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[6594] ゼロとせんせいと(IF再構成) 
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2010/02/07 20:55
こんにちは。そしてゼロ魔板では、はじめまして。
チラシの裏から移動して参りました、あぶくと申します。
処女作の習作ではございますが、何卒よろしくお願いします。(21.04.12)


以下、注意書きです。


こちらは「もしもルイズが幼い頃盲目になったら」を中心としたIF再構成モノです。
IF効果によって原作で生きているキャラが死んでいたりするかもしれません。
あと、ときどき残酷(グロ)な描写があったりします。
ご注意ください。


修正・移動時の更新履歴

 3.15 テスト板よりチラシの裏へ移動
 3.28 ゼロとせんせいの3の1と2を修正+新話投稿
 4.04 ゼロとせんせいの5の1を修正+新話投稿+注意書?追加
 4.12 5の3を投稿。チラ裏より本板に移動。【習作】もえつきるまで(ゼロの使い魔IF)」より改題
11.29 7の5を修正。
 2.07 7の5を再修正。後半にサイト視点を追加。

※ここにあがっていない修正は、基本的に誤字脱字程度の修正です。
※誤字脱字他気になった箇所に関しては、ご一報いただけたら大変助かります。よろしくお願いします。



[6594] ゼロとせんせいと 1
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2009/11/07 13:44


王都の外れ、都の住人からもほとんど忘れられたような小路を、あたしはご機嫌で歩いていた。
あたたかな日差しに若草色のワンピースの下が汗ばんでくる。人通りがないのを良いことにベレー帽をとって、ぱたぱたと胸元をあおいだ。

生粋のタニアっ娘。それがあたし。

けど、今日向かうのは流行りのカッフェでも評判の劇場でもなかった。

石造の旧い町並みに囲まれて、一軒の木造家屋が建っている。
斜めにかしいだ柱と隙間の多い木壁の上に、ひずんだ屋根が乗っている。絵に描いたようなボロ家だ。

実はこれが、あたしの目的地だったりする。

古びた門扉を開くと、蝶番がきしんだ。
ぱっと見てわかる通り、元は廃屋だった家だけど、今はメイジくずれである住人が手を加えて、見た目よりは頑丈に、住み心地も良くなっている。
木塀に囲まれた内にはささやかながらも庭もあって、雑草の他にも人の手による草花が揺れる。

その中に鮮やかなオレンジ色の花が開いているのを見つけて、ちいさく歓声をあげた。
何を隠そう、この花達を持ってきたのはあたしなのだ。
店の周りの花壇から間引いた分だったが、じかに地面に植えたおかげですくすくとよく育った。

――これってサラダにすると美味しいのよね。教えてあげなくちゃ。

そう考えていると、家のドアが開いた。

暗い室内から、華奢な体つきの少女が姿を現す。
やわらかなブロンド。ひどく小柄な体に、質素な綿のワンピース。
あたしとはぜんぜんタイプが違うけど、とっても可愛い女の子。
その小さな手には1メイル強の白木作りの杖。両の目は厚い布で覆われている。



「あら、ジェシカ。いらっしゃい」



鈴を転がすような可愛らしい声に、あたしもまた、お愛想ではない笑顔で応えた。



「ハイ、ルイズ。元気ー?」



あたしがこんなわびしい家を訪れる理由。
それはごく単純。
友達に会うためだ。

***

陽のあたたかな庭の一角で、恒例のささやかなお茶会。
年頃の女の子が集まれば、それはいつでもどこでも変わらない。
はじけるような笑い声が響く。

「さぁて、ルイズ。今日のお土産はなんでしょう!!」
「えーと、ね……」

くんくんとわざとらしく鼻をならすルイズ。にししと笑うあたし。

「正解はクックベリーパイでした!」
「早いわよ!まだ答えてないじゃない!!」
「いいじゃないー、どうせいつも当てられちゃうんだから」
「もう!……まあいいわ、クックベリーパイならゆるしちゃう」

顔半分が隠れていてもその笑顔に曇りはない。淡く桃色がかったブロンドがきらきらと光を放っている。
自慢の黒髪も、これの前には少々見劣りしてしまうな、とあたしは目を細めた。

この新しい友達、ルイズは半年ほど前に此処へやってきた。そして「せんせい」と呼ぶメイジくずれの男とふたりで暮らしている。
血の繋がりはないらしいが、とても仲が良い。

なんでも、事故で両の目を失い親に捨てられたところを拾われたのだという。
笑いながらの冗談めかした口ぶりではあったけれど、たぶんある程度事実だろうと思う。

ルイズには仕草のひとつひとつに単なる貧家の娘ではない品があった。元はさぞ立派な貴族の娘だったに違いない。
そして、いまもきちんと背を伸ばして不安定な木製の椅子に腰掛けている。

そんな彼女の誇り高さが、あたしは好きだった。

「そうそう、今日はとっておきの話があるのよ」
「なぁに」

それに、頬に食べかすをつけた姿もとっても愛らしいし。



*** ゼロとせんせいと ***



ジェシカは、日暮れよりずっと早くに帰って行った。
お互いに名残は惜しいけど、お店があるのでしかたない。軽快な足音を残して去っていくジェシカを見送って、家の中に戻った。

この街に来て一番最初にできた友達は、いつも元気で楽しい。
チクトンネ街にあるお店の看板娘で、文字の読み書きもできる。それで、貴族の通う魔法学院で働いている従姉妹と手紙の遣り取りをしている。
今までもときどきその話を教えてもらっていたけど、今日のは特に傑作だった。

二股をかけていた貴族のお坊ちゃまがそれがバレて大勢の生徒の前で両方にフラれた、とそれだけなんだけど。
色男ぶっていろいろと誤魔化そうとするさまが、あんまりブザマでコッケイで、大いに笑わせてもらった。

途中からジェシカが手紙を音読してくれたんだけど、従姉妹のコも文才があるわ。
小説が好きって言ってたけど、どんな本を読んでいるんだろ。
ジェシカに聞いたけど、わたしにはまだ早いって(どういう意味かしら?)

……ジェシカはわたしのことをだいぶ年下に見ている気がする。
たぶんそんなに年は変わらないハズだけど、わたしも自分の年齢忘れちゃったからな。
十五かそこらのはずよね。

成長が遅いのは、きっとこどものころ栄養が足りなかったせい。

たしかに自分の胸元を触ってみても、せいぜいちょっと柔らかい感触がするくらいで、以前触らせてもらったジェシカのとはだいぶ違うケド。
大きさとか、重さとか。

――むぅ。

悩んでいると、せんせいが研究室から出てきた。

「どうかしたかい?」
「な、なんでもないわ」

さすがにこんなことをせんせいに相談するわけにもいかず、首を振る。
それが余計に心配性のせんせいの気をひいてしまったようだ。研究室に戻りもせず、お茶を入れる。それ、出涸らしよ?

「ああ、かまわないよ。ジェシカ君が来ていたのだろう?」
「ええ。パイをいただいたわ、いま食べる?」
「いや、夜でいいかな」

甘いものが嫌いではないせんせい。とくに研究のあとは頭が疲れるから、甘いものがほしくなるのだろう。
わたしも、普段から甘いものが大好きだけど、そういう気分はわかる。魔法を使いすぎたときとか。

あ、そうだ。

「せんせい。使い魔召喚ってどうやるの?」
「使い魔?また突然だね、」
「ああ、それはね」

これもジェシカの従姉妹からの話だ。

魔法学院で先週、使い魔召喚の儀式というのがあったらしいのだ。
それで、私が元貴族/メイジくずれだって知っているジェシカに、使い魔はいるのか、と訊かれた。
もちろんいない。
というか、わたしもメイジが使役する使い魔というのは聞いたことあったけど、どうやって召喚するのかはわからなかった。

で尋ねてみると、案の定せんせいはいろいろと教えてくれた。

使い魔は主と一生の契約で結ばれること。
使い魔の種類とメイジの属性は関係が深いこと。
また使い魔の契約をすると、ただの黒猫が話ができるようになったりするらしい。

おもしろそうだと頷いていると、なぜかわたしもやってみることになった。
まあ、召喚呪文は口語のコモンスペルらしいから、わたしでもできなくはないかもしれないけど……。
妙に乗り気なせんせいにほとんど背中を押されるようにして、外に出る。

そういえば、せんせいに魔法をみてもらうのってひさしぶり。
ずいぶん前にみてもらっていたころは、広い原っぱとかでやったけど、今回は急なことなので庭先で。
最近は威力も制御できるようになったから、大丈夫だろうって。
ああ、でもジェシカにもらったお花の場所はよけないと。
せんせいに確認してもらって、杖の向きを決める。

「『五つの力を司るペンタゴンよ――』」

ドゴンッ、といういつもの『失敗』/爆発音は起きなかった。代わりに。

「うひゃあ」

という、間の抜けた男の子の声がした。

――なんで?

***

てっきり近所の悪ガキが覗いていたのかと思った。気配が全くしなかったので、びっくりしたけど。
けれど、せんせいが言うには、どうやらわたしは『成功』したらしい。

――むむ、もしかして一回目で『成功』って初めてじゃないかしら。

そんなことを考えながら、あんまり達成感もなく、手をのばす。

あたたかな、すこし乾いた肌に触れる。
鼻は低めで、ちょっとのっぺりしているかな。髪は男の子なのにすごく柔らかい。けっこう良いところのお坊ちゃん?
骨格もしっかりしているけど、鍛えているカンジじゃなくて。ちょうどわたしの逆で、きちんと良いご飯を食べて育ったひとの体だ。
緊張しているのか、触れている肌がだんだんと熱くなっていく。ちょっと汗臭い。

「あなた、きぞく?」

じゃないわよね?
まあ、せんせいがいるから、きにしなくていいか。

「ききぞく?いや、ただの学生だけど。ていうか――」

怯えているのか、すこし声がふるえている。
それが妙におかしくて、触れたままの手で頭を撫でてやる。さっきも感じたとおり、すべすべの髪の毛の感触。

――うん、悪くない。

長すぎる杖の先端を持って、そっと彼の額のあたりに当てた。

「『我が名はルイズ。五つの力を司るペンタゴンよ。この者に祝福をあたえ、我が使い魔となせ』」

ちょっと不安だったキスは、ちゃんと狙ったところに命中したようだ。
キスの瞬間、おもいっきり使い魔が身をすくませたのはちょっと――いえ、すごーく、不満だったけど。

「ななななにすんだよ」

しかもおもいっきり震えた声で、責められた。
なによ、失礼ね。仮にも女の子にキスされたんだから、うそでも喜んでみせなさいよ。
なんて考えていたら。


目の前に、桃色の目隠しをしたこどもの顔が『あった』。不満げにくちびるをとがらせている、痩せっぽちの女の子。


………………なにこれ?


とたんに、『その子』が、ぽかんと口をあけた。
世界が揺れる。
地面が『映る』。
右手が左手を掴むのが『見える』。
って、これ、だれの手よ?
いいえ、それよりも。
わけがわからない。
あつい、とわめく声がした気がするけど、どうでもいい。
これはなに?
どうして『見える』?
「コントラクトサーバントもうまくいったみたいだね」
人の良さそうな笑顔で屈みこむ男。
だれ?
骨張った手の甲、浮かんだしるし。
「せんせい?」
ねぇ、これはなに?
男が、震えるこどもの方を振り向く。髪の薄い後頭部が見える。
「やあ。おめでとう、ルイズ。使い魔契約は成功したよ」
そう告げる声は、やはりというか、せんせいの声だった。

(「使い魔は主の目となり、耳となる」)

「あんたらいったいなんなんだよ!」

使い魔が今度はちゃんとした声で叫んで……………幕が落ちるみたいに、わたしの視界はまた暗闇にもどった。
光も色もない世界。
その、いつもの光景に、なにもない闇にすこし安堵する。
なんだったのかしら、いまのは。
なんとなく理解はしているけど、ここはやっぱり、解説役のせんせいの出番ね。

「せんせい?ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「むぅ、珍しいルーンだな……」

せんせいはせんせいでも、研究バカのせんせいだった。
ムカッときた。

「聞いてよ、ハゲ」
「な!なななななんだってルイズ!?」
「声が震えてます。っていうか、せんせい、やっぱりハゲなの?うすいの?」
「……見、見えるのかい」

さすがに回転が速い。ちょっと声が低いケド。
ま、嫌がらせはココまでね。

「見た、みたい。今はもう閉じているし、ちょっと久しぶりすぎて良くわかんなかったけど」

私が“目”を失ったのは十年くらい前だ。さすがに、忘れた。

「せんせい、知ってたでしょ?」
「ああ、その、可能だろうとは思っていた」

道理で珍しく強引だと思った。普段のせんせいは、むしろわたしが魔法を使うのを嫌がるのに。
使い魔は主の目となり耳となる。ただの比喩だと思ったら、まんまその通りなんて。
感覚共有、ね。

「先に言ってくれてもいいんじゃない? 驚かそうとでも思ったの? まったく、変なとこでお茶目なんだから――」
「怒っているかい?」
「別に」

怒れるわけ、ないじゃない。
だって、これはせんせいからの贈り物だ。
なんとなく見られたくなくてせんせいから顔をそむけ、代わりに“プレゼント”に向き直った。

「で、名前は?」
「いまさら!?」

なぜか突っ込まれた。ああ、放置してたから怒ってるのか。

「ごめんなさい。私もはじめてだったからちょっとビックリしちゃって」
「え、あ、そうなの。お、おれもファーストキスだったけど」
「はぁ?」
「え、いや、そうじゃなくてっ」

ごまかそうと無駄に声を張り上げる使い魔。こいつ、もしかしてけっこうおバカ?
ていうか、やっぱりそれなりに喜んでいたんじゃない。

「とにかく!お互い主人になるのも使い魔になるのも初めてのことだし、のんびりやりましょ」
「いや、だから、使い魔ってなんのこと?」

……やっぱり、バカだ。
せっかくのいい気分がすっかりなくなった。
げんなりしていたら、この使い魔はさらにわけのわからないことを言い出した。
自分は異世界から来たというのだ。
魔法がない世界?なにそれ?

「ほんとうかね!?そんな世界があるのかい?」

研究バカが食いついた。
おそろしい勢いで問い詰めている。使い魔がまたビビってる。
放っておくと、特殊部隊仕込みの『尋問』を始めそうなので、袖を引いた。

「せんせい、それ、わたしの使い魔なんだけど」
「あ」

……まあ、いいんだけどね。
せんせいを止めたことで、なぜか使い魔からすっごく感謝された。



仕切りなおし、わたしの使い魔の名前が判明。
ヒラガ・サイトというそうだ。
家名が反対なのね。へんてこだけど、まあいいわ。
それにしても、サイト(SIGHT)か。

――とりあえず。これから、よろしくね。









[6594] ゼロとせんせいと 2の1
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2009/03/15 00:38


……んがっ

自分のいびきで目が覚めた。
もぞもぞと体を起こして、あたりを見渡す。ぼろっちい木の壁と天井。すき間から差し込む朝日に埃がきらきら舞っている。
もうだいぶ見慣れたなぁ、とあくびを二度。ぐぐぐ、と体を伸ばす。
――よし、痛みはない。
せんべい布団どころか毛布が二枚しかない寝床だけど、先生のすすめで下に藁束を置くようにしたらだいぶマシになった。


何の因果か、異世界に飛び込んで、はや三日。
故郷の母さん、父さん、才人は今日も元気です。


なんて、ことを考えながら、上着を掴んで庭に出る。
井戸から水をくみ、顔と体を洗う。田舎のばあちゃん家にあった井戸はとうに枯れていたけれど、ここのはバリバリ現役だ。冷たい水に負けないよう、ばしゃばしゃと派手に水音を立てて使う。
そのせいで気づかなかった。

「おはよう、サイト」
「お、おうっ」

背後から、鈴を転がすような可愛らしい声。思わずビビるおれ。
伺うと、そこには同居人で一応おれの“ご主人様”である女の子、ルイズがいた。
半分寝ているような足取りで庭先を歩いている。淡い桃色がかったきれいなブロンドの頭がふらふらしてる。
見えない目を隠す布覆いが、まるで目隠しで遊んでいるこどものようだった。

そう、彼女は目が見えない。
わかっちゃいるのだが……。やっぱり、落ち着かない。
まがりなりにも女の子だし。
(しかも、一つ屋根の下で暮らしている。もろもろのことを忘れてしまえば、叫び出したくなるシチュエーションだ)
そのうえ、実はルイズはすごくカワイイ。
布のせいで顔半分が隠れてしまっているけれど、小さな唇とか耳のかたちとか見えている部分だけでもドキドキしてくるぐらい愛らしい。
ぶっちゃけ外見だけなら、好みにどんぴしゃだ。
……まあ、だからって何かするつもりはないけど。
見た目こどもみたいだし、とか思いつつ、そそくさと体を拭き、服を着る。

「どうかした?」
「い、いや、なんでもない。終わったから」
「じゃあ、朝ごはんの準備、お願いね」
「うーす」

おざなりな返事でその場を離れる。初日に鼻で笑われて以来、手を貸そうとは思わない。
ルイズはたいていのことをひとりでこなす。曰く、できなかったらひとりになったときどうするのよ、とのこと。
そういうところは、すごくしっかりしている。
目は見えないし、年の割にすっごくちっちゃいし、頼りなくみえてしかたないけれど、中身はクラスの女子とあまり変わらない。
横暴でわがままで説教好きで、ときどきとっても大人だ。

さて、朝メシだ。
準備といってもたいしたものではない。湯を沸かして、スープを温めるくらい。火を起こすのもすっかり手慣れた。
食卓には、パン(堅い)。具なしのスープ(晩メシの残り)。チーズを少々(かび臭いがそれがイイ、らしい)。そして砂糖たっぷりの紅茶(そうでないとしぶい)。
朝はたっぷりがこの国の習慣だそう。ほんとかいな。
比較相手を知らないのでよくわからないが、これでもこの界隈ではだいぶマシらしい。
肉、食べてーなー。
とは思うけど、居候の身なので我慢するしかない。

全て揃えて、椅子に座る。初日に『魔法』で作ってもらったおれ用のものは、すでに尻に馴染んでいる。
――ほんと慣れたなー、おれ。
しみじみ思う。もともと状況に流されるのは得意な方だけど。

たった三日、されど三日か。

最初はパニックばかりで、自分よりちっちゃい子の使い魔になれとか、帰る方法がないとか、ふざけるなって気分だったけど。いまじゃこれも一種の社会勉強だと思えてきた。

剣と魔法の世界なんて言うから、召喚=『勇者』=おれ?とか馬鹿なことも考えたけど、やってることはほぼホームステイだし。
いや、落ち着いて考えれば、魔物相手に戦い挑むとか、そんな危険なことは勘弁してほしい。
おれ、ただのコーコーセーだし。

そう思えば、この生活はむしろ喜ぶべきだろう。
……戻れるかどうかは不安だけど、帰る方法は探すと約束してくれた。いまはそれを信じるしかない。
それにちょっと面白いのも事実。こんな体験、フツウなら一生かかってもできないだろう。
『袖振り合うも多少の縁』だっけか?
ま、出会いは大切にしなきゃなー、とそこまで考えて、不意に思い出した。
現実世界に置いてきた出会い系サイトからの請求書の存在を。
振り込み期限は……思い出したくもない。

――ああ、やっぱ、早く帰らないとなぁ……。
そんな、もの悲しい気持ちに呼応するように、腹が鳴った。

くぎゅうううううう。

と。ちょうど、ルイズが戻ってきた。顔を洗ってさっぱりしたらしい。先程と違い、しっかりした足取りだ。いぶかしげに口元を曲げている。
目は口ほどにものを言い、というが、ルイズの場合、その小さな桜色の唇が言葉よりも雄弁なことが多い。

「何の音?」
「おれの腹の音」
「……まあ、いいわ。せんせい呼んできて」
「うぃーす」

杖で示された先には、もうひとりの住人である先生の研究室。ときどき変な臭いや爆発音が起こる、マッドルームだ。

この家は変なつくりで、おれやルイズが寝起きするダイニング兼リビング兼いろいろな空間と、もうひとりの住人である先生がいる部屋とは壁と階段で区切られている。
入口がふたつある二世帯住宅みたいな感じと言えばわかるだろうか。
だから勝手口から入ると、おれ達しか住んでいないように見える。

「やあ、サイト君、おはよう」
「おはよーございます」

ドアをノックして現れたのは、よれよれの黒いローブという『ザ・魔法使い』な怪しい格好の中年男。ジャン先生。頭も薄いし、冴えない人だけど、良い人だ。
せんせい、と呼ばれているので最初は教師なのかと思ったが、どうやら発明家、みたいなことをしているらしい。
それもこの魔法万能なファンタジー世界で、魔法に頼らない動力を開発しようとしている、キテレツ博士だ。
だからだろう、おれが魔法のない異世界から来たと話したとき、もの凄い勢いで食いついてきた。(あれはちょっと恐かった)
しかし、そんな先生のマッドっぷりが、今のおれの希望でもある。

「それじゃあ、いただきます」
「「いただきます」」

ちなみに。この世界では、普通なら食事の前にはこの地の神様とこの国の王様に感謝を捧げるらしい。けれど、ルイズ達はこの日本流の挨拶をなぜか気に入ったそうだ。「頂く命それ自体に感謝を」捧げる習慣というのが、興味深い、とかなんとか。

「それで。先生、昨日もだいぶ遅くまでかかってたみたいですけど、どうですか?おれが帰る方法見つかりそうですかね?」
「うむ、とりあえず君の『けいたい』を調べたんだが、」
「はい」
「まったくわからんことがわかった」

訂正。良い人だが、あまり頼りにならないかもしれない。
おれががっくし来ていると、先生は宥めるようにのんびりと言う。

「まあまあ、とにかく情報を集めてみようと思ってね。こういうのに強い知り合いがいるんだ。珍しい流れもの、とくに東方からの品と言われているものがないか、訊いてみようと思う。もしかしたら、君の世界から紛れ込んだものがあるかもしれない」
「へぇ?」
「実際に見たことはないんだが、そういう品ってのはけっこうあるらしいのだよ。なんというか、この世界の文化や技術では作り方どころか使い方もわからない、奇妙な品がね。ちょうど君の『けいたい』みたいに」
「あ、場違いな民芸品ってやつッスね!」

昔、なにかのマンガで読んだ。なぜか木彫りの熊が頭に浮かんだが。

「あ?えーと、なるほど、言い得て妙だね。あとはそうだなぁ、王立図書館か学院の図書館でも調べられたらいいんだが」
「入れないの?」
「申請しないと難しいかもしれないな。まあ、がんばるさ」

先生はすこし恥ずかしげに告白した。

「実は、できることならわたしも行ってみたいと思っているんだよ、君のチキュウに」
「へぇ。先生なら大歓迎ですよ。おれ、色々案内するし」
「ほんとうかい。うれしいな。魔法の代わりにカガクがある社会というのは、いったいどんなところなんだろうね」
「きっと驚きます」

東京の高層ビルとか地下鉄とかを見たら、きっと腰を抜かすだろう。最初に魔法を見たおれみたいに。
なんて、ふたりで盛り上がっていると、水を差された。

「バッカじゃないの」

そこにはひとりお上品に紅茶をすする女、ルイズ。
なんだ、放っておいたから、スネたのか。

「だれがスネてるのよ!わたしはそんな夢みたいなことに時間をかけるのが無駄だって言ってるのっ。もう、ほんと子供みたいなんだから」

娘のなんとも可愛くない言葉に対して、先生は怒るでもなく穏やかに尋ねた。

「君には行きたいところはないかい?ルイズ」
「べつに。どこも変わらないでしょ」

その言葉に気がつく。たしかに見えないルイズには、何処に行ってもあまり変わらないのかもしれない。
それに、おれが帰るってことは、こいつにとっては『使い魔』がいなくなるってことで(使い魔契約は一生のもので解除することはできないのだと最初に聞いた)、こいつがおれを使い魔として気に入っているかどうかは別として、『主人』にとって気分の良い話じゃないよな。
うーん。ちょっと、はしゃぎすぎたかな。

「でも、いまの君にはサイト君がいるじゃないか」
「へ。おれですか?」
「ああ、使い魔はね、ただ主のそばにいるだけじゃない。主の目となり耳となるんだよ」

そこで説明を受けた、主との感覚共有の話。
このヘンテコな刺青にそんな機能があったのか。
しかし、初回を除いてどうやらうまくいかないらしい。
なんでも、すぐにパチッと回線が切れてしまうそうだ。展望台の一回100円の望遠鏡みたいなかんじか?

「君もついてないなあ」
「……アンタに言われてもね」
「まあまあ、ほらチーズ喰えよ」
「いらない。臭いし」
「好き嫌いはだめですぅ。そんなんだから、ガキみたいな体なんだよ」
「うるさい。……見たの?」
「……見たのかね?」

イヤナンデソコデ先生モ口ヲ挟ンデクルンデスカ?
変な汗が出た。先生はこういうとき妙に迫力がある。

「見てない!見なくてもわかるって」
「あ、そう。まったく、使い魔のくせに生意気で偉そうなんだから」
「すまないね、ルイズ。私がしっかりしていればもっと良いものを食べさせられるんだが」
「もうせんせいったら、「それは言わない約束でしょ」……ってなにかぶせてんのよ」

いや、つい。

「そうだ。おれ、働きますよ」
「は?何言ってんの。アンタが働けるわけないでしょ」
「そりゃ文字は読めないけど、日雇いの土木工事くらいならできるだろ」
「バカねぇ。アンタなんか危なすぎて外に出せないわよ」
「え、おれ善良な一般市民よ?」
「そういう意味じゃなくて……。ていうか、使い魔に働かせるなんてできるわけないでしょ」
「そうだよ、サイト君。私とてメイジのはしくれ。いざとなればいくらでも仕事は――」
「でも火のメイジって街だとあんまり仕事がないのよね」

ルイズのため息に先生は言葉に詰まった。だよなぁ、聞いた話だと火って基本戦闘用みたいだし。先生に傭兵は似合わなすぎる。

「ほら。おれも先生には研究進めてもらいたいし。やっぱおれが」
「だーめ。アンタの仕事はわたしの使い魔でしょ。それより文字覚えなさい」
「ええー」

おれ、肉喰いたいんだけど。
すがりつくような視線を向けると、先生は、うーむ、と一思案。ぽんと手を叩いた。

「ルイズ。とりあえずサイト君を街に連れて行ってあげたらどうだい?彼も一日家の中じゃ気が詰まるだろう」
「ええー」

まったくもって不満そうなルイズに先生が一言二言。

「まあ、せんせいがそう言うなら」
「よっし」





つづく



[6594] ゼロとせんせいと 2の2
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2009/03/15 00:39

異世界観光も面白そうだ、とのんきに考えていたおれは、通りに一歩出て、『外は危ない』というルイズの言葉を実感した。
こえーよ。異世界。
なんでこのおっさん、いきなり抜き身の剣さげてるの!?

「せっかく怪盗フーケとやらが貴族ドモを脅かしてくれたおかげで稼ぎ時だってのに!いつもいっつも邪魔しやがって!!この駄剣がっ」

ジャン先生くらいの年のでっぷりした親父が、錆びたでかい剣をもってがしがしと歩いていた。咄嗟に壁に身を寄せたおれに目もくれず、怒鳴りながら去っていく。

「聴いてやがんのかっ!くそっ」

だれ!?だれと話していらっしゃるの!??

「武器屋でしょう。気にしなくていいわ」
「こっちの武器屋は自分で刀持って押しかけ販売するのか!?」

RPGとは違うのか?
いやでも今日こそ融かすとか、なんとか言っているし。
しかもおれ達の家の方に向かっていく。先生、大丈夫だろうか。

「気にしなくていいって言ってるでしょ、いつもああなのよ」
「いや、気になるって」

むしろ平然としているルイズの神経がわからない。

「それよりはぐれないでちょうだいよ。迷ったら、家に戻るか、最悪、『魅惑の妖精亭』ってところまで行って。そこのひとなら、私の家を知っているから」
「妖精亭な、了解。はぐれるのが怖いなら、手でもつなぐか?」
「そうね」
「え、マジ?」

な、なにが起こったのかわからなかった。
気がついたらルイズに手を握られていた。
あたふたしているおれ(年齢=彼女いない歴)にまるで気づかず、ルイズはずんずんと進んでいく。
迷いのない足取り。
あわててついていって、横に並ぶ。なんだか、これって……デート?

「あの、荷物持とうか?」
「財布のこと?あんたに預けたらすぐに盗られちゃいそうだからダメ」
「あー、じゃあ」
「心配しなくても買い物したら荷物を持ってもらうから。それよりちゃんと道、覚えていてよ」
「わかってるって」

やっぱり訂正。
なんだか、『はじめてのおつかい、姉弟編』って感じがするのは気のせいだろうか。
ちっちゃい『おねえちゃん』のちっちゃな手に、微笑ましささえ感じる。ルイズは、なんだかんだで、ひとに教えたり大人ぶったりすることが好きだ。

手をつながれたまま異世界の白い石造りの街を歩く。
せせこましい街並みだが、この世界の基準からしたらけっこうな大通りらしい。
路上の物売りの掛け声や、出歩いている様々な格好の人々はたしかに『よその国』らしかった。

「なあなあ、こっちにも犬っているんだよな?」
「ええ。それが?」
「おれの世界じゃ犬を訓練して、目が見えない人の案内役をさせるんだ。えーっと、リードを掴んで、横を歩かせておいて、曲がり角とか交差点に来ると止まったり、あぶないところを知らせてくれたり。盲導犬っていうんだけど」
「聞いたことないわね。まあ、よく訓練された犬は狩猟でも人以上に役に立つから不思議じゃないけど」
「そっか、いたらきっと便利なのにな」
「何言ってんの、それ、あんたの役目じゃない」
「おれ?犬?」
「うん。いやなの?」
「嫌っていうか、おれ人間なんだけど」
「でも使い魔でしょう?」
「人権って……ないんだよなー」

福祉もありません。身分社会万歳だ。
駄弁りながら街を眺めていると、それだけで色々なことがわかる。
看板は基本的に絵柄だ。文字が読めない人間にもわかるようにだろう。ていうか、やっぱり文字覚えなくてもいいんじゃないか?
あと、うわさの魔法使い、『貴族』は少ない。
マントをつけて偉そうなのがそうだとルイズが皮肉っぽく教えてくれたが、同時にこんなごみごみした場所には滅多に現れないとも言う。

「でも貴族じゃないメイジ、つまりわたし達みたいなメイジくずれはいるから気をつけるに越したことはないわ」
「ふーん。なあ変な壜がある。あれ薬かな」
「香水でしょう。ときどき近くの学院の生徒が小遣い稼ぎに作った香水を売っているのよ」
「へぇ、変なカエル」

とか言いながら露店を冷やかしていたら、店主のおっちゃんに睨まれた。おっと。


そんな感じで観光は順調に進んでいたのだが。

……ども、才人です。
街を普通に歩いていたら、痴話喧嘩中っぽいカップルにぶつかりました。
虫の居所が悪かったらしく、男の方に難癖ばつけられたとです。
ふざけんなや、われ。
仮にも女の子の前、ということで、つい気が大きくなってしまいました。
気がついたら、吹き飛ばされていました。

「下賎な平民が」

これ、魔法?こいつ、貴族か?
ああ、そういや変なマントつけてやがる。
エアハンマー。空気の槌ね、ああ、まんまだわ。
なんて、つぶれたカエル状態で道端に転がっていたら、目の前に小さな足。

あれ、ルイズ?

ルイズがつぶれたおれと『貴族様』の男の間に立っていた。

なにしてんの?

男も一瞬驚いて、次に、嘲りの顔になった。
どけ、と再び、今度はルイズに向かって杖を振ろうとした男に、血の気がさがる。
けれど、おれが起き上がろうとするより早く、ルイズは自分から一歩近づいて、自分の杖でからめるように相手の杖をはじき飛ばした。
アクション映画の俳優よりも、洗練された動作だった。
誰もがあぜんとする中、くるくると宙を舞った杖は、持ち主ではなく、ルイズの手元に。
まるで魔法のようだと思って、そういやこいつも魔法使いだったと思い出す。

「貴様っ」

いきり立つ男に、あわてて今度こそおれは立ち上がる。そこへ艶めいた女の声。

「あら、あなたの負けね」

男のツレ、赤毛のすっごい美人があっけらかんとした表情で告げた。

「おかえしいたしますわ、きぞくさま」

ルイズは見事に奪いとった杖を、さっさとその美人に返してしまう。
男は真っ赤な顔でその様子を見ていたが、どうやらこの美人には逆らえないらしい。というか、赤毛の美人がその杖を自分の見事な胸の谷間に仕舞いこんだのを見て、別の意味で真っ赤になった。
ああ、うん。たしかにこれは反則だよな。

「貴女、すごいのね。名前を教えてくださらない?」
「……わたくしはしがない平民でございます。きぞくさまにおこたえするような名はもっておりません」

ルイズはひどく不機嫌そうな声で、平坦に答えた。
しかし美人はひるまない。

「でもそれ、魔法杖でしょう?ねぇ、興味があるわ。事情を聞いてもよいかしら?」

男なら誰でも言うことを聞いてあげたくなるような、美人の問いかけ。アンド、ぼでぃらんげーじ。たわわに実る魅惑の果実がふたつ、揺れている。
おおっ。

けれどルイズには二重の意味で通じなかった。

「ゲルマニアのきぞくさまは、かおのない女がそんなにめずらしいのかしら?」

その冷ややかな声音に、思わずくびをすくめる。
怖い。

「この国では、ひとさまの事情にくびをつっこむ輩はきらわれますのよ」

言われた美人はかたなしだ。顔色が変わった。
おれはあわててルイズの傍に行く。もし彼女がルイズになにかするようなら、今度こそ身を張ってでも守るつもりだった。
美人はぐっと唇をかみ締めて、それから剣呑な目でルイズをにらむ。
こっちも怖ぇー。

なぜかふたりの間にバチバチと火花が見えた。

「……貴女、どこかでお会いしたかしら?」
「いいえ」

ルイズがきっぱり否定すると、

「そう」

と美人は呟いて、ふいときびすを返した。忘れられた男があわててその後を追いかける。
思わずため息がこぼれた。

「サイト」
「お、おう。大丈夫か?」

思いっきり殴られた。
あう、ごめんなさい。

「ごめんで済むわけないでしょう!まったく、あの女貴族が少しはまともな奴だったからよかったものを。平民から貴族に喧嘩売ってどうするのよ!このバカ!!」

あの美人を認めるようなルイズの言葉に首をかしげる。

「あれ、でもルイズあの女のひとと喧嘩してなかった?」
「誰が!?あの女が杖を受け取らなかったらあの男はやり返してきただろうし。万が一あの女が参戦したら、あんたその程度の傷じゃすまなかったのよ。アレ、トライアングルくらいはできるからね。骨まで消し炭にされて、葬式をあげる手間も省けたでしょうね!」

魔法使い同士の決闘は杖を落とした方が負けだそう。
ルイズがあの男の杖を奪って、決闘の見届け人である美人がそれを認めた。
あの一幕にはそういう意味があったらしい。
そして決闘で勝敗が決まったなら、敗者はそれを後からとやかく言うことはできない。それは見届け人の顔をつぶすことになるからで。
つまり、ルイズは今後のことも含めておれの身の安全を確保してくれたのだ。
身勝手にいきがって、勝てない喧嘩を吹っかけた馬鹿なおれを守るために。
知らない女にへりくだって。

うわ。おれ、マジで情けない。

「ごめんなさい」

再び謝り、頭を下げる。
ルイズは深いため息をついて、杖先でばこばこ殴り続けた。
でも怪我している頭は避ける優しさが身にしみる。

ああ、最悪だ。

そのあとのことは、もう思い出したくもない。
傷の手当だけして、そそくさとその場を離れたが、騒ぎを起こしたおれ達に周囲の視線は痛かった。中には盲目の女の子に庇われたおれをからかってくる奴らもいて、図星のおれは黙って唇をかみ締めるしかない。

その後もルイズはあいかわらずおれの手を引いてあれこれと街の中のことを教えてくれたが、おれはもうそんな気分じゃなく、黙って荷物もちに徹した。

で、そんなツレの態度にルイズが我慢できるわけなく、とうとうキレられた。

「もう!いい加減にしなさい」
「わりぃ、ほんとごめん。最低だと思うけど」
「ほんとね!一回、負けたくらいで何よ。あんたまだ生きているんだから、また戦って、次に勝てばいいじゃないの!」
「いや、そういうことじゃなくて……」
「じゃあなによ? とにかくっ。いつまでもぐじぐじしてないの。今日はお祝いなんだからね」
「お祝い?なんの?」
「アンタが使い魔になったお祝い!せんせいがせっかく使い魔ができたんだからお祝いしようって。だから晩御飯のときまで暗い顔していたら赦さないんだからね!」
「あ、ああ」
「贅沢だしわたし嫌いだからイヤなんだけど、お肉も買ってあげるから。だから元気だしなさい。いいわね?」

口調はキツイけど、さすがにわからないわけにはいかなかった。彼女の気遣いを。
ちくしょう。涙は見せないぞ、だって男の子だもん。

「わかったよ、おれ、頑張る」
「そうよ、その意気よ」

ようやく顔をあげたおれに気づいたのか、ルイズがふっと笑う。
その笑顔がなんだかまぶしくて、おれはまた顔をそらしてしまった。



「先生。これは?」

家に帰ると、なぜか見覚えのある剣が置いてあった。
先生曰く、知り合いがいらないから処分してくれと持ってきたそうだ。
礼金と一緒に押し付けられたという先生に、受け取っておきなさいよとルイズ。

「くず鉄処分と一緒でしょ」
「でもねぇ、忍びなくて、」

そんなやり取りを尻目に剣を取り上げる。ボロボロのサビサビだった。
と。

「へんっ!融かせるもんなら融かしてもらおうじゃねぇかっ」
「おわっ。剣がしゃべった」

思わず、仰け反る。剣の柄の金具がカチャカチャと動いて、そこから低い男の声が響いていた。

「ああ、サイト君ははじめてか。それは知恵ある魔剣、インテリジェンスソードといってね。名前は」
「デルフリンガーさまだ!」

堂々と名乗る剣。うーん、さすが剣と魔法の世界だ。

「変なもんがあるんだな、」
「口が悪くて商売の邪魔ばっかりすると店主がカンカンでね」
「あいつが、駄剣にとんでもねー値段ふっかけて貴族に売ったりするからだ」
「だから口出して邪魔したわけ?素直じゃないわねぇ」
「メイジの娘っこ。おれはお前さんに会うのは初めてだが、なんとなくお前さんにだけは言われたくねぇな」
「どういう意味よ?」
「はは。おもしれーな、こいつ。なあ、先生。もらってもいい?」
「てめ、おれを使う気か?」
「いんや、重石にちょうどいいかなーって」
「重石!?」
「からだ鍛えたいのよ、おれ。先生、いいかな?」
「いや、どうせ使うならせめて剣として……って、お前!『使い手』じゃねーか!?」
「まあ、かまわないよ。でも部屋の中で振り回すのは勘弁してくれ」
「ありがとう!」

さっそく剣を持って表に出た。なにやらわめいているが、まあどうでもいいや。

「彼、どうしたのかね?」
「さあ?」




故郷の母さん、父さん。
才人は、異世界ライフの当面の目標が決まりました。
女の子を守れる男になることです。



[6594] ゼロとせんせいと 2の3
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2009/03/15 16:26


ほんと、シケた家だこと。

斜めに傾いだボロ家、それにあわせて首を傾げる。ため息をつく。
こんなところに好き好んで住んでいるやつは物好きを通り越して、変人奇人の類と決まっている。なのに、自分はそれをこれから訪れなきゃならないのだ。
気が滅入るのもしかたない話だった。

やれやれ、と首を振る。
だからといって、このまま立ち尽くしているのも気が利かない。
しかたなく、木戸に手をかけた。こんな家、おとないを告げる必要もない、そう思ったのだが。

「いらっしゃい。あいかわらず無礼なひとね」

夕闇の向こうから、少女の声。
愛らしいと言ってもいい幼い声が、鈴の音のようによく響く。
しかし、その姿は黄昏れ時の深い陰影に紛れてまるで見えない。

……へたをすれば怪談だ。

素早く術を解いて害意がないことを示し、背筋に走った怖気を紛らわすために無理に声をあげた。

「そういうあんたは、あいかわらず耳聡いわねぇ。サイレントをかけた来客に気づくなんて、どんな耳しているのかしら?」

やつあたりめいた問いかけに、姿を現した少女は呆れたといいたげに小さくため息をついた。しぐさのひとつひとつがかわいらしいのがまたカンに障る。

「音が突然消えたら誰だって気になるでしょう。まあ?あなたみたいに粗雑なひとにはわからないんでしょうけど?」

長い白木の杖をくるくると回しながら、視力のかわりに聴覚とその他の感覚が異様に発達した少女は、こともなげに言う。
もっとも私のこめかみで震える血管の音は聞こえないらしい。

「それで、今日はどうしたのかしら?」
「さあね、呼ばれたから来ただけよ」
「あら、ずいぶんと暇なのね。秘書さん」
「黙りなさい」

いまいましいガキんちょにしぶしぶながら手土産を渡すと、ようやく家の中に招かれた。
研究室と呼ばれているがらくただらけの部屋で主が出迎える。
こちらを見て、何がおかしいのか、にこにこ笑顔を浮かべる中年男。あいもかわらずのお人よし顔だ。そこまでの年齢ではないはずだが、見事な禿頭に苦労人の風情もあいまって、10以上は老けてみえる。
まあ、ほんとうに見た目のままの相手なら、この私が呼ばれただけで来たりするわけもない。……そうだったなら、どんなによかったか。

「やあ、ミス・マチルダ。わざわざすみませんな」
「その名前で呼ばないでくれるかしら」
「ああ、こりゃ失敬。つい」
「まあいいわ。で、なんのようなの?」

炎蛇とまで呼ばれる凄腕が、わざわざこの私を呼び出してまで、なにをさせようというのか。
構えつつ、答えを待つ。



「……よりによって使い魔のネズミを使って覗きにかかるわ。王宮宛てに告発状を送ってやるって脅しても効きやしないし。代わりにシバいてやったけど、腰が痛いとかわめいてサボりの口実にする始末で打つ手なしよ。まったく、なにがか弱い老人よ、あの狒々ジジイったら!!」

気づけば他愛もない世間話に興じていた。ストレスがたまってる?
そうかもしれない。
現在の勤め先、トリステイン魔法学院の学院長秘書という仕事は給料は良いが、いろいろとサイアクなのだ。スケベジジィにぼんくら教師と貴族の青臭いガキどもがたむろっている。唯一の長所は、食堂の食事が美味しいことくらい。
しかも素の顔をさらすわけにもいかないから、誰かに表立って愚痴るわけにもしかないし。
その点、ここの『先生』は同じメイジくずれで、お互いにスネの傷を知っている身。気を許すつもりはないが、いろいろと楽な相手だ。

それにほんとうのお仕事の方が滞っているのも、大きい。
つまり、巷を騒がす怪盗『土くれ』のフーケとしての仕事である。
そもそもは家族を養うために始めた稼業だが、えらぶっている貴族の慌てふためく様が見たくて、標的を貴族だけに絞っていたら、いつの間にか義賊だのなんだの、大層な評判になってしまった。
――まあ、途中から調子にのって犯行現場に署名を残したり、偽者を捕まえて突き出したりしていた私も悪いのかしらね……。

しかし、名が売れるほどやりにくくなるのが、この商売。
いい加減、店仕舞いにしようと最後の標的に選んだのが、かの学院の宝物庫だ。そこには始祖の時代からのマジックアイテムがおさめられているという触れ込みで、実際、好事家垂涎の代物がたんまりと眠っていた。

しかし、そんな貴重な宝物庫であるからして、盗難防止の仕掛けも充実しているわけで。それが予想以上だった。
まず構造物全体にはスクウェアクラス数名がかりの固定化がかけられており、外に面した部分はすべて四メイルを越す分厚い石壁。もちろん窓はなく、特殊な『閉鍵』がかかった鍵穴は本物の鍵以外は木っ端みじんにしてしまうという代物。
造ったやつは筋金入りの臆病者か偏執狂に違いないと思える徹底ぶりには、正直頭を抱えている。

もっとも学院長の秘書として内部に潜り込み信用されたおかげで、棚整理の名目で鍵を預かることはいくらでもできる。(どんな立派な仕組みがあろうと扱う人間がぼんくらなら、何の役にも立たない、というわけだ)
おかげで掻っ攫うだけならいつでもできるのだが、それでは犯人がバレバレだし、なによりつまらない。特にあのセクハラ狒々ジジイには一度ぎゃふんと言わせてやらないと気が済まない!

……そのためには何としてもあの宝物庫を攻略して、やつが自慢げに語る破壊の杖とやらをせしめないといけないのだが。
問題がふたつ。

「そうよ、先生。あの宝物庫の弱点とか知らないかしら?」

稼業を知る相手に言葉を取り繕う気もおきず、あけすけに尋ねる。
仮にも『先生』とよばれている男なら、なにか智恵もあるだろう、と八割方正体のわからない部屋の中のがらくたを眺めて思う。……しっかし、汚いわね。

好奇心の詰まった小さな瞳をぱちくりさせて、ジャン『先生』は答えた。

「学院の宝物庫かい。あれを造ったひとを知っているがね、無理に壊すのはオススメしないよ」
「初耳ね。どうして?」
「うーん。なんというか、彼は偏執的な爆発愛好家だったからね。無理に押し入ると宝物庫ごと吹き飛ばされかねない」
「あらまあ、つまんない冗談だこと……よね?」
「さあて、どうだろう。ところで宝物庫の中にはどんなものがあるんだい?」

はぐらかされた。

「ここと同じでがらくたばかりよ。ほんとうに価値のあるものはほんのいくつか。たとえば、これとか、」

腹立ち紛れにそこらのゴミを錬金でかたちにしてみせる。よし、うまくできた、とか考えていたら、なぜかなまあたたかい目で見られた。

「これは……大砲かな?」

この反応は知っている。子供の頃、私が家族を模して作った土人形を見た父様みたいな反応。あのときは、「犬かな?猫かな?ああ、ねずみか」だったっけ……。

「これは『破壊の杖』よ」
「杖!?あ、いや失礼。なるほど杖か、大きさを間違えてしまったよ。片手で持てるくらいのものなんだね?それにしては短いが、」
「でも、ほんとうにこういうかたちだったの!」

言い募るほどになぜかむなしい。
ジャンがわかってると言いたげな笑顔を浮かべているのがさらにムカつく。そういう顔はお嬢ちゃんにだけ向けておきなさいったら。

「どうせ私にはセンスなんてないわよ。あったら盗みなんかするわけないでしょうっ!」

物体を変化させる『錬金』の威力と巨大なゴーレムを作り操る技術だけは余人に劣らない自信があるが、多くの土メイジの本業である加工だとか細工だとかは大の苦手だったりする。
というか、どうしてまわりの連中はあんな細かいものをきちんとイメージして作りあげることができるのか、不思議でならない。ラ・ロシェールとか、あれを造ろうとしたやつ、そして実際に作ったやつらはバカだろう。

なんて、吠えるだけ吠えたら、まあまあ、となだめられた……。く、不覚。

「破壊の杖か。名前からして攻撃力の高い戦闘用のマジックアイテムかな」
「でも、使い方がわからないのよ」
「ああ、だから手を出さなかったのかい?いくらでも売りようはあるだろうに」
「下手な相手に売って買い叩かれた日には大損でしょう」
「おや、おかしな人間に悪用されたくないからではないのかね?」
「買った人間が何に使おうが私の知ったことじゃないわ」

毒づいてみせても、なぜかジャンはにこにこと笑みを崩さない。坊さんみたいな男だ。
私は宗教が死ぬほど嫌いだけどね。
なんとなく面白くなくて、視線をそらす。

すると、窓の外に妙なものが見えた。
油染みた窓枠を――杖を振って開く。
この部屋のものに下手に触ると、数日汚れが落ちなかったりするのだ。
お嬢ちゃんもよく何も言わないでいる。あの娘にとっては、このニオイだってたまらないだろうに。

窓の外には夜気ただよう風が吹いていた。湿気の多い初夏の風にまざって、どこからか夕餉の匂いもする。心が凪ぐような晩だった。

そこに、異音。
びゅんびゅん、びゅんびゅん、奇妙な風切音がする
下を見れば、庭のなかに少年がひとり。
奇妙な青い服を着た平民風の少年が、ひょろっこい体で、ばかみたいにでかい剣を振り回していた。
びゅんびゅん、びゅんびゅん。
ハチャメチャな振りにあわせて、風を斬る音がする。
まるで小枝でチャンバラをする子供のようだが、振っているのはかなり大きな金属製の剣だ。中を抜いてあるのだろうか?

「おいおい、そんなに飛ばすとヤバイぞ」

どこからか、たしなめるような呆れたような男の声がする。

「わははははははっ、」

応えたのは笑い弾ける声。少年は忠告を笑い飛ばし、俺TUEEEEE、とかなんとか叫んでいる。
……正直、ヤバイ薬でもキメているようにしか見えない。

「なにかしら、あれ?」

おそろしく素早いわりに、体さばきは無茶苦茶だ。
自分をヒーローだと思い込んだ子供のごっこ遊びみたいな滑稽さがある。
見ている分には可笑しいが。

「せんせい、」
「ああ、ルイズ。サイト君はどうしたのかね?」
「さあ?手伝いもしないで遊んでたみたいだけど?」

いつのまにかルイズが上がってきていた。なぜか、ほそっこい腕でえっちらおっちら水を張ったバケツを運んでいる。いまさら掃除でもするつもりかと見ていると、やおら窓に向かう。大きく振りかぶり、

ばしゃん!

さかりのついた猫にするように、おもいっきり庭に水をぶっかけた。
――あんた、ほんとうに見えていないわけ?
そう思わず疑うほど見事な命中っぷりだった。そういや、この娘、コントロールだけは抜群にうまかったっけ……。
一方、庭では頭から水をまるかぶりした少年が、犯人を見つけて騒いでいた。

「「いきなり、なにすんでいっ!?」」

どこの方言だろう。というか、誰と誰よ。
二重の抗議に、応えたのはルイズ。

「晩御飯よ。メシ抜きにされたくなかったら、さっさと片付けてきなさい」

みじんも悪びれない、凛とした声。
とたんに少年は直立不動になった。いえっさー、と間抜けな掛け声。
――うん。よく躾けられている。
じゃなくて。
馬鹿な感想を振り払い、お嬢ちゃんの方へもう一度たずねる。

「で、あれはいったいなんなの?新手の芸人?」
「まさか。あれはわたしの……犬、だったかしら?」

なぜか首を傾げつつ、疑問系で答えるルイズ。
なんだい、それは。
一緒に暮らしているということは、どこかで拾ってきたのだろうか?
まさか恋人?
ありえないと思いつつ、ついつい伺ってしまう。
昔は包帯を巻いているだけだった目元が、今はかわいい布当てで隠されている。たしか友達がくれたと言っていたか。いつ見てもちっこいままだから気づかなかったが、一丁前に色気づいてきたのだろうか?
あの小娘が?
はじめて出逢ったときのことを思い出していると、当の本人が振り向いた。

「そんなことより、マチルダ。ごはん作りすぎちゃったの。食べていかない?」

晩餐は、羊肉のシチューだった。
――道理で懐かしい匂いがすると思った。
この郷土の庶民料理を、刻んで煮込むだけの簡単なものだからとルイズに教えてやったのは、私だったりする。
つまるところ、最初から私の分もあったわけで。
味見をしつつ、素直じゃないわねえ、とにやけていたら、手土産に持ってきたワインが半分以上使われていることに気づいた。
……ちょっと。

「だってあなた、酔うとしつこいんだもん」
「わざと?わざとなの?このちびルイズ!これはアルビオンのヴィンテージ物だったのよ」
「そういう風に呼ばないでって言ってるでしょ。知らないわよ、だいたいそうやって古いものをありがたがっているから、嫁き遅れるのよ?」
「なんですって?このまな板娘、わたしはまだ23よッ!!」

キシャーと奇声をあげつつじゃれていたら、ジャンにまたなまあたたかい目で見られた。
そっちだって、男やもめのくせに。



「に、肉やー」

席に着くと、シチュー皿を前に涙を流す件の少年がいた。
その体は、がくがくぶるぶる、震えている。
べつに感動しているわけでも、悲しみにうち震えているわけでもない。
ただの、筋肉痛、だそうだ。

「だぁから言ったろ。調子に乗るなって」

錆びた剣が的確なコメント。持ち主の身体能力を最大限に引き出すインテリジェンスソード、だろうか。
たったあれだけの時間で反動がこれじゃあ、あんまし使えそうもないわね。
そう思案していると、活動時間三分の使えないヒーロー、もとい、犬がじっとこちらを見ていた。
珍しい黒い瞳が、うるうると輝いている。

うっ。

その顔に、雨の中打ち捨てられた仔犬のかおが被る。

(ああ、こら、テファ。拾っちゃいけないったら)

妙にリアルな幻を叱り付けていると、ぐぅと盛大な効果音。もとい坊主の腹の虫が響いた。
その視線が、皿とスプーンとそして私の間を雄弁にさまよう。どうやら手が震えて、スプーンが持てないらしい。

(食べさせて?)
(ジャンに頼みなさい)

視線で返すと、しくしくと泣きだした。
なんなんだか……。
もはやその正体を追求する気にもなれずに視線をそらし、グラスを傾ける。
せっかく学院の料理長からせしめた高級ワインだ。自分でもせせこましいと思いつつも、ちびりちびりと愉しむ。

そうしているうちに、お嬢ちゃんがようやく坊主の様子に気づいた。
犬とか呼んでいたし、「手が使えなければ口で食べればいいじゃない」くらい言いそうね、と思っていたら。
驚いたことに、文句を言いつつも、手ずからスプーンで食べさせ始めた。
ときどき鼻とかに突っ込んで悲惨なことになっているのはご愛嬌として。
意外にも甲斐甲斐しく面倒を見てやっている。

……これはあれかな。
惚れたはれたというよりも、手間のかかる弟でもできたような気分なのかしら。
ずいぶんでっかい弟ではあるが。

ちょっと覚えのある、気持ちだった。


「あちぃっ」
「もう!あんたが動くからいけないんでしょ!」



はいはい、ごちそうさまです。



***

ついにマチルダさんの口調がつかめないまま……



[6594] ゼロとせんせいと 3の1(3.28改稿)
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2009/03/28 18:24


あれから、おれの異世界ライフは順調に過ぎていた。

まず、あの日誓った「強くなる」という目標は案外簡単に達成できそうだった。
というか、なんでも使い魔のルーンのおかげでおれは武器を持つと通常の三倍で動けるようになるらしい。
ファンタジーってすげぇ。
やっぱり『勇者』=おれ?とか頭をよぎったけど、残念ながらその弊害も即日理解した。
いまは基礎から体を鍛えている。デルフを担いで周囲を走り回っているだけだが、それで十分だと先生もデルフも言う。

一日の内、だいたい涼しい朝と夕方にそれをして、あとは家の中でルイズの家事手伝いか先生についてこっちの世界の勉強。
晩御飯を食べ終わると、今度は逆におれが先生におれの世界のことを教える。勉強はできた方ではないので簡単な話だけだけど、先生はそれでも十分だといってくれる。

いっぱい動いて、いっぱい勉強して、ほどよく疲れて、夜は熟睡する。

あまりに健全な生活に、我ながら変な気分だ。現代日本に比べると、娯楽が少ないせいもあるけど。そのせいか、ときどきTVゲームをしている夢を見る。液晶画面とかドット絵とかマジ懐かしいです。

ちなみにこの家の収入がどうなっているのか、いまだにわからない。ただ時々、食事に肉が出るようになった。

***

「それでは魔法についての授業をはじめます」

さて、言葉の学習も一通り済んだころ、魔法について教えてくれと頼んだら、なぜかノリノリでルイズ『せんせい』の授業が始まった。
……大好きなお父さんの真似っこがしたいお年頃ですか?
つんと取り澄まして、杖を指示棒がわりに振る仕草には、高慢さより微笑ましさを感じてしまう。
妹のごっこ遊びに付き合う兄貴の気分ってのはこんなんかねー。
ルイズに見えないのをいいことに、にまにましていると気配で気づいたらしい。

「そこ!集中するっ」
「あ!痛っ」

即席の『せんせい』はチョーク(実際は小石)投げもカンペキだった。
そんな、小さな中庭でのふたりきりの青空教室。

「では、まず基本からおさらいしましょうか――まず、国によって多少違いはあるけど、魔法が使える者、メイジであることがこの世界の『貴族』の条件よ。これは前にも教えたわね」
「おう。貴族が魔法で街の整備とかもしてるんだよな」
「そう、領地を持たない下っ端の貴族なんかはそうやって暮らしているわ。でも彼らの一番の存在意義はやっぱり戦うことなの。国の杖、民の守り、それがメイジの役目」
「戦争ってそんなにあるのか?」
「だいたいいつも、どこかしらでね。――ま、そんなわけで魔法はまず戦いの為の力だってこと。よく覚えておくように」
「うす」

「魔法の分類は覚えている?」
「おう。『火』『土』『水』『風』の四つだろ。あと、えーと……」
「その四つが系統魔法。系統と対になるのがコモンスペルね。これは系統に関係なく使えるわ。たとえばロックとかレビテーション」
「ルイズもコモンは使えるんだよな?」
「うん。少しなら」

系統というのは魔法の属性のことで、人によって生まれつき得意な系統というのは決まっているらしい。ジャン先生なら『火』だ。ただルイズはまだ自分の系統がよくわからず、系統魔法も扱えないのだとは以前聞いていた。
使い魔の種族によって系統を判断することもできるらしいのだが、おれ、つまり『人間』ってのは何になるのやら。ジャン先生もわからず、いまだに系統は不明。
それでも凡人のおれから見たら、魔法が使えるってだけですごいんだけどな。

「なあなあ、空を飛ぶのはできないのか?ほら、箒にまたがったりしてさ」
「無理よ、ただでさえ見えないのに。――ていうか箒に乗った魔女ってどんなお伽話よ?」
「じゃあ、ときどき家の中の虫を吹っ飛ばしてんのは?」

おれは、台所の隅を横切る憎いあんにゃろを片付けている『アレ』を思い出して尋ねる。杖先を向けてむにゃむにゃと呟いたかと思うと、ぱっと光って、パシッてな具合に消えているのだ。
なかなか便利な魔法である。
すると、なぜか、ルイズがかたまっていた。

「…………あ、あれは」

杖を握る手がぷるぷるしてる。なんだ?
ま、まずいこと聞いちゃったのか??

「あれは虫じゃないわ!あれはただの埃、ごみ、ちょっと動いただけのなんかよ。断じて虫なんかじゃないわ!!」

そっちか……。
そういや昔、原っぱで捕まえてきたバッタを近所の女の子にプレゼントしたら、ものスゴイ悲鳴とともに床にたたきつけられたことがあったっけ。
そうだよな、いくらしっかりしてるって言っても、女の子だもんなぁ。ましてGは嫌か。

「あ。もしかして普段ハンモックみたいなのに寝ているのは、床を横切るアイツに対面したくないから?」
「いいいいいいやなこと言わないでよ!!そそそんなこと起こるわけないでしょっ」
「あー、おれも床で寝るのやめよっかな。そういや時々がさごそ音がうるさ……」

悲鳴じみた声をあげるルイズを無視して、真剣に検討していると……
風音とともに、鼻先を杖がかすめた。
石突のするどい部分を突き付けられたおれは、思わず寄り目。
向かい合うルイズの唇の端が、ねじくれた笑みを浮かべていた。

「授業中に関係のない話はやめましょうね」
「そうですねー」

閑話休題。

「いい、メイジとの戦いではまず相手の系統と力量を見抜くのが大切よ」
「なんか目印とかあるのか?」
「うーん、口で説明できるものじゃないわね。わたしはなんとなくわかるけど、あんたには無理でしょうし、」

メイジ同士でしかわからない『オーラ』でもあんのかね。

「でもルーンを覚えればいいのよ」
「ルーンって呪文のことだよな?なんで?おれは魔法使えないんだろ?」
「話聞いてた?あんたが使わなくても相手が使うのよ。その魔法が何かわからなかったら対処のしようがないでしょ」

対戦中に相手が唱える呪文を聞いて、どんな魔法が来るか見分けろ、という話らしい。
できんの、そんなの?

「やるの。そうすれば、少なくともこの前みたいな鈍臭い『風』にやられたりすることはなくなるわ」

それを言われると頷くしかない。そもそもこの授業だって、元はといえばあのときにわけもわからずやられちまったことが悔しくて始めたものなのだから。
しかし、すぐに悟った。
ルーンというのはこの世界の古文みたいなものだ。異世界の異国語の古代語である。よって、それを覚えるということは、ほとんど意味を持たない音の連なりを、そのままに覚えるようなものだ。

だああ!『ふっかつのじゅもん』以上にわけのわからん呪文なんか覚えられるかー!!

無理である。ただでさえ『明るく元気な良い子、だけど勉強のできない子』だったおれには、とてもじゃないが無理。不可能。できません。
使い魔のルーンの恩恵で、体だけでなく頭もよくなったような気がしていたのは、気のせいだったらしい。先生の授業ですぐにハルケギニア語が読めるようになったのは一回こっきりの奇蹟か。

まあ、記憶力だけの問題でもなかったりする。
てっとり早く覚えるために、ルイズがルーンを唱えて、おれがその魔法を答えるという、早押しクイズみたいなことをしていたのだが……。
ルイズはわざと早口で聴き取れないように唱える。実戦を想定してのことだ。
で、そうするとなんだか音の連なりが歌のように聴こえて、頭が考えるより先に体がその声に聞き惚れてしまうのだ……自分でもなぜかはよくわからないのだが、ルイズの声はそういう心地よさがあった。
歌手になったらいいのに。

しかし、ルイズせんせいがそんな寝惚けたことをゆるすわけもなく。
あまりのおれの劣等生ぶりにだんだんとボルテージが上がっていったのか、スパルタっぷりを発揮するようになった。
つまり、おれがひとつ間違える度に、

「なんでひとつ前のことを覚えてないのよ!!」
「信じられない!真面目にやってるわけ!?」
「これくらい、わたしが6才のときには全部そらんじてたわよ!」

などなど、一喝とともに杖を振るう。するとなんという魔法か知らないが、

どっこーん。
ばっこーん。
ちゅっどーん。

とむちゃくちゃでかい爆発が、おれの頭を中心にして、起こるのだ。
音と衝撃ばかりで痛くもかゆくもないのだが……目の前でお星様とルーンが仲良く、レッツダンシング。

くきゅぅぅ……

しまいに、ついに許容量を超えたおれが倒れたことと、騒音を先生にたしなめられたことにより、以後の授業では魔法を使わないことになった。

「魔法の授業なのに」

休憩中、つまらなそうなルイズ。おれはまだ起き上がることもできず、ルイズの膝に頭をのせて寝ていた。
代わりに応えたのは、

「あれはむしろ調教って言うんじゃないかねー?」
「黙んなさい、ボロ剣」
「おー、こわ」
「――砕く、壊す、消す。どれにしようかしらね」
「すんませんでしたっ!デルフちょっと調子乗ってました!!」

超低姿勢なインテリジェンスソードに、ルイズはフン、と不機嫌に鼻を鳴らした。

「こいつ、こんなに馬鹿で大丈夫なのかしら?」

ちっさい指先がおれの出来の悪い頭に触れて、髪をかき交ぜる。

「まあまあ。いざってときは俺様がいるさ」
「あんた、おしゃべり以外に何ができるのよ?」
「ひでーな、俺様だって6000年も剣やってんだぜ?たいていの魔法は喰らってきたし、わかるよ。だから、やばいときは俺様が相棒に教えてやるさ」

と、高くなった鼻も見えそうな口調でデルフ。
お前、けっこう便利だな。ていうか、

「そういうことは早く言いなさいよ!もうっ」

まったくだ。
うんうん、と頷いていたら、とっくに気づいていたのだろう。

「あんたもいつまでも寝てないでさっさと起きる!」

タヌキ寝入りでうかがっていたおれに、ルイズはデコピンを喰らわせた。

***

そんなのどかな毎日だったのだが……

ある夜、いつものように先生と話をしていると、突然近くで変な音が響いた。
ホォーホォー。
びくっとなったおれに、ふくろうだよ、と先生が苦笑いで教えてくれる。
恥ずかしくなって、頭をかいた。

「この辺、ふくろうなんて出るんですね」
「ああ、君のところじゃ街中に野生の動物はほとんどいないんだったね。しかし、もうこんな時間か。そろそろ今日は切り上げるとしよう」
「はぁい。じゃあ、また明日」
「ああ」

言われて眠気を自覚した。おれはあくび交じりに出て行く。先生の雰囲気がどことなく普段と違うような気がしたけれど、深くは気に留めなかった。
その次の朝である。
ふだんよりずっと早く起こされたおれの前には、旅装姿の先生とルイズがいた。

「親戚の家で不幸があってね、急いで向かわなくてはならないんだ」
「あ、はい!すぐに準備します」

すこし元の世界で祖父が亡くなったときのことを思い出す。あのときも喪服を着た両親に起こされたっけ。
あわてて起き上がったところで、気まずそうな目に気づいた。

「すまないが、君は連れて行けないんだ」
「え?でも」
「つまり、その」

言いよどんだ先生を見かねて、ルイズが口を挟んだ。

「あんたの分の旅費がないのよ」

あまりに現実的で、そしてなんとも納得できる理由だった。

「あー」

反応に困るおれに、心底情けなさそうな笑顔で謝るジャン先生。

「申し訳ないね」
「いや、そんな。それじゃあ留守番してますよ」
「いいわよ、どうせ盗まれるものもないし。ジェシカのとこに行ってきなさい」
「念のため、事前に相談しておいたんだ。我々がいないときは住み込みで雇ってもらえるようにね」

急な展開についていけないおれは、はあ、とあいまいに頷くばかりだ。
その反応を不安に思ったのか、ルイズが唇を尖らせて言う。

「タダ飯なんて期待しちゃだめだからね。しっかり働くのよ。ジェシカに迷惑かけたら、承知しないんだから」
「わかってるっつの」
「どーだか」
「前から働くって言ってただろ?」

そんな軽い応酬を続けながら、おれも急いで家を明ける準備をする。全てが整うと、家のドアに『ロック』をかけて、そのまま二人は行ってしまった。
なんともあわただしい話だったが、なんでも急がないと、船に遅れてしまうらしい。このあたりに海なんてあったのだろうか?

「そういや、どこに行くのか訊かなかったな」

まあいいかこっちの地名なんてわからんし、と呟いて、空腹にうなる腹をさすりながら、デルフを背負ってチクトンネ街に向かう。
うかつなおれは、二人が「いつ」帰るのかも聞いていないことに気づかなかった。
そして、そのことに気づいたときに、ひどく後悔することになる。

***

揃いのローブを着た二人の旅人が、朝霧に紛れて王都を発つ。
大きい方の人影が、尋ねた。
「ほんとうによかったのかい。今回は別に私ひとりでも――」
「もう、せんせいったら。なんどもおなじこと、いわないでよ」
連れの小柄な影が、いささか幼い舌ったらずの口調で答える。目深にローブを被り、支えがわりの杖は手にない。けれど足取りはしっかりとしていた。
「これは、わたしたちのおしごと、でしょ?」
「ああ、そうだな」
そう頷いた男の声はふだんよりも低く平坦で、わずかに倦んでいた。

***

「妖精さんたち!それじゃあ今日も元気に楽しくいきましょう!!」
「はい!ミ・マドモワゼル!」
「魅惑の妖精たちのお約束!ア~~~~ンッ」

せんせい、ルイズ……おれ、なんか悪いことした?
目の前で繰り広げられる悪夢のような光景に、おれは必死に涙をこらえていた。
ココはルイズの友達、ジェシカが勤める『魅惑の妖精亭』。
そして行われているのは、開店前のミーティングである。
店の標語らしきものを唱和する女の子達。その姿は揃って愛らしく、色とりどりの派手でちょっときわどい制服は眼福という以外にない。
それだけなら、おれは別の意味で滂沱していただろう。
けれど、その少女達の前にいるものが全てを台無しにしていた。
それは、クネクネと腰を振りながら次々にポージングする中年男。その名もミ・マドモワゼル、ことスカロン店長。
おそろしいことに、看板娘ジェシカの実父だそうだ。
そして、今日からのおれの雇い主でもある。

「さて、今日は妖精さん達にお知らせ。厨房に新しいスタッフが参加しまーす。皆もご存知、ルイズちゃんの紹介よ♪」
「サ、サイトです、よろしくお願いします」
「変わった名前だけど苛めちゃダメよ?」

ほっとけ。
さぶいぼ立っている肌を宥めつつ、なんとか笑顔を振りまく。
最初が肝心、最初が肝心。
女の子達が笑顔で応えてくれる。おお、好感触。
やっぱりありがとう!先生!ルイズ!!

「それと仲良くなるのはいいけど、手を出すのも厳禁。彼、なんと、あのルイズちゃんの『大切なひと』だそうよ」

なにこの紹介と思っていると、途端に女の子達の笑顔が一転した。
ケッ、て顔になってますよ、みなさん!
しかも、ブーイング、である。
もちろん魅力的なおれへのアプローチが禁止されたことへの抗議、などではなく。

「ルイズちゃん趣味悪っ」
「ちょっとどうやって取り入ったのよ、あの子」
「あ、私、大通りをふたりで歩いてるとこ見た。なんか手をつないでたよ」
「うそー超ショックぅ」

全ておれへのダメだしだった。地味に凹んだ。
そんなおれに、ジェシカが笑う。

「ルイズはあたし達のアイドルだからね」
「へ、へえー」
「だ・か・ら。もしもあんたがルイズを苛めたり泣かせたりしたら、妖精達全員が敵にまわると思ってね?」

笑顔のまま、脅された。
ご心配なく、基本的に苛められて泣かされているのはおれだ。

「ありえねぇよ」
「へえ、自信たっぷりね?まあいいわ、あたしがきっちり見ててあげるから」
「はぁ、」

なんだか猛烈にあのボロ家が恋しくなった。

そんなこんなで、異世界使い魔ライフ改め、バイト生活の始まりである。

***

どこの世界でも厨房での新入りの仕事は皿洗いと決まっているらしい。
日本にいた頃はともかく、最近はよく手伝っているからラクショーだ。とか思っていたが、甘かった。
ちょっと考えればわかることだが、一般家庭と繁盛しているお店ではまず量が違う。そして要求されるスピードが違う。
ルイズに釘を刺されてもいるし、なんとか頑張ってみようと思ったが休憩時間にはへとへとになった。
虚無の曜日の夜はもっと大変だと言われ、思わず悲鳴を上げる。気の良い人達ばかりらしく、笑いながら賄いを差し出された。

「うめー!!」
「はは、大げさなヤツだな」
「いやー、ほんと美味いですもん、これ。それに、ここんとこ単純な味付けのものしか食べてなかったんで」

ルイズはもの凄い努力家で、ある程度の料理もこなすけど、やっぱり複雑なものは作れない。まあ、料理ひとつできないおれが文句を言う筋合いはないし、ありがたくいただいてはいたが……。
おれも料理覚えようかなー。
ルイズが毎日頑張っているのがわかるから、つい任せてしまったけど、いつまでも頼ってばっかりってのも悪い。
それに、と思う。
日本の料理を再現できたらいいよなー。米・味噌・醤油とかはないけど、そう、トンカツとかハンバーグならきっと……。
親父さん達に訊いてみると、

「おう、見て覚える分には勝手にしていいぞ。手取り足取りってわけにはいかないけどな」

職人さんらしい応えが返ってきた。

「妖精亭の看板は嬢ちゃん達だが、料理は店の誇りだ」

おおー、玄人魂。かっこいい。
店長はオカマさんだが此処の人達は漢らしい。
影響を受けやすいおれは、すぐに熱血モードに入った。おうし、やったるぜ!炎の料理人サイト伝説だ!

「でもその前にこの皿洗っとけよ」
「はーい」

まあ、こんなものである。

***

「そういや。なんで皆、ルイズのことを知っているんです?」

そんなに人付き合いのいいタイプではないはずだ。実際家に来ていたのも先生への来客を除けば、ジェシカだけだったし。

「あったり前さ。ルイズちゃんはジェシカの恩人だからな」
「へぇ?」
「タチの悪い客がいてね、逆恨みで襲われかかったジェシカを、偶然通りかかったルイズ嬢ちゃんが助け出してくれたんだよ」

なんて魔法かは知らないけど、すごかったわよー、と口を挟んだのは当のジェシカだった。

「相手もメイジくずれだったんだけど、手も足も出させないで杖をぶっ壊したの」
「その後すぐに追いついて、そいつらを実際にボコったのは店長と俺達なんだがな。いやあ、あんときの嬢ちゃんはかっこよかった」

てっきり担がれているのかと思ったら、マジ話らしい。
あんなにちっちゃいし、目も見えないのに――そりゃ確かにふだんのルイズはハンデなんて感じさせないくらいしっかりしてるけど――どうやって戦うんだ?
魔法に体格は関係ないというのは、わかる。それだからこそ、この世界では貴族が絶対の権威を持てるのだろう。
けど。
そのとき蘇ったのはおれのトラウマ。召喚数日目に貴族にからまれルイズに庇われたときのことだった。
……あいつは女版『市』か。

「…………なあなあ、こっちの女の子って皆ルイズみたいに強いの?」
「まっさかー、あの娘は特別よ。だからすごいんじゃない」

ジェシカに笑い飛ばされた。ちょっと安心した。
でもやっぱり今夜も素振りしようと思った。

「ルイズはよく言っているわ、メイジってのは『敵と戦ってこそ』だって。『弱い者の代わりに敵を斃すのが力を持つメイジの役目だ』って」
「おう。ほんとの意味で『民の杖』ってやつだよな」
「メイジくずれってのは大抵身を持ち『崩し』た奴が多いから手に負えないんだが、そんな中でルイズ嬢ちゃんや先生みたいに立派に暮らしている人達は尊敬するよ」

しみじみと語る男達に、おれはなんだか鼻が高かった。いや、別におれが自慢することではないし、どっちかっていうと不甲斐ない自分を省みた方がいいんだけど。
でも、その子はおれの『ご主人様』なのだ。

「それにカワイイし。最近はすこしふっくらしてきたわよね」
「おう、そうか、俺達もジェシカに頼んで差し入れした甲斐があるよなー」

にやにや笑う彼らに、そういやジェシカっていっつも食い物持ってきてたよなぁ、と気づく。
餌付け?
こら、そこ、笑って誤魔化すな。

「最初のころはほんっとガリガリでなあ、」
「誰だか知らないけど、貴族の親も非道いことをしやがるよな。あんなカワイイ娘を目が見えないってだけで棄てやがって」
「――え?」
「あ、なんだ?おめえ、知らなかったのか?」

ジェシカが口を滑らせたコックのひとりをお盆で叩いた。容赦のなさはさすがルイズの友達だ。
て。え?じゃあジャン先生ってルイズの親じゃないのか?

「見て気づかなかった?髪の色も肌の色も顔の形も全部違うじゃない」

そりゃそうだ。自分の迂闊さに自分でも呆れてしまう。
ヌケてるわね、って。うん、よく言われます。
でも、髪の色に赤とか緑とかある異世界でそんな常識を求めるられてもな。
お前ら親子だって正直遺伝子なにしてんのって思うよ?

「店長はジェシカのママが亡くなったときに、じゃあパパがママの代わりもやってあげるって言ってああなったんだよ」

やっぱり皆アレはキビシイと感じているらしく、苦笑いの男達。
はぁ。人に歴史あり、だな。
そんでもっておれって、あのふたりのことほとんど知らなかったんだな。
すっかり見慣れたはずの、桃色がかったブロンドの女の子と頭は薄いけれど人の良い中年親父の顔が、なぜか遠く感じた。

「阿呆ども!いつまでもくっちゃべってないで手を動かしやがれっ」

微妙な空気になっていたところで親方のひとりが怒鳴り、慌てて皆自分の持ち場に向かう。去り際、ひとりの言葉が妙に心に残った。

「だからよ、俺達も感動するんじゃないか、貴族の名をなくした女の子がほんとうの意味で誇りを持って生きてるってことに」

誇り。
日本にいたころは、とんと聞いたことのない言葉だ。
けれどどうやらこの世界では、人の人生や命を左右するくらいに重いらしい。
でも……その貴族の誇りと体面のせいでルイズは棄てられたんだよな?
そう思うと、誇りなんてくそ喰らえだと思う。
けど。そう言ったら『誇り高い』ルイズには怒られるんだろう。

まだ初日なのに、なぜか無性にルイズに会いたくなった。


***


 3.28 つんでれ(?)を追加しました。



[6594] ゼロとせんせいと 3の2(3.28改稿)
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2009/03/28 18:28

おれが働き出した魅惑の妖精亭は、女の子達がきわどい衣装と可憐な笑顔で食事を供することで評判の酒場だ。

そんなお店なので、さほど品は良くない。しかしそんなところも、普段の生活ではわからなかった街の夜の顔を見ているようで、面白かったりする。

洗い場まで聞こえてくる酔っぱらい達の話は、下品な女定めやどこの店の何々がいいとか某がまた新しい愛人を囲ったとか、そんな話ばかりだったが、それはそれでなかなか刺激的だ。

――先生ん家では間違ってもそんな話題出せなかったもんな。

もちろん煩悩の塊みたいな会話の中に混じって、ふつうの世間話も聞こえてくる。

なんでも、近々この国のお姫様が結婚するらしい。式の前後はお祭り騒ぎになるだろう、と土木関係者っぽい男達が前祝いをしていた。
劇場でかかっている新しい劇はなかなか面白そうだ、という紳士風の男に、あそこの客なんぞデートの若者ばかりですよ、と知ったかぶりの連れが応える。

「祭にデートかぁ、いいなぁ」

若い娘ばかりのお店なのに、事前の店長の説明のせいかジェシカという目付役のせいか、おれの周りにはまるで女っけがない。
話しかけてくるのはジェシカくらいで、それも仕事が遅いとか皿が汚いとか文句をつけてくることの方が多い。

そう、そして、そのジェシカが問題なのだ。
特にここ数日、何かにつけて当たってくる。
慣れない仕事で疲れがたまってて、こっちも余裕がないってのに。笑顔が売りの妖精だろ?すこしはおれにも笑顔を見せろよと言いたくなる。
昨日なんて客のひとりに胸を触られたとか言って殴りかかってきた。
なんでおれだよ!?
そのせいで仲良くなったハズの料理人達ともぎくしゃくしだしたのもたまらない。

「いらついてるなぁ、アノ日か?」

つい悪態をついていると、ごっつい顔でにらまれた。
黒髪黒瞳の女の子にそういう顔をされると、実家の母親を思い出す。今にも電気ショック持って「才人!勉強しなさい!!」とか追いかけてきそうだ。

「ごめんなさい!」

条件反射で謝ると、なぜか襟首捕まれて店の裏に連れ出された。
シバかれると首をすくめたおれ。自分より小さい女の子にも抵抗できないのは元々の性格、というより、こっちに来てからの環境のせいか。
しかしジェシカの用件は別のことだった。

「ねぇ!ルイズはまだ帰ってこないの!?」
「え?いや、まだだけど」
「じゃあいつ帰ってくるのよ?あんた何か聞いてないの!?」

あ、そういや、いつ帰るのか聞いてなかった。
自分のヌケっぷりに嫌気がさす。たぶん一週間くらいだと思うけど。

「もう!使えないわね」

おれの回答にジェシカが苛つき、蹴りをとばそうとしたところで、店長が現れた。娘の肩をがしっと押さえて、たしなめる。

「ジェシカ、およしなさい。サイト君にあたることじゃあないでしょ」
「でも、パパ」

いいから、頭を冷やしてきなさい、と静かに叱りつける姿はさすがに父親のものだった。
こちらを見もせずジェシカは走り去る。その後ろ姿を眺め、おれは憂鬱な気分になった。
あの剣幕。さっさと出ていってほしいくらい、嫌われたのだろうか。

「おれ、邪魔なんでしょうか?」
「そんなことはないわよ。最近はお皿を割ることもなくなったし、サイト君はよくがんばってくれてるわ」
「でも、ジェシカのやつ」
「あの娘、ちょっと気にかかってることがあってね。大好きな友達のルイズちゃんに聞いてもらいたかったみたい。ごめんなさいね?」
「はあ。それってルイズじゃないとダメなんスか?」
「まあ、店の女の子達はあの子にとって部下だから」
「……おれにできること、ないですかね?」
「ありがとう。でも大丈夫よ」

はじめて真正面から向かい合った店長の顔は真剣そのものだった。
……首から下さえ見なければ。

「あの子もいずれわかるわ。人生において大変なことも辛いことも、全部試練でしかないってことをね」
「試練、ですか?」
「そう。あきらめないことが肝心ってことよ」
「はあ、」

なんだか意味深なことを語って、店長は去っていった。その背中に、なぜか漢を感じた。
あ、歩き方がフツウだ。

それからまた数日してジェシカとは仲直りした。
というか、一方的に謝られた。

仕事上がりに与えられた屋根裏で休んでいるところに、ジェシカが押しかけてきて、しばらくぶりに復活した『土くれのフーケ』とかいう怪盗の話をさんざんした挙句、「あのときはごめん!」と叫んで帰って行ったのだ。あかぎれに効くという塗り薬と果物をいくつか、置いていってくれたのは有り難かったが。
正直、わけがわからん。

翌朝、好奇心と理不尽への不満から、彼女を捕まえてみた。今度はおれが店の裏手に連れ込む。

「なんだったわけ?」
「んー。ちょっと困ったことがあったんだけど運良くうまくいったの。それだけよ」
「……あっそ」

あまり詳しくは話したくないらしい。まあ、女の子には何か色々とあるのだろう。
なんとなく納得した気分になったおれは、適当に相づちを打つ。

「まあ、あれだな、『人生万事サイオーが馬』だ」
「なにそれ?」
「人生は悪いことばかりじゃないって意味だよ、たしか」
「ふぅん、変な言葉知っているのね。サイトの馬?」
「違うって」

それからしばらくジェシカと駄弁っていると――もうすぐ妖精達の売り上げを競うチップレースがあるのよ、そんなのお前なら楽勝だろ、とかそのレベルの雑談だったのだが――なぜか肩を叩かれた。
振り向くと、そこにはミ・マドモワゼル、スカロン店長のめっさイイ笑顔。

「サイトくぅん?だめじゃない、お店の準備もしないで妖精さんとおしゃべりしてちゃ」

若干、声が低いのはナンデデショウカ……。

「ごめーん、パパ。すぐに行くわね」
「あ、ジェシカ!?」
「サイト君はちょっとこっちを手伝ってちょーだい。我が店に伝わる宝物を見せてあげるから」

そう言う店長に引きずり込まれた先にあったのは、とある一着のビスチェだった。
なんでも『魅了』という魔法がかかっているらしく、着た者の魅力を万倍にもする効果がある魔法のアイテムだとか。
その、黒いレースの下着のようなそれを、おれは――

店長に着せる手伝いをさせられた。

「サイト君。さて……これをどう思う?」
「す……すてきです……」

魔法ってコワイ――またトラウマが増えました。

***

「あら。あなた、ジャンのとこの――」

それから。己の身に降りかかった惨劇が信じられず、店の裏であうあうと呻いていると、どこかで聞いたような声がした。
顔を上げると、そこにはビスチェ姿も素敵な髭のたくましい男、ではなくて……

「あ、みどりのおばさん」
「今、なんて言ったのかしら?」

目の前の女性の、碧色の髪が蛇のように逆立つ姿を幻視した。
ああ、そういやこの人もメイジだった。
なんだか魔法使い=見えないオーラをまとう武闘家みたいなイメージがつき始めている。

「すいません!お姉さん!!いや、きれいなお姉さんっ」

以前先生のお客さんとしてやってきた、ちょっと冷たい感じの『お姉さん』だった。そう、たしか無類の酒好きの。

「なにかまた失礼なことを考えてない?」
「いいえ!」
「まあいいわ。それで、こんなところで何をしているの?」
「仕事です」
「ジャンは?さっき家に行ったら『ロック』がかかってて外せなかったのよ」
「外さないでくださいよ……。今留守です。親戚の不幸でしばらくルイズと出てるんで」
「あっ、そう。挨拶もなしとは薄情なものね」
「いやあ急なことだったんで。戻ったらおねーさんが来てたこと、伝えときますよ」

愛想良く申し出る。よくよく見るとこのひとも美人さんだった。なにより、その大人の女性特有のやわらかな体つきがささくれだった心を癒してくれる。
アアお願いですオネーサンこの哀れな少年に愛を、具体的にはそのお胸に挟んでぱふぱふさせてください。
とか馬鹿なことを考えていたら、ひんやりとした声が降った。

「……あら、気づいていないの?」
「へ?」
「戻らないわよ、ふたりとも。親戚なんていないもの。ジャンもルイズも天涯孤独」
「え」

ていのイイ方便でしょう、だまされちゃったのね、と女の声に、足下が崩れたような錯覚に一瞬視界が暗くなる。

「まあちょうど良かったかしら。私も此処を離れるし、」
「――変な冗談はやめてくれ!ふたりが戻らないわけないだろう。此処には家があるんだぞ」
「家なんてまた構えればいいだけでしょう。此処だって一年も経ったわけじゃないし」

あっさりと返され、一瞬言葉に詰まる。
店の男達に聞いたことが頭をよぎる。
見慣れない旅装をしたふたりの姿がまぶたに浮かぶ。

「だっておれ、あいつの使い魔で、先生はおれを帰してくれるって言ってて」

おれは、みっともないくらい、動揺していた。
左手を握りしめる。そうしないと甲のルーンが消えてしまいそうな気がして。
そんなおれに碧髪のお姉さんは冷ややかな視線。

「じゃあ、一応伝言しておこうかしら。ジャンに頼まれてた件だけど、『タルブ村』ってとこに不思議なマジックアイテムがあるそうよ。誰にも使い方がわからない鉄くずって評判だけどね」
「……」

立ちつくすおれにメモらしきものを押しつけ、支払いは今度会ったときにいただくわ、と囁いて、彼女は店の中に入っていった。

***

「よお、相棒。どうした?」
「帰るぞ」
「ん?娘っ子が戻ったのか?」
「関係ねぇーよ」

ちらりと視界の端をよぎった黒髪に、「おれ帰るわ」と告げて、店を飛び出す。
知らない女の子に呼びかけられた気がしたけど、振り向かない。

***

勢いで出てきたものの、当たり前のことだが――魔法が使えないおれは、家の中には入れなかった。
『ロック』は鍵を閉めるだけなので、たたき壊して入ることはできる。
でも、それはできなかった。したくなかった。
しかたなしに庭先にうずくまっていると、デルフが話しかけてきた。

「まあ、相棒にゃわからんだろうけど。良かったんじゃないか?」
「うるせー。なにがだよ」
「職もあって、そこそこ字も読めて。ほれ、生きていくのには何の問題もないじゃないか」
「おれは此処で生きていく気はねぇ、帰るんだよ」
「どうやって?」
「先生が考えてくれる」
「その先生がいないんだろ?」
「うるせー、先生は帰ってくるし、おれは帰る!」
「だだっ子だねぇ。あの娘っ子もオヤジも相棒のことはちゃーんと気にかけてくれてたじゃないか。もう十分じゃねぇのか?」
「いやだ!」
「どうして?」
「約束したんだ。それにここは先生とルイズとおれの家だ」
「ふーん。じゃあ、しかたないやね」
「そうだよ、」
「で?なら、なんで店に戻んないんだ?」
「……え?」
「ちゃんと帰ってくるなら、店で待ってればいいじゃないか」
「あ…………そっか、」

そうだよな。そうだよ、帰ってくるなら、おれは店で待ってればいいだけじゃないか。

「相棒は、バカだねぇ」
「う、うるさい」

気がつけばすぐに開店の時間だ。あわてて立ち上がると、急な挙動がまずかったのか、くらりと視界が黒く染まった。
おわっ、貧血か?
視界の半分が真っ暗になっている。
チカチカと変な光みたいのが瞬いている。
なんだ、これ?

――あ、消えた。

光が消えて、視界がただの黒になって、そして、元に戻った。
なんだったんだろう?

***

それから。
ビスチェ姿の店長に遅刻を叱られそうになったものの、本気で怯えるおれをジェシカが庇ってくれて、無事職場に復帰した。

ルイズと先生はそのさらに十日くらい経って、無事帰ってきた。
あンの女、適当抜かしやがって、とは思ったけど伝言はきっちり伝える。なんのことはない、それは先生が依頼した、おれの世界のものかもしれない『場違いなモノ』の情報だった。
――ほら、やっぱり先生は約束を守ってくれているじゃないか。

ちなみに、ふたりからのお土産は『肉』だった。
……うん、ルイズの中のおれってほんとに『犬』なのな。
それでも笑顔で御礼を言っていたら、ジェシカにまで「犬みたい」とか笑われた。

ルイズ自身は、古びたオルゴールを持っていた。
たぶん先生にもらったんだろう。音も出ないそれを大切そうに抱えているルイズに、おれもなにか買ってやりたいな、と思った。

ま、なにはともかく、「わが家がいちばん」だ。

こうしておれの異世界バイト生活は無事、終わった。


***


 3.28 誤解していた部分を削りました。



[6594] ゼロとせんせいと 3の3
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2010/05/01 21:50

私は夢を見ていた。
まだ体も育ちきらない少年の頃の夢だ。
着慣れない正装をした若い私が、とある大きなお屋敷を訪れている。爵位を相続したばかりのその頃、後見人を務めていただいた隣領の公爵様のお屋敷だ。

そこを訪うとき、当時の私はいつもひどく気を張り詰めていたように思う。
爵位を持つとはいえに所詮子爵の身に過ぎぬ私とその屋敷に住む人々では立場が違いすぎることもあったが、なによりも、そこに住まう人々は揃って美しく気高く、爵位という物差でさえ計れぬ高貴な方々だった。
そのような方々に会うのは若い私にとって恐れ多くも誇らしいことで、私は精一杯の背伸びをして大人ぶったものだ。

けれど――この夢の中では違う。

この夢の中の私は、今の私だ。夢を見ている私は、そんな彼らと自分をひどく冷めた気分で眺めている。
それはまるで冷たい氷を呑み込んだような、不快な違和感だ。

……思えば私はそれをいつも感じていた。腹の底に横たわる冷たい何かを。

記憶の風景か、私の心象の暗喩か。
そこでは雨が降っていた。しんしんと骨まで軋ませるような冷たい雨だった。
私は美しい人々が集う丘から逃れ、ひとり中庭を歩いている。広い敷地の中はいつも以上に静まり返っていた。
おろし立ての礼服が雨を吸って重たい。
やがて中庭の小さな湖のほとりにたどりつく。
小舟がひとつ、岸辺に結い留められている。この家の子供達が代々水遊びに用いてきたものだ。しかしこれを使うような子供はもういない。
きっとこのまま誰にも顧みられることなく、この場所で朽ちていくのだろう。

その小舟を前にして、同時に夢を見る私は思い出す。
そうか、これは――

私が生まれて初めて、誰にも褒められることのない目的のために、魔法を使った日のことだ。

***

アルビオンは我がトリステイン、西の大国ガリアと並んで、このハルケギニアでも最も古い、始祖の血を継ぐ王国のひとつだ。
その領土は全て空に浮く大陸にあり、常に厚い霧に覆われている。
目を覚ました私は与えられた個室を出て、その霧を、この国が『白の国』と呼ばれる所以を眺めていた。

「具合はいかがかな?」

そこへ背後から若い青年の声がかかる。
とうに気づいていた私は即座に振り向き、礼を取った。

「問題はございません。お気遣い痛み入ります」
「それは良かった。しかし、あの貴族派の包囲網を単騎で突破されるとは、なんとも無茶をされる方だ」
「賭けただけのことはございました。城の水メイジの方にはご面倒をおかけした上で申し訳ないことですが、こうして殿下にお目にかかることができたのですから」

許されて顔を上げれば、霧の城を背景に金髪に凛々しい碧眼の美青年が微笑んでいた。

「ようこそ、滅びゆく王国へ。勇猛果敢なる大使殿よ。アルビオン王国皇太子、ウェールズ・テューダーだ」
「トリステイン王国魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵でございます」
「うむ。待たせて済まなかった。御用の向きを伺おう」
「は。我が主、アンリエッタ姫殿下より密書を言付かって参りました」

私がその密命を与えられたのは偶然だった。王の近衛たる魔法衛士隊の隊長として、姫殿下の護衛を務めていた関係から、目に留まったのだろう。

此処、アルビオンは現在王党派と貴族派に分かれ、国を二つに割る内乱の真っ最中だ。
しかしその趨勢は既に決していた。貴族派は『レコン・キスタ』を名乗り、始祖の教えの復古とハルケギニアの統一を求める巨大な連盟を国境を越えて形成している。その勢いはおそろしく、すでに王党派はこの城を除けば完全に駆逐されたという。
そんな、今まさに滅びようとする国の皇太子へ、わが国唯一の王女アンリエッタ姫殿下はひとつの文を届けるよう、私に命じられた。
その密書の中身は――

「そうか、あの愛らしいアンリエッタは結婚をするのか、」

若き皇太子は手紙を一読すると深く嘆息した。私は無言で頷く。

そう、王女はゲルマニア皇帝の元へ嫁ぐことが決まっていた。これも全て国境を越えた貴族連盟『レコン・キスタ』のためである。ハルケギニア統一を目的掲げる以上、アルビオンの陥落に勢いを得た連盟が次なる標的として小国トリステインに狙いを定めることは想像に難くない。
祖国防衛のための手段として、我が国が選んだのは新興の大国ゲルマニアとの同盟だった。王女の婚姻はそれを確かなものとするための政略結婚だ。

祖国を救う唯一の手段。
しかし、その同盟を脅かすものが存在した。
姫殿下がかつてこの王子、従兄へと送った手紙――恋文である。

「了解した。姫は、あの手紙を返して欲しいとこの私に告げている。何より大切な、姫から貰った手紙だが、姫の望みは私の望みだ。そのようにしよう」
「ありがとうございます」
「なに、君に感謝されることではないさ」

皇太子は苦笑いを浮かべて応えた。
彼と姫殿下の実際の関係がどのようなものであるのかは私は知らない。
共に一国の王の唯一の後継として生まれたふたりは、よほどの偶然がなければ逢うことも叶わぬだろう。もしかしたら、その手紙だけがふたりを繋ぐ唯一の絆だったのかもしれない。
それでも、皇太子はそれを手放すことを躊躇したりはしなかった。
賢明な方だと私は思った。
同時に、惜しいことだと。

「しかし、間に合ってよかったよ。叛徒どもは明日の正午に攻城を開始すると言ってきたのだ」
「左様でございますか」
「ああ。だが、案ずることはない。もともとこの城の非戦闘員のために避難の為の手段は確保してあったのだ。大使殿には無事戦火を抜けて、姫殿下のもとへその手紙を届けていただけるだろう」
「はい」
「今夜はささやかながら祝宴も催される。ぜひとも出席してくれたまえ」

最後の晩餐か、と胸の内で理解する。
それが済めば、この城に残ったメイジ達は老いも若きも杖を携えて、決して勝てぬ戦いを始めるのだろう。矜持を示すために。
それがメイジの、貴族の役目だ。戦い、死に、誉れを遺す。
私は胸のうちにせり上がるものをこらえて、頭を垂れた。

「ああ、子爵。すこし待っていてくれたまえ」

すると不意に皇太子がその場を離れた。厚い霧のために数メイル先もかすむ視界の中で、どこかへ向かう。
眼を凝らして見れば、小さな人影が彼と向かい合っている。

「このような場所に、子供……?」

思わず呟くと、背後に控えていた侍従のひとりが応えた。

「殿下が航海中に偶然保護され、連れて帰られたのです。疎開先で母を亡くして郷里へ戻ろうとしていたとか」
「なんと、無茶をするものだ」
「ええ。痛ましいことです」

子供は怪我を負っているのか、長い杖にすがるように歩いている。
これもまた、貴族の戦の被害者か。
広い城内で迷ったらしい子供を人に預けて皇太子は戻ってきた。私達の視線に気づいて、苦く笑う。

「私はレコン・キスタとやらが語る『新しき世界』がどんなものかは知らない。けれどせめてあのような子が心の底から笑える世界であってほしいものだと思うよ」

私はなにも応えなかった。

***

宴は望むべくもないほど盛大で、同時に空虚極まりなかった。
このような状況で訪れた異国の客が珍しいのか、貴族達は私を歓待してくれたが、空々しく応じる気分にもなれず――私は壁に寄りかかり、一歩引いたところでその一幕を眺めることにした。
老いた王と家臣のやりとりは、後世の劇作家が泣いて喜びそうな、悲喜劇だった。
凛々しい皇太子はこのような場でも目を惹くのか、女性達の歓声をあびていた。
誰もがこの『王家滅亡前夜』という舞台で役を演じ、私という異邦人だけがひとり、観客の立場にあった。

それは、うすら寒い感覚だ。

私もまた彼らと同じく、貴族として生まれ、騎士となるべく育てられた。王に忠誠を誓い、祖国のために命を賭す――そんな生き方を当然と思い、努力を惜しまなかった。
結果、今の私がある。
若くして実力を認められ、軍人として誉ある地位を得ることができた。子爵という身分でありながら、今では格上の大貴族からも引き合いが来る。順風満帆な人生と人に言われ、賞賛を受け、敬意を払われる。
けれど、私にはもはやそれを素直に受け入れることができなかった。
なぜか、と自問する余地もない。

この場にいる人々は皆、美しく気高く、そして愚かだった。
私が最も嫌う人種だった。

「ワルド子爵」

顔をあげると皇太子の人の良い笑顔が見えた。

「愉しんでもらえたかな?」
「ええ」

内心はつゆほども見せずに、私は皇太子に向かって頷いてみせた。

「実は、あなたに預かっていただきたいものがあるのだ」
「――これは?」
「アルビオン王家に伝わる『乙女のヴェール』。王族の婚姻のときに使用されるものなんだが、もはや我が王家には無用の長物だ。それで、同じ王家の血を引くアンリエッタになら、と思ってね」
「なるほど、美しいものですね」

永久に枯れぬ花をつけた白いヴェールを私は恭しく受け取った。そして、ひとつ気になっていたことを尋ねた。

「僭越ながら――姫殿下のお申し出はお受けにならないのですか?おそらく手紙には殿下をお助け申す旨があったかと……」
「彼女からの手紙には何もなかったよ。それに――己の命よりも、大切なものを傷つけ、失うことの方がよほど辛い。そうではないかね?」
「ええ」

淡々と頷いた私に何を感じ取ったのか、若き皇太子は小さく首を傾げた。

「子爵殿にも――いや、なんでもない」

独り合点する彼に、私は再び沈黙をもって応える。

***

地位を登れば否応なしに見えてくる、腐敗した政治、堕落した貴族の有様。
幼き日に父母に誓い、守り続けた貴族の誇りが、ほかならぬ貴族によって蹂躙されていることを私は知った。

――誇り高くあれ。

そう口にするたびに生まれる、心の冷えるような感覚に私は次第に蝕まれた。

……いや、違うな、と私は自らに首を振る。

確かに、私は王宮の魔法衛士として職務を果たす内に、今の貴族社会に絶望した。だが、『貴族』という存在それ自体の是非を問う、そうした思いはもっと昔からあったような気がする。

――この世界は是か否か。

そのような疑問がいったいいつ私の中に植えつけられてきたのかは思い出せない。
けれど、その冷たい何かは決して解けぬ氷のように、或いは凍てつく冬に芽吹く奇形の種のように、私の中で眠り続けていた。
そして自然に根付き、あるとき芽吹いた。

故に私は選んだのだ。
芽吹いてしまった種が咲かすであろう異形の華を見るために。
偉大なる野望を達成するために。
この『裏切り』という道を――。

***

「残念です。ウェールズ殿下。嗚呼、まったく本当に残念だ」

翌日。辺境の城内の一室という安舞台で、私は『トリステインの貴族』らしい、芝居がかった様子で嘆じていた。

「貴方のように高潔で思慮深く、勇敢な方がこのような場所で命を落とさねばならないとは」
「ワルド子爵?」

賞賛され、同時に憐れまれた皇太子は、いぶかしげに私の名を呼んだ。
私は、今まさに滅びんとするこの国へ同じ血を分かつ隣国が遣わした最後の大使。
そして、愛しき人からの言葉を届けてくれた恩人。
彼は、そう思っていたことだろう。
だが。

「まったく。貴方のような方が我が主であったなら、私はこのような卑劣な行いをせずに済んだでしょうに」

言うが早いが懐から杖を振るった。

「貴様、貴族派かっ!!」
「ご明察」

叫び、咄嗟に身をひねる皇太子、ウェールズ。そのわき腹を真空の刃がえぐった。
肉が弾け血が撒き散らされるのにもかまわず、彼は杖を取り出し、ルーンを唱える。
それは見事な詠唱だった。
そう、まるで疾風のごとく。

「しかし無駄だ」

――我が凶刃は風よりも速い『閃光』なのだから。

三文芝居の終幕は、あまりにあっけないものだった。
どさり、と倒れ伏す若き皇太子。
始祖ブリミルを祖とする三王家、そのひとつがいま滅んだ。
――いや、現王がまだ残っていたか。
素で忘れていた自分が可笑しくなって、すこし笑みをこぼす。
まあ、あの老人には何の価値もない。
ともかくこれで、この国の内乱は実質的な終着を迎えたわけだ。
あとは予定された通り、王党派の全滅という閉幕(カーテンコール)でしめくくるだけ。

私は順調に物事が片付いていく喜びとともに、物言わぬ躯と化した青年を見下ろす。
その秀麗な顔は憤怒に歪んだまま、そこには王族としての誇りも、戦士としての尊厳もない。
それが、心地よい。
いかほど栄華を極めた王族だろうと、貧困に這いずり回った平民だろうと、死ねば、同じ。
人はしょせん人の領域を超えられず、ただ屍を晒して、辱めを受けるのみ。
そう、彼の有様は語っていた。

故に卑劣な裏切り者であり、勝者であり、生者である私は、その骸を探る。
胸元――心臓に最も近い位置――に、二通の手紙。そこにはともに同じ印が捺されていた。

「……やはり、あの娘は」

真新しい方を開いて視線を走らせ、呟く。
皇太子は否定したが、そこには予想通りの一文があった。皇太子に亡命を勧める――それが、祖国をみすみす脅威にさらすものだと気づきもしない、愚かな娘の『愛』の言葉。
予想外だったのは、己の感情だ。
覚えたのは、憤怒でも諦念でもなかった。
胸の内に横たわるのは、ただ、自分よりも醜いものを見出したうす暗い『悦び』。
その冷たい何かを封じるように自らの懐に手紙を仕舞い、再び膝をつく。

「そう、これを忘れてはいけないな」

新たな主、貴族派の首領直々に命じられた三つの品の奪取。
すでに二つは我が懐中にあり、最後のひとつが、この青年が嵌めた指輪だった。
透明な『ルビー』の指輪。三王家がそれぞれに持つ秘中の宝。
簒奪した王位を正統なものに変えるための『証』だという。

「チッ。かたいな、」

いまだぬくもりの残る青年の指は死の直前の憤りを体言したかのように、硬く強張っていた。
――仕方がない。
私は無造作に杖を振るい、指ごと切断しようとした。




そのとき、杖を持つ右手が、『消えた』。




「は?」

目の前で己の腕先が『消滅』するのを見た私は、阿呆のように口を開くしかなかった。
肘から先、断ち切られた腕。
そこには、どんな刃物を持ってしてもありえない、鮮やかな血肉と白い骨の断面が覗いていた。
なにもかもが非現実的で。
体も、思考も、そして、苦痛すらも静止していた。


その間に、残る左手と両足が消えていた。


無様に顔面から床に落ち、ようやく自分が「攻撃を受けている」ことに気がついた。
いまだに四肢を無くしたことを理解せぬ脳が、体を動かそうとして床を這いずり回る中、とん、と背後になにかが降り立つ音がした。

「だ、誰だっ」

思わず叫び、必死に上半身をひねる。
それを見た途端、のどは勝手に引き攣れた音を漏らしていた。

それほどに、この世のものとは思えないほどに、怖ろしい顔だった。
冷たく澱んだ瞳。この世の全てを嘲るような歪んだ笑み。白蝋化した屍のような膚。

「な、」

その化け物の名は――『ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド』。
恐怖に歪んでいるとも、それを蔑んでいるともつかない、『己』の顔。

***

『私』が人を探して廊下に出ると、そこにはうらぶれた風体の男がいた。なにか探している様子で、ふらふらとさ迷っている。

「どうしたのかね?」
「ああ、これは、軍人様。近くでこどもを見ませんでしたかな?」
「こども?ああ、あの……」
「おお、ご存知ですか!助かった!」
「いや、どこへ行ったかはわからないのだ。申し訳ない、私も不案内で」
「いやいや、お気になさらず。しかし、困ったものだ、船に向かわねばならないのに」

どうやら男は、あのこどもを連れて避難するらしい。『私』は一瞬けげんな表情を浮かべてしまった。
男は――見事な禿頭に一瞬騙されたが――それほどの歳でもない。いや、そもそもあの老侍従が参戦するのだから年齢はあまり理由にならないだろう。
こちらの疑問に気づいたのか、彼は自嘲めいた力無い笑いを浮かべた。

「私は戦えぬのです。昔ひどい傷を負いましてな、以来満足に杖の振るえぬ身になりました。まあ、そのときは絶望したものですが……、こうしてみると、なにが幸いかはわからないですな」
「幸いとおっしゃるか?」
「ええ。見ず知らずの方に申し上げるのは恥ずかしいことですが、私は死ぬのが恐ろしいのです」

たしかに、戦場の兵士たるべきメイジの言葉としては紛れもなく、恥だった。だが、『私』はこの地で初めて心から共感した。
――死は恐ろしい。
それは当然のことだ。

なのにこの城の者は皆、名誉だの忠義だのと叫んでは、現実から目をそらしている。
彼らはただの馬鹿者だ。自らが大いなる手に操られる指人形に過ぎないことを知りもしない。一方、この男には役名はないが、それ故にその手からも逃れることができる。まったく、これを幸いと言わずに何と言うか。

「それは貴方が正しい」

『私』は確信とともに応えた。
それがあまりに思いがけなかったのか、男は間抜けた表情で『私』をまじまじと見返す。その顔に、なるほど真理は愚者こそが知りうるのだな、と内心苦笑した。

「私からもひとつ真を申し上げましょう」

鬱憤がたまっていたのだろうか。あるいは気分が昂揚しているのか。
ついやくたいもないことを話していた。

「この後の戦いに、貴いものなど何もないのです。名誉も忠義も何ひとつとしてありえない。この戦はただ、この国に屍を増やすだけのものなのですよ」
「それは……なんとも恐ろしい話ですな」
「ええ、まったくです」

『私』はしたりと笑みを浮かべかけ――

その後に、何が起きたのか、理解できた者はいないだろう。

不意に顔を強張らせた『私』は、次の瞬間にはこの世のものとは思えない、世にもおぞましき表情を浮かべていた。
気の弱い者なら腰を抜かしたに違いない、狂相。

それは恐怖だ。
それは悪夢だ。
それは化物だ。

昼日中、窓の向こうに死に神を見た者の顔で、直後、『私』はその身を『散ら』した。

ふつりと途切れる視界の中、男が苦み走った表情で『私』を眺めているのが映った。
この真昼の怪談じみた出来事に、驚くでも怯えるでもなく。
――そのことに対する疑問が、この『私』の最期だった。

***

ヒュウ、ヒュウ、と風の音がうるさい。
そう考えて、ようやくそれが自身の喉が奏でる悲鳴だと気づいた。
『鏡でできた顔の形の仮面』という悪趣味なものをつけたその怪人は、首を傾げることで、そんな私を嘲笑ってみせた。地に伏した私と視線を合わせるように、その身を小さくかがみこみ、体型を隠す黒いローブが床に裾を広げている。
その異様さは王党派でも、ましてや貴族派でもありえない。

「おまえは誰だ――なぜ私に――いや、何の、ため、に」

目の前の『モノ』が私の命に何の価値も見出していないことに気づき、問いかけを変える。
だが、それも意味のないことだった。
もし意味があったとすれば、ただその声を聞けたこと――。

「Noone,Nothing(だれもいない、なにもない)」

甲高い声に宿るのは背筋が凍るほどの空虚と――胸がかきむしられるような懐かしさ。

刻々と血が失われ、なす術もない最期の一時、私の心を占めたのは、死への恐怖でも祖国への憎しみでもなく、ただ泣きたくなるような懐古の念だった。


アア、ナゼ、ワタシハ、コノ声ヲ知ッテイル……

コレハ、イッタイ、何ダ……ナゼ、コンナトコロデ、ワタシハ……

ソウダ、指輪ヲ……ユビワヲ……


***

――置き去りにされ、忘れ去られた小舟。

いつか私自身も忘れてしまうに違いない、その存在を眺めるうちに、私の中にはひどく凶暴な気持ちが芽生えていった。
夢の中の私は杖を振るい、縄を断った。
それからもう一度。今度は舟底に向かって魔法を放ち、穴を開けた。
ルーンを唱えるために開いた口から雨が入り込み、ぽっかりと空いた胸のうちに冷たく沈んでいく――。


そうだ、私はこのとき初めて貴族を、この世界を憎んだ。
なぜなら、この世界の道理が、私からきみを奪ったのだから……


――それはもう、遠い、遠い、昔のこと。
消えてしまった、ゼロになってしまった記憶のこと。
年若く希望にあふれていた私には、ちいさなフィアンセがいた。
ちいさいままに消えてしまった少女がいた。


ああ、きみはよく此処で泣いていたね。
きみは知らないだろうけど、きみの家族は皆知っていたんだよ。
よく、ぼくに頼んで迎えに行かせてたからね。
泣いているきみを何度此処でなぐさめただろう。
きみは知らなかった。
きみの家族は皆きみのことを案じて、そして愛していたことを。
そして、ぼくもまた知らなかった。
それを知らないきみが、どれほど深い絶望の中にとらわれていたかを。

――かすみがかった記憶の向こうで、桃色がかったブロンドが目の前で揺れる。
大粒の雫をためて、鳶色の瞳が私を見ている。

(ししゃくさま。わたしがおおきくなったら、およめにもらってくださいますか)

ああ、もちろんだよ。
きみが大人になって今以上に素敵なレディになったら、ぼくはきみに指輪を贈ろう。
それから、すてきな白いヴェールも。
屋敷は音楽とお花でいっぱいにして、きみがいつも笑顔でいられるようにしよう。
だから、泣かないでおくれ。

(はい、ししゃくさま)

ああ、良かった、本当に良かった。
きみが笑ってくれた。
そうだ、魔法がつかえないことなんて、なんてことないんだ。
そんなことできみが、死ぬことなんてないんだよ……。


――小舟は水底に沈んでいった。
気づけば私は声をあげて泣いていた。





キミヲキズツケル、ソンナ、セカイハイラナイ




[6594] ゼロとせんせいと 3の4 ※オリキャラ有
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2009/03/29 23:46

そのこどもを最初に見つけたのは私の師だった。

その頃私が属していた組織は、公には『より効率的な魔法の運用』を開発するための研究組織と説明されていた。正式な組織名もあったが、外部の人間の関心を削ぐためか長大でわかりづらく、私達は単に『研究所』とだけ呼んでいた。

師はそこの研究員で、優秀な人材が集まる組織の中でも『先生』と呼ばれるほどの才能の持ち主だった。そして、世間はおろか研究所の人間でもその意味を理解できない類の実験に、嬉々として取り組む奇人でもあった。

私は元は前線部隊の人間だったのだが、怪我が原因で退いた後に彼の助手になった。他の人間、特に研究畑の者は彼の奇抜な発想についていけなくて長続きしなかったのだ。
実際に会った彼は評判通り、色々と印象深い人ではあったが、決して扱いにくい人間ではなかった。私に研究者としての心得を仕込んだのも彼で、師と呼んでいるのもそのためである。

私も当時は厭世的なタチだったのだが、それなりに馬があったのだろう。世間話もよくした。特に覚えているのはある日の会話だ。

「コルベール君」

と彼は私のかつての名を呼んだ。

「私たち人がどこから来たのか、君は知っているかね?」
「いいえ。始祖ブリミルに導かれたのだと教会では教わりましたが」
「そういうおとぎ話ではなくてね。人と動物の分かれ目の話だよ」
「はあ」
「人と動物の違いは何だ?」
「その前に、亜人はどうします?幻獣は?」
「――道理にそぐわない連中は範疇外だ」

彼は心底嫌そうに口元を歪ませた。魔法を研究する身でありながら、彼の魔法嫌い魔物嫌いは有名だった。
その奇天烈な人格が何に由来するものなのか、当時の私にはわからない。ただ訊かれたから答えるだけだ。

「私達は、こうして会話をしますね。それと頭で物事を考え、手で文字で記します」
「そうだね、だが私はもっとシンプルに、『二つ足で歩く』ことだと思っている」

その後の彼の話は教会の教えよりもよほどおとぎ話のようで、なおかつ異端のものだった。

「木の上にいた猿が地に降り、彼方の地平線を見るために顔をあげた。そのときから人間は始まったのさ」
「はあ」
「なあ、私は考えるんだ、コルベール君。最初の彼はそのとき何を見たか?それはきっとおそろしく、うとましく、美しく、愛おしい『新世界』だったんだろう」
「……貴方は時々詩人ですね」

そう感想を漏らした私に彼はフンと鼻を鳴らしてみせたものだ。

***

そんな彼が、ある日私に紹介した新しい『実験対象』。
それが彼女だった。

「はじめは『病院』の方の客だったんだが、うまくいかなかったらしい」

彼は彼女を見つけた経緯を説明していたが、私は初めて見た彼女の姿に目を奪われていてそれどころではなかった。どくどくと心臓がうるさいほど鳴っていて、体は焼けつくように熱く、彼の言葉もほとんど耳に入らない。

「――で、壊れたままでは返せないというから、私が誤魔化してやったんだ」

自慢げに言う彼の腕の中には、あうあう、と赤子のように唾を吐きながら呟くこどもがいた。
年齢の頃は、5つか、6つ。小さな顔の大半が血のにじんだ包帯で覆われ、わずかに覗いた髪は艶もなく、元の色がわからないほどにくすんでいる。細い四肢はこわばって捻れ、指先は震え――
その様は、彼の言葉通り、『壊れ』ていた。

「なかなか面白い子なんだよ。なんでも魔法が使えないらしくてね、コモンも全て失敗して爆発を起こす。挙句に自分の魔法で顔を吹き飛ばして、この様だというのに――」

彼の楽しそうな声と被って、ぶつぶつと声が聞こえる。世界の全てを呪う様な小さな声。

……・ル・・ーノ・デ・・ウィ・・・イス・イー・・ハ・・ース……

「!?」
「気づいたか?そう、ルーンを唱えているんだ。しかも、それだけじゃない」

彼はこどもに杖を渡す。赤子の反射じみた動きで、きゅっと小さな手がそれを掴む。
――直後、私の横の壁が吹き飛んだ。

「な!」
「詠唱は全くもって『不完全』。なのに魔法を『起こす』。道理に合わないだろう?」

腰を抜かした私の目の前でさっさとこどもから杖を取り上げる彼。
よしよしと頭を撫でる姿はそこだけを見れば、まるで娘を慈しむ父のようだった。
それに気づいた私は、寒気を覚えた。

「魔法が使えないだなんて、とんでもない。きっとこの子はすごい才能の持ち主だよ」

その言葉に腕の中のこどもはたしかに笑っていたのだ。
心底嬉しそうに。はじめて親に褒められたこどもの、無邪気な笑顔で。

***

「これでいい?」
「ああ」

差し出された二通の手紙を確認し、私は頷いた。
内心では、やれやれ、と息をつく。
証拠の回収という役目ばかりは彼女には難しいので、私が出向く予定だったのだが。
あろうことか目前に子爵の『遍在』が現れては無視することもできず、手間取るうちに彼女ひとりに任せることになってしまったのは、痛恨だった。
しかし、今となっては、かえって良かったのかもしれない。
『遍在』。実体を持った分身を生み出す風のスクウェアスペル。
暗殺にはもってこいの魔法だが、所詮魔法のまやかし。『探知』で探られればごまかすすべはない。気取られることを恐れたのか、或いは矜持の表れか。子爵はアリバイ工作にのみ『遍在』を使用し、実際の暗殺は自ら向かってくれた。

王子の死を止められなかったのは残念だが、そのおかげで彼女が気づき、動くことができた。
そして、彼女の『魔法』は『風』より速く、命令を完璧に実行できる。

まあ、ついでとばかりに王子の遺体まで消してしまったのは遣り過ぎだったかもしれないが……。
この混乱だ。王子の遺体が見つかろうが見つかるまいが、大して変わりはあるまい。
済んでしまったことは取り返しようがなく、そう判断する。

『ワルド子爵』という、我が国からの密使にして貴族派がよこした暗殺者。その来訪と存在を知る『生き証人』の類はこの後の戦で死に絶える。
恐れるべき『物証』は全て確保した。
『裏切り者の痕跡は何一つ残してはならない――NOONE,NOTHING』
全て命令書の通りだ。
これで、我が国が不利な状況でこの内乱に巻き込まれることはないだろう。
その先の対処は――政の範疇だ。

「後は子爵の幻獣だけだな」
「……うん」

わずかに顔を俯かせる彼女。私はその頭を撫でてやる。

「ごめんね」

先刻は一切見せなかっただろう躊躇を覗かせて、彼女はそっと杖を向けた。でたらめのルーンをリズムにのせて、歌うようにささやく。
白い小さな光が顕れ、主の血の匂いに興奮する幻獣を包み込んだかと思うと、そこにはもう何もない。
音もなく、匂いもなく、無<ゼロ>へと帰す。

それが私たちが見つけた彼女の、彼女だけの『魔法』だった。

***

「親元に帰すべきではないのですか?」

確かに特異な才、その可能性はあるだろう。研究者としてそう思いながらも、私は彼に言った。
彼は鼻で笑い飛ばした。

「貴族が、それも大貴族と言われるような家柄の者が、こんな子供を育てると思うかね?『マトモ』な魔法が使えず、目を失い顔に傷を負った上に、薬でほとんど気が触れた子供を?」
「それでも、親と子でしょう」
「親ならば、生きてさえいればどんな姿でもかまわないと?」

常に薄笑いを浮かべているような男が、その一瞬だけ真剣な目で私を見た。

「世迷言はよしてくれ。君の言っているのはおとぎ話だよ。この世界はおとぎの国じゃあない。ときにひどく物語めいてはいるが、ただそれだけだ」

私は――そこに抗弁する根拠を持たなかった。
俯けば、ずきずきと背中が痛む。
彼はそんな私を尻目に、首尾よく手に入れた『実験対象』を腕の中であやしながら、再び薄く嗤う。

「なあ。こうして見ると、我々の研究は、いまのところ功罪相半ばというところかな」
「なにが、ですか」
「そうじゃないか。彼女は家を喪ったが、命を拾った。家族は娘を失くしたが、代わりに貴族の名誉を守った。良いことも悪いこともあったが、『全て世はこともなし』だ」
「たしかにそうかもしれない。だが、それは貴方が決めることではない!」

思わず語気の荒くなった私に、彼は平然と頷いてみせた。

「そうだな。なにより功績はいずれ消え去るが、罪過は積み上がるものだ」

『罪過は積み上がる』
私はその言葉を聴き、また背にひりつくような痛みを覚えた。
自分もまた、かつて前線で『効率的な魔法の運用』を、すなわち、効率的な人殺しの業を極めてきた。体を壊し、満足に戦えぬ身となったところで、染みついた罪は消えない。贖う術もない。

「――罪過は積み上がる。そしてやがて人の背を折る。そのとき人はせっかく手に入れた背骨を喪って、四足の獣に戻るのだろうな」

そして、彼は言ったのだ。
君、この子を育ててみないか、と。

***

避難する民に紛れて、空の大陸から離れていく。港についた時点で任務成功の報せを送れば、あとはのんびりと家に帰るだけだった。

『貴族派の襲撃で怪我を負った少女とその父親』の二人組は、他の人と同様に身を寄せ合ってフネの隅に座る。
そのとき、彼女がこっそりとささやいた。

「ねえ、せんせい。これ、なにかわかる?」
「ん、オルゴールか。これはどこで?」
「おちてた」

そのとき私はもっと詳しく聞き出すべきだったのだろう。しかし廃墟となった城のどこかで拾ったのだと誤解した私はそれを怠った。
それは、正確には子爵の体を消し去った跡に残っていたのだが、自分の魔法が『全てを消す』ことを知っている彼女はそうとは気づかなかったのだ。

「壊れているようだね」
「なおせる?」
「ああ、帰ってからやってみよう」
「かえる――」

任務が終わって、気が緩んでいるのだろう。応答が普段以上に幼く、はっきりしない。
急な話だったし、色々とアクシデントも多かったので、彼女にも負担をかけた。
まあ偶然、空賊を装っていた王党派の捕虜になったおかげで、先行していた子爵に追いつくことができたり、今回に限ってはアクシデントも悪いものではなかったのだが。

「そう、お家に帰るんだよ。サイト君が待っているからね」
「ああ、そうね。帰ってサイトにごはん作ってあげなきゃ……」

使い魔となった少年のことを思い出したのか、すこしだけ意識が切り替わったようだ。
家をかまえたのも間違いではなかったな、と私は満足する。どんな者であっても、帰るべき家があるというのはいいことだ。

「着いたら起こすから、しばらく寝ていなさい」
「うん」

きゅっと杖を握りしめる小さな手。ふと見ると、その指にいつのまにか指輪が嵌っていた。妙に大きな透明な石の指輪だった。血で汚れている。
どこで拾ったのか。オルゴールと一緒か。
見たこともない結晶だった。錬金で作ったイミテーションかもしれない。
とにかく誰かに気づかれないように、そっとマントで彼女の小さなからだごと包み込むようにして、抱きかかえた。

「ねぇ、せんせい、うたがきこえるわ」

腕の中で、夢うつつに彼女がささやく。小さな声で、子守唄のようにでたらめなルーンを呟きながら。

***

“さあ、かかとを三つ鳴らしてごらん。おまじないだ、お家に戻るためのおまじないだよ――”

***

無理やり押し付けられた、血なまぐさくも柔らかくあたたかい感触に、私は毒を飲んだような顔をしたのだろう。
彼は珍しく、すこしだけ視線をそらせた。

「人間が背骨を伸ばして二つ足で立つようになったのは、両手を自由に使うためだとも言う。つまり――まあ、なんだ。多少歪んだ背骨でも、その手に何か持っていればまた真っ直ぐに立てるようになるのかもしれん」
「……」
「だから、ジャン・コルベール君。君もまだ人でありたいなら、顔を上げて、背を伸ばしたまえ」

不器用な人だったが、決して悪い人ではなかった。
師が今どこにいるのか、私は知らない。

あれから何年経つだろう。いろいろなことがあった。
組織はいつの間にか解体され、様々な偶然が重なって、私は彼女と二人で王家の裏の仕事を請け負うようになった。
たとえそれが国の為、民の為とはいえ、再びこの背に積み上がった罪過はいかほどか。
それでもあの日の師が告げた通り、私はいまだに立つことができている。

腕の中のこのぬくもりのために。



******


 ※師がオリキャラです。ジャン先生もだいぶオリですが……。



[6594] ゼロとせんせいと 4
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2009/03/29 13:02


長旅から帰ってきたルイズはなんだか調子が良い。

まず、とにかく機嫌がいいらしく、毎日鼻歌を唄っている。なんという歌かは知らないが、なんとなく懐かしい響きの歌だ。
本人もどこで覚えたかはわからないらしい。頭の中に刷り込まれる類の歌らしく、気がつくと出てくるのだとか。
――おれもバイト中は「ドナドナ」とか一日中口ずさんでたっけか。
ルイズの歌は愛らしい声と合わさって、聴いててとても心地よい。

そして、もうひとつ。

お昼におれが店で覚えた料理――といっても野菜炒め程度だけど――をふるまっているときだった。ちなみに、珍しく先生は仕事で外出している。
ルイズがふと顔をあげた。

「ねぇ、あんまり私を見ないでよ」
「へ?」

思いがけない言葉におれは箸(自作)を取り落とし、マジマジと彼女を見てしまった。すると照れかくしなのか、ルイズはさらに口元を尖らせる。

「だから止めてってば。忘れたの?視界共有の話」
「え!?でも見えないんじゃ……」
「うーん、それが最近調子が良いみたいで。けっこうはっきり繋がるようになったわ」
「それはよかった……って、あ、あの変なとことか見てないよな?」
「たぶん。ていうか、変なとこってなによ?」

その答えにおれは慌てて思い出す。今日見たもの、やったこと。

1、ルイズの寝顔。頬をつつくとむにゃむにゃ言うのが面白くて、つい、延々と。
2、自分の体。具体的には筋肉のつき具合を確かめるために鏡の前でいくつかマッスルポーズを。
3、ジャン先生の頭部。朝食中、どこまでが額でどこからが頭なのかちょっと検討。
4、後片付け中、ルイズの食べ残しを発見し、こっそりつまんだ。――腹が減っててやった。後悔は、今している。
5、昼食までの間は、指先の訓練なのか、謎の編み物に勤しむルイズを。その悪戦苦闘ぶりが微笑ましくて、また、延々と。

ろ、ろくなもんじゃねぇー。

「頼む!ちゃんとおれの許可を得てから覗いてくれ!!」
「ええー?」
「おれにだってプライバシーってものがあるんだよ!!」

ものすごい不満そうだったが、なんとか認めてもらった。
そうでなければ、年頃の男として色々と困る。ああ。でも念のため、これから用足しのときはずっと目をつぶっていよう。
これはルイズのためでもあるのだが、その辺は思い至らないらしく、「どうして使い魔にお伺いしなきゃいけないのよ」とぶーたれている。
まあ、確かに。せっかく『見える』ようになったのだ、それを制限されたら文句も言いたくなるだろうけど。

――そうだ!

「ルイズ!街に行こうぜ、街」
「買い物なら昨日全部済んでるわよ?」
「そうじゃなくって!」
「ああ、お散歩行きたいの?しょうがないわねぇ。えーと、綱は」
「リードはいらねーよ!」
「冗談よ」
「おれは犬じゃねぇおれは犬じゃねぇ……」
「はいはい」

無駄にテンションの高いやり取りの後、街へ出掛けた。

「どこに行くの?」
「まずは広場の噴水だな」
「噴水?」

おれはこそこそとメモを確認しながらルイズを先導する。
中央広場の噴水のまわりは、人でごった返していた。なんとかくぐり抜け、噴水の縁にたどり着く。
魔法で作ったのだろう、美しい人魚の石像からはとめどなく水が溢れ、水滴が陽射しを浴びてきらきらと舞っていた。
うん、いい感じだ。

「よし、ルイズ。『見て』いいぞー」
「は?え?」

戸惑うルイズに、ほらほらと急かす。やがて、隣から、うわあ、と小さな声があがった。
混じり気なしの歓声に、内心でガッツポーズ。
――やっぱり、せっかく『見る』なら狭っくるしい家の中より、外の方がいいよな。
おれまではしゃぎながら、コイン投げの真似事をしていれば……。
周りの人から変な目で見られた。

……次、行こう。次。

再びカンペを取り出すおれ。
実はこれ、ジェシカが退職(?)祝いにくれた、『タニアっ娘がオススメするデートスポットベスト10』だったりする。土地勘のないおれのために、手書きの地図までついている辺り、至れり尽くせりだ。
それによると、この近くには劇場があるようだ。歌劇だからルイズでも楽しめるわよ、とはジェシカのコメント。

「ルイズ。芝居ってわかるか?」
「あのね。当たり前でしょう」
「よし、じゃあ今から行こうぜ」
「え!ほんとに!?」

よっぽど嬉しかったのか、ぱっとおれの腕に抱きついてくるルイズ。その頬はうすっらと桃色にそまり、口元は笑みでほころんでいる。
――うっ。これは反則!
おれは思わず視線を逸らした。

***

家に戻ると、なぜか使い魔が懐いてきた。
どうも置いてけぼりにされたのがショックだったらしい。たしかに急に放り出すかたちになってしまったのは、かわいそうだったかもしれないわね。
次に出掛けるときは一緒に連れて行ってあげよう。

それでも、留守中はちゃんと頑張ってお仕事をしてきたみたい。お店のことに関しては辛口のジェシカも労っていたくらいだ。
その上、料理も覚えてきたという。
これは、主人として褒めてあげないといけないわね。

せんせいに相談すると、なにかプレゼントをあげたらどうか、と言われた。
こいつが欲しがるものってなんだろ?
お肉はもうあげたしなぁ。

とりあえず、以前マチルダに教わった毛糸編みで服を作ってあげようかと思ったけど、教える人が悪かったのか、マフラーも満足に編めない。
出来映えを確認しようと使い魔の目を借りると、なんだか『くちゃくちゃしたもの』ができていた。
ちょっとショック。
――なにが悪いのかしら?目の数え方とかは合っているはずなんだけど。
しばらく試行錯誤している内に、あることに気がついた。
編み物のことではなく――たぶん、悪いのは全部だ――、使い魔の『目』が私から動かないことに。
おかげで助かるんだけど。

どうして、こいつってばわたしのことばっか見てるんだろ?
ひまなのかしら……。

……自分を見るのは、実はあまり嬉しくない。
ジェシカにもらった面布は可愛いけれど、ほお骨の浮いたガイコツみたいな自分の顔はそれだけじゃあ隠せない。
せんせいやサイトがいつも、ごはんをしっかり食べろと言うのもよくわかる。

それで、お昼ごはんのときにサイトにそれとなく言ったんだけど。
嫌がられた。見ないでくれって。見てたのはそっちでしょうに。
そうしたら、見ない方がいいものもある、なんて偉そうなことを言う。
――それくらい、わかっているわよ。わたしだって見たくないものはあるもの。
でも、なんでそれを使い魔に決められないといけないのよ?
ちょっとへそを曲げていると、サイトは何かを思い立ったらしい。
急に外に出ようとはしゃぎだして、ほんとうにお散歩に出掛ける犬みたいだと思っていたのだけど。

まさか、こんなことを考えているなんて、ね。

「……えーっと、『トリステイン、の、お休み』かな」
「ふぅん、どんなお話なの?」
「わかんないけど、恋愛物みたいだぜ。若い子もいっぱいいるし、いいんじゃないか?」
「そうね」

サイトの腕に引かれて、生まれて初めて、劇場の中に足を踏み入れる。
もっとも、ずっと視界を借りっぱなしだと疲れるので、開幕までは『閉じて』おく。そう言うと、サイトが口で周囲の様子を説明してくれた。

「えーっと、なんか神殿みたいだな。柱が円くって、全部石でできてる。絨毯はふかふか、ってこれはわかるか、」
「なんか、あんたの説明って子供の作文みたいね」
「う。悪い」
「いいわ、それで席は?」
「うん、一番安い席で悪いんだけど……」

そういえば、お金ってどうしたのかしら。
訊くと、妖精亭でもらったお給料から出したとか。

「馬鹿ね、そういうのはちゃんと取っておきなさいよ」
「だって、こういうのは男が払うもんだろ」
「見栄張っちゃって」
「いいだろ、普段世話になりっぱなしなんだから」

ああ、そうか。
そういえば、サイトはうちをひどい貧乏だと思いこんでいるんだった。
せんせいもわたしも『お仕事』にはお金を貰ってるので、実際はちゃんと蓄えはある。元々贅沢するタチじゃないのと、他の人に変に思われない為に控えているだけだ。

んん?使い魔にお財布の心配されるのって、主人としてどうなのかしら?

その後、お互いに初めての劇場でまごついたりしたけれど、親切な貴族に教わって、無事席に着くことができた。
席ではサイトの左腕に寄りかかるようにして、なるだけ視点を合わせる。こうした方が酔わないし、『見やすい』のだ。使い魔のルーンが仲介するのかもしれない。
開幕すると、サイトは最初落ち着かないようでもぞもぞしていたが、腕をぎゅっと握りしめると、『硬化』の魔法がかかったみたいに動かなくなった。
よし。

お芝居は、とっても、面白かった。
とある国のお姫様と王子様がお互いにそれと知らずに出逢い、そして、恋に落ちる。
そんな物語が、美しい音楽と歌で彩られて、進んでいった。
夢みたいに、きれいなお話。

でも、劇場ってけっこううるさいのね。
さすがに中盤を過ぎると視界を使うのも疲れて、集中力が途切れてしまった。そうすると、今度はいつものように、『音』がわたしの世界を占める。
若い女の子の歓声。
あくびまじりの雑言。
そして、ささやき声で交わされる会話。
恋人達の睦言と……そして……ああ、親切な貴族なんて変だと思ったのよね。

「無粋ね……」
「うん?」
「なんでもないわ。それより疲れちゃった」
「え、ええ?」

サイトの胸に寄りかかるようにして、眠るふりをする。

「騒いじゃだめよ」
「はひ」

劇場はだいぶ暗いから、こうしてしまえば顔を見ることはできない。わたしはそのまま美しい音楽に紛れて聞こえてくる、無粋極まりない会話に耳を澄ませた。

のだけど……

頭を当てているサイトの心音がひどく速い。体もなんだか熱くて――
だいじょうぶかしら?
と心配していたら、なんだかわたしまでドキドキしてきてしまった。

***

ルイズに額をすりつけるようにして寄りかかられたおれは、劇の途中だというのに、なかば気絶するようにして眠ってしまった。
もったいない、とかは思えない。年齢=彼女いない歴のおれにはそれが限界だったのだ。
幕が引けた後は、這々の体で劇場を後にする。

そのままあてどなく街を歩く。
つないだ掌には汗がじっとりにじんでいた。気持ち悪くないのかな、と思うけれど、ルイズはきちんとつないだまま離さずにいてくれた。
まるで、恋人同士みたいに。

ていうか、考えないようにしていたけど、これって、紛れもないデートだよな。

顔が勝手ににやけてくる。
よかった。自分では自分の顔が見えなくて――。
いまのおれはきっと『街で見かけたら殴りたい男』ナンバーワンだろう。
そんな馬鹿なことを考えていると、ルイズが言った。

「サイト。今日はいっぱい働いてくれたじゃない?」
「そ、そう?」
「ええ。だから、ご主人様としてはご褒美をあげようかと思うの」
「え?」

ご褒美?ごほうびって?え???
自分の思いつきに自分で納得したのか、うんうんとひとりで頷くルイズ。

「なにがいい?」

首を傾げてそんなことを尋ねるルイズは愛らしくて、可愛くて、無防備きわまりなくて。

――でも、その仕草を見て、おれは気づいてしまった。

いつもなら絶対に気づかないことだ。
たぶん、いつものおれなら浮かれ上がって、勝手に自分の都合の良いように妄想したあげく、暴走して自滅したりしてただろう。
どうして気づいたのかはわからない。
もしかしたら主人に使い魔の感覚が伝わるように、使い魔には主人の感情がわかったりしてしまうのかもしれない。
とにかく、おれにはわかってしまった。

ルイズのそれが、どこまでも小さな子が飼い犬を褒めるものでしかないことに。

……ソウダヨナー。
デートだなんだと、舞い上がっていた自分が気恥ずかしくて、おれは頭をかく。
よくよく相手を見れば、そこにいるのはおれよりずっと小さな――と言ったらきっと怒られるんだろうけど――女の子。
ていうか、まだ、子供じゃんか。
何考えてるんだろ、おれ。

「どうしたの?」
「なんでもね。……そーだなー、ご褒美か。特に思いつかないし、メシでも喰いにいかない?」
「そう?」

繋いだ手はやっぱりあたたかったけど、おれはなるだけそれを意識しないように、歩いた。

***

妖精亭は今日も大繁盛だった。

昼間の街や劇場の様子とはまた違った、鮮やかな色。人の姿。めまぐるしく動くそれを、夢を見ているような気分で眺める。
借りた『視界』は、そう、夢に近い。
意識せずとも頭の中を勝手に流れていく、どこか実感のない世界。

集中すれば鮮やかにはっきりとするけれど、今日はもうぼんやりと眺めるだけにする。
というか、使い魔の視線が落ち着かないので、一々追っていたら疲れてしまうのだ。
気づくとサイトは女の子の胸元や足ばっかり、ちらちらちらちら。
あー、これがジェシカの言ってた『男のサガ』ってやつね……。

「何ジロジロ見てんのよ、失礼でしょ」
「いたっ」

向かい席の足をけっ飛ばすと、情けない声があがった。やれやれ。
そこへ。

「あらあら、おふたりさん。おあついわね」

からかい声と共に、黒髪と勝ち気な黒い眉の少女が笑顔で立っていた。
この声は、間違いようもない。

「珍しいわね、ルイズ。お店の方に来るなんて」
「ジェシカ」
「うん?どうしたの?」
「あなたって……すっごく可愛いのね」
「んあ?」

視界の中で、口をあんぐり開けたジェシカ。
向かいでサイトが、ぶはっと吹き出すのが聞こえた。
――なによ、ほんとのことじゃない。

「ル、ルイズも可愛いわよ」
「いいわよ、そんなお世辞。――うん、やっぱりこのお店の娘達で一番可愛いのは、ジェシカだわ。間違いない」
「あ、えーっと、あの、ありがとう」

褒められ慣れているはずのジェシカが、あわあわとしている。
どうしたのかしら?変なこと言ったかな?
ああ、そっか。

「そういえば、ちゃんと説明してなかったわね。こいつ、私の使い魔で――」

そのとき、バン、と派手な音をさせて複数の貴族達がやってきた。
不躾極まりない音に、顔をしかめる。
サイトに見させるまでもなく、その気配は知っていた。

――昼間といい、こいつらといい、貴族ってやっぱ嫌い。

チュレンヌとかいう徴税官とその取り巻き達だ。
――確かにサイトの言うとおりだわ。あんな下品な人間の顔なんて見たくなかった。
役職を傘に着て、管轄区域のお店を巡ってはさんざん飲み食いし、一銭も払わずに去っていく。そんな横暴で下劣な役人は、言動にふさわしい外見だった。
でっぷりと肥え太った体、ぺたりと額に張り付いた薄い髪。
一目でイヤになる。
まったく、おなじハゲでもせんせいとは大違いよね。

せっかく繁盛していたお店なのに、客達も一斉に去ってしまう。
取り巻き連中が杖で脅したのだ。
わたし達はもともと酔っぱらいに絡まれないよう隅っこの席に陣取っていたから、気づかれなかったみたいだけど。

「なあ、ルイズ。あいつら、どうにかしなくていいのか?」

意外に正義感の強いサイトが声をひそめて言う。

「馬鹿言わないで。いつも言っているでしょう、貴族に下手に喧嘩を売ったら周りに迷惑がかかるの。この店で騒ぎを起こしたら、ジェシカ達がどんな目にあわされるか――」
「でも」
「大丈夫よ。スカロン店長だって伊達にこの街で店を構えているわけじゃないもの」

ほら。
酌をする娘達がいないと叫ぶ――そりゃあ誰だってあんな連中の傍にはいきたくないだろう――貴族達に、にこやかに近づくミ・マドモワゼル。
貴族達の前で、がばりと上着を脱いで――

「うぎゃあ!!」

サイトが唐突に悲鳴をあげて、視界が閉ざされた。
ちょっと、なによ!?
なにが起こったわけ???

「み、見ちゃいけない、あ、ああああれは見ちゃいけないっ」

ガクブル震える使い魔に、わたしはわけがわからずぎゅっと杖を握りしめる。
いったい、どんなコワイモノがあるのかしら……。
『目』が使い物にならないので、そっと耳をすまして気配を探る。
聞こえてくるのはサイト同様どこか怯えた貴族達の声。

「なななななんだ!それはっ」
「我が魅惑の妖精亭の伝統衣装ですわ!さあさ、皆様、杯をお出しくださいませ」
「うわあああ、ち、ちちかづく――近うよれっ!」
「チュ、チュレンヌ様!!?なぜそんなバケ――素晴らしい方を独り占めするのはズルイですぞ!」

ん?
なんだかよくわからないけど、おさまったみたいだ。どんな魔法を使ったのか、ジェシカのお父さんがなんだか貴族達に大モテしている。

あ、でも、まだひとりだけさわいでいるのがいるわね。

――ああ、もう、こんなところで、杖を抜くんじゃないわよ!!

***

店長、そりゃねぇーよ。
おれは思わず頭を抱えていた。
ミ・マドモワゼルが着ていたのは、一瞬しか見えなかったが間違いなく、あの黒い下着だった。
無防備にアレを直視してしまった貴族達の悲鳴が、やがて歓呼の声に変わる。たぶん恐ろしさのあまり目が離せなかったのだろうけど、あっけなく陥落してしまったらしい。
ところが、

「うわああああ、めがあ、めがああ」

ひとりだけ、あの悪夢の『魅了』に対抗している貴族がいた。伺うと、目をつぶっている。
ああ、一目で耐えられなかったのね。
たしかにあれはひどい。いくら横暴な貴族だろうと、同じ男として、同情する。
なんてノンキなことを考えていたおれの目の前で、その唯一の生存者が杖を引き抜く。

やばい!!

立ち上がり、背にのばした手が――空を切る。

あ゛、デルフ置いてきた。

そのとき、パシン、と小さな音がして、男の杖とそれからなぜか服が消えた。
隠し持った杖を手に、向かいでルイズがほっと息をつく。

あう。またやっちまった……



「それは……大変だったねぇ」

夜、家に戻ったおれ達が今日の出来事を報告すると、先生はしみじみと言った。

「まったくスよ。裸族になった貴族もしまいに『アレ』にかかって、店長を押し倒そうとするし」
「でもジェシカ達は笑っていたわよ」
「そりゃあ、あの娘達は耐性があるんだよ。あんな地獄絵図、おれは二度と見たくないね」
「まあまあ――それより、昼間の劇は楽しかったかい?」
「ええ。あ、そうだ、なかなか面白い話を聞いたのよ」
「うん?」

こそこそと内緒話をするふたり。
やっぱり、仲いいよなぁ。
そういや、このふたりはどうやって知り合ったんだろ?
視線に気づいたのか、難しい顔でルイズの話を聞いていた先生が、おれに向かって顔をほころばせた。

「そうそう。私からもひとつ、いい話があるんだ」
「なんですか?」
「サイト君の世界の手がかりだよ」

あの『おねえさん』が教えてくれた数々の情報のうち、これはというものがあったそうだ。
それはタルブ村の『竜の羽衣』というマジックアイテム。
偶然にも、そこはジェシカ達の故郷だという。

「仕事の方の都合がついたら、行ってみようと思うんだ」
「今度は三人ね」
「おう!」


その夜――
井戸水を先生の『火』で沸かして、風呂代わりに体を拭いていたときだった。
男同士だし暗いので気にもせず、先生と並んでごしごしやっていると、不意に先生が言った。

「サイト君。今日はありがとう」
「へ?」
「あの子が、ルイズがあんなに嬉しそうなのは初めてだよ」
「そうですか?そんなら良かった」
「うん。もし君さえよかったら、また連れ出してくれないかい?」
「もちろんですよ。それにおれも楽しかったし」
「ありがとう。できるだけあの子にはきれいなもの、楽しいものを見せてあげてほしいんだ」
「はい」

そのときの先生の目はとても優しげで、ひどく印象に残った。
ああ、父親なんだな、って。

***



 暗い話の後の、すきま的な話でした。



[6594] ゼロとせんせいと 5の1(4.04改稿)
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2009/04/04 21:45
わたしの生まれ育った村はとてもよいところです。
丘と森以外なにもないところだと家族も村の人も言うけれど、それが素晴らしいのだとわたしは思います。
特に丘からの見える一面の草原は、幼い頃からのお気に入りでした。
懐かしい、優しい風景です。
帰郷した翌日、なんとはなしにそこに戻ってきて以来、日に何度も訪れては、朝焼けや、彼方を飛ぶひばりや、流れゆく雲を眺めるのがわたしの日課になっています。

木陰に腰を据えて頬杖ついて、ただ目の前にあるものをぼんやりと眺める。
そうしているといくらでも時間は過ぎました。
不思議なことです。
働いていたころは、暇な時間があると落ち着かないくらいだったのに。

晩は曾祖父が伝えたという村特有の鍋料理を食べ、なかなか寝入らない幼い弟のために他愛のないおとぎ話を語って聞かせます。

弟のお気に入りは、男の子らしく勇者の冒険譚。ここハルケギニアで一番親しまれている、イーヴァルディの勇者の物語です。
あんまり何度も話して聞かせたものだから、わたしはすっかり飽きてしまいました。
そこでわたしなりに考えて、新しいお話を作って聞かせてみたのですが、弟はすぐに勇者、勇者と騒ぎ立てます。

こういった幼い子ののめり込み方というのは、すごいものです。

物語の佳境、邪悪な竜と勇者が対決する場面にいたると、まるで自分こそが勇者であるとでも言うかのように目をらんらんと輝かせて鼻息荒く、わたしの話を聞いています。
そしてついに竜を倒れると、途端にこてりと眠ってしまうのです。
まるで役目は終えたとでもいうかのように。
おかげでお話は滅多に最後のめでたしめでたしまで行き着きません。

わたしはひとり、弟に無視された大団円の風景、勇者が囚われの少女の手をとり里へと連れ帰る場面を心の中で繰り返します。

わたしは――彼女のことが気になってしかたありません。

悪辣な豪族のひとり娘で、甘やかされて育ったお姫様。
邪悪な竜の生け贄として捧げられた哀れな少女。
たった一度だけ気まぐれから優しくしたおかげで、勇者様に助けに来てもらうことができた幸運な娘。

彼女は邪悪な竜に囚われていた間、どうしていたのでしょうか。
そして勇者が助けにきたとき、彼女はなにを思ったのでしょうか。
感謝か。歓喜か。それとも、わがままな彼女のことだから、一言の礼もなく、遅い、と勇者をどなりつけたかも。

――彼女にはほんとうに助けられる価値があったのでしょうか?

***

先生とルイズと三人で訪れたタルブ村は、聞いていた通り、のどかで何もない田舎にあった。

近くの町までジェシカの親戚だというおっさんが迎えに来てくれて、おれ達は牛に牽かれた荷車に乗って村へ向かった。
道の両脇には、丘いっぱいに延々と葡萄畑が広がっている。異世界というよりヨーロッパの田舎の方に観光しに来たみたいだ。
おれやルイズはどちらかというとそんな光景に気を取られていたのだが、先生は違った。
どうにも好奇心を抑えきれないらしく、おっさんにあれこれと質問している。

どうやらおれらの目的のブツ――『竜の羽衣』というマジックアイテムとされているもの――は、村の守り神になっているらしい。今は、村のはずれの寺院に祀られているそうだ。
聞けば、あるとき、ひとりの男がそれに乗って東の地からやってきた、とか。

「まあ、うちのじいさまのことなんですが。なんでもそれで空を飛んできたとか、」
「おお、それはすごい!!」
「いやあ、ほんとうのことだかも怪しいもんですよ。だれも見たわけじゃないし、じいさまも生涯大切にしちゃいましたが、結局ワケなんかは話さなかったそうですし。今じゃだれも使い方がわからんので、とりあえず守り神ってことにしてるだけで、はい。わざわざ来ていただいてアレですが、たいしたもんじゃあ無いですよ」

のんびりとした口調でそんなことを言うおっさんに、おれは肩すかしをくらった気分になった。大丈夫なんだろうか。
でも、先生はあきらめてないみたいだ。

そうこうするうちに村につき、先生は村長にご挨拶に向かった。
おれとルイズは、慣れない長時間の移動で強張った体をほぐすため、そこらを散策する。
魔法の使えない平民だけの村だからか、村全体にただよう素朴な雰囲気は、なんとなくばあちゃん家に遊びに来たときのような不思議な懐かしさがあった。

そんな穏やかな良いところだったのだが――村のはずれで場違いな連中を見つけた。

***

ふだんは静かな村が今日はずいぶんと騒がしい。街の方から客達がやって来たからだ。なんでも曾祖父の遺した『竜の羽衣』を見に来たそうだ。
それを聞いたわたしは少し憂鬱な気持ちになった。
村の守り神とされている『竜の羽衣』には、奇妙なマジックアイテムだという噂が立っているせいか、 時折こうした客がくる。
そして実際にそれを見た客達は、なんだかわからない代物だと馬鹿にしながら去っていく。

事実、わたしが見てもあれはなんだかわからないし、村の人にだってあまり大切に思われているわけでもない。
でも、あれは、変わり者だけど勤勉で評判だった曾祖父、その人が生涯大切にして、貴族様に『固定化』までかけてもらった『宝物』なのだ。
それを何も知らない人達に笑われるのは、ひどく堪らないことだった。

そんな思いからこっそり客の様子を覗きにいったわたしは、見慣れた制服にびっくりした。
わたしが働いていた学院の生徒達だった。
顔にもすこし見覚えがある。マントの色からして、二年生だろう。

たしかあの太った貴族様と薔薇を持った貴族様は春に決闘騒ぎを起こしていた。
太った貴族様のせいで薔薇の貴族様の浮気がばれて……そう、あの金髪をきれいに巻いた女の貴族様にふられたのよね。
みっともない泥仕合だったって、マルトーさんが言ってたっけ。
けっきょくもとの鞘に収まったのかしら。

赤毛と蒼髪の女の貴族様達はずいぶんタイプが違うけどいつも一緒にいる二人組。おふたりとも周囲から浮いているみたいだから、たぶんお互いしか友達がいないのだろう。
赤毛の貴族様は良く言えば行動的で悪く言えば奔放。ふだんから授業をサボって色んな男性とつきあったりしているらしい。

きっとあの方が『暇つぶし』に周りの方を誘ったのだろう。蒼髪の貴族様はご友人だし、本さえあれば他のことにはかまわない方だから、当然ついてくるでしょう。
他の方は……。
あの決闘でふたりの貴族様は周りの方々に軽んじられてしまったみたい。学院にはいづらかったのかしら。
巻き髪の貴族様は、まあ、わかりやすいわね。もともと薔薇の貴族様にわたし達メイドが話しかけただけでも不機嫌になる方だもの。

――と、そこまで考えて我に返った。

……やだ、わたしったら。
ひとり頬を赤らめる。
勤めていたころの『癖』で、ついつい彼らの関係を観察してしまった。

たくさんの人が暮らす学院では、貴族様方の人間関係を把握しておくことはとても大切なことだ。これを誤るとひどいトラブルになって最悪辞めさせられることになるので、私を含め平民の使用人たちは皆真剣に貴族様の『噂』を集めていた。

逆に、これらをよく理解していると、彼らを観察するのはとても面白い。
体面を常に気にしなければならない貴族様方は、お気楽な平民の目からするとときどき滑稽なくらい瑣末なことにこだわる。そしてそのたびに決闘だのなんだのと騒ぎ立てる。
――はやく頭を下げて謝ってしまえばよいのに、と思うのだが、それが貴族様の誇りというやつなのだろうか?

そんなわたしの不遜な疑問に、あるひとが答えた言葉を思い出す。

「貴族というのは恥を『かけない』のですよ」

貴族の責任は重く、広い。上に立つ貴族が過てば、その貴族につき従っている者達全員に咎が及ぶ。そこまで至らなくても、貴族が君臨者としての体面を失えば、社会が成り立たない。
学院に通う生徒達がそれをどこまで理解しているのかはわかりませんが、と前置いた上で、彼女は、偉い方になると特にそうだ、と言った。

「王となれば、これはもう絶対に認めません。認められないのです。それこそ、家臣を斬り捨ててでも過ちを押し通すしかない、」

そう告げたときの彼女――ミス・ロングビルの目はとても複雑なものだった。

ミス・ロングビル。
碧色の長い髪がとてもきれいな方。
今はわたし達平民と同じで家名を持ってないけれど、彼女も元は貴族様だ。学院では学院長の秘書をされていた。――今回、たまたまその職を辞されたところで、郷里に戻られるのに方向が同じだということでわたしも同行させていただいたのだ。
以前から料理長とは親しかったらしいのだが、わたしはあまり接したことはなかった。生まれに相応しい美しいお顔や常に理路整然とした振る舞いが近寄りがたく感じていたから。
けれど道中、気後れするわたしに対して、ミス・ロングビルはとても気さくに接してくれた。
なんでも、故郷に妹がいるのだという。――わたしをその妹さんに重ねてくださったのなら光栄なことだけれど……。
きっとその妹さんにも、ミス・ロングビルご自身にも、複雑な事情があったのだろう。

***

揃いのマントに星型の留め具をつけた貴族達が、わいわいがやがや騒ぎ立てながらたむろってる。
……修学旅行か?
学生風だと思ったら、都の近くにある『魔法学校』の生徒達だという。
すこし前まで、例の『みどりのおねえさん』が働いていたところだ。
映画みたいなのがリアルにあるらしい。しかも全寮制だとか。
やっぱり階段が勝手に動いたりするのかね?と好奇心をそそられ、気づいてないのをいいことに、じろじろ見る。

まず目を引くのは、なにやら挙動が大袈裟な、金髪のそこそこ顔立ちの良い男。
ばかみたいな白いフリルのついたシャツを着て、赤い薔薇を胸に差している。
あれをカッコイイと思っているなら、だいぶヤバイ奴だ。

その気障男の恋人らしい、金髪をがっつり縦ロールにした痩せ気味の女の子もいる。
……貴族のセンスはよくわからん。
まあまあ可愛いけどルイズにゃ負けるな。

それと蒼い髪の眼鏡っ娘。物静かでいつも本を読んでいるってのは、ある意味お約束。
でっかい杖がとても魔法使いらしい。

それから、赤い髪と褐色の肌をした素晴らしいプロポーションの美人。
――はて。どこかで見たような。

「ああっ」

いつぞやのボイン美人!
指差し叫んだため、向こうにも気づかれた。

「あら、貴女。トリスタニアの、」

美人の視線は、おれを完全に無視して、ルイズへ。
……まあ、そうだよな、あのときは一発でのされて潰れてただけだし。

「どなた?」

ルイズは首を傾げる。すっとぼけているわけではなく、素で忘れているようだ。
ほら、おれが召喚したての頃に街で遭った……。

「やあね、忘れちゃったの?」

すこし顔をしかめつつ、無造作に近づいてくる美人。
これは竜虎対決復活か、とおもいきや、態度は意外にもフレンドリーだった。なかなかさばけた姐さんタイプらしい。

「ああ、そういや自己紹介もまだだったわね。私はキュルケ・フォン・ツェルプストー、微熱のキュルケよ」
「……ルイズ。二つ名は別にないわ」

一応おれも名乗るが、変な名前と切って捨てられた。放っておいてくれ。

「それで、ルイズ。私達、暇つぶしに宝探ししてたんだけど、貴女は?ここの出身だったの?」

宝探しねぇ。小学生のころ、そんなことを言って裏山を探検したっけ。見つけたのはいくつかの毒キノコと不法投棄のゴミだったけど。
こっちならほんとにあるのかね、お宝。
好奇心にかられて戦果を尋ねるが、やっぱり、そんなうまい話はない。

「さんざんハズレ引いて、連れが飽きちゃってね。最後にせっかくだからと思って、ここの『竜の羽衣』っていうマジックアイテムを見に来たのよ」
「それって……」
「あら、貴女達も?」

おれ達が同じ目的と気づいたのか、にやり、と悪い笑みを浮かべるキュルケ。
もっともそれでも下品にはならないのだから、育ちはけっこういいようだ。

「残念ねえ、でもこういうのは先に来た者勝ちだから、私達が貰っていくわね」

――いや、あんた今「見に来ただけ」って言ってなかったっけ?
明らかに嫌がらせとしか思えない。
もしかして、ルイズに忘れられていたがお気に召さなかったのだろうか?
同様にその敵意を察したのか、ルイズの声が強張る。

「あら、そんなに簡単に村の守り神を譲り渡すかしら」
「もっちろん、ちゃーんとお代は支払うわよ。我がツェルプストー家はケチじゃありませんの」
「さすが、お金で誇りまで売り渡すゲルマニアの方は言うことが違うわね」

結局始まった舌戦は互角のまま、話は転がり、こじれ――いつのまにかそのマジックアイテムを賭けて決闘することになっていた。
おれが。
向こうの気障男と。

なぜ?
そもそもそれってこの村のものじゃないの?

ちなみに当初キュルケさんはルイズに決闘を申し込もうとしたのだが、周りの仲間に止められていた。……そりゃそーだ。
ま、うちのルイズなら早々遅れをとることはないだろうけど。
――根拠はない。単なる身びいき。或いは親ばかだ。

それはともかく。

そんなわけで、なぜか互いの連れで代打ち決闘ということになった。
ルイズは快諾。
理解不能な女の理屈に、同じく指名を受けた気障男とともに顔を見合わせる。
さあ戦いなさい、って。おれら、闘犬じゃないんだけど……。

「平民相手に決闘もどきなんて、父に知られたら何て言われるか、」

同じ気持ちらしく、向こうでも気障男がなんのかんの言っている。
しかし。

「あら、元帥の息子がこの程度のおあそびに怖じけづくのかしら?青銅のギーシュ?」

キュルケは逃す気はないようだ。完全に面白がっている。
これも暇つぶしの一環なのだろう。退屈した貴族ほど厄介なものはない、ってほんとうだな。

――あーあ、気障男も胸寄せられたくらいで、やに下がってんじゃねーよ。縦ロールが彼女じゃねーのかよ。
つか……、よくよく考えたら変なメンツだよな。男ひとりに女三人って。
ハーレム?

あ、なんかすげーやる気出た。

「きみ、そこの平民」

と、そのとき、尊大な小デブに呼びかけられた。連中と同じ制服を身につけているので、当然あいつらの仲間だろう。
なんだけど。
あれ?いたっけ、こんなやつ?……全然目に入らなかったな。

「えーと?」
「マリコルヌだ。いいか、平民。君に命じる」
「ンだよ」

丸子なるデブ貴族はなぜか怒り心頭の様子でおれに言った。

「この戦い、勝て!なんとしてでも勝て!いいなっ」

は?

「……お前、あいつらの仲間じゃないのか?」
「愚か者め!この戦いに平民だ貴族だなんてことは関係ないッ。なぜなら!これは!全ての持つ者と持たざる者の戦いだからだ!!」
「……モテる男とモテない男だろ」

目が血走ってる小デブ君に、思わず突っ込む。
男の嫉妬はみにくいよなー。
もちろん十秒前の自分は棚上げだ。
つか、おれをそっちにくくるなよ。
と言ったら、鼻で嗤われた。

「その軟弱な体、かっこいいよりも面白いと言われる顔つき、なにより全身からにじみでるマヌケぶり!――お前がモテる日なぞ、始祖がよみがえって世界を新たに創造し直さない限り、来ないに決まっている!!」
「う、うるへー」

畜生、言いたい放題、図星をつきやがって。
いいんだよ、この世界ではモテなくても!
だいたいおれにはルイズがいるし。
と、いまだに美人と陰険な応酬をしているルイズを見やる。
ほんと、負けず嫌いだ。

「あの盲目の娘?――うむ。確かに可愛い娘だな。顔が隠されているところが特にイイ」

神秘的だのなんだのと呟く丸子。
不謹慎な奴め。まあ、わからないでもないけど。……手ェ出しやがったらコロスぞ?

「で。彼女は元貴族のようだが。どんな関係だというんだ?」
「あ?」

……恋人、じゃないよなー。
話の流れ的にはそう言ってやりたいけど。やっぱ。

「犬と飼い主?」
「なに!?」

あ。違う、使い魔だ、使い魔!!
思わず素で間違えたおれは慌てて取り繕う。
ルイズがいつも犬呼ばわりするからだ。
とか思ってたら。

丸子デブの目つきがおかしい。

「イイな、それ」とか言ってやがる。
……ヤバイ、こいつヤバイ。奥さん、ここに変態がいまーす。助けてー。

その後、おもに腕ずくで落ち着かせてから訊くと過去にいろいろとあったらしく、気障男に一矢報いたい丸子がこちらに協力することになった。
もちろん、女の子に犬扱いされたくてハアハアしている豚野郎には心の底から近づきたくなかったのだが、放っておいたら勢いのまま本気でルイズに特攻しそうだったのだ。
そうなったら大惨事だ。
こいつが先生に消し炭にされるのはいい。
だが万が一、おれまで同類扱いされたら……。
死んでも死に切れん。


平賀才人。17才。
満ち足りた焼き豚より不満足な犬でありたい。


んなわけで、病気な豚を隔離するために、作戦会議である。

「ヤツは土のドットメイジだ、二つ名は青銅。ワルキューレというゴーレムを使う……で、やっぱり粗相をしたら鞭で叩かれたりするのか?」
「いい加減その話題から離れないと、おれがお前をミンチにしてやる……ゴーレムって土人形だよな、でかいのか?」
「貴族への礼儀がなってないな」
「変態にはらう礼はねーよ。いいから、ちゃっちゃと教えろっての」

いい加減イラついて、デルフをかちゃりと鳴らすと、「うっ」とか言って、息を呑んで黙った。
実は、というか、見た目通り、臆病者っぽい。

――これなら適当に脅しておけば大丈夫か。
そう考えたおれは目前の決闘に集中することにした。
相手は違うが、これは紛れも無いリベンジだ。
ぶさまなところは『見せ』られねー。

「しっかし、メイジひとりに青銅のゴーレムが七体かよ、タイマンの意味ねーな」

つくづく魔法って反則だ……。

「なにか良い案あるかな?デルフ」
「たいしたことないさね。おもいっきりぶった斬れ」
「えー、お前、折れちゃわない?」
「ばかやろ。誰に向かって言ってやがる。いつも言ってるだろ。俺様は6000年生きた伝説の魔剣よ!頑丈さは折り紙つきさ」
「ふーん」

息巻くお喋り剣。
なんか乗り気じゃね?と尋ねると、ようやく剣らしい役目が果たせそうだから、だと。
もしかして薪割に使ったこと根に持ってるのか?

「か、変わったものを持ってるんだな、平民のくせに」

なんか怯えている小豚に、そこを動くなよ、と言い置き、広場に向かう。

「じゃあ、やるか」
「ふ。まあ仕方あるまい、薔薇がレディの前でぶざまな姿をさらすわけにはいかないからね」
「……お前、大丈夫か?」

頭もだが、体も、だ。
気障男はいつの間にかボロボロになっていた。

「も、問題ない」

その手の薔薇もこころなしかしおれている。造花なのに。
背後には底光りする目をした縦ロール少女。

……嫉妬されるほど愛されてんなら、よそに手を出すなよな。

自分の背後を振り向き、ため息をつく。
ルイズはいつものように、例の唄を口ずさんでいた。ゆらゆらとリズムをとるように揺れる杖。――ちゃんと『見て』んのかね?
自分が決闘をけしかけたことなんてすっかり忘れているんじゃないかと思う。

「ま、いっか」

ほど良く力の抜けた肩で、ご主人様ののんきな鼻唄を背に、おれはデルフをかまえた。
気合いを入れ直したらしく、向き合う気障男はなかなか鋭い目をしている。腐っても武士の子ってやつか。あのときも、こんな目をした若い貴族に一発でぶちのめされたわけだが――不思議と恐くはなかった。
なんだか、とても調子がいいのだ。

いまなら、キングギドラにだって勝てるんじゃないかしらん。

「さあ、始めようぜ」
 
いざ、尋常に――勝負!!

***

物思いに沈んでいたわたしは、ふと顔をあげて、またびっくりした。
いつのまにか、黒髪の青い服を着た同い年くらいの少年が大きな剣を構えて、貴族様と対峙していた。
黒髪はわたし達一家の特徴だ。一瞬、弟の誰かかと全身が冷える思いを味わう。
けれど、それは知らない子だった。
――でも、どこかで見たことがあるような気がする。
そうこうする内にそれが始まった。

『決闘』だ。

貴族様が薔薇の形の杖を振る。
瞬く間に土くれが女性の形のゴーレムになった。
重そうな鎧をまとい、手には厳めしい武器を構えている。
その金属でできた人形は、操られているとは思えないなめらかな動きで、人と同じ速さで少年に迫る。
逃げもせず(できず?)に、少年は剣を振ってそれに応じようとした。
遠目の体格差は大人と子供のそれで。

当たるっ!!

一瞬で彼がばらばらに飛び散る姿を幻視したわたしは、身を竦めて目をつぶった。
鈍い金属音に、悲鳴が喉の奥ではねる。
けれどいつまで経っても少年の絶叫は聞こえない。
代わりの少女達の歓声があがり、驚きの声がする。

おそるおそる目を開くと、剣を持った少年がゴーレムを倒したところだった。
それも熱いナイフでバターを切るように、やすやすと金属のゴーレムを斬り伏せる。
そんな、冗談みたいな光景が広がっていた。

呆然とするわたしよりも先に、我に返った貴族様が、次々にゴーレムを作り出した。
囲い込んでしまうつもりだろう。
そうはさせまいと彼も走る。その体は弓矢のように速く、羽のように軽い。
跳び上がり、一体のゴーレムを足蹴に空を駆け。
空中で身を翻し。
輪を抜けると、そのまま。
背後から――真っ二つ!
ゴーレムにはひとつも手を出させない。

――すごい!すごい!すごい!!

まるで物語の勇者様のように、彼は戦っていた。
勇猛果敢に。
ひとかけらの怖れもなく。

気づけば、わたしは歓声をあげて、彼を応援していた。

***

「ふ、口ほどにもない」

カチャリ。最後のゴーレムを切り伏せたおれは、決めゼリフと共にデルフを突きつけた。
腰を抜かしたらしく、気障男――いい加減名前で呼んでやろう――ギーシュは、尻餅をついたまま薔薇を取り落とす。

「クソ、まいった」
「――聞こえないな」
「え?」

デルフの刃を返して、振りかぶる。
それを見たギーシュが、三枚目の表情になって、後ずさる。
うん。そうしているとお前、結構好感が持てるぞ。

「な、ななななにを!?」
「案ずるな、命までは盗らん。――峰打ちだ」

やべ、超楽しい。
おれ=悪役みたいだけど。まあいいや!

「止めるなデルフ!」
「あいよー」
「そ、そんなッ!!」

バッター才人、第一球、打ちまし……たッ!?

「ぎゃふんっ!」

びっくりするほど古典的な叫び――は、なぜかおれの口から飛び出た。
あれ?
なんだなんだなんだ!?
あたり一面まっくらで、頭の中の天地左右がばらばらになっていた。
あれ、なんでおれ尻餅ついてんの?あれ?あれ?

「ヴェルダンデ!」

気障男の歓声が上から響く。
――上?
そこで、ようやく自分が『落ちて』いることに気づいた。
地面にぽっかりとあいた穴の中。
そこに思いっきりハマっている。
――なんでこんなとこに穴が?

わけがわからないでいるうちに、すぐそばからなんとも言えない『音』が聞こえた。

……もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ……

ぎゃー!でっかいなんかがいる!?

「デ、デルフ!? 」
「……相棒。手ぇ離しちゃだめだろー」

ボロ剣の声は遠い。どうやらホームラン級にすっぽ抜けたらしい。

「使えねぇっ!!」

八つ当たりに当たり散らしたところで意味はなく。
穴は見事にジャストサイズで、あわてるほどに身動きがとれなくなった。
そんなおれの耳元では。

もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ……

うきゃあああ!?食べられる~!!?

「――食べるわけないだろう。ジャイアントモールの好物はどばどばミミズさ」

穴の上、逆光に立つ貴族。性懲りもなく、薔薇をかまえている。
ちっ、やっぱりお前なんか気障男で十分だ。

「さてと。よくもやってくれたね?平民君?」
「助っ人なんて汚えーぞ。しかもなんだよ、この馬鹿でかいモグラは」
「フン。決闘の作法も知らない野蛮人に言われる道理はないね」

くそ。やっぱりあれはまずかったか。
マジでキレてるっぽい。だが、ただでさえ狭い穴の中で、巨大なモグラにのしかかられては、どうしようもなかった。

「それに彼は僕の使い魔だ、名はヴェルダンデという。――使い魔は主と一心同体。彼の勝利は僕の勝利さ」
「使い魔?こいつが?」

……はじめてみる自分の同業者は、モグラ。
状況を忘れ、久しぶりに自分の『天職』にやるせなさを感じたりしているおれ。
そこへ。

「その理屈でいくと、サイトの負けはわたしの負けでもあるわけね」

ひやりとした声が降ってきた。
逆光にもうひとつ、昏い桃色がかった影ができる。
あわわわわ。

「ル、ルイズさん?あの、これはですね、」

必死に言い訳をするが、盲目の女神の裁定は無情だった。

「アンタ、メシ、ナシ」

晩?晩だけですよね?
ああ、もう、邪魔だこのモグラ!!

「ル、ルイーズッ。プリーズ、カムバックッ!」

去っていく小さな影に手をのばしていると、ようやくモグラがどいた。
と、いうか。
意外にすばやい動きで地上に出て、一直線に、

「きゃああああ!」

ルイズにのしかかったのである――って。おい。

「だあっ!なに、襲っとんじゃ!このクソモグラッ!!」

たぶんこのときのおれは落とし穴から飛び出る人間、世界最速だったろう。
だが――とき既に遅く、地上では惨状が広がっていた。
その有様に、おれは思わずたじろぐ。

というのは――
まず、ルイズは倒された勢いで面布がハズレかかったらしい。両手で顔を押さえている。そのせいで満足な抵抗ができない。
よって、じたばたと両足だけで暴れることになり、裾は乱れまくりだ。
そんな少女の上で小さなクマほどもあるモグラは鼻を鳴らし、胸元をまさぐり続けている。
つまり、一言で言うなら、

――このっ、淫獣がっ!!

なことになっていた。

その光景のあまりのヤバさに、さすがの気障男もあわてて使い魔を取り押さえ、なんとかことなきをえた。が。

「使い魔はちゃんと躾とけ!」
「急にどうしたんだい、ヴェルダンデ。なに?良いニオイがした?」
「聞けよ!!」

ダメだ、この馬鹿貴族、と呆れていると、

「――シテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシ――」

なにやら物騒な音の連なりが聞こえた。
本能でなにかを悟ったらしいギーシュとともに、ギチギチと鈍い動きで振り返る。

そこにはいまだに地面にぺたりと座ったままのルイズが、白木の杖をかまえていた。
小さな肩が大きく上下し、息は荒い。
そこにまぎれて、ぶつぶつとまるで呪詛のように長いルーン。
その顔の、布で隠れていない部分は真っ赤だった。

「「あわわわわわっ!!?」」

ヤバイヤバイヤバイ。
何の魔法だがまるでわからないが、本能が盛大に警鐘を鳴らしていた。
逃げなくては――だが逃げ場などこの世のどこにもないことも、なぜかわかっていた。
ギーシュとともにモグラに抱きつき、無力なひな鳥の如くうち震える。

やがて杖先に白い光が集まり、ちゅっどーん!!と盛大な爆発音が――

――響く前に、パッとルイズの杖先が取り押さえられた。

「……諸君、これは何の騒ぎかね?」

底冷えするような目をした先生が問いかける。
おれ達はその目に新たな恐怖を覚えながらも、とりあえず、地面にくだけ落ちた。

「「た、助かった……」」


それから?
もちろん、貴族も平民も使い魔も全員正座で、先生にお説教をくらいましたよ。
アンナニオッカナイ先生ハハジメテデシタ……ハァ。


ちなみにルイズはその間、ずっと先生の腕の中。
小さな声で延々とコロシテヤルとかユルサナイとか呟き続けていた。
時々、クスン、と鼻を鳴らしながら。

アンナニカワイイゴ主人様ハハジメテ…………あう、犬ごめんなさい。

***

***

翌日。結局、竜の羽衣もロクに見ずに連中は帰っていった。

何しに来たんだよ、と思わないでもないが、なんでも学校から呼び出し状が来たそうだ(ちなみに郵便はフクロウが運んでくるってんだから、ますます映画じみている)。
学校をさぼって来ていたらしく、出席日数が足りなくて補習だと。
その辺は異世界でも変わらないらしい。ていうか、宝探しで学校さぼるなよな……。
そういや、おれも帰ったらきっと補習漬けなんだろうな。それどころか――留年?
うう、現実コワイ。

なんて、モラトリアムぶるのは程々にして、とりあえず去っていく連中と挨拶する。
貴族らしく高慢だけど、そんなに嫌な奴らではなかったし、昨日のアレを共に体験したことで絆みたいなものが芽生えていたからだ。
巨大な青いドラゴン――風竜というそうだ。これも使い魔なんだとか。すげえ――に乗り込む貴族達。

「じゃあな、平民」
「サイトだよ、気障貴族」
「フ。ほんとうに貴族への礼儀を知らないヤツだな。まあ、いい。僕はギーシュ・ド・グラモン。青銅のギーシュだ。次に見(まみ)えたときは容赦はしないから、覚えておけ」
「ぬかしとけ。お前こそ次に会うまで、彼女に背中から刺されないようにしろよ」
「モ、モンモランシーはそんなことはしない!」
「じゃあ、別の女?」
「ギーシュ!誰よ別の女って!!」
「一年のシゲルのクラスのマリアンヌか、同じく一年の軽い巻き毛が眩しいマルゴーか……」
「一年生!また一年生なの!?」
「マリコルヌ!お前、また僕の秘密を――って、いや、違うんだって、モンモランシー。聞いてくれ、僕の美しいひと!」
「おいおい、痴話喧嘩は帰ってからにしろよー、って聞いちゃいねぇか」

ふと隣を見ると、蒼髪の女の子がおれを見ていた。眼鏡っ娘だ。ルイズくらいちっこいのに、彼女がこのドラゴンの主なのだという。

「君は?」
「タバサ。雪風のタバサ」
「おう、おれはサイト。変な名前とか言わないように」

すると、なぜかおれをじっと見つめて、彼女はこくりと頷いた。
うん、いい子だな。ものすごい無口だけど。
そんなおれ達の後ろではルイズと例のキュルケが話をしている。

「ルイズ。やっぱり私、貴女と会ったことがある気がするんだけど」
「覚えがないわ」
「そう?ほんとうに?」
「下手な口説き文句ねえ。貴女、ほんとうにもてるの?」
「あら、この微熱のキュルケ様にかかったら、あなたなんて一晩で消し炭よ?」
「ハイハイ。うぬぼれは人につけ込まれるスキになるわよ」
「言うわね」

仲が悪いのに良いふたりの会話を聞いていると、じつは結構いい友達になれるんじゃないか?と思える。赤毛と褐色の背の高いキュルケと、小柄でブロンドのルイズは、外見的には対照的だが、そばにいると姉と妹みたいに見える。

ま。それでも街に帰れば、こんな風に気軽な会話を交わすことはないんだろう。
それぐらいにはおれにもこの世界の身分の違いというものがわかるようになった。
納得するわけではないけれど。

「ぎゃあ落ちるぅぅぅぅ」
「うるさいのねきゅいきゅい」
「もう、しっかり掴まってなさいよ」

――騒々しくも面白い連中は、やっぱり騒々しいまま去っていく。またな、とまるでフツウの友達同士みたいに挨拶を交わしながら。
でも、もう二度と会うことはないんだろうなー、と思いつつ、おれは手を振る。
見る間に小さくなっていくその姿を見送りながら、ふと隣に立つルイズに尋ねた。

「なあ、ルイズ?」
「なあに、負け犬?」
「負け犬言わないでくださいお願いします」
「はいはい」
「いや……、お前も学校とか行きたいのかなーと思ってさ、」
「馬鹿ね、あんなの子供の行くところでしょ」
「…………」
「なにか言いたいことがあるなら言ってごらんなさいよ、負け犬?」
「イエ、ナンデモナイデス」
「ふぅん。あんた、昨日からまるで反省してないわよね?」
「ソンナコトハナイデスヨ、ハイ」

ぽんぽんと掌を杖で叩くルイズ。おれはくるりと踵を返し、猛ダッシュを始めた。

「なに逃げてるのよーっ!」
「ちょっとした本能だー!」

***

***

わたしの目の前で、剣がしゃべっていた。

「あーあ。どうせ誰も俺のことなんか覚えてないんだろうね……」

一本の幹に根深く刺さった剣。錆びついた柄の金具ががちゃがちゃとひとりでに鳴る。
少年の手を離れて、宙を舞い、わたしのすぐそばの樹に突き刺さった剣。
彼はあろうことか、愚痴までこぼしていた。
目の前をかすめた刃に腰を抜かせていたわたしは、おそるおそる近づく。

「あの、大丈夫ですか?」

自分でもちょっと馬鹿みたいな質問だと思う。
けれど彼はうれしそうに応えてくれた。

「お!ちょうどいいや、嬢ちゃん。ひとつ頼まれてくんない?俺を相棒んとこまで連れてってほしいのよ。どーも、忘れられちゃってるみたいなんでね」
「は、はあ。かまいませんけど。――あの、ひとつお尋ねしてもよいですか?」
「なに?ひとつと言わずなんでも聞いて?」

しかも、けっこう人懐っこい。

「では遠慮なく……。まず、あなたはマジックアイテムなんですか?」
「いんや、俺様はインテリジェンスソードよ、名前はデルフリンガー」
「インテリジェンス?」
「そ。かしこいの」

魔法で作られたマジックアイテムの一種だけれど、使うのに魔法はいらないそうだ。

「じゃあ、あの方は?貴族様じゃないんですか?」
「相棒?いんや、メイジでもないぜ。お前さんと同じで、魔法の使えない平民さね」
「そんな。じゃあどうして!?貴族じゃないのに、どうしてあんなに強いんですか!?」
「そりゃあ、俺がいるからな。俺がいなけりゃ、相棒はただのお調子者。杖のないメイジ、祈祷書のない神官ってな」

剣はけらけらとひとしきり笑った後、「ま、いてもこうなったけど……」と自虐的に呟いた。

「なあ、嬢ちゃん。そろそろ下ろして――」
「わ、わたしでもあなたを使うことはできますか!?」

気づけばわたしは剣にしがみついていた。

「へぇ?こいつは、おでれーた。嬢ちゃんが俺をかい?」
「変、でしょうか?」
「うんにゃ。使い手の中には女もいなかったわけじゃないし」
「そうなんですか?」
「うん、たぶん。――でも、なんで?」
「その……わたし……」

一瞬、躊躇する。バカみたいな理由が頭をよぎる。
ええい、かまうもんか、と目をつぶって叫んだ。

「衛士になりたいんです!」

*** 


 ※4.04 シエスタ視点を追加。



[6594] ゼロとせんせいと 5の2
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2009/05/10 23:36

「おう、デルフ。こんなとこにいたのかよ、」
「遅えよ、相棒」

見事に木の幹に突き刺さっていたボロ剣があくたれる。
いいなぁ、お前。元気そうで。
こちとら先生のお説教とルイズのご機嫌取りで身も心もぼろぼろだよ……。
うつろな目を愛剣に向けたら、そばに女の子がいた。この村の娘だろうか?黒い髪と瞳がはじめて会うのに、どことなく懐かしい。
いや?どっかで会ったかな?

「えーっと、はじめまして、だよね?おれは才人、平賀才人です。あ、もしかしてうちの剣が迷惑かけた?」
「い、いえ、そんなことは」
「そんなら、よかった。ほいじゃ、回収してくね」

よっと左手で引き抜くと、なぜか、その娘が目を見開いて驚いている。
すごい、ってなにが?

「その嬢ちゃん、俺のことが抜けなかったんだよ」
「ああ、そっか」

確かに柄深くまで刺さっていたし、女の子の腕力では難しいだろう。
まあ、おれの場合はこれもルーン効果でしかないんだけど。
そうとは知らない彼女は純粋な尊敬の目で、おれを見上げてきたりして――。

「あの、すこしお時間をいただけませんか?わたし、その、お聞きしたいことが」
「ややだなぁ、そんな、かしこまらないでよ。え、なに?なんでも聞いて?」

ちょっと舞い上がったおれ。我ながらカンタンなヤツ。
ところが、彼女の質問は予想外のものだった。

「どうしたら、わたしも貴方みたいに強くなれますか?」
「え?」
「なんでもこの嬢ちゃん、衛士になりたいんだってさ」
「あ、家族には内緒にしてください。心配しますから」

衛士?衛士ってあれだよな。街ん中でパトロールしてる軍人みたいな。
おれは思わずじろじろと見返してしまった。肩口までの黒髪をおろした彼女は村娘らしい、草色の木綿シャツに茶色いスカート、木靴という出で立ちで――。
うん、あのキュルケって貴族も美人だったけど、おれにはこういう素朴な感じの娘の方が……いや、そうじゃなくて。

「なんで君みたいな娘がそんなもんに」
「その……憧れなんです……」

恥ずかしそうに顔を俯かせて答える彼女。それは、可愛いんだけど……。
なに?こっちの世界の女の子って、皆、強くなりたいの?
わからん、と首をかしげるおれ。

「それに強いっつっても、おれよりルイズの方がよっぽど強いしなー」

おれのは所詮ドーピングだ。

「ルイズさま?あのブロンドの貴族様ですか?」
「そ、桃色の。あ、でも貴族じゃないよ、今はおれらと同じ平民ね」

それを聞いた彼女の顔が曇った。

「同じじゃないですよ」
「ん?」
「同じじゃないです。あの人達は、魔法が使えるんですから」

そう言いながら、どこか昏い瞳をした彼女。
わけがわからないままに、なんだか放っておけなくて、おれはその傍らに腰掛ける。
すると彼女は視線をそらしたまま、こんなことを訊いてきた。

「貴方は、イーヴァルディの物語を知っていますか?」

***

むかしむかし、邪悪な竜に苦しめられていたある村に、イーヴァルディという名前のひとりの若者がやってきました。


***

気がつけば、わたしは見知らぬ少年に物語をまるまる一回分、語って聞かせていた。
彼はどうやら本当にこの有名な冒険譚を聞いたことがなかったらしく、まるで弟のように無邪気に耳を傾けてくれた上、拍手までくれたけど。

「きみ、上手いね」
「いつも弟に聞かせてますから、それで、その、わたし、」

けれど我に返ってしまったわたしには、もう言いたいことがうまく言えなくなってしまった。
だからといって黙っていたら、せっかく付き合ってくれた彼にも呆れられてしまいそうで。焦れば焦るほど、わたしは何と伝えたらいいのか、わからなくなってしまった。
そんなとき、

「俺、そいつのこと、知ってるぜ」

のんきな声で、デルフリンガーさんが言った。

「ほんとうですか!?」
「んなわけないって。ホラだよ、ホラ」
「ホラじゃないよ、ほんとだって。……まあ、俺の知ってる奴はイーヴァルディなんて立派な名前じゃ呼ばれてなかったけどな」
「やっぱしホラじゃねーか」

少年はまるきり信じていなかったけれど、わたしは何故かそれが本当だとわかった。
だから――。

「わたし、信じます。デルフリンガーさんのお話。だから教えてください」
「なに?」
「勇者に助け出された女の子のことです。彼女がどんな子だったのか――」
「あれ、勇者のことじゃないの?」
「だってわたし、どうしても気になるんです」

けれど、返ってきた答えは予想を超えたものだった。

「女の子ねえ?いたっけかな、そんなの」
「『ルー』ですよ!囚われのお姫様。物語のヒロインの」
「うーん、韻竜のじいさんと戦ったのは覚えているんだけどなあ」
「い、いなかったんですか?」
「たぶん」
「そんな……」

絶句してしまったわたしの隣で、少年があわてた様子で口を挟んだ。

「な泣くなよ、憧れのお姫様が実在しなくてがっかりするのはわかるけど、おとぎ話なんてそんなものだろ?――いや、そもそもこんなのコイツのホラ話だし、な、」
「ないてません、なきません」
「そ、そう?」
「それに、別にお姫様になんか憧れてません。だってわたし、ルーのことだいっ嫌いですから」
「え?そうなの?」

少年は間の抜けた顔になった。かまわず、言いつのる。

「泣いてわめいて、そうしてくれば誰かに助けてもらえる、そんな無力で何もできない女の子なんて大嫌いですっ」

そんなわたしの剣幕に少年は完全に呆気にとられ。わたしも思わず叫んでしまった自分が恥ずかしくて……黙り込む。
その微妙な空気を再びのんきな声が破った。

「そんなに悪いことかねー」
「なにがですか?どこがですか?」
「おいおい、あんま突っかからないでくれよ」
「……ごめんなさい」
「まあいいけどさ。要はそんな子がいたから、その物語じゃあいつはご立派な名前を貰って勇者って呼ばれてるんだろ?」
「……」
「守る誰かがいないとさ、剣なんてのはただの人殺しの道具でしかないんだよ。後ろに庇う誰かがいて、初めて盾になるのさ」
「デルフリンガーさん……」
「デルフ……」

古びた剣がひどく立派に、輝かしく見えた。身に帯びた錆びさえ、歳月を重ねた風格に思えた。
少年もまた、感に堪えないという面持ちで呟く。

「おれ、初めてお前が無駄口以外のことを話すの聞いた気がするよ」
「そりゃねーよ、相棒……」

***

「でも、やっぱり彼女が何もしなかったことに変わりはないですよね」
「うーん、きみが何に引っかかっているのか、よくわかんないんだけどさ」

それでも固執するわたしに、彼は困り顔で頭を掻く。
もうしわけない、と思いながら、わたしはこの相手を離すことができない。

このところずっと家族も村の人は遠巻きにわたしを見ているだけで、話しかけてはこなかった。尋ねたいことはたくさんあるだろうに、今はそっとしておいてやろう、と不器用に気遣ってくれた。
けれど、そんな空気が感じられるほど、わたしは有り難く思うよりもさきに憂鬱になった。哀れまれるばかりの自分が思い知らされて。

「確かに守られるだけの立場ってのはツライよな。おれも実際に守られちゃって、そんな自分が情けなくて、奮起したんだけど……そうなんだよな。今日だってわざわざルイズがリベンジのためのお膳立てしてくれたんだから、最後までマジメにやれば良かった……おれってダメなヤツ……」

ぶつぶつと後半は自嘲めいた呟きに変えて、少年が言う。
そこに先程の決闘のときのような輝きはない。ごく普通の同年代の少年がいた。
だからだろう、わたしも容易く本音が吐けたのは。
――ほんとうはずっと誰かに話したかった。聞いて欲しかった。
わたしの身に起きたことを。わたしの悩みを。

「わたし、助けられるだけはいやなんです。でも、今のわたしには剣一本抜けないし」
「女の子が、剣なんて持つもんじゃないと思うけど」
「じゃあ、どうやって強くなればいいんですか。わたしは平民で魔法だって使えないのに」

そうだ。魔法さえあれば、あの小柄な蒼髪の貴族様のようになれるだろう。自分より数倍大きな相手にも侮られることなく、自分のやりたいことを通せるだろう。
でも、わたしは魔法の使えない平民だから……。
ないものねだりだ、と自分で自分を嘲う。これじゃあまるで――

「……強いってそういうもんじゃないと思うんだけど」

不意に彼が言った。

「えーっと、おれ、さっき貴族の奴と決闘したんだ」
「見てました」
「そっか、見られてたか……じゃ、ほんとかっこつけることはできないなあ」

再び頭を掻きながら、不器用に言葉を紡ぐ。

「あれでおれドジっちゃっただろ?……たしかに力があれば強いけど、それだけじゃ勝てないっていうか。うまく言えないけど。……たぶん、ルイズに会えばわかるよ。あいつ、目も見えないし、系統魔法っての?そういうのは全然使えないらしいんだけど、強いから……」

***

――彼女達はなぜか炎を囲んで、ずいぶんと早い宴会の真っ最中だった。
貴族様方はここに来るまでよほどひどい食事をしてきたらしく、村の者が用意した簡単な郷土料理に、ずいぶんと喜んでいる。
毎日学院の豪華なお食事を残している貴族様方に憤る料理長の顔が浮かんだ。マルトーさん、こんなところを見たら、きっとまた怒り出すわね。

「おいおい、おれはハブかよ……」
「ありゃ――ねえねえ、ルイズ。あんたの犬が帰ってきたわよ」

赤毛の――そう、ツェルプストー様だ――がわたしの隣にいる少年を見て――犬?、気安く隣の少女の肩を叩く。
それが彼の言う『ルイズ』さんだった。
見た目は普通の少女だ。火に照らされて桃色がかった髪色が紅く輝いている。
盲目というのは本当らしく、振り向いた顔は半分くらいを厚い布で隠している。それでも愛らしく、高貴な生まれを感じさせる整った外見。
いまは、貴族としての名を持たない『ただの』少女。
でも、その手にあるのは魔法杖だ、と考えて、わたしはわたしが嫌になった。
遠目には少年に庇われているだけだった彼女は、正面から向き合った今も、だれよりも小さく儚い。
なのに、こんな子にさえ、わたしは嫉妬している。

「おやまあ、手が早いわねえ。犬君、女連れだわ」
「女?」
「違うって。ここの村の娘だよ。えーっと、」
「シエスタと申します」

すこし緊張したけれど貴族様方は末席のメイドの顔までは覚えていなかったようだ。

「ふぅん、じゃあ貴女も一緒に飲みましょう」
「て、お前ら、酒、飲んでるのか?」
「そうしたかったんだけどね、『せんせい』がダメって――だから、ただのぶとうジュースよ」

えび色の液体の入ったグラスを不満げに傾けるツェルプストー様。――この方が先生の言うことをおとなしく聞くなんて、珍しいわ。
内心を顔に出さないように気をつけて、傍に侍る。貴族様の誘いを断るという選択肢はないから。

「気障――ギーシュってのはどうした?あとあの丸子デブ」
「男どもは迷惑をかけたお詫びに奉公中よ。モンモランシーが監督してるからそうそう馬鹿なこともしないでしょ――だから安心なさい。あなたの大切なご主人様には指一本近づけさせてないから」

戯れにしだれかかるツェルプストー様を、桃色がかったブロンドの少女は、重いと言ってぞんざいに退かす。

「……そういうことは言ってねぇって。てかお前らはひとに働かせて優雅に宴会かよ」
「あんたこそ。せんせいの手伝いもせずにナンパしてたわけ?さすが負け犬、」
「ナンパじゃないって。デルフのやつが――」
「おいおい、俺は相棒に投げられたせいであんなところに刺さってたんだぜ?この嬢ちゃんが相手してくれなかったら、ひとりさびしーく朽ち果ててたよ」
「つまり、全部あんたが悪いと――で、この馬鹿にいじめられたの?あなた」

話を振られてわたしは慌てて首を振った。わたしのために、彼が咎められるのは困る。
けれど彼女には『見えない』ことに気がついて、急いで口に出した。

「そんなことはありません。むしろよくしていただいたというか、」
「へええ、『よく』ねぇ」
「なんか誤解してませんかルイズさん」
「まあいいわ。使い魔の交友関係にまで口出すほど狭量じゃないから」
「へえへえ、寛大なお言葉いたみいりマス」
「あんまりナメた口きくと、吹き飛ばすわよ?」
「すすすみましぇん」

後ずさりながら頭を下げる少年。そんなふたりの滑稽劇のようなやりとりに、思わず吹きだした。
なんだか、変な人達。貴族らしくないわ。そっか――貴族じゃないのよね。

「あの、ごめんなさい」
「いいわよ」

ひらひらと手を振る少女。そんなわたし達のやりとりを見て、少年が口を挟んだ。

「ルイズ。ちょっと質問あんだけどさ」
「なに?」
「ええっと……」

「――衛士になって、ひとを助けるひとになりたい?だから、強くなりたい?」
「はい、べつに衛士じゃなくてもいいんですけど……」

改めて口にすると、やはり馬鹿げた理由で、なんとも間の抜けた質問だった。
わたしは恥じ入って顔を下げる。
もちろん、そんなことは見えない彼女はあっさりと答えた。

「別に無理に強くならなくても、ひとくらい助けられるでしょうに――自分より弱い者は世界のどこにだっているんだから」
「……はあ」

ツェルプストー様が口を挟んだ。豊かな胸を見せつけるように、少女の肩を抱く。

「女が腕一本で身を立てようってなら、うちにくればいいのよ。ご存じ?私の国じゃ平民だって貴族になれるのよ」
「え、そんな国があるのか?」
「ええ。ゲルマニアは爵位を金で買えるの」
「トリステインのお偉い貴族様方は嫌がるけどね」
「そりゃそうよ。貴族なんて自分でなるもんじゃないでしょう。認められてなるものよ」
「ふぅん、それが貴女の哲学ってわけ?」
「世界の道理よ」

物怖じしない少女の言葉に、ツェルプストー様は楽しそうに笑う。
わたしはそんな彼女が、やっぱり羨ましくてしかたがない。
わたしと彼女の、なにが違うというのだろう。

***

急にツェルプストー様と(実はいた)タバサ様がお仲間に呼ばれて立ち去ると、あたりは文字通り火が消えたように静かになった。
少女は手酌でぶどうジュースをすすり、少年はこそこそと鍋の底に残ったメシをあさっている。
わたしはうつむき、デルフリンガーさんを見ている。
別に泣いているわけじゃない。だって、もう泣かないと決めたのだから。
でも――

「わたし、泣いてばかりだったんです」

気づけば、ぽつり、と呟いていた。揃ってきょとんとした顔を向ける少年少女に、無理に向けた笑顔はひどくゆがんだものだった。

「勤めていた学院で、ある貴族様のお目に留まって、お屋敷に召し上げられたんですけど、その貴族様って若い平民の女をたくさん囲っているって評判で。イヤでイヤで、でもそれも言えなくて。何をしてても、どんな時でも涙が出て、止まらなくて。しまいに伯爵様にもメイド長にも呆れられて。結局何もひどいことなんてされなかったのに、わたし、ずっと泣いてばかりで――
土くれのフーケって盗賊がお屋敷を襲って、皆と一緒に逃げ出して、こうして帰ってくることができたけど……わたし、ぜんぜん嬉しくないんです……。
だってもう、自分のことなんて好きになれないもの……」

なのに、いまだに涙は勝手にこぼれるのだ。
のどが焼きつくように痛くて、鼻がぐずぐず鳴って――その泣き方はちょうど幼い弟の、兄達にいじめられたときのそれにそっくりだった。
わたしは自分のスカートをにぎりしめて、首をふる。

よわいじぶんがいやだ。まけてしまうじぶんがいやだ。かれらのようになりたい。かれらのようにつよく、ちからあるものになりたい。

結局のところ、わたしはただの駄々っ子だ。手に入らないものを手に入らないと嘆くばかりの子供だ。そして、いまも――涙でひとの同情をねだるだけの乞食なのだ。

「弱いんです、わたし。だから強くなりたいのに。いやになっちゃうな。弱くて、ずるくて、」

鼻をすすり上げる。とうに気づいているだろうに、少女は気づかないふりをしてくれる。

「人間、それくらいの方がいいのよ。弱くてずるくて案外図太くて丈夫で――それに、涙だって女の武器っていうじゃない」

わざとらしく軽く言って、それからわたしの頭を優しく叩く。

「世界にはあなたより弱いひとなんてそこら中にいて、その中にはひとりくらい、あなたの涙で救えるひとだっているでしょう。そして、そのひとりが救われるなら、どんな力だって間違いじゃない。ね。
――だいじょうぶ。そのときがきたら、きっとうまくできるわよ」

「ごめんなさい……ありがとう……」

消え入るような声で。言って、気がつく。
そういえば、わたしは感謝すらしなかった。
わたしを身請けするための資金をかき集めてくれたマルトーさんや学院の皆にも、わざわざ口実を設けて帰郷の道中を連れ添ってくれたミス・ロングビルにも、自分があそこから出る直接のきっかけとなった『土くれ』のフーケに対しても、心から感謝したことがなかった。
そんな彼らに心配され助けられるだけの、無力な自分のことばかり考えていた。
ほんと――駄目な子だ、わたし。

「ま、どうにでもなるものよ。わたしもこの目を失ったときは死にかけたし、だいぶきつい思いもしたけど、今じゃこうして元気にやってるしね」
「……そんな重傷だったのか?」
「そうらしいわ。わたしもショックが強すぎて昔のことは全部忘れちゃったけど。なんでも魔法に失敗して、自分の顔を吹き飛ばしたらしいの」

壮絶な話だった。三日三晩『水の秘薬』を大量に使って治療を施しても血が止まらない、ものすごい大けがだったらしい。
わたしは自嘲も反省も忘れて、あんぐりと口をあけた。水の秘薬をそれだけ使えば死者だって生き返るだろう。それでなんとか半死半生だったというのだから、とてつもない。

「よ、よく生きてましたね」
「たまたまね」

元貴族の少女は、あっさりと笑ってみせる。

「それに目を失ったのも悪いばかりじゃないわ、怪我のおかげでせんせいに出逢えたし。人生なんてそんなものよ?なにが幸いかなんて、わからない」
「はあ。お前が言うと説得力あるな……」

少年もまた呆れたように呟く。
わたしも――彼がこの少女を強いと称した理由がよくわかった気がする。

「ふふん。言っとくけど、わたしの方があんたらの数倍濃い人生送ってるんだからね。人生の先輩よ、敬いなさい!」

この場の三人のうち一番小さな盲目の少女が薄い胸を張って自慢げに笑った。
そのちょっとおどけた仕草に、少年もまた笑って応える。

「でも、なりは数倍小さいよなー」

少女は……口元をへの字にまげた。そのあたりは気にしているみたい。

「あんた、今どこ見た?」
「べっつにー。特に体の一部が、子供というより男みたいだよな、とか思ってませんよ?」
「へええ、あんたってば使い魔のくせに犬のくせにご主人様にケチつけるわけ?」
「ケチなんかつけてねーよ、お前が未発達なのは好き嫌いしてっからだろ?ミルク飲め、ミルク」
「あんな臭い牛の乳なんか飲めるわけないでしょ」
「じゃあ、一生まな板のままだな」

言い返せなくなったのか、我慢できなくなったのか、少女は彼を杖でぽかすかと殴り始める。それを避けるでもなく腕で受けながら、彼はからかうことを止めない。
わたしはそんなふたりを見て――笑わずにはいられなかった。
ああ、もう――ほんとにわたしって――

「うちの村のは新鮮だからきっと美味しいですよ。明日の朝お届けいたしますから、試してみてください」
「そ、そうねっ、そんなに言うんなら試してみようかしらっ」
「おう、おれにもくれよ」
「あんた、これ以上大きくなってどうするのよ?」
「おれだって、まだまだ成長期なんだよ。むしろ、お前に成長の余地があるのかどうかが不安――ああ、悪い悪い!突っつくな、突っつくなよ!!」

しまいに笑い声まで上げてしまうわたしを、少年が優しい目で見ている。少女はそんな彼を殴りつけながらも、背中でこちらを伺っている。
ああ、もう――なんて――優しい、美しい人達なのだろう。

ほんとうはわかっていた。こんな話をだれかにしてもしかたのないことは。
ほんとうはわかっていた。わたしはただすこし愚痴りたかっただけなのだ。
そしてもう一度歩き出すことを、すこしだけ遅くしたかっただけなのだ。

でももう、こんな時間だ。

――空を仰げばいつのまにか藍に染まった東の空にふたつの月が輝いている。

そろそろ立ち上がらなくては。

***

***

わたしはいまも、彼らに出会えたことを心から感謝しています。
そうでなければ、わたしはやっぱり、あのときの自分に囚われ続けていたでしょう。そして再び大切なものを失っていたでしょう。

あのとき。
空の国との戦争が起こってわたし達の村が焼かれたとき。
幼い弟達をかばいながら近くの森に逃げ込んだわたしは、ようやく彼女の言葉の意味を知りました。
自分より弱い者を守るとき、ひとはだれでも勇気という力を持つのだということを。

そして、また、あの先生が巨大な炎で村を襲った敵を焼き尽くす姿を見たとき、わたしはデルフさんの言葉も理解できたような気がします。
なにかできることはないかと尋ねたわたしに、
「水を用意しておいてくれませんか」
とあのひとは優しい目で頼みました。そして
「決して私の後ろには近づかないように」
と厳しい声で言いました。
そのすこし曲がった背中を、自らの操る炎に照らされて濃い影となった姿を、わたしは忘れられません。

そして、あのとき――

わたしの声はあなた達に届いていたでしょうか?

もしも届いていなかったのなら、わたしはどうにかして届けなければならないと思います。
弱くてちっぽけなわたしにできる唯一のことをしなければならないと思います。
かつて名もなき勇者にイーヴァルディという名をつけ世界中に伝えた人達のように。

世界のすべてがそれを悪魔の所業と呼んでも、わたしはあなた達の為したことに感謝します。
わたし達はあなた達によって守られました。
あなた達はわたし達の勇者です。

だからどうか、忘れないでください。

あなた達は人殺しの道具ではありません。
あなた達は邪悪な竜ではありません。
あなた達は美しく、優しいものです。
強く、気高い、わたしの憧れです。

だからどうか、あのときのように笑っていてください。


あなた達の物語のすべてが、『めでたしめでたし』で飾られることをわたしは祈ります。
――このちっぽけなわたしのつたない物語のように。


***

いまではないいつか、ここではないどこかで、ほんとうにあったおはなしです。
あるとき、国の外れのちいさな村に三人の旅人が訪れました……




[6594] ゼロとせんせいと 5の3
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2009/05/10 23:36
カウントダウンがはじまる。

***

「ねえ、なんの音よ、これっ」
「エンジンだっ。エンジンがかかったんだよっ。よっしゃあああ!!」
「素晴らしい!!これが、ほんとうの『魔法を使わない動力』なんだね、サイト君っ」
「せんせいっ、何言っているのか聞こえないっ」

互いに怒鳴りあい、興奮しながら喚きあう。おれも先生も、試行錯誤の果てのようやくの成功に興奮して、足下で叫んでいるルイズの言葉なんか聞いちゃいなかった。
ときならぬ――どころか生まれた世界までも違う――異音が、小さな村に轟々と響いていた。

***

タルブ村のマジックアイテム『らしきもの』――それは先生が見込んだ通り、おれの世界からの流れ物だった。
それもおれの世界でも遺物と呼ばれる、古い戦闘機。
通称、ゼロ戦。
どうやってかはわからないが、第二次世界大戦中にこちらの世界に迷いこんだらしい。
持ち主だった謎の『じいさま』は本名を佐々木武雄といい、その名が当人自ら遺した墓石にきっちりと刻まれていたのだ。海軍大尉の肩書きと共に。

その御影石の――ちゃんとあの独特の形をした――墓を見たときは驚いたが、同時に、ちょっと切なくなった。
元の世界に戻れずにこの地に文字通り『骨を埋める』覚悟をしたとき、このひとはどんな想いでこれを作ったのだろう。
顔も知らない『同胞』を想って両手を合わせながら、おれは改めて「帰らなきゃ」と思う。

そして「墓碑を読めた者に譲る」という佐々木さんの遺言に従って、ゼロ戦はおれのものになった。
彼はなんとしてでもこれを『陛下』にお返ししてくれ、とそう言っていたそうだ。
必ず、と答えたおれに、シエスタがとても嬉しそうに微笑んだのが印象に残っている。

肝心の機体も、質の良い『固定化』がかかっていたお陰で劣化もなく、整備を行えばこうして無事動いた。
整備の方法がどうしてわかったかというと――なぜか左手のルーンが教えてくれた。なんて便利……。
ていうか、もう、なんなのよ?このルーン。触れただけで構造から飛ばし方までわかるなんてさあ。
それを聞いた先生は喜ぶと同時に、複雑そうな表情で、なるほどこれも『武器』なんだね、と言った。
全くもってよくわからなかったが、まあ、おれにはこの機体が直る方が重要だ。いつものように深く考えずに歓迎しとくことにした。
便利なのは……いいことだもんな。

最大の問題は燃料切れだった。

そもそも、佐々木さんがこの地に暮らすようになったのも、空を飛んでみせることができずこのゼロ戦が奇妙なマジックアイテム扱いされたのも、燃料・ガソリンが切れていたせいなのだ。
それ以外は発電機も生きていたし、各部の部品もおれ達の簡単な整備で動いた。
けれどガソリンをこの世界の油で代用するのは難しい。

そう話すと、先生は即席の研究所を古い馬小屋の中にこしらえて研究を始めた。
なんだかよくわからんけれど、一日であのいつもの薬品臭と爆発音の発生するマッドルームを作り上げ、その中で先生がばたばたとあーでもないこーでもないと熱中している姿は、今までで一番愉しそうだった。

ちなみにシエスタの話によると、村人には異端の魔術だなんだと噂されていたようだ。道理で他のひと達には遠巻きにされていると思ったら……機械油の匂いと汚れのせいじゃなかったのね……。

けれどその甲斐(?)あって、最終的に先生は『錬金』でガソリンを作り出した。詳しいことは聞いても理解できなかったので省くが、素材やら工程やらにこだわって数日がかりで作り出したのだとか。
いやあ、先生すげー。魔法もすげー。
足りない工具や部品も、土くれから次々に作り出しちゃうんだからな。

ただし。先生曰く、魔法は一定の質の品を大量生産するのに向いてないそうだ。
たとえばこのゼロ戦にはきっちりと機銃もついていたのだが、その弾丸なんかは補充できないらしい。こっちの魔法ってなんでもアリのような気がしていたけれど、意外な限界がある。

それはともかく。
結果として、今、おれの目の前では勢いよく轟くエンジンがある。
その騒音が、まるで我が子の産声のように愛おしかった。
――くうう、やっぱ飛行機は男の夢だよな。
それをきちんと止めてやって、おれは操縦席から飛び降りた。

そこには――不満顔のルイズが仁王立ちしていた。

「まったく、朝から晩までふたりでごそごそやってたかと思ったら、なによこれドラゴンのいびき?」
「違うって。言っただろ、これで空を飛ぶんだよ!」

鉄のかたまり、はばたかない翼――それが飛ぶと言われても信じられないらしく、ルイズはずっとおれ達の熱中ぶりに批判的だった。
確かに剣と魔法のファンタジー世界では、おれの世界の科学の方がおとぎ話みたいなものだ。普段話をしている先生がなんでも受け入れてくれたから忘れていたけど。世間的には、たぶん先生の方が変なんだろうな。
けれど実際に体験すれば、この頑固娘も認めないわけにはいかないだろう。
そうだ。普段は魔法に驚かされてばかりだけど、今度はおれの世界の『魔法』で驚かせてやる。
そんなガキみたいな思いで鼻をふくらませていたおれは、次のルイズの言葉で現実に引き戻された。

「それで?」
「ん、だから、」
「だから――それに乗って空を飛べばあんたの世界に行けるわけ?」
「あ……」

耳聡いルイズは、聞き逃さなかった。
ビシッと杖先を突きつけて――

「ねえ?忘れてたでしょう?忘れてたわよね?」

うりうりと頬を突っつく。心なしか愉しそうに、口元を緩ませている。
くー、可愛くねぇ
可愛いけど、可愛くねぇ。

「いいんだよっ。これもひとつの手がかりなんだから!」
「……ウソツキ」

確かに――飛行機を飛ばすこと自体に夢中になっていたのは否めない。
でも、必ず帰ると誓った想いは嘘じゃない。これに乗って佐々木さんはやって来たのだから、これに乗って飛んでいけば――きっと、どこかにたどり着く気がするのだ。
……甘いかな。
先生も、だからきっと――いや、完全に忘れているか、あれは……。
このゼロ戦にかける先生の情熱はコワイほどだ。先のマッドルームでも十分わかるけど。一度なんか、全パーツをばらばらに解体しようとしていた。
しかし、そんな男の情熱もルイズには通用しない。

――ハンッ

てな具合に、薄い胸をますます強調するように張って、おもいっきり鼻で笑ってくれた。

「ったく。研究馬鹿に馬鹿犬なんだから。――シエスタ。もう行きましょう」
「え。もうすこし見てちゃだめですか?」
「……べつにいいけど、楽しい?」

ルイズの傍らには、なぜかすっかりおれ達のお世話係になっているシエスタ。にこにこと笑顔で頷く。

「はい。だってほら、サイトさん、嬉しそうですよ。先生さんもあんなに楽しそうに笑って」
「いや、わたしには見えないんだけど……」
「でも、わくわくしませんか。あれが空を飛ぶんですよ!空を飛ぶってどんなかんじなんでしょうね」

シエスタはそんな風に言って、いそいそとおれに近づいてくる。
――ああ。君の素直さの百分の一でいいからおれのご主人様に分けてあげてくれよ。

ちなみに、例の佐々木さんは、このシエスタや実は従姉妹同士だというジェシカの曾祖父にあたる。――おれはようやく二人から感じた懐かしさの正体を理解した。
同じ国の血が混ざっていたからなのだ。
その彼女に、だ。

「ねえ、サイトさん、サイトさん。わたしもこの『ひこうき』に乗せてくださいますか」

上目遣いでこんなことを言われて、頷かない男がいるだろうか――否!
というわけで、おれは満面の笑顔で「もちろん」と応えた。そもそもこのゼロ戦はシエスタ達のものだったわけだしなー。
あ、でも――。

声をひそめると、察しの良い彼女はちらりと横目で――退屈さを隠しもしないルイズを――見て、悪戯っぽく頷いた。

「もちろん、一番最初はルイズさまでしょうけど……その次に。だめですか?」
「だから、だめってことはないって。ぜひ、乗ってくれよ」
「やった!うれしい!」

歓声とともに抱きつかれた。こういうところは外国の娘さんだねえ。
あはは。ほら、機械油がつくって。

***

なぜかみっともなくにやけ下がった使い魔の顔が頭に浮かんで、わたしはため息をついた。

「やーね。犬っころがさかってるわ」
「お。嫉妬かい?いいねえ、若いってのは」
「誰がよ。あーあ、退屈」

この村に来てあれを見てからというもの、せんせいもサイトも、シエスタさえも、あの馬鹿でかい変な鉄の塊に夢中だ。
まったく、なにが面白いんだか。
くさくさした気分を払うために、わたしは鼻唄を唄う。あの壊れたオルゴールから一度だけ聞こえてきた奇妙な唄。それは、わたしのからだによく馴染んだ。

――・・ルー・ス・・・フ・・・ヤル・・・サ……

すると同じように使い手に放置されている剣が変なことを訊いてきた。

「なあ、お前さん、その『唄』がなにか知っているのか?」
「ううん。あんたこそ、知っているの?」
「いんや、なんとなくそんな気がしただけさ」
「そう?……わたしもよくわかんないんだけど、唄っていると元気がでるの。そう――なんでもできそうな気がしてくる」
「そりゃよかった」

変な剣はそれきり黙り込んでしまった。
日向ぼっこをかねて、しばらくぼーっとしていると、やがて、使い魔が近づいてくる気配がした。心なしか普段以上に浮かれている。
そういや、今日はテスト飛行だとか言っていたっけ。
サイトの目を通してもよくわからない、奇妙な羽のついた鉄の舟を思い浮かべる。
――ほんとうに空を飛んだのかしら。

「おう、ルイズ。こんなとこにいたのかよ」
「あによ」
「あ、放っておいたからスネてんのか?」

半分寝惚けたまま応えたら、使い魔が妙に愉しそうに言った。やっぱり浮かれているようだ。

「まあ、待ってろよ。すぐにいいとこ連れてってやるからさ」
「はいはい。期待しないで待っているわ」

わたしは太い樹の幹にもたれたまま、空を仰いだ。
今日はいいお天気で、そうしているとわたしの顔が太陽の熱にあったまるのを感じる。
サイトからは、きっと晴れ渡った青い空が見えるのだろう。

「で――飛んだの?」
「もちろん!すごかったぜ。村の人達もすげー喜んでくれたしな」

村の守り神が本物だと証明されたからだろう。
ジェシカに、手紙でも送ってあげようかしら、と考える。先生はきっと忙しいから、シエスタあたりに代筆してもらって――。

「ねえ……空の上にはなにがあるの?」
「うーん、そうだなー。まず雲だろ、太陽だろ、そんでもって、なんもない!一面まっさらな青一色だ」
「ふーん」

相変わらず子供みたいな説明だ。思わず小さく笑ったわたしに、なにを勘違いしたのか、サイトが勢い込んで言う。

「今度はお前を乗せてやるからな!『見せ』てやるよ」
「べつにいいわよ」
「そんなこと言うなって。な、ほんとすごいんだから」

言いつのるサイトの手を払って、わたしはわたしの『空』を『見る』。

いいわよ。だって――

***

「もうすぐこの国のお姫様の結婚式があるんですよ」
「へえ、そうなんだ。あ、じゃあ、お祭りとかもあるのか?」

先生が再び必要量のガソリンを作りためるまで、シエスタを手伝って近くの港町に買い出しに出た。この娘とその家族にはほんとうに世話になっているし、なによりゼロ戦を譲ってもらった恩がある。この程度の手伝いは軽いものだ。

街の名はラ・ロシェールという。山間の街なのに『港町』という、その理由は街の中に立った巨大な、どこかの神話みたいにでっかい樹にあった。
そこに空に浮いた舟が、まるで果実みたいに生っているのだ。風の力を溜めた風石というクリスタルで、空を飛ぶとか。
――あれも波止場、っていうのかねー。
ほんと、ファンタジー。
ていうか、空に浮かんだ大陸まであるらしい。それどんなラピュタだよ?

それだけではなく、街自体の作りもすごかった。
土メイジ達が岩間をくり抜くようにして作ったという街は、建物がまるで地面から生えているように見える。
つくづく、魔法ってすごい。
むしろ先生はどうして、こんな世界で魔法以外の動力なんて考えるようになったんだろう――?

ぼんやりとそんなことを考えていたおれは、シエスタの声で我に返った。

「ええ。色んな国からお祝いのお客様が来ますから、きっと王都もこの街もすごい騒ぎですよ」
「いいなあ。じゃあ、シエスタを乗っけるときはあいつでお祭りに連れてってやろうか?」
「ほんとうですか!?やった!うれしいな!……あ、でも早くしないと休暇が終わっちゃうかも」
「ああ、そっか。新しい職場だっけ?」
「ええ、前の職場の学院長さまが紹介してくださるって。手紙(フクロウ)が届いたんです」
「そっか、良かったな」
「はい」

満面の笑みで頷くシエスタ。最初に会ったころはなんだか鬱入っていたけど、無事脱したようだ。
もっとも今回の再就職に関しても、前の件もあって親父さん達は反対だったそうだ。が、シエスタがきちんと説得した結果、認めてもらえたとか。

「しっかりしてるよな、シエスタって」

いまもきちんと値切りをして定価の三割で服を買ったりしているし。うーん、たくましいってのはいいことだ。

「それは皆さんのおかげですよ、」

シエスタはとってもきれいな笑顔で照れくさそうに応えた。
その笑顔を見ていると、きっとこの娘にはこれから良いことがあると、何の根拠もないが、思えた。

いや、この娘だけじゃないよな。きっと、みんなうまくいく――。
浮かれた街の様子につられて、おれも心が浮き立っているようだ。

実際、なにもかもうまくいっているように思えた。
ゼロ戦という大きな手がかりを手に入れただけでなく、タルブ村にはおれの世界に繋がるものがたくさんあって――それは例えば佐々木さんが伝えたという、どこか懐かしい味の料理だ――シエスタやその弟達はなんだかおれに懐いていてくれて――先生も長年の研究が報われて、愉しそうで――そしてもうすぐたぶん世界で一番きれいな光景をルイズに『見せ』てやることができる。

――空を飛ぶことにルイズはあんまり乗り気ではなさそうだが、またいつもの照れ隠しだろう、とおれは気軽に考えていた。

おれは何の根拠もなく、何一つとして知りもしないくせに、そう思っていた。

***

――空の上にはなにがあるの?

そんな子供みたいなことを尋ねるあいつに、おれはほんとうの空を見せてやろうと思った。
ただそれだけのことだった。
それなのに。

はじめてルイズを乗せて飛んだ空には、なぜか巨大な戦艦が浮いていて、小さな船が煙をあげながら落ちていって、そして人を乗せたドラゴン達が殺し合いをしていた。

なんだ、これ――。

***

「どうしたの!?」

それまでうるさいながらに安定していた機体が激しく揺れだして、わたしは叫ぶ。
サイトの代わりにデルフが、あちゃー、と声をあげた。

「怪我でもしたの!?」
「いんや――はじめて戦に出た兵がよくかかるやつだよ。心が縮こまっちまっている。これじゃあ、ガンダールヴの力も役に立たねーな」

どういうことよ……?
と首を傾げていると、サイトの視界が勝手に飛び込んできた。
――美しい空で、繰り広げられている醜い戦闘の光景が。

「ま。当然の道理さね、こいつは命のやり取りなんざしたことねえ。それどころか、目の前で人が死ぬことすら慣れちゃいねえんだから」

わたしは、ふう、とため息をこぼした。

「とんだあまちゃんね」
「それがいいとこ、なんだろ?しかし、今はまずいな。これじゃあ逃げることもできねえぞ」

***

「おい、相棒。なんでもいい、怒り、悲しみ、なんでもいいから、感情を震えさせろ。そうしねーと娘っ子もろともおだぶつだぞ!!」

デルフがなにか言っているが、よくわからない、
ガチガチと奇妙な音がして、おれは我に返った。
デルフの金具の音かと思えば、おれの歯だった。

はは、なんだ、これ。

見事に歯の根が合っていない。

なんなんだよ、お前ら。
ここでなにしてるんだよ――

目の前には火を噴きながら墜落する船。そこから、逃げ場所を求めて自ら墜ちていく人の影。
炎を放つ異形の怪物に、地上で逃げまどう小さな人々の姿もある。
空の大陸からやってきた化物みたいに巨大な戦艦の姿もある。
おとぎの国だというのに、そこで繰り広げられているのはどこまでも怖ろしい『戦争』で――。

――そらのうえにはなにがある?

不意に何の関係もないことが思い出された。それは昔、母が尋ねたなぞなぞだ。
得意げに答えるこどもの声がする。

――ソラのうえにあるのは……



シ。


死、だ。



やがて、戦場に迷い込んだ奇妙な鉄のフネに気づいたのだろう。
船を襲っていた一匹のドラゴンが大きく旋回する。ルーンに強化された視力で、おれはその牙の鋭さまで見て取ってしまう。
叫び出しそうになったおれを――押しとどめたのは、ルイズの小さな手だった。
柔らかな手が、おれの目を塞ぎ、ささやく。

「だいじょうぶ」

とたんに世界は黒く塗り潰された。

***

からっぽの闇。

一面の黒。

果てなどない、
天地四方すべてが意味をなさない、
からっぽの世界。

あたたかさも優しさも痛みも苦しみも、皆ひとしく価値がない。

ゼロの視界。



そして……怖いものもない。

***

おれの中で暴れていた全てが見えなくなって――まっさらな一面の無の中に、ふつふつと腹の底からなにかが沸き上がる。
熱く、まるでマグマみたいにふつふつと狂暴に沸き上がる。

それは怒りだ。

「なんなんだよ!お前らは!」

おれは再び叫ぶ。
先程と同じ言葉を。けれど、そこに込められた感情はまるで違う。

ここで何をしてる!

どんな理由があって、おれ達の邪魔をしやがるんだ!

おれはただ、

ルイズに、

いっとう好きな女の子に、

きれいなものを見せてやりたかっただけなのに……!!

「それを!なんなんだよ!お前らは!!」

一面の黒の中で、ちかちかと瞬く光点があった。
紅かったり、水色だったり、奇妙に不愉快な紫だったり。
おれにはそれが何かよくわかった。

左手はなんのためらいもなく動いた。
見えなくてもルーンが教えてくれた。
――ああ、まるでテレビゲームだな。
恐怖もなく、愉悦もなく、頭はひたすら冷静だった。
腹の底でたぎる暴虐なまでの怒りすら、操縦桿を操る手をそこなうことはなかった。

するべきことはわかっていた。

「すごい。天下無双のアルビオン竜騎士が、まるで虫けらみたいね」

つめたくてあたたかい声が耳元でささやいた。

「つぎは、わたしの番――」

おれの背中に抱きつき、肩に顎をのせるようにして視界を合わせて、ルイズは腕を、杖をのばす。


……エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ……


おれが敵を蹴散らし続ける間、ルイズはルーンを唱える。
以前おれに教えてくれたときのように、その声は相変わらずおれの一番心地よい音で、朗々と連なるルーンは子守唄のようだ。

その唄にのせて、途方もなく大きななにかが生まれ、あふれ、うねる。
おれはその感覚に同調しながら、我が子が産声をあげるのをいまかいまかと待つ親みたいな気分で、じっと耳をすませる。

そしてその唄が途切れたとき、白い光がルイズの杖先からほとばしった。


黒い世界へとあふれ出た光が――

稲妻でできた網のように――

広がり――

拡がり――

うるさく飛び回る小さな光点達すべてを捕まえ――

そして、








消える。








そしてもう――空の上にはなにもない。

***

***

『戦』を告げた梟(しらせ)はあまりに遅かった。

突如現れた竜騎士に村は襲われ、私は彼らと戦うことを余儀なくされた。
冷静に冷徹に杖を振いながら、胸の内は焦燥で焦がれるほどだった。
空の上に飛び立ったふたりの、サイト君の誇らしげな笑顔とルイズの素直になりきれない表情が思い浮かぶ。
今すぐにでも彼らの元に向かいたい。けれど目の前で――あのときのように――村が焼かれ、力を持たない村人が逃げまどう姿を見て、放っておくことなどできなかった。

――無事、逃げていてくれ。

けれど、そんな私の切なる願いは最悪の形で裏切られた。

それは一条の矢のようだった。同時に、おそろしく繊細な雷のようだった。
光はまっすぐに、私に向かってきた兵士の心臓を貫いて、消えた。
避けるひまもない返り血に頭から濡れながら、私はそのぽっかりと空いた穴を畏れと共に見つめた。

その美しすぎる傷痕には、『何もない』痕には、嫌になるほど見覚えがあった。


やがて――。

村の娘に頭から水をかぶせてもらい、なんとか息をついていた私の前に、彼らは戻ってきた。
歓声とともに見送った村人が、今は息を呑んで畏れと共にそれを出迎える。
見事に着地を決めた『ひこうき』から、サイト君が降りてくる。腕にはあの子を抱いている。
力のない、どこか地に足のつかない歩みで、私の元へまっすぐに向かう。彼の腕の中で、あの細い四肢がちからなく崩れているのが見える。

「せんせい、ルイズが」

その姿を見たとき、その声を聞いたとき、私は痛む背も泥のように重たい四肢も忘れて駆け寄っていた。

――ああ、どうか。

抱きしめた体は今にもこぼれ落ちそうで、震える私の腕の中で、彼女がちいさく呟いた。
おうちにかえろう、と。

***

***

わたしはだれかに抱えられている。
細い腕だ。
芯まで硬くて強い腕だ。
その腕はたしかにあたたかいのに、わたしはずっと震えていた。
空を行く獣の上で、わたしはずっと怯えていた。

(いいわよ、空になんか行かなくて)
(だって――)

あのとき、わたしを空に運んでくれたひとは、わたしを棄てにいったのだから。

***

……ゼロ地点へ。



[6594] ゼロとせんせいと 6の1
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2009/04/18 22:51

麗しの王都は、普段以上に猥雑に騒々しく、人々の群れでごったがえしていた。

先日、恥知らずにも不可侵条約を破って、我が国に奇襲を仕掛けたアルビオン王国――今は反乱軍が国を乗っ取り『神聖うんちゃら』とか名乗っているらしい――、それを見事撃退したお祝いに国軍による凱旋パレードが行われ、以来、一週間以上に渡ってお祭り騒ぎが続いているのだ。

街中いたるところに王家の象徴たる白い百合が飾り立てられ、街角では新聞売りが、群がる庶民に『見て来たかのような』調子で戦の模様を語っている。
なんでも敵軍にラ・ロシェール近郊が蹂躙されたとの報が入るや否や、トリステインの白百合、アンリエッタ・ド・トリステイン姫殿下は自ら国軍を率いて、出陣。初陣にもかかわらず勇ましい指揮で、見事な勝利をあげたとか。
先の戦は、侵攻が奇襲なら撃退もわずか一日の電撃戦だったという。そんな短い間で、王都にいた王女様が戦に間に合うものだろうか?
その他にも、戦場で神の火を見たとか、主君殺しの叛徒に始祖が裁きを下したとか、まあ――、端で聞いていてもうさんくさい話ばかりだけど、そういうものが好きな庶民達は歓声をあげている。それ以外にも、大通り沿いの酒場では昼間から酔っぱらい達が気勢を上げたり、傭兵が決闘まがいの喧嘩を始めたり。

……騒がしいわ。

わたしは眉をひそめながら、その喧噪を横目に過ごした。
世間から隔絶された学院にいると、こうしたお祭り騒ぎとも、どうしても距離が出る。今度の戦についても学院ではほとんど話題にもならず、朝食の時に学院長が勝利を祝う挨拶をすこししたくらいだ。学舎に政治は無縁、がトリステイン魔法学院の建前だからだろう。

ふう。もうすこし時間を置いてくればよかったかしら。

「あーあ、悔しいな。僕もあの戦場に出ていたら、姫殿下の目の前で戦功を挙げる幸運に恵まれたかもしれないのに。そうしたら、きっとあの高貴でお優しいお声で『なんて頼もしい方なのかしら』なんて――」
「ギーシュ・ド・グラモン。すこしは黙ってちょうだい」
「ごごめん。……大丈夫かい?」

隣を歩くギーシュ――自称美の奉仕者、他称二股のギーシュ――がすこし強張った顔で尋ねる。青銅の飾りがついた杖を見せびらかすようにして振っているのは、酔漢達への牽制のつもりだろう。
仮にも軍人の子だ。それなりに護衛として役立つかと思ったんだけど、……どうにも頼りにならないのよね。

「いいから、そこ、横に入って」
「ああ。……えーっと、ここ?ほんとうに?」

たじろぐ背中越しに、覗き込む。
大通りから一本、裏に入った路地は人は少ないが、とても……汚かった。
汚物や生ゴミが平気で棄ててあるし、溝にはドブ鼠が走っている。
それは土まみれのもぐらに平気で抱きつくギーシュでさえ躊躇うほどで、もちろん水メイジであるわたしの目には、怖ろしい病気の温床にしか見えない。
けれど目的の秘薬屋はこの先なのだ。いまさら引き返す道理はない。
わたしは、間違っても使い魔のロビンがこんなところに落ちないように、しっかりと制服のポケットの中に閉じこめて、ギーシュをせっついた。

「ヴェルダンデを連れてこなくてよかったよ……」
「もう、さっさと進んでちょうだい。それより、財布は無事でしょうね」
「もちろんさ」

彼はそっとマントをめくり、懐に厳重に縛り付けた財布を見せた。それは限界までふくらんでいて、ずっしりと重たい。
わたしは浮かびそうになる笑みを貴族の子女らしく押さえ込んで、平静な顔でそれを仕舞わせた。

別に、このお金は後ろ暗いものなどではない。わたしが稼いだものだ。

得意分野である魔法薬(ポーション)調合。その才能を生かしてはじめたオリジナル香水作りを商売にしたのだ。
――というか、そもそも学院内部で知り合いに無料(タダ)であげていたのを、あるとき商魂たくましいゲルマニアの魔女の入れ知恵で王都の商人に卸し始めたのがきっかけだ。紹介賃とかいって結構な仲介料をとられたが、その分は十分に元を取ることができたので、まあ良い。
ロビンの姿を模した瓶を目印にして、恋が叶うだの適当な謳い文句をつけて販売をしたら、ものの見事に売れた。笑いが止まらないほど売れた。協力させたギーシュが、若干引いた。
それは、別にいいけど……。
実家に知られたら、由緒正しいモンモランシ家の娘が商人の真似事なんて、とお咎めを受けることは間違いない。けど、そのおかげで目標の金額を大幅に超えることができたのだから、わたしは後悔していないわ。

財布を取り上げて、ギーシュを店の前に立たせて――なにやら文句を言っていたけど睨みつけると黙って衛兵の真似事を始めた――薄暗い店の中に入る。目当てはこの奥の奥、秘密の魔法屋だ。
わたしはそこで禁断といわれるポーションのレシピと材料を手に入れるのだ。

禁断のポーション。つまり、国から作成も使用も禁止されている『禁制品』。レシピを持っているだけでも、重い罰金が科せられるかもしれない。だから、ギーシュには内緒にしていた。
では、なぜそんな危険を冒してまで、そんなものを手に入れるのかというと――それは、『探求心』だ。ポーション作りを極める者として。
なんて、カッコつけてもしかたない。
禁断に挑む理由は、ありていに言えば、「やってみたい」。ただ、それだけだった。

そして――
香木、竜硫黄、マンドラゴラ、それから、水の秘薬……
わたしはこらえきれない笑みをこぼしながら、戦利品を抱えて店を出た。
目的の品を全部揃えるだけでなく、予備分の秘薬まで手に入ったのは素直にありがたい。そのために一瞬で消えた大金も気にはならなかった。
これで、長年の計画をようやく実行できる。ただその喜びに心を躍らせながら、店を出たわたし。
後はこれをギーシュに運ばせて、学院に戻るだけだと――

「待たせたわね――」

けれどそうは問屋が卸さなかった。

「待ってくれよ。おいってばっ。えーっと……モンモン!!」
「誰よ!?無礼者っ」

由緒正しいわたしの名前を変な風に呼んだのは、珍しい黒髪をした少年だった。
――ん?だれだっけ?
店から出てきたわたしと、その後ろから声をかけてきた少年を見て、ギーシュが素っ頓狂な声をあげる。

「あっ、お前っ!」
「ありゃ、薔薇貴族も一緒か――」
「ギーシュ・ド・グラモンだ!」

そうか、どっかで見たような顔だと思ったら、あの田舎村でギーシュをこてんぱんにのした平民だ――。
ギロリと目を光らせるギーシュ。

「ふふふ、まさかこんなところで再会するとはね。約束通り、再戦といこうじゃないか」
「阿呆。おれはそんな暇じゃねーよ」

相変わらず貴族を貴族とも思わない口ぶりで、ギーシュの宣戦布告を切り捨てる平民。
それを無礼だと言いつつも、なぜかギーシュは鷹揚だ。――男同士ってこういうものなのかしら?
けれど、わたしはそんなに気楽にはいられない。
この平民の、あの決闘の時の動きは、並じゃなかった。まるで噂に聞いた『メイジ殺し』と言われる凄腕の傭兵達のような――。
どうやら今日は剣を持っていないみたいだが、油断はならない。不意を突かれたら、きっとギーシュなんて秒殺されちゃうに違いないのだ。
そしてわたしは……その、女にしては上背はある方だけど……、所詮荒事なんて経験したこともないお嬢様。だから懐で唯一の武器である杖をそっと握り、いつでもルーンが唱えられるように構えていた――のだけど。

「ああ、もう、そんなことはどうでもいいんだよ!」

なんやかんやと挑発しているギーシュを振り払って、平民はなぜかわたしの方を向いた。すこし血走ったような目でわたしを見て――そして――。

「お願いします!!」

突然、頭を下げはじめた。

「な、なによ!?」
「薬、譲ってください!!」
「はあ?」

水の秘薬をくれと言う。
どうやら薬屋が在庫切れを理由に断ったらしい。だからって客の情報をぺらぺら喋るなんて――と考えて、そういえばこの少年もさっき店の中にいたんだった、と思い出す。
もちろん表の店の方ですれ違っただけだけど。材料が揃ったのが嬉しくて、すっかり眼中になかった。
水の秘薬も、そう言えば、わたしが買ったもので最後だと言っていたような気がする。ラグドリアン湖の水の精霊と交渉が滞っているとか……。

「馬鹿言わないでちょうだい。なんでわたしが平民なんかに貴重な薬を譲らないといけないのよ」
「お願いします!ルイズが死にそうなんだ!!」
「ルイズ?」

思い出せないわたしに、一緒にいた盲目の娘だよ、とギーシュが囁いた。
ああ、あの桃色の――。
ツェルプストーが妙に気に入っていたっけ。元貴族だとか。
ふーん、そう、具合が悪いの。たしかに小さくて細っこい子だったけど……。

「わたしには関係ないわ」

冷たく言い放つ。平民が悔しそうに唇を噛み、わたしはもう一度懐の杖を確かめた。ギーシュは……口を挟む気はないようだが、わたしの傍に立ち位置を変えた。
そんなわたし達ふたりの前で、彼は。

おもむろに通りに両膝をつく。

「お願いします!!」

さらに頭を下げた。

「ちょっと――」
「あいつ、あれから、めしも喰わなくて、眠ってばっかで、ただでさえちっこいのに、どんどん痩せていって。なんかすっごく、小さくなっちゃって。まるでじいちゃんが死んだ後のばあちゃんみたいで。それで水の秘薬ってなんにでも効く魔法の薬があるって聞いて、此処に来たんですっ」

額を石畳につけながら捲し立てる彼に、わたしは……仮にも女の子をおばあちゃんと並べるのはいただけないわね、と思う。

「私もこれが必要なのよ」
「わかってます!でもどうかお願いしますっ」

完全に額を地につけたまま、少年は叫んだ。
ああ、そういや、前もこんなことしてたわね。たしか異国の最上級の謝り方だとか――ハァ。

「……言っておくけどね、貴族が皆裕福だなんて思わないでちょうだい。うちだって御役目を外されて以来、かつかつなんだから」
「……」
「だから、ちゃんとお代は払ってもらいますからね!」

わたしは叩きつけるようにその小瓶を彼に渡した。
彼はぱっと顔をあげて――うわ、汚い。

「いいのか!?ありがとう!!――じゃなくて、ありがとうございます!お代もちゃんと支払います。はい!」

少年は変な上着のポケットからありったけの小銭を出してきた。
それを見て、わたしは自分の短慮を後悔した。

「……全然足りないわね、」

当たり前だ。秘薬は平民が数年働いても手が届かないくらい高価な薬なのだから。
わたしは……施しは趣味じゃない。

気まずい間の後、再び少年はおもいっきり額を地面にこすりつけた。

「すんません!今は手持ちがこれしかないけど、必ず払います。――そうだ、おれ妖精亭ってとこで働きます!そこに来てくれたら足りない分は、すぐは無理かもしれないけど、絶対に、一生かけても払いますから!!」

もう一度、思う。
施しは趣味じゃない。
けれど――、一度与えたものを取り返すなんて、誇りある貴族のすることじゃない。
とっても、もったいないけど。とってもとーっても、腹が立つけど。

「もういいわよ」

わたしは言ってやった。自分でもわかるくらい口元が歪んでいるのは、どうしようもない。

けれど、せっかくそう言ってやったのに、平民はいつまでも頭を下げ続ける。
あのね。これじゃあまるで私が虐めているみたいじゃないの。
私は別に男を虐めて喜ぶ趣味はないのだ。――なぜか視界の隅に、ちらちらとお馬鹿な金髪が揺れていたけれど、気にしない。小太りの豚も無理矢理意識に浮かび上がろうとしてきたけど、問答無用で沈める。

それより。
――ああ、もう汚いツラね!
私は思わず空気中の水をかきあつめると、思いっきり彼の頭からかぶせていた。

「ななななにすんでいっ」

素に返って変な叫びをあげる平民。――ふんっ、文句を言われる筋合いはないわよ。

「これで勘弁してあげるわ」
「は?」
「いいから!黙って受け取りなさい!!」
「は、はいぃぃぃ」

わたしが思いっきり命じると、少年は、ぴょん、と飛び上がった。ちょっとロビンみたいだ。
そのまま、手の中の秘薬を宝石のように――実際それくらいの価値はある――捧げ持って、マジありがとな!!と無礼千万な叫びをあげながら、走り去る。
――って、なによあれ。ほんとうに速いわね……。
あっという間に消え去った彼に、呆れ混じりにため息。

隣でなぜか含み笑いを浮かべているギーシュをとりあえずひとつ殴って、わたしは微妙に疲れた気分で学院に戻ることにした。

***

「ふふ、君があんなことをするなんて、ちょっと意外だったな……いや、悪い意味じゃないんだよ!モンモランシー。君が本当は優しい子だってことはもちろん良く知っているさっ」

ギーシュは、なぜかわたしの部屋までついてきた。
どうやら、計画が崩れて非常に虫の居所が悪いわたしのために、その身をなげうってくれるつもりらしい。街中では人目がありすぎるものね。
ぼろぼろになってもなお謝り続ける彼に、わたしは自室に入る名誉を授けてやった。

「君の愛は日に日に厳しくなっていくね……」
「どこかの誰かさんが私の目につくところで粗相をしてばかりだからでしょうね」
「それは君の誤解だよ。僕はただ万人を喜ばせる薔薇として――」
「バラバラになって赤い花を咲かせたくなかったらお黙りなさい」
「はい――」

大人しくなった彼のために、とっておきの赤ワインを開けてやった。
――あーあ、これに完成したポーションを混ぜてやるつもりだったのに。
別に材料がなくなったわけではない。あの平民にやった分は元々予備の解除薬用のものだったから。
ただ、そんな気がなくなってしまっただけなのだ。
『惚れ薬』なんて作っても――。

そんなわたしを見て何を勘違いしたのか、ギーシュが言う。

「やっぱり代金を貰ってきた方がいいんじゃないかい?いくらなんでも秘薬をタダでくれてやるのは、施しの域を超えているよ。君のところも僕のところも、名門とは名ばかりの貧乏貴族なんだし。
たぶん、あっちの娘の方ならお金を持っているだろうから。今度僕が行ってこようか?」
「……なんでそんなことがわかるのよ」
「いや、前にヴェルダンデが彼女に反応していただろう?あの娘、けっこう大きな宝石を持っていたみたいなんだ、」

土メイジであるギーシュの使い魔には、土の中の鉱脈や原石を『匂い』を辿って見つけてくる能力がある。その彼が見つけてきた屑宝石をあしらってギーシュが作った香水瓶は、王都でも大好評だった――。

「平民が身につけている宝石なんて、それこそ全財産でしょう。あなた、そんなもの取り上げる気?」
「それはそうだけど……」

万人のための薔薇を自称する彼はむにゃむにゃと言葉を詰まらせ――、それでも懲りずに言う。

「あ。それとも、あいつが無礼だったからかい?そうか。よし、やっぱり、僕が行って懲らしめてきてやろう!」
「馬鹿なことを言わないでちょうだい。あなたより余程紳士的だったじゃない」
「な!き聞き捨てならないなっ。まさかモンモランシー。あの平民にほ、ほ、ほれっ」
「馬鹿なことを言わないで、と言っているのよ」

煩い口を水球にとじこめてやる。それでもなおも奇声を発するギーシュ。

「うげぐぼぼぼぐげごぼっ」

ああ、もう――

「ギーシュ・ド・グラモン。じゃあ訊くけど、あなたにできるの?」
「げほっ、ごほっ……な、なにをだい?」
「好きな子のために、汚い裏通りで額を地面にこすりつけるほど頭を下げることよ」
「それは、もちろん――」

もちろん、そんなことは貴族にはできない。
――してはいけないことだ。
でも、禁制の『惚れ薬』を飲ませれば、ギーシュは勇んでそれをするだろう。そこに何の躊躇いも感じないで。
それは喜び勇んで戦に行こうとする今とどう違うのか。

「ほんとうの勇気ってああいうものだわ。――戦って死ぬばかりが勇敢さの証明の貴族(あなた)にはわからないでしょうけどね、」
「……モンモランシー」

ようやく真面目な顔になった自称恋人を無視して、私はあの少年と少年の恋人のことを考えた。
そういえば、あの平民。ちゃんと秘薬の使い方知っているのかしら?
心配だわ――

***

***

「え!!水の秘薬って飲ませればいいんじゃないのか」

相棒。秘薬ってのは基本的に魔法の力を底上げするためにあるんだよ。だからまず、医者の水メイジを探してこねーと。

「わかった。店長に紹介してもらってくるわ。デルフ、留守番頼むな、」

おいおい、剣の俺がどうやって留守番すればいいんだよ。
って、聞いちゃいねぇーな。

あーあ。デルフ、ため息出ちゃうぜ。

……口も肺もないのにどうやってって?
そんなことはおれにもわからねえよ。お前さんがものを『見て』いるのと同じ仕組みだろ。

――ぼやく俺の後ろから、くすくす、と、かすかに空気を震わせるような笑い声。

娘っ子も、いつまでもたぬき寝入りしてないで、起きたらどうだい?

こえがでないだあ?
そんなもん相棒には必要ねーだろ。

さっさと元気な姿を見せてやらないと、あのままじゃあ、いつかロバ=アル=カリイエまで薬探しに出かけちまうぞ。

「……し、は、……だ……ら」

だから、相棒にはそんなもん必要ねーだろって。駄目だねぇ、お前さんも……。

たしかに、お前さんの才能はブリミル並、もしかしたらそれ以上かもしれないけどな。そんなんじゃまだまだ、認められねーよ。

――答えの代わりに例のあの『唄』が『聞こえて』きて、俺はまたため息をつく。

ま……良い夢を見ろよ。

ほんと……剣なんざ何もできないんだぜ、相棒。

***

***

おれは焦っていた。
何かしなければならないのに、何をしたらいいのかわからなくて。
とりあえず、目の前にあるものを追いかけていた。
ほんとうは、他にしなければならないことがあることは、わかっていたのに。
まるで宿題から逃げ回る小学生みたいに、外を駆け回っていた。

そのひとに出会ったのは、そんなときだった。

「ミスタ・スカロン、如何(どう)しました」

おれが店長に事情を説明していると、店長達の住居がある方から甲冑とマントをつけた衛士が降りてきた。
口元を鉄仮面のようなもので覆っていて、わざと低めの声を出しているけれど、肩口で揺れる髪や細い体つきは見間違いようもない。
おれは話を中断された苛立ちも忘れて、その人を見つめた。
……へえ、ほんとうに女衛士っているんだな。

「ミス、」

スカロン店長は珍しく動揺した様子で、その衛士さんを見る。どうやら上客らしい。マントをつけているってことは、貴族か。
促されるままもう一度説明すると、彼女は目元だけでにこりと笑って、こう言った。

「水メイジが必要なのですか。では……わたくしが力になりましょう」

***



[6594] ゼロとせんせいと 6の2
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2009/04/25 14:25
あなたを想うとき、わたしの世界は闇にとざされる。

***

実は水メイジだという女衛士さんは、病人に足を運ばせる医者はおりませんわ、と言ってわざわざ家まで来てくれることになった。
店長はどうも反対のようだったが、彼女は柔らかな物腰で押し切ってしまう。
うーん、上品さと強引さって同居するんだな。

いつもの道を並んで歩く。道すがら話に出たのは、昼間の貴族達のことだった。

「まあ、秘薬を譲ってくださったんですか。親切な方ですね」
「ええ。なんか魔法学校の生徒で、たしか、モンモンとかいったかな――」
「……もしかして、モンモランシ家の方かしら?」
「そうそう、そんな名前、です」
「優れた水メイジを輩出する名家のひとつですわ。代々ラグドリアン湖に住まう精霊との交渉役を務めていたんです。もっとも……だいぶ前になるかしら。すこし困ったことがおきまして、このところは御役目を外れていますけど、」
「あー、それ聞きました、『御役目外されて、かつかつ』って」

女衛士さんは、鉄の面に似合わない、優しげな眸をすこしうつむかせた。
……あれ。
そこで、おれは奇妙なことに気がつく。このひと、実はおれと同じくらいの年齢なんじゃないだろうか――

「そう。その方もその方のご家族も、思い詰めていらっしゃらなければいいけど、」
「御役目を外れるって、そんなに大変なことなんですか?」
「ええ。特にかの地の精霊は我が王家と盟約を結ぶ大切な存在ですから、御役目はいわば王の代理を務めるようなもの。たしか問題を起こした当時の当主は蟄居したんじゃなかったかしら?」
「へえ」
「古い貴族は権威を持っています。でもそれは、同時に彼らを閉じ込める檻も同じなのですわ。そして矜持はとげになり、時に自身を害する毒になる。哀しいことですわ、」
「はあ」

それを聞いたおれの感想は、
貴族も大変なんだな。
それくらいだった。

***

***

わたくしは、少年の正直な顔を見て、詮無いことを言ったことに気がつく。
そうよね……。
市井の民の暮らしを肌で感じるのも良い、とそう言って街へ来たけれど、そこで知ったのは――
民の心はとうに『我々』から離れているという、うすら寒い現実だった。
杖がなければ、この国の貴族に頭を下げる民などもういないのかもしれない。
けれど、それも仕方のないことだと思ってしまう自分がいる。
今の貴族は威張りくさり、戦に明け暮れ、民を虐げるばかり。何か起これば責任を押し付けあい、利益があるとなれば群がる。
ごく一部の高潔な人々を除けば、そんな輩ばかりだ。
そして、わたくしも……。

民の生き血をすするだけの化け物。
そんなものが今の貴族で、王族なのかもしれない。

――憂鬱な物思いにふけりながら歩いているうちに、彼のお家にたどり着いた。
驚くほどこじんまりとしていたが、よく手入れされている。でも……病人がいる家だからだろうか。どこか、火が消えたように淋しい。

「ただいまー」
「お邪魔いたします」

はじめて見る普通の民の家の内部(なか)は何もかもが物珍しかった。
少年が手際よく灯りを点す。オレンジ色の火に浮かび上がったのは、木製のテーブルと揃いの椅子。炊事場を兼ねているらしい暖炉。そして衝立の向こうに、避暑地で見るようなハンモックが吊ってあった。
その中に、埋もれるようにして眠る少女がいる。
俯せに毛布をかぶっているのでほとんど見えないが、話に聞いていた通り、目元をすっかり覆うような布をつけているのがわかった。また、床に臥せって長いのだろう。艶をなくした髪は色をうしなって糸くずのようにほつれ、細い手足は骨がすけて見えそうだ。

「魔法の使いすぎだって先生は言うんですけど――」
「ああ、メイジでいらっしゃるのね」
「あれ、わかりません?」
「まあ、いじわるをおっしゃらないでくださいな」

わたくしはわざと朗らかに言った。

「マントをつけているわけでも、杖を持っているわけでもないのに分かれというのは、ちょっと難しいですわ」
「えーっと、おれ、メイジってメイジを見ればわかるんだと思ってたんですけど、」
「それは言葉遣いや立ち居振る舞いで判断しているんでしょう」

そういえば――この少年こそ、いったい何者なのだろう?
市井の民と直接触れ合ったのはわずか数日のことだが、その感覚に照らし合わせても、彼にはどこか奇妙なところがあった。
けれどスカロンさんが止めなかったのだから、きっと信用のおける方ね――。

「――じゃあ、相手の系統を判断したりは?」
「よく観察すれば何を得意とするかはわかりますわ。基本的に使う魔法は自分の得意な系統に偏りがちですから。ご存知かしら?得意な系統の魔法を唱えると、体の中にリズムが生まれるんです。とても心地良い唄のようなものが。だからついつい得意なものを使ってしまうの」
「そう、なんですか、」

少年は、なぜかすこし苦い顔で納得すると、少女の耳元に口を寄せてささやいた。おそらく医者を連れてきたと言っているのだろう。少女は深く眠っているらしく反応しない。

「起こさないでも大丈夫ですよ」
「すみません」
「いいえ。……あら。杖、持ってらっしゃったのね」
「ハハ。放さないんですよ。無理にはがそうとすると嫌がるんで、このままにしてやってください」
「ええ、わかりました」

眠りながら、白木でできた少し長めの杖を抱きしめる少女。悪夢に怯える子供が『お守り』にすがりつくような、そんな必死さに、わたくしは少し胸がつまった。
かわいそうに――。
けれどたしなみとして顔には出さずに、少年の方に声をかける。

「魔法を使って浪費した精神力は、よく食べてよく休めば、自然と元に戻るものなのですけど。この方は、それも間に合わないほど、疲れ切ってしまっているようですね」
「……治りますか?」
「大丈夫。とりあえず起き上がる体力が出るように『癒し』をかけておきますから、起きられたら、ごはんを食べさせてあげてください。あとは……そうね。傍にいてあげたらいかがかしら?」
「へ」
「病気で臥せると、とかく気が弱るものですから。あなたが傍にいてあげるだけでも心強いはずですわ」
「あ、はい……」

少年は、なんだか叱られた子供みたいな目で頷いた。

「さあさ、そんなに心配しないで。これならばわたくしの杖があれば、十分です。貴重な秘薬ですから、それはとっておきなさいな」

なるだけ明るい調子で言って、母から譲られた杖を取り出す。先端にはまった石が水の力を増幅してくれる、我が『家』に代々伝わる貴重な杖だ。
ルーンを唱え、癒しの光で少女を照らす。彼女はわずかに身じろいだだけで目を覚ましはしなかったが、体をめぐる水の力はすこし回復したようだ。

「ありがとうございました。ほんと、なんてお礼を言ったらいいのか――」
「そんなに畏まらないで。わたくしもお役に立てたのが嬉しいのですから」

言いつつ気恥ずかしくなって、わたくしは杖を子供のようにいじくってしまう。

「その……『実家』ではわたくし、とても役立たずなのです。色々と勉強はしているつもりなのですけど、うまくできないことばかりで――だから少しでもひとのお役に立てるのは、とても嬉しいのです」

そう。だから、これはほとんど自己満足の行いなのだ。
けれど、少年はそんなわたくしに再び、

「感謝してます。持ち合わせはないんですけど、この御礼は必ず――」

ときっちりと頭を下げた。
その武骨な礼は、どんな作法に適った典雅な振る舞いよりも心のこもったものだったけれど、わたくしは、すこし淋しかった。

……昔はこうではなかった。
もっと気安く話のできた相手がいた。何の気兼ねもなく、お互いに自分のものを相手にあげたり貰ったり、あるいは悪戯をしかけて、怒ったり笑い合ったり。
――そう、おともだちがいたのだ。記憶もおぼろな昔の話だけど。
ときにはお菓子を奪い合ったりドレスをどちらが着るかで揉めて、本気で喧嘩もしたけれど。今思えば、それさえも楽しかったような気がする。

なのに、今はだれもいない。名を親しげに呼んでくれるひとも。本音をぶつけあえるようなひとも。だれも。
それでも、あのひとのことを思えば耐えられたのに。

今はもう、前も見えない哀しみに囚われるばかりだ。

「礼は……必要有りません。けれど、もしよかったら、アンと呼んでくださいませんか?」
「え?」
「どうか、お願いします、」

それは思いつきだったけれど……自分でも驚くほど、切実な声が出てしまった。

一度だけ、すこしだけ、味わってみたかった。
ただのひとりの少女としての名を。
きっともうすぐ、そんな風にわたくしの名前を呼んでくれる人は永遠にいなくなるから……。

***

大したものじゃないですけど、と言いながら、少年は高いところの戸棚から茶葉を出し、お茶を入れてくれた。そして入れながら、自分は遠い東の国から来たのだ、と語った。
彼の持つ違和感、どこにも属していないような不思議さはそこにあるのだろう。
わたくしは安心して、口元の面を外すことにした。

「この国は、トリステインは如何(どう)ですか?」
「……いいとこだと思ってましたよ。夢みたいな、おとぎの国だって」
「今は違いますか」
「やっぱ現実だなって。いや、おれが気づいていなかっただけですけど。おとぎの国で現実に暮らすのは大変だって、当たり前ですよね」

少年は乾いた笑みを浮かべながら、指折り、並べ立てた。

「薬が高い。医者がいない。そもそも病院がない。保険もない」

かちゃん、と銅製のカップを置いて、ため息。

「おれの住んでた国なら、金がなくても、素性があやしくても、犯罪者でも、とりあえず怪我人や重病人が病院に連れてこられたら治療してくれます。それに保険って制度があって、国が税金で治療にかかる費用を半分以上負担してくれるんです。貧乏なひとにはそれ以外にも生活費とかをもらえる制度もあって……」

不意に言葉を途切れさせて、彼は口元を尖らせた。

「……悪かったな、どうせあまちゃんだよ、おれは」

きょとんとするわたくしに気づいて、慌てて頭を下げる。

「すいません、その、アンさんに言ったわけじゃなくて、」
「かまいませんよ。でも、たしかに夢のようなお話ですね」
「そうですね、ここと比べたらきっと『おとぎ話』です」

少年はそれきり話を止めてしまったけれど、わたくしは考えずにはいられなかった。

彼の話は、まさしく非現実的な夢だと思う。それほどの施策を行うのにいったいどれほどの予算が必要なのか、そもそもそんなことが可能なのかどうか、見当もつかない。
もちろん我が国では、高貴なる者の義務として、貴族が貧民に施しを与えるのは当然とされている。たとえば国境沿いの公爵領には領民が無料で診てもらえる治療施設がいくつもあると聞いた。
しかし、それはあくまで個々の領主の裁量だ。国や王はそうした細かな領民経営に口を挟む立場にはない。

けれど、ひとつ。わたくしにも係わる問題があった。
来る途中に聞いたときも疑問に思ったこと。――薬が不足している、秘薬の入荷が滞っているというのは、どういうことかしら?

水の秘薬は、ラグドリアン湖の水の精霊からもたらされる。それは王家と精霊との盟約に基づくものだ。それが破られるというのは通常の事態では考えられない。
なぜなら、かの地の精霊は『誓約の精霊』とも呼ばれる存在。その約束は決して違えられることはないのだ。絶対に。

でなければ――かつてあの地で立てたわたくしの誓いはどうなるのか。
ただひとつの愛の誓いは……。

***

三年前――。
ハルケギニア随一の名勝でもあるラグドリアン湖の湖畔で、二週間に及ぶ盛大な園遊会が催されたことがあった(それは、実を言えば、わたくしの母の誕生日を祝うものだった)。
その宴にはガリア王国、帝政ゲルマニア、そしてアルビオン王国と――ハルケギニア中の国からたくさんの王族、貴族が集い、参加者は皆、威信をかけて、連日、贅の限りを尽くしたものだ。
当然ながら、当時14だったわたくしも出席し、毎日社交の催しに駆り出された。
連夜の晩餐会、舞踏会に加え、朝も昼も食事時は世界中の賓客と同席し、さらに詩吟の調べの会などのたくさんの行事……
その忙しなさと窮屈さに疲れ果てていたころ。わたくしはあのひとに出会った。
アルビオンの皇太子、プリンス・オブ・ウェールズ。
金髪と凛々しい碧い目をした、わたくしの年上の従兄弟。

一目で恋に落ち、何度も機会を伺いながら、逢瀬を重ねた。
夜の湖畔で合い言葉を告げ合い、姿を現す。
その心地よく秘密めいたやりとりは、今も思い出すだけで胸があたたまる、宝物だ。
湖の精霊だけが知っている、わたくしの最初で最後の大切な恋。

もちろん、叶わぬことなどわかっていた。いくら幼く我が侭ばかりのわたくしでも、お互いの身分と責任は承知していた。
それでも、かまわなかったのだ。
たとえ二度と会うことがなくとも、愛さえあれば。永遠の誓いさえあれば、生きていけると。

けれど誓いをたてたのはわたくしだけで、結局彼は『愛』を誓ってはくれなかった……。

***

いまさらどうしようもない物思いを振り払うと――目の前では、少年が少女の毛布をかけて直してあげているところだった。その仕草には彼がどれだけ彼女を大事に思っているかがよく表れている。
当然のように彼女を背にして座る少年。それはちょうど宝物庫を守る衛士のようで。
わたくしは――

「あなたは彼女の騎士様なんですね」

思わず呟くと、視線をそらして少年は頭を掻いた。

「そんなたいしたもんじゃないですよ。おれ、せいぜい、やばいとこからこいつを連れて逃げるくらいしかできないですし、」
「あら、素敵じゃありませんか」
「?」
「だって、あなたは彼女のそばにずっといるんですから。素敵なことですわ。――すくなくとも戦に出て、名誉に殉じて、勝手に死んでしまう、そんな勇敢な殿方より、ずっと」

少年の無垢な眸に見つめられて、わたくしは我に返った。

「ごめんなさい。わたくし、ひどい女ですわね。好きで死を選ぶ人なんているわけもないのに、そんな風に言うなんて……」
「もしかして……どなたか、亡くなったんですか?」
「ええ。わたくしが永遠の愛を誓った方です」
「あい?え、恋人、ですか?」
「ええ。でも、わたくしだけの思い込みかもしれない。あのひとは何も遺してくれなかった。指輪も手紙も、ただ一言の言葉も……たったひとつでもあれば、思いきれたかもしれないのに」
「……」
「たぶん、わたくしはまだ信じていないんですわ。あのひとが亡くなったこと……」

けれどそれはごまかしようのない事実だ。

その凶報をもたらしたのは、マザリーニ卿。
我が王宮でも最も旧い忠臣のひとり。枢機卿の位を持つ外様の彼だが、王家に対する忠誠はこの国の誰よりも強く、深い。先王が亡くなって以来、遺された不甲斐ない王族に代わって、我が国を実質的に支えている功臣だ。
ただ、誤解されやすい性質(たち)なのか、評判は貴族にも平民にも等しく悪いようだ。そのやせっぽちの外見を揶揄されて、ひどいあだ名で呼ばれているのはわたくしでも前から知っていた――。
それでも、いくら他人に厭われようと、彼は他の臣達とは違い、いつだってわたくしに耳障りな『真実』を告げた。それは苦いながらも大切な『薬』だとわたくしは思っていた。

けれど、その報せだけはなかなか呑み込めなかった。

「アルビオンの皇太子殿下が亡くなられました」

あの日、いつかわたくしが認(したた)めた二通の手紙を目の前に置いて、彼は言った。
わたくしが送った密使は道半ばで仆(たお)れ、代わりに卿の手の者がその死を看取った、と。

「ウェールズ様が亡くなった!?信じられません!その者に会わせてくださいっ」

取り繕う余裕もなく感情のままに叫ぶわたくしを、卿はまさに猛禽(とり)のような鋭い目で睨みつけた。

「なりませぬ。あれは身分も卑しき、『名も無き者』。姫様に直接お目通りすることはできませぬ。そんなことよりも、貴女には考えていただかねば――」

その目に、その言葉に、わたくしは目をそらし、耳を塞ごうとして――そして赦されなかった。

「お選び下さい、アンリエッタ様。このまま王女としてゲルマニアへ嫁ぐか、それとも――」

***

黙り込んだわたくしに、少年はおそるおそる尋ねた。

「亡くなったのは……『あの』戦いですか?」

わたくしは小さく首を振った。
同時に、その言葉であの、ラ・ロシェールでの戦を思い出す。
わたくしに突きつけられたもうひとつの現実。あまりに鮮烈な記憶を。

開戦の始まりは――よりにもよってわたくしの結婚式に参列するためにやってきた――アルビオン艦隊が放った『祝砲』だった。本来空砲で遣り取りするそれを、恥知らずの彼ら(レコン・キスタ)は『宣戦布告』として使ったのだ。
その報を受けたとき、王宮はまず誤解によるものだと考えた。
とうに国土は焼かれているというのに――。
戦争回避の策を求めて紛糾する会議場は、この国の臆病な貴族達の象徴そのものだった。
わたくしはいつまでも席を立たない彼らに見切りをつけ、立ち上がろうとした。けれど。
その次に届いた報せで、会議場にいた者達はわたくしを含めて全員、間抜け面をさらすことになった。

それは、ラ・ロシェールにおける『両軍』の『壊滅』。

突如空から顕れた光に、兵士達は皆撃ち殺されたという。それこそおとぎ話のような話だった。
けれど、不可解な話を確かめるために戦場に向かったわたくし達を出迎えたのは、言葉では表せぬほど残酷な『現実』だった。
今も目に焼きついている。止める枢機卿らの忠告を無視して、愚かなわたくしが見たのは、ぽっかりと胸に穴を空けた屍体達。だれもが、何が起きたのか理解できぬまま、ぽかんと口を開けて死んでいた――

『始祖の裁き』だと誰かが言った。

あの日のことを思い出す度に体は勝手に震えだす。それを気づかせないために、わたくしはあたたかなお茶を口に含んだ。味が分からないほどたっぷりと入った砂糖の甘さが有り難かった。

「戦は嫌なものですね。もう二度とあんな思いはしたくない」
「……ええ、」
「でも、しなければならないんでしょうね、」
「は?」

思わず漏らした呟きに少年は顔色を変えた。

「どうして戦争なんかしたがるんです、」

わたくしはいたたまれずに目をそらす。
――怒りのこもった言葉も当然だ。平民の彼らにとって、戦など降って沸いた災厄でしかないだろう。貴族達の娯楽とでも思っているのかもしれない。

「誰も、したいわけではありません。ただ、民を苦しめることになるからです」
「アルビオンって奴らですよね。あいつらがまた攻めてくるんですか……!?」
「いえ、あの会戦で彼らも多くの兵を失いましたから……しばらくは攻めてくる余力はないと思います。そして、アルビオンは空の国。諸国と協力して空路を封鎖してしまえば、いずれ物資を失った彼らは戦わずして降伏する羽目になるでしょう」

それが国内の反戦派の理であり、策だった。
たしかにその理屈は正しい。政治家として、貴族としては。けれど……。

「けれど、その間、彼(か)の国の民はどうなります?忠誠の対象である王を殺した彼らです。民が飢えることなど、気に留めはしないでしょう。きっと彼らがあきらめるまで多くのアルビオンの民が犠牲になります」
「そんなの――」

彼は冷やかな声で言った。

「戦争になればどっちみち同じじゃないんスか?いつだって弱い立場の人間が犠牲になる、そういうもんでしょう」
「ええ、しかし――」

国内には、短期決戦を主張する者達が多いのだ。むしろ主要派を占めていると言っても過言ではない。
王制を否定するレコン・キスタは、このハルケギニアにとって大いなる脅威だ。害虫は広まる前に駆逐するべきだと彼らは言う。
そして、そんな主戦派の貴族達は件(くだん)の光を『神の火矢』と讃え、反レコンキスタの旗印にしようととしているようだ。
曰く――彼の光は始祖ブリミルの神託。偽りの教えを唱え、仕えるべき主家を弑し、ハルケギニアを混乱へと導いた異端の徒を、始祖は裁きたもうたのだ、と。
愚かな妄言だ。あれが彼らにたいする裁きなら、なぜあのとき戦場にあったメイジは、アルビオンもトリステインも、皆平等に、ことごとく撃ち殺されたのか。
そこから目をそらしているだけならまだいい。
その無慈悲さこそが神の証、と答える狂信者まで出ている始末なのだ。

わたくしは首を振った。答えなど出ない、この『宿題』。無理矢理にでも答えを出さなければならないのだとわかっていても、いまはまだ――。

「もう止めましょう。このことを考えると、わたくしの心はいくつにも裂かれてしまうんです」

弱音をもらしたわたくしに、そのひとは言った。

「『すべてをすくうすべなどない』」
「――え?」

唐突に告げた少年は、わたくし以上に戸惑ったような、苦いような顔で、すみません、言った。

「ただ、罪はできるだけ少ない人間が負うべきだ、と。その……『おれは』思います」

わたくしにはその言葉の意味がわからない。――まだ。

***

***

帰り道――少年に付き添われて『宿』へと戻る途中――すっかり暗くなった空には、きらきらと星が輝いていた。
それは現実を恐れ、ともすれば過去に戻っていこうとするわたくしの心を、あっさりと捕らえた。
あの夢のような数日。あのひととの一番大切な想い出のひとつを思い出す――。

ある晩のことだった。与えられた居室の中で、ひとり眠れずにいると、こつこつ、と小さな物音がした。

「『風吹く夜に』」

無断で抜け出していたことがばれて、監視が厳しくなっていたはずなのに。
彼はまるで魔法のように其処にいた。
合い言葉を、と無言で呼びかける碧い瞳に、わたくしは震えながら応えたものだ。

「『水の誓いを』……どうして……」
「驚かせてごめんよ、アンリエッタ」
「どうして、こんなことを。見つかってしまったら、」

動揺するわたくしに、年上の従兄弟は悪戯を成功させた子のように朗らかに笑ったものだ。

「大丈夫。――君に、どうしても会いたかったんだ、」

そう言いながらも、彼は中には入ろうとはしない。
だからわたくしが外に出て、シーツを敷布代わりにふたり並んで寝ころび、星を見たのだ。まるで幼い子のように、手だけ繋いで。
彼の指には透明な石の指輪が、そして、わたくしの指にも青い石の指輪が嵌っていて、淡い光をこぼしていた。生ぬるい初夏の夜風が、優しく頬を撫でていく。

しばらく無言で星を眺めた後、彼は言った。

「昼間、とても哀しそうな顔をしていたのが気になってね」

それだけのためにこの人は危険を冒してくれたのか、と有り難くて、嬉しくて、切なくて、わたくしはすこし涙が出てしまった。それを悟られぬように――そんなことは無駄なのだけれど――わたくしは星を眺めたまま答える。

「ウェールズ様、わたくしには、おともだちがいましたの」
「うん?」
「ひとつ年下の公爵家の娘で、幼い頃に遊び相手として連れてこられて……。覚えていらっしゃいますか?先日の昼食会のときにウェールズ様もご覧になったと思いますけど。わたくしの傍らにいた、桃色がかったブロンドの女性、」
「いや、覚えていないな。君のことしか見ていなかったから」
「からかわないでくださいな」

ほんのすこし胸があたたかくなって――すぐに冷めてしまった。

「その方はわたくしのおともだちのお姉様なんです。会ったのは本当に久しぶり。……おともだちが七年前に亡くなって、それ以来です、」
「亡くなった……?」
「ええ。ずっと『事故』だったと聞いていたし、カトレアさんもそう仰っていたわ。でも昨日、貴族達が言っていたの……」

酔っていたのだろう、周囲の婦人達を無駄に大きな声で噂する彼ら。国でも随一の名門、公爵家の醜聞ということで、そのときばかりは声をひそめていたけれど、それでもたまたまわたくしには聞こえてしまった。

「ほんとうは、魔法がうまく使えなくて、自殺したそうなの。魔法ができなければ立派な貴族になれないって、」
「……」
「ねえ、貴族って何かしら?身分っていったい何?どうしてわたくし達はこんな哀しいものに縛られなければならないの?」

子供のように泣き出すわたくしに、あのひとがなんと言ったのかは――もう覚えていない。

思えばあのとき、とうにわたくしの幸福な少女時代は終わっていたのだ。

そして、友も愛も無くしたわたくしは、もうすぐひとりぼっちで嫁がねばならない。それは、他国(ひと)か、この国(くに)か。まだ、心は決まらないけれど――。

***

***

翌日、あの奇妙な『女衛士』さんの言う通り、ルイズはちゃんと起き上がった。
というか眠りながらひどく震えていたので、思わず声をかけると――急に起き上がったのだ。
大丈夫なのか、と尋ねるおれに何故か、へら、と笑う。

「なんか、悪い夢でも見たのか?」
「ううん、良い夢よ」
「そっか――」

なぜかきょろきょろと辺りを見回す仕草をするルイズ。まだ、寝惚けているのだろうか?
とにかくまた眠ってしまう前に、急いで尋ねる。

「なあ。何か、食べないか?ジェシカがお前の好物だって、パイくれたんだけど、」
「クックベリーパイ?うん、食べたい」
「おう。すぐお茶入れるからな」

じゃあわたしは顔洗ってくるね、とベッドから降りようとしたルイズは――ハンモックから転がりおちるようにして滑った。
寝てばっかりだったから、足が萎えてしまっているようだ。
おれは慌てて抱え上げて、椅子に座らせる。

「危ねえな、ちょっとそこで待ってろ」
「あー、ちょっと失敗しただけよ」
「いいから」

沸かした湯とタオルを持ってくると、ルイズはぶらぶらと退屈そうに足を揺らしていた。

「手を貸そうか?」
「――いい、さわらないで」
「あ、うん、」

背中でぱしゃぱしゃと水を使う音を聞きながら、おれはもう一度お湯が沸くのをじっと見ていた。ぐらぐらと鍋が煮立ったころ、ルイズが言う。

「ねえ、おんなのひと、来てたわよね?それともあれは夢?」
「夢じゃねーよ。妖精亭のお客さんで、水メイジのひと。お前に『治癒』魔法をかけてくれたんだ」
「覚えてないわ」
「しかたないな。今度店に行ったらお礼言っておくよ」
「あ、じゃあ、今行きましょうよ。ジェシカにも久々に会いたいし」

妙にはしゃいだ調子でルイズは言った。
病み上がりだし、ふわふわと地に足のつかない様子が不安で、おれは反対したのだが……すると余計に意固地になる。ったく、そういうところだけ普段通りなんだから――。
とにかく一日はちゃんと休むようにと言い聞かせて、翌日向かうことにした。

それでも――。
起き上がって、ものを食べるルイズを見るのは久しぶりで、おれはようやくほっとした。頬についた食べかすをとってやると、ルイズはまた、へら、と笑う。

***

つづく



[6594] ゼロとせんせいと 6の3
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2009/05/10 23:35
この暗闇の中にわたしを置いていかないで――

***

「オカユイトコロハゴザイマセンカ」

棒読みのセリフに、手のひらの中の頭が揺れた。くすくすと笑いを漏らすルイズに、おれはわざと乱暴に手を動かす。キャア、とあがった悲鳴もどこかわざとらしい。

「ほら、動くなってば」
「はーい」

手持ち無沙汰にぱしゃぱしゃと水面を叩きながら、ルイズは愉しそうに頭を揺らす。おれはその頭が手から離れないように、しっかりと掴んで、細い首をすえさせた。まったく――

「こういうのは先生の仕事だっての、」
「相棒、右だ右」
「あいよ」

ぶつぶつ言いながら片手で石けんのありかを探していると、デルフが教えてくれた。
ルイズが笑う。

「目隠し、とればいいのに」
「うっせ。黙ってろ」
「ひどーい」

文句を言いながら振り向こうとする頭を、おれは無理矢理固定した。顔に巻いた布の奥でさらにきつく目をつぶり、手を動かす。

この馬鹿馬鹿しい状況の原因は、メシの後、出掛ける前に身奇麗にしたいとルイズが言い出したせいだった。――延々と寝ていた間、食事もほとんど取らなかったくらいだから、もちろん風呂にも入っていない。それが気になったようだ。
普段ルイズが風呂に入るときは先生がお湯を沸かしながら手伝うのだが、さっぱり帰ってこない。当然の如く、おれが手伝わされることに。
そして。お湯が沸くや否や服を脱ぎ出したルイズに、おれが慌てて用意した『自衛策』が、コレというわけだ。ルイズも、いつもの面布を濡れてもいい包帯に替えているから、ふたりそろって目隠し状態。
……デルフがツッコミを入れてくれないのが、余計にむなしいぜ。

「次、背中ー」
「いい加減にしろ……」

はしゃぐルイズに、テンションだだ下がりのおれ。
はやく、先生帰ってこないかなー。
金だらいの中のルイズにおおよその見当でお湯をぶっかけながら、ため息をつく。
結局……全部手伝わされた。

「なあ、お前どうしちゃったの?」
「なにが?」

空とぼけるルイズ。なんでも自分でやると言っていた、あの頑固者は何処に行ったのか。足の間に座り込んだルイズの頭を、おれは拭いてやっていた。いまだに目隠しは外せない。
さっさと服を着ろと言っているのに、素肌で毛布にくるまる感触が気に入ったルイズはなかなか動こうとしないのだ。毛布越しに感じる、湯上がりでほかほかした柔らかい体の感触に、おれは――

「ハア、」

深いため息をつくしかない。
腕の中の『お子様』がささやく。

「ねえ、ため息つくと幸せが逃げるってせんせいが言っていたわ」
「だれのせいだよ……。なあ、その先生はいつ帰ってくるんだ?」
「さあ?とおいところに行くって言ってたから」

あっけらかんと言うルイズに、おれは硬直した。は?
すると、再び手のひらの中で頭が動く。ルイズが首を振る。

「ううん、ちがうわ。えーっと。そっか、帰るんだっけ?」
「――お前、もしかしてまだ寝惚けてんじゃないの?」
「しつれいね」

そう言うそばから、こっくりこっくり、舟をこぎ出すのがわかった。あたたかいのは眠気のせいか。
……腹がくちて、風呂でさっぱりして、眠くなるって、まんま子供じゃねーか。
(こりゃあ、出掛けるとしても夕方になりそうだな)
おれは――腕の中のぬくもりをそっと抱きしめながら――、もう一度切ないため息をついた。ようやく乾いた髪が、ふわふわと鼻先をくすぐる。

なあ、ルイズ。おれ、いつまで目をつぶっていればいいんだよ……?

***

***

あの晩、隠れ家に戻って以来、わたくしはずっとあの少年のことを考えていた。
黒い髪と目をした異国育ちの男の子。貴族の子息達とは違う、飾らない真っ直ぐな態度がひどく新鮮だった。
そして、彼の不思議な言葉――。

あれは、どういう意味だったのだろう?

ちょうどそう考えていたとき、その当人が来たというので、わたくしは急いで衣装を身にまとい、表に出る準備をした。
この衛士の衣装は身分を隠すためと、それから街の人間になりきるためにスカロンさんが用意してくれたものだ。
服は人の在り方を決める大切なものですからね、とスカロンさんは言って、色々と演技指導をしてくれた。うまくできているかどうかはわからないけれど、他人になりきるというのは面白いものだと思う。
ただし今日は顔を隠すのに仮面ではなく口布をつけることにした。異国から来た少年はわたくしの顔を知らない。だから、かまわないでしょう――。

わたくしは少しうきうきとした気分で、裏口からそっと身を滑り出させる。

すこし薄暗くなった外(おもて)。彼の姿はすぐにわかった。
隣に、少女がいる。
良かった、元気になったのね、と思いながら、同時にわたくしは、どきっとした。
その不思議な胸の痛みに首を傾げていると、ふと、彼女の傍を通りかかった酔漢が杖を出すのに気がついた。

***

おれはもっと注意するべきだった。
もっと自分から目を見開いて耳をそばだてて、ちゃんと理解するべきだった。
けれど、いつまで経っても間抜けのおれは、またしくじった。

ふだんのルイズなら、真っ先に気づいていただろう。
もしそれが危険や害の類なら、デルフはすぐに警告しただろう。
そいつらに傷をつけるつもりはなかった。

だが、悪意はあった。

酔っぱらいのしたことだ。魔が差しただけだと、そう言うやつもいるだろう。
けれど、おれはそいつらの顔を覚えていた。
以前ルイズと店に遊びに来たとき、店に迷惑をかけていた貴族達。ルイズがあの何でも消す魔法で、素っ裸にして追い払った相手。――そう気づいたときには、その魔法は放たれていた。

それは一番簡単な、それこそ貴族の子供が最初に覚えるスペルのひとつだという。
『閉錠(ロック)』の対となるコモンスペル。

――『開錠(アンロック)』

それを男はルイズの頭の後ろ、面布を留めていた『鍵』にかけた。

留め具を外された布は、重力に引かれて、ひらりと落ちる。

友達(ジェシカ)が出会いの記念にと作り、先生が色褪せぬようにと『固定化』をかけ、そして決して外れないようにと鍵をつけた、小さな布。

ヒッと誰かが息を呑んだ。

***

ねえ、×××さま。こわいゆめをみたの。こわい、とてもこわいゆめだったわ。
わたしのおかおが、なくなってしまうの。
……よかった、ゆめで。

***

「きゃああああああああああああああっ」

違和感に気がつき、指先で己の顔をたどった彼女は、そこに『あるべきものがない』ことに気がついて、絹裂くような悲鳴とともに顔をふせた。

けれどその前に、少女の顔はわたくしの視界に焼きついていた。
瞼と眼球がなく、底まで薄い皮膚におおわれたうつろな眼窩が二つ、ぽっかりと空いた彼女の顔が――。

心臓の動悸が痛いほど激しく、全身の血の気が冷えていた。それでも、『どんなときも平静に、決して顔には出さないこと』――生まれたときからずっと受けてきたその教えは守れた。
なのに――

「なんだ、こりゃあ――」
「平民どもがもてはやすから、どれほどの美少女かと思ったのに。ただの『化け物』じゃないか」

けらけら、と白々しく笑い声をたてるその言葉には、十七年の教えなど跡形もなく消し飛んだ。
感じたのは、怒りと呼ぶのすら生易しい、目が眩むほどの激情。
息をすることさえ、ままならぬほどの憤り。
それはあのとき、国土を焼かれ民の血が流れてなお会議を続ける者達を見たときよりも、ずっと強い。

わたくしは、気づかないわけにはいかない。
どんな装束を纏っていても、この憤りは変えることができない。どんな名で呼ばれようとも、この光景から目をそらすことなどできない。

これが我が国の貴族か。
これがわたくしの国か。
この小さな子が辱められ、震えなければならない国が!

わたくしは――、

生まれて初めての激情に囚われて身動きがとれないわたくしの前で、少年は自らの上着を脱ぎ、そっと少女の頭にかけていた。
そして、剣をとる。
険しい表情で――その内側に押し殺した痛みはいかほどか――剣を構える。
ただひと噛みをと鍛えあげた平民の牙を、貴族へと向ける。

彼らは杖を出す。何も知らぬ愚かな者が、杖を構えて、貴族の誇りを口にする。

事態に気がついた店の男達が殺気立ち、その威勢に怯える娘達の中からひとり、黒髪の娘が駆けだし、いまだ震える少女を抱きしめる。

それらを見て、わたくしは再び強く思う。

わたくしは――、いったい『此処』でなにをしている――?

この身はようやく駆けだしていた。

***

いやだ、ここはいやだ、どうしてこんなにくらいの、どうしていたいの、どうして×××さまはわたしをこんなところにおいていくの、いやだ、かえりたい、ここにはいたくない、いやだ、×××さま、わたしをおいていかないで――

***

彼らの間に身を躍らせたわたくしが最初にしたことは、『杖』に向き合うことだった。

「なんだぁ、貴様。平民のかばい立てをするのか?」
「どけ!そいつは今我々に剣を向けたのだ。これを見逃しては貴族の名折れ――」

「おだまりなさいっ!」

親ほどに年の違う相手だろうと、血走った酔漢相手だろうと、かまわなかった。
そんなものをどうして恐れる必要がある。

「いま、貴族の誇りをおとしめているのはだれですか。守るべきものに杖を向けるあなた方にはもう、この状況も見えないのですか。この場で誇りを語る資格があるのは、あなた方でもわたくしでもありません。――彼らです!」

そして、この場で裁きを下す権利があるのもまた、彼らだけだ。
けれど――。
わたくしは、向けられた『剣』を見た。
わたくし達を囲む、たくさんの人々を見た。棒きれを、包丁を、椅子を、手に手に持って、構える彼らを見た。

「どいてくれ、アンさん」

その中でも鋼鉄でできたような目が、わたくしを射抜く。
どんな目よりも――戴冠を勧める目よりも、戦を迫る目よりも――怖ろしい目だった。
けれどわたくしが、決して目をそらしてはならない相手だった。

「できません」

わたくしはその目を見つめたまま、必死に言葉を紡いだ。

「決して、彼らの行いを赦せなどとは申しません。けれど、どうか――剣をおさめください。この国の法は、あなた方が彼らを傷つけることを認めておりません。
もしもまだ、あなた方がこの国を愛する気持ちをお持ちならば、どうかお願いします」

ひざをつく。湿った石畳の感触が冷たい。
それよりも、冷ややかな声が降る。

「なに、してんですか。あんたには関係ないでしょう」

それは違う。これは何よりも誰よりもわたくしの罪だ。
だから頭を垂れる。赦しを乞うためではなく、差し出すために。

「それでもなお、おさめるに足りなければ――、どうかこの身をお討ちください。彼らの過ちはわたくしの罪。どうぞこの首を討ち、我らの罪を罰してください」

――この愚かな『王』の首を。

***

……うるさい……うるさい……うるさい……うるさい……うるさい……うるさい…………

***

しわぶきひとつ聞こえない、身を圧するような静寂。それを破ったのは、鈴の音のように凛とした声だった。

「それには及びませんわ。貴い方」

愛らしい少女の声が、言う。

「わたし達の誇りなど人の命に比べればささいなことです。ましてやこの程度のこと、陛下のおひざ元たるこの都を血で汚すにはあまりに軽すぎる。ここはどうかわたしどものやり方でけりをつけさせてくださいませ」

役者のようによく通る声で、わたくしの背後に立つ貴族達にも語りかける。

「貴族様方。わたしもまたかつてあなた方に恥をかかせました。つまり、これで『おたがいさま』ですね」

どこか戯れるような、いたずらっぽい口調で。

「手打ちといたしませんか?酒の席のいさかいは翌朝に持ち越さないのがタニアっ子のならわしでございます」

軽やかに、場をおさめる。

「それとも……」

その一瞬だけ声をひそめて――。

「あなた方は、こちらのお方に『名』を名乗らせたいのかしら?」

それはひとつの合図だ。

わたくしは顔をふせたまま立ち上がる。背中で身じろぐ貴族達の気配を感じながら、決して振り向かぬように強い自制をかける。

「退きなさい。そして二度とわたくしと彼らの前に顔を出さないように。次に会うことがあれば、わたくしもあなた方の名を知ることになるでしょうから」

いつのまにか即席の舞台と化した路地裏は、三下役者の退場と万雷の拍手で幕を下ろした。

***

あの後、興奮し讃える民達のただ一人として、わたくしの『名』を呼ぶ者はいなかった。あれはただの寸劇、一夜限りの夢だと、誰もがそう決めたのだろう。
わたくしは夢とも現(うつつ)ともつかない奇妙な感覚に包まれながら、彼らと共に店の裏の隠れ家に戻った。

密室の中――礼を取ろうとする彼らを押しとどめて、再び床にひざまづく。
やはり、あれは夢や幻では済まされない。

「名もなき市井の民よ。温室に咲く白百合よりも、美しく気高い人達よ。あなた方の高潔な振る舞いに、心から感謝します。
そして『国の名(トリステイン)』を戴く者として、改めてお詫び申し上げます。
なにより。あなた方の矜持を踏みにじった彼らに、正当な報いを与えられないわたくしの無力をお赦しください」

「どうぞお顔をあげてくださいまし。それに、お上が平民の報復を認めては国が立ち行きませんよ?」

あっけらかんと返された言葉を、不遜とは思わなかった。
ただ、知る。
ここに立っている少女は、わたくしが知る最も誇り高い人々のひとりだ。

わたくしは震えるような思いで、頭をあげた。まるで芯からただのひとりの少女に戻ったような気持ちだった。そうして、そのまっさらな心のままに、ひとつのお願いをしようとする。

――おともだちになってくれませんか。

そう言おうとして、けれど、果たせなかった。

上げた視線は中途で遮られた。目の前には、差し延べられた小さな手。視線は吸い寄せられ、動かない。

その掌に載せられた、ひとつの指輪に。

「この地で最も旧く貴い血をひく方へ、これをお返しいたします」
「どうして……これを……?」

『硬直』にかかったように、私の目はひたすらその懐かしいものに注がれていた。
だから彼女の言葉の意味もすぐにはきちんと理解できなかった。

「姫様。先日、『この者が』申したことは覚えていらっしゃいますね?」
「え、ええ」
「ならば結構です。……仰るとおり、わたしは『名も無き者』です。そして、わたしが彼(か)の人を『殺し』ました」
「…………え?」
「詳しくは『鳥の骨』にお聞きください。今はどうぞ、亡きひとの想いをお受け取りくださいますよう……」

わたくしの指にはまった青いルビーと、少女が差し出した透明なルビーが、光を放つ。
トリステインとアルビオンの象徴である『水』と『風』が合わさって、虹をかける。
それはふたつの王家にかかる、約束の架け橋。
ふたりを繋ぐ――
いつかのように魅入るわたくしに、かすかな調べが聞こえる。懐かしい、愛しい声がささやく。

「アンリエッタ、」

顔をあげれば、あの湖のほとりで金髪と凛々しい碧眼の青年が微笑んでいた――。

***

***

なんとなく浮かんだ古い歌をくちずさみながら、おれはルイズと街を歩いていた。
ルイズはなんだか肩を怒らせて、早口で文句を言っている。どうやらあの変てこなお姫様に色々と思うところがあるようだ。

「軽々しく首をはねろなんて言わないでほしいわよね。あの娘の首にはこの国の民全員分と同等の価値があるのに。まあ、逆はないけど」
「なあ、ルイズ――」

相変わらず、細い肩だ。それでも、先程までよりもずっと元気にみえた。

「お前、泣いてんのか?」
「泣くわけないでしょう?そんなもの、全部吹き飛ばしちゃったんだから」

負けず嫌いが答える。おれは気づかれぬように、笑う。

「まあ、いいや。元気になったなら」
「ん……心配かけたわね」
「いいって」

あいまいな英語の歌詞を途中で鼻歌に変えながら、おれは思い出す。狭い室内にかかった小さな虹を。
なんなんだろうな、あの指輪。まるでマジックのようだった。
ああ、マジックアイテムって言うんだっけか。

「なあ、最後にかけた魔法。あれ、なに?」
「んー」
「ひめさま、泣いてたぜ」
「もう。それを言うのは無粋ってもんよ」

ルイズはすこし迷って、それから小さな声で答えた。

「……唄が聞こえるの。ずっと。子供の頃から知っていた気がする。それを唄っていると、なんでもできるのよ。どこになにがあるかわかったり、いらないものを吹き飛ばしたり、それから、だれもが忘れた旧い記憶をモノから呼び起こしたり、」
「へえ」
「デルフが言うにはね、『伝説』らしいわ」
「そいつはすげーな」
「ついでに、あんたも伝説の使い魔らしいわよ?ガンダールヴって言ったかな」
「ますます、すげー。やっぱおれ、勇者だったのか?」
「ばーか。あんたなんか、ただのお調子者の犬で十分よ」
「まーな」
「あら……認めるの?」
「それで十分なんだろ?」
「……そうね」

***

夜を、あなたと翔けていく。あなたの操る幻獣に乗って、あなたの操る風に守られて。
その細い腕は力強く熱い。きっとあなたの骨は鋼鉄で、流れる血はマグマのようなのだろうとわたしは思う。

***

「死んではいけませんよ、か」
「ん?なんだ?」
「だれかが昔わたしに言ったの。死んではいけませんよ、ルイズって。それにわたし、頷いちゃったのよね」
「じゃあ守らないとな」
「ええ」

夜の街をふらふらと家に向かって歩いていると、隣で、あの唄とも違う不思議と懐かしい歌を口ずさんでいた少年が、不意にのん気な声を上げた。

「お、ルイズ。『見て』みろよ。月がきれいだぞ。ふたつもある」
「そりゃ、あるでしょ」

言いながらわたしは、つい顔をあげる。見えやしないのに、へんなクセだと嗤う。
そこにあるのは月でも星でも虹でもなく。
真っ暗な、天地も四方もない世界。
いつのまにやら迷いこんだ、わたしの世界。

でももう、大丈夫。大切なことを思い出したから――。

***

***

かえりたい、とだれかが泣いている。どこにもやらないで、と訴える。
塞がらぬ傷が涙のかわりに血をあふれさせ、支える細い腕がわななく。

――ルイズ、わたしのルイズ。
あなたを想うとき、わたしの目は闇にとざされる。すべての母親がそうであるように、傷つき泣き叫ぶあなたの声を聞くとき、わたしの世界は真っ暗になる。
ちいさなルイズ、わたしの愛しい、哀しい娘よ。死んではなりません。この母をこの暗闇に置いていってはなりません。
どうか、わたしのルイズ。
あなたを救うすべが一欠けらでも残っているなら、わたしは悪魔にだって魂を売り渡しましょう。
だから、どうか、約束をして――

羽持つ獣が、星ひとつない夜を翔けていく。
背にはちいさな影がふたつ寄り添い、まるで一体の獣のよう。
空をうがつ小さな黒点となって、影はまっすぐに翔けていく。
闇へ、闇夜へ迷い込んでいく。


そんな夜もあった。








[6594] ゼロとせんせいと 6の4(または2.5)
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2009/05/10 23:34
それはいつかだれかがみたゆめ。

***

そこは、広大な湖のほとりだった。
昼間なら、人々が船を浮かべて水遊びに興じる姿を見ることもできるだろう。けれど今は、降りそうな星の輝く夜だ。あたりは動くものひとつなく静まりかえり、ぐるりと湖畔を囲んだ木々が絵画的な陰影を作り出している。
いつのまに着替えたのか、避暑地に相応しい、薄地のワンピースに素足という格好になっていたわたしは、その光景に惹かれて茂みを出た。
生ぬるい初夏の夜風が頬をすべり、深い紺藍の水面にさざ波を起こす。

――泳いでみたいな。泳げるのかしら。

きっとできるだろう。ここではすべてが本物と同じく感じられる。触ることも、見ることもできる。
誘惑に駆られて近づいた水際で、わたしは金髪の青年に出会った。

「……なにをしているの?」
「!?」

唐突に現れたわたしに驚いたのか、彼は一瞬こちらを見て視線を大きく揺らがせた。
けれど、すぐにきちんと立て直して、きれいな笑顔を浮かべる。
この礼儀正しさこそ、育ちの良さの証ね、となんとはなしに思う。
顔を『見る』のは初めてだけど、彼がこの世界で最も貴い身分の青年だとわたしは知っていた。

「きみは?道に迷ったのかな?」

優しげな声かけに、わたしは……思わず笑ってしまった。
かなり不躾だったはずなのに、青年は気分を害した様子もなく、ただ首を傾げる。
わたしはあわてて言い訳をした。

「ごめんなさい。『いつか』と同じことをおっしゃるから、つい……」
「どこかでお会いしただろうか?」
「いいえ。『今は』はじめてですわ」

わたしはまた、ついついそんなことを言ってしまう。何の意味もない謎かけ。自分以外に理解する者のいない冗句は良いものじゃない。
けれど、きょとんとした青年の、すこし間の抜けた顔を見ていると、クセになりそうだった。

「それより。こんなところで、なにをしていたの?」
「うん?」

整った顔立ちの青年は、悪戯の見つかった子供のように、ばつ悪げに笑った。

「参ったな」
「あら、内緒事?」
「ああ。だけど君に見つかってしまったからね。もう諦めるよ」
「わたしのことなら気にしなくていいわ。どうせ『ここにはいない』人間だから……。それより、どこへ行こうとしていたの?お手伝いしましょうか?」
「……どうやら、なにもかもお見通しみたいだな」

そんなことはない。彼の事情を聞いて、わたしは素直に驚いた。
よりによって、『お姫様』に夜ばいをかけるなんて、ずいぶんと大胆ね。

「昼間の彼女の様子が気になってね。話をしたいと思ったんだ。国に帰れば、たぶんもう二度とこんな機会はないだろうから」

高い空のように綺麗な碧い瞳を憂鬱に曇らせて、青年は言う。
恋は盲目ね、とわたしは笑う。

「なら――うまくいくように祈ってあげるわ。大丈夫、夢の中ならたいていのことは叶うものよ」
「夢?」
「ええ。これはわたしの見ている夢だから。わたしが願えばきっとなにもかもうまくいくわ」

うそぶくわたしに、彼は訝しがることも鼻白むこともなかった。
ただ真面目な顔で、

「それはいいな。ぜひ頼む」

と言った。
……えーっと……言い出したのはわたしの方だけど……
こんなに素直に他人を信じちゃって、大丈夫かしら。このひと?
なんだか色々と不安になる。
今にも駆け出しそうな青年にひとつ、忠告。

「ねえ、ほんとうに彼女とうまくいきたいのなら、他の女の話はしちゃだめよ?女の子はそういうことにとっても繊細なんだから」
「つまり……君のことは秘密にしろと?」
「ええ。わたしも、あなた以外のひとに会う気はないの」

知りたいのは『指輪』の持ち主のことだけだ、と、青年の細い指に嵌まった透明な石を見ながら、思う。
もしかしたら今のわたしの姿は、あの指輪の持ち主以外には見えないのかもしれないしね。
そう告げると、青年は、そうか、と頷いた。

「とにかく、幸運を祈っているわ」
「ありがとう」

***

そして、わたしは一度、夢から戻る。深い湖の底を蹴って水面に顔を出すように、いっときの息継ぎをする。
暗闇に、甘い紅茶の香り。そして、

(…………また、おんな、)

ほらね、王子様。やっぱりなんだか腹が立っちゃうのよ。
どうしてかしら?
女の子ってわがままね。

***

「やあ、また会ったね」

夜会用のファントムマスクを手に、彼は気さくに笑った。

場所が違い、時間が違い、先ほどとは雰囲気がまるで違った。
蒼みの残る空。木々の向こうにはたくさんの人の気配がする。
あれは、花火かしら。
まだ明るい空と水面が、極彩の色に染まっていた。下町の祭りで聞く爆竹とは違って、音はないけれど――陸の上の人間のお祭り騒ぎは、湖底に住まうという水の精霊達にはどう映っているのだろう。
わたしの視線を追って、青年が言った。

「お祝いだよ。この国の御后様のお誕生日を祝っているんだ」
「たいしたドンチャン騒ぎね」
「フフ。虚飾の宴、と言いたそうだね。だがこれも平和の証だ。そう思えば悪いものでもない」
「そうね。そのおかげで彼女に会えたわけですものね」

わたしがからかいをこめて、まぜ返すと、

「いいや、きみのおかげだよ」

と何をどう勘違いしたのか、人を疑うことを知らない青年は朗らかに笑った。
……わたしはすこし反省した。ただの出まかせを無邪気に信じられることくらい居心地の悪いものって、ない。

「そう言うってことは、うまくいったのね」
「うん、無事話はできたよ」
「それだけ?」
「ああ」

わたしの質問の意味はわかっているだろうに、知らんぷりを決め込む青年。でも、夜中に嫁入り前の女性の部屋に入り込んだ時点で、すでに『有罪』だと思うわ。

「私は彼女の部屋には一歩も足を踏み入れてないよ、始祖に誓ってもいい。ずっと外にいたんだ、」

子供のような言い訳に、わたしは呆れた。

「他人に見つかったらどうするのよ?」
「見つからないさ。君が祈ってくれたのだから」
「……知らないわよ」

おそらく。わたしのここでの行為が何かの影響を与えることはないだろう。これは所詮ただの幻。指輪が見せた、うたかたの夢に過ぎない。
だから問題はない……はずよね?

「それで、今日は行かないの?まさか、またわたしに神頼みしてから、とか考えてないわよね?」
「いや。でも、もう一度君と話をしたいと思っていたんだ」
「あら、光栄ね」

口のうまい青年に促されるまま、並んで水際の岩に腰掛けた。足先に触れる水の冷たさが心地よい。
夕涼みの話題はもちろん、秘密の恋人達のこと。
なんでも、話の流れで、この湖の精霊に愛の誓いを立ててくれと頼まれたのだとか。
お姫様も、やっぱり女の子ね。
『年下』の少女のことだと思えば、かわいらしい。

「いいじゃない、彼女がそれで満足するなら。言ってあげれば?」

傍観者の気楽さで告げると、青年は苦笑いで――何も応えない。
彼にとってはその言葉は重いのだろう。もしかしたら、お姫様が考えているよりも、ずっと。

「……いっそ駆け落ちくらい考えているのかと思ったけど。そこは融通が効かないのね」
「そんなことをすれば彼女を不幸にするだけだよ。今は――そうだな、夏の夜の夢のようなものさ」
「あら。幻で済ますの?」
「もちろん幻なんかじゃない。けれど、言葉はひとを縛るからね」

――男と女の違いかしら?
残念だけど、わたしには彼がそこまで思い詰める理由がよくわからない。
ただ、彼が落ち込んでいるのはよくわかった。

「ま。気にすることはないわ。かたちにこだわるのは子供だからよ。どんな言葉であれ、そこに想いがあれば、いつか心は伝わるわ」

だから、慰めてあげようと思ったのに。

「……ねえ。ここで笑うのは失礼じゃない?」

どうせ、恋も知らない子供の戯言とでも思ったのだろう、と唇を尖らせると、青年は「いや申し訳ない」とまた笑う。なぜかとても優しい表情(かお)で。

「もし君がそんな『言葉』を知っているのなら、それはとても幸福なことだと思ってね」

……そうね。
知っているような気もするわ。
わたしはなにかを思い出す。震えるわたしを抱きしめた腕の力強さを思い出す。
×××はいけない、と言った『だれか』の厳しい声。
ぼんやりと夢の中で夢を見ていたわたしを、引き戻したのは青年の声だった。

「そうだな。君になら……」

健やかな、若い瞳。痛みも苦しみも怒りも憎しみも知らない、澄んだ碧い瞳が、わたしを真っすぐに見つめる。

「なに?」
「誓いを聞いてほしいんだ」

夢に何を誓うというんだろう。
……違うわね。夢、だからこそ、かしら。
わたしは、頷いた。

一番星の輝く空の下、彼は毅然と頭をあげ、そして、誓いの言葉をつむぐ。

「私、アルビオン皇太子、ウェールズは決して伝えることのできない言葉の代わりに、これから発する言葉のすべて、為すことのすべてを、我が心のうちに在る最も貴い存在に捧げると誓う。
たとえ耳に届かなくとも、目に映らなくとも――私は死の際まで、彼(か)のひとに恥じぬように生きると誓う」

えーっと……。
わたしは呆れながら、目を細める。
――ほんとうに隠すつもりがあるのかしら?
どんな愚か者でも間違いようのない愛の言葉を、臆面もなく素面で言い切った彼は、年相応に若く、青く、眩しかった。

「あなたって、ロマンチストね」

ねえ、だから笑わないでよ。褒めてないわよ。

***

そう、あなたはとても誇りたかく、そして勇敢なひとだった。
その命が、愛する人の幸いの礎となることを望みながら――

***

わたしは、ふと、奇妙な感覚にとらわれた。その『不快感』に、顔をしかめる。

「ん……」
「どうした?」
「……かゆいの。むずむずする。なんだか……皮膚の下を虫がはいずり回っているような気がするわ」

無意識に『顔』にのばしかけた手は――やわらかく掴まれて、阻まれた。
青年と呼ぶにもまだすこし若い彼が、大人のような慈悲深い笑みでたしなめる。

「触ってはいけないよ。ほら、気になるなら覆ってあげよう」

白いハンカチーフを細く畳んで、わたしの『顔に巻きつける』。
指先に高級な絹の感触。鼻先に彼のコロンが香る。
優しい香りだ。

「………………ありがと、」
「そう。女の子は笑っている方がいいね」

(「わらってごらん、×××」)

わたしは不意に恥ずかしくなった。俯き、顔を赤らめる。

「いやだわ。わたし、そんなに小さな子じゃありません」
「え?……あ、ああ。そうだね。これは失敬、」
「もう、ししゃくさまみたい」
「子爵?」

ぽろりと口をついて出た言葉を尋ね返されて、わたしはまた恥じ入る。『かれ』のことを話すのは誇らしくて、けれど同時にとても気恥ずかしくて、いつも困ってしまうのだ。
気づけば勝手に足先が水面を蹴っていた。ぱしゃぱしゃと音を立てる。それこそ小さな子供のように――。

「その、わたしの、婚約者ですわ。とても立派な方で。……でも、いつもわたしを子供扱いするの」
「そうか。君には婚約者がいたんだね」
「ええ」
「では、私などが君を独り占めしてしまって申し訳ないな。こんなところを見られたら、きっと婚約者殿に決闘を申し込まれてしまうよ、」

決闘なんて。
冗談めかした彼の言葉に、わたしはわけもわからず、ぞっとした。

「男の方って野蛮だわ。どうしてそんなことをするの?」
「そういう生き物だからね」
「怖いわ」
「怖くなんてないさ。愛しいひとのためなら、そのひとが笑っていてくれるためなら、どんな困難にだって立ち向かえるものだよ」

朗らかに言う。それが、なんだか無性に腹がたった。

「ずいぶんとお安い勇気なのね。それで哀しむ人がいるとはお考えにならないのかしら」
「手厳しいな」
「だって、そうじゃありませんか?『死んでしまっては何もできない』のに」
「そんなことはない」

不意に真剣な眼差しとなった彼は、わたしを否定した。

「死してなお遺るものはあるよ」

わたしはその勢いにすこし気圧された。

「人の『想い』だ」

それほどに、彼は真剣に、真摯に『わたしに』訴えかけていた。

「人の『想い』には、あらゆる理に逆らって奇跡を起こす力がある。いま君が此処にいて、こうして私と話しているように、」
「?」

浮かんだ疑問は、澄んだ瞳に打ち消された。やわらかな声。まるで小さな子を慈しむように、或いはまるで死者を哀れむように、彼は言った。

「私は君の名を知っているんだ、『ルイズ・フランソワーズ』」

縫いとめられる。

「アンリエッタの『おともだち』だね。たったひとりのほんとうのおともだち。七年前に亡くなった……」

手のひらが、わたしの頬を撫でさする。
慈しむその手に、わたしはどきりとする。そのあたたかさに、息を呑む。
ああ、生きている。これは生きているひとの手だ。
ここに、生きて、いた――

「彼女のためにこうして来てくれたのだろう?私に力を貸してくれるために」

わたしはようやく、彼の『間違い』に気がついた。
なんて……ひどい冗談かしら。

「……これは、ただの夢ですわ。何の力もありません。何かを変えることなど、できません」
「それでもいいのだよ。たとえこれが君の見た夢でも、私の見ている夢でも、こうして伝えることができたのだから」

柔らかな笑みで彼は告げた。

「この出会いに心からの感謝を。君は私達ふたりの恩人で、大切な『ともだち』だ」

わたしは――どうにもたまらなくなって、杖を振った。

そうだ、わたしはずっと杖を握っていた。この『夢』を見続けるために。
けれどもう消える。魔法は解けて、指輪から紡ぎだされた『記録(RECORD)』は途切れる。

去り際、過去の幻が呟くのが聞こえた。

「――主よ。さ迷える死者の魂に永久の安息を――」

ああ、ほんとうになんてひどい。
なにもかも間違いだらけだわ。

いいえ、

と、わたしは叫ぶ。決して届かぬ声を上げる。

それは違います。
死者は、あなたの方です。ウェールズ王子。
わたしが、殺した――


あのとき、わたしは考えていた。
あなたが死んだなら裏切り者を。
裏切り者がしくじったならその『生き証人』を。
だれひとりとして、なにひとつとして、残さないことを。
ただそれだけを考えていた。

目の前で死にいく者が、誰であろうとかまわなかった。――ただひとりを除いて。

そして全てをなかったことにした。
死の際にあなたが味わった悲憤も、たった数回の逢瀬をきっかけにひたすらに抱きつづけた愛も、その全てをあなたの愛したひとが知る機会も、なにもかもゼロに変えた……。

わたしは……、わたしが……、


――夢だ。これはただの夢だから、


だから、はやく目を覚ましなさい、と杖を手放し、自分の顔をこする。悪夢を振り払おうとして――気がついてしまう。

幻の布が剥がれ落ち、手に触れたのは、まるで骸骨のように、ぽっかりと穴のあいた己の顔。
醜い、死に損ないの化け物。

――夢の狭間であげた悲鳴は、虚ろな闇に吸い込まれた。

***

……ねえ、こわいゆめをみたの。おかあさま。
こわい、とてもこわいゆめだったわ。わたしのおかおが、なくなってしまうの。

(「カリーヌ、何をしている!」)
(「お母様!やめて!×××が死んじゃうわっ」)
(「此処に置いておいても死ぬのは同じです、『病院』に連れて行きます」)
(「しかしあそこはっ。娘を実験台にされるのはイヤだと言ったのはお前じゃないか――」)
(「もう、それしかありませんっ。血がこんなに流れては――」)

ねえ、みんな、なにをはなしているの?
おかあさま、こんなおそくに、どこにいくの?
おそらはいやだわ、こんなにまっくらだもの。あぶないわ。

(「大丈夫ですよ、×××。此処ならきっと――」)

いやよ、ここはいや。まっくらだわ。こわい。こわいの。
おねがい、おかあさま。おうちにかえして。
わたし、いいこにするから。まほうのべんきょうもがんばるから。
こんなこわいところに、おいていかないで。おうちにかえして。

(「なんだこの傷。まるで塞がらないぞ。おいもっと薬を――」)
(「しかしこれ以上は」)
(「いいから!公爵家の依頼なんだ。しくじったらどんな目にあうか――」)

もうやめて。いたいよ。こわいよ。おうちにかえりたい。

(「それで、私に何とかしろと?馬鹿どもが」)

ねえ、いたいのも、がまん、するから、
こわいのも、がまん、する、から、
いいこに、なる、から、
たくさん、がんばる、から、
もう、なかない、から、
ねえ、おねがい、だ、から――

(「ふぅん――」)

か、ゆい、
かお、に、むしが、
なかに、いる、
むしゃ、むしゃ、たべ、て、
わたしの、めも、かお、も、
たべて、しまう、
み、んな、たべ、て、
むしゃ、むしゃ、
うるさ、い、
むしゃ、む しゃ、
う、る、さく、  て、
わ、たし、 なく、
なっ、ちゃ、
          う、



(「なあ、コルベール君、面白いものを見つけたんだ」)




             だ、れ、      か、
                              を、
                                           で――







「――イズ!ルイズ!!」









「大丈夫か?なんか、悪い夢でも見たのか?」

声がたずねた。
あたたかい手が触れた。
わたしは、笑って、答えた。

「ううん、とても良い夢よ」


そう、なんて良い夢かしら……ここは……


***

わたしがほんとうに夢から覚めるのは、もうすこし後のこと。








※王子様視点は……どうぞご想像ください。



[6594] ゼロとせんせいと 6の5
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2009/05/24 21:02



夜の街道を、馬で駆ける。
傍らを行くは、異国の兵達。
己の背には、顔のない屍体。
悪夢というよりどこか滑稽劇的な、現実離れした光景。

「ほんとうに助かるのか?」
「ご心配なく。我が主の『奇跡』にかかれば、いかなる死も不幸もたちどころに御身から立ち去りましょう」
「何を馬鹿な、」

的外れな返答に私は顔を顰めた。

「私は死ぬのはいやだぞ。たとえ、生きかえると言われても、一度でも死ぬのはいやだぞ」
「それもご心配なく。貴殿のことは我らが命に代えてもお守り申し上げる」
「さすが、勇猛果敢なアルビオン騎士だな。死をも恐れぬか?」
「はい。我らは死を超越しております故」

つまらぬ冗談を平然と返す整った顔から、私は目をそらした。
もう一度呟く。

「ほんとうに助かるのか?」

双月の下を疾駆する馬。足元を黒い影が踊る。黒い影が追ってくる。

***

***

「待て、その手は」
「待ったはなしです」

白と黒のマス目が規則正しく並んだ盤上に、私はこれみよがしにカツと駒を置いた。向かいで相手がため息をつく。

「なあ、君」
「なんでしょう?」
「性格、悪いな」
「人聞きの悪い」

声音ににじむ不満を隠せぬまま、私は手早く盤上を片付ける。

「そもそも、気に食わんのなら付き合わせんでください。貴方ならいくらでもお相手はいるでしょう」
「そういうな。実力が拮抗している相手との方が面白いのだ。その点、君も私も『へぼ』だからな」
「はあ」
「いいから、たまの息抜きくらい付き合え」
「お疲れのようですな」
「フン。皆この老身に遠慮なく荷を載せてくれるからな」

皮肉げに愚痴をこぼしながら、懲りもせず己の駒を並べる。その外見は、実年齢よりも十以上は老けて見えた。先王亡き後、一手に外交と内政を引き受けた激務が、彼を老人に変えたのだろう。
私もその向かいに陣営を敷く。歩兵、騎士、僧侶、城壁、女王と王。盤上の小さな戦場にランプの灯りでできた小さな影がゆらゆらと揺れる。

「――ときどき、政をコレの類に喩える者がいるが、私にはどうもそうは思えんな、」
「まあ、ひとつひとつの駒に顔があっては、指しにくいでしょうな」
「ああ、まったくだ」

最後に骨ばった手で『王』を正位置に戻して、彼は顔をあげた。『鳥の骨』と揶揄される通りの痩せこけた顔に、灰色の丸帽子。

「ところで、君――」
「なんでしょう?」
「いい加減、『面』を外したらどうだ?」
「どうぞお気になさらず」

しらっと答えると、向かいの陰険な顔がさらに歪んだ。

***

我が国、トリステインは小国だ。
東西の新興ゲルマニア・大国ガリアに比べれば、国土は猫の額ほど。民の数も、王宮が保持する軍の規模も、文字通り、桁が違う。
それでも今まで他国に侵略されずにいたのは、単に両国の緩衝地帯として価値があるからに過ぎない。各国の勢力バランスが崩れるか、或いはどこぞの王が気紛れに欲を出せば、容易く呑み込まれるだろう。
そして、現実にレコン・キスタという敵が現れた今、我が国の命運は風前の灯火だ。

国境を越えて繋がる貴族連合レコン・キスタは、烏合の衆と呼ぶにはあまりに数が多く、勢いがあった。なんでも首魁のオリヴァー・クロムウェルという男は元は一介の司教に過ぎなかったらしい。ところが、ある日始祖の天啓を受けて『奇跡の力』に目覚め、瞬く間に多くの貴族を味方につけた。
どれほどのカリスマかは知らないが、現実に、始祖ブリミルよりこの地に授けられた三杖の王権のひとつを砕いているのだ。ただの山師ではあるまい。
そして今や不遜にも『神聖アルビオン共和国』皇帝を自称し、このトリステインを虎視眈々と狙っている。

浮遊大陸という地の利を得た以上、奴らの戦略戦術上の優位はゆるぎない。
そう、所詮、先日のラ・ロシェールの戦など局地戦でしかないのだ。ぽっと出の勝利に浮かれていられるのは何も知らぬ愚か者共と平民だけだろう。
ゲルマニアとの同盟も進まぬ中、ここで血気に逸って総力戦を仕掛ければ、結果は目に見えている。そんなことは、多少目先が利く人間ならば誰でもわかることだというのに……。

頭が痛いことに、我が国の貴族達は揃って楽観的だ。
元々彼らには体面や矜持にこだわって現実から目をそらすという悪癖がある。その割に目先の欲に囚われて簡単に踊らされる、世間知らずでもある。
今は『始祖の裁き』とやらに目が眩んで、大いなる手が戦勝後に寄越す分け前でも夢想しているのだろうか。
言ってしまえばレコン・キスタ共もだが、正体もわからぬ怪力乱神に何故そこまで心酔できるのやら。
――正直、私には理解しがたい。
もっとも、国政の要を握っているのが、司教上がりの宰相殿では致し方ないのかもしれない。平民の血を引きながら幸運にも先王の引き立てを受けて成り上がった男は、政治も神頼みでどうにかなると思っているのだろうから。

結局のところ、この国では道理のわかった少数の者が道を作るしかないのだ。それも今となってはわずかな選択肢しか残されていないが――。

まだゼロではない。
故に、私は賭けに出ることにした。

***

「そういえば、」

しばらく駒の置く音だけが響いた後、今度は私が話を振った。

「知人に聞いた話ですが、東方にもこれと似たようなボードゲームがあるとか」
「うん?」
「同じように互いの駒を動かして王を獲り合うのですが、落とした駒を自分の駒にすることができるそうです」
「ほう、それは面白いな」

彼は奪い取ったばかりの白の兵をひとつ自陣に置いた。

「わけがわからんぞ」
「……なんでも、そのゲームでは駒の向きが決まっているので、敵味方の区別が容易につくのだとか、」
「なるほど」

どこまで本気かわからぬ遣り取りの後、彼は駒を放り出した。

「さて。現実もそんなに容易く敵が味方になればよいのだがの、」
「物語ならば、敵将の器に感服して杖を託す者もおりますな」
「古き良き時代の話だな。貴族が貴族であった時代の。――今は真に将たる器の者なぞおらんよ。おるとすれば姿を見せぬ狡猾な狐に、分も弁えぬ貪欲な鼠、後は自分の頭で考えることもない人形ばかりだ」
「なるほど。苦労が絶えませんな」
「カケラも思っておらんくせに。君もたいがい悪い奴だな」

反応に困る台詞の後、彼はようやく本題に入った。

「敵が味方になるのは良いが、その逆は恐ろしい、か」
「密偵が次々と取り込まれるからくり。掴めませんか?」
「ああ。だがやはり首領の『奇跡』とやらが怪しいな」
「伝説の力、『虚無』ですか。始祖ブリミルが操ったという第零の系統――」
「と、奴らは言っておるがね、伝承によれば『虚無』は王家の血に伝わるもの。地方の司教ふぜいにどうして現れよう」
「……御落胤ということは?」

彼はその愚問を一笑した。

「ありえぬよ。あれはただの俗物だ。今回のやり口にしてもそうだろう?虚無など出任せさ。ただ、始祖の名を騙りたいだけだ」
「けれど、あのクロムウェルという男、死者を蘇らせたと言いますぞ」
「うむ。その奇跡でもって『文字通り』信奉者を増やしていったそうだな。いかなる詐術か邪法か知れたものではないが――現に死を免れた連中からすれば、それこそ神にも等しいというわけだ」

毒づく彼の言葉に、ふと、私は手を止めた。

「……なるほど」

***

アルビオンでは近年王家と諸侯の乖離が著しく、そこをつけ込まれてあんな下賤な集団に国を乗っ取られる羽目になった。一方、旧い伝統と形式を重んじる我が国では、正統なる王家の血は未だに『絶対』だ。

トリステイン貴族は決して王家の血を持たぬ者に頭を下げはしない。

だがそれは――外国出身の枢機卿が幅を利かせながらも国内が落ち着いていることからも知れる通り――、『ド・トリステイン』の名と血を戴く限り、その裏で操る者が何者であろうと気にしないということでもある。(もちろん、それが己の不利益とならないという絶対の前提条件はあるが)

実際、枢機卿もそのあたりは目端が利くようで、必ず王后陛下、姫殿下を立てるかたちで政を行う。
特にアンリエッタ・ド・トリステイン殿下の『白百合』と讃えられる見目の良い顔と姿は、『鳥の骨』と蔑まれる枢機卿にとっては都合の良い目眩ましになっているようだ。
そして、王宮を出たがらない王后に代わって様々な名目で外に連れ出していたおかげで、年若き王女は今や、若い貴族や平民達に大層な人気となっている。
同盟の為とはいえ、いつ首がすげ代わるかわからぬゲルマニア皇帝の元へやってしまうのは、正直もったいないほどだ。
もっとも本質は甘やかされた小娘でしかない彼女が果たせる役目といえば、それくらいなのだが……。

私ならば、もう少し上手い使い方をする。

***

「まるでおとぎ話だな」
「かもしれませんな」
「だが、確かに色々と辻褄は合うようだ。特に、内乱で疲弊しているはずの連中が短期間に大量の兵を用意できた説明はつく」

言いつつも、灰色の梟めいた男はぎろりと目をむいた。

「とはいえ、この程度の憶測で動くのは難しいぞ?」
「そうですな」

そこで、私は賭けを持ちかけてみた。
餌を撒いてみてはどうか、と。

「なるほど。そういえば以前、君に劇場の『鼠』のことを教えてもらったな」
「ええ」
「アレもなかなか尻尾がつかめずにいたのだ」

――炙ってみるか、

一瞬だけ、それこそ猛禽の目となって、元司教は言った。
まあ、あの鼠には幾度も煮え湯を飲まされているようだから、仕方あるまい。

「となると――。やはり、殿下にお亡くなりいただくのが一番だろうな」
「左様ですな」
「うむ。ちょうど良い機会だ。あの方にもせいぜい楽しんでいただこう」

そう言って、人の悪い顔で嗤う。

***

そう、私の賭けの駒は、姫殿下だ。
彼女をうまく扱うことができれば、この勝負はいくらでもひっくり返せる。

今の枢機卿では、あの娘を扱いきれているとは到底言えない。
先日もあのじゃじゃ馬の我が侭を通して戦場に行かせたという。何のパフォーマンスか、婚礼衣装のままで、だ。
それも結局、屍体の山に怯えて帰ってきただけ。しかも、その後はひたすら王宮の奥深くに閉じこもっていると聞く。(王宮では適当な武勇伝を作り上げて街に流しているようだが、あんなもので騙されるのは酔っぱらい位なものだ)
当人がどれほど否定しようと、所詮、あの娘は籠飼いの鳥なのだ。
ならば、籠の中で存分にさえずり愛でられるように振る舞えばいいものを。不安顔で閉じこもられては、唯一の取り柄も生かせまい。そんなこともわからないから小娘なのだが。

まあ、これも良い機会と、私は彼女に街に出るよう誘いかけてみた。

それがこんなことになるとは――

先日の戦より気鬱に囚われているらしい姫殿下を、私は芝居見学を名目に連れ出した。
殿下の芝居好きは有名で、職務上芝居の検閲も行う私に、市井の芝居の様子を尋ねられたことがあったからだ。
この頃かかっているのは『トリスタニアの休日』という恋愛劇だ。若い娘に評判だと聞いていたので、ちょうど良かった。
堅苦しいことの苦手な姫殿下だ。加えて『お忍び』ということで、顔を隠させて一般席の中に案内し、護衛も排して観劇する。

それが仇(あだ)になった。

否、認めよう。
私は慢心していたのだ。よりによってこのタイミングで、姫殿下を『暗殺』する者がいるとは思わなかった。

私は暗い地下道の片隅で、屍体を下ろした。思いもよらぬ結果に、顔は顰めっぱなしだ。
辺りには、ひどい悪臭が漂っている。ひさしぶりに嗅いだが、これを間違うことなどありえない。人間の焼ける臭いだ。
若かりし日の戦場での体験を思い出しながら、込み上げる吐き気を押し殺す。
――ちっ、服に臭いがついたな。
まるで関係のない思考が浮かぶのは、おそらくそれなりに動揺しているせいだろう。

***

「うむ――」
「ほんものを継ぎ合わせてますから。においもない人形よりはましでしょう」

嫌悪感を隠さない様子に、私は思わず言い訳めいたことを口にしていた。
ところが、返ってきたのは思いもかけない駄目だしだった。

「この顔、どうにかならんのか?殿下が見たら怒り狂うぞ。年頃の娘というのは難しいものだからな」
「…………潰してしまえばわかりません」
「ずいぶんと乱暴な」
「元々暇つぶしの産物です。あまり期待されても困ります」
「暇つぶしでこのような下法に手を染めるとは――君の師とやらも、たいがい不遜だな。神をも恐れぬか?」

先日のことを根に持っているのだろうか。私は仮面の奥でそっとため息をついた。

「作り手の心根は関係ありませんよ。技術は要は使い方、使う者次第です」
「――杖を振るうとき、人は杖に試される、か。君の持論だったな」

***

それは観劇の最中のことだった。

突如首の後ろに強烈な一撃を喰らい、私は椅子から転がり落ちた。
混乱と歪む意識の中で必死に体を支えようと、むなしく腕を振る。その視界の端を黒い影がかすめた。耳をつんざく、若い女の悲鳴。
そして、床に崩れた私の体の上を、轟、と巨大な炎が吹き抜けた。

客達が悲鳴を上げ、舞台の役者どもも蜘蛛の子を散らすように逃げていく中、黒い影は悠々と私を見下ろした。
床に伏せた体の上には、妃殿下が倒れかかっており、私は杖を取り出すこともできない。誰何する余裕もない緊張の一瞬の後、ようやく場内にやってきた役立たずの衛士達に、男がわずかに気を取られたのは幸いだった。
まさかの時のために用意していた舞台の隅にある隠し扉へ、咄嗟にソレを抱えて飛び込む。

そして。穴の底で見上げれば、既に戸はぴたりと閉まっている。魔法仕掛けの機構は一度しか開かないようになっているから、追ってくることは誰にもできまい。

故に、私は杖に光を点し、まずはソレの様子を見ることにした。

即死は間違いなかった。私の下手な『治癒』など何の役にも立たないことは明白だ。なにせ――顔面が完全に消し飛んでいた。
さらに、杖を握っていたであろう右腕も焼き落とされている。しかし、体の大まかな部分は無事で、纏うドレスも原型を留めていた。
――かなりの手練れだな。
杖を狙うのは定石だが、延焼もさせず、一瞬のうちに骨まで消し炭にするほどの火力でそれをやってのけるとは、なまじの腕ではない。
完全に炭化した傷口はいっそ切り落としたと表現してもよい見事なもので、同じ火メイジだからこそ知れる敵の技倆に私は唸った。
しかし。
赤黒く爆ぜた肉の中から覗く骨に、私は目をそらす。
あのとき、杖を探る間もない早業で、刺客は二度、炎を放った。劇場の暗闇と焔の照り返しで定かではないが、ちらりと見上げた顔は『笑って』いたようだった。
いかにも異常だ。
そうしてみれば、わざわざ若い娘の『顔』だけを狙うというのも、単なる職業暗殺者の行いとは思えない。個人的な怨恨か。或いは異常者か。
残念だが、敬愛されると同時に容易く憎まれるのが、施政者。ありえないわけではない。
それならばこのおかしなタイミングにも妙に納得がいく。
しかし、まさか私の目の前で殺されるとは――

「運が悪かったのか、良かったのか」

私は呟きつつ、いい加減この場所で立ちつくすのもうまくないな、と思い至った。再び頭と片腕の分だけ軽くなった彼女を担ぎ上げようとして、気づく。
――ああ、『浮揚(レビテーション)』を遣えば良いのか。
うむ、とひとり唸る。しかたない、なんせ荷物運びにコモンスペルなぞ、ここ数年自分で遣ったこともないのだ。
浮かした屍体とともに私は通路の先へ進んだ。

やがて『予定通り』、奥から男がやってくる。

「遅かったではないか」
「時間通りです。何かトラブルでも?」

慇懃な答えに私は鼻を鳴らして、杖先で示した。

「見ての通りだ――姫殿下が死んだ」
「左様でございますか」
「動揺しないな。つまらぬ男だ」
「それは申し訳ございません」
「まあ、いい。お主らの首魁の『奇跡』でもって、どうにかしてくれるのだろう」
「ええ」

整った顔の人形じみた男は、一切の感情を伴わないまま、あっさりと頷いた。

「偉大なるクロムウェル閣下が必ずや彼女を生き返らせましょう」

私は、『生前』王党派の騎士だったらしい男を冷ややかに見遣った。

やはり、姫殿下にとっては運が良かったのかもしれぬ。
これで、彼女はあらゆる悩みからも願望からも解放される。その結果、目の前の男のように、他者の意思の下に操られる指人形となっても――もはや思い悩むことはなかろう。

私は、祖国の象徴たる白百合の無惨な屍を、今一度見下ろした。
私の大切な駒を。

***

「しかし、なんともけったいな話だ。嘘も真もあるが、何処も彼処も『始祖』だの『伝説』だの」
「新しい時代が来ようとしているのかもしれませんな」
「ならば、さっさとこの時代に相応しい役者に現れてもらいたいところだな。見たところ、今舞台にあがっているのは三下ばかりで、面白くないこと甚だしい」
「露払いにはちょうど良いでしょう」
「それが我らの役どころか?」

それもよかろう、と彼は意外にも愉快そうに頷いた。

「だが、できることならば最後まで見届けてみたいものだ。そのためならば――始祖を偽り、死者を辱め、或いは主君を『操る』ことも厭うまい」

それから。

「もっとも、今宵はとりあえず始祖の御前に懺悔をせねばなるまいがな、」

と『枢機卿』は嗤った。

***

***

そして、今。
背に負ったものが生きているか死んでいるかの違いはあれど、ほぼ事前の『計画』に沿って、私はアルビオンの使いと共に、ラ・ロシェールへと向かう街道をひた走っていた。
魔法衛士隊はあの暗殺者を追うのに忙しく、私達には気づいていないようだ。すでに一切合財を引き払い亡命の準備を済ませていた以上、いまさら計画を中断するわけにもいかない。
私は妃殿下暗殺の濡れ衣を負う覚悟をした。
――なに、一時の汚名なぞ、妃殿下さえいればどうとでもなる。
次にこの都の土を踏むときは、私こそがこの国の主となるのだ。

しかし落ち着くに連れて気になるのは、その暗殺者のことだ。
あれは一体何者なのか。どう考えても、このタイミングで妃殿下の暗殺を企む輩なぞ『私達以外にはいない』。やはり異常者の単独犯か、それとも、国内に第三の勢力があったのか。
無惨な傷口と、対照的に残された美しいドレスの姿が思い出される。
そういえば――……

数年前、私はこれと同じものを見たことがありはしなかったか?

そう、顔のない屍体だ。
当時我が高等法院を騒がせた連続殺人事件の被害者達――。
きっかけがあれば、後の記憶は意外なほど鮮やかによみがえった。

それは血痕のほとんど無い、奇妙に静かな現場だった。被害者と縁故のあった関係で、私はたまたまそこを訪れたのだが。
倒れ伏した男の亡骸には、顔と利き腕がなかった。今と同じく、焼き潰されていたのだ。
それだけではない。
時には、首だけがぽつんと残されていたこともあったが(おそろしく鋭利な刃物で切断されていたようだ)、同じく体の一部だけを焼失した屍体は当時、幾度も発見された。
下手人は凄腕の火メイジ、おそらくトライアングル以上の使い手だと考えられたが、結局犯人は捕まらず、事件の真相は闇へと葬り去られた。
否、むしろ我々が意図的に葬ったのだ。

なぜなら一連の事件の被害者達が――それは貴族もいれば、裕福な商人や外国人の場合もあったが――皆、後ろ暗い秘密を抱えていたからだ。。
ときにはその死によって暴かれた秘密を元に、我が『高等法院』がさらに幾人かの道連れを作ったこともある。が、いずれにせよ、どれも公にするには問題が多すぎた。

なによりも奇妙だったのは、『意図』が見えないことだ。
つまり、これらの人間を殺す理由を持つ人物が見当たらないのだ。
この手の事件は当然だが、裏で糸を引く人間がいるはずだ。おそらく国政の中枢にある誰か。だが、まるで正体が掴めない。
当時の社会、政治状況に対して、対象、タイミング、規模。どれを考慮しても、一連の事件が『特定の誰か』の『益』にはならない。

言うならば、からっぽの草原で突然火薬が爆発したような、不気味さと味気なさ。あの事件の結果はそういうものだった。
ただ悪人が消え、あとは、せいぜい奴らの猟奇的な趣味に晒されていた平民が幾人か救われ、不正な取引で搾取されていた地方が解放されただけ。
悪が滅ぼされ、無力な民が救われる。
――これではまるで、平民が好む辻芝居の義賊だ。
そう考えて自ら失笑しながら、同時に、真の『意図』が掴めぬ以上深入りするわけにもいかず。自然と事件が収まるのを見て、そのまま放置することにしたのだが。

なぜ今更――
と考えて、私はそもそもの『前提』を思い違いしていることに気がついた。

『もしもこの事態にも裏で操る者がいるとしたら、』

ひとつのおぞましい可能性に思い至り、私は背を凍らせた。

もしそうならば、今回のこれは『誰を』標的にしたものだ?
私が妃殿下のお忍びを提案したとき、それを渋々ながら承認したのは『誰だ』?
ああ、そうだ。
そもそも私は――今日、彼女の『顔』を確認したか?

私は馬の足を停め、背後の屍体を改めようとした。
けれど、それは成らなかった。

代わりに思い出すこととなったのは、当時微かに囁かれていた噂。何の符丁かはわからないが、奇妙に心に残ったその言葉。

『その鏡に映った者は死ぬ』

私はその意味を理解した。

***

きっかけは、枢機卿の言葉だった。
奇跡でもって信奉者を増やす、というその言葉に、私は、あのとき子爵の『偏在』が得意げに告げた『真実』を思い出した。

レコン・キスタによるアルビオン王党派殲滅戦。それは内乱の終結のためでも王家への報復のためでもなく『ただ彼の国に屍を増やすだけのもの』だと言うのならば――

そして、タルブの村を襲ったアルビオン騎士の顔が思い出される。それはかつて、あの城のどこかで見かけた顔ではなかったか?

――死者を蘇らせ、己が尖兵とする。

荒唐無稽な話だ。
だが、現実はときに物語めく。それが『伝説』の『力』となれば、なおのこと。

あいまいな記憶を元に専門家に問えば、即座に答えが返ってきた。

風石に比べれば珍しいが、この世界には水の力を溜めた魔法石というものがある。水の秘薬よりも神妙な力を秘め、様々な『水』の奇跡を起こすことができる代物だ。
有名なところでは、トリステイン王家に伝わる水晶の杖。持ち主の力を底上げし、水の秘薬なしでも大掛かりな『治癒』を行うことができるという。
そしてもうひとつが、水の精霊の秘宝、『アンドバリの指輪』。
死者に偽りの命を与える代わりにその意思を侵し、指輪の主に服従する『生き人形』と化す、『伝説』のマジックアイテムだ。

ラグドリアン湖の精霊が所有しているはずのそれが、どのようにしてあの男の手に渡ったのかはわからないが、少なくともそれに類するものがあることは間違いない。

それは今。『姫殿下の屍体』をわざわざ運ぶ『鼠』の姿が証明していた。

敵国の使者と共に『鼠』が進むのは、ラ・ロシェールへと続く街道。
――やはり、アルビオンへ亡命するか。

『姫殿下』をレコン・キスタに担ぎ出させるつもりだろう。たしかにこの国を掌握するには最善の手かもしれぬ。
だが、運んでいるのは所詮、贋物。あの『鼠』を呼び寄せるための餌に過ぎない。

私は上空からの支援者に合図を送り、彼らの前に再び姿を現した。

***

突然馬がいななき、背に乗った私もろとも、慟、と倒れた。
息が詰まる。それでも幸運にも骨ひとつ折らずに済んだ私が、衝撃で袋から投げ出された屍体を庇いながら振り向くと、そこには『歪んだ笑みを浮かべた鏡の仮面』をつけた男が立っていた。

「屍体を誘拐するとは、奇妙な方ですな」

黒いローブに身を包んだ男が言う。意外にも落ち着いた、理知的な声だった。

同じタイミングで攻撃を受けたらしい。周囲に転がった屍体達は、一様に動かない。氷の矢や風の刃がことごとく人体の急所をえぐっているのが見える。
――役立たず共が。
唯一妃殿下と共に馬から放りだされただけの私は、仕方なく独り、男に向き合った。

「貴様、『鳥の骨』の手の者だな?」

問いながら、確信を持つ。
最近、奴が私の周辺が探っていることには気づいていた。
尻尾を掴まれるような下手は打っていないが、おそらく何か重大な情報を手にしたのだろう。漂うきな臭さに急かされるまま、この『妃殿下誘拐』という賭けに打って出たが――どうやら、手のひらの上で踊らされたようだ。
私は、奥歯をかみ締めた。

あの劇場を『取引』に利用しているのを知られていたか。
ならば、この顔のない屍体も――。

「罪状は貴殿の方がお詳しいでしょうな、『高等法院長』殿。どうぞ、おとなしく王宮にお戻りください」
「王宮とはな。監獄(チェルノボーグ)の間違いではないか」
「それは御心次第でございますな」

飄々とうそぶく男に、私もまた嗤った。

「下賎の輩め。誰が愚かな小娘に頭なぞ下げるものか」

余裕を見せるために放った言葉は、むしろ自分自身を苛立たせた。そうだ、なぜ私がこんな目に遇わなければならない。

「まったく、あの姫が何の役に立った?あの宰相殿が何をした?この国をこれまで支えてきたのは私達、旧き貴族ではないか。それを『鳥の骨』ふぜいが偉そうに。あまつさえ貴様のような卑しい業の使い手を放つとは――なにが枢機卿だ。コンクラーベにも呼ばれぬ司教くずれがっ」

年齢よりも十は老けて見える痩せこけた男の顔を思い出し、吐き捨てる。灰色帽子の司教くずれには、平民の血が混ざっているという。
なるほど、ならばこのふざけた演出も、全ては由緒正しい大貴族である私への妬みに違いない。

「ほんとうにこの国には道理のわからぬ愚か者ばかりだ。だから私のような者が正しく導いてやろうというのに。今度は欲深い亡者が邪魔立てする。――確かに私は国内外の者に情報を渡し、便宜を図って、賄賂を受け取ってきた。だが、それは金ばかりのことではない。アルビオン、ゲルマニア、ロマリア、ガリア。私が数多の恩を各国に売っていたからこそ、この国はこれまで無事だったのだ」

そうだ、二十年前のアングル地方の事件も、十五年前のゲルマニアとのいざこざも、あれも、これも、全ては私の機転と采配のおかげで無事解決したのだ。それを、何も知らぬ馬鹿共が――

「わかるか?この国を救ったのは義賊気取りの貴様でも、権力者気取りの鳥の骨でもない。救ったのは――救うのは――私なのだ」

話しつつ、私は己の経験に即して、考える。目前の男は決して金では買収できないだろう。ならば、その忠義を砕いてやろう。

「そも、姫が何をしたか、貴様は知っているのか?売国奴とはあの娘のことだぞ。あの娘はアルビオンの皇太子に――」
「もう、終わりにいたしませんか」

けれどせっかくの長広舌は、男の変わらぬ声に遮られた。

「人は完全ではなく、誰もが罪、過ちを犯します。もしも子供が過ちを犯したなら、それは我ら大人が助けなければならないでしょう。けれど、もし自らが罪を犯したのなら――」

背中を丸めるように俯き、淡々と告げる。まるで教誨師のように。

「過ちを正し、正しき姿を今一度子供達に示すべきだ。その、命に代えても」

そして再び歪んだ笑顔で私を見る。

「それが我ら不完全な大人の、唯一できることだとは思いませんか?」

鏡の仮面で、嘲う。

「下らぬな。殺し屋ふぜいに説教される筋合いはない!」

私が叫ぶと同時に、屍体達が起き上がった。風の刃が、今度は男を襲い、地に這わせる。
勝利の確信と共に笑みを浮かべた私は――黒い影が眼前に立ちふさがり、巨大な炎が世界を埋め尽くすのを見た。

***

――やれやれ、なんとか間に合ったか。

会話の中にルーンをひそめながら、ゆっくりと時間をかけて構成した魔法は無事、狙い通りの効果を発した。
空気中の水分を『錬金』で油化した後、火をつける。『爆炎』という、現役時代に私が開発した技だ。
これは一瞬で辺りを焼き尽くすだけでなく、一帯の酸素をも奪い、対多数を『効率的に』殺すことができるのが肝なのだが、今回はさらに改良を加え、より炎の威力を上げた。その分面倒だったが、『屍体』を焼くには必要な手間だ。

上半身を失って崩れた人形達を眺めやる。専門家の話では、アンドバリの指輪で蘇った死者は『人の形』を保つ限り不死に近いらしい。だが、

「な、ぜ、」
「いかに強力なる『水』の精霊の魔法も、『火』には敵いませぬ」

文字通り己の身を盾にして『人形』は見事に『鼠』を守った。しかし人ひとり分の壁では、あの炎を完全に遮断することはできない。
全身に火ぶくれをおこした高等法院長は、自慢の服もすっかり破れて悲惨な有様だった。

「た、すけ、て、く、れ、、」
「……ご心配なさいますな。王宮には優れた水メイジがおります。多少後遺症はあるかもしれませんが、」
「い、やだ、しに、た、、く、な、、」

その程度で人間が死んだりしないことは『経験上』よく知っていた。

なおも声を上げる哀れな男から目をそらし、足元の屍体を見る。

妃殿下を模したその屍体は、複数の屍を組み合わせて、私が『錬金』と『固定化』で作り上げた。以前、神をも恐れぬ師が『魔法で生きた人間を作れるかどうか』を研究していたときに考案した手法だ。
顔の造作まで完全に模倣するのは難しいので誤魔化す必要があり、使い勝手は悪いのだが、ただの魔法人形と違い、『固定化』を解けば死斑が出るし、焼けば臭う。
今回の三文芝居の主演にはちょうど良かった。
そして幕が閉じた後は、人形もまた灰に還る。

ハア、

すっかり焼き崩れた屍体達を前に、己の肩をさすりながら息を吐いた。
仮面の中はすっかり熱がこもっていた。

「熱いな、」

***




[6594] ゼロとせんせいと 6の6
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2009/05/24 21:02


先王に見出されて爾来数十年、気づけば私は半生近くを他国の王宮で過ごしていた。ロマリア皇国『枢機卿』の地位を持ちながら公務以外で祖国に戻ったことはなく、執務室の隣に備えられた小さな仮眠室が今では家に等しい。かといって、そこで心安らぐような思いを味わったわけでもない。夜更けから空が白むまでのわずか数時間ばかり、体を休めるだけの場所だ。
趣味は、と問われれば、説教と答える。面白みのない出がらしの『鳥の骨』。それが私の評判だ。
よって、自室を訪う客も少ない。
せいぜいが悪趣味な面をつけた男くらいのもの……。

***

今日も私は男と向き合っていた。
司祭帽の男と鏡の面をつけた男が暗い密室で顔を突き合わせながら、することといえば暇潰しの盤上遊戯。
相変わらず珍妙、というより馬鹿げた光景だな、と私は自らを含めて嘲笑う。

男を、我が隠し『杖』として使うようになったのは数年程前のことだ。なかなか奇妙な輩だが能力的には申し分ない。特に研究組織に所属していた前身のためか、一般の貴族やメイジでは想像もつかない『発想』を持っている。
この日の話もまさしくこの男らしい思いつきだった。

「まるでおとぎ話だな」

レコン・キスタ首領の正体についてその推論を聞かされた私は、あまりに突飛さにしばし唸った。しかし、詳しく聞いてみればなかなか興味深い。
試すだけの価値はあるとみた私は、男の話に乗ってみることにした。
――たまにはちょっとした賭けをするのも悪くはない。
そんな悪戯心もあったかもしれない。

「ちょうど良い機会だ。あの方にもせいぜい楽しんでいただこう」

このところ王宮の奥に引きこもって、ちっとも顔を見せない我が侭娘のことを思い浮かべて、私は言った。
向かいの鏡に、痩男の気持ち悪い笑顔が映るが――まあ、気にはすまい。

***

翌日小道具を取り揃えて、男は再びやってきた。

「うむ――」
「ほんものを継ぎ合わせてますから。においもない人形よりはましでしょう」

男は説明するが、体型はともかく、顔形は別人だ。私がそれを指摘すると、おぞましい屍人形を抱えた男は、潰してしまえばいいと言う。
ずいぶんと乱暴な話だ。

「元々暇つぶしの産物です。あまり期待されても困ります」
「暇つぶしでこのような下法に手を染めるとは――君の師とやらも、たいがい不遜だな。神をも恐れぬか?」
「作り手の心根は関係ありませんよ。技術は要は使い方、使う者次第です」

淡々とした答えに、私はすこし納得する。
杖を振るうとき、人は杖に試される。
それは男の持論だ。

その後、特に急ぐ案件もなかったので、私達は再び盤を挟んだ。
既に賭けの仕込みは終わっている。『鼠』を炙り出すための『火』は焚かれた。
『鼠』、すなわち高等法院長リッシュモン卿は、早晩動き出すだろう。あの男の考えそうなことなぞ、だいたいわかる。なにせ数十年に渡って同じ王宮に仕えてきた『同僚』の一人だ。――あれは、昔から己の地位を全うするのと同じくらいに、己の私腹を肥やすことに熱心な男だった。それでも、今までは分を弁えていた故見逃してきた。だが、いい加減目障りだ。何より『白百合』に害なすつもりならば容赦はしない――

「そういえば、君の紹介の店はなかなか良さそうだな。この件が落ち着いたら、私も行ってみたいよ」

ことが済むまでの間、『花』を移す場所のことだ。男が勧めた店は、王都のとある酒場だった。店の主人は信用が置けるという。
すでに姫様も『御自分の御意思で』街へ行ってみたいと言い出している。
――それを誘導したのは私自身なのだが、こうもあっさりと『操られて』下さると、少々頭が痛いのも事実だった。王家唯一の嫡子として生を受けながら、どうにもあのお方はその立場を自覚できていない。
決して頭は悪くないはずだが、直情的で、視野が狭い、というか……。
まあ、若いということなのだろう。

そんなことを思っていると、何故か男の手が止まっていた。

「貴方が、ですか?」
「ム。まずいか?」
「いえ、構わないとは思いますが、その」
「なんなら付き合ってくれてかまわんぞ。君も好きじゃろ」

揶揄えば、動揺が手に表れる。へぼ指しめ。

「まあ冗談はさておき。君、」
「……なんでしょう?」

微妙に疲れた様子の男に私は告げる。

「タルブでの回収作業は済んだぞ」
「……左様ですか」
「ああ。だが、やはりアカデミーでもあのカラクリはわからないそうだ。本当にあれが空を飛んだのかね?」
「ええ、奇跡的に」

あっさりと答える男に、私は駒を操りながら、『休暇』から戻った彼との対話を思い出した。

***

その日もやはり私達はこうして盤を挟んでいた。

「まずは礼を言わねばなるまいな。君が偶然にもあの場にいたお陰でひとつの村が救われた」

私が鷹揚に、始祖のお導きにも感謝せねば、と続ければ、男は鈍い声で繰り返す。

「始祖、ですか」
「ああ。なにせアレは『始祖の裁き』らしいからな」
「皮肉な話です」
「まったくだ。宗教庁辺りが何と言ってくるやら、恐ろしくてかなわんよ」
「広められたのは貴方でしょう」

枢機卿の肩書きは便利だな、としゃあしゃあと返すと、鏡の面の向こうで男が顔を顰めた――気がした。

「大したことはしてないさ。そもそも私が言うまでもなく、あの場にいた者はとっくに信じていたぞ。あの無慈悲さはまさしく神のものだと」

そう思わなければ、恐ろしすぎるのだ。
事実、敵の主艦、レキシントン号の――偉大なる『王権(ロイヤル・ソブリン)』号を分捕った連中が勝手に名を換えた――生き残った乗員達の怯え方には凄まじいものがあった(よくもまあ、あれで我々が着くまで墜落せずに済んだものだ)。
もっとも、仕方のないことだろう。目の前で一斉にメイジ達が心の臓を失って仆れば、誰だって恐怖を感じる。魔法を知らぬ平民とて、アレが異常な力だというのは解ろうものだ。

「あの場にいたなら、おそらく我々も例外ではなかったろうな」

それは、間違いない。
ラ・ロシェール、そしてタルブ近郊に顕れた『火矢』。いかなる系統にも属さぬ謎の光による攻撃は、降下を開始していたレキシントン号を中心に、ほぼ全戦場に渡った。特に敵軍が降下ポイントに選んだ丘、タルブ村付近には流星の如く降り注ぎ、敵味方の別なく殺し尽くしたという。
その場にいた全ての『メイジ』を。

もしもあれが神の御意思ならば、神は我らメイジを憎んでいるのだろう。
けれど、あれはただの火矢だ。砲台だ。そうでなければ、何故――

この男は無事なのか。

「……どうも、タルブの民は頑固者が多いようだな。よそ者には口も開かんから、調査にもずいぶん時間がかかったよ」

混乱する戦場で手に入ったのは、結局近隣の住人と生き残りの兵達による、ひどく断片的な目撃証言だけだ。
あの戦場には奇妙な『竜』がいたと彼らは言う。それは突如として現れ、一騎でアルビオン竜騎士を全滅させた、と。
――まさしく物語的だ。
そして、あの光の発生したときも、その『竜』は全ての中心にいた。

男は答えの代わりに、一枚のスケッチを差し出す。それは奇妙な、としか称しようのない物体だった。
羽ばたく翼も持たない鉄製の竜。
異世界からもたらされた飛行機械だと言う。それこそがあの『火矢』の正体だと。

「普通ならば、眉唾話だな」
「左様ですな」

けれど、鼻で嗤うことはできない。
かつて――まだ祖国ロマリアにいたころ――私はそうした存在のことを耳に挟んだことがあった。『聖地』より現れる『場違いな』存在。それは真の『使い手』を得ることによって不思議な力を発揮するという『伝説』だ。
もちろん、これまではただのおとぎ話だと思っていた。しかし、それがもたらすものを見てしまった今となっては、宗教庁が封印して回る理由もわかる。

研究者らしい淡々とした口調で男はその技術を解説する。『探知(ディテクトマジック)』による魔法追尾を可能な『弾』。三桁の弾を連射可能な『銃』。それは確かにこの世界のものではありえない。――いったい異なる世界の住人達は、ソレを使ってどれほどのモノと戦っているのだ?
途方もない話を平然と語った男だが、操り手の話に至ると、とたんに口をつぐんだ。

「お望みならば、証拠も研究成果もお渡しします。けれど、使い手はただの人です。兵器ではございません」
「人ならば、なおさらだと思わないか?個人が持つには恐ろしすぎる力だ。過ぎた力がもたらすものは禍だよ」
「彼の者の行いを禍とおっしゃるのなら、その咎は私が負いましょう。もとよりアレを空に出したのは私の過ちだ」

それは珍しく感情的な言葉だった。

「私の手は罪深く、卑しい。それでも私は、彼らがいつか自らの世界へ旅立つそのときまで、守りたいと思っております。そのためならば、」

この身なぞいくら焼き尽くしてもかまわない、と。
告げられた『杖』の決意に、私は目を眇める。昏い鏡の中に歪んだ己の顔が映り込む。

(そして、必要ならばその炎で私の手ももろともに焼く、か?)

嫌な話だ。こういった輩の捨て身ほど厄介なものはない。
ならば、手を放すか?
正直な話、この『杖』を棄てるのは容易い。仮面なぞ単なる形式だ。顔も素性もとうに知っている。むろん『弱み』も。
だが。

「あまり私達を侮るな。我が『杖』よ」

『ひとりを殺せば罪人で、万を殺せば英雄』――などという宮廷道化の戯れ歌に耳を貸すつもりはない。アレは残虐でおぞましい、罪深い行いだった。人の為していいことではない。
しかし、あの光によって、我が国と民が救われたのもまた事実だ。
ならば、その功罪は全て我ら為政者が負うべきものだろう。

そも、国土を焼かれたとき、我らは何処にいた?真に裁かれるべきは我らに違いない。

「私がアレを始祖の行いと偽ったのは、そうしなければ、あの場がおさまらなかったからだ」

あの理不尽に意味をつけ、物語を与えなければ、人々はいつまでも怯え続けただろう。
その上で確かにアレを利用させてもらった。だが、己のものとしたいわけではない。人が掴める杖には限りがあり、過ぎれば手を焼くだけだ。そんなことは言われるまでもない。

「私が君達に言いたいことは、はじめに言った通りだ。――感謝している。よくぞ我が国の民を守ってくれた」

男は黙って、小さく頭を下げた。ランプの灯りがその仮面の上をスと滑った。

***

結局、私は使い手に会ってはいない。実のところ見当はついているが。
男は約束どおり、その『兵器』を供出した。そしてタルブの民は、今も頑なに沈黙を守っている。それは恐怖故ではない。貴族が誇りにこだわるように、平民には仁義があるのだろう。
おかげで、他国の諜報員もまだあの『火矢』の正体は掴めていないようだ。私の放った手の者も、男の話によってようやくそれを発見した。鉄の飛行機械、或いは『竜の羽衣』と呼ばれたもの。
しかし既にそれは原型を留めぬほどにばらばらにされていた。男自身の手で。

「あれは一度きりの『奇跡』か?」
「ええ。そもそも弾が切れましたのでもう撃てませぬ」

男はあっさりと言う。
報告によれば、男の話通り、弾は撃ちつくされ、製造はこの世界の技術では不可能とのことだった。そして銃自体も壊されており、『竜』は二度と空を飛ぶことはない。

私はそれを苦い思いとともに、受け入れる。
古来より英雄は数多い。古くはただひとりで強大な竜に挑んだ『イーヴァルディ』。近くはその名でもって無血で戦を終らせた『烈風』。彼らの存在は人々を喜ばせ、その心を助ける。けれど彼らとて、光にあたるからこそ英雄なのだ。
どんな偉大なる力も尊い存在も、闇にあっては脅威にしかならない。
しかし光の中で『影』は存在しえない。無理に引きずりだせば、誰の手も届かぬ場所へ消え去るだろう。
ならば『今は』致し方ない――。

それに、今となっては、別の問題があった。
というのは――私の『方便』が少々効き過ぎたのだ。
今や、『始祖の裁き』は戦のお題目と化した。対アルビオン戦争を推し進める連中は、裁きを前に自らの側こそ正しいことを示すために躍起になっている。
嫌な兆候だ。聖職と政治のふたつに身を置いたが故に、私は誰よりもよく知っている。戦に宗教が絡めば、とかく厄介だ。
だからこそ、もしも推論通り、奴らが伝説の力を用いて死者を辱めているのならば――それは率直に言って有難いことだった。
理は、戦いで証すまでもなく、こちらに付く。戦の終着点は、邪法の使い手レコン・キスタ首領の討伐とアルビオン解放に求められ、我々は泥沼の宗教戦争を回避できる。
そのためにもこの賭けを外すわけにはいかない。

そう。まだまだこの『影』には、働いてもらわねばならないのだ。

私は、強張った肩をごきりと鳴らした。
……年は取りたくないものだ。
年々積み上がる重荷に、この身もだいぶ草臥れてきている。だが、いまだに託すべき相手もいない。
そんな愚痴めいた思いを振り払うように、息をひとつ吐き出す。

「しかし、なんともけったいな話だ。嘘も真もあるが、何処も彼処も『始祖』だの『伝説』だの」
「新しい時代が来ようとしているのかもしれませんな」
「ならば、さっさとこの時代に相応しい役者に現れてもらいたいところだな。見たところ、今舞台にあがっているのは三下ばかりで、面白くないこと甚だしい」
「露払いにはちょうど良いでしょう」
「それが我らの役どころか?」

それもよかろう。
だが、できることならば、最後まで見届けてみたいものだ。誰が操っているのかも知れない、この滑稽劇の幕を。
それは私の長年の夢でもある。

そうだ。私には死ぬまでに見たいもの、やりたいものがある。そのためならば、始祖を偽り、死者を辱め、或いは主君を操ることも、厭うまい。

***

結果を言えば、我々は賭けに勝った。私も。男も。
鼠は見事に捕獲され、望みどおりの持ち札を我らに与えた。だが、戦果はそれだけではない。
私は届けられた手紙を前に、深い息を吐く。

百合の紋で封のされたその手紙は、私の罪を弾劾するものだった。
同時に、私の夢を叶えるものだった。

「姫殿下は明朝戻られるそうだ」
「ずいぶんと急でございますな」
「本人たってのご希望でね」

我が侭娘が市井の不自由な暮らしに飽きたわけではない。

「真実を教えよと言ってきたよ」
「真実、ですか?」

アルビオン皇太子の死の真相だ。私が彼女の目から覆い隠してきた『罪』。自らの放った密使こそが最愛の青年を死に追いやった凶矢だったことを、私は彼女に告げなかった。
哀れと思ったからだ。
その行いこそが彼女をより『罪』へと貶めるものだとも気づかずに。

まったく、何が、感情的な我が侭娘だ。
姫殿下を温室の百合として、清らかにして無知蒙昧なる花として育てたのは、他ならぬ私達だ。権謀ひしめく王宮の中で、ひとり、ありのままの感情を顕にする彼女の存在は確かに貴重だった。傷つかぬように、汚されぬように、守りたいと思っていた。けれど。

「私は途方もない考え違いをしていたよ。子を守るのが親の役目。しかし、己の過ちを知らず耳も目もふさがれては、いつまで経っても子供はひとりで立つことなどできないものだ」

己の罪を知らなければ、正そうと足掻くこともできない。闇を知らなければ、それと向き合う勇気も持ち得ない。

幼き娘と思い込んでいた少女は、自ら顔を上げ、己の足で立ち上がろうとする程度には強かった。
負うた子に教えられる――これも『親』の醍醐味か。

「君はほんとうに良い店を教えてくれた。殿下には覚悟ができたそうだ。己の不甲斐なさと、何よりも『為すべきこと』を民に教わった、と」

曖昧に頷く男に、私は告げる。他人事ではない、と。

「ちなみに護衛にあたらせていた隊士からの報告によると、どうやら姫殿下にそれを教えたのは、黒髪の少年と盲目の少女らしいぞ」

私は、仮面の奥で動揺しているだろう男の顔を想像して、もう一度、嗤った。鏡に映ったのは、やはり、骨ばり痩せこけた男の気持ち悪い笑顔だった。――まあ、良い。自分が醜いことをいまさら嘆く齢でもない。

美しさは全て、自ら歩みだそうと足掻く、若者達の特権だ。

そして彼らのために舞台を整え、その出番を待つのが私の役目。
いつか陽の下に、集うことのできるように。
そのためならば幾度でも、戯れに駒を操り、慣れぬ賭け事に手を出し、下手な芝居を打とう。

「次の一局はしばらく先になりそうだな」
「ええ」

気負うこともなく、男は頷く。そんな男に私は言う。

「なあ、君。今度の『狩』が終わったなら、」
「なんでしょう?」
「次は仕事の話はやめて、お互いの『子』の話でもしようか。どうも君も結構な親馬鹿のようだし」
「はあ、」

反応の鈍い男に、私は重ねて言った。

「いつでもいいから、いつか付き合え。何のはばかりもなく『娘』自慢のできる相手なぞ他におらんのだ」

男はようやくひとつ頷いて、影のように音もなく立ち去っていった。その背中を見送りながら、私は思う。

――名も無く、顔も無く、誉も無く、闇に潜む影の如く、ただ国と民を護る、か。
まるで苦行者のようだが、それでこの男は満足なのだろう。
だが、この奇妙な男を『影』へと追いやったのは他ならぬ私自身だ。
ならば彼を陽の下にひきずりだすのもまた、私の果たすべき役目だろう。

そう、私には死ぬまでに見たいもの、やりたいものがある。

ひとつは、名実揃った白百合の戴冠。
旧い習慣に囚われ衰えるばかりの我ら老人ではなく、若き女王の治世がもたらす新しい国の姿。

そしてもうひとつは、陽の下での一局だ。
貧相な己の顔ではなく――と言ってもどうせ冴えない親父だろうが――対局相手の顔を見ての一勝負。

このささやかな夢を叶えるまでは、たとえ骨と皮だけとなってもこの舞台にしがみついていなければ。







[6594] ゼロとせんせいと 7の1
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2009/06/14 09:04


――うたが聴こえる。

ぱち、と音を立てるように、眼が覚めた。
唐突な覚醒に意識がついていかない。ぱちぱち、と何度か瞬いて、ようやく天井が目に入る。木目のきちんと調った古い板張りの、いわゆる『見知らぬ天井』。

「なんだこりゃ」

思わず呟くと、すこし離れたところから声がした。

「目、覚めた?」
「あ、うん――」

ベッドの上に寝たまま首をひねると、椅子に腰掛けたルイズの姿があった。

「なあ、 おれ、どうしたんだっけ?」
「……忘れたの? 倒れたのよ」
「へ?」

健康優良児のおれが? と首をかしげて――思い出した。正確には、ぐうぅ、と最早立てる音さえ力ない虫達の悲鳴に、思い出させられた。
ああ。三日もメシを食べなければ、誰だって倒れるよな。うん。

「ベッドに運ぶの、大変だったんだから」

そんな言葉にとりあえず、スマン、と一言。ルイズは椅子から降りると、膝上に抱えていたオルゴールをその上に置き、代わりに、備え付けのテーブルに置かれたトレーを手にする。慣れない場所だからだろう、その歩みは普段以上に慎重だった。

「はい、ごはん」

その言葉、前も聞いたなあ、と思いながら、おれは素直に起き上がり、それを受け取る。木製のトレーには、すこし冷めたスープ。くずれた豆が浮かんでいる。

「せんせいが、かんたんなものの方がいいだろうって」
「ん、サンキュー」

――いただきます、

さっそく匙を動かしていると、ルイズはそのままベッドの足元に腰掛けた。おれがきっちり食べ終わるまで『監督』するつもりだろう。それを上目遣いで伺いながら、おれはわざと音を立てて、スープをすする。
手持ち無沙汰に足を揺らすルイズ。いつものワンピースの上に、スモックみたいなのを着込んでいる。見慣れないそれは、こっちで買ったらしい。襟ぐりや袖口に縁取るように刺繍が入っている。

ちょっと涼しいもんな、ここ。

標高(いや、高度か?)が高いせいだろう。この国の季節は早い。

***

***

「われわれはー、正当なあつかいを求めてー、断固ぉー、戦うー、決意であるぅぅっ」

とある宿屋の二階。バルコニーに陣取り、巻き舌気味に吼える犬が一匹――ではなく、おれ、ひとり。
手の中のボロ剣が尋ねる。

「なあ、相棒。その『われわれ』ってのは誰と誰のことだい?」
「おれとお前に決まってんだろ」
「へえ、そうかい」

つれない返事におれは口を尖らせた。

「じゃあ、突然異世界に召喚されたおれと、わけわかんないうちに使い魔にされたおれと、人間なのに犬って呼ばれるおれと、そんでもって、気づいたらラピュタ島に拉致られたおれ!――で、どうだっ!!」
「どうだ、て言われてもなぁ。お前さんも往生際が悪いねぇ」
「うるせい、おれは戦うぞ。断固戦うぞ!」
「叫んでるだけじゃねーか」
「それだけじゃねぇ『ハンスト』だ!」
「はあ?」
「おれは絶対に折れないからな!!」

天を仰いで叫べば、空は清々しいまでに青い。
けれど、狭苦しい室内では、そんなおれの訴えなぞ何処吹く風と、非情なる魔法使いどもが悠然とお茶をすすっていたりするわけで。

「ねえ、せんせい。『はんばーがーすとらいき』って何なの?」
「おそらくこちらには概念自体がない言葉だろうね。翻訳できていないみたいだから」
「?……まあいいわ。とりあえずこっちにも『消音(サイレント)』してくれない?」
「うーん、そうだね」

(こいつら……)

のんびりと交わされる会話に、ひとり、青天井の下で顔をひきつらせる――だけでは足りないので、強化された肺活量で、おもいっきり叫ぶ。

「おれの話を聴け~~~~っ!!」

「う・る・さ・い」

魂の叫びに返ってきたのは、冷徹な返事と杖の一振りだった。つまり、ひさしぶりの『音だけ爆発/ぼっかーん』。前振りがないため、ファンタジー補正された身体能力を駆使しても回避できない、必殺必中のその攻撃に、おれは呆気なく仆れる。

「ふ、ふいうちとは、ひきょうな……」
「――ほら、いつまでも寝てないで。さっさと中に入りなさい」

頭の中がぐわんぐわんして足腰が立たないおれを、ちびゴーレムが無理やり中へと引っ立てる。

「はい、ごはん」
「だから、おれは食わねーよ」

ちっさいテーブルに置かれた食事に、首を振った――途端に、ぴし、と鼻先に据えられる杖の石突。

「止めろっつーの」

おれはそれを掴んでどかし、ルイズの鼻先で、がるる、と唸ってやった。その威嚇に一瞬大いに怯んだ後、すぐに負けん気を出して、杖を取り返そうと声を上げるルイズ。

「放しなさい!この!バカ犬っ!」
「ヤダネー」

そのまま顔を突き合わせて、杖の引っ張り合いをしていると――苦笑いを浮かべた先生がその手を抑えた。

「まあまあ、とりあえず席につきたまえ。ルイズ、君も食事のときは杖を放して」
「……わかったわよ」

ガキみたいなおれ達を等分になだめる先生に、ルイズがしぶしぶと折れる。おれはデルフを手元に置いたまま、先生がルイズの杖を片付けるのをジト目で見つめる。

「「いただきます」」

――フン、誰が手をつけるかよ。おれだって、オアズケくらいはできんだぞ。
きつく口を結んだまま、ほかほかの湯気を立てるスープと、切り口からじゅわと脂をしたたらせる肉詰めパイから、ぐいっと首を逸らす。
二人はそんなおれを無視して、いつも通り、パクパクと好調なスタートをきった。ルイズは食器の音ひとつ立てずに器用に食事をし、時々先生がルイズのために皿を取ってやって――場所が変わっても、それは変わらない、普段通りの食事風景だ。そこに、

ぐぎゅうぎゅるぐぅ、ぎゅぎゅぎゅっ、ぎゅいぎゅい、ぐぎゅう、ぐぎゅぎゅぎゅっ

リズミカルな異音が響く。

――くそっ。しずまれ、おれの馬鹿腹!
絶望的な気分になったおれに、手を止めたルイズが静かに一言。

「サイト、へんないきものが鳴いてるわ。黙らせて」
「へんっ。これは腹が泣いてんじゃねえ。腹が立ってんだ!!」
「……」
「せっかく上手いこと言ったのにスルーすんなよ!」

――いや、そうじゃないだろおれ……。
自分でもわけのわからんテンションだ。原因はたぶん……腹が減りすぎているせい。
ルイズもそう思ったらしい。

「あんた、変よ?いや、変なのはいつもだけど。頭、大丈夫?」
「誰のせいだと思ってやがる」
「はいはい。まったく……何がそんなに不満なのよ」

面倒臭そうに呟くルイズに――キレた。
ああ、やっぱりぜんぜんわかってねー。

「全部に決まってるだろ!」

バシンと両の手をテーブルに打ちつけて、立ち上がる。手をつけられていない食器がガチャンと鳴って、ルイズの手が止まる。

「一言の説明もなく問答無用で眠らされたあげく、いきなり『敵』の国に拉致られたおれの身にもなってみろっ」

***

その日、おれは久しぶりに帰った先生と復活したルイズと、三人で朝食を囲んでいた。

「「「いただきます」」」

三人そろっての挨拶もどこか懐かしい。うっかりしていてパンを切らしていたが、代わりにジェシカのパイが残っていた。それの他は、砂糖どか盛りの紅茶だけというメニューになったが、ルイズはもちろん、先生も文句は言わない。
なんだか疲れているようだ。後頭部の髪の残りも、心なしかいつも以上にくたびれている。ねぎらいを込めて、お茶のお代わりを出した。

「どうぞー」
「ああ、ありがとう」
「仕事、大変だったんですか?」
「いや、まあね、」

歯切れが悪い。
昨日まで先生は、いわゆるパトロンであるお偉い貴族様に会って、これまでの研究の成果や異世界(おれ)の話を――もちろんある程度脚色やごまかしを入れた上で――報告してきたそうだ。成果はそれなりに認められ、けっこうお金がもらえ、「おかげで今後の計画も見通しが立った」と先生はそのときばかりは笑顔だったのだが。
微妙に疲れている。なんでも、とっても話好きなその貴族様に付き合って、毎晩遅くまで話し込んでいたのだとか。
――パトロンさん相手じゃあ、邪険にもできないもんなあ。

「おかげで戻るのが遅くなってしまったよ。すまなかったね。君が留守番をしてくれて助かった」
「いやいや、そんな――おしごと、おつかれさまッス」

なるだけ軽い調子で答えた後、向かいの席に着く。

「ところで先生、おれ、相談があるんですけど」
「うん、なんだね?」
「おれも働きたいんです。働き口、紹介してくれませんか?」

先生は、寝不足の目をぱしぱしと瞬かせた。

「どうしたんだね、急に」
「ほら、ルイズも元気になったし、先生も帰ってきたし。でもって、おれ今、することないじゃないですか。このままじゃニート?ていうか、むしろヒモ?みたいだし。それで――」

笑いながらすこし早口に、言う。

「『傭兵』をやってみたいんです。何処に行けば雇ってもらえます?」

ルイズが、かちゃんとフォークを置いた。

「あんた、イキナリ何言ってんの?」

バカじゃないのと言わんばかりに、水を差す。相変わらず口調に遠慮がない。おれはめげずに言い返す。

「イキナリじゃねーよ。ちゃんと考えたんだ。おれにできることをさ」

そうだ、決してその場の思いつきじゃない。アレから、おれなりに精一杯真面目に考えたのだ。

「それがどうして『傭兵』なのよ?……もしかして、薬代のことを気にしているの? それなら心配いらないわよ、呉れるって言ったんでしょう。そうでなくても、せんせいが何とかするわ」
「そうだよ。家計のことなら気にしなくていい」
「そうじゃないんです」

ふたりの言葉におれは首を振る。確かに自分の力で金を稼ぎたいってのはある。けど、それよりももっと大切なことがある。
突然戦場に放り込まれて、ルイズに助けられて――そして、気づいたのだ。

――おれはずっと、この世界に『観光』に来ているみたいな気分でいた。夢みたいな魔法の世界で、一風変わったホームステイをしているんだ、と。
でも、ここはおとぎの国でも何でもない。向こうと同じ、紛れもない『現実』の『社会』だ。悲しいことや苦しいことも当然ある、『人』が『暮らして』いる場所だ。
そのことに気づいた今、おれはもうこの世界の『お客さん』ではいられない。いたくない。ちゃんと自分の足で立って、自分の目で見て、自分の手で稼いで、そして、自分の役目を果たしたい。

(アノ後、瞬く間に解体されたゼロ戦の機体が、焼かれた村の中で先生が自ら火を放った研究所の姿が、目に浮かぶ。おれはそれらを振り払って、目の前のふたりを見つめる)

「……あんたって変なとこでマジメね」

褒め言葉ではなさげなルイズの台詞はさくっと無視して、おれは左手の甲を示す。

「ただのコーコーセーだったおれができることなんてたかが知れてるけど、でも、『こいつ』は違います。――なんせ『伝説』らしいし」
「……君は『それ』が何か知っているのかね?」
「イヤ、詳しいことは全然。でもアノトキだって、こいつが助けてくれたんです」

そう、武器を持つと体が羽のように軽くなったり、触るだけでゼロ戦の使い方がわかったり。このルーン、『伝説』というだけあって、なかなか有能なヤツなのだ。だから。

「だから、もっと使えるようになりたいんです、この力を。戦争がまた始まる前に」
「……あんた、まさか『戦争』に関わるつもり?」
「おう、当たり前だろ。お前が『戦う』んだったら、おれも一緒に行く。だから、強くなるさ。もう足手まといは嫌だからな」

そうだ、あんな情けない経験は二度としたくない。そういうのにも慣れて、今度はきちんと『戦う』ことができるようにならないと。
そんな男の覚悟に――返ってきたのは、盛大なため息だった。

「……ほんと、おバカね。何もわかってないくせに」

その言い草に、おれはカチンときた。

「ンだよ、その言い方」
「ほんとうのことじゃない。誰が『戦う』って? 冗談じゃないわ、どうしてわたしがそんなことをしないといけないのよ」

とっても面倒な仕事を押しつけられそうになったときみたいに、不満げに唇を尖らせるルイズ。
――あれ?

「……違うの?」

ルイズはやれやれと首を振った後、心底バカにしきった口調で言った。

「当たり前でしょう。わたしに何ができるのよ。戦争なのよ、戦争。そんなものはね、貴族達にまかせておけばいいの。それが連中の役目なんだから」
「で、でも」

お前、あのとき言ったじゃないか――と咄嗟に口を開きかけたおれを、ルイズは即座に人差し指で『マテ』。見当を誤ったのかわざとなのか、その指でおれの鼻をぐにゅと潰す。

「ふがっ」

間抜け顔になるおれに気づかず、再びため息をつく。聞き分けのない子供を咎めるみたいに、そのままおれの鼻先をつまんだ。

「ええ、言ったわよね。あんたはわたしの使い魔。犬で十分だって――急に何をイキがってんのよ?」
「ふんなんふぁねーよっ」

おれはただ――戦争が起きれば、また誰かがアノトキのような目に遇う――それは嫌だから、止めたいと――てっきりルイズもそうだと思っていたのだけど――違うのか?

「あのね、いくら『伝説』だからって誰も彼もを救えるわけないでしょう。あんた、神様にでもなりたいの?」
「いや、でもさ、」

そんなおれ達のやり取りを、傍で腕を組みながら聞いていた先生が、苦笑い。

「どうも、何か『誤解』があったみたいだね」

おれは何となく恥ずかしくなって、けれど同時に微妙に納得もいかないまま(一体、おれは何を間違えたんだ?)、ルイズの手からそそくさと逃れる。

「サイト君、その話はもっと落ち着いてから、きちんと考えよう。それより今は、二人に話があるんだ」
「何?」
「何ですか?」
「引越しをしようと思う」

先生はにっこりと笑って、言った。
――え?
戸惑うおれを放って、ルイズもまたあらかじめ計っていたように、にっこりと頷いた。

「いいわね。今度は何処に?」
「『白の国』だよ」
「そう、」

――は?

「最近あの国は体制が代わったろう。新政府は、貴族でない者も積極的に取り立てているらしいんだ」
「あら、再就職もしやすいわね」
「そうだ。ただ急がないといけない。フネが限られているからね。そういうわけで、さっそく準備を――」

さくさくと進んでいく話に、おれは慌てて割って入る。叫ぶ。

「ちょっと待て! なんだそれ!?」
「聞いてなかったの? 引っ越すのよ、『アルビオン』に」
「だから、なんで!?」
「言った通りでしょ。あんまり駄々をこねないでよ」
「駄々とか言うな! 当然だろ!? なんで、よりによって、『敵』の国なんだよ!?」
「『敵』って誰が決めたのよ? 戦争なんて貴族連中が勝手に始めたことじゃない」

はあっ?
ルイズの台詞に思考がフリーズする。そんなおれに、先生がおもむろに話しかける。

「なあ、サイト君」
「何スか!?」

ほとんど怒鳴るように振り向けば、先生はいつものあの人の良い笑顔で笑っている。

「『伝説』は君が考える以上に重いものだ。ひとりの人間が背負うには相応の覚悟がいる。そう安易に表に出してよいものでもない。だから――」

手には、いつのまにか、杖。

「逃げることもアリだと私は思うんだ」

――先生が使った魔法は、デルフによると、『眠り雲(スリープ・クラウド)』というらしい。

***

それから――魔法で眠らされたおれはズタ袋に詰められたまま、運ばれて。最初に目が覚めた港町で当然のように説明を求めたものの、再び眠らされて(「相棒は迂闊だよなあ」とはデルフの言。お前、気づいてたんなら言えよ)、気がついたら、ここにいた。
空飛ぶお島、アルビオン大陸。ぶっちゃけあんまり空を飛んでいる感覚はないが、少なくとも『ここ』がいわゆる『よその国』であることは知っている。
そしてこんな会話の最中も先生が『消音(サイレント)』をかけて、他人の耳を気にしなければならない程度には『敵地』だ。

「ねえ、『伝説』って面倒なのよ。しかも、あれだけのことをやらかして、周りが放っておくと思う? アカデミーあたりに見つかってごらんなさい。アンタなんか真っ先にそのルーンごと解剖されちゃうのよ」
「それがどーした」
「どーしたって……あのねぇ、」
「たしかに、おれは国のこととか、政治のこととか、この世界の常識とかはわかんねぇよ。でもな、自分の『ご主人様』の性格くらいは知ってんだぞ」

そうだ、たしかにこいつは小さいし、目も見えない。戦争なんて軍隊と軍隊がドンパチするような戦いに割って入るようなマネは、どう考えてもできない。それでも。

「お前がなにもかも放り出して、よりによって敵さんの国に逃げる? そんなのアリエナイだろ」

それは似合わないのだ、このルイズという誇り高い女には。
ほとんど勢いだけの反論だったが、どうやらイイトコを突いたらしく、ルイズは、むう、と口ごもった。

「ほんとのこと、話せよ」
「……そんなの、あんたに話せるわけないじゃない」

ぼそりと呟かれた言葉に、おれは歯噛みする。

「おれ、そんなに信用ないか? 頼りないか?」
「そういうことじゃないってば!」

逆ギレ気味のルイズと色々と限界きているおれのやり取りに、まあまあ、と再び先生が間に入って、水を差そうとする。おれはそれが余計に頭に来る。

――いい加減にしてくれ!

「なあ、」

おれはひとり、立ち上がったまま、ふたりを睨みつけた。荷物扱いで運ばれた体が痛いとか、眠りっぱなしで何も食べていない腹が減っているだとか、そんな不満よりも何よりも、おれの中を占めているものがあった。

「おれはバカな『犬』かもしんねーけど、それなりにマジメに考えてんだよ」

――この世界で、このふたりと一緒に暮らしていくことを。そのために自分ができることを。

「なのにさ。結局、お前らにとっちゃおれは『お客さん』で『お荷物』でしかないのか?」

それは、節々の痛みだとか、からっぽの胃袋だとか、そんなものよりもずっと、痛くて、辛い、事実だった。
デルフを強く握る。いつものようにルーンが輝いて体中に力がみなぎるのに、全然動けない。腹の底が重たくて、動けない。

「サイト――」
「サイト君。座りなさい」

ルイズの声をさえぎって、先生が、ひどく穏やかな声で促した。

「イヤだ」
「なら、そのままでもいいから聞いてくれ」

そして先生は、いつかのおれのように、頭を下げた。輝く頭頂部をきっちりとおれに向ける。

「まずは謝るよ。確かに君には済まないことをした。だが、あのままあの国に留まらせるわけにもいかなかったし、とりあえず逃げ場のないところまで連れて来てしまいたかったんだ」

真摯な声で告げる。その態度に思わず安堵したおれは、ふと、何かが引っかかった。
――ん?
おれは心を落ち着けるために、三回、先生のソノ言葉を反芻してみた。結論は、初めと同じだった。

「……先生。それ、すっごいヒトデナシな話に聞こえるんですけど」
「うん、すまない」

いや、なに、朗らかに肯いてんですか。
おれはガクリと肩を落として、そのまま腰も下ろした。

(この人。もしかして、けっこうロクデモナイ人なんじゃないか?)

おれが浮かべた疑問なぞ知らぬ顔で、先生はいつもの笑顔だ。……うわー、うさんくせー。
けれど突っ込みを入れる体力もない。ハア腹減ったカツ丼食いたい、と思いながら、誘拐犯共の『申し開き』を待つ。

そんなおれの態度に、先生もすぐに笑みを引っ込めて、真面目な顔になった。一瞬だけ目を閉じて黙した後、話し出す。

「そもそも、この『引越し』を決めたのは私だ。理由はルイズが言った通りさ。
あの力は強力すぎる。ルイズの魔法も、君のルーンも、扱い方次第ではこのハルケギニアの歴史を変えうる、とてつもない力だ。そんなものが今のあの国に在ったらどうなるか――私は君達を戦争の道具にはさせたくはないんだ。
そのルーンの正体自体、ずいぶん前に知っていたけれど、話さなかったのもそのためだ。平和に暮らす分には必要ないからね。
けれど、アレほどのことをしてしまってはもう隠し通せない。私にできるのは、せいぜい誤魔化すことと逃げ出すことだけだった」

誤魔化す?

「――仕事と言っていたが、本当はあの日のことを『報告』しにいっていたんだ。知り合いの、まあ王宮ではそこそこ偉い方にね。
そして、申し訳ないが、君の存在と『ゼロ戦』を利用させてもらった。彼らには今のところ『ひこうき』と『異世界から来た少年』があの力の源だと思い込んでもらっている。
だが、そんなその場しのぎの嘘でいつまでも誤魔化せるものじゃない。だから、急いであの国を離れる必要があったし、あのまま君をあの国に置いていくわけにもいかなったんだ、」

それが『逃げ場のないところまで』の理由か。
おれは先生の印象を改める。――これは『ロクデモナイ』んじゃない。『ダメ』なひとだ。
意味のない心配を笑い飛ばす。

「なら、初めからそう言ってくれればよかったんですよ。おれ、別にそんなこと気にしないし、まして逃げたりなんかしないのに。これからもずっと、ふたりと一緒に暮らしていきたいと思ってますから、」

そう告げると、先生は一瞬なんだかとても昏い瞳をした後、フウ、と息を吐いた。

「……すまない。やはり『そう』考えていたんだね」
「?」
「いや、此処はありがとうと言うべきだね」

きょとんと見返すと、先生はいつもの笑顔で言葉を改めた。
――気のせいか?

「でも、なんでこの国だったんですか?戦争中ならこっちだって危ないんじゃ」
「なに、まだ当分は戦争は始まらないよ、」

両国の準備が整うまでの間はむしろ平和だ、と先生は言う。そして、今この国は、争いを恐れて国を出る人と、逆に国境が封鎖される前に祖国に戻ろうとする人が大勢出入りしている。おかげで目立たずに密入国できたのだと――ってあれ、もしかしておれ今不法入国者なの?

「それに此処なら知り合いがいるからね。全く見当もつかない場所で暮らすよりは安全なのさ」

先生はおれの疑問を軽く笑って流した後、さて、と呟いた。

「――ちょっと『伝説』の話をしようか、」

***

※長くなったので分けます。



[6594] ゼロとせんせいと 7の2
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2009/11/03 18:54
「前にも言ったけれど――伝説は重い。君が思う以上に重いものだ。背負うにはまずその重さを知らなければならない。それに、何が『できる』のかを理解しなければ、何を『する』かは決められないものだからね」

唐突な話題の転換をそう理由づけて、先生は授業を始めた。

「サイト君は、始祖ブリミルの名を知っているかな? 」
「この世界の神様、ですよね?」
「そう。六千年ほど前にこの地に降り立ち、我々の祖先に『系統魔法』を伝えた人物だ。彼は強大な魔法の使い手であり、素晴らしい力を持つ使い魔達の主でもあった」

チョークで机の上に四つの点を打つ。

「四大系統の話は聞いているね。『火』『土』『水』『風』、これが四大だ。通常メイジが持つ系統はこのどれかになる。しかし始祖ブリミルは違った。彼が操ったのは第零の系統、『虚無』と呼ばれている。しかしブリミル以降、虚無の系統を持つ者は歴史上、一度も現れていない。故に『伝説』とされてきた」

最後の一点を加えて、線でつなぐ。五芒星だ。この世界の魔法体系で特別な意味を持つしるしだよ、と先生はまさしく『先生』らしい口調で言った。
おれはつい、普段の授業中のように隣の席のルイズに話しかける。

「コレ、教わってないよな? お前、知ってた?」
「――いちいち言わなかっただけよ、こんなこと。学校の授業じゃないんだから。六千年間、幻って言われていたのよ」
「ところが、幻(そう)ではなかったわけだ」

私語厳禁、なんて咎めるわけもなく、先生がにこやかに言う。

「もうわかっているだろうけど、ルイズの系統がこの『虚無』だったんだよ」
「ナンダッテー……とかやった方がいいか?」

無言で杖で殴られた。痛いぞ。

「つまり、超レアな系統だったと。すごいじゃん」
「どうかしらね。どうせ過去にもいたのに、誰も気づかなかっただけじゃない?」
「可能性は高いね。なにせその系統に生まれる者が絶対的に少ない上、虚無に関しての伝承は殆どが失伝している」
「……どういうことだ?」
「虚無だと他の系統魔法が使えないの。――あんたにはわからないかもしれないけど、系統魔法が使えないってそれだけで貴族としては致命的なのよ。過去の虚無はたぶん、わたしみたいに貴族でいられなくなって、そのまま消えちゃったんじゃないかしら?」
「……へえ、」
「それもこれも始祖が虚無のルーンを変なとこに隠したのがいけないんだけどね」
「隠した?」
「そ。たとえば、音の出ないオルゴールとか」

先生が見覚えのあるオルゴールを取り出す。ルイズがいつも枕元に置いていた、壊れたオルゴールだ。これが?

「始祖は自らの力を四つに分け、三人の子供と一人の弟子に受け継がせた――一般的にはこれはこの大陸にある四つの国家、すなわち、『トリステイン』『アルビオン』『ガリア』の三王家、そしてブリミル教の総本山『ロマリア皇国』のことを指すと考えられている。だが、始祖が残したのはそれだけではなかったんだよ」

つまり、アンティークと呼ぶにも少々微妙なこのオルゴールが、実はとある王家の秘宝で、始祖が残したという虚無のキーアイテムなんだと。虚無系統の人間にしか聴こえない『音』で『ルーン』を教えてくれるという。そんな超重要アイテムがコレとは――

「始祖って案外悪戯好き?」
「わたしに言わせれば、ひねくれ者ね」

ルイズの言葉にちょっぴり納得する。そっか、お前の『先輩』だもんなー。

「それもオルゴール単体では意味を成さない。王家に伝わる『ルビー』が必要なんだ」
「『ルビー』?」
「コレよ」

ルイズは首から提げていた紐を手繰り、あるものを取り出した。見覚えのあるそれに、おれはびっくりする。

「おひめさまのじゃん。なんで?」
「『おともだちへ』だそうだよ」

と何故か先生が答えた。へえ。

「ま、どこまで『わかって』るのかわからないけどね」

とルイズは呟いて、気のないふうに指輪をつまむ。その様子に、先生とおれは笑う。――天の邪鬼め。

「ま、貰えるもんは貰っとけばいいじゃん。つけてみろよ」

気軽に促せば、何故かデルフに駄目出しされた。

「相棒も気が利かないねえ」
「まったくだわ」

即座に同意するルイズに、は?と首を傾げる。愛剣が言う。

「指輪だろ。女に自分ではめさすなよ」
「?」
「ほら、つけて」

あっさり差し出された青い石の指輪、と、ルイズの左手。恐れおののく、おれ。(どうやら、そこに深い意味はないらしい)

「……サイト、手が熱いんだけど。大丈夫?」
「ダマレナンデモナイキニスルナ」
「あっ、そう」

不機嫌そうに鼻を鳴らすルイズ。この娘さんはほんとうに……、

「もういいかい?」
「スミマセン」
「?」

(お子ちゃまめ!)

閑話休題。

つまり、指輪とオルゴールがそろって初めて『ルーン』が聴こえるらしい。
ルイズが微妙な反応だった理由を理解する。確かにこれはほとんど嫌がらせだ。お偉いさんならともかく、おれ達みたいな庶民が『虚無』だったら、よっぽどの偶然がなきゃ一生たどりつかないに違いない――ん?

「じゃあ、このオルゴールと前のやつはそもそもどうやって手に入れたんだ?」
「偶々よ。ま。『始祖のお導き』ってやつでしょ。ね、デルフ」
「そんなとこさね」

――なぜ、ここでデルフ?

「言ったろう、始祖は『六千年前』にこの地に降臨した。デルフリンガー君を作ったのも始祖なんだよ」
「……へえ……って、ナンダッテーー!?」

いや、えへん、とか言ってんじゃねーよ、ボロ剣。つか、始祖、マジでひねくれてんな。錆びた剣に、音の出ないオルゴールって。

「俺様だって昔っからサビてたわけじゃねーよ」
「はいはい。ってか、なんでそれを最初っから言わなかったんだよ」
「そりゃー、お前さんのせいだろ」
「ああ?」
「相棒は、俺ができて六千年だって言っても、てんで信じやしなかったじゃねーか」
「あ、」
「剣心に傷ついたぜー。使い手にさえ信用されねーんじゃ、俺様だってしゃべる気失くすっての」
「……わ、悪かったよ」
「ヘン。足りねーな、てんで足りねー。相棒にはもうちっと真剣味ってものが欲しいね、切れ味のするどーいヤツ」

剣は妙にスネた口調でおれをなじる。挙句、ルイズまで茶々を入れた。

「初めから無いものを求めてもしかたないでしょう」
「それもそうか」
「……あ、あのなあ、」

お前ら、おれをいぢめて楽しいか?

「なんてな。まあ、俺様も最初は忘れてたんだ」
「んだよ、それは!」
「だからー、そもそも相棒が俺のことを剣として使ってくんないのがいけねーんだよ。その証拠にアノ後はしっかり思い出したかんな」

というわけで、ここからはデルフのターン。先生は、遅々として進まないおれ達のやり取りを、にこにこと眺めている。

「んじゃー、まずは使い魔の説明からしてやる。娘っ子、せっかく『揃って』んだ。『集中しないで』、開けてみな」
「? わかったわ」

デルフの忠告通り、ルイズは気軽な様子で、ぱかり、とその古びた蓋を開いた。そして、首を傾げる。

「あれ? なに、この歌?」
「やっぱり、聴いていなかったか。普通、こっちが真っ先に聴こえるはずなんだけどなー。ほんと、天の邪鬼が過ぎるぜ、娘っ子」
「……どういう意味よ?」
「何も聴こえないぜ?」
「虚無の担い手にしか聴こえないって言ったろ。ブリミルの歌さ。――おい、娘っ子。歌ってみな」
「命令しないでよね。――まあ、いいわ」

コホン、と咳ばらいをひとつして、ルイズは歌った。懐かしいような、ひどく胸が苦しくなるような、その一節を。

――神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾。左に握った大剣と、右に掴んだ長槍で、導きし我を守りきる。

ルイズは、そこで口をつぐんだ。オルゴールも閉じてしまう。

「……ん?それだけか?」
「だって、メンドクサイんだもん」

おいおい。

「娘っ子よぉ。ここは最後まで気張ろうぜ?」
「いいじゃない、『ガンダールヴ』、それがサイトのことでしょ? それで左手の大剣ってのが、アンタのことね」
「まーな」
「『神の盾』ねえ」
「そうさ。虚無のルーンってのは、どだい長すぎるんだ。その上えらい集中を必要とするから、詠唱中は無防備きわまりない。ガンダールヴってのは、そこんところを守るために居るのさ」

おれは左手の甲をまじまじと眺めた。武器を持つと体が軽くなったり、触るとしくみが理解できたりしたのは――つまり、おれに『守る力』を与えるためだったのか。
その事実は、すとん、とおれの中に収まった。けれど。疑問は残る。

「なあ、なんでそれが『おれ』だったんだ?」
「さあ?」
「さあって、お前が召喚したんだろ?」
「だって、成功するなんて思ってなかったし」
「……他人を喚んでおいて、それはなくね?」
「ゲートをくぐったのはアンタでしょ。そもそもどうしてゲートに入ったのよ?ニンゲンなのに」
「いや、まさか、異世界に行くなんて思わないだろ。それで……面白そうだったから、つい」
「相棒はもう少し後先を考えよーぜ」
「う、うるせーよ」

先生が苦笑いで口を挟んだ。

「ゲートがサイト君の前に開いたのは確かだろうね。でなければ通しはしなかったはずだ。でもその理由となると……わからないな。何を使い魔にするかは、魔法が選ぶものだから。――強いて言うなら、『運命』かもしれないね」
「運命?」
「ご大層ねー」

せっかくのフォローを、鼻で笑うルイズ。

「……お前さー、もう少し何かないの?」
「何ってなに?」

おれはため息をついた。

「――んじゃ、次。『虚無』魔法の説明な」
「あー、」
「やる気ないねぇ。大切なとこだってのに」
「ハイハイ、んで、その『虚無』ってのは何ができるんだ?」
「何でもできるわよ。神様の力だもの」
「ハ?」
「おいおい。ブリミルは人間だぜ」

ちょっぴり投げやりなルイズの言葉に、苦笑いのデルフ――つくづく、芸が豊富なおしゃべり剣だ。

「ま。何でもってのは言いすぎだが、確かに四大系統よりは自由度が大きいわな。――四大は、同じスペルでも使い手の熟練度によって威力が変わるだろう?それと一緒で、虚無ってのは使っているやつのイメージや願望が結果を強く左右するんだ。タルブで娘っ子が使った魔法がいい例さ」
「あの光か?」
「そう、あれは『爆発(EXPLOSION)』っつー、虚無の中でも初歩の初歩の初歩の魔法だ」
「爆発ぅ?あれが?」

おれはあの光を思い出す。黒い世界に、ルイズが描いた白い光。ぞっとするほど美しい光。あれを『爆発』と呼ぶのは、どうにも合わないと思う。

「言ったろ、虚無ってのはイメージが主体なのさ。同じ爆発でも、ただ火の秘薬を爆発させるのとは違って、吹き飛ばすものが『選べる』」
「そうね。あのとき、わたしは『選んだ』。そして虚無はそれを叶えた」

妙にはっきりと頷いたルイズは、それからさらに奇妙なことを言って頬を歪ませた。

「――虹の彼方のおとぎの国ではどんな夢も叶う、ってわけよ」

それは珍しく、出来の悪い笑みだ。
その表情に、おれはようやく思い至る。目の怪我のせいで貴族でいられなかったルイズが、実は誰よりも偉大な力の持ち主だったなんて――皮肉以外のなにものでもないよな。

「……なあ、虚無ってのがルイズの本当の系統なら、あの後、体調崩していたのはなんでだ?」
「魔法ってのは精神力を消費する。虚無もそうさ。ただし威力が並外れた虚無は、当然消費する精神力も桁が違う」
「そうね、体中から『引きずり出される』感じだったもの」
「ま。娘っ子の場合は、才能もあるんだろうが、精神力も馬鹿でかいみたいだな。器用に的を絞ってたが、あれだけの範囲だ。並の奴なら一年はすっからかんになるところなのに、数日でもう次のが使えるようになってたし」

――うん?
おれは思わず隣の娘さんを見た。素知らぬふりをするルイズ。

「…………まさか、お前、」
「娘っ子が寝込んでたのは、十分に回復するのを待たずに、立て続けに虚無魔法を使ったからだよ」
「あ!」

チクるなんて、と口を尖らす馬鹿娘。聞けば、『記録』というらしい。前にお姫様に使ってあげた、モノの宿った過去の記憶を見る魔法だとか。

「お前なー!」
「だ、だから謝ったじゃない」
「は?いつ?」
「いいって言ったくせに……」
「あー、あれか。あのな、自業自得の場合は別に決まってんだろ」
「だ、だって面白くて、つい」
「つい、じゃないだろ。マジで……死ぬかと思ったんだぞ」
「だから、悪かったって言ってるでしょ!いいじゃない。ちゃんと『痛い目』にも遭ったし。もう無茶はしないわよ」
「……うー。なら、いいけど」

おれが唸りながらも追及を止めると、デルフが器用に含み笑いをする。んだよ、ボロ剣。

「相棒は甘いね」
「ほんとね」
「ま、それがいいとこさね」
「そうね」

妙に息のあったふたりに、おれはぎりぎりと歯を軋ませる。
お前ら、なんかムカつくぞ。

***

「さて、だいたいの説明は済んだわね。ここからが本題よ」

ルイズが強引に話を戻す。

「なんか、細切れにしか聞いてない気がすんだけど」
「いいのよ、それで。重要なことは三つ。わたしの系統は虚無、虚無がアンタを使い魔にした、そして、虚無は願いを叶える、それだけ」

ルイズは自分とおれを順番に指した後、もう一度、オルゴールの蓋を開いた。しばらく俯いた後に、顔をあげる。――なんだ?
ぽかんとしているおれの前で、閉じたオルゴールを先生に託し、代わりに杖を受け取った。小さな手が、きゅ、と握り締める。

「ねぇ、サイト。あんた『最初の日』に言ったわよね、『喚ぶ魔法があるなら還す魔法もあるはずだ、』って」
「あ?」
「――あんたが正しいわ」

それは、『召喚初日』におれが「帰る方法がない」と言うふたりになじりながら告げた台詞だ――そう思い出すより先に、ルイズは杖を構えていた。
まるで親の仇に挑むような険しい表情で、すう、と息を吸う。そして、唱える。

――ユル・イル・ナウシズ……

唄うように長く長く唱える。まるでぐずる子供をあやすように、優しいルーンの調べ。杖先を宙に向けて、現れたのは――ずっと小さいけれど、いつか見た、あの不思議な銀の鏡だった。
『それ』を目にした途端、おれの目が勝手に限界まで見開かれる。手鏡程度のサイズの鏡。その『向こう』に映ったのは、

「……え?」

――あ、も、ダメ、と小さな呟きがして、その鏡は、ぱちっと消えてしまった。

え? あれ? え?

「大丈夫かい」

先生の気遣わしげな声に、見れば、ルイズが床にへたりこんでいる。杖を握ったまま、頭を抑えている。どうやら腰が抜けているらしく、よっ、と先生が脇を抱えて椅子に座らせてやった。
それを見ながら、おれは――あうあう、と阿呆のように口を動かすことしかできない。一瞬前に見たものが信じられなくて。

「……なによこれ、とんでもなく『使う』わね……」

ルイズがものすごく疲れた声で言った後、珍しく弱気に尋ねた。

「ねえ?上手くできたのよね?」
「おう。ばっちしみたいだぜ」

デルフが代わりに答え、そして、おれはようやく――叫ぶ。

「あ、ああれはなんなんだ!? どうして『おれン家』が見える!!? なななな、なんでっ!!?」

先生の制止も気づかずに、ルイズの両肩を掴んでがくがくと揺する。

「ちょ、ちょっと、」
「ありゃあ、『世界扉(WORLD‐DOOR)』ってんだ。向こうとこちらを繋ぐ魔法さ」
「――異世界から使い魔を召喚することができるんだ、向こうへ渡る魔法があっても不思議ではないだろう?」

先生が強引におれの手を放す。まだおれは処理し切れなくて、思わずなじってしまう。

「それが、なんで、あんだけなんだよっ!?あんなちっぽけじゃ手も入らねーじゃねえかっ」
「精神力が足りないのよ!しかたないでしょ!」

即座にルイズは叫び返して。でも、すぐに肩をすくめた。

「それでもがんばって溜めれば、とりあえずあんた一人分くらいはなんとかなるわよ。ちょっと待ってもらうことになるけど」

杖先をのばして、ツン、とおれの額を突く。

「あんたは『帰れる』。わたしが『還す』。だから、」

おれは、その言葉をどこか遠いところで聞く――

「傭兵だとか、戦うだとか、変なこと考えて無理するんじゃないわよ、バカ犬。――似合わないんだから」

そして、ぶっ倒れた。

***

***

味の薄いスープをずず、とすすりながら、おれは倒れる前のルイズの台詞をもう一度思い出していた。

――アノトキ、焼け出された村で、おれは先生がゼロ戦を瞬く間に解体するのを見ていた。腕の中には気絶したまま身じろぎもしないルイズがいて、変わり果てた村の中には、おれの世界に続くものなんて、ひとかけらも残っていなかった。ただ同じ人間が生きて、苦しんでいる現実だけがそこにあって。
そして、おれももう、そのひとりだった。

ああ、もう帰れないんだな、とおれは思った。

だから、ふたりと一緒に暮らしていくことを考えた。他に行くところなんてないし、行きたいところもないから。
だから、お客ではなく、仲間になりたかった。なのに、荷物扱いされて、はぐらかされて――怖くなった。バカみたいに騒いでいたのも、焦っていたからだ。
こんなんじゃそのうち、何の役にも立たないおれなんて、捨てられてしまうんじゃないかって。
情けない話だ。まるで迷子のガキだ。

――そんなのも全部、見透かされていたのかな……。

「もうちょっと食べる?」
「ああ、うん」
「じゃあ、はい。冷めちゃってるけど、」

脂の白くなったパイをかじる。水分の少ないそれを飲み込み損ねて、水を渡してもらう。

「ドジねえ。ゆっくり食べないとだめよ」
「わかってるって、」

もそもそと口を動かす。
先生は今、人を探しに出ているらしい。再就職先探しだとルイズは言う。

「おれ、それ手伝えないかな」

ぽろりとこぼした言葉に、ルイズは呆れ果てた声で答えた。

「あのねぇ、あんたがどう考えているか知らないけど、せんせいの仕事はそんな気安く手伝えるもんじゃないの。それに、あんたは帰りたいんでしょ。だったらそのことだけ考えなさいよ。あんた、バカなんだから――いくつも手を出したらしくじるだけよ」

まったくだ。
おれはその『忠告』に従うことにした。実際、おれの脳みそは飽和状態だ。伝説だとか。虚無だとか。帰れるとか。

「なあ……どうしてあの『ドア』が開いたのは、おれの家の前だったんだ?」
「さあ? あんたのための魔法だから、あんたが一番行きたいところに開いたんじゃない?」
「そっか、」
「……食器片付けてくるわ。そうだ、コレ。せんせいが『ばってり』が何とかで何とかだから見ておいてくれって」
「ああ、」

おれはルイズの方を見ようともせず、生返事で肯く。たったひとつのことだけが、ちっぽけな頭の中を占めている。

――平凡なブロック塀。狭い門扉。おれの悪戯のせいで、隅っこがちょっぴし欠けている表札。母親が毎日水を撒いていた玄関。もうそんなに新しくもない。おれが小学生のとき、親父がローンを組んで買った家だ。庭にはその記念に植えた木があって、毎年小さな花を咲かせる。ガキの頃からずっと住んできた、おれの家。

「そっか、帰れるのか」

呟いてみる。ルイズのその言葉に嘘はないのはわかっている。けど、なんだか実感もない。なんというか、あんまりあっさりしすぎていて――

「ホントにいいのか?帰って?」

ぼけ、と呟きながら、仰向けに倒れる。あのボロ家とは違って、穴ひとつないちゃんとした天井が見える。それが、なんだか味気ない。

――そうだ、だっておれ、まだ何も――

ふと、手が何かに触れた。硬い感触に、無意識にそれを取り上げる。手のひらにすっぽりと収まるそれは、ちかちか、と光をまたたかせていて――

***

***

「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、」

おれは、走っていた。見知らぬ世界の、見知らぬ国の、見知らぬ町のまわりを、がむしゃらに足を動かして、走っていた。――行くあてなんてないから、ただぐるぐると。バカみたいに、がむしゃらに。
頭の中を駆け巡る、たくさんのこと。

――召喚されたときのこと。先生の研究。妖精亭のみんなとジェシカの笑み。お土産。タルブ村。貴族のバカップル。水の秘薬。佐々木さんのお墓。シエスタの涙。ゼロ戦。白い光。『選んだ』。ルイズの言葉。ルイズの悲鳴。先生の言葉。できること。すること。爆発。世界扉。『虚無は願いを叶える』。母さんからのメール。かえってきて、と。かえす、と言ったルイズ。

「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、」

ぐちゃぐちゃの頭の中とは対照的に、規則正しい呼吸とリズムで足を動かす。吸って、吐いて。先生が作った『えんじん』みたいに、単純な繰り返しで動かす。延々と繰り返す。そうしていると段々と物事も全部単純に戻っていくような気がするから。

――ああ、やっぱ。体を動かす方がおれには向いてるや。

おれは結局、一番単純な結論に落ち着いた。

「……かえらなきゃ」

ハア、と大きく息を吐く。大きく背をそらす。異国でも、異世界でも、空は空だった。

***

***

それから。

いい加減、膝が震え出したので戻ってくると、なぜか宿の外でルイズが待ちかまえていた。
後ろ手にデルフと杖を持って、仁王立ち。きりっ、と口元を引き締めて、なにやら『覚悟』を決めた表情だ。
――え、なに?
その真剣さに、一瞬ぶん殴られるかと思って及び腰になる。気づかず、ルイズはぴしっと一本、指を立てた。

「ひとつだけ!」
「へ?」
「えーっと、ほら、ご褒美よっ。ごほうびっ」
「ごほうび?」

おれ、何かしたっけ?
意図がわからず、首を傾げていると、ルイズは妙に焦った様子で言い募った。思いっきり、声をうわずらせて、

「なななんでもいいわっ。とととにかく、ひとつだけ!」

ひとつだけ?

「どんな変なことでも、どんな恥ずかしいことでも、答えてあげる。なんでも訊きなさい!!」

――なんだそりゃ。



(つづく)



[6594] ゼロとせんせいと 7の3
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2009/11/03 18:52

わたしには目がない。子供のときに自分で吹き飛ばしてしまったからだ。けれどもう慣れたし、ある方法を身につけてからは、あまり不便を感じたことはない。

――杖を持って、頭の中でルーンを唱える。知っているルーンを片っ端から並べてでたらめに唄っていると、次第に自分の体の中で響くリズムが聴こえてくる。そうすると何処に何があるか、なんとなく『わかる』のだ。
もっともこの方法には欠点もあって、頭の中でルーンを鳴らしていると、どうしてもそれ以外のことが疎かになってしまう(せんせいによると、言葉遣いなんかが幼くなっているらしい)。けれどそれも、あのオルゴールで唄を――否、『虚無のルーン』を――知ってからはなくなった。
同じリズムでもずっと洗練されているそのルーンは、ほんとうによくわたしの体に馴染んだ。

「そりゃあ、ブリミルが生涯かけて作り上げた魔法だからな。それでもたいしたもんだ。自力で見つけたのか」

移動中、わたしの説明を聞いたデルフリンガーはそう言った上で、一つの仮説を立てた。

「虚無ってのは、世界を作る一番小さな粒に干渉する魔法なんだ。もしかしたら、お前さんは担い手の本能でそれがわかるのかもしれないな」
「小さな粒?」
「サイト君の世界の『化学』で言うところの、『原子』というやつかね?」
「さあ? 難しいことはわからん。俺がもういっこ知っているのは――虚無が担い手の願望を叶える力だってことかな」

――色々と思うところはあるけれど、それを言葉にはしようとは思わない。
とりあえず、この自己流の『探知魔法』のおかげで助かっているのは事実だ。かくれんぼも、実は鬼の方が得意だったりする。
そう。だからこのときも、サイトが何処かに出かけたのはすぐにわかった。

「デルフ?」
「ちょっと腹ごなし、だと。心配ねーよ」
「ふーん」

わたしはせっかくもらってきたパンが無駄になったことに、ちょっぴり腹を立てながら、ベッドに触れる。まだ温もりが残っていた。その温かさに引かれるように横たわる。目の粗いシーツから、サイトの匂いがした。

サイト、わたしの使い魔、は、このところずっとおかしかった。はしゃいだり、バカをしたり、そうかと思えば、真面目になったり、急に怒鳴ったり、落ち込んだり。――まあ、その前はわたしの方がおかしかったのだから、お互い様なんだけど(あれはほんとうに悪い夢だった)。

あんまり落ち着かないから、とりあえず眠らせている間に、せんせいと相談した。せんせいは心当たりがあったみたい。なんだかせんせいの方が辛そうに――『ひこうき』が壊されてしまったことがショックだったのだろう、と言う。あれは、サイトのいた世界に繋がる大切なものだったから。

それに、サイトの国にはあんなにすごい武器があるのに、戦争がないのだそうだ。だから今まで、寿命や病気以外で人が死ぬところを見たことがなかったのだという。そんな『子供』がいきなりあんな目にあったのだ。その上、わたしはあんなことをさせてしまった――。

もう帰れないと思いこんで、けれどそれを表に出すこともせず――妙なところで真面目だから、変に遠慮したのだ――帰りたいに決まっているのに――空元気出して、明るく振る舞って――あげくに「役に立ちたい」なんて、あんなことを言う。

――そんなものは、いつか必ず無理が来るに決まっているのに。
(それは絶対に確かだ)

わたしはうすら寒い感覚に身を縮める。そのことを考えると、何故かはわからないけれど、風邪をひいたときみたいに全身が寒くなって頭が痛くなるのだ。
でも、もう大丈夫よね。
枕をひっぱり寄せて、ぎゅっと抱く。満足のため息を吐く。
上手くいってよかった……。

事前にデルフの説明を受けたときから、それが『ある』ことも、わたしに『できる』ことも確信はあったけれど(だってそうでなければ『おかしい』)、実際に試したときは緊張で手が凍えてしまった。
それでも、始祖の残したルーンは見事にハマった。

――ブリミルも、たいした奴よねー。

不遜きわまりないことを考えながら、ごろりと寝返りを打つ。
そのとき、背中がへんなものに当たった。手をのばす、硬いのに軽い、奇妙な感触。

さっきせんせいから預かって、サイトに返したものだ。召喚されたときに持っていたサイトの持ち物。たしか『けいたい』という。サイトの世界のオルゴール……だったかしら?
サイトの奴、置いていっちゃったのかしら。せんせいが見てくれって言ったのに。

『ひこうき』の『ばってり』がどうとかで、ちゃんとまた使えるようになったらしい。……いつものようにせんせいはたくさん説明してくれたけど、いつものように半分もわからなかった。
とにかく、せんせいの研究も好調みたい。サイトの世界の話が役に立っているのだろう。
――そうだ、サイトは自分ではわかってないみたいだけど、ちゃんと役に立っている。それに、わたしの魔法も。
新しい虚無魔法のことを考える。サイトの願いを叶えるあれは、きっとせんせいの役にも立つだろう。

(体の中から、お腹の底の方からゆっくりと湧き上がる何かがある。その感情に、わたしは名前をつけない)

わたしは唄い出したいような気分で、その、どんな貝殻細工よりもつるつるした表面を撫でた。つめたいのか、あたたかいのかもよくわからない、不思議な物体。サイトの世界のモノ。
ふと、あることを思いつき、杖を取る。

「あっ、こら――」

デルフリンガーの制止を無視したわたしは……すぐに後悔するはめになった。

***

オルゴールから聴こえてきた二つ目のルーンを『記録(RECORD)』という。
モノに残った強い『想い』を基にして、過去にあった出来事を頭の中に描きだす魔法だ。けれど、この魔法はただ過去に起きたことを知るためだけのものではない。
描かれた過去は、いわば幻の舞台。そして、それを観る者はその舞台の観客であり、闖入者にもなる。つまり、わたしは舞台の上に入り込んで、その場にいる人達と会話することもできるし、過去になかったことを起こすこともできるのだ。その幻の中だけなら、という条件がつくけれど。

「……ハア、」

わたしは杖を放り出して、深いため息をついた。デルフリンガーが言う。

「まあ、なんだ。娘っ子の精神力はたいしたもんだな、」
「さっきは途中で止めたもの。しごとの前に使い果たすわけにはいかないから」
「それにしてもさ。なんか精神力を溜めるコツでもあるのか?」
「そんなの、どうでもいいでしょ。それより…………どうしよう、」
「ハハ。娘っ子も懲りないね」

デルフは決して責めなかった。けれどその言葉に、わたしは身を縮こめる。自分が恥ずかしくて。
――ほんと、懲りないわ。おうじさまに会って、十分『痛い目』にはあったはずなのに。
自分のバカさ加減にほとほと呆れてしまう。

……ちょっと、『見て』みたかっただけなのだ。
頭の中に幻を描くこの魔法は、目がなくても『見える』という利点がある。それこそ、サイトの目を通すよりも鮮やかに(自分に目がないことを忘れさせるくらいに)。だから、サイトやせんせいが行きたいという『異世界』の姿をわたしも見てみたいと思って――

「どうしてああなっちゃったのかしら、少なくとも二十年分くらいは遡れるはずなのに」

己の愚かさを棚に上げて愚痴るわたしに、デルフが答える。

「より強い『想い』に引っ張られたんだろ。それはともかく――武士の情けだ。せめて言ってやるなよ」
「う、うん」

わかっている。この魔法は『見た人間』の『記憶』にしか残らない。どれだけそれが本物そっくりに感じられても、所詮、魔法で作った『幻』だ。見られた人達は見られたことなんてわからないし、何の影響も与えない。
だって過去は『変えられない』ものだから。

それでも、それを無かったことにするわけにはいかなかった。『けいたい』をきつく握りしめる。この過ちをどう償えばいいのか。頭の中はそれでいっぱいだ。

「ほんと、どうしよう……」

――男の子が泣くとこ、初めて見ちゃった……

***

***

わけのわからない『ごほうび』発言に、おれが戸惑っていると……何故かデルフリンガーが大爆笑していた。

「あははっ、そりゃいいや!」
「ちょっと、デルフ。笑わないでよっ」

盛大に笑い声を上げる錆び剣を、がしがしと足蹴にするルイズ。
あー、それくらいにしとけよ。な?
愛剣を拾い上げ、なんだかよくわからないけれど、妙に気負い込んでいるルイズの肩を叩いて落ち着かせる。
とりあえず宿屋の裏手にある木立の傍で、二人揃って、草の上に座り込んだ。背中を共に、ひとつの木の幹に預ける。

「――で。なんでも訊いていいのか?」
「ええ!」

――何故怒る?
おれはどうにも挙動不審なルイズを見つつ、首を傾げる。
もしかして、「説明もしないで」って怒っていたことを気にしているのか? こいつがそんな殊勝なタマとも思えないんだけどな。
しかし、それこそ尋ねたところで素直に言うとも思えない。
とりあえず、せっかくの『ごほうび(?)』だ。気を取り直して、考える。訊きたいこと、ねえ?

「じゃあ――例のドアってさ、いつごろ開けそうなんだ?」

予想していなかったのか、ルイズはちょっとだけ言葉に詰まった後、戦争が始まる前には何とかできると思う、と答えた。

「そのころには精神力も十分溜まっているはずよ」
「フゥン。精神力ってどうやって溜めるんだ?」
「それは……なんとなく、よ。言葉にするのは難しいわ。――ねえ、それより、質問は? まさかこれじゃないでしょう?」
「んー、って言われてもな、」
「ちょっと、遠慮しないでよ!」

――何故責める?
どうも依怙地になっているようなルイズに急かされるまま、おれはもう一度考える。見上げた先には、黄色く色づいた葉とモザイクのような空。
いい天気だなー。

「じゃあ、さあ。お前、どうして目を怪我したんだ?」
「…………よりによって、それ?」

ピンポイントで来たわね、とルイズががっくり肩を落とす。あ。やっぱ、まずかったか。

「わりぃ、 やっぱいいよ、」
「――いいわよ。どんな『恥ずかしい』ことだって答える約束だし」
「?」

何故か普段『負けず嫌い』を発揮しているときの様子で、ルイズはしゃんと背を伸ばした。

「だいたい覚えてるわ。ていうか、最近思い出したんだけどね。で、何が聞きたいの? どうして『目』だったか?」
「ん、まあ」

あの説明を受けたときから、気にはなっていたのだ。ルイズの魔法は爆発の対象を『選ぶ』ことができる。それなのに何故――自分自身を傷つけてしまったのか。
ルイズは一見関係のないことを口にした。

「ねえ、タルブでよくシエスタの弟達と遊んだじゃない?」
「ああ、うん」
「あのくらいの子って、ときどき、わけわかんないことするわよね。悪戯とか。こっちがヒヤリとするようなこと」

その言葉でおれは思い出す。あののどかな村での休暇のことを。
タルブの子供達は、ルイズにも懐いていた。たぶんシエスタの影響だろう。ルイズも面倒見がいいから(自分よりちいさい子相手だと、特に)――ゼロ戦整備でおれ達が忙しくしている間に――鬼ごっこなんかをして、けっこう一緒に遊んでいたようだ。
そう。それの延長だろうけど、ガキどもが目をつぶったままチャンバラして、思いっきり転んで怪我をしていたっけ――でも、あれはルイズが『実際にやって』見せたのが原因だと思うぞ?

「ちゃんと手加減してたわよ」
「そういう問題じゃなくてな、」

まあ、子供ってのはそういうものだ。ひとつのことに熱中すると、良くも悪くも周りが見えなくなる。視野が狭い。考えが足りない。思い込みが激しい。
おれもそうだった。
三輪車の上に立ち上がって垣根に突っ込んで、目の上切ったり。空を飛ぶんだって風呂敷持って二階からジャンプして、足の骨折ったり。傍で見ていた親が血の気を失うようなバカなことを、ずいぶんとしたもんだ。
そんな『武勇伝』を聞いたルイズは、ハア、と呆れた顔でため息ひとつ。

「あんた、そんなことしてたの? 間抜けねえ」
「あのな、」
「――ま。わたしもひとのこと言えないか、」

ルイズは淡々と、ほんの少し早口に、話し出した。

――わたしが生まれた家っていわゆる大貴族ってヤツでね。代々優れたメイジを輩出する名家だったの。両親はもちろんスクウェアクラス。姉達も学院で首席をとったり、とにかく優秀な人達ばかりだったのよ。
けど、わたしはコモンひとつ扱えなくて、爆発ばかり。もちろん虚無だからなんてわからない。わかっていたのはただ、『貴族』なら呼吸をするようにたやすくできることが、わたしにはできない、ってだけ。
家族はずいぶんと厳しかったわ。できて当然のことができないのは、努力が足りないからだって。わたしは叱られてばかり。そして叱られるたびにわたしは中庭に逃げて、ひとりで泣いてた。でも、ある日。それが母に見つかっちゃってね。泣いていたなんてバレたらまた怒られる、と思って、だから、つい――

ちょっとだけ言葉を止めて、そして、一息に言う。

「『目』がなくなれば『泣いていた』こともわからないかなー、って、魔法で吹き飛ばしちゃったの」

ハア、と再びため息ひとつ。肩をすくめる。

「バカよね。それでこの有様よ」

そっと窺ったルイズの顔は、その上半分を隠した桃色の布にも負けず、真っ赤だった。

「……え。それだけ、か?」
「そうよ。――言ったじゃない、『恥ずかしい』話だって」

拗ねた口調で、唇を尖らす。そのガキっぽい表情に、おれは思わず――吹き出していた。

「マジかよ!バカだなぁー」
「う。わ、わかってるわよ!」

感情が高ぶったときの証である震えた声で、ルイズはやけっぱちに叫ぶ。おれは笑う。げらげらと声を上げて、笑い飛ばす。

「何してんのよ、お前」
「ちょっと!そんな、笑わないでよねっ」
「だって――」

笑い話なんだろ? だったら、笑ってやんないと。
手をのばして、くしゃくしゃとルイズの髪を掻きまぜた。

「ほんとおバカだねー、お前さんは。まあバカな子ほど可愛いって言うけどさ」
「あ、あああんたねっ」

ブルブルと首を振って、逃れようとするルイズ。いつかのように、おれは小さな頭を手のひらでおさえこむようにして、それをさせない。

「あはは。可愛いなあ、お前。ほんと、バカで可愛い」
「もうっ、調子に乗るんじゃないわよっ」

抗議の声なんて聞いちゃいない。おれはルイズの抵抗をいなしながら、撫で続ける。――なあ、杖を握ったままじゃ無理だと思うぞ?

ほんと、こいつって、おバカ。そして、ほんとうに――天邪鬼だ。

いつだって思ったことをそのまま口にすることがない。とんでもない、負けず嫌いのひねくれ者。プライドばっかり高くて、素直になれない。ときには自分自身にさえ『本音』を隠し通してしまう。

それが、可愛い。カワイクて、カナシクて、とてもイトオシイ。


(なぁ、おれも、恥ずかしい話、してやろうか?)


――実はワタクシ、平賀才人は、小二のとき、学校のテストでゼロ点を取ったことがあるのです。

たかが小学校低学年レベルのプリントテストで、どうしてそんな点数がとれたのか。今となってはわからない。それなりにマジメに答えの欄を埋めていたはずなのに。ある意味、奇跡だ。
ま、それはともかく――そのテスト結果を前にしたとき、おれの母親は焦った。大いに、焦った。
もともと教育熱心にはほど遠い、どちらかというと、子供は外で元気に走り回っているのが一番、というひとだった。だからそれまでは、学校の勉強は宿題をちゃんとこなしていればいいんじゃない?くらいに考えていた。
ところが息子は、母親の想像以上のバカだった。ま、あれで一応四年制大卒という学歴の持ち主だし、たぶんゼロ点なんて漫画の中でしか見たことがなかったのだろう。
このままでは息子の人生がヤバイ、と思い、パニックになった母は、どこでどう見つけてきたのか、妙なヘッドセットを買ってきた。
曰く、『頭が良くなる装置』。答えを間違うと、電気がビリビリとくるザ・罰ゲーム装置だ。といっても実際に感電させるわけもなく、せいぜいマッサージ器の低周波くらいのものだったが。
土日挟んで三日間、おれはそれを着けて、一日中勉強をさせられた。

四日目、学校で吐いた。
五日目、家に帰る道がわからなくなって町の反対側で保護された。
六日目、朝から晩まで泣き叫んで家中のものを壊しまくった。
七日目、父親がその装置を棄て、それから一週間ずっと、母さんはおれの好物のハンバーグを作り続けた。


――それも今では笑い話だ。


それでも、あのときの感じた気持ちはまだ覚えている。
今、もしもあんな目に遭わされたらきっとその相手を嫌ったり、憎んだりするのだろう。けれど、あのとき感じたのはひたすら辛さだけだった。
ただ辛くて、悔しくて、哀しくて、不甲斐なくて――怖かった。

ガキにとって、親は世界の全てだ。たくさんのものを与えてくれる、一番大好きな相手で。だからこそ、その期待に応えられないことがツライ。
――もしも失望した目で見られたら? もしも「いらない」と言われたら?
そう考えるだけで、目の前が真っ暗になる。足下の床が抜けて、底なしの暗闇に落ちていく。世界の何処にも、居場所がなくなる。
カナシイほど、子供の世界は狭い。


――指先をすべる、柔らかい感触。日本人とは髪質から違う、細やかなブロンドはこの上なく滑らかだ。
ブラッシングした甲斐があるよな、と思いながら、同時におれは勝手な想像をする。


貴族の屋敷なんて見たことがないから、それは昔映画で見た英国風の巨大な庭園だ。迷路のような垣根が延々と続く、エメラルドグリーンの庭。

その中を小さな女の子が駆けていく。フリルのついたワンピースを着て、小さな手に杖を握りしめて、何かから逃げるように、駆けていく。大きな庭の大きく育った木立やしだれ下がった花々が、子供の小さな体を覆い隠す。けれど、その声を遮ることはできない。
遠くから、声がする。名前を呼ぶ声がする。大好きな母親の、けれど今は一番聴きたくない声がする。
子供は耳を塞ぎ、背を丸める。小さくなって、この世界の隙間に隠れて。見つからないように、必死に息を潜める。あふれそうな涙をぐっとこらえて。息がつまる。苦しい。

――ごめんなさい。ごめんなさい。ちゃんとできなくて、ごめんなさい。あなたのおもうとおりにできなくて、ごめんなさい。あなたののぞむとおりのこどもでなくて、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんさい。

逃げ出したいのは、自分自身からだ。隠したいのは、なにをやってもうまくいかない自分自身だ。
けれど子供の必死な思いとはうらはらに、親は親であるが故に、いつだって子供を見つけることができる。枝をかき分けて、近づいてくる。隠そうとした秘密はあっさりと暴かれてしまう。それは一番簡単な、絶望だ。
そして、追い詰められた子供はすがりつく。とても愚かな『希望』に。
……とうに諦めていたのなら、よかった。その手がからっぽだったなら、それで自分の顔を覆い隠してしまえた。
けれど、その手はまだ、杖を握りしめていた。


…………もちろん、こんなのはおれの勝手な妄想でしかない。ほんとうは何があったのかなんて、わからない。
怪我のショックはそれこそ全てを吹き飛ばしただろう。ルイズは思い出したと言っているけれど、それさえも全部こいつの中のひねくれ者が作り出した、一番毒のない『お話』なのかもしれない。
そして、そのなにもかもが全て『過ぎた』ことだ。過去は、変えられない。

それでも――

おれはわき上がる想いのままに、嫌がるルイズを無理やり抱き寄せた。犬猫がじゃれるように。撫でて、撫でて、そのとき、こいつの母親ができなかった分まで抱きしめて――

しまいに、おもいっきり肘鉄を喰らう。鋭い一撃で、顎を跳ね上げられる。

「痛ぇっ!――おひ!舌(ひた)噛んだじゃねぇーか!」
「うっさい!だいたいあんた、汗くさいのよっ!」

涙目のおれに、ぷんすか怒るルイズ。毛を逆立てた子猫みたいな様子で、おれから距離を取る。といっても、顔が真っ赤っ赤じゃ、全然恐くないケドな。

「そりゃあ健全な青少年ですから。運動すりゃ汗くらいかくっての」

臭い、を連呼するルイズに不満を覚えたおれは、いい意趣返しを思いついた。ニヤリと笑って、言ってやる。

「んなら、一緒に風呂でも入るか? 今度はお前が背中洗ってくれよ」
「んあっ」

ルイズは変な悲鳴をあげて、ますます離れた。
――うん。寝ぼけてやらかしたことも、ちゃんと覚えていたらしい。
たぶんアレは魔法の使いすぎで一時的にハイになっていたんだろう。夢うつつだったにしても、楽しそうだったからいいじゃないかと思うんだけどな。
だが、正気に返った後にそれを認めるのは、山より高いプライドが邪魔をするようだ。強がるばかりで甘え方を知らない、ほんと、難儀なお子様だ。

そして、そんなこいつが、おれは大好きだ。

「……なあ、」
「なによ!?」

散々からかい倒した後、もう一度『おしおき』をくらう前に、おれは言った。

「お前の家族、探してみないか?」

***

ルイズは一瞬言葉に詰まった後――鼻で笑った。

「あんたって、ホント、わかりやすいわねぇ」
「……悪かったなー、単純で」

頭を掻く。
おれだって――生き別れの親子に感動の再会を、なんて単純に考えるほど、想像力がないわけじゃない。
けれど、そういう事情ならなおさら、『仲直り』した方がいいと思うのだ。

ここは確かにおれの常識がてんで通用しないファンタジーな異世界だけど、暮らしているのはやっぱり同じ人間だ。泣きもすれば笑いもする。傷を負えば血も流すし、バカをやれば痛い目を見る。好きなひとが傷つけばカナシイし、大切なひとが笑っていればそれだけで力が湧く。
子供は親に嫌われたくないと思うし、子供が傷つけば、親は必死になって治そうとする。
『大貴族』というやつがどれほど金を持っているのかは知らないけれど、ルイズの親は、高価な、とんでもなく高価なあの薬を、それこそ『湯水のように』使って娘を助けようとしたという。
なら、きっと――ルイズを手放したことにも何か理由があったんじゃないかと思うのだ。
そして、突然いなくなったバカな子供に、届かないメールを送り続けずにはいられなかったおれの両親のように――こいつの親も、行き場のない想いを抱え続けているんじゃないか、と思うのだ。

もちろん――まったく同じ理屈で――現実はずっと厳しいのかもしれない。世界の裏側では、『あまちゃん』のおれなんかには想像もつかない、むごいことが起きているのかもしれない。そして、こいつの親も結局ただのバカで、体面とか誇りとかのために今のこいつを否定するのかもしれない。

(そんなら、そのときは、おれがそいつらをぶった斬ってやる、)

――常識? 身分? 知ったことじゃない。なんせおれは異世界人だ。そんな常識がまかり通るのがこの世界なら、おれだっておれの世界の常識に従って、真正面から喧嘩を売ってやる。

おれはデルフを握りしめて、顔も知らない誰かに宣戦布告する。ルーンが輝く。活力みたいなものが、からっぽの体の中に満ちていく。

けれど――そんなおれの先走った覚悟なんて、それこそ知ったことじゃないルイズは、あっさり首を振った。

「別にいいわよ。もう、顔も覚えてないもの」
「なら、なおさらだろ。おれがいるうちに、一度会っておけよ」
「いいってば。だって――わたしにはせんせいがいるもの」

そう言って朗らかに、何のこだわりもなく、笑う。それが『どっち』なのか、おれにはわからない。わかりたくないだけかもしれない。だって、

「そうだ。そんなことより、」
「――あ?」
「せんせいをね、あんたの世界に行かせてあげようと思うの」

大切な秘密を囁くように、とっておきの宝物を見せるように、彼女は言った。

「時間はかかっちゃうけど。あんたを送ったら、もう一度精神力を溜めて。そうしたら、今度はせんせいをあんたの世界に送ってあげようと思うの――だから、そのときはちゃんと、せんせいの面倒を見てやってね、」
「……お前はどうするんだ?」
「わたしはこっちでドアを開けないといけないから、お留守番ね。大丈夫、その間は知り合いのとこにでもいるから。もう一度ドアが開けるようになるまで、せんせいにはゆっくり異世界を見てきてもらえるし、」

「ね、素敵でしょう? せんせい、きっと子供みたいに大はしゃぎするわね」

そう言って、笑う。花のように。まだ赤みの残る頬で、それを幸いだと言う。
おれは、眉を寄せて。もう一度思う。

(じゃあ、お前は? お前はおれにしてほしいこと、ないのか?)

唇を噛む。ガキのように拗ねたくなって、自分を戒める。
何もできないのがツライ?
――バカを言うな。おれはもう子供じゃねぇ。
叱咤しながら、もう一度、思い出す。散々考えてたどり着いた、単純な結論を繰り返す。

おれは、おれの世界に帰る。帰らなくちゃいけない。
けど、その前に――せめてひとつくらい、おれはこいつに『なにか』を与えてやりたい。
この世界でこいつと先生からもらったたくさんのものの、ひとつくらいはかえしたい。

(たとえ、こいつがわざわざ『異世界』から『人間(おれ)』を喚んだのが、全部『せんせい』のためだったとしても)

それがおれの――異世界ライフの最後の目標だ。

***

***

目が合う。幻の中でも今のわたしはちゃんと面布をつけているから、そんなはずはないのに。サイトの目がわたしの目を見る。
どうすればいいのかわからない、身動きひとつ取れない、間の悪い沈黙の後――サイトが、うわ、と叫びながら顔を伏せた。その寸前、その顔は一瞬で赤く染まっていた。
両腕を使って頭を庇うように、うつむくサイト。

「見んな!」
「……み、見てないわよ」
「うそつけ!」
「うそじゃないわよ!見えないってば!」

お互いに反射的に言い返す。これじゃあ、まるきり子供だ。サイトがぐずっと鼻を鳴らす。わたしは、頭が痛い。
なんでこんなことになっちゃったのかしら――思わず愚痴りながら、ため息をひとつ。

「ごめん」

うるせー、と彼は顔を伏せたまま悪態をつく。わたしはもう腹を立てる元気もなくて、とりあえず近づき、その前に膝をついた。ごしごし、と顔をこすりあげる腕を掴む。

「ほら、やめて」

びくり、と黒い髪の頭が震える。まるで叱られた子供みたいに、のろのろと顔を上げる。
初めて向き合う黒褐の瞳には、顔を隠した女が映る。
その目元は、無理にこすったせいで、真っ赤に腫れていた。
ハァ、とわたしはもう一度、深いため息をついた。その間抜け顔と、何より、自分の愚かさに、呆れながら。
手をのばす。

「触ンな、」

はいはい、といなしながら、その黒髪を撫でる。いいのよ、と言い聞かす。
すると再び、透明な涙がぼろぼろとこぼれた。大粒の雫は光を反射して、きらきらと輝きながら、汚れた木目の上に落ちて、色を変えていく。
きれいね、とわたしは思う。とてもきれい――いつもサイトが見せてくれた景色のようだ。心が弾むような、胸が詰まるような、全てがきらきらと輝いているような、美しいもの。
それは、わたしの心の中のいちばん柔らかいところに納まる。たくさんの後悔とともに。

「ねえ、いいのよ」

わたしは何度も何度も泣く子に言い聞かせた。

――泣いていいのよ。あんたは泣いていいんだからね。

***

かえしてやりたい、と思った。家族のもとへ。あるべき場所へ。
それがあなたの幸いだと思ったから。

***

――Cry Baby Cry



[6594] ゼロとせんせいと 7の4
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2010/05/01 21:42


その晩、ようやく職場から解放された私は、城下の町へ出かけた。
足は自然と、通りの一角にある古ぼけた酒場へ向かう。見慣れた、酒樽と長柄の戟(ほこ)の看板。こういう安っぽくて雑多な雰囲気が恋しくなるのは、疲れている証拠だろうか。

「よお、晩かったな」

いつも通り、顔中に髭を生やした強面の大男が、狭いカウンターの中を忙しげに動き回りながら、こちらを見る。わずかに口角を上げているのはお愛想のつもりだろうが――熊が獲物を前に嗤っているようにしか見えないのが難だ。

「大将殿は相変わらずか」
「まあね」
「ふん。せっかくだ、玉の輿でも狙ったらどうだ?」
「笑えないわよ」

軽口を睨みつければ、ひょいと肩をすくめる。この男もずいぶんと気安くなったものだ。

「ねえ、ワインはないの」
「うちにあるワインがお前さんの舌に適うと思うなら止めないがね」
「……やめておくわ」

渋々とカウンター越しに差し出されたマグを受け取る。

店の中は、喧騒に満ちていた。
行き交うのは主に平民だ。一日の勤めを終えて、なけなしの稼ぎを薄い麦酒(エール)に費やす。メイジくずれや傭兵の類もいるが、店主が睨みを効かせているおかげで、血生臭い騒ぎを起こす馬鹿はいない。
けれど、酔っぱらいは所詮酔っ払いだ。己の懐も顧みず杯を重ねていく姿は、身分を問わず変わらない。掲げたジョッキを打ち鳴らし、あふれた泡を隣席の頭に零す粗忽者。他人のつまみをちまちまと口に運ぶ吝嗇(ケチ)。そして下手くそな船唄をがなっては連れからも呆れられる阿呆。

私は中二階のバルコニー席で片肘をつきながら、そんな連中の馬鹿騒ぎを眺めていた。時折、手許のマグを傾ける。中身は連中と同じく麦酒。ウスイ・ヌルイ・マズイと三拍子揃ったこの国の名物だ。国を離れている間は妙に飲みたくなるものの、実際に口にすれば一口で飽きる。それでも惰性で口に運んでしまうのは、なぜかしらね。


――『酒場には悪魔がいる』


時折馴染みの常連客と言葉を交わしながら、基本ひとりで杯を進めていると、ふと、そんな言葉を思い出した。
誰が言ったのか、妙にしっくりと心に馴染む。浮かれ騒ぐこの連中の中に悪魔がいるのなら、それはずいぶんと陽気なタチだけど……。
不意に、口中を苦みが走る。
思い出した。『酒場には悪魔がいる』、そう言ったのは、そう、現在の雇い主だ。
悪魔は酔っ払いのふりをして、商売女のふりをして、貧相な乞食のふりをして、善良な人間をそそのかしにくる。だからあんまり酒を過ごすのはよくない、と。
坊主らしい馬鹿げた忠告。

そもそも、連中に目をつけられたのも酒場だったことを思えば、ただのイヤミでしかない……。

***

連中、つまり現在この国を支配しているレコン・キスタなる連中は、おそろしく薄っぺらい礼儀でもって、ロサイスの酒場を訪れた私を取り囲むと、そのまま此処、王都は『白の宮殿』へと連れて行った
通されたのは――かつてまだ私がこの国の社交界へと出入りしていたころ、ほんの数回足を踏み入れたこともある――謁見の間。懐かしむにはあまりに空々しい現状、ひとまずその空間だけは記憶にある通りだった。もちろん、中央の座に腰掛けた男の顔は初めて見たけれど。
カールのかかった金髪。司祭のような球帽。高い鷲鼻、手入れの行き届いた口髭。細い顎――新しきこの国の『王』。
そいつは、私に向かってこうのたまった。

「ようこそ、我らの城へ、土くれのフーケ。いや、ミス・マチルダ・オブ・サウスゴータよ。 さっそくだが、余には君と君の家の名誉を復活させる準備がある、」

と。

私の家は確かに、かつて旧跡の都、サウスゴータの太守を務めていた。『王家への叛逆の罪』でもって両親が処刑される四年前まで。そのとき、私は家と名とそれまでの全てを喪った。そして、そのなにもかもが、今は亡きアルビオン王家の為だった。

その王家を滅ぼした男が、言う。連中の新政府だかレコン・キスタだかに協力すれば、報奨として貴族の名を復活させる、と。もちろん領地はすでに他家が継いでいるので、それらは戻らない(いまさらそんなものを寄越されてもどうしようもないけれど)。
還るのは、貴族としての地位と名誉。けれど。

――そもそもこいつらは、どこまで『事情』を知った上で、吐かしているのかしらね。

そう思案した端、側近の中に、当時国王の右腕とまで言われていた男の姿を見つけた。

「君の『家族』も喜ぶだろう」

妙に血の気の薄い顔でこちらを、まるでデビュタントを見守る親族のように、穏やかに微笑みながら見つめている――その表情に、息が詰まるほど、ぞっとした。
喉をせり上がる凶暴な衝動に、咄嗟に、思考を切り替える。
身元は割れ、逃げ場はない。これは要はただの脅迫で、強制だ。端から断る道などない。ならばせめて。

――兵として雇われた方がマシよね。

ほとんど反射的にそう決めた。

「畏まりました、この土くれのフーケ、微力ながら閣下の為にこの身を尽くしましょう」
「そうかそうか。それでは――」
「――けれど、今は土くれこそが私の名でございます」
「……うむ?」

上っ面の言葉を止めて、有り体に傭兵としての報酬を要求する。一瞬、ひどく呑気な顔で首を傾げた後――鷹揚に新皇帝は頷いた。

「もちろんそれでも構わんよ。余は功労ある臣に報いを与えぬような吝嗇ではない」

というわけで、私は今、非常に不本意ながら、レコン・キスタに雇われている。傭兵フーケとして。


――のはずだったんだけどね……。


なぜこうなったのか、と内心首を捻りながら、私はマグを傾けた。
王家を滅ぼし国を乗っ取ったばかりでなく、聖地奪還という妄言を堂々と公言した上、さらにそれを実行に移そうという物騒かつイカレた連中の中で。かの宮殿での現在の私の主な役目は傭兵でも、官吏でもなく――

皇帝閣下の『話し相手』だった。

……なんでなのか、まったくもって腑に落ちない。いや、まあ、賭ける意義もないあの職場で、命の危険がないのは良いけど……。

今日もさんざん男の話――確か、今日は子供のころの思い出話だった――を聞きながら、王宮秘蔵の最上級ワインを相伴にあずかった。
おそらく、あの陰気な秘書と比べてまだマシだという程度の人選なんだろう。元が革命軍であり、今も皇帝のまわりにいるのは、汗臭い軍人か粗野な傭兵ばかりだ。坊主らしく、話を聞く以上は求めてこないあたりはかわいらしいものだけど。

遠い、碧い水底の国のおとぎ話――酔いがほどよく回った顔で、男は、自分の手にはまった指輪を大事そうになでながら、にこにこと話し続けた。私も仕事と割り切ってそれに付き合ったけれど……なぜか今思い返せば、お互いにすこしも酔っていなかったような気がした。

――ほんと、なんか、嫌な感じなのよね。坊主って人種が肌に合わないばかりじゃなくて。

ため息。マグから手を離し、両肘をついて甲で頬を挟み込むようにして支える。

奇妙にうすら寒いあの宮殿。
白大理石の宮殿は、主が替わっても何も変わらず、鏡のように磨きあげられている。けれどそこに漂うのは、革命の血生臭さを無理矢理洗い流したかのような、寒々しさだ。
そも、あの規模の宮殿にしては、人が少ないのだろう。かつてこの宮殿で働いていた民達は、貴族派の襲来に先立って逃げ出した。新たに雇い入れようにも、信用できる有能な奉公人を見つけるのに手間がかかるのは、どこの領地でも国でも変わらない。
そんな中騒々しいのは、戦を前に張り切る男達ばかりだ。その気勢も、先の奇襲の失敗と『始祖の裁き』を前に、どこか空々しい――そう感じるのは、私が傍観者だからかしら。

なんとなく、前の職場のことを思い出す。

――そういえば、アレに雇われたのも酒場だったっけ。

あの爺が初対面だというのに、酔ったフリをするでもなく堂々と人の尻に触ってきたのだ。今度触ったらブチのめす、と決めたその次の瞬間、スカウトされた。
あることがきっかけでなし崩しに退職することになったけれど、臨時収入もあったし、退職金もたっぷり弾ませたので、稼ぎそのものは文句のつけようがなかった。それでも、思い起こせば後悔は残る。

――やっぱり、一度でいいから、あの爺が青ざめてビビりながら泣いて謝る姿を見たかったわねぇ。

ふと、自分が唇の端を歪ませて笑っていることに気づき、私は、そそくさとマグを運ぶ。

ともかく――私の本業は盗人だ。秘書でも侍女でもない。あんな陰気な職場は、折を見て、さっさとズラかるに限る。ついでに一泡吹かせてやって――と言っても、別段コレといった打開策があるワケでもないけど……。

――ほんと、いつになったら、帰れるのかしらね。

今や新たな故郷となった小さな村と、その住人達のことを、出来る限り思い出さないよう己を戒めながら――私は、苦い麦酒を呑み続けた。

***

『酒場には悪魔がいる』

警句らしく凡庸な句を再び思い浮かべたのは、いい加減ひとりで酒を呑むのにも飽きた頃だった。バタン、と音を立てて新たな客が木戸を潜る。その音に目を向けた私は、ふう、と酒気を帯びた息を吐いた。

――ああ、そうだ。あれもきっかけは酒場だったっけ……。

嫌なことを思い出したわね、とひとりごちる。眼下のいくぶん人の減ったフロアを、特徴的な頭頂部をさらした男が抜けていく。

ちょうど、三年ほど前になるだろうか(酔いの回った思考には歯止めなどなく、記憶は、杯からこぼれ落ちるようによみがえる)、今の『本業』を始めたばかりの頃のことだ。
酒場の酌女の真似事をしていた私に、近くの貴族屋敷に勤める下男がぽろりとこぼした。 なんでも、屋敷の中には隠し部屋があって、そこに主人が『宝物』を隠しているというのである。それで、その場で首尾良くその詳しい場所を聞き出した私は、さっそく押し入ることにした。

思い返せば、無茶苦茶だ。ろくな下調べもせず――だから、あんな目に逢う。

それは、ひどく不条理な、悪い夢のような話だった。

***

***

窓もない長い長い廊下を、私は灯りも持たずに歩いている。途切れることのない闇は、まるで蛇の腹に呑み込まれていくようだ。けれどさしたる不安も覚えず――進む。
目的の場所にあっさりと忍び込めたことに、私は浮かれていた。見回りの人間はおろか人の気配もしない建物の中。むしろ異様なほど静まりかえったその屋敷で、単純に運がよいと――愚かにも信じていた。

やがて応接間らしき部屋に出た。中庭に面したバルコニーから射し込む、眩しいほどの月光が部屋と私を照らす。主の趣味だろうか、対する壁の一面には狩猟の成果が並んでいた――立派な二本角の鹿、牙むく狼、そしてオーク鬼のおぞましい首級。窓から射し込む月明かりに照らされて、生み出される奇々怪々なる影達。

そこから目を逸らして、さらに奥へ。壁に触れながら進めば、隠し部屋の位置はすぐにわかった。壁の向こう側に不自然に拓けた空間。おそらく主は別の部屋から入るのだろうが、馬鹿正直に扉を求める必要はない。
みっちりと『固定化』が掛けられているその壁。おそらく私と同等の、トライアングル級の仕事。けれど、

――関係ないね。

薄く笑い、私は悠然と杖を構えた。

そう。どれほど複雑なカギや頑丈な扉、或いは厚い壁に守られていても、私には関係ない。全て『土くれ』に変えてやるだけだ。それでもダメなら、巨大ゴーレムの質量に任せて強引に破壊すればいい。

――大胆不敵。それがこの私、『土くれ』のフーケのやり方なのだから。

うそぶき、自らを鼓舞する。集中力を上げ、最も得意とする魔法のひとつを完成させる。唱えたのは物質変化の魔法、『錬金』のルーンだ。けれど、出来上がったそいつを放とうとした瞬間――それは起きた。


ぼんっ!


と、なにやら間抜けな爆発音が“壁の向こうから”響いたのである。

「へっ?」

同時に、壁の『固定化』が消える。

――は? なにそれ……

唐突すぎる、道理も脈絡もない出来事に、私は狐狸の類に化かされた阿呆の態で、滑稽な間抜け面をさらしていた。そして、はっと気づいたときには、腕が勝手に目の前の『ただの』壁に向かって『錬金』をかけている。

ザァァァァ、と音を立てて発生する、大量の土くれ。巻き上がる土煙――にちょっと咳き込み、我に返る。

見れば練り上げた魔法の威力は絶大で、大人一人、どころか、小隊がくぐるのにも十分なサイズの穴ができていた。
その先には予測通りの空間。濃厚な甘い香りが、中から漂う。

躊躇い、思考する。

先刻のあの、わけのわからない爆発は何か――内側に何かいるの?――先の音と今の壁の崩れる音で、さすがに屋敷の人間も気づくだろう――此処まで来て退く?――行くならば、手早く済ませないと――いちかばちか――

結局、誘いかけるようなその香りに、私は自棄気味に足を踏み入れてしまった。

(「――部屋がありましてね」)

軽はずみな侵入者を迎えたのは、鼻を潰すような濃い香りだった。耳を刺す静寂。目を喪ったような心地にさせる黒い闇を前に、足を止める。背中越しに射し込む月の光がそれらを切り取り、床に蒼みがかった影を作り出す。敷かれているのは、毛足の短い絨毯だった。壁際には、大小の四角い陰。棚――否、積み上がった箱……?

(「うちのご主人は其処に『コレクション』を隠してらっしゃるんでさ」)

それらを眺めていた私は、不意に背筋が冷えるのを感じた。あたりを漂う甘い香りの底から――不意に、生臭い血の匂いが鼻をかすめる。
それから、微かに空気が震えた。小さな、小さなそれは――囁き声。

「×××ぃ?」

思わず、勢いよく振り向いていた。
はじめに目に入ったのは、床に投げ出されたその足だった。スカートから伸びた、細くて白い、裸足。
ごくり、と唾を飲みこむ。
少女が、床にぺたりと腰を下ろしていた。その背を、壁際の箱のひとつに寄りかからせて。その顔はあらぬ方に傾けられている。上半分が不恰好な包帯で覆われた、小さな顔。片手に杖を、そしてもう片方の腕の中に守るように『なにか』を抱いて――。

(「なんでも、とってもお高価い『人形』だって――」)

誰、と私が声を出して問うより早く、鈴を転がすような愛らしい声が尋ねた。


「――――あんただれ?」


***

***

「今思えば、ほとんどホラーよね」
「は?」

ぼそりと呟くと、男は小さな目をぱちくりと瞬かせた。現実逃避の追想から我にかえった私は目を眇めて――「なんでもないわ」と垂れかかっていた前髪をかき上げる。ひらけた視界に映る、さっぱりとした禿頭と、黒目がちの妙に子供じみた目。人の良い笑みを浮かべた中年男を、冷たく睨みつける。

「――で? こんなところで何をしてるのかしら、『せんせい』」
「おひさしぶりですな、ミス・マチルダ」
「……その名で呼ぶんじゃないわよ」

さっさと向かいに座る男に悪態をついていると、横から毛むくじゃらのごつい手が新しいマグを差し出した。中身は、氷水だ。顔を見上げると、熊の大男、否、店主が立っている。その顔を見て、思う。

――もうすこし見てて楽しい顔が欲しいわね。

若い美形の衛士とかいないのかしら、この街には。

「注文は?」
「私は結構、」

食事は済ませてきたので、と告げる禿の中年男に、店主である無駄に毛深い熊男は、これ見よがしに、ふう、とため息をついた。金にならん客ばかりだ、と言いたげに、こちらを見る。

――私の所為じゃないわよ。

睨み返したところで、素知らぬふり。安酒で長々と居座る客に、払う愛想は売り切れたらしい。

「……彼は、元軍人ですかな?」
「ええ。旧い知り合いよ、」

音も立てずに立ち去る大男を見て、ジャンが尋ねる。私は、酔いざましにぼりぼりと氷を食べながら、肯いた。

「……疲れていらっしゃるようで、」
「こっちの都合も構わず押しかける輩がいるからじゃない?」
「仕事中、というわけでもなさそうですが?」
「厄介な連中に目をつけられてね、ちょっと小遣い稼ぎをしてんの」

やさぐれた口調で簡単に『事情』を説明する。

「だから、どんな用か知らないけど、今は動けないよ。晩酌の相手も勘弁願いたいわね」
「はあ」

曖昧に頷いた男は――こちらの話を聞いていたのかいないのか――こんなことを言い出した。

「実は興味深い話がありましてな、すこし聞いてもらえませんか?」

私は何となく嫌な予感を抱きながら、つい、その話に耳を傾けてしまった。この男がこんな風に持ってくる話は、たいがいろくなものじゃない。そんなことは知っていたのに。

そして聞き終えて、さっそく後悔した。

「…………ねぇ。あんたのその、ブツを渡してから取引を持ちかけるやり口、ほんと止めてほしいんだけど」
「はて、何のことで――」
「しらばっくれんじゃないわよ! 三年前からほんとうに毎度毎度っ、」

ついでとばかりに積年の恨みも込めて、睨みつける。しかし、強かな『炎蛇』はてんで意に介さず。ただぽりぽりと困り顔で頬を掻くばかり。
何を考えているのやら――いつまで経っても、ほんとうに読めない。まあ、そもそも私がこの男について知っていることなんて、たかが知れているけれど……

元貴族で、名はジャン。通称、せんせい。二つ名は『炎蛇』。『火』『火』『土』のトライアングル・メイジ。凄腕の傭兵/殺し屋で、研究マニア。お嬢ちゃんの保護者。そして――ヒトゴロシのロクデナシ。

出会ったのは、三年前のあの晩だ。あの悪夢のような館――よりによって忍び込んだ先で、仕事中の『殺し屋』とかちあうのだから、我ながら大した悪運だ――その『おしごと』を目撃した間抜けな盗人が、なぜ殺されなかったのかはわからない。いちおう取引をした結果ではあるけれど。それだって男から持ちかけてきたものだった。

向こうもそのときのことを思い出したらしく、ふと、尋ねてきた。

「あのときの子供はどうしていますか?」
「……元気よ。大した悪戯小僧だけど」
「そうですか、」

それはよかった、と表情が抜け落ちた顔で呟く。その顔に、私は肩をすかされた気分になる。

「……あんたもほんと、よくわからない男ね」

情が薄いのか、厚いのか。感情的なのか、理屈屋なのか。夏も冬も温度の変わらない蛇のように、その時々によって冷たくも温くもある。
そう、娘を囮にするロクデナシかと思えば、子供を助けるために盗人と取引をしたり――……。


――あの下男は知らなかったようだが(あまり血の巡りの良さそうなタイプではなかった)、あの屋敷の主人とやらは、とてつもなく趣味が悪かった。あまりの趣味の悪さに――もしも目の前で殺されたのでなければ、私がこの手で殺していたと思う。
今、思い返しても吐き気がする――隠し部屋に隠されていた『人形』。それは透明なガラスケースの中で、貴族の子女のようなドレスを着せられた『子供』達だった。透きとおるようなその膚には『固定化』がかけられていた。
つまり、私は滑稽にも、屍体愛好家のコレクションを盗もうとしていたわけだ。
まさしく悪魔の悪戯だとしか思えない、悪質なジョークだ――


「……それで、今度は私に何をさせようというのよ?」

我ながら甘いと思いつつ、つい尋ねると、男は、人を紹介してほしいとだけ答えた。私は――心底胡散臭いものを見る目で男を見る。どうせ、それだけじゃあないんでしょう?

そして事実、その通りだった。あの皇帝並のタワゴトをヌケヌケと吐かした阿呆に、私は目の色を変えてすごむ。

「ちゃんと理由があるんでしょうね? 話次第じゃタダじゃ済まさないわよ――」

男は無表情のまま、淡々と答えた。薄暗い蛇の目で――

「なに簡単なことですよ、」

***

二日後、今度は私が彼らの宿を訪れていた。そこで、坊主の事情と此処に至るまでのあれこれを改めて聞き出し、しみじみと呟く。

「……健気ねぇ。子供ってのは」

そして、なんというか……。

人間の使い魔、異世界の武器、奇跡の真相、水の精霊、そして『虚無』――異なる世界を繋ぐ魔法。やくにたちたい、と言う少年。かえしてやりたい、と言ったというあの娘。

もしも他の誰かが語ったならば、よくできた法螺話だと笑い飛ばすしかない代物だった。けれど、私は笑えなかった。

――ほんとうにまるで、おとぎ話のような、皮肉に満ちたお話ね。

当の子供達はと言えば、話をする私達から距離を置いて、無邪気に遊んでいた。
坊主はなにやら一生懸命、話をしていて――その無意味で大げさな手振り身振りが、端から見ていて可笑しい――、ルイズはそれを気のないふりで聞きながら、手の中の編み物針を動かしている。
もっともその手元はハンデを差し引いても覚束ず、どう見ても適当に毛糸をいじくっているようにしか見えない。

――いつまでたっても下手くそなんだから、あの娘。

床を転がる青い毛糸玉を、私は見守る。
傍で見ていれば、これほど明らかなこともない。けれど、当事者となるとわからないのだろうか。私は自分でもわかるほど厭味な笑みを浮かべて、隣の男を見た。

「――それで、『せんせい』は一体いつ気づいたのかしら?」

男はその問いに答えない。ただ無表情に黙りこくったまま、子供達の様子を眺めている。
私は、そんな男の情けない姿を冷ややかに見つめて、それから胸の内で呟く。

――しようのない男ね。……まあ、私も同じ穴の狢なんでしょうけど。

さて、どうしたものか。
己の立ち位置を振り返れば、心情的にはどちらにも味方できるし、同時に、どちらにも手を貸したくはない気もする。
けれど――。
今日此処に来た時点で、答えは出ているようなものだった。いくらロクでもないと思っても、今さらこの話を他人事で済ませられるわけもなかった。

あの酒場で男に聞かされたもうひとつの真実。悪魔のささやきがよみがえる。


――虚無は王家の血に宿る。


まったく……皮肉な話だわ。


***

***


「――あんただれ?」


警戒心むきだしの短い誰何。直後に少女は息を呑み、私は背後から迫る気配に振り向いた。月影に男のシルエット。

「お前――」「!」

咄嗟に少女の方へと飛び退いていた。一瞬後、青い魔法の刃が私のいた空間を切り裂く。

「お前か!」

荒い息、男の声。杖を握りしめ、ルーンを唱える――暇もない、襲撃。男の影が腕を振り回す。駄々をこねる子供のような、無茶苦茶な斬撃だ。

「ああ見つけた見つけたぞお前かお前かお前があの忌々しい『鏡』の――!!」

癇癪じみた甲高い声で訳の分からない罵声を振り回す男。一閃、刃が眼前をかすめ、前髪を刻み、散らす。顔を庇った腕をかすり、脛が裂ける。音を立てて飛び散る、血。

ひっ、と息呑む子供の、声にならない悲鳴。

それを床に膝ついたまま、背に庇う。咄嗟に展開できたのは『土の腕』。床を壁を本能的に引き寄せる。庇え壁に守れと。暴れ回る、魔法、のたうち回る、人、部屋が崩れる、箱が落ちる。

ガシャン!ガシャン!ガシャン!

砕け、飛び散る硝子。飛び出したのは、『人形』。仆れかかる、冷たく柔らかい膚の――その正体を理解した瞬間、息が詰まる。

それは恐怖なんかじゃなかった。

どっどっど、と傷口に心臓が移ったように激しく打つ。どくどく、と血が流れる。(ハア、と背後に庇った少女が可愛らしいため息をつく)――それら全てを押しのけて、せり上がる衝動に顔をあげた私は、




――闇の中に真っ白い光が膨らむのを見た。




「もう。せっかくおしごと、てつだわせてもらったのに!」

どん、と音を立てて、落ちる。

「へんなひとたちのせいで、さんざんだわ……」

昏い部屋の中、顔を包帯で覆った少女が不満げに呟く。その言葉の意味を考えることもできず、私はひたすらソレを見つめている。目が、逸らせない。

「あ、あ、」

元通りの、月明りと夜闇に満ちた静寂の中。ごろり、と床を転がった――見知らぬ男の、首。



その鋭い切断面に、月の光が反射していた。







[6594] ゼロとせんせいと 7の5 (2.07再追稿 ※後半サイト視点追加)
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2010/02/07 21:36

そうならねばならないのなら――、

さあ、おわかれの準備をいたしましょう。
はなむけの支度をいたしましょう。

おいしいごはんにお酒もつけて、おなかいっぱい食べて、たくさんお話もして。
ばかみたいに陽気にわらいながら、うたっておどりましょう。

身を切る痛みも、胸のつまる苦しみも、なにもかも、笑顔の下にしまいこんで――、

そうならねばならないのなら、
そうならねばならないのなら、

さあ、どうかおうけとりください。
おろかな私から、これがせいいっぱいのおくりもの。

***

***

俺は剣だ。だから、できることってのは限られている。

「――なあ。このルーン、おかじいんだけど。全然役に立(だ)だねぇよ」

目を真っ赤に腫らした相棒が鼻をぐずぐずさせながら愚痴るので、俺は、あー、そうだなぁ、と答えてやった。

「まず、ルーンの効果は使い手の心の震えによって強くなるんだ。つまり、強い感情がそのまま力になるのさ。逆に言えば、やる気のねぇときはてんでふるわない」
「あー」

ふぬけた顔で相棒は頷いた。

「そんでもって、だ――そもそも、そいつは武器じゃねぇしなぁ」
「ぞっか」

相棒は、もう一度ぐずっと鼻を鳴らすと、諦めて再び手を動かした。姿勢は悪くない。まあまあ、筋はいいんじゃないかね。

「わがんのかよ?」
「ま、同じ刃物同士、勘ってやつさね」
「ンだよ、ぞれ。適当すぎ」

うー目がじみる、と泣き言をもらしつつ、相棒は、ざくざくざく、と包丁を動かした。四苦八苦しながらのみじん切りを終えると、それをフライパンに放り込む。
うっしゃ、と一声。一番苦手な作業が終わって、やる気が戻ったらしい。額に巻いた三角巾をきりりと結びなおし、相棒は気合いを一発――

「さあ、やるぜ!」

「油、入れなくていいのかい?」
「あ、やべっ」

ばたばた、と戸棚を開けて油を探し出した。

――先に火から下ろした方がいいんじゃないかと思うけどな……。

ちょいとばかし慌て気味の相棒は指先を炙ったりして、どうにも危なっかしい。
しかし、なんといっても俺は剣だ。手助けはできねぇ。……口は、ときどき出すにしても。
だから、まあ、

「んぎゃあっ!」

たとえ鉄鍋を迂闊にもつま先の上に落とした相棒が珍妙な踊りを披露していても、とりあえずそれを眺めているしかないのである。



さて、俺達がいるこの街は浮遊大陸アルビオンの首都ロンディニウムという。その裏通りの角っこに位置するしょっぱい酒場の三階に、今は部屋をとっている。先日、センセイの知り合いだという姉ちゃんの紹介で此処に宿を移したのだ。
そして今相棒が占領しているのは、その酒場のカウンターの奥にある厨房。酒場の主人も、姉ちゃんも、センセイも、そして娘っ子のことも追い出して、相棒は此処でひとり奮闘している。

なんでも、『炎の伝説』とやらを完成させたいらしい。

ずいぶんと平和的な『伝説』もあったもんだが、当の相棒だけは、その平和的試みのためになんだかんだで傷だらけになっている。
ま、ちょいと方向はズレていても、何にでも一生懸命になれるのはこの相棒の良いところだな。

「なんだよ、そのナマあたたかい発言は……」
「いやいや、相棒も大きくなったなぁ、と思って」
「久しぶりに会った親戚のおっちゃんかお前は。……よし、これで玉葱はオッケー、と、」

ぶつくさ言いつつ、相棒の手は動いている。フライパンを片手で振いながら、じゃっじゃっじゃっと手際よく炒め、それがきつね色になったのを確認して、火から外す。
ようやく気負いがとれたらしい。日々の成果か、落ち着けば相棒だってこれくらいの格好はつくようになった。

「んで、今日はシチューかい?」
「いや、これを挽肉に混ぜるんだよ、」

そう言いながら、なぜかチーズのおろし金でパンを削って粉にしていく――何だ?
見識豊かな俺様も、さすがに料理のことはよくわからない。ましてや相棒の世界の料理ってのは、ずいぶんとユニークだ――この世界では材料がそろわず、なかなか実物をお目に掛かることはなかったが、毎日毎日よだれを垂らしそうな顔で相棒が数え上げているので、俺も知っている――素材や調理法はもちろん、調味料もかなり独特らしい。
相棒曰く、「『味噌』と『醤油』。それさえあれば、おれは世界だって狙えるんだ!」だそうだが……。“わざと腐らせた豆から搾り取った、しょっぱい黒い汁”ってのは人間の感覚的には美味そうなものなのかね?俺にはよくわからん。
ちなみに、今日のメニューも本当は命とも言えるソースが足りないらしい。

「マスタードはあるから、店で教わったやつでも作るさ。ま、気分的には、大根おろしとポン酢でいきたいんだけどなー」
「へえ?」

ねっちゃねっちゃ、水っぽい音をさせながら生肉をこねる相棒。さっきの野菜とパン粉、それに生の卵を入れたそれを念入りにこね上げる。

「なんか最近、急にそういうもんが食べたくてたまんなくなっちまったんだよ。今なら卵かけごはんのために全財産だってかけちまうかも……」

言いながら、相棒は鼻をかこうとして、生肉まみれの指に気づくと顔をしかめた。

なんでも――“好き嫌いなく出されたものは全部美味しく食べる”という、生き物としてかなり上等なスキルの持ち主である相棒は、召喚初日からこの世界の(相棒のそれまでの生活に比べると色んな意味で貧しい)食事にもそれなりに順応していたそうだ。
ところが、それが最近、てんでダメになったという。

「……おれ、海外旅行とかしたことないから本当かどうかわかんないんだけどな。なんでも、日本の空港は醤油の匂いがするんだと、」
「はあ?」

相棒のわかりにくい喩え話によると――ルイズがあの『どこでもドア』を開けて以来、あたりから不意に『しょうゆ』の匂いがするようになったそうだ。そのせいで、これまで全然思い出さなかった向こうの世界の飯のこと、その匂いや味が妙にはっきり思い出すようになってしまった、と。
お陰でむちゃくちゃ腹が減る、と唇を尖らす。その横顔を見て、俺は気づいた。 ははぁ。

「お前さん、里心がついたんじゃないかい?」
「……あー、かもな、」

もっちゃもっちゃ、手のひらの中で肉の塊をまとめながら、相棒は投げやりに頷く。

「良かったじゃないか、もうすぐ帰れるんだ。すぐに食えるぜ?」
「んー。まあ、そうなんだけどさ……、」
「なんだい、やる気ないねぇ。帰りたくないのか?」
「そんなわけないだろ!」

一度顔を上げて抗議した後、相棒は再び手元に視線を戻した。
ぺしぺし、両手の間で肉の塊をキャッチボール。こうやって中の空気を抜くんだよ、と言いながら、それを楕円形に整えていく。

「おれは帰るよ、母さん達が待ってるからな。それに、ルイズが帰すって言ってくれたんだ」

しっかりとした口調で言い切った相棒は、できあがったそいつをいったん皿に置き、左手の甲についた脂を丁寧にぬぐう。

「じゃあお別れだな、相棒」
「ああ――シメっぽいのはヤだけどな、」
「俺もだぜ」

湿気は錆の元だ、特に涙はいけない。

「お前は元からぼろぼろじゃねーか」

笑いながら定番のツッコミをいれた後、相棒はウンウンとひとりで頷いた。

「やっぱ、そうだよな。人間、笑ってないと――」
「うん?」

最後まで笑っていたいし、笑って見送ってほしい、そんでもって、できれば笑って思い出してほしい――と相棒は言う。

「そりゃあ、大丈夫だろ」
「そうかな?」

なぜって――人は見たり聞いたりしたことだけでなく、色んなものから記憶を作る。今の相棒のように、味で記憶したり、匂いで思い出したり、そういうことができる。

「お前さんが今していることも、そういうことだろ?」

いつか何かのきっかけで、娘っ子が自分のことを思い出してくれるように。 楽しい記憶とともに笑ってくれるように。

「あー、うん……まあ、そうかな?」

相棒は照れくさそうに無意識に首をかき、それから――うげぇ!?と声をあげた。あわてて一度手を洗い、脂でぬちゃついた首をぬぐう。そして、また作業に戻る。



もっちゃもっちゃ、ぺしぺし……、としばらく作業の音だけが響く。窓の外はいつものように白い霧。酒場の主人が現れ、作りかけの料理を若干胡乱げに睨んだ。

「あ、すみません。もうちょいなんで――」
「かまわんよ」

それだけ言って、のしのしと熊のように歩き去る。相棒が目だけでその背中を追いかけると、店のフロアの方で、センセイがその大男に声をかけ、なにやら話をしている。

「なあ――」

相棒はその輝ける後頭部を見つめた後、再び、こっそりと口を開いた。

「ルイズはいつか先生をおれの世界に寄越すって言ってるだろ。そうなりゃ先生にはまた会える。でも……ルイズはずっとこっちにいなきゃいけないんだよな? ドアを開けるために、」
「まあ、相棒の世界じゃ魔法がないからな、」
「うん、そうだよな……そうなんだよな……」

なにやら納得して、それきり黙る。
生肉いじりを終えた後は、イモの皮むきにとりかかる。タルブ村のお嬢ちゃんからこつを習ったらしい。 あぶなげない手つきだ。
ふむ……。

「相棒よぉ、俺様は剣だ」
「ああ、知ってるぜ?」
「そいつは良かった。てっきり薪割兼愚痴相手だと思われているかと思ったよ」
「……何が言いたいんだよ?」
「いや、まあだからさ――。俺は剣だから、相棒が望むなら何だって斬るし、何処へだって行くぜ?」

――そこが魔法のない世界で、魔法でできた俺様には何もできない世界でも。

けれど、相棒は即答した。

「お前はこの世界のもんだろ。それを自分の都合で勝手に連れ出したりするのはおれの主義じゃねぇ」
「……うん、お前さんのそういうとこ、嫌いじゃないぜ」
「ンだよ」

相棒は顔を下げたまま、ぶっきらぼうに返事をする。そのちょいと赤い耳を無視して、俺は言う。

「サイト。お前さんは結局俺をほとんど使っちゃくれなかったが、それでもその手のルーンが消えるまではやっぱり俺の相棒だ。それはしっかり覚えておけよ?」
「当たり前だろ。それよりお前こそ、他の事みたいにぼろぼろ忘れるんじゃねーぞ?」
「うーん、そりゃあ、なあ? 百年もしたら、やっぱまた忘れちゃうとは思うけどな?」
「あのなー。嘘でもそこは約束しろよ、」

と怒り、笑って――、サンキュと相棒は言った。

――それはまだ、ちょいと早いよ。相棒。

***

実際、六千年も剣をやっていると、昨日今日のこの記憶も、覚えていられる時間には限りがあることがわかってくる。まあ、いくら『伝説』でも、全部を全部詰めておくには、1メイル半のこの身はちょっぴし小さいってことなんだろう。
それで、ボケだの痴呆だの言われるのはやっぱりムカつくけどな。
剣だろうと人だろうと、長く在り続けるために、『忘れる』ってのは当然で、必要なことだ。それでも、完全に忘れたと思っていたことでも、なにかのきっかけでひょっこり思い出すこともある。
そういうときは俺でも、『懐かしい』と感じる。
先のことを考えるのはあんまりしないが、いつかこのお間抜けな相棒のことも、そんな風に思い出すこともあるんだろう。 そして、この相棒のゴシュジンサマである、ちっこい体の意地っ張りのことも。

***

一通りの仕込みが済んだ後、俺は相棒によって先に部屋へ上げられた。

「もうちょいだから、期待して待ってろよ!」
「ちょっと、サイト!?」

ばたん、と入ってきて俺を預けながらそれだけ叫び、再び、ばたん、と派手な音を立てて扉を閉める。
残された娘っ子は、もう、と腹だたしげに声を上げた。

「いつまでも他人んちの台所占領して、何してんのよ――」
「お前さんのためのメシ作りだろ?」

俺がそう言った途端、ぷんぷんと不機嫌そうだった娘っ子が、ピタリと動きを止めた。なんだか、ぎちぎちと鈍い動作。

「………………あのね、」
「なんだ?」
「いいわよ、もう!」

頬を膨らませて、照れ屋は乱暴に俺を椅子のところに立てかける。そんな様子を見て――室内にいたもうひとりの人物が、くすり、と笑う。

「なんだか楽しそうねぇ?」

この酒場を紹介した姉ちゃんだった。まだ日も暮れないというのに、手にはマグを持って、腰掛けている。――相棒に聞いた通り、結構な飲み助みてーだな?

「うっさいわよ、マチルダ」
「その名で――、……まあ、いいわ。それよりこっちはいいの?」
「わ、わかってるわよ」

ううぅ、と珍しく弱気にうなりながら、席に戻る。よいしょ、と椅子に腰掛けた娘っ子が手に取ったのは――このところずっといじりたおしている青い毛糸玉だった。テーブルの上にはソイツと例のオルゴールが転がっている。

とりあえず、と姉ちゃんがうんざり顔で言った。

「セーターは諦める、それでいいわね。今のペースじゃ百年経っても無理だわ」
「そ、そそんなことないもん!できるわよ!」
「はいはい。努力は認めるけど、あんたも現実を認めなさいよ。時間、ないんでしょう?」

あっさりとそう流した後、ふと意地悪な口調で加える。

「ああでも、『引き延ばす』んだっけ?」

娘っ子は、む、と口を結んだ。

「そんなんじゃないってば……しかたないでしょう、精神力が溜まらないんだから」
「精神力?どういうことだい?」

思わず口を挟むと、娘っ子と姉ちゃんが同時にぴたりと止まった。デルフいたの、って――失礼な娘さん達だね、まったく。

「思ったより精神力の溜まりが遅いの。だから、サイトにはもうちょっと待ってもらわなきゃいけなくて……それで、せんせいが……」
「うん?また引っ越しかい?」
「う、うん、そうなの。サイトには後で私達から説明するから――」

黙っててね、と俺に『お願い』する娘っ子。

――んん?

妙だな、と思い、さらに尋ねようとしたとき、姉ちゃんが口を挟んだ。

「とにかく、できることだけ、やりましょう。今のとこ、まともにできたのはこれだけね」

テーブルの上から取り上げた紐の塊を調べる。よく見ると、ちょっとだけ編んであるのがわかった。娘っ子の小指くらいの太さにしかなっていないが……。

「こんなのじゃ、何の役にも立たないわ――」
「首につける紐くらいにはなるんじゃない?」
「ちょっと!真面目に考えてよね!」
「やってるでしょう。だいたいね、はじめから無理があるの。下手に勘が良いから見過ごしてたけど、あんた実はど不器用でしょう?」
「ソンナコトナイワヨ」
「はいはい」

これで何か作ればいいんでしょう、と姉ちゃんは一思案。「ここをこうして、これを繋ぐくらいはできるでしょ?それで……」となにやら解決策を示す。
娘っ子はその案にしばし首を傾げた後、まあまあね、と頷いた。

「マチルダって、魔法以外はそこそこ器用よね」
「……ちび、人に手伝って貰っている立場で生意気を言うんじゃないわよ?」

半眼になった姉ちゃんは、手を伸ばして頬をつまんだ。

「ひゃっ!?」

むに、と娘っ子の白い頬が引っ張られる。むにぃぃぃ、と伸ばされる。

「いひゃい!はだひてっ、はだひなひゃいっでばっ(痛い!離してっ、離しなさいってばっ)」
「……」
「いひゃっ、ほ、ほほめんなひゃい!――ひひでひょ、ほれで!!(痛っ、ご、ごごめんなさい!――いいでしょ、これで!!)」
「まったく――」

教育的指導、終了。
くくく、と脇で笑っていたら、げし、と正確な蹴りが飛んできた。

――おいおい、椅子から落ちるなよ?

背の高い椅子の上で、娘っ子がすこし赤くなった頬をふくらませる。



「ねぇ、ルイズ。ひとつ、訊きたいんだけど」

しばらくして、マグを傾けながら、時折テーブルの上のオルゴールをいじっていた姉ちゃんが尋ねた。なによ?と編み目を拾うのに忙しい娘っ子はそっけない。

「あんた、どうしてあの坊主を帰そうなんて思ったの?」
「ハ?」
「あんたも、あの坊主も、けっこう楽しくやっているみたいじゃない。わざわざ、元の世界、だっけ? そこに戻してやる必要ないんじゃない?」

娘っ子の手が止まった。

「……バカ言わないでよ。酔ってるの?」
「こんなもので酔うわけないでしょ。いいから答えなさいよ」

再び頬に向かって伸ばされる手を、気配で悟ったのか、ルイズはパシと払う。

「あいつの家は向こうにあるんだから、帰るのが当然じゃない」
「そうかしら?こっちでも十分幸せそうじゃない?」
「……何が言いたいのよ?」

姉ちゃんの含んだ物言いに、娘っ子は警戒するように声を強張らせた。しかし、姉ちゃんは知らぬ顔。

「あの坊主は、あんたにとっちゃせっかく手に入れた『目』なんでしょう?」
「……サイトはそれだけじゃないわ」
「あらそう。なら、なおさらね。――どうしてそんなに簡単に手放す気になったのかしら?」

途端に、娘っ子の頬がぱっと赤く染まった。

「……んじゃないわよ」
「……何?」
「やくそくなんだから!当たり前じゃない!」

顔を赤くして、叫ぶ。対する姉ちゃんは、あくまでも冷ややかだ。

「あんたね、いきなり癇癪起こすんじゃないわよ」
「う、うううるさいってば! 絡み酒の酔っぱらいが偉そうなこと言うんじゃないわよ!」
「何ですって?ほんと『余計な』口だけは達者なんだから、」
「なによっ」
「――あんた、ほんとうにそれでいいの?」

その真剣な声音に、ルイズはピタリと黙った。その手がすがるように杖を掴む。

「しかたないじゃない……だって……だって……」

――ん?

娘っ子の様子がおかしい。怒りで紅潮していた頬が白くなり、唇をわななかせ――しまいに杖を持ったまま手を上げて、自分の頭を抱え込んでしまう。

「おい、娘っ子? 大丈夫か?」
「ルイズ?」
「……あたま、いたい」

両手で顔を押さえながら訴える。すん、と鼻が小さく鳴って、そのまま顔を伏せてしまった。あーあ、

「……おい、あんまりいじめっからだぞ、姉ちゃん」
「……う、うるさいわね」

完全に悪者となった姉ちゃんは、ハア、とため息をついた。

「ちょっと、大丈夫?……悪かったわよ」

手をのばして、ちょっとだけルイズの頭に触れる。払いのけられないのを確認して、ぽんぽん、となだめるように叩く。
そして、ふと、オルゴールを見ると――かすれるほどのちいさな声でささやいた。

「“神の左手ガンダールヴ、勇猛果敢な神の盾”」

おや、と思っていると、さらにささやくように――歌う。

「“神の右手がヴィンダールヴ、心優しき神の笛、
 神の頭脳はミョズニトニルン、智恵のかたまり、神の本、
 そして最後にもう一人、記すことさえはばかれる、
 四人の僕を従えて、我はこの地にやってきた――”」

「……こいつはおでれーた。どーしてそれを知ってるんだい?」
「……たまたまね」

それは娘っ子があのとき省略した、ブリミルの歌だった。
――そうそう、んな歌詞だったねぇ。懐かしいや。

「そのうた、きらい」

顔を伏せたままムスっとした声で告げる娘っ子に、姉ちゃんはかすかに苦笑いで頷く。

「そうね、実は私もあんまり好きじゃないのよ」

そう言いながら、また口ずさむ。
ブリミルが作った、自身の使い魔達の歌。そこには、ブリミルの想いがこめられているのだ、と俺は何処かで誰かに聞いたことがある。ついに故郷に帰れなかった男の『懐郷の念』がたっぷりと。



それから。姉ちゃんがその『子守唄』をさらに二度ほど歌い終わる頃には、娘っ子は眠りに落ちていた。このところ根を詰めていたみたいだし、疲れてたのかね?
案外手慣れた様子で、その体の上に肩掛けをかけてやりながら、姉ちゃんが俺に尋ねる。

「ねぇ、始祖は自分の力を四つに分けたのよね? そして、伝説によると使い魔も四、」
「ああ、」
「じゃあ――、担い手も四人いたりするのかしら?」
「そうだな」

俺が頷くと、姉ちゃんは視線を鋭くした。そういう表情も美人――とは相棒と店の常連客達の意見だっけか。

「どうしてそんな大切なことを黙っているの――」
「だって、訊かれなかったモン」
「“イル・アース・デル”」

さくっと『錬金』をかけられた。

「――ちょいとおどけてみただけじゃねぇか。短気だねぇ」

もっとも、この程度じゃあ俺様には錆び落としにもならない。平然としていたら、姉ちゃんは、ちっ、と舌打ちひとつ。お行儀が悪いね。

「これも伝説ってことかしら?」
「さてね?」

いや、『土の腕(アース・ハンド)』で折ろうとかすんなよ。酔ってんのか?

「冗談よ。――だいたい、こんな気分で酔えるわけがないじゃない」
「じゃあ、これは八つ当たりかい」

姉ちゃんは、ふん、と鼻を鳴らしながら、ようやく杖をしまった。なんか、娘っ子に似てるな。いや、娘っ子の方が姉ちゃんに似ているのか。

「やめて頂戴。それこそ冗談じゃないわ」

口元を歪ませる。それから……、なにやら悩み多き年頃らしい姉ちゃんは、憂鬱を振り払うように長い碧(みどり)の髪をかき上げた。

――やれやれ、美人の憂い顔ってのはいいもんだって言うけどね。

剣の俺にはわからんし、当たられても困るのだ。



ガチャ、
と再びドアが開いて、今度はセンセイがやってきた。室内の様子を見て、目を瞬かせる。

「眠っているのかい?」
「フテ寝よ」

姉ちゃんの応えに、センセイがきょとんとしていると、

「――っさいわね、ちゃんと起きてるわよ」

娘っ子がいつもの調子で顔をあげた。眠気を払うように自分の頬を揉む。
そんなルイズに、何も知らないセンセイはにっこりと笑った。

「サイト君のごはんがもうすぐできるそうだよ」
「う、うん……」

娘っ子は、すこし憂鬱そうに頷いた。その様子にセンセイはしばらく首を傾げた後、憂鬱のもとに思い至ったのか――にこにこといつもの人の良い顔で告げる。

「ああ、大丈夫。きっと何もかもうまくいくよ」
「ええ……そうね。せんせい」

ルイズも笑顔で返した。そのちょっとしくじった笑顔に、俺はふと思い出す。ごく最近のことを。

――ああ、そっか。もうそういう時間なんだな……。

***

この国に入って相棒が目を覚ますまでの間のことだ。

俺はずっと布を巻かれた格好で運ばれていた。
港から最初の宿場まではセンセイの操る馬車で移動。娘っ子はセンセイの隣に腰掛け、そして、相棒はひとり荷物に埋もれて、夢の中。ぐーすか、とのんきな寝息を立てていた。

がたごとと揺れる馬車の中、此処なら他人の耳を気にしなくていいから、とセンセイと隣に座った娘っ子は、ぽつりぽつりと言葉を交わしていた。

――虚無の力のこと、相棒の奇行のこと、『しごと』のこと。

相棒と違って、このセンセイには物事を見る目と自分で考える頭がある。俺がわざわざ教えなくても、大概のことはわかっていたようだった。
だから俺は訊かれたときに、訊かれたことだけを答えてやった。

――ブリミルの秘宝のこと、ガンダールヴの力のこと、娘っ子の『目』のこと。そんでもって……、



「アンドバリの指輪、ねぇ」

センセイが話した『精霊の指輪』については、俺にも覚えがあった。この世界の古き種族が用いるチカラ。自然界の精霊の力を借りる、いわゆる先住の魔法というやつだ。

――死者を操る水の魔法かぁ。あれにはブリミルも苦労したんだよなー。……たしか。

ぼんやりした記憶をさらって話すと、センセイはふむふむと頷いた後、好奇心に駆られた表情で尋ねる。

「デルフリンガー君。もしかして、『虚無』は『先住』に克つのかね?」
「おう、その通りだぜ」
「なるほど!やはりそうか、」
「え? どういうこと?」

話についていけなかった娘っ子が慌てて口を挟む。センセイが語る。
アンドバリの指輪で操られた者は、たとえ致命傷を負ったとしても、人の形を保つ限りは動き続ける。けれど娘っ子の魔法は連中の『一部』を消しただけで、奴らの動きを止めたらしい。

連中を動かしていた先住のチカラを、虚無が吹き飛ばしたんだろう。虚無の中には、魔法を打ち消す奴もある。

――ま、吹き飛ばす、というよりは、消し飛ばす、の方が近いんかね。

娘っ子の虚無は、ちょいと特殊だ。自己流で身につけたせいかもしれない。

「……そっか、じゃあアレがそうなのね」
「うん?」

なにやら考えていた娘っ子は、あのね、とセンセイの袖を引いた。当人は気づいちゃいないんだろうが、その顔はちょっと得意げで嬉しそうだった。
口はいつでも意地っ張りなんだが、ちょいちょいこういうとこがあるんだよな。

「たぶんわたし、『見れ』ば解るわ。そいつが精霊に操られているかどうか」

娘っ子の話によると、精霊に操られている連中は『色』がおかしいから、すぐにわかるんだとか。

「これなら、今度のおしごとも手伝えるわね」

よかった、と両の手を合わせて呟く。
センセイはちらりと横目でそんな娘っ子を見て、顔をすこしばかり困らせた。

「今回は『指輪』に直に関わるつもりはないんだよ。危険だからね。――それより、サイト君を帰すんだろう?」
「ええ。わかってるわ、でも――」

不意に、その声が強張った。

「これも、わたしがやらなければいけないことだもの」
「……ルイズ?」

センセイが訝しげに名を呼ぶ。すると娘っ子は、腕の中の俺を抱きしめるようにぎゅっと力を込めた。そしてしばらく躊躇った後――、あのね、と呟く。

「だってね、わたし、アノトキ、本当はわかっていたの。本当は逃げるべきだって。それが一番正しいことだって――」

でもできなかった、と一番小さな声で言う。

「いくらでも逃げられたのに、それをしなかったのはわたしだもの。一度関わったことには責任を持たないと……そうでしょう?」

娘っ子が話しているのは、あの空での出来事だった。そうと気づいたセンセイの顔が強ばり、次いで、表情が抜け落ちる。

「――あのとき、何があったんだい?」
「わからないわ。気がついたら、戦場にいたんだもの」

「ただ、サイトがね、すごくつらそうだったの。そうよね、だって、あんなに楽しみにしてたんだもの。それなのに、あんなことになって……、すごく哀しそうだった。そうしたらなんだかわたしまで、たまらない気持ちになってしまったの。とってもとっても苦しくて、たまらない、そんな気持ちになって――、」

「そしたらもう、ゆるせなかった、」

ぽつり、と呟く娘っ子。センセイは黙って、その頭を撫でる。その手が触れた瞬間、娘っ子のちっこい体が、叱られたみたいにすこしだけ震えた。

虚無もガンダールヴも、力の源は感情だ。ルーンはそれを『繋ぐ』。絆によって感情は共鳴し、共感はよりいっそう絆を強化する。 担い手と使い魔というものは、そういう風にできている。

しばしの沈黙の間も、がたごと、と馬車は揺れる。ぐーすか、と相棒ののんきな寝息が響く。
やがて、センセイはいつもの声で尋ねた。

「なあ、ルイズ。サイト君と飛んだ空は、どうだった?」
「――最悪よ。うるさいし、くさいし、揺れるし。さんざんだったわ」

娘っ子は即答した後、でも、と付け加える。

「風は気持ちよかったわ」
「それはよかった」

ほんとうによかった、とセンセイは二度呟き、また娘っ子の頭を撫でた。娘っ子は下唇をきゅっと噛んで、それを受け入れる。
――不器用なもんだね。

似たもの同士だ。

「ねぇ、せんせい。わたし、頑張るわ。もう間違えない。だからお願い、」

一緒に連れて行ってね、と彼女は言った。
センセイは不器用に、いつまでも、その頭を撫で続けた。

***

相棒は悪いヤツじゃない。
かなりのお間抜けだし、考えの足りないところも多々あって、そのせいで簡単に騙されたり、しくじったり、痛い目にもあったが。それを補う美点もある。
たとえば、根っこのところがひどくまっすぐだってことだ。そして自分の失敗に気がついたら、反省してちゃんと直そうとする気概がある。
それで、以前よりもすこしは『自分から』、外に目を向けるようになった。
ただ、当人がどれだけ気合いを入れても、すぐに他人の言うところを信じちまう単純お馬鹿な『あまちゃん』であることも、確かだ。

それも、しかたないやね。生まれた世界が違いすぎる、ってだけだ。

あの空でのことも、結局、戦争のほんのはじっこを囓っただけだった。それだって、途中から娘っ子に目隠しされていた。
人間ってのは賢ぶってる割に不自由なもんで。いくら頭で考えても、実際に目で見たり膚で感じたりしなければ、大概のことは理解できない。
何よりもルーンで繋がっている相棒にとっては、焼けた村のことより、腕の中のご主人様のことの方がよっぽど切実で、重かっただろう。

気づかないのなら、そのまま、最後まで隠し通したいと思う娘っ子の願いもわからなくはない。

もっとも、それは娘っ子にしても、同じことだと思うけどな……。

なんにせよ、俺は剣だ。できることには限りがある。まして、こっちから余計なちょっかいをかけるつもりはない。考えるのも決めるのも、道具である俺の役目ではないからだ。まあ、気の良い俺様としては、頭下げてお願いされたら考えなくもないが……。

自分の意思で手を放すというのなら、それを止めるすべはない。

(……いや、でも、あれはどうするかな……?)

俺は、ひとつ『借り』があることを思い出して、眉をひそめる……ことはさすがにできないので、かちゃんと鍔を鳴らした。まあ、気分だ。
とにかく、ちと考えなければなるまい。
こちとらガンダールヴの相棒を張って六千年、義理堅さには定評があります。なんてな。

***

「待たせたなっ」

相棒が朗らかに言いながら、皿を運ぶ。鉄製のプレートから、じゅうじゅう、と脂のしたたる音がする。

「さあ、これが本日のメインディッシュ、平賀家特製ハンバーグ、だ!!」

席について待っていた(待たされていた)娘っ子、センセイ、姉ちゃんに向かって、自信満々に披露。
そこには、相棒が先程下拵えをした肉の塊がこんがりと焼けて、載っていた。中までしっかり火が通って、すこし崩れたはしっこからは肉汁があふれている。

「これがアンタの大好物?」
「ふーん、良い匂いね」
「すごいな。全部サイト君が作ったのかい?」
「ええ。あ、先生の分はこっちです」

にこにこと人の良い顔で笑うセンセイの前に、相棒も笑顔で一番大きなやつを置く。そして。

「……なあ、焦げてねーか?」
「……いいんだよ、こっちは俺用だから」

相棒の席に脇にたてかけられた俺とそんな風にこそこそと会話しながら、言葉通り、黒こげのついたひとつを自分の前に置いて相棒は席に着いた。テーブルの上にはすでに籠盛りのパンと水、それ以外にも、相棒がタルブ村で覚えてきた貝で出汁をとったスープが並んでいる。
ちなみに失敗作はすべて店の連中に振る舞ったらしい。ま。酔っ払いのアルビオン人にはちょうどいいやね。

「さぁて、それじゃあ――「「いただきます」」」

「……前も思ったんだけど、何なのよ、それ?」

異世界流の挨拶に戸惑う姉ちゃんを置いて、さっそくナイフとフォークを動かす。

「熱いから気をつけろよ」
「わかってるってば」

ちっこい切れ端を、ふーふー、と十分冷ましてから、まずは娘っ子がぱくりと一口。おいし、という小さな呟きに、相棒はガッツポーズになった。

「ふーん、中に野菜が入っているんだね」
「ええ」

センセイはこんなときでも観察を忘れない。姉ちゃんは、ほとんど貝と塩しか入っていないスープの素朴な味に小首を傾げている。

――うーん、こういうときは剣の身がちょいと淋しいね。

かちゃかちゃ、それとって、ぱくぱく、ワインが欲しいわ、むぐ、おかわりは、このにんじんあまい、パンがたりないわね……。
俺は食卓で交わされる声と音に耳を傾ける。

「……アルビオンでこんなにちゃんとしたごはんが食べられるなんて思わなかったわ」
「いちいち失礼な娘ね」

娘っ子と姉ちゃんのやりとりに、ハルケギニア一固いと言われるアルビオンのパンに挑んでいた相棒がこそっとセンセイに尋ねた。

「……この国のメシって、やっぱヤバイんですか?」
「いや、一概にそうとは言えないが。ただ、ほら、この国は空の上だろう。交易が発達するまでは、ほかの国に比べると調味料が手に入りにくくてね、必然的に料理の文化もなかなか発展できなかったのさ」
「今はそんなことはないわよ」

耳聡い姉ちゃんが口を挟めば、即座に娘っ子が混ぜっ返した。

「そう言うのはアルビオン人だけ」
「なによ――」
「まあ、アルビオンで食事をするくらいなら霞でも食べた方がまし、とも言うからね」
「おちびはともかく、あんたには言われたくはないわよ。味覚音痴の生活無能力者のくせに」
「ん? 先生って別に味覚は普通だろ?」
「知らないの?」

相棒の疑問に、姉ちゃんは胡乱げな表情で応えた。

「そこのセンセイはね、オートミール粥を『錬金』で作るのよ」
「え!?」

――ほほう、そいつはすごい。

と俺なんかは思うが――どうも姉ちゃんと娘っ子にはソレにだいぶイヤな思い出があるらしく、同時に口を曲げている。けど。

「『錬金』って食べ物も作れるのか!?」

相棒は目を輝かせていた。
「アレを食べ物と呼ぶのは全ての食事にたいする侮辱よ」「もう二度と食べたくないわ、」とすぐさま女達の反論が返ってきたが、聞いちゃいねぇ。

「ああ、一時期趣味で、というかひとに頼まれたんだが、そういう研究をしたことがあってね。まあ手慰みだったが――」
「じゃあじゃあっ、調味料も作れますか?」
「調味料?……ああ、もしかして『ショーユ』というやつかい?」
「ええ!できます!?」
「そうだね、やってみようか――」
「ちょっと、せんせい――」
「やった!これでもっと色んなもんが作れるぜ!!」

『にくじゃが』だろ『しょうがやき』だろ……とほとんど恍惚とした表情で指折り数え上げる相棒。料理の説明を聞いた娘っ子が、たまにはお肉以外も食べたいわ、と茶々を入れても、その興奮は納まらない。

「大丈夫! ほかのもんもいくらでも作ってやるよ!」
「う、うん、」

かくて『伝説』はまだまだ続く――となりゃあ、よかったんだけどな。

***

***

ちょっとだけ、内緒の話をしよう。

本音を言えば、ほんとうはすこしショックだった。
ふたりに『帰れる』と告げられたとき、

――やっぱし、おれは『お客様』でしかなかったな、

って、ちょっぴし思った。

でも、そんなことで本気で拗ねていたら、本当にただのガキだ。ふたりがそう決めたのは全部おれの為なんだから。なにより、おれは『帰らなきゃいけない』んだから。
だから何があったって、そんな気持ちを言葉にしようとは思わなかった。

『帰る』。――それは絶対にしなきゃなんないことだ。

突然こっちに転がり込んでしまって以来ずっと、いつかは『帰る』んだ、とそう思っていたつもりだった。けど、ほんとうは真剣に考えたことなんてなかったのだと最近気がついた。
たぶん、考えるのが怖かったんだろう。ルイズの魔法によって、帰還が現実のものになって、ようやくおれはそれに向き合っている。

急にいなくなったおれのことで、家族や周囲はどうなったのか。

どこかの映画や漫画みたいに、戻ってきたら元の世界の時間は一日も進んでいなくて、何もかも元通り、なんてなるわけもない。
まさか本当に『神隠し』にあってるなんてわかるわけもないから、きっと良くて家出扱いだろう。学校やら警察やら巻き込んで、騒ぎになっているのは間違いない。そんなところにひょっこり戻っていって、おれは何を言えばいいんだろう? 魔法のある世界で使い魔をやっていました?
さすがのおれでも、こんな話を簡単に納得してもらえるとは思えない。でも、そんなことくらいで尻込みなんて、情けないことはしてられない。

その理由は今、おれのズボンのポケットに納まっている。あの日ルイズから返してもらったもの。先生におれの世界の話をするときに貸したっきりになっていた『携帯電話』だ。
先生が『錬金』で充電してくれたおかげで、再び点った着信画面には(当たり前のことだけれど)、ずっと『圏外』表示が出ている。それが変わったのは、ルイズが『虚無』を唱えて、おれの世界を見せてくれた、あのときだけだ。
そして、ドアが開いていたそのわずかな時間の間に、携帯には母さんからのメールが届いていた。
中を読んで、それは偶然でも奇跡でもないんだとすぐにわかった。ただ、それだけ、いつもいつも、母さん達はおれに連絡を取ろうとしてくれていただけだった。

だから、おれは絶対に帰らなきゃいけない。

ふたりと別れるのは、正直ツライ。それに少し『悔しい』気持ちもある。こっちに来てから、いつだって、いつの間にかふたりの間で決まっていて勝手に進んでいく話に、おれはふり回されるばっかりだった。どんだけ一緒に楽しくやっていても、どんだけおれが頑張ってみても、ふたりとおれの間には、どうしても踏み込めない『何か』があった。

――でも、しかたないよな。

どんだけ馴染もうとしても、結局、今のおれは元の世界に戻らなければならない。それはどうしても変えられないことだ。

なにより、勝手で強引なやり方のときもあるけれど、ふたりが、おれの大切なものを同じように大切だと思ってくれているのは確かなことだから。

――今はそれで十分だ。そうだろ? 平賀才人。

おれは、自分の中のガキに言い聞かせる。

そうだ、ガキみたいなわがままは言いたくなかった。
みっともないところなんて、見せたくない。カッコ悪い思い出は、もうずいぶんたくさん作っちまったし、これ以上情けないことはしたくない。それさえも、ガキみたいなプライドでしかなくても。
おれなんかよりももっとずっとたくさんのものをこらえて、真っすぐに立っているひと達を、余計なもので悩ませたり、悲しませることはしたくなかった。

泣かせたくない、と思ったんだ。

なのに、さ。

――これはないだろ? 先生。

***

ささやかな晩餐の後、先生がとっときだと赤ワインのボトルを取り出した。風土が合わず生産量が少ないので、この国のワインはけっこう高価いらしい。
おれにグラスを渡しながら、ふと思いついた顔で、先生はルイズに言う。

「ルイズ。君も一口飲んでみるかい?」
「え。いいの?」
「今日は特別だからね。ほら、」
「……うん」

言葉通り、普段は酒を飲ませてもらえないルイズにもグラスが渡される。両の手で支えたグラスに、注がれる葡萄(えび)色の液体。おそるおそる顔を近づけて、ルイズは、くん、と匂いをかいだ。
その様子を笑顔で眺めながら、先生はおれに尋ねた。

「こういうとき、君の国ではなんて言うのかな?」
「えーっと、『カンパイ』とかですかね」
「そうか。じゃあ、カンパイ」

先生のあっさりとした合図の後、おれ達は、ちん、とグラスを鳴らす。ルイズは慣れない仕草でそれを口元に運んでいく。その子供っぽい様子に声を出さずに笑いながら、おれも自分のグラスを傾けた。そして――、

――ああ、ちくしょう、またか。

真っ先に思ったのは、それだった。
そのワインを呑み込んだ瞬間、くらり、と意識が眩んだ。いつかの魔法みたいに、体から力が抜けて、がくん、と膝から落ちる。
今度は何だよ、と、おれは精一杯の抵抗で、急速にかすむ目で先生を睨んだ。

ぼやけた視界の中では、底冷えするような目をした先生がおれ『達』を見ていた。

――え?

かしゃん、とグラスが割れる音。おれのグラスじゃない――そう思ったのと同時に、ルイズのかすれた声が聴こえた。


「……なん……で……? ……わたし……の……まで…………」


わななき、杖を求めて手をさ迷わせる彼女(食事時だから、とそれはさっき先生が取り上げた)。先生が応える。

「ルイズ。君もここでお別れだ」

何の感情もなく告げられた言葉に、彼女の心が震える。

――なんでだよ、先生?

おれは薄れゆく意識の中で必死に歯を食いしばりながら、手をのばした。精一杯、ただ、それにむかって。

――ルイズ、

***

***

――魔法の次は、眠り薬か。効き目の早さからして、魔法薬だわな。

まあ、相棒程度じゃなかなか見抜けないだろうなぁー、と俺はそれを眺めながら思う。床に倒れた相棒と――やれやれ――、センセイが抱きとめた、ちっこい娘っ子の体。
その小さな頭を不器用に撫でて、センセイはもう一度、低い声で告げた。





「君も、帰るんだよ、ルイズ」





その目は凍えている。






そして俺はその一部始終を見ていた。

***


そうならねばならないのなら――“さようなら”





[6594] ゼロとせんせいと 7の6
Name: あぶく◆0150983c ID:dc4dbc7e
Date: 2010/02/20 13:56

それは未明の出来事だった。

勤勉な使用人達さえ床から離れえない夜明け前、ひそやかに屋敷を取り囲む人影があった。一様に固い表情を浮かべ、手に杖を握りしめた兵士達だ。彼らは合図を受けると、訓練された動きで一斉に屋敷内部へと侵入した。
屋敷の仮の主である『彼女』は、すぐにそれに気づいた。けれどもう間に合わない。屋敷は既に水も漏らさぬ包囲を受け、逃げ出すことは叶わない。
そうと悟った彼女は覚悟を決める(――否、もしかしたら、はじめから決めていたのかもしれない)。娘を起こして身を隠させると、自身は逃げも隠れもせず、侵入者達のもとへ向かう。

遭遇する。広間に、緊張が走った。
兵士達は彼女の姿を見ただけで、何者かを理解したことだろう。誰何するまでもない。
彼らの前に立つのは、杖ひとつ持たない細腕の女性がひとり。表面的には、それだけだ。しかしそんな無力な女性を相手に、十を優に超す武装したメイジ達は一斉に警戒し、『怯える』。
その様を滑稽だと思い至る者はいない。彼らにとって、その反応は道理だ。なにせ、彼らの前に在る『者』は、彼らとは似て非なる『モノ』。ヒトの『天敵』なのだから。
“『其』は脅威であり、排されなければならない。”
それが始祖ブリミルの言を端とする長い長い歴史の基に積み上げられた、この世界の『道理』。
その前には、個の想いなど何の意味もない。彼女達が一度たりとも誰かを害したことのないことも、その意思を持つことさえなかったことも、関係ない。

囲む杖、向けられる殺意。
それでも、彼女は抗わなかった。ただあの優しげで音楽的な声で、彼らへと語りかける。自分には抵抗する意思も、あなた方を害する意図もない、と。
けれど、その言葉に耳を貸す人間がいるはずもない。
指揮官のひとりが怒声のような号令をかけ、一斉に魔法が放たれる。無抵抗の女性の命を絶つ、それだけのためにはあまりに過剰な魔法が部屋中を荒れ狂い、暴虐の限りを尽くした。
吹き荒れる嵐の後には、耳が痛むような静寂。兵士達は足早にその場を去り、次の標的を求める。

近づく軍靴の音、息を呑む気配、小さな悲鳴。時をおかずに、優秀な探索者達は潜んでいた娘を発見した。荒々しく暴き立てる手に、少女が悲鳴を上げる。母親譲りの繊細な金髪が揺れて、その特徴的な耳があらわになる。青ざめて震える、幼さの残る顔。涙をためた、翡翠の瞳。先の女性にも増して、無力でか弱い存在。
それでも世の道理の下に絶対の命を受けた兵士達に、思い留まる余地はない(――ただ、『彼女』の時に比べれば油断があったのだろう。もしかしたら、わずかばかりの躊躇も。そうでなければ、その奇跡も通じなかったはずだ)。

冷酷な死の手に無垢な少女がさらされたとき、その奇跡は起きた。

死に脅かされた少女の身に、懐かしいメロディーが蘇る。記憶の底から浮かんだそれは、いつか遊んだ、古びた『オルゴール』の調べ。場違いに穏やかなその音とともに、奇妙な『ルーン』が彼女の中に『顕れる』。
本能が、直感が、その意味を理解した。

兵士達の隙を見て、彼女は必死の思いでそれを唱える。手には、かつて父から贈られた杖。 そして、誰も聴いたことのないその常識外れに長いルーンは、彼女の願い通りの『奇跡』を起こした。

奇跡。そう、それはまさしく奇跡だ。
まるで両親の遺志が顕現したかのように、その不思議な『魔法』は誰も傷つけることなく、少女を守った。彼女に杖を向けられた冷酷な暗殺者達は、どこか夢うつつの表情でぞろぞろと屋敷を去っていく。もう誰も害することもなく、何も恐れることもなく、己が為すべきことを『忘れ』て。

その不思議の原理はわからないまま、ひとまず難を逃れた娘はほっと息をつく。
そして、我に返った。
か細い悲鳴をあげて、顔色を変える。焦るあまりうまく動かない手足を懸命に操って、這うように『母』の元へ向かう。どうかどうか、と始祖に祈りをかけながら、急ぐ。
しかし、願いはあっさりと破られた。撃たれ、焼かれ、裂かれた遺体は無惨だった。
母親譲りの美しい貌をくしゃくしゃに歪ませ、少女は嗚咽を漏らす。おかあさま、と呼びかける声は言葉にならない。
娘の身を守った『奇跡』も、死者を蘇らすことはなかった。

遅すぎた救援が駆けつけるまで、無力な娘はただひとり、母の亡骸にすがって涙を流し続ける。



(――そんなことがあったのだと私は後になって聞いた。何もかもが終わってしまった後に、)

***

***

――あーあ、もったいない。

私は坊主が落としたグラスを戻し、卓上にこぼれたワインを拭き取った。無意識にそこまでやってから、ようやく男の方を振り向く。
腕の中に眠りこけるお嬢ちゃんを支えている、その姿を見つめながら、胸の内で冷ややかに嗤う。
それは、自嘲。

――たいがい、私も懲りないわよね。

これじゃあ、まるきり一緒じゃない。

「では、後はお任せいたします――」
「はいはい」

適当に頷きながら、少女を受け取った。腕にかかるその重み。重たいわね、と眉をひそめながら、思い出す。三年前、彼らと初めて出遭ったときの、あの、不条理で悪夢めいていて、どうにも間の抜けた話を――。

***

***

ソレが私の前に転がってきて、どれくらいの時間が経っただろう。

「うぅ……」

夜闇と月影と静寂と血臭に満ちた昏い部屋の中、私はこみ上げる吐き気と戦っていた。床に、ごろり、と転がったソレに目は囚われて、逃げ出したいのに立ち上がることもできない。

「う……ううぅ……」

無意識に声がもれ、床に座り込んだ体は、肩から膝からどこもかしこも、みっともなく震えている。

――なんで……なんでこんな……、

繰り言もうまくかたちにならない。逃げなきゃ、と思うのに、思考はひとつところをぐるぐると回って、私を動かさない。逃げなきゃ――なんで――さっさと逃げて――なんで、私は――逃げ――よりにもよって、こんなモノに――っ。

子供のように癇癪を爆発させて喚き出したかった。けれど、できない。開きっぱなしの瞳にすこしだけ涙がにじむ。

――なんで、よ、……もぅ、

時間の流れさえわからない、きりきりと精神を引き絞られるような、息詰まる緊張と恐怖。積み上がる焦燥感に、どうしようもなく行き詰まってしまったそのとき、

背後からまたあの声がした。

「もう。そんなにこわがんないでよ、」

暗闇によく通る声に、弾かれたように振り向く。

「だいじょうぶよ。いやなやつはきえちゃったから、」

顔を包帯で隠した娘がいた。床にひざをついて、小さな背中をさらに小さく丸めて、床にむかって屈んでいる。そうして、『それ』に熱心に話しかけている。

「ねぇ。あんたはどこからきたの?」

***

(蛇の腹の中のように暗くて長い廊下の先、月が照らす怪しい影に惑わされながら進んだ。終いに覗き込んだ暗い穴の底で、間抜けな盗人を待ちかまえていたモノは――)

***

夢見は最悪だった。

ひきつるような足の痛みに目を覚ますと、ぼんやりと明るい天井が映った。

背中に嫌な汗がにじんでいて、気持ちが悪い。無意識に顔をしかめながら、杖を求めて手探る。けれど、何も触れない。

――杖が、ない。

そう気づいた途端、眠気は急激に引いた。
体勢はそのままに、視線を走らせる。見覚えのない天井。木の壁。宿屋の一室、というよりも、民家の寝室か。右隣に、もうひとつ寝台がある。そこに腰掛けた『そいつ』の姿に、私は思わず呻いていた。うわ、と。

「――あら。いきてたのね」

愛らしくもふざけた声は無視して、体を起こす。すると、包帯で固められた右手首が目に入った。反対にも、うっすら切り傷が残っている。ハァ。

――もう。最低。

二日酔いよりもなおひどい気分だった。ケガとストレスのせいだろう。それに夢見も悪いし――。

私は横目で、悪夢の主な原因を睨んだ。

寝台のふちに腰掛けたそいつは、そ知らぬ様子でゆらゆらと足を揺らしている。その手には白木の杖。石突が、正確に私を指している。まるで槍の穂先を突きつけられているみたいだ。気分は控えめに言っても、良くない。

――失礼なガキね。

小柄な娘だった。明るいところで見ると、思っていたよりもさらに小さい。年齢は、十、くらいかしら? 元の色がわからないくらい色あせたワンピースを着ている。華奢な肩と細い首に、小ぶりな頭。しばらく櫛を入れてないのだろう。髪はくしゃくしゃで、ブロンドの細い毛がところどころ絡まった糸くずのようになっていた。
見ていると、つい梳かしてやりたくなる。
もっとも手を伸ばしたところで、素直に受けるわけもない。そもそも、顔に巻かれた包帯が邪魔だ。
これまた色褪せて、端々がほつれている包帯。それが娘の顔の、鼻から上全部を隠すように乱雑に巻かれていた。おかげで小さな顔の中で見えているのは、つんと澄ました鼻と小さな唇だけというありさまだ。
けれど、そんな冴えないなりでも、そのわずかに覗くパーツは妙に愛らしくて、目を惹く。正直、もうすこしまともな格好をさせてやればいいのに、と思う。
それは、包帯の隙間から覗いている、貝殻みたいに小さな耳も同じだった。見ている分にはとても可愛らしいそれ。

けれど、それが私の一挙手一投足を見張っていた。

「……ハァ、」

再び重たいため息をひとつ。無事な方の手で垂れ下がった髪をかき上げようとして、不揃いな前髪にまた気分が滅入った。

――あー、もう、なんでこんなことに……。

憂鬱とともに、手近な壁に嵌った小さな窓から外を覗く。
どうやら私達がいるこの場所は、どこかの郊外にある一軒家――らしい。移動中はほとんど気絶していたので、詳細はわからない。足にはケガ、杖は無く、周囲に家屋の影はない。ぶっちゃけ、閉じ込められている、と言ってもいい状況だ。この盲目の娘は、自称『監視役』と言ったところか。

――ほんと、なんでこんなことになってんのかしら……私……。

もちろん、この嫌がらせとしか思えない、馬鹿げた事態を招いた一番の原因はわかっている。
私だ。

「…………」

思い出したら、ちょっと床の上をのたうち回りたくなった。 主に、自分のあまりの間抜けっぷりに。



事の起こりは、酒場だった。
近隣の屋敷で働く下男が酔って漏らした話。なんでもその屋敷には、主人が宝物を隠している、秘密の部屋があるという。時折使用人達も与り知らぬところで、その部屋を客達が訪れては帰っていく。宝物を売り買いしているようで、結構な金額が動いているらしい、と。
私はさっそくその『お宝』を求めて、屋敷に忍び込んだ。そこで焦らず、きちんと下調べのひとつもしておけば良かったのだろうけど、すっかりさっぱり、怠ってしまった。
それが最初のミス。

そして、ひとつ躓くと、物事は雪崩のように崩れていくものらしい。己の悪運を嘆くひまもなく、私は次々と起こる悪辣な冗談めいた出来事に弄ばれ、叩かれ、打ちのめされて――、

現在、この家に閉じ込められている。

……ほんとうに、間の抜けた話だった。



私が眠っていた部屋は最初に思った通り、ただの寝室らしい。作りは簡素なもので、寝台が両端の壁につくようにふたつ置かれ、その真ん中にテーブルが置かれている。あるものと言えば、それだけ。
椅子も無いので、食事のときは寝台を椅子代わりにしてテーブルを挟むことになる。

――もっとも、これを食事と呼ぶのなら、だけど。

与えられた皿の中にある『その物体』を、不自由な手ですくいながら、私は目をすがめた。

「……もしかして、アルビオン人だからってなめられてるのかしら?」

思わずこぼれた愚痴に、娘の耳がぴくと動く。私はそれを無視して、目前の『食事』を睨み続ける。
確かに島国である祖国はその特異な地理関係上、他国に比べると食文化の発展が遅れがちだった。いまどきは他国並の食事を出す店も多いけれど、それでも一度染みついた認識というのは中々変わらない。いまだにアルビオン人の貧舌は酒場の小咄における『常識』だ。それでも。
これはない、と思う。

ケガで動けない私のために、娘がもったいぶりながら運んできたのはスープ皿だった。そこまではいい。ナイフとフォーク取りそろえて挑まなければならないフルコースなんて、今の手には負えないから。
問題は、その中身。
皿の中で匙を動かしても、動きをはばむものが何もないのだ。全て、真っ白いペースト。かたちが、ない。
もしかすると、完全に煮崩したミルク粥、なのかもしれない。けど、傍目には、鉛白を溶かした水にとろみをつけただけのように見える。臭いは全く無く、ちょっと舐めてみても正体は不明。とりあえず、同じものを娘も食べているので害はない……わよね、たぶん……。

体力大事、と自分を宥めながら匙を動かす。空腹は確かだったし、とりあえず何かお腹に入れてケガを治さないと何もできないから。でも。
やっぱり誤魔化しきれないものがあった。なんか……、こう……、舌にのせると味覚が『吸い取られる』気がするんだけど……。

――何なのよ、これ……。

それは、なんとも表現しがたい奇妙な『感覚』だった。強いて言えば、風邪を引いて舌が利かなくなったときの感覚に似ている。『味』と呼ぶにはあまりにも『何もない』。何をどう料理すればこんなモノになるのやら。とりあえず確かなのは……、

「不味い」

――まさか、ずっとこれを食べろというんじゃないわよね……。

ぞっとしない話だ、と眉間にシワを寄せる。
しかも、気分を盛り下げてくれる要因は他にもあった。というのは、

「ン~ン~、ン、ンンン、ン~」

向かいの娘がさっきから奇妙な節をつけて鼻歌を歌っているのだ。
聞いたことのない歌だ。どうやら当人もうろ覚えらしく、途中途中で詰まっては同じ音を繰り返す。単調なくせに不安定な、その音が……、

「ン~ン~、ン、 ンン、」
「……」

なんかすっごく神経に障る。そんなはずはない、と分かっていても、思わずにはいられなかった。
何のいやがらせよ、と。

「ねえ。すこしは黙って食べなさいよ、」
「ン、――うっさいわね」

耐えきれずに文句をつければ、ぴたりと鼻歌を止めて、代わりに不機嫌丸出しの声で呟く。ムカっときて思わず顔をあげた私は――固まった。

「あんた……」
「あによ?」

娘は匙を握りしめた手をちょっとだけ止めた。途端に、ぼたぼた、と匙からこぼれた中身がテーブルの上を汚す。

「……食事の時くらい、杖、放したら? こぼしてるわよ」
「うるひゃいってば、」

私の忠告に、ほとんど中身の入っていない匙先を口に含みながら答える娘。なんて、躾のなってない――。

「口にものを入れたまま、しゃべるんじゃないわよ。それと、一度口にいれたものを出すのもやめなさい」

気づいたら、家庭教師か乳母みたいなことを言っていた。
というか、ついそうしてしまうくらい、ひどかったのだ。何がって、目の前のガキが。
目が見えないのだから、仕方のないところはある。あるだろう。けど、それにしても目に余るわ、コレは――。

向かいに座って、私と同じものを同じように食べていたはずの彼女。その左手は杖を手放さず、右手だけで大雑把に口に運ぶから、口のまわりはべたべただ。匙を動かす度にこぼれる液体は、テーブルだけでなく、袖口も汚している。

――乳離れしたばかりの幼児か、あんたは。

あきれ果てる私に、小さな蛮人は堂々と言い返した。

「どんなたべかたしようと、わたしのかってでしょ。ちゃんとあとできれいにするわよ、」

そして言い放ちながら、小さな舌を出して、んべ、と口の中のものを吐き出す。どうも表面に浮いた膜がお嫌いらしい。散々汚しまくって、食後に一回顔を洗っておしまいにするつもりか――合理的といえば合理的だけれど、それは結果論。

「それを見ながら食事をしなきゃなんないこっちの身にもなりなさいよ――みっともない」
「みっともないってなによ、」
「あんたの今の格好よ!」

思わずカッとなって言い返してから――冷める。ハァ、と再びため息。何してるんだろ、と匙を投げる。ただでさえない食欲は、完全にゼロになっていた。ハァ。

――ああ、もうダメ。ため息が止まらない。

不覚にも泣きそうな気分になって、私はぎりぎりと奥歯をかみ締めた。頭をかきむしりたくなる衝動を必死にこらえる。
どことも知れない家に押し込められて、メシは最悪。しかも可愛げのかけらもない娘と、これから『四六時中顔を突き合わさなければならない』とくれば、ストレスがかさむのも当然だった。
そりゃあ、私だって覚悟はとうに決めている。家を喪って、名を失って、唯一残ったあの娘と家族になって。あの娘を守るためならなんでもすると、この道を選んだ。きっとろくでもない死に方をするのもわかっている。戻れない道だ。でも、『こんなこと』をするために選んだわけぢゃ――っ、

「……なによ、そんな…………なくてもいいじゃない……」

ぽそぽそとした声に、ヒステリーめいた思考は断ち切られた。

我に返って見れば、向かいの娘はちょっと頭を傾いだまま、唇を尖らしていた。袖口で汚れた頬のあたりをぐいぐいと拭いながら、ぶつぶつと小声で文句を垂れている。それでいて、ちょっと赤い耳はそれとなく私の方をうかがっている気配……。
その様子に、私は自分の先の言葉を思い返した。あー。

――ちょっと、大人げなかったかしら……?

同時に、ちょっとは『可愛げ』あったわね、と思う。

「その、少し言い過ぎたわ。でも――」

直接触ると嫌がられそうだったので、せめてもと近くにあったタオルを渡してやる。

「これでも一応食べ物なんだから粗末にしちゃだめでしょう?」

たとえ家畜の餌にしか見えなくても。もしかしたら、この子でも食べ易いようにと気を遣った結果なのかもしれないし……、と、自分でも苦しいと思いつつ、諭す。すると、わざとらしく乱暴な仕草で顔をぬぐっていたお嬢ちゃんは、唇をさらに尖らせた。

「でも、おいしくないわ」

ぷっ、と思わず吹き出していた。

――なによ、あんたもなの?

「それはそれは、まともな味覚があるようで結構ね、」

私の揶揄いを含んだ言葉に、娘は唇を曲げて、かちゃかちゃと匙を鳴らす。

「せんせい、これしかできないんだもん。このへん、おみせもないし。……でも、からだにはいいのよ?」

つまり、これは行軍用の糧食の類か。保存がきいて、栄養価は高く――味は最低。
この娘がちびっちゃい理由がわかった気がして、私は一瞬、同情さえ覚えてしまった。こんな薬みたいなものばっかり食べていたら、そりゃあ、育つものも育たないわ……。

「おなかにはいれば、いっしょだし、」
「食事ってものはそれだけじゃないでしょう? なんだかんだでアイツを庇おうとする心意気は認めるけど……。手、止まってるわよ?」

ともかく、そうと分かれば、もう遠慮する理由はない。

「ちょっと鍋ごと持ってきなさいな。せめて塩でも入れて温めなおしましょう」

私の提案は、「毒を入れられてもわかんないからダメ」という疑り深い娘の言葉で却下された。

「あんたねぇ……」

思わず、「あんたみたいな、細っこいガキんちょなんて片手で十分よ」と言いそうになる。
それをすんでのところで思いとどまったのは、『雇い主』からの『忠告』を思い出したからだ。そんなことをして万が一、この娘を『泣かせ』たりした日にはそれこそ『内側から生きたまま炙られる』。いくら覚悟があるとはいえ、それはあんまり歓迎できない最期だった。
私はしかたなしに代案を出した。

「じゃあ、あんたがやりなさい」
「わたし……?」
「塩を入れるくらいできるでしょ? それに自力でなんとかしないと、あんたこのままじゃ一生これを食べるはめになるわよ?」
「う……」

その一言がとどめとなったようで、娘は渋々ながら頷いた。やれやれ、これでなんとか人間らしい食事ができる――。
そう思ったんだけど、ね。

「…………からい」
「…………にがい」

しばらくして再びテーブルを挟んだ私達は、同時に匙を置いた。ハア、とどちらからともなくため息。

「……こんなひとのいうことをきいたわたしがバカだったわ」
「あんたが塩を入れすぎたんでしょ!」
「う、うるさいわねっ。しかたないでしょ、フタがきつかったの!」

強引に開けたら全部ぶっこんじゃったとか……。あのね。
私は、娘のきゅっと固く握りこんだままの左手を睨めつける。 しっかりと杖を持った手を。

「杖を放して両手を使いなさいよ。お馬鹿なガキね」
「う。――な、なななによっ。酔っぱらいのタワゴト信じて『屍体』を盗みに入っちゃったドジ盗人のくせに!」
「な!!」

私は一瞬にして頬に血が集まるのを感じた。途端に見えやしないはずなのに、勝ち誇った様子で唇を笑み崩す小娘。

――ああもうっ!やっぱり可愛くない!

私は、わずかでもこの娘に気を許しそうになった自分を罵倒したい気分になった。何をしているのかしら。そもそも、こいつのせいで、私はこんなしょうもない『子守』をするハメになっているというのに――。

***

(間抜けな盗人が何も知らずに迷い込んだ屋敷の中。 暗い穴の底で出遭ったのは、シタイとコドモと――)

***

「ねぇ。あんたはどこからきたの?」

一方的で場違いな問いかけに、答えは返らない。沈黙する『床』にむかって、彼女は首をさらに斜めに傾げる。

私は自然と顔をしかめて、そんな彼女『達』を見つめていた。

娘が話しかけていた相手は、私ではなかった(――というより、あきらかにそいつは、私や床の上に転がったものを気にも留めていなかった)。
関心が向かう先はただひとつ、先程娘自身が腕の中に守るように抱えていた『なにか』。おそらく私達が暴れたときに落としたのだろう。今は、床に横たわっていた。

ふわふわと妖精の羽根のように軽いシフォンのドレス。サテンのリボン。月明りを反射するブロンドの長い髪。『少女』を摸した『人形』――に見立てられた子供だった。

手足を無気力に床に投げ出して、身じろぎもしない。その様子だけを見れば誤解してしまいそうだけれど、ガラスケースの中にいた彼らと違って、その子はまだ生きているはずだった。襲撃時に聞いた、声にならない悲鳴を思い出す(だからこそ、あのとき私は咄嗟に――)。

「ねぇ、」

焦れた声で話しかけても、反応は得られない。その理由がわからないのだろう。娘は、今度は細い手を伸ばした。おぼつかない手つきで子供の額を探り当て、ゆっくりと動かし始めた。手のひらを地に平行に揺らす。つまり、いいこいいこ、と。

なんだか、『おままごと』みたいだった。

私の体から、不意になにかが抜けた。ひっくり返りそうだった胃が元に収まって、呼吸がすこし落ち着く。代わりに意識を占めたのは過去の、記憶とも呼べない、イメージ。

(――あの娘が泣いている――)

私はそんな自分自身にやっぱり、なんで、と思わずにはいられない。なんで私はこんなモノに、と。

屍体だらけの部屋で、『人形』に構う盲目の娘。正直、ものすごく気味が悪い。
それに、さっきの光の正体だってわかっていない。下手に手をだしたら、どんな目に遭うかわからない。
けれど、気づかないふりなんてできるわけもなかった。
ハァ、とため息をひとつ。

――なんで、私はよりによってこんなモノに『重ねて』しまうのかしらね……。

自嘲めいた繰り言とともに、杖を取る。

途端に娘の動きが、ぴたりと止まった。その意味を考えることもなく、私は立ち上がる。

真っ先に、ひどい痛みが全身を走った。先程そこに転がるヒトデナシに切り裂かれた足。その傷口が開いて、再び血が流れていた。奥歯を噛みしめ、簡単な『治癒』を唱えて、誤魔化す。――そんな私の挙動に包帯の娘は警戒するように後ずさり、杖を構える。
それをあえて無視して、私はただゆっくりと近づき、その子の傍らに膝をついた。

見知らぬ子供。偶然出遭っただけで、縁もゆかりも義理もない。それでも――、

(――泣いている。暗い屋敷の中で、金の髪を揺らしながら。特徴的な耳をさらして。たったひとり、物言わぬ亡骸にすがりながら、あの娘が泣いている――)

見捨てることなんて、できるわけがなかった。



――今の『稼業』を始める前、私は貴族で、家は王家の血筋に仕えていた。王の実弟にあたる大公家だ。
その大公には重大な秘密があった。公になれば王家の存亡にも関わるそれが王の逆鱗に触れたとき、私達のそれまでは全て崩れた。
王に逆らった大公は投獄され、そのまま獄中で死に。王命よりも大公への忠義を選んだ私の両親もまた、王家への叛逆の罪で処刑され、我が家は取り潰しとなった。
(ちなみに取り潰しによって浮いた領地と地位は、周囲の貴族連中が貪るように奪い合った。その勢いときたら、餌に群がる畜生もかくやという有様で、私が貴族を相手に『商売』を始めるようになったのも、そのときの恨み辛みが原因と言っていい)

その全てのきっかけである大公の秘密。それは、彼の愛妾とその娘にあった。

別段、彼女達が何かをしたわけではない。誰を害したわけでもなく、過分な望みを抱いていたわけでもない。ただ平穏に、愛する者と暮らしていただけだ。
けれど、王の杖は彼女達に向けられた。両親が二人を匿った屋敷も襲撃を受け、結局私達は彼女達を守りきることはできなかった。
ただ、『奇跡』が起きて、娘だけは生き残った。

以来、その娘だけがこの手の中に遺された、たったひとつの『たからもの』になった。だから、何があっても私が守るのだと心に決めた。

そしてそのふたりの子供を見て、彼女を連想してしまった以上――どんなに馬鹿げていても、腹立たしいと思っていても――私にはもう、それを無視することなんてできやしないのだ。

両親が『斬首』されたときも、彼女達が襲われたときも、私は何もできなかった。家を喪い名を失って、全てを無くしたときも、私には何一つ抗うすべがなかった。
その悔いと恨みが、私に彼らを見捨てることをゆるさない。

そう、これは別に、善意だとか同情だとか、そんな口に易しい話ではなかった。もっと間抜けでしょうもない、他人に告げるのも憚られる類の、ただの――フーケでもサウスゴーダでもない――、『マチルダ』という一人の女の『意地』の問題。

自分ではどうしようもない、どうにかしようとも思えないことだ。 だからこそ、その結果どんな悲惨な目に遭っても、自業自得と呑み込む覚悟はある、

――はずだった、んだけどね……。

それでもやっぱり、このときばかりは、意地を張るのも時と場所を選べればいいのに、と思った……。



私は床に倒れた子供を抱き上げる。微細に震える小さな体からは、生臭い血の匂いがした。その、腕にかかる重みを確かめながら、同時に傍らの娘にも声をかける。

「ほら、あんたも逃げるわよ」
「……」

此処は危ないから、と繰り返すと、娘は、だいじょうぶよ、と澄ました調子で応えた。

「どうせ、あんたで『さいご』なんだから。――ね、せんせい」

振り向いて、思う。

――ほんとにもう、なんでこう、よりにもよって、こんなクソガキと貴女を重ねちゃったのかしらね……。

「ごめんなさい、テファ」

思わず呟く。二度と会えないだろう『家族』へ。

転がる首の先、闇の中には顔のない男が立っていた。

***

この奇妙な生活が二日目に入るころには、もう娘も慣れた(あるいは単に懲りた)らしく、私は階下の台所に立つことを許された。――というか、私はこの家に監禁されているわけでもなく、まして娘が言うような、彼女に監視される間柄でもないのだから、いちいち許可をとる必要もないんだけど。

施された手当てはまともだったようで、足は室内を動くくらいなら、もうほとんど障らない。手はまだ少し不自由だけれど、こちらもそれほど負荷をかけなければ大丈夫そうだ。小さな台所には保存のきく食材もいくつかあって。おかげで、ようやくすこしは人間らしい食事を摂ることができた。
けれど、せっかく作ってやったそれを、娘は相変わらず犬食いする。むぐむぐ、と小さな頬をいっぱいにして食べる姿は「子供らしい」と言えなくもないけど。はね飛ばした汁で、鼻の上の包帯まで汚しているのはどうかと思うわ……。

私は呆れつつ、その腕をつついた。

「器に口をつけない」
「うるさいってば」

と、すこし驚いたことに、口では即座に言い返しつつも、娘の姿勢が――パッと『直った』。
つまり、テーブルにしがみつかんばかりになっていた上体が離れ、顔が上がり、背筋が伸びた。匙の柄を握り込んでいた手も、きちんと『持つ』かたちに。そして左手は膝の上へ。(それでも頑固に杖を持ち続けているのが、むしろ可笑しい)
やればできるじゃない、と私はゆるく笑った。一応、ちゃんと『躾』を受けていたみたいね。
パッと見はだいぶよくなったけど、そんな『ひねくれ者』の反応が面白くて、つい小言を重ねる。

「ほら、肘をつかない。食べるときに音を立てすぎよ。ちゃんと噛みなさい」
「はい・はい・はい。わかってますわ、姉様」

ツンとした口調で応える彼女に、「はいは一回」と反射的に言いかけた私は――唐突な単語に眉をひそめた。

「って、『あねさま』ってなによ?」
「え?」

返ってきたのは何故か疑問形。 娘はぴたりと手を止めると、ちいさく首を傾げた。妙な間をあけて考え込んだあげく。

「……わかんない、」

虚ろな声で答える。

――は?なによ、それ?

こっちの方がわけがわからない。眉をひそめていると、娘は急に「頭が痛い」と顔を伏せた。杖を持った手で、包帯の巻かれたくしゃくしゃの頭をおさえる。

「イタイ――」
「ちょっと、大丈夫?……って、あんた、」

どういうわけか、小さな鼻から血が出ていた。私は少し慌てて、それをおさえてやる。

「はわらなひでっ」

触れた途端、娘は短い手足を暴れさせた。テーブルに当たって、がしゃん、と食器が鳴る。ちょっと、危ないわね。

「じっとしてなさいな。おちびちゃん」
「こどもあふかひしなひでよ!」
「いいから!暴れないの!」

うう、と唸っている娘を強引に抱きかかえて抵抗を封じる。まったく。野良猫みたいな娘ね。
抱きしめたその体は、ひどく華奢であたたかかった。子供の体温だ、と思いながら、私はしみじみと呟く。まったく、ほんとうになんでこんなことに――、

「私はただの盗人だってのに。そこんとこ、わかってるのかしら?」

すると、はぁ、と間の抜けた低い声が応えた。

「なんとも手間を掛けますな、」
「……あんたね、」

――ぜんぜん、聞いちゃいないわね!?

私は精一杯の抵抗で、現在の『雇い主』を睨みつけた。目の前では、いつの間にか戻ってきた黒いフードの男がとぼけた表情で立っている。その腕には――もうひとりの子供。
眠りこけるその子の短いブルネットに目を奪われていると、こちらの腕の中の少女がぱっと顔をあげた。するり、と抜け出す。

「せんせい。おかえりなさい」
「ああ、ただいま。――ミス・フーケとは仲良くできたかい?」
「もちろんよ」
「あんたらね……」

朗らかなよい子のお返事に、こっちの顔は引きつるばかりだ。
鼻血はもう止まったようだけど(人騒がせな)、包帯も顔も汚れたまま。それを気にもせず、のんきに会話する娘と男に、私の方がよっぽど頭が痛い。
しかも、そんな私に、さらに追い討ちをかけるように男が言った。

「おかげで助かりました。ところで、こちらもお願いできますか?」
「……」

同時に、腕の中の子供を差し出してくる。 くたりと脱力したその小さな体。

――どーせ、私に拒否権なんてないんでしょうが。

とは思っても、口には出せない自分が一番腹立たしい。ぷい、とふてくされたまま、私は男に言われた通り、その子を受けとった。

途端にその重みが腕にかかる。柔らかくてあたたかくて重たい感触。子供の体温。
小さな頭だ。短いブルネットは毛先も柔く、ぴたりと閉じた瞼で同色の睫毛が震える。血の気の薄い頬と唇。この子もやっぱり、灯の下ではずっと小さく見えた。それでも、あの暗闇の中で見つけたときよりはずっと――、

「ねぇ、なんで……、」
「はい?」

無意識に尋ねかけた私は、きょとんとした男の表情に、顔をしかめてその問いを飲み込んだ。

――なんで、あんたは私達を助けたのよ?

***

気づいたときには既にその異様な『影』は間合いにいた。 夜闇に再び、人影。顔のない、そのシルエット。

「――」

私は咄嗟に口を開きかけ(それがルーンを唱えるためだったのか、あるいは単に悲鳴をあげたかっただけなのかは自分でもわからない)、即座に封じられた。

「舌を焼かれたくなければ、静かに」

開きかけた口に杖先を突っ込まれるようにして、淡々と脅される。状況が掴めず、目を白黒させた後、ようやく気がつく。目の前に立つのは首を落とされた屍などではなく、フードですっぽりと顔を隠しただけの、陰気な男だった。暗闇に姿を溶かしたまま、私を見る。

けれど、タネに気づいても、拍子抜けするのはまだ早かった。鼻先をかすめる、異臭。部屋一帯を占める濃い香でも隠しきれない、吐き気をもよおす匂いが目の前の男から漂う。それは、焼け焦げた屍の……。

うっ、と息をつめた瞬間、杖を持った手を蹴りつけられた。強い衝撃に杖が弾き飛ばされ、同時に、ぱき、という軽い音が手首の内側から響く。

――っ!!

悲鳴は――なんとか押し殺した。意識を失うことも、なかった。ただし、すぐさま全身に脂汗がにじみ、無言でもだえるはめになった。急速な貧血で視界はせばまり、呼吸が荒くなる。体が、本能的に痛みを逸らそうとあがく。

――ああ、クソッ。

毒づき、なんとか意思を保つ。
先刻止血だけは済ませたものの、筋まで裂かれた足は元々、まともに立ち上がることもできない。逃げようにも抗おうにも、唯一の手段である『魔法』は、単純かつ効率的に潰された。

確かめるまでもなく、詰んでいた。

「畜生、」

それでも。ぎりぎりと噛みしめた歯の間から、吐き捨てる。腕の中に再び震え出す『それ』を抱えながら、男を睨みつける。せめてもの抵抗。その視界さえ、苦痛と恐怖ににじんでいたとしても――。

「……」

男はそんな私達を、しばらくの間、何の感情も伺えない目で観察した後、おもむろに室内の様子を見渡した。

砕けた硝子片が散らばり、壁や床の塗装は魔法によって剥がれ、まるで嵐が吹き抜けた後のように荒れ果てた室内。床には放り出されたままの『人形』達が仆れ。そしてその先にはまだ、ごろり、と転がっている――。
ごくっ、と本格的な吐き気が喉を鳴らした。生唾を呑み込んで、飲み下す。

そのとき、私達の後ろでひとり座り込んでいた少女が言った。

「せんせい。……おしまい?」
「ああ、」

短く応えながら、男は私に背を向けて床にかがみ込む。転がる生首に触れ、その瞼を閉じる。それから、改めて少女の方を振り向いた。

「ケガはないかい?」
「うん」

男が少女をよいしょと抱き上げると、彼女は愛らしい声で尋ねた。

「ね、もっとてつだえること、ない?」
「ん? そうだな……」

男は呟くと、娘の杖を持った手を掴んで“右から左に”動かし、『場所』を示した。

「できるかい?」
「ええ、もちろん」

快活な返事のすぐ後に、再び白い光が顕れた。そして、散乱していた硝子片とその『全て』が消える。
それは音もない、完全な『消滅』。――四大系統のどんな魔法を用いても考えられない『現象』だ。けれどその異常な現象を気にもせず、彼らはいっそのんきなほど穏やかに言葉を交わしていた。

「せんせい。わたし、ちゃんとやくにたった?」

娘の問いかけに、ああ、と低い声が頷く。男の腕の中で娘は口元だけで、にこりと笑う。そして――、

「あ、ねぇねぇ。そうだ、『あれ』、」

と杖先を今度は私達に向けた。
もう、せいぜい身を震わすくらいしかできなかった。数メイル隔てた位置の鋭い石突が、喉の皮膚を押す錯覚に、きゅ、と息が詰まる。けれど、そんな情けない私の様子など知らぬげに、黒い男に抱えられた娘は言った。ほんのすこし、甘えた口調で。

「――もってかえってもいい?」

男と私は同時に声をあげた。

「「は?」」



「……とりあえず、移動しますか」

娘の奇妙な『おねだり』によって生じた間の悪い時間の後、男に促されて私はのろのろと立ち上がる。殺されるのか、生かされるのか、どちらの道がまだマシなのか――詮のない悩みで頭がいっぱいだった私は、再び足のケガにバランスを崩す。

「痛ぅっ、」

小さく悲鳴じみた悪態を上げたその拍子に、ずるり、と子供の髪の毛が落ちた。

ぎょっと息を呑んだ後に、付け毛だと気づく。子供の地毛はごく短いブルネットだった。つまるところは部屋の主の趣味なのだろう。石の塊でも飲み込んだ気分だった。これ以上悪くなりようがない、と思っていたのに、更なる嫌悪感に胃がムカムカする。
不気味な光によってきれいさっぱり片付いた部屋の中で、それは場違いに存在を主張していた。男がひょいとそれに手をのばす。落ちた鬘を取り上げ、一瞬、置き場に戸惑った後―― 、

なぜか、それを自分の頭にのせた。

かはっ、と私の口から変な息が漏れた。咄嗟に顔を背けて、うつむく。

「なにか?」

――な、なにか、じゃないわよ!

なにしてるのよと思いつつ、しらっとした顔で見返したら、その瞬間、陰気な顔に、やわらかな髪の毛が垂れ下がった――。

「ぷっ、」

気づけば、思いっきり噴出していた。そして一度崩れると――我慢するのはもう無理だった。 子供を抱えたまま、笑い出す。

「あはっ、ははっ、なななに、してんのよっ、あははははっ、」

引きつった声でけたたましく笑う私に、娘がいらだったように杖を鳴らす。

「なにこいつ」

そっか、この娘には見えていないのね、とまたそれが可笑しい。

「……あー、」

ぽりぽりと困り顔で頬を掻く男。すると、ずるっと鬘がズレた。

「あはっ、ひゃは、ははっ」

私は止まらない。涙が出る。お腹が痛い。あんまり笑いすぎて、ああ完全に狂っているわ、と自分でも思う。緊張と恐怖で神経ごといかれているのがわかった。ああでも止まらない、どうしよう。笑いすぎて涙がぼろぼろ出る、お腹は痛いし苦しいし、折れた骨にも響いて痛い、ああなんてかっこ悪い。あはは、ほんと、このまま笑い死にそう。そうなったら、ほんと、正真正銘の馬鹿ね――。

ひぃひぃ、と笑って、嗤って、嘲笑って、床にはいつくばるまで笑い通して、同時にぽろぽろ涙をこぼすみっともない私の姿を、男はしばらく黙って見守った。そして、頃合い、

「あー。そろそろよろしいですかな?」

のんびりとした声に、ようやく笑いが引いて、代わりにひくっと喉がひきつった。

「さすがにそろそろ人がやってくるでしょう。早く逃げた方がいい、」
「…………に、にげる?」
「ええ、立てますか?」

差し出された手に、ぼけっと見上げる。腕の中に娘を抱えた男は、杖のない手を私に差し出していた。

「どうしました?」

動かない私を訝しむ、陰気で平凡な中年男。そんでもって相変わらず――ヅラがずれている。ぷ、くくくく、と笑うと、さすがに不快そうに顔をしかめた。それでも、手はそのままで。えーっと……、

私はようやくまともに顔をあげることができた。

「……もしかして……助けてくれるのかしら?」

男は当然のように答えた。

「貴女はこの娘をかばってくれたのでしょう」
「――せんせい。べつにこんなやつにかばわれてなんてないわ、」

娘が不満そうに呟くのを無視して、私は濡れた目尻をぬぐった。



「なるほど……貴女の事情はわかりました」

それからすこし場所を移した私達は、何故あの屋敷にいたのか、お互いに説明しあった(ちなみに情報公開の割合は私が9に男が0.1くらい)。 その時点で自分のお粗末にはじゅうぶん気づいたけれど、念入りに後悔する余裕はない。よりによって、と思うくらいだ。 よりによって忍び込んだ先で、仕事中の『殺し屋』とかちあうなんて、我ながら大した悪運だわ、と。
そんな私に、男がのんびりとした口調で『提案』した。

「そういうことでしたら、しばらくはほとぼりを冷ます意味でも養生した方がよいでしょうな。どうですか? ひとつ、仕事をしませんか?」
「……何を、させるつもりよ?」

一瞬で、最悪から最低まで想定して、体を強張らせる。こちらの生殺与奪を完全に握った状態で何をさせようというのか……。

「なに、簡単なことですよ――」

灯りの下ではごく普通の冴えない中年男にしか見えないその『殺し屋』は、無表情のまま、私と私の腕の中のその子を見た。感情のまったく映らないその瞳に、私はそれを隠すようにわずかに身じろぐ。
すると男は、ほんのすこしだけ顔をゆがめて、低い声で告げた。

「まずはその子を医者に診せないといけませんからな、」

一瞬何を言われたのか、本気でわからなかった。構わず、男は続ける。

「代わりに、と言っては何ですが、私がその子を医者に連れて行く間、貴女にはちょっとあの娘と一緒にいていただきたいのです。お願いできますか?」

たぶん、人生で一番の間抜けヅラを晒していたと思う。

「……ふぇ?」

呆け顔の私を前に、男はぽりぽりと己の首筋を掻きながら、困り顔で応える。

「どうも、ひとりにしておくと、寂しがって泣いてしまうもので、」
「――んなこと、訊いてないわよ」

無意識につっこみ。それから、改めて言われたことを把握する。
男の言う『あの娘』、というのは、つまりアノ包帯の気味の悪い娘のことだろう。んで、

「私に『アレ』と一緒に、『留守番』をしろと?」
「ええ、お願いします」
「……アンタ、何考えてんの?」

心の底からの本音が漏れた。――ただし、そうツッコんだ私もあまりモノを考えていたとは言えない。呆れるあまり、ついぽろっと言ってしまったのだから。

「そんなもん、人質に取って逃げ出すに決まってるでしょーが、」
「あー、それは困りますなぁ」

男はのんびりと言う。一瞬、本気で頭の具合を疑ったとき、

「それではこういうのはどうです?」

と語り出したのは、

『人体の焼き方講座』

足の裏から/胃の腑だけ/皮膚をカリっと……淡々とした口調で計10パターンほど懇切丁寧に脅迫(レクチャー)され、ケガの所為ばかりでなく青ざめた私に、それ以上、男の言葉に抗う気力はなかった。

――こ、これだから、火メイジって連中は……。

大人気ない意趣返しに、私は改めて自身の軽挙を後悔した。

うぇっ。

***

――ほんと、間の抜けた話だわ。

私はうんざりとした気分で思う。もちろん、こんな愚痴がどれだけ無意味かは悟っていたけれど、思わずにはいられないこともあるのだ。

――なんで私は、いつまでもガキどもの『子守』をやらされてんのよ!

ちなみに男はまた出掛けていた。色々と問い詰めたいことはあったが、『おしごと』だと言われては、とてもじゃないが詳しく聞く勇気はなかった。

ただ、ひとつだけわかったこともある。例の謎めいた粥の『製法』。
よりによって、折角の食材に『錬金』をかけて作っていたそうだ。材料が食品だと比較的ラクに『食べられる』ものができる、とか。そもそも料理は魔法でするものじゃない、という常識は説くだけ無駄――なんでしょうね……。

「……まあ、赤ん坊と病人にはいいけど、」

それだけは認めてやろうと思いつつ、私は匙を動かして子供の口にその錬金粥を運んだ。
後ろから、不満げな声が言う。

「だれが赤ん坊よ」
「あんたのことじゃないわよ。あんたはガキ」
「ガキじゃないわよ!ちゃんとおしごとだって手伝ってるもん」
「おしごと、ねぇ」
「あんたこそ、まともに盗みひとつできないくせにえらそうだわ」
「余計なお世話よ!」

腹立ち紛れに言い返すと、同時に腕の中でぴくりと子供が震えた。私は意識して、自分を宥める。そうして再び匙を動かして――食べさせる。

――ほんと、なんでなのかしらね……。

あのときの言葉通り、男は本当に(私と娘をこの家に置き去りにしたあげく)この子を医者に診せて、連れ帰ってきた。その理由が、わからない。

――どうしてあいつは、この子を助けたのかしら……。

この子自身に何か特殊な価値があるわけもない。
改めて見れば、子供は確かに愛らしい顔をしているけれど、それは造作が整っているというよりも、単に幼いだけだ。おそらく体つきからして、もとは貧民の子。口減らしに売られたのか、路上で暮らしていたところを攫われたのか。いまでは名前さえわからない。不幸以外の何も持たない、哀れな子供。
例の屋敷のこともあったので、あいつもその手のヒトデナシなのかと疑ったけれど、曰く「子供は苦手」らしい。(じゃあ、お嬢ちゃんはなんなのよ――?)
ああ、それとも娘のおねだりだから? このわけわかんない連中ならありえるかもしれない。

それでも、私自身の問題が残る。

ほぼ意識のない子供ならともかく、盗人なんて到底信用できる相手じゃない。殺しの現場を目撃した不都合な存在が消されもせず、『保護』――認めたくないけど、どう取り繕ってもこの状況はそうだろう――される理屈なんて、思いつかないわ。

――薄気味悪いったら、ないわね。

愚痴る。やはりどう考えても異常で、不合理だ、と思う。
もっとも、ほんとうはひとつだけ思いつく『理由』があると言えばあった。でも、そんなことはありえないだろう。そんな理由、どうしたって認められない。
そう、たとえば、私達を助けた理由がただの……その……『善意』……だとか……。

――鳥肌が立つわ。

自分の考えに身を震わせていると、また娘が言った。

「ねぇ、その子、寝てばっかね、」
「ケガのせいでしょう」

適当に答えつつ、子供の口の周りの汚れを布で拭きとる。

「だからぜんぜんしゃべらないの?」
「ええ」
「そっか。でも――」

ぱたぱたと足を揺らしながら、彼女は言う。

「わたしもケガをした後はしばらくお話しできなかったけど、ちゃんと『おもいだした』わ。だからきっと、その子もすぐに話せるようになるわよね?」

私が黙っていると、娘がそばにやってきた。手を伸ばして、子供の額を撫でる。いいこ、いいこ、と。 けれど、撫でられている子供は動かない。瞳は虚ろに天井を映したまま。その様子はまるで――……。

「……」

あまりの反応のなさにがっかりしたのか、お嬢ちゃんはすぐに手を離した。ふぅ、と大人ぶったため息をついて、元の位置に戻る。期待していたような遊び相手にならないので、つまらないのだろう。

――この娘、友達なんていなさそうだものね。

思いつつ、乱れた子供の髪を整える。ほとんど減っていない『食事』を止め、柔らかな毛布で子供の体を覆うと再び寝台に寝かせた。
そして、苦い思いで顔をしかめる。
わけのわからない『雇い主』だの、口の減らない『クソガキ』だの、そんなことは所詮――気軽に愚痴を吐ける程度の、ささいな問題だ。

寝台で眠るのは、ブルネットの髪、あたたかい肌、固定化で腐敗を止められた屍体ではない、ちゃんと生きている体だ。男はずいぶん腕の良い医者にかからせたらしく、そこにはもう傷痕ひとつ見当たらない。けれど、それだけだ。
体の傷は秘薬で治せても、心はそうはいかない。

――それを、わかっているのかしら?

男に託されてからこちら、子供はいつも半分眠ったような様子でほとんど動かなかった。
虚ろな目を半ばに開けたそのさまは、まさに『人形』のようで。それでいて時折声にならない悲鳴をあげる。あそこで、どんな扱いを受けてきたのかなんて考えるまでもない。
たとえ元凶が消えても、心に刻まれた恐怖は消えないものだ。記憶は、ときに呪いのように人を蝕む。このままいけば、いずれこの子は目を覚ますこともなくなるだろう。
それを止めることができるのはたぶん、魔法以上の『奇跡』くらいのものだ。

「ン~、ンン、」

ハァ、と私は恒例となったため息をひとつ吐いて、眠る子供とまた下手くそな鼻歌を歌い始めた少女を、交互に眺めた。気づいたら、いつのまにか妙なところまで追い詰められていた。そんな気分だ。
なんで、と思わないわけじゃない。なんで、私はこんなものを抱え込んでしまったのか、と。けれど、いまさらこの手を放すなんてありえないことも知っていた。

――しょうがないわねぇ……。



そして、おかしな殺し屋達と間の抜けた盗人の奇妙な時間は、終わる。



すっかりケガの癒えた私は、無事、自分の足でその忌々しい『子供部屋』を出ることになった。見送りのつもりか、男が玄関の扉を開ける。街道までの『足』も、ちゃんと準備されていた。至れり尽くせり、ね。
私は目を細める。久しぶりの外は、白み始めた地平線が眩しかった。二階の娘はまだ眠りの底だろう。

「ところで、この後はどうなさるおつもりで?」
「さあね。とりあえず、この子を『医者』に連れて行って、また出稼ぎかしら」
「……余計なお世話かもしれませんが、あの仕事はもう止めた方が、」

寝惚けたことを言い出した男に、私は目を眇める。

「ホンットに余計なお世話だわ。こっちだって暮らしがかかってるのよ、」
「そうですか……。ですが、せめて独りではない方が良いと思いますぞ。独りでは考えも偏りますし、誰かに相談するとか――」
「そんな相手はいないわよ。それとも、なに? あんたが相談に乗ってくれるの?」
「へ? いや、それはかまいませんが、」
「フン。呆けた顔しちゃって――」

私が鼻で嗤うと、男は頬をぽりぽりと掻く。そして、

「てっきり、二度と会いたくないとでも言われるかと思っておりましたので――」

…………。

「そ、そうよっ。もう二度と、あんたらなんかに会うのはごめんよ!」
「はあ。あの、大丈夫ですかな?顔が赤――」
「おだまんなさい」

手がふさがっていた私は、ボケた口をゴーレムにどつかせて黙らせると、颯爽と踵を返す。フン!

「それでは、ごめんあそばせ!」
「え、ええ。お元気で――」

気の抜けた挨拶を背中で聞き流す。そんな私に、さらにすがるように声が追いかけた。

「どうぞ、よろしくお願いいたします」

――そんなの、あんたに言われる筋合いはないわよ。

私は腕の中の子供を抱えなおすと、ひとりごちた。 そう、こんな連中は関係ない。これは『私の』問題なのだから……。

***

ひねくれて、どこか間の抜けな者達の、一期一会。ほんのすこしすれちがっただけの、盗人と殺し屋のお話はこれでおしまい。 そのはずだった。
けれど一度出来上がった腐れ縁というやつは、なかなか切れないらしい――。

***

***

「では、後はお任せします」
「はいはい」

それは、まさしく三年前の繰り返しだった。

――結局またこうなるわけね……。

自嘲しつつ、とりあえずお嬢ちゃんを寝台へ寝かし、様子を確かめる。薬はよく効いているようだ。
杖さえ取り上げておけば大丈夫だろうけれど、中途半端に起きられてはやはり具合が悪い。気をつけさせないと。
ついでに床の上の坊主を見遣る。まあ、あっちは後で運ばせればいいか。どうせ今晩には発つのだから――。

頭の中で算段をしながら、私は無意識にお嬢ちゃんの髪に触れる。すっかり指通りが良くなった髪。この数年でずいぶん育ったものだと思う。体もすこしは柔らかくなってきているようだし。それでもまだ、年齢を考えるとずいぶん小さいけれど。



三年前、彼らと別れた私の腕の中にも、やはりこんな風に子供が眠っていた。男に託された子供が。
もっとも、正直に言えば、あれは一方的に押しつけられたわけじゃない。あのときの子は、『沈黙』と『子守』を対価に、私が自分から引き取ったのだから。

魔法薬で深く眠らせている間は、子供の震えも止まった。悪夢から一時見逃された子供は、青くやつれた頬で静かに眠る。 もちろん、ただのその場しのぎでしかない。魔法程度では何も変えられず、何も救えない。
だからこそ、私は彼を引き取った。

理由は簡単だ。
私にはその子を捕らえている悪夢を『消す』方法があった。魔法以上の『奇跡』の使い手を知っていた。ただ、それだけのこと。

(「いい医者を知っているのよ――」)
(「医者、ですか?」)
(「ええ、他人の『記憶』を『消す』ことができるの」)
(「……」)

これ以上は話せないと告げた私に、男は黙ってそれを手渡した。柔らかくてあたたかくて重たい、その体を。



そして、その重さが今もまた此処にある。

――まさか、覚えていたとはね……。

やっぱり迂闊だったか、と今更考えてもしかたない。 すでに事が成ってしまっている以上、私にできることと言えば、せいぜい意趣返しにイヤガラセをすることくらいだった。

「ねぇ、前にも言った通り、細かい指定はできないわ」

血の気の引いたその頬に触れながら、改めて、私は男に告げる。

「『あの日のこと』と『あんた』に関する全ての『記憶』――ほんとうにそれでいいのね?」
「はい」

予想はしていたけれど、答えは淡々としたものだった。ジャンの目には相変わらず何の感情も浮かんでいない。それはあの酒場で、お嬢ちゃんのほんとうの名がわかったのだ、と告げたときと同じように。

『王家の血』。
たしかにそれだけ明確な指標があれば、身元を調べ出すのは大した手間ではないだろう。なにせ、私のアルビオン訛りと外見だけを手がかりに、二度目に会ったときにはあっさりと『本名』を言い当てた嫌みな男だ。)

『イヤガラセ』が不発に終わって鼻白む私に、そうとは知らない男は改めて頭を下げた。

「どうぞ、よろしくお願いいたします」

向けられたのは、初めて遭ったときから変わらない見事な禿頭。不意にそれを力一杯叩いてやりたい気分になって、私は目を逸らした。

――ったく。

一度頼みを引き受けてしまった以上、自分にとやかく言う資格がないことくらいは百も承知している。それに、わかってもいるのだ。そうする必要があることも。
彼女があるべき場所に戻るためには、それらはあまりに不要で、厄介だ。

***

(かえしてやりたい、と言ったというお嬢ちゃん、やくにたちたい、と言ったという坊主。その話を聞いたとき、私が思い出したのは、かつて私自身が彼女と交わした会話だった。)

***

三年前、子供を引き取ると決めた私は、彼女に尋ねた。

「名前、何がいいかしら?」
「ジャンがいいと思うわ」

それがとっても良いアイディアのように言う彼女に、若干、顔が引きつる。

「やめておきなさい。この子が将来髪に不自由したらどうするのよ?」
「?」

私は彼女の反応に気づいた。

――ああ、知らないのね。『見えない』から。

「とにかく、別の名前にしなさい」
「じゃあ――」

娘はあまり悩みもせず、適当に思いついた様子で告げた。

「ジャック」
「……まあ、変に凝ってない方がいいわね、」
「なによ、まだ文句あるの?」

頬をふくらませる娘を無視して、私は腕の中に子供を抱え直す。柔らかくてあたたかくて、それでいて重たい、その体を。
それから、もう一度、娘に尋ねた。

「ねぇ。あんた、私と来る?」
「なによいきなり」
「……あんな生活無能者と一緒じゃ大変でしょう?」

娘は小首を傾げた後、朗らかに笑った。

「バカ言わないで」

そして笑いながら、誇らしげに告げた。

「離れたりなんかしないわ。わたしはせんせいの『杖』なのよ、」

くるくると手の中の杖を回しながら、堂々と言う。わたしはせんせいに何かをして欲しいんじゃない、わたしがせんせいの役に立ちたいのだ、と。
彼女が初めて見せたその笑顔に、私は、苛立ちを感じずにはいられなかった。

***

男の役に立つのが幸いだと、彼女は言う。その心はとても純粋で、尊いものだろう。
だからこそ、私にはそれがとても忌々しく、痛々しかった。

本来あるべき場処から離されたとき、人は誰もがそこへ戻ろうと足掻く。けれど、それがどうやっても叶わないと気づいたとき、人は今いる場処に適応しようとする。そのことがよりいっそう、自身を帰りたい場所から遠のかせるとしても――そうしなければ生きていけないから。

たとえばあのときの子が声を封じて心を閉ざして人形になりきろうとしたように。
あるいは、かつて家と名を失った私がこの稼業を選んだことも、そうと言えなくもないだろう。
そして、この娘が男の『杖』となることを選んだことも。

選んだのか、選ぶしかなかったのか。

『どっち』なのか、その答えは私にはわからない。誰にも決められないのかもしれない。

(私だって、ほんとうはこれが単なる身勝手な自己満足の代償行為に過ぎないことは知っている。)

どれだけの偽善を重ね、義賊ぶったところで、私がやっていることは所詮単なる八つ当たりで、実態はただのちんけな犯罪者だ。家を喪い名を失くして、唯一残った家族と生き残るために――決して実行するわけにはいかない復讐の代替に――、その道を自分で選んだ。

今、それら全てを「間違いだった」と、無かったこととして、切り捨ててしまうことだってできなくはないだろう。

けれど、いまさら貴族に戻って名を取り戻すことに何の意味がある? 白亜の宮殿、美しいドレス、壮大な音楽、きらびやかな宝石、着飾った人々――あの場所に帰/還りたいなどとは思わない。思えない。
私はもう変わってしまったのだから。

――ましてそれをしたり顔で押しつけてくる他人なんかに、誰が感謝するもんか。

そう。私は自分自身のことはそう考えている。いまさら帰れ? 冗談じゃない、と。
でも、それでも、だ。

――目を覚ますのも辛い過去なら、何もかもなかったことにして、もう一度、生まれ変わればいい。
――帰れぬほどに変わってしまったものなら、全てをゼロに戻してしまえばいい。

そう思う、気持ちもわかるのだ。
己が帰れぬ身だと知っているからこそ、帰せる者は帰してやりたい、と。そう願う者の気持ちもわかるのだ。

***

***

ふと顔をあげると、ジャンが妙なものを差し出していた。古びた表紙の、一冊の『本』だった。
訝しんでいると、

「そういえば、先日の礼がまだだったと思いましてな、」
「何よ、コレ?」
「強いて名づけるなら『破壊の書』というところでしょうか」
「……ずいぶんと大層ね」

私は言われるがまま、それを受け取った。古びている上にひどく汚い表紙に恐る恐る手を添え、今にも壊れそうなページをゆっくりと繰る。一枚、二枚、三枚……、ぱらぱらとページを送る。

「……ねえ、どんな大層なお宝も使い方がわからなければ意味はないのよ?」
「はい?」
「それと同じで、どんな本も読んで意味が伝わらなきゃ意味がないと思わない?」

これを書と呼ぶやつは、奇人変人の類だけだ。私には紙くず当然のそれを手に、男を睨みつける。ジャンはあいかわらず笑っている。

「これはわかる者にだけわかる、そういうものでいいのですよ」
「だ・か・ら。それをどうしてわからない私に寄越すわけ?」
「貴女になら託せますから――」

私は自然と自分がしかめっ面になるのを覚えた。

「……前から一度聞こうと思ってたんだけど。なんでそこまで私を信用するのよ?」

最初に会ったときからそうだった。仕事を目撃した盗人を殺しもせず、あげくに子供まで預ける。まあ、あんな『講義』を聴いた後に逆らう気力なんざ残っちゃいなかったし、単にそれを見抜かれていただけだったのかもしれないけれど……。
私の問いかけに、ジャンはしばしきょとんとした後、そうですなぁ、と呟いた。

「こういう生業をしていると色んな人間を見ます。生まれつき性根の捻れている者、過去のなにがしかが原因で腐ってしまった者。或いは……不幸な境遇によってそう在るしかなかった者、」

そして、と人殺しは人の良い顔で、人を食ったことを言った。

「稀にどんなに悪人ぶっても悪人にはなりきれない者もおりますな、」
「……」

ふぅー、と、私は詰めていた息を深く吐き出した。吐ききっても落ち着かない気持ちが、ぎりぎり、と歯を勝手に鳴らす。

「あんた、やっぱり、私のこと馬鹿にしているでしょう?」
「いやいや。――尊敬しておるのですよ」

笑い顔のまま、奇妙なことを言う。

「それなりに過ごしてきたつもりですが、どうやらいまだに私は『心臓のないガーゴイル』らしい。だから、貴女やサイト君のような人は、羨ましくてたまらないのですよ、」

***

***

――君はあれだな。心臓のない人形の……なんだったか……まあ、ガーゴイルみたいなもんだ。人間のフリをしているだけの。
――ああ、責めてるわけじゃない。それもいいじゃないか? 誰しも皆、嘘をつくもんだ。
――魔法だろうと、技術だろうと、思想だろうと、そんなものは所詮道具でしかない。どんな世界だろうと、ひとが生きていく上の困難なんて、大して違いはないのさ。
――誰もが嘘をつく。自分のために、誰かのために、生きていくために。
――そして、いつかその嘘に押しつぶされて、終わるんだろう。

***

***

――わけがわかんないわよ。

もういいわ。その表情と口調に色々と着かれた私は深い追及を諦める。ただ、ひとつ、最後にもう一度だけ質問をした。

「それで、どうしてこんなやり方をしたのよ?」
「はい?」
「よりによってこれじゃあ、だまし討ちみたいじゃない。『泣かせ』たくなかったんじゃないの?」

私は青い顔のまま眠っているルイズの強張った頬に触れる。一瞬で青ざめ、そのままの顔色で眠りについたお嬢ちゃんは……さて、どこまで悟ったのかしら?
そして、床の上に倒れたままになっている坊主の後頭部。彼もとんだ、とばっちりだ――、

――ん?

ふと、あることに気づいて首を傾げていると、先程の問いに男が答えるのが聞こえた。

「ああ、それは――」

そのあっさりとした答えに、確かにこれはこいつの言う通りかもしれないと思う。さすがに、ヒトデナイ、とまでは言わないけれどさ……。

「精神力を溜めさせるためですよ」



……ロクデナシ。





_______

※18巻、出ましたね(自虐



[6594] ゼロとせんせいと 8の1
Name: あぶく◆0150983c ID:b1aa8c43
Date: 2010/05/01 09:26



そのひとは、×××のことを××とよんだ。
×××はそれがなによりもイヤだった。



***

***


「それじゃあ、後はいつもの手筈で頼んだわ」
「ああ」

宿屋の部屋の中、眠りこける相棒と娘っ子をよそに、姉ちゃんと店主が言葉を交わしている。センセイはいない。行くところがあるとかで、とっくに消えていた。そして置き去りにされた相棒達も、これから馬車で運ばれるらしい。
ところが、姉ちゃんに硬貨の詰まった袋を渡されても、運び役の店主はなかなか動かなかった。毛むくじゃらの眉を寄せて、じっと俺様のことを見ている。うさんくさそうに。

「イヤン。そんなに見られたら、デルフ恥ずかし――」
「……おい。こいつはどうするんだ?」
「? ああ、そうだったわね、」

言われて姉ちゃんは、床の上の俺と相棒、寝台に寝かされた娘っ子を、順繰り、目を細めて眺めた。思案顔のそこへ、なあ、と声をかける。

「せめて最後くらい、相棒と一緒にいさせてくれねーか?」
「あら、意外ね」
「そうかい? ま、いくらお間抜けでお人好しで騙されて当然のおバカな相棒でも、相棒は相棒だかんね。俺くらい付き合ってやんなきゃかわいそーだろ?」
「……かわいそう?」
「そうだろ。さんざんぱら尽くしたあげく、最後は騙されて売られちまうなんてよ、」

いやぁ不幸だね哀れだね情けねぇね、と俺が謳うと、姉ちゃんの片眉がぴくんと跳ね上がった。

「ちょっと、なにか勘違いしていないかしら? 私達は人攫いでも人買いでもないわよ」
「ほー、そいつは初耳だ」
「……あんた、わざと言っているでしょう」

剣のくせに生意気ね、とはヒドイ言い草だ。

「いやいや、俺にはお前さん達が何をしようってのか、てんでわからねぇんだけどな。しかも、こんなやり方でさ」
「しかたないでしょう、『必要なこと』だって言うんだから、」

と言葉とはうらはらに、姉ちゃんは険しい視線を戸口の方へ送る。先刻、そこから出て行った曲がった背中を睨みつけるように。

「へぇ、そうかい」

俺の相槌に、姉ちゃんはチッと舌打ち。それからあたりを憚る声で、低く囁いた。

「悪いようにはしないわよ。信用なさい」

それきり、くるりと俺達に背を向ける。代わりに近づく店主は、見た目そのままの大した腕力で俺と相棒を軽々と担ぎ上げた。

――やれやれ。

その間も、娘っ子は静かだ。静かに、よい子で眠っている。声をあげることもできずに。

――それはこの娘をこんな目に遭わせてまで、やんなきゃなんないことなのかねぇ?

***

***

疑問が、意識の底からぼんやりと浮かび上がる。

――ここ、どこ――

どうも、木の板の上に寝ているようだった。しかもそれが、ごとごとと動いている。体に触るその固い感触に、たとえようもない嫌悪がわきあがった。

――どうして――

夢うつつの頭で思う。

――ゆかは――イヤ――

イヤなことを思い出すからだ。そういえば、この、半分起きているような眠っているような状態も、なにかに似ている。そうだ、

――くすり――

眠らされたのだ、と思いつく。しかしその後に、眠気でかすみがかった思考が気にしたのは、その理由よりも、『どうして薬が効いているのか』ということだった。
幼いころのことが原因で、この体は薬との相性が悪い。全然効かなかったり、無駄に効き過ぎたり、無闇に気分が悪くなったりする。 だから、それをよく知らないと――でも、あのひとはそれをよく知っている――そう、

――せんせいが――

睡魔に侵されて、思うように働かない頭も、ようやくそのことを思い出した。

――おわかれだって――

起きなきゃ、と思う。けれど、体が動かなかった。動けなかった。動かそうにも、自分の指先ひとつ見つけられなかった。

――どうして――

かすかに意識はあるのに、たしかに感じているのに、意識と体を繋ぐことができない。深い眠りの底に見事に沈められていて。さけびだしたいような焦燥感も、眠りこける体には届かない。

――……なのに――

床の上にうずくまって、何もできない。手を動かすことも、声をあげることも、まともに考えることも、できない。まるで、あのころみたいに、

――ねぇ、どうして――

次々とわきあがる思いは声にもならず、次々と泡のように消えていった。もがけばもがくほど、意識は深く墜ちていく。

悪夢に閉じこめられる。








……いつから、そこにいたのだろう。気づけば、奇妙な場所にいた。

どこかの部屋だった。そばには、しっかりとした作りの壁があった。すきま風が抜けたり、手で押せばガタつくような板の壁ではなくて、石造に板と厚手の布を張った、きちんとした壁だ。
その壁に身を寄せて、『×××』は床にうずくまっていた。まるで動物みたいに。
持っているのは、正体のわからない臭いがしみついた古びた毛布だけ。丸めた体をそれでくるんで、巣ごもりしたケモノみたいに、そこにじっとしている。片手は毛布のはしっこを握りしめて、もう一方の手は口の中。柔い歯が、時折思い出したようにその指や甲を噛む。

そうして、その場所から動かない。

いつも、いつまでも、そこでじっと丸まっている。部屋のかどっこのすみっこに陣取って、そこから動かない。動けない。動いちゃいけない。この固い床と壁から、離れちゃいけない。
幼子特有の頑固さで、×××はそう決めていた。だって。

――だって、まっくらだ――
――ここは、まっくらだ――

塗りつぶした筆のムラも見えないほど完璧に、その部屋は黒一色に染まっていた。床も壁も、触れているところ以外はあまりにまっくらで。その先が、ほんとうにあるのかどうかもわからない。
たしかに、いつかはあった。だから、今もあるのかもしれない。けれどもしかしたら、そこにはもう何もないのかもしれない。

だから、動けない。

放っておくとすぐに震えだす手を、がしがしと歯で懲らしめる。口の中の感触と、指の痛みだけに集中して、それ以外のことから目を逸らす。身のまわりで、ぽっかりと虚ろな口を開けて待ちかまえている『それ』に気づかないふりをする。
それでも、時と共に汐が満ちるように、徐々にそれが迫ってくることはあった。やってくる。ひたひたと×××を脅かす、暗闇、恐怖――その、ほんとうの『意味』。
でもそんなときも、意識を飛ばしてしまえばそれで済んだ。
難しいことじゃない。ほとんどいつも、頭はかすんでいて気怠いようだったし、ほとんどいつも、部屋はそうするのにふさわしかった。

――ねむい――

断続する意識。深い眠りと短い覚醒のサイクルに無抵抗に身をゆだねる。かすみがかった頭は言葉も持たない。だから、それも苦ではなかった。 眠り続ける。逃げ続ける。――願いを言葉にさえしなければ、叶わないことにも気づかないふりをしていられる。

――ねむれば、あさがくる――
――あさがくれば――

眠り、目が覚めて。あたりはまっくらのままで、また眠る。その繰り返し。いつも、いつまでも。


――馬鹿共が焦ってやりすぎたのさ。脳みそをまるごと秘薬のプールに漬けたようなもんだ。まともでいられるわけがない。


――かゆい――

頭がむずむずとして、ひとり、不快感にうなる。どうにかしたいのに、顔にぐるぐると巻きついた布きれがじゃまをする。けれど片手は毛布を掴んでいないといけないし、もうひとつは噛むのにいそがしくて。
こらえきれずに、手近な壁に頭をこすりつける。ごしごし、と布きれをこすりとろうとする。
けれど、うまくいかない。
疲れて、飽きて、床に頭をおろし、そのまま丸くなって眠る。布の奥ではいつまでも、むずむずと、ちいさな虫がうごめくような感覚が続いている――。

――秘薬が効かなかったそうだ。魔法を『拒絶』したんだろう。わからなくもない話だな。
――わからないか?……そんなもの、『気持ち悪い』からに決まっているじゃないか。








……断続する意識の狭間で、思い出す。 それが、はじまりだったと。

――あのころ――

顔にケガを負って、頭は薬でまともに働かず、時間さえ見失っていた、あのころ。

いつも半分眠っているみたいで、ものを考えたり、なにかを伝えたり、喋ったりすることもできなかった。『目が無い』ということもきちんと理解しないまま、どうして自分がそこにいるのかもわからずに。『まっくら』な部屋の中ですみっこにうずくまっていた。
動くときは床と壁の両方に触れながら、のろのろと這う。高いところがおそろしくて、突然ぶつかる何かがこわくて、そもそも萎えた足は立ち上がることもまともにできなくて。いつもケモノみたいに床で眠っていた。床の上は固くて、冷たくて、イヤだったけれど……。
その思いをかたちにすることもできなかった。

何もできず、 何の役にも立たず、何の存在価値もない。

――でも――

暗闇に身を横たえながら、思う。もう、それは終わったはずよ。もう、×××にはちゃんと『ある』はず。

――なのに、どうして――

ちりちりと焦げるような痛みに、息が詰まる。押し潰されるような不安に、こころが軋む。


――また、あそこにもどるの――
――また、すてられるの――


どろり、と底の底の方からなにかが溢れた。








……目が覚めても世界はまっくらのままだった。
どこまでも夜は続き、いくら気づかないふりをしても、悪夢は終わらない。むしろ、目を逸らし続けるうちに、それはどんどんと大きく、膨れあがっていくようで。
夜のひとり寝に怯えても、子守唄を歌ってくれる乳母はいない。悪夢にうなされても、名を呼んで恐怖を追い払ってくれる姉やもいない。からっぽの闇に呑まれ、そばにあるものは古びた毛布と固い壁と床。それから、

その『声』だけ。

――君、とりあえずコレを自分で食べてみたか?……そうか……人選を誤ったな。
――ああ、いい。どうせ、お遊びだ。それより、こいつら全部に『固定化』をかけておいてくれ。もちろん、今日中だよ。

歪んだ揺りかごで眠り続けていると、時折まっくらの向こうからそれが聴こえた。
低く、饒舌な声だった。その声は、たとえばだれかと話をしていた。相手の言葉はまるでわからないのに、その声の発する言葉だけは妙にはっきりと届いた。
もちろん、その話の中身を理解するほどのチカラはない。それでも、その声はその場所でたったひとつだけ、『意味のあるもの』として、響いていた。

――ふむ。確かにその理屈はもっともらしい。だが、君は『偉い人間』というものを思い違いしているな。
――いいか、偉い人間ってのは、そもそも『何もしない』から、偉いんだ。汗水垂らすことなく、杖ひとつ振らず、頭と口だけを動かす。そうして、自分の手足よりもたくさんの人間を自分の手足として働かす。それが偉い人間のあるべき姿さ。
――うむ、それも道理だ。心苦しい限りだよ。私がもっと偉くなれば、君に掛かる負担も減るんだがな。現状はこの通り、君にひとりで頑張ってもらわないといけない。
――と、いうわけで、あとはよろしく頼んだ。

それはいつのことだろう。飄々と話をしていた声が向きをかえて――近づいてきた。
そのときも、×××は壁に身を寄せたまま、がしがしと手に歯を立てていた。噛み続けられ、唾液でまみれた手はすっかりふやけている。

――ほら、やめなさい。

その悪癖を指して、声は言った。べとついた手を掴んで口の中から引きはがし、代わりに『それ』を与える。

――さあ、これを持ってごらん。

長い棒きれ。木の杖。子供の指でもじゅうぶんに掴める太さのそれを、きゅっと掴む。すると、勝手に口が動き始めた。何も考えないまま、かすみがかった頭で唱える。

……イ……ル、ラ……デ、ス……

やがて、ぼんっ、とどこかで音が弾けた。途端に声が笑った。

――そうだ、その調子だ。
――……やはり、お前は『規格外』らしいな。わかるか? 本来、『あるべきでない』ものなんだ。

なにかが触れる――大きくて厚い、乾いた膚の感触――頭の上に、てのひらが触れている。

――世界の道理から外れ、秩序を壊す。素晴らしい、素晴らしい可能性だよ。いったい、お前は何なんだ? この爆発にはどんな意味がある?
――なぜかな? 私はそれが知りたくてたまらないんだ。

話しかけられている内容はなにもわからない。呼びかけられるその『名』も、ただの音だ。けれど……、声がよろこんでいるのはわかった。

――さあ、小さな魔法使い。私にお前の正体を教えてくれ。お前にはなにができるんだ? お前のチカラは、なにを叶えてくれる? なあ、小さな『××』。

促されるまま、どこで覚えたかも覚えていない、音の連なりを口にする。まるで呪いのように骨の髄まで染みこんでいた文字達を、意味も知らずに唱える。

……デ、ソ……ラ、デ……ウ、カー……

ぼんっ、ぼんっ、と空気が弾ける。弾けるように、声が笑う。声を立てて笑う。

――そうだ、いいぞ。やっぱりお前は偉大な魔法使いだ。

それはとてもわかりやすいことだった。言葉を持たなくとも、理解できるくらい。

からっぽの闇の中、ようやく見つけたと思った。するべきこと。できること。ここにいるわけ。いてもいい、理由。
だからそれからは、それが全てになった。

……フ、ド、ル……エン……キュ、サ、サン……

失敗と成功を繰り返す。職人が技法を追究するように。あるいは、赤子が言葉を覚えるように。手当たり次第の試行と結果を積み上げて、最適な方法を探り出す。答えを、あのひとが一番よろこんでくれる答えを探して。
唄う。

……イ、フ、ラ……

そうすれば、きっと、悪夢は終わる。そう、信じていた。

……ソ、デ、ナ……ル、ィ、イル……アー、ルル、カー、……イ、タル、デ……



でも、そんなものはなかった。



よろこびが終わるのはあっという間だった。はじめ、声をあれほどよろこばせたあの音。けれどいつのまにか、いくら数を鳴らしても、大きく奏でてても、声はよろこばなくなった。

――これだけか? そんなはずはないだろう?……なあ、これだけなのか? ××。

居心地の悪い間に、失望が伝わってくる。

――できるはずなんだ。できなければ『おかしい』。お前は『規格外』なんだから。
――なあ、私の××。だって、そうだろう? ××は偉大な……、偉大な……、

声が遠ざかっていく。失せていく。静かになる。消えて。なにも、

――なくなる――

ただ床で眠っていたころよりも、ずっとこわくて、おそろしいものがそこにあった。 そして、もう逃げることもできない。

……イ、イル、フ、デ……

眠りを棄てて、昼も夜もなく、唱える。

……ラ、ソ……ララ……ラナ……デ、イ……

必死になって、唱えた。

……イ、イイル……ア、アス……ウ、カ、ノ……ッイ、ォッ……タ、デ……

だって、もうそれしかない。おうちも、なまえも、じかんも、ことばも、ひかりも、かおも、なにもない。なにもかもを失くして、このまっくらな場所でそれさえも止めてしまったら、ほんとうにゼロになる。

正しい答えは見つからないまま、ひたすらルーンを並べ続ける。(ときどき、無口な手が杖を取り上げようとする。それに引っ掻いて、噛みついて、抗う。杖を抱き込むようにして小さく身を丸める。)
そうして全身が底無しの沼にどっぷりと浸かるような夜を幾日も重ねたとき、ようやく、その唄が聴こえだした。混沌としたルーンの汚泥の中から、とぎれとぎれの、拙い唄が。

――きっと、これ――

本能で、確信した。

気づいてしまえば、簡単なことだった。唄っていれば、全て、ルーンが教えてくれる。どこになにがあるのか。そして、それらをどうすればいいのかも――。

くすくす、と暗闇に笑い声が響く。甲高い声。こどもの声。

――もう、こわくない――
――だって――

ルーンによって識らされたその場所は、ただの部屋だった。なにもない。こわいものなんて、なにも。

――どんなこわいものも、どんなまっくらなものも、ぜんぶ――
――こうやって、けしてしまえばいいんだから――



けれど、



――間違いだらけだったな。

憂鬱な声に、得意な気分は一瞬で消し飛んだ。冷や水を浴びせられたみたいに再び身は縮み、代わりに、いつものように震えだす手。すぐそばに、黒い影となって声が立っている。

――どうして――

その影に怯えながら、思う。言葉にならない思いを胸の内で叫ぶ。

――がんばったのに――
――ちゃんとできたのに――

けれど、その声はこの『魔法』を喜んではいなかった。ほめてはくれなかった。ただ、久しぶりに頭を撫でて、そして、背筋が凍えるような声で言った。

――まったく、馬鹿げた話だ。 どうしてこんな勘違いをしていたんだ。なあ?

嘲う、その不快な声を震えながら聞く。手は必死で、杖を握りしめている。すがるものなんて、もうそれしかない。

――なんで、私はお前を『××』だなんて思ったんだろう。

声はささやき、去っていく。いなくなる。なにもなくなる――…………



(ことばにならないひめいは、うつろなやみにすいこまれた)



***



……みじめで、情けなくて、理不尽な話だ。

けれど、今ならそれもわかるような気がする。それが、どれほど皮肉に満ちた『答え』だったのか。

闇の中で見出だした、ひとかけらの光。それが本物かなんて考えもせず、手をのばした。
きっと、悪意なんてなかった。憎むべき相手なんて、何処にもいない。
ただ、皆が皆、必死に探していただけ。果てない絶望から、逃れるすべを。
そして、ひとかけらの光を希望と信じて、手をのばした。

けれど、それさえもただの偽りだと知ったとき――立ち上がる力はもうない。




そのひとは『せんせい』と呼ばれていた。









[6594] ゼロとせんせいと 8の2
Name: あぶく◆0150983c ID:b1aa8c43
Date: 2010/04/18 22:17


――がっこう、か。懐かしい単語だな。……そうだ、×××××君。もしその魔法学院とやらを爆破したら、どうなると思う?
――だから、その宝物庫に爆弾を仕掛けるんだよ。それで、どかん、とね。吹き飛ばすんだ、何もかも。そうしたら、何かが変わるとは思わないか?
――何って……さあ、何だろうな? 実のところ、私にももうアレにどんな意味があったのか、わからないんだ。

居心地の悪い沈黙の後、声は笑った。

――ああ、すまんすまん、気にするな。ただの戯れ言だよ。ただの、誇大妄想狂の独り言だ。

***

***

意識が落ちるまでのわずかな間に、おれは思った。

――なんでだよ、先生……。

もちろん、おれだって知っている。底冷えするような先生の目。この目をしているときの先生は、いつだって『ルイズを守るために』真剣だった。
だから、きっとこれにも意味があるんだろう。なにかとても大切な、考えの足りないおれなんかが勝手に壊しちゃいけない、特別で大切な理由があるんだろう。
でも、どんな理由だって――、

魔法は、あの凶悪なまでに強烈な効き目を発揮して、おれの意識を刈り取ろうとする。それに逆らって、左手が騒ぐ。そこに刻まれたルーンが伝えてくる。

――ルイズ、

あいつが泣いている。ルイズが泣いている。ケガをして、目を失って、泣こうにももう『涙を流すこともできない』ルイズが、泣いている。
それだけで十分だった。おれには十分だった。どんなに立派で特別で大切な理由だって、こいつを泣かせていい理由なんか、あるわけがない。

――なあ、先生。ふざけんなよ。一度捨てられた子供にとって、置き去りにされるのがどれだけ恐ろしいか。 こいつがそれをどれだけ怖がっているか、知っているくせに。

おれは薄れゆく意識の中で必死に歯を食いしばりながら、手をのばした。精一杯、ただ、それにむかって。

――どんな理由があったって、その手は離すんじゃねぇよ!

そして。

(「――相棒も、すこしはわかってきたじゃねーか、」)

左手から響く、そんな偉そうな笑い声が聞きながら、おれは今度こそほんとうに眠りに落ちた。

***

***

――なあ、×××××君。 君は、この世界の不幸の原因を知っているか?

唐突に声が尋ねた。このごろにしては珍しくにこやかな声は、相手の答えを待たずに告げる。

――私が思うに、それは『魔法』だよ。

かえってきた反応にも、上機嫌に鼻を鳴らす。

――ふん、納得のいかない顔だな。まあ、最後まで聞きたまえ。

そして、饒舌に語り出す。

――いいか、『メイジ』という種の優良性は、『魔法が使える』、ただそれだけだ。それ以外の能力は、ごく普通の人間、平民と変らない。魔法を使わなければ、足の速さも頭の出来も、せいぜい人間という種の範疇でしかない。
――それは身体的な能力ばかりじゃない。
――尊敬すべき貴族ドモ。その中には、会ったことはないが、誠に結構な心根の持ち主もいるんだろう。だが同時に、こすからいケチの卑怯者もいるな。生まれつきの怠け者も、生真面目そのものの堅物も、他人を騙したり傷つけることに至上の喜びを覚えるクズもいる。偉ぶったカツラとでかいマントの下に詰まっているのは、高慢と偏見、欲望と嫉妬に、悲哀、誠心、その他もろもろといったところか。
――つまるところ、ただの人間さ。 それはもしかしたら、あの『とんがり耳』どもも同じかもしれんな。
――けれど、中身の出来に関わりなく、メイジとして生まれついた者には皆等しく『力』が与えられる。そして、それは絶対の差として君達を優位にする。

――『不幸』とはね、×××××君。本来力を持つべきでない人間が力を持つことだ。あるいは、持つべき者に力が与えられないことだ。
――そうじゃないか? 真っ当で善良な心根の持ち主であっても、平民に生まれついては何もなすことができない。それが不幸でなくて何だと言うんだ?

――この世界に必要なのは、『力の再分配』さ。
――誰にでも扱える力。生まれや身分に関わらず平等にその恩恵に与れる力。そういうものがあれば、この世界は変わるだろう。少なくとも、その力を善良な誰かが手にすることができたのなら、あふれる不幸も今よりは減るはずだ。そうだろう?

――ふむ、夢物語だと思うか? たしかに、今の有様じゃ千年経っても無理だろうな。目の前にある便利な力に胡座をかいて、より良いものを手にするために努力する気概もない。君達ときたら、ほとんど死んでいるようなもんだ。
――だがね、可能なんだよ、本当は。君達がもうすこしマトモに頭を動かして、もうすこしちゃんと世界を見ることを覚えれば、それは可能なんだ……。

しばらくしてひとつきりになった声が、衣擦れの音を立てて近づいてくる。

――やれやれ、アレはほんとうに扱い易い。そうは思わないか、××。

低い声で、内緒事を告げるようにささやく。相変わらず××と呼ぶ、その声から×××は顔をそむける。身を丸めて、頭を壁(……もしかしたら、床だったかも。でも、どっちでも同じ)にこすりつける。

――研究者という輩はどこもダメな奴らばかりだな。なんでこうも単純なんだ?

声はひとり、愉快げに笑う。

――『誰にでも平等に扱える力』? そんなものがどうして幸いに結びつくなんて信じられるんだ?
――力を得た人間がすることといったら、決まりきっているだろうに。壊して、脅して、争って、殺し合いさ。力が増えれば、戦う人間が増える。戦う人間が増えれば、死ぬ人間も増える。当たり前の道理だ。なあ?

ハハハ、と嗤う。 その声に呼応するように、頭の中でむずむずと虫がうごめく。同時にがんがんと鳴り響く。

――うるさい――

むずかっていると、不意に大きな手に頭を掴まれた。反射的に固まる。ぼろぼろの包帯とくしゃくしゃの髪に触れる、乾いた手。皺が深く刻まれたてのひら。
声は一方的に話し続ける。

――それともうひとつ、当たり前のことはな、もしもこの世界にそれが生まれれば、絶対に『メイジ』どもの株は下がるってことだ。それを連中のひとりであるアレが、自分の手で生み出すんだ。なんとも愉快な話じゃないか。

くっくっと嗤う。ひどく不快だった。言っていることの中身は相変わらずほとんどわからなかったけれど、その声の調子も、ごく近くにあるその口から漂う臭いも――ひたすら、イヤだった。

――うるさい――

きゅっと杖を握りしめる。奥歯を噛みしめる。どろりとお腹の底になにかが溜まっていく。息苦しさに開いた口の、呼吸が浅くなる。

――なあ、お前もそう思うだろう、××?

――うるさい――うるさい――うるさい――

なにかが溢れそうになったそのとき、先と同じような唐突さで手が離れた。それまでの軽薄さから一転する、声。

――もっとも、 どうせ無理だとは思うがね。

静かに呟く。

――いくらアレが百年にひとりの天才でも、一個人に世界を変える事なんてできやしないさ。

静かで冷ややかな嘲り。それは向きを変えていた。

――ン? ああ、なら、どうしてこんなことをするのかって? ま、言うならばただの嫌がらせだな。嫌がらせの八つ当たりさ。

そして、吐き捨てる。

――魔法なんて、くそくらえだ。

***

***

――やれやれ、たまんないねぇ。

馬車の中で、俺はひとり呟いた。

あれから俺と相棒と娘っ子は、この幌のかかった荷台の中に荷物と一緒に放り込まれた。それからずっと、がたごとと運ばれている。
厚い帆布で区切られた向こう、御者席にいる兄ちゃんは店主の知り合いらしい。呑気に鼻歌を唄いながら、時折鞭を鳴らす。その姿はごくありきたりな、土地の商人の風体だ。明け方のまだ暗い時間に、すべるようにひっそりと街を出た後は、延々と続く馬車道をのんびりと進んでいる。どこまで行くつもりなのか、特に焦る様子もない。
その歩みに合わせるように、今では外も、おだやかな陽に包まれていた。道端につまれた牧草はほどよく乾き、時折同じような荷馬車とすれ違ったり、追い抜いたり――なんとも牧歌的な光景だ。

そんな平和な道程の中、俺はといえば、じっと待っていた。

――もろもろ考えると、とりあえず今のうちにやっちまうべきだろうなぁ。

目的地がどんな状況なのかもわからない以上、あまり悠長にはしていられない。そう思いつつ、がたごとと揺れる車輪の音を数える。焦ったって何の意味も無いことも、重々承知していた。今は待ちの一手だ。

俺様にとって、待つのは大したことじゃない。
実際のところ、六千年の間で相棒がいた時間なんてほんのわずかだ。残りの時間、六千年のほとんどを俺はじっと待っていたと言ってもいい。鞘に押し込められたまま、戦場の片隅で、武器屋の暗がりで、俺はずっと待っていた。
あのあてどない時間に比べれば、ソレが与えられている今、この程度の時間は苦でもなんでもない。

けど、問題はそこじゃあないんだよな。

俺は相棒と娘っ子を見た。薄暗い荷台で、ふたりはその頭を並べて眠りこけている。寝息もひそやかに身じろぎひとつせず、熟睡しているのは確かだ。ちょいと見では、せまっ苦しい馬車の中、旅疲れの子供がふたり寝入っているようにしか見えないだろう。

――あーあ、たまんないねぇ、ほんと。

と、その一見穏やかな寝顔を前に改めて嘆息する。考えても詮ないことだが……。
俺は周囲をうかがう。変化はない。相変わらず、静かで平和で、ため息が出ちゃいそうなくらい退屈な道のりだ。……錆びちまいそう……。

――んー、とっておきの技を披露するときくらい、もうちょい派手な舞台がいいんだけどなぁ。

せっかくの機会なのに、とおどける俺は、ふたりと同じく床の上にいた。
寝入る直前に、がっちりと俺の柄を握りこんだ相棒の手は強張って、そうそう離れない。姉ちゃんの気まぐれ(と、たぶんちょっとした反感、だろうな)で、無理やり引き剥がされずにも済んだ。
けれど荷台にガキと抜き身の剣が一緒に転がっていたら、いかにも目を引いちまう。それで俺は、面倒がった男達に相棒の腕ごとぼろ布の下に突っ込まれるはめになった。隙を見てなんとか顔だけは覗かせたものの、 いまだに刀身の大半は、油染みと、なんだかよく分からん汚れのついた布っきれにまとわりつかれている。
なんともせつない衣装で舞台だ。

――でも、まあ、しかたないやね。

こんなことくらいで腐ってはいられない。なにせ俺様は伝説の使い魔『ガンダールヴ』の左腕、意思持つ魔剣『デルフリンガー』だ。相棒のためなら、どんな役目だって立派に果たす。

そう、俺様はいつだってニヒルでダンディーな名脇役なんである。


……。


……うん。ツッコミがいないと淋しくてイクナイや。


俺は改めて、相棒達を起こすことに決めた。

折しも、ようやく機会が巡ってきたところだった。
ガタンッ、と車輪が道端の石だかに乗り上げて、荷台が大きく跳ねる。その拍子に荷物の中から、ぱたん、ころころと転がる一本の棒きれ。その距離を慎重に伺う。

そして、ようよう近づいたとき、俺は爆睡する相棒の右手をゆっくりと『動かし』、その『杖』を掴ませた。

そう、これが俺の『とっておき』だ。ためこんだ力で、ほんのちょっとだけ使い手を操ることができる。なんでこんな機能があるのかはよくわからない。まあ、相棒風に言えば、便利なのはいいことだ。
前にも、これを使って身動きのとれなくなった相棒を助けたことがあった(ような気がする)。けど、滅多にやらない。ひとつ、でっかい問題があるからだ。それは――、

えらく疲れる。

しかも今はてんで力が足りない。姉ちゃんからの貰いもんに昔のしぼり滓までありったけかき集めて、やっとこさ腕一本ときた。

――ほんと、この相棒は全然俺を使ってくんねえからなー。苦労すんぜ。

なんとか掴んだ杖を引き寄せ、傍らの小さな手の上に落とす。不本意ながら、その地味ぃな作業ひとつで正真正銘身動きがとれなくなった。
こうなるともう、俺がやれることなんてほとんどない。せいぜい――呼びかけるくらいだ。

(「なあ、娘っ子。そいつから手を離すなよ」)

俺は声にならぬ声で言う。ふたりが眠りに落ちたそのときからずっと聴こえていた、その『声』のように。ルーンを介して呼びかける。

(「お前さんのいちばん大事なもんなんだろ?」)

夢の底の底に取り残された彼女に。ずっと、聞いているこちらの方が『たまらない』、そんな声をあげていたその娘に。
この手が届くように。

(「さあ、そんな夢なんざ、とっととうっちゃっちまえ。さっさと目を覚ませ。なあ――」)

***

(「×××!」)

***

――ほんとうの名を呼ぶ者はいない。

かすれた声が、からっぽの部屋に響く。

――うるさい――

身を丸めて、毛布で頭を覆っているのに、その声ははっきりと聞こえてくる。

――親は、捨てた。家と呼ぶべき場所もない。

嗤う。白々しく、声を立てて笑う。

――うるさい――うるさい――

頭が痛い。杖を握りしめる。きりきりときつく。それ以外に、何もしない。考えない。

――今、何歳になった? それすら忘れた。

口を開けば、息が臭う。嫌なにおいだ。

――うるさい――うるさい――うるさい――

それでも何も考えない。何も――『そのこと』を――思いつかないように、必死に歯をくいしばる。

――もう何も覚えていない。

けれど、知っている。この不快感を『解決』する方法を。だけど、それは、

――だめ――だめ――だめ――

頭の中を小さな虫が這いずるような、いつもの嫌悪感に皮膚が泡立つ。

――この部屋の中で、自分のものと呼べるものなんて、何もない。

息苦しさと鳴り響く頭痛、どうにかしたいのに、逃げ場もない。“なら、ソレを――”

――カンガエチャイケナイ――

(「――すな!――」)

杖を握りしめて、必死に耐える。喉が詰まる、息苦しさ。出口のない、苦痛。そういうものを、必死に抑え込んでいるのに――、

――からっぽだ。がらんどうのからっぽだ。

その声はいつまでも、

(「――おい――」)

止まなくて、

――うるさ――

(「――だろ――」)

……。

別の不快感が頭をよぎる。

(「――おーい。いつまで寝てんだい――」 )

……なに、この偉そうな声。

――うるさい――

(「無視すんなって。淋しくなっちゃうだろ――」)

――うるさいってば――

(「まったく、なんでこんなとこまで意地っぱりなんかねぇ……」 )

――ちょっと、なんなの――

(「おーい、お寝坊嬢ちゃん、いじっぱりのぺちゃんこ娘、」)

――う、

(「さっさと目を覚ま――」)

「うるさいうるさいうるさーいっ!!」

さっきからいったいなんなのよあんた、と思わず声の限りに叫んだ瞬間、

「おおっ!?やっと、気づいたか!ルイズ!!」

それ以上の声が返ってきた。

――う、うるさっ、

「ちょっと!静かにしなさいって!!」

そう、目の前のバカを叱りつけてから、はたと我に返った。あれ?

――なんで――

「なんであんたが、ひとの夢ん中にいるのよ?」

疑問が、思考が、あっさりと『言葉』になる。黒髪黒目の少年が、それにとぼけた顔で答える。

「そりゃあ、愛の力ってもんじゃないかね?」
「……消すわよ?」

反射的に脅しても気にした様子もなく、おっかないねぇ、と笑う。その顔はいつか見た『記録』の記憶通りで――。

「じゃあ、ルーンの力ってことでどうだ?」

なぜか『サイト』の姿をしたデルフリンガーが、飄々と答えた。

「どうだって……適当ね……」

色々と呆れながら――同時に夢の理不尽で受け入れてしまいながら――言葉を返す。

「あんた、全部それで済ます気?」
「おう。つまり、お前さんの『魔法(チカラ)』ってことだ、ルイズ」

彼は、にっと笑って、その手を差し出した。

「必要だから、よんだんだろ?」
「…………」

なんでアンタなのよ、とか、なに格好つけてんのよ、とか、ちらっと頭の片隅で思う。けれど。

暗闇の中で差しのべられた、その手を。
呼びかけられる、その名を。

「……そうね」

わたしは『しぶしぶ』それを取った(――意地っぱり、とわたしの中のわたしが言う)。

掴む。
力強い手の感触を――触れられた自分の指先を感じる。泥濘から引き抜かれるように、その手を支えに立ち上がる。もう一方の手には、杖。どんなものよりもこの手に馴染むそれを、きゅっと握りしめる。それから、しっかりと背筋を伸ばした。
たった、それだけのこと。

それだけでセカイはひらける(それくらい、ちゃんと知っていた)。

「……ほんとうにからっぽね」

呟く。そこはやっぱり、ただの部屋だった。窓もない四角い部屋には、本当にもう“なにもない”。その中央で黒い影がうごめいている以外は。
何の色も持たずただ黒い、その影を見て、デルフリンガーが尋ねる。

「なあ、こいつは、なんだい?」
「『せんせい』よ」
「ふーん。せんせいってのは二人いたのか?」
「ええ。わたしもすっかり忘れていたわ、」

デルフリンガーと並びながら、その声を聴く。
声は語る。

――お前は私と同じだな、小さな魔法使い。
――なあ、お前も魔法が嫌いだろう? お前をこんな場所に閉じこめた、一番の原因だ。魔法なんてものがなければ、お前はこんなところには来なかったはずだ。
――「魔法が憎い」「世界が憎い」「私をこの場所に閉じこめるものが憎い」「全てを消して、何処かへ逃げたい」 それが望みなんだろう?
――そうだ、ずっと、『此処ではない何処か』に己の居場所があると信じているんだ。虹の彼方のおとぎの国を、ガキみたいに思い描いて。けれどいつまでもその場所は見つからない。だから、『其処ではない此処』を壊そうとして。
――そうしたら、本当に『新しい世界』が手に入ったな。 単に、元いた場所から弾き出されただけ、とも言うが。

くっく、と小さく嗤い声をもらす。背中を大きく丸めて、苦しそうに息をしながら、嗤う。
その様を見て、デルフリンガーが正直な感想をもらす。

「なんだい、ずいぶんと陰気な『先生』さんだねぇ」

思わず、苦笑いが出た。
まったくだわ。
わたしも当時はずいぶんと苛立たされたものだ。『彼』の言動は理不尽そのもので、与えられるものは不愉快ばかり。イヤだった。嫌いだった。憎んでいた。
でも、今なら、それも少しわかるような気がする。どうしてわたしにあんなことをさせたのかも、全部――。

「あのね、」
「うん?」

その影を『見』つめたまま、告げる。

「このひと、わたしが一番初めに殺したひとなの」
「へえ、そうかい」

わたしの告白に、デルフリンガーはあっさりと頷いた。わたしは黙って、その手を握りしめる。 杖と、手と、ふたつをそれぞれに握りしめたまま、その場面が訪れるのを待つ。


影が『わたし』に向かって手を伸ばしていく。闇の中でただ震えるだけの子供に、それに抗うすべはない。

――さあ、『偉大な魔法使い』。

杖を掴む手。強い力で押さえつけ、ささやかな抵抗などものともしない。そうやって杖先を押さえて、言う。

――私の望みを叶えてくれ。

子供は震えながら、それを拒む。

――イヤ――

けれど、声はゆるしてはくれない。はなしてはくれない。
だから、『わたし』はそれをした。それから逃れるために、わたしにできる唯一のことをした。そうすればきっと、この嫌な声も止んで、この苦しい時間も終わるから。

――ヤメテ――

小さな声が闇に響き出す。言われるがままに、かすれた声は唄い出す。闇の中に白い光が生まれて、その影を呑み込む。そして、なにも残らない。なにもない。影は消え、わたしはわたしの中からもその存在をゼロにしてしまう。そして、

ひとつの『満足』だけが残る。

――できた――

なんて、みじめで、情けなくて、どうしようもなく……哀れな話。

「……馬鹿ね、」

呟くわたしの思いとは裏腹に、ひとり残された子供の顔には笑みが広がっていく。

――ちゃんと、できた――

満足げに、「もう、やくたたずなんかじゃない」と。――自分のしたことの意味も知らないくせに。
それでも、確かにそれだけが、わたしに『できた』ことだった。

……きっと、しばらくしたら、からっぽになったこの部屋にもうひとりの彼がやってくるんだろう。そして、わたしはそのひとに、つまり、せんせいの弟子だった『ジャン・コルベール』に拾われる。
新しく差しのべられた腕の中で、捨て子が考えることはひとつだけだ。“もう二度と捨てられないように”、わたしのチカラを、『役に立つ』ことを見せないと。

そうだ。だから、わたしは『杖』になろうとした。

…………馬鹿みたい。ほんとうに。間違いだらけじゃない。わたしも、あのひとも。

自分を皮肉って、笑い飛ばそうとして――でも――頭の中を痛みが貫く。

――イヤ――

闇は重さを増して、わたしはうずくまる。再びどろりとした闇に沈んでいく、わたしを――その手だけがいつまでも離さない。 力強い手。サイトの手。わたしの使い魔――わたしが魔法で『この世界へと喚んだ』少年の――、

――イヤ――

闇に紛れて、ぽっかりと口を開けていた『落とし穴』――暗い淵から声がよみがえる。

――なあ、小さな魔法使い。やっとわかったんだ、本当の望みが。

ゼロになったはずの記憶の中から、低い声が言う。

――モウ、イヤ――ヤメテ――

過去の罪過から、自分の思考から、わたしは耳を塞ごうとする。けれどふたつの手はふさがっていて、それもできない。
その手と杖の、どちらも離すことができない。

――望みを口にすることさえ怖かった。叶わないことを知りながらそれを願うには、あまりに切実過ぎた。けど、もう気づいてしまったんだ。

憂鬱に満ちた声が告げる。 歪んでしまった声が言う。

――もう、逃げられない。

――イヤ――イヤ――イヤ――

追い詰められた子供が、とうとう泣きだす。――否、泣きたいのに泣けないまま、ただ声をあげる。行き場のない感情は、どろり、とどこまでも身の内に溜まって。どうやったら、この溢れる感情を消すことができるのか。わからないまま、苦しみ続ける。

――……けて――

言葉にならない声は虚ろな闇に吸いこまれた。どこにも届かず、だれにも気づかれず消えていく。
そう思っていた。


そのとき、歌が聴こえた。


――“---------------”

かすれた低い声が、空気を震わせる。ささやくような静かな声に、一時、悲鳴を止めて、耳をすませる。
ほとんど高音は出ていない。そのせいで、メロディはとぎれとぎれだ。それでも、まるで子守唄のように優しいその旋律は、子供の心を奪った。

――“----------------”

懐かしい、と素直にそう思った。わたしは傍らの少年に尋ねる。

「……ねえ、この歌、知ってる?」
「いんや」

デルフリンガーの簡潔な答えに、わたしは首を振る。尋ねたい相手は、彼じゃなかった。
後で、訊いてみようかと頭の片隅で思う。 けど、すぐに難しい問題に気がつく。尋ねてみようにも、この歌はわたしには『歌えない』のだ。

――前にこれを聴いたときも、そうだった。わたしは自分でこの歌を歌ってみようとしたけれど、できなかった。それどころかまごまごしているうちに、手のひらから水がこぼれるように、失われてしまった。
『歌えない』、そのわけも今ならわかる。耳で聴いたメロディと頭の中で理解した歌詞がばらばらだからだ。メロディはもともと不完全、声は聴くそばからこぼれていく。うろおぼえの記憶でなぞろうにも、言葉が続かない。だから、歌えない。

そして、ただでさえ忘れたかった頃のこと。そんなささやかな想い出だけを保てるはずもなく、そうして記憶からもこぼれ落ちるまま、それきり、すっかり無くしたはずなのに――。
それでも、ちゃんとわたしの中に残っていたらしい。その言葉も、音も。

魔法を使わなくてもよみがえる、夢の不思議に意識を奪われていると、デルフが言った。

「んで、何て歌なんだい?」
「……さあ、わたしも知らないわ。詞の意味だけはわかるけど」

それは変と言えば、変な話だった。歌えない歌であっても、なぞれない言葉であっても、その『意味』だけははっきりとわたしに届けられるのだ。彼の言葉がいつもそうだったように。

「こういう意味よ、」

思考を切り替えて、その歌に集中する。思い出す。――それは囚われ人の歌だった。灰色の世界に閉じこめられた者達の、美しい別世界に対する『憧れ』をつづった歌。
けれど同時に、『望郷』の歌でもあった。



「“虹のかなたにその国はあるという” 」



歌を止めて、声は言った。

――なんだろうな、この頃、よく昔のことを思い出すんだ。とうに忘れたはずのものばかり。女子供の見るcinemaだ、なんて言って、馬鹿にしていたはずなんだが。
――随分、昔のようにも、ほんの数ヶ月前のことにも思える。
――誰のいやがらせかわからんが、与えられたこの『新世界』で、ゼロからやり直すつもりで、それなりに頑張ってきたつもりだ。運も良かったんだろうな。思い出したくもない嫌な目にもあったが、なんとか、この場所を手に入れた。
――魔法なんてものが転がった馬鹿げた世界だが、所詮中世だ。猿ドモに知恵をつけてやって、好きなことをして遊んで、いつのまにか先生なんて呼ばれて……ほとんど詐欺みたいなもんだな。今思えば、それもそれなりに面白かった気もするよ。でも。

――もう、飽きた。

それは何かを諦めた声だった。(もしかしたら、かつて自分に杖を向けたという子供のように)叶わぬことを知りながら、努力し続けることの無意味さに疲れ果て、何かに押し潰されたひとの声だった。

――なあ、私の『オズ』。認めるよ。私はただ『帰りたかった』だけなんだ。……ずっと、望みを口にすることさえ怖かった。叶わないことを知りながらそれを願うには、あまりに切実過ぎた。お前の魔法はこの世界の道理から外れている。だから、もしかしたら、と思ったんだな。
――わがままに付き合わせて悪かった。

手を伸ばし、そっと子供の頭を叩く。ぽんぽん、と泣く子を宥める。

――ほら、泣くな。傷が痛むんだろう?……参ったな、私にガキの面倒なんか見られるわけがないだろうに。だから、あの男にうまいこと押しつけようと思ったんだが。

その挙動に、びくびくと怯える子供に苦笑して、また歌う。かすれた声で、優しい歌を。


“虹のかなたにその国はあるという。
いつか子守唄に聴いた、おとぎの国。
そこは全ての夢が叶う場所”


――結局、物語は正しいな。どれだけそこが美しくとも、そこが自分の世界じゃない以上、結末は同じなんだ。たくさん冒険して、色々な過ちを繰り返して、手にしたものと同じだけ失って。そしていつか、かかとを三つ鳴らして帰らなきゃいけない。いつか、己の在るべき場所に気がつく。どれだけ否定しようと、それが『ホーム』だ――、

声が不意に言葉を途切れさせ、激しく咳き込む。嫌な咳だった。口を開けば、病んだ内臓が臭いを放つ。
けれど、彼は彼の呼ぶところに『ヤブ医者』達に助けを求めようとはしなかった。
だって気持ち悪いじゃないか、と駄々をこねる子供みたいなことを言う。魔法なんてわけのわからないものを私の体に近づけてはほしくないね、と。
わかるだろう?と同意を求められても、唯一の聞き手はそっけなく顔を背けるだけ。それでも、そこから離れようとはしない。みじめで、情けなくて、どうしようもなく哀れな……、それは『迷い子』同士のシンパシー。

――なあ、小さな魔法使い。それでもやっぱり、私にはお前しかいないんだ。……しかたないだろう。カンザスの少女ならともかく、カンレキのジジイじゃな。ルビーの靴なんて似合わないんだ。だから、頼むよ。

自分自身にしかわからない冗句を言うように笑ってから、杖をつかんだ。そしてわずかな抵抗など苦にもせず、杖先を『自らに』向けさせる。

――私の望みを叶えてくれ、偉大な魔法使い。

子供は言われるがまま、ルーンを唱えだす。その声は、小さく震えている。そこへかぶせるように、彼は言う。

――なあ、お前もいつか、お前の世界を見つけられるといいな。いつか。私のようになる前に。

闇に光が膨らんでいく。ふ、と声が小さく笑う。

――そう心配することもないか。あの話でも、本当に魔法が使えたのは女達だけだった。男は皆、頼りない奴ばかりで……。そう、だからきっと、お前にもできるはずだ。

――さあ、『ルイズ』。立ちなさい。そして、かかとを三つ鳴らしてごらん。おまじないだ。お家に帰るためのおまじないだよ。

光は、うそぶき笑う黒い影を包み込む。そして、

――いつかお前は、帰れるといいな。




(もう、なにもない。)




***

「…………そういえば、あんたはどうしてここに来たの?」

わたしの問いかけに、んー、とデルフリンガーはのんびりとした口調で答えた。

「まあ、疲れるから、あんまりやりたくなかったんだけどな。相棒に頼まれちゃったし、娘っ子にも借りがあるからなぁ、」
「……借り?」
「おう。あんときは、気づかなくて悪かった」
「?」

彼の視線を受けて、わたしはふと顔に手をやる。そこには『包帯』が巻かれている。今の『わたし』を形作る、もうひとつの象徴。
それで、思い出した。

「ああ、王都の馬鹿貴族のこと? 別にいいのに。いまさら気にしちゃいないから」

むしろ感謝しているくらいだ。あのタチの悪い『夢』から醒ましてくれたのだから。
けれど、デルフリンガーは眉をひそめて言う。

「それでも、盾が主を守れなかったのは恥なのさ」
「……わたしは別に守られたいわけじゃないわ」
「しゃーないだろ。俺達は盾なんだから」
「あ、そう」

わたしは鼻を鳴らす。まったく、男って――。
そして、自らを省みて、嗤う。……わたしも同じか。

ようやく覚悟が決まって、尋ねる。

「ねえ、せんせいはなんで、こんなことしたのかしら? わたしに『おわかれだ』なんて――」

答えは簡潔で、そして決定的だった。

「精神力を溜めさせるため、とか言ってたぜ」

わたしはその言葉に、その意味するところに、再びうずくまってしまう。うめき声をあげて、頭を抱える。ああもう、なんで――、

「……せんせいの、ばか」

そんなわたしに、大丈夫かい?とサイトの顔をしたデルフリンガー。思わず、うるさい、と尖った声を返す。すると彼は本当に黙り込んで、わたしはそれにますます苛立ってしまう。

「訊かないの?」
「なにをだい?」

意地悪な返答に、口をへの字に曲げる。しかたなく自分から言った。

「あのね、力、ほんとうはすぐに溜められたの。知ってるから、」
「へえ?」

ひとの精一杯の告白だってのに、ボロ剣の反応は相変わらず鈍い。

「だ・か・ら! サイトを帰すための、精神力よ!わたし、その溜め方、知っていたの」
「ふーん。んで?」

……この、バカ剣っ。

「もう、いいわよ!」

ぶちっとキレたわたしに、気づいているだろうに、デルフリンガーは呑気だった。

「単に、別れたくなかったんだろ? 別にいいじゃねぇか、そんくらい。相棒は怒らないよ」
「う、ううううるさい」

――っていうか、その顔で言うんじゃないわよ!

「気にしなくても相棒なら、おねんね中だぜ?ま。お前さんを泣かせたヤツはどこだって、すげぇ怒ってるけどな」

にしし、とちょっと間の抜けた顔の少年は、それにふさわしいお気軽さで笑う。もう、こいつらって……。

うー、と唇を尖らせながら、わたしは思う。

……結局、サイトが一番正しいのかもしれない。

甘やかされた子供。浅はかで間抜けなお馬鹿。 いびつさなんて何ひとつなく、影なんて持ちもしない。真っ当な愛情をそそがれて、真っすぐに育ってきたひと。

――ゆがんでほしくない――
――おれてほしくない――

ええ、『だから』、わかっている。

「しかし、センセイさんも案外娘っ子に厳しいね?」
「……そうね」

言われて、なんだか嫌な感じがして、わたしは顔をしかめる。

たしかにわたしも悪かったと思う。けど、わたしだってちゃんとわかっている。サイトは、かえらなきゃいけない。かえさなきゃいけない(――だって、かえりたい、とあのひとはいった)。
それは絶対だ。

でも、こんなやり方で、だまし討ちみたいに眠らせてまで――精神力を溜めさせる――ほんとうにそれだけなのかしら?
しかも、デルフによると、わたし達は今どこかへ向かって移動させられているらしい。

「せんせいってば、何を考えているのかしら」

もやもやとした気分で首をひねるわたしに、デルフが言う。

「そういや、お前さんのこと『も』『帰す』とか言ってなかったか?」
「は?……なによ、それ?」

わけがわからなかった。どこに帰ると言うのだろう(トリスタニアの『お家』も、もう『消して』しまったのに――)。

急速にわき上がる、ちりちりと痛いような焦燥感に急かされながら、わたしは思う。捨て子根性が再び頭をもたげる。

約束通り、ちゃんとサイトを帰して――そうしたらまた、ふたりで暮らすのよね?――今まで通り、何も変わらずに――それとも――それとも――もう、わたしのことも――、

「さあ? 当人に訊いてみればいいんじゃないかい?」
「……そ、そうね」

絶妙のタイミングでデルフに水を差されて、わたしは意識をずらす。あ、もしかしたら……と次に思いついたのは、最悪から二番目の可能性。

せんせい、ひとりで『おしごと』に行ったんじゃないかしら?
――ああ、きっとそうだわ。

そう思いこんだら、いつまでもこんなところでのんびりとはしていられなかった。

「行かなきゃ」

呟き、今一度、その言葉を噛みしめる。

『だって、わたしはせんせいの杖なんだから』

そうよ。どれだけみじめで、情けない、間違いだらけの『はじまり』だったとしても、それはわたしが自分で選んできたこと。それをいまさら変われるわけがない。かえれるわけがない。

だって、わたしの世界は他のどこでもない、『ここ』なんだから。ここでせんせいと一緒に生きていく。それ以外に行く場所なんて――ない――。

わたしは気が急くまま、夢の中で杖を回した。くるり、と自分の顔に杖先を向ける――。

***

***

ぼんっ、とちょっと間の抜けた音がした。

いつもの“音だけ爆発(おしおき)”だ。そう思った途端、飛び起きていた。

――おれ、また何かしたっけ!?

あわてて、周囲をきょろきょろと見渡す。あれ? 寝惚けた頭で首を傾げる。ここ、どこだ? いや、そもそも、どうしておれ寝てんだ?
そこでようやく、目の前のルイズに気づいた。ルイズは、いつもよりずっと色の薄い唇をちいさく噛んで、俯いていた。

「おい、どーした? 大丈夫か?」

のんきに尋ねるおれを無視して、ルイズは手を伸ばす。その白い手で、おれの上着を掴む。

「ねえ、サイト――」
「うん?」

「お願い、わたしをせんせいのとこまで連れてって」

その瞬間、背中を思いっきりぶっ叩かれたみたいに、ばちっと目が覚めた。

***

***



There is no (place like) home./ Wake up!×3




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