ドラゴンという生き物を知っているか?
人よりも遥かに強大な力を持ち、巨大な翼で大空を自由に飛びまわり、ブレスを吐き敵対するものを滅ぼす最強の幻獣。
ティアマットやヒドラなどが有名なドラゴンとして上げられる。
誰でも知っているけど、実際には存在する訳がない。(インドネシアにはコモドドラゴンなる種族がいるらしいが詳しくは分からない)
――――しかし、俺の中のこの常識はいとも簡単に覆されてしまった。
自分の命が消えた時の事はあまり良く覚えてない。
ただ、耳に今だにタイヤが急ブレーキをかけた時の耳障りな甲高い音が残っているということは、おそらくは交通事故か何かにあったんだろう。
だからこそ、理解できなかった。
今の自分の状況が。
水? いや、もっと柔らかい液体に気がつけば胎児のような格好で浸かっていた。
熱すぎもなく、冷たすぎもなく、心地よい温度の液体が自分を包んでいることを肌で認識する。記憶にはないが、多分、母親の子宮の中もこんな所なのだと思う。
とにかく、一つはっきりしていることは。
自分は助かったのだ。
強烈な安堵が沸き起こる。
安心感から思わずため息がでるが――――――息が出ない。
「………!!??」
口を開けて呼吸を試みるが、、、、出来ない。
いや、肺に「出す物」が存在しない。今まで経験したことのない感覚に恐ろしい違和感と恐怖を覚えた。
「…!!……!!!!」
何度も繰り返すが、結果は同じことになる。
それでも繰り返す内に、胃の中身が逆流してきた。
瞼をぎゅっとつむり、こらえる。
息を止めていてもいずれは窒息死。かといって息をしても窒息死。
どちらにせよ死。
せっかく助かったのによりにもよって事故死よりも遥かに過酷な死に方。
冗談じゃない。少しでも長くこの世に長く留まる為、呼吸をこらえ、必死に命を繋ぐ。
「……?」
しばらくそうしていて、また違和感を覚えた。
苦しくないのだ。
さっきから一回も酸素を肺に取り込んでいないのに、まったく苦しくない。
いや、冷静に考えれば気絶? していた俺がこの液体の中で生きていられた方がおかしい。
普通なら意識を取り戻す前に窒息死するはずなのに。
だが、俺は今もこうして普通にしていられる。
ゆっくりと頭を回転させる余裕もある。
多分、どんな成分かは知らないがこの今浸かっている液体は特殊な様だ。
今の医療技術って凄いなぁ、と感心しながら、そろーりと眼を開いてみる。
「っ…」
なんか妙に視野が広い? 変な感じがする。
いや、それよりも眩しい。
眼につくもの全てが黄金色。
あまりにも眩しすぎて眼が焼けてしまいそうだ。
「手」の指や「足」を握ったり開いたりなどして、体の動作に何の不備も無いことを確認する。
少し違和感が生じるのは多分、後遺症か何かだと自己完結させた。
まぁ、起きたんだしその内看護婦さんが来てくれるさ。
そんな風にどこか現状をあえて軽く考え、俺は看護婦さんがくるのを待つことにした。
体感時間でおおよそ1時間がたった。
来ない。
それでも待っていて更に1時間がたったと思う。
来ない。
何かがオカシイ。
なんで看護婦さんはきてくれない……?
もう、俺は、起きたのに。
更に1時間が経過したと思う。
それでも看護婦さんは来なかった。
さすがに変だと気づく。
外部の人間に知らせる為のボタンか何かがあるかと思って探すが、何もない。
――――閉じ込められた。この、液体の中に。まるでホルマリン漬けの剥製のように。
最悪の現実が頭をよぎり、恐怖が爆発した。
「…っ!!! ……っ!!!!!!」
口の中も液体で満たされている為、悲鳴は出なかった。
体を捻り、もがく。
あらん限りの力を込めて丸まった姿勢から離脱する。
と、大きく広げた手が硬い何かにぶつかる。
思い切りぶつけたはずなのにあまり痛くない。
確認の為、今度は慎重に、ゆっくりと、何かに手をあてる。
ふにふにと柔らかく、羽毛を触ってるようだ。
試しにぐっと、押し込む。
「指」がズブズブと壁の中に入っていく。
壁の中は生暖かく、ヌルヌルしていた。
「指」に続き、「手」更には「腕」まで壁の中に入っていく。
このままやれば外に出れるのだと微かな希望を胸に行為を続ける。
更に力を込めて、「肩」までが壁に飲まれていく。
ばり。
唐突にガラスにひびが入ったような音が確かに聞こえた。
今まで締め付けられていた、「腕」に開放感を感じる。
同時に冷気が「腕」に当たる。
恐らくは貫通したのだ。この壁を。
穴を広げる様に「腕」を左右前後に大きく動かし、捻る。
中を満たしていた液が外に流れ出していくドボドボという音も聞こえてきた。
拡大させた穴にもう一本の「腕」を突っ込み、掻き分ける。
両手を使い、更に大きくした穴に頭を入れて、潜る。
後は流れ出る液体に身を任せればいいだけだったからさほど苦労はしなかった。
そして外に出た瞬間、ガクンと体が落下した。
襲いくる地に衝突する衝撃に備えて、眼をぎゅっと結ぶ。
地に叩き付けられたがやはり痛みはあまり感じなかった。
眼を開けてみると、地には白いカーペットが敷き詰められていた。
いや、ここは屋内のようだから床か。
きょろきょろと辺りを見渡す。
やっぱり何か、眼がおかしい。
そして、背中に何か圧し掛かっているのか、妙に肩が重い。
上を見ると、変な物があった。
金色の卵にも見えるし、繭にも見える。何と表せばいいのか分からない。
鎖などに吊るされてもいないのに床から大体4メートルほどの場所に浮かんでいた。
それでもあれを見て、一つだけ分かった事がある。
俺はあそこから出てきた、ということだ。
完全な球状のあれには俺が出てきた時の大きな穴が開いていて、そこからサラサラと柔らかそうな液が流れ出ている。
それから眼を離し、辺りをぐるっと見渡す。
「首」からコキッと、耳障りな骨が鳴る音がした。
部屋の中はどこから入ってきているか分からない紫色の光に仄かに照らされていた。
この部屋は石で出来ているようで、何処かの遺跡にでもありそうな壁画や意味の分からない文字がびっしりと刻まれている。
天井は暗くて、よく見えない。
ぱっと見たイメージ的には昔テレビでみた神殿の祭壇のようなところかな? ここは。
更に周りを観察していると視界に変なモノが映りこんだ。
最初、俺は、それがそこにいる事を信じられなかった。
もう一度それをよく見てみる。
試しに何度も瞬きをしてみる。
やっぱりそれの姿は変わらない。
それは輝く黄金色の羽毛に身体を覆われていた。
それの背中には4枚の天使のような翼が生えていた。
それは全長7メートル程の巨体だった。
それはトカゲに似た姿をしていた。
それは、人に、ドラゴンと呼ばれる存在に限りなく近い姿をしていた。
そんな存在が身体を丸めて直ぐ近くで寝ていたら、誰だって自分の眼から入ってきた情報を疑うだろう?
そのドラゴンの後ろには俺がついさっき出てきたばかりの金色の卵と全く同じ物がある。
そして卵には穴が開いている。
とりあえずは、あれから出てきたということで、いいんだと思う。
それに、今は寝てるみたいだし大きな音を立てない限り襲われる心配もないだろう。
……………。
何だろう?
何か、大きなつっかえを感じる。
胸にもやもやしたものが貯まる。
俺は、何か、忘れてないか?
あの卵から恐らくはあのドラゴンは産まれたのだろう。
そして、俺もあれと同じ卵から出てきた。
ジャア、オナジカタチノタマゴカラデテキタオレハ?
そう、思った時、身体に感じていた違和感が一気に恐怖に変換された。
それは呼吸できなかった時よりも、外に出れないと思った時の恐怖より深く、暗い、心の奥底から来る恐怖。
恐る恐る、さっきから違和感を感じていた自分の「手」を「顔」の前に持ってきて、見てみた。
金色の羽毛に覆われた、三本の屈強な指と、指から生えた肉食獣を彷彿させる三本の爪があった。
断じて人の物などではない。明らかに大きさと鋭さが違う。
竜の、化け物の、爪……。
時間が止まった。比喩ではなく、本当に。
暫く、手を眺める。
握ってみる。柔軟に動き、爪がかちりと金属的な音を出して、合わさった。
開いてみる。滑らかに、手が開かれ、爪が日本刀のような鋭さを帯びる。
「●#☆㊥Ш《ぁИ」
試しに喋ってみるが、言語とは程遠い、猛獣の呻き声のような奇声が口から流れた。
もう、限界だった。
「■■■■■■■■■――――!!!!!!!!!!!!!!!!」
響き渡るは叫び声とさえ言えない獣の咆哮。
自分から出ているとは信じたくない、化け物の叫び。
竜の雄叫び。
発せられる音により空気が、壁が、床が、全てが震える。
自分の発した咆哮によって更に恐怖に駆られ、発狂したように叫ぶ■■■は気がついていなかった。
壁や床が震えているのは咆哮のせいだけではないと。
その存在はありとあらゆる生物を超越した存在だ。
その存在は最強の種族である竜を統治する者。
全ての生物を越えた力を有する者。
それが、ゆっくりと本来の姿で祭壇に近づいていく。
一歩地を踏みしめるだけで、辺りに地震を思わせる振動が響く。
そして、その存在は■■■の前に、その姿を表した。
言葉が出ない。
その存在を始めて眼にした■■■が抱いた感情がそれだった。
もう、咆哮は上げていない。
感情を爆発させて叫ぶ事が許されるほど、その存在が振りまく威圧感は小さくなどなかった。
今、■■■の前に現れた存在、それは余りにも巨大な「神」そのものだった。
頭に王冠を連想させる力強い角が生えており、背中には四枚の飛行用の翼がある。
全身を覆う鱗は、既に鱗とはいえないほど巨大で、分厚い。
余りにも大きすぎて視角に入りきれない。
まるで神話の中から抜け出てきたような「竜」
それが■■■を覗き込んでいた。
蒼く輝く巨大な瞳が■■■を見据える。
全身からは絶えず凄まじい黄金色の光が放出され、薄暗かった周囲が一転して、真昼のように輝いている。
声を上げることも、逃げることも出来ない。否。しようとも思わなかった。
なぜならば本能レベルで理解してしまったから。この存在を前にそんな事は無駄であると。
ゆっくり、苛立つほど緩漫に、「神」がその顎を開いていく。
ただ、口を開いていってるだけなのに、芸術じみた美しさがあふれ出す。
喉の奥から、吹き付けてくる風が■■■に当たり、身体に付着していた水滴が後方へと飛ばされていく。
完全に自分の理解を逸脱した出来事に■■■は今度こそ意識を落とした。
意識が引き上げられる様に覚醒した■■■の眼に入ったのは自宅の天井などでは無かった。
起き上がり、状況を把握するために周りを見回す。
フワフワして暖かい床には先ほどと同じように羽毛が敷き詰められている。
そして隣にはあの時の小さい方(それでも十分人間より大きいが)の竜が猫の様に丸まって眠っている。
もう、驚かない。あのでかい竜をみた後にこの小さい竜を見ても特に何も感じなくなっていた。
「ふぅぅぅぅ……」
思わず漏らした、ため息もおぞましい呻き声へと変わる。
泣きたくなってきた。
事故にあったと思えば、生きてて、閉じ込められて、助かったと思えば、別の生き物になってて、踏んだり蹴ったりにも限度がある。
とりあえず、世界には竜はいても自分が思っていた神様はいないと確信した。
少しばかり感傷に浸るが、かぶりを振って今はここから脱出するのが最優先だと考える。
とりあえず、あのでかい化け物が来る前にここから脱出する。全てはそれからだ。
出口らしき大きな鉄の扉へ向けて、そろりと初めて使う前足で一歩を踏み出す。
そして今度は後ろ足。
前足。
後ろ足。
前足。
後ろ足。
トカゲが地面を這いずる時の格好に似ていて、冗談にも格好いいとは言えないが今は関係ないと割り切った。
一歩また、一歩と鋼鉄か何かで作られた巨大な扉へと近づく。
更に数歩。あと少し。
目前の扉が自由への入り口に■■■は見えた。
手を伸ばそうとした瞬間――――体の自由が利かなくなった。
「…っ!」
いくら力を込めてもびくともしない。
足から手の指まで、頭を除く全ての身体の自由が消えた。
唯一自由に動かせる眼で、自分の身体を見てみる。
理由は直ぐに分かった。
光が巻きついているのだ。黄金色の光が霧のような微かな密度を持って身体に巻きつき、自由を奪っていた。
そして耳に男の声が入ってきた。
「起きたか。思ったよりも早かったな」
いつからいたのかは分からない。最初からかも知れないし、今、来たのかも知れない。
だが、そのどちらにせよ、■■■はその男の接近に気づけなかった。
ぽつりとその細身の男は■■■の頭の隣に立っている。
白い髪が特徴的なその男が語りかける。
「だが、儀式まではまだ時間がある。もう暫くイドゥンと寝ていろ、イデア」
■■■の巨体が浮かび上がる。
ゆっくり、しかし確実に、元の場所へと戻されていく。
そして抵抗も出来ないまま、元の位置に戻されてしまった。
「寝ていろ」
元の位置に戻ったことを確認した男が、懐から杖を取り出し、杖の先から光が迸ると、■■■の意識は闇に飲まれた。
あとがき
皆様、お久しぶりです。
以前ここに投稿していたマスクという者です。
プロットの大幅な変更が完了しましたので再投稿します。
以前より更新速度が遅くなると思いますが、がんばっていきたいです。
追伸 調べてはいるのですが、作者は中世の世の中について知らないことが多いので、出来れば皆様の英知をお借し下さい。