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[6695] 【完結】ホワット・ア・ワンダフル・ワールド(魔導師たちの群像)
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c621e98d
Date: 2009/10/07 13:16


飛ぶことしか知らなかった少女と、ヴィータの物語。

完結しました。

今度こそ、バイバイです。





[6695] 登場人物
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c621e98d
Date: 2009/03/17 19:07

【時空管理局ミットチルダ陸上本部、航空12部隊】

・市蔵ソラ(イチクラ・ソラ)/魔法飛行使。64実験小隊からバードランド分隊にやってきた偵察兵兼、通信兵。

・ヴィータ/鉄槌の騎士。バードランド分隊の副隊長。

・シグナム/剣の騎士。バードランド分隊の隊長。

・ファビアン/バードランド分隊のガナー(砲手)。唯一の常識人、婚約者がいる。

・リヴィエール/バードランド分隊の結界魔導師。仕事は嫌い。

・ルルー/バードランド分隊のマークスマン(選抜射手)。子ども好きのバードランド分隊”戸籍上”での最年長。

・ペルラン/バードランド分隊の遊撃手。ホモセクシャルで、美形で、お洒落。

・ロビーノ/バードランド分隊の補助魔導師。ワーカーホリック。

・八神はやて(ヤガミ・ハヤテ)/夜天の主。航空12部隊の部隊長であり、ビレッジ・バンガード司令部の隊長。

・シャマル/泉の騎士。航空12部隊の医務官。

・ザフィーラ/盾の守護獣。航空12部隊の遊撃戦力、要人警護を担当。




【時空航行部隊航空64部隊実験小隊】

・テレーゼ・F・ブルンスヴィック/魔法飛行使。”タカ”。


【時空管理局特殊火器猟兵集団】

・白睡魚(パイ・スイユ)/純銀魔弾の狙撃手。”元”特殊火器猟兵集団の所属。


【時空航行部隊08防疫部隊】

・白烏花(パイ・ウーファ)/広域焼却魔法のスペシャリスト。白睡魚の妹。

・”隊長”/08防疫部隊の隊長。甘ったるい声と防護服。正体不明の男。

・”補佐官”/08防疫部隊の隊長補佐。正体不明の男。


【執務官】

・フェイト・T・ハラオウン/金の閃光。空戦魔導師。

・ティアナ・ランスター/フェイトの補佐官。


【教導官】

・高町なのは(タカマチ・ナノハ)/エース・オブ・エース。空戦魔導師であり、砲撃魔導師でもあり。


【提督】

・ゲオルグ・テレマン/航空64部隊実験小隊と08防疫部隊の発端人であり、後見人。ジェイル・スカリエッティ系の技術を管理している。






[6695] 【キャラクタ・スケッチ(ネタばれ注意)】7/22更新
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:1547939b
Date: 2009/07/22 01:38
【キャラクタ・スケッチ】

・市蔵ソラ(ITIKURA/Sora)
 所属/時空管理局陸上本部航空12部隊バードランド分隊
 階級/二等空士
 性別/女
 年齢/16歳
 身長/137cm(義足込み)
 出身/第97管理外世界、日本。中国地方の中国山地の蒜山山脈を仰ぎ見る、「つや」から始まる名前の地方都市。
 コールサイン/バードランド8
 TACネーム/ヨダカ
 魔導師ランク/空戦A・総合B

 12歳で管理局に入局。音楽隊志望での入局だったが、その飛行適正の高さから成層圏でのスーパークルーズ(長時間にわたる超音速飛行)を実現するべくゲオルグ・テレマン提督によって設立された時空航行部隊航空64部隊実験小隊に配属される。二年間の訓練を経て、14歳で初の観測外世界観測任務。しかし悪天候により任務はほぼ失敗。小隊も市蔵一人を除いて行方不明、後に全員殉職扱い。このときに全身の凍傷により両足を切断している。以後二年間航空64部隊実験小隊にて「一人ぼっちの小隊」として活動、観測任務、偵察任務、他部隊との合同任務でのサポート役として活躍。16歳の冬に航空12部隊に転属、今に到る。
 身長が低く、体重も軽い。飛ぶのに有利そうな雰囲気。高所飛行用の対有害光線処置のせいで病的に白い肌。モンゴロイドらしく、黒髪、黒瞳。顔のパーツは小作りで、人形めいた印象。両足は14歳のときの事故で大腿部から切断。普段は車椅子に乗り、義足で見た目を誤魔化している。64実験小隊にいたときに代謝加速措置と、思考加速処置、視力強化、対有害光線処置を受けている。それらの副作用により大食い甘党、遠視。ヴィータとは胃袋で友情を育む。
 服装には頓着の無い人。ただ、故郷の古着屋で買ったB-3タイプの皮製フライトジャケットがお気に入り。勤務中の防寒に、私服にと活躍中。義足をしているために、隊服は長ズボンが使用である男物の子供サイズ。ネクタイはモノクロ系を好む。曰く、「色物は可愛すぎてちょっと」。ネクタイピンはバードランド分隊がお揃いで着けている、マグリッドの抽象画「大家族」をあしらった鳥のピン。髪型は眉の上で切りそろえたショート。別名現代風オカッパ。自分で切っているらしい。飛行任務以外のときは、度のきつい愛嬌のあるクロ縁遠視用メガネをかけている。
 所有デバイスは人格非搭載型の融合騎『イカルス』、製作にはジェイル・スカルエッティ系の技術が使われている。融合箇所は脊髄。彼女の所有魔法は全て飛行、補助、防御、通信等の術式に限られ、攻撃魔法は一切持っていない。そのため高い飛行能力を持っていながら空戦Aの位置に甘んじている。
 キャラクタの方向性としては『ヴィータとは逆を向くように』。なので、青い魔法発光の色も、”軽くあれ“という行動理念も、攻撃魔法を一切持たず飛行だけに全てを賭けるスタンスも、ヴィータとの対比として描いています。もう一つの方向性は『飛行』と『鳥(ヨダカ)』の擬人化。失った両足は地上での生き辛さの象徴。飛行時の鳥の姿や外された義足と靴は、人の姿のまま空を飛ぶ航空魔導師への疑問の形。自嘲的な皮肉は飛ぶことしか出来ず、仲間を救えなかったことからの、偵察兵流の現実逃避。その他の嗜好や容姿等も、全ては『飛行』を突き詰めていった結果です。そうして突き詰めていった市蔵ソラの姿は、軽く、小さく、しかし前を見据える強さがあって、シニカルで。最初の方向性とは逆の『もう一人のヴィータ』が生まれていました。市蔵ソラという少女に、魂が宿った瞬間です。以来、彼女は作者の手を離れて物語を引っ掻き回し、すき放題喋り、ヴィータと仲良くやりながら成長していっています。本当に愛すべき問題児です。
 名前の由来は宮澤賢治の『よだかの星』に登場する、鷹に「市蔵(いちぞう)」と呼ばれるよだかから。よだかのように夜目がきいて、大きな声を持ち、速く強く羽ばたいて、たとえ堕ちてもまた飛び上がり、誰よりも高く飛んでいけることを願って。



・ヴィータ(Vita)
 所属/時空管理局陸上本部航12部隊バードランド分隊
 階級/二等空尉
 性別/女
 コールサイン/バードランド2
 TACネーム/フクロウ

 バードランド分隊の副隊長、航空12部隊の教導も担当している。最前衛。紅の鉄騎。所有デバイスはグラーフ・アイゼン。
 この物語の、第二の主人公です。リリカルなのはシリーズでほぼ間違いなく一番巨大で重たい武器を使っているところや、守りたいと願うスタンス、守るべきものが物語を重ねるごとに増えていくことを考えると、間違いなくソラとは真逆の人間。それ故にソラに彼女の道理とは別の道を示すことが出来る『先輩』として描いています。当初は完全にソラとは逆のキャラクタになる予定でしたが、最終的には『鏡の中の私』的な、似ているのに反転している人物になりました。おそらくは、元の容姿の似通ったところや、ベクトルの向きは違えども往ききってしまったスタンスが『鏡』のような人物像を生んだのだと思います。自分が思うに、一番瞳の綺麗なキャラクタ。それを『空』に例えることで、ソラの目指す『空』の擬人化とも。細かいディテールは文章化するにあたって変化。軽さと幼さ、内面とのギャップを強調。グラーフ・アイゼンの形も、より文章で動かし易くするために、フレームやカードリッジシステムのポンプアクション化等、手を加えています。
 名前のVitaはイタリア語で『人生』。原作である高町なのはに対しての『フェイト(運命)』のように、市蔵ソラの『ヴィータ(人生)』を幸せな方に引っ掻き回すことを祈って。



・シグナム
 所属/時空管理局陸上本部航12部隊バードランド分隊
 階級/二等空尉
 性別/女
 コールサイン/バードランド1
 TACネーム/ワシ

 バードランド分隊の隊長。烈火の将。
 彼女については、プロットの余裕を持たせるためにまだまだ作りこんではいないキャラクタです。あえて言うなれば、原作に比べると幾分かは不真面目になったんじゃないかと思います。この物語でのスタンスは、良くも悪くもバードランド分隊を率いる隊長。活躍の場が戦闘に限られてしまいます。早く活躍させてあげたいです。



・ファビアン
 所属/時空管理局陸上本部航12部隊バードランド分隊
 性別/男
 コールサイン/バードランド3

 バードランド分隊のガナー(砲手)。口調、性格ともに丁寧。婚約者がいる。上司には従順、同僚からも愛される愛すべき常識人。
 名前はサン=テグジュペリの小説『夜間飛行』より拝借。



・リヴィエール
 所属/時空管理局陸上本部航12部隊バードランド分隊
 性別/男
 コールサイン/バードランド4

 バードランド分隊の結界魔導師。仕事はあまり好きではない。胃痛もち。鳥が嫌い。自動車免許を持っている。一言多く、始末書をよく書かされている不良中年。
 名前はサン=テグジュペリの小説『夜間飛行』より拝借。ただし、性格はまったく反対。



・ルルー
 所属/時空管理局陸上本部航12部隊バードランド分隊
 性別/男
 コールサイン/バードランド5

 バードランド分隊のマークスマン(選抜射手)。ダンディーな洒落者。子供好きで、バードランド分隊では”戸籍上”での最年長。誘導弾の生成が得意。酒好き。
 名前はサン=テグジュペリの小説『夜間飛行』より拝借。



・ペルラン
 所属/時空管理局陸上本部航12部隊バードランド分隊
 性別/男
 コールサイン/バードランド6

 バードランド分隊の遊撃手。曲芸飛行とドックファイトをこよなく愛する、空戦魔導師。神秘主義者で本が好き。同じく本好きのロビーノとは仲がいい。ホモセクシャルで、顔が良くて、ヴォーギングダンスが得意。
 名前はサン=テグジュペリの小説『夜間飛行』より拝借。



・ロビーノ
 所属/時空管理局陸上本部航12部隊バードランド分隊
 性別/男
 コールサイン/バードランド7

 バードランド分隊の補助魔法魔導師。無趣味な仕事人間。ペルランと仲がいい。いつも眉間に皺を寄せているむっつり顔。
 名前はサン=テグジュペリの小説『夜間飛行』より拝借。



・テレーゼ・F・ブルンスヴィック
 所属/時空管理局時空航行部隊航空64部隊実験小隊
 階級/二等空尉
 性別/女
 出身世界/第47観測外世界

 実験小隊、小隊長。市蔵ソラと同じ魔法飛行使で、脊髄に『イカルス・デバイス』を移植・融合させている。故郷である第47観測外世界は次元震に沈んで滅びており、孤児である。白睡魚とは恋仲の関係、恐らくはテレーゼからの告白。一時期はテレーゼと白睡魚、そして白烏花と共同生活をしていた。実験小隊でおきた事故で墜落。行方不明、後に殉職扱い。実際は回収され、『イカルス・デバイス』の融合暴走実験の検体として存命。二年間の時を経て、白睡魚の手により救出される。しかし脳にまで達したデバイスの融合の副作用で精神年齢の退行、デバイス人格との人格交代の症状が現れる。航空12部隊に救出されたあと治療をうけるも、デバイスの初期化による記憶の破壊、幼児退行などの症状がそのまま残る。ララバイ・オブ・バードランド終了時点では階級を剥奪された状態で、休職の扱いに。スモーク・ゲッツ・イン・ユア・アイズの終盤で、スランプのソラに助言をし、そのまま睡魚とともに旅に出る。ソラの先生であり尊敬すべき上司。フェイトとは面識がある。
 最初は物語のおしまいと同時に死んでしまうはずの不幸な敵役でした。それが、いつの間にか意思を持ち、仲間を作り、ソラに救われ、生きることが出来ています。彼女は、攻撃魔法を持たないソラが打ち倒し乗り越えていくべき壁としてのキャラクタでした。なので、ソラと同じ過去を持ち、ヴィータと出会う前のソラの過去の姿として生まれたキャラクタです。幼い口調や、ソラとは真逆の白い翼、”軽くあれ”をソラより更に押し進めたような思考のベクトルは、その象徴として描いています。名前はベートーベンが『エリーゼのために』を作曲する切欠になった、とある女性より拝借。



・白睡魚(パイ・スイユ)
 所属/時空管理局特殊火器猟兵集団
 性別/男
 出身世界/第47観測外世界

 14歳で管理局に入局、幼い頃から鳥撃ち猟で銃の扱いになれていたことから、特殊火器猟兵集団に配属。狙撃手として魔法文明の無い管理外世界の荒事にて活躍。故郷である第47観測外世界は彼が12歳の時に次元震に沈んでおり、それ以前の記憶は曖昧になっている。自称、記憶喪失。しかし「空が落ちてきたんだ」と次元震の様子をテレーゼに語っているため、嘘かもしれない。テレーゼとは恋仲。テレーゼと白睡魚と白烏花の三人で暮らしていたことがある。使っている銃はアンチマテリアル(対物)ライフルと呼ばれる背丈ほどもある黒いライフル銃。弾丸は対魔術加工済みの純銀弾。魔法は身を守り、隠し通す為の補助魔法や防御魔法が主。テレーゼの墜ちた理由を悟り、管理退職。以後、身を隠しながらテレーゼを攫った海上プランの組織とコンタクトをとり、その情報を管理局側にリーク、航空12部隊の強襲に紛れてテレーゼと共に逃げる。ララバイ・オブ・バードランドの終了時点で行方不明、そして死亡扱い。スモーク・ゲッツ・イン・ユア・アイズでも、物語の裏側で暗躍。妹の烏花を救い、テレーゼとともに旅に出る。
 最初はただの賑やかしとしての敵役でしたが、いつの間にか主人公を喰いそうになるほどの存在感を物語で振りまく存在に。『魔導師たちの群像』シリーズの、睡魚とテレーゼと烏花が巻き込まれてしまった”こんなはずじゃない人生”をソラとヴィータが救済する、という方向性を決定づけた存在。彼の、モッズコートにお洒落な三つボタンスーツというファションは、映画『さらば、青春の輝き』から拝借。解りにくければ、某踊る刑事ドラマの主人公を思い浮かべてもらえれば間違いないです。名前の”白”は、戸籍の名字が”白い”(空欄)という意味。睡魚は、微睡む魚、魚の心を眠らせたいという願い。



・白烏花(パイ・ウーファ)
 所属/時空管理局時空航行部隊08防疫部隊
 性別/女
 出身世界/第47観測外世界
 暗号名/リコリス

 08防疫部隊の登録魔導師。広域焼却魔法のスペシャリスト。かつて、防疫任務中にバイオハザードに遭遇、感染による隔離入院の経験がある。白睡魚の妹、血は繋がっていない、恐らくは兄に対して恋心ににた感情を抱いている。故郷の第47観測外世界は次元震に沈んでおり、孤児。かつてテレーゼと白睡魚と白烏花の三人で暮らしていたことがある。テレーゼとは兄を取り合うライバルだった。
 スモーク・ゲッツ・イン・ユア・アイズの終盤で、自分がクローンだったことに気付く。そして、ティンダロスの猟犬と化したオリジナルとともに、焼却魔法の炎に消える。しかし、テレーゼに救われ、睡魚とテレーゼとともに旅に出る。
 最初は、純粋な敵役でした。それがいつの間にやらヒロインに。白兄妹、恐るべしです。ティンダロスの猟犬のイメージはクトゥルフ神話から。アニメの第一期で登場するアルハザードも、クトゥルフからの引用なので大丈夫かなと。ちなみに兄が大好き。ザフィーラはもっと好き。スレンダーで背の高い外見の設定は、クローン・ウーファを男に見せるためのミスリードから生まれたものです。背比べ、じつは兄の睡魚といい勝負。自慢であり、コンプレックスであり。
 モデルは、魔女みたいな知り合いです。



・ゲオルグ・テレマン
 役職は提督、ジェイル・スカリエッティ系の技術の保守管理を任されている。その技術を使った実験部隊として、航空64部隊実験小隊と08防疫部隊を設立。ドゥーエの墓を暴き、クローン・スカリエッティを生み出した「父さん」。
 名前はとある大昔の作曲家から。すみません。

・カルロス・サルツェド
 クローン・スカリエッティを生み出した、張本人。しかし良心の呵責に耐えられず、一連の不正を告白するようにテレマンを人質に篭城事件を起こす。最終的には、睡魚に真実を託し、ティンダロスの猟犬に殺される。
 名前はハープの曲を沢山書いた作曲家から拝借。



【ワールド・スケッチ】
・時空管理局陸上本部航空12部隊。
 八神はやて部隊長率いる部隊。バードランド分隊とブルーノート分隊という2つの航空戦力。ビレッジ・バンガード司令部を持つ。少数だからこその小回りと、突破力が売り。部隊長自身が特殊捜査官なこともあり、事件解決の為の捜査なども行っている。捜査権と戦力を持つ、さながら小さな管理局。敵味方関係なく、ターゲットには容赦がないので“裏切り者部隊”の悪名も。

・バードランド分隊。
 シグナム部隊長とヴィータ分隊副長が率いる、突破力と破壊力が自慢の強襲部隊。シグナム、ヴィータ、ファビアン、リヴィエール、ルルー、ペルラン、ロビーノ、そしてソラの8人で活動。
 シグナム、ヴィータ、ソラ以外のメンバーの名前は、サン=テグジュペリの『夜間飛行』から拝借。バードランドの名前は、有名なジャズクラブから。

・ブルーノート分隊
 制圧力が自慢の、航空12部隊の後詰め部隊。補助魔法が得意な人員が多い。
 ブルーノートの名前は有名なジャズクラブから。

・H・Q・ビレッジ・バンガード
 八神はやて率いる、航空12部隊の作戦司令部。
 ビレッジ・バンガードの名前は有名なジャズクラブから。


・時空管理局時空航行部隊航空64部隊実験小隊
 かつて市蔵ソラやテレーゼが所属していた、成層圏でのスーパークルーズ(長時間に渡る超音速飛行)を目指していた実験集団。かつてのフェイトも、一時期研修に来ていた。小隊が事故によりソラを残して全滅したことと、隊員に対する人体強化が非人道的とたたかれ、実験は凍結。以後二年間、市蔵ソラのみの「ひとりぼっちの小隊」として活動。ソラが航空12部隊に引き抜かれた後に解体、他部隊に吸収されて約4年間の活動を終える。


・時空管理局特殊火器猟兵集団
 かつて白睡魚が所属していた、銃火器を専門に扱う集団。主に、魔法文明のない管理外世界での捜査及び作戦に従事。作戦中は魔法技術を秘匿しなければいけないため、隊員の殆どは目立たない補助魔法以外の使用を禁じられている。ここで使われる銃は、全て管理局のデバイスとして申請を受けている。


・時空管理局時空航行部隊08防疫部隊
 白烏花が所属していた部隊。主に管理世界での防疫任務についている。遺体を焼き払うという、倫理や宗教上問題が発生する可能性のある任務が主なために、その実動部隊の名簿は公表されていない。防毒マスクをかぶり、暗号名で呼び合い、隊員同士のプライベートでの接触さえも許さないという徹底ぶりの仮面部隊。
 実際は、実働部隊の殆どを、生体ラジコンと化したクローン・ウーファで補った実験部隊。部隊長はクローン・スカリエッティ。副官はドゥーエ。



[6695] 第一章:ララバイ・オブ・バードランド
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c621e98d
Date: 2009/02/22 10:55

『飛行』

地面からはなれるということ

軽くなるということ

重力が重たいということ

世界を敵にまわすということ。

もしかしたら孤独。

自由ということ。

空が美しいということ。

もしかして翼を背負う天使。

体が軽くて翼が重いということ。

羽を畳んで地上で眠るということ。

ララバイ、オブ、バードランド。





[6695] 1/夜間飛行
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c621e98d
Date: 2009/02/18 00:47


 八神ヴィータが市蔵ソラの声を初めて聞いたのは、暗い、暗い夜の海の上だった。

 その頃のヴィータは時空管理局ミッドチルダ地上本部航空12部隊バードランド分隊副隊長なんて言う長い名前の役職についていて、時空犯罪者共の悪行を暴くために日夜飛び回ってた。その日の仕事も、時空犯罪者のアジトとかしているミッドチルダ・クラナガン近江の海上プラントを夜の闇に紛れて強襲するという、いつも通りに暴力的で軍隊的で、でも合法的な正義の味方のお仕事だった。

 ヴィータはその小柄な体躯に、闇に溶ける黒いゴシックロリータ調の騎士甲冑を着込み、ベルカ式デバイス『突貫鎚グラーフアイゼン』を肩に担ぎ、海面すれすれを飛行魔法で飛んでいた。敵のレーダーにかからないように、低く、静かに、速く。そして、担いだ突貫鎚で敵地の扉と、しみったれた戦意と、それでも向かってくる馬鹿な敵共をぶっ飛ばしてやるんだと意気込んでいた。

 ぶっ飛んだマスターキー(万能錠)、冷静なバスターキー(破壊錠)、それが航空隊前衛トップ魔導士ヴィータと、その相棒グラーフアイゼンの役目だった。

〈こちらヨダカ。フクロウ、聞こえますか?〉

 傍受されないための暗号念話。そのせいで、少女の声はノイズエフェクトのかかったマイルスのトランペットみたいになっていた。『ヨダカ』と名乗ったその煙たく甘くひび割れた声、それが市蔵ソラだった。

 コールサイン『フクロウ』の八神ヴィータはグラーフアイゼンの補助システムで暗号化した念話を飛ばす。

〈聞こえているよ、新入り。なんだ?何かあったのか?〉

〈敵が動き出しました〉

〈おい、あたしらは引っかかってないぜ。新入り、アンタがドジやらかしたんじゃないのか?〉

 そう言って空を見上げるヴィータ。話によると、この新入ソラの仕事は敵上空8000メートルからの偵察ということらしい。しかし闇と距離とのせいで、ヴィータの目ではソラの姿は全く確認できない。ただ、この念話ははるか上空から飛んできているようで、その上空数キロメートルという馬鹿げた場所にソラが居るのは間違いないようだった。

〈敵のキルゾーン及びレーダー感知領域には入ってませんが〉

〈だろうな。今確認したんだけど、あたしにもお前がどこにいるのか全くわからない。新入りのくせに、大した魔導空士だよ〉

〈”軽くあれ”。私には"飛ぶ"以外は何もありませんから。敵影を確認しました。敵はプラント施設屋上に二十一人。魔導士一人と、質量兵器で武装した兵隊が二人のスリー・マン・セル(三人一組)が五組の小隊編成です。デバイスも質量兵器も、アンチ・マテリアル(対物)使用、5000メートルがキルゾーン(射程圏内)です〉

〈ヤー(了解)〉

 敵地まであと数分。そこでヴィータは初めて後ろを振り返る。そこには彼女の500メートル後ろで編隊を組んで追随する、空戦魔導士団。さらにその1キロメートル後ろには、黒い甲冑を着込み剣を腰に差した赤い髪の女。その女に向かって、ヴィータは言う。

〈さて、どうるするよ。隊長殿〉

〈どうするも、こうするも無いだろう。スリーカウントで作戦開始だ。お前の自慢のアイゼンで、奴らを料理してこい。私達はそのあとからゆっくり頂くとしよう〉

〈ヤー(あいよ)。しらねぇぞ。毒が混ざっていても〉

〈注意するさ〉

 同時に天空からの甘くひび割れた暗号念話。

〈ヨダカより、バードランドへ。作戦空域に入りました。民間の船影、機影はありません。ゴー・サインです〉

 隊長はニヤリと笑い、愛剣レヴァンティンを抜いた。そして〈これよりバードランドは作戦を開始する。スリーカウントだ〉。その妙に生気に満ちた声でカウントを開始する。

〈ドライ(3)〉

 編隊を組んだ空戦魔導士達が、セーフティーを解除したデバイスをギリリと握りしめた。

〈ツヴァイ(2)〉

 ヴィータは遥か目視外の頭上8000メートルを見上げ、まだ顔も知らぬ、今日入隊したばかしの市蔵ソラを思う。

〈アインス(1)〉

 遥か天空で黒く長い羽を広げ滞空、旋回する、十字架のような"鳥"を見た気がした。

 ズーフ・イーン・イリューベルム・シュテールネンツェルツ!(星空のかなたに、創造主をもとめろ)

 そんな歌が、甘くひび割れた暗号念話で聞こえてきた気がした。

〈イューベル・シュテールネン・ムス・エル・ヴォーネン(星たちのかなたに、かならず創造主は住み給う)〉

 ヴィータは暗号念話でそっと返す。そしてフロイデ(歓喜)がやってきた。

〈ヌル!(0)〉

「アイゼン!騎士甲冑をステルスからバトルに、攪乱魔法域をたたんで全てを攻撃と防御と加速に充てろ。ラケーテンフォルムでぶっ飛ばす」

「ヤー(了解)」と突貫鎚アイゼンの短い電子音声。そして続けざま二発の爆音。アイゼンは機関部を銃のようにスライドさせ、使用済みカートリッジを廃夾した。

 同時に紅色の魔力光が煌めき、黒色の騎士甲冑は燃え上がるように赤いバトルドレスに変身。ベレー帽には、大切な家族から貰った御守りの『のろいうさぎ』アップリケが出現した。その『のろいうさぎ』の精神的守護と、自らの飛行魔法と、グラーフアイゼンに積まれたマギ・ジェットエンジンのアフターバーナーで、ヴィータは弾丸のスピードで敵陣に突っ込んだ。

 彼女が突っ込んでいったのは、海上プラントのヘリポートと、そこに着陸している輸送ヘリコプター。そいつに向かってヴィータは突進し突貫鎚を振り被ると、そのままアイゼンを力任せに叩きつけた。

 紅の魔力光の煌めき。鼓膜をつん裂く爆音。ひしゃげながらヘリポートをバウンドするヘリコプター。そして、その燃料エンジンが破裂し、火を噴き、爆発し、ヘリポートは火の海と化した。

 ぶっ飛んだマスターキー、冷静なバスターキーの面目躍如。敵海上プラントの玄関兼非常口は巨大な篝火になって、夜の海を照らしていた。

 ヴィータはその焼けたヘリポート上空で大きく息を吸い込むと「管理局だ。大人しくお縄を頂戴しろ。さもないとぶっ飛ばす」とヘリポートの周りに集結していた武装集団に怒鳴った。その大声と、ヘリポートを潰した破壊力と、それらに全く似合わない少女の体躯に呆けていた武装集団だったが、やがて誰かの「撃て!」という叫びと共に銃撃が始まった。

 フルオートで放たれた弾幕が、アンチマテリアルの魔法弾がヴィータを襲う。その暴力の嵐の中で、彼女は一歩も動かなかった。術式を編み、魔力陣を張り、全ての弾丸を受け止めて敵を只々見下ろしていた。彼女とアイゼンが作り出したシールドは硬く、唯の一発でさえ届かなかった。

 ヴィータは、目の前の驚異に向かって我をも忘れて撃ちまくる男達を一瞥すると「バードランド、料理は茹で上がった。カンカンだ」そう小さく呟いた。

「良い出来だ。仲良く切り分けて、みんなで頂くとしよう」と、女隊長の声。

 唐突に煌めく色とりどりの魔力光。襲撃の混乱に乗じて敵達の背後をとった空戦魔道士達の広域バインド(拘束魔法)の煌めきだった。

 海上プラントのヘリポート周囲に集結していた武装集団は突如として出現した魔力の壁に閉じ込められ、混乱し喚き散らす。

 一網打尽、チェックメイトだった。

 魔力の檻の中の彼らに、重ねてバインドをかけて縛り上げ、拘束する魔導空士。

 海上プラント内に入り、敵を制圧していく魔導空士。

 下の方から聞こえてくる銃声や爆発や怒号。

 やがて〈制圧完了〉と、部下達の念話が次々に伝わってきた。

 ヴィータはヘリポートの縁に腰掛けて、ふう、と溜め息をついた。祭りの終わる寂しさか、はたまた犠牲なしで敵を制圧できた安堵感か。そう言った複雑な感情を溜め息と一緒に吐き出し、しかしグラーフアイゼンを担いだまま万が一に備えていた。

「制圧完了だそうだ」

 不意に頭上から声。ヴィータが上を見上げると、飛行魔法で飛んできた隊長の姿があった。ステルスモードを解いたスミレ色の鎧をカシャリと音を立て、ヴィータのそばに着地した。なにやら嬉しそうな、しかし残念そうな表情だ。

「直に空飛ぶ牢獄がプロペラを回してやって来る。そこで奴らを引き渡して我々の任務はおしまいだ」

 甲冑の女隊長は溜め息をつきつつ言った。

「おい、シグナム。ため息なんかつくなよ。幸せが逃げる」

「今なら逃げたって構わんよ。むしろ逃げてくれ。奴らが弱すぎて、今日の私は誰一人とも戦ってないんだ。一人くらい"運悪く"強い奴とかが隠れていないかと願っているよ」

「欲求不満のバトルマニアめ」

 ヴィータは苦々しく笑い、シグナムは「冗談だ」と笑った。

 ヴィータとシグナムの目の前では、バインドで縛られ、四肢と声の自由を拘束された武装集団達が、蓑虫の群れみたいに転がっている。やがてそのそばに"空飛ぶ牢獄"がプロペラを回して着陸した。輸送ヘリだ。そこから降りてきた地上部隊の陸士達が犯人達を引っ立てて、ヘリの中へ積み込んでいく。立ち上がらされ、ど突かれて、並ばされて、小股にチョコチョコと歩く蓑虫のパレード。ヴィータは不謹慎ながら笑ってしまった。

 その時だった。

〈十時方向のクレーン塔に敵影!ライフルを持ってます〉天空からの暗号念話、市蔵ソラが叫んだ。

 それとほぼ同時に、武装犯の一人の頭が粉々に吹き飛び、コンマ数秒遅れで銃声が響きわたった。バインドをかけられたままのせいで、立ったまま血をまき散らし痙攣する死体。

 魔術に頼らない、音速を超える重質量弾での狙撃。それ故に、ここの魔道士達は誰一人として狙撃手の存在に気づけなかった。

〈二人とも、狙われています!〉

 ヴィータとシグナムは魔術でフィールドを張った。ガチャンと金属がたわむ音。コンマ数秒遅れの銃声。ヴィータの隣でシグナムが吹き飛んだ。二人で二重に張ったフィールドには、小さな穴が開いていた。

 うあぁあぁ、と獣じみた絶叫を上げるヴィータ。彼女はグラーフアイゼンにありったけのカートリッジをリロードすると、その破壊の権化と化した突貫鎚をぶん投げた。

 同時に銃声、頭を揺さぶる衝撃と意識の消失。赤いベレー帽が吹き飛び、地面に落ちた。『のろいうさぎ』の方耳は千切れ飛んでいた。

 一方、マギ・ジェットエンジンで加速されたアイゼンは、変形し巨大化し、巨人だって殴り殺せそうな金属の塊に変身して、狙撃手のいたクレーン塔に突き刺さった。

 銃撃は止んだ。

 ヴィータとシグナムは倒れたまま動かない。

 遥か上空8000メートルから、甘くひび割れた暗号念話の悲鳴が上がった。






[6695] 2/病室の鳥たち
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c621e98d
Date: 2009/03/04 22:47


 ヴィータが目を覚ますと、そこは病院のベッドだった。

「嗚呼、起きたのか」

 彼女の隣では、凶弾に倒れたはずのシグナムが椅子に座って林檎の皮を剥いていた。

「なあ、シグナム。ここは天国か?それとも地獄か?」

「さあな。もしかしたら失われたはずの転生システムの中かもしれんぞ」

シグナムはそう言ってからニヤリと笑って「冗談だ」と付け足した。

 ヴィータは腕に刺さったままの点滴が抜けないように気を付けながら身を起こすと、周りをグルリと見渡した。彼女の"特殊な生い立ちと体"を考慮してあてがわれたであろう一人部屋。窓の外では海が見える。意識が途切れる前まで戦っていた、戦いの海と空だ。ベッドの横にはもの入れを兼ねた小さな花瓶台。その上には懐かしい名前の書き込まれたブーケが数個、バードランド分隊、ブルーノート分隊、H・Q・ビレッジ・バンガード、隊員一同と書かれた、山盛りの林檎の入った果物籠、素っ気ない紙袋と、待機状態のグラーフアイゼンがペンダントの姿をとっていた。

 ヴィータはグラーフアイゼンのチェーンを掴むと、そのまま首にかけた。

「シグナム、あの後どうなったんだ」

「別に説明してやっても良いが、大丈夫か?無理は禁物だぞ」困った顔のシグナム。

「聞かないと気持ち悪くて眠れない。教えてくれよ」

「わかった。まずは悪いことについて話しておこうか」


 コホンと咳をすると、シグナムは携帯端末を取り出し、そのスクリーンに情報を浮かべた。

「こちらの損害だが、団員二人が負傷、つまり私とヴィータの二人だ。負傷の原因は対物ライフルによる狙撃。私は左胸を撃たれて、お前は頭のすぐ隣を掠めた弾丸に脳震盪を起こして意識を失った。グラーフアイゼンの無茶な起動も災いしたんだろう。そのまま魔力不足を起こして今に至ると言うわけだ」

「左胸を撃たれたのに、なんで生きているんだ?まさかお前、シグナムのお化けか」

「馬鹿言うな。二人分の魔力フィールドと騎士甲冑のお陰だ」

「それと胸の脂肪クッションもだろう?この、おっぱい魔神め」

 こらっ、と怒りの拳骨をお見舞いするシグナム。ギガ痛てぇ、と涙目で頭をさするヴィータ。仲良し姉妹の様相だった。

「それで、その狙撃手はどうなったんだ?まさか死んじゃいないよな」

「嗚呼、幸運なことにな。そして不幸なことにライフルごと海に飛び込んで逃げたらしい。行方不明だ。彼の残していった物的証拠だが、クレーン塔に突き刺さったギガント・グラーフアイゼンの下に、へしゃげた空薬夾が三つ落ちていた。第97管理外世界の規格で12.7x99mm弾という物だ。ただ、鑑識が言うにはワイルドキャットという物らしい」

「ワイルドキャット(野良猫)?」

「そう、ワイルドキャット。量産ラインに乗ってない特殊弾のことだ。私達に打ち込まれたのは、魔力伝導率が桁外れに高くなるように細工した、純銀弾だそうだ」

「魔力伝導率?それが高いとどうなるんだ?」

「魔力フィールドでは。防ぎづらくなる。レントゲンのX線みたいに、すり抜けるんだそうだ」

「うわぁ。最悪じゃん、それ」

 小さな穴の開いた、二重の魔力フィールド。定例で、護送犯にかけられる証人保護のための魔力バリアを突き破って、その頭を粉々にした弾丸。武装犯の頭が脳漿と血と頭蓋骨の破片になり果てた瞬間を思い出す。同時にヴィータの中で一つの疑問が湧き上がる。

「なあ、なぜ武装犯は殺されたんだ?仲間だったんだろう」

 それを聞いて「良い着眼点だ」とシグナム。

「口封じだ。彼はあの海上プラントの責任者で、そこで行われていたことの全貌を知る唯一の人間だった。プラント内のプログラムはすべて初期化、その上で念入りに破壊されている。製造に関わっていた人間でさえ、徹底した分業のせいで我々が来て初めて違法行為に手を染めていたと知ったくらいだ。全ては闇に葬られた。そういうことだ」

「全然駄目じゃん。あぁ、チクショウ。地球のことわざを思い出すよ。三歩いて二歩下がる、だっけ?」

「諺じゃなくて、歌の歌詞だ。それに、すべてを逃したわけでもない。武装犯の聴取で分かったこともある」

「例えば?」

「狙撃手についでだ。どうやら今回の作戦で潰した組織とは別の組織に雇われている人間だそうだ。武装犯に質量兵器のレクチャーをしたのも彼だ。武器の使い方は教えても、戦術までは教えてなかったみたいだがな。主に組織と組織のパイプ約を引き受けていたらしい。そんな有能で素敵な彼の人相だが『目深に帽子を被り、スーツの上から軍のお下がりフィールドコートをブカブカと着ていた。背は、男にしちゃ低く、女にしちゃ高い。声は高い』まるっきり正体不明だな。ついでに言うと、彼は物凄く目が良い。編隊を組んで飛んでいた我々を発見したのは、彼だったらしいからな」

「随分と曖昧な情報をありがとう。どいつもこいつも悪い話ばかし。めんどくせぇ」

 ヴィータはシグナムの手から剥きかけの林檎をもぎ取ると、バリバリとかじり、飲み込み、汁で汚れた手を行儀悪くシーツで拭った。そして「ああ酸っぱい。ヒヨッコ共め、安物買ってきたな。ああ、悪いことばっかしだ」と毒づいた。

「そうだ。悪いことばかりだ。でも、まだ全てが終わった訳でもない。挽回するチャンスは残っている」

「というと?」

「この事件は正式に航空12部隊長、我らが主、八神はやて部隊長の管轄になった。同時に我々航空12部隊バードランド分隊は通常シフトを外れ、この案件の捜査を任されることになる。明日からは忙しくなるぞ。今のうちに休んでおきたまえ、ヴィータ分隊副長」

 私たちの手で解決するチャンス。私たちの手で挽回チャンス。ヴィータは目の前に煌めくチャンスに目を輝かす。

「もちろん!上等だ。この胸くそ悪い事件を全部暴いて、犯人共をぶっ飛ばしてやるんだ。アイゼンの染みにしてやるぜ、分隊長殿」

「そうだ、その意気だ」

 一気に元気になったヴィータを見て、シグナムは安心する。そして立ち上がると、花瓶台の上に置いていた紙袋を手に取り、それをヴィータに放ってよこした。

「それの中身が、本日唯一の"良い知らせ"だ。それを拾った市蔵と、直した主はやてには後でお礼を言っておけ」

 そう言って病室から出ていってしまった。

 紙袋を開けると、それはヴィータ愛用の赤いベレー帽だった。地面に落ちて汚れたはずの布地は綺麗にクリーニングされていて、銃撃でちぎれてしまったはずの『のろいうさぎ』の方耳は縫い止められていた。耳の縫い後を隠すように、『のろいうさぎ』は花の耳飾りをつけていた。

「ありがとう、はやて。ありがとう、新入り」

 ヴィータは帽子を抱きしめて、小さく、小さく呟いた。







 くしゅん、と市蔵ソラはくしゃみをした。そして、誰かが噂でもしたかなと、ぼんやりと考えた。

 良い噂だといいな、でもきっと悪い噂だろう。そう、生まれついた悲観論で結論付けた。"良い情報は、大概の場合役に立たない物である。本当に必要なのは悪い情報だ"。生まれついての偵察兵根性だった。

 彼女は鼻をすすり、そして車椅子の車輪に手をかけ、車輪を進めた。そして、とあるドアの前にたどり着き、ノックをした。

 良い人だと良いな。でも、悪い人かもしれない。根っからの偵察兵根性で考えた。

 この考えは良い意味で裏切られることになる。そのことを彼女はまだ知らない。







 ヴィータが自分の病室で『のろいうさぎ』の赤いベレー帽を抱きしめてうたた寝していると、不意にノックの音が響いた。

「ソラ・イチクラ二等空士です」

 あわてて飛び起きるヴィータ。帽子を慌てて紙袋に戻してベッドの下に放り込み証拠隠滅。部下に、こんな感傷に浸っている情けない姿見せられるか!という意地が理由だった。

「はいっていいぞ」

 努めて冷静に言ったつもりだったが、実際の所は心臓バクバクで、声も「ひゃえっていいぞ」といった具合に裏返っている。情けなくて泣いてしまいそうだった。

「失礼します」と甘く掠れた声。不健康そうな声の理由は暗号念話だけでなかったらしい。

 ガチャリとドアノブを捻る音がして病室に入ってきた市蔵ソラは、色々な意味でヴィータの予想を裏切っていた。

 第一の裏切りは、彼女は自分の足で歩いていなかったということだ。市蔵ソラは車椅子に乗っていた。その車椅子を器用に操り、扉を開けて、閉めて、そして車椅子ごと回転してヴィータに向き合いお辞儀をした。

「初めまして。ソラ・イチクラ二等空士です。昨日付けで航空64部隊実験小隊から航空12部隊バードランド分隊に配属されました。未熟者ですがよろしくお願いします」

 謙虚で、静かで、軍隊気質の少ない口調。クラッシック歌手みたいに綺麗な音程と発音。今は静かな夕方で、ここ病室で、目の前にいるのは上司であるというTPOを満たした自己紹介。それが第二の裏切りだった。

「八神ヴィータ二等空尉だ。こんな小学生みたいな形だが、お前の配属されたバードランド分隊の副隊長だ。コールサインはフクロウ、鷹のように戦えて鳩のように平和を考えれるって意味。よろしくな、ソラ・イチクラ」

 ヴィータは手を伸ばし握手を求める。すると市蔵ソラは車椅子を器用に操りベッドに近づくと柔らかく握手をした。ミッドチルダの人間特有の力強い握手ではなく、日本的な撫でるみたいな握手だった。

「なあ新入り。もしかしてお前、日本の出身か?」

「はい。日本の出身です」

「やっぱりか。それじゃあソラ・イチクラじゃなくて市蔵ソラで呼んだ方がいいな。はやても日本の生まれだから同郷どうし仲良くしてやってくれ。ちなみに私や隊長のシグナム、医務官のシャマルも日本で住んでいたことがある。はやてや、その守護獣のザフィーラと一緒にな」

 ヴィータは自分の持ち味であろう親しみやすさを全面に押し出しつつ、シグナムの口調を真似ようとしながら言った。上官としての威厳と、自らのアイデンティティ(実力主義や下克上、無礼講、そして花より団子)の妥協案がそれだった。ヴィータ分隊副隊長、精一杯の猫かぶりだった。

「ありがとうございます」

 歌い終えた歌手がするみたいな、綺麗なお辞儀。それが第三の裏切りだった。

 ヴィータは少しだけ困惑した。資料で見た市蔵ソラという魔道士は、飛ぶことに特化した優秀な魔法空士だった。魔法空士達の"限界高度"の遙か上、対流圏界面の下を音速の数倍で飛び回り、数日間に渡る長距離飛行もこなし、その上で上空から地上にいる敵の数と、敵の持つデバイスの種類と、そこに刻んでいるシリアルナンバーまでをも確認して帰還する偵察のスペシャリスト。てっきりジェット戦闘機や軍事偵察衛星みたいなマッチョな十六歳が出てくると思ったら、実際はタンポポの綿毛みたいでハンデキャップを抱えた小柄な少女だったという現実。小学生みたいな形のヴィータ自身だって、二等空尉で、分隊副隊長で、教官資格も持っていて、しかも数百年の歳月を過ごした生きるロストギアです、と人の事を言えた柄出もないのだが、それでも驚きだった。

 改めてソラを観察するヴィータ。飛ぶのに邪魔にならないようだろう。髪は短く、前髪も整った眉の上で綺麗に切りそろえられている。日本人特有の黒髪黒眼と、高度飛行に必要な対紫外線処置で不健康なほどに白い肌のコントラスト。おまけに顔のパーツが小造りなせいで、酷く人形めいた印象を与えた。目には"見えすぎないため"の遠視用の黒縁メガネ、それだけが妙な愛嬌を振りまいている。着ている服は群青色の隊服、ヴィータより一サイズだけ大きいSサイズ。その上から、故郷で買ったのであろう、イギリス空軍の蛇の目が入ったB3の皮製フライトジャケットを羽織っている。その小さく線の細い体躯は軽そうで、確かに飛ぶには、または飛ばされるのには有利そうな印象を与えた。

「新入り、お前は飛行魔術と偵察が得意なんだってな。おかげでこの前は助かったよ。あんたが狙撃手を見つけてくれなきゃ、隊長副隊長共々なかよく殉職で、バードランド分隊は解散してたかもしれない。あと、帽子のこともある。本当に感謝だ。ありがとう」彼女があの"ヨダカ"であることを改めて確信し、軍隊マッチョでもないことを確認したヴィータは、いつもの口調に少しだけ戻してお礼をした。

「恐縮です」

 短く、しかし軍隊っぽく答える市蔵ソラ。

 そんな彼女にヴィータは、「そんな、かしこまらなくたっていいよって。"軽やかに"、"子供の心を忘れずに"。バードランド秘伝の、空を飛ぶための秘訣だ」

 そう言って笑った。

「同感です。空は軽いものを愛します。そして、空は子供みたいに正直で、眩しくて、残酷です。空にそっくりで、軽い子供なら空に愛されるでしょう」

「へへっ。お前、詩人だな。たしかに空は子供を愛するかもしれない。このあたしが言うんだから間違いない。空はきっと子供が大好きだ。私みたいに可愛らしい女の子がな」

「なんていうか。副隊長が言うと、ピーターパンやティンカーベルみたいに説得力がありますね」

「ばーか。それじゃバードランドじゃなくてネバーランドだ」

 子供みたいに邪気のない笑みで笑うヴィータ。それにつられて心底可笑しそうに笑うソラ。そんなソラの様子に満足したヴィータはコホンと咳払いをして息を落ち着ける。そして真っ直ぐソラの瞳を見つめる。

「なあソラ。バードランドは空を目指している。みんなが幸せになれるための空をだ。きっと大変な飛行になるだろうけど、ついてきてくれるよな?」

 そんな彼女に市蔵ソラは真っ直ぐ答える。

「私は鳥です。バードランドが空を目指している限り、私とバードランドは同じ空を飛んでいます」

 そう言って、ソラはヴィータの瞳を真っ直ぐ見つめ返し、微笑んだ。誰よりも高く飛べる癖に、地べたのひな鳥が空を見上げるみたいな笑みだった。

 ヴィータはそれを見て、心の底から笑ってしまった。数百年も生きている癖に、妹たちが卵を破るのを今か今かと待ちわびる、お姉さんひな鳥みたいな笑い方だった。

 二人は嬉しくて、ひな鳥のように笑ってしまったのだった。







[6695] 3/加速と飛行
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c621e98d
Date: 2009/03/04 22:52



 クレナガンを横切るミットチルダ首都高速道路。そこを黒いスポーツカーが疾走していた。

 ハンドルを握っているのはフェイト・T・ハラオウン執務官、助手席に座っているのはティアナ・ランスター執務官補佐。二人は捜査のために移動している最中だった。

「フェイトさん。これって本当なんですかね」

 ティアナが書類の束をピラピラと捲り、目を通しながら呟いた。

「捜査依頼が正式に来ているんだし、本当じゃないのかな」

 フェイトがクラッチを踏み、ギアを更なる高速な物に切り替えてながら返した。

「でも、書類に書いてある内容は無茶苦茶ですよ?」

「そうなの?」

「そうですよって、聞いてなかったんですか?さっき、あれほど説明したのに」

「あはは。この車、メンテナから返ってきたばっかしで嬉しくて、嬉しくて。加速の伸びとか、高速走行での安定したエンジン音とか、滑らかなステアリングなんかに気を取られて聞いてなかった」

 執拗な車線変更で対向車を追い抜く至福に顔を綻ばせるフェイト。そして止めの一言。

「もう一ぺん説明してくれると嬉しいな」

 溜め息を吐くティアナ。運転席に座る、容姿端麗、頭脳明晰、強くて優しくて、優秀な執務官の癖に、ちょっぴりドジで、子煩悩で、スピード狂とバトルマニアの気がある上司に少々ウンザリしつつ、持ち前の世話焼きの精神で「今度こそちゃんと聞いてくださいね」と、説明を始めた。

 話の粗筋はこうだ。

 事の起こりは二日前の早朝四時、陸士海岸警備隊の巡回艇がクレナガン近海上空を高速飛行中の人間大の巨大な"タカ"のような影を確認したことから始まる。

 上空を旋回する"タカ"の追跡を試みる巡回艇だったが、"タカ"の速度に船足が間に合わず追跡を断念。同海域内で作戦行動を終えたばかりの航空12部隊バードランド分隊に調査を依頼するも「こっちは隊長と副隊長が撃たれて大変なんだよ!別の所に頼みな」と拒否。代わりにバードランド分隊の後詰めとして備えていた航空12部隊ブルーノート分隊第一班と同部隊の後方支援を行っていた航空12部隊ビレッジ・バンガード司令部が"タカ"の追跡を開始。しかし音速の80から120パーセントの高速で、しかも魔道空士達の"限界高度"を超えて飛行する"タカ"に「ああ。こりゃあ俺らには無理だ」とブルーノート分隊第一班が追跡を断念。後はビレッジバンガード司令部と陸士沿岸警備隊のレーダーによる監視で追跡。それも"タカ"がクラナガン旧移民街の上で姿を消したことで断念。

 翌日、「"タカ"の正体は小型の飛行機である」と判断した陸士海岸警備隊は一個小隊でクラナガン旧移民街を捜索。しかし手がかりは掴めず。結局はブルーノート分隊隊員達の「あれは生きていたよ。羽も自由自在に羽ばたかせていたし、頭の所に"人の顔"が張り付いていて笑ってやがったんだ」という怪談じみた証言を根拠に「"タカ"の正体は飛行能力に長けた魔道士または幻獣の類いである」と、今までの考えを訂正した。

「そして私たちは、陸士海岸警備隊に"タカ"の所在、その正体、違法性はなかったかどうか等を調べてこい、と依頼されて今に至るという訳です」

「要するに、丸投げ?」

「尻拭い、なんて言葉もありますよ。要するに私たちはトイレットペーパーです」
二度に渡る長い、長い説明を「要するに、丸投げ?」の一言で纏められてしまったティアナは、皮肉めいた口調で言った。

「でも航空12部隊が追いつけないスピードなんて、ちょっと信じられませんよね。あそこははやて隊長の指揮ですし、ブルーノート分隊だってシグナムさんやヴィータさんのお墨付きですし」

「単純に速度負けしたってことじゃないかな」

「"音速"で"限界高度"の上をってことですか。まあ、そんなことされたら、誰だって追いつけれませんよね」

 ほぼ生身で空を飛ぶ魔法空士にとって、"音速"と"限界高度"は分厚い壁だった。音速を超えるスピードを出す魔術も、限界高度を破る魔術も、開発はされていたのだが、それは常に危険と代償を求める魔術だった。音速を超えれば、ソニックブームに引き裂かれて墜落する。限界高度を超えれば、低酸素症や氷点下を下回る寒さや渦巻く風で意識を失い墜落する。強い魔術に弱い体が耐えれない、片道切符の魔術だった。

「フェイトさんでも、越えるのは無理なんですか?」

 ティアナは優れた空戦魔道士でもある上司に問う。すると、フェイトは「流石に無茶かな」と苦々しく笑った。

「一瞬とかなら越えたりもするよ。でも私の貧弱な防御魔法じゃ数秒間が限界。あれは人間のままで飛べる世界じゃない。"鳥"にならないと無理かな」

 何かを思い出すように言うフェイト。そんな彼女にティアナは更なる質問をぶつけた。

「フェイトさんは越えたいとは思わないんですか?」

 するとフェイトは「世界が違うんだよ」と、困った顔になった。

「昔にね、限界高度を超えて音よりも早く飛ぶ人たちに会ったことがあるんだ。みんな鳥みたいな人だった。飛ぶことと、生きることと、その二つしか持ってない人たちだった。なのに、二つしか持ってないのに、『まだ、体が重たいんだ』って言うんだよ。私には無理。私が飛ぶとき、私はたくさんの物を背負わないといけない。剣や盾となり一緒に戦ってきたデバイス。幾つものリミッターとセーフティーで雁字搦めにされた飛行術式。身を守るためのバリアジャケット。ミットチルダや管理局の法。執務官としての使命。フェイト・テスタロッサ・ハラオウンとしてのアイデンティティ。必ず生きて地上に返ってくるんだって決意。そして、地面から私を見上げる大切な人たち。どれも私には捨てられない」

 フェイトは相変わらずの困った笑みだった。そんな彼女を見て、ティアナは悟る。嗚呼、この人も音速を超えて"限界高度"を目指したことがあるんだと。

「それで、彼らはどうなったんですか?」

「飛んでいってしまったよ。みんなで編隊を組んで、渡り鳥みたいに翼を広げて、管理外世界の空を飛び回って情報を集めるだって。でも一個小隊で飛んでいって、生きて帰ってこれたのは小さな女の子が一人だけ。その女の子も冷たい空の風で凍傷になってて、帰ってきたときは足が腐り落ちて無くなっていたの。彼女は言ったの。重たい人から落っこちていった。私は一番軽かったから、最後まで飛んでいられた。足二本分軽くなれたから生きて帰れたんだって」

 フェイトは鉛を吐き出すみたいに苦しげに語っていく。その様子に、ティアナは今更ながら後悔する。

「小隊が全滅したことで音速と限界高度を超える研究は凍結になった。余りにも非人道的だってね。私が知っているのはここまで。暗い話になっちゃって、ごめんね」

 その様子にティアナは「まったく、もう」と溜息をついた。

「フェイトさん。後ろつっかえているの、気づいてます?あと、エンストしかけてますよ」

「え?あ!」

 素っ頓狂な驚きの声。フェイトのテンションと一緒にスピードを落としていったスポーツカーはガリガリ、プスンと止まりかけ、彼女は慌ててギアをチェンジした。ノロノロと走る彼女たちの横を、迷惑そうにクラクションを鳴らす車が次々と走り去っていく。ガクンガクンと痙攣を起こしてエンストしかけるスポーツカーを、ファミリー使用の乗用車が次々に追い抜いていく。泣きたいくらいに間抜けな光景だった。

「そのうちトラクターにだって抜かれちゃいますよ。さあ、アクセル踏んで、加速して、最高のギアでかっ飛ばしましょう。追い抜かれるのは嫌でしょう?」

 ティアナは運転席に座る感受性が少々強すぎる、しかし愛すべき上司に加速を促す。スピード狂とバトルマニアの気がある彼女のことだ。ハイウェイをぶっ飛ばし、対向車を一つ追い抜く度に元気を取り戻していくだろう。ティアナなりのフォローだった。

 二人を乗せたスポーツカーが加速していく。ついさっきまで彼女達の横に並び追い抜こうとしていた『過去』が、後ろの方へ引き離されていく。そして、やがては見えなくなってしまった。

 黒いスポーツカーはどこまでも加速していったのだった。







 ヴィータとソラは、二日前に戦った海上プラントの上に居た。実際に戦闘に携わった隊員の話を聞いておきたいという、八神はやて隊長の呼び出しだった。

 ヴィータは副隊長であり、一番に現場に駆けつけたアタッカーであり、一番派手に暴れ、壊した、作戦のマスターキー(万能錠)でバスターキー(破壊錠)。市蔵ソラは、上空8000メートルから作戦を監視し、誰もが油断していたあの純銀弾狙撃の瞬間でさえ索敵を怠らなかった、優秀な観測手で偵察兵。どちらも現場をよく知る二人だった。

 そんな二人は、甲板の上で顔を不快そうに歪めている。

「なあ、新入り。ここ、すげー臭くないか?」

「同感です、先輩。肉の、それも人間の腐った臭いです」

「よくわかったな。新入りの癖に」

「昔、色々あったんです。嗚呼、思い出したら痒くなってきた」

鼻を摘みながらフガフガと喋る、しかめっ面のヴィータ。蕁麻疹でもでたのか、車椅子の上でもがき、痒そうに膝を掻くソラ。甲板で作業をしていた鑑識官が呟く。「せっかくのベッピンさんが台無しだ」

 そんな残念な二人に向かって「やー、やー。お二人さん。元気しとっかかいね」と元気な声。八神はやて隊長の声だった。

 敬礼で出迎える二人。丁寧なくせに軍隊ぽさのぬけた敬礼のソラ。「ふあ、ふんが、ずびび」と臭いで馬鹿になった鼻で、間抜けな敬礼のヴィータ。

「二人とも、急に呼び出してしまってゴメンな。特に市蔵さん。ヘリじゃ大変だったでしょう」

 はやてはソラの車椅子を見て言う。

「ここは幸いにもバリヤフリーな場所やから、ヴィータに押してもらえば安心や。じゃ、頼んだで。ヴィータ」

「あいよ。分隊副長直々に運んでやるんだ。感謝しろよ」

「感謝します」

 世話好きな上司に押されて、ソラはカラカラと進んでいった。乱暴なヴィータのことだから恐ろしいジェットコースターを想像していたのだが、予想に反して快適な進み心地だった。車椅子を押しなれている。ソラはそう感じた。

 ソラは、この航空12部隊の上司たちに感謝していた。はやても、シグナムもヴィータも、車椅子姿のソラを迷惑がらずに受け入れてくれた。バードランドの隊員達も最初こそ訝しがっていたが、ソラが飛ぶ姿を見た途端に「空は任せた。陸は任せろ」と車椅子の背を押してくれた。

 マイペースなファビアン、メランコリックなリヴィエール、ダンディーなルルー、神秘主義者のペルラン、堅物のロビノー、皆をまとめるリーダーのシグナム、そしてソラが一番の信頼と憧れを抱いているヴィータ。みんな優しい仲間だった。だからだろう。ソラはバードランドの守護天使になるんだと意気込んだ。誰よりも早く戦場に出て、誰よりも早く敵を見つけて、"限界高度"の遙か上から守ってやるんだと。

 しかしソラの耳元で"鳥"の心がそっと囁く。"軽くあれ。空は軽いものを愛するんだ。そんなに沢山背負っちゃ飛べないぞ"。

 重たい人から墜ちていく。ソラが64実験小隊で学んだことの一つだ。

 はやてを先頭に、ソラとヴィータは進んでいく。プラントの中は何かの研究所のような様相だった。白い廊下に、ガラス張りの部屋が並び、その中に様々な器具がおいてある。進むごとに廊下は荒れ果て、あらためて戦闘の凄まじさを思い知らされる。進むごとに腐臭は強くなり、訳の分からない不安が押し寄せてくる。

 "軽くあれ。不安は鉛だ。太り続ける、生きた鉛だ"。

 痒む。体中が霜焼けになったみたいに痒む。腐る臭い。足が腐れ墜ちる臭い。対流圏界面のマイナス70度で、足が凍り付く臭い。35・7度の血が腐れた足を温め、細菌が繁殖する臭い。全身の皮膚が凍りつき、毛細血管が破れる痒み。無いはずの足が痒む臭い。腐った物は切り落とす。体が幾分軽くなる。また"鳥"になれる。軽くあれ。空が私を愛してくれる。「おい、ソラ。大丈夫か?顔が茄子みたいに真っ青だぞ」

 ヴィータがソラの異変に気付き、心配そうに顔を覗き込む。

「先輩、人の顔をたべものに例えないでください。どれだけ食いしん坊なんですか」

「せっかく心配してやってるのに。この、おたんこなす」

「ヴィータは育ち盛りで食い盛りやもんね。でも、ほんまに大丈夫」

「はい。臭いにあてられただけです」

 嘘ではない。臭いには進むごとに強くなり、公害レベルの所まできている。ヴィータは鼻をズビズビ言わせながら「臭くて鼻が曲がっても、労災っておりるのか?」と、はやてに聞いている。

「この臭い、いったい何なんですか」

「そういえば、まだ言っとらんかったね。実はね、製造ラインの防護壁がおりてもうて、こじ開けるのに丸一日かかってもうたんや。そうしてる間に中の"製品"が腐り始めてもうて、この様。本当に運があらへんよ」

「はやて、その"製品"ってのはいったい何なんだ。この臭いは異常だぜ。戦場の匂いだ。はらわたから漏れるシッコとウンコの臭いはしないけどな」

 ヴィータのストレートかつ下品な口調にコラッと一喝、そして「腐ってるのは人造臓器。ここは人間工場や」とはやては言った。

 そして、不気味な扉が現れる。攻撃魔法でボコボコにへっこんだ、防護壁だ。腐臭はそこから漏れだしている。

「これが例の扉や。そしてこの奥が製造ライン。今、地方世界から駆り出されてきた『うみ(時空航行部隊)』の防疫08部隊の皆さんが一生懸命消毒中。ほんとは身内の『りく(地上本部)』の防疫部を使いたかったんけどな、広域洗浄に慣れた『うみ』の部隊をつかえって本部の提督さんから横槍が入ってな。ほんと指令系統が違うから、大変よ。生産ラインの捜査権も獲られてもうたしね。ともかく、どうにかバイオハザードは防げたけど、臭いは我慢してくれってな。さあ、こっちや」

 扉の横を素通りし、更なる奥へとすすむ三人。ソラは考える。あの扉の向こうに、足は無かっただろうかと。私の腐れ落ちた足に代わる足。同時にこうとも考える。たとえあったとしても、私はつけない。"軽くあれ"。足二本分の軽さを私はとるんだろうと。

「二人に見て貰いたいのはコレや」

 はやてが大きな扉を指差した。先程の防護壁に似た重たい扉。「三重の鋼鉄製の扉。内側にはアンチ・マギ・フィールドが張れる特別製。ただ、フィールドは強襲時の停電で駄目になっとるけどね」と、はやては扉の操作パネルをいじりながら説明した。

 ガランガランと物々しい駆動音。扉がゆっくりと持ち上がっていく。

 扉の向こう。最初に見えたのは破られた檻だった。羽の生えたライオンを飼うならば、こんな鳥籠が必要なのだろう。そう思わせる頑丈な檻が、力任せに破られていた。

 二つ目に見えたのは、部屋の壁を裂く、巨大な裂け目。その裂け目から、海と空と、遠くに見えるクラナガンの街並み。

 "何か"が逃げ出した。そして"何か"は空を飛び、または海を泳ぎ、どこかへ行ってしまった。裂け目から見えるクラナガンの街並み。もしかしたら、そこ"何か"はに行ってしまったのかもしれない。

「このプラントなんけどね。フル稼働させたら人間のパーツを一通り作って、それを組み立てることができるらしんよ。ここに、いったい"何"が居たんやろうね」

 ヴィータは思い出す。振り上げた鎚の先、背丈ほどもある黒塗りのライフルを構える狙撃手の姿を。シグナムの鎧を抉った、純銀弾の銀粉末の輝きを。

 ソラは思い出す。ヴィータとシグナムを撃った後に、まるで硝子のように透明になって消えてしまった狙撃手の姿を。そしてソラは見ていた。壁を突き破り、大空へ飛び立とうとする"タカ"の姿を。その"タカ"に魔法をかけ、硝子のように透明にしてしまった狙撃手の姿を。

 そして同時に聞いていた。

〈私、飛んでいいの?〉

〈嗚呼、君の好きにすればいい。君は飛べる。飛べばいいんだ。邪魔する奴は僕が撃ち落としてあげる〉

〈でも、飛んじゃいけない気がするの。"まだ、体が重たいんだ"〉
郷愁と衝撃が到来した。懐かしい声。それが、懐かしい"航空64部隊実験小隊"の暗号念話変換コードで飛んできた。

 海水のように透けた体で、海に落下していく狙撃手。空気のように透けた体で、空に向かって飛んでいった"タカ"。ソラは"タカ"を逃がしてあげたいと思った。"タカ"、彼女も"鳥"なのだ。私とおなじで。

〈ヨダカから、H・Q・ビレッジバンガードへ。狙撃手が海に逃亡。あと空に向かって"何か"が飛んでいきました。両方とも高度な幻術で姿を隠しています〉

〈ビレッジバンガードから、ヨダカへ。狙撃手の方を優先的に探索してください。溺れた可能性もあります。できる限り迅速に〉

〈ヤー(了解)〉

 かくして、"タカ"は航空隊の追跡を振り切り、狙撃手も生死不明のまま行方不明だった。ソラの願いは叶った。その時の一点一時のみに限っては、だったが。

 そして今、三人は壁の裂け目、その向こうに広がる景色を睨みつけている。

 ヴィータは狙撃手のことを思いながら、海を。ソラは"タカ"のことを思いながら、空を。はやてはこの謎めいた事件のことを思いながら、クラナガンの街並みを。

「ヴィータ二等空尉、市蔵二等空士。狙撃手と、ここにいた正体不明の怪物を捕まえて、今回やらかしたヘマを返上するで。私たちの汚れは、私たちで拭うんや」

 私たちの汚れ。ソラはその言葉を何度も反芻する。あの"タカ"は私たちの、航空64部隊実験小隊の"汚れ"なのかもしれない。

 過去からやってくる不吉な予感に、ソラの足がグズグズと痒んだ。"軽くあれ"。後から後から押し寄せてくる過去が、重たくて、重たくて。ソラは今にも墜落してしまいそうだった。







[6695] 4/羽ばたきの練習と叫ぶ練習
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c621e98d
Date: 2009/02/18 10:05



ヴィータとシグナムは騎士甲冑姿で、演習場のど真ん中に立っていた。周りには灰色のバリアジャケットの、バードランド分隊隊員が集まっている。これから訓練だった。

「よし、みんなそろったな」とシグナム。その言葉に「まだ、イチクラの嬢ちゃんが居ないようだが?」とルルーが言った。

「あいつなら空だよ」とヴィータが上を指差す。

「空?」と全員が上を向くと、黒い十字架のようなシルエットが、鳥のように飛んでいた。それがソラだった。

「飛行許可が出た途端、文字どおり飛んで行った。よっぽど好きなんだろうな」

ほったらかしの車椅子を指差し、シグナムが言う。車椅子の上には靴の付いたままの義足が二つ。ヴィータは今更ながら「本当に歩けないんだ」と思った。同時に、切り離された足を見て「何かの儀式みたいだ」とも思った。"空は軽いものを愛します"。歩くための足を捨てて、空をとぶ軽やかさを手に入れる儀式。ますます鳥みたいだと思った。

「では、始めるとしよう。訓練内容は前もってデバイスに送った通りだ。飛ぶぞ」

開始のかけ声。ヴィータが飛び立ち、他の隊員達も後に続いた。

ソラを交えて初めての、バードランドの訓練が始まった。







訓練の内容は、ドローン(無人機)をつかった対物魔法戦だった。

〈ヨダカから、バードランドへ。目標の数は十六。音速の70パーセントで編隊を組んで飛行中です〉

上空8000メートルからの暗号念話。コールサイン・ヨダカこと一蔵ソラの声だった。

〈ヤー(了解)。これからあたしが目標を引っ掻き回す。その情報をシグナムに伝えろ〉

〈シグナムじゃくて『ワシ』じゃないんですか?ちゃんとコールサインで呼ばないと〉

〈いいじゃん。面倒くさいんだよ。じゃ行くぞ。ファビアンもついて来い。二人だけで、全部落としちまおうぜ。アタシが上から。ファビアンは下から。サンドイッチだ〉

〈了解しました。自分はいつでも大丈夫です〉

〈じゃあ行くぞ。ついて来い!〉

深紅の魔法光を放ち、一気に加速するヴィータ。その後ろをピッタリと追随するファビアン。やがて仮想敵であるドローンが見えてきた。人工筋肉で動く羽と、人工のリンカーコアの魔力で飛行する、嘴のない一つ目のカモメ。その気味の悪い白い羽の一団が、Vの字に編隊を組んで飛んでいた。そのVの字が突然バラバラに散り、十六羽の軍団がくすんだ赤の魔術弾を放った。

すかさず、ヴィータは上に、ファビアンは下に避けた。ヴィータは十六羽の軍団の上を穫ると「アイゼン!弾をだせ」と愛鎚に命令を出した。

〈ヤー〉と短い電子音。同時にヴィータの目の前に銀色の砲弾が五つ出現。それに向かってアイゼンを大きく降りかぶり「ガンホー(突撃)だ」力任せにぶん殴った。

運動エネルギーと位置エネルギーを伴って飛んでいく銀色の砲弾。五発中四発が命中、そして絶命。哀れな人造カモメは人工筋肉から紫の血を撒き散らし、乱れた弧を描きながら墜落した。

生き残ったカモメたちの魔力弾が、赤い嵐になってヴィータを襲う。とっさに盾を張るヴィータ。そして、

〈副隊長、三秒だけ耐えてください〉ファビアンの念話。

デバイスを構えた彼の目の前に出現した、三つの円形魔法陣。そこから幾百の魔法弾が出現。ヴィータを避けるようにカモメたちを穿った。

ヴィータへの攻撃を止め、盾をはり散り散りに逃げるカモメたちだったが、二羽が墜ち、三羽が傷を負った。

〈遅い。四秒かかった〉とむくれるヴィータ。

〈すいません〉と謝るファビアン。

〈二人とも謝っている時間はありません。六時方向二人の間に敵!〉と、甘くひび割れた暗号念話のソラ。ファビアンの魔法陣がヴィータの背後をとったカモメ一匹に弾幕を打ち込んだ。羽を消しとばされ失速するカモメ。そいつをヴィータはアイゼンで殴りつけ、止めを刺した。

〈あと九羽。リヴィエールとルルーは十一時方向の敵を撃て。外してもいい。けして仲間と合流させるな〉

〈ヤー(了解)。リヴィエールいくぞ。副隊長の嬢ちゃんを助けるんだ〉

〈ルルー、相変わらず子供が好きだな〉

ルルーが誘導弾を放ち、カモメを追い詰める。しかし、カモメはその速力と機動力を生かして、ルルーの撃った誘導弾を振り切った。しかし、振り切った先には仲間は一人もおらず、代わりに大量の魔法陣を浮かべたリヴィエールがいた。〈哀れなドローンに合掌。援護してくれる仲間って大切だな〉。魔法陣の一つに正面衝突したカモメが、グシャリとつぶれて堕ちた。〈残り八羽です〉。

シグナムは天空から飛んでくる暗号念話の膨大な情報に、不敵な笑みを浮かべる。まるで空から見守る天使の瞳を手に入れたみたいに、戦場の様子がわかるのだ。速力と機動力で空戦魔導師に勝るドローンは、普段なら厄介な相手だった。それを一方的に手玉に取れる喜び。シグナムは空からの声に感謝した。

〈敵四羽を追い込んだ。そっちでしとめてくれ〉

魔法弾を撃ちながら、ペルランが四匹のカモメを追い立てる。彼の耳元では〈下のが八時に逃げようとしてます〉だとか〈真ん中に魔法反応、反撃です〉だとか、常にソラの暗号念話が聞こえていた。彼はソラの声に従って、自慢の機動力で敵を追い立てる。それだけで面白いくらいに敵の統制が崩れるのだった。
ペルランはカモメを追い立てる。そしてカモメの動きが単調になった瞬間、

〈後は任せた〉

〈ああ。任された〉

突如として出現したバインドが、二匹のカモメの羽を縛った。拘束魔法による失速と慣性で羽をもがれた二匹は、そのまま墜落し絶命した。ロビノーの仕掛けたバインドだった。

生き残ったに二匹が別の一匹と合流し、反撃を開始する。頭部に魔力の刃を着剣し、その嘴でロビノーに襲いかかろうとしたその瞬間。

〈ロビノー。頭を下げてろ〉

カモメ達から死角になったロビノーの後ろで、抜き放たれる銀色の魔剣の輝き。シグナムが愛剣レヴァンティンに炎を纏わせ、一閃。カモメは炎につつまれ、やがて消えた。

「あと三匹」

シグナムは次の命令を出そうとして、そして自らの失敗に愕然とした。

のこる三匹のドローンは、自分達の"限界高度"の遙か上を飛んでいた。

〈敵の狙いはソラだ!打ち落とせ〉

バードランド小隊全員がソラを守るべく、魔法弾を天空の敵に向かって撃った。一匹が直撃を受け絶命し、一匹が傷を負った。傷を負った一匹は"高速飛行"と"限界高度"に耐えきれず、弾丸のように閉じていた羽を有り得ない方向に広げると、そのまま墜落した。しかし残り一匹は依然飛んだままで、バードランドのキルゾーン(射程圏)から脱出し、一直線にソラを目指して飛んでいた。

〈あたしが行く!〉と、ヴィータが叫んだ。

〈止めろ。"限界高度"の上だぞ。訓練で墜落したらどうする〉シグナムが引き止めた。

〈うるさい!これが実戦だったらどうするんだ。あいつは"飛ぶ"ことしか出来ない。攻撃魔法が使えないんだぞ〉

ヴィータはシグナムの制止を無視し、飛んだ。一蔵ソラは飛行魔法に特化した魔法空士だった。それ故に、攻撃魔法の類は全く使えなかった。彼女は無防備だ。だから守ってやらないと。ヴィータはその一心で飛んだ。

しかし、それでも限界が来た。骨まで凍ってしまいそうな寒さ。荒れ狂い、読めない風。薄くなる空気。万能防御を誇る騎士甲冑でさえ打ち消せない、残酷な世界がそこにあった。これがソラの世界。"限界高度"の上。機械仕掛けの飛行能力にものを言わせ飛んでいくカモメと、黒い十字架みたいなシルエットのソラを見上げて泣きたくなってしまった。

〈ごめんな、新入り。あたしはお前の所まで飛んでいけない。お前を守ってやれない〉

長い羽を広げる黒い十字架が、ゆらりと揺れた。もしかして、あたし泣いてるのか?ヴィータが目をこすると、手袋の上で涙が凍った。そして天空からの暗号通信。

〈わかりました。今から先輩のところまで降りてきます。しっかり守ってください〉

黒い十字架が、羽を畳んだ。そして、物凄い速度で落下してきた。音速の数倍で墜ちてくる、真っ黒な槍。それがドローンの隣を掠め、吹き飛ばし、ヴィータの隣で大きく翼を広げた。

キシキシキシキシキシッ。耳をつんざく騒音。その両腕は、身長の倍程もある長大な翼に変わっていた。その羽が裸体のブロンズ像みたいなバリアジャケットの胴体から生えている。その下には足は無く、代わりに音叉のような二本の黒い棒が、これまた身長の倍程もある長さで、尻尾か尾羽のように生えていた。二本の棒は音叉のように振動しながら、キシキシキシキシキシッ、と騒音をあげている。それが彼女の推進力だった。

その姿は"鳥"だった。目の前の黒く巨大な"鳥"が、あの小柄な一蔵ソラだと信じられず、ヴィータは"鳥"の顔を見た。ブロンズのデスマスクのように固く黒い肌と髪だったが、それは確かにソラの顔だった。ヴィータが空を飛ぶソラを見たのは、これが初めてだった。

〈先輩、守ってくださいね。下で待っています〉

口を動かさずに、ソラが暗号念話で呟いた。そしてキシキシキシキシキシッと、二本の音叉の推進力で、空を切り裂き、下へと飛んでいった。

〈ああ、守ってやるよ。約束だ〉

ヴィータは真っ直ぐ、ソラの元へと飛んでいった。







下はソラとドローンの独壇場だった。
ソラが長大な羽を翻し、ドローンを振り切ろうと旋回し、飛び上がり、時には落ちて、あらゆる手段でドローンの魔力弾を避けていた。その後ろを、機械仕掛けの飛行能力で直進し追撃するドローン。ソラもドローンも、ほぼ音速で飛び回っていて、バードランド分隊は援護の使用もなく、外れるとわかっている魔力弾を撃つくらいしか出来なかった。

そんな中でもソラは諦めず、逃げ続け、ドローンを倒す機会を伺っていた。"ああ、守ってやるよ。約束だ"。ヴィータの言った言葉を信じ、それが来るタイミングを計っていた。

ふと、ソラの目が上空に"それ"を発見した。途端にソラは、今までの『羽を翻しながらのジグザグ飛行』を止めると、羽を畳み体の全面を固いフィールドで覆った。そして、めいいっぱいの加速で、直ぐに音速の150パーセントという馬鹿げたスピードに到達した。キシキシキシキシキシッ。自らの発する騒音でさえ、遙か後ろに追い抜かし飛行するソラ。彼女を追うべく、ドローンもありったけの加速で追撃した。

赤い弾丸が翼を掠めた。ドローンの魔力弾頭。ソラはおもいっきし体を右に傾けると、航空力学の神秘や、慣性の法則や、翼を掴む遠心力を敵に回して急旋回。だというのに、ソラはドローンの放つ魔力弾を数発受けてしまう。それは"限界高度"とソニックブームからでさえ彼女を守る魔法力場でかき消されはしたが、同時に力場を維持するための魔力をゴッソリと削り取った。それでもソラは加速を止めない。風圧で広がりそうになる翼を必死で体に押し付け、下半身から生えた『音叉』で青い魔力を燃やし"それ"を目指した。そしてついに"それ"に到着した。

ソラは唐突に羽を広げた。羽から広がる力場が彼女の体に強烈なブレーキをかけた。そして『音叉』をふり、そこで燃やしていた青い魔力の燃え滓を、高速で突っ込んでくるドローンの単目に向かって盛大にふりかけた。

青い光のスモークに視界を奪われた単眼カモメは、ほぼ音速のままソラの横を通り過ぎ、操縦不能な数秒間で数キロメートルも進んだ後に"それ"にぶつかって、潰され、墜落した。

ドローンを押しつぶした"それ"は、天空から自由落下してきた、戦艦大にまで巨大化したグラーフアイゼン。そして、それに乗ったヴィータだった。
アイゼンの機関部から、三発の使用済みカードリッチが廃夾される。同時に込められていた魔力が霧散して、アイゼンは元の小ささに戻った。

「おい、新入り。助けにきてやったぜ」

アイゼンを担いだヴィータが、不敵に笑った。"泣いたカラスがもう笑う"。ソラは黒く堅い仮面の下で、小さな守護騎士に向かって微笑んだ。

〈ヨダカから、バードランドへ。ヴィータ副隊長が敵を撃滅。作戦終了です〉

こうして、新生バードランド分隊、初めての訓練が終了した。

歓声が、空のあちこちから上がった。







訓練を終えたヴィータは少々ウンザリした顔で、航空12部隊の官舎屋上に立っていた。彼女の隣には女隊長シグナムが生き生きとした顔で立っていて、更にその横には一蔵ソラが車椅子に乗って座っていた。

官舎の下のでは、バードランド分隊とブルーノート分隊。さらにはH・Q・ビレッジバンガードや整備師の面々も揃っている。その人だかりの一番後ろで、八神はやて部隊長がメガホンを持って叫ぶ。「準備オッケーや!」

ソラは緊張した面持ちで両手に握っていたアルコール飲料を「いただきます!」と一気にあおると、自分の持てるありったけの肺活量と、恵まれない声量と、なけなしの勇気と、このまま屋上から飛び降りてしまえるほどの自暴自棄で叫び始めた。

「失礼します!時空管理局、ミッドチルダ地上本部航空12部隊、バードランド分隊所属。第97管理外世界、地球。日本、岡山県つや、ごぶっ。ごほん、ごほん」

一時中断。「あっ、むせた」と、ヴィータが呟く。咳も止まり、しかし真っ赤な顔で涙目のソラ。そして大きく息を吸い込んで再開。

「失礼しました!時空管理局、時空航行部隊航空64部隊実験小隊から配属されました、一蔵ソラ二等空士です!よろしくお願いします!」

叫び終え、ぜえぜえと肩で息をするソラの下で、歓声が上がった。

「僕も昔やったな」とリヴィエール。ルルーが酒を次ぎながら「気合いの入った嬢ちゃんだ。噛みまくってた副隊長と大違いだ」。ペルランが「我らの守護天使は根性も据わっているということさ」と返す。ロビノーが「職務中に酒なんて」と、それでも杯は離さない。ファビアンが「物資は行き渡りました。号令を」とはやてに報告。そして八神はやて部隊長は叫ぶ。「我らが航空12部隊と、一蔵ソラ二等空士に幸あれ。乾杯!」

「乾杯!」

馬鹿騒ぎが始まった。

新入りの度胸試し。航空12部隊に脈々と伝わる伝統の儀式だった。またの名を、馬鹿が勤務中に酒を飲む口実ともいう。

そんな馬鹿共に毒されたシグナムは、地上の様子を満足げに眺め、酒を傾けている。そこに、かつての真面目で堅物なシグナムの姿は無かった。朱と交われば、朱にそまる。それが真面目な真っ白ならば、尚更ということだろう。

「おい、新入り。こうやって人は毒されていくんだ。覚えておけ。ちなみに、あたしらもやらされた」

「心中、お察しします。先輩、これでも飲んで忘れましょう」

「ありがとうな。わかってくれるのはお前だけだ」

ヴィータは苦難を乗り越えた新入りに、ソラはかつて同じ試練を乗り越えたであろう先輩に。「乾杯」と互いの酒を打ちつけ、グビリと飲み干した。ビールの味は、陽気な苦難によく似た、顔の赤くなってしまうような苦い味だった。





[6695] 5/魔法と銃と白い翼と
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c621e98d
Date: 2009/02/18 10:07



正体不明の"タカ"の情報を追っていたフェイト・T・ハラオウン執務官とティアナ・ランスター執務官補佐は、とある雑居ビルの屋上で缶コーヒーを飲みながらうなだれていた。

「夕日が沈みますね」

「だね」

その日の二人の働きぶりといえば、三流ゴシップ紙の超常現象ディスクの記者。または、オカルト雑誌のインタビュアーといった趣であった。クラナガン中の陸士治安部を巡り渡り「この辺で巨大な"タカ"を見た人を捜しているんですけど」と質問する。これがゴシップ紙記者やオカルト雑誌インタビュアーだったら「じゃまだ、どけ。仕事中だ」と追い返されたのだろうが、二人は執務官、しかも美人でやり手だった。治安部の陸士達は敬礼付き、またはお茶のお誘い付きで「第3ブロックのストークさんが、旧移民街を飛ぶ"タカ"を見たそうです」だとか、「グレグ・ブラック三等陸士であります。本官はパトロール中に巨大な怪鳥を発見し、追跡しましたが、旧移民街に逃げ込まれ見失いました」だとか、「そんなことより、一緒にお茶でもどうかい?その後で"タカ"が飛んでいるのが見える移民街のホテルに案内してあげるよ」だとか。情報は集い、集まり、あっという間にテレビ番組が一つ出来そうな資料と証言が集まった。

証言の内容は、ほぼ一致していた。

第一に、"タカ"は旧移民街の空を飛んでいること。

第二に、"タカ"は沢山の鳥達を引き連れていたこと。

第三に、"タカ"はいつも同じブロックから現れ、同じブロックで姿を消すこと。

フェイトとティアナは陸士達にお礼を言うと、そのまま"タカ"が現れるという旧移民街に直行し、雑居ビルの安宿の一つに拠点を定めると、そこの屋上で張り込み"タカ"が現れるのを待つことにした。

そしてなにも起こらず日は沈み、今にいたるという訳だった。

フェイトもティアナも、溜め息ばかしついていた。結局のところ、二人とも優秀で努力家で、かつ真面目な人間だった。それ故に、運に任せてひたすら時間を食い潰しながら目標を待つといった地味な張り込みが大の苦手だった。

フェイトはダウナーな頭を抱えて、眼下の風景を眺める。屋上の下、雑居ビルの群れには明かりが付き始めていた。夕日が眩しく、その強烈な光がビルの谷間に暗い影を生み出している。雑然とした移民街は、人と建物と文化と宗教をギュウギュウに押し込めた箱庭みたいで、活気に満ち溢れていた。増改築を繰り返した、異常に高い雑居ビル、片手で握り込めそうな狭い空、太陽のない街、太陽の必要のない街。幾百幾千の看板がミッド語で、漢字で、アルファベットで、ベルカ語で、見たこともない地方世界の言葉で、上から、下から、右から、左から、様々な文法で書かれている。その様子が生い茂る枝葉に見えて、地球の名もない詩人が言った「文化は木である。幹から別れる枝葉である」という言葉を思い出していた。

「そして私たちは、文化や風習や生活といった枝に止まる、鳥なんだ」

そう、フェイトは小さく諳んじた。

「何か言いましたか」

「なんでもない。それよりティアナ、さきにシャワーでも浴びてきなよ。今日は徹夜で張り込むよ」

「了解。それじゃ、何かあれば呼んでくださいね」

ティアナは安宿の部屋に戻り、屋上にはフェイトただ一人が残された。

夕日が眩しい。一日が終わる。ただの一回も飛ぶことなく、終わってしまう。フェイトの頭蓋骨の中は、彼女特有のダウナーな思考でタプンタプンに満たされていた。

フェイトは諳んじる。「そして私たちは、文化や風習や生活といった枝に止まる、鳥なんだ」。そして同時に思い出す。「鳥って、飛ぶために生きてるのかな。生きるために飛んでいるのかな」そう言った"鳥のような人"を思い出していた。

かつての、少女だったフェイトは言った。「きっと生きるためです」。少女が大人ぶって背伸びをする、そんなリアリズムに溢れた回答だった。

「あなたは渡り鳥みたいね」と、"鳥のみたいな人"は言った。

「生きるために、餌場を求めて空を飛ぶ。海を越えるために、枝をくわえて空を飛ぶ。飛ぶことに疲れたら、くわえた枝を海に浮かべて、その上で寝る。そしてまた、空を飛ぶ。ほらね、あなたにそっくり。あなたは渡り鳥みたい」

そして"鳥みたいな人"は心底羨ましそうな、眩しい物を見るみたいな笑顔で「私たちは飛ぶために生きる人。故に、くわえた枝の重さに耐えられない。"軽くあれ"よ」と言った。

フェイトは思う。"鳥のような人"は、枝をくわえたかったんだと。家族だとか、仲間だとか、恋人だとか、そういった物を背負って飛びたかったんだと。だから、あんな言葉を残したんだと。

生きるために飛んだフェイトは背負うことができた。飛ぶために生きた"鳥のような人"は墜落した。でも、それなのに、

「私はあなたが羨ましい」

フェイトは小さく呟いた。

その時だった。

バサリとフェイトの後ろで、何かが羽ばたくような音がした。フェイトが後ろを振り返ると、そこには女が一人立っていた。

女はイスラム教圏の女性が着るような、体を覆うマントとブーケを着ていた。顔は見えない。ブーケの切れ目から、緑色の瞳だけが爛々と輝いていた。

「さびしいの」

幼い口調で、女は呟いた。それはフェイトにとって懐かしい声だった。フェイトは彼女の名前を呼ぼうとして、そして彼女の名前を忘れてしまっていることに気づいた。

「さびしくて、さびしくて、こころがからっぽなのに。"まだ、からだがおもたいんだ"」

"鳥のような人"、とっくの昔に死んでしまっていたはずの彼女だった。

"鳥のような人"はふらふらとした足取りで歩き、フェイトのことなんて見えてないみたいに彼女の横を通り過ぎると、そのままバサリと屋上から身を投げた。看板の縁に止まっていた鳥達が、驚き、鳴き、羽を散らして一斉に飛び上がった。

マントとブーケがビル風に吹き上がり、宙を舞った。その下に隠されていた体が露わになる。

フェイトは落ちていく"鳥のような人"の体を見て、驚愕した。

腕は羽になっていた。足も羽になっていた。体は卵のようにノッペリとした白で、瞳だけが爛々と輝く緑。彼女は長大な翼を羽ばたかせ、尾羽で緑色の魔力を燃やすと、長い白髪を靡かせながら、そのまま急上昇した。

"鳥のような人"は、本当に"鳥"になってしまっていた。

フェイトはようやく、"タカ"を見つけたのだった。







何か巨大な物が羽ばたく音と吹き荒れる魔力風に気づいたティアナは、待機常態のクロスミラージュとカードリッジバレル(魔力弾弾装)をひっ掴み、屋上へと駆け上がった。そしてクロスミラージュを起動、拳銃の形にすると、扉を蹴り破り屋上へと飛び出した。

〈フェイトさん!大丈夫ですか〉

ティアナが念話を飛ばすと〈援護して〉と、魔力風でノイズまみれの念話が空から飛んできた。空を見上げると、巨大な白い"鳥"と、黒いバリアジャケット姿のフェイトが空戦を繰り広げていた。

ティアナも賺さず黒いバリアジャケットを展開し、クロスミラージュを拳銃から白塗りのライフルの姿に組み替えると、鳥を撃つ猟人みたいに愛銃を構えた。

ビル風が酷く吹き荒れる。夕日が眩しい。狙撃には向かない天候だ。

ティアナはビル風に弾が流されないように、非対物設定の純魔力弾を選択、術式を編んだ。"鳥"を狙撃スコープのレティクルに収めた。息を吸い、そして吐き、吐ききった所で息を止め、自分の心臓の音とリンカーコア(魔力臓器)の揺らぎを数えながら引き金を引いた。

バスンとコーラの栓を抜くような音で、カードリッジが廃夾。魔術弾が銃口から飛び出した。

それは吸い込まれるような滑らかさで"鳥"の左翼に命中。しかし、そこから展開されていた不可視の力場に遮られ掻き消えた。

"鳥"が翼を羽ばたかせる。フェイトが高速で飛行しながらばらまいた魔法機雷が、吹き飛び、消し飛び、破裂して"鳥"を襲うが、羽から展開されている固い不可視の力場に遮られ役に立たない。

不意に、フェイトがジグザグと動きを変えた。その手には彼女のデバイスであるバルディッシュが槍斧の姿で握られている。

〈私が動きを止めて、防御を崩す。ティアナは"大きなの"で撃ち落として〉

〈了解〉

ティアナは弾装に残った三発のカードリッジを全てリロード。破裂音が三回、クロスミラージュの銃身の中で響いた。

膨大な魔力を帯びるバレル、それを媒体にして、自分の周りを吹き乱れる魔力風をひっかき集める。収束砲。今のティアナが持てる、一番大きな弾丸だった。

魔力が薬室内で臨界一歩手前まで収束、銃身がギシギシと軋む。弾道を安定させるために、銃口部分に巨大な円形魔法陣が出現。その巨大な光の模様と、軋む魔銃を天に向かって掲げ、"鳥"をレティクルの中心に収めた。
スコープのレンズの中、黒い影が金色の雷を纏い"鳥"の周りを踊り回る。フェイトが戦斧バルディッシュから生えた刃で、"鳥"の不可視の力場を引き裂き、解体している最中だった。

「なによ。ちゃんと飛んでるじゃない」

そう呟いて、指を軽いトリガーにかけた。不可視の力場が引き裂かれ、バックリと一際巨大な傷を作ったその瞬間。トリガーを引こうとして、

ガシャン。

砕けたバルディッシュと、墜落するフェイトを目撃し、止めた。

しかし、銃身内で暴れまわる魔力は既に臨界点を超えていて、既に傷の閉じた力場をまとう"鳥"にむけてティアナは魔弾を撃った。

オレンジ色の魔力が、炎の姿をとって空を裂いた。しかし、砲撃が終わった後、"鳥"は無傷な姿で飛んでいた。裂けた空を縫い合わせるように、鋭い鋭角で飛び回っている。

そして衝撃の到来。ガシャンと二回目の金属音。数秒遅れの銃声。空に向けて構えていたクロスミラージュのバレルが、粉々に吹き飛んだ。

ティアナはその場に伏せて、周りを見渡す。敵の姿はない。攻撃は夕日の方向から。衝撃から数秒遅れの銃声。辺りの状況を観察し、推測し、一つの答えにたどり着く。

音速を超える質量弾を使った、キロメートル級の極大狙撃。

しかし「うそでしょ。有り得ない」とも考えた。複雑に絡みあい渦巻くビル風。魔法弾ならともかく、質量弾ならば確実に風に流され外れる。そんな中で質量弾狙撃を成功させる人間が、銃規制の厳しいクラナガンにいるとは思えなかった。

ティアナは壊れかけのクロスミラージュに問いかける。

〈反撃はできそう?〉

〈バレルを交換しなければ無理です。ただサブの機構は生きているので、そちらを使って最大限の補助をします〉

ひび割れたクロスミラージュの電子音声が念話で聞こえてきた。

〈フェイトさん。そっちは大丈夫ですか〉

〈生きているって素晴らしいね。私もバルディッシュも無事。バルディッシュの外装が吹き飛んだだけみたい〉

ビルの谷間の看板に引っかかったフェイトが言った。

ティアナは考える。上空の"鳥"は、さっきの収束砲が効いたのか、自分たちを警戒しながら空中を旋回。こちらを襲うタイミングを計っているのではなく、逃げ出すタイミングを計っているという雰囲気。一方、狙撃手は先の二発からは一発も撃っていない。無駄弾を撃って、火線から自分の位置を知られるのを恐れている雰囲気。狙撃スコープの十字架瞳(レティクル)越しに、獲物が姿を表すのを待っている狙撃の姿を、ティアナはありありと想像することが出来た。

この際"鳥"の事は無視。狙撃手のことだけを考えることにする。ティアナは陸士訓練校時代の講義や、独学で学んだ知識、そういった物を記憶の闇から引っ張り出し作戦を練る。

目視での狙撃手の位置の特定は、一番最初に諦めた。なにしろこの街は建物が多く、狙撃地点の候補は幾百とある。狙撃手がサンバの衣装でも着てない限り見つけられない。

一瞬、応援を呼ぶ、という手段も考えた。しかし『陸士の公安部の執念の捜索の後、一週間後くらいにどこかの空き部屋でライフル弾の空薬夾を発見する。犯人は逃走、優秀な執務官と執務官補佐は、とっくの昔に殉職。全ては闇の中』というストーリーが浮かんだので却下。

なら広域魔法で無力化するか、と考える。フェイトさんとバルディッシュなら使える筈だし、それ位の時間なら私が稼ぐ。しかし、それも却下。こんな人口密集地域で広域魔法なんか使えば、血みどろの大惨事である。あいにくと、ティアナは自分の命惜しさにテロリストになるほどの図々しさと自暴自棄は持ち合わせてはいなかった。

〈フェイトさん。何かいい手はありませんか?〉

結局、ティアナが頼ったのは知識でも閃きでもなく、優秀な上司だった。

〈銃はティアナのほうが詳しいんじゃない?〉と、フェイトの困惑の声。

〈だからこそ思いつかないんです。スナイパーってのは、銃を使った近代の戦争において、個人で戦局を左右して英雄になれる唯一の可能性、化け物ですよ?アイツはその中でも特上な、それこそ悪魔です〉

〈悪魔か。しかたないね。『奥義』を使うか〉

〈『奥義』ですか?〉

〈そう。『近づいて、切れ』〉

〈あははは。シグナムさん流ですね〉

ティアナは呆れて笑ってしまう。それと同時に「あれ?もしかして、いけるんじゃないの」とも思う。周りの状況がティアナの中でもパチパチとパズルのように組み立てられ、一つの絵が見えてくる。

〈フェイトさん。今から作戦をバルディッシュに送ります。半分博打みたいな作戦ですけど、乗ってくれますか?〉

〈もうできたの?執務官にしとくには勿体無い指揮官ぶりだね〉

〈なら、私を首にして、どこかの部隊にでも推薦しますか?〉

〈まさかあ〉とフェイトは笑った。そして〈こんな優秀な部下を手放したら、私が楽できなくなるじゃない〉と続けた。

ティアナは嬉しくなってしまった。

〈成功させましょう。そしてあの忌々しい狙撃手をギャフンと言わせましょう〉

〈ええ、もちろん〉

二人の逆襲が始まった。







狙撃手は、廃墟と化した駐車場の最上階で、腹ばいの姿勢でライフル銃を構えていた。そして隠蔽の魔術を自らにかけ、その魔術の裂け目から観測用スコープを使い、二人の女魔導師の姿を探していた。金髪の空戦魔導師は、最初の一撃を喰らい墜落。建物の死角に落ちていった。二撃目をデバイスにお見舞いしてやった砲撃魔導師は、すぐさま地面に伏せて物陰に隠れてしまった。遮蔽物ごと対物ライフル弾で撃ち抜くこともできたが、万が一外れたと時のことを考えるとそれは出来なかった。相手は砲撃魔導だ。もしかしたら魔術で強化した視力と感覚で火線を読むかもしれない。

〈なあ、逃げないのか〉

狙撃手は暗号念話で空に向かって呼びかけた。

〈なつかしいひとがいたの。わたりどりさんがいたの〉

幼い声口調の暗号念話。魔導師達の上を飛ぶ、真っ白な"鳥"の声だった。

〈頼むから、もう逃げてくれ。そうしないと君を守るために、君の『なつかしいひと』を殺さないといけなくなってしまう。それは嫌だろう〉

諭すように説得する狙撃手に〈はーい〉と幼い返事を返し、〈ばいばい、わたりどりさん〉と"鳥"が身を翻しかけたその時。

橙色に煌めく魔法光。

砲撃魔導師の女が立ち上がり、両腕を"鳥"に向かって掲げ、巨大な円形魔法陣を展開した。収束砲。彼女の持つ一番巨大な弾丸の術式だった。

驚愕。あんな高等な魔法をデバイス無しで撃てるのかと、彼女の優秀さに心の中で賞賛を贈る。

狙撃手は狙撃スコープを覗き込み、その十字架瞳(レティクル)で砲撃魔導の心臓を見つめた。そして、その1・5キロメートルの心臓に対魔術の純銀弾を撃ち込むべく、冷静に距離を数え、風の流れを感じた。風の流れを読むのは、彼の産まれながらの才能の一つだった。だから、あんないかれた"鳥"に好かれてしまったんだろう。狙撃手はそんなことを考えながら、改めて銃を構え直し、息を全て吐き出すとヒタリと動かなくなった。

感覚が加速していく。一秒が十秒のように感じられ、空気が水のように重たくなる。頭蓋骨の中を、魚みたいにオートマチックな思考が満たしていく。目の前の獲物に食らいつき、罪悪感をも感じないまま咀嚼して、また獲物を求めて泳ぎ出す、そんな魚の思考だ。

獲物に食らいつくための準備。司法機関に勤めてたときの癖で下ろしていたセーフティーを静かに押し上げ、軽い軽いトリガーに指を乗せる。弾丸を射出するために、展開していた『外界からの観測の一切を跳ね返す、絶対不可侵の不可視の繭』を格納。邪魔な『繭』が消え去ったことで、目の前が一気にクリアに開ける。手を伸ばしたら抱きしめれそうなくらいに、スコープの視界が獲物との距離を消し去った。

そして魚は喰らいつく。

人差し指がトリガーをなで、銃声。同時に肩に重い手応え。スコープ越しの視界が惚け、一瞬後再びピントが戻った時、狙撃手は「悪いことをしたな」と獲物に向かって謝った。心臓を狙ったはずの純銀弾は、予想もしなかった上昇気流に煽られ、女魔導師の顔面に衝突した。女魔導師は下顎から上を削り取られ、血を噴き出しながらへたりこむところだった。

魔法陣は消え、収束されかけていた魔力は霧散。"鳥"は無事に逃げ延びていた。

狙撃手はもう一人の魔導師からの追撃に備え、ライフルを肩から外さずに遊底を操作した。ボルトアクションの機構が空薬夾を吐き出し、弾装から新たな純銀弾を薬室に送り込んだ。

そして高倍率スコープの窮屈な視界に飛び込んでくる、金色の魔法光。今まで死角に隠れていた空戦魔導師、彼女が仲間の敵をとろうと、恐ろしい速度で飛んできた。火線で位置が知れたのかもしれない。一直線に自分の方へ飛んでくる。

狙撃手は立ち上がった。敢えて姿を晒すことで、仲間を撃たれて怒り狂った魔導師が"真っ直ぐ自分のところへ飛んでこれるように"案内してやった。そして案の定、狙撃手に気付いた空戦魔導師は"真っ直ぐ"自分の方へ飛んできた。

後は簡単だった。スコープを覗き込み、十字架瞳(レティクル)で照準をつけて、引き金を引く。対魔術純銀弾が銃口から飛び出し、音よりも早く魔導師の頭を砕いた。

空戦魔導師は呆気なく墜落し、市街に消えた。

狙撃手はもう来るはずない反撃に備え、最後の弾丸をライフル銃の薬室に送り込んだ。そして、一分間だけ様子をみて、安全装置をかけようとしたその瞬間。

「私たちを殺した罪は重いよ」

有り得ない反撃。自分のすぐ後ろで突き出される金色の魔法光。狙撃手は振り返り、ライフル銃を槍のように突き出した。

さっき撃ち落としたばかりの空戦魔導師が、自分に魔力の刃が付いた槍斧形デバイスを突きつけていた。

狙撃手は自らの失敗を嘆いた。

「フェイク(幻術)か。あんな惨い死体を作れるなんて、いい趣味だな」

「昨日はB級ホラーをみながらオールナイトだったんだ」

「良い出来だ。今すぐにでも映画の特殊効果担当にでも転職するといい」

「誉め言葉として、ティアナには伝えておくよ」

お互いにお互いの武器を突きつけるフェイトと狙撃手。一頻りの睨み合いの後、折れたのは狙撃手の方だった。

「負けたよ」

そう言って黒塗りのライフルを天井に向けると、弾装を放り出し、最後の一発も廃夾し、武装解除した。フェイトは彼に二重のバインドをかけて拘束する。

そして一言。

「僕が負けた理由を教えてくれ」

さっぱりと言い放った。

「優秀な部下のお陰」フェイトは律儀にも説明を始めた。

「ティアナは真面目な砲撃魔導。それこそ、狙撃の時にノートと鉛筆と計算機で弾道を計算するくらいにね。お陰で、あなたの狙撃ポイントも、デバイスが解析した"複数地点で解析した銃声の方角"で、あっと言う間に計算してしまったよ。あとはフェイクを撃たせて"スコープで視野が狭くなっている時"を狙って、死角から飛行魔法でこの場所に駆けつけた。あとは『近づいて切れ』。近寄ってしまえばこっちのものよ」

「無茶苦茶だな。タイミングと運が全ての大博打だ」

狙撃手はクスクスと笑い「そして、タイミングを図る力も、運を生かす力も、狙撃手には必要な物だ。"こんな風にね"」。

突然、天井が崩れた。同時に白い巨大な何かが駐車場の屋根を突き破って落ちてくる。3メートルはあるであろう白色の体の巨大なカモメ、管理局が保有するドローンだった。

その巨大なカモメは赤い一つ目でフェイトを睨むと、人工筋肉で動く長い羽を振り回し暴れ始めた。

「それじゃ僕は、ここでさよならだ」

砕ける拘束魔法、補助魔法のプロフェッショナル。狙撃手はフェイトの隙をついて走り出し、駐車場から飛び降りた。同時に彼の周りで帯状魔法陣が展開し、その魔法の力で空気のように消えてしまった。『外界からの観測の一切を跳ね返す、絶対不可侵の不可視の繭』、狙撃手にうってつけな魔法だった。

巨大な人造カモメを拘束魔法と封印処理で無力化したフェイトは〈ごめん、逃げられた〉とティアナに念話を送る。

〈しょうがありません。運とタイミングが悪かっただけですよ。偵察用ドローンが落っこちてくるなんて〉
フェイトは苦々しく笑い〈そうだね。今はそう思うことにするよ〉。

フェイトは狙撃手が落としていったであろう観測用スコープを床から拾い上げると、それを使って遠くの空を見た。

遠くの空で"鳥のような人"が、一つ目のカモメ達を引き連れて、編隊を組んで飛んでいるのが見えた。"タカは沢山の鳥を引き連れていた"。

事件は想像以上に込み入っていて、フェイトは少女のように泣き出したくなってしまったのだった。







[6695] 6/楽しみ食べ考え眠るということ
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c621e98d
Date: 2009/02/18 10:08



その日の航空12部隊バードランド分隊は、久々の休みだった。全ての厄介ごとをブルーノート分隊とH・Q・ビレッジバンガードに押し付けてオンボロの官舎にサヨナラすると、各々なけなしの皺々紙幣をジーパンの後ろポケットに突っ込んで、それぞれの『お楽しみ』へ繰り出していった。

ファビアンは真っ直ぐ婚約者のもとへ。リヴィエールは車を走らせ、軍隊生活からの精神的逃避行。ルルーは勤務後の『至高の一杯』を探し求め、酒屋を渡り歩く。一方ペルランは『至高の出会い』を求めバーを巡り歩き、素敵な"男性"を探し求める。ペルランはゲイだった。ロビノーはゲイの友人と官舎の外で別れると、一人寂しく呟いた。「お前は友情より恋愛をとった。しかたない。僕は趣味をさがしにいこう」。無趣味な仕事人間ロビーノの、空虚な二日間が始まった。

そしてロビーノが官舎近くのオープンカフェで時間を潰していたとき、八神ヴィータと市蔵ソラはクラナガンの海岸線を歩いていた。

カラカラと回る車椅子の車輪。その数歩先を歩いていたヴィータが振り返り「大丈夫か?押してやってもいいんだぞ」

「知っています?この前の97世界でのパラリンピック、車椅子のマラソン走者がオリンピック記録を破ったそうですよ?」とソラ。要するに負けず嫌いな彼女だった。

お前のポンコツ車椅子じゃ小学生の持久走にも勝てやしないよ」

そう言いながらヴィータは少しだけ歩くスピードを緩めた。その横にカラカラと駆け寄るソラ。

「小学生みたいな副隊長のカケッコには勝てるかも知れません」

「ばーか。転けて起こしてくれって泣いたって、助けてやんねえぞ」

軽口の応酬。ヴィータもソラも、互いの足りないものを笑い飛ばし冗談に出来るくらいに強く、仲がよかった。

「おい、新入り。あのクラナガン・バーガーの屋台、どう思うか?」

ヴィータが指差したその先500メートル。黄色いオールドスタイルなバスが、『クラナガン・バーガー、メニー・イエロー』の看板を掲げて停車していた。

ソラは"見えすぎない為"の愛嬌のある黒縁眼鏡を外し、500メートル先を睨みつけると「太陽みたいな真っ赤なトマト。シャキシャキのレタス。粗挽きミンチの熱々厚々ハンバーグが二枚、チーズを溶かしてます。薄切りピクルスとチェリソーとオニオンと、こぼれるケチャップがトッピング。それらの奇跡の具材を、フカフカでほんのり焦げ目のついたパンが顎が外れんばかしのボリュームで、」能力の無駄遣い。根っからの偵察兵だった。

「じゅるり。もういい。あのけしからんバーガーを攻略しに行くぞ。準備はいいな?」

「もちろん」

三つ編みの赤毛を靡かせて、一目散に走り出すヴィータ。短い黒髪を揺らしながらその後を追うソラ。
要するに、二人は食いしん坊で仲良しということだった。







真っ黒な執務官制服に身を包んだフェイト・T・ハラオウンとティアナ・ランスターは『メニー・イエロー』のベシタブル・スペシャル・バーガーをかじりながら、海岸公園のベンチで航空12部隊の八神はやて隊長に提出するための書類の確認をしていた。

その書類は数十ページにわたる膨大な文章量だったが、要約すれば「お宅のヴータとシグナムを撃った狙撃手と"タカ"は仲間で、しかも"タカ"は元は管理局の人間で、挙げ句の果てには"タカ"はお宅の市蔵ソラがかつて居た『時空航行部隊第64航空部隊実験小隊』の小隊長だった人間ですよ」と言う物だった。
フェイトとティアナが調べ上げた"タカ"経歴は、ありふれた悲劇の一つだった。

テレーゼ・F・ブルンスヴィック二等空尉。時空航行部隊航空64部隊実験小隊、小隊長。二年前に地方世界の偵察任務で行方不明、現在は殉職扱い。テレーゼの使用していた非人格型融合デバイス、そして彼女自身の精神と体がスーパークルーズ(超音速での長時間航空)に耐えられなかったと言うのが管理局側の見解だった。

テレーゼが殉職した任務で、市蔵ソラを除いた全ての隊員が行方不明、そして殉職者扱い。それからの二年間、実験小隊はソラだけの"一人ぼっちの小隊"として存続した。

情報の殆どは、執務官になりたてだった数年前のフェイトが"鳥のような人"にもう一度あいたくて調べた内容の流用だった。

「市蔵ソラ二等空士でしたっけ。きっと悲しみますね」

ティアナがバーガーをかじりながら言った。

「かつての仲間が、今は敵か」

フェイトがバーガーをモソモソ咀嚼しながら言った。自分と逆だな、とフェイトは思った。そして"かつての敵で、今は大親友"な八神はやてとその愉快な仲間達(ヴォルケンリッター)が勤める航空12部隊にある種の厄介を招くであろう忌々しい報告書を、鞄の中に収めた。

フェイトもティアナも連日の激務でクタクタで、頭の中では疲労物質が台頭し、アドレナリン不足でダウナーな気分になっていた。過労死一歩手前な二人だった。

それ故に、彼女らは自分達の背後に近づく影に気づけなかった。

「よう、テスタロッサ。それとティアナ。徹夜明けか?肌が荒れてんぞ」

「ひぁい!」

「ぶふっ、けほ、けほ」

「あの、お二方とも大丈夫ですか?」

飛び退くフェイト。バーガーをのどに詰まらせ咳き込むティアナ。

彼女らが恐る恐る後ろを振り返ると「今日のテーマは"スィート&デス"、女の子らしいスカートルック。パンクなDr.マーチンブーツと、ちょっとエグいクロスボーンのトップスがポイントです」な八神ヴィータが仁王立ち。その隣には「休みの日はいつもコレですけど。え、女の子らしさ?そんなもの音速の彼方に置いてきました」な黒縁眼鏡の市蔵ソラが、フライトジャケットとデニムパンツと色気のないDr.マーチンブーツの姿で車椅子に乗って佇んでいた。二人ともその140センチ未満な小柄な体躯に似合わない、『メニー・イエロー特製、アトミック・ギガント・バーガー』なる物を食べながらの登場だった。

「ヴィータ、久しぶりだね。副隊長頑張ってるんだって?はやてから聞いたよ」と、ようよう冷静さを取り戻したフェイトが言った。

「おうよ、えっへん」勇ましく胸を張るヴィータに、ソラがあわてて警告。

「大変です、分隊副長殿。口がケチャップまみれで全然威厳がありません」

「ハンバーガーは口がケチャップまみれになるくらいに真っ赤なのがギガ美味だと思うんだけど、新入りはどう思う?」

「マスタードの黄色もあると、さらに素敵です」

あははは。フェイトが「相変わらず食いしん坊だね」と懐かしそうに笑う。

「しかも食いしん坊が一人増えてますし」

ティアナが自分のベジタブル・スペシャルとソラのアトミック・ギガントを見比べて、うんざりした顔で苦笑い。「私の周りは、気がつくと大食いばかり」。バケツサイズのアイスを幸せそうに完食した、かつての相棒を思い出した。

「それでヴィータ副隊長。隣にいらっしゃいます、その大食らいで色白な車椅子な少女は一体誰です?」

突然の珍事にあきれ気味のティアナに、ヴィータは「後輩だよ」。

「申し遅れました。陸上本部航空12部隊バードランド分隊所属、市蔵ソラ二等空士です。フェイト・テスタロッサ・ハラオウン執務官殿、ティアナ・ランスター執務官補佐殿、お二方の武勇伝はかねがねヴィータ副隊長から伺っております」

綺麗な敬礼と、丁寧な口調。その癖に軍隊ぽさのぬけた奇妙な自己紹介。そして、その名前"市蔵ソラ"。フェイトとティアナは今一番会いたくなかった人物の登場に顔を青ざめさせる。

「ちなみに武勇伝ってのは『魔王光臨、ティアナ・ランスター撃墜事件』や『テスタロッサ・ハラオウンの親バカ日誌』のことだ」

ヴィータの言葉に、青い顔が更に青くなった。

「情報は命です。とくに"悪い"情報は」

根っからの偵察兵で観測手。『良い情報は、大概の場合役にに立たない物である。本当に必要なのは悪い情報だ』。偵察兵流の冗談だった。

「んじゃ、あたしらはこれから遊びまくらないといけないから。バイ、バイだ。仕事もいいが、お肌には気をつけろよ。じゃあな」

「お先に失礼します。お仕事がんばってください」

騒がしいアトミック・ギガント・バーガーなちびっ子二人が去っていく。それを見送る執務官二人。

「市蔵ソラ二等空士、元気にやってるみたいですね」

「だね。ヴィータやはやてに毒されたのかな」

書類上の悲劇の少女は、書類上の姿のままでそれなりに人生を楽しんでいた。『喜劇から笑いをとると、馬鹿な人間が馬鹿な事件に巻き込まれ、死んだり、不幸になったり、時々幸せになったり。そんな馬鹿馬鹿しい悲劇が出来上がる。"悲劇とは喜劇なのだ"。当事者が笑えているうちは』。フェイトは名もない哲学者の言葉を思い出していた。彼女は悲劇を喜劇に出来る人なのかもしれない。二年前。遠い、遠い空から、血と体液と雨の氷にまみれながら足を失い帰ってきた市蔵ソラ。彼女はその悲劇の面影を残したままで、しかし幸せそうだった。

〈言い忘れてました〉

不意にフェイトとティアナの脳裏で、甘くひび割れた暗号念話が響いた。

〈機密書類を公園のベンチで広げるのは感心できません。"タカ"とか"航空64部隊実験小隊"とか"テレーゼ小隊長"とか丸見えでしたよ〉

不健康そうな、あきれ気味の声。市蔵ソラの声だった。フェイトとティアナは「しまった!」と顔を見合わせる。

〈そんなあからさまに「しまった!」って顔をしないでください。とりあえず自分は大丈夫ですから。"軽くあれ"、過去なんて引きずっていたら空なんて飛べません〉

ソラは二人の思っていた以上に強い心の持ち主で、二人は情けなくなってしまった。

〈では、私たちは"タカ"と"狙撃手"を倒すための貴重なリフレッシュ中につき、失礼します。出過ぎた発言、申し訳ありませんでした〉

切れる暗号念話。そして、しばしの沈黙。

「私たちも頑張りましょう」

「だね」

フェイトとティアナはメニー・イエローのベシタブル・スペシャル・バーガーを口の中に押し込むと、勢いよく立ち上がった。過労死寸前の疲れ果てた顔には違いなかったが、アドレナリンの加護で少しだけ元気になっていた。

執務官二人は新たな決意で歩きだしたのだった。







「どうしたんだ?急に黙り込んで」とヴィータが言った。

「さっきの二人、良いひとでしたね」とソラが返した。

「当たり前だ。あいつらは、あたしらの友達なんだからな」

誇らしげなヴィータは胸を張ったのだった。

「大変です、分隊副長殿。口がケチャップまみれで全然威厳がありません」

「しつこい!」

笑い声が響いた。







ガタンゴトンと列車がゆれる。そのたびに、席に座っているヴィータの首がカクンカクンと船をこいでいた。

「先輩、起きて下さい。着きますよ」

「んあ。ああ、お前か。ありがとう。起こしてくれて」

「どう致しまして」

大あくびをする見た目は幼い少女のヴィータに、見た目は彼女のお姉さんなソラは微笑んだ。

フェイト達との邂逅の後、ヴィータとソラは遊びまくり、買いまくり、食べまくり。ひたすら楽しんだ。まるで義務に追われるかのように、仕事中以上の集中力で大いに楽しんだ。

その結果がヴィータの居眠りだった。二人は大いに疲れ果てていた。

ガタンゴトンと列車が止まると、そこは海沿いの小さな無人駅だった。二人は車掌に切符を渡し、列車を出た。

彼女たちが向かったのは、その晩を過ごすためのコテージだった。海の見える高台にある『バードランド』という名前のコテージ。ソラが旅行雑誌から見つけてきたそれを見て、ヴィータは「ここにしよう」と決めた。あたしらと同じ名前だ。きっといい場所に違いない。それが理由だった。

かくして二人がたどり着いたのは、煉瓦造りの小さな小屋だった。木彫りの天使が入り口の階段の所に座っていて、羽に剥げたペンキでbird landと書き込まれていた。

コテージの中は一人では広く、二人では狭い、半端な広さだった。ヴィータとソラはその心地よい窮屈さが気に入ってしまった。

「凍えてしまう心配はなさそうですね」

大きな暖炉を見てソラは凍傷で失った足の付け根を掻きながら、そう呟いた。

彼女らがコテージについて初めてしたことは、荷物を置き、服を脱ぎ、風呂に入ることだった。

脱衣所に入り、最後の一枚を脱ぎ去った後、義足の固定ベルトを緩め脚を外してしまったソラは、太股だけの脚でふらふらと歩くと、風呂場の手すりに捕まって体を持ち上げ、湯船に身を沈めた。

そして「よだかは、実にみにくい鳥です。足は、まるでよぼよぼで、一間とも歩けません」小さく、小さく、諳んじた。

「するどい爪もするどいくちばしもありませんでしたが、よだかのはねは無暗に強くて、どこまでも、どこまでも、まっすぐに空へのぼって行きました。宮沢賢治の、よだかの星だな」

ヴィータが風呂場に入ってきた。ソラと違って五体満足な体。しかし、永遠に歳をとることのない子供の体。その小さな体が、脚のない痩せっぽちなソラの湯船に入ってきた。小さな、小さな、二つ体のせいで、一人用の湯船から少しだけ湯があふれた。

嗚呼、これでやっと一人前だ。二人でやっと一人前だ。

あふれた湯は少しだけだった。

「鉄腕アトムは言った。大人になりたい」

唐突にヴィータが呟いた。

「アトムは優しい心と、強い力をもっていました。そして一握りの悲しみも」

「お前、詩人だな」

「先輩だってそうでしょう。じゃなきゃ"よだかの星"だなんて直ぐにはわかりません」

「子供は童話がすきなのさ。いくら年を喰おうが子供の限りは」

普段は絶対に出さないメランコリック。二人とも、結局のところ寂しかったのだ。知らない世界の海に落としていった二本の脚だとか。いつまでたっても伸びない背だとか。"軽くあれ"と願った結果、乱れてしまった生理のサイクルだとか。大きくならない胸だとか。

どれも解決する手段はあった。自分の脚と変わらないような、優秀な義足をつければよかった。変身魔法で姿を変えればよかった。長い時間をかけて治療をして、元の体に戻れば良かった。劣化してプロテクトの甘くなった守護騎士のプログラムに介入して、外見年齢を改竄してやればよかった。

しかし二人ともそれをすることはなかった。「私は私だ!」。ヴィータは小さな体で戦い続け、ソラは軽い体で飛び続けた。

裸になってわかったこと。「私たちは似ている」。

二人は、一人では広く二人では狭い湯船のなかで身を寄せあった。ヴィータとソラはその心地よい窮屈さが気に入ってしまった。

「最近のあたしの悩みを聞かせてやるよ」

「なんですか」

「この形のままで、いかにして男共を誘惑するかだ」

ソラはクスリと笑い「ナボコフのロリータを読めばいいです。全てはそこに書いています」世界の真理はそこにあると言わんばかしに断言した。

「ロリータ。我が腰の炎、か。なる程」

「ルルーさん辺りなら案外いけるかもしれませんよ」

「オジサマは、はやての管轄だ。ペルラン辺りがいいんだけど」

「彼はホモセクシャルですよ」

「ゲイってセクシーじゃない?」

「ばっかみたい」

ヴィータはニヤリと笑って「冗談だよ」と呟いた。







「最近の私の悩み、聞いてくれませんか」

そう言ったのは、ソラだった。

風呂上がりのヴィータとソラはそれぞれのベッドの上で寝る準備をしている最中、ヴィータは濡れた長い髪をタオルで拭き、ソラは足の切断面に包帯を巻いて形を整え終わった所だった。

「地面での過ごし方です」とソラは言った。

「変な質問だな」

「私は"鳥"ですから」

ソラにとっての地面とは、恐ろしい場所だった。恐ろしい万有引力の果て、自由落下の先の爆心地。墜落。それが地面だった。

「あたしは"鳥"じゃねえからわからないけれどさ、今まで通りでいいんじゃないか?」

ヴィータはサッパリと言い放った。そして言葉を続ける。

「どんな鳥だって、卵の時は床に転がってるもんだ。ひな鳥だって、床の上で羽ばたきの練習をする。そして床で食い、床で排泄して、床で育って、ある日突然空に向かって飛んでいくんだ。そして疲れたらまた床に返っていく。わかるか?」

ソラは首を傾げて「わからない」のポーズだった。

「地面は墜ちるところじゃない。これ以上墜ちようのない、安全地帯ってことだ。鳥にとっての地面ってのはな、羽をたたんで眠れるベッドなんだよ」

だからお前も羽をたたんで眠れ。ヴィータはそう言いかけて、止めた。答えまで言ってしまうのは無粋に思えたからだ。

飛ぶことしか知らない奴は、際限なく飛んでいってしまう。そして疲れて羽が動かなくなったとき、上り詰めたぶんだけ墜ちていくんだ。ヴィータはそのことをよく知っていた。仲間が墜ち、敵が墜ちた。墜ちたのは、空を飛ぶために地面を疎かにした人間ばかしだった。

「私が地面に墜ちるとき、そこには先輩がいるような気がします」

ソラは約束でもした時みたいに微笑んだ。

「縁起でもないこと言うな。ばーか」

そしてランプの明かりを消し、二人は目を閉じた。

ヴィータは安心した。ソラは地面との付き合いかたに悩んでいる。少なくとも、気にしている。そのうち地面とも仲良くなれて、さらに高い空を飛べるようになるだろう。

お前は墜ちない。墜とさせやしない。

ヴィータは決意と安堵と、その他諸々の感情を抱えて、ゆっくりと眠りに墜ちていった。






[6695] 7/それぞれの飛行
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c621e98d
Date: 2009/02/18 10:09



フロイデ・シューネル・ゲッテルフンケン・トッホテル・アウス・エリーズィゥム。(喜びよ、美しい神々の輝きよ、楽園の娘等よ)

ソラは歌が好きだった。よく鼻歌で歌っていた。それは彼女にとって飛ぶことに匹敵するくらいに大好きなことだった。

ヴィール・ベリーテン・フォィエルトゥルンケン・ヒムリッシェ・ダイン・ハィリヒトゥム。(我らは炎のごとく酔い、天なる君の聖地に踏み入る)

しかし、そのことを知る人は殆どいなかった。ソラが歌を歌うとき、彼女は決まってひとりだった。

ダィネ・ツァウベル・ビンデン・ヴィーデル・ヴァス・ディー・モーデ・シュトレング・ゲタイルツ。アッレ・メンシェン・ヴェールデン・ブリューデル・ヴォー・ダイン・ザンフテル・フリューゲル・ヴァィルトゥ。(世の風習に厳しく隔てられたものを、君の魔力が再び結びあわせる。君の優しい翼のもとで、すべてのひとは兄弟となる)

ソラは小さな声で歌いながら航空12部隊の官舎を歩いている。すると、

「おい、新入り。はやてが呼んでんぞ」

ヴィータがいた。歌声を聞かれてしまったソラは、顔を赤くして「了解しました」

「なに恥ずかしがってんだよバーカ。綺麗な声じゃん」

赤い顔が、真っ赤になった。







「どうしたん?そんな赤い顔して。熱でもあるんと違うん?」

「いいえ、熱ではないんです」

「熱ではない?ははん、さては恋やな。で、で、相手は誰なん?」

市蔵ソラは八神はやて隊長のデスクに居た。そして、デスクの主である八神はやてと上記の会話を交わして、真っ赤の顔をさらに赤くしていた。まるで林檎のような、ヴィータ辺りならば「じゅるり、美味そうだな」と言ってしまいそうな真っ赤な頬だった。

ソラは念じる。"私はノーマルだ"。"私はニュートラルだ"。"私はヘテロだ"。"私はレズビアンでもなければロリータコンプレックスでもない"。

そしてありったけの否定を込めて、

「違います!」

そう言い切った。

「なんや、つまんないの。まだ若いのに、恋するなら今の内やで。因みに我らが航空12部隊内は職場内恋愛大歓迎。今注目しているのはファビアンとロビーノの二人かね」

「男同士じゃないですか」

「いいじゃないの、フリーダム。ゲイってセクシーやない?」

ふと、いつかのヴィータの言った「ゲイってセクシーじゃない?」の台詞を思い出す。犯人はお前か!ソラは勘弁してくれと言わんばかしにため息をついた。

「仕事の話をしましょう」

うんざりしながら、そう言った。

「そうやな」とはやて。彼女は手元にあったファイルを自分の所へ引き寄せると、渋々ながら話し始めた。

「"タカ"と"狙撃手"、そんで"海上プラント"の件についてなんけどな。『うみ』の連中が介入したがっとるんよ」

「『うみ』、時空航行部隊ですか」

時空の『うみ』を航行し、多次元世界の秩序を守るための組織、それが時空航行部隊だった。対してソラ達が勤めているのはミッドチルダ地上本部、ミットチルダの『りく』の秩序を守ってきた組織だった。

「で、『うみ』の言い分ってのは何なんですか?」

「"タカ"、テレーゼ元小隊長は別世界で失踪した、つまりは多次元犯罪者であり、多次元犯罪者の逮捕は『うみ』の管轄である、やって。ついでに言えば、テレーゼ元小隊長のかつての部下であり、テレーゼ元小隊長が所属していた航空64部隊実験小隊の出身のソラ・イチクラをこの事件に関わらせないために航空12部隊は捜査から外れるべき、とも言ってるようやね」

「でしょうね。"タカ"は、テレーゼ隊長は私の大切な上司です。そう考えれば私がこの案件から外されるのも仕方ないことです。でも私のいる航空12部隊ごと外されるなんて、いくら何でもやりすぎでしょうに」

「やっぱり、市蔵もそうおもうか」

「ええ。私が思うに『うみ』の人たちは、何かを隠したがっています。その証拠に、海上プラントでは08防疫部隊を派遣して、結局”人間工場”の中枢から『りく』の人間を締め出したじゃないですか。自分たちの手で解決して、自分たちのいいように事件をねじ曲げ、自分たちの手で葬り去りたいんです。きっと、"タカ"と"狙撃手"と"海上プラント"、この三つの中に『うみ』が隠しておきたい何かがあるんでしょう」

はやてはニヤリと笑う。大変よくできました、出来の良い生徒を誉めるみたいに満足そうにな笑みだった。

「上出来や。頭がいいんやね」

「こう見えても私、もとは"時空航行部隊"航空64部隊実験小隊、『うみ』出身の、しかも偵察兵で観測手ですよ?昔の身内が考えていることくらいわかります」

不自然な『うみ』の横槍、逃げる"タカ"、"タカ"を守る狙撃手、壊れた海上プラント内で行われてきたこと。謎は謎を呼び、事件は混沌としている。

「これは噂なんけどな。例の海上プラントに、元実験小隊の研究人員が出入りしとったそうや。それがほんまなら、テレーゼ元小隊長を"タカ"にしたんのは彼らなんやろうな」

ソラは考える。墜落したテレーゼ小隊長を回収した。死んだことにして、好き放題弄くりまわして"タカ"にした。そして逃げ出した"タカ"が自分たちのことを口で体で暴露しそうで恐れている。はたして『うみ』の悪党にテレーゼ小隊長が捕まったらどうなるだろう。

不意に脳裏をよぎる、墜落のイメージ。凍りついた皮膚が剥がれ、成層圏から真っ逆様に墜落する白い翼。"軽くあれ"。私は空に愛された。彼女は少しだけ重かっただけだ。それだけで雲海の下に沈んでいった。

ダィネ・ツァウベル・ビンデン・ヴィーデル・ヴァス・ディー・モーデ・シュトレング・ゲタイルツ・アッレ・メンシェン・ヴェールデン・ブリューデル・ヴォー・ダイン・ザンフテル・フリューゲル・ヴァィルトゥ。
(世の風習に厳しく隔てられたものを、君の魔力が再び結びあわせる。君の優しい翼のもとで、すべてのひとは兄弟となる)

やっと会えそうなんだ。そらの魔力と翼のおかげで、やっと会えそうなんだ。

「私が『うみ』より先にテレーゼ小隊長を見つけ出します。隊長は航空12部隊で彼女を捕まえてあげてください」

「昔の仲間に、実験小隊の仲間に喧嘩をうるんよ。それでもいいん?」

「テレーゼ小隊長と実験小隊が殺し合うようなことになるよりは幾分マシです」

全ての怒りと悲しいメランコリックをゴクリと飲み込み、偵察兵の悲観論(良い情報は、大概の場合役にに立たない物である。本当に必要なのは悪い情報だ)で事件を見渡した結果だった。

「市蔵ソラ二等空士、これより貴官に任務を与えます」

落としてしまったはずの二本の脚から青い魔力の脈動を感じながら「はい」とソラは返事をした。私は飛べる。この怒りを両足の『音叉』で燃やし、軽い体と大きな翼で飛んでいける。

「いい返事やな。市蔵には"タカ"と"狙撃手"の居場所を突き止めに飛んでもらう。独りきりの寂しい偵察任務や。バードランドとは暫くお別れけど、できるな?」

「私は鳥です。バードランドが空を目指している限り、私とバードランドは同じ場所を飛んでいます。寂しくなんかありません。いつでも飛べます」

心に青い火がついた。そして一瞬で燃え上がった。あとは羽を広げてゴーサインを待つだけだった。







「主はやても人が悪い。あんなこと聞かされて、市蔵のやつが飛ばないわにいかないでしょう」
シグナムは困った顔で言った。

「そうやな」とはやて。

彼女らは群青色の隊服を着込み、真っ直ぐ背筋を伸ばして歩いていた。ここは『うみ』、時空航行部隊が駐屯する本局。この場所に巣くう実験小隊の亡霊を暴き出すための出向だった。

ソラは、広い翼とよく見える目で戦う。はやてとシグナムは、ペンと言葉と規則と法で戦う。ヴィータが仕切るバードランド分隊は、手にした魔法で戦う。それぞれが別々に、しかし同じ空にむかって飛んでいる。はやては、航行12部隊のエンジンに火が入りプロペラが回転する様子を幻視した。

「しかし、いったいどうやって"タカ"を探すおつもりですか?空は広い。いくら市蔵でも全てをみて回るのは無理でしょう」

「それについては大丈夫や。いま執務官二人が必死こいて捜しとる。市蔵に任せたのは、その情報の事実確認のための観測任務や」

「執務官、二人?」と、シグナムが首をかしげた。

「フェイトちゃんと、ティアナや」

「嗚呼、なるほど」

フェイト・T・ハラオウンとティアナ・ランスターも"タカ"の捜査をしていた。そもそも「お宅のヴータとシグナムを撃った狙撃手と"タカ"は仲間で、しかも"タカ"は元は管理局の人間で、挙げ句の果てには"タカ"はお宅の市蔵ソラがかつて居た『時空航行部隊第64航空部隊実験小隊』の小隊長だった人間ですよ」と捜査に行き詰まったはやてに連絡を寄越してきたのは、フェイトだった。

懐かしい友情と互いの有益のために、はやてとフェイトは結託し、互いに情報と戦力を交換しながら"タカ"と"狙撃手"、実験小隊の亡霊共の足跡を追っていた。

「フェイトちゃんたちも戦っとる。うちらも戦わんといけん」

「はい。テスタロッサに負けてはいられません」

二人は自らの戦場へと歩みを進め、そして扉を開た。08防疫部隊のデスクだった。

「地上部隊所属、航空12部隊の八神はやてや。あんたらには魔法倫理法違反を初めとしたその他諸々の疑いがかかっとる。特別捜査官権限であんたらを拘束、徹底的に取り調べさせてもらう。うちは『うみ』みたいに甘くない、覚悟しときいや」

部屋の中で作業をしていた本局職員達は「嘘だろ」と真っ青な顔。逃げようとする職員もいたが、はやての後ろで魔剣の鞘に手をかけたシグナムが怖くて、直ぐに逃走意欲を失った。

「行け」と、シグナムの指示。

同時に今まで隠蔽魔術で姿を隠していた航空12部隊ブルーノート分隊の隊員達が、扉からなだれ込んできた。あっと言う間に部屋は制圧され、職員はそのまま本局内の拘置所へ護送。取り調べが始まった。







「へくしゅ」と、可愛らしいくしゃみ。

フェイト・T・ハラオウンは「風邪でもひいたかな」と呟きながら、丁寧に二枚折りにしたティッシュで鼻を拭った。

「きっと誰かが噂をしてるんですよ。フェイトさん、今日も沢山のひとからお茶のお誘い受けてましたし」とティアナ。彼女もお茶の誘いを受けていた一人なのだが、それらをすべて断ってペットボトルの紅茶で職務に励んでいる。

二人はテレーゼを追っていた。しかし相手は空を飛ぶ"タカ"だ。すぐに行き詰まった。

そこで彼女らが目を付けたのは一つの噂。"タカは沢山の鳥を引き連れていた"。テレーゼが引き連れていたのは、管理局の陸上本部が所有するドローン、人造の単眼カモメだった。

クラナガン中はもとより、連絡と権限の届くミットチルダ中の管理局部隊に連絡、行方不明になっているドローンがないか、問い合わせまくった。そして、喉がガラガラのハスキーボイスになり、のど飴2・5袋を空にするコールの結果、ミットチルダ全域で25機の行方不明ドローンがでていることがわかった。「例年の倍のペースで墜ちてるんだ。空の神様は気まぐれだからな」。電話にでた整備士はそう言った。
例年の二倍。テレーゼが行方不明のカモメ達をハックして操っているのは間違いなかった。あとは、2、3メートルの大きさで編隊を組んでいる鳥がレーダーに映りこむのを待つだけだった。

「でも、もしテレーゼが全長3メートルのカモメ達を見限って一人で飛んでいたら、絶対に見つかりっこありませんよね。人間大の鳥なんて、このミットチルダには幾千匹といます。その幾千匹を全てレーダー監視するわけにもいきませんし」

常識的な鳥の大きさを越えている、または常識的な鳥の速力を超えている。それがレーダー網にかかる条件だった。テレーゼは、普通に飛んでいる限りは速力も、大きさまも、シルエットでさえ鳥だった。

「大丈夫。きっと彼女はみんなで飛んでいる」

フェイトは確信していた。それは殆ど直感の領域だったが、それでも間違いないと信じていた。"さびしいの"。テレーゼは、そう言っていた。

「フェイトさんがそう言うなら、きっとそうなんでしょうね」

そして同時に鳴る、携帯端末の着信音。ティアナはその通話ボタンを押し、応答する。そして、

「3メートルもある鳥が、編隊を組んで飛んでるそうです。当たりですよ」

「航空12部隊のH・Q・ビレッジ・バンガードに連絡。私も飛行許可が出次第、でるよ」

「了解。紙とペンでの援護は任せてください」

それぞれの戦いは始まったばかしだった。







[6695] 8/墜落
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c621e98d
Date: 2009/02/18 10:11


市蔵ソラはただ一人、夜の海を飛んでいた。西風が強く、低い雲がちぎれ飛ぶ、天体達の眩しい夜空だった。

〈ヨダカより、H・Q・ビレッジ・バンガードへ。"群鳥"は未だ目視出来ず〉

〈H・Q・ビレッジ・バンガードより、ヨダカへ。"群鳥"は貴官の18海里前方を23ノットで飛行中〉

〈ヤー(了解)〉

大きく黒い翼を広げ、脚の『音叉』で静かに青い魔力を燃やし飛んでいく。速さは要らない。必要なのは静かであることと、疲れないこと、そして"群鳥"に気付かれないことだった。気付かれたくない。それ故に、ソラは探知魔法を使わず自分の目と最低限の暗号念話による管制だけで飛んでいた。探知魔法はうるさい。魔力を飛ばし、目標から跳ね返ってきた魔力を聞いて距離と方向を計るのだ。そんなうるさい魔法を使ったら、"群鳥"に気付かれてしまう。だから目と耳と風を切る羽の感覚のみで飛んでいく。夜目のきくソラだからこそできる、夜間飛行だった。

不意に、顔面にヒヤリとした風を感じた。冷たい海風の中でも、よりいっそう冷たい湿った風だ。不思議と潮の匂いが薄い風。"嗚呼、雨が来る。"ソラは全身を覆う黒いバリア・スキンを少しだけ厚くした。

風が乱れた。ソラは、擬人化された夜空が黒いマントをはためかし、自分の空路を閉ざそうとしている姿を幻視した。直に冷たい雨も降り始め、雷が海面に落ちた。雲が光り、閃光が走り、風が踊り回る。雨は雪に、雪は雹(ひょう)になり、嵐と氷と電子の嵐がソラの目の前に出現した。

風がキシキシと黒い翼を揺さぶった。雹がバリア・スキンを打ちつける。雷の合間を縫いながら、鼓膜をつん裂く轟音に耳を塞ぎたくなった。しかし彼女の手は今は羽で、ただ我慢するしかなかった。
嵐だ。

ソラは顔面に打ちつける雨を、黒い仮面越しに感じながら、心の中で呟いた。

〈ヨダカより、H・Q・ビレッジ・バンガードへ。天候が酷く、目視での確認は無理です。一旦、雲を抜けて雨雲の上にでます〉

〈受諾しました。レーダーによると"群鳥"は嵐を突っ切って暴風圏から抜けようとしています。上空ではち合わせるようなことは無いと思いますが、気をつけてください〉

ソラは羽ばたいた。進路はそのままに、しかし上へ上へと飛んでいった。そして、空を覆う雲の天井の中へ真っ直ぐ突っ込んでいった。

雲の中は飽和状態の電子で溢れていた。雹と雹がぶつかり合い、そのたびにパチパチと火花を散らす。それが溜まり、雲の中で帯電し、盛大な閃光と破裂音を伴って雷の姿になった。雷は雲と海の間を走り回り、時々はソラの体に落ちてきて、黒いバリアスキンの表面を通って『音叉』の上をパチパチと走り抜けた。そして雲の中に消えるか、海に落ちていった。

雲の中を飛ぶとき、ソラはまるで自分が雷みたいになったように感じる。空気や氷粒の抵抗で体に静電気が溜まり、バリアスキンを走り抜けたあと、『音叉』で青白い光を放ち消えていく。そのバリアスキンごしの感覚がソーダの炭酸のようで、とても好きだった。

そしてもう一つ好きなこと。 上昇の果て、雲を抜ける瞬間。

体を駆け抜ける電子の光を引き千切りながら雲を抜けたソラは、果てしない雲の海と天体の輝きを目撃する。

ズーフ・イーン・イリューベルム・シュテールネンツェルツ!(星空のかなたに、創造主をもとめろ)

イューベル・シュテールネン・ムス・エル・ヴォーネン(星たちのかなたに、かならず創造主は住み給う)

心の中が、歌声で満たされた。

海だ。天体に照らされた雲海だった。群青色の夜空の下に、灰色の煌めく雲海がうねり渦巻いてる。それは雷が光るたびに泡立ち、波打ち、しかし海のように平たく広がっていた。

嗚呼、フロイデ(歓喜)。フロイデがやって来る。

〈フロイデ・シューネル・ゲッテルフンケン・トッホテル・アウス・エリーズィゥム。(喜びよ、美しい神々の輝きよ、楽園の娘等よ)〉

心の中から溢れ出した歌が、甘くひび割れた暗号念話となって小さく、小さく漏れだした。"軽くあれ"。でも、これだけは捨てられない。

ソラは雲海の上を飛びながら、そして歌いながら、かつての航空64部隊実験小隊のラストフライトを思い出していた。一番最初に堕ちたは、一番重たい人だった。沢山の荷物や食料を背負ったまま、一直線に墜ちていった。次に落ちたのは、怖がりな人だった。 "軽くあれ。不安は鉛だ。太り続ける、生きた鉛だ"。とうとう飛ぶことどころか生きることさえ怖くなって、地面に向かって全速力で突っ込んでいった。秘密を抱える人も墜ちていった。罪を抱える人は墜とされた。墜とした人も、すぐに亡霊に捕らわれて墜ちていった。任務を抱える人は長く生き残った。それを糧に自分を保っていられたから。しかし、装備重さと仕事に疲れ墜落した。仲間を助けようとした男も、助けた時に負った傷で弱って堕ちた。氷にまみれた顔は幸せそうだった。助けられた女は言った「私も行くよ」。彼女は仲間思いの彼と一緒に墜ちていった。彼女は恋心と犠牲心を持っていた。

重たい人から墜ちていった。そして残ったのは、黒い羽のソラと、白い羽のテレーゼだけになった。

テレーゼは一見、何も持ってないように見えた。強靭な翼でソラの先を飛んでいた。

ソラは歌を持っていた。歌を歌い、仲間の死や、凍傷の痒み、退屈な時間を忘れようとしていた。テレーゼはその歌を聴き、ソラと同じ様に全てを忘れようとした。"軽くあれ"。空に愛してもらおうと、二人は歌の力で心を支えた。ソラは歌と一緒に、テレーゼの心も持っていた。

そして二人きりの一日が過ぎ、二日が過ぎた。

真っ青な空。白い雲の海。マイナス70度の、薄い大気。全ては退屈で過酷ではあったが、暴風の吹き荒れる雲の下よりは幾分ましに思えていた。

二人は眠りながら飛び、大気に溶ける魔力を食らい、凍りついた体で成層圏飛行を続けていた。

三日目の朝、ソラの目の前を飛んでいたテレーゼの体がぐらりと揺れた。そして白い翼を翻し真っ白な雲海へと沈んでいった。あまりにも呆気なく、テレーゼは堕ちた。まるで花弁が散るみたいな様子だった。そして、同時に突風がソラの体を襲った。

その時、ソラは何故テレーゼが自分の目の前を飛んでいたのかを知った。テレーゼはソラの目の前を飛ぶことで、ソラの"風よけ"になっていたのだった。

ソラは歌うことで、テレーゼの心を抱えていた。

テレーゼは風よけになることで、ソラの体を抱えていた。

"重たい人から落っこちていった"。心を抱えたソラより、体を抱えたテレーゼが先に墜ちていった。心より体の方が重たかったのだった。

その晩、ソラは自らの脊髄と融合していたデバイス『イカルス』のリミッターを外し、"軽くあれ"と命じた。手は翼になった、体を覆う皮膚は、黒いバリアスキンで覆われた。凍傷で駄目になり感染症を起こした両足は千切れて、変わりに青い魔力を燃やす『音叉』が出現した。赤く白く凍りついた足が、雲の海に落下し沈んでいった。

脚を失い軽くなった体と、歌声に癒されていた心。一体どっちの方が重たいんだろう。

その夜、ソラは新しい翼で飛びながら、少しだけ涙した。涙の分だけ、軽くなった。

じきに、涙さえもイカルス・デバイスの体管制で出なくなった。最後に捨てたもの。感情に任せて流れる涙。

〈H・Q・ビレッジ・バンガードより、ヨダカへ。"群鳥"が暴風圏を抜けました〉

通信が聴こえて。思い出に沈んでいたソラは目を覚まし、今に目を向けた。

〈ヤー(了解)。私ももう直ぐ抜けます〉

永遠に広がっていると思われた雲海は風で千切れ飛び、その切れ目からは海が見えた。嵐は止んでいた。ソラはその長大な羽で風を掴み、ゆっくりと下降して雲を抜けた。嵐は遥か尾羽のほうに去っていっていた。

〈目標を確認しました〉

そう暗号念話で呟くソラ。彼女の目には、V字の編隊を組んだ"群鳥"の姿が映り込んでいた。"まるで64実験小隊だ"。ソラはそう思った。

〈ヨダカより、H・Q・ビレッジ・バンガードへ。"群鳥"の姿を確認しました。ドローンです。ナンバリングは12、13、14、16、24、30、54、56、59、81。それと、〉

白く巨大なカモメの先頭を飛行する、白い翼。長い白髪を風にとかし、尾羽で緑色の魔力を燃やして飛行している、懐かしい彼女。完璧な飛行だった。白い羽で風を切り、ドローンたちの先頭を飛んで"風よけ"になっている。

〈"タカ"、テレーゼ隊長です〉

懐かしくて、泣き出してしまいそうだった。しかし、脊髄と融合したデバイスの体機能管制がそれを許さない。"軽くあれ"。テレーゼの落ちた日、ソラが空で泣いた最後の夜。涙は、ソラが最後に捨てたものだった。

〈H・Q・ビレッジ・バンガードより、ヨダカへ。バードランド分隊が輸送ヘリで出発しました。貴官はそのまま観測任務を続行、バードランドのサポートをお願いします〉

〈ヤー(了解)〉

そして羽を広げ風を掴み、"群鳥"から離れようとしたその時。どんな悲しみにも涙で曇ることのないソラの瞳に何かが映り込んだ。

地平線の向こう、白塗りの時空航行艦。うるさい魔力波でフルパワーの探知魔法を使っている。『うみ』、時空航行部隊の船だった。

"群鳥"もうるさい魔力波に気づき、各々探知魔法で索敵を始める。居場所を知られるリスクを侵してなお、敵を見つけようとする行為。大気がうるさい魔力で乱れ、長距離念話が使えなくなった。

そして、海上に出現する大型儀式魔法陣の煌めき。転送魔法。そこから黒いバリアジャケットの『うみ』の武装空士達が飛び出してきた。

武装空士と群鳥の双方から魔力発光。互いに撃ち放たれる、殺傷設定の魔法弾。空戦が始まった。

ソラは羽を畳み脚の音叉で青い魔力を燃やすと、音速の壁を突き破り殺意の嵐の中へ飛び込んでいった。

戦うな。殺し合うな。テレーゼ隊長を殺すな。テレーゼ隊長に殺させるな。

怒りは羽を強ばらせた。しかし同時に力も与えた。

キシキシキシキシキシッ。音叉が軋み叫びをあげる。心と音叉で青く燃え上がった炎を推進力に、飛んでいく。羽から展開される力場を硬く強くして、空気の壁を切り裂いていく。

ソラは青い光になって、夜空を裂いていった。







ヴィータは叫んだ。

「止めろ!撃つな!」

しかし止めの一発はソラの脚から生える音叉を打ち砕き、推進力を失った彼女は冷たい海に墜落した。

ソラを打ち落としたのは「うみ」の武装空士が放ったアンチマテリアルの魔法弾だった。







少しだけ時間は戻る。

ヴィータが航空12部隊バードランド分隊を率いてが輸送機で作戦空域に入ったとき、すでに「うみ」の一個小隊は半数にまで減っていた。テレーゼの命令するドローンが白い羽で飛び回り、まるで餌でも啄むように落としている最中だった。

そして白色の翼と黒色のバリアジャケットの間を縫うように飛ぶ、青い光の鳥。キシキシキシキシキシッ。甲高い音をあげ、羽を大きく広げて飛ぶ鳥。市蔵ソラだった。

ソラは飛ぶ。そして魔法力場で覆われた翼の羽ばたきで飛び交う対物設定の魔力弾をたたき落としていた。

くすんだ赤の煌めき。それがソラの翼に直撃する。誘導弾に自ら突っ込んでいき、武装空士を襲ったそれを掻き消す。黒いバリアスキンが剥がれ落ち、空気抵抗の熱と静電気で、青い光の粉となって消える。傷は一瞬で焼けた。千切れ飛んだ皮膚はバリアスキンで強引に継ぎ足した。赤い煌めきの魔法弾がドローンの一つ目から放たれる。自らの体を盾にして『うみ』の武装空士を守るソラ。飛び散るバリアスキン。燃え上がる青い炎。肉の焼ける匂い。彼女に命を救われた武装空士が叫ぶ。

「新手だ!撃ち落とせ!」

乱戦のせいで攻性魔力の満ちた大気は、念話も識別ビーコンも駄目にした。敵と味方との判断は己の目だけが頼り。そして、ソラの翼は余りにも鳥達に似すぎていた。

ソラは撃たれた。罵声を吐かれた。敵からも見方からも撃たれ、しかしそれでも逃げなかった。ソラが撃たれている間は、武装空士と群鳥は逃げ回る彼女だけを撃っていた。"必要悪が必要なんだ"。ソラは武装空士と群鳥の、この場にいる全ての敵になることにした。"そうすれば、私が飛んでる間は誰も撃たれない"。"私は大丈夫。堅い翼と青い炎がある"。翼から広がる魔法力場で体を守り、音叉で青い魔力を燃やす。前へ、前へ。もっと速く。

ソラはこの場にいる全ての命を背負っていた。全ての怒りと一緒に。"空は軽いものを愛します"。だというのに、今の彼女の体はどうしようもなく重たかった。

そして時はやって来る。

「止めろ!撃つな!」

輸送機から降下したヴィータが叫んだ。

しかし魔法弾はソラの脚から生えた音叉に命中。砕かれた音叉の破片が、硝子のように砕けた。そして青い炎を辺り中に振りまいた。その爆炎の中からボロボロの黒い十字架のようなシルエットが落っこちて、海に沈んだ。

「ファビアンとルルーは弾幕をはって"群鳥"を追い返せ。ロビノーとリヴィエールは『うみ』の馬鹿共を一網打尽にしろ。ペルランはあたしについてこい。ソラを助けに行く」

五人分の「ヤー(了解)」。灰色の外套のバードランドが輸送機から落下、そして飛行魔法で飛んだ。
ファビアンは魔法陣を展開すると、"群鳥"と『うみ』の武装空士を分け隔てなく平等に狙いをつけた。そして幾百の魔術弾を精製。バルカン砲のように打ち出した。スタン設定の非殺傷弾が鳥達と恐慌状態の魔導士に次々と命中。鳥達は驚き、逃げ出した。武装空士達は逃げる暇もなく命中、昏倒、落下。リヴィエールとロビーノの結界に引っかかり転落を免れ、そのままバインドで拘束された。ルルーは誘導弾を生成し、撃ち逃した鳥達を追い払った。

ヴィータとペルランは海面すれすれを飛びソラを探す。落下し海面に叩きつけられた武装空士達の亡骸。カモメの亡骸。白と黒の地獄の風景。

その中にヴィータは真っ黒な歪な十字架を見つける。それがソラだった。

「ペルラン、当たりを警戒しろ。あたしが行く」

バシャンとヴィータは海面に着水。深紅の騎士甲冑が水面に広がった。そして半分沈みかけたソラを抱き上げた。ソラの黒い仮面がピシリと割れて、真っ白な顔が現れた。黒い翼が音を立てて崩れ、羽とも腕ともつかない奇妙な物が現れた。その奇妙な物は脈動を繰り返し、やがて本来の人間の腕に戻った。

黒いバリアスキンがひび割れ、白い裸体が露わになる。抱えた体はヴィータの、子供の体より華奢で軽かった。"軽くあれ"。そのせいで軽くなってしまった体。抱き上げて初めて分かったこと。"ソラはあたしなんかより、よっぽど軽い"。

「よだかは、実にみにくい鳥です。だから虐められたんです」

ソラは疲れ果てた笑みを浮かべると、なにか気の利いた冗談みたいに言った。宮沢賢治の引用だった。

ヴータは空を仰いだ。そして叫ぶ。

「聞け、馬鹿共!あたしたちは背負わなきゃならない!あたしも、新入りも、バードランドの馬鹿共も、タカも、くそったれなお前らもだ。でもお前らはやりすぎだ。こんな軽い体に寄って集って背負わせやがって。あたしたちは背負わなきゃならない。でもそれは、誰かに背負わせないためにだろ!お前らは、そんなことも分からないのかよ」

そしてバカヤロウと小さく呟くと、そのまま顔を伏せて泣いてしまった。殆ど八つ当たりのような叫び。しかし心の底からの本気の叫びだった。

「何人死にましたか?」

ソラが小さく呟いた。

「いっぱい死んだよ。人も鳥も、一杯墜ちた。でも、お前がいなかったらもっと沢山死んでいた」

「そうですか。始末書じゃすまない失態です」

叱られるんだろうなと思った。人が死んだのだ。私が飛べないせいだ。しかし、ヴィータの声は予想に反してやさしいものだった。

「ああ、そうだな。始末書だけじゃ足りない。始末書のあとは何でも好きなもの食わせてやる。嫌って言うほど食わせてやる。ご褒美だ」

ヴィータは泣いていた。青い綺麗な瞳から、涙がこぼれる。「見んなよ。海の水が沁みただけだ」。うそつきと、心の中でつぶやいた。綺麗な涙、それをずっと見ていたかったが、それ以上に慰めたかった。そして。

「でも、この分だと暫くは入院でしょう。点滴にも大盛とか特盛りってあるんですかね」

口に出たのは、馬鹿みたいな冗談。綺麗な言葉も、気の効いた皮肉も、疲れ果てていて思い浮かばなかった。

「看護婦さんに言っておくさ。この子、見た目によらず体より胃袋のほうがデカいんですってな」

「先輩だって顔より口のほうが大きいでしょうに」

そして二人で馬鹿笑い。もう、何もかも笑い飛ばさないと重たくて沈んでしまいそうだった。

体はこんなにも軽いのに。二人は重たい心で笑い、泣いていた。







[6695] 9/歌の名は歓喜
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c621e98d
Date: 2009/02/22 11:03


時空航行部隊とテレーゼ、そして市蔵ソラが交戦をしたという空にフェイト・T・ハラオウンが飛行魔法で駆けつけたとき、すでに全ては終わっていた。

バードランド分隊は負傷した市蔵ソラと共に輸送機で帰っていた。テレーゼとドローン達は遙か空の彼方へ飛んでいった。

フェイトはその場に唯一残っていた次元航行艦のデッキに降り立つと、執務官権限で戦闘の全容について調査を始めた。

若い管制官は言う。

「まともな戦いじゃなかったよ。あのカモメ共、無茶苦茶な速さで飛ぶんだ。もう一方的だったよ。しかも、戦いに出た武装隊の奴らは士官学校出たてのヒヨッ子ばかしで、最後の方はパニックになっちゃってどうにもならない状態だったらしい。まあ、本隊が任務終えたばかしで休息中の急な任務だったから仕方なかったんだろうけどさ。新人にあれはキツいよ」

初老の砲手は言う。

「あの青く光る黒い鳥、市蔵二等空士だっけ。最初は敵かと思ったが、よくよく見れば俺たちの盾になってるじゃないか。全ては彼女のおかげだ。彼女がいなければ全滅だったよ。それを武装隊の若造ときたら早とちりしやがって。えっ、無線か念話で伝えればよかったって?伝えたさ。でも、カモメ共のジャミングが強くて全く役に立たなかったね。オペレーターが慌ててたよ。鳥のくせに何で情報戦が出来るんだってね」

噂好きの整備士が言う。

「いきなり上のお偉方から命令されたんだってさ。"タカ"を『りく(陸上部隊)』の連中より一刻も速く見つけ出し、殺せってな。姉さんも気いつけな。あんまし嗅ぎ回ってると、上の連中に目つけられるぜ」

そして、冷や汗でずぶ濡れになった艦長は怯えながら言った。

「ゲオルグ・テレマン提督からの指令でした。『りく』より速く"タカ"を見つけ出し、最初からいなかったことにしてしまえと」

艦長は頭を抱えて「許してくれ」と懇願した。

「私の仕事は罪を見つけることです。罰を与えるのは別の人の仕事です」

フェイトは艦長の元を去り、そのまま甲板へと出て行った。そしてポケットから携帯端末を取り出すと暗記したナンバーを打ち込みコールした。

「もしもし、なんかあったん?」柔らかな関西の訛り。本局で実験小隊の残党狩りをしていた八神はやての声だった。

「ゲオルグ・テレマン提督が『うみ』の黒幕」フェイトは短く簡潔に伝えた。

「やっぱり。こっちもテレマン提督の影を踏んだところや。彼は今、クラナガンにいる。うちもシグナムとブルーノートを連れてミッドにとんぼ返り。とっつかまえに行くとこや。すまないけど捜査令状の方はそっちで揃えてもらえんか?」

「うん。大丈夫」

そして短い情報のやりとりの後、端末の通信を切った。







転送ポートで本局から地上本部に戻ってきた八神はやてとシグナムは、その足でゲオルグ・テレマン提督の執務室へと向かった。大きな窓のその部屋はクラナガンのビル群と同じくらいの高さで、テレマンは窓に写る街並みを背負うように革張りの椅子に腰掛けていた。

「"裏切り者部隊"の隊長さんが何の用かね?」

椅子の背に恰幅のいい体を委ねたまま、テレマンは言った。シグナムは不快そうに眉を寄せた。はやては仮面を被ったみたいに静かな顔だった。"裏切り者部隊"。管理局内を立ち回り、敵味方の区別なく犯罪を暴いてきた航空12部隊のあだ名だった。

「ゲオルグ・テレマン提督。あなたに管理局内記違反の容疑がかかっています。」淡々と告げるはやて。

「時空犯罪者を捕まえるのが、そんなに悪いことなのかね」開き直った様子のテレマン。

「捕まえるだけならお手柄です。でも、武装隊を殺し屋に仕立てて殺してしまえと言うなら、それは立派な犯罪です」

「"鳥"を殺して何が悪い。あれは人間ではない」

「野蛮ですね。ミッドチルダの法律では、飼犬を殺したって犯罪です。さあ、行きましょう。私たちも手荒なことはしたくありません。仮にもあなたは上司です」

努めて冷静に。厚い、厚い仮面をかぶってはやては言った。仮面の下は怒りだったかもしれない。あるいは涙。
"鳥"は人間じゃないやって?なら、うちの市蔵はどうなんや。

ギリリと歯を食いしばって、今にも溢れ出しそうな罵詈雑言を飲み込んだ。怒りの味は、腐った果実の味だった。

「まあよい。どうせ私の正義は法廷で証明される。私は正義だ。管理局という組織がそれを証明してくれるのだ」

「あなたの正義は、管理局内だけのちっぽけな正義です。まだ私が捕まえてきた時空犯罪者のほうが、幾分ましな正義を持っていました。知っていますか?あなたの正義の名前は"独善"。悪より質の悪い正義です」

ささやかな復讐。口にした、腐った果実を吐き出した。

テレマンが立ち上がる。そして何かどうしようもなく酷い言葉を喚こうとした時。

硝子の砕け、テレマンの胸が破裂した。

コンマ数秒遅れの銃声。背骨を砕かれたせいで、胸の辺りからあり得ない方向に折れ曲がりながら倒れ、そこに容赦のない第二射。次は頭が木っ端微塵に消し飛んだ。

全ては砕けた硝子煌めきが床に墜ちるまでの僅かな時間の出来事だった。

シグナムが乱暴にはやてを突き飛ばし、安全圏に避難させた。そして魔剣レヴァンティンを刀の姿で起動させると、砕けた硝子の窓際へと飛び出していった。

銀魔弾の煌めきを、シグナムの直感と魔術強化された瞳が捉えた。

とっさにレヴァンティンの刀身を盾に、そして衝撃、銃声。魔剣が大きくたわみ、純銀弾を弾く。砕けた弾丸の、銀粉末の輝き。落下する硝子の輝き。そしてその光の雨の向こう、クラナガンのビル群と、その屋上に立つ黒い男。

黒いスーツに黒い帽子。真っ黒なフィッシュテールコートをビル風にはためかしている。そのまま葬式にだって出れそうな黒尽くめが、真っ黒なライフル銃を掲げ、万有引力のように眠たく立っていた。

男がライフルの遊底を操作し、ボルトアクションの機構から空薬夾を排夾、銃身の薬室に新たな魔弾を送り込む。

シグナムは哀れな元ゲオルグ・テレマン提督を押しのけ、彼が噴き出す血の雨を突っ切り叫ぶ。

「レヴァンティン、ヴォーゲンフォルム!」

〈ヤー(了解)〉機械仕掛けの魔剣の電子音声、そして立て続けに二回の爆音。カードリッジが排夾され、その魔力で刀は大弓の形に変身した。

アーチャーとスナイパーの狙撃戦。

狙撃手は魚のような無関心で冷静さを保ち、狙撃スコープの十字架瞳(レティクル)でシグナムの心臓を見つめ、優しくトリガーを撫で、銀魔弾を解き放った。

シグナムは炎のような激情で恐怖を焼き払い、支えた火矢をギリリと引き、そして魔力と一緒に解き放った。

轟音。空気が膨張して破裂する音。火矢の炎が幾万倍に膨れ上がり、レッドドラゴンの火球と化して狙撃手を包んだ。そして彼のいたビルの屋上の何もかもを焼き払った。

銃声。火薬の炸裂で、薬夾の封印から純銀魔弾が解放された音。重質量高硬度を誇る弾丸は火炎弾を貫き、シグナムとはやてが協力して張った十七層の魔術障壁を全て抜き、シグナムの左胸に衝突した。

「感謝します。主はやて」

弾丸は止まっていた。シグナムの左胸を覆った氷の鎧、それに突き刺さり動きを止めていた。八神はやての氷結魔法、それは役目を終えるとピシリとひび割れ血の水たまりに落下した。

第二射を構えるシグナム、狙撃手の姿は無い。シグナムの炎で消し飛んだ、というのは無いだろう。純魔力炎、魔力のオーバーロードで激しい痛みに気を失うことはあれど、死ぬことは無いはずだった。恐らくは逃げたのだろう。

「皮肉やな」

心臓と頭を永遠に失ったゲオルグ・テレマンの側で呟くはやて。

「殺そうとしなければ、殺されんかったやろうに」

声は憐憫に濡れていた。死ぬことは怖かった。死なれることも怖かった。でも、それ以上に、恐怖で目が曇ることが怖かった。自分が迷えば、部隊も迷う。はやては航空12部隊を抱えていた。

「いくで。シグナム」

「はい」

歩き出す八神はやて部隊長。そしてその背中を追うシグナム分隊長。

二人は血の海と化した執務室を後にした。







明け方のクラナガン、とある病院の病室。ヴィータはベッドで眠る、市蔵ソラの寝顔を見つめていた。

静かな寝顔、まるで死んでるみたいな。本来はキロメートルスケールの飛行を基本としているソラが『うみ』の武装隊の盾になるためにメートルスケールの飛行をした結果、脊髄のデバイスによる思考加速の代償だった。

ふと、ソラの睫が動いた。

「せんぱい、ですか?」眠そうな声。目を擦ろうとして、腕に刺さる点滴が邪魔で止めた。

「気分はどうだ?」

「最悪です。お腹は減ってるのに、食べたいと思えないんです」

「きっと点滴のせいだ」

そして突き出される林檎。「ちょっと食えば治るかもしんねぇ」。ヴィータの後ろには林檎の入ったダンボール箱、マジックペンで書かれた『航空12部隊一同』の文字。林檎は隊員の人数と同じ数だった。ソラは林檎を受け取り、

「林檎剥くの下手ですね」凸凹の林檎を手に、容赦のない一言。

「擦り林檎のジュースは得意だぞ」顔を赤らめ負け惜しみ。

「先輩のイメージにピッタシです」真顔で頷いた。

「ふうん、それってどういう意味だ?」

「何というか、こうグシャッと」

プロレスラーのデモンストレーションのポーズ。75キログラムオーバーの握力で林檎をグシャッとするポーズ。

「お前の頭もグシャッと」

ソラに迫る、ヴィータ魔の手。細く綺麗な手だが、マギ・ジェット・エンジンを内包した巨大突貫槌をぶん回すトランジスタ・マッスルな手。そして。

「うぎゃぁ」

間抜けな断末魔の声のソラ。「有り難く思え。元気を注入してやったんだ」とヴィータ。

お前はいつも一言多いんだよ。そう言いかけて、止めた。ヴィータはその余計な一言が、案外気に入っていた。鏡のように正直で、でもコミカルとシニカルで脚色された余計な一言。カレーライスのスプーンに映る、逆さまにひねくれた自分の顔みたいな気分。悲劇的な人生を送ってる癖に喜劇的な奴だなと、笑ってしまった。

「なにニタニタ笑っているんですか」

「カレーライスのスプーンだよ。お前によく似てるんだな、これが」

「人を食器に例えないでください。どれだけ食いしん坊なんですか」

「そうだな。このダンボールの林檎を一人で食べるのは辛いけど、お前と二人でなら美味しく頂ける位には」

果物屋で一番安い酸っぱい林檎共を指差し、ヴィータはそう言った。"あたしたちは背負わなきゃならない。でもそれは、誰かに背負わせないためにだろ"!そんな台詞を思い出しながら。

背負わなければいけない。速くも飛べず、高くも飛べず。しかしヴィータは背負うことだけは得意だった。重たいグラーフアイゼンを肩に担ぎ、副隊長という責任を背負い、敵陣に一番乗りし敵の敵意と憎しみを背負い、その全ての重みをグラーフアイゼンの一撃に乗せて打ち砕く。

重たい、重たい一撃。それがヴィータと突貫槌グラーフアイゼンのアイデンティティだった。

「酸っぱい林檎です。牛乳を足して、ミックスジュースにしてから、二人で飲みましょう。故郷で買ってきた美味しいジャージー牛乳があるんです」

ソラは林檎をかじりながら言った。

ヴィータが擦りおろし、ソラが買ってきた牛乳を混える。一人では酸っぱい林檎。二人だと美味しいミックスジュース。他人を背負うということは、そういうことなのかもしれないとヴィータは思った。

「それは、楽しみだな」

はにかみながら、ヴィータは言った。

それからしばらくは無言が続いた。ソラがシャクシャクと林檎をかじり咀嚼する音だけが病室に聞こえていた。そこにはソラ特有の、脊髄と融合したデバイスによる副作用の飢餓感は見受けられず、ただ酸っぱい安物の林檎の味を楽しんでいるようにヴィータは思えた。代謝機能と思考能力の加速。それは大量のカロリーと糖分を必要として、そのせいでソラはいつも飢えていた。

林檎はあっという間に、ソラの胃袋へと消えていった。

「そういえば、結局あの後どうなったんですか?」根っからの偵察兵。こんな時くらい休めばいいのにと考えつつ、しかしヴィータは「質問をどうぞ」と言った。

ソラが一番に気になったこと。それは、何故あの場所に『うみ』の時空航行艦がいたのか、と言うことだった。

「命令されたんだとさ。"タカ"を殺せ。そして、いなかったことにしろ。お前が考えていた通りの、証拠隠滅だよ」

「誰が命令したんですか?」

「表向きは艦長命令。曰わく、飛んでいたドローンの中に『うみ』のドローンが混ざっていたんだとさ。少なくとも武装隊はそう信じていた」

「全部、『りく』保有のドローンでしたよ」

「"タカ"は『うみ』保有のドローンだそうだ。だから『うみ』が責任もって墜とす。そう言ってやがった」

「嗚呼、くそ」

心底忌々しそうな"くそ"。私たちはドローンなんかじゃない。心を持った人間だ。

ヴィータは感心してしまった。こいつにも、こんな罵声が吐けるんだ。

「それで、その命令を出した奴の名前は?」

「ゲオルグ・テレマン提督」

「彼、64実験小隊と08防疫部隊の後見人だった人で、実質の立案者だったって。嗚呼、くそ!」

クロスワードパズルの空欄が埋まっていく感覚。空欄は全て8文字、ゲ・オ・ル・グ・テ・レ・マ・ン。

全ての黒幕はテレマンだ。実験小隊を作ったのはテレマンだ。実験小隊が堕ちた後、テレーゼを拾ったのもテレマンだろう。そしてテレーゼを"タカ"にした海上プラント、そこを出入りしていた元実験小隊の研究員もテレマンの差し金なんだろう。

しかし、"タカ"は逃げ出した。

"タカ"が見つかれば、テレマンの悪行も全て白日の下に晒される。だから全てを無かったことにしたかった。『うみ』の不自然な介入。航空12部隊を先回りして現れた次元航行艦。嘘の命令で殺し屋に仕立てあげられた武装隊。嘘の正義で墜ちていった人たち。

嗚呼、くそ。

「提督は今どこですか?今から一発ぶん殴りに行ってきます」

「死んだよ」

「嘘でしょう」

「本当だよ。純銀弾で頭と心臓を撃ち抜かれてな。そんでもって、その後はやてとテスタロッサの二人にたれ込みがあった。『僕はスイユ。かつて管理局特殊火器猟兵集団に勤めていた者だ。そしてテレマン提督とあなたちを撃った狙撃手でもある。あなたたちが広い正義を持った人たちだと見込んで、テレマン提督の罪の証拠をあなたたちに渡したい。時間がない。出来るだけ早くに返事をくれ』。そう言っていたらしい」

スイユと名乗った男の伝言、それは航空64部隊実験小隊の暗号通信で、フェイトとはやてのプライベートな携帯端末に送られてきたボイスメールだった。

「あたしが知っているのはここまでだ。ほかに知りたいことがあれば、はやてかテスタロッサに聞いてくれ。今頃事件の真相を暴くべく、かけずり回ってるだろうから」

優秀な執務管であるフェイト・テスタロッサ・ハラオウンとティアナ・ランスター。特別捜査官資格持ちの部隊長である八神はやて。彼女らは『うみ』で『りく』で実験小隊の影を追い、捕まえ、尋問し、また追うということを繰り返していた。司令塔で黒幕であるテレマン提督の亡き今、その下で動いていた協力者たちは証拠を消すのに忙しかった。消される前に見つけ出す。そのための捜査だった。

「きっとあと二、三日は犯人逮捕で忙しい。狙撃手の持ちかけた取り引きとテレーゼの対処についてはしばらく保留だ。だから、お前は休んでろ。沢山寝て、傷を治すんだ」

しかしソラは「無理ですよ」と言う。

「頭が焼け付いているんです。眠れません」

それは単純に傷の痛みや高速飛行からくる行き過ぎた疲労から来るもののだったのかもしれない。しかしヴィータは"違う"と思った。

"鳥達"に撃たれた。魔導師に撃たれた。ソラにとってはどちらも仲間だったのだ。その仲間たちから撃たれ、罵声を吐かれ、叩き落とされ。それでも守ろうとしたのだ。"

軽くあれ"といつも願っていたソラが人の命を背負い、そして一緒に墜落した。その重力の加速度が忘れられないんだろう。

「ザィト・ウムシュルンゲン・ミリオーネン。ディーゼン・クス・デル・ガンツェン・ヴェルトゥ(幾百万の人々よ、いだきあえ。この口づけを世界の全てに)」

歌ったのはヴィータだった。静かに、なだらかに、鼻にかかった歌声のルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン。歓喜の歌、喜びの交響楽。バス・トロンボーンが合唱を導くなだらかな旋律だった。

「お前、ベートーヴェンが好きだろう?子守歌がわりだよ。バードランドの子守歌だ」

そう言ってから、ヴィータはソラの頭を抱きしめ、歌詞の通りに彼女の額にキスをした。

この子は暴力と罵声の中から帰ってきたんだ。抱きしめてやらなきゃならない。キスしてやらなきゃならない。

「ブリューデル・イューベルム・シュテールネンツェルトゥ・ムス・アイン・リーベル・ファーテル・ヴォーネン(兄弟よ、星空のかなたに。かならずやいとしい父は住み給う)」

ソラは歌った。そして姉妹みたいにヴィータと抱き合った。歌声は甘く濡れていて、遠い昔に捨てたはずの涙の匂いがした。

真夜中の病室、天体達の眩しい夜。

バードランドの子守歌はいつまでも聞こえていた。






[6695] 10/悪役たちの午後
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c621e98d
Date: 2009/02/22 11:05


「名前はスイユ、ファミリーネームは無し。ただし戸籍上は"白"を意味するパイって名字を使っています。このスイユって名前も、自分であとから付けたみたいですね。名無しのスイユで、パイ・スイユ。聞き慣れない響きの名前です」

端末のディスプレイを眺めながら、ティアナ・ランスターは言った。

フェイト・T・ハラオウンはパイ・スイユと口の中で復唱し「中国の人かな」と呟いた。

「年齢は29歳。三十路手前なオジサンの癖に、綺麗な顔ですよね」

ディスプレイに映し出される、粒子の荒い画像。監視カメラの映像だった。細身で三つボタンのダークスーツとフィッシュテールコート、そして鳥撃帽。ハードボイルドの探偵みたいな格好で、彼の人形めいた顔には酷く似合っていなかった。

「14歳で入局。入局前の出身世界で猟師、つまりは銃を扱っていた経験から、特殊火器猟兵集団に配属。魔法文明のない管理外世界での、荒事で大活躍。でも、二年前に管理局を希望退職。以降は行方知れず。ちなみに特殊火器猟兵集団では狙撃手のポジションだったそうです。それにしても、噂だと思ってましたよ。管理局に質量兵器を扱う部門があっただなんて」

「魔法は管理外世界だと表立って使えないからね。それに局員にはデバイスの代わりに拳銃を持ち歩く人もいるし。勿論、登録はいるけれど」

「さらば、非殺傷魔法至上主義。こんにちは銃社会」

「そうならないためにも、私たち魔導士が頑張らないとね。それで、スイユの入局前の情報については?ネゴシエーターとプロファイラーが情報を待ってるって」

「それが、」と急に言いどもるティアナ。

「パイ・スイユ、彼には十二歳より前の過去がないんです」

そしてディスプレイに映し出される、スイユの管理局時代のプロフィール。ティアナはそれの、出身世界の欄を指差した。

「第47観測外世界。現在で言うところの虚数空間航路AM175。つまり次元震に沈んで滅びた世界の出身です」







テレーゼは雲の上で、幼い声で言った。

〈すいゆは、かえるばしょってあるの?〉

スイユは公園のベンチで、テレーゼが飛んでいるであろう雲に向かって言った。

〈どうだろうな。僕の産まれた世界は滅びてしまったし、二番目のホームだった管理局も今では敵だし〉

〈すいゆのせかい、なくなっちゃったの?〉

〈ああ。空が落ちてきたんだ。それでみんな死んでしまった〉

空に向かって念話を飛ばす男と、地上に向かって念話を飛ばす鳥。高低差5000メートルオーバーの歪な会話であったが、しかしテレーゼとスイユにとってはそれが普通だった。

〈みんなしんだの?とりも?〉

〈空が落ちたんだ。鳥は一番最初に死んだ。人間は一番最後さ〉

〈こわい〉

心底怯えた様子のテレーゼに「ここの空はまだ落ちない。怖くないよ」慰めるようにスイユは言った。二人は同い年であったが、まるで父と娘みたいだった。

テレーゼの脳は退行していた。

航空64部隊実験小隊の墜落事故。その時、脊髄と融合していた飛行制御デバイスは墜落時に損傷した脳の欠損部分を補おうとして、脳の一部までに食い込んでいた。そして、失われたテレーゼの脳の一部の機能を代行していた。しかし、本来の飛行制御とかけ離れた感情や情緒機能の代行は、デバイスに負担をかけ、劣化させていく。その劣化と共に、テレーゼの精神年齢は下がっていった。

そして、それは最近になって特に顕著だった。

スイユが架空の組織を語って"人間工場"の海上プラントに潜り込んだとき、まだテレーゼの心は彼と同い年だった。しかし、時がたつにつれて彼女の精神年齢は下がっていき、二人が管理局の急襲に紛れて"人間工場"を逃げ出したときには、テレーゼはスイユの妹になっていた。そして、今では父と娘。時間は巻き戻り、刻限は近づいていた。

〈かえるばしょもないのに、たたかって。つかれないの?〉

〈疲れるさ〉

〈なら、なんでたたかうの?〉

〈地面だよ。君が地面で休めるようにするためだ〉

〈じめん?〉

〈地面で寝ないと、鳥は疲れて墜ちてしまうらしい。友達の教導官、エース・オブ・エースが言っていたんだ〉

管理局でできた数少ない友人のことを思い出し、スイユは言った。彼がまだ局に勤めていた頃、エース・オブ・エースはスイユに言った。「小さな赤い騎士が言ったの。お前は地面を知らない鳥だった。だから、墜ちたんだってね」。全くその通りだった。昔のテレーゼは地面を知らないが故に墜ちた。そして今のテレーゼも、敵だらけの地面に降りることが出来ずに力尽きようとしていた。

スイユは、テレーゼに安全な地面を与えるために戦っていた。管理局を去り、銃を手に取り、テレーゼの着陸を邪魔する敵を撃って回った。そして、テレーゼの着陸を助けてくれる味方を探して回った。

敵の名前は、ゲオルグ・テレマン提督と実験小隊の亡霊達。

味方の名前は、エース・オブ・エースが誇らしげに語った友の名前、八神はやてとフェイト・テスタロッサ・ハラオウン。

着陸を邪魔する敵は、もう居ない。あとは味方にテレーゼを引き渡し保護してもらえばタッチダウンは完了。テレーゼは被害者であり証人だ。航空12部隊と執務官二人、彼女たちなら安心して任せられる。スイユはそう感じていた。

「あとは取り引きまでに"間に合うか"か」

雲の上のテレーゼには聞こえないであろう、地声の呟き。"間に合うか"。テレーゼは退行していっている。それは彼女の脳機能を代行するデバイスが壊れつつあるということだった。完全に壊れる前に管理局がテレーゼを受け入れ、治療をすること。そうしなければ、どうなるかわからない。テレーゼはテレーゼでなくなって、完全な"タカ"に生まれ変わってしまうのかもしれない。あるいは死。スイユには、どちらも受け入れられそうになかった。

苦悩と悲しみ。その表情を、テレーゼは雲の切れ目から確認する。元観測部隊の優秀な目だった。

〈すいゆ。かなしまないで。わたしはいっぱいころした。しんでとうぜんなの〉

〈当然なもんか。殺させたのは"タカ"の、デバイスの防衛プログラムだろ。君自身は誰も殺しちゃいない〉

〈それでも、わたしが"たか"にかってたら、かもめたちも、まほうつかいさんたちも、うたごえのきれいな"あのこ"もおちてなかった〉

"タカ"、デバイスの防衛プログラム。それはテレーゼにとって恐ろしい怪物だった。生きることと、飛ぶことと、それだけしか持っていない疑似人格プログラム。デバイスがテレーゼの感情を代行しているうちに手に入れた、デバイス自身の人格だった。

〈君は今まで"タカ"を押さえ込んできたんだ。十分偉いよ〉

〈わたし、えらいの?〉

〈偉いさ。だから、死んで当然だなんて言うな。テレーゼは生きるんだ。救われるんだ。これから楽しいことがたくさん待ってるんだ〉

〈てれーぜ、たのしいことはすき。みんなといっしょにとぶんだ。かもめさんや、まほうつかいさんや、うたのきれいな"あのこ"と〉

未来を楽しみにする、子供のようなテレーゼの声。スイユが空を見上げると、雲の切れ目にV字を描いて飛ぶ群鳥の姿が見えた。

守るべき者。スイユはテレーゼの未来を抱えていた。

唐突に、スイユのスーツのポケットで携帯端末の着信を告げるバイブレーション。彼は携帯端末を手に取ると、通話ボタンを押した。

「スイユだ」

「フェイト・テスタロッサ・ハラオウンです。司法取引の準備が整いました」

「ああ。取引の場所は"人間工場"、海上プラントだ。僕はそこにいる。時間はそちらの都合に任せる。一秒でも早く、取り引きを始めたい。"時間がないんだ"」

「わかりました。では、後程伺います」

着られる着信。簡潔で短い応答。お互いに逆探知を恐れての、短い通話だった。

スイユは立ち上がった。そして地面に置いていたバリトン・サックスのトラッドケースを肩に担ぐ。小柄な女性なら軽く収まってしまいそうな巨大な楽器ケース、それが彼のスナイパー・ウェポン・システム。そこに納められた黒塗りのライフル銃と百発余りの純銀弾、それが彼の唯一の牙だった。

歩き出すスイユ。彼に向かってテレーゼは言う。

〈どこへいくの?〉

〈君を救う人達に会いに行ってくるんだ〉

そう言って空を仰いだ。雲は低く千切れ飛び、遠くから灰色の雲が迫っていた。

嵐が来る。

希望と不安を抱きつつ、スイユは約束の場所へと足を進めたのだった。







あらしがくる。テレーゼは夜闇を飛びながら、そう思った。

彼女は白い翼で群青の雲の上を滑空し、白塗りの人造の鳥、カモメ達を引き連れて空を飛んでいた。テレーゼとカモメ達は長い羽で風を切り更なる揚力をえると、航空力学の神秘を糧に更なる"限界高度"へと目指していった。

"限界高度"への挑戦、それはテレーゼとカモメ達に共通する本能だった。飛ぶために作られた。飛ぶために自らを作った。そして今も作り続けている。互いの脳を念話でリンクさせ、お互いの飛行制御プログラムを交換しあい、少しでも高く飛ぼうとした。

飛ぶごとに大気は冷たさを増した。空気は薄くなり、揚力の加護が受けられなくなった。尾羽で魔力を燃やし、それをもって体を温める熱と羽を押し上げる推進力とした。そして到来する"限界高度"、地上10000メートルオーバー、対流圏界面と呼ばれる対流圏の執着だった。テレーゼが冷たく吹き荒ぶ風に身を震わせ天を仰ぐと、"限界高度"のさらに向こう、成層圏の静かな空が広がっていた。空に向かって落下してしまいそうな恐怖、それほどまでに成層圏は澄んでいた。

不意に吹いた強い風に翼がギシギシと軋んだ。頭蓋骨の裏側で〈おい、俺に代われよ〉と"タカ"が言った。〈嵐が来るんだ。感情なんて背負ってたら飛べねえぞ。"軽くあれ"だ〉そう、何度も脅してきた。

〈いやだ。あなたはだれもせおわない。かもめたちや、いとしいあのひとをおいていく〉

雲の上を飛びながら、テレーゼはそう念じた。

"タカ"は言う。

〈でもお前、もう限界だろ?言ってたじゃないか。「さびしくて、さびしくて、こころがからっぽなのに。"まだ、からだがおもたいんだ"」。つまり、お前はこれ以上軽くなれないんだ。俺に代われ。そうしたらもっと軽くなってやる。仲間だって沢山呼んでやる。お前は軽い軽い、鳥の王様になるんだ。寂しくなんてなくなるんだ〉

〈すいゆは?あのひとは、じめんをくれるっていっていた。とりは、じめんでやすまないといけないんだって〉

〈地面なんていらないくらいに軽くなるんだ。素敵だろ。〉

"限界高度"の過酷さにで軋む翼。"軽くあれ"、何度も何度も"タカ"はテレーゼに囁いた。

〈今は待とう〉

頭蓋骨の中で"タカ"がニヤリと笑った。そして。

〈でもだ、きっとお前は俺を呼ぶ。予言だ。お前は俺の軽い体を欲する。そして俺に全てを委ねる〉

それだけ言うと、途端に静かに黙り込んでしまった。

テレーゼは怖くなってしまった。そして無性にスイユに会いたいと願ってしまった。

カモメ達にテレーゼは命じる。〈おりるよ〉。厚い雲の海の上で、一斉に羽を畳む鳥達の軍団。群鳥は偉大なる万有引力に引かれて、降下を開始した。そしてスイユがいるであろう"人間工場"、海上プラントに向かって帰巣本能を頼りに飛んでいったのだった。






[6695] 11/嵐の中で
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c621e98d
Date: 2009/02/22 11:07

嵐の夜。クラナガン近海の海上プラント。

そのヘリポートの上に航空12部隊、八神はやて部隊長。そしてフェイト・T・ハラオウン執務官とティアナ・ランスター執務官補佐は立っていた。

彼女らを運んできた輸送機がプロペラを回転させて飛び去っていく。

強い雨風の中、隊服のブラウスが肌に張り付き気持ち悪い。

「運が悪いな」

はやては、そう小さく呟いた。

「はやて、何か言った」とフェイト。

「何でもない。それより、周りの警戒は二人にまかせた。フェイトちゃんの高速移動魔法と、ティアナの魔導砲手の目。いざというときは頼んだで」

ティアナは既に狙撃手の潜んでいそうな狙撃ポイントを見当つけ、濃紺の制服のポケットに突っ込んだ右手、そこに握られたクロスミラージュの探知で見張っていた。フェイトも術式を頭の中で編み、安全装置を外した拳銃薬室内の弾丸の気分だった。執務官二人は一見突っ立っているだけだったが、瞳だけは熱を帯びていた。

一人歩き出す、はやて。群青色の隊服を雨で重たく濡らし、肩に羽織った騎士服の白いジャケットを雨合羽代わりに。風に飛ばされないように襟元のピンバッチ、部隊長章を隠すみたいに首もとで押さえている。部隊長章、「隊長ってのは、スナイパーに真っ先に撃たれるんだ。だから、そんな縁起悪い物外しちまえよ」とヴィータは言ったが、はやては敢えて外さなかった。「あたしは航空12部隊の隊長さんや」それがはやての答えだった。

広く平らな海上プラントの甲板。その中央にたどり着く。隊服の上から羽織った騎士服越しにもわかる、強い風と体温を奪う雨。視界の360度を覆う夜闇。どこにいるか分からない敵の恐怖。

「こんな時に市蔵がいてくれたらな」

思わず漏れる愚痴。どんな時も敵を見つけてくれる、天空の観測手。彼女は任務中の怪我で未だ入院中だった。

「フロイデ・シューネル・ゲッテルフンケン・トッホテル・アウス・エリーズィゥム」

ゴウゴウと吹きわたる風音にまぎれて、ベートーベンとシラーの歓喜の歌。アスファルトの地面に転がる携帯端末の着信音だった。

はやてはそれを手に取り、通信を繋いだ。

「ハロー、ハロー。航空12部隊の八神はやてや。スイユはベートーベンがお好きなんかい」

できる限り友好的に、気楽な様子で。道化の仮面だった。

〈個人的にはブラームスの方が"お好き"だ。ベートーベンは友人の趣味だよ。〉感情の籠もらないテノール。もしかしたアルト。中性的なスイユの声。

「奇遇やな。うちの隊にもベートーベンが好きな子がいるんや。市蔵って名前や」

〈友人ってのはイチクラの同僚、テレーゼのことだよ。しかし驚いたな〉

会話の語尾に、僅かに驚愕の色。

〈まさか君たちが矢神はやてとフェイト・T・テスタロッサだったなんて。僕は危うく"味方"を撃ち殺しかけた訳だ〉

「まだ味方とは限らんで。あたしを狙撃ライフルの十字架瞳(レティクル)で見てるんやろ」

スピーカー越しの無言、恐らくは肯定の意味。

「少し喋りすぎたな。そろそろ取引といこうか。"時間がないんやろ"?」

狙撃スコープ越しに自分を見ているだろうスイユに、はやてはニヤリと笑いかけた。〈そうだな〉。スイユは感情の籠もらない声で返した。そして取引の内容を切り出した。

〈僕は管理局に出頭する。君たちにはテレーゼの保護を頼みたい〉

余りにもシンプルで、管理局側に有利すぎる取引だった。

「あんたは二人殺しとる。しかも内一人は提督や。下手したら永久封印やで」

「永久封印されるような犯罪者を捕まえれるんだ。昇進のチャンスだとは思わないかい」

嗚呼、成る程。はやてはすんなりと納得する。全ては計算されてたんだと。

ゲオルグ・テレマン提督が殺された理由、それはテレーゼを消そうとする元実験小隊への牽制や、この事件の首謀者への復習という意味合いもあったのだろう。同時に『時空管理局地上本部内ゲオルグ・テレマン提督暗殺事件』なる大事件を起こすことで、管理局全体に喧嘩を売るという意味合いもあった。本部内での提督の暗殺。しかも犯人は質量兵器を使っていて、元局員。当然のように一連の当然事件は大きくなり、否応なしにでも事件の闇を見つめないといけなくなる。全ては舞台裏から表舞台に引っ張り上げられ、スイユは然るべき罰を受ける。そしてテレーゼには然るべき保護を。

小さい事件ならもみ消される。大きい事件なら消しようがない。

積極的に事件を大きくし、自らの罪と価値を吊り上げたスイユ。彼は、この取引において甘い甘い餌だった。自己犠牲。自ら蜂蜜を被った甘い人。

甘ったれんな、このあほう。はやてはテレーゼの悲しむ顔を想像し、それを言いかけて、止めた。俯いた時に顎に触れた金属の部隊長章の冷たさ、それが口を噤んだ理由だった。私は航空12部隊を背負っている。情を知らねばならない。しかし、情に流されてはならない。

「テレーゼは守ったる。私たちも、スイユも、やり方は違うけど目的は一緒や」

事件の解決を目指して、それぞれの空を飛んでいた航空12部隊。それは、スイユやテレーゼも同じだった。

「感謝する。僕は別にどうなったって構わない。テレーゼを守ってやってくれ」

不意に懐中電灯の光。はやてがその方向をみると、崩れかけたクレーン塔の上に真っ黒な人影、スイユがいた。ライフル銃を地面に置き、手は頭の後ろ、投降のポーズだった。

〈これからそっちに向かう。僕が君の後ろで控えている執務官二人に逮捕されて安全が確保された後、念話でテレーゼを呼ぼう。君の部隊で保護してやってくれ〉

そう言って、螺旋階段をゆっくり下りていこうとしたその時。

〈だめだよ。わたしだけすくわれても、いみがない〉

その場にいる全員に向けて、天空からの暗号念話。はやてが空を仰ぐと、そこには白い翼を羽ばたかせ海上プラント上空を旋回する群鳥の姿。管理局の管制から離れたドローン達。そして。

「テレーゼ」

まるで天使が飛び回っているかのような情景。

〈すいゆ、いっしょににげよう。そらはひろいんだ〉

そしてテレーゼは大きく羽ばたいた。

吹き乱れる魔力風。緑色に燃える魔法力場が地面を薙いだ。

真っ二つに裂ける海上プラントの上部。はやてはとっさに張ったベルカ式の魔法陣で不可視の刃を防いだ。
しかし、攻撃はそれだけに止まらない。

群鳥のうち一羽、人造のカモメがはやてに迫る。白い弾丸、それがくすんだ赤の魔力光で真っ直ぐに飛んできた。

〈出番や。バードランド〉

部隊長八神はやての命令。同時に、空の一角が割れた。高度な隠蔽結界。その中から、燃え上がるような紅が飛び出してきた。

「ぶちかませ、アイゼン!」

〈ヤー〉

唸るマギ・ジェット・エンジン。振り下ろされる特大の突貫鎚。そして偉大なる運動エネルギーと質量エネルギーに頼った、凶悪な衝突。はやての眼前にまで迫っていたカモメが、人造筋肉を撒き散らしながら吹き飛んだ。カルメンのダンスの軽やかさで翻る、真っ赤なバトル・ドレス。頭に被った真紅のベレー帽、『のろいうさぎ』のアップリケ付。うさぎの耳には、はやてが付けた花の耳飾り。真っ赤な彼女は、はやてを守るように地面に降り立つ。手に握られた突貫鎚グラーフ・アイゼンがポンプアクションで廃夾、盛大な蒸気を吹き出しながら廃熱。そのまだ放熱しきってない灼熱の鎚を掲げ、宣言。

「ワガママな駄々っ子は、ぶっ飛ばしてから連れ帰る!」

バードランド分隊副隊長、八神ヴィータの登場だった。

空のひびから飛び出してくる、バードランド分隊の面々。灰色の外套をはためかせる五つの影と、菫色の一つの影。ファビアンが弾幕を張る。リヴィエールが結界を張り守る。ルルーが誘導弾で撃ち落とす。ペルランが曲芸飛行で引っ掻き回す。ロビノーの補助魔法が隊員を後押しする。そして菫色の騎士甲冑、バードランド分隊隊長シグナムが魔険レヴァンティンを抜き放ち命令。

「カモメ共の全滅と、テレーゼの保護。この二つが仕事だ。市蔵は居ないが、抜かるなよ」

五人分の「ヤー(了解)」。

万が一に備えて、ダブルSランク魔導士八神はやてが張った広域隠蔽結界に隠れていたバードランドの戦力だった。

「スイユ、きこえるか!」はやてが叫ぶ。そして「私たちはテレーゼをつれて帰る。あんたにも協力願いたい。ええか?」犯罪者への協力要請。映画の中の隊長みたいに滅茶苦茶な要請だった。

〈了解。元、管理局特殊火器猟兵、パイ・スイユ。これより八神はやて部隊長の指揮下にはいります〉

背丈ほどもあるアンチマテリアル・ライフルを構えるスイユ。ボルトアクションを操作して、安全装置に手をかける。

〈発砲の許可を〉

「許可する」

安全装置が外されて、トリガーが引かれた。轟砲音。音よりも速く純銀弾が飛び出し、照星の向こう、はやてに迫っていたカモメを撃ち滅ぼした。嵐の中の対空実体弾射撃。猟人の面目躍如。

〈テレーゼ、止めるんだ。彼らは味方だ〉

航空64部隊実験小隊の暗号コードで、スイユは念話を飛ばす。しかし返事は帰ってこない。激しいノイズ、そこに混じる〈いっしょにいこう〉。何度も、何度も、まるで壊れたテープレコーダー。"タカ"に喰われつつある精神。バクに浸食されてつつあるデバイス。結論、"テレーゼは止まらない"。

「嗚呼、間に合わなかったんだ」

スイユは引き金を引いた。また一羽、カモメが落ちた。







〈いっしょにいこう〉

暗闇で寝ていたカモメ達は、その声で目覚めた。

〈いっしょにいこう〉

その呼びかけに応えるべく、白く大きな羽を広げた。そして棺桶のようなねぐらの屋根を吹き飛ばし、呼びかけと共に送られてきた編隊飛行プログラムで、群をなして飛んでいった。

〈いっしょにいこう〉

十三羽のカモメ達が声に導かれ夜空に飛び立ったとき、空には既に数百羽のカモメが飛んでいた。ミットチルダ中のねぐらから〈いっしょにいこう〉の声に導かれて飛び立ったドローンの群だった。

その飛行は綺麗だった。機械仕掛けの白い翼で、誰も見たことの無いような美しい編隊飛行プログラムの支配で、天使のように飛んでいく。吹き渡る暴風にも、翼を重たく濡らす雨にも、汚されることなく、ただひたすら〈いっしょにいこう〉の声のもとへと白い翼で飛んでいく。〈いっしょにいこう〉。彼らは心を理解する高度なAIを持ってはいなかった。しかしその声が、人間達がいつも求めてやまない、透明で暖かく尊いものだと理解もしていた。

嗚呼、空は広い。

カモメ達は幾度となく空を飛んでいたが、しかし自由な飛行は初めてだった。この時、ドローンたちは初めて空というものを知った。そして、自分たちに空を教えてくれた〈いっしょにいこう〉の囁きを助けに行くべく、同じ空へと飛行を開始したのだった。







〈いっしょにいこう〉

市蔵ソラは、その懐かしい声で目を覚ました。

上半身を病室のベッドから起こし、耳を澄ませる。

〈いっしょにいこう〉

懐かしい声。それ声は64実験小隊の暗号コードで、窓の外から聞こえてきていた。ソラは体中の火傷が擦れて痛むのも厭わずに、ベッドの横の車椅子に転がり込むと、窓の側まで移動して格子戸を開け放った。

曇天の夜空、吹き荒れる暴風、空から降る幾億幾兆の雨粒を見つけた。そして、その嵐の中を海に向かって飛んでいく、幾百の白いカモメ達を見つけた。

〈いっしょにいこう〉

群鳥は声に導かれ、同じ方角へと向かっていた。見たこともないような美しさで、編隊飛行をするカモメ達。風にも雨にも汚されず、一点の曇りもない純白の翼。爛々と赤く輝く隻眼。

「まるでキェールプ(ケルビム)だ」

思わず口をついたのは、炎の剣をもつエデンの守人、天使の名だった。

ソラは窓の向こう、群鳥の進路を睨みつけた。バードランドが作戦に出た海と空が見えた。きっとこの鳥達は、バードランドと戦いに行くんだ。そしてバードランドはテレーゼ隊長と戦っている。

〈いっしょにいこう〉懐かしい声。私も行かなくちゃ。

"軽くあれ"。ソラは着ていた検査服の紐をほどき脱ぎ去った。白い裸の体が露わになった。

"軽くあれ"。体中の火傷に貼られたガーゼを全て剥がした。病室に吹き込む風。冷たい雨が火照った傷を冷やした。

"軽くあれ"。太股だけの足に巻いてある矯正包帯をほどきさった。包帯は風に飛ばされ、空中に消えた。太股には引きつった傷が走っていた。

"軽くあれ"。ソラは最後に、車椅子の上で腕を広げた。その姿は飛び立とうとする鳥の姿にも見えたし、同時に何かを抱え込もうとする姿にも見えた。
"
軽くあれ"。空は軽いものを愛します。

だと言うのに、"軽くあれ"と願うソラが思い出していたのはヴィータの叫び「あたしたちは背負わなきゃならない。でもそれは、誰かに背負わせないためにだろ!」。64実験小隊で学んだ"軽くあれ"とは真逆の理念だった。私はもうバードランドの鳥なんだ。ソラは笑ってしまった。

「先輩は背負わせたくないって言ってたけど、今の私は背負てもいいかなって思ってるんです」

"軽くあれ"。軽くなった分だけ、背負うことができるから。ソラは軽い体と軽い心を忘れずに、しかし背負うことを決意した。そして。

「"軽くあれ"」

彼女を彼女たらしめる魔法の呪文。脊髄のイカルス・デバイスが魔法を編んだ。

燃え上がる青い炎。腕は翼になった。体は黒いバリアスキンで覆われた。足から生えた音叉がキシキシキシキシキシッと高く鳴き、魔力を燃やす。

〈いっしょにいこう〉

〈ああ、いっしょにいこう〉

病室の窓から、ソラは嵐の中に飛び出していった。

昔の仲間にあうために。今の仲間にあうために。ソラは黒い翼を広げて、バードランドの空へと飛び去っていった。






[6695] 12/猟師と鳥と魔法使いと
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c621e98d
Date: 2009/02/18 10:20



ヴィータが叫ぶ。

「これでラスト!」

振り下ろされるグラーフ・アイゼン。その凶悪な金属の重量に頭を叩き潰されたカモメは、真っ逆様に冷たい海へと落下していった。

海面に漂う、十二のカモメの骸。ヴィータはそれらに心の中だけで一瞬だけ祈ると、すぐさま夜の天頂を見上げる。

積乱雲の下で空戦を繰り広げる、黄金色の魔法発光と緑色の魔法発光。フェイト・テスタロッサ・ハラオウンと、"タカ"に意識を喰われたテレーゼだった。

フェイトが死神のように大鎌のバルディッシュをクルリと回し、空中に魔法陣を描く。すると彼女の周りに幾十の光の槍が出現。雷を纏い滞空、プラズマで空気が焼けるオゾン臭。魔法、雷の槍、神話の体現。

"タカ"が、光の槍を率いて滞空するフェイトに襲いかかる。フェイトは"タカ"を真っ直ぐ睨みつけ「マーチ(行軍)」魔法を解き放つリリック、大鎌が振り下ろされる。光の槍が射出、閃光と雷鳴。槍は振り下ろされた大鎌の先で、次々と"タカ"に命中。目を焼く稲光と、鼓膜を破る雷鳴、呼吸器を溶かすオゾン・ガスが到来。900ギガワットの、電子の暴力だった。

しかし。

「やっぱりだめか」

電子雪崩の光の嵐を突っ切って、真っ直ぐ"タカ"が飛んでくる。高所飛行用の対静電気及び対落雷術式、雷が効かない。

緊急回避。ジグザグと飛び回り、音速を超えるスピードで突っ込んでくる"タカ"を避ける。"タカ"が真横を通り抜け、途端に見えない衝撃がフェイトを襲った。音速の壁、ソニックブーム。フェイトはバランスを崩し、その間にタカは彼女のキルゾーンから抜け出す。そして滞空、緑の瞳でフェイトを見つめる。ヒット&ウェイ。キロメートル単位で飛び回る、超音速魔法空士の真骨頂。

ヴィータは「見ちゃいらんねぇ」と、グラーフアイゼンを肩に担ぎ援護の準備。しかし。

〈スイユから全体へ。敵の増援を確認。数えるのが嫌になるくらいのカモメの群だ〉

〈ランスターです。クロスミラージュの二次レーダーがカモメ達を捉えました。数は二百以上。すべて管理局のドローンです〉

〈今、管理局が非常事態宣言を発令したそうや。何者かが"管理局全ての飛行ドローン"をハッキング、それが全てここに全部向かってきとる。小隊規模で管理局の防衛網を突破、中隊規模の編隊を組んで飛行、全て集結すれば大隊規模の"群鳥"が敵になる〉

ヴィータは青い瞳で水平線の彼方を見つめる。果てしなく広がる黒い海。雲の切れ目、仄かに朱に染まり始めた雲。そして、有り得ない数の群鳥。

嘘だろ?勘弁してくれ。

はやてからの全体通信〈うちはコレから広域魔法の儀式詠唱にはいる。"敵戦力を十分に引きつけた後、特大の一発でこの空域ごと消しされ"。それが本部からの指令や。それまで、死守したってや〉

海上プラント上にベルカ式とミッドチルダ式の複合六亡星魔法円陣が出現。同時にはやての肩甲骨から漆黒の翼が生える。彼女の手に握られるは祈祷書"夜天の書"、頁がバラバラとめくれあがり文字が躍る。夜天の主、八神はやての大軍殲滅用儀式魔法。

シグナムから全員に念話、〈バードランドはプラントを死守、絶対にこの空域に入れるな。主はやての儀式詠唱が終わるまで絶対にだ。ランスターとパイは遊撃的に狙撃と策敵を、タカとカモメ共にプレッシャーを与えろ。それとテスタロッサ〉

〈なんですか?〉"タカ"の体当たりを宙返り飛行で避けながらの返答。

〈テレーゼはお前が止めてやれ。いくらカモメ共が来ようが、我々バードランドが絶対に邪魔させない〉

〈感謝します〉

〈気にするな〉

隊を率いるための合理主義とも、見知った仲の情を優先させたさせた感情主義ともつかない、シグナムの人間的な采配だった。

一方、ヴィータは地平線上のカモメ達を睨みつけ、全体通信で宣言する。

〈これからあたしが"群鳥"の中に突っ込む。んでもって滅茶苦茶に引っかき回してやる。バードランドはあたしの後をついて来い。あたしを助けろ。あたしを見て敵を知れ。あたしの喰い残しに喰らいつけ。古代ベルカの騎士、その前衛の戦いを見せてやんよ〉

ファビアンがおどけた調子で言う。〈了解しました。我らがフロイライン("お嬢さん")副隊長殿〉

リヴィエールがウンザリしながら言う。〈喰い残すなんて言わず、全部喰らってくれ。私は鶏肉が大嫌いなんだ。"お嬢さん"は大食らいなんだろう?〉

ルルーが孫娘を心配するみたいに言う。〈ヤバくなったらいつでも言ってくれ。俺の誘導弾が"嬢ちゃん"を守ってやるから〉

ペルランがホモセクシャルのマイノリティ全開で言う。〈どうしよう、ロビーノ。副隊長の"嬢ちゃん"が男らしすぎて、惚れちまいそうだよ〉

ロビノーが酷く真面目な様子で言う。〈そのまま惚れるがいいさ。"嬢ちゃん"も満更じゃないだろうしな〉
そして最後にシグナム。〈部下に愛されてるな。まさにバードランド分隊の末っ子に相応しい愛されかただ。きっと主はやてもご満足だろう。よかったな、"お嬢さん"〉

ヴィータが子供みたいに怒る。〈うっせぇよ、ばか。どいつもこいつも"嬢ちゃん"扱いしやがって。あたしは大人だ。生きるロストギアだ!おめぇらのうん十倍生きてんだぞ〉

〈んでもって俺たちのヤンチャな"末っ子"だ。あきらめな。嬢ちゃんが実は永遠に歳をとらない、ネバーランドのお婆ちゃんでも、俺たちの中でのヴィータ副隊長は妹みたいなもんだ。難しいことはお兄さん達がやってあげるから、子供は後ろの事なんて考えず暴れてこい〉

〈ルルー、良いこと言うな。流石は部隊の"戸籍上"での最年長だ。まあ、そう言うわけだから、お前はお前らしく暴れてこい〉シグナムが指揮官らしからぬ軽い調子で言い放つ。

「ばかやろう」。心底呆れた様子で、ため息みたいに呟いた。自分のことを怖がらず、ふざけた悪夢みたいな冗談で接してくる馬鹿な部下。それは彼女がよく知っている、愛すべき家族に似ていた要するにヴィータはバードランドが好きだということ。

あたしはバードランドを背負っている。そして、あたしはバードランドに背負われている。心地の良いチームプレイ。"私たちは背負わなければいけない"。互いに背負いあい、空を飛ぶ軽やかさと、敵を叩き潰す重さを手に入れなければいけない。

「アイゼン、支度だ」

機械仕掛けの鉄槌が魔法を編む。古代ベルカ式の剣十字三角陣、紅色の魔法光。リロードされるカートリッジ。燃え上がる炎、ハートに火をつけろ。

「行くぜ、バードランド。あたしについて来い!」

赤く燃え上がる、炎のようなバトルドレス。そのスカートを翻し、魔法の力で飛んでいく。その後を編隊を組んで飛んでいく、バードランド。

カモメ共め。どっちが上等な"群鳥"か思い知らせてやる。

七人の空戦魔導師が幾百のカモメ達の中へ突っ込んでいく。二度目の空中戦が始まった。







ティアナ・ランスターはクレーン塔の上で、ライフルの形をとったクロスミラージュの狙撃スコープを覗いていた。スコープ越しに見えるのは、群からはぐれて飛んでいた一羽のカモメ。ティアナは自分の胸で脈打つ心臓とリンカーコアの波を数えながら、クロスミラージュの軽い引き金を引いた。

バレルから放たれる殺傷設定の魔術弾、威力は低いが命中率は抜群の多弾頭弾。それは命中コースを辿ったように見えたが、海上プラントを通り抜けた複雑な風とカモメの飛行能力のせいで外れ、何者も撃ち貫くことなく虚空に消えた。

「一匹撃ち漏らしました」

「了解。今、確認した」

ティアナの横で耳がおかしくなりそうな銃声。吹き上がる砲風とマズルフラッシュ。純銀の魔弾が音よりも速く飛び、放物線と、吹き乱れる風と、大地の自転、コリヨリの法則さえも看破してカモメの魔術防壁と胸を喰い破った。心臓を失った人造のカモメは、乳白色の人工血液を撒き散らし墜落した。

「ハートショット、無力化を確認」。中性的なテノール、パイ・スイユの声。
伏せ撃ちの姿勢で黒塗りのライフルの遊底を操作。排夾と次弾の装填、特大の空薬夾が鋭い音を立てて落下した。

ティアナは一連の狙撃を目の当たりにして、ただ凄いとしか思えなかった。実体エネルギーの影響を比較的受けにくい魔力弾でさえ揺さぶられる暴風の中、実体弾を風に流されること前提で放ち、命中させる。一発も撃ち漏らさない、お手本のようなワンショット・ワンキル。スイユの周りには三十余りの空薬夾が転がっていた。その全てを命中させている。

「十一時方向から三匹侵入」

「了解」

スイユの指示の方向にティアナがスコープを向けると、複雑な軌道で飛ぶカモメが三羽。クロスミラージュの解析を頼りに距離を測り、弾道を計算。風が左から右に流れていることを確認し、標的のやや左側を狙う。「一羽分、右を狙うといい。風が渦巻いてる」。スイユが海面の飛沫を見て言った。チームワーク、弾数制限の厳しいスイユが観測手もかねて、魔力量とカートリッジに余裕のあるティアナを助ける。ティアナが撃ち漏らした強者は、スイユが確実に仕留める。

優秀で犯罪者な観測手の言う通りに標準をつけて、ティアナは魔法弾を発射した。高速で走る橙の火線。それは風に流され、スイユの観測眼を証明するように緩やかなS字を描き炸裂、二羽のカモメを葬った。同時に銃声。スイユの放った純銀魔弾が魔法弾を放とうとした残り一羽の功性魔法陣に衝突。あらゆる神秘を吹き飛ばし、カモメの瞳を貫いた。「ヘッドショット、無力化を確認」。空薬夾が、また一つ転がった。それと同じ数だけのカモメの骸、百発百中。ティアナは軽く自己嫌悪に陥りそうになる。

「私なんて、十発に一発は外してるのに」

「それでも、僕の十倍は落としてるんだ。優秀な魔導砲手だよ」

「私はガンナーです。どうせなら砲撃より狙撃で誉められたいです」

「狙撃手から言わしてみれば、自分の隠れている建物ごと消し去る砲撃は何よりも恐ろしいものだけれどな」

うら若き悩める魔導砲手をフォローする、百発百中の魔弾の射手。先生と生徒の構図。犯罪者と執務官補佐の奇妙な連携だった。

「バードランドが踏ん張ってくれている。当分はカモメの心配は必要ないだろう。テスタロッサ・ハラオウン執務官の援護に戻ろう」

「ええ」

視線を上空にやると、稲光。電子の通過による熱量と、降りしきる雨による水蒸気爆発を伴った、黄金色の斬撃。"タカ"が堅い魔力防壁で身を守り、推進力カットによる急制止と自由落下で回避した。

"タカ"を襲った雷光に浮かび上がるシルエット。稲光と同じ色の髪が風になびく。体に張り付いた黒く薄い布地、高速行動の衝撃から脚部を守る不形のスカートフレア、宙を蹴るヒールブーツ。さながら黒いサロメのダンス、フェイト・T・ハラオウンの高速機動戦バリアジャケット。手に握るは万能武器バルディッシュ、それがサーベルの形をとって黄金色の魔力刃をさらしている。

ひらりと黒いドレスが翻り、雷光と雷鳴。次の瞬間には稲妻の鋭角でサーベルを振りかざし、"タカ"の眼前に翻るドレスが迫っている。まるで雷そのものになってしまったような飛行。速いのではなく、誰よりも速く見えているだけ。自嘲的に笑うフェイト。

速さと高さを求めた二人の対決。なにもかもを捨て去って、軽さと真実の速さを手に入れた"タカ"。なにもかもを捨てられないまま、しかし偽りの速さを手に入れたフェイト。同じ空を目指していた。ただ、少しだけ道が違っただけ。振り下ろされた刃の下で、"タカ"が翼を翻し身を捩る。薄く走る赤い傷、血はまだ赤い。羽を燃やす緑の炎を推進力に、音の速度を超えて目視外へ飛び去る。ソニックブームと緑の炎がフェイトに襲った。雷剣バルディッシュが振られ、出現する魔法陣の守護。そして衝突。薄い防御魔法陣が掻き消えて緑炎が空を焼いたとき、既にフェイトはその場にいなかった。緊急離脱。しかし、避けきれなかった炎が、彼女のむき出しの肩を焼いていた。

ティアナはクロスミラージュの狙撃スコープ越しに、フェイトと"タカ"の顔を見た。打ちつける雨にも流されることのない、顔面に張り付いたメランコリック。なんて悲しい、孤独な魂。速く飛べば一人になる。高く飛べば孤独になる。それ故"タカ"は捨てねばならなかった。それ故フェイトは高くも早くも飛べなかった。それぞれの悲しみを抱えた顔だった。

〈いっしょにいこう〉と"タカ"が囁く。

「私は行けない。私は地上に大切なものを残してきているから」とフェイトが答える。

そしてフェイトはティアナに念話で耳打ち、暗号念話の内緒話。

〈ティアナ、一つだけお願い。あと少しだけ、テレーゼと戦わせて。彼女と二人きりにさせて〉

〈援護、いらないんですか?〉

〈うん。私の勝手なワガママなんだけどね、彼女は"飛べる人"が落としてあげるべきなんだと思うんだ〉

ティアナは"嗚呼、この人らしいや"と柔らかな笑みを浮かべて〈好きにしてください。でも、無茶だと判断したら私の独断で援護しますから。絶対にあなたを落とさせません〉。

〈ありがとう、"ティア"〉

〈どういたしまして〉

ティアナは"タカ"に向けていた銃を下ろした。

「いいのか」とスイユが問う。

「いいんですよ」とティアナが答える。

「ああいうときのフェイトさんは、誰よりも強いですから。さあ、私たちは私たちの仕事をしましょう。バードランドを助けないと」

水平線上で煌めく功性魔法の光を見る。そしてクロスミラージュを構えた。そんなティアナの様子を眺めて、スイユは一言。

「檻に入る前の、最後の仕事になるかもしれないんだ。"全力全開"で付き合うよ」。冷静な狙撃手らしからぬ、ガッツに溢れた宣言。

「あなたから"全力全開"なんて言葉が出るとは思いませんでした」

「教導官の友人、エース・オブ・エースに教えてもらったんだ。彼女の観測手をしたことがある。彼女に観測手をしてもらったこともある。君の魔法は彼女によく似てたからね、思い出したんだ」

ティアナは笑った。

「エース・オブ・エースは私の先生です」

「嗚呼、成る程。道理で似ている訳だ」

そこへ割り込んでくる長距離念話。

〈シグナムより、ガンナーへ。砲撃支援を願いたい。ランスターの収束砲とヴィータの対要塞突貫鎚で敵陣に穴をあけて突き崩す。三分やる。一番効率よくカモメ共を葬れる"スイート・スポット"を魔法砲手と狙撃手の観測眼で探し出せ〉バードランド分隊シグナム隊長の砲撃要請。

〈了解〉

狙撃ライフルを構えたまま、敵陣を見極めようとする二人。しかし、二人の位置からは群鳥の二次元的な情報は兎も角、三次元的な情報は判り辛い。奥行き、つまり敵との距離を測るのは、一流の狙撃手や砲手であっても苦労させられる面倒事の一つだった。二人は"群鳥"の形を測りかねていた。

ティアナはクロスミラージュのデバイス(演算装置)としての機能をフルに使い、"群鳥"を解析、測量、吟味、遂行。あらゆるアプリケーションで形を測っていく。しかし、それでも解析出来たのは十キロメートル圏内の100羽余り、"群鳥"の一角でしかなかった。

カモメたちの大隊、視界に納めるのも難しい、空を覆う"群鳥"。

「目の前の"群鳥"、スイユさんならどこを撃ち抜きますか?」

「検討もつかないな。あの群れを動かしているのは"タカ"の自立進化型編隊飛行プログラムだろう。あれは賢い。傍目から見た密集地帯="スイート・スポット"ではないことは確かだろうね」

「嗚呼、せめて"群鳥"の全体像さえ判れば」

その時だった。クロスミラージュの演算機能が高速で回転処理を始め、冷却ファンが唸りを上げ始めた。そして宙に浮かんでいたホログラム・ディスプレイに浮かび上がる、数百キロメートルに渡る"群鳥"のリアルタイム更新の三次元解析データー。バードランドを引き付ける旧式ナンバーの囮分隊、その背後で集結しつつある本命の功性デバイス搭載のプロトタイプ・ナンバー。バードランドを包むように展開する、幾つもの不定数小隊。"スイート・スポット"が丸見えの、"群鳥"の見取り図。

そして同時に、甘くひび割れた天空からの暗号通信。

〈ヨダカより、バードランドとその協力戦力へ。"スイート・スポット"は陣を整えつつあるプロトタイプ・ナンバー。今、目の前に見えている敵は時間稼ぎと誘導のための囮です〉

ティアナが空を見上げると、静けさを取り戻しつつある夜の空。厚い雲の隙間から、青白い天体達の光を背負って小さな黒い十字架のシルエットが旋回飛行をしているのが見えた。まるで擬人化された夜空の瞳のように、

味方の全員に情報をおくっている。バードランドの守護天使、市蔵ソラだった。

〈ランスター、囮ごと"スイート・スポット"を撃ち抜け。バードランドは砲撃の火線を通って"スイート・スポット"を叩く。目の前の敵は無視しろ。本命を突き崩せ。そうすればあと半刻は時間が稼げる〉指揮官の即決、シグナムが叫んだ。

〈了解、砲撃に集中するため念話をカットします〉。火線上二十キロメートルを焼き払う精密砲撃支援、一ミリでもバレルがずれれば平気で数百メートル単位で外れる。

「狙撃手の時間だ。お喋りは禁物だな」

「無駄言っている暇があったら、観測手をお願いします」

「了解。今は風が強すぎる。火線が曲がって、囮と"スイート・スポット"を同時に撃ち抜くのは難しい。しかし幸いにも風上から弱風と逆風が近づいてきている。囮部隊の中心から50メーターを狙い続けろ。そしてスリーカウントで"全力全開"の砲撃をお見舞いしろ。あとは風が味方をしてくれる」

風をよむことに関しては天才的なスイユの観測。ティアナはスイユの指示に全てを委ね、クロスミラージュを構えた。

薬室内で五度カートリッジが爆発した。オートマチックの機構から五つの空薬夾が排夾、魔力を帯びる白い銃身。その魔力を呼び水に、空気中の魔力を引っ掻き集める。カモメたちの羽から散った魔力。バードランドが戦って燃やした魔力。ヴィータがカモメを叩き潰した魔力。そして、ティアナの頭上で戦うフェイトと"タカ"の魔力。散ってしまって大気に溶けた沢山の魔力が、色とりどりの光子の煌めきで白いバレルに収束する。

まるでスターライト、星屑の輝き。ティアナ・ランスターがエース・オブ・エースから学んだ贈り物。一番大きく、綺麗な弾丸。

スイユのカウントが始まる。

「3」

レティクルの端にカモメ達をとらえ続ける。白い翼、これから墜とす白い翼。

「2」

無限とも思える"群鳥"に立ち向かう、バードランドの面々も見えた。灰色のコート、黒にも白にも偏らず、ただ自分たちの正義を貫く半端な色。それらを指揮する菫色の騎士甲冑、菫の神話、神様に叩かれた痣の色。傷ついても美しい色。

「1」

そして一際めだつ、紅の騎士。"あたしをみろ"!敵を一手に引き受ける鮮やかさ。己の傷と血と覆い隠す保護色。弱さを隠す、強がりな赤。

そして時はやって来る。「スターライト・ブレイカー」魔法を解き放つリリック。引かれるトリガー。スイユの「0」の囁きを、噴出する光の砲音が覆い隠す。光の奔流、それは真っ直ぐ囮部隊を撃ち貫いた後、風に煽られ進路を変え、本命の"スイート・スポット"に飛び込んだ。

炎に包まれたカモメ達が、軽い体でゆっくりと落下していく。その合間を縫うように、"群鳥"の銃創をバードランドの鳥達が潜り抜けていく。

「見事な収束砲だな。命中だ」

スイユは愛用の黒い銃身を油断なく構えながら言い「しばらく休め、後は僕がやる。ここぞというときにバテてしまっていても困るからな」少しだけ頭上に視線をやった。

上では未だ、フェイトと"タカ"の戦いが続いていた。

「そうすることにします」

ティアナはクレーン塔の隅で身を縮めて、瞼を瞑った。そして大魔法行使による魔力枯渇と長距離射撃の疲れに任せて浅い眠りに墜ちていった。スイユの放つ、純銀弾狙撃のカモメを撃ち落とす銃声さえも届かない眠りの縁へ。

一人の砲撃魔導士の戦いが終わり、しかし鳥達の戦いは未だに続いていた。





[6695] 13/青空への逃走
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c621e98d
Date: 2009/02/18 10:22


炎に翼を焼かれ墜ちていくカモメ達、その下をくぐり抜ける、航空12部隊バードランド分隊。

ヴィータはバードランドの先陣を切り飛行しながら、夜空に向けて念話を飛ばした。

〈新入り、まだ傷が痛むんだろ。大丈夫なのか?〉

〈私はバードランドの守護天使になるって決めたんです。これくらいの傷、背負ったって飛べます〉

高い、高い夜空からの甘くひび割れた暗号念話。市蔵ソラの声だった。暗号念話で交わされるヴィータとソラの秘密のお喋り。

〈病室を抜け出して、嵐を突っ切って、先輩とバードランドを助けに来たんです。なにか素敵なことを言ってくださいよ〉

〈いっしょにいこう、テレーゼの奴はそう言ってやがる。寂しがりの元上司の所へ行ってやれ。あの駄々っ子といっしょにいけるのは、お前しかいない〉

〈先輩はいっしょにきてくれないんですね〉

〈カモメ共をどうにかしたら、直ぐにでも飛んで助けにいってやるよ。それに、お前もあたしも空を飛ぶ鳥だろ。お前が空を目指している限り、お前とあたしとバードランドは同じ空を飛んでんだ。ひとりぼっちなんかじゃないさ〉

ヴィータとソラが初めて出会った、病室での会話の焼き回し。あの時はソラが言い、今はヴィータが言う。ほら、素敵なこと言っただろ。ヴィータが高い、高い、そらを見上げてニヤリと笑う。

〈助けにきてくださいね〉

〈ああ、お前が墜ちそうになったら、あたしが抱えて飛んでやるよ〉

途切れる暗号念話、秘密のお喋り。雲の隙間に見えていた黒い十字架みたいなソラが羽を畳んで急降下、雲の中に消えた。同時に、デバイスに大量の情報がなだれ込んできた。ソラからの贈り物、高度8000メートルから見た"群鳥"の見取り図。叩き潰すべき"スイート・スポット"への最短コースが示された、地図だった。

「アイゼン、"道はあの子が示してくれた"。レーダー域を畳め、防御魔法域もいらない。全ての力を突撃と突貫
だけにつぎ込め。紅の鉄騎と鉄の伯爵の本気、見せてやろうぜ」

「ヤー(了解)」。突貫鎚、鉄の伯爵グラーフ・アイゼンの電子音声。ポンプアクションの機構から、鉄を打つようなカードリッジの炸裂音。濃密な魔力が溶けた水蒸気を、排気ダクトが放出。製鉄所のような灼熱、もしくは刀鍛冶。

「欲しいのは、巨人だってぶっ飛ばせるロケットだ。いけるな?」

ガチャン。ヤーの代わりのポンプアクション、回転する弾装。燃え上がる紅色、ニトログリセリンの過激さで魔力が燃焼。アイゼンが真っ赤に溶けて、膨張、そして固まり、魔法の力で変身、新たな姿を手に入れる。

ギガント・フォルム。巨人だってぶっ飛ばせるロケット付き突貫鎚、ギガントでラケーテンな、対要塞爆砕用の金槌。

その200トンオーバーを握りしめるのは、小さな体。体重わずか二十数キログラムの子供の体。

ヴィータはその青い瞳で、ソラの示した最短ルートを睨みつける。台風の目のように静かな空間。そしてその向こう、砲撃魔法陣を構築しつつあるプロトタイプ・ナンバーのカモメ達。白い翼で滞空し、くすんだ赤の魔法陣を背負って光の刃を編み上げている。まるでケルビム、炎の剣のエデンの守護天使。

「ぶっ飛ばせ、アイゼン!」

ヴィータの叫び。巨大な突貫鎚のマギ・ジェット・エンジンに赤い炎が点火。ニュートンの物理法則をぶっ飛ばし、音速の壁だとか慣性の法則だとかもぶっ飛ばし、ついでに偶然軌道上にいた哀れなカモメ共をぶっ飛ばし、ぐんぐんと加速していく。

小さな体で背負うもの。グラーフ・アイゼンの200トン。慣性の法則と重たい、重たい、万有引力。カモメ共の憎悪の視線。放たれる殺傷設定の弾丸。ちっぽけなプライドとアイデンティティ。もしかしたら仲間の信頼と約束。

"あたしはバードランドを背負っている"。

鯨のように進路上の群鳥を喰い散らかし、重たい体で駆け抜ける。あと少し。あと少しでたどり着く。手にはめた黒い手袋で血が滲む。私は真っ赤だ。紅の鉄騎だ。この赤は私の赤だ。傷と血と弱さを隠す、真っ赤な衣装だ。

そして強がりな紅は、滑空と急上昇の果て、目的地へとたどり着いた。200トンのグラーフアイゼンと、二十数キロの軽い体と、その他諸々の一千万トンを引きずって、砲撃術式を編み上げたカモメ共の目の前に躍り出る。
「ギガント・シュラーク!」魔法を解き放つリリック。突貫鎚を振り被るヴィータ。グラーフ・アイゼンがポンプアクションで魔力を供給、マギ・ジェット・エンジンのアフター・バーナー、そして大爆発。翻る真っ赤なバトルドレス。大切な家族にもらった『のろいうさぎ』の真っ赤なベレー帽の守護。全ての背負った重さを力に変えて、200トンのグラーフアイゼンと、その他諸々の一千万トンを横なぎに振り被った。

同時にカモメ達の砲撃術式が編みあがり、くすんだ赤い砲撃が到来する。それは次々とヴィータに命中。アイゼンを振り被り無防備な彼女を焼いた。背負うもの。敵の憎悪と殺意、そして傷と痛み。赤いドレスが、血に塗れて重たくはためく。己の血液でさえ、重たく纏う。

「ぶっとべぇええぇえぇ!」

空中でステップを踏み、マギ・ジェット・エンジンの爆発力で回転。重たい200トンオーバーのグラーフ・アイゼンを、エンジンの爆発で発生した重たい遠心力を、あたりを焼き付くす紅の魔力炎を、敵の憎悪と殺意と傷の痛みを、ちっぽけなプライドとアイデンティティを、そしてなにより「あたしは背負わなきゃならないんだ!」やさしく激しい、一千万トンの感情を、たった二十数キロぽっちの小さな体でぶん回し、全てを吹き飛ばした。

一回転。ヴィータの周りを滞空していたカモメ達が、巨大な突貫鎚の到来で全て消えてなくなった。まるで嵐。突貫鎚の軌道上にいたカモメ達は、紫色の人造筋肉と、乳白色の人工血液と、培養された神経系と、細々とした機械部品に還元され、凶悪な遠心力で吹き飛ばされ落下した。

二回転。グラーフアイゼンのラケーテン(ロケット)が激しく火を噴き、推進力を生み出す。それは黙示の天使の輪のように燃え広がり、"群鳥"を焼き尽くした。

三回転。赤いドレスを翻し、最後の回転。限界を迎えた200トンの鉄塊が、金属の軋む悲鳴をあげて崩落する。真っ赤に焼けた鉄が幾千の弾丸とかして、"群鳥"を襲う。全てを吹き飛ばす、炎と鉄の嵐。次々と落下していく白い翼。

そして数百羽のカモメが墜ち、嵐が止んだ後、空にはただヴィータが、無骨な突貫鎚を肩にかついで滞空しているだけだった。

ヴィータは灼熱したグラーフアイゼンを横なぎに払った。ひび割れた弾装がパージされ、キラキラと光るカードリッジの煌めきと一緒に落下していった。限界を迎えたベルカ式カードリッジシステムが崩れ落ちる。限界を超えた魔法の対価。

荒い息づかい。血まみれの体。真っ赤なドレス。真っ赤な私。隠しきれない傷、強がりな赤を覆い尽くす、痛い、痛い赤。

いつの間にかヴィータの周りを取り囲むように、カモメ達が飛んでいる。残り僅かな"群鳥"、それでも今のヴィータには多すぎる群鳥。

「おあつらえむきな光景だな」

まるで天使。白い翼がいつの間にか訪れていた朝焼けの雲に照らされている。海も空も私も、みんなみんな真っ赤に染まって、白い翼ばっかしが眩しくて。

「くそ。これじゃ助けにいけれないじゃんか」

赤い世界を見つめる青い瞳、瞼を瞑り、グラーフ・アイゼンを握りしめる。血まみれの手、ボロボロの掌。全てを諦めかけたとき。

〈助けにいけるさ〉突然の念話。灼熱の斬撃が鳥達を焼いた。

紅蓮の炎をまとう魔剣レヴァンティン、バードランドのシグナム隊長。

「ヴィータ、お前は無茶しすぎだ」

「うるせえ。これくらいの怪我、へっちゃらだよ」

「強がるな。泣いてたじゃないか」

「泣いてねえ」

基礎フレームだけになったグラーフ・アイゼンを振り回し、ヴィータがむくれる。そこへ次々と投げかけられる、バードランドからの念話。

ファビアンが酷く真面目な様子で言う。〈お疲れさまです、副隊長殿〉。

リヴィエールがふざけた調子で言う。〈泣くなよ。似合わないぞ〉。

ルルーが心配した様子で言う。〈嬢ちゃんはもう休め。あとは俺らがやるからさ〉

ペルランが感動の涙を浮かべて言う。〈惚れた。副隊長の男らしさに惚れた〉

ロビノーがペルランを宥めながら言う。〈落ち着け。お前はゲイで副隊長は女の子だ〉

ヴィータは騒がしいバードランドにため息をつきつつ一言〈とりあえず、リヴィエールとペルランは反省文決定な〉歓声と不満の声があがった。

あまりにも気楽なバードランドの馬鹿共に心底あきれながら、しかし嬉しくもなりつつヴィータは笑った。背負った重さが軽くなっていく。"嗚呼。あたし、バードランドに背負われてるんだ"。今度こそ本当に泣いてしまいそうだった。

シグナムが、そんなヴィータとバードランドの部下達の様子を眺め、澄ました笑顔で言う。

「市蔵のところに行くんだろう?ここは我々に任せて、さっさと行ってしまえ。お前の無茶のおかげで暴れ足りないんだ」

「バトルマニアめ。あとで助けてくれって泣きついてきても知らねえぞ」

「子供に泣きつくほど落ちぶれてはいないさ。さあ、行け。隊長命令だ」

「ヤー(あいよ)。じゃあな。あとは頼んだぞ」

ヴィータは基礎フレームだけの十字架みたいなグラーフ・アイゼンで魔法を編み、飛行をはじめる。

軽い体、軽くなってしまったアイゼン。そしてバードランドが背負ってくれたもの。

ヴィータはソラの飛ぶ空へと一直線に飛んでいったのだった。







黒い翼で市蔵ソラが海上プラントの上空にたどり着いたとき、フェイト・T・ハラオウンとテレーゼが空戦を繰り広げている最中だった。

フェイトが雷険バルディッシュを突き出す。空中を蹴るヒールブーツ。漆黒のフレアスカートが翻り、次の瞬間には雷鳴と雷光を引き連れて、稲妻の鋭角でテレーゼに迫っている。そして一閃。片刃のサーベルを逆に持っている。峰打ち、固い"タカ"の魔法力場を破るための対物設定の刃と、それでもテレーゼを助けたいという願い。殺さずの剣。

テレーゼが呟く。〈いっしょにいこう〉。

"タカ"に喰われた精神のなかで、唯一最後に残った願い。

"タカ"が羽ばたき、緑炎を纏ってフェイトに突っ込む。空を焼く一筋の炎、フェイトが炎に包まれて失速する。しかしすぐに加速、炎を振り払い稲光を纏って飛行。

その光景を目の当たりにして、ソラは思わず地声で呟く。「渡り鳥みたいな人」。

一度だけ、あの雷のような飛行を見たことがあった。64実験小隊に研修にきた、執務官のお姉さん。自分達に比べたら遅く低い飛行だったけれども、それでも誰よりも綺麗だったのは良く覚えていた。飛ぶために生きていた64実験小隊と、生きるために飛んでいた"渡り鳥みたいな人"。自分達と違って羨ましいと思ったのを覚えていた。

〈テスタロッサ・ハラオウン執務官、聞こえますか?市蔵です〉

戦闘の合間、フェイトが空を見上げた。

〈きれいな羽ね。昔と全然かわらない、でも昔より大きく力強く見える〉

〈あなたには負けます。相変わらずの綺麗な飛行。羨ましいです、"渡り鳥さん"〉

〈覚えていてくれたんだ〉

〈ええ〉

まるで過去にワープしてきたみたいな感覚。ソラは誇らしげに翼を広げた。そして足から生えた音叉で青い魔力を燃やして、自らの今の姿を夜空に晒した。キシキシキシキシキシッ。音叉が高く澄んだツェー・ゲー・アー・デー・エー(ド・ソ・ラ・レ・ミ)で鳴く。黒い翼が青白い光を反射する。真っ黒な守護天使。"人を好んだ天使は、堕天使になった"。懐かしい神話。私はバードランドの人たちが好きなんです。空しか知らなかった昔、空より人を選んだ今。それでも飛んでいられる今。

フェイトはその姿を静かに見つめた。もしかしたら"タカ"やテレーゼも見ていたかもしれない。

"タカ"は翼を大きく広げ、風を掴んだ。冷たい夜の、穏やかな上昇気流。そしてグライダーの軽やかさで上昇しながらフェイトのもとを離れていった。

〈いっしょにいこう〉とテレーゼが言った。

〈いっしょにいってらっしゃい〉とフェイトが言った。

〈いっしょにいこう。ついてきて〉とソラが言った。ソラは黒い翼で羽ばたいた。そして足から生えた音叉でキシキシキシキシキシッと青い魔力を燃やし、真っ直ぐ上へと飛んでいった。

テレーゼも白い翼で羽ばたいた。そして尾羽で緑色の魔力を燃やすと、ソラの後を追っていった。

追いかけっこ。戦う術を持たないソラが、テレーゼを打ち負かし止める唯一の方法。飛行、超音速で"限界高度"の向こうを目指すこと。〈いっしょにいこう〉とテレーゼは言った。きっと彼女は私の後を追いかけてくれる。一緒に飛んでくれる。そして"限界高度"を越えたとき、疲れ果てて一緒に墜ちてくれるだろう。

一緒に飛び、一緒に墜ちる。まるで心中。しかしソラは死ぬ気なんて全くなかった。ヴィータとの約束。私が墜ちそうになっても、きっと先輩が助けてくれる。テレーゼ隊長だって、あの優しい"渡り鳥さん"が助けてくれるに違いない。軽くなる心、軽くなる命。私たちは背負われている。軽い体で私はどこまでも飛んでいける。

"軽くあれ"。ソラは心と音叉で、青い炎が燃え上がるのを感じた。その炎の推進力で、万有引力から解き放たれるのを感じていた。

翼で風を切る。青い魔力の燃え滓が、羽根のように宙を舞う。

目指すべきは空の果て、私たちの"限界高度"、対流圏界面の上に広がる、成層圏。
ソラはテレーゼをつれて、高い、高い、空の果てへと飛んでいったのだった。







燐のように青く燃える光が、朝焼けの空へとむかって飛んでいった。その後を緑炎のタカが追っていった。

その様子をバードランドの隊員達が見た。彼らと戦っていたカモメ達が見た。はやても呪文を歌いながら見たし、ティアナも眠たい目を擦りながら見た。フェイトは眩しそうに目を細めながら見た。スイユは銃を撃つことを忘れてしまうほどに見入っていた。

綺麗な、綺麗な、青い光。まるで童話の中の、よだかの星。

二つの炎が、朝焼けの紅雲に消えていった。

ヴィータは、青い瞳で二つの炎を見ていた。そして小さく呟く。

「そうだ、飛んでいっちまえ。墜ちそうになったら、あたしが助けてやるよ」







ソラは青い炎の推進力でキシキシキシキシキシッと音速の壁を破り去ると、そのまま赤く燃える朝焼けの雲へと突っ込んでいった。

重たい、重たい、万有引力を軽い体で引き千切り、赤く染まった雲の臓腑を切り裂いていく。空気と空気中の雨粒の摩擦で、体が青白く帯電する。それらは体を覆う真っ黒なバリアスキンの上を走り抜け、足から生えた音叉で放電された。まだ治りきっていない火傷が、ぐずぐずと疼いた。

ソラが音速で飛ぶとき、彼女は世界の全てを敵に回していた。体を突き刺す静電気の痛み、重たい空気の弾力、音速でぶつかってくる雨粒。薄く冷たい大気。世界を支配するニュートンの林檎の力学から、アインシュタインの相対性理論まで。そしてなにより、この世界その物と言っても良いであろう万有引力。もしかしたら地上で築いた人と人との繋がりでさえも、重たい鉄の鎖だった。

"軽くあれ"。

だからソラは全てを捨て去って、ただ軽い体で空を飛んだ。

大地を歩く足を捨てた。代わりに足からは二対の音叉が生えている。青い炎が燃え上がった。それの推進力を糧に、青い炎で赤い空を切り裂いた。

何かを掴む両腕を捨てた。何も掴まない空の手は翼になり、巨大な揚力を手に入れた。何も掴めない掌、誰の手も握れない生き方。つまりは孤独ということ。頼れるのは風を掴む翼だけ。黒い翼がギシギシと軋んだ。

暖かな色の皮膚を捨てた。高所飛行用の対光線処理で、皮膚は真っ白に漂白された。その皮膚さえも、空を飛ぶときはバリアスキンで真っ黒に塗りつぶした。

大きくなることを捨てた。 代謝加速によって、常に空腹に苛まれた。食べても、食べても、満たされぬ腹。それでも痩せていく体。いつの間にか成長は止まり、飛ぶのに有利な軽い体が出来上がった。

そして最後に捨てたもの。感情にまかせて流れ出す涙。脊髄のイカルス・デバイスの体管制が、瞳から流れ出る水分と塩分の無駄を許さなかった。

何もかも捨て去って、世界の全てを敵に回して、ぐんぐんと加速していく。雲の中の飽和状態の雨粒が、いつしか雪に変わっていた。翼にぶつかる氷粒が痛かったが、それでも翼を畳むことはしなかった。翼を畳むということ、揚力の加護を捨てるということ。今はまだ、その時ではないと思った。両腕の主翼で氷塊が張り付いた。その重みを引きはがすべく、さらなる加速を敢行する。
過酷で冷たい世界、"空は軽いものを愛します"。

ソラはテレーゼがちゃんと自分の後を追っているか心配になる。そして後ろを振り返りそうになって、しかし止めた。振り返れば、その拍子にバランスを崩して墜落する。鳥はけして後ろには飛ばない。逆風を好み、前を向いて飛んでいくのだ。それが偉大なる航空力学の神秘、揚力の加護を受ける秘訣だった。

〈いっしょにいこう〉尾羽の方で、テレーゼの幼い声。

〈いっしょにいこう。最後まで、いっしょにいこう〉ソラは軽い体で"限界高度"を一直線に目指しながら呟いた。

まるで64実験小隊のラストフライト。ソラが飛び、テレーゼが飛ぶ。今はただ、一緒に墜ちるために飛んでいる。

飛ぶために、飛んだ。飛ぶために、生きた。飛ぶために、耐えた。飛ぶために、飛ぶために。そして今、墜ちるために飛んでいる。

薄くなる空気、翼の羽ばたきが役に立たなくなってきた。それどころか大きな翼のせいで、吹き乱れる風にバランスを奪われそうにもなった。対流圏界、"限界高度"がやってきた証拠だった。マイナス70度の冷たい大気、この世界で一番強い風が吹く、冷たい空。空を飛ぶための翼でさえ邪魔になる、冷酷な世界。

ソラは大きく翼を広げると、魔力を青く振りまきながら最後の羽ばたき。そのアフターバーナーで最後の加速。羽を体にぴたりと貼り付け、青い流星の姿で上昇した。赤い雲を切り裂き、空気の壁を突き破り、音叉が発するキシキシキシキシキシッという鳴き声を遥か尾羽のほうに追いやって、もしかしたら自らの魂だとか地上との繋がりだとかも振り切って、赤く染まった雲の世界、"限界高度"を突破した。
突き破った雲の向こう。そこでソラは天国のように静かな空を目撃する。

成層圏。静かな、静かな世界の果て。重力の始まり。"限界高度"の向こう側。雲一つない、無風の青。

〈嗚呼、フロイデ〉

口にしたのは歓喜の名前。ソラはその世界で一番天国に近い場所で、生まれてはじめて神様に呼びかけた。青空の向こうに住み賜うはずの神様は、何も答えてくれはしなかったが、それでも満足だった。

ソラは祈るように翼を広げた。そして成層圏を静かに上昇した。

対流圏界面の雲が、白く渦巻く海の姿で水平線の彼方まで続いている。上空では天体達と青空。朝と夜の境。澄んだ空。上へと昇っていっている筈なのに、まるで空に落下していくような感覚。

嗚呼、フロイデ。

空に導かれる魂と、大地に導かれる肉体。その二つが今初めて同じ場所で出会ったのを感じた。

太陽が昇る。長い夜を吹き飛ばす光の奔流。黒い翼が熱を帯びる。体を包んだ霜と氷が、剥がれ落ちる。剥がれ落ちた氷のぶんだけ、体が軽くなる。フロイデ(歓喜)。その時、ソラは初めて優しい空というものを知った。"限界高度"の向こうにあった優しい空は、透き通るような青色だった。

青色。ソラはこの青によく似た瞳を知っていた。ヴィータの青い瞳。荒々しく、厳しく、悲しい赤。その向こうの優しい青い瞳。よく似ている。ソラはヴィータに惹かれた理由を、初めて理解した。彼女は空によく似ているのだ。惹かれないはずがない。そのことに気づかなかった昔の自分に、思わず笑いだしてしまいそうになった。

何もかもを捨て去って、軽い体でようやくたどり着いた空の果て。だというのに、軽い心は地上のヴィータを思っていたのだ。

そして。

〈先輩。今、帰りますね〉

黒い左翼が粉々に砕け散った。ほどけていく魔法。翼の下からは真っ白な左手が露わになった。右手は辛うじて翼のままだったが、羽ばたく力は残されてはいなかった。黒いバリアスキンの仮面も割れた。砕けた仮面の下は、柔らかな笑顔だった。

睡魔、暖かな空。瞼を閉じる一瞬前、雲を突き抜け、翼を広げる白い鳥を見た。まるで天使、〈いっしょにいこう〉の言葉の通りにソラを追ってきたテレーゼだった。

テレーゼをこの場所まで押し上げてきた緑炎が、ふっと掻き消えた。彼女は〈いっしょにいこう〉と呟くと、そのまま雲の海に沈んでいった。

〈いっしょにいこう〉とソラも言った。

母なる大地の、偉大なる万有引力。

二人は成層圏の静かな空から、万有引力にひかれ、墜落していったのだった。







フェイトは天空から白い羽を広げて落下する、真っ白な鳥を目撃した。テレーゼだった。

すぐさま足元で飛行術式を編み、金色の光で飛んでいく。速く、もっと速く。雷の速度で加速していく。掴まってと、テレーゼに向かって真っ直ぐ手を差し伸べる。

しかし。

「飛ぶために生きているの」

テレーゼはそう言って、大きく翼を広げた。差し伸べられたフェイトの手を掴む掌は、そこには無かった。両腕を捨てた。掌は風を掴む翼になった。誰の手も握れないという生き方。

鳥の孤高。独りぼっちの笑顔。"軽くあれ"ということ。自らの重さを誰かに押し付けないということ。

フェイトはテレーゼの手を掴むことが出来なかった。テレーゼは墜落した。そして白いカモメ達の亡骸が浮かぶ、青い海に衝突する。そして未だに荒れる波の間に沈んでいった。

フェイトには波の下のテレーゼを助ける術も、見つける術さえも持っていなかった。







「いっしょにいこう」

そう言って、スイユは荒れる海に飛び降りた。

ティアナは彼を引き留めようと手を伸ばしたが、突如として出現した不可視の壁に阻まれて、彼を止めることは叶わなかった。魔法だった。

彼が海に消えた後、不可視の壁も消えた。

まるで最初からいなかったかのように、消え去った。黒いコートも黒い帽子も、黒い銃も。純銀魔弾の狙撃と、隠れん坊の魔法だけが取り柄の、名無しのスイユの唐突な最後だった。

彼がいなくなったあと、五十余りの空薬夾と、それと同じだけのカモメの躯、硝煙の匂いだけが彼のいた証拠だった。







ヴィータが叫んだ。

「あたしの手を掴め!」

そしてボロボロの真っ赤な体で滑空した。空から、青く燃える黒い破片を振りまきながらソラが落下していっている最中だった。曇天の雲を突き破っての落下。ソラの体は冷たい体で、あちこちが凍り付いていた。

ヴィータは軽い体で加速する。"軽くあれ"。バードランドに面倒事を全て押し付けて手に入れた、軽い、軽い体と心。"私たちは背負わなければいけない"。背負いあい、敵を叩き潰す重さと、空を翔る軽やかさを手に入れなければいけない。

壊れかけた軽いグラーフ・アイゼンで魔法を編み、穴だらけの魔法で見えない翼を広げる。深紅の光で空をとび、青い瞳でソラを見つめる。延ばされた手は血まみれ。悲しく痛む紅。強がりな赤。

そしてヴィータはたどり着く。落下しながら眠る、ソラのもとへ。

左翼は砕けて、真っ白な左腕が見えていた。右翼は無事だった。顔のバリアスキンが剥がれ落ち、氷に塗れた真っ白な面が露わになっていた。風に乱れる髪の下で、瞼は堅く閉じられていた。

ヴィータは手を差し伸べて、彼女の名を呼んだ。



「ソラ」



その呼びかけでソラが重たい瞼をこじ開けたとき、一番最初に見えたのは予想外の青だった。

成層圏のように澄んだ青い瞳、それが彼女の目を真っ直ぐのぞき込んでいた。ヴィータの青い瞳だった。

「ソラ、掴め!」

そういって差し伸べられた掌は、相変わらずの赤だった。そこで初めて、ソラは自分が墜落していることに気づく。そしてヴィータが約束を守って助けに来てくれたことに気づく。

ソラはヴィータの傷だらけの手を無視して、その小さな赤い体を砕けた翼の左腕で抱き寄せた。そして強く、強く、抱きしめた。愛おしくてたまらなかったのだ。ただそれだけのこと。

ソラは最後の力を振り絞り、無事な右翼をめいいっぱい広げた。そしてその翼で風を引っかき、減速を試みた。ヴィータは赤い魔力を燃やして、飛行術式を編んだ。

背負わなければならない。背負いあい、抱きしめあい、空を翔る軽やかさを手に入れなければいけない。
黒い翼が風を掴んだ。赤い魔力が万有引力を断ち切った。二人は傷だらけの軽い体で、強く、強く、抱き合った。そして訪れる、柔らかな衝突。墜落。二人は一人のように抱き合ったまま、海に深く沈み込んだ。そして二人で泳ぎ、二人で海面に顔を出した。

「初めてソラって呼んでくれました」とソラが笑った。

「いつまでも新入りじゃ、可哀想だろ。新入りは今日で卒業だ。この泣き虫め」とヴィータが笑った。

泣き虫。ソラはそこで初めて自分が涙を流していることに気づいた。

捨てたはずの涙。疲れ果てて休眠したイカルス・デバイス、体管制が外れた結果だった。感情にまかせて涙を流せる喜び。ソラはヴィータを抱き寄せると、その胸に額を押し付けて大いに泣いた。水面がな数ミリメートル上昇するくらいの、盛大な泣きっぷりだった。

そして一頻り泣いて、赤い目でヴィータの顔を見上げれるようになったころ、仕返しのように呟いた。
「先輩だって泣いてるじゃないですか。お互い様です」

ヴィータも青い瞳から、ぽろぽろと涙を流していた。海面が、また上昇した。

あの静かな成層圏に良く似た、青く澄んだ瞳。私の大好きな、空みたいな瞳。地上の空。
ただ、ぽろぽろと。

二人は泣き、そして笑ったのだった。






[6695] 14/そらをあいする
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c621e98d
Date: 2009/02/18 12:20


長い、長い詠唱を終えた八神はやては、たった一人、海上プラントの甲板で仲間達を見送った。

そして仲間達の姿が見えなくなったことを確認すると「おやすみ」と小さく呟き、魔法を解き放った。

おやすみ。魔法とは何の関係もない言葉だったが、はやてにはその言葉で締めくくるのが相応しく思えたのだった。

白い光が、広がっていく。海上プラントが消えた。飛んでいたカモメ達が消えた。死んだカモメ達も消えた。テレーゼの後を追って海におちていったパイ・スイユも消えたかもしれない。

何もかもが消えてしまった後、はやては肩甲骨の黒い羽を広げると、仲間達の所へと飛んで帰ってしまった。

彼女が飛び去った後、青い海と、青い空だけが残った。







  ララバイ・オブ・バードランド。







「不思議なことにな、カモメ達には何の異常もなかったんよ」

とある昼下がり、八神はやては航空12部隊の寮の屋上で、冷めてしまった紙コップのコーヒーを啜りながらそう言った。彼女の手元には一冊の本、夜天の書と呼ばれる、彼女のデバイスだった。

「そうなんだ」と素っ気ない返事でフェイト・T・ハラオウンが返した。黒い執務服の襟元を寒そうに寄せ、吐いた息で手を温めた。吐いた息は白かった。

「あれ、あんまし驚かんのやね」

「なんとなく、ね。予想はしていたことだし」

空を飛ぶテレーゼと、その後を編隊飛行するカモメ達を思い出しながら、フェイトは言った。

事件が解決した後の話だ。打ち落とされたカモメ達は管理局のラボに運ばれて、ブラックボックスを徹底的に調べられた。はやても夜天の書の蒐集能力でカモメ達のリンカーコアの残滓を調べ上げた。中に残っていたのは〈いっしょにいこう〉の交信記録、誰も見たことの無いような美しい編隊飛行プログラム、その二つだけだった。それらはそのままドローンに積んでも良いような優秀なプログラムで、カモメ達を暴走させるような因子はどこにも見あたらなかった。

「きっと飛びたかったんだね」

「まあ、人形に心が宿るなんて、普通ならあり得ん話けどね」私は現実主義者の隊長さんです、そんな仮面を被りながら。

「はやてがそれを言う?」すぐさま上司兼、仲のよい友人の仮面を剥がしにかかった。

フェイトは想像する。きっとこの優秀かつ不器用な管理職の友人は、あのカモメの一匹一匹に対してでさえ、祈りながら落とし、消していったのだろうと。はやては魂や心といったものが人間だけの特権でないことをよく知っていた。たとえば、彼女の家族であるシグナムやヴィータは、作られた存在であるということ。たとえば、彼女は融合騎とよばれる人造生命の専門家でもあるということ。たとえば、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンも。

はやては記憶の頁をパラパラと捲り、一つの言葉を諳んじる。

「私たちは心を知らないし、心は人を知らない。心は人形に宿るかもしれないし、かつては私たちの目の前に現れたこともある」

「哲学的ね。誰の言葉?」

「大昔の詩人で、死んでしまった夜天の主。廃れた言葉で夜天の書に刻んであったんや」

心の出現。かつてのヴォルケンリッター。そして今回のカモメ達。

「んでもって、この言葉には続きがあるんよ」

「続き?」とフェイトが首を傾げた。

はやてが立ち上がる。そして手をヒラヒラとさせてバイバイのポーズ。官舎に鳴り響くサイレン。昼休みが終わる合図。

はやては立ち去り際に、フェイトにそっと耳打ちする。

「心は優しき人の前に現れる」

「優しかったのは誰?」

「それはきっと『みんな』や」







ティアナ・ランスターが上司であるフェイトを探し航空12部隊の寮の廊下を歩いていると、聞き慣れた声が聞こえてきた。その声につれられてたどり着いたのは、階段下の談話スペースだった。いたのはヴィータと市蔵ソラのちびっ子二人を除く、バードランドの面々だった。

「ああ、ランスターか。テスタロッサならまだ主はやてとお話中だ。ここで待つといい」手招きするシグナム。

ティアナなシグナムの言葉に甘えて「失礼します」と薄暗い談話スペースのソファーに座った。

話の内容は、どうでも良いような普通の世間話だった。

たとえば、来週出向任務から帰ってくる医務官のお姉さんが可愛いだとか。その医務官のボディーガードについていった狼の守護獣が羨ましいだとか。それより自分の婚約者の方が綺麗だとか。そういえば融合騎のちっちゃい妖精さん二人、最近みないなだとか。あれは今、長期休暇をとって資格取得に奔走しているだとか。そんなことより反省文、嬢ちゃんにどやされるぞだとか。教導隊から副隊長の友人が教えにくるんだ。準備でそんなもの書いてる時間なんてないよだとか。

不思議と海上プラントでの一件については、話題にあがらなかった。みんな前を向いて、次にすべきことを考え始めている。しかしティアナが思い出していたのは、全く別のことだった。

落下する白い翼。「いっしょにいこう」。万有引力のような黒いコートがはためく。走り出す男。男は落下する白い翼に向かって手を伸ばし、クレーン塔から飛び降りる。そして落下。荒れた海の波間に消える。

「そういえば、あの狙撃手。なんだったんだろうね」誰かの呟きが、ティアナを空想から引き戻した。

「まだ、行方不明扱いだそうだ」シグナムが心臓の上を撫でながら言った。隊服の下、未だに消えない純銀弾狙撃の痣の痕。

あの後、結局パイ・スイユは見つからなかった。荒れた海に溺れて、死んでしまったのかもしれない。八神はやての魔法で消えてしまったのかもしれない。実は生きていて、昔の自分や銃のことなんて忘れて、どこかの港町で暮らしているのかもしれない。もしかしたらパイ・スイユなんて男は最初から居なくて、自分達は夢を見ていただけなのかもしれない。

ティアナはスカートのポケットに手を突っ込んだ。固い金属の感触。待機状態のクロスミラージュと、気の知れた鑑識から譲ってもらった純銀の魔弾。かつてはスイユの物だった。いまはティアナの狙撃の御守り。

「私は生きていると思います」。唐突に、ファビアンが言った。

「俺も生きてる方に賭ける」リヴィエールがポケットの皺札を掴みながら言った。

「なら俺はコイツを掛けよう。生きてる方にだ」ルルーがポケットから、酒の入った金属のフラスコ瓶を出しながら。

「隊長と副隊長を病院送りにした悪魔みたいな奴だ。死ぬわけない」ペルランがマネークリップから畳まれた紙幣を抜く。

「ペルランの勘はよく当たる。生きているほうにだ」ロビノーが財布の中身を引っくり返す。

「私も生きてる方にだ。狙撃の借りを返さないとな。さて、ティアナはどっちに賭けるか?」

シグナムがティアナに問う。

「決まってるじゃないですか。生きている方に全部です」

財布を取り出し、テーブルに叩きつけた。テーブルの上に広げられた、紙幣とコイン、そして僅かばかしの高級酒。スイユは生きている。バードランドとティアナの、確信の現れだった。

「困ったな。これでは賭けにならない」

シグナムが肩を竦めて笑った。







ソラはその病室にたどり着くと、まだ火傷や凍傷で包帯塗れの手で扉をノックした。返事は聞こえなかったが、彼女は構わず扉を開けた。

中にいたのは、ベッドに横たわり窓の外を見上げる、一人の女だった。髪の毛は白く長い。手と足に巻かれた包帯とギブスが痛々しい。瞳は燃えるような緑。テレーゼだった。

テレーゼは成層圏から墜落しながらも、幸運なことに生きていた。成層圏飛行の酸欠が、彼女の脳で暴走するデバイスを止めた。彼女の軽い体と大きな翼、空気抵抗が落下スピードにブレーキをかけた。波間に浮かぶカモメ達の亡骸が彼女を受け止めた。落下したのが海だったことも幸いした。

そして何より「いとしいひとが、たすけてくれたの」そうテレーゼは言った。

冷たい海に溺れるテレーゼを引き上げ、八神はやての広域魔法から守り、そしてどこかへと消えていった『いとしいひと』。スイユのことだった。

白い翼で波間を漂うテレーゼは引き上げられ、すぐさま管理局の病院に運ばれた。そこで脳や神経系に癒着したデバイスの初期化と再入力、手足まで浸食したデバイスの癒着を切除し、命を取り留めた。

彼女は命を手に入れたが、しかし翼と幾ばくかの記憶を失った。初期化したデバイスは、飛行管制や体管制の他にも、記憶や感情の代行も行っていた。

例えば、彼女はスイユのことを殆ど覚えてはいなかった。どうやって出会ったのか。どういう関係だったのか。それどころかパイ・スイユという名前さえも忘れてしまっていた。「いとしいひと」。ただそれだけしか覚えていなかった。

彼女が最初の墜落事故で失い、デバイスが代行していた脳の部位は腹側被蓋野、愛を司る脳だった。愛を初期化されたのだった。

テレーゼは、車椅子に座り傍らに佇むソラに気づかないまま、ずっと窓の向こうの空を見つめていた。空の色は、遠い、遠い青だった。

「テレーゼ隊長、お久しぶりです」

ソラはテレーゼを驚かせないように、小さな声で呟いた。テレーゼは寝返りを打つように、頭だけをソラの方へ向けた。カラッポの、幼い表情だった。

「あなたはだれ?」

「鳥です。青く燃える、ヨダカです」

「よだか。もしかして、いっしょにとんでくれた、よだかさん?」

「ええ、そうです」

彼女の精神の退行は、結局治らなかった。もしかしたら、ある日突然、元の精神年齢に戻っているかもしれない。一生このままかもしれない。徐々に成長していくかもしれない。何れにしても、元のテレーゼに戻ることはないだろうとのことだった。

「ねえ、よだかさん。わたし、とべなくなっちゃったの。どうしよう」

怯えたような緑色の瞳。消えそうな炎のように揺らめく、瞳の色。ソラはテレーゼの真っ白な髪を撫でた。慰めるように。かつて64実験小隊のソラがテレーゼに撫でてもらったように。

昔、テレーゼは「飛べないんだ」と泣くソラの頭を撫でて「"軽くあれ"。空は軽いものを愛します」と言った。
そのテレーゼが、ソラに頭を撫でられながら泣いていた。

「かるいんだ。かなしいくらいにかるいのに、とべないんだ」

軽くなってしまった。空っぽの体と、空っぽの心で飛んで、とうとう翼までも失った。

愛しく、悲しい人。ソラはテレーゼの額にキスをして、耳元で囁いた。

「"私たちは背負わなければならない"。私たちは翼を背負わないと飛べないんです。きっとあなたには、白い翼が似合います。私は白い翼を背負って飛ぶあなたを、あの青く澄んだ"限界高度"の上で待っています」

そして名残惜しそうに、白い女のもとを去った。

「またきてくれる」とテレーゼが言った。

「あなたが飛べるようになった頃に、また会いましょう」とソラが言った。

"軽くあれ"と願った鳥達の約束。こうして二人は、翼の重みを知ったのだった。







ソラが病室を出ると、ヴィータが待っていた。壁にもたれて、腕を組んで待っている。

「大丈夫だったか?」

「ええ。怪我も思ったより酷くなくて、私のことも少しだけ覚えていてくれました」

ため息をつく、ヴィータ。

「ちげぇよ。お前のことを言ってんだ。お前、今自分がどんな顔してるかわかってるか?」

「どんな顔ですか?」

不器用な奴。心底呆れつつソラの腕を乱暴に掴むと、車椅子にもたれ掛かるように抱き寄せた。

「涙を流さずに、泣いてたよ」

脊髄のイカルス・デバイスのせいだった。涙を流せないということ、悲しみに気づけないということ。自分の悲しみにも気づけずに、このままじゃ悲しみの重さで潰れてしまう。

「"軽くあれ"だ。あたしが背負ってやるよ」

抱きしめた。それで背負えるならばと、強く、強く、抱きしめた。どれだけ抱きしめても、悲しい心にはたどり着けないように思えた。しかし。

「私が背負います。これは私の悲しみです」

ソラは笑った。そこには、さっきまでの悲しみの重さはなかった。真っ直ぐな、軽やかな笑顔だった。

いつの間にか背負うことを覚えたソラ。ヴィータは嬉しくて、でも少しだけ寂しくて。強く、強く、抱きしめた。今度こそソラの心にたどり着いたような気がした。

指先に触れた心は、軽く暖かな翼の感触だった。

暫くの間抱き合った後、二人は軽やかな心で家路を急いだ。航空12部隊の、バードランドの待つ隊舎へと。

「今日はテスタロッサやティアナの奴も来てるんだ。はやてのギガうま料理でパーティーだってよ」

「それはとっても素敵です。先輩と私の二人で、全部食べ尽くしちゃいましょう」

「ばーか。"軽くあれ"だろ。食い過ぎで飛べなくなったって知らないぞ」

「今日に限って忘れます」

二人は歩く。軽やかなステップを踏む、ヴィータの靴。カラカラと軽い音で回転する、ソラの車椅子の車輪。そして。

フロイデ・シューネル・ゲッテルフンケン・トッホテル・アウス・エリーズィゥム。

天空の上に住み賜うであろう神さまを称える、ベートーベンの歓喜の歌。空に溶けていく、軽やかな少女達の歌声。

嗚呼、フロイデ。喜びよ。

要するに、二人は世界と空を愛しているということだった。








[6695] 幕間劇/バッカナール
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c621e98d
Date: 2009/03/28 23:24

 警告!この文章は『魔導師たちの群像作品群』のイメージをいちじるしく損なう恐れがあります。閲覧のさいは用法・用量を守り、自己責任の上でご(以下省略)








 航空12部隊の、お疲れ様会での一幕。

 全てはルルーが言った「副隊長の嬢ちゃんの騎士服って、赤くてヒラヒラしてドレスみたいで、可愛いよな」が始まりだった。副隊長の嬢ちゃん、ヴィータのことである。

「そうか、お前は子供に手を出す危険な人種だったのか。そこに座れ。そして自らの腹を掻っ捌け。我らが航空12部隊を、主はやての足跡を汚すようなペドフェリアはこの隊には必要ない」シグナムが妙に勘違いをしてレヴァンティンを起動、機械仕掛けの魔剣が刃をさらす。「なに、介錯くらいはしてやるさ」

 どうやら、酔っ払っているらしい。彼女のテーブルの上にはソラが実家から送ってもらったという一升瓶「鬼舞」、市蔵ソラの故郷は桃太郎の鬼退治で有名な岡山である。

「冗談だろ」

「冗談かどうかは、次にお前の口から飛び出す言葉にかかっている」 

「本気じゃないか。家族思いだな」

「いや、うん。そうなんだ。たぶん。ありがとう」

 ほめられて、機嫌を元に戻すシグナム。大きすぎる情緒の起伏と振れ幅。やはり酔っ払っているらしい。「隊長すこし風に当たってきましょう」とファビアンがフォロー、席をはずす二人。

「さて、堅物の隊長殿も退場したところで。さっきの話、みんなはどう思うか?」議長然とした最年長の雰囲気で、ルルーはバードランド分隊の面々に問う。

「副隊長の騎士服が可愛らしいって話か?」ペルランの応答。

「ああそうだ」

 リヴィエールが「たしかにあのガサツな副隊長にしちゃ、おしとやかというか、綺麗というか。そもそも、あんなドレスを魔力精製できるようなセンスを持っていることに驚きだな」。もうボロクソである。

「でも、副隊長。私服のセンスはなかなかだったけど。パンキッシュというか、でもゴシックロリータぽいともいうか」洒落者ペルランが第97世界のファッションの名前を幾つか挙げながら、説明。しかし、どれも分からないバードランドの男たち。

「しかしながら、あの服はそれとは毛色が違うような気もするが」とロビーノ。「まるで彼女自身の趣味でないような」なかなか鋭い突っ込み。

「ほう。すると、あれだな。嬢ちゃんには、あの服を着なければいけない理由がある」ルルーが議長らしく意見を拾う。「なら、その理由はなんだ?」

「機能性、ではないだろうな」リヴィエールの答え。

「お洒落ともちがうだろうな」我らが戦技教官でもある服隊長の厳しい訓練を思い出しながらロビーノが。

「でも、彼女。隊服を改造していたけど」ペルランによる、驚きの暴露。

 うそだろと、をぱちくりさせる男たち。

「肩パッドを変えてしまうんだ。あのブレザー、やたら肩のパッドがはっているんだよ。きっと腕の金属プレートの重みで型崩れしないようにしているんだろうね」

 そんなうんちくをペルランが垂れていると「ルルーさん、おかわり」と、ハーマンミュートなマイルス・トランペットに似た、メゾソプラノの女の声。車椅子でカラカラと駆け寄ってくる、市蔵ソラだった。ルルー秘蔵のウイスキーが目当てである。サナトリウム(病院)小説な見た目に反して、ハードボイルドな肝機能と舌の持ち主。

「もう飲んだのか。明日二日酔いでグロッキーになってもしらないぞ」

「大丈夫です。私の肝臓は、合金製ですから」嘘か真か、笑うべきか慰めるべきか。真顔で訥々淡々と話すため、対応に困るバードランドの男たち。

「なあソラの嬢ちゃんよ。ヴィータ副隊長の騎士服について、どう思う?」すぐさまペルランが話をそらす。遊撃手らしい、フォロー。

「ヴィータ先輩の、あの赤いパンツァー・クライトのことですか?」

「ぱんつくらえと?」

「パンツ喰らえと、じゃなくて、パンツァー・クライト。ドイツ語とかベルカ語で“装甲ドレス”を意味します」やけに良いベルカ語で発音、音楽隊時代のベルカ・リート(ベルカ歌曲)の練習の成果。

「それそれ。アレを見て、イチクラは疑問に思わなかったか?“ぱんつ”、装甲にしちゃ可愛すぎるって風に」

「“パンツ”じゃなくて、“パンツァー”」。このセクハラ男と呟きかけ、しかしペルランがホモセクシャルであることを思い出し『さてゲイが女に「ぱんつ」と言ってそれが果たして性的なニュアンスを持つのか?彼の中身は女性では無く、男好きの男性だ。異性ではあるが性的親愛の対象ではない。つまり性的なニュアンスは無い?セクシャルハラスメントではない?分からない。なら多様化してしまったジェンダーの物差ではなく、もっと確実な実例で考えよう。例えば男性が女性の尻を触れば痴漢になる。一方、ゲイが男の尻を揉みしだいても、故郷の何とか迷惑条例の違反者として捕まるらしい。ならばペルランが私の胸を触ったら?なんというか限りなくグレーだ。グレーな気分だ。スキンシップの一言で済ませられそう。嗚呼、くそ。(胸が)コンプレックスなのを思い出した。胸に浮いたあばら骨の隙間から、心臓の脈動が見えてしまうくらいに、痩せすぎな胸。まったく、こんなこと思い出すなんてペルランが社会問題になるようなややこしい性別の持ち主だからだ。そして、ゲイとかレズビアンとかを色物あつかいして面白がって、社会問題にする世界のせいだ。男と女だけでも面倒くさいのに、神様はいろんなジェンダーを作りすぎた。作るなら、作るで、聖書にゲイとレズビアンの聖人を登場させておけば万事上手くいくはずなのに。そういえば男と女は最初は一つの体で、それを神様が二つに掻っ捌いたから男と女は惹かれあうんだって話、どこの民族の創世記だっけ?』と569文字にわたる壮大な神話のジェンダーの海を、魔導師のマルチタスクと魔法飛行使の思考加速というアトミック・スクリュー(原子力螺旋動力)で駆け抜けた一秒半、口にした言葉は結局「セクハラです」だった。

「でも、その疑問。私も持ったことがあります」

 だろだろ。それでお前はどう思う?バードランドの男たちが、教えてくれこの疑問とねっだて来る。「偵察兵な私としては、あんましデマみたいな嘘みたいなこと、口にしたくないのですが。まあ、一個人の妄想か空想と思って聞き流してください」。そして咳払い。喉の調子は、ウイスキーの43度で熱い以外は問題なし。口を開き、訥々淡々と、しかし通信任務の調子で歌うように喋り倒す。

「まず、ヴィータ先輩のパンツァー・クライトを見たときに目に付くのは、あちこちにあしらわれた十字の意匠です。これが意味するのは、おそらくは剣十字、聖王教会に伝わるシンボル、聖王をしめすイコン(象徴)とも考えられます。これは他のヴォルケンリッターには見られないものであり、本人でさえ昔過ぎて知り得ない、かつての彼女の『本当のポジション』を知るための貴重なヒントとなります。次に彼女を象徴づけるグラーフアイゼン金槌の姿。これは敵を切り捨てるのではなく、殴り倒す、無血の制圧の象徴と見て取れます。ここで重要になってくるのが、最初に話した剣十字と聖王教会。たとえば聖職者の場合、人殺しとは死の穢れを意味します。しかし、それでも、宗教を守り広めるためには、聖職者でありながら戦わねばいけないときもあります。僧兵の出現です。さて、彼らが死に穢れず人を殺すための手段とは、撲殺、すなわちハンマーのような物での殴打です。己が手を血で汚さない戦い。言い訳じみてはいますが、宗教は教義のなかで歪められていくもの。そういう物です。ヴィータ先輩の場合、万が一血で汚れても、それは騎士服の赤が隠してしまいますし。さらにハンマーは鉄を意味するものであり、同時に鉄を鍛える鍛冶を意味します。人の文明、魔道文明についても科学文明についてもですが、金属の鋳造は技術でありながら神と関わりの深いものであり、その技術を継承する者は即ち神職のようなポジションだったという説もあります。つまり、ヴィータ先輩は自分でさえ知らない大昔、聖職者のポジションでヴォルケンリッターの主、夜天の書の主人に仕えていたんじゃないかと、」

「あんな子供で聖職者?」リヴィエールが反論。しかし。

「私の故郷では、初潮前の少女には神が宿るっていわれています。男と女の中間って認識なんです。だから、男と女の中間である神様は、少女に宿り、少女は巫女と呼ばれるって。故郷は多神教の国でしたけど、男と女の中間っていう概念は聖王教会の天使たちにも言えることです。赤い服は突然の初潮の血を隠し誤魔化すための赤ともとれますし。ともかく、ヴィータ先輩の容姿って意外と宗教的なんです」

 紅の鉄騎ヴィータ、前世では聖職者、しかも巫女説が急浮上。何気ない上官のファッションチェックから、思いもよらない宗教学。ただただ、ぽかんとするばかし。つまり観測兵の兵站偵察は味方にまでも対象だったということ。

「なんというか仕事熱心だな」これも新手のジョークかと、そんな驚愕のルルー。

「もしかして俺たちも分析されてる?」危惧するリヴィエール。

「きっとフロイトみたいに卑猥にね」とペルラン。

「またセクハラだ」とロビーノが諭す。

「まあ、全部嘘なんですけどね」しれっとソラが白状。868文字に亘る、長い、長いブラフ。電子戦や心理戦もこなす、嘘つきな通信兵「全部、たった今作った作り話です。ヴォルケンリッターの皆さんの騎士甲冑って、ぜんぶ八神部隊長がデザインしたんですって。それどころか航空12部隊の灰色コートのバリアジャケットも八神部隊長のデザインですし」テーブルのウィスキーをグラスに注ぎ、一口。そして「まさか本気で信じていました?」

 その時だった。「いっちくらぁ、のんでいるか」呂律、人格、女性としての最後の防衛線や騎士としての誇り、そして付き添っていたはずのファビアンをアルコールの忘却の渦中に投げ捨てたシグナムが襲来。いろいろ捨てているのに、なぜか色っぽい。恐らくは、眠たげな潤んだ瞳や、乱れた髪や服、普段なら絶対に有り得ないマリリン・モンロー風舌ッ足らずな声のせい。遠くのほうに鼻血をふいたファビアンが、目の前のシグナムと、故郷に残してきた、愛する婚約者との狭間で悶えている。地獄の第二圏、愛欲者の地獄を見ているらしい。

「ふぁびあんのやつぅ、だきついたらああなった」

 ダンテ曰く、地獄の第二圏には暴風が吹き荒れているという。暴風の正体は目の前の酒臭い女隊長の肌蹴たシャツから覗く、グラマラスな――。

 ソラが俯く。どうやら自分の“物”と比べてしまって、落ち込んでしまったらしい。自棄酒、手元のウィスキーを一気に煽る。ちなみに、十杯目である。合金製の肝臓、絶賛フル稼働中。一気に頭の中はほかほか。ハートに青い火が灯る。燃料はウィスキー。

 顔は真っ赤、耳の穴辺りからカードリッジ・リロードな蒸気が吹き出ていそうな雰囲気。厚ぼったい黒縁メガネがずるりとずる。

「いいのみっぷりだ」。シグナムも負けじと「鬼舞」をラッパのみ。「いっちくら。おまえのこきょうのさけはうまい」

「あったりまえです。じゃけんど、のみすぎにはきいつけてください。おにもよっぱらう、さけですから」。市蔵のセリフである。けして「広島抗争編」等と銘打たれた仁侠映画のセリフではない。酒でたがが外れて、方便だとか、裏返る声だとか。もうぼろぼろ。岡山人って、方言で喋ると怖がられるんです。得に彼女の故郷である県北のほうは。

「いっちくら。てすたろっさのさけ、すすみがおそい。うっ(しゃっくり)。さけをつぎにいくぞ」

「やー。りょうかい」

 バードランドの男たちが、なにやらゲッソリとした表情で耳打ちしあう。嗚呼、次の犠牲者はフェイト・T・ハラオウン執務官かと。

 酒盛りは続く。







 酔っ払って夜風に当たっていたヴィータが食堂に戻ってきた時、そこは地獄だった。

 右を見る。ファビアンが血を噴出しながら呻いていた。バードランドの男たちが、その血塗れの同胞を介抱している。まるで戦争映画の一場面、涙を誘う感動の殉職シーン。しかし背景である酒瓶の山と、鼻からアブクブクと流れ出す血を見て、一気に醒める。セリエ(悲劇)と思ったらブッファ(喜劇)だったという話。

 左を見る。フェイト・テスタロッサ・ハラオウンがさめざめと泣いていた。「ヴィヴィオがね、一緒にお風呂に入ってくれないんだ」。若干二十一歳にして、早くも思春期の娘を持つパパの悩みを持つ彼女。性別的にも年齢的にも、その悩みは色々と突っ込みどころ満載なのだが、そこは管理局最速の高速戦闘を繰り広げることで有名な『雷光』のテスタロッサ・ハラオウン執務官。性別や年齢など、音速の彼方にでもすっ飛ばしてきたのだろう。「今は涙を拭いて、ヴィヴィオの成長を素直に喜びましょう。さあ」。めでたく補佐官から執務官に昇格したばかしのティアナ・ランスターが、フォーロー。「ティアナも執務官になって、成長して。こうやって皆大きくなって、私の元から去っていくんだ」。唯々泣き上戸なお母さんであった。

 その横では、シグナムが緩みきった顔で寝ている。殆ど空な「鬼舞」なんていう物騒な名前の一升瓶、ラベルには60パーセントの文字。六割、一升=1・8リットルの内、1リットル強がアルコールという計算。

 歩き寄っていき、上着でも掛けてやろうかと思う優しいヴィータだったが、

「てすたろっさ、ヴィヴィオのかわりに私が」

 我らがヴォルケンリッターの将の口から、騎士らしからぬとんでもない問題発言が飛び出してくるのを予感して「頭を冷やせ、そんでもって風邪を引いて垂れちまえ。おっぱい魔人」と椅子ごと廊下へと蹴り飛ばしたのだった。

「ヴィータせんぱい!」ソラが車椅子ごと突っ込んできた。そして高等専門学校ロボットコンテストの面白ロボットの器用さでヴィータを捕獲、車椅子に二人がけの状態。「うわ。さけくせー。大丈夫かお前」と叫んでしまうくらいのヘベレケっぷり。頬をすりすりと摺り寄せて抱きついてくる。

「せんぱい。わたしのしゃべりかたって、へんですか?」。突然の質問。若干、呂律が回っていない。人形めいた表情は、ひたすらぼんやりとした夢見心地で、ずり落ちた黒縁メガネだけが愛嬌を振りまいている。

「ろれつが回ってない所をのぞいたら、大丈夫だけど」

「じゃけんど、みんなへんっていうんけど。どないしよう」

「前言撤回。お前、相当変だぞ」。ひきつった笑みで、ヴィータが回答。

「けいご、ていねいご、ひょうじゅんご。どこかにおとしてきたんかね。ぶれいこうってことで、ゆるしてもらえるとうれしんじゃけど」

「許すから、水飲んで、ベッドにもぐって寝てろって」

「じゃけんど、まだねむくないんです」

「いいから寝ろ。口調が六十年後のはやてみたいになってんぞ」

「おかやま弁です。まーまー。こんくらい夜間飛行にくらべたらよふかしにもはいらんけん」

「お前、ほんとにソラか?」

「ちょー、しゃべりかたがかわっとるだけのに、そんなこといって。ひどいがん。ちなみにわたしは”つやま弁”に”びっちゅう弁”に”びぜん弁、”ひょうご”のほうのくちょうもまじったハイブリットおかやま弁」

「うわあ。もう何言ってんのかわかんねえ」

「せんぱい、すきー」

「ぎゃー。首、絞めんな。わかったから全力でだきつくなって」

「いいがん。いいがん。せんぱいもいってたがん。ぜんりょくぜんかい」

「それはなのはのセリフだ。あたしじゃない」

「ぜんりょくぜんかーい」

「うぎゃあ」

 繰り返しになるが、ぼろぼろである。この激しく間抜けな方弁喜劇の真相を言ってしまうならば、市蔵ソラは激しくなまった口調の持ち主で、普段はそれを隠すために勤めて敬語・丁寧語を使っているということ。そして、すばらしきアルコールの魔力で敬語の化粧はボロボロとはげて、田舎娘な素顔がさらされてしまったということ。間抜けな真相である。

 ソラの腕の中で、すき放題弄くられるヴィータ。カクカクとメトロノームのごとく揺さぶられ、ボサボサとおさげが解け、長い髪が軽やかなリリューで流れ落ちる。おさげ髪から、水のように流れるロングヘア。普段の活発な天真爛漫さも解けて、可愛らしい少女の似た目が先行する。遠視用メガネの凸レンズの奥で、拡大されたソラの黒い瞳に怪しい光。

「でーえれ、かわいいです」と、ずり落ちるメガネも気にせずに頬擦りするソラ。

「痛いから。メガネが硬いから」と、わやくちゃにされながら抵抗するヴィータ。
ほっぺフニフニ、髪の毛ボサボサ。猫かわいがり、副分隊長の威厳はいずこ。

 結局、ヴィータがソラの魔の手から逃れたのは、明け方になってからだったという。因みに航空12部隊部隊長八神はやては、その様子を満足げに眺めながら「やっぱり方言はええね」と呟いていたとか、いないとか。同時に「でもあかん、方言キャラクターが二人も同じ隊におったら、いろんな意味でかぶってまう。芸人失格や」とも。彼女もソラと同じ、京都よりの柔らかな関西弁というハイブリット方弁の使い手だった。

 さて、この物語で何が言いたかったというと、つまりソラがヴィータにたいして飾らない自分の口調をようやく晒せたということ。そしてそのことは彼女のセリエ(悲劇)な人生のなかで、数少ないひたすら馬鹿馬鹿しいお話だったということ。彼女にも故郷があり、それは確実に体に染み付いているということ。ただ、それだけのこと。

 馬鹿馬鹿しいだけだと、市蔵ソラらしくもないので、最後に酔い覚めのソラとヴィータの会話を一つ、これにてブッファ(喜劇)は閉幕。







 なあソラ。お前の故郷ってどんなところなんだ?

 へんな街ですよ。さっきみたいな口調で、みんな喋りちらかしているんです。それに田舎だし、電車じゃなくて汽車だし。それも一時間に一本も出ないような。世界の果てみたいな街ですよ。

 いい所は無いのかよ。故郷だろ?

 一つ、大好きな所があります。

 なんだ、それは。

 空がとっても低いんですよ。雲が手にとどきそうなくらいに。空に近くて、雲が落ちてきやすい土地なんです。だからなんでしょうね。空が好きで、音楽家を目指していたはずなのに、気がつけば魔法飛行使なんてやっています。

 空が近いのか。見てみたいな。

 見に来てください。そして、一緒に飛びましょう。

 約束したぞ。

 はい。約束です。







[6695] 第二章:スモーク・ゲッツ・イン・ユア・アイズ
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:1547939b
Date: 2009/02/22 11:16
『燃焼』

燃え上がるということ。

酸素と結びつくということ。

熱を生むということ。

酸化しただけ重くなるということ。

煙が出るということ。

もしかしたら心。

燃えて、燃え尽きるということ。

灰になるということ。

もしかしたら死。

煙が目にしみるということ

スモーク、ゲッツ、イン、ユア、アイズ。






[6695] 1/地獄(ゲヘナ)にて
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c621e98d
Date: 2009/03/04 15:46


 とある辺境世界の戦場に八神ヴィータは立っていた。真っ赤な魔力で編んだドレスで、真っ青な空の下を佇んでいた。

 そのときの彼女は時空管理局陸上本部航空12部隊バードランド分隊副長という、相変わらずの長い名前の仕事に就いていて、今回は数名の同僚と部下を従えての出向任務だった。

 ヴィータは虚ろな瞳で周りを見渡す。その青い瞳には普段の彼女を象徴する激情や愛情そしてひとつまみ皮肉といった色は見受けられず、只々メランコリック、憂鬱な青空のような色。

 彼女が見つめていたのは、地平の彼方まで続く瓦礫、そして兵士や女や子供の幾千の亡骸だった。灰色の世界、死に満ち溢れた世界ではあったが、不思議と血の赤は見当たらない、完璧なモノクロの世界だった。

 戦争はとっくの昔に終わっていた。亡骸たちは腐り、血さえも灰色の腐敗液。何となく、大昔のモノクロ写真を見ているような気分になった。写真も、死体も、過去の象徴みたいなものだとヴィータは考えていた。モノクロならば尚更だ。

 ヴィータは空を見上げ、呼びかける。

「なあ、ソラ。お前、人を殺したことあるか?」

 雲の合間に、憂鬱な青空を背負って飛ぶ黒い鳥が見えた。まるで十字架みたいなシルエット。

 鳥が、甘くひび割れた暗号念話でヴィータに言う。

〈私は鳥です。翼じゃ誰も殺せやしませんし、攻撃魔法なんていう重たい嘴も持ち合わせていません。"軽くあれ"。人の命って、重たいんです〉

「相変わらず詩的なやつめ」

〈どうも、鳥で詩人で魔法飛行使の市蔵ソラです〉

「ばーか。詩人はペンで詩を書くんだ。翼じゃペンは握れないじゃんか」

〈戯遊詩人ってのは歌も歌いますよ。こんな風に〉

 響く歌声。運命の女神をラテン語で称え、嘆く、ソラの歌声。

 "戦争があって、沢山死んだ。たくさん死んで、病気が流行った。そして、また沢山死んだ。兵隊が悪いのでもなく、医者が悪かったのでもない。弱い女や子供が悪かったのでもなく、強い国家が悪いのでもない。強いて言うなれば、運が悪かったのだ。mecum omnes plangite!(それを私と一緒に皆さんも嘆いて下さい)"

 要するに、誰も責めない歌だった。ただ運がなかっただけ。ただ現実から逃げているとも取られかねない詩の内容だったが、その半端な生温さが体温に似ていてヴィータは心地よいと感じてしまった。

 ソラの歌う歌声の守護に守られて、ヴィータは目の前の地獄を直視する事を決意する。
 
 ヴィータは空を見上げることを止め、地上の地獄を見渡した。死体が腐り、疫病が広まり、死体が死体を増やしていったゲヘナの街。魔力で編んだ騎士服が無ければ、一時間で感染し、一日で発症、一週間で死に至る恐ろしい空気。そんな空気に殺された亡骸の周りに、ヴィータは奇妙な人影を数人見かける。

 彼らは真っ黒な防護服(バリアジャケット)で爪先から指先までをもブカブカと覆っていた。汚染された外気との接触を断つための魔法服。そして頭から赤い眼鏡の防毒マスクをすっぽりとかぶり、口は嘴そっくりな酸素供給用デバイスで覆っている。

「防疫08部隊、か」独り言のように、小さく呟く。

〈まるでカラスですね〉

「同感だ」

 カラスのような防毒マスクをつけ、カラスのように死肉を啄み、調べ上げる。空中に浮かぶ魔導ホログラムが解析の結果をはじき出す。

 防疫08部隊のカラス男たちが亡骸の側から立ち上がり、ヴィータの所へ歩いてきた。そして「ここも汚染区域に指定されました。要救助者の探査が終わり次第、浄化に移るそうです」事務的な口調で言った。

「ヤヴォール(了解)。引き続き、護衛任務を続ける」ヴィータは慣れない事務的な口調で言った。

 今回のヴィータの仕事、直接戦力を持たない防疫08部隊の警護。ソラの仕事、高高度からの観測、索敵。そして。

〈聞こえますか?シャマルです。たった今、広域魔法探査が終了しました。このあたりに私たち以外の生存者はいません。浄化指定に入りました〉ナイーブそうな女の声。航空12部隊から出向してきたもう一人の隊員、医務官であり広域探知のスペシャリスト、シャマルの声だった。

 そして天空からの甘くひび割れた全体通信「ヨダカから防疫08部隊と航空12部隊へ。汚染区域の浄化が始まります。各自、転送魔法で離脱して下さい」観測兵士兼、通信兵の、ソラの暗号念話だった。

〈ヤー(あいよ)〉とヴィータはだらしなく返事をする。堅苦しいのは苦手だった。やっぱりこっちの方が、あたしには合っている。

 気がつけば、黒いカラスの防疫08部隊たちは転送魔法で消え去ってしまっていた。ヴィータも転送術式を編み、天空から飛んでくるソラの管制に従った。そしてシャマルの遠隔魔法陣で空間を喰い破り、そして潜り抜けた。

 転送魔法陣を潜り抜けると、そこはゲヘナの街を一望できる高台だった。周りには黒いカラスの男たちがいて、浄化が終わるのを待っている。シャマルは魔力波ソナーの魔眼で街を見つめている。その傍らには青色の狼、ヴォルケンリッターの守護獣、ザフィーラ。私は狼だって顔をして、だんまりを決め込んでいる。無口な奴。不謹慎にも笑ってしまいそうになった。
空を見上げてみた。相変わらずの黒い十字架みたいな鳥の姿で、ソラが高い空を飛んでいる。

〈ソラ、浄化ってのがどんなものか見てみたい。目を借りるぞ〉

〈ヤー(了解)。視覚野のラインを繋げます〉

 瞬間、ヴィータの目の前に広大な青空が広がった。念視とでも言えばいいのだろうか。念話の応用でヴィータとソラの視覚をリンクさせたのだった。観測兵らしい、変わった魔法だった。

 脳裏を覆い尽くす青。右を向き、左を向く。そのたびに両腕の黒い翼が空気を裂く様子が見て取れた。地面をみると、ゲヘナの大地が壁のような灰色で広がっている。魔導士特有の分割思考で、神の目線で街の全体を見渡して、子を抱く母の視点で赤ん坊の亡骸を見つめる。赤ん坊はソラによく似た黒い鳥の人形を掴んでいた。まるで目玉が幾百にも増えたみたいな感覚。幾百の目玉は、時に双眼鏡で、時に顕微鏡。天体望遠鏡やジャン・コクトーのムービーカメラにもなった。

〈これが私の目線です〉

〈恐ろしい瞳だな。泣きそうだよ〉

〈リンク切りましょうか?〉

〈もう少し付き合ってやんよ。お前だけに地獄を見せ続けるのは、上司としてちょっと、な〉

 そんなことを念話で話していると、二人の共有された視界に、白い影が写り込んでいた。浄化指定区域を飛行魔法でソラの数千メートル下を飛んでいる、女の魔導士だった。防疫08部隊の嘴みたいな防毒マスクをしている。しかし他の隊員と違ってマスクは白かったし、ブカブカとした防護服(バリアジャケット)ではなく、真っ黒な儀礼用ドレスだった。まるで白いカラスが喪服を纏ったみたいな姿。〈お前とは別の意味で"鳥"だな〉とヴィータが言った。

 白いカラスが地面に降り立つ。この街で一番細菌汚染が酷く、死体の多い場所。街の密集地帯だった。

〈リコリスより、全隊へ。これより浄化作業を開始します〉全隊通信、ハスキーなアルト。白いカラスの女、リコリスの声だった。

 白いカラスが、術式を編み始めた。見たこともないような魔術言語で魔法陣が描かれていく。ミッドチルダやベルカのようなプログラム言語ではなく、恐らくは人間の言葉。青と赤のベクトルを行き来する魔法光。魔力風に喪服のドレスが靡く。そして。

〈先輩、すみません。逃げます〉

「え?」

 ソラはこれから起こるであろう出来事を予想し、急上昇。フィールドの対生物汚染防護を最大にした。

 閃光が煌めき、熱を帯びた上昇気流がソラの翼を揺さぶった。今まで冷たく清潔で無臭だったの空は、何かの焼ける匂いで満たされた。焼けているのは大地、そして亡骸、ゲヘナの街、もしかしたら過去も。”軽くあれ”。単純なものや純粋なものが好きなソラには、到底好きになれそうになれない匂いだった。体にこびりつく匂い、命の燃える匂い。重たい命の匂いが羽にこびりつきそうで、嫌だった。

 ヴィータはソラの目を借りて、世界を見渡す。眼前に広がる炎の街。

 運動エネルギーや位置エネルギーまでもを熱エネルギーに変換し、現行物質でさえ魔力精製物の灰に帰してしまう魔力炎。全てのエネルギーが形を失った真っ暗な無重力の獄炎の中で、全てが魔力に還元されていく。

 瓦礫が消え、亡骸が消えた。病魔が消え、悲しみが消えた。喜びも消えたかもしれない。重力や光子でさえも真っ黒に燃えた。そして数キロメートルを焼き尽くした後、別の術式が展開され、それが炎を消した。

「古代ベルカ有史以前の、大軍殲滅儀式魔法。こりゃ、ちょっとしたレアスキルだな。それにしても、酷い臭いだ」

〈同感です。ミッドに帰ったらテレーゼ隊長のお見舞いに行きゃなきゃいけないのに。彼女、怖がります〉

「戦場の臭いは、なかなか消えないからな」

〈命が焼ける臭いです。羽に命が染み込んで、重たくて飛べなくなりそうです〉

「綺麗な水で洗うんだな」

〈心や瞳も真水で洗えればいいのに〉

 ソラは黒い翼の両腕を広げ、亡骸の煙が溶けた上昇気流を掴み高度を上げた。空気が粘ついていた。二人で共有した視界には、真っ赤に焼けた大地が見えていた。

 ヴィータはソラとの視覚リンクを切り、自分の瞳で街を見る。人を焼いた煙が天国に上がるみたいにもくもくと。やがてそれは水蒸気の巨大な塊になり、即席の積乱雲を作り出した。涙みたいな雨が降ってきた。

〈そらが雨で洗われていきます〉

 洗われているのはソラだろうか、それとも空?ヴィータは少しだけ悩み、

「よかったな。少しだけ願いが叶ったじゃんか」

 ソラの羽が洗われるのも、空から重たい煙が消えるのも、どっちも彼女の願いだろう。おかげで自分たちはずぶ濡れだったが。

「嫌な雨ね」とシャマルが言った。

「嫌なことを思い出す、嫌な雨だ」とザフィーラが言った。

「それでもきっと、恵みの雨だ。喜んでる奴もいるんだから」複雑そうな笑みを浮かべてヴィータが言った。

 雨はヴィータの真っ赤なバトルドレスを重たく濡らした。なるほど、確かに重たいな。命の燃え滓の溶けた雨は、水銀のように重たかった。

 命は重たいのだ。重さを持つ、ちゃんとした物質なのかもしれない。

 失われてしまった悲しみに。重たい、重たい悲しみに。

 ソラが雨雲の向こうでmecum omnes plangite! (それを私と一緒に皆さんも嘆いて下さい)と歌うのを、ヴィータは只静かに聞いていた。









[6695] 2/シュピーゲルⅠ
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c621e98d
Date: 2009/03/04 13:07


 防疫08部隊の出向任務から帰ってきたヴィータが一番にしたことといえば、シャワーを浴びて、熱いバスタブに身を沈めることだった。

 これから、先にクラナガンへ帰ったソラと待ち合わせて、その後には『海上プラントでの一件』を労う会食がある。だというのに、体に染み着いた戦場の臭いが嫌だったのだ。

 頭の後ろで纏めていた腰にまで届きそうな赤毛を解き、息を止めて湯船に頭を沈めた。髪に臭いが移っていそうな気がしたからだ。そして息の続く限りキラキラと揺らめくバスタブの水面と揺れる自らの髪を眺めた後で息が続かなくなり、乱暴に立ち上がった。

 赤い髪が張り付いた体は、幼く小さいネバーランドの体で、ヴィータはため息をついてしまった。

 千年くらい前に、あのゲヘナみたいな場所で戦ったときも小さな体だった。五百年前も、百年前も、二十二年前も、十一年前も、この小さな体であのゲヘナ(地獄)を戦っていた。違うのは心。私の中に心があり、私の外にも心が溢れているということ。

 ヴィータは思う。心のおかげで強くなった。しかし疲れやすくもなったと。ヴィータは心を抱えていた。

「あたしって、大きくなってたんだな」

 大人になるということ。力が強くなり、しかし子供のように延々と遊ぶことが疲れるということ。強くなり、疲れやすくなる。それを大人の定義とするならば、ヴィータは確実に大人だった。

 バスルームに張り付けられた、大きな鏡。その中でひねくれた笑みを浮かべた自分を見る。

「おとなみたいな、こどもめ」

 どうせなら両方の良い所取りになってやると意気込み、怒りにも似た空元気でカーテンを引いた。そして身支度を整え、防疫08部隊からあてがわれた部屋から出て、一直線にクラナガン行きの転送ポートへと向かったのだった。







 航空12部隊の部隊長室、市蔵ソラは車椅子に座って、上司である八神はやて部隊長と話していた。辺境世界での防疫08部隊の浄化任務についての話だった。

 疫病で街が一つ死んでいたこと。それをリコリスと名乗った、白いカラスのような魔女が焼き払ったこと。ベルカ史以前の魔術言語を使った、見事な広域空間魔法だったこと。炎が消えた後、何も残らなかったこと。シャマルとザフィーラは、もうしばらく08部隊でデーターを纏めるということなど、訥々と語った。それは事前に提出していた書類と全く同じ内容だった。

「で、大体のことはわかったんけれども」とはやてが言う。そして書類をたたみ、『防疫08部隊の内偵調査』と走り書かれたノートを鍵付きの引き出しから取り出して「本命のほうはどうだったん?」

「それはもう、真っ黒です」とソラ。脊髄と融合しているイカルス・デバイスの補助で、灰色の脳細胞の海馬から記憶を引っ張り出しながら説明を始める。

「『海上プラント』での証拠隠滅は防疫08部隊の仕業です。純銀弾狙撃で死んだゲオルグ・テレマンからの極秘任務として、海上プラントの人間工場で作られていたものを跡形もなく消すように命令されています」

「消されたのはテレーゼを"タカ"にした技術か?」

「ええ。あとはそれらが管理局から流出した、ジェイル・スカリエッティ系の技術であるということ。あとは特定の病原体に対して共生関係のある"素体"の処理です」

「素体?」

「一種の細菌兵器です。人間そっくりの自動人形に、細菌を仕込んでおくんです。これを焼却処理したのも、例の『リコリスの魔女』みたいですね」

 はやては「うわぁ、真っ黒」と頭を抱える。

「ちなみにリコリスの魔女や、その他の前線部隊の正体は極秘扱い。多分、弔わずに遺体を焼き払うことに対する倫理上の問題や遺族の復讐を恐れてでしょう」

 至極、淡々と。ソラは語っていく。『海上プラント』で負った怪我が治りきらない内の出向任務。表向きは直接戦力を持たない防疫08部隊を護衛するために。裏の理由は、ガードの固い防疫08部隊の正体を暴くための内偵。実は彼女自身が志願したものでもある。

「にしても、まさか市蔵がたった一週間でこれだけの情報を集めるとは」

「私は目が良いんです。それでもって読唇術も使えます」冗談っぽく肩を竦めてみる。無骨なフレームの車椅子と相まって、小さな体が余計に小さく見えた。

「読唇術なんて、どこで覚えたん」

「歌ですよ。オペラ歌手は鏡を見ながら姿勢や口の形を確認するんです。いまでは偵察任務か飛行任務なんてしていますけど、管理局には音楽隊志望での入局でしたから」

 本当か嘘かはわからない。まさか読唇術と観測手の目をつかった盗聴だけで内偵が出来る訳もなく、つまりソラは地上でさえ優秀な観測兵だった。

「では、これから私用があるので失礼します」

 車椅子を器用に回転させて、回れ右。扉を出ていこうとしたとき。

「ちょいまち。最後に個人的な質問があるから」

 クルリとソラがはやてに向き合うと、いつになく真剣な瞳が二つ。

「あの地獄の上を飛んで、どんな気持ちになった?」

「怪我人の上を飛ぶよりは楽でした。死体は助けを求めませんから。私は鳥で、空の上から眺めることしか出来ないんです」

 平然と、淡々と。

 しかしはやては見ていた。ソラの手が義足の付け根をひっ掻くのを。どこかの世界の知らない海に落としてきてしまった両足。両足を凍傷で失い、仲間を失った。穏やかな、無意識の激情。過去からやってくる、凍傷の痒みだった。

「失礼します」とソラは扉からでる。そしてカラカラと車椅子の車輪を回転させた。

 廊下の途中、鏡に映った自分の顔を見てソラは呟く。「辛気くさい顔」。

 確かに今回の仕事はハードだった。幾千の死体を見つめて、スパイの真似事までして。人間の汚い場所を見つめる仕事だった。それでも。

「笑えよ。私」

 鏡に向かって無理やり笑った。多少ひきつってはいたが、次第点ということにしておいた。

 これからテレーゼやヴィータ先輩に会わなければいけない。悲しい顔なんて見せられるか。そんな無理矢理の笑みだった。







 結果から言ってしまえば、病室の、ベッドの上のテレーゼを一目見た途端に、ソラの無理矢理の笑みは簡単に剥がれ去ってしまった。ヴィータが言うには「涙を流さずに、泣いてたよ」ということらしい。

 テレーゼはソラにとって大切な上司で、姉みたいな人だった。飛び方を教えてくれた。命を助けてくれた。そんな大切で愛しい人だった。

 そのテレーゼが羽をもがれ、記憶を失い、病院のベッドで「飛べないの」と泣いている。仮面はボロボロと剥がれ落ち、それはどうしようもない悲しみだった。

 テレーゼとの面会が終わり病室から出ると、出向任務を終えたヴィータが待っていた。そして「涙を流さずに、泣いてたよ」と言った。

 ヴィータはソラを強く、強く、抱きしめてくれた。その軽く柔らかな重さが心地よくて、ソラは嬉しくて死んでしまいそうだった。重たいということを、生まれて初めてポジティブに感じ取れた一瞬である。

「"軽くあれ"だ。あたしが背負ってやるよ」とヴィータが言う。

「私が背負います。これは私の悲しみです」とソラが言う。

 ソラは自分が何を背負ったのか、よく分かっていなかった。それでも、ヴィータが笑っていたので、それは良いものなんだと直感的に理解した。

 "軽くあれ"。小さな体で、色んな物を捨て続けたソラ。

 "背負わなくちゃいけない"。小さな体で、色んな物を背負い続けたヴィータ。

 二人はよく似ていて、しかし逆さまだった。まるで鏡の中の『私』だった。







「今度、この航空12部隊に教導に来るエース・オブ・エース。高町なのは教導官でしたっけ。どんな方なんですか?」

 そう問うたのは市蔵ソラだった。八神はやての『ギガうまギガ盛り日本式中辛カレー(命名ヴィータ)』を二皿目を平らげたときの質問だった。

「誰もが認める無敵のエース、だな」

 そう答えたのはヴィータ。八神はやての『故郷の、地球の味がするよ、このカレー(市蔵ソラ談)』を三回ほど平らげたあとの回答だった。盛大なゲップ。はしたないと、ソラが笑う。

 ヴィータの手には本日数本目の缶ビール。「なんだか軽い味がするな。どこの世界製だ?」

 ソラの手にはバードランド分隊の同僚からくすねてきたウィスキー。「バニラみたいにいい匂いのくせに、味と酔いは凶悪です」

 二人の顔はほんのりと赤く、つまりは酔っぱらっているということ。ここは深夜の航空12部隊の食堂、八神部隊長主催による『お疲れさま会』が開かれている最中だった。

 ヴィータはビールを飲み干し、空き缶をパキパキと凹ませ弄び、高町なのはのことをソラに聞かせる。

「はじめに出会った頃は、敵だった。あたしが悪役で、あいつが正義の味方でな。でも、最後は一緒に協力し会ってな。あいつがまだ、あたしの背とあんまし変わらなかった頃の話だ。まったく、懐かしい話だよ」

「悪役な先輩ですか。なんで最初から今みたいに正義の味方じゃなかったんですか」興味津々といった様子のソラ。

「ばーか。悪役にも色々あるんだよ」ニヤリと笑ってビールで口を潤す。

「色々って?」

「例えばだな。あたしが悪役になることで、あたしの大切な人の命を助けることができるんなら。喜んで悪役の名前を背負ってやる」

「"私たちは背負わなくてはいけない"。先輩らしい考えですね」

 ソラは思う。あんな軽くて小さいヴィータの体のいったいどこに、すべてを背負い飛んでいける動力源があるのか。

「そう言うお前ならどうするんだ?」

 突然の質問。ソラは考え込む。思い出されるのは、今までこなしてきた様々な偵察任務や観測任務。誰かの命の関わる任務は、羽が重たく軋んだこと。誰かが死んでいく上を飛んだときなんか、「助けてあげたい!」という想いが重力のように体を地面へと引っ張ったこと。重力なんだと思った。だから軽くなった。身も心も。

「助けたいと思えるような人をつくらないことです。大切な命は重たいんですから。大切な人がいなければ、いつまでも軽くて飛んでいられます。"軽くあれ"、ですよ」

 それがソラの出した結論だった。私は空を飛び続ける。そして地面の様子を見つめ続ける。空と地面は、けして触れ合うことのない鏡の中みたいな世界なんだと割り切ることにした。

 もしかしたら、空の上で私にそっくりな誰かを見るかもしれない。でもそれは鏡(シュピーゲル)の中の幻なんだ。重力も、憐れみも、可哀想だという感情移入も。すべては幻なんだと。

「あたしは大切な人じゃないのか?」とヴィータ。少しだけ機嫌が悪そうに、青い瞳の目を細めた。

 ソラはカラリと手にしたグラスを傾けて、いい匂いがして綺麗な癖に、とてつもなく頭がぼうっとするようなウィスキーを口に含んだ。そして、これから喋ることを「未成年の馬鹿が飲んだ酒のせい」で、ごまかせれるようにしておいた。

「大切に決まっているじゃないですか。先輩たちには、人生感狂わされっぱなしです。まったく。でも、」

「でも?」

「一番の問題は、"私たちは背負わなくてはいけない"と思い始めている私自身なんでしょうね」

 "軽くあれ"と願う私が空にいて、"私たちは背負わなくてはいけない"と思う私が地上にいて。二人の私が鏡合わせに向かい合っているのをソラは感じた。頭蓋骨の中の空想、上空から見下ろした地上のソラの瞳は青い空が映り込んだ青い瞳で、ヴィータの姿によく似ていた。

 ねえ、先輩。私たちって似ていると思いません?そう言いかけて、しかし口を噤むソラ。勝手にヴィータのことを理解している気になって自己投影をし始めた、自らの思考回路を忌々しく思ったからだった。

 オナニーだ。

 私はヴィータのことを知っているのかもしれない。でもきっと、殆どなにも知ってはいないのだろう。『良い情報は、大概の場合役に立たない物である。本当に必要なのは悪い情報だ』。偵察兵の悲観論。ソラは生まれもっての偵察兵で、悲観論主義者でもあった。

「話がそれてしまいました。エース・オブ・エースの話に戻りましょう」全ては酔っぱらっていたせいですと、そんなニュアンスを込めた苦笑いで。

「そうだな」とヴィータは言った。そして。

「あいつはな、お前に似ているよ」二枚目の鏡(シュピーゲル)の出現。

「エース・オブ・エースと私、が?」と、ソラは思わず聞き返してしまう。

「そうさ。いちど飛んでいってしまうと、地面のことなんて忘れてしまうところや、妙に大人びてる考え方や。その癖、地面に大切なものを置きっぱなしのところや、大人っぽいんじゃなくて、実はただの言い訳、理論武装なんだってことや。うん。そっくり」

 こくこくと、頭を上下させて頷くヴィータ。相当酔いが回っているらしく、ぼんやりとした表情や目にかかった前髪が幼く見えた。

「十年前のなのはの奴が、もう少し年相応の子供だったら。それか、根っからの大人だったなら。あたしも子供のままで満足だったのにな」

 爪先立ちの背伸びでフラフラと星を捕まえようとする、危なっかしい高町なのは。彼女を支えるために、子供の体のままで大人になることを決めたヴィータ。

「なあ、ソラ。あたしは死ぬまでずっと、子供の体のままなんだ。なのはも、お前も、あたしを置いて大きくなっちまう。これって良いことなのか?それとも悪いこと?」

 ソラは考えて、考えて、でもなにも思いつかなくて。

「きっと良いことです。死ぬまで飛んでいられるじゃないですか」

 口に出たのは、自らの「ずっと飛んでいたい」という願望だった。やっぱり私は、彼女のことを知らない。

「そうだな。良いことだよな」とヴィータが笑う。

「ええ、きっと。あと百年たったら、百年後の空のことを私に教えにきてください」

「どこに教えにいけばいいんだ?」

「成層圏あたり?天国はきっと、そこにあります」

「成層圏も空だろう。教える意味なんてないじゃんか」

 二人は笑った。そしてお互いの酒をぶつけ、百年後の自分たちと百年後の空に乾杯をした。

 長い夜は、まだ続いていた。





[6695] 3/タイムマシンⅠ
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c621e98d
Date: 2009/03/05 19:29

 クラナガン、旧移民街の集合墓地。そこで高町なのはは、水色の花束を持ち、とある墓標の前に立っていた。

 真っ黒な墓標に刻まれた文字、『鳥を撃つ魚、鳥を救い海に眠る。魚の名は白睡魚』。

 なのはは水色の花束を墓標に手向けると、空を見上げる。今にも泣き出しそうな曇天。

「雨が降る、か」

 ため息みたいに呟いた。そして墓標に背を向け歩きだそうとした。

「兄の、睡魚の知り合いですか」

 唐突に、呼び止められた。ハスキーなアルトの声。いつの間にか、知らない女が立っていた。多分、中国系。切れ長の黒い瞳。喪服みたいな黒尽くめの、長い黒髪の背の高い女だ。

「はい。管理局で、一緒に戦った仲間です。本当に、惜しい人を亡くしました」

「そう言ってくれたのはあなたが始めてです。兄は、管理局では嫌われてましたから」

「私は好きでしたよ。私とは真逆でしたけど、目的地は一緒でした」

 そこまで言った所で、ポツポツと雨が降り始めた。まるで涙。なのはは泣きたい気分だったが、しかし、たったの一週間、共に仕事をした男のために泣くのは、少しだけ難しいことに思えた。睡魚のことは彼の訃報を聞くまで完全に忘れていて、泣くためには思い出を解凍する必要があるように思えた。

「雨宿りしていきませんか?私の家、すぐそこなんです」

「宜しいんですか」

「ええ。出来れば兄の話を教えていただきたいんです。私、彼のことを全然知らないの」

「兄妹なのに、ですか?」

「兄妹だからこそ秘密にしときたいことってあるでしょう。それに、私と兄は血が繋がってないので。彼も私も孤児なんです」

「すみません。なんだか変なこと聞いてしまって」

「良いんですよ。それでも家族です」

 ぽつりぽつりと降る雨の中、女は傘を広げる。

「一緒に傘に入りましょう。濡れたら風邪をひきますよ。ええと、なんと呼べば宜しいですか?」

 女のさす傘の中に入る。そして「なのは、です。高町なのは」そう言った。

「なのは。良い名前ですね。私の名前は烏花、白烏花(パイ・ウーファ)って言います。」

「白烏花?変わった名前ですね」

「ええ。烏蒜の花って意味で、烏花」

「烏蒜?」

「彼岸花、リコリスのことです」

 そう言って烏花は笑った。







 烏花の部屋は、旧移民街にしては珍しい、広い窓の部屋だった。その窓と、部屋のある地上七階という高さのおかげで旧移民街の街並みが眺められる、そんな部屋だった。

 なのはと烏花はその部屋で、固い木の椅子に座りお茶を飲んでいた。熱くて、良い香りがして、でも少しだけ苦い味のするお茶。

「中国のお茶?」となのはが聞くと「わからない」と烏花は答えた。

「この移民街で、自分の故郷を知っているのは稀よ。みんな二世、三世で、文化や風習なんて物、混ざってしまって原型を止めてないもの」

 そう言って烏花は窓の外を眺めた。窓から見える旧移民街は雑然としていた。憂鬱な雨の街だった。

 ふと、窓枠にたてられかけた写真立てを見つける。なのはがそれを手に取ると「私と兄さん、そして兄さんの恋人だったテレーゼって人よ」と烏花が言う。

 写真には、肩を組み笑う、三人の男女。真ん中に写る真っ白な髪の、真っ白なテレーゼ。その白い女に抱きつく白烏花。そしてその様子を苦笑いで眺める白睡魚。睡魚は相変わらずの黒いスーツと洒落たネクタイ。ブカブカと羽織るフィッシュテールコート。

「睡魚、相変わらずの格好だね」

「モッズ・ファッションって言うんですって」

「モッズ?」

「97管理外世界のイギリスの、不良少年のこと」

「不良なのにスーツなの?」

「へんでしょ」

 なのはと烏花は笑ってしまう。

「兄さんはいっつも変なのよ。本ばっかし読んでいるし。いい歳して、一人称は『僕』だし。その癖に管理局では最前線の戦闘任務だし。友達は少ないし。でも、その少ない友達は素敵な人ばっかしだし」

 そこまで言ってから、烏花はお茶で喉を潤す。

「睡魚と私と、そしてテレーゼ。一緒の世界の別々の国で育って、父さんや母さんと死に別れて。だからでしょうね。三人いっつも一緒で、本当に家族みたいだった。テレーゼに兄さんを盗られた時は、ちょぴり悔しかったけどね。私は一番じゃなかったんだって」

「そんなことないよ。睡魚はあなたのことを誉めていたんだよ。自慢の妹だって」

「兄さんの嘘つき。いっつも茶化して馬鹿にしいてた癖に」

 懐かしそうに微笑む烏花。その瞳の向こうには、雨で滲む旧移民街の雑然とした街並み。なのはは思う。烏花は一体何を見ているのだろうと。恐らくは過去。死んでしまった白睡魚の面影。

「きっと、それが"兄妹だからこそ秘密にしときたいこと"なんだろうね」

 慰めるように、そう言った。

「ねえ、もっと兄さんのことを教えてちょうだい。私の知らないあの人のことを、もっと知りたいの」

「長くなるよ。それでもいい?」

「ええ。たくさん聞かせてちょうだい」

「じゃあ、たくさん聞かせてあげる」

 高町なのはが語る、白睡魚との一週間の物語が始まった。







 二年前の冬の日、高町なのはは廃墟の街を飛んでいた。

 真っ白なバリアジャケットを翻し、靴から生えた桜色の魔力の翼で、ステップを踏むような軽やかさ。自由飛行。手にしたデバイス(魔法の杖)の鋭い槍の形と相まって、それはヴァルキューレの飛行といった様だった。

 不意に急制止、そして滞空。色素の薄い瞳が、足元の地面を見つめる。

 見えたのはビルの影に隠れて名前も分からないような、しかしどこかで見たことがあるような軍用ライフルを構えた兵士。

「レイジングハート、盾をお願い」左手に握ったデバイスを横に薙払い、命じる。

〈オーライ〉機械仕掛けの魔法の杖が術式を編み、桜色の防御魔法陣を敷いた。同時にガツガツガツと鈍い三連符の衝突音。三点バーストでライフルから放たれた銃弾が、堅い魔法の盾にぶつかり跳ね返った音だった。

「ディバイン・バスター、マジックサークル・バレル、オープン」

 魔法を魔法槍レイジングハートに命じる。穂先に第二の攻性魔法陣が展開。リンカーコア(魔法心臓)が脈動して、魔力を放出、集束させる。構えた槍の先で魔力が集い、

「シュート」

 魔法を解き放つリリック、桜色の魔力の奔流が銃を構えていた兵士を吹き飛ばした。非殺傷設定の純魔力弾、兵士はそのリンカーコア(魔力心臓)を焼き揺さぶる痛みに気を失う。ガシャリと重たいアーマーの擦れる音で倒れた。

〈マスター。ターゲット十五人目を撃破。あと一人でミッション・コンプリートです〉

「ええ。引き続き策敵をお願い」

〈オーライ〉

 全ての策敵をデバイスの人工知能に預けたなのはは、靴から生えた魔力の翼で空高く舞い上がり、一番低い雲の上に隠れた。今回の敵は銃で武装した兵隊で、攻撃魔法の代わりに銃を持ち補助魔法に特化した魔導師だということは事前の報告で知っていた。銃撃、又は砲撃において"高さ"は強いアドバンテージだ。だから銃弾の届かない空にまで飛び上がり、大砲で撃たれないように雲の裏に隠れた。誘導弾の携行ロケットで狙い撃たれる心配もあったが、発射に数秒、発射してからロケット点火までに半秒、この雲の裏にたどり着くまでに数秒間。その間に砲手を魔砲で打ちのめし、自慢のアクセルシューター(魔法誘導弾の同時展開)でミサイルを吹き飛ばすこともできる。

 ただ雲の裏側で、レイジングハートが最後の一人を見つけるまで待てばいいのだ。釣。なのはが人で、敵が魚。レイジングハートは釣り竿だ。そして魚にとどめを刺す銛の類でもある。

〈マスター。ターゲットが現れました。六時方向の真下です〉

 レイジングハートが促し、なのははその方向を見た。雲の水蒸気を中和した、魔法強化視力の向こうのビルの上。万有引力みたいに真っ黒で眠たい男が、背丈ほどもあるライフル銃を掲げて立っていた。

 黒塗りの長銃には狙撃スコープと簡易式のバイポッド、バレルの先にはカブトムシの角みたいなマズルブレーキ。マガジンは小さく恐らくは五発程度が最大装弾数。灰色の野戦服の上から、真っ黒なフィールドコートをだらしなく羽織っている。他の兵隊たちが着けていた、対魔法のアーマーは付けてない。

 彼の装備を観察して、なのはは一言。

「狙撃手か」

〈それも、対人極大狙撃に特化した装備です。ライフル銃はボルトアクション、弾丸は対物狙撃用の重質量弾でしょう。注意してください。私たちの盾(プロテクション)だと、貫通します〉

「恐ろしい弾丸だね」

 頭蓋骨の中で、作戦と魔法を編む。防御魔法は要らない。当たれば一発でアウト。変わりに靴から生えた桜色の翼に魔力を注ぐ。相手のライフル銃には、対人狙撃用のスコープしか取り付けられていない。滅茶苦茶に飛び回り飛行を止めなければ、恐らくは避けることができるだろう。スナイパーは不意をついて止まった的を撃つものだということを、砲撃魔導師であるなのははよく知っていた。

「アクセルシューターで攪乱、飛び回って外させる。ターゲットが弾を再装填する一秒間に、全力全開のバスターで叩き潰す。いいね、レイジングハート」

〈オーライ。マイ、マスター〉

 リンカーコアが脈動し、なのは周りに魔力が溢れた。その魔力は集束圧縮していき、複数の誘導弾、アクセルシューターの形を成した。

「いくよ」

 桜色の翼が羽ばたく。そして、アクセルシューターの魔弾を従えて、狙撃手の元へとジグザグと飛んでいった。

 風が強い。頭の左後ろで括った栗毛が風に靡く。弾丸は風に揺さぶられるもの。チャンスだと、なのはは思った。

 その時だった。狙撃手がライフル銃に何らかの作業を施して、狙撃スコープを投げ捨てた。そしてやや上目に銃を構えて、銃口の照星と照門だけで狙いを定めた。嘘でしょと、なのはは後悔した。狙撃スコープを使わない、照星と照門だけで狙いをつける姿勢。それは鳥撃ちの、猟師のスタイルだった。

 彼は鳥撃ちの猟師だ。"私みたいに飛び回る"鳥を堕とす猟師だ。

「アクセル」大慌てで紡がれた魔法のリリックで、魔弾を加速、射出する。半端な標準で放たれた桜色の魔弾群は、なのはの周りを離れ、緩やかな曲線で次々と狙撃手を襲う。一発目が外れ、二発目も外れた。三発目以降は吹き上がる砂埃と霧散する魔力の蒸気で、命中したかどうかさえも分からなかった。

 外していた時の逆襲を恐れ、大急ぎで雲の上に隠れようと上昇の準備。靴から生えた翼の羽ばたき。頭の左後ろで括った栗毛が靡く。そして、

〈変わった髪型だな。なんて言う髪型なんだい?〉知らない男の、テノールの声が、念話で下から飛んできた。

 下を見ると、丁度粉塵が晴れてきたところで、爆心地には全く変わらない様子の狙撃手が、照門越しになのはを見つめていた。

 痛みと衝撃がやって来た。顔面にドロリとした液体がかかり、左胸がそれで汚れているのが分かった。コンマ数秒遅れの銃声、音速を超える弾丸での、極大対空狙撃。〈ハート・ショット、無力化を確認〉。狙撃手の勝利宣言。体の力が抜けていくのが分かった。

「ああ、私の負けか」

〈いいや、僕たちの負けだ。君たった一人のせいで、特殊火器猟兵の第一班が全滅なんだ。エース・オブ・エースの名は伊達ではないな。ナノハ・タカマチ教導官〉

「墜ちたら負けですよ」

〈気が早いな君はまだ墜ちて無いじゃないか〉

 クックックッと愉快そうに笑う狙撃手。その声を聞き流しながら、なのはは顔についた液体を手で拭った。青色のインク。教導用の、訓練弾の青色だった。

「模擬戦で、訓練でよかった」

 なのははゆっくりと降下しながら、独り言のように呟いたのだった。







 管理局特殊火器猟兵集団の演習の教導を終えた高町なのはは、夕飯を取るために、とあるレストランに居た。『ア・ナイト・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』とミッドチルダの言葉で書かれた、ステーキハウスだった。

 なぜ、あてがわれた自室のある猟兵団の隊舎で食べなかったのかといえば、単純に隊舎には食堂が無かったということだった。食堂どころか訓練設備も地下にある射撃場だけで、隊舎と言うよりは警官のデスクといった趣で、その日の演習もランク昇格試験等で使われる廃棄区画のゴーストタウンを使ったものだった。

 なぜ訓練施設が無いのかと聞くと、「俺たちは秘密警察や探偵みたいなものなんだ。市井に紛れて管理外世界に潜り込み、そこで情報を集めて、仕事をこなす。今日みたいに特殊部隊や兵隊の真似事をするなんて、年に数度だけさ。俺たちの仕事は、魔法文明の無い管理外世界で銃をぶっ放すことじゃない。魔法文明の無い管理外世界で、魔法を使わずに事件を解決する事なんだ。銃はただの護身用さ」つまりは、彼らは兵隊ではなく探偵なんだと言うことらしい。探偵に必要なのは広大な演習場ではなく狭い事務所な訳で、廃棄区画と旧移民街の半ばに建つ特殊火器猟兵集団の詰め所が狭いのも納得できた。

 そんなことを考えながらレストランの隅っこのテーブルに着き、やってきたウェイターに綺麗な水とレディースメニューのハンバーグステーキを頼んだ。

 注文を聞き終え、厨房へと引っ込むウェイター。なのはは目を瞑り店内に流れるテナーサックスのアドリブプレイをBGMに、今日の模擬戦を回想する。

 圧倒的な魔法の強さを猟兵共に叩き込んでやってくれと、猟兵団の隊長は言った。だから作戦も無しに、ただひたすら圧倒的な砲撃で猟兵たちを殲滅していった。そして十五人を桜色の魔力の暴力で打ちのめした所で、あの真っ黒な狙撃手に撃たれてゲームオーバー。

 猟兵達は皆それなりに強かった。連携し、正確な射撃と冷静な判断で、なのはを打ち落とそうとしていた。もしも弾丸が演習のペイント弾丸ではなく、対魔力の弾丸だったなら、彼女は狙撃手の手に掛かることなく墜ちていた。彼らは自分たちのことを探偵と名乗っていたが、その実態は探偵でもあり兵隊でもあり、別世界で戦ってきたエリート兵、猟兵なんだとなのはは感じていた。

「またあったな、エース・オブ・エース。相席しても宜しいかな?」

 なのはが目を開けると、洒落た三つボタンスーツの、黒い男が立っていた。昼間の模擬戦でなのはに一撃を加えた狙撃手だった。

「どうぞ」と、なのはは言う。男は席に着いて、ウェイターに店で一番大きなステーキを頼んだ。男にしては背が低く、細い体。少しだけ意外に思った。

「目の前のチビ男の一体どこに、一番でかいステーキが入るんだって顔してるな」

「え、いや。そんなこと全然」あらか様に挙動不審になる。そんななのはの様子を見て、男はクックックッと満足そうに笑った。

「冗談だよ。そういえば自己紹介がまだだったな。僕の名前は白睡魚だ。猟兵集団では狙撃手のポジションにいる。これから一週間、教導で世話になるな。ナノハ・タカマチ教導官」

「パイ、スイユ。変わった名前ですね。私のいた世界の、中国って場所の名前に似た響きです」

「名付け親が97管理外世界の、中国の人だったのさ。僕が"魚を眠らせたい"と言ったら、微"睡"む"魚"ということで"睡魚"と名付けてくれた。ちなみに名字の"白"ってのは、戸籍表の名字が空欄、つまりは"白"いって意味だ」

 睡魚は最後に付け足すように「僕は孤児で、記憶喪失だったんだ」と言った。

「すみません。悪いことを聞いてしまいましたか?」

「いや、全然。言っただろう?僕は記憶喪失なんだ」

 そう言って、またクックックッと笑った。本当に気にしていないらしい。なのはは湧いた疑問を素直にぶつけてみることにした。「なぜ、魚を眠らせたいと思ったのですか」と。

「何で、だろうな。よくわからん。よくわからんが、銃の引き金を引くときに、まるで自分が魚になったみたいな気分になるんだ。魚みたいな冷徹でオートマチックな、死神の思考さ。だから多分、死神になりたくなくて『魚を眠らせたい』って言ったんだな」

 不思議な人だとなのはは思った。まるで詩人みたいな考え方をする。もしかしたら、理数系の魔導師たちと違って、狙撃手という人種は文系なのかもしれないとも思った。

 肉の焼ける、いい匂い。ウェイターの手によって食事が運ばれてきた。小ぶりでお洒落なハンバーグセットと、特大でがさつなステーキセット。二人はナイフとフォークを握り、食事を始めた。

「こっちからも質問いいか?」と睡魚が言った。

「どうぞ」となのはが返す。

「なら遠慮なく」口を紙ナフキンで拭い、睡魚はなのはに質問をぶつけた。「髪型、左にずれてるぞ」

 口に含んだ微発泡のミネラルウォーターを、思わず吹き出しそうになる高町なのは。彼女の髪型はサイドポニーと呼ばれる、栗毛を左側で一つに括ったポニーテールのアレンジみたいな物で、列記としたまともな髪型だった。けして"ずれている"訳ではない。

「ずれているんじゃなくて、ずらしているんです」ため息みたいに呟いた。

「どうして右にじゃなくて、左になんだ?」

 思わず、頭を抱えたくなる。この手合いには、ちゃんと説明してやらないと何度でも聞いてくるだろう。なんで、なんで、と訊ねてくる、かわいい盛りの養女もそうなのだ。律儀にも説明することを決意する。

「私、左利きなんでデバイスを体の左側に構えるんです。するとデバイスのバレルが右手側にきて、そうすると体の右側が砲風に晒されて、右側で髪を括るとその髪の毛が全部顔面にかかって、うわっぷって、」

 身振り手振りで、健気にも説明をする高町なのは。

「顔にかかるなら、短く切ればばいいじゃないか」

 何という実用主義な白睡魚。女心のわからない奴め。今度こそ本当に頭を抱えてしまった。

 そんななのはの様子を満足そうに眺めた睡魚はクックックッと笑い「冗談だよ。髪は女の魂だ。妹がそう言っていた」。

「あなたに妹が居るなんて意外ですね」

「みんなに言われる。恋人にも言われた」

「恋人がいるなんて、もっと意外です」

「自分でも意外だと思っている。恋人は天使みたいな魔法飛行士で、妹は優しい死神みたいな葬儀屋さんだ」

「恋人さんの方は兎も角、妹さんのほうは酷い言われようですね」

「ほめ言葉だよ。天使に惹かれるのは善人だけだが、すべての人は死神に惹かれ、そして死ぬんだ。きっと死神は美人に違いない。それにそっくりな我が妹君は、神がかった美人ってことだ」

 やっぱり文系な人だった。すくなくとも理数系な魔導師である高町なのはには、死んで生まれ変わったって出来ない表現だった。

「この、シスター・コンプレックスめ」

「お褒めの言葉を預かり、光栄」

 妙に仰々しい態度でお辞儀をする睡魚。

 やはり彼は、高町なのはにとって不思議な人だった。







 特殊火器猟兵集団との教導は、幾度となく繰り返された。模擬戦も何回か行われ、高町なのはが墜とされたのは、最初の白睡魚の一撃のみだった。あとは作戦を組み、己の魔導の全てを発揮したなのはの完全勝利だった。ニアSランク魔導師、エース・オブ・エースの砲撃魔導師の面目躍如である。

 そうしている内に、猟兵団は圧倒的な魔術に対する対処法を覚え、負けることはあれども、隊員の生還率はぐんぐんと延びていった。二十代になったばかしであるのに関わらず、幼少期からの魔導師経験と才能と努力をフル活用した教導の成果である。

 白睡魚は言う。「僕たちは猟兵、つまり兵隊だ。戦争での兵隊に全員生還なんて奇跡は有るはずなくて、つまり許容範囲内か否かの統計学的に計られる魂なんだ」。つまり、死者が幾人でた、ということが問題なのではなく、損失より利益が勝っているかどうかが勝利の基準なんだということだった。

 睡魚の理論で言うなれば、最低限の犠牲で高町なのはという管理局のエース・オブ・エースのデータを集めて生還するための対処法を探し当てた猟兵集団は優秀で、自らの役割を果たし、そして確実に成長していっていた。

 数度にわたる模擬戦で、白睡魚を高町なのはが倒すことは、一度としてなかった。勝つことは無かったが、負けることもけしてして無かった。生きることに徹した狙撃兵だった。

 睡魚は狙撃スコープ越しに高町なのはを観察し、計り、調べ、想像し、圧倒的な魔導から生き残る術を探し当て、猟兵団に教えていった張本人だった。

 もしかすると、白睡魚は高町なのは以上に高町なのはを知っていた。

 そして事件は五日目の昼に起きたのだった。







 高町なのはは特殊火器猟兵集団の隊長に呼び出され、猟兵団隊長のいるオフィスにいた。そこにはなのはの他に、呼び出した張本人である隊長ともう一人、白睡魚がいた。

「頼みたい任務が有るのだが、聞いてもらえないか?」と、隊長は言った。

「教導官の職務に掛からない程度ならば」と、なのはは答えた。

 睡魚は部屋の隅で椅子に座り、ただただ何も言わずに黙ったままだった。

 隊長は言う。「そこにいるパイが、今から狙撃任務に着くことになった。難しい任務だ。可能ならば、貴官にパイの観測手を願いたい」

 依然として、睡魚は黙ったまま。すべてはなのはの自由意志に任せる。そういったニュアンスの沈黙。

 なのはは即答する。「教導官は、その教導任務中は教導先の責任者の命令を遵守するように管理局内務規定で定められています。よって、今回の依頼を反故にする権限は私にはありません」

 やれやれと隊長が肩を竦める。

「質量兵器での狙撃任務、つまりは人を殺すかもしれない任務だ。だからこそ、君の意志を聞いているんだ。管理局内務規定なんて物は、この際関係ない。君の意見を聞かせてほしい」

 もう一度、睡魚の方を見てみる。脚を組み、目を瞑り、我関せずと口を噤んでいる。

「私を観測手に推薦したのは、誰ですか?」

「そこにいるパイ・スイユだ」

 なのはは思わず笑ってしまう。睡魚の気遣い。もしかして人を殺してしまうかもしれない。その手伝いをなのはにさせるのだ。だから、最後の判断は彼女自身に任せようと、自らは口を噤み、目を瞑り、耳だけを傾けている。

 馬鹿な男。素直に頼めばいいのに。それが、なのはが笑ってしまった理由。

「殺してしまうかも知れない覚悟は、とうに決めています。それよりも、今は救えないかもしれない未来の方がよっぽど恐ろしいです。狙撃任務の観測、私が引き受けます。殺さなければいけないのか、救わなければいけないのか。その判断を私にさせて下さい」

 そう言って、睡魚の方に笑いかけた。彼はキョトンとした、間抜けな表情だった。

「では、管理局特殊火器猟兵集団隊長として命ずる。パイ・スイユはこれより狙撃任務に着き、現地の武装隊と連携してターゲットの無力化に全力を尽くせ。高町なのは教導官には、パイの観測手としてのついて行ってもらいたい。パイに命令をする為の隊長権限の一部を委譲する。君の判断でパイを動かせ。君の武勲はすべて君に、君の責任はすべて私が負おう。私の隊員を宜しく頼む」

 交わされる敬礼の後、高町なのはと白睡魚は隊長室を出て行った。

 彼と彼女の、最初で最後の任務が始まった。







[6695] 4/タイムマシンⅡ
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c621e98d
Date: 2009/03/07 20:19


 屋上への扉を開くと、そこは雨の風景だった。

 白睡魚はその雨の中、フィッシュテール・コートを雨合羽のように着こみ、そして立ち尽くす。彼の眼前には白くそびえ立つ、白亜の塔。時空管理局ミッドチルダ地上本部。

 睡魚は手にした黒塗りのライフル銃を構えると、雨に塗れることも厭わずに腹這いに寝そべった。伏射の姿勢、体と銃が一番安定する姿勢だった。

 真っ黒な銃。安全装置は掛かったままで、弾倉さえもセットしていない人畜無害な銃。弾を込めるのは、狙撃許可が下りてから。安全装置を外すのは、観測手が「危険だ」と判断してから。それが睡魚のやり方だった。

 銃を抱き寄せるように肩に当て、狙撃スコープを覗き込む。見えたのは地上本部にある、執務室の窓。そこで、二人の男が言い争っていた。椅子に座った、恰幅の良い体の大男。服装から察するに、提督クラスの身分だろう。そして、その大男にリボルバー拳銃を突きつけている、研究者然とした風貌の優男。

「銃を突きつけているのは、管理局医療研究部のカルロス・サルツェド。突きつけられているのは、ゲオルグ・テレマン提督です」

 唐突な説明。いつの間にか双眼鏡を持って睡魚の隣に座っていた、高町なのはの声だった。なのはは真っ黒な憲兵隊のレインコートを羽織り、睡魚の隣で静かに佇んでいた。

「タカマチ教導官。状況の説明を簡単に願えるかな。間違いがないか、一応確認しておきたいんだ」

「はい。この場所からあの執務室までは、1・5キロメートル。執務室の窓に使われているガラスは、対弾性の魔法結界強化ガラス。室内にはサルツェドが持ち込んだアンチ・マギ・リンク・フィールドの発生装置。そのお陰で、魔法での制圧が出来ない状況です」

「強化ガラスの素材と厚さは?」

「厚さ三センチの冷風強化法ガラス。その表面に、フィルム状の永久防弾結界が張られています。あと外壁にそって、防護結界も。撃ち抜けますか?」

「結界だとか魔法力場だとかは、問題ないだろう。1・5キロメートルの距離も、厚さ三センチのガラスも、撃ち抜けるはず。今回使うのは対物対魔力の純銀弾。重さも、硬さも、魔法を撃ち抜く神秘も申し分ない」

 睡魚は、銃のスコープを覗き込んだままに言った。雨が半時計回りに渦巻くのが見えた。標準をやや右にずらす。重たい雨で弾が沈むことや、湿気た火薬で弾速が鈍くなるのも考えて、過剰修正気味に上を狙う。スコープの十字架瞳(レティクル)が、サルツェドの神経質そうに歪んだ顔を映し出す。何かを叫んでいる。

「あの部屋で何を話しているのか、わかったりしないか?それがわかると、狙撃のタイミングを計るのに助かるんだが」

「司令部に問い合わせてみます」

 そうなのはは言うと、トランシーバーでどこかに連絡を取り始める。そして暫くたった後、トランシーバーの音量を全開にして、睡魚の側に置いた。「内線からの盗聴です」

 聞こえてくるのは、言い争う二人の男の声。

〈このイカレ野郎め!おまえのせいで、俺は"悪魔"を生み出しちまった。お前があんな研究を思いつかなければ〉

〈うるさい!私は何も知らない。"そういうことになっている"。何が起ころうと、私の知ったことではない〉

〈知ったことないだと?みんな知ってるぞ。お前が怪しい実験部隊を作ってることも。それが全て、違法ギリギリの強化人間部隊だってことも。それが、あの"悪魔"の技術だってことも〉

〈その"悪魔"は、今は檻の中の筈だが?〉

〈あの化け物みたいなガイノイドと、その体内にあった"悪魔"の卵。それを手に入れたんだろう?認めろよ。それで手遅れになる前に全てを公表しろ。あと15分で約束の時間だ。それまでに認めないなら、お前を殺して、俺が事実を公表する〉

 意味の分からない会話。悪魔、ガイノイド、強化人間、悪魔の卵。

 思考の波に揉まれそうになりながら、しかし急いで接眼レンズの風景に集中する白睡魚。今は考えるときではない。必要なのは魚のように冷徹なオートマチックな思考だ。

「準発砲許可が出ました。サルツェドが人質に危害を加えようとした場合、私達の判断で射殺しろとのことです」

「明白了(了解)」

 五発入りのマガジンをひっ掴み、銃身に装着、ボルトアクションを操作して薬室に純銀の魔弾を送り込む。五発入りのマガジンだが、故障を防ぐために四発しか入っていないマガジン。薬室に一発。マガジンに三発。

〈ガイノイドは蘇生した!"悪魔"も生まれ落ちた!お前が命令して、俺が作ったんだ!〉

〈あれは本当に"悪魔"なのか?もしかしたらトマス・エルヴァ・エディソンかもしれない〉

〈エディソンの作ったハダリーが、何をしたかを知って言っているのか?〉

〈どうだかな〉

 白熱する会話。サルツェドは顔面を真っ青にして、カタカタと震える手でリボルバー拳銃を握っている。危険な兆候。

「いつ撃つか分からない状況です。準備をしておいて下さい」

 ふと高町なのはの方を向き、その手に握られた双眼鏡を握りしめる、真っ白な手を目撃する。今にも震え出しそうになるのを必死で握りしめて堪えている手。人殺しになるかもしれない恐怖。

「殺すのは僕だ。君は見ているだけでいい。側にいて、情報を整理して、集中をかき乱す煩い司令部からの命令を肩代わりしてくれればいい。あとは全部、僕がやる。銃を支えるのも、トリガを引くのも、僕の仕事だ」そう言い放ち、安全装置を外す。

 同時に思考の安全装置も外れて、ブクブクと魚の思考に沈んでいく。魚のように冷たい血液。獲物を飲み込むために、泳いでいく。殺人ではない。人が人を殺すのは悪いこと。人が魚を食べるのは日常の風景。ならば魚が人を喰らうのは?

「君は誰も殺さない。殺すのは僕だけ。トリガを引くのは僕だけだ」

 幾分か冷静さを取り戻す高町なのは。

「オーライ(了解)。睡魚さん、ありがとうございます。引き続き、観測任務を続けます」

 その後は無言が続いた。睡魚も、なのはも、互いの仕事に集中した。サルツェドは時計を睨みつけたまま拳銃を構えたままだったし、テレマンも無言を通した。ひたすら、雨の音が騒がしいだけだった。

 変化は十分後に起きた。

〈強情な奴だ〉サルツェドが拳銃を投げ捨てた。

〈俺は法廷から、牢獄から、お前の野望を阻止してやる。覚悟しておけ〉

 なのはがトランシーバーを手に取り、全体通信で叫ぶ。

「目標に投降の意志あり。武装解除しました。今です!」

 同時に部屋の奥の扉から、武装隊がなだれ込み、サルツェドを確保する。すぐさま部屋の隅に置かれたトランクケース型のアンチ・マギ・リンク・フィールド発生装置が破壊され、魔法行使が可能になる。

 カルロス・サルツェドは二重三重の拘束魔法をかけられて、そのまま本部内にある留置場へと護送されていった。

 余りに呆気ない幕切れ。

「速い判断だったな。さすがは元隊長さんか」

「サルツェドが拳銃を一丁しか持ってないのは、服装や服の着方でわかっていましたから。それに、アンチ・マギ・リンク・フィールドのせいで魔法も使えませんし。万が一刃物を持っていたとしても、武装隊から叩き上げのテレマン提督なら大丈夫でしょうし」

「あんなにでっぷり太って、ナイフを避けれるものかね」

「厚い脂肪の鯨は、銛が刺さっても平気で泳ぐそうです」

「酷いな」

「女の子なんて、みんなそうですよ」

 睡魚はライフル銃の解体を始める。マガジンを外し、薬室内の一発を、ボルトアクションを操作して取り出す。

「これはお礼だ」放り投げられる、弾丸。純銀製の重たい煌めき。それをなのははキャッチする。

「君が最後まで粘ったお陰で、サルツェドを殺さないですんだ。"魚"にならずにすんだんだ。まったく、最高の観測手だよ」

 そう言って、楽器ケースに偽装したライフルケースを担いで、早々に去っていった。

 銀色の弾丸を握りしめ、なのはは呟く。

「不思議な人。悲しい瞳の、優しい人」

 雨が止む。雲は散り、太陽がのぞく。願わくば、魚の冷たい血でさえ、太陽が温めてくれることを。







 教導、六日目。その日は対多数戦を想定した、砲撃魔法支援の訓練だった。狙撃手である白睡魚の誘導で、魔導砲手である高町なのは目的地を砲撃する。そういった内容だった。

 なのはは白いバリアジャケットのコートをはためかせ、靴から生えた翼で砲撃ポイントを目指す。

 高い、高い空。雲を踏む軽やかなステップ。砲撃魔導師の殆どは空を飛ぶことに疎いことが多かったが、なのはに限っては、それは当てはまらなかった。飛ぶことが好きで、純粋に楽しんでいた。例えば、友人である『雷光』の魔導師みたいに速くも綺麗にも飛べたりはしなかったが、自分を自分いたらしめている魔法は何か訪ねられたら「飛行、次に砲撃」と答えるほどに飛ぶことは嬉しかった。

 飛行魔法は砲撃魔法と違って、誰も傷つけない魔法だった。

 そうこう考えているうちに、砲撃ポイント上空に到着する。

〈高町なのは、位置に尽きました。ガイド、お願いします〉雲の切れ間から見える、廃棄区画のゴーストタウンを眺めながら、地上に向けて念話を飛ばす。

〈明白了(了解)。白睡魚、これより貴官の砲撃管制を行う。外すなよ?〉地上のどこからか飛んできた念話。

〈もちろん〉意気揚々と返す。

 左手に持った魔法槍レイジングハート、そのバレルたる穂先を地上に向けて両手で保持。

〈今日は風が強い。南東を風上に北西へと流れる下降流。その下は逆向きの風、大気が二層に分かれている〉

〈よく、そんなこと分かりますね〉

〈風をよむのは、昔からの特技だ。だからあんな鳥みたいな奴に好かれちまったんだろうな〉

〈恋人自慢も良いけど、今は訓練に集中しましょう〉

〈明白了(了解)。砲撃指定はレーザー誘導で行う。頼んだぞ〉

〈ええ、全力全開で吹き飛ばします〉

〈全力全開か、いい言葉だ〉

 クックックッと、愉快そうに笑う睡魚だった。

 なのはは砲撃魔法の術式を編む。

 機械の槍の、オートマチックの機構の中でバスバスと魔力カードリッジの破裂音、スライド部分がピストンして、特大の空薬夾が廃夾される。濃密な魔力が廃棄ダクトから噴出。桜色の翼、A.C.Sの魔法固定域が展開。翼を広げ、大気中の魔力を集める。

〈レーザー誘導確認。マジック・サークル、バレル展開。前方に障害は無し。オールクリア〉

 レイジングハートの穂先に魔力収束用の魔法陣と、弾道補正用の物理干渉魔法陣の煌めき。二重に噛み合い、万華鏡の輝きで世界の理をねじ曲げる。神様だって吹き飛ばせれそうなスターライト。光が集う。

〈収束完了。マスター。ゴーサインです〉

「いくよ、レイジングハート」

 解かれていく、セーフティー。脈打つ魔法心臓。集束砲、管理局のエース・オブ・エースが持つ、一番大きくて綺麗な弾丸が、世界に姿を現す準備が整う。
なのはは最後に小さく息を吸い込み「スターライト・ブレイカー」手にした魔法の名前を呼んだ。

 桜色の翼が羽ばたき、レイジングハートのマジックサーキットから、魔力が噴出した。世界を桜色の魔力が焼き尽くしていく。まるでスターライト。"ひかりあれ"の星屑が落下してきたみたいな、閃光。

 それもやがては収まり、光が去った後には、光が飲みこんだ雲の穴と、その丸い青空を背負って飛ぶ白い魔導師。そして焼き尽くされた廃墟の街並みだけが残った。

〈全力全開に相応しい砲撃だな〉

 地面の方からクックックッと笑い声が聞こえてきたが、気にしないことにした。







 七日目の朝、教導に集まった猟兵団の中に白睡魚の姿は無かった。

 どこに行ったのかと、なのはが訊ねると「あいつなら今朝、辞表を出して出ていっちまったよ」という答えが帰ってきた。

「あいつの妹はな、時空航行部隊に勤めているんだけどさ。別世界で変な病気を貰ってきたらしくて大変なんだと。おまけに自慢の天使みたいな恋人とやらは、先週から任務中の事故で行方不明だし。いつかは辞めるって言ってたんだ。それがたまたま今日だっただけさ」

 睡魚の同僚は「さもありなん」といった様子で、説明をしてくれた。そして眠たそうに欠伸をすると、教導前のウォームアップの輪へと戻っていった。

「不思議な人。なんにも教えてくれない、寂しい人」

 なのははそう小さく呟くと、睡魚のいない猟兵団の教導を始めた。







 特殊火器猟兵集団の最後の教導を終えた高町なのは教導官は、すぐさまステーキハウス『ア・ナイト・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』へと向かった。そして扉をくぐり抜け、一番最初の日と同じテーブルについた。そして一番最初の日とは違って、甘くて綺麗な酒だけを頼んだ。

「またあったな、エース・オブ・エース。相席しても宜しいかな?」

 テノールの声、細身の三つボタンスーツにお洒落なネクタイ、ブカブカと着込んだフィッシュテール・コート。白睡魚だった。

「どうぞ」と促す高町なのは。睡魚はコートを壁に架けると席につき、ウェイターに酒を頼んだ。辛口の透明な酒だった。やがて二人のもとに酒が運ばれてくる。

「乾杯、すればいいんですかね」

「何のために?」

「では、恋人さんの無事と、妹さんの回復を祈って」

「知っていたんだな」

「何も聞かせてくれない、あなたが悪いんです」

 二人はグラスを澄んだ音でぶつけて、乾杯をした。祈りながら乾杯をするのは、なのはにとって初めての経験だった。

「お話を聞かせて下さい」そう、なのはは切り出した。

「ちょっとまて、僕は管理局を辞めた身だ。いまさら敬語は無しだよ」いたずらっぽく笑う白睡魚。

「なら言い直します。お話を聞かせて?」

「いいだろう」そう言ってから一口酒を口に含み、飲み下す。そして小さな声で「最近、管理局の上の方が騒がしい。Dr.スカリエッティ関係の技術を巡ってだ。どうやら恋人は、それに巻き込まれたみたいだ」

 驚愕。Dr.ジェイル・スカリエッティ。なのはが出向し分隊長を勤めている機動六課が逮捕した、JS事件と呼ばれる世界的テロの首謀者の名前。

「恋人の体には一種の融合騎デバイス、『イカルス・デバイス』と呼ばれる物が移植されていた。えらく優秀な、インプラント・デバイスだ。人間とデバイスの融合、これを聞いて何を思い出す?」

「もしかして、戦闘機人?」戦闘機人、スカリエッティが作り出した、機械と人との融合人類。

「正解。もし『イカルス・デバイス』がDr.スカリエッティ製の物ならば。つまり彼女は管理局とDr.スカリエッティが繋がっていたことを示す、文字通り生き証人になるわけだな」

「恋人さんは、管理局に消されたと言いたいの?」

「わからない。ただ、一昨日の狙撃任務でゲオルグ・テレマン提督とカルロス・サルツェドの会話を盗み聞いて、幾らかの確信を持った。テレマン提督は、何かしらの不正を働いている。それで狙撃任務から帰った後、調べてみたんだ。驚いたことに、テレマン提督はDr.スカリエッティ関係の技術の機密管理を任されているじゃないか。しかも、彼は恋人の勤めていた時空航行部隊第64航空部隊実験小隊と、妹の勤めていた時空航行部隊第08防疫部隊の発端人であり後見人。怪しすぎるということだ」

「だから、管理局を辞めたの」

「ああ、そうだ。そして地下に潜って、管理局の不正を暴き出す。その過程で恋人の行方不明事故の真相が分かれば良いし、そうでなくても膿は誰かが吸い出さなくてはいけない」

 自暴自棄ともいえる正義感。まるでスパイ映画。孤立無援で管理局の闇と戦う準備をする白睡魚。その正義に火をつけたのは誰?行方不明の恋人。あるいは狙撃任務での、テレマンとサルツェドの会話。

「妹さんはどうするの。一人ぼっちになっちゃうんだよ」

「一人ぼっちじゃないさ。家族であるかぎり、一人じゃない。それに、妹は正義感が強いんだ。この問題を解決しないと、怒られちまう」

 そう言ってから、愉快そうにクックックッと笑って「恋人を、テレーゼを救ってくれって言い出したのは、妹なんだ。自分だって病気で苦しいはずなのにな。おかげで僕の腐れた正義にも火がついたよ」

 無謀な人。この人はどこまでも突っ走って行くのだろうと、なのはは思った。だから一つだけ、最後に目の前の男に忠告をする。

「鳥には地面が必要なの。羽を畳んで地面で寝なければ落ちてしまう。あなたは妹さんを、家族を大切にしなきゃ駄目。家族はきっと、鳥にとっての地面みたいなものだから」

「おや、タカマチ教導官らしからぬ、詩的な忠告だな」

「小さな赤い騎士が言ったの。お前は地面を知らない鳥だった。だから、墜ちたんだってね」

「僕は君らと違って地上の人間だ。それでもって"微睡む魚"、睡魚の名前の通りに寝汚い。大丈夫だ」

 一気に透明な酒を飲み干して、睡魚は立ち上がる。そしてブカブカとコートを着込む。

「そうだ、言い忘れていた。君にはお礼を言わないといけない」

「私に?」首を傾げるなのは。

「そうだ。昨日見せてもらった砲撃魔法、スターライト・ブレイカーだったかな。とっても綺麗だった。あれを見て、管理局を辞めることを決心したんだよ。こんな綺麗な魔法が使える奴に、悪い奴なんていない。この綺麗な魔法が使える奴がいるかぎり、管理局も大丈夫だろうってな」

 そして二人分の勘定をテーブルに置き、「拜拜(バイバイ)だ」と別れを告げる。

「バイバイ、また会おうね」

「もちろんだ。それまで管理局を頼んだぞ。エース・オブ・エース」

 そして、なんとも彼らしいクックックッという笑い声と共に、どこかへと去ってしまった。



 それ以来、白睡魚と高町なのはは一度として再開する事はなかった。

 全ては二年前の話である。







 物語は過去から今に帰る。



 二年前の物語を白烏花に話し終えた高町なのはは、冷たくなってしまったお茶を啜った。それは冷えてしまったせいか、幾分物悲しい苦味の味だった。

「また会おうねって約束したのに、結局会えなくなっちゃって」

 目が痛い。そこで初めて、なのはは自分が泣いていることに気づく。思い出が解凍できた証拠だった。

 思い出が溶け出し、氷から水へ。そして涙に。

「兄さんの嘘つき。こんな良い人を泣かせて」

 慰めるように、烏花が笑う。そして。

「実はね、兄さんの死体、まだ見つかっていないの。だからね。私は、兄さんは生きているんだって思うことにした。兄さんの恋人のテレーゼだって、知らない世界から帰って来れたんですもの。それくらいの奇跡、あったっていいでしょ。だから、まだ兄さんは生きているの」

 涙を拭いて烏花の方を見ると、彼女は笑っていた。不思議な人。兄に似て、悲しい瞳の優しい人。懐かしくて、少しだけ元気が出た。

 その後、なのはと烏花は少しだけ話をした。どうでも良いような、たわいもない話し。時々、冷たい海に消えてしまった懐かしい睡魚の話題もでたが、しかし以前のようなメランコリックは感じられなかった。どうしてか、なのはには睡魚がまだ生きているように感じられたのだった。

 不意に、携帯端末の電子音が鳴る。なのはのポケットからだった。携帯端末のディスプレイを見てみれば、今回の教導先である航空12部隊の、古い友人からだった。久しぶりの再開で、積もる話しもあるから早く来いよ。そんな内容のメールだった。

 なのはは立ち上がるそして「美味しいお茶をありがとう。ほかにも色々、今日は本当に助かりました」お辞儀をする。

「こちらこそ。おかげで、私の知らない兄さんを知ることができた。感謝しています」

 二人はいつかのなのはと睡魚がしたみたいに、「拜拜(バイバイ)」で別れた。それが相応しいように思えたからだった。

 なのはが白烏花の部屋から出て階段を下り地上へと出ると、そこは既に雨上がりの街だった。キラキラと輝く水たまりが、世界に水銀をぶちまけたみたいに綺麗だった。

 空は青く、雲はない。風も少なく、絶好の教導日和。

 管理局のエース・オブ・エース、高町なのは教導官は、足から羽の生えたような軽やかさで航空12部隊の隊舎を目指したのだった。





[6695] 5/ティンダロスの猟犬
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c621e98d
Date: 2009/07/15 13:27
 ベルが鳴った。その騒がしい携帯端末を白烏花は手に取った。ディスプレイには"第08防疫部隊・隊長"と、表示されている。

「はい、リコリスです」と暗号名で返事をする。本名は誰にも明かしては行けない決まりだった。死体を焼くということはそういうことなのだと、烏花は第08防疫部隊で教えられていた。

「"ティンダロス"が出たんだ。浄化、お願いできるかな?」絡みつくような甘ったるい男の声、"隊長"の声だった。この男の名前も知らない。そういう決まりだ。

「"ティンダロスの猟犬"ですか?」

「ああ、そうなんだ。また被害者が出てね。今は防護結界で封鎖している」

「わかりました。今すぐ、向かいます」

 通信を切り、読みかけていた兄の遺品、第97管理外世界のホラー小説をベッドの上に放った。題名は偶然にもザ・ハウンズ・オブ・ティンダロス。

 烏花は仕事道具の、『ジン』と名付けられたジッポーの形のトレージデバイスをひっ掴み、すぐさま自宅を出た。そして偶然通りかかったタクシーに乗りこみ、携帯端末に表示されていた住所の1ブロック手前で止まるように言った。
車の窓から見えたのは雨上がりの空。ふと、ついさっきまで自分の部屋に居た、高町なのはを思い出す。

 "私ね、これから教導のお仕事にいくんだ。第12航空部隊ってところにね"。

 第12航空部隊という場所には聞き覚えがあった。兄を追い詰めて、しかし共闘し、最後にはテレーゼを救った部隊。そういえば、この前に、防疫部隊に出向してきた魔導騎士たちも12部隊の人たちだったなと思い出す。テレーゼに良く似た魔導飛行使がいたのが印象的だった。なにやら嗅ぎ回っている様子もあったが、それ以外は良い人たちだった。

「またあえるといいな」

 独り言のように、呟いた。







「ティンダロスの猟犬?」そう、八神はやて部隊長は言った。

「ええ。それが、"病気"を広めている"怪物"の名前です」そう、第12航空部隊の医務官、シャマルは言う。

 "ティンダロスの猟犬"、第08防疫部隊での内偵を終えたシャマルの報告書に出てきた、不気味な名前。

「ティンダロスの猟犬って、あれやろ?クルトゥフだかクトゥルフだかの邪神神話に出てくる、四つ足で青いドロドロしたヘドロを撒き散らす、臭くて不死身の獣。でも、あのお話はフィクションやで」

「そのフィクションから名前を取ったんでしょう。その"素体"も、四つ足で、青い血を流して、不死身らしいですから」

 不気味な話しですと、シャマルは感想を述べた。

 シャマルが第08防疫部隊から持ち帰った情報を纏めると、おおよそこのような感じになる。

 夜な夜な、クラナガンの街に、悪獣が出るという。その悪獣に噛まれた人間は、悪獣の血に含まれる細菌に一瞬で感染し、数十秒で発症、僅か数分で青い血膿を流して死に至るという。

 悪獣はとても臭く、青い血を流しているという。悪獣は四つ足で歩き、どこからともなく現れて獲物を襲うという。悪獣は不死身だという。その様子を聞いたどこかの誰かが、とある邪神神話の怪奇小説に出てくる化け物そっくりだと言い出して、名無しの悪獣は怪奇小説の怪物の名前で呼ばれるようになった。それ、即ち、"ティンダロスの猟犬"と。

 そしてクラナガンに駐屯している第08防疫部隊は"ティンダロスの猟犬"に噛まれ死んでいった人たちを、浄化、即ち跡形もなく焼き尽くしているという。

「そして、そのティンダロスの猟犬に噛まれた遺体の浄化を第08防疫部隊が密任務として行っているというところまでが、今回の内偵の成果です」

「ううん、それだとおかしなことになるな」腕を組み、考え込むはやて。そして、

「細菌で汚染された遺体を、第08防疫部隊が浄化するのも分かる。住民のパニックを恐れて、事件を機密扱いにするのも分かる。でもね、私は今初めて"ティンダロスの猟犬"の話を聞いた。クラナガンの街を、細菌兵器じみた化け物が徘徊しとるんや。遺体の防疫任務も大切けれども、その根元たる化け物退治は"もっと重要や"。そして、"化け物退治"はうちら航空隊や陸士隊のお仕事で、私みたいな隊長さんには一通り通達が来るはずや。『化け物がいるらしいから、注意したってや』って具合にな。しかし、ここ第12航空部隊には、そんな通達一度だって届いとらん。他の隊にだって届いとらんやろう。こんな都市伝説じみたお話が、ウワサのウの字にもなってないんや。ということは、シャマルならどう考える?」

「遺体の浄化は防疫が理由なんではなく、遺体を消すことでティンダロスの猟犬の存在を隠すため?」

「そういうことや」

 大当たり。ニヤリと笑う八神はやて。そして宣言。

「なのはちゃんの教導と平行して、第12航空部隊とヴォルケンリッターの面々にはティンダロスの猟犬の捕獲任務に就いてもらう。きっとそれが、第08防疫部隊の闇を暴く、一番の近道やろう」







 白烏花はカラスみたいな嘴の真っ白の防毒マスクを被り、真っ黒な魔法精製布の防護服を着て、とある住宅の前に立っていた。なかなか大きな佇まいの家で、家主は収入が良いのだろうと、どうでも良いようなことを考えながら、その門をくぐった。

 綺麗に剪定された木々の庭を通り抜け、玄関にたどり着くと、真っ黒な防護服と真っ黒な防毒マスクで全身を覆った男。"隊長"だった。

「やあ、リコリス君か。浄化の対象はこの先だ。よろしく頼むよ。いつも通りに"跡形もなく"やってくれたまえ」

「わかりました。引き続き、結界の維持を宜しくお願いします」

 隊長の脇を通り過ぎ、玄関の扉を開く。中から錆びた緑青のような、毒々しい水蒸気が漂ってくるのを、防護服越しにでさえ感じた。臭い、臭い、嗅いだだけで死んでしまう恐ろしい空気。

 絡みつくような緑青の空気は、家主の寝室と思われる扉から漂ってきている。烏花は手に握っていたデバイス『ジン』を起動させ、真っ黒な杖の形にすると、扉を開いた。

 真っ青な、血の海だった。ベッドの上で恐怖に引きつった顔の家主が絶命している。首に噛みつかれた傷跡、そこから流れ出す青く固まった血。血が青く変色するのは、ティンダロスの獣に襲われた被害者の特徴だった。青い血が体を蝕み、おしまいがやって来る。青い血膿を吹き出して死んでしまう。"隊長"は「細胞単位のマイクロな単位でみれば、この青い亡者はまだ生きているんだよ」などと言いながら不謹慎な笑みを防毒マスク越しに浮かべてはいたが、人間としてはやはり死んでいるのだろう。烏花は暫しの間だけ目を瞑り、俯き、黙祷を捧げる。

 そして瞼を開いたとき、ふと窓枠に立てかけられた写真立てが見えた。家主とその家族の写真。家主は管理局の制服を着ている。執務官らしい。

「あなたも写真を窓際に飾るのですね。私も同じです。幸せな写真には、窓の外の風景がとても似合いますから」

 死んでしまった家主に話しかける。死んでしまった人に話しかけるのは、烏花の癖のようなものだった。どんなに人間離れした死体でも、話しかけることで人間として扱ってやれる気がしたからだった。

 写真立てを手に取り、そして奇妙な感触。写真立ての裏側が、妙にがたついている。写真の他にも何かが挟まっているらしい。

「すみません。覗き見ますね」

 しばらくその写真立てをいじりまわし、出てきたのは一冊の手帳。黒革の背表紙をめくると、『第08防疫部隊』の文字。好奇心に負けて、ページを捲り、後悔する。

 ページの隙間で踊る文字。細菌兵器。辺境世界での虐殺の意味=実験場。管理局≠正義。第08防疫部隊=黒幕?。(汝等この手帳を開く者、一切の望みを捨てよ。ここには地獄がある)。ゲオルグ・テレマン、出資者。ガイノイド。ティンダロスの猟犬、飼い主は誰だ?08か?。JS(どこからやってきた?)ドッペル・ゲンガー、二人、いや三人?。08の実働部隊の正体を掴めず。黒幕=第08防疫部隊=猟犬の飼い主。傀儡のテレマン。JS。悪魔の卵、孵る。殺される!

 バシンと、ページが破れそうな勢いで手帳を閉じた。烏花は恐ろしかったのだ。カタカタと震える手でその手帳を細菌採取ポケットにねじ込みながら、グルグルと永久運動を続ける脳に「止まれ」と命じる。それでも恐怖が囁いてくる。どこから?過去からだ。生まれる前の原罪が人を苛むように、恐怖が過去から囁いてくる。

 "お前は知っている。それは真実だ"。

 ふと、思い出す。この前ティンダロスの猟犬に襲われたのは、可哀想な捜査官の家族だった。その前はやり手の監査官。その前は第08防疫部隊の後見人の一人。さらに、その前も。ずっと、ずっと前も。ティンダロスに殺されたのは、第08防疫部隊を探っていそうな人たちか、第08防疫部隊を深く知る人たちだった。

 知りすぎた人間ばかしが、ティンダロスの猟犬に喰い殺されている。ティンダロスの猟犬は、第08防疫部隊なのかもしれない。

「なら、私が今まで焼き払ってきたのは」

 もしかすると、遺体とその周囲を焼き払う指示が出たのは、防疫の為ではなく証拠隠滅のため。知りすぎた人たちを殺したティンダロスの細菌の出所が分からないようにするために。

 カタカタと震える手で、魔法の杖、ストレージ・デバイスのジンを握りしめる。震える理由は恐怖、或いは怒り。

「焼き払おう。そして生き残ろう」

 今は焼き払わなければいけないと、魔導師特有のマルチタスク(多重思考)で頭のスイッチを切り替えた。焼き払わなければ、この街はティンダロスの細菌に沈むことになる。焼き払わなければ、何かを知ったと怪しまれて、次こそ烏花がティンダロスの獣に噛まれることになる。

「ジン、火葬術式の三番をお願い。跡形もなく焼き払ってしまおう。悲しみだって残らないくらいに焼き払って、"私が手帳を覗き見たこと"さえも焼き尽くしてしまおう」

〈明白了(了解)〉。機械の杖がギシギシという歯車の音で魔法を編み、方角を見て、星を探す。そして、それらの符号を巨大な魔法陣に見立てて、マジックサーキットに魔力を流す。ドキンと、リンカーコアが脈動する。知らない世界の地獄のような場所から、濃密な熱の蜷局巻く炎を召喚する。まるで咲き乱れる彼岸花。リコリスの赤さで燃え上がる。

 遺体が消えた。汚染された空気も焼き焦げた。部屋の中の物も、跡形もなく焼いた。全てが焼き尽くされた後の煙でさえ、焼き尽くして無に帰した。

 火焔が烏花の掲げた魔法陣に収束し、元いた地獄のような場所へと帰っていく。魔法陣に吸い込まれる炎群はまるで花弁のようで、やはり彼岸花(リコリス)の咲き乱れる様相だった。

 焼き尽くした後、真っ黒に鎮火した部屋と、リコリスの魔女、そして彼女のポケットの黒い手帳だけが残った。







 シャマルが八神はやてとの秘密の話を終えて部隊長室から出ると、車椅子に座った少女が居た。一瞬どこの子だろうと訝しくも思ったが、革のフライトジャケットの下に着込まれた群青色の隊服と、襟元の二等空士を示す襟章、バード・ランド分隊がお揃いで着けている鳥のネクタイピンを見て「ああ、噂の新人さんか」と思いつく。あのしかめっ面なヴィータが心底気に入っているという新人だ。なんでも、鳥みたいな魔法空師だという。

 柔らかな敬礼。「こんにちは。ソラ・イチクラ二等空士です。地上でお会いするのは初めてですが、わかりますか?」綺麗な音程の、綺麗な発音。軍隊気質の少ない柔らかな物腰の市蔵ソラ。

「ええもちろん。イチクラさんも、はやて部隊長にお呼ばれ?」

「はい。明日からの教導についてと、08(防疫部隊)について少し」

「そう。お仕事頑張ってね。あと、そう、そう。悩み事とか困ったこととかあったら、いつでも医務室まで相談しにいらっしゃい。私は可愛い子の味方よ。」

 可愛い子。何となくだが、シャマルは目の前の市蔵ソラに、昔の八神はやてを重ねて見ていた。黒く短い髪型や、病的な色白さ。同郷の出身らしく、顔立ちもやや似ている。そして何よりも、その車椅子。それが嫌でも昔の、足を患っていた頃のはやてを連想させる。無論、昔のはやては「ちなみに、可愛い子以外が訪ねたらどうなるんですか?」なんてアイロニーに満ちた返答などはしなかっただろうが。

「苦いお薬と、痛いお注射で、元気回復よ」

「薬の種類によっては、とっても危険な発言です」

 どこまでも黒い冗談な市蔵ソラだった。

「そう言えば、一つありましたよ。悩み事」

「どんな?」

「最近、飛ぶたんびに背骨がギシギシ痛いんです。多分、脊髄のイカルス・デバイスが機嫌を損ねているんだと思うんですが。シャマル先生は融合騎とか詳しいでしょうし、教導明けにでも一度見てもらえませんか?」

「いいわよ。まかせなさい」

 そんな約束をして、市蔵ソラとシャマルは別れた。

 シャマルは思う。ヴィータがあの子を好くのもわかる気がすると。ソラは似ているのだ。ヴィータが守ろうとする、沢山の人たちに。同時に、馬鹿正直なアイロニー(皮肉)だとか、背骨に宿る悪い過去を「機嫌を損ねる」なんて擬人化する冗談等。その沢山の"守るべき人たち"とは違う物も持っていたりもしたが。

「ヴィータはあの子を大切にするだろうけど、それは本当に"あの子自身"なのかしら」

 独り言のように呟いて、自らの城たる医務室へと消えていった。

 雨上がりの、とある午後の一幕である。







 煙草を吸いながら、雨上がりの空に上がっていく煙を眺めていた。煙はどこまでも上がっていき、消えた。

 白烏花が初めて煙草を吸ったのは、初めて人を焼いた日だった。人を焼くことには、これといった抵抗はなかった。今は亡き世界の、今は亡き白烏花の両親は、彼女が覚えている限りでは葬式屋さんで、人を弔い、魔法で焼いて生計を立てていた。両親や前いた世界について覚えていることは殆ど無かったが、それでも自分が葬儀屋の娘なんだということと、燃える棺の濛々とした煙のことは良く覚えていた。

 人を焼くことには、これといった抵抗は無かった。だから初めての防疫任務の時にも、何の抵抗もなしに、疫病で死んだその哀れな男に話しかけ、祈り、焼き払った。しかし、両親がやってきたように、煙を上げて焼くことは許されなかった。煙と一緒に汚染物質がまき散らされるからだと前の"隊長"は言った。仕方がないので、煙ごと焼いて、全てを焼き消した。

 魂は煙と一緒に空へと上っていくものだと信じていた烏花は、少しだけショックだった。

 以来、任務が終わった後は焼いた人数分だけ煙草を吸い、空に煙をあげている。前の"隊長"が自殺して今の"隊長"になっても、それは変わらない習慣だった。街を一つ消したこの前は、一日かけて一箱分の煙で空を汚した。それで我慢して頂戴と、小さく呟いたりもした。

「煙草とは感心できませんね」

 くぐもった、高い、男の声。いつも"隊長"にべったりのはずの、"副官"の声だった。この男の名前も知らない。そういった決まりだった。

「防護服のままでふらくなんて、感心できませんね」

「こっちは規則です。任務中に防護服を脱いで素顔を晒しているあなたの方がおかしいんです」

 "副官"は不機嫌そうだった。彼の体と顔を覆う防護服のせいで分かり辛くはあったが、その様子を烏花は敏感に察した。そのキリキリとした神経質さに急に何もかもが馬鹿らしくなって、煙をため息みたいに吐き出した。

「そう言えば、」と"副官"が言う。

「今回の浄化、えらく時間がかかっていましたが?"隊長"が心配されていましたよ。ティンダロスの毒にやられて、倒れているんじゃないかって」

「汚染が激しくて、焼却区域を計っていただけです」実は嘘。ポケットの中の手帳の感触。

 その後は業務的な会話が続いた。そして、その無機質な会話を二三繰り返してから、"副官"は烏花の前から去っていった。恐らくは大好きな"隊長"の所へと戻っていったのだろう。

 煙草の灰が落ち、火が消えていることに気づく。ポケットから仕事道具のストレージ・デバイス兼ライターのジンを取り出し、小さな魔力の炎で火をつけなおす。魔法は便利。煙草の味が、オイルにもガスにも汚されない。

 防火蓋を澄んだ金属音で閉じ、火を消して、ジンをポケットの中に突っ込む。すると、同じポケットの中に入れていた、あの黒い手帳に指が触れた。

 さて、この手帳をどうするか?烏花の頭蓋骨の中で天使と悪魔が囁く。悪魔みたいに真っ黒な仮装をした妹思いの白睡魚が「焼いちまえ。そうすればお前は助かる」と囁く。天使みたいに真っ白な仮装をした、かつてのライバル、テレーゼ・F・ブルンスヴィックが「焼いてしまうなんて、私は認めない。あなたは正義でしょ」そう囁く。

 思考すること数分、短くなった煙草の上で、赤い火がフィルターに達して消えた。

 よし決めた。短くなってしまった煙草を魔法で焼き捨てて、烏花は立ち上がる。そして、足早に歩き出し、一直線に我が1LDKの城へと向かった。荷物を纏めなければいけない。証人保護を受けるための手続きもしなければいけない。するべき事は沢山あるが、時間はない。しかも極秘裏に動かないといけないときた。きっと、テレーゼを救った睡魚も管理局を辞めたときはこんな気分だったのだろうと、烏花は想像した。

 小さく「ごめんなさい」と、悪魔の仮装をした兄に謝る。

 白烏花の回答は、テレーゼが囁く『正義』だった。





[6695] 6/イカルスの翼
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:1547939b
Date: 2009/03/17 17:36


 市蔵ソラは両腕の黒い翼を広げて、クラナガンの海の上を飛んでいた。

 訓練前の自由飛行。翼の先を舵のように傾け、体をほんの少しだけ右に倒す。 百メートル大の円を描いての旋回、滞空。広い翼で風を掴み、グライダーのような静かな滑空。

 カモメの群が仲間だと勘違いして近寄って来た。白い鳥たちの群、スイミーみたいに一匹だけ黒い翼のソラ。ソラは大きな黒い翼を広げて、カモメたちの風よけになってやる。カモメたちは喜び、機嫌のよい猫のような声で鳴きながら、黒い翼を撫でるように飛んだ。青い海から吹き渡る上昇気流の塩の匂い。冬の海風は冷たく、真っ黒なバリアスキンが洗われるように冷えた。

 ふと、脊髄のイカルス・デバイスが刻む時計の音に気づく。チクタクチクタク。時間が来たと、ソラは思った。〈危ないよ。ここはもうじき騒がしくなる。遠くに飛んで行くんだ〉。そう念話で話しかけると、カモメたちはカオス理論のように乱雑な編隊のまま、ソラの飛ぶ空を離れていった。自らの体から翼を生やすものは、ソラにとっては腹違いの姉妹みたいな物だった。私は鳥だ。いくら仕事のためといえ、同じ羽を持つ仲間を巻き込むのは、いけないことのように思えたのだった。だから鳥がさえずり歌うように、危ないよと言ったのだった。

 鳥たちは空では独りぼっちだ。羽ばたきながらは、抱き合えない。だから代わりに歌を歌う。歌い、伝えあい、助け合う。温血動物なのだ。温い血の、温い心臓。

〈おいソラ、そろそろ時間だ。バードランドが出撃する。ガイドは頼んだぞ〉乱暴そうな少女の声。第12航空部隊バードランド分隊、ヴィータ副分隊長の声。

〈ヤー(了解)。コールサイン、ヨダカ。これよりバードランド分隊に先行して、敵情視察に移ります〉

 強く、大きく羽ばたく。青い空の、一番濃い青を目指して、雲の合間を突き抜ける。羽ばたきだけでは足りない。大腿部から生えた音叉で青い魔力を燃やす。キシキシキシキシキシッ、音叉が震え、高く鳴く。魔法心臓がドクンと脈打ち、冷たい魔力を脊髄から足へ、足から音叉へ、音叉から空気中へと噴出させる。脊髄を魔力が伝わる度に、ギシギシと冷たい痺れ。イカルス・デバイスが駄々をこねている。調子が悪い。

 背骨の痺れは、テレーゼを救ったあの日。"限界高度"を超えて、天国のような成層圏に至った時から始まった。最初は疲れのせいだろうと気にしていなかったが。疲れがとれても、怪我が治ってもひかぬ痺れに、ソラは不安に思ってしまった。以前より高く飛べるようになった。以前より速くも飛べるようになった。しかし、何かがしっくりと来ない。痺れる背骨と、成長した飛行能力。その硲で、自由に飛べない苦悩だけが膨らんでいった。市蔵ソラ、十六の冬、初めてのスランプだった。

 ソラは魔導師特有のマルチタスク(多重思考)で羽を動かし、音叉で魔力を燃やし、見て聞いて観察し咀嚼し、風をよみ、敵の居場所を探し、脊髄で暴れまわるイカルス・デバイスを宥めつけ、ようやく目的の高度、海上8000メートルの対流圏界面に到着する。

 震え上がるほど冷たい青、背骨が凍る音。オゾンの匂いが鼻に染みた。

 雲の厚い水蒸気のカーテンを、魔力の魔眼で中和する。開ける視界。観測任務の開始。策敵。

 ふと、海上を飛行魔法で滞空する、真っ白なバリアジャケットの魔導師を見つけた。今回、第12航空部隊に教導に来た、高町なのは教導官だった。彼女は魔法の杖、レイジング・ハートを槍のように構え、帯常魔法陣を構築している。その姿に、かつてヴィータを撃ち抜きかけた狙撃手の姿を見いだし、これはまずいと慌てる。

〈ヨダカより、バードランドへ。仮想敵を発見。一時の方向、海上50メートルにて狙撃用砲撃魔法陣を構築し滞空。砲撃されます!〉

〈散解しろ!かたまると、撃ち抜かれるぞ〉隊長シグナムの判断。

 ソラの尾羽の方で、灰色のコートの空戦魔導師の一団、バードランド分隊が散解したのが見えた。左翼の方では、仮想敵たる高町なのは教導官がレイジングハートの魔力カードリッジを破裂させ、砲撃用の魔法陣に魔力を喰わせている。弾倉の大きさを見るに、大口径カードリッジ五発が総弾数、今一発リロードしたから、あと四発。眼下で桜色の魔力が収束していく。収束砲、大気中の魔力を己の弾丸とする、砲撃魔導師の一番大きな弾丸。魔法陣が窄まり、トリガーボイスが囁かれるのを見る。

〈第一射、来ます〉

 桜色の魔力が海の上を奔った。それは僅か一秒の四分の一、マーチテンポの八分音符の時間でバードランドの陣中に飛び込み、灰色のコートの一つを撃ち抜いた。

〈くそっ、痛てえ。やられた〉撃たれたのはリヴィエールだった。訓練弾が顔面に直撃。一名脱落。

〈嘘でしょう?十キロメーターを超える魔法砲撃なんて〉バードランドのガンナー、ファビアンが驚く。

〈それをやってしまうのが、高町なのはという魔導師だ。人間を相手にしている気分だと、リヴィエールみたく顔面をひっぱたかれるぞ。あれは艦載クラスの魔導砲を幾つも持つ、動き回る小さな砦だ。二手に分かれて挟撃する。狙われたら、躊躇わず逃げろ〉

 二手に分かれるバードランド。菫色の騎士甲冑のシグナム分隊長が、ルルーとロビーノを率いる。深紅の騎士服のヴィータ副分隊長が、ファビアンとペルランを率いる。それぞれ密集と散解を繰り返しながら、高町教導官の、桜色の弾丸を避けている。

〈あたしが突貫する。グラーフ・アイゼンで突き崩してやんよ〉いつになく好戦的なヴィータの声。もしかしてはしゃいでいる?なんてことも考えたが、まあそれも作戦なのだろうとソラは思うことにした。

 ヴィータの手に握られた突貫槌グラーフアイゼンのラケーテン(噴射機)に、火がついたのが見えた。マギ・ジェット・エンジン搭載の過激なトンカチの推進力で、ヴィータはぐんぐんと加速していき、やがては深紅の弾丸になった。そして高町なのは教導官の目の前に赤いスカートを翻しながら躍り出て、一回転。グラーフアイゼンのアフターバーナーの大爆発で、盛大にぶん殴った。

 グラーフアイゼンのヘッドが高町教導官の防護魔法陣に突き刺さる。ヴィータが術式の逆算、解体に入る。ラケーテンのバックファイヤーが二人を飲み込む。

 高町教導官が、レイジングハートの穂先をヴィータに向ける。カードリッジが二度炸裂、残弾あと二発。カードリッジの濃密な圧縮魔力でA.C.S.の魔法力場を構築、桜色の翼が羽ばたく。零距離射撃。砲撃魔法の閃光が煌めく。

 爆炎。ヴィータの手によって降り抜かれた突貫槌グラーフアイゼンが高町教導官を吹き飛ばし、桜色の魔力光がヴィータを飲み込む。

 相打ち。炎の中、スピン(きりもみ)状態で落下していく高町教導官に、追撃を加えようとペルランが飛び出し、ファビアンが魔法陣を構築、弾幕をはる。が、しかし。

〈よせ、馬鹿!"死んだふり"だ〉ヴィータが叫ぶ。同時に、追撃のために単調になった飛行のペルランとファビアンを、いつの間にか出現した桜色の魔力弾群が雨霰と襲う。アクセルシューター、魔弾の群、落下する空薬夾。エース・オブ・エースの恐るべきブラフ。魔力弾は幾百と哀れな二人に降り注ぎ、優秀な誘導弾であるそれは、殆どが命中。

〈死因、検死台にも乗っけられないくらいに滅茶苦茶に混ざり合ったため〉シグナムが、訓練弾で助かったと、ため息をつきながら。

 ファビアンとペルランが脱落。ヴィータは孤立無援。シグナム班が助太刀の機会を窺うも、激しいヴィータと高町教導官の鍔迫り合いに、介入の余地なし。

〈ヴィータ先輩。教導官の魔力カードリッジはあと一発。次の大きな魔法の後がチャンスです〉

〈ヤー(あいよ)。おい、ソラ。あたしが合図をしたら降りてこい。んでもって曲芸飛行で、なのはの奴を驚かしてやれ。驚いた隙に、生き残ったバードランドで一斉攻撃をかける。出来るな?〉

〈ええ、もちろん。私は鳥です。鳥の真骨頂は、見ることでも、さえずることでもなく、飛ぶことです。64実験小隊の飛行、見せてやります〉

 心臓で青い炎が燃え上がった。足から生えた音叉がキシキシキシキシキシッと鳴き、熱を帯びる。背骨のイカルス・デバイスは依然として冷たく痺れてはいたが、それ以外は良好だった。〈いつでも命令して下さい。私の翼はいつだって大丈夫です〉

 ソラは魔力強化された二つの眼で戦状を見て、地上から聞こえてくる念話に耳をすます。

 シグナムが手に握ったデバイス、レヴァンティンを弓の形に組み替え、その魔弓を引き絞っている。ロビーノは結界魔導師の空間把握力でシグナムの観測手を務めている。ルルーが二人の周りを飛び回り護衛。即席の魔導砲分隊。

 突貫槌が振るわれる。魔法槍が光を放つ。ヴィータと高町教導官の激しい攻防。
高町教導官が、靴から生えた魔力の翼で空を翔る。純白のバリアジャケットを翻し、鈍重なはずの砲撃魔導師らしからぬ軽やかな飛行。そして宙返り。突き出されたレイジングハートの先で魔力が収束、煌めく桜色、魔力の直射砲がヴィータを襲う。

〈アイゼン!盾だ〉ヴィータが己のデバイスに命じる。避ける算段は端から無し。一直線に加速して、ぶん殴るために。

〈ヤー(了解)〉と、機械仕掛けの突貫槌が魔法を編む。ベルカ式の三角魔法陣が出現して、その魔法の盾が桜色の魔力を擦り潰し、引き裂いていく。

「アァアアァアァ!」

 咆哮。そして、重たい、重たい、グラーフアイゼンが降り下ろされる。とっさに張られたシールドが、その重たい衝撃を受け止める。

 ヴィータが、魔力シールドを突き破らんと力を込める。グラーフアイゼンの演算装置がシールドの術式逆算を行い、高町教導官の盾を蝕んでいく。それでもまだ足りない。堅い、堅い盾。

「アイゼン、ロケットだ」

〈ヤー、ラケーテン・ハンマー〉

 グラーフアイゼンのヘッド部分に取り付けられた、プッシャ式マギ・ジェット・エンジンに点火、深紅の魔力が燃え上がる推進力。ヴィータが魔力を注ぐ。アイゼンが火を噴く。子供の姿の小さな赤い騎士と、旧時代のロートル・アームド・デバイスの、恐ろしいチームプレイ、1+1=小さくて高性能な核爆弾のごとき破壊力。その破壊力が、ガリガリ、ガリガリと、高町教導官のシールドを削り、擦り潰し、引き千切り、咀嚼し、喰い潰していく。

 そして、待ちに待った瞬間。バスンと、カードリッジの圧縮魔力が破裂する音。その濃密な魔力を糧に再生し復活するシールド。落下していく空薬夾と、レイジングハートのマガジン。ヴィータの叫び。〈降りてこい、ソラ〉

〈ヤー(了解)。ヨダカより、バードランドへ。これより観測任務を中断、援護に移行します〉

 "軽くあれ"。ソラは黒い翼をたたみ、航空力学の神秘と揚力の加護を捨て去った。そして、軽い体で一直線に落下していく。キシキシキシキシキシッと足から生えた音叉で魔力を燃やす。加速、背骨が痺れた。"軽くあれ"。痛みは幻想だ。ただの気のせいだと、自らを騙す。痛みは重たい鉄の釘だ。

 雲を突き破る。体に水蒸気の抵抗がまとわりつき、体が帯電。開ける視界。青い電子の、セントエルモの光の鎖を引き千切りながら、雲を抜け、戦いの空へと到着する。

 体を捻り、翼の先を持ち上げて、緩やかな弧でヴィータと高町なのはの間に割って入るべく加速していく

 落下していく体。落下していく魂。重力と、位置エネルギーと、音叉で燃える炎を糧に、加速。そして、たどり着く落下地点。

 突貫槌を振るう赤い小さな騎士と、魔法槍を払う白い魔導師。二人が戦う、空。

 翼を広げ、空気の抵抗を全身に受けてブレーキ。高町教導官の目の前に躍り出る。

 目を見開き驚く高町なのは。突然現れた、巨大な黒い鳥。キシキシキシキシキシッという騒音。その鳥が引き連れてきた衝撃波、音速を超えて落下してきた証拠。全てが規格外の想定外で、それが教導前の資料で見た市蔵ソラだとは気づくことは出来なかった。

 ソラはなのはを見ると一瞬だけ微笑んだ。靴から生えた、魔力の翼。もしかして、同じ翼を持つ仲間。

〈あなたの相手は私です〉

 そう宣言すると、青い魔力の推進力で一直線に海面へと急降下。我に返った高町なのはが、アクセルシューター、誘導弾を放つ。魔弾の群がソラを襲う。リンカーコアの青い魔力を脊髄のイカルス・デバイスを介し、音叉に直接吹き付ける。爆発、青い魔力が燃え上がるアフターバーナー。急加速。避けるのではなく、追いつかれないという選択。桜色の魔弾よりも速く空を翔け、一直線に海へと飛び込んでいき、ぶつかる寸前。慣性制御で重心を後ろにずらし、推進力をカット、翼をめいいっぱい広げて体を持ち上げる。尾羽が海面を叩き、灼熱したそれが水蒸気をあげたところで、再び燃え上がる青い炎の推進力。ダイブ・アンド・クライム(急降下、そして上昇)。上昇しきれなかったアクセルシューターの誘導弾が、次々と海面に突き刺さり、破裂。キラキラと光る飛沫の中を、風を切って飛んでいく。

 背面飛行。海を背に、空を仰ぎ見る。上空ではレイジングハートを構えた高町なのはが、砲撃用の魔法陣を編んでいる。万華鏡のようにキラキラと煌めく二重の模様。誘導弾ではなく、スピードのある一撃で仕留めようとしているらしい。マガジンは空のまま。チャンス。

〈ヨダカより、バードランドへ。"今"です〉

 桜色のディバイン・バスターが放たれた。それは恐ろしい速度で真っ直ぐにソラ向かって飛んでくる。10キロメートル・オーバーを一秒の四分の一で駆け抜けてリヴィエールを脱落至らしめた、高町なのはの主砲。

 翼を捻る。音叉を振り、急加速と急旋回。ブラックアウトしてしまいそうな慣性を魔法の力でどうにか誤魔化し、クライム・アンド・ロール(上昇、そして回転)。体から引き剥がされた衝撃波が海面を叩き、水蒸気と飛沫が巻き上がる。左翼に熱、桜色の直射砲が掠めた証拠、音速飛行で灼熱していたバリアスキンがとうとう剥がれ落ち、青く燃える。冷却術式を組ながら上昇。燃え上がる炎、背骨を伝う冷たい術式。冷たい、冷たい痺れ。体の芯から凍りつく。冷たい、冷たい、"両足を失ったあの日の空"。地面に引かれていく体、空に惹かれていく魂。目眩がして、空が海で、海が空で、どちらも青い、青い、深い引力で。

 空と海の区別がつかない。突発性の空間失調、どこに飛べばいいのかがわからなくなる。ふと、混濁する意識の中で、赤い煌めきを見た。世界を覆い隠す青を跳ね飛ばす、深紅の輝き。

 鳥の心が囁く。あの赤に向かって飛べばいい。"軽くあれ"。あの赤が全てを背負ってくれる。

 見失った平衡感覚と、曖昧な自分を捨て去り、鳥の心が囁くままに、その赤を目指した。

 赤は、高町教導に向かって鉄槌を振りかざし突進する、ヴィータだった。

 降り下ろされたグラーフアイゼン、砕けるシールド。ヴィータが「今だ!」と叫ぶ。放たれる火矢、シグナムの魔弓から放たれたシュツルムファルケンの魔力炎が宙を焦がす。

 やがて背骨の冷たい痺れが収まり、海と空の区別がついた頃、全ては終わった後だった。

〈模擬戦闘訓練終了、バードランドは帰投せよ。高町教導官、仮想適役ご苦労だった。やりすぎてしまったようだか、大丈夫か?〉シグナム隊長の帰投命令、そして気遣い。

〈丈夫なのだけが取り柄ですから。なんでしたら、もう一戦交えますか?〉高町教導の応答。鼻にかかった可愛らしい声で、ソラは思わず笑ってしまいそうになる。戦技教官というよりも、保育園のお姉さん。

「おい、なにニヤニヤ笑ってんだ?腹が減って仕方ないんだ。さっさと帰るぞ」

 ヴィータがソラの回りを器用に飛び、話しかける。

〈いや。高町教導官とヴィータ先輩、二人で組んだらいいロッテ(二師編隊)になるだろうなって。ヴィータ先輩が暴れて、高町教導官が守って〉

 想像するのは保育園の先生みたいな砲撃魔導師と、子供のように真っ直ぐな意志で暴れまわる赤い騎士。

「ああ、そうだな」とヴィータが笑う。「でも、たまにはあたしだって守るぞ」

 何故だが寂しげな表情でそう言ったヴィータは、そのまんま飛び去っていった。

 私も帰らないと。

 ソラも自らの巣である、第12航空部隊のすきま風吹き荒ぶ隊舎へと帰るべく、羽ばたいた。遠くに見える深紅の光、あれを追っていけばいいと、鳥の心が呟いた。







 訓練を終えた市蔵ソラが車椅子の車輪をカラカラ回して医務室にたどり着くと、そこには先客が居た。高町なのは教導官が、医務官のシャマルの診察を受けていた所だった。

 敬礼。「市蔵ソラ二等空士です。高町教導官。先ほどの教導はお疲れさまでした。もしかして、お怪我ですか?」

 なのはは、はだけていたシャツを着直しながら「"なのはさん"でいいよ。口調も楽にね」と笑い、「昔の怪我が、ちょっとね。車椅子ということは、もしかして市蔵さんも怪我かな」打って変わって心配そうに。

「足は元々です」と、義足のフレームをコンコンとノックする。金属の硬い音。「ここに着たのは、まあ、思春期特有の悩み故にと言うことで」と誤魔化す。本当は、嘘。模擬戦中に自らを襲った、麻痺と空間失調が怖くなって。

「あとで報告頂戴ね。教導先の隊員のメンタルチェックや相談事も、教導官の仕事だから」

「忙しいですね。疲れません?」

「大丈夫、今回は見知った仲間も多いしね。それに、飛んでいる間は疲れなんてどこかに、ね」

「ああ、確かに」

 どんなに疲れていても、空に上がれば軽くなる心と体。空戦魔導師の習性と言うべきか、つまりは高町なのはも市蔵ソラと同じ、翼の生えた空の人だった。

「気が合うかもしれませんね」

「うん、きっと」

 そして敬礼と挨拶、白と青のスカイカラーな教導隊服をキッチリと着込んだなのはは、そのままどこかへと去っていった。

「それで、市蔵さんはどうしたの?」

 カルテを片付けながら、シャマルが問う。

「例の麻痺、想像以上に酷くて。今、看てもらうことってできますか?」

「ええ、大丈夫よ」

 検査が始まった。







 検査を終えて、ソラが義足を脚に填めたり、服を着直したりしていると「驚きの結果ね」とシャマルが呟いた。彼女の手には、レントゲンの写真。

「イカルス・デバイスが、成長している」

 写真を蛍光灯に透かしながら、そう言った。

「市蔵さんは、自分の脊髄に埋め込まれたイカルス・デバイスの融合率を知っている?」

「数値的にはあまり。でも、融合箇所は脊髄と小脳の一部を辿って海馬の付随脳の辺りまでって聞いています」

「そのとおり。航空64実験小隊から譲り受けた、あなたのカルテにもそう書いてある。でもね、今調べてみたら、全然違っていた」

 カツカツと考え込むようにボールペンをノックして、シャマルは言う。

「脊髄というより脊椎、つまりは背骨全体にデバイスの融合と癒着が見られる。それだけじゃない。視神経や腕の運動神経にも擬似的なニューロン・パスを作っているし、小脳どころか大脳にさえ融合は達しかけている。ついでに言えば、小脳の下のあたりで擬似的な脳さえも作っている。もしかして最近、イカルス・デバイスの声が聞こえたりしない?」

「いいえ」とは言って、しかし思い出す。"あの赤に向かって飛べばいい"。「いや、心当たりはあります。でもイカルス・デバイスは人格非搭載型の融合騎でしょう?人格なんか、」

「テレーゼ・F・ブルンスヴィック二等空尉の事例で、イカルス・デバイスが人格を学習したケースが見られた。あり得ない話ではないの」

 最後に二等空尉とつけてくれたことに、ソラは素直に嬉しく思う。テレーゼは、階級を剥奪された状態で入院中だった。退院の見通しはたたず。

「二人の意志で、一人の体を動かすんですか。そんな重たいタンデム飛行なんて、やってられません。"軽くあれ"です。それで、対処法とかはありますか?」

「ない」とシャマルは即答。「イカルス・デバイスからのコンタクトも、癒着したデバイスによる脊椎の痺れも、過剰成長、つまりは成長痛みたいなもの。時間が解決してくれるはずよ」

 成長痛、たしかにと思う。"限界高度"も"限界速度"も、旋回の最小円径や減速したときの安定、果てには視力や風を読むセンスさえも今までより成長した。しかしまだ、バラバラなのだ。どうにか魔導師のマルチタスク(多重思考)で繋いでいるだけ。まるで蝋と引き抜かれた借り物の羽根で固めた、イカルスの翼。そのことを今回の模擬戦で嫌と言うほどに理解した。

 すべては"限界高度"を超えて、天国のような成層圏に至った時から始まった。

 地面に引かれる体。空に惹かれる魂。鳥に変身していく背骨。鳥の心が囁く。"軽くあれ"。あの赤に向かって飛べばいい。あの赤が全て背負ってくれる。

「怖くないの?」シャマルの問いかけが、ソラを思考の世界から現実に引き戻す。

「怖くは無いです。私は鳥です。鳥になっていく体も、遠くなっていく地面も、とうの昔に覚悟していたことです」

 そう言ってから、診察台から車椅子へと身を移す。ありがとうございました。お礼をして、医務室から出ていこうとする。ふと、奇妙な想像が脳裏をよぎり、最後に質問をしてみた。

「もし私の頭の中が、全てイカルス・デバイスになってしまったら。その時も私は私ですか?」

「そう願い続けるならきっと。細胞でさえ、数年間で全部入れ替わってしまうんですもの。弁護士さんも言っていたわ。人間は"途切れなければ"その人のままでいられるって」

 弁護士、おそらくヴィータが"悪役"だったころの話。弁護士が言うのだから、正しい間違っている云々は兎も角、道理にはかなっているのだろう。多分。弁護士は屁理屈も並べるから。

 ソラは質問を重ねる。

「途切れたら?」

「それ即ち、魂の死だって」

 なら多分大丈夫。私は鳥だ。昔も。今も。そして多分、これからも。

 ソラは改めて「ありがとうございました」とお礼を言い、医務室から出て行った。








[6695] 7/ミス・シャーロックホームズ
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c621e98d
Date: 2009/04/02 01:12



 高町なのは教導官による教導三日目の第12航空部隊。市蔵ソラとヴィータは本来出るはずだった訓練を休み、部隊長室に呼び出されていた。"客"が来ているという。

 二人で部隊長室の前に立ちネクタイの位置を整え服装の乱れを整える。群青色の隊服と支給された白いシャツ、ネクタイに関しては規定がない。ヴィータは暗い赤、ソラは白い模様の黒、それぞれバードランド分隊お揃いのネクタイピンが光る。マグリッドの抽象画「大家族」を模した鳥のピン。

 ノックをするヴィータ。

「八神ヴィータ二等空尉及び、市蔵ソラ二等空士、入ります」

 ドアの向こうは無言、恐らくは肯定の意味。

「失礼します」と部屋に入れば、魔力の気配。防音結界。カーテンが引かれ、薄暗い。まるで、誰にも見られてはいけないといった風に。

 部屋の中には二人の女性。短い栗毛の、群青の隊服を着込んだ部隊長八神はやて。「楽にしい。んでもって、そこに座り」視線で合図。ソファーに座るヴィータ、ソラはその横に車椅子を移動。

 そして、女性。長い黒髪の、黒ずくめの、もしかしたらそこら辺りの男なんかよりも背の高い痩躯。足下には、青い狼の姿をした守護獣ザフィーラ。どうやら、この女が"客"らしい。

「彼女は時空管理局時空航行部隊、第08防疫部隊の登録魔導師で白烏花さん。うちら航行12部隊に08防疫部隊の内情を伝えにきた証人や。んでもって、私達が守るべき人でもある」

 白烏花が立ち上がり、黒く長い髪がサラリと肩から落ちる。ファッションモデルみたいに高くて細くて。見上げる背の低い二人、ヴィータとソラの共通見解、"ちくしょう、羨ましい"。そんな二人の憧れと渇望の視線に気づかぬまま烏花が口を開く。

「元、第08防疫部隊の白烏花です。兄の件は、本当にありがとうございました」感謝を示す、合掌のジェスチャー。

 "白(パイ)"、同じ名字の人間を思い出す。数週間前に冷たい海へと姿を消した、悪魔みたいな狙撃手。

「お前、もしかしてパイ・スイユの妹か?」

 ヴィータの、驚愕混じりの質問に黒ずくめの烏花は頷く。

 はやてが口を開く。「市蔵には彼女の持ってきた情報の裏付け捜査をしてもらいたい。ヴィータはザフィーラと組んで彼女の護衛、遊撃的に市蔵の捜査の手伝いもしてもらう」部隊長の命令。

 ソラが質問「護衛だなんて。それは証人保護官の仕事じゃないんですか?」

「彼女はな、その証人保護官に殺されかけとんのや。それも二回」

「その証人保護官は?」

「逃走、そして二人とも数時間後に死体で見つかった。"ティンダロスの猟犬"とやらに感染しての死亡らしく、死体は勿論、他の遺留品なんかも08防疫部隊が浄化と称して焼き払ったそうや」

「それって、犯人たちの黒幕は08防疫部隊で間違いないってことですよね」

「せやな。けど、証拠がない。だから監査官も執務官もうごけれん。この捜査は、完全にうちら航行12部隊の独断専行ってことになるな」

「なんて言うか、釈然とはしませんね」

 ソラは勘弁してほしいと、ため息をつく。暫くは内偵任務の、また探偵かスパイみたいな生活に逆戻り。飛べそうにはない。同時に、こうとも思う。"飛ばなくてすむ"。背骨を蝕むイカルス・デバイスは依然として麻痺を引き起こし、機嫌をくすねていた。鳥だって地面で休まなければ、いつかは墜ちる。今がその時なのだと、割り切ることにした。

「ところで、彼女が持ってきた情報って何なんだ?教えてくれるんだろ。じゃないとカーテンや防音結界の意味が無い」

「それなら、これや」と、八神はやてがビニールにパッキングされた物を投げてよこす。黒革の手帳、ヴィータはそれを開く。ソラもそれを横から覗く。

 どうやら、何らかの事件の捜査内容らしい。酷い悪筆な上に滅茶苦茶な文法の、数式みたいな走り書き。唯一丁寧に書き込まれた"第08防疫部隊"の表題。

 ティンダロスの猟犬=海上プラントでの細菌兵器計画。08の防疫業務/証拠隠滅。菌で消す+菌ごと消す=通常業務に隠蔽。JS×2もしかすると3(檻の中)。ガイノイドの蘇生/悪魔の卵の孵化=ゲオルグ・テレマンの考え。偏狭世界・疫病=実験/傀儡のテレマン/ティンダロスの猟犬/過剰な防疫。すべて08の。管理局≠正義。仮面部隊の正体掴めず。復活?、復活。悪魔が産まれた。殺される!

「なんだこりゃ?」左右非対象な表情で、首を傾げ、煙を噴く脳みそで考えるヴィータ。

「ジェイムズ・エルロイがダダイズム詩を書いたら、こんな感じでしょうね」第97管理外世界の犯罪小説家と芸術活動の名前で比喩するソラ。

 二人とも、その手帳の文字が意味する所にはたどり着けない。首を傾げ、思考に耽る。

「第08防疫部隊は単なる防疫部隊なのではなく、細菌兵器の実験開発、それを使った暗殺、そしてそれらの証拠隠滅をこなす"法の外の部隊"ということです」烏花の断言。

「そして、その"法の外の部隊"を法の光で暴き出すのが私達の仕事やね」

 恐ろしい陰謀の匂い。管理局という世界の正義たる組織の中で暗躍する、08防疫部隊の影。その影を踏もうと証人を手に入れ、証拠を集めようとする航行12部隊。管理局をも狩る、八神特別捜査官とその部下達。ハンター・オブ・ハンター。

「そんな風に身内の中の敵を暴いて。だから"裏切り者部隊"なんて呼ばれるんだぜ」悪童めいた笑みでヴィータが笑う。

「手帳にも書いてあったやろ。"管理局≠正義"や。そうならんために、どこかが"裏切り者部隊"の汚名をかぶらんといけんのや。それに私は、管理局にたいしても、正義にたいしても、狂信はしとらん」

 部隊長の決意。何かを思い出すように、遠く澄んだ瞳で。ヴィータは思う。はやては何を見ているんだろう?きっと、冬の日の決意。魔法を知り、世界の正義が個人の正義でないことを知り、自らに向けられた悪意を全て飲み干し、ようやく家族を手に入れ、自由に歩く術を持った冬の日。

「私が信じているのは、幸福。組織や正義なんてその次でええ」

 馬鹿な奴。ヴィータはクスリと笑い、子供みたいな乱暴さと無邪気さでソラの首を、肩をひっ捕まえる。

「おい、ソラ。我らが部隊長殿は誰もが幸せになれるハッピーエンドをご所望だ。しっかり働いて、さっさと事件を解決するぞ」

「ヤー(了解)。幸いにも、探し物は得意です。ただ悪路は苦手です」こつりと車椅子をノックして「車椅子の背中はお願いします」

 ヴィータが立ち上がる。ソラも車椅子を回転させる。そして宣言。

「ヴィータ二等空尉及び、市蔵二等空士。これより教導訓練シフトを外れ、証人保護任務と08防疫部隊の捜査任務に移行します」







「ねえ、先輩」とソラが言う。

「何だ、急に?」とヴィータが答える。

「果たして、一体。この格好になにの意味があるんですかね?」

 ソラはずり落ちる丸いサングラスを人差し指で押し上げると、車椅子の車軸に噛んだトレンチコートの裾を忌々しそうに引っ張り、車輪を回転させる。

「シャマルの趣味だ。んでもって、はやての希望でもあるんだと」

 こちらも忌々しそうにハットを目深に被り直すと、黒いスーツのポッケに手を突っ込み「名探偵と、その助手だってさ」

「私が探偵をするなら、偽名はアームチェア・ディティクティブで決まりですね」

「アームチェア・ディティクティブ、安楽椅子探偵か。いやに活動的な安楽椅子だな。車輪付きだぜ」

「座ったままで移動できるなんて、まさに"安楽"じゃないですか」そういいながらも、車輪を操る手は忙しなく。

「あたしが探偵役なら、"思考機械"ってところか」

 タイタニック号と一緒に沈んだ推理作家の名探偵。「ほら、あたしプログラムだからよ」。ロボットみたいにギクシャクとしたダンスステップを踏みながら。

「人がロボッタ(労働)を作ったのは、怠けたかったから。人がアンドレイード(人造人間)を創ったのは、良き伴侶が欲しかったから」

「そうなのか?」

「はい。初めてのアンドレイードでありガイノイド(女性型人造人間)は、理想の女だったらしいですよ」

「へえ。それで、お前は何が言いたいんだ?」

「理想の女ということは、それは間違いなく人間を超える存在だったということで。あれ、いったい何が言いたいんでしょうね、私」

 ソラは首を傾げて、考え込む。サングラスが頭の動きと一緒にずるりと落ちる。

 ヴィータは考え、思いつく。嗚呼、コイツなりの遠回しなフォローかと。”造られた存在”を貶すのではなく褒めているのだ。要するに、たとえ永遠に子供の姿のプログラムでもヴィータはヴィータで、人間で、心の国の摂氏36・5度なんだということ。

 ウウィン、ガシャン。ロボット・スキップが停止する。

「なんだかわかんねえけど、今回は博識な安楽椅子探偵で決定だな」

 十一年間かけて手に入れた、正しく人間の笑みで微笑んだ。

「お言葉に甘えて。では行こうか、"小林少年"」

「少年探偵団かよ」

「小林くん、先輩好みの少年愛ですよ。ボーイズラブの先駆けですよ」

「あれ(江戸川乱歩)は明智小五郎と怪盗二十面相と小林少年の三角同性愛だろ。あたしは性別云々は兎も角、二人以上なんて認めてやんねえ。ぜってえにだ」

 力説。ピンポイントに第97管理外世界の探偵談義というマニアックすぎる会話に、道々擦れ違う人々があからさまに変な顔をする。探偵談義なのに、少年愛だとか、三角同性愛だとか。敬虔な聖王協会の信者ならば「この少女らを救って下さい」と、剣十字に祈ってしまいそうな会話である。

 そして二人がたどり着く場所。暗い雰囲気の、薄汚れたホテル。恐らくは男女間0センチの営みが繰り広げられて居るであろう、そういった目的専門のホテル。そして、白烏花を襲った証人保護官が死んでいたホテル。

「捜査は足である。地道に道を歩き続け、人と話をすることである。さあ、捜査を始めましょうか」

「ああ。捜査とかも、こう、ドカンと。グラーフ・アイゼンの一撃みたいにぶっ飛ばして解決できればいいんだけどな」

「ぶっ飛ばすためにはハンマーの届く位置まで近づかないといけません。それと同じですよ」

「わかったよ。なら、さっさと済ませちまおう」

「ヤー(了解)。では、行きましょうか」

 二人はホテルの戸をくぐり抜け、捜査を開始した。







 ウィーン、ガシャン。録音テープが再生される。最初の証人保護官が死んだホテルの管理人が言う。「突然白尽くめのガスマスクをかぶった奴らがやってきて、細菌兵器がばらまかれたから出ていけなんて言うんだもの。本当にびっくりしたよ。そうそう、死んだ客の話だったね。このホテルにはね、同伴付きでチェックインしたな。ビックリするくらいに綺麗な美少年か美少女か。ともかく線の細い、中性的な顔の奴だったよ」

 ウィーン、ガシャン。録音テープが再生される。二人目の証人保護官が死んだモーテルの管理人が言う。「ああ、そうだ。色っちろい、男だか女だかわからない顔をしたガキと一緒だったよ。多分、売婦(売夫)だね。そんでもってガキを残したまま、お客さんったら仕事に出かけていってな。だというのに部屋で死んでたのは仕事に出かけていったはずのお客さんで、ガキはどこかに消えちまってるじゃないか。ちょっとしたホラーだね。おかげで防疫任務とやらで部屋は一つ処分されちまうし、病気を吸い込んだかもしれないって俺も入院させられたし。災難だよ」

 ウィーン、ガシャン。録音テープが再生される。証人保護官の母が言う。「あの子は、誰かを守ることに、それこそ命をかけていました。証人を殺そうとするなんてあり得ないんです。あの子は犯人ではありません。きっと他に真犯人が居るんです」

 ウィーン、ガシャン。録音テープが再生される。証人保護官の友人が言う。「あの08防疫部隊の女、あいつの警護だけは止めとけっていったんだ。08は曰く付きでな、08関係で証人警護任務にあたった奴はビックリするくらいの高倍率で死んじまうんだ。証人と一緒にな。最近の大きい事件だと、そうだな。一年ほど前に08の隊長が証人保護の申請を受けたんだ。でも一週間後には細菌を撒き散らして、保護官を道連れに自殺しちまってる。挙句の果てには防疫任務だとかの為に、細菌は勿論、汚染されちまった端末、書類、遺留品、果てには本人たちの死体だって消されちまったんだ。それにしても、最近の探偵さんとやらはちっこいんだな。なに、その形でもう成人?もしかして、そういった亜人か?だとしたらすまないことを聞い」ガシャン。停止ボタンの四角が押されて、録音機が停止する。

 市蔵ソラは、その録音機をテーブルの上に置いた。テーブル上には、紙媒体の資料と、真っ青な血の海の写真。一日かけて駆けずり回った聞き込みの成果と、隣の部屋で守護獣ザフィーラに護られながら生活をしている証人白烏花の持ち出したデータ。気分が悪くなってしまうくらいに不気味な捜査資料の数々だった。

 08防疫部隊絡みで死んでいった証人たちの捜査資料。"ティンダロスの獣"に殺された、青い血膿を撒き散らす死体の、スナッフなスナップ。烏花を殺そうとした証人保護官の、まるで幽霊のように出鱈目な逃走の仕方についての報告書(証人保護官は逃走時、消えたり変身したりしていたらしい)。そして最終的に殺されてしまった証人保護官が行動を共にしていたという、謎の少年(証人保護官の性別を考えれば、もしかして少女)。

 全てが超然として、シュルレアリスムの映像作品のようにチグハグバラバラなのだ。

「真面目な証人保護官が、ある日突然ガキを買って、程なく暴走。自らの証人をナイフで殺そうと試みるも失敗。そして逃走。逃走中には"覚えていないはずの"変身や幻惑の魔術を馬鹿みたいに乱発。いつの間にか幽霊みたいに寝床のホテルに戻っていて、"ティンダロスの猟犬"に襲われて死んでいる。それも二人も連続で。なあ、ソラ。こんな事件、あり得るのか?」ヴィータがフライドチキンをモシャモシャと食べ散らかしながら質問する。

「大ざっぱに可能性を考えるなら、二つですかね」

 ソラはヴィータに向かって右手で一本指を立てる。左手でマフィンを掴む。

「一つ目。"ティンダロスの猟犬"が使用者に変身能力を与え、その代償に使用者の命を奪ってしまう技術やロストギア(古代遺失物)の類であるという説」

「60点。それだと確かに辻褄はあうんだけど、穴だらけだな。烏花の奴を殺すのに、命をかけて変身魔法を覚える必要なんてないし、なにより烏花は二度殺されかけて、保護官は二人殺されてんだ。二回とも全く同じシチュエーションでな。ハイリスクな"ティンダロスの猟犬"が二度も使われたことになる。明らかに不自然だぜ」

「ええ。だからこの説は、恐らくは間違いです」

 マフィンにパクパクと噛みつき、あっと言う間に完食。左手で二つ目に手を伸ばし、右手で二本目の指を立てる。本命のピースサイン。

「二つ目。"ティンダロスの猟犬"を扱うことができ、しかも変身魔法が使える誰かが証人保護官を"ティンダロスの猟犬"で殺害。証人保護官に変身魔法で化け、烏花さんの殺害を試みた。そして逃走、ホテルでは予め殺されていた証人保護官の死体が見つかり、それは防疫任務の名目の下、死体や、遺留品や、"明らかに不自然"な死亡推定時刻ごと焼き払われるという寸法。さてこの場合、犯人は誰でしょう?」

「アハト(08)の連中だな」

「はい。つまり08防疫部隊には、『ティンダロスの猟犬』と『姿を変えることが出来る暗殺者』、そしてそれらの証拠を焼き払う『前線部隊』の三つがあるということです」

 モフモフとマフィンを口に押し込み「なんふぇんへふは(何点ですか)?」

「85点」

「足りない15点は?」

「まだそれが空論に過ぎないってことだな」

 二人はそのまま黙り込むと、バスケットのフライドチキンを黙々と食べ続けた。そしてその後、明日の捜査方針を定め、それぞれのベッドに入り込み電気を消して、眠りに入る。

 ヴィータは思う。私もソラも、今日は一度も空を飛ばなかった。空を飛ばないソラは、とても丁寧でドライだった。淡々訥々と喋り、情報を聞き出し、とても優秀に、そしてつまらなそうに仕事をこなす。自分と無駄話をしているときだけは、少しだけお喋りになって嬉しそうにする。

 地上のものには興味を示さず、ただ淡々と観測する、偵察兵の魂。空を映す鳥の心。

 ソラは結局、空の住人なのだった。

「あたしが"そら"に上がればいいのか?それとも、お前が地上に下りればいいのか?」

 答えは帰ってこなかった。暗闇の中に、静かな寝息が聞こえいるだけだった。

 せめて、夢の中では飛べていますようにと、ヴィータは祈った。







「ねえ、狼さん。あなたは自分が人なのか狼なのか、悩んだことはない?」

 そう言ったのは白烏花だった。隠れ家のホテルのベッドに腰掛けて、つまらなそうに言った。

「なんだ、突然に」とザフィーラが言う。彼は普段の狼の姿ではなく、褐色の肌のスーツ姿の大男の姿で、いかにも要人警護官ですといった風情で椅子に腰掛けていた。

「あなた、初めて会ったときは狼の姿だったじゃない。そして今は男の姿。どっちが本当の姿なのかなってね」

「オフィシャルな場では人間の姿だ。狼の姿だとネクタイは似合わないからな」

「プライベートな時は?」

「狼の姿だ。人間の姿だと何かと働かなければいけない」

「おかしな人。いや、狼か」

 烏花がポケットからシガレットケースとジッポーの形をしたジン・デバイスを取り出して「煙草吸ってもいいかしら?」

「ああ、好きに吸ってくれ」

 くわえられた煙草の先に火が点り、煙を吐き出す。ホテルの一室が煙草の煙と甘い匂いで、急に夢見心地な視界になる。

「私はね。時々悩んでしまうの。私はリコリスなのか、それとも烏花なのか。それとも次元震に沈んだ故郷に置いてきた、知らない名前の私なのかってね」

「そう言えば、お前の世界は滅びていたんだな」

「ええ。だからきっと、そのせいね。私は何一つ、私が私である証拠を持っていない。自分がまるで偽物みたいに思える時があるの」

 煙草の煙を飲み、吐き出し、ふらふらとふらつくアイデンティティを告白する。この男だけが私を守ってくれている。それが告白の理由。実際には、隣の部屋にはヴィータと市蔵ソラが待機しているのだが、それでも守ってくれるのはこの男なのだろうと。

「一本、もらえるか?」

「ええ、どうぞ」

 行儀悪く、シガレットケースを投げて渡す。ザフィーラは片手でキャッチ。その銀色の二つ折りを開き、魔力カードリッジの弾薬のようにずらりと並んだ煙草の一本をくわえる。肺を傷つける心の弾薬。

 不意にザフィーラの目の前で陽炎が揺らめき、独りでに火がついた。白烏花の遠隔発火魔法。

「器用なものだ」

「これだけが特技だからね」

 烏花の魔力によって点けられた火は、ガスにもオイルにも汚されず、ザフィーラには煙草の煙が美味く思えた。

「狼の姿でも、煙草は吸えるの?」

「吸えるが、匂いが鼻の奥でこもってどうしようもなくなる。煙草は人間の特権らしい」

「私、チンパンジーが煙草を飲んでいるところを見たことあるけど?」

「あれは98パーセント人間だ」

「ウニだってゲノム単位で言ったら70パーセント人間よ」

「そうなのか?」

「ええ。友達の魔法飛行使が言っていた」

 二人で煙草を噴かし、適当に喋りながら、隣の部屋で寝ている二人が事件を解決するのを待ち続ける生活。はたして捜査官でもないはずのヴィータと市蔵ソラがどこまで事件を暴くことができるかわからなかったが、しかし解決出来なければ待つのは死のみ。08防疫部隊に消される運命。

 しかし、ベッドの上に広げられた山のような捜査資料を見て、もしかして助かるのではとも考える。

 非公式任務のせいで管理局の名前を出せないというのに、あの小さな"自称私立探偵コンビ"はありとあらゆる情報をひっかき集めてきた。もしかして、こういった任務に馴れているのかもしれない。

 たった四人で、無数の情報と戦力と作戦を扱う軍隊と同等の活躍をするヴォルケン・リッターのオールラウンダー、ヴィータ。新世界の空をたった一人で飛び回り地上の情報を集める魔法と、管理局の法が通用しない地上に一人ぼっちで降り立ち情報を集める技術を64実験小隊で学んだ市蔵ソラ。事実、彼女らは圧倒的戦力的不利やスタンドアローンな作戦に馴れていた。

「あなたたちの航空12部隊の、小さな名探偵たちに感謝ね。私は助かるかもしれない」

「そうならないと困る。お前にはアハト(08)の悪事を暴いた後に法廷の証言台に立ってもらわんといけない」

「明白了(了解)。死にたくないしね」

「私もお前を失いたくない」

「それはオフィシャル?それともプライベート?」

「人間の姿はオフィシャルだ。しかしプライベートでしか煙草は吸わん」

「結局どっちなの?」

「秘密と言うことだ」

 ニヤリと笑う大男に、烏花は死んでしまった兄、睡魚の面影を見る。そういえば、あの男も秘密主義者でその癖臭い台詞を恥ずかしげもなく言い放つ男だった。

 この男は、好きになれるかもしれない。

 少しだけ、この奇妙な共同生活が快適に過ごせそうだった。





[6695] 8/マッド・サイエンティストの奇妙な愛情
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c621e98d
Date: 2009/04/01 20:52


 フェイト・T・ハラオンは密閉された白い部屋にいた。

 部屋には一脚のパイプ椅子と、安物のスピーカ、小さなディスプレイ。どれも安物の粗悪品であったが、その奥でケーブルにつながれている出力装置は最高の機密性を誇る通信機、歪な機械である。

 フェイトは固いパイプ椅子に座ると、真っ黒な執務官服の内ポケット、小さなレコーダの録音スイッチを押した。そして時計に目をやり、秒針が約束の場所に来るのを待った。

 カチリ。秒針が12を指差し、ディスプレイが唸りをあげた。安物のスピーカから、乾いた音の、甘ったるく絡みつくような声が聞こえてきた。

「やあ、今晩は。ご機嫌如何かな?プロジェクトF・A・T・Eの残滓よ」

 ディスプレイの暗がりが晴れて、不自然な紫の髪をボサボサとのばした、囚人服の男が映し出された。

「あなたの第一声のせいで最悪ね。ジェイル・スカリエッティ」

「人間らしい、素晴らしい反応だ。私の技術が産んだ創造物が、私の想像を超えて行く様を見れて、とても嬉しいよ」

 無期懲役囚ジェイル・スカリエッティと、管理局の執務官フェイト・テスタロッサ・ハラオウンの、面会の一幕である。







 ティアナ・ランスター執務官は、拘置所の受付の待合室、そこのソファでフェイトの面会が終わるのを待っていた。グリーンのペンキで塗られた廊下、暗い蛍光灯、冷たい床。陰気な部屋。

「お久しぶりやね。ティアナ」

 不意に声をかけられた。群青色の空士隊の隊服、短く清潔に切りそろえられた栗毛、肩に羽織った魔導騎士のコート。航空12部隊の八神はやてだった。

 かっちりと敬礼をして「お久しぶりです。八神部隊長。もしかして部隊長も面会ですか?」

「いんや。ただ、きっとこれから二人の力を借りることになると思うから、そのための挨拶にな」

「二人、ですか?」

「うん。ティアナのフェイトちゃんの二人にやね」

「私はかまいませんけど、今は私もフェイトさんも事件持ちですよ」

「知っとる。ゲオルグ・テレマンが扱っとった、スカリエッティの技術の違法性についての捜査やろ」

ゲ オルグ・テレマン、白睡魚に狙撃され死亡した男。

「ええ。ジェイル・スカリエッティとの面会も、その捜査の一環です。今は暇そうにしてますけど、結構忙しいんですよ」

「うちの航空12部隊も忙しい。今、ヴィータとザフィーラ、あと市蔵に非公式捜査をさせとる」

「非公式、何の捜査ですか?」

「アハト、08防疫部隊」

「ああ、なるほど」

 08防疫部隊、ゲオルグ・テレマンが立ち上げた部隊。

「きっと、ぶつかりますね」

「その時は合同捜査宜しくということや」







「それで、今日は何の質問かね?テスタロッサ・ハラオウン執務官」

 ディスプレイの向こうで笑う男。ジェイル・スカリエッティ。

「ゲオルグ・テレマン」

 質問する女。フェイト・テスタロッサ・ハラオウン。ただ一言、名前を告げたのみ。その名前を聞いた途端に、ディスプレイは笑い出す。

「これまた懐かしい、愉快な名前がでたものだ。彼について知りたいのかい?」

「ええ」

「見返りは?」

「更正の一環という名目で、あなたに研究を任せてあげれるかもしれない」

「それはいい」

 心底愉快そうに笑い出す、スカリエッティ。マッド・サイエンティストのステレオタイプ。

「私がゲオルグ・テレマンに授けた技術は三つだ」

 ディスプレイの中で指を一本立てた。

「一つ目。量産とチューニングが容易な自立進化型の融合騎デバイスの技術。たしか管理局ではイカルスと呼ばれていたな。全くもって縁起の悪い名前だよ」

 イカルス、恐らくは市蔵ソラやテレーゼの脊髄に移植されたイカルス・デバイスのこと。

 二本目の指を立てる。

「二つ目。細菌兵器を扱う部隊のプロデュース案」

 恐らくは08防疫部隊のこと。ここまではフェイトの予想通り。

 三本目の指を立てる。

「三つ目。プロジェクトF・A・T・Eから発展した、死者蘇生のプラン」

 予想外な答え。

「誰を蘇らせようとしていたの?」

「さあね。私にはわからないよ。ただ、あの野心家なテレマン提督のことだ。悪魔でも蘇らせようとしたんだろう」

 ブスブスと、スピーカが笑いをあげた。それはやがて声になり、粘つく甘さの狂い笑いに。

 悪魔が産まれる。もしかすると、もうすでに生まれ落ちた後。







「それで、08防疫部隊のほうはどんな感じなんですか」と、ティアナは問う。そして珈琲を一口。苦い。紙コップから口を思わず離した。

「手応えはある。けど、何にも見えてこん。"浄化作業"、ようするに死体と遺留品の償却処理けど、おかげで証拠は何もかもパー。『ティンダロスの猟犬』の正体も、証拠と証人を焼き払うアハト(08)の『前線部隊』も正体も、何にもわからんまま。挙げ句の果てには『変身魔法の暗殺者』なんかも出てきて。ほんま、嫌になるわ」

 殆ど愚痴、しかし出てくる単語は限りなく物騒で危険。それらを一気に吐き出したはやては、コーヒーをすする。泥のように濃い、悪魔みたいな珈琲。ティアナが思わず躊躇してしまう苦さのそれを、何のためらいもなく飲み下す。飲み馴れている。

「部下にいま調べさせとんけどね。最近、尋常じゃなくアハトの連中が派手に動いとる。まあ、きっと発端人のゲオルグ・テレマンが死んでもうて慌てとんやろうけど、やっぱり証拠隠滅や口封じにしちゃ派手やね。アハトのことを探っていた連中が軒並み『ティンダロスの猟犬』に滅茶苦茶に汚染された死体で出てきて、軒並みアハトの『前線部隊』に焼却されとる。それ以外の連中も、まるで幽霊か生き霊かドッペルゲンガーみたいな『暗殺者』に刺殺されとるし。今の所、アハトの秘密を握ったまま生き残っとんのは白烏花一人だけ」

 運がない。そう呟き、また珈琲をすする。

 ティアナは少し考え込むように首を傾げる。そして質問を重ねる。
 
「そもそも『ティンダロスの猟犬』って何なんですか?」







「ティンダロスの猟犬か。ネーミングセンスは悪いが、研究資料としては興味深いな」

 ディスプレイの中の科学者が、満足そうに笑う。青い血膿に沈んだ被害者の写真を見ながら、まるで五つ星レストランのディナーを目の前にしたときのような上品さと歓喜の表情。黄金色の強欲な瞳がノイズにまみれて怪しく光る。

 テレビ電話のカメラに向けて、八神はやてから受け取っていた『ティンダロスの猟犬』の資料を突きつけていたフェイトは、思わず身震い。その恐怖を悟られなくて、わざと気丈に質問をする。

「わかったことはある?」

「ああ、あるともさ。この病はね、ミッシングリンク・ウィルスによるものだよ」

「ミッシングリンク、ウィルス?」

「そう、馬鹿げた非ダーウィン的進化論だ。遥か昔に、世界にあまねく、這い、泳ぎ、飛び、歩いた万物に進化をもたらしたとされる、神様の毒だ。これに感染した生き物は、進化を促され、別の種へと変貌を遂げる。この"ティンダロスの猟犬"は、それの素晴らしい研究サンプルだよ。素晴らしい進化をもたらしている」

「進化?感染した人は、みんな死んでしまったんだよ」

「人間としては死んだだろうね。しかし、この資料を見る限り、細胞一つ一つは生き続けている。まるで、無限増殖を続けるガン細胞のようにね。つまりだ。人が一人死に、六十兆余りの不死身な細胞に生まれ変わった訳だ。そして"ティンダロスの猟犬"は、その六十兆余りの不死身と共に生き続ける。致死型の細菌と共生型の細菌の、いいところどりという訳だ」

 不気味な想像。真っ赤な血が、不死身の青に置き換わる。その中で不死身の細菌達が生き続ける。

 赤は肉であり血であり、腐り溶けて、土になる。青は空であり海であり、永遠に青のまま。永遠性の象徴だった。

「空気感染力は弱いようだね。しかし、それでも気をつけたまえ。エアロゾル化といって、空気感染力の弱い細菌を空気に乗せる方法もある。そういった技術も、テレマンには授けてある」

 脅かすように、誇るように、そして心配するように。

「くれぐれも死んでくれるなよ。私の技術から産まれた創造物よ。私はね、お前を一つの希望だと思っているんだ。お前は私を嫌いだと言う。私の技術の"娘ら"にも、いつかはそんな思考も持ってほしいものだよ」

 "娘ら"、戦闘機人ナンバーズのことだった。かつてスカリエッティが生み出した、ガイノイドの軍団。今では創造主の元を離れて、それぞれの人生を送っている。牢獄に引きこもる者。外の世界に歩き出す者。戦う者。愛すもの。憎む者。体の殆どを占める機械で戦い、ほんの数キログラムの人間で生きる女たち。

 最近、スカリエッティーは彼女らのことを"娘ら"と呼ぶようになった。そして、フェイトに対してのみには捜査に協力的になってもいた。自らの作品にたいする愛着か。それとも。

「随分と父親らしい表現ね。その"娘ら"の体の中に、自分のクローン体を埋め込んでいた男の台詞とは思えない」

「なに、私にだって父親としての感情くらい持っている。最近は死んでしまった娘、ドゥーエのことを悲しむことだってできる」

 どんどん人間らしくなっていくジェイル・スカリエッティ。彼の最近の口癖は「死んでしまったドゥーエの亡骸を取り戻したい。そして綺麗にくみたてなおして、墓に埋めてやりたい」。マッドな愛情。

「創造主を憎むのは、即ち自立、アイデンティティの確立だ。作られることを捨て、自らを作り出すことを覚えた証拠だ。そうやって人は神を殺し、魔導と科学を崇拝し、観察と実験を信仰とした」

「だからあなたも、娘たちに憎まれたいというの?」

「ああ、そうだ。私は、私の技術が産んだ創造物が、私の想像を超えていく様をみてみたい。愛などいらんよ」

 フェイトは思う。この男が嫌いだ。この男が嫌いと感じる自分が嫌いだ。目の前のディスプレイの中で笑う男を失望させたく、同時に喜ばせたく、一つの言葉を思いつく。

「私は母を愛しています」

 母、スカリエッティの技術を使ってフェイトを創造した人のこと。つまり、フェイトは創造主を愛しているということ。スカリエッティの想像を超えていないという宣言。

「その回答は思いつかなかった。君はやはり、私の想像を超えている」

 ディスプレイの彼に対して、それを嫌う自分に対して、ばっかみたいとフェイトは小さく呟いた。

 立ち上がり、珈琲みたいな苦さでお礼を言った。美味いのか不味いのか、賛否両論の珈琲。そして白い部屋を後にしようとする。

「少しだけ、待ってくれないか?」スカリエッティが呼び止めた。

「なに?」振り返るフェイト。

「これはつまらない予想なんだがね――」







「ティアナ。私はね、時々思うんよ。世界は"こんなはずじゃなかった"ことばっかしだってね」

「それは良い意味ですか?それとも悪い方」

 ようやく珈琲を飲み干したティアナが質問した。はやてはとっくの昔にからになった紙コップを握りつぶすと、ゴミ箱へと放った。クシャクシャのそれは、歪な放物線で飛んでいき、ゴミ箱の縁にぶつかって床に転がる。はずれ。

「ほらな。"こんなはずじゃなかった"」はやてが、少しだけ残念そうに呟いた。「"こんなはずじゃなかった"ことばっかしや。本当に、みんな私の想像のはるか上を飛んでいきよる」

 ベンチの背もたれにだらしなくもたれかかり、天井を見上げる八神はやて。ティアナも天井を見上げる。汚いタイルと、蜘蛛の巣のはった蛍光灯が見えた。

「この事件はね、"こんなはずじゃなかった"んよ。とっくの昔に解決して、全てハッピーエンドのめでたしめでたしになるはずやった。なのに、だらだらと、だらだら続いて。人は死ぬし、ヴィータを外にださんといけなくなるし、ザフィーラに守ってもらえなくなるし、市蔵は空を飛べないし、私の睡眠時間は削られる一方やし。ほんま嫌になる」

 愚痴を漏らす、部隊長。のっぺりとした曇り空みたいに汚れた天井を見上げて、唯々ため息。

 そんな元上司の様子を見かねたティアナは立ち上がる。そして床に転がる紙コップを拾い上げ、ゴミ箱の中に入れた。

「"こんなはずじゃなかった"」はやてが呟く。今度はうれしそう。

 ティアナが、ダウナーでメランコリックなフェイト・T・ハラオウンとの付き合いの中で覚えた、彼女なりのフォロー。待合室の冷たい空気が、心なしか緩んだ。

 そんな時だった。

 はやての目の前に、暗号魔導無線のホログラム・ディスプレイが開く。〈ヨダカより、部隊長へ。どうされたんですか?辛気くさい顔されて〉ディスプレイの中にいたのは、人形めいた顔の無表情。市蔵ソラだった。

「人生"こんなはずじゃなかった"ことばっかしって話しをしてたんよ」冗談みたいに、はやては言い放つ。

 ソラはそれを聞くと、大きく息を吸い込み歌を歌う。Fronte capillata,sed plerumque sequitur occasio calvata、綺麗なラテン語の、やけに勇ましい歌。

「なんていう歌なん」

〈カルミナ・ブラーナ、運の女神の痛手を。運命の女神を讃える歌です〉と、ソラは言った。そして続けて〈訳すると、運命の女神は後頭部がズルッパゲ。前髪を掴まないと逃げられるっていう話です〉

「斬新な髪型やね」

〈そうでもないですよ。七・八世紀前から伝統の、女神の髪型です〉

 頭がいいのか、悪いのか、わからないような馬鹿らしい冗談だった。少しだけ顔がほころぶ。

「それで、本題はなんなん?まさか慰めに連絡してきた訳とはちがうんやろ」

〈ええ、少し、厄介なことになりました〉とソラは言う。何やら、ちらちらとディスプレイの外側に視線をやっている。警戒した様子。そして、観測兵らしい簡潔な報告。

〈隠れ家にしていたホテルに"白尽くめのガスマスク"が乗り込んできました。アハト、08防疫部隊です。戦闘は避けられません〉

 衝撃。

「"こんなはずじゃなかった"ことばっかしや」

 はやては魔法を振るうと、沢山の通信魔法で、頭蓋骨の中に即席の作戦司令部を作り上げた。

 戦闘が始まる。




[6695] 09/アハトの爪
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:ecd277f9
Date: 2009/04/07 12:23

 隠れ家のホテルの一室。ヴィータは背丈ほどもある突貫槌グラーフアイゼンを構えて、部屋の隅に控えていた。その隣には、通信を終えた市蔵ソラが車椅子に座って佇んでいる。部屋のさらに奥には証人・白烏花もいたし、彼女を守るザフィーラの姿もあった。

 窓の外に目をやると、ホテルのエントランスから客が出て行く姿が見て取れた。そして、客たちを誘導し、検索魔法で人物照会していくアハト、08の腕章をつけた管理局々員の姿。真っ黒な防護服とガスマスクの『前線部隊』、08防疫部隊の掃除屋の姿も見えた。

「完全に囲まれたな」忌々しそうに窓の外を睨みつけるヴィータ。

「このホテルで、細菌テロがおきたことになっている。犯人は我々だそうだ」獣の耳で辺りの話し声を盗聴するザフィーラ。

「本当にばらまかれるかもしれない。彼らならやりかねない。防護結界の準備をしておいた方がいいわ」烏花の進言。

「そうだな」燃え上がる赤、ヴィータの服が紅のパンツァ・クライト(騎士服)に置換される。臨戦態勢で扉を睨みつけ、ソラに答う。

「アハトの奴らとの交渉回線は、まだ繋がらないのか」

「呼びかけてはいるんですが、完全に無視されています。あっちはやる気満々ですよ。局の暗号無線を傍受したら、私たちにアンチマテリアル設定の魔法のゴーサインがでていました。」

「ちくしょう。なあ、これって、はめられたんだよな」

「ええ、完全に犯罪者扱いです。一緒にボニーとクライドでもしますか?」

「いや、遠慮しとくよ。それより、交渉ラインはもう捨てていい。索敵と無線傍受に専念しとけ」

「ヤー(了解)」

 ぐるりとヴィータは部屋を見渡し、そしてザフィーラと烏花の方に視線をやる。

「あたしとソラで引っ掻き回す。その間に二人で逃げ延びろ」見た目は最年少、階級は一番上のヴィータ副分隊長の指示。

「大丈夫か。奴らは細菌をつかうのだろう。お前は固い魔法で防げるだろうが、市蔵は大丈夫なのか」心配するザフィーラ。

「あいつの対物防御魔法は、お前の次に固いよ。なんせ、未知のばい菌がウヨウヨいる外世界を、音速の壁を防御魔法でこじ開けて飛び回るような奴だかんな」

「だが、しかしだな」

「非常階段から四人、エレベータから四人。窓の上にも四人飛行魔法で張り付いています」ザフィーラの言葉を遮るように、ソラが魔導レーダーの探査結果を報告。

「ソラは窓の外に張り付いている四人を、あたしはドアの向こうの八人をやる。ザフィーラは烏花を連れて逃げろ。逃げきったのを確認し次第、あたしたちは撤退する。逃げ延びた後はソラを介した暗号通信でのみ連絡をとり、落ち合う場所を決める。ぜってえに、航空12部隊には帰んなよ。『変身魔法の暗殺者』に先回りされてるかもしんない」有無を言わさぬ指揮、ヴィータらしい即決と状況判断。しかし、一番の彼女らしさである激情はなりを潜め、あくまで指揮官然と。

 ヴィータが動く。無造作に歩き出し、ドアの前に立つ。そして己のデバイス、特大の突貫槌を振り上げ「あぁあぁ!」と獣じみたシャウトでドアをぶち抜く。へしゃげて吹き飛ぶ金属のドア。その向こうでドア破りの破扉槌を構えていたガスマスク二人が、台風みたいに吹き飛んだドアに巻き込まれてノックダウン。トンカチ対決はヴィータの勝利。

「ぶっ飛ばされたいやつから前にでろ!航空12部隊バードランド分隊副長ヴィータ教官様直々に、対ベルカ戦の戦い方を教育してやる」なりを潜めていた激情の大爆発。小さな体躯からは考えられない、拡声器いらずの怒鳴り声。じつは計算された激情、キレたポーズで敵を引きつける計算された自己犠牲。

 ヴィータを囲む、六人の黒いガスマスク。返事はなし。反撃もなし。ただ真っ黒なデバイスを構えて取り囲むだけ。白烏花と同じ、歯車と羅針盤が組合わさったような、ねじくれた杖の魔法演算機。恐らくは放熱、エネルギー変換、火焔召還に特化した、超小型の火葬炉。

 ただ静観し、突っ立っているだけの『前線部隊』に、計算された激情が冷めていくのを感じる。つまんない奴ら。投げやり気味に呟く言葉。「仲間がやられたんだ。少しくらい怒れよ」。グラーフアイゼンを片手で、横なぎに払う。壁に衝突、突き刺さる。そのままの状態で命令。「アイゼン、魔力熱変換」

〈ヤー、フランメ・シュラーク〉

 ハンマーヘッドが灼熱する。ポンプアクションが火花を散らしながら上下し、擦れあい。チューブマガジンの中のカードリッジを破裂、廃夾、破裂、廃夾。魔力の爆発が、ジークフリートの葬送行進曲のティンパニのように二度、グラーフアイゼンを叩き鳴らす。魔力が満ちる。灼熱する。グラーフアイゼンが突き刺さった壁から火が噴きだし、廊下は火と、煙と、スプリンクラーの雨で滅茶苦茶な視界。

「ラケーテン」命令。

 ガシャン。ロケットの出現する金属音で応えるアイゼン。そして点火。いかれたマギ・ジェットエンジン付突貫槌が火を噴き、推進力と、熱と、ヴィータの腕力の連携で廊下の壁や床や天井を爆砕。真っ赤に焼けた瓦礫の塊が、ガスマスクたちを襲う。

 慌てて魔力シールドをはるガスマスク。その目の前に赤いスカートを翻し躍り出るヴィータ。炎や、煙や、スプリンクラーや、瓦礫を目隠に、本命の一撃を与えるべく突進。カルメンのステップで一回転、マタドーラだって吹き飛ばせる、雄牛のような突貫槌の衝突。二・三人をアバウトに吹き飛ばし、さらにその巻き添えで数人が吹き飛ぶ。シールドを砕かれ、吹き飛ばされ、たった一撃で八人中五人がノックダウン。すでに二人伸びているので、あと一人。

「来いよ?仲間の仇、とってみろよ」

 最後の一人にニヤリと笑いかける。好戦的なポーズ。戦いが嫌いな本当の自分を隠すため。戦うことを願う、プログラミングされたオドを飼い慣らすため。

 どこまでも自嘲的で、投げやりな笑みだった。







 閃光、窓の外で炎が煌めいた。

 窓から吹き込み、部屋の中の人間を焼き尽くさんと燃える、くすんだ赤の炎。その目の前で車椅子に座ったソラは炎を抱き込むように腕を広げた。

 着ていたシャツがズタズタに破れ、燃え尽き、その下から真っ黒な翼が出現した。両腕が翼になったのだった。全身を青白い反射の黒色で覆うバリアスキン。さながら、翼人のブロンズ像。ゴトリと音を立てて、両足の義足が外れた。そうしてなくなった脚のかわりに、ジーンズをズタズタに切り裂きながら二対の音叉が尾羽のように出現。キシキシキシキシキシッっと震えながら、青い炎の推進力で浮遊、そして飛行。

 くすんだ炎を吹き飛ばし、窓ガラスを吹き飛ばし、ついでに飛行魔法で宙に浮かんでいた、カラスみたいなガスマスクたちも吹き飛ばし、灰色の曇り空の下へ躍り出る。

 背中で背骨に痛みが走る。ギシリ、ギシリ。イカルス・デバイスの上で、雪を踏むような冷たさ。凍りつく視界、空気が水のように重たくなる。

 熱、目の前が真っ赤に染まる。四人のカラスによる、炎の魔法弾。

 飛ぶ。真っ赤に染まった視界の中で、炎のほうにむけて真っ直ぐと飛んでいく。"引っ掻き回すこと"。それが彼女の仕事だった。一見無謀な炎への特攻。しかし、音速飛行の空気摩擦熱に比べたら、カラスたちの炎は弱く儚く、容易に突破することができた。

 魔力心臓で灯った真っ青な炎が、背骨を伝って脚へと運ばれ、切断面から生えた音叉でキシキシキシキシキシッと音を立てて燃え上がる。推進力。カラスたちの前で見せつけるようにロール、そのまま背面飛行。翼をたたんで急降下。ダイブ、ダイブ、ダイブ。頭から真っ逆様。炎の渦を抜ける。はるか上、カラスが四人飛んでいる。ねじくれたデバイスをソラに向けて、標準をつけている。空気が焦げる。体が焼けるように熱くて、しかし背骨はどこまでも冷たく。冷たくて、冷たくて。高い空、曇り空の向こう側、太陽の熱を求める鳥の心。もしかしてイカルスの魂。

 翼を広げた。大きく、大きく、空気を引っ掻き、体を縛る重力の鎖を引きちぎる。体から剥がれた飛行雲や衝撃波や青い炎の燃えかすが、地面、アスファルトを叩く。真っ直ぐ空の方へ頭を向けてクライム、急上昇。跳ね上がる心臓。引っ掻き回せと、ヴィータの声を思い出す。引っ掻き回してやる。見ているだけじゃないんだ。偵察兵のコンプレックス。そして無傷の傷跡。

"軽くあれ"、見捨ててしまえばいいんだ。おまえの体は、戦うようにはできていない。鳥の心が囁いた。

 いつも見捨てていた。いつも見殺しにしていた。それが偵察という物だった。酷い物を見て、伝えれば、優秀だと誉められる。酷ければ、酷いほど良い。求められるのは、最高な情報ではなく、最悪な情報だった。

 正義を行う大義名分を探すために、偵察に出かけた。そして、誰かが殺されたり痛めつけられている様子を記録して、帰っていく。

 救うのはいつも、私以外の誰かだった。私は見て、ほっといて、見殺しにするのが仕事だった。

 観測手の傷、偵察兵の宿命、飛ぶことしかできない魔法飛行使、鳥の心が囁く言葉、"軽くあれ"。助けたいと願う、憐憫や同情の気持ちでさえ、重たい万有引力だった。

 重たい思考をはるか尾羽のほうに抜き去って、真っ直ぐに飛び上がる。冷たく痛む背骨のイカルス・デバイスを無視して、真っ直ぐに四人のカラスへ突っ込んでいく。巨大な翼を振り回し、ひとりにぶつけた。その瞬間、翼は揚力を失い、体が失速する。攻撃魔法を持たないソラの、唯一の攻撃手段。体当たり。ぶつかる度に、敵と同じだけの痛みを負う。ぶつかる度に、揚力を失い地面に近づく。それでも翼を振り回し、脚から生えた音叉を振り、青い炎を振りまいて、四人のカラスを翻弄する。

 顔を翼で打つ。失速してふらりと体が揺らぐ。カラスが数メートル沈み込み、墜落を堪える。残りのカラスがねじくれたデバイスで炎を放つ。翼が焦げる。今までより強い炎、バリアスキンが剥げ落ちて、青い燐のように燃え落ちる。熱に翼をたたみたくなるのをこらえて、揚力を両翼で掴み、青い炎の推進力。執拗なロール・アンド・ターンを繰り返しながら、片翼を失ったジェット機みたいな滅茶苦茶な軌道で、炎を放つカラスの目の前へ。尾羽を降る。音叉がカラスの胸を捉え、青い炎をまとった黒色の金属質な硬さで吹き飛ばす。骨が砕ける感触、以外と肉感があった。もしかしたら女だったのかもしれない。

 度重なる格闘で、耐えきれなくなった音叉がとうとう折れる。爆発、石炭みたいに粉々に砕けて、燃え上がる。自由落下、上も下もわからないような回転の中、すぐさま術式を編み、新たな音叉を魔力で生み出す。蘇る推進力。地面に衝突する一瞬前、偶然見えた灰色の空に向けて上昇。翼で風を切り裂き、四人のカラスへ向かっていく。

 文字通りの格闘戦。飛び、ぶつかり合い、削りあい、焦がしあい。歪な飛行を繰り返し、どっちが勝っていて、どっちが負けているのかもわからないような混乱の中、四対一という圧倒的不利を覆すべく、軋む翼で飛んでいったその時。

〈ザフィーラだ。烏花と共に脱出を完遂。ヴィータも市蔵も、囮役ご苦労だった〉福音。

〈ヴィータより、全体へ。あたしも一段落したら逃げる。お前らは先に先に撤退してろ〉ヴィータからの念話。若干苦しそうな声色。

〈苦戦しているんですか?〉

〈なに。すぐにぶっ飛ばして追いついてやんよ。それより、お前もさっさと逃げろ。んでもって空の上からあたしの逃走経路を考えといてくれ〉

〈ヤー(了解)。待ってます〉

〈あいよ〉

 途切れる念話。撤退の命令。それに従うべく、灰色の空にむかって大きく羽ばたく。

 シンプルに、真っ直ぐ。なにも恐れることなく、高い、高い、空へ。

 カラスたちが炎を放った。加速、翼を守る魔力々場を強く敷き、体を守るバリアスキンを黒く強く保つ。そして加速と上昇の後、炎の中に飛び込んだ。わずか一瞬の出来事。炎が力場とバリアスキンと冷却術式を焼き尽くす刹那、それよりも早く炎を突っ切って、安全圏へと煙を噴きながら脱出した。

 冷却術式が背骨を走る。冷たい、冷たい、氷の舌が全身を舐めるよう。背骨が痛む。イカルス・デバイスが寒い寒いと駄々をこねる。太陽が恋しい。

 加速、上昇。カラス達がたどり着けない、私だけの"限界高度"へと、真っ直ぐに突っ込んでいく。

 雲に突入、厚い雲、体を湿気が舐めまわす。灼熱していたバリアスキンの表面で、雨粒が音をたてて蒸発する。体は依然として冷たいまま。

 雲を抜ける。青い空、灰色の雲海、カラスたちは追ってこない。

〈ヨダカより、全体へ。撤退完了。今は雲の上です。これから退路を指示します。今の位置を教えてください〉甘くひび割れた暗号念話で、地上に向かって呼びかける。

 応答〈ザフィーラだ。今、ホテルの南側で人混みに紛れて、自前のセーフハウスに向かっている。現在の座標とセーフハウスの座標は、〉

〈見つけました。そのまま直進してください。わき道にて武装隊の陸師が待ち伏せています〉速やかな発見、そして指示。千里眼の瞳が、はるか7000メートル下のザフィーラと烏花を捕らえていた。

 追連絡。

〈ヴィータ先輩、聞こえますか?現在位置を教えて下さい〉

 応答なし。

〈ヴィータ先輩?〉

 応答なし。

 不安、おそらくは、まだ戦闘中。そう思って地上を見下ろしていると、ふいに爆発。ホテルの中腹が派手に吹き飛び消えた。

 ソラたちが今までいた、ヴィータがいた階だった。







 グラーフアイゼンのヘッドが宙をなぐ。それを固い爪がいなした。火花が散る。ひるがえる赤いスカートに、黒いガスマスクが迫る。長くのびた爪が喉元を狙う。重たい重たいグラーフアイゼン、防ぐのが間に合わない。体を引っ張るグラーフアイゼンの遠心力に身をゆだねて、強引な回避。頬を抉る爪。血が流れる。痛みも、傷も、重たいグラーフアイゼンもそのままに、頭突き。ガスマスクのガラスレンズを叩き割る。ガラスが飛び散る。スモーク加工のガラスレンズの向こうに、なにやらにやついた笑いの瞳が見えた。

 ヴィータと『前線部隊』の最後の一人との戦い。1対1の、ほとんど決闘みたいな戦い。

 ヴィータは頬から流れる血を拭い、重たいグラーフアイゼンを肩に担ぐ。そして目の前の敵を睨みつける。

 黒色のブカブカとした防護服。片目の割れたカラスみたいなガスマスク。ねじくれた08防疫部隊のデバイスは持っていない。かわりに、指から手袋を突き破り、巨大な爪が生えている。胸元にワッペンに"隊長副官"のマーク。

「なかなか、やるな。名前は?」

「"副官"、それ以外は機密内容です。知ってるでしょう、08部隊の性格」

「『前線部隊』の個人情報は全部秘密。なんだ、つまんない奴だな」

「つまんないですか」

「つまんない奴だよ。性格も、戦いかたも」

「そう睨まないでください。あなたが無謀すぎるんですよ」

「にらんでねえです」

 "副官"は肩をインテリっぽい仕草で竦めて爪をぎらつかせると、猫みたいに飛び上がる。一瞬でヴィータの死角に滑り込む。経験則の、シックスセンスの瞳で自らの死角に向かって突貫槌を振るう。金属質な音で、突貫追と刃の爪が火花を散らし衝突する。次の瞬間にはヴィータのリーチの外へと地面を蹴って着地する。ヒット・アンド・ウェイ。まるで弄ぶ猫のように、軽い調子でにやついている。

「ああ、ちくしょう。すばしっこい奴め」

 脱出の算段をするヴィータ。窓は駄目。ソラと空飛ぶガスマスクの戦闘で潰されている。グラーフアイゼンで瓦礫を吹き飛ばすにしても、そんなことをしているうちに"副官"に背中をとられる。

 エレーベータも非常階段も駄目。下で待ちかまえる数十人の武装隊たち。部隊名を見ると、教官でもあるヴィータの、かつての教え子たち。ぶん殴って逃げ出して、任務失敗の汚名をかぶせるわけにもいかず。ぶん殴られて捕まって、無実の罪で情けなく拘置所に入るわけにもいかず。

 逃げ場はなし。目の前の"副官"もなかなか強く、倒すとすれば傷を覚悟で倒さなければいけない。倒したあと、傷を負ったまま逃げきるのは難しい。これも駄目。

 仕方がないので、ヴィータはカードリッジをリロード、濃密な魔力をまとい、新たな選択肢を作り出すことにする。

 振り上げられる、突貫槌。マギ・ジェット・エンジンが盛大に火を噴き、燃え上がる推進力。

「ぶち抜け、アイゼン!」

 狙うは壁、戦闘の熱や衝撃で脆くなった、ひびだらけの一角。そこにグラーフアイゼンのヘッドが突き刺さり、爆砕。壁に大穴が開き、そこから灰色の空が見えた。作り出した、最短距離の逃走経路。

 飛行魔法を起動。不可視の翼の推進力で、飛翔するヴィータ。空に向かう穴に一直線、一秒もしないうちに到着。空の穴をくぐろうとしたその時。

「だから無謀だっていうんです」

 "副官"の声。背中に寒気。そして逆風。背中の方を振り返り、ヴィータは目撃する。

 ただ立ち、にやついた目でヴィータを見ている"副官"。そしてねじくれたデバイスを掲げる、七本の腕。まるで操り人形みたいな、不気味な腕。"うそだろ?一週間は寝込む一撃をお見舞いしてやったのに"。寝転がったまま、右腕だけでデバイスを掲げている七人のガスマスク。デバイスに積んだ羅針盤や歯車が、ガチガチと音を立てて術式を編む。寒気の正体、熱放出魔法の直前の、一時的な冷却作用。逆風の正体、空気の冷却圧縮。ヴィータの後ろで、ガチリをトリガを引くような音。そして滅びの声。

「君は知りすぎました。サヨナラです」

 灼熱が、全てを飲み込みこんでいく。

 一番最初に焼けたのは、発光したデバイスを握った、七本の手だった。その次に黒い防護服の体、ホテルの壁と床と天井、そして空気を全て焼き尽くし、それでも溢れかえった炎がヴィータに迫った。"副官"だけは、見たこともない幾何学模様で炎を受け止め、無事だった。

 炎が迫る。脚を焼いた。体を焼いた。最後に顔を焼き、目の前が真っ赤になった。どうにか致命的な火傷だけは魔力シールドで防いで、そのせいで全ての魔力を失った。炎の中で、灰色の雲の切れ目から青い空と黒い十字架のようなシルエットが見えた。

 あそこにいかなきゃ。そらにあがらなきゃ。

 猛烈な熱の中、薄れていく意識の中で、手からこぼれ落ちるグラーフアイゼン。手から、灼熱する心や世界から今まで自分を冷たく諌めてくれていた、冷たいアイゼン(鉄)の感触が無くなるのを感じた。

 落下していく。私も、アイゼンも、バラバラに。

 すべてが遠くなったころ。まるで他人ごとみたいな遥か遠くで、自らの体が地面に叩きつけられる音をヴィータは聞いた。遠くの方で、グラーフアイゼンが地面に刺さって銀色の光を反射していた。

やがて、黒いガスマスクが迎えに来た。雲の切れ間の黒い十字架は依然として、悲しいくらいに遠いままだった。

 最後にそらに向かって呼びかける。

〈ごめんな。せおわせちまう〉

 それだけ言うと、空の十字架を目に焼きつけて、まぶたを閉じた。







 ごめんな。背負わせてしまう。

 そう言った地上0メートルのヴィータは気を失い、カラスたちに運ばれていった。転送魔法と隠蔽魔法を重ねがけられ、カラスと一緒にどこかへと消えていった。

 その様子を上空7000メートルから見ていたソラ。助けに行きたかったのに、7000メートルの壁が彼女を阻んだ。5000落下したところでヴィータはカラスに囲まれ、あと3000メートルの所で魔法陣の幾何学模様で消え失せて見失った。

 地上に降り立つと、銀色の光。待機状態の、ペンダントの形をしたグラーフアイゼンだった。片羽だけを人間の手を戻し、銀色のそれを手に取る。そして自分の首にかけた。

 ソラは上昇を開始する。灰色の空へ。決意だとか、義務感だとか、なにより親愛に満ちた重たい表情で上昇する。

「背負ってあげます」

 "軽くあれ"。イカルス・デバイスが叫びをあげて、背骨や頭蓋骨の裏側が冷たく痛んだ。まるで、かつて足を腐らせ食い潰した、凍傷みたいな痛みだった。

〈ヨダカより、バードランド及びH・Q・ビレッジバンガードへ。ヴィータ副隊長が08防疫部隊に拉致されました。これよりヨダカは08防疫部隊とヴィータ副隊長の捜索に入ります〉

 灰色の雲に突っ込み、その上の青空へ。大きく翼を広げて、下界を見下ろす。透視の魔眼と千里眼の瞳で見渡す世界。その隅々までをも、調べ上げ、探し出し、偵察兵の魂で観測する。

 視界の端に、胸元で銀色に光るアイゼンが見えた。

「絶対に、探し出しますから」

 ハートに青い火が灯る。その熱でさえ溶かしきれない、凍てついた背骨。心の重みで、氷の背骨がギシリときしんだ。

 鳥の心が"軽くあれ"と囁いた。






[6695] 10/イマジン
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c621e98d
Date: 2009/04/16 15:51



 八神はやては、真っ黒な部屋にいた。08防疫部隊が焼き払った、ホテルの部屋だった。

 部屋には七つの遺体があった。08防疫部隊の、熱放出魔法で自爆をした隊員たちだった。どれもがねじくれたデバイスを天井に掲げて、そのままの状態で炭化していた。身元は分からなかったが、骨格からして成人の女だろうと鑑識は言った。もう事件から二日の時がたつというのに、保護魔法をかけられた遺体は、静かに黒く、デバイスを掲げ続けていた。

 七本の腕を崩さないように気をつけながら、窓に近寄る。青い空、そこから甘くひび割れた暗号念話が落ちてきた。

<ヨダカより、H・Qビレッジ・バンガードへ。アハトを発見。人数からして、陽動だと思われます。位置座標と映像を送ります>

 魔導ホログラムが宙に浮かび、そこに黒いガスマスクの集団が映し出される。

「部隊長より、ヨダカへ。今確認した。ブルーノート分隊の一班にあたらせる。ヨダカは帰投し、休め」

<まだ、飛べます>

「ヴィータをさらわれた悔しさで言っとんやったら却下やで」

<実験小隊での訓練成果で言っています>

 ため息。どうして私のまわりはこうも頑張りやさんばかりなのだろうと。

「わかった。宜しく頼む」

 そのままビレッジ・バンガード司令部とブルーノート分隊に指示を出し、魔導ホログラムを閉じる。そして、窓から地面を見下ろした。

 ここからヴィータは墜落した。生身ならば確実に絶命しうる地上十七階。騎士服にかけられた魔法の守護があったにしても、怪我は免れないであろう高さ。そんな状態で敵に捕まり、未だに行方不明。

 それでも、はやては確信していた。ヴィータは必ず生きている。

 夜天の主とヴォルケンリッターを繋ぐ細く強い繋がりから、はやてはヴィータの鼓動を感じていた。それが守護騎士プログラムからくるシステマチックな繋がりなのか、家族同士の温かな第六感的な繋がりなのか、彼女には判断しかねてはいたが、それでもヴィータの命を感じれていた。

「まるでお母さんみたいな顔してる」

 背後から声。振り返れば高町なのはが立っていた。きちゃったと、悪戯っぽく舌を出して笑った。

「何があったんか、知っとん?」

「うん。全部、シグナムから聞いた。はやてが08防疫部隊と戦っていたこと。証人を手に入れたこと。ヴィータやザフィーラや市蔵さんが捜査に出ていたこと。ここで戦いがあったこと。ヴィータが連れ去られたこと。08防疫部隊が時空管理局から離反したこと。はやての航空12部隊が、その追撃任務を任されたこと」

「機密漏洩。シグナムには、あとで折檻しとかんといかんな」

 わきわきと、指をピアニストみたいに動かすはやて。少し卑猥な動かしかた。折檻というよりは愛撫。

「許してあげなよ。この事件、私も手を貸すから」

「手を貸すって、教導はほっといてええんか?」

「実地訓練、その監督」

「ああなるほど」

 なのはは、はやての方に歩み寄る。青い空、灰色のクラナガン。そのどこかに潜んでいるであろう、ヴィータをさらった08防疫部隊を幻視して、睨みつける。そして、何かを決意したみたいに頷くと、はやての耳元でそっと囁く。

「カルロス・サルツェド、彼が全てを知っているかもしれない」

「誰やそれ」新たな登場人物の出現に、困惑するはやて。

「08防疫部隊の発端人、ゲオルグ・テレマン提督の下で働いていた男。そして、そのゲオルグ・テレマンを人質にとって籠城事件をおこして逮捕されてる」

 籠城事件。かつての高町なのはと白睡魚が受け持った、狙撃任務の事件。

「悪魔が産まれる。ガイノイドがよみがえる。そう、彼は言ってたの」

 悪魔とガイノイド。どちらも、白烏花が持ち込んだ手帳に頻繁に現れる単語。繋がる過去と今。

「私とシグナムで、訪ねにいこか」

「それと」

「それと?」

「市蔵さんはどうしているのかな?」

 高町なのはの、教導官としての義務感。もしも08防疫部隊の事件が無ければ、教えていただろう魔法飛行使。誰より速く、そして高く。しかし辛そうに飛ぶソラ。その苦悩をたった一回の模擬戦闘で、見抜いていた。ようするに、心配だったのだ。

 はやてはクラナガンの街並みの上に広がる空を指差す。

「アハトとヴィータを、空の上から捜しとる。観測任務、かれこれ48時間飛び続けとる」







 広い空。雲一つなく、どこまでも広がって行く青い世界。その中でただ一人、ソラは飛行を続けていた。そして地上を観測兵の魔眼で睨みつけ、08防疫部隊とヴィータの姿を探していた。

 真っ黒な翼でもって、風をきる。高く、もっと高く。広い世界を視界の中に納めるべく、青い空の“限界高度”へと上がっていく。羽ばたき、その回数だけ背骨が軋んだ。からだを支える背骨。飛行を管制するイカルス・デバイス。その両方がギシギシと氷のような悲鳴をあげる。バラバラに張り裂けそうな体と心を、魔導師のマルチタスクでどうにかつなぎ止める。

 引き裂くのはなに?空、消えてしまったヴィータ。広い、広い、世界。これじゃ見つけられない。

 地球は青かった。世界も青い。青色は憂鬱な色。メランコリックがソラの心を押しつぶす。重たい、重たい、不安。“軽くあれ”、芸術家気質の右脳が眠りに落ちるのを感じた。代わりにシステマチックの左脳が目覚める。そうやって、泳ぎ続ける鯨みたいな半覚醒で、夢見心地に飛んでいた。思考はすでに、ソラの意思を離れ、フラクタル模様のオプアートな理論でオートマチックに進んでいた。二重三重の思考と視界にノイズが混じり、幻想を幻視する。

 白いタカ。かつて自分に飛び方を教えてくれた先生。テレーゼが白い翼で目の前を飛んでいた。

<なにを苦しんでいるの>

<飛び方を忘れてしまったんです>

<なんで?>

<わかりません>

 幻想が、目の前のタカが大きく羽ばたいた。そして、少しだけ高度をあげた。ソラはその後ろについていく。

<優しい、優しい、ヨダカさん。あなたはなにをしたい?>

<わかりません>

<それが理由よ>

<“それ”とはなんですか?>

<わからないなら連れていってあげる。ついてきて>

 二人で高い空へとのぼっていく。背骨が軋んだ。白い翼だけを追っていった。雲一つない宇宙硝子の透明度の空が、青く深く二人をつつんだ。青すぎて、墜ちているのか上っているのかもわからなかった。ただ、軽い風を切り、冷たい空気で肌を凍らせ、黒い翼で白い翼を追っていた。

 どの程度の高さを飛んでいるだとか、どんな羽の動かし方で飛んでいるのかだとか、背骨で凍りつく氷の痛みだとか、すべては忘却の彼方だった。
 
 重要なのは、あの白い翼を追っていくこと。それだけだった。

<それが答えよ>

 青い空、地平の向こう、夜が見えた。地平が緩やかな弧を描く、成層圏。“限界高度”の到来だった。

 タカが微笑む。<ほら、飛べたじゃない>

 あまりに軽く薄い空気。皮膚が凍り付く感覚がソーダ水のように肌を食む。酒を飲んだように体が熱を持ち、全ての事象が飛ぶためのみに向けられていくのを感じる。

 嗚呼、フロイデ。歓喜の大空。私は帰って来た。

<大切なのは、どうやって飛ぶかじゃない。大切なのは、何のために飛ぶかよ。今、あなたは何のために飛んだ?>

<あなたと同じ空をとぶために>

<わたしはあなたを導くために飛んだ。目的は人を真っ直ぐにシンプルにしてくれる。方法論は重たく体を縛っていく。願いは力よ。私は仲間を守りたかった。それ以外を捨てたから、あなたは実験小隊でただ一人生き残ることができた。懐かしい金色の渡り鳥さんは強く飛ぶことをえらんだ。だからたくさんの人を助ける飛行を覚えることが出来た。優しい、優しいヨダカさん。あなたは何を望むの?>

 ソラは空を見上げる。頭上に広がる、果てしなく澄んだ成層圏。連想するもの。ヴィータの青い瞳。守りたいもの、私のために泣いてくれた、奇麗な青い瞳。

<私は、飛ぶことで救いたい。見ることで救いたい。誰よりも早く探し出して、誰よりも広い視野を手に入れるために高く飛んで、空の上から皆を見守りたい。見殺しになんてしたくない>

 白い翼が嬉しそうに微笑んだ。まるで天使。

<ここは高い。世界の半分くらいなら見渡せることができるくらいに。ここならきっと見つかるわ。がんばってね。ヨダカさん>

<感謝します。タカさん>

 二人はTACネーム、鳥の名で呼び合い、そして別れた。ソラは成層圏の空に残った。テレーゼは羽をたたんで、地上へと飛んでいった。最後は幻らしく、消えてなくなった。

 成層圏の冷たい空気をめいいっぱい吸い込んだ。オゾンの生臭い血のような匂いが、鼻に沁みた。インターナショナル・クライン・ブルーの、青空の血液。その痛みで、左右両脳ともが目覚めていくのがわかった。幻影は消えた。背骨の痛みは消えていなかったが、それ以外はすべて良好だった。魔導師のマルチタスク(多重思考)を捨てて、イマジン、たった一つの願いで飛行し、地上を見渡す。

 バードランドの守護天使になるんだ。

 翼に血が通う。まるで蛹から孵った蝶がしわくちゃの羽を体液で伸ばしていくよう。音叉で青い火が燃える。フェニックスは炎から産まれるらしい。瞳が世界を写す。あまねく世界の一人一人だって見分けられる。

 翼を持ち、空から世界を見守る。まるで守護天使。人を愛したが故に堕ち、それでも空を目指す黒い翼の守護天使。

 歓喜。ハートに青い炎が灯り、歌が溢れ出す。Dulcissime. いとしい人を、あの赤い小さな騎士を探すため。生命と名づけられた青い瞳の目の前に。totam tibi subdo me.あなたの前に、この身の全てを投げ出すために。

 ソラは歌い、飛び、神様と同じ場所から世界を見たのだった。







 Dulcissime, totam tibi subdo me.

 暗号念話で甘くひび割れた、その美しいラテン語の歌を聴いた八神はやては、ほんの少しだけ微笑んだ。

「市蔵は私たちが思っている以上に強い。ヴィータが地上にいる限りは、地上に必ず帰ってくる。心配あらへんよ」

 高町なのはは「そうね」と小さく頷いた。

「私たちもがんばろう。ヴィータちゃんを助け出すために」

「せやな」

 はやては空から背を向けると、部屋の中を見渡した。部屋の中には七つの亡骸。男か女かさえわからないくらいに焼き尽くされた、真っ黒な死体。それにまっすぐ対面した。

「夜天の書、蒐集開始」

 はやての肩甲骨から真っ黒な翼が生える。祈祷書方デバイス、夜天の書が出現。頁がめくり上がり、魔導師の魂たるリンカーコアの蒐集準備と、ネクロマンシー(降霊術)を基本としたリンカーコアの逆算術式が始まる。

 七つの遺体から、青と赤のベクトルの狭間をゆらゆらと揺れる光が出現。亡骸たちのリンカーコア。それが夜天の書に吸い込まれ、光のインクとなって新たな文字を刻んだ。

 八神はやての希少技能、リンカーコアの“蒐集”。それによりリンカーコアの個性を体系化、言語化し、この身元不明死体の正体を捜す手がかりとしようとしているのだった。

 七つの魂が、ブラックボックスのように読み取られていく。そして愕然とする。

「このこら。みんな一緒や」

「それは、どういう意味?」

「リンカーコアの記憶が“一緒”なんや。双子だってこんなに似いひん。まるでクローンや」

 おそらくは、人造人間の部隊。それをラジコンのようにリモート操作した、いかれた部隊。08防疫部隊の『前線部隊』が正体不明な理由。おそらくは、そのメンバーの殆どが“いるはずのない人間”だったから。

「まるでジェイル・スカリエッティだね」

「奴のほうが幾分まし。このこらは最初から“意思”を食い潰された状態でチューニングされとる。リンカーコアに寄生した、スティモシーバー(生体ラジコン)術式をみつけた。まさに魔術師の肉で作った、ロボット(奴隷)や。戦闘機人みたいに高尚なガイノイド(理想人間)とはぜんぜん違う、完璧な奴隷や」

 ひどい話。なのはが小さく呟いた。

 はやてとなのはの二人は七つの亡骸を丁寧に葬るよう、現場指揮の陸士に言った。そしてその場を後にした。






[6695] 11/アウフタクトの群像
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c621e98d
Date: 2009/07/11 19:36


 とある牢屋でのこと。

 パイプ・ベッドに座り、カルロス・サルツェドはため息をついた。彼の手には、一通の封筒。

「書けたか?」

 いつの間にか現れていた、看守の声だった。

「書けたよ」

 そう言ってサルツェドは、封筒を看守に渡した。

「必ず届ける。真実を世界に伝えよう」

「ああ、伝えよう。ゲオルグ・テレマンはもう居ない。邪魔をする奴は、もう居ないんだ」

 封筒を懐へと収めた看守は、牢屋の前から立ち去る。それを見送りながら、サルツェドは思う。

 ――ゲオルグ・テレマンはもう居ない。真実を握りつぶす者は、どこにも居ない。真実を書き綴ったあの封筒は届き、全ては解決するだろう。

 薬品焼けした手を、握りしめた。汚い、変色した手だったが、サルツェドにとっては自慢の手だった。薬品で手がボロボロになるまで研究に明け暮れた。クローン技術を応用した人工臓器を作り上げ、沢山の命をすくい上げた。

 しかし、とも思う。

この手は沢山の命も救ったが、とんでもない“悪魔”も蘇らしてしまった。

「贖罪なんだ」

 祈るように、両の手を握りしめる。届きますように。真実が伝わりますようにと、祈り続ける。

 やがて時間がやって来る。

「久しぶりね。サルツェド」

 真っ黒なガスマスクと防護服たちが、サルツェドの牢の前に立っていた。腕にはアハトの八の字が描かれた腕章、防疫08部隊だった。

「来ると思っていたよ。私を殺すのかい」と、サルツェドが言った。

「殺すんじゃない。サルツェドがかってに死ぬんだよ。病死だ」と、防疫部隊の一人が言った。

 牢の鍵が開かれ、扉が開け放たれた。防疫08部隊のガスマスクたちが、引きずっていた“それ”を放り投げてきた。

 “それ”は、防護服を着ていた。力なく床に倒れ込み、そして血をまき散らした。酷く臭い、青い血だ。床に倒れた拍子に、頭巾が脱げた。頭巾から長い黒髪が流れた。月のように白い顔の女だった。青空に浮かぶ残月のように、弱りきり、青い血をはき続ける、四つん這いの女だった。口から覗く犬歯は、金星のように鋭い。

「嗚呼、君がティンダロスの猟犬か」

 残月の青い女が、四つん這いのままサルツェドに襲いかかった。犬のように、獣のように、乱暴に襲いかかった。しかし、その腕力は弱々しい女の見た目通り。だというのに、サルツェドはされるがままに身を任せた。女に身を投げ出し、全てを与えた。鋭い金星の犬歯が、彼の喉を喰い破った。

「贖罪なんだ」

 血の泡を吐きながら、そう言った。







 高町なのはが牢屋の前にたどり着いたとき、全ては終わっていた。

 サルツェドが青い血を吐いて、倒れていた。ティンダロスの猟犬に襲われた後だった。

「終わらせてくれ」と、青い血を吐きながらサルツェドは言う。

「悲しみを終わらせてくれ。全てを吹き飛ばしてくれ」

 そう言ってから、動かなくなった。それがカルロス・サルツェドの最後だった。堅く握られた両の手は、祈るようなそれのままだった。

 なのははきびすを返し、牢屋の前から去る。フィールドを張り、ウィルス汚染から主を守っていた、ペンダント姿のレイジングハートに囁く。

「悲しみを吹き飛ばそう」

 オーライと、レイジングハートは答えた。





 寒空の下。

 矢神はやては、高町なのはからの連絡を待っていた。不意に、念話が届く。なのはからの連絡だった。

 隣に控えるシグナムに言う。

「サルツェド、死んでたらしい」

「そうですか」

「敵討ち、したらんとな」

「はい」

 そして、空を見上げる。灰色の空、その上で偵察飛行を続ける部下に、はやては念話を飛ばす。

〈サルツェドがティンダロスの猟犬で消された。犯人はアハトの連中や。まだ現場の近くにいるはずや〉

〈ヨダカより、隊長へ。すでにアハトらしき一団を補足しています。追跡を続けます〉

〈流石、仕事が早いな。そのまま追い続けろ。きっと奴らの行き着いた先に、ヴィータも居る筈や〉

〈ヤー。必ず、奴らの住処を暴いてやります〉

 切れる念話。暗号フィルターでひび割れた声には、決意が漲っていた。胸の中のエンジンに火が点った声だ。

 はやては思う。全てはきっと上手くいく。全てを取り戻してやる。ヴィータを攫ったアハトの連中をやっつけて、すべてを取り戻すんだ。正義でもなく、管理局の法でもなく、ただ幸せのために、全てを取り戻すんだと。

「帰ろか、シグナム。もうここにはなにもない」

「はい。我が主」

 戦いが始まる。





 フェイトとティアナは、とある刑務所の墓場に立っていた。刑期を終えることなく死んでしまった囚人たちが眠る、罪人の墓場だ。塀のなかの墓場で刑が終わるのを待ち、そして刑の終わるいつの日か、善良なる市民の墓園に移されることを待つ死者たちの家だ。

 その一つ、Ⅱ(ドゥーエ)と刻まれた墓標の前に、スコップを持って立っていた。

 ドゥーエ。スカリエッティの造ったナンバーズの、唯一の死者の名前だった。

「本当に掘り返すんですか」とティアナが問う。

「大丈夫。ちゃんと許可はとっているから」とフェイトが答える。

「そういう意味でなくて。ほら、さすがに墓を暴くのは、なんていうか、その」

「この下で眠っているドゥーエや、彼女を造ったスカリエッティを気にしているのかな」

「はい。いくら犯罪者相手だからといっても、墓を暴くはやりすぎです」

「スカリエッティが言ったんだよ」

 えっ、冗談でしょ。そんな素っ頓狂な声を上げるティアナ。フェイトは墓の前の土に、スコップを突き立てた。

「死んでしまったドゥーエの墓を掘り返してみてくれ。それで全部、解決するから」

 再生機みたいに、フェイトが囁いた。

「まさか、墓泥棒の真似事をすることになるとは思いませんでした」

「犯罪者の心理を知ることも、執務官には必要な経験だよ」

「そんなの、教本の中でだけ知ればいいんです。実地研修で学ぶなんて、洒落になりませんから」

「インディージョーンズだって、墓泥棒で大学教授だよ」

「だれですか、それ」

 やがて、曇り空から雨が降ってきた。土は泥へと代わり、墓掘りはピラミッドの発掘みたいに重労働だった。ティアナには、それが今は亡きドゥーエの呪いの涙に思えた。

「私たち、きっとドゥーエに祟られますね」

「いいや。それは、きっとない」

 そう言ってから、フェイトはシャベルを泥に突き立てる。カチンと、固い感触。棺に届いた音だった。

 執務服や雨合羽が汚れることもいとわずに、泥を払っていく。泥まみれの、墓から這い出たゾンビみたいに二人がなったころ、ようやく棺の蓋が姿を表した。

 質素な金属の蓋だった。物質固定化の術式が刻まれただけで、あとはただ平たいだけの蓋だった。

 二人は何も言わずに、その蓋を開いた。

 棺の中をのぞき込んだティアナは「それは、きっとない」の意味をようやく知った。

 棺の中は、空っぽだった。







「防疫08部隊、管理局を裏切ったのね」と、元防疫08部隊の白烏花は言った。

「嗚呼、そうだな」とザフィーラが言った。

「というと、もう私が証言する必要もなく、08は悪者なのね」

「そうだ」

「私は証人ではなくなったの?」

「どうだろうな」

「どちらにしたって、私が居なくても彼らは悪者なのよね」

「そうだ」

 淡々とした会話だった。

 防疫08部隊から逃げ延びた烏花とザフィーラは、クラナガンの端にあるモーテルに泊まっていた。そこでの会話である。

「もし、私が証人でなくなったら。それでもあなたは、私を守ってくれる?」

 淡々としたなかに、少しだけ感情を込めて言った。

「私の仕事は盾だ。盾は主を選べない」

 その回答に、烏花は「つまらない人」と呟いた。

「私は行くわ」そう言ってから、烏花は立ち上がった。立ち上がり、最小限の荷物を纏めると、自らのデバイスを掴んだ。

「どこに行く気だ」

「戦場へ。08の連中をぶん殴ってやるのよ」

「本気か」

「本気よ。兄さんだって、生きていたらそうしているはずだもの」

「それがお前が言っていた“正義”か」

「もしかしたら、単純に腹がたっているだけかも」

 ザフィーラは大きなため息をついた。そして

「私は盾だ。盾は主を選べない」

「そうね。だから、あなたと私は今日でお別れ」

「そう言う意味じゃない」

「じゃあ、どういう意味?」

 ザフィーラは変身した。白い魔術光の幾何学模様でもって、真っ青な狼にへと。その狼の姿こそ、彼の本来の姿だった。

 鋭い牙は星のように三日月のように固く、何だって切り裂けそう。青い毛並みは逆立ち、いつだって戦えると主張していた。瞳だけは、かつての優しそうな面影だった。

 ザフィーラは吼える。

「私は盾だ。盾は主人を選ばない。だから、私を手に取れ」

 つまらない人。お前を守るって、ストレートに言ってくれれば嬉しいのに。

 そう言えばと、烏花は思い出す。かつてザフィーラが言ったこと。“人間の姿はオフィシャル”、“狼の姿はプライベート”。

「変な人。いや、狼か」

思わず笑ってしまった。






[6695] 12/戦争
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:1547939b
Date: 2009/07/12 09:07
 ヴィータは目を覚ました。そして、辺りを見渡した。

 白い部屋だった。パッキングされたみたいに白い部屋の中で、縛られていていることに気づいた。錯乱した病人を縛り付けるための、頑丈で柔らかな拘束着でだ。芋虫みたいに床を転がっている。

「うう」

 喋ろうとして、しかしそれも無理だった。口の中には、これまた専用の拘束具が嵌められている。魔法をつかって拘束を破ろうとしたが、しかしそれも駄目だった。夜天の書の魔道で出来たヴィータの体、それを食むようなアンチ・マギ・リンク・フィールドが白い部屋に満ちていた。皮膚がピリピリと痛む。

 ただ、空腹は不思議と無かった。首を動かし縛られた腕を見ると、小さな絆創膏。栄養注射の跡だった。

「うう」と、間抜けな声でため息をつくヴィータ。こんな状況だというのに、最初に考えたのは「はやてに見られるのはいやだな」だった。八神はやてにこんな姿を見られるのは嫌だった。もしかしたら泣かれるかもしれない。怒られるかもしれない。まず無いとは思うが、写真に撮られて笑われるかもしれない。そのどれもが情けなくて嫌だった。そのどれをもしてしまうかもしれない、それが八神はやてという人間だ。

 不意に白い扉が開く。

 現れたのは、数人のガスマスク集団だった。黒ずくめの、カラスみたいな防疫08部隊だ。

「ご機嫌いかがかな。小さな鉄騎士君」

 酷く甘ったるい声、隊長の腕章をつけた男の声だった。

 喋れないので、睨みつける。

「そうだ、喋れないんだったな」と隊長は言い、隣に控えていた副官に指示を出す。副官がヴィータの口枷を外した。妙に女性的な雰囲気のする、奇妙な手つきでゾッとする。

「隊長のご好意に感謝するのです」

 これまた女性的なイントネーションで、しかし男の声だった。

 やっと開いた口で、副官に唾を吐いた。罵声の代わりだ。

「寝起き一番の、歯磨きだってして無いギトギトの唾だ。喰らいやがれ、このアンポンチン」

「下品ですね。闇の書の品格を疑います」

 副官の言葉に驚愕するヴィータ。

「おい、なんで闇の書のことを知ってんだ? あれは機密事項だぞ」

「簡単なことだよ。鉄騎士君」と隊長が言う。ガスマスク越しに、笑っているのが分かった。そして「私たちは、君たちのことをよく知っている」

 その言葉を合図に、防疫08部隊の隊員たちがガスマスクを脱ぎ始めた。隊長も、副官もガスマスクを外す。こんなのいらないといった具合に、床にほうり捨てる。隊員たちの素顔がさらされた。恐ろしい顔だった。

「うそだろ。こんなの酷すぎる」

 ヴィータが言えたのは、それだけだった。顔を真っ白にして、そう言った。防疫08部隊の素顔から、目を離せれなかった。そのどれもが、よく知った顔だった。

「酷すぎるよ。これじゃ、はやてや、なのはが報われない。スバルやティアナや、フェイトやちびっ子どもはもっと報われない。ナンバーズの奴らや変態博士だって。あたしたちはずっと騙されてたんだ」

「そうだ、だまされていたのだよ。管理局に正義はない。こんな私が、一部隊を率いていたのだからな」

「悪魔め」

「悪魔でいいよ。私は悪魔だ。よみがえり、神々に決戦を挑む、終末の悪魔だ」

 よほど愉快だったのか、隊長は笑い出した。耳を塞ぎたくなるような、騒がしい笑いだ。嘲りにも聞こえる。昔を思い出す、嫌な声だ。副官もつられて笑い出す。他の隊員は笑わなかった、揃って魂の抜けた顔で、直立不動を通している。もしかしたら、本当に魂が抜けているのかもしれない。その証拠に、彼らの顔は、揃ってみんな同じ、クローンみたいな――。

「さて、顔色の優れない鉄騎士君。きみは何故生かされているのか、分かるかい」

「わかんねーです。バカヤロウ」精一杯の強がりで睨みつける。

「やはり闇の書には対人コミュニケーションのプログラムはインストールされていなかったようだ」隊長なりの冗談。

「かんたんだよ。君を生かした理由。それは君にメッセンジャーになってもらうためだ」

 そして、隊長は語りだす。

 今までの全てを。

 そして、これからの未来を。

 それは全部、こんなはずじゃなかった世界のお話だった。







〈ヨダカより、H・Q・ビレッジバンガードへ。08の居所が割れました。位置座標を送ります〉

 高い高度七千メートルで、市蔵ソラは暗号念話を地上に飛ばした。

〈了解。そのままの位置から観測任務を続けてください〉

 司令室の指示に従い〈ヤー(了解)〉と返答。そのまま飛行を続けた。



 高い空だ。黒い翼が凍えてしまいそうになる、冷たい空だ。雲は無い。鳥の姿で、鳥のように夜空を飛ぶ。そして、ヴィータがいるであろう、地上を見る。

 冷たい観測兵の瞳で見たのは、廃棄された街並みだった。取り壊しが決まり、数年後にはなくなってしまうであろう、ゴーストタウン。JS事件でも戦場となった、まさに戦争にはうってつけの街並みだ。いつかの、ゲヘナの街を思い出す。

 灰色の街の、ビルの隙間を蠢くも物がある。黒い防護服の、カラスみたいな防疫08部隊だ。闇夜に隠れて、戦争の準備を進めている。隠れているつもりだろうが、それでもソラの瞳からは逃れられない。今だったら、何だってさがしてみせる。そんな高揚感が胸の中で燃えていた。

 同時にソラのなかの酷く冷静な冷たい部分が伝えてくる。

 ――彼らは負けるつもりだ。

 防疫08部隊の動きは、酷く歪だった。

 たった五十人にも満たない小隊規模で、管理局と真っ向から戦争をする準備を進めているのだ。クーデターを起こすための奇襲でもなく、逃げ延びるための遁走でもなく、全面的な戦争だ。きっとお互いに大変な損害が出る。死人だって出るだろう。そして、お互いに血を流し、死人を出した後、防疫08部隊は負ける。目的が見えなかった。

 目的の無い戦争。それはゲーム世界の歪な不条理のように見えて、背骨が凍りついたみたいに軋んだ。

〈H・Q・ビレッジバンガードより、ヨダカへ。0400にて作戦を開始〉

 0400、早朝四時から作戦開始。開戦は早朝、夜明けと共に。

 管理局の陸士たちによる包囲戦、その隙を衝いてシグナム率いる航空12部隊がヴィータを救出、包囲網の内側より敵首謀者を急襲する電撃戦。その予定。しかし、

〈予定は破られるためにあるもの〉

〈ヨダカ、何か言いましたか〉

〈敵が動き出しました。開戦、早まりそうです〉

 不気味に空を飛ぶ、カラスのようなアハト(08)の兵隊。それが捩くれた熱召還デバイスを掲げて、真っ直ぐに管理局の兵隊へと向かっていっていた。やがて、火が上がる。開戦の烽火だ。アハトのカラスたちが炎を召還し、捩れた異国のテンプレートで街を焼く。兵隊たちの目を、炎が覆う。炎に隠れたカラスが管理局の兵隊を焼き払う。

 燃える臭い。

 命の燃える臭い。

 肉の焦げる臭い。

 大地の焼ける臭い。

 死の臭い。

 何度も嗅いだ、偵察兵の劣等感をえぐる戦いの臭い。

 無傷の傷。私はいつも無傷。戦うのも、救うのも、私以外の誰か。

 私は高い空から見ているだけ。

 翼にしみこむ、魂の臭い。

 魂は重い。

 “軽くあれ”と願う。この重たい臭いで翼が凝り固まってしまわぬ様に。劣等感を捨て去りたくて、なんども「軽くあれ」と唱えた。

 そして、焼ける大地を眺めつづけた。

 悲劇を見るのが観測兵の仕事で、傷つかないのが偵察兵の義務で。それがソラの戦争だった。

 重たい煙が、目に沁みた。







 シグナムはバードランド分隊を率いて、夜空を滑空していた。

 赤い髪と、菫色の騎士甲冑を風に靡かせ、ソラからのガイドを頼りに飛んでいる。

〈敵が接近しています。いま、上空からの映像を送ります〉甘くひび割れた、天空からの連絡。ソラの声だった。

 同時に、シグナムの脳裏の視覚野に、念話の要領でおくられてきた航空写真が点滅する。燃え上がる灰色の街並みと、灰色コートのバードランド分隊、それらを率いる菫色が見えた。そして自分たちに接近する、カラスみたいなアハトの姿も。

 ついでに、視覚情報と一緒に紛れ込んだ、悲しみの術式なんかも見つけた。いわゆるバグだ。

〈おい、ヨダカ。お前のおくってくれた航空写真、ピンボケだ。カメラのレンズはちゃんと拭いておくように〉

〈それって、涙を拭けってことですか〉

〈感情の起伏が術式に混じりこんでいる。ヴィータは必ず取り戻す。だから安心しろ〉

〈泣いてはいませんけど、ヤー(了解)〉

〈やけに反抗的だな。駄々っ子ヴィータの亡霊がのり移ったんじゃないのか〉

〈縁起でもないこと、言わないでください〉

〈冗談だ。怒るな〉

〈最低です〉

〈でも、元気は出ただろう〉

 ニヤリと笑って、空を見上げた。それを偵察兵の瞳で確認したソラのため息が聞こえた気がした。

〈元気出してください。ヴィータ副隊長が帰ってきたら、お疲れ様会をしましょう。ご馳走、沢山用意して〉とファビアンが言った。

〈代金は俺たち持ちだ。存分に食べていいぞ〉と、孫娘を甘やかすみたいな老兵ルルー。

〈おい、まて。そんなことしたら俺たちの財布は空っぽになっちまう〉と最近買った車のローンが厳しいリヴィエール。

〈お洒落だって教えてあげよう。“お兄さん”が可愛い衣装を見繕ってあげる〉と、お洒落好きのペルラン。

〈ゲイは“お姉さん”じゃないんだな〉と、見当違いな答えのロビーノ。因みにゲイとはペルランのこと。

 いつも通りに騒がしく、間の抜けたバードランド分隊の隊員たちだった。

 ソラは、少しだけ嬉しくて、涙がこぼれそうだった。脊髄と脳を食むイカルス・デバイスが流れ出る水分と塩分のロスを許さなかったけれど、心の中では泣いていた。

 うれし泣きは久しぶりだ。

 あふれ出しそうな感情を瞼の奥に押し込めて、報告をした。

〈三十秒後にアハトのカラスたちとぶつかります。戦闘の準備を〉

 甘くひび割れた声で言った。少し明るめの、弾んだベーだった。

〈ヤー〉とバードランドの六人が声を揃え、それぞれのデバイスを機動させた。六刃の刃が煌き、ブースト用のアクセラレータ魔方陣の輝きが見て取れた。ティンパニーを叩くような破裂音でカードリッジがリロードされ、銀色の薬莢とダクトから流れる水蒸気が銀色に煌く。

 機械仕掛けの魔剣を抜き払ったシグナムが、刃を掲げる。そして宣言。

〈バードランドの全員へ告ぐ。私たちは仲間だ。今は七人だが、次飛ぶときは、ヴィータを交えた八人だ。繰り返す。次ぎ飛ぶときは八人だ。絶対に帰ってくるように〉

 夜空に六人分のヤーが響いた。

 アハトのカラスが放った炎が夜を塗りつぶしたのと、同時だった。




[6695] 13/シュピーゲルⅡ
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c621e98d
Date: 2009/07/14 12:16
 

 廃棄された街並みを、一台の車が走っていた。

 その車の助手席で「私はね、本物になりたいの」と白烏花は言った。

「それはどういった意味だ」とザフィーラは問う。

 彼は今、人間の姿で車のハンドルを握っていた。

 烏花は、煙草を咥えた。そして、魔法でもって火を灯した。ガスにも、リンのも、ススにも侵されない魔法の炎が、煙草の先を炙った。蛍が舞ったような光景だった。

「私はね、あちこち記憶がないの」

「故郷の、滅びてしまった世界での記憶か」

「そうね。それもある」

「他にもあるのか?」

「ええ、兄さんが管理局を辞めてテレーゼを探しに出かけたころ。私ね、重たい病気に罹ってたんだ。酷い脳炎になりかけてね、そのころの記憶が曖昧なの。だから、私は兄の言った最後の拜拜(バイバイ)を知らないの」

「だから、兄の後を追おうとするのか」

「ええ。そうすれば、兄さんがどんな顔で私に拜拜って言ったのかわかる気がするの」

 烏花は、大きく煙を吐き出した。白い煙は狭い車内をメローに満たした。戦場はいつだってメローだ。煙った視界が夢見ごこちなんだ。そう、彼女は思った。

 入院中の烏花に兄がかつて読み聞かせた、オブライエンの小説の影響だった。

 そのことを、烏花はまったく覚えていない。記憶がない。つまりはそういうこと。

「拜拜の記憶はね、案外大切なものなのかもしれない。だってその証拠に、私は未だに睡魚兄さんを追っている」

 ザフィーラは、ただ耳を傾けているだけだった。何も言わず、頷きもせず、ただただ聞いていた。

 彼の右足が、ブレーキを踏んだ。車が目的地に着いたのだ。空が赤く染まっている。街が燃えていた。その炎の中こそ、彼らの目的地だった。

「煙草をくれないか」

「いいわよ。はい、どうぞ」

 烏花の銀色のシガレットケースから、細長い煙草が登場した。それは、ザフィーラの無骨な指に摘まれ、咥えられた。

「じっとしてて。火をあげる」

 烏花の顔が、ザフィーラの顔に近づく。二人の煙草の先がくっつきあい、火が移る。二つの煙草の先から煙が立ち昇る。

 触れ合ってもいないのに、その様子はまるで接吻。

 ためらう様に、お互いに顔を離した。メローだった。

 煙草を根元まで吸い尽くして、廃棄街を焼く炎に負けないくらいの煙を吐き出して、車から出た。やっぱり、二人っきりの紫煙のほうが負けていた。

「この火事、何の意味があるんだろうな」

 街を焼き尽くそうと燃え上がる、炎の嵐を眺めてザフィーラが言う。

「発射台よ」と、烏花が答える。

「発射台?」

「そう。広域魔法で街を焼くと、水蒸気をたっぷり含んだ上昇気流が吹き上がるの。その風に気化した化学兵器や細菌兵器をのせると、それは雲になり、雨になり、国を滅ぼすくらいに撒き散らされるの」

「もし、アハト(防疫08部隊)の連中がそんなことをすれば」

「死の雨が降るわ。そして、クラナガンは滅びる」

 ごうごうと吹きすさぶ風の中に、かすかにサイレンが聞こえてきた。近隣の地区では、避難勧告が出されているようだった。この火事をみて、管理局の上層部も「発射台」のことに気づいたらしい。

 同時に、高い高い天空の七千メートルから、暗号念話が落っこちてきた。市蔵ソラからの、通信だ。

〈ヨダカより、ザフィーラへさんへ。隣に居るのは白烏花さんですね〉

〈ああ、そうだ〉

〈アハトが生物兵器をばら撒こうとしている情報があります。専門家の力が必要です。協力願えますか?〉

 ザフィーラは烏花の方を見た。彼女は大きく頷いた。

〈私たちは何をすればいい〉

〈敵の本陣に向かってください。道はバードランド分隊で切り開きます〉

〈了解した。任せたぞ〉

 通信が終わり、そのころには既にバリアジャケット姿の烏花がそこにいた。真っ黒なドレス、白い肩にカラスの羽みたいな黒髪が流れ落ちる。顔は月の様に静かで白い。腕に捩くれた熱召還用ジン・デバイスを抱えて、魔女みたいに立っていた。

「ドレスが白ければ、結婚式みたいで素敵なんだがな」

「黒しか持っていないの。葬式屋さんだから」

 ザフィーラも、三日月みたいな牙の蒼狼に変身した。背中に乗れと、烏花に吼えた。背中は広く、温く。細い体を受け止めた。

「いきましょう」

「ああ、いこう」

 蒼い風が吹く。四足の鍵爪が空中を引っかき、夜空を蹴った。飛行魔法の、空中浮遊の神秘でもって、二人は空を翔けていく。

 二人で、一匹の獣のようだった。蒼い狼の背中から、黒い翼が生えているみたいだった。

 何故だか、その感覚が懐かしいように、烏花は思えたのだった。







 アハトのカラスが夜空を駆る。捩れたデバイスの歯車の動きで、炎を召還する。街を、人を、赤い舌が舐め取っていく。舐めとられた後は、どろどろに溶けた灼熱か、真っ白な灰だった。

 そんな地獄を、シグナム率いるバードランド分隊は飛んでいた。

 荒れ狂う炎が渦を巻き、飛行をより難しい物へと変えた。火が竜巻になり、焼き尽くしながら、吹き飛ばしながら、吸い込みながら渦巻いている。それらを突っ切り、飛び回る。黒いカラスたちを墜していく。

 機械仕掛けの魔剣レヴァンティン。それを振るう烈火の将シグナム。炎を切り裂き、カラスどもをきり飛ばし、時には自らも炎を振るう。文字通り烈火のごとく真っ赤に焼けた魔剣で血路を切り開く。

 やがて来るであろう、ザフィーラと烏花が進むために。ヴィータの帰る退路のために。一心不乱に剣を振るう。

 炎と炎がぶつかり合う。空気が焼ける。思考も焼ける。魔剣を振りぬく。叫びを上げる。刃を揺さぶる魔力カートリッジの破裂音。銀色の薬莢がはじけ飛び、魔力の満ちる頼もしい感覚。稼動部分が火花を上げて、あふれ出す魔力のアフターバーナー。切り裂き、焼きつくし、切り伏せる。刃先から灼熱。夜明け前の空中に小太陽が出現して、その火球に飲み込まれたカラスは羽をもがれ墜落する。大地に叩きつけられる。

 生きているか、死んでいるか。それを確かめる時間さえない。切り伏せて、切られて。それが延々と続いていく。

 不意に、一人のカラスが突っ込んできた。真っ直ぐに、炎に焼かれることも厭わずに。そして捩くれたデバイスを掲げて、何かを唱えた。

 光が満ちた。

 自爆だった。

 世界を覆う、濃密な魔力。かつてのヴィータを一撃で仕留めた、凶悪な炎。

 しかし、それがシグナムに届くことは無かった。

「どうやら間に合ったみたいだ」

 シグナムを守護するように、黒い翼を生やした蒼狼が出現していた。盾の守護獣、ザフィーラだった。翼のように見えたのは、黒いドレスの烏花。硬質な光の魔方陣で、すべての熱と、衝撃を受け止めていた。

「いかれている。戦えなくなるほど消耗すると、ああやって自爆するんだ」

「だからといって、お前までそんな自暴自棄な戦いに付き合うことはない」

 そう言ってから、シグナムの背後を見るザフィーラ。シグナムの後ろには、殆ど無傷なバードランドの隊員たち。心配そうな顔の、部下たちだった。

「仲間をつかってやれ」

「死を呈して戦う者相手に、集団戦や戦略といった類は無粋に思えてしまってな。すまない」

「お前の良いところであり、悪いところだ。少しはサボれ」

「盾の言うことは違うな」

「盾は剣とは違って一人じゃ戦えないからな」

 少しだけ、笑った。自暴自棄的だったけれども、それは確かに微笑みの類だった。

「おいウーファ」と、シグナムが烏花を呼んだ。そして「頼んだぞ。ザフィーラは盾だ。一人じゃ戦えないらしい。剣が必要だ」

「任せて頂戴。元防疫08部隊トップ・エースの実力、伊達じゃないわよ」

「訂正だ。盾だってぶん殴れば立派な凶器になる」

 笑った。少しではなく、盛大に。バードランドの男たちが「そりゃそうだわな。女の子の前じゃカッコつけたいよな」と笑った。男たちはゲラゲラと笑って、煙でむせた。シグナムは意地悪そうに「ほう、まさかお前が“守るべき相手”に惚れるとはな」と笑っている。ザフィーラだけは、照れたような、苦々しいような、複雑な表情。狼の癖に、今までで一番人間臭かった。烏花は、はにかむ狼を初めて見て心のそこから愉快だった。

「敵の本陣はこの向こうだ」と、シグナムが指差す先。テレビ塔だった。

「ここは任せた。すぐに終わらせて、帰ってくる」

「いつまででも待っていてやる。でも、なるべくなら早く帰ってきて来い」

 シグナムのもとを去る、黒い翼の青い狼。バードランドの全員がそれを見送った。

 ひと時の邂逅、そして戦場が帰ってくる。

 大地に臥していたカラスたちが、捩れたデバイスの演算式で飛行を開始する。ボロボロの防護服を翼のようにはためかせ、ザフィーラと烏花を追おうとする。しかし、

「ここは通さん。二人の邪魔はさせん」

 シグナムが魔剣を振りかぶり一閃。純魔力炎が嵐のように吹き荒れ、カラスたちの魔力心臓を焼いた。

 アハトのカラスの頭巾が脱げて、その素顔が露になった。

 恐ろしい顔。

 バードランドの全員が、不吉な予感を抱いた。

〈ザフィーラ、帰って来い! こいつらは普通じゃない〉

 その声は、広域焼却魔法の激しい魔力風で届かなかった。遥か遠く、飛び去っていく黒い翼の青い狼。もう帰ってこれない。きっと地獄を見ることになる。

 その予想は的中することになる。







 ザフィーラと烏花がテレビ塔にたどり着くと、そこには数人のアハトのカラスがいた。

「細菌兵器はこの上よ」

 副官の腕章をしたカラスが喋った。妙に甲高い、男の声だ。

「親切なんだな」とザフィーラが皮肉気に笑った。

「私たちの目的は、細菌をばら撒くことじゃないもの。“ばら撒くことが出来る人間”が管理局の中にいた。そういう事実が広まれば、それで十分なの」

 男の声が、ますます高くなる。高くなるだけでなく、声質も変わっていく。

「宣戦布告よ。私たちは管理局から離反する」

 ここで副官の声は完全に女のそれに変わっていた。

「ゲームをしましょう」と、女の声で、副官が言う。

「どんなゲーム?」と烏花が言う。

「簡単なゲームよ。あなたは細菌兵器を浄化しに行く。それを私たちが邪魔をする。狼さんは私たちを食い止める」

「受けて立つわ」

「あなたのそういう直線的なところが好きよ」

「あなたのそういうふざけたところが大嫌い」

 テレビ塔にむかって歩き出す、烏花。颯爽と、長い手足を振り子のように行進させながら、黒いドレスで入場する。

 ふと、思い出したように振り返り、ザフィーラに向かって微笑んだ。月光みたいに淡い笑み。

「次は白いドレスを着てくるわ」

「狼にも似合う、タクシードと蝶ネクタイで迎えよう」

「狼の姿はプライベート、か。あなたのそういうふざけたところが大好きよ」

「ありがとう」

 それが彼らなりの拜拜(バイバイ)だった。そのまま黒いドレスはテレビ塔の奥にへと消えていった。

「邪魔しないんだな」とザフィーラが言う。

「あのこが浄化を終えて帰ってきて、最初に見るのがあなたの亡骸ってのも、なかなかいいストーリーだと思わないかしら」と副官が笑う。

 副官は頭巾を取った。長い髪と、仮面のように整った女の顔が露になる。死んでしまっていたはずのナンバーズ、ドゥーエの顔だ。

「これが私の本当の姿。素敵でしょ」

 手袋も外した。しなやかな女の指と、そこから生えた鋼鉄の鍵爪も見えた。

「確かに美人だが、私に色仕掛けは通じないぞ」

「いいえ、通じるわ。飛び切りのを用意してるの」

 パチンと、鍵爪を弾いた。それを合図に、アハトのカラスたちがマスクを外し始める。ベルトを解き、ゴーグルを外し、黒い頭巾を脱ぎ去り。一人、また一人と恐ろしい顔が露になる。

 すべて、同じ顔だった。白烏花の顔だった。

 ――私はね、本物になりたいの。

 そんな声が聞こえた気がした。







 ながい階段を駆け上がっていく。

 階段は急で、殆ど四つんばいみたいにして烏花は上って言った。なぜだか、その感覚が懐かしかった。

 邪魔は一度も来ない。ただ、下の方から聞きなれた火炎の音と、何かを砕くような音が聞こえた。硝子が砕けるみたいな悲痛な、でも綺麗な音だ。きっとあの青い狼さんが、透明な水晶の魔術式で出来た盾で戦っているのだろうと思った。その綺麗な盾が砕けないことを、心の底から願った。

 願っているうちに、最上階にと到着した。

 扉をあけると、青い血膿に塗れた防護服姿の女が床に横たわっていた。ティンダロスの猟犬だった。いつかの海上プラントで焼却した素体とよく似ていて、一発でわかった。

 ティンダロスの猟犬は、今にも消えてしまいそうな命を握り締めていた。彼女が死んだとき、その免疫系が崩壊して、彼女の体の中の細菌たちは一斉に活性化する。そして増え、満ちて、この街を焼き尽くす炎の上昇気流にのって、死の雨となってクラナガンの街を青く染めるだろう。

 次々と、思い出していた。

 ティンダロスの猟犬のこと。

 滅びた故郷の、空が落ちてくる様子。

 懐かしい父と母の顔。

 青空に上っていく、葬送の煙。

 自分がかかってしまった、酷い病気のこと。

 そして、兄さんとの拜拜(バイバイ)なんてなかったことも。

 ティンダロスの猟犬を目の前にして、すべてを思い出そうとしていた。

「私は、本物になりたかったんだ」

 震える手で、横たわるティンダロスの猟犬の頭巾を取った。

 青く濡れた黒い髪が水のように流れ落ちた。白い顔。満月のように静かな、白い顔。シュピーゲル(鏡)の中で見慣れた、私の顔。

「あなたが本物だったのね」

 ティンダロスの猟犬、その顔は白烏花とまったく同じだった。

 すべてを思い出した。

 ――私は、とある偏狭世界で病魔に侵された。そのせいで血は青く染まり、脳は侵され、たって歩くことも出来なくなった。四つんばいの獣みたいな闘病生活。兄の読んでくれる異世界の物語と、テレーゼの教えてくれる外の世界のお話を糧に、それだけを希望に生きてきた。やがて、テレーゼが居なくなり、兄も旅立った。私は一人になり、そして。

「沢山の“私”が造られて、その中で一番マシだった私が、新しい白烏花になった」

 兄の拜拜(バイバイ)を知っているはずなんてないんだ。彼の背中を押し、別れを告げたのは、目の前にいる青い血に塗れたティンダロスの猟犬と呼ばれている“私”だ。クローン人間の、偽者の私が知るはずなんてないんだ。

「うう」と、ティンダロスの猟犬が鳴いた。弱弱しく手を持ち上げ、空を掴もうとしている。空に上がりたいのかもしれない。いつかの燃える煙のように。

 その手を握った。冷たい手だった。

「思い出してあげれなくて、ごめんね。あなたの人生を奪ってしまって、ごめんね」

 烏花の腕の中で、ジン・デバイスが起動した。歯車を回し、光を放ち、大空に可視エーテルの光の模様を描いていく。

 花びらのように、赤い模様が空を覆う。

 リコリスの魔女が放つ、一番綺麗な魔法。天国からやってくる、ケルビムの、天使たちの赤い炎。

「白いドレスは着れそうにないよ」

 炎が全てを焼き尽くした。

 今さっきまで立っていた床を。今まで吸ってきた空気を。想い出を。記憶を。青い血を流す烏花を。彼女の眩しそうに細められた瞳を。気のせいか、それは笑みの表情に似ていた。

 天空に、炎で出来た花が咲いた。

 烏花、リコリスによくにた綺麗な花だった。






[6695] 14/グッドバイ・ピーターパン
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c62b43c9
Date: 2009/07/15 13:25



 もう少しだけ、書かなければいけない。




 天空に赤い炎の花が咲き、塔は崩れ落ちた。全ては燃え落ち、赤い花粉のようだった。

 その赤い花粉を眺めながら、烏花は落下していく。

 視界の端、白い翼を見た。天使だった。

 それからは、知らない。







 遠吠えが響いた。長く悲しい、よく響く声だ。

 崩れ落ちる塔の下で吼えたザフィーラは、四つの足で走り出した。大地を掴む。青い獣毛が靡く。背中の翼は失われた。代わりに瞳は潤んでいた。

 叫び、吼え、大地を叩き、走り、大きく口を開けて、牙を磨ぎ、舌を強張らせ、リンカーコアを震わせて、爪をつき立て、最初の一人を仕留めた。アハトのカラス、白烏花のクローンを、だ。好ましいと思った女と、まったく同じ顔をした柔らかな肉に牙を衝き立てた。青い血が吹き出る。金属のフレームが飛び出る。獣性に任せて振り回して、引きちぎった。唯の肉でしかなかった。

「存分に食らいなさい。あなたのために用意した、彼女そっくりの死体人形よ」とドゥーエが笑う。

 アハトのカラスたちは、最初から死んでいた。死んだ状態で生れ落ちて、ティンダロスの猟犬に感染していた不死をもたらすウィルスの加護で、どうにか腐っていないだけ。それを戦闘機人のサイボーグ技術で動かしていたのだった。

 そんな哀れな心無きサイボーグたちを、一人、一人、壊していく。

 白く輝く盾を張る。“盾だってぶん殴れば立派な凶器になる”。ギザギザと尖った三角形の盾が、白く輝きカラスの腹を抉る。地面に縫い付ける。青い血を浴びる。

 この青い血の毒で死んでしまいたかった。しかし、人間だけにしか罹らないティンダロスの病魔は、狼の姿のザフィーラを侵すことはなかった。それどころか、不死の奇跡の代償で感染力も少しもなかった。

 肉を食む。金属の脊髄を砕きながら、次の獲物に飛び掛る。カラスが炎の魔法を紡ぐ。世界を焦がす炎が降る。白い幾何学模様の光の盾で、熱を防ぐ。白い光と一緒に、飛び掛る。硬くて、重くて、熱く熱せられた盾がカラスを押しつぶす。水晶のように透き通る盾の向こう、無表情な烏花の顔が見えた。偽者だと念じて、押しつぶした。青い血が絞られる。

 爪を払う。魔力が燃える。誰かを守るための堅さは、壊すための硬さでもあった。

 最後の一人に牙をつき立てた時、ザフィーラは一人ぼっちだった。声を上げて笑っていたドゥーエの姿も見えない。

 修羅。青い体。青い血に染めて、肉と機械の地獄の只中に。

 遠吠えが響く。それも傾く塔の軋む音にかき消された。灼熱で鉄骨の溶けた塔は崩れ落ちた。その音にかき消されないように、吼え続けた。

 お前の偽者はもういない!

 あの烏花こそ偽者だったことを、ザフィーラは知らない。

「救いあれ」と、天使が呟いた。







 高町なのはは、白いバリアジャケットに身を包み、真っ赤に燃える戦場の空を飛んでいた。そして、靴から生えた桜色の翼を翻して、とあるビルの窓に突っ込んだ。

 硝子が煌く。雨見たいにキラキラと。その硝子を突き破ったレイジング・ハート、槍の姿のデバイスの穂先もキラキラと輝いていた。タイル張りの床に着地、飛行魔法を解いて、歩き出す。

 カツリ、カツリと、足音をたてながら進んでいく。何の変哲もない、綺麗な部屋と廊下だった。ただ、廃棄されていたはずなのに、綺麗過ぎた。きっと誰かが使っていたのだろう。例えば、防疫08部隊だとか。

 やがて、目的の部屋にたどり着く。

 部屋の前には、門番が居た。息絶えていたけれども。心臓の銃創から青い血を流した、烏花そっくりの顔をした女だった。彼女の目の前にあった硝子が粉々に砕けていた。おそらくは狙撃での殺害。

 彼女のポケットからわざとらしくはみ出したキーを拝借して、ドアノブに差し込む。ガチャンと、仰々しい重たい音で鍵が外れて、扉が開いた。

 パッキングされたみたいに白い部屋の真ん中で、ヴィータが拘束されて蹲っていた。

「ヴィータちゃん、しっかりして!」

 拘束具を外して、力なく蹲ったままのヴィータを抱き寄せた。彼女らしくない、悲痛な表情。地獄の門から地球の裏側を覗いたみたいに絶望していた。

「助けなきゃいけないんだ。救われなきゃいけないんだ。じゃないと報われない」

 子供みたいに、小さな声で震えていた。







 ソラは高い天空の八千メートルから、燃え上がるゲヘナの街を見つめていた。

 烏花が炎に消えた。ザフィーラが吼えている。烏花そっくりの顔をしたアハトのカラスたちが、炎の術式で街を焼き続けている。黒いバリアスキン越しに、煮えたぎる熱の上昇気流を感じた。地獄だった。ヴィータがなのはの手によって救出されたと聞いたのに、まるで人事のように詰まらなかった。淡々と、偵察兵の悲観論で情報を処理した。

 偵察兵は子供には不向きな職業だ。世界の愛を知る前に、それの百倍恐ろしい物を直視しなければいけないことになる。

 帰ったら、ヴィータ先輩に甘えよう。そして、甘えてもらおう。そうしなくちゃいけないんだ。そうしなくちゃ地獄で心が凍り付いてしまう。

 イカルス・デバイス。氷の背骨が、凍りついたみたいに軋んだ。

〈なあ、ソラ。お前、人を殺したことはあるか〉

 百年ぶりみたいに懐かしい、ヴィータの声が地上から聞こえてきた。憔悴しきった様子の、かすれた声だった。きっと、あの地獄を見ているんだろうと思った。戦争は人を哲学的にさせる。

〈あります〉と、答えた。

〈この前言ってたのと違うじゃん。嘘つきめ〉

〈あの時は、自分が殺していたことに気づいていなかったんです〉

 上空八千メートルの告白。今ならば言える気がした。心を氷漬けにしようとする偵察兵の悲しみを、全部ぶちまけることが出来そうだった。

〈私は、見殺しにしていたんです。沢山の死んでいく人を見てきました。それと同じだけの人数を、見殺しにしていたんです〉

 見殺しにするのが仕事だった。それに気づいたとたん、戦場そのものが自分の罪のように思えたのだった。

 ザフィーラが悲しい声を上げるのも、ヴィータが捕まったのも、烏花が炎の中に消えたのも、カラスたちが火を放ち続けるのも。高く飛ぶほどに、たくさんのものが見えてしまって、それらの重さが羽を砕いた。それが、今まで上手く飛べなかった理由。

 無心で飛んでた時には、もう帰れない。

 足元で生きる命の存在を知った。

 それが案外身近で、ぬくもりあるものだと知った。

 いとおしくなって、地上のぬくもりを求めた。

 しかし、あの素晴らしい、成層圏の天国のような空も知ってしまった。

 鳥の心が空を求める。人の心が地上を求める。命の重さを知って、体の重さを知って、悲しみの重さも知って、人の温みさえも重たくて。

 高く飛べるようになった体と、地上を望む心で、空中分解してしまったのだ。だから、飛べなかった。

 知ってしまうことは、重みなんだ。ピーターパンだって、自分が鳥でないことを自覚した瞬間、空から愛してもらえなくなった。子供でないと、飛べないんだ。失われた軽さは、帰ってこない。

〈ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああつらい、つらい。僕はもう虫を食べないで飢えて死のう〉

〈宮沢賢治、ヨダカの星か〉

〈ヨダカは気づかなければよかったんです。虫が生きているなんてことを。そうすれば、市蔵(いちぞう)なんて名前で生き延びながら、夜の空をずっと飛んでいられたんです〉

〈お前は、知りたくなかったと思ってるのか〉

 ソラは足から生えた音叉をキシキシキシキシキシッと震わせ、青い炎で飛び上がった。対流圏海面を突き破り、羽を縮めて、弾丸のように急上昇を開始した。

 燃えた粉塵漂う、重たい雲を突き破る。体を縛る重力の鎖を、空気摩擦の破裂音で引きちぎり、群青色の天空へと羽ばたいていく。視界の端に朝日が燃える。地平の彼方が丸みを帯びて、高高度に来たことを歓迎する。雲でさえ届かない澄んだ透明度の空気が、レンズのように透き通り、天体たちが騒がしい。

 もうすぐ夜が明ける。その前に、答えを言おう。

〈私はいま、限界高度の成層圏にいます。成層圏は天国ように透き通っています〉

 大きく羽ばたき、滞空する。守護天使みたいに綺麗な真っ黒な瞳で大地を見下ろすと、そらを見上げるヴィータの姿が見えた。その瞳は青く綺麗で、成層圏によく似ていた。答えを待っていた。

〈飛ぶために飛ぶのは、子供だけの特権です。私は知りすぎました。飛ぶためだけのためには、もう飛べません〉

〈なら、何のために飛ぶ〉

〈守るため。愛しい重みを守るため〉

 重みさえ、今では燃料だった。翼を動かす決意だった。

 ――バイバイ、ピーターパン。バイバイ、ヨダカ。私は大人になりました。ネバーランドからも、バードランドからも、去らねばいけません。子供でもなければ、鳥でもないんです。私の名前は、市蔵ソラです。

〈ソラより、ヴィータ副隊長へ。命令をください。重くたって飛べることを証明してみせます〉

 青い瞳が、喜びに光った。嗚呼、フロイデ。喜びよ。

 軽くなる悲しみ。重みを増す決意。

〈副隊長より、命令を下す。アハトのカラスどもが暴れ続けている。そいつらを操っている奴がどこかにいるはずだ。お前の自慢の瞳で探し出せ!〉

〈ヤー。必ず探し出します〉

 守護天使のように、翼を広げる。人とかかわった証拠の、黒く染まった堕天の翼。地上を愛し、空を翔る、真っ黒な翼。

 瞳に写る世界。赤く燃えている。くすんだベクトルで魔法を放つカラスたちを追い、それらを操る魔法の声を聞き逃すまいと傍受する。

 声が聞こえる。甘ったるい、男の声。壊せ、焼き尽くせと叫んでいる。それがカラスたちを操る声の正体。

 声のほうに目をやると、火の手から逃れた高台の丘。二人の男女が見たこともない魔法を紡いでいた。防疫08部隊の隊長と副官だった。

〈いました! 目標はアハトの隊長と副官です〉

 反撃が始まる。





[6695] 15/レイン
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c621e98d
Date: 2009/07/18 20:04




 防疫08部隊、アハトの隊長は、輝く光の魔道言語でクローン・ウーファたちに命令を送っていた。

 ――壊せ。焼き尽くせ。炎を広めろ。

 腕にはめたグローブ型のデバイスの補助で宙に浮かび上がった幾何学模様のテンプレートは、アンテナとなって彼の声をアハトのカラスたちに伝えた。

「宣戦布告だ。この場所から、私の新しい一歩が始まるのだ」

 そう隊長は呟いた。

「ええ、愛するあなた。偉大なるあなたの歩みはここから始まるのです」

 彼の隣に控えていた副官、戦闘機人のドゥーエはそうい言った。

「ありがとう、ママン。父さんが、ゲオルグ・テレマン父さんが死んだ今、ママンだけが僕の味方だ」

「そう。私だけが味方よ。私が産んだ、私を作った愛しいあなた」

 狂った会話だった。普通ならばつじつまの合わない、奇妙な会話だった。ママン(母)が子を産み、子がママン(母)を生み出す。しかし、それであっていた。隊長とドゥーエは、そんなタイムパラドックスに満ちた、矛盾だらけの愛の只中だった。ウロボロスの蛇みたいに、自らの尻尾を食む、矛盾に満ちた永久輪環の愛だ。

 二人はアダムとイブみたいに笑っていた。小高い丘の高台から、自らが操るカラスたちが街に火を放っていく様子を眺めながら、似たような笑顔で笑っていた。隊長の顔はガスマスクで覆われていて見えなかったが、声や雰囲気だけで、似ていることは一目瞭然だ。母と子のように。父と娘のように、つがう男女のように。二人はそっくりだった。

 火が燃える。街が燃える。にくい敵が燃える。カラスも燃え、仲間が燃える。原始的な炎の誘惑が、二人を高ぶらせる。初めて人類に火を与えたプロメテウス。その原始的で神話的な幻惑が、科学的な体のデゥーエと、科学的な思考の隊長を魅了していた。

 それが命取りだった。

 遠くのビルに、輝く光が見えた。

 天体たちがざわめく、魔力の光。二重に噛み合う、魔方陣のカレンド・スコープ。桜色の奔流。まるでスタラーイト。シュテールネンテルツの輝き。

 それは光の速さで空気を破り、愛し合う二人を飲み込んだ。

 高町なのはの、一番綺麗な弾丸。砲撃魔法、魔法の名前が紡がれる。

 ――スターライト・ブレイカー。

 桜色の魔力が、全てを飲み込もうとしていた。







 ビルの上で、高町なのは教導官は魔法を放っていた。

 スターライト・ブレイカー。彼女の持ちうる、一番大きく、一番綺麗な魔法だ。

 魔法を紡ぐ。はるか遠くの三千メートル先。高台でステモシーバー(生体ラジコン)術式を紡ぐ防疫08部隊隊長に、鋭いレイジング・ハートの穂先を向けて、魔力を注ぐ。

「悲しみを吹き飛ばそう。止めなくちゃいけないんだ」

 叫びを上げる。心からの叫び。槍を保持して、敵へと放つ。魔法を放つ。

 桜色の幾何学模様で描かれた二重の魔方陣、それらが魔力を収束して弾丸へと成す。自らの持てる魔力を費やし、打ち抜くべき敵へと魔力を注ぐ。撃ち放つ。

 しかし、足りない。隊長の目の前に立ちはだかり、見たことのないテンプレートの光でスターライト・ブレイカーを防ぐ、副官ドゥーエの姿。両の手を突き出し、輝く光子のエネルギーでシールドを張り、身を挺して隊長を守っている。子を愛する母の愛。父を慕う娘の愛。禁忌の混じった男女の愛。墓から掘り起こされたときに狂ってしまった、環状感情回路。それらが頑なな力となって隊長を守る盾となった。

 対決だった。

「レイジング・ハート。力を貸して。カードリッジ、リロード」高町なのはの叫び、そして祈り。

「オーライ」と魔槍レイジング・ハートが相槌をうつ。バスンバスンバスンバスンバスン! 狂気さえもはらんだ、魔力カードリッジ全弾開放の力強い五連譜。その轟きが魔力の濃密なアフターバーナーとなって、砲撃魔法の威力を上乗せする。

 桜色が咲き乱れる。桜吹雪。香り立つような濃密なツァウベル(魔力)が、全てを飲み込んでいく。星空が落っこちてくる。

 ドゥーエも負けていない。エネルギーが全身を駆け巡る。それが桜色の魔力を弾き返す。それでも受けきらない魔力は、全身で受け止めた。腕を広げ、足を踏ん張り、歯を食いしばる。体中で金属のフレームが軋む音が聞こえた。機械仕掛けの体中で、ギアが唸る。リュウズが軋む。ベアリングが乾き、コンデンサが沸騰する。基盤が焼け爛れ、冷却のシステムが追いつかない。荒れ狂う冷却ファンの換気で体が穴だらけみたいに凍え、荒れ狂う桜色の魔力の奔流で焼き尽くされた。矛盾する二つの苦しみが彼女を覆いつくす。それでも負けられない。矛盾には慣れていた。機械でありながら、生命。娘でありながら、母。他人でありながら、自分。そんな矛盾だらけの自分を愛してくれる隊長の存在を背中に感じ、桜色の嵐が尽きるのを待つ。

 対決だった。

 勝敗が喫する。

 高町なのはの魔力が尽きる。レイジング・ハートが地面に落ちた。白いバリアジャケットが地に付こうとする。隣で祈るように手を握り締めていたヴィータが、倒れこむなのはの体を支えた。

「よくやったよ。カラスたちはもう動かない。みんな終わったよ」

 街中のカラスが、大地に墜落しようとしていた。アハトの隊長の操作が溶けたのだった。隊長はカラスたちを操るステモシーバー術式を解き、ドゥーエを守るように強力なアンチ・マギ・リンク・フィールドの盾をくみ上げていた。隊長のくみ上げた、魔力無力化の術式のお陰で、ドゥーエは立っていた。

 愛し合う二人の勝利だったのかもしれない。

 ドゥーエは振り返る。そして、ステモシーバー術式を投げ出して自らを救ってくれた隊長に微笑みかけようとした。

 銀色の弾丸が隊長の左手を引きちぎったのはその時だった。

 コンマ数秒遅れで聞こえる銃声は、音速をこえた弾丸の、質量弾狙撃の証拠。魔力伝導率の高い純銀製の重たい弾丸が、すべての魔術的防御を素通りして、真っ直ぐに隊長の左腕を奪った。防護服の防護術式を引き裂き、皮を削り取り、肉を食み、骨を租借し、痛覚神経を舐め上げて、透明なシューベルトの魔王みたいに隊長の左腕を刈り取っていった。

 銃声。ドゥーエの優秀な聴覚センサーが狙撃手の位置を捉えた。狙撃手は、なのはとヴィータのさらに一キロメートル後ろのビルの屋上に立っていた。

 狙撃手は背丈ほどの真っ黒な狙撃銃を持っていた。ブカブカと羽織ったフィッシュテール・コートが風に靡く。その下は、なぜか刑務所の看守の制服だった。その制服に、ドゥーエは見覚えがあった。ついさっきティンダロスの猟犬で殺してきた、カルロス・サルツェドが収監されていた刑務所の制服だ。しかし、それもすぐに思考の片隅に追いやられた。愛する隊長の悲鳴が、すぐ隣であがったからだ。遅れてきた、痛みの絶叫だった。

 ドゥーエは左腕を失った隊長を抱きかかえると、全力で走り出した。こういったとき、彼女の固有機能はまったく役に立たない。彼女は諜報用にデザインされたサイボーグで、人に化けることは得意でも、あたりの景色に溶け込む機能は備わっていなかった。

 銀色の弾丸が飛来する。魔弾の射手の自由狙撃。愛し合う二人を撃ち抜こうとトリガーが引かれる。黒いバレルが炎を吹く。望遠スコープの十字架瞳が彼らを逃さない。

 弾丸がドゥーエの背中に命中する。あばら骨の炭素フレームが捻じ曲がり、酸素供給が阻害される。光学伝達脊椎の命令系統が断裂、左足が痙攣する。それでも腕の中の温もりだけは手放さないように、硬く抱きしめて走っていく。ビルの陰を走りぬけ、魔弾の射手の射程外へと逃げ去る。

 いつの間にか通り過ぎていたゴールライン。

 いつしか銃声は止んでいた。

 助かったのだ。腕の中で隊長も笑っていた。大急ぎで治療を施して、千切れた左腕の血を止めてあげた。

「私たちは助かったんだ。逃げ延びている限り、私たちの勝利だ。そうは思わないかね? ママン」

「ええ。あなたの仰るとおりですもの。私たちの勝利です」

 互いに互いの体を手当てする。手負いの番の獣が舐めあうように、愛し合うように。丁寧に治療していく。そうして動けるようになったころ、廃棄された地下鉄をとおって逃げ延びた。地下には、すでに待ち合わせた協力者がいて、安全地帯まで一直線だった。

「私たちの勝利だ」

「ええ、私たちの勝利です」

 二人の笑い声が、クラナガンの底に響いた。







 なのはは、ヴィータの腕の中で狙撃手の姿を見た。砲撃魔導師の優れた視力が、彼を逃さなかった。

 狙撃手の彼が、深々とかぶっていた制服の帽子を脱ぎ、拜拜(バイバイ)と振った。現実味のない、不思議な人。幽霊みたいに消えてしまいそうな、死んでしまったはずのあの人。

 白睡魚だった。

 その隣に、真っ白な天使が舞い降りる。白く流れる、長い髪。緑色に燃えるエメラルドの瞳。両腕は真っ白な翼。テレーゼだった。

 その背中には、真っ黒なドレス。真っ黒な髪。そして月のように白く眠る、白烏花の姿も。

 手を伸ばした。しかし、当然届かなかった。

 見る見るうちに、睡魚の紡ぐ透明な魔法で、三人の姿が消えていく。高度な隠蔽の魔術で、幽霊のように消えていってしまう。

「行かないで。お話をきかせて」

 声は、願いは届くことなく、三人は消えてしまった。

 最後に見た三人の顔は、いつかの烏花の部屋で見た窓際の写真みたいに幸せだった。睡魚だけが、困ったような苦笑いだったのもそっくりだった。

 ――半端なオシマイだけど、まあいいか。

 そんな風に考えてしまったのは、苦笑いの彼からの影響だろう。

 きっとそうだと、心の中で言い訳した。







 ゲオルグ・テレマンの陰謀を探っていたフェイト・T・ハラオウン執務官とティアナ・ランスターあてに、手紙が届いた。それは何故か彼女らの車の座席に直接放り込まれていて、文鎮の代わりに刑務所の看守の帽子が添えてあった。

「贖罪をしたい。贖罪のために真実を伝えたい」の書き出しで始まったその手紙は、死んでしまったカルロスサルツェドからの手紙だった。

 それを読んで、二人は全てを知った。

 この事件の黒幕を。

 そして、自らの運命の業の深さを。

 もしかすると、絶望も。

 すぐさま真実を伝えるべく、現場を仕切っている航空12部隊の八神はやて部隊長にコールした。繋がるまでの僅かな時間さえもまどろっこしい。「はい、もしもし」とようやくはやてが電話にでた時、一番に二人の口からでたのは「遅い!」の叫びだった。

「遅いって言われても。こっちも色々と大変なんや」と、のらりくらりとした八神はやて部隊長。

「遅いもなにも。犯人が、黒幕がわかったんだよ。あわてないほうがおかしいよ」と、舌をかみそうな早口で捲し上げるフェイト・ハラオウン執務官。

「ああ、真犯人は別にいて、ゲオルグ・テレマンはそいつに操られていた。そういう話やろ」

「なんで知ってるの!」

「なんでも、なにも。もしかしてテレビ見てないんか」

「うん。ついさっきまで墓堀をしていて、ようやく現地の捜査官に引き継いだところ」

 ふう、と大きくため息をつく八神はやて。心底あきれた様子で「テレビを今すぐつけてみい。どんな頑固なシャックリでも、一発でとまるくらいにビックリできるから」

 はやてとフェイトの会話を盗み聞きしていたティアナが、いち早く車に備え付けられていた映像端末のスイッチを入れた。その迅速な行動のお陰で、心の準備が出来ていなかったフェイトの心臓は、凍りつくことになる。

 ――ひさしぶりだ。ミットチルダに住まう、善良なる市民の諸君。私の名前はジェイル・スカリエッティ。ついさきほど管理局から離反し、クラナガン中に細菌をばら撒こうとした、防疫08部隊の隊長だ。

 遠い世界の牢屋の閉じ込められているはずの彼が、ディスプレイの中で笑っていた。

 彼の左腕は千切れていて、血まみれの悪魔みたいな笑みだった。






 贖罪をしたい。贖罪のために真実を伝えたい。
 私カルロス・サルツェドと、彼ゲオルグ・テレマンの人生がいかれてしまった切欠は、JS事件が終わった次の春にあったと記憶している。そのころの私は、管理局の医療研究部で人工臓器やサイボーグ技術による、移植手術や蘇生術の研究に明け暮れていた。そして、テレマンは提督のポストに着き、いくつかの野心的な部隊設立を成功させ、JS事件を起こしたジェイル・スカリエッティの残した技術の管理を任されるようになっていた。
 彼とは古い付き合いだった。それが幸いしたのか、それとも不幸だったのか。私には判断しがたい。彼には何度も邪魔された。しかし、昔の友情が邪魔して、憎むことが出来なかった。まだ現場職にいたころの彼は、希望に満ち溢れていた。そして、私のよき友人だった。そんな過去の友情が邪魔をして、彼を憎みきることが出来なかった。

 話それてしまった。時間はないのだ。いそがねばいけない。

 要点だけ話すならば、私はテレマンに、とあるガイノイドの修復と、その体に眠るクローン生命の培養を依頼された。私は昔の友の頼みを聞き、すぐさま作業に移った。
 ガイノイドのほうは、完全に治すことは出来なかった。生体部品を取り替えながら、植物みたいな生命を繋いだだけで、腐らせないようにするのがやっとだった。そのことをテレマンに伝えると「ガイノイドはいい。クローン体の培養だけは、必ず完成させるように」と言われた。そして多額の研究費と、かつてジェイル・スカリエッティとプレシア・テスタロッサが関わったとされる死者蘇生プロジェクト。『FATE(フェイト)』計画の草案、結果報告、検体の資料を渡された。私の仕事は、ガイノイドの腹から取り出したクローン体を、プロジェクト・フェイトのプランに沿って培養するだけだった。それだけで、そのクローン体は胚になり、胎児になり、やがては赤子として生れ落ちた。プロジェクト・フェイトの記憶念写技術や成長促進によって、クローン体は一ヶ月あまりで大人の体を手に入れた。

 クローン体は、あのジェイル・スカリエッティのクローンだった。

 クローン・スカリエッティは、少し不安定なところはあれども、その脳はオリジナルに負けるとも劣らない天才だった。
 私がさじを投げたガイノイドを修復してみせ、彼女のことを「ママン」、すなわち母と呼ぶようになった。そして、彼が生まれるきっかけを作ったゲオルグ・テレマンのことを「父さん」と呼ぶようになった。クローン・スカリエッティは母を慕い、愛した。そして、父親に対して従順に従った。テレマンは、第二のスカリエッティという優秀な研究員を手に入れ、ますます力を強くした。

 やがて、テレマンはクローン・スカリエッティを防疫08部隊の隊長に推薦することになる。暫くして、最後まで反対していた現役の隊長が自殺して(もしかすれば、それもあの悪魔のせいだったのかもしれない)、クローン・スカリエテッィは防疫08部隊の隊長に就任した。同時に偉大なる母、ガイノイド・ドゥーエを副官として招いた。
 ここまでは、すべて順調だった。テレマンは力を蓄え、私は天才の紡ぐ奇跡の数々を目撃した。そして私自身も研究成果を上げてきていた。

 そのはずだった。

 最初はテレマンがおびえだした。「悪魔だ。言うことを聞かないんだ」と、言っていた。才能を持ち、自由に研究できる場所を持ち、ドゥーエという協力者を持った、クローン・スカリエッティ。今や彼は、一つの部隊を手に入れ、権力さえも手に入れかけていた。いつの間にか、私たちはクローン・スカリエッティのパペットと化していた。操り人形だ。

 そして、あとは転落だった。

 奴は悪魔だ。そのことを全ての人間が知らねばいけない。だから私は筆をとった。願わくば、この手紙があの悪魔を倒す銀の弾丸になるように。そう祈りながら、私はこの手紙を“彼”に預けよう。かつて私を撃ち殺そうとした、しかし今では最大の理解者である“彼”に。
 それが私のできる、精一杯の贖罪である。







 夜が明けようとしていた。

 朱の空と燃え上がる街の赤が混じりあい、世界は燃え上がっていた。まるで世界の終わりだった。

 その世界の終わりの空を、市蔵ソラは飛んでいた。

 世界を成層圏から見下ろす。アハトのカラスたちが落っこちていく様子が見て取れた。黒色の防護服をバタバタとはためかせ、地上へと墜落していっていた。捨てられた玩具の最後だった。

 正しく、世界の終わりだ。死者が蘇り、生人が死ぬ。だれも報われることなく、ただ悪戯に傷つけあった夜が明ける。

 天国のような成層圏を、天使のように飛びながら、ソラは思う。

 世界が終わった。私たちは、終わったあとの世界を生きていかなければいけないんだ。

 全てが見えた。

 高町なのはは、手を伸ばしていた。消えてしまった白睡魚の幻想を掴もうとしていた。かつて星を掴もうとした少女は、救えなかった一人の男を掴もうとしている。恋心でもなく、親愛でもなく、友愛でもなく。唯々真っ直ぐな正義の心で、救おうとしていた。その手は、今はまだ空っぽだ。

 フェイト・T・ハラオウンは、昔の幻想にとらわれていた。プロジェクト『FATE』によって産まれた、人造の体。同じ技術によって生れ落ちた、クローン・スカリエッティの存在を知った。彼女はきっと重たい過去に押し潰される。もしかしたら、その重さに耐え切れなくて飛べなくなるかもしれない。過去は重しだ。“軽くあれ”。過去を放り出すために、決着をつけなければならない。

 ティアナ・ランスターは、フェイトの隣で寂しそうなそうな顔をしていた。全て、人事だった。白睡魚と高町なのはの邂逅も、フェイトがテレーゼに寄せる思いも、プロジェクト『FATE』だって、全ては人事だった。当事者でないんだ。隣で過去に押しつぶされそうになっているフェイトを見て、何故か羨ましいと思ってしまった。寂しかったのだ。ポケットに手を突っ込んで、鑑識からくすねて来た銀色の弾丸に手を触れた。それで、どうにか、当事者になれたような気がした。

 八神はやては、耳を澄ませ、目を開き、全てを受け入れようとしていた。そして、最善の未来を探っていた。幸せでないといけないんだと、一生懸命に現実を直視していた。自分だって幸せにならないといけないのに、そのことに彼女は気付いていない。

 秘密の場所で、抱き合う男女を見た。母と子のように。父と娘のように。愛し合う恋人たちのように。優しく抱き合っていた。幸せそうだった。応援してあげたいような気分になったけれども、彼らは敵だった。あの幸せを潰さねばいけない。私たちの幸せのために。それは間違いなく、翼を押しつぶすウェイトだった。

 シグナムは炎の上を飛んでいた。バードランドの隊員たちに指示を出し、炎に飲み込まれようとする管理局の魔導師たちを救おうとしていた。同時に墜落していったアハトのカラスも救おうとしていた。彼らは既に死んでいた。それでも、すこしでも炎から遠い場所へと抱えていった。きっと過去がそうさせたのだろう。闇の書の奴隷だったころのシグナムの姿が、そのままそこにあったのだろう。彼女も過去にとらわれた者の一人だった。

 吼えるザフィーラがいた。烏花そっくりのカラスたちの骸の地獄で、延々と吼え続けていた。帰ってこない烏花。彼女を守るための盾で、彼女そっくりのカラスを殴り殺した。盾でいたかったのだ。ただ、頑なに。それだけのこと。

 全てが見えた。高い成層圏の空からは、全てが見えた。

 ソラはその悲しみに押し潰されそうだった。

《私たちは、背負わなきゃいけないんだ》

 燃え上がる、終わる世界を眺めながら、ヴィータが言った。

《ええ。背負わなくちゃいけないんです》

 燃え上がる、終わる世界を眺めながら、ソラは言った。

 世界が終わる。

 新しい世界がやってくる。

 世界はいつだって重い、地球の重さ。

 その重さを想いながら、私たちは飛ばなくちゃいけない。

 万有引力が、私を世界に縛り付ける。

 私が万有引力から開放された日、私は天国に上がっていくのだろう。

 この、終わる世界のように。

 重さとは、生きることなんだと、ソラは思った。軽さとは、小さな死なんだとヴィータは思った。二人とも正解で、間違いだった。

 遠くの地平に、太陽が輝く。終わった世界を、燃え尽きた世界を照らし出す。真っ白な灰。煙が雲になる。涙が蒸発して雲になる。全てが雲になる。天国を支える雲になる。

 天国みたいな成層圏に、大きな雲が出来た。沢山の灰と、涙と、その他諸々の感情でできた、大きな雲だ。

 その中で、ソラは隠れて泣いた。水分と塩分のロスを渋るイカルス・デバイスのせいで涙は出なかったけれども、その積乱雲は集中豪雨の雨粒たちをふくんでいて、それがそのまま彼女の涙となった。

 百万トンの涙が降ってくる。終わりの世界の炎を消す。死者の灰を洗い流す。彼岸花の飲み水になる。炎のように、リコリスの花弁が燃え上がる。

 ヴィータが泣いていた。積乱雲を見上げながら、雨に隠れて泣いていた。

 青い瞳からあふれ出る摂氏36・7度の優しい涙。

 幸せにならなくちゃ、報われなきゃいけないんだ。そういって青い瞳が泣いていた。

 全てが泣いて、百万トンの涙が終わった世界の炎を消し去った。

 みんな悲しいんだ。重たくて。だから燃料タンクのように切り離す。ぽろぽろと、瞳の奥から流しきる。悲しみは燃料だけれども、その水銀のような重さに耐え切れる人は少ない。

 ただ、泣き続けた。

 戦争のオシマイは、いつだって涙だ。









[6695] 16/魔導師たちの群像
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:c621e98d
Date: 2009/07/21 22:14


 アハト、防疫08部隊の反乱から、一ヶ月がたった。火が放たれた廃棄街は焦土となり、灰の街になった。早くも、反乱の犠牲になった十三名の管理局魔導師と、アハトに殺された数十名の人たちのために、慰霊塔が建っていた。沢山の名前を壁に刻んだ、真っ白な白亜の塔だ。

 フェイト・T・ハラオウンとティアナランスターの執務官二人組みは、花を持って慰霊塔の前に現れた。

 花を塔に捧げ、死んでしまった人たちのために祈った。

「ねえ、ティアナ。これから私がすること、秘密にしていて」とフェイトが言った。

「私は何も見ていませんし、聞いてもいません」と、ティアナが答えた。

 フェイトはポケットからデバイス、三角形のアクセサリーの形をしたバルデッシュを取り出す。硬い硬い、金属の鋭い三角形。それを握り締めて、がつりと慰霊碑に叩き付けた。

 硬いバルデッシュの三角形が、白く滑らかな石壁を削る。何度も振るい、刻み、そして彼女の額に薄っすらと汗が浮くころ「できた」とフェイトは呟いた。

 死んでしまった名前の行列の横に、汚くゆがんだ傷で「FATE」の四文字が刻まれた。

 FATE。かつてフェイトを生み出した死者蘇生の技術、そしてクローン・スカリエッティを作り出したプロジェクトを意味する名前。“運命”を意味する単語。なにより、彼女自身の名でもあった。

「運命を殺さなきゃいけないんだ」

 そう、小さく呟いた。

 彼女を生んだ運命が、沢山の不幸を生んでしまった。運命が重たくて、今にも落ちてしまいそうで。

 だから殺してしまいたかったのだ。

 しかしフェイトは知らない。死んでしまった物のほうが重たいということを。それでも殺さないといけないんだと思っていた。

「フェイトさん。これから私がすること、秘密にしてもらえませんか」とティアナが言った。

「うん」と、小さく頷いた。

 ティアナが真っ黒な執務服の内ポケットから取り出したもの、それは銀色に輝く弾丸だった。鑑識からくすねて来た、狙撃のお守り。白睡魚の弾丸だった。

 銀色の弾丸を白い塔につき立て、削り取る。刻んでいく。命を貫くための銀色の弾丸は硬く、鋭く、簡単に作業は終わった。

 フェイトの刻んだFATEのEが消されて、新たにALISMの文字が付け加えられている。

 FATALISM(宿命論)に書き換えられていた。

「宿命は死にました。もう神さまだって私たちに逆らえません。それに」

「それに?」

「死ぬのは嫌な宿命(FATALSM)だけでいいんです。あなた(FATE)まで死んでしまう必要はないんです」

「どっちが先輩なんだか、分からないね」

「いつまでも後輩のままじゃいられませんから」

 ようやく笑った。

 アハトの反乱が終わって、ようやく始めての笑顔だった。







 教導の期間を終えた高町なのはは、第12航空部隊を後にした。

 基地の門をくぐり抜け、旧移民街の雑然とした街並みへと足を進めた。

 やがてたどり着く場所。それは、白烏花のかつて住んでいた部屋だった。地上七階にある、窓の広い部屋だ。家宅捜索のせいでガランとしてしまったその部屋は、もう彼女はいないんだということを改めて教えてくれた。

 同時に、かすかに香る茶葉の香りもした。いつかの邂逅で嗅いだ、異国のお茶の香りだ。

 彼女はこの部屋で何千杯のあのお茶を飲んだのだろう。そのたびに広い窓のこの場所から、兄である睡魚の姿を探したのだろう。そんなことを想像してみたりした。

 そんなことを想像していたら、急に寂しくなって、彼女の面影をさがしてみたくなった。部屋の中を探ってみることにした。

 引き出しなんかを探ってみたけれども、残されたものは殆どなかった。すべて証拠品として持ち去られてしまったんだろう。それで、ますます寂しくなった。

 寂しさに耐え切れずに、そろそろ帰ろうかと思い始めたころに、それを見つけてしまった。

 それはひっそりと、ベットの片隅に仲良く座っていた。

 へたくそな手作りの、青い狼の縫いぐるみと、白いお姫様の縫いぐるみ。あちこち綿が飛び出たり、左右が非対称だったり。まるでにらめっこしているみたいに不細工だった。青い狼はタクシードを着ている。

 あの事件を知った人が作ったのだろう。そう勝手に予想した。

 ポケットから携帯端末を取り出して、コールする。

「ザフィーラだ」と、相手はすぐに出た。

「烏花のすんでいた部屋に来て」

 そう言ってから、すぐに発信を切った。

 笑わせてあげて頂戴ねと、人形たちに囁く。

 そうして部屋から出て行った。







 ザフィーラが烏花の部屋にたどり着くと、広い窓の枠に縫いぐるみが腰掛けていた。へたくそな造形の、白いドレスの白雪姫だった。すぐに記憶のなかの彼女を思い出した。

 白い顔。まるで月面にふる雪みたいに白い肌。黒檀のように黒い髪。血のように赤かった唇。煙の臭い。全てを思い出した。

 部屋はどことなく甘い煙みたいな匂いで、彼女の香りを思い出したりした。

 ぜんぜん似ていない不細工な人形を抱きしめる。間違いない。あの煙草の匂いだ。忘れようもない、接吻みたいな煙草の匂いだ。



 彼は知らない。


 この部屋の匂いが、ついさっきまで古い茶葉の匂いだったことを。

 その部屋に、彼の姿の縫いぐるみもあったことを。

 それを持っていった、彼女のことを。







「縫いぐるみなんて、なれないもん作るんじゃねーな」と、指を絆創膏だらけにしたヴィータは笑った。

「同感です」と、おなじく絆創膏だらけの手をしたソラが言った。

 二人は同じ病院の、同じ病室の、隣り合うベットで、同じような格好をして寝転がっていた。ダサいパジャマを着て、体中包帯とガーゼだらけにして、手は絆創膏だらけだった。

 包帯の下は赤い傷跡。ヴィータは焼けどで、ソラは凍傷。真逆の傷だったけれども、そっくりの見た目だった。

 そして手の絆創膏の下は、沢山の刺し傷。なれない針仕事のせいで負った、名誉の負傷である。

 要するに、二人とも家事は駄目ということ。「花嫁修業は苦労するな」とヴィータが笑い、「その前にチビで童顔でもOKな旦那さんをさがさないといけませんけどね」とソラがため息をついた。

 お互いに、背が低いこと童顔なことがコンプレックスな二人である。

「知っています? 私って義足とったら、全長一メートルないんですよ」と、どこまでも自虐的でブラックな発言。ようやく自分を苛めても死にたくならない位にまで回復したということ。

「あたしなんて、いつまでたってもネバーランドの住人だぜ。どうするよ」と、これまた自虐に走るヴィータ。

「もし先輩の貰い手がいなかったら、私があなたに“ゆびぬき”をあげますよ。左手の薬指に」

 針仕事で中指に嵌めていたゆびぬきが、ソラの中指で指輪みたいにキラリと光った。

 ゆびぬきを外して、ヴィータの手をとる。指輪みたいに輝くそれを、ヴィータの薬指にはめた。

「死が二人を分かつまで」なんて、結婚式の誓いの真似事と一緒に。

「どうしよう。あたし“ゆびぬき”なんて持ってないぞ。お前とリングの交換が出来ないじゃないか」とヴィータ。不器用な彼女は、ゆびぬきもなしにガシガシと青い狼の縫いぐるみを縫っていた。そのことに今更後悔する。

「しってますか? ピーターパンはキスのことを“ゆびぬき”って思っているらしいです」

「それだったら、ゆびぬきをプレゼントできるな」

 そう言ってヴィータはソラの頬にキスをした。少女の幼いごっこ遊びだ。指輪の代わりにゆびぬきをあげて、ゆびぬきの代わりにキスをあげる。結婚式のごっこ遊びだった。二人して、笑ってしまった。けたけたと、くすくすと。もう男なんて要らないぜ。新郎新婦ふたりともウエディングドレスだと、腹を抱えて笑っていた。

「祝福したるよ。おふたりさん」

 二人の笑顔が凍りついた。病室の扉にもたれかかって、八神はやてが意地悪そうに笑っていた。

「ちがうんだ! はやて! これはただの冗談で、」

「そうです! 違うんです! たしかに嬉しくて変なスイッチが入ってましたけど。とにかく違うんです!」

「おい、ソラ。自爆すんな! それじゃまるでスイッチ一つでレズビアンみたいじゃんか」

「スイッチ一つで、ジェンダーさえも乗り越える愛か。最近の若い子の恋愛観には、ほんま驚かされてばっかしやなあ」

「だから違うって!」

 今日も世界は平和で、少女たちは騒がしい。







 そんな騒がしい少女たちの声を聞いて、航空12部隊バードランド分隊隊長のシグナムは、顔を綻ばせた。ドアの向こうから聞こえてくる、馬鹿馬鹿しくも幸せな声たちを聞いて、その声の主が自らの愛する人たちのものだとしって、心のそこから愉快だった。

「幸せそうだな。そうは思わないか? お前たち」と、小さく呟いた。

 シグナムの後ろにゾロゾロとついて来ていたバードランドの男たちが、次々と口を開く。

「結婚はいいですよ。毎日家に帰るのが楽しみになる」と、新婚のファビアンが言った。

「そして十年がたち、愛は冷め、今ではかみさんの顔を見るのも憂鬱だ」と、不真面目なリヴィエールが茶化した。

「同性婚、はやく法律で認められないかな。僕のために。ヴィータ隊長とイチクラ隊員のために」と、クラナガン同性愛者之会々員ペルランがぼやく。

「おや。ゲイは女の子がいちゃついてるのをみても不快に思わないんだな」と、ロビーノが見当違いの返事。

「ミシマユキオだって、結婚して女を抱いてるぞ」と、何故か第97管理外世界の作家で説明補足を始めるルルー。

 各々自由で馬鹿らしいバードランドの隊員たち。彼らは今日も、うるさい小鳥みたいなお喋りだ。男なのに。

 それをたまらなく愉快だと、シグナムは感じる。愉快だと感じている自分自身が、一番愉快だった。

 今は笑おう。そして沢山幸せになろう。そうしなければ、死んでしまった私そっくりのカラスたちに申し訳がつかない。沢山幸せになったあと、天国のカラスたちに教えてやるんだ。人生は素晴らしいって。

 そんなふうにに言い訳して、回答を先延ばしにした。今はそうするほかしかたない。

 楽しもう。人生を。

「結婚行進曲でも歌おうか」

 そんな提案をして、それにバードランドの隊員たちは一斉に飛びついた。

 病院の廊下で即席のパート分けをして、ゲネプロもなしに歌を歌いながら、ヴィータとソラが騒がしく言い訳をする病室へと入場した。

 騒がしく幸福な、お見舞いのワンシーンだった。







 どこかの遠い世界で、テレーゼが言う。

「これからは昔みたいに三人一緒よね」

 どこかの遠い世界で、睡魚が言う。

「嗚呼。これからは昔みたいに三人一緒だ」

 そんなことを話しながら、夕日が沈むのを待った。

 夜になったら、烏花が帰ってくる。そうしたら、長い長い旅が始まるのだ。三人で、世界の秘密を解き明かしに行くのだ。

 復讐のために。

 救済のために。

 鎮魂のために。

 幸せのために。







「英雄は、彼自身の死をもって初めて、英雄として誕生する。ママンには、この意味が分かるかな」

「いいえ。わかりませんわ」

「つまりだね。私はオリジナルを殺さねばいけないのだよ。殺してこそ、初めて私は本物に生まれ変わることが出来る」

「本物は幸せですものね」

「そうだ。本物は幸せなのだ」







 日が沈み、夜がやってきた。空気がシンと澄んだ、夜間飛行にうってつけの夜だ。

 そんな夜の空を見上げて、高く天に浮かぶ天体に向かって、市蔵ソラは手を伸ばした。柔らかな月の光が二つの月光が、傷だらけの腕を照らし出した。

「汚い手」と、小さく呟いた。

 青白く透けた肌に、無数に走る凍傷の傷跡。青色の血管が、細い腕に浮いていた。“軽くあれ”。鳥は軽くあらねばならない。その軽さの結果が、この細くやせ細った腕だ。機械の義足を履かないのも、髪を短く切りそろえたのも、“軽くあれ”と願ったからだ。

 でもこれからは軽いだけじゃ駄目なんだ。

 唐突に、髪を伸ばそうと思い立った。名案だと思った。軽い自分から決別するんだ。その決意表明として、髪を伸ばすのはいいことに思えた。

 長い髪で、やせた頬が隠れるかもしれない。少しだけ、重くなった気分でいられるかもしれない。気分だけでいい。一番重たいのは命で、次が心だから。きっと気分の重さは三番目か四番目くらいだろう。

 傷に汚れた腕が、重力に軋んだ。夜間飛行のときの翼みたいに、ギシリと軋んだ

「汚い翼」と、小さく囁いた。

 私の翼はきっと汚い。高く飛ぶために、今まで沢山の命を見捨ててきたから。軽くなっても、重たくなっても、これだけは代わらないだろう。きっとそうだ。私の翼には、沢山の命の匂いが染み付いて、すすけたみたいになっているだろうから。

「ヨダカは実に、みにくい鳥です。高い空で、満腹のはらに沢山の命をためこんで、生きる悲しみに震えています。カブトムシを食べて生きています。カブトムシの悲しみを胃袋で感じています」と、いつの間にか起きていたヴィータが言った。

「ヨダカは夜の空を飛んでいます。天の川の光で翼をやかれて、羽はこげたみたいに真っ黒でした。天の川の光は鳥にとって毒なのです」と、ソラが続きを語った。

 二人で物語を紡いでいく。

「ヨダカは高い空でいいました。『みんな死んでるみたいにねてるんだ。怖いよ。世界が終わってしまったみたい』」ソラが手を伸ばす。月はつかめそうにない。

「みにくいヨダカに、オリオンが言います。『おまえのほうがよっぽど死んでいるみたいな顔しているぞ』」ヴィータも月に手を伸ばす。彼女の薬指で、銀色のゆびぬきが輝いている。月は手に入れられなかったけど、月光はこの手の中に。

「ヨダカは実にみにくい鳥です。だから、誰もいない高い夜をとんでいます」ソラがヴィータの左手を掴んだ。薬指の、月光とともに。

「実にみにくくて、しかしそれで十分でした。心は天の川の水明かりに洗われて、とても綺麗だったから」ソラの手を握り返しながら、ヴィータが言った。

「ありがとう」今にも泣き出しそうな声で、お礼を言った。

「夜は何にも見えません。目で見えるものは、無意味になってしまいます。だから、夜に限って言うならば、ヨダカはどんな鳥より美しい鳥でした」

 ありがとう。

 なんども、なんども、囁いた。

 高くも、速くも飛べたソラだったが、綺麗と言われたのはこれが始めてだった。

 何もかも投げ出して、大切なもののためにとびましょう。

 あなたの守護天使になりましょう。



 そんな、物語の終わりだった。







[6695] 最終話/ホワット・ア・ワンダフル・ワールド(上)
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:82a87a0a
Date: 2009/09/05 18:18
 ホワット・ア・ワンダフル・ワールド


30/


 おとぎ話をしよう。

 旅人がいた。
 旅人は一冊の本を持っていて、四人の騎士と本の妖精を従えていた。
 旅人は魔法使いだった。
 彼は本を抱えて、五人と一緒に旅を続けた。騎士と妖精は心を持っていなかったけれど、でも心を持とうと努力をしていた。
 旅は続き、旅人は年老いた。本の中身は魔法で埋まり、旅人の命は少なくなっていった。
 最後の最後に旅人は、騎士と妖精に心をあたえることにした。
 残り少ない自らの命と、かすんだ思い出、柔らかく使い古された心を材料に、新しい心をあたえた。
 旅人は死に、四人の騎士と本の妖精は心を持った。心と一緒に、わずかな歪みも受け継いだ。
 騎士たちと本の妖精は旅を続けた。
 そんな物語。

 幾百幾千の時がたち、本の妖精は死んだ。
 騎士たちは生きている。
 でも旅人のことは、覚えていない。

 本の名前は旅の書、旅人の名前はアルハザード。
 騎士たちも忘れてしまった、遠い、遠い、おとぎ話。


 29/

 そんな夢をみて、ヴィータはベットから飛び起きた。妙に生々しい夢で、雨にふられたみたいに酷い寝汗だった。胸の中で、心臓代わりのリンカーコアが回転していた。
 ふと、人間に近づいてんだな、なんて思ったりもした。百年ほど前なら、悪夢を見たって、こんなに悪い気分にはならなかった。豊かになった心のせいだったし、劣化していく体の中のプログラムのせいだった。
「どうせなら体も人間らしくなればいいのに」なんて、一人呟いたりもした。
 魔法の力で出来た体は、百年前も、千年前も、夢の中でも、幼い少女のままだった。
 ひとりすねた顔で立ち上がり、そしてカーテンを引いた。
 灰色のクラナガンの街並が見えた。
 真っ青な空が、見えた。
 空に入った、黒い皹(ひび)も。
 昨日より、空の皹は大きくなっていた。
「一人暮らし、やめようかな」なんて呟いて、最近借りたばかしの1LDKを見渡した。いつまでも子供じゃいられないと、背伸びをして始めた一人暮らし。でも、初めて早々半年、早くも帰りたくなってしまっていた。
 空の皹のせいだった。
「もしかしたら明日終わってしまう世界かもしれないかんな」
 まずは顔を洗おう。そう思って洗面所へとむかった。
 終末の近づくミットチルダの世界。
 案外、いつも通りの朝だった。


 28/

 キッチリと群青の隊服を着込んで、ワインレッドのタイをしめて、鳥の形をしたネクタイピンをして、職場の航空12部隊に向かったヴィータ。
 歩いた街並は寂れていた。終末が来るのだ。住民たちは、徐々に避難を始めていた。この世界ではなく、別の次元世界へと。それでも住み慣れた故郷にしがみつく人たちもいて、そうした人たちと管理局の隊員でこの街はどうにか持っていた。
 世界が終わる兆候が現れたら、管理局員はすぐさま次元船で逃げ出す手はずになっている。残った住民も同じ船にのって逃げ出すんだろう。それでも居残った人たちは次元震にのまれて死ぬんだろう。
 なんだかSFだと、笑ってしまいそうになる。死人が出ないなら、笑っていたと思う。堪えたせいで、空っぽのショーウインドウにうつったヴィータの顔は歪んでいた。

 27/

 ヴィータは空っぽの街を抜けて、管理局航空12部隊の基地にたどり着く。半年前は、ここに住んでいた。半年前に知り合った守衛さんにパスを見せて、基地に入る。広い訓練場をとぼとぼと歩いていく。
 ふと上を見上げると、鳥が一羽とんでいた。よく見てみれば、鳥では無くて、魔導士だった。あんなに鳥そっくりに飛べる魔導士を、ヴィータは一人しか知らない。
 嗚呼、ソラの奴か。
 そんな風に思ったりした。

26/

 管制塔の階段の下、航空12部隊バードランド分隊のたまり場とかしている休憩所、ヴィータの部下たちがダラダラとうわさ話をしている。
「おい、お前ら。始末書と地獄の訓練と、どっちがいい」と、ヴィータが男たち問うた。
「やだな隊長、緊急事態に備えての待機ってやつですよ」とファビアンが言った。
「そうだ。市蔵の嬢ちゃんが空の皹を見に行ってくるんだと」とリヴィエールが言った。
「もし嬢ちゃんになんかあったらいけない。そのための待機だ」と、孫娘を心配するみたいにルルーが言う。
「はたして最高々度のレコードホルダーが高い空でピンチになって、同じ空に僕らが助けにいけるかって話だけれどね」と、鋭い突っ込みのペルラン。
「まあ、そこをどうにかするのが仲間ってやつだけれどな」とロビーノが締めくくる。
「しっているさ。冗談だよ」とヴィータは返した。
 男たちの横を通り過ぎて、外に出る。
 空は相変わらず青く、そしてひび割れている。青い芝は去年と同じ風に青い。
 空に向かって念話を打ち上げた。
《おい、ソラ。様子はどうだ》
《ヨダカより、隊長へ。空がひび割れている以外は良好です。いつも通りの青い空です》と、甘くひび割れた暗号念話が落っこちてきた。市蔵ソラの声だった。
《ひび割れはどんな感じ?》
《昨日より大きくなっています。このぶんだと、空が落ちてくるのもそう遠くない話かも》
《あの皹に引っかかったらどうなるか知ってるか》
《さあ》
《死んでしまうんだとさ》
《嘘つき。さっき、皹から鳥がでてきましたよ》
《ああ、知ってる。なんだか訳わかんない世界と繋がっているんだってさ》
《変な話ですね》
《変な話だな》
 そこで会話は途切れた。
 最近のバードランド分隊の仕事は、空の皹の観測ばかしだった。一番高く飛べるソラが皹を観測しにいって、ほかの隊員は待機。隊長のヴィータは書類を書いたり作ったり、そんな毎日。
 世界は着実におかしくなっていた。偉い博士が言うには、世界と世界が正面衝突してしまったとのことらしい。このまま衝突が続けば、ミットチルダの世界はバラバラになてしまう。その前に皹の向こうの世界が軌道を変えれば、世界が壊れることは無いだろうとも言っていた。
 皹の向こうの世界が軌道を変える様子は、まだ無い。きっと空は落ちてくる。そして世界は滅びる。
《今から帰ります》と、ソラが言った。
《了解。バードランド一同、お前の帰りを待ちわびてる》
《嘘つき。私が帰ったら、みんな書類仕事だってぶーたれています。私が飛んでいる限りは、あの階段の下でオヤスミですから》
《大人は嘘つきなのさ》
《見た目は子供のくせに》
 お前だって、と言いかけて止めた。彼女はもう、ずいぶんと成長した。もう出会ってから二年がたつ。少女の時間は終わってしまう。
《ともかく早く帰ってこい》
《音の速さで帰ってきます》
 そうして、今度こそ本当に会話は途切れた。
 甘い物でも奢ってやるかなんて考えながら、基地の中へと帰っていった。少女の時間はもうすぐ終わりそうでも、少女の味覚は変わりそうになかったから。


 25/

 市蔵ソラが帰ってきた。いつも彼女が降り立つ滑走路には、いつもどうりにヴィータがいて、その隣には車椅子があった。
 高い高い空から、ソラが羽ばたきながらおりてきた。両腕は真っ黒な翼で、足は推進力を生む二対の音叉。申し訳程度の薄く白い衣服がヒラヒラと舞う。黒曜石で作ったニケ像の少女版、そんな出で立ち。
 変身を解いて、翼がガラスのようにくだけた。その下から真っ白な細い腕が現れる。音叉も甲高いベーの音で砕けた。両足は現れなかった。とっくの昔に、知らない世界の知らない海に凍傷で落としていたから。
 華奢で小さな体が、車椅子に着地した。長く黒い髪が、ばさりと翼みたいに広がった。
「おつかれさん。あいよ、ジャケット」と、ヴィータがソラにフライトジャケットを手渡す。
「もうクタクタです」と無邪気に微笑みながら、受け取ったジャケットを羽織った。ポッケの中にあった黒斑眼鏡をかける。昔は愛嬌ばかしを振りまいていた厚ぼったいレンズは、いつの間にか知性を拡大するようにっなっていた。透明なレンズの奥で、宇宙の底みたいな真っ黒な瞳が光っている。拡大する宇宙。
 何となく、成長したなと思った。
 初めてあった時は髪の短いガリガリに痩せた少女だった。飛ぶことと、生きることと、それだけしか持っていない、寂しい少女だった。
 今では、軽かった体と心を守るようにたくさんの物を物を身につけている。
 髪は伸びた。黒くなびく、彼女の第三、第四の翼になった。髪型をいじるようになったりして、お洒落なんかも覚えた。
 体つきは柔らかくなって、少女の中に女性を感じさせるようになっていた。遅れていた初潮がきて、航空12部隊の女性陣たちと第97世界式の赤飯で祝ったりした。
 よく笑うようになった。きっと嬉しい物を沢山持つようになったのだろうと思たりした。比重の軽い、水素みたいな、そんな喜びをだ。
 高く、速く飛べるようになった。背負った物を燃料に、そしてエンジンに、高く飛べるようになった。
 背はあまり伸びなかった。ほっといてくださいと、拗ねていた。
 沢山変わって、そんなソラをヴィータは間近でみていた。ネバーランドの少女の体で、みていた。
 きっと母親はこんな気分なんだろうなと思ったりした。少女の体で、でも大人だった。
「お前はもうあがっていいぞ。書類仕事は怠け者の男どもに押し付けたからさ」とはにかんでみるヴィータ。
「それはありがたいです。私が頑張りすぎて、仕事の無いみんなが職を追われたら、寂しくなりますから」と、相変わらずブラックなジョーク。
 世界が終わろうとしている今、クラナガンの管理局員は行き場を失いつつあった。人手不足の管理局だったから職を失うことは無かったけれど、それでもそれぞれの理由で止めていく局員たちは大勢いた。
 この世界が滅びたら、ファビアンは管理局を止めて故郷に帰ると言っていた。妻と実家の家業を継ぐのだと言っていた。ほかのバードランド隊員たちは残ると言っていたけれど、それでもバラバラの部隊に配属されるのは確実だった。
 クラナガンに住んでいて、ボデイーガードや探偵の真似事をしながら昔の思い人を探しているザフィーラは、探すべき場所が無くなってしまうことに戸惑っている様子だった。
 航空12部隊部隊長の八神はやては、昔のツテを辿って新しい部隊を作ると意気込んでいた。上手くやれば航空12部隊の隊員も拾ってやりたいと言っていたが、全員は無理だろうと言っていた。
 はやての専属補佐官に身を落ち着けたシグナムは、ずっとはやてについていくと言っている。今は研究室で缶詰のシャマルもきっとそう。
 執務官二人組、フェイト・T・ハラオウンとティアナ・ランスターは、あんまし変わらないだろうと言っている。捜査して、あちこち飛び回って、そんな毎日。
 ヴィータは、迷っていた。
 一人きりでなにかする最後のチャンスかもしれないと思った。
 そのために始めた一人暮らし。はやてにべったりではいけないのだ。私も変わらないと。そう思っていた。知らない人だけの中でいろんなことをして、そうして身につけた物を、仲間たちの為に役立てたいと思っていた。
 私たちはくっつきすぎた。まるで家族みたいに一緒だった。だから、家族みたいに巣立っていかなければいけない。巣立って、沢山のことを覚えて、そしてまたいつの日か巣に帰るんだ。
 仲間の大切さをソラに教えたヴィータは、ソラから孤独の大切さを学んでいた。
 何かを極めるということは、孤独なんだと。
 ソラは高い空で独ぼっちになって、ヴィータも今、独ぼっちになろうとしている。そうして大きくなろうとあがいている。
「なあ、ソラ。世界が滅びた後、どうするつもりだ」と聞いてみた。
「飛ぶだけです」
「相変わらず鳥だな」
「鳥ではなく、鳥みたいな、です」
「そこ、こだわるな」
「あなたが教えてくれたんでしょ」
「そうだったっけ」
 クスリと笑った。勝手にソラが学んだだけで、私は何にもしちゃいない。そう言いたいヴィータだったが、なんだか無粋な気がして止めた。
「先輩はどうするんですか」
「一人きりでがんばってみたい」
「寂しくなったら飛んできてあげます」
「引き止めないんだな。『ずっと一緒にいてくれないんですか』とか」
「そんなの、私らしくないですから」
「相変わらずだな」
 二人して笑った。こうして笑えるのも後少し。世界が滅びるまでの短い間。
「いこっか」
「はい」
 疲れきったソラの車椅子を、ヴィータが押していく。
 これも後少し。


 24/

 その日のティアナは、執務官の仕事をしていた。相変わらずの、刑事みたいな仕事だ。
 狙撃があったと聞いていた。
 もしかしてと思って、ポケットの中のお守りを握りしめた。鑑識からくすねてきた、純銀の弾丸。
 現場に到着してみれば、もしかしては当たっていた。頭を粉々に吹き飛ばされた魔導人形が倒れていた。人間そっくりの見た目で、でも体の中は物騒なギミックだらけで、頭の半分を純銀の弾丸で食い破られていた。これと同じ純銀弾狙撃を見るのは、二年前以来だった。
「白睡魚か」
 懐かしい名前だった。
「久しぶりだね」と声がした。
 振り返ってみれば金色の髪と赤い瞳。かつての上司、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンがそこにいた。
「お久しぶりです。偶然ですね」とティアナは答えた。
 フェイトさんはなぜここに、と聞いてみれば、
「あの人形、私が追っていたんだ」と言っていた。小さく「クローン・スカリエッティの作品なんだって」と。
 なるほど、と思った。私は消えた白睡魚とテレーゼ・ブルンスヴィック、そして白烏花を追っていて、フェイトさんはクローン・スカリエッティーの行方を追っている。
 きっと、睡魚たちはクローン・スカリエッティを追っている。だから、私たちはかち合った。そう、ティアナは思った。
「世界がおわっちゃうのに、みんな集まってきている」とフェイトがぼやいた。なんだかとても、ダウナーモード。
「世界がおわっちゃうから、あつまるんですよ」
「そうかもね」と笑っていた。
 きっと終わってしまうから、みんなバラバラの世界に散ってしまうから、その前に心残りを終わらせたいんだと思った。だからクローン・スカリエッティは人形をつかって暗躍して、それを睡魚たちが防ごうとしている。それをティアナやフェイトが追っている。
「ねえ、秘密の話があるんだけれど、いいかな」とフェイトが言った。
《なんですか》と念話で答えた。とびきりの暗号化をかけて、外に聞こえないように。
《世界が終わるから、みんな集まっているって言ったけど、それは間違い》念話で聞こえてきたフェイトの声は、暗号化のせいでノイズまみれだった。いつかの観測手の声を思い出す。彼女はこれよりもっとすごい暗号で、でもノイズはレコード程度の優しい物だった。
《世界を終わらせようとしているのは、クローン・スカリエッティ。だから、みんな集まってくる》 
 ノイズのせいの聞き間違いだと思いたかった。
《それは本当ですか》
《まだ勘の域をこえていないけれどね》
《根拠は》
《彼のオリジナルはアルハザードの技術で生まれて、そしてアルハザードを目指していた》
《それが世界の終わりと何の関係が》
 フェイトは空を指差した。青空に走る、皹。
《あの向こうにある世界、アルハザードかもしれない》
 勘弁してくれと思った。嘘ならいいのにとも思った。そう言えばフェイトさんの育った代97世界には「嘘つきの日」ってのがあるんだっけとも思った。
《嘘でしょ》
《ほんとだよ、ティア。嘘じゃない》
《なら、なんでそんなに嬉しそうなんですか》
 フェイトは微笑んでいた。ダウナーがいく所までいくと、一回転してハッピーになるという話を聞いたことのあったティアナは、心配になってしまう。ダウナーがハッピーに裏返ったら、それは要注意のサインだ。病院にいかなければならない。
 そんなティアナの心配を他所に《だってそうでしょ》とフェイトはいう。
「犯人を捕まえたら、世界は滅ばないかもしれない」
 はっきりと、聞き間違いの無いように、肉声でフェイトは言った。


 23/

 ザフィーラの住む雑居ビルに一室、ハードボイルドの探偵風な部屋に八神はやてはいた。
「あんたの渋い顔だと、ハマりすぎて違和感あるで」とはやてが言うと、ザフィーラは「ほっといてくれ」と渋い顔をした。
「ああ、あんなに行儀正しい良い子だったザフィーラはいったいどこに」
「遥か昔にクシャクシャにしてポイ。身内全員が我が主至上主義だと、後々困ったこことになりそうだったからな。外野だって必要だ」
「外野だって大事なチームメイトや」
「あたりまえだ。私たちは家族だ。たとえ外野だとしてもな」
 嬉しいなあと、はやては笑う。ケタケタ笑う。
「ザフィーラは強いな」
「どうだかな」
「強いよ。孤独をしっとる。その強さを、最近ヴィータまで真似ようとしとる」
「はたして私のまねかな。あの捻くれたヴィータが私の真似するとは思えないが」
「どうやろな。でも、最近一生懸命なんよ。一人暮らしを始めたし、分隊長にもなったし」
 まるで独り立ちする娘をもった気分やと、はやては笑った。
「私が出て行った時はどんな気分だったんだ」とザフィーラが問うた。
「同じ。あんたみたいな堅物な息子、社会の粗波に揉まれながらやっていけるんやろかって」
「飼い犬が逃げた気分とかじゃなくて安心した」と、青い狼の耳をはやしたザフィーラは、獣みたいな笑みを浮かべた。
「いつでも、帰っておいで。ドックフードをこさえてまっとるから」とはやての冗談。市蔵の毒舌が移ったかなと。
「それで、いつ帰ってくるん」
 ザフィーラは少しだけ考える不利をして間を空けた。即答するのが恥ずかしかったんだろうとはやては思った。だってこの話は色恋がかかわっている。母に話す初恋の話ほど恥ずかしい物は無い。
「探し物が見つかるまで」とだけ、ザフィーラは答えた。
「そうかい」とはやては笑った。そして帰る支度を始めた。
 最後に「今度帰ってくるときは家族がふえるな」なんて言葉とともに去っていった。
「勘弁してくれ」と呟くザフィーラ。
 母は常に、一枚上手をいく。

 そして雑居ビルか出たはやてを出迎えたのは、彼女の副官になったばかりのシグナムだった。
「ザフィーラはどうしていましたか」と口一番に聞いてきた。
「どうもこうも、いつもどおり」
「あれほど私たちの中で変化した仲間はいませんが」
「恋は人を変えるか」
「どういう意味です?」
「ファフィーラが次に帰ってくるとき、家族が一人ふえてるかも。そう言う話」
 悪戯っぽく笑うはやてに、シグナムは「私も行き遅れないようにしなければ」と複雑な笑みだった。


 22/

 市蔵ソラは、夜の空を飛んでいた。もはや恒例になった空の皹の観測任務だった。
 両腕の黒い翼を羽ばたかせ、飛んでいく。背骨は、もう軋まなかった。いつかの医務官さんが言った通りだと思った。成長痛みたいな物。時間が解決してくれる。医務官はそう言ってくれた。なんて名前だったっけと思ったりする。あの頃の記憶は曖昧だったりする。今や脳幹と小脳の全て、そして海馬の全てとそっくり入れ替わってしまったイカルスデバイスのせい。痛みは無くなったけれど、記憶は軽くなってしまった。
 空に皹が入り始めてからだった。上手く昔のことを思い出せない。変わりに飛び方と視力ばかしがあがってきていた。
 軽くあれ。
 そう鳥の心が囁いた。でも「いやだ」とも思った。
 軽くならなければならない。でも、軽いばかりでは飛べないんだ。飛ぶということは、恐怖を抱かないこと。飛べないということを知らないということ。そう言う意味では“軽くあれ”だけれども。
 恐怖はすてないといけない。でも、羽ばたく勇気まで捨ててしまってはいけないんだ。
 だんだんと自分自身の中で大きくなっていく鳥の心と戦いながら飛んでいた。抜け落ちていく記憶と戦いながら飛んでいた。
 記憶を失い、でも高く、そして速く飛べるようになった。短期的な記憶なら、昔よりも沢山覚えられた。でも、思い出は抜け落ちていくばかしだった。
 鳥ではない。鳥みたいな、なんだ。鳥になってしまえば楽になれる。飛ぶだけの生活。多いに素晴らしい。でもそれじゃダメなんだ。
「私はバードランドの守護天使になるんだ」
 羽ばたきを早めた。飛んで、飛んで、飛んで。飛んで。まるで落っこちるように。
 黒い翼の表面で、雲の粒子が跳ねる。銀色に輝く。
 胸の中でリンカーコアが回転する。青い炎が胸にともる。
 羽ばたくごとに地面が遠くなる。鳥に近づく。喜びがやってくる。でも、それだけじゃいけない。鳥の心と人の心を戦わせながら飛んでいく。それが高くとぶ秘訣。だってそうでしょ。今の時代、人は宇宙にだって飛び出せる。鳥の方が自由なのに変わりはないけれど。
 雲の海を抜けた。銀色の水滴を振り払いながら、滑空した。
 空は明るかった。天の川から、無数の天体から、光が落っこちてきていた。星空の歌声が聞こえてきそう。ハルレヤ、ハルレヤ。そんな声が聞こえてきた気がした。誰の小説の台詞だったけ。
 銀色のハルレヤは、次第に新世界交響楽の響きに変わっていった。
 カムパネルラが向かいにきてくれそう。これも誰だっけ。
 そんな曖昧な思考の中、それでも機械仕掛けの背骨は任務に忠実で、大空の裂け目を観測していた。
 空の頭上に、青い光のホログラムが出現する。天使の輪っかみたいな魔法陣、観測用のマジックサークル。彼女の白い顔が照らされる、月みたいに白い顔。銀色の顔。
 黒い翼で飛んで、黒い瞳で見て、頭上の天使の輪っかで測っていく。
 不意に、暗い空の皹の中に青い光をみたような気がした。青い光はだんだんと近づいてきているように感じた。きっと皹の向こうの、もう一つの世界の光なんだろうと思った。実際その通りだと、頭上の魔法陣は言っていた。
《おい、聞こえるか》と声がした。ヴィータの声だった。
《はい、聞こえます。どうしたんですか》
《いま、お前の下を飛んでいる》
 視線を下に向けた。雲の海は遥か後ろ、尾羽の方に消えていた。代わりに明るい星空を反射する海が見えた。そして、海の上を飛んでいる赤い騎士服のヴィータの姿も。まるでサソリの瞳みたい。
《ねえ、先輩。ハルレヤってなんだか分かりますか》
《さあ》
《じゃあ、サソリの目は》
《なんだそりゃ》
《医務官さんの名前、なんて言うんでしたっけ》
《今のか、それとも昔の?》
《多分、二年くらい前の》
《それはシャマルだ》
《やっと思い出せました。たしか恋人を追っかけて、探偵事務所をひらいたんですよね》
《それはザフィーラ。シャマルは本局で研究に明け暮れてるってさ》
《カムパネルラって誰でしたっけ》
《お前の大好きな宮沢賢治だよ。ほら、銀河鉄道の夜に出てくる》
 ヴィータは小さく歌を歌った。鼻にかかったソプラノサックスみたいな声だった。
 赤い目玉のサソリ
 広げた鷲の翼
 青い目玉の子犬
 光の蛇のとぐろ
 オリオンは高く歌い
 露と霜をおとす
 きれいな声だった。頭が真っ白になってしまうくらいに。
《なんだ。サソリの目ってこれのことじゃないか。ハルレヤだって銀河鉄道に出てくるお祈りの言葉だ。本当にお前、すきだな》
 ヴィータは笑った。まるでジョバンニみたいだと思った。ジョバンニのことなんて、何にも覚えちゃいないのに。
《なんて曲ですか》
《星巡りの歌。お前が教えてくれたんだ。銀河鉄道のお話の中で、ケンタウルス祭の子供たちが歌うんだってな》
 アンドロメダの雲は魚の口の形
 大熊の足を北に五つのばした所
 小熊の額の上
 空の巡りのめあて
 ヴィータが続きを歌った。
《先輩、一緒に歌いましょ》
《いいぜ》
 二人で歌を歌った。ヴィータはソラに教えてもらった通りに歌った。ソラはヴィータが歌った通りに歌った。そうすることしか出来なかった。


 21/

 ソラが持ち帰った観測データーで、世界の終わりがあと一ヶ月に迫っていることが分かった。クラナガンの住民たちは次々に移住を初めていた。
 航空12部隊も、二週間後には解散撤収することになった。最低限の人員を残して、相当数の隊員たちが去った。残ったのは部隊長の八神はやてとシグナム、そしてヴィータが率いるバードランド分隊。そして彼らを動かすために必要最低限の人員だけだった。
 そんな寂しくなってしまった基地の部隊長室。はやては一冊の本を捲っていた。夜天の書。彼女の魔導書だった。
 その最後の一ページを朗読した。
「心は優しい者の前に現れる、か」
 大昔のこの本の主が書き込んだと思われる、魔法とはなんの関係もない一文。それがはやてのお気に入りだった。
 彼女の周りにはそうやって心を得た人たちが沢山いた。それが理由なんだろうと思ったりした。
「何をみているんですか」と、書類から視線をあげたシグナムが言った。
「夜天の書の、最後の一ページ」
「私たちの、守護騎士プログラムの最後の一項ですね。たしか思考の共感や記憶のラベリングに関する」
「色気の無い表現やな」
「言い換えれば、心」
「そう。心や」
 よく出来ました。花丸二重丸の笑顔ではやては笑った。でも、その瞳の下には色濃い隈ができている。
「イチクラを助ける方法、分かりましたか?」
「いんや。全然。融合騎デバイスの癒着を取り除く方法も無理っぽいし、新たにイカルスデバイスに修正パッチを施す方向でどうにか考えてみとるところ」
「色気のない表現ですね」
「言い換えるなら、イチクラの脳みそをいじめるイカルスデバイスを叱ってやって、いい子ちゃんにするって感じかね」
 難しいのでしょうと、シグナム。
 うん、難しいと、はやて。
「なんであのこのデバイスが暴走しているのかが分かれば、楽なんやろけどね」
 二人はソラの苦悩を解決するべく、動いていた。世界が終わる直前の空白を縫って、はやてはイカルスデバイスを宥めつける方法を探っていたし、シグナムははやての仕事を一手に引き受けていた。はやては「リインのお婿さんを作ってあげるための後学に」と言っていたし、シグナムは「部隊長になるための修行だ」と言っていた。そんな不器用な二人。
「ヴィータは彼女のこと、知ってるんですかね」
「知っとるやろな。知らないふりをしてるけど」
「なんにもしないなんて、あれらしくない」
「ヴィータは自分に何も出来ないことをしっとんよ。だからすべて私らにまかせて、イチクラのフォローに回っとる。彼女がいつどうなっても、せめて今だけは幸せなように」
 救われたなら、良い思いでは残る。救われなくても最後は幸せでいられるから。
「らしくない」
「あの子も変わろうとしてんのよ」
 信じてやってと、はやては言った。家族のことです。信じるに決まっているじゃないですかとシグナムは答えた。
 ふと、窓の外に視線をやると、曇り空が見えた。きっとあの雲の向こうでは、皹が大きくなり続けているのだろう。そして、その皹を観測するため、ソラは今日も飛ぶのだろう。あの高い空にたどり着けて、あの皹の中を覗き込める魔法を持つのはソラしかいなかった。
「こんな大変な目にあってるイチクラを飛ばすなんて、残酷な仕事です」
「でも、飛べなくなったイチクラは、もっと苦しむよ」
「だからです。世界で一番好きなことが、そのまま苦しいことだなんて」
「恋愛と一緒や」
「どういう意味ですか」
「愛の反対は無関心であり、もしかしたら悪意だとかは愛の隣に座っているってこと」
 バイ、マザーテレサ、アンド、私。そんな奇妙な英語ではやては答えた。
「そんな調子だから、ザフィーラに先をこされるんや」と笑っていた。


 20/

 ザフィーラがたどり着いたのは、狭い路地の行き止まりだった。
 そこには真っ黒に煤けた自動人形の姿があった。メイド・バイ・クローン・スカリエッティの優秀な自動人形。頭を砕かれ、その上から原型をとどめないくらいに焼き尽くされていた。
「いるんだろ」とザフィーラが言った。
「また会えたわね」と、声がした。煙みたいに擦れたハスキーボイス。白烏花の声だった。
 踊るようなステップで、ザフィーラの背中に抱きついた。
「世界が終わるなんて、思い出を封印しちゃうくらいにいやな出来事のはずなのに、今回はそうでもないみたい。ロマンティックに過ごせるかも」
 顔を見せてと烏花が言った。
 ザフィーラが振り返る。よれたシャツとスーツに似合わない、シルクの蝶ネクタイをしていた。余りにも似合っていなくて烏花は笑ってしまった。お陰で、お尋ね者の女と元管理局員御用達のボディーガードの再会は、湿っぽくならずにすんだようだった。
「約束しただろ。タクシードで出迎えるって」
「だとしてもワイルドすぎるわ」
「狼にも似合うタクシードだ」
「変な人」
 二年前と変わらない、ふざけた会話だった。それが二人のあり方だった。
「私を逮捕する?」
「残念ながら、今は野良の探偵モドキだ。法律より、自分の都合さ」
「終末的ね。それに、一匹狼の間違いでしょ」
 ザフィーラにくっ付いていた烏花は、ワルツのテンポで彼から離れた。
「私は偽物よ。それでも良いならついてきて」
「偽物で大歓迎だ。私も同じ悩みを抱えていた」
「私はあなた。あなたは私」
「そんな素敵なものでもないがな」
 二人で街の深い部分へと消えていった。世界を救おうと、そう言っていた。

19/

 そして二人が去った頃、ようやくそこに現れた人影があった。
 ティアナとフェイトだった。
 二人は黒こげの自動人形を眺めて、一足遅かったかと落ち込んでいた。
「これで何体目だったけ」
「三体目。全部、何らかの目的を終えて、その後にヤラレているようです。あと、記憶媒体が回収されていますね。一見黒こげで分かりませんけど」
「何のために」
「きっと、自動人形のボスの居所を知りたかったんでしょう。もしこの人形が運び屋だったなら、ボスの居所の地図を持っているはずです」
「管理局に通報しない理由は?」
「管理局内にもボスの協力者がいるとか」
「アルハザードは魅力的だもんね」
 それこそ、世界を一つ敵に回したって良いくらいに。
「この自動人形、なにをしてたんですかね」
「いやな情報がひとつ。はやての回りに、最近不振な人物が出没してるんだって」
 ちょうどこんな感じの、とフェイトは黒こげ人形を指差した。
「物騒な話ですね」
「狙いはなんだと思う?」
「もしかして、八神部隊長のもっている、秘密のレアスキルとか」
「アタリ」
 嗚呼、何故あの日とはいつも厄介ごとの中心にと、頭を抱えてしまいたくなるティアナに「きっとそういう巡り合わせなんだろうね」と笑って答えるフェイトだった。


 18/

 「そうそう。脅迫状がきたんよ。『お前の秘密を知っている。秘密を盗まれたくなければ、それを大事に仕舞っておくように』なんて、ルパンみたいな脅迫状。いや予告状か」と笑って答えるはやてに、本当に頭を抱えてしまうティアナがいた。
「見せてもらえますか。その脅迫状」とティアナが手を差し出すと「はい、これ」と手渡される薄紅色の封筒。ハートマークのシールで封されている、少女趣味な代物だった。中身も無駄に流暢な筆記体で書かれた、気取った文章。ベートーベンよりブラームスのほうが“お好き”な怪盗より。そんな文章で締めくくられていた。
「決まりですね。白睡魚の仕業です」
「そうやろうね」
「目的は何だと思う?」と、フェイトが言った。
「遠回しに『お前の秘密を狙っているやつがいるから、気をつけろ』って言いたいんじゃない」のらりくらりとはやてが答える。
「秘密ってのは、何でしょうか」
 はやては「これのことやろね」と、夜天の書の背表紙をなでた。
「こいつはな、とある旅人が作った魔導書でな。最近わかったんけれども、その旅人の名前がな、アルハザードっていうんよ」
 アルハザード。全ての願いをかなえる魔法の理想郷の名前だった。そして、この世界に衝突しようとしている世界の名前でもあった。
「アルハザードって土地の名前でしょうに」
「私の故郷でだったら、人の名前や。とびきりの代わりだねけどね」
 きっとアルハザードって人が居た土地って意味でのアルハザードなんやろねと、感慨深げに言っていた。
「ともかく、その魔導書とはやて部隊長の警護を私ティアナ・ランスターとフェイト・ハラオウン執務官の二人で行うことになりました。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしく。でも、執務官が警護なんて、職種違いかとちがう?」
「人手不足なんです。ザフィーラさんとも、連絡つかないし」
 あれは愛の逃避行やと言ったはやてに、何ですかそれと突っ込むティアナ。案外この二人息が合うかもと考えたりするフェイト。
 そんな時だった。三人の居る応接室にノックの音が響いた。
 現れたのは、車いすに座ったソラと、その背を押すヴィータだった。ソラの敬礼は相変わらずの奇麗な、でも軍隊っけのない不思議な動作だった。
「フェイトとティアナ。懐かしの執務官二人組だよ」とヴィータはソラの耳元に囁いた。
「初めまして。ソラ・イチクラです」と挨拶をした。
 髪のばしたんだねと、フェイトが言った。
 はい、と他人行儀にソラが答えた。
 いつからのばし始めたのと、ティアナが聞いた。
 すかさず「二年前」とヴィータが答えた。ソラはぽかんとした顔だった。
 それから五人でいろいろな話をした。二年前のこと。今のこと。空の飛び方について。終わってしまう世界のこと。美味しかったシュークリームの話。高町教導官は、あいかわらずのワーカーホリックだということ。世界が滅びた後は、地球で過ごすのも良いのかもしれないと言ってたこと。いっそのこと、ここのメンバー全員で地球に移住しちゃうとかなんて、冗談をいったりもした。
 笑い声に紛れてソラが泣いていることに気づいたのは、ヴィータだった。ソラの瞳の涙を流す機能は、イカルスデバイスのせいで失われていたけれど、それでも悲しそうな無表情のお陰ですぐに分かった。
 ヴィータはソラが涙を流さずに泣く所をなんども見ていて、だから分かったのだった。
「どうしたんだ」と、ソラに言った。
「私の故郷、地球ですよね。地球ってどんな場所ですか」そう答えた。
 覚えていないんです。それがソラの悲しみの理由だった。

 ソラとヴィータは退席したあと、フェイトが口を開く。
「テレーゼと同じね」
「どうかね。テレーゼは精神が退行していったけど、ソラの場合は思い出が抜け落ちていっとる。どっちもイカルスデバイスの副作用って所はいっしょけどね」
「そんな状態で、仕事を続けさせているんですか」信じられないといった口調でティアナ。
「ハンディキャップは仕事を止める理由にならんよ。事実、彼女は両足がなくても今までやって来れた。それに最近の仕事の精度は、昔よりあがってきとる」飛ばさないようにする口実が見つからんのよと、そんなニュアンスだった。
「イチクラはね、このセカイノオワリ事件で、これでもかってくらい優秀な精度の観測を続けとる。まるで、今の状況のためにデザインされたみたいにね」
 やっぱりそうなんだと、フェイトが呟いた。どういうことですかと、ティアナが問う。
 フェイトは長い長い昔話をはじめる。
 例えば、市蔵ソラが昔いた、64実験小隊のこと。
 64実験小隊を作ったゲオルグ・テレマンという男のこと。
 ゲオルグ・テレマンの作った部隊は64実験小隊と防疫08部隊と、その他沢山あるということ。
 防疫08部隊の部隊長は、アルハザードの遺児。スカリエッティのクローンであるということ。
 64実験小隊も防疫08部隊も、その他のゲオルグテレマンがプロデュースした部隊のほとんどが、未知なる新世界の開拓を目指して作られていたこと。
 ゲオルグ・テレマンが開拓したかった新世界とは、もしかするとアルハザードだったのではないかということ。
 いまこの世界と衝突しそうになっている世界こそが、アルハザードなんじゃないかということ。
 すべてはフェイトの空想の域をでない、ただの妄言だったけれど、それでも説得力があるような気がした。
「今まさに、うちのイチクラは自らの存在意義を示そうとしとる。そういうことか」
「正確に言うなら、『彼女の中のイカルスデバイスが』だけれどね」
「不気味な話です」
 全てはアルハザードのせい。アルハザードを求めた一人の男が招いてしまった、不幸の連鎖。はじめから世界と引き換えに新世界へと旅たつ、その予定だったのだろう。無人世界の長期観測任務を前提とした、ソラのいた64実験小隊は、アルハザードへの観測隊。広域焼夷魔法と細菌の扱い、防疫任務に特化した、防疫08部隊は、アルハザードの危険を焼き付くし人の住むスペースを作るための開拓隊。
 最初から決まっていたのだった。ゲオルグ・テレマンが夢見て、クローン・スカリエッティが受け継いだ長い長い夢。
「世界と引き換えの夢なんて、考えた人はイカレています」生真面目気質なティアナが、執務官の鏡みたいな口調でいった。
「いいや、私たちだって変わらないのかもしれない。だって、私だって家族や仲間の命と世界とを天秤にかけたなら、ぜったいに世界なんてどうにでもよくなっちゃうから。きっと一番大切だったものが人とは違った。それだけなんだ」どうも偏った価値観を持っているらしいフェイトが、執務官としてはあるまじき、でも母親としてはAAA+の発言。
「私は心かね。心だけは侵したらいけんと思う。それが誇りや命や、それこそ世界と引き換えでも」そんなの当たり前やろと、ケロリとした顔ではやて。
 ティアナは何が一番大切? 先輩二人が尋ねた。
「そりゃ命でしょ。人命第一。それが体の命でも、心の命でも」スバルと出会う前だったらプライドとか、だったですけどねと、笑ってみせた。
「その大切な物が、今まさに犯されようとしとる」
「イチクラさんが悲しいのは嫌だからね。それに、彼女が悲しいとみんなも悲しいでしょ」
「いたいけな少女の心を犯すなんて、言語道断。ヴィータが悲しむのも嫌やしね」
「執務官たる物、困った人を救うのは当たり前のことです」
 結局は、みんな至極個人的ではあるけれど正義の味方なんだと言うことだった。


 



[6695] 最終話/ホワット・ア・ワンダフル・ワールド(下)
Name: 夏深てふ◆40dbab44 ID:2b140b78
Date: 2009/09/05 18:21
 ホワット・ア・ワンダフル・ワールド(下)



17/

「なあソラ。世界が終わる日まで一緒に暮らさないか」とヴィータが言った。
「何故ですか」
「思いで作りだよ」
「素敵かもしれません」とソラは微笑んだ。
 そんな会話だけで、彼女二人のルームシェア生活は始まった。

 ソラが待ち合わせの場所に迷いながら到着してみれば、私服姿のヴィータがいた。着古したハードラバーなライダージャケットに、少女趣味なプリッツスカートと甘ったるくデフォルメされた海賊旗のシャツという、なんともチグハグなパーツを上手くまとめあげるヴィータのセンスはとても良いような物に見えた。
「どうだ。見惚れだろ」と冗談ぽく笑うヴィータだった。
「そのセンス、羨ましいです」と、ソラは返した。
「おまえだってお洒落してくれば良かったのに」と、素っ気ないシャツとフライトジャケットと色の抜けたジーンズ姿のソラを見て、ヴィータが言う。
 まるで、お洒落をしらない頃の、十六歳のソラみたいだった。
「世界に二人きりなのに、お洒落の必要なんて無いでしょう」
 嘘だった。クローゼットの中の沢山の服を見て、その着こなし方が思い出せなくて途方に暮れてしまったから。分からなくて、思い出せなくて、迷ったあげくに一番奥にしまってあった服に決めたのだった。一番奥にあったのだから、一番大切な物だったのだろうと、そう思って。
「二人っきりだからこそするんだろ。お洒落は私が全部仕込んでやったんだ。自信もてよ」
「先輩と違って、私は成長するんです。先輩の子供趣味な服ばっかし着てられませんよ」
「お前の背なら、幼稚園のスモックだって大丈夫さ」
「一緒に初等教育からやり直しますか」
「いいな、それ。沢山思い出ができそうだ」
「世界の終わりの混乱期です。いまから役所に戸籍を改ざんしにいきましょう。バレないかもしれません」
 二人して笑った。ようやく調子が出てきたと、懐かしくて笑ってしまった。お互いの傷を舐め合いながら、染みてしまうような消毒液を塗り合いながら、痛い痛いと笑い合う、そんなのがあっている。そうソラは思ったりした。
 二人で、海沿いの道を歩いた。
 ヴィータの後ろを、からからと回る車いすの車輪で追いかけた。
 ヴィータが「押してやろうか」と言えば「先輩とかけっこしたって勝つ自身があります」と断った。
「しっています? 車椅子マラソンの世界記録って健常者マラソンより早いんですよ」
「しってるさ。それが問題になって車いすのリミッターかけるべきかで論争になっていることも」
「きっと百年後の世界では、普通の人と足の無い人が同じ車いすに乗って、同じ道を走っています」
「見てみたいな」
「見れますよ。約束したじゃないですか。百年後、百年後の空の様子を私に教えてくれるって」
「天国まで飛んでって、教えてやるよ。たしか天国は成層圏にあるんだっけ」
「はい。高い空の、一番澄んだ青の場所に」
 道の途中に、懐かしい看板を見つけた。クラナガンバーガー・メニーイエロー。二年前に着た時は屋台だったそれは、ちゃんとした店舗になっていた。売り場には、世界の終わりだというのにまだ人がいた。
「世界の終わり。二人っきりのはずじゃなかったっけ」
「世界の終わり。あなたとわたしとハンバーガー」
「何だか詩的かもな、それ」
 二人して一番おっきいアトミック・ギガント・バーガーを注文した。ピクルスとチーズとチェリソーと、その他トッピングをこれでもかっと言うくらいサービスしてアトミック・ギガントからアルマゲドンくらいにパワーアップしてくれた店主にお礼を言って、店から出た。
「新世界でもクラナガンバーガー・メニーイエローをよろしく!」
 そんな店主の叫び声と、店のシャッターが締まる音を聞いた。後ろを振り返ると、メニーイエローの看板の光は落ちていた。しまったシャッターには、Closeの文字と「素晴らしかな新世界」の一文が踊っていた。
「ジェイムズ・エルロイの小説一文です」とソラが言った。
「ほんと、どうでもいいことばっか覚えてんのな」と拗ねたようなヴィータの声がした。

 ハンバーガーを齧りながら、人のいない列車を乗り継いで、そうしてようやくたどり着いたのは懐かしいコテージだった。木彫りの天使が入り口の階段の所に座っていて、その羽にはbird landとペンキで書き込まれていた。
 一人では広く、二人では狭い、そんな半端な広さだった。
「世界の終わりまで、貸し切りだ。新世界に旅たつ日まで、ここで一緒に暮らすんだ」
「仕事はどうするんですか。通勤には、少しばかり遠いですよ」
「掲示板見てなかったのか。今日でバードランドは解散だよ。ファビアンは早々故郷に帰っちまったし、ほかのみんなも地上本部再編までの間は無期の待機だよ」
「急ですね」
「世界のオシマイが早まったってことだよ」
「飛べなくなってしまいます」
「任務が無くたって飛べるさ。今は混乱期だ。飛行許可なんてなくたって飛べるさ」
「それを聞いて安心しました」
 二人してベットに荷物を放り投げると、すぐに外へと飛び出していった。
「ほら、飛ぶぞ」と、扉を開け放ったヴィータが駆け出した。赤い魔力発光に包まれて、次の瞬間には足は宙を蹴っていた。魔力で赤いドレスが編まれ、あっという間にカルメンの少女みたいな格好になっていた。
 赤いスカートを翻しながら、鳥みたいに両腕を広げて、上昇気流を掴んだ。長くのびた赤毛が磯の香りの粘った風に溶けた。手を伸ばす。まるで眠り姫の手を取る王子様みたいに、少女の命を救ったピーターパンみたいに、手をソラに向かってのばしていた。
 何度もソラを救ってきた、二年前から全く変わらない、小さな手だった。真っ青に澄んだ二つの瞳が、一緒にいこうと言っていた。
 ソラは大きく羽ばたいた。両腕は翼で、あの手を取ることは出来ないけど。一緒に飛べるだけで十分だった。


 16/

 七体目の自動人形に、青い狼のザフィーラは食らいついた。彼の牙が自動人形の歯車を砕き、そして真っ二つに引き裂いた。
 廃棄された街の最新部で、ザフィーラは戦っていた。砦を守る人形を食い破りながら、爪で引き裂きながら、魔法の盾で押しつぶしながら、深く深く、街の奥までへと潜っていく。
 人形が現れる。しなやかな白い手が二つに割れて、その中からホウセンカの種みたいに散弾がまき散らされる。白い輝きの盾が出現して、そのほとんどを防いだ。白い輝きが掻き消えて、変わりに巨大な爪が出現していた。金属音の悲鳴をまき散らしながら吹き飛ばされる人形。ザフィーラの跳躍。吹き飛んだ人形に直ぐさま追撃。ひび割れた腹の中に口を突っ込み、自爆装置の信管を引き抜く。人形の命が途絶える。
 その背後に、カマキリみたいに変形した人形が迫っていた。回転するブレードをぎらつかせ、ザフィーラの背中に切り掛かる。そして青い背中の防護魔法陣を引裂き、青い毛並みを数本刈り取った所で、しかし彼の命まではその刃は届かなかった。
「ひかりあれ」と声がした。
 真っ白なドレスがひらりと舞い、銀色の杖が歯車を噛み合わせながら、炎を生んでいた。カマキリは赤いうねりに巻き込まれ、吹き上げられ。太陽の落っこちてきたみたいな光の中で消えていた。残ったのは、真っ赤に焼けたブレードの残骸だけ。
「目だちすぎだ」とザフィーラが言った。
「たまには目立ったって良いでしょ」と白いドレスの女は言った。白烏花だった。
 そしてこうとも言った。
「私がせっかく白いドレスを着てあげたってのに、あなたはタクシードを着ていないのね」
「知っているか。タクシードで運動すると、シリの所が破けるんだ」
「間抜けなあなたも好きよ」
「私は嫌いだ」
 そんな馬鹿話をしながら進んでいった。途中、何体かの人形が邪魔をしたけれども、光の盾で押しつぶされるか、赤い紅蓮に舐めとられるかして、早々に壊れてしまっていた。
「まるで魔王の城に乗り込む勇者ね」
 灰色の洞穴みたいなコンクリートジャングルを進んでいく。向け出しの配線。訳の分からない数式の書き込まれた、幾何学模様の壁。おそらくは何らかの魔法陣の痕跡。実験の跡。種類は転送系。
「お姫様まで戦ってくれるあたりは、予想外だがな」
「勇者様が人食い狼だなんて」
「しかも卑怯者だ」
「いえてる」
 最後のバリケードを吹き飛ばし、たどり着いたのは太陽の光が落ちてくる、バルコニーのような場所だった。
 そこの中心に築かれた、機械の玉座。そこに男は座っていた。左腕の無い、痩せた男。白い服を着た幽霊のような男。それがクローン・スカリエッティだった。
「残念だけど、一足遅かったようだ。私はもうすぐ旅たつ」
「アルハザードへと、か」とザフィーラが問うた。
「アルハザードと名付けたのは、後の世の人間だ。あの場所に名前なんてものは存在しない。ただ、アルハザードという男がそこにいた。それだけだ」
「なぜ、そこに向かう」
「私のオリジナルに会うためだよ。それじゃいけないのかい」
「世界一つと引きかえに、か」
「そうだ。私はオリジナルを超える。オリジナルに成り代わる。そうして初めて、私はスカリエッティーの名前から解放される」
「殺すのか」
「悪いか」
「悪い」
 スカリエッティーの偽物は、笑った。声はほとんど叫び声で、終末の街中に響いた。愉快そうに、心底楽しそうに、狂気を孕んだ声で笑い続けて、最後にこういった。「それは褒め言葉だ」
「あそこには、なんにもないわよ」と烏花が言った。
「そんなこと誰も知らない」
「私が知っている」神様みたいな声で、彼女は言った。
「私が昔いた滅びてしまった世界。あの時も空が落っこちてきた。あれってアルハザードとの衝突でしょ」
「別の私が計画したのだろう。そして失敗した」
「失敗したから、世界は滅びたの」
「成功しても滅びたさ」
 そう。と小さく俯いた。
「さて、そろそろ旅たつとしようか」
 にやりと笑ったスカリエッティ。その機械の玉座の影から、一人の女が現れる。真っ赤な髪をした、すみれ色の鎧をきた女。八神はやての副官であるシグナムだった。手には、一冊の本。ザフィーラやシグナムにとってはよく見慣れた、夜天の書だった。
「盗み出すのには苦労したよ。差し向けた人形たちは君らが片っ端から壊してしまうし、彼女の協力でようやくだ」
「それをどうする気だ」
「これは旅の書。言ってみれば、アルハザードの手帳だ。手帳には住所くらい書いてあるだろう」
 夜天の書の頁が、ばさばさと捲れる。まるで羽ばたくみたいに、魔法式の欠片を振りまきながら。砕け散っているのは、セーフティーや承認のためのプログラムだった。そして開かれた頁。表れる数字。アルハザードへと至る道の、順路表。空間座標。世界の壁の破り方。
 光が満ちる。空が落ちてくる。青いガラスのような結晶が雲を切り裂きながら落っこちてきた。大地に突き刺さる。キンと冷たいAの音で砕ける。卵が孵るように空が破れ、その向こう、青空よりもっと濃い青い光で満ちた新世界があった。アルハザード、新世界の名前。
 サヨナラだと、書を抱えたスカリエッティが言った。
 ザフィーラが飛びかかる。
 三日月みたいに鋭い刃でスカリエッティとシグナムを守る魔法陣の式を食い破りながら、進んでいく。
 烏花が魔法を放つ。
 ねじくれたデバイスが歯車を軋ませながら、地獄みたいな世界から炎を召還する。光の道へと進んでいく二人の影を焼き尽くそうと、魔力の心臓を回転させる。
 ザフィーラが最後の一行を喰い破り、そしてシグナムにへと躍りかかった。シグナムは剣を抜かず、変わりに腕から出現した鋭い爪でザフィーラを押さえる。
「嘘つきめ」とザフィーラが吠えた。
「バレていたのね」とシグナムの姿をしたその女は、甘たるい声で囁いた。懐かしい戦闘機人の声。顔が波うち、次の瞬間には冷たい表情のドゥーエだった。
「あなたたちのご主人様。八神はやてだっけ。全く成長しないわね。私みたいなカメレオン・タイプがいること、知ってたはずなのに」
「お前らも成長していない。同じ過ちを犯そうとしている。左腕の次は右腕だ」
 はっとした顔でドゥーエは自動人形に指示をだそうとして、その全てが何者かに切り裂かれ、焼き尽くされていることに気づいた。
 彪のように飛び跳ねて、スカリエッティーの体を押し倒した。
 遥か遠くから飛来した純銀の弾丸が、ついさっきまでスカリエッティの体があった空間を吹き飛ばしていく。遅れてくる銃声は音速を超えた実態弾狙撃の証拠。宇宙ガラスの十字架瞳で狙われる心臓。白睡魚の恐ろしい純銀弾狙撃。
 玉座を転がり落ちる夜天の書。それを拾う、群青の隊服の女。
 夜天の主、八神はやてだった。
「大事な魔導書だ。盗まれてどうする」とザフィーラが言ってみれば、
「盗まれたんやない。貸しただけや」と、しれっとした顔のはやて。
「盗まれたふりして居場所を突き止めるなんて、ほんと卑怯」烏花がはやてに追撃。
「同感です。たった二人を大人数で追いつめるなんて、騎士道の風上にもおけません」と、ビルの影から出てきた、灼熱した剣のシグナムが追い打ち。その背後には、ガラクタ同然にまでスクラップにされた人形たちが燃えていた。
 そんなブーイングを無視して「まあそう言う訳で袋のネズミやし、投降してくれんかな」とスカリエッティに言う。
「残念だが、それは出来ない。アルハザードの道は開かれている」
「この夜天の書に書かれていたデータは、残念ながら私の作った偽物やから」
「もう目に見えるところにまできているんだ。地図なんて無くてもいけるさ」
「正気か」
「正気だ」
 ふうとため息をついて、手を振った。バイバイと、そんな仕草だった。それが合図。
「いくならいけ。いけれるもんならな」
 光が全てを覆った。


 15/
 
 とあるビルの屋上。
 八神はやてが手を振ったのを見届けて、ティアナは長いライフルの形をしたクロスミラージュに魔力を流し込んだ。
 胸の中で回転するリンカーコアに橙色の炎が灯り、それを呼び水に空気中に漂う魔力を収束した。
 クロスミラージュの暗い銃口の周りに、幾重にもまとわりつく、幾何学模様の魔法陣。万華鏡のように絡み合い、空間をゆがめながら、巨大なバレルを生成する。
 魔力で強化された視力の向こうにいたのは、スカリエッティの姿をした男だった。それが的だった。
 的の前に、女が躍り出る。フラクタル模様の力場を展開して狙撃を受け止めようとしている。
 これじゃ撃てないと思った瞬間、すぐ隣で耳を劈く銃声が聞こえた。澄んだ音で空薬莢が地面に落ちる音も聞いた。その澄んだ金属音が聞こえる前に、的の前を邪魔していた女は、フラクタル模様もろとも吹き飛ばされていた。
 すぐ隣で黒い銃身を構えた睡魚のフォロー。
 心の中で小さく感謝して、ティアナは軽い引き金をそっとなでた。
 銃身の中で魔力が弾け、煌めく橙の光。かみ合う二つの魔法陣が魔力の方向を纏め上げ、一つの弾丸とした。
 ティアナの持っている、一番奇麗で大きな弾丸。まるで星の光。スターライトブレイカー。
 弾丸が飛んでいく。流星の速さで飛んでいく。壊れた灰色の街を照らしながら、落っこちてくる青空を朱に染めながら、青く暗い皹の向こうを照らし出しながら。
 皹の中にティアナは何かを見たような気がした。それは墓標のようにも見えたし、延々と続く青い光の花畑にも見えた。幻だったのか、一瞬で見えなくなった。
 見えなくなって、そのときには弾丸は的に到着していた。
 橙色の光の中で、的は移転魔法の式を編み上げ、多次元世界の狭間へと溶けていった。嗚呼、外したんだ。そう思った。
《こちらティアナ。目標ロスト。逃げられました》
《了解、お仕事、ご苦労さん》とハヤテの声が念話で聞こえた。
 嗚呼、運がないな。そう小さく呟いた。
「落ち込むな。スターライトブレイカーだっけ。奇麗な魔法だったじゃないか」
 彼女の隣で、睡魚が言った。黒猫みたいに、無邪気な笑顔だった。ライフルが酷く似合っていない。
「あたらなければ奇麗なだけの花火ですよ」
「そういうものかね」
「そういうものです」
 睡魚は立ち上がると、ライフル銃をケースにしまってしまう。そして歩き出した。
 もう行ってしまうんですかと聞いてみれば「婚約者を待たせているからね。速く行かないとどやされてしまう」と笑っていた。何かが軋んだ。
「最後に一つ良いですか」
「何だい」
「どうやったらあなたみたいに、奇麗に的に当てれるんですか」
「知らない方がいいさ」
「なんで」
「知ってしまったら、あんなきれいな魔法、二度と使えなくなってしまう。それじゃあな。奇麗な魔法のお嬢さん。同じ魔法を使う、教導官殿にもよろしく言っといてくれ」
 ニヤリと笑って、次の瞬間には魔法の力で消えてしまっていた。
 最近変な人に振り回されてばっかしだ。そんなことを考えて、ため息をつこうとした。でも止めた。
 変わりに大きく息を吸い込んで、喉が痛くなるまで叫んでやった。
「バカヤロー!今度はぜったい捕まえてやる!覚悟しろ!」
 姿の見えない彼に向かって、めいいっぱい叫んでやった。
 たとえば長年追いかけてきた犯人をまるで恋人のように思ってしまう刑事がいることや、睡魚の言った「婚約者」の台詞で感じた不快感が失恋のそれと同じことを、ティアナはまだ知らない。


 14/
 
 片腕を純銀弾で吹き飛ばされ、スターライトブレイカーの魔力でマジックサーキットをショートさせてしまったドゥーエは、動かない体で、ただただひび割れた空を見上げていた。
 この分だったら、あと半日ほどで世界は終わるな。そんなことをぼんやりと考えていた。愛するドクターは、ちゃんとアルハザードにたどり着けたかなとも思ったりした。一緒についていく筈だったのにと残念に思った。私のことを思い出して、チョビットだけ泣いてくれれば嬉しいと思った。大泣きだったら、私まで悲しくなってしまうから。
 空から金色の髪をした女がおりてきた。
 天使かなと思って「私を壊して」と願ってみた。
「だめ」と言われた。
「あなたの家族が待っている」
「家族はあの人だけよ。アルハザードへ旅立っていった、あの人だけ」
「じゃあ、言い換える。あなたと家族になりたいと願っている人たちがいる」
 天使は数字を数え始めた。
 ウーノ、トーレ、クアットロ、チンク、セイン、セッテ、オットー、ノーヴェ、ディイチ、ウェンディ、ディード。一から十二まで、異国の言葉で順番に数えた。心地よい音だから、きっと天国の言葉なんだろうとおもったりもした。なぜ二番目をとばして数えたのかは、分からなかった。
「二番目はあなたよ」と天使が言った。
 頷いたのは、きっと冷たい土の中で壊れてしまった回路のせいだと思った。
 

 13/

 壊れる世界を縫い止めようと、八神はやては魔法を解きはなった。アルアザードへの扉を開ける最後の鍵が夜天の書だとしたら、閉める鍵も夜天の書、そう思ったからだった。
 スカリエッティがハックした経路を逆算し、そこから検索をかけて項をめくっていく。案の定、空の穴を塞ぐための魔法を見つけ出し、圧縮された魔法言語を解凍して、ベルカやミットチルダの言語に翻訳する。
 出来上がったプログラムは、散布形の物だった。壊れてしまった空間を魔力で直す。そんな魔法だった。壊れた空間には、直接魔力を届けなければいけない。
「それって、どういう意味」と烏花が質問した。
「この魔法は青色のペンキや。そのペンキで、空の剥がれ落ちた所を塗り直せば万事解決」
「でも、そんなことできるの」
「この世界に残っている魔導士全員に頼めば、半日もしないうちに塗り終わるやろ」
 悪巧みを考えるときの腹黒い笑顔で、はやてはいった。次の瞬間、その場にいた魔導士全員のデバイスが、唸りをあげ始めた。
「夜天の書のスペックをフルにつかって、世界中の魔導士のデバイスに、『青いペンキ』と『お願いのメッセージ』を送り込んでる最中」
 犯罪だった。無断で他人のデバイスに侵入した罪や、妙な混乱を招くようなメッセージを無差別にばらまいたことや。でも反論は全部「もうすぐ終わる世界やし、だいじょうぶでしょ」で切り捨てられた。もうすぐ救われる世界だというのに。ブラックな冗談。
「アルハザードが青いペンキの後ろに隠れたら、きっとソラの中のイカルスデバイスもおとなしくなるやろうし。世界も救われるし。万事解決」
「まるで世界のことはイチクラのついでみたいな言い方ですね」とシグナムが言った。
「あったり前や。ソラやヴィータのためじゃなかったら、こんな面倒くさいことやらへん。シグナムだてそうやろ」
「一緒に酒飲んで馬鹿ができるのは、イチクラくらいしかいませんし。潰れた私たちを介抱するのはいつもヴィータの役目ですし。貴重な二人を一度に失いかねないこの事件は、世界の終わりなんかより最優先で解決すべき問題です」
「不真面目になったな」
「あなたに似たんです。主はやて」
 愉快な連中ばかしだと、笑ってしまった。
「みんな準備はええか」と、はやてのかけ声。
「我が主のお望みとあらば、いつでも」と真面目腐った口調でシグナム。
「我々ボルケンリッターは、いつでも主の剣であり盾です」同調するようにザフィーラ。
「ヴィータとシャマルが留守だよ。二人しかいないと、格好つかないね」と調子外れのフェイト。
《それって空の穴めがけて撃ちまくれば良いんですよね》とトリガーハッピーなスイッチが入っているティアナのガラガラ声が聞こえてきた。
「個性的な人たち。あなたはどう思う」と烏花が言った。
《さてね。いい人たちなんじゃない。披露宴はとっても素敵になるよ》と、いままで高い空の雲に隠れていたテレーゼの声まで落っこちてきた。
 なんや。ぐだぐだやないの。
 全員がバラバラに、しかし同じ空を目指そうとするのを感じながら、ハヤテはぼやいたのだった。


 12/

 フェイトが飛行を開始して高度を上げると、すでに空のあちこちで光が輝いていた。
 色とりどりのバリアジャケットや騎士甲冑を身に纏った魔導士たちが、色とりどりの魔力発光で重力をねじ曲げながら飛んでいた。きらきらと光る魔法の杖で、砲撃魔法をを放っている。暗い空の裂け目にむかって光の束を放っている。光の通った後は、青空が戻っている。ペンキを塗ったみたいに、青空がもとに戻っている。
 沢山の魔力が、傷ついた空を癒していく。
 フェイトは空を飛んでいく。空中を蹴る。白いマントが翻る。巨大な剣の姿をしたデバイス・バルデッシュが暗い皹を引き裂いていく。青い傷に涙のような青い空が戻っていく。
 踊るようにタップを踏んで、稲妻を纏う光の剣で闇を切り裂いていく。切り裂いた後には青空が戻っている。世界が戻っていく。空はもう、落ちてこない。そんな気がした。金色の髪が、翼のようになびいた。音楽が聞こえてきそうな飛行だった。
《相変わらず奇麗な飛行ね。渡り鳥さん》
 金色の翼の上を、真っ白な翼が飛んでいた。まるで大理石のニケ像みたいに翼を広げて飛んでいる、テレーゼだった。
「久しぶりだね」
《ええ。いつかのダンス以来かな》
「あれがダンスって言えるなら」
《あなたはいつも、奇麗に飛ぶ》
 テレーゼが大きく羽ばたくと、あっという間にフェイトの届かない高い高い限界高度へと飛んでいく。白い翼からエメラルド色の魔力が溢れて、そのあとには青い空が蘇っている。
「すごいね。私には絶対に届かない」
 そう言って、剣を振るった。黄昏みたいな金色で雲が吹き飛び、裂け目が掻き消え、ゴロンゴロンという稲光で世界を照らした。青空が帰ってきた。
《すごい。私にはそんなに沢山塗り替えられない。まるで雲の神様ね》
「かもね」
 いつの間にか空は青色だった。ひび割れた所の方が少ないくらいに。真っ青な空だった。青白い顔をした昼間の天体たちも、それぞれの昔話の陰影を取り戻していた。
 遠くで桜色の魔力が撃ち上がった。流れ星みたいに光り、暗い皹を照らし出し、青空を呼び戻す。桜色の魔力の燃えかすが、花びらみたいに散っていく。そんな世界の終わりの世界。もしくは始まり。
「私たちってもしかしたら良く似ている?」
《多分》
「私は高く飛びたい」
《私は奇麗に飛びたい》
 上手く行かないものねと、笑ってしまった。


 11/

 クローン・スカリエッティは、アルハザードにたどり着いた。
 何も無い場所だった。
 青い花畑が延々と続く、広いだけの世界。そこにいくつかの石碑が立っている。石碑に刻まれた文字は、すべてアルハザードの名前だった。石碑の上には枯れた花が供えてあって、それは全て墓標だった。
 その墓標を抱くように、機械で出来た人形が機能停止していた。きっと、墓を作ったのは機械人形。機械人形を作ったのは、墓の主。
「失敗なんかじゃなかったんだ。みんな成功していたんだ。みんな、たどり着いていたんだ」
 その墓標は、アルハザードになりたくてこの地へたどり着いた、昔々のスカリエッティたち。
 この地で名前を手に入れ、機械人形を作って、それによって埋葬された、寂しい人たち。
「絶対、機械人形だけはつくってやるものか」
 光の中で見失ったドゥーエの顔が笑っていたから。
 そのことを彼は、長い孤独の中で知る。 


 10/

 塗り替えられていく世界を眺めていた。
 世界は終わらないみたいだった。
 そのことを、背骨に届いた魔法の声を聞きながら考えていたソラだった。
 ソラの隣でヴィータは囁く。
「どうしたんだ」と。
「声が聞こえるんです。私が飛べば、世界は終わらないって」
 それはハヤテの声だったかもしれないし、アルハザードの書いた旅の書の声だったのかもしれない。アルハザードの男に書かれた旅の書。アルハザードの空を飛ぶために育てられた、イチクラソラの鳥の心。
「飛びたい」と一番大きな声で叫んでいたのは、ソラの中の鳥の心だった。
「私、ずっと鳥の心と戦ってきたんです」
「そうだな。ずっと戦ってきた」
「でも、そろそろ仲直りしないといけないと思うんです」
「どうして」
「空の飛び方を教えてくれたのは、鳥の心ですから」
「仲がいいことは。いいことだしな」
 仲直りしてこいと、ヴィータは笑った。
 仲直りしてきますと、ソラが笑った。
 飛び立った。
 黒い翼で飛んでいく。
 ヨダカは飛んでいく。
 高い声で両足の音叉が推進力を生んでいく。
 胸のなかで火が灯る。
 キシキシキシキシキシキシッと甲高い声で空気が裂けていく。
 尾羽の方で黒い闇が青く裂けていく。
 鳥の心が叫ぶ。
「嗚呼、フロイデ。喜びを」
 叫びに負けないように歌う。
「嗚呼、フロイデ。喜びを」
 ズーフ・イーン・イリューベルム・シュテールネンツェルツ!(星空のかなたに、創造主をもとめろ)
 そう歌った。何故歌ったのかはわからない。
 イューベル・シュテールネン・ムス・エル・ヴォーネン(星たちのかなたに、かならず創造主は住み給う)
 そう、下の方から聞こえてきた。懐かしいヴィータの声。
 そう。きっとあそこに私をつくった何かがある。
 空飛ぶ喜びを教えてくれた、鳥の心が待っている。
 そう、きっとあそこに行けば、ヴィータのいる世界も壊れずにすむ。
 やがてやってくる限界高度。
 寒い寒い、空気の壁を突き破る。
 雲を裂く。
 透明な成層圏に羽ばたき、その向こうで口を広げた真っ暗な闇へと飛び込んでいく。
 真っ暗な裂け目へと。
 青い光の魔力のヒコーキ雲を引きながら。
 下を見る。
 色とりどりの魔法使いたちが空を飛び、魔法を放ち、空を青く染め上げていく。
 でもソラの高さまでは、だれも届いていない。
 この空を青く癒してやれるのは、私だけ。
 桜色の魔力が撃ち上がる。星の光みたいな奇麗な魔力。
 金色の魔力が闇を裂く。踊るような奇麗な飛行。
 誰よりも高くエメラルドの光が光っている。白い翼で、私を見上げている。
 黒色の翼が花のように地面で咲いている。世界中の魔法使いに大きな声で青い魔法を教えている。
 白い光が暗い闇にハートマークを描いた。赤い炎が、青い心臓を打ち抜いた。
 すみれ色の魔力が、闇を切り取る。誰よりも鋭く、でもその刃はだれも傷つけない。
 見慣れた五つの灰色が、コートを翻しながら飛んでいる。編隊飛行でまるで航空ショウ。一つもかけてない五つだった。
 橙色が撃ち上がる。叫ぶみたいに撃ち上がる。私は飛べないけれどと。見えない透明な誰かが《上手いじゃないか。命中だ》と言っていた。
 水色の道が空に伸びていた。その上を走る魔導士がいた。橙色に抱きついた。
 幸せな風景で、それがソラは嬉しかった。こんな奇麗な偵察飛行、初めてだった。
 嗚呼、フロイデ。喜びを。
 空も素晴らしい。
 鳥の心が歓喜に震える。
 大地の上も素晴らしい。
 人の心が歌を歌う。
 青い空が帰ってくる。
 赤い光が見えた。
 いつもいつも、ソラを救ってくれた小さな赤は、ただ一人孤独に光っていた。
 あれを目印に帰ってこようと、そう思った。
 燃えるサソリの体のように赤い光。
 夜空の天辺で凍えてしまったヨダカは、太陽みたいな彼女に帰っていこうと願いながら。
 暗い闇に、吸い込まれるみたいに飛んでいく。
 青空を取り戻すために。
 限界高度なんて、とっくの昔に超えていた。
 青い光になって、青い光のヨダカの星になって。
 高い空で笑っていた。
 守護天使みたいに。


 9/

 そして、高い空にも青空が戻ってきた。
 ソラは帰ってこなかった。
 空の一番高い場所に、一つだけ小さな皹が残っている。
 ヴィータはそらを見上げている。
 

8/

 一ヶ月がたった。
「本当に大丈夫か」と八神はやては言った。
「“軽くあれ”だよ。これくらい軽くないとあの空にはたどり着けないだろう」と、ほとんどのプログラムを捨ててしまったグラーフアイゼンを肩に担いで、ヴィータは言った。
 銀色に輝く巨大な破城槌は、見た目はそのままなのに、スカスカなプログラムのせいで軽かった。
「私たちが丹誠込めて作った魔法や。一瞬だけだけど、限界高度を超えて飛べれる」
「吹っ飛ぶの間違いだろ」と、アイゼンに取り付けられた、巨大なマギ・ジェット・エンジンをかつんと叩いてそう言った。
「彼女、くいしんぼだからきっと腹を空かしてるやろね」
「あの子は何も食べずに、眠りもせず、両足を失いながら帰ってきたんだ。今回だって帰ってくるさ」
「そうやろうね。成功願っとる」
「あいよ」
 赤いドレスで飛び立った。赤い髪の毛は翼のよう。宙を踏むカルメンのステップ。
「いくぜ、アイゼン」
 ノズルに点火した。赤い炎がのアフターバーナー。アイゼンのロケットで、高く高く飛び上がっていった。



 7/

 おとぎ話をしようと、なのははいった。
 どんな話と、彼女の隣で少女はいった。左右で違う色の瞳が光る。
 なのはが語ったのは、ヨダカの話だった。
 最後は星になった鳥の話だ。
「あれのことだよね」
 少女が指差したのは、空の皹だった。皹から、青い光が漏れ出していて、それはヨダカの星だった。
「あの星の物語は、これからだよ」


 6/

 フェイトとティアナは空を見上げていた。
 長かったですねと、言っていた。
 二年前から続く事件の、最後の瞬間だ。
 きっとそうなのだと思った。
 笑えますようにと願った。


 5/

 ザフィーラと烏花は、彼の事務所の屋上で空を見上げている。
 世界が終わってしまうかもしれないと、ザフィーラが言った。
 世界一つと引き換えに、一人の少女を助けるなんて素敵じゃないと、烏花は言った。
 そして最後まで見届けずに、その建物のを後にした。
 最後まで見なくたって、結果は最初から決まっていると、微笑んでいた。


4/

 あなたはあの人ではないとドゥーエが言った。
 私は彼ではないとスカリエッティ—は言った。
 それきりだった。
「家族はあの人だけ。でも友達ならいいわ」
「娘たちには、そう伝えておこう」
 そんな獄中での会話。

3/

 シグナムは空を飛んでいた。
 後ろには五人のバードランド隊員たちが、奇麗な幾何学模様の編隊で飛んでいる。
 そろそろかと五人に合図を送ると、彼らは花火みたいに散らばって、奇麗な軌道でアクロバットを始めた。
 帰ってきたときに寂しくないように。
 少しでも楽しいように。
 そんな願いを込めて。


2/

 高い空で、テレーゼは歌った。
 その歌声を睡魚は聞いた。
「ベートーベンよりブラームスのほうが好きなんだがな」と言うと。
《ベートーベンが大好きな彼女のためよ》と、歌を歌い続けた。


1/

 ベートベンの歌を聞きながら、ヴィータは上昇を続けた。
 巨大な突貫槌で燃え上がる、ロケットノズルの赤い炎。もっと高く。もっと力強く。そう願いながら赤い光になった。
「一人で頑張ってみたんだけどよ」と呟いた。
「どうも背中がさびしんだよ」
 軽くなってしまった体で、飛んでいく。赤い炎の尾を引きながら。成層圏の冷たい空気を突き破る。少女の体で、二年前から変わらないネバーランドの体で、でも心の中はずいぶんと違っているように思えた。
 天国みたいに澄んだ透明な空気を置いてきぼりにしながら、もっと、もっと、と。
「約束通り、天国まできてやったぜ。百年後じゃないけどな」
 そして、涙だって凍り付く高い限界高度の果てで、ヴィータはヨダカの星にたどり着く。青い光が漏れ出す、空の小さな皹に向かって、めいいっぱいの力でハンマーを振り上げた。
 夜天の書から抽出した「アルハザードへの道」の数式が、空間を食い破っていく。小さな体で、重たいアイゼンを振り回す。何度も、何度も。ロケットエンジンの炎が天使の輪っかみたいに回って、冷たく薄い空気を焼いていく。
 空の皹が大きくなる。
 割れていく。
 せっかく青く塗り直したのに。
 ただ一人を救うために、世界の壁をたたき壊す。
 空が落っこちる。
 ガラスのように、青く、薄く、透明に。あるいは天使の羽みたいな。
 そして精一杯の力と願いと叫びと、沢山の思いを込めて、最後の一発をふるった。
 世界中に聞こえるような大きな音がして。
 青い欠片が祝福の紙吹雪みたいに舞って。
 世界がたった一振りのハンマーで壊れる音に、みんなが驚いて。
 祝福して。
 祝福されて。
 高い空は天国のようで。
 歌が聞こえて。
 そらがおっこちてきた。
 ヴィータは「おかえり」と、ただそれだけ囁いて。
 彼女も「ただいま」と


0/

 素晴らしきかなこの世界。
 そんな世界より、大切なあなた。
 少女は二人、今日も空を飛んでいる。
 ただそれだけの物語。


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