「おう、デルフ。こんなとこにいたのかよ、」
「遅えよ、相棒」
見事に木の幹に突き刺さっていたボロ剣があくたれる。
いいなぁ、お前。元気そうで。
こちとら先生のお説教とルイズのご機嫌取りで身も心もぼろぼろだよ……。
うつろな目を愛剣に向けたら、そばに女の子がいた。この村の娘だろうか?黒い髪と瞳がはじめて会うのに、どことなく懐かしい。
いや?どっかで会ったかな?
「えーっと、はじめまして、だよね?おれは才人、平賀才人です。あ、もしかしてうちの剣が迷惑かけた?」
「い、いえ、そんなことは」
「そんなら、よかった。ほいじゃ、回収してくね」
よっと左手で引き抜くと、なぜか、その娘が目を見開いて驚いている。
すごい、ってなにが?
「その嬢ちゃん、俺のことが抜けなかったんだよ」
「ああ、そっか」
確かに柄深くまで刺さっていたし、女の子の腕力では難しいだろう。
まあ、おれの場合はこれもルーン効果でしかないんだけど。
そうとは知らない彼女は純粋な尊敬の目で、おれを見上げてきたりして――。
「あの、すこしお時間をいただけませんか?わたし、その、お聞きしたいことが」
「ややだなぁ、そんな、かしこまらないでよ。え、なに?なんでも聞いて?」
ちょっと舞い上がったおれ。我ながらカンタンなヤツ。
ところが、彼女の質問は予想外のものだった。
「どうしたら、わたしも貴方みたいに強くなれますか?」
「え?」
「なんでもこの嬢ちゃん、衛士になりたいんだってさ」
「あ、家族には内緒にしてください。心配しますから」
衛士?衛士ってあれだよな。街ん中でパトロールしてる軍人みたいな。
おれは思わずじろじろと見返してしまった。肩口までの黒髪をおろした彼女は村娘らしい、草色の木綿シャツに茶色いスカート、木靴という出で立ちで――。
うん、あのキュルケって貴族も美人だったけど、おれにはこういう素朴な感じの娘の方が……いや、そうじゃなくて。
「なんで君みたいな娘がそんなもんに」
「その……憧れなんです……」
恥ずかしそうに顔を俯かせて答える彼女。それは、可愛いんだけど……。
なに?こっちの世界の女の子って、皆、強くなりたいの?
わからん、と首をかしげるおれ。
「それに強いっつっても、おれよりルイズの方がよっぽど強いしなー」
おれのは所詮ドーピングだ。
「ルイズさま?あのブロンドの貴族様ですか?」
「そ、桃色の。あ、でも貴族じゃないよ、今はおれらと同じ平民ね」
それを聞いた彼女の顔が曇った。
「同じじゃないですよ」
「ん?」
「同じじゃないです。あの人達は、魔法が使えるんですから」
そう言いながら、どこか昏い瞳をした彼女。
わけがわからないままに、なんだか放っておけなくて、おれはその傍らに腰掛ける。
すると彼女は視線をそらしたまま、こんなことを訊いてきた。
「貴方は、イーヴァルディの物語を知っていますか?」
***
むかしむかし、邪悪な竜に苦しめられていたある村に、イーヴァルディという名前のひとりの若者がやってきました。
***
気がつけば、わたしは見知らぬ少年に物語をまるまる一回分、語って聞かせていた。
彼はどうやら本当にこの有名な冒険譚を聞いたことがなかったらしく、まるで弟のように無邪気に耳を傾けてくれた上、拍手までくれたけど。
「きみ、上手いね」
「いつも弟に聞かせてますから、それで、その、わたし、」
けれど我に返ってしまったわたしには、もう言いたいことがうまく言えなくなってしまった。
だからといって黙っていたら、せっかく付き合ってくれた彼にも呆れられてしまいそうで。焦れば焦るほど、わたしは何と伝えたらいいのか、わからなくなってしまった。
そんなとき、
「俺、そいつのこと、知ってるぜ」
のんきな声で、デルフリンガーさんが言った。
「ほんとうですか!?」
「んなわけないって。ホラだよ、ホラ」
「ホラじゃないよ、ほんとだって。……まあ、俺の知ってる奴はイーヴァルディなんて立派な名前じゃ呼ばれてなかったけどな」
「やっぱしホラじゃねーか」
少年はまるきり信じていなかったけれど、わたしは何故かそれが本当だとわかった。
だから――。
「わたし、信じます。デルフリンガーさんのお話。だから教えてください」
「なに?」
「勇者に助け出された女の子のことです。彼女がどんな子だったのか――」
「あれ、勇者のことじゃないの?」
「だってわたし、どうしても気になるんです」
けれど、返ってきた答えは予想を超えたものだった。
「女の子ねえ?いたっけかな、そんなの」
「『ルー』ですよ!囚われのお姫様。物語のヒロインの」
「うーん、韻竜のじいさんと戦ったのは覚えているんだけどなあ」
「い、いなかったんですか?」
「たぶん」
「そんな……」
絶句してしまったわたしの隣で、少年があわてた様子で口を挟んだ。
「な泣くなよ、憧れのお姫様が実在しなくてがっかりするのはわかるけど、おとぎ話なんてそんなものだろ?――いや、そもそもこんなのコイツのホラ話だし、な、」
「ないてません、なきません」
「そ、そう?」
「それに、別にお姫様になんか憧れてません。だってわたし、ルーのことだいっ嫌いですから」
「え?そうなの?」
少年は間の抜けた顔になった。かまわず、言いつのる。
「泣いてわめいて、そうしてくれば誰かに助けてもらえる、そんな無力で何もできない女の子なんて大嫌いですっ」
そんなわたしの剣幕に少年は完全に呆気にとられ。わたしも思わず叫んでしまった自分が恥ずかしくて……黙り込む。
その微妙な空気を再びのんきな声が破った。
「そんなに悪いことかねー」
「なにがですか?どこがですか?」
「おいおい、あんま突っかからないでくれよ」
「……ごめんなさい」
「まあいいけどさ。要はそんな子がいたから、その物語じゃあいつはご立派な名前を貰って勇者って呼ばれてるんだろ?」
「……」
「守る誰かがいないとさ、剣なんてのはただの人殺しの道具でしかないんだよ。後ろに庇う誰かがいて、初めて盾になるのさ」
「デルフリンガーさん……」
「デルフ……」
古びた剣がひどく立派に、輝かしく見えた。身に帯びた錆びさえ、歳月を重ねた風格に思えた。
少年もまた、感に堪えないという面持ちで呟く。
「おれ、初めてお前が無駄口以外のことを話すの聞いた気がするよ」
「そりゃねーよ、相棒……」
***
「でも、やっぱり彼女が何もしなかったことに変わりはないですよね」
「うーん、きみが何に引っかかっているのか、よくわかんないんだけどさ」
それでも固執するわたしに、彼は困り顔で頭を掻く。
もうしわけない、と思いながら、わたしはこの相手を離すことができない。
このところずっと家族も村の人は遠巻きにわたしを見ているだけで、話しかけてはこなかった。尋ねたいことはたくさんあるだろうに、今はそっとしておいてやろう、と不器用に気遣ってくれた。
けれど、そんな空気が感じられるほど、わたしは有り難く思うよりもさきに憂鬱になった。哀れまれるばかりの自分が思い知らされて。
「確かに守られるだけの立場ってのはツライよな。おれも実際に守られちゃって、そんな自分が情けなくて、奮起したんだけど……そうなんだよな。今日だってわざわざルイズがリベンジのためのお膳立てしてくれたんだから、最後までマジメにやれば良かった……おれってダメなヤツ……」
ぶつぶつと後半は自嘲めいた呟きに変えて、少年が言う。
そこに先程の決闘のときのような輝きはない。ごく普通の同年代の少年がいた。
だからだろう、わたしも容易く本音が吐けたのは。
――ほんとうはずっと誰かに話したかった。聞いて欲しかった。
わたしの身に起きたことを。わたしの悩みを。
「わたし、助けられるだけはいやなんです。でも、今のわたしには剣一本抜けないし」
「女の子が、剣なんて持つもんじゃないと思うけど」
「じゃあ、どうやって強くなればいいんですか。わたしは平民で魔法だって使えないのに」
そうだ。魔法さえあれば、あの小柄な蒼髪の貴族様のようになれるだろう。自分より数倍大きな相手にも侮られることなく、自分のやりたいことを通せるだろう。
でも、わたしは魔法の使えない平民だから……。
ないものねだりだ、と自分で自分を嘲う。これじゃあまるで――
「……強いってそういうもんじゃないと思うんだけど」
不意に彼が言った。
「えーっと、おれ、さっき貴族の奴と決闘したんだ」
「見てました」
「そっか、見られてたか……じゃ、ほんとかっこつけることはできないなあ」
再び頭を掻きながら、不器用に言葉を紡ぐ。
「あれでおれドジっちゃっただろ?……たしかに力があれば強いけど、それだけじゃ勝てないっていうか。うまく言えないけど。……たぶん、ルイズに会えばわかるよ。あいつ、目も見えないし、系統魔法っての?そういうのは全然使えないらしいんだけど、強いから……」
***
――彼女達はなぜか炎を囲んで、ずいぶんと早い宴会の真っ最中だった。
貴族様方はここに来るまでよほどひどい食事をしてきたらしく、村の者が用意した簡単な郷土料理に、ずいぶんと喜んでいる。
毎日学院の豪華なお食事を残している貴族様方に憤る料理長の顔が浮かんだ。マルトーさん、こんなところを見たら、きっとまた怒り出すわね。
「おいおい、おれはハブかよ……」
「ありゃ――ねえねえ、ルイズ。あんたの犬が帰ってきたわよ」
赤毛の――そう、ツェルプストー様だ――がわたしの隣にいる少年を見て――犬?、気安く隣の少女の肩を叩く。
それが彼の言う『ルイズ』さんだった。
見た目は普通の少女だ。火に照らされて桃色がかった髪色が紅く輝いている。
盲目というのは本当らしく、振り向いた顔は半分くらいを厚い布で隠している。それでも愛らしく、高貴な生まれを感じさせる整った外見。
いまは、貴族としての名を持たない『ただの』少女。
でも、その手にあるのは魔法杖だ、と考えて、わたしはわたしが嫌になった。
遠目には少年に庇われているだけだった彼女は、正面から向き合った今も、だれよりも小さく儚い。
なのに、こんな子にさえ、わたしは嫉妬している。
「おやまあ、手が早いわねえ。犬君、女連れだわ」
「女?」
「違うって。ここの村の娘だよ。えーっと、」
「シエスタと申します」
すこし緊張したけれど貴族様方は末席のメイドの顔までは覚えていなかったようだ。
「ふぅん、じゃあ貴女も一緒に飲みましょう」
「て、お前ら、酒、飲んでるのか?」
「そうしたかったんだけどね、『せんせい』がダメって――だから、ただのぶとうジュースよ」
えび色の液体の入ったグラスを不満げに傾けるツェルプストー様。――この方が先生の言うことをおとなしく聞くなんて、珍しいわ。
内心を顔に出さないように気をつけて、傍に侍る。貴族様の誘いを断るという選択肢はないから。
「気障――ギーシュってのはどうした?あとあの丸子デブ」
「男どもは迷惑をかけたお詫びに奉公中よ。モンモランシーが監督してるからそうそう馬鹿なこともしないでしょ――だから安心なさい。あなたの大切なご主人様には指一本近づけさせてないから」
戯れにしだれかかるツェルプストー様を、桃色がかったブロンドの少女は、重いと言ってぞんざいに退かす。
「……そういうことは言ってねぇって。てかお前らはひとに働かせて優雅に宴会かよ」
「あんたこそ。せんせいの手伝いもせずにナンパしてたわけ?さすが負け犬、」
「ナンパじゃないって。デルフのやつが――」
「おいおい、俺は相棒に投げられたせいであんなところに刺さってたんだぜ?この嬢ちゃんが相手してくれなかったら、ひとりさびしーく朽ち果ててたよ」
「つまり、全部あんたが悪いと――で、この馬鹿にいじめられたの?あなた」
話を振られてわたしは慌てて首を振った。わたしのために、彼が咎められるのは困る。
けれど彼女には『見えない』ことに気がついて、急いで口に出した。
「そんなことはありません。むしろよくしていただいたというか、」
「へええ、『よく』ねぇ」
「なんか誤解してませんかルイズさん」
「まあいいわ。使い魔の交友関係にまで口出すほど狭量じゃないから」
「へえへえ、寛大なお言葉いたみいりマス」
「あんまりナメた口きくと、吹き飛ばすわよ?」
「すすすみましぇん」
後ずさりながら頭を下げる少年。そんなふたりの滑稽劇のようなやりとりに、思わず吹きだした。
なんだか、変な人達。貴族らしくないわ。そっか――貴族じゃないのよね。
「あの、ごめんなさい」
「いいわよ」
ひらひらと手を振る少女。そんなわたし達のやりとりを見て、少年が口を挟んだ。
「ルイズ。ちょっと質問あんだけどさ」
「なに?」
「ええっと……」
「――衛士になって、ひとを助けるひとになりたい?だから、強くなりたい?」
「はい、べつに衛士じゃなくてもいいんですけど……」
改めて口にすると、やはり馬鹿げた理由で、なんとも間の抜けた質問だった。
わたしは恥じ入って顔を下げる。
もちろん、そんなことは見えない彼女はあっさりと答えた。
「別に無理に強くならなくても、ひとくらい助けられるでしょうに――自分より弱い者は世界のどこにだっているんだから」
「……はあ」
ツェルプストー様が口を挟んだ。豊かな胸を見せつけるように、少女の肩を抱く。
「女が腕一本で身を立てようってなら、うちにくればいいのよ。ご存じ?私の国じゃ平民だって貴族になれるのよ」
「え、そんな国があるのか?」
「ええ。ゲルマニアは爵位を金で買えるの」
「トリステインのお偉い貴族様方は嫌がるけどね」
「そりゃそうよ。貴族なんて自分でなるもんじゃないでしょう。認められてなるものよ」
「ふぅん、それが貴女の哲学ってわけ?」
「世界の道理よ」
物怖じしない少女の言葉に、ツェルプストー様は楽しそうに笑う。
わたしはそんな彼女が、やっぱり羨ましくてしかたがない。
わたしと彼女の、なにが違うというのだろう。
***
急にツェルプストー様と(実はいた)タバサ様がお仲間に呼ばれて立ち去ると、あたりは文字通り火が消えたように静かになった。
少女は手酌でぶどうジュースをすすり、少年はこそこそと鍋の底に残ったメシをあさっている。
わたしはうつむき、デルフリンガーさんを見ている。
別に泣いているわけじゃない。だって、もう泣かないと決めたのだから。
でも――
「わたし、泣いてばかりだったんです」
気づけば、ぽつり、と呟いていた。揃ってきょとんとした顔を向ける少年少女に、無理に向けた笑顔はひどくゆがんだものだった。
「勤めていた学院で、ある貴族様のお目に留まって、お屋敷に召し上げられたんですけど、その貴族様って若い平民の女をたくさん囲っているって評判で。イヤでイヤで、でもそれも言えなくて。何をしてても、どんな時でも涙が出て、止まらなくて。しまいに伯爵様にもメイド長にも呆れられて。結局何もひどいことなんてされなかったのに、わたし、ずっと泣いてばかりで――
土くれのフーケって盗賊がお屋敷を襲って、皆と一緒に逃げ出して、こうして帰ってくることができたけど……わたし、ぜんぜん嬉しくないんです……。
だってもう、自分のことなんて好きになれないもの……」
なのに、いまだに涙は勝手にこぼれるのだ。
のどが焼きつくように痛くて、鼻がぐずぐず鳴って――その泣き方はちょうど幼い弟の、兄達にいじめられたときのそれにそっくりだった。
わたしは自分のスカートをにぎりしめて、首をふる。
よわいじぶんがいやだ。まけてしまうじぶんがいやだ。かれらのようになりたい。かれらのようにつよく、ちからあるものになりたい。
結局のところ、わたしはただの駄々っ子だ。手に入らないものを手に入らないと嘆くばかりの子供だ。そして、いまも――涙でひとの同情をねだるだけの乞食なのだ。
「弱いんです、わたし。だから強くなりたいのに。いやになっちゃうな。弱くて、ずるくて、」
鼻をすすり上げる。とうに気づいているだろうに、少女は気づかないふりをしてくれる。
「人間、それくらいの方がいいのよ。弱くてずるくて案外図太くて丈夫で――それに、涙だって女の武器っていうじゃない」
わざとらしく軽く言って、それからわたしの頭を優しく叩く。
「世界にはあなたより弱いひとなんてそこら中にいて、その中にはひとりくらい、あなたの涙で救えるひとだっているでしょう。そして、そのひとりが救われるなら、どんな力だって間違いじゃない。ね。
――だいじょうぶ。そのときがきたら、きっとうまくできるわよ」
「ごめんなさい……ありがとう……」
消え入るような声で。言って、気がつく。
そういえば、わたしは感謝すらしなかった。
わたしを身請けするための資金をかき集めてくれたマルトーさんや学院の皆にも、わざわざ口実を設けて帰郷の道中を連れ添ってくれたミス・ロングビルにも、自分があそこから出る直接のきっかけとなった『土くれ』のフーケに対しても、心から感謝したことがなかった。
そんな彼らに心配され助けられるだけの、無力な自分のことばかり考えていた。
ほんと――駄目な子だ、わたし。
「ま、どうにでもなるものよ。わたしもこの目を失ったときは死にかけたし、だいぶきつい思いもしたけど、今じゃこうして元気にやってるしね」
「……そんな重傷だったのか?」
「そうらしいわ。わたしもショックが強すぎて昔のことは全部忘れちゃったけど。なんでも魔法に失敗して、自分の顔を吹き飛ばしたらしいの」
壮絶な話だった。三日三晩『水の秘薬』を大量に使って治療を施しても血が止まらない、ものすごい大けがだったらしい。
わたしは自嘲も反省も忘れて、あんぐりと口をあけた。水の秘薬をそれだけ使えば死者だって生き返るだろう。それでなんとか半死半生だったというのだから、とてつもない。
「よ、よく生きてましたね」
「たまたまね」
元貴族の少女は、あっさりと笑ってみせる。
「それに目を失ったのも悪いばかりじゃないわ、怪我のおかげでせんせいに出逢えたし。人生なんてそんなものよ?なにが幸いかなんて、わからない」
「はあ。お前が言うと説得力あるな……」
少年もまた呆れたように呟く。
わたしも――彼がこの少女を強いと称した理由がよくわかった気がする。
「ふふん。言っとくけど、わたしの方があんたらの数倍濃い人生送ってるんだからね。人生の先輩よ、敬いなさい!」
この場の三人のうち一番小さな盲目の少女が薄い胸を張って自慢げに笑った。
そのちょっとおどけた仕草に、少年もまた笑って応える。
「でも、なりは数倍小さいよなー」
少女は……口元をへの字にまげた。そのあたりは気にしているみたい。
「あんた、今どこ見た?」
「べっつにー。特に体の一部が、子供というより男みたいだよな、とか思ってませんよ?」
「へええ、あんたってば使い魔のくせに犬のくせにご主人様にケチつけるわけ?」
「ケチなんかつけてねーよ、お前が未発達なのは好き嫌いしてっからだろ?ミルク飲め、ミルク」
「あんな臭い牛の乳なんか飲めるわけないでしょ」
「じゃあ、一生まな板のままだな」
言い返せなくなったのか、我慢できなくなったのか、少女は彼を杖でぽかすかと殴り始める。それを避けるでもなく腕で受けながら、彼はからかうことを止めない。
わたしはそんなふたりを見て――笑わずにはいられなかった。
ああ、もう――ほんとにわたしって――
「うちの村のは新鮮だからきっと美味しいですよ。明日の朝お届けいたしますから、試してみてください」
「そ、そうねっ、そんなに言うんなら試してみようかしらっ」
「おう、おれにもくれよ」
「あんた、これ以上大きくなってどうするのよ?」
「おれだって、まだまだ成長期なんだよ。むしろ、お前に成長の余地があるのかどうかが不安――ああ、悪い悪い!突っつくな、突っつくなよ!!」
しまいに笑い声まで上げてしまうわたしを、少年が優しい目で見ている。少女はそんな彼を殴りつけながらも、背中でこちらを伺っている。
ああ、もう――なんて――優しい、美しい人達なのだろう。
ほんとうはわかっていた。こんな話をだれかにしてもしかたのないことは。
ほんとうはわかっていた。わたしはただすこし愚痴りたかっただけなのだ。
そしてもう一度歩き出すことを、すこしだけ遅くしたかっただけなのだ。
でももう、こんな時間だ。
――空を仰げばいつのまにか藍に染まった東の空にふたつの月が輝いている。
そろそろ立ち上がらなくては。
***
***
わたしはいまも、彼らに出会えたことを心から感謝しています。
そうでなければ、わたしはやっぱり、あのときの自分に囚われ続けていたでしょう。そして再び大切なものを失っていたでしょう。
あのとき。
空の国との戦争が起こってわたし達の村が焼かれたとき。
幼い弟達をかばいながら近くの森に逃げ込んだわたしは、ようやく彼女の言葉の意味を知りました。
自分より弱い者を守るとき、ひとはだれでも勇気という力を持つのだということを。
そして、また、あの先生が巨大な炎で村を襲った敵を焼き尽くす姿を見たとき、わたしはデルフさんの言葉も理解できたような気がします。
なにかできることはないかと尋ねたわたしに、
「水を用意しておいてくれませんか」
とあのひとは優しい目で頼みました。そして
「決して私の後ろには近づかないように」
と厳しい声で言いました。
そのすこし曲がった背中を、自らの操る炎に照らされて濃い影となった姿を、わたしは忘れられません。
そして、あのとき――
わたしの声はあなた達に届いていたでしょうか?
もしも届いていなかったのなら、わたしはどうにかして届けなければならないと思います。
弱くてちっぽけなわたしにできる唯一のことをしなければならないと思います。
かつて名もなき勇者にイーヴァルディという名をつけ世界中に伝えた人達のように。
世界のすべてがそれを悪魔の所業と呼んでも、わたしはあなた達の為したことに感謝します。
わたし達はあなた達によって守られました。
あなた達はわたし達の勇者です。
だからどうか、忘れないでください。
あなた達は人殺しの道具ではありません。
あなた達は邪悪な竜ではありません。
あなた達は美しく、優しいものです。
強く、気高い、わたしの憧れです。
だからどうか、あのときのように笑っていてください。
あなた達の物語のすべてが、『めでたしめでたし』で飾られることをわたしは祈ります。
――このちっぽけなわたしのつたない物語のように。
***
いまではないいつか、ここではないどこかで、ほんとうにあったおはなしです。
あるとき、国の外れのちいさな村に三人の旅人が訪れました……