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[7464] オクルス・デイ
Name: 蟇蛙を高める時間◆a7789959 ID:24cb0056
Date: 2010/02/01 23:42
 暗く湿った下水道の中を、美神除霊事務所のメンバーたちが歩いていく。
 美神はしっかりと周囲を探りつつ。キヌは周囲の霊気を気にしながら。横島はただびくびくと。
「そこねっ!」「うわーっ! 出たーっ!」
 横島は曲がり角から唐突に姿を現した悪霊――胴部で千切れたように、上半身のみの姿で背骨を引きずり、手にはどこで手に入れたのか木製のバットを持っている――に驚くが、そもそもこの悪霊を除霊すべくここへやってきた美神は、延々と長いこと下水道の中を探し回らせられたことの方が厄介だったという様子で、あっさりと神通棍で悪霊の攻撃を受け流し、破魔札をその顔に叩きつける。
「ギィァァァァァァッ!」
 閃光が迸り、悪霊は悲鳴と共に消え去った。
「やーれやれ。ようやく片づいたわ。さっさと帰り――」
「美神さん、まだ!」
 横島の声に慌てて美神は後ろを振り向くが一瞬遅く、どこに潜んでいたのか先の悪霊の下半身が放った前蹴りを側頭部に受けてしまう。
「この……舐めんじゃないわよ」
 ぐらぐらする頭を押さえながら、美神は怒りを神通棍に上乗せして――



ドラゴンへの道――のわき道



「――というわけで、除霊はしたけど、ここんとこ調子悪いんですよねー」
「そうか、実は私も最近苦戦することが多くてね」
 「師弟揃ってスランプですか?」と、神父――美神令子の師、ゴーストスイーパー・唐巣和弘――に横島が訊く。
 彼らは唐巣神父の教会で、お互いが最近受けた仕事について語り合っているところ。GS同士がこうして情報交換を行うのは有意義であることと、口ではいろいろ言いつつも美神が人のいい唐巣神父の生活を心配していることから、こうしてたまに教会を訪ねているのである。
「いや、そうではないよ。私たちの受ける依頼の方が難しくなってきているんだ」
「どうしてそんなことに?」
 ピート――ピエトロ・ド・ブラドー。美神除霊事務所への少し前の依頼人でもある、唐巣の弟子のバンパイア・ハーフ――が疑問を呈する。
「あれじゃね。殺虫剤使いまくってると害虫に効かなくなってくるみたいな。
 つーか、お前なんでここにいるんだ?」
「僕は先生の弟子ですから」
「ううん、それは違うわね。殺虫剤が効かなくなるのは抵抗性を持ったタイプが選抜されて増えていくからだけど、強い悪霊が繁殖行為で増えてくなんてことはありえないし」
「へー、そうなのか」
「ええ、仲間の吸血鬼のためにも早く一人前にならないといけないんですよ」
「ようするに除霊が盛んになって対応する人材も増えたことで、これまでは私や美神君にも種々雑多な依頼が来ていたのが――」
「最近では私たちみたいなプロでもレベルの高い人間のところに来る依頼は、強力な悪霊が相手のものや、扱いの難しい高度なものばかりになったってことね」
 難しい依頼が持ち込まれることも増えたとはいえ、実際には裕福でない人たちが多くこの教会を頼ってくるので、唐巣は美神ほどにそれを感じているわけではないが。
「来日費用は仲間のカンパ? 大変やなー」
「でも、なんとかしないといけないわ」
「そうだね。ピート君は人と人外の存在を繋ぐという意味でも、非常に重要な役割を担える存在だから――」
「違うでしょ、先生! あんたも、今は私たちの除霊についての話をしてるんだから、邪魔するんじゃないの!」
 話を脱線させたと横島を美神が怒鳴りつける。何で俺だけ、とピートを横目に見やる横島の抗議は聞き入れられない。
 「それに、話聞く限りどうしようもないんじゃないっすか?」と、一応美神たちの会話も聞いていた横島が言ってみる。
 「時代の流れというものですかね」とピートも続く。
「そういえば、ピートさんもGSになるんですか?」
「え? いえ、僕は出来ればICPOの超常現象課――一般にはオカルトGメンって呼ばれています――に入って、貧富の差に関係なく困っている人たちのために働きたいんです」
「いいえ。相手が強い悪霊ばかりになったのなら、私たちがそれ以上に強くなればいいのよ」
「偉いんですねえ」
「ピート君のような存在がそういった行動を通して世間に理解されていけば、それがブラドー島の住民たちや人に仇なすわけではない人外の存在との共存にもつながっていくだろう。道は険しいと思うが、ピート君の目指すものは――」
「お願いだから、おキヌちゃんも黙ってて。先生も一々そっちの相手しないでいいですから」
 お茶を入れてきたキヌがピートと話を始めたせいで、またもや別の方向に唐巣の話が逸れていき――実際にはこちらの話の方が唐巣には重要なのかも知れない――自分の話が一向に先へ進まないと美神がぼやく。
「すいません、美神さん。でも強くなるといっても、具体的にどうするつもりなんですか? いくら美神さんでも一朝一夕で一気にレベルアップするというのは、さすがに難しいと思うのですが」
 バンパイアとしての力だけでなく、神や精霊の力を借りた戦い方をも神父からじっくりと学んでいる最中のピートは、簡単に「こちらが強くなればいい」と言い切る美神の言葉に懐疑的である。
「そのことなんですけど……先生。私、妙神山へ行こうと思うんです」


 草木も生えない峻厳な岩山。よく見ればその山肌をぐるぐると細い細い道が取り巻いている。その人一人分ほどの幅の道を美神たち三人は登っていくところ。
「ほんとに日本なんすか、ここ」
「世界でも有数の霊格の高い山よ。神と人間の接点の一つとも言われてるわ。唐巣先生の話じゃ、これでもそういう類の場所の中では行きやすい方らしいわよ――ちょっと、荷物落とさないでよね!」
 話しながら歩いていたせいか足を滑らせかけた横島を美神が睨む。
「わかってたけど、俺の命の心配はしてくれないのね」
 ころころ、ひゅーと遥か下へ落ちていく小石を見ながら横島がうなだれる。
「大丈夫ですよ。死んでも生きられます」
 ぷかぷかとスーツケースを両手で持って飛んでいるキヌは元気に横島をそう励ます。
「おキヌちゃんに言われると洒落にならんのだが」
「えへへ。
 でも、どーしても行かなきゃいけないんですか、美神さん? 唐巣神父のお話だと、とっても危険な修行場なんですよね」
 キヌや横島は美神を気遣う――横島はどちらかと言えば自分の身の安全の方を気にしているようだが――けれど、美神は「私は美神令子よ。地球が吹き飛んでも私だけは生き残るから大丈夫」と、まったく意に介さない。
 そうして朝早くからきつい山道を歩くこと数時間、一行はついに話に聞いた修行場へとたどり着く。美神はこの先で待ち受けているものに意欲的であるが、横島はすでにへとへとになっていた。
 修行場の門は巨大な中華風のもので、その両開きの扉それぞれに鬼の顔が設置されている。門の両脇に佇む首のない像は、この鬼の身体なのかもしれない。
 その門の佇まいに感銘を受けることもなく、美神は「ハッタリね」と、ノックのつもりかその鬼の顔を拳でどんどんと力強く叩き出す。
 すると、唐突にその鬼の顔たちが「何をするかーっ」と叫び声を上げた。霊山の修行場だけに、彼らもただの飾りではなかったようである。
 美神たちがその鬼たちに話を聞いてみると、彼らはこの門を守っている鬼門という存在らしい。彼らは修行者たちの選別もしているとのこと。この鬼門たちに勝てないようでは、修行場での本格的な修行にはとても耐えられないということなのである。
 もっとも、「我らがいる限り、お主らのような未熟者には決してこの門は開きはせん」と向かって右の鬼門が大きく見得を切った直後に、内側から彼らが「小竜姫様」と呼ぶ女性によってあっさりと門は開かれてしまったが。
 その小竜姫は暇を持て余しているらしく、修行者たちがやって来ることを歓迎しているようであったが、鬼門たちは規則通りに美神たちを試すべきだと主張して譲らない。真面目な性格なのか、仕方なく小竜姫も「しょうがないですね」と、鬼門たちと美神に戦うように命じた。
 そしてその規則だという鬼門との試合を、美神は門についた彼らの顔に札を貼って目隠しをするという戦法であっさりとクリアする。目を塞がれて何も見えなくなった鬼門たちの胴体は、体のバランスを失って簡単に美神によって地面に転がされたのである。
 小竜姫には変則的ですねと言われたが、これが美神の特徴の一つである勝つためには手段を選ばないが故の強さである。
 とはいえ、調子付いた美神は、実はこの修行場の管理人であった小竜姫までもを馬鹿にする発言をして、「あなたは霊能者のくせに目や頭に頼り過ぎです」と窘められもしてしまった。
 言われてみれば、「私はこれでも竜神のはしくれなんですよ」と霊圧だけで美神たちを吹き飛ばしてにっこりと微笑む小竜姫の頭には、確かに竜を思わせる二本の角が生えている。
「竜神というと、あのコ神様なんすか?」
「そのようね。人間とは桁違い、今は立ってるだけですごい霊圧だわ」
「それじゃ、怒らせたりしない方がいいですね」
 中の修行場へと彼らを案内する小竜姫の背後で、こそこそと美神たちはそんなことを話し合う。
 しかし横島は神様にちょっかいを出すほど馬鹿ではないと口でいいながら、「それではまずこちらで着替えを……」と言いかけた小竜姫の帯に即座に手をかけ「お着替え手伝います! まずはこれっすね。行きますよっ!」と、煩悩のままにそれを解かんとする。
 もちろん小竜姫もそのまま横島に脱がされるはずがない。
「私に無礼を働くと、仏罰が下りますよっ」
「うわっ!」
 横島は小竜姫が抜き放った刀の平の一撃を、ぎりぎり間一髪のところで避けたが、代わりに美神にひどく殴られ、キヌには懇々と説教をされた。
(へー。手加減があったといっても、今のを避けるんだ)
 そんな騒動の後、美神たちは男と女に分かれた銭湯を模したような部屋に案内され、そこで俗界の服を着替えるようにと言われる。
 ここでまた横島が、自分はただの付き添いだから番台に座るだけでいいなどと言い出して、美神に今度は神通棍で殴られた。
 そんな弱い悪霊なら一撃で葬るほどの攻撃を受けて血まみれになっても、横島の覗きにかける執念は決して消えない――ある意味では、とんでもない根性の持ち主である。
 それを見て取ったか、これ以上小竜姫に悪印象を与えても困るので、美神の命により男と女の脱衣所を分ける仕切りの上でキヌが横島を見張ることになった。
「うー、おキヌちゃーん。ちょっとぐらい見せてくれたって罰は当たらんだろうに」
「横島さん、さっきので懲りてないんですか。それに、間違いなく小竜姫様の仏罰がくだりますよ」
 キヌはぷいっとそっぽを向いた。別に横島の着替え風景を見るのが恥ずかしいというわけではないようであるが。
「ちぇっ。おキヌちゃんも最近厳し――ん?」
 横島は唐突にがばっと仕切りに身を寄せ、目を皿のように見開く。
(あら、何を――ふーん、あんなものに気づくとはねー。この子かなりの……)
「横島ーっ!」
 隣からの邪な想念を感じ取ったか、美神が仕切り壁に思い切り霊波を叩きつける。
「ぎゃーっ! め、目がーーーっ!」
 横島は右目を押さえてのた打ち回る。建築段階からすでに建材の板に開いていた小さな小さな虫食い穴を通して、横島の目に美神の霊波が直撃したのである。
「ここ自体もそんな感じだけど、あんたには緊張感ってもんがないのか!」
「そんなこと言ったて、見たいもんは見たいんやー。これはあふれんばかりの好奇心を満たしたいというごく普通の少年の欲求で――」
「どこが、普通だ!」
 着替えを終えた美神がまだ目を押さえて蹲っている横島の元へ来て、その背中を蹴り回す。
「まったく……。ここまで無礼な修行者も初めてですね」
 小竜姫もその様子に呆れ気味に言葉を零す。美神にこの修行場に緊張感がないと言われたことへの不満もそこには入っていたので、横島だけの責任でもないけれど。
 そんな美神たちの目の前の空間に、「でも、面白い子なのねー」と、ポシュっという軽い音と共に突如として一人の女性が現れる。
 「おおっ、コスプレ美少女!」と横島が思わず口にしたように、彼女は鱗を模した露出の高いボディスーツを着ており、そのあちこちに印象的な瞳があしらわれていた。
「あら、ヒャクメ。……また遊びに来たんですか? あなた仕事は――」
「もー、小竜姫はお堅いんだから。あ、私はヒャクメ。神族の調査官なのねー」
 ぽかんとそのやりとりを見ていた美神たちに、ヒャクメがにこやかに手を振る。
「それじゃ、ヒャクメ様もここの神様なんですかー?」
「いえ、彼女は妙神山に属しているわけではありません。というわけで、ヒャクメ。私はこれからこの人たちに修行をつけなくてはいけないので、あなたは――」
「その子は違うんでしょ」
 ヒャクメがすっと横島を指差す。
「え? まあ、俺は単なる荷物持ちっすけど……」
「だったら、私の修行を受けてみない?」
 ヒャクメが悪戯っぽく笑って横島を誘う。
「ヒャクメ様? あの、こいつ単なる素人で霊力も碌にないんですけど」
 何かの間違いだろうという感じの美神に対し、横島も否定は出来ないので「どーせ、俺なんか」といじけてみせている。
「さっき小竜姫にも頭や目に頼り過ぎって言われてたけど、霊力のみでしか相手を評価しないようじゃ駄目よ、美神さん。この子はあなたのいうとおり碌に霊力もないのに、あなたの――第一線のゴーストスイーパーの――仕事場に一緒に出続けてる。普通ならとっくに死んでてもおかしくないはずなのねー」
 色香に迷って続けているバイトだけに、はっきりと軽い口調で死を話題にされて横島が少し青褪めた。
「ちゃんと横島君のフォローぐらい――」
「してるのも確かだけど、横島君にも才能があるのよ。目の良さ――というか、狭い意味での霊感の鋭さね。周囲の把握力といってもいいかしら? それをいかしてこれまで致命傷は回避してきてるのよ。反射神経もあるし、性格的に逃げるのがかなり上手いみたいだしねー」
「きゃー。横島さん、神様に褒められてますよー」
「あんまり褒められてるって気はせんのだが……」
 キヌと横島のそんなやり取りを余所に、ヒャクメと小竜姫は話をまとめ始める。
「でも、どうして急にそんな気になったんですか、ヒャクメ?」
「折角来たんだし、たまには小竜姫みたいに人間の弟子でも取ってみよっかなーと思って」
「私はあくまでここで修行をつけるだけで、弟子を取っているわけでは――」
「じゃあ、私が小竜姫より先輩なのねー」
「なんで、そうなるんですか!」
「あはは、堅いこと言わない言わない。奥の異界空間借りるわよー」
「そこは老師の管轄――って、もうあなたの責任でやってくださいよ。私は知りませんからね!」
 どうやら、小竜姫が投げ出す形で話は決まったようである。
「というわけで、横島君さえやる気なら、このヒャクメ様があなたの心眼を鍛えてあげるのねー。
 どうする?」
 横島は最初「俺は修行っつーのは……」と渋っていたが、「心眼を磨けば、いろんなものが覗き放題よ? ――ほら。もちろん、あなたが今心に思い描いたようなものもね」という耳打ちに、「よろしくお願いします、ヒャクメ様」とあっさり態度を変えてヒャクメの前に平身するのであった。
 美神とキヌが向かうのとは別の場所に連れ立って歩み去っていくヒャクメと横島を唖然と見送りながら、「まさか、横島君が神様に気に入られるとわね」と美神が呟く。
「気が合ったんじゃないかと思います。あのコ――ヒャクメも自分のことを好奇心の塊だと自称していて、神界では覗き屋と呼ばれたりもしていますから」
「……ちょっと、待ってよ。話が急でついてけなかったけど、ようするに横島君は覗き魔として鍛えられて戻ってくるってこと?」
「まあ、ヒャクメも神族のはしくれですからそんなことは……ともかく、無事に帰ったとしても、横島さんには妙神山で修行してきたとはあまり言い触らさせないでくださいね。
 さ、あなたの修行を始めますよ」
 笑顔でそういう小竜姫に、美神は「いろいろ待たんかーーーっ!」と叫ぶことしか出来なかった。


 一軒の小さな家以外は見渡す限り何もない、ただただ広大な白い空間。人間が一人で放り込まれたら、さして時をおかずに発狂するようなその場所に横島たちはいた。
「な、なんなんすか、ここは」
 シュールな悪夢のような光景に横島は圧倒される。
「ここは長期修行者用の特別空間。ここで何ヶ月、何年と過ごしても、外に出たら半日も経ってないのよ」
 「もちろん中にいた人間はその分歳を取るけどね」とヒャクメが笑う。
「俺って、そんな時間のかかる本格的な修行受けるんすか?」
「さっきサインしたでしょ」
 慌てて横島はヒャクメがひらひらと示す書類に目を通す。
「――よ、読めない。詐欺だー!」
「人聞きが悪いのねー。確かに人間には意味が通じないかもしれないけど、私がちゃんと説明したじゃない」
 実はぴったりと横について説明してくれるヒャクメのことが気になって、内容に関してはほとんど右から左だったとは、さすがに言えない横島。それを全部分かった上でからかっているのだから、ヒャクメもいい性格である。
「とにかく、この空間は魂自体にもほんの少しだけど負荷がかけられるし、修行にはもってこいなのねー」
「魂に負荷っすか?」
「そう。魂に負荷をかけることで鍛えて、外に出てから霊的な力を引き出しやすくなるようにするの。高地トレーニングみたいなものかしらね。
 そうそう、ここには肉体は全くそのままで魂だけに強力な負荷をかけて、一気に強力なパワーアップを目指す修行もあるわよ。そっちは老師直々のもので失敗したら死んじゃうけどね」
「ヒャクメ様に優しい修行をお願いします」
 改めて唐巣や美神から危険な修行場だと聞かされていたことを思い出し、横島がヒャクメに懇願する。
「安心していいのねー。私は武闘派じゃないから」
 そう言って、まずはとヒャクメが用意したのは、ありきたりな検眼表であった。


「うぁ……おはようございます」
 あくびを噛み殺して横島がヒャクメに挨拶をする。
「ようやく、起きたのねー。もうすぐ出来るから、ちょっと待つのねー」
 この修行用の異空間に入ってから数日後の朝。
 今日はヒャクメが料理当番である。
 心眼をある程度ものにするためには、最低でも数ヶ月の修行を必要とする。その間はこの異空間で生活していかなければいけない――特に心眼の修行をしていない時でもわずかな魂への負荷はかかり続けるので、これ自体も修行の一部である――ので、二人は最初の日にいろいろな雑事の当番を決めた。料理の腕は一人暮らしでもレトルトやコンビニに頼ることの多かった横島よりヒャクメの方が上であるが、かといって鉄人級の腕というわけでもなかったので、特に文句もなくお互いの料理を食べている。
 横島は最初はその手料理に涙を流さんばかりに喜び、「美少女と同棲生活だー」と日常生活の全てに感動していたが、しばらく寝食を共にするうちに、むしろヒャクメのことを悪友的なお姉さんと感じるようになっていた。もちろん煩悩を感じなくなったわけでは全くなく、隙あらばと覗きや夜這いのチャンスを窺ってはいたけれど、これは惜しいところまではいっても成功はしていない。
 何せ相手も覗きのプロフェッショナルなのだから。
 そういった行為も修行になるので、ヒャクメがきちんと理解した上でコントロールしているというのが実情。そして手の内に在ることは分かっていても、横島もそれなりにそんな日々を楽しんでいるのである。
 そして心眼の修行はといえば、
「……えーっと、右?」
 1km以上あるのではないかというほど離れたところから、ヒャクメの指す視力検査表を必死に読み取るという基本的なものを当初から行っている。
 視力検査につきものの片目を隠す器具は使わないけれど、それでもヒャクメが差す小さい記号を視力だけに頼って読み取ることは不可能。ヒャクメが目覚めさせようとしている心眼の力を使うことが必要なのである。
「横島さん、肉体的にはともかく、霊能の世界では目は重要じゃないんです。目に頼ろうとしないで下さい。なんなら瞑ってしまってもかまいませんよ」
「でも、ヒャクメ様は体中に眼があるじゃないっすか。ずるいっすよ」
「私たち――神族や魔族の見た目は卵と鶏みたいなものなのよ。例えば私は全てを見通す能力を持ったヒャクメだからこそ、こういう外見になってるのねー」
 説明はよくわからなかったけれど、ともかく横島は集中を続ける。しかし、そう簡単に感覚を拡大させることはできない。
「ほら、さっき私の心眼の感覚を共有させて上げた時のことを思い出すのねー」
「そういわれたって、俺は霊能力者でもないし急にそんなこと……」
「しょうがないわね。
 んーっと、確かここに百分の一に縮小コピーされた小竜姫のセミヌード写真が――そう、そうです。その感覚を忘れないように」
 つぼにはまった時の横島の霊能力の発露に感心しながら、「でも、このままじゃ実戦では全く使えないものになりそうねー」とヒャクメはクスクス笑う。
 ちょっとした興味と暇つぶしで始めたものだけに、ヒャクメはあまり横島の成長の方向性については気にしていない。こうして横島に修行をつけるのは楽しいし、それで十分なのである。
 生真面目な小竜姫とこういう性格のヒャクメは、一見水と油のようでお互いに補完し合えるいい友達なのだろう。
「ほら、今なら完全に目隠しでもいけそうですよ。上手くいったらもっとすごい写真も見せてあげますからね」
「はい、ヒャクメ様。不肖横島、精一杯頑張るであります」
 横島は横島で、ヒャクメのぶら下げるニンジンがとてもおいしいので、相当に修行に身が入っていた。こちらも、今この一瞬さえ素晴らしければそれでいいという性格である。
 そして異界空間での十ヶ月近く――外では話の通り一日も経っていなかった――の修行を終える頃には、横島も心眼と呼ばれる能力を、ある程度は自然にも能動的にも行使できるようになっていた。
 恐らくは世界で初めて、特に凄腕の覗き魔としての能力を鍛えられた神様の弟子の誕生である。


「ともかく、無事に帰ってこれたようで何よりだ」
 妙神山での修行から戻った次の日。美神たちは、紹介状を書いてもらった唐巣の元へと報告に訪れていた。
「でも、すごいですね。美神さんはさすがですが、横島さんまで神様の弟子として指名されるなんて」
 ピートは素直に横島を賞賛する。
「いや、俺はそんな大したもんじゃねえって。でも、ヒャクメ様はすげえいい人だったぞ。うん、神様がみんなあんな人なら、俺も帰依してもいいくらいだぜ」
 修行の最後にヒャクメからもらった小竜姫の本当に際どい写真――ヌードではない。さすがに親友ということで、甘いなりに譲れないラインもあったらしい――は横島の宝物となっている。
 ちなみに、横島は知らないが、数日後にポスターサイズの額装されたヒャクメの写真も横島の家に届くことになっている。
「横島君はいい出会いをしたようだね」
 やに下がった横島の顔に少し引きながらも、人格者の唐巣が彼らしいコメントをする。横島が一見して成長したように見えるのは、実際に横島が肉体的に成長したせいなのか、霊能力を行使できるようになったからなのかは、さすがの唐巣にもいまいち判断がつかなかったけれど。
「美神さんの方の修行はどうだったんです? こうして傍から見ていても以前より霊力が上がっているのがわかるくらいですから、無事に修行を終えたのだとは思いますけど」
 優しく見つめる唐巣やピートに対して、美神は少し複雑な表情である。
「……霊的な防御力や攻撃力を大幅にアップさせて貰えたわ。時間もそうかからなかったし、結果的には一番いい形になったのかしらね」
「結果的に、かい?」
「そ、結果的に。三つの敵と戦って勝つごとにパワーを貰えるって試練に挑戦したんだけど、二戦目の相手がズルしたのよ」
「開始前にいきなり襲ってきたんですよね。あれは卑怯でした」
 キヌはその時のことを思い出したのか、ぷんぷんと怒っている。
「美神さんは意地張って小竜姫様の助けを拒むし……」
 心配かけたわねと美神が、今度は少し涙ぐむキヌの頭を撫でてやる。
「でも、勝ったんだね」
「なんとか。でもぼろぼろにされてたし、向こうが元々の原因だったおかげで三戦目はなしってことになったんです。実は三戦目の相手は小竜姫様だったらしいから、命拾いしたかしら」
「なっ、そんな危ない修行をする気だったのかい!」
 小竜姫の実力を知る唐巣がその修行内容に驚愕する。
「先生みたいにちまちま真面目にっていうのは、私の性に合わないしね。ま、運を引き寄せるのもゴーストスイーパーの実力ってとこかしら」
 「これからまたバリバリ稼ぐわよー」と美神が気炎を上げる。
「横島さんはどうするんです。単なる荷物持ちのアルバイトから、GS見習いに昇格ですか?」
 ピートの問いを横島は「俺の柄じゃねーって」とあっさり否定する。
「でも、霊能力を開花させてもらったんでしょう?」
「ヒャクメ様に帰りに説明してもらったんだけど、横島君を例えるなら普段は劣化版見鬼くんで、集中して心眼を行使出来れば見鬼くん以上の能力を引き出せるそうよ。ヒャクメ様が『普段でさえ、霊的な存在への敏感度では道具に劣っていても、感知したものに対する判断力を持つという点はGSにとって大きなアドバンテージよ。ただ横島君の場合はそういう知識面が全くないから、宝の持ち腐れに近いけどねー』って笑ってたわ」
「そして横島君には向学心がなく、美神君にも後進を育成しようという気はない、と」
 唐巣がやれやれといった様子で嘆く。横島が本気でGSを目指しているというのなら、美神に対して注意もしようが、やる気のない人間を無理矢理その道へ引き込むことはできない。本音を言えば横島が半端にオカルトに関わるのは止めて欲しいのだが、危険を理解した上で尚バイトを続けるといっている以上、助言以上の行動に出ることも出来ない唐巣であった。


 霊能者としての向上心こそないとはいえ、横島は覗きの技術を磨くために心眼の修行を続けている。現状では壁や服など障害物を越えて尚はっきりと女体を堪能することは出来ないのである。霊的に見えるということと、横島が真に物理的に見たいものの間にはまだまだずれがあるのだ。今横島が当面の目標にしているのは、壁などの物理的な障害ではなく位置的に見えないものを見えるようになること。
 心眼という能力を意識的に使おうとすれば、それにはけっこうな霊力を使う。しかし、それにより煩悩を刺激するような光景を捉えることが出来れば、それが霊力の回復へとつながることも、横島はヒャクメによる修行の中で教えられているのである。
 もっとも、横島の未熟な心眼による覗きは、美神などの霊能力者には簡単に感知できるようで、満を持して美神のバスルーム――直接覗き込むことの出来る位置にはないが、外に面した窓はある――への覗きに挑戦した時は、即座に気づかれて神通棍でしばき倒された。
 その時の美神はバスタオル一枚という格好だったので横島はそれなりに嬉しかったのだが、この覗き未遂行為のせいで、上がりかけた時給――前日の仕事の時に、偶然呼び出された下等な悪魔がマネキンに取り憑いて現場にまだ潜んでいるのを見つけた功績による――が据え置きになったことを知れば……それでも横島に悔いはなかったかもしれない。


 そんな死と隣り合わせなはずの生活を煩悩まみれで楽しんでいるとはいえ、横島はまだ学生の身。さすがに覗きに磨きをかけることとGS助手のバイトのみにかまけているわけにもいかず、学校に行くこともある。
「横島?」
「横島クンだわ!」
「あいつ、まだ学校辞めてなかったのか」
 そんな声がかけられるほどの頻度であり、教師たちの温情――もしくは、さっさとここから追い出したいという本音――による補習で出席日数をなんとかしてもらわねばならないほどではあっても。
 「下着泥が発覚して刑務所にいた」だの、「変な宗教に引っかかってインドで行方不明になっていた」だのとおかしな噂が目の前で展開され始めたので、GS助手をやっていてそちらが忙しかったのだと説明したら、一瞬横島の株が未来のGS――すごく儲かる仕事としてクラスメイトたちにも認識されている――として上がりかけたが、「絶対挫折するよね」「危険すぎる賭けだわ」と、すぐに底値に戻った。
 それを聞いた横島は、馬鹿にした女子連中を絶対に覗いてやると心に誓うのであった。もちろんGSになって見返してやろうなどとは露ほども思わないのが横島である。
「――ん? なんだ?」
 横島が教室に向かっていると、廊下の角からきゃーきゃーという騒がしい女学生たちの声が聞こえてきた。そして、こちらへ向かってくるその集団の中心には――
「ピートじゃねえか。お前こんなとこで何やってんだ? 白昼堂々、高校に乗り込んでナンパか?」
 横島は女生徒に囲まれた美形バンパイア・ハーフに、嫉妬交じりの声で自分を基準にした言葉をかける。さすがに他所の高校はないけれど、女子大でナンパを敢行した経験はあるのである。
「あ、横島さん」
 一方のピートは横島の僻み交じりの言葉をまったく気にせず、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「実は僕、この学校に入学したんです。同じクラスらしいので、これからよろしくお願いします」
「……はあ?」
「横島さんも霊能関係者で知り合いだとお話したら、その方が他の生徒の方も僕も安心できるだろうということになったんです」
 突然の話についていけずに詳しい話を訊いてみれば、なんでもピートの夢であるオカルトGメンに入るには高校卒業資格が必要とされているとのこと。そしてブラドー島でもそれなりに教育は受けていたので、ピートは高校から通うことを選択したのである。
「んで、俺の高校かよ。吸血鬼でもオッケーなんてのは、適当なうちの校風らしい気もするが」
「正直、知り合いがいてくれた方が僕も心強いですしね。最初に先生とお願いに来た時は不安でしたけど、先生方も僕の理想を話したら共感してくれたんです」
 こういう真面目で向学心と夢のある生徒こそ理想の生徒だと誉めそやされたほどである。
「そういえば、ピート君の受け入れをきっかけに、この際そういったモデル校にって話もあるみたいよ」
 バンパイア・ハーフだと知っても気にせず、美形の外人という点で早速出来た取り巻きの女生徒が教えてくれる。
「あ、俺も聞いた。別のオカルト関係の転入生が来ることも、もう決まったらしいぞ」
「なんだそりゃ。ピートのことだって決まったのは最近だろうに……。もしかして、そいつも俺のクラスだったりすんのか? 美少女なら大歓迎なんだが、ピートみたいなモテ男だったら日本の陰湿なイジメってヤツを見せてやるかんな」
「ハ、ハハ……とりあえず僕のことは受け入れられているらしいのを喜ぶべきなんでしょうかね」
 そんなことを話しながらピートと横島は自分たちの教室へと入る。
「――うむ。これは予想外だった。しかも俺の席かよ。置きっ放しだった荷物はいずこへ?」
 教科書、ノート、その他教室に置いておけるものは全部置きっぱなしだった横島がため息をつく。
「なるほど、僕がきっかけでオカルト関係の受け入れを始めたということなら、こういうこともあるわけですね」
 二人は横島の席に向かって歩いていく。そこにあるのは横島の記憶にあるのとは明らかに違う、やけに古ぼけた木の机。
「そのうち人間の方が少なくなったりすんじゃねえか、この学校。妖怪学園とでも改名するか?」
「横島君なら、そんな中にいても違和感ないしね」
「やかましわ! ……ったく。まあ、よろしく頼むわ。
 使っていいんだよな?」
 横島がカバンをかけながら机に訊く。
「横島さんの席にあるってことはそうなんじゃないですか。一応GS関係者が使った方がいいという学校側の判断でしょう」
 ピートが机の正面に回って自己紹介をする。
「よろしくお願いします。僕はバンパイア・ハーフのピエトロ・ド・ブラドーです。ピートと呼んでください」
「何がピートと呼んでください、だよ。机相手にも気取んのかい、お前は。
 そもそも、こいつ喋れんのか? おーい、転校生ー。聞いてるかー、机妖怪ー」
 横島が机をとんとんと叩く。
「机妖怪って……。気を悪くされるかもしれないですし、机の九十九神さんと呼ばれた方がいいんじゃないでしょうか」
 「どっちも似たようなもんじゃねえのか?」と、オカルト関係の知識のない横島は首を傾げる。
 その時、すーっと机からセーラー服姿の少女の上半身が現れた。
「おお、セーラー美少女!」
「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ――」
 そのまま少女は机の上で泣き崩れてしまう。
 突然の出来事に驚いていた周囲の学生たちも、その様子を見て慌てて駆け寄ってくる。
「ちょっと、横島君! なに女の子泣かしてんのよ!」
「いぃっ! 俺が?」
「他に誰がいんのよ!」「そうだ、絶対なにかセクハラしたに決まってる」「あいつはほんとに見境がないな」「クラスメートとして恥ずかしいわ!」
 横島の人望のなさからくる罵倒の嵐――知られていないとはいえ横島の最近の行動からすると、似合いの気もする――により、横島は身に覚えのない罪で机の前に土下座をしてひたすら謝り続けることになった。
 ピートや周囲の学生たちが机から現れた少女を宥めて落ち着かせ、「自分は愛子という名前の机が変化した妖怪で、こうしてこっそりと学校に入り込んでは生徒を自分の中の異空間に取り込み、自分だけの学校を作り上げようとしていた。だけど、どうせ受け入れられるはずがないと端から諦めていた妖怪の自分を、ピートや横島はそれを知りながら平然と受け入れようとしてくれた。だから今までの自分がとても恥ずかしく情けなくなり、罪悪感で一杯になってしまったためにこうして謝罪すべく出てきた」という大まかな話を聞きだしたことで、ようやくそれは終わる。
 しかし、まだ涙を浮かべている愛子に謝られた横島は、土下座の体勢のまま「いや、いつものことだし気にすんな。ところで、もう少し出て来れねえのか? あと少しでスカートの中まで覗けそうなんだが」と、馬鹿をいって慰めているつもりなのか、単に欲望に忠実な本音なのかよくわからないことを口にしたので、結局クラス全員から袋叩きにされた。
 その後、愛子は体内に取り込んでいた生徒たちを元の場所・時代に返し、教師たちの思わぬ歓迎――ピートへの対応といい、この学校の教師たちはしっかりと向学心を持っているものにはとことん甘いらしい。普段相手をしている生徒たちにも原因があるのかもしれない――と、ピートに呼ばれてやって来た唐巣神父の保証により、晴れてそのまま横島やピートのクラスメートになるのであった。
「みんな、ほんとにありがとう。これからよろしくね」
「もちろんさ。愛子みたいな美少女なら大歓迎だ」
 妖怪であることを気にするものなどいない風変わりなクラス。この横島たちのクラスに現れた愛子は、とても幸運に恵まれていたようである。


 ちなみに、噂になっていたオカルト関係の転入生はといえば、この前日に海外から日本に来る予定だったのであるが、飛行機への搭乗時に「ワッシは女子が怖いんじゃーっ!」とフライト・アテンダントの女性に対して叫び出し、そのまま現地の空港で拘束されたため、来日自体が大幅に遅れているのであった。








[7464] 二話
Name: 蟇蛙を高める時間◆a7789959 ID:24cb0056
Date: 2009/03/16 23:28

「はぁ? ジェームス伝次郎の幽霊?」
「そうなんすよ。何とかしてくれませんか?」
「たしか有名な歌手の人ですよね。亡くなったときにワイドショーで見ましたよ」
 美神除霊事務所のオフィスに来た早々、横島の口から出た愚痴。それは横島の住むボロアパートの近くで、数ヶ月前に死んだロック歌手――ジェームス伝次郎の霊が自身の歌を歌い続けているというものであった。
「おかげで朝から晩までずっとハードロックが聞こえてくるんすよ。もう、うるさくてうるさくて」
「それは大変ですねぇ。私からお話してみましょうか?」
 横島に同情したキヌがそう申し出るが、美神がそれに待ったをかける。
「え、もしかして美神さんが除霊してくれるんすか?」
「私はただ働きなんかしないわよ。そうじゃなくて、その伝次郎の声って他の人にも聞こえてるの?」
「んー……たぶん俺だけじゃないっすかね。他の住人も近所の奴も気にしてる様子は全くないし、おキヌちゃんみたいにちゃんと空気を震わせてるわけでもないんで」
 「目や耳がよくなるのもいいことばかりじゃないっすねー」と苦笑いする横島。
 ヒャクメの、「霊力が上がったことで霊たちと関わる可能性も増えたから、出来るだけ心眼は使いっ放しの方がいいわ」というアドバイスがあるだけでなく、修行の結果それが基本になってもいるので、知覚を絞ることがきちんと出来ない横島であった。
 美神はそれを聞いて「ちっ」と軽く舌打ちして手元の書類に目を戻す。
「いけるかと思ったけど……やっぱり他のGSにも声をかけて……いや、それだと私の取り分が……」
「どうしたんですか、美神さん」
 ぶつぶつと自分の世界に入り込んでしまった美神はキヌの呼びかけも聞こえていないようで、がしがしと頭をかきむしる。
「あ、あのー、美神さ――」
「よしっ! 決めたわ!」
 美神はばんと机を叩いて立ち上がると、そのまま部屋を出て行こうとする。
「何してるの、二人とも? さっさと行くわよ」
 美神の勢いについていけずにぽかんとしていた二人を振り返って、美神が早くしろと急かす。
「え、ど、どこへですかー?」
「決まってるじゃない。――歌い手のところよ」



芸術も楽じゃない



「本当に、本当にもう一度歌えるんだな!」
 取りつかれたようなジェームス伝次郎の言葉に美神が大きく頷く。
「ええ、自分でマイクを持って、その声を一般人にも聞かせられるようになるわ。
 私の厳しいコーチについて来られれば、だけど」
「もう一度歌えるなら、なんだってやるさ」
「それにちょっとした仕事も手伝ってもらうわよ。それと、また歌で稼げるようになったらそのギャラも全部貰うわね」
 美神の出す条件全てを唯々諾々と飲む伝次郎を見て、横島は「哀れやなー」と呟く。自分の雇用条件も相当悲惨であることは頭にないらしい。
「それじゃ、おキヌちゃん。この蝋燭に向かって歌ってみて」
 美神の指示通りにキヌが火のついた蝋燭に向かって子守唄を歌ってみせる。
「……この子の可愛さ限りない。山では木の数 萱の数。星の数よりまだ可愛、ねんねや ねんねや おねんねや」
 キヌが少し悩んで選んだ、昔の記憶にある歌である。
「おおー。どうせならこいつみたいな騒音じゃなくて、おキヌちゃんに近くで歌ってて欲しかったぜ」
 キヌの透明な歌声に癒された横島がパチパチと手を叩いてそう伝次郎を皮肉り、「俺の歌が騒音だってのか!」と伝次郎も怒鳴り返す。
「はいはい、喧嘩しないの。とにかく、今蝋燭の火が揺れてたのはわかったでしょ。それが実際に霊波が音波に変換されてるって証拠よ。さ、次はあんたの番」
「よ、よし。こんくりーと・じゃんぐーる どりーみん・はいうぇー」
 早速伝次郎も心を込めて自分の歌を歌いだすが、蝋燭はピクリともしない。
「霊力が足りないっ!」
 指摘と共に美神の神通棍が伝次郎に飛ぶ。
「ぐあっ! お、おい、何を……」
「私のコーチは厳しいのよ。それにごく普通の浮遊霊がおキヌちゃんレベルに至ろうっていうんだから、これくらいしないと」
 その後も美神は「集中しろ!」「念で歌え!」「魂を振るわせなさい!」と、神通棍で伝次郎を殴り続ける。
「あ、あの、横島さん。あんなにやったら、伝次郎さん成仏しちゃうんじゃ……」
「あれでも手加減はしてるみたいだけど……目つきもなんだか険しいし、美神さんのSな部分が全開に――ぶっ」
「誰がSよ! それに私でもこいつは見えにくいのよ。あんたはヒャクメ様の弟子である自分の異常さを少しは自覚しなさいよね」
 Sなのは本当じゃないか、と横島は思ったが、さすがに口には出さなかった。また伝次郎を殴った余勢でこちらまで殴られてはたまらない。
 キヌの方は、そもそもSという言葉の意味がよくわかっていないようである。


「それじゃあ、美神さんはずっとその歌手の幽霊を鍛えてるんですか?」
「ああ、中々上手く行かないみたいでさ」
 そのおかげで別の仕事がないからこうして学校に来てんだと横島が言うと、「学生なんだから、普段から学校にはちゃんと来なさいよ」と愛子が怒る。
「しょうがねえだろ。生活かかってんだから」
「まったく……。でも、夢を諦めずに歌い続ける。青春よね」
「お前はなんだって青春に結びつけるんだろが」
 学校妖怪のせいか、愛子は青春という言葉にこだわりがあるらしいことが最近横島たちにもよく分かってきているのだ。
「いいじゃないの。でも遅刻もしなかったし、一日ちゃんと学校に横島君が来るなんてほんとに珍しいわね」
 「ピート君もGSの修行があるのに、きちんと学校にきてるのに」という愛子に、「唐巣神父んとこは、美神さんほどがめつくガツガツ仕事してないみたいだしな」と、横島が肩をすくめてみせる。
「ええ、それはありますね。でも先生は人が良過ぎるせいか、あまり報酬も取らないので身体を壊さないか心配ですよ」
「もしかして食うにもこと欠いてんのか? 日本のトップレベルのGSの在り方じゃないよな、ほんとに。道具も美神さんほど使わないんだろ」
「……破魔札を一枚でも使ったら、ほとんどの依頼が赤字なんです」
「苦労してるのね。貧しい人たちのために身を粉にして働く。これも青春だわ」
 感動している愛子を横目に、神父の下でGSをやるよりも、公務員のオカルトGメンになった方がまだ儲かるんだろうなーと、横島はピートの将来に思いを馳せてみた。
「まあ、どっちにしても美形で報酬に拘らず人々を助ける正義の味方ってわけだ」
 なんとなく面白くなくて、横島はピートにヘッドロックをかける。
「いたた……。何するんですか、横島さん」
「どうせお前は将来さんざいい思いをするんだ。今のうちに恨みを晴らさせろ!」
「ええっ!」
「……言ってることがムチャクチャね」
 横島君も嫉妬心を剥き出しにするのと僻み根性をなんとかすれば、そんなに悪くはないと思うんだけどなぁ、と愛子は優しい目でじゃれ合う二人を見守っていた。


 数日後、横島は美神に前日頼まれたお使いをこなし、厄珍堂で破魔札や吸引札、霊体ボウガンの矢などを受け取って事務所に届けに来ていた。
「あれ? 開いてないな。おキヌちゃんは居てくれるはずなんだけど」
 少し心眼を強めてみるが、事務所にはやはり誰も居ないということがわかっただけ。数千万単位の道具をまさかドアの前に置いて行くわけにも行かず、横島は途方に暮れる。
「どうしたもんかな……」
 厄珍堂に戻ろうかとも思うが、事務所からはそれなりに遠い。わざわざ戻るのは少し面倒である。
「そうだ、ピートんとこに置かせてもらおう。あそこならそんなに遠くないし、後から美神さんが怒ることもないだろ」
 そう決めて横島は唐巣神父の教会に向かう。
「そういや破門されてるらしいけど、神父って教会やってていいんかな」
 横島がそんなことを考えながら十数分歩いて教会にたどり着いてみると、
「――は? 貧血?」
「いや、面目ない。私もまさか倒れるとは思っていなかったよ。……ああ、さすがに除霊具の管理はきちんとしているから、その荷物は預かれるよ。ピート君に案内してもらうといい」
 唐巣は栄養失調で倒れていた。
「なんつーか、美神さんを見習えとは言わんが、少しぐらいはきちんと依頼料取ったほうがいいぞ」
 横島は道具を仕舞わせてもらいながら、ピートに呆れた声をかける。
「それが出来る先生じゃないんですよ。今回は僕がしっかりした食事を必要としないもので、つい先生の状態に気づくのが遅れたのも原因ですかね――っと、すいません。電話みたいです」
 バタバタと駆けていくピートを見ながら、「なんつーか、生活能力のない二人だよなあ。ある意味いいコンビなんだろうが」と横島は笑う。
「それにしても、よく美神さんがこの神父の下で修行してたもんだ」
 横島は「昔の美神さんはもう少し素直で、金の亡者でもなかったのではないか」と妄想を試みる。
「……うーん。やっぱり、素直で優しく人に尽くす美神さんなんて想像も出来んな」
 そこへピートが横島を呼びに来た。
「あの、横島さん。新極楽シネマ座というところから電話で、おキヌさんが呼んでいるそうなんですが。美神さんの所にも電話したけど繋がらなかったそうです」
「おキヌちゃんが?」
 横島は慌てて電話を受け取りにいった。


「こちらです」
「ちょっと待った!」
 スクリーンの一つへと案内しようとするシネマ座の人間とピートを、横島が鋭い声で制止する。
「どうしたんですか?」
「妖気がある。それも結構強そうなのが」
「え、僕には――むっ。エビル・アイ!」
 ピートが目を光らせて、ドア越しに館内を睨む。
「なるほど。上映スクリーンの中、というか映画自体の中にいるんですね。さすが、横島さん。よく気づきましたね」
「ふふ、覗きと逃げることは俺の十八番だからな。つーわけで、洗い浚い吐いてもらおうか」
 横島がチンピラ風にシネマ座の男にすごむ。
「い、いえ、私どもも何が起こっているのかわからないんですよ。実は今朝から――」
 男の話によれば、昨日までは普通に映写できていた作品なのに、今朝の上映時から登場人物たちが消え始めたとのことである。映写技師の話では、本来映画に出ていないはずのピエロのような男が本来の登場人物を喰うところを目撃したともいう。
「映画の登場人物が消えるねえ……。ピート、わかるか?」
「それはたぶん、モンタージュという妖怪ではないかと。映画の他に絵画などに込められた製作者の魂も食い荒らすことがあるそうです」
「おキヌちゃんは何でだ?」
「僕たちを呼んだことからして、おそらく映画に込められた魂の方が自衛しようとして、霊能者を呼ぶためにおキヌさんを引き込んだのではないでしょうか。だとしたら僕らも中に入れるはずです」
「よし、わかった。
 1千万で退治しましょう」
「ちょ、横島さん?」
 突然シネマ座の男と交渉を始めた横島にピートは驚くが、「食い物もなんもねーんだろうが」という横島の言葉に沈黙する。
 美神が相場以上に吹っかけているにしても、これはずいぶん安いんだろうなと思いつつ、横島は神父たちには十分以上だろうと思われる額でモンタージュ退治を請け負った。ピートならば除霊道具も要らないし、これくらいあれば神父たちも当分は困窮しないだろうと思ったのである。本当は自分もおこぼれに預かりたいところであるが、唐巣神父たちのためというお題目ならともかく、美神に話を通さず勝手に自分が儲けようとすれば後が恐ろしすぎるので、そこは仕方ないと横島は諦める。
「じゃあ頑張れよ、ピート」
「え、横島さんは来ないんですか?」
「俺がいってどうすんだよ。何の役にも――」
「心眼能力があるじゃないですか。それにおキヌさんを助けたくないんですか」
「ぐっ! それを言われると……くそっ、絶対俺を守れよな」
 キヌの為と言われると、さすがの横島も逃げられない。いろいろと世話にもなっているし、幽霊とはいえ可愛い美少女なのだ。とんでもなく引け腰ながらも、横島はピートの後ろについて上映中の部屋のドアをくぐっていく。
「ピートさんっ! 横島さんっ!」
 そしてスクリーンの中にキヌと侍らしい男の姿を見た次の瞬間、横島たちは映画の中に――西欧風の路地にいた。
「ふぇーん、横島さぁーーーん」
 泣きついてくるキヌを横島がよしよしと優しく抱き締める。
「あなたが僕たちを呼んだんですね」
 警戒しながら問いかけるピートに頷いて、キヌと一緒にいた羽織袴に刀を差した男が土方歳三だと名乗った。
「土方歳三? つーことは――」
「歳三! 奴だっ!」
「近藤さん!」
 横島の言葉を遮るように、一人の男が走ってくる。その後ろには燕尾服に蝶ネクタイ、山高帽を被り、皮の手袋をはめてステッキをもった怪物――モンタージュがいる。その顔は白塗りで目も鼻も耳もなく、真っ赤で大きな口だけが存在を主張している。
「ギヒヒ……ギヒギヒッ」
 唐突にモンタージュの頭が大きく膨らみ、近藤さんと呼ばれた男を口に咥えたかと思うと、ぢゅるぢゅるとそのまま啜るように飲み込んでしまった。
「うげ、なんて野郎だ。ピートっ!」
「は、はいっ。主よ、精霊よ――なにっ!」
 唐突に彼らの居る場所が街中の路地から凍える雪原に変わり、モンタージュの姿も目の前から消えてしまう。
「惜しい。シーンが変わってしまったのだ」
「そんなのもありなのかよ。さすが映画の中だな、ちきしょう」
「ここは現実ではありませんから……。しかし架空の存在とはいえ、我らは多くの人間の手によって魂を与えられたもの。それをむざむざ喰われるなど……。お願いします、我らに力をお貸しくだされ」
 土方歳三ががばっと頭を下げる。
「そりゃまあ、シネマ座から引き受けたし――なんか、歪んだ魂を持ってる奴もいるみたいだな」
 横島の視線の先には、土方と同じ格好ではあるが、血走った目でこちらを見つめ、抜き身の刀を持って全身を熱病のように震わせている男がいた。
「歳さん、なんですかこいつらは? ボリシェヴィキだなっ! 不穏分子だなっ! 斬る斬る斬る斬るーーーっ!」
 切りかかる男を「やめんか、総司!」と、土方が後ろから組みついて必死に止める。
「歳さん、こいつら敵じゃないのか? げほっ、ごほっ」
 「……斬りたい……人を斬りたい」と、喀血しながら総司が荒い息で呟く。
「なんなんだよ、この映画は。つーか、舞台設定はどこなんだ?」
 横島がそのやり取りに呆れつつ、凍える寒風に身を縮こまらせて訊く。
「す、すまない。これは『レニングラード新撰組』という映画で、ベルリン忠臣蔵に感銘を受けた監督の手によって制作されたのだが、監督の心境に紆余曲折があったらしく随所に独自解釈と斬新な演出があるのだ」
「それは……。とにかくモンタージュを倒すにはある程度時間が必要です。長いシーンはないでしょうか?」
 映画のことに触れるのはやめて除霊に集中しようというピートの言葉に、うーむと土方が考え込む。総司は――
「……仲間ぁー、斬れないぃ……ぐはっ。ろ、労咳が」
 あまり役に立ちそうにない。
「オデッサ階段のシーンがいいかも知れんな」
「……もう、レニングラードですらないんですね」
 無茶苦茶ですね、とため息を吐きつつ「とにかく長いシーンはモンタージュにとってもいい餌場でしょうから、きっと現れるはずです。そこで倒しましょう」とピートが提案する。
「ようわからんがまかすぜ。
 ところで新撰組の他の連中はどうしたんだ。少しでも戦力があった方がいいと思うんだが、元からこんなもんなのか」
「それが……みんな食われてしまいました」
 横島の質問に土方が涙を浮かべる。
「あの、よくわからないんですけど、一体どういうことなんですか?」
「おキヌちゃんは説明してもらってなかったのか。モンタージュっていう妖怪がいて、そいつが映画の中の人間を食ってるからピートがやっつける。そうすりゃ、みんな無事に帰れるって事さ」
 横島が簡単に説明する間にもシーンは次々移り変わっていく。
「次のシーンです」
 土方が気合のこもった声をかけ、今度は横島たちは風の吹きすさぶ広くて長い石造りの階段の上に立っていた。階段の途中には大勢の民衆がいる。
 そのやや後ろの方、階段の中ほどに予想通りにモンタージュの姿も見えた。
「ここはどういうシーンなんですか?」
「本来なら我々新撰組がここへ斬り込んでいくのですが――総司っ!」
「横島さんっ!」
 土方とピートが気づいた時には、総司も横島も走り出していた。
「斬る斬る斬る斬るーーーっ!」
「女優ーっ、女優ーっ、女優うぅぅぅーっ!」
 それが合図だったかのように群集が算を乱して階段を駆け降りて逃げ始める。モンタージュの姿もその中に埋もれていく。
「くっ、これじゃ奴のところへ行けない」
 歯噛みするピートに、キヌが「吸血鬼の力で何とかなりませんか?」と声をかける。
「……吸血鬼の……力?」
 ピートは少し驚いた顔をした後で「そうか」とニヤリと笑い、体を霧に変えて群衆の中へ飛び込んでいく。
「ギヒィ?」
「遅いっ。ダンピール・フラッシュ!」
「ギヒィィィッ」
 さっとモンタージュの背後に実体化したピートが即座に強烈な霊波の一撃を叩き込む。昔のバンパイアの血を引くことにコンプレックスを持っていたピートならこれほど上手くは行かなかったかも知れないが、学校で不特定多数の人間にバンパイア・ハーフである自分を受け入れてもらったことで、ピートの自身への認識は大きく変わっていた。先ほども無意識に流れで吸血鬼の能力であるエビル・アイを使っていたし、キヌの言葉をきっかけにして、素直に力の認識と行使を行うことができたのである。
 さらにピートは世界の力を借りて闘う唐巣神父の弟子でもある。
「わが友なる精霊たちよ。この呪われた魂を封じる力を僕に」
「ギギィッ?」
 モンタージュの動きがピートに集められたエネルギーによって束縛されていく。
「土方さんっ」
「承知っ!」
「ギヒィィィィィィッ!」
 そして土方の渾身の一刀が、動けないモンタージュを真っ二つに切り裂いた。
「きゃー! やりましたね、二人とも! すっごいですー」
 キヌがきゃーきゃーと歓声を上げる。
「いや、ピート殿が「斬る斬る斬る斬るーっ!」はうっ!」
 騒がしいはずのシーンが、周囲の群衆が、その瞬間にしんと静まり返った。
 モンタージュを倒したことで気持ちが緩んだせいか、土方は見境いなく周囲の人間を斬りまくっていた総司の刀を受けてしまったのである。
「そ、総司……お前……」
 そのあまりの状況におろおろしながら、助けを求めようとキヌが横島の姿を探してみれば、「女優ぅー、女優うぅーっ!」と、こちらも当初の目的を忘れたかのように、危険の少なそうな離れた場所で好みの女優たちに飛び掛っていた。
「いい加減にしろーっ!」「いい加減にしてくださいっ!」
「「わ゛ーーーっ!」」
 土方に蹴られた総司とおキヌに体当たりされた横島は、見事に階段をごろごろと転げ落ち、その勢いのままスクリーンの外の観客席に突っ込んでいく。
「……ふぅ。見事な階段落ち。これでこの映画も少しはよくなるだろう」
 刀傷から血を流しながら、土方が悟ったようにいう。
「い、いいんですか? ただでさえ少なくなってるのに……」
 ピートの言葉に構わないと言い切って土方は階段の上へ歩き去っていく。それを見送るうちに、ピートとキヌはいつの間にか自分たちが客席からスクリーンのエンドロールをみていることに気づいた。
「おキヌさん、大丈夫でしたか?」
「あ、はい。不思議な体験でしたねー」
 そして笑いあう二人の横には、気絶した横島と総司が静かに横たわっている。
 幕が閉じ、場内が明るくなっても、二人はそのままだった。


「それで連れて来ちゃったわけね」
 申し訳なさそうなキヌから事情を聞いた美神が、はぁーと大きくため息をつく。
「こ、このおなごは誰ですか? 敵ですか? 斬りたい、斬りたいっ!」
「お前はすぐに刀を抜くなっ」
 殺人狂と色情狂か、と目の前の二人を見て美神は頭痛がしてきた。
「ところで美神さんは今日――んっ、これはかすかな潮の香り。しかもうっすらとした日焼け跡まで。海っすね。水着なんすね。なんで俺を誘ってくれなかったんすかーっ!」
「だーっ! くっつくな、嗅ぐな! 遊びじゃなくて仕事よ。
 ふふ。上手くいかなかったら面子集めて出直そうかと思ってたんだけど、伝次郎の歌が思った以上に使えたから、かなりの儲けになったわ」
 美神はほぼ経費ゼロで済んだと、事務所に現れた時のほくほく顔に戻る。
「伝次郎さんの歌、ようやく魂がしっかり乗るようになったって昨日いってましたねー。でも、お仕事ってなんだったんですか?」
「それは……」
 部屋の隅で「斬る斬る斬る……」とぶつぶつ言い出した総司にちょっと目が行ったものの、極力それを無視して美神が話を続ける。
「二人はセイレーンって知ってるかしら?」
「せいれーん?」
「聞いたことあるような……。船乗りを惑わす歌を歌うって奴じゃなかったですか。
 ん、歌?」
「そうよ。セイレーンの歌に魅了されれば船は沈んでしまう。それに海の上にいる相手だから攻撃も難しいの。だけど、歌で戦いを挑み、負かすことは出来るのよ」
 「なんかちょっと面白そうっスね」という横島に、「もちろん、負ければ魅了されるのと同じくこっちの船が沈むのよ」と美神が解説する。
「それは怖いですねえ。美神さんは大丈夫だったんですか」
「私は伝次郎をボートに乗せて別の船から見てただけだしね」
 しかも高速船で、いざとなれば伝次郎を見捨てて逃げる気満々であった。
「んで伝次郎が勝ったわけっすよね。あいつ意外とすごいんだな」
「まあ、勝負は物理的な肉体を持つセイレーンの声が潰れるのと、伝次郎の霊力が尽きるのとどっちが早いかが鍵だったからね。私が霊力をアシストした伝次郎が勝てたのは当然なのよ。ようするに、伝次郎の話を聞いた時にこれは使えると見抜いた私の発想力の勝利だわ。おーほっほっほっ」
 自分の才能が怖いわと美神が高笑いする。
「自画自賛っすねえ。
 んじゃ、あいつも使えそうですか?」
 全員の視線が危ない笑みを浮かべて真剣で素振りを始めた総司に向かう。
「使えようが使えまいが、あんまり近くにいて欲しくはないわね」
「同感っス」
「仕方ないから、明日にでも私が映画館に行ってスクリーンの中に蹴り返してくるわ。おキヌちゃんも気をつけてね。なるべく近寄らないように」
 やれやれと美神は仕方なくそうまとめる。


 ところが翌日映画館に行ってみると、すでにフィルムは映画館になく――さすがに主要登場人物のほとんどが食われたまま上映を続けることはできなかったようである――総司は美神の元に頭痛の種として取り残されることになってしまうのであった。









[7464] 三話
Name: 蟇蛙を高める時間◆a7789959 ID:24cb0056
Date: 2009/03/16 23:30

「おはようございます、横島さん」
「おう、ピート――って、愛子はどこ行ったんだ?」
 横島が朝早くから他の生徒たちに交じって登校してきてみれば、いつもの場所に自分の机がなかった。
「横島君がこんな時間に来るとは愛子ちゃんも思わなかったんでしょ」
「やかましわ。まあ、荷物は全部中の異空間に入れてくれるし、便利な机なのは確かなんだが、こう学校に来て机がないってのはいじめにあってるみたいだぜ」
 「見た目もぼろいし」と結構ひどいことを言う横島に、「愛子さんは真面目だから、もうすぐ戻ってきますよ」とピートが時計を見て言う。もうすぐ朝のホームルームの時間である。
 その言葉通りに、ほどなく愛子がぱたぱたと教室に駆け込んできた。机状態でも動けるようであるが、今は少女型の全身を現して本体の机を頭の上に両手で掲げている。
「ニュースよ! この前言ってた転校生がついに来るらしいわ」
「おおっ! 女か? 美人か? 人間か?」
 鼻息を荒くして横島が愛子に詰め寄る。
「さ、さあ、そこまでは……」
「でも、人間かどうか訊くのが最後なのが、いかにも横島さんらしいですね」
「そうね」
 ピートと一緒に苦笑しながらも、「私は嬉しいけど」と、愛子は小さな声でそっとつけ足した。
 そこへがらりと教室のドアが開き、学生服から噂の転校生なのだろうと思われる人物が現れる。屈んで身を縮める様にしてドアを通ってくる巨体――身長は二メートル近く、体重は少なくとも150kgはあるだろう――の持ち主だ。
「……とりあえず、女の子ではなかったわね」
「一応、人間……ではある……と思うが」
 優れた心眼で見る限り、この大男は確かに人間のようなのであるが、横島の口調にはあまり自信が感じられない。
 クラス全員の視線が転校生に集まる。高校生離れした巨体のみでなく、その顔にまで生えている剛毛が虎の顔のような模様を描いており、人間というより獣人と言った方がぴったりくる青年である。もっとも、その目はきょときょとと落ち着きなく教室内をさまよっており、野生の虎の恐ろしげな眼光とは比べ物にならなかったけれど。
「お、おなご! クラスの半分がおなご! わ、わっしは……わっしは、まだ心の準備が出来とらーーーん!」
 そう叫ぶと、大男は振り向きざまに教室から逃げ出してしまった。今度は注意を払われることのなかった教室の扉が見るも無残にひしゃげている。
「……一体、今のはなんだったの?」
 愛子の漏らした一言が、クラス全員の気持ちを代弁していた。



TIGER! TIGER?



「ん? 転校生はどうした?」
 壊れたドア――修復しようとした努力は見られる――を怪訝そうに見て教室に入ってきた担任教師が、教室内を見回して訊く。
「叫び声を上げて出てっちゃいましたけど」
「んー、困るな。
 そうだ、オカルト関係の三人。ちょっと探して呼んできてくれ」
 当然のように担任の教師から横島、ピート、愛子の三人にお鉢が回される。
「えっ、あれを?」
「まあまあ、きっと彼も緊張してただけですよ」
 あからさまに嫌そうな顔をした愛子をピートが宥めるが、「ほっときましょうよ」と横島もあまり乗り気ではない。美少女ならともかく、むさ苦しい大男などいないならいない方がいいといった様子である。
「いいからさっさと行って来い。次も私だから少しぐらい遅れてもいいから」
 他に行きたがるクラスメイトもおらず、結局横島たち三人が転校生――タイガー・寅吉という名前だと担任に教えられた。「まさに名は体を現すね」とは愛子の台詞――を迎えに行くことになった。
「どこに行ったのかしら?」
「ん……あっちだな」
 横島の案内で一行は歩き出す。
 そして体育館の横、校舎からは陰になっている場所で一行はタイガー寅吉を見つけた。タイガーは懐から何かを取り出して、熱心に見入っている。
「おお、エミさんの写真だ」
「この距離でよく分かるわね。それで、そのエミさんて誰なの?」
「なんてったって、修行自体がそんな感じだったからな。んでエミさんてのは、小笠原エミっていって……まあ、美神さんのライバルだな」
 呪術師で、一度生贄にされかけたこともあるんだと横島が愛子に説明する。
「横島さんがよく内容を確かめずに契約したせいだと聞いてますけどね」
 よくエミから声をかけられていたピートが、生贄にされかけたと聞いて怖がる愛子にそうフォローする。
「いや、別にエミさんのこと嫌いじゃないんだぜ。なんてったて美神さんに負けないくらいいい体してるし、美人だしな。そういやブラドー島ん時なんか、一緒の棺桶で寝てたんだぜ。なんも出来んかったけど、あれは幸せだった。あれだけはブラドーと依頼持ってきたピートに感謝してるぜ」
「なんだか複雑な気分ですが……」
 「それに、あれから僕はエミさんに誘われるようになったんですよね」と、「自慢か」と絡む横島に閉口しながらピートが話す。
「あっ。もしかしたら、タイガーがエミさんの新しい助手なのかも知れませんよ」
 ピートが自分で言った通りに、ブラドー島での事件で知り合って以降、エミはピートによく自分のパートナーにならないかと誘いをかけてきていた。これはプライベートはもちろん、GSとしての助手にもという誘いである。なにせピートはバンパイア・ハーフであり、人間とは比べ物にならない力を持っているのだから。しかし、ここ最近はそのピートへの勧誘がなくなったというのである。
「僕が神父の下を離れる気がないとようやく分かってくれたのかとも思っていたんですが、もしかしたら代わりの人材が見つかったからなのかもしれません」
「エミさんはあんなのが好みなのか? ピートと全然タイプが違うぞ」
「GSの助手としてってことでしょ。……別に彼がモテそうにないとは言わないけど」
「ほんとにそう思ってるか?」
 横島の問いに愛子は聞こえない振りをした。
「意外とひどいな、お前」
「ま、まあまあ。それでは、同じGS助手だという辺りから話しかけてみればいいですかね」
「そうだな。あいつ霊力も高いみたいだし、その線でいこう。
 おーい、タイガー! お前、エミさんの助手なのかー?」
 いきなり呼びかけられたタイガーは、声をかけた横島たちの方が驚くほどビクッとしたが、同じGS関係者として話をしていくうちに徐々に打ち解けていった。教室でも叫んだ通り女性が怖いようで、愛子との間には常にある程度の距離をとっていたけれど。
「にしても、女性恐怖症でよくエミさんの助手なんかやれるな」
「エ、エミさんはわっしの恩人ですケン。だからわっしは一生エミさんについていくと決めたんジャー!」
 タイガーが横島の問いに返すというより、自分の決意を新たにするかのように大声で空に向かって叫ぶ。
「なんていうか、女性恐怖症がどうこう以前に、精神的に不安定なんじゃないかしら」
 タイガーの行動をみて愛子がぼそっと辛辣なことを口にする。
「さ、さあ、どうなんでしょうね……。でも、霊力はかなりのものがありますよ。エミさんが助手に選んだのも分かります」
「ピートさんにそう言ってもらえると嬉しいですノー」
 未熟な自分から見てもはっきり分かる実力者であるバンパイア・ハーフのピートの言葉に、頭をかいてタイガーが照れる。
「それじゃ、そのエミさんが恩人っていうのはどういうことなの?」
「いやあ、わっしは女性恐怖症のせいでついつい暴走してしまうことがあって、しかも霊能力者ジャケン、周りにずいぶん迷惑をかけてしもうたんです。身よりもないし厄介者扱いじゃったわっしを、エミさんは助手として引き受けてくれたんですジャー」
「へえ、そうだったんだ。ところでタイガー君ってどんな霊能力使えるの?」
「わっしは「そこまでよ!」


 エミは非常に焦っていた。新しい助手のタイガーは、エミが使いようによっては対美神令子用の秘密兵器になるかもしれないと考えていた能力者である。それがついに来た美神令子との対決を前に、転校初日で悪いと思いつつ学校に迎えに来て見れば、あろうことか美神令子の助手の横島たちと和気藹々と歓談していたのだ。さすがのエミも、まさか選んだ学校が横島たちと同じだとは思いもつかなかった。
 それにここにいる面子も悪い。
 エミはタイガーを南米でスカウトした後、さらに完璧を期すべく、自分の力の底上げも行おうと妙神山に修行に赴いたのであるが、そのための紹介状を書いてもらう際に、唐巣から横島も管理人とは別のヒャクメという神族に気に入られて修行をつけてもらったという話を聞いていた。詳細は唐巣も――美神とエミの確執を知っているので――教えてくれなかったけれど、横島を以前のような役立たずと考えるのは危険かも知れないとエミも認識している。
 そして現に今、件の横島はエミが気づくよりも先にこちらに気づいていた。エミが彼らを見つけた時にはまだかなりの距離があったにもかかわらず、既に横島は歩み寄るエミのことを注視していたのである。
 それでも横島一人ならば、タイガーに縛り上げて連行しろと命じられたかもしれない。さすがにタイガーとエミを相手に抵抗出来るほどの力はないだろうから。
 しかしここには、横島以外にピートと妖怪の少女がいる。妖怪の少女のことは知らないが、ピートがいるだけでも力押しの作戦は不可能である。
「あまり簡単に自分の能力について話すべきじゃないわ。例え同じGSでも、今は共同戦線を張っているわけじゃないんだから、商売敵よ」
 エミは強い口調でタイガーを叱る。実際には、他のGSと現場で争う可能性があるエミのような仕事をしている者や、家に伝わる秘密の奥義があるなどでない限り、あまり能力の秘匿ということを考えているGSはいないのであるが。商売敵といっても、普通それはあくまで営業上の問題である。
「す、すまんです。これから気をつけますケエ」
「そうしてちょうだい」
 そうしてまずはタイガーに注意を与えながら、エミは必死に頭を回転させる。
 すでに美神の呪い封じの札を破ったことで、地獄組の組長――エミが警察に頼まれた今回のターゲット――から美神に依頼がいったことは確認してある。一旦仕切り直しをする時間はない。ここで引けば美神から逃げたと見做され、エミの負けである。
「――そうだわ!」
「え、エミさん?」
 よく考えてみれば、幸いにもまだタイガーの能力も、今エミが相手にしているのが美神令子だということも横島たちには知られていない。ならば、この件に巻き込まなければいいだけのことだとエミはようやく気がついた。
「行くわよ、タイガー。急な仕事が入ったの」
 「学校にはよろしく言っといてくれるかしら」と、横島に頼んでおく。
「おたくらもこんな商売に関わってる以上、いつこうやって急に呼び出されるかわからないワケ。出られる時にはしっかり授業を受けときなさい」
 それだけ言うと、さっさとタイガーを連れてバンに向かう。後ろから「ほら、横島君。やっぱり、真面目に学校に来なきゃ駄目なのよ」と、妖怪の少女が言っているのが微かに聞こえた。
「タイガー、さっさと終わらせるわよ」
 美神がエミのように助手に手伝わせようとするかはわからないけれど、どちらにしろなんの介入も受ける前に終わらせてやるとエミは決意したのである。
「ほんとは令子を叩き潰したかったんだけど、不確定要素がこうも出てきちゃ、しょうがないわ。仕事優先、一気に乗り込んで組長を自首させるワケ」
 現場に向かいながら、依頼主である警視庁にも連絡して身柄確保のための手配も行った。後は時間との勝負である。


「しくじったわ。くっそ、エミの奴……」
 ぎしぎしと音が周りに聞こえるほどに、美神が歯軋りをする。
「間に合わなかったみたいですねー」
 キヌの言う通り、美神が愛車のコブラを駆ってやって来た地獄組のオフィスにはすでにたくさんの警官が出入りしており、一台のパトカーの中に手錠をかけられた組長の姿が見えている。その顔は不思議と安らかで、自分から逮捕を望んだのだということが美神にはわかってしまった。
「ほーほっほっ、遅かったわね」
 勝ち誇った笑い声が美神たちにかけられる。ゆったりとした勝者の足取りで現場から歩いてきたエミである。エミは呪術用の衣装に身を包んでおり、その後ろに虎をイメージしたかのような迷彩服に身を包んだタイガーを従えている。タイガーは露出の多いエミの衣装に、やや目のやり場に困っているようだ。そのエミを凝視した横島はいらつく美神に殴られた。
「……七勝六敗よ」
 美神が搾り出すような声で告げる。
「まだ私が勝ち越してるわ」
「フフ、すぐに逆転するでしょうね。その時のあんたの顔が楽しみなワケ」
 優雅に去っていくエミとどこか横島にすまなそうなタイガーを、美神は燃えるような目で見送った。
「まさか、エミみたいな呪術師が直接現場に乗り込むとは思わなかったわ。確かに遠隔地から仕掛けるよりも効力は高いでしょうけど……」
 怒りを押し殺して、美神が冷静に分析を始める。
「タイガーっていったかしら、あの横島君のクラスメイト――高校生には全く見えないけど。エミはあいつが以前のグリーンベレー上がりの助手たちより、直接戦闘になっても役に立つと考えたわけね」
「なんかの能力もあるらしいっすからね」
 美神は横島を迎えに行った判断が正しかったのか考えてみる。
「現場には間に合ったかも知れないけど、あいつの能力によっては――」
 新しい優秀な助手がエミにいるという横島の情報なしに対決していれば、自分でも危なかったかもしれないと美神は必死に自分を納得させる。
 問題はこれからである。
「横島君、あいつと同じクラスなんでしょ。次にエミとぶつかる前に、あいつの能力を探り出しなさい。次こそエミを叩き潰してやるんだから」
「探り出すっても、どうすりゃいいんすか?」
「そうね……。とりあえず、喧嘩売ってみれば?」
「な、無茶言わんでくださいよ」
 美神は軽く言うが、相手がなんらかの能力者であろうことを差し置いても、あんな大男に喧嘩を売りたくはないと横島は必死に断る。なにせ横島の能力は見ることだけである。おまけに絶望的な体格差。
「普通に素手で殺されますって」
「ちっ。……女性恐怖症っていってたわよね。それはきっと女好きの裏返しよ。色仕掛けで迫れば――」
「美神さんがっすか?」
「私は嫌よ。なんで私があんな奴に」
 キヌも当然のように嫌がり――タイガーが幽霊の女性にどう反応するかは知らないが――横島は愛子に頼んでみようかともちょっと考えたけれど、すぐに無理だろうなと諦め口にはしない。
 その後もいろいろと意見は出たけれど、現実味のないものや、合法ではないもの――美神の提案のほとんどはこれだった――ばかりであった。
「はぁ。ぐだぐだ言っててもしょうがないわ。横島君はとにかくタイガーの行動に注意してて。上手く能力を探り出したらボーナスあげるわよ」


「――美神さんが、ボーナスですか」
「よっぽど、エミさんに出し抜かれたのが悔しかったんだろうな」
 翌日の学校で、横島はピートたちに昨日のことを話していた。
「ふーん。それで、タイガー君のこと探るの?」
「いいや、別に。美神さんも今はかっかしてるけど、しばらくすれば忘れるだろうさ。それにあの二人は、心底憎み合ってるくせに仲がいいっつー不思議な関係なんだから大丈夫だろ。
 そういうわけだから、とっとと入って来い」
 横島の言葉に遠慮がちにドアが開かれ、タイガーが教室に入ってくる。
「さすが、横島さんジャー。わっしに気づいていたんですノー」
「ふふ、横島君だけじゃなくて、みんな分かってたと思うけどね」
 愛子が感心するタイガーにそう言って笑いかける。
 まだ転校二日目のタイガーは、その体格もあって校内で非常に目立っている。廊下のざわめきと周囲の生徒の様子から、タイガーの登校してきたことは心眼の使い手でなくてもよく分かったのである。
「昨日はすまんでした。しかし、わっしもエミさんの助手として――」
「だから、そんなに気にすんなってのに。能力云々も、無理に訊き出す気もないぞ。たまたまそういう機会があれば――まあ、学校で霊能力使わなきゃいけないような状況にはならんだろうけどな」
 机と愛子をじろじろと見て、「滅多に」と横島が付け加える。
「もう。でも、横島君なんだか優しいわね」
「まあ、エミさんの助手とはいえ、こいつもそんなにモテそうにないしな。むしろイジメの対象としてはピートの方が――ぐへっ!」
 飛んできた教科書が後頭部に直撃し、横島は机の上に突っ伏した。
「ちょ、横島君!」
「あ、ああ、大丈夫だ。ちくしょう、あいつら――」
「そうじゃなくて、私を血まみれにしないでよね」
「お前もかーっ! みんなみんな、美形を贔屓しやがってーーーっ!」
 横島は鼻血と涙を撒き散らしながら教室を飛び出していった。
「……行っちゃいましたね」
「これも青春よ」
 ピートが苦笑いしながら、ハンカチを濡らしてきて愛子の本体を拭く。
「顔の前に、こういう気遣いが大事よね。ありがと」
 愛子が満足そうにピートに礼を言う。
「横島さん、ほっといていいんですかいノー」
「どうせちょっとしたら戻ってくるでしょ」
 結局、横島は二十分後に戻ってきた。例によってトラブルと一緒に。


 ピアノの音が音楽室に鳴り響く。しかし、そのピアノの前には誰もおらず、ただ鍵盤だけが自動ピアノのように動いて、メロディーを生み出しているのである。
「朝からこうなのよ。授業にならなくて困ってるの。早いとこ、何とかしてね」
 先ほど廊下で横島を捕まえた音楽教師はそれだけ言うと、職員室に帰っていく。
「すっかりオカルト担当にされちゃったわね、私たち」
 すでに学校内に横島やピート、愛子、タイガーのことがオカルト関係者として知れ渡っているので、こういう事件が起きたときにまず彼らに話が来るのは仕方ないことかもしれない。GSによってはちょっとした相談だけでも高額の報酬を要求されるし、何より学校として手続きを踏んでいると時間がかかるのである。
 「なんで学校に来てまでオカルトと関わらにゃならんのだ」とぼやく横島を、「みんなで何かをするって青春じゃない」と愛子が励ます。
「ポルターガイスト現象というヤツですかノー」
「ポルターガイストの定義はよくわからんが、ピアノの前に変な奴がいるぞ。長髪で尖った耳。紫のスーツに薔薇くわえてるアホだ」
 その言葉にピートとタイガーは感嘆し、愛子はちょっと考え込む。
「それって……メゾピアノ、あなたなの?」
 愛子の呼びかけに、すっと誰にも見えるように姿を現す妖怪メゾピアノ。
「久しぶりだね、愛子クン。ここしばらく姿を見なかったけれど、ここにいたんだ」
 「知り合いか?」という横島の問いに、愛子が同じ学校妖怪のメゾピアノだと説明する。同じ学校妖怪なので面識がないこともない。
「夜中に学校に入り込んで、ピアノを弾く。ただそれだけの妖怪なのよ」
「お前も、昼間の学校で授業を受けてるだけの妖怪だけどな」
「私は誘拐とか洗脳もしてたもん」
「愛子さん、あまり自慢されることではないかと……」
「えっ。あはは、ついね。ともかく、学校という空間で仲間たちと青春を味わってる私を、こんな寂しいナルシストと一緒にしないで欲しいわね」
 愛子の言葉に、「凡人には僕の美意識は理解できないさ」とメゾピアノは見下したように返す。
「くぅー、むかつく野郎だ。
 とにかく昼間のピアノは止めとけ。これ以上続けるなら、ナルシスト一号が黙ってねえぞ」
「……もしかして、それ僕のことですか」
「その通り。こっちにはさらに秘密兵器のタイガーもいるぞ」
「嫌だね。ここは居心地がいいから、僕の好きなときにピアノを弾かせてもらうよ」
 そう言うと、メゾピアノはするりとピアノの中に入ってしまった。
「くそ、ダンピール・フラ――」
「駄目よっ!」
 得意技を放とうとするピートを愛子が制止する。
「それじゃ、ピアノを壊しちゃうだけだわ。こいつは弱いけどしつこいのよ。お札を使ってもピアノから引っぱがせるかどうか……」
「お前の能力で何とかならんのか?」
 横島がタイガーに訊く。
「ワッシの能力でもこういうのは難しそうですノー」
「そっか」
「あら、もっと絡むかと思ったのに。素直ね、横島君」
 愛子が驚いたように声を上げる。
「フフ、引っ張るだけ引っ張って、それから発表する方が辛いだろ。さんざ期待させといて大して意外性のない能力ってわけにはいかないもんな」
 横島がニヤっと意地の悪い笑みを浮かべる。
「そ、そんな、横島さん。ワッシは実は――」
 タイガーが何か言いかけるが、それを遮るように再びピアノの音が鳴り響き始めた。
「おっと、タイガー弄りでこいつを忘れてたぜ」
「ううっ、ひどいんですジャー」
「愛子さん、説得できませんか」
 ピートが期待をかけるが、愛子は無理無理と首を振る。
「性格が全然違うしね。同じ学校妖怪といっても、仲がいいわけでもないもの」
「困りましたね……」
「おい、ピート。ちょっと耳貸せ」
 腕を組んで悩むピートに、横島がそっと耳打ちをする。
「は、はい、わかりました。むんっ」
 気合を入れて、ピートがエビル・アイを発動させる。
「なるほど、確かに。――ダンピール・フラッシュ!」
 力を抑えたピートの攻撃がピアノに飛んでいく。
「ぐあああっ!」
 そして、片手を押さえたメゾピアノがピアノから転がり出た。ピアノ自体には傷一つついていない。
「あら。どういうことなの?」
「あいつはピアノに入り込むことは出来ても、あくまでピアノを『弾く』妖怪なんだろうな。ピアノを弾くには手だけは出さないと駄目みたいだったから――」
「横島さんに言われて、僕が手を狙ったんです」
「その通り。これ以上昼間も騒ぎを起こすようなら、二度とピアノを弾けんようにしてやるからな」
 ぼきぼきと指を鳴らしながらの横島の脅しに、怪我を負ったメゾピアノは手を庇いつつ大人しく頷く。ナルシストだけあって、自分の身体に傷がつくのはことの他ショックだったようである。
「一件落着だな。……ただ働きだけど」
「プロなら、特に美神さんのような人ならたっぷり絞り取るでしょうね。まあ、除霊具は何も使っていませんから、唐巣先生だったら、受け取っていい僅かなお礼も受け取らないかもしれませんけど」
「確かにピートはなんも使ってないんだよな。俺の唯一の特技の心眼も、お前のエビル・アイにお株奪われちまったし」
「いえ、そんなことはありませんよ、横島さん。僕のエビル・アイは行使するのにかなり魔力を使います。それに絶対に目で対象を見る必要がありますけど、心眼はそうじゃなくて全方位に対応出来るじゃないですか。それに使っていることも相手から分かりづらいとか、たくさん長所がありますよ」
 未だ修行中の横島であるが、普段無意識に使っているくらいの心眼なら、霊能者でもそうそう感知は出来ないのである。なにせ、覗きの神様ヒャクメ直伝の能力である。
 もっとも未熟故に、気合を入れてさらによく見ようとすると、いまだコントロールが甘い霊力の急上昇ですぐにばれてしまうけれど。
「横島さんはすごいんですジャー」
「そ、そうか?」
「そうよ。横島君はもっと自信もってもいいと思うわ」
 慣れていない賞賛に横島はすっかり照れてしまった。
「――さ、問題は解決したって先生に伝えに行きましょ」
 メゾピアノにもう一度念を押してから職員室に向かおうとする愛子。
 しかしそれを、ちょっと待ったと横島が止める。
「ここは上手く話を持ってて、せめて音楽の単位ぐらいは都合してもらわんと」
「ちょ、横島君」
 張り切って先頭に立って歩き出す横島の後を、仕方ないなあと、顔を見合わせてから残る全員が追いかけていく。


 これ以降、この学校でピアノが鳴るのは真夜中だけになったそうである。









[7464] 四話
Name: 蟇蛙を高める時間◆a7789959 ID:24cb0056
Date: 2009/03/16 23:36

 ぎゅるぎゅると横島の空きっ腹が音を立てる。
「給料日前はつれーな」
 横島が誰に言うでもなく一人アパートの自室でぼやいた。
 やっぱりタイガーの能力を暴いて美神さんから是が非でもボーナス――幾らくれる気かは知らないけれど――を貰っておくべきだったかと、友達がいのないことを考える。
 今夜の晩御飯が白米のみであるせいかもしれない。
「もうちっとだけでも給料上がらんかなー。俺もたまには役に立ってると思うんだが」
 そうはいっても、最近脅威がよく見えるようになったせいで、これまで以上に現場で逃げ腰になっており、美神への道具の受け渡しにかかる時間だけでいえば少し増えたくらいなのであるが。
 そうして炊き上がりを待っていた炊飯器がようやくピーと音を立てた時、コンコンとドアにノックの音がした。
「ん、誰だ」
 こんな時間になんだ、と横島は多少不機嫌にドアを引きあける。
「あ……あの私、隣に越してきた花戸と申しますが……その、えっと……」
「あ、ああ」
 横島は驚いていた。隣に浪人生が住んでいて、先日引っ越した――受かったのか諦めたのかは知らないが――のは知っていたけれど、その後に今日入ってきたのがこんな可愛い少女――年は横島と同じくらいに見える。セーラー服を着て、ナチュラルな茶色い髪をお下げにして二つに分けている――だとはまったく思わなかったのである。
 これはとにかく距離を置くか、美神さんを頼ろうかと思ったけどそうもいかないな、と横島は気持ちを変える。
「ご、ごめんなさいっ! なんでもないんですっ」
 しかし、横島があれこれ考え込んでいるうちに、その少女はドアを閉めて走り去ってしまった。
「あっ……ふぅ。なんだったんだろ? それにしても、まさかあんな可愛い娘がこのボロ・アパートに入るとは。すごく嬉しいが――ただ、問題は大有りなんだよな」
 横島は鋭い眼で壁越しに隣の部屋を睨みつけた。



飛び出せ貧困 ~高校生日記~



「小鳩……お米は貸してもらえたの?」
 薄い布団から半身を起こし、咳き込みながらやつれた女性が訊く。
「お母さん、ごめんなさい。お願いしそびれちゃったの」
 小鳩はため息をついて母に謝る。
 前に住んでいた場所の溜まった家賃が払えなくなり、敷金・礼金・家賃がとても安いここへ引っ越してきたけれど、さすがにその費用で食費――どころか貯蓄自体――は既に尽きていた。
「それにあの人にお米を貸してくださいとは言いづらくて……」
 わずかに見えた部屋の中や本人の様子を見る限り、隣の人もウチに劣らず貧乏のようだ。そう思うと、そんな人にお米をたかるのは申し訳ないと小鳩は思ってしまったのである。
「分かったわ。私も明日心当たりを回ってみるから」
「――お母さん」
「大丈夫よ。娘が頑張ってるのに寝込んでるわけにはいかないもの」
 手を取り合う二人を、もう一人の家族が優しくすまなそうな目で見守っていた。


「――というわけで、一緒に来てくれ」
 唐巣神父の教会で、横島がわけを話してピートに助力を頼み込む。
「それで相手が何かは分かっているのかい?」
 一緒に話を聞いていた唐巣の問いに、横島は「さあ」と首を捻る。
「悪霊ではないと思うんすよ。妖怪ともちょっと違うような。かといって式神つーわけでもないかと――まあ、冥子ちゃんのしか知らないんで断定は出来ないっスけど。そうっスねえ。あえて言えば、ヒャクメ様の雰囲気に近いような気がしないでも……」
 横島はまったく煮え切らない。
「そもそも、危険があるかどうかもわからないんですよね?」
「ああ。だけど、陰の気っていうのか? なんだか良くない、負の霊波みたいなのはばしばし感じるんだよ。そんなよくわからん強力な存在がいるところに、女を口説きには行けんだろ」
「横島君は何事でもそれが理由なんだね」
 唐巣は横島の言葉に呆れるものの、ピートと一緒に横島のアパートに行ってみることにした。
 「モンタージュのことでは世話になったしね。その少女が困っているかもしれないのなら、訪ねてみる価値はあるさ」ということである。
 それにここしばらくはそのモンタージュの件で――実は画商などがかけていた懸賞金の方は美神にもいくらか持っていかれたが――教会はお金に困っていない。美神君の影響が出ているのかと不安には思っても、そのことを感謝はしているのである。


「ここだね?」
 案内した神父とピートを盾にするようにドアの前に立った横島が頷く。神父とピートも中にいる存在を感じ取っているようである。
 トントンと軽く神父がドアをノックする。
「なんでしょうか? あ、お隣の……」
「よろしく。俺は横島忠夫っていうんだ」
「あ、私は花戸小鳩といいます」
 いきなり手をとって自己紹介する横島に戸惑いながらも、小鳩も返事を返す。
「横島さん、彼女が困ってますよ」
 「いやー、可愛らしいお名前ですね」と、手を握ったまま口説きにかかろうとする横島をピートが諌める。
「あ、いえ。それでウチに何か御用でしょうか?」
 戸惑う小鳩に横島が、自分はGSの助手でこの家に何かがいるのに気づいたから、念のために知り合いのGSを呼んで来たと説明する。
 それを聞いて、「そうですか。お入りください」と、いつの間にか小鳩の後ろにやって来ていた母親、花戸つぐみが、期待と諦めの混じった表情で神父たちを中に招き入れた。
「なんだか、メキシカンっぽいですね」
 それが最初にピートが述べた感想である。
 横島が気にしていた存在は、全長六十センチほどで頭にソンブレロを被り、ポンチョのような服装をしていた。その模様は日本風の唐草模様であったけれど、全体の雰囲気はピートの言う通りである。
「みなさん、貧ちゃんが見えるんですか?」
「貧ちゃん……これは貧乏神だね。ああ、見えるよ。これでも私はGSのはしくれ、ピート君も横島君も力のある霊能者だからね」
 「まいど。貧乏神いーます」と、陽気に自己紹介するそれを全員が見つめている。
「ま、俺は見えるだけだけどな。ともかく、謙遜してるけどこの唐巣神父はすごいGSだから、貧乏神だろうと何だろうと楽勝さ」
 あくまでちょっと後ろに隠れながら楽観的にそう持ち上げる横島であるが、唐巣はすまなそうにそれを否定する。
「申し訳ないが、そう簡単にはいかないんだ」
「え、神父でもっスか?」
 驚いたように言う横島に、唐巣は貧乏神の特性を説明していく。悪霊や妖怪とは違って曲がりなりにも神である貧乏神は、GSなどが除霊しようと攻撃をすれば、その力を吸収してより強力になってしまうのであると。
「そやそや。素直に年季が明けるのを待つんが一番やで」
 退治されることがないと分かっているのか、貧乏神は気楽にそう言う。
「年季、ですか?」
「はい。私の曽祖父は悪徳な高利貸しでした。ひどくキツイ取り立てや、なりふり構わない方法で財を成していったんだそうです。でもその罰が当たって我が家には巨大な貧乏神がとり憑いてしまったんです」
「それじゃあ、小鳩さんは悪くないじゃないですか」
「そやねんけど、被害者の恨みの念が強すぎて、ひーじいさんが死んだ後もこの家に括られたままなんや。後二、三年もすれば、年季が明けて今度は福を授けられるようになるはずなんやけど」
 貧乏神が小鳩を慰めるように言い、小鳩も「貧ちゃんは、今じゃ大切な家族だもの。貧乏なんてへっちゃら」と健気に微笑む。
 その様子を横島たちは気まずげに見守っていた。


「俺も心当たりを当たってみるからさ。気を落とさないで」
「いえ、貧ちゃんのことは解決しませんでしたけど、私はちっとも気落ちなんかしてないんです。貧ちゃんのことを知ったら友達もGSの人さえみんな離れていったのに、横島さんたちはこうして私たちのために頑張ってくれるって言ってくれるんですもの」
 小鳩にそう微笑んでありがとうございますと頭を下げられては、横島のやる気にもさらに火がつくというものである。
 唐巣神父やピートと共に花戸家を辞した横島は、隣りの自室には戻らずにそのままアパートを出る。
「横島さん、美神さんのところへ?」
 横島はまさかと首を振る。
「あの美神さんだぞ。貧乏神と関わってるって話しただけで事務所から蹴り出されるのがオチだ。その上貧乏神なんかを連れ込んだら俺が殺されるかもしれん」
 花戸家に憑いている貧乏神なので、周囲の人間にまで影響が出るかはわからないけれど、美神は自分が受けた依頼でもなければ絶対に関わろうとはしないだろう――貧乏神が憑いている人間が美神除霊事務所への依頼料を払えるとも思えないが。
「それに事務所には総司が居るしな」
「あ、まだ居らっしゃるんですね」
「映画ん中に帰る気はなさそうだな。最近じゃ美神さんが除霊現場で雑魚霊を切らせたりもしてるから、人斬り願望も多少は充足してるみたいだが、貧乏神に切りかからんという保証はまったくない。美神さんが場合によっては峰打ちにしろって教えたりもしてたけど、今回は峰打ちだろうがなんだろうが、霊力の篭もった攻撃なら巨大化しちまうんだろ」
 何もしなければ少なくとも数年後には年季が明けると言っている貧乏神を大きくしてしまったのでは、小鳩に申し訳が立たない。小鳩なら横島を責めはしないかもしれないが、その場合は余計に心が痛むであろう。
「それじゃあ、横島君のいう心当たりとは?」
「まあ、正直に言えば当てになるとは思えないんすけど、藁にも縋るっつーことで」
 そうして教会に帰る二人と別れた横島は、別のアパートを訪れる。
 幸福荘。名前こそ素敵であるが、実際には築数十年の古い木造アパートで、横島達の住まいとどっこいどっこいである。
「今日こそ家賃を払ってもらうよ!」
「すまん。もう一週間だけ――」
 横島が訪ねてきた相手は、ちょうど大家――外見こそ小柄な老婦人だが、薙刀を構えて怒鳴り込んでいるあたり、相当な女丈夫である――と家賃の滞納についての交渉をしていた。
 なんだか周りにいる人間が貧乏人と大金持ちに両極化してるなーと思いつつ、待つこと十数分。しぶしぶもう数週間の居住を許可したらしい大家と入れ違いに横島は部屋の戸を叩く。
「おーい、じいさん。開けてくれ。いや、集金じゃねえよ」
「なんだ、小僧か。どうしたんだ?」
 出てきたのは背の高い老人。
「あー、期待しないで聞くんだが、貧乏神退治の方法なんて……知らないよなあ」
 安っぽい甚兵衛のような服を纏った痩せた身体、しわの刻まれた顔にも素晴らしい知性の片鱗なぞ見られない。
 昔はすごかったらしいが、その頃の呼び名も「ヨーロッパの魔王」だったはずだ。もしかしたら自分が知らないだけでヨーロッパにも似たような存在がいるのかも知れないが、なんとなく貧乏神というのは東洋独特な存在のような気がする横島であった。
「そんなものを知っとったら、ワシらがこんな生活をしとると思うのか」
「いや、そういう比喩的なことじゃなくて、真面目にだよ」
「……そうさのぉ、貧乏神をまず家に入れないための儀式的な行動はあった気がするが、そうでなく退治となると……裸になって体に味噌を塗り、しゃもじで足の裏を叩いて追い出すとかいう方法を聞いたことがあるのう」
「何っ」
 横島の目がらんらんと光る。
 希望が見えたからというよりも欲望が先に立ち、「さっそく、俺が小鳩ちゃんに」と駆け出そうとした横島の襟首をカオスが掴んで引き戻す。
「落ち着かんか。なんの所以もなく取り憑かれた場合にはあるいは効くかも知れんが、強い縁で結びついた貧乏神には迷信的な方法は効かんじゃろう」
「そうなのか。残念だ」
 残念なのは退治できないことだけではないようであるが、ともかく駄目元だっただけにそこまで大きな落胆でもない。
 横島は他の方法は知らぬというカオスに、「何か役に立ちそうなことでも思い出したら教えてくれ」とだけ言って部屋を辞そうとしたが、そこを今度はマリアが引き止めた。
「横島さん。マリア・貧乏神退治の・方法記した・古文書・見たこと・あります」
「マジか! どこで? 内容は?」
「中は・見てません。ドクター・カオスの・蔵書です」
 そう言ってマリアが指差した奥の部屋の中は、カオスのかつての発明品や研究していたのであろうもの、明らかにガラクタにしか見えないものたちや、古新聞から貴重そうな魔道書――横島の心眼にはそれ自体に魔力がこもっているのが分かった――まで、種々雑多なものが雑然と放り込まれていた。
「……この中かよ」
「まだ・あれば・です」
「え、もうないかも知れないの?」
「ドクター・カオスの所蔵品・この数十年で・散逸しました」
 横島は、「まあ、見つけたら持っていってやるわい」と笑うカオスに礼をいってアパートを出る。
「ふぅ。なんか、結局は駄目そうだな。あと知り合いのGSったら冥子ちゃんとエミさんぐらいなんだが……」
 ドクター・カオスが役に立たなかったら頼んでみようかとは思うけれど、どちらも自信はない。冥子とは横島からコンタクトをとる方法がないし、エミも美神ほど金に執着はないかもしれないが、プロとして横島達にはとても払えない額を請求をされることは想像に難くないのだ。
「マリアが見つけてくれるといいな」


「青春って素晴らしいわね、小鳩」
「ええ、母さん。儚い夢のようでいて、確かにそこに輝くもの。それが青春なのね」
 愛子に吐き出された小鳩とつぐみは、お互いにしっかりと抱き合いながら、ちょうどアパートの部屋の窓から差し込んでいる夕日を見つめる。
「また洗脳したのか?」
「人聞き悪いわね。自然にこうなるのよ」
「……で、肝心の奴は?」
 愛子がにっこりと笑って最後の一人を吐き出す。
「ワイは生まれ変わったでーっ! 青春ばんざーい」
「曲がりなりにも神様でさえ容赦なしか。お前の青春洗脳すごいな」
 そう愛子をからかいながら、横島ははっきりと姿の変わった貧乏神を眺める。唐草模様の服は変わっていないが、頭部はツタンカーメンの黄金のマスクのような形に変化して光を放っている。メキシコ風からエジプト風へである。その放つ霊波も負から正へと完全に変わっている。
「――で、結局どういうことだったのか、説明してくれよ」
 学校で小鳩の話をしたところ、ちょっと考えがあるといって放課後についてきて三人を飲み込んでみせた愛子に、横島が説明を求める。
「私がこの前までたくさんの学生を攫ってきて学校ごっこをしてたのは知ってるでしょ。私自身、自分の体内の異界空間のことを完全に理解してはいないんだけど、二十年以上監禁してた人も年は全くとらなかったし、飢えや渇きを覚えることもなかったってピート君に話したら、たぶん私は取り込んだ人の魂だけを活動させてたんじゃないかって――」
 あくまで推測ではあるけれど、愛子は呑み込んだ人間の肉体をどこかに保存しつつ、その魂のみを抜き出して学校ごっこをしていたのではないかということである。愛子の洗脳のみが理由ではなく、肉体と違って柔軟性を持つ魂のみであったからこそ、学校に長期間閉じ込められていることにも彼らが耐えられたのかもしれない。
「そうか、ワイは花戸家の人間の魂に括られとる。だから実時間に関係なく、この嬢ちゃんの中で小鳩の魂が2、3年をワイと過ごしたから、こうして年季が明けたんやな」
 さすがに一番最初に青春万歳の状況から復帰してきた貧乏神――改め、福の神がなるほどなと頷く。
 小鳩とつぐみも横島達が見守る中で徐々に現実感を取り戻していく。
「あれ? 小鳩ちゃん……」
 じっとその小鳩を見つめていた横島が僅かに首をひねる。
「どうしたの?」「私が何か?」
 愛子と小鳩に訊かれた横島は「あ、いや、なんでもない」と首を振る。
「それより貧乏神。お前、福の神になったんだろ。なんかご利益はないのか」
「そやった。ワイは生まれ変わったんや。今、富を授けるぞーっ!」
 そーれっ、という掛け声と共に手に持った小槌を福の神がぶんっと振る。
「……」
 大きな期待に見守られる中、チャリーンという軽い音と共に出てきたのは、一枚の十円玉であった。全員が覚めた目でその硬貨を見つめる。
「貧乏暮らしが長かったし、最初はこんなもんか」
 仕方ない、とその硬貨を拾って福の神自身が肩をすくめる。
「ほんとに役立たずだな」
「いえ、待って。振るたんびに出てくるんなら、一分に一回としても一時間で六百円。十時間で六千円。それを一月続ければ18万円になるわ」
「俺の給料より上等だな。十円玉が一万八千枚ってのは、ちょっと問題かもしれないけど」
 愛子は楽観的に予測したが、実際には神通力の問題か、試してみてもそれほどのペースで直接的に現金を生み出すことは出来なかった。それでも福の神に変わった以上、これからは花戸家の運はきっと上向きになっていくだろう。
 同日の深夜、カオスが貧乏神退治の方法を記した古文書を横島の家に持ってきてくれた。今更ではあったが、小鳩たちも呼んで一応カオスに読んでもらったところ――横島には古文書の文字が読めなかったので――、その方法はある試練を受けて合格するというものだった。しかもこうして内容を知ってしまったものには挑戦権がなくなるとのこと。
「わざわざ持ってきてくれたのは嬉しいが、やっぱりこんなのに頼らなくて良かったって気がするな。危なすぎるぜ」
 カオスも「そうじゃな」と同意して、横島に実際の経緯を聞きながら、礼金代わりだとマリアの充電――意外と電気代がかかるらしい――をしつつ、食糧を食い荒らして帰っていった。
 年の割には大した食欲だと空っぽになった冷蔵庫と戸棚に涙しながらも、貧乏神と関わったにしては金銭的被害はほとんどなかったことに感謝するか、と横島は前向きに考えることにした。
「……それとも、元がこれ以上ないくらい貧乏だったせいか?」


「では、晴れて今日からこの学校に転入ですか」
「良かったですノー」
 小鳩が高校に復学することになったことを聞かされて、ピートたちも素直に喜ぶ。
 貧乏神の呪いが解けたことで、小鳩は奨学金をもらえるようになったのである。
 福の神への転身から数日と経たないうちに決まった復学。やはり貧乏神の呪いと福の神のご利益は強力な様である。
「身の上的にもうちの教師連中が好きそうな話だしな」
 週末に小鳩から転入の話を聞いた横島がそう言って笑う――もちろん小鳩の転入はしっかりと試験を受けてのことであるが。
「やっぱり学校は青春に欠かせない要素だもん。良かったわね、小鳩ちゃん」
 「うむ。隣りに住む可愛い後輩と一緒に登校とか、青春っぽいよな」と、横島も素直に愛子の青春話に乗る――残念ながら、今日は仕事先から直接の登校である。
「恩人であるかっこいい青年とアパートや学校で顔を会わせるうちに、小鳩ちゃんの気持ちはほのかな憧れから激しい恋へと変わっていくのだ」
「相変わらず都合のいい妄想するわねえ。後輩っていっても小鳩ちゃんの方が年上だし、苦労が多かったのもあって横島君より遥かに落ち着きがあるじゃないの」
 そう茶化しつつも、実際に横島と一緒に小鳩に会った――というか、一番の恩人である――愛子は、小鳩が横島の良い部分に気づいていて、貧乏神騒動を抜きにしても横島に好意を持っていることを知っていた。
 横島は「ちぇっ。都合がいいからこその妄想なのに……」とぶちぶち言っているあたりからして、単なる空想だと思っているのだろうが、意外と二人の距離は近いかもしれない。
 私の方が先に横島君のこと知ってたのに「……ちょっと悔しいな」
「ん? なんか言ったか、愛子?」
「べーつにー。なんでもないわよ」
「なんだよ、気になるじゃねーか」
 「横島さんが鈍いという話ですよ」と、ピートは何となく分かったらしい。
「けっ! どうせ俺たちは、お前みたいにモテねーよ」
「……そういう話じゃないんですけどね」
「モテんのは確かじゃが、なんでこの流れでワッシまで馬鹿にされるんですかいノー」
「――それにしても遅いな」
 タイガーのぼやきには注意を払わず、横島が教室の窓の外――校門の方へと目をやる。
「小鳩さんですか?」
「ああ」
「横島君、分かるの」
「貧――福の神の霊波は、はっきりしてて分かりやすいからな」
 一緒ではないのかと、念のために小鳩の霊波も心眼で探してみるが、校内にはいない。
「おかしいわね。あの子の性格なら最初から遅刻してくるとは思えないんだけど。誰かさんと違って」
「俺は遅刻してんじゃなくて自由登校なんだよ」
 軽口を叩きながらも、復学できることになったと告げた小鳩の本当に嬉しそうな様子を見ているだけに横島は心配になってくる。
「ああーっ、くだらない杞憂なんだろうが気になる!」
「霊力者の第六感ですから、無視しない方がいいかもしれませんね。あるいは虫の知らせということも」
「ねえ、横島君の心眼でアパートの方見えないの?」
「さすがにそこまで万能じゃねえって。もしかしたら、もっと霊力があればいけるのかもしれんが……。とにかく、俺、ちょっと見てくるわ」
 教室を飛び出そうとする横島を「待って!」と愛子が強く呼び止める。
「いや、もう授業が始まるのは分かってるけど――」
「違うわよ。一緒に行くわ。友情は青春において最優先されるものの一つだもの」
 自分の中の数年間で、愛子は小鳩と親友になっているのである。
「それと……出来ればピート君も一緒に来てくれないかしら」
「僕は構いませんが、どうしてです?」
「何か問題が起こってた場合、横島君の立てる可能性の最も高い作戦は――」
「――ピートに頼る」
 愛子の言葉に途切れなく横島が続ける。
 わかりました、とピートも苦笑して席を立つ。
「あのー、ワッシは?」
「……お前が?」
 タイガーの問いに、横島は問いの意味が分からないと問い返す。
「ひどいんですジャー」
「冗談だよ。お前のこと未だに役に立つのか良く知らないしな。
 来たけりゃ来い。だけどまかり間違っても小鳩ちゃんの前で女性恐怖症のパニックだけは起こすなよ」
「だ、大丈夫ですじゃ」
 タイガーは冷や汗をかきつつもしっかりと頷く。女性恐怖症は共学校での生活とエミとの除霊作業で、少しずつ克服されつつあるようである。
 四人は担任にオカルト関係の問題で出かけなければいけなくなったと伝え――オカルト関係者でない教師には真偽が分からない上手い口実である――小鳩の家に向かう。
「横島君、急ぐんならタクシーを――」
「愛子、金あるのか?」
「学校妖怪にたからないでよ。ピート君とタイガー君は?」
「すまんです。給料日前で財布が……」
「僕も先生からもらったほとんどを島に送ってしまいまして……」
「よっしゃ、走るぞ!」
 過酷な仕事で鍛えられている横島、元から体力には自身のあるタイガー、バンパイアの血を引くピート、見た目こそ少女でも実際は妖怪の愛子には、学校からアパートまでを走るくらいは問題ない。
 途中から机を掲げて走るのが面倒になったのか、愛子は四つ足で走る机に変わっていたが。
「アパートはすぐそこですが、何か感じますか」
 百メートルほど手前まで来たところで、先頭のピートが足を止めて横島に訊ねる。
「ちょっと……待ってくれ」
 横島がさすがに乱れ始めた息を整えてから、意識を集中させる。
「三人とも――小鳩ちゃんも母親も福の神も部屋に居る。部屋にはその三人だけだ」
「何か異常はありそう?」
「わからん。特に何も変わったところはないぞ。んー、なんとなく、小鳩ちゃんから出てる霊波が前よりも強いような感じが……。とにかく、行ってみよう。何かあったにしても、危険はなさそうだ――と思う」
 ピートがドアをノックすると、すぐにつぐみが出てきた。
「あら、みなさん! よかった、ちょうどあなた方に来ていただきたいと思っていたところなんです」
 すぐに中へと促されて、横島たちは小鳩の横たわるベッドの周りへと集まる。初対面のタイガーだけはつぐみに自己紹介中である。
「横島さん、愛子さん。ピートさんも」
「駄目よ、無理しちゃ」
 起き上がろうとする小鳩を慌てて愛子が布団に寝かしつける。
「何があったんだ、小鳩ちゃん。単なる病気とは違うみたいだけど?」
 小鳩の様子を間近からしっかりと確かめた横島が不思議そうに訊ねる。
「わいのせいやー! わいのせいなんやーっ!」
 福の神が涙を浮かべて小鳩に縋りつく。
「ともかく、何があったのかを話してみてよ」
「……実は小鳩の学費の足しにしたろ思て、商売を考えたんや」
「商売?」
「これや」
 福の神が冷蔵庫からハンバーガーを取り出してくる。
「これを売って稼いだろ思うたんや。まさかこんなことになるやなんてーっ!」
 福の神がまたおいおいと泣き出す。
 横島はくんくんとその匂いを嗅いで顔をしかめ、ハンバーガーをばらしてみる。
「うわ、なんだこれ。チーズに、餡子に……シメサバか?」
「試作品を最初に食べさせてもらったんです」
 小鳩の言葉に愛子がうえっと舌を出す。
「確かに全く食欲はわかん代物じゃが、これを食べて腹を壊したというわけでもないようですがノー」
「こいつの霊力も込められてるみたいだな。タイガー、ちょっと食ってみろ」
「ワ、ワッシがですか」
「だ、駄目ですっ!」
 タイガーを実験台にしようとする横島を慌てて小鳩が止める。
 実際に食べた小鳩の説明によると、このハンバーガーはあまりの味と福の神の神通力の相乗効果で、一口齧るだけで本人の意思に関係なく幽体離脱させられてしまうらしい。
「身体に戻ることはそこまで難しくなかったんです。それどころか自由に出入りが出来て面白かったくらいで。でも、それからしばらくすると全身が痛んで動けなくなってしまって……」
「俺も美神さんにバットで殴られて強制的に幽体離脱させられたことがあるが、こんな症状にはならなかったけどなあ」
「ワシはやったことがないですが、それは横島さんが特別だったんでは?」
「でもその頃の俺なんて、小鳩ちゃんより霊力なかったぞ、きっと」
「もしかして……ちょっと失礼します」
 全員が首を捻るなか、ピートだけは何事か思い当たったのか、枕下に膝をついてそっと小鳩に霊力を送り何かを確認し始める。
「……分かったと思います。恐らくですが、これは霊能力の急激な覚醒が原因ではないかと」
「霊能力の覚醒?」
「はい。急に霊体が出力を増したことで、慣れない肉体が驚いてしまったのだと思います」
「なんでまた――そうか、そうだったのか! わかったぞ! こいつと愛子が原因だ」
 福の神の方は自分が原因だという自覚があったようだが、愛子は一緒に名指しされて「えっ、私も?」と驚きの声をあげる。
「ヒャクメ様と修行した時に話を聞いたのを思い出したんだ。あそこ――妙神山には最難関のコースがあって、そこではまず魂の時間を加速して負荷をかけて、それから解放することで出力を増した魂に潜在能力を引き出させるんだって。あっちでどういう方法とってるかは知らねえけど、愛子の中で数年間過ごした魂を身体に戻すのは魂を加速するのと同じような効果があるんだろ、きっと。肉体時間と魂の時間にずれが出るんだから。小鳩ちゃんが出て来た時にちょっと違和感があったのは、それだったんだ」
「そういえば横島君、あの時なにかを気にしてたみたいだったわね。――って、あそこで言いなさいよ」
 横島はその非難を「愛子から出てきたらそれが普通かと思ったんだよ。実際そうなんだし、それがどういう意味なのかなんて俺に分かるかい」とかわす。
「もしかしたら、他の愛子が閉じ込めてた生徒も霊能に目覚めたかもしれないぞ。元の時代に戻したんだろ。愛子が改心してなきゃ、その中の誰かがGSになって退治に来てたかもな」
「私が閉じ込めてる過去の自分を助けるために、私を除霊に来るってこと? でもそれが可能なのは、未来の自分が過去の自分を解放したからよね。
 なんだか複雑。仮に未来の自分のおかげで助かった後で、GSにならずに私を除霊にも来なかったらどうなるのかしら」
「それは自分を助けないんだから……自分に助けられた今の自分が存在しなくなる?」
「なんだか、頭痛くなって来たわ」
 親殺しのパラドックスと似たような時間的状況を実際に生み出す可能性を持っているあたり、愛子はすごい妖怪なのかもしれない。
「まあまあ、お二人とも。それに横島さんが言ったように、愛子さんだけが理由じゃないですよ。普通なら魂と肉体は数週間もあればきちんとずれを解消するはずです。今回は小鳩さんとずっと一緒に居たことで親和性もあった福の神の霊力の込められたハンバーガーによる幽体離脱が、小鳩さんの霊能力を引き出す最終的な引き金になってしまったんでしょう」
 「じゃあ、この推理が正しいか確かめてみよう」と、横島が隙をついていきなりタイガーの口にハンバーガーを放り込む。
「よ、横島さん。いきなりひどいんですジャー」
 ふわふわーっと体から抜け出したタイガーの魂が抗議するが、横島は気にせず、愛子も面白そうにその魂を観察する。
「幽体離脱の効果は同じ。ただし、特になんてことはない普通の幽体離脱だ。別に霊体に変化はないもんな」
 しばらくあちこち動き回らせた魂を戻したタイガーの様子をしばらく見てみても、特に問題はなさそうである。一度戻るとそのままで、自由に幽体離脱が出来るようにもなりはしなかった。
「でも原因がわかって良かったですね。これなら、二、三日安静にしていれば肉体が慣れて痛みは起きなくなりますよ」
「あの、私が霊能力者になったというのは……」
 ピートから詳しい説明を受けた小鳩は不安そうに訊ねる。
「そうですね。実は霊能力者という言葉の定義は曖昧なのですが、ようするに意識的に霊力を使えるということでしょうか」
「もしかしたら幽体離脱だけじゃなくて、お札とか神通棍も使えるようになるかもな。だったら俺より優秀だ」
 心眼を使い続けることで鍛えられもして、霊力自体はそこそこあるものの、札や神通棍を使いこなすのに必要な攻撃的霊波はまったく扱えない横島である。最初に集中して修行したおかげで、霊体自体が心眼の行使に特化してしまっているのかもしれない。
「そんなことは……。あの、横島さん。私これからどうしたらいいんでしょうか?」
 福の神は「GSになって大金持ちやでー」などと盛り上がっているが、その後頭部を横島が「お前はアホか」とどつく。
 つぐみも娘がGSになるという考えに戸惑っているようである。その危険度を理解しているからであろう。
 あるいは最近関わったGS関係者が揃いも揃って花戸家と変わらぬほど貧乏だったせいで、「GS=儲かる」という一般概念に疑問を生じたせいかも知れない。
「霊能力者がみんなGSにならないかんつーわけじゃないだろが。大体、お前が福の神になったんなら、そんな危険な真似しなくても金はちゃんと入ってくるはずだろ。それとも俺の疑い通り、実は貧乏神から疫病神にでも変わったのか」
「そないなことあるかいな。これからこの家は栄えていくに決まっとる」
「ほんとか? 
 そうだ、愛子。ちょっとこいつ殴ってくれ。攻撃するとエネルギーを吸って強力になるんだった」
「そういえば、そんなこと言ってたわね。よーしっ!」
「痛っ、痛いがな!」
「変わらないみたいよ?」
「おかしいな。もっと力を込めて思いっきりだ」
「ちょ、机振りかぶらんといてーな。今は攻撃されても変わらへんて」
「なんだ。ほんとにどうしようもねえ奴だな」
 そんな横島たちの騒ぎを他所に、ピートとタイガーは小鳩とつぐみにきちんとGSについての説明をしていく。
「確かにGSの中には霊能力を持っていたためになんとなくその道を選んだ人もいるようですが、多くのGSは強い目的意識を持っています」
「唐巣神父みたいに世の中のために頑張ろういう人、ピートさんみたいに人と人外の掛け橋になりたいいう人、美神さんみたいに――横島さんの話ではじゃけど――スリルと大金の魅力に取りつかれてGSをやってる人まで様々ですじゃー。選択肢の一つじゃとはいえ、小鳩さんもよっく考えた方がええと思います。ほんとに命がけの仕事ですケン」
 二人の言葉に小鳩はじっと考え込む。
「それに今すぐに決めなければいけないということでもないですよ」
「あの……横島さんは、横島さんはどうしてGSの助手をやっているんでしょうか?」
 小鳩に訊かれて二人は顔を見合わせる。
「そりゃー、あれじゃのー……」
「ですよねえ……」
 真剣な顔で小鳩に見つめられ、余計に二人は言葉を濁してしまう。
「もちろん未知への探究心と、俺たちが助けた人の笑顔のためさ」
 ピートとタイガーの間に割り込んで、横島が自分ではかっこいいと思っている顔を作りながら小鳩に宣言する。小鳩が反応する前に「くだらない嘘つかないの。上司の色香に迷ってでしょ」と呆れ顔の愛子に引き戻されたが。
 小鳩の顔が一瞬強張ったのは、横島の理由に驚いたからか、横島から話に聞いていた美神のことが気になってか。
 ともかく、いつまでも騒いでいてはいけないと愛子が腰を上げる。
「みんな、そろそろ帰りましょ。今は小鳩ちゃんを休ませてあげなきゃ。学校には説明しとくから、ゆっくり休んでね」
「はい。みなさん、わざわざありがとうございました」
 賑やかな四人が帰ってからも、しばらくはこれからのことを思い悩んでいた小鳩であるが、小一時間もすると脳が疲れたのか眠りに落ちていく。


 次に目が覚めたときには、小鳩は横島と一緒にGSをやっている自分を夢に見たような気がした。
 不思議な幸福感に包まれて再び目を閉じると、今度は一円玉に埋もれる夢にうなされることになったが。









[7464] 五話
Name: 蟇蛙を高める時間◆a7789959 ID:24cb0056
Date: 2009/03/16 23:39

「こうして見てもらう通り、GSが儲かる商売だという認識は間違っている!」
「わびしいですノー」
 学校での昼休み、昼食の時間。
 タイガーの弁当はおかずが梅干一つのドカ弁、横島の弁当は袋に入ったパンの耳のみである。
「揚げてお砂糖をまぶすとおいしいですよね」
「それはご飯というより、お菓子じゃないかしら」
 そんな寸評をする小鳩と愛子は、ごく普通の見た目の女の子らしい弁当を食べている。
「こんなんばっかじゃ、体が持たねえよ。愛子、ちょっと分けてくんない?」
「私もお金は持ってないから、これは本物じゃないわ。私の中の家庭科室にある材料で作ったものだから、食べても栄養にはならないわよ」
 そもそも愛子は食事を必要としない。昼休みに一緒にお弁当を食べるという青春の一幕に参加するためにやっていることである。
 「人間は大変ですね」と、同じく普通の食事のいらないピートは、こちらは人真似をすることなく悠然と薔薇の花から生気を吸っている。
「薔薇の花だってタダじゃないんじゃねーのか?」
「教会にも咲いてますし――」
「自給自足かいノー」
「――このことを話したら、たまに女の子が差し入れもしてくれるようになりまして」
「なんて余計なことを! だからピートに弁当差し入れる娘が最近減ったんだな。俺の蛋白源なのに」
 実際の理由としては、ピートに弁当を渡しても結局横島とタイガーが横取りして食べてしまうことの方が大きい。
 「よかったら私のを」と小鳩が横島に勧めるが、さすがの横島も似たような経済状況の女の子から貰うことには抵抗があるようである。
「そんなら特別にわいの特製バーガーをわけたろうやないか」
「いるかっ! つーか、まだそんなもん作ってたのかよ」
「改良に改良を重ねてるんや」
 今度のハンバーガーはさらに膾(なます)とカスタードをお好みで加えているらしい。
「それにお前らなら、幽体離脱したって問題あらへんやろ」
「味のことを言ってんだよ、俺は」
「しかも、幽体離脱効果は基本なのね」
 また試作品を食べたらしい小鳩が苦笑して頷く。
「それなら、いっそそっちを主眼にして幽体離脱バーガーとして売り込んだらいいんじゃないですか。GS相手の店なら需要はあると思いますよ」
「なるほど、厄珍堂とかか。確かにいけるかもな。
 美神さんみたいにバットでぶん殴るのが基本だってんなら」
「エミさんに訊いたら、実際にはきちんとした手続きを踏んで儀式を行うそうですじゃー。ただそれには時間と手間がかかって、専用の道具も使うみたいですノー。他に小鳩さんみたいに幽体離脱を得意とする霊能者もいるみたいじゃが」
 横島に食べさせられたこともあり、タイガーも興味を持っていたようでいろいろ調べている。
「『それが、このハンバーガーを使えば簡単に!』――売れそうじゃないの」
「そ、そうでしょうか?」
 突然の話に戸惑う小鳩を焚きつけて、横島たちは放課後全員で厄珍堂を訪れることにした。
 どんな所なのか? と行ったことがないタイガーや小鳩、愛子も興味を持って横島に訊ねる。
「うーん……。一言で言や、胡散臭い店だ。気をつけないと、買い叩かれそうだな」



Hunting



「坊主、面白い話があるアルが、教えて欲しいアルか?」
 美神と依頼人や厄珍との間のやり取りを見てきていた横島が中心となった粘り強い交渉により、幽体離脱効果のあるハンバーガー――商品名は小鳩バーガーになるらしい――の売込みが無事に終わった――生物でもあり、改めて月に何度か一定量を厄珍堂に渡すことになった――後で、厄珍が思い出したように声を潜めて切り出した。
「面白い話?」
「そう、今も続く連続殺人事件の話ネ」
「……それが面白い話なんですか」
 ピートや小鳩は顔をしかめるが、「ただの連続殺人じゃないネ。霊刀による辻斬りヨ」と厄珍は話を進める。
「霊刀ってどうしてわかるの?」
 疑問に思った愛子に訊かれるが、「さあ?」と横島は頼りにならない。
「判断基準は斬られた痕でしょう。一般に霊刀がもっとも鋭く切り裂くのは霊体で、次が肉体。無機物――衣服など――との間で切り口に差が出るんです」
 このメンバーで一番真面目にオカルト関係の勉強をしているピートが説明する。
「ほー、勉強になるノー」
「ま、そういうことネ。そして被害者たちにはなんの共通点もなく、ただ犯人が切り刻みたくて斬ってるみたいな無残な殺され方をしてるアル」
「でも、そんなニュースを聞いた覚えがないんですけど?」
「そやな。ワイも知らんわ」
 「誰か知ってます?」と小鳩が訊くが、全員が首を横に振る。
「まだ、表立っては報道されてないネ」
 「蛇の道は蛇、こういう情報は真っ先にウチに入るネ」と笑う厄珍。
 単なるオカルト道具の売買だけでなく、裏でいろいろとやっているせいかもしれない。警察関係の情報にも詳しく注意していないと、自分の手が後ろに回ってしまうのである。
「さて、坊主。ここで一つ気になることがアルね。確か、令子ちゃんのとこにいたアルな。そういう快楽殺人狂みたい剣士が」
「ああっ、勘弁してくれ!」
 横島が「思い出さないようにしてたのに」と頭を抱える。
 同じく以前会っているピートも額に冷や汗を浮かべた。
「あの、横島さん。念のため確認しておかれた方が……」
「そうする。さすがにそんなことはねえ……と思うけど」
 仲間の土方にさえ切りつけた総司であるが、あの時は映画のクライマックスで極度の興奮状態にあったからだと横島は信じたい。なにせ、連れ出した責任の一端は横島にあるのである。
「あいつがんな問題起こしたら、美神さんに殺されちまうわ」
 「小鳩ちゃんを頼む」と言って、横島は厄珍堂を走り出ていった。
「ほんとトラブル体質よね、横島君て」
「見てる分には飽きないアルよ」


「わざわざ、すみません」
 厄珍堂からの帰り道、小鳩が家まで送ってくれるというピートたちに頭を下げる。
「なに、ワッシらがいれば安全じゃケンノー」
「まあ、何もないとは思いますが、ああいう話を聞いた後で女性一人を帰すような真似は出来ませんよ」
 タイガーは力強く胸を叩き、ピートも優しく応じる。
「それじゃ、小鳩ちゃん家の後は学校までよろしくね」
「愛子さんは一人でも大丈夫な気がしますがノー」
「そんな……ひどいわっ。こんなか弱い私にそんなこと言うなんて、うぅっ」
 あからさまな嘘泣きなのだが、女性慣れしていないタイガーはおろおろして「すまんですジャー」と愛子に謝り始める。
「いいえ、いいのよ。所詮、私は机の妖怪だもの。小鳩ちゃんみたいな普通の女の子とは違うわ」
「あ、愛子さーん。この通り、許してつかーさい」
 タイガーがえぐえぐと泣き上げる愛子の前に膝をつく。
 その辺りで、「たしかに不用意な発言ですけど、そんなに苛めないであげてくださいよ」と、地に頭をこすりつけんばかりのタイガーをみて、さすがにピートが止めに入った。
「うふ、そうね。ごめんね、タイガー君。ちょっとやり過ぎたわ」
 愛子もすぐに悪戯な笑顔に戻る。
「私もちょっと普通の女の子とは違うような気もしますけどね」
 福の神と顔を合わせて小鳩が笑う。
「あら、女の子にはどんな子だって気を使わなきゃ駄目よ。タイガー君も女性恐怖症を完全に克服できたら彼女とか欲しいでしょ」
「わ、ワッシはエミさん一筋じゃけえ……」
 タイガーが胸ポケットに手を当てて恥ずかしそうに言う。
「そういえば、写真持ってましたね」
「相当ハードル高そうだわ」
 ほんのひと時だけれど会ったことのあるエミ――颯爽とした少しきつめの美女――を思い出して愛子が溜息をついた。
「でも霊能はともかく、僕らは剣術に関しては素人ですからね。霊刀の中には持ち主を達人にする能力を持ったものもあるそうですから、気をつけないと」
 そう話を戻したピートが、「七百年も生きてるんだから、浮いた話の十や二十あるんじゃない?」と愛子に次のからかいの対象にされた。
 一向はそんな話をしながらのんびりと歩き――結局ピートの恋愛話は聞き出せなかった。あるいは本当にそういう話がないのかもしれない――途中のスーパーへと立ち寄る。
「タイガーさんも自炊ですか?」
「いや、ワシは料理が出来んケン、ありものを買ってくだけじゃ」
 そう言ってタイガーは見切り品の牛丼をカゴに入れる。
「ワイのハンバーガーなら――」
「いらんです」
 「厄珍堂と契約したんやから、正規のルートで買ったら高級品やのに」と福の神がぼやく。
「その点、小鳩ちゃんはさすがね」
 カゴを覗いて愛子が褒める。別段変わった物は入れていないが、値段と相談しつつバランスの取れた食材が選ばれている。
「そうだ。愛子さん、よかったら今日ウチに泊まりませんか? 時間も遅いですし」
 学校妖怪とはいえ、夜の学校に一人というのは寂しい時もあるのではないかと思い、小鳩がそう愛子を誘う。
 愛子はそれを「青春ね」と快諾した。一人の学校――実際にはメゾピアノやその他の学校妖怪もいるらしいが――が寂しいと思ったことはないが、友人の家に泊まるというのは大きな憧れの一つだったようである。


 会計を済ませスーパーを出た一行であったが、小鳩の家の近く、少し寂れた薄暗い通りに入ったところでピートが異常に気づく。
「殺気だ!」
 このメンバーでは横島を除けばピートの霊感が最も鋭い。
 ピートが油断なく身構え、「うそっ、ほんとに辻斬り?」と愛子が小鳩を後ろに庇うようにタイガーの後ろに入る。
「そこかっ」
 ピートが慎重に電柱の物陰に近づいた瞬間に、小さな影が飛び出してきた。
 影はばっと大きく飛び上がり、ピートを飛び越えてタイガーに肉薄する。
「むうっ」
 思わずスーパーの袋を持った腕で薙ぎ払おうとしたタイガーの攻撃が、影の持つ木刀とぶつかり合う。
 影の振るう剣が軽かったのか、巨体から繰り出されるタイガーの攻撃が重かったのか、影は大きく弾き飛ばされた。
 すぐに体勢を立て直した影は、そのままもう一度タイガーへと向かってくるかと思われたが、なぜか一瞬タイガーが腕を払った拍子に袋から飛び出して転がっていた弁当の方に気をとられ、
「ダンピール「えいっ!」
「おおっ!」
「……やりますね」
 「本当に護衛はいらなかったのかもしれませんね」と、小さくピートが呟く。好機とみたピートがすかさず得意技を放とうとする前に、びろーんと長く伸びた舌が、影を絡めとってそのまま呑み込んでしまったのである。
「あ、あの、辻斬りを呑んじゃって大丈夫なんですか?」
「中で大暴れされたら困るかもしれないけど……、どう贔屓目に見ても十歳にもなってない子供よ。今は急に学校に放り込まれて戸惑ってるみたい」
 心配する小鳩を愛子が大丈夫、大丈夫と安心させる。
「――あっ!」
「ど、どうかしましたか?」
「この子、尻尾があるわ。どうも妖気があると思ったら……。でも、持ってるのは完全な木刀みたいね。さっきの話の辻斬りとは違うかもしれないわ」
「でも、いきなり襲い掛かって来たんやで」
 小鳩のさらに後ろに隠れていた福の神が油断するなと忠告する。
 話し合いの末、ピートも愛子の中に入ってこの子供を取り押さえることになった。愛子が子供の乗っている床をぐちゃぐちゃの泥沼のような状態に変えてサポートしたこともあり、それは比較的楽な作業であった。


「い、痛いでござる!」
 人狼――本人は犬神族と名乗った――の子、犬塚シロの頭に、愛子がごちんと拳骨を落とす。
「反省しなさいっ。お腹が空いたからって、いきなり人に襲い掛かるなんて馬鹿なことをして」
「し、しかし、路銀も底をつき、それがしは武士ゆえ物乞いは――」
「食べ物目当てに人を襲う方が武士らしくないでしょっ!」
 先ほどと同じ所に拳を落とされて、シロがきゃうんと鳴く。
「ま、まあ、愛子さんも落ち着いて」
 ここは愛子の体内の教室、事情を聞くために全員がここに入っている。――タイガーは結局自分の晩御飯をシロに食べられてしまい、どこか悲しそうだ。
「路銀がなくなったって、シロちゃんはどこかに向かってたんですか? 私たちでよければ力になれるかも知れませんよ」
 小鳩に優しく訊かれ、シロはしばし悩んでいたが、「大丈夫よ」と委員長の愛子に促されると、腹を決めたように話し始めた。この空間内では愛子の影響力は絶大なのである。
「それがしは訳あって、父の仇をおっております。奴は犬神族の秘宝「八房」を持ち出して人間を襲っているのでござる」
「ちょっと、待ってくれ。その八房というのは――」
「犬神族の天才刀鍛治が、大昔に一本だけ造った無敵の剣でござる」
「ほな、そっちが辻斬りなんやな」
 思いがけず辻斬り事件の犯人を知った一同は各々驚きの声を上げる。
「人狼の武士の辻斬りとは、手強そうじゃノー」
「どうしましょう、警察に行った方がいいんでしょうか?」
「でも警察では対応できないでしょう。結局は警察からつながりのある――例えばエミさんのような――GSへと依頼が行くことになるはずです。でもその間にも被害者が……」
 「こういう時にこそ、日本にもオカルトGメン支部があるといいのですが」とピートが歯噛みする。
「ピートさんとこの唐巣神父なら協力してくれるんじゃないですかノー」
 小鳩は自分たちを心配して励ましてくれた人の良さそうな唐巣神父が狼男と闘っている様子が思い浮かばないようであるが、ピートはきちんと武器を用意した上で唐巣神父とことに当たればなんとかなるのではないかと考える。
「でも銀の銃弾は、今教会にはなかったかもしれません」
「さっきの厄珍堂ならどう?」
 その愛子の提案は、シロの「駄目でござる」という強い調子の言葉で否定される。
 銀にはわずかながら退魔の力があるとはいえ、狼男を銀の銃弾で倒せるという話はハリウッド映画発である。妖怪とはいえ人狼自体の属性が魔というわけでもないので、銀の銃弾は普通の銃弾よりわずかに効力があるというだけで、人狼の生命力の前ではよほど当たり所がよくなければ致命傷とならない。ピートが言及したのは、単に飛び道具であり且つ普通の弾丸よりは効果が上なためである。
 そのうえ、「八房はただの妖刀ではないのでござる。切ったものからあらゆるエネルギーを吸い取るのみならず、一度振るえば八つの斬撃が飛び、銃弾も確実に切り伏せてしまうでござるよ」という問題がある。
 奴には霊波刀しか通用しないのでござると言って、シロが自分の手からビュンッと霊波の刀を生み出してみせる。
「霊波……刀?」
 みなが沈黙する中、愛子がぼそっと口にする。シロの手から生み出されたそれは、せいぜいが小刀という大きさで、ジジジジと霊波の質も安定せずにぶれているものであった。
「せ、拙者、人間状態ではこれが限界で」
 そういうシロに「じゃあ、狼状態になってみてくれます」と、わくわくした様子で小鳩が頼む。人間から狼への変身を実際に見れる機会など滅多にない。
「う、申し訳ない。そう自由にはならないのでござるよ」
「映画によくある狼男の設定とは逆に――まあ、満月が近づくと力を増すのは本当ですが――人狼は昼間は普通の狼の姿になって、夜になると人間の姿になるんです」
「そっか。外は夜だもんね」
 いま居る愛子の中の時間設定は昼間であるが、シロは人間の姿のままである。といっても、その理由は判然としない。愛子が言うように単純に外部時間が夜であるせいかもしれないし、魂という本質の形が人間であるせいかもしれない。あるいは月の魔力ではないけれど、愛子の中には妖気が満ちているからかもしれない。
「ということは、その犬飼という奴も昼間は狼になっとるんですか」
「都会ではずいぶん目立つやろな」
「それに夜の人間のときでも、シロちゃんが人相とかを教えてくれれば……」
「どうでしょうかね。相手は用心深い野性の獣で、超感覚まで持っていますから」
 「ですから、拙者が――」と言いかけるシロを愛子が優しく諌める。
「あなたの気持ちはわかるわ。でも、自分でも勝てるかどうかくらいは分かってるはずよ。武士としてお父さんの仇を自分の手で打たないとっていう意地があるんでしょうけど、そうやってシロちゃんが死ぬことなんか、お父さんも絶対に望んでないはずよ」
 シロは悔しそうに俯いて握ったこぶしを震わせる。
「その辻斬り、犬飼を捕らえるのに君が力を貸すことは出来るよ。他にもその犬飼という奴について何か情報はないかい?」
 ピートがくしゃっとシロの頭を撫でながら、「狼だって狩りは群れでするよね」と慰める。
「そうで……ござるな。一人で暴走している犬飼は、すでに狼としての本能も失っているのでござる」
 そもそも狼が社会性を持ち、群れの秩序を大切にして、狩りを群れで行うのは、狼――人間も――が蹠行性だからである。足の裏全体をぺったりと地面につけて歩く歩き方なので、安定はするがスピードはあまり出ないのである。歩く際に指先のみをつかう趾行性である犬と比べても、スピードや俊敏な方向転換などの能力で狼は劣っている。その上完全な肉食である狼は、群れで協力しない限り本来は餌が取れないのである。道具も使える人狼たちにおいてはその限りではないが、やはり受け継がれてきた本能的なものは消えずに残っている。その連綿と受け継がれてきたルールを犬飼は踏みにじってしまった。
 仮に犬飼がなんらかの目的意識を持っていたのなら、八房を盗んだりせずに、秩序にのっとり群れのリーダーである長老に挑戦すればよかったのである。
 もちろん、その実力がなかったのかも知れないが。
「そういえば、長老が言っていたでござる。犬飼は人間を殺して狼王になろうとしているのだと」
「狼王ってなんなんですか?」
「拙者もよく知らないのでござるが、たしか太古の魔獣『巫怨吏竜(ふぇんりる)』のことだとか」
 それを聞いてピートと福の神が驚く。
「まさか神々と精霊の時代の魔獣へ先祖返りするいうんか!」
「……八房はエネルギーを吸い取ると言ったね。きっと犬飼は、多くの人間たちを殺してエネルギーを蓄え、それを一気に開放することで強引に人狼の血に眠るフェンリルの力を解放しようとしているんだろう。人間が農耕を始めて以来、人間と人狼は対立してきたから、その恨みを晴らしたくもあるのかもしれない」
「たしかにそういう者もいるのは事実でござる。しかし本来の人狼は優しい種族でござる。犬飼のような奴は本当にごく少数派でござるよ!」
 シロの叫ぶような言葉に、「人狼みんなが悪いなんて思わないですよ」と小鳩がしっかりと応じた。
「なんにせよ、これは大事ですじゃ」
「そうなる前に止めないとまずいんじゃない」
 特殊ではあっても高校生に過ぎない彼らにはなんの義務もないのであるが、事情を知ってしまった以上放っては置けないと考えてしまう面々なのである。


 ピートが急いで教会へと帰っていった後、残りのメンバーは小鳩の提案でドクター・カオスに助力を仰ぎに来ていた。
 フェンリルほどではないといえ、古き強力な不死者――早い話がピートの父――を追い詰めたことがあると自慢げに話していたことや、花戸家のために手を貸そうとしてくれていたことから、小鳩のヨーロッパの魔王への評価はかなり高かった。タイガーや愛子もドクター・カオスのことは知らなかったので、その評価に異を唱える者も居ない。
 幸福荘の入り口で、「ずいぶん庶民的なところに住んでるのね」と愛子が口にしはしたが、カオスが何百年も前に作ったというアンドロイドのマリアに出迎えられると、すっかりすごい錬金術師だという認識が固定されてしまった。
「――ほう。フェンリル狼とはのぉ」
 愛子たちに話を聞いたカオスの瞳が輝く。最近ボケが進行しているものの、興味をかき立てられる事柄に出会えば、まだまだ天才と呼ばれたころの熱さが戻ってくるのだ。
「厄珍の所に被害者の写真があると言ったな? もし詳しい現場の状況や犯行パターンが分かれば、マリアに分析させて行動を予測できるかも知れん」
「おお! いけそうやないけ、爺さん」
「ハッハッハ、わしを誰だと思うとる。ヨーロッパの魔王、ドクタ――」
 そこへ、カオスの高笑いを遮るようにドンッと部屋のドアが内側に吹き飛んできた。
「な、なんじゃ!」
「クックック、珍しい同族の臭いがすると思えば……お前、シロか」
「貴様、犬飼っ!」
「えっ! まだ探し始めてもいないのに」
「ま、まったく、心の準備が……」
 実は犬飼は元々あまり深く考えずに円を描くように場所を変えながら犯行を続けていたのだが、自身と同じ人狼の臭いをたまたま嗅ぎつけたことから、それを辿ってこうしてカオスのアパートまでやって来たのである。
 シロが小さな霊波刀を出して身構え、愛子と小鳩はわずかでもと部屋の隅へ逃げ、それを守るようにタイガーが立つ。
「こいつはまずいの」
 さすがのドクター・カオスも、なんの準備もなく強力な人狼と事を構えることになって焦る。
 抜き身の八房を手に殺気を隠そうともしない犬飼。夜の人狼は本来なら人間と同じ姿形なのであるが、犬飼の顔は狼の特徴が色濃く出た歪んだものになっている。
「うおおっ! 犬飼ーっ!」
「……ふ」
 仇を目の前に頭に血が上ったシロがいきなり突っ込み、それをみた犬飼が無造作に八房を振るう。
「危ない・シロさん!」
「マリアーーーっ!」
 唯一八房の剣速に反応できたマリアがシロを庇うが、その左腕はすっぱりと切り落とされてしまった。
「マ……マリア殿……」
「人間ではないのか。詰まらんものを斬ったな」
 犬飼がなんでもないことのように言う。絶頂期のカオスが製作したマリアの腕をあっさり破壊することなど、強力な近代兵器でも難しいことなのであるが。
 しかし、人間ではなかったことがここでプラスに働く。
 マリアの斬り落とされた腕に仕込まれていた煙幕発生器が、その衝撃で誤作動を起こしたのである。
「引くんじゃ!」
 唐突に噴き出した煙に犬飼が思わず後ずさった隙を逃さずにカオスが叫び、阿吽の呼吸で部屋の薄い壁をマリアが右腕のエルボー・バズーカで吹き飛ばす。
 その間にタイガーと小鳩、福の神にシロをまとめて呑み込んだ愛子をカオスがつかみ、そのカオスをさらにマリアが掴んでジェット噴射で外へ飛び出す。
「おのれ、逃がさん」
 めちゃくちゃに振るわれる八房から無数の斬撃が飛び、その一つが必死に回避行動を取るマリアにかすった。人間を連れていなければともかく、カオスたちを連れた現状ではあまり無茶な飛行が出来なかったせいである。
「推力・減少」
「高度を下げるんじゃ! 奴との間に遮蔽物を入れろ」
 カオスの指示で八房の攻撃が直接飛んでくることはなくなったが、しばらく飛んだ後に「もう、大丈夫かしら?」と訊いた愛子に対してカオスは首を横に振る。
「奴はついて来とる。わしらを獲物と定めたようじゃな。この速度では完全には振り切れん」
「そんな……。えと、ピートく――美神除霊事務所まで行けますか? あそこならなんとかなるかも知れません」
 最初は唐巣神父の教会を考えた愛子だが、美神除霊事務所には剣士がいると厄珍が言っていたことを思い出し、さらに話に聞く限りでは直接的な戦闘力でも美神令子の方が上ではないかと考えてそう告げる。
 そして行く先が決まった後は注意を中へと向け、愛子は呑み込んだ全員のいる教室へと姿を現した。
「愛子さん、外はどうなっとるんですか?」
 呑み込まれてからは何が起こっているのか分からなくなったタイガーが不安そうに訊く。
「今は犬飼から逃げながら美神除霊事務所に向かってるわ」
 簡単に状況の説明をしながらも、愛子は教室に来たときからの責める様な視線をシロから外さない。
「うっ……」
「私の思い上がりだったのかしら? 私たちは、一緒に犬飼を何とかしようっていう仲間だと思ってたんだけど」
「愛子殿……。拙者は――」
「群れのみんなが、お互いを思いやって一つのことを成し遂げるために努力する。まさに青春だと思ってたんだけどな」
 「シロちゃんも悪気があったわけじゃ」と小鳩が庇うが、愛子は厳しい追及の手を緩めない。
「勝手な行動をして、結果的に群れの仲間を傷つける。それじゃ、犬飼と変わらないじゃない」
「――っ! 申し訳ござらん! 拙者の身勝手な行いでマリア殿やみなさんを危険な目に合わせてしまいました。本当に申し訳ありません!」
 愛子に指摘されて自分の言動にショックを受けたシロが、がばっと床に頭をつけて謝り始め、それをふわりと愛子が優しく抱きしめる。
「そうやって反省できるなら、大丈夫よ。きっとシロちゃんは、自分が望むような立派な武士になれるわ。だけど、困ったことがあったなら私たちを頼っていいのよ。マリアさんがシロちゃんを庇ったように、みんなあなたを大切な仲間だと思ってるんだから」
「そうですよ。人間だとか妖怪だとか神様だとか、そんなのは関係なんかないんです。私たちは友情を育める。同じゴールを目指す、素敵な仲間なんです」
 二度目だったこともあり、早くも青春ドラマモードに切り替わっている――耐性がつくということはない様である――小鳩も、シロに熱く友情の素晴らしさについて語り始める。
 結局、美神除霊事務所につくころには、シロの青春汚染も完了していた。


「困りましたねぇ。今、美神さんいないんですよ。みなみあふりかとかいうところで、精霊石のオークションがあって、せっかくだからちょっと早く行って冥子さんたちとばかんすするんだそうです」
 事務所には横島と総司、キヌが居たが、肝心の美神令子はいなかった。
「人狼の武士か……斬る斬る斬るーーーっ!」
 総司は非常にやる気になっているようであるが、どこまで役に立つかは分からない。
「とりあえず真犯人が見つかったのはいいんだが――なんでそこに俺を巻き込むんやーっ」
 横島がすっぱり斬られたマリアの腕をみておろろーんと泣き叫ぶ。
「……すみませぬ。横島殿にはご迷惑をおかけします」
「あ、いや、まあGS助手なんかやってる以上、こういうこともあるからさ。そんな気にすんな」
 相手が男なら怒鳴りつけて追い出したい所ではあるが、シロのような子供に心底すまなそうにされると自分が悪者のような気がしてくる横島であった。
「いま、横島さんのために夕御飯作ってたんですけど、みなさんどうしますか? 食材はありますけど」
「いや、おキヌちゃん。そんな場合じゃ――ねえわ」
 心眼が事務所へ近づく犬飼を捉え、横島は事務所の道具の中から銃――銀の弾丸入り――を持ち出す。
「銃弾も斬り落としちゃうらしいわよ」
「ないよりはあった方がいいだろ。死角から撃ち込めば当たるかもしれないし」
「超感覚を持つ人狼にそんな手が通じますかいノー?」
「気落ちするようなこと言うなよ。とにかくこっちが嫌だっつっても向こうは絶対どこまでも追っかけて襲ってくるんだろ。戦力が揃ってるうちにやるしかねえじゃねえか。ほんとはピートたちが間に合えば良かったんだが、向かってくれてるとはいうし、今はカオスとマリア、それに総司……あとタイガーにちょびっと期待しよう。福の神はなんとか小鳩ちゃんと愛子とおキヌちゃんとシロと俺を守れ」
 横島はカオスたちや総司をドア付近に配置し、さりげなく自分は入り口から遠い非戦闘員組に入る。
 最初、シロは「拙者にも戦わせてくだされ」と頼み込んだが、シロの霊波刀を見せてもらっていた横島の「お前の霊波刀じゃ、真っ向からやりあうのは無理だ。俺と一緒に、何とか誰かが隙を作ってくれたらそこへ仕掛ける役をやれ」という言葉に、素直に引き下がる。
 愛子内の青春教室で、各々が見合った役割を担い、一つの群れの力を最大限に生かすことの大切さを理解したらしい。
「でも、ここで迎え撃つの? 外の方がいいんじゃない?」
「あれ? 刀とかを使う奴って室内じゃ戦いにくいとかいわないっけ?」
「聞いたことはありますけど、八房ってむしろ飛び道具に近いみたいですから、こっちの避ける余裕がなくなるかもしれないです」
 戦闘知識のない女の子二人に作戦の欠点を指摘されるGS助手。
「い、いや、他にも理由はあるぞ。なんてったって、ここには脱出用のシュートがあるからな」
 横島がぽんぽんと本棚の一角を叩く。横島としてはさっさと小鳩たちと一緒にここから逃げたくもあるのだが、カオスの話からここで臭いを覚えられたらどうせ追い続けられると理解しているために、へっぴり腰ながら銃を入り口に向け続けている。
「愛子さんが小鳩さんたちを呑み込んでおくというのはどうですかノー」
「逃げる時は上手くいったけど、中に他の人を入れた状態で私がやられたら、どうなるかわかんないわよ」
 「俺はそれでもいいかなぁ。どうせ死ぬならその瞬間まで何も知らずにいられるし」と後ろ向きなことを言って横島が全員に睨まれる。
「相手はフェンリルへの復活を目論む人狼。となると、なにか有効な手段があったような気もするんじゃがな……」
 「はて、なんじゃったかのぉ」と首を捻り出したカオスの胸倉を掴んで、「思い出せえーっ!」と横島が思い切り前後に揺さぶるが、残念ながら脳を振れば記憶が戻るほど世の中甘くはない。
 そうこうしているうちに、
「ねえ。これ、来たんじゃない」
 ビルに犬飼が押し入ってくる爆音を聞きつけた愛子が身震いする。
「別にビルのドアぐらい普通に開けられるだろうに……」
 きっとこの部屋のドアも破壊されるんだろうなと横島は考えたが、意外にもそうはならなかった。
 マリアが犬飼に向けて壁越しにマシンガンを連射したためである。犬飼はわずかにそれに驚いたようであるが、特別性の弾丸ではなかったこともあり、特に傷は受けずにお返しとばかりに八房を振るう。これで完全にドアの脇の壁が崩壊した。
「獲物が増えたか」
 犬飼は不敵に笑って八房を縦横に振るう。
 ばっと胸元を開けたカオスの皮膚に描かれた魔法陣から放たれる霊波光線、マリアの重火器、タイガーの振り回す重たげな高級家具、総司の振るう刀――存在自体が霊体なのでその刀も広義の霊波刀――が、飛んでくる斬撃をなんとか受け止めるが、防戦一方ではいつまでも持ちはしない。
 ついに危機に陥ったカオスを守ろうと、マリアがカオスに体当たりするようにジェットで窓から飛び出す。
 結果的には逃げたのと変わらず戦力も大幅ダウンであり、「こりゃあかん」と、横島がシュートの入り口を開けるが、その様子を見た犬飼が「逃がさん」と集中的に八房の斬撃を横島たちに集めてきた。
 咄嗟に小鳩だけは横島がシュートに投げ込むが、直後に総司とタイガーが止め切れなかった斬撃が二つ到来する。
「うわっ……………………あれ?」
 一番近かった愛子を押し倒すように身を伏せた横島だが、衝撃は訪れず、そっと顔を上げる。
「大丈夫でござるか」
「怖かったですー」
 八房の斬撃はシロの小さな霊波刀と、料理からの流れでキヌが護身用に握っていた包丁――元妖刀シメサバ丸――に防がれていた。
「それは――妖刀か?」
「斬る斬る斬るーっ!」
 思わぬ伏兵の包丁に気を奪われた犬飼に、好機と見た総司が突っ込む。
 小癪なと犬飼は慌てて八房を振るうが、大きく腹を抉られながらも踏み込みを止めなかった総司の太刀によって、左肩から胸へかけてを切り裂かれる。致命傷ではないが、かなりの大怪我である。
「――貴様っ」
「総司殿!」
 とにかく相手を斬ることしか考えていない総司だけに、仕掛けた後の隙は大きく、斬られながらも狼狽えなかった犬飼の攻撃を防げる体勢にはない。そこに強引に割り込んで八房を受け止めたのがシロである。
 本当はここぞと犬飼に仕掛けるために飛び出してきたのであるが、こちらは人狼の本能か、思わず仲間を庇いにいったのである。
「シロちゃん!」
 総司は守ったものの攻撃は止めきれず、血まみれになって吹き飛ぶシロをみて愛子が悲鳴を上げる。
「これならどやっ」
 そこへやけくそになった福の神が手持ちの小鳩バーガーを全て投げつけた。
 もちろん犬飼によって反射的に八房で全て斬り飛ばされるが、その際にあんことチーズとシメサバ、その他の混ざった異臭が部屋中にあふれ出す。
「ぐおっ」
 その臭いに思わず犬飼は鼻を押さえる。床に転がったままのシロもピクピク痙攣しているのは、先ほどの攻撃によるものか、この臭いによるものか。
 そしてその隙を逃さず、キヌから包丁シメサバ丸を受け取っていたタイガーが集中して――跳んだ。
「ぐ……ふ」
 あるいは小鳩バーガーに感覚をかき乱されていなければ対応できたのかもしれないが、背後に現れたタイガーに肺へとシメサバ丸を突き通された犬飼は、満足に悲鳴を上げることもできず、ついに前のめりに倒れた。
「や、やったですじ――うわぁっ」
 余韻に浸ろうしたタイガーだが、タイガーを気にかけずに倒れた犬飼へと横島が乱射を始めたために慌てて飛びのく。
 そこへジェット燃料が切れたためにカオスと入り口から戻ってきたマリアがとどめの火炎放射を放ち、ここで犬飼は完全に息絶えた。
「終わったか。――やったぜ、シメサバ」
「確かに小鳩さんのハンバーガーとこの包丁のおかげ――ワッシには犬飼に通じる攻撃がないですケン――とはいえ、ひどいんですんじゃー」
 落ち込むタイガーだが「すごかったですよー」とキヌに抱きつかれると、今度はのぼせ上がって硬直してしまった。
 まあ、暴走しないだけ、少しはマシになっているのだろう。
「横島君、シロちゃんの怪我がひどいわ」
「そ、そうだった。誰かヒーリングは?」
「――おおっ、思い出したぞ。ワシにはヒーリングは出来んが、あるいはこれなら」
 カオスがシロを抱え上げて屋上へと早足に向かい、全員がカオスの意図が分からないながらもその後に続く。
 そして広い屋上につくと、カオスはマリアに何事かを耳打ちをし、マリアがプログラムを起動させた。
「魔法陣・製作用プログラム・AL-87・実行・します」
 マリアの右手の指先から特殊なインクが射出され、屋上の床に巨大な魔法陣を描いていく。
「斬りおとされたのが左手で良かったわい」
 実は数十年前にマリアを調整・整備していたカオスがこの装備をつけ間違えたおかげでもある。
 見る見るうちに作業は進み、人間が手書きすれば数日以上はかかるような魔法陣が瞬く間に完成する。
「この魔法陣、何なんですか?」
「ふはははっ、これこそ人狼族の守護女神アルテミスを呼び出す魔方陣じゃ。
 はるか星霜のかなたに去りし古き神よ。今ふたたびここに形をなすがよい」
 横島たちはそんな女神が呼び出せるなら最初からそうしておけば、犬飼も苦労せずになんとかなったのではとも思ったが、今は口を噤んで静かに見守る。
 カオスの呪言に応えるように魔法陣が神々しい光を放ち、中央に女神がその姿を現す。ただその姿はぶれており、声も不思議と遠くから響いてくるかのようであった。カオスの言葉にもあった通り、アルテミスはこの世界からすでに去っていった古い神なのである。
 ところがシロの傷をつけたのが犬飼という人狼の「男」だと話した途端、アルテミスはしっかりと実体化してシロに力を注ぎ込んでくれた。
 映像が逆回転していくかのようにシロの傷が消えていき――
「ちちしりふとも「やめなさいっ!」
 ボロボロの服を引きちぎりながら成長を始めたシロの体に飛びかかろうとした横島の足を掴んで、愛子がそのまま地面に押さえ込む。
「な、なんでこんなに大きくなっちゃたんですか」
 キヌが訊こうとした時には、すでにアルテミスは消えていた。どうやら男嫌いなようであるアルテミスに横島の暴走を見られなかったのは良かったかもしれない。
「たぶん、人狼の超回復じゃろうな。怪我を治そうとする人狼の回復力と、人狼に相性のいい女神の力が大量に注ぎ込まれた相乗効果でこうなってしまったんじゃな」
 シロの肉感的な姿に、タイガーも鼻血を吹きながらどこかへ走っていってしまい、愛子は横島を押さえつけるのに精一杯なので、すでに枯れているカオスがマントを脱いでシロの体を包んでやる。
 裸の肉体が目に入らなくなったことで、ようやく横島も少し落ち着いた。
「そうだよな。よく考えりゃ、体はもう俺らと同じくらいの年っぽくても――愛子よりもスタイルはいいけど――こいつは子供なんだよな」
 言葉の途中から愛子に耳をつねり上げられつつ、横島が苦笑いする。
「そうよ。手を出しちゃ駄目だからね」
「仕方ねえな。んじゃ、一般常識と女性としての知識を教え込んだ後で――」
「何をする気よ!」
 「まったく、もう」と机で横島を殴り倒して愛子がため息をつく。
 愛子が横島を引きずり、カオスがシロを抱いて一行はビルの中に戻っていく。その廊下では「ワッシはエミさん一筋じゃ。ワッシはエミさん一筋じゃ。ワッシはエミさん一筋じゃ」とタイガーが壁に頭をぶつけながら叫び続けていた。少し横島に影響され、似てきたのかもしれない。
「ところで、さっきのはテレポート(瞬間移動)でっか? あんさん、テレポーターなんかいな?」
「いえ、ワッシはジョウンター(精神感応移動者)ですじゃ」
 ようやく正気を取り戻したタイガーが自分の能力を説明する。テレポートとジョウントの線引きは難しいのであるが、自分の現在の「位置・高度・状況」と、移動先の「位置・高度・状況」をはっきりと意識して集中する必要があるのがジョウントと考えればいいかもしれない。行ったことのない場所に跳べたり、自分がどこにいるかわからなくても跳べたりすれば、テレポーターである。
「ふむ、なかなか珍しい能力者じゃな」
「タイガー君って、けっこうすごかったのね」
 横島は「そういや、これでボーナスもらえるかも」と、こっそりほくそ笑んだ。――もっとも、数日後に帰国した美神には事務所で戦ったことでこってりと絞られ、ボーナスどころではなかったが。ビルのオーナーからも苦情が来たらしく、今回の事件ではビルを追い出されなかっただけ御の字のようである。


「一体、何がどうなったんですか! 総司さん、しっかりして下さい。横島さーん、愛子さーん、タイガーさーん、カオスさんにマリアさーん、シロちゃん、貧ちゃん、おキヌさーん! みんな何処へいっちゃったんですかーっ!」
 その頃、小鳩――シュートのつながっていた下水道に突っ込んだ後、幽体離脱でぐしょぐしょの自分の体を持ち上げて飛ぶことでシュートから戻ってきた――は、黒焦げの犬飼の死体と瀕死で倒れている総司を前にして、一人途方に暮れているのであった。








[7464] 六話
Name: 蟇蛙を高める時間◆a7789959 ID:24cb0056
Date: 2009/03/16 23:42

「夜の森ってのは、なんか嫌だなー」
「そう言いながら普通に歩いてるじゃないですか」
 ピートの指摘通り、横島はシロ――軽快にさっそうと森の中を進んでいく。大きくなって自分の視点や動きが変わったことが楽しくて仕方ないようだ――の後を問題なくついていっている。
 「でも、疲れるんだぜ。お前らは楽でいいなあ」と、心眼にいつもより霊力を使っている横島が笑う。霊的な存在を見るだけなら特別意識する必要もないのであるが、暗い森の中を歩くために心眼にいつもより霊力を使っているのである。
「僕はやっぱり横島さんだけの方がいいと思うんですけどねえ」
「今でさえ欲望を抑えるのに必死なんだぞ。俺を犯罪者にしたいのか、お前は」
 横島が先頭のシロにちらりと目をやる。
 人狼の里に戻るシロを一人で帰すのが危なっかしいしというだけなら、ピートの言う通り横島一人でもいいのであるが、急成長したシロの肉体的魅力に横島は参ってしまっているのである。
 おまけに今のシロは事務所に置いてあった美神の服を着ている。それは美神の趣味の露出度がかなり高いもの。夜の森を二人で行くようなことになれば、美神に負けず劣らずとまではいかないが、かなりのナイスバディになったシロを襲ってしまいかねない――成否は別にして――と横島は危惧しているのである。自分をまったく信じていないあたりの客観視だけは褒めてもいいかもしれない。
 「ちきしょー。これで性格や知識も大人になってれば、問題なく飛びつけるのに」と、涙を流して悔しがってみせる横島。最初こそ飛びつこうとしたものの、目覚めたシロ――すぐにタイガーの買ってきたドッグフードを貪り食い始めた。まるで急成長した分と同じ量を食べようとしていたかのように――と話すうちに、中身はまだまだ子供っぽいということがはっきりわかり、心にブレーキがかかってしまったのである。それも中途半端に外れかけのブレーキが。
 「それにやっぱ怖いしな」とも、横島はシロに聞こえないようにそっとピートに囁く。
 犬飼に襲われて、敵になったときの人狼の力と恐ろしさはわかっているのである。
 それなら尚のことバンパイア・ハーフの自分が行くのは問題になる可能性があるのではないか、とピートは渋ったのだが、「人狼も半吸血鬼も似たようなもんだろ。仲良くしろ」と横島に強引に押し切られた。
 「もし襲われたら、すぐに俺も一緒に霧にして逃げろよ」と念を押す横島に、ピートはこの人に霧化能力のことを教えるんじゃなかったと過ぎたことを悔やむ。別に文句を言う気はないが、貧乏神の時といい犬飼の時といい、横島に巻き込まれて自分や唐巣がいろいろ準備をしているうちに事件が解決してしまうために、割を食っている気もするピートであった。
 横島のいう「もし襲われたら」が、「もし(俺が人狼の美女に飛び掛って怒らせて)襲われたら」という意味だと知ったら、さらにがっくり来ることだろう。
「――お、あそこか?」
「そうでござる」
 「さすが横島殿でござるな」と感心しながらシロが懐から通行手形を取り出す。特別な呪を込められたそれが空間を歪ませていくのを見るうちに、ピートは通行手形にシロの写真がはめ込まれていることに気づく。
「閉ざされた隠れ里とはいっても、こうした通行手形も作られていますし、外の文明との接触は保たれているみたいですね、横島さん……横島さん?」
 横にいた横島はいつの間にか両手を挙げ、ご丁寧に小さな白旗までパタパタと振り始めていた。
「人狼ですか?」
「そう。さっきから見られてたんだ」
 ピートもなるほどと敵意はないと示し、現れた二人の人狼にシロが事情を説明する間おとなしく待つことにした。


「長年に渡る対立や頑固な迷信を打ち破るのは簡単なことではないはず。だがお主は上手くやっておるようじゃな」
 長老が感慨深そうにピートに話す。
「たしかにそういう目で見る人たちもいるのが事実です。でも、僕の先生である唐巣神父を始め、さっきの横島さんに学校の人たち、教会の近所の方々、他にも人外の存在を受け入れてくれる人もたくさんいるんです。僕はそういう人たちとの交流を通じて、人と人外との架け橋になりたいと思っています」
 長老の家でこれまでの経緯を話した後、父の墓に報告に行くシロに横島も付き添い、部屋にはピートと長老のみになっていた。
「あんた方には迷惑をかけ続けることになってしまうが、人狼と人間を結ぶ存在として、シロをあんたたちの元に置いてやってはくれんだろうか? もちろん狼は親を亡くした子供を見捨てはせんから、この村でもこの先シロが生活に困ることはないじゃろう。じゃが、ここには犬塚とシロが親子二人で暮らしてきた思い出が多過ぎるのも事実。むしろ若いシロは外で暮らした方が有意義でもあり、未来を見れると思うんじゃ」
 そう長老に頭を下げられ、ピートは困ってしまう。
 ピートの理想と長老の頼みは同じ方向を向いている。シロがそれを望むのであれば、長老の頼みをかなえてやりたいのは山々なのであるが、それには先立つものがいるのである。ただでさえピートが厄介になっている唐巣神父の教会に、果たしてシロを受け入れる余地があるだろうか。
 居住スペースならばないこともない。問題は食費――狼らしく、肉しか食べようとしないのは種族として当然なのか、シロの偏食なのかは後で長老に訊くとして――や学費――学問教育はいらないのかも知れないが、ピート自身の経験からシロにも友人たちとの学校生活を味わって欲しいと思う――である。
 そんな悩みを素直に告げたところ、長老は笑いながら隠し金山の在り処を一箇所ピートに教えてくれた。人狼たちが街に出るときに使うお金などは、こういった場所から出ていたようである。
 そこまでしてもらっていいのかと恐縮したピートであるが、教会に帰ってみると、犬飼と戦った際に部屋をぶち壊して追い出されたドクター・カオスとマリアまでもが転がり込んでおり、申し出を受けておいてよかったとつくづく思うのであった。



狼のいる生活



「横島君、大丈夫なの!」
 脚をがくがくさせて壁を伝うように教室に入ってきた横島を、慌てて愛子が支える。
「横島さん、除霊帰りですかいノー?」
 席まで連れて来てもらった後も、愛子に顔を擦りつけて離れようとしない横島を強引に引き剥がしながらタイガーが訊く。愛子はやれやれといった表情であるが、その顔は心もち赤くなっていた。
「いいや。昨日の仕事自体は楽なもんだったんだ。美神さんが神通棍で一撃だったからな。今の俺の惨状は――全部あいつのせいだ」
 横島がぎろりとピートを睨む。
「……もう少し手加減するように、僕からも言っておきます」
「もしかして、シロちゃん?」
「ああ。散歩という名のマラソンにつき合わされた。……とりあえず、チャリ買うわ」
 現在シロは教会に住んでいる。男所帯に女の子一人ということで横島が軽くピートをからかったりしたが、誰も本当にはそういう心配をしないあたり、唐巣神父とピートの人徳である。
 そのシロであるが、誰かと一緒に散歩――人間の全力疾走を超えるかという速度で数時間駆け回るのを散歩といえばであるが――することを趣味にしている。ピートも時間が取れれば付き合うのであるが、意外と唐巣神父の教会は忙しい。そこでリードと首輪を渡して、「横島さんのところへ行ってね」ということになったわけである。
 横島も朝早くから起こされて多少不機嫌だったものの、くーんと鳴きながら首輪とリードを咥えて差し出してくるシロにほだされて、つい一緒に散歩に出てしまったのである。
 そして懸命に走り続け、時に引きずられる横島には、「止まれ!」と叫ぶ余裕もなかった。
「でも自転車を買うってことは、またシロちゃんの散歩に付き合う気があるってことよね。なんだかんだ言っても優しいとこあるじゃない」
「昼間は単なる狼だが、夜は美女だからな。将来のために好感度を上げといて損はない」
「……はぁ。バイト先でもそんな理由で過酷労働してるんでしょ」
 「そのうち死ぬんじゃないかしら」と、愛子とタイガーが苦笑するが、それが横島の生き方。己の煩悩のためには、いくらでも身体を張るのである。
 その分削るところの一つが学業であり、こうして登校はしたものの体力を使い切っていたのか、この日の授業は全て眠って過ごす横島であった。


 「先生も人がいいんだから」と、今日は事務所までやってきたシロとじゃれ合う横島――すでに日も沈みシロは尻尾の生えた人間形態なのでいろいろ葛藤もしているようだが――を横目に美神が笑う。
「頼まれたら、片っ端から妖怪を飼ってあげる気なのかしら?」
「そういう美神さんだって、私たちを置いてくれてるじゃないですか」
 キヌはそういうが、美神は「あんな善意の塊と一緒にしないでね」とつれない。
「それにおキヌちゃんはともかく、こいつは完全な成り行きよ。給料要らずで除霊の役に立たなきゃ、とっくの昔に追い出すか祓ってるわ」
 そんな横島以下の扱いでも、総司は悪霊や妖怪に刀を振るえる美神除霊事務所をなかなか気に入っているようである。
「あ、忘れてたでござる。拙者、総司殿にお話が」
 シロが横島の顔を舐めるのをやめると、急にかしこまって総司の前に膝をつく。
「皆の協力があったとはいえ、総司殿は八房を持った犬飼にしっかりと太刀を浴びせた唯一の侍でござる。ぜひ拙者に総司殿の剣を教えてくだされ」
「お、おいおい。やめとけよ、シロ」
「目の前であんたの仇に一太刀浴びせたってのは聞いてるけど……よくこんなのに指導を頼む気になったわね」
 シロに頭を下げられた総司は、ニヤリと笑うと刀を抜き「斬る斬る斬る斬る……」と、果たして承諾したのかもよく分からない様子で素振りを始めている。
 熱に浮かされたように震える体と荒い呼吸。美神たちが知る限り総司は常にこの状態であり、たまに血も吐く。そういう設定のキャラクターとはいえ、よく疲れないものだとある意味感心もしてしまう。
「しかし、拙者は未だに霊波刀もこんな状態で……」
 「だから強い剣士に教えを請いたいのでござる」というシロの霊波刀は、以前と変わらぬ小刀様で霊波のぶれもひどいもの。肉体の成長と同時に霊力もとはいかなかったようである。
「でも総司さんも、そういう霊波刀は使ってませんからねぇ。シロちゃんへのあどばいすは無理なんじゃないでしょうか」
 そもそも教えられるほどにきちんとした剣術なのかしら、と美神も首をかしげる。
「斬る斬る斬る! こうだこうだこう「危ねえから、近くで振り回すな」
 一応、シロに教える気にはきちんとなっていたようであるが。
「それに大怪我をしながらもその犬飼って奴を斬ったらしいけど、そっちはアクション映画の特性じゃないかしら」
 アクション映画ではストーリー展開上、後に死ぬほどの大怪我を負った上でも、戦闘中はそれまでと変わらず、あるいはそれ以上の動きが出来ることが多い。
 現に犬飼の事件の時も、犬飼が倒された後は総司は瀕死でまったく動けなかった。
「はぁ……そうねえ。まずは心を無にしようとしてみて。それから全身の気を高めていくの。最後にそれを霊波刀に纏め上げるのよ」
 口ではいろいろ言っても面倒見のいい美神が、しゅんとするシロを見かねて手ほどきを始める。
「うぅー。難しいでござるよ」
 美神の指導に従ってやってみるものも、なかなかシロはイメージがつかめない。
 そこでキヌも思いつく限りのアドバイスをする。
「美神さんは、お金とかギャラのことを考えると集中力が高まってすごい力が出るんですよー。シロちゃんも、なにか自分に合った集中法を見つけたらいいんじゃないでしょうか」
「おキヌちゃん、あなたね……」
 なんとなく面白くなかった美神は、とりあえず「その通りだ」と笑った横島を殴った。
 一方のシロは集中法といわれ、すでに復讐は果たされているものの犬飼のことを頭に浮かべてみる。
「父の仇……マリア殿にひどいことを……」
 蘇った怒りの感情に意識が染め上げられ、霊波刀が出力を増していく。
「おお、これはいいんじゃないか」
「すごいですー」
 先ほどよりも霊波が安定し、長さも数十センチに伸びた霊波刀を見て、横島とキヌは手を叩く。
 けれど美神は苦い顔をしており、総司も「それでは……駄目だ」と素っ気無く告げる。
「む、どこが駄目なのでござろう」
「シロ、あんたは負の感情で霊波刀を作ってる。短期的に見ればそれでもいいんだけど、それじゃいつかあなたの身を滅ぼすことにもなりかねないわ」
「負の感情、でござるか?」
「そうよ。例えば群れの仲間を守りたいとか「違うっ」
 復讐心のようなものでなく、別の思いを力に変えなさいといったことを言いかけた美神を、総司が強い口調で遮る。
「そ、総司?」
「剣の極意は――斬りたい――斬るっ! 斬りたい――斬るっ! 斬りたい――斬るっ!」
 総司がシロを諭すようにそういいながら刀を虚空に振り始める。
「なんのこっちゃ」
「さ、さあ」
「わからないでござる」
「……そっか。なるほどね。理屈は分かるけど、あんたみたいな狂人向きだわ」
 首を捻りながら総司の狂態を見守る三人に対し、美神には総司の言いたいことがわかったようである。
「美神殿、どういうことなのか教えてくだされ」
「そうねえ。総司のいう極意っていうのは、あいつが言ってる通りのことなのよ。斬りたいから斬る。そこにはなんの理念もないわ」
 生前?のシメサバ丸に近いものがあるかもしれないが、あちらはまだ強い者との戦いを望んでいる節があった。総司は斬る相手の強弱に拘りを持たない。斬れればそれでいいのである。
「純粋に斬ることだけが望みだから、強いことは強いわよ。その境地に至れば霊力を相当に効率よく使えるんだから」
 憎しみ、友愛、信条、どんな思いを胸に斬りかかるよりも、斬りたいから斬るという行為は霊波刀の力を引き出せる。それはもっとも心をクリアに、その戦いに集中させることでもあるのだ。
 他の感情による霊力のブースト――例えば横島における煩悩のそれ――をしながらでも、雑念が邪魔にならない境地に至れれば別かもしれないが。
「えーと、つまりは殺人狂になれってことっすか?」
「傍目には変わらないだろうけど、目的は殺すことじゃなくて斬ることなのよ……たぶん」
「殺すために斬るのではなく、斬りたいから斬るということでござるか。よくは分からないでござるが、なんとなく剣士として目指すべきもののような気も……するでござるか」
 シロの最後の言葉は半疑問であった。
 後日、神父やピート、学校組などとも話をして、シロは斬りかかる時には余計なことを考えず斬ることに集中する剣士を目指すことにしたようである。ある程度収束して形を作る霊波刀とはいえ、出しっぱなしでは霊力を少しずつ消費する。シロのような性格では集中もそう続くものではない。それなら犬飼戦の時のように、戦いの場ではまず群れの一員として仲間全体に目を配り――この辺りは愛子の教育の賜物――自分の出番だと思った一瞬に賭ける戦闘スタイルを理想とすることにシロは決めたらしい。


 そして数日後の朝。
「なんかえらい真剣に決意を固めてたみたいだから、てっきりこれからは霊波刀の修行に打ち込もうとか考えてるんだと思ったんだがなぁ。
 ああ、いや、そんな顔すんなって。駄目だなんていってないだろ。せっかく自転車も買ったしな」
 横島はアパートのドアの前に伏せるシロの頭を撫でてやり、道路に出て首輪と自転車をリードで繋ぐ。
「よっし。今日はちゃんと止まれったら止まれよ」
「わぅん」
 シロが力強く駆け出した。
「おお、これはなかなか快適――でもねぇっ」
 徐々に加速がつき、横島が自転車ということもあって、先の散歩のときよりも後ろを気にしなくなったシロが全力で走り出す。
「カーブはもっと気を――ひきゃぁぁぁっ!
 ……シ、シロ。い、いま、ちょっと壁走ったぞ」
「わぉぉぉぉぉん」
 横島は悲鳴を断続的に上げているが、シロは心底楽しそうだ。
「もうちょっとスピード落とせってば――あれ? おい、シロ。ちょっと止まれ」
「わうっ」
 出発前のみでなく以前の散歩の時もきつく言い聞かせていたおかげか、横島の悲鳴は大して気にしていなかったシロが「止まれ」という一言に敏感に反応し、その場で脚をピタリと止める。シロも少し勢いで滑ったが、自転車の横島はそれどころではなく、必死にブレーキを握り込んだ結果――ぽーんと大きく宙に投げ出された。
「ぎゃあああっ」
「――きゃうん!」
「……ふぅ。お前、大丈夫か? よし。今度から、もっとゆっくり止まろうな」
 横島は「このやろう」と思ったが、落下点に走り込んでクッションになってくれたシロを怒鳴る気にはなれず、それだけ言うと転倒した自転車――当然シロが走った際に引きずられ傷だらけ。まあ、横島を助けてくれたのだし、途中でも何度も事故を起こしかけているだけに、今更そんなことで文句をいう気もない――を引き起こし、先ほどシロにストップをかけた原因へと足を運ぶ。
「くぅん」
 鼻をひくひくさせるシロに「お前も分かるか」といって、横島は目の前の家を見上げる。
 赤レンガ造りの洋風三階建ての洋館。敷地は鉄条網に囲まれ、全体に古びたその館の窓には全て板が打ち付けられていた。
「美神さんと一緒にいわゆる幽霊屋敷とかにもよく行くけど、これはちょっと違うな」
「わう?」
「建物自体が霊波を帯びてる。中はどうなってんのかね」
 横島が心眼を強めて建物を探ろうとしたとき、館の扉がぎぎぃっと軋みながら中から開かれた。出てくるのは長いコートを着込み、深く帽子をかぶって顔も見えない怪しい者。
 「シロ、いつでも逃げ出せるようにしとけ」と、横島が身を屈めて囁く。
「あなたは霊能者ですね」
「そういうお前は……この家か?」
 霊波がこの洋館全体から放たれているものとまったく同じであり、特にこちらへの敵意も感じられなかったので、横島が探るようにそう声をかける。
「私は優秀な霊能者に所有して欲しい。最上階にある権利書をご自分の手で手に入れられたなら、その方のものになりましょう」
 それだけいうと、その館の霊は家の中に戻っていってしまった。鍵をかける音がしなかったことから、挑戦者は入って来いという意味だと横島は理解した。
「よし。シロ、教会だ」
 自分にかけられた招待の言葉だとは微塵も考えず、横島はシロの引く自転車で教会に向かって出発する。
 「心当たりを紹介してやろう」と、館に向かって叫びながら。


「なるほど。ここか」
「旧・渋鯖男爵邸。現在の・持ち主は・渋鯖人工幽霊壱号・です」
「ワシ以外にも人工的に魂を作れるものがおったとはな。一度会ってみたかったわい」
 カオスは役所で唐巣が調べてくれた情報を思い返して残念がる。
 そして二人は入り口まで歩を進め、「ヨーロッパの魔王ドクター・カオスじゃ。朝ここに来た小僧と人狼の紹介で来た」と名乗りを上げた。
 館の扉はすぐに問題なく開き、中を見たカオスはほぅっとため息をついて感嘆する。
「確かに生きておるな。中の造りも悪くない。横島には感謝じゃな」
 その横島がカオスを選んだのは、ピートから教会に住み着いたカオスたちについてぼやかれていたことと、「最上階の権利書を手に入れられたらって、あからさまにこっちを試すぜってことだろ。んな危なそうなこと誰が自分でやるかい。危険には近づかんのが一番だ」というのが理由らしい。
 さらに、「無視してもいいんだが、それで付きまとわれても困るから、とりあえずどうなっても構わない霊能者を紹介しようと思ってな。ま、カオスにはマリアがいるし、たぶん大丈夫だろ」とも言っていたと、カオスは後でシロに教えられた。
 まだまだ素直な性格のシロである。
 そして横島の予想通りにいくつか試練は出されたものの、マリアの活躍でカオスはこの屋敷の所有者となった。肩書きこそ錬金術師であり、その頭脳が最大の武器ではあるが、カオスの霊力もそこらの半端な霊能者とは比べ物にならないレベルにある。渋鯖人工幽霊壱号――霊能者からの霊波放射を受けていないと消耗していく――も、この結果に大いに満足なようである。


「今日はいつもと違いますね」
「今朝もシロちゃんとお散歩に行ったみたいですけど」
「なんや、精神的に疲れとるみたいやな」
 別にクラスに馴染めていないわけではないが、昼休みは横島の教室で愛子たちと昼食をとるのが習慣になっている小鳩と福の神が指摘したように、横島はぐったりと消耗した様子で教室に入ってきた。
「横島くん、大丈夫?」
「……警察」
「へ、警察?」
「……警察に捕まった」
 その呟きを聞いたクラス中が「ああ、こいつはいつかそうなると思ってた」という雰囲気に包まれる。
「ちげーよ。覗きとかの時はちゃんと注意しとるわ!」
 どういう逮捕理由を想像されているのかわかる横島がそう怒鳴るが、この発言は明らかに自分の首を絞めている。
「捕まった方が社会のためじゃないですかいノー」
「僕もちょっとそう思います」
 クラス全員が大きく頷く。
「どうせ俺はーーーっ」
「自業自得でしょうが。
 それで、本当の理由は何なの」
「ああ、実は散歩の途中で冥子ちゃんに会ったんだ。教会に行くとこだったらしいんだけどさ」
「冥子さんて誰なんですか」
「六道冥子さんといって、十二神将という式神を使うGSです。以前美神さんたちと一緒に仕事を頼んだこともあります」
「美人?」
「え? ええ、まあ、そういえると思います」
「……はぁ。襲ったのね」
「横島さん、そんなことしたんですか」
 呆れたように言う愛子と、信じかけている小鳩。
「そしたら、今頃は病院だっつーの」
 愛子たちはピンと来ないようであるが、暴走した式神の恐ろしさを知るピートは、あはははと冷や汗を浮かべている。
「唐巣神父が冥子ちゃんとこの学校にシロを入れてやろうとしてんのは知ってるよな」
 全員がそれはピートから聞いている。本当はこの学校が候補の一番に上がっていたのであるが、どう頑張ってもシロの学力では、最低限の転入試験を通らないだろうということで却下になったのである。
 その点六道女学院には霊能科に特別枠があり、シロの学力でも入学可能なのである。しかしどちらにせよ、学校に通うためには昼間も人間の姿でいる必要性がある。そこで唐巣神父と冥子の母――六道女学院の理事――の間で、その為の精霊石のアクセサリー――精霊石の霊波が擬似的に月の魔力と同じ効果を生む――を借りるという話し合いが出来ており、冥子はそれを届けに行くところだったのである。
「それで折角だからその場でシロがつけたんだ。俺も最近はシロの中身は子供なんだからっていう自分への暗示が上手くいってたから、気にせずにそのまま散歩を続けたわけさ。そりゃちょっとはドキドキしたけど、四足でも二足でもなんでスピードがあんまり変わらないんだろうとか考えながら自転車のコントロールするのに必死でもあったしな」
「……つまり、見た目は私たちと変わらない美少女なシロちゃんに、首輪をつけて走り回ったってことね」
 傍から見ても横島の方が引きずられているということは分かったはずであるが、首輪美少女のシロに目を奪われ過ぎたか、ほとんどの通報は男が首輪をつけた少女を引き回しているというものだったそうである。
「帰ったらピートからも、唐巣神父にもう一回お礼言っといてくれ」
 横島を警察から連れ出してくれたのは電話を受けて署まで足を運んだ唐巣。GSとして人狼のシロのことを含めていろいろと警察に説明してくれたので、今度同じようなことがあった場合には、シロを狼の姿に戻せばその場で問題なく解放してもらえるはずである。
「でも六道女学院っていったら名門エリート校ですよね。シロちゃんも英才教育を受けてゆくゆくはGSになるんですか」
「本人はまだ将来のことをそこまで考えてはいないみたいなので、神父もとりあえず学校生活の中で人間世界のことをより深く知り、いろいろな人たちと関りを持って欲しいということだけを考えているようです」
「いいじゃんか、GS。シロならちゃんと霊能の勉強すりゃ楽勝だろ。神父みたいな感じで困ってる人の味方になるの好きそうだし、人狼たちが受け入れられる下地作りにもなるんじゃないか」
 ピートだけでなく横島も人狼族の長老から送り出される時に話は聞いているので、彼なりに気を使ってはいるのである。
「タイガー君もピート君もシロちゃんも将来はGSかぁ。小鳩ちゃんはどうなの。試験受けたりとか考えてみた?」
「いつまでもハンバーガーが売れ続けるとか甘いことは考えてませんけど、やっぱりGSというのはちょっと……」
「ワイがおるんや。危ないことせんでもすぐに大金持ちや」
 それは楽観的過ぎる予測かもしれないが、少なくとも生活に困ることはもうない……はずである。
「じゃあ、横島君は? 前にやる気はないって言ってた気もするけど、頑張って資格取る気はないの。そうしたら、私が助手になってあげるわよ。卒業後に仲間と同じ職場で働くなんて、青春だわー」
「愛子と一緒に仕事か。楽しそうではあるけどなー。ついでに小鳩ちゃんに事務仕事とかやってもらえば、おまけで福の神もついてくるから赤字にはならんだろう。両手に花で俺は大満足だ。そして除霊となったら愛子はいくらでも荷物を持てるから現場で俺はフリー。心眼の行使に集中できる。……まあ、それで解決できる事件なんて、百件に一件もないだろうけどな」
 ようするにサポート役しかいない除霊事務所なのである。しかも除霊事務所をやるなら、一人は必ず免許持ちが必要とされる。
「仮に試験受けたって、ピートみたいな奴らと試合しなきゃいかんもんを俺が通るわけないしな。というか、下手したらそこで死ぬ」
「そっか。残念だなぁ」
「横島さんの能力は相当なものなんですが、如何せん全く戦闘向きではないですからね。でも、助手としては欲しがる人もたくさんいると思うんですが」
「少なくとも労働基準法以下の扱いってことはないはずよね。助手なら助手としての誇りをちょっとは持てばいいのに」
 しかし横島がもっとも職場に求めるものは色気である。フェロモンを振りまく美神と可愛くて優しいキヌのいる現在の職場は、給料以外横島にとって理想的といえるのだ。
「やっぱりムチムチバイーンな――そうか、シロを所長にすりゃいいんだ!」
 肉体的特長以外にも、さっきの空想の事務所に足りない戦えるメンバーとしてシロは最適である。人狼としての優れた身体能力に、まだ修行中ではあるが強力な武器である霊波刀。超感覚にも優れている――この辺りを考えると横島のいる必要性は下がるが。
「それじゃ、今のバイトはやめちゃうんですか」
「いや、小鳩ちゃん。あくまでそんな未来もありかなって妄想だから。高校卒業までもまだまだあるし、もしかしらそれまでに美神さんが雷にでも打たれて俺を正式メンバーとして高給で雇ってくれるかもしれん。
 まあ、今のうちからシロの機嫌だけは取っとくけどな」
「まったく、もう。
 でも、横島君の場合は、まず進級できるかが問題よね」
 「駄目だったら、きちんと愛子先輩って呼んでね」という愛子の言葉にみんなが笑い、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。
 そして、一応ジョウントという特殊能力の他に霊的格闘――霊力を体に纏わせて戦う近接戦――も得意としているタイガーは、小笠原ゴースト・スイーパー・オフィス所属とはいえ全く触れられなかったことに一人涙を流すのであった。









[7464] 七話
Name: 蟇蛙を高める時間◆a7789959 ID:24cb0056
Date: 2009/03/16 23:50

「俺は死にたくなかったんだーっ」
 地上数十階のビルの屋上。その隅に横島とキヌを追い詰めて悪霊が叫ぶ。
 「気持ちは分かるぞ。俺たちは君の理解者だ」と横島が落ち着かせようと試みるが、悪霊は聞く耳を持たない。
 かといって、キヌのように「あなたはもう死んでしまってるの。こんなことをいくら続けても、悲しみと苦しみが大きくなっていくだけですよ」と本当のことを言ってしまうと、「うるせえ!」と逆切れした悪霊に強力な霊波砲を放たれてしまう。
「おキヌちゃん、頼む」
 左右に逃げ場がなく避けられないと瞬時に判断した横島が、柵を越えて飛ぶ。
 その間に、下の階の悪霊退治を終えた美神と総司が屋上に現れ、後ろを見せる悪霊目掛けて神通棍と刀を振り上げた。
「斬る斬る斬るーっ!」
「極楽に逝かせてやるわ!」
「――ギィアアアアアッ」
 二人に切り裂かれあっけなく消滅する悪霊。
 心眼でその様子を捉えていた横島が、キヌに抱きかかえられ屋上に戻ってくる。
「あの人、すごくかわいそう。……死にたくない、消えたくないってずっと叫んでた」
 キヌが悲しそうに呟く。
「ああいう悪霊と、おキヌちゃんや伝次郎、その他GSが危険視しない浮遊霊たちの違いがわかる? それは自分が死んだという事実をしっかりと受け止めてるかどうかよ」
「つまり悪霊は自分の死が認められずに、他の奴を殺したりすることで自分の苦痛を紛らそうとするけど、おキヌちゃんたちは自分が死んだことをちゃんと認めて、その上で何が今の自分に出来るかを考えてるわけっすね」
 幽霊として再度歌手デビューしたジェームス伝次郎などはその典型である。
「まあ、他人に迷惑をかけない限り、幽霊だって元は人間なんだから悪とされるべき存在じゃないわ」
 気にしている様子のキヌに美神が優しく声をかける。
「そうそう。おキヌちゃんはずっと成仏しないでいてくれていいから。――いや、いてくれないと」
「ふふ。みなさん、ありがとうございます」
 美神たちの言葉に頷く総司を含めた全員に礼を言い、その場は一緒に家へと帰ったキヌであるが、その日の夜、一人空を散歩しながら再び自分のことを考え始めていた。
「美神さんも横島さんも私を大事にしてくれるし、ここでこうして働くのはとっても楽しいわ。……でも私、死んじゃってからずいぶん経っちゃったなあ」
 幽霊にも寿命はある。おかしな話であるが、事実である。例えば、原始人の幽霊とまでいかずとも、江戸時代の幽霊ですら見ることは珍しい。人口比の問題も少しはあるが、幽霊とはいっても長いこと存在していると、現世への執着が徐々に消えていき、何もせずとも成仏してしまうからである。
 もちろん様々な要因や霊の意志の強さなどで例外もあり、その例外の一つがキヌである。
「三百年かあ……生きてた時のこと、もうほとんど思い出せないや」
 その時、唐突に上空から降ってきた光がキヌを包み込んだ。
「え、なにこれ――きゃあああっ!」
 そしてそのまま光はどこかへと飛び去っていってしまう。
 キヌをその中へと包み込んだまま。



315



「愛子、頼みがある」
「よ、横島君。それにみんなも。こんな夜中にどうしたの?」
 真夜中というよりも、もうしばらくで朝日が昇るという時間に学校の教室にやってきたいつものメンバーを見て愛子が驚く。
「ちょっと話とかなきゃいかんことがあって集まってもらった。――あ、タイガーは連絡先知らんから放置だけど」
 電話帳でも見ればエミの事務所くらいは載っているだろうが、この時間に繋がるかはわからないし、わざわざそこまでする気はないということである。
「よくみたら、ピート君の服破けてるじゃない。何があったの」
「教会が……崩れました」
 ピートが悲しそうに声を落とす。唐巣神父ほどではないが、教会は愛着のある我が家だったのだ。
「もしかしてさっきの地震? そんなにひどくなかったと思うけど。あの教会そこまでボロ――って、ごめんなさい」
 「いや、見た目の割にはしっかりした造りだったぞ」と、横島が落ち込むピートにフォローする。建築のことは門外漢であるが、霊的な加護と建物自体の調和が上手く取れているように感じられたのである。
「ともかくピートさんも唐巣神父もシロちゃんも大怪我なく無事だったですし、そのことに感謝しましょうよ」
 不幸慣れした小鳩がポジティブに励ます。
「そ、そうよね。……ん、あれ? もしかして小鳩ちゃんや横島君たちのアパートも潰れたの? あっちはもしかしたらって気も……」
「……愛子、ひどいな」
「横島さん、負けちゃ駄目ですよ。屋根があるだけで幸せなんです」
「そやで小鳩。今はこんな暮らしでも、いつかワイらは大きな御殿を建てるんや」
 愛子のからかいや横島たちの落ち込みは――少なくとも小鳩の運は上向いていることだし――仲間内でのジョークのようなものになりつつある。安アパートとはいってもそこまでひどい環境なわけではないのだから。
「とにかく、今回の事件は霊障らしいので、一般の家には被害はほとんどないと思います。横島さんから攻撃的な霊波動を感じたと聞いて、先生も調査を始めているところです」
 「犯人を見つけたら……」とぶつぶつ呟きながら時折暗い笑いを浮かべる唐巣神父は怖かった、と小鳩が思い出して身を震わせる。今その神父は他のGSなどと連絡を取りながら調査中で、索敵能力の高いシロも念のためこちらについている。
「それって唐巣神父の教会が狙われたってことなの?」
「違うな。協会に限らず寺とか神社とか、ともかく霊的に重要なポイントは根こそぎやられてると思う」
「桁違いのパワーやな」
 横島が感じた近くのもののみならず、速報ニュースなどで確認したところ、関東を中心に多くの県に被害は及んでいるようである。しかもピンポイントに各地の霊的ポイント狙っているのである。こんな真似は神魔族でもかなりの力を持った一部にしか出来ない。
「それで私に頼みって何なの。私はただの学校妖怪よ」
 教室に入って来たときの横島の言葉を思い出し、愛子が眉をひそめる。
「あー、こっから先はあくまで俺の予想っつーか想像なんだけど、犯人はなんで霊的なポイントを潰したんだと思う?」
「そうですね……神社や教会などに盲目的な恨みがある。あるいは、霊的な守りがあっては困る」
「そう。さっきの地震は単なる第一陣かも知れない」
「守りが薄くなったところをドカンとってことかしら」
 可能性としては教会などへの攻撃で力をだいぶ使ってしまっているということも考えられるが、甘く見ていい相手だとは誰も思っていない。
「相手は信じられない力の持ち主だ。そこで愛子に頼みたいのは――俺たちの避難に手を貸してくれ」
「へ?」
 まさか戦うために力を貸せと言われたりはしないだろうと思っていたが、その真逆の逃亡に手を貸せというのも予想外だった愛子が呆けた表情で固まる。
 「横島さんらしくはありますけど」とピートも複雑な表情である。
「横島だけの話やないで、ワイらと小鳩の母親も一緒や」
 こちらは話しがついていたのか、小鳩と福の神が揃って愛子に頭を下げる。
「待って。ちょっと、待ってよ。話がよく見えないわ」
「俺はヒャクメ様から多くのことを教わったが、その中でも座右の銘とも言えるのがこれだ。『こりゃあかんと思ったら迷わず逃げるのねー』」
 いくら心眼のスペシャリストになったからといって、それはすごく良くいろいろなものが見えるようになったというだけのこと。GSにでもなったつもりで調子に乗っては駄目だと、ヒャクメがきちんと横島に釘を刺した上で告げたのがこの言葉である。危険なGS助手を続けるのをやめろとは言わないが――それだと、折角教えた心眼が本当に単なる覗きの道具になってしまうし――やはり可愛い弟子には命を落として欲しくないという優しさのこもった助言。ちなみに「こりゃあかん」の部分は、横島に分かりやすく感覚的に伝えようとした結果である。
「いや、横島君の信条っていうか生き方は分かったけど、そういうことじゃなくて、一体私に何を求めてるのよ」
「だから――入れてくれ」


「この先なんだね」
「ええ、おキヌちゃんとはここの仕事で出会ったんです」
 特定された地震の震源地、御呂地岳近辺へ、唐巣・美神という久しぶりの師弟コンビがやって来ていた。荷物持ちはシロとピートで、念のために総司が警戒しながら先を歩いている。
「人骨温泉ホテルですね」
 地図を見ながらピートが確認する。
「そこで話を訊くのでござるな」
 以前の横島は山道と荷物の重みに途中でへばったものであるが、この二人はまだまだ元気で足取りも軽い。美神の道具だけでなく、崩壊した教会に置いておけない荷物までひっくるめて二人が持っているというのにさすがである。
「まったく、昨日の地震は霊的なトラブルの可能性が高くて、震源地から連れてきたおキヌちゃんはそれ以降行方不明だってのに、あいつときたら……」
「おキヌ君のことは彼も知らなかったんだろう。家庭の事情で休みを取るのは仕方ないさ」
 唐巣とピートは横島が実際には逃げたも同然なことを知っているが、それを態々美神に告げはしなかった。家庭の事情で休むというのは、ピートに横島が頼んでおいた美神への言い訳である。
「ふむ、わずかだけれど、この辺一帯から妖気が感じられるでござるな」
「妖気……。そ、そいつは、斬、斬ってもいいんですよね」
 本来は好戦的でないはずの唐巣が、総司の問いに力強く頷くことでそれを肯定する。
「せ、先生?」
「……あの教会は本当に苦労して建てたものだし、思い出もたくさんあったんだ」
「そ、そうですよね」
 美神もピートも今の唐巣は刺激しない方がいいと分かっているので、それ以上は聞かずに歩を進めることにした。
 その後、一行は美神のことを覚えていた人骨温泉ホテルの人間に話を聞き、ホテルの裏手の山にあるという祠近くまで送ってもらうことになる。何を祭っているのかなどはホテルの者も知らなかったが、地元民たちの間ではそれなりに有名な場所らしい。
「とはいうても、ここ十数年は誰も近づいとらんようじゃから、気をつけなさい」
 そういうとホテルの従業員の車は帰っていった。
 唐巣たちは僅かに跡の残る道を通って、森の奥深くへと分け入っていく。
「――っと、行き止まり。先は切り立った崖になってます」
 落ちかけて刀を突き立てて体を支える先行の総司が告げ、続いてシロが崖から身を乗り出して鼻をうごめかす。
「崖の中ほどから何か感じるでござるよ」
 「見てきましょう」と、ピートが荷物を降ろして飛んでいく。
「――祠があります。ホテルの人が言っていたものでしょう。それと、上からは見えませんが、細い道がありますね」
 とはいえ、そちらの道を回ると大分遠回りになりそうだったので、ピートが順番に崖の中腹へと皆を降ろすことになる。
「だいぶ崩れてるな。昨日の地震が原因か」
「掘ってみるでござる」
 総司とシロは、最後の唐巣が降ろされている間に、入り口付近を塞いでいる岩を退けていった。
「ぶるっ。なんだか寒いでござ――おキヌ殿!」
「おキヌちゃんが!」
 シロの叫びに、美神も慌てて祠の中に駆け入って来る。
「これは……」
 唐巣もそれを見て言葉を失った。
 祠の奥には数メートルはある巨大な氷の塊があり、その中でキヌの遺体が凍りついていたのである。
「これも先の地震で岩が崩れて剥き出しになったみたいだね。しかも……ただの氷ではないようだ。強力な呪がかけられている。地震、直後に消えたおキヌ君、祠に祭られたその遺体。何かないと考える方が難しいね」
 そこへ、「まんず、そこで何さしてる!」と少女の強い詰問の声が入り口からかけられた。
 最高峰のGSたちが彼女に気づかなかったのは、彼女が悪意や攻撃的な霊波を持っていなかったことと、感覚の鋭いピートやシロが氷の調査に気を取られていたせいである。
「ここはわたすの家が管理してる神聖な場――」
 そこまで言って、高校生ぐらいに見える巫女服姿の少女は、凍りついたように体と表情を強張らせる。明るいところから入ってきたことで最初は薄ぼんやりとしか見えていなかった祠の中が、徐々によく見えるようになって、キヌの遺体に気づいたのである。
「ひっ、人殺しーーーっ」
 少女は転げるように祠を飛び出して逃げていく。
 まあ、こういう状況でなくとも、血走った目で顔に狂気を湛え、荒い呼吸をしながら抜き身の刀を下げている男と出くわしたら、ほとんどの人はそうするだろう。
「……今の娘、ここの管理者の家だって言ってたわよね」
「そうだね。彼女や家族の人に話を訊いてみよう」
「――そういうことだから、さっさと刀を仕舞って後ろからついてきなさい」
 細い崖沿いの道を「こんなところを走っていって怪我をしていないといいが」などと先の少女を心配しながらゆっくりと歩いていくと、道は山の中の開けた場所に出て、少し先には大きな鳥居が見えた。
「こんな山奥にしちゃ、ずいぶんと立派な神社ね」
 石段を登っていくと、上の方から興奮した少女の声が響いてくる。
「先ほどの方ですね。
 まずは誤解を解かないと」
 幸いにも石段を降りてきた少女の父親が冷静な人だったので、唐巣らによってすぐに人殺しという濡れ衣は解けた。
「そうだったんか。わたす早とちりなもんで、まんず勘弁してけろ」
 少女――ここ氷室神社の一人娘、氷室早苗――も照れながら総司に謝ってくれる。
 早苗は、垢抜けてはいないが明るくさっぱりした美人であり、「横島さんがいたら彼女に飛び掛っていて、もっと誤解を解くのに苦労したでしょうね」とはピートの言葉。
 美神もきっとそうねと笑う。
 しかし鳥居をくぐって神社の中に入ろうとした唐巣たちは、強力な結界によって侵入を拒まれてしまった。
 その凄腕の霊能力者である唐巣や美神を易々と弾いた結界は、『やめて。その人たちはお友達よ』という微かな声が聞こえたかと思うと、ふっとかき消える。
「今の声は……」
「おキヌ殿?」
「あの、この神社はいつもこんな結界を張っているんですか?」
 ピートの問いに早苗の父の神主はまさかと首を振る。
「でも、外では残らず崩壊した神社がまったくダメージを受けていないわ。さっきの結界のおかげね」
 美神が「やっぱりここには何かがあるわ」と確信を込めて告げ、一行は神主と霊障の可能性が高い地震のことと、この土地・神社の伝承についての話を交換する。
 神主が古文書を紐解きながら話してくれた郷土史によれば、この地には300年ほど前に強大な地霊がいたそうである。
 その名は死津喪比女。
 この地脈からエネルギーを吸い取る妖怪を退治するために、藩主が招いた高名な道士が取った方法が、地妖を封じる装置を作り、その装置の要となる霊的部品にするために一人の巫女を人身御供に捧げることだったのである。
「その人身御供にされた少女がおキヌちゃんってわけね」
「だが、彼女は少なくとも最初は成仏を望んでいたんだったね。過去のことを覚えてもいないようだったし、長年のうちに装置が問題を起こしていたのかも知れない」
 美神はきっと最後の引き金は自分がキヌをただの地縛霊だと思いワンダーホーゲルの霊と入れ替えたせいだと気づいたが、口には出さず唐巣の説に乗っておいた。
「それではその装置を直せばいいのでござるか?」
「おキヌさんのこともありますし、300年前の道士が作った装置が現代の僕たちに扱えるかも……」
「とにかく調べてみよう」
「そうね。呪的メカニズムを解明して、死津喪比女を倒し、おキヌちゃんを連れて帰る。
 まったく、ただ働きもいいとこだわ。帰ったら役立たずの自給下げないと」
 これはここに心眼使いの横島がいれば調査が楽になっただろうということで、その評価はきちんとしている美神であった。


「あの、横島百合子さんですよね?」
 ナルニア空港のロビー、人を探している様子のぴしっとしたスーツ姿の三十代くらいに見える女性に、花戸つぐみが声をかける。百合子はつぐみが横島に聞いていた年よりもずっと若く見える、エネルギッシュな雰囲気の黒髪の女性であった。
「始めまして、花戸つぐみといいます。息子さんにはお世話になっています」
「横島百合子です。息子から電話をもらってます」
 百合子はつぐみの荷物らしい古ぼけた机が気にはなったけれど、この場でいろいろと追求することはせず、まずは「ウチに行きましょうか」とつぐみを自宅に案内する。机の運搬と運転は、クロサキという百合子の夫――横島大樹――の会社の部下が行った。
 百合子たちの住まいは、街外れにある緑に囲まれた一軒家である。
「素敵なところですね」
 ジャングル近くというか、ほとんどジャングルの中ではあるけれど、家の中は快適で過ごしやすそうだった。安アパートを転々としてきたつぐみにはうらやましい家である。
「詳しいお話を伺えますか。電話ではあなたがいらっしゃるということ以外は要領を得なくて」
 リビングで茶を入れながら、息子からの電話はつぐみの迎えを頼むということだけだったと百合子が愚痴を零す。
「そうでしたか。詳しいことは――愛子さん、お願いします」
 呼びかけに応えるように、玄関脇に置かれた机がとことこと器用に四足でつぐみの元へやってきた。
 それを見ても僅かに目を見開いただけの百合子は相当に肝が据わっている。ナルニアに来てからさらに物事に動じなくなったようである。それでも机が、んべっ、と自分の息子と小鳩、それに福の神を吐き出した時には、さすがに茶を噴き出しかけていたけれど。
「忠夫! あんた、一体――」
「お袋、久しぶり」
 言いながら、横島はいきなり百合子にぐいと抱きつく。
「あ、えっ……」
 予想外で、はっきり言うと少し気持ちの悪い息子の行動に、百合子は言葉が上手く出てこない。
 横島が抱擁を解くと、今度は小鳩と福の神、そして机から生えた少女の姿へと変わった愛子が自分たちの自己紹介を始めた。それは簡単な名乗りに留まらず、自分たちのことを詳しく説明していく。
「……つまり、あなたたちとウチの息子は、人間と人外の存在を繋ぐ架け橋になりたいと思ってるってことなのかい?」
 口々に熱く語られた内容は、要約するとそういうことらしいが、百合子は少なくとも自分の息子がそんな立派な目的意識を持って行動しているとはとても信じられない。愛子も小鳩も美少女であるから、至極妥当に色香に惑わされているのかとも考えるが、横島の態度からはそんな様子も感じとれないのである。
 それでも探りを入れてみようと、「どっちなの?」と詰問してみれば、「そりゃあ二人とも可愛いし、すごくいい娘だけど、そういうこと以前に二人ともとっても大切な仲間なんだ」と照れたように返されてしまう。
「……せ、青春してるのね」
 百合子がやっとそれだけ搾り出した言葉に、その通りなんですと4人全員が声を揃えて同意した。


 美神たち五人と神主は、六本の石柱に支えられた巨大な石球――直径二メートルほどで、ぐるりと注連縄のようなものに取り巻かれている――の前に立っていた。
 ここは建立されたのが300年前と聞き徹底的に嗅ぎ回っていたシロが見つけた氷室神社から通じる地下道の奥。これこそが、恐らくは江戸から招かれたという道士が作った死津喪比女を封じるための霊的装置なのだろう。
「おキヌちゃん、いるんでしょ」
 美神の呼びかけに、石球が発光し、中心のわずかに浅く円形に窪んだ部分からキヌの上半身が現れた。以前の巫女服はおろか何も纏わぬ霊体となっているキヌの姿に、ピートがわずかに顔を赤らめて目線を逸らす。
「美神さん! 皆さんも!」
 あれっ、とおキヌの視線が辺りをさまようのをみて、「あの馬鹿は急な都合で休んでるわ」と美神が告げる。
「そう……なんですか」
 「横島さんにもきちんとお別れをしたかったんですけど……」とキヌが悲しそうに俯く。
「お別れ?」
 非難めいた意思を込めた口調で美神が問い返す。
「はい」
「――その説明は私からしましょう」
 装置の脇に今度は神主とよく似た姿の男性の姿が現れた。
 その顔を見て、「もしや、ご先祖様」と神主が息を飲む。
「あなたは……霊体ではありませんね」
 腰から上だけの時折ちらつく姿から生きた人間でないのはわかるのだけれど、かといって霊波も全く感じないことから、そう唐巣が声をかける。
「さよう。私は万が一の時のために記録された過去の人間の人格の再生に過ぎませぬ」
 そう言って、かつて死津喪比女を封じた道士の映像は、詳しい過去の出来事から語り始めた。
 死津喪比女を鎮めるためにこの地へやってきたこと。
 そのために地脈の堰を作って、死津喪比女への力の供給を食い止めようとしたこと。
 その装置を動かすために必要な霊体部品となってもらうために、人身御供を領地内のその年15になる娘たちから募ったこと――これがキヌ。
 しかしそのために若い娘の命を奪うことには躊躇があり、水脈内にしっかりと遺体を保存しておくことで、いつの日か完全に死津喪比女が祓われた後には、反魂の術で蘇ることが出来るようにと考えたこと――残念ながらこの事実は三百年のうちのどこかで伝承が途絶えており、無駄骨折りに近いものになっていたが。
 儀式を完成させる直前に死津喪比女――地脈に根を張り、花や葉の一部を地上に出して人を襲える――の切り離された一部に襲われ、詳しい説明をする前にキヌがみなを救うためにと水脈内に飛び込んでしまったこと――キヌが自分のことをよく覚えていなかったのはこのため。ただでさえ幽霊の記憶はぼけやすいものなのである。
 いまや死津喪比女はキヌの霊体が失われ装置が稼動できなかった間に複数の地脈へと根を伸ばしてしまっており、一刻の猶予もないこと。
 こうなっては、死津喪比女を祓うのに本体を直接攻撃するしかないこと、などである。
「ちょっと、待ってよ! それって――」
「おキヌ君の霊体を武器に、ミサイルに使う気ですか」
「なっ……。おキヌさん。おキヌさんはそれでいいんですか」
 人身御供の話のときから顔をしかめていたピートが抗議の声を上げる。
「私、ようやく思い出したんです。昔のことも、みんなを守りたいっていう思いも」
「おキヌちゃん。それなら……なんでそんなに辛そうなのよ!」
「そうでござる。きっと何か他にも方法があるでござる」
 シロも叫ぶが、道士の記録はゆっくりと首を横に振る。
「奴は地底深くに潜んでいる。位置を突き止めるのも困難なのだ。地脈で増幅させた霊体を武器にする以外に方法はない」
「確かに霊体ならば地中でも自由な追跡が出来るのだろうが……」
「それに、必ずしもおキヌが消滅すると決まったわけではない。地脈の力で気を回復させていけば、あるいは――」
「消滅しかけた霊体を復活させるなんて、数十年、いえ数百年後になるわよ」
「それでも……美神さんたちにはきっともう会えなくなるけど、美神さんたちの子孫になら会えるかもしれません。私、楽しみにしてま――」
「駄目よ! おキヌちゃん、忘れたの? あなたには給料二ヶ月分を前貸ししてるってことを。私本人への返却を難しくするような行動は絶対に許さないわ!」


「これが、東京なのか」
 大樹が食い入るようにTV画面を見つめて、ほうっと息を吐き出す。
 画面の中に映し出されているのは、黄色い霧の様なもの。その中にうっすらと高層ビルの立ち並ぶ姿が見えている。
 この霧には人を麻痺させる性質があり、中へ入っていくことは不可能だとアナウンサーが叫んでいる。
「……日本の放送も入るんだな」
「ちょっと、横島君。なんでこの状況見て感想がそれなのよ」
 愛子たちの小声のくだらないやり取りを他所に、画面が避難出来た人たちへのインタビューへと変わる。
 「右半身が痺れて上手く動けない」「自動車の動きにも影響があった」「緑色の怪物が人を殺している」等々。
「この人の言ってる怪物っていうのが、あんたが言っていた神社なんかを壊したっていう存在なのかい?」
 百合子が横島へ振り返って訊く。
「確信はないけど、タイミング的にたぶん」
「あそこにいたらと思うとぞっとしますね」
「本当に、横島さんのおかげです」
 こうして東京が大規模に襲われたのをみると、手っ取り早く日本から逃げようと考えた横島の行動は正解だったのだと小鳩が改めて礼を言う。まだ完全には復調していないつぐみには、あの霧は致命的なものになったかもしれないのである。
 横島も「これが霊感って奴さ」と応じている。
「だが、お前はGSの助手をやってるんだろう?」
 横島は自分のバイトのことを、美神は業界の最高峰であり、ミーハーや打算で寄ってくる人間も多いので厳しい労働条件で助手希望者をふるいにかけてはいるが、認められなくてもその元で学べることは多いから師事しているのだと説明してある。
 真面目にGSの元で学んでいるのなら、逃げ出したりしてよかったのかと暗に問う大樹の言葉に、横島は「足手まとい」とだけ簡単に答える。
「その通りやな。美神はんとこには、代わりに唐巣はんたちが行っとるはずやし、シロでも十二分な変わりになるやろ」
「荷物持ちとしてはシロのほうが上だし、霊的探査に関してもあいつは優秀だからな」
 ニヤリと笑う福の神に横島も特に反発はしない。
「わが息子ながら情けないな」
 大樹にもそうからかわれる横島だが、小鳩や母、福の神や愛子も感謝の視線を向けてくれるので、気にはならない。
 彼女たちを危険な目に会わせずにすんだのだという自負があるのである――もちろん、我が身可愛さで自分だけでも逃げただろうことに変わりはないが。
 そんなことを話しているうちに、画面は専門家のコメントへと移り変わっていく。
 霧を形成しているのは未知の植物の花粉らしいと生物学者が言えば、GS協会の人間がそれが霊的な毒を帯びていると伝える。
 さらに、東京がこの状態なのだから首都機能を移すべきだという気の早い議論を始める者たちも登場し始めた辺りで、横島の注意は放送から離れていった。
 普通なら残してきた人々の心配でもするところであるが、横島の知り合い達は、何があっても死にそうにない連中である。
 愛子や小鳩はクラスメートや学校関係者の心配をしているようであるが、横島が零すのは「大丈夫かな、シロやおキヌちゃん」という、親しい中でわずかに安全に不安を感じるのが人狼と幽霊という、ずいぶんと交友関係に偏りが伺える言葉であった。


 横島はまったく心配していなかったが、業を煮やした死津喪比女が東京と結界の範囲外の地元の人間の命を盾に、氷室神社へと地脈の堰を解放するように脅しをかけてきたために、実のところ美神もまったく余裕を失くしていた。
 だからといって、美神が素直に脅しに屈することなどあろうはずもなく、「上等よ!」という美神の合図と共に地脈のエネルギーで極限まで増幅された霊体が発射される。
 増幅された霊体は凄まじいスピードで死津喪比女の本体の球根へと向かっていく。
 当然死津喪比女もそれに気づくが、いくら地中に潜む妖怪とはいえ、霊体ほど自由に地中で動けるはずもない。
 そして激しい爆発音と共に山の麓の森――そこに本体が潜んでいたのである――が吹き飛んだ。
 豊富な養分を与えられていたのならともかく、地脈の力を断たれた状態では最小限の養分のみを与えて本体からコントロールするしかなかった花や葉たちも、次々と後を追うように枯れ落ちていく。
「ありがとう。これで私の念願も叶った」
 それを確認した道士の記録も安心したように消え去り、今度はそれと入れ替わるように別の姿が美神たちの前に現れた。
 それを見て唐巣やピート、シロなどははっと身構えるが、その顔に覚えのある美神は「肝心な時にどこ行ってたのよ」と溜め息を吐くだけである。
「そう言われても、地脈があの状態だったんで、地の神になってた自分は身動き出来なかったんスよ」
 かつてキヌと入れ替わりに地脈に括られたワンダーホーゲルは、そう言って山の神らしく豪快に笑う。
「ともかく、山を愛する自分はこの地の神としてどんどん力をつけてるんスよ。今だって、分球した弱っちい方の死津喪比女を抑えてるんすから」
 あっけらかんと言われた言葉に一同は驚くが、都市を襲うほうを優先したために、分けられた球根はほとんど力を持たず、遠からずワンダーホーゲルによって完全に滅されるだろうと保障されたので、再び胸を撫で下ろす。
「これでもここの神様なんすから、ちょっとは信用してくださいよ。なんなら、おキヌちゃんの復活にも手を貸せますよ」
 それを聞いて、「それでは、早速」とシロが霊波刀で氷の中からキヌの遺体を掘り出そうとするが、そこへ「待ってください!」とキヌが慌てて制止の声をかけた。
「どうしたんですか、おキヌさん」
「あの、私、今すぐ生き返らなくても……しばらく幽霊のままでいられないでしょうか?」
「えっ。せっかく生き返れるんでござるよ」
 父親を亡くしたシロの前で生を拒むのは申し訳なかったけれど、キヌは道士から生き返る場合に起こり得ることの話を聞いており、それはどうしても避けたかったのである。
「……記憶のことだね」
「先生?」
「霊の体験というのはとても儚いもの。夢のようなものなんだ。目覚めれば夢は泡のように消えてしまう」
「そっか。それに300年間も氷漬けになっていたんだもの。生きてた時のことさえ覚えていられるか……」
「みんなのこと忘れるなんて……私、横島さんとちゃんとお別れもしてないのに」
 キヌは俯いて必死に涙をこらえる。
「――だったら、別にいいんじゃないの? ちょっともったいないけど、おキヌちゃんはそれで構わないんでしょ」
「へ?」
 美神からの意外な言葉に、キヌは驚いたように顔を上げる。
「今のおキヌちゃんをおキヌちゃん足らしめてるものが消えちゃうかもしれないっていうのに、それを無理強いするほど私はひどい人間じゃないわよ」
「み、美神さんっ!」
 抱きついて来たキヌの頭をよしよしと美神が優しく撫でてやる。
「帰りましょ。一緒にあの馬鹿を怒ってやらなきゃ」
 その様子を優しく見守りながらも、ピートが良いんですかと一応唐巣に訊ねる。
「まあ、315年というのはとても重いものだよ。おキヌ君の霊体を持っただけの別の人間が生まれることになる可能性が高い以上、それでも確かな生の方が重要だなんて私には言えないさ。
 人間、妖怪、幽霊。あらゆる存在が、等しく幸せになれるよう希求していくのがGSの役目だと私は思うんだよ」
 そうやって唐巣が理想を語る一方、美神は「大体、そうなったら借金踏み倒されちゃいそうだしね」と、身も蓋もないことをキヌに言っていた。


 ちなみに、美神は死に花も咲かせてやったし、いい厄介払いが出来たと思っていたのであるが、後にシロとキヌにせがまれて横島がレンタルしてきた映画の中から総司は復活することになる。
 そもそも絵画などと違い、映画館で上映されるフィルムはオリジナルから何十本、何百本とプリントされるもの。故にキャラクターの魂は、映画という創作物を含んだ媒体の中に普遍的に存在していたのである。
 全く同一の存在ではないけれど、確かに彼らと一緒に過ごした存在でもある総司は、意外とダイ・ハードなのであった。









[7464] 八話
Name: 蟇蛙を高める時間◆a7789959 ID:24cb0056
Date: 2009/10/30 21:34

「はっはっはっ、残念だったなクソ親父め」
 久しぶりに戻った東京の自室、留守番電話のメッセージを聞いた横島が高笑いを上げる。
 ナルニアから帰国する際に、レアメタル鉱山事業の決算報告を行うという名目で大樹も一緒に日本に一時帰国することになったのであるが、その前にTV放送で横島の上司、美神令子の姿を目にした時の大樹の様子から、その理由は怪しいものだと横島は疑っていたのである。
「わはは、なにを言ってるんだ忠夫。せっかく父さんがいるんだから、大いに頼ってくれて構わんのだぞ。仕事先まで車で送って行ってやろうじゃないか。お前の雇い主や同僚に挨拶もしたいしな」
 期限付きの仕事のために今日にも地方の山に出かけるという美神のメッセージを聞いた時には、期待が外れたと少々落胆してしまったものの、せっかく息子の関係者に素晴らしい美女がいて、しかもここは百合子の監視がない日本なのだ。大樹も折角の機会を諦める気はまったくなかった。
「やっぱり、それが目的か。てめえ、スチュワーデスさんに電話番号貰ってたくせに、美神さんにまでちょっかい出そうってのか。母さんのことも考えろよ」
 口では倫理を問題にしながら、横島は「うらやましいぞ、ちくしょー」と、心の中で怨嗟の声をあげている。
 きちんと入国手続きをしていないので帰りも愛子の中だったことがなくとも、ナンパについぞ成功したことがない横島にとって、大樹が数時間のフライトの間にスチュワーデス――それも二人も――を口説き落としていたのは信じがたい奇跡だったのだ。
「……まったく。お前は愛子ちゃんか小鳩ちゃんが好きなんだと思ってたんだがな。美神さんが駄目だっていうんなら、彼女たちなら口説いても良かったのか?」
 本心を隠せていない横島に大樹は呆れるが、「良いわけあるかっ! いい大人が女子高生に欲情してんじゃねえっ」と、横島も負けじとやり返す。
「わはは、年の差なんか気にしてる辺りがまだまだ子供だな、忠夫は」
 ようするに、どちらも欲望に忠実なだけという辺り、実に親子である。
「そういう問題ちゃうわ。ほんとに母さんに言いつけるぞ」
「――やってみるか?」
 電話に手を伸ばした横島に、大樹が唇を歪めて笑いかける。その手には胸元から取り出した鈍く光るナイフがあった。
「こいつはゲリラから巻き上げたんだ。何人も殺してる呪われた業物だぞ」
「……」
 来歴はともかく、ナイフ自体に霊的問題がないことは分かったのだが、かといって冗談ではあろうが武器を持った相手に歯向かう勇気もない横島は、悔しげに舌打ちして伸ばした手をゆっくりと引っ込めるのだった。


「賑やかですねー、横島さんたち」
「二人とも青いんやな。あいつの親父も、ほんまに横島をそのまま大きくしたみたいな節操なしやし」
 福の神がやれやれと小鳩に肩をすくめてみせる。
「……ねえ、母さん。まさか横島さんのお父さんに口説かれたりしなかったよね?」
「ふふ、どうかしら」
 まさかね、という小鳩の問いに、からかうようにつぐみが答えをぼかした。
「ちょ、ちょっと、母さーん!」
「あら、家族ぐるみのお付き合いは嫌なの? 小鳩は横島さんに気があるんじゃなかったかしら」
「それとこれとは話が別――って、家族ぐるみの付き合いってそういう意味じゃないでしょう!」
 騒がしい両家のやり取りをよそに、すでに死津喪比女の花粉の影響も消え旧に復した東京の夜は穏やかに過ぎていった。



Purrfect Solution



「なるほど、開発会社の人間が来るたびにこれなわけね」
 美神とキヌの前にあるのは、ぐしゃぐしゃに破壊された車。他にも少し離れた場所に同じように破壊された車が何台か放置されている。
「開発会社さんですかー。のどかでいい所だと思うんですけど」
 「私の田舎みたい」とキヌは言うが、「ここに住んどる人間からしたら、そうも言っとられんです。おるのは年寄りばかりで、こったら不便な田舎じゃ、日々の生活も大変じゃで。出来るだけ早くゴルフ場に来てもろうて、金を落としてインフラを整備してもらわんことには……」と、美神除霊事務所への依頼主である村長は大きなため息を零す。
 開発関係者が来る度にこうしてこの山に住む妖怪が邪魔をするため、このままではゴルフ場の建設計画そのものが流れてしまいかねないのである。今はまだ人的被害が出ていないからいいものの、今後そういったことが起きればそれは確実となるだろう。
 おまけに村長は美神に依頼するための金の捻出方法などにも連日頭を痛めていたこともあり、その顔に疲れが色濃くにじみ出ている。
「それもそうですよねー。今の都会はとっても便利ですし」
 300年のブランクのために、恐らく都会の発展と利便性の向上に一番衝撃を受けた人間であろうキヌが素直に村長の言葉に相槌を打つ。
「まあ、私が来たからには大丈夫よ。大船に乗ったつもりでいてちょうだい」
 早速様々な調査道具を車から降ろして、美神は大破した車の検分を始める。
「この跡は鉤爪かしら。車をたやすく切り裂いてるし、相当鋭いわね。……おまけにこうして投げ飛ばして木に叩きつける力もある、か」
「これ、動物の毛でしょうか?」
「みたいね。おキヌちゃん、これにしまっといて」
 キヌが自分の霊波で干渉してしまわないようにしつつ、専用のふた付きプラスチック試験管に、慎重に試料をピンセットでしまっていく。宿泊地――村長の家――に戻ってから、詳しい分析をするのである。
「……こんなものかしら。ここで見れるものは大体見たし、後は分析が終わってからだわ。行きましょ」
 美神が促し、一行は今度はベースとなる村長の家に場所を移していく。
「おキヌちゃん、これよろしく」
 渡されたボストンバッグを持ってキヌがふわふわと家の中に飛んでいく。荷物を車から運び込むのも意外な重労働なのである。
「こういう時、あいつがいないと困るのよね」
 様々な霊具を使いこなす美神だけに、荷物持ちがいないとその運搬に支障が出てくる。本人は身軽でいなければならないし、恐らく今回は車の使えない森の中に分け入っていく必要もあるのだ。
「それがなければ、さっさと横島君に荷物全部背負わせて、あそこから相手の霊波を追っていけばお終いだったのに。
 こないだの死津喪比女の時といい、肝心な時にいないんだから……。もう時給下げようかしら」
「そんなことしたら、いくら横島さんでも死んじゃいますよ」
「じゃあ、おキヌちゃんの後輩だから、日給20円ね」
「もう、いくらなんでも可愛そうですよー。それなら私のお給料の方を上げてもらっても――」
 二人とも横島がやめるという発想をしない辺りに、強い結びつきと絆が感じられないこともない――かもしれない。
 そしてそれなりの夕食を村長にご馳走になった後、美神は採取したサンプルの解析に取り掛かり、分かった事実を依頼人に告げて行く。
「化け猫、ですか?」
「ええ、そうよ。何かのきっかけで猫が変化した妖怪。元から猫は魔性に敏感で、それ自体が魔の素質を持ってもいるの。だから化け猫は一般に霊力が高くて頭も良く、その動きは敏捷。様々な超能力を持っている場合もあるわ」
「な、なんだかとっても厄介そうな相手ですね」
 不安そうなキヌに「大丈夫よ」と声をかけ、村長にも「私にまかせときなさい」と自身ありげに微笑む。
 相手によってはここで更に謝礼を吹っかけたいところであるが、向こうの懐具合からそれは無理だろうと、笑顔の裏で少し残念そうな美神であった。


「……畜生か、あの親父は」
 大樹がスチュワーデスを口説き落としたのは目の当たりにしたものの、自分の知り合いの女性にちょっかいを出されるという考えが不快だっただけで、横島は大樹ごときに美神がどうこうできるなどとはまったく思っていなかった。
 なにせ大樹は家では情けなく百合子の尻に敷かれているのだし、美神はあの通り唯我独尊で男など――というか大抵の人間を――便利な道具くらいにしか考えていないように見える。
 だから大樹の考えが面白くはなくとも安心してもいたのだが、一緒に訪れた村枝商事――大樹の勤める会社。百合子もここの元社員――で、その気持ちは盛大にぐらついてしまった。
「まずは仕事を片づけてから出かけよう。ちょっとそこのラウンジで待っててくれ」
 そう言われたのを無視してこっそりと後をつけてみれば、横島の目に飛び込んで来たのは思いもよらぬ光景の連続。
 大樹の姿を見かけた女性社員のほぼ全てが、彼とかつて関係を持っており、今でも未練を残し思いを寄せていると分かる素振りを見せたのである。
「こ、こいつは底が見えん。お袋の前ではただのダメ親父なのに……。美神さんは大丈夫……だと思うが、この親父が相手じゃ、下手したらぽやぽやした幽霊のおキヌちゃんなんかは危ないかも知れんぞ」
 横島は自分を基準に考えるので、幽霊であることはあまり関係ない――本当に大樹もそうかもしれない。
「どうした、忠夫。用は済んだから行くぞ」
「あ、ああ」
 「ナルニアなんかじゃなく、月の裏にでも飛ばしとくんだったーっ」という怨嗟の声が後ろから聞こえてくる辺り、ナルニアでの仕事の方も問題なく利益を出しているのだろう。
 大樹は笑顔で颯爽と会社を後にする。
 このとき横島は決意したのだ。
 「俺が先に目を付けたねーちゃんたちに、わずかな危険の可能性でも近づけてたまるか。男なら考えつく限りの手を尽くし、父親をぶっ殺してでも乗り越えて一人前になるのだ」と。


「ピート君たちも大変だったのね。とにかくみんな大事が無くてよかったわ」
 学校で無事の再会を祝し、愛子たちはお互いの体験談を話していた。
「ええ。しかも政府の方から死津喪比女退治の報奨金が出たので、無事に教会の再建も目処が立ちましたからね。すぐに突貫工事に入れそうです」
 「こういったことに人狼の村で教えてもらった資金を使いたくはなかったですし、本当に良かったですよ」と、一時帰省中のシロを思い浮かべるピート。学校に行けるのをとても喜んでいた彼女を、出来るだけ早く呼び戻してやりたいのである。
「横島なら、うちに泊めてやるとか言いそうやけどな」
「取り返しがつかなくなる可能性があるので駄目です」
 福の神の言葉を言下にピートが否定し、「たしかに危険すぎるわね」と愛子も笑う。
「横島君なら絶対に――どうしたのタイガー君。そんな寂しそうな顔して」
「どっちでもいいから、ワッシにも声をかけて欲しかったですジャー」
 タイガーはこのメンバーで唯一、花粉で覆われた東京で麻痺して倒れた被害者である――雇い主のエミは自宅に高レベルの結界を張っていたためにほとんど被害なし。
「ごめんねー、誰もタイガー君の連絡先知らなかったんだもん」
 改めて全員に電話番号と住所を教えつつ、「横島さんには前に教えたことがある気がするんじゃが……」とタイガーはぼやく。
「ハハ、あいつが男のことなんか覚えとるかいな」
「もう。駄目よ、貧ちゃん、そんなこと言ったら」
 小鳩は一応いさめるが、さもありなんといったところである。
「その横島君は、今日も美神さんのところなのかしら」
「いえ、お父さんと朝早くに出られたみたいですよ」
「へー、横島さんのお父さんですか。どんな方なんです?」
 ピートの問いに、愛子も小鳩も「あの二人はすっごく似てるわよね」と頷き合う。しかもあまりほめられるべきではない所が、とまでは言わない辺りが二人の優しさだろう。


 そのそっくりな横島親子はといえば、現在お互いに胸に一物抱きつつ、美神除霊事務所に依頼をしてきた村を目指している真っ最中であった。
「これがお前のいる事務所が手がける事件なのか?」
 昨日美神たちの調べたのと同じ現場に車を停めた大樹が、横島が破壊された自動車の前に佇むのを見つめる。
 横島は「ああ、間違いないと思う」と頷いた。
 既に昨日の美神とキヌの霊波は捉えている。その痕跡からも、今回の依頼はこの車を襲った相手だろうとほぼ確信出来たのだ。
 工事も中断し、人の行き来がほとんどなくなっていたために、残留霊波を見出しやすい条件が整っていたおかげである。
「うーん……これ、かな?」
 さらに心眼で周囲を探り続けた横島が、今度はあまり自信なさげにそうつぶやく。
 これだけ派手に車を破壊しているのだから、相手は襲うときにかなりの霊波を発したはずであるが、大分時間が経っているためにさすがの横島もはっきりとはその名残を捉えられなかったのである。
「親父、こっちだ。合流しよう」
 それでも横島はそう告げて、かすかな霊波を追いながら森の中に分け入っていく。
 横島の目的は大樹に言ったように美神たちと合流することでも、まして事件を解決することでもなく、両者を会わせないことなのだから、間違いでもちっとも構わないのだ。
 むしろ大樹が今回の除霊対象に襲われてしまえばいいと、横島は密かに期待をかけてさえいる。
 そこで攻撃的な地縛霊の霊波をみつけた時には、横島はさり気なく大樹をそちらに誘導していったりもしてみた。
 もっとも大樹がその地縛霊を殴り飛ばすのを目の当たりにすることになり、「こりゃ駄目だ」と早々に小細工は諦めることになったが。
 「本命が強い相手だといいな」横島は小さくつぶやく。
「何か言ったか?」
「いや、何も」
 除霊仕事で慣れた横島と、陣頭指揮に立ってジャングルの中の鉱山で仕事をしていた大樹は、お互いに確かな足取りで森の奥へと進んでいった。


「美神さーん。いい加減に起きてお仕事しましょうよー」
 もう何度目になるか分からない声をかけながら、キヌが布団にくるまる美神をゆさゆさと揺する。
「うー……朝ごはんいらないから、もう少しぃ……」
「朝ごはんって――もう、お昼なんですってば」
 ふあぁ、とまだ眠そうにしながら、美神がようやく起きだして化け猫捜索のための準備を始める。
 村長には「念のために周囲の霊波に気を配りながら眠っていたから、普段より睡眠時間を多くとる必要があったのよ」などと説明していたが、美神の朝はいつもこんな感じである。
「ほんとにそんなかっこで山に入りなさるのかね」
 心配する村長に「ちゃんと登山靴を履いてるわよ?」と美神は返すが、気にされているのは体にぴったりした腕がむき出しのボディコン服である。下も迷彩柄ながら短パンなのだ。
 これが美神さんの勝負服なんです、と慣れているキヌが除霊とはそういうものだと説明する。
「ま、そんなとこよ。はい、これ持って」
 美神がある程度以上の霊波に反応するように調整した見鬼君をキヌに渡し、自分は神通棍を手にする。
「なんだか、ふらふらしてますけど」
 森を進んでいくうちに、ピコピコと見鬼君はあちらこちらを指し始めた。
「ああ、原因は――こいつらね」
 美神が「俺の話を聞いてくれ……」と呼びかけてきた自殺者の霊に、かまわず破魔札を叩きつけて成仏させる。
「こんな森じゃ、こういう雑霊もそれなりにいるのよ。化け猫が力を抑えてた場合のことを考えると、これ以上見鬼君の感知レベルを上げたくもないし……
 ほんと横島の奴、肝心な時にいないんだから」
 鬱憤を晴らすかのように「次に会ったら、まず一発ぶん殴ってやるわ」と吐き捨て、別の地縛霊を神通棍でぶった斬る美神。
 まだまだ、化け猫を見つけるには時間がかかりそうである。


「生まれる前から愛してましたーーーっ!」
 時代がかった茅葺の家の扉を引き開けながら横島が叫ぶ。
「えっ」
 目の前にはぽかんと口を開けた女性。不意の出来事には慣れてしまっているものの、いきなり愛を叫びながら飛び込んでくる相手などさすがに初めてのことで、彼女は一瞬思考が止まっていた。
 一方の横島はといえば、こちらはもうこれ以上ないくらいに焦っていた。
 いつもならば、ここで間髪をおかずに目の前の女性――年の頃は三十前後に見え、決して太っているわけではないがむっちりとした大人の色気を醸し出す肉体を、山奥の古ぼけた家にはあまりにも不釣合いなボディコン服が包んでいる――に飛びかかるところであるが、横島の足は土間でピタリと止まったまま。
 横島にはこの女性が強力な妖怪だと分かっているのだから。
「ああ、この高性能な心眼が憎い。こんなよだれもんの美女を見ちまったら理性なんか飛んじまうに決まってるじゃねーか。そりゃ、あんなわずかな霊波を辿れるわけだよ。俺の本能的な部分が美女の存在を感じ取って霊能力を引き上げでもしたに違いねーな、こりゃ。
 あ、奥に子供が。そうか、このむんむんと漂ってくるのは人妻の色気って奴なのか。相当強い妖怪だって分かってるから飛びかかれないけど、あまりの魅力に引くことも出来ないーっ。まさに蛇の生殺しやないかーっ!」
 例によって例のごとく、横島は心の中で葛藤しているつもりが全部口に出して喋っていた。
 妖怪の女性――美神とキヌが探している今回の除霊対象の化け猫――は正体を知られていると分かって子供のいる奥を庇うように移動したが、「ちくしょう。むっちゃ、ええ女やー」などと戸口で涙を流して葛藤している横島のことはどう扱っていいものか決めかねている様子。
 そこへ、いきなり走り出した横島に置いていかれていた大樹がようやく追いついてきた。
「まったく、急にすっ飛んで行ったと思ったら――横島大樹です。GS助手の息子の付き添いで来たんですが、まさかあなたのように美しい女性とここで出会えるとは思ってもみませんでしたよ」
 女性を見るなり、大樹は横島を軽く無視してアプローチを始める。そもそもは美神を狙ってきたはずであるが、節操なしなのは横島と変わらない。
 しかし化け猫の方は途端に目つきを鋭くして殺気を放ち始めた。
「――うわ、しまった」
 これはまずいと横島の背筋が凍る。
 「親父が狙われるなら構わない。むしろ目の前で自分が目をつけた美女を口説くようなクソ親父やられてしまえ」と思ってはいるが、相手はきっちりと「GS助手の息子」という言葉を聞き取って反応しているのだ。
「俺は横島忠夫です。あなたのお名前をお訊きしてもいいですか?」
 横島は今にも襲いかかって来そうな相手に怯みながらも、敵意はないと両手を挙げて、引きつりそうな喉から必死に声を絞り出していく。
 大樹も相手が放つ殺気に反応しかけていたが、横島の態度を見て専門家の端くれに任せるかと一歩引いた。
「妖怪退治がそんなことを訊いてどうするというのです」
 強い不審の口調で問われ、横島がわずかに後ずさる。ちなみに入り口は大樹によって塞がれているのであるが。
「母ちゃん?」
 その時、不穏な雰囲気に戸惑った様子の子供が、奥から姿を現して女性の足にしがみついた。
 この状態なら襲いかかるにも間ができると踏んだのか、横島はもう一度勇気を振り絞って説得を始める。
「確かに俺はGS――妖怪退治の助手だけど、どんな相手も問答無用で除霊しようなんて考えちゃいないんです。俺の友達には妖怪もバンパイア・ハーフも神様みたいな奴もいるんスよ。人間じゃないからって理解し合えないわけじゃない。そういう相手と共存するための道を探していくのがGSの仕事だと俺は思うんです。
 だから、まずはお互いに自己紹介しませんか」
「……私は美衣。この子はケイといいます。あなたが見抜かれた通り、猫の変じた妖怪です」
 人間をそうたやすく信じる気はない美衣であったが、化け猫の超感覚でも横島の言葉に嘘は感じられず、少しだけ警戒を解いてそう教える。
「うーむ、彼女が猫とは信じられないな」
「これでどうでしょう?」
 大樹の言葉に応じるように、美衣が分かりやすく耳と尻尾をひょこっと出してみせる。この時点で横島が「大人の色気と小動物的可愛さのギャップがたまらんっ」と思わず飛びつきかけたが、さらに長い鉤爪と獰猛な牙も出した美衣を見て慌てて足を止めた。
 そんな滑稽な横島を見てふと美衣はかつての飼い主を思い出し、ほんのわずか顔をほころばせた。
 「かつては私も人間をあやめたことがあります。でも今はこの子のためにも静かに暮らしていきたいだけなのです」ケイの頭を優しく撫でながら美衣が穏やかに話す。
 変わった髪型に見えなくもないケイのそれは、きっと完全には隠し切れない耳なのだろう。
「それじゃ、道路で車を襲ってたのは……」
「はい。私たちは幾度も幾度も棲み家を追われ、ここを追い出されてはもう他に行く場所がないのです」
「美衣さん……」
 人間だろうが妖怪だろうがそこまで気にはしないというのも本心ではあるが、共存するための道云々は先だって愛子の中で友情論・青春論を叩き込まれたのが残っていただけで、「では具体的なプランは?」と問われれば何があるわけでもない横島は、それを聞いて同情と美衣を庇っては美神と対立することになってしまうだろうという思いの間で板挟みになって苦しんでいた。
 美衣は子供のためにも引けないだろうし、美神も大金のかかった仕事を放棄するとは思えない。なぜか横島は、どちらをとっても自分の命が危ないという状況に追い込まれていっているような気がしてならなかった。
「それなら、こういうのはどうかな?」
 救いの手は思わぬところから伸ばされた。


「こんのバカッたれがーっ!」
 出会い頭に思い切り殴り飛ばされて、横島がきれいな放物線を描く。
「つぅー、いたた。
 ちょっと、美神さん。いきなり何するんすか!」
 危うく沢に落ちかけた横島が抗議するが、美神は一向に気にしない。
「こないだから大事な時にいなかったあんたに、文句をいう資格があるとでも?」
「ま、まあまあ、美神さん」
 そう間に入ってなだめながらも、久しぶりにまた横島に会うことができてキヌはとても嬉しそうである。
「そうだ、美神さん。横島さんが来たなら、化け猫のこと探せるじゃないですか」
 そうキヌから話を向けてくれたことに感謝しつつ、横島は今回の詳しい依頼内容を二人から聞き出すことにした。
 なにせ依頼内容が必ず美衣たちを除霊することであったりしたならば、横島は口を閉ざして先の出来事を誤魔化さなければいけないのだ――その危険も考えて、大樹と美衣たちには先に急ぎ山を降りてもらっている。
 正しいこと、いいことをしたとは思っているが、それで美神の仕事を邪魔したとなればまた話は別である。横島としてはまず自分の身を大事にしなければいけないのだ。
「――そういうわけで、期限までに開発を再開させないと私のギャラも出ないのよ」
「あ、それなら大丈夫です。明日からでも工事はできますよ」
 あからさまにほっとして横島がそう告げる。
「はあ?」
「実はですね――」
 横島は得意げに先ほどの美衣たちとのやり取りのことを教えた。もちろん話の中の横島は、実際とはかけ離れた冷静沈着で慈悲深いGS助手である。
「横島君の活躍は話半分に聞くとして、ともかくその化け猫を横島君のお父さんが雇ったってことなのね。確かにゲリラ事件が頻繁に起こるような場所なら、化け猫の超感覚はいろいろ役に立つだろうけど……。妖怪を連れて帰ろうなんてとこは、さすが横島君の血筋らしいわね」
 「だってすごい美女だったんスよ」という言葉はぐっと飲み込んで、「人間と妖怪だって分かり合える。素晴らしいことじゃないですか」と横島が語る。
「まあ、私は楽にすんだからいいんだけどね。これで横島君の罰はチャラにしてあげるわ」
「罰はチャラにって、俺なんにも悪いことしてないんスけど」
「何もしてないことをよ」
「もう、美神さんもすんだことはいいじゃないですか。
 それと横島さん。私、横島さんに聞いて欲しいことがたくさんあるんですよ」
 漠然としか知らなかった死津喪比女事件の顛末をキヌの口から聞きながら、横島たちはのんびりと山を降りていく。
 今回の一件では珍しく横島の計画が最終的にも上手くいったといえるだろう。美神やキヌと大樹を会わせないという最初の目的に成功したのだから。
 美衣のことでは大樹に美味しいところを持っていかれた気もするが、そこまで横島は落胆していない。
 大樹は「美衣さんとケイは、多少環境は違うが新しい自然いっぱいの場所に引っ越せて大満足。そして父さんも彼女を秘書にして大満足。これぞまさに完璧な解決法って奴さ。ぐふふ、感謝の思いはいつか危険な愛へと……」などと横島によく似た妄想を展開させていたが、向こうに戻れば百合子がいるのだ。
 そうそう上手くいくもんかと、容易に想像できる母にボロボロにされる父の姿を頭に浮かべて、横島は一人笑い出す。
 「どうしたんですか」と不思議そうに訊ねるキヌに「なんでもないよ」と答えつつ、念のため電話のあるところに出たら、早速ナルニアの百合子に一報を入れておこうと思う横島であった。





Purrfect : Purr(猫などが満足げに喉を鳴らす)+Perfect








[7464] 九話
Name: 蟇蛙を高める時間◆a7789959 ID:24cb0056
Date: 2009/10/30 21:55

「この前は気づかなかったでござるが、これは理事長殿の像のような……。そのうちこれが冥子殿に変わるのでござろうか?」
 「第四十八代六道家式神使之像」と銘打たれ正門前にでんと据え付けられている銅像を眺め、シロはしばし校門で足を止める。
「むっ――危ないっ!」
 すぐ近くで起こったバイクの転倒事故。シロは急なブレーキ音を聞いた瞬間に駆け出しており、バイクから投げ出された女学生を空中で見事に受け止めて着地する。
「こら、駄目でござるよ。きちんと道路では周りに気をつけなければ。中には見える者もいるのでござるから」
 キヌやジェームス伝次郎などと近所の浮遊霊の集まりに出たことがあるシロが「浮遊霊とはいっても好き勝手はいけないでござる」と、通りすがりにバイクの前を遮ってしまっていた女の子の霊に諭す。
「……うん、ごめんなさい」
「うむ。これから気をつけるでござるよ」
 ばいばいと手を振って女の子の霊はふわふわと漂っていく。
「あー、助けてくれたのはありがたいんだが、そろそろ降ろしてくれないか」
 女の子の霊を完全に見送ってから、呆気にとられてシロたちのやり取りを抱きかかえられたまま聞いていた女学生が恥ずかし気に言う。
「おっと、忘れてたでござる。申し訳ない」
「いや、助かったよ。ありがとな」
 降ろされて礼をいう彼女に、シロはたいしたことではないと謙遜する。
「なにせ拙者は、二輪車から投げ出された人をきゃっちすることにかけてはプロでござるからな」
 「拙者には優秀な学習能力があるのでござる」と胸を張るシロであるが、ここに何度も自転車から吹っ飛ばされている張本人の横島がいれば、「そもそも自転車を引きずりながら無茶しないことを学ばんかい!」と言うところであろう。
「おめーも霊能科なのか? 見ねーツラだけど」
「そうでござる。拙者、今日から――はっ、初日から遅刻はまずいでござるーっ」
 予鈴が鳴るのを聞いてシロは慌てて校舎へと駆け出す。一方の女生徒は遅刻などいまさらといった感じで、おかしな奴だとゆっくりとバイクを押して同じ方向へのんびりと歩き出した。



新しい群れで



「つ、疲れたでござる」
 授業終わりのベルと共に、だらしなく机に突っ伏してシロが呻く。愛子らの協力で必死に勉強はしてきていたものの、高校一年生の授業内容はまだシロにとって理解することの難しい領域である。
「一日目からお疲れみたいね。というより、一日目だからかな」
「まあ、ただでさえ人狼ということで霊力・体力に優れている上に、頭脳も天才だなんていわれたらほんとに私たちの立つ瀬がないですもの。申し訳ないですけれど、少しは欠点もあると分かって、ちょっと安心してしまいましたわ」
 「あんたは全然体力ないもんね」「余計なお世話よ」と笑い合っているシロの隣と斜め前の席のクラスメート。
「えーと、春日殿と――」
「栞でいいですよ。クラスメートに春日殿とか言われると、正直違和感がありますから」
「では栞殿と。そちらは確か……ミカエル殿?」
「わたしゃ天使かい」
 「ぷっ、キョンシー使いが天使って――」栞は笑いのツボにはまったのか机を叩いて笑っている。
「もう……、私はミシェルよ。ミシェル・リューね。
 ほら、あんたもいつまでも笑ってんじゃないの。犬塚さんをお昼に誘うんでしょ」
「ふふふっ……。そうでしたわね。
 こほん、犬塚さんも私たちと一緒に屋上でお昼を食べませんか。ちょうどこの時期くらいは暖かくて気持ちのいい場所なんですよ」
「ありがたく御一緒させてもらうでござるよ。それと拙者もシロでいいでござる」
 ミシェルがサンドイッチと飲み物を買うついでにシロに購買を案内してから、三人で校舎の屋上へと上がる。
 六道女学院の広い敷地の多くが緑地になっているせいか、屋上は空気も澄んでいて風が心地よい。
「うわー、ほんとにシロさんのお弁当ってそういうのなんだ」
 ミシェルがふたを開けたシロの弁当をみて感嘆の声を上げる。栞のごく普通の弁当箱と比べて数倍はあろうかというシロのそれの中身は、見事に肉のみ。調理こそされているものの、その分厚い肉にかぶりつくシロの様子は、傍から見てとてもワイルドだった。
「やっぱり、お肉以外は食べられないんですか?」
「食べて食べれないことはないでござるが、やはりこれが一番でござるよ」
 むしゃむしゃ、ぺろりとあっという間にそれを平らげていくシロ。
 その豪快な食べっぷりに、元気な時なら自分も食欲を増進されそうだけれど、疲れている時に目の前でやられたら食欲がなくなりそうだと栞は思った。
 どうやら唐巣神父らに止められて、人前でドッグフードを食べるのを止めたのは正解のようである。
「でも午後からは除霊実習なのに、そんなに食べちゃって大丈夫なの?」
「除霊実習、でござるか?」
 授業スケジュールや内容をまだきちんと覚えていないシロに、「霊脳科ならではの体育みたいなものでしょうか。結構ハードな運動をする場合もありますよ」と栞が説明する。
「では腹六分目にしておいて正解でござったな」
 「ええっ、これで六分目なの」呆れながらも、ミシェルはシロの胸やお腹を少し羨ましそうに見つめた。
「やはり燃費が違うんでしょうね。私ならすぐに余分なお肉になってしまいますわ」
 栞もミシェルも学年では平均より少し上といったボディラインをしているけれど、シロはすらっと背も高くグラマラスで、肉感的だけれど若々しいという少女たちにとって理想的ともいえる体形なのである。
 参考までにと訊いてみた生活習慣の「散歩」の詳しい内容を知って、とても真似できるものではないと即座にそこは諦めたけれど。


 霊能科ならではの授業、除霊実習を受け持つ鬼道政樹――夜叉丸という式神使いで、主に霊能関係の中でも実践的な授業を受け持っている。シロのクラス1-Dの担任でもある――が、今日の授業は模擬霊的格闘で、数週間後のクラス対抗戦出場者の選抜の参考も兼ねていると告げる。これだけで評価して選手を選ぶわけではないけれど、クラス対抗戦は生徒同士の実戦になるので、やはり霊的格闘に優れたものが選ばれがちである。
 もちろん例外もあって、その一人が鬼道の決めた制限時間二分間を結界の張られた魔法陣の中で逃げ切ろうと試みたものの、あっさりと人型簡易式神――式神ケント紙という特別性の紙を人型に切り抜いて霊力を込め具現化させたもの――に掴まり場外に放り投げられた春日栞である。
「体力がないというのは本当でござったな」
 鬼道の夜叉丸よりも早く壁に激突しかけた栞を受け止めに入ったシロが、飛んだ人をきゃっちするのは今日二回目でござるなと思いながら苦笑する。
「あの結界が狭いのがいけないんですわ」
 照れながら栞がそううそぶく。
 確かに結界は土俵より少し広い直径五メートル強の円といった大きさで、激しく動き回るのには向かないけれど、スピード自体も人型簡易式神の方が早かったのは栞も分かっている。これはちょっとした負け惜しみである。
「春日は道具使用なしやとほんとに駄目やな。何度もいうとるが、お前はもう少し基礎体力もつけんとあかんぞ。
 次はリュー、中へ」
「はいっ」
 シロたちに軽くウインクしてミシェルが魔法陣に入る。本来はキョンシー使い――といっても本来の死者を故郷に送り届けるためのものではなく、式神のようなものではあるが――の彼女は素手での霊的格闘が得意というわけではないが、今回のように簡易式神が相手ならば、霊力の流れを上手く読んで反撃することは難しくない。
 数回、相手の攻撃をかわし受け流してのカウンターを決め、無理なく相手を紙に戻すことにミシェルは成功した。
「よし。みんなもこういう効率のいい動き方を参考にしろ」
 ガッツポーズのミシェルと交代で今度はシロが呼ばれる――鬼道がどういう順番でやらせているのかは不明である。
「霊波刀は使っていいんでござるか?」
「ああ、自分の霊能力はOKや」
 結界に入ったシロの雰囲気が、すっと鋭い刀のように変わる。クラスメートたちもそれに気づき、張り詰めた空気の中、鬼道が切り抜いた式神ケント紙を結界に投げ込んで「始め!」と声をかけ――その瞬間に霊波刀を出して一気に踏み込んだシロが、実体化しきるかどうかというところの簡易式神を切り捨てた。
「あー、うん、さすがやな。
 次は――」
「さすがですわね」
 笑顔で帰ってくるシロと栞がパンと手を合わせる。
 「ちょっとずるいんじゃない?」という声も聞こえ、ミシェルがそちらを睨むが、シロは「いいでござるよ」と気にしない。
「拙者は不器用でござるからな。機会を捉え、ここと思った一瞬に賭けるしかないでござる。相手に力を出させずに勝てれば、それが一番群れにとっても良いことでござるしな」
 ミシェルたちは厳しい野生に生きる人狼の言葉としてしっかりとそれを受け止めたが、実はこの辺りは唐巣神父や愛子によるものを筆頭に最近の教育の賜物だったりする。
「それに集中を続けるのも苦手で……」
 「気を抜くとこうでござる」シロが笑って見せた霊波刀は、先ほどとは違い霊気のぶれまくった棒のようなもので、刀という感じですらない。出力こそ以前より上がっているが、それは逆に消耗が激しくなってしまったということでもあるのだ。
「一撃必殺ですか。私は補助系ですから、いいコンビが組めそうですわね。次は二人一組の水中戦の訓練ですから一緒にやりましょう、シロさん」
 そうして栞とがっちりと手を組んだシロであったが、次の水中戦訓練では実は泳げないことが発覚し――本人には自覚がなかった――あわや溺れかけたところを、慌てて飛び込んだクラスメートたちに救助されることになるのだった。


「ふーん。シロちゃん、泳げなかったんだ。意外な弱点ねー」
 そう言う机妖怪の愛子は、暑い時には自分の中のプールで泳いだりしていたために、意外にも泳ぎは得意だったりする。
「ええ。ですから昨日は日曜ミサの後、クラスの方たちとプールに練習に行ったらしいですよ」
 こちらも海に囲まれた島育ちのせいか、問題なく泳げるバンパイア・ハーフ。流水を越えられないどころか、体力的に泳いで海を渡ることさえ出来るかも知れない。
「なんだって! こら、ピート。なんで俺にそのことを教えんのだ。知っていれば、俺が手取り足取り腰取りでしっかりとシロに教えてやったというのに」
 昼時の教室で「女子高生の水着姿ぁぁぁっ!」と大声で叫び出し、周りからまたあいつかという生暖かい目で見られている横島。
 こちらも泳げはするが、海やプールに行く目的はほぼナンパと水着姿の美女を眺めるためである。
「シロちゃんには手を出さないんじゃなかったんですか」
 ぷうっとむくれる小鳩はあまり泳ぎが得意ではないが、いざとなれば人間のようには呼吸する必要のない福の神が支えてくれるだろう。
「や、やだなあ。まだシロに手なんか出さないさ。俺はあくまで純粋な善意から泳ぎを教えてやろうって言っただけだよ。手を出すなら、そのシロの友達の方に決まってるじゃないか」
 白々しく言い訳にもなっていない横島の言葉に、やれやれと愛子が首を振る。
「目の前にこんな美少女がいるっていうのに……」
「いや、お前の水着姿も見たいことは見たいぞ。ただ机を背負ってるイメージとセットだから、どうしても妄想の中でも笑いのほうが先に――ぶべっ」
 机から伸びた舌で横島を殴り飛ばし、「デリカシーを持ちなさい!」と愛子が怒鳴る。
「ま、まあまあ、愛子さんも落ち着いて」
「そうだそうだ。ということで、小鳩ちゃん。今度一緒にプールでも――ちょ、うわーっ」
 視線を小鳩の胸に向けて鼻息も荒くそんなことを言い出した横島を、愛子が飲み込んでプールの真ん中へと投げ落とす。しかも端が見えないほど大きく空間を歪めておいてである。
「なんじゃこりゃーっ! 愛子、助けてーっ!」
「だーめ。しばらく、そこで反省してなさい」
 結局、横島は一時間近くに渡って、大きな波まで起こしたプールの中で強制的に泳がされることになる。
 中の横島で遊んでいるらしい愛子の笑顔を見て、小鳩は少し残念そうだった。


「そうか、クラス対抗戦の代表に選ばれたのか。良かったね、シロ君。これはきっといい経験になるよ」
「いやー、先日の学校のぷーるでは醜態を晒してしまっただけに、選ばれるとは思わなかったでござるよ。泳ぎの練習にも付き合ってもらったし、栞殿とミシェル殿の足を引っ張らないように頑張らねば」
 六道女学院のクラス対抗戦。代表選考の基準は選ぶ人間によって多少変わることもあるが、今回は基本に忠実にある程度以上の霊力を持った実力者と、いろいろな能力者が選ばれている。クラス同士の対抗戦に危険もゼロではない試合形式を採っているのは、将来のGS資格試験や実際の除霊現場のことを見据えているため。だから、どんな相手とも戦えるように、バラエティに富んだ生徒同士を戦わせることが重要なのである。
 シロのクラスでいえば、選考の際にシロともう一人攻守にバランスの取れた実力のある生徒とで迷われたのであるが、そちらはオーソドックスな神通棍と破魔札を使うスタイルだったために、考慮の結果シロ――霊波刀使い、人狼――が選ばれたのである。
「今度、この教会にミシェル殿たちを呼んでもいいでござろうか? 唐巣殿の下にいると話したら羨ましがられたでござるよ」
 弟子の美神令子の方が知名度では上だけれど、現六道理事長の弟子でもあり、たまに講師もしている唐巣の実力も六道女学院では知れ渡っている。
「それと、ぜひピート殿にもお会いしたいそうでござる」
「えっ、僕ですか」
「やはり霊能科の生徒として、GS助手として現場で活躍している方のことは気になるようでござるよ」
 同居人はどんな人かと訊かれてシロがいろいろ話しているうちに、「横島殿の言葉を借りれば、金髪美形バンパイア・ハーフだそうでござる」と教えたことも大いに関係しているようであるが。
「そ、そうですか。でしたら、その時は横島さんとタイガーにも声をかけたほうがいいかも知れませんね。GS助手といっても様々ですから」
 学校で女の子たちのパワーに圧倒され、その後で横島とタイガーの嫉妬に晒されるという経験を重ねているピートは、念のために予防線を張る。
 シロも単純に賛成し、後で二人は横島たちに大いに感謝された。


「こんにちは。僕は唐巣神父の下で修行をしているピエトロ・ド・ブラドー、ピートと呼んでください」
 教会裏のテラスで、横島たち六人――横島・ピート・タイガー・愛子・小鳩と福の神――を代表してピートが口を開き、ミシェルと栞に自己紹介を始める。少し女の子は苦手だといいながらも、一番女性慣れしているのもピートなのだ。
 それに加え、生憎と今日は唐巣が急な仕事で出かけてしまったために、ピートが後を任されてもいるのである。
「まあ、GS助手とはいうても、六道女学院のエリートさんと比べたら――」
 まだ初対面の女性の前では緊張しがちなタイガーがそう萎縮しかけるが、「そんなことないですよ。単なるウチの卒業生より、やっぱり実際の現場に出ているGS助手の人の方が、業界内では評価が高いですから」とミシェルが屈託なく笑いかける。
 この巨体でありながら、普段は相手に威圧感をほとんど与えないというのも、ある意味タイガーのすごいところである。
 ちなみに業界内の評価というのは、助手などとして雇う場合の使い勝手の話であり、GS試験合格率などから考えれば、純粋な実力はみっちり三年間霊能修行に打ち込んだ六女卒業生の方が高い場合が多い。なにせ指導する側に長年のノウハウの集積があるのだから、霊的成長期にそれを受ける意味は大きいのである。
「機会があれば実際にGS助手の方のお話を聞いてみたいと思っていたんです。今日はわざわざありがとうございます」
 横島が「いやいや、そんな」と応じるが、栞がじっと目を合わせているのはピートである。
「えっと、そちらのお二人は……」
「あ、私は愛子。机の九十九神よ。こっちの娘は花戸小鳩ちゃん、ちっちゃいのは効果の薄い福の神ね。ちょっと興味があって、ご一緒させてもらったの」
 「同じ学校の学生として、横島君がセクハラしないかも心配だったし」と続けた言葉は、横島が慌てて愛子の口を塞いだもののしっかりと六女の二人に伝わっていた。
 栞は呆れたような、ミシェルはしょうがないなーといった顔になる。
「まあ、女性にはだらしないでござるが、悪い人ではないでござるよ」
「フォローになってないやんけ、シロ」
「そうそう、横島君たら実はこの前も――」
「やめてーーー。折角こんな可愛い娘達の前なんだから、頼れるGS業界の先輩を演出しようと思ってたのにー」
 そうやって横島を弄りながら、打ち解けていく一同。
 他愛無い話やピートたちの除霊現場での経験などを話していくうちに、話は今度の六女でのクラス対抗戦のことに移っていく。
「へえ。六人タッグマッチ、五秒フォールで勝利ですか」
「戦うのは一人ずつなんですかいノー?」
「そうなんです。タッチして交代、チームワークが大事ですね」
 「GS資格試験もそういうのだといいのになぁ」と横島がぼやく。
「拙者は試合を見たこともないのでござるが、どうすればいいのでござろうか」
「シロさんは一撃、速攻タイプよね。相手によっては先鋒で出て一気に決められるんじゃない?」
 ミシェルはそう勧めるが、シロはうーんと首を捻る。シロの基本は群れの一員として隙を窺ってからの攻撃である。体こそ成長したものの、まだしっかりと身構えている相手を圧倒的な力を持って正面から切り伏せるといった戦法がとれるほどの実力はないと自覚しているのだ。相手の実力を読むこともまだまだ未熟である。
「まずはミシェルがキョンシーで牽制しつつ攻撃も、というのがよろしいのでは」
 普段は式神符のようなものに仕舞われているが、彼女の使うキョンシーは式神と違いダメージが術者に返らないところも有利である。相手の出方を窺いつつ攻撃というのに一番向いているかもしれない。
 「ミシェルさんの使うキョンシーって、どんなのなんですか」という小鳩の問いに、ミシェルが使役する四鬼のキョンシーを呼び出してみせる。
 大きさは福の神と同じくらい。鋭いつめや牙を持ち、手に短刀も持っている。服装は映画などでみるキョンシーに似た――と横島は思ったが、もちろん映画の方が実物を真似ている――シンプルな黒い道士服のようなもので、頭には白い丸房のついた黒い弁髪帽を被っている。ちなみにミシェルの霊衣――霊的防御力を持っていたり、精神集中の助けとなる衣服。エミのシャーマン装束などもこれ――もキョンシーたちとお揃いのものらしい。
「ちょっと怖いですね」
 小鳩の言葉に、「慣れればみんな可愛いわよ」とミシェルが応じる。
「この子がイー、こっちがアルで、これがサンとスーね」
「いちにーさんよん?」
 適当だなぁという声を上げた愛子に、「名前は私が付けたんじゃなくて元からだから」とミシェルがちょっと気まずげに説明する。
「やっぱ、強そうだな。お前ならどう戦う?」
「……バンパイア・ミストで回り込みますかね」
「ワッシもジョウントで術者の後ろにですかいノー」
「普通の人は出来ないでしょ、それ」
 「いやいや、意外と六女にはそういう子がたくさんいるかも知れんぞ」という横島に、ミシェルたちはまさかと首を大きく横に振る。
 横島の周囲には変わった霊能力者が多いが、霊能者の多くは美神のように霊具を利用して除霊を行うのが普通である。それゆえに、そのスタイルの最高峰である美神は尊敬され、憧れられているのだ。
「たぶん一般的な対応としては、力押しでキョンシーを押しのけて私を倒しに来ようとするんじゃないかな。
 それとも能力がある人は私からコントロールを奪おうとするかも。この子達は半自律してるけど、やっぱり霊波で私と繋がってることに変わりはないから」
「ふーん。あれに干渉するのかぁ」
 横島が何気なく視線を動かしながら漏らした言葉に六女の二人は大きな衝撃を受ける。キョンシーたちとミシェルを繋いでいる霊波の流れが見えていると、特に集中している様子もない横島が言ったのだから。
 数の優位で死角から襲わせても、霊波の流れ自体が見えているのなら横島には通じないかもしれない。
 心眼使いと紹介され、分かってはいたけれど、こうして具体的な指摘をされるとまた違う印象を受けるものである。
 もっとも、見えたからといって横島側から何が出来るわけでもないことを知っているピートたちは、すごいとは思うけれどそこまでショックを受けることもないのにと心の中で苦笑していた。
「何かアドバイスしてもらえますか」
 横島への評価がそれなりに上がったらしいミシェルが、キョンシーたちと一緒に身を乗り出して訊く。
「そ、そうだなあ。冥子ちゃんは式神をたくさん出すほど不安定になってたし、数を減らして集中すれば、そうそうコントロールを奪われたりしないんじゃないか」
「でも、そうすると……」
「今度は攻め手不足になるんですよね、ミシェルの場合」
「後はあまり遠くまでキョンシーをやらないことでしょうか。ミシェルさんの霊波が効率的に届く範囲でなら干渉にも気づいて、それに対抗できるかもしれませんし」
 ピートもそう助言し、ミシェルはどうしたものかと考え込む。
「出来れば相手をあんまり近づけたくはないんですよね。でも取られちゃう危険を考えたら、その辺りが妥当かも。
 ――なあに?」
 戦略で悩むミシェルをつんつんと福の神がつついて、自分と小鳩を指差した。超一流のGSたちですら、普通の方法では引き離すことが不可能と匙を投げたコンビである。
「確かに私と貧ちゃんは、とってもしっかり結びついてるけど……」
「お互いの契約とかそういうものではなく、外部からとんでもなく強力な呪いで魂と魂を結び付けてしまってるわけですからね。出来たとしてもオススメは出来ない方法ですよ」
「……どうやるでござるか?」
「どうやるって、方法がわかったってやらないわよ! そんなこと、絶対に嫌!」
 幼い時からの付き合いであるキョンシーたちのことはミシェルも大好きだけれど、さすがに呪いで本格的に魂に結びつけるというのはごめんのようである。
 そしてシロの質問には、キョンシーたちの方もぷるぷると首を振っており、「何か私に不満があんのか」と、自分も拒否したとはいえミシェルはちょっと拗ねてしまった。
「ま、まあまあ。機嫌治してよ、ミシェルちゃん。
 そうだ、春日さんはどんな霊能使えるんスか」
「私は――」
「横島さん、なんで栞だけさん付けなんですか」
 まだ機嫌の直らないミシェルが、横島の言葉尻を捉えて口を尖らす。
「えっと、雰囲気の違い……かな? 気楽に接せる相手は呼び捨てとかちゃん付けで、落ち着いてる女の人にはさん付けみたいな感じで」
「つまり、栞は老けてると」
「横島さんはそんなこと言われていないでしょう!
 ――ふぅ。まあ、いいですわ。私の霊能の話でしたわよね。私が使うのは主にこれなんです」
 そう言って栞は一冊の聖書を取り出し、ぱらぱらとみなに見えるように広げて見せる。これは霊能者向けに作られた聖書に、更に一ページ毎に栞が自ら呪言を書き込んだものである。
「発動させると一枚一枚の紙がバラバラに舞い上がって、非武装結界空間――中の霊力を吸い取っていく力場みたいなものです――を形成するんです。私を中心に発動させられますから、まさに無敵の盾といえますわ」
「おおっ、いいなそれ」
 自分が危険な目に合うのが大嫌いな横島が羨望の眼差しを向けた。
「ふふ、そうでしょう。対抗戦では、相手が弱ったところでシロさんかミシェルに交代すれば終了ですわ」
「あれ、自分からの攻撃も出来なくなるんすか?」
「単にこの結界に頼りきりで、本人に攻撃力も防御力もないんですよ」
 ミシェルはちょっと呆れたようにいうが、「ますます親近感感じるなぁ」と横島は嬉しそうだ。
「それだと、飛び込んで来られて密着されてしまうとまずいのではござらんか」
「それまでに、全霊力を吸い取ってしまえばいいんですわ。それにこの結界は相手が攻撃しようと霊力を上げた場所から集中して力を奪っていくんです」
「それでも一枚の紙が霊力を吸い取る速度には限界があるのでは?」
「ええ、まあそうですわね。そこはなんとか数でカバーしたいと思うのですけれど」
 いつかはイージス(無敵の盾)を名乗ることにまったく恥じないようになるのが目標だと栞は話す。
「まあ、対抗戦当日はなるべくこっちの自陣に近いとこにいてよね。あんた一撃くらうだけでやばいんだから」
 最悪、ノックアウトされてしまっても自陣に引きずり込んで交代してやればいいと思っているミシェル。
「じゃが、対抗戦なんかはそれでいいとしても、GS資格試験でそれではまずいんじゃないですかノー」
 雇い主であるエミからそれなりに発破をかけられているタイガーはそう言うが、栞にとってはまだまだ先のことであるし――六道女学院では卒業以前のGS資格試験挑戦は禁止されている――、そこまで真剣には考えられないようである。
「それにこの三年間で、非武装結界で行けそうだというところまで自分を高められなければ、必ずしも資格試験を受けるとは限りませんし」
「へえ、六女の人ってみんなGS目指してるんだと思ってたわ」
 愛子のように考えている外部の人間も多いが、霊能力があっても実際にGSになれるのはほんの一握り。六道女学院はネットワークを作るための場でもあるし、学院側もいろいろ斡旋してくれるので、試験を通って自ら開業せずともGS事務所に所属して支えるだけで良しとするならば、補助系の霊能持ちにもそれなりに道がある。それに除霊にあたるGSが一番目立って儲かるというだけで、オカルトがしっかりと一般に認知されたこの世の中、霊能関係の仕事は少なくないのである。
 除霊関係でもGS以外に、日本では馴染みが薄いがICPO超常犯罪課(オカルトGメン)などが選択肢の一つに考えられるかもしれない。中にはピートのように、ここへの就職に有利だということで、難易度ではもっと上のGS資格を取ろうとしている変わった者もいるけれど。
 GS関係者でありながらこうした事実をほとんど知らなかった横島やタイガーは、さらにGS助手の給料の相場を教えてもらうと涙を抑えることが出来なかった。
 GS事務所の助手が立派な職業とみなされており、六道女学院が家の事情やすでに所属していたなどの特別な理由がない限り在学中のGS事務所への所属を禁じているのにはわけがあるのである。
 お互いの知識を交換し合ったこの日は、六女の三人だけでなく、横島たちにも大きな価値のある日となった。


 特に学校での毎日が新鮮な驚きと喜びに満ちているシロにとって、数週間はあっという間に過ぎていき、クラス対抗戦の日がやってくる。
「ほら見て、シロさん。あれ、次の対戦相手、B組の弓かおりよ」
 クラス対抗戦の一回戦を順調に突破したシロたちは、休憩時間に一回戦の分析や垣間見た他のクラスの情報について整理しようと、試合会場から離れた人の少ない校舎の方へ向かっているところ。そこで、精神集中でもしようというのか、一人同じ方向へ向かっていた対戦相手の後ろ姿を見かけたのである。
「……闇討ちは駄目でござるよ」
「そんなことしないって。ていうかシロさん、私のことどういう目で見てるのよ」
「さっきはキョンシーで嬲り勝ちという感じでしたからね」
「慎重に行けっていったのはあんたらでしょうが。
 ――って、そうじゃなくて、あの弓ってコはいっつも他人を小馬鹿にしてて気に食わなかったって言いたかったの。次の試合であの高慢な鼻っ柱を叩き折ってやるんだから」
「霊能者には、はったりも大事だと聞いたでござるよ」
 横島経由で伝わった美神の台詞である。心理的に相手を威圧し自分に自信を与えることは、精神状態にも大きく左右される霊能の世界では有意義である。
「あのコの場合は性格という気もしますけれど……とにかく、試合中に弓さんにこだわったりはしないでくださいよ」
「……ふん。いいんだ、いいんだ。さっきの試合で疲れたから、私、次の試合は休んでるもん」
 ミシェルもいい感じに気合を空回りさせられたところで、次の試合はシロが先鋒を務めると決まった。もちろん、アクシデントがない限り経験を積む意味でもこの二人は交代で行こうと予め決めてあったので、これは確認に過ぎない。
 その後、他のクラスの選手のこともある程度確認し終え、試合の再開される会場に戻ると相手チームの様子がおかしかった。
「……なんだか揉めている様でござるな」
 結界の向こうでは弓とシロがどこか見覚えのある少女が口論しており、別の少女が困ったように一歩引いている。
「ウチは仲良く行きましょうね」
 確認のように頷き合ってシロが結界の中に入る。戦略的な面も考慮して、審判――今回の対抗戦では一貫して鬼道が務めている――が「始め」の声をかけてから先鋒が同時に出るというのが暗黙のルールのようなところはあるのだが、先に出る分には問題ない。むしろ、相性を気にしたりせず誰が来ようがかまわないという、ちょっとした挑発と取る相手もいるだろう。
「弓殿でござるか」
 鬼道が開始を告げ、結界に入った弓が一気に距離を詰めてシロへと薙刀を振るってくる。
「ぐっ、さすがに重いでござるな」
 闘龍寺の跡取りで弓式除霊術の後継者だという弓かおりの振るう薙刀は、一撃一撃が相当な威力を持っており、霊波刀でそれを受け止めるシロは押され気味である。
「こうなれば――」
 じりじりと下がっていき元から近かった自陣の結界付近に詰められかけたところで、代わろうかという栞のアイ・コンタクトにわずかに首を振り、シロは手をそっと胸元に伸ばしながら横を抜けようとするかのように全力で相手の懐へと飛び込んでいく。
「甘いわっ!」
 絶好のチャンスと、決めるつもりで弓がさらに霊力を込めた薙刀を振るい、それがシロの眼前に迫って――変化していく彼女のわずかに上で空を切った。
「ぐぅっ!」
「それまで。KOでD組の勝利」
 意識は残っているものの腹を抱えてうずくまってしまった弓をみて、鬼道がそう宣言して追撃をかけようとしていたシロを止める。
「やったー。シロさん、最高」
「ちょっと心配していましたけど、見事に決まりましたわね」
「がうわうっ」
 喜ぶD組の面々を見ながら、「あれ、この前集まった時に横島さんが考えた作戦の一つですよ」と、特別審査員として唐巣と共に招かれていたピートがこっそり師に告げる。
 「美神さん直伝の勝つためのテクニックって奴を教えてやろう。一緒に対抗戦の作戦を考えようじゃないか」と横島が美神の名前を出しただけに、その提案に対する食いつきはかなりよかったのである。
「みんなで協力して戦法や手段を考えるのはいいことだね。ただ、あまり美神君のような性格になられては困るが……」
 「特に人狼の里から預かっている形のシロ君には、なるべく真っ直ぐに育って欲しい」そう願っている唐巣である。
「あら~、令子ちゃんはこの学校でも大人気なのよ~」
「だから余計に師として胸が痛むんですよ」
 悪人とまでいう気はないが、美神の生き方は唐巣の信条とは相容れないのである。
 特別審査員といっても、実際には二人は理事長とこうして試合をみてコメントしているだけであるが、学生たちには唐巣が見ているということが十分刺激になっているのを理事長はわかっているのだ。
「あぉーん」
「わっ。シロさん、顔舐めるのは駄目だってば」
「たまに普段もやってますけどね。親愛の情や喜びを示すごく普通の方法なんでしょう。その姿だと、そこまで違和感もありませんし。
 はい、精霊石です」
 「かたじけない」アクセサリーを付け直してもらい人間形態に戻ったシロが、「ちょっと切れたでござる」と髪の毛を撫でる。
「見たのは初めてでしたけれど、口から出したほうが強いみたいですね、その霊波刀」
「うっ。それは言わないで欲しいでござる。まだまだ修行中の身ゆえに」
 シロの霊波刀は出力も安定度も未だに狼形態の時のほうが高い。実は人間形態の時でも頑張れば口から出せもするらしい。
「ところで、薙刀が胴とか変身後も居る位置を狙ってきたらどうする気だったの」
「受けるだけならなんとか間に合いそうだと思ってたので、そのままこっちに吹っ飛ばされて栞殿と代わろうかと」
「今日、私はまだ出番がないですからね。せっかくピートさんにいいところを見せようと思っていますのに」
 そう言って栞が特別審査員席に軽く手を振る。
「あのね……。ま、いっか。この勢いで優勝目指すわよ」
 「えいえいおー」と手を重ねて、一行は昼食に向かうのだった。


「シロさんたち、優勝出来るでしょうか」
「やはり決勝に上がってくるだけあって、あのG組の子達も一年生ながらかなりの実力者だからね。どちらにせよ、シロ君たちにはいい経験になるだろう」
 解説席から唐巣は温かい目でシロを見守る。これから始まる三回戦が決勝戦、昼の休憩でどこまで霊力を回復させられたかも重要だ。――実はこっそりといつもより弁当の肉を奮発してやっていた唐巣である。
「……今更ですが、あの服装は試合の雰囲気に合いませんね」
「本人が気にしていないんだし、戦いやすい格好ならなんでも……とはいえ、和装の霊衣でも用意してあげるべきだったかもしれないね」
「あら~、健康的で可愛いじゃない。私は好きよ~」
 そんな理事長には好評のシロは、「落ち着いた雰囲気の方々でござるな」とG組を見て静かに闘志を燃やしているところ。その格好は、片足を大胆にカットしたジーンズに臍の出たTシャツというラフな私服。普段着で動きやすいし、制服と違って汚したり痛めてしまってもいいという理由らしい。
 ちなみに他の二人は霊能系統を意識した霊衣であり、決勝の相手方もそういった感じである。
「特に端の峰さんは要注意ね。スピードもパワーも申し分なしって奴よ」
「あの、神通棍を持った忍者っぽい黒装束の方でござるな」
「ええ。ここまでの試合ではあれしか使ってないですけど、他に特殊能力もあるはずですわ」
「なに、それでも向こうも同じ学生。拙者たちもこうして勝ち上がって来たからには強いのでござるよ」
 シロの言葉にミシェルと栞も力強く応じる。
「やってやりましょ」
 「始め」の声と共に両者先鋒が結界に飛び込む。D組は順番通りにミシェル、G組は神野――キヌのような巫女装束に長い黒髪という落ち着いた雰囲気の少女――である。
 ミシェルは試合前に出しておいたキョンシーで即座に自分の前に壁を作り、相手の出方を窺う。
 そんなミシェルににやっと笑いかけ、神野は袖から取り出した榊の枝を振るった。
「袖に入れてあったのに、水が吸われていませんね」
 特別審査員席からでも細かい所を見て取れるピートの言葉に、「あの水に浸した榊にはしっかりと霊力が通してあったようだね。飛ばした水もただの水というわけではないだろう」と唐巣が解説をする。
 その特別審査員席の言葉通り、大半はキョンシーたちが払ったものの、広範囲に飛んだ水滴はかわし切れずにいくらかを浴びてしまったミシェルは神野の術中に囚われてしまっていた。
 顔からは闘志が消え、穏やかな微笑を浮かべるミシェル。その目はどこか遠くを見ているようである。
「どうしたでござるか!」
「心理攻撃でしょう。たぶん幻覚を見せられているのですわ」
 瞬時に状況を判断した二人はなんとかミシェルに手を伸ばそうとするが、それよりも早く迅速に対処に動いたものがいた。
「ぎぃあああぁぁぁっ!」
「あら。アルさん、ナイスですわ」
 「何がナイスよ、この――くぅぅ」ほとばしる悲鳴と共に幻覚から目覚めたミシェルが、その原因――アルが足の甲に思い切り突き立てた短刀――の痛みに呻き声を上げる。
 一方、残りのキョンシーたちに梃子摺っていた神野は、この間に峰とタッチして交代していた。
「こっちも――あっ!」
 急いで自分も交代しようとしたものの、痛みに思わず足をもつれさせてしゃがみこんでしまうミシェル。
 そこへ前評判にたがわず、半自律しているミシェルのキョンシーたちによる攻撃を易々とかいくぐった峰の神通棍が振り下ろされ――
「審判っ! 今の反則でしょ!」
「武士にとって刀とは魂そのもの。つまりは拙者の一部でござる。拙者はただ単に倒れて届きにくいミシェル殿とタッチして交代しようとしただけでござるよ」
「完全な詭弁じゃないのっ」
 G組のメンバーは全員がシロを睨みつけ審判を窺っている。
 D組側も「侍という生き方を馬鹿になさる気ですか」と、やましい所などまったくないという態度で譲らない。
「……あー、その、うーん。試合権のない犬塚が手を出した今のD組の行為は、故意の反則ではないと認める。ただし、それがなければ試合は決まっとったというのも事実や。よって、この試合はG組の勝ちとする」
 少し悩んだ鬼道がそう答えを出し、理事長にいいですねと目配せして頷くのを見てからベル係に鐘を鳴らすよう指示する。
 カンカンカンと試合終了を告げるベルが鳴り響き、会場は一拍おいてわっと歓声に包まれた。
「くぅ、無念でござる。ミシェル殿、栞殿、申し訳ない」
「まあ、横島さんがこんなのどうよって言い出した時から、この作戦は無理があるなと思ってたからね。責任はあっさり幻術に嵌まった私の方が大きいわよ――痛いって! もっと静かに脱がせなさいよ。もしかしてわざとなの、アル?」
「ふふ。正直私も、さっきは向こうを睨みつけながら、笑ってしまいそうになるのを堪えていましたのよ」
 栞がミシェルの怪我の具合を確かめながら、「それにあの神通棍をミシェルが受けたらどの道終わりでしたし、シロさんの判断は正しかったと思いますわ」とフォローする。
「そうよ。栞なんか今日何もしてないんだから、頑張ったシロさんと私は胸を張っていいのよ」
「はいはい。いいから医務室に行きますわよ。立てますか?」
「たぶん――って、シロさん、だめぇーっ! こんなとこで足舐めないでーーーっ! おかしなものに目覚めちゃうー」
「――ぺろっ。大丈夫でござる。まだ拙者の霊力には余裕があるでござるから、安心してひーりんぐを、れろっ」
「そうじゃなくて――きゃははっ、くすぐったいー」
「……私は先に教室に帰っていますわね」
「ちょ、置いてくなーっ!」


「六道女学院にはエリートとして育てられてきた人間も多いから、敗北に挫折を覚えたりそれを引きずったりしてしまう子もいるんだけど、彼女たちに限ってそんなことはないようだね」
「ええ。ちゃんと悔しがってもいるようですし、これをきちんと成長の糧にしていけるでしょう」
 唐巣とピートは引き上げていくシロたちの様子を眺めて満足そうに頷き合う。
「覚えてなさいよ。公衆の面前で辱められた恨みは絶対に晴らしてやるんだから」
 なにやら彼女たちの方向性は少しおかしいかもしれないが。
「拙者もしっかり修行して、次はりべんじするでござるよ」
「じゃあ、体育祭が次の機会ってことになるかな」
「……それも霊力ありなんでござるか?」

 四つ足の方が速いと、雷獣に変化出来るG組の峯とD組のシロが演じた長距離走でのデッドヒートは、末永く語り継がれる名勝負になった。





注)春日栞とミシェル・リューは名前が出ていなかったので、こちらでつけました。峯は原作にいたG組の人ですが、原作表記とは漢字を変えています。








[7464] 十話
Name: 蟇蛙を高める時間◆a7789959 ID:24cb0056
Date: 2010/02/01 23:46

「カオスのじーさんじゃねえか。あんたもここ使ってるとは知らなかったな」
 美神の使いで訪れた厄珍堂の前で、荷車に山と積んだ荷物を引くマリアとドクター・カオスの姿を見かけ横島が声をかける。
「にしても、えらく買い込んだんだな」
 マリアの力には問題がなくとも、木製の荷車の方は悲鳴を上げている。
「ノー。これは・ドクター・カオスの作品・です」
「資金が必要になってな。これを売り込むんじゃ」
 そう自信満々にカオスが横島に見せてくれた発明品は、以下のようなものである。
 カオス製電子頭脳――小さな部屋ほどの大きさ、数桁の計算がボタンを押すだけで可能。作られた時期によってはすごいのかもしれない。
 カオス式ハシの持ち方矯正器――確かに美しい箸の使い方が身につく。ただし何度もの反復により習得させるシステムのため、使用中の一ヶ月は片手の動きが制御できない。
 永久超電導ハブラシ――(使用者の霊力が続く限りにおいては)永久超電導。しかし冷た過ぎて普通の人間にはまず持つことができない。超電導であることとハブラシの間に相関関係なし。
「そして、これが『神の子タワシ』じゃ。強い信仰心を持つ者が手にすると――」
「もうええわい!
 ひとこと言わせてもらえば、厄珍堂だろうがどこだろうが、こんなもん絶対に売れねーぞ」
「何をいうか! これはワシの傑作たちなんじゃぞ!」
 横島の指摘は的を射ているが、カオスはどうにも納得がいかない様子だ。
「なんだよ、また金に困ってんのか?」
 渋い顔をするカオスをみてそう訊ねる横島に、「いいえ。ドクター・カオス、マリアの妹・作ろうとしてます」とマリアが答えた。
 「え、どういうこと?」横島が驚いて訊き返す。
 実はカオスも死津喪比女事件の折に唐巣から連絡を受け、御呂地岳に向かうことは向かっていたのだ。そして死津喪比女が滅され、政府が事態をはっきりと把握した時には彼らに無事合流していたのである。
「それで報奨金だけ貰ったってのかよ。――詐欺じゃねえか、おい」
「ちゃんとおキヌの体の方を御神体として祀り直すのを手伝ったわい。ともかく、それと共にワシの興味を引いたのは三百年前の道士の記録という奴じゃ」
 霊体でも人工的に作られた魂でもなく、全存在を記録として残し、そこから外からの信号に対してきちんとしたアウトプットを返すシステムというのは、カオスにとっては未知の領域だったのだ。自分で学習し思考する存在を作る方が簡単という辺りに、錬金術師でオカルトに造詣の深いカオスの非常識さが垣間みえる。
「そんなわけで、ワシはあれのシステムをかなり詳細に研究したんじゃ。それでこっちに戻ってから、かつてのワシの研究資料と比較しようと荷物をあちこち漁っとったら――」
「マリアの設計図・出てきました」
「そうだったんか。
 ……いや、そこまでの経緯は分かったが、なんでそこでマリアの妹を作るって話になるんだ? 人格記録が云々ていうのはどうなったんだよ?」
 横島の質問にカオスは苦笑いを浮かべる。要するに、準備段階で単純に予算上の問題が起こったのだ。
 簡単な見積もりでも、人格記録システムを作り上げるには莫大な資金が必要ということが分かり、それを一発逆転するための手段として思いついたのが、一度は成功した秘術を再現してマリアの同型機を量産して儲けるということだったのだ。
 しかし悲しいかな、それに手をつけることにさえ資金は報奨金だけでは十分でなく、こうして過去の発明品を積んで厄珍堂にやって来ているわけである。
「なんだか、ややこしいことしてんなあ。つーか、ほんとにマリアがいっぱい作れんなら、それで十分なんじゃねえのか?」
 その技術を確立することができれば、間違いなく貧乏生活から脱出できるどころか、あっという間に大金持ちになれるだろう。
「ふ、小僧には分からんよ。老いたりとはいえ、ワシはヨーロッパの魔王、ドクター・カオスじゃ。常に新たな知識を探求せずにはおられんのじゃよ」
 そういうカオスの顔はいつもの痴呆気味のそれではなく、引き締まって強い意思をうかがい知ることが出来る。
 横島は、そういう情熱は俺にはよー理解できんな、と思っていたが、カオスの言葉で考えを変える。
「それにマリアの同型機を作るといっても、単に昔と同じことを繰り返す気はないぞ。今度はソフト面にも気を配るんじゃ。滑らかな会話を可能とするのは当然に、さらには外面上も人肌と変わらぬつくりに――」
 そこまでカオスが説明したところで、横島はその胸倉を掴んでぐいと自分に引き寄せると、同じように目に情熱の光りを宿らせた顔を突き合わせた。
「取り引きしよう! 俺が交渉して、この計画に厄珍から協力を取りつけてみせる。小鳩ちゃんのハンバーガーを売り込む時も手伝ったし、任せてくれ。絶対に上手いことやってやる。
 それと蒸し返すようで悪いが、今のカオスの家は俺が紹介してやったとこだよな。だからその二つの礼として――俺にも一体作って欲しいんだ。美人で可愛くて何でも俺の言うことをきいてくれる娘(ロボット)をさ」
 そうして半ば強引にカオスとの約束を取りつけた横島は、とてつもない集中力を発揮して厄珍との交渉に臨んだ。
 心眼で厄珍の微妙な感情の動きを読みとることさえしてみせたのだ。――といっても、同じ心眼使いであるヒャクメのように心の中まで読めるわけはなく、心眼をポリグラフのように使ったということであるが、これだけでも相当なものである。
「……まったく、これじゃ私の儲けがほとんどないネ」
 最終的な契約書を前に厄珍はそう零してみせるが、実際には厄珍が目論んだよりもきちんとカオスにも配分がなされることになったというだけで、成功さえすればその儲けは彼にとっても莫大なものになるだろう。
 それにこの計画が成功すれば、それは彼らに大金をもたらすだけでなく、一般の人々の生活すら変化させてしまうかもしれない。
 現代の工学技術をはるかに越えたマリアの妹機たちの誕生・量産というのには、それほどのインパクトがあるのだ。
 遠い将来、この日が歴史の大きな節目の一つとされても少しもおかしくはない。
「ぐふふ……柔らかいマリアとあんなことやこんなことを――もしかしたら、あっちの方も人間そっくりだったりして? くぅー、たまらん! たまらんぞー!」
 しかしそんな方面にはまったく思いをめぐらすことなく、横島は実に横島らしく自分の妄想にのめり込んでいるだけだ。
 そのまま横島は、周囲の人々に思わず道を開けさせるほど不気味なにやけ面を浮かべつつ、事務所への道を意気揚々と帰って行くのだった。


 ――そして、一ヶ月ほど後。
 呼び鈴に無理やり起こされ、こんな時間に誰だと自宅のドアを開けた横島に、柔らかな金髪とオレンジがかった瞳を持った美しい少女が深々と頭を下げる。
「横島様、はじめまして。今日から横島様にお仕えさせていただきます、テレサです」
「……えぇぇっ! 嘘ぉっ!」
 髪の間からひょこっと飛び出したアンテナから、彼女がカオスの作ったアンドロイドだと知った横島の絶叫が、早朝のしじまを大きく切り裂いていった。



テレサ



「横島君。私、いつまでも待ってるわ。ええ、必ず待ってる。約束するわ。
 だから――素直に警察に行きましょう」
「いい加減、そういう反応されんのは俺も想定内だぜ。この子はテレサっつって、カオスに作ってもらったロボットだ。俺が邪な欲望を抱いてどっかから誘拐して来たわけじゃねえんだよ」
 そう口ではいいながらも、やっぱり自分の評価にはちょっと腹が立つ横島である。
「そういやシロにまで、『横島殿、この娘子はどこから攫ってきたのでござるか?』なんて言われちまったもんなぁ」
 朝の出来事を思い出して、ため息とともに肩を落とす横島。
 今朝のことだけでなく、シロを通して六女のクラスメートたちにだらしない女好きであると伝わっていること――直接顔を合わせた二人に関しては今更だが――や、それを受けて彼女たちからはシロに「一般常識では横島は女の敵である」という教えがなされていること――それでもシロは未だに懐いてくれているのだが――も横島をへこませている要因である。
「横島さんですからねえ」
「うるせえ。てめえみたいな一見美形な優男こそ、裏でとんでもないことをしでかすに違いないんだ。大体、俺はロリコンじゃねえっ!」
「すみません、横島様。やはり、私では横島様のご期待に沿えないのですね」
 横島の叫びにテレサが悲しそうにうつむいた。
「うわっ、横島さん。あんた、とんでもない人ジャー」
「ほんと、とんでもないわね。
 それにロリコンじゃないっていうのも、シロちゃんへ向ける欲望に満ちた視線を考えると……」
 愛子の咎めるような視線を受けて、「シロは見た目がちゃんとナイスバディだろ。実際の年をわかっちゃいても――」と横島は言いかけたが、テレサがそれを聞いてさらに落ち込む様子を見てしまい、慌てて「いや、違うんだ、テレサ。そういうことじゃなくてね」と彼女を宥めにかかる。
 そしてこのままでは埒が明かないと、横島がきちんと愛子たちに事情を説明しようとしたところで、教室にやってきた担任が――ちょうど横島がテレサに「ほんとだよ、お前のこと大好きだから」と言っているのを見て――そのまま生徒指導室へと彼を連行していくのだった。


 横島が涙さえ浮かべる担任に改めて事情を事細かに説明している間に、愛子たちもテレサから話を聞き出していた。
 最初はテレサも横島について行きたがったのだが、横島に「すぐ戻るから」と言われ、愛子にも「大丈夫、よくあることなのよ」と引き止められたのだ。
「それじゃ、昨日の夜遅くにカオスさんに、その――起動させられたのね」
 テレサが生まれた場所は、カオスが必要なものを注文し運び込んで改造した厄珍堂の店内。起動されてからは、細かな動作などをしっかりとチェックされ、それが終わった今朝早くに早速横島の家を訪れたのである。
 そして迎えた横島の台詞は「なんで、こんなちびっ娘なんじゃー!」だったそうだ。
「まあ、横島さんがどんな期待をしていたのかは、容易に想像できますけどね」
「うーん、それに横島君が求めた通りの美人だっていうのも間違いではないんだけど……」
 さすがの横島も、見た目が10歳前後の少女には欲情できなかったようだ。
 これはわざとそうされたわけではない。カオスも計画当初はマリアと同じような成人女性タイプを作ることを考えていたのだが、いかな厄珍の協力を得ても、高価な道具・機材類は一体分しか用意することができなかったのだ。
 横島にもアンドロイドを作ってやることを約束していたために、なんとかそれで二体を作ることにした結果が現在のテレサなのである。
「なるほどノー。材料を二等分したから、小っちゃくなってしもうたわけですか」
「横島君が余計なこと言ったせいなのね」
「いいえ、必ずしもそうではありません」
 愛子の言葉にテレサは首を振る。
 もっとも重要な人工霊魂の合成に成功しても、このプロジェクトで大切なのはその人工霊魂の合成を再現することなのだ。そのためには、精密に記録した呪場や霊波の再現実験を行う必要性がある。
 だから横島のためにではなくとも、どの道カオスと厄珍は、二体目をつくって量産が出来ることを確認する心積もりだったのだ。
「きっと今頃は、私の双子の妹も起動させられているはずです」
「じゃあ、そっちの子もあなたとそっくり一緒なの? それとも姉妹でもやっぱりどこか違うのかしら?」
「妹は横島様への忠誠心をプログラムされないと聞いています」
 その妹とは違い、横島への忠誠・彼の役に立つことこそが自分の存在意義であるとテレサは話す。
 「せっかく俺のものになる美人のねーちゃんといろんなことしようと思っとったのにーっ」そう悔しそうに叫んだ横島の言葉をじっくりと考え、それが性交に関わることだと理解した時には、「ドクター・カオスの元に戻って、そういった行為が可能になるよう、新しい機能をつけてもらいます」とまで言い出したほどだ。
 つまり、現在はテレサにそういった機能はついていない。感情面や表面的な皮膚の柔らかさ、またその動きなどはともかく、基本設計はマリアの設計図から流用しており、そう大幅には変わっていないためである。
「なぜか横島様にはすぐに止められてしまったのですが」
 テレサは残念そうにそう零す。
「横島君にも良心はあったのね」
「友人が外道に落ちんでよかったですジャー」
 愛子たちはそうほっとするが、テレサは不満を隠そうとしない。
「どうしてなのでしょう? 横島様も同じようなことを言っていましたが、私はただのアンドロイドに過ぎません。倫理を持ち出すのはナンセンスです。私は横島様に喜んで頂きたいだけなのに……」
「横島君はどうしようもない女好きだけど、あれで根っこは優しい人なのよ」
 「そうですね。きちんと自分の意識を持っている相手を道具のように扱ったりはできないですよ」とピートも説明する。
 それを聞いても、テレサは自分の考えを譲ろうとはしない。「納得はできませんが、わかりました。では意識を持った私が、自分の意思で横島様の好きなようにして欲しいというのですから、問題はありませんね」
「いや、だからそれはね……ピート君、あと、お願い」
 愛子がギブアップとばかりに説得役を投げ出す。見た目が可愛らしい小学生の少女であるテレサに性的な物事について説明するというのは、さすがの青春妖怪でもきついようである。
「えっ。そ、そういわれても……」
 そもそもそういったことに疎いピートも、上手くテレサを納得させられる気がしない。
 タイガーは端から期待されておらず、聞き耳を立てながら距離を置いているクラスメートたちと同じようなものである。
「……はぁ。責任者、早く戻ってこないかしら」
 愛子とピートは疲れた表情でそう頷きあった。
 数分後にその責任者は担任教師と一緒に戻ってくる。横島から説明を受けてはいても、教師の方は普通の少女にしか見えないテレサを前にまだ不審そうであったが、彼が横島の言葉を信じないことに気を悪くしたテレサが右目に組み込まれたレーザービーマーを教室で照射してみせたので、腰を抜かしつつしっかりと彼女が人間ではないのだと理解させられることになる。
 その際に溶け落ちたガラス窓は横島が弁償することになるのだが、横島にそのことでテレサに文句をいうつもりはない。
 100%横島への好意で行動していて、しかも横島からの言葉には非常に打たれ弱いというテレサを怒ることは難しい――というか、自分の方が嫌な気分になるのでやりたくない――とすでに学習しているのだ。
 下手なことを言って、「申し訳ありません、横島様。横島様が私を必要としないというのであれば、私はドクター・カオスの元に戻って廃棄してもらいます」などと、可憐な少女にしかみえないテレサに悲しそうな目で言われてしまった時の辛さときたら……
「いい娘ではあるんですけどね」
 「横島さんも苦労しますね」と、ピートが窓の後片づけをしている二人を見ながらつぶやく。
 だが愛子は、そもそもの経緯から、「自業自得でしょ」と苦笑しつつも素っ気なく突き放した。


「えと、ありがとう、テレサちゃん」
 小鳩が少し戸惑いながらテレサに礼をいう。
 放課後になって、今日は福の神がつぐみの用事を手伝っているということで、横島が小鳩バーガーを厄珍堂に納品に行く小鳩を手伝うことにしたのだが、その荷物を持ってやろうとすると全てテレサが代わってしまうのである。
「まあ、マリアと一緒で半端じゃない馬力なのは分かってるんだが……」
 小さな少女にたくさんの荷物を持たせて自分が手ぶらというのは、いかにも体裁が悪い。
 かといって、テレサに素直にそういってしまうと、「横島様の役に立ちたいのに、私では迷惑なのですね」と落ち込まれ、それはそれで横島が少女をいじめているように見えてしまうのだ。
 横島は、どうしようもねえよなぁ、と一人ため息をつく。
「どうかされましたか?」
 常に横島の様子を窺っているテレサが即座に訊ねてくる。
「いんや、なんでも。お前は可愛いな」
 そういって横島が頭を撫でてやると、テレサは「ありがとうございます」と照れたように微笑んだ。
 それを見て横島の顔も自然とほころぶ。
 ありがた迷惑なところもあるけれど、マリアと違って喜怒哀楽がはっきりと表情に出るテレサだけに、こうして嬉しそう笑っているところを見るのは癒されるというのも事実なのだ。
 そうして仲良く三人でやって来た厄珍堂は、いつもとは違った様相を見せていた。
 「おお。こりゃまた見事だ」横島が大穴の開いたその壁を見て嘆息する。
「ど、どうしたんでしょうか」
 特に危険な霊波などは感じなかったが、慌てて中に入ろうとする小鳩を崩れる可能性もあるのではと引きとめつつ、横島は慎重に中を探っていく。
「……あいつら、縛られてるみたいだな」
 誰かは知らないがそれをやった人間がすでにいないと確信できてから、横島たちはきちんと入り口を通って店の中に入る――崩落の危険が低いことはテレサが保証してくれた。
 カウンターの奥を通って扉を開ければ、そこではオカルト・古物を扱う厄珍堂には似合わぬ機械類が圧倒的な存在感を誇っていた。
「いかにもそれっぽいな。ここでお前が生まれたわけだ」
 そうです、とテレサが何本もの電線の繋がった椅子のように見えるものを懐かしそうにさする。
「あの、それより――」
 小鳩に促されて、横島がようやく荒縄でぐるぐる巻きにされモゴモゴと猿轡の下で呻いているカオスと厄珍を助けにかかる。
「何やってんだか……くそっ。固えな、この縄」
「では、私が」
 ぎちぎちに雁字搦めにされた縄に梃子摺る横島を見て、テレサがそれを力任せに引き千切った。
「ひゅー、すげえな。そういや目から光線出してたし、マリアみたいにお前も武器だらけなのか?」
 今更のようにそう訊く横島に、テレサよりも早く、縄の残骸を振り払い猿轡をむしりとったカオスが荒い息で応える。「いや、そっちは瞳のレーザービーマーだけじゃ。あっちの方に兵装を山とつけたのは失敗じゃったな」
 忌々しげに舌打ちをしてカオスが強張った身体を解していく。
「何があったんですか?」
 厄珍を手伝いながら訊ねる小鳩に、「それじゃ、そっちは問題ないアルか?」と厄珍が少し怯えた様子で逆に訊き返してきた。
 どうやら、テレサ2号――名前をつける暇もなかったそうだ――は起動するなり「人間には人造人間の支配が必要よ」と言い出して、その意見に反対したマリアとの戦闘に突入してしまったらしい。
「強度ではマリアが勝っとるんじゃが、まずいことに後一歩で取り押さえられるというところでマリアのバッテリーが切れてしまったんじゃ」
 カオスも完全には思い出せなかった絶頂期の魔法技術で作られたマリアの外装は近代兵器にさえびくともしないが、動力効率の点ではテレサたちの方が上なのである。
「あいつも大破してたネ。早く追いかけてマリアを取り返すアルよ」
「い、いや、そう言われても、向こうは武器だらけで、こうやってお前らをあっさり拘束する力は残ってんだろ」
「そうじゃが、急がねばならん。このままではマリアが解体され、奴を直す材料にされてしまう」
 まるで娘の身を案じているかのようなカオスを見て、横島もマリアを助けたいとは思ったものの、あくまで他力本願な性格なので、恐らくテレサ2号のものだろう人工霊魂の霊波跡を探りつつ「勝てるか?」とテレサに訊く。
「わかりません。妹の現状のデータが不足です」
 申し訳なさそうなテレサを見て、「まあ、このコさえ無事なら、また別のを作れるネ」と考えを変えて薄情なことを言い出す厄珍。
 「マリアを見捨てる気か!」とカオスが怒りを露わにするが、「あんたも科学者なら、ロボット工学の原則くらいきちんと組み込んでおくネ!」と厄珍もやり返す。
 一緒に製作に携わってはいたものの、技術的な部分はすべてカオスが担当していたのだ。
「安全装置のついてないような危険なロボットを作るんじゃないアル!」
「ワシは科学者でなく錬金術師じゃ。
 それに他人のために働くようになることを考えて、それくらいきちんとプログラムしたわっ」
「えっ? 思いっきりお前らを襲ってるじゃねえか」
 テレサ2号が人間――もしかしたらカオスはその範疇から外れるのかもしれないが、厄珍は間違いなくそうだ――を襲い、その命令を無視したのは火を見るよりも明らかである。
 そこへ小鳩が遠慮がちに問いかけた。「あの、カオスさん。そのロボット工学の原則っていうの、きちんと二人ともに入れました?」
「……あっ!」
 小鳩の質問に数秒考え込んでからはっとするカオスに、「なんでそんな一番大切なもん忘れんだよ」と横島が呆れ返る。
「やっぱり、こんなボケ老人の計画に乗るんじゃなかったあるヨ」
「ふん、ちょっとした手違いじゃわい」
「ちょっとした手違いって――おい! そういや、見た目はテレサと一緒なんだろ? だったら、んな危険なロボットを野放しにはしとけねえぞ。そいつが暴れたら後でどんなとばっちりが来るか、考えたくもねえ。
 とにかく二人を見つけたから、テレサを充電してなんとかしにいこうぜ」
 アホなやり取りをしつつも、心眼で霊波の痕跡を追い続けていた横島が、ついにマリアたちの居所をつかんでそう告げる。
 テレサを充電してというのは、マリアの失敗を考慮しつつ、そうしておけばまずいことになっても最悪逃げ切れはするのではと考えたからだ。
 その充電の間にカオスと厄珍――こちらは一緒に行く気はないようであるが――が店内で武器を揃え、小鳩はいつも通り「困った時の唐巣神父の教会」へと救援を求めに走っていった。


 廃工場の入り口付近から、そっと横島が中の様子を心眼で探っていく。
「大丈夫。まだ、マリアは無事だ。なんか、今は自己修復みたいなことを――げっ、見つかったわ!」
 横島は慌ててその場から飛び退り、そこへドアを文字通り吹き飛ばしてテレサ2号が現れる。
 その視線は横島やカオスを無視して真っ直ぐにテレサへと向かっている。
「良かった、後で姉さんを捜しに行くつもりだったのよ。姉さんもこの世界のことは理解してるんでしょ。人間はソフトもハードも脆弱。私たち人造人間の支配が必要だわ。姉さんなら協力してくれるわよね」
「お断りします」
 考える素振りさえ見せずに、あっさりとテレサ2号の提案をテレサは蹴った。
 「下がっていてください」と、微かな機銃の安全装置解除音を捉えて横島に告げ、テレサは顔を顰めるテレサ2号の前に横島を庇うように立つ。
「あら、ずいぶんと連れないのね、姉さん。対極的に見れば、それが人間の――」
「私は横島様のためだけに在ります」
 強い口調でそう宣言するテレサに、テレサ2号が一瞬呆気にとられた顔をする。こちらもマリアと違い人間のように豊かな感情の起伏を持っているテレサ2号だけに、どこにでもいそうな、どちらかといえばぼんくらそうな男のために自分は存在するのだと言い切るテレサに驚愕してしまったのだ。
 その隙を逃さず、カオスが厄珍堂から持ってきた高額の破魔札たちを一気に投げつけた。
「しまっ――」
 むき出しの霊体である幽霊を相手にする時よりは効き難いが、マリアには劣るとはいえ強固な身体と人工魂を持っているテレサ2号には、物理的な攻撃よりもその霊体への攻撃の方が効果的なのである。
「ぐぅっ」
「最大電圧充電――照射」
 そして、莫大な霊波の圧力に吹き飛ばされ床に叩きつけられるテレサ2号に向けてためらいなく放たれたテレサのレーザービームが、その頭部を貫き蒸発させていった。
 それでおしまい。
 声を上げる間もなく、テレサ2号はその活動を停止させた。
「……ごめんな。テレサの妹なのに、こんなことさせて」
 同型機相手には最大戦力だったとはいえ、いざ終わってみると本人にそっくりな少女型アンドロイドを殺させてしまったことに罪悪感を覚えずにはいられなかったのか、横島がテレサに気まずげに謝る。
「彼女は先ほど私たちに、つまりは横島様に危害を加えようとしました。私は当然のことをしたまでです」
 ところがテレサはむしろ誇らしげに胸を張り、横島が自分を気遣っていることが不思議で理解できないというかの様。
 テレサが本当に横島を全ての中心、最も重要な存在だと考えていることを思い知らされ、横島はなんともいえない複雑な表情を浮かべる。
 この純粋さを手放しで喜ぶ気にはどうにもなれなかったのだ。
 それでも横島はテレサをそっと抱き寄せ、「ありがとな」と耳元で囁く。テレサが自分達を守ってくれたことへの感謝の気持ちは本物なのだから。
 それを聞いて、テレサは一瞬満面の笑みを浮かべた後、そっと横島の腕の中から逃れ出た。
 そして涙ぐみながら頭を下げる。
 「短い間でしたが、横島様にお仕えできて私は幸せでした。少しでも横島様のお役に立てたのなら、これほど喜ばしいことはありません」テレサはそう決別の言葉を告げる。
「――えっ? 全然わかんなかったけど、さっきのでどっか怪我でもしたのか! だったらすぐに厄珍堂に戻ってカオスに治してもらわなきゃ――」
「いいえ、そうではありません。私には横島様がいう一番大切なものがないのです。ロボット工学の原則が組み込まれていない危険なロボットは、私の方なのですから」
「なっ! だって、あいつはさっき俺たちに……それに、テレサは俺を――」
 その告白に混乱してテレサと機能停止したテレサ2号の間で視線を揺らしておろおろする横島を尻目に、ゆっくりと考えを巡らせていたカオスが「そうじゃったのか!」と、ぽんと手を打つ。
「第零条の拡大解釈だったんじゃな。
 あ奴には自由度を残し過ぎたし、人間たち・人類は信用の置けないろくでなしじゃった、と」
 一人納得してうんうんと頷いているカオスに対して、「俺にもわかるように言ってくれよ」と横島が情けない声を上げる。
「なに、きちんと自分の手で管理しておかんことには、人類は危なっかしくて見ておれんかったんじゃろうよ」
 カオスは横島にそれだけ言うと、持ってきた簡易バッテリーでマリアを動かし、停止したテレサ2号を抱え上げさせて一緒にその場を後にする。
 「大丈夫じゃよ。その小僧なら、お前を受け入れる」と、テレサの肩に優しく手を置いて言い残して。
 二人きりになり、横島とテレサは困惑気にお互いを見つめ合う。一方はどうしていいかまったく分からないといった顔、もう一方は悲しみとほんのわずかな期待が入り混じった顔である。
「……えと、正直ちっともなんのことか分かってないんだけど、これだけは間違いなく言えるぞ。テレサはいい娘だよ。俺が百パーセント保証する。だから、ほら。一緒に帰ろうぜ。
 そうだ。これからは俺が頼まない限り、人間相手に攻撃すんのは無しな。ほら、これなら絶対安全だろ。お前は危険な存在なんかじゃないさ」
「……わかりました。横島様に危害が及ぶと判断されない限りにおいて、その命令に従います」
 その返事に若干の不安は残ったものの、自分が差し出した手をおずおずと嬉しそうに握るテレサをみて、横島は「こういう娘なんだ、しかたない」と腹をくくることにした。
 二人は手をつないだままのんびりと歩き出す。
 特にテレサを連れて初めて美神除霊事務所に行く時のことなどを考えると、不安が尽きないのも確かである。けれど、横島がこの手を離すことは決してないだろう。
 テレサに不快感を与えないよう、横島は心の中だけでそっとつぶやく。「そのうちカオスが美女に成長させてくれるかもしれないしな」と。
 多少は自分自身への照れ隠しも混じっているようであるが、横島は女性に関しては非常に諦めが悪いのだった。





注)もうテレサでもなんでもないですが、オリジナルというよりクライテンのイメージが強いです。





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