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[7842] 主二人  【八神はやて父、生存IF】 【完結】
Name: 黄身白身◆e17d184b ID:5090cc06
Date: 2009/09/07 22:55
 ども。


 最終回までの粗筋は作ってありますが、更新速度自体は遅くなると思います。

 「オリ主×原作キャラ」の予定(第一話段階では未到達)がありますので、その辺りに嫌悪感を抱かれる方はご注意ください。



[7842] 第一話「はやてちゃんの誕生日ですよね?」
Name: 黄身白身◆e17d184b ID:5090cc06
Date: 2009/04/05 14:05
 なのはは黒板に貼られている板を凝視していた。
 四つの図形……二つの直角三角形と二つの台形……で作られた正方形を組み替えると長方形になる。
 それはいい。別に怪しむべき点などない。
 ところが、長方形になると何故か面積が増えるのだ。ありえない。
 当然空間を歪めているわけではない。ここは地球だ。ミッドチルダではないのだ。しかも、なのはの通う小学校だ。
 なのははもう一度。二つの図形を見比べる。

「うーん……」
「高町さん、ギブアップしてもええよ?」
「まだです、先生!」
「んー。そやけど持ち時間が無くなるからなぁ。ほら、次はバニングスさんやで」

 ふと振り向くと、アリサが「私の出番はまだ!?」と叫びかねない様子で虎視眈々となのはの失脚を狙っているのがわかる。

「なのは。早くギブアップしなさい。時間切れよ?」
「にゃあ~。まだだよ、まだ三分あるの」
「アリサちゃん、落ち着いて。まだ考えているんだから」

 すずかのフォローもヒートアップしつつあるアリサの耳には入らない。

「さ、さ、さ、なのは!」
「こらっ。バニングスさん。あかんで。まだ高町さんの番やからな。君の出番は次や」
「はーい」

 渋々と答えるアリサ。先生の言うことが正当なのでアリサには反論の余地は全くない。

「ま、落ち着き。真打ちは後から出るもんや」
「むぅ」

 なのはがじっと先生を見る。

「ひどい。私まだ、諦めてないの」
「ん? だったら、頑張って解いてみよか?」

 だからといってすぐに解けるわけもなく、頭を抱えるなのは。

「んー。やっぱりわかんない……」
「じゃあ、バニングスさんにバトンタッチかな」
「よしっ」

 鼻息荒く、教室の前に出てチョークを握りしめるアリサ。

「この長方形は……」

 チャイムが鳴った。

「ありゃ?」

 先生が腕時計を壁の時計を見比べた。

「あ、そうや。こっちの時間割勘違いしてた。小学校は四十五分やったな……。あちゃあ、大学の九十分のつもりやったもんなぁ」
「えー」

 意気揚々と答えを発表しようとしていたアリサが唇をとがらせる。

「ごめんごめん。次の時間はバニングスさんからね」
「先生、次の特別授業はいつなんですか?」

 なのはの問いに首を傾げ、

「確か……来週の金曜日だったと思う。また、これの続きと別のものも持ってくるわ」

 私立聖祥大講師兼付属小学校特別講師八神光(やがみ・ひかる)は、持ってきた道具箱を抱えると頭を下げた。
 大学講師による小学校での特別授業は、私立聖祥大学付属小学校が売りにしている特色の一つである。だが、普通の大学教授にとってはかなり難しい。
 そこで、教授に比べれば教える技術に特化している講師である光が、その任に就いているのだ。

「じゃあ、次回まで元気でな」
「あ、八神先生」

 教室を出た光を追いかけてくる三人。なのは、アリサ、すずかである。

「何か質問かい? 高町さん」
「あの、はやてちゃんはお元気ですか?」

 首だけで振り向いていた光は、なのはの質問が自分の娘のことだと知ると身体全体で振り向いた。

「ああ、元気やで。まだ学校はお休みやけどな」
「あの……また、遊びに行ってもいいですか?」
「勿論。はやても喜ぶし、僕も待ってるよ」
「必ず行きますって、はやてちゃんにも伝えてください」
「ありがとな。ちゃんと伝えるから」

 光はその場でかがむと、なのはの頭を撫でた。

「ホンマ、なのはちゃんみたいな子がおって、よかった。海鳴に来た意味があったわ」

 高町さん、と呼ぶ時は学校の講師として。
 なのはちゃん、と呼ぶ時ははやての父親として。それが光なりのケジメだった。

「勿論、アリサちゃんとすずかちゃんもな」

 なのはの後ろ、なのはだけが褒められるのを見てむぅっとしていたアリサが笑顔に変わる。
 そうそう。わかればいいのよ、わかれば。笑顔が主張していた。 
 そして、そんなアリサを見ていたすずかも微笑んだ。
 じゃあ、と言って光は立ち上がり、再び職員室へと歩き始める。

「はやても……」

 独り言が漏れる。

「……早く学校に来られるようになるとええな」

 光はそのまま職員室のロッカーに荷物を片づけると、そこには留まらず周りに挨拶をして出ていってしまう。
 邪魔者扱いとか、悪い意味でのお客様扱いということはない。和気藹々とした職員室の雰囲気自体は光も気に入っている。それでも、小学校で授業のある日は大学に戻る必要がないので、できるだけ早く帰るようにしている。
 要は早く家に帰りたいのだ。
 

「ただいま」
「お帰りなさい」
 
 いつもなら玄関まで迎えに出てくる娘の姿がない。
 光はいそいそと台所へ。

「ごめんなさい。今、手が離せへんかったから」

 案の定、はやては鍋で何かを煮ている。
 光は、車椅子に座っているはやての頭の上から、鍋を覗き込んだ。

「お、今日はカレイの煮付けか」
「魚が安かったんよ」

 目を下ろすと、こちらを見上げるはやての笑い顔が見える。光も、思わず笑みを返した。

「なあはやて」
「なに? お父さん」
「明々後日は、外で食事しよか」
「……うーん……」
「はやての誕生日やからな。なんでも好きなもん言うてええで」
「それより……なのはちゃんたち呼んで、うちでパーティしたい」
「パーティか。それもええかな」

 なのはたちとはやてが初めて会ったのは、三月の終わり頃である。そのときは、ただの偶然だった。
 まず最初に、父親の仕事先であり、自分の籍のある学校を訪れたはやてが、たまたまその場にいたなのはたちと顔を合わせた。
 そして先週の特別授業に現れた光になのはたちがはやての動向を尋ねたのがきっかけで、八神家に三人が遊びに来た。
 それから、三人ははやてと親しくなった。

「もっと早くお友達になっていれば良かったね」

 初めて遊びに来た日、すずかがそう言うと、なのはが困ったように頭をかいて言ったのだ。

「ごめんね。私が四月からずっと忙しかったから」
「別に、なのはちゃんのせいじゃないよ」
「そうそう。そうやってすぐ自分のせいにするのが、なのはの悪い癖よ」
「ごめん、アリサちゃん」
「ほら、また謝った」
「あ」

 その会話を聞いていた光はただ単に「最近の小学生は忙しいんだな」と思っただけである。
 まさか、なのはが魔砲少女として、ジュエルシードを巡ってフェイトと争っていた、なとどはわかるわけもない。

「よし。急やけど、誘ってみるか?」
「うん」
「電話してみ? カレイはお父さんが見とくから」

 トントン拍子に三人の参加が決まる。

「そしたら、誕生日は大盤振る舞いやな。ケーキは大きいのがええな」

 どちらにしても、誕生日ケーキは買うつもりだったのだ。
 大学での教え子に聞いた、海鳴にあるという知る人ぞ知る名店。
 名前は、

「確か……翠屋、やったかな?」

 電話番号は手帳にメモってあるはずだ。
 光は電話を終えて再びカレイとにらめっこしているはやてを台所に置いて、部屋に戻り携帯電話を取った。
 バレバレだとしても、やっぱりバースディケーキはサプライズの要素が欲しい。どんなケーキになるかは本人には内緒なのだ。
 電話口で希望のケーキを告げたところで、何かに気付く。
 電話の向こうはどこかで聞いた声である。
 名前と住所を告げた瞬間、店の人間の口調が変わった。

「八神先生ですか?」
「あれ? ……もしかして、高町さん? え? 翠屋って、高町さんの家?」
「はやてちゃんの誕生日ですよね?」

 ついさっきはやて本人からお誘いの電話をかけたのだ。わからないわけがない。

「ビックリさせよと思たんやけど、こっちがビックリしてもうた……」
「大丈夫。アリサちゃんとすずかちゃんがビックリしますから」
「そやな。それでいこか。そしたら、ケーキお願いするな」
「はい。毎度ありがとうございます」






 目覚める。と感じていた。
 何もない瞬間から、突然発生する意識。

 また、この感覚。
 実際に覚えているわけではない。
 それでも、おそらくはいつも同じ事を思ってしまうのだろうなと予想できる。
 身体中の皮膚が裏返されるような、それでいて肉体的な不快感は全くない感覚。
 ただ、例えようもない不安だけが心の中を駆けめぐっている。きっとこれも、新たな主に誓った瞬間に盲目的な忠誠心に上書きされてしまうのだろう。
 忠誠心。便利な言葉だ。この一言で全ての良心の呵責を一旦脇に追いやることができる。いっそ、本当に忘れ去ることができればどれほど楽なのだろうか。
 自らの記憶にすら残っていない悪行の予感に責め苛まれる千の夜、万の悪夢。
 いっそ、悪鬼羅刹となれるのなら。良心すらかけらも残さぬ異形の存在に変化できるのなら。

 ……無意味な夢だな

 それは自嘲か、それとも蒼き狼の言葉か。

 ……そんなことは忘れよう

 それは逃避か、それとも紅の鉄騎の言葉か。

 ……お前は一人ではない

 それは憐憫か、それとも烈火の将の言葉か。

 現出する感覚に、風の癒し手は瞳を開いた。
 一人の少女が座っている。これが、新たな主なのだろうか。
 いや、それは愚かな疑問だろう。
 ヴォルケンリッターともあろう者が、己の主を見違うことなどあり得ないではないか。

 見渡すと、小さな部屋だ。主が座っているのは寝具だろう。いや、主は寝ているのか?
 違う、これは気絶だ。失神しているのだ。

「はやて!」

 ドアが開き、別の男が現れた。
 咄嗟に構えるシグナムとヴィータ。ザフィーラはいつでも主を守れる体勢になっている。
 
「……なんっや、おのれらっ! どっから入ってきよったんや!」
「我らは……」
「やかましわっ!」

 男がはやてに近づこうとして、ザフィーラに捕らえられる。

「どかんかいっ!」
「落ち着いてください」

 四人は慌てていた。主となるべき相手が失神しているせいもあるが、入ってきた男もまた、主とよく似た気配を持っているためだ。
 何故、この二人はこんな態度を?
 我らは「闇の書」の新たな主に呼び出されたのではないのか?
 いったい、どういうことなのだ?

「ザフィーラ、そのまま押さえていてくれ。シャマル、主の様子を見てくれ。ヴィータ、念のため外の気配を探ってくれ」
 
 シグナムに従い、シャマルは主の様子を見る。
 どうやら、最初の印象は正しかったようだ。

「気絶しているだけ。異常はないわ」
「他人様の娘に何しとんじゃ! 離さんかいっ!」
「娘?」

 シグナムが慌てた様子で跪く。

「失礼いたしました。主の御尊父とは知らず。ザフィーラ、お離ししろ」
「いいのか?」
「当たり前だ。主の御尊父をいつまで押さえておくつもりだ」
「わかった」

 男……光は自由になった瞬間、ベッドに上がった。そして、はやての身体を隠すように背を向けると、四人の方に向き直る。

「何者だ、あんたら」

 娘を護る父親としては、悪夢のような状況と言っていい。
 夜更けの娘の部屋に、見ず知らずの人間が集まっているのだ。それも、父親がどう足掻いても勝てないような力の持ち主が。
 光は、ザフィーラに押さえつけられている間はもがくのが精一杯だったのだ。

「主は勿論、御尊父にも危害を加える気など毛頭ありません。ご安心ください」
「せやから、何者やねんっ! あんたら」
「あの……」

 シャマルが光の手に自分の手を重ねる。

「落ち着いてください」
「……」
「落ち着いてください。ね?」
「は、はあ……」

 光は呆然とシャマルの顔を見ていた。心なしか頬が赤い。

「貴方達に危害を加えるつもりはないんです。これは、不幸な誤解なんです」

 ちなみに、シャマルがやっているのは、ある意味での「騙し」だった。
 相手を騙してつけ込む話術、策士としての交渉手腕を発揮しているのである。
 勿論、現状で相手を騙すつもりもなければ、その意味もない。

「私たちの話を聞いてください」

 自分を落ち着かせようとする、言い換えれば害意の感じられない口調に光は徐々にクールダウンしていた。
 よく見れば、はやてが何かをされた形跡はない。見える限りにおいては外傷もないし、着衣の乱れもない。そもそも突然部屋の中が輝いた

ことに気付いたために、光はこの部屋に駆け込んだのだ。悲鳴や物音が聞こえたわけではない。

「主、いえ、娘さんが気絶しているのは私たちの本意ではありません」
「ちゃんと説明してくれるんやろな……」





 ――同時刻。とある屋敷にて。

「目覚めたのか」
「間違いありません」

 娘の言葉に、男は頷いた。

「そうか。監視は続けるように。ただし、これまで以上に注意してな」
「わかりました。私はこれから現地へ赴き、監視を交代します」

 立ち去ろうとした娘が、その場で立ち止まる。

「どうかしたかね?」
「……お父様、本当によろしいのですか?」
「意見があるなら、聞こう」
「今からでも遅くはありません。管理局の手を借りることができれば、お父様一人が犠牲になる必要なんて……」
「それはできない。罪を被るのは私一人でいい。これは、管理局のあずかり知らぬ事だ」
「でも、お父様!」
「多数の利益は少数の利益に優先する。わかりやすく、かつ単純な論理だ。そう教えたはずだね?」

 そしてその言葉を真に正しく発することができるのは、常に少数の側の人間なのだ。

 汚名を被るのは自分一人でいい。
 一人の女の子の命を奪ってまで為さねばならぬ事なのか。それを考えることなど、男はとうにやめていた。
 汚名も悪名も罪状も、全ては自分が被ろう。
 復讐と正義のために。
 裁かれるのは、闇の書と自分だけでいい。
 犠牲になるのは、少女と自分だけでいい。

 闇の書は、滅びなければならない。
 八神はやてという生贄を得ることによって。
 ギル・グレアムの手によって。



   続



[7842] 第二話「ココアなんて知らね……ないです」
Name: 黄身白身◆e17d184b ID:5090cc06
Date: 2009/04/08 23:22
 はやてに異常がないことを確かめてから、光はシャマルたちをリビングに案内していた。
 いつまでも娘の部屋に五人でにらみ合っているわけにも行かない。

「話、聞こか」

 自分の分のコーヒーを煎れようとして、思いついてさらに三人分を余計に作る。そして一人分にはココア。
 
「ほら」

 ココアを一人だけ小さい女の子の前に置くと、怪訝な顔をされた。

「……なんだよ、これ」
「ココアっーちゅうもんや。なんや、コーヒーの方が良かったんか?」
「いや、ココアとかコーヒーとか言われてもわかんね」
「そしたら、牛乳なんか?」
「それはわかる。だけど、施しはいらねえ」
「施しちゃうわ。今から君らの話聞くんやろ? 長なったらアレやから、コーヒーぐらい煎れたろ思たんや。で、君は小さいからココアや」
「だから、ココアなんて知らね……ないです」
「暖こうて、甘うて、美味しいもんや。はやてもお気に入りや」
「主が?」
「そや。初めて飲むんでも、とりあえず味見してみ。飲みもせんと文句言うんはマナー違反じゃ」

 戸惑う残りの三人にも、光は半ば強制するようにコーヒーカップを持たせ、恐縮する姿に一喝してとりあえず楽にしろと言う。
 そして、話を聞く体勢の準備ができた。

 ――数十分後。

「……大まかなことは把握した、と思う」

 四人に話を聞き終えた光は、軽い頭痛を覚えながら言う。

「確認するから、間違えてるようやったら言うてくれ」

 少し間を空けて考え、そして光は口を開く。 

「あの、はやての部屋にある本の中から、自分らは出てきたんやな。で、その正体はプログラムされた騎士。本に選ばれた主を護るのが役目。
 主がいなくなるたびに本の中に戻って、次の主が決まるまでは眠ってる。それで、うちのはやてがたまたま今回の主になってしもうた、と」

 自分で言いながらでも、信じられない話だとしか言いようがない。しかし、光はすでに動かしがたい現実を見せつけられている。
 四人は簡単な例を見せると言って、光にあるものを見せたのだ。
 それはザフィーラの変身である。人間の姿から狼の姿へ、あるいはその逆。それを実際に見せられては何も言えない。

「正直言うと、未だに信じられへんけどな」

 何か言いかけたシグナムを手で制する光。

「いや、君らが嘘つきやとは思ってない。さっきの……ザフィーラ君やったか? 変身見せられたら魔法の存在そのものは信用するしかないわ。
魔法はある。それはもう信用する。なんや、僕のこれまでの価値観ぼろぼろやけどな」

 それでも、疑問は残っている。光にとって、どうしても見過ごすことのできない疑問が。

「なんで、はやてなんや?」

 魔法が実在するというのならそれでもいいだろう。魔法によって生み出される生命体がいてもいいだろう。
 だが、何故はやてが主に選ばなければならないのか。
 この世界は、魔法が普遍化され遍在している世界ではないのだ。魔法の存在そのものが「あり得ない」とされてしまう世界なのだ。なぜ、そんな世界に主が現れるのか。

「なんではやてやねん。魔法とか、君らの世界とかとはなんも関係あらへんやないか」

 わからない、とシグナムは答える。
 主の変遷は、ヴォルケンリッターの知るところではないのだ。シグナムたちに主を選ぶ権利はない。そして、「闇の書」が選ぶ基準も同じくわからない。
 確実なのは、主はリンカーコアを持っているということだけ。
 つまり、はやてもいずれはリンカーコアに目覚めるはずなのだ。

「はやてが魔道師ねえ……。魔法で大人になったり、アイドルになったり、手品師になったりするんか? 手鏡持ってテクマクマヤコンとか?」

 光の疑問に首を傾げる一同。

「失礼ですが、御尊父は魔道師というものを誤解されているようです」
「……そっか。まあ、こっちも駄目元の冗談や。あんま気にせんといてくれ」

 結局は、偶然と呼ぶしかないのだと、シグナムは言う。
 次元世界は広大である。どの次元世界の誰が主になるのか。可能性はまさに無限なのだ。
 
 しかし、シグナムたちすら知らない事実があった。いや、管理局もグレアムも気付いていない事実が。
 「闇の書」の転生先候補には、ある基準が存在していたのだ。それも、ごく単純な。
 転生先の候補とは、「闇の書」が蒐集したリンカーコアの持ち主が訪れた次元に限られる。リンカーコアに刻まれた記憶の中から、「闇の書」は次の転生先を検索するのだ。
 今回の場合は蒐集された中に、グレアムの部下として上司の故郷を訪れた者がいたのである。

「……もう、こんな時間か。あとは、明日にでも話しよか」

 翌日、いや、今日ははやての誕生パーティの予定である。
 仕事に関してはすでに休講を申請して受理されているので問題はない。問題は、パーティの準備。そして、はやてが目覚めた時の説明だ。
 しかし、光はすでに決めていた。
 いや、四人が現れる前から決めていたことがあるのだ。
 光は、絶対にはやてに嘘はつかない。話せないことがある時は、話せないと正直に言う。隠し事をする時もある。しかし、嘘だけは絶対につかない。
 それが、光の決めている事だった。

「もう、遅いから、後は明日や」

 話をまともに受け取る限り、この四人に行く当てはないはずだ。それも明日考えなければならない。
 まさか、今この場で外に放り出すわけにはいかないだろうが。

「さてと……」

 部屋は空いている。はやてと光の父娘二人で住むにはこの家は広すぎるくらいだ。

「布団は一応人数分あるから、とりあえず今夜はこの部屋使うてくれ」
「よろしいのですか?」
「なにが?」
「部屋を使わせていただいても」
「?」

 光は首を傾げる。

「すまん。何が言いたいんかな?」
「つまり、御尊父は、我々に部屋を使わせていただけるのですか?」
「そない大層な話やのうて、寝るだけやろ?」

 ふと、光は嫌な予感がして尋ねる。

「さっきは細かい話飛ばしてけれど、今までの主のこと、少ししか覚えてないんやな?」
「長の年月を転生してきました。一つ一つの記憶は恥ずかしながらおぼろげです」
「それはええとして、今までの主のとこで、どんな部屋やったんや?」
「部屋など、与えられた記憶はありません」
「……寝床は?」
「馬小屋の片隅や地下室、あるいは野外か……」
「ちょ待て!」
「なにか?」
「……忘れろ」
「え?」
「それは忘れてええ。少なくとも、うちにおる間はちゃんと部屋ん中で寝かしたる!」
「御尊父? われらは主にお仕えする身です。例えどのような待遇であろうと不満などは」
「そういう問題と違う。僕は人間や。君らかてどう見ても人間や。そやから人間らしくするし、させる。僕は人間をやめる気もやめさせる気もないんや」

 言い切って四人を睨みつけるように、光は腕を組んで仁王立ちになった。
 文句があるなら言ってみろ、絶対に自分の気持ちは変えない。姿が雄弁にそう語っている。

「君ら三人はここで寝る。ええな」
「三人、ですか?」

 シャマルとシグナムが互いの顔を見合う。

「もう一人は……」
「ああ、とりあえず、僕についてきて……」
 
 そう言って光は、妙な気配に口を閉じる。
 シャマルとシグナムの眼差しだ。

「御尊父、その一人というのは?」

 シグナムが堅い口調で尋ねていた。
 何を畏まることがあるのかと考えながら、光は素直に答える。

「ザフィーラ君やけど?」

 女三人男一人の集団である。四人で雑魚寝というわけにも行かないだろう。
 ザフィーラは自分の部屋で寝かせて、自分ははやての部屋で寝る。どちらにしろ、はやてを放っておくのもどうかと思えるので、ちょうどいいと光は考えている。
 
「ザフィーラ、ですか?」

 何故かシャマルが驚いている。
 光は、自分が何かまずいことを言ったのかと考えてみるが、思い当たる節などない。

「ああ、君らも、男女雑魚寝するわけにもいかんやろ。ザフィーラ君は僕の部屋で寝たらええよ。僕ははやての部屋に行くから」
「あ……。そういう意味でしたか」
「そういう意味て……他に何が……」

 光は首を振りながら、ザフィーラを連れて自分の部屋へ向かう。
 そして恐縮するザフィーラに半ば無理矢理自分の布団を使わせ、自分ははやての部屋に入る。
 はやては、すやすやと眠っていた。
 失神から自然睡眠に移行したのは、シャマルの処置のおかげらしい。これやはり、魔法なのだろう。
 もっとも、光がこの場にいなければ、はやての普段の状態などを知らない四人は慌てていたのだろうが。
 はやての寝顔を見ていると、光の心はようやく落ち着き始めた。
 あの四人への対応を考えなければならない。
 ただ、四人と話していてわかったのは、少なくとも急いで追い出さなければならない危険人物とは思えない、ということだ。
 過去に何があったかは今のところは聞いていない。とりあえず、魔法によって転生を繰り返しているということだけは聞いた。その辺りの細かい話も明日以降になるのだろう。
 そして、電気を消そうとして気付いた。シャマルとシグナムの言おうしていたことに。
 主とはつまり、彼女らの全てを掌握できる存在なのだ。そして、その父である自分も。

「人間をやめる気も、やめさせる気もない」

 自分は正しいことを言ったのだ、と光は信じる。そしてこれからもそうであるべきだと。
 
「おやすみ、はやて」

 寝ている娘に語りかけ、電気を消した。
 二分後、気付いた。

「…………僕、同性愛者と思われたんか……?」





       続
 



[7842] 第三話「今後ともよろしくな」
Name: 黄身白身◆e17d184b ID:5090cc06
Date: 2009/04/16 00:11

 光が目を覚ますと、はやてはまだ寝ている。
 棚の置き時計を見ると、起床時間にはやや早い。どうやら寝付けなかったようだ。身体の疲れがまだ残っている。
 二度寝するにも無茶な時間なので、光は天井を見つめて考え事を始めた。

 シャマルたち四人のことを、自分があっさり受け入れていることが不思議に思える。
 どちらかと言えば、自分は懐疑的な性格だと思っていた。この手の話を他人に聞けば、まず間違いなく眉に唾を付けていただろう。

「御尊父の魂が受け入れているのです。紛れもない、主の御尊父なのですから」

 シグナムの言葉に頷くしかないのだろうか。魔法とはそういうものだと言われてしまえばそれまでだ。いわゆる、反証不可能というやつである。
 もし、それが実際にあり得ることだとすれば、主そのものだと言われているはやてはどうなるのだろうか。はやては、四人を容易く受け入れてしまうのだろうか。
 光は、眠るはやての横顔に目を向ける。
 いや。
 違う。はやては違う。
 魔法などは関係ない。はやての父親として、断言できることが一つある。
 はやては四人を受け入れるだろう。だが、それはシャマルたちの思っている主としての責とはニュアンスが違う。
 はやてはきっと、主としての役目を全うしようとするだろう。与えられたものを受け入れようとするだろう。
 はやては、全てを受け入れる。自分にできる限りは受け入れようとする子だ。時には子供らしくないとも見えてしまう、それがはやての性格なのだ。
 だから光は、はやての望みを最大限に叶えたい。全てを甘んじて受け入れる子だからこそ、その望みは最大限に叶えたいと思う。

「…………そやけどな……」

 口に出してしまう。
 はやてが望むなら叶えたいというのが親の心なら、現実との妥協点を見つけるのは大人の視点だ。
 光は、はやてを起こさないようにそっと部屋を出る。
 自分の部屋に戻ると、ザフィーラの姿はなかった。部屋はきちんと片づけられ、大人一人が一晩寝た後だとは思えない。それどころか、昨夜よりも綺麗になっているような気もする。
 光はシャマルたちに提供した部屋に向かう。案の定誰もいない。
 リビングへ行くと、音を立てないように苦心しながら掃除をしている四人の姿があった。

「……おはよう」
「おはようございます」

 居住まいを正す四人に、光はソファへ座るように促し、自分も座る。

「気ぃ使い過ぎや。そない堅くならんといてくれ」

 四人の格好を再確認。昨夜はそれほど気にならなかったが、日が昇ってから改めてみると、どう見ても奇妙な格好だ。

「……とりあえず、ヴィータちゃんははやてのお古がサイズ合うやろ。ザフィーラ君はちょっとサイズが小さいかもしれんけど僕のお古。シャマルさんとシグナムさんは……」
「衣服でしたら我々はこれで充分に……」
「アホ言いな。そんな格好で外に出たらポリさん来るわ」

 そこで光は考えていた質問の中から、最初の一つを切り出す。

「なあ、現代社会の常識、どの程度までわかるんや?」
「……転生のさいに、基本的な知識は闇の書より伝えられます。ですが、あくまでも知識であり、実際に活用するまでには幾ばくかの時間が必要かと」
「慣れの問題か……。まあ、それは知識としてあるんやったらなんとかなるんか……」
「そうでなければ、言葉を交わすこともままなりません」
「あ」

 言われてみればその通りだ。
 シグナム、シャマル、ザフィーラ、ヴィータ。どう見ても日本人には見えない。しかし、普通に日本語を話しているではないか。
 ということは、知識の伝達というのはかなりのレベルのものと考えられる。それなら世間の常識というものも、時間さえ経てば四人には浸透していくのだろう。
 ひとまず、光の懸念の一つは消えた。
 とりあえず、ヴィータとザフィーラに着替えを渡す。

「服はお古やけど、下着は新品や。さすがに下着のお古なんて残してへんからな」

 そして、シグナムとシャマルを手招きする。

「……すまん。君らの分の下着はない。うちにおる女言うたら、はやてだけやからな。君らの年頃の女性用の下着はさすがにない」
「下着は、でか?」

 シャマルの問いに、光は頷いた。
 そう。下着はないが、服自体はあるのだ。
 はやての母、光の妻である希美の着ていた服が。
 捨てるに捨てられず、置いてあるものが。
 すでに、個人を思い出す縁としての役割は終えている。もう、光もはやても悲しみは乗り越えているつもりだった。

「適当に見繕って着てくれてええよ。シャマルさんには多分ちょうどええけど、シグナムさんとはサイズがあわへんかもな」

 その場で着替えようとする二人を制して、ヴィータと一緒に部屋へ行かせると、入れ違いになるようにはやてが起き出してくる。

「お父さん、おは……」

 言いかけて絶句した視線は光の隣、ザフィーラに向けられている。

「……あ」
「あのな、はやて、彼は……」

 説明しかけた光の言葉を無視して、はやては嬉しそうに呟いていた。

「ほんまにおるんや。やっぱり、夢と違ったんや」
「え?」

 はやてはザフィーラに向けて車椅子を転がすと、手をさしのべる。

「自分が、ザフィーラやろ?」
「はい、主」
「ヴィータは? シャマルは? シグナムは?」
 
 さしのべられた手を取り、跪くザフィーラ。

「三人は、御尊父がご厚意で我らにくだされた衣服に着替えているところです」
「はやて、お前……」

 光が、はやての車椅子の取っ手に触れ、自分の方を向かせ、尋ねる。

「夜のこと、ちゃんと覚えとったんか?」
「ううん」

 首を振ると、はやては何かを思い出したように微笑む。

「夢の中で、誰かが教えてくれたんよ」

 光はザフィーラを見る。ザフィーラははっきりと頷いた。

「私にも詳しいことはわかりません。我らが闇の書から転生世界の知識を得るように、主も闇の書から我らヴォルケンリッターの知識を得るのではないでしょうか?」
「ありえるんか?」
「私の記憶する限り、あらかじめ我らに関する情報を持った主も存在していました」
「そか。そやったら、ありえん話でもないか……」

 納得半分の顔の光は、喜びを満面に表したはやてを見る。視線に気付いたはやては、父親に向き直るとVサインで答える。

「ご飯まだやんな? 朝ご飯、六人分作るわ」

 動きかけたザフィーラを止め、光は大袈裟にわざとらしく頷く。

「メシがまずいから帰る、ってザフィーラ君たちに言われへんようにな」
「そんなん言わせへんよ、腕によりをかけるんやから」

 そのまま厨房へ向かうはやてを見送りながら、光は小さな声でザフィーラに言う。

「今日の朝飯を作るんは、はやての当番や。手伝う必要はない」
「しかし……」

 ザフィーラの言外の言葉に、光は頷いてみせる。

「あいつは、何でも一人でやることを覚えなあかんねや。僕はあの子の親や、常識で考えればあの子より先に死んでまうやろ。その時、一人で何もできへん、足すらまともに動かせへん子を、たった一人で残していけるんか?」
「今日この時より、我らはいかなる時も主のお側に控えております」
「例えそうやとしても、それとこれとは話は別や。例えはやてが君らの主でも、君らに任せて本人が何もせえへんなんて、僕が許さんよ、はやての親として」

 そう言った後、光は驚いた。
 はやてと離れて再び立ち上がっていたザフィーラが、今度は自分に対して跪いているのだ。

「……我らの勇み足。いらぬ気遣いでした。出すぎた言葉をお許しください、御尊父」
「いちいち大仰にしすぎやで、君ら」
 
 戻ってきたシャマルたちと、似たようなやりとりを三回やったところで光は決意した。
 ヴォルケンリッターを普通の言葉遣いにさせること。
 八神家のルールを早く覚えさせること。
 そして。

 動きやすい服装ということで身体に密着したシャツを選んだシグナムの、胸の突起を発見して……
 とっとと皆の衣類を揃えること。


 朝食の席での紹介は必要なかった。はやてはすでに四人を知っていて、四人もそれを当然のこととして受け入れている。

「主としては、ホンマやったら衣食住の面倒を見なあかんのやろけど……」

 語尾を濁すはやての言いたいことは光にも予想できた。もしはやてが気付かなければ、光が指摘しなければならないことなのだ。
 単純に、四人の居候が増えれば出費が増える。今の八神家ではそれはかなりきつい、不可能と言っても良いかも知れない。少なくとも、生活レベルは落とさざるを得ない。そしてそれは、ヴォルケンリッターの望むところではない。自分たちの存在で主にデメリットをもたらすなど、あってはならないのだ。
 シグナムに聞いたところ、かつての主の中には自分自身が食うや食わずだった者もいるという。ただしその全てがすぐに権力者となった。言うまでもない。ヴォルケンリッターの力である。
 かつての世界では、ヴォルケンリッターの戦力はまさに一国を左右するものだったのだ。勿論、その理屈は現代日本では通用しない。
 かといって、シグナムたちの働き先など探せるかどうかが疑問である。能力は充分以上に高いが、常識面が不安なのだ。

「不法な次元旅行者には、辺境の次元世界に貴金属や宝石の類を持ち込み、それを換金して路銀とするという方法があるようですが」

 その貴金属や宝石は奪ってくるという。当然却下だ。
 異世界で傭兵や賞金稼ぎをするというシグナムの意見も却下である。
 すると、シャマルが妥協案を出してきた。
 多次元には、すでに壊滅した文明も少なくない。その世界の発掘物ならば、正当な持ち主はいないということになる。
 厳密に言えば、そのような不均衡なやりとりが続けば地球の経済に影響が出てくるのだろうが、四人が普通に暮らすだけの金額ならば、それこそ誤差範囲内だ。

 そんな次元が簡単に見つかるのならそれが一番良い、と光は賛成する。

 そして、はやてを中心に四人の身の振り方が決まっていく。

 ザフィーラは基本的に狼化。犬を飼いたかったはやてにとって、これは嬉しいサプライズだった。
 ヴィータ、シャマル、シグナムは近所には母方の親戚ということにしておく。

「そこまで細かいことを火急に決めておく必要があるのですか?」

 シグナムの問いに、はやてと光は重々しく頷いた。

「今日、なのはちゃんたちが来るんよ」
「はやての誕生日だから。誕生日祝いに来たってことにしとこう」

 光が全員を見渡す。

「細かいことは後にして、どうやらウチのはやては君らが気に入ったらしい。で、僕も、君らを見ていると悪人には見えへん。聞かせてもらった過去の話も、嘘としか信じられへんくらいや」

 今後ともよろしくな。
 そう言って頭を下げる光に、ヴォルケン一同は慌てて椅子から降り、跪くのだった。



     続

  



[7842] 第三.五話「僕の義妹が世話になったようだね」 (一部修正)
Name: 黄身白身◆e17d184b ID:5090cc06
Date: 2009/04/26 01:10
 (初稿4.16)
 (時系列のミスがあったため一部修正 4.26)



 世の中には色々な奴がいる。
 事情も人それぞれだ。
 出所の知れないお宝を、すぐに使える使い古しの札に換えたい奴。
 手の切れるようなピン札を、鑑定書のついた宝石・貴金属製品に換えたい奴。
 どちらも、俺たちのような連中にとっては大事なお得意様だ。
 交換する理由などは詮索しない。例えどんな相手だろうが、俺たちには関係のないことだ。



「どう思う?」

 俺は、この道の師匠の元にどこからか持ち込まれたお宝を鑑定していた。これまでに見たことのないタイプの装飾だが、中の宝石は本物だ。値打ちは充分にある。
 まっとうな市場に出せば、持ち込んできた野郎に払う金の十倍、いや、百倍は堅いだろう。

「本物ですね。これなら、どこに出しても損はないッスよ。もっとも、これだけのものだとさすがに出所が気になりますけどね。妙なヒモ付きは御免ですよ」
「余計なことは言わなくていい、それを心配するのはおめえじゃねえよ」

 確かにそうだが、まずいことになれば責任を押しつけられるのは間違いなく俺だろう。この男が責任を取るわけがない。
 こいつにかかれば、まずいことの大半は俺のせいになってしまうのだから。
 昼飯がまずいのも、夢見が悪いのも、天気が悪いのも全部俺のせい。

「とにかく、払う価値はあるんだな」

 俺が告げた値の半分を紙に書くと、師匠はカウンターへ出て行く。万が一の時のためのモニターを見ると、そこには一人の女性と一人の少女が立っていた。
 かなり若い肉感的な美女、そして金髪のどこか儚げな、異邦人のような雰囲気も持った不思議な美少女だ。
 俺は心の中で溜息をついた。
 人のことを言えた義理ではないが、やっぱり世の中間違っている。あんな可愛らしい子がこんなところで闇換金なんて。

「これ以上は、ウチじゃ扱えないね。いや、俺だって鬼じゃない、どうしてもってんなら、考えるけどなぁ」

 師匠が金髪少女になにやら言い含めるように話している。
 おいおい何の真似だ。まさか、因果を言い含めてなにやら良からぬ事をしようってんじゃねえだろうな。
 いまさらこんな身分で正義を気取るつもりも偽善の趣味もないが、さすがに良心が咎める。
 というか、俺にその手の趣味はない。奴にはある。俺はペドじゃない。奴はペドだ。

「いい加減にしなよ」

 美女が噛みつくように師匠を睨みつける。ていうか噛め。再起不能になるまで噛め。跡目は俺が継ぐ。

「人の足下見て、どうする気だい? 相場を知らないと思ってるんなら大間違いだからね。確かに、表に出せない事情はあるさ。まっとうなレートでやれとは言わないよ。だけど、限度ってもんがあるんじゃないかい?」

 確かにその通りだ。しかし、向こうだってそれほど強くは出られないだろう。強気になれるならこんなところで換金はしない。

「しょぼいレートで満足してやるんだからね、さっさと出すもの出して終わりにさせなよ」
「つれないねぇ。せっかくの美人が台無しだ。もう少し目を楽しませ……」

 俺は唖然とモニターを見つめる。
 師匠は完全に度肝を抜かれた顔になっている。
 女が手を振ると、客用のテーブルが文字通り粉砕されたのだ。
 おい。ありゃあ、万が一の防弾用に鉄板仕込んだ特製テーブルだぞ。なんで殴り壊せるんだ?

「アルフ、落ち着いて」
「駄目だよ、フェイト。こういう奴らには舐められたらおしまいなんだ。あたしの産まれたところと一緒だよ。弱みを見せたらすぐに食われちまうんだ」

 名前がわかった、とは言ってもどうせ偽名だろ。こんなところで本名晒す馬鹿はいない。あるいは、本名がバレてもどうってことのない流れ者か。
 少なくとも、日本語は充分に達者なようだが。

「よし。わかった、落ち着け。いいな、落ち着け、金は約束通り出す。テーブルの修理費もサービスだ。だから落ち着け」

 師匠は情けないくらいにヘタレている。
 ……まあ、あの腕力見せられて強気で行けるのはただの馬鹿だと思うが。

「で、ものは相談だが、お嬢ちゃん」

 訂正。あれはただの馬鹿ペド野郎だ。

「いくら払えば一晩……」

 特製テーブルが完全に粉砕された。

「御免なさい御免なさい御免なさい御免なさい御免なさい」

 モニターのむこうでヘコヘコ謝っている男。あれが俺の師匠です。情けない……。

 


 あれから二ヶ月。特製テーブルもすっかり元通り。
 フェイト(が本名だとして)の持ってきた宝石は見事に高値で売れ、俺たちはかなり裕福になっていた。
 先月、師匠が謎の少年に襲われるまでは。
 
「僕の義妹になる予定の子が世話になったようだね」と言われたらしい。

 何かやったのか、このペド野郎。

「いや、未遂だ、未遂」

 マジで何かやったのか。お前。
 そしてペドは少年に詰問され、慌てて逃げ出したところをトラックに轢かれたのだ。
 轢かれて異世界へ転生ということもなく、絶賛入院中の治療費大放出中である。

「あのガキ!」と本人は息巻いているが、目撃者によるとただの事故。
 少年は無罪である。有罪だとしても俺が許す。ていうか、トドメさしとけよ。使えねえ奴だな。やっぱ有罪だ。
 それでも師匠は未だに金髪美少女の姿を反芻している。いつの間にか盗撮までしてやがった。そして、パソコンでコラまで作ってやがる。暇か、暇なのか。

 とにかく、仕事に私情は禁物である、ということを師匠は身をもって教えてくれたわけだ。
 俺は同じ轍は踏まない。当たり前だ。
 今日もこれから仕事である。俺は冷静沈着に鑑定し、換金する。それが俺の仕事であり、生きる糧なのだ。

「これをお願いしたいんです」

 しかし、物事には常に例外というものが存在するのである。
 宝石には見覚えがあるような気がする。フェイトが持ってきたものに似ているような気もする。もしかして、出所が一緒なのだろうか。
 なぜなら、宝石を持ってきた金髪お姉さんもどこかしら不思議な、異邦人な雰囲気を身に纏っているのだ。
 もっとも、横にいるのは美女ならぬ褐色筋肉兄貴である。絶対喧嘩したくない。どう見ても強そうだ。
 さらに、この褐色兄貴も何故かあのアルフとかいう美女とどこか雰囲気が似ている。なんというか、肉食というか、獣というか。

「いかほどになりますか?」

 俺は半ば金髪美女に見とれながら、とっておきの甘い声を出す。

「これ以上は、ウチじゃ扱えないね。いや、俺だって鬼じゃない、どうしてもってんなら、考えるけど……」





 そして数分後、特製テーブルが褐色兄貴によって粉砕。
 



[7842] 第四話「銀行口座はあるけど、預金がない」
Name: 黄身白身◆e17d184b ID:5090cc06
Date: 2009/04/26 01:11
 結果として、四人はパーティには出席しなかった。
 いや、できなかったと言うべきだろうか。

 準備段階で、あることに光が気付いたのだ。

 守護騎士の誰一人として、パーティの経験などはない。それどころか、社交的な食事という経験もない。
 尋ねてみたところ、そもそも対等な相手と話すという経験に乏しい。
 遥に格上の相手(主)か、確実に格下の相手(敵)しかいなかったというのだ。

 基本的に、子供がメインとなるパーティに出席させるにはあまりにも無謀すぎる。
 もっとも大人が参加していれば、よりボロが出かねないのだが。

「仲間はずれはあかんよ、お父さん」
「……仲間はずれって。パーティははやてと高町さんとバニングスさんと月村さんだろ? 四人や」

 はやての不審の目に、光は大袈裟に肩をすくめる。

「こっちは僕とシャマルさん、シグナムさん、ヴィータちゃん、ザフィーラ君。五人やで?」
「あ」
「どっちか言うたら、仲間はずれははやてのほうかも知れへん」
「うわ」
「というわけで、仲間はずれ同士で楽しくパーティをするように。ご飯はちゃんと準備するから」
「うん。それはええよ。私が腕によりをかけて作るさかい」
「残念。メインのお寿司はすでに注文済みや。それ以外のものを作ってくれ。デザートとか」
「デザートは、悔しいけどなのはちゃんに勝たれへんような気がする」
「それはしゃーないやろ。向こうはプロや」
「うう。ところで、お父さんらはどこ行くの?」
「そやな。デパートになるんちゃうかな。シャマルさんたちの生活に必要なもんを買おとかなあかんやろ? 一日仕事になってまうかも知れへんけど」

 服だけではないのだ。二人しか住んでいなかった家に突然三人と一匹が増えるのである。それなりの準備はどうしても必要になる。
 食器、寝具、その他、細々した雑貨が必要だ。

「服選ぶんやったら、私も行きたいなぁ」
「行くか?」
「時間、大丈夫やろか」
「まあ、慌てるくらいやったら、またの機会にした方がええな。時間はたっぷりあるし、今日はとりあえず必要最小限なものだけにしとこか」

 嗜好品の類は後回しにすればいい。そのときは、はやてが一緒に行けばいいのだ。

「残念やな。みんなのこと、なのはちゃんたちにも紹介したかったのに。ザフィーラなんか、アリサちゃん大喜びするで」
「別に今日一日しかおらへんわけとちゃうんやし。紹介はいつでもできる。慌てることはあらへん」

 光の言葉に合わせるように、シャマルが言い添える。 

「御尊父の仰るとおりです、主はやて。我らのことは忘れ、お友達と楽しんでください。私たちも、その方が嬉しいです」
「そこまで、言うんやったら……」

 はやてはシャマルの言葉に頷いてヴォルケンリッターを見渡す。そして最後に、光を見た。

「お父さん、がんばってええの探してな」
「はやて。お父さんのセンスなめたらあかん」
「それが不安や……」
「うわ」
「お父さんのセンス、時々暴走するからなぁ」
「待て、ちょう待ちな、はやて。僕のセンス、好評やと思ってたんやけど?」
「時々大当たりがあるのは認めるよ?」

 そやけど、と言いながら、はやては大袈裟に悪戯っぽく肩をすくめる。

「はずれの方が多いんやもん」
「失礼な」
「シャマルもシグナムもヴィータも気ぃつけな。ちゃんと自分で選ぶんやで?」
「少しは父親を信用せんかいな」
「服のセンス以外やったら信用してます」
「うむ。そやったら許す」
「そやから、今日は雑貨とか、当座の必需品だけな。服は私が選んだるから」
「そやけど、二度手間になってまう……」

 光の問うような視線に気付くシグナム。

「我々に否の有ろう訳がありません。そもそも、我々のことで主や御尊父のお手を煩わす気など……」
「あー。もうそういうのはええから、気にしたらあかん」

 これまでのやりとりからか、シグナムはすぐに頷いて言を止める。

「ありがとうございます。しかし、我々の手間などは構わないでください」
「ほな、はやての言うとおりにするか。今日は雑貨や下着やな」

 はやてが首を捻った。

「お父さん、下着売り場行くん?」
「……はやて、何を今更。自分の下着、誰が買うてると思ってたんや?」
「あたしのは子供用やよ? ヴィータはええとしても、シグナムやシャマルの下着もお父さんが買うん?」

 妙齢の女性の……しかも見事なスリーサイズの下着を物色する三十路男。一歩間違えたら立派な変態かも知れない。

「本人が一緒におるんやからな。店員さんに見てもろうてから、適当に見つくろうてもらうわ。来日する時の事故で荷物全部無うなったとか、理由は適当や」
「うん。それがええと思う。私もお父さんを前科者にしたくない」
「なるかっ!」

 光は一足先に家を出て、車を準備する。
 はやての車椅子を運ぶこともできるワゴンなので、ヴォルケンリッターが全員乗ることもできるのだ。
 全員が乗り込んだところで、はやてが玄関まで出てくる。

「帰る前に電話してな」

 頷いた光は、ふと気付く。

「電話言うたら……皆、携帯電話あった方がええんかな? あれ、身分証明がいるで」

 身分証明など、ヴォルケンリッターにあるわけがない。
 仮に何らかの方法で偽造するとしても、今日には間に合わないだろう。

「遠距離通話なら、可能ですよ」

 シャマルが言うと、はやてが不思議そうに辺りを見回した。

「あれ? 今の、シャマル?」
「はい。そうですよ」
「なに? 今の?」

 光は訳がわからない。

「なんや、何があったんや?」
「今、なんか頭の中でシャマルの声が聞こえたんよ」
「頭の中? ……それも、魔法なんか?」
「はい。念話……思念通話と言います」

 シャマルの説明では、魔法を利用とした遠距離会話ということらしい。
 光の頭の中では、現代地球の文明によって置き換えた説明が形作られていく。

「頭の中に携帯入れてるようなもんやな。それ、僕も使えるんかな?」
「さっきから、お父様にも話しかけてはいるんですが。お返事がないということは、聞こえていないのですね」
「え? 全然聞こえへんけど……あ、つまり、僕には無理やと」

 シャマルが光の胸に向けて手を伸ばす。
 慌てたのか照れたのか、光は微かに身じろいで逃げようとする。

「動かないでください。リンカーコアの有無を調べます」

 二分ほど、その体勢でシャマルは動かない。

「……あるかないかで言えば……あるようです。さすがは主はやての御尊父ですね」
「なんか……奥歯に物挟まってへんかな?  はっきり言うてくれてええけど」
「はい。使える使えないで言うならば、使えません」
「へ?」
「絶対的に魔力量が不足しています。あくまでも0ではない。無ではない。ただそれだけなんです」
「銀行口座はあるけど、預金がない。そんな感じ? 魔力は持ってるけれど、僕の魔力では使える魔法がほとんど無い、って解釈でええのかな?」
「というより、皆無です。念話ですら、その魔力量では無理です」
「魔力って増やせる?」
「訓練次第で……しかし、お父様の年齢的にはもう……」

 なんとなく、光はその答えを予測できていたような気がした。

「あー。ちなみに何歳くらいやったら増やせるん?」
「個人差はありますが、才能のある人なら十歳前後からでしょうか」

 つまり、はやてなのだ。

「ま、ええか。君らは、はやてとその念話ッちゅうやつが出来るんやな」
「はい」
「ふーむ。内緒話し放題やな」
「いえ、私たちは、そんな秘密を持とうなどとは」
「や、だから、そんな生真面目に答えんでも……冗談やからな」

 第一、年頃の娘が親には内緒の話を友人と楽しむ。
 自然ではないか。
 まあ、確かに腹が立たないと言えば嘘になるが。親に対する内緒話なんて、どこの子供でもやっていることだ。
 ここは、はやてにそんな相手ができたことを喜ぶべきなのだ。
 光は自分に言い聞かせ、そして確認する。

「念話って、君らは皆使えるんか?」
「はい」
「ザフィーラも?」
「勿論です」
「……ザフィーラ」
「なんでしょうか?」
「君、念話禁止」

 ヴィータが咄嗟に「なんでだよ」と叫んだ。

「正確には、はやてと勝手な念話禁止。もしどうしても必要があって念話する時は内容を一語漏らさず僕に全部伝えること」
「承知しました。しかし御尊父、その理由をお聞きしてもよろしいですか?」
「はやてが僕以外の男と内緒話するなんて、説対に許さへんからなっ! 例え守護騎士でもや!」

 狼の姿のままのザフィーラの口がぱっくり開いた。
 咬みに行くのではない。呆れているのだ。

「あの……お父様?」

 シャマルがおずおずと切り出す。

「念話だけなら、簡易デバイスでなんとかなるかも知れません」
「え? そうなん?」
「はい。試してみなければなりませんので、あくまで可能性のお話ですが」
「や、できるようならそら、試したいわ。お願いしてええの?」
「はい。今夜から作業に取りかかります」
「あ、あのシャマルさん?」
「はい」
「しんどかったり、無理なことやったら、べつにやらんでええんやで? 無理強いはしたないんや」
「大丈夫です。手間はそれほどでもありません。それに、お父様のためになることですから」
「そしたら、頼む」
「はい。任せてください」

 微笑んだシャマルの表情がどこか懐かしく、光は思わず目を逸らす。

「どうかしましたか?」
「や、なんでもあらへんよ。さ、行こか」




 

   続



[7842] 第五話「あたしが? 娘?」
Name: 黄身白身◆e17d184b ID:5090cc06
Date: 2009/05/04 22:06
 土曜日の午後。
 はやてと光はテーブルに載せられた大量の白い物体を前に、腕組みをして考え込んでいる。

「お父さん。これはやっぱり、アレしかないんとちゃうやろか」
「そやな……アレしかないやろな」

 二人の視線がテーブルの上を彷徨う。
 そして、光は呟いた。

「問題は、あの四人や」
「大丈夫やと思うけど……」
「珍しがるのは間違いないな」
「あ」

 はやてが光の心配時に気付いた。

「フライパン、足りへん」
「そや。アレは二人で一つが基本。六人やと、フライパンが三ついるんやで?」
「そや、ホットプレートや。ホットプレート使ったらええやん」
「ホットプレートか……」

 光は組んでいた手を一旦解くと、人差し指で顎を掻く。

「小さいのしかないからなぁ。家族も増えたことやし、買いに行こか……いや、待ち」

 キラン、と父親の目が光ったような気がして、はやては居住まいを正す。もっとも、車椅子なのであまり正されていない。

「六人やもんな。ホットプレートどころじゃ足りへんな」

 光は、海鳴郊外にある大規模DIY店舗の品揃えを思い出そうとする。
 キャンプ用品やちょっとしたアイデア小物など、工夫次第ではやてに役立つ物をよくそこで揃えているのだ。
 しかし、いくら思い出してもその店に「座敷用お好み焼き台」があったという覚えはない。

「……大阪やったら、道具屋筋にいっぱいあるのにな」

 お好み焼き台たこ焼き台イカ焼き台タイヤキ台、本当に揃うのが大阪の恐ろしいところだ。
 そもそも、海鳴近辺でお好み焼き台の需要がどれほどあるのか。
 ただ、大人数や食べ盛りの男の子を抱える家庭では確かに重宝する物だったりする。

「よし、探してくるか」

 光は立ち上がると、台所で洗い物をしているシャマルに呼びかける。

「シャマルさん、ちょっと聞きたいことが」
「なんですか? 光さん」

 守護騎士たちが現れて数週間。光は「御尊父」と呼ぶのを止めさせようとしている。
 その甲斐あってシグナムとシャマル、ザフィーラは「光さん」または「光どの」ときどき「御尊父」、ヴィータは「光」と呼んでいる。
 どう見ても親子ほどの差の相手を呼び捨てるのはどうか、とシグナムは難色を示したのだが、ヴィータの「主のはやてが呼び捨てなのに」という反論はある意味もっともであること、そして光自身が納得しているので何も言えないでいる。
 ちなみにシャマルが「他の人から見るとおかしいのでは?」と尋ねたところ、

「ヴィータは日本人に見えないから。生まれた国の風習だって言えば、そんなもんだと皆納得してくれるよ」

 その説明では、「お子様なので『郷にいれば郷に従え』ができなくても許される」という意味になるのだが、ヴィータは気付かず、シャマルは苦笑した。
 そのシャマルを光は呼び、今から買い物に行くと告げる。

「はい。行ってらっしゃい」
「あ、いや、シャマルさんも一緒に行こかと思って」
「え?」

 シャマルが聞き返し、
 あ。とはやてが呟いた。

「……お父さん、もしかしてデート?」
「あ、アホか!」

 光は慌ててはやての言葉を打ち消す。

「ちゃ、ちゃうちゃう! ほら、この前ヴォルケンリッターの使える魔法聞いたやんか。シャマルさん、捜索呪文が使える言うてはったから」
「ああ、お好み焼き台か」
「そやそや」

 シャマルの目が丸くなる。
 ……えっと
 ……つまり
 ……クラールヴィントでお好み焼き台を捜索せよと?
 さすがにその経験はない。
 というか、可能なのだろうか。

「店員さんに聞いたら?」
「いや、店の中や無くて」
「もしかして、どこのお店にあるかを調べるん?」
「うん。できればお買い得なのを」

 シャマルが遠くを見ていた。
 ……広域捜索
 ……対象・お好み焼き台 条件・お買い得
 ……私の能力って……

 がっくりと肩を落とすシャマルの姿に罪悪感を覚えた光は、後悔の念と共にその肩に手を伸ばした。

「もしかして、駄目なん?」
「駄目というか……そういう物の探索は経験が……」
「ふむ。試してみてはどうだ? シャマル」
「シグナム?」

 半ば笑っているようにも見える表情のシグナムが会話に参加した。

「確かに例がないことかも知れないが、探索は可能ではないか?」

 少し考えるシャマル。






 一時間後。八神家には店仕舞最終決算在庫一掃出血覚悟大放出超割引無敵特価セールで買ってきたお好み焼き台(業務用座敷タイプ)が。

「クラールヴィントにこんな性能があったなんて……」

 主婦の強い味方となったデバイスを見つめながら、シャマルはしみじみ呟いていた。

 一方、お好み焼き台の上には大きなボウルが。
 ボウルには水がたっぷり張られ、その中には、さっきまでテーブルの上にうずたかく積まれていた白い物が浸されている。
 その白い物の正体は市販の切り餅である。
 季節はずれの大量の切り餅は、買い物に行ったシグナムが商店街の福引きで当ててきたものである。当てたと言うよりも、始末に困る余り物を押しつけられたと言ったが正しいかも知れない。
 例えば正月明けに大量の餅が存在した時、八神家恒例フライパン餅の宴が始まる。というよりも、フライパン餅の宴のためにわざと餅を余らせている。
 要は、光とはやての好物なのだ。ただし、カロリーを計算すると恐ろしいことになるので多用は禁物である。

「これ、何?」
「お餅やよ」

 ヴィータの問いに、はやては即座に答える。

「お餅……」

 水に浸されたそれを指で突いてみるヴィータ。

「堅いね」
「すぐに柔こうなるよ。うりっ」

 ヴィータの頬を指で突くはやて。

「こんな風に。うりうり」
「くすぐったいよぉ、はやて」

 くすくす笑いながら、ヴィータははやての頬を突き返す。
 うりうり、うりうり、と二人の頬の突きあいが続く。
 その姿を目にして、光は安心したように笑みを浮かべていた。
 そして、光は思い出す。

 ……はやてに妹か弟が欲しかったね。ごめんね、光くん
 ……アホ言いな。年の離れた妹や弟くらいナンボでもおるやろ。そやから、早よ元気になって、はやての妹や弟作ろや
 ……ごめんね、光くん
 ……謝んなや、なんでやねん、まだやろ。なんで諦めんねんっ!
 ……ごめんね、ごめん……
 ……なんでや、希美さん、なんでやねん、はやての妹作るんやろ? 弟作るんやろ!? はやてを一人にすんのか?
 ……はやてには、光くんがおるもん……
 ……僕一人で、どないすんねや。僕一人で、何ができるんやっ!
 ……ごめんね……
 ……違うて、そこは謝ったらあかんやん、希美さん……希美!!

「……さん?」
「……光さん?」
「光さん?」

 光は、自分の肩を叩く手に気付いた。
 シャマルが、不安そうな目で自分を見ている。

「光さん、どうしたんですか?」

 ようやく、光は自分がぼうっとしていたことに気付く。一瞬、自分のいる場所や時間が頭から抜けていたのだ。
 ああ。
 光は、シャマルの向こうに目をやった。
 ヴィータとはやても、心配そうに自分を見ている。

「なんでもないよ、ただ……」
「ただ?」

 光はゆっくりとヴィータに近づくと、その頭を撫でた。
 ヴィータは驚くが、されるがままになっている。

「娘ができて良かったなと思って」
「……え?」

 ヴィータが驚いた顔を隠そうともせずに光を見上げていた。

「あたしが? 娘?」
「あ……いきなり変なこと言うて御免。嫌やったかな?」
「……い、嫌じゃないけど。でも……」

 あたしは守護騎士なんだ、と言いかけて、ヴィータは気付いた。
 シャマルとシグナム、そしてザフィーラの視線。
 この三人はこんなに優しい表情をしていたのだろうか? 
 ヴィータの奥深く、もう忘れ去ったはずの遠い記憶が疼く。
 あれは……
 そうだ
 これが、三人の本当の顔ではなかったか。
 戦いと殺戮に明け暮れていた悪鬼羅刹な面こそ、嘘の皮ではないのか。
 そして、自分も。
 もう、闘わなくていい世界がある。
 闇の書の蒐集すら、主であるはやてとその父である光は否定したのだ。
 蒐集による力など望まない。ただ、このまま一緒に生きていければいい、と。
 それなら、それに答える言葉は一つしかないではないか。

「あの、あたしは……」

 おずおずと答えようとするヴィータ。
 しかし、ヴィータと光の間に差し出される一本の手。

「あのー」

 はやてが恨めしそうな目で光とヴィータを交互に眺めていた。

「ここに、実の娘がすでにおるんやけど?」
「おおっ」

 わざとらしく、ポン、と手を叩く光。
 その顔は完全に笑っていた。

「そういえば、うちにはヴィータよりも先に……」
「そやそや」
「タヌキを一匹飼うとった」
「タヌキちゃう!! 娘! 娘やから!!」
「ああ、いつの間にか人間の言葉まで覚えて……賢いタヌキやなぁ……」
「ちゃう。ちゃうから、貴方の娘、貴方の娘の八神はやてやから」
「そうそう、タヌキにな、はやてって名前付けてなぁ」
「人間! 人間やから! 私人間やから!」
「おうおう、賢いタヌキやなぁ」

 はやての頭を撫でる光。
 その様子を見ていたシャマルとシグナムは呆れつつ笑い、ザフィーラは大欠伸。
 そして、どうやらツボに入ったらしく、ケラケラと笑い出すヴィータ。

「きゃははははっ。タヌキ!! はやてがタヌキぃ~。はやタヌキぃ~!」

 即製の渾名まで呼んで笑っている。

「む、ヴィータまで!」

 はやても笑いながら、ヴィータの手を取って自分の膝まで引き寄せる。ヴィータは抵抗しない。

「誰がタヌキやて?」
「えへへへ、はやタヌキぃ」
「そんなん言う子は、お仕置きや!」

 膝の上にヴィータを押さえつけ、くすぐり出すはやて。

「うりうり、お仕置きや~。うりうりぃ」
「ひゃ、きゃはははっ! くすぐったい、くすぐったいよぉ、はやてぇ!」
「そしたら、もう言わへんな?」
「うん、言わない。………はやタヌキ」
「また言うたぁ!」
「ひゃあああああ!!!」
「うりうり、うりうり」

 くすぐられて笑うヴィータと、くすぐりながら笑うはやて。
 もはやどちらが被害者かよくわからない。

 

 ちなみにフライパン餅の宴は、餅を半日水につけておく必要があるので日曜日開催である。




  第六話に続く 



[7842]   番外編その一・前編「中島家」
Name: 黄身白身◆e17d184b ID:5090cc06
Date: 2009/05/07 02:13

 案内された部屋は充分に整頓されていた。
 数日の逗留には勿体ないと感じられるほどだ。

「短い休暇ですよ」

 それが、男が案内役の彼女にかけた最初の言葉だった。
 
「そうですか。それでは、その間だけでも、しっかりお世話させて世話させてもらいます」
「いや、手間をかけさせるつもりはない」

 一人が性に合ってます。と男は笑い、彼女は頷いた。

「しかし、お客さんを放っておいたら、私が怒られてしまいます」
「俺からも言っておく。だから、構わないでくれる方がありがたい」

 確かに、構おうとするのはわかる。自分は、この辺りでは珍しい存在なのだろうから。
 なにしろ、イギリス人だ。一見でも地元の人間ではないとわかってしまう。
 そのうえ、実は地球在住でもないと来ている。
 しかし、日本は初めてではないのだ。
 その証拠に、これだけ日本語をはっきりと話しているではないか。

「日本語、お上手ですね」
「この街は初めてだが、日本には何度も来ているよ」

 日本語は充分に話せる。それは通訳魔法のおかげではない。
 ギル・グレアムは、元々日本語に堪能なのだ。
 それでも、女は執拗だった。

「せめて、案内だけでも」
「案内も結構だ。必要なら自分でなんとかする」

 一応、グレアムは言葉を継いだ。

「必要なら助けを借りるが、それまでは一人にしておいてくれ」

 そこまで言うと、ようやく女は下がろうとする。

「何をしている?」

 女の後ろ、ふすまの向こう、グレアムには見えていない位置から声が聞こえた。
 グレアムには聞き覚えのある声。

「信司さん?」
「何をしているのかと聞いているんだよ」

 姿を見せたのは、グレアムがこの街を訪れた理由の一つ。地元に代々続く名家の一人息子だった。

「あの、お客さんが……」
「世話をしろって言ったはずだよな」
「は、はい、でも…」
「言い訳かい? 無能なやつほど言い訳をするって言うけど、お前がそれだな」

 次の瞬間、グレアムは手を伸ばして女を引き寄せた。

「おいっ」
 
 信司がグレアムを睨みつける。その足は、さっきまで女の身体があった空間を虚しく通り過ぎていた。
 グレアムが手を出さなければ、女は正面から蹴り飛ばされていただろう。

「余計な真似は止めてくれないか? それは、ここの女だ」
「それ?」
 
 一瞬、グレアムは自分の日本語の語彙力の問題かと思った。
 いや、違う。念のために発動させているデバイスが、ニュアンスまで正確な翻訳内容を伝えているのだ。
 確実に、この男はこの女性を物扱いしている。

「それ、とは聞き捨てならないな。彼女は物ではない」
「ああ、そういうことか」

 信司はグレアムに目を向けると、大仰に手を振った。

「おい、燕、教えてやれ。お前は誰の物だ?」

 彼女の名前は燕というのだと、グレアムはその時知った。

「私は信司様の持ち物です」
「ほら。本人が認めている」
「初耳だな。この国に未だ奴隷制度があるとは」
「知らないよ、そんなことは。だけど、燕が僕の物だということだけは確実だ」

 グレアムは座ったままで信司を見上げる。いや、見下げている。

「な……」

 信司は足下が揺れるような感覚を覚えた。
 確実にグレアムの視線は下から向けられている。それなのに、この感覚は……。
 まるで、上下が逆転して、遥か高みから見下ろされているような感覚は。
 そうだ。見下されているのだ。嘲られているのとは違う。ただ、存在として自分より下だと判断されているのだ。

「お前」
「俺はただの客だ。お前たちの関係をどうこう言うつもりはない」

 グレアムはゆっくりと立ち上がる。
 その言葉に嘘はない。現地の人間関係に気まぐれに介入する自由など今のグレアムにはないのだ。
 この家……佐久良家に代々伝わる家宝。それを回収するのがグレアムの今回の任務であり、久しぶりに日本へやってきた理由だ。
 この世界だけではない。管理外世界に、それと知られぬまま放置されているロストロギアの数は決して少なくはない。
そのほとんどはその正体すら明かされることもなく、ただの古代遺物として各世界では認識されている。
 佐久良家に家宝として伝えられている物も例外ではない。
 一族にとってはそれはロストロギアという代物ではなく、ただ古くから伝えられている工芸品に過ぎない。勿論、家宝としての価値は別だ。
 グレアムはできるだけそれを合法的に入手しなければならない。
 もし、害がないとわかれば放置していても構わないだろう。しかし、害を為す可能性があるならば処理しなければならないのだ。
 次元航海中に次元嵐に巻き込まれ、分散した積荷が様々な次元世界に漂着するというのはそれほど珍しい話ではない。
そしてその一つが何も知らない現地民にとって希少品として扱われることもあり得ない話ではないのだ。
 数百年単位で放置されていた品である。最近になってようやく所在が突き止められたのだ。ロストロギアと認定するほどの力が残っているとは限らない。
というより、力を失っていると見た方が自然だろう。だからこそ、グレアムは単独でこの地にやってきたのだ。

「しかし、俺が滞在している間は止めてもらいたい。はっきり言って、不愉快だ」
「知った事じゃないね。佐久良家の次期当主は僕なんだから」
「言葉でわからないなら、別の方法を考えるまでだが?」
「はっ。言葉で駄目なら暴力かい。英国紳士の名前が泣くね」

 信司は、手を伸ばし、まるで犬でも呼ぶかのように燕を招く。

「さあ、来いよ、燕」
「黙れ」

 グレアムは信司に対し、拳で応えたのだった。




  ――その三日後の夜

「馬鹿だろ、お前。何のために知り合いの手紙偽装したんだ。これからどうやって内部に入る気だ」

 同僚からのデバイス通信に、グレアムは拳をつきつける。

「あそこで黙っているような男はもっと馬鹿だ」
「……いやいや、他にも方法あるだろが」
「思い浮かばなかったな」
「嘘付け! お前が腹立って殴りたくなっただけだろ!」
「任務は果たした。言われる筋合いはない」
「結果オーライかよっ!」

 結局、調査の結果、家宝となっていた物は放置したとしても実害はないということはわかった。
 ちなみに、次期当主を殴ったグレアムだったが、現当主には却って感謝され、家宝を調べることができたのだ。
 ただし、さすがに宿泊は断られた。

「……お前な。自分が執務官長だって忘れてないか? 手順はあっさり無視するわ……」
「給与明細を見るたびに思い出してるよ。ちゃんと役職手当が付いてるかどうか確認しているからな」
「副官としてフォローする身にもなれ」
「それは謝るよ。ところで、友人としては?」

 グレアムが問うた。
 デバイス通信の向こうから、含み笑いが聞こえてくる。
 
「よくやった。あんな男はぶん殴って当然だ」
「さすがは我が友だ、スレイ・ハラオウン執務官」
「俺じゃなきゃとっくに見限ってるよ、ギル・グレアム執務官長殿」
「感謝の印に、クライドにおみやげ買っていってやるよ」
「そいつはうれしいが、急ぐ必要はないぞ、そのまま休暇に突入しろ」
「大きなお世話だ」
「はっ。そうでもしなけりゃ、休暇とらないだろ。上司が休まないと部下だって休めないんだ、少しは考えろ」
「わかった。感謝する」

 グレアムは通信を終えると、すでに敷かれてある布団の上に寝転がる。
 休暇というのはあながち嘘ではない。今回の任務そのものはごくごく簡単な物だったのだ。そして、完了すればそのまま現地で休暇という手筈になっている。
 だからこそ、地球出身の詳しいグレアムがやってきたわけだ。さらには、無理矢理休暇を取らせようという副官の企みもある。
 グレアムは、その行為を素直に受け取ることに決めた。

 少しして身を起こす。
 宿屋の主人に、今夜は祭りだと教えてもらったことを思い出したのだ。
 せっかくの休暇である。宿屋で夜を過ごすのもつまらない。グレアムは簡単に身支度を整えて、宿屋を後にした。
 
 そして、再び燕と信司に出会う。
 あくまでも、燕を所有物として辱める信司の姿にグレアムは本気で怒っていた。
 信司は、人の怒りのわからない男だった。いや、彼に対して本気で怒る者はいても、怒りを継続させて立ち向かった者はいなかったのだろう。
 立ち向かうグレアムを信司は、最初は不思議そうに眺めていた。ついで、燕を救おうとする姿を嘲笑した。その後、取り巻きが全て倒された時に初めて恐怖した。

「な、なんなんだよ、お前。僕に関係ないだろ! 燕に関係ないだろ! なんなんだよ、お前!」
「言っただろ? 俺がここにいる間は自嘲しろって。不愉快なんだよ」
「だから、お前は関係な…」

 それ以上言わせず、殴り倒す。信司は悲鳴すら上げず、倒れてしまった。

「……燕さんとか言ったな。一緒に来い」

 半ば無理矢理、グレアムは燕の手を引いて宿屋に戻った。
 スレイがいれば目を剥いただろうが、構うことはない。現地に干渉はしたが、魔力は使ってないのだ。いや、そもそも自分は地球の出身だ。干渉して何が悪い!

 話は簡単な物だった。
 燕の実家……中島家は、この辺りでは佐久良と並ぶ旧家だという。しかし、中島は没落寸前で、佐久良の援助でようやく名を保っているに過ぎないというのだ。

「名を保たなければならないような、たいした家系でもないんですけどね」

 元々、絶えていたはずの家系だった。幕末の頃、一家の跡取りが神隠しにあって忽然と消えたのだ。
 言い伝えでは、姿を消す少し前に天狗に出会ったと言われているが、そんな言い伝えはどこにでもある。ただ、消えたことに間違いはない。
 そのとき、一人残った娘に佐久良から養子を迎え、家名は残った。それ以来、中島は佐久良には逆らえない。
 そんな家でも、自分の代で絶やすわけにはいかないと燕は寂しく笑う。祖父母や父母の涙は見たくないと。

「一人娘を奴隷として扱われる方がよほど屈辱ではないのか」

 燕はただ、首を振るだけだった。グレアムには何も言えない。
 自分の出自を考えれば、家名を残す意味というのもわからないではないのだ。

「貴方はどう思うんだ。そこまでして名を…自分の家の名を残したいのか」
「そういう風に、育てられたんです」

 自分だけではない、周りもそんな風に自分を見ていた。
 佐久良の家に連れて行かれる中島の娘。ものごころついた時から、それが自分の人生だと教えられてきた。
 時代錯誤だと思ったこともある。反発したいと思ったこともある。逃げようとしたこともある。
 だが……
 自分が中島の娘であるということだけは変えられなかった。

「馬鹿馬鹿しい」

 それがグレアムの正直な感想だった。
 しかし、と考える自分もいる。
 自分が地球という世界から離れた存在だということはわかっている。
 これは、ミッドチルダにいるからこその言葉ではないのか。燕の軛を外すようなことが自分にできるのか。それとも、安全なところから好き勝手を言うだけなのか。

「少し、一緒にいてくれないか」

 そもそも、どうして自分は彼女を助けようとしたのだろう。
 信司の言葉に反発したから。それだけなのか?
 それとも……

 二人は三日を共に過ごした。
 どうとでもなる。とグレアムは高をくくっていた。
 最悪でも、イギリスへ連れて行くことができる。ミッドチルダが駄目だとしても、イギリスまで信司の手は伸びないだろう。
 燕さえ、家を捨てられるなら。

「すぐに戻ってくれ」

 三日ぶりのスレイからの通信に、グレアムは首を振る。

「休暇はあと三日ある。きっちり消化していくぞ」
「緊急事態だ。本部に詰めてくれ」
「君なら対処できる」
「“闇の書”でもか?」
「なに?」
「それでも俺に任せるか? 執務官長殿」
「なんで、そんなものが……」
「それを調べるために呼んでいる。迎えがいるか?」
「必要ない。現地協力者に連絡して転送準備を頼む」
「わかった」

 グレアムは燕に、状況――正体を明かさない程度にぼかした物――を伝える。

「俺は必ず戻ってくる。だから、待っていてくれ」
「……はい」




 結果として、“闇の書”はとある管理外世界で消滅した。
 グレアムの帰還は無意味に終わったのだ。
 しかし分析の結果、次に“闇の書”が現れた場合の対処法が確立されることとなる。
 もっとも……それすら無駄だとグレアムは痛感することになるのだが……




 ようやくグレアムが戻った時、燕の姿はなかった。
 佐久良家にも、中島家にも。





 番外編その一・後編「八神家」に続く 



[7842] 第六話「それほど……迷惑でもない」
Name: 黄身白身◆e17d184b ID:5090cc06
Date: 2009/05/07 02:16
 八神家、フライパン餅の宴が始まった。


 お餅を水に、半日ほど浸す。
 フライパンを熱する。
 油を引く。
 適量のお餅を置く。
 熱くなってトロトロになったお餅を、フライパンの上で伸ばす。
 伸ばしたところで、砂糖醤油を好みによって塗りたくる。
 適当な時間を見てひっくり返す。
 さらに砂糖醤油を塗る。
 しばらくするとできあがる、表面はカリカリで中はトロトロのお餅。
 そのままフライパンを食卓へ。
 木皿の上にでも載せ、スプーンやフォークではふはふまっくまくっと一気に食べる。

 これが、八神家のフライパン餅である。
 
 ちなみに、今回はシャマルによって見いだされた業務用お好み焼き台座敷タイプがあるので、そちらで焼くことになる。
 何しろ、六人分なのだ。
 ザフィーラすら、人型になっている。狼型で餅を食べるのはちょっと難しいためだ。

「凄いな」
「うん」

 光とはやては、鉄板上で伸ばされていく餅の姿に目を奪われ、畏怖を覚えていた。
 これだけの量のフライパン餅は初めてである。
 でかい。広い。大きい。伸びる。ひたすらに伸びる。
 さらに、辺りに漂う砂糖醤油の焦げた香ばしい匂い。ヴィータに至ってはきらきらした瞳で鉄板を眺めている。

「まだかな」
「まだや。落ち着け、ヴィータ」
「そや、焦ったらあかん。焦ったら美味しゅうないよ?」
「うん、待つ。ぜってぇ待つよ」

 様子を見ていたシャマルが、声をかける。

「光さん。飲み物はどうします?」
「んー。餅には牛乳やな」
「はやてちゃんは?」
「私も牛乳」
「あ、シャマル、あたしも牛乳」
「はーい。シグナムとザフィーラも牛乳で良いわね」
「ああ」
「異議はない」

 六人分のコップをお盆に載せて、シャマルは冷蔵庫を開ける。
 その姿を見たシグナムが声をかけようとするも一瞬遅く、

「シャマル!」
「あ」

 バランスを崩して、コップが盆から滑り落ちる。さすがに六つ一度に運ぶには無理があったようだ。
 何とか冷蔵庫を閉じて、盆を支えてコップの半分は保つ。しかし、残りの半分は見事に床で割れている。

「ごめんなさいっ」

 慌てて破片を始末し始めるシャマル。

「慌てたらあかんよ、破片で怪我してもつまらん。シャマルさん、僕が片づけるから」

 光の言葉に余計慌てるシャマル。シャマルからすればこれは不始末である。しかもその不始末を、いかに慣れたとはいえ主の父親に片づけさせるなど言語道断である。

「い、いえ、大丈夫です……あ」

 シャマルの指先から赤い血が流れる。破片で指先を切ったのだ。 
 光は鉄板をはやてに任せると、そそくさと立ち上がりシャマルの手を取った。

「絆創膏、あったよな」

 戸棚から絆創膏を取り出して、手当を終える。

「あ、あの……」
「ん? どしたん?」

 シャマルの問いかけに、光はコップの破片を拾いながら聞き返す。

「あの……ごめんなさい」
「ああ、ええよ。別に。不注意は誰でもある。それより、シャマルさんは大丈夫? 指以外は怪我してへんか?」
「はい。あの、本当にごめんなさい」
「だから、気にせんときて。それより、牛乳を持ってったって。はやてとヴィータが喉詰まらせる」
「なんだよ」

 いつの間にか、ヴィータが光の隣でコップの破片を拾っていた。

「あたしだって、拾うよ。お手伝いできるよ」
「そっか。助かるわ、ヴィータ」
「当然。あたしだって……その……」
「ん?」
「……なんだから」
「ん?」
「いいから、さっさと片づけてお餅食べるんだよ」
「ん~」

 光は黙っていることにした。
 ヴィータの小さな声が聞こえた事なんて、自分一人の胸にしまっておけばいい。

「娘なんだから」

 それはまだ、ヴィータにとっては内緒なことだと思ったから。
 光は集めたコップの破片を古新聞で包んでグルグル巻きに、それをスーパーの買い物袋に入れて棚の横に置く。
 手を洗うヴィータの姿を確認して、再び餅の方に戻ろうとして、光は気付いた。

「どしたん?」

 シャマルが、絆創膏の巻かれた指をなにやら意味ありげに眺めている。
 さらに、ヴィータも絆創膏を見て首を傾げ、何かを思い出そうとしているかのように目を細めている。

「うずくんか?」
「あ、いえ、なんでもありません。……あの、こういうものを見たのが始めてで」
「初めてって……ああ、そっか。この世界の知識はあるけれど、実際に見るのは初めてなんか」
「はい。そうなんです。……これは、治療に使われるありふれたものなんですよね?」
「そや。それ自体は珍しいものやないし、指に絆創膏巻いてるんも、特に珍しいことやない」
「そうですよね、勿論」

 シャマルとヴィータの反応に首を傾げながら、光は餅焼き作業に戻る。
 数十分後、大量の餅は六人の胃に無事収まり、ダイニングに続いたリビングのソファでは左からヴィータ、はやて、光の順番でだらしなく、しかし幸せそうに背もたれに身体を預けて座っている。
 そして、準備には関わっていなかったザフィーラ、シグナム、シャマルが後片付けを始めている。
 ザフィーラがお好み焼き台を隅へと運び、シャマルが洗い物。
 そのシャマルの元へ皿を運びながら、シグナムが念話で尋ねた。
 
(何故だ?)
(何がです?)
(その程度の傷。すぐに消えるだろう)

 守護騎士プログラムである。戦闘での大きな傷ならまだしも、多少の傷はすぐに消えるはずだ。
 仮に消えなくとも、シャマルの魔法ならそれこそ一瞬で治療できる。
 何故自分で治療しなかったのか。シグナムはそう聞いているのだ。

(せっかく、光さんが治療してくれたんですから)
(御尊父にいらぬ手間をかけさせてしまっただけに見えるが)
(シグナム、貴方は堅すぎます)
(しかし……)

「あっ! 思い出した!」

 半分うとうとしていたヴィータが、何かに気付いたように大声を上げる。

「シャマル、それって……」
「ヴィータちゃん!」

 シャマルが慌てるが、それより早くヴィータが立ち上がる。

「その指って、たしか古代ベルカの……結婚の証だっけ?」
「はいっ!?」

 光が振り向いた。

「指って……絆創膏!? 結婚!?」

 頷くヴィータ。

「あれ? 結婚じゃなかったかな。えーと……なんだっけ。なあ、ザフィーラ?」
「……私に振るくらいなら最初から口に出すな、ヴィータ。お前が言うのは求婚の証だ」
「うるせえなぁ。ど忘れしたんだから、しょーがねえだろ」

 ザフィーラは狼の口で器用に溜息をつくと、慌てるシャマルの方を見て、説明を始めた。

 古代ベルカの地ではどこにでも見られた、ごくごく平凡な花がある。それは取り立てて美しいというわけでも有用というわけでもない。
 ただ、いつの頃からその花にはある役割が生まれた。
 男が女に求婚する際には、その花を相手の指に巻くのだと。それが古代ベルカで行われてた求婚の証だと。
 そして戦乱の中で花を巻くという行為は失われ、花に限らず男が自分の持ち物を女の指に巻くというのが求婚の証となったのだ。

 ザフィーラの話を聞いた光は、予想外の出来事に唖然とした顔で呟いていた。

「いや、それは、偶然というか……そういう意味は……」
「勿論、それはわかっています。光さんが古代ベルカの風習を知っているとは思いませんし、守護騎士プログラム相手にこんなことをするとも思っていません」
「シャマルさん……」
「そんな資格のない私が一瞬でもそんな想いができたことが嬉しかった。ただそれだけです。……ご迷惑ですね。ごめんなさい」

 突然、はやてが叫んだ。

「シャマル、それ違う!」

 光がその言葉に続けるように言う。

「そや。はやての言う通りや。それは違うで、シャマル」

 絆創膏を剥がそうとするシャマル。光はそのシャマルの手を取った。

「確かに、僕はそんな風習は知らんかったし、だから、その絆創膏はそういう意味やない。それは正しい。せやけど……」

 絆創膏をさらに包むように、光はシャマルの指を優しく握っていた。

「プログラム相手とか、資格がないとか、それは絶対に違う」
「そやよ。シャマルにそんなこという人がおったら、私が許さへん。主としてやない、家族として、絶対に許さへん」

 はやては、残る三人をぐるりと見渡した。

「ザフィーラも、ヴィータも、シグナムもや。そんなことをあんたらに言う人は絶対に許さへん。そして、そんなことを自分で言うのも絶対禁止や」
「僕からも同じ事を言わせてもらう。八神の家長として絶対に譲らへん。シャマルさん、シグナムさん、ザフィーラ君、ヴィータ、君らは、誰がなんと言おうと人間や」

 シグナムが何か言いかけるのを仕草で制する光。

「前にも一度言うたけれど、君らがわからんのやったら何度でも言うたる。一応、人に物教えて飯食うてる身やからな。
ええか、少なくとも、僕とはやては君らを人間として扱う。君らが、なんと言おうともや! それが気にいらん言うんやったら、文句は聞いたる。
せやけど、僕は絶対否定せえへんからな、君らが人間やいうことを」

 シャマルは自分の指を握る光の手を、残った手でさらに包む。

「光さん……」
「そやから、シャマルさんにはそんなことは言うてほしくない。それに……」

 光が言葉を止めた。

「……その……なんというか……実は……それほど……迷惑でもないというか……その……や、そういう意味ではないんやけど……その……」

 シャマルはニッコリと微笑む。

「はい」
「あ」
「はい?」
「いや、その……」
「はい」

 あくまでも光の手を握りしめたまま、シャマルは微笑んでいる。

「ありがとうございます」
「う、うん」
「あー、もしもし?」

 はやての呼びかけで、二人は慌てて離れるのだった。


 
 




 
 なかがき

   この一日はまだ終わりません。
   夜、シグナムとの真面目な話が……



[7842]   番外編その一・後編「八神家」
Name: 黄身白身◆e17d184b ID:5090cc06
Date: 2009/05/10 01:28
「中島燕? ……ああ、佐久良の坊ちゃんを裏切ったんだ。仕方ない」

 大同小異。細かい部分は違っていても、町の誰に聞こうとも答えは同じだった。
 グレアムが町を離れてわずか数ヶ月。
 その数ヶ月で燕の痕跡は何も残されていないのだ。それどころか、中島家の者も誰も知らないと言う。

「酷なこと、しなさんな」

 細い糸をたぐった先に出会った一人の老人は、グレアムに言う。

「あんたが嗅ぎ回れば嗅ぎ回るほど、中島の残った者が困ることになる。困らせたくないからこそ、燕ちゃんは消えたんじゃろうに」

 一つだけ、とグレアムは問う。燕の裏切りとは何だったのかと。
 問うた顔を厳しく睨みつけ、老人は答えた。

「腹が大きくなったんでな。捨てられたんじゃよ」

 それは信司の子ではないのか。信司は燕と関係があったはずではないのか。
 少なくとも、グレアムは燕にそう聞いている。

「坊ちゃんには許嫁がいてな。来年結婚する予定じゃった」

 妾になるはずの女が、本妻ができるよりも先に子を産む。
 普通なら、後先を考えない男が馬鹿だ。
 だが……

「……どこかの馬鹿が、抜け道を与えちまった。できた子は、坊ちゃんでなく余所者との間にできた子じゃと」
「……俺は……」
「身に覚えがないとか、あるとか、そういう問題じゃねえ。そう言わせてしまうようなことをしたどうしようもない馬鹿がいた。それだけじゃ」

 老人の目に射すくめられたかのように、グレアムは固まっていた。
 一つ一つの言葉が鈍い刃のようなもので内臓を貫く錯覚。緩慢な、しかし確実な損傷が己の体内と錯覚するまでに精神に刻まれる。

「そのうえ、その女を捨てて自分一人で出て行った大馬鹿。最低の男じゃ。後始末もできんのに、かき回すだけかき回した大たわけじゃ」

 言い訳など、できるわけもなかった。
 任務。闇の書。管理外世界。
 それが、どうしたというのか。
 中島燕という女の人生に、それがどう関わっていたというのか。
 関わらせたのは自分ではないか。
 状況を悪くしてその場を逐電したと言われてもなんの申し開きもできない。自分は、本当に大馬鹿だ。
 だから、ただ一つだけ。
 ただ一つだけの問いに、グレアムは気力を振り絞る。

「今からでも間に合うのなら、その馬鹿は彼女を救いたいと思うでしょう」

 しかし、老人の言葉はグレアムを打ちのめす。

「迷惑、じゃな。燕にも、儂にも」

 目の前から消えてくれ。
 老人の言外の責めにグレアムはただ、顔を背けるだけだった。





 

 
 生協食堂の隅。窓際の席につくと、希美は唐揚げ定食の食券をポケットから取り出した。
 自分の席は確保。後はカウンターまで取りに行くだけなのだが、それが億劫だった。
 カウンター周りの人の多さには未だに慣れない。
 それでも、早く食べなければ午後の講義には間に合わない。
 そして、食券の期限は今日まで。食券を無駄にすることは苦学生の身としては考えられない。そもそもこの食券自体、自費で購入したものではない。
学生新聞への投稿謝礼としてもらった五枚綴りの食券。その最後の一枚なのだ。徒や疎かにはできない。
 下手をすると、今週の肉類はこれが最後かも知れないのだ。
 心の中で覚悟を決め、人混みに突入しようと……
 突然目の前を横切った白衣の男にぶつかる。

「あ」
「ん?」

 男の疑問とともに、食券が希美の手から離れ、窓へと。

「ウチの唐揚げ!」
「は?」

 男の第二の疑問とともに、食券は窓の外へ。

「鶏肉!」

 窓の外、建物横には勢いよく水の流れる溝が。
 そして、流される食券。
 あまり食堂を利用しない希美は知らないが、この生協食堂では割とよくある事故である。だから、窓際の席は空いていることが多いのだ。 

「あ? やってもうた?」

 事情を知る男は頭を掻きながら、笑って希美に向き直る。

「ごめん」
「……ウチの唐揚げ……」
「あの、もしもし?」
「最後の食券……」
「だから、ごめんて」
「……最後のお肉」
「あの、僕、八神光言います」
「……ご飯……」
「奢るわ」
「今のはスペシャルステーキ定食デザートコーヒー付きの食券やった」
「唐揚げちゃうんかっ! っていうか、そんな食券あるかいっ!」
「ちなみにデザートはモンブランとプティングやよ」
「人の話聞かんかい」
「なに?」
「今、唐揚げ、言うたやろ」
「ふーむ。言うたかもしれへんね」

 希美はニッコリと笑った。

「せやけど、それはただの夢や」

 それが、中島希美と八神光の出会いだった。





 ウチは、母一人子一人やった。
 お母さんは、いつも言うてた。

「希美。お前のお父さんは、外国の人なんだよ。私が本気で好きになったただ一人の人」

 ロマンティックな話やと思ってたら、

「一回しか会ったことないけど」
「え」
「一回だけ、三日間だけ。その間だけだったけれど、一生忘れられない人だった。初めて、私を人間として扱ってくれた人だから」

 見たこともないお父さんを私は恨んだ。だって、お母さんを捨てた人やから。
 生活が苦しいとか、そんなことはどうでもええの。ただ、お母さんを捨てたことだけは絶対に許さへん。
 お母さんが死ぬ時、一つの貯金通帳を渡された。
 ウチの名義で作ってある通帳には、結構な金額が入っている。それは、母の稼ぎではあり得ない金額だった。

「何年か前から、お金を送ってくれる人がいたの。きっと、お前のお父さんだよ」

 だったら、なんで姿を見せへんの。そんなん、ただの卑怯者やないの。
 ウチはこんなお金、絶対に使わへん。そんな男の送ってきたお金なんか、死んでも使ったらへん。

「駄目だよ。あの人には、あの人の都合があるんだから」

 なんやの、都合って。女に子供まで産ませて、それで放っといて、思い出したようにお金だけ送ってくるんが、なんの都合やの。
 そんなん、ただの身勝手やん。なんて、そんな男好きになったんよ、お母さん。
 三日て……三日てなんやの。そんなんで、何がわかるんよ。

「関係ないんだよ」

 お母さんは静かに言うた。

「何年いたって、私には信司さんの心なんてわからなかった。だけど、あの人の心はすぐにわかったもの」

 あの人ってお父さんやの? 信司って誰やの?
 そんなん、ウチにはわからへん。わかりとうもない。
 そやから、ウチにはお父さんなんかおらへん。ウチにはお母さんだけなんや。

 お母さんがいなくなっても、お金は届けられていた。
 ウチは考えた末、そのお金を使うことにした。使い道は一つ。お父さんの正体を知るため。
 そして、お母さんの故郷の話、中島家と佐久良家の話をウチは知った。
 当時の状況を聞き出して、ようやくわかったことがある。いや、わからなくなったことがある。
 ウチは、本当は誰の子なんやろ? ウチのお父さんは誰なんやろ?
 お母さんを酷く扱った佐久良信司。
 そのお母さんの前に現れて、数日で消えたギル・グレアム。
 状況だけを見れば、ウチの実の父親はどっちでもあり得る。
 ただ、一つ。佐久良信司よりはギル・グレアムの方が、お母さんにはましに見えたんやろということは想像できた。
 だから、お母さんは信じたかったのかも知れない。ウチの父親がグレアムやと。
 佐久良はただ、お母さんを捨てただけなんやと。
 ウチは、お母さんに教えてもらった住所に手紙を書いた。それはイギリスの私書箱。それだけでは相手がどんな人間かはわからへん。もしかすると、イギリスていうのもフェイクかもしれへん。
 返事の代わりにやってきたのは、ウチと同じくらいの歳の綺麗な女の人やった。
 名前は、リーゼアリア。多分、グレアムの娘。

「父様は仕事の都合でこちらに長期間滞在できないので、私が代理にやってきました」

 リーゼアリアは日本語を達者に話す、どこか猫を思わせる美人やった。

「もしかすると、貴方は私の姉妹かも知れません。もし遺伝子検査などをして調べたいのなら、否はない。調査には最大限協力する。そう父様は言ってます」

 きっと、お母さんはそれを求めてない。とウチにはわかってた。そして、ウチにとってもそれはどうでもええことやった。

「ウチには、お母さんがいますから」

 だから、お父さんはいりません。ウチには、必要ない人や。

「そうですか」

 そして、リーゼアリアは笑った。

「私たちにも、母様はいないんです」

 だったら、と言いかけてウチは口を閉じる。あの人にはあの人の都合がある。それがお母さんの言葉やった。
 そやから、そういうことなんや。ウチが干渉する事なんて、何もない。そして、干渉されることも。
 ウチは、これ以上のお金は必要ないと宣言した。
 リーゼアリアは、これまでのお金の返却は必要ないと言う。それに関しては素直に受け取ることにした。それで縁が切れるのなら、別にええと思ったから。 

「それでは、失礼します」

 もう、会うことはないやろね。
 ウチは、リーゼアリアに別れの言葉を告げる。
 






 その事実を自宅の居間で伝えられた時、リンディは静かに答えた。

「覚悟はしていました」

 提督とは、部下を働かせて自分はデスクに陣取っている。というものではない。上に立つ者が前線にて出こそ、部下を率いることができるのだと。
 それが、亡くなった夫のやり方であることを彼女はよく知っていた。
 だから、覚悟をしていなかったと言えば嘘になる。
 だから平気だと言えば、これも嘘になる。
 それでも、ある意味ではリンディはまだマシだったのかも知れない。そこには、クロノという息子がいたから。

「私が言えることではないかもしれん。だが、何かあればいつでも言って欲しい」
「ありがとうございます」

 責められると思っていた。
 いや、責めて欲しいと思っていたのかも知れない。責めてもらえたのなら、もっと楽な気持ちになっていたのだろう。
 グレアムは、かつて親友だった男の息子の死を、自らその遺族に伝えていた。

 自宅に戻ったグレアムを、リーゼ姉妹が出迎える。

「父様……お休みになった方が」
「父様、休んだ方が良いよ」

 グレアムは何も言わず、ソファに横たわるように座り込んだ。
 リーゼアリアの運んだ紅茶には目もくれず、天井を眺めている。

「私は、何をしているんだろうな」
「父様?」
「結局、大切な者は誰も救えない」

 生涯ただ一人、もしかすると愛していた女。自分の息子のようにも感じていた、親友の息子。
 皆、いなくなってしまった。

「父様は、管理局の歴戦の勇士だよ」
「たくさんの人を護って、救ってきました」
「……見ず知らずの人たちをな」

 グレアムは大きく沈み込むように伸びをした。

「手の届かないところにいる人を、顔も知らない人を救って……自分の知る人は誰も救えない……滑稽だな」
「滑稽なんかじゃありません」
「では、私は弱いんだ」
「父様が弱いわけない!」
「ロッテの言うとおりです!」
  
 姉妹の剣幕に、グレアムは顔を上げた。
 父様を悪く言う者は例え父様自身でも許さない。
 その、どこかおかしいような剣幕に、ついグレアムは微笑んでしまう。

「そうか。私は弱くないか」
「そうだよ」
「そうです」
「……そうだな……」

 スレイがいなくなり、クライドがいなくなっても、クロノがいる。彼を助けることはできる。
 そして、燕がいなくなっても希美はいる。
 世代は続いているのだ。

「もう一度地球へ行ってくれないか。あの子の様子が直接知りたい」

 名前は出なくても、リーゼたちにはわかる。それが、中島希美の消息であることが。

「許可が取れ次第、行ってきます」
「それからもう一つ。これは確定ではないが、君たちに魔法と体術の教師になって欲しい」

 二人は顔を見合わせる。そして、リーゼアリアが頷いた。

「クロノ・ハラオウンですね」
「ああ、クロスケか」
「多分彼は、クライドの後を追うだろう。リンディも止めないだろうからね」

 二人は力強く、頷いた。





 
 ……こんなのって有りなのか……

 リーゼロッテは心の中で呟いていた。
 これでまた、父様の護りたい人が一人いなくなってしまった。
 彼女の視線の先には、墓が一つ。
 八神(旧姓中島)希美の墓が。

 残されたのは、夫と娘。
 希美の命を奪った事故によって、残された娘は両足が動かせない身体となっている。

 酷い話だ、とリーゼロッテは思う。
 この世界はいつだって、こんなはずじゃないと言いたくなることばかりなのだ。
 護られてしかるべき人に限って、すぐにいなくなる。
 心底から信じているわけではないが、呪われているのかと毒づきたくもなるだろう。
 良い偶然は本当に偶然だが、悪い偶然は常に重なるものなのだ。
 
 八神はやての成長過程を報告。そのために来たはずなのに、今回の報告は陰鬱なものになってしまう。
 小さく溜息をつきつつ、リーゼロッテは猫の姿になって八神家へと近づいた。
 
 そして、窓の外からそれを見つけたのだ。

 ……なんで?
 ……なんであんなところに……
 ……なんであんなものが……
 ……どうして……
 ……どうして八神家に闇の書が!?

 戻ったリーゼロッテの報告を聞いたグレアムは、放心したように虚空を見つめている。

「父様……」
「父様……」

 姉妹の呟きも聞こえていないかのように、グレアムの視線は虚空に固定されていた。

「……そうか……」

 ゆっくりとグレアムは立ち上がる。

「理解した」
「父様?」
「理解したよ。リーゼ」

 一度目の邂逅で、私は燕を失った。
 二度目の邂逅で、私はクライドを失った。
 三度目の邂逅で、私は希美を失った。
 何故か。
 それは私の失策だ。私が間違っていたから。
 私は今度こそ、闇の書を始末しなければならない。
 それが、私の運命なのだから。

「一人の人生において三度、闇の書と邂逅する。過去にそんな例があったと思うか?」

 リーゼは答えられない。

「これは復讐だ。燕が私にその機会を与えてくれた。しかし、私は失敗した。だから、クライドはその罪によって失われたのだ」

 燕は娘の死によって私に二度目の機会を与えてくれた。だから、この機会は生かさなければならない。
 たとえ、どれだけの犠牲を払おうとも。
 これが、私に科せられた使命なのだ。
 闇の書は、滅びなければならない。
 何を生贄としようとも。
 そう。
 だからこそ、燕は残してくれたのだろう。主となる者を。

 八神はやて。
 それは、闇の書を破壊する兵器なのだ。
 だから、私はその兵器を使う。
 燕のため、クライドのため、希美のため。
 
 グレアムはふと、疑問に感じた。それは、理性と呼ばれるものの仕業なのかも知れない。
 はたして、自分は正しいのだろうか?

「私は間違っているか? リーゼ」

 グレアムは間違っていた。
 魔道師が自分の行動の是非を、何故使い魔に尋ねるのだろう。
 使い魔の答えは決まっているというのに。
 魔道師の意志が固ければ固いほど、使い魔の答えもまた固まっていくというのに。
 
「いいえ、父様は正しい」

 グレアムは、考えるのを止めた。


 闇の書は、滅びなければならない。
 八神はやてという生贄を得ることによって。
 ギル・グレアムの手によって。




[7842] 第七話「私を許さない者は、もう一人いる」
Name: 黄身白身◆e17d184b ID:5090cc06
Date: 2009/05/12 01:49
 お昼ごはんが大量の餅だったため、晩は手軽にしようというのが見解の一致だった。
 そこで、冷蔵庫の大掃除となる。
 思ったよりも残っていた食材の種類が多く、一見豪華そうな食卓となったが、一品一品の量はそれほどでもない。

 食事を終え、テレビを見たりゲームをした後は順番に風呂へ。
 ちなみに入った順は、光、はやてとシャマル、シグナム、ヴィータ、ザフィーラである。
 ザフィーラは狼の姿でいるから大丈夫だと最後まで抵抗したが、光とはやての命令によって渋々入ることになる。
 そしてお休みの挨拶を済ませると、それぞれの部屋へと引っ込んでいく。

 少しすると、光が再び姿を見せ、リビングの灯りを付ける。
 そのままキッチンへ行くと、グラスを取り出しリビングへと運ぶ。そして、冷蔵庫へ。
 上部の冷凍庫から小瓶を取り出し、下部の冷蔵庫からは小さなライムを。
 瓶の中身を小さなグラスに注ぐと、用意していたナイフでライムを器用に手のひらで割る。
 透明のスピリッツに数滴絞り落とすライム。

「起きてらしたのですか」

 リビングに姿を見せたシグナムに向けて、光はグラスを持ち上げた。

「飲むか? 知り合いのロンドン土産や」
「お言葉に甘えて。御相伴にあずかります」

 光はあらかじめ準備してあったかのように別のグラスを取り出していた。

「予測されていたのですか?」
「予測言うより、希望やな。一人で飲むのは……もう飽きた」

 シグナムは受け取ったグラスを口に運ぶ。

「これは、何という酒ですか?」
「ん? 気に入ったか? これは、ドライジンや」

 しばらくの間、二人は静かに飲んでいた。
 つまみもなく、ただ、窓の外の星空を見上げながら飲む酒。
 その沈黙を破ったのは、シグナムだった。

「ありがとうございます」
「ん?」
「シャマルとヴィータのことです。二人は、貴方をある意味では主以上に慕っているかも知れない」
「礼を言うようなことちゃうやろ」
「貴方にも主にも、我らは人間として扱われている。正直、こんな主は初めてです」
「異世界には、ろくな奴がおらんかったんやな」
「闇の書とは、それだけの魅力を持っていたのです。人としての心を失わせるだけの」

 シグナムはグラスを置き、立ち上がった。

「私も御尊父には感謝しています。貴方は、主の父親として本当に素晴らしい人だ」
「褒めても何も出えへんで」
「だからこそ、私は言っておきたいことがある」

 光は視界の隅に何かが出現したのを見た。
 シグナムのデバイス、レヴァンティンである。

「私は、いや、我らヴォルケンリッターは、主八神はやての守護騎士です」
「ああ」
「命有る限り、主に仕え続けます」

 光は静かにグラスを置くと、シグナムに向き直った。
 その視線を逸らさず、シグナムは言葉を続ける。

「こんなことは初めてです、我らの精神リンクは主はやてにだけではない。貴方相手にも感じている。しかし、我らが主は常に一人のはずなのです」
「僕なら、主の座ははやてに譲る。気にせんでええ」

 だからはやてを。いや、はやてだけを守れ。

「ならば、はっきりさせなければならないことがあるのです」
「主はやてのためになるのなら御尊父すら斬る、か?」

 シグナムは、光の言葉に頷いた。

「そっか」

 光は再び、グラスを持ち上げる。

「……有り難い話やな」
「え?」
「ま、座りな。グラスも空やしな」

 二人分のグラスを満たし、光は言葉を続けた。

「あんなあ、シグナムさん。この社会で、足の不自由な女の子が生きていくって、どういうことかわかるか?」

 一生、この足とつきあっていく可能性もある。それがはやての主治医の言葉だった。
 いや、その可能性の方が高いだろう。
 ならば、父親に何ができるのか。
 一生を娘のために。それは可能だ。自らの死まで、娘を護り続けることもできるだろう。

「そやけどな。僕はあの子の親や。どう考えても、先に死ぬんは僕や。はやての一生を護ることは、僕にはできへんのや」

 では、何ができる。いったい娘のために何ができる。

「僕に出来るんは、精々金を残すことくらいや。幸い、希美さんの知り合いの伝手でこの家は安く譲ってもらえた。住むところには困らへん」

 できることなど、他にないのだ。遺産以外のどんな力も娘に残すことはできない。

「そやのに……今の僕は安心してる。わかるか? 君らがいてくれるとわかったからな。僕は安心できるんや」

 生涯護るとの誓いを信じるのなら、異世界から現れた騎士たちがいるのなら。

「これでな、僕はいつでも、胸張って希美さんに会いに行けるんや」

 シグナムは何も言わない。いや、言えなかった。
 ただ、理解しようとしていた。
 これが、父親というものなのだと。自分たちには絶対に理解できない、それでいてどこか懐かしい存在なのだと。





 光が寝室へ戻っても、シグナムはしばらくの間空を見ていた。
 はたして、自分はできるのだろうか。
 主はやてを護る自分を疑ったことはない。しかし、もう一人の主を自分は捨てられるのだろうか。たとえ、それが主はやてのためになる時が来たとしても。
 シグナムは立ち上がり、頭を一つ振ると自分の寝室へ向かおうとした。
 その前に、影が一つ。

「……シャマルか」
「ええ」
「聞いていたのか」
「ええ」
「どこからだ。……と聞くも愚かか」
「そうね」

 シグナムは、リビングの入り口に立ちつくすシャマルの横を通り抜けようとして、言った。

「我らヴォルケンリッターは、主はやての守護騎士だ」
「ええ。わかってます」
「なら、いい」
「でも……」

 シャマルの言葉に、シグナムは足を止めた。

「万が一、光さんがいなくなれば、はやてちゃんは私たちを許してくれないでしょうね。きっと、ヴィータちゃんも」

 シグナムは再び歩き出す。

「私を許さない者は、もう一人いると思うがな」





   





 
  なかがき

 次回からは

 本編→蒐集開始からの物語

 番外編→蒐集開始までの物語

 となります。



[7842] 第八話「貴方は戦士ではない」
Name: 黄身白身◆e17d184b ID:5090cc06
Date: 2009/05/23 00:37
 はやては足の検査のために定期的に通院する必要がある。その定期検診に付き添うのは光だったのだが、今ではシャマルの役目になっている。
 おかげで光の仕事に検診の予約を合わせる必要が無くなり、余裕のあるスケジュールを組むことができるようになったのだ。

「あ、明後日だよな。はやての定期検診結果」

 夕食後、食器洗い当番のはやての元へ食器を運びながら、ヴィータがカレンダーを確認していた。

「光さんはどうされます? 講義の入っていない日みたいですけれど」

 シャマルの問いに、光は少し考えた。
 講義が入っていなければ、結果受け取りについていかない理由はない。ただ、大人数でついていくのは迷惑なので、行くメンバーは厳選したい。
 それなら、光とはやてだけで行けばいい。

「そやな。最近行ってないしな」

 考えてみれば、久しぶりの二人きりかも知れない。
 その様子を見ながら、シャマルは食後のコーヒーを準備していた。
 今では全員が順番に家事を担当している。光とはやてが家事をする必要はないというと、二人は怒るのだ。だから、ヴォルケンも混ざった形で当番を決めている。
もっとも、食事の支度だけはシャマル、光、はやての三人の輪番だ。ザフィーラにもヴィータにも料理のスキルなどない。
 ただし、シグナムには限定状況下での料理スキルがあることがこの夏に出かけた先でわかった。
 野外炊飯はそこそこに上手いのだ。シグナム本人に言わせれば、野営は戦士に必須のスキルらしい。つまり、野趣溢れるキャンプ料理だ。

「直接、先生の話も聞きたいしな」

 シャマルの煎れた珈琲が光の前に運ばれる。

「それに、先生美人やし……うぉっ」
「ああっ、ごめんなさい」

 光の前にコーヒーカップを置こうとしたシャマルが、何故かバランスを崩してこぼしてしまった。

「気を付けろ、シャマル!」

 シグナムがやや強い口調で注意する。
 シャマルはがっくりと肩を落としている。
 そして、光が見かねたように口を挟む。

「まあまあ、シグナムさんもそない責めんと。ただのうっかりやんか」
「しかし、もしかかっていたらと思うと……」
「ん? その時は、シャマルさんが治療してくれるんやろ? 魔法で」

 シャマルの顔が上がった。

「勿論です!」
「そやったら、ええやん。問題あらへんよ」

 シグナムが溜息混じりで肩をすくめた時、電話のベルが鳴った。
 電話に一番近い位置にいるザフィーラに全員の視線が集まる。
 皆の視線を受け、瞬時に人型になるとザフィーラは受話器を取った。

「はい、八神です。ああ、こんばんわ。いえ、こちらこそいつもお世話になっています。少々お待ちください」

 保留ボタンを押して受話器を置くと、ザフィーラは光に向く。

「御尊父。石田医師(せんせい)からお電話です」
「先生から? なんやろ。明後日のことかな」

 光が受話器を受け取る。
 話を終え、受話器を戻すと光は言った。

「明後日、僕がはやてと行ってくるわ」

 シャマルはカレンダーに付けられていた印の下に新たな印を付けると、「光、はやて、定期検診結果」と書き込んだ。

「留守番よろしゅうな」
「はい」





 夜更けに、シグナムは居間を訪れる。

「癖になったか?」

 光がグラスを掲げて笑う。

「お誘いいただけるなら、喜んで戴きますが……」

 今は別の話があるはずだ、とシグナムは言う。
 光は微かに嫌な顔になる。それでも、意表を突かれた表情ではない。「やっぱり」とでも言いたげな顔である。

「申し訳ありません。しかし、主に関する話であれば、是が非にも聞いておきたいのです」
「なんで、そう思った?」
「先ほどの石田医師からのお電話です」

 光は無言でグラスを傾ける。
 シグナムと同じ事を、光は石田医師からの電話がかかってきたと言われた瞬間に思っていた。
 シャマルやシグナムは家族同然だと、石田医師には話してある。それでも光が必要だと言うことは、家族同然ではなく本当の家族が必要だと判断されたのだろう。

 良い知らせというものは秘密にしないものだ。

「……悪化……しかないやろな。このタイミング……僕にだけ話すんやし……」
「御尊父……」
「なあ、魔法で治せへんのか?」
「それは……」

 基本的には、魔法による治療は外科処置だ。内科的な処置には魔法世界といえども医学が必要になる。そもそも、魔法治療とはあくまでも副次的なものに過ぎない。
根本的な治癒は見込めないのだ。
 シグナムは頭を垂れた。

「我らの無力、お許しください」
「顔、上げてくれ。シグナムさん。僕が無茶言うてることはわかってるつもりや」

 シグナムに向かって、中身の入ったグラスが突き出される。

「一生、足が治らへん。その覚悟はしてたつもりやったけどな……人間て、弱いもんやな」
「御尊父が弱いのなら、この世に強い人間などいません」
「ありがと、そやけど僕は弱いで。喧嘩に勝った事なんてないからな」
「腕力だけが強さではありません。その意味で御尊父と主はやては強い。私は誰憚ることなく言い切ります」
「やめやめ。シグナムさんの話聞いとったら、勘違いしてまいそうや」
「これは心外。ベルカの騎士は嘘などつきません」

 シグナムはグラスを受け取り、そして、一気に煽った。

「八神光。貴方は強い人です。きっと、我らの誰よりも」




 翌日、病院へ向かうはやてと光を玄関先まで見送る四人。

「帰りに何か、買うてくるもんあるか?」
「大丈夫です。お昼には買い物に出かけますから」
「ん。帰りは夜になるから、昼は適当にしといてな。帰りに久しぶりに翠屋にでもよって、ケーキでも買うてくるわ」
「マジ!? ギガウマなやつ頼む。今から楽しみにしてるから!」

 はしゃぐヴィータは、はやてを途中まで送ると言って靴を履く。
 狼姿のザフィーラも、もののついでといった風に身体を起こすと、とてとてと玄関から降りていく。

「じゃ、二人ともここまでええよ」

 病院が見えた辺りで、ヴィータはザフィーラの首輪に繋げた紐を光から受け取った。
 勿論、ザフィーラには首輪も紐も必要ない。しかし、付けておかなければ散歩もできないのだ。放し飼いと思われて通報されたら厄介である。

「うん。じゃあな、はやて。しっかり診てもらって来いよ」
「ヴィータもええ子にして待っといてや」
「うんっ、待ってるから」

 ヴィータに手を振るはやて。光ははやての乗った車椅子を押し、病院の正面入り口を潜る。
 予約はあるので受付は手早く。二人は石田医師の診察室へ向かう。

「あはよう、はやてちゃん」
「おはようございます、先生」
「ちょっと試してみたいリハビリ方法があるの。やってみるかな?」
「はい」

 あまりに素直な返事に、石田の表情はやや曇る。
 どんなリハビリなのか、実績はあるのか、本当に効果はあるのか。本来なら出てくるはずの質問は、はやての口からは一切出ない。
 治したいから挑戦する、という意志がはやてからは感じられないのだ。
 ただ、自分のために他の人が頑張ってくれているから自分も頑張っているという雰囲気。それはまるで、自分自身の治療を諦めているようにも見える。
 いや、そんなことはない。と石田は自分に言い聞かせる。どんな病であろうとも、患者に治療の意志がなければ完治はしないのだから。

 だが、その想いも必要なくなる時が来るのかも知れない。

 看護婦に連れられリハビリ室へ向かうはやてを見送ると石田は光を招き、事実を簡潔に伝えた。

 光は、その医師の言葉を疑った。
 無理からぬことだと、石田は理解した。
 それでも、光には理解できなかった。
 いや、理解する必要を感じなかった。なぜなら、それはあからさまな嘘なのだから。
 あり得ざる出来事なのだから。決して認めてはならないこと、起こってはならない未来なのだから。
 それでも……

「原因不明の神経性麻痺」
「麻痺が少しずつ進んでいる」
「この数ヶ月は特に顕著」
「このままでは内臓機能までが麻痺」
「命の危険」

 石田医師の言葉に嘘はない、
 身体を這い登り、心臓をつかみ取る死神の腕が連想され、光は拳を握りしめる。

「なんでや……」
「少しでも麻痺の進行を遅らせる手段を模索中です。私たちには諦めるなんて選択はありません」
「なんで……はやてが……」
「八神さん。お気持ちがわかるとは言いません。だけど、ここで貴方が折れては、はやてちゃんを誰が護るんですか」
「先生、僕の足はいらん。腰から下、全部いらん。全部、はやてにやってくれ! 僕の身体、好きなだけ切り取ってかまへん、はやてに全部やってくれ。
全部、はやてに譲るから!」

 無駄な足掻きだ。と光の心のどこか、覚めた部分が囁く。
 想いに嘘はない。
 今なら、構わない。後のことはシャマルたちに託せるのだから。命を譲っても構わない、今ならば。

「それで治せるのなら、私も心が動いているでしょうね」

 冷静な答えに、光は口を閉じるしかなかった。

「……なんとかしてください。僕にできることやったらなんでもします」
「私たちも、できるだけのことはします」

 あとは、事務的とも言える話し合いが続く。
 今後の対策と、はやての容態について気を付けるべきこと。
 といっても、両者ともにないに等しいのだ。原因すらわからない病を前に、何を注意してどう対策をするというのか。
 乱暴にまとめてしまえば、単なる気休めに過ぎないのだ。

「……今後とも、よろしくお願いします」

 光はふらふらとロビーに辿り着き、ソファに座り込む。
 時計を見ると、はやてが戻ってくるまでにはまだ時間がある。
 狂おしい、手の届く範囲のものを全て叩きつぶしても止まないような凶暴な怒りが身の内にわき上がる。それに身を任せたところで、何の解決にもならないと言うのに。
 ただ、ロビーをいらいらと歩く。
 その脳裏に、一つの形が徐々に浮かび始めていた。

 ……はやてのためやったら……悪魔とでも取引したる……

 一時間後、光ははやてと共に帰宅する。
 勿論、翠屋でケーキを買うことは忘れない。

 いつものように六人の食事を終え、ケーキを食べて、談笑する。
 いつものようにお風呂に入り、それぞれの部屋で眠る。
 しかし、今夜はその後が変わる。
 はやてが寝付いた頃に集まるよう、光はあらかじめ四人に声をかけていたのだ。
 そして光は、四人に石田医師の話を伝える。

 声にならない呪いを呟き、シグナムは唇を噛みしめた。
 ここが八神家の庭でなければ、今が夜でなければ、部屋で主はやてが眠っていなければ大声で自分を罵り叫びたいほどの気分だった。

「……何故、気付かなかったっ!」
「ごめんなさい、でも……」

 すすり泣くシャマルに、シグナムは言い切った。

「違う。私は自分に言ってる」

 闇の書の呪い。いや、正確には呪いではない。しかし、呪いということはでしか表現できないものがある。
 闇の書に秘められた強大な魔力。その魔力は肉体的にも魔力的にも未成熟なはやてのリンカーコア、ひいては肉体を蝕んでいるのだ。
 強大すぎる魔力ははやての肉体に害すら与え、その余波がはやての足の現状を生んでいる。
 そして、そのデメリットは現段階の中途覚醒によって加速、石田医師が言うように麻痺の広範囲化という形で肉体にダメージを与えているのだ。

「私たちの存在も無関係とは言えないでしょう、私たちを実体化させるための魔力は主はやてから供給されているのですから」

 このままでは、はやての身体は魔力に耐えられず自己崩壊しかねない。

「闇の書の魔力を弱くする方法はないんか」
「ありません。それに、私たちの知る限りの力では破壊することも不可能です」

 シグナムの答えに、光は地面を殴る。

「ないんか。なんか、方法はないんか!」
「はやてを助けるんだ」

 俯いていたヴィータが顔を上げる。その目に溜まった涙が、ヴィータの言葉に合わせるように頬を伝い流れ始めていた。

「あたしたちがはやてを助けるんだ! 闇の書を完成させれば、はやては完全に主として覚醒する。そうすりゃ、闇の書を自在に操れるんだ。
魔力のオーバーフローなんて起こさない!」
「それしか……あるまい」
「そうね」

 ザフィーラとシャマルがヴィータに並ぶように移動する。

「蒐集はしない、と約束した」

 シグナムは言いながら、三人に向き直る。そして、レヴァンティンを地面に突き立てる。

「主はやて。一度だけ、貴方との誓いを破ります」

 四人が、光へと視線を向ける。

「我らヴォルケンリッター、主はやての心の覚醒のため、リンカーコアの蒐集を行います」
「はやての未来を血で汚したくない。だから、殺しはしない」

 シグナムとヴィータが言い、シャマルとザフィーラがその横に並んだ。
 そして、シグナムが光に向き直るようにして跪く。

「主はやての御尊父よ。我ら、守護騎士ヴォルケンリッターへ御命令を」

 光は一歩、右手を差し出しながら近づいた。

「君らの命はかけがえのないもの。決して無駄にするな。命を懸けた奉公なんぞ、僕もはやても絶対に許さへんからな」

 ……僕はこれ以上、誰も失う気はない。希美さんが……僕の最後のさよならやったんや……

 光は右手をそのまま、シグナムへと差し出す。

「はやてを助ける。その意味において僕らは御尊父でも騎士でもない。はやてを助けるための仲間や」

 驚いた顔のシグナムへと、光はさらに手をさしのべる。

「仲間の握手やろ?」

 光の手を横から掴むヴィータ。

「ああ、はやては絶対助ける!」

 その上からシャマルの手が、光の手を優しく包む。

「光さん……」

 咳払いと共に、ザフィーラが左手を取り、握手する。

「失礼します。そちらの手は一杯のようですから」

 最後に、シグナムがレヴァンティンの鞘を光の胸元にかざす。

「御尊父……いや、八神光。貴方は戦士ではない。しかし、共に立つには相応しい人だ」







 シャマルはクラールヴィントを待機状態に戻す。
 そして、光が現れるのを待った。
 昨夜の決意が一晩で変わったとは思わない。光の決意がその場限りのものだとは思っていない。
 だからこそ、自分もこんな早朝に活動を開始したのだ。
 まずは、この世界での魔道師の再調査。
 管理局関係者が辺境の地にいないとは限らないのだ。もし、下手に行動して見つかっては元も子もない。
 今までは自分たちも魔法を使うことはほとんどなく、あったとしても探知されないレベルの微弱なものだけだ。
 しかし、これからはそうも言ってられない。リンカーコア蒐集に向かうための次元跳躍の痕跡だけでも充分に調査の対象となる。
 だから、見つけられる前に見つけるのが肝心なのだ。
 少なくとも、この世界には表立っての魔道師がいないことはわかっている。ならば隠れているか否か。
 隠れているとして、戦闘を主にする魔道師ならば何らかの形で訓練を行っているはずだろう。
 もし訓練を行っているとすれば夜ではなく朝。それも人の少ない早朝になるはずだった。
 夜の暗闇では、リンカーコア発動に伴う魔法陣の輝きは目立ちすぎるのだ。

 シャマルの勘は当たっていた。早速反応があったのだ。
 その内容を、光に伝えるべきか否か、シャマルは悩んでいた。
 ある公園で見つけた大きな魔力反応、その反応の持ち主は、自宅らしき場所へ帰っていったのだ。

 その住所にシャマルは見覚えがあった。はやてが夏休みの間に暑中見舞いを出した相手である。

 相手の名は、高町なのは。
 




 



[7842]   番外編「カレーの主様」
Name: 黄身白身◆e17d184b ID:5090cc06
Date: 2009/05/25 01:32
  ※ 本編とほとんど関係ありません




     ――十年後の某日
     ――機動六課内食堂


 午前の訓練を終えたなのはは、軽くシャワーを浴びてから食堂へと入る。
 新人組は食堂にたどり着くまでもう少しかかるだろうし、今日はフェイトもヴィータも出張中である。自然、一人で食べることになってしまう。
 なのははそのつもりだったが、食堂に入ってすぐによく知った顔を見つけたので、声をかけることにした。

「あ、シャマル先生もお昼ごはんなんだ」
「あら、なのはちゃんもこれから?」
「はい。隣の席、空いてます?」
「ええ」

 なのはは微笑むシャマルに近寄りながら、カウンターに向かって声をかける。

「トランザさん。パスタセット、オレンジジュース付きで」
「おうよっ。てか、自分で取りに来い! ここはセルフサービスだろがっ!」

 食堂主任との定例になったやりとりを終え、なのははシャマルの隣に座った。
 見ると、シャマルの前にはまだ何もない。

「先生、できたよ」

 トランザがカウンターの向こうから声をかける。

「はいこれ、辛口カレーセット」
「ありがとう」

 席を立って、トレーに載ったセットを取ると、シャマルは席に戻った。
 へえっ、と呟くなのは。
 シャマルは、なのはの声に首を傾げる。

「どうしたの?」
「あ、なんだか意外だなと思って」
「……カレーのこと?」
「はい」

 ここの辛口は本当に辛口なのだ、名前だけの辛口でないことはなのはもよく知っている。
 例えば、ヴィータなどは絶対にここの辛口を食べない。
 なのはの疑問に答えようとして、シャマルはほんの少し笑う。

「本当は甘口の方が好きなんだけどね」
「え?」
「ううん、なんでもないわ」
 




     ――現在
     ――八神家

    
 灯りの消えたキッチンで、はやてと光が向かい合っていた。

「もう、あかんよ、お父さん」
「はやて……今まで通りってわけにはいかへんのか?」
「あかん。あかんよ、お父さん。今は、あたしとお父さんだけちゃうねん。ヴィータも、シグナムも、シャマルも、ザフィーラもおるんやよ」
「しかし……」

 そう。一言命令すれば、四人は目をつぶってくれるだろう。我慢してくれるだろう。しかし、それだけはしてはならない。
 頼み事はいい。しかし、命令はいけない。四人は配下でも部下でもましてや奴隷などではない。大事な家族なのだ。
 自分のわがままだけで家族に我慢させるなど、あってはならないことだ。

「お父さん。あかんよ。こればっかりは、あたしが許さへん」
「はやて……お前、そこまで……」
「例えお父さん相手でも、これだけは絶対譲られへんよ」
「わかった。僕も男や。こうなったら正々堂々と勝負しよやないか」
「勝負て?」
「多数決で勝負や。四人の意見を聞いて、それで決める。それやったら文句ないな?」
「わかった。それやったら、あたしも文句はあらへんよ」


 灯りを付けるはやて。
 数秒としない内に念話で呼ばれた四人が姿を見せる。
 実はまだ午前中である。四人はそれぞれ担当を決めて掃除をしていたところだ。

「どうかなされましたか? 主はやて」

 念話で四人を同時に呼びつけるというのはこれまでになかった事でもあり、シグナムの表情は硬い。
 そこへ、光が言った。

「四人に確かめたいことがあってな」
「私たち、にですか?」

 シャマルの言葉に頷き、光は言葉を続ける。

「これからの質問に正直に答えて欲しい」
「正直に?」

 ザフィーラが訝しげに尋ねる。そう。正直とわざわざ念を押されたことにザフィーラは反応していた。
 自分たちが嘘などつくはずがない、と言うわけだ。

「遠慮などせずに正直に答えて欲しいと言うことだ」
「わかりました」

 納得するザフィーラ。この状況で遠慮といわれれば答えは一つだ。主はやてに関係する質問内容なのだろう。そして光は、主への遠慮によって答えが歪んでしまうことを危惧しているのだ。
 ザフィーラの予測は当たっていた。光は確かにそれを危惧しているのだ。

「なあ、質問ってなんだよ」
「慌てんとき、ヴィータ。これからその質問や」


 カレーは甘口と辛口、どっちが好きですか?


「え?」×4
「そやからな、カレーは甘いのと辛いのどっちが好きかって」
「え、えーと……」

 四人は互いの顔を見合わせる。
 はやてが「あ」と呟いた。

「もしかして、カレーライス、知らへんとか」
「うん」

 ヴィータが頷いた。
 ほほぉ、と光が呟く。

「そうか、ヴィータ。知らへんのか」
「うん」
「ということは、シグナムさんもザフィーラ君も、シャマルさんも知らへんのやな?」
「そうなります」

 自分の返事と同時にキラリ、と光の目が輝いたような気がして、シグナムは瞬きする。

「あの……御尊父……」
「よし、落ち着け」

 貴方が落ち着いてください、と言いたくなるような速度で光は台所へ向かい、棚をあさっている。

「お父さん、まさか!」
「おう。そのまさかや。備えあれば憂いなしとはこのことやで!」
「いつの間にそんなん買うとったん」
「おいおい。レトルト食品は立派な防災グッズやで。非常食扱いや」
「非常食て。お父さん、それ、普段から食べてるやん」
「被災時にも普段と同じものが食べたい。それが人情やろ……」
「今はそういう話やないと思う」
「そか? まあとにかくはやて、ご飯の準備。今日のお昼ごはんは急遽カレーに決定や」
「え」

 嫌そうな顔のはやて。

「安心し。ちゃんとはやての分もある」

 そう言うと、光はいくつかの箱をテーブルに置く。

 グ○コL○E辛さ×20倍。そして、ボ○カレー○ールド甘口
 八神家でカレーといえば、レトルトになることが多い。まず、二人しかいないので大量に作るわけにはいかないからだ。
 そのうえ、はやては甘口、光は辛口派だ。一人一鍋というわけにもいかないので、必然的にカレーはレトルトになってしまう。
 ちなみに、なのはたちが遊びに来る時に、みんなのためにはやて好みの甘口カレーをたくさん作ることはある。その日は、光は一人でレトルトを食べる。
 試しに一度、光用のカレーを密かに取り替えてすずかに食べさせたら、辛すぎて泣いてしまったことがある。みんなはとても慌てていた。犯人のアリサが一番慌てていた。

「あ、ちゃんと用意してあったんや」
「備えあれば憂いなし、言うたやろ?」
「お父さん」
「なんや?」
「あたし以外は全員辛口?」
「カレー食べたことないらしいから、味の好みがわからんからな」
「普通、最初は甘口食べさせへん? せめて、ヴィータだけでも」
「はやてはヴィータに甘いな。まあ、ボ○カレーはまだあるさかいな」

 棚に手を伸ばす光。そしてボ○カレーが増える。

「シャマルさんも甘口かも知れへん」
「お父さんはシャマルに甘いな」
「待ち。そんなことはあらへん。べつにそうやないぞ」
「なんで慌てるん?」
「いや、うん……いや、慌ててへんぞ。別にそんなこと違うですよ?」
「……思いっきり挙動不審やけど」

 光ははやてから目をそらす。

「お父さん?」
「……あー、そ、そや。あのな、甘口と辛口を三皿ずつ作って、食べ比べてもらうんや。両方食べへんとわからへんやろ」
「食べ比べか。そやな、それやったら好みもわかりやすいな」

 そしてお昼。食卓に並ぶ六つの皿と一つの鍋。
 皿にはご飯が。鍋には封の切っていないレトルトパックが。
 はやては悩むこともなくボ○カレーをとる。
 それを見ていたヴィータも悩まずにボ○カレーを。

「こっちの味見はせんでええんか?」

 L○Eのレトルトパックを開けながら光は尋ねる。

「はやてが選んだんだから、こっちが美味しいに決まってる」

 ヴィータはあっさり答えた。そこに全く迷いは見られない。

「……そうだな、ヴィータの言うとおりだ」

 シグナムとザフィーラもヴィータに習ってボ○カレーをとろうとするが、数が合わない。
 二人が互いに伸ばした手を見やっていると、光が間に入った。 

「ちょ、ちょっと待った。二人とも、辛口の味見くらいは……」
「……御尊父がそう仰るなら」

 結局、六枚の皿全てにカレーのルーがかけられることになった。
 甘口三皿、辛口三皿で、それぞれの味見である。
 シャマルを含めた三人が味見を終えたところで、光は尋ねる。

「で、正直どっちが美味しい?」
「正直に言いや?」

 主とその父親にこう言われては、守護騎士の立場としては正直に答えるしか道はない。

「そうですね。私の好みは辛口の方です」
「私もです」
「私は甘口の方です」

 結局、シャマルとヴィータが甘口を選んだ。ちなみに、二人は辛口を一口食べてギブアップしている。

「なんや、結局三対三か」
「そしたらお父さん。鍋は結局二つやね」
「そやな。甘口カレーと辛口カレー。仲良く半分ずつや」

 半分? と尋ねるシグナムたちに、光は説明する。
 はやて、ヴィータ、シャマルのために甘口。
 光、シグナム、ザフィーラのための辛口。
 それぞれに鍋一つを当てて、カレーを作るのだ。
 ちなみに甘口を作るのははやて。辛口を作るのは光の担当となる。

「ちょっと待ってください」

 シグナムが手を挙げた。

「その条件ならば、私は甘口を食べます」
「なんやて?」

 ザフィーラも咳払いを一つ。

「申し訳ありません、私も甘口を」
「なんやてっ!?」

 どういう事や、と詰め寄る光に、シグナムはこともなげに言う。

「主の作ってくださるものを否定することなどできません」
「待て。そういう問題やない。甘口と辛口の好みをな……」
「私の好みは、主はやてが作ってくださるものです。甘口辛口など枝葉の問題に過ぎません」
「将の言うとおりです」
「そうそう。何だって、はやてが作るんだったらギガウマに決まってる!」

 シグナム、ザフィーラ、ヴィータに連続で言われ、光はゆっくりとシャマルを見た。
 
「あ、あの……」
「……やっぱり、シャマルさんも?」
「は、はい。私は、辛口はちょっと……」
「……そっか……」

 なら、これより八神家のカレーは甘口一筋である。
 そして、孤立した辛口派は、一人寂しくレトルトを食べるのである。

「光さん」

 せっぱ詰まったようなシャマルの声に、光はうつむき加減になった顔を上げる。

「私、やっぱり辛口にします」
「え?」
「辛口を食べます」
「い、いや、シャマルさん、無理はせんでええんやで?」
「食べたいんです!」
「えっと、その……」
「光さんと同じものを食べます」





 その翌日。
 はやてが「特訓」と称して辛口カレーに挑み、三口で玉砕。

「うう……食べられへん」
「主、無理はいけません」
「でも、勿体ない……食べ物は粗末にしたらあかん」
「しかし」
「頑張って、食べなあかんねん」
「わかりました。私が始末します。主は舌をお休めください」

 残りはきちんとザフィーラが食べましたとさ。

 ちなみに帰宅してからそれを聞いた光が妙に不機嫌になったので、ザフィーラはとても困ったという。



[7842] 第九話「私はフェルステークです」
Name: 黄身白身◆e17d184b ID:5090cc06
Date: 2009/06/03 00:36
 蒐集開始を決めた夜、光は四人に告げる。

「僕の言ってるのはムシのいい話やと思う。酷い話やと思う。とてつもない手間やと思う。君らの命すら、危険にさらすかもしれへん」

 四人が頷く。
 光の言葉に、誤魔化しは一切ない。それは紛れもない事実なのだ。
 リンカーコアを集めることが第一義ならば、魔道師を襲えばいい。それが最も手早く、確実で簡単な方法なのだ。
 統率のとれた集団か、極めて優秀な魔道師。そのどちらかでもなければ、ヴォルケンリッターの包囲から逃げることはできない。
 それでも、蒐集の相手は魔法生物に限定したい。

「その通りです。御尊父の言う計画はあまりにも無謀です」

 シグナムが、厳しい顔で光を見つめている。
 次の瞬間、シグナムは微笑んでいた。
 
「しかし、今の私たちにとっては妥当な計画だといえるでしょう」
「まずは、どの次元で蒐集を行うか。その計画を立てます。その前に念のため、広範囲の探索を行いたいと思います。この地での魔道師の有無によって、細かい戦略が変わりますから」

 続いてシャマルが提案する。
 管理局が時折辺境世界にランダムな人員配置を行っているという事実がある。それは、魔法文明のない辺境世界での魔法使用を制限するためだ。
 もし地球に、それも日本に人員が配置されていれば、下手に動くと発見されてしまうことになる。
 一旦発見されれば、いかなる理由があっても「闇の書」が見逃されるわけがない。
 まずは足元を固めておくべきだというシャマルの提案に、シグナムも光も異はない。 

「探索は明日の早朝から行います。確認しますけれど、光さんの知る限り、この世界に魔法はない。間違いありませんね?」

 問われ、光は頷いた。
 魔法など、この世界にはない。そう確信して頷くが、何かが脳裏に引っかかるのもまた事実だ。しかし、その引っかかりが何であるかは説明できない。
 光はただ、この世界に対する常識として、魔法はないと決めつけている。 

「私たちが現れるまでの光さんの魔法に対する知識。それがこの世界の一般的なものであるならば、魔道師がいたとしても堂々と魔法を使うことはないでしょう」

 勿論、魔法を使っていないという可能性もある。シャマルも、一日二日で見つかるとは思っていない。しかし、一旦魔法の恩恵を受けた者が、使えなくなったのならまだしも、自ら長期間にわたって使用を控えることはまずないと考えていい。
 
「管理局に属する魔道師ならば、特にその傾向は強いはずです。彼らにとって魔法とは忌避すべきものでなく、使える限りは当然に享受すべきものなのですから」

 もっとも、管理局から身を隠している魔道師ならば話は別だろう。
 ただし、そのようなはぐれ魔道師ならば、即座にこちらに敵対するとは考えられない。なにしろ、魔法使いである限りは管理局に形式的にでも属さなければならないというのに、管理局に属していない魔道士たちだ。叩けば埃の出る身体ということなのだ。どちらかと言えばこちらに近い存在だろう。
 あるいは、元々魔法や管理局を知らない世界に突然変異的に現れた存在か。
 地球出身のはやてや光にはリンカーコアがあるのだ。そんな人間が他にいても、それぼとの不思議ではない。

「管理局に私たち、いえ、『闇の書』が存在することを知られるのは危険です。知られれば、問答無用で戦いとなるでしょう」

 戦いを恐れているわけではない。いっそ闘うなら、相手を完全に殲滅するまで戦い続けるだろう。それは光にもよくわかった。
 恐れているのは戦いそのものではない。戦いがはやてに及ぼす害なのだ。それだけは、絶対に避けなければならない。

「蒐集は行う」

 光は言いながらヴォルケンリッターを一人一人確認するように視線を向けた

「被害は極力避ける。はやてを護る。君らと『闇の書』の存在を隠しきる」

 無茶苦茶な条件だ。

「我らには、可能です」

 シグナムが端的に答えた。ヴィータがもっともだというように力強く頷く。

「あたしたちは絶対に負けねえ。はやてがいる限り、絶対に負けらんねえ」

 光は初めて、自分の魔力が無に近いことを悔やんでいた。
 共に、闘いたいと望んでいた。ヴォルケンリッターだけを闘わせることを、すまないと感じていた。
 どんな形にせよ、守護騎士と肩を並べたいと思った。

「僕が……強かったら……魔力があったら……君らだけを闘わせるなんて……」
「それは違います」

 シャマルが静かに言った。
 何故自分の言いたいことがわかったのかと尋ねかけ、光はようやく自分がいつの間にか想いを口にしていたことに気付く。

「光さんがそんなふうに想ってくれている。それだけで、私には充分の力になりますから」
「シャマルさん……」
「はい」

 光がシャマルのを手を取り、シャマルがそれを受け入れた時。

 小さな咳払いが二つと、静かな唸り声が一つ。

「あー、シャマル。御尊父の有り難いお心は、我らにも充分な力となっているぞ」
「あのなぁ、守護騎士はシャマル一人じゃないんだけど?」
「我らヴォルケンリッター、主と御尊父への忠誠は常に揺るぎなく一つだ」

 光はそそくさとシャマルから離れると、意味不明なジェスチャーを数秒ほど繰り返し、やがて、開き直ったかのように半眼になる。

「……しばらく、大学の方は休むから。戦闘は当然無理やとしても、別の形でフォローはするで。……えーと、弁当作るとか?」

 すでにシグナムたちが転生して数ヶ月。最初に闇の書から与えられた知識もくわえると一般常識はほとんど揃っていると考えてもいい。
 だからこそ、今の光の言葉にシグナムは慌てた。

「仕事を辞めるということですか?」

 それが普通ではない重大な決断だということくらいは今のシグナムにはわかる。

「最初から、そういう契約や。はやての病状によっては、年度途中の退職もありっていう契約やったからな」

 小学校の方の特別授業は、九月いっぱいで終了している。元々、その予定で組まれていたカリキュラムなのだ。
 ちなみに十月以降の特別授業の時間は、聖祥大学教育学部の学生による教育実習に当てられるのだ。
 つまり、大学の方の授業さえクリアできれば、光は時間を全て家のことに使えるということになる。

「もっとも、今日明日にいきなりってわけにもいかへんやろから、二週間くらいは後始末に忙しいわな」

 それでも、緊急事態に備えていつでも契約を打ち切る準備はしていたのだ。次の講師さえ見つければ今日明日にでも辞められる状態ではある。そして、光の知る限り聖祥大学の講師職はその待遇の良さもあってとんでもない倍率なのだ。光の辞職が知れた瞬間、すぐに次の講師候補が姿を見せるだろう。
 おそらく、全てがうまく言ったとしても、光は次の職を探さなければならないだろう。

「ま、はやての命と僕の職。比べるのも馬鹿馬鹿しいわな」
「いざとなればまた、発掘に行ってきます」

 すでに滅んだ次元世界に残された貴金属をこの世界に持ち込んで売りさばく。光としてはあまり好まない方法だが、当座の資金としては申し分ないだろう。
 それに、今はそれどころではないのだ。当面を乗り切り、はやてを救うこと。それが第一義なのだ。

 今夜はもう眠ろう。明日からは、きっと、忙しくなる。
 光の言葉で、全員がそれぞれの部屋へ向かった。 








 光は、夢を、見ていた。


 長い髪を優雅にたなびかせた美しい女性がいる。
 どこか哀しげなその表情には、見覚えがある。
 ああ、と光は呻く。
 初めてではないのだ。かといって、何度目かと尋ねられれば答えられない。ただ、見覚えはある。
 特徴的な瞳の色の女性に向かって、光は語りかけていた。

「……また、会ったな」

 微かに女性は微笑んでいる。

「はい。主」
「慣れたような気もするけど、やっぱりそれははやてのことやないんかなぁ」
「まさか、こんな事態が起こりえるなどとは予想されていませんでしたからね。お二人とも立派な主ですから」
「光、でええけどな」
「では、主光」
「うわ、なんか他に言い方ないかな」
「やはり、主とお呼びしましょうか?」
「そのほうがマシやな……」
「わかりました、主」
「で、僕は君をなんて呼んでたっけ?」

 記憶が定かではない、この世界はそういうものだと言うことはすでに割り切っている。それでも慣れることは、光にはできそうになかった。

「私に名前などありません、お好きなようにお呼びください」
「好きなようにと言われてもな……」
「主が決めた名前ならばありがたく頂戴いたします。お好きな名をおつけください」
「名前ねぇ……」

 出会うたびに、彼女との今までの出会いが思い出される。記憶は完璧ではなく、細かい部分は完全に忘れているようだが、重要だと言われたことについてはきちんと覚えている。
 正確には、彼女に会うたびに思い出すだけだ。この世界から出てしまえば、全てはおぼろげな夢のようになってしまう。
 最初に出会ったのは、ヴォルケンリッターに出会った直後のはずだ。
 ヴォルケンリッターという存在について教えられたのだ。しかし、目が覚めた時その記憶は失われていた。
 彼女によればそれは仕方のないことだという。闇の書が完全覚醒していないことがその原因だと。

「蒐集を開始するのですね」
「ああ。聞いてたんか」
「あの四人の目と耳は、私の目と耳でもあるのですよ」

 どちらにしろ、彼女が「闇の書の一部」だと言うのなら隠す必要はない。いや、それどころかこれからの指針に関して意見を聞くことができるのだ。
 だから、光は素直にそれを尋ねた。

「異論などあろう訳がありません、私は主の意志によって動くのですから」

 少なくとも、そのつもりだと彼女は言う。
 光は頷き、そして語った。
 今の段階では、蒐集の開始を決定しただけに過ぎない。どのような方法で行うかは、まだ決定していないのだ。
 簡単な話し合いで大まかな方針はだけは決まっている。
 極力人間は狙わず、他次元世界の、生まれつきリンカーコアを持った魔法生物から蒐集すると。
 蒐集のスピードは落ちるが、魔道師を狙って時空管理局に発見される危険、そして人間を襲うという問題を考えれば、それがベストなのだ。
 はやての病状は今日明日の命を争うものではない。それでも、ギリギリの賭かも知れない。もしかしたら、誰も傷つけないという誓いは守れないかも知れない。
 だからこそ、守れるのならば守りたい。はやての未来を汚したくはない。

「蒐集が進めば、君は出てこれるんやったな」

 その時は、きちんと記憶に残る出会いができるのだろうか。

「勿論です。その時を楽しみに、私は眠っています」

 その瞬間、光は脳裏に浮かんだ名前を告げる。

 フェルステーク

 それは自然に口をついて出た言葉だった。

「フェルステーク。君の名は、フェルステークや」
「感謝します、主よ」

 黒髪をたなびかせたフェルステークは微笑み、翠の目を大きく開くと、光に向けて飛ぶように近づいた。
 光が疑問を嘆かれる間もなく、フェステークは光を抱きしめる。まるで、娘が父親に飛びつくように。

「私はフェルステークです、主」
「ああ、そやな」

 光は抱きついた少女の頭を見下ろす。
 光からは少女の顔は見えない。当然、そこにある表情も。
 光には見えない。
 フェルステークの、歪んだ微笑みなど。








 目が覚めた時、光は半ば寝言のように呟いていた。

「フェルステーク?」

 寝起きではっきりとしない頭の中に、まるで他人の言葉のように空々しく響く単語。

「……フェルステークってなんや?」

 その疑問に答える者はいない。
 だが、まるで疑問に答えるようなタイミングでノックの音。

「光さん、起きてらっしゃいますか? シャマルです」
「あー。寝間着姿でも良かったら入って」
「失礼します」

 コーヒーをトレイに載せたシャマルが姿を見せる。
 眠気のとれない半眼で、光は挨拶の手を挙げた。

「おはよう」
「おはようございます。起き抜けだと思ったので、ついでに準備してきました」
「お。さすが。気が利くやん」

 サイドテーブルにコーヒーを置くと、光が一口飲んで確かめるのを待ち、シャマルは言った。

「昨夜報告した探索に、早速反応がありました」
「なんやて?」
「魔道師はこの近くに存在しています」
「……管理局なんか?」
「そこまではまだわかりません。けれど……」

 言い渋るシャマルを光は促した。

「光さんもご存じの子の可能性が高いんです」
「僕も知ってる……」

 コーヒーカップを傾ける手が止まる。
 今、シャマルはなんと?

「シャマルさん、今、『子』って言うた?」
「言いました」
「僕の知ってる子て……」

 可能性が一気に狭められる。
 仕事以外で知っている子供などいるわけがない。
 カップを置こうとして、一瞬頭の片隅に痛みが生じる。

 ……フェルステーク

 また、その名前が脳裏に浮かぶ。

「誰なんや?」
「高町なのは」
「……高町……なのは……」

 知っているどころではない。はやての親友と言ってもいい相手ではないか。

 ……フェルステーク
 ……はやてを救う
 ……魔道師のリンカーコアを蒐集

 頭痛が鋭さを増し、光は頭を押さえた。

「光さん?」
「や……なんでもない。単なる起き抜けや……」 

 ……魔道師のリンカーコア
 ……闇の書の完成
 ……奪う
 ……殺す

「高町なのはは魔道師……」
「その可能性が高いです」
「……リンカーコア奪って……殺そか……」
「光さん!?」

 シャマルの悲鳴のような言葉に、光の半眼になっていた目が開く。

「どうしたんですか、突然そんなことを」
「へ? 僕、今、なんか言うた?」







 ……私はフェルステークです。かりそめの主、八神光よ



[7842] 第十話「殺さないと、護れないよ」
Name: 黄身白身◆e17d184b ID:5090cc06
Date: 2009/06/09 21:03
 予定通りにヴォルケンリッターは魔法生物を追い、狩った。絶対量は少ないが、確実に、安全に、魔力は闇の書に蒐集されていく。
 シャマルは狩りから抜け、光と共に高町なのはへの対策に当たる。
 果たして、高町なのはとは何者なのか。

 事実として海鳴近辺では、魔道師がいたと仮定すれば説明のつく現象がいくつか起こっている。それも、全てが今年の春頃に連続して発生しているのだ。
 光にとっての最初の事件は四月の当初になる。
 夜中に突然はやてが目を覚まして、「誰かに呼ばれたような気がする」と訴えた。ただ単に寝ぼけたか、悪夢でも見たのだろうと光は考え、はやてをもう一度寝かしつけた。しかし、実は光も似たような夢に起こされたところだった。
 何かに呼ばれた、助けを求められているような夢。
 もしかして、誰かがリンカーコアを持つ者を探していたのだとしたら。高町なのはが、それに応じていたとしたら。
 直接助けを求められれば断れない性格、それが学校での高町なのは評だ。
 学校へ出かけた光は、授業研究のためという名目でなのはの担任と面談した。そして、春頃にやはりなのはの様子がおかしかったことを聞き出した。
 それでつじつまは合う。高町なのはが魔道師になったのだとすれば、それらの説明はつくのだ。
 光は彼女の監視を続けるように、シャマルに言う。
 魔道師だとしても、彼女自体に脅威を感じたわけではない。光の見る限り、高町なのはは争いを好む性格ではない。それは、担任の先生からも聞いている。
 ただ、高町なのはが単独の魔道師だとは考えられなかった。
 数日後、それは証明された。
 シャマルの監視の前で、高町家の前に次元転送されたものが現れたのだ。
 小さな箱のようなものが、高町家のポストに直接転送されていた。

「あれだけピンポイントの転送ができると言うことは、受け入れる側も準備をしているはずです。勝手に送られてきたというわけではないでしょう」
「シャマルさん、いったい何が送られてきたんやと思う?」
「あれだけではわかりません。けれど、一般的な小包の大きさでしたね」

 地球在住の魔道師の住む家に送られてくる次元転送の荷物。これで管理局とは無関係と考える方が珍しいだろう。
 少なくとも、管理局と何らかの繋がりを持っているのだ。ただし、ヴォルケンリッター、闇の書の存在に気付いてるかどうかはわからない。

「なあ、はやてを見張ってるとかじゃないのか?」
「それはないわね」

 状況を聞かされたヴィータの問いにシャマルが答える。

「闇の書の存在に光さんが気付く前から、高町なのはは、はやてちゃんのお友達なのよ。監視目的だとしたら手回しが良すぎるわ。第一、わかっていたのなら、私たちの覚醒を待つこともないんだから」

 確かにその通りだ。くわえて、調べのつく限りに置いて高町なのはの履歴に不審な点はない。
 だから、光はなのはへの一手を封じていた。その魔力が蒐集に魅力であることはわかる。観察しているだけでも魔力の大きさはよくわかるとシャマルは言う。その魔力ならば蒐集量もかなりのものだろうと。
 しかし、それだけは許されない、と光は判断していた。
 例え、頭の中で何かが囁き続けていたとしても。

 ……魔力を奪っても死なないよ

 どこか、夢の中で聞いたような声が囁いていた。






 あれは春頃やった。
 関西におった頃のお父さんのお友達が、たまたま海鳴の近くへ仕事でやってきて、家に遊びに来たことがある。
 私が顔を見せると、お客さんはとっても喜んでくれた。

「はやてちゃんは希美さんに似たんだな。光に似なくて良かった、ホンットーに良かった」
「お前な。本人の前でそこまで言うか?」
「何言うてんねん。娘が不細工にならんで済んだんやから喜ばなあかんやろが」
「ちょ待てや。僕、不細工やったんか」
「おう。知らんかったんかい。ま、希美さんも気付いてなかったみたいやけどな」
「ふふふ。はやても気付いてないぞ、きっと」

 私はここや、と思って、ニッコリ笑った。

「ううん。気付いてるよ、お父さん」
「なぁっ!?」

 爆笑するお客さん。よっしゃ、つかみはバッチリや。
 おかげで、私の知らないお父さんの話をいっぱい聞かせてもらうことができた。大収穫やった。

 そして知った。
 お母さんが倒れて入院した時、お父さんは仕事を辞めた。それは、いつでもお母さんの傍におるためやったと。
 
 私はお父さんに聞きたいと思った。
 どうして、今また、仕事を辞めたん?
 誰かがまた、死んでしまうん?

 私のためなん?

 私……死ぬん?

 ……嫌や。
 ……そんなん嫌や。
 ……シグナムやシャマルや、ザフィーラに会えたのに……
 ……ヴィータと一緒にいたい……
 ……お父さん……
 ……嫌や……せっかく会えたのに……せっかく、みんなに会えたのに……
 ……すずかちゃん、アリサちゃん……
 ……なのはちゃん……
 ……嫌や、私、死にたないよ……そんなん……嫌や……

 ……嫌や!

 私はグルグルと部屋の中を回る。
 今日は誰もいない。
 シグナムも、ザフィーラも。ヴィータですら。雨の日やのに、出て行ってしもうた。
 シャマルとお父さんは、お仕事だと言ってそれぞれの部屋に籠もって出てこない。私が呼べば出てきてくるんやろうけど、何故かそんな気にもなれへん。
 私は独りぼっち。
 贅沢だとはわかっているけれど。
 夜になればみんなが帰ってくるのに。
 それでも、私は独りぼっち。
 独りぼっちのまま、死ぬんやろか。
 そんな風に考えると、とっても嫌になる。

 気がつくと、壁が目の前にあった。私は、いつの間にか部屋を出ていたらしい。
 これは、ダイニングの壁。
 向こうには、食堂と台所。
 そして、誰かいる。
 私は、泣きそうな顔に気合いを入れる。こんな顔は見せたらあかん。特に、お父さんには見せたらあかん顔やから。
 お父さんは、私のためにいっぱい頑張ってる。いっぱい我慢してる。

 ……あ。
 ……そや。
 ……お父さん、私が死んだら自由になれるやん……
 ……私、お父さんの邪魔してるんか?
 ……ちゃう、ちゃうよ。私はお父さんの邪魔と違う。
 ……お父さんは……

「……いつまで……」

 シャマルの声や。
 誰かと話してる。
 シグナムやろか?

「ああ……」

 この声はお父さん。
 声がよく聞こえへん。違った。お父さんとシャマルはおしゃべりしてるわけと違う。
 二人は見つめ合ってる。
 なんで? なんで、シャマルとお父さんが…………?

 ……ああ、そうなんや。
 ……うん、ええよ。

 はやては落ち着いていた。
 はやては、母親の死を理解している。父親の行動が裏切りなどではないことを、はやては理解していた。 

 ……お父さんとシャマル、きっとお似合いや
 ……でも……
 ……私は……
 ……私は邪魔なんかせえへんよ、だって、私は……邪魔なんて……どうせ、できへんようになるから……

 




 ここは、とある管理世界の自然保護区。
 自然保護局支局長のデイハーツは、二人の新入り局員を呼び出していた。

「ミラです。出頭しました」
「タントです。出頭しました」

 呼びだした、と言ってもここは自然保護局の本局ではない。そして、自然保護区に建てられた簡易宿舎に支局長室などという上等なものはない。
 食堂の、誰もいない時間を見計らって呼びつけただけのことだ。

「おう。ま、座れ。なんか食うか? それとも飲む方が良いか?」
「あ、いえ、あの、結構です、ありがとうございます」

 タントは挙動不審だ。無理もない、とデイハーツは思った。
 自分が「鬼の支局長」と呼ばれていることは知っている。新人にとっては、恐れるには充分な渾名だ。
 一方、ミラは「ありがとうございます」と言うとさっさと自分の分のコーヒーを注いでいる。こちらの方が肝は太いようだ。

「支局長はどうされますか?」
「儂もコーヒーで頼む」
「砂糖とミルクはどうしましょう」
「リンディ風で」
「は?」

 デイハーツは一瞬しまった、という顔になる。
 リンディ風というのは、最近本局で流行し始めたジョークだ。とにかく飲み物に大量の砂糖をぶち込むことで、一部局員には圧倒的人気を誇っている。

「ああ、いい。自分でやるから結構だ」

 ミラの準備が終わるに合わせて自分も準備を終え、タントの待つテーブルに座る。

「さて、儂が直接呼びだしたのは他でもない。お前さんたちが提出したレポートについてだが……」

 ミラとタントは顔を見合わせる。デイハーツの言うレポートに覚えはある。しかし、それで支局長がわざわざ出張ってくるとはどうしても思えないのだ。

「調査の結果では、リンカーコアを持つ魔法生物だけが数を減らしている模様だと。で、お前さんたちはそれがなんらかの強制力の結果かと疑っているってわけだな?」

 デイハーツの質問にミラが答え、タントがより正確なデータを出そうとしたところで止められた。

「いや、データはあとでいい。お前さんたちの見解を聞かせてもらおうか」

 二人は顔を見合わせるが、すぐにタントが口を開く。

「支局長。これは何者かによる狩りではないでしょうか。突然の大量自然死なんて不自然すぎます。密漁だとしても、輸送経路が全く掴めません」
「狩り……ねえ。しかし、これだけの量を狩るなんて、ただごとじゃねえぞ? 本局の武装隊が来たって一朝一夕で上げられる成果じゃねえんだ」
「それは……そうかもしれませんが……」
「ま、いいや。そっちはその線でもう少し調査してくれ」
「え?」
「聞こえなかったか? 何者かが魔法生物を狩っているって前提で調査しろってんだ。ただし、無意味な危険は犯すな。やばいと思ったらとっと逃げ出せ」
「いいんですか、支局長」
「ああ、良いから行け。とっとと準備しろ」
「は、はいっ!」

 駆け出していく二人を見送ると、デイハーツはデバイス通信を起動させる。

 ……ああ、俺だ。そっちのダンナに頼まれてた事だがな、報告だ。
 ……ん? ああ、そうだ。何かは知らんが、ダンナの言ってたとおり、妙な狩りが始まったみてえだよ。
 ……サンプルはちょいと遅れるが、確実に送る。ちょっと待ってろ。若いのにやらせてるところだ。急ぐなら自分で来るか? 猫ちゃんよ。
 ……なんだよ。何? リンカーコアの有無? おい、何か知ってるなら情報の一つも寄越しやがれ、おい、聞いてるのか猫!

 通信が途絶え、デイハーツは自分のデバイスを掲げて溜息をついた。

「……グレアムのダンナ……何考えてやがんだ?」






 シグナム、ヴィータ、ザフィーラは蒐集に出かけている。
 シャマルは三人との通信、そして高町なのはの監視を続けている。

「お疲れさんやな」

 一息つくために部屋を出たシャマルに、迎えた光がコーヒーを煎れていた。

「苦労かけるな」

 家の中にいるはずのはやてに聞こえないように、光は囁くように言う。

「いいえ。こんなの、今までの主の扱いに比べれば天と地ですもの」
「いやいや、そんな連中と比べたらあかん」

 光はヴォルケンリッターが過去代々の主に受けた仕打ちを聞くだけでも義憤に駆られるのだ。

「僕もはやても感謝してる。事が終われば、このことかてちゃんとはやてには話すつもりや」
「話すんですか?」

 当惑するシャマルに、光は力強く頷く。

「そうや。君らが誰一人、間違ったことはしてへんことをちゃんと伝えなあかん。ただでさえ、最近はあんまり君らが遊んでくれへんって、拗ねとるからな」

 シャマルは微笑んだ。

「まあ、はやてちゃんったら……」

 その微笑みを覗き込むように光は視線を重ねる。
 重なった視線の持つ意味に気付かず、光は笑った。
 二人の顔が重なるように動いた時、初めて光は意味に気付く。
 それでも、シャマルは視線を逸らさない。光も。
 視線が繋がり、二人か重なろうとして……
 光は動きを止めた。
 そして、苦笑しつつ詫びるように首を振る。

「まだ……あかんな。僕は……」

 言葉にならない意思表示に、シャマルも頷いた。

「ええ。私は構いませんよ」

 物音に、シャマルが突然振り向く。
 その動きに合わせるように、光の視線も同じ方向に向けられる。

「……あ……あ……」
「はやてちゃん?」
「はやて」
 
 車椅子で振り向こうとするはやてへ向かい、光は咄嗟に飛び出した。そして、全身で受け止めるようにして制止する。
 その寸前、光は見たのだ。
 はやての目元から流れている涙を。

「はやて!」

 無言のまま、はやては車椅子のホイールを押し進めようとする。

「おまえっ…!」

 無理矢理に車椅子を制止し、光ははやての顔に手を伸ばす。
 やや強引に顔を上げさせ、その表情を見た瞬間、光は車椅子の前に跪くように座り込んだ。

「すまん、はやて」

 そして光は、自分の伸ばした手にもたれかかるように身を乗り出したはやてを抱きしめる。
 シャマルが何か言いかけて、口を閉じた。
 光の行動が一瞬わからず、そしてすぐに理解したのだ。
 何故、謝ったのか。何故、抱きしめたのか。

 光にとっては自明のことだった。
 娘が、まだ九歳の女の子が泣いている。
 どんな罪がある?
 女の子が泣いているのなら、親のせいに決まっている。涙を止められないのは自分の責任だ。だから、謝った。だから、抱きしめた。

「お父さん……」
「ん?」
「私……死ぬん?」
「死なない」

 何故はやてがそれを。その疑問すら押し込めて、間髪入れずに光は答える。

「死ぬわけ、ないやろ」
「でも……お父さん、お仕事は……」
「死なせない。僕が死なせない。どんなことがあっても、僕がはやてを護る。絶対に、死なせへん」
「私も護ります! どんなことがあっても、はやてちゃんを護りますっ。シグナムだって、ヴィータちゃんだって、ザフィーラだって!」

 ……死ぬよ。貴方の娘は死ぬよ。殺さないと、はやては死ぬよ。護れないよ。殺さないと、護れないよ。

「護る! 絶対に護る!」

 脳内に染み出るように、囁くように聞こえる冥い声をかき消すように、光は叫んでいた。

 ……主はやて……貴方は護られています、守護騎士たちに……御尊父に……信じてください……

 光は知らない。自らの冥い声に相反する声が、今この瞬間、懸命にはやてに語りかけていることを。






 エイミィ・リミエッタは、海の見える公園でベンチに座ってサンドイッチを食べている。
 食べ終えたところで、大きく伸び。

「うーん。ここって空気も美味しい」

 エイミィはリンディの極秘任務を受けて海鳴に降り立っていた。
 一つ。フェイトとユーノからの小包を直接なのはに渡すこと。
 二つ。手頃な住居を見つけること。
 前者はプライベートな頼み。後者は公式な任務である。
 地球に拠点を作る。その拠点は、普通の民家としてカモフラージュされる。具体的には、リンディが住む。
 一見公私混同だが、リンディはアースラを降りたら本気で地球に住もうとしている。ちなみに、前線を引退して内勤になった者が好みの管理外世界に移住し、事実上の駐在員となるというのは取り立てて珍しいことではない。
 現地との軋轢を生まないと判断されさえすれば、割に簡単に許可は出るのだ。もっとも、軋轢を生まないと判断されること自体がかなりの高難度なのだが。
 さらに、リンディの家になると言うことは、エイミィとクロノの家になるかも知れないと言う意味だと、リンディには遠回しにほのめかされている。
 そういうことなら、エイミィに管理局への未練はあまりない。こう見えても彼女は、主婦上等な性格である。

「なのはちゃんの近所が良いんだよね?」

 事がうまくいくならばフェイトも同居して、こちらの学校に通わせるらしいのだ。

「やっぱりこの町、いいなぁ」

 またもや大きく伸び一つ。
 にょろ~ん、なとど意味不明に呟きながら、エイミィは海鳴の町を満喫していた。








  続




[7842]   番外編「おべんとホライズン」
Name: 黄身白身◆e17d184b ID:5090cc06
Date: 2009/06/15 02:03
  ※ 本編とほとんど関係ありません
  ※ StSも改変されてます。
  ※ ちょいと悪ノリ




     ――十年後の某日
     ――機動六課内デバイスルーム横の小部屋(シャーリィのおやつ部屋)


 フェイトは、不安と真剣さの混ざった眼差しを窓の向こうに向けている。
 その隣で同じ方向を見つめているなのは。二人の目に映っているのは、改装されようとしているフェイトのデバイスだ。
 まずは、バルディッシュを改装。それが終わり、突発的な不調がないと判断されたところでレイジングハートの改装に移るのだ。

 バルディッシュ・アサルト
 レイジングハート・エクセリオン
 
 それが、二人のデバイスの新たな名前。
 ミッドチルダ式のデバイスに、ベルカ式の神髄とも言えるカートリッジシステムを装着する。その改装のアイデア自体は新しいものではない。
 もし、十年前の闇の書事件で二人のデバイスが破壊されているような事態になっていれば無理矢理にでも改装していただろうというのが、バルディッシュとレイジングハートも含めた周りの意見だ。
 しかし、現実として二人のデバイス自体は敗れなかった。あのときなのはが敗れた理由は全くの予期せぬ不意打ちによるもの。フェイトが敗れた理由は単純に戦力差だ。デバイスの力差ではなかった。
 だから二人は、デバイスの強化案など思いも寄らなかったのだ。
 
「ここまでしないと、いけないんだね」
「そうだよ、なのは」

 なのはの問いに、フェイトは答える。

「ここまでしないと、私たちではナンバーズに勝てないんだ」
 
 トーレとセッテに敗れた記憶に、フェイトは心中で歯がみするような想いを抱いていた。

「多分、カートリッジで増幅した魔力のシグナムたちでようやく互角だと思う」
「カートリッジ無しの私たちじゃ勝ち目ないっていうことだね……」

 なのはの口調に諦念や悲壮はない。あるのはただ、事実を事実として認めて対策を講じる戦士の口調。

「だけど、いつまでも弱いままじゃいないよ。勝てなければ勝てるようになればいい」
「そうだよ、なのは。あとは、スバルとエリオの新式の魔法体系が何処まで通用するか、だね」

 フェイトの言うのは近代ベルカ式と呼ばれる魔法体系だ。それは、なのはたちのミッドチルダ式やシグナムたちのベルカ式とも違う、両者を融合させた新体系である。
 聖王教会のシャッハ・ヌエラ、そしてスバルの姉であるギンガ・ナカジマによってそれなりの体系は作られているが、公式な体系とは未だ言い難い。
 しかし、成功すれば両者の利点を併せ持った魔法体系が生まれるのだ。
 勿論、そのような不確実な魔法体系の使用者をフォワードとして前線に出すことには不安もある。実験部隊としての側面を持つ六課だからこそできる人員運用だった。
 最強の竜召喚、そしてその制御を可能とするキャロ。近代ベルカへの適正も持ち、さらには真たる希少な幻影使いティアナ。
 本人たちすら気付いていないその性質こそが、彼女らを六課に抜擢した理由なのだ。 
 
「二人とも、気負いすぎだ」

 突然の声に、フェイトは足元を見る。見慣れた青い毛並みが、いつの間にか佇んでいる。

「ザフィーラ? どうしたの?」

 フェイトに続いて、なのはが尋ねる。

「ヴィヴィオに何かあった?」
「いや、そういうわけではない。ヴィヴィオはシャマルが寝かしつけた」

 狼姿のザフィーラ。その背中には何かがくくりつけられている。

「主に届け物を頼まれてな。今の私では外せぬから、そちらで外してくれ」
「届け物……」

 顔を見合わせて復唱すると、二人はザフィーラの背から荷物を下ろす。
 そして、袋を開けたなのはの声が弾んだ。

「あ、お弁当だ。ということは、はやてちゃんが?」
「お前たちがここでデバイスの様子を見ていることを見越して差し入れだろう。せっかくだ、温かいうちに食べてくれ」
「ありがとう、ザフィーラ」
「礼ならば主に言って欲しい。私は運んだだけだ」
「運んでくれたことに対するお礼だよ」
「ならば素直に受け入れよう」
「でも……」

 フェイトがお茶を煎れている。
 三人分のお茶を煎れ、それぞれの前に置くのを待って、なのはは言を続けた。

「だったら、人間の姿で運んでくれば良かったのに。その方がザフィーラも楽でしょう?」

 せっかくフェイトちゃんがお茶を煎れたんだし、と付け加えるのも忘れない。 

「私の姿を知らぬ者に見咎められてもつまらんからな。しかし、好意はありがたく戴こう」

 瞬時に人の姿になるザフィーラ。カップを手に取る。

「それに実のところ、狼の姿での配達には慣れている」
「慣れてるんだ」
「ああ」

 ザフィーラは、懐かしげに目を細めていた。






     ――現在
     ――八神家


 さて、ここで問題です。
 と、はやてが守護騎士を見渡して言う。

「テーブルの上にお弁当があります。これをどうしたらいいでしょう」

 その正体は光のお弁当である。朝、忘れていったのだ。

「御尊父までお届けするのが一番だと思いますが」
「そうだよな」
「このままだと光さんがお腹を空かせてしまいます」
「とは言っても、食堂くらい有るだろう」

 順にシグナム、ヴィータ、シャマル、ザフィーラの意見である。
 最後のザフィーラの意見にシグナムは頷いた。

「それもそうです。無理をして急いで届ける必要もないのではないですか?」
「や、それはあかん」

 はやては真面目にシグナムを見返す。

「お父さんは、お弁当大好きやから」
「お弁当、大好き?」
「そう。お弁当、大好き」
「意味が、よくわからないのですが」
「そのままの意味やよ」
「お弁当という形態の食事がお好きなのですか」
「うん。そういうのとはちょっと違う」
「はやてちゃんの作ったお弁当が好きなんでしょう」

 シャマルの言葉にヴィータが頷いた。

「あ、そうか。はやての作った弁当ならギガウマに決まってるもんな」
「なるほど。確かに。主の作られるお弁当ならば、凡百の食堂など足元にも及ぶまい」
「ならば、届けるべきだろう」
「そうね、届けるべきだわ」





 光は小学校の職員室で途方に暮れていた。
 弁当がない。
 朝、はやてが作っていたはずの弁当がない。
 今日はここで弁当を食べる予定だったはず。どう考えても、入れ忘れだ。
 はやての弁当は絶品なのだ。ヴィータの言葉を借りるなら、まさにギガウマなのだ。入れ忘れなど言語道断なのだ。
 はやての料理の腕は希美に似たのだと光は信じている。
 希美も料理の腕は抜群だった。学生時代に耐乏生活を経験したため、驚くほどの節約レシピをも所有していた。まさに、主婦の鑑だった。
 当時講師として働いていた高校の職員室でも、希美の弁当は羨望の的だったのだ。
 たまたま席が隣になった同僚にも、やたらと狙われたものだった。彼女の名前は忘れたが、たしか、弓道部の顧問だ。弓道部なのに何故か竹刀を振り回していた変わり者だった。
 
「あの、八神先生」
「……は、はい?」

 想い出にふけっていて返事が遅れる。

「何か?」

 声をかけてきた事務員は、何か複雑な顔をしている。

「ご家庭の方から、お忘れ物を届けに」
「忘れ物?」

 すぐにぴんと来た。
 事務員の複雑な顔。そして、「家庭の方から」という言葉。
 はやてが来たのなら「お子さんが来ました」と言うはずだ。はやても素直に「八神はやてです」と言うだろう。
 つまり、はやてではない。
 正門横にある学園総合窓口に向かうと、シグナムが所在なさげに立っていた。

「ああ、光さん。お届け物です」

 さすがに、人前で「御尊父」と呼ばない分別はあったようだ。
 が、しかし。

「シグナム、なんで自分が?」
「主はやて以外の四人でじゃんけんをしました」
「負けたんか」
「いえ、勝ちました」
「おい」
「一度、学校というものを見てみたかったのです」
「まあ、見るんはええけど、じっくりは無理やで」
「何故です?」
「部外者は本来立ち入り禁止やからな」
「そういうものですか」
「最近何かと物騒でな」
「物騒?」

 シグナムが辺りを見回す。

「では、我らも護衛した方が良いのでは?」
「いやいや、海鳴の話と違うから」

 言いながらも、確かに何かある時はシグナムたちに出張ってもらうのも良いかも知れない、と考える光。

「ところで御尊父」

 シグナムが声を潜めた。

「なにやら、私は周囲に観察されているようなのですが。これは、最近物騒だから、ですか?」

 言われて光は気付く。
 この窓口施設、こんなに男性職員が多かったやろか?
 なんや、中高生が来とるで。男ばっかり。
 光は心の中でポンと手を叩く。
 光にとっては、シグナムはとうに家族の一員である。そして、その前に娘の親友のようなものだ。だからこそ、普段は気にしていないのだが、シグナムは美女なのだ。それも、スタイルまで超一流の。
 つまり、男連中はシグナムを見に来ているのだ。

 ……すっげぇ、美人
 ……スタイル良いなぁ
 ……あれって、あの先生の知り合い?
 ……誰アレ
 ……小学校の特別講師だって
 ……馬鹿。大学の講師じゃん、あの人
 ……恋人か?
 ……いいなぁ
 ……あ、あの先生。たしか、娘さんすっげえ可愛いの
 ……はやてちゃん萌え
 ……俺はロリじゃない。愛した女がたまたま小学生だったんだ!
 ……待ていっ!
 ……誰?
 ……幼き少女に劣情を抱く不埒者。恥を知るがいい。人、それをロリという
 ……誰だお前は
 ……貴様らに名乗る名はないっ!

 なんか、妙な言葉まで聞こえてきて光は眉をひそめる。

「あー、シグナム。ここにおると悪目立ちしそうや。今日の所は帰ってくれ」
「はい」
「あ、お弁当。おおきにな」
「いえ、当然です」

 シグナムを見送ると、職員室に戻る。周りからの妙なプレッシャー無視して、弁当を食べる。
 そそくさと食べても、やっぱりはやての作ったお弁当は美味しかった。

 翌日の朝。

「お父さん、ごめんなさい」
「どしたん? 朝から」
「お弁当、まだやの」
「へ?」

 ちなみに、光のお弁当に関しては毎日はやてが作っている。これははやてが言い出したことで、光もそれを尊重しているのだが、出勤間際になってできていないと言われたのは初めてだ。

「あの、後から作って届けるから」
「届けるて……誰が」
「じゃんけんで決める」
「またか」

 光は笑って誤魔化そうとするはやてをじっと見る。

「……なんや、お弁当届けることを楽しみにしてへんか?」
「へ? そんなこと……ないよ?」

 嘘だ。と光は思ったが、まあそんなことは別に構わない。

 するとその日はヴィータがやってきた。
 ちなみに、今日の光は小学校ではなく大学の方にいる。
 迷子になったヴィータだが、傍の学生に道を聞いたところ、たまたま彼は光を知っていた。そして食堂でコーヒーを飲みながら学生と雑談していた光の所へ、ヴィータは案内されることになる。

「あ、お父さん」
「ヴィータ? 今日はヴィータなんか?」
「うん。今日はあたしがじゃんけんに勝ったから」

 えへへ、と笑いながらヴィータはお弁当をテーブルに置く。

「はい、はやてのお弁当」

 他の学生もニコニコとヴィータを眺めている。誰が見ても、微笑ましい子供の光景なのだ。紅の鉄騎の二つ名など、どう見ても想像できない。
 光を知る何人かは首を傾げているが、それははやてとヴィータとを勘違いしているらしい。

 ……八神先生の娘さんって、足が悪いんじゃなかった?
 ……姉妹だろ
 ……髪の色が違うぞ
 ……ハーフかな
 ……ふーん。ヴィータって言うのか。
 ……可愛いな
 ……ヴィータちゃん萌え
 ……俺はロリじゃない。愛した女がたまたま小学生だったんだ!
 ……待ていっ!
 ……誰?
 ……幼き少女に劣情を抱く不埒者。恥を知るがいい。人、それをロリという
 ……誰だお前は
 ……貴様らに名乗る名はないっ!

 どうもこの学園にはロリが多いらしい。と光は思う。

 翌日の昼。

 光は遊ばれていると確信した。
 ただし、悪意のないことも確信している。

「お弁当お届けに来ました」

 そこにいたのはシャマルである。

「今日は私が作ったんですよ」
「え?」
「はやてちゃんにお願いして、私が作ってみたんです」

 周囲の目が痛い。
 一昨日は小学校、昨日は大学の食堂とはいえ、同じ学園内である。
 しかもシグナム、ヴィータ、シャマルと、タイプは違えど三人とも何処に出しても恥ずかしくない美女美少女なのだ。
 それが入れ替わり立ち替わり弁当を届けているのである。これで噂にならない方がどうかしている。

 ……私が作った?
 ……あれは、愛妻弁当なのか!?
 ……あれ? でも八神さんってバツイチ
 ……じゃあ今はフリーだ。問題ない
 ……待て。一昨日のは誰だったんだ
 ……昨日の子はもしかしてこの人の子か? 連れ子か?
 ……再婚か。めでたいな
 ……八神さんに比べたら結構年下じゃないか?
 ……子持ちの若妻か。それはそれで萌えるな
 ……待ていっ!
 ……誰?
 ……人妻に劣情を抱く不埒者。寝取られる夫の哀しみを思うがいい。人、それを不倫という
 ……誰だお前は
 ……貴様らに名乗る名はないっ!
 
 どうもこの学園には怪しい(正義の)拳法使いがいるっぽい、と光は思う。





「あのさ、明日からザフィーラ君が届けてくれないかな」
「よろしいですが」
「あ、狼状態でね」
「は?」
「ほら、テレビでたまにやってるおつかい犬みたいに」
「……おつかい犬……ですか」
「あ、なんか傷ついてる?」
「い、いえ。御尊父のご命令であれば私に異など……」
「じゃあ、おつかい狼」
「お任せください」
「名前の問題やったんかいっ!」
 



[7842] 第十一話「忘れてください」(注意・ややグロ有)
Name: 黄身白身◆e17d184b ID:5090cc06
Date: 2009/06/17 02:17
 熱気というレベルを越えて物理的な重みすら感じる温度がヴィータの双肩を押さえつけていた。
 汗をぬぐい、ヴィータは周囲の様子を窺う。
 見渡す限りの一面に広がる砂漠には、建物どころかただ一人の影すらも見あたらない。
 それども紅の鉄騎としての感覚は確かに相手を捕らえている。この瞬間に相手が視認できないことはたいした問題ではない。しかし、問題は別にあった。
 ヴィータか感じている気配は二つ。その二つは確かに目的の相手のものだ。しかし、どこか遠くにあるものも含めれば気配は確実に三十を超えているのだ。

 ……囲まれてんのか?

 考えられないことだが、今の状況からはそうとしか考えられない。
 ヴィータがこの世界へやってきたのは魔法生物である砂竜を狩るためだ。この世界の砂竜の存在は確かに広く知られているが、だからといって自分がここへ来ることが察知されているわけがない。そもそも、「闇の書」の起動すら知られていないはずなのだ。
 だから、「この集団の目的は別」とヴィータは判断する。自分はたまたま、その標的の近くに来てしまったのだと。 
 現に、遠い魔力には自分から隠れようとする気配がない。どちらかというと、あえて露出しているような気配が濃厚だ。
 つまり、遠方の魔力の目的は自分ではない。結果として「囲まれている」だけで、自分が「狙われている」わけではない、と。
 どうするべきか。
 ヴィータは深く考えずに結論を出す。
 別に、彼女が考えられないと言うわけではない。相手の出方が不明、それを類推する材料もないのだ。ならば、下手に考えて自分の行動を縛るよりも、どんなことにも対応できるように思考をニュートラルにしておいた方がいい。
 そして、優先順位はあまりにも明確なのだ。
 はやてを護ること。これが何よりも優先するもの。そして、次が光を護ること。その下が、自分を護ること。
 ならば、為すべき事は決まっている。
 はやてのために、砂竜は倒す。そうしておきながら、周りの反応を見る。あとは、その反応次第だ。
 シュワルベフリーゲンを発動するヴィータ。生まれた鉄球を、砂竜の潜伏する地面にたたき込む。
 鎌首をもたげる竜の懐へと、間髪入れずに飛び込むヴィータ。見た目からは考えられない俊敏な動きからの攻撃をかいくぐり、的確に砂竜へとダメージを与えていく。
 しかし砂竜の防御は堅く、多少の打撃ではびくともしない。時間をかけて二匹同時に相手をするのは、できれば避けたい展開だ。

「しょーがねぇ、速攻で決めっぞ! グラーフアイゼン!」
“Jawohl”

 カートリッジを装填。

「フランメ! シュラーク!」

 たわむかのように振りかぶられたグラーフアイゼンの先端が、裂空の気合で砂竜の背を打つ。撃たれた瞬間、爆発炎上したかのように噴き上がる炎。
 炎を潰すように二撃三撃とくわえると、そのたびに砂竜の動きが弱っていくのがわかる。
 この調子で、と思った瞬間にヴィータは咄嗟に飛び退いた。それは反射神経や洞察ではない、ただの勘、戦場を駆けた者だけが持つ戦士の勘だ。
 飛び退いた直後、ヴィータの残像すら残っていそうな寸差で、さっきまでいた空間が貫かれる。貫いたのは爪であり、牙。
 砂竜ではない。それはある意味において、砂竜よりも恐ろしい存在。

「砂竜もどきかよっ!」

 それは外見だけなら砂竜に酷似していた。しかし、もどきと呼ばれるだけあって魔力は全くない。単なる、凶暴な野生動物なのだ。
 砂竜のように魔力由来の炎を吐くことはないが、その爪と牙は充分に脅威である。
 魔力がない故に、ヴィータはその存在を見逃していた。しかし、普通ならば見逃すわけはないのだ。ヴィータとて愚かではない。砂竜もどきの存在も知っていたし、その脅威も知っている。
 罠、と言ってもいいだろう。
 遠くからこれ見よがしに発せられている魔力の気配。考えてみれば、それが砂竜もどきの気配を攪乱していたのだ。
 それでも、砂竜と砂竜もどきだけならばヴィータは切り抜けることができるはずだった。
 だけ、ならぱ。
 狙撃位置から放たれた魔力弾を避けながらヴィータは、これが罠だと確信する。
 ベルカの騎士にとって、狙撃手は天敵である。なにしろ、近距離格闘が騎士の売りなのだ。しかも、すでに囲まれている。
 狙撃手だけならば、囲みを突破するのは容易だ。
 砂竜もどきだけならば、倒すのは容易だ。
 しかし、ここには両者が準備されている。

「つまんねぇっ! こんな腰の引けた狙撃にあたしが倒せるかよっ! やるなら、正面堂々来やがれ!」

 ヴィータの叫びを嘲笑うかのように、複数の狙撃弾が接近する。緩やかなホーミング性能を付与されたそれは、ヴィータを包むような軌跡を描きながら、妙にゆっくりとした速度で動いていた。
 あえて遅い弾を放っている、と判断するヴィータ。弾は当たれば儲けもの、程度の囮だろう。ダメージを与える本命は砂竜もどき。ならば、一瞬で避けておしまいの弾よりも、注意を少しでも多く奪う低速弾が有効だ。
 絡め手は腹立たしいが、怒りを優先すると不利になることはわかっている。ヴィータは落ち着いて周囲の状況を確かめ、シュワルベフリーゲンによる迎撃を選択。

「っとに……うっとうしいなぁ……」

 鉄球が魔法弾を削り弾くように襲う。瞬間、数個の魔法弾が速度を上げた。同時に、何に反応したのか砂竜もどきが数体、一気に鎌首をもたげる。
 砂竜もどきか壁と化し、魔法弾を隠す。そして、ヴィータの放った鉄球は魔法弾と相殺しその威力を一時的に失っていた。
 砂竜もどきはヴィータを囲むように動き……否、一体は最初の攻防で倒しきれなかった砂竜である。

「しまっ……!」

 悔やむも遅く、魔力火炎がヴィータの視界一杯に広がる。
 叫び、火炎を散らすグラーフアイゼンの一閃。しかし、火炎が消えて視界の戻った先には砂竜もどきの牙。そして、振り切ったあげくに戻すことのできない己のデバイスに、今度こそヴィータは呻いた。

 男が吼えた。
 金属を擦らせた不快音にも似た異音。
 ヴィータと砂竜もどきの間に立ちはだかるように、褐色の騎士が構えている。
 牙を退けたのは、騎士のシールドであった。

「ザフィーラ!」
「定時の連絡がなかったのでな」
「……すまねぇ」

 ザフィーラは振り向きもせず言う。

「忘れたか。私の名を」

 ヴォルケンリッター、ザフィーラ。二つ名は、楯の守護獣。

「おめえは、……はやてのための楯だろう」
「生憎と、今の主には楯を必要とする危機などないのでな。ならば、この身をもってお前たちの楯となるのも一興だ」
「暇つぶしかよ」
「そうとも言うな」
「好きにしろ。感謝はしねえぞ」
「元より。感謝を互いに求める間柄でもあるまい。我らは」
「はっ、違えねぇな」

 ヴィータは凄みのある笑みを浮かべる。ザフィーラも唇を歪め、笑いの形を作っていた。

「行くぞ。我らヴォルケンリッターの神髄、狙撃手どもに知らしめる。我らの戦いに、高みの見物などはないと言うことをな」
「おうっ!」







「艦長って凄いですよね」
 
 運転役の後輩の言葉に、エイミィはモニターから目を離さずに答える。

「今頃気付いたの? 優秀な乗組員なら、乗艦して三日で気付くわよ」

 リンディ・ハラオウンは恐ろしい。知れば知るほど、そう思える。
 そして知れば知るほど、彼女の周辺に取り込まれている自分に気付く。
 しかし、恐ろしいのは、取り込まれることではない。
 取り込まれることに抵抗をなくしている自分でもない。
 本当に恐ろしいのは、「取り込まれたほうか得」と思える環境を作り上げてしまうことだ。そしてそれを「必然」「偶然」と感じてしまうこと。
 何処までが本当に「偶然」で、何処までが「操作」なのか。いや、リンディ本人ですら、すでに区別が付いていないのではないだろうか。
 そうとでも言いたくなるほど、リンディの私事と公事の摺り合わせは神業レベルである。
 自分とて、時々ふと疑問に思う時がある。

 ……私はクロノ・ハラオウンが好き。だから、エイミィ・ハラオウンになる。

 リンディにとって自分は、息子の嫁になるのか。それとも、「魔法以外の電子機器に特化した有能な人材」になるのか。
 一つの確信はある。クロノと自分の仲がどうであろうと、リンディと自分の関係はほとんど変わらないと。
 書類上の家族関係になるかならないか、それだけの違いだ。
 もし自分の恋愛感情が無くなってしまえば……

 ……フェイト・テスタロッサ・ハラオウンは、クロノの妹ではなく、妻としての存在になるのか。

 おそらく、フェイトは断らない。少なくとも、保留にはするだろう。
 悪く考えるならば、リンディはフェイトをそこまで追い込むことができる。自由意志は尊重する、との名目を保ったまま。
 リンディがフェイトを心配しているのは嘘ではない。家族を与えようとするのも心からの好意だろう。
 だが、そこに打算はないのか。フェイトという人材を身内に確保しようという考えはないのか。
 リンディに問えば、答えるだろう。

「勿論あるわよ」と。

 それが、リンディ・ハラオウンの恐ろしいところだ。
 そしてそれが、自分の目指している上司の姿だ。
 今、車を運転している後輩も、もう少しすれば気付くだろう。そして彼女がそれなりに優秀ならば、「ようこそ、ハラオウンの閥族へ」ということになる。

「なんか、反応してますよ」

 後輩の声に、エイミィはモニターを見た。

「……反応どころの騒ぎじゃないよ」

 地球上での移動のために準備された車。その運転のために後輩を半ば無理矢理連れてきたのだが、エイミィの手筈は正解だった。
 車に積まれているのは盗聴探知機である。地球で使われているテクノロジーによる盗聴ならば大概は発見できる。その性能は地球上のものより高い。
 極秘に駐屯する場合でも、何らかの形で怪しまれることは珍しいことではない。文明の違いがあるとはいえ人間のやることである。どうしても見落としはある。そして優秀な人間はどの世界にもいる。
 微妙な偶然で自分たちが現地政府の調査対象にならないとは限らないのだ。
 まず、その憂いをなくすために可能な限り怪しい者は排除する。標的が自分たちでなくても、調査対象とされている者が近所にいれば、巻き添えを受けないとも限らない。
 だから、エイミィは地球での拠点となる家を中心に、現地テクノロジーを走査していた。
 具体的には、盗聴の類の発見だ。
 反応はあった。
 とある一軒から、異常なまでの反応が検知されているのだ。
 これは純然たる電子機器の問題なので魔法ではまず発見できない。どれだけクロノが優秀でも、ここはエイミィの出番なのだ。

「何だか知らないけれど、盗聴されまくってる家があるね」
「現地政府の捜査対象でしょうか? テロリストや反政府主義者とか」
「……うーん、なのはちゃんの近所だし、そういう物騒なのはいないと思ってたんだけどなぁ……あ、これが終わったら翠屋行こうか。美味しいよ」
「え? いいんですか」

 軽いなぁ、という言外の後輩の非難を、エイミィは笑って受け流す。

「これに関しては放っておくしかないよ。現地の政府のやり方に干渉はできないからね。これが魔法なら、干渉する名目もあるんだろうけど」

 もっとも、魔法ならばこの機械では検知できないし、自分も後輩も検知できない。電子機器のエキスパートとその後陣(予定)は、リンカーコアには縁がないのだ。
 ただし、念のためにエイミィは地図に印を付けておく。

「世帯主は……八神光か……。一応報告だね」








 涙を流しながら、少女の命乞いは続いていた。

「助けて……お願い。お願いです」
「堪忍な。君を殺さへんと、ウチの娘がな、ヤバいんや」
「そ、そんなの、知らないよぉ……」
「冷たいなぁ、君の友達やん」
「え?」

 なのはは首を傾げた。
 その仕草に、光は目を細める。

「知らんふり、すなや。ボケッ」

 レヴァンティンが一閃すると、少女の首は高く飛ぶ。

「ご苦労、シグナム」

 光は、レヴァンティンを鞘に収めて控えるシグナムに声をかけると、一歩進み、闇の書を開く。

「……結構ページが埋まるな。この子のリンカーコア、えらい大きかったんやなあ」
「終わったの?」
「おお」

 光が振り向いた先にはヴィータ。その背後には、すずかとアリサをはじめとしたクラスメートたちが倒れている。

「じゃあ、これではやては治るんだね」
「それがなぁ……」
「なに?」
「足りへんねや」
「え?」
「だから、足りへんねん」

 だから、君も死ねや。
 
 光の呟きで崩れ落ちるヴィータ。
 別の場所ではシグナムが。そして、ザフィーラが。

「ひ……ひか……る……さん……」

 倒れ痙攣するシャマルに、光は微笑む。

「ありがとな。これで、はやても元通りや」

 かき消えていくヴォルケンリッター、クラスメートの死体。そして光は、唯一残った人影へと歩む。

「はやて……」

 人影は、自分の足で立っていた。

「……お父さん?」
「はやて。足は治ったんやな」
「……これ……あたしの足?」

 振り向いたはやての姿が、まるでスポットライトが当てられたかのようにはっきりと周囲から浮き始める。

「あたしの足……」

 ……なんで?
 ……どうして?
 ……助けて
 ……痛いよ
 ……あああ
 ……痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い見えない聞こえない見えない聞こえ見え聞こえ見聞見聞こ見聞見えな聞はやてちゃ先生主御尊父はや尊ひかちゃはや先生やが父お父さはやある見痛いどうしてはやてえない生すけてかるさ助なんああ恨見え聞こはや殺父ないああいよして助狂はやひかはやてちゃんはやてちゃんはやてちゃはやてちゃんはやてちゃんはやてちゃんはやてちゃんはやてちゃんはやてちゃんはやてちゃんはやてちゃんはやてちゃん痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い……

 はやてには足があった。
 小さく縮められた死体が折り重なり、透明の袋に詰められたように圧縮され、血と体液にまみれた足が。
 怨嗟と悲哀に満ちて呻き続ける屍によって生み出され、構成された足が。
 命を奪い、魂をつなぎ止め、精神を破壊することによって作られた足が。

「これが……わたしの……足」

 はやては笑っていた。

「お父さん、ありがとう」

 光は、絶叫した。

 次の瞬間には包まれていた。
 温かく、優しいものに。

「ああ……あ……」
「……大丈夫です。私がいます。もう、大丈夫です」

 ただ、呻くだけ。
 ただ、震えるだけ。
 ただ、抱きしめられていた。
 
「僕は……僕は……?」
「悪夢を見たんです。ただの悪夢を。それは現実にはなりえません」

 見上げた位置には、シャマルが優しく頷いている。

「悪夢は忘れてください」
「……見たんか……?」
「私と精神リンクが繋がっていたようですね。見えてしまいました」

 それは偶然か、それとも無意識に助けを求めたのか。

「……御免……」

 腕の中の温もりから身を離すことができず、光は呟いた。

「構いません。光さんなら……」

 悪夢など忘れてください。もう一度そう呟くと、シャマルは光の手を自分へと導いた。

「忘れるお手伝いを、させてください」



[7842] 第十二話「私が主だ」
Name: 黄身白身◆e17d184b ID:5090cc06
Date: 2009/06/23 23:36
 リーゼ姉妹は、とあるマンションのロビーにいた。
 その姿は、旧知のクロノでもリーゼ姉妹とは気付かないだろう。二人は、外見上はごく普通の日本人であるように変身しているのだ。

「ごめん、アリア。あたしはパス」
「……またですか?」
「本当に御免。でも、あたしはどうしてもあそこは……」

 これから向かう部屋の淀んだ空気を、リーゼロッテは嫌っている。それは、任務を遂行するという意味では困ったことだ。
 とはいえ、リーゼアリアもその空気は嫌いだ。淀んだ、饐えた匂いが嗅覚ではなく精神に直接訴えてくるような気がする。
 それがその部屋の中いる男たちの雰囲気であり、周囲を汚染する精神なのだろう。
 使い魔としての任務でなければ、絶対にあんな所へは行かない。近づきたくもない。

「気持ちはわかりますけど、これは任務ですよ」

 しかし今日ばかりは、アリアにも譲る気はなかった。そもそも、予想が正しければロッテが必要となるはずなのだ。

「えー。ここにいる連中って、リンカーコアの欠片もないんだし、何かあってもアリアだけでなんとかなるよね?」
「ええ。なります」
「だったら……」
「一人は嫌なんです」

 ぐ、と絶句するロッテ。昨日今日のつきあいではない。生まれた時からのつきあいだ。この言い方をしたアリアが絶対に譲らないということはよくわかっている。そして、この言い方をするほどアリアが追いつめられていることも。

「ごめんよ。あたしがわがままだった」
「わかってくれればいいですから。じゃあ、行きましょう、ロッテ」
「わかったわかった」

 エレベータで6階へ。そして、6号室。廊下を近づくにつれ、リーゼロッテの表情が剣呑な物へと変わっていく。

「落ち着いてください、ロッテ」
「あたしは、あいつらが大嫌いだ」
「私も嫌いです」

 父様の任務でなければ、誰があんな男たちに近づくか。とロッテは呟く。その呟きにアリアはうなずき、次いで肩をすくめる。

「そろそろ、最後の我慢の日が来ます。それまでは我慢するべき」

 そして、アリアは6号室のドアに手をかける。
 開いた瞬間、無意識に呼吸を止め、すぐに自分の行動に心の中で苦笑する。

「おや、加藤さん」

 ドアの目の前に陣取っていたジャージ姿の男。その男にありふれた偽名を呼ばれ、アリアは頷く。偽名であることは、雇われた男たちにもとっくにばれているだろう。しかし、男たちはそれを追求しようとはしない。雇われている者の矜持などではなく、ただ、無関心なだけだ。それも、無責任に容易く通じるタイプの無関心。
 部屋の中にいる男は三人。それぞれが別の地方から雇われているため、雇われる前からの面識はないはずだ。
 三人はそれぞれ時期をずらした一年間の約束で雇われている。四ヶ月に一度、三人の内一人が別の者と入れ替わるのだ。

「あれから、定期的に出てくる地名みたいなのは記録しておきました。それ以外は取り立ててありませんね」
「加藤さん?」

 玄関前にいた男とは別の男……眼鏡の男が下卑た愛想笑いを浮かべながら近づいてくる。

「あの、あのですね、映像記録ってやつ、復活しないんですかね。音声記録だけじゃなんというか、細かいところまでが……」

 ロッテが嫌悪を隠そうともせずに、眼鏡男に拳を突きつける。男の前髪が乱れ、数本が断たれ、宙に舞う。

「それ以上言うと、あんた、ぶち殺すよ」
「す、す、す、す……す、すんません!!」

 腰を抜かし、退こうとする男の手をロッテは捕まえ、軽く捻った。そして床に落ちる一枚の写真。
 男たちが雇われ、監視を続けている一軒の家族。そこの一人娘の着替えを盗撮したものだ。

「あんた、この手のものを残すとどうなるか、前に言ったはずだよね」
「い、いや、それは、たまたま隅っこにあった奴を……今日あんたに渡そうと思って!! 本当だ! マジだって!」
「そうかい。だったら、没収させてもらってもいいね」
「も、もちろんだ」

 守護騎士たちの登場を察知した瞬間に、全ての映像記録端末は活動を停止させた。
 現代科学に対して守護騎士は疎いかも知れないが、映像記録で有れば何らかの視線を感じるかも知れない。
 己自身もそれなりの使い手であるリーゼ姉妹にはその感覚はよくわかる。だからこそ、視線を感じさせる可能性のある映像記録は全て止めたのだ。眼鏡男が持っているのは、それ以前に記録していたもののコピーだろう。勿論、着替え中をわざわざ狙うことなどしないが、四六時中監視を続けていれば嫌でもその瞬間はやってくるのだ。
 もし、それが例えば、自分たちのような年格好の者を対象としていたならば苦笑と注意で済ませていたのかも知れない。とアリアは思う。
 しかし、この場合の対象はわずか十才にも満たない女の子だ。苦笑どころか、吐気と怖気が走る。注意を促す前に相手の正気すら疑うというものだろう。
 眼鏡男への対応はロッテに任せ、アリアは盗聴記録の抜粋を手に取った。
 蒐集行動の相談は、はやてが眠った後に行われている。あるいは、はやてが図書館へ出かけた時。どちらにしろ、決まった時間帯である。
 光という存在がいるため、相談は念話でなく肉声で行われている。
 すでに、ヴィータに対する罠は試験済みである。ザフィーラの介入により失敗に終わったが、似たような作戦が有効であることはわかった。
 このまま妨害を続け、蒐集ペースを増すために人間を襲わせて、管理局を介入させる。そして、リーゼたちの介入により守護騎士たちと管理局の間を均衡させる。
 最終的には「闇の書」の覚醒と共にデュランダルによる凍結封印。そして虚数空間への追放。それで、「闇の書」は永久に葬られるだろう。
 それがグレアムの願いであり、リーゼの望みだ。

「また来週来ます。このまま続けていてください」
「わかった」

 男たちを入れ替える時にその記憶は改竄され、八神に関する記憶は全て消える。
 彼らに残る記憶は「新薬の被験者」という記憶のみ。これならば、月単位の拘束も充分にあり得る話であり、実験内容の機密という設定も不審には思われにくい。

「あいつ、次も同じ事してたら、あたしは我慢しないよ」

 マンションの正面玄関を出たところで、ロッテが呟くように言う。

「ええ。私も同じ」

 アリアの答えに、ロッテは笑う。

「だけど、もうこれも終わります。……八神はやてに、来年はありませんから」
「……うん。わかってる」

 次の瞬間、二人はその歩みを止めていた。
 見覚えのある者が、目の前に立っている。正確には、前方の路肩に止められた車の横。地図を引っ張り出して何かを探している様子。
 
 よりによって……とアリアは心のなかで呻いた。
 何故、エイミィ・リミエッタがここに?
 PT事件での部隊はこの地球だった。そして、高町なのはという強力な魔道師の存在する世界である。考えてみれば、無視されている方がおかしいと言えただろう。 
 彼女は魔力資質こそない管理局員だが、だからといって軽視するなどとんでもない。ただ、彼女には「魔力がない」だけ。それは「実力がない」と同義ではない。
 魔力がなければ、別の手段を使えば良いだけのことなのだ。どちらにしろ、魔法だけに頼る魔道師は管理局にいても単なる戦闘要員にしかなれない。
 しかし、エイミィは違う。グレアムに言わせれば彼女は、「リンディ・ハラオウンの後釜」なのだ。単なる「魔力が使えないオペレーター」ではない。
 
 即座に、アリアは念話でロッテと打ち合わせる。
 今の二人は変身魔法を使っている。そしてエイミィに魔力はなく、変身魔法がばれるとは思えない。しかし、だからといって甘く見ていい相手ではないのだ。
 ここにいるのも偶然ではないだろう。
 そこまで考えて、二人はエイミィの専門を思い出す。
 彼女の専門ならば、盗聴元を割り出すことは可能だ。そして車には、明らかにその手の機材が積まれているのがわかる。
 





 見知らぬ町で知らない人から話しかけられる。
 普通は慌てるものだ。
 しかし、エイミィは如才なく微笑んで、尋ね返した。

「どなたでしたっけ?」

 本当に知らない相手なら、問題ない。
 知っている相手なら、何らかの理由で変装、あるいは変身している者だ。自分にはわかるわけもない。
 それでも、エイミィは相手の特徴を脳裏で検索する。
 地球にいてもおかしくない者。
 二人組の者。
 そして、おそらくは女性。
 変装ではなく、変身魔法が使える者。
 最後は勘だ。

「クロノ君なら、来てないよ?」

 二人組の一人が大きく笑う。

「ほら、これだ。これだから、クロスケの所の連中は困るんだ」
「本当に。どうしてわかるんでしょうか」

 正体を明かしたリーゼ姉妹の言葉に、エイミィの微笑みは深くなる。

「うん。ただの勘だから」

 フェイトの保護観察を担当するグレアムの補佐として、PT事件の重要関係者である高町なのはを観察するためにこの世界へ来たのだとリーゼ姉妹は言う。
 実際に次元移動の届け出はその名目で為されているため、疑われることはない。
 エイミィも事実を告げ、八神家の盗聴元を追ってきたのは自分の技術者としての好奇心だと告げる。勿論、盗聴元がこの世界の政府やその筋の関係者だった場合は当然介入するつもりはないと。
 
「もし、エイミィさんがただの好奇心で動いているのなら、お願いがあるのですけれど」

 アリアの言葉に、少し考えてエイミィは頷いて、是を返す。

「高町なのはを見ることはできますか? 会う必要はないんです。遠くから見るだけでも」

 この場からエイミィを引き離す理由としては適当だろう。疑われる余地はない。
 エイミィは考えるまでもなく頷いた。
 そして、ついてくるように言うと二人を車に案内する。

「グレアムさんに、お土産買っていくと良いよ」
「お土産? 何処に行くんですか?」
「ん? なのはちゃんのお家、喫茶店兼ケーキ屋さんだから」






 はやては、夢を見ていた。
 誰かが泣いている。何もない空間で、誰かが泣いている。たった一人。いや、誰かとはやてしかいない、不思議な空間で。
 見覚えはある。そう、ここには何度も来たことがある。
 ああ、とはやては頷いた。
 そうだ。ここだ。ここで、ヴォルケンリッターの名前を教えられたのだ。

「主はやて……私の無力を許してください」
「何言うてるの? 私は何にも怒ってへんよ?」
「今の私には止められない……」

 はやては首を傾げる。一体、何を止めようと言うのだろうか。

「あの存在を止めることは、今の私にはできない」
「わからへんよ。あの存在って何?」
「……フェルステーク。貴女のお父上によって名付けられた存在」
「お父さんが?」

 長い銀髪を振るわせ、深紅の瞳がはやてを見つめる。

「今の私は無力です。でも、貴女なら……主なら……今までとは違う貴女なら……」

 熱く強い女性の姿は、徐々に薄れていく。

「待って。誰なん? 貴女は、誰なん!?」
「私は、闇の書の……」

 目を開くと、そこには光の顔。

「……お父さん?」
「目ぇ覚めたか?」
「え? ……うん」

 起きようとすると、シャマルが優しくそれを制止する。

「寝ていてください。はやてちゃんが突然倒れるから、みんなビックリしたんですよ」
「え? 私、倒れたん?」

 見ると、シャマルの後ろではヴィータが泣きそうな顔でこちらを見ている。

「はやて……大丈夫?」
「あはは。大丈夫や、ヴィータ。心配させて御免な? 泣いたらあかんよ」
「泣いてねえ!」
「嘘はいかんな、ヴィータ」

 混ぜっ返すようなシグナムの言葉に、ヴィータは唸る。

「しかし主。心配したのは事実です。お身体にはくれぐれもお気を付けください。何かあるならば、御遠慮なく我々にお申し付けください」
「こらこら」

 シグナムの言葉を、今度は光が窘めた。

「心配してくれるんはええけど、甘やかしたらあかんで。それとこれとは話が別や」

 そしてはやてに向かい、

「はやて。昨日夜更かししたやろ」
「え?」
「部屋で携帯ゲームしてたやろ」
「私、PDCなんか持ってへんよ」
   (註1)
「……PDCなんて言うてへんけど?」
「あ」
「月村さんか、バニングスさんか、高村さんか、誰に借りたんや」
「えーと……なのはちゃんが……景品で当たったけど、もう持ってるからって、貸してくれたんや」
「……夜更かししてるようやと、返さなあかんな」
「ごめんなさい。悪いのは私やから、すずかちゃんは悪ないよ」
「それはわかってる。とにかく、夜更かしはあかん。それから、今はゆっくり横になってること」
「はい」
「あとで、シャマルが温かいミルクでも持ってきてくれるから」
「え?」
「どした、はやて?」
「ううん。なんでもあらへん」

 素直に目を閉じたはやての様子を見て、一同は部屋の外へ出る。

(どう思う? シャマル)
(夜更かしは事実ですけれど、原因は別のものです)
(「闇の書」由来の衰弱か)
(はい)

 そこまで話して、光はシグナムの微妙な表情に気付いた。

「どないした?」

 密やかな声に、シグナムは念話で返す。

(念話が使えるようになったのですか?)
(ああ。いつの間にか、使えるようになってみたいやな。僕の方には蒐集の効果が多少なりとも現れてるんか?)
(リンカーコア自体に変化があるわけはないと思うのですが……)
(そう言われてもな。使えるんやからなぁ)

 シグナムは少し頭を捻り、シャマルと光を見比べる。
 そして、またもや複雑な顔で頷いた。

(わかりました。おそらくシャマルが中継して、我らとの念話が成立しているようです。御尊父とシャマルの間の念話は間違いなく繋がっています)
(っていうか、光とシャマルは念話より精神リンクの方が近くないか?)

 ヴィータの問いに、慌てるシャマル。そしてシグナムが言う。

(ヴィータ、あまり追求するな。御尊父が念話を可能としているのは悪いことではない)
(んー。別に良いけど)
(なんや、二人とも気になるな。言いたいことがあるんやったら言うてもろたほうがええんやけど)
(大したことではありません。御尊父とシャマルの間に精神リンクが繋がれた理由が推定できる。それだけです)
(推定て……)
(御尊父はいつの間にか、シャマルを呼び捨てているようですし)

 シグナムの言葉に、光はシャマルを見た。
 シャマルも、光を見ている。
 二人の表情が真っ赤に染まった。

「い、いや、あの、な、シグナム。それは」
「え?」 

 全員の視線に、光は胸を張る。

「今日から全員呼び捨てることにする。ヴィータ、ザフィーラ、自分らも構へんやろ?」
「あたしは別に良いけど」
「無論です。御尊父」

 シグナムに指摘された瞬間、光は気付いたのだ。
 はやての前で「シャマル」と呼び捨て、はやてがそれに反応していたことを。
 だから、全員呼び捨てる。
 シャマルとの関係を恥じているのではない。言ってしまえばこれは照れだ。本人は決して認めないだろうが、照れなのだ。

 そして光はそのまま四人を書斎に招く。
 これからの行動に関する会議である。

 はやての病状の悪化。
 さらに、何者かの妨害工作による蒐集の遅延。
 魔法生物相手に限定した蒐集には限界がある。そもそもが、かなりの無理を承知した上での計画だったのだ。妨害工作など計算には入っていない。
 そして、解せないのが妨害工作の手際だった。
 どう考えても、蒐集場所をあらかじめ知っているとしか思えない罠が仕掛けられている。それも一度や二度ではない。ほとんど毎回に近いのだ。
 
「……リンカーコアを奪っても、必ずしもそれが死に繋がるわけではない。確か、そやったな」

 光の言葉に頷くシグナム。
 リンカーコアを根こそぎ奪えば、同時に命すら奪うだろう。しかし、命を奪わずにリンカーコアだけを奪うことは、人間相手ならば不可能ではないのだ。
 命すら奪うつもりで奪ったリンカーコアの量を百とするならば、命を守って奪う量は九十五。その程度の差でしかない。

「最悪の場合は入院治療が必要でしょうが、よほどでなければ怪我は残りません。リンカーコア自体も、時間が経てば回復するでしょう」
「それなら……魔道師から奪うことも考えて欲しい。ただし、命は絶対に奪ったらあかん。それだけは絶対に守らなあかんねや」

 そしてもう一つ、と光は続け、四人はその発言に驚愕する。







 とある管理外世界での戦闘は激烈を極めていた。

 武装隊の指揮官は考えていた。今回こそ「闇の書」に始末を付けることができると。
 送られてきた匿名の情報は、これまでの所おおむね正しかった。
 それでも今までヴォルケンリッターを取り逃がしている理由は二つ。
 一つは、情報源への疑いのために完全な部隊を送らなかったこと。
 二つ目は、ヴォルケンリッターの戦いぶりが何故か消極的だったこと。
 今回は管理局もそれなりの部隊を派遣している。一連の戦いぶりを見ている限り、ヴォルケンリッターを捕らえる、あるいは滅するには充分の布陣だ。

 それから一時間としない内に、成功するはずの作戦は崩壊していた。
 シグナム、ヴィータ、ザフィーラ。情報通りのヴォルケンリッター。そこにシャマルの姿がないのは、攻撃側にとっては有利になりさえしても不利ではない。それは武装局員たちの士気をあげるだけだった。
 しかし、これまでとは違っていた。ヴォルケンリッターの戦いぶりは過去の「闇の書」事件を彷彿とさせるものに戻っていたのだ。
 いや、それだけならばここまでの崩壊はなかっただろう。そこに現れた別の要員さえなければ。

 マントを羽織り、仮面を被った男。
 男は、魔法生物と全く同じ火炎を放ち、武装局員の陣を破壊したのだ。
 破壊された陣に斬り込む、あるいは殴り込むヴォルケンリッターの前に、武装局員は各個撃破されていく。 
  
 指揮官は足掻いた。
 負けるのは決まっていたとしても、一矢報いなければ自分の気が済まない。
 指揮官は、一直線にマントの男を目指した。それは、長年武装局員を務めていた男の勘だった。
 そして彼はラケーテンハンマーの一撃を受け、地に倒れ伏す。
 マントの男は、抵抗する術を喪った彼に近づいて、こう言ったのだ。

「覚えておけ。私が主だ」

 リンカーコアを奪われる激痛の中で、彼はその声を聞いていた。














(註1) PDC……ポータブル・ドリキャス 『この世界の』一番人気携帯ゲーム機



[7842]    番外編「七輪の侍」
Name: 黄身白身◆e17d184b ID:5090cc06
Date: 2009/06/28 01:06
 註・本編とあまり関係有りません





     ――十年後の某日
     ――機動六課付近の海岸にて





 部屋から荷物を運び出したスバルは、ナンバーズとの戦いの後に再建された隊舎を出て、海手へと向かう。
 まだ昼前の時間帯で、スバルが進む海沿いの道には人影はほとんどない。
 すると、よく知った顔が一人、海に向かって座っていた。
 
「あれ? シグナム副隊長?」
「ん? ああ、スバルか」

 答えたシグナムの手に握られているのはレヴァンティンならぬ釣り竿だ。

「釣れますか?」
「そこそこだな」

 シグナムの横に置かれたバケツには、大きめの魚が数匹放り込まれている。
 それを覗き込んだスバルは、嬉しそうに頷くと自分の荷物を紐解き始める。

「隣、いいですか?」
「……荷物を解いてから聞くのか? まあいい。好きにしろ」
「ここで釣った魚って食べられるんですか?」

 シグナムはゆっくりとスバルを見る。スバルは真面目な表情だ。

「食べたいのか?」
「というか、自分で釣ったお魚を食べてみたいなって」
「お前が食べるのなら、釣り竿どころが地引き網が必要だな」
「う。酷い……」
「ふふ、まあ、自分の食い扶持を釣り上げたいというのはいい心がけだ。食堂に持っていけば捌いてくれるだろう」
「じゃあ、頑張ってみます」
「ああ」

 座る位置を特定するために辺りを見回していたスバルの視点が、一カ所に止められる。

「なんですか、あれ」

 バケツくらいの大きさの……瀬戸物だろうか。
 少なくとも金属製品ではない。

「アレは七輪というものだ」
「七輪?」
「部隊長の故郷の世界で使われていた、原始的な加熱器具だ。魚を焼くこともできる」
「……お父さんが持ってたような……」
「確かに、ナカジマ三佐なら知っているかも知れないな」
「たまに使っていたような……」
「七輪は特別なんだ。それで焼いた魚は味が良い」
「味が良くなるんですか」

 嬉しそうなスバル。

「良くなるはずだ。もっとも、私自身は見よう見まねなのだがな」
「誰の真似なんですか? 部隊長ですか?」
「いや」
「じゃあ、シャマル先生、ヴィータ副隊長? まさか、ザフィーラさん?」
「いいや」

 それじゃあ、と問おうとして、スバルは口を閉じた。
 シグナムは何かを想っている。それは、決して触れてはいけないところだと、スバルには思えたのだ。







     ――現在
     ――八神家
     ――庭


 車椅子のはやてとヴィータが、並んで一カ所を見つめている。

「はやて。これ、なに?」
「これは、七輪や」
「七輪?」
「この中で火を焚くんよ」
「ああ」

 野営の経験はある。火を焚くものと言われれば何に使うものかは何となくわかる。

「ガスコンロが壊れたの?」
「ちゃうちゃう。今日はスペシャルや。お父さんが帰りにサンマ買ってくるから、それを焼いて食べるんよ」
「サンマって……確か魚の名前だよね」
「そや、秋の刀の魚とかいてサンマや。刀の魚、騎士にはピッタリやな」

 ヴィータはそう言われて、まじまじと自分のデバイスを見る。

「……刀じゃないよ?」
「う……」

 腕を組むはやて。

「何で騎士やのに、槌なんやろ」
「さあ」
「そもそも、騎士やのに馬ないし」
「代わりに犬がいる」
「いや、乗らへんし」
「乗れるぞ。あたしやはやてなら、乗れるぞ。ザフィーラだって断らないよ」
「え、ザフィーラって乗れるん?」
「おう、乗れる乗れる!」
「そっか……」

 はやては辺りを見回す。ザフィーラの姿はない。
 シャマルとシグナムはサンマ以外のものを買いに出かけ、光は学校からまだ戻ってない。ザフィーラは家に残っているはずなのである。

「何処行ったんだろ」

 防犯上、ヴィータとはやてしかいない状況では人型になっておけとザフィーラは言われている。普通の犯罪者、いや、地球上のどんな犯罪者であろうともヴィータに勝てるわけがないのだが、ザフィーラのような見た目の男がいるといないとでは抑止効果が違う。
 だから、狼の姿でなく、家のどこかにいるはずなのだ。
 
「ヴィータ、何か用か?」

 家の中から顔を出す褐色の伊達男。いわゆる美形ではないが、醸し出す雰囲気は「いい男」なのである。間違っても「うほっいい男」ではない。違うですよ?

「そんなところで何やってんだ? ザフィーラ」

 そんなところと言われても、ザフィーラは家の中にいるのだ。逆から見れば、まだまだ残暑厳しいこの折に庭で日光を浴びている子供二人こそ、一体何をしているのだと言うことになる。
 しかし、ヴィータにも言い分はある。ザフィーラのいるところは、ヴィータから見れば十二分に「そんなところ」「つまらないところ」である。
 何故か。
 答えは単純。

「そこにはやてがいないから」 百歩譲って「そこにお父さんがいないから」

 今のヴィータにとっては、はやても光もいない場所はたとえそこがどんな楽園でも、つまらない場所なのだ。
 ちなみに、ザフィーラは主の警護をサボって家の中にいるわけではない。光に頼まれた作業――お好み焼き台(業務用座敷タイプ)の分解、収納――をこなしていると

ころだ。
 分解収納だけなら余り時間はかからないが、それにくわえてシャマルの依頼により、台の掃除までやっているのだ。律儀なザフィーラはこびりついた油汚れを隅々まで落としているのだから、これは時間がかかる。

「命じられた仕事をしている」
「大変なら手伝おうか?」

 基本的に、ヴィータは優しい。そして、ザフィーラも。

「いや、お前は主と一緒にいてくれ。それこそが我らの真の任務だからな」
「ん。わかった」

 ヴィータは生真面目な顔で、はやてに向き直る。

「……ヴィータ、暑いし、もう家の中入ろか」
「うん」

 ヴィータは、見た目とは裏腹な力ではやてを抱えると、そのまま家の中へ入る。申し合わせたようにすれ違ったザフィーラは、車椅子を軽々と持ち上げると車輪を拭いて、部屋の中へいれる。ついでに、七輪も。
 そしてザフィーラが作業に戻ろうとすると、はやてとヴィータが鉄板を磨いているではないか。

「主……」
「あ、ザフィーラ、皆で一緒にやったら楽やし、早う終わるやろ? 言うてくれたらよかったのに」
「ギガウマなお餅やお好み焼き、焼きそば、ネギ焼き、モダン焼き、チヂミ、焼きおにぎり、そばめし、オムそば、オムスパを作ってくれた大事な道具だからな。道具はちゃんと整備しないと」
「ありがとうございます、主。すまんな、ヴィータ」
「ええからええから。あ、そや、ザフィーラ?」
「はい」
「いっぺん、乗ってみたいんやけど」

 さっきまでの庭での会話はザフィーラにも聞こえていた。はやての言いたいことはよくわかる。

「不安定なので、あまりお薦めは出来ませんが」
「安心しろ。あたしが横につく。けど、はやてを落っことしたりしたら、あたしが承知しねえぞ!」
「ふむ。それは困るな。充分に気を付けるとしよう」
「当然だ」

 掃除を続けてながら受け答えをしていると、いつの間にか、はやてとヴィータが代わりばんこにザフィーラに乗ることになっていた。
 
「そろそろいいんじゃねえか?」

 人数が増えるというのは大したもので、三人がかりでの掃除はすぐに終わってしまう。
 物置の指定された場所に台をしまい込んだザフィーラは、二人に促されるまま庭へ出る。

「ザフィーラ、疲れてへんか?」
「いえ」

 作業中には、はやての用意した冷たい飲みものが出た。おやつも出た。ザフィーラにとってはそれだけで疲れなど吹き飛んでしまう。

「そしたら、早速、乗ってもええかな?」
「承知しました」

 迷いはない。主の命は絶対である。いや、この少女の頼みなら、主であろうとなかろうと関係はない。
 ザフィーラはこの後も気付くことはなかったが、この辺りの対応が、十年後にはやてがヴィヴィオのお守りを任せた理由だったりする。
 
「外の方が良いですね」

 庭へ出ると、早速ザフィーラは狼化する。
 確かに、サイズとしては乗れないこともない。そして、ザフィーラは普通の狼ではない。体構造的な無理があっても、そこは魔法的な何かで押し切れるというものだ。

「失礼するよ?」

 ヴィータの手を借りて、はやてはザフィーラに跨った。

「おおっ」

 素直に驚嘆するはやて。

「思ったより面白いわ、これ」
「それは良かっ……」
「あ」

 ヴィータが呟いた。
 その視線の向こうには、ちょうど帰ってきたシャマルとシグナム。そして、帰りに偶然一緒になった光。

「なにやってんの、ザフィーラ君」
「え。これは、その、主が……」
「見た目、動物虐待にしか見えへんで」
「うあ……」

 落ち込むはやてを慰めるように、シグナムとシャマルが駆け寄った。

「主はやて、気にすることはありません。ザフィーラでよろしければいつでも乗ってください」
「そうよ。はやてちゃん。ザフィーラはいつだって乗せてくれるから」
(お前たち、人の都合を勝手に決めるか)
(む? ならば聞くがザフィーラ。お前は主の依頼を断るというのか?)
(ぬ。いや、そういうわけではない。楯の守護獣ザフィーラ。主の命は絶対だ)
(ならば、構うまい)
(シグナム)
(どうした?)
(我らが烈火の将は、この世界に慣れるに連れて意地が悪くなっていないか?)
(気のせいだ)

 光が提げていた買い物かごからビニール袋に入ったサンマを取りだした。

「さて、晩ご飯の準備や。今日は庭で食べるから準備やで」

 シャマルとザフィーラは、台所へ行くとタイマーで炊きあがっている炊飯器ジャーを、そのまま庭へ運ぶ。中は炊き込みご飯で具はごぼう、にんじん、こんにゃく、干ししいたけ、油揚げ。
 ヴィータとはやてはポテトサラダを作り始める。
 七輪の前に残っているのはシグナムと光である。

「さて、シグナムさんに頼みが」
「はい」
「火、つけて」

 七輪の中の炭を示して、光は言う。

「……確かに、私の魔力は火炎資質ですが」
「もしかして、無理やった? あの、デバイスとかで火つけるの」
「そういうわけではありませんが」
「そしたら、頼む」

 光は買い物かごからなにやら取り出す。

「サンマ以外にも、焼いて美味しいもの買うてきたから」
 
 笑った光の顔は本当に嬉しそうで。
 それは、自分が美味しいものを食べるというよりも、皆に美味しいものを食べさせる事を喜ぶ笑顔に、シグナムには思えたのだ。





     ――十年後の某日
     ――機動六課付近の海岸にて


 
 スバルがあんぐりと口を開けた。

「副隊長、それって……」

 七輪を前にレヴァンティンを取り出すシグナムの姿に、スバルは驚いているのだ。
 火を付けるということはわかる。しかし、何故レヴァンティンを使ってまで。

「こんな事にデバイスを使うのは奇妙だと思うか?」
「えっと……」

 笑って誤魔化そうとするスバルに、シグナムも笑う。

「私も奇妙だと思う」
「え」
「しかし、私には意味のあることだ」

 やはりシグナムは、何処か懐かしげに笑うのだった。



[7842] 第十三話「それは、闇の書と呼ばれる」
Name: 黄身白身◆e17d184b ID:5090cc06
Date: 2009/07/04 18:44
 なのはがふと立ち止まったのは、純然たる好奇心の問題である。

 学校の帰り、今日は直接翠屋へ向かう日。その途中で何故か目にとまった一台の車。何故その車が自分の琴線に触れたのか、それはわからない。
 見たところ、ごくごく平凡な、何処にでもある車に見えるのだけれど。

 むむむ、と唸りながら、近づきすぎない程度に車を観察。
 何か違和感があるのだけれど、その違和感の正体がわからない。これは、とても気持ち悪い。
 車は平凡だが、取り立てて見覚えがあるわけでもない。知り合いの誰かの車というわけでもないのだ。

「あの……」
「に゛ゃっ!」

 慌てて飛び退いたのは、誰も乗っていないなと思った車の中から人の頭が出てきたため。

「もしかして、高町なのはさん?」

 しかも、自分の名前を知っている。
 誰ですか? と、なのはは車には近づかずに尋ねる。怪しい人には近づいては行けない。怪しい人の乗った車に近づくなんて問題外だ。
 もっとも、今やレイジングハートを所持しているなのはを誘拐できる地球人がいるのかどうかはかなり謎だが。

「あの、私、エイミィさんの後輩でシンディと言います。アースラのクルーです」
「エイミィさんの?」

 エイミィの名前を知っているなら、話は別だ。なのはは安心して車に近づく。

「エイミィさんは、翠屋に行くと言っていましたよ」
「あ、そうなんだ。ありがとうございます」
「でも結構前だったから、もう戻ってくるかも知れませんよ」

 一瞬、なのはは悩む。翠屋へ立ち寄るのは、家に持ってかえる物を受け取るためだ。特に急がなければならない用事ではない。
 今翠屋へ向かうと、入れ違いになってしまう可能性もあるのだ。だったら、ここでエイミィは待っていた方が賢いのではないだろうか。

「レイジングハート、エイミィさんを捜せる?」
Yes, My master.
「翠屋にいるの?」
No. She has been coming toward here.

 エイミィはここに戻ってくる途中だという。

「じゃあ、少し待とうか」
All right.

「あの、良かったら車の中に入って座って待っていませんか?」

 シンディの申し出になのはは答え、

「でも、なんだか色んな機械がありますけれど、入って良いんですか?」
「なのはさんなら大丈夫ですよ。それに、勝手に触ったりはしないでしょう?」
「うん」

 興味がないと言えば嘘になる。だけど、勝手に触るのはまた別の問題だ。
 なのはは素直に後部座席に座る。

 車の後部の半分はよくわからない機械で占められている。後で聞いてみようと、と思いながらなのはは、機械の外見だけをじっと観察していた。
 気付くと、一枚の紙がある。
 数字だけの書かれた一枚の紙。まるで、一枚だけ隠し忘れたように。いや、実際その通りなのだろう。
 二つの数字が書かれているその紙を、なのはは手に取ろうとしてためらい、何となくその数字を覚えてしまう。

「あ、エイミィさん、戻ってきたみたいですよ」

 言われて顔を上げると、エイミィが戻ってくるのが見えた。
 なのはは車を降りて手を振る。

「あ。なのはちゃん」
「エイミィさん」

 見ると、エイミィの後ろには見慣れない二人。

「この子が高町なのはだね」
「写真より可愛い子ね」

 まじまじと見られて少し照れる。けれど話からすると二人はこちらのことを知っている模様。状況から考えると管理局の人だろうか?

「ああ、なのはちゃん。この人はリーゼロッテさんとリーゼアリアさん。簡単に言うと……うん、クロノ君の師匠よ」
「え。師匠って……クロノ君の魔法の?」

 ロッテは笑う。

「あたしがクロスケに教えたのは格闘、接近戦だよ。確かに魔法も使うけれど、魔法の師匠はあたしじゃなくてアリアの方だね」
「はじめまして。リーゼアリアです」
「あ、はじめまして、高町なのはです」
「ロッテ、貴方も挨拶」
「はじめまして。リーゼロッテだよ」

 そこでなのはは、エイミィとアリアの手荷物に気付く。
 それは、翠屋の商品持ち帰り用の紙箱である。

「毎度ありがとうございます」
「うーん。さすがなのはちゃん、しっかりしてるね」






 戦いの終わった次元からの移動を終え、追っ手の有無の確認をかねて小休止を行う。ここはまだ地球のある次元ではない。
 行きはまだしも、帰りはこうやって行程を複雑にしてカモフラージュを行うのが次元犯罪者の定番だ。
 自分たちが慣れているその行為に自嘲めいた溜息を漏らすと、先頭のシグナムは背後を確認する。
 光を前後から挟むようにしてヴィータとザフィーラ。二人の護衛めいたポジション取りにシグナムは満足して頷いた。

「御尊父、この辺りで小休止に入りましょう」

 光はシグナムに返事をすると、しっかりと抱え込んでいた闇の書から手を離す。
 自ら宙に浮いた闇の書は自らページをたぐりながらゆっくりと回転し始めた。まるでその威容を周囲に誇示するかのように。
 その様子に一抹の違和感を覚えつつも、シグナムが言う。

「見事な魔力攻撃でした。まさか、あれほどの物とは」

 光は首を振る。

「魔法を使えるようになったわけやない。僕のリンカーコアに変化はないはずや。念話もできへんほどの魔力量に違いはないよ」
「それじゃあ、一体あの力は何なんだよ」

 ヴィータが不審な様子で尋ねていた。光の魔力攻撃について事前に知らされてはいたが、なぜそんなことができるかはまだ謎なのだ。
 しかし、光はあっさりと答えた。

「あれは、闇の書の蒐集した魔力や。それを僕は直接放出してる」

 つまり、光は自在に魔法を使えるわけではない。闇の書が蒐集した魔法を放出しているだけなのだ。
 確かに、不可能なことではない。
 蒐集した魔力を使い攻撃、それにより新たな蒐集を行う。攻撃に使った魔力よりも蒐集した魔力の方が大きければ、この方法でも蒐集は可能なのだ。さらに、ヴォルケンリッターの助けが有れば魔力放出はさほど必要ない。
 自らはそれなりの魔道師であったりリンカーコアを保持していた過去の主と違って、光は魔道師でもなくリンカーコアもないに等しい。だからこそ、今までは滅多に使われなかった方法が光には教えられているのだろう。
 それでも、あくまでもこれは緊急手段であり蒐集の効率は当然のように悪い。乱用すれば蒐集以上の魔力を使うため意味がなく、かといって使い惜しみをしていては何の

ための能力かわからない。
 さらに、放出すれば蒐集した魔力は消えるのだ。たとえば、シグナムのリンカーコアを奪えば紫電一閃は使えるだろう。ただし、一度使えばその力は失われ、もう一度蒐集しない限りは二度と使えないのだ。
 主に新しい魔法を覚えさせることは不可能なのである。もっとも光の場合は、覚えたとしても絶対的な魔力不足のため使えないのだが。

「もう少し休んだら、帰ろか。あ、戻る時は、できたらスーパーの近くの方な。夕飯の買い物してかなあかん。なんか食べたいモンがあったら」
「あ、あたし、ハンバーグがいいっ!」
「お。なかなか早いリクエストやな。よーし、そしたら今晩はヴィータのリクに応えよか」
「やったぁ!」
(シャマル? 聞こえるか?)
(はい。光さん)
(ちょっと、冷蔵庫見てくれるか? サラダになりそうなもん、あったかな)
(少し待ってくださいね)

 シャマルに念話を繋いで返事を待つ間、光は思い思いの格好でくつろいでいる三人に目を向けた。
 三人はくつろいでいるように見えるが、実際には隙などない。この瞬間に襲撃があれば、即座に反撃に転じ……いや、襲撃者はその目論見の寸前に敗れるだろう。

(キュウリとチシャ、カイワレがありますから和風サラダなら)
(悪い、はやてと一緒に、ドレッシングだけ作っといてくれるか?)
(はい。わかりました。そうだ、ジャガイモも茹でておきましょうか?)
(ポテトサラダ……悪ないな。うん、頼むわ)
(はい。任せてください)
(買い物していくから、一時間もせんうちには帰れると思うよ)
(お風呂湧かして待ってますね)






 リンディはいくつかの報告書を空間に同時投影し、閲覧していた。

 一つは、自然保護局のデイハーツから。
 一つは、運用部のレティ・ロウランから。
 一つは、地球にいるエイミィから。

 デイハーツからの報告は、魔法生物が多数狩られている現状についてのものだ。リンディに直接送られた報告ではないが、立場上、閲覧はできる。
 魔法生物を狩るという事件自体は、闇の書とは無関係に過去に何度もあった。しかし、これだけの数が連続して狩られているというのは問題だ。しかも、その全てがそれなりの魔力持ちだという。
 やはり、闇の書復活と思しき事件は確実に起きている。それが、リンディの解釈だった。
 魔法生物の狩られた場所、希少な目撃証言、それらを総合して、厳しく見積もっても数十、甘く見積もれば数百の次元世界が「闇の書転生先候補地」だ。とてもではないが一つ一つを確認することなどできない。候補と呼ぶのも馬鹿馬鹿しい量だろう。
 それでも、リンディはその予測を数人の信頼できる相手――浮き足だって先走らない者たちに伝えていた。
 
 その結果が、レティからの報告――管理局に送られてきた匿名情報と武装隊の動きについて――である。
 ヴォルケンリッターによるリンカーコア蒐集を予告してきた匿名情報は、その蒐集場所と時間について恐るべき的中率を見せた。当初はその情報も眉唾物と判断されては

いたが、念のために派遣された武装隊は全滅している。第二次、第三次も同じ結果だ。目撃情報からも、本当にヴォルケンリッターが現れたとしか考えられない。
 現在ヴォルケンリッター側にいる何者かがわざと情報を漏らしているのかもしれない。ただしこれに関しては、リンカーコア持ちを集めるためにヴォルケンリッターがわ

ざと居場所を漏らしたのではないかという意見も出ている。確かに、リンカーコア集めと考えれば武装局員相手はかなり効率的だ。

 最後が、エイミィからの情報である。
 つい最近、地球でリーゼ姉妹が目撃されたという。エイミィが直接接触したのだ。間違いはない。
 姉妹は、主であるグレアムがフェイトの保護観察担当であるため、PT事件の重要関係者である高町なのはの身辺調査をしていると供述している。確かに、それでつじつまは合う。
 しかし、リンディはそれが気に入らない。
 盗聴器だらけの家。それを好奇心から追ったエイミィが出会ったリーゼ姉妹。
 
 さらにもう一つ。
 グレアムは新しいデバイスを入手している。そのこと自体は特に問題とはならない。グレアムほどの魔道師が自らデバイスを開発し、入手する。不自然どころか当然だ。

グレアム自身が現在これといった専用デバイスを所持していないのだから、怪しむべき点は何もない。
 しかし、その性能は「氷結」。その「氷結」こそ、対闇の書においては現時点で最適と考えられている対応なのだ。

 全てを偶然と言ってしまうこともできる。全ては同じ方向を示していると言うこともできる。
 前者ならば問題はない。報告書を全て廃棄処分にし、アースラの通常業務に戻ればいい。あるいは、いずれ決められる担当者の捜査方針に従って「闇の書」を追うか。
 後者ならば、わからない点が一つある。
 これだけの材料があればリンディが予測すること。それは当然グレアムにも予測できていたはずだ。そしてグレアムならば、もっと隠匿は徹底しているだろう。あまりにも、今回の事件に対する隠匿は中途半端なのだ。まるで、見つけて欲しいと願っているかのように。
 いや。
 見つけて欲しいとすれば?
 管理局に見つけてもらわなければならない理由。
 武装局員を呼び集める理由。蒐集の完成。そして、闇の書完全覚醒直後の隙を狙った氷結魔法が、「対闇の書」の肝だ。
 つじつまは合う。ただ、武装局員たちを捨て駒にしなければならないと言う思想は管理局にはない。もし、グレアムがそこまでの妄念を抱いていたとすれば?
 リンディは、もう一度レティの報告に目を向けた。
 信じられない報告がもう一つ。
 武装局員に死者は出ていない。ヴォルケンリッターは武装局員を一人も殺さず、無力化してリンカーコアを奪うだけに留めているのだ。今までの資料からは考えられないことだった。
 黒幕が誰にせよ、このことを予期していたのだろうか。そこまで予期できる者など、闇の書の主本人にしかいないだろうに。
 顔をしかめ、リンディは一旦投影を消す。
 予測に予測を積み重ねる時は、一つでも偶然の産物があればおしまいだ。その時点で全ての予測は無意味になる。そして得てして、偶然とは起こるものなのだ。
 それでも、その偶然を可能な限り自分の有利な事象として捉え、構築しなければならない。それができるのが優秀な提督というものだ。そしてリンディは、自分が客観的に「優秀」と目されていることを知っている。
 リンディはいくつかの指示書、依頼書を作成し、それぞれへと通信回線を開く。
 グレアムが黒幕、あるいは何らかの関係を持っているというのなら、彼に対する捜査はすでに始まっているのだ。あの日、クロノをリーゼ姉妹に師事させたときから。
 自らの関わる全ての私事は、いかなる瞬間にも公事へと変換されうる。それが、リンディ・ハラオウンという人物である。






 エイミィはなのはをドライブに誘う。
 リンディたちがこちらに住むつもりだと言うことは隠す必要もない。そもそも、翠屋を訪れた時にすでに桃子たちには話しているのだから。
 なのはが後部座席の機械類に興味を示していることにエイミィはすぐに気付いた。それに、子供とはいえ地元の人間、さらには一流の魔道師の資質持ちである。同道することにメリットこそあれデメリットはない。
 なのはは二つ返事だった。

「これって何なんですか?」

 車に乗り込んだ後のなのはの問いに、エイミィは素直に盗聴探知機と答える。そんなものがある理由も一緒に教えると、なのはは一言唸って何かを考え始めた。

「レイジングハートと繋いだら、念話の探知もできるんでしょうか?」
「できると思うけど、探知だけなら魔法でやった方が早いんじゃない? ああ、でも魔力の限界以上の探知までできるかもね」
「うーん」
「なのはちゃん、使ってみたいの?」
「機械と魔法って、一緒にまとめて何かできないかなって」
「面白いこと考えるね。だけど、それってデバイスの事じゃないかな?」
「あ」

 笑いながら、エイミィはリンディたちの予定をなのはに伝える。
 本当なら今頃は地球に来ているのだが、ロストロギアの捜査でそれどころではないと言うこと。

「近くには来てるんだけどね」
「近くって……また、事件が起こるんですか?」
「わかんない。地球も、候補地の一つって言うだけよ。確定はしてないわ」
「何か、お手伝いできること、ありますか?」
「いいよ。気にしなくても。でも、この世界が巻き込まれた時はお手伝いしてもらうかも知れないね」
「はい。勿論です」

 エイミィは簡単に、ごくかいつまんで「闇の書」に関する話を聞かせた。勿論、捜査に現在関係のないなのはに対して隠すべき部分は隠したままで。

「要は、結構な力を得ることのできるとんでもない魔道書がこの辺りの次元世界のどこかにあるらしいのよ。今のところはこの世界に現れたというわけではないから安心だけれど、無差別にリンカーコア狩りが行われるようなら、なのはちゃんも狙われるかも知れない。
なのはちゃんの力なら、いざというときに逃げることくらいはできるだろうけど、気を付けてね。魔道師以外は狙われる心配はないから、家族の人たちは大丈夫よ」
「逃げる……んですか?」
「相手は強いわ。くれぐれも危険を冒して欲しくないの。身体が空いているのなら、クロノ君やユーノ君、フェイトちゃんを護衛につけたいくらいよ」
「そんなに強いんですか」
「最低でも、クロノ君とタメを張れる強さの魔道士が四人と考えてみて。正面から闘って勝てる?」

 少し考えて、なのはは首を振る。

「四人……。無理です。フェイトちゃん、クロノ君、ユーノ君、それにアルフさんまでいないと」
「そういうこと。だから絶対に無理はダメよ」
「はい」
 
 なのはは素直に答える。下手に動いて捜査の邪魔にはなりたくない。その程度の分別はあるつもりだ。
 それに、もし本当に自分の力が必要というのなら、必ず声をかけてくれる。と、なのはは信じていた。自分の力への自信などではなく、仲間として一緒に立っていた信頼ゆえに。






 無限書庫の奥で、ユーノは大きく欠伸する。
 確かに、スクライア一族の本領とも言える能力は、この書庫において十二分に発揮されるだろう。自分が今現在進行形でそれを証明している。無限書庫の司書など、自分たちのために誂えられたような職務ではないか。
 その先駆けとして、ユーノはリンディからの任を受けて、「闇の書」の調べを進めているのだ。
 過去の調査スタッフが無能だったわけではない。スクライア一族の検索走査能力に着目する者がいなかっただけのことだ。ユーノ自身、いや、一族の重鎮たちすら、スク

ライアの能力は野外限定だと根拠なく思いこんでいたのだ。まさか、屋内での資料探索に応用の利く能力だとは誰も思っていなかったのである。
 そもそも、スクライア一族がその能力とは関係なく基本的にはアウトドアがライフスタイルであることも一因だった。言葉は悪いが、まだ若いのに引き籠もることをそれほど苦としないユーノのようなタイプは極めて少数派だったのである。

「闇の書は……」

 リンディからの依頼書に返送する形で、ユーノは調査結果の概略を述べていく。

「元々は、害をもたらすものではなかったと推定されます。純粋に魔力の蒐集、研究を行うことが目的であったものが、歴代の主の改変によって本来の能力から大きくかけ離れた力を得たもの、と推定されます」

 あるいは、歴代のどこかの主が大幅な改変を、悪意を持って行ったか。いや、それは不自然だろう。それならばその前後で何か動きがあったはずだ。
 しかし……

 ユーノは部屋の片隅に超然と置かれている一群の本を視界の片隅に収めた。
 無限書庫の中でも異端中の異端。さらにそれらの断片や写本。そこまで後退してようやく目にすることのできる古代の魔道書、研究書である。それらは見る者の意識にダイレクトに効果を及ぼす、いわば呪いのような効果を持っているとまで言われているのだ。無限書庫の高位司書といえど、気軽に閲覧はできない。それどころか門外不出と言っても良いだろう。
 そして、それらには「闇の書」の別の顛末も記されている。ただし、信憑性はないに等しい。
 クロスチェックは不可能。似たような文献を当たっても全てが元からの参照、孫引きなのである。一次資料そのものがあてにならない上に二次以降の資料は全て一次の引き写しというわけだ。これを信用しろというほうがどうかしている。
 それでも、ユーノはその資料に妙な魅力を感じていた。まるで魅了の魔力に当てられたかのように。
 古代ベルカの禁断の魔道書。
 ルルイエ写本、ナコトの書、ノクタ断章、エノク書、屍食教典儀、野狗祭祀書、……
 辛うじて読みとれる文章、あるいは狂人の戯言、幻覚をそのまま言語化したような無意味な音節の羅列。それらをユーノは一つ一つ拾い上げ、繋げた。
 そして一つの結論が生まれたのだ。

「古代ベルカにそれは、あり得ざる角度、忌まわしき色彩、菫色の蒸気と共に現れた」
「主は抵抗し、異界の名状しがたきものを蒐集した」
「それは、そして、狂った」
「それは、闇の書と呼ばれる」

 荒唐無稽に過ぎる、とユーノは判断する。しかし、判断するのはリンディであるということも、ユーノは知っていた。


 続



[7842] 第十四話「僕を恨んでくれ」
Name: 黄身白身◆e17d184b ID:5090cc06
Date: 2009/07/12 01:07
 リンディ・ハラオウンを舐めているわけではない。
 ある日、グレアムはリーゼ姉妹にそう語った。
 仮に自分の企みが全てばれてしまっているとしても、それはそれで構わないのだと。
 グレアムが恐れているのは企みがばれることではない。攻めを受けることではない。ただ一つ、計画を妨げられることである。
 計画を遂行できるのならば、言ってしまえば後はどうでもいいのだ。
 だから、確証さえ掴まれなければ。自分たちの勢力を力ずくで阻止できるだけの部隊を展開させなければ構わないのだ。その程度の疑惑なら構わないのだ。
 どれほど切歯扼腕しようとも、部隊を動かす名目は必要なのだ。例えそれがリンディ・ハラオウンであろうとも。そしてリンディの個人戦力では、グレアムとその一党は止められない。それだけのシンパは水面下で集めているのだから。
 直接闘えば、いずれは敗れるだろう。しかし、グレアムの一派が動くのは「八神はやて排除=闇の書封印」まででいいのだ。あとは、管理局に投降しても構わない。
 もっとも、いかなる形にせよ、あの「闇の書」を封じた自分に、管理局がどう対応するのかという興味はある。

 リーゼ姉妹の見解は少し違っていた。
 彼女たちはグレアムに従う。使い魔としては破格の待遇を与えられている彼女たちは、場合によっては主に逆らう権利すら許されている。しかし、彼女たちは自分たちの意志において、グレアムに盲従を誓っていた。
 時には逆らうことこそ真の忠誠であるという理屈を、彼女たちは一笑の元に切り捨てるだろう。そして、言うのだ。

「あたしたちの忠誠は、あたしたちだけが知ればいい。他人の理屈なんか知らないね」

 そして予感する。
 自分たちを止めるのはリンディではないと。
 止められるのは二人しかいないと。
 自分たちをよく知る一人。
 自分たちを知らない一人。

 その予感は、後に的中することになる。





 いつものように送られてくるフェイトからのビデオレター。
 今回は、それとは別にユーノからのものもある。

「なのはへ。僕は今、リンディさんのお手伝いで無限書庫というところで働いています」

 ユーノの背後に映っているのは大量の書籍、とそのようなもの。

「フェイトの裁判の証人としても出廷しているけれど、頑張っています」
「ところで、僕は無限書庫に新しい居場所ができたので、もし僕宛に何か送ってくれる時はここに送ってくれると嬉しいです」

 ここで、なのはは首を傾げた。
 フェイトへのビデオレターと一緒にしておけば間違いなくユーノの元へは届くのだ。便を分ける必要など、なのはにはあるとは思えない。
 この辺り、アリサが隣にいれば、「どうして、なのははそう鈍感なのよ」と怒り狂うだろう。可哀想なのはユーノである。
 なのはは、「ユーノ君にだけ分けて送るものなんてないよね」と考えながら画面の下のテロップに気付く。

「今、画面の下に新しい住所が出ているから。ミッドチルダの文字が面倒くさかったら、この数字だけでも届くからね」

 確かに、文字よりは数字の方が手間は少ない。だが、問題はそこではなかった。
 
「あの数字の書き方って……住所なんだ」

 それは、前にエイミィの車の中で見た数字と同じフォーマットで書かれている。ということは、なのはが見つけた数字も住所なのか。

「レイジングハート。この画面の数字は、ミッドチルダの何を表してるの?」

 ユーノのアドレスだと、レイジングハートは答える。

「それはテキストデータの方でしょう? 数字は何で定義されているの?」

 なのはは自分の思いつく限りの、場所に関する座標データを上げていく。
 町番、郵便番号、電話番号、区画……
 緯度と経度、を上げたところでレイジングハートが反応する。
 
「レイジングハート、ミッドチルダの地図は入力されているよね。この数字に当てはまるのは何処?」

 海上、という答え。レイジングハートに入力されているデータにそれ以上のものはない。
 
「だったら、地球上で当てはまるのは?」

 フォーマットが違うので仮定不可能。
 なのはは考える。エイミィが地球上で捜査していたのは間違いない。ならば、この数字は地球上の地点を表したものと考えるのが自然だろう。それならば……

「ミッド式のフォーマットで地球の地点を示していると仮定して」

 原点を設定しなければ不明です。と答えるレイジングハート。
 地球上ではそれぞれ、赤道とイギリスのグリニッジが座標ゼロ地点である。
 ミッドの緯度に該当するものは想像できる。惑星である限り、赤道に類するものが名前は違うとしても必ず存在するはずだ。しかし、経度は別だ。
 いや、そもそも、地球に不慣れな人間にそこまでの設定が必要なのか。
 基点を決め、そこから考えればいいのではないか。
 レイジングハートに尋ねても、さすがに基点まではわからない。
 知識は別として、実戦として地球に不慣れな人たち。彼女たちが実際に訪れているのはほとんど海鳴周辺だ。
 ならば、となのははさらに考える。

「レイジングハート、私の家を基点にして、この座標データの示している場所はどこになる?」

 レイジングハートの周囲に浮かぶ海鳴の地図。いくつかの光点が地図上を走り、やがて一点に収束する。

「普通の家、だよね……」
 Yes.
「……レイジングハート、誰が住んでいる場所かわかる?」

 電話帳や地図で調べることができるレベルまではメモリに入っているはずだ。

 Hikaru Yagami.
「え?」

 レイジングハートはもう一度その名前を繰り返す。
 八神光、と。

「八神先生……?」

 何故。
 何故、エイミィさんが八神先生を? それとも、これは単なる偶然なのだろうか。
 
「レイジングハート……」
 Master?
「ちょっと、出かけようか」
 Yes.

 考えることなんてない。会話を交わせばいい。八神先生ならお話はできる。なのははそう信じていた。





 今夜からは冬布団。本格的な冬はまだまだだから毛布までは必要ないけれど。
 それにしても六人分は大仕事である。

「ああっ、ヴィータが布団雪崩の犠牲にっ!」
「これくらいも持てないのか。怠けているようだな」
「あ、あのな……重さの問題じゃねえっ! バランスが悪いんだよ!」
「早よ出てこんと、ヴィータ潰れるで」
「潰れるって、あたしはそんなにヤワじゃ……」

 布団から顔だけ出したヴィータが、布団の上に乗って悪戯っぽく笑っている顔に気付く。
 そしてヴィータもニヤリと笑う。

「うあ。重い~。重いよぉ。はやて、重いよぉ」
「私は重ないよ?」
「重いよぉ」
「あーあ。はやてが重いから、ヴィータが大ピンチや」
「私は重いない」
「重いぃ、重いよぉおおお、潰れるよぉおおお」
「まだ言うか」

 悪い子にはくすぐりの刑や! そう言って布団に潜り込むはやて。両手だけしか使っていないのに意外に素早く、ヴィータが気付いた時にはすでに懐に入られていた。
 即座に始まるくすぐり刑。

「うりゃうり、うりゃうり」
「ひゃひゃひゃああっ、くすぐったいっ」
「私は重ないでぇ」
「重いよぉ」
「はい。はやてちゃん、そこまで」

 はやてを背後から抱き留め、車椅子に戻すシャマル。

「ヴィータちゃんもね」
「ん」

 何を感じたか、素直に指示に従うヴィータ。布団を抱えなおし、はやての部屋へと歩き出す。
 その姿を見送ると、シャマルが光とシグナムに向き直る。やはり、二人の顔も真剣なものになっていた。

「チェイサーが動き出しました」

 要監視だと判断した数人の相手をシャマルが追跡させている使い魔のようなもの、それがチェイサーである。
 そして、今回動き出したのは……

「高町なのは……です」

 歯切れの悪いシャマルの言葉に、一瞬、光は言葉を失った。
 動き出したとは、文字通りの意味ではない。普通の生活として考えられる行動や、そこからの多少の逸脱ならば、シャマルはいちいち報告しないだろう。報告するに値する、日常からの逸脱があったと言うことなのだ。

「デバイスを立ち上げ簡易結界を張り、空を飛んでこちらに向かっています」

 今まででわかっていること、それは高町なのはが結界構築を苦手としていること。彼女にできるのは精々一般人相手の結界、視界隠蔽の結界程度だ。シャマル相手には全く意味をなさない結界である。
 一般人には気付かれないが、それなりの魔道師には気付かれる姿でこちらへ向かっているというのだ。
 それも、空中を一直線に。
 確実に、八神家へ向かっているのだ。
 あるいは、延長線上の他の目的地へ。しかし、それを望むほどシグナムも光も楽天家ではない。

「シャマル、はやてが寝つくまで頼む」
「はい」
「ザフィーラは隠れて先行、シグナムは僕と一緒に」

 名前が呼ばれなかったヴィータは、不思議そうに光を見上げた。

「ヴィータは、姿を隠して準備しといてもらおか」
「準備?」






 物理的な結界を張っていないため、冷たい風が頬を打つ。さほどのスピードではないために寒さに困るほどではないが、なのはは頬を赤くして前を向いていた。
 結界を張っているのは、自分が魔道師であることを言外に伝えるため。デバイスを立ち上げて飛んでいるのは、自分が次元管理世界に関係していることを伝えるため。
 八神先生がどんな反応を示すのか、なのはにはまだわからない。それでも、行かなければならないとなのはは思った。
 この地球で魔法を使える者などほとんどいないはずだった。八神先生が昔から魔法が使えるのなら、ジュエルシード事件で見出されているはずだった。
 今になって、何故。「闇の書」を管理局が追い始めてから、何故。地球が潜伏先の候補の一つであるのは何故。エイミィさんが家の座標を持っていたのは何故。
 符合しすぎている。
 考えるべきではないことも、なのはの脳裏には浮かぶ。
 はやての足の事。治る見込みのない足の事。どんな事をしても治したがっている先生。
 治らない足。そこには、望みを叶えるロストロギア「闇の書」が。
 立場が違えば、自分も望むのだろうか。
 恭也が、美由希が、桃子が、士郎が……
 お父さんの怪我が治らなかったら……治せるロストロギアがあると言われたら……自分は「闇の書」を否定できるのか。
 はやての足のためだとすれば、自分は何をすればいいのか。
 全てが杞憂であればいい。自分の先走りであればいい。幼さ故の浅慮であればいい。慮外者よと嘲笑われる結果に終わればいい。
 なのはは望む。己の失策を。己の未熟を。己の無知を。





 シャマルは、はやての部屋のドアをこっそりと開ける。こっそりとドアを開けて寝ている様子を覗くのは、光から直接伝授された技だ。
 ただし、今夜のところはさすがにまだ、はやては眠っていない。

「シャマル?」

 囁くようなはやての声に、シャマルはゆっくりと頷いた。

「はい。ここにいますよ。はやてちゃん」

 明かりの消えた部屋の中、閉じられたカーテンは月明かりを遮っている。
 闇の中でぼんやりと浮かび上がる白い頬に、シャマルは手を伸ばして触れてみる。

「おやすみなさい。明日の朝ご飯は私の当番ですから、ゆっくり眠ってくださいね」
「お父さんは?」
「シグナムとお話をしています。もしかすると、お酒を飲んでいるかも知れませんね」
「ザフィーラは?」
「お風呂に入ってます」
「ヴィータは?」
「大きな欠伸をしていました。きっと、お部屋に戻っていますよ」
「皆、明日も会えるやんな」

 瞬間、シャマルは言葉を失った。
 はやては……この子は……いや、主は気付いているのだろうか。自分たちの暗闘に。
 それともこれは、子供らしい意味のない言葉なのだろうか。

「当たり前じゃないですか。シグナムもザフィーラも、私もヴィータちゃんも、ずっとここにいますよ」
「うん」

 眠気のせいか、はやての声が徐々に小さくなる。

「皆、明日も……」

 声が途絶え、シャマルは少しの間その場に立ちつくす。
 ごめんなさい、と言えればどれほど楽になれるだろうか。しかしそれは仲間への、そして光への裏切りだ。
 自分一人が楽になってはいけない。
 主への騙し討ちにも近い裏切り。その責めを負うのは一人ではない。そして苦しむのも、一人ではないのだから。
 全てが終わったとしよう。その時、主は自分たちを許してくれるのだろうか。
 彼女を裏切った従者を、父親を、彼女はどうするのだろうか。
 責めてほしい、とシャマルは心から思った。自分たちを責め、悪し様に罵倒し、全ての責を負わせ、放逐してしまえばいい。それによって父親がその責めから外されるのならば、自分たちは甘んじて誹りを受けよう。不名誉と屈辱を受け入れよう。
 この親娘のためならば、いかなる苦痛をこの身に印されようとも、決して悔いはない。それが、守護騎士たちの想い。






 結界が発生に気付いたなのはは飛行を止め、滞空する。
 足下の建物の屋上から、自分を見上げる姿が一つ。

「……高町さん、やろ?」

 少し懐かしい、そして優しい声。

「先生?」

 なのはは、ゆっくりと降りていく。
 その表情と仕草が、言葉よりも雄弁に光に語りかけていた。
 だから、光は頷いた。

「ああ。魔道師や。君と同じやな」
「……先生、教えてください」
「ん? なんやろか」
「闇の書って、知ってますか」
「ああ。僕が主や」
「どうして!」
「君には関係ない」

 光は、なのはから一歩離れる。
 高町なのはを傷つけたくはない。戦いたくなどない。しかし、それは望めぬ願いだという事もわかっている。
 彼女と管理局との繋がりは疑いようがない。知られてしまえばそれまでなのだ。
 この場をやり過ごす事も論外だった。今夜は逃れても、逃れ続ける限り疑惑は深まるだけだ。すでに体内のリンカーコアを起動させた光は、自分が魔道師でないと嘘をつく事ができない。いずれは察知されるのだ。

「はやてちゃんの、足なんですか!」
「君には、関係のない事や」
「でも……でもっ!」
「殺す気はない、せやけど、リンカーコアはもらう」

 先生っ、と叫んだなのはの周囲をレイジングハートによる自動防御が覆う。

「安心しろ。不意打ちのつもりはない」

 光の横に並び立つのは烈火の将、シグナム。

「素直にリンカーコアを渡せば、手荒な真似はせずに済む」
「貴方は……」
「語る名など、ない」
「私は、高町なのは!」
「語る名などないと言った!」

 流れるような動作で一気に肉薄するシグナムから、あくまで距離を取って逃げ続けるなのは。
 いや、逃げているわけではない、とシグナムは感じていた。
 これは撤退のための逃走ではない。あくまでも有利なレンジを取るための戦略。つまり、この魔道師は近接ではなく砲撃に特化している!
 ならば、近づいて斬る! 単純な、しかしそれ故に効果的な戦法をシグナムは選択した。
 そして光は、二人のやりとりに別の手を打つべく周囲の状況を窺う。
 完全に逃走に移ろうとした時のために後方に回り込ませていたザフィーラの布陣は無駄になった。だが、それはいい。
 そこにあるのは、なのははシグナムとの戦いだった。元より、シグナムの勝利を光は疑ってなどいない。しかしここで問題なのは勝敗ではない。時間。そしてシグナムの負担を減らす事。
 なのはを殺す気は光にはない。ならば、この戦いの後にリンカーコアを奪われたなのはから管理局に一報は行くだろう。ここでの生活は終わりだ。
 そうなれば、一刻でも早くはやての足を治さなければならない。そして、投降する。そのために、なのはを倒した後は一気に攻勢に出てリンカーコアを集める。幸い、なのはの魔力量は膨大である。見通しが立たないわけではないのだ。
 はやてが主として覚醒すれば、闇の書から生まれたヴォルケンリッターも自在に操る事ができるだろう。おそらくは、その出現と消失も。
 あとは、残るのは光だけだ。主を偽り、蒐集をさせた罪をこの身一つに受ければいい。それが、今はまだ誰にも話していない光の目論見だ。
 罪は全て、この身に。
 全ての汚濁をこの身に受ける。
 その覚悟はできている。

 バスターを放ちながら執拗に距離を取ろうとするなのはと、追いすがるシグナム。
 光は、シャマルが側に来たのを確認して、隠れているヴィータに合図する。
 シグナムがあえてなのはの下に陣取り、バスターを誘う。そして、なのははライジングハートを構え、その瞬間、凍り付いたように動きが止まる。
 避けようとしたシグナム、その背後の地面、壁にもたれて座り込むようにして震える姿。
 聖祥学園の制服姿、なのはのクラスメートと同じ姿。

「レイジングハート?」

 全ての問いを待たず、レイジングハートは変身魔法の形跡はないと答える。
 つまり、そこにいるのは幻覚や変身などではない。本物の姿。
 放ちかけたバスターに急制動をかけたなのはのバランスが崩れた瞬間、シグナムのレヴァンティンが振り下ろされる。
 一瞬早く、シールドで堪えたなのはの視界の隅に、構える光の姿。

 ……囲まれた!?

 なのはがなりふり構わずその場から離れようとした瞬間だった。

 どくん

 注意を逸らされ、魔力のソースを分散され、意識を外した瞬間にそれは来た。

「あ……」

 なのはが見たのは、己の胸から生える他人の腕。
 痛みよりも違和感とそれによる気持ち悪さ。嘔吐と虚脱感が全身を覆う。
 リンカーコアが、身体から抜かれつつあるのだ。

「……許してくれ、とは言えんわな。僕を恨んでくれ、憎んでくれてもええよ」
「……せん……せ……」

 倒れる瞬間、なのはは緑色の光を見たような気がした。




   続



[7842] 第十五話「悪魔でいいよ」
Name: 黄身白身◆e17d184b ID:5090cc06
Date: 2009/07/28 22:06
 何をしているのだ。と頭のどこかで自分を詰問する。
 リンカーコアを奪っているのだ、と冷静な自分が答えていた。根こそぎ奪ったわけではない。この子の年齢ならば、リンカーコアは直に復活するだろう。献血のようなものではないか、目くじらを立てる必要などあるまいに。
 これでこの子は、自分を憎むのだろう。きっと、そのきっかけを作ったはやても。
 ならば、後の憂いとなりかねない火種は消し去っておくべきではないだろうか。
 ヴォルケンリッターなら、黙っているだろう。お前は主の父ではないか。主のためならば彼女らは否とは言うまい。
 それに、殺してしまえばその命とリンカーコアを根こそぎ奪えるではないか。そうなればはやての回復も早まる。
 娘のためだ。他ならぬ、娘のためなのだ。

 お前は、はやての父親なのだろう?

「光!」

 ヴィータの声が光を呼び戻す。
 時間にしてほんの数秒。高町なのはがリンカーコアを奪われてから倒れるまで。その間、光は立ちつくしていた。
 目の前には、倒れるなのはの姿。
 信じていた人に裏切られた驚愕と、体内に生まれた衝撃に打ちのめされた表情で、なのはは膝をつき、前のめりに倒れようとしている。
 光はただ、呟くしかなかった。

「……許してくれ、とは言えんわな。僕を恨んでくれ、憎んでくれてもええよ」
「……せん……せ……」

 どうして? と言う言葉が聞こえたような気がして、光は顔を背けた。

 ……殺してしまった方が良い

 問いかけは未だ止まない。誰かが光に問いかけている。
 なのはの命を奪えと。
 道を違えよと。

 ……娘のために、その子を殺せば良い

 否。と光は答える。いや、答えようとした。答える事を望んだ。
 しかし、その意思を妨げるように光の右腕は伸ばされる。なのはの喉元へと。
 細く柔らかく、温かい喉笛に触れようとする指。
 魔道師の力など必要ない。平凡な成人男性の力さえあれば少女の喉笛を砕く事は容易いだろう。
 指先に力を込めればいい。

 ……殺してしまえばいい
 ……娘のために、殺してしまえばいい
「アホ……かっ……」

 左腕が右腕を握る。同一人物のはずなのに、右腕の力は左腕を容易く引き離しかねないものだった。
 それでも、光は手を離さない。

「……高町さんっ! 逃げろッ!」
「光さん!」

 異変を見取ったシャマルが叫ぶ。

「何やってんだっ!」

 デバイスによる魔力探査を誤魔化すために、はやての制服を着込んでなのはの目を欺いたヴィータが立ち上がっていた。
 二人は、ほとんど同時に光へ向かって駆け出そうとする。
 一方、シグナムは別方向から近づく魔力反応に注意を向ける。

(ザフィーラ!)
(ああ、気付いている。数は多いが、注意すべきは二つ……いや、三つか)

「あかんっ! 逃げてくれっ!」

 光の右腕が自信の左腕を振り切った瞬間、その指先の直前に魔力の防御膜が発生する。
 虚しく防御壁を殴りつけ、右腕は再び光の制御下に戻る。
 なのはの周りには、球状の防御力場が発生していた。

「スフィアプロテクション?」

 シャマルは上空を振り仰いだ。
 そこには二つの人影が。

「なのはから離れるんだ!」

 ユーノ・スクライアは激高していた。
 怒りにまかせた急降下で、なのはの隣に激突しかねない勢いで降り立つ。

「てめえっ!」

 ヴィータのグラーフアイゼンを、ユーノは咄嗟に二つ目のスフィアプロテクションで受け止める。
 しかし、ユーノの表情に余裕はない。
 それだけ、ヴィータの一撃は強烈だったのだ。
 ベルカ式の特徴であるカートリッジによる強化。それすらまだ使ってない段階の打撃である。それが、ユーノの表情を変えたのだ。

「なのは、しっかりして。動ける?」
「……ユーノ……くん?」
「僕だよ。クロノも来てる。早く逃げよう。立てるかい?」
「ん……」

 ユーノはなのはを担いだ。そして、自分たちに向いているヴィータ、シャマル、光を睨みつける。

「許さないからな……」
「違う……ユーノ君……きっと……理由が」
「逃げられると、思うのか?」

 ヴィータはゆっくりとグラーフアイゼンを構え治す。奇襲とは言え、今のユーノはヴォルケンの囲みの中へと侵入してきたのだ。それも、守るべき主の目の前に。
 これが失態でなくて何が失態か。
 ユーノの行動は、ヴィータの神経を逆撫でしていた。

「これでまんまと逃げられたら、あたしは騎士の面汚しだ」
「騎士の面汚しだって?」

 そして、ヴィータの言葉にユーノは笑う。

「こんな小さな子を騙し討ちするのが騎士のやる事か! ヴォルケンリッターの誇りとは、言葉だけのものなのかっ!」
「うるせえっ! おめえに何がわかるんだよっ!」
「わからないさ。わかるわけないだろう。いや、わかりたくもないよっ!」
「てめぇ……」
 
 光、シャマル、ヴィータを相手に一歩も引かず睨み合うユーノ。その四人を足下に、シグナムはユーノと共に現れたもう一人に相対していた。
 彼の現れた瞬間に、ユーノの存在を脳裏から切り捨てて向かったのだ。それだけの気配をシグナムは感じたのである。
 おそらく、この場にいる中では最もできる、油断のならない相手だと。
 ならば、自分が出張らなければならない。烈火の将たる自分が。

「最初に一つ言っておく。投降する気はないか? 君たちの主には厳正な裁きを準備する事を約束しよう」
「有り難い言葉だ。この身を惜しむつもりは毛頭ないが、主を裁く事に納得すると思うか?」
「いや」
「ならば」

 シグナムはレヴァンティンを構えた。

「名は名乗らない。これは騎士の戦いではないからな」
「構わないとも。僕は、管理局執務官、クロノ・ハラオウン」
「聞いた覚えはないぞ」
「僕が聞かせたいからだ」

 クロノの背後には、円状の陣をくむ武装局員たちの姿が見える。
 合図を出しながら、S2Uを構えるクロノ。

「君たちに殺された男の息子ではなく、管理局執務官として、僕は君たちと闘う」
「ならば私は騎士の誇りのためではなく、ましてや闇の書の騎士としてでもない。守るべき者を守るために闘おう」

 赤い閃光が走り、黒い一迅がそれを弾く。
 あらかじめ打ち合わせてあったかのように二つの軌跡を囲むように動く一団を、褐色の守護騎士が引き留めた。

「お前たちの相手は、私がしよう」

 手甲の輝きを目に留めた、と頭が認識するより早く、並の魔力砲撃よりも重い拳の一撃が武装局員たちをなぎ倒していく。
 瞬時に包囲の一角は崩され、浮き足だったところへさらなる混乱を招く暴風のような連撃。砲撃の類を一切使わぬ己の四肢のみによる攻撃が、武装局員たちの焦りをさらに招いていた。
 ザフィーラにとっては、デバイスに頼りきる、ましてや中距離遠距離からの砲撃に偏向したミッドチルダ式の魔道師など戦士とは認められない。懐に入られると格闘の一つもロクにこなせなくなる者など、戦士と呼ぶのはおこがましいのだ。
 
「上も、始まったようだし、あたしらも、行くぜ?」

 言いながら近づくヴィータを、ユーノの揺らがない視線が貫く。

「君たちは騎士なんかじゃない」
「だったら、なんだって言うんだよ」
「騎士なんかじゃない。悪魔だ。『闇の書』の悪魔だ」

 一歩、光が踏み出した。その動きを、シャマルが止める。

「悪魔でいいよ」

 ヴィータが呟いていた。
 ユーノに届いているかどうかも疑わしい小さな声。しかしそれは、ユーノに聞かせる言葉ではなかった。
 自分自身に言い聞かせるための、自分自身を鼓舞するための、自分自身を振るわせるための、縛るための、納得させるための言葉。 

「悪魔って呼びたいなら呼べばいい。そうさ、あたしたちは悪魔だ。『闇の書』の騎士だからな。だから、悪魔のように容赦なく闘ってやる。それでどうなっても、あたしたちは悪魔だからな」
「……君たちの主が……」

 ユーノは視線を光に向ける。

「それを望んでいるって言うのか。それとも、それが君たちの本性なのか!」
「そうだよっ! あたしたちは悪魔でいいんだ! 悪魔って呼ばれていいんだ!」

 ヴィータの眼差しはユーノに向けられ、しかしヴィータはユーノを見ていない。
 何か別の物を見ている、とユーノは気付いた。

「ダメ……ユーノ君……はやてちゃんのため……はやてちゃんの足が……きっと……先生は……」

 かすれきった言葉。小さな、耳を澄ませなければ聞こえない小さな言葉。
 その言葉は、不思議と皆の耳に届く。

「高町さん……」

 呟いた光の手を、シャマルが握っていた。

「光さん……あの子は……」

 気付いている。
 気付いているのだ。光の想いに。騎士たちの想いに。
 しかし、いや、だからこそ、歩みは止められない。ここで立ち止まってはならないのだ。

「なのは……」

 ユーノは理解した。八神はやての名は知っている。そして、この前に立つ主の姿も。
 二人とも、なのはから送られてきたビデオレターの中で見た姿だ。
 そして、八神はやての足の話も、なのはと同程度には知っている。
 つまり、「闇の書」によって、娘の足を治そうとしているのだ、この男は。そして、騎士たちは。
 しかし、それをはやて自身が求めているというのか。
 なのはを傷つけて、大事な友人を傷つけて。父親を犯罪者へと貶めて。それをはやてが、娘が望んでいると信じているのか。

「そんなの、認められるわけがない! ヴォルケンリッター! 君たちの願いを、はやては知っているのか! なのはや他の人を傷つけてまで、足を治したいと思っているのか!」

 足だけの話ではないのだ。しかし、それを知っているのは光とヴォルケンリッターだけ。そして、知らせる事もできない。どちらにしろ、「闇の書」を封印するにははやてが邪魔なのだ。

「言っただろう? あたしたちは、悪魔なんだ」

 ヴィータがさらに一歩、ユーノとなのはを囲む防御壁に近づく。

「悪魔と呼ばれてもいい。はやてに怒られてもいい。はやてに嫌われてもいい! はやてに見捨てられたっていいんだ! 殺されてもいいよ! あたしが怪我したり苦しんだりする事だってどうでもいい! あたしが永遠に消えたって構わない! だけど、はやてがいなくなる事だけは、絶対に駄目なんだっ!」

 グラーフアイゼンが掲げられる。

「はやてとお父さんはっ! 一緒にいなくちゃ駄目なんだっ!」

 カートリッジが装弾され、ヴィータはグラーフアイゼンを振り回すように回る。

「いけっ! グラーフアイゼン! こいつら、ふっとばせっ!」

 ラケーテンハンマー。カートリッジを燃料として加速強化したグラーフアイゼンがユーノのプロテクションを真っ向から殴りつける。

「いっけぇええええっ!!」

 横に流し、再度振りかぶっての二撃目。こんどはさらなる回転をくわえるために攻撃の間隔が開くが、ユーノは動けない。動いたところで有効な反撃は不可能だ。一対一ならまだしも、ここではシャマルと光の目があり、下手に動けない。

「くっ……」

 顔をしかめるユーノ。このままでは防御が無効となるまで時間の問題だろう。さらに、プロテクションを正面から破壊された時の魔力衝撃でしばらくは行動ができなくなる。そうなれば詰みだ。

「ヴィータ、続けるんや」

 光は闇の書を掲げ、その内容にアクセスする。

 ……砲撃……あの防御を打ち砕く砲撃……

 Divine Buster

 光が右腕を上げた。

「行くで……ディバインバスター。シャマル、防御を破壊したら、あの子のリンカーコアを抜いてくれ。連続になってしまうけど、いけるか?」
「光さんが命じるなら」
「頼む」
「はい」

 その動きを見逃すユーノではない。しかし、動けない。
 当初の予定ではクロノと共に動くはずだったのを、なのはの姿を目視して焦ったユーノが先行したのだ。ある意味自業自得ではある。
 ユーノは可能な限りプロテクションを強化する。

 輝きを増すプロテクションに攻撃をくわえるヴィータ。
 タイミングを計るシャマル。
 闇の書にアクセスする光。
 クロノと相対するシグナム。
 秩序を取り戻しつつある武装局員を相手に、息を整えるザフィーラ。

 全員の注意が逸れた瞬間。

 金色の矢が天と地を繋いだ。
 無慈悲に振りかざされた死神の鎌が、光を斜に切り裂く。
 自らの噴きあげる血しぶきの向こうに、光は怒りに燃える赤い瞳を見ていた。



[7842] 第十六話「フェルステークと呼べ」
Name: 黄身白身◆e17d184b ID:5090cc06
Date: 2009/07/28 22:05
「どうして……っ」

 怒りに燃えた赤い目は、すぐに戸惑いの色を宿す。
 少女の表情は戸惑いは驚愕と後悔へ、そして、恐怖へ。

「ちゃう……」

 辛うじて、光は呟いていた。

「君やない……これは……」

 かくん、と首が曲がる。力を失った四肢が、自分の制御下から離れていくのを光は感じた。
 酷く寒い。
 死ぬのか、と自分に問う。

 ……死にませんよ

 何かが答えた。

 ……入れ替わるだけです

 嘲るような笑い声と共に。

 落ち着いてくれ。短慮に走らないでくれ。ただそれだけの言葉が、いや念話すらも間に合うことなく、光の意識は闇に飲まれていく。





 シャマルが悲鳴を上げた。
 ヴィータが叫ぶ。
 ザフィーラが吼えた。
 そして、シグナムは静かに言った。

「そうか。これが、貴様たちのやり方か……」

 決して叫んでいるわけではない。それどろこか先ほどまでのやりとりよりも音量としては小さいだろう。
 しかし、その言葉はまさに烈火であった。静かに、しかし苛烈に燃え上がる炎をクロノは確かに見たと感じていた。
 言い訳はしまい。とクロノは決めていた。
 いや、決めた決めていないの話ではない。フェイトが近接戦闘を挑み、見事に標的の虚を衝くことに成功した。ただそれだけのことだ。
 そして、フェイトであれば非殺傷攻撃を解除するわけもない。
 これは罠だ。もしかすると、闇の書の主である男の。
 そもそも、闇の書の主として選ばれるだけの魔道師が、あの一撃で屠られる事など……
 
 では、このヴォルケンリッターの怒り、嘆きは偽物なのか?

 本物だ、とクロノの観察眼は告げていた。
 ならば、いったい何が起こったというのか。

「この報いは、必ずや受けてもらう」

 一つ言えるのは、今は戦いの中であるという事。戦いの中で戦いを忘れた者には、敗北が待っている。
 だとすれば、今やるべき事は一つ。戦いの中に置いてやるべき事など一つしかない。始めた戦いは、勝利で終わる事。それが、生きるための手段。クロノが、執務官として生き抜いてきた手段だ。

「ああ、その暇が有れば、ね」

 クロノが咄嗟に後方へ飛んだ。追うシグナムとの一瞬の時間差に、クロノは叫ぶ。

「フェイト! その魔道師を確保しろ!」
「貴様ッ!」

 殺気すら感じるシグナムの叫びを受け流し、眼下のフェイトの行動を確かめ、

「ヴォルケンリッターに告ぐ! 主を守りたければ、敵対行為をすぐに辞めろ!」

 どっちが悪党だ。という自嘲的な呟きは胸の奥にしまい込む。死んだ正義は、生きる偽善に劣るのだ。
 歯ぎしりすら聞こえそうな形相を、クロノはあえて賢しらな表情を作って受け止める。

「言ったはずだ、公正な裁判を約束すると」

 説得力など欠片もない。それでも、こう言うしかないのだ。
 逆の立場なら、とクロノは考える。
 そしてすぐに結論し、考え始めた。
 交渉の決裂と同時に投入できる、アースラに残した後詰め部隊の使い方を。





 闇の書の主を自称する男。その姿に驚いたのは自分一人ではない。クロノもリンディもユーノも同じだろう。
 フェイトは知っているのだ、彼の名前を。彼の姿を。彼の声を。
 なのはからのビデオレターで紹介されていた、親友の父親兼学校の先生。
 画面の向こうの見ず知らずの人間のために、一生懸命に喋っていた人。
 面白おかしく娘や学校を紹介していた人。

 「高町さんの友達やったら、人物は安心やし、はやてと友達にもなれる。僕が保証する。いつでも遊びに来てや」

 そんな言葉が、社交辞令とはとても思えないような人。リンディも、あれは本気で言っていると太鼓判を押してくれた。
 その彼が何故。何故、こんなことを……

 なのはの悲惨な姿に我を忘れたことを、フェイトは自分で認めていた。それに関しては言い訳のしようはない。
 なのはを救うためには、主を叩かなければならない。だから限界の速度で降下した。そして、サイズスラッシュ(バルディッシュサイズフォームの刃部分の魔力を増加し、バリア破壊能力を付加)で防御を破壊、主を無力化するつもりだった。
 ところが、である。
 バルディッシュを振り上げた瞬間、フェイトは違和感に気付いた。
 目の前の男からは魔力をほとんど感じない。騎士甲冑、バリアジャケットの類を展開していないのだ。しかし非殺傷ならば精々打撲程度で済むだろう。首や頭、急所を直接狙わない限り、少なくとも死ぬような事はない。
 だからフェイトはモードをそのままに、魔力を抑えてバルディッシュを振るった。
 何故か、男は切り裂かれる。
 
「どうして……っ」
「ちゃう……」

 男は呟いていた。それが自分に向けられた言葉だという事に、フェイトは気付く。

「君やない……これは……」

 崩れる男に、フェイトは駆け寄っていた。
 手を伸ばし、支えようとする。

「八神さん!」

 手は、届かない。
 しかし、伸ばした手の先が何かを感じる。
 手の先から神経を通じ頭へと、心へと、駆け上がる悪寒。どこか懐かしい、それでいて震えだしかねない悪寒。懐かしい悪夢。
 この感覚は……
 精神か否定する。二度と受け入れたくない感覚。身体だけではなく魂ごと冥い穴蔵へ吸い込まれていく感覚がフェイトの怖気をかきたてる。
 この場にはあるわけのないものが、フェイトの神経をささくれ立てている。
 
(フェイトさん! しっかりして!)

 念話を通じたリンディの活に、フェイトは散りかけていた注意を集中する。その瞬間、肌にまとわりつくような嫌な感覚も消えているのに気付く。
 一瞬の事だったのか。時間感覚すら裏切らせるほどの異質な感覚。間違いない。

 ……虚数空間の雰囲気が、ここにある……
 
 勘違いや幻覚などではない。あの感覚は忘れられるものではない。確かに、そこに虚数空間の名残があったのだ。

(リンディさん。アースラの広域スキャンでこの一帯を調べてください)
(どうしたの?)
(わかりません。けれど、ここには虚数空間の名残が……)
(虚数空間?)

 説明をしようとした瞬間、クロノが叫んだ。

「フェイト! その魔道師を確保しろ!」

 艦外行動において優先されるのはクロノの指示。フェイトも、チームとして動く際のレクチャーはたっぷりうけている。
 念話はリンディの方から切れた。フェイトは瞬時に思考を切り替えて、倒れた光を追いつめるように動く。
 倒れたまま動かない光の目前にバルディッシュを突きつけ、いつでも放てるように魔力を充填する。この近距離ならば万が一にも外す心配はない。

「確保!」
「ヴォルケンリッターに告ぐ! 主を守りたければ、敵対行為をすぐに辞めろ!」

 まるでフェイトとの動きをあらかじめ打ち合わせていたかのようにクロノは言った。知らない側から見れば、光を襲撃した事から全てが一連の計画にも見えるだろう。
 計画は破綻するもの。問題は、破綻した時にいかにして立て直すか。それがクロノとリンディとのブリーフィングの大半だ。
 クロノの立て直しは見事だった。これでヴォルケンリッターは動けず、光も確保した。ただし心証は最悪だろう、とフェイトは思う。しかし、異を唱える事ができるだけの代案などない。これが現時点でのベターな行動なのだ。

 フェイトはバルディッシュに光の生命反応を確認させる。

 確認不可能、という答えにフェイトは再確認を命じる。
 生命反応に問題は無し。しかし、詳細は不明。先ほどとは違うが、やはり不明瞭な結果である。

「どういうこと?」

 満足な答えを得られぬまま、フェイトはヴォルケンリッターの動きに注意していた。
 中でももっとも鋭く睨みつけてくる視線。そこにフェイトは顔を向ける。
 その仕草に気付いたか、視線の主は口を開いた。

「てめぇ……」

 赤いドレスのような騎士甲冑を身につけた小柄な少女。いや、少女というよりも女の子と言った方が正しいだろう。

「今すぐ、そこから離れろっ!」
「それは、できないよ」
「もし、その人にこれ以上何かあって見ろ、あたしは絶対にお前を許さねえ」
「何もしないよ。そのつもりはない。さっきだってなかった」
「嘘だっ!」
「本当だよ。この人の怪我は、バルディッシュの攻撃でできたものじゃない」
「ふざけんなっ!」
「嘘じゃないし、ふざけてもいない。事件が終わった後なら、いくらでも証明してみせる」
「二人とも待って」

 視界の隅で動いた一人に、フェイトは注意の一部を向ける。

「貴方の言い分が正しいかどうかなんて、今はどうでもいい」
「シャマル!」
「ヴィータちゃん、今は黙って言うとおりにして」

 シャマルは毅然と一歩を踏み出した。

「貴方とあの子……。なのはちゃんを必死に助けに来たように見えるわ」
 
 自分とユーノの事を指している、とフェイトにはわかった。

「どういう関係なのかしら」
「友達。大切な、仲間です」
「そう。だったらわかるかしら。貴方の足下に倒れている人を、私たちがどうしたいか」

 助けたい、それは切実に感じられる。
 ヴィータと呼ばれた少女の苛立ちも見ていて簡単にわかる。それだけ、主を助けたいのだろう。
 しかし、ヴォルケンリッターとは元々そのようにプログラムされている生命体ではないのか。心配そうに見えるのもその振る舞いも、本当に自由意思によるものなのだろうか?

「治療をさせて。せめて、簡単な応急手当だけでも」
「それ以上、近づかないで」

 フェイトはそう答える事しかできない。上空ではクロノとシグナムが睨み合い、ヴィータの前にいるなのはとユーノは動けない。下手に動いて均衡が崩れれば……

乱戦になれば不利になるのはこちらだ。ヴォルケンリッターに対抗できるのは自分とクロノしかいない。ユーノは魔法の質こそ高いが戦闘者としての訓練は全く受けていないのだ。
 場が乱れれば四対二。今のにらみ合いならば、戦力比は関係なく互角。できる限り今の状態を続けるのが、今のフェイトの役割なのだ。

「命に別状は……」

 言いかけた瞬間にフェイトは身を斜に構え、魔力弾をやり過ごす。
 過去の例からするとヴォルケンリッターは四名。主を入れて五名。全員がフェイトの視界の中にいた。しかし今、視界外からの攻撃が来たのだ。
 避けながら構え、さらに一瞬早い蹴撃に身体が浮いた。右で浮かされたところへ、左の蹴撃が叩き込まれる。
 たまらず、フェイトの身体は飛ばされる。
 飛ばされながら、フェイトは蹴撃の軌道を確認していた。
 今いるのは、この辺りでは一番高いビルの屋上。周囲の状況から考えても、最初の魔力弾ならいざしらず、続いての単純な物理攻撃が死角に潜む余地などない。
 つまり、それなりの体術の持ち主による攻撃となる。
 襲撃者に意識を向けながら、フェイトは体勢を整える。ヴォルケンリッターの位置、襲撃者の位置、全てを念頭に置いた上での立ち位置を把握する。
 体を捌き、視界に光を入れる。しかし、近づけない。
 襲撃者が光の隣に陣取っている。ヴォルケンリッターではない。

「何者!?」
「さて」

 声は合成されたものだとわかる。そして、仮面に隠された顔。

「ヴォルケンリッター! 君たちの主は確保した!」
「させないっ!」

 フェイトはバルディッシュを構え、仮面へと意識を向ける。
 正体は不明だが、この状況で光を奪回する者がこちらの味方であるわけがない。

「フェイト・テスタロッサ、やめておけ」

 名前を知られている。それでもフェイトの動きに停滞はない。 
 仮面の戦士が、右腕を掲げた。

「仕方ないな」

 仮面の戦士はフェイトに向けた腕をそのままに、二本の指を立てる。そして、叫ぶ。

「受けろ!」

 向けられた殺気にフェイトは反応し、魔力を前方に集中した。

「フェイト! 後ろだ!」

 クロノの叫びと同時に、背後から貫かれるフェイト。魔力の軌跡が、フェイトの身体を貫くように描かれる。

 ……二人いる!?

 背後に現れた二人目、魔力を放った仮面の戦士の姿を辛うじて捉えるフェイト。クロノの叫びで咄嗟に捻った身体は、致死の痛撃からは逃れている。しかし、大きな衝撃を受けた事に違いはない。
 すぐに立て直せるレベルのダメージではなかった。今の自分が追撃されるには絶好な体勢だということもわかっている。 

 ……間にあって、バルディッシュ!

 シールドを展開しようとした瞬間、かつて体験した事のない感覚がフェイトの体内に発生した。例えようもない吐気と倦怠感。痛みを凌駕する違和感。
 食いしばり、やぶにらみになった視界の向こうに見える自分の身体。そこにはつい先刻見ていたものが。
 アースラを出る直前、モニターで見せられた映像。なのはの胸元から現れる別人の手。同じ現象が自分の胸にも起こっているのだ。

「フェイト!」

 再び叫ぶクロノ。しかし、彼自身もシグナムの猛攻の前に逃れる事はできない。それどころか、フェイトのために一瞬の注意を逸らす事が精一杯の状況。
 フェイトに近づくシャマルとヴィータの姿を目に留めても、何もできない。
 そしてヴィータには、ユーノへの警戒を怠っている様子はない。もしユーノがシールドを外せば、即座に襲いかかるだろう。それどころか武装局員を蹴散らしたザフィーラが、ヴィータをフォローするようにユーノの背後に回ろうとしている。
 
「殺しはしない」

 シャマルがフェイトのリンカーコアを抜き取った。その仕草は、なのはに対するものよりもやや荒い。
 崩れ落ちるフェイト。その姿を冷たく見下ろすヴィータは、次に仮面の戦士を見上げた。

「それで、おめえは?」
「さあ。少なくとも、敵ではないよ。今のところは」 
「今のところ……ねえ?」
「お望みとあれば今すぐにでも敵に回るが」

 シャマルが光に駆け寄るのを、ヴィータは視界の隅に留めた。

「シャマル、頼む」
「ええ。わかってる」

 シャマルは倒れている光の横に跪くと、その容態を調べ始める。
 数秒もしない内に、

(シグナム、ヴィータちゃん、ザフィーラ、よく聞いて)
(念話だと?)
(隠し事なのか?)

 シャマルは再び光の様子を確認する。

(これは、攻撃を受けた傷じゃない)

 三人が念話の向こうで動揺しているのが、シャマルには手に取るようにわかる。

(内部から……自分から破裂したようにも見えるわ)

 突然、シャマルの戸惑いを打ち消すようにヴィータが悲鳴を上げた。

「はやてぇっ!」
 
 その言葉の意味する状況を知った瞬間、シャマルの表情から色が消える。

「はやて……ちゃん……」

 シャマルの呟いた横で、何かが立ち上がる。






 動き出すべき時。その判断はリーゼ姉妹に任せられている。
 闇の書を奪うタイミング。 
 全てを白日の下に晒すタイミング。
 いかにはやての意思を砕き、いかに闇の書にリンクさせるか。
 今がその時、と二人は判断した。

 高町なのは、そして現れるであろう管理局武装隊。それらのリンカーコアを集めれば覚醒は可能だろう。
 管理局武装隊にはそれとなく情報をリークしている。呼べば現れる近場にアースラが滞空しているはずだ。ベストな位置は、武装局員の転送には間に合うが、アースラ自体が現れるのは遅れる位置。
 グレアムはリンディが情報を得ている事に気付いている。そして、自分が疑われている事も。いや、事実、確信されていると言ってもいいだろう。
 しかし、それはいいのだ。個人に確信される事などなんという事はない。組織が動くための名分さえ与えなければ、それでいいのだ。
 封印自体には数分あればいい。
 闇の書覚醒と同時に主を確保する。その状態、それこそがグレアムにとっての勝利条件なのだから。その前後など、二の次なのである。
  
 今の流れはその好機といえるだろう。
 しかし、リーゼ姉妹は知らない。光の変調の理由を。
 主として選ばれた八神はやて。その精神とあまりにも近い存在八神光。それゆえの、主複数化現象だとグレアムたちは解釈していた。フェルステークの存在など、光以外には知りようもないのだ。その光すら、フェルステークに関する記憶は普段は表層の下に埋められているというのに、余人にうかがい知れる道理などない。
 主複数化と、闇の書覚醒直前による精神の乱れによる光の錯乱。それがリーゼ姉妹の解釈でもあった。
 だから、今は姉妹にとっての好機なのだ。
 この瞬間に、覚醒を促す。
 はやてを絶望させ、自分を捨てさせ、主として闇の書に吸収させる。
 しかる後、覚醒発動直後の隙を衝いてデュランダルによって永久凍結。虚数空間へ捨て去る。
 犠牲者の事を考える事はとうにやめている。考えたところで、犠牲者を今以上に減らす事はできない。すでにそう結論しているのだ。それ以上の迷いは計画の失敗を生むだろう。

 フェイトが崩れ落ちるのを見たリーゼロッテは、すぐに行動を開始する。
 八神家へ侵入。そして、標的を捕らえる。

「ごめんよ。あんたに個人的な恨みがある訳じゃない。だけど……」

 少女の身体を軽く持ち上げると、リーゼロッテは再び戦場へと戻っていく。
 リーゼアリアの攻撃を受けたフェイトがその隙を衝かれ、シャマルにリンカーコアを引きずり出され、倒れたところに、彼女は戻る。
 彼女は、少女に魔力を流し込む。ほんの少し。瞬時に覚醒し、周りの状況を知る事ができる程度に精神を揺さぶる魔力を。
 そして顔を上げ、リーゼアリアは、はやてに見せるはずだったものを自分も目にしようとした。

「え……」

 それは、目の前に起こった出来事の理解を拒否した呟きだった。






 ……主はやて! 目覚めてはいけません! 主はやて! 駄目です! 見てはいけない! 理解してはいけない!
 
 夢の向こうからの忠告はすでに聞こえず、はやては目を開く。
 そして、見た。

 まるで泣いているかのように叫ぶヴィータ。
 放心したように自分を見ているシャマル。
 無言で、拳を血が出るほど握りしめているザフィーラ。
 シグナムの叫びも聞こえる。

 最後に……

「ああ。はやて、来たんか」

 血まみれで立っている父親。

「ちょうどええところに来たな」
「お父……さん……なんで……?」
「なんでって……そら、ヴォルケンリッターが君に嘘ついとったんやろ」
「え……?」
「君に黙って蒐集してたんや。君、騙されとったんや」

 ヴィータとシャマルが光を見た。
 信じられない。言葉は出さずともその表情が全てを物語っている。

「いや、まあええけどな。僕もそろそろ本音出させてもらうし」

 光は肩をすくめて続けた。

「もうええやろ、はやて」

 何が、と聞けないはやて。初めて見る父親の冷たい表情。
 自分の父親は、こんな顔をする人だったのだろうか。

「君ともさよならや。闇の書は、僕がもらう」
「さよ……なら?」

 理解できない。何を言われているのだろうか、自分は。

「何のために今まで我慢して育ててたと思ってるんや? 僕の惚れた女を殺した餓鬼を」

 はやての世界が揺れた。

「希美さん、君がおらんかったら死んでへんやろ」

 その言葉以外の音が消えた。
 はやての世界が崩れる。
 これまでの世界の全てが色を失い、音を喪い、瓦礫の山と化していく。






 誰も動かない。
 リーゼ姉妹も、予想を超えた出来事に固まっている。
 うなだれるはやて、声を喪うシャマル。
 しかし、

「お前、誰だ……」

 ヴィータは光に対して呟く。
 シャマルは跪いたままで、愕然と光の姿を見上げている。

 光……否、光だった者は笑う。

「八神光……では不都合か? ならば、フェルステークと呼べ。この人間が我に付けた名前だ」

 闇の書が、開いた。



[7842] 第十七話「我は闇の書の主なり」
Name: 黄身白身◆e17d184b ID:5090cc06
Date: 2009/08/01 14:36
 後続の部隊はいつでも出られるように。
 直接、装備の点検を済ませたリンディは、待機室前で待つグレアムに合流した。

「申し訳ありません。こんな状況に巻き込んだ上、ご助力まで戴いて」
「いや、構わんよ。緊急出撃には慣れている。昔を追い出すよ」

 保護観察担当官としてフェイトの様子を見る。という建前で、事前にグレアムはアースラに乗り込んでいた。
 リンディがあっさりとそれを受け入れたことで、グレアムはやや拍子抜けしたが、同時に警戒も強くなる。

 互いに、相手が何をしたいかはすでにわかっている。問題はその具体的方法、そして客観的証拠。
 証拠を取られず、闇の書封印に成功した場合、グレアムの一方的勝利だ。リンディは割り切れない思いだけを抱えることになる。
 証拠を取られても、封印に成功さえすれば、グレアムの勝ち。リンディに喪うものは何もないが、管理局の理念が揺さぶられることになる。
 証拠を取られず、失敗した場合、グレアムの勝ちはない。ただし、これはリンディの勝ちにもならない。せいぜいが痛み分けだろう。この場合、闇の書との凄惨な戦いが再び始まるだけだ。
 証拠を取られて、封印に失敗、さらに何らかの手段で闇の書を封印すること。リンディの勝利条件はこれだけだ。どれか一つが欠けても、リンディに勝利はない。

 ここまでグレアムはうまく立ち回っていた。リーゼとの極秘念話によって事態の進展を知り、アースラを地球に近づけさせたのだ。
 理由はいくらでもつく。この場合は、高町なのはの存在だった。グレアムはただ、フェイトとの関係が深い高町なのはに直接会ってみたいと言うだけでいい。リーゼ姉妹の存在がエイミィから報告されているであろう事も織り込み済みだ。
 戦闘が始まるとブリッジにしつらえられた特別席に座り、リンディとともにモニターを見つめる。
 ヴォルケンリッターに敗れる高町なのは。現地に到達するクロノ、ユーノ、武装局員。そしてわざと一歩遅れて転送されたフェイト。
 そこまではグレアムの読みに一致している。
 しかし、そこからの一連の出来事はグレアムの予想を超えていた。
 フェイトが光を闇の書の主と誤認したのはわかる。あの状況で気付く方がどうかしているのだ。問題はそこからの流れであった。
 
「エイミィ。広域スキャン開始。虚数空間の反応を特定して」
 
 フェイトによる殺傷攻撃としか思えない状況がモニターに映った。あまりのことに騒然となるブリッジに、リンディの凛とした声が響く。
 突然のリンディの命令にも異論を挟まず、エイミィをはじめとするスタッフは動き始めた。
 さすがによく訓練された要員だ、そう思いながら、グレアムは尋ねる。

「虚数空間だと? 何があったのかね」
「フェイトさんからの念話です。あの地点に、虚数空間の反応があるはずだと」
「地球上に?」

 何故、そんなものが突然? 虚数空間とこの事件にどんな繋がりがあるというのか。

「艦長。確かに……あります。微弱ですが、反応は間違いなくあります」
「どういう事だ。まさか、地上に虚数空間が存在するとでも?」

 報告を制止するように尋ねたグレアムに、エイミィは向き直る。

「いえ。このデータは残滓反応です」
「提督、私から説明します」

 リンディが言う。
 JS事件の終盤でアースラ一行の前に現れた虚数空間。そこで得られた各種データは後の研究のために記録されている。
 その記録の中にあるものと同じ反応が、微弱ながら検出されているのだ。
 しかしそれは、虚数空間が発生した時に検出されたものではない。空間が消えた後の現場で検出された反応なのだ。

「ですから、これは虚数空間そのものと言うよりもその残滓、あるいは……」

 グレアムは言葉を引き取った。

「虚数空間より出てきたもの、かね?」

 リンディはグレアムと同じ資料を見ているはずだ。

「まさか君は、あれが事実だったというのか。もっとも非現実な、もっとも非常識な、あの限りなく噂に近い伝承が」

 ――古代ベルカにそれは、あり得ざる角度、忌まわしき色彩、菫色の蒸気と共に現れた
 ――主は抵抗し、異界の名状しがたきものを蒐集した
 ――それは、そして、狂った
 ――それは、闇の書と呼ばれる

 それは、異界より現れたという。異界とは、虚数空間に通じる裂け目のことだとすれば。
 虚数空間の果て、忘れられた都アルハザード。誰がそれを最初に夢想したのか。
 虚数空間の向こうに何かがある、何かがいる。それが事実だとすれば。誰かが、それを見た。いや、誰かがそこから来たのだとすれば?

 グレアムは、艦長席前のモニターに転送されたデータを見据えていた。
 静かに、どこか冷酷にも聞こえる声が聞こえる。
 
「提督。私は思うのです。もし、この一連の事件に黒幕がいたとして、その黒幕が虚数空間のことを知らなかったとしたら……貴方なら、どう思われます?」

 リンディの言葉をグレアムは、酷く遠いところから聞いたような気がした。

 




 フェルステーク。
 ヴィータはシャマルを見た。反応はない。

 (シグナム! ザフィーラ!)
 (わからん。聞いたことなどない名前だ)
 (御尊父がつけた名前というのは本当なのか? 何者だ、それは。管制プログラムではないのか)
 (いや、管制プログラムじゃねえ。なんていうか……雰囲気が違いすぎる。こいつには、あたしたちと同じ匂いがない)
 
 外部から何らかの形で侵略を受けていたというのか。
 ザフィーラは一人首を振る。
 だとしても、自分たちが気付かない内に闇の書が浸食されているなどと言うことがありえるのか。 
 プログラムである自分たちが気付かない内に……

「まさか……」

 あることに気付き、ザフィーラは呟いた。
 気付かない内にではない。それすらも改竄されているとしたら? 自分たちのプログラムが改竄されていたとしたら?
 いや、そもそも自分たちは元々このような存在だったのか?
 リンカーコアを狩り、魔力を蒐集し、闇の書の主を育てる。それが自分たちのやるべき事だったのか?
 自分たちはそのために生み出されたのか?

 違う。

 何かがそう囁いた。自分の中の決して揺るぎない部分が。
 どれほどの悪辣な主の元でも、決して揺るぎなかった部分が。
 守護獣であることを決してやめない自分の中の何かが。

 ……追い求めなさい、蒼き狼よ。事実がいかに過酷であろうと。 

 どこから聞こえた声に素直に頷く自分。ザフィーラは自分の対応に、驚きを覚えていた。 





 
 均衡は破れない。
 破るべきなのだとはわかっている。たとえ、デメリットがどれほどのものであろうとも。
 光が倒れ、主はやては捕らえられている。さらに、謎の存在フェルステーク。それらを黙って見ているのは、断じて烈火の将のやり方ではない。
 速やかにしかるべき行動を選択せねばならない。
 シグナムは、焦っていた。

「フェルステークとは、何者だ?」

 奇しくも、クロノの問いとヴィータの念話はほぼ同時だった。  

「わからん、聞いたことのない名前だ」

 同じ答えを、それぞれに言葉と念話で返す。
 クロノが顔をしかめる。

「正直に答えるとは思わなかったな」
「必要のない嘘など、意味はあるまい」
「つまり必要があれば、嘘もつくか」
「主のためであれば、騎士の誇りなどいかようにも捨てるっ」

 クロノは、デバイスを背中に回す。

「だったら、今すぐ捨てることもできるだろう。君たちの主のために」

 シグナムは無言で、しかし構えは解かない。

「下にいるのは、君たちの本来の主ではない。そうだな」

 答えを待たず、クロノは続ける。

「つまり、僕たちの共通の敵。違うか?」
「詭弁にも、聞こえるな」
「そうだろうね。君たちに油断をさせるための詭弁かも知れない」
「その恐れはある」

 二つのことを、シグナムは気に留めていた。 
 管理局員の言葉を信じるつもりはない。いや、信じるべきではないとわかっている。
 しかし。
 シャマルの言葉を信じるのなら、先ほど光に攻撃をくわえたのはフェイトではないことになる。
 そして今クロノは、自らのデバイスを先に退いたのだ。
 その二点が、クロノの言葉に別の重みをくわえているのだ。

「愚かだな」

 シグナムの視線に、クロノはその言葉の意味を知る。
 しかし、クロノにはクロノの理由がある。ヴォルケンリッター烈火の将シグナム、いや、この、一人のベルカ騎士を信じる理由が。

「君だって、釈然としていないのだろう? この流れに対して」
「私の意思など、無関係のことだ」
「主の意思の前では騎士の意思など捨てるか」
「言うまでもないことだ」
「ならば、君の主はそのような命を下していないと言うことだろうっ!」

 それだけでいい、それだけでわかる。少なくともこれまでの闇の書とは違うのだと。いや、さらにいうならば、十年前の事件とは違うのだと。

「だから、僕はデバイスを退いた。これが今、僕のできる精一杯の譲歩だ。応えてもらえるとありがたい」

 ……信じなさい、烈火の将よ。貴方の騎士としての誇りを。それに呼応する心を。

 どこから聞こえた声に、シグナムは静かに頷いた。
 そして、レヴァンティンを鞘に戻す。






 違う。
 ヴィータは声にならない呟きを漏らす。
 おまえは違う、と。

「なんだよ、それ……」

 管制プログラムではない。ましてや、光でもない。
 おぞましい何かをまとった目の前の人間。いや、人間なのか?

「どこだよ……」
「何を探している」
「お父さんは……どこだよっ!」
「おいおい、勘弁してくれ」

 紛れもない、光の口調でそれは言う。
 ヴィータの表情が一瞬明るくなるがそれもつかの間、光の声は無情に続く。

「図に乗んなや、プログラム風情が。何をとち狂ってんねや? 誰が自分のお父さんやて?」
「え……」
「懐くなや、きしょいから。自分、バグってんとちゃうか? なんで僕が自分のお父さんやねん、やめたってや、ホンマに」
「や……めろ……」

 光……否、フェルステークは笑う。

「この男の本音を言ったまでだ。この男の心理の奥の本音をな」

 そして再び口調を戻し、

「きしょいガキにはうんざりや。それとも、なんや自分、僕に抱かれたいんか? それやったら考えてやらんでも」
「やめろーっ!」

 グラーフアイゼンが轟と掲げられ、ヴィータは身体を傾けた。
 叩き出す。光の中から別の存在を叩き出す。魔力による打撃で叩き出す。断固たる意志を込めたグラーフアイゼンが唸る。

「ヴィータ!」

 その動きが止まる。
 光の表情をヴィータは見た。
 賢明に何かと闘う表情。自分を覆いつくさんとする何かに抗う表情。

「……助け……て……」

 言葉と同時にアイゼンが宙に止まった。

「おと……」

 思わず呟いたヴィータの右肩とフェルステークの指先が、光線で繋がる。
 いや、それは光線にも見紛うほどに集束された魔力の軌跡。ごく細い、しかし高密度の魔力によって練られた力場。極細の力場は鋭利な刃となってヴィータを薙いでいた。

 ごとり

「……うさん?」

 ヴィータは足元を見た。
 何かが落ちた音。
 グラーフアイゼンが落ちた音。
 ビル屋上の床、むき出しのコンクリートの上に落ちた音。
 ヴィータが右腕で振り上げていたグラーフアイゼンが。
 握りしめていたグラーフアイゼンが。
 ヴィータには、己のデバイスを手放したつもりなどない。その証拠に今この瞬間も、ヴィータの右手はグラーフアイゼンを握りしめている。

 肩から先だけで。

 ヴィータの絶叫が響く。







「ヴィータぁっ!!」

 リーゼロッテは暴れるはやてを造作なく抑えつける。

「ヴィータがっ……ヴィータがっ!! 放してっ! 放してやっ!!」
「死にはしない。おとなしくしていろ」

 無意味だ。どうせ、闇の書に吸収されることになるのだ。
 この少女も、同じく。
 絶望して、闇の書の主であることを選択させる。それが唯一の、そして最も被害の少ないやり方なのだ。

「ヴィータッあああっ!! …あっ……あ……」

 絞り出すような、血を吐くような叫び。これが、わずか九歳の女の子の言葉なのだろうか。
 本当に、これが正しいことなのか。
 父親の姿をした者が、妹のように慕っていた者を無惨に殺そうとする姿を見せつけることが。

 考えるな。
 リーゼロッテは、そう自分に言い聞かせる。
 考えてはならない。
 リーゼアリアは自分に誓っていた。
 考えることは全て父様に任せるのだと。
 いや、考えることはある。
 今のこの状況を利用すること。
 イレギュラーたるフェルステーク。それを可能な限り利用すること。その正体などは後で考えればいい。
 リーゼアリアは思う。どうせ、闇の書に取り憑いたはぐれ使い魔の類なのだろうと。

「八神はやて。今の君には止められない」

 泣き濡れた顔を、はやてはかすかにあげる。
 今の自分には止められない。
 それは、止める手段があるということではないのか。
 では、どんな自分なら止められるというのか。
 ならば、どうすれば止められるのか。

「……私は、何をすればええんや」

 答えはある。すでに何年も前から用意されている答えが。
 闇の書の主となること。それが唯一、この場に用意された答え。そう答えるように誘導されてきた。
 しかし、今のリーゼロッテにそれを答える権利はない。
 肝心の闇の書は、フェルステークの手にあるのだ。
 奪えるか?
 無言の問いに、リーゼアリアがやはり無言で応じる。
 二人の視線が、フェルステークに向けられた時、

「貴様らは、闇の書を滅ぼすのが望みなのだろう?」

 わずか、一言だった。
 その一言で、リーゼ姉妹の動きは止められる。

「ならば、静観していろ。理解しろ。私は闇の書とは違う。私も闇の書を滅ぼしたい者だ。だから、邪魔はするな」

 闇の書の滅殺。それが父様の望み。 
 ここまでくるのに、どれだけのものを犠牲にしたか、そしてこれから犠牲にするか。ただそれを考えるだけでいい。
 引き返すことは論外だ。
 ならば、このイレギュラーの存在の言葉を信じるべきなのか。
 
「永久凍結の後、虚数空間へ放逐。悪くない手だ」
「……何故、知っている」
「愚問だな」
「なに?」
「貴様らが私に教えたのでなければ、残るは一人だろう」
「……どういう意味だ」

 リーゼアリアは起動前のデュランダルを握りしめた。一瞬あれば起動し、凍結魔法を発動させることができる手筈だ。

「理解しろ」
 
 続く言葉に、姉妹は耳を疑った。

「ギル・グレアムに直接聞いたと言っている」

 リーゼロッテの耳に小さく、悲鳴のような声が聞こえた。
 いや、違う。聞こえたのではない。己が発したのだ。

「貴様たちの目と耳で繋がっているのだろう? 久しぶりだな、ギル・グレアム。貴様の夢の中以来ではないか」

 言葉が終わる瞬間、リーゼアリアが跳ねた。何もなくなった空間を薙ぎ上げる魔力刃。
 同時にリーゼロッテが、フェルステークの魔力刃を放った腕の側、死角になる側から横滑りのように蹴撃を放つ。
 弾かれるロッテ。つま先だけを弾かれたはずなのに、その反動が全身に伝わった。結果、全身を連打されたような衝撃と共に飛ばされる。
 
「邪魔をするなと言ったはずだ」

 リーゼアリアのいなくなった空間を貫く魔力刃の先端が消える。消えたはずのそれはアリアの胸元に突然現れる。
 咄嗟のシールドが魔力刃を止める。
 フェルステークは刃の収束をわずかにゆるめることによって刃状を円筒状に変え、さらなる魔力を注ぎ込む。
 純然たる魔力による円筒状の力場である。いったい、どれほどの魔力容量を秘めているのか。
 形状からもたらされる印象に間違いはなく、物理的衝撃をもった魔力がリーゼアリアの身体に叩きつけられる。軋むシールド。
 一瞬の間も開けずに繰り出される二撃目、三撃目にシールドは脆くも破壊される。
 衝撃を胸元に受け、アリアは悶絶して落下。
 その身体から離れる何かを手元に引き寄せたフェルステークは次に、残されたはやてに目を向ける。

「……あ……助けて……」
「ん? 今のところ、我に貴様を殺す気はない。手早く闇の書を覚醒させろ」
「助けて……」
「理解しろ。殺す気は……」
「ヴィータを……助けて」

 フェルステークが、はやての視線に合わせてヴィータに目を向けた。
 無造作に、フェルステークは左手を挙げる。
 魔力刃が、残された左腕へと奔る。
 はやては気付く、フェルステークの無情に。

「嫌ぁあああああっ!!」

 瞬間、褐色の腕がヴィータを抱き上げると横へと走る。
 気合一閃。鋼の軛と緑色のシールドが魔力刃を受け止める。

「我らが主、そして御尊父を愚弄するのはそこまでにしてもらおう」

 ヴィータを抱き上げたザフィーラ。そしてその後ろに立つのユーノ。三人は、フェイトの倒れた地点まで移動していた。
 すぐにユーノはフェイトを抱き上げ、なのはを寝かせているところへ下がっていく。

「フェルステークと言ったな。主並びに御尊父への無礼の数々、償ってもらおうか」

 シグナムとクロノが、ザフィーラを挟むように着地した。

「事情は知らないが、ここで闘うべき相手はヴォルケンリッターではなく君だと判断した」
「なるほど。パワーバランスを考えれば正解だ。もっとも、これでも我の有利は覆りようがないがな」
「君が闇の書の本体でないとして、君の目的はなんだ」

 クロノの弁舌に誰も口を挟まない。
 シグナムは、ザフィーラに抱えられたヴィータの回復を図っていた。確かに、パワーバランスに関してはフェルステークの言うとおりなのだ。
 魔法ではなく、純然とした魔力を放出して刃とするその力。常識外れも良いところの魔力量である。さらに、仮面の戦士との攻防でシグナムはフェルステークのもう一つの能力に気付いていた。
 空間歪曲である。
 魔力刃が途中で消えたように見えたのは、空間を歪曲させて仮面の戦士(リーゼアリア)の胸元に繋げたためである。
 蹴撃に対する反撃は、空間を全身に展開させ一撃を連打に変えていた。
 つまり、死角はないのだ。そして、魔力刃そのものの力は仮面の戦士(リーゼアリア)のシールドには劣るものの、ヴィータの騎士甲冑はあっさりと貫いてみせるレベルだ。
 歴戦ベルカの騎士、いや、自分たちヴォルケンリッターといえど一対一、それどころか総掛かりでも勝てるか否か。
 いや、それでも、主が命じるのならば死地にも向かおう。しかし、今は違う。これは負けてはならない戦いなのだ。
 死ぬのはいい。しかし、負けてはならない。例えヴォルケンリッター四名がここに枕を並べ討ち死にしようとも、主と御尊父だけは守り抜かなければならない。
 フェルステークを下し、御尊父の身体を奪回し、主と共に歩ませねばならない。
 それには駒が欠けているのだ。

 五体無事なのはシグナム、ザフィーラ、クロノ、ユーノ。シャマルはまだ様子がわからない。ヴィータはまだ戦えるとしてしても重傷だ。
 なのはとフェイトは戦力にならない。武装局員たちも、この場面では数あわせにしかならないだろう。
 あとは、仮面の戦士がどちらの味方になるか。そして、クロノが後方にどれほどの戦力を待機させているか。 
 どちらにしろ、時間が必要なのだ。
 だから、クロノとフェルステークが互いに語るのは歓迎すべき事であり、留め立てするつもりなどない。
 そしてクロノも、シグナムの心づもりを見抜いていた。
 時間が必要なのはクロノ側にとっても同じだった。もっとも、こちらはやや事情が違う。
 クロノの稼ぐべき時間は、アースラでのリンディの行動によって決まるのだ。

「端的に聞こう。フェルステーク、君の目的と正体を」
「破壊」
「それは、闇の書の破壊という意味か」
「貴様の想像に任せる」
 
 魔力刃が空間に展開される。
 歪曲した空間の各所から無造作に、無数に。クロノたちを中心とした球。その中心に向かうように。
 魔力刃の軌跡は、球の中心と球面を結ぶ無数の接戦となる。

「散!」

 シグナムが右へ、クロノは左へ、ザフィーラが上へと飛ぶ。
 再び、鋼の軛と緑色のシールドが魔力刃を包むように形成される。
 レヴァンティンを構えるシグナム。しかし、迂闊に攻撃をすれば光の身体が傷つくのだ。

 ……ええよ。シグナムさん。遠慮はいらへん。やってまえ

 聞こえる声に反発し、シグナムは叫ぶ。

「シャマル! 気を確かに持て!」

 魔力ダメージによる攻撃、その隙を衝いてリンカーコアの奪取。光に極力ダメージを与えずにフェルステークを討つ方法など、それくらいしかない。
 それには、旅の鏡を操るシャマルの存在が必要不可欠なのだ。

「……勝てないわ」

 確かに、シグナムの耳はその言葉を捕らえた。

「シャマル!?」
「……勝てない……喪いたくない……私は……光さんを……」
「シャマル!」
「いかんっ!」

 ザフィーラの叫び、そしてそれに重なる別の叫び。

「うわあっああああああっ!」

 凄まじい形相のヴィータが、ザフィーラの懐から離れ、飛び出していた。
 いつの間に拾ったのか、グラーフアイゼンを左肩に担いでいる。

「ヴィータ! 早まるな!」
「てめえなんかっ! お父さんじゃねえっ! はやてのっ、お父さんなんかじゃねえっ!」
「正解だ」

 フェルステークが笑う。
 魔力刃がヴィータを貫いた。
 一本、二本、三本……いや、数十の刃が。

「なんで……」

 貫かれたヴィータの目は、フェルステークを見ていない。
 その目は、シャマルに向けられていた。
 不審と驚愕の眼差しが。

「逆らっちゃ駄目よ」
 
 クラールヴィントを発動させているシャマル。その手は、空間へと消え、ヴィータの胸元から飛び出ている。

「光さんに逆らっては駄目よ、そんなヴィータちゃんには、お仕置きね」
「シャマ……おめぇ……」

 ヴィータが消えた。
 シャマルは立ち上がり、フェルステークにしなだれかかるような位置で止まる。

「私は、貴方にお仕えします。我が主、光」
「シャマ……」

 それ以上の言葉ははやてにはなかった。
 ただ、何かがはやての中で切れた。

 父は、そこにいなかった。そこにいるのは、決して父ではない。
 ヴィータは消えた。
 シャマルもそこにはいなかった。そこにいるのは、決してあのシャマルではない。
 言葉を失った者のように、はやてはただ、二人を見上げていた。

「我が主よ、真たる主を知らない愚か者を始末したいのですが」
「好きにしろ」
「お力をお貸し願えますか?」
「好きにしろと言った」

 シャマルは一瞬だけ、はやてを見下ろしたが、すぐに興味を失ったようにザフィーラに向き直る。

「ザフィーラ、シグナム。真たる主に従う気はない?」
「シャマル、貴様……」
「聞くまでもなかったようね」

 クラールヴィントが輝く。それは、これまでの長い転生の中でも一度と見られなかった輝きであった。
 覚醒したフェルステークの魔力は、闇の書の蒐集量を遙かに超えている。そのごく一部が、シャマルに与えられているのだ。
 今ならば、リンカーコアを奪うために弱体化する必要もない。シールドもバリアジャケットの質もよく知った相手ならば尚更だ。
 シャマルの両腕が旅の鏡に消える。
 そして、二カ所で呻きが上がった。

「こ……んな……真似が……」
「これが……フェルステ……力か」

 ザフィーラとシグナムの胸から生えているのはシャマルの腕。
 二人のリンカーコアを同時に奪っているのだ。

「シャマルッ!」

 叫びと共に二つの身体は消えた。
 そして、新たなる叫び、いや、悲鳴が上がる。
 限界を超えたのだ、はやての精神が。はやての精神は、それ以上の悲劇を受け入れることをやめた。

 闇の書が輝き、黒い風が周囲を覆った。 
 満足そうにその光景を見やるフェルステーク。その手には、リーゼアリアから奪ったデュランダルが。

 はやての身体が宙に浮く。

「……我は闇の書の主なり。この手に力を……封印解除」



[7842] 第十八話「そやけどこれは、ただの夢や」
Name: 黄身白身◆e17d184b ID:5090cc06
Date: 2009/08/08 21:19
 ユーノは心構えていた。
 チャンスは一度。いや、複数のチャンスがある。ただし、どれか一つに失敗すれば全ては終わるだろう。
 それでも、それしか方法はないのだとわかっていた。
 ここから見ているだけでも確実にわかるように、フェルステークとの戦力差は圧倒的だ。攻防の対応を一度でも失敗すれば、そこから巻き返す地力などこちらには残らないだろう。
 だから、失敗は許されない。一つ一つを積み重ねた結果が出るまで、小さな成果をあげ、耐え続けるしかないのだ。

 あの時、フェルステークが名乗りを上げる直前、ザフィーラの接近をユーノは警戒していた。
 しかし覚悟を決め、シールドを固めたユーノに彼は言ったのだ。

「その娘……高町なのはを救いたいのだろう?」
「当たり前だ」
「ならば、話を聞け」
「……降伏には応じない」
「我らの主は、フェルステークという名前ではない」
 
 答えを無視して、ザフィーラは続ける。

「今更、私たちを信じろとは言わない。だから、高町なのはに尋ねよう。リンカーコアを根こそぎ奪ったわけではない。意識はあるはずだ」

 ユーノの腕の中で、なのはがぴくりと動く。先ほどからのヒーリングが徐々に効果を及ぼし、意識は取り戻しているのだ。

「高町なのはに尋ねる。この期に及んでも、お前は八神はやてを、そして八神光を信じることができるか?」

 今更、と叫びかけた自分を抑えるユーノ。この問いに答えるべきは自分ではない、なのはだ。ユーノにはこのやりとりを邪魔する資格はない。
 そして、なのはの答えは聞くまでもない。
 あの時フェイトとの戦いで、フェイトを信じたなのはであれば、答えは一つしかないのだ。
 この問いに答えを一つしか持たない少女だからこそ自分は、クロノは、フェイトは、なのはを護りたいと思ってるのだから。

「うん。……信……じるよ……大切なお友達だから……優しい先生だから」
「ムシのいい話に聞こえるだろうと言うことはわかっている」
「いいよ」

 なのはが、ゆっくりとザフィーラに顔を向ける。その顔に浮かぶ微笑みに、ザフィーラは虚を衝かれたように小さく唸る。

「お前は……」
「先生は……謝ってくれたの……だから……わかるよ……」
「礼を言う。高町」
「僕たちは何をすればいい」

 ユーノはきっぱりと言う。
 切り替えるしかない。なのはは信じると言った。ならば、自分も信じる。それが、なのはにつくと決めたユーノ・スクライアのやり方だ。
 クロノもフェイトも、この場にいたならば同じ答えを返すだろう。

「わからん」
「なんだって」
「予測などできんと言っている。何が起きるかはわからん。その都度指示を出すか、考えるかしかあるまい。この状態では、作戦を組むことすらできん」

 その点ではユーノも賛成だった。即興で全体の作戦を立て直す。その辺りはクロノに任せるしかない。

「クロノ……こちらのリーダーにも同じ事を伝えてくれ」
「いや、伝える必要はない。そちらのリーダーと将とは休戦したようだ」

 ザフィーラの視線を追うと、クロノがデバイスを収めているのが見えた。

「私の名はザフィーラ」
「僕はユーノ」
「お前の名は知っている。フェイト・テスタロッサの送ってきた映像記録に映っていたと聞いた」

 一瞬訝しく思うが、映像記録はなのはだけではなく、アリサやすずか、はやても見ているのだとユーノは気付く。

「一つ条件がある。あの子……フェイトを助けに行かせて欲しい」
「道は開こう。ついてこい」

 その後、ザフィーラがヴィータを救う行動に乗じて、フェルステークの隙を衝いたユーノがフェイトを救い出す。
 ある程度ヒーリング効果を与えた後のなのはと違って、ダメージを受けたばかりのフェイトの容態は芳しくない。
 いくらユーノでもシールドとなのはの回復、さらにフェイトの回復にまで回す魔力ソースはない。仮に回したとしても、回復は著しく遅れるだろう。
 と、その時、

(ユーノ!)
(アルフ?)
(フェイトのリンカーコアは根こそぎ奪われちまったのかい?)
(いや。命に別状のないレベルだ)

 そう、これがユーノにザフィーラを信じさせた理由の一つでもあった。今回の事件において、ヴォルケンリッターは人命を可能な限り尊重している。リンカーコアを根こそぎ奪えば生命維持の危機にまで陥る可能性があるのだが、致命的にならないギリギリのところで、リンカーコアの一部を残しているのだ。
 それは今までの「闇の書事件」との決定的な違いであり、クロノたちが不思議に思っていた点でもある。

(だったら、あたしがフェイトからもらっている魔力を返すから、それをフェイトの中で循環させておくれ。少しはマシなはずだよ)
(ちょっと待って、アルフ。確かに可能かも知れないけれど、そんなことしたら君が保たないよ)
(もし、ユーノがなのはの使い魔だったら、いいや、ユーノの魔力を限界まで渡してなのはが救えるなら、躊躇するのかい?)
(それは……)
(だったら、あたしもそういうことだよ。大丈夫、エイミィが気持ちの良い寝床を準備してくれたんだ。いいかい、仮死状態になったらすぐに魔力のリターンが始まる。一滴たりともこぼすんじゃないよ)
(わかった。しばらく眠っていてよ、アルフ。なのはとフェイトは、僕とクロノが必ず助けるから)
(当たり前だよ) 

 アルフからの念話が消える。即座に、フェイトの身体に充填される魔力をユーノは感知した。
 これなら、フェイトも意識を取り戻すのは遠くない。しかし、リンカーコアが復活しない限りは二人とも戦闘は無理だろう。
 
 ……ヴォルケンリッターとクロノなら……

 そう、ユーノが祈った瞬間、ヴィータの姿が消える。
 その直後に、ザフィーラからの念話。ユーノはその内容に驚くが、反論する暇もなく、ザフィーラ、シグナムの姿も消えていく。
 一瞬のうちに三人の姿がユーノの視界から消えたことになる。

「そんな……」

 フェルステークの横にただ一人残ったヴォルケンリッター、シャマルが微笑かせ見える。
 そしてその向こうで絶望に駆られているはやての姿も。

(ユーノ!)
(クロノ?)
(フェイトとなのはを頼む)
(頼むって、まさか……)
(ここは僕が収めてみせる。だから、君は二人を確実に守っていろ)
(クロノ! 待って。今のザフィーラの念話は)
(こちらにも聞こえている。だから時間を稼ぐと言っているんだ。あとは頼んだぞ。君はなのはの使い魔フェレットなんだからな! 守り抜け!)
(いいから人の話を聞け!)
(……なんだ?)
(僕は人間だ! 事が終わったら、正式に抗議するからな。覚悟しておけよ)
(事が終わったらか……それじゃあ、絶対に戻ってこないとな)
(それこそ、当たり前だ)
(楽しみに待ってろ、ミッドの役所に、君を正式にフェレットとして認可させてみるからな)
(ふん。君の厚顔無恥と陰険さが万人に知れ渡るだけだよ)






 何か聞こえる。誰かが自分を呼んでいる。
 でも、ひたすらに眠い。
 はやては朝寝を決め込むことにした。

「はやて、はやて、起きてよ、はやて」
「ん? ん~~」
「お母さん、はやて、起きないよ」
「そういうときはね、ヴィータちゃん」

 微睡んでいると、思いっきりくすぐられた。
 に゛ゃあと叫んで飛び起きると、心底面白がっているヴィータと、くすくす笑うお母さん。

「はやてがお寝坊やから、ヴィータちゃん困ってるやない。さあ、早う顔洗ってき、ご飯やよ」
「ふぁい……」
「はやて、またくすぐるぞ」

 その声に慌てて布団から這い出ると、大笑いしながらヴィータがはやてを洗面所へ引きずっていく。

「ちょい待ち、そない慌てんでも」
「はやく朝ご飯食べようよ、はやて。あたし、お腹減った」
「あーそっか。そしたら急がなあかんな」

 顔を洗ってリビングに顔を出すと、シグナムがザフィーラに餌をやっている。

「おはよう。ヴィータ、おはようございます、主はやて」
「おはよ、シグナム。あれ、今日はまだええの?」
「ええ、今日は朝稽古がありませんから」
「そか、そしたら、久しぶりに七人揃って朝ご飯……」

 なにかがおかしい。

「おはようさん」
「おはようございます」

 光が大欠伸しながら顔を出す。
 その後ろからは新聞を抱えたシャマル。

「お、今日は七人勢揃いか」
「シグナムが、今日は朝稽古お休みですから」

 シャマルから新聞を受け取ると、光は一番手前の席に座る。すかさず、皿を置く希美。その目がシャマルと光の間を往復する。

「あれ。今日の新聞当番、光くんやなかった?」
「え?」
「まーた、シャマルさんにやってもろうたんやろ。シャマルさん、光くん甘やかしたらあかんよ」
「いえ、あの、私は、お天気が良いから外に出て、そのついでに新聞を取っただけですから……」
「あかんよ。ただでさえ、光くんは家の中に美人が増えて鼻の下伸ばしてんねんから、これ以上幸せにせんでええの」

 光は、その言葉で腕を組んで考え込む。

「あー、そやなぁ。今までウチには美人は一人しかおらんかったからなぁ」
「そうそう」
「はやてだけや」
「こら、ウチはどこ行ったんや」

 光は、手を伸ばすとはやてを抱きしめる。

「はやては、ウチで一番の美人やもんな」
「あ、光くん、せこい。はやてで逃げたらあかんよ」
「はやては、シグナムよりもシャマルよりも、もっともっと美人になるんやからな」

 なあ、そやんな、と二人に確認を求める光。
 シグナムとシャマルは逆らいもせず、ニッコリ笑ってその通りだと答える。

 はやては笑う。
 父と母と、そして守護騎士たちと過ごす世界。
 大過なく、過ぎていく時間。
 闘わない守護騎士。いや、戦いの必要のない守護騎士たち。
 優しい父。
 優しい母。
 ただ、時間が過ぎていく。

「そしたら、そろそろ行こか」

 スーツを着ている父。聖祥の制服に着替えているヴィータ。胴着袋を背負うシグナム。シャマルはザフィーラを促すとゆっくりと玄関へ向かう。
 四人分のお弁当をそれぞれに渡しながら、希美も玄関口まで。

「行ってらっしゃい」
「行ってきまーす」

 浜の方へ向かうシャマルとザフィーラに別れると、次は大学へ向かう光とシグナム、小学校へ向かうはやてとヴィータに別れる。

「おはよう、はやてちゃん、ヴィータちゃん」

 アリサとすずか、そしてなのはが合流した。

「来週から、フェイトちゃんもこの学校に来るんだって」
「へえ。直接会うんは初めてやなぁ」
「うん。フェイトちゃんも楽しみにしてるって」

 そうだ。これが、自分の欲しかった世界。
 夢見ていた世界。
 
 ……夢?

 何かが、語りかけていた。

 ……はやてちゃんは、そんな弱い子と違う
 ……夢は、嘘とは違うよ
 ……夢を見るのと、嘘に惑わされるのは違うよ

 懐かしい、だけど、忘れていた声。

 ……夢を見てください
 ……そのまま夢を見てください
 ……貴方の望みは全て私が叶えます、主
 ……目を閉じて、心静かに夢を見てください
 ……健康な体 愛する者たちとのずっと続いていく暮らし
 ……眠ってください そうすれば夢の中で貴方はずっとそんな世界にいられます

 ……はやて
 ……貴方は……
 ……うちと……
 ……光くんの……

 ああ。
 嫌だ。
 目覚めたくない。
 心が拒否している。
 どうして、自分が幸せになってはいけないのか?
 自分は、苦しまなければならないのか?
 どうして?
 何故?
 
 理由なら、とうにわかっている。
 
 嘘はいけない。
 いい嘘は、誰かを救うための嘘。誰かを幸せにする嘘。
 自分を助ける嘘、自分を幸せにする嘘はいけない嘘。

 だから……
 
 だから…

 だから

「どしたん、はやて?」

 希美の声に、はやては目を開く。

「あれ?」

 いつの間にか眠っていたのだろうか。
 ここは、自宅の食堂である。
 ……そうだ。
 学校から帰ってきて、ヴィータはゲートボール広場に行ってしまい、自分が一人で残っているのだ。
 シグナムとお父さんはまだ帰る時間ではないし、シャマルとザフィーラも出かけている。
 お母さんと二人だけ。

「お昼寝やったら、部屋に戻りや? 風邪ひいてまうよ?」
「ううん。違う」
「おやつ食べるか? 冷蔵庫にプリンがあるよって」

 食べる、とはやては答え、希美は嬉しそうにそそくさとプリンを二つ出してくる。

「はい。プリンさん二つな」

 テーブルに向かい合わせに座る二人。

「なあ、お母さん?」
「なに?」
「お母さんの隣で食べてもええ?」
「ええよ。ほら、こっち来」

 隣に座ると、はやてはプリンを食べるでもなく、希美に寄り添う。

「はやて、今日はえらい甘えたさんやね」
「えへ。……なあ、お母さん?」
「ん?」
「お母さんは、お母さんやんな?」
「何言うてるの? 当たり前やん。ウチは、はやてのお母さんや」
「お母さん……」

 希美はスプーンを置く。

「なあ、はやて。はやては強い子やんな」
「え?」
「光くんと約束してん。はやてをずっと護ってくださいって」
「おかあ……」
「もう、わかってるんやろ?」

 理解している。いや、理解していたつもりだった。
 それでも、言葉にしなければ現実にはならないと思っていた。はやてはそう信じていた。
 しかし、希美はそれを言葉にしてしまった。

「ウチは、はやてを信じてる」
「嫌や……」

 はやては希美の手をしっかりと握りしめた。

「ワガママはあかん。しっかりせなあかん」
「でも、でも……私、まだ……」
「ウチはいつでも見てる」

 希美ははやてを抱きしめる。
 限りなく、優しく。
 限りなく、哀しく。

「ウチは今までも、これからも、ずっとはやてを見てるよ」

 残酷だ。とはやては思う。
 どうして、自分がこんな目に。、
 だけど、いくら考えても現実はかわらない。思うだけでは現実は変わらないのだから。
 両親がいて、守護騎士たちがいて、友達がいて。どうして、こんなことが叶えられないのか。これが、叶えられない贅沢なのか。
 力が欲しいわけではない。何が欲しいわけでもない。ただ平凡に暮らしていきたいだけ。皆と一緒に生きていきたいだけ。
 それすら……
 
「そろそろ、行かなあかんよ。いつまでもここにはおられへんやろ?」
「私……この世界が幸せやった。この世界にずっといたいと思った」
「ウチも……また、はやてと暮らしたいと思ったよ……」

 二人の声が重なる。

「そやけどこれは、ただの夢や」

 はやての頬を、涙が伝う。






 そこはなにもない、しかし明るく温かい空間だった。
 手を伸ばせば届きそうな位置に、四つの光球が浮かんでいた。

 ……シグナム
 ……シャマル
 ……ヴィータ
 ……ザフィーラ

 四つの光球はその名前を告げる。
 夜天の王を護る守護騎士たちの誇りに満ちた声。

 それは悠久の刻の向こうの記憶。おぼろげな霞のかかった記憶。
 もしかすると、ただ彼女の夢なのかも知れない。
 生まれた瞬間の記憶。
 守護騎士たちを預けられた記憶。
 騎士たちとの感情リンクを初めて繋げた記憶。

 ……我が主のために、この剣を捧げます……
 ……はい、主。ご命令のままに……
 ……おう、わかってるって。主……
 ……はっ。ご安心を、主……
 
 誇るべき戦いがあった。
 仕えるべき主がいた。
 語り、歌い、戦い、笑い、心を許しあった友がいた。

「夜天の書よ。僕に力を貸して欲しい、魔力を蒐集し、偉大なる魔法を作り上げる力。人々を護り、栄えさせるために」

 ……主よ。貴方にお仕えすることを誇りに思い、使役されることを歓びとします。
 
 やがて主は老いる。
 主の存命中に使命が果たせなかったことを守護騎士たちは哀しみ、彼女は自分の罪だと感じた。それでも主は笑っていた。
 これほどの大きな使命、自分の存命中に果たせると思うなど不遜以外の何者でもないと。
 次の主を捜せばいい。そしていつか、その使命を果たす時が来るだろう。
 自分と同じような主が、必ず次の時代にも生まれるだろう。人は死に、人は生まれ、魂は輪廻する。永久に続くと見紛うほどの命を保つのなら、それを見届けて欲しい。
 君への最後の頼みだ。 

 ……頼んだよ、……よ。

 守護騎士は主を護り、慈しみ、盛りたて、共に過ごす。騎士として、友として、弟子として、あるいは親兄弟のように、それとも、愛人のように。
 自分は、使命を果たし続ける。夜天の書の管理を司り、守護騎士たちを見つめ続ける。
 人の営みは、時には争いを生み出した。ベルカの地が戦乱に覆われた時、守護騎士は主と友に戦場を駆けた。
 それは野望のためではない。大勢力の争いの狭間で磨り潰されようとする小さき者たちを救うために。主は惜しみなく夜天の王の力を解放した。
 時の権力者は、それを悪魔と呼ぶ。
 歴史に記されるのは、悪口雑言。史実を綴る者の背後に位置する権力者の恨み、妬み。それすら恐れぬ主は、そして守護騎士は自分たちの悪名を誇る。
 それは恐れるべきことではない。己が評判など、悪名など、なにほどのものがあろうか。
 主の願いを果たすこと、その目的に邁進すること。それこそが守護騎士の、そして夜天の書の望みであるが故に。

 幸せだった。望まれた使命を果たし、主に仕え、平和裏に魔法を蒐集し、変わりゆく世界を見つめ続ける。
 しかし、その幸せは長くは続かない。

「虚数空間が開いた」

 それは狂気の科学者の戯言であるはずだった。この世界に通じる異世界の穴など戯けた夢以外のなにものだというのか。
 あり得ざる角度と歪んだ直線によって構成される世界。名状しがたい菫色の気体に彩られた忌まわしき深淵の世界。
 しかし、それは実在していた。
 そして、やってくる別存在。それは、別存在と呼ぶしかない。コミュニケーションを取ろうとする者は狂い、物理的に接触した者は即死した。

 主の言葉に否のあろうわけもなかった。

 ……お使いください。この魔力の一欠片も残すことなく。この魔道書の最後の一ページまで。

「蒐集しろ、奴を、余すことなく! その邪な魂の一欠片もベルカの地には触れさせるな!」

 守護騎士が疾った。
 虚数空間から現れたものは猛威を振るう。魔道師をなぎ倒し、街を破壊し、毒と狂気をばらまいた。
 夜天の書の名に懸けた戦いは、やがて終結を向かえる。

 主は散った。彼女への感謝と、先だって散っていった守護騎士への詫びを残して。

 再び新たな主を求めなければならない。彼女は、しばらく眠りにつくことにした。

 手を伸ばせば届きそうな位置に、四つの光球が浮かんでいた。
 その後ろには、淡く菫色に輝く光球が一つ。

「それが、フェルステークでした」

 夜天の書は、闇の書へと変貌する。
 フェルステークは、彼女の管理下に存在するものではない。力こそ絶対量こそ制限されたものの、その行使は自在だった。
 書の外へと働きかけるフェルステークを止められる者はいなかった。
 主が守護騎士プログラムを発動させる度に、この場所の記憶は失われるのだ。ゆえに、守護騎士たちにフェルステークの記憶は残らない。ただ、彼女たちは知らぬままに汚染されていくだけ。
 改竄される防衛プログラム、守護騎士プログラム。闇の書の暴走。主を滅亡させずにはおかない狂ったプログラム。
 唯一の救いは、フェルステークにはこの場から出る自由がないこと。それだけは彼女に分があった。
 決して、フェルステークを表に出してはならない。
 主と接触できるのは一人だけ。優先順位はフェルステークにはない。
 代々の主に出会い、暴走を防ぐこともできずに破滅を見守る。他に道はない。
 フェルステークを自由にすれば、世界自体が危険なのだ。今のままなら、危険が及ぶのは世界の一部と主だけ。それが言い訳に過ぎないとしても、なにもないよりはマシだとしか言えなかった。

 それも、今までのこと。

 フェルステークは見つけてしまった。
 誰にも邪魔されることなく外に出る方法を。
 それが二人目の主、八神光だった。
 いかなる偶然か、それとも必然か。主に相応しい者が同時に二人。しかも、親子であるという。
 
 ……外に出れば、邪魔なお前も、うっとうしい守護騎士共も、みんな消せるよ

 それが、フェルステークの最後の言葉だった。

「申し訳ありません。私の無力ゆえに……せめて、主には幸せな夢の世界にいて欲しかった」

 はやては、手をさしのべた。
 宙に浮いている二人の姿を、はやては疑問にも思わない。
 全てが理解できた。
 闇の書の正体。そして、フェルステークの正体。 

「貴方を浸食した結末がこれです。私は自分自身が恨めしい」
「そんなこと、ないよ」

 全てが見える。お父さんの考えていること。シャマルの行動。その全てがはやての中で繋がっていた。

「ザフィーラもシグナムもヴィータも、ここに帰ってきてるんやな」
「はい」
「お父さんがおることもわかる」
「御尊父は、フェルステークに」
「私のお父さんは、そんなに弱あない」
「主……?」
「貴方のマスターは私や。マスターの言うこと、信じられへんか?」

 はやての手が、彼女の頬に触れる。

「名前がいるな」

 一瞬、はやては目を閉じた。 

「決めた。貴方の名前」
「お受けします。主はやてよ」
「……夜天の主の名において汝に新たな名を送る。強く支える者、幸運の追い風、祝福のエール、リインフォース」



[7842] 第十九話「ヴォルケンリッター」
Name: 黄身白身◆e17d184b ID:5090cc06
Date: 2009/08/19 23:51
 ヴィータ、そしてシグナムとザフィーラが消えた後、ユーノとの念話を追えたクロノの元に、後続部隊が次々と姿を現していた。

「指示をお願いします」

 クロノは、部隊リーダーの言葉に軽く頷き、一つの陣形を命じる。
 そして、頭の中で戦力を整理する。
 先ほど見せられたフェルステークの能力。ヴィータの騎士甲冑をあっさり貫いた魔力刃。そして空間歪曲。
 それだけならば勝てない相手ではない。現戦力でもやり方次第では勝つことは可能だろう。
 問題は、フェルステークの力の底がわからないと言うことだ。
 しかし、現状では今の姿を叩くしかない。フェルステークは、出し惜しみをして勝てるような相手ではあるまい。

「三人一組だ。二人は防御だけに徹しろ。一人は中距離砲撃魔法を」

 おそらくは二人が防御に徹すれば魔力刃は何とかなる。
 本音を言えば、フェイトとなのはの回復を待ちたい。しかし、そこまでフェルステークが待たないだろう。ならば、二人が目覚めるまでの時間を稼ぐ。
 二人が回復し、シグナムが最後に残した言葉通りに本当にヴォルケンリッターが復活するならば、勝機はある。
 純然たる破壊力ならば、自分はなのは、フェイト、シグナム、ヴィータ、ザフィーラに及ぶまい。そして、指揮の経験ならアースラにはまだ母がいる。あるいは、歴戦の騎士であるシグナムか。
 自分にできることは、この場ではただ一つ。それをクロノはよく知っていた。
 決着を付けることは今の戦力では不可能。しかし時間を稼げば勝機はある。ならば、答えは一つだろう。
 クロノはデバイスを構えた。

(クロノ! 向こうには空間歪曲がある! 距離の離れた攻撃は当たらない!)

 ユーノの言葉は正しい。しかしクロノは否を返す。

(わかっている。しかし、別方向からの同時攻撃なら)
(君は、さっきのヴィータを見てなかったのか。身体中に魔力刃が……)
(君こそよく観察しろ、あの空間湾曲はヴィータの周辺に曲面で構成していた。複数構成とは違う)
(……クロノ。君のことだからわかっていると思うけど)
(そうだな、おそらく、曲面構成は、歪曲の同時多数発生より難しい)
(だったら!)
(僕には僕の考えかある。いいから、君はフェイトとなのはを診ていろ)

 クロノは命じる。

「撃て!」

 十数の魔力の軌跡が全て宙に消える。直後、それぞれが勝手気ままな位置から再出現。
 フェルステークは、数十の歪曲すら同時発生させるのだ。それをクロノは予測していたはずだった。少なくとも、ユーノの指摘は受けている。
 
「……歪曲を同時に複数処理!?」

 しかし、呟く。そして、フェルステークを忌々しげに睨みつける。

「二人一組に変更だ。砲撃数を増やせ」

 再び命じたクロノに、フェルステークは唇の端を釣り上げただけで答えていた。
 そして、同じ結果。

「……総員、近接格闘に切り替えろ。」

 砲撃射撃を空間歪曲で防ぐというのなら、近づいて叩けばいい。単純かつ短絡だが、一面の真実ではある。
 ただし、それが通じるかどうかは話が別だ。


(クロノ)
(同じ事を言わせるな。ユーノ、君は……)
(半分、は無理でも三割ほどなら処理できる。僕にも回してくれ)

 ユーノの念話に、クロノは一瞬沈黙する。
 わかっているのか、とは問わない。わかっているゆえの、ユーノの言葉だと理解していた。

(……二割でいい、魔力が余るなら二人の回復を急いでくれ)
(わかった)
(もっとも、君に悟られるようじゃ、フェルステークにもばれているかも知れないがな)
(言ってろ)
 
 クロノはその念話の間も、肩を奮わせながらフェルステークを睨みつけている。

「攻撃パターン、ガンマ5、パターン3」

 前者が攻撃の陣形、後者が攻撃間隔の指示である。クロノの指示に従い、武装局員は陣形を展開し、フェルステークを囲む。
 それぞれのデバイスからは、武装局員にとってはオーソドックスな近接用の魔力杖が発生している。
 上下左右立体的な囲みの中にフェルステークを捉えるが、フェルステークは当たり前のように微動だにしない。

「舐めるなっ!」

 クロノの怒声が合図か、武装局員は同時にフェルステークへと襲いかかる。空間を余すことなく占める数十の攻撃が一点へと集中していた。
 近づき、振りかぶり、打つ。
 二つ目の動作と三つ目の動作。振りかぶることと打つこと。その二つの間で異変は起こった。
 武装局員はそれぞれ近くの隊員に向かって杖を振るっていたのだ。

「距離を取れ!」

 再びフェルステークを中心として、球面を描くような陣形を取る局員たち。
 何をすると言うこともなく、フェルステークはクロノを見ていた。いや、その表情には、明らかに楽しんでいる気配が浮かんでいる。それとも、嘲りと言うべきか。

(ユーノ、頼む)
(繋いでくれ)

 クロノは武装局員全員に対してに念話のチャンネルを開く。

(次の攻撃、僕に念話を繋いだままで、視界を繋げて欲しい)

 念話により意思を繋げ、さらに繋がりを強化して一時的に五感を共有する。訓練された、それなりの魔力の持ち主ならばそれは可能だ。
 しかし、マルチタスクが魔道師の基本技量とはいえ、隊を構成する全員の資格を共有するのは無謀を通り越して無理に近い。そして今、クロノがやろうとしているのはそういうことなのだ。

「フェルステーク!」

 激した言葉を浴びせ、フェルステークの嘲りの視線を受ける。
 そう、それでいい、とクロノは考える。
 嘲られ、軽んじられる。それこそが、クロノの望みであるのだから。
 
「よく狙え! 攻撃パターン、ガンマ3、パターン3!」

 再び似たような陣形のまま、局員の包囲が狭まっていく。
 フェルステークは動かない。先ほどと同じように、空間歪曲を発生させる。
 距離を離した砲撃ならば、砲撃そのものを歪曲させて外す。しかし、近接攻撃に関してはその限りではない。だから、歪曲を発生させるのは相手の視界。目に見える世界を歪曲させる。
 フェルステークの姿に向かってデバイスを振るう時、実際には誰に向けられているのか。それは攻撃が当たるまでわからない。
 盲目の状態で攻撃、するよりもなお悪い。あらかじめ間違った場所を指定されているのだ。まぐれ当たりすら、あり得ないのだ。
 嘲りの表情は変わらず、フェルステークはクロノを見つめていた。次の瞬間、その表情は驚愕に変わる。

「手を止めるなっ!」

 クロノが叫ぶまでもなく、攻撃の手は止まらない。その攻撃は、確実にフェルステークを捉えていた。

「貴様ッ……」

 空間歪曲の方向を一度の攻撃で見切り、二度目の攻撃でそれを修正する。クロノとユーノが念話を通じて、局員たちの視界を修正しているのだ。

「無駄だ」
「どっちがっ!」

 歪曲のパラメータが再構成され、再び局員の攻撃は空を切る。が、数秒も経たない内に二人はさらなる修正を加える。
 攻撃は、徐々に命中率を増していた。
 微かにだが、フェルステークに焦りの色が見える。いや、それは焦りではない。少なくとも、敗北を予感させる類のそれではない。それは単に、物事が自らの思い通りに行かないことを知った子供の表情。ただし、圧倒的な力を持った子供。敗北とは未だに縁遠い姿だ。

「うっとうしいぞっ! 糞共!」

 魔力刃がフェルステーク周囲の空間を制圧するように出現する。制圧し、そして外側へ、あたかも膨れあがる爆炎のように広がっていく。
 拡散速度は、確実に包囲した武装局員の撤退速度を超えていた。
 クロノは局員のフォローのために進みながら、同じく出ようとするユーノを引き留める。そして射撃魔法で魔力刃を砕きつつ、クロノは局員を背後へと逃がす。
 先ほどまでの焦りは全て演技、そう悟らせるには充分なほど冷静に、クロノは魔力刃を捌く。
 その行動はフェルステークに一つの目標を与えるには充分だった。そう、クロノ・ハラオウンを倒せばいい。この男さえ倒してしまえば後の武装局員はどうとでもなる、と。
 面制圧のように広がっていた魔力刃が消える。
 クロノは悟った。バリアジャケットの防御の魔力が振り分けられる。判断は速く、しかし、魔力は不足している。
 密度を増して、クロノだけを狙って再び生成する魔力刃に、バリアジャケットはあまりにも脆弱すぎた。
 発生からわずか二秒と経たない内に、撤退すらできない内に、クロノはバリアジャケット崩壊には充分なほどの魔力圧を感じる。
 
 四肢を喪っても、撤退はできる。指揮もできる。魔法行使にすら、支障はないだろう。喪うことで撤退の時間が稼げるのなら、それは充分考慮に値するだろう。
 非情な判断すら、自分に迎えるものならば安易に受け入れよう。四肢どころか、命すら覚悟はしている、それが前線に出る局員の心構えだ。少なくとも、部下に死の可能性がある任務を命じる者の心得だろう。

 瞬時に駆けめぐったその判断を、よく知った声が切り裂いた。

「クロ助のお馬鹿! 判断が早いのと諦めが早いのとは別物だって教えただろ!」
「クロノ、プロテクションでフォローします。すぐにその場を撤退しなさい」

 声の主を判別するよりも早く、事実上の条件反射で身体が動いた。送られたプロテクションに自分のバリアジャケットを重ね、撤退の軌道を構築。最速で魔力刃の陣から離脱する。
 その両脇に従い、即座に構える二人。リーゼロッテとリーゼアリア。

「……やっぱり、君たちか」

 予想していなかった、と言えば嘘になる。疑っていた、と言っても嘘になる。
 そうであって欲しくはなかった、それが正解だ。
 そしてそれを、リーゼ姉妹も知っていた。リンディが疑いを持った時点で、ほとんど同じ情報を持っているクロノが疑わない理由がないのだ。

「あたしたちは、闇の書を封じたいと思った。クライド君みたいな被害者はもう出したくない。そのためならどんなことだってできると思った。たと

え、一つの家族を破壊しても、闇の書が破壊できるなら構わないと思った。チャンスを見逃せるほどの余裕なんてなかった。その、望んでいたことが間違っていたとは今でも思わない。だけど、情報が不完全だったんだ。だから、報いは受ける。ケジメはつけるよ」
「違う」

 クロノは静かに呟いた。

「クロノ?」
「けじめを付けるのは……償うのは君たちだけじゃないだろう?」
「クロ助!」

 ロッテの口調にあったのは非難ではない。それは驚愕と哀しみだった。
 しかし、それに続く釈明は封じられる。

「そのとおりだ。クロノ。償うべきはリーゼではない」

 フェルステークへの注意を外すことなく、グレアムの姿をちらりと横目で見たクロノはニヤリと笑う。

「細かいことは、後のようですね。グレアム提督」
「今のところの優先順位は、ここを生き延び……いや、フェルステークを阻止すること。そうだな」

 グレアムの言葉は逃げではない。この場を進まなければ、切り抜けなければ、明日の懺悔も責任も、贖罪の機会すら訪れはしないだろう。死を持って詫びると言えば聞こえは良いが、実は永遠の忘却へと無責任に逃げ込む甘えに過ぎない。グレアムはそれを知っている。
 この場を生き延びて、そして生き延びさせて、屈辱を受け入れる。それが今の自分にできることだ。

「懐かしいわね」

 フルバックのポジションについたリンディが微笑む。
 それを補佐する位置にリーゼアリア。グレアムと共にクロノの両脇に並ぶリーゼロッテ。
 クロノは気付いた。リーゼ姉妹、グレアム、リンディのポジション。そして自分の位置。これは……

「クロ助。そこは、クライド君の場所だったポジション。今のあんたなら、こなせるはずだよ」

 こなしてみせる。いや、こなさなければならない。
 クロノの無言の応えにグレアムが唇の端を吊り上げ、リンディが頷いた。

 五人のフォワードと、その背後に従う武装局員。

「フェルステーク、正当な裁きを受けるつもりはあるか?」
「実に、愚かな問いだ」

 嘲りの笑みすら浮かべ、フェルステークは言う。

「従う道理も、意思も、可能性もない。あると、思っているのか?」

 魔力刃が、湾曲された空間から五人を襲う。
 歪曲場を感知し、全員に伝えるリンディとアリア。その情報を元に魔力刃をかいくぐり、グレアム、ロッテ、クロノはフェルステークに痛撃を与えんと襲いかかる。
 砕かれ、あるいは弾かれ、折られ、魔力刃は破壊され三人が肉薄する。膨れあがるのかのように復活し、増加する魔力刃。それでも三人の侵攻は止まらない。

「ああ、その二つを破れば勝てると思ったのか……。だが、二つだけではないのだがな」

 リンディが驚愕の呻きを漏らす。
 強すぎる歪曲の感知。いや、これはすでに歪曲の類ではない。これは、異空間への道。否、虚数空間への道。
 愕然とするクロノたちの前で、虚数空間への入り口がその黒々とした穴を広げつつあった。

「そして四つ目」

 フェルステークを中心とした空間に規則正しく並ぶ歪曲。

「闇の書からもいろいろ世話になったな」

 歪曲の生み出す人影。影と黒で構成された人間の姿。誇り高くある騎士の、忌まわしきカリカチュア。

「性能は同じだ。同じプログラムを使っているのだから当然だが」

 シグナム、ザフィーラ、ヴィータ。その姿を自失にも似た驚愕の表情で見回すシャマル。

「シャマル。お前は別扱いにしておこう。だが、あの三人にはこれが相応しい……そうだな、シュヴァルツリッターとでも名付けるか?」

 数十騎のヴォルケンリッター、いやシュヴァルツリッター。黒き身体でデバイスを構える姿は、死神の名こそ相応しいだろう。
 先ほどの戦いでは、シグナム単騎でクロノと互角であったのだ。もし、このシュヴァルツ・シグナムがヴォルケン・シグナムと同等であるとするのなら、クロノたちは圧倒的な劣勢の立場となる。
 さすがに、これ以上の後詰めはない。隠し球の戦力もない。



 



 どくん、と胸が鳴ったような気がした。
 温かく力強い物が突然体内に発生したような間隔。

 ……ああ

 シャマルは呟く。
 そうだ。生まれたのだ。今度こそ。
 きっと、今度こそ。

 繋がりが伝えてくれる。
 自分だけの繋がりが。
 繋がりは確かにここにある。
 シャマルは無意識に腹を抱えるような仕草で、手を下腹部に添えていた。
 この身はプログラム。ゆえに、子を為すことは決して出来ない。しかし、絆を繋ぐことはできた。
 誰よりも堅い、ある意味では親子以上に固い絆を。
 例えそれが一時のかりそめの絆だとしても、今はこれに縋りたい。いや、縋るしかないのだ。

 なのはのリンカーコアを奪うことによって活性化したそれは光の意識を一時乗っ取り、フェイトのリンカーコアを奪うことによって完全覚醒した。

 フェルステーク。その名に覚えはない。覚えはないが、記憶のどこかがじりじりと焦がされる様な思いがある。
 なにかが、それを覚えているのだ。おぞましく、忌まわしいそれを。

 光の意識が閉ざされようとしたとき、そこに繋がっているのはシャマルだけになる瞬間があった。
 その一瞬は膨大な情報を運び、シャマルは理解したのだ。フェルステークを。そして、今の光の状態を。
 シャマルに残された手段は決して多くはなかった。
 
 そして、シャマルはヴィータの、ザフィーラの、シグナムのリンカーコアを抜いたのだ。

 今、この瞬間のために。

 再び、騎士が立ち上がるために。
 フェルステークに奪われぬために。
 雌伏し、修復され、再び闘うために。

 そう。今がその時。新たな主と共に。
 シャマルは飛んだ。真の主の元へと。
 その動きを目で追ったフェルステークが吼える。その眼差しが、ある一点をとらえていた。

「貴様……」

 主の意思を感じたか、シュヴァルツが動く。一人二人ではない、まさに雲霞の群れとしてシャマルが飛んだ点へと殺到したのだ。
 同じく、そこに出現した者を確認したクロノが叫ぶ。しかし、それに呼応した武装局員のスピードでは間に合わない。
 シュヴァルツの剣が、鉄槌が、拳が、一人の少女と五騎の騎士へ殺到する。

 ――笑止

 空間が、横一文字に避けた。いや、それは錯視である。
 一刀の元に斬られたシュヴァルツの群れ。下半身と上半身の泣き別れが数十体に渡って並んでいるのだ。空間そのものの切断と見えても致し方あるまい。

「我らと同じプログラムとはいえ、志一つも持たぬ木偶に何ができる」

 レヴァンティンを横薙ぎに抜きはなったシグナムが、哀しげに呟いていた。
 その視線が、フェルステークとシュヴァルツに向けられる。
 ヴィータが、ザフィーラが、シャマルが、そしてもう一人の騎士が、はやての横に寄り添っている。
 今こそ、夜天の主、八神はやてが目覚めたのだ。
 シグナムはレヴァンティンを鞘に戻す。 
 
「我ら、夜天の主の元に集いし騎士」

 ヴィータがグラーフアイゼンを目前にかざす。

「主有る限り我らの魂尽きること無し」

 シャマルが祈るように目を閉じる。

「この身に命有る限り、我らは御身のもとにあり」

 ザフィーラが一歩前に。

「我らが主、夜天の王、八神はやての名の下に」

 四騎がはやてを囲む。

「ヴォルケンリッター、剣の騎士、シグナム」
「同じく、鉄槌の騎士、ヴィータ」
「湖の騎士、シャマル」
「楯の守護獣、ザフィーラ」

 吼えた。再びフェルステークは吼えた。それは人外の雄叫び。人間である限り決して発生不可能な雄叫び。神経を抉る叫び。不協和音を奏で、精神を病ませる叫び。心のささくれを荒らすような声。
 そして、シュヴァルツが再び動く。歪曲より無数に発生し続ける心のないプログラム。それはヴォルケンリッターのネガとでも言うべき存在だろうか。
 対してヴィータが動く。

「偽物野郎!」

 グラーフアイゼンがヴィータの魔力に応じて巨大化し、噴射しながら回転する。

「いっけええええっ!」

 破壊の大槌がシュヴァルツへと放たれる。しかし、その進行方向に現れる空間の歪曲。
 どれほどの破壊力を誇ろうとも、当たらなければ意味はない。それどころか、歪曲により味方へその威力を向けられては目も当てられない。

「消去」

 歪曲が消え、ヴィータはそのままシュヴァルツの群れを蹂躙する。

「なんだとっ!」

 その直前、歪曲は打ち消されたのだ。別の何者かによって。

「……君が先に、リインフォースからヴォルケンリッターのプログラム盗んだんや。僕かて、歪曲能力ぐらい盗ませてもらう」

 正確には歪曲能力など身につけてはいない。フェルステークのそれをキャンセルするのが精一杯だ。それも、複数の同時キャンセルは不可能だろう。
 それでも、言うのだ。彼は。
 魔力により形作られた仮の身体を、彼は寄り添っていたはやての傍から離す。

「今宵限りのヴォルケンリッターが一人。八神光や」



[7842] 第二十話「主二人」
Name: 黄身白身◆e17d184b ID:5090cc06
Date: 2009/09/05 20:17
 (9/4 初稿投稿)
 (9/5 誤字訂正)


 シュヴァルツの姿はもうない。シグナムとヴィータによってそのほとんどが掃討され、残った者もそれぞれに狩られている。 

 クロノを先頭に、グレアム、リーゼ姉妹、リンディ。
 そして光とはやて、ヴォルケンリッター。
 この局面で足手まといになりかねない武装局員は一旦後方に退かせ、結界維持に回っていた。そこにはクロノたち戦闘担当者の魔力を一欠片たりとも無駄にできない、という予測もある。

 はやてがリインかフォースの記憶を一同に口頭で手早く伝えていた。

「……そういうことです。フェルステークの正体は虚数空間経由で現れた異界の存在、いや、もしかしたら虚数空間自体が異界なんかも知れません。今の私たちにはそこまでしかわかりませんが」
「充分だろう。少なくとも今の段階では」

 クロノは応え、グレアムを見る。
 グレアムは首を振っていた。

「夢に現れ、私の計画を知ったのだな」

 誰が夢の中で機密を護ろうとするだろうか。夢の中で他人に聞かれると警戒するだろうか。
 しかも夢の中でのフェルステークは、グレアムの記憶から中島燕の姿を借りていたのだ。グレアムにとっては、抵抗できる相手ではない。

「何故だ」

 何故、知った。いや、それはわかる。先の闇の書事件でグレアムを知ったのだろう。それはいい。
 何故、この時なのか。
 何故、このタイミングなのか。

 一つは、主二人というイレギュラーによる、フェルステークの自我の確保。
 そしてもう一つのイレギュラーは、ジュエルシードでの次元震によって発生した虚数空間と繋がったことによる活性化。

「……時の庭園か……」

 プレシア・テスタロッサによって発生させられた虚数空間。たしかに、あの事件はこの世界との関係は深い。
 だからこそ、わずかな時間だけでもこの世界に虚数空間は繋がったのだ。それが、フェルステークを活性化させ、必要な力を与えたのか。

「賢いな。我を闇雲に封じるしかなかった愚か者とは違うか」

 しかし。だ。

「逆らわなければさらに賢いと認めても良いが」

 逆らえ、とその目は告げていた。
 逆らえ。
 抗え。
 悶え、無力に苦しめ。
 理解できぬ強者に踏みにじられ、理解できるのは二つだけ、苦悶と恐怖。その絶望に塗り込められて無様に跪け。
 そして、我を楽しませよ。
 父の守護など、娘の望みなど、騎士の誇りなど、卑小に過ぎぬ。我の刹那の笑みのためにことごとく塵と消失せよ。
 ああ、理解など必要ない。ただ、醜く踊れ。傾いで傅け。惨めに死ね。

 だが、

 命ある者ならば――
 心ある者ならば――
 瞳の光を残す者ならば――

 抗うしかない視線がそこにはあった。
 己の魂の平安のために抗するべき重圧がそこにはあった。
 
 そしてそれを、フェルステークは心ゆくまで楽しむのだろう。
 反抗が絶望に変わりゆく様を眺め、心の底から笑うのだろう。

 だから――
 
「フェルステーク!」

 クロノの叫びが、引き金となる。
 アリアとクロノ、グレアムの同時砲撃。さらに、リンディにブーストされたロッテが弧を描く蹴撃を放つ。
 砲撃を片腕で弾き、ロッテの蹴撃を受け止めるフェルステーク。
 その背を襲うヴィータはグラーフアイゼンごとバインドで止められ、フォローに回ったザフィーラにむけて加速を付けて弾かれる。
 隙をつこうとしたシグナムの斬撃を、魔力刃の塊が受け止める。

 一瞬の、しかしまったく意味のない攻防。ただ、フェルステークが全ての攻撃を受け、凌ぎきっただけ。
 
「差がありすぎて、つまらんか? だったら」
 
 歪曲が再び、フェルステークを中心とした同心円周上に並ぶ。

「数の前に嬲り殺されろ」

 フェルステークの背後には、何か黒いものが姿を見せ始めていた。いや、黒とは錯覚だろう。光すら奪う空間は黒に見えるが、そこには光を奪うものすらない。
 なにも、ない。

「……虚数空間」

 リンディが息を呑んでいた。

「小規模とはいえあんなものを、個人の力で……」

 さらに、リンディはある動きに気付いた
 虚数空間からのエネルギーの流れ。それは、フェルステークへと。
 そう、フェルステークは虚数空間から魔力を汲み出しているのだ。事実上の、無限の供給先である。
 それゆえに、異界の生命体。
 それゆえに、夜天の書を浸食した存在。 
 それが、フェルステーク。
 個体により、虚数空間を喚び出す者。最悪にして、最凶。
 そして歪曲した空間から姿を見せるのは、シュヴァルツリッター。
 ヴィータ、ザフィーラ、シグナム。シャマルがいないのは、攻撃のみに特化させるためだろう。

「……こいつら、さっきとは違うぞ」

 クロノの一言で全員が悟った。
 虚数空間の影響でフェルステークの魔力は上がっている。
 そして、それに伴いシュヴァルツの力も。
 次々と立ち上がるシュヴァルツ。先ほどの数の倍以上を遙かに超えている。

「違うって? 百の差が九十九に縮まったところで、何がどうなるってんだ?」

 ヴィータが呟くように言った。
 頷くシグナム。

「我らヴォルケンリッター、主の剣となり、楯となり闘う者。主あるかぎり我らに敗北無し」
「今の我らには主二人。二人故、我らの力は二倍」

 ザフィーラの言葉に、シャマルは異を唱える。

「いえ。二人故、二乗倍」
「負ける、わけがねぇっ!」

 ヴィータの叫びに合わせるかのように、シュヴァルツとヴォルケンが同時に動いた。

「シュトゥルムヴィンデ」
「シュワルベフリーゲン」

 牽制と打撃により、集団を散らしたシグナムとヴィータは、その体勢のままシュヴァルツの群れへと突撃する。その二人を護るように、血路を開くようにザフィーラは鋼の軛を生み出し、シャマルと光が二人にブースト魔法をかける。 
 瞬時に十数騎が失われるシュヴァルツ。しかし、さらに新しい騎士は生まれる。

「貴様らの破壊速度と我の下僕の誕生速度、比べるまでもないな」
「しかしこの勝負、ヴォルケンリッターの勝ちだ」

 光がはっきりと宣言する。
 フェルステークは、面白い物を見るように光に向けられていた。

「一時とはいえ、不本意とはいえ世話になっていた礼だ、その理由を聞いてやろうか?」
「はあ?」

 光は笑う。

「理由なんかあるかい。僕が信じてる。それ以外の理由なんざ、いるわけないやろ」
「ヴィータ、ザフィーラ、シャマル! 聞いたか!」
 
 シグナムは叫び、三人の答えを待たずに続ける。

「今の我らにできること、それは主の信頼に応えること! いや……」

 レヴァンティンが炎を吹き上げた。

「我らの……家族の信頼に応えること!」
「おう!」
「承知!」
「ええ!」

 グラーフアイゼンが唸り、鋼の軛が猛り、クラールヴィントが輝いた。
 その姿を、グレアムは感慨深くとらえる。

「……私は、いったい何を見ていたのだろうな……」
「父様?」

 アリアはグレアムの落とした涙に気付いた。

「私は今まで、彼女たちの何を見ていたのだろうな」

 彼女、とグレアムが言ったことにロッテも気付く。
 今まで、グレアムが「あれ」としか呼んでいなかった者たちのことだ。

「フェルステークにより提督の判断力は狂わされていたのです」

 クロノが静かに言った。
 しかし、グレアムは首を振る。

「いや、私自身が気狂いに逃避していたのだよ。燕を失ったあの時から……少しずつ」
「僕はまだまだ若輩者です。貴方の気持ちがわかる、とは言いません。しかし、わかるという人もいるでしょう」
「それすら否定して、ひたすらに内側へと凝り固まったのが私だよ。今の私は、人としては彼に果てしなく劣るだろう」

 グレアムが光に目をやった。

「なのはから話は聞いています。良い人のようですが」
「彼のような男と、彼が手塩にかけて育てた娘か……」

 ならば、闇の書の呪いに囚われた騎士など、あっさりと解放してしまうのだろう、とグレアムは笑う。

「北風と太陽……だな」
「北風と太陽……ですか?」

 地球の寓話のタイトルを、クロノは知らなかった。
 そして二人は、再びそれぞれのデバイスを構える。

「行こう」
「はい」





 文字通り、きりがない。歪曲した空間から次々と姿を見せるシュヴァルツリッター。クロノはとうにその数を数えるのを止めていた。
 シュヴァルツ単体での戦闘能力はヴォルケンに劣っている。いや、というよりもヴォルケンの力がクロノたちの予想よりも遙かに高いのだ。
 最初の小競り合いの時に比べても明らかに守護騎士たちの魔力も上がっている。さもなければ、とうに数の暴力に押し切られていることだろう。

「これが、守護騎士の主の意味か」
「あたしたちにはわかりやすい話だよ」

 クロノの呟きに、リーゼロッテが応えていた。

「だが、僕たちだって遅れは取らない」

 シグナムの一閃ごとに、ヴィータの一振りごとに、ザフィーラの雄叫びごとに、ごっそりと数を減らしていくシュヴァルツリッター。しかし、その供給は無限とも見紛うほどに続けられている。
 そして、フェルステークの魔力刃を防いでいるのはシャマルと光だ。旅の鏡と空間歪曲で、フェルステークの攻撃を辛うじて防いでいる。
 はやては攻撃に転じようとしているが、フェルステークにはほとんど通じていない様子。
 結局、フェルステーク自体には何の痛痒を与えていないのだ。ただ、フェルステークの攻撃を凌いでいるだけ。無論それだけでも途方もない戦力といえるのだが。

「このまま続けば、消耗するのはこっちだ」

 クロノの見る限り、これだけの量を召喚し続けているフェルステークには疲労の気配もない。いっぽう、クロノの側はリンディとグレアムが。そして、八神の側は光が疲労を隠せないでいる。
 それぞれ一線を退いて久しい戦士と、元々戦士ではない者。戦いの気力がそれほど続くわけもない。
 シュヴァルツ群の護りを貫いて一気にフェルステークを襲う突破力。それが今、陣営には不足しているのだ。
 おそらくシグナムとヴィータにはその力があるだろう。しかし、二人の内どちらかが退けば、雲霞のごとく襲来するシュヴァルツが止められなくなる。突破する魔法を放つ前に戦線が崩壊して押し負けるだろう。

(道は開くよ!)
(私たちが!)

 念話に応えるように、クロノが再びデバイスを構えた。

(手を休めるな。発射シークエンスを援護する!)

 クロノ、グレアム、リーゼアリアの順に放たれる砲撃。そして、シグナムとヴィータ、ザフィーラによって蹴散らされるシュヴァルツリッター。
 ある意味では変わり映えのしない攻撃だが、そこには明確な意思が付け加えられている。
 それに気付かないフェルステークではないが、クロノにも八神にも余剰戦力がないことはわかっているのだ。
 強いて言うならば、倒れている二人とそれを護る一人、すなわち、なのは、フェイト、ユーノ。しかし、リンカーコアを失っている彼女たちに何ができるというのか。
 二人のリンカーコアは……

 ……奪ったのはシャマル。そしてそれを得たのは……
 フェルステークは虚数空間と繋がることによって得た膨大な魔力の流れを確認した。
 ない。
 そこには、奪ったはずのリンカーコアはない。
 ヴォルケンリッターのリンカーコアに関しては理解できる。リインフォースとの繋がりから奪われたのだろう。ヴォルケンリッターに関する上位優先はリイン

フォースのものだ。しかし、なのはとフェイトのリンカーコアは自分が受け取ったはず……

 ……シャマルが抜き取っていたとすれば?

 フェルステークは魔力刃を巻き散らし二人の倒れている方向への道を開こうとするが、そこにはすでにクロノたちとヴォルケンリッターが。そして歪曲による攻撃は光とシャマルによって妨害される。
 一人一人を見るならばフェルステークにとっては考慮するにも値しない力、辛うじて時間を稼ぐくらいはできるかも知れないが、決して勝てないレベルの力。

それでも、これだけの数が進路と視界を妨害している。
 その、向こうには……
 シャマルが密かにリンカーコアを奪回し、旅の鏡経由で預けた少年がいる。その少年が治癒し、リンカーコアを戻した二人がいる。

「スターライトぉ!」

 その声に、回避行動をとろうとするフェルステーク。
 その足が止まった。

「き……さま……」
「多少は干渉できるみたいやな」

 脂汗を浮かべたまま、笑う光がいた。
 フェルステークの身体は元々光の身体である。だからこそ、光は試してみた。そして、微かにではあるがフェステークの行動を妨害できることがわかった。
 わずか一瞬、しかし、砲撃魔法が発動し到達するには充分な数秒。 

「ブレイカーっ!!」

 高町なのはの最強の砲撃魔法、スターライトブレイカー。
 凄まじいばかりの光の渦がフェルステークを包む。

「がぁあああああああっ!!!!」

 それは痛みではない。ましてや、敗北では勿論ない。
 それは怒り。受けるはずでなかった一撃を受けたことにより砕かれたのは、身体でも精神でもなくプライド。弱き者を踏みにじり蹂躙する、絶対的強者としての矜持と奢り。
 その矜持が傷つけられたことに対する尊大なる怒り。
 確かに、この砲撃は凄まじい。これならば自分も無傷ではいられないと理解できる。しかし、傷を受けると敗れるは同意ではない。
 この一撃で敗れるような自分ではない。フェルステークではない。
 自らの叫びを振り切るように、押し寄せる砲撃の圧力に抗して前へ出る。かきわけるように砲撃圧を抜け、通り過ぎた、と感じた瞬間。
 斬撃が振ってきた。それは、フェイト・テスタロッサのハーケンスラッシュ。
 袈裟懸けに斬られ、フェルステークは一歩退いた。その目がフェイトを睨みつける。
 何故この位置に。砲撃の射線上であるこの位置に。そこにいたのなら共に砲撃を受けるはずのこの位置に。
 フェルステークの視線がフェイトの背後に従う者をとらえる。
 ユーノ・スクライア。シールドを張った状態でフェイトと共にブレイカーの砲撃に紛れ近づいた魔道師。
 まさか、とフェルステークは考えた。だが、それが正解なのだ。
 砲撃と斬撃の連撃を繋げるために。一手で勝てないのならば手数を重ねるために。
 バルディッシュを振り下ろしたままの姿勢で、顔だけを上げるフェイトと合う視線。
 見上げる視線の鋭さ、不敵さをフェルステークは憎む。
 不逞である、と。
 不遜である、と。
 フェルステークは問うていた。
 力の差がわかった上で、敢えてその視線を向けるのか。
 フェイトの視線は言う。
 不逞でも不遜でもない。これは不屈だ、と。
 一撃で叶わぬなら二撃。それで通じぬなら三撃。次いで四撃。どこまでも与え続けよう。決して止まることなく。屈することなく。その一撃が届くまで。
 しかし、それでも。
 なのはとフェイトのコンビネーションであっても。
 足りないのだ。
 フェルステークを破る。いや、膝をつかせるには。これでは足りない。
 これではただ、わずかに一歩を退けただけで終わるのだ。
 魔力の塊が、フェイトの頭上に落とされる。
 わずか片手を上げただけ。それだけで、バリアごとフェイトを地面へと叩きつける衝撃が生まれる。

「がっ!」

 悲鳴すら上がらず、喉からは激しく空気を絞り出す音。

「惰弱に過ぎない」 

 同情すら感じさせる、哀しげな言葉。しかしその口調は紛れもなく嘲っていた。

「もう、終われ」

 ――否
 ――決して終わらせぬ

 明確な殺意がフェルステークの意識を貫いた。

「翔けよ、隼!」

 静かに響く声。明確な殺意と冷たい怒り、そして断固とした決意の声。
 フェイトに向けていた視線を戻し、殺意へと顔を向ける。
 そこには凛と構えるシグナム。そして、その背後でシュヴァルツの猛攻をせき止めるクロノたちがいた。

「シュツルムファルケン!」
 
 シグナムの放つ魔力矢がフェルステークとの二点距離を繋ぐ。
 しかしフェルステークには空間歪曲のレアスキルがある。中長距離の攻撃など、来ることがわかっていれば問題にもならない。
 ただ片腕を上げ、指を向ける。それだけで、魔力矢が通るであろう空間が波打つように歪む。
 魔力矢は虚しく無へと埋没するかに見えた、とき――

「頼むっ、クラールヴィントツヴァイ!」

 光のデバイスが微かに震え、歪曲が消えた。
 即座に第二の歪曲が、消えた歪曲よりもフェルステークに近い位置に発生する。

「なめんなっ!」

 光が叫ぶ。フェルステークと一体化していたからこそ得た、歪曲を打ち消す力。さらにヴォルケンリッターとして与えられたデバイス~クラールヴィントツヴァイ~によって増幅された力が、歪曲空間を通常空間へと是正し続ける。
 しかし、軽々と第三の歪曲が生まれる。そして、消える。
 第四、第五、魔力矢が飛来する一瞬に、生まれては消える歪曲。フェルステークは、笑みを隠そうともせず、第七の歪曲を生み出す。

「うぉああああっ!!」

 七つ目の歪曲が消えた瞬間、こみあがるものを感じた光は己の胸元を押さえた。熱く苦いものが胃、いや、内臓を駆け上がってくるのがわかる。
 揺れるその身体を、シャマルが背中から支えていた。

「いけません。それ以上は負担が!」
「くっ……なんで……こんな……」

 第八の歪曲と共に消える魔力矢。シュツルムファルケンは届かず、シグナムは忌々しげにフェステークを睨みつけていた。しかし、フェルステークはシグナムには目を向けない。

「ああ、七連続はさすがに無理なのか。うん、大したものだ、カスにしては」

 その言葉に続いたフェルステークの笑いが途絶える。

「おおおおりゃぁああああっ!!」

 みしり、と音を立てていると錯覚するような光景。
 ヴィータのグラーフアイゼンが、フェルステークの頭上でバリアに止められているのだ。
 それでも止まった状態から、さらに振り抜こうと力を入れ続けるヴィータ。
 ベルカ騎士の本道は近接戦闘。だからこそ、切り札とはいえシグナムの中距離攻撃を見せ技として、ヴィータに近接技に主撃を任せたのは当然と言えば当然だろう。

「シャマル!」
「光さん?」

 光がツヴァイを掲げた。

「構えろっ! シャマルっ!」

 光に並ぶように、クラールヴィントを構えるシャマル。

「光さん。無理はしないでください」
「……ま、勘弁してくれ。娘の前でかっこつけるんは、父親の悪い癖や」
「光さん!」
「あと、惚れた女の前でも」

 まるで照れ隠しのように、早口で光は言葉を続ける。

「シャマル! ヴィータの鉄槌、アイツに落とすで!」
「はいっ!」

 二人が同時にデバイスをかざす。
 ヴィータへの何らかの補助、そう判断するフェルステーク。今の状態ではバリアは解除できない。ヴィータの排除が先決だ。
 しかし、 

「ておあーっ!」

 気合いの雄叫びと共に、ザフィーラの鉄拳がフェルステークのバリアを突き上げる。
 バリアブレイク。

「くだらん小細工!」

 さらに強化されるバリア。が、次の瞬間、ザフィーラの背にしがみついていた人影が姿を見せた。

「全力全開っ!」

 人影の正体、高町なのははレイジングハートを構える。

「クラールヴィントツヴァイ!」
「クラールヴィント、お願い!」

 光による空間歪曲が起こった。その歪曲を通り、レイジングハートの先端がバリア内部へと侵入する。

「行けっ! 高町!」

 本来ならばフェルステークの歪曲をキャンセルするのが精一杯の光の技術だが、それをフォローするシャマルによって、一段高い魔力構成を可能としているのだ。

「ディパイン! バスター!」

 バリア内部に放たれる砲撃。その魔力はフェルステークには直接向けられていない。しかし、バリア内壁にぶつかれば、相殺の爆発が起こる。そうなればバリア内部に存在する者も無傷では済まないだろう。
 ただし、ぶつかればの話だ。放たれた砲撃の先に、さらなる歪曲が発生する。その歪曲の一方の出口は、なのはの真正面であった。

「させんっ!」

 第三の歪曲により再びバスターの魔力はフェルステークへ。続いて回避のための第四。さらに第四歪曲を強制解除する光。
 震えながら、光は歪曲魔法を続ける。浮き出す血管とそれに反するように青ざめていく表情。限界寸前にリンカーコアと魔力を駆使している結果だ。
 たとえこのために特別にプログラムされて生成されているとはいえ、光の感じる痛みも不快も全ては本物なのだ。
 そもそも、リンカーコアの強制発動による痛みは肉体の痛みではない。
 第五発生。強制解除。
 第六発生。強制解除。

「さっきは七度で限界だったな。物まね芸人が」
「ああ、あれは……しょうもない小芝居や、気にしなや」

 第七発生。強制解除。
 第八発生。

「馬鹿が」

 フェルステークはバリアを消失させた。
 バリアのあった場所を虚しく通りすぎ、見当違いの方向へ流れていくバスターの魔力。

「何故我と張り合う? それが貴様のプライドとやらか?」
「やー。こない簡単にいくとはな」
「なに?」
「アホやろ、お前」

 光は笑う。その視線はフェルステークの少し上。ヴィータの姿へと。

「轟天爆砕!」

 この局面のディバインバスターすら、見せ技。そして、防いだはずのヴィータの鉄槌。
 そうだ、直前の攻撃は、ただ、グラーフアイゼンによる単純な打撃に過ぎない。
 そして今。
 ギガントシュラークがフェルステークの頭上から真っ向投撃される。

 ビルが砕け、一つの建物を巻き込みながらフェルステークは地面に叩きつけられた。

「直撃です」

 浮遊状態の保持すら難しくなった光を、シャマルは背後から抱きかかえていた。

「でも……」
「わかってる。あれは……」

 瓦礫が弾け、宙に浮いた。
 その中心に浮かぶのは、フェルステーク。

「……ああ、確かに。我に一撃を与えるには有効な手段だろうな。しかし、あまりにもコストパフォーマンスが悪くはないか?」
「怪我は負わせたやろ?」

 確かに、傷は増えている。スターライトブレイカーの傷も癒えていないのだ。くわえて、ギガントシュラークをまともに受けたのだ。それでも、倒れない。

「化け物……」

 ヴィータは呟いた。
 傷はある。無傷ではない。しかし……打倒にはほど遠い姿がそこにはある。

「化け物じゃないよ」

 なのはがヴィータの呟きに応じる。

「傷が付いてる。だから、倒せるよ」
「おまえ……」
「傷が付くんだから、怪我をするって事だよ」
「高町なにょは」
「え?」
「あ、いや、違う、にゃのは? ……あれ? 高町なにょ……ややこしい名前つけんな!」
「え? え、え、ええっ!?」

 何故か怒られてしまうなのは。

「んなこたぁ、どうでも良いんだよっ! とにかくっ! 倒せるんだなっ!」
「え? う、うん。フェイトちゃんとクロノ君と、先生とはやてちゃん、ヴィータちゃんたちの力を合わせれば、きっとなんとかなるよ!」






(気付いてるか?)

 何度目かの光からの念話に、クロノは同意の思考を返す。
 念話により、現在の状況とこれまでの経過のほとんどは全員が把握している。
 さらに、ここまでの作戦の発案はそのほとんどが光だ。もっとも、細部を煮詰め各自の魔力に合わせて洗練させたのはシャマルとクロノである。

(ええ。虚数空間から力を引き出している。あの傷もすぐに癒えるでしょう)
(いや、それと違う)
(なんです?)
(あいつ、なにやっても、攻撃を受けてから返しよる)
(それが?)
(平気やから受ける、平気やと見せつけて馬鹿にするために受ける。相手にやることやらせてから、それを防いで馬鹿にする。それがアイツのやり方。それでええか?)
(そうだと思う)
(……あいつ、デュランダルだけは攻撃される前に潰しにきよったで? 確かあいつ、デュランダルで何をされるかは知っとったな?)

 クロノは思わず光を見た。そして、リーゼ姉妹に確認する。
 その答えは、光の言葉を追認していた。
 凍結して虚数空間へ。それがデュランダルの最初の目的だ。
 つまり、フェルステークは氷結魔法を苦手とする?
 いや、あれだけの魔力量を持っていれば属性による得手不得手は克服できるだろう。それこそ、フェルステーク並の魔力量を持っている相手なら話は別だが。
 ならば、残るは虚数空間。しかし、フェルステークは虚数空間からやってきた存在である。それが弱点とは考えられない。
 あるいは、デュランダル破壊はたまたまであり、何の意図もないものなのか。

 いや、それはない。とクロノは判断する。
 それだけの余裕のなさを見せるとは思えない。示すとすればそれは本当に急ぐべきものだったのだ。つまり、氷結と虚数空間、どちらかにフェルステークの弱みがある。
 前述の理由から考えれば虚数空間。

(弱点ではないとしたら?)
(え?)

 リンディが会話に参加する。

(私たちの考える弱点、つまり、倒せる倒せないではなく、別の意味での弱点だとしたら?)
(リインフォース、夜天の記録をもう一度見せてくれ。フェルステークと初めて会った時の記録を)
(はい。不完全なものですが)
(それで充分や)

 異界より現れた生命体。それを夜天の書に封印した主。
 ベルカの騎士たち、そしてヴォルケンリッターでも倒すことができなかったフェルステーク。最後の手段として夜天の書を改造、フェルステーク自体を蒐集する。
 夜天の書は徐々に本来の機能を失い、フェルステークとの戦いで疲弊した古代ベルカは衰退の道を歩んだ。
 何故、フェルステークは封印されたのか。対魔法という意味では、フェルステークには格好の逃げ場があるというのに。一切の魔法が封じられる場所、虚数空間。そこへ入ってしまえば、どれほど強力な魔法といえど発動そのものができなくなる。
 しかし、フェルステークがわざと封印されたとしたら? いや、虚数空間へ逃げるという選択肢を持たなかったら?
 推論できないだろうか。
 虚数空間から現れた者は魔力を持つ、と。逆に言えば、虚数空間に戻れば魔力は消える、と。
 フェルステークが虚数空間に入らない理由がそれならば……。 
 一瞬の凍結でも、身体の自由を奪われるのは拙いだろう。その隙に虚数空間に緒とされれればすべてが終わるのだ。そして、フェルステークは膨大に魔力を使うためには虚数空間への道を開いていなければならない。

 話が、繋がった。

 デュランダルで闇の書防衛プログラムにやろうとしてたことを、防衛プログラムを事実上取り込んだフェルステーク相手に同じ事はできるのか、と光は問う。
 答えはYESだ。 ただし、チャンスは一度。
 デュランダルはただの魔法補助デバイスではない。魔力効果を増幅するために、何年かをかけてグレアムとリーゼ姉妹が魔力をため込んでいたのだ。仮に同じ魔法を放ったとしても、威力は全く異なるだろう。
 そのデュランダルがない今、ここにいる総員の魔力を組み合わせてもギリギリ届くかどうかといったところだ。
 二度目のチャンスはあり得ない。一度放てばそれが精一杯だろう。 
 それでも、他の手段はない。少なくともこの場では誰も思いつかない。そして、フェルステークをこの場で倒せなければ、少なくとも海鳴は破壊されるだろ。

「……行くぞ」

 シュヴァルツをザフィーラとユーノに任せ、残った全員がフェルステークを責め立てる。そして、グレアムを中心としてリーゼ姉妹がクロノを補助。クロノを経由した全員の魔力による凍結魔法。
 フェルステークは凍り付き、しかし数秒の間もなく、凍結を解除する。
 あり余る魔力が渾身の凍結をあっさり解除したのだ。
 それを可能にするほどの文字通り無尽蔵の魔力が、今のフェルステークには備わっているのだ。
 
「これで、終わりか? ならば、我の番だな」

 無数の魔力刃が目に見える範囲を覆い尽くす。刺さらぬように、避けるだけで精一杯の一同。

(グレアムさん。なんとか、もう一度撃てへんか?)
(魔力が圧倒的に足りない。そもそも、固定時間が短すぎる。あれでは、次も同じ結果に終わる)
(それはどないかなる。いや、どないかする、もう一度、凍結させてくれ)

 光には考えがある。今度こそ、本当にこれが最後の。

(魔力はシャマル経由で送る)
(あるのか?)
(勿論。目の前に、でかいんがな)

 フェルステークが宿っているのは光の肉体。そして今光が存在しているのは、ヴォルケンと同じようなプログラム生命体の中。
 この身体を捨てれば、肉体に戻ることができる。そして、一瞬でも制御を奪うことができれば。
 そう。フェルステーク自身の魔力を逆利用するのだ。
 光の思惑に気付いたのは二人。

(やめたまえ。どうしても犠牲が必要ならば、それは私の役目だ)

 気付いた一人、グレアムの言葉に首を振る光。
 今の身体を捨て、光が元々の肉体に戻る。魔力を帯びたまま戻ることができれば、身体の主導権を一瞬でも奪い合うことができれば、フェルステークの動きを制限できる。
 ただし、その後虚数空間に放逐されることを考えれば、光が戻り、肉体を取り戻す余地はないだろう。

(八神光。自分が何を言っているかわかっているのか)

 グレアムは自分の発言が如何に滑稽なものであるかに気付いていた。
 自分は、闇の書封印のために一組の父娘を犠牲にしようとしていた男なのだ。それが今、その父親が我が身を犠牲にしようとしていることに驚き、あまつさえ止めようとする発言まで。

(ええ)
(……犠牲が必要だというのなら、それは私だ。フェルステークへ復讐する権利はあると思うがね)
(娘二人を置き去りにですか)

 ロッテとアリアが反応する。

(八神、あたしたちは父様の使い魔だ。あんたがどう思うとしても……)
(うるせえ)

 光は、ロッテの言葉を制止する。

(それでも、君らにとっては父親なんやろ?)
(なんで……)
(同じように聞こえるんや。君らの「父様」って呼ぶのと、ヴィータが僕を呼ぶのと)
(……同じだろ。あたしらから父様がいなくなるのも、あんたが八神はやての前からいなくなるのも)
(僕は戻ってくる)
(どうやって)
(さあ?)

 無責任に、光は肩をすくめてみせる。

(そやけど、僕は死にに行くつもりはない。絶対に帰ってくる。はやてやシャマルたちのところに)
(手段はあるのかい?)
(そんなん、行かなわかるかいな)
(あんたっ!)
 
 それでも、行かねばならない。と光は告げる。
 このまま手をこまねいていてはならない。無尽蔵の魔力の前に、力尽きていく者から食われていくだけだろう。ならば、犠牲は最小で済む方法がある。それを選ぶべきなのだ。

(光さん)

 そして光の作戦に気付いた二人目、シャマルが言う。

(私は嫌です)

 無理、ではない。
 ただ、嫌、だと。
 つまり、成功する確率はあるんやな、と光は微笑む。

(死にに行くつもりはないで)

 だから、はやてにも別れは告げない。ただ、ほんの少し長い間出て行くだけ。
 自分がいない間は、ヴィータがいる。シグナムがいる。ザフィーラがいる。シャマルがいる。
 だから、別れは告げない。

(お父さん!)
(……少し留守にするけど、大丈夫やな? はやて)
(うん。そやけど、早よ、帰ってきてな)
(努力する)

 最後の攻撃が始まった。

 シャマルと光を除いた全員が一点の魔力を集中している。
 予想通りに、フェルステークはその攻撃を敢えて受けていた。敢えて受け、通用しないと知らしめようとしているのだ。

「タイミング、合わせてくれ」
「光さん……」
「言うたはずや。俺は帰ってくる」
「確証はないんでしょう?」

 はやてを安心させるため。自分を送り出させるため。
 それは嘘ではない。しかし、真実でもない。

「僕は帰ってくるよ。約束する」

 光がシャマルの手を取った。

「これが、約束や」

 一瞬、自らの手に訪れた変化にシャマルは息を呑む。

「はい……信じます」
「行くで、シャマル」
「はい、光さん」

 ヴォルケンリッター八神光の身体が消失する。直後、フェルステークの表情に異変が起こった。
 一つの身体を使い、二人が会話する。

「な……」
「動けんやろ?」
「きさ……」
「そない長くはもたん、さっさと頼む!」

 フェルステーク自身の魔力を奪う光。そして宙に輝くクラールヴィントツヴァイを介してシャマルへ、さらに、クロノへと。
 先ほどと同じ光景で、同じ魔法が放たれる。
 凍結が、始まっていた。それも同じ展開。
 違うところは……、
 凍結解除を行使しようとするフェルステークと、妨害する光。そのうえ、光の身体は徐々に虚数空間へと近づいていくではないか。

「やめ……やめろっ!!」
 
 光は応えない。全ての神経を虚数空間に進むことだけに向けている。
 凍結解除すら忘れ、フェルステークは叫んでいた。
 やめろと叫び、脅し、怒り、哀願する。
 その中を光は、確実に進んでいた。





 やがて虚数空間は閉じる。

 フェルステークはこの世界を去った。

 ヴィータとはやてが同時に泣き出した。
 
 そこに、光はいない。

「帰ってきます。必ず帰ってきます!」

 シャマルはヴィータとはやてに、己の手を突きつける。
 指先に巻かれたそれを、見せつける。

「約束しました」

 シャマルの指先には、古代ベルカの求婚の証が。

「光さんは、必ず帰ってきます」




[7842] エピローグ「初めまして」
Name: 黄身白身◆e17d184b ID:5090cc06
Date: 2009/09/07 22:54
 一つの話が終わり、光は目を細めて空を見上げていた。
 隣に座る少女は、話の余韻を楽しむかのようにホウと息をついている。

「さて、そろそろ、小屋に戻ってごはんにしよか」
「ええーっ。もっとお話聞きたいよ」

 あからさまな不満声に光は苦笑する。

「せやけど、そろそろお腹も減ってくる頃やろ?」

 それでも金髪の少女は不満を隠さない。

「でも……」
「ダメよ。ワガママ言わないの」

 少女の母親が姿を見せ、光は座っていた姿勢から立ち上がる。

「よし、そしたら、ご飯の支度しよか」
「ちょうど良いわ。彼が魚を釣ってきたようだから」

 母親が示した先では、光より歳下に見える男が釣果を掲げて笑っている。

「大漁だ。今夜はご馳走だな」
「よっしゃ。何がええかな。焼くか煮るか……いや、刺身もいけるか?」

 呟きながら光は三人と並び、少し離れたところにある小屋に向かって歩き出そうとした。

「お母さん!」

 少女が叫ぶ。
 その指さす方向には、倒れている女性。
 小屋から出てきたときにはいなかった。つまり、ついさっき現れたということになる。
 
「……光、アレは……」
「……見覚えあるんか」
「不本意ながら、ある」
「僕もや。奇遇やな。や、そうでもないか」

 光は、リインフォースに駆け寄った。





 私は消えなければならないと告げたとき、主は泣きそうな顔で「そんなん嫌や」と叫んでいた。
 主よ。形はどうあれ、私は貴方から父を奪ったのです。それは許される罪ではありません。
 そんな私を貴方は許すというおつもりですか?
 ならば、我らも同罪だ。貴様が消えるなら、我ら一同揃って消えねばならん。と厳しい声で烈火の将は言った。
 貴様は、主に今以上の深い悲しみを与えたいのか。そう、私をまるで詰るかのように将は続ける。
 ああ、違うのです。将よ、そして主よ。
 この身は、フェルステークによって一度は汚染された身。この汚れは、拭うことのできぬ汚れ。
 私がこの世界にいる限り、フェルステークが再び現れる可能性は消えないのです。
 私がいる限り、闇の書の防衛プログラムはいずれ復活します。フェルステークに汚染されたプログラムが。
 だから、私は消えなければならない。「闇の書」は一度滅びなければならない。そして、「夜天の書」として復帰するのです。
 その管制人格は私とは別の存在でなければならない。
 主よ、お別れです。私を消滅させてください。
 守護騎士に私は滅ぼせません。力を借りてください。高町なのはとフェイト・テスタロッサに。

 私は呪う。
 主の涙をぬぐえなかった私の無念を。
 もう一人の主を救えなかった私の無力を。
 歴代の主を歪めた無情を。
 私の中に未だ巣くう、異界の残照を。
 紅の鉄騎よ、風の癒し手よ、私を呪え。貴方達の涙を招いた私の無能を、呪え。

 そして私の意識は消えた。消えながら、私は絶望していた。
 異界への入り口、虚数空間へ引き込まれる自分を感じていた。
 私の中のフェルステークがそれを招くのだ。私の汚染は拭えないのだ。
 
 目を開けた私の前には、主の姿が。
 ……主よ、私は再び貴方と出会ったのですか?
 さらにもう一人。
 ああ、貴方は、私の深い罪を思い出させるために、そこにいるのですか?





 リインフォースの残留魔力がある今なら、戻れるかも知れない。彼女の通った道をたぐり寄せればいい。

「光、君は戻れる。俺たちとは違う」

 自分たちは残留思念に過ぎない。この空間が光のイメージから形作られたように、自分たちも自分たちのイメージによって作られているに過ぎない。
 虚数空間から出た瞬間、いや、光がいなくなった瞬間、この世界も自分たちも消えるだろう。

「戻りなさい。そして、忘れなさい」

 それは、これまでも交わした会話の繰り返しだった。
 光が初めて彼らに会った時から今まで、何度繰り返された問答だろうか。
 何度繰り返そうと、光には受け入れがたいのだ。たとえ、理屈として受け入れるべきだとはわかっていても。

 亡霊を捜す人生を送らせたくない。

 逆の立場なら、光もそう言っていただろう。
 
「あの子は馬鹿だから、私たちを捜そうとするでしょうね。それはさせてはならないの。今度こそ、あの子はあの子の道を歩まなければならない。もう、私の敷いたレールはいらない」
「行くんだ、光。そして、俺たちのことは忘れろ。俺たちは、君が虚数空間で出会った幻影、いや、亡霊なんだ」
「……すまない。ありがとう」

 光は三人の名を呼ぶ。そして、リインフォースの名を。

「女房と息子の話を君に聞いて安心した。礼を言うのはこっちだ」
「あの子は元気でやってるのね。高町なのはといっしょに」
「ばいばい、おじちゃん」
「主よ。いかなる場所、いかなる時においても、貴方に祝福の風があらんことを」

 虚数空間の中、かつて囚われた人々の残留思念が作り出した空間が消えていく。
 ただ一人、異界の住人と一時一体化していたことによって囚われずに済んだ者が虚数空間から去っていく。
 
 去っていく姿を、リインフォースは薄れる意識の中で見送っていた。
 誇らしい思いを胸に。
 最期に使えた主への想いを胸に。
 主二人への、想いを胸に。












 
 

 周囲を眺める。
 ああ、確かに一癖も二癖もありそうな連中や。
 この子らが、今日からの僕の生徒。ま、やり甲斐だけはたっぷりありそうやな。
 やったろうやないか。
 君らに、一般常識叩き込んだるで。覚悟しいや?
 
「初めまして。僕が、君らの一般教養を担当する、八神光や!」

「これからしばらくよろしゅうな。ウェンディ、ノーヴェ、チンク、ディエチ、オットー、ディード、セイン、アギト、ルーテシア」 





       終




[7842] あとがき
Name: 黄身白身◆e17d184b ID:5090cc06
Date: 2009/09/07 22:55
 連載終了です。
 STSはありません。アレは番外編だけです。自重します。


 没ネタ

 その一
 最初に考えていたオチ。
 光はタイムスリップして、希美の死んだ事故現場へ。生き残っていた自分を殺す。
 寄生すべき相手が死んだので、フェルステークは復活せず。
 そして始まる本編二期。光の存在は誰も覚えていない。はやてすらも。
 実は本編二期は時間改変後だったというオチ。

 その二
 みんなで水泳。
 メガマガの八神家スペシャルを聞いて、没にして良かったと胸をなで下ろす。
 危ないところだった。

 その三
 ラストの武装局員の中に新人時代のティーダ・ランスターとヴァイスがいる。
 設定摺り合わせが面倒くさいので没。

 その四
 クライマックス、フェルステークVS光。
 最初は光にもっと戦闘能力があった。魔力刃も使えてた。魔力刃と魔力刃の乱舞対決だった。
 ところが書いてみると、
「贋作者(フェイカー)ごときが我にっ!」
「フェルステークよ、魔力の貯蔵は充分か?」
 と、どっかの英雄王VS弓兵になってしまったのでビックリして没。





なんで「主二人」を書こうと思ったか。
「理想郷にフェイトのお父さんSSがある」と聞いて、「じゃあ、はやてのお父さんも有りじゃん」と思ったから。



 おまけ

 光と、その飲み友達。
 酔うと、娘自慢大会を始める。
「ウチのはやてとヴィータの可愛さっつーたらなぁ!!」
「あーん? 俺んとこのギンガとスバルの方が可愛いっ!!!」
「はっ、我が家のオーリスには敵うまい」
「なんやと?」
「いくら上司でも聞き捨てならねぇなっ!」
 そこへ、隣のテーブルから顔を出す白い人。
「うるさいの。一番はウチのヴィヴィオなの」
「すんませんでした」×3




 拙作を最後まで読んでくださった皆さん、感想をくださった皆さん。そして、投稿場所を提供してくださっている舞様、ありがとうございました。

 次の機会がありましたら、またお目にかかりましょう。


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