フェイト・T・ハラオンは密閉された白い部屋にいた。
部屋には一脚のパイプ椅子と、安物のスピーカ、小さなディスプレイ。どれも安物の粗悪品であったが、その奥でケーブルにつながれている出力装置は最高の機密性を誇る通信機、歪な機械である。
フェイトは固いパイプ椅子に座ると、真っ黒な執務官服の内ポケット、小さなレコーダの録音スイッチを押した。そして時計に目をやり、秒針が約束の場所に来るのを待った。
カチリ。秒針が12を指差し、ディスプレイが唸りをあげた。安物のスピーカから、乾いた音の、甘ったるく絡みつくような声が聞こえてきた。
「やあ、今晩は。ご機嫌如何かな?プロジェクトF・A・T・Eの残滓よ」
ディスプレイの暗がりが晴れて、不自然な紫の髪をボサボサとのばした、囚人服の男が映し出された。
「あなたの第一声のせいで最悪ね。ジェイル・スカリエッティ」
「人間らしい、素晴らしい反応だ。私の技術が産んだ創造物が、私の想像を超えて行く様を見れて、とても嬉しいよ」
無期懲役囚ジェイル・スカリエッティと、管理局の執務官フェイト・テスタロッサ・ハラオウンの、面会の一幕である。
†
ティアナ・ランスター執務官は、拘置所の受付の待合室、そこのソファでフェイトの面会が終わるのを待っていた。グリーンのペンキで塗られた廊下、暗い蛍光灯、冷たい床。陰気な部屋。
「お久しぶりやね。ティアナ」
不意に声をかけられた。群青色の空士隊の隊服、短く清潔に切りそろえられた栗毛、肩に羽織った魔導騎士のコート。航空12部隊の八神はやてだった。
かっちりと敬礼をして「お久しぶりです。八神部隊長。もしかして部隊長も面会ですか?」
「いんや。ただ、きっとこれから二人の力を借りることになると思うから、そのための挨拶にな」
「二人、ですか?」
「うん。ティアナのフェイトちゃんの二人にやね」
「私はかまいませんけど、今は私もフェイトさんも事件持ちですよ」
「知っとる。ゲオルグ・テレマンが扱っとった、スカリエッティの技術の違法性についての捜査やろ」
ゲ オルグ・テレマン、白睡魚に狙撃され死亡した男。
「ええ。ジェイル・スカリエッティとの面会も、その捜査の一環です。今は暇そうにしてますけど、結構忙しいんですよ」
「うちの航空12部隊も忙しい。今、ヴィータとザフィーラ、あと市蔵に非公式捜査をさせとる」
「非公式、何の捜査ですか?」
「アハト、08防疫部隊」
「ああ、なるほど」
08防疫部隊、ゲオルグ・テレマンが立ち上げた部隊。
「きっと、ぶつかりますね」
「その時は合同捜査宜しくということや」
†
「それで、今日は何の質問かね?テスタロッサ・ハラオウン執務官」
ディスプレイの向こうで笑う男。ジェイル・スカリエッティ。
「ゲオルグ・テレマン」
質問する女。フェイト・テスタロッサ・ハラオウン。ただ一言、名前を告げたのみ。その名前を聞いた途端に、ディスプレイは笑い出す。
「これまた懐かしい、愉快な名前がでたものだ。彼について知りたいのかい?」
「ええ」
「見返りは?」
「更正の一環という名目で、あなたに研究を任せてあげれるかもしれない」
「それはいい」
心底愉快そうに笑い出す、スカリエッティ。マッド・サイエンティストのステレオタイプ。
「私がゲオルグ・テレマンに授けた技術は三つだ」
ディスプレイの中で指を一本立てた。
「一つ目。量産とチューニングが容易な自立進化型の融合騎デバイスの技術。たしか管理局ではイカルスと呼ばれていたな。全くもって縁起の悪い名前だよ」
イカルス、恐らくは市蔵ソラやテレーゼの脊髄に移植されたイカルス・デバイスのこと。
二本目の指を立てる。
「二つ目。細菌兵器を扱う部隊のプロデュース案」
恐らくは08防疫部隊のこと。ここまではフェイトの予想通り。
三本目の指を立てる。
「三つ目。プロジェクトF・A・T・Eから発展した、死者蘇生のプラン」
予想外な答え。
「誰を蘇らせようとしていたの?」
「さあね。私にはわからないよ。ただ、あの野心家なテレマン提督のことだ。悪魔でも蘇らせようとしたんだろう」
ブスブスと、スピーカが笑いをあげた。それはやがて声になり、粘つく甘さの狂い笑いに。
悪魔が産まれる。もしかすると、もうすでに生まれ落ちた後。
†
「それで、08防疫部隊のほうはどんな感じなんですか」と、ティアナは問う。そして珈琲を一口。苦い。紙コップから口を思わず離した。
「手応えはある。けど、何にも見えてこん。"浄化作業"、ようするに死体と遺留品の償却処理けど、おかげで証拠は何もかもパー。『ティンダロスの猟犬』の正体も、証拠と証人を焼き払うアハト(08)の『前線部隊』も正体も、何にもわからんまま。挙げ句の果てには『変身魔法の暗殺者』なんかも出てきて。ほんま、嫌になるわ」
殆ど愚痴、しかし出てくる単語は限りなく物騒で危険。それらを一気に吐き出したはやては、コーヒーをすする。泥のように濃い、悪魔みたいな珈琲。ティアナが思わず躊躇してしまう苦さのそれを、何のためらいもなく飲み下す。飲み馴れている。
「部下にいま調べさせとんけどね。最近、尋常じゃなくアハトの連中が派手に動いとる。まあ、きっと発端人のゲオルグ・テレマンが死んでもうて慌てとんやろうけど、やっぱり証拠隠滅や口封じにしちゃ派手やね。アハトのことを探っていた連中が軒並み『ティンダロスの猟犬』に滅茶苦茶に汚染された死体で出てきて、軒並みアハトの『前線部隊』に焼却されとる。それ以外の連中も、まるで幽霊か生き霊かドッペルゲンガーみたいな『暗殺者』に刺殺されとるし。今の所、アハトの秘密を握ったまま生き残っとんのは白烏花一人だけ」
運がない。そう呟き、また珈琲をすする。
ティアナは少し考え込むように首を傾げる。そして質問を重ねる。
「そもそも『ティンダロスの猟犬』って何なんですか?」
†
「ティンダロスの猟犬か。ネーミングセンスは悪いが、研究資料としては興味深いな」
ディスプレイの中の科学者が、満足そうに笑う。青い血膿に沈んだ被害者の写真を見ながら、まるで五つ星レストランのディナーを目の前にしたときのような上品さと歓喜の表情。黄金色の強欲な瞳がノイズにまみれて怪しく光る。
テレビ電話のカメラに向けて、八神はやてから受け取っていた『ティンダロスの猟犬』の資料を突きつけていたフェイトは、思わず身震い。その恐怖を悟られなくて、わざと気丈に質問をする。
「わかったことはある?」
「ああ、あるともさ。この病はね、ミッシングリンク・ウィルスによるものだよ」
「ミッシングリンク、ウィルス?」
「そう、馬鹿げた非ダーウィン的進化論だ。遥か昔に、世界にあまねく、這い、泳ぎ、飛び、歩いた万物に進化をもたらしたとされる、神様の毒だ。これに感染した生き物は、進化を促され、別の種へと変貌を遂げる。この"ティンダロスの猟犬"は、それの素晴らしい研究サンプルだよ。素晴らしい進化をもたらしている」
「進化?感染した人は、みんな死んでしまったんだよ」
「人間としては死んだだろうね。しかし、この資料を見る限り、細胞一つ一つは生き続けている。まるで、無限増殖を続けるガン細胞のようにね。つまりだ。人が一人死に、六十兆余りの不死身な細胞に生まれ変わった訳だ。そして"ティンダロスの猟犬"は、その六十兆余りの不死身と共に生き続ける。致死型の細菌と共生型の細菌の、いいところどりという訳だ」
不気味な想像。真っ赤な血が、不死身の青に置き換わる。その中で不死身の細菌達が生き続ける。
赤は肉であり血であり、腐り溶けて、土になる。青は空であり海であり、永遠に青のまま。永遠性の象徴だった。
「空気感染力は弱いようだね。しかし、それでも気をつけたまえ。エアロゾル化といって、空気感染力の弱い細菌を空気に乗せる方法もある。そういった技術も、テレマンには授けてある」
脅かすように、誇るように、そして心配するように。
「くれぐれも死んでくれるなよ。私の技術から産まれた創造物よ。私はね、お前を一つの希望だと思っているんだ。お前は私を嫌いだと言う。私の技術の"娘ら"にも、いつかはそんな思考も持ってほしいものだよ」
"娘ら"、戦闘機人ナンバーズのことだった。かつてスカリエッティが生み出した、ガイノイドの軍団。今では創造主の元を離れて、それぞれの人生を送っている。牢獄に引きこもる者。外の世界に歩き出す者。戦う者。愛すもの。憎む者。体の殆どを占める機械で戦い、ほんの数キログラムの人間で生きる女たち。
最近、スカリエッティーは彼女らのことを"娘ら"と呼ぶようになった。そして、フェイトに対してのみには捜査に協力的になってもいた。自らの作品にたいする愛着か。それとも。
「随分と父親らしい表現ね。その"娘ら"の体の中に、自分のクローン体を埋め込んでいた男の台詞とは思えない」
「なに、私にだって父親としての感情くらい持っている。最近は死んでしまった娘、ドゥーエのことを悲しむことだってできる」
どんどん人間らしくなっていくジェイル・スカリエッティ。彼の最近の口癖は「死んでしまったドゥーエの亡骸を取り戻したい。そして綺麗にくみたてなおして、墓に埋めてやりたい」。マッドな愛情。
「創造主を憎むのは、即ち自立、アイデンティティの確立だ。作られることを捨て、自らを作り出すことを覚えた証拠だ。そうやって人は神を殺し、魔導と科学を崇拝し、観察と実験を信仰とした」
「だからあなたも、娘たちに憎まれたいというの?」
「ああ、そうだ。私は、私の技術が産んだ創造物が、私の想像を超えていく様をみてみたい。愛などいらんよ」
フェイトは思う。この男が嫌いだ。この男が嫌いと感じる自分が嫌いだ。目の前のディスプレイの中で笑う男を失望させたく、同時に喜ばせたく、一つの言葉を思いつく。
「私は母を愛しています」
母、スカリエッティの技術を使ってフェイトを創造した人のこと。つまり、フェイトは創造主を愛しているということ。スカリエッティの想像を超えていないという宣言。
「その回答は思いつかなかった。君はやはり、私の想像を超えている」
ディスプレイの彼に対して、それを嫌う自分に対して、ばっかみたいとフェイトは小さく呟いた。
立ち上がり、珈琲みたいな苦さでお礼を言った。美味いのか不味いのか、賛否両論の珈琲。そして白い部屋を後にしようとする。
「少しだけ、待ってくれないか?」スカリエッティが呼び止めた。
「なに?」振り返るフェイト。
「これはつまらない予想なんだがね――」
†
「ティアナ。私はね、時々思うんよ。世界は"こんなはずじゃなかった"ことばっかしだってね」
「それは良い意味ですか?それとも悪い方」
ようやく珈琲を飲み干したティアナが質問した。はやてはとっくの昔にからになった紙コップを握りつぶすと、ゴミ箱へと放った。クシャクシャのそれは、歪な放物線で飛んでいき、ゴミ箱の縁にぶつかって床に転がる。はずれ。
「ほらな。"こんなはずじゃなかった"」はやてが、少しだけ残念そうに呟いた。「"こんなはずじゃなかった"ことばっかしや。本当に、みんな私の想像のはるか上を飛んでいきよる」
ベンチの背もたれにだらしなくもたれかかり、天井を見上げる八神はやて。ティアナも天井を見上げる。汚いタイルと、蜘蛛の巣のはった蛍光灯が見えた。
「この事件はね、"こんなはずじゃなかった"んよ。とっくの昔に解決して、全てハッピーエンドのめでたしめでたしになるはずやった。なのに、だらだらと、だらだら続いて。人は死ぬし、ヴィータを外にださんといけなくなるし、ザフィーラに守ってもらえなくなるし、市蔵は空を飛べないし、私の睡眠時間は削られる一方やし。ほんま嫌になる」
愚痴を漏らす、部隊長。のっぺりとした曇り空みたいに汚れた天井を見上げて、唯々ため息。
そんな元上司の様子を見かねたティアナは立ち上がる。そして床に転がる紙コップを拾い上げ、ゴミ箱の中に入れた。
「"こんなはずじゃなかった"」はやてが呟く。今度はうれしそう。
ティアナが、ダウナーでメランコリックなフェイト・T・ハラオウンとの付き合いの中で覚えた、彼女なりのフォロー。待合室の冷たい空気が、心なしか緩んだ。
そんな時だった。
はやての目の前に、暗号魔導無線のホログラム・ディスプレイが開く。〈ヨダカより、部隊長へ。どうされたんですか?辛気くさい顔されて〉ディスプレイの中にいたのは、人形めいた顔の無表情。市蔵ソラだった。
「人生"こんなはずじゃなかった"ことばっかしって話しをしてたんよ」冗談みたいに、はやては言い放つ。
ソラはそれを聞くと、大きく息を吸い込み歌を歌う。Fronte capillata,sed plerumque sequitur occasio calvata、綺麗なラテン語の、やけに勇ましい歌。
「なんていう歌なん」
〈カルミナ・ブラーナ、運の女神の痛手を。運命の女神を讃える歌です〉と、ソラは言った。そして続けて〈訳すると、運命の女神は後頭部がズルッパゲ。前髪を掴まないと逃げられるっていう話です〉
「斬新な髪型やね」
〈そうでもないですよ。七・八世紀前から伝統の、女神の髪型です〉
頭がいいのか、悪いのか、わからないような馬鹿らしい冗談だった。少しだけ顔がほころぶ。
「それで、本題はなんなん?まさか慰めに連絡してきた訳とはちがうんやろ」
〈ええ、少し、厄介なことになりました〉とソラは言う。何やら、ちらちらとディスプレイの外側に視線をやっている。警戒した様子。そして、観測兵らしい簡潔な報告。
〈隠れ家にしていたホテルに"白尽くめのガスマスク"が乗り込んできました。アハト、08防疫部隊です。戦闘は避けられません〉
衝撃。
「"こんなはずじゃなかった"ことばっかしや」
はやては魔法を振るうと、沢山の通信魔法で、頭蓋骨の中に即席の作戦司令部を作り上げた。
戦闘が始まる。