「はてさて、どういう人物じゃと思う、アクセラレータ君は?」
その老人の問いはコルベールには大変答えにくい物であった。
何と答えるのが良いか。“自分と同じ人殺し”とでも答えればいいのか。
「……わかりかねます。ただ、私は出来ることならもう彼と戦いたくない。関わりたくも無い」
「ふむ、君にそこまで言わせるか。やはり、エルフじゃと?」
「申し訳ありませんオールド・オスマン、私はエルフと戦った経験はありませんので何とも。しかし話に聞く限りではエルフ達はその土地と契約して力を発揮すると。恐らく彼は違うでしょう」
自分なりの見解だが、恐らく彼は人間だ。
土地の精霊との契約が簡単に行えるはずもなく、エルフの身体的特徴である耳も尖ってはいなかった。
「そうじゃな、彼はエルフではない……しかしあの『反射』は……」
「そう、問題はそこなのです」
そもそも根本的な問題として、一方通行と名乗る彼が使った力、あれは魔法なのだろうか。
杖を付き合わせた(一方通行は持っていないが)からこそ感じる違和感。人殺しのシンパシー。その両方が彼とは関わるなと言っている。連想させる物は全て死に直結していた。
「おかしな話ですが、彼は恐らく我々の想像を超えた存在だと、私はそう感じました」
「……皮肉な物じゃな」
「はて?」
「ヴァリエールの娘……何といったかの?」
「ルイズ・フランソワーズです」
「そう、そのミスじゃよ。彼女は何とも、なんと言うかの……」
ごにょごにょと尻すぼみになっていくオスマンに変わりコルベールはハッキリと言う。
「魔法の才がありません」
ゼロのルイズ。
ルイズのあだ名は彼女の魔法の才能ゼロからくる。
貴族連中が嫌いそうな身体を使う授業や所謂『お勉強』である座学などは学院でもトップクラスの成績だがいかんせん、いざ実践となると途端に爆発を起こすボム女なのだ。
召喚の儀でもそうだった。
一度杖を振れば爆発が起こり、二度目も起こり、三度目も起こり、そして貴族の娘が吐いてはいけない言葉を口にしながら振った最後の魔法は、あれは一応成功なのだろう。
「才が無いのにあれを召喚するんじゃからなぁ……ふん、何とものぅ」
「彼女はこれからどうするのでしょうか。とても言うことを聞くような人物ではありませんよ、彼は」
「……留年か。ここに残るかヴァリエールに帰るか……どっちにしろ幸せとは程遠いじゃろうな」
「……」
「まぁ、期待はしとるがの、ほっほっほ」
オスマンの笑声を聞き、コルベールは重い息をついた。
この老人の考えている事は自分には分からない。とんでもない慧眼を見せたかと思えば、その目は秘書の下着に移る。
本当の年齢すら分からない老人は、実はとんでもない楽天家かそれとも、と。
どちらにせよ、使い魔を了承させねばルイズに先は無い。
オールド・オスマンに期待されるほどの腕はまったくもって無い筈なのに、不思議と自分も焦ってはいない。
あの肉体派のヴァリエール三女が今度は何を起こしてくれるのか、正直楽しみだ。
コルベールは薄い頭を撫でながら、
「頑張りたまえ。未来を開くのは自分自身だ」
04/『筋肉少女ルイズ』
院長室で話題にあがったルイズ。
結局キュルケが帰った後すぐに寝てしまった彼女は、朝になってようやく医務室のベッドから降りた。
もともと薄かった股間の毛がさっぱり燃え失せている事にちょっとしたショックを受けながらも、用意されていた制服(キュルケの仕業)に着替え、しかし下着が無い(キュルケの仕業)のでそこらの包帯を捲きつけこそこそと自室に戻ったのだった。
自室に戻りまず下着をはき、姿見で自分の姿を確認する。
治療をする際に気を利かせてくれたのだろう。肌が見える部分には傷一つ無い、いつもどおりの自分が映っていた。
しかし、じくじくと疼くような痛みは背中から。服をめくり、包帯を外し見てみれば、思わず目を背けたくなるような火傷が広がっていた。
「うげっ」
乙女の柔肌がこんなにも。
瞬間に怒りが湧き上がったが、それを何処に向ければいいのか。
テンパって自ら炎の中に突っ込み火傷した。
ルイズがやった事はこれだけ。
誰に責任があるかといえば自分自身。むしろこの程度で済んでいることに感謝しなければならないのだ。
「消えるかなぁ、これ……」
もとより至近で毎度爆発を起こしているのだ。よくよく見れば手や腕、スカートから露出している足にも細かな傷はある。まるで下町のおてんば娘のようなあり様だった。
さらに今回何が悲しいかと言うと、一番が頭の軽さに要因する。
頭に捲かれていた包帯を外すと、分かってはいたが、髪がばっっっさりと切られていた。
下の姉、ちぃ姉さまに憧れて伸ばしていた髪の毛。腰の辺りまで伸ばしていたそれはよく燃えたのであろう。肩に届かないほどまでで切りそろえられ、前髪に至っては眉毛を露出させるまでに。柔らかなクセ毛と少しだけ吊った瞳は上等なネコを連想させ、コンプレックスである体形と相まって余計に子供っぽく見えてしまう。
そして何が悔しいって、似合ってしまっているのだ、その髪型が。
「き、切りすぎ、よね……? きゅ、きゅるきゅる、キュルケあんチクショォオアア!!」
隣の部屋から高笑いが聞こえてくる気がした。
ベッドの上で鼻息荒く抱き枕(中に砂が入っている。人の形)を殴り飛ばし、ストレスを解消。
ルイズはもうパンクしそうだった。
爆発して召喚して目の前が真っ暗になって目を覚まして燃えて髪を切られる。
きっと人生の半分くらいの不運を昨日の一時間にも満たない間で昇華してしまったのだ。
そうでも思わなければ、本当にパンクしてしまう。
「うぅ、ぉおおおお!!」
ヒトガタ枕を抱え込み、そしてそのまま変形エメラルドフロウジョンを枕相手に決めた。人間で言うならば頭部が下になり、そのまま叩き落す技である。
確かな手ごたえ。たちまちテンションが上がってくる。
素早い動きでポジションを変え、ラ・マヒストラルへ。そのまま押さえ込むのかと思われたが、あえてルイズはカウント2,5で枕を解き放つ。
「どうだツェルプストー! ふ、ふふはははー、シャイシャイシャイ!!」
パチンパチンと両手を鳴らし、誰もいない所へ指差しながら“行くぞ!”と声をかけた。
抱き枕を握る。掴む。今、ルイズの心は最強だった。
ゼロ、ゼロと蔑まれるのもこの枕が居たから乗り越えられた。
しかしもう必要ない。もうゼロではない。召喚したのだ、使い魔を。
色々とたまっていた物が爽快感と共に昇華され、だがまだ終わりではないのだ。
今度は枕の腕にあたる部分を逆に固め、背筋を使い大きく持ち上げた。
すぅ、と息を吸い込み、渾身の力でソレを、
「んぉおんどりゃぁぁあああ!!」
タイガー・ドライバー‘91。
叩き付けた。相手が人間であったなら後頭部をしたたかに打ちつけ、死に至ってもなんら不思議ではない技。
ずしん。砂の入った(あくまでルイズは抱き枕と言い張る)それはついに破れ、ベッドの上を盛大に汚した。これは実家から持ってきた物で、まぁ割とお高いベッドなのだがそんなことすらも頭からは抜けている。
ふしゅぅうと熱い息をつき、うふふふふ、と気持ちの悪い声が響いた。同時にバタバタと暴れだし、どこかの精神病棟から抜け出でもしたような。
汚れようが何だろうが背中の火傷すら忘れてはしゃぎまわった。あはは、うふふと大きな声で笑い出し、平手でベッドを叩く。
「っ召喚、成功したんだぁ!」
随分遅れてやってきた達成感。
今までゼロだったが、これからはイチだ。努力は実を結ぶのである。
入学してから一日だって授業をサボタージュする事はなく、筆記の試験だって上位に立つ。勉強だったら誰にも負けない。毎日毎日本と睨みあって、寝る前は精神力を鍛える為に瞑想を欠かさない(効果があるかどうかは不明)。
それでも出来なかった魔法が昨日、遂に。
気分が良かった。
使い魔は主の為に目となり耳となり、様々な効果があるが、同じ人間だとどうなるのだろうか。そもそも人間なのか。
聞きたい事が沢山ある。文句の一つも言いたい。自分が燃えているのに何で助けないんだ。
だが、今なら許せてしまう。殺されたのに。確かに一度、やられてしまったのに。
しかしルイズはこう言いたい。
『召喚に応えてくれてありがとう』
名前も知らないけれど、白い人。
殺されたけれど、強い人。
助けてくれなかったけれど、美しい人。
問題はある。むしろまだ契約すらしてない。そして、シロは契約を絶対に拒む。
「……負けない。私はルイズよ。行くわよルイズ、やるのよルイズ。シロを手に入れて、メイジになるのよっ!」
両の頬を気合一発、割と力を込めて叩いた。
彼女はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
得意なものは勉強全般。趣味は自分でも上手くはないと思っているが、編み物。
ヴァリエールの資産狙いで告白してきた数多の男や自分をゼロと蔑む者達を、その拳と小さな身体から繰り出される数多の技で地に沈めて来た女である。
。。。。。
一方通行が目覚めた場所は本の上であった。
昨夜図書室である程度の読み書きを記憶した彼はそのまま学院から出て行こうかとも考えていたのだが、あまりにも土地勘が無さすぎると断念。
ちらりと見渡しただけで分かる低文化。18世紀にも届いてはいないだろう。何となくヨーロッパのような、知識でしか知らない異文化が一方通行を笑わせる。
「……あァ……そういやそうだったか」
寝起きでハッキリしない頭をボリボリかきながら立ち上がる。その際にベキリと何かを踏み潰したような音がしたが一切気にせず、足元に転がっているもう一人の人物に目を配った。
学園都市でも見かけた事があったが、そんなヤツは完全に頭がおかしい、と一方通行が思っている青い髪の毛。まだまだ子供らしく、乳臭い未成熟っぷり。自分の部屋であるはずなのにベッドも使わずに床に寝ている。
(哀れなもンだな、足りねェっつーのも)
鼻で笑いながらその娘を無視し、部屋から出た。ぽけぽけと眠そうな顔をしながら水場を求めて廊下を歩く。
洗顔がしたかった。余裕があるなら熱めの風呂にも入りたい。
そもそも睡眠時間はどのくらいだったろうか。少しだけ覚醒が遅い頭は後ろから近付いてくる足音にまったく気がつかなかった。
「ハァイ、おはよう。昨日はタバサのところに泊まったの?」
ここでやりたい事は決まった。
見たことが無いものを見て、知らない物を見て、その悉くを反射する。
魔法がある。それだけで一方通行には来た価値があるのではないだろうか。一方通行は学園都市で一番強い。一番強いということは一方通行に反射できない物が学園都市には無いということだ。もちろん戦った事の無い相手もそこらじゅうに居たし、全て理論の中の話なのだから現実にはどうか分からない。しかし第一位を冠していた一方通行は、それは当たり前に最強だった。
「ね、ねぇちょっと……!」
馴れ合うということを知らない一方通行なので、自分以下の能力者の全てを知っているわけではない。
しかし、『存在しない物質』を操る能力者がいたのは知っている。さて、そいつは学園都市で何位だったろうか。反射は出来たのだろうか。その力を理解する事は出来たのだろうか。
身体が疼くのを感じた。
三位など微妙な位置ではなく、やるのなら二位のクローンでも作っていればよかったのだ。いや、それだけではない。二万の軍勢を倒させるつもりなら、最初から揃えて来いと言う。
仕方がないとはいえ、長いスパンで物事を考える科学者たちは嫌いだった。彼らは慎重に慎重を重ね続け、そして三位を選んだのだろうが、一方通行は馬鹿にされていたと考える。
(……考えりゃ、腹が立つ話だ)
そう、科学者どもは、樹形図の設計者は一方通行が負けると思っていたのではないだろうか。いくら最強でも二万は倒しきれないと、そう思っていたのではないだろうか。
「ちょっと! 私を無視するなんてこの学院じゃそう居ないわよ、使い魔君!」
無視されていると気がついているのなら黙って消えていろという。
舌打ちを一つ、一方通行はゆぅっくり振り返り、先ほどからちょろちょろと視界に入ってくる人物を視界に入れた。
赤い。
一方通行が感じた印象はそれだけ。
もう馬鹿とかアホとか、そういう物さえ鬱陶しい。赤い。いいじゃないか、それだけで。
「あら、ようやく気が付いてくれたのかしら?」
「……水場は何処だ」
「私はキュルケ。キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーよ」
長ったらしい名前だと思うが、どうしようもなく優秀な頭脳は勝手に記憶してしまう。
「顔を洗いてェンだ、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーさんよォ?」
「二つ名は『微熱』っていうの。
ねぇ貴方、昨日は凄かったわ。私ね、疼いちゃってるのよ。貴方に微熱を感じているの。一緒に燃え上がらない?」
そういうと彼女は腕を組み、そのたっぷりとした乳を強調する。
これには最早ため息すら出なかった。一瞬だけだが、こちらの言葉が通じていないのかもしれないと思ったほどであった。
こっちの世界の人間が人の話を聞かないのはデフォルトなのだろうか。何故、水場に行きたいと言っているのに乳が目の前にあるのか。
「俺は水場に行きてェンだ」
「私は貴方とお話したいわ」
話にならない。しかし水場は分からない。
恐らく外にあるのだろうが、この学院は割と広いのである。昨日さんざ迷ってよく分かっている。
もう一度ため息をつきそうになり、そしてふと思い立った。
学院内の見取り図。尻のポケットに入れっぱなしだったのだ。
ある。ここから外に出れば、すぐに水場がある。昨夜女子寮に入るときは暗くて何も見えなかったが、そこには水場がある。
となればキュルケになぞ用はなく、一方通行は踵を返した。
「あ、ちょっと待ってよ」
着ているTシャツの端をつかまれ、ああ、昨日もこんな事があったな、と何となくデジャヴを見たような感覚に陥った。
さっさと『反射』して消えればいいのだろうが、キュルケがあの時の巫女のように『足りていない』女なら面倒くさい事になる。物事に流されるのは好きじゃない。自分より身長の高い女も好きじゃない。
だから一方通行は物事をきちっと終わらせる。
「っち。おら満足か、あァ?」
たぷたぷたぷと三回。
先ほどから強調してくる乳を下から三回持ち上げてやった。
あまりにもキョトンとした顔のままキュルケが口を開き、
「は、あ……うそぉ?」
その様は少しだけ笑えたが、いちいち構ってやるほどお人よしでもないし暇でもない。
「馬鹿女が。消えろ」
「……」
乳がデカイと馬鹿と言うのは割と当たっているのかもしれない。
特に何の感慨もなくキュルケの乳を最後にぴしゃりと叩いた一方通行は、今度こそ立ち止まる事無く水場へと向かった。
「じょ、情熱的……」
腰が砕けたように廊下に座り込んでいたキュルケが一つ呟いた。
おませさんだが、処女である。
。。。。。
「がらがらがら~……ぉうぇえ! ……かぁー、ぺっ!」
そしてルイズの歯磨きは終わった。
朝日が昇るか昇らないかのこの時間。未だ誰も起床しておらず、ルイズはいつも通りに水を汲みに来ていた。
使用人を学院へ連れて来ている者ならそのような事するでもなく任せるのだろうが、ルイズは実家から殆んど勘当のような形でこの学院に来ているので使用人を連れてこれるはずもなく、身辺の事は全て自分でするはめに。
この学院に来て一年。いい事など一つもなかったが、この朝の時間は好きだった。
太陽が昇り始め、双月は薄くなってゆく。少しだけ露の乗った芝に触れると冷たくて、
「……ん~、幸せな時間って、ホントこれだけ~……」
ごろんとうつ伏せに寝転がり、突如としてプッシュアップを始めた。
ふしっ、ふしっ!と規則的に口から吐く息はやけにこなれた空気をかもし出す。
ルイズには魔法の才能がない。
もちろん嘆いた。何故だと両親を恨んだこともあった。
しかしそこで最後まで落ち込んでしまうほどルイズは愚か者ではなかったのである。
魔法が使えないのなら使えないなりに努力を最大限続け、馬鹿にされるのが悔しくて身体を鍛え続けた。
一度しか使えた事がないので実感は薄いが、魔法には精神力を使うという。
そして両親の話では肉体と精神は密接に関係しており、モヤシが使う魔法は所詮モヤシだと。
だからルイズは身体を鍛える。
昨日、遂に魔法が使えた。それに奢ってはいけない。よい精神はよい肉体から。
入学当初は10回が限界だったこの腕立て伏せももう40回を超えて、あとちょっとでワンセットめの回数をこなす。
あぃっし!!とプルプルしながら50回目を向かえ、今日は少しだけテンションも高いのであと200回ほどいこうかしら? と、一旦立ち上がり首をぽきぽきと鳴らす。
その後、腹筋、背筋、スクワットをテンションに身を任せいつも以上に気合を入れてこなした後、
「やっぱこれが無いと一日が始まらないのよね~」
ごそごそと馬小屋の裏から持って来たのはまたも枕だった。
今回のその枕は牛の皮を幾重も縫い重ね、その中に砂を詰め込んだもの。人の形はしておらず、頭からは鎖が生えている。
馬を一匹小屋から連れ出し、そのサンドピローをずるずる引きずり、近くの木に引っ掛けた。
「……よしっ! ありがと、もう戻っていいわよ」
馬の顔をゴシゴシと撫でつけ戻れと促すがその馬はそこに跪いた。まるでルイズを見守るように長いまつげの奥の瞳を柔らかく輝かせる。
いつもこうだ。
この馬は誰か貴族のものではなく、学院のもの。
黒の毛並みが美しく、ルイズは何となくクロと呼んでいる。トレーニングの際にいつも手伝ってもらっていたのだった。
頭の良い牝馬で、以前ルイズがサンドピローに押しつぶされたことがあって以来ずっと見守るようになった。
ふ、とルイズは微笑み返し、しかしサンドピローを前にした瞬間にはその目に笑みはなかった。
そして、
「あぃっし!! しゃらァっし!!」
掛け声と共に蹴りを放つ。
布団でも叩いているような、ぱぁん! パァン! と。
この音を出せるようになったのは割と最近になって。
本を読んで始めたトレーニングであったが、生まれつきの骨格の小ささから筋肉は付き難く、筋肉がつかないのならやはり弱々しい蹴りしか放てなかった。
ストレッチを念入りにし、関節の可動域を広げスピードアップも図ったりしたが、やはりそれだけではこの音は出なかった。
「ぅあいっし!! んあぃっし!!」
日ごろの努力は無駄にはならない。
続けに続けた筋力トレーニング。身体を柔らかくする為のストレッチ。
小さなルイズがこれほどの蹴りを放っている。
無駄ではない。
無駄では、なかった!
「ンッん、だらッしゃァアアア!!」
最後に後ろ回し蹴りを放ち、サンドピローは苦しげに縦揺れした。
ぎし、ぎし、と木が傷んでいく音。
悪いとは思いつつも毎日ここに引っ掛けて練習している。
「んはぁっ! ……はぁ、ああ、きたきたきたぁ……」
ぴくんぴくんと痙攣している下半身。二の腕も腕立てのせいで熱を持っている。
腹筋なんて、
「うふ。どう、クロ。この私の腹筋は」
着ているシャツをペロンとめくり、馬に己の腹筋を誇示する。
トレーニングの直後なので今は筋肉が張り、うすく割れていた。いつもだったら触ると凹凸が分かる程度だが、今の腹筋はしっかりと割れているのである。
ルイズは思う。
魔法だって、魔法だってこうだったらいいのに、と。
練習すれば誰でも使えるような、簡単なものであればいいのに。筋トレを重ねれば誰だって筋肉はつく。個人差はあれど、それは間違いない。
しかし魔法はそうはいかない。なによりも大切なものが『才能』という、ルイズからしてみればふざけるなと言いたくなるような物。いつもゼロ、ゼロ、と蔑まれた。
やかましいのである。んなもん分かっているのである。我輩はゼロである。
だから努力している。
誰にも負けないよう、沢山沢山。
ただそれが未だ実を結ばないだけで……。
「……ああ、やだやだ、ダメだわこんな考え。そう、ちょっと爆発しちゃうだけよ。昨日はちゃんと召喚できたんだから、頑張れば……うん、頑張ればきっと……」
少しだけ考えながら片付けを。
その際にクロが頬を舐めてくれたのになんだか癒されてしまった。
私の味方はあなただけね、とやや自虐的なことを考えながら後片付けを完了し、クロを小屋に戻したあとに水場へと向かった。
ちょうど皆が起き始める時間で、この時間になると使用人どもが主の為に水を汲みに来るのだ。
その中に毎日顔をあわせる彼女。
「シエスタ、おはよ」
「あ、おはようございます、ミス・ヴァリエール」
「持って来てくれた?」
「はい、いつものですね」
「ん」
使用人シエスタ。メイドである。
珍しい黒髪に黒い瞳。
身長も胸もルイズより大きい。胸なんて得に大きい。
しかしキュルケと違いこちらは使用人なのだ。ことさら強調して挑発してくるような事が無いだけましか。
そしてそんな彼女に毎日用意してもらっている物、それが手渡されたドリンクである。
マルトーという、学院生たちの健康管理を一任されている人物に作ってもらっているもので、簡単に言うと筋肉にいい物である。
ルイズは鼻をつまみ、それを一気に飲み下した。
筋肉にいいものなので飲むのは大賛成なのだが、不味い。とてもじゃないが美味しいとは言えない代物である。
以前、味の改善は出来ないかと頼んだ所“これ以上は無理”とハッキリと言われた。そこまで言うのならばこれが限界なのであろうが、それでもいつまで経ってもなれないものである。原材料など聞きたくも無い。
「おえっ、まず~」
「毎朝お疲れ様です。昨日はお怪我をされたと聞きしたので心配しました」
「そうそう、そうなのよ。なんかちょっと燃えちゃってさ~、髪の毛なんてこんなんなっちゃった」
毛先をつまみ上げ、少しだけおどけた調子でルイズが言うとシエスタはクスクス笑い“よくお似合いです”と。
彼女たちの関係は主従ではなく、所謂友人同士である。
ルイズは貴族で、シエスタは平民。
しかしルイズは魔法が使えないのだ。この学院にも捨てられたような形で入学したような物。なのでその辺りは割り切って、入学して月が一回りした頃に宣言した。
『私は魔法が使えない。それがどうした!』
貴族たちからは笑いを呼び、使用人たちからも笑いを呼んだが、唯一笑わなかったのがシエスタである。
毎朝顔はあわせつつも挨拶程度だった関係が変わったのもその辺りから。
シエスタは“ご立派です”と静かに頭を下げながら言い、料理長マルトーを説得し、そして筋肉にいい飲み物を作ってくれるようになった。
「でも、魔法が成功されたと。もう誰もミスをゼロとはお呼び出来ませんね」
「んふふ~、ありがと」
「それで、どのような使い魔を?」
「あ~、ん~、何て言ったらいいかしら……え~と……白い悪魔、みたいな?」
「まぁ、悪魔とは随分強そうですね。きっとミスのような立派な貴族様には強い使い魔でないとつり合わないのでしょう」
「で、でもでもアイツったら私の事みるなり殺しにかかったのよ! っていうか一回くらい死んじゃってるのよ、私!」
「それはそれは……いきなり大勢の前に呼び出されてビックリしたのでしょう。ミスはしっかり御生還なされていますし、それは何らかの試練だったと考えればよろしいかと」
「違うのよ! そのあと私が燃えてるときにぽけっと空なんか見てたんだから!」
「燃えている最中なのにしっかりとご自分の使い魔がお見えになられたのですね。普通の貴族様にはとてもできない事です」
「……え、えへへ、そ、そうかな?」
「ええ、そうです」
いつもどおりシエスタの話術にはまりながら気分をよくしたルイズは顔面をばしゃばしゃと無造作に洗い、タオルで拭き拭き。さあ今日もやるぞと気合を入れたところでその声が聞こえた。
「邪魔だ。どいてろ」
「ひょっ!?」
ビクリと肩を震わせ、忘れるはずが無いその声。恐る恐る振り向けばそこには白い人。眠そうに欠伸を噛み殺しながら頭をかいていた。
昨日ルイズが召喚したその人である。
しっかりと目を合わせたのは深い眠りに着かされる前と、そして今回が始めてである。
初めての印象と同じ、随分と綺麗な人物であった。
どうあっても目を引く純白の頭髪。雪色の肌。切れ長の瞼の内にある鮮やかすぎる赤色の瞳。中央にすらりと高い鼻梁が伸び、その下にはやや薄いながらも綺麗な唇。シャープな印象だが、見るだけには女性らしい丸みがあるような気がする。
酷く中性的な、本当に、何か呼んではいけない者を呼んでしまったか。
「あァ? テメェ……」
自分をアレに喩えるのは凄く嫌だが、蛇に睨まれたナントカとはこのことか。
ルイズは一方通行の瞳に睨まれると身体が動かなくなってしまった。緊張よりも恐怖、畏怖。恐ろしい。
あんたのご主人様よ、と声を大にして言いたいのだが、
「わ、わ、わたし」
「……?」
「わたわた、わたしはっ」
「こっちの奴ァ言語中枢に問題でもあンのか? オメェあれだろ、昨日一発目にやった奴だ」
「そ、そう! 昨日貴方を召喚したの!」
「くはっ、やっぱりお前の仕業だったわけか。そりゃそりゃまた、何だ、誰か殺してェ奴でもいンのか?」
「違うわよ! そうじゃなくて、その、あなたはね、わたしの、私の使い魔なの! 私はあなたのご主人様なの!!」
ルイズは目を瞑って一息にそこまで言った。
伝えたいのだ、召喚に応えてくれて、
「だ、だから、ありが」
「っひ、くはは……」
「あ、あのね?」
「ははは!! ご主人様ときたかァ! どうぞどうぞ卑しい私めにご命令をってかァ!!」
一度目に聞いた狂笑とは違い、本当に、実に愉快そうに一方通行は笑っていた。
おもしれェ、おもしれェと呟きながらばしゃばしゃ水を弾く。
その様はルイズにとっては一応僥倖なのか、曖昧に笑みを浮かべながらシエスタと目配せをしていた。
何一つ分からないのだ、この使い魔の事が。
昨日なぞ一瞬でトばされて、燃え上がっている。話す時間などなく、これがファーストコンタクトといってもいいような、そんな関係。
ルイズとしてはさっさと契約して進級を決め込みたいのだが、どうなるか。
「それでね、使い魔になってくれる……わよね?」
本来なら聞く必要すらないのだが、それでも相手は一応人間だ。話が出来るのなら一応聞いたほうがよかろう。
ルイズにとっては当たり前の事。話せば当たり前に契約できるものだと思っていたのだが、相手が分かっていなかった。相手は何を隠そう、いやまったく隠すところもなく、最強なのだ。
「ンなわきゃねェだろ。死にてェのか」
へ、と耳をほじりながら一方通行が言った。
「んな、何でよ!? こう言っちゃなんだけど私って結構良心的な貴族よ!?」
「僭越ながら、まさしくその通りかと。おはようございます使い魔さん、私はシエスタと申します。メイドです。そして、このメイドの私とお友達になりましょうと仰る彼女がヴァリエール様。立派な貴族様です。そうそういらっしゃいませんよ?」
ナイスフォロー、と内心ガッツポーズを決め込むルイズを余所に、一方通行は顔を洗いながら瞳すら寄越さずに聞いてくる。
「……お前、何が出来ンだ?」
「え~と……」
とても、とてもとても難しい質問である。
魔法は使えませんなどと言うものなら、今まさに、ここでそのまま何処かへ行ってしまいそうだ。困るのである。大変困ってしまう。実家になんぞ絶対帰りたくないし、留年もしたくない。
とは言うものの、嘘はつきたくない。嘘をついて契約しても絶対に出て行くに決まっている。末代までの笑いものではないか。
むぅ、とルイズが言葉に詰まっていると代わりにシエスタが口を開いた。
「先ほど申し上げたとおり、彼女はヴァリエール様。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール様です。音に聞こえるラ・ヴァリール公爵家の三女様で、それだけでも使い魔としては誉れであるどころか、彼女は私たち平民に対し威光を振りかざすことなく自分の立場を落としてまでも話をしてくださる立派な貴族様です。私はこの学院付きの使用人なので叶いませんが、使い魔になれるのなら飛びつきますよ」
「っくく、褒めちぎるじゃねェか」
「まだまだありますが……」
「あァ、そういうのはもういい。お前ェの言うとおりなら大層立派な奴みてェだがよ、ええおい、どうなんだ?」
「……まぁ、嘘は無いわよ、嘘はね」
「嘘は、ねェ。肝心な事言ってねェだろうが」
ああきた。
「どの程度使えンだ、マホーはよ」
「……ええと」
「使い魔さん、それはとても難しい問題でして、魔法を使える方が立派な貴族かといいますと、それはまた違いまして、魔法なぞ、その人間を測るにはあまりにも小さな小さな、まるでミジンコかダニのような存在で、私はそのような能力、毛ほども必要ないかと」
二回目のナイスフォローとはとても言えないが、それでもシエスタの気遣いは嬉しかった。
同時に平民であるシエスタにこんな心配をさせている貴族、自分に対して腹が立つ。
何故当たり前の事が出来ないのか。
ここで自分はスクウェアのメイジだと胸を張って言えたのならどれほど嬉しいだろうか。いや、スクウェアでなくったっていい。トライアングルだって、ラインだって、ドットだって、なんでもいい。
魔法を使えるという当たり前を取り上げられたルイズは、ゼロなのだ。平民となんら変わりない、ゼロ。
「わ、私は……」
「あァ?」
「わ、わ私はっ」
「……」
「私はっ、私はゼロ! そうよ、ゼロのルイズよ! この学院で最弱の魔法使いなの!!」
構うもんか。そう思った。
嘘はつきたくない。自分を偽るくらいなら、使い魔なんていらない。本当は欲しいけれど、これ以上ルイズは自分を嫌いになりたくなかった。
魔法を使えない自分が嫌い。その穴を埋めるように筋トレに励んでいる自分も嫌いだし、プライドなんか無いんだよ、というポーズを取るのも最低だ。
本当は使いたいさ。しかし一年が経って、思い知っている。あ、無理なんだな、と本当の本当は心の奥底で諦めがじわじわ湧き出てきている。
(……もうホント、死にたい……)
と思うほどに魔法が使えないのは、貴族にとって最悪な事なのだ。
しかし、ここで少しだけ予想だにしない事が起こった。
一方通行が立ち上がり、ルイズの前に。一瞬ドキリとしたルイズだが、これはまさかオーケーか?と期待も。
「……やれ」
「へ?」
「使ってみろ、マホー」
「あの、聞いてた? 私は使えないの、魔法」
「俺を呼ンだのは魔法じゃねェのか?」
「……一応、そうね。まぁ、魔法……かな」
「お前ェが使えないっつーと、だ」
「う、うん……」
マズイ気がした。何か地雷でも踏んだか。
先ほどまでなかった空気。肌を刺す眼差しだ。
そっと伸びてきた右腕。
一方通行のソレは、一度目と同じようにルイズの頭の上に優しく置かれた。
今度は違う意味で心臓が高鳴った。
これはまさか、死んでしまうのではなかろうか。
「俺は、どうやって帰ればいいと思う?」
「……あ、歩いて……な~んちゃっ、ッンぎゃん!!!」
そして目の前は真っ暗になった。