顔でシエスタは言った。
 けらけらと、ルイズは笑った。





 そして、二日ばかりを家族と共に過ごすというシエスタを置き、一行はタルブを発った。シルフィードは五人を乗せても余裕の表情。
 あーあ、とルイズは横になった。帰ったら、面倒な事がある。祈祷書を前にして、さぁ働きなさいよ、私の頭脳。
 そのときは、ちっとも考えていなかった。戦争なんて現実味は。そんなもの、遠目に見えるタルブの草原に、全部消えていってしまったから。



◇◆◇





 港町ラ・ロシェール。空の船の港。キュルケがフーケと一緒に運動会をしたところだ。そこにワルドは居た。町に降り立っているわけではなく、上空、『レキシントン』艦上に。竜騎士隊を率いるワルドは、自身が乗る竜の頭を撫で付けていた。
 そこで、どぉん! どぉん! どぉん! 礼砲である。
 アルビオン艦隊からのそれは竜を興奮させ、ワルドは若干焦った様子で手綱をひいた。ロバ・アル・カリイエの技術を使って作られた大砲は、例え空砲であっても空気を震わせ、びりびりと肌に刺さる。


「あーあーあーあー、始まったよ。下劣だね、どうにも」 


 ワルドは言って、トリステインから七発の答砲が返ってくる。もちろん、それも空砲。


「あっは、七発? 七発しか撃たれないのか、アルビオン!」 


 答砲は、貴族の位で数が決まる。トリステインはこの『レキシントン』を見ても、七発ほどの価値しかないと判断したのだ。もちろん皮肉を多分に込めて撃った答砲であろう。しかし、これが始まりの合図だとは、トリステイン貴族の誰もが考えてはいまい。
 そう、この答砲(七発。こみ上げてくる笑いをワルドは抑えた)こそが、始まりの合図なのである。
 アルビオン艦隊の最後尾、旧型艦『ホバート』が、火を噴いた。そして爆発した。


「派手にいったね。この作戦を考えた奴は……紙一重だ、色々と」


 ワルドは考えて、確実にクロムウェルではないのだろうな、と思った。あいつに、こんな度胸試しのようなことができるわけがない。黒幕はシェフィールドか、その後ろに居るものか。
 思考が深く沈みそうになり、いけない、と頭を振った。くるりと向き直るは、アルビオン竜騎士隊。どの国よりも竜を扱うのに長けていると言われる彼等は、当然だが、いきなり隊長を任されているワルドを快く思っていない。
 ワルドは口の端を持ち上げて、言った。


「あー、諸君、僕はトリステインを裏切ってこの地位についている」


 ざわ、と俄かに騒がしくなる。


「そんでもって、そのトリステインに今から攻め入ろうという。まったく、なんだかねぇ……。まぁいい、僕の心情なんか、竜を操る諸君には一切関係ない。そう、関係がないんだ。僕が何を考えているかなんて、君たちは一切考えなくていい。この戦争の意味もまったく考えなくていい。そして閣下、皇帝クロムウェルの思惑なんて、全然関係なんてない。僕達がやるのは戦う事だ。それだけだ。僕を気に入らないと言って後ろから撃つのはよせよ? さすがの僕も、背中には目がついていないからね」


 そこまでワルドが言うと、どこからかクスクスとした笑いが上がった。


「お、いい反応だ。それでいこう。笑え、こりゃ戦争だ。くだらねぇ事やってるぜ、僕ら、なぁ! ふん、こんなくだらねぇ事で死ぬのなんて、真っ平ごめんだろ? だったら生き残れ! 気にするな! トリステインに居た僕が保証するさ! あいつ等、空戦なんかできやしねえよ! アルビオンの竜騎士隊は、最強なんだ! 僕を裏切り者と呼ぶのはいい! 誇りが無いと後ろ指を差されたって、僕は怒らないさ! ただ、馬鹿みたいな死に様はごめんだね! だから───」


 大きく、大きくワルドは息を吸った。


「───だから! 生き残れ!!」


 しん、と音が消えたのは一瞬。オオー! オオー! オオー! と男たちは吼えた。
 アルビオン竜騎士隊独特の、礼咆三哮。本来は帰還した仲間に向けられるもの。だが、それはいま放たれた。誰もが、自分は帰還すると、そう誓った証だった。
 ワルドが颯爽と竜にまたがると、隊員もそれに習う。


「さぁ、戦争だぞ……!」





◇◆◇





 ラ・ロシェールに展開していた国賓歓迎艦隊の全滅。それはすぐに王宮へと届けられた。それと同時に届く、アルビオンからの宣戦布告。
 すぐに将軍、大臣などの上級貴族が招集され、会議が開かれるが、どうにもこうにも話がまとまらない。
 アルビオンはトリステインが先に撃ってきたと言っているのだ。それは、無い。確実にありえない。いまの情勢を見て、ここでトリステインがアルビオンに喧嘩を売ることは、まずあり得ないのだ。
 それは当然誰もがわかっていたことだろう。わかっていて、それをどうするかという会議なのだ。


「まずは事実を確認するべきでしょう! トリステインが望むものか、こんな戦争を!」


 やんややんやとそれぞれが思ったことを口にして、会議は喧騒に包まれた。
 アンリエッタは静かに目を瞑り、どうするのか、誰の意見を聞くべきか、自分はどうしたいか、と。戦争は、正直なところ、望ましくない。ここまで奇襲をかけられたら、それを持ち直すのは非常に困難だ。
 会議の打診をする? 遅いであろうか。ああ、遅いのであろう。もう、始まってしまっているのだろう。このまま国土を侵されていく。その想像はとても簡単にアンリエッタの頭の中に浮かんだ。
 そこで、いったい誰であろうか。誰かが言った。


「偶然の事故が、誤解を生んだようですな」


 ぴく、とアンリエッタの眉が動いた。眉間のしわが徐々に深くなっていく。
 偶然だと、それは本気で言っているのだろうか。アンリエッタは自身、政に詳しくは無いと思っている。当然である。これまでの十余年、そういったことに触れたのはごくわずかだ。教育は多少なりとも受けているが、それに参加できるほど詳しいわけではない。
 その詳しいわけではないアンリエッタでさえ分かるのだ。これがただの偶然であってたまるものかと。考えて見せろ。おかしいではないか。このタイミングで、もっともトリステインが恐れる事態が、このタイミングで、偶然で起こるものか。
 アンリエッタは気を落ち着けるようにふぅぅ、と息をはいた。

 情報の錯綜は起こらず、事実は事実のままアンリエッタへと飛び込んでくる。いま、タルブを収めていたアストン伯が戦死したらしい。偵察に向かった竜騎士隊も死んだらしい。問い合わせを行っているアルビオンからの返答は無いまま。
 それでも、会議は進まずに、喧騒ばかりが大きくなっていく。国が終わる。国が、民が、死んでいく。
 一番頼りに出来そうなマザリーニを見れば、彼も結論を出せないよう。出来るならば外交での決着を望んでいるのだろうが、恐らく彼もわかっているのだ。それは不可能だと。


「タルブ村、炎上中です!」


 それを聞いて、アンリエッタは静かに、しかしどこまでも通るような、氷のような声で言った。


「もう、ここまででしょう」


 大臣達の視線は一斉にアンリエッタへと向いた。しかし、それを受けても揺るがない何かが、アンリエッタにはあった。


「姫様! なんてこと───」

「もうここまでなのです! ……脆弱なトリステインを見せるのは、ここまでなの。国土が敵に侵されています。いま。同盟は、いつになったら出来ますか? ゲルマニアとの話し合いは、いつになったら終わりますか? それから援軍を送ってもらえるとして、それはいつになりますか? いまでしょう? タルブが燃えているのは、いまなのでしょう!?」

「しかし姫、これは誤解が原因で……」

「これを誤解ととるのならあなたは大臣をおやめなさい。礼砲で落ちる船があるのなら、それを私の目の前に持ってきなさい」

「我等は……、不可侵条約を結んでおりました。あくまでも事故なのです」

「ではその条約にこうあったのでしょう。『礼砲は宣戦布告の証明である』。仕方がありませんね、文化の違いが呼んだ戦争です」

「姫様っ!」


 ばぁん! とアンリエッタはテーブルを叩いた。びくりと肩をすくめる大臣達に、各々視線を送る。
 結局のところ、この者たちは死にたくないばかりなのだ。アルビオンは大国。戦いになっても、おそらくは勝てないであろう。敗戦後の事をすでに考えているのだ。実に政治屋らしい判断である。
 だけど、とアンリエッタは考えた。この身は、王族なのだ。ウェールズと同じ、ルイズが立派だったといった、王族。


「あなた方の考えは分かります。わたくし、そこまで馬鹿ではありません。負けた後のことを考えるのは当然なのでしょう。……しかし今、やるべき事は何ですか。こうも簡単に国を蹂躙されて、それに屈しますか。同じ血を分けたアルビオンの王族を殺し、ここまで容易く条約を破り、言ってしまえば調子に乗っている彼等にッ、屈するのですか! 同盟? 条約? 特使? ……履き違えないで! これはね、侵略行為なのよ! 戦わねば、生き永らえたって同じことなの! あなた方は人形のように、アルビオンに対して膝を付きますか!」


 そこまで言ってアンリエッタは、私はごめんだわ、と小さく呟いた。
 しん、と静まった会議室。アンリエッタは黙ったまま席を立った。扉を両手で荒々しく開けて、


「近衛! 馬車を用意なさい! 指揮は私が執る、各連隊を集めろ!」

「っ姫殿下! いけませぬ、姫殿下!」


 はっとした様子でマザリーニが。


「興入れ前の、大事なお体ですぞ!」

「マザリーニ! この状況でまだ私に結婚を勧めるか!」

「是非もなし! この状況だからこそ!」

「ではついて来なさい! この戦争が終わったら私は女王よ! 枢機卿、貴方の目にかなう仕事をしなくてはなりません!」


 マザリーニは大きくため息をついた。
 子供の頃から知っている姫が、この一瞬で、とても成長した。それは喜ばしい。ぎらぎらとした瞳にも、好感がもてるというもの。
 しかし、


「ああなんと、なんということか。このようなところで決断されて、なんということをなさる。あなたはここで、私の予想を飛び越えていきますか」


 マザリーニにも分かっているのである。もはや、外交努力でどうこうなる状況ではない。
 アンリエッタの馬車に自身も乗り込み、マザリーニは再度ため息をついた。


「マザリーニ」 

「はい」

「迷惑をかけます。本当に、ごめんなさい」

「……よいのです。ご成長、嬉しく思います。私も安心して天に旅立つことができるというもの」

「貴方をそんな所には行かせはしない……、と言えないのが、寂しいわ」

「では奇跡を待ちますか。誇り高き血を守る、始祖の奇跡を」


 マザリーニがそういうと、アンリエッタはふと思いついたような顔をした。


「……マザリーニ」

「はい?」

「貴方、良いことを言いました」


 アンリエッタは馬車の中でさらさらと筆を滑らせた。
 それを見たマザリーニが、おお、おお、とひどく疲れたような声を出す。


「友を、戦場へと呼びますか、姫様」

「……一パーセントでも、それが勝ちに繋がるのなら、国のためになるのなら、私は鬼にでもなりましょう」

「貴女は……。この戦争が終わってなど、とんでもない……、貴女はすでに王です」


 傍から見て涙を我慢していると分かるアンリエッタを見、それを知らん振りして、マザリーニは自身の瞳からも涙があふれている事に気がついた。辛い道を歩んだ姫を、これからも最大限助けていこうと誓う。
 そう、その友情は崩壊するかもしれないのだ。マザリーニだけは知っていた。アンリエッタが楽しそうに口にする、それ。
 『もしかしたら、私のお友達が、虚無の祝福を受けているかもしれないわ』
 マザリーニ自身は話半分に聞いていたのだが、どうにもこれは、この状況で呼び寄せるほどには信憑性のある話なのだろう。もしかしたら、どこかで確信したのかもしれない。
 ぽた、とアンリエッタの瞳から、ついにこぼれた涙を見ても、マザリーニは知らん振りを続けた。





◇◆◇





 さて、どう伝えようか。話がある、と言うのはなんだか照れくさいような気がするし、どうにもカッコつけている。何でもないように話すのが一番だろうか。しかし、何でもないように話して、内容はアルビオンの皇太子を殺した事なのだ。さすがにそれは違うか、と一方通行は空の上で考えていたのだ。シルフィードの背中の上で。 
 学院に到着すると、そこは俄かに騒がしい。何かあったんだろうか、と一方通行はシルフィードの背中から飛び降りた。手近な学生を捕まえて、


「おい、どォしたってンだ、この騒ぎ」

「せ、戦争だ。アルビオンが攻めてきた、戦争なんだ」

「……あァ?」


 アルビオン。つい先日まで国内で戦争をしていて、それが今度はトリステインに攻めてきたという。
 一方通行はよほど戦争好きの馬鹿がトップに立ったのだろうな、と思った。この短期間で、よくもまぁやってくれるものである。こんなことならもうちょっと『ゴミ』の数を減らしておくべきだったか、とも。
 しかし、これは一方通行には関係のない話で、ここに居る学生達もあまり切羽詰っているという印象は無い。やれやれ、と一方通行は肩をすくめた。


「なんなの? どうしたの、これ?」


 ルイズがシルフィードの背中から、タバサの魔法に助けられながら降りてきて、杖をついた。相変わらず、足の怪我は治っていない。


「アルビオンが攻めてきたンだと。こっちの世界にゃ戦争以外の遊びはねェのか?」


 一方通行は咽喉を震わせながらそう言った。
 どいつもこいつも、クソッタレばかり。そう感じていて、事実そうではないか。一方通行にとって人の命はあまり重いものではないが、この世界の命の軽さはすごいと思わせるものがある。 どうにも現代日本が基準のせいでそう感じるのだろうが、それでもやすやすと捨てていいものでもあるまいに。

 関係ない。一方通行はその思考を放棄。もっと大事な事は、自分の精神状態を不安定にさせるウェールズの事。殺した事。
 一方通行はルイズに声をかけようとして、その顔が真っ青になっている事に気がついた。


「……行かなきゃ」

「あン?」

「い、行かなきゃ! タルブ村!」

「はァ? なに言ってンだ、オマエ」

「だって! アルビオンが攻めてきてるのよ!? アルビオンから来た艦隊の降下ポイントなんて! この辺じゃあの草原しかないじゃない!」

「……いや、そォいう事じゃねェ」


 一方通行は目頭を押さえた。冷静に。いま話したいのは、こういうことではない。


「そォいう事じゃなくて、そこに行って、オマエは何しようって?」

「シエスタ! シエスタが危ないじゃない!!」

「あァ……?」
 

 もともと気は長くない。
 瞳の奥に、暗い色が映った。


「───ッハ! ンだァテメェ! それ助けるために、また戦争に行こうってか!」

「ち、違う! 戦争に行くんじゃない! シエスタを助けるために───」


 しまった、と言う顔を、ルイズはしていた。
 一方通行はそれが余計に腹が立って、ようするに、一方通行が戦争嫌いという事を知っていて、それでこの発言? なんだそりゃ。舐めるのも大概にしろ。いちいちいちいち、癇に障る。イライラが募る。この自分自身の反応に。


「そりゃ戦争に行くって事だろォが! ふざっけンじゃねェぞ! そンなに人殺しがしてェかよ! あァ!?」

「殺さないわよ! 私決めたんだもん! 殺さないって決めたんだもん!」

「ッぎゃは! 決めた? 決めたってかァ!? ───、……なンだそりゃ? 殺さねェって、覚悟したっつーわけ?」

「そ、そうよ!」


 ルイズは確かに瞳を輝かせた。覚悟。そういっていい決意が、ルイズの中にはある。
 だが、一方通行から見るに、そんなものは無意味だ。覚悟? そんなものが、簡単に出来るわけが無いのだ。
 デルフリンガーから聞いた話では、暴走状態に陥って、結局はワルドを殺そうとしたという。そんなルイズを、一方通行が信用できるわけが無い。するつもりも無い。
 とりあえず落ち着こう。そう思った一方通行だが、


「私は殺さない! ちゃんとそう決めたし、生きて返ってくる! だから、だから行くの! タルブに行くの!」


 ダメだ。どうにもこの女とは、噛み合せが悪いらしい。


「……だろォが」

「え?」

「そのザマッ! だろォが!!」


 ばがぁ! と一方通行はルイズがついている杖を蹴り付けた。形が残らないほどに、最早それは粉になって姿を消す。
 補助杖が急に消え、ルイズがバランスを崩してころりとすっ転んだ。
 あう、と小さな悲鳴が聞こえたが、一方通行は知った事かとその髪の毛を掴みとり地面へと叩きつける。ごん、ごん、と二度ほどそれを繰り返して、おびえる様に目を見開いたルイズへと続けた。


「あァ!? たった一回殺し合いの中に入っただけで、テメエはそのザマだろォが! 自分ひとりじゃ起きれねェ、杖がなけりゃ歩けもしねェ! ───殺す事も知らねェで、自分は殺さねェってほざいて! それで戦争に行くっつったかテメェ! それが出来ねェから戦争なンだろォが!! それが出来ねェから人が死ンでンだろォが!!」

「それでも私は助けたいの! シエスタが心配なの! だから私は───、殺さないのぉ!!」


 暴れるルイズを押さえつけて、


「テメェが殺さなくても───! 、ッ……、……」


 俺が、殺しちまうンだよ。
 なぜだかそれは、言葉に出来なかった。脱力感が体を襲う。なんだか初めての経験だった。
 一方通行は鼻血を噴出し始めたルイズを開放し、一応辺りには聞こえないようにと、その程度の冷静さは残して、静かに口にした。


「……はっ、なンつったよ、アイツ。ウェールズだったか?」

「?」

「くは、笑っちまうぜ。ありゃよ、俺が殺してンだ」

「……い、意味わかんない」

「言ったとおりだ。アイツ、まだ死ンでなかったンだよな。首の骨叩き折ったらイッパツだぜ。勇敢? ンなわけねェだろ。どこまでも無様に死ンでンだよ」

「い、いい意味、わかんない! 馬鹿! 馬鹿シロ! きらい、だいっきらい!!」

「くく、初めて意見があったじゃねェか」

「なんなのよあんた! しらない! あんたなんてしらない!」


 ずりずりと足を引きずって、ルイズは駆け出していった。キュルケとタバサに鼻血をふき取られていて、涙がぽろぽろ零れていた。
 分からない。どう考えても、シエスタはもう避難しているだろう。それが出来ていなかったら、死んでいるだけではないか。
 精神的なズレ。そこもまた、すれ違い。伝えたいことは最悪のタイミングでカミング・アウト。どこまでも子供で、どこまでも我侭な一方通行は、他人の心を計るすべを知らなかった。


「いいのかい、君?」

「……あァ?」


 ギーシュだった。彼はルイズよりも、一方通行のほうへと歩みを寄せていた。なにがそうさせたのかは分からないが、そうしなければならないような気がしたのだ。


「守ってやればいいじゃないか。それだけの力を、君は持っているだろう?」

「く、くひ、はは、ははは!」


 一方通行は不気味に唇を震わせた。


「出やがったな、『守る』。ひゃは、……俺に不可能があるとすりゃァよ、まさにそのそれ、『守る』ってやつだろォな……」


 自身の両手を一度だけ開いて、握って。
 くだらない事をやっている、と一方通行はギーシュに背を向けた。どうしたらよかったのかなんて、それが分かれば苦労しない。



[6318] 17
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:f417fde6
Date: 2010/12/13 13:36

17/~虚無の発動~





 ルイズはデルフリンガーを左手に持って、動きの悪い足を無理やりに動かして、シエスタの生家へ向けて走り出した。
 ここまではタバサのシルフィードで飛んできている。シルフィードには悪いことをしてしまった。学院についたかと思ったら、すぐさまにとんぼ返りでタルブまで運んでもらって、しかもそこは、ここは、戦場なのだ。帰ったら肉の一つでも奢ってやらねばなるまい。帰ったら、帰れるのなら。
 上空から見えたタルブの草原は赤く燃えていた。火がいたるところから立ち上り、若草は踏みにじられ、可愛らしい花々はこれでもかと蹂躙されて。

『この草原を、いつかルイズさんに見せたいって思ってました』 

 優しく微笑みながら、少しだけ照れた様子でシエスタはそう言っていた。シエスタはかわいい。大きくて真っ直ぐな瞳はいつでも柔らかくて、少しだけ低い鼻は愛嬌があって、その口はいつでもルイズを励ましてくれて、肌は貴族が羨むほどにすべすべで。
 ルイズはシエスタの事が大好きだ。優劣なんて付けれるものではないが、家族と同じくらいにだぁい好きなのだ。
 そんな彼女が好きとだといった草原は、いま燃えている。どうしようもなく燃えている。
 涙が出そうになった。とても悲しくなった。人間であれば誰でもそうであるように、きゅう、と胸の辺りがせつなくなった。


「シエスタぁ……!」


 ルイズは村を走った。
 トリステインの王軍はどうやらここに拠点を構えているらしいが、それは殆ど目に入らない。現実として視野が狭くなっている。とにかくシエスタが心配だった。
 向かう先の家を視界に納め、扉を荒々しく開いた。
 平民の家など、中を探すような事をしなくても、人間が居るのかどうかが分かる程度の広さでしかない。そしてこの家、シエスタの家には、人の気配はなかった。
 よかった、と胸をなでおろした。ここに来るまで、村人達の姿は見えなかったのだ。どうやら他のものと一緒に非難しているらしい。


「よかった……、ほんと、よか、よかった……」 


 ほっと一息つくのもつかの間。


「ルイズ!」


 聞き覚えのある声。
 振り向けばそこにはアンリエッタが居た。角を輝かせるユニコーンまたがり、なぜだかドレス姿のアンリエッタは、ルイズの脳みそを若干馬鹿にして、ルイズは中々答えを出せずに居て、


「姫様。……、……姫様!? な、なにしてるんですか! こんな、敵の真正面に出てきて!」

「……なんですって? 私はここに居ると、伝えませんでしたか? あなた、手紙を読んでここに来たわけではないの?」

「は、えあ? す、すみません。今日学院に帰り着いて、それですぐさま飛んできたものですから」

「なるほど。それでそんなに大荷物なのね」


 アンリエッタの瞳は、弱さを奥のほうに隠してしまっていて、ひどく危なげだった。
 何かあったのだろうかとルイズは思ったが、相手は王族。ウェールズの考え同様に、完全に理解できるはずはない。さっさとその中身を知ることを諦めた。 
 アンリエッタが少しだけ考えるように俯いたのを見て、ルイズは緊張感を高める。


「ルイズ」

「……はい」

「戦ってくれますね」

「……」


 くれますか? ではなかった。くれますね。アンリエッタはそう言った。
 それは、ルイズが断ることの出来ない立場にあるのを知って、そう言ってきているのだ。相手は王族。こちらは貴族。確かに公爵家。断ろうと思えば、断れるのかもしれない。
 ごく、とルイズは生唾を飲み込こんだ。ひどくベタベタしていて、逆に咽喉にからんでしまう。左手から、熱が伝わってくる。


「ルイズ」

「わ、わたしは……」


 けれども、しかし、何の不幸か、ルイズには戦う力があった。以前までのような『ゼロ』なら、頼りになどされるようなこともなかったろう。しかし、アンリエッタは知っているのだ『土くれ』を相手に出来る程度の実力を持っていると。


「戦いなさい、ルイズ」

「わたしは───」


 なんと言えばいいのか、分からなかった。目の前にある戦争に怖気づいて、それに背を向けるのは、貴族としていかがなものかと思う自分が居た。だけれど同時に、一方通行が悲しむ、いや怒る、と思う自分も居る。もう完全に怒らせているけれど、あれ以上怒らせたら、どうなってしまうのか。
 ルイズが答えを出せないでいると、アンリエッタはユニコーンから降りた。一歩一歩、ゆっくりと歩を進めて、ルイズへと近づいてくる。ルイズはいやいやするように首を振って、瞳に溜まった涙は今にも落ちそうになっていた。
 逃げるように後ずさるルイズをみて、アンリエッタが困ったように笑みを浮かべる。


「ルイズ、祈祷書は持っていて?」

「……? う、うん、もってきてる……」

「お出しなさい」


 ルイズは背負ったサックからそれを取り出して、アンリエッタは目ざとく、紐(縄?)まで一緒に取り出した。
 後ろを向いて、と言うアンリエッタの言うとおりに振り返れば、戦争が広がっていた。どこを見ても戦っていて、なにを聞いても剣戟と雄たけび。ぶるり、と体が震える。
 そしてそれにぼんやりとしていると、紐がお腹の辺りを回っていた。脇の下にも通されて、少しだけくすぐったくって、最後に首の後ろできゅ、と結ばれる。なんだろうかと思ったら、始祖の祈祷書はルイズの背中に括りつけられていた。
 なんだろうかとルイズが考える前に、彼女は後ろから優しく腕を回してきた。ちゅ、ちゅ、と首筋に二回キスをされて、ルイズは小さな肩にその額をのせられて、


「あ、あの……」

「……」
 
「ひ、姫様?」

「……戦いなさい、ルイズ」


 その声には泣きが入っていた。ずる、と鼻を啜る音まで聞こえてくる。


「ルイズ、わたしを、たすけなさい……。貴族の役目を、はたしなさい……」


 その瞬間、ルイズは理解した。いや、初めからわかっていたのかもしれない。彼女は王族なのだから何を考えているのか分からない。そう思い込もうとしていただけなのかもしれない。そう思っていれば、何をお願いされようと、諦めがつくから。
 しかし、違ったのだ。ルイズがそう思っていたように、やはりアンリエッタも自身のことを友達だと思っていてくれていた。それが伝わってくる。首筋に感じる温もり。戦争に行けという言葉の裏側。
 だって、 


「……離してくれなきゃ、いけないじゃない」


 ルイズはいつまでたっても離れないアンリエッタにそういうと、彼女は余計に強くルイズを抱きしめた。


「だって、あなた……、あなた、いくんでしょう?」

「姫様がそう言ったわ」

「そうだけど、わたしは……、……いえ、そうよ……そう。行きなさい、ルイズ」

「まかせてください、姫様」

「……昔みたいに呼んで」


 まいったな、とルイズは頭を掻いた。視線をアンリエッタの後ろに控えている近衛に向け、聞こえないように、少しだけ声を小さくして言った。


「行ってくるわ、アン」

「……いってらっしゃい、ルイズ」


 ルイズはアンリエッタにくるりと振り向かされて、その時には、彼女から弱弱しい気配は消えていた。凛とした、姫の、王族の気配が漂ってくる。
 涙の跡をぐいとふき取ったアンリエッタが、杖をとった。たん! と一度だけ地面を叩く。
 ルイズは膝を突いて頭を下げた。


「汝の忠義、我に示せ! 存分に戦え、戦女神!」


 ああもう恥ずかしい。なによそれ。
 そうは思うも、それは確かにルイズの背中を押した。





◇◆◇





 本来ならばそれは、さっさと攻撃を仕掛けるところであった。
 相手のトリステイン艦隊はほぼ全滅。補充された竜騎士もそう多くはない。そうなれば、次は地面だ。空から見れば米粒のようなそれらを蹂躙する。それこそがワルドの、アルビオン竜騎士隊の仕事だった。
 だが、それは小さく、しかし戦場にいてなお馬鹿でかい存在感を放つそれに邪魔されてしまった。


「ルイズ!? なんでルイズが!」

「隊長! どうされましたか!」


 風を切り、隣に隊員がやってくる。
 まさか元婚約者がいるから攻撃したくないとは言えず、


「いいや、何でもない! はっは! 勝ち戦だなこりゃ!」

「ええ! どうされますか、制空権は取ったも同然です! 地上を殲滅しますか!」

「いいや! 地上部隊の仕事を奪うのは悪い! 僕も地上の連中に目を付けられるのは怖いからね!」

「なるほど確かに! では───」

「ああそうだ! 空の残党を狩る! 撃墜数は数えておけよ! 帰ったらそのぶん飲ませてやる! 地上の仕事を楽にしてやれ!」

「了解!」


 竜騎士達は次々と、少しだけ離れた場所にいる空の残党へと飛んでいった。
 そう、残党だ。最早空での決着はついたも同然。ワルドは確かに優秀だった。自身が先頭を切って敵へと突っ込むその姿勢も隊員たちから認められ、戦えば戦うほど結束は固いものとなっていく。『風』を使った指揮も、単純ながらも、それゆえに正確で、自身の手足のように部下を使うその手腕。ワルドは強かった。
 その強いワルドがと大きくため息をついた。びゅうびゅうと流れる風のおかげで誰にも聞こえてはいまいが、つかずにはいられなかったのだ。


「……死ぬなよルイズ。こんなところで死んだら、つまらんぞ」


 地上に向けられた視線には、ほんの少しの優しさが乗っていた。





◇◆◇





 その男は今、まさしく今、死にかけていた。乗っていたマンティコアから叩き落され、その目の前には、迫る亜人の棍棒。太く、硬く、大きくて、若干黒光りしているそれ。そんな一撃を入れられてしまったら、一発での昇天は間違いなしだった。
 しかし、そこに彼女が来る。人間が出せる速度を優に超えて、猫化の猛獣のようにも見えたし、今まで乗っていたマンティコアのようだとも。
 男の目の前まで迫った棍棒は、


「───うぁらァ!!」


 じゃぐ! と果実をかじるそれに似た音を立てて、二つになった。
 信じがたい光景に放心する事無く、男は急いで体勢を立て直し、マンティコアへとまたがった。
 

「礼を言う! 所属はどこか!!」
 
「無い! ラ・ヴァリエールのルイズ!」


 男を助けたのは、もちろんの事ルイズだった。
 亜人、トロル鬼の自慢の一物を断ち切ったルイズは油断無くデルフリンガーを構え、叫ぶように答えたのだった。


「なるほど! 見れば目元がよく似ておる! 母親似だ! ヴァリエールもこの戦争には参加しておるのか!」

「それも無い! お父様とお母様には期待しないで!」
 

 ルイズは大声で怒鳴った。
 獲物を失い、素手で殴りかかってくるトロルの拳を一歩下がるだけで避け跳躍。人間を超えた身体能力は、目の前にトロルの顔を映すほどにルイズの身体を持ち上げ、


「っふん!」


 剣の腹で、顎をピンポイントで殴りつけた。ぶぎゃ! と豚に似た悲鳴を上げてトロルは崩れ落ちる。
 ルイズはすぐさまトロルから視線を外し、倒すのに時間と労力を割く亜人部隊を探した。さすがのルイズも一人で戦争が出来るとは思っていない。いえばルイズは遊撃隊のようなもので、戦線をなるべく混乱させずに敵を倒すのが自分の仕事だと割り切っているのだ。奇襲を受けている今、混乱する戦線など無いも同然なのだが。
 騒がしい辺りを見回し、剣を振ってきた男を、その甲冑の上から裏拳の一発で昏倒させて、


「殺さんのか!」


 そう、問いかけられた。
 マンティコアに乗った男は、別に責めているという風には見えない。ただの疑問だったのだろう。
 しかし、ルイズにとって、それは非常に大きなものだった。心の中心に居座っている彼を、どうしても思い出してしまう。
 きっと怒るだろう、一方通行は。返ってきた能力に任せて、こんなことをして。だから、最後の一線。ここだけは譲らない。殺さないと、一方通行に言ったのだ。それだけは絶対に嘘にしたくなかった。


「わたしは人は殺さない!」


 その怨念を殺す。とは言わないが、戦意さえ喪失させれば、殺す事は無い。
 殺す覚悟? 笑ってしまう。そんなものを持つくらいなら、殺さない覚悟を立てろ。偽善だと、それは偽物だといわれても、ルイズはそうじゃないといけないのだ。誰よりも、一方通行のために。


「だって私はご主人様だから! 使い魔に言って聞かせるの! 私の、貴族の誇りを!」


 意味わかんないのだ。ウェールズ殺したとか、ホント意味わかんないのだ。
 意味の分からない事は、きっと、話し合いで解決しなければならない。分かり合わなければならない。すれ違いを起こしている心をすり寄せて、何を考えているの? って、どうしてそういうこと言うの? って。
 だから! ルイズは叫んだ。鬱々とした気分を晴らすように。彼女の左手は、そういう気分を嫌う。力が抜ける感覚が、そこにはある。だから強がる。もっと気を張る。


「だからぁ! そっちに行くなぁ!!」


 駆け出した。マンティコアと同等、それ以上。それほどの速度で。
 タルブに向かって走る部隊があった。村を、村に入られてしまったら、きっとトリステインは終わる。トリステインの戦力は、そう多くない。何よりもシエスタの家があるそこを火の海にされてしまうのはたまらない。ばったばったと、まるで演劇のように人間を蹴散らし、ルイズはわああああ! と、とにかく叫んだ。

 戦場で異彩を放つ学生服。女。その攻撃的な瞳。確かな実力。獣を超える速度。ルイズは非常に目立っていた。当然、戦場で目立つというのは、攻撃を呼び寄せてしまうのだ。
 どこからともなく魔法が飛んでくる。『風』、『火』。攻撃に適したそれは、


「なんとかしてよ! デルフリンガー!」

「こんな時だけ名前呼んじゃって!」


 ルイズはデルフリンガーを振りかぶった。


「たべて!」

「いただきますってなあ!!」


 振りぬいた。魔法は消えた。たしかに魔法は消えた。
 
 しかしとんっ、と小さな感触。
 
 いた、とルイズは小さく口にして、その左肩に矢が刺さっていた。デルフリンガーは魔法を吸収する事は出来るが、さすがに矢はどうしようもない。『火』魔法の、眩しさに隠れて飛んできたそれ。ルイズはとりあえず抜こうと思って握るが、抜けない。かえしが付いている矢が簡単に抜けるはずがない。


「ぬ、抜けなっ、これ抜けないわよ!」

「抜けねえよ! 気にしてる暇があったら───」


 雨のように矢が降ってきた。
 ぎょっと目を開いて、とにかく移動しながら剣を振る。ピュンッ。ピュンッ。顔面のすぐ隣を通っていく矢。相手も魔法よりもこういった武器のほうが効果があると分かったのだろう。徐々に魔法は牽制に使われるようになり、矢や、槍を持った男など、そういった『武器』がルイズを襲うようになってきた。
 太ももに刺さる。でも、気にしていたら、速度を緩めたら、その瞬間にルイズは死んでしまう。
 もちろん、当たり前だが、想像していなかったとは言わない。心臓が暴れまわるこの現状。ルイズが信じるガンダールヴが『押される』という事実。そして、死。


「きゃっ!」


 珍しく少女のような悲鳴。 
 じゃぶじゃぶ。
 じゃぶじゃぶ。
 脳が。脳に、ノルアドレナリンの分泌が、多くなってくる。怖くなってきた。だって、矢が、槍が、魔法が!
 ううう~……、ルイズは唸った。ぐぅう! 獣のように唸った。
 しかしそこで、


「馬っ鹿やろう! お前さん見せてやるんだろうが! 言って聞かせるんだろうが! 貴族の誇り! その何たるかってヤツを! 簡単に自分を見失うんじゃねえよ! この伝説の魔剣をなあ、このデルフリンガー様を使うお前が! 自分を簡単に見失うんじゃあねえよ!!」


 デルフリンガーが鍔を鳴らす。


「使え! 虚無を、―――ガンダールヴなんてちっぽけなモンじゃねえ! お前さんが最初から持ってる、お前さんの力を! この状況! この現状! 必要になったら使える! いま使わなくて、いつ使う!!」


 火照って冷えて、気持ちよくって怖くって。
 ルイズはまともな思考が出来る状態にはなかった。だけれど、それこそまさしく、ゼロの状態。
 指輪を付けろ。デルフリンガーがそう言った。ルイズはうん、と可愛らしく頷いて、指輪をつけた。
 なぜか体が勝手に動いていた。戦場を爆走しながら左手に魔法を吸うためのデルフリンガーと、少し握りが悪いけれど杖を持って、右手に、背中から紐解いた祈祷書を。


「さぁ、さあさあ! 思い出したぜこれだよなあ! ガンダールヴってのはな、時間を稼ぐ存在なわけ! 主人の時間を、詠唱を完成させるためのそれを! だがなあ娘っ子! あんたにゃ使い魔が居ねえ! なんてったって自分に刻んじまってる! だからよお───」


 彼(?)は興奮したように。


「───だから俺がなってやる! ルイズ、お前のガンダールヴに!!」


 デルフリンガーはルイズを操作した。ゼロの状態に入っているルイズの身体は、ぼんやりとした表情のまま、それでも機敏に動き続ける。むしろ、それだからこそよかったのかもしれない。
 デルフリンガーは自身を握っている使い手の身体を操作できる。それは当然、脳を操っているのだろう。魔法を吸ったぶんだけ、使い手の脳を操る事が出来る。けれど、使い手にも意思はあるのだ。使い手は右に行きたいのに、デルフリンガーが左に行かせようとするものならそれはかち合う。一つの身体に二つの意思。身体は癇癪を起こし、フリーズしてしまう。
 だけれど、いま。ルイズの意識が虚無になっているこのゼロ時間。この時間は、デルフリンガーこそがルイズなのだ。


「えるおー・すーぬ・ふぃる・やるんさくさ」


 詠唱が始まった。
 何の疑いもない子供のような、ママあれ買ってーとでも言いそうな、素直な素直な声だった。


「おす・すーぬ・うりゅ・る・らど」


 なにかを感じた。戦場に立つ誰もが感じた。
 ルイズからではない。周辺にいくらでも存在する空気(?)から? 違う?
 なにか危険な、神聖な、破壊的で、創造的で、何でもない、α、始まりのなにかのような、そんな力ともつかない、力ではなく、ただ虚無、なのに感じるなにか。ないはずなのだ。虚無なのに、ゼロなのに、0なのに、ルイズが詠唱を始めたとたんに感じる『なにか』。


「べおーずす・ゆる・すびゅえる・かの・おしぇら」


 ああ、あんた達が虚無だったのね。
 ぼんやり。ふわふわ。ぬくぬく。きらきら。どろどろ。ぎとぎと。かちかち。めとめと。ぱるぱる。ルイズは思考ともつかない、そんな思いで、『それら』を想った。
 『それら』はルイズがいつも感じているものだった。生まれついたときから、ずっと。それはルイズにとっての当たり前だったのだ。当然皆も感じているものだろうと考えていたし……いや、そんなことすらも考えていなかった。
 酸素だ。ルイズにとって、それは酸素と同じだった。太陽だ。ルイズにとって、それは太陽と同じだった。生命だ。ルイズにとって、それは生命と同じものだった。

 あって当たり前のものをどう感じるかという質問をされたら、どうするだろうか。実際、ルイズはいままでそんな質問をされたことはない。
 なぜなら、「ねえあなた、この『ここ』にある『ぼんやり』してて、『ふらふら』してて、『ぬくぬく』してて、『きらきら』してて、『どろどろ』してて、『ぎとぎと』してて、『かちかち』してて、『めとめと』してて、『ぱるぱる』してるもの、なんだと思う?」質問にすらなりはしないし、それには名前がついていなかった。
 だが今、ルイズの中でそれに名前がついた。0でゼロで虚無。『零のそれ』。


「じぇら・いさ・うんじゅー・はがる・べおーくん・いる……」


 ルイズの爆発は、どこで起こる。
 それは『そこ』で起こるのだ。杖の先から放たれるものではない。『それ』は『そこ』で、ルイズの意思で。
 

 「……えくすぅ───」


 デルフリンガーと一緒に、杖を振り上げた。
 選択は二つ。殺すか、殺さぬか。だったはずだが、ルイズはそんなこと考えていない。
 己の、この十六年間溜まりに溜まった精神力を、全部『零のそれ』に返してやろうと思った。ただその時に爆発が起きる。なぜなら、詠むことの出来る呪文は『エクスプロージョン』だけなのだ。
 殺すとは考えていない。殺さないとも考えていない。ただ爆発が起きる。それだけのことである。十六年間溜まった精神力で、どれほどの被害が出るかなど、ルイズは毛ほども考えてはいなかった。


「───ぷろーじょん!」


 剣と一緒に杖を振り下ろす。
 相変わらず、楽しそうで、子供のような、だけどもどこかぼんやりした表情だった。



[6318] 18/虚無発動編・二部終了
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:f417fde6
Date: 2010/12/13 14:45

18/~アクセラレーション・Ⅰ~





 学院長、オールド・オスマン。彼は自分の失敗にとほほとため息をついていた。
 姫が結婚の事で悩んでいると聞き、その時たまたま王立の図書館にいたものだから、ついでに顔を出したのだった。それはほんの三週間ほど前の話。ルイズがアルビオンへと旅立つ前の事だ。
 するとどうだろう。姫はなんとルイズに『お願い』を持ってきた。フーケを撃退したという話をしただけで、まさかそこまでの事になるとは、さすがのオスマンも読めなかった。
 そして今。たった今届いたそれ。


「あーなんじゃあ……、またわしが睨まれるんじゃろうなぁ……」 


 ルイズがいないという理由でオスマンの元へと届けられた手紙。
 もちろん、普通だったらしない。普通だったらしないけれど、オスマンはそれを開いた。
 内容は予想通り。ルイズに戦争へ来いという旨が認められている。なんということじゃー。姫の頭までおかしくなりおったー。オウ・マイ・ゴッド! オスマンは始祖に祈ったが返答はない。
 と、言う事で、どうしようもなくイヤだが、この手紙は一方通行へと届けることになる。なぜならルイズは居ない。シルフィードで帰り着いたと思ったら、すぐさまどこかへ飛んでいったという。
 ある意味それは正解だろう。自分の学院の生徒を戦争に行かせるほど、オスマンは腐ってはいない。
 確かに覗きもしよう。下着の色にも興味はある。しかし、生徒を簡単に戦争へと行かせるほど、オスマンは強くないのだ。まだまだ若いと息巻いているが、生徒が戦争で死んだと聞けば、そのダメージは老骨には厳しいものがある。


「まじで勘弁しちょくれ、アンちゃんやい。老人はの、もちょっと適当に生きたいんじゃよ」


 ため息をつきながらその部屋をノックノック。





◇◆◇





 一方通行は一人で風を感じていた。
 戦争へと飛んでいったルイズの事が脳裏に浮かぶが、かといって彼にはどうしようもない。彼は都合のいい正義のヒーローではない。推理小説の探偵でもない。問題が起きたその場でちょっと考えるだけで何でもかんでも解決できるような、そんな都合のいい存在ではない。
 出来る事などなにもない。
 守ることなど、出来るはずもない。
 それだけだ。一方通行は瞳を瞑り、柔らかく通り過ぎる風を感じながらぼんやりと考えた。大体、自分にそういったことは似合わないと思う。それは自分の住んでいる世界とはあまりにもかけ離れているような。それこそそういったものは、あの無能力者にふさわしい。

『変われるの、絶対に変われる! だってあなた助けたわ、いろんな人を!』

 そもそも今更、一方通行になにが出来ようか。彼に、何の資格があるというのか。
 先の戦争でも、どこか『そういった考え』はあったのだろう。だがどうだ。その結果は、これだ。結局は戦争で殺しをして、結局は、なぜだか意味の分からない『殺人』をして。その事を打ち明けて、そのときのルイズの顔はどうだ。
 どっちに転んでも、どう進んでも、彼は人を傷つける。そんな人間が今更誰かを助けるだなんて、その考えそのものがおかしいのだ。

『殺さないわよ! 私決めたんだもん! 殺さないって決めたんだもん!』

 思い出し、一方通行は鼻で笑った。
 感じる風はいつでも優しく、強く、激しく。
 オスマンからもらった手紙には、ただ短く、戦争に来なさいという旨が綴られていた。勝手な女だと思うと同時に、この女の恋人を、自分は勘違いで殺している事実が圧し掛かってくる。
 ルイズは戦争へいった。関係ない。
 ウェールズを殺した。関係ない。
 一方通行には、一切関係ない。知らない事だ。いちいち気にしていられないことだ。

『私は殺さない! ちゃんとそう決めたし、生きて返ってくる! だから、だから行くの! タルブに行くの!』

 ふと、一方通行は閉じたままの瞳を開けた。
 相も変わらず『感じる』風は優しく、強く、激しく。


「……ンで、何だって俺ァこンなトコまで来ちまったンだァ?」
 

 ごう! 風が通り過ぎる音。それに乗る音。
 一方通行の眼下には、巨大な艦、レキシントン号。
 ダッセェなァ。小さく呟いた。


「とんでもねェクソッタレだ、俺も、あの女も」


 びりびりと肌を刺す『感覚』。そう、それは『反射』を突破していた。
 一方通行は知っている。この感覚、この肌を這い回る不快感。いつもとは少し違うが、それは虚無に間違いなかった。
 戦場に視線を送れば、あまりにも簡単に見つかるルイズ。人間を超えた速度で走り回っていて、どうにも反撃はしていない様子。しかし、走り回るたびに、敵からの攻撃を避けるたびに、一方通行の肌を刺す不快感は強くなっていく。
 ちっ。一方通行は舌打ちをついて落下した。巨大な艦の横を通り、竜騎士隊の隣を通り過ぎ、目指す先はもちろん彼女。


「じぇら・いさ・うんじゅー・はがる・べおーくん・いる……」

 
 ルイズは何かを呟いているようだった。彼女は剣と一緒に杖を振り上げた。“ぴりぴり”が“ビリビリ”になり、さらに強くなっていく。
 魔法というものを完全に理解し切れていない一方通行にも、その攻撃性は感じて取れた。きっとルイズは、何も考えてはいない。『それ』を放てばどうなるかなど、まったく考えていないに違いないのだ。
 ため息をついて、一方通行は音もなく着地し、二歩三歩と後ろから歩み寄った。 


「えくすぅ……」


 一方通行は手を伸ばした。


「ぷろーじょん!」


 ルイズが杖を振り下ろす。
 その瞬間、はし、と一方通行は右手で彼女の手首を掴んだ。左手は胴を回り、抱き寄せる。そして耳もとで小さく、


「殺さねェンじゃねェのかよ、馬鹿女が……」


 魔法が発動した。音はない。光が視界を覆いつくす。
 ただ、そのなかで一方通行が感じていたビリビリが、なんだかふわふわしたものに変わった。
 『それ』は今更のように『選定』を始めたのだ。爆発していい人間と、いけない人間。人間の表面を最も小さき粒達は駆けて行く。爆発していい場所と、いけない場所。その場所の表面を最も小さき粒は駆けて行く。そして使い魔。一方通行。『それら』は当然一方通行をも駆けて行く。ルイズの胴に回っている左腕。『反射』を超えて。耳まで真っ赤になっているルイズ。『それら』は一方通行に触れる。一方通行は何でもない様子で、ただ光の中。『虚無』の可能性。何も見えない。粒子。量子。光は全てを多い尽くして、なにかといえば『真っ白』な世界。繋がった二人は、たった二人だけ。この白の世界で、二人だけを感じて取れた。

 一方通行は笑い声のようなものを聞いた。
 一方通行は唸り声のようなものも聞いた。
 一方通行は怒声のようなものを聞いた。
 一方通行はルイズの世界の、その一端に、足の爪の先ぐらいを突っ込んでしまった。
 一方通行はこれが虚無かと少しだけ分かった気がした。虚無を『理解』することなど到底不可能なのかもしれない、とちょっぴりの諦めを感じたし、『虚無』のくせに随分と『在る』じゃねェかと腹が立った。『反射』に干渉してくる回数。それはすでに数える事すら不可能。
 世界が白く静止してしまっていて、しん、と耳が痛くなるほどの静寂。
 顔を真っ赤にしたルイズが小声で言った。


『……結局くるんじゃない……ばか』

『死ぬだろォが、あのまま撃ったら』

『どうせあんた、関係ないっていうんでしょう?』

『……お前が殺したら───』


 白の世界が爆発を起こした。今度は音があった。轟音、爆音。どんな言葉を並べてもそれは足りないほど。

 『tuhowi?』
 『eeir/ho!』
 『lpqzm。』
 『sou:yb!』

 聞こえてくるそれがなんなのか、理解は出来ない。ただただ、楽しげな爆発。
 白の世界が開けていって、


「───俺の意味が無くなンだろォが」 


 音を取り戻した世界。タルブを襲ったアルビオン軍は全て地に伏していた。何か攻撃を受けた様子はない。ただ眠っているような印象だった。
 一方通行はあたりを見渡し、トリステインの軍人が立ったまま雄たけびを上げているのを見て、それから肩をすくませた。
 ああ、本当に、殺さずにやり遂げたのだ。この腕の中で気を失っているゴシュジンサマは。一方通行には出来ない事を、こうも容易くやり遂げてしまうのだ。全員を光で包んで、そこには一切の闇が無くて、一方通行でさえもそこに招くような力を、彼女は持っているのだ。

 ───そして。

 どぉん!
 アルビオン艦隊レキシントン号から無粋な音が響いた。大砲である。砲弾は村を蹂躙。弾ける家に、人。
 なぜ壊れていないのか。簡単だ。船を壊したら墜落する。墜落したら、乗組員は怪我をして、もしかすると死んでしまう。そういう考えだったのだろう、ルイズは。
 くく、と一方通行は咽喉を引きつらせるようにして笑った。気を失っているルイズをまるで物のように肩に担ぎ上げ、上空を見上げた。感じるベクトルを反射して、


「俺ァな……、こいつみてェに優しくねェぞッ!!」


 ついに最強が戦場へと放たれた。
 空を翔る一方通行は、その身そのままにレキシントンへとミサイルのようにぶっ飛んだ。重力ベクトルの操作。
 ぐんぐんとスピードを上げて、風を貫き、艦底を貫き、ばがぁ!! と床を粉々にしながら一方通行は艦上に群がるアルビオン軍を一瞥。当然、一方通行と肩に乗るルイズの身体には傷一つない。
 彼はぼりぼりと頭を掻きながら言った。


「分っかンねェのかなァ? どォいうつもりで向かってくるわけ? ンな事されたらよォ……」


 どぉん! どぉん!
 相変わらず大砲は撃たれ続ける。悪あがきなのだろうか。一方通行には分からない。ただ現実として、この艦をしとめて、次の船をしとめて、このタルブ上空の全部を落せば、戦争は終わるはずであった。


「だったらさァ……く、くひひゃ……、ぎゃは! なァおい! 見せてやンぜ、ヒーローにゃ出来ねェ戦争の終わらせ方ってやつをよォ!!」


 全長二百メートルほどの艦、レキシントン号。それはたった一人の少年の力によって落とされることになる。
 まず一方通行がした事は、とても単純、風を操った。暴風を起こし、爆風を巻き上げ、その中でけらけらと楽しそうに笑う。このサイズになると簡単に吹き飛ばすことは出来ない。だが、ぐらりぐらりと揺れる艦から人間が落ちていくのは非常に面白かった。


「さァ、どこまで浮いていられンだァ、この玩具!!」


 じりじりと周囲の温度が上がり、気がつけば上空にもう一つ太陽があった。
 

「燃えッちまえよォ……なァ!!」


 レキシントンに一つ、大穴が開いた。空気が焼ける臭いと、木が焼ける臭いと、人間が焼ける臭い。
 一方通行は大きく深呼吸をした。まだまだ、こんなものでは足りない。見せ付けるのだ、『最強』を。自身の肩で、幸せそうに寝こけるこの女に。
 徐々に徐々に高度を落としていくレキシントン。タルブの草原に、その巨体をつける。
 その瞬間、一方通行は触れた。『自転』という、おおよそ考える範囲で、一番大きなベクトルに。
 ひゃは、と引きつったような笑い声が聞こえて。
 ずしん! 震脚。

 ───■■■■■ッ!!

 そしてレキシントンが飛び跳ねた。その身を粉々に分解させながら飛び跳ねたのだ。なにかが誘爆でも起こしたか、そこらじゅうから轟音が聞こえた。しかし、これを起こした本人、一方通行の蹂躙は、まだ終わらない。
 ふわり、と風が。徐々に徐々に、大きく大きく、もっと、更に!
 それは巨大な竜巻へと姿を変えた。以前作り上げた物よりも、それは超大。風が目視できる現状。舞い上がるレキシントンの破片。木片、鉄片。その中には多くの、使われなかった砲弾も。その全てが舞い上がる。逃げ遅れたアルビオン兵士も舞い上がる。もしかしたらトリステインの兵士も舞い上がる。


「あはッ、あっは! っっぐひひゃはははあ!!」


 風が意思を持つ。一方通行によって植えつけられる。竜巻の中央で高笑いを続ける彼は上空を見上げた。雲まで伸びる竜巻は、アルビオン艦隊の残りを巻き込むが、それは全てではない。だったら───、
  
 ぴたり。
 笑いの終わりと共に、風が消え去った。


「弾けろ」


 だから弾けた。
 舞い上がったもの全てが、四方八方へとぶっ飛んでいった。上空に未だしぶとく生き残る艦隊へと、それらは高速で迫り、ヒット。運悪く砲弾を受ければ爆発。タルブ村? 知った事ではない。戦争の終わり。彼はただそれだけを望んだ。
 それは最早災害だった。戦争をやっていて、突如として訪れた光と、もう一つの太陽と、馬鹿でかい竜巻。それはもう、災害だった。

 終わった、と一方通行は息をついた。
 どこを見ても嵐が過ぎ去ったあとのような印象だが、これで戦争は終わったのだ。トリステインの敵は一切が消え去った。
 肩からルイズを下ろして、というよりも捨てて、彼は小さく呟いた。


「守る、ねェ。くだらねェよ。俺には無理だ」

「できてるじゃねえかい、ニィさん」


 独り言のようなそれに返事を返したのは、デルフリンガーだった。


「こいつの言うそれは、こういう事じゃねェンだろォよ」

「……」

「こいつ、まったく分かっちゃいねェよ。自分の力のことも、俺のことも。殺さねェだの何だのとやっかましィっつの」

「けどよ、娘っ子だってなにもぶっ殺そうと思って魔法使ったわけじゃ……」


 はぁ。一方通行はため息をついた。
 だから、と口の中だけで呟いて、聞こえるか聞こえないかくらいの声で続ける。


「だから、俺が居ねェと駄目なンだろォが……」


 なにかを諦めたように彼はそう言って、つま先でルイズの腹の辺りを軽く蹴り付けた。ぐえ、とカエルが潰れたような声をルイズが上げて、一方通行は鼻で笑う。
 くっだらね。彼はそう呟いて、ベクトル変換。空に落ちて、風を手繰り寄せて、そして飛んでいった。

 戦争を終わらせた少年と少女は、互いの距離感がつかめないという、思春期を感じさせる、どこにでもいる様な、結局はそういう子供達だったのだ。




◇◆◇





 アンリエッタは呆然とした様子で俯けていた視線を上げた。
 雲が全て吹き飛んでしまった空を見て、晴れ晴れとした太陽を感じて、そして言う。


「お、終わったの、マザリーニ?」

「なにを弱い声を上げておりますか。あなたが今、終わらせるのです」


 そういうマザリーニも、長年付き合ってきたアンリエッタから見るならば、十分呆然とした面持ちだ。
 そこにいる誰もが自分の見ている光景を、未だに把握できていないのではないだろうか。ところどころで聞こえる勝鬨。それだって、うおおおお……? うおおおおおおおお……? と最後の辺りに疑問符がついているような気がする。


「さあ女王よ、宣言なさい」


 言われ、アンリエッタはユニコーンの腹を蹴った。軍隊の先に出て、タルブの草原まで進んで、そこに広がる光景に嘆息しながら杖を掲げた。


「……恥を知らぬアルビオン! それは我が手中の力によって破れた! 見たかこの光景を! 見たかあの光を、あの風を! 始祖の祝福はトリステインにある! 無様な鬨を上げるな、英傑達よ! 私たちは……、我々は戦争に勝ったのだ!!」


 ようやくの様に本物の勝鬨が上がった。
 トリステインの兵隊達が杖を掲げ、剣を掲げ、槍を掲げる。
 万歳! アンリエッタ姫万歳! アンリエッタ女王万歳! 聞こえるそれにアンリエッタは首を振った。


「嫌な女ね。人の手柄を自分のものみたいに」

「なにを言いますか。それこそ女王の仕事でしょう」

「分かっています。さあ、ルイズを連れて来なさい。私、あの子に惚れてしまいそうよ」

「世継さえ残していただければ、私は何も言いませんぞ」

「まぁ! 節操無しなこと! あなたのお国では異端と呼ばれるのではなくって?」

「……まぁこれは独り言という事になりますが……、始祖が何をしてくれましょうか。御覧なさい。この戦争を終わらせたのは、たった一人の少女ではありませぬか。もしこの事実が広まれば、かの者に惚れるのは姫様だけではありますまいよ」

「たまには冗談が通じるのね、あなたも」

「冗談で終われば良いと思っておりますよ、私も」


 珍しいそんなマザリーニの態度に、アンリエッタはようやく力の入った肩を下ろす事が出来た。





◇◆◇





 見覚えがない天井。ルイズはんあー、と寝ぼけながら目を覚ました。すんすんと鼻を鳴らすと、ぷんと薬品の臭いが漂ってくる。ああなるほど、どうやら医務室(ふりだし)に戻ったようである。
 痺れるような感覚のある身体。今回もかなり無理をした。こんなことなら寿命が縮まろうがなんだろうが、全身をしっかりと治しておくべきだったのだ。
 ごしごしと瞼を擦り身体を起こす。相変わらずどこもかしこも包帯だらけ。いつものことだがよく死ななかったな、と自分の悪運の強さに感謝した。


「どこここー」


 覚醒の襲い頭で考えるが、なかなか答えが出てこない。
 なんだかやけに豪奢で、……はて、そういえば以前もこんなことを考えたような気がする。
 こんこん、と部屋の扉が二度ノックされた。


「は~い、私の部屋じゃないけど多分開いてるわよー」

「起きたのね、ルイズ」

「おっ!? ひ、姫様、あ、ごめんなさ、わたし!」

「いいの。寝てなさい」


 アンリエッタがベッドの脇にある椅子を引き、そこに腰掛けた。
 なんとも言えない緊張感に、ルイズはどうにも落ち着かなくなる。
 アンリエッタにはバレているのだ、ルイズが虚無だと。そうでなければ、わざわざ自分を戦争に呼ぶようなことはあるまい。どこから話がいったのだろうかと考えたが、それは結局分からない。
 やけにルイズがソワソワしているのに気がついたのだろう。彼女はくすりと笑い、優しくルイズの頭をなでつけた。


「ご苦労様でした、ルイズ。あなたのおかげで戦争に勝てたわ」

「……? あの、私、役に立ちましたか?」

「ええ、とても。あの光も、あの風も、あなたの魔法なのでしょう?」

「……、……えと?」

「あら?」

「ご、ごめんなさい、私、あんまり覚えていなくって……」

「そう。でも、ド・ゼッサールが言っていたわ。あなたの力だって」

「ド・ゼッサール?」

「マンティコア隊の隊長よ」

「ああ、あの人……」


 その辺りのことはよく覚えていた。オーク鬼をぶっ飛ばしたのはそこそこに気持ちがよかった。
 問題はそのあとの事である。どうにも記憶が霞がかったようにモヤモヤしている。あの時は何があったのだろうか。確か、そう、アンリエッタの言うようになにか魔法を使ったような気がする。
 世界が真っ白になって、真っ白な世界に入って、誰かに抱きしめられたような、そんな気が───、……思い出したような、そんな気がする。
 ルイズは無意識にお腹の辺りと、右の耳を揉んだ。この辺りに、使い魔との接触を感じたような気がするのだ。
 大事な話をした。絶対にそう。なのに、それは思い出せない。それは虚無の彼方に消えてしまったように思い出せなかった。


「ル、ルイズ?」

「へ?」

「鼻血が出ていますよ?」

「ほあッ!?」


 ルイズはごしごしと腕に巻いてある包帯でそれを拭った。包帯が赤く染まり、まるで大怪我でもしているようである(事実そうだが)。


「あなた、昔からそうよね。興奮するとよく鼻血を出していたわ」

「んむ、この鼻血は良い鼻血だからいいんです」

「恋人のことでも考えていたの? せつないの?」

「ち、ちがっ、い、ます?」

「ます?」

「ませ、ん……?」

「ませんの?」

「ます、かも、しれません……」

「かもしれないのね」


 その時、ルイズはアンリエッタの瞳の奥に悲しい色を見た。優しく笑ってはいるが、その瞳の奥は暗い色だった。そしてそれは、ルイズの心臓を鷲づかみにする。
 そう、一方通行は殺したといったのだ。ウェールズを殺したと。彼女にこんな顔をさせているのは、まさしく一方通行で、ルイズはそれを伝えなければならないはずなのに、咽喉は震える事をやめて、口は開くことをやめた。
 するとどうだ、声の代わりに涙が湧き出てきた。ルイズは自分で気がついたのだ。きっと、彼女にこの事実を伝えることは、無い。ルイズは自分の使い魔が可愛いのだ。ウェールズが死んだことよりも、一方通行が可愛い。なんだかんだと衝突をしあっているけれど、それでもルイズはご主人様だった。
 裏切り。そんな言葉が心中深くに根付いた。


「ルイズ、どうしたの? 痛いの?」

「ちが、違うんです、違うの、わたし……、わたしぃ……」

「ごめんなさいね、怖かったわよね」


 ルイズはアンリエッタからきつく抱きしめられて、そんな事をされてしまうものだから余計に涙が出てきて、わんわんと声を上げて泣いた。違うの、違うの、と呟き続けた。たくさん泣いた。
 アンリエッタが子供をあやすようにルイズにキスをしてきた。額に二回、鼻先に一回。暖かなそれはルイズの心を少しだけ溶かして、ルイズは起きたばかりだというのにうとうとしてしまう。
 泣きつかれて寝てしまうなんて、格好わるい。そう考えながらも、ルイズの意識は奥のほうに落ちていった。 
 



















・二部あとがき。
ちょっと長いです。興味ない方は飛ばしてください。

やっと終わりました、二部。いや長かった。今年中に終わらなかったら色々諦めてた。
さて、どうだったでしょうか。自分的には色々矛盾点が見えてて焦ってます。ミサカとかミサカとか。こっそりと修正する気満々です。気になる方は修正する前におマチさんの手紙の話あたりを読むといいと思います。
二部はルイズ怪我祭りでした。自分で書いといてルイズがちょっと哀れです。

そして私は書き始める前にその部のプロットを書くのですが、いやこれがまったくかすりもしない。
特に二部の後編、プロット通りに書いたところはルイズの虚無発動くらい。ほかは本当にかすってもないです。大体の大筋は通っますけど、ホントは一方通行が宝探しに行くとかいうのは無かった。本編を書き始める前は絶対行かないよなぁ、なんて考えていました。
しかし、書いてみないと分からないものですね、ホント。わりと丸く収まったかな、と自分で自分を褒めたい気分になりましたw

さて、次回は三部。ウェールズ復活編です。
このために色々と準備をしてきたのは、皆さんご存知の通りでしょう。三部では少しどろどろした人間模様とかを書きたいなと思っています。こう、べちゃ! どちゃ! ぐちゃ! みたいな。
よろしくお願いします。

・ここから言い訳。
私は本当にシリアスをシリアスに書けません。どうにもギャグが入ってしまいます。受け入れてくれる方もいますが、あまりいいことではありませんね。
そこで私は考えました。シリアスにも大きさがあるような気がします。シリアス(小)、シリアス(中)、シリアス(大)。
このなかで、ギャグを絶対にしないというポイントを作ることにしました。もちろん、シリアス(大)。二部を書いていて、こういうメリハリをつけるって言うのは、やっぱり大事だと感じました。
長くなりました。これからも頑張って書きます。よろしくお願いします。




[6318] 01
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:73500b15
Date: 2011/07/22 22:38
01/~ヴォイス~





 耳から離れない言葉がある。
 綺麗になったね、アンリエッタ。
 暗がりの中、月明かりだけが頼りのラグドリアン湖。そういった彼の、その柔らかな表情。温かな言葉。久しぶりに会った彼は、魅力的だった。

 ウェールズさま……。
 アンリエッタは小さく呟いた。
 戦争が終わろうとも、彼は帰ってこない。たとえこの身が女王になろうとも、彼はすでに王子ではない。
 死んだのだ、ウェールズは。この世のどこからでも、いなくなってしまったのだ。
 少しでも暇があろうものなら彼の顔が思い出される。戦争に勝って、忙しいいまこの時でさえも、ふとした拍子に思い出してしまう。厄介な病気だ。死人に恋慕するなんて、本当に病気みたい。
 アンリエッタは自嘲気味に唇をゆがめた。


「女王陛下、ばんざーい!!」


 周囲のその言葉に、俯けていた顔をはっとした様子で持ち上げる。
 トリステインの城下町、ブルネドン通りでは戦勝記念パレードが行われている。もちろん、正式に女王となることを決意したアンリエッタもこれに参加している。参加しているにもかかわらず、ぼんやりとウェールズのことを考えていたのだ。
 いけないいけないと首を振り、にこやかな笑みを作って、ユニコーンに引かせている馬車の窓から手を振った。
 数で勝るアルビオンに勝ったことから、今やアンリエッタは『聖女』と崇められ、その人気は絶頂。トリステイン国民はアンリエッタを崇拝しているわけだ。

 きもちわるい。そんな感情が胸中に湧き上がった。
 アンリエッタは知っているのだ。自身がアルビオンの兵や貴族にどう噂されているのかを。
 『聖女』。トリステインではこう呼ばれるアンリエッタは、アルビオンでは鋼鉄の処女と呼ばれているのである。
 ウェディングドレスのままに戦場へと赴き、ゲルマニアとの婚約を破棄したことから、皮肉を込めてこう呼ばれている。アンリエッタは戦争と結婚したのだと。戦争のおかげで女王になれたのだと。
 否定はしない。そもそも、女王になる気なんてこれっぽっちも無かったのだ。それがたまたま、ならざるを得ない状況が転がってきた。それを拾い上げたのも、はたして自分の意思だったろうか。状況に流されたわけでではなかっただろうか。

 にこやかな笑みのした、不安を押し殺し、後悔に蓋をして、鋼で心を覆い隠す。
 鋼鉄の処女とは、まさしく自分のことではないか。


「……無理はせずともよろしいのですぞ、殿下」


 マザリーニだった。
 彼はアンリエッタの瞳を覗き込み、やや心配そうに言う。


「戴冠式までまだ時間がございます。休まれては?」

「いえ、せっかくのパレードですもの。アルビオンの方々にも、弱いところは見せられません」

「……では、式の手順でもおさらいしますか」

「また? もう何度目ですか。心配が過ぎるのではなくて、あなた」

「それならば、その不細工な笑顔をもう少し上手に作ってくだされ。民が不安になりますぞ」

「まぁ! これから戴冠しようとしているものに言う台詞ではなくってよ!」


 少しだけおどけた調子でアンリエッタは言った。
 仕事一筋。その言葉がこれほど当てはまる人間はそう居ないだろうと思わせるマザリーニが、心配をしている。がりがりに痩せこけて、冷たい印象を与える彼が心配をしているのだ。
 いけないな、ともう一度だけ首を振った。
 女王になると宣言したのは誰だ。友人を犠牲にしてでも戦争に勝ちたいと思ったのは誰だ。他ならぬ、自分自身ではないか。
 周囲のサポートはもちろん必要だ。だが、周囲の人間に心配されるようでは、それはまだまだ女王ではない。


「マザリーニ」

「はい」

「面倒なものね、女王なんて」

「おや、これから戴冠しようというものの言う台詞ではございませんな、殿下」





◇◆◇





 ところ変わって魔法学院。
 トリスタニアとは違い、こちらはいつもと変わらぬ日常。パレードなどあってもいない。生徒たちは今日も今日とて平和に授業を受け、友人たちとお茶をして、何事もなかったように一日を終える。
 当然、ルイズもその中の一人である。日の出とともに起きて、いつものようにトレーニング。腕立てもするし、腹筋も鍛える。デルフリンガーに指導を受けて、最近になってはじめた剣術の訓練も、そこそこに形になってきた。力任せはいけなくて、ガッ! と振るのではなく、ぴゅん! と振るのだ。


「ん。なかなかサマになってんじゃねーの?」

「うん」

「んじゃ次」

「うん」


 ガンダールヴの特性上、本物の刃物を持ってしまうと能力が開放されてしまうので『訓練』にはならない。だからルイズは棒切れを振るっていた。
 棒切れが風を切る。無駄の多かった動きは徐々に徐々に洗練され、剣を振るためだけに身体があるような気分になってくる。
 ぴゅん。ぴゅん。ぴゅん。ぴゅん。
 トレーニングは良い。余計なことを考えなくてすむ。機械になればいい。剣を振る。速く、早く、疾く、効率よく、無駄なく、自然に、完全に、十全に、完璧に、振る、振る、振る。
 何度繰り返したろうか。それほど力を入れて握っているわけではないのに、手のひらに痛みを感じた。鋭い痛みとは違い、じんわりと広がる熱のような痛みだった。


「痛、……まめ潰れちゃった」

「余計な力が入ってるってこったね。掴む時は強く。握るときは優しく。振るときは速く」


 デルフリンガーの言う事に頷いて、ルイズはまたも棒切れを振り始めた。


「んで、どうしたね娘っ子」

「なにがよ」


 地面に突き立てたデルフリンガーに視線すらよこさずに。
 デルフリンガーがわざとらしくため息(?)を付くものだから少しだけ腹が立った。


「何かに没頭しときゃ、そりゃ余計なことは考えずにすむかもしんねえ。けどな、お前さん、人間じゃねえ俺にだってわかるぜ」

「だから、なにがよ」

「みんな心配してるんじゃねえのかね?」

「……」


 ビュン!
 少しだけ不細工な風斬り音。心の動揺がそのまま身体と棒切れに伝わる。
 
 ここ最近、というか戦争から帰ってきて以来、ルイズは元気がない。それはそれは元気がない。もう気持ち悪いくらいに。いつもがマックス120%元気なルイズに元気がないというのはどう考えてもおかしい。
 周囲もおかしいと感じているのだろう。キュルケは顔をあわせるたびに「なに辛気臭い顔してるの」と茶化してくるし、シエスタなどすぐにでも医務室に行きましょうとぐいぐいルイズの手を引っ張る。
 違うのだ。何も身体の調子が悪いわけではない。身体じゃなくって、その中身、メンタル面にずしんと来ているものがあるだけで。

 ルイズは嘘をついた。こともあろうか、この国のお姫様に。女王様に。
 だって、ルイズは可愛くてしょうがないのだ。
 あの悪態を一日一回は聞かないと不安になるし、あの冷たい視線を一日一度くらい受けないと調子が出ない。
 どんなに暴力的だって、どんなに破滅的だって、彼はルイズが呼び出した使い魔なのだ。初めて成功した魔法で呼び出した使い魔。カッとなって喧嘩になることだってしょっちゅうだけれど、それでも可愛くてしょうがないのだ。

 彼は、一方通行はウェールズを殺した。本人が言うのだ。間違いないだろう。
 ルイズは考えた。そして聞いた。
 なぜそんな事をしたの?
 答えは返ってこなかった。ただ、彼の表情は気まずそうな、なんとなく言い辛そうな、そんな顔。一方通行が自分のわがままに殺したのなら、間違いなくそう言う。彼は人殺しに慣れている。
 だが、そんな一方通行が言い辛そうな、そんな表情なのだ。

 瞬間、ルイズは理解した。
 一方通行は、我侭に殺したわけではないのだと。『何か』のために殺したのだと。
 その『何か』はなんだか分からない。それが自身のことだと考えるほど、ルイズは楽観的ではない。だけれど、もしかしたら初めてかもしれないのだ、一方通行が自分のため意外に動いたのは。
 どんな考えで殺すことに至ったのか、それはまだ聞けていない。だが、あの一方通行が頭の悪い選択をとるとは考えにくいし、それ以上に一方通行が愛しかった。殺した現実なんか忘れて、誰かに自慢してもいいと思った。
 私のシロは成長してるのよ! そういう気持ちでいっぱいになると同時に、それだからこそアンリエッタに対する罪悪感がむくれあがる。


「……嘘ついちゃったのよ、わたし」 


 相手は人間ではなく、剣。
 デルフリンガーはかちゃかちゃと鍔を鳴らして。


「誰だって嘘くらいつくさね。剣の俺にだってあることだから」

「そうね。でも、嘘にも度合いがあると思うの。大きい嘘、小さい嘘、意味のある嘘、意味のない嘘」

「ん。娘っ子はどの嘘?」

「……さぁ、わかんない」





◇◆◇






 自身の身体が鉛のように感じた。
 意識は浮上し、頭の後ろのほうで物を考えているような状態。ぼんやりと天井を見上げ、ワルドは自分が柔らかなベッドの上に寝ていることに気がついた。


「あの化け物……」


 喉がからからに渇いて、ややかすれた様な声だった。
 化け物。もちろん、一方通行のことである。ルイズに次いで、その使い魔までも自身を打倒するか。
ますます面白くなってきたな、なんて余裕は、ワルドにはない。ただただ、生きていることに感謝と安堵。丈夫に産んでくれた母に、心の中でお礼を言った。
 そしてうまく動かない身体で、胸の辺りを探る。……探る。


「……無い」


 ワルドはいつもの余裕を感じさせる表情を崩し、無理に身体を起こした。全身が重く、鈍い痛みに眉をしかめるが、それでも動くのを、探すのをやめなかった。
 ペンダント。銀のロケットで出来たペンダントが無い。大事なものなのだ。自己の確認を、後悔の念を、先への決意を、そのすべては、それに詰まっているのだ。
 くそ、と彼は珍しく焦ったような声を上げて、そこで部屋の扉が開く音が聞こえた。


「ちょ、まだ寝てなって!」


 マチルダがスープを片手に現れた。
 ワルドの様子がおかしいことに気がついたのか、怪訝な顔つきでスープをテーブルの上に置き、どうしたんだい、と。


「ペンダントが無いんだ。くそ、落としたか?」

「あぁ、ペンダント」

「知ってるのか?」

「私が持ってるよ。千切れかけてたから直してきた」

「……人のものを勝手に持っていくな。柄にもなく焦ったぞ」


 大きなため息をひとつ。ワルドはベッドに座り込む。
 

「えらく美人じゃないか。恋人かい?」

「……あまり言いたくないな」

「なんでさ」

「馬鹿にするから」

「うん?」

「聞いたらきっと馬鹿にする。俺だって、そんな肖像入れてるやつ見かけたら、目いっぱい馬鹿にする」


 マチルダは不思議そうな顔で首をかしげ、やがてピンと来たのか、にたりと唇をゆがめた。
 ああばれた。こらばれた。ワルドはもう一度ため息をついた。


「ママン?」

「……」

「あはっ、お、おかあさん……?」

「ほら、そうやって馬鹿にするから言いたくなかったんだ。笑えよ。いいさ、別に」


 するとマチルダは本当にげらげらと笑い始めた。自分で笑えと言っておいてなんだが、こうまでげらげらと笑われると本当に恥ずかしくなってくる。
 失敗したなぁ、とワルドは顔を覆い、マチルダは笑いながら顔を覆う。


「あー、あー……、笑ったぁ、っく、くく、なんだって母親の肖像なんか入れてんのさ」

「何だっていいだろう。コンプレックスがあるのさ」

「かぁ! マザコン! 男ってのはこれだから!」


 マチルダがばっちぃ物のようにワルドにペンダントを投げてよこした。
 やさしく受け取り、なんだかんだでしっかりと修繕されており、以前よりもきれいになったそれを首から提げる。落ち着くところに落ち着いたというか、なんだかこれが無いと、自分の心が不安定になるのだ。
 ワルドだって、何にも依存しないで生きていけるほど強くは無い。何か一つでも二つでも、自己を確認できるような何かがほしいのだ。
 そもそもが不安定な裏切り者。これからだって、どこかに根を下ろすことはないだろう。流れ者と言い換えてもいい。足場が常に不安定で、いつだって揺れ動いている。生き残るには、突き進むほかないのだ。
 そんな中の、小さな慰め。小さな決意。あのときを忘れてしまわないように、自分のしたことを忘れてしまわないように。そういう思いで母の肖像画を入れているのだ。
 ワルドは本当の意味で、マザーコンプレックスなのである。


「スープ、くれ」

「あいよ」


 スプーンを持つのも億劫なので、座ったまま口をあけた。


「んぁ」

「ん?」

「んぁ、ん!」

「あ?」

「……口まで運んでくれよ。アホ面さらしちゃったじゃないか」

「わがまま。ったく……」


 困ったような、少しだけ嬉しそうな。どうにも表現しづらいが、結局マチルダはスプーンを取った。
 
 そしてもう一度、扉の開く音が聞こえる。
 ワルドは首だけで振り返り、その顔を見て内心いやな顔をした。もちろん内心。それを表にそのまま出すほど子供ではない。


「怪我の調子はどうかね、子爵」 


 クロムウェルであった。
 彼はいつものようにシェフィールドを連れ、胡散臭い笑みを貼り付けて、戦争に負けたというのに何事もなかったような声色だった。
 分かっているのか。負けたんだぞ、俺たちは。そう問いかけたくなるのを押さえ込み、いかにも情けないといった表情を作り言った。


「怪我は問題ありません。ただ、閣下のご期待に沿えず心が痛むばかりです」

「なに、あれは君が居ようと居まいと起こったことだ。君はよくやってくれている。事実、わが竜騎士隊の被害は最小限にとどまっておるのだ」


 そう。ワルドが指揮した竜騎士隊の被害は、格段に低かった。
 ルイズを見かけて、それから相手の竜騎士たちを深追いしたのがよかったのだろう。あの大爆発に巻き込まれたのはごく少数であった。


「あの地上を覆いつくしたドーム状の光。さらには上空に出来た二つ目の太陽。……あれは、伝説の虚無なのでしょうか?」

「さてな。余とて虚無のすべてを知っているわけではない」


 シェフィールドがさも知ったように、


「長い歴史、その闇の彼方に消えたことです」
 
「そう、その歴史だ。始祖の盾と呼ばれた聖エイジスを知っておるかね? 伝記の一説に、こういう言葉がある」


 もったいぶった様にクロムウェルは間を取り、詩を吟じるように言った。


「“始祖は太陽を作り出し、あまねく地を照らした”」


 ぎくり、とワルドの表情が強張った。
 ワルドもトリステインの王立図書館で虚無についていろいろと調べていたが、それは初耳だった。虚無とはなんなのか。その疑問は尽きることはない。
 聖エイジス。始祖の盾。伝記など、百パーセントの真実が語られていると言うわけではないだろう。
 しかしどうだ。『太陽を作り出し』。これは、どういうことだ。
 太陽。先の戦争を経験したものが思い浮かべるのは、レキシントン号を沈めたあの太陽だ。灼熱を放ち、熱による暴力を振るった。そしてそれは、ワルドが虚無だと思っているルイズが放ったものではない。一方通行が放ったものだ。
 虚無。ゼロ。ルイズ。その『使い魔』であるはずの、一方通行。


「太陽……」

「そう、太陽だ、子爵。どう思うかね?」

「……」


 ワルドが突き止めるべき世界の真実。やはり、虚無を避けては通れない。そしてその虚無も、どこかに裏がある気がする。古書を紐解き調べるだけでは絶対に理解できない何か。虚無にはそれが、ある。あるはずなのだ。
 面白くなりそうじゃないか。なんてことは、ワルドは考えない。
 余計な手間が、増えそうだ。そういうことを、考える。ワルドは小さく、クロムウェルには見えないようにため息をついた。


「アンリエッタ姫もやるものだ。秘宝と指輪、そろえたのであろうな」

「秘宝と指輪?」

「虚無とは面倒なものでな、発動に条件があるのだよ。そうだな、ミス・シェフィールド」

「おっしゃるとおりで。それぞれの王家に伝わる秘宝、それに指輪。それがあって初めて虚無は覚醒します」

「なるほど……」


 こちらの情報は既に既知のもの。
 だからこそ、ウェールズの死体から指輪を抜き取ったのだ。ほかの宝物と一緒に換金してしまう様な馬鹿はやっていない。
 虚無の発動条件。クロムウェルは語っていないが、どうやら王家と関係がありそうである。おそらく、血筋。
 もともとから疑っていたが、それは確信に変わった。いくら死体をよみがえらせて見せようとも、やはりクロムウェルは虚無ではない。もともとが司教の男だ。さすがに王家の血は入っていないだろう。

 それにしても、とわざとらしくクロムウェルが呟いた。


「姫には驚きだな。女王に即位するそうだよ」

「は。いまのトリステインの状況ならば、そうなるでしょう」

「……風のルビーがな、見つからな───」

「さっぱりわからんですな」

「……王家に伝わる秘宝のひとつだ。おそらくはトリステインに渡っているのだろう」


 つまりは結局、次の標的はアンリエッタ個人だということ。
 よくよく悪巧みを思いつくものだとワルドは感心した。もちろん視線の先はクロムウェルではなく、シェフィールド。この女が操っているのだ。この男を、この国を。

 ぎ、ぃ。部屋の扉が緩やかに開く。
 開いたままの扉から現れたウェールズを見て、ワルドは背筋が少しだけ寒くなるのを感じた。




[6318] 02
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:73500b15
Date: 2011/06/23 00:47

02/メモリーズ





 その日の朝も気分は良くなかった。
 起きて、使い魔の寝顔を見て、ちょっとだけ気分が良くなって、だけれど一人で鍛錬を始めると、またも思考はアンリエッタに嘘をついたところへと行き着く。
 はぁ。ルイズは大きくため息をついた。


「今日も今日とて悩み事かい、娘っ子。パッと忘れちまうってのはどうよ」

「忘れようと思っても、なかなかね、そうはいかないの」

「そうかい。俺なんていろいろ忘れちまってるよ」

「あんたと一緒にしないでよ。私はね、人間様なの」

「俺は伝説の魔剣様だ」


 ルイズはデルフリンガーの言うことを無視してストレッチを始めた。
 いち、に、さん、し、と呟きながら寝起きで固まっている筋肉を丁寧に解していく。まだ先日の戦争で負った傷も完治してはいない。いつもより丁寧に、と心がけた。
 一通り準備体操をして、最後に深呼吸。心の中の嫌なものまで一緒に吐き出したい気分だが、そうはいかないのが心というやつで、ルイズは唸るように木剣を握り締めた。
 ぶん! 振る。
 ぶん! 振る。
 ぶんぶん! 振る振る。
 まったく持って気分は良くならない。心臓の辺りに鉛か何かを仕込まれているような感覚。重くて、鈍くて、もやもやして。走り出したくなるような衝動をぐっとこらえて剣を振る。

 
「……娘っ子」

「分かってる」

「……」

「分かってるから、何も言わなくていい」


 そんなんじゃ上達しないよ。デルフリンガーはそう言いたいのであろう。それはルイズにだって分かっている。分かっていても、難しいのだ。どこかで発散しないと、何かがおかしくなりそうで、もちろんそんなのは嫌だから、だから力いっぱい剣を振る。
 息が乱れて、額に珠の汗が浮かんだ。目に入って、しみる。口に入って、しょっぱい。
 いったい何度振ったろうか。何度握ったろうか。


「ふんッ!」


 鼻息荒く放つのは剛剣。力任せのそれ。
 ただ、何度も何度もやってるうちに、マメはつぶれて手のひらは血だらけに。
 

「ふんッ!」
 

 だからそれと同時に、剣が手のひらからすっぽ抜けて行った。
 くぅるくる回りながら、木剣が飛んでいく。あらぁ、とルイズは間の抜けた声を出して、その視線の先には一人の女の子がいた。
 当たる。こりゃ当たる。ルイズは確信した。そしてその確信の通り、もちろん当たった。


「んぎゃ!」

 
 聞こえる声。
 なんともいえない表情を、ルイズはつくった。


「……娘っ子」
 
「分かってる。分かってるから……」

「……」

「……えらいこっちゃ!」





◇◆◇





 それがどうした。一方通行の答えはそれ。
 ゴシュジンサマの様子がおかしかろうとなんだろうと、それがどうした。
 その原因が自分にあろうとなかろうと、それがどうした。
 一方通行には差し伸べる手がない。助けようとした瞬間、それは一方通行ではなくなる。だから、それがどうした。


「あなたね、気にならないの? あのルイズがあんななのよ?」


 キュルケが珍しく強い口調でそう言った。
 彼女に呼び出されて、一方通行はキュルケの部屋にいる。何の話かは大方の予想がついていた。もちろん予想通り。ルイズがおかしいからどうにかしてちょうだい、との事であった。
 どうにかしてちょうだい、と言われてどうにかできるのなら、そりゃさどうにかしようもあるのだろうが、一方通行にはそのどうにかする手段が全然見当たらないのだ。どうにかするためにどうしていいか分からないものをどうにかするのはどうすればいいのだろうか。
 分からない。一方通行の答えはそれ。
 だから何もしない。下手に自分が何かをしようとすると、どうせまた失敗するに決まっている。


「……オマエ、俺にンなこと期待してるわけ?」


 心底疲れたように一方通行は言った。


「そうよ。あのね、そもそもルイズがなんであんなになってるのか分からないけど、女の勘がこういってるの。『絶対シロ君のせいだ』って。そうでしょ。そうよね?」

「さァな」

「はぐらかさないで」


 一方通行の嫌いな瞳の色だった。
 輝いている。綺麗。だからこそ、自分の黒さとか暗さが浮き彫りになる。


「シロ君」


 キュルケはどうにも、本気でルイズのことを心配しているようであった。
 お優しいことで。一方通行は首を振った。
 反射を具現化したようなこの身で、誰かを助けるなんて、それはとても難しいことである。助けるというのは、プラス。反射ってのは、マイナスだ。
 何度も繰り返してきた自問自答。
 助けるは、無理。守るも、無駄。救うも、無為。

 だけれど、と一方通行は考えた。
 それがどうした、と一方通行は思った。
 無理も無駄も無為も、それがどうした。
 どうしたらいいのか分からない。それがどうした。
 自分が原因でああなっている。それがどうした。
 
 嫌いな瞳の色。まっすぐに伸びてきて、こちらの心を覗き込んでくるかのようなそれ。キュルケの視線は、痛かった。
 一方通行は盛大にため息をついて、もう一度首を振った。
 ウェールズを殺したことを考える。あの時、迷いはなかった。ああするのが最善だと思ったからだ。最善をとり続けているのに、結果は知れたもので、ほら、この有様。
 

「クソッタレ……」


 観念したように一方通行は呟いて、右手で顔を覆う。
 もそもそと、聞き取れるか取れないかくらいの声だった。


「どォすりゃいい、俺は」





◇◆◇





 ルイズの必殺投擲木剣を受けた少女は、どうやら一年生のようだった。名前も知らないし、顔だって見覚えはない。完全に赤の他人をルイズはKOしてしまったわけである。
 とりあえずルイズは木剣のあたった頭の部分をなでてみて、そこそこに大きなこぶがあることを確認した。息はしているので当然生きているであろうが、まさかこんなところで狙撃されるとは思っていなかったことであろう。
 さすがのルイズもこの状況のままに少女を放って置くような真似はしない。いくら気分が悪かろうが、ルイズは心優しい女なのだ。ていうか自分が原因なのだ。

 漢気勝る表情で、ルイズは少女を抱えた。俗に言うお姫様抱っこである。シロにだってしてもらったことないのに、何で私がする側なのよ。内心の不満はもちろん内心に留めたまま。
 医務室の扉を開いて、


「なに、また君?」

「今日は私じゃないわ。この子、頭打ったみたいで」

「打った?」

「私の手から離れた剣がやったことよ」

「そりゃ打ったって言うか、君のせいだろ」

「私の手から離れた剣がやったことよ」


 ルイズは少女をベッドへと寝かせて、もう用事は済んだとばかりに医務室から出ようとした。
 そのときである。少女が目を覚ましたのは。
 う、ん、と呻きながら、自分に何が起こったのか、自分はなぜこんなところにいるのか、そんな表情をしていた。 


「あ、あー……、えと、大丈夫? ごめんなさい、あんなに朝早く起きてる人がいるなんて思ってなくて……、いえ、そうじゃなくて、うん、とにかくごめんなさい。私の不注意なの」

「……」


 少女は放心したようにルイズを見つめていた。


「? えと、頭大丈夫?」


 幾分失礼とも取れるが、これは頭のこぶは大丈夫か? である。


「……戦女神」

「あ?」

「あなた、戦女神のルイズ様……ですか?」

「戦女神じゃないけど、まぁ、ルイズ様ではあるわね」

「私、あなたを探していたんです」

「うん? なんで?」


 瞳をまん丸にしてルイズは首をかしげた。
 ずいぶん穏やかな子だと思う。自分だったら一発くらい殴っている。間違いなく。

 
「私は、ケティ。ケティ・ド・ラ・ロッタと申します」


 少女、ケティは深々と頭を下げた。
 ルイズもつられて、こりゃこりゃどもども、と。


「それで……」


 顔を上げたケティ。その瞳にはぐらぐらと沸くような熱があった。
 わお、前言撤回。どこが穏やか。まったく持ってンな事ないじゃないファック。


「あなた、ギーシュ様とはどういうご関係で?」


 ギーシュ殺す。
 ルイズの考えたことはとりあえずこれだけだった。





 そりゃもうルイズは懇切丁寧に説明した。
 なにが嫌って、他人から見たら、ギーシュと自分がいい感じに見えているって言うその事実。何だかんだと戦女神も嫌がってないんじゃないか、と思われていることである。
 そんなことはないのだ。ルイズはギーシュなんて、まったくもって、微塵も、鼻くそ程度だってなんとも思っていないわけで、むしろ迷惑。超迷惑。戦女神とか意味の分からない二つ名はつくし、なぜかそれは徐々に浸透していっているし、しまいにゃ姫までも言い出す始末。ギーシュなんてのは、ルイズにとったら雑草か石ころ程度の存在なのだ。いまさら手のひら返したようにルイズルイズ言って来た所で、そうは問屋がおろさないわけで。


「ということなの。わかる? ギーシュなんてね、ゴミよ。塵よ。いまここにギーシュ死にますボタンがあるとするなら、三分ほど悩んで結局はボタンを押す程度の存在よ、私にとったら」

「なんて事を!」

「あなたね、ギーシュよ!? ギーシュなのよ! あんな下半身で物事考えてるような思春期ボーイを! この私がどう思うってのよ!」

「だって、だって、噂になってます! ギーシュ様、以前より素敵になったって! 恋人が出来たからだって!」

「顔だけ見るのはよしなさい。あいつは顔だけよ。顔だけはそこそこよ」

「ギーシュ様を馬鹿にしないでください!」

「きゃー! ギーシュかっこいい! 惚れる! 抱いて!」

「やめてー!」

「どうしろってのよコンチクショウ!」


 ばしん、とデルフリンガーを床にたたきつけた。げふ、と鍔のあたりから曇ったような声が聞こえる。
 

「はぁ……、大体ね、あんなののどこが良いわけ?」 

「あんなのじゃないもん」


 もん。である。ケティは子供のように唇を尖らせて、もん、と言った。


「ああもう……、ギーシュのどこがいいの? 私にはわからないわ」


 待ってましたと言わんばかりであった。


「えーとぉ、まずちょっとお馬鹿なところ。可愛くて、頼りないところがぐっとくるって言うか、なんだか守ってあげたくなっちゃう。かと思えば、花言葉とか、種類とか、珍しい飲み物も、お酒だって、そういう私の知らないところはよく知ってて、私に教えてくれるところはとってもかっこいい。美形だし、色白で、眉の形なんて完璧で、程よく手入れされてる髪の毛なんてとても美しいわ。金色できらきら輝いていて、以前泉に行ったとき、朝焼けの中のあの人は絵画から出てきたような美しさをたたえていたもの。それでいて最近は瞳の中に燃えるような熱意を感じます。魔法の授業も以前よりまじめに受けていると聞きますし、そもそもがグラモン家の血筋ですもの。魔法だってぐんぐんと上達するに決まっていますし、あ、そうそう、乗馬もそこそこにうまくって、後ろから腰に回る左手を感じるだけでどうしようもなく愛しさを感じました。顔を見ればいつだってどこかを褒めてくれますし、たまにくれる一輪のバラなんか、とても芳しく、固定化をかけて永遠にその美しさを維持したいほどで、それでいて───」

「はいはい幻想幻想」

「幻想なんかじゃありません」

「じゃあだまされてるのよ」

「そんなんじゃありません! これは、私がギーシュ様に恋するのは、運命なんです!」


 もうやだこの子怖い。ルイズは思った。


「だって……」

「まだあるの?」

「だって、夢を見るんです」

「夢ときましたか」

「殺される夢、小さなころから見る夢」


 何かを受信している人種に違いない。ルイズは確信した。
 こういう輩はそもそも話を聞かないか、聞いてしまったのならはいはいと適当に聞き流すのが一番なのだ。
 もともとルイズは人の話をまじめに聞く性質だが、こればっかりは仕方がなかった。だってこの子、電波さんなんだもの。電波の怖いところは、それが伝染してしまうところにある。電波を受信しているこの近くにいたら、こちらまで電波になってしまう。変な電波を受けて、いやありえないが、もし、もしギーシュなんかを好きになってしまったら、そりゃもう自殺しかない。もう自分で自分を殺すしか道はない。
 と、思うくらいには、ルイズはギーシュのことが嫌いなのである。嫌いと言うか、どうでもいいのである。どうでもいいと言うか、好きにはなりたくないのである。


「えーと、なに? その夢で、ギーシュが助けてくれるわけ?」

「いいえ。私は怖い人に殺されてしまうの。怖くて怖くて、どうしようもなく怖くて、とつぜん真っ暗になる。それが死んだってこと。私は野ざらし。死んでそのまま。でもね、そこに金髪で、とても美しい人が通りかかった。その人はね、私にお墓を作ってくださったの。私と、私の仲間たちを埋葬してくださったの。心が晴れたような気分だった。見ず知らずの人なのに、なんてお優しい方なんだろうって」

「……それがギーシュ?」

「そう、そっくり。はじめてみた時、腰を抜かしそうになりました」


 うっとりとした表情で、ケティは続ける。


「あの方は言いました。『次に生まれ変わったら、美しくなりなさい。そして僕についてきなさい』。……どう思われますか?」

「あなたの受信機能がバリサンだって事はわかったわ」


 そう言い残してルイズは医務室から逃げた。





 とんでもない女に絡まれたものである。
 そもそも、ギーシュ。あのギーシュを好きだと言う人種がいることに驚きを隠せなかった。そしてその理由が夢を見る、と言うところなんて、ルイズから考えてば、ホントのホントに“頭大丈夫?”である。 
 いやな意味でどぎまぎしながら、ルイズは廊下を早足で抜ける。さっさと自分の部屋で落ち着きたい。おそらく一方通行はまだ寝ているはずだから、それを見ながらゆっくりと朝食の時間までを過ごそうかと考えた。
 しかし、どこまでも不幸に見舞われるのがココのルイズなのである。不幸じゃなかったらルイズではないくらいにルイズなのである。
 がちゃ。そんな音とともに開かれる扉。キュルケとは反対隣の部屋。
 

「あら、ルイズじゃない」


 彼女は友好的とは言いがたい笑みをこぼしながら、ルイズにオハヨウ、と。
 おやおや、と首をかしげる。彼女、モンモランシーとは、確かに仲がいいというわけではないが、特に嫌われるようなこともしてはいない。彼女が不機嫌なのは、自分のせいではない。
 先ほどの一件がなければ、ルイズはそう考えたであろう。
 だが、ルイズはピンときている。これは間違いなく、あの男のせいなのだと。ギーシュのせいなのだと。なぜならモンモランシーとギーシュは、付き合っているだかいないだか、喧嘩しただか仲直りしただか、最後までいっているだかキスもまだだか、とにもかくにもこういう噂があるのである。そんな中、戦女神戦女神とルイズを持ち上げるギーシュが居るという現実。
 ルイズは人生に疲れた老婆のようにため息をついた。


「……おはよ」

「ええ、おはよう」

「……えと、それじゃ」

「まぁ待ちなさいな。ちょうどよかったわ、あなたに聞きたいことがあるの」

「いや、そういうの私には無いわけだし……」

「……? 私が、あなたに、聞きたいことが、あるのだけれど?」


 ひく、とモンモランシーの口の端が動いたのを、ルイズが見逃すはずがなかった。
 

「まって、考えてもみなさいよ。そういうの、ありえないって思うでしょう?」

「そうね。そうよね。私もありえないって思っていたわ。だってあなたですもの。ゼロのルイズですもの」

「……まぁ、そうよね。いい気分はしないけど、そうよ。ゼロのルイズですもの」

「でも、それがどういう訳か、戦女神なんて云われているじゃない。どういうことなのかしら?」

「遠回りするのね。はっきり言ったらどうなのよ」


 けんか腰、という訳ではないが、ルイズははっきりと不快感を顔に出しながらそう言った。
 そもそもが、戦女神だのどうだのというのは、ギーシュが広めたことではないか。そう言われて嬉しくなかったのかと聞かれると、ルイズは自信を持って頷けるほどに、嬉しくはなかった。余計な二つ名がついたと感じていたのだ。最近になってようやくあきらめもついてきたのに、そのことをこうも穿り返されると、いかなルイズでも機嫌が悪くなるというもの。


「なによ、その態度。ゼロのルイズのくせに」


 やや怯んだようにモンモランシーは呟いた。


「私は、ギーシュをなんとも思ってなんかいない。わかるでしょう? それって、私の態度を見てもわからないこと?」

「……でも、でも」

「不安なのは分かるわよ。私だって、シロとなんかギクシャクしてるし。距離って言うか、なんかそういうの」

「私とギーシュの距離は、あなたのおかげで離れたわ……」

「なにそれ! 私のせいで恋人にフられたって言うの!」

「だってそうじゃない! あんなにスケベで馬鹿だったギーシュが! いきなり真面目になっちゃって、いきなり魔法の特訓なんか始めちゃって! それってあなたのせいじゃない!」

「“せい”!? そう言うのはね、“おかげ”って言うのよ! スケベで馬鹿が直ったんなら、いったいなにが不満なのよ!」


 朝も早い廊下で、ルイズは大声を出した。
 私は関係ないじゃないか。そういう気持ちでいっぱいだった。
 しかし、モンモランシーはルイズに負けないくらいの大声で、


「私はッ! スケベで馬鹿なギーシュが好きなの! 手当たり次第に女の子に手を出して、そのことで喧嘩するのが好きだったの! 馬鹿みたいに私のことを褒めてくれるのが誇らしかったの! 下心丸出しで、だけど最後は私の意志を尊重してくれるようなところが好きなの! 女の子に甘くたって、馬鹿だって、スケベだって、それでもいいの!」


 今度はルイズが怯むような、そういう勢いが、モンモランシ-にはあった。


「だって、だって!」

「……」

「だって……どうしようもなく好きなんだもん。私、ギーシュに、惚れているもの……。ほかの男の子なんかより、ずっと格好よく見えるんだもん。失敗したって、浮気したって、しょうがないなって思えちゃうんだもん……」


 そりゃ何かの呪いに違いない。
 そんなルイズの思いを肯定するように、モンモランシーは続ける。


「……馬鹿らしいって思うかもしれないわ。私自身、馬鹿みたいだって思うもの。でもね、なんだか確信があるの。それを後押しするような、変な夢を見るの」

「ゆ、夢ときましたか……」

「そう、夢。子供のころからずっと……。私はね、怖い人に殺されちゃうの。それでね───」





 飲ますわ。
 飲ますとな?
 そう、飲ますわ。
 なんぞたいそうなことを。
 協力して。
 ふぁっく。

 惚れ薬、というものがある。人の心を操る薬で、当然それはご禁制である。
 しかし彼女、モンモランシーの手にかかればちちんぷいぷい魔法でポン、である。
 惚れ薬を飲んだものがどうなるのか。当然、惚れる。それを飲んで、一番初めに見た人物に、心を奪われるのである。
 モンモランシーは言った。浮気しても仕方がないと思えると。許してやろうという気にもなると。だが、現実として、そういうことが起こるのは避けたいのだと。
 ルイズもそりゃそうかと思った。しかし、だからといってご禁制の薬に手を出すのはどうだろうか。人の心を操るなど、そんなことをしてもいいものだろうか。ギーシュのことは嫌いだが、それはそこまでしてもいいものなのだろうか───、


「ギーシュ、最近あなたの話ばかりなの。あなたに惚れてるってそんなことばかり言うの。私が泣いても、キスしてくれないの」

「協力するわ」 


 決断は早かった。
 どんなに好かれようと、それだけは頂けない。まるで本気ではないか。本当の本当に、ギーシュはルイズに惚れているではないか。
 個人の心を操る。そのことに罪悪感を感じるも、いままでの記憶がよみがえってしまうのである。
 ゼロ。何回言われたのか分からない言葉。腹が立ったし、殺してやりたいと思ったこともあった。地味に禿げろと何度も呪った。昔のことを引きずるのはよくないとは言っても、簡単に忘れることの出来ないものだった。

 ごめんギーシュ。でもあなた、気持ち悪い。 
 ルイズは心の中で、それだけを思った。

 ギーシュが知れば、過去の自分を殺したくなるのだろう。しかし、今まで自分のしてきたことのしっぺ返しがくるのは、当然といってもいいのかもしれない。
 いまをどんなにがんばって生きようと、過去は過去と捨てられないのが人間である。一方通行も、コルベールも、誰だってそう。後悔するのが人間。
 だが、ギーシュの場合はその後悔する機会を、薬で奪われる。憐れだとか、可哀想だとか、そういう問題ではないのだ。だからこその、ご禁制。
 ルイズの考えが足りないことは間違いないのであろう。個人の憎しみや冗談で使っていい薬ではなかった。
 だから当然、ルイズにもしっぺ返しがくるのは間違いないのである。

 それから二日後の話である。


「ああ、美味しそうなワインだ」


 ギーシュはそう言って、グラスを傾けその芳醇な香りを楽しんだ。
 モンモランシーのルイズはベッドの中。布団をかぶり、息を潜めている。見つかってはまずいことなど、当たり前。一人では心細いというモンモランシーに連れられて、布団をかぶせられ、そこで待機と命じられた。
 今更になって騒ぐ心臓は、どういうものを表しているのだろうか。緊張? 後悔?
 じわりと汗がにじんでくる手のひら。いまならまだ間に合う。


「それじゃあ……、はは、なにに乾杯しようか?」

「なんでもいいわよ?」

「それじゃあ、もっと魔法がうまくなりますように」

「なぁに、それ。お願いじゃない」


 ギーシュとモンモランシー、二人は楽しそうに笑って、グラスをキスさせた。
 どくん。どくん。心臓が高鳴る。いいの? 本当にいいの? 問いかけてくるような鼓動。
 や、やっぱり……。


「やっぱり、だ、だめよね、こんなこと……」


 小さく呟くが、ギーシュは気持ち悪い。


「でもでも……、これって、犯罪で……」


 ギーシュが、ワインを一口。鼻に抜ける香りを楽しみ、喉を、喉に通した。
 こくり。ルイズの聴覚は、喉のなったその音さえ捉えた。

 飲んだ、飲んだ!

 そのときである。ルイズの後悔が、扉の奥から現れた。
 ばたぁん! と乱暴に開かれたドア。蝶番がはじけるような威力だったのではないだろうか。


「よォ、居ンだろココに」

(ああ、ああ、ああああ!!)


 ルイズは声にならない声を出した。


「ぎゃああああああ!!」


 声になる声すら出して、ベッドから飛び起きた!
 しかし! それはもう遅かったのだ!
 既にギーシュは、一方通行のほうを向いている! ルイズが捕らえた喉を鳴らすタイミング、扉が開け放たれたタイミング!
 そのすべては、神の悪戯などでは片付けられないほどに奇跡的! 奇跡! 奇跡!

 時は、止まった。

 ギーシュがゆっくりと、緩慢にではなく、穏やかに足を組んだ。キザったらしい態度はそのまま。しかし瞳の奥は、熱い想いにとらわれているようだった。
 ボタンを、優雅に、いつも開いている第三ボタンから、その下までを一つずつ空けていく。除く肌。確かに、綺麗。
 ギーシュは、扉の方を向いて漢らしく微笑んだ。微笑んで、一方通行にこう言うのだ。


「やらないか」


 い、意外といいかもしんない……。
 ルイズは鼻血を出しながらそんなことを考えた。







[6318] 03
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:9655c584
Date: 2011/07/22 22:37

03/リザーブズ





 のそりのそりと牛が歩くのを眺めながら、暖かい陽光に目を細めた。
 隣に居るタバサに「牛! 牛よ牛!」声をかけると、相変わらずの「そう」。
 学院から南東へと伸びる街道を、二人は馬車で下った。
 近くに牧場でもあるのだろう。牛たちが草を食んでいるのがなんとも微笑ましい。


「いいものねぇ、たまにはこういうのも」

「……そう」
 

 タバサは本を読みながら応え、これまた相変わらず、視線すらよこさない。
 そんなことに一々腹を立てるキュルケではないし、人付き合いに関してどこまでも『微熱』なキュルケからするならば、むしろ心地よい距離感だと感じた。
 だからキュルケは一切、何一つ、この馬車の進む先を知らない。目的も知らない。ただ、タバサの部屋に行くと、どこかへ出かけるような支度をしていたので付いて来ただけである。
 先日負った傷も未だに完治はしていないだろうし、もし知らない人とコミュニケーションを取る事になったら、タバサ一人では実に不安である。
 とは言え、心配だから付いて行くとは言えない。なぜなら、そう言うとタバサが駄目と言うから。
 駄目といわれても付いて行くキュルケだが、駄目と言わせないように素直についていく方法が、


「で、なになに? 男と会ったりとかしちゃうのかしら?」

「ちがう」


 こんな風に、興味本意を装うこと。
 キュルケは知っていたのだ。タバサがふらりと学院から消えることがあるのを。その度に怪我をして帰ってきているのを。タバサ本人もこんな性格だから別に怪我を隠そうとはしないし、しかしそれについてつっこんだことを言っても、何も答えない。
 距離感は大事だ。言いたくないから言わないのだろうし、それに対してどうしても、とは頼めない。相手がタバサでなかったのならもちろん放っておくところだ。
 そう。タバサでなかったのなら。
 相手が悪い。タバサだ。問題を抱えているのは、タバサなのだ。
 これはもう、今まで一度だって崩したことのないポリシーを壊してでも付いて行くべきだと感じた。
 キュルケはタバサと、まぁ、恥ずかしげもなく本心をさらけ出してもいいなら、ルイズ。この二人のためなら身体を張ってもいいと思っている。どこまでも『微熱』を貫いてきたが、二人のためなら灼熱程度になってもいいと。


(なぁんか、放っておけないのよねぇ……)


 二人とも、どこか危なっかしいのだ。キュルケは人を見る目にそこそこの自信を持っているが、そのそこそこの自信程度で感じるほどに危なっかしい。どうにかしてやらねば! と強迫観念に似た何かがキュルケを動かすのだ。
 キュルケは窓から顔を出して、生ぬるい風を感じた。もう夏がやってくる。夏期休暇はどうしようか、とのんきなことを考えた。


「ねえタバサ」

「なに?」

「どこに向かってるの、この馬車」

「実家」


 ん? とキュルケは首をかしげ、窓から首を引っ込めた。本から視線を外さないタバサに、


「でもこの道って……」


 国境が迫っている。続く先は、ガリア。
 キュルケはピンと来て、なるほど、と自分勝手に納得した。そもそも『タバサ』という名前の時点でどことなく違和感を覚えていたが、それが確信に変わる瞬間だった。
 タバサはトリステインの人間ではない。ガリアの人間だ。自分と同じ、留学生だったのだ。そして、偽名を使わねばならないほどに、その正体は───……。
 青い。タバサはキュルケと対照的に、青かった。
 

「……」

「なに?」

「ううん、何でもない」


 首を振り、柔らかく微笑んだ。
 別にタバサが誰であれ、キュルケには今の思いがどうこうなるとは考えられなかった。タバサはタバサ。キュルケを動かすほどに、どことなく危なっかしい少女。それだけだ。
 いざとなったら、守ってあげる。
 声には出さず、視線にすら乗せずに、心中でのみ呟いた。
 すると、キュルケが呟いたのと同時にタバサは本から目を離し、じ、と瞳を覗き込んでくるのだ。
 何だか心を読まれているような気分になり、キュルケは珍しく焦りを顔に出しながら、もう一度窓の外を眺めた。


「……ん?」


 前方から、馬車に乗った一行が現れた。十人程度の一団で、深く、顔を隠すようにフードを被っている。キュルケはなんとなしに杖を見て、その造りから、その一団は軍人であることを悟った。
 戦時中の今、軍人を見かける事は珍しくはない。それなのに、頭の隅に引っかかる何か。
 ぎっこぎっこと馬車は進み、すれ違いの瞬間。
 
 
「……」


 特に、おかしなところはなかった。
 それはそれは、軍人たちだった。 
 おかいしいなぁ、と首を捻り、頭の隅にある何かに答えを出そうとするが、それは時間が経つに連れてもやの中へと消えていく。
 

「タバサ」

「なに?」

「今の軍人たち、見た?」

「見てない」

「そ」

「そう」

「残念ね、なかなかいい男だったのに」
 
「興味ない」

「あら、だめよそんなんじゃ。いのち短し恋せよ乙女って言うじゃない」

「変?」

「へ? い、いえ、たしかに恋と変は似てるかもしれないけれど……」

「恋をしないのは、おかしい?」

「おっかしいわよ、恋しないなんて考えられないわ! 女の一生はね、いかに上手く恋をするのかにかかっているの!」
 

 ぐ、と拳を握りながらタバサに恋の何たるかを、それこそ一から説明して、いつの間にか、すれ違った軍人たちのことはキュルケの頭の中から消えていった。
 




◇◆◇





 まず、息を殺す。吐息を限りなく薄く、ゆっくりと吐き、音を殺す。
 次いで、その身を木の陰へと落とす。自身の存在そのものがこの木の一部だと、出来る限り同化する。
 すると、気配は姿を消す。自分という、もともと不確かな存在は、この森の一部となる。
 体温すら無くなってしまったと思うほどにミサカの擬態は、それはもうすばらしいものだった。兵隊が学ぶべき軍事マニュアルには、もちろんこういったことも含まれている。
 いかに戦うか。どう殺すか。それだけしかないミサカは、だからこそ余計な不純物を混ぜることなく、ただのマシーンとして、機械として、人間ではない何かとして、気配を殺すことに長けていた。
 呼吸は一分間に三回。ゆっくり、じっくり、正確に。心臓の鼓動で時間を計る。
 ミサカの心は、普通の人よりも平坦だ。グラフで表すならば、山と谷の波が限りなく少ない。この状況で焦りを感じることは、一切無かった。

 視線の先。森の陰に隠れて、一人の女が居た。
 黒尽くめで、こちらの世界に慣れてきたミサカにとっても珍しい服装。フードを目深に被って───、いや、それを下ろした。黒々とした総髪がなびく。


(そこそこの美人です、とミサカは暗に自分のほうが上だといやらしい含み笑いをします)


 シェフィールド。本名かどうかは分からないがね、とワルドは言っていた。
 ミサカはそれを追っている最中。今までも何度かシェフィールドを追い、この森には来たことがあった。シェフィールドはいつも場所を変えながら、ちらりちらりと後方を振り返りながら、警戒を怠ること無く森の中へと入っていくのだ。
 初めは相手の実力が分からないものだから、シェフィールドとの距離は十五メートルだった。何かを呟いている様子だったが、それは聞こえなかった。
 二回目は一メートルだけ距離を縮めた。もちろん、なにを言っているのかは分からなかった。
 三回、四回とそれを繰り返し、今日で何度目のストーカー行為だろうか。
 彼我距離、四メートル。
 だからこそ、ミサカは限りなく自分を殺した。シェフィールドが一歩進めば、ミサカはその一歩分の距離を、シェフィールドの十倍の時間をかけて縮めた。
 足を動かすわけでなく、足の指を動かすような、間合いを削る作業。時には深く身を伏せ、手だけ指だけで進む、拷問のような匍匐前進。
 顔も服も、汚れていないところなどない。じゃり、と口の中にある砂を噛みながらミサカは、しかしどこまでも冷静だった。


(心拍、呼吸、共に正常。指先の感覚も異常なし……)


 ───ばさッ!
 野鳥が一羽、木の陰から飛んだ。ミサカの心臓が動揺を見せることはない。
 その音でシェフィールドがこちらを振り返る。じ、とミサカが隠れている木を見つめ、数分がたってようやく目を離した。


「……私です」
 

 ついに捉えた、その声。
 この距離で身を乗り出すのはさすがにまずいと割り切り、聴覚だけに集中させた。


「計画の通り、ウェールズはトリステインへ……はい」


 ワルドの予想は見事に的中していたのだ。
 ミサカは何度もワルドに対して言ったことがある。なぜ、あの女が怪しいと思うのか。ワルドの答えは非情に単純で「勘だ」、と。
 とてもではないが、考えられないようなものだった。ミサカは勘を頼りにはしない。したこともない。どこまでもマニュアルに照らし合わせてでしか行動が出来ない。
 不可解だった。不可解だったが、なかなか面白い。いつか自分も勘を習得することが出来るだろうか、となんとなしに考えた。

 それからシェフィールドは二言三言会話(?)を続け、そして最後に───見た。
 どこを見たかというと、別にどこでもない。空とも言えるし、木の葉を見たとも言える。ただ、ミサカが気になったのはその方角。
 いままで何度となく追跡を行ってきたが、彼女はいつもその方角を覗くのだ。
 ミサカには『勘』がない。別にそのことに対して、特に何かを思ったことはない。統計的に考えて、よく見るなぁと思っただけ。
 

「我が主……」


 ただ、これは報告の必要性あり、だ。
 はぁ、と熱いため息と共に吐き出されたそれは、今まで動揺の欠片も無かったミサカの心臓を跳ね上げさせるほどに、どこまでも女の声だった。





◇◆◇





 ミサカが指差した方角。その先を辿れば、どんな馬鹿でも知っている軍事大国、ガリア。
 ああ、とワルドは顔を覆ってしまいたい気持ちになった。けれども片手しかないし、なんとなく格好がつかないので大人の余裕を見せ付けるようにミサカへと労いの言葉をかけ、部屋で休めと勧める。


「では失礼します、とミサカは深々とお辞儀をしました」


 出て行く背中を確認し、


「はぁ……、ああくっそ、くそ! ガリア? くそ!」


 予想していた中で、もっとも嫌な相手だった。
 軍事大国を名乗るとおり、ガリアは強い。国庫は潤っているし(最近はよく分からないが)、それゆえに兵団の装備が豊富。戦艦を作る技術にも長け、簡単に言えば戦争が強い。メイジ一人一人の質も違う。トリステインのように、平民の兵隊を馬鹿にするようなことがないのだ。
 ワルドも裏の世界に入って少し経つが、以前知り合った『元』ガリア軍人が語るそれ。
 ガリアの考えでもっとも凶悪なのは、人を人と思っていないこと。お前は死んでこい。その命令が何の躊躇もなく出ること。そして、その命令に何の躊躇もなく兵隊が従うこと。
 ワルドはそれを怖いと思った。もちろん貴族であったこの身、死んでこいという命令は名誉に繋がるものだと理解はしている。だが、簡単に従えるかといえば、NOだ。ワルドだったら従わない。プライドなんかかなぐり捨ててでも生き残る。
 元ガリア軍人もそういうタイプの人間だった。だからこそ馬が合ったし、そんな話も聞けた。

『狂ってるよ、ガリアは。なんたって、トップの頭が狂ってる』

 無能王ジョゼフ。あまりに有名な王様。
 彼が戴冠してから、まぁそもそも軍事的王国ではあったが、ガリアはさらに軍事力を伸ばすことになる。周辺国の誰もが思った。どこに戦争を仕掛けるつもりなのかと。
 しかしジョゼフは大戦を行うことはなかった。小さなイザコザ程度のものなら何度かあったが、それは強化した軍事力で潰すような、そんなものではなかった。既存の戦力でどうとでもなるものばかりだったのだ。
 力を見せ付けたいだけのアピール。ただの示威行為であり自慰行為だと周辺諸国は胸を撫で下ろし、無能王だと蔑む。

 無能王。王にあるまじきそれ。
 ジョゼフが魔法を上手く使えないのは、周知の事実だった。当然ガリアはその事実をひた隠しにしてきたのであろうが、人のお口には、物理的な方法以外ではチャックをつけることは出来ないのである。
 魔法が使えない無能王。軍事力ばかりを育てる無能王。政治はそこそこにこなすが力を入れない無能王。


「ちくしょう……、あぁ、今更になって怖くなってきた……」


 はぁ、と両手を挙げて(片方は飛んでいったが)ワルドはベッドに横になる。
 魔法が使えない王族。そんなものは、存在しない。絶対に存在しない。『血』の濃い王族はきわめて優秀であり、天才的な魔法資質を持つ。人の努力をぽーんと飛び越えるようなものを、王族というものはその血の中に、生まれながらに持っているのだ。
 これはワルドの持論。しかしあながち外れたものでもないだろう。
 だからこそ『無能王』は目立つ存在であり、その言葉で誰もが安心しきっているが、


「絶っっっ対、虚無だろ! だよなぁ! ああくそ、分かってたけどさぁ!」


 そう、虚無だ。
 ワルドは知っている。始祖の血を分ける存在の中に、虚無が居ることを。例えば王族であり、どこかでそれと交わった家系。
 純粋に王族で、それで魔法が使えないとなるならば、ワルドにとっての答えは当たり前のように用意されていた。
 

「はぁ。どうせなら本物の無能であって欲しかったけど……いやぁ、他国に居ながらアルビオンをここまで動かすんだもんなぁ。無能が聞いてあきれるよ。何が無能だ。ああちくしょう……」


 ワルドはベッドに横になったまますぅ、と息を吸い込み、


「マチルダー! おーい! マチルダー!!」


 数十秒がたち、乱暴に扉が開いた。


「なんだい! せっかくうとうとしてたのに!」

「なに? 僕を差し置いて寝るつもりか、君」

「あたしがいつ寝ようが勝手だろう!」

「僕は一人じゃ眠れないんだ。一緒に寝よう」

「んなぁっ……、ば、ばか……」


 言いながら頬を紅潮させ、もじ、とマチルダは身をよじる。
 あれ? とワルドは若干の焦りを感じ、


「……。……いや、冗談なんだけどね?」


 さて、とワルドが本題に入る前に、飾ってあった花が花瓶ごと飛んできた。





◇◆◇





 ところ変わって、トリステイン。


「ふああ! ああ! あああ! アクセッ、アクセラレエエエエエタアアアアアアア!」

「うるさいのよアンタ!」


 ごしゃ、と硬いもので肉を打つ音が聞こえた。
 今日も平和である。




[6318] 04
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:9655c584
Date: 2011/07/26 16:21


04/バーニング想い





 ぎぃこ、ぎぃこ、とほんの少しだけ軋むような音を立てて馬車は進む。もちろん、進む先はガリア。その国境まで二泊して、キュルケとタバサの旅は続いた。
 関所で手形を見せ、石の門をくぐるとそこはガリア。ガリア側の石門から衛士が出てくるのが見えて、キュルケはもう一度交通手形を見せつけた。
 じろりと鋭いまなざしでそれを確かめた衛士は一度うなずき、


「この先の街道は通れません。迂回してもらえますか?」


 ん? とキュルケは小首を傾げた。


「どういうことかしら。賊でも出るわけ?」

「ああいえ……」


 言いにくそうに衛士が鼻の頭をかいた時、隣に座るタバサが、いつも通り小さな声で言う。


「ラグドリアン湖から水があふれてる。おそらく街道は水没」


 へぇ。
 キュルケはそんな生返事を返した。
 言われたとおりに、ほんの少しだけ遠回りをしてタバサの実家へと進む。
 小さな丘を上ると、トリステイン随一と言われるラグドリアン湖が一望できた。たしかに水位が上がっているようである。浜が見えず、小さな花々が水に飲まれている様がよく見えた。
 ふむ。大問題である。このまま水があふれ出てくるようならば、何らかの対策を講じねばなるまい。というか、水位がここまで上がっているのに、ここの領主はいったい何をやっているのか。このままでは、おそらくこの界隈に住む農夫達にも影響が出てくるだろう。


「タバサ、このあたりは誰が統治めているの?」
 
「直轄領」 

「へ?」

「ここは直轄領」


 簡単にいえば、王様の土地ということである。


「あ、ああ……なるほど、そうなるわけね。だったら、あなたのご実家もこの辺ってことよね?」

「あと十分くらい」


 キュルケの疑念は確信に変わった。
 タバサは王族だ。ああ、王族なのだ。うすうすとは感じていたが、マジか。マジモンか。
 ほんのちょっと、心臓が騒ぎ出した。





◆◇◆





 ぎぃこ、ぎぃこ、とほんの少しだけ軋むような音を立てて馬車は進む。もちろん、進む先はガリア。国境まで四泊して、彼の旅は続いている。
 関所が見えてきて、彼は懐から手形を取り出した。国を跨ごうというのだ。当然ながら身の証明が必要であり、そのための手形だ。


「手形を」


 衛士の言葉に彼は素直に従った。懐から取り出したのは、正真正銘、手形だ。
 衛士は鋭い視線で馬車の荷台を睨みつける。


「……荷は?」

「宝石でさぁ。先日の戦争で、至る所から流れ込んできやしてね、それを売りさばこうって魂胆で」

「ふ、あまりあくどい商売をするなよ。一応確認する」

「あいよ」


 衛士が荷台に首を突っ込み、おお、と嘆息したのが聞こえた。
 すばらしい、すばらしい、と我を忘れたようにつぶやくそれを見て、おそらく宝石に詳しい人間なのだろうなと辺りを付けた。
 素晴らしいのは当然である。正真正銘の、純真で汚れなく、大切に保管されていたものなのだから。


「まったく、戦争で儲けるのはいつも商人だな!」

「それが世の理って奴でしょうよ、旦那」

「歯がゆいな……。ええい、一つ売ってはくれないか? もうすぐ結婚記念日でね、嫁に何か贈りたい」

「そりゃよしといたほうがいい。血なまぐさい宝石なんざ、もらっても嬉しくはないでしょうよ。旦那がじっくり選んだ物の方が、嫁さんは喜びますぜ」

「……ふむ」


 そりゃそうだ、と衛士は苦笑いを浮かべながらうなずいた。
 通れ。声が聞こえ、石門が開き、奥にもう一つ石門が。あれを抜ければ、ガリア。
 どくん、と心臓が高鳴るのを感じた。
 やると決めたことを実行しているだけなのに、なぜこんなに心臓が騒ぐのか。決めたことではないか。ガリアに行く。そのために手形を用意してもらい、平民に変装をして、売るつもりもない宝石なんかを荷台に乗せて。
 世界の真実を暴く。それこそが彼の、ワルドの決意。『こうする』と決めたこと。コンプレックスの源。

 ガリア側の衛士が、同じように荷台を確認した。先ほど聞いた言葉と同じようなことを言い、ワルドも同じように返す。
 通れ。それが聞こえて、どこも同じようなものだな、と唇をゆがめた。


「そうだ、この先の街道は通れないから迂回していったほうがいいぞ」

「……ほう、通れない?」

「ああ。ラグドリアン湖の水が溢れていてね、街道はぐちゃぐちゃだ。馬の足を取られるぞ」

「それはいいことを聞いた」


 ワルドはぺこりと頭を下げて国境を後にした。
 足が付くのを嫌ってわざわざトリステインからの潜入だが、なかなかどうして上手くはいかない。まるで全知全能な何かに『行くな』とでも言われているような気分だった。


「……はっ」
 

 そんな自分の考えを一息で吹き飛ばした。
 行くな? 馬鹿を言うな。馬鹿を言うなよ。ワルドの生きる意味は『これ』にあるのに、『これ』の先にこそある筈なのに、行くな? それでは死んでいる。ワルドの生に意味がなくなる。進むことこそが生きることなのだ。ワルドにとって、生きるとは世界を暴くことにあるのだ。緩慢な自殺など、考えただけでもおぞましい。意味もなく生きるなど、他人はどうかは分からないが、ワルドは絶対にごめんだった。


「やってやるさ。俺はワルドだぞ」


 片手だけで手綱を送り、馬を進めた。
 目指す先は───


「首は洗ってなくてもいいから、大人しく待ってろよ、王様……」


 ぶる、と体が震えたのは、誰が何と言おうと武者震いなのである。





◆◇◆





 夜。女王になって、それは寝る時間ではなくお勉強の時間になった。
 いや、もちろん睡眠はとる。睡眠を取らねば死ぬから。だから、もし死なないのだとすればもう寝なくてもいい。そう思うほどまでにアンリエッタは政務に励んだ。
 幼いころからある程度の教育は受けていたとはいえ、所詮はある程度、で収まるほどのもの。現実に国を動かす王になったとなれば、ある程度ではいけないことくらい、そこらの平民でさえわかる。
 たしかに、アンリエッタ自身が何をせずとも国は動く。母のように奥に引っ込んでいたって、国は動くのだ。
 優秀な大臣がいる。優秀な側近がいる。それだけで、国を動かすのは十分だと思った。思っていた。 
 そしてその結果が、これだろう?
 笑えないわ、と小さくつぶやいて、アンリエッタは眉間を揉んだ。


「もっと早くに……もっと早くに私が戴冠していれば、この結果は変わっていたの……?」


 アルビオンの王権は滅び、ウェールズが死んだ。


「私がもっと早くに生まれていれば……」


 ウェールズとの恋を形にして、両国の同盟をかたく結んで、それでいて良い統治をしていたのなら、もしかしたら、この結果は回避できたのかもしれない。
 もし。かもしれない。そんな言葉ばかりがぐるぐると脳内を駆け巡り、いけない、とアンリエッタは首を振った。
 過去は、もう過ぎ去ったものなのだ。ウェールズは死んだのだ。
 それが現実。これは幻でもなんでもなくて、現実。
 アンリエッタは王になった。だから勉強をしている。他国から下に見られないように、政治に意見を出せるように。王たる王になろうと、そう決めたのだ。
 ただ、ほんの少し過去に引っ張られているだけで、それを振り切る強さを、私はもう見ているはずだろう?
 あの光を。トリステインの未来をすくった、あの光を。
 幼馴染は、強かった。文句の一つもなく(心の中ではどうか分からないが)自分の命令を聞いて、戦ったではないか。だからこそアンリエッタも強くなろうと決めたのだ。
 ぎゅ、とアンリエッタはこぶしを固く握った。
 忘れるの。忘れなさい、アンリエッタ。過去は過去。私が歩むべきその先にあるのは、未来ではないか。だから、ウェールズのことは───

 こつん。
 
 びくりと伏せ気味にしていた顔をあげて部屋を見回すが、特に何もなく───

 こつん。

 部屋鳴りの類かと思ったが、そうではなく、どうやら窓に何かが当たっているようだった。
 アンリエッタは机に立て掛けた杖を手に取り、恐る恐る窓を開けた。


「ぁ……」


 人が浮いていた。闇に紛れるように黒の外套を身にまとい、人が浮いているのだ。
 不審者、なんて思いはこれっぽっちも出なかった。
 その顔に見覚えがある。その髪の毛に見覚えがある。その瞳に、吸い込まれそうになる。 


「やあ、久しぶりだね、アンリエッタ」


 たまらなかった。その声は、まぎれもなくその声は、ウェールズのもので、瞳だって、その指先だって、黄金を練りこんだような髪の毛だって、間違いなくウェールズのもので。


「なん……で、ああ、ああ、なぜ、ここに……?」

「君を迎えに来たんだ、アンリエッタ」

「そんなはず……っ、ないわ、だってあなた……死んで……」

「じゃあ、君の前にいる僕は?」

「ま、まほうで、きっと、私をだまそうとして」


 声が上ずり、視界が滲んでいく。
 お笑い草だ。たった今忘れるのだと決意したというのに、顔を見ただけでこうも動揺して。


「空を飛んでいるのに、魔法? 僕はそう器用ではないよ」


 ふ、と柔らかい笑みを浮かべるそれは、まさしくウェールズのものだった。
 自分を恥じた。決意なんてものは、こうも簡単に崩れてしまうものなのかと。なんて汚い。女なんて、恋なんて、こんなに醜い。それなのにどうしようもなく、どこまでも激しい。
 震える手を、窓から伸ばした。ウェールズの頬に触れると、それは温かかった。
 生きている。間違いなく、彼は生きている。


「ウェールズさま……」


 声に出してしまったら、あとはもう簡単だった。
 女王なんてものが、民への思いが、今の今まで勉強していた政治への関心が、そのすべてが裏側へと飛んで行った。


「ウェールズさまっ、ウェールズさまぁ……」


 涙があふれ出し、これはもう駄目だと悟った。
 目の前の男を、こうも愛してしまっている自分は、おそらくどこか狂っている。
 どこかで考えているはずなのだ。危ない。罠だ。偽物だ。
 だがアンリエッタは、アンリエッタの女の部分が、いいの、とそう言った。いいの、危ないのなんて百も承知で。罠があるのなんて当然で。この彼が偽物かどうかなんて、考えていなくて。だから、これでいいの。
 どこか諦めに似たような感情だった。
 ウェールズが優しく自分の頭をなでてくれる。それだけで、もう……。


「風吹く夜に」 


 ウェールズのそれは、ひどく懐かしい言葉だった。
 アンリエッタが子供のころ、ウェールズと密会を交わしていたあの時の合言葉。
 震える唇で、


「水の誓いを……」


 開け放たれた窓越しに、口づけを交わした。





◆◇◆





 学院。学生たちは勉学に励む。魔法で高みを目指し、貴族たれ、と己を鼓舞する。
 そんな中、毎日毎日KIN☆NIKUを育てる少女がいるのを知っているだろうか。もちろん知っているはずである。彼女は返ってきた能力を存分に発揮するために、これまでよりも鍛錬に力を入れていた。
 魔法少女。そんな時代は終わりを告げて、そろそろ筋肉少女が表に出るのも近い。うすく割れた腹筋。力を入れればほんの少しだけ大腿四頭筋が浮き出る太もも。猛々しくも可愛らしいこぶを作る上腕二頭筋。鬼の顔は浮きでないが、普通の女の子よりも発達した広背筋。バストアップにちっとも役に立っていない大胸筋。
 来る。筋肉の時代が。
 来る。マッスルイズの時代が───!


「居るんだろう!? 開けておくれ! 開けておくれよアクセラレェェエエエタァアアアアア!!!」


 と、現実逃避したくなるくらいにギーシュが気持ち悪かった。
 こんこんではなく、どんどんでもなく、がんがんとギーシュは扉をノックしている。ノックというか破壊しようとしている。
 みし、とドアノブの上のあたりが歪んだ。


「わ、わ、シ、シロ、ほら、来ちゃうって!」


 一方通行の方を見れば、彼は寝ていた。実に美しい顔をさらし、健やかに寝ていた。
 ああなるほど。反射してしまえばこんなもの聞こえないし感じない。この時ばかりは羨ましいを通り越して、嫉妬を通り越して。


「ずるい!」


 ルイズは一方通行のかたを揺さぶ───れなかった。
 動かない。ピクリとも動かないのだ。いや、これは触れられない? 一方通行の反射の膜に、ルイズまで遮られているのである。 
 ぐぬぬ、とルイズはこぶしを握ったが、ここで殴れば自分の手からピンクのお肉と真っ白なボーンとクリムゾンな鮮血が飛び出ることが分かっていたので、そのこぶしを握ったままがんがんとやかましい扉へと向き直った。

 たしかに、いやさたしかにギーシュのアレは自分にも責任がある。他人の心を惑わせるような薬を飲ませてしまった。その手伝いをした。
 自業自得と言われればそれだけなのだが、ギーシュがあれだと、一方通行も離れていくのだ。
 飲ませたのは二日前だが、それから一秒だって心の休まる時があったろうか。
 いや無い。断言できる。無い。
 一方通行は不機嫌に眉をひそめるし、なんとかご機嫌を取ろうとするとギーシュがやってくるし、モンモランシーなど、どこか遠い目をしながらふふふと笑うばかりだ。

 こんなことをしている場合ではないだろう。自分にそう文句をつけた。
 今やるべきことは、こんな騒ぎを起こすことなんかじゃなくて、一方通行と話すこと。惚れ薬なんかどうでもよくって、一方通行と話し合うのが大切なのだ。
 考えてもみろ。ギーシュが一方通行に『惚れた』あの時、一方通行は自分を探していたではないか。
 ただ事ではない。一方通行がルイズを探して他人の部屋に入ってくるなんてことは、ただ事ではないじゃないか。
 そのチャンスを、話し合う機会を、自業自得のこんなことで潰してしまった。

 なんて馬鹿な真似をしてしまったのだろう。なんともったいないことをしてしまったのだろう。
 このままでいい訳がないのだ。
 大切な使い魔と、尊敬するべき女王様。ルイズは嘘をついている。そのことが、どんな馬鹿騒ぎが起きたって頭の隅に残っているのだ。
 どうすればいいのだろうと自問しても、答えなんか返ってこない。
 姫様には、結局話すことはなかった。一方通行にも、何も言ってはいない。
 

「……。どうするかなんて、そんなの……」


 もう一度、拳を固めた。


「そんなの……!」


 ばぎゃ! 木片をまき散らしながら、ついにドアが破壊された。
 ひひ、と引きつるような笑いを上げるギーシュが、そこにいるのだ。


「乾坤一擲ッ!!」


 腰だめに構えた右の拳を、何の迷いもなく放った。
 左手を引く動作と共に進むそれは、まさしく正拳突き。
 ずん、と右手に重い感触。ギーシュの鳩尾に入り込んだそれは、彼を悲鳴すら上げさせないままに打ち崩した。
 伏すギーシュを汚物のように見下しながら、


「私は、嘘ついちゃってるのよ……。もう、どっちに進むかなんて分かりきってることじゃない」


 迷うな。見えないふりをするな。言い聞かせるように。
 もう、あの場で、嘘をついたあの瞬間に、自分の心がどちらに傾いているかなど、分かりきっていることではないか。どうしてルイズは嘘をついたというのか。それはどこまでも、一方通行の為ではないか。ただただ彼をそばに置いておきたくて、ただただ彼を他のだれかに取られたくなくて、ただただ彼を、これ以上傷つけたくなくて。
 そんな自分の考えに、ルイズは寂しくため息をついた。
 女はきっと損をする。恋だの愛だの、そんな話になったら、いつも損をするのは女だ。こんなに熱く燃え上がる気持ちを、押さえてなんておけない。大切な人が居たら一国の王様を裏切ってもいいと思ってしまっている。


「シロ……」


 床に膝をついて、ベッドに肘を乗せて、ルイズは指先で一方通行の髪の毛を撫ぜた。
 どうせ聞こえていないし、届いてなんかいない。


「私さ、あんたのこと、きっと本気で好きなんだわ」


 自分でもこの感情が何なのか、少し判断に困るのだ。
 恋? 一方通行に恋してるの?
 それにうん、と頷いてしまうには、なんだかちょっと違うような、ずれているような。
 だから、ただ好き。大切。
 恋してるんじゃなくて、ただ、大事。
 いいのではないだろうか。こんなものがあっても。全部が全部愛だの恋だのともっていくのは、ツェルプストーに任せてしまえばいい。
 
 なんだか少しこっぱずかしくなって、ルイズは鼻の頭を掻いた。
 きっと一方通行は、自分のことを好きにはならないだろう。だけど、それでもいいと思えるほどの気持がルイズにはある。
 ギーシュの馬鹿騒ぎのおかげで、悩みが一回ぶっ飛んで、もう一度考えてみたらこうも簡単に落ち付いてしまった。


「ばっかみたい」


 ごめんね。ありがと。
 口には出さず、視線にすら乗せずに、ただ心の中だけでギーシュに送った。




[6318] 05
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:9655c584
Date: 2011/07/27 16:48

05/なにも思いつかなかった





 鋭く息を吐きながら剣を振るった。
 ぴゅんっ。風を切るその音は、最近ではなかなかに満足のいく仕上がり。


「うん、いい感じ」


 手のひらを握ったり開いたりしながらルイズは呟いた。
 もともとが深く悩むような性質ではない。こうと決めたらこう。やると決めたらやるし、行くと決めたら行く。単純な人間なのだ、ルイズは。
 それがどういったことか、もう決めていることに後から難癖付けて、いじいじと考え込んで、まったく自分らしくないことをしていた。
 もう一度振る。うむ、楽しい。そうだ。見失いかけていたけれど、これが私なんだ。
 優しげに微笑み、木剣をぶすりと地面に突き立てた。


「よし、行けるわ」

「どこにかね?」


 同じように地面に突き立てられたデルフリンガーが、楽しそうに鍔を鳴らした。


「どこっていうか、ほら、とにかく調子がいいの、私」

「そりゃ見てて分かるってもんさ。単純だね、ガンダールヴってやつは」

「なによ、なんか文句ある?」

「いやさ、単純ってのはガンダールヴにとっちゃ力だからね、何の文句もねぇよ」

「どういう意味?」

「バカは強ぇってこった」

「私にバカって言っていいのはシロだけよ!」


 げし、と剣の腹につま先を入れた。
 今日、話してしまおう。一方通行が起きたのならその場その時、私はあんたが大事なんだよって。
 それで、ギーシュを何とかしよう。あれは非常に気持ち悪いから、うん、何とかしよう。
 魂が半分離脱しかけているモンモランシーに聞いたところ、惚れ薬の解除薬を作るには、水の精霊の一部が必要になるらしい。当然、そんな高価なものを貧乏ちゃんなモンモランシーが二つも持っている筈はなく、どうにかして手に入れなければならないのだ。
 

(まぁ、どうにかしてっていうか……)


 水の精霊に『ください』と頼むしかないのだが。
 今回は、一方通行に付いて来てくれと頼むつもりはない。なぜならこれはルイズの自業自得だから。一方通行との話が終わったらなんだか照れくさくもなりそうだし、ちょうどいい時間になるのかもしれない。
 よし! と気合を入れて、自分の頬を二回叩いた。


「行くわ。緊張よ、すごい緊張」
 
「人間は手のひらに何か書くんじゃなかったかね?」

「うん? 何よそれ、どこの文化?」

「ほれ、何か文字を書いて飲み込むとか何とか……あれ? これは誰から聞いたんだっけか?」

「長生きしすぎてどうにかなってきてんじゃないでしょうね?」

「ひっひ、死ぬタイミングを逃しちまうと辛いね」

「爺ぃのたわごとね」


 爺ぃとは何事だと騒ぐデルフリンガーを無理矢理鞘におさめ、ルイズは元気よく一方通行が寝ている自室へと駆け出した。





◆◇◆





 夢を見ていた。
 人間がたくさんいて、それは全部黒い影で、シロいのは自分だけ。
 触れただけで人は死んでいく。人間は脆い。指先を一つ動かすだけで死んでいくような、崩れやすい存在だ。
 殺した。笑った。殺した。笑った。殺した。笑った。
 
 ───ごきり。

 そんな音が聞こえた。
 足元を見てみると、首がねじ曲がった死体があった。見覚えのある死体だった。金に輝く総髪は乱れ、漏れ出た血に沈んでいて、伏せていて顔は見えないけれど、この部屋はアルビオンに行ったときに、壁に空いた大穴から入ったことがあって、だからこの死体は───、


「殺したな?」 


 死体から声が聞こえた。


「殺したな?」


 もう一度。


「罪もない人間を、自分の都合で殺したな?」


 死体はそう問いかけてくる。
 夢の中の一方通行は、


「あァ? それがどォした」


 それでこそ俺だ。どこか俯瞰の視点に居る一方通行はそう思った。
 殺したものは殺したのだ。その先に、その者の続きはない。そこで終わり。だから一方通行は殺したことに関して、それ以上のことを考えなかった。
 いくら一方通行でも、多少の罪悪感は存在している。人と比べてそれが大きいか小さいかは問題ではなくて、存在していることに意味がある。王子様の『続き』は、もし生きていたのなら、その続きはどうなっていたんだろうと考える思考スペースは存在しているのだ。
 だからこそ、こんな夢を見ている。
 殺すことに疑問をもつような、そんな場合ではないというのに。


「シロ」


 声が聞こえた。


「シーローちゃんっ」


 そう、こいつ。こいつは正論ばかり吐きやがる。口から出てくるのはどれもこれもが眩しくて、輝いていて、一方通行には直視できないものばかりで。
 どうしてこんな奴が自分を召喚出来たのか不思議でならない。どう考えても、呼び出すのなら『あいつ』だろう?


「ほら、行きましょう?」


 夢の中で、ルイズは上にいた。
 一方通行が影ばかりのところにいるのなら、ルイズは光のあたる場所にいた。そっと手を差し伸べてくるそれに、一方通行は唾を吐いた。


「俺の“上”に立つンじゃねェ」


 ふ、と全部が消えて、


「ほら、行きましょう?」 


 夢の中で、ルイズは先にいた。進むべき道が一本しかないその場所で、ルイズはこちらを振り返りながらそう言った。


「俺の“先”に行くンじゃねェ!」 


 ぎしり。歪むような音と共に浮遊感。
 ああ、目が覚める。先を行くあいつに一言物申す時間すらなく、目が覚めてしまう。
 ちくしょう。一方通行は俯瞰の位置から歯ぎしりした。
 言いたいことが沢山ある。聞きたいことが沢山ある。なのにテメェは俺の上に、俺の先に。ふざけンな、ふざっけンな!



「しぃろぉ!」


 はっとして両目を開くと、ルイズは目の前にいた。
 一方通行のお腹の上に尻を落とし、立てた人差指で頬を突いてくる。
 何が何だかよく分からなかった。夢の続きでも見ているのかもしれないと思った。
 とにかく一方通行は右手を握り、拳を固めた。


「俺の上にッ! 乗るンじゃねェ!!」

「ぎゃふーんっ!」


 その日初めて、今まで一万人以上殺しているが、その日初めて一方通行は女の子の顔面を殴った。





 殴られてもなぜだかへらへらと笑っているルイズに若干の怖気を感じながら、一方通行は深々とため息をついた。 
 いつもの調子に戻っている。理解できない。


「あんた、『反射』がないとホントにもやしなのね」


 私の鍛え上げられた肉体を破壊するには力が足りないわ、とルイズは続けた。
 

「で?」


 力が無い。男の矜持に関わるそれを、一方通行はあえて無視しながら、


「どうだっつーンだ、こりゃよ」


 昨日まで、目を合わせると視線がうろうろと逃げ回っていたルイズは、しっかりと対面してくる。
 キュアドロップ型の、猫のそれと似た瞳は強い意志を感じさせ、それは一方通行が嫌いな、しかし羨ましいと思えるようなものに戻っていた。 
 はぁ。もう一度ため息。
 どうせ自分勝手に考え込んで、自分勝手に解決したんだろう。これまでの生活で分かっている。一度ハマったら抜けだすのに時間がかかって、一度走り出したら止まらない、というか、止まれないような奴だ。
 自分勝手は、それこそ一方通行の領分だというのに、こんなに近くに同じような奴がいる。何の冗談だよ、と思わず窓の外に目を向けた。


「どうっていうかね、私ね、その……」

「……」

「わ、わた、わわ私ねっ」

「ンだよ」


 視線も向けずに一方通行は言うと、


「あんたが好き!」


 なんだァそりゃ?
 思わずルイズの顔をまじまじと観察してしまった。


「わわ私って、あんたのことね、好き……みたい、なの……」

「あ、あァ?」

「か、勘違いしないでよね! ホントに好きなんだからねっ!!」

「……」

「わかってる! 言わなくていい! そうよねあんたは私のこと嫌いだもんね! でもねでもね、あんたがこっちに向けるマイナスよりも、私があんたに向けるプラスの方が大きかったら、それってプラスじゃない! いいの、あんたは私のことが嫌いなままでいい。私はきっと、この先ずっと、あんたのこと好きよ……たぶん。だって昨日よりもあんたのこと好きだし……、一昨日と比べたらずっと好きだし、だから、明日もあんたのこと……好き」


 ぎらぎらと輝く瞳は、とても告白をしてくる(仕掛けてくる?)少女のものとは思えなかった。
 ただ、一方通行はその先と裏側に潜む意味になんとなく感づいて、そこで初めてルイズに身体ごと、真剣な表情をしながら対面した。


「俺ァ殺してンだよ、オージサマ」

「だから、聞かない。あんたが何のために殺したのかも聞かないし、どうやって殺したのかも聞かない。私決めたから、黙ってるって。お墓までもっていくの」

「くだらねェ」

「くだる!」

「?」

「く、くだらなくない!」


 そォかい。
 それだけを返して、一方通行はベッドに横になった。
 瞳を閉じても眠気はこない。けれど眠ってしまっても、もうあんな夢を見ることはないのだろうな、とどこか確信に似た予感があった。
 ぎし、とベッドが軋んだのを感じ、片目だけで隣を見るとルイズが虫のような動きで接近をかましてくる。
 にょっきにょっきと動いて、ひっつくように一方通行の隣に小さく収まった。
 しまりのない顔で笑いながら、


「ちゅーしていい?」

「断る」

「そ、それじゃ、抱きついてもいい?」

「断る」

「うう~、それなら、手つないでもいい?」

「断る」

「だ、だったら! 匂い嗅いでてもいい?」
 

 ど変態が。
 一方通行は反射設定をいつもより強めにかけた。


「……私ね、夜からラグドリアン湖まで行くから。ご飯とか、ちゃんと食べてなさいよ」


 それは何処だとか、何しに行くんだとか、一方通行は一切聞かなかった。そもそも興味がない。
 だから、静かにこう言った。


「そン時になったら起こせ」


 この時は思いもしなかった。その先にあるもの。
 ラグドリアン湖で待つものは、精霊の祝福などではなかった。





◆◇◆





 賑わいをみせる王都。民衆の顔に映る笑顔。
 はて、ここは無能王の統治するガリアのはずだが、とワルドは首をかしげた。聞いていた話ではわりとひどい有様、とのことだったが。 
 ワルドは荷台から売るつもりもない宝石の山を下ろし、路商のようにどかりと座り込んだ。風のルビーを右手でもてあそびながら客が来るのを待つ。
 二十分ほどたったろうか。物珍しそうに貴族の一人が足をとめた。髭を蓄えた、優しげな瞳の老人。


「ほう、珍しい色合いのものがあるな」

「どうも。そいつぁ純正のアルビオン物でさぁ」

「アルビオン? なるほど、火事場泥棒から買い叩いたわけだ」

「はっは。金が欲しい者に金をやる、私らは代わりに売り物をもらう。こいつは商売ですよ」

「どこの世もそうして回っておるな。どれ、一つ買うてやろう」


 老人は懐からやたらと重そうな袋を取り出した。
 金属がこすれ合うような音がして、ずいぶんな金持ちが来たもんだ、とワルドは内心苦笑いを浮かべる。


「いや、お貴族さまはここで初めての客だ。そちらに並んでいるものから一つ持っていってくだせぇ」


 初めから売るつもりなんてなかった。こんなところでちまちまと金儲けをするつもりもない。
 そもそもがタダで手に入れた宝石類。一つや二つ譲ったところで罰は当たらないだろう。
 少しでも心証を良くして、何か適当な情報でも集めようという算段であった。
 しかし、


「なに? 平民からまき上げろというのか?」


 優しげなその瞳に、剣呑な輝きが生まれた。
 しまった、と舌打ち。こいつはプライドを持ってやがる。自分なんかだったら喜んで貰うところだというのに、これだから貴族ってやつは分からない。
 ワルドは自身も元々その位置にいたのを棚に上げて毒づいた。


「……失礼を。本音を言えば、人死にで得た宝石なぞさっさと売っ払おうという魂胆でして」

「ならば捨ててしまえばいい」

「それじゃあ私は飢えて死んでしまいます。いい貴族さまってのは、平民を大切にするもんだと聞きましたが」


 挑戦するような瞳でワルドは言った。
 いざとなったら逃げてしまえばいいだけだ。この老人と、そばに控える護衛程度ならどうとでもなる。
 ほうほうのていでアルビオンに逃げ帰って、マチルダに慰めてもらえばいいだけの話である。
 老人はワルドの瞳をまっすぐに受け止め、二度三度考え込んだように髭をなでつけ、ふむ、と納得したように唸った。


「……もとは貴族か?」

「昔の話でさぁ、貴族さま」

「なるほどな。これは失礼した。そちらの善意……とは呼べんかもしれんが、とにかく宝石を一つ貰っていこう」

「そりゃどうも」


 ワルドは手近なものから大粒を選び、どれにしますか、と差し出した。
 老人は微笑みながら迷うそぶりを見せて、燃えるように赤い宝石を選びとる。太陽にかざして輝きを楽しんだ後に、そっと懐におさめた。


「お前のように生きれるのなら、平民に落ちるのも悪くはなかったのかもしれんな……」


 寂しそうに言った老人は背中を向けて歩き去った。
 やたらと小さく見えるそれが何を意味しているのかなんて、ワルドには一切分からない。こともないかもしれない。





 次の日も、その次の日もワルドは宝石を見せびらかした。
 売ったのはせいぜいが二つ程度。もともと平民が買うにはお高いものなので、冷やかしに来る者から適当にこの街の情勢などを聞いて、適当に情報収集に勤しんだ。
 ガリア王ジョセフ。彼はどうやら、平民には嫌われていないようである。決して好かれているとも言えないが、『今の王で良い』と言うものが殆どであった。平民にとっては、軍事力の拡大は単純に力。力のある国に住んでいるという安心感がそうさせるのだろう。高度な政治の話など平民までは届かないし、届いたとしてもその日を生きるのに精いっぱいな人間には、それがどうしたといったところである。
 対して、貴族も数名訪れたものだが、それらは隠すこともなく王のことを無能だと蔑んだ。政務は適当。愛人を連れ込んでは人形遊びに精を出すのだと。
 平民と貴族の間に、これほどの壁がある。もし自分がここに住んでいたのならどちら側だろうかとなんとなしに考え、天を仰ぎながら面白い国だなぁ、とややあきれ調子に呟いた。
 そして日が暮れ始め、今日も盛大に売れ残っている宝石たちを乱暴に袋に詰め込んでいると、


「おや、店じまいかね?」


 あの老人貴族だった。


「血に濡れた宝石なぞ、なかなかどうして売れませんなぁ」

「ほっほ、余計なことばかり言っておるのだろう? 戦争の話なぞ黙っておけばよい」

「ゲルマニアではバカ売れだったのですがね。こちらの方々はどうにも用心深い」


 ワルドが嘯くと、老人は手招きして馬車に乗れと促した。
 さて、ここは重要な分岐点のような気がする。カッコつけるなら、重要なターニングポイントな訳である。
 こちらの素性がばれた様な事はない、と信じたい。マチルダが用意した手形が、そう簡単にばれてしまうようなことはあるまい。
 ではミサカだろうか。彼女は最初から尾行“させられ”ていて、初めから罠の可能性はないだろうか。
 いや、とこちらも心の中で否定した。シェフィールドの様子を聞く限り、そんなそぶりは無かったようだし、何よりそれだとあまりに不用心すぎる。ホントはガリアのせいで戦争になったんだよ、なんて話が噂程度にでも広がれば、それは大きな国際問題に発展する可能性もある。
 心臓が鼓動をワンテンポ早く叩き始めた。
 柄にもなく緊張なんかしちゃって、恥ずかしい奴め。自分自身に笑いかける。


「おいしい食事でもご馳走してくれるのですかな?」


 一歩、ワルドは踏み出した。





◆◇◆





 鋭さをみせ始めた朝日。カーテン越しに刺さるそれは、夏の訪れを感じさせた。
 ぐ、と伸びをしながらタバサに視線を送ると、彼女はまだ夢の中。昨夜は晩くまで話し込んでいて、眠ったのは夜というよりも朝だった。
 タバサの事情は分かった。こう言っては何だが、よく聞く話だった。王権をめぐっての兄弟戦争。それに巻き込まれてしまった小さなタバサ。
 可哀想だと思った。同情もした。ただ、キュルケはそれを口にすることはなかった。世話係の男にタバサの母、心を奪われた彼女の話を聞いても、キュルケはそう、とだけ返した。母の心を取り戻すのだ、とこころなし熱く語るタバサに、だったら、頑張らなきゃね、と短く言った。 
 冷たいとは思わない。誰にだって『お家』の事情というやつは、多かれ少なかれ存在する。タバサのそれがたまたま大きかっただけで、キュルケにしてみても無理矢理結婚させられようとしていたのだ。
 キュルケにとっては結婚とは一大事である。他がどう思おうと、自分にとっては人生そのものと言い換えてもいいかもしれない。
 タバサにとっては母のことがそうであり、そのことに命をかけているのだろう。

 人それぞれ思うことがあり、それに対して他人がどうこう言ったところで、それは雑音でしかないだろう。
 特にタバサなど、こう見えても根っこの方には熱いものをもっている人間だ。もう決めていることに、可哀想だとか慰めてあげるだとか、そういったものは必要ないだろうと思った。
 キュルケはただ傍にいるだけだ。甘えてくるなら甘やかしてやるし、泣くのなら胸を貸そう。諦めるのならそこで慰めるし、最後までやるというのなら、絶対に協力しよう。

 額にかかる青い髪。王家の印のそれを、キュルケは優しく流した。
 ふ、とほんの少しだけ表情が柔らかくなったように見えたのは、錯覚ではないと思いたかった。

 明日の夜、ラグドリアン湖へと向かう。
 精霊を何とかしろ。それが王室からの御達しである。
 説得する。出来なければ殺す。
 静かにそう言ったタバサに、キュルケは何も言わなかった。ただ、そばにいた。




[6318] 06
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:9655c584
Date: 2011/07/27 16:59


06/水の精霊





 馬車の窓から顔だけを出し、ルイズが見えたわよ、と元気いっぱいに叫んだ。
 一方通行は馬を操縦できない。ラグドリアン湖の場所も分からない。出発は夜。そんな理由で馬車による移動になった。
 ピクリとも動かないギーシュは無造作に足元に倒れており、一体何があったのか、それは御想像にお任せします、と言ったところである。
 

「その水の精霊ってやつ、そりゃ生きてンのか?」
 

 それは単純な疑問だった。
 こちらの世界の常識は、いまだに一方通行には存在しない。水の精霊なんて聞かされても、それは現実よりもテレビ画面の向こうに居るような、ビデオゲーム的な存在だ。
 どんな奴だろうかと、ほんの少しだけ興味があった。


「そりゃ生きてるわよ。ず~っと生きてる」


 ルイズがそう言って、


「ん~……、生きてるっていうより、存在してるって言った方がいいんじゃないかしら」


 モンモランシーが考えるように呟いた。
 またもよく分からない物の登場かと一方通行はため息をついて、どういうことかと問いただす。


「水の精霊はね、そりゃもう長い間生きてるわ。不変の存在なの。それは多分この先もそう。それって生きてるっていうか、在るものでしょう? だって、寿命が無いんですもの」

「死なねェのか?」

「殺すことは出来るわ。ラグドリアン湖の奥底に本体があるって話だし、それをどうにかして壊せば、うん、やっつけることは出来るでしょうね」


 だったら、脅しの類が効く存在でもあるということだ。
 不変。つまらない奴だな、と一方通行は憐れんだ。変わらずそこにいて、何が楽しいのだろうか。一方通行は常に変化を求める。その先を求める。現状に満足は無い。あるものは飢餓に似た力の追求。
 どうにも最近は色々あって手がつけられなかったが、レベル6を目指す一方通行は、常に先を求めているのだ。
 踏み出せ。自分自身にそう言い聞かせた。
 しかし待て、気持ち悪いのが居る。


「んむぉがぁ! んが、んがぁあ!」


 轡を噛みちぎる勢いで、足元のギーシュが目覚めた。
 一方通行は何のためらいも見せずにこめかみを蹴りつけた。


「あふっ───」


 そしてギーシュは静かになった。


「ちょ、ちょっと、死んじゃいないでしょうね……」


 ルイズが脈を測り、ほっと一息ついたところで、


「見えたわ……ラグドリアン湖よ」





 初めてみるような光景であった。月光を反射する水面はきらきらと輝いて、虫の鳴き声とともに聞こえるのは波の音。
 一方通行の心を震わせるには至らなかったが、これを見て普通の人間は綺麗だと思うのだろうな、と頷いた。水に二三度手を付けて、ふん、と鼻で笑う。
 そこで、精霊を呼び出すための準備をしているモンモランシーが、静かに言った。


「ヘンね」

「うん?」

「水かさが上がってる……。ほら、あれ見て。屋根が見えるわ」


 見れば、そこは村だったのだろう。チョコンと水面から顔を出すのは家だった。小屋のような、農民が住むそれ。
 

「怒ってるのかしら」

「はっ、ンだそりゃ、人間みてェじゃねェか」

「とにかく呼び出してみましょう。素直に応じてくれるといいけど……」


 モンモランシーが袋から何かを取り出した。
 隣にいるルイズがびくりと身をすくませる。
 目を凝らしてみると、黄色に黒の斑点が付いている、やけに毒々しいカエルだった。
 『あっち』でいうなら、熱帯の地方に住んでいるようなそれ。気持ちわりィ、と一方通行も呟く。

 モンモランシーがカエルに血を垂らし、湖に放つ。
 祈るように目をつむり、数分。


「きた」


 小さな呟きとともに、水面が不自然に揺れた。
 うねりは次第に渦を巻き始め、中央から水の玉がふわふわと浮かんでくる。ぐにゃりと歪んだり、また丸く戻ったり。何度かそれを繰り返し、最後はモンモランシーと瓜二つの姿になった。
 透明で奥が透けて見えるそれは、幻想的。精霊という言葉がぴたりと当てはまるほど、もはや胡散臭いほどに精霊だった。
 ルイズとモンモランシーが一生懸命に事情を説明し、どうか、どうか頼みます、と地面に額をこすりつけながら乞うのが何とも滑稽で、一方通行は顔をそむけながら咳払い。ここで大口をあけて笑うのは、さすがに空気が読めていないと気が付いたのだ。
 

「お願いします!」


 ルイズが言うと、水の精霊はにこりと笑った。


「断る」

「なんでっ」

「単なるものよ、我は人間を信用しない」

「信用なんていらないわ! 精霊の涙をくれるだけでいい!」

「お前たちは奪った。指輪。指輪。我と共に年月を過ごした指輪」

「し、知ったこっちゃないってのよ! 不用心だったんじゃないの!?」


 ルイズがそこまで言うと、水の精霊は姿を変え、また球状に戻った。水面が渦を巻き始め、帰ってしまう。帰ってしまう?


「だめ、まって!」
 

 ───ずしん!
 地震のような揺れと轟音。
 叩きつけた右足で不機嫌にリズムをとり、一方通行は口を開いた。


「よこせっつってンだよ」


 口元に歪んだ笑みを浮かべたのと同時、水の玉から何かが飛び出してきた。
 音もなく、細く、鋭い。
 胸の中央に当たり、反射の膜に触れ、理解。
 それはただの水だった。ただ、細く、鋭く、速く打ち出された水。ウォータージェット。
 よくやる。一方通行は笑みを深め湖へと歩を進めた。
 一歩。湖へと進めたそれは、沈まない。なんでもないように一方通行は水面を歩く。ちゃぷ、ちゃぷ、と水を蹴る音だけが響いた。


「死ぬか? ……ああいや、“終わる”か?」


 そこまで言うと、水玉はもう一度モンモランシーの姿に変わった。


「おお、おお……」

「……?」

「単なるものよ、おお、sphira/giに往くものよ……おお」

「あ?」

「lksoigへの道はf/ghuwaを示す。おお、単なるものよ、全なるものよ、お前のn/gwpoo^glに我の存在が必要か」


 理解できない。何か、その話す言葉にノイズのようなものが入るのだ。


「通じぬか。口惜しい。口惜しい。おお、おお、何と言ったであろう、この意味は。そう、これは───」


 ───ヘッダが、足りない。

 水の精霊はそう言って、身体の一部をその場に残して、そして湖の中に消えた。
 増えていた水かさは引き潮のように去っていき、水の上に立っていた一方通行は地面に立った。
 ちらりと後ろを振り返れば二人は?と小首をかしげており、つられて一方通行も首をかしげた。


「……なンだってンだ、こりゃ?」 





◆◇◆





 「わ、わ、わ! なになに!」


 勇んで水の精霊に会いに行こうと思ったら、いきなり水は引いて行った。ざざざざ、と不気味な音を立てるものだから、どこか緊張していた体は飛び上がり、思わずタバサに飛びついてしまった。
 もう何が何だか。引いた? なんで?
 む、む、とやや苦しそうな声が聞こえて、おっぱいで圧殺しかけるところだった、とタバサを開放。
 タバサも不思議そうな顔をしながら首を傾げるばかりで、二人はなんとなく顔を合わせ、そして笑い合った。


「ぷ……、何よこれ、ふ、ふふ」

「不思議」

「そうねぇ、ホントに不思議」


 さっきまで水に浸かっていたところを、二人は手をつないで歩いた。特に何を話すでもなく、自然にそうなっていた。
 視界の先に、人影をとらえた。三人と……、あと一人。
 キュルケはもう一度笑って、ほら、と指差した。


「どうせ、あの子たちよ」

「……不思議」


 説得する。出来なければ殺す。
 昨日、覚悟をもってそう語っていたというのに、結果はこれだ。
 湖に来た。問題が消えていった。
 考えて、キュルケはもう一度笑った。
 きっとあの四人も、何か用事があってここまで来たのだろう。一方通行とルイズが愛を誓いに来たというなら祝福するが、どうにもそれは無いようだし、何よりギーシュが縛られているのが非常に気になる。
 

「私たちが居ない間に、きっと楽しいことでもあったんだわ」

「どうせくだらないこと」

「でも、嫌いじゃないでしょ?」

「……うん」


 繋ぐ手に、小さく力がこもった。





◆◇◆





 そこは居るだけで気分が悪くなってしまうような、そんな部屋だった。
 魔法で固定され、逆さまに飾られた銅像。逆さまに飾られた絵画。矛を下に向けてバツ印を作る刀剣。不安定に積み上げられた、理解できないオブジェ。
 原色でど派手に飾ってあるかと思ったら、その隣には暗い色のものが置かれて、その隣にはまた黄色の派手なマスケット銃が転がっている。部屋の中央には大きなテーブルに立体的なモデルが作られていて、そこに人形が転がっていた。
 まるで万華鏡の中に迷い込んだような感覚。心が不安定になってしまいそうな、怖気の走るようなものだった。
 何もしていないのに呼吸が荒くなる。この部屋にいては、どうにかなる。そんな、確信にも似た何かに襲われた。
 ぐるぐると目を回しながら、しかしワルドは必死に必死に息をひそめた。
 来てみろ。来い。なるべく早く来い。
 王室。どこの馬鹿がこんな王室を許すのか。そりゃ決まっていて、無能の王様しかいないだろう。





 その老人はオルレアン公シャルルの部下だったという。ジョゼフの弟で、魔法の才にも長けた人物だったと語った。
 次代の王は、間違いなく彼になる筈だった。しかし前王が選んだのはジョゼフ。
 耳を疑ったよ、と老人は静かに呟いた。


「たしかにオルレアン公には野心があった。王になりたいと思う気持ちも、それはもう強かった。だが、それは当然ではないかね? 汚い真似をせずに王権を争ったものがおるのかね?」

「私は商人です。そんな私の意見が聞きたいと?」


 ワルドは用意された食事には手を付けずに、真剣に老人の話を聞いていた。
 どうにもこの老人は反ジョゼフの人間のようだ。いや、言ってしまえばこの国の貴族はほとんどが反ジョゼフ派。
 どんな話が飛び出すのだろうか。ジョゼフを殺せとでも言ってくるのなら、即刻ここを立ち去ろう。虚無に何の対策もなしに勝負を仕掛けるほど馬鹿ではない。


「君はもと貴族だろう?」

「所詮は平民に降った人間だ。そんな私に何を期待される?」


 老人は微笑んだ。
 懐かしいものを見るような、そんな瞳だった。


「君の瞳は輝いておるな」

「……は?」

「その輝きは、その先を見据えておるものだ。オルレアン公とよく似ておる」

「野心が瞳に表れている、と?」

「この国に何をしに来た?」


 核心を突く質問だった。
 ワルドは押し黙って、手元にあるナイフへと手を伸ばす。
 殺すか?
 いや、そのまえにこの老人は“どう”したいのだ?


「私は商人ですよ。宝石を売りに来たのです」

「そんな商人が居るものか」


 老人が片手の無いワルドを笑う。
 この野郎、と少しだけ腹が立った。


「私は王の失脚を狙っておる」

「───ッ」

「なぜこうも簡単に話すかというと、そこらの貴族に知られても問題がないからだ。王に忠誠を誓うものは……少ない。その私がお前に聞こう。なにを求めてここに来た」

「……失礼する」


 商人の皮をはぎ取ったワルドは立ち上がり、早足に老人の横を通り抜けた。
 

「衛兵の交代は昼と夜の二回。休憩は一回。狙うなら、昼の方が人間は少ない」


 そんな情報、誰が欲しいと言った!
 ナイフを突き立てたい気持ちでいっぱいになった。
 この老人はこの俺を、利用しようというのだ。殺してくれればラッキーか? ふざけるな。思い通りになんかしてやるか。
 ワルドは残っている右手で拳を握った。
 そもそも、殺しに来たんじゃない。いや、もしかしたらそうなってしまうかもしれないとは思っていたが、これでその線は消えた。なんだか意地になって来た。絶対に殺してなんかやらない。
 自国の未来を他人にすがるような、そんなやつらの思い通りになるものか、と。
 荒々しく廊下へと続く扉を開けた。
 背中から聞こえる老人の疲れた様なため息は、この時のワルドには聞こえなかった。




 で、こんなところにいる。
 別にかっとなって先を急いだわけではない。当初の予定通り、王に会い、どんなつもりなのかを問いただし、使えそうなら利用して───
 そこまで考えて、ああなんだ、結局は同属嫌悪かよ、と妙なところで納得した。
 たしかに、自分のような人物が目の前にいるのなら、きっと殺したくもなるだろう。
 はぁ、と小さくため息をついて、そこで王室の扉が開いた。正直な話、ここまでの警備はザルだった。不真面目というわけではないが、真剣見が足りなかったのは事実。なんといってもこんなに大きなネズミが入り込んでいる。
 目の前に王が居る。ワルドは顔を隠す布をもう一度きつく締めつけ、杖を握った。
 玉座に座ったら、行こう。運がいいことに、ジョゼフは一人だ。
 緞子の影に身を隠しているワルドはジョゼフの姿を追い───、消えた。


「───ッ!」
 

 声を出すような間抜けは無かったが、ジョゼフの姿が掻き消えたのだ。
 馬鹿な。そう思う暇もなく、肩に優しく手を置かれた。
 

「……人の持ち物に触る時は気をつけろ。銅像の埃が散っていたぞ」


 動けない。
 何が起こっているのか、理解が追いつかなかった。
 無能? 笑わせるな。いや、笑いなんてものが欠片も出る暇もなく、どこが無能だ!


「ジョゼフ王……、私は、あなたの部下の、部下でございます」


 声が震えていた。みっともない。そう思うも、今の現実はとても信じられそうになかった。
 だって、


「ふん、部下? 私に部下はそうそういないが、それはどの部下だ?」


 ジョゼフの声は、緞子の奥、玉座から聞こえてくるのだ。
 また、消えた。ワルドの背後に一瞬にして移動してきたと思ったら、返事を返す瞬間には玉座にいる。


「……オリヴァー・クロムウェル閣下でございます」

「クロム……? ああ、アルビオンをやった男か。いまいち印象が薄くてな、どうにも覚えられんのだ。俺は無能王。物覚えは悪くてな」

「ご冗談を」


 姿を隠す意味は無くなった。
 ワルドは潔くジョゼフの前に出、ゆっくりと跪いた。
 どんな男かもわからない。性格は? 何で喜び、何で怒る? どうやれば、これをうまく利用できる?
 心の中では様々な思惑が入り乱れるが、どこかで理解していた。この男を利用するなど、誰が出来ようか。
 超然的なのだ、ジョゼフは。口から出る言葉には重みがあり、それは伸しかかるようにワルドへと襲いかかってくる。何か仕出かそうなら、その瞬間にきっと死んでいる。そう思わせるものがある。


「それでお前はこの俺に跪いて、何を求める?」

「世界の、真実を……」

「くだらんな。世界の真実? お前には目が付いていないのか?」

「は?」

「空がある。大地がある。風が吹く。雨が降る。見ろ、それが世界の真実だ」

「ち、違う! その全てが崩れようとしているのです!」

「なんと!」


 ジョゼフは大仰に驚いてみせた。


「それは実に面白いな!!」


 ああ、駄目だ。この人は、こういう人なんだ。
 瞬間、ワルドは理解してしまった。無能王。無能になりたい王様。


「さて、どうする? わざわざ愉快な話を聞かせに来たわけではあるまい」

「……陛下は、虚無でしょうか?」

「いかにも」

「その力を、何のために振るうのですか?」

「もちろん、世界を壊すために」


 狂人の瞳ではない。ぎらぎらと輝くそれは、知謀と理性に固められていた。
 ワルドは、世界の真実を知りたいだけだ。この世界はこれから先どうなるのか。それが知りたい。暴いてしまえば、それがどうなったところで知ったことではない。
 胸元のロケットをきつく握りしめた。母親の肖像が入っているそれ。ワルドの決意で、ワルドのすべて。
 虚無の力さえあれば、母の思いを貫きとおすことが出来る。『砂漠』という、この世界にとって忌むべき場所へと入っていけるというのに。
 エルフという種族が居る。『反射』を操る彼らに、魔法は通用しない。しかし虚無ならば、という思いがあった。
 虚無は四人。これは絶対不変のルール。
 一人はルイズ。一人はジョゼフ。一人はミサカの召喚主。あと一人は……。


「あと一人の虚無は、誰だかご存知ですか?」

「問えば答えが返ってくると思うな」

「……あなたが世界を壊す前に、見たいものがあります」

「では行動しろ。お前の命は実に軽いぞ。吹けば飛んでいきそうだ」


 がっはっは、と力強くジョゼフは笑い、玉座から腰を上げた。
 杖を指揮棒のように振りながら壁ぎわへと歩き、そこに逆さまに掛けてある聖画を取る。
 描くのも恐れ多いという理由で、なんとなく人影がこちらに向けて手を広げているような、そんな絵画。


「部下の部下、お前にはこれが何に見える?」


 放られたそれはワルドの足元に、回転しながらたどり着いた。
 ワルド自身も信心深い方ではないが、さすがに始祖のイコンをこうは扱えない。
 

「何に見えるとは?」 

「そのままの意味だ。“それ”は何だ?」

「……始祖ブリミルの聖画です」

「ああ、残念だ。お前は虚無ではない」


 なんだってんだ!
 叫びだしたくなるのをぐっとこらえ、ワルドは静かに口を開いた。


「どういう意味です」

「ものごころ付いたころからだ。俺は“それ”に違和感しか感じなかった。なぜ逆さまに飾っているのだろうと、なぜこんなものを崇めるのだろうと」

「……?」

「弟とよく話したものだ。弟はいつも正しかった。これは始祖で逆さまなんかじゃない。偉い人だから崇めるのだと、そう言った」


 だがな、ともったいぶったように。


「俺にはそれが、こう見えて仕方がないのだ」


 いつの間にか、ワルドの手の中から聖画が消えて、それはジョゼフの手の中に。
 もう一度壁に掛けられた始祖の絵画は、相変わらず逆向き。
 それは、たとえばタイトルを付けるとして───『逆さまの男』だろうな、とワルドは混乱する頭で考えた。















・やっと胸を張ってクロスオーバーなんだぞって言える気がする。
・おじいちゃんはガリア編でもう一回出そうと思ってます。



[6318] キャラクタのあれこれ
Name: もぐきゃん◆bdc558be ID:f417fde6
Date: 2010/12/02 20:55

先日、キャラが迷走しているように見える、との感想をいただきました。
やばい、そんな風に見えるのか、と思い、キャラクタの改変理由をつらつらと書きたいと思います。興味が無い方は読まなくて大丈夫です。
では特にひどい四人を。


・ルイズ。

・性格。
これは一方通行を呼び出すため、多少は丸くなってもらおうと思っていました。今は行き過ぎていますが。
原作そのままの性格だと、一方通行との絡みが全く書けませんでした。むしろ、殺される方向ばかりに行くものですから、これはもう仕方がないと作者の中では割り切ってます。今は行き過ぎてますが。

・ガンダールヴ。
一方通行の『反射』がその世界でどれだけ有能なのかを書きたかったため。
一方通行にあっても意味が無いため。活躍がない。
基本的に一方通行とは別行動をとることが多くなるので、ルイズがそこそこに戦えないと物語が終わるため。特に虚無発動編と、想像の中でのジョゼフ戦。

・シエスタと仲良し。
虚無発動編でシエスタを助けに行く以外、タルブに行く意味がないため。仲が良くなかったらいかないだろうし、そうなると恐らくトリステインが終わる。仲良くなる過程を飛ばしたのは作者の怠慢。一方通行の召喚前からは書きたくなかった。  

・その他。
基本的に原作サイトを足したような感じで書きたいと思っています。熱血。シモネタ。ギャグ関係。





・シエスタ。

・ルイズと仲良し。
上記の通り。仲が良くないとルイズがタルブに来ない。

・有能。
原作でもかなり有能だと、作者的にはそう思う。

・ルイズさんとミス・ヴァリエール。
原作でもちょこちょこ使い分けているので。

・その他。
たぶん、サイトが居なくて、恋心はなく、真剣に尊敬できる人を見つけたらこういう性格なんじゃないかな、と思いました。
サイトに対する強さが別のところに出るって言うか、ちょっとおせっかいだけどすごくいい人、みたいな。百合ではない。





・ワルド。

・性格。
これから先の話、シェフィールドを追って、まぁジョゼフにたどり着くんだけど、そのへんで色々したいから。
あと原作で教皇とつるんで色々するみたいだから、そのあたりの布石。かなり投げっぱなしだけど。ネタバレになりそうだからあんまり深くはかけないかも。
ただのロリマザコンだと、原作みたいに一切登場しなくて、忘れたころにいきなり登場することになるから。
原作の展開みないとわかんないけど、なんだか重要な部分を背負いそうな気もする。
だから色々と動かそうと思ったけど、二巻で即効切られるから、どうにもどんなやつなのかが分からない。
だったら、動かすためにキャラ改変して、面白いやつ、強いやつ、実はいい奴、ホントは悪いやつ。どんなパターンでもいける様なキャラにしたかった。






・コルベール。

・なんか違う……。
ゼロの使い魔で人殺し、と言えばこの人しか思いつかなかった。
一部で、一方通行と人殺しの事で話し合える人が欲しくてこうなりました。後悔キャンセルのための人です。






個人的に一方通行はあんまり変えてるつもりないです。
基本的に「とある」キャラと深く関わる人物はコロっと性格が変わる可能性があります。
他にもこのキャラを説明しろ、とかあったら教えてください。






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