この世界の共通通貨であるB=ブレッドは1Bでパンが一つ買える程度の価値だ。それ以下の金額の物になると個別の小額通貨を使用しているため、判別しやすいようにメイドたちのお小遣いとして消費されたり、まとめてBに両替したりするらしい。
ベルは金色の山を見ながら、現実逃避のためにそんな事を考える。
見渡す限り宝の山な宝物庫には、総額で27,457,469,716B(約274億B)の金銀財宝が詰め込まれており、冒険者がこれを直視したら目が潰れるのではないかと危惧してしまうほどだった。地上の富を全て吸い上げたのではないかと錯覚さえする。
元よりこの宝物庫には7,225,985,091B(約72億B)が入っていたから、その差分である20,231,484,625B(約200億B)が、ベルが50年かけて稼いだ合計金額という事になるだろう。日本人的感覚では莫大過ぎる金額だと言う事ぐらいしか分からない。このうちベルの取り分は1割ちょいだけれども、それだって多かった。
10Bで1日の食費ぐらいだとしたら、ここにあるのは800万年分かぁ……。多すぎてイミフだな。
巣作りドラゴンのゲーム内でならば50年より圧倒的に短い時間でこれ以上の金額を稼いだ事もあったし、リュミスENDに向かおうとすればこの程度では全く足りず、フェイENDやユメENDに逃げるしかないスローペースなのだろうけれども、液晶画面に映った数字を見るのと実際に目にするのとでは次元が違う。
途中から現実離れした金額になってしまって気後れしたのと、ここまで高くなった山に乗ると雪崩が起きるのに気付いたので宝物庫に入る機会が減っていたベルは、これは新手のドッキリなのではないかと思って困惑していた。
「やまーは高いーなー大きいーな……」
あまりに現実離れしたモノを前に、ベルは少し前から思考停止状態にある。ぶつぶつと変な歌を呟いてはメイドらから心配げな視線を送られているが、元が極普通の日本人の社会人としては仕方が無い事であった。1Bが約200円だとすればベルの総資産は約5000億円。全て1円玉にして積むと3700キロメートルにもなる計算なのだ。
メイド4人を買い取ってこの数字なのだから、もう笑うしかない。ベルとしても何故自分がこんな計算をしているのか理解していなかった。
とにかく竜の本能が財宝を求めていたので溜めたのだけれども、ここまで多いと竜になったとしても運びきるのは物凄い手間だろう。数千万ならば喜びようがあるのだけれども、十億単位となると数字が大きすぎて現実味が沸かない。
小銭が落ちていても拾うけれど、札束がギッシリ詰まったスーツケースを見たら逃げるような心境だった。
「ベル様~。どうするんですかぁ?」
フリーズしている主人を見かね、持ち前の能天気さを生かして声を上げたのはアルだ。艶のあるピンク髪を持つメイドの少女で、ベルと共に巣を出る一人である。 ギュンギュスカー商会から買い取られた4人のメイドたちもベルと共に巣を出るため、宝物庫にあるベルの資産を受け取ってから出発となるはずだった。
はずだったのだが、ベルが石像になったのと、量が多すぎて受けとろうにも受け取れない予想外の事態が発生したので立ち尽くしていた。
「あ、ん~……、ど、どうしましょうか……。転移魔法で運んでもらうにしても、この量はちょっと……」
やっと正気に戻ったベルは、アハハと乾いた笑いを浮かべ頬を掻きながら答える。
1枚10万円の金貨でも、5000億円分ともなれば5千万枚。6桁減らしたのに相変わらず多すぎる。
よくもまあこれだけの量を搾り取った物だ、とベル本人でも思った。金貨や銀貨に変えれば25メートルのプールを埋め尽くせるのではないだろうか。量が多すぎて現実味が無い事には変わりないが。
「ぬぉぉ……、上がれぇぇぇ……! って、やっぱ無理かあ」
ベルはゼロ魔世界の魔法であるレビテーションで一気に持ち上げられないかと試し、一気に運ぶには重過ぎてピクリとも動かないという事実だけを得る。全体で一つの塊ならば浮いたかもしれなくとも、全体を等しく持ち上げようとするのは精神力を使うのだ。ベルは早々に諦めた。
竜になり膨大な魔力に物を言わせれば持ち運べる可能性はあるが、道中で零したら掃除の手間がすさまじい事になるだろう。それに加えて、巨体のままでは転移用の魔方陣がある部屋まで行けない。
サイズがサイズだけに全ての場所を竜が通れるようにした場合、余計な費用とスペースがかかりすぎるので仕方が無かった。
無事に移動させる事が出来たとしても、竜の村へこんな金銀財宝の山を運び込めば目立つ。住居がどの程度の大きさなのかベルは知らないし、最悪宝の山に埋まって寝る事になるだろう。ベッドとしてはとんでもなく豪華な寝床になるだろうが、金貨や銀貨に押しつぶされながらでは寝心地が良いとは思えなかった。
かといって何か買い物をする度にこの巣の中へ引き出しにくるというのもバカらしいし、うっかり立ち入って二人の織り成すピンクストームに巻き込まれると精神的な被害が大きすぎる。被害者の一人であるベルは頭を抱えた。
「あ、そうだ! メイド長に頼んで本社に連絡してもらって、そこに預けておけばどうですか?」
「んー、他に手も無いしね……。アル、任せた」
「はーい」
ベルの両親達は見送りに来る筈なのだが、今の所姿を見せる気配は無かった。
あの二人は基本的にお互いしか見えないし見ていないので、恐らく 「あんなに小さかったベルが巣立ちだなんて、月日が経つのは早いわね……」 「でも、僕らの愛は永遠さ」 「貴方……」 という流れで忘れたのだろう。あの二人はベルに対して愛情を持っていても、それはお互いに抱いている物より圧倒的に少ない。そういう人なのだと諦めていた。
メイドたちも大変だよね。ブラッドの巣なら楽しそうだけど、竜の中には同属以外ほぼ全てを働きアリの一種みたいに考えているのも居るみたいだし。
ベルは手近に居たメイドのべッタに抱きつき、女の子らしいその柔らかさを楽しむ。こうやって甘えても怒られないのが同姓同士の良い所だ。
この巣作りドラゴンの世界では慢性的な男性不足になっており、もし男として生まれていたら巣作りという名の墓堀に強制参加。ベルはそれを回避すべく女の子になったのだけれども、このような得点があったのは想定外だった。鏡を見れば可愛い少女が写っているのもベルは気に入っているし、化粧などは面倒なのでやった事が無い。それでも十分に美しいのだから、やっぱり竜ってのは凄いなあと思う日々だった。
自分の頭を撫でる優しげな手つきを感じ、ベルは満足と共にされるがままにする。
抱きつかれたりするのをメイドたちが嫌がっているようなら止めるべきかという考えもあったのだが、どうやら大丈夫のようだと安心した。
実際は嫌などころか、メイド達は竜らしからず可愛らしいベルを非常に気に入っている。
それは気弱なべッタをして、撫でやすい位置にあったとはいえ新しいご主人様であるベルの頭を撫でさせてしまう程度には。
残されたメイド二人は、羨ましい役得を満喫中の同僚に向かって、身振り手振りで 「私と変われ!」 とか 「羨ましいぞちくしょう!」 と騒ぎ立てた。ベッタは頬を赤くして困ったような表情をしながらも、頭を撫でる手を止めたり変わろうとしたりしない。シルクのようにサラサラな銀髪の感触を堪能する。
「ベル様~。呼んできましたよ~」
「……失礼いたします。ギュンギュスカー商会から派遣されてまいりました、魔族のクーと申します」
「っ……。ベルティーユよ、クーさん」
しばらくして宝物庫に現れたのは、黒に近い執事服を着て赤髪を服と同じ色のリボンでツインテールにした魔族の少女だった。原作メインキャラの一人だ。
まさかいきなりクーが来る事になるとは思っていなかったベルは一瞬だけ絶句し、下手をしたらブラッドからクーを奪ってしまうのではないかと危惧する。
ベルもブラッドとクーのコンビは好きだし、クーENDも見た事があるので、今はまだそういう関係ではないにしろ寝取るような真似はしたくなかった。二人の恋路の手助けになるならいいけれども、自分の存在が邪魔になるようなら別の人に変えてもらおうと決める。
「ご丁寧にありがとうございます、ベルティーユ様。……本日は、貸し金庫をご利用との事ですが……。この財宝全てをお預けいただいた場合ですと、特A級の物になりますね。年間使用料はこちらになりますが……、最低で3千万Bを10年以上の定期預金として預けてして頂ければ、引き出しや預け入れなどの手数料を含め全て無料となります。また、預金額が1億Bを上回りますと、年利が1%上昇するボーナスもございます」
17人しか居ない本社勤務に限りなく近いだけあって、クーの売り込みは非常に上手い。ついつい乗せられて24億Bほぼ全額を100年定期にしそうになり、途中で我に返ったベルは慌てて計画の修正を要求した。竜の村での集団生活が怖いからお金を溜めたのに、このままではほぼ無意味になってしまうではないか。
「んー。竜の村での生活が気に入らなかった時のために、お金を溜めていたから、全額定期は不味いかな……。問題なのは金額であって品物じゃないし、貴重な魔法書以外はお金に変えても構わないわ。20億を普通預金、1億は手元に置いてお小遣い、残りは10年定期って感じかしらね。……こういう事はよく分からないし、何かあった時はまたお願いしていい?」
「え、いいんですか……?! やった! 上客ゲットー! ……って、あ、も、申し訳ありません、取り乱しました……」
ベルは手放しで喜ぶクーを見て驚いたものの、歩く軍事国家とも言える竜を相手に専属契約を結べたのだから、その喜びも一入であるのだろうと納得した。
竜が使う物は、日用品だろうと何だろうと常識では考えられないぐらい値が張る。両親が使っている香水やコロンなどは人間の貴族でさえ喉から手が出る最高級品らしいし、竜はそれが当然だと思っているので100円均一の物にするように扱いは雑の一言。消耗品を補給したりするのは主にメイド長の役目だからか、実感が沸かないのが拍車を掛けている節もある。
日本人的な感覚があるベルだってつい最近、30年ほど前まではそうだった。両親がそうなのでベルも大して気にしていなかったのだが、うっかり踏み折ってしまったブラシが日本円換算で50万円以上すると知って気が遠くなった。更にメイドが極普通に代わりを持って来るというジャブが続き、折れたブラシを指差して 「それ、捨てておきますね」 とストレート。思わぬ所でカルチャーショックを受けたベルは完全にノックアウトされ、苦笑いを浮かべる事しか出来なかった。
「別にいいよ。それで、引き出す時はどうすればいいの?」
ベルからすれば見ず知らずの魔族よりクーが喜んでくれた方がよいし、有能な人間にありつけたと考えればこちらも得である。今の痴態はブラッドの巣に行く機会があるまでとっておいて、慌てる彼女の姿を楽しむべくとっておく。ついでに注文は大目にしてあげようと決めた。
元一般人として日用品などにまで見栄を張る気は無く、100円でも100万円でも使えれば同じだと思っていたベルだが、クーの業績となるならば安物を使う訳には行かない。この後クーはブラッドの巣に配属され、彼が真面目に巣作りをしない50年間、最低に近い成績を収め続ける事になるのだ。ベルは中小企業の営業部に配属されてしまった大学の友人の苦労を知っている。人間関係を金に変える商売だと泣いていた。
「はい、えっと……。このアイテムが、ギュンギュスカー銀行窓口に直通回線を開くキーとなっております。必要な際にはすぐさま係員が出動しますので、ご安心ください。一度に10万B以上の引き出しは本人以外には不可能ですので、万が一の紛失の際にも安全ですが、キーの作り直しは有料になりますし、本人確認にお時間をとらせてしまう恐れがあります。大切に保管してください」
そう言ってクーが取り出したのは、紫色の結晶がついた香炉のような物だった。表面には美しい細工が施されており、置物としても十分に通る神秘的な一品である。これだけでもマジックアイテムとしてそれなりの値はつくだろうに、それが鍵だというのだから、竜の優遇のされ方が如実に表れていた。
説明通り上部の結晶部分に手をかざしながら魔力を込めていたベルは、登録が終わるまでの暇潰しにその理由を聞いてみる。
「昔はそれほど差がなかったようなのですが、先の戦争の影響で……」
いくらクーだろうとも知らないだろうと思っていたベルは、こんな所まで熟知している博識さに驚きながら説明を受けた。何度か頷きながら説明に聞き入る。
どうやら竜族がこういったアイテムに魔力を込めようとすると、混血による弊害からか、過剰に魔力を注ぎすぎて壊してしまう例が多発したらしい。
最も弱いブレスでも家の一軒や二軒は吹き飛ばせてしまう竜であるから、ダムの放水でコップに水を注ごうとするようなものだ。そうなるのは自明の理である。
耐えられるようにランク分けした結果として上位の物ほど高価になったので、それならいっそ見た目も豪華にしてしまえという事で変わったようだった。
登録時は壊しても仕方がないで済むようだが、ベルが渡されたレベルになると修理や交換には最低1万B、日本円換算で約200万円は必要になるという。5000億円などよりよほど現実的な数字に、ベルはうっかり壊しやしないかと内心で冷や汗をかいた。
「あ、そろそろ終わるようですね」
「……そう。説明、ありがとうね」
「へぁ? ……あ、は、はい!」
クーは竜族の女性から感謝の言葉を受けるという極めて貴重な体験に驚愕し、客の前だというのに目を見開いて顔を見つめるという失態を犯した。5秒ほど経ってようやく再起動し、あわてて表情を取り繕う。ベルは壊さないようにと神経を右手に集中させていたので気付かなかった。
その豪華な見た目からして 『終了の合図はこの結晶が光るのだろう』 と思っていたベルだが、その予想は大きく外れた。完了の合図は何故か安物のキッチンタイマーのような音で、ベルはここ50年ほど聞いていなかった電子レンジの合図かと首をめぐらせる。ベルの傍らで見ていたメイド達に終わったと指摘され、先ほどのチーンというアレがそうだったのかと気づいて気が抜けた。
指摘した少女たちも同じ思いを抱いたようで、それぞれ拍子抜けしたようなガッカリしたような、揃って微妙な表情をしている。
「……い、以上で、登録は完了致しました。これより、ギュンギュスカー商会が責任を持って、お預かりします」
その場に居たほぼ全員から抗議の視線を受けたクーは引きつった顔を見せ、それでも有能な社員として最後まで勤めを果たした。この香炉状のアイテムは極めて有望とされる客、つまり竜やごく一部の神族や魔族といった人間にしか手渡されず、そういった人種はほぼ間違いなく財宝を手元に置く事を好むため、クーも実際に見たのは初めてのようだ。
知らなかったのかと聞いてみると、クーは困ったように苦笑いしながら 「ま、まさか、あんな安っぽい音だとは思いませんでした……。光るのかと」 と本音を漏らし、皆に同意されている。ベルもまったくだと相槌を打った。
「じゃあ、そろそろ出発しましょうか。……クーさん、後は任せたわよ」
「はい。今後とも、ギュンギュスカー商会をよろしくお願いいたします」
何とも締まらない出発だなと溜息を吐き、ベルは深々と頭を下げ礼を尽くしているクーと、いつの間にか集まってきていたメイド達に見送られながら宝物庫を後にする。温かな行為に不覚にも涙腺が緩みそうになったベルは図らずもツンデレっぽく慌ててしまい、廊下には迎撃部隊の面々まで並んでいると知って少しだけ泣いてしまった。巣の中にある転移専用の部屋には居ないだろうと決めつけていた両親までおり、本格的に涙腺は崩壊状態である。ベルは嬉しいやら恥ずかしいやらで顔を真っ赤にした。
「いってらっしゃい。私たちのベルティーユ」
「竜の村での生活に不安があるようだが、あそこはいい場所だぞ? ……何しろ、俺が彼女と会った場所だからな。悪い場所である筈がない」
「貴方……」
「お前……」
寄り添う二人。重なり合う唇。こんな時までピンク色の空気を吐き出そうとする両親を見て、ベルは相変わらずにも程があると笑った。おそらく赤くなっているであろう眼を擦って涙を飛ばし、巣作りドラゴンの世界にシリアスは似合わないと思いながら両親たちを見やる。
「じゃ、じゃあ、行ってきます!」
最大限の笑顔と共に両親へと別れを告げ、ベルは大きく手を振りながら光に包まれた。