「父上、おかわりをもらえますか?」
「ヴィヴィオもー!」
「はいはい」
云われるがままに空の茶碗を手にとって、立ち上がる。
今日も元気なようで何よりだ。
そんなことを思いつつ、視線を横へと投げた。
ヴィヴィオの隣に座っているなのは。彼女はヴィヴィオの食べこぼしを仕方ないと苦笑しつつティッシュで片付けている。
すべてをティッシュに丸めて、ゴミ箱へ――というところで、ふと、彼女は疲れを表情に滲ませた。
別にヴィヴィオの食べこぼし云々が関係しているわけではない。
最近、なのはは何かに疲れているような表情を見せることがある。
この生活に、というわけではないだろうけれど……いや、ある意味ではそうかもしれない。
はやてと一緒に昼を食べた日から、か。
なのはがたまに表情を陰らせるようになったのは。
なんとかしたいとは思うものの、俺がどうにかできる問題なのかって疑問がある。
なのはが悩んでいる問題がなんなのか。まずはそこからだ。
そもそも自分の悩みを他人の打ち明けるのを嫌うあの頑固者。
俺も分からないわけじゃないから、無理に聞き出そうとはしないけれど、このままじゃいつかは限界がくるだろう。
……要するに、弱みを見せるのが怖いんだよな。
自分が躓くことで誰かに心配させて、この平穏を壊したくない。
だから誰にも云えず、内に内にと籠もってゆく。
それではいけないと分かっていながらも、限界まで抱え込もうとする。
そうしてパンクする頃には、手遅れになっている事柄が多数……ああ、自分を見ているようで実に嫌だ。
さて、そんな時の俺はどんな風に立ち直っただろうか。
……生憎、身内にお節介焼きが大量にいたから嫌がっても押しかけられてたな。
まぁ結局は自分でなんとかしないとと思って引きこもっているだけみたいなものだから、そうなるのも当然か。
で――今、この状態のなのはをどうにかできるのは、
「……俺しかいないのか?」
呟き、本当にそうだろうかと考えてみる。
シグナムはおそらく気付いていないだろうし、ヴィヴィオは気付いていたとしても慰める以上のことはできない。
シャマルは……どうだろう。俺には分からない。
残るなのはの友人と云えばフェイトだが、この一件に関しては完全に蚊帳の外。
はやてはなのはに対して問題を突き付けた張本人のようなものだから、問題外。
……いや、探せば的確なアドバイスできそうな人がいそうな気がする。
だのに真っ先に自分でなんとかしないと、と思ったのは普段の悪癖ではなく――
……きっと、俺自身があいつの相談に乗ってやりたいと思っているからかもしれない。
なんでそんなことを思うのかは、いまいちはっきりとしない。
ままごととはいえ、なのはのことを家族と思っているからだろうか。
「父上、まだですか?」
「パパー!」
「ああ、悪い。すぐ持って行くよ」
いつの間にか止まっていた手を再起動させて、炊飯器から茶碗に白米を盛りつける。
指についた米粒を舐めとりつつ、どうしたもんか、と胸中で溜息を吐いた。
リリカル in wonder
―After―
最近、時間の流れが遅いようで早い。
一人、海岸線を歩くなのはは夕日を眺めながらそんなことを考えていた。
定時で仕事を上がり、今、なのはは真っ直ぐ駅に向かわずに、はやてとの待ち合わせ場所へと向かっていた。
海岸のすぐ横、防波堤を挟んで真っ直ぐに伸びている道路にはあまり車が走っていない。
市街地からやや離れたここは、やはりこの時間ともなれば人気が少なくなるものなのだろう。
なのははそのことを知っている。
ここからそう遠くない六課の隊舎――今は他の部隊が使っていると聞く――も、緊急出動の際にスムーズに動けるようにと辺鄙な場所に建てられていたのだ。
この場にある僅かな気配はサーファーぐらい。
道を進む車も空いていると分かっているのだろう。いやに飛ばすスポーツカーが目に付いた。
風に髪を撫でられながら、視線を海に注ぎつつ、なのはは足を進める。
無表情――ではなく、彼女の顔には少しの憂鬱さが滲んでいた。
美人がそんな顔をしていたら少しは絵になるのかもしれない。だがそんなことは関係なく、どうしよう、と彼女は胸中で呟いた。
はやてに今の生活をどうしたいのかと問われてから、どれぐらいの時間が経っただろう。
五日かそこら、だったかもしれない。
けれど実際にはもっと時間が経っているような――昨日のことだったような。
時間の感覚は曖昧で、酷く現実味がない。地に足が着いていないような浮ついた気分が、ずっと続いていた。
ままごと、と形容したときに、エスティマはそんな云い方をするなと云っていた。
けれどままごとなのは事実だ。
父親役のエスティマ。母親役の自分。長女次女にシグナムとシャマル。
ヴィヴィオを育むために作られた箱庭でありごっこ遊び。
いや、遊びではないけれど、事情を知らない第三者から見ればこの環境は酷く歪だろう。
……それは、分かっている。
最初から詰んでいたというのも、分かっていた。
分かっていて、けれどヴィヴィオの悲しい顔に我慢ができなかったから始めたことで。
「……なんで苦しんだろう。
分かっていたことだった。
惜しいのは確かだけど、それでも諦めることはできたはずなのに」
じくじくと、心を蝕み腐食させようとする疼きはあの日からずっと続いている。
その原因がなんなのか――敢えて、なのはは見ないふりをした。
それがこの悩みの原因でもあるということに気付きながらも。
……自分は今幸せで、いつかくる終わりが怖いからこんな気分になっている。
そんな風に己へと言い聞かせても、蓋をした鍋から噴き零れた感情が囁きかけてくる。
嘘つき――と。
けれど、なのはは全力でそれを無視した。
気付いたらいけないことが世の中にはあると、流石にこの歳になれば分かってくる。
なのはが見ないようにしているのは正しくそれであり、気付かない方が幸せだろう。
故に、気付きながらも気付いていないふりをして――
……覆い隠した傷口が膿んでいると分かっていても、見ないふりを続ける。
それで良い、と思う。
いつかは終わると分かっていた。
それを惜しんだって仕方がない。
そう思い――けれど、それによって、決定的な矛盾の出るやりとりが、これから始まる。
なのはが辿り着いた場所は、防風林のすぐそばにある小さな公園だった。
それほど広くない敷地の中にベンチと水飲み場があるだけの、休憩所と形容した方が正しいような場所。
ここはなのはの職場と、はやての職場の丁度中間点にあるところだ。
辺鄙な場所とは云ってもバスは海岸線を通っており、わざわざ歩いてきたのはなのはの勝手と云える。
けれど、とも思う。
人に聞かれたくない話をするためにここに呼んだというのは分かる。
念話で十分かもしれないが、やはり肉声で言葉を交わすことは念話では伝わらない何かがあると、なのはは思っているから。
けれど、それにしたってここは辺鄙すぎる。
他人の会話に聞き耳を立てるような人は、よっぽどじゃない限り存在しない。
ファーストフードやどこか、人の多い場所で他人のことに気を回す人がいないのと同じように。
それでもはやてがこの場所を指定してきたことに、なのはは嫌な予感を覚えていた。
はやては既に公園の中にいた。
ベンチに座る彼女はなのはに気付くと、途中で買ってきたのだろうパックジュース、そのストローから口を離した。
「お疲れ様、なのはちゃん。
ごめんな、こんなところに呼び出して」
「ううん、職場から歩いてこれるところだったし、気にしてないよ。
それより、どうしてこんな場所に?
話があるって……」
「この前の続きや」
そう云って、はやては腰を浮かせた。
雰囲気から、とてもじゃないけど座れないとなのはは察する。
ベンチに向けた視線をすぐにはやてへと移した。
彼女から真っ直ぐに向けられる視線に、酷く居心地が悪くなる。
気負いも何もなく、沈みつつある夕日に照らされたはやての瞳は、まるで自分を見通しているような錯覚すら抱きそうだった。
僅かに顔を俯けて、別に、となのはは呟く。
「……はやてちゃんと話すことは、そんなに多くないと思う。
云っても仕方がないことじゃないかな。
うん、いつかは、このおままごとも終わるよ。
けどそれは、明日ってわけじゃない。
気が早いんじゃないかな。今からそんなことを考えるのは」
「……せやね。それに関しては、私も同意見や」
「じゃあ、なんで?」
「……本気で、聞いとるんか?」
そう云ったはやては、悲しそうな、同時に痛みを堪えるような表情を浮かべた。
真意を探るような眼は、じっとなのはに注がれている。
再び、なのはは目を逸らしたくなる。
けれどそれをじっと押し殺して、自分でも分かるほどに虚ろな笑みを浮かべた。
「うん。なんでこんなところに呼び出されたのか、私には分からないよ」
そこまで云って息苦しさを感じ、口元を歪める。
「……ごめん、嘘吐いた。なんとなくは分かる。
けど、安心して欲しいな。
私、これでもはやてちゃんの友達のつもりだし……横から奪うようなこと、するつもりないもん。
そもそも、これは別問題じゃない?
私が大事にしているのは、ヴィヴィオで――」
「……もう、ええよ」
疲れたように、はやては呟いた。
軽く頭を振って、悔しさすら滲ませ、薄く唇を噛む。
「……何が?」
「もうええって云うたんや。
もう疲れたやろ、お互い」
「……何を云っているの?」
無意識の内に口から吐いて出た言葉に気付いて、なのはは目眩を覚えそうだった。
もうそれ以上、云わないで。
気付きたくない感情を押し込めた宝箱、その留め具が悲鳴を上げている。
ずっと感じていた疼きは、それの上げる金切り音。
限界まで溜め込まれた何かは、蓋を開ければ一瞬で飛び出してくるだろう。
だから鍵をかけて、中に何が入っているのかをなのはは気付かないよう、忘れようとしていた。
だからこそ、五日前も、そして今も話の趣旨をずらそうとしているのだ。
けれどはやてはそれを許してくれない。
なのはが忌避するその感情がなんなのかを本人に突き付けるべく言葉を発する。
「……私がどれだけ、エスティマくんを見てきたと思っとるんや」
……知ってる。
まだ自分たちが十歳になったばかりの頃から。
「……私がどれだけ、エスティマくんの側にいたと思っとるんや」
……それも、知ってる。
放っておけば一人で駆け出してしまう彼の後ろを、一生懸命に着いていった。
「……私が、私はなぁ。
ずっとなのはちゃんとエスティマくんを、見てきたんや。
私と一緒に成長した二人のこと、二人がどんな仲なのか。
それで気付かないと思っとるんか?」
「それ、は……」
……家族を除けば、おそらく自分たちを最も見ていたのははやてだろう。
なのはもそれは分かっている。
だって――ずっと二人を応援していたかったから、そんな二人の様子が好きだったから、側にいても悪い気はしなかった。
エスティマに好意を向けるはやてが可愛かった。
はやてに好意を向けられるエスティマにやきもきした。
そんな二人が一緒にいるところを見て、心の底から笑むことができた。
「それは……」
けれど、それが変わってしまったのはいつからだろう。
明確な、あれさえ無ければ、と云える転換期は――多分、ヴィヴィオがエスティマをパパと呼んだ日。
あの日、なのはは、なのはの知らないエスティマを見た。
父親の顔をする彼。困りながらもヴィヴィオを邪険に扱えない彼。
自分と似た男の子だと思っていた彼が、当たり前だけど実は全然違って、どこか魅力的に見えてしまった。
そんな新たな発見をして、もっと違う彼を見てみたい、なんて好奇心を持ったのがそもそもの間違い。
――そう、こんなのは間違いでしかない。
「……意味、分かんない」
手を握り締めて、なのはは目を瞑った。
きつく閉じられた瞼は何かを拒絶するようで、また、何かを認めようとしていない素振りだった。
「意味分からないよ、はやてちゃん!
そんなこと聞いてどうするの?
私はずっと違うって云ってるじゃない。
おかしいよ……だってそんなの、都合悪いもん。
そんなの、聞かなくて良いことだって、分かってるでしょ?」
「……なんやて?」
自分で口にしたことが信じられない。
それははやてもだろうが、それ以上に、なのはは腹の底から湧き上がってくる激情に戸惑っていた。
しかし、それを正す術を彼女は知らない。
何故ならこんなことは"初めて"だから。
初めて故に上手くできない。どうすれば良いのかも知らない。
封じ込め続けていた気持ちは過去抱いたことのない感情で、だからこそどう扱って良いのかさっぱり分からなかった。
けれどただ一つ確かなのは、自分が決して抱いてはいけないと――抱くわけがないと高をくくっていた感情ということ。
だからこそそれを表に出してはいけない。
……だって自分ははやての友達だから。
だから――なのに――
「私がエスティマくんと一緒にいるのは、ただヴィヴィオを喜ばせたいから。
あの子がエスティマくんをパパって呼んでるから、仕方なく――!」
半ば叫ぶように飛び出した言葉は、強引に断ち切られた。
なのは本人が止めたわけではない。
不意に叩き付けられた平手打ちによって、だ。
軽快な音と共に振り切られたはやての手、次に彼女の表情へとなのはは視線を移す。
じくじくと熱を持ち始める頬を抑えながら、なのはは彼女をキッと見据えた。
「……何するの?」
「責任転嫁も大概にしいや」
「転嫁、って何? 私がいつ、そんなことをしたの?
……ああ、分かったよ。じゃあ云うよ。
そうさせてるのは、はやてちゃんの方じゃない」
「違う。私が云ったのはそういうことやない。
なのはちゃんが転嫁しとるのは、ヴィヴィオやないか」
……私が、ヴィヴィオに?
どうしてそうなるのかと、なのはは頭が真っ白になったような錯覚を受けた。
そんなことはない。責任転嫁なんてしていない。
ヴィヴィオと一緒にいる毎日は楽しい。その毎日をいつまでも続けていたいから――
「ヴィヴィオのために、エスティマくんと過ごしてる。
ヴィヴィオにはパパが必要。
だから仕方がない。エスティマくんと一緒にいるのは自然であり必然なんだ……。
そんな風に考えているんとちゃうんか?」
「だっ、て……」
だって、と。
躊躇ったのは一瞬であり、頬を中心に走る熱は、堪え続けていた衝動を一気に弾けさせた。
もはや、止めようとなんて思わない。
「そうするしかないじゃない!
はやてちゃんからエスティマくんを奪ってるって分かってた!
けど、こうでもしないと一緒にいられないんだから仕方ないじゃない!
……どうして、そんな風に私を追い詰めるの?
ずっと、自分でも気付かないようにしてたのに。
いつか終わる……それまではって、納得してたのに!」
「嘘も大概にせえや!
確かにヴィヴィオのためってのは嘘やないと思う。
けどな……エスティマくんと一緒にいるなのはちゃん、自分がどんな顔しとったか分かっとるんか?
……喜んでたで。お母さん役の分を越えてな!」
「だからそうするしかなかったって云ってるじゃない!
それとも何? 私、我慢なんてしない方が良かったの?
意味分かんない。責任転嫁ならはやてちゃんだってしてるじゃない!
押しても引いてもエスティマくんがなびかなくなったから何もしないって、何それ!
余裕のつもりなの!? 馬鹿みたい、それで今度はエスティマくんじゃなくて私に突っかかってさぁ!」
「この……!」
再度はやてが腕を動かそうとすると、なのはは持ち上げられたそれを払い退けた。
そしてお返しとばかりに、全力で右手を振る。
さっきの平手打ちに勝るとも劣らない乾いた音が響き渡り、はやてはたたらを踏んだ。
今度ははやてが眼に鋭い光を浮かべて、なのはを睨み付ける。
切れたのか、口の端を僅かに舐めると、彼女は歯を剥いて声を放った。
「なのはちゃんに私の気持ちが分かるわけないやろが!
好きな男が、同い年の女と一つ屋根の下で暮らしてて……!
応援してくれるって云うたやないか!」
「だから私は我慢してたんじゃない!
忘れようって、気のせいだって、誤魔化すのだって辛かったのに!
黙ってれば返してあげたよ! なのにわざわざ追い詰めるようなことして、それが意味分からないって云ってるの!」
瞬間、歯を噛み鳴らす音が響いて、なのはは身構える。
また平手打ち、と思ったが違う。はやては腕を伸ばすと、そのまま胸元に掴みかかってきた。
どこにそんな力があったのか、握り締められた襟元が悲鳴を上げる。
だが気圧されることは微塵もなく、なのはもまた同じように彼女の胸元を締め上げた。
呼吸が苦しいのは二人とも同じ。
それでも言葉は途切れることなく、続けられる。
「我慢? そんなこと云ってる時点で、限界近いのは見え見えやろ!
放っておいたら何をするかも分からへん。
そもそも返すってなんや、返すって!
そんな風に上から目線で云われて喜ぶアホがいるかい!」
「ああそう! じゃあとっとと奪えば良かったんじゃないの?
身体でもなんでも使えるもの全部使って、雁字搦めにすれば良かったんだよ!
何? 理解のある女でも気取ってるの?
そんな余裕を見せてるから毎回後手に回るんじゃない!」
沸騰した思考は、もはや自分がどれだけ酷いことを云っているのか知ろうともしない。
ただ目の前にいる女の心を抉ろうと、思い付く限りの罵詈雑言を吐き出すためにメルトダウンを開始している。
だがそれは、はやても同じだ。鬼の形相と云えばそうだろう。なのはも同じく、お互いに見せたこともない表情を二人は突き合わせる。
「一方通行の気持ちがどんだけ辛いかも知らへんでよくも云えたもんやな、この恋愛初心者!
知った風な口を利いて、それがどれだけ難しいかも分かってへんのやろうが!」
「うるっさいなぁ!
知った風な口を利いてるのはどっちよ! 私が若葉マークならはやてちゃんはペーパードライバーみたいなもんでしょ!?
それなのに、何? 経験豊富って自惚れてるなら、いちいち人の心を抉らなくても良いじゃない!」
「抉ってるのはどっちやド阿呆!
なのはちゃんがそんな風に私のことを見てるなんて思ってなかったわ!」
「私だけじゃなくて皆そうだよもう一度云ってあげるよ!
みっともないったら! 悪いと思ってた私が馬鹿みたいじゃない!」
どちらが先かは分からない。
両者、胸元を掴んでいた腕を一気に引き下げて相手を押し倒そうとする。
先に体勢を崩したのはやはりはやてで、しかし彼女は掴んだなのはの服を離さず一緒に倒れ込んだ。
ぶちぶちと服の縫い目が千切れる音を聞きながら、頓着せずになのはははやてを振り払って立ち上がろうとする。
けれどはやてはそれを許さず、倒れた状態からなのはの腰に抱きついて、押し倒した。
砂の敷き詰めたれた固い地面に腰から落ちて、酷い痛みが背筋を駆け上がる。
完全に頭に血が昇って顔をひっかこうとし――躊躇して、はやての髪の毛を力一杯掴むなのは。
ぶちぶちと毛が抜ける感触と痛みに顔を顰めながらも、はやては真っ直ぐに喉へと手を伸ばしてくる。
髪を掴んだ右腕で左腕を交差させるように防ぎ、右手を左手と噛み合わせて、至近距離で二人は睨み合う。
火花が散るなど生温い。射殺さんばかりの視線が絡み合い、二人とも、眼前の女をどうしてくれようかと脳味噌が沸騰していた。
「大体何が不満なのよっ!
はやてちゃんがエスティマくんのこと好きなの、私だって充分に分かってた、痛いほど!
だから、私は好きにならないようにって予防線貼ってたんじゃない!
それのどこが悪いのよ! どうしてこんなことになってるのよ……!」
「私はただ好きなら好きって云えば良い、そう云いたいだけや!」
「それが意味分からないって云ってるのに、はやてちゃん頭悪いんじゃないの!?」
「そんなの私が一番良く分かっとるわ!
それでも……ああもう!」
『Master! Hayate! Please calm down!』
終わりの見えない泥仕合に、いい加減我慢ができなくなったのだろう。
唐突にレイジングハートが悲痛な声を上げて、二人は呆気に取られたように動きを止める。
お互いに睨み合いながらも掴んでいた手を離し、鼻を鳴らしながら起き上がる。
服は砂だらけで、髪はぼさぼさ。肌には痣ができているかもしれない。
しかしそんな状態にも関わらず体に頓着しないで、限界まで高まったボルテージをどうしてくれようと苛立ちを隠そうともしない。
『If talks are impossible, please attach an end by magic.
……I ask.』
喧嘩をするならどうか魔法で、と。
縋るような電子音声に居心地の悪さを感じながらも、なのはは視線をはやてへと投げた。
「……どうする? 別に私は、このまま終わりで良いけど。
はやてちゃんも好き放題言って満足したでしょ?」」
「満足なんて、するわけないやろ……ッ!
上等や。人の住んでない管理外世界でええな?」
「あっそう」
即座に返ってきた言葉に、なのはは口元を歪める。
勝負は見えているようなものだろう、と。
対してはやては、どうでも良さそうな反応に眉尻を釣り上げていた。
レイジングハートはおそらく、とっくみ合いで生傷を作るよりは、と思ったのだろう。
魔法ならまだ気絶で済む。けれどそれは、なのはにとって願ってもないことだ。鬱憤を晴らすというならこの上ない手段。
……二人は管理局に勤めている局員であり、無論、模擬戦の許可も取らずそんなことをして良いわけがない。
それは両者共に理解しているものの、しかし、どちらも常識などは二の次にしか考えられない状態だ。
見付からなければ罰は受けない。ならば良い、と。ここでドンパチやり始めない分、まだ冷静なのだろうか。
睨み合ったまま、二人の体は白色の輝き――はやての魔力光に包まれる。
軽い目眩のような感覚の直後、すぐになのはは転送先であろう世界に出た。
即座にレイジングハートが飛行魔法を発動させて、宙に浮かぶ。
空は高く、すぐ上には雲が重厚な群れをなして進んでいる。
視線を落とせば、眼下には剣山のような山脈が広がっている。しかし不毛というわけではなく、緑の色は微かに見て取ることができた。
「……はやてちゃんは?」
そして、気付く。
自分と一緒にこの世界へ向かったはずの彼女はどこにいるのかと。
『なのはちゃん。私は、わざわざ魔法まで使う喧嘩に発展するなんて思っとらんかった。
なんでこうなったか分かる?
結局、なのはちゃんが本音を云ってくれないからや』
猛烈なまでの嫌な予感を覚えて、なのはは即座にレイジングハートをセットアップ。
それが完了した瞬間、狙い澄ましたかのように上空の雲が弾け飛んだ。
舌打ちしつつラウンドシールドを展開し、ぶちまけられた砲撃魔法に堪え忍ぶ。
避ける暇などどこにもない。悲鳴を上げるシールドをなんとか保持しながらも、なのはは白色の濁流を耐えきった。
『……いきなり不意打ち?
負けたくないからって、それはないんじゃない?』
『セットアップ終わるまで待ってやったやろ。
そもそも、何も考えんでこんな条件呑むかい!』
叫びが上がると同時に、雲の切れ目に小さな古代ベルカ式魔法陣が展開されたのを認める。
距離は――射程範囲内。お互いに。回避運動を行いながら距離を詰めるのは難しいと、なのはは即座に判断する。
息を吐き、構築する魔法はディバインバスター。
この距離でも当てる自信はあるものの、向こうは長年後方支援に徹してきた魔導師だ。エスティマの。
彼の名前を思い浮かべた瞬間、過去、かつてないほどに怒りが湧き上がってくる。
だがそれは本当に怒りなのだろうか。厳密に云えば違う、ような気もする。
あくまで怒りは添え物で、衝動となっているものは――きっと、嫉妬だ。
「――ッ、レイジングハート!」
『……Yes master』
足下にミッドチルダ式魔法陣が展開され、巨大なスフィアが形成される。
相手の呼吸を読んで、発射するだろうと思われる瞬間に、なのははディバインバスターを撃ち放った。
直後、目視も叶わない距離から砲撃魔法――おそらくはフレースヴェルグが解き放たれる。
しくじった、となのはが思うも遅い。
連続して射出される砲撃魔法、その一つにディバインバスターは相殺されて、残りはすべてなのはへと突き進んでくる。
着弾までのタイムラグを利用してなのはは回避行動を取ると、直後、さっきまで彼女のいた空間が薙ぎ払われた。
非殺傷とはいえ強烈な魔力の奔流に顔をしかめながら、新たに魔法を構築し始める。
『逃げ回る姿がよう似合っとるよ、なのはちゃん』
『……なんだか含みのある云い方だね』
『私は、別に。思い当たる節があるからそう思っただけやないの?』
『そんなことない!』
移動を続けて迫るフレースヴェルグを避けながら、苛立ちを乗せた舌打ちを。
狙いはそこそこ正確で憎らしいことこの上ない。
『私は逃げてなんかいない!
ヴィヴィオが大事っていうのは嘘じゃない!』
『嘘やないと思うよ。
けどなぁ……それが全部、なんてのは言い訳以外のなんでもないやろ!
似たもの同士やな、ほんま!』
『……何が?』
『なのはちゃんとエスティマくんや!
ああもう、なんでこんなこと二度も云わないとあかんのか……!
大事なもん抱え込んでそれで身動き取れなくなったら本末転倒やないの!?』
身動き――ああ、確かに。
ずっと悩んでいた自分は、身動きが取れなくなっていたようなものだった。
認めつつ、なのはは頭を振って砲撃を盛大に撃ち放つ。
フレースヴェルグの射線を完全に読んだ上での砲撃だ。
すぐそばを通過する白色の遠距離砲撃にスカートの裾を焼き飛ばされながら、彼女はディバインバスターエクステンションを。
相殺のために差し向けられたフレースヴェルグを次々に撃ち貫いて、それははやてへと直撃する。
だが彼女の砲撃を貫いたことで、威力が大幅に減衰されたのだろう。
『私は……!』
遠くで瞬く魔力光は、未だはやてが健在だということを示している。
『もうそんな風に足を止めてる人を見たくなかった……!』
『それははやてちゃんの勝手でしょ!?』
『そうや。
けどなぁ……好きな男と、大事な友達が同じようにたたらを踏んで、黙って見てられるわけがあるか!
好きなら好きって云えばええのに! 私は、そんなことでなのはちゃんを恨むような人間に見られてたんか!?』
『今更だよ! 散々牽制した癖にそんなこと云ったって、説得力なんかないんだから!
それにねぇ、はやてちゃんがどれだけエスティマくんのこと好きかどうかだなんて、十分に分かってるんだよ!』
だから、
『云えるわけないじゃない! 応援するって、私は云ったもの!
言い逃れなんかしない。あの時、私は本当にはやてちゃんのことを応援してた!
だから――裏切りたくなんてなかったのに……!』
『私は、なのはちゃんなら……なのはちゃんやったら……!
他の連中なんて絶対に許したくない。
けれど、なのはちゃんとやったら、私は――!』
そこから先の言葉は、なのはの放った砲撃が突き刺さったことで途切れてしまう。
しかし彼女が言い掛けた言葉がなんなのは、なのはには分かってしまった。
……つまりは、それだけの話。
どちらがどちらとも、胸に秘めてた気持ちがあった。
けれど言葉にすることは出来なくて。だから伝わらず、こんなことになった。
はやては、言い訳ばかりするなのはに苛立ち。
なのはは、はやての行動、その意図がさっぱり分からず。
巡り合わせが悪かったのか、必然であったのか。
いや、二人は友情で結ばれお互いを思いやることはできていた。
ならばおそらく、必然だったのだろう。
管理外世界の空を彩る魔力光。
それに混じる灰煙と、焼き切られた温い風だ。
その中で息を切らせながら、二人の女は睨み合う。
お互いに被弾してバリアジャケットは千切れている。
先のキャットファイトでぼさぼさになった髪の毛は煤で汚れ、更に酷く。
それでも尚、二人の瞳には意志の光りが宿っていた。
しかしその方向性は嫉妬のような激情ではなく、いうなればそう――姉妹喧嘩のような。
愛憎入り交じった、しかし危険な一線は越えない代物に落ち着いている。
「私は――!」
念話ではなく肉声で、はやての声が朗々と響き渡る。
聞こえるわけがない。それだけの距離が離れているのに、彼女の声は確かに鼓膜を震わせた。
直後、はやての足下にミッドチルダ式魔法陣、そして眼前に古代ベルカ式魔法陣が展開される。
それがなんなのか。彼女にとって切り札であるその魔法を使う意味を、なのはは汲み取る。
対抗して構築するのはスターライトブレイカー。
桜色のミッドチルダ式魔法陣が現れると共に、流星雨の如く魔力がなのはの眼前へと集中し始める。
「私は、エスティマくんのことが大好き!
けど、それとは別になのはちゃんのことだって……!」
何それ、と。
決して悪い意味ではなく、なのはは苦笑してしまった。
抱えるだけ抱えて身動き取れなくなっている、なんて云って。
「私、は……」
対して、なのはも彼女に何か云うべく口を開く。
けれど、何を云ったら良いのだろう。
同じように――けどそれは、と気恥ずかしさが込み上げてしまう。
まるでなのはの返答を待っているかのように、はやての魔法――ラグナロクは、臨界点までチャージされたまま固まっている。
それがまるで背中を押されているように思えて、目を瞑りながら、なのはは叫びを上げた。
「私だって、エスティマくんをヴィヴィオのパパにしてあげたいんだから――!」
『Starlight Breaker』
返答のとうに紡がれた言葉が空を裂いた瞬間、極限まで高められた二つの魔力光が炸裂する。
交差することもなく、真っ向から衝突する極光。
挟まれた大気が悲鳴を上げて岩に弾かれた水の如く光が暴れ回る。
それを放っている二人は同時に歯を食い縛り、
「なのはちゃんの……!」
「はやてちゃんの……!」
「「臆病者――――ッ!」」
喉が枯れんばかりに雄叫びを上げて、けれど顔には微かな笑みを浮かべ、持ちうるすべての力を砲撃魔法に注ぎ込んだ。
「……遅いな」
時計の秒針が上げるコチコチという響きを聞きながら、俺はリビングから玄関へと視線を投げた。
これで何度目だろうか。しかし、一度たりとも扉が開かれることはなかった。
連絡の一つもなしになのはの帰りが遅いなんてこと、今まで一度もなかった。
ついさっきまでは俺と一緒にヴィヴィオとシグナム、シャマルも一緒に待っていたものの、十時を過ぎた頃に眠って貰うことに。
姉二人はともかくヴィヴィオがあまり夜遅くまで起きてても良いことはない。
なので、今はお姉ちゃんズに囲まれてお子様は就寝中だ。
「……何やってんだか」
呟いてみても、やはり返事はない。
携帯電話は勿論、レイジングハートに連絡をしてみても応答はなし。
わざわざ職場に連絡を、とまでは考えてないが……朝まで待って帰ってこなかったら、それもやむなしか。
ソファーから腰を浮かせて、キッチンへ。
インスタントコーヒーの瓶を手にとってそれをカップの中に放り込むと、ポッドからお湯を注ぐ。
その際、視界の隅に映った真新しい酒瓶に、溜息を吐いた。
塞ぎ込んでいたみたいだし、酒でも飲んで話をしようかと思ったらこの様だ。
なんというか、タイミングが悪い。
約束をしていたわけでもないから、すっぽかされたところでどういう云うつもりはないけれど。
……それでも、やっぱり帰りが遅いのは気になってしまう。
何かあったのだろうか。そんな風に考えても連絡がつかないのだから知りようがない。
小さく頭を振ってコーヒーカップを片手にお茶菓子を手に取ると、再びリビングへ戻る。
そしてどっかりとソファーに腰を下ろすと、デバイス雑誌をめくりながら時間を潰し始めた。
コーヒーが切れて喉が渇いたらキッチンへ。
そうでない場合はずっとリビングで。たまにトイレへ。
動きらしい動きと云えばそんな往復作業だけで、あとは精々ページを捲るために手を動かしたぐらいか。
そうこうしている内に、時計の針は深夜の十二時へと迫る。
……フェイトやはやてに、そっちに行ってるかどうか聞くかな。
連中は心配性だから、気に病むんじゃないかって気が引けてたけれど。
その上、この時間だ。連絡を取るにしたって遅すぎる。明日の朝にでも……。
どうするか、と悩んでいると、不意に鍵が回される音が響いた。
顔を向ければ、ゆっくりとドアが開かれる所であり――覗いた顔に、思わず立ち上がってしまった。
「お帰り……ったくこんな時間まで――ってどうした!?」
「ただいま……ちょっと手を貸してくれたら嬉しいかな」
「あ、ああ」
つい素っ頓狂な声を上げてしまったが、それも仕方がないだろう。
原因はなのはの格好と、背中におぶさっている人物。
砂場で転がりでもしたのか、なのはが着ている服はそこら中に砂埃がついている。
目を凝らせば袖、縫い目のある肩口がほつれ、力一杯引っ張れば千切れてしまいそう。
服も服で酷いが、腫れた頬はどうしたのか。
経験から、怪我してから時間が経っているのだろうと分かる。
顔で目に付いたのはそれだけではなく、出勤する時は整えられていた髪はぼさぼさだ。
サイドポニーも形だけで、髪留めがもう少しで外れそう。
それはなのはだけではなく、背中のはやても。
俺は降ろされたはやてを俗に云うお姫様抱っこで抱きかかえ、自室の――今は寝室になっている――ベッドへそっと降ろした。
「Seven Stars」
『はい。既にサーチは行いました。
高町さんと同じように頬が腫れていますね。あとは打撲と……魔力ダメージ。
一体、どうしたのでしょうね』
「詮索は後だ」
俺は足下にミッドチルダ式魔法陣を展開すると、そのままはやてへと治癒魔法を。
そんなに得意じゃないけれど、今は何もしないよりマシだろう。
最後に誘導弾のスフィアに氷結を付加して、そっとはやての頬に添える。
これで少しはマシになるだろうと、音を立てないように部屋を出た。
リビングではなのはは疲れ果てたと云わんばかりにソファーに倒れ伏している。
本当、何があったんだ。仕事でこうなったってわけじゃないだろう。
もしそうなら、治療を受けてから帰ってくるだろうし。
「何か飲むか?」
「うん、お願い。
冷たいのならなんでも良いよ」
「了解」
疲れの滲んだなのはの声に、何があった、という気持ちがより強くなる。
けど、もう帰ってきたんだからそんなに急ぐ必要はないだろう。
ヴィヴィオ用に買ってあったオレンジジュースをコップに注ごうとし、中断。
空のコップと紙パックを手に持って、なのはの元に戻った。
合間を空けて隣に座ると、コップにジュースを注ぐ。
それを受け取ったなのはは、案の定一気飲み。テーブルに置かれたコップに二杯目を注ぐと、気まずそうになのはは苦笑した。
「ありがと」
「どういたしまして。
そんじゃあお前にも」
呟き、はやてと同じ手当をなのはにも行う。
どういうことだから、二人の怪我は似たようなものだ。
最後にやはり氷結を付加したスフィアを浮かばせ、なのはの頬へと飛ばした。
「……それで、こんな時間に帰ってきて、しかも怪我までして。
何があったか説明してくれるよな?」
「んー……うん」
やや言いづらそうにしながらも、スフィアを頬に張り付かせたなのはは頷いた。
だが、彼女がすぐに口を開くことはなかった。
口を開いて、溜息と共に閉じる。
急かさず、そんな様子を見せるなのはの隣にいると、ようやく彼女は言葉を発した。
「はやてちゃんと、喧嘩したの」
「……魔法を使って?」
「……なんで知ってるの?」
「なんでって……はやて、魔力ダメージで気絶してるみたいだし。
シャマルじゃなくても、俺だって気付くさ」
「そっか」
「それで? なんで喧嘩なんてしたんだよ。
お前ら、仲良かっただろ?」
「……分からない?」
問いかけられ、声に静かな重みがあることに気付いて、そういうことかと合点が入った。
「……いや、分かるよ。
蚊帳の外だったから、気付けなかった。
悪かったな」
「エスティマくんが謝ることないよ。
はやてちゃんが怒ってたのは、私にだったからね」
「お前に?」
「そう。……怒られて、初めて気付いたこともあってさ。
なんだか、色々申し訳なかったな……って。
多分、エスティマくんが考えているようなことじゃないの。喧嘩の原因は」
それを聞いても良いのだろうか。
聞きたいとは思うものの、怯えとはまた違った遠慮が先立ち、そうか、と返してしまう。
そのせいで会話は一度途切れて、なのはは小さく溜息を吐いた。
「あの、さ」
「ん?」
「その……云いたいことが、あるんだ」
「……ああ、それは構わないけど」
隣に座っているなのはは座り直すと、上体をこちらへと向けた。
けれど俺を見ているわけではなく、視線は所在なさげに宙をさまよっている。
頬が微かに朱いのは、決して腫れてるからではないだろう。
なのはで、ではないけれど、その表情――この類には見覚えがある。
そんな云い方をしたら、俺が女たらしみたいだけれど。
あのね、と前置きをして、なのはは彷徨っていた視線を俺へと固定した。
真っ直ぐに向けられる黒瞳を受け入れながら、俺は彼女の言葉をじっと待つ。
「私は、その……今の生活が続けば良いって思ってた。
ヴィヴィオが大事だってのは勿論だけど……それと同じぐらいに……」
そこまで聞いて、あれ、と内心で首を傾げた。
どうやら勘が外れたらしい。
そんな自分自身に苦笑しながら、そうだな、と返答を。
「ああ。俺も、今の生活は楽しいよ」
「そうじゃなくて、ああもう……!」
ほんのりと朱かった頬が、今度は真っ赤に。
何をそんなに恥ずかしがっているんだろう。
「どうした?」
「ああもう、分かった。
そういえばエスティマくんはこういう男の人だった……!
じゃあはっきり云うからね!」
「ど、どうぞ……」
ヴィヴィオたちが寝てるんだからあんまり大声は、とは云えなかった。
なのはは怒ったような悩んでいるような、一言で云えば照れているのだろうけれど、複雑な顔をして唸り出す。
そして助走を付けるように息を吸い込むと、
「い、云うからね」
「うん」
「本当に云うよ?」
「分かってる。早く云えよ」
「急かさないでよ!」
「意味分からないぞ!?」
「黙ってて!」
「……はい」
ああ、なんて弱い俺……。
一喝されて大人しくなのはの言葉を待っていると、彼女は握り拳を作って唇を湿らせた。
言葉じゃなくて手が飛んでくるんじゃあるまいな、なんて有り得ないことを考えながら、待つ。
すると、ようやくなのはの決心が固まったようだ。
「え、エスティマくん。ヴィヴィオのパパに、なってくれないかな」
今にも消え入りそうな声で向けられた言葉を聴いて、あれ、と首を傾げる。
俺は今までずっとそうしてきたつもりだったけれど、なのはには違ったのだろうか。
「……俺は、ヴィヴィオの父親になれてなかったのかな?」
「ち、ちが……」
『……I am not believed』
『……レイジングハート、今のは流れが悪すぎたのです』
割と真剣に聞き返したのに、なのはは涙目になって愕然としていたり。
そしてSeven Starsとレイジングハートは呆れたような声を上げていたり。
……意味が分からない。どういうことだよこれ。
『Master!
The intention is not understood unless you say intelligibly!』
「分かり易くってなんだ分かり易くって」
「これ以上分かり易くってどうするの!?」
なんかもう色々と駄目駄目だ。
レイジングハートの云ってる意図が俺には分からないし、その言葉に対してなのはは困り果ててしまっているよう。
なのはが何を云いたいのか、いまいち分からない。
思わず眉根を寄せてどうしたもんかと思っていると――
「ふ、ふふ……あかんよなのはちゃん。
その程度じゃあ、全然あかんなぁ……」
「は、はやてちゃん!?」
「あ、起きたんだ。具合はどうだ?」
隙間を空けてドアからこっちを覗いているはやて。
なのははそんな彼女に大慌てしている。どういうことだ。
「少し眠ったらいきなりこれか……。
油断も隙もあらへんなぁ……」
「え、えっと……私だったら良いんじゃなかったの?」
「あれはついカッとなっただけや……第一、諦めたなんて一言も云うてへん!」
「あの、二人とも……俺に分かるよう説明してくれると有り難いんだけど……」
「「嫌ですー」」
声を合わせて同時に云うと、二人は可笑しそうに笑い出した。
そうしていたら、なんだなんだとシグナムとシャマルが起き出して、有耶無耶に。
……結局、はやてとなのはが喧嘩した理由は分かるような分からないような。
この一件は、どうやら最後の最後まで俺を蚊帳の外にして進んでしまったらしい。
「……つまりSeven Stars、どういうことだ?」
『カードが欠けることなく旦那様の望むフルハウスが揃った。
そういうことじゃないんですか?』
「投げやりだな」
『そんな気分にもなります……はぁ』
END