<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

XXXSS投稿掲示板




感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[7720] 梟森(戦国ランス)【完結】
Name: 基森◆3591bdf7 ID:674f23f4
Date: 2009/04/09 18:58
雲の帳が全天を覆いつくし、星一つないある夜の日。
尾張城下の一つの屋敷に忍び込む、小さな影があった。
さてはましらか妖かと思うほどの勢いで城下の家々の屋根を飛び移ってきた影は、その勢いのまま寝ずの番をしている者達の監視の目を潜り抜けて、その屋敷の門をあっさりとこえて家内に進入していった。その影は、五寸先を見渡す事も難しい夜の闇の中を、迷うことなくまるで見知った家であるかのようにある目標を目指して進みいっていた。警戒の目がないのを確認してゆっくりと縁側から屋内に忍び込み、そのまま廊下を滑るように抜き足で進んでいく。

目当ての部屋にたどり着いたのか、僅かにその部屋の内側に聞き耳を立ててその中から聞こえてくるかすかないびきの声音から、ここが目標のいる場所だと確信したのか、辺りを見回してだれの気配もしないことを確認した上で部屋の中にはいる準備を始めた。
障子によって区切られたその部屋の中に進入するため、その小さな影は音を立てないよう細心の注意を払って、しかし家人には見つからないようにすばやく敷居のふちに懐から出した小壷に入っていた菜種油を注ぎ込む。ある程度、油が染み渡ったと見るや否や、音もなく滑るように動くようになった障子を僅かにずらしてその隙間にからだをもぐりこませ、即座に再び静かに動かして障子を閉める。


中には狙い通りの男がいた。がっちりとした体格に、しっかりとした彫りの深い顔立ち。年のころは二十代に入ったかどうかといったぐらいであるにもかかわらず、鍛え上げられた肉体が浴衣の上からでも見て取れるほど、完成した武人であった。
だが、そんな一流の武人をもってしても、この小さな影には気付けない。それも当然、この影はそういったことのためにわざわざ育て上げられているのだ。この男が武に年月を費やして人並み外れた戦場での働きを得たのと同様、この影はこの闇の中での忍び働きのために生きてきたのだから。


隠密同心 心得の条
我が命我が物と思わず、武門の儀あくまで陰にて、己の器量伏し、御下命いかにても果すべし。なお、死して屍拾う者なし。死して屍拾う者なし。死して屍拾う者なし

闇に生き、闇に死するが忍びの定め。
生涯を影に捧げたものが、人知れず闇に死ぬために修練を重ね、磨き上げた技術の集大成だ。
ましてや、この影はその忍びの中でもずば抜けた能力があると頭領からすら一目置かれているほどの腕前を誇る。どこまで行っても所詮日向の達人である男が気付ける相手ではなかった。
未だ変わらずいびきをかき続ける男を一瞬だけ見下した目で見下ろしたあと、影はその大きく開いた口元に先ほどとは又違った小壷から一滴、又一滴と中に入った液体をたらしてゆっくりと、本人も気付かないように飲み込ませていく。徐々に男のいびきが小さくなっていく。
やがて、きっかり五滴壷から落ちて飲み込まれていったのを確認した影は、ひとまず第一段落が成功した事を確信し、それに安堵の息を吐きもせずに、あたりの気配を探って自らの忍び働きがこの家のお庭番に気付かれていないということを確認する。

にやり

初めて影の薄い唇に、笑みが浮かんだ。完全に沈黙してしまった男に対するあざけりなどではない、父にほめられる事を確信した何も知らない無垢な童女が浮かべる様な本当に嬉しそうな笑みだった。しかし、すぐにそんな柔らかな雰囲気は消え去り、元の氷で出来た能面のような無表情に戻ると、影はさっと男を抱き起こし、背負い始めた。先ほど注ぎ込んだ薬によって、そうやすやすと意識を取り戻す事ができない男は、完全にぐったりと意識をなくした状態で人形のように折りたたまれてその小さな影に背負われた。自身の数倍の体重はあるかのような男の巨体をその小さな背中に背負った影は、再び音もなく障子を開けると男を背負ったままその重さを感じさせずに軽やかに舞い、塀を越えて夜の闇へと消えていった。








   ぴちゃん
          ぴちゃん  
   ぴちゃん
                         ぴちゃん




どこかで水が落下する音がする。一定のリズムで、ゆっくりと、しかし正確に時を刻みながら落ちるその音に、ゆっくりと意識を覚醒させられていく。

昨夜は雨だったのか、などと未だ完全覚醒には至らぬ頭でぼんやりと感じ、周囲の暗さから未だ夜は明けきっていないだろうという事も同時に思いつく。雨のせいかいつもは寝坊すると屋敷の自室で聞くことになる鍛錬をする声も聞こえない。

今日は特に絶対にしなければならないという確固たる予定もなかったし、なんだか頭も重いような気がするからたまにはゆっくりと布団の中で過ごすのもいいか、などと考えてうつらうつらと舟をこぎ、寝返りを打とうとしたところで……異変に気付いた。


「なっ! なんじゃこれは!」


一気にぼやけていた脳に血が回り、現在がいつもと同じ朝が始まったわけではないという事を知らせる。いつもはそれなりに上質な布団に包まれ、この時期にあってすら寝苦しさを感じる事もない寝床が単なる木板へと変わっている。
頭を左右に振ると、いつものように自分にあわせて作られた真新しい枕が頬を優しく押し返す感触ではなく、ごつごつとした合板が頭の縁にごつごつと当たる。
なにより、いつも寝起きには早く血を通わせるために布団の中で多少動かしてみる手足が、今日に限っていつもの動きを全く受け付けない。


あわてて今まで眠っていたために暗闇に慣れている寝ぼけ眼で辺りを見回して、自分がどういう状態になっているのかようやく気がついた。


大の字を描くかのように手足はそれぞれ太い縄にまとわれた上に、それぞれの縄の先はほんの僅かなたるみだけを残して四隅の柱に結ばれている。そのからだが乗せられているのは二畳ほどの大きさしかない木板の上であり、間違ってもいつもの寝心地のいい自分の寝床ではない。
唯一自由に動く頭部を動かして辺りを見回したところ、この場所自体も自室とは異なり、全てが土壁に囲まれたうすぐらい地下室のような場所だという事しかわからなかった。


「これはいったいどういったことだ!」


驚きで一気に覚醒した頭が回転し、それでも生まれる戸惑いを音にと変えて、その体格にふさわしい男らしい声であたりへと喧伝する。
昨日は確かに自室で眠ったはずだった。何事もなく一日を過ごし、少々遅めながらも通常通りそのまま床に入ったはずなのに、何故目覚めたらこのような場所でとらわれているのか、男は心底わからなかった。


「誰じゃーー!! でてこーーい!! こっから出さんかーー!!」


その戸惑いのままに声を上げ、時には自らの鍛え上げた力でもって四肢を縛る縄を引きちぎろうとするが、千切れない。本来の男の力を持ってすればこのような細い縄なぞ切れぬはずがないのであるが、まるで魔法でもかかっているのに揺らぎもしない。僅かにたるんだ縄がぴんと張ってその張力によってプルプルと震えるが、ただそれだけで、男の期待するぶちっという音も、手足が開放される感覚も訪れない。


「がーーーー!!」


もはや野獣のようにわめき散らし、必死に拘束を解こうとするが、それでも拘束は解ける気配もない。声の限りに叫んで、手足を振り回し、それに未だ完全にからだが覚醒していない朝からという事もあって男は急速に体力を消耗していく。戦場ではどれほど武器を振り回しても疲れを見せないこの男も、このような状態ではその覇気を保ち続ける事はできなかった。
声を張り上げていた事でのどの渇きもいよいよ増して、ようやくその抵抗も衰え始めてきた、そのときだった。

さきほどから闇に慣れた目でようやく周囲の気配がわかるくらいの闇で包まれていたこの部屋に、音もなく光が差し込んできた。その明かりに、暗闇になれた目が一瞬眩み、その間に入ってきた二人の影が誰なのか、男は即座には気付く事ができなかった。
ゆっくりと動く光の中のシルエットから、大柄な方の影が一歩進み、男の方へと聞き覚えのある声をかけてきたことで男は彼らの正体を知ることとなった。

「お、おぬし達は!」
「お加減はいかがですかな、勝家殿」
「……」


 男――――尾張一帯を支配する大大名である織田家の重臣柴田家の嫡男、柴田勝家を、こんなところに自らを押し込めた輩だ。今は戦乱にはなっていないものの、そこらかしらに火種が見られる乱世の世ということもあって、考えたくはない事態だが織田家の家臣の中でもそこそこの地位にある自分を狙った、誰か敵国の者によって自分はとらわれたと思っていたのだが、その場に現れたのは、自分とある意味同じ家臣である織田家直属の忍、伊賀忍軍の隻腕の頭領、月光とその片腕として常に共にいるしのぶ、の二人の忍者だった。


「貴様らっ! たかが忍び風情が柴田家の跡継ぎである拙者にこのような暴挙、いったいどういった了見じゃ! 謀反でもするつもりかっ!!」


勝家の言葉はある意味正しい。
織田家重臣の柴田家の嫡男であり、当代織田信長の跡取り息子である上総介の側近としても覚えもいい勝家と比べれば、いかに織田家の諜報活動の一手を担っている伊賀忍軍現頭領である月光といえどもその地位も霞む。
当代信長は苛烈にして冷酷、そして優秀な当主だ。使われる立場である忍びが使う立場である武士を捕らえるなどというこのような暴挙、決して許さないだろう。

そういった意味で月光に向かって吼えた勝家の台詞は今の彼の立場からすれば実に正しいものであったが、その忍び風情という言葉に月光のそばに付かず離れ図の位置にいたしのぶの目線が一層冷たくなる。そんなしのぶを無言のうちに背中で抑えた月光は、しのぶと違い一切その言葉には反応せず、ただ淡々と勝家に答えた。


「このような場所に柴田家次期当主を押し込める事は申し訳ないが、これはあなたのお父上から頼まれた事。信長様にも許可をもらっていますので」
「な、何と! 父上が」


てっきり月光たちの独断でこのような暴挙に及んだと思っていた勝家は、己の父、そして雲の上の存在であった当主までもがこのことを認めていると聞いて、思わず言葉と顔色を失う。


「……そうだ、わかったらそのうるさい口をさっさと閉じろ」
「何じゃと、この小娘が!!」


だが、その後に続いたしのぶの言葉にあっさりと頭に血を昇らせ、怒り狂う。
元服、初陣と済ませ、戦の中でも数々の武功を立て始めてきて、さすがは柴田の跡取りよと褒め称えられてきた勝家にとって、自らの半分ほどの齢しか重ねていないであろうしのぶに罵倒されるいわれなぞまったくないとその強面の顔に血を昇らせて威嚇した。が、それにはしのぶは顔色一つ変えない。


「しのぶ」


そんな勝家の鬼のような怒りを柳のように受け流して無表情をたたきつけてくるしのぶの言葉を止めたのは、月光のただの一言だった。


「……すまない、月光」
「しのぶがご無礼をいたしましたな、勝家殿。とにかく、ここに入れさせていただいたのは、あなたのお父上が、一つ我らに頼みごとをなされましてな」
「何じゃと……それがこのような所業に関係があるとでも申すのか!」
「いかにも」


 そこで一旦言いにくそうに月光は言葉を切ったが、これも主命と勝家に向かってこのような拉致監禁まがいの事を行った理由を切り出した。






「…………なんでも勝家殿は少々女遊びがすぎられるとか」


……勝家は織田家中では名家の出であり、又その武勇で持って若輩ながらも同年代から一目置かれる存在だったが、彼好みの「むちぷり」に散々モーションをかけてはその要領の悪さゆえに振られるという事で、少々織田家中でしばしば問題になることも多かった。
しかも狙っているのかいないのか、同じ織田家重臣の一番かわいがっている愛娘や敵国のぐらまーで有名な姫など政治的に難しい相手にもちょっかいをかける、商売女には本当に言いようにもてあそばれる始末。このままではヤバイと父である柴田家当主が思ったのも無理はない。

今のところ表立って問題は起こっていないが、見えないところでは勝家のおかげで柴田家の株は大暴落、なまじ能力的には優れているだけに次期当主にせざるを得ないところがまた難しい。
正面向かって言うものはいないが、今では同じ家臣団の中には「美女に(向かう)野獣」、領民に「フラれ次期当主」なる綽名までつけられる始末。当代信長が実力至上主義ということで表立っては今までと変わらぬ寵愛を受けている柴田家ではあったが、勿論、当代信長とて今のところは父の顔を立てて何も言わないであろうが胸のうちでは快く思っているはずもない。このままでは勝家の父は織田家中で立場がなかったし、やがて次代へと受け渡される柴田家の家督の先行きがあまりに不透明だ。

だが、勝家は悪びれなかった。
「むちぷり」こそが真理、と固く思い誓っている勝家にとって見れば、真実の愛を追い求めて努める自分はきわめて真面目な武将であり、それを問題にする父のほうが間違っていると心底思っているからだ。


「ふん、武家の跡取りとして今のうちから経験を積むことの何がいかんのじゃ。父上たちの頭が固すぎるだけであろう」
「成功しておられれば、それほどまでに問題にならなかったのでしょうが、百戦百敗では流石にいろいろと……」
「成功に失敗はつきものじゃ、見ておれ、今度こそはむちぷりの女子をものにしてみせる!!」


 まあ、月光とてこうやって話しただけで勝家が改心するなぞと思っていないから、こうやってしのぶにわざわざ屋敷から拉致させた上に縛り付けてまで荒療治を施そうと思っていたのだが、改めて勝家の筋金入りといえる意思の硬さを思い知る。


「………まあ、とにかくそういったことをお困りになられたお父上がこちらにわざわざお依頼に参られたということですよ」
「ふん、忍び風情が拷問でもする気か? 拙者のむちぷりへの思いはそんなもんでは消せはせんぞ!!」
「勝家殿の頑固は知っておりますよ……とにかく、ここまで悪化した持病、正攻法では行かぬというもの」
「持病とは何じゃ、無礼な!」


その声には答えず、はあ、と一つ忍びにしてはやけに人間味を帯びたため息をついて、それでも主君の命には逆らえない月光は先ほどからそばに控えている自分が手塩をかけて作り上げた愛弟子のしのぶに命じることにした。

それにこれは主君の命としてだけの仕事ではない。そろそろからだも出来上がりつつあるしのぶには、忍者としての修行に平行して、そろそろくのいちとしての仕事に身体を慣らさなければならないという事情もある。そういった意味でも、今回の忍務は都合のいい話なのだ。

なにせ、史上最強の忍びに育て上げるとこの月光が決めたのだ。
色事についても最強でなければならない。ましてや、しのぶはくのいちという道を選んだ。選んでしまった。

いままで色吊の術については自らも教えてきたり、横についてアドバイスをしながら枕席での暗殺も教え込んできたが、完全に一人で行わせたことはなかった。で、あれば、せっかくの機会だ。万が一にもしのぶの命に危険はないこの任務で、しのぶがくのいちとしても超一流としてやっていける可能性があるのか見極めるという目的もあるのだ。


「しのぶ。勝家殿に新たな世界のよさについても教えて差し上げろ」
「……………承知」


不服そうな声音で、若干8歳にして伊賀頭領の片腕とまで言われるようになった忍びであるしのぶが、今度はくのいちとして行う初めての忍務「しのぶのドキドキ勝家つるぺた大作戦」が始まった。








※以前こちらに投稿させて頂いていたものに加筆修正を加えたものです。
※描写の一部として性的描写があります(しかも幼女相手に)が、正直エロくはないです。
※しのぶの才能レベルと各登場人物の年齢のみどうしても原作設定の範囲内に収まらなかったため若干の変化があります。



[7720] 八年前
Name: 基森◆3591bdf7 ID:674f23f4
Date: 2009/04/02 21:52
     めら……めらめら…めらめら
            ぱちぱちぱち
 音に直すとそんな感じとしか言いようのない光景の前で、月光は佇んでいた。

ここは、「元」甲賀の里。
つい先ほど、月光率いる伊賀忍軍の強襲に会い、壊滅した忍びの里だ。
「甲賀者に不穏な動きがある」と主に報告したのは月光の手のものであるし、その主から、「ならば甲賀の里を潰せ」との命を受けたのも月光だった。
 つまり、この目の前の惨状、女子供にいたるまでの甲賀の里の住人皆殺しは月光によるものといっても過言ではない。にもかかわらず、月光は部下の仕事の確認のために来たこの元甲賀の里の惨状を見ても、眉ひとつ動かすことはなかった。

自ら手を下していないからこの光景になんら感慨を持っていないのではない。
 織田家直属伊賀忍軍頭領である月光は、欺き、欺かれ、騙し、騙され、殺し、殺される忍びの性として、この惨状自体に対してはなんらの感慨を持っておらず、ただ命じられた事を果たしただけだという事だけがその胸のうちにあった。
 好んで殺戮を繰り返しているわけではないが、死は常に忍びから近いところにあるからだ。それに、甲賀をそのままにしておいては伊賀に対等なる立場として、いつ信長に人別帳を書かされるやも知れないという恐れもあった。

 そんな、何の色も見せない表情で部下からの報告を待っていた月光が、ふっと、視線を上げ、腕を一閃する。振るわれた両腕に握られていたのは、少し大振りの苦無だった。そして、その一閃にしたがって、月光に向かって飛んできていた多数の八方手裏剣が一瞬ではじけ飛ぶ。弾かれ、地面に刺さった手裏剣はぬらぬらと何らかの液体にまみれている。おそらく毒であろう。
 そちらには一瞥もくれず、真っ先に手裏剣が飛んできたほうを見つめた月光の目線の先には、煤に汚れてはいるものの、この伊賀忍軍のほぼ全軍を投入した攻勢を受けても、未だ月光の前に五体満足な姿をさらしている一人の忍びがいた。


「やはりあなたは残ったか、逃げ弾正」


 甲賀忍軍上忍高坂義風。
特に諜報活動を得意としており、今まで何度も伊賀忍たちに忍務中に捕捉されたにもかかわらず、ことごとく無傷で逃げおおせたという伊賀忍軍の宿敵の一人が、そこにはいた。どうやら炎により崩れ落ちていた家屋の下にもぐりこんで隠れていたらしい。
 月光が部下と離れ、信長に直の報告を行うために検分に足を運んだこのときまで、じっと身を潜め、我慢を重ねて、いざ好機と見るや否や即座に襲ってきたのだろう。


「里の位置がばれた時点で確かに私達の負けですがね~。……せめて、一矢は報いさせてもらいますよ~」
「………」
「逃げようかとも思ったんですが、駄目でした。やっぱり私は思い知らさなきゃいけないんですよ~。………私の弟たちに手を出したらどうなるのかをっ!」


 口調はあくまで軽く、しかし、その瞳に残る憎悪は忍びといえど隠しきれずにそう一声かけると、里の無念を晴らしに来たとその意志の弱い者であれば意識すら失いかねない眼光と共に高坂は月光の、伊賀頭領の死を訴えかける。
 ここで高坂が月光を殺す事には何の意味もない。そもそも月光や高坂ほどの腕利きばかりではないにしても、今のこの場には数十人、数百人単位で伊賀忍軍が投入されているのだ。今は一時的に月光がひとりとなっているが、戦闘なぞを行っていれば即座に他の忍びが駆けつけるはずである。まず実行自体が不可能であろうが、万が一可能だったとしてもその意味の無さは同じである。伊賀忍軍は頭領を失ったという事で一時的には混乱するかもしれないが、すぐに別のものが次の頭領の座に着くだけである。組織としての伊賀が甲賀のようにつぶれる事はない。
そのくらいのこと、もはや忍びとしては熟練の域に達している高坂が気付かないはずがなかった。

それでも、平時において同盟を組んで共同で忍務にあたった事もありながら、徐々に甲賀が力をつけてきて独自で織田以外の大名と手を組めるほどの脅威に達したと見るや否や、何の躊躇もなく皆殺しにするように命じた織田信長と、その命を忠実に履行する伊賀忍軍頭領月光の裏切りが高坂には許せなかったのだろう。
忍びといっても人の子。いかに鍛錬を重ね、経験をつみ、刃の下に心を押し隠していても、自らの人生と、その成果である幼子まで消し去ろうとする敵を見て、生き延びて来るか来ないかわからない復讐の機会や新たな人生を歩むよりも、刺し違えてもこの傲慢な上位者達に一鞭当てる気なのだ。
相手を欺き、相手に欺かれ、騙し、騙され、虚言を吐き、戯言に交えて真実を語る。そんな忍びであっても、「憎悪」という感情までは消しきれない。
そんな姿に、忍びとて武士と同じ人であるにもかかわらず、常に織田家中において武士の下として無条件に武門の影となることを強いられている自分たちの行為の理不尽さを思い至らせられる月光。
それでも、月光は伊賀忍軍を治める長として、その不条理をたたきつけてくる高坂に敗れてやるわけには行かなかった。

自らの正面でわざわざ恨み言を言う陰で、気配を消して月光の死角に回ってから腰溜めに忍者刀を構えて二人の高坂の分身が無言で突っ込んでくる。それを当然のように察知して空中に跳躍してかわす月光。
空中で身動きが取れない月光に向かって、言葉を交わしていた本体は再び毒を塗った八方手裏剣を投げてくるが、それすらも月光は未だ崩れ落ちぬ廃屋の大黒柱に縄を巻きつけて自らをそちらの方向へと引っ張る事でかわす。

「……………」
「……………」

お互いに無言。
「逃げ弾正」の名に恥じぬ俊敏さでもって月光を高坂は追う。お返しとばかりに何十の単位で投げられた苦無の雨を、一瞬で出した懐の巻物でもって火遁を起こしてその爆炎で弾き飛ばし、炎の玉で再び月光を攻撃する。
その炎を切り裂いたのは月光の忍刀。後に見当かなみが持つようになる人切り刀のように切れ味のみにその全てをかけたような一級品のものではなく、その刀は単に伊賀忍であれば誰でも持っているようなものに過ぎない。
だが、この月光の忍刀は鉄を精製する時点で毒草やある種の鉱石を混ぜて作ってある。無論、不純物が混じっているため鉄の純度は落ちるため粘りのある地金にはならず、日本刀独自の特性である「折れず曲がらずよく切れる」は完璧にはいっていないが、そんなディメリットを上回るかすり傷すらも致命傷に変えるという特性を持っている。その刀を持って今度は剣戟に移る。
それに応じて、ありったけの棒手裏剣を投げる傍ら自らも持つ忍刀に気力を込め、一撃でその首元を切り裂こうと突進をかけ、技を放つ高坂。


お互い忍者技能Lv2を持ち、才能限界も常人とは比べ物にならないほど高い二人の戦いは、一瞬のようで、意外と長く続いた。気力体力ともに十分な上に直接戦闘を得意とする戦忍びであり、高坂以上の若さも武器となる月光と、直接の戦闘よりも影からの暗殺や諜報、配下の指揮を得意としているが、現在レベル自体は月光を上回り、一族郎党を皆殺しにされた執念で必死に月光に喰らいつく高坂。
それなりに拮抗していた戦いが続き、それでも高坂が疑問に思うほど回りに伊賀忍は現れない。

そんな二人の戦いは、ほんの一瞬の隙によってごくごくあっさりと勝負の明暗が分かれた。再び必殺の一撃を放とうとする二人のちょうど中間付近にあった燃え続ける家の中において、突然赤子の泣き声がしたのだ。今まで眠っていたのか、気を失っていたのかは知れないが、おそらく高坂以外の甲賀の唯一の今の里の生き残りであろう。
今にも崩れ落ちそうな場所に自分以外の甲賀者がいるということで、一瞬だけ高坂は意識を眼前の月光から逸らしてしまった。拮抗していた勝負はたったそれだけであっさりと勝負をつけてしまった。その一瞬で月光は、深手ではないものの決してそのまま武器を握れるほど浅くはないほどの傷を高坂の両腕の二の腕の辺りに刻み付けた。

 と、同時にその赤子の声に触発されたのか四方に散らばっていた伊賀忍がこちらに向かいつつある事を高坂はその気配で知った。
もはや勝敗はついた。このまま、相打ち覚悟で月光に挑み続けたところで、この状態ではもはや傷一つつけることもできはしないだろう。なす術も無く殴殺されるだけである。


「くっ………………」


 そう、悔しげに一言漏らした高坂は月光に背を向け、そのまま遁走に向かった。
 一瞬だけ追うかと思った月光だったが、その高坂と入れ替わるように部下が集まったのを見て、部下達に任せる事にした。足に傷を負わせていないため、追いに向かわせた者達だけで「逃げ弾正」を捕捉できるかどうかはわからないが、逃げ切られるならば逃げられてもかまわない。あの人数が突破されるのであれば、月光一人が追撃に加わったところでさしたる変わりはないし、あの傷ではもはや忍びとして再起する事は不可能であろうと思ったからだ。

 それよりも、信長に対する報告のほうを優先しなければ、と思っていたところ、部下のくのいちの一人が先ほどの勝負を決めるきっかけとなった赤子を持って近寄ってきた。親兄弟を皆殺しにされたということがわかっているわけでもあるまいが、それにしても良く泣く赤子である。
 そんな様に同情でもかったのか、手を下す事を迷っているかのように見えるその下忍を無言のうちに鋭い眼光でにらみつける月光。主に皆殺しにせよ、と命じられた以上は下らぬ感傷に浸るべきではないと、その目のうちでそのくのいちに語りかける。

 だが、どうやら忍務経験の浅い下忍だったようで、頭領である月光の顔を直々に見たことで動揺してしまい、手が震えて赤子を取り落としそうになるほどで、赤子に刃を突きつけることなぞもはやできそうになかった。
 自らの里にもこのようなものがいるのかということで自分の指導力不足を痛感してため息を一つ吐いた月光は、自ら手を下すべくその赤子をくのいちの手から奪い取る。

 その瞬間、今まで泣きに泣いていた赤子の泣き声がぴたりと止まった。思わず子育て経験のある忍びたちの目が見開き、月光の方に集中する。一度でも泣き止まぬ赤子をあやした経験した事があるものならばこそわかる驚愕だった。
 月光にとってもそれは同じだった。子こそ持たないものの、小さい頃から里で育った月光は年少のものの面倒をみる事もそれなりにあったのだが、ここまであっさりと泣き止む赤子はみたことがなかった。思わず戦闘後の高揚もあって、忍びにしては意味もない好奇心が生まれる。
 泣きやんだ赤子を他の忍びに渡すと、これまた再び大音量でわめき始めた。手元に戻すと、泣き止み、それどころかこちらに向かって笑い声まで上げ始める始末。いろいろやってみても、この赤子は月光の手元から離れた瞬間に泣き、胸元に戻ってくると泣き止む。
この怪現象に思わず月光は遠い目をして、「元」甲賀の里全体を見渡してしまう。目にはいるのは未だくすぶる焼け跡と、もともとは人が使っていたであろう日用品の名残と、部下達が片付けた死体がこぼした血の痕だけだった。

忍務はひとまず終わりといっていいだろう。後は、この赤子の始末さえつけてしまえば全てが終わる。にもかかわらず、何故か月光は太刀を振り下ろす気にはならなかった。
 そうこうしているうちに高坂を追っていた部下達が戻ってきて、月光の胸のうちに何故赤子が、という驚愕の目線を向けながらも、高坂を取り逃がしてしまったと報告を行った。



忍務は「甲賀の里の壊滅」。その命は、今こうして焼け落ちた里を見ても成されたといっていいだろう。
そして、里は壊滅させたものの一人の甲賀忍びを逃がしてしまった。そういった意味では完全に遂行できたということはできないかもしれない。そして、忍務で出かけてここにはいなかった甲賀忍たちもおそらく各地に散らばっているであろう以上、高坂一人だけの問題でもない。


     ならば、この赤子を殺めたところで、どの道任務の完全遂行は成されない。



「お館様に報告に行くぞ」


 その胸のうちで正確にはどういった心理が働いたのか誰にも、ひょっとすると月光自身にも理解できなかったが、月光は胸のうちに赤子を抱いたまま忍務終了の命を出して、伊賀忍軍の撤収を行った。今まで見たことのない月光のそのような言動に年配の忍びが目をむくが、忍者の世界では頭領の命は絶対である。そこには疑問すら差し挟んではならない。
 月光自体も何故そのような命を出したのか疑問に思いながら帰路に着いた。両腕に抱いたこの赤子の温もりは冷徹でなければならないはずの忍びをもってしても暖かい、と感じながら。




[7720] 一刻後
Name: 基森◆3591bdf7 ID:674f23f4
Date: 2009/04/03 19:16



「ならぬ」
「殿………」


 任務を終え、その報告を終えてもなお、立ち去らぬ月光が当代織田信長に願った事に対する当代の答えである。そしてそのことに、居並ぶ武将達もむしろ当然といった表情を変えることはなかった。織田家の万能世話役妖怪である3Gは痛ましげに月光を見て、当代に声をかけるが、その政治家としての心の内を長い人(?)生経験で理解したのか、実際にその非難を口に出す事はなかった。
 月光の願いはそれほど実現が難しい事ではなかった。ただ単に、任務中に拾った赤子を自分の手で育てたい、というだけのものであり、特に織田家への不忠や困難を感じさせるものではないものであった。赤子にほだされるなどと、いつもの月光らしくは無いものの、里の新生児だけでは補充が難しいくのいちが増える事は里のプラスになる事も考えれば、それほどおかしなことではない。
 
 つい先ほどその危険性を認めて排除した甲賀忍を、抹殺もせずにのうのうと生かしておくという事は確かに将来の禍根になる可能性が無きにしも非ずだが、何せ赤子。
今後の教育しだいで如何様にもできる上に、個人戦闘を得意とする伊賀忍に比べて、甲賀忍の真骨頂は集団戦における連携といえる。たとえ真実を知ったとしても、血統から言って高坂のような例外でない限り月光ほどの才能限界と技能レベルは持ち得ないだろう。たかだか赤子一人という事で軽視する事は確かに危険ではあるが、同じ忍びである月光がそういった手抜かりをするといったことは考えにくい。
で、あればこの大任を果たした忍びが珍しく自ら願いという弱みをさらしたのだ、犬につける鎖の意味でもたまには餌をやったほうが良いのではないかと思った家臣も列席する中にはいた。


 だが、それ以外の家臣の頭の中にあったのは、忍び風情が付け上がるな、という一点だった。
忍びは狗、忍びは道具、忍びは影、忍びは消耗品。
武家に対して公然と餌をねだるなどと身の程を知れ、という事があり、提案の内容以外の面で月光の願いは大多数の家臣からは非好意的な目で見られた。
 そして、その家臣団を束ねる当代織田信長は、さすがにここ数年ですざまじい勢いで領地を拡大しているほど優秀なだけあって、忍びをそれほどまでに消耗品としてみることはなかったが、同時に家臣団の冷たい感情を無視して月光に将来の禍根を育てさせる事に利は感じなかった。優秀な政治家でもあるからこそ、家臣たちとは違った意味で反対の言を述べたのだ。


「将来の禍根をわざわざ残しておく必要なぞない。この場にて首を刎ねい」


 その言葉に下座にて頭を地に擦り付けながらも、月光は一向に動こうとしない。視線を移すと、その腕の中にはきゃらきゃらと笑う赤子。
 改めてその愛らしい姿をみて、そこまでする必要はないのではないかと思い始めるものもこの場に少数ではあるがいたのだが、当代信長はそんな感傷なぞには動かされない。


「早ようやれ」
「………………」
「あの、……父上…………いや、なんでもありません」


 本人も何故ここまで主の言葉に従えなかったのかわからなかった。しかし、それでも刃を振り落とさなかった月光と、その腕の中で笑う赤子を見て、口を挟んだものがいた。
織田上総介、後に魔人殺しの英雄、鬼畜戦士ランスと出合うこととなる次期織田家当主の声だった。元服を済ませたばかりであった上総介は、いかに敵の子とはいえこのような赤子を殺すまでしなくてもと、父の決定に口を挟んだのであるが、その鋭い眼光を見て黙り込む。

 そのことがさらにこのからだの弱い息子が自分の跡を継ぐことになるということに危惧感を抱いていた当代織田信長の感情をさらに刺激した。確固たる信念があるのであれば、きちんと言えばいいのだ。言えないのであれば、最初からこの大勢の配下がいるところで口を開くべきではなかった。
剣の腕こそ立つものの、この戦乱の世でそのようなたわけた態度でいるから尾張の大うつけなぞと各国で言われるのだと上総介に対する苛立ちも交えて重ねて月光に命じる。
 それに促されるかのように月光が口を開いた。信長は、月光が自分の命を果たすであろうと確信していたし、その確信に足るだけの歴史が月光と信長の間にはあった。
が、月光は予想外の行動に出た。


「……信長様」
「何だ」
「御前にて、しばしのご無礼をお許しください」


 そう一声かけると、月光はいきなり腰に差された忍刀を抜き放った。
子を殺すならば懐刀だけで十分なはず。そのいきなりの兇状に一気に諸侯はいきり立った。自らも刀を抜き、主君の前に立ちふさがり、その身を張って守ろうとする。その中には元服時に上総介の側近として取り立てられた若き勝家や乱丸もいた(ちなみに、キンカ頭はびびって震えていた)。


 何やらこの赤子に思い入れのあるらしい月光が、信長の決定を不服として謀反をたくらんだのかと思われたのだ。
 忍びとはいえ、月光は技能レベル2。当代の伊賀忍軍頭領は才能限界も、現在レベルもかなり高い。ひょっとすると、信長や勝家をもしのぐほどに。

つまり、この場にいるものの大半よりもそうとう強い。その月光が暗殺を目的に信長たちに向かってきた場合、止める事は困難だと大半の武士は知っていながら、それでも主君への忠誠を示すため、信長や上総介を守るために席を立った。


「月光殿、いったい何を!」
「月光! 貴様狂ったか!」
「狗風情が何をする」


 いっせいに諸侯が非難の声と殺気をたたきつける中、月光は平然と当代を見ていた。その視線を受けて、すっと手を上げて諸侯を抑えた信長は、月光と並んで冷静な表情でその暴挙とも言える月光の動作を許可した。


「かまわん」
「はっ……では、失礼いたします」


 そう一声信長にかけると………………月光は、忍刀を左手に抱く赤子の方へと向ける。その様子を見て、諸侯がほっと息を吐く。信長の意を受けて、ここで派手に殺して見せようということだろう。その行為に3Gのように良識あるものは眉をひそめたが、ここ数年の平穏を受けて、そういった娯楽に餓えていたものも織田家の中にもいたのは事実だった。
 思わず上総介を含む何人かは信長のほうを見たが、その視線を向けられた当人は、そのことに対して満足も、不快も示さなかった。
主の許しを受けたと感じたのか、眼前で起こるであろうショーに笑っていたものがなおも笑みを強くする。

 自らの方へと刃を向けられた赤子は、そんな己の状態を理解していないのか、そんな状態でも満面の笑みを月光に向ける。絶対の信頼を示すその表情を受けても、月光の顔色は変わらない。
 そんな冷酷な忍びに、無垢な命が今まさに無残に刈り取られる様を思って、何人かが目をそむけ、何人かが楽しみの笑みを浮かべた後に、その刃は勢いよく振りあげられる。かすり傷でもつければ何の抵抗力も持たない赤子の命なぞ、一瞬で奪い去る事の出来る毒刀をもってして、傷つけるなど生ぬるい、相手を切り落としてみせようという意思をはらんだ勢いだった。


 ざしゅ

 肉を切り裂くにぶい音によって、おもわず眼を瞑っていた何人かが、その直前からあたりで生まれた驚愕を含んだ息をのむ音に、恐る恐る目を開く。


その先にいたのは、その毒をはらんだ忍刀を…………赤子にではなく己の腕へと振り下ろした月光だった。
かなりの勢いで振り下ろされたそれは、その勢いを保持したままあっさりと自らの主の左腕を切り飛ばす。

くるくると、くるくると、血で出来た粘性の糸を引きながら、月光の左腕がいまだに赤子を抱いたままで、何も無い空間を舞う。
その、唐突で、衝撃で、戻りえぬ行為に、謁見の場で一切の音が消える。
きゃらきゃらと声を上げて笑っていた赤子すら、いきなり空中に放り出されたことに驚きを感じたのか、笑い声まで途絶える。

 今の世は足利の天下の下、各国が暗躍していながらも戦争自体は起こっていない。
それなりに動乱は生みつつも表面上は平穏を見せているこの世は、戦の機会が少なく、あったとしても巫女の働きもあって死なない限りは片腕がなくなるといった重傷は戦争においてすらめったに無い。実際に現在の大国においてもそれなりの実力で身体に不虞があるものは、ただの一人、リーザス王国の将の一人、バレス=プロヴァンスのみである。

 そんな世界でわざわざ巫女ですら回復できぬ文字通り一生ものの障害を自らに与えた月光は、自らの腕はそのままに、左腕に抱かれていたがために勢いに乗って宙をさまよっていた赤子だけを残った右腕で抱きとめる。
急にぬくもりが無くなり、泣き出しそうだった顔から、再び笑い声が生まれた。
 切り落とされ、宙を舞った肩から先の左腕が、主に受け止められもせずぼとりと畳の上に落ちて再び赤子の笑い声が響くまで、誰一人、当代信長すらも動く事ができなかった。


「頭領!」
「月光様っ!!」
「……下がれ」
「「! ……はっ」」


 と、次の瞬間、部屋の上で控えていたお庭番衆が月光を気遣って飛び降りてきた。彼らにとってみれば主こそ織田家であるが、実際に織田家の中で低い立場にある自分達を保護しようとしているのは、頭である月光なのだ。
ましてや、月光はその卓越した才能と技術により、今まで敵に一撃たりとも与えた事がないその腕を、自ら失わしたのだ。あわてて治療をしようと道具を持って駆け寄ってくるものもいた。それが自らの現在における主の不興を買うかもしれないと知ってもなお、彼らは月光の身を気遣った。

だが、それら配下の気遣いの声を受けてもなお苦痛を耐え、低い落ち着いた声で返した月光の命に反射的にしたがって、忍びの本分を思い出した彼らは影へと潜みなおす。意味は理解できないが、ここで自分たちが騒ぎ立てる事はなにやら頭領の思惑の邪魔をすることだと瞬時に察知してのことである。

 そんな月光を頭に忍びたちの影とも思えぬ、気狂いともいえるような騒乱振りに対しての諸侯の驚愕といぶかしげが混じった視線と、当代信長の厳しい目を受けてなお、月光は苦痛に耐え、自分の言を搾り出す。
 早く治療をしなければ、訓練を受けている忍びといえど忍刀に仕込まれた毒がからだに回るとわかっていながら、その平伏姿勢を崩さない。


「これより、この子は……我が左腕にございます」
「「「!!………」」」


 そう一言述べて、再び深々と地に擦り付けんばかりの頭を下げる。出血は、いまだ収まらない。赤子のぬくもりだけが失ったものの痛みをやわらげてくれるように思えて、月光はぎゅっと抱きしめる。


 笑い声は、消えない。


その小さな指が、月光に残された唯一の腕の忍び装束を、きゅっと握り締める。


その月光の覚悟と姿に、諸侯の中でざわめきが起こる。
 狗だ、道具だ、と思っていた忍び風情が、敵だった赤子一人の命を嘆願するために、今まで敵に傷一つつけさせなかった自らの片腕を切り飛ばしたのだ。ある意味命よりも名誉、自らよりも主君を重視する武士道に通じるところがある。狗と軽んじる気持ちまでは早々変わることは無くとも、ある程度は忍びを認める気持ちの萌芽が武士達の胸のうちに生まれ始めてきていた。
その気迫を受けて、月光に免じてこの赤子を生かしておくべきではないか、というように感じ出すものも出てきた。腕一本と見知らぬ赤子一人を引き換えにする、他国に喧伝できるほどの美談ではないか。
その雰囲気は普段自分たちが勝手に蔑んでいる忍びのことを一時的にだけ棚に上げて忘れた武士の、この場における一時の感傷でしかないのかもしれないが、徐々に広がりつつあった。

 月光の行為を受けて、謁見の間の空気が微妙に変わったことを敏感に感じ取った当代信長は、月光の行為を受けても眉ひとつ動かさなかった顔を破顔し、その血なまぐさい匂いを吹き飛ばすかのような勢いで不敵に笑って言った。


「ふわっはっはっはっは………ならば、最強の腕として育ててみよ」


 ここまでの覚悟を見せた忍びの願いを聞いたとしてもこの場にいる誰も文句を言わないであろう。ましてや、やる前ならばさておきすでに切り落としてしまった以上、月光が弱体化したことは間違いない。織田家としては伊賀忍軍の戦力低下はこれからのことを考えると何としても避けなければならない。これで聞き入れなければ表向きは何も言わないであろうが、先ほど降りてきた伊賀忍び達にもいい感情を与えないだろう。
ならば、ここで月光の言を退けて諸侯の反感と伊賀忍軍に反目の目を生みながら僅かな危険性の目を摘むよりも、受け入れて度量の広さを見せたほうが領主としては得である。そう瞬時に判断しての発言だったが、それを理解しているのかしていないのか、とにかく自分の願いが聞き届けられた事に月光は再び深々と頭を下げる。
 いや、しているのだろうと信長は思う。自分とこの男との長きに渡る信頼関係は、この程度のことで揺らぐはずも無いとわかっているのだから。


「御意」
「うむ、下がれ」


 その声を聞くと、月光は赤子を救うために信長に捧げた、切り飛ばした左腕をそのままに、残った片腕で赤子をしっかりと抱いてその場から消え去った。天井裏に潜んでいた何人かの忍びがそのまま月光を追っていくのを感知しながら、当代の織田信長は、「治政とはこういうことだ、理解しろ」という意味を視線に込めて、月光の覚悟に当てられて未だ青い顔をしている次代の織田信長の顔をため息を交えながらも見つめた。



 世は動乱。
こうして、後に月光の唯一無二の片腕となるくのいち、しのぶはこの世に生を受けた。




[7720] 七年後
Name: 基森◆3591bdf7 ID:674f23f4
Date: 2009/04/04 18:28

 ワンワンワン  

 近くで近づいてくるものがいることを示すわんわんの鳴き声がする。そのことに、このわんわんの主が腰を浮かしかけるが、月光は誰が来たのかわかっているようで、無言で落ち着けと訴える。
 そのことに、自分と月光の力量の差を自覚しているのか、その忍びは落ち着きを取り戻して座りなおした。その後しばらくすると、そのわんわんを沸かせたものであろう一人の影が、伊賀頭領の屋敷の中の一室に音も無く降り立った。


「月光、帰ってきた」
「ああ、しのぶ。首尾は?」
「これだ」


 全身を粘性の朱色の液体に染め上げて、里に戻ってきた忍者であるしのぶは、一直線に次の忍務について話し合っていた月光のところに突っ込むと、帰宅の報告をし、手に持っていた今川家武将、玄広恵探の首を見せた。

 ここ数年でぐんぐんと伸びた手足は、完全に黒装束で覆われており、格好だけは忍者といえなくも無かったが、その姿は事情を知らないものが見れば背伸びしたコスプレにしか見えない。後数年もすれば女らしさも徐々に出てくるであろうその肢体も、今の段階では幼さしか感じさせず、それが一層哀れを誘う。
 本来であれば、同世代の子供たちと明日の事すら考えずに微笑みだけを貼り付けているはずの顔は、生来の鋭い目つきと無表情があいまって、感情の無い昆虫類のような印象を与える。

 ここ数年、月光は拾った赤子を生まれてすぐから忍者として仕込んでいた。
主君の命ゆえ、それしか知らぬがゆえに。

 それでも、きちんと言われた任務を無事にこなしたようだと、無傷で帰ってきたしのぶを見て、月光は内心安堵の息を吐く。数年で月光には、頭領としてと同じぐらい保護者気分が染み付いていた。

しかし、それをみて、月光の隣で控えていた者が顔をしかめ、口を出した。


「これは……月光頭領、まさかこのような未熟者を任に就けたというのですか!」
「未熟者といえばお前も未熟だがな、犬飼」
「そ、それはそうですが……その俺にも劣る未熟者を任に出すなどと、失敗すれば伊賀の恥となります」


 犬飼が月光に食って掛かる。通常伊賀の里では、大規模な戦闘があるならばさておき、通常の忍務であれば上忍や中忍の指揮の下、必要とされる下忍がたまに人手として借り出される程度でおこなわれる事が基本だったからである。このような下忍単独で、しかもそれがいかに月光のお気に入りだとしても、たかが十にも満たぬ子供など、伊賀の歴史を取ってみてもよほどの非常事態にしかありえなかった。
もっとも、頭領に食って掛かる未熟者がここに出入りを許されるということもあまり無かった事であるが。

しかし、数年前であれば犬飼の無礼を許さなかったであろう月光は、里でも最近丸くなったとの評判に違わずその行為に対して笑って答えた。


「なあに、どの道今の今川なぞ、それなりの腕があれば下忍でも十分いけるぞ。しのぶの練習相手としてはちょうどいい」
「そのような事を言っているのではありません。このものに、忍務を任せる事こそが間違いだと……」
「わかったわかった。今度の忍務はお前に任せよう」
「月光頭領っ!」


 だが、どれほど進言を行ったとしても月光は受け入れる様子が無く、あっさり会話を打ち切った。それを見て、思わずしのぶのほうへと憎憎しげな視線をやって、歯軋りをする犬飼。

 彼にとって、歴代伊賀頭領の中でも有数の使い手と呼ばれている月光は憧れの存在だった。
自分より僅かに年長なだけにもかかわらず、技は冴え、全てに聡く、敵には冷酷無比。感情を表に出す事も無く、そのくせ相手の感情を読みきって的確な指示を出して出し抜く。まさに忍びの鏡だと思っていた。彼から術を学ぶときなぞ、年甲斐も無く緊張でからだが震えたものだった。

その里のものの尊敬を一身に集めていた頭領が、このガキが来てから堕落してしまったのだ。自ら片腕を落とし、残酷さは鳴りを潜め、武家に媚びへつらう始末。技が鈍ったというわけではないが、それでも片腕であれば以前よりも劣っている事は確かである。こんな、並みの下忍ぐらいの力量しか持たないガキのせいで……

 そういった感情を表に出してしまう事が犬飼も忍びとして未熟なのだがな、と月光はため息を一つはいて、しのぶに忍務でしばらく帰ってこないと告げた後、犬飼を引き連れて瞬身でこの場を去った。
その犬飼が残した憎憎しげな視線を受けたしのぶはつい、と視線をずらして、それを見送った。その顔に浮かぶ僅かな罪悪感を感づけるほど、犬飼はその薄い表情の変化に慣れ親しんでいなかった。
 そのため、舌打ち一つを残してそのまま消え去った。




 拾われて七年。しのぶは伊賀の里において、孤立しつつあった。




 犬飼とつれたって月光が忍務に出てから、しのぶは血塗られた自分のからだと衣服を水で洗った後に、自分と月光の寝室で座り込んで無表情に顔を伏せていた。求めるのはただただ月光の帰宅のみ。しなければ成らないとわかってはいても、鍛錬をする気にはなれなかった。
 犬飼の怒りが感じられないほど、しのぶは愚かな子供でい続けられる七年間を過ごしてきたのではなかった。尊敬する頭領が下した愚かな決断と、その原因となった少女。

何故、何故このようなどこにでもいるような子供のために歴代最強とも謳われる月光様の片腕をうしなわしめねばならなかったのか。

皆に混じって訓練を受けさせる教師の目にも、それを迎えに来た村の大人たちがふとした瞬間に見せる表情にも、遊ぶ子供達を遠くでうらやましげに見つめているときにこちらを監視する教育役の物言わぬ目にも。
心を刃で殺さなければならぬ忍びであるがために、又無意味な八つ当たりだと心の一部では自覚しているがために、直接的に里のものがしのぶに対して何らかの行為に出るということは無かった。
それでも、そんな憎しみとも悲しみとも計れぬやりきれない思いをしのぶの姿を見て移し続ける忍び里の住人を常に見続ける生活は、しのぶを年齢以上に大人へと無理やり押し上げる事となった。


 何故自分なぞを月光はお館様から助命したのか。


 ふらふらと中身を伴わずゆれる月光のしのび装束の左袖を見るにつれて、未だ第一線の戦場に出れぬ自分の技を自覚するにつれて、しのぶ自身の心のうちにもそういった思いが芽生えてくる。
 生まれたときより月光の片腕となるべく育てられてきた自分が、年齢のわりには上達著しいとはいえ、未だ並みの下忍ほどの力しか持たぬことにしのぶは深く悩んでいた。

そもそも、この世界において才能は絶対である。
当たり前だ、上半身のみで2トン近い重量のストーンガーディアンや強力と剛体を併せ持ったドラゴンナイトなぞに人類という種族が立ち向かうには、10や20のレベルアップでは足りはしない。
 大陸に比べても四六時中戦争を行っているこのJapanにおいて、高い才能限界や技能レベルを持たない忍びなぞ、絶対に一流には成れない。

 そして、しのぶは、才能限界こそそこそこの数字を天より与えられたが、肝心な忍者の技能レベルが無かった。そのことを知っている月光は、複雑そうな顔はしたものの、才能限界の高さのために眼を瞑ったのかさほど問題のように思っていなかったようであるが、月光の片腕としてやっていくには、現状のままではだめだということは里のものの目線に教えられなくてもしのぶ自らが一番よく知っていた。


 月光は優しい。しのぶが生まれてすぐに大きな、取り返しのつかない迷惑をかけたにもかかわらず、自分を育ててくれて、愛しんでくれている。

 だからこそ怖いのだ。

 片腕としての役目を期待され、片腕として育てられた自分が、その任を果たせないということが知れたときに、月光にまであの、この程度か、この者を助けるのではなかった、という目で見られることが。どれほど訓練しても徐々に近づいてくる才能限界の壁というものによって見えてくる自らの伸びしろを見ると、捨てられる恐怖が常に付きまとう。
 いや、もはやその時期は見えているのだ。才能限界までLvが達したときが、自らが月光の誓いに答えられるだけの力が無いのだと悟られたときが、月光との最後だということを理解している。出来る限りその時期を引き延ばそうとしても、そろそろと別れのときは近づいてきている。

 しのぶはきゅっと膝を抱えたままの状態でねっころがった。
床に敷いてある布団に月光のにおいが残っているような気がして、それだけが今の不安を少しでも忘れさせてくれるような気がして。




 気がつけば、あたりは真っ赤な夕日に染まっていた。どうやら結構な時間を眠ってしまっていたらしい。最近は先ほどの不安によってなかなか眠りにつけなくて、一晩中月光のからだに抱きついたまま布団の中でもやもやとする気持ちを抱えながら過ごすことも多く、又忍務を終えて疲労していたということもあったのだろう。
 そう自分に言い聞かせ、眠気を飛ばすためにプルプルと顔を子犬のように左右に振って、長い髪を舞わせる。一応忍者であるしのぶにとって、眠気を払うにはそれで十分だった。

 月光は他国に出ていると聞き及んで入るが、万が一早く終わって自分が寝ている間に月光が帰宅していないだろうかと屋敷の気配を探ると………なにやら覚えの無い気配がうっすらとであるが存在する。

 侵入者だ。

 直感的にそう思う。伊賀頭領である月光の住むこの屋敷は、それなりの規模を誇っているものの、使用人や護衛の類なぞはいない。月光としのぶの二人暮しである。里最強の忍びである月光がいるこの屋敷に護衛なぞ必要ないし、雑事をやるのであればしのぶでも月光でもが好きなだけ分身して人手を増やせばいいだけだからだ。
日中はしのぶの監視というか面倒見役がいることもあるが、日が落ちてからは完全に二人っきりである。慣れ親しんだ月光の気配ではないということは誰かがよからぬことをたくらんで入り込んできたのだとしのぶは思った。

 チャンスだ

 技はそこそこ身についてきているものの、他の下忍に比べても圧倒的に幼いしのぶは、忍者の頭領の屋敷にわざわざ入り込んできている人間に対して、恐怖ではなく好機であると感じた。たまに入り込んできている甲賀の残党(伊賀忍襲撃時には他国に潜入等をしていたらしい)や、最近急成長をしている織田を探りに来た北条の風魔忍などにも何度かしのぶは気付いたこともあったが、その次の瞬間には月光によってたやすく切り捨てられていたため、しのぶ一人でこれらの気配と退治したのは始めてであったからだ。
 実戦経験がほとんどないしのぶは、他国の忍びがこの忍び里に侵入するということがどれほどの力量を必要とするのかということを正確には理解しておらず、その人間に対して思ったのはただただ獲物が来たという分不相応の思いのみ。

 先日初めて一人で行った忍務が思いのほかうまくいったこともそれに拍車をかけた。無用心に屋敷で一人で眠っていたところを一撃でしとめたということは、しのぶに自らの腕前にそれなりの自信を持たせてしまっていた。国力が落ち、ろくに仕官もさせられないためにがらがらの屋敷で一人眠るそれなりの才能しかない武士を倒したとしても、それは一流の忍びにしてみれば物の数にもならない、ということを理解できるほどの月光以外の里の者との交流がしのぶには無かった。

 そのため、しのぶに危機感なぞ欠片も無かった。
胸にあったのは、

 こいつを倒せば、月光にほめられる。捨てられない。里の役に立てる。

 というただただ孤独になることへの焦りを打ち消すための思いのみ。

 つい先ほどまで里のものの白い目にへこんでいた十にも満たない少女にとって、それは魅力的な誘惑だった。自分を悩ます事項の全てが、このことによって全て取り除かれるような錯覚を覚えたのだ。
 どれほど努力しても超えられない才能限界の壁は不変だとしても、功績は積み上げる事が出来る。月光とともに暮らすためであれば、どんな辛いことだって耐えられる。

 そう固く信じていたしのぶは急いで自分の装備を確認すると、そのからだにあっていないほどの大降りの苦無を逆手に構えると、速さよりも無音を重視して、ゆっくりと屋敷の中を前進する。
 目標は、どうやら土間の方にいるらしいとその気配からあたりをつける。こちらが進行を開始してもまったく気配に揺らぎを感じさせないことから、未だこちらには気付いていないのだろう。ますますチャンスである。
 月光に教えられたように、感情を完全に制御して、特殊な歩法で可能な限りからだが空気と接触する面積を減らす。呼吸を整え、一足一足を慎重極まりなく送り出してほとんど音を立てずに疾走する。

 なるほど、確かに下忍にしては優れた動きだった。月光の指導としのぶの努力の賜物だろう。

 そして、相手を視界の中に収める事が出来る距離まできて、一旦停止するしのぶ。相手もどうやら忍びのようだった。その黒装束から判断して、さらに体格からこの里で今まで見たことが無いとして完全に敵であると認識する。
 こちらにまったく注意を払わないで、土間にある棚を探っている事から、月光のいない間に何かを探りに来た他国の忍びであろう。尻を向けて無防備に探し回っているそのものを見て、殺しても大丈夫だと判断する。

 ゆっくり、ゆっくり、せりあがりそうに激しく打っている心臓の鼓動を抑え、心の刃を研ぎ澄ませていく。ゆっくりと腰を落とし、一気に駆け出す準備をする。
月光の帰宅は十時間以上も後。相手の一流のしのびに取ってはあまりに長いその時間に、心で一本の鋭い刃を形作ったしのぶは一気に駆け出して、苦無を相手の背中に向かって振り下ろした。



 その一瞬後の出来事が、これからの自らと月光の関係を完全に一方向に固定するなど思いもせずに…………





[7720] 半刻
Name: 基森◆3591bdf7 ID:674f23f4
Date: 2009/04/05 18:54


 移動距離を最短にした現時点のしのぶに出せる最速の一撃。
 しかし、それは熟練の忍びにしてみればあまりに遅かった。

 ぱしっ

 そんな、あまりにもあっけない音とともにしのぶが必殺と思った一撃を、その相手はいともたやすく片手で掴み取った。


「あらん? ここは月光ちゃんの屋敷のはずだったけど…………ああ、あなたが噂のしのぶちゃんねぇ」(←どう聞いてもハスキーな親父声)
「っ!!」


 その声を聞いて思わず背筋に氷が突っ込まれたような感覚を覚え、思わずしのぶはつかまれたままの愛用の大振りな苦無をそのままに、土間からとびずさった。

忍び装束に覆われたからだも、その上についている頭部も、首に見えるのど仏から出る声も全てがおっさんのものなのに、動作としゃべり方のみが不自然なまでに女のもの。今まで見たことが無い生命体を前に、忍びとしてはあるまじきことながらしのぶの意識が一瞬硬直してしまい反射のみの動作となったのだ。
未だ体術と忍術の収得で精一杯のしのぶは知らなかったが、伊賀における性を武器にした忍術、色吊りの術の随一の使い手にして、時折くのいち学校の講師を勤める一重 卯月(♂)という忍びだった。つまり、後の世で魔人殺しの異人、鬼畜戦士ランスによる伊賀侵略の危機に忍者戦隊ゴニンジャイの一人として青色の覆面で立ち上がった十四号の若干若かりし日である。

ここ数年は忍務によって他国を漫遊していたが、伊賀でもかなりの有名人である。年代的には月光の二世代上に属し、里で実際に忍務を受けているもののなかでも最高齢に近いものである。それゆえ伊賀頭領である月光でも無碍には扱えず一歩引いた態度で接しており、それもあいまって月光を気に入っている卯月は忍務に入る前は頻繁にこの屋敷に訪れてくることもあった。月光が片腕をなくしたときの話も、月光らしいと笑って聞いていたほどであり、しのぶの話も好意的に聞いていた里でも数少ない一人である。

しかし、そんなことなぞまったく知らないしのぶにしてみれば、今まで見たことも無いおかしな生き物に他ならない。忍務以外では月光以外の人間とあまり接する事のなかったしのぶにとって、いわゆるオカマなぞというものは見たことも聞いた事も考えた事もない、未知の存在だった。はっきりいって、彼女の認識からすると妖怪や魔人と大差はなかった。
しかも、そんな生き物が今の自分の最良の一撃をたやすく止めるのだ。しのぶの混乱は最高潮に達した。

しかし、そんなことを気にも留めずに卯月はつづける。その目には里のものには珍しいしのぶへの好意があった。


「いきなり攻撃してくるなんて、びっくりするじゃない。もう、悪い子☆」(←どう聞いてもハスキーな親父声)
「…………」


自分よりも上位な者の実力を推し量るのは少々ばかりではないほど不安があるが、瞳の色や瞳孔の収縮具合、発汗量からどうやら嘘をついてごまかして油断を誘っている敵ではないようだと半ば放心しながらしのぶは判断する。むしろ、自分に何故か好意的にすら思える。だが、こんな訳のわからない物体Aが、何故自分にこうも親しげに接してくるのか。
もはやしのぶはどうしたらいいのかまったくわからなかった。


「ねえ、それよりもしのぶちゃん、ケチャップはどこにあるのかしら? さっきから探してるんだけど、見当たらないのよ」(←どう聞いてもハスキーな親父声)
「………そんなの元からない」
「あら? じゃあ、普段お味噌汁とか飲まないの……というか、しのぶちゃん、普段の食事はどうしているの?」(←どう聞いてもハスキーな親父声)
「味噌汁とは? 食事なら兵糧丸と飢渇丸がある」


基本的に幼いときならばさておき、今の月光はかなり忙しく、しのぶに料理なぞ作っている暇はない。当然、しのぶに教える時間も無く、又上記の理由で里全体からあまりいい印象をもたれていないしのぶに教えてくれるものもいない。そのため、しのぶは唯一作り方を知っている丸薬の類で日々の食を暮らしている。いや、それ以外の自分がとる食事というものが想像できないのだ。ちなみに、この世界では木から取れる「ケチャップ」なるものの実を使って味噌汁を作る。
 確かに兵糧丸は麦粉、飢粉、人参を材料に蜜と古酒、他に甘辛、ショウガ、鶏卵などによって作られ、かなりバランスのいい栄養素を持っているし、飢渇丸に至っては三粒服すれば、心力労することなしとまで言われる忍びが潜入忍務を行う際には必携といえる高性能携帯食である。

が、あくまで携帯食。保存は利くものの、味は悪く、また栄養素も偏っている。どう考えても子供が常食するものではない。
 そもそも、幾ら忍びといえど食事とは栄養補給だけのものではない。きちんとしたものを三食食べる事で心身の健康を保つものでもあるし、一般社会からかけ離れた生活を行う事は潜入工作に特化する隠忍の忍務を行う上でも不都合に働く。

 にもかかわらず、月光はそういったことを忙しさにかまけて未だ教えていない。そのことに思わず卯月は眉をひそめた。
まあ、もう少し体が育ってからと思っていたのかもしれないが、そのことは人間心理に精通する事を必須とする色吊りのスペシャリストである卯月にとって、これはしのぶの心身の成長とともに、忍びとしての成長においても問題があるように思われた。


「まあ、月光ちゃんったら、成長期の子供がいるってのに、何を考えているのかしら?」(←どう聞いてもハスキーな親父声)
「……………」


 そういって卯月は相変わらずその口調に似合わぬ顔で眉根を寄せる。一方しのぶは、なぜ兵糧丸の話で月光の名が出てくるのか理解できず、こちらも眉根を寄せる。彼女にとって食事とは、ターゲットが無防備な状態をさらす狙い時という意味でしかない。

その表情を見てますます卯月はまずいと思った。忍びとして彼というか彼女の精神構造は常人と異なっており、少女といえる年代の子供に性を用いて他者を害する技術を教え込むなど他職のものからすれば気狂いと思われる事もあるが、その精神構造をもってしても今のしのぶの状態は放置できない状態だった。
 まず、第一に、発育が悪すぎる。小柄なのはくのいちとして利点にもなりうるが、やはり十分な栄養がいっていないのだろう。肉付きが悪い。通常この年齢から色吊りの術を仕込む事はないが、それにしても女としての体の魅力が乏しすぎる。やせすぎで、幼女趣味のものであっても避けて通りそうだ。
 第二に、一般常識に疎すぎる。いきなり攻撃してきた事もそうだが、里の有名人の名前もわからないで、実際の暗殺の場において対象の情報収集を行って相手の篭絡やその現場への進入がなるはずがない。相手の好みに合わせて時には娼婦に、時には聖女になれなければくのいちは勤まらない。
 そして第三に、相手の動作に対する反応が鈍すぎる。なるほど、あの技術だけなら随一の月光が仕込んだだけあって、先ほどの一撃はこの年齢にしては反応速度、威力ともにかなりのものであった。
しかし、あくまでそれは年齢にしては、の話だ。自分にしてみればあまりに拙いにもかかわらず、こちらに対する反応は努めて無表情にしているようだ。この場合、媚びて見えるにしても弱弱しくして相手の庇護心を掻き立てるような言動を行うべきであるのに。

今まで他者とのかかわりが薄かったのか、それを理解してもいないようだ。相手の心情を推し量る、そしてそれに応じて自分の立ち居地を変える、ということを知らないのだろう。


 総合して考えると、このままではこの子は一流のくのいちにはなれないと卯月は思った。
 初対面の女児をまず第一にくのいちとして採点する。その時点で、思考がおかしいということに伊賀の住民である卯月は一生気付くことはなさそうである。





  がつがつがつがつ

「・……………」
「ほぉら、そんなにがっつかなくてもご飯は逃げないわよ」(←どう聞いてもハスキーな親父声)


 なぜこのようなことになっているのだろうと、しのぶは始めて味わう食べ物を前に手を止めずに考えた。いきなり入ってきて卯月と名乗ったものは、まだしのぶが習っていない分野のスペシャリストの忍びらしい。とりあえず月光の敵ではなく、自らがかなわなかったのもある程度仕方が無いとして、しのぶが精神の均衡を取り戻すと、卯月は自己紹介を始めた。
 ある程度自己紹介をし終えた後、突然この物体が変な事を言い出した。


「よし、お料理しましょう」(←どう聞いてもハスキーな親父声)
「は?」


 料理。料理とは? しのぶの頭の中は疑問符でいっぱいだった。
いや、料理という言葉の意味自体は知っている。食材に加工を施し、即座に食べれるものを作る事だ。だが、それが忍びに何の関係があるというのか。新たな修行だとでも言うのだろうか。

 そんな疑問符を脳裏に山ほど浮かべるしのぶだったが、卯月はそれを理解してかしていないのか、一切無視して一瞬で分身を付近の家へと向わせ、食材を借りてきた。そして、これまた一瞬で割烹着に着替えたかと思うと、ものすごい勢いで調理を開始した。
 なぜにこのようなことが月光と自分の家で起こっているのか全く理解で来ていないしのぶは、それを静止する事も、自らもその修行に加わる事も出来ずただただ遠巻きに見つめている事しか出来なかった。


 そして目の前に広がったのは、なにやらわけのわからない物体だった。


 奇妙な匂いを漂わせた茶色い液体に白い角切りのものと小さな緑の輪が大量に入った椀に真っ白いツブツブの楕円形の物体が入った入れ物。それに加えてもともとはさかなであったであろう焼死体が皿に乗っている。なにやら黄色い半円状のものと、きゅうりと呼ばれる植物がしなびたものの輪切りが載っている小鉢もある。

 ぶっちゃけごくごく一般的なJapan料理、和食だったのだが、今まで修行に告ぐ修行でそのようなものなぞ触れた事もないことに加え、他所での忍務に出たのも今日が初めてだったしのぶにとって見れば、未知の物体だった。
 はっきりいって、しのぶはその異臭(この場合はしのぶが修行で嗅いだことがないという意味でだ)からまず未知の毒物を連想した。


「何だこれは」
「何って、豆腐のお味噌汁でしょ、ご飯でしょ、さわらの焼き物でしょ、沢庵にきゅうりの糠漬けよ。ま、いっぺん食べてみて、兵糧丸とかよりはずっと美味しいはずよ」(←どう聞いてもハスキーな親父声)


 そういって、遠慮でもしていると思ったのか先に自ら口に運んで見せる卯月。その様子を見て、長老に近いほど上位の忍びの指示であるために幾ら月光の左腕候補としてある意味里から特別扱いを受けているしのぶでも、そう無碍に断るわけにも行かず、恐る恐るながらまずは味噌汁を口に入れる。


「!!」


 そして、驚愕に目を見張る。奇妙な味がするのだ。新たな毒物かと少しずつだけ飲み込んで見せるが、体内が熱くなることも四肢の末端が痺れてくる感覚もなかった。
 味覚というのは、発育の段階によって如何様にも流れていく。例えば、日本人の両親を持つものでもリーザスで生まれ育てば、大概大陸風の料理を最も好むこととなる。しかし、いままでしのぶが食べてきたものは、まともな味がするものではなかった。
かすかな原材料の味をめためたに混ぜてぶち壊した丸薬と、修行において使用される毒物ぐらいが、しのぶの味覚の全てだった。それほど過酷な修行を行わなければ、この年で下忍になれるはずもない。

 そう、しのぶは生まれて初めて食という行為で「快」を感じた。

 そこから先はもはや理性の介入する部分はなかった。貪るように、まるで飢饉のさなかにあった農民のようにしのぶはその目の前にある始めての「食事」を食い尽くす事に全力を捧げる事となった。





[7720] さらに半刻
Name: 基森◆3591bdf7 ID:674f23f4
Date: 2009/04/06 18:43


 部屋に入った月光が見たのは異常な――しかし非常識を日常とする忍びにしてみればないとは言えない程度の――光景だった




   はあ          はぁ             はぁ

 荒い息が八畳一間の寝室に響き渡る。その横では微笑ましいような、何か悪巧みをしているような怪しい表情を浮かべた忍びが佇んでいた。

 もちろん、しのぶと卯月である。
 あの日のちょっとしたショッキングな邂逅から約一月、しのぶのからだにもうっすらと健康的な肉がつき始めており、それと同時に尾張に呼び出されていた月光が帰ってくる予定の日だった。
 月光の到着にはしばしの時間がかかると配下のくのいちから報告を受けた卯月は、しのぶに夕食を食べさせながら、天日に干していた布団を取り込んで居間に敷いていた。
 その途中、なにやらしのぶが体が熱いと言い出したために、あわてて布団に寝かせた。
 その表情には、心配そうな声とは裏腹に、いやらしい表情が浮かんでいた。そして夕食を食べた形跡を完全に片付けると、ゆっくりとしのぶの布団に近づいていく。


 そして、冒頭の月光が帰ってきた場面に繋がるのだ。


 着崩れた衣服に息も耐えんばかりの表情で身もだえする幼女と、それをいやらしい表情で見つめる筋骨隆々としたおっさんの姿。

 ぶっちゃけ、卯月が食事に一服持ったせいだった。

どう考えても怪しいというか、卯月がなにやら幼女にいたずらしようとしているようにしか見えない一画である。
世が世であればすぐにでもピーポー車の御用にかかるであろう光景がそこには広がっていたが、それを見た月光はその場にいた卯月をにらみつけるでも、心配そうにしのぶに駆け寄ることもなかった。ただ、感情の読み取れない瞳で、しのぶの様子を冷静に観察していた。

 その目で見られたしのぶも、それを不自然に思うことはなく、年齢もあってかなくてかあらわになっている肌に恥らう様子もなく、ませた少女のように見ないでと哀願する事もなかった。

 ただ、その目が合わさり月光の存在を感じ取ったその瞬間に、その顔に浮かんでいたのは、絶望だった。

 ああ、ついに終わってしまった。
 このしのぶという忍びが、今まで食事というものを知らなかったとはいえあっさり油断して家の中まで引き入れ、自らが敵の毒に、相手の放った罠なぞにたやすくかかってしまう。
月光が今まで手がけてきた十把一絡げの相手となんら変わりのない、才能のない忍びであったということが決定的にばれてしまった。月光の片腕と引き換えにするほどの価値がない忍びだということに。

 思わずしのぶは絡まった視線を自らほどいて目を伏せた。自らにはもはや月光と並び立つ資格がないのだ。
ああ、見捨てられる。
もう二度と月光はあの優しい目で自分を見てくれることはない、自分のせいでと覚悟していたものの一本となってしまったあの大きな腕で自分をなでてくれる事もない。今までも覚悟はしていたものの、現実にその状況に叩き込まれるとそんな覚悟なぞ何の役にも立たないのだということをしのぶは改めて思い知らされた。

 いっそ死んでしまおうと思った。
敵であるあのオカマの目的が何であれ、ろくに体の動かない自分なぞ月光の邪魔になりかねない。何よりそんな現実に自分が耐えられない。そう思って全身の力を振り絞って舌を噛み切ろうとするが、全身に回った熱であごが震えて力がはいらなかった。自決用の毒が与えられていたならば、と思わず臍をかむ。
この場に弱い自分がいてはたとえ月光が自分を見捨てていたとしても何らかの邪魔になるやもしれない、そうは思っていても体が自らの思うように動かない現状に、しのぶは物心ついて始めて、訓練と生来の癖ゆえに消えた表情ながらも涙を流した。

 だが、そんな感情に気付いていながら、気付いていないふりをして年長者二人の会話は始まった。


「どういうつもりです?」
「アラ、月光頭領。何って、お分かりになっておられるのでしょう?」(←どう聞いてもハスキーな親父声)
「………………」


 はぐらかす口調はそのままに、ただその表面だけをわずかばかりの言葉の敬意にかえて卯月が月光に対して含み笑いを投げかける。真面目な場面がその口調と動作のせいで台無しだったが、月光は突っ込まない事で場の空気を維持した。


「しのぶちゃんが何を気にしていたのか、私に気付けたぐらいですもの、七年間も寝食生死を共にしてきた貴方が気付かないわけないですわよね」(←どう聞いてもハスキーな親父声)
「………………」


 卯月のほうが年長であるがゆえに、月光とてその言葉に耳を傾けざるを得ない。むろん、上下関係を絶対とする忍びの頂点に君臨する頭領である月光だ。卯月を頭ごなしにしかりつけて、その言を一切無視することも可能だったが、伊賀頭領はそのような愚か者がなれるような地位ではなかった。
 ましてや、その言葉は月光の胸の一部を確実に穿つ的確なものだったのだから。

 しかし、身の内を、臓腑を、焦がす熱に身もだえしていたしのぶは、自らの名が上がった事に気付いていても、もはや会話の内容は頭の中にはいっていなかった。
 ただ、月光のために早く自害しなければ、という思いだけが空回りして、脳裏を焦がす。
 そんな間にも会話は進む。


「貴方がお忙しいのは存じているけれど、自らの愛娘を放っておいてまで、里のために働く必要はないでしょうに。信長さまもそこまで貴方を安く扱っていませんでしょうに」(←どう聞いてもハスキーな親父声)
「…………」
「さあ、さっさと抱いてあげなさい。我らしのびは影の中に行き、闇にまみれて死ぬが定め。伊賀頭領としてすべてを里のために、最善を選ぶ義務があるのと同時に、この子を生かしてこんな闇の中、畜生道に引きずり込んだ貴方には、この子の望みを叶える義務がある」(←どう聞いてもハスキーな親父声)


 普段では考えられない卯月のまっとうな、しのびとしての言葉に、月光は何もいえない。

 ああ、気付いていた。しのぶが自分に忍者の技能レベルがつかなかったことをどれほど悔やんでいるのか、それがために月光の片腕として戦場に立てなくなることをほかならぬ月光に気付かれる事をどれほど恐れているのか。
 気付けばしのぶを愛娘としてみてしまっている月光は、それを最もしのぶが恐れている事を知っているがゆえに、もはや片腕の事などどうでもいいのだ、お前がいるからこそ忍びとして生きることが出来るのだと伝える事が出来なかった。
そんな事を言えば、今度こそこの甘える事を知らない幼い少女は完全に月光に見捨てられたと思うであろう。

 しのぶがこのまま、忍びとして月光の片腕として戦場に立てば、確実に死亡する。それはいかに月光がかばったとしても変わりはない。
技能レベルとは、神が定めた才能とはこの世界に生きるものにとってはそれほどまでに絶対の力として作用する。

無論、伊賀の里にとて、忍者技能を持たずに生まれてくるものもいる。その者たちは里の消耗品を製作したり、薬物の採取、調合したりと言った形で里に貢献しているため、たとえ戦えなかったとしても軽く見られることなどない。しのぶも本来であればそういったことで里に貢献すれば、今のような孤独感にさいなまれる事もなかったはずである。
 が、その「生まれ」ゆえに、しのぶには月光の傍らで戦う事を除いて他の道は許されていない。
 戦場に向かうより他に道はなく、その道はまっすぐ死に向かって続いている。

 そして、それを告げたところでしのぶは自らの命を惜しむはずもない。最後のその一瞬まで月光のそばにいることを望むだろう。
 だからこそ、しのぶの葛藤に気付かないふりをして、せめて最後の瞬間だけは満足のいく死に様を与えてやろうと、その死出の旅路に自らも寄り添ってやろうと頭領の引継ぎ作業を進めていたのだ。


 だが、そんな月光に、卯月はもう一つの選択肢を投げ込んだのだ。



 「忍び」として、生きる事は出来ないならば…………「くのいち」として、育ててみろと。



 それは、ある意味戦場で死なせてやる以上に残酷な事だった。
 しのぶは、あと数年以内に実戦経験とそれなりの結果をつまねばならない。周囲の目ゆえに、支配者たる武士の命ゆえに、月光が片腕を切りおとしてまで育てた赤子が、本当にその価値があるものだったのか、ということを周囲に知らしめなければ、伊賀の秩序と織田家内での地位が保てない。
 その、しのぶをくのいちとして育てる。すなわち、今の年齢をしてしのぶをその道に叩き込むということに他ならなかった。

 伊賀の里では、色吊りの術を授ける年齢を、数えで12になったときと定めている。基本的にそれ以下から仕込んだところで需要がそれほどないことに加えて、免疫力の低い幼児時代から仕込んでしまえば、女ざかりを迎える前に寿命が来てしまうからだ。
 くのいちになりたがるものなどいないため、近辺の村々からさらってきて仕込んでいるぐらい人材が供給不足の現状において、貴重な人材をごくごく少数の特殊趣味の的のために仕込むこと無駄が多いと思われたのだ。それを基礎として育ってきた月光の忍びとしての倫理観からいっても、しのぶを今からくのいちとして育てる事に戸惑いを感じるのは事実である。

 それでも、その思いが自らのわがままだとわかっていても、月光は少しでも長い生をしのぶに紡いで欲しかった。



 ならば、卯月が言うように、この役目は誰にも渡さぬ。
 この幼い少女を地獄への道へと落とすのはこの月光だ。
 その上で、しのぶと共に死への道を歩んでいこう。
 共に、比翼の鳥として、その片翼が折れて大地に堕ちる最後のその瞬間まで、生を、死を共にしよう。




 ゆっくりと、月光の片腕しかない腕がしのぶのからだに近づく。その動きを、熱っぽい目で追うしのぶ。


「……月光?」
「………すまんな、しのぶ」


 一言だけ、謝罪する。その言葉をかけたとしても、しのぶにとっては何の慰めにもならないのだと、自らの心を軽くするための単なる偽善だと月光は十分理解していたが、そういった思考を経てなお、言わずにはおれなかった。

 壊れ物でも扱うように、まるで身のやわい果実の皮をむいていくように細心の注意と出来る限りの優しさをこめて月光はしのぶの装束に手を書けた。
 ふう、ふう、ふう、と熱の篭った息を吐いて、思わぬ月光の動きに戸惑いを隠せないしのぶ。


「良いか、しのぶ。お前の努力のかいがあって、お前は基礎を十分に納めたと卯月殿に認められた。俺自身もそうだと思う。それゆえに、これから俺の片腕としての修行を本格的に始める」


 ああ、何たる偽善。
それでも、今度の言葉は先ほどとは異なり、完全にしのぶのための嘘だった。その証拠にそれを聞いた瞬間、卯月に盛られた薬でろくに思考も纏まらないであろうしのぶの表情が、めったに見せることのない笑みの形へと変わった。



(ああ、自分に技能レベルがないことを月光は当に知っていたのだ、知っていてなお自分に接してくれたのは、今の自分に出来る事があるからなのだ)



 ならば、いかなる苦痛にも耐えて見せようとしのぶは誓った。里の、月光のそばにいられるのであれば、先ほどのようにいつ捨てられるのかと恐怖に怯えるくらいであれば、月光が命じるのならば自らの右腕すらも一言も漏らさずに切り落として見せようと。

 だからこそ、その言葉を聞いたしのぶは即座に深くうなずいて見せた。いかなる行為であろうただ一言命じろと、それさえあればどのような事であろうと耐えられると。


 そんなしのぶを見て、月光は気取られないように覆面の上から表情を歪めた。

 しのぶをこのように生かし、育ててきたのは自分だ。自分の片腕として、道具として技を仕込み、道具として自分にあつかわれる事に喜びを感じる、否、道具としてしか喜びを感じられなくしてしまった。
 このように、しのぶが自分を責めないのも、すべて自分がそのように仕込んだからだ。
 忍びとは大なり小なりそういったものとはいえ、潜入捜査も求められるためそのなりの自我を持っていなければ忍びといえど使い物にならない関係で、ここまで徹底して自由意志を失わしめた例など、伊賀の歴史を紐解いたとしても、ありえない。
幼子を拾い、自らの道具として育て、本来であれば真っ直ぐであるはずの思考をゆがませ、そして今、自らのくだらぬ思いのためにその魂まで汚し、喰らおうとしている。



 忍びは狗と呼ばれてきた。
 だが、この月光は違う。断じて異なる。

狗にも劣る、腐肉あさりの梟だ。
 
そして、しのぶもまた………



 そんな思いがあったにもかかわらず、いや、だからこそ、月光はしのぶのため、しのぶを月光自身にとってもっとも役立つ片腕へと変えるべく、全てを見渡すものの立場からすれば残酷極まりない行為を始めた。


      これから月光は、しのぶを、誰よりも大切な愛娘を、犯す。





[7720] 比翼の時
Name: 基森◆3591bdf7 ID:674f23f4
Date: 2009/04/07 18:44



 片腕にもかかわらず器用にも月光は一瞬で、しのぶの装束を粗い目の鎖帷子ごと脱がした。それとともに、自らの装束の帯を一箇所引っ張る。それだけで、一瞬で月光を覆っていた黒装束も解けた。忍びの服は、ある一箇所を解けばたやすく脱げる構造になっている。
別にこういったことのために脱げ易くなっているわけではなく、ただ単に水辺で濡れぬようにという潜入時における利便性を考えての事だったが、勿論こういったときにも威力を発揮する事は事実だ。
 
しのぶは別段恥ずかしがったり、前を隠したりはしなかった。幼い頃からともにすごしてきたもの同士であるし、そもそも風呂とて一緒に入っているのだ。別に全裸を見られたところでなんら感慨はなかった。
 ただ、なぜこのような行為を月光が行っているのかは理解しておらず、いぶかしげな表情になる。それを無視して、月光はゆっくりと薬のせいで脱力してくったりと布団の上でその四肢を投げ出しているしのぶに、顔を近づけていく。
 かわらずいぶかしげな顔をしているものの、別段しのぶは抵抗しなかった。月光のいうこと、やることに逆らった事など一度もない。

 そして、それが男女の愛を伝える行為だと、情欲を表す行為であるということを知らずに、しのぶは月光の口付けを受け入れた。
 そして、しのぶが理解していないという事を知っていながら、月光は続けた。


 ゆっくりとだが確実にその薄い唇をわって入ってくる月光の下に、しのぶは無抵抗で応じた。薬のせいで一層熱くなっている子供特有の体温と、薄い唾液の味がそのあまりにも柔らかい舌の感触とともに月光に伝わる。そして、しのぶはその一切を完全に無抵抗で受け入れた。
なんとなく、いまだ体内で暴れまわる熱がわずかながら和らぎ、しかし、よりからだの奥に吸い込まれたように感じながら。


 しばらく口の中を月光の舌が探っていった後、ゆっくりと顔を離していくその表情が、しのぶはなぜか苦渋の色が混じっているように感じてわずかに首をかしげた。


「月光?」
「いや、なんでもない…………続けるぞ」
「わかった」


 とりあえず、たぶん修行だと思うのでしのぶは逆らわずに頷いて、月光の動きを最大限感じ取れるように感覚の網を広げる。
今までの修行とは一風変わった修行だが、最近忙しいらしくあまり会話も交わせなかった月光と触れ合えるこの行為自体は、しのぶの胸にじわっとした暖かさしか「今」は与えていなかった。


 そのまま、ゆっくりと月光の手がしのぶの背に回り、背骨から尾骨の辺りをゆっくりとなでさすっていく。それに伴って唇を犯していた舌がゆっくりとのどから鎖骨へと降りてくる。
 下穿きしか身につけていないしのぶの体へ、月光はその片腕を器用に使って、いとおしむように軽く触れてきた。

 ゆっくりと、しのぶの瞳が潤んでくる。だが、それは情欲によってではない。父とも、兄とも慕う月光がこれほどまで自分にかまってくれる事が、ただただうれしいのだ。最近は月光も忙しいらしく、自分も様々な悩みを抱えていたためには慣れていたような気がする距離が、近くに感じられることが楽しいのであって、それは断じて性的な快楽から来るものではなかった。
 それがわかっているからこそ、このような幼子に、今から自分の獣欲を叩き付けねばならないということは、月光の心にじわじわと突き刺さるような疼きを感じさせたが、月光はそれを無理にでも刃で押し隠して行為を続ける。

 するすると、手を下穿きのほうへと滑らせていく。そう大げさに濡れているわけではないが、じっとりと湿った感覚があった。おそらく卯月の持った媚薬のせいであろう。唇をしのぶの胸へと移し、その媚薬により身の内で熾き火のように燃えているであろう炎にさらに薪をくべる。
胸板は薄い。ひたすら薄い。しかしながら真っ平らというわけでもなく、僅かに盛り上がった肉がそれなりに、あくまでそれなりにだがかろうじて男児とは区別できる程度の乳房を形作っている。
 ゆっくりと、その薄い色素の中でわずかばかりに色づき、膨らんだ乳輪に舌を這わせ、その先端にノミで入れられたような切れ目をなぞる。


「うん……」


 突如その先端に電撃が走るような感覚が生じた事に、わずかばかりの恐怖を瞳に浮かべてしのぶは胸元へと視線を移す。
 そんなしのぶを見て、月光は一度手を止め、腕全体で軽く抱きしめる。決して力を入れないように、胸の中にある誰よりも大事な娘を壊さないように、想いを込めて。


「――んんッ!」


 人差し指で背筋をゆっくりとなぞっていくと、丸まっていた背中が思い切り弓なりに反る。それに伴い、思わずであろうがはいっていた力が抜けたことを感じて、月光は再びうっすらと肋骨が浮くほど薄くはあるが、僅かながら、慎ましくも女を感じさせる膨らみを、力を入れぬよう、ゆっくりと撫で回した。


「あっ……………はぁっ!!」


 弱弱しく、しかし熱い吐息。
 徐々に声が高くなっていく。

もはや僅かとは言えない。身を焦がす媚薬の効果を呼び起こした月光の腕に、しのぶは明らかに感じている。月光の体の下で組み敷かれるような体勢で太腿をこすり合わせ、初めての快楽に身体を震わせているのだ………それが何なのかの理解すらもたずに。


「んっ、あっ………」


 もじもじと身をくねらせるしのぶ。そのいきなり呼び起こされた未知の感覚に、どうしていいか分からないのか、丸っこく、小さな手は盛んに布団の端を握ったり虚空を掴んだりしている。
呼吸もかなり荒くなってきた。きゅっと口を結んで荒い息をかみ殺そうとしながら、その不安定な視線を月光に向ける。

その視線を無視するかのように月光は無言で、小さなももを軽く揉みしだき、そのまま上へとゆっくり指をスライドさせる。きつすぎる刺激とならぬよう、無用な感覚を呼び起こさぬよう、細心の注意と共にさわさわと撫で擦る。丹念に、ゆっくりと、優しく。
同時に、開いた唇で可愛らしくも膨らんだ乳首を軽く啄ばむ。二度、三度と。
その度に、しのぶの上げる声は甘くなっていった。時々胸元をまさぐる頭部に視線を投げかける。月光の角度からは見えなかったが、その表情は間違いなく切なさを訴えかけていた。


「はぁっ、はぁっ、ああ………あんッ!」


愛撫にもいよいよ身が入る。唇の中央で挟むように咥え、その盛り上がりとしかいえないほど僅かな乳首に更なる強い刺激を与えつつ、時折不意に首筋に唇をつけ、その肌の味を香りを五感へと導く。
女の香りというには余りにも未成熟な甘い匂いと、独特な薬の刺激臭の入り混じった媚香。

その水色のきれいな、艶のある髪を掻き分けて耳を甘噛みしていく。
声にならない声を上げるしのぶ。すでに目はとろっと蕩けており、最早完全に脱力しきってなすがままだ。今まで、苦痛に耐える訓練は行っていたとしても、このような刺激に対する耐性なぞ、あるはずもないからむしろ当然だろう、と月光はおもう。

その月光の態度は、まったく持って冷静そのものだった。肉体的な反応は確かに示している。しかし、それは月光自身の意思によって呼び起こされたものであり、断じてしのぶの姿態に反応したものではなかった。

彼にとっては、どこまでいってもしのぶは娘であり…………伊賀においてすべての忍者、くのいちを統括する伊賀忍軍頭領月光にとって、性行為とは相手を夢中にさせ、自分をおぼれさせない、単なる行為に過ぎないからだ。


それでも、月光は思いを込めて動作を示す。
これから、望まぬ男に身をゆだねる事となるしのぶにとって、しのぶの一番初めのこの一夜だけは心を通わせ、少しでも想いに残るように。この一瞬に重ねた心を抱いて続く千夜に相手に媚を示す事が出来るようにと。


くのいちに対して、一番最初に教え込まれることは、恋慕の情である。


この男のためであれば、自ら望まぬ男の腕の中に飛び込んで見せる、幾らでも泥土の中に身を委ねようという感情を植えつけられる。少しでも惚れた男の役に立とうと、恋慕の情を持って、相手を惚れさせ、その命を奪う・………自らの寿命を対価として。
後に、その業で一国を支配することとなる四兄弟の技などとは比べ物にならないほど、卓越した心理操作技術に取り込まれた彼女達は、その最初に焦がれた男のためにその身を汚す。


伊賀の女は男の道具である。くのいちとは、惚れさせた女を自らの仕事に使用する、人心を踏みにじった非情の兵器だ。男のためにその身を捧げ、毒を飲み、そしてその命を尽かしていく。
この伊賀において、狗と呼ばれながらも当代信長から確かな地位を確保した裏には、そういった何十何百もの女の涙があった。
それこそが、戦闘力において武士に劣る忍びの業だった。



だが、伊賀の歴史には、自らの愛するものを見ず知らずの男に抱かせなければならない男達の慟哭も確実に刻まれていた。
自らの妻が、恋人が、娘が道具として、老人に抱かれ、青年になぶられ、少年をたぶらかし、そしてその命を縮めていく。
忍びは、あくまで心を殺せる者。心を持たぬものではない。
卯月のように完全に感覚が麻痺したものでない限り、その行為に男は慟哭し、その理不尽への怒りを戦にたたきつけていく。
どこまでも、残酷で、人の心をもてあそび、そして完全な戦いのためのシステム。
創造神が願った、真の苦痛がそこにはあった。


自らが命じてきた苦悩を表情一つ変えることもなく、月光は実行する。
当たり前だ。ここで情におぼれて役目を果たせぬものになど、頭領たる資格などない。
だから月光は、顔色一つ変えず、その動作ひとつ揺るがせもせず、その心を押し殺して、刃の下で続けた。










ゆっくり、ゆっくりと月光が欲情ではなく意志の力でそそり立たせた自分の陰茎をしのぶの入り口へとよせ、そのまま力を込めていく。十分以上その付近には湿りが加わっていたが、そもそも二次成長も始まっていないのだ、かなりの力を加えてもその部分はなかなか前に進んでいかなかった。

それでも、月光は焦らず、養女の柳腰を掴んで離さない。可能な限りの慎重さとやさしさを持ってゆっくりと事を進めていく。これからしのぶはくのいちとしての修行に入る。その中では、苦痛を伴うものもあるだろう。あるいは、人知を越えた快楽を伴うものもあるだろう。望まぬ男に身を任せ、その命を奪うこともあるだろう。これから先、しのぶにとってこうした性行為は、決して楽しいものにはなりはしない。
そのようなこと、やめてしまえといいたい。何もお前がそんなことをやらなくても、いかようにもなるとしのぶに告げたい。忍びとて、いや忍びだからこそそうした感情が心の中で暴れ狂うのを月光は止められなかった。


そのうち、やけに子供っぽい―――真実子供なのだが―――悲鳴と共に、しのぶの腰が完全に崩れた。瞳は濡れ、口元もべとべとであったが、下腹部はその比ではないほど濡れきっていることが、自分のものがずれた感触で思わずそちらに視線をやった月光の目には見て取れた。


忍びには、決して心がないのではない。普通は唯人と同じ心がある。たとえそれが今までの生によって磨り減りきったものであっても。
月光にだって、心はある。いや、むしろしのぶと出会ってから彼の心は花開いたようなものだ。しのぶにとって月光がすべてであるように、月光にとってもこの自らが育てあげた少女の存在はその心の中で随分大きなものになっていた。

それでも、動作はよどみない。どれほどその心を痛めていようと、苦しんでいようと、表情や動作にはまったく表れない。忍者とは、心が、感情がないものではない。その心を主君の命、使命という刃の下で押し殺すことを可能とした者のことを言うのだ。

そのため、月光はその荒れ狂う内面とは裏腹に冷静に事を運びながら、その実内面の意思に忠実に従って少しでもしのぶの思い出に残る、これから先に胸に宿していける初体験を与えてやろうと、慎重に慎重を重ねて行った。


「しのぶ……」
「―――っ!!」


やがて、声にならない声と粘性の音と共に、しのぶの背が弓なりに反って奥底のモノがぶちん、と破けたのを月光は自分のモノ越しに、確かに感じた。薬の影響で熱く濡れた感触が、そのしのぶのサイズからすればあまりに大きすぎるものを痛いほど締め付けてくる。
それは経験豊富で女として熟れ切った時期の年増女の持つような肉壁が肉棒全体に絡み付いてきてまるで消化しようとしているかのように蠢く、といったものではなく、まさに締め上げる、と言うにふさわしい堅くきつい内部の動きであり、しのぶのからだが男を受け入れるにはまだ早い、と言うことを存分にこちらに伝えてくるものであった。

いつも表情の変化は薄いながらそれでも幼さを感じさせる顔が傷みと快楽に歪み、白目が返り、舌を宙に躍らせながらしのぶがその衝撃をどうにかして受け流そうとするのを、月光はただ動かず、見ているしかなかった。
身を裂くような女の痛みは、いかにしのぶに比べればかなり経験豊富である月光とて完全には理解できない。

聞きかじりでよければ、それは腹を刀で割かれたようだと言う。あるいは、焼けた鉄の棒を押し付けられたようなものだと言う。体の出来上がった女ですら悲鳴を上げ、必死で逃れようとするその痛み以上のものを受けたであろうしのぶの苦痛がいかほどだったのかなどと、きっと己の想像の埒外のものであろう。


だが、ようやくその動きが収まったとたんに、しのぶはすぐにこちらに向かって笑って見せた。修行でこの程度の肉体の酷使、肉体の苦痛などと言うものなど当然だ、と目で語って見せるその姿を見て、月光の殺したはずの良心が強くうずく。
いっそこんなことなど中断して、しのぶと共に大陸に逃げようか、そんなことすら思い浮かぶ。月光は現時点におけるJAPAN最強の忍びだ……いかなる追っ手が下されようと、隻腕にもかかわらず伊賀忍軍の頂点を極めている月光をそう容易く討ち果たせるはずがない。果敢がえるほどに、この誇らしくも忌まわしき地位につくこととなったすべての力を使って、しのぶへの贖罪に変えようか、などという考えがいかにも素晴らしいもののように思えてきた。


だが、月光はその考えを脳裏から消し去った。
そのことを誰よりも望まぬのは、伊賀忍軍頭領の片腕として育てられ、その事のみを喜びに生を紡いできた少女に決まっているからだ。今の彼女には、この新しい修行を一刻も早く身につけること以外に考えなどあるまい。むしろ、自分のために頭領を辞める、などと言い出せば自分の性でそのような事態に、と一層責任を感じ、落ち込むことであろう。
しのぶはそういう娘だ…………そういう娘に、月光が育てた。育ててしまった。


「俺は、お前を必要としている……受け入れよ」


だから月光は、そんな慰めにもならぬ言葉を一つ掛けただけで、いまだに痛みも納まらぬであろう幼き少女を相手に再び動きを再開した。貫かれた痛みにしのぶが声を上げる。下手をすれば壊れてしまいかねないほど幼い少女との性行為がそう簡単に快楽だけしか生まないはずがないのは明白だ。だがその間も、しのぶの喘ぐ息は収まる様子は無かった。
 月光の陰茎が根元まで入り、二人が完全に繋がる。月光の動きが止まったことで不安そうな顔をしていた少女はその言葉を聴き、荒々しく突き入れられてようやく満たされたような笑みを浮かべた。肉体を蝕む苦痛と快楽にすら押しかつ、精神的な安らぎを得たことで。

張り詰めた亀頭がぬるっと滑り込み、処女であった膣口が丸く押し広がる。生肉を引き裂くような感触と共にさらに奥へと進んでいく。
本来であれば身を裂くような痛みであろうそれは、薬によりしのぶの胎内より強制的ににじまされる愛液と充血しほぐれきった粘膜の生む齢十にも満たぬ普通の少女にとっては理解の及ばぬであろう快楽によって上書きされた。なくなったわけではないであろうが、一時の衝撃さえ薄れれば、徐々にそちらに注意をやらなくなっていける。
くのいちとする処女にこれからの性行為に対して悪感情を抱かぬように徹底的に快楽を与えることを目的に作られた卯月の秘薬は、幼いしのぶに対しても確かに効果をなしていたのだ。

そのため月光はしのぶの体を気遣いながらも、とにかく彼女を薬の効果から救い、今後の修行のため膣肉を作り変えることを目的に腰を動かす。
火照りきった大きな喘ぎ声が溢れる。その音にまけじと結合部からも、陰茎の動きに合わせて愛液が迸り、月光の腿あたりを派手に濡らす。

きつく強張った粘膜を無理やり切り開いていくその感触は、確かにある種の快感を伴うこともあるだろう。思考のつたない幼女を己の意のままにすると言う行為に、歪んだ支配翼を書きたてられる大人とているだろう。
事実、伊賀では仕込んでいないとはいえ、幼女のくのいちというのは需要が全くないわけではないのだ、こういった未成熟な肢体をもてあそぶことを好む好事家と言うのはいつの世にも絶えない。

しかし、熱く濡れた粘膜の感触も、きついほど己のものを締め上げるその膣圧も、月光にとっては何一つ快楽を生む要素になどなりはしない。残るのは世界すべてとそれ以上に己を呪う怒りだけだ。こんな行為に喜びなど感じられるものか、と月光は思う。
そのため、それらの感触はすべて己のやっていることはそのような浅ましい連中と同じことだ、と思い知らせるのみである。


だが、今はその怒りすら押し殺そう。


少女の甘ったるい嬌声と、月光が洩らす声が次第に合わさって、一つの音へと成り代わる。そうした合間で、己を父とも思っているであろう少女のせめてもの慰めにと、その昂揚が浮かぶ頬に口付けを落とし、宙を掻ききる細腕に背中を貸し、その柔らかな舌に己のものを絡めてかき回す。
こんなときばかりは、己が隻腕であることが恨めしかった。忍びの体術をもってしても一本しかない己が腕では、体重をしのぶにかけないように布団に突っ張って支えるのが精一杯で、彼女を抱きしめてやることが出来ない。そのため、少しでも彼女に安らぎを、とそのあまりに薄い年齢相応の胸に己の胸を可能な限り密着させて動く。
しのぶがその二本の腕で月光を抱きしめることで、二人が共にあることを彼女に伝えられるように。

 処女膜を破ってもなお拓かれたとはいえない幼い膣は狭く、往復する度に月光の陰茎をきつく引き絞る。奥行きは浅く、月光のものすべてを収めきることは端から不可能であると言うことがわかっているため、力づくではなくあくまで優しく、己の快楽ではなくしのぶの快楽だけを優先した動作ではあったが、その狭さゆえにどうしても力づくにならざるを得ないこともあって、月光は覆面を解いた素顔のままで思わず顔をゆがめそうになってしまう。
彼は、しのぶに出会ってから当人の予想以上に人としての情感を備えもつこととなってしまった。元々血に酔いがちな性質ほどあったが、それでも他者を傷つけることに対する戸惑い、というものは紛れもなくしのぶと暮らし始めてから生まれたものだ。

月光のものはこの上なくきつい感覚を覚えていたが、逆に言えば月光のものにしのぶの中は成人を迎えた女であれば考えられないほど強烈にこすられていることになる。到底考えられない圧迫感を受けながらも月光が内壁を摺りながら引いていくと、一点でしのぶの体が悦びに震える。押し込んだ時には、しのぶはそれが何かわからないままも本能の命じるまま子宮口を自ら触れ合わせて甘い声を漏らした。
 互いの体を交わらせる事に集中しているせいか、常以上にしのぶの望んでいることが伝わってくるような気がして思わず苦笑しながら、月光は再びしのぶに口付ける。望みの叶ったしのぶはその行為の意味もわからぬまま、ただただ求められている、と言う実感だけを胸に喜んで迎え入れる。舌を絡ませながら、 子宮口を押し上げた陰茎はやがてその幼い体を絶頂へ導いた。


こうして、自分が何をなされているのかわからぬままも、月光の片腕となる、と言う念願がかなった少女は、破瓜の痛みをその想いで忘れきって、薬による強制的な絶頂と共に幸福感を伴ったまま忘我の境地に至らされた。

涙と涎と鼻水とその他もろもろでぐしゃぐしゃになった顔だったが、その顔には確かに安らぎが見て取れた。



月光が片腕をささげたときに持ちかけられた契約は、しのぶからも月光に己をささげたこのとき真に二人の間に結ばれた。

良き時も、悪き時も、富し時も、飢えし時も、病める時も、健やかなる時も。
死が二人を分かつ…………否、例え死の時であろうと共に。



[7720] 一年後
Name: 基森◆3591bdf7 ID:674f23f4
Date: 2009/04/08 18:33


織田家領内、柴田家屋敷地下の座敷牢の一角に一時席を外していた月光が戻ってきたときには、すべてが終わっていた。
自分がいては本当に単独で任務を果たせるかどうか、という試験にならぬが故に最低限の監視のみを天井裏に残したのみで去っていたのであるが、幸いなことに暴れた勝家にしのぶが怪我させられる、と言うわけではなかったことで内心安堵の息を吐く。

柴田勝家は、この織田家において現在最強の戦士といってもいい。
この才能限界と技能レベルがすべてを決める呪われた世界において、槍戦闘LV2と言うのは決して軽い物ではないゆえ、いかに月光が手塩を掛けて育てたしのぶといえど、本来であれば片手間にあしらえる相手などでは決してない。
四肢を縛り、薬で自由を奪ったとしても房中といったお互い極めて無防備な状態では不覚を取る可能性はなくは無い。

それゆえ、全身何一つ覆うものなく、わずかばかりに白い粘液がその身に付着したのみ、といった状態ゆえに傷一つおっていない、ということを目で理解できたことは、忍びの中の忍びである月光の奥深くに隠された本心に安寧をもたらした。

だが、それを表情に表すことはせずに静かに月光は問いかけた。



「首尾はどうだった?」
「簡単だったぞ、月光」


どう聞いても無感情、無機質なその声に、育ての親であり半身であるが故にそこに含まれたわずかばかりの誇りを感じ取って、覆面の奥で月光は口角を引き上げる。
首尾は天井裏に仕込ませていた部下より聞いているため、その報告は笑うようなことではない。

忍びらしからぬ、しかしそれでも僅かに人らしく薄く微笑んだのは、それを何処か誇らしげに語るしのぶの言葉が少しでも年相応に見えて嬉しかったからだ。
頬にまでついた勝家のものであろう白い液体を懐から出した手ぬぐいで拭ってやりながら、月光はしのぶの成長を盛大に祝ってやりたい、という気持ちが芽生えるのを感じる。

しかし、それは下忍が一人初任務を終えたばかりという状況のみを切り取って考えると、忍びであり頭領である月光には許されないことであった。
ただ、軽くしのぶの頭に手を載せるのが精一杯。


「そうか。では、いくぞ」


それでも少女は、その唇を最大限にほころばせ、その幸薄い幸せを最大限に受け取った。

短く声を掛け合い、その場を後にする二人の後ろには、気絶とでも言った方がいいような形相で横たわる勝家の姿があった。
満足そうな、そのくせ何処か恐怖しているような表情でいびきすら書いている勝家の顔を軽く一瞥した後、月光は自らの愛弟子の頭を軽くなでてその場を後にする。
その瞬身にいささかも遅れることなくついていったしのぶの顔には、見慣れぬものでは分からぬであろうがまぎれもない笑顔が浮かんでいた。





帰り道、仕事があると伊賀にある隠れ里の半ばで月光と分かれたしのぶは、途中で自分よりも幼い子供に声を掛けられた。


「おりょ? しのぶ先輩ではござらんか」
「すずめ……」


両足だけで木にぶら下がって天地逆のまま己に語りかけてくる幼女に、しのぶは平然と声を返す。

すずめ。
姓を持たぬその名は、しのぶや月光と同じ忍者を意味するが、その幼い外見とは裏腹に伊賀史上最高の天才と謳われた現伊賀においても屈指の実力者だ。
齢がまだ十にも満たない為にしのぶのような特殊事情がない彼女はクノイチの術こそ未だに覚えていないが、すでに忍びとしての能力であるならばしのぶは愚か月光にすら迫る。
このままいけば、おそらく後数年もしないうちにJAPAN―――否、世界最強の忍者となるであろうことは間違いない少女は、かつての数年前の卯月に会う前のしのぶにとってはあまりに嫌いな存在だった。

自らが持たぬ才能を有り余るほど持ち、それどころか自分よりも年少。月光の片腕として彼女が拾われ自分が死んでいればどれほどいいかと毎夜のように思ったものだ……あるいは、すずめがこの世にいなければ、と。


「……長老達との修行はどうだ?」
「いや~、いろいろな術を教えてくれるから実に楽しいでござるよ……実のところ学校の授業は簡単すぎてつまらなかったでござるよ、にんにん」
「……かわらぬな」


だが、今のしのぶにそんな気はまったくない。かつてのしのぶに瘧のように付きまとっていた冷たく暗い殺気が鳴りを潜めたことを感知してか、出来る限り自分に近づかないようにしていたすずめも今では笑いながら背を向けることさえある。
勿論、そこには上達した自分の技術への自信もあるのであろうが、忍者としての才能がなかった己といえどもクノイチとしてならば月光と共にいることも出来る、というしのぶの心境の変化を敏感に悟ってのことであろう。


「しのぶ先輩はお仕事帰りでござるか?」
「ああ……それでちょっと小物が切れていたのを思い出して貰いに行くところだ」
「ご苦労様でござるよ」


しのぶの様子から仕事帰り、ということを瞬時に把握してそう述べる極めて優秀な後輩相手に、いつも通りの無表情でしのぶは答えた。


「月光の片腕ならこれくらい当然だ」







風呂上り。

石鹸などという上等なものは頭領とはいえ一介の忍びに使えるものではないが、同時に体臭等の匂いを消す為に湯にあたることは必要なことである為に基本的に湯に快を求めていない月光といえども任務中以外は毎日風呂にはいる。それどころか、温泉好きな弟子のためにわざわざ家の裏に露天風呂を作りつけていたりすらする。
割とこういった面では茶目っ気の聞く師であるが、噂に聞くかつての冷たい月光よりも今の月光の方が好きだとしのぶは内心思う。彼女自身は無表情であり月光のような表表とした笑顔を浮かべることは閨中等で意識せねば難しいが、だからといって感情がないわけではないのだから。


片腕ゆえにどうしても自分の右手を洗えない月光だが、そのことについて不自由を感じたことはほとんどない。
自分の横でその肉の薄い裸身を晒して布で体についた湯を切っている『左手』がいる以上、最近では手がないことすらも忘れるときすらある。


頭領である月光とて、丑三つ時ともなってしまえばもうすべきことがない。
器用に片手で浴衣をまとい、すっと添えられる手を介沿いに帯を巻いてしまえばもはや珍しい休息の時間だ。無論有事に備え周辺の警戒はさせているし、己の手の届く場所に忍具を忍ばせたりもしているが、それでも普段に比べれば随分気を抜いているといえよう。

それゆえ、同様に浴衣を纏ったしのぶがぽん、と腿を叩いたのをきっかけに、そのひざを枕としてしばし横になる。そこにしのぶは横においてあった今日新調したばかりの耳掻きを手に取り、そっとそのひざの上に収まったぬくもりの元へと近づけた。


職人の手により墨を含んだ煙で乾かされ、飴色に染まった竹製の耳掻きを右手に取り、月光の耳たぶにそっと手を添える。
もともと長期間放置していたわけではないのでそれほど汚れている、というほどのものでもなかったが、以前使っていたものが擦り切れてからしばらく、しのぶ単独の任務も多かったがために半月ほどは行っていないために、全くないというほどでもなかった。


鍛えられた右腕を日々動きの変わらぬ太陽のように正確に動かし、しのぶはゆっくり丁寧に月光の耳を掃除していく。
果たしてこれを始めたのはいくつぐらいのときであったか。
任務帰りの月光が自分でやっているのを見て、不意に口に出したのがきっかけであっ田とは思うのだが、果たしてそれが何年前のことかしのぶはさっぱり覚えていない。

ただ、今となってはもはやこれは特技といっても問題ないほどに技術の上達ははたから見ていても見受けられた。
匙状になった耳掻きの先端を使って、奥のほうへと張り付いた半ば剥がれ落ちた皮膚をゆっくり丁寧にこすっていく。少しずつ、少しずつそれが剥がれていくのを目を細めて注視して、細心の注意を払ってその先端を操っていくしのぶの行為に、月光は思わず目を閉じた。

忍びの性として、それでも何処かの売りの一部が冷えて周囲の様子を窺っていることは代わりがない。いつでも震えるように残った一本だけの手は苦無に添えられていることもいつも通りだ。
それでも、月光は明らかにしのぶに耳をこそばされることを楽しみ、くつろいでいた。万が一、億が一、しのぶが殺意をもって耳かきを奥へと憑きやれば交わすことなど不可能なほどに。それは僅かにではあるがしのぶには感じ取れる程度の差異で周囲へと放出されていく。

自身の手でそれがなされている、ということを感じ取ってかあいも変わらず無表情ではあるもののしのぶの手に一層熱が入る。そこには月光を喜ばせよう、という気持ちはあっても油断させ不意をつこうなどという感情は一辺たりとも入っていない。
かつて無理やり犯され、それどころか今日別の男に身を任せるよう強制されたにもかかわらず、一途に月光を慕う様子が指の一指、瞳の一瞥からもよくわかる。
ゆっくりと匙を動かし、張り付いた皮膚の一部をはがしとった後は慎重に手に持った棒を垂直に上げていく。鍛え上げられた体はこんなときにも効果を発し、一切ぶれることなく内耳の奥からそれなりの大きさの耳垢を取り出した。
里で焼いている小皿の上にそれをそっと載せた後は再び息もつかずに同じ場所へと耳掻き棒を差し込んでいくしのぶの動作に、僅かに月光が肩を揺らす。

それは、耳という無防備な場所を他人に預けることから来る月光の肉体の反射的なものであった。実際に剣客などの中には調髪や耳掻き、髪結いなどを他人に預ける際には手の中に懐剣を仕込むものもいるらしい。たとえどれほどしのぶを信頼していても、それは消しきれない忍びの性であった。
しかし、それを気にすることもなくしのぶは再び奥へ奥へと匙を送り込んでいく。
耳かきの匙部分が、コリコリと月光の耳の壁部分を刺激する。一気に奥までは進めない。僅か、僅かばかりと蝸牛のごとき速度で、それでも痛みなど一切与えないよう細心の注意を払って垢を擦っていく。そしてそれはすぐに月光に伝わり、月光も体に入れていたわずかばかりの力もすべて抜いていく。その信頼は、当然のことのように再びしのぶの方へと跳ね返り、すぐに報われる。お互いがお互いのことに注意を払い、気遣い、それがまた自分へと帰ってくるといった二人で一対、という様は、まさに一翼の鳥を思わせた。

自分では見えない奥のほうまでもしのぶが操る匙の先端は進んでいくが、それでも月光には然したる違和感はない。短めの浴衣越しに伝わってくる高めの体温と肌の匂いとでも言うべき香りは、湯上りということもあっていつもよりも強く伝わってくる。

両者、無言。
だがそれは気まずい沈黙などではない。お互いにお互いのことを知り尽くしているがために言葉が必要とされない、というだけであったということが如実に分かる空気が二人の間では流れていた。
お互いの気息を知り尽くしているからか、絶妙なタイミングでちょうどいい強さで送られる耳掻きに時折妙な快感が走るのか、思わず腿に顔を押し付ける力が強まる月光。しかしそれを微塵も嫌がらずに、むしろ喜ばしいように目を細めるしのぶの表情は、齢十ほどの幼女がその父ほどの年齢の男をひざに乗せている、という光景を全く持って違和感のないものへと差し替えていた。


しのぶの細い足。この足は、昨夜月光とは別の男の下にあった。
それは月光が命じたものであり、しのぶが戸惑いもせずに頷いたものであった。

普通の男女、親子であればありえぬ関係。
お互い、何も感じていないわけではない。
月光は常人とは違う形であろうがそれでも罪悪感を抱いており、しのぶとて他の男に体を許すことに嫌悪感が待ったくない、といえば嘘になる。
それでも、それが是とされる世界に生きるものとして二人はそれを受け入れた。

だからこその勝家の変貌。
だからこその月光ら伊賀忍に対する織田家の評価。
それは重々承知しているが故に二人の口からはそれを恨む言葉は出てこなかった。

忍びの仕事は、決して楽しいものばかりではない。むしろ嫌なこと、避けたいことばかりを武士の泥除けとしてやらされることばかりだ。
それでも、今この瞬間には二人の距離は誰よりも近いものであり、そしてそれは昨晩には決してなかった心の距離の近さをも象徴しているものである。

戦乱の世、決して恵まれた環境にあるとはいえぬ二人であったが、それでもこの場、この瞬間には破壊と混乱を好む創造神の手の届かない場所にいた。













「(よ、よし。今日こそ決める、決めてやる)」


決心を新たに足音も大きく歩く着物姿の少女の姿があった。
随分と気合の入った上等の着物を着てはいるものの、その歩き方はどこか粗野とでも言うべき気配が混じりこんでおり、少女というには大柄な体躯もあって精一杯のおめかしに一縷の傷を刻んでいた。
しかし、その上気した顔にはまぎれもない恋の色がさしており、その体には処女の脂が乗っているのが厚手の晴れ着の上からもにじみ出ている。
そんな些細な瑕疵など気になるほどのものでもなかった。


「(毎日豊胸体操もした、剣は止めなかったが筋肉だけ付けるようなこともしなかった、母上から化粧の仕方も教わった、異国のい、色本も見ていろいろ学んだ。調べに調べたアイツの好みに最大限近づいたはずだ!)」


未だ十代という年齢にもかかわらず完全無欠にむちぷりな彼女の名は……乱丸という。

上総介に命を助けられ、その後長らく織田家に仕えるうちにいつの間にやら背をあわせて戦い続けてきた声も体もでかくて粗野で気遣いゼロの男に惚れてしまった一人の少女だ。


勝家に惚れてから、少しずつ料理の勉強をしてそれを皆が集う鍛錬場でさりげなく勝家の口に入るよう持って行ったり、勝家と会う日だけは毎日化粧をしたりといった微妙すぎるアプローチを行っていた彼女であるが、ついに我慢の限界に達したのか、本日ついに告白する決心を決めた。
かつて貧相ゆえに相手にもされなかった己の体を彼好みのむちぷりに磨き上げて。



「勝家……お前、たしかむちぷりとかに拘っていたな」
「ああ……そのことか」


決死の覚悟で勝家に語りかける乱丸。
普通の神経をしているものであればこれほどの美少女(しかもスタイルもいい)が顔を真っ赤に染めてもじもじと言い募ってくるのであればクラッときてもおかしくないのだが、そこは生まれ変わったNEW勝家。
平然と返事をおこなう。

その手ごたえのなさに思わず諦めそうになってしまう乱丸であるが、ここで引き下がっては女が廃る。
そのため必死に勇気を振り絞って、自分の思いを何とか伝えようとする乱丸であったが……


「なら、わ、わ、わ、わ……私なら「だが、それは過去の話じゃ!」…………は?」


僅かに一日、遅かった。


「今考えると何故あんな脂肪に拘っていたのか全く分からん」
「……どういう…ことだ?」


今までの勝家とのあまりな違いに、戸惑いを隠せない乱丸。
彼は肉付きの豊かな女性が好きだったはずだ。
そして自分はそれに近づいた。
なのに……何故?

そんな彼女の様子などには全く目もくれず、勝家は先日の一夜で悟った『真理』について語った。


「月光殿の配下のしのぶ……いや、しのぶ様にいろいろと教えてもらったのよ。お乱よ、やはりJAPAN男児たるものか弱きものを守るべきじゃな!」
「それは同意するが……」
あまりにあんまりな展開に頭がついていかない乱丸を尻目に、勝家はどんどんピリオドの向こうへといってしまう。
生まれ変わった勝家は一味違った。


「うむ、そのとおりじゃ。平坦な胸、肉付きの薄い足、丸っこい瞳、まさに理想の黄金比!」
「つまり、むちぷりとやらには……もう興味がないということか?」
「うむ……お前も上総介様の傍仕えならばそのようなたるんだ体をしていてはならんぞ? そういえば最近は鍛錬にも出てこなんだな」



完全な無表情とはこのような顔を言うのだろう。
いつもの鉄面皮など比ではないその顔すら、もはやロリコン道こそが真理、と嫌な方向で悟ってしまっている勝家にとっては友人がいつも通りの無愛想面を被っているだけ、としか思えなかった。


「今から拙者は寺子屋周辺のパトロールに向かうのじゃが、走りこみついでにおぬしも付き合わんか? そんな体ではいざというときお役に立てなくなりそうじゃ、がっはっは!」
「っ! すまんが帰る!」


無表情でその声を背に一目散に帰っていく乱丸。
気にすることはない、思い人がただ単にグラマー好きからロリコンに変わっただけだ、また改めて方法を練ればいいではないか、そう言い聞かせはするものの心はしたがってはくれやしない。

これからさらに肉付きをよくすることは可能でも、寺子屋に帰るまで若返ることなど出来ないのだから。
……実際には『成長の泉』なるものがあるのだから、その逆もあるかもしれないのであるがそんなことなど思いもせずにただひたすら走って家に帰った乱丸は、その後直接自室の布団にもぐりこんで、少しだけ泣いた。

ここまで悪条件が重なった後にもなお諦める、という選択肢を考えないあたりが彼女の趣味の悪さも筋金入りだ、ということを如実に表す。

この日から、乱丸の無口には今まで以上に加速が掛かることとなった。



「……厠でも我慢し取ったのかのう? ……おおう、気をつけて帰りなされよっ!」


そしてその思われ人は、そんなことには気付きもせずに横断歩道で黄色い旗を持つ緑のお兄さんとしてやに崩れていた。




[7720] そして今に
Name: 基森◆3591bdf7 ID:674f23f4
Date: 2009/04/09 18:58


しのぶが月光と初めてのときを向かえ、その技を勝家相手に存分に発揮してから数年。
世は、戦乱の時代を迎えていた。


妖怪王狂星九尾・末知女殿の発した言葉による人類と妖怪との、藤原石丸のときのように武士のみではすまなかった始めての国家規模での大戦争、後の世にて、妖怪大戦争と呼ばれることとなる、Japanすべてを巻き込んだ大戦が始まったのだ。

始めは織田家を中心とした人間勢力の方が優勢であった。

妖怪王が述べた「妖怪よ自由であれ」という宣言に呼応して人間達の下働き、という立場から逃れた妖怪たちが主力であるが故に、どうしても力に欠けたのだ。
力のある妖怪であればそもそも人間に虐げられていることはなく、故に人間を下等だと見下してはいてもそれほど恨みを持っているわけではないし、そういった妖怪ほど妖怪王とは名がついてはいても自分より少し強い程度の妖怪―――しかも外見に若い女に見える―――に従おうとはしなかった。

例えば、バッタの妖怪であり剣技と回避力に優れる源義経は自ら迷宮を作り引きこもり、力と妖力を持った化け大ダコ、平清盛はサンマ(体長3kmほどになるサカナで海の王者)との戦いに夢中、妖怪狸の一群を率いる大ダヌキ、長谷団十郎はこのどさくさにまぎれて四国に国を作り、好き放題やっている。
その他の力ある妖怪も組織だって協力してくるわけではなく、その結果として各個撃破の憂き目に会い、妖怪勢は追い詰められていた。
いかに落雷という強大な力を操る妖怪王狂星九尾・末知女殿とはいえど、すべての戦場をたった一人で支えるのは不可能だったのだ。

その中でこそ、月光もしのぶと共に存分に働き、やがて戦が終わる、という光明を見出せた。



だが…………


「月光……八方と卍が尽きた。棒ももはや数少ない」
「そうか。此方も残り僅かよ」


追い詰められた妖怪王、狂星九尾・末知女殿が取った手段。
それは同種の妖怪たちの中でさえ恐れられている禁妖怪が一人、妖怪魂縛りの封印を解くことだった。その体に触れたものを腐らせ、死してなおその身から魂を抜け出させないというネクロマンシー技能の秘術にも似たその呪縛から開放されるための手段はただの一つ、他の生者五人にその呪いを移すことのみ。その存在すら知らなかった織田家のものに、対抗する手段など早々取れることはなかった。
鼠算的に増えていく魂縛りの犠牲者を前に、同じ妖怪の持つ妖力の強大さに妖怪連合は気組みを盛り返し、Japan連合軍は一気に窮地に立たされた。

たとえ今現在現存する中でもっとも強力な妖怪の一人である梵天丸を味方につけることに成功したとはいえ、一人倒す間に数倍に増える敵の軍勢を支えるには、あまりに非力。
主君であり、戦いの支柱でもあった織田信長すら討たれてしまったことで、形勢は完全に逆転してしまったことが喧伝されつつある。

妖怪どもは盛んに気炎をあげ、妖怪打倒の意思のみで団結していた人間勢はもはや総崩れに近い。
ここから逆転するのには、いかな頓知があったとても不可能、そんな状況だ。


そんな中、忍びたる月光が行えることなど唯一つ―――暗殺しかなかった。

信長の為にすべてを捧げ、月光の為に命を費やす。
そんな忍者部隊千五百人を集め、決死隊として妖怪どもの軍勢の中に突っ込んでいった。
ただの一人、この無益な戦いの元凶である狂星九尾・末知女殿の首だけを狙って。

その結果が大打撃には至ったものの未だ健在な敵本陣と……月光としのぶ以外の全滅。
未だ変わらぬ戦場の雰囲気が、その結果が全体としてはほとんど意味の無いものであった、と言うことを証明していた。


のこるは二人。
もはやどうしようもない。戦場においてはいかに技能レベルと才能レベルが常人とはかけ離れている二人であっても、圧倒的な数の前には無力に近かった。
もはやこの場はこれまで。どうにかしてこの場を遁走して再び力と人数を蓄えて挑みかかることが得策なのは明白だった。

それゆえ、月光は退却ということをしのぶに告げようとして……自らの愛弟子の様子がおかしいことに気付いた。

 

「…………しのぶ、怪我しているな」
「まだいける……問題はない」
「…………」


横腹を抉るように敵の得物が通ったのであろう。普段から軽装で回避に重点を置いているためか、忍び装束の下には粗い目の鎖帷子しか着ていないしのぶであったが、その薄い忍び装束の裾が黒く染まっている。
決して軽い傷ではないことは、未だにその場所が乾いていないことからも分かる。

だが、問題なのはそこではない。
しのぶに刻まれた真の傷はそこではないのだ。

手足の末端ならばさておき、本来であればいかに乱戦下とはいえそのような場所に一撃を許すしのぶではない。伊賀忍軍頭領月光の愛弟子であるしのぶは他の忍びたちとは一線を画する能力を保有しているのだから。
事実、月光は手足に細かな傷は受けてはいるものの、まだ軍勢を突っ切って脱出するだけの余力がある。全滅した配下達とは文字通りレベルが違うのだ。故にこの場で敵軍を殲滅することは不可能でも、そう簡単にその首級を挙げられることなどない。それはしのぶとて同じであったはずだ。

それにもかかわらず、数だけが多い雑魚妖怪たちからこのような傷を許す、ということは。





「(そうか……ついに時が来たか)」





クノイチの平均寿命は僅か二十二年。
戦場で散るものも然ることながら……暗殺のために体に含んだ毒がその命を蝕むのだ。
そしてそれすらも、ある程度体が出来る十代になってから毒や薬を使ったものの寿命である。しのぶには悪い意味で当てはまりはすまい。

よく見れば、足もふらついている。
おそらく目も霞んでいるのであろう、こちらを見る目も時折焦点があっていない。声も掠れ、よくこちらの言葉も聞き取れていないこともある。傷だけではすまないしのぶの不調は、すべて閨中での暗殺に使われる忍者の秘薬の副作用だ。伊賀忍すべてを統率する月光にはそれがいやというほど分かった。
もはやこの場を生き延びたとしても、しのぶの命は長くは持たない。


月光はそれも覚悟していたはずであった。
だから、表面上はついにそのときが来た、としか思わなかった。
周囲の妖怪たちから忍を庇いながらもそう自分に言い聞かせる。

いや、内心は荒れ狂っている。
それでも、心を刃で押し殺す。
今まで敵の命を奪い、配下の命もまた同じく奪ってきた月光には、それを嘆く資格などない。

それに……やるべきことは決まった。



陰陽師に作らせた符を取り出す。
それは、強力な爆発を四方八方に撒き散らす月光の切り札の一つだった。
何故自分が切り開いた血道を月光が遁走するだけの場にこれが取り出されるのか、理由が分からずしのぶは問いかける。


「……月光?」
「我らは二人で一つよ」


月光に自分を置いての離脱を勧めようとした矢先に言われたその言葉に、面食らったように瞳をぱちくりさせるしのぶ。その顔は年相応に幼い。
だが、次の瞬間しのぶは敵対者に見せるような怜悧な笑みを浮かべた。

忍者としての冷徹な判断能力からすれば、ここは逃げられなくなった自分が時間を稼いでその間に月光が逃げる、ということが正しいことだということは分かっている。当たり前だ。片腕ですむところを両腕失う必要がないように、単純な損得勘定で計れること、寺子屋に通う七つの子供でもすぐに出来る計算だ。
それに自分は所詮月光の片腕。月光はまた新たな赤子を仕込めばいいだけだ。自分は以前失われた月光の左腕の代わりにここで働けばいいだけの話。ただ、それだけだ。

だが、そういった合理的な判断を月光が下さなかったことが、しのぶにはうれしい。
自分は片腕。その不調に本体まで着いてきてくれるというのであれば、それほど冥利に尽きることはないではないか。
後悔はある。自分がクノイチなどという選択をしてしまったがために月光まで巻き込んでしまうことになる。月光がこの場で尽きなければならない、ということはとてつもなく悲しく、自分ひとりの犠牲ですむのであれば生き延びてほしい気持ちも確かにある。

それでも、自分だけではなく月光までもが真に自分のことを一対であると考えてくれていることが、しのぶには心底うれしい。

喜びを伝えると同時に謝罪をしたい。
だが、それを伝える言葉ももはや渇いた喉からは出てこないし、それを許してくれるほど飛び道具の尽きた忍者を囲む妖怪たちも優しくはあるまい。
時間ももはやない。

だからしのぶは、周囲をすべて妖怪に囲まれた絶望的な状態の中で、それでも月光に何かを伝えようとその細い両腕で月光の体をしかと抱きしめた。
それを受けて、月光の一本しかない腕が札を握り締めたまましのぶの肩を強く抱く。

それだけで、しのぶは、月光は、今この場での死を受け入れてもよいと思った。

周囲を囲んでいた妖怪たちがこちらがすでに武器が尽き、死を受け入れたことを理解したのであろう。月光としのぶの腕に恐れをなして周囲を囲むだけだった雑兵から、それらを押しのけてようやくここまでたどり着いてきた大将首までが一斉になだれかかるように掛かってくる。

しかし二人はそれを見ない。
ただ、お互いの目のみを見つめて、しのぶは目つきのきつさもあってニヤ、としか言いようのない不敵な笑みを、月光はその口角を僅かに上げるだけという男くさい笑みを浮かべて、不を発動させる為の鍵となる言葉を発した。


「忍法・大発破の術!!」


そしてそれを起動させた瞬間に、それは天の慈悲か、地獄よりの怨霊か、いかなるものの悪戯か、ちょうど二人のみに当たる形で落雷が突き刺さる。
苦痛は感じない。そんな心などとうに麻痺している。

だから二人は、そんなイレギュラーにあってもお互いを抱きしめたままただ時が過ぎ行くのを待っていた。
光が収まった後に残っていたのは……大勢のあっけに取られる妖怪たちと、発動寸前の大発破の札だけだった。

轟音と共に先の雷に勝るとも劣らない強大な閃光と衝撃が当たり一面に振りまかれる。
本来妖怪は怨念が薄れなければいくら損傷を受けたとしても再び蘇る。それゆえに厄介、それゆえの劣勢。
だが、月光としのぶ、そして彼らに従っていた千を越す忍びたちの命を掛けて放たれたその爆発は、本来の目標である妖怪王にこそ届かなかったものの、その周囲の者達に多大な被害を与えた。

こうして、爆発が周囲にいたそれらの者達を飲み込んで敵軍に大打撃を与えると共に、二人の生死を知るものは誰一人いなくなった。









そして……その場から何故か離れ、時の狭間を飛び越えて衝撃と光と共に意識を一瞬失わしめた二人が始めて聞いた声は。


「なんじゃ、お前らー!!」
「しのぶ…? それに…月光!?」


世界を変える男達の声だった。







この先二人がどうなるは未だ定まらず。
以前と同じように大発破で大軍を道連れに消え去るのか、それすら出来ずに志半ばにして戦場の塵と倒れるのか、それとも主君の仇を取って毒の副作用に打ち勝ち生き延びるのか。

それはたった一人の魔剣の使い手の選択次第。




唯一つ確かなことは。
生きるも死ぬもすべての場合において、二人は一つである、ということだけだった。


<閉幕>



感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.08008599281311