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[8531] 【ネタ】三国志外史に降り立った狂児 (真・恋姫†無双 オリ主TS転生もの)
Name: ユ◆21d0c97d ID:c273b2c8
Date: 2009/08/20 18:09
元ネタ作品:真・恋姫†無双 ~乙女繚乱☆三国志演義~

ジャンルor傾向:オリジナル主人公、憑依転生TS、物語はわりと原作沿い、ご都合主義満載、原作主人公は魏√で登場、要するにメインストーリーは大体魏√ということ、そうなると若干蜀には厳しめ、一応ハッピーエンド予定。


※この物語はフィクショ(ry
最近増えてきた真・恋姫†無双のSSを読んでいたら、自分もつい書きたくなったのでネタストーリー投下。
作者的に三国志シリーズでは『蒼天航路』が一番感銘を受けたので、知識的には正史寄り。ただゲーム原作的には正史も演義もあまり関係ないので、どちらかというと曹魏に補正がかかる程度。蜀軍の扱いには気をつけたい。呉は、まあそこそこ。
あと作者が好きなキャラには贔屓で補正が入るかもしれませんw
出来れば魏√で華琳のハッピーエンドとかにしたいですが、主人公は史実では呉に仕える魯粛レイジー。予定は未定。

ご意見ご感想ありましたら遠慮なくどうぞ~。




[8531] 【ネタ】三国志外史に降り立った狂児 第一話「眠れる狂児、胎動す」
Name: ユ◆21d0c97d ID:c273b2c8
Date: 2009/05/06 17:30

「――ご主人様、ご主人様ぁー!」

 中華風な屋敷の玄関に、一人の少女の声が響いた。

 長く紅い髪を無造作に後ろで一つに括り、纏う衣服は動きやすさを主としているその少女は、屋敷の玄関を入った所から中に呼びかける。それはもう、まるで敵襲を告げるかのような大きな声で。

 その声を聞きつけて、もう一人の少女が眉を顰めながら奥から現れる。

 こちらの少女はきちんとした着こなしから、如何にも文官と言わんばかりの風格があった。

「……煩いぞ、子義。もう少し声量を抑え、明確に仔細を伝えよ」
「――す、すいません、元歎さん! えっと、陳将軍がご主人様を訪ねてきているのですが……」

 少女を叱った者……姓は顧、名は雍、字を元歎。

 顧雍は少女の言を聞き、こめかみを押さえた。

 彼女が玄関から声をかけたのは、表門に客が訪ねてきているからだということはわかる。しかし声量を抑えろと言われたのに関わらず、彼女の声は大きく頭に響く。それが故意ではないことは承知していたが、つい少女を見る目が厳しくなる。

 そんな厳格な顧雍に睨まれて少し涙目の少女……姓は太史、名は慈、字は子義という。彼女のその無駄に大きい声量は、戦場であれば味方を奮わせ敵を怯ますだろう。しかし、こんな平時に必要ではないのは確かだ。

 まあそれもいつものことなので、溜め息を一つ吐くと顧雍は太史慈に指示を与える。

「子義、我が主は『いつも通り』に縁側で寝転がっている。陳将軍には申し訳ないが、そちらにまわってくれるように伝えてくれ」
「了解です! 『いつも通り』の縁側に、ですね?」

 指示を受けた太史慈は、忠犬のように玄関を出て行く。そろそろ少女の域を抜けよう年頃ながら、その元気溢れる姿は少し羨ましい。日頃書類仕事を担当する自分が、別に老けていると思っているわけでは断じてないが。

 太史慈の後姿を見送った顧雍は暫し瞑目する。

 彼女が言っていた『陳将軍』とは、姓は陳、名は登、字を元龍といい、この地を治める刺史に仕える者だ。仮にも典農校尉に任じられている人物を、客として訪ねてきたとはいえ屋敷の縁側に招くなどはありえない。普通なら不敬罪で罰せられてもおかしくはない所業である。

 しかし、顧雍の仕える主はそれが許されていた。何故ならば主は所謂豪族といわれる家の者で、その家柄からこの地の商家や名士と繋がりを深く持っているからである。つまり主を罰することは、州としての財政を破綻させることに繋がるのだ。

 一富豪の身でありながら、平然と刺史を脅迫する手腕には呆れてしまう。

「……やれやれ、困ったものだな」

 それだけを聞けば、我が主がこの地を牛耳ろうとしているとしか思えない。漢王朝が衰退している今、天下を乱す叛徒の首領の一人と認識されてもおかしくはないだろう。実際にそういう噂が流れていることも知っている。

 しかし、と顧雍は笑う。

 自分が仕える主には、そんな野心などは欠片もない。

 刺史を脅迫していながら何を?と普通は思うだろうが、こちらが刺史に要求したことはたった一つだけ。それは天下泰平などといった夢見事ではなく、ほんの些細な……他人からすればくだらない願い事。

「――民として税も納めるし、商家や名士を通じて財政支援も行う……ただし、その代わりに我が家に一切干渉するな、か。問答無用で首を切られても、おかしくはない程の暴言ですが……」

 だが現実に、主の首は未だ繋がっていた。

 その理由には、主は若い頃から家の財を以て様々な人材を集めていたことが挙げられる。

 有象無象をただ集めるわけではなく、知勇に優れたものを近隣から片っ端に招いたのだ。もちろん顧雍もその一人である。自分は文官寄りの人材だが、主の招きに応じた武人系の人材も多い。例えば先程の少女、太史慈もその『武』を評価されて招かれた内の一人。剣の腕も然ることながら、彼女の特筆すべきは百発百中ともいえる弓の才。

 それらの情報を一切流さないようにした上での刺史との会談……ただの富豪と侮っていた刺史はさぞかし慌てたことだろう。

 確かに数でならば刺史側の方が上だが、個の力では圧倒的に劣っていた。この会談に自分が連れてきた僅かな兵と、主が集めた『武』に優れた者との差は一目瞭然。下手を打てば返り討ちになりかねない状況、更には顧雍ら『智』に優れた者を相手に弁論で勝てる筈もない。

 これは本気で叛乱でも起こされるのか?とビクビクしていた刺史に、主が投げかけたのは先の言葉だった。

 その言葉の真意を疑うよりも先に、刺史がそれを了承してしまったとしても無理はないだろう。

 刺史は戦う前に、既に敗れていたのだから。

 それだけの策謀を持ちながら、顧雍や太史慈といった知勇に優れた者をこれだけ集めておきながら、主は天下に名を上げることをしない。あくまで主が望んだのは、自分のほんの少しの周辺の平穏のみ。

 乱れゆく天下を治め万民を導くなどは、やりたい奴にやらせておけばいい、と屋敷に集まった者全てに主はそう言った。

 そんな矛盾した行動をする酔狂な主に付き合うのも悪くない、と多くの者がこの屋敷に残る。そして顧雍もそんな酔狂な主が、この乱世の中でどう生きていくのか興味があったので、他の者達同様に屋敷に留まることにしたのだった。

 そこは、徐州臨淮郡東城県――『魯』家。

 その屋敷には大陸の歴史に名を残してもおかしくはない程の人材達が、自分達の持つその優れた知勇を『天下』の為ではなく、たった一人の酔狂な『主』に捧げながら暮らしている。





三国志外史に降り立った狂児 第一話「眠れる狂児、胎動す」





 屋敷の縁側に、一人の人間が転がっていた。ぐだ~と縁側に寝そべるその姿からは、一切のやる気が感じられない。

 そこへ表門から回ってきた太史慈が声をかける。

「ご主人様ー、陳将軍がいらっしゃいましたよー?」
「…………眠いからパス」
「ぱす? でもご主人様、どうも至急の用件だそうですよー?」
「……元歎にでも、適当に相手させておいてー」

 寝そべりながら手を振る主に、太史慈は溜め息をつく。

 そんなことをすれば、自分が生真面目な彼女に叱られてしまう。それは困るので、何とか起きてもらおうと太史慈は主の身体を揺するが……一向に起きる気配はない。

 一層のやる気が失せた姿を見てどうしたものかと考えていると、後ろから男が一人苦笑しながら歩いてくる。

「くっくっく……相変わらずだな」
「あ、陳将軍! すいません、ご主人様いつも以上にひどいですー」
「いや気にしなくていい、子義よ。こちらが勝手に訪ねてきたのだから、いくらでも待つさ」

 客が訪ねてきたというのに未だ寝そべる人物を、さほど不快に思うことなく陳登は縁側に腰掛けた。

 こんな態度でも、数年も見続ければいい加減慣れるものである。

 室内からお茶を盆に載せてきた顧雍は、陳登にそれを差し出す。主は『こんな』だが、その部下である彼女達は非常に礼儀正しい。そして彼女が持ってきた器は一つ、客である陳登に出すものだけ。

 延々と寝そべる主に出す飲み物などはない。

「……ところで陳将軍、今日は如何なる所用で?」

 お茶を受け取った陳登は、横に寝そべる人物を見ながら顧雍の質問に答える。

「うむ、如何せん城の奴らは君ら程に融通も機転も利かなくてな。ここでなら城と違って忌憚のない意見を聞けるだろうし、君らからの意見の方が参考になることが多い……刺史に仕える者として複雑だが、な」
「…………徐州に『人』無し、とでも言う気か?」

 陳登の言葉に、寝そべっていた人物がむくりと起き上がった。中途半端に眠りを妨げられたからだろうか、その目つきはひどく厳しい。

 しかし陳登としては起きてくれただけでも僥倖だったので、そんな姿を見ても臆せずに挨拶をする。

「おや、おはよう――『魯子敬』殿」



 ――姓は魯、名は粛、字を子敬。

 人ぞ知る『三国志』という歴史の中では、ある意味メジャーな人物の一人。それが今の自分の肩書き。

 そんな自分にはある二つの秘密があった。

 まず一つ、生まれる前の記憶を持っている……それは21世紀の日本という遥か未来の記憶。

(……所謂憑依転生というものだろうが、なんというか常識の範疇を越えるよなーコレ)

 ただの人生やり直しなら、まだ前向きに行けたかもしれない。だが自己の意識を持った時、自分の名を呼んだ親の言葉に愕然とした。

 ――魯粛、と。

 正直魯粛はねーよwとか、憑依転生ならもう少し別の人間にして欲しかった、とか思う人は多いだろう。しかし、それなりに歴史好きな自分からしてみると、これは僥倖かもしれない。何故なら魯粛は豪族、つまりは金持ちの家の生まれだからだ。史実ではその財産をなげうって困っている人を助け、地方の名士と交わりを結んだことから、その郷里では『狂児』とか呼ばれていたりする。

 ならばその財産を下手に使わなければ、一生とまでは言わないが怠けて暮らせるのではないだろうか?

 ついでに地方の名士などの交わりも結ばずに大人しく引き篭もっていれば、多分孫家に関わることもない。そして『孫呉』に仕えることがなければ、馬車馬のように働く必要もないから寿命もきっと延びると思う。

 しかし、それ以外の懸念事項が魯粛に……というよりは生まれた場所にはあった。

 自分が生まれた徐州臨淮郡東城県が、大陸の地図上でどの辺りなのかまでは詳しく知らないが、徐州というのは常駐するにはあまりにも危険な場所かもしれない。生まれた当時はまだいいとして、史実では確か初平四年頃に曹操が徐州の民を虐殺するというイベントがあった筈。その後にも曹操と劉備と呂布の三つ巴などがあったりで、民として平穏に生きるには厳しい環境かもしれない。

 例え魯粛という人物に未来の自分の魂が憑依転生しているとしても、単純に「歴史なんて関係ないぜ!」と楽観視するのはよくないだろう。

 下手をしなくても、死亡フラグの乱立に定評のある三国志の世界なのだから。

(……むむむ、しかし『コレ』はどうしたものやら)

 そしてそれらの判断を狂わすもう一つの秘密……それは自分が『女』であること。

 生前の21世紀の日本では間違いなく男だった筈の自分が、『転生したら女になっちゃった☆』とか驚天動地にも程があるというものだ。三国志の魯粛という人物に憑依転生している筈なのに、正直意味がわからない。先のことを考えるよりも、男から女になったという事実に当時の自分は耐えられなかった。

 まあ、それも無理もない話である。

 幼少時は屋敷に引き篭もり身体の変化にただ混乱するばかり、魯家に仕える使用人達の必死の介護がなければあのまま死んでいたかもしれない。

 ある程度成長して心にも余裕が出来たのか、十歳くらいの時に自分は何とか立ち直った。もちろん完全にではないが……その一つの理由として、介護をしてくれた使用人達が持っていた下着を見たことだろうか。

 何で三国志の時代に『ブラジャー』などの下着があるんだ!?と盛大に突っ込んだものだ。

 それらを含め、以前から薄々感じていた違和感から情報を集めた結果、この世界は三国志の時代のようで何処か違う世界だと認識した。だから魯粛が女だったりしても、それはそれでアリなのかもしれない、と半ば強引に気持ちを納得させたのだ。

 幸い幼少時に引き篭ったことから、自分の性別を知る者は魯家の使用人くらいしかいない。もちろん使用人達には緘口令を布いているが。それを上手く利用して、世間には自分のことを魯家を継いだ若旦那(♂)として吹聴しておいた。主に自分の精神的安定の為にも。まあ生前が男だったから、今の所口調とかの違和感は特に持たれていないようだ。

 それらに更に数年を費やしてしまったが、まだ徐州虐殺イベントにはまだ猶予がある。

 とりあえず今まで通り情報は集めるとして、自分……いや『魯粛』はふと思う。いっそのこと発想の逆転で歴史の改変に挑むのも、手としては悪くないかもしれない。しかし、歴史を大幅に改変したりした場合のリバウンドによるデメリットもある。仮に徐州の民全員が助かったとしても、その反動で自分一人だけが死んだりしても困るからだ。

 そうなると、出来るのは消極的改変といった所か。

 大体の歴史の流れを妨げない程度の改変、今現在刺史などに仕えているような人物を引き込んだりするのは拙い。ならば現状、在野にあるそこそこ優秀な人物を集めるのはどうだろうか?『智』に優れる者は魯家の財政を支えてもらい、『武』に優れる者はこの身を守ってもらう。

 魯粛がこの村だけで慎ましく暮らすのであれば、一騎当千の武人などいなくてもいいし、王佐の才を持つ軍師などもいらない。一応この身も正史補正が付いているのか、頭脳はそこそこチートで身体もそこそこに動く。ただ憑依転生した未来の自分が、その能力を活かせるかどうかは別問題なのだからあまり楽観するわけにもいかない。

 そんなこんなで、近隣諸国から人材をスカウトした魯粛は心底驚いた。その招きに応じて集まった人材の数に。

 『武』に優れた者は太史慈を筆頭に呂岱や賀斉など、『智』に優れた者は顧雍を中心に厳畯や闞沢などと、いずれも三国志でいう『孫呉』を支えた重臣達。確かに今はまだ『呉』という国は出来てないし、在野にいてもおかしくはないのだが……たかが一富豪にすぎない魯家の誘いに乗るとは思ってもみなかった。州レベルの俸給は出せないと言っておいたのにも関わらず、一国を治めてしまえそうな人材が揃ってしまうとは。

 しかし、その理由のほとんどが「面白そうだったから?」とか、普通にありえない。

 ……駄目だこの呉の重臣達、はやくなんとかしないと。

 魯粛を更に驚かせたのは、そのほとんどが女性ということ。思わず「ドキッ☆乙女だらけの三国志っ!?」とか突っ込みたくなったのも無理はない。まあ魯粛も人のことをどうこう言える身でもないので、何とか冷静さを保つことは出来たが。しかしこういう不条理な現実を目の当たりにすると、正直歴史云々と考えるのが馬鹿らしくなる。

 こんな有様では、もしかしたら董卓とか曹操とかが実は美少女!?とかもあるのかもしれない……あまり考えたくはないが。

 そんなしょーもない現実を見据えた魯粛は吹っ切れた。

 自分の招きに応じた彼女達を望みどおり魯家に仕えさせ、顧雍らの『智』を使って近隣の商家&名士との繋がりを拡げる。というか流石は『孫呉』を支えた重臣達、内政チートがすぎる……おかげで魯家の財政は格段に飛躍した。それこそ州の一つくらい治められるんじゃね?と思わせる程の資財を。

 下手な未来知識を使うよりも、儲かった気がするのは気のせいではないだろう。やはりその時の時代にあった経験の方が、特に波紋を起こすことがないし有効なのかもしれない。

 ただ正直稼ぎすぎた感じもするので、魯粛の史実通りに民にお裾分けしてやったら民に拝まれた。これもある意味バタフライ効果という奴だろうか?

 それとは別に、太史慈らの『武』を使っての徐州刺史の脅迫。まあ脅された方としては複雑だろうが、それ以上のメリットがあるから勘弁してほしい。刺史になる程の人物なのだから、迂闊にも約定を反故にしたりはしないだろう。

 それら動向により、魯家は小規模とはいえほぼ独立したと言っても過言ではない。

 野心が少しでもある人間ならそこから国を興すのかもしれないが、生憎と魯粛にその気はなかった。

 国の重責とか、元一般人には無理がある。

 本来の歴史であれば魯粛は周瑜に勧められて呉に仕えるのだが、今となってはその選択肢も迷っていた。ぶっちゃけ面倒臭いというのもあるが、知っている歴史からすると無駄に苦労するポジションなのだ。魯子敬という人物は。正史仕様ならともかく、下手に演義仕様だったらストレスで死んでしまいそうだ。

 それ以前に、史実通り孫策が男だったら非常に困る。主に精神の安定的な意味で。

 ただ自分はともかく、魯家に招いた顧雍ら呉の重臣達を無為に束縛する気も無い。出て行きたくなったら、勝手に出て行ってもいいとも告げている。その知勇を活かせるべき主を探せ、と。主に孫策とか孫権とか。

 実際に魯家の土台はほぼ作り上げた為、以降魯粛一人でだらだらと過ごすには問題はないからだ。元々の使用人は残るだろうし、特に心配はない。

 しかし天の邪鬼な性格の者が多いのか、彼女達は酔狂なことに魯家を去って行かなかった。それまでの反動で全く働かなくなった魯粛の代わりに『智』を以て魯家や村を支え、その『武』を人を殺すことではなく生かす為に村の畑を耕すことに費やす。その膂力を以てすれば、並みの農民とは開拓スピードは段違いじゃね?……と魯粛としては冗談のつもりで言ってみたのだが、それも良い鍛錬になると本気で実行してしまった。

 あとは魯粛の周囲の環境による保身策。いずれ訪れる動乱に備えて村の周囲を防柵で囲ったり、暇を見て村の若い衆に戦い方を教えたり……無論それらの政策を魯粛達が勝手に行うことはせず、刺史に仕える者の中で気の合う将軍を介してきちんと許可を取っている。まあ、それらの説得にも優れた者がいたからこその行動だったが。

 ……確信犯だったとはいえ、好き勝手にやったものだ。



「――で? 陳将軍が聞きたい意見とは何?」
「うむ、最近流行の『蒼天已死 黄天當立 歳在甲子 天下大吉』のことだ」
「黄巾の馬鹿共? 奴らは主に豫州潁川、荊州南陽、冀州の三つの方面で蜂起と聞くし、こちらにはあまり関係ないのでは?」

 徐州に一番近く、黄巾の乱の影響としては規模の大きいものに青州黄巾賊の存在があるが、これは間違いなく乱世の奸雄と呼ばれた曹操が平らげる筈だ。そもそも今の徐州兵に、あれほどの賊を相手にすることは出来ないと思われる。

 それ以外の影響として考えられるのは、近隣で盗賊行為が流行るくらいだろうか。

 ちなみに魯家では大陸の状況を的確に把握するため、行商人を通じて商家同士の情報ラインが組まれていたりする。そんな正確な情報の確認の為でもあるのだろう、彼が訪問してきた理由の一つとしては。

「まあ、な。ただ、盗賊行為とはいえ国中で起こっては州軍も対処しきれん。何とかせねばとは考えているのだが……」

 陳登の言にはかなりの苦労が窺える、徐州軍の統制も一筋縄ではいかないようだ。まあいても糜芳とか曹豹とかだろうし、それも仕方ないか。

 横で話を聞いていた太史慈が首を傾げる。

「うーん……各町村に軍を小分けにして分散させ守備するのは愚策でしょうし、張角のような指導者がいない賊だとまとめて倒すのも難しいですねー」

 ただ『武』を磨くのではなく、『智』も磨くというのが魯家の方針である。まあ、歴史上の太史慈という人物は知勇兼ね備えていた傑物らしいから、別段驚くことでもない。見た目はわりと、脳筋体育会系の美少女なのだが。

「それは逆に取れば、いくら兵を分散させてもそれを各個撃破するような指揮も執れないとも取れる。しかし、基本的な兵站運用などもしていないだろうから、そういう意味では行動が読みにくいのもまた事実ですが……」
「……かといって消耗戦などやってられんしな」

 文官系である顧雍は現実的に問題を指摘し、それをよく理解出来てしまうからこそ陳登は頭を抱えてしまう。

 元凶である張角の直接の影響がなくとも、一度乱れた世界の綻びは所々に現れるもの。そしてその被害は、まず弱者である民衆へと流れていく。国というのは民を守るからこそ、感謝という形を税として納めてもらえるのだ。つまり民を守れなければ、国というものは成り立たない。

 その為にも迅速な鎮圧が求められるのだが、徐州軍にはそれほどの規模の軍はないわけだ。民から徴兵すれば数は揃うが、それでは全く意味を成さない。

 気持ちが沈んでいく陳登を見ながら、魯粛は軽く伸びをする。

「……先のことを考えるなら、盗賊共は無為に排除するより取り込んだ方がいいかもしれんね」
「取り込む、だと?」
「賊とはいえ、元々は奴らも民の一部なのだから鎮圧と徴兵を兼ねて。まー地道で平凡な策ですが」

 反乱鎮圧と徴兵を兼ねる、これは史実の曹操や孫権などもよく使った手だ。

 先に例として挙げた青州黄巾軍などもその一つ。曹操はその討伐にて、黄巾軍の兵三十万人に非戦闘員百万人を降伏させ、その中から精鋭を選んで自軍に編入し「青州兵」と名付けた話は有名だろう。

 曹操程の人材のない徐州にそれをそのまま習えというのも無理があるが、先のことを考えて真似ておいて損はない筈だ。もし歴史通りに進むのであれば、黄巾の乱が終われば次は反董卓連合軍の結成がある。史実では徐州軍は参加しなかったが、風評を気にするのなら少しでも兵力を蓄えて参加した方がいいと思う。

 ただ大局的に見て、徐州軍が活躍することはないだろうが。

「……ふむ、賊相手とはいえ、ただ殺すよりも活かす方が得策か。だが殺さず生かして捕らえるのもまた難しいな」
「陳将軍が有能か無能かはともかく、しっかり領民を守るくらいはしてもらわないと。私達がいるからこの村は平気だとしても、そのことで他の町村から疎まれたりするのは困る」
「くっ……耳に痛いな、というかそう思うなら魯家を率いて徐州に士官してくれないか? 多分それがこの問題を解決するのに一番手っ取り早いんだが……」

 そう言う陳登との付き合いはそれなりに長い。

 魯粛が徐州で安寧に暮らす為には、その刺史に仕える者の中にもこちらの意を汲んでくれる人間が必要だった。そこで思い出したのが陳登の存在である。蜀の劉備に付いて行った同僚の麋竺や孫乾と違い、陳登はあくまで徐州に残ったからだ。その史実での本当の思惑まではわからないが、徐州で暮らす協力を頼むのには申し分ない。

 実際に陳登は柔軟に物事を見れるタイプだったので、こちらとしても良い協力関係を結べたと思っている。

 しかし、だからといって素直に彼の言に従う義理まではないのだ。

「確かに陳将軍には世話になっているが、徐州に仕官はする気はない。民としてしっかり税は納めているし、資金援助の方も絶やしていないのだから、いい加減それで納得して欲しいんだが……」
「……魯粛、彼女達を見て才能の無駄遣いだとは思わないのか?」

 ……それは常日頃に思うことではある。

 なんといっても後の『孫呉』の重臣が揃っているのだ。史実の魯粛ならいざしらず、未来の日本からの転生者である自分の元に。最初はただ保身の為に集めた人材だったのだが、気づけば彼女達の『主』に認定されているのだから驚きである。

 魯粛としても、彼女達に対して特別に何かをしたわけではないのだが……

「別に私は彼女達を強制的に働かせているわけではないから、誘いたければ勝手に誘いたまへー」
「誘いたまへ、とか言われてもな……」

 今この場にいる二人に、陳登は期待の視線を送ってみる。

 しかし、返ってくるのは顧雍と太史慈による侮蔑の冷たい視線。

「……我らを主から引き離すつもりで? ふむ、陳将軍は徐州の……しいては陳家の財政がどうなってもいい、と仰るわけだ」
「……陳将軍、月のない夜には気をつけて下さいねー」

 なんだろう、この溢れ出る忠誠心。

 この世界の不思議設定の一つである――『真名』。神聖なるその呼び名は、この世界に住む者にとってとても大切なものだそうだ。もちろん魯粛は魯家に仕える者ほとんどからその真名を授けられている。

 一般人が憑依転生したにすぎないこの身を、多くの美少女達が『主』と認めてくれるのは素直に嬉しい。ただ、正直喜んでいいのか微妙だ。何せ女に転生してのハーレム展開とか、あまりにも不毛すぎる。そして、それを気にしていないこの世界の風潮も。

(……もしかして百合百合しいとか、この世界的には普通なのかねー?)

 それはあまり認めたくない事実かもしれない。

 だからこそ下手にのめり込まないように、彼女達を真名で呼ぶことを控えているのだ。彼女達の方は魯粛に主として仕えていいのであれば、その呼び名くらいは我慢出来るそうな。ただ人気のない所では、自分のことを真名で呼んで欲しいと囁かれたりする。

 その囁きの破壊力は恐ろしく、近いうちに魯粛の理性は落城するかもしれない。

 ただ女版魯粛になった身としては、精神的にホモになるよりは肉体的にレズの方がまだマシかな~と思っている。少なくとも男に抱かれるなどは、将来の選択肢としてはありえないと断言したい。いや、かなり切実に。

 一応世間的には魯粛の性別は誤魔化されているが、一般的に完璧などありえないのだから不安は残る。自分に仕える彼女達に、魯粛の真名を呼ばせない理由の一つもそこからだ。真名から性別を見極めるのは、鋭い人物ならそれほど難しくはなさそうだから。

 一応念には念を入れて、ということだ。

 まあどこかのエロゲじゃあるまいし、片っ端から幼女含む女性に手をかける種馬のような変態はいないだろうから……魯粛の杞憂といえば、それまでの話である。





 ――陳留城謁見の間。

 玉座に座る少女は難しい顔をしている。

 その原因を作っているのは、彼女が持っている報告書の内容。

「お~い、華琳。話があるって聞いたけど、何だ~?」

 そこへ妙な服を着た男がやってきて、悩める少女に軽く声をかけてきた。

「遅いわよ、一刀。少し聞きたいことがあるの……あなた、徐州にいる魯家の『狂児』って知ってるかしら?」
「――徐州に、魯家に狂児? 何かの暗号か?」

 一刀と呼ばれた男は頭をひねる。どうやら聞き覚えがないらしい。

 あまり彼の知識を乱用するのは控えたいのだが、一応念は押しておく。華琳にとって、その報告書に書かれていたことは少し気になる内容だから。

「一刀、では『魯粛』という名はどう?」
「むむむ……魯粛、ねぇ? う~ん、たしか俺の知る歴史では『情けない外交官』といったイメージだったような……」
「…………そう、わかったわ」

 華琳は一刀から視線をずらす。

 諜報を任せている軍師から聞いた情報と、彼の持つ天の国の知識からのイメージはあまりにも相違していた。

(……魯家の狂児が『情けない外交官』ですって? 桂花の情報に間違いはないだろうから、そいつは巨額の資財を以て優秀な人材を集め刺史を脅すような傑物。そんな人物が、一刀の言うような生温い存在だとはとても思えない……)

 この時代において、率先して優秀な人材を集めるという行為にはどこか親近感を感じてしまう。つまりそれは覇道を目指す自分と似た存在が、もう一人いるということに他ならない。若干過大評価のしすぎではあるかもしれないが。

 曹孟徳として、それを放っておく理由はないだろう。覇者的な意味でも、人材収集癖的な意味でも。

 しかし、今はまだ騎都尉にすぎない華琳がそこまで手を出すのは早計だ。声をかけるにしても、もう少し中原を押さえ国としての地盤を固めてからが望ましい。それに今は黄巾の賊共を駆逐しないと、動こうにも上手く動けないのだから。

(……今は保留、ね)

 華琳が一人考え込んでいると、それを不安に思ったのか一刀が恐る恐る訊ねてくる。

「え~っと……華琳、さん? その魯粛って奴に、何か困った問題でもあるのでせうか?」

 流石に空気をそれなりに読めるのか、彼は華琳の覇気に引き気味だ。

 そんな微妙に情けない姿を見て、華琳は逆に落ち着くことが出来た。彼女の臣下には、主が機嫌の悪い時にわざわざ怒りを買うように話しかけてくる馬鹿はいない。しかし天の国から来たという目の前の彼は、そこへ平然と踏み込んでくるのだ。

 華琳としても、怒るより先に呆れてしまう。

 だが、それも悪い気はしない。

(やれやれ、色んな意味で私を楽しませてくれるわね。北郷一刀という人間は……)

 さてと、気持ちを切り替えよう……今は賊共の鎮圧を最優先に。

「……いえ、何でもないわ」
「そうか? それならいいんだが……」
「ええ、気にしないで一刀」

 華琳の沈黙を意味深に捉えたのか、不安そうにする一刀に華琳はそっと微笑みかける。

 何でもない……そう、今は『まだ』。




[8531] 【ネタ】三国志外史に降り立った狂児 第二話「動乱の世の始まり」
Name: ユ◆21d0c97d ID:b74c9be7
Date: 2009/05/15 19:36


「――我が身、我が鍼と一つなり! 一鍼同体! 全力全快! 必察必治癒……病魔覆滅! げ・ん・き・に・なれぇぇぇぇぇぇぇっ!」

 魯家の縁側から暑苦しい男の叫びが響き渡る。

 その声の主から溢れ出る『氣』は、素人の自分が見ても凄まじいものがあった。

「…………むぅ」

 縁側に寝そべり、赤い髪をした長身の男に鍼を打たれている魯粛は溜め息をつく。

 その男の名は華佗、字は元化。

 史実では薬学・鍼灸に非凡な才能を持つ伝説的な名医とされている人物である。

 一身上の都合により医者を探していた魯粛は、名士の仲介で虞仲翔から華佗の名を知ると即座に彼を魯家に招く。しかし、その招きに応じて魯家を訪れた華佗の姿は、魯粛の想像するイメージとは大きくかけ離れていた。

 曰く、かつて神話の時代、神農大帝が編み出したと言われた究極医術の一流派『五斗米道』を受け継いだ者とか、無駄に暑っ苦しい性格の熱血青年とか。何か色々と間違っている気もするのだが、治療の腕はたしかなのであえて突っ込まないことにする。

 ただ、史実に対するイメージは当然崩壊したが。

「――病魔、退散!」

 華佗の宣言と共に、重く感じていた身体が軽くなる。

 史実へのイメージはともかく、治療の腕においては彼より秀でる者はこの時代にはいないだろう。

 魯粛が何故華佗という接点を持ったかというと、その理由には二つ挙げられる。

 その一つに、今の魯粛はある一定の期間で体調を崩す時があること。それは所謂女性特有の月のものとか呼ばれるものであり、生前は男であった自分も今の身体が女性である以上避けられない事実。まあ肉体的なそれを精神的に受け入れることが出来れば、ここまで身体に負荷はかからないのだが……残念ながら、そう簡単に割り切れるようなことではない。

 当時よりは大分マシにはなったものの、未だ定期的に華佗の診察が必要なのである。

(……本当に治療の腕は良いんだよなー)

 そしてもう一つの理由とは、自分という患者を通して華佗と『孫呉』の位置をより近づけること。

 出来れば曹操の下に行って、下手に機嫌を損ねて殺されことは阻止したいところだ。

 史実の魯粛の病死などもそうだが、呉では優秀な人材が惜しむべく若さで亡くなっていることが多い。それらの筆頭に『小覇王』こと孫伯符、次いで『美周郎』こと周公瑾、他にも凌公績などが挙げられる。もし華佗の治療があれば、彼らはもう少し長生きしたのではないだろうか。

 未来の呉の重臣を引き抜いてしまった代わり……というのはおこがましい話だが、せめて華佗をそれらの死期に当ててみようと思う。

 上手く時期を合わせることが出来るかはまだわからないが、少なくとも華佗は魯家に定期的に訪れるようになっている。病人を助けたいと強く想う華佗を、江東の地に送り出すことはけして不可能という程ではない。彼を紹介してくれた虞仲翔にも仲介してもらえば、尚のこと上手くいくだろう。

 もちろんこれは大幅な歴史の改変に他ならない。

 しかし、実際に呉の重臣の引き抜きがなかったにせよ、憑依転生した自分がまともに国の為に働くことなんて出来なかったと思う。つまりは歴史の改変云々など、まさに今更ということだ。そう、魯粛的な意味で。

「……やれやれ、助かったよ華佗」
「なんの魯粛殿、こちらこそ病魔を完全に治してやれなくてすまない。青嚢書に書いてある材料が完璧に揃えば、その病魔もきっと何とか出来るのだが……」

 かの有名な華佗といえど、苦手な分野もあるのだそうだ。

 ちなみに華佗には性別を隠していない、というか本気で骨格とかで見抜かれた。流石はSDK(スーパー・ドクター・華佗)。

(いや、龍の肝とか無茶にも程があるだろう……常識的に考えて)

 この病魔に対する処方薬の材料を見せてもらったが、正直突っ込み所が多すぎる。本人は本気でその材料を集めようとしていたが、万が一にも力尽きて倒れてもらっては困るので諦めてもらった。少なくともただ生きるにはこれで十分。何せよ華佗の治療だけが、今のところ一番有効なのだから。

 ただやはり、肉体と精神の剥離による心の不安定というものは色々と危うい。

 女の肉体に男の精神が入るという不可思議でありえない現象に、華佗としても定期的に蓄積された心労を癒すくらいしかないそうだ。ちなみにその周期……どうしても耐えられそうにない時には、華佗の発明した麻沸散と呼ばれる麻酔薬を使わせてもらっている。かなり強引な手だが、それくらいしないと色々と保てないのだ。

 ある意味薬中といっても過言ではなく、常日頃に慢性的な倦怠感を抱えているという有様である。

「……さて、次の診察はまた数ヵ月後か。華佗、またよろしく頼む」
「おう! 俺の受け継いだこの『五斗米道』もまだまだ未熟っ! 次の診察には必ずその病魔、治してみせるぜ!」

 暑っ苦しい捨て台詞を残すと、華佗は縁側から飛び出して行った。

 根本的な解決には至らないものの、定期的に蓄積する心労を嘘みたいに治してくれるだけでも十分助かっている。しかし、あの暑っ苦しい性格は何とかならないものかとは思う。心なしか部屋の温度が上がっている気がするし。

 まあ冬場は重宝すると思えばいいか。





三国志外史に降り立った狂児 第二話「動乱の世の始まり」





 世を騒がした黄巾の乱は、各諸侯らの活躍により終焉を迎えた。

 今の所大体は史実通りだな~と縁側で魯粛がお茶を飲んでいると、城から陳登が訪ねてきたと使用人が告げる。いつものようにお茶を出すと、慣れたようにそれを受け取り平然と縁側で寛ぐ陳登。

 徐州の現状などを雑談まじり話していると、陳登はさらりと重大事項を零した。

「――反董卓連合の檄文?」

 というかそういう情報を外部にホイホイ持ってくるな、と。

 この徐州に沸いた盗賊共も陳登らの活躍により鎮圧され、その中で多くの捕虜を兵に取り組むことが出来たそうだ。まあ元々は生活に困った民なのだから、それを補償してやれば案外言うことを聞くものである。

 おかげで徐州軍の規模は増えたが、当然その分再編成に苦労しているらしい。そう意味では史実通り、反董卓連合に参加することは出来ないだろう。

「まあ、徐州の現状的に参加は無理だろうなぁ……」

 それに今回の乱の際、新しく徐州刺史が赴任している。

 その者の名は陶謙、字を恭祖。

 若い頃から学問に通じてきた陶謙は郡や州の官僚へと進み、やがて茂才に推挙されて県令から刺史へと昇進した。この徐州に赴任されてからも、陳登ら武官文官をよくまとめて州を治めている。その温厚な性格から魯家を含む商家との交渉も上手く、実に堅実な為政者と言えよう。

 個人的に思う致命的な欠点の一つだけを除いて。

「……魯粛も薄々は感じているだろう? 何しろ陶謙殿は御歳五十代後半、これからの時代を生き抜くにはあまりに厳しい、と」
「…………まあ、ねぇ」

 確かに史実では反董卓連合の後くらいに亡くなっている。

 一応病死ということなので、華佗に頼んで病を治してもらうことも可能だろうが、それは根本的な解決にはならない。

「この反董卓連合の規模的に見て、洛陽にいる董卓は確実に討伐されることになるだろう。……それが終わってしまえば、もはや衰退の限りを尽くした漢王朝に従う者は少なく、時代は確実に群雄割拠を迎える」

 それは間違いなく『乱世』。後漢の混乱期から、西晋による三国統一までの三国時代の始まり。

「……陳将軍?」
「将来的に徐州の安寧を考えた場合、群雄割拠という時代に陶謙様というただ温厚な刺史では領土を守りきれない。高齢な陶謙様の体調も問題だが、いざという時のお世継ぎである陶商様と陶応様は暗愚。最悪の場合は、有力な群雄諸侯の内の誰かに委ねるしかないが……」
「あー……」

 たしかにアレらはひどい。

 本当に陶謙の息子か?と疑いたくなる程に不出来なのだ。正直アレが徐州の後継者とは思いたくない。それに比べれば、現状国を治めている群雄諸侯のどれかの方がまだマシだろう。

「かといって乱世を勝ち抜けないような者に、この徐州の未来を簡単に委ねるわけにもいかない」
「……まあ預けていきなり他国に侵略された、では話にならないしな」

 特に三国時代における徐州という場所は色々ある。

 反董卓連合後から官渡の戦いくらいまでの間、徐州はとにかく波乱の時代を過ごす。主に呂布とか劉備とかを原因に、曹操や袁術などが入り乱れての戦争が続くこと。最終的には、その中で曹操がその勝者となるのだが……時期的に見ると、まだ劉備の方が先に徐州に入るのだろう。

「――そこで今回の反董卓連合は良い機会となるわけだ」
「なるほど。この乱世において徐州に安寧に導けるだけの者を、多くの群雄諸侯が集うであろうその反董卓連合で見定めるということか。確かにこれだけの群雄諸侯が集まるなんて機会は、おそらく二度とないだろうし……」

 しかし、現実として徐州は反董卓連合には参加できない。

 州軍の編成があるだろうから、陳登が外交の使者に出ることは出来ないだろう。麋竺、孫乾という優秀な外交官もいるだろうが、逆にこういう秘密裏の外交官としては目立ちすぎる。軍として参加しない癖に側近がこそこそと諸侯を嗅ぎ回っている、などという噂が出ては元も子もない。

 出来ることならあまり目立たない立場の人間で、徐州の現状をよく見知っている者が理想だろう。

「そう、そこで魯粛に頼みたいことが……」
「――私に『それ』をしてくれ、とでも?」
「うむ。魯粛なら徐州の密使としてではなく、商家としての立場でまだ自由に動けるだろう?」

 確かにそう動くことは可能だ。

 それに三国時代の英傑達が揃う所を見てみたいという気持ちもある。変に目をつけられる危険性もあるが、この時代で生きていく上で主要人物を一目見ておくことは大事だ。知らずに巻き込まれるのは遠慮したい。

 徐州で暮らす者として、けして他人事ではないのだ。

「私としては別に構わないが……」

 しかし、それはかなりの独断の越権行為ではないだろうか……魯粛の身で言えた台詞ではないが。

「ああ……言っておくが、極秘裏にではあるが陶謙様から許可はちゃんと取っているぞ」
「――うぇ!?」

 そういうと陳登は一通の書状を取り出す。その用意周到さに、魯粛は思わず顔を引き攣らせる。

(……そこまで深刻な問題なのか、やっぱり)

 聡明な陶謙のことだから、徐州の後事を現実的に任せられる臣下に託したのだ。それを託された陳登がわざわざ自分なんかを頼ってきている……ならば徐州に住む民の一人として、その遺志(まだ死んでない)を無駄には出来ないだろう。

「実際に魯粛が、どこまで反董卓連合の中に入れるかわからないから無理はしなくていい。別に陶謙様が今すぐ亡くなられるわけではないからな」

 反董卓連合に集う群雄諸侯の情報を集めてくるだけでもいい、と陳登は言った。

 別に仕官して働けと言われているわけではないし、あくまで動けない徐州の外交官代理にすぎない。

 都の方に向かうとしても、黄巾の乱が終結してからまだそれ程期間が過ぎてないので、各街道に出没する盗賊らもまだ大人しい筈だ。魯粛自ら行くとしても、太史慈らに護衛させれば大丈夫だろう。

「……わかった。陶謙殿と陳将軍の為にも、我が魯家としても可能な限りの協力をするよ」
「――ああ、ありがとう」

 魯粛に書状を渡すと陳登は城に帰っていった。

 何にしても自分達の領土の将来がかかっている程の秘事、このように外部に持ってくることに不安はあったのだろう。帰る時に見た陳登の顔には、安堵の表情が浮かんでいた。いくら優秀な陳登といえど、国の重責を担うというのはそれだけのプレッシャーがかかるものである。

 国を治めるということは、やはり自分には難しい話だ。

(このまま何事もなく平穏に暮らせれば良かったんだけどな…………そうもいかない、か)

 さて、既に反董卓連合の檄文が諸侯に届いてる以上、行動は少し急がないといけないだろう。

 太史慈を中心に他数名の護衛の選別、それに数台の荷馬車……これには糧食や物資を可能な限り積んでいく。まあ基本的は群雄諸侯の観察であり、戦争をしに行くわけではないからそれほど大袈裟にすることはない。まあ自衛に関して手を抜く気は更々ないが。

 徐州を治めるのに丁度良い群雄……歴史を知っている身からすればのその候補者は少ない。

 史実から言えば劉備一択なのだが、その場合徐州は確実に戦火に見舞われる。それは劉備という人物が悪いわけではなく、地形的に他の有力な諸侯に囲まれるという時期が悪いからだと思う。主に仁政と徳を掲げる劉備が、積極的に他国に侵略することは考えにくい。しかし乱世において、徐州一つでは他国の侵略を防ぎきることは難しいからだ。

 しかもこの頃の徐州周辺には、兗州の曹操や河北の袁紹、南陽の袁術など野心の高い者が揃っている。徐州しかない小国の劉備を放っておくことは、はっきりいってありえないと思う。基本的に自分より弱い敵を叩くのは定石だから。

 そう意味では曹操や孫策などの方が徐州を任せるに値する。

 ただ孫策の場合、反董卓連合で功績を上げたとしても袁術がそんな優秀な駒を手放す道理がない。仮に反旗を翻すにしても、現状の孫策と袁術の彼我の戦力差が仇となる。いかに『小覇王』孫策の天才的戦術と『美周郎』周瑜の戦略眼があったとしても、それだけの戦力差を覆すのは難しい。そんな状況で徐州一つを得たとしても焼け石に水だろう。

 そうなると祖父に大長秋曹騰を持つ曹操が、朝廷への繋ぎを考えるとやはり一番の有力株か。

 しかし曹操からすると、この時期に徐州という土地を受け取ってもあまり意味がない。反董卓連合の後に暫く中央でゴタゴタがあるだろうし、下手な領土拡大は滅亡への序曲となりかねないからだ。いずれ曹操が徐州を治めるのは確かなのだろうが現状では無理、と。

「かといって袁紹とか袁術に任せるのは危ないしなー……」

 思ったよりも現実は厳しい。

 陳登が言ったように無理はせず、集まっている群雄諸侯をさりげなく探る程度になりそうだ。

 あまり気は乗らないが、将来のことを考えて曹操と孫策には一応コネを作っておいた方がいいかもしれない。ちなみに魯粛レイジー的な意味で、劉備とは多分反りが合わないからそちらは放置することにした。孫呉に仕えなければ、絶対に劉備と関わることはないだろうし。

 何はともかく、実際に現地に行ってみないことには何もわからない。

 そこにどんな運命が待っていようとも――。





 ――行軍する袁術軍の一群。

「――雪蓮、少しいい?」

 眼鏡をかけた黒い長髪の褐色美人が馬上から声をかける。

「……何よ、冥琳。袁術の我が儘を聞いて、今機嫌悪いんだけど?」

 冥琳と呼ばれた女性に声をかけられたもう一人の褐色の美女……孫伯符こと雪蓮は、その機嫌の悪さを思いっきり顔に出して睨む。もちろん周囲に袁術の部下がいないことを確認した上で、だ。客将という立場の雪蓮としては、そういう不満を零す所を袁術の部下に見られるのは困る。

 かといって常に謙っているのは雪蓮の性格に合わない。

 そんな雪蓮の気持ちがわかる周公謹こと冥琳としては、叱るに叱れない微妙な所だ。

「つい先程、徐州方面に放っていた間諜から報せが入ったわ」
「……徐州方面? 陶謙の爺様がくたばったとか?」
「いや、この反董卓連合に徐州は参加しないことに決まったそうよ。まあ黄巾の乱の事後処理や、陶謙自身の体調が優れないなど徐州には色々と問題もある……まあ当然の結果でしょうね」
「……ふ~ん?」

 報告の内容的には大したことではない。独立しているならともかく、袁術の下にいる自分達が他所の州の隙を見つけても何も出来ないのだから。ただ虎視眈々と袁術から独立を狙う孫家としては、常に大陸の情勢を掴んでおく必要がある。

 軍師として情報を集めるのは当然の仕事だ。

「――ああ、そうだ雪蓮。あなた、徐州にいる魯家の狂児って知ってる?」

 話の途中でふと思い出したかのように冥琳が言う。

「魯家の狂児って……あの変態のこと?」
「へ、変態って……」
「富豪で好事家の若い坊ちゃんが、そこら中から女人を買い集めたんでしょ? きっと『ご主人様~☆』とか言わせてるに違いないだろうし、それが変態以外の何者だと言うのよ?」

 ――天才の勘、恐るべし。

 確かに性別を誤魔化しているから、世間一般的には魯粛は男と認識されている。そして自分の保身の為とはいえ、多くの人材を近隣諸国から片っ端に招いた。しかもその人材のほとんどは女性ばかり……それだけを聞くと実に怪しい。

 間者を使って詳しい情報を集めた冥琳と違い、様々な尾ひれがついて広まった民衆の噂話ならそんなものだろう。

「……情報に齟齬があるわね。私が知っている魯家の狂児……『魯子敬』の人物像は少し違うわ」
「そうなの?」
「魯家の当主として多くの商家と連なりを持ち、家柄から名士との繋がりも深い。蓄えた資財をただ独り占めすることなく民衆に振舞う……一般的な豪族とあまりに違うその在り方を、よく思わない連中が皮肉って『狂児』と名付けているそうね」

 不思議に思った冥琳が調べてみると、彼がただの変態ではないことがわかった。

 彼が集めたという人材は主に職や仕事についていない者を集めており、その後魯家での活躍を見る限りそれなりの逸材ばかりを狙って引き抜いているようだ。恐るべきはその能力を見抜く人物眼といったところだろうか。孫呉の大地……江東方面からも人材が引き抜かれていると聞く。

 会稽に住む知人から、名医華佗とすら親交を持っていると聞いた時には驚いたものだ。

 そして徐州に仕えることもせず、私兵すら飼っている魯家を徐州刺史に黙認させていることから、冥琳は彼を相当の危険人物と認定する。未だ商家の枠を超えないことからその野心の有無には疑念が残るのだが。

「ふ~ん……そんな面白そうな人間なら、我が孫呉に取り込んでみようかしら?」
「私としても不安は残るが……いっそのことその魯家を、丸ごと取り込んだ方が得策かもしれない。下手に敵対するのは避けたいところね……」

 袁術の客将となった時に、孫呉の旧臣達は散り散りになってしまっている。

 将来的に考えて、優秀な人材を少しでも多く取り込むのは基本だろう。如何に性格的に問題があろうとも、能力が優れているのなら色々と使い様はある。いずれ江東の地を取り返したとして、北方への備えに徐州に繋がりを持てるのも大きい。

「――じゃあ、その件は冥琳に任せるわ」
「ええ。この反董卓連合の目的を終えた後にでも、名士を介して面会してみることにするわね」

 何にせよ、まずは目先の反董卓連合の方が優先だ。

 孫呉独立の為にもこの戦いで功績を上げつつ、独立の際最も邪魔となる袁術の戦力を削ぐ必要がある。しかも連合という枷の中で、不自由な袁術の客将としてそれを成すというのは尚更難しい。

(――だが孫呉の悲願……そして雪蓮の夢の為にもこの周公謹、我が知謀の限りを尽くして必ず成してみせよう!)

 その為ならば董卓だろうが袁術だろうが関係ない、我が軍略で打ち砕くだけである。

 隣を行く雪蓮の覇業を支えることこそ、軍師しての自分の役目なのだから。




[8531] 【ネタ】三国志外史に降り立った狂児 第三話「反董卓連合」
Name: ユ◆21d0c97d ID:b74c9be7
Date: 2009/05/21 17:14


 ――とある街道を荷馬車を率いて行く一団。

「――ところでご主人様ー?」
「……なんだ、子義?」
「反董卓連合の集まる所に行くのはいいのですが、そこから先の当てはあるのですかー?」

 先頭を行く太史慈が馬上から声をかけてくる。

 魯家の中で一番腕の立つのは彼女なので、この一団の先頭なのは当然だ。一般人より多少はマシだが、この魯粛の身体に戦闘力を求めてはいけない。生まれてから硯より重い物を持ったことがないし、他に連れてきた二人にすら遥かに劣る。

「無い。けどまあ、何とかするさね……」
「あ、主殿? 本当に大丈夫なのでしょうか?」

 楽観的に答える魯粛に、隣の馬上から不安そうな声をかける少女。

 名は賀斉、字を公苗という。

 三国志演義では登場しないのだが、正史の方では『孫呉』にとって欠かせない山越などの異民族キラーの異名を持つ人物である。それらの反乱平定を中心に功績を重ねて出世した将軍の一人で、武勇だけではなく地方政治等にも秀でている……あと非常に派手好きな事も有名。

 この世界においてもその派手好きは受け継いでおり、太史慈と同じくらいの健康的なその肢体を豪華な軍装で着飾っている。まあ金に余裕がある魯家だからこそ、それもまかり通るのだが。

 ただ見た目の派手さと矛盾して、その性格はわりと心配性だった。

 そして単純な『武』の筆頭である太史慈とは違い、今回魯家に置いてきた呂岱のように兵をよくまとめる才能も持っている。特に寡兵を持っての戦術は、歴代の英傑達にも勝るとも劣らないと言ってもいい。

 彼女の性格と能力から、今回のような護衛任務には適任と言える。

「公苗姉、御主人は何とかすると言っている。我らはただ、それを信じてついていけばいい」
「義封ちゃん、でも……」

 不安そうな賀斉に、反対側の馬上から生真面目に言葉を返す幼女。

 その姓は施、名は然、字を義封。

 三国志を知っている人ならば『朱然』と言った方がわかりやすいだろうか。若い頃から孫策に仕え、その経緯から呉の宿老である朱治の養子となった人物。後の孫権にも評価されたその才能は、呂蒙に「決断力、実行力ともに十二分」と言わせ、その後継に推薦された程である。

 魯粛の人材スカウトに引っ掛かった時、元来の姓である施氏だったので気づかずに魯家に招いていた。

 微妙に知らない名前にしてはえらい優秀な子だなーと思い、そんな彼女を側近に起用してみて驚いたものである。思った以上に呉の重臣を引き抜きすぎ……とかいうレベルは既に超越している気がしないでもない。歴史の修正力か何かで、明日自分死ぬんじゃね?とか常々思ったものだ。

 ちなみに彼女、見た目は完全に『幼女』である。でも口調、性格は生真面目一辺倒……何というギャップ萌えか。世間的に男である魯粛の……その風評が今、どんなものになっているかは聞きたくもない。

 とりあえず賀斉を少し落ち着かせる方が先か。

「――公苗、反董卓連合の掲げる大義名分とは何だろうか?」
「えっと……董卓の圧政に苦しむ民を救う為、ですか?」
「そう、つまりは名目として『民の為』というのが連中の強みの一つ。その世論を強める影響力を持つ商家との繋がりを、彼らとしても邪険には出来んよ。まあ、そこから先は盟主の器次第だが……」

 反董卓連合の盟主である袁紹。

 史実における彼の評価を簡単にまとめると、『名は世に知れ渡るものの、概ね決断力は無く器量も不足していた』といったところだろうか。三国志の記述から外面は寛大らしいので、魯粛達がただ面会することは容易い筈だ。しかし内面の猜疑心は強いということなので、下手な策謀を仕掛けようとするのはやめた方がいいだろう。

 まあ、仕掛けるような策謀なんぞないが。

「……董卓側の刺客と疑われないでしょうか?」
「こんな堂々と近づく刺客なんていないだろう、公苗姉はいつも心配しすぎだ……」

 心配性な賀斉を宥める幼女施然……何かシュールな図だ。

 こと戦場において、魯粛というこの身が何かの役に立つとは思わない。貧弱な魯粛と違って護衛である三人は、人間一人くらいなら片手で持ち上げる程の膂力を持っている。生前の常識的にはありえないことだが、いざという時には自分を抱えて逃げてもらおう。

「さて、どうなることやら……」

 目の前に見えてくる大軍団の集まりは、これから先に進む歴史の道標の一つ。

 ――反董卓連合軍。





三国志外史に降り立った狂児 第三話「反董卓連合」





 ――反董卓連合袁紹軍大本営。

 そこで上座に立つ金髪でグルグルな縦ロールの女性が騒ぎ出す。

「――この連合の戦を見学したい、ですって?」

 彼女の名は袁紹、字を本初。

 その彼女の傍らには、二人の女将軍が控えている。太史慈と似たような雰囲気を持つことから、おそらくは袁家の二枚看板こと文醜と顔良だろう。

 魯粛はまずこの反董卓連合の盟主に面会を求めたのだが、予想以上に史実とは違う姿に戸惑っていた。いやまあ、初っ端に「おーっほっほっほ!」とか言いながら現れた日にゃ面食らうのも当然だと思うのだが。

(なんというゴージャス縦ロール……)

 それはともかく、ただの商人でしかない魯粛達に反董卓を掲げる連合の戦いを観戦させるなど無茶な話である。

 しかし、魯粛が平身低頭して袁紹のことを褒め称える姿を見て、気位の高い彼女はそれなりに満足することが出来たようだ。彼女の隣にいた文醜もわりと単純思考なのか、この程度の煽てに袁紹共々気分を高揚させていた。

 そんなノリノリな二人の姿を見て、一人溜め息をつくのは顔良のみ。

「――商人にすぎない私が、こんなことをお願いするのも僭越なのですが……」

 ここまで扱いやすいと逆に困ってしまう。

 そうやって調子に乗って失敗した例を知っているので、程々に自重した方が良さそうだ。

「名家袁紹様の率いるこの正義の大軍団、それ程の大戦をただ静観するのはあまりにも勿体無い。更に天下に名を轟かせるであろう袁紹様の戦いぶり、是非とも大陸の商家の連中に聞かせてやりたいと思いまして……」
「――あら? このわたくしの素晴らしさがわかるなんて、あなた中々見る目がありましてよ?」

 しかしこの袁紹、ノリノリである。

「……いえいえ、袁紹様程の英雄の名を知らぬ者などおりませんよ」

 魯粛の褒め言葉に有頂天なのか、彼女はすごく機嫌が良さそうだ。『豚も煽てりゃ木に登る』ではないけれど、こうも簡単に煽てに乗られると心中複雑なのだが。心の裏の猜疑心すら感じさせないその有様に、魯粛としては驚くよりも呆れてしまう。

(……これでいいのか、連合の盟主)

 ここに来る前に少し情報を集めたのだが、これから向かう先は正史には存在しない汜水関だという。

 つまりは歴史的にこの場面は演義ベースということだ。

 すると虎牢関の戦いが終わった後に、董卓は洛陽を焼け野原にして長安に逃げたりするのだろうか。その場合下手に長居すると、袁紹と袁術の権力争いに巻き込まれるかもしれない。どこまで歴史が演義ベースなのかはわからないが、虎牢関を抜いた後くらいで切り上げた方がよさそうだ。

 元々戦力と数えられていない魯粛達が、途中で抜けても問題は特にないだろう。

「じゃあ、斗詩さん。兵に伝えて、わたくしの陣に賓客として彼らの天幕を用意して……」
「――ああ、そうだ袁紹様。私達はただの商人ですので、これだけの規模での軍行動についていくのは難しいでしょう……残念なことですが」

 折角の上機嫌の彼女に水を差すのも何だが、魯粛の目的を考えると袁紹軍では少し動きにくい。

 何分連合盟主の軍であるから、間諜的な意味で諸侯を探りにくいのだ。

 それに面会前に陣容を観察した太史慈達によると、下手な乱戦になった時に大規模な軍故に統制を保つのは至難とのこと。要するに自分達が巻き込まれずに逃げるのも難しいので、もう少し小さい規模の軍の方が安全面でのデメリットはあるが、行動を阻害されない分そちらの方が都合がいいわけだ。

 そういうわけで、他の適当な軍に逗留したいのだが……その為にも目の前の彼女のプライドを傷つけずに事を収める必要がある。

「袁紹様の寛大なる御厚意には感謝したいのですが、結果として足を引っ張ってしまうのでは意味がありません。折角の袁紹様の華麗な戦いぶりに水を差すなど出来ませんし、出来ればどこか他の適当な軍に逗留させてはいただけないでしょうか?」
「……むむむ。そういうことなら、仕方ありませんわねぇ……」

 気位の高い彼女の言葉を遮ることに不安はあったが、何とか納得してくれたようだ。

「でも姫ー? 他の適当な軍ってどこにするんですかー?」

 一人考え込む袁紹に、文醜が軽く声をかける。

「そうですわねぇ……適当で平均で平凡で普通に影の薄い軍というなら、白蓮さんのところにでもしましょうか。斗詩さん、伝令と案内よろしくですわー」
「は、はぁ、わかりました(そこまで言わなくてもいいのに…………否定はしないけど)」

 何やら彼女がひどいことを言った気がする……気のせいかもしれないが。

 あと彼女達が提示した人物の名前には聞き覚えがない。そんな疑問符を浮かべている魯粛に、その思考を読んだのか顔良が小声でこっそり教えてくれる。

「……えっとですね? 『白蓮さん』というのは幽州の公孫賛さん、という方のことです」
「ああ、あの『白馬長史』ですか。……人選的に随分な適当ですなぁ」

 この頃台頭してきた公孫瓚という群雄は、適当と評されるような人物ではない。

 確かにその人物の逸話には芳しくないものもある。生まれ育った環境が複雑だったという話もあるが、元々名声や実力を持つ者を故意に困窮に陥れたり、重用するのは決まって凡庸な者だったりと、およそ英傑と呼ぶにはふさわしくない所業ばかりだったとか。

 しかし、その戦の能力に関しては侮れない。

 例えば黄巾賊の残党三十万を二万の兵を率いてこれを撃破したり、そこへ追撃をかけ更に数万の兵を討ち取ると共に大量の捕虜と軍需物資を手に入れたりしている。おそらく戦の『機』を見ることに優れていたのだろう。地力の差が相当あった袁紹ともそれなりに奮闘していることから、適当な将とはとても言えない筈だ。

 だが、やはりそこは不思議ワールド。

 この袁紹だけがそう言うならともかく、良識的な顔良がこうして否定しないことから言葉通りの可能性も高い。まあ魯粛達を受け入れることで、袁紹も公孫瓚を迂闊に前線に投入出来なくなるだろうから、安全面で気にすることは特にない筈だ。

 よほどの猪突猛進な将でない限り、自軍を無理に死地に送ることはないだろう。

(……それにしても適当な公孫瓚と言われても想像つかないな)

 あと何故かはよくわからないが、この世界では『公孫瓚』ではなく『公孫賛』らしい。





「――と、そう思ってた時期もありました…………はぁ」

 顔良に案内された公孫賛陣営を見て、魯粛は溜め息をついた。

 一応袁紹には連合内をそれなりに自由に出歩く許可をもらったので、これを機に賀斉と施然には各軍の視察に行かせている。今魯粛の傍にいるのは太史慈のみだが、それでもこの陣営で孤軍奮闘している総大将よりはマシかと思うと複雑な気分だ。

「た、溜め息をつくなぁ~!」

 魯粛達を迎えに来て、公孫賛と名乗った少女が涙目で吼える。

「いやいや、公孫賛殿。これだけの規模の軍で、総大将が常に自ら動かないといけないというのは結構致命的ですよ?」
「ぐっ……! し、仕方ないだろう、人手が足りないんだから……」

 仕方ないだろうと言い訳しようとした彼女を、太史慈が冷静に突っ込む。

「人手が足りないのなら、そもそもこんな連合に参加しなければいいのに……」
「子義、それを言っては見も蓋もないぞ……」
「うぅ……」

 最近は政治方面にも知識を伸ばしているらしいので、その視野は昔よりもっと広く前を見ている。雇い主として、逸材が成長していく姿を見るのは楽しい。……たとえ時代的にその能力を持て余していたとしても。

 それはさておき、今はこの公孫賛軍の方を気にするべきか。

 世間でもそれなりに有名な、騎射のできる兵士を選りすぐって白馬に乗せた『白馬義従』。その騎兵隊としての評価は、涼州騎兵にも優るとも劣らないと言える。しかしそれを指揮する人材が、現状公孫賛一人しかいないというのは大問題だろう。

 流石に魯粛もここまで人がいないとは思わなかった。……時期的に趙子龍がまだいてもよさそうなものなのだが。

「……公孫賛殿、常山の趙子龍という将はいないのですか?」
「え、星……趙雲か? あいつなら桃香……劉備の下に行ったけど、それがどうかしたのか?」
「…………ワーオ」

 公孫賛の早期滅亡フラグが立ちました。

 というか歴史的に劉備に流れ着くのは仕方ないとして、州を治めるものとしてあれほどの猛将を手放すなんて……普通にありえない。おそらく悪い人じゃないんだろうが、隣接する諸侯の中にあの袁紹がいることをいまいち理解していないようだ。かの国の地形的に、これから先どう動くかくらいは想定して然るべきだろう。この乱世の時代において、危機感があまりにも足りない気がする。

 魯粛的には全く関係ないので、この場合放っておくのがベストだ。

 しかし、目の前のいかにも『いい人』な少女をただ捨て置くのは気が引けた。彼女の才は乱世においては三流だが、逆に平時においてのその普遍的で善良な堅実さは貴重である。このまま乱世の波に飲み込まれてしまうには惜しい人材だろう。

(……やれやれ、世知辛い世の中だなぁ)

 とはいえ魯粛に出来ることなどあまりない。

 実際に彼女の国が滅んだ時、その亡命を魯家で受け入れるくらいだろうか。

 先程から公孫賛の話を聞いていると、どうも彼女は劉備とそれなりに縁があるらしい。滅亡の際に劉備が現在の平原の牧のままならいいが、史実のように徐州の州牧になる可能性があることから……間違っても彼女が劉備の所に流れ込むような事態は避けたい。

 公孫賛が滅ぶということは、あの袁紹が河北全てを治めるということである。つまりは後顧の憂いがなくなるわけで、袁紹の性格を考えれば確実に南征が始まるだろう。その時に滅ぼした国の総大将が逃げ込んでいるなどと知れたら、無駄に攻め入る名分を与えることとなる。そして袁紹という大国の侵攻を、弱小国の劉備が止められるわけもない。更に言えば、地形や時期的に周りの国がそんな惨状を放置するわけもないだろう。

 つまりは徐州は確実に戦火に見舞われ、下手をすれば徐州虐殺のようなことに成りかねない。まあ公孫賛の滅亡や、劉備の徐州州牧就任という未だ不確定事項を前提した場合の話ではあるが。

 しかしそれらの可能性を、魯粛としてもはっきりと否定出来ないのもまた事実。

「……ま、いっか。今回この公孫賛軍が連合に対して、特別何かをすることはないだろうし……じっくり考えるかな?」
「――ちょっと待て。それは一体どういうことだ?」

 魯粛の言葉に公孫賛が反応を示した。

「どういうも何も……賓客である私達を預けるのだから、袁紹としても公孫賛殿の軍を迂闊に動かすことはありませんよ」
「な、何だって~っ!?」
「まーいいじゃないですか。功績を上げることはないですけど、その分戦力を消耗せずに楽が出来ますしー」

 それに今回の戦いの主になるのは汜水関と虎牢関、つまりほとんどが攻城戦となるわけだ。公孫賛の主力は騎兵であるから、ぶっちゃけあまり役に立たない。敵が篭城の利を捨てて野戦に出てくることがない限り、騎兵主力の公孫賛や涼州の馬超などの出番はないだろう。

 仮にも防衛線を張る将が打って出る筈もないし、後方でまったり観戦することが出来る。

「公孫賛殿も、こんなつまらない戦いで身内が傷つくのはお嫌でしょう?」
「つ、つまらない戦いって……」
「どんな美辞麗句や大義名分を掲げようと、戦争は戦争……人が傷つき人が死ぬ。傀儡にされている天子を救う? 董卓の暴政に苦しむ民を救う? やってることはただの『他国侵攻』にすぎませんよ」

 かなり過激ではあるが、太史慈が間諜はいないことを確認済みだからこその発言である。

 真実に董卓が檄文通りの人物であるならば、少数精鋭で洛陽を急襲して董卓本人を切ればいい。そこまで暴虐非道な主であるならば、その主が死んでも尚従おうとする者はいないだろうし、そうなれば董卓軍は自然と瓦解する筈だ。まあそれだけの混乱が起こった場合、天子が無事でいる保障はないけれど。

 だが結局それをせず連合として兵をまとめて戦うということは、董卓軍がそれでは瓦解しないと判断したのだ……兵を以て打ち倒す必要がある、と。それだけでも十分に、あの檄文の内容に不信が浮かびそうなものだが。

 というか魯家の情報網によると、洛陽の状況は檄文そのままというわけではないらしい。結局は権力争いからくる茶番劇とのこと。

「その程度のことだから、有力な諸侯は互いの腹を探るばかりなのですよ、公孫賛殿」
「確かに言われてみればその通りかもしれないが……」

 ただ目的はくだらないが、その為に世論を味方につけた手腕は大したものである。

 言った者勝ちではないが世論的に董卓は『悪』とされた為、その董卓を討つ連合に参加しないということは『悪』の一味と思われてしまう。そのような風評を避ける為にも、多少の無理はしても連合に参加する必要があるわけだ。徐州に関してはそれなりの事情があるし、討伐が終わった後にでも相応の貢物を贈る用意はしている。まあ、それ程の資財を備蓄している国は多くはないだろうが。

 不穏なことを言った所為か、公孫賛の顔色はあまり芳しくない。

「お気楽にお気楽に……戦争なんてものは、それをしたい輩に好きにさせておけばいいのです」
「……いいのかなぁ? 桃香達は先鋒で大変そうなのに、私は後方でゆっくりしていて……」
「――公孫賛殿。あなたと劉備殿の仲が良いのは別に構いませんが、その為に兵に無理を言ってはいけませんよ? 公孫賛殿は劉備殿の主でも臣下でもないのですから、その動向を気にしすぎるのはよくありません」
「……わ、わかっているさ」

 毅然とした態度を取り戻す公孫賛。

 しかし賓客にすぎない魯粛に、ここまで言われて納得してしまう総大将ってどうだろう?

(本当に根っからの『いい人』なんだなぁ……)

 やはり、彼女は出来ることなら生かしてあげたい。

 しかし自身の安全と引き換えにする程ではないので、あくまで生き延びた時に劉備の所ではなく自分の所に来るように示唆するくらいである。今から滅亡することを予期されても反応しようがないから、もし困ったことが起きたら徐州の臨淮郡東城県にある魯家を訪ねてくれ、と。

 歴史の表舞台から去ることに変わりはないのだから、修正力云々は気にしなくていいだろう。だが本当にそんな事態に陥った場合、魯粛としても身の振り方を考えなければならない。

 ――最終的に『孫呉』につくか『曹魏』につくか、を。ちなみに『蜀』という選択はない、国の方針と地形的な意味で。

 どちらにしても面倒臭いのだが、歴史的に北方を制圧した曹操と江東の孫策とでは国力の差がある。史実通りに『孫呉』に仕えて『蜀』と結んだとしても、早期に曹操を打倒出来る気がしない。そしてその場合、史実通りぽっくり疫病で死にそうだから困る……華佗がいるからと楽観視は出来ない。

 逆に曹操に仕えてちゃっちゃと大陸を統一し、史実の程昱のように引退するという手もある。

 自分を含め太史慈達という呉の重臣達が魏に流れれば、『小覇王』孫策が健在だとしてもパワーバランスは大きく傾く。呉と蜀の早期同盟を成しえた魯粛もいないのだから、当然のごとく『赤壁の戦い』も起こらない。そうなれば北方を制した曹操に、呉が単独では勝つことはないだろう。そういう意味では曹操につく方が、迅速に大陸をまとめ平穏に暮らすには適しているかもしれない。まあ曹操と性格的に反りが合うか、という不安もあるが。

 ただこれからの歴史がどう動くかは、流石に魯粛にもわからない。何せ自分を含め史実の武将が女ばかりだったり、呉の重臣を引き抜きまくったりと色々と変わっているからである。……不確定要素が多すぎるのだ。

 その為にも歴史の流れをただ遠巻きに眺めるのではなく、それなりの危険を覚悟して渦中において見届ける必要があると判断した。この反董卓連合はその前哨戦、歴史的に演義寄りなのか正史寄りなのかもそのうち見極めていかなければいけない。

 魯粛としてもそこは適当に済ますわけにはいかない問題なのだ……この時代における死亡フラグ回避の為にも。

 たとえ不思議ワールドだったとしても、人が多く死んでいく時代には変わりないのだから。




[8531] 【ネタ】三国志外史に降り立った狂児 第四話「ほのぼの茶話会」
Name: ユ◆21d0c97d ID:b74c9be7
Date: 2009/05/25 20:49


 連合の先鋒劉備軍と汜水関の守将華雄軍が対峙しようとする頃。

 反董卓連合軍の最後方、その一つの天幕の中に良い香りが漂っていた。

「……美味いな、コレ」
「あ、お姉様もそう思う? やっぱり美味しいよね~♪」

 茶色の長髪を後ろで結び、白と緑を合わせた衣装を着る少女。

 その名は馬超、字を孟起。

 西涼の錦馬超と言われる程の有名人……後の蜀五虎将軍に名を連ねるだけあって、その『武』は素人目に見てもすごいとわかる。しかし、魯粛の傍にいた太史慈を見ての「勝負しようぜ!」の一言に唖然……どう見ても脳筋っぽいです、本当にありがとうございました。

 仮にも馬騰の名代としてやってきた大将が、いかにも脳筋っぽいというのはどうだろう?

 彼女の傍にいた利発そうな少女を見なければ、思わず「西涼に帰れ、馬鹿超」と突っ込んでいただろう。目的の役に立たない蛮勇ほど始末に負えないものはない。まあ口にしたら身体を両断される自信があるので、絶対に口にはしないが。

(その蛮勇が後の馬家の悲劇に繋がるのかも……)

 視線をちらりと馬超の傍の少女に移す。

 その少女は馬超をそのままサイズダウンしたような姿で、衣装は白と橙が基本となっている。

 彼女の名は馬岱、字は不明。※不明という字ではなく、記載不詳ということ。

 その武将列伝を語るのであれば、ぶっちゃけ「ここにいるぞ!」の一言で事足りる。そういう意味では演義での印象が強すぎる人物。正史の方でそのようなやりとりがあったかはわからないが、結果として魏延を討ち取ったことには変わらない。派手さには欠けるが地味な仕事を何でもこなす万能型、あの諸葛亮から多大な信頼を得ていた程の人物である。

 従姉である馬超の猪突さを、小悪魔的にからかいながらもいなしている手腕は流石だろう。西涼軍を代表する軍師とまではいかないが、部隊運用を任せるには十分と言える。あとはそこに馬超の驚異的な突撃力を加えればいい。

 まあ、商人にすぎない魯粛が語ることではないが。

「いやいや、少しは遠慮しろよ二人共。美味いのは同感だけど……」
「構いませんよ、公孫賛殿。こういう嗜好品は人に振舞ってこそ意味がある……ただ飾っておいても勿体無いでしょう?」

 彼女達が飲んでいるのは、徐州から魯粛が持ってきたお茶だ。

 どうせ攻城戦で出番がないのは同じだろうから、共に騎馬を駆る軍として交流……というか連携しておいてはどうだろうか?と進言してみたのである。実際に相当暇だったので公孫賛はすぐに西涼軍へ使いを出し、向こうも特に迷うことなくそれを受けた。

 同じく暇を持て余している魯粛としても、その交流の場を設けることに異存はない。

「こういう嗜好品はこちらでは貴重だからなー。魯粛っていったっけ? この機会に徐州から西涼までの交易とか……って距離的に無理か?」
「そうですねぇ……今回の戦いが終われば、洛陽を経由しての交易も検討してみますかね?」

 需要があるなら行くぜぇ~超☆行くぜぇ~。

 どうでもいいが、とても戦場の端とは思えない光景である。

「……いいのかなぁ? 安全な後方でこんなに寛いでいて……」
「もう~っ! 伯珪様って生真面目すぎ~。攻城戦だと私達騎馬軍の出番はないんだし、仕方ないじゃないですかぁ~?」

 前線では戦闘が始まっているというのに、こんな所で戦後の商売の話をしている魯粛達を見て、溜め息をついて嘆くのは良識人の公孫賛。とにかく面白ければそれもまた良し、という楽観的方針なのが馬岱。

 好奇心満々の馬超に諦観した現実主義の魯粛、碌にまとまらないまま茶話会は続く。

「ご主人様、おかわりはいかがですか?」
「ああ、子義。ありがとう」

 ほとんど後方の安全地帯だから、今の太史慈は給仕服を着ている。……無論武器は隠し持っているが。

 給仕服……つまりは『メイド服』。いくら不思議ワールドとはいえ、限りなくメイド服に似た物があるとは思わなかった。まああんな下着が存在する世界だし、こういう服がデザインされてもおかしくはないのかもしれない。ちなみに魯家では、女性の使用人達に給仕を頼む時にはそのメイド服を着用させている。……変態って言うな。

 精神的に不安定なものを抱えている魯粛としては、そういう可愛らしい服を着た美少女を眺めることで癒される。

 そう、これは医療的な行為なのだ……きっと。

「……そういえば、公孫賛殿? いくら趙子龍が仕官したとはいえ、劉備軍に連合の先鋒を務める程の部隊運用って出来るものですか?」

 関羽に張飛、趙雲という武人が揃ったとしても、軍規模での戦術となると話は別だ。

 義勇軍から平原の牧になったばかりの劉備では、この連合に動員出来る兵力は高が知れている。実際に袁紹から兵力五千と糧食を分けてもらっているらしいが、それでも要衝汜水関に篭る華雄軍との兵力差にはかなりの開きがある。

 仮に関羽達が一騎当千の働きをしたとしても、その戦力差は簡単には覆らない筈だ。

 それがわからない劉備ではないと思うのだが……。

「――部隊運用? ああ、確か「はわわ」だか「あわわ」だかが口癖の軍師が仲間になったらしく、今までの部隊運用が見直されたとか言ってたな」
「(この時期の劉備に軍師、だと?)……公孫賛殿、その者の名前は聞いてますか?」
「えっと確か、『臥龍』と『鳳雛』とか言われてた諸葛孔明と鳳士元という二人……」

 公孫賛の言葉に、魯粛は持っていた茶碗を手から滑らした。

 地面に落ちて割れる寸前に、太史慈がそれを奇跡的な動きでリカバリーする。実に素晴らしい運動神経だ。

 しかし、今の魯粛の心境はそれどころではない。

「何……だと……?」

 するとあれですか、『三顧の礼』イベントとか無視ですか。

 というかこの時期に臥龍・鳳雛が揃うなんて、魯粛が引き抜いた呉の重臣以上にチートだと思う。しかしなるほど……董卓軍から見たら圧倒的に寡兵の劉備軍が、連合の先鋒を受け入れるのも納得出来る。それだけの人材が揃っているのなら、少しくらい強気に出てもおかしくはない。

 ……魯粛的には大いに納得出来ないが。

「ど、どうした、魯粛? 何か拙いことでもあったか……?」

 魯粛の態度の急変に、公孫賛は慌てて取り成してくる。

 落ち着こう、突然の変貌はいらぬ疑念を生みかねない。クールに……そう、クールになるのだ。

「…………いえ、何でも」

 しかし言葉では平静を装えても、その表情を誤魔化すことは出来なかった。

 何よりも今の情報は看過し難い。

 史実でいうと反董卓連合は中平六年頃で、諸葛亮が劉備に仕えることになった三顧の礼が起きたのが建安五年頃。およそ十年くらいの期間で起こる筈のイベントが、こうして前倒しになっている。それは魯粛が自発的に起こしたことによる改変かもしれないし、そうではないかもしれない。

 適当な一般人への転生ならともかく、魯粛という史実武将への憑依転生が必要以上に自責の念を生む。

 ここまで大きな歴史の変化を目の当たりにする気分は最悪だ。

(願わくば、これ以上先が読めなくなるような変化がありませんように……)

 今の魯粛にはそう祈るくらいのことしか出来ない。

 だが、得てして現実というのは非情なものである。





三国志外史に降り立った狂児 第四話「ほのぼの茶話会」





 ――汜水関が落ちた、との報告に魯粛は驚かなかった。

 孔明らの話を聞いた時の混乱は既にない。というか、それくらいのことでいつまでも動揺していられないのが現実である。それと先程から魯粛だけが飲んでいるこの華佗御用達のお茶……これには精神安定の効果もあり、随分と気分を落ち着かせることが出来たのだ。

「……まあ、そんなものか」

 数で劣る劉備軍ではまともな攻城戦は出来ない。

 故に寡兵という戦力差を利用し、篭城する敵を釣り出す作戦をとった。汜水関の守将である華雄は……おそらく部下は諌めていたのだろうが、結局抑えきれずに華雄は飛び出してしまう。篭城戦で打って出るとか……正直ありえない。

 劉備軍はその突撃を上手く受け流しながら、第二陣に控えていた袁紹軍にそれをなすりつけた。これにより彼我の戦力差が逆転し、周囲の諸侯軍が入り乱れて乱戦となった華雄軍は退くに退けない。そこに華雄軍を受け流した劉備軍に、その後方を遮断されることで士気が激減する。最終的にはその後華雄を関羽が一騎打ちで破ったことで、華雄軍は壊走へと陥った。華雄は何とか逃げ延びたらしいが、激減した士気と兵でそれ以上汜水関を固守出来ないと判断して撤退したそうだ。

 その最後の判断が出来るなら、何故最初に突出するかなーとか突っ込みたい。

 わりと平然とした魯粛に、報告結果の意味を読みきれない馬超が眉を顰める。

「――へぇ~? 顔合わせの時に見た劉備って奴にしては、随分と卑怯な手を使うもんだなー」

 名代として西涼軍を率いる大将が何か言った。

「……馬超殿、それは本気で言っているのでしょうか?」
「ん?」

 可愛らしくも首を傾げるということは、どうやら本気でわかっていないらしい。

 馬超の両翼を見ると、公孫賛は生暖かい目で見つめ、馬岱の方は頭を抱えてしまっている。大将の馬超がこんな有様では、細かな部隊運用や諜報活動は聡明な従妹である彼女が担当していたのだろう。そして、それらの報告も彼女はきちんと行っていた筈。

 だというのに、肝心の大将がそれらの情報を活かさずに戦局も見えていない。

 それは補佐として頭を抱えたくもなるだろう。

「おいおい、錦馬超。仮にも一軍を率いる将が、得た情報で戦局を理解していないようでは拙いぞ?」
「……お姉様ぁ、少しはたんぽぽの苦労も考えてよぅ~」

 馬岱マジ涙目、である。

 流石に全員からそんな目で見られた馬超は少したじろぐ。

「し、仕方ないだろっ! あたしは槍持って戦う方が性に合ってるというか……」
「……言い訳は乙女らしくありませんな」

 そう言うと魯粛は手の平を太史慈に向ける。

 以心伝心、忠実なる魯家の使用人は懐からある物を取り出す。

「…………って、何故に眼鏡?」

 ――はい、公孫賛。見事な突っ込みありがとう。

 答えは簡単――なんとなく『頭が良くなる』気がするから。ちなみに目が悪いわけではないので、所謂伊達眼鏡という奴である。

「さて、馬超殿……脳の容量は十分か?」
「むむむ……この気配、講義の時の母様並だと……っ!?」

 キラリと眼鏡を光らせる魯粛に、既に腰が引けている馬超。

 この場から逃げようにも、従妹である馬岱の本気で泣きそうな瞳を振り払っていくほど彼女は冷酷ではなかった。

 諦めて大人しく席に着く。

「――よろしい。では、まず劉備軍の採った策ですが……」

 ゆっくりと初めから汜水関攻略の流れを講釈していく魯粛。

 いつも魯家でごろごろして商い事のほとんどを使用人任せにしてきた魯粛が、講釈をすると言っても説得力はないだろう。何せ生前の記憶による知識チートによるものなのだから、とてもじゃないが褒められた行為ではない。

 ただそれを無闇矢鱈とひけらかすのであれば、だが。

 今回はあくまで一般的な戦術の講釈にすぎない。

 現状平静さをそれなりに取り戻しているとはいえ、魯粛の心の奥には先の読めない未来への不安がある。孔明らが既に劉備に仕えているというイレギュラーもあるが、今の所は歴史的な大局には変化は見られない。

 だがしかし、それがずっと続く保障もまたないのだ。

 例えばこの世界における、史実より少し求心力のない連合盟主袁紹。このままの団結力で虎牢関に詰め寄っても、先の汜水関敗北から必死となるであろう董卓軍相手では不安が残る。更に向こうには、天下無双の呂布が待ち構えているのだ。

 野戦だろうが篭城戦だろうが、呂布が脅威であることには変わりはない。

 魯粛が今、一番危惧しているのは次の虎牢関の戦いである。

 もし相手が士気高揚の為にも緒戦に呂布無双をかましてきた場合、大本営までぶち抜かれるのではないかということ。あの飛将軍相手では、袁紹自慢の二枚看板である文醜と顔良の二人掛かりでも勝負にならないだろう。そこで袁紹が万が一にも討ち取られるようなことがあれば、反董卓連合軍の負けが確定する。

 こんな地形での敗者側での追撃戦は御免被りたい。

 では、どうすればいいか?

 二枚が駄目なら三枚すればいいじゃない、という理屈で錦馬超にもそこに参戦してもらおうというわけだ。最悪の場合は、魯粛の腹心の一人である太史慈もつけることにしよう。脳筋っぽいというのは別に頭が悪いのではなく、その行動的概念が単純なだけである。しっかりと本人の理解を解してさえいけば、その行動をある程度制御することは出来る筈だ。

 つまりこれは、講釈という名の心理誘導である。汚いなさすが魯粛きたない。

「……と、いうわけです。わかっていただけたでしょうか、馬超殿?」
「わかった……つまりあたしはれんごうのめいしゅであるえんしょうを、とうたくぐんのまのてからしっかりとまもらないといけないわけだなー?」
「流石は名高い錦馬超……一を聞いて十を知る、といったところでしょうか? いやはや、馬騰様は良い後継者に恵まれましたな~」
「はっはっは、そこまでほめられるとてれるじゃないか~♪」

 余裕の笑顔でべた褒めの魯粛とは反対に、笑ってはいるものの馬超の目は若干虚ろだった。

 まあ半刻近くかけて、じっくり理解を解し煮詰めていたからそれも当然か。人のいい公孫賛は最後まで付き合ってくれたが、馬岱の方は睡魔に勝てずにうたた寝をしていたくらいだ。

 もちろん馬超にはうたた寝すら許さなかったが。

「……魯粛、少しやりすぎなのでは?」

 虚ろな笑いを浮かべる馬超を見て、公孫賛が心配そうに訊ねてくる。何度も言うのもなんだけど、本当に彼女は『いい人』だ。

「かもしれません。ですが攻城戦で活躍出来ない以上、何らかしらの功績は立てておくに限ります」
「まあ、それもそうなんだけど……」
「大丈夫、公孫賛殿にも功績を上げてもらう策はありますから」

 基本的に『いい人』な彼女は、他人を押し退けてまで功名に逸ることはない。

 魯粛のような厄介事を受け渡されても、断りきれずに結局甲斐甲斐しく世話をしてくれる程である。厄介になった分の借りは返すというのが筋であろう。

「――虎牢関に篭る敵が採るだろう選択肢は三つ」

 一つ目は当初の戦略通りに可能な限り篭城戦に徹すること。

 おそらくこれが一番堅実な選択だと思う。しかし、最初から守勢にまわることで士気の低下と維持に苦労するというデメリットがある。

 二つ目はそのデメリットを覆す為に、まず緒戦で打って出て呂布無双をかましてくること。

 天下の飛将軍を持っているからこそ採れる選択だが、守備側の利を捨ててまで野戦を仕掛けるメリットを見出せるかはわからない。ただあの張遼がいることから、案外この選択を採ってくる可能性も高いだろう。何せ『天下無双』に『遼来来』……その二つが同時に揃って襲ってくるなど、正直言って遠慮したいところだ。

 そして三つ目とは、先の戦いで敗北した華雄が『汚名』を『挽回』しようと再度の暴走をすること。

 はっきり言って考えられる選択肢ではないのだが、汜水関での行動を見ている限りではありえなくもない。『仏の顔も三度まで』ではないけれど、もう一回くらいの暴走はあると想定してもいいだろう。魯粛がもし華雄の主だったら、一度目の蛮勇で切って捨てるけど。

 単純に武人の誇りだ何だと言って、無謀にも死地に向かうなら一人で行け、と。

 そこに兵士達まで巻き込むなと言いたい。

「私の予測は二つ目かな? 向こうの当初の戦略を考えるなら、士気高揚をしてからの篭城というのは最良だと思う」
「う~ん、たんぽぽは三つ目だなぁ~。あの華雄って人、お姉様以上に猪突猛進なところありそうだし~」

 流石は万能型の将軍の二人である。説明要らず、とはまさにこのこと。

「そこで私が考えた策というのは単純明快、要は一つ目をさせないように二つ目と三つ目を同時に対応すること。どちらにしても緒戦で打って出てくる可能性は高いので、それを利用して包囲殲滅してやろうというわけです」
「具体的には?」
「まずはどちらの場合でも大本営まで董卓軍を抜かせます。馬超殿は突出してくるであろう呂布らに、簡単に盟主の頸を取られないように本営近くで待機。もし呂布が一番前に来るようなら、袁紹配下の文醜・顔良両将軍と協力してこれに当たってもらいます」

 まあ三人でかかれば、少なくとも鎧袖一触ということはないだろう。……一応太史慈という保険もあるし。

「公孫賛殿には同門の誼から劉備を、馬岱殿には袁両家に次ぐ兵力を持つ曹操を動かしていただきたい。曹操も無益な戦いは好まないだろうから、おそらく誘いに乗るでしょう。董卓軍が大本営に向かうと同時に、両翼からその後方へ包囲網を引かせます」

 あとはどれだけ大本営……袁紹軍が董卓軍の猛攻に耐えられるかが鍵である。

 仮にも名門袁家だけあって、袁紹軍はこの連合の中では最大の規模の兵力を持つ。いかに呂布無双があるとはいえ、数万の兵が一瞬で蒸発するということはないだろう。後詰めの袁術の兵力を考えれば、大本営はそれなりに安心かもしれない。いざとなれば孫策も動くだろうし。

「それと劉備達には武勇に自信のある者で、とにかく呂布を含む敵将軍を押えさせるように言います。向こうは騎馬による機動力と突撃力を活かした軍ですから、それを統率する将を押さえ、乱戦に持ち込んで軍としての勢いを止めてしまえば脆いものでしょう」
「なるほど……あとは包囲網によってじわりじわりと兵力差で押し潰して終わり、と。……確かに単純ではあるな」

 公孫賛はこちらを感心したような目で見ている。

 馬超はまだ立ち直っていないが、説明なら後で馬岱に任せればいい。

 もちろん色々と穴が多い策ではあるが、董卓軍側の最良の最大で最後である攻撃機会をあえて潰すことが出来れば、それで『詰み』である。ただここで相手の戦力を潰しすぎると、状況に焦った董卓が史実のように洛陽を焼き払って長安に逃げるかもしれない。

 歴史的にはその方が自然なのだが、魯粛には一つの気がかりがあった。

 それはこの世界での董卓の暴政という事実に、史実と違ってかなり疑わしい所があるということ。

 そういう意味では将来の保身の為のネタを考えて、その真実を調べておくというのは悪い手ではないと思う。魯粛一人ならそんなこと考えもしないのだが、生憎と自分に付き合ってくれる人材がいる。個人的に懇意にしてみたい人物も洛陽にいることだし、打てる手を打っておくに越したことはない。

「……でもまあ、この策はあまり現実的ではなかったかもしれませんね」
「――は?」

 所詮これは一商人の戯言である。

 公孫賛や馬超、ましてや連合盟主である袁紹に仕える軍師でも参謀でもない。こんな連合軍の進退に関わるような策を立てるなど、賓客とはいえ越権行為にも甚だしいことだろう。流石に単純な袁紹でも見過ごせない筈。

「私は商人ですからねぇ、軍事行動に関わるような発言権は元々ありませんし……」
「……じゃあ私が代わりにその策を袁紹に進言しよう」

 肩を竦める魯粛に、公孫賛は真剣な目を向けてくる。

 それは別に功名に逸っているわけではない。あくまで一軍を率いる将として、現実的に状況を判断したのだろう。

「うぇ!?」
「功績でいうなら敵主力を正面で迎え撃つ袁紹が一番だろうし、諸侯の策を採り入れるという度量の広さも示せる。大軍である連合としては避けたい長期戦を防ぐ為にも、早期に目的を達成することに諸侯も異議はないだろうさ」

 ちょっと言ってみただけの策だったのだが、本気の公孫賛の態度に戸惑ってしまう。

 慌てて取り繕うとしたが、そこへ小悪魔的スマイルを浮かべた馬岱までもが乗ってくる。

「いいんじゃない~? たんぽぽ達もあまり長く本国から離れているわけにもいかないし、むしろ短期決戦は望むところだよ~。それに策としてもわかりやすいし、効果的でもある……あのおばさんだってただの馬鹿じゃないんだし、多分協力出来ると思うけどな~」

 相変わらず彼女の袁紹に対する毒は酷い。まあ本人の前で言うことはないだろうから、別に構わないとは思うけど……推奨はしないが。

 ――それよりも、だ。

 こんな魯粛の策に対して、思った以上に好意的な反応にどう返せばいいのかわからない。

「で、でもお二方? これは所謂机上の空論というもので、確実性はあまり……」
「少なくとも『華麗に前進』とか言う袁紹よりはマシさ。策の内容自体あまり複雑でない、というのも諸侯を動かす利点となる。下手に複雑な策では、連合同士での連携なんてとれないだろうしな」

 どうも公孫賛には過大に評価されてしまったようだ。

「……でも、ちょっと不思議かも~? 魯粛さんって本当に只の商人なの? それだけの策を考えられるなら、何処かの国に仕えていてもおかしくないのに……」

 そして馬岱は当然の疑問を口にしてくる。

 おそらく魯粛の能力だけを知る者は、皆が皆そう思うことだろう。魯家が引き込んだ人材のこともそうだが、才能の無駄遣いにも程があるからだ。繋がりを持った名士達も、商家の一当主の粋を越えない魯粛のことを勿体無いと評している。

 しかし、彼らのそれは非難とは同意ではない。彼らはあくまで君主に対して、対等に近い協力者であろうとするから……己の力を必要以上に誇示しようとしない魯粛という人物は、名士としては付き合いやすい君主像でもあるのだ。かといってそれを世間に絶賛して、わざわざ敵を作るような愚かな真似はしない。

 魯粛は商家を越えない立場を理解した上で、世の名士達に敬意を持って接した。その謙虚な態度に「酔狂な人」と不思議には思っても、あえて名声を地に堕とさせる者はいなかったのである。

 徐州周辺の名士の間では、荊州の有名な水鏡塾という私塾を開いている司馬徽という……『水鏡』という号で呼ばれている人物に因んで、魯粛のことを『酔狂』とか呼んでいる。全く以てどちらにも失礼な名付け方だとは思うが、おかげで司馬徽と縁が繋がったのは不幸中の幸いかもしれない。

 それ以外の奇行では『魯家の狂児』という渾名が拡がっている。主に変態的な意味で。

「特に深い意味はありませんよ。……私はただ徐州のあの家で、普通に大往生することが『夢』なのです」

 この時代において、それは中々に難しい。

 乱世を迎えようとする時期に、自分だけ関係ないとただ主張することは簡単である。だが次の瞬間に、その胸に剣を突きつけられていてもおかしくはないが。ただの言葉だけでは身を守ることも出来ない、だからこそ魯家に多くの人材を引き抜いたのだ。

 せめてこの身を守るだけの力があれば、その選択肢は採らなかっただろう。

 しかし、生憎とこの身体は欠陥品である。

 肉体と精神の剥離による情緒不安定、この世界ではあまり珍しくない女性による武力チート補正もない。生前の知識チート面で活躍しようにも、時代的概念の違うその考えは異端として受け入れられない可能性がある。精神的に余裕があれば、上手く立ち回ることも出来たのだろうが……。

 それらは結局のところ、無力な魯粛の自己中心的考え方の弊害にすぎない。

 つい未来の重臣達を引き抜きまくってしまった『孫呉』の方々には申し訳ないが、これも『天運』とでも諦めてもらおう。

 華佗による医療チートを斡旋することで勘弁してほしい。

 いくら憑依転生した身だろうと、理不尽に『死ぬ』というのは怖いものだ。

 ――たとえ現実に自分が『一回』は死んでいる、としても。




[8531] 【ネタ】三国志外史に降り立った狂児 第五話「天下無双」
Name: ユ◆21d0c97d ID:b74c9be7
Date: 2009/05/30 13:55


 ――連合軍と対峙する虎牢関。

 汜水関から退却してきた華雄の報告より遥かに多いその兵力に、軍師である陳宮と対策を練ろうとした時のことである。

「――はぁ!? 華雄が出撃した!?」

 華雄が汜水関の二の舞と言わんばかりに、再度暴走して出陣してしまったという。

 正直に言ってしまえば、それを助ける義理も義務も霞にはない。しかし長期的に篭城して敵を防がないといけない以上、兵の士気の維持の為にも友軍を見捨てることも出来なかった。そんな華雄を連れ戻そうと、恋と一緒にやむなく虎牢関を出陣する霞。

 先行する華雄を見た霞は、そこに妙な違和感を覚えた。

 華雄の突撃を受けた連合軍の前衛が、あっさりとその陣形を崩していったのだ。じわりじわりと後退しつつ、中央を突破されたような形で左右真っ二つに。霞も最初はそれを連合の連携の脆さが出たのかと思っていたのだが、こうも綺麗に分断されるという布陣はあまりに不自然すぎた。

「あの馬鹿の中央突破を受け、敵は二つに分断されている…………それなのにこの不快感は何や?」

 表面的には勝っている筈なのに、むしろそれが余計に霞の不安を煽る。

 同じような違和感を持っているのか、隣を走る恋の表情も険しい。しかし具体的にそれが何なのかまでは、二人共にまだわからない。

(……恋の勘は鋭いからなぁ。とにかく華雄を止めんことにはどうにもならん、か……)

 速度を上げ先行する華雄に追いつこうとした時、その不安は現実のものとなった。

 華雄と合流しようと霞達の軍が連合の陣に食い込んだ時、分断されていた敵が急速に前進を始めたのだ。左右に分かれた兵が、突撃した霞達の両側から虎牢関の間を遮断していく。更には敵本陣の両翼がそれを追従し、霞達を完全に包囲しようとする。

「――ちっ! ようやってくれるわ!」

 それを馬上で見過ごしながら霞は毒づく。先行する華雄だけでなく、後に出た自分達までを包囲しようとは思いもしなかった。虎牢関に置いてきた陳宮がいれば、最初の敵の動きで策を読めたかもしれない。

 しかし、こうも包囲されていく様をただ見過ごすのは甚だ不本意である。……生憎とそれを防ぐ手段が霞達にはなかったが。

 今から逆進する敵を討とうにも、突撃中の騎兵の機動力による勢いでは地形的に左右の崖にぶつかってしまうのだ。逆に歩兵では、全速で移動する敵に追いつくにはあまりに遅すぎる。かといって全軍の前進を今更止めてしまっては、騎兵が主力である董卓軍の攻撃力をただ無意味に激減させるだけでしかない。それこそこちらを消耗させたい敵の思う壺だろう。

 ならばいっそのこと、この勢いのままに敵の大本営に突撃する手もある。

(しかし突撃するにしても、これだけの布石を打ってきた相手や。おそらくその大本営も、ガッチガチに固めてるんやろうな……)

 猪突猛進したとはいえ華雄の突撃をここまで耐えているところを見ると、おそらく袁紹本陣の兵を相当増やしているのだろう。それだけの布陣であれば、騎兵の勢いを以てしても突破は容易いことではない。

 最終的には全体の足を止められ、打たれ弱い騎兵ではそのまま包囲殲滅の憂き目をみるだけである。

「……やれやれ。どこか連合なんぞ名ばかりの烏合の衆、とでも侮っていたのかもしれんなぁ……」

 霞は飛龍偃月刀を振るいながら溜め息をつく。

 だからといって簡単に敗北を認めることは出来ない……一軍を率いる将としても、洛陽で待つ無実の罪を着せられた少女の為にも。

 ならば董卓軍の将軍張文遠として、打てる手は出来るだけ打っておくに限る。

「しゃーないな、まずは華雄と合流してから考えるか……」

 とにかく先行する華雄と合流して、兵をまとめることが先決だ。

 敵も賢いだろうから、完全に包囲を布いてこちらを死兵と化すことはないだろう。適当に逃げ道を作り、そこへ誘い込みつつ消耗を謀ってくる筈。虎牢関に逃げるにしても、ここから反転して敵に背中を晒す危険はあるが、少なくとも敵本陣に突撃して玉砕するよりは被害は少ない。虎牢関にさえ近づけば、陳宮と呼応して当たることも出来るだろう。

 後方の包囲を破ろうと部隊を編成しようとした霞の側に、真剣な顔の恋が寄ってくる。

「……霞」
「お~丁度ええわ、恋。ウチが今華雄の奴を引っ張ってくるから、後方を突破する用意をして……」

 しかし、恋は首を横に振った。

「……恋? どないしたん?」
「…………総大将、討ってくる」

 方天画戟を掲げ、視線を敵正面へと向けている恋。

 その姿を見た霞の全身が粟立った。

 正面に展開する数万の兵を見ても、最強の『武』である彼女はまるで動じていない。

 しかも敵の総大将との相打ちではなく、討って『くる』……つまりは戻ってくると言っているのだ。流石の霞もあれだけの大軍に突っ込み、総大将を討ったその上で戻ってくるなど考えられない。間諜の情報では、連合には相当の豪傑が揃っているとも聞いている。

 『天下無双』と謳われた呂奉先でなければ、何の冗談だと笑っていただろう。

「――やれるか?」
「……恋、強い。大丈夫」
「そっか。でも時間はあまりかけられんから……せやな、総大将の所までの一往復だけやで?」

 恋がいくら強いとはいえ、無尽蔵の体力があるわけではない。

 包囲網を突破して虎牢関に引き返すことも考えると、兵の数はそれなりに必要だ。敵本陣に向かう恋が総大将を討つまでの間、この包囲された状況で軍を維持しなくてはいけない。そんな繊細な指揮をあの華雄には任せられないし、自分はここで踏ん張る必要がある。

 味方の援護はなく、恋の完全なる単騎駆けということだ。

「ええな、恋。総大将を討てても討てなくとも、その一往復で引き返すこと。……あと出来れば敵の牙門旗も奪ってきーや」

 総大将の側には、軍の象徴たる牙門旗がある筈だ。

 その牙門旗を首尾よく奪えれば連合全体の士気を下げることが出来るし、包囲を突破する際に敵の動揺も誘える。

「……わかった」

 あっさりと頷く恋を見る霞の心境は複雑だ。

 自分で言うのもなんだが、それらの要求は無茶な振りにも程がある。無謀な出陣をした華雄を救う為、敵の策に引っ掛かって包囲された自分達の兵を救う為、恋一人にこれだけ負担をかけるなんてありえない。

 どれだけ自分達に甲斐性がないかを自覚させられる。

 ――しかし、今はそれに頼るしかないのだ。

「――全軍方円陣! 敵の攻勢に耐えつつ、『天下無双』の勇姿をその目に刻めぇ!」

 馬上にて飛龍偃月刀を掲げ、霞は兵を鼓舞する。

 騎兵主体の董卓軍では、方円陣を組んだとしても歩兵よりは防御力に欠けるだろう。しかし周りを包囲されて騎兵の機動力を削がれている以上、軍の統制出来なければただ殲滅されるだけである。この場合、少しでも陣形を整えた方がマシなのだ。

 そして霞の鼓舞の声が上がると同時に、恋が単騎で敵本陣に突撃していく。

 彼女の目に迷いはない。ならば霞に出来ることは自分の持つ最大限の用兵の限りを尽くして、あの優しい恋が望むように一人でも多く兵を救うだけだ。突出していた華雄もようやく包囲されたことを理解したのか、兵の密集化を計っている。

(遅いっちゅーねん、あの馬鹿華雄! 恋にこれだけ負担かけさせてからに……生きて戻れたら一発どついたる!)

 心の中で華雄に毒づきながら、霞は最強の『武』の行方を見守る。

 単騎で自軍を飛び出した恋が、堅固な敵本陣に接敵した瞬間――冗談のように先陣の敵兵が爆ぜた。その光景に、思わず敵味方全ての時が止まる。

「…………討つ」

 今ここに、天下無双の飛将軍――呂奉先という最強の矢が放たれた。





三国志外史に降り立った狂児 第五話「天下無双」





 ――それはあまりに『ありえない』地獄絵図。

 その光景は人の常識の範疇を遥かに超えていた。

 当初の作戦通りに敵を包囲し、騎兵の機動力も封じたのだ。あとはただ只管敵兵を殲滅するだけだ、と兵の誰もが勝ち戦を信じていた。敵陣から単騎で突出してきたそれを見て、自棄になった愚か者だと兵達は嘲笑う。

「――は?」

 だが次の瞬間、その兵達は身体を両断されて宙を舞っていた。

 接敵した鉄の鎧を纏った兵達を、まるで布の様に容易く切り裂いて進んでいく。単騎で駆ける『方天画戟』を持ったその者の正体を、ようやく連合軍の兵は理解する。……董卓軍では誰もが知っている天下無双の飛将軍。

 その進行方向に立っていた一人の兵が、その恐怖の象徴である名前を叫んだ。

「りょ、呂布だぁーっ!?」

 恋のその一振りで、あまりにも圧倒的に兵の命が刈り取られていく。

 自分の身に迫る戟を防ごうと、持っている武器を盾にしてもそれごと両断されてしまう。そんな光景を目の当たりにした連合の兵は、当然のように恐慌状態へと陥る。そしてその混乱に乗じて、恋は更に敵本陣の奥深くへと突き進む。

 『袁』の牙門旗をようやく目視に捉えた時、既に数百近くの兵が恋というただ一人に蹂躙されていた。

「…………見つけた」

 その近くに豪華な金の鎧を纏った偉そうな人物が立っている。

 おそらく彼女がこの連合の総大将である袁本初。

 馬首をそちらに向けると、その行く手を遮るように三人が現れる。総大将と似た金色の鎧をつけた大剣を持つ少女と大槌を持つ少女、そして白銀の槍を持つ少女の三人。それまで薙ぎ払ってきた一般兵とは違う『武』の気配に、恋は少し気を引き締めた。

「お前が呂布……」
「……時間がない」

 一人が前に出て名を尋ねようとしたが、そんなことに付き合う義理はない。

 何処かの誰かと違って、恋には武人の誇りなどというものに拘る気はないからだ。これは所詮戦争、故に容赦なく先制攻撃を仕掛ける。

「――ちょ、おまっ!?」

 何とかそれを大剣をしっかりと『両手』で持って防ぐ少女だが、しかしその恋の一撃は『片手』での攻撃。そこで姿勢を崩した少女に、もう片方の手でその鎧に覆われていない腹部を強打する一撃は防ぎようがなかった。

「……まず、一人」

 胃液を吐きながら馬上から叩き落される少女。

 地面で悶絶する少女には既に目もくれず、恋はただ前進を続ける。――牙門旗まで、あと二百。

「文ちゃん!?」

 最初に倒した少女を心配して飛び出した少女を、次の標的として恋は戟で斬りつけた。

 かなり動揺はしていたが、同じく武人である彼女は大槌でそれを受け止める。扱う武器の大きさからか、さっきの少女よりは多少膂力が強く、その一撃だけでは彼女の姿勢は崩れなかった。

 しかし、一撃の重さだけが恋の……『天下無双』の強さではない。

「…………遅い」

 正面からの斬撃だけでは崩れないとみるや、瞬時に左右からの揺さぶりをかける。

 その目にも留まらぬ斬り返しに、徐々に防御一辺倒な少女は押されていく。完全に守勢にまわったと判断すると、恋は隙を見て少女の乗る馬の首を一撃で落とす。少女はその武器の大きさが仇となり、馬の首を落とす一撃に反応しきれない。

「――きゃあっ!?」

 首を失い、動きが不安定な馬から少女は飛び降りようとする。

 だがその瞬間を逃さずに繰り出された突きの一撃……武器の大きさを盾に何とか少女はそれを防ぐが、その勢いを完全に殺すことは出来ずに後方へと吹き飛ばされた。勢いよく地面に叩きつけられた為、少女は上手く受身を取ることが出来ない。

 当たり所が悪かったのか、少女は動かなくなる。……おそらく気絶でもしたのだろう。

「……二人」

 恋と総大将までの間にいる護衛は残り一人。――あと百。

「ば、馬鹿か、あの二人は! 三人で『同時』に当たれって言われてたのに……」

 最後の一人が何やら吼えているが、そういう彼女も『同時攻撃』をしていないのだが……まあ、恋には関係ないことだ。

 正面から突撃する恋を迎撃しようと、最後の少女が槍を繰り出してくる。その攻撃速度は、恋にも勝るとも劣らない速さがあった。だがしかし、恋と比べてしまうとその少女の攻撃には圧倒的に足りないものがある。

「…………速い、けど軽い」
「何、だとっ!?」

 自分の攻撃を軽んじられ、激昂する少女は更に苛烈に攻めてくる。

 しかし微塵とも慌てることなく、恋はその攻撃を受け流す。そして少女の突きの一つに合わせて、恋も戟による突きを繰り出した。そう、限りなく精確に『点』と『点』を合わせるように。

「――え?」

 武器の先端が衝突した瞬間、槍を持ったまま少女は後ろに吹き飛んだ。……その両肩から嫌な音を響かせながら。

 そのまま地面に叩きつけられた少女は、自分に何が起きたのかが理解出来ていない。

(……何が、起きた……んだ?)

 少女は両肩を襲うあまりの痛みに思考が乱されていた。

 それはただ二人の純粋な力比べで競り負けたその負荷が、槍を持っていた腕の先の肩に逆流しただけである。もし、その本能を以て身体を後ろに流していなければ、槍を持った腕ごと引き千切られていたかもしれない。それほどまでに恋の膂力との差があったこと、それに少女の膂力も高かったことが仇となったのだ。

 衝突のその瞬間に武器を放せば負荷はかからなかったが、その場合はあの呂布の前に無防備を晒してしまう。それならば肩への負荷を覚悟して、その攻撃範囲から逃れる方がまだマシだっただろう。

 ただ、今回のそれは少女が意識してとった行動ではなかったが。――袁紹の頸まで、あと三十。

「……これで、三人」

 三国志における豪傑……文醜、顔良、馬超の三人を相手にこの結果。

 直に見ていた袁紹には、さぞ悪夢のような光景だろう。軍同士の戦いではこちらが向こうを包囲して圧倒しているのに、今ここで連合盟主である自分の命運が尽きようとしているのだから。

「……お前で、最後」
「――ひぃ!?」

 凄まじい殺気を放つ恋に睨まれた袁紹は、蛇に睨まれた蛙の如くに硬直する。

 そして恋と対峙してのその隙は、あまりにも致命的すぎた。

 そこまでの距離をあっという間に詰め、連合の命運共々をこの一撃で打ち砕こうと方天画戟が振り下ろされる。袁紹本人は身を守る為の剣すら抜いていない状態。その光景を見た誰もが、次の瞬間には血塗れの袁紹の姿を想像したことだろう。

「…………!」

 しかしその一撃は、三本の剣によって防がれていた。






 馬上からの呂布の一撃を、徒歩の二人の少女が懸命に防いでいる。

「……危ない所だったわね~?」
「やれやれ、飛将軍を相手に一人ずつ挑むとはなんて無謀な……」

 一つは褐色の美女が持つ『南海覇王』という剣。

 それを扱う美女の口調は軽いものの、持っている武器にかかっている負荷から額に汗を浮かべている。少しでも力を緩めれば、すぐさま一刀両断されてしまうかのようなその圧迫感を押さえているのだから、それも当然だろうか。

 残りの二つの剣は、珍しい給仕服を着た少女……太史慈が両手に持っているもの。

 二本の剣を交差させ、そこにもう一人の剣を合わせての三本の剣が、連合盟主の命運を刈り取ろうとしていた呂布の凶刃を防いでいた。ただその太史慈の表情も見る限り、相当にギリギリであったことがわかるだろう。

 ちなみにその守るべき連合盟主は、その一撃を防ぐ際に太史慈に腹部を蹴られ、少なくとも今は呂布の攻撃範囲を逃れている。まあ、その衝撃で気絶していたが。

「…………残念」

 必勝の機を逃したと悟った呂布は、早々に武器を収めて馬首を翻す。

「あら? 盟主の頸を討っていかないのかしら?」

 呂布の尋常ならざる膂力から解放されたばかりだというのに、褐色の美女はあちらを挑発している。

 しかし、二人掛かりで受けたというのに武器を持った腕が痺れている太史慈としては、ここで今すぐの再戦は遠慮したい。おそらく隣の彼女の腕も相応に痺れている筈なのに、わざわざ挑発をかますその不敵さには呆れてしまう。

「……時間切れ。それに、もう一つは遂行したから」

 そう言った呂布を見た太史慈の顔に、初めて驚愕の表情が浮かぶ。

 正確には呂布の武器を持っている手とは反対の手……そこに握られている物を見ての驚愕である。

「――っ! それは『袁』の牙門旗!?」

 いつのまに、と言葉を発する前に呂布は後退していく。

 盟主を討ち損ねたと判断すると同時に、すぐ側にあった牙門旗を奪っていく……その引き際の良さには感嘆するしかない。

 無防備に背中を晒している呂布を見て、隣の彼女は太史慈に声をかける。

「……あなたはどうする? アレ、追撃した方がいいと思うんだけど……」
「やめた方がいいですよ? 多分追撃しようとした瞬間に馬首を返されて、今度こそ確実に盟主の頸を討たれそうな気がします。……というか、もう一回『アレ』と打ち合うなんて私は御免被りたいですね」

 一対一でアレに勝つことは出来ない。

 それは呂布が後退していく道に倒れている三人の将軍の姿を見ればわかる。

 先程の一撃も、二人掛かりで完全に防御にまわったからこそ防げたのだ。ご主人様の忠告にあったように、攻撃を受けようとした二人が少しでも反撃しようとしていたら、そのまま盟主ごと太史慈達も両断されていただろう。

 全く、噂以上にふざけた存在だと言ってやりたい。

「――ところで、あなたの名は?」
「人に名を尋ねる時はまず自分から、では?……まあいいです、名は太史慈、字を子義と言います」

 予想外の呂布の突撃に着替える暇もなく急行してきた為に、太史慈は給仕服のままだった。

 そのスカートの裾を両手で摘み、軽く頭を下げる。大陸の礼節とは違うらしいのだが、魯家ではこのような作法が教えられていた。最初こそ中々慣れなかったものだが、今では普通にこなせるようになっている。

「それは失礼したわね。私の名は孫策、字を伯符……」
「――ああ、袁術のところで客将をやっている方でしたか……一介の民間人が大変失礼を致しました」
「へ? 民間人って、その……本当に?」
「私は公孫賛様の所に賓客として招かれている方の一使用人にすぎません」

 給仕服を着て真面目に返す太史慈。

 それを見る孫策の顔は、驚きや呆れに満ちていた。

「一使用人って……私と一緒とはいえ、あの呂布の一撃を受けられる者が? 何の冗談よ、それ……」

 まあ普通に考えればありえないことだろう。

 だがそんな普通という常識に囚われないのが、太史慈が仕える魯家の方針である。

「あまり気にしないで下さい。それよりも呂布のことですが……」
「ええ……第一段階は失敗だったけど、第二段階の役者は揃ったみたいね」

 後退していく呂布の前に、数人の将が立ち塞がっていた。

 身の丈八丈にもなる蛇矛を振りかざす張翼徳、青龍偃月刀を掲げる美髪公こと関雲長、白銀の槍を構える常山の趙子龍、大刀を肩に担ぐ夏候元譲に弓を構える夏候妙才。『蜀』と『曹魏』の誇る勇将が、一同にして揃うその様は圧巻である。

 流石の『天下無双』でも、これだけの豪傑を五対一で相手にするのは無理だろう。

 しかし太史慈の予想は、こちらの想像を上回る形で覆されることとなる。





 ――呂布、最強の『武』。


 後退しようとした呂布の前に対峙するのは、歴史に名高い勇将五人。

「呂布ーっ! 勝負なのだぁーっ!」

 声を上げた張飛を切欠に、その『武』の激突が始まる。


 ――動中静あり。


 すれ違い様に、先行した張飛の一撃を方天画戟で弾く。

 その小さな身体では、呂布に返された力の勢いは殺しきれずに後方へと流れた。自分の攻撃を簡単に弾かれたことに驚愕しているのか、着地に成功した張飛は呆然としている。

「鈴々!?」

 義妹の強さを知っているからこそ、その一撃を弾かれた姿を見て動揺する関羽。


 ――いっさいの気勢を外に漏らさず。


 されど、武人としての本能から関羽の動きは止まらない。張飛の後を追うように攻撃をかけるその線は、迷うことなく人体の急所を追っている。もちろん並の武将では受け止められないような重さと速さを兼ねた一撃。

 しかし、あまりに綺麗に急所を狙った所為か、その軌道は呂布に読まれていた。


 ――動作は最小にして神速!


「…………無駄」

 当然のようにその攻撃も受け流すと、そこに関羽とは反対側から趙雲が神速の突きを繰り出してくる。

 本当なら関羽と同時に仕掛けた攻撃だったのだが、張飛が弾かれた姿を見た関羽の踏み込みが少し早まってしまったのだ。あの呂布を相手に間隔を空けてはならないと判断した趙雲は、せめて間断ない一撃を加えようとする。

 関羽の攻撃を受け流した方と反対の手には奪われた牙門旗しかない……つまり武器や盾を持っていないということ。いかに神速の技を持つ呂布でも、この間断ない一撃に利き腕の武器で斬り返すことは不可能。

 だが呂布は上半身を捻ることで、その必殺の槍の穂先を避ける。

 そして趙雲が持っている槍の柄を狙い、その膂力を以て牙門旗を叩きつけた。あの呂布を相手にしているのだから、ただの牙門旗といえど武器と認識しなかったのは失策である。横からの強烈な一撃に、流石の趙雲も体勢を崩してしまう。

「な、なんとぉーっ!?」

 呂布の所業に驚く趙雲だったが、そのまま体勢を立て直さずに馬から転げ落ちる。

「…………惜しい」

 その騎手のいなくなった馬上を、呂布の利き腕による斬り返しが空振っていた。もし趙雲が体勢を崩した状態で馬に乗っていたら、今の一撃は防ぎようがなかっただろう。……自分の直感に素直に従って回避して、助かったと喜ぶべきか。

 土埃に塗れた趙雲は、後ろを振り向きながら苦笑を浮かべるしかない。


 ――技は緊密にして、とぎれることなくあくまで合理!


 既に三人の猛将を御した呂布は、眼前に迫る夏侯淵の矢すら容易く弾く。

 ただ夏侯淵の攻撃は一矢で終わることはなく、間断なく呂布を射止めようと襲っている。槍の一撃よりは軽いが、呂布とてその身体を全て鉄で覆っているわけではない。仕方なくその矢の対処に専念していると、正面から一人が飛び掛ってきた。

「姉者、今だっ!」
「――その頸もらった! 呂奉先!」

 しかし、そんな夏侯惇の乾坤一擲の一撃も、呂布の武器を弾くことすら敵わない。


 ――呂布が退路を開くことに徹すれば。


 方天画戟と牙門旗を交差させ、夏侯惇の大刀を後ろへと受け流す。


 ――『天下無双』と謳われたその『武』を遮ることは、万人の刺客であろうと敵うまい!


 受け流した反動で地面を武器で抉りながらも、呂布は敵本陣を後にする。

 自軍に後退した呂布は兵に『袁』の牙門旗を焼かせ、その混乱を突いて包囲されていた張遼らと見事虎牢関への退却を遂げた。もちろん呂布が敵本陣へ一往復している間の、包囲を布かれた軍の被害は甚大である。しかしその呂布の活躍がなければ、包囲を抜ける際にそれ以上の犠牲が出ていたことは確かだろう。

 全体的に見れば連合軍の圧倒的勝利なのだが、局地的に見れば完全敗北とも言える。

 たった一人の存在を、群雄諸侯が誇る豪傑をあれだけ集結しておいて討ち取れなかったのだから。挙句には、その本陣にて牙門旗すら奪われる始末……そう意味では面目丸つぶれとも言える。

 今回の戦いにおいて……呂布が相対した一騎当千の猛者の数は十、屠った兵士の数はおよそ千。

 ――これぞまさしく『万夫不当』。





 ――公孫賛軍後方陣営。

 天幕に戻ってきた太史慈の報告を聞いた魯粛は溜め息をつく。

「……大魚を逃した、か。あれ程一対一で当たるなと言っておいたのにな……」

 この時代における最大の武力チート。

 というかいくら一対一だからといっても、あれだけの歴史的に有名な猛将を踏破するとか……正直ありえん(笑)。

 もはや人の『武』の範疇を超え、あれは野性の『龍』と言っても過言ではないだろう。人の身で如何こうしようなど、そもそもが間違いだったのかもしれない。

 それが誇張や冗談ではないのだから困ったものである。




[8531] 【ネタ】三国志外史に降り立った狂児 第六話「断固たる意志」
Name: ユ◆21d0c97d ID:b74c9be7
Date: 2009/06/04 17:37


 ――公孫賛陣営天幕。

 地形図を広げた机を数人が囲んでいる。

「……しかし、敵の狙いがよくわからないな」

 そう呟いたのは、この天幕の持ち主である公孫賛。

「だよねぇ~? 戦略的に見て、あの要衝虎牢関を放棄するなんてありないもん」

 眉間を顰めて腕を組むのは、馬超の怪我により一時的に西涼軍を率いることになった馬岱である。

 まあ馬超に関しては、あの呂布を相手に一対一で命があるだけまだマシかもしれない。ただ両肩へのダメージから考えて、馬に乗ることも部隊を率いることも従妹の馬岱からドクターストップがかけられている。

「え~っと、施然だっけ? お茶のおかわりもらえるか?」
「はい、馬超様」

 本日の給仕役は太史慈ではなく施然、小柄な彼女が給仕服を着てパタパタ動くのは見ていて和む。まあ口調と表情が硬いが、そこはギャップ萌えということで。

 それにしても施然が相手をしている馬超の両肩には、幾重にも包帯が巻かれていて見るからに痛々しい。

 しかし自軍の天幕で大人しく休んでいればいいものの、あまりの暇さに馬岱についてきたという馬超。馬に乗れないくらいの怪我だというのに、この天幕で寛ぐその姿……どうやら思った以上に頑丈な身体をしているようだ。

 というより、人様の使用人を平然と使わないで欲しいものだが。……厄介になっている立場として口にはしないけれど。

 そんな自由奔放な馬超の存在はスルーすることにする。

「虎牢関を放棄せざるをえない事態……おそらく鎮圧しきれない反乱でも洛陽で起きたのでしょう。何せあちらには内外に敵が多すぎる」

 董卓の内憂というと宦官あたりか……しかし十常侍のような宦官達は、霊帝崩御の後の権力争いに巻き込まれて粗方処分されていた筈。まあ、あのような悪党共を完全に根絶するのは難しいだろうから、上手く潜伏していた連中が騒いでいるのかもしれない。

 実際世論的に董卓に味方する者は限りなく少ないだろうし、檄文にあった文官の大粛清の影響などで都の中には相当の不穏分子を抱えている。そもそも軍部の統制を、ここまで執れたこと自体が不思議と言ってもいいくらいだ。

 その辺を考慮すると、連合軍を相手させることで董卓の周辺の人材を割くのが目的か。手薄になった董卓の頸を取り、洛陽を解放に来た連合への土産として己が命を買う……といったところだろう。本来ならもう少し余裕を持って行動したのだろうが、予想以上に連合軍は早く『勝ち』すぎた。

 まともに汜水関から篭城をしていれば、こんな短期間で虎牢関まで抜かれることは普通ありえない。

(……そうなると、保身の為に行動を急いたか)

 まあ連合軍の都合はもとより、魯粛自身の安全や個人的な体質の都合から考えて気楽な短期決戦は丁度良かった。

「なるほど、つまりは戦略外の事態ということか。それなら私達がどうこう考えても仕方ないし、最終的には麗羽の奴が決めることだからな。しかし今度こそ普通に篭城決戦だろうから、騎兵主体の我が軍は肩身が狭いなぁ~……」

 洛陽での決戦のことを考えて、公孫賛が深い溜め息をつく。

「それを言ったら伯珪様、たんぽぽ達も同じですよ~? しかもこっちの場合、総大将のお姉様が負傷で役に立ちませんし……」
「何だと、たんぽぽっ! あたしだって好きで怪我したんじゃ――っうぼぁ!?」
「……はいはい、お姉様~? 患部を軽く触られて、悶絶するような怪我人は黙っててね~♪」

 皆が真面目に話し合っているというのに、一人だけ寛ぐ従姉の患部をぎゅっと掴み黙らせる馬岱の手腕は見事なものだ。……当事者は堪ったものではないだろうが。

 公孫賛と同様に、騎兵主体の軍を率いることになった馬岱もその意見に同調する。騎兵が攻城戦の役に立たないのはもはやお約束。

 個人的に突っ込むのであれば、少なくとも集結地の指定から汜水関と虎牢関を相手にすることは分かる筈。それを踏まえた上で、いくら自勢力の主力だからといって騎兵を主体にし、攻城戦を想定していない陣容は如何なものだろうか?

 もし連合軍全体が騎兵ばかりだったらどうしたのやら。

「まあ公孫賛殿と馬岱殿が心配することもわかりますが、あまり気にすることはないかと。元々適当な大義名分を掲げただけの戦にすぎませんし、無駄に戦力を消耗することもないですよ。それにちょっぴし頭が可哀想な袁紹でも、攻城戦で騎兵に城壁へ突撃しろというふざけた指示は出さないでしょう」

 そのように軽口を利くものの、魯粛の心の中にはある懸念が尽きなかった。董卓軍にいるという二人の軍師、賈文和と陳公台。歴史的にその人物像を知っている魯粛としては、その策謀を考慮に入れないわけにはいかない。先程公孫賛が言ったように、定石通り篭城してくれるなら構わないのだが。

 しかし、相手はこの時代において生粋の名軍師達。

 こちらの意表を突く形で、洛陽目前での野戦決戦などを挑まれるかもしれない。

(崖に挟まれていない広々とした地形に、董卓自慢の并州騎兵……しかもそれを率いるは天下無双の飛将軍や神速将軍。曹操であればその危険性くらい想定しているだろうが、今の連合の盟主はあの袁紹だからな~……限りなく不安だ)

 何と言っても度重なる連勝、しかもあの二つの要衝相手の快勝である。野戦でなら負けはないと驕っている今の連合軍に、どんな諌言をしても却下されることは明白だ。むしろ勝勢に沸く気分を害したと非難されかねない。

 ただ虎牢関での呂布無双を目の当たりにしている所為か、若干袁紹軍の進行スピードは浮き足立っている……まあ無理もない話だが。

 普通に考えたら確かにこの状況で、敵が篭城以外の手をとる可能性は限りなく低い。

 ――だが『ゼロ』ではないのだ。

 あの賈駆や陳宮を前にして、最悪の事態を想定しないのは愚か者のすることである。……あくまで歴史的な流れを知っている者として、だが。

(――はっ!? 自分でも気づかない内に、何か参謀みたいな真似事してる!?)

 ふと自分の立場を思い出し嘆息する。今の魯粛の立場はただの賓客にすぎないというのに。

 まあこれだけ武官ばかりの集まりでは、魯粛ですら参謀に見えてもおかしくはない。

 ――他の正式な参謀には失礼な話だろうが。





三国志外史に降り立った狂児 第六話「断固たる意志」





 ――洛陽城内大広間。

 そこへ集まっている者の表情は硬い。

「……ごめん、虎牢関を連合の手に落とさせたのはボクの失策だわ」

 眼鏡をかけた少女……賈文和こと詠は頭を下げる。

 虎牢関での初戦を上手く逆手に取られたとはいえ、要衝での篭城戦が出来ない程の大損害を受けてはいなかった。大軍を相手にしてもそれなりに時間を稼げた筈なのだが、霞達は洛陽からの急報により急遽撤退することになる。

 その急報とは洛陽での反乱分子による一斉蜂起。董卓軍の軍部を司る霞達が対連合軍に向かった隙を突き、文官整理の処分を受けた連中が結託して襲い掛かってきたのである。幸いに全ての兵を空にしたわけではないので、主である月を守ることは出来た。

 しかし狡猾な宦官の残党も参加していたことから、残存兵力では完全に鎮圧するには至らない。

「まあ虎牢関の件は間が悪かったのです。……それより、月殿に何事も無くて何よりなのですよ」

 詠の失策を擁護するように、ねねが月を労う。

 自分達の主である月の護衛が最優先だが……都には天子という存在がおり、それを混乱の際に殺されたりして失っては董卓の悪名は増すばかりである。故に朝廷方面にも護衛の兵を割かねばならず、残った兵をさらに分散させる結果となったのだ。

 恋のような猛者が一人でもいれば少しは対応も違ったのだが、生憎と何処かの誰かのように撃剣の使い手でない詠もまた護衛『される』側だった。

 十数万もの兵力で攻めてくる連合軍を相手にする霞達に、せめて迷惑をかけないように必死に取り締まっていたのだが、汜水関が早々に落ちたという知らせで更に活性化してしまう。自身の保身の為に『魔王董卓』の頸を上げることに必死な連中に、遂には対処しきれなくなってしまったのだ。

「……ありがとうございます」
「気にせんでええよ、月。皆、好きでやっとんのやから」

 頭を下げる月に、霞は軽く手を振って笑う。

 やむなく虎牢関から呼び戻した霞達によって、反乱分子は悉く始末された。だがその結果、連合軍にあっさりと虎牢関を明け渡すことになる。

 まもなく大軍がここ洛陽に押し掛けてくるだろう。

(……状況は限りなく最悪。しかし、まだ手がないわけじゃない……)

 洛陽の防壁もけして脆いわけではない。

 残存兵力を結集して防衛に当たれば、連合軍の大軍が相手でもまだ五分以上に勝負出来る筈だ。汜水関や虎牢関では守るべき門は一つだから、敵もそこを集中して攻められた。しかし洛陽の城壁には四つの城門があり、敵はそれを包囲しなければならないから兵力が分散される。

 まあ、それはこちらも同じではあるが。

「それで? 詠殿はこの状況にどう対応するのですか?」

 小さい身体で威嚇するように両腕を振り上げて、もう一人の軍師であるねねが問いかけてくる。

「どう対応するも何も、この場合篭城するのが定石やろ?」

 董卓軍の軍部を統括している(本来は恋なのだが、基本的に彼女は無口故に霞が代行している)霞は、ごく当たり前の答えを出す。

 詠もその提案が妥当だと思っていた。だがしかし、それでは状況は悪化するだけなのだ。

 大局的に見ると、既に自分達は敗北していると言っても過言ではない。反董卓連合の檄文を公布された時点で、こちら側の正当性は失われている。仮に擁立している帝を介して弁解したとしても、全て専横としか見られていない現状では効果はないだろう。

「……少し待って」

 全ては霊帝崩御後の混乱の際に、宦官の誘いに乗ったことが全ての悲劇の始まりである。

 詠は主であり親友である月の人柄ならば、この乱れた大陸を正すことが出来ると信じていた。だからこそ狡猾な宦官を逆に利用する形で、董卓の名を天下に轟かせようとしたのだ。しかし現実というものは、詠の英知を以てしても簡単に操れるようなものではなかった。

 混乱する朝廷をまとめる為に文官を大幅に整理したことや、聡明な帝とよく相談して洛陽の統治をしていたこと。それらが名門である袁家を不快にさせたのか、事の全てを曲解させるような檄文の公布を許してしまう。都の混乱を抑えるのが精一杯だった詠は、流石に大陸全体への世論の流布を完全に防ぐことは出来なかった。

 結果として、世論的な意味合いから群雄諸侯はその檄文に乗り、予想以上の大軍を敵にすることになる。

 しかし、文官よりは協力的だった軍部を掌握出来たことは幸いだったが。

(被害を覚悟しての真っ向勝負で連合を打ち破っても、これだけ悪評が拡がってしまってはその後の統治はままならない……なるべく被害を出さないような勝利が必要。その為に敵兵站の崩壊を待つ長期戦を選んだのだけれど、汜水関に華雄を配置したのは失敗だった。まあその配置をしたのはボクなんだけど……)

 汜水関での華雄の暴走も、まとまりに欠ける筈の連合相手なら悪くない手だった。惜しむべくはそれを逆手に取るだけの策士がいたことか。

 しかも驚くべきは次の虎牢関の戦いである。

 前の敗戦で下がった士気を高揚しようと、定石通りの篭城戦をすると見せかけての奇襲を完全に読まれていたという。正確にはまた華雄が暴走したということだが、霞達に状況を聞いた時には耳を疑ったものだ。恋の活躍が無ければほとんど全滅しかけていたらしい。

 定石通りに考えれば、篭城して長期戦を狙っている敵が打って出てくるなんて普通は思わない筈だ。可能性の一つとして選択肢に加えることはあっても、実際に様々な諸侯が集まった連合軍がそれを行動出来るかというと話は別である。

 だが連合軍はそれをやってみせた。

(つまりは基本的には慎重だけど、いざという時の危険を回避すべき行動力を持つ軍師がいるということ? なんて面倒な……)

 そんな厄介な軍師が相手では、定石通りに戦うことに不安を覚える。

 特に詠は、そういう常識に囚われないような人間を相手にするのは苦手だった。本能的に戦をする恋よりは、それなりに自制の利く霞の方が相性が良い。

「……詠ちゃん?」

 長く沈黙を続ける自分を不安そうに月が見てくる。

 月の安全を最優先に考え、連合軍を敗北させる策が詠にはあった。もちろんそれは篭城戦ではない。

「賈駆っち? 何か策があるなら、はっきりと言いや」
「……正直この状況はもう覆せないわ。ただボク達が勝てないまでも、負けないことを前提とした策は……ある」

 少なくとも月がこれ以上危険な目に合うことは無い筈。

「――詠殿、もしかしてその策とは……」

 こちらの狙いに気づいたのか、ねねの表情が厳しくなる。

 当初は五分以上の兵力差だったが、連敗した今の董卓軍の兵力と士気は連合軍を遥かに下回る。霞や恋といった猛将が健在とはいえ、この状態で野戦による決戦はあまりにも分が悪い……と誰もが普通ならそう考える。

 ――だからこそ、あえて野戦を挑むのだ。

「洛陽城門前に霞と華雄の兵を右翼左翼に配置……恋は中心に配置して、全体の連携はねねに執ってもらう。……正面から野戦決戦を挑むわ」
「こ、この状況で野戦決戦やて!? 正気か、賈駆っち!?」
「……勝てないまでも負けるわけにはいかないのよ、ボク達は」

 流石の霞も、こんな無謀な策には動揺している。

 だが董卓軍の勝機は既に無く、連合軍の兵站の限界を待つ為の長期戦は瓦解していた。汜水関を早期に抜かれたことから、虎牢関防衛中に洛陽での反乱。……まるで天に見放されたかのような不運の連続である。

 このままでは世論的に『悪』とされた董卓は、確実に連合軍に討たれてしまうだろう。

 それだけは絶対に許すことは出来ないのだ。

「確かに詠殿の言う通りかもしれないのです、霞殿。何よりここで篭城するということは、月殿の統治を直に見て檄文に踊らされなかった洛陽の民衆達を、無闇な戦火に巻き込むということに他ならないのですぞ?」
「――ちっ! なるほど、ウチらに篭城をさせることでその民衆達からの最後の支持すら奪うか…………えげつない奴らやな」

 そう吐き捨てる霞だったが、戦術的には別に間違ってはいない。

 世論的にほとんどの人間が董卓を『悪』として見ていたが、実際に統治下にいた民衆はそんな噂には惑わされることはなかった。霊帝崩御からの混乱を考えれば、朝廷で働く文官が整理されたことなど民衆的には関係ない。むしろその混乱に乗じて現れた黄巾の残党から民衆を救ったのは、上手く軍部を統制した董卓なのだから。

 民衆とは、ただ自分達を守ってくれる者を信じるものだ。故にここで戦火に巻き込むことは、その信用を失うことに他ならない。

「……これ以上、月の悪名を高めるわけにはいかないのよ」

 必ずしも近くで戦うことが、民を守るということの全てではないのだから。

「その為にも、ねね達は『全軍』で出陣する必要があるのです。……そういうことでしょう、詠殿?」
「――ちょい待ち、ねね。『全軍』ということは月達も、か?」
「……いいえ、霞。月とボクは、霞達が連合と戦っている間に洛陽を脱出するわ」
「……え?」

 話を聞いていた月は、その言葉の意味を瞬間には理解出来なかった。

 向こうの目的は董卓の頸を上げることであり、それを成すまで止まることはないだろう。ならばその対象が逃げてしまえばいい。洛陽周囲の群雄は全て連合に参加しているだろうから、自分達を追跡するにも情報が追いついてこないだろう。

 洛陽を占拠された後に追跡しようにも、天子が存在する都で自身の欲望を自重出来るとはとてもじゃないが思えない。遠からず利権争いが起きるのは確実であり、つまりそれは反董卓連合軍の崩壊を意味する。

 少なくとも行方の知れない董卓を捜索する余裕はなくなる筈だ。

「まあ、洛陽を包囲されちゃあ脱出もままならんやろうしな。……後のことを考えればそれが最善、か」
「死ねと言うつもりはないけれど、可能な限り時間を稼いでもらいたいの。……頼める?」

 こちらを見る霞の表情は険しく、詠もまたその視線を受け止めて逸らさない。

 明らかに不利な戦場に行って、尚且つ時間を出来るだけ稼げとは……まさに『死ね』という言葉以外の何ものでもないだろう。詠の言葉の覚悟を受け取った霞は、その顔に不敵な笑みを浮かべる。

「こっちには恋もいるしな。可能な限りでええんやろ?」

 たとえ十万近い兵に包囲されようとも、天下無双の飛将軍と神速将軍が揃った董卓軍は無敵だ。

 軍師のねねもいるし、打撃力に定評のある華雄もいる。勝てないまでも、引き際さえ間違えなければ十分逃げ切れるだろう。

「ええ、それで構わないわ」
「……じゃあ、ウチらはそろそろ準備せなあかんから行くわ。月に賈駆っち、しっかり逃げや?」
「では恋殿、ねね達も行きますぞ」
「……わかった」
「……皆さん、どうか……」

 ――どうかご無事で。

 死地に向かう彼女達を、主である月は止めることはなかった。

 その心の中は深い悲しみに包まれていたが、それを言葉にすることは許されない。……頬を流れる涙を止めることは出来なかったが。

 自分の頸を差し出せば、おそらく他の者の命は助かる。しかし、そんなことを親友である彼女は許さないだろうし、ここまで月を想い戦って散っていった兵士達の為にも安易な『死』を選ぶことは出来ない。ここで犠牲になるであろう兵士達の想いも全て、己が業として背負っていかなければならないのだ。

 それがこの結果を招いた者の宿命である。

「ご主君」
「――え?」

 今までの話を珍しく自重して静かに聞いていた華雄が、月の側まで寄るとその頬に流れる涙を拭う。

 コホンと軽く息をついてから、膝をつき視線を合わせて正面から真っ直ぐに月を見つめる。

「先程張遼が言ったように、我らは好きで戦っているのだ。優しいご主君がそこまで心を痛めることはない。散っていった兵達のことも背負うのではなく、むしろ誇ってやってほしい……それこそがご主君の為に戦った彼らの望みなのだから」
「……華雄さん」

 不器用ながらも必死に慰めようとする華雄を見て、月は更に大粒の涙を流してしまう。

 そんな華雄を信じられないようなものを見る詠。

「うわ、華雄が何か気の利いたことを言った……?」
「失敬な! 私とて武人の誇りだけで生きているわけではないぞ?」

 とはいっても二度の暴走があるから、あまり説得力はないのだが。

 でも今の華雄の言葉は、間違いなく月の心の負担を軽くする言葉だった。……それこそ、二度の敗因が霞むくらいに。

「そうだ、賈駆。ここまで負けた一因である私が言うのもなんだが……」

 先を行く霞達を追うべく踵を返した華雄が、ふと思い出したかのように声をかけた。

「……何よ?」
「――時間を稼ぐのはいいが…………別に、相手を倒してしまっても構わんのだろう?」

 死地へと向かう仲間を気にかける月と詠を労う言葉は、思わず華雄を過小評価していた詠の涙腺すら緩ませる。……隣にいる月は既に号泣しているし。

 そんな頼もしい背中を見送りながら、詠はふと頭に浮かんだ不安を振り払う。

(き、気のせいよね? 華雄の背中に『死相』が見えたなんて……)

 詠は涙を拭うと、仲間の戦いを無駄にしない為にも脱出の準備を進めることにした。





 月達と別れて兵舎に向かう一行。

 その中で霞はふと疑問を問いかけた。

「あーところで、恋? 恋の大事な王国の連中はどうしたん?」

 恋は月の為とは別の、守るべき仲間の為にも戦っている。

「……ねねに任せた」
「はいです! 恋殿の仲間はこの都で最も信頼出来る方へと預けたのです。それは霞殿も知っている御方ですぞ!」
「ウチも知ってる? ああ、もしかして姫ん所か?」

 反董卓の檄文が公布されてからも、変わらずに公平に月達に接してくれた高名な文官の一人。

 その名は蔡邕、字は伯喈。

 清廉潔白な人柄から都では宦官に大層嫌われていたが、月達が後漢王朝の実権をある程度掌握した時に侍御史治中に任じられる。その後も能力の高さから侍中、左中郎将と異例の昇進を遂げた人物。また彼は歴史を多く好む者でもあり、史書などを書き綴っているらしい。

 名高い文人である彼は、味方が少なくまだ若い月達をよく助けてくれた。

 軍部寄りの霞達が交流が深いのは蔡邕ではなく、どちらかというとその娘である蔡文姫の方である。

 才女とほまれ高く音律に通じるという彼女は、常にその周りからの期待にいつも疲れていた。そんな折に、ごろつきに絡まれていた所を恋に助けられたことから、恋のことを『運命の人』と称して恋の家に通ってきたのだ。女と女でなんと不毛な、とか突っ込んではいけない。

 最初は感情の加減が効かず、同じく恋に心頭している(どちらかというと主従関係に近い)ねねと対立をしていた。しかし一応才女だった蔡文姫は、その分析能力から恋に好かれるだろう立場を導き出したのだ。

 具体的には「私、恋様の『ペット』になる!」、と何処からか犬耳尻尾を調達して装着した。もちろん首輪付きで。

 そのあまりの極端さにねねはドン引きした。当事者である恋は深く考えず、自分の王国の一員が『一匹』増えたくらいにしか認識していない。一部始終を聞いた霞は、本人がそれで満足ならいいやと流すことにした。

 親である蔡邕は娘の凶行に、密かに涙を流したとかなんとか。

「……あの変態はともかく、蔡邕様に任せておけば大丈夫なのです」
「まあアレな姫はともかく、蔡邕様はまともやしな。……変に連合に反発させない為の枷にもなる、か」

 蔡邕特有の清廉潔白な人柄から、檄文のような捏造をした連合と反りが合うわけがない。月達が脱出した後は、ほとんど無血開城で洛陽は連合の手に落ちる。董卓を支持していたからといって、問答無用で処罰することはないとは思うが、蔡邕の方から反発しては見も蓋もない。

 そういう意味では、恋の王国を預けることは一石二鳥の手とも言える。

 恋の王国を利用する形になってしまうのは心苦しいが、この件は彼女も同意してくれたそうだ。

「……霞?」
「いや、恋の仲間の心配がないならええんよ。目先の敵に全力で当たれるっちゅーことやしな!」
「霞殿は気楽でいいですのー? これからねね達は、二倍近い敵を相手にせねばならないというのに……」

 肩を竦めて言うねねに、霞は不敵に笑い返す。

「はん! 崖に挟まれた虎牢関の時と違って、今度の戦いは平原での野戦やからな。ウチらの騎兵の性能を嫌ってほど見せつけたるわ!」
「その意気ですぞ、霞殿! 連合の中の騎兵で最も注意すべきは西涼軍ですが、先の恋殿の活躍により総大将の馬超は動けませぬ。あとは地味な幽州の白馬義従とか聞いておりますが、そんな影の薄そうな軍など恐れるに足りないのです!」
「……恋、頑張る。皆も、頑張る」

 表面上は圧倒的に不利な戦いに挑もうというのに、歩く三人には迷いはなかった。

 それも当然のことだろう。

 どれだけの兵力差があろうとも、最後の勝負に物を言うのは『勝つ』という……断固たる意志なのだから。『勝てる』と思って浮かれているような連合と、守るべき者の為に戦う自分達とは覚悟の重さも違うというものだ。

 今ここに、虎牢関の時以上の乾坤一擲の矢が放たれようとしていた。




[8531] 【ネタ】三国志外史に降り立った狂児 第七話「洛陽決戦」
Name: ユ◆21d0c97d ID:b74c9be7
Date: 2009/06/08 18:27


 洛陽を目前とした連合軍は、そこで不可解なものを見る。

 誰もが篭城するだろうと思っていた董卓軍が、洛陽城門の前に布陣しているのだ。

「…………」

 曹操軍本営にて、その光景を見ていた華琳は周囲に怒気を放つ。

 怒気の理由はともかく、この状態は精神的にあまりよろしくない。その勘気を出来れば被りたくない彼女の臣下達は、当然のようにその前にどうぞどうぞと人身御供を差し出した。

 ――人身御供の名は北郷一刀、つまりはおれのことである。

「あの~……か、華琳さん? い、一体何をそんなに怒ってらっしゃるので……っ!?」
「――話しかけないでっ!」

 勇気を出して声をかけた一刀の前髪を、華琳の持つ大鎌が掠め切った。

 怒り心頭と見せかけて、これだけ精密な攻撃を繰り出す余裕はあるな……と最近短くなった前髪を見ながら、一刀は目の前の少女を見る。その目には何か言葉に出来ないような『怒り』を感じたが、生憎と凡人の一刀にはそれが何かはわからない。

 そして、二人の様子を見ていた臣下達は顔を合わせる。

「やはり北郷は無駄に度胸があるな。あんな風に華琳さまに声をかけることが出来るのは、北郷くらいなものだぞ?」
「……いつも思うのだが、何故北郷は怒った華琳さまを前にするとあんなに謙るのだろうな? 私には理解出来んよ、姉者」
「ちっ……今の一撃で脳天割られて死ねばいいのに」

 冷静に分析する者の中に、凄く不穏な発言をする者がいた。

 まあ、いつものことなのでいい加減慣れたが。

「でも兄ちゃんに声をかけられてから、華琳さまの怒気は少し減ったよ?」
「そうね、季衣。それこそが兄様の『らしさ』、私達も少しは見習わないと……」

 もちろん不憫な一刀をフォローしてくれる者もいる。

 周囲の目が無ければ、全力で抱きしめて頬ずりして頭を撫で回してやりたい。しかし、その優しい二人の外見は、少女というよりは幼女といってもいいくらいなのだ。そんなことをすれば、いくら一刀といえど『ペド』呼ばわりは避けられない。

 時代的にそんな言葉は無いけれど、きっと蔑みの視線に晒されるのは間違いないだろう。

 一刀の部下の三人が雑用中でいなくて幸いだった。もし彼女達がここにいたら、表情から思考を読まれて散々にからかわれていたかもしれない。

「――それはさておき、なあ華琳? そろそろ落ち着いてくれない……でしょうか?」

 再度声をかけようとしながらも、華琳に睨まれて語尾が丁寧語になる一刀。……へたれとか言わないでほしい、怒ってる彼女は本当に怖いのだから。

 そんな情けない一刀を見て気持ちが冷めたのか、華琳は深い溜め息をつく。

「……ふぅ。悪かったわね、一刀」
「いや、構わないよ。おれは戦場では全く役に立たないし、華琳の気を紛らわすことが出来るだけでもまだマシ、だろ?」

 初めて華琳と出会ってからも反董卓連合軍に参戦してからも、一刀は部下に守られてばかりだった。

 平時に陳留の街で警備制度を見直すことが出来ても、戦時の人と人が殺しあう戦争では何の役にも立たない。精々が邪魔にならないように大人しくしているだけ。天の御遣いだなんだと言われているが、所詮はただの未来の知識を持っている唯人にすぎないのだ。……神通力などで敵を打ち倒すことなど出来る筈もない。

「己が力量を見極めること……それは中々に難しいことだけれど、あなたはよくわかっているようね、一刀」
「……いつも鍛えられてるからな、華琳達に」

 それはもう徹底的に。

 冗談でも「働きたくないでござる!」とか言おうものなら、次の瞬間には頭と身体が『さようなら』しているだろう。

 そのスパルタ教育で鍛えられない筈がない。

「まあいいわ、一刀。私が怒っていたのは、今の董卓軍の布陣のことよ」
「布陣? 普通なら篭城すべきなのに、三度も無謀に出陣してきたことか?」

 連合軍盟主の『華麗に前進』ではないけれど、篭城の利を自ら捨てている董卓軍の愚かさに華琳は怒っているのだと思う。

 強大な敵と戦うことを楽しみとしている彼女にとって、このようなつまらない戦いではモチベーションも上がらないのだ、きっと。

 だがそんな一刀の言葉に華琳は首を横に振る。

「――違うわよ、一刀。三度の戦いの状況は全て異なるから、今回野戦を挑もうと布陣しているのも選択として間違いじゃないわ」

 状況が異なると華琳は言うが、一刀にはよくわからない。

 篭城の利を捨てることに、何か意味があるとはとても思えなかった。一刀でも知っている兵法の基本に、まず敵より多くの兵力を用意するということがある。そこから状況を考えるに、少なくとも兵力差で負けているのだから野戦を挑むなんてありえない筈だ。

「……桂花、説明してあげなさい」

 明らかに「わかりません」と言っている顔の一刀に、華琳は説明を桂花に命じた。

「わかりました、華琳さま! 脳味噌の代わりに精液が詰まっているような変態男に到底理解できるとは思いませんが、一応説明してやります!」
「……酷い言われようだなぁ」
「いい? 汜水関の時は、守将がこちらの挑発という策に嵌っただけのこと。そして次の虎牢関では、その敗北で下がった士気を高揚させようとあの『天下無双』を繰り出してきたの。それは無謀な出陣ではなく、士気高揚というちゃんとした目的があったわ。まあ公孫賛が袁紹を上手く説得していたから、それを逆手にはとれたのだけど……」
「……スルーですか、そうですか」

 そういえば虎牢関の時の包囲作戦……あの袁紹がよくあのような作戦を採れたものだと、華琳が零していたっけ。

 公孫賛という人が立案者と聞いたが、詳しいことを一刀はあまり知らない。

「そして目の前の董卓軍が、洛陽の街の前に布陣していること……それは洛陽の民衆を、戦火に巻き込まない為には必然の選択なのよ。袁紹は強引に世論を操り董卓を『悪』としたけれど、実際に統治されている洛陽の民衆からしてみればそれは『嘘』でしかない。実際にこれまでに洛陽から逃げ出してきたという民は見かけないでしょう?」
「た、確かに……」
「つまりは董卓は依然、洛陽の民衆からの支持があるということ。これから洛陽を攻めようという連合軍としては、それはあまり面白くないでしょうね。そこで連合軍との戦況が不利だからといって、平然と民を巻き込む篭城策を採らせることでその支持を失くすというのが真の狙い。そうすることで、現状では連合軍側にはない『正当性』を一応形として作ることが出来るのよ」

 なるほど、桂花の言うことは一刀にも一応理解出来た。

 まとまりに欠ける連合軍の軍事的不利を、政治的有利によって圧倒しようというわけか。

 一刀は視線を華琳に戻す。

「でも意外だな? そういう策って華琳の趣味じゃなさそうだけど……」
「当たり前じゃない。私が盟主だったら採らないわよ、そんな策。それに『あの』麗羽だもの、そこまで深くも理解はしてない筈だわ」
「――はぁ?」

 深く理解してないって……いや、連合軍の盟主としてそれはどうだろう。

「この戦争には出てきてはいないけど、名門袁家に仕える文官はそれなりにいるの。その中でも権謀術策に秀でる者は、そうね……田元皓あたりかしら? その辺の参謀連中が考えたのでしょう……軍事的才能が無い麗羽を勝たせる為に、ね」
「……その程度の戦争なのか、これ」
「あまり楽観は出来ないわよ、一刀? その策はあくまで向こうが最後に、ここ洛陽で篭城してこそ成り立つもの……こう城外に布陣されては意味が無いわ」
「――えっ? このままだともしかしてではなく、連合軍が戦術的に不利になったりする……とか?」

 ここまで念入りに戦略から策を練らないと勝てない袁紹が、数に勝るというだけで董卓軍に勝てる保証はないということか。

 一刀の疑問の一言に、沈黙を続けるその間が怖いです。

「私がさっき怒っていたことはね、一刀。こんな状況に追い込まれて、ようやく本気を出そうとしている董卓軍の将が許せないの」
「……え、えっと?」
「『もし』連合軍が結集した段階で、向こうの全軍による野戦決戦を挑まれていたら? 当初の兵力差は董卓軍が二十万で、連合軍が十五万……そこで本気を出されていたら、一体どれだけ素晴らしい『戦い』が出来ていたのかしらね?」

 ……いや華琳さん、その理屈はおかしい。

(というか、その状況で呂布無双とか初見でかまされていたら、あっさりと連合軍壊滅していたような気がするけど……)

 だがしかし、稀代の戦争屋である曹孟徳としては、このような状況下で敵を降すのは不本意なのだろう。

 一刀からしてみれば、戦争なんてものは人と人が殺し合う以外の何物でもない。そこに『正義』とか『悪』はなく、ただ無意味に人間が死んでいくだけのものである。そんな戦いに意味を見出せる程、元は一般人である一刀は人生経験が豊富ではないのだ。

 だからといって、その考えを否定することもないけれど。

「……まあ、過ぎたことは仕方ないわ。こうなった以上、今出来る最高の戦いをするまでよ」
「と、言うと?」

 何やら不敵な笑みを浮かべている華琳。

 今までの経験から、こういう笑みを浮かべている華琳の行動には無茶なものが多い。

「――桂花、連合軍の本営に伝令を出しなさい!」
「はっ!……それでは何と?」

 華琳の言葉を待つ桂花の姿は、飼い主に『待て』と言われた犬の様だ。……見た目は猫だけど。

 その健気さを、一割でもいいから自分に向けてくれないかな~と一刀は思う。……まあ無理だろうけど、常日頃「変態男」とか罵倒され続けていると、目覚めてはいけない『何か』に目覚めてしまいそうな気がする。

「こちらから見た敵の右翼……『張』の旗を掲げる軍の相手は曹孟徳が全て引き受けた、と」
「――御意!」

 伝令を向かわせるべく、桂花は天幕を出て行く。

「……華琳さま、もしや狙いは『神速将軍』でしょうか?」

 華琳の狙いに気づいた秋蘭が、若干困ったような視線を向ける。

「あら? よく気づいたわね、秋蘭」
「いえ……華琳さまのことですから、こうなった以上敵将を一人くらいは捕まえないと気が済まないでしょう」

 華琳の人物蒐集癖は、仕える誰もが知っていることだ。

 その悪癖をここ一番で発揮するあたり、やはり彼女は曹孟徳なんだなと再認識させられてしまう。秋蘭の態度と似たように、その対応には少し困ってしまうけれど、覇者を目指す苛烈な少女のそんな一面がまた面白い。

 まあ蒐集される人間からすれば、ぶっちゃけ迷惑そのものではあるが。

「なるほど、それで張遼というわけか。……でも、これもちょっと意外かも?」
「? 何がよ?」
「いや華琳のことだから、てっきり呂布の方を所望するかと思ってたけど……」

 実際に虎牢関を前にしてそんな話をしていた気がする。

「私はね、一刀。調教可能な『獣』を飼うことはあっても、野性の『龍』を飼うほど酔狂ではないの。というか一刀、虎牢関での春蘭達の話を聞いてなかったのかしら? その呂布の虎牢関での所業は、最早『人』の領域を逸脱しているといってもいい……まともに相手をするだけ労力の無駄よ」

 あの春蘭の必殺の一撃を、秋蘭の弓攻撃を弾きながら受け流したんだっけ?

 彼女達の蒼白で真剣な顔がなかったら、冗談として受け取っていただろう。流石は時代的武力チート、マジ半端ないです。

「そもそも呂布は敵陣中央なのだし、麗羽達を差し置いて私達がそれに当たることはできないでしょう? ならば両端のどちらかの将軍を生け捕るまでよ」
「……それが神速将軍と名高い張遼ではなく、二度も暴走するような華雄でもか?」
「当たり前でしょう? 今回は私達の陣側にいたのが張遼だから狙うのであって、それが華雄だろうと同じことだもの。それに将の暴走なんてものはね、上下関係をしっかりと身体に刻みつければ自然と抑えられるものなのよ。だから華雄の失敗はその主の責任であって、私の蒐集を妨げる理由にはなりえないわ」

 そう言って華琳は春蘭を艶やかに見据える。

(……うわぁ、何か凄まじい説得力があるなー)

 猪突猛進こそ本質みたいな春蘭を、完全に制御している華琳だからこその発言だろう。……その方法にはあえて突っ込まないが。

 もし相対するのが華雄で、生け捕ることが出来た場合……春蘭二号みたいなキャラが登場するわけか。現場での春蘭の制御には秋蘭が動くとして、華雄の制御には誰が付くのだろう?季衣達は親衛隊だから無理だし、桂花は軍師で凪達は立場上は一刀の部下である。

 そうなると必然的にその位置に入るのは、立場的にふらふらしてる一刀くらいしかいないわけで。……正直言って、春蘭×2みたいな日常は勘弁してほしい。

 心の底から相対するのが張遼で良かったと、一刀は両手を合わせて拝んでいた。

「――さて、と。呂布が中央でどう動くかは気になる所だけど……どうせ大局的には董卓軍の敗北はもう覆らないでしょうから、私達は私達で好きにやらせてもらうわ!」

 華琳の指揮の下、曹操軍は連合の陣から右方向へと離れて行く。

 正面の敵を迂回して別の城門を狙うような進軍は、警戒しているとはいえ目の前の張遼軍に無防備な横っ腹を晒すことに他ならない。このような隊形で騎兵の突撃を誘うことは危険極まりないが、その分敵を誘き寄せるには確実な手とも言える。

 その大胆不敵な用兵に、一刀は華琳に稀代の『英雄』としての姿を見た。

(……『天の御遣い』と呼ばれるおれが、この世界に呼ばれたことに何か意味があるのかはまだわからない。これから歴史がどう動くかもわからないけど……せめてこんなおれを拾ってくれた、この只管に覇道を進む少女の行く末だけは最後まで見届けたい……!)

 凛々しく進軍する華琳の背中を追いながら、心の中に一刀は深く誓うのだった。





三国志外史に降り立った狂児 第七話「洛陽決戦」





「――張将軍! 『曹』の旗を掲げた軍が、敵本陣から離れて行きます!」
「迂回して他の城門を攻めようってか? はん! ウチらをわざと挑発するたぁ~いい度胸や!」

 部下の報告を聞くまでもなく、目の前で動く軍の目論見を看破する張遼。

 しかし予備軍すらない今の董卓軍に、その行動を無視することは出来ない。挑発の意味もあるだろうが、実際にその行軍を放置したら側面の城門を攻められることは必至である。……何らかの対処をしなければならない。

「――伝令、中央の軍師に伝えや! 張文遠は全力を以て敵遊軍に当たるってな!」
「はっ!」

 伝令を走らせ、霞は飛龍偃月刀を肩に担ぐ。

 隣に寄る副官の臧覇は、苦笑しながらそんな彼女に話しかける。

「『曹』の旗ということは、あれが有名な曹孟徳ですか。……手強い相手ですな、張遼殿」
「ウチが思うに、烏合の衆の連合軍の中でも一番に軍行動がまとまっとる。……ああも無防備を晒しとるけど、きっと突撃したら何かの罠があるんやろな?」
「はい。……ですが、罠とわかっていても放置は出来ませぬ。何と言っても、董卓さまの脱出の妨げになるやもしれません故……」
「……ちっ、厄介な相手やな」

 霞は思わず舌打ちをしてしまう。

 ただでさえ劣勢の戦いだというのに、臧覇の言う通りに最悪の可能性も考慮する必要があるのだから。

 敵の真の狙いが何処にあろうとも、まずは一当たりしなければならないだろう。

「……せやな、騎馬だけでまず突っ込むか。どんな罠があろうと、ウチがその罠ごと曹操の頸を食い千切ってやるわ。臧覇は騎馬以外の兵をまとめて指揮を、ウチらの突撃に合わせて曹操軍の足を止めてくれるか?」
「――御意! 『神速将軍』の勇名は騎馬のみにあらず、と敵に刻み付けてやりましょう!」
「言ってくれるやないか、臧覇! 曹操軍を食い破ったら、そのまま敵本陣に止めを刺してやるでぇ!」
「ははっ! この臧宣高、最後まで張遼殿に御供しましょうぞ!」

 臧覇の掲げた槍と自身の飛龍偃月刀を軽く打ちつけると、霞は馬首をこちらを迂回していく曹操軍へと向ける。

「皆聞けぃ! これより迂回する敵の側面を突く!」

 飛龍偃月刀を敵方向へと突き示す。

「無防備な横っ腹を晒してる奴らに、并州騎兵の恐ろしさ……存分に味合わせてやりぃ! 全軍、突撃にぃ、移れぇっ!」

 霞の号令に、張遼軍が矢のように飛び出して行く。歩兵はともかく、霞を先頭にした騎兵はまさに神速の如くである。

 今ここに、『神速将軍』張文遠による『神速の大号令』が大地に轟いた。





 曹操軍と張遼軍が動き出した頃、連合軍の前衛でも事が動き出す。

 虎牢関で呂布を目の当たりにした袁紹に代わって、対洛陽戦の最前衛に名乗り出たのは袁術だった。そしてその正面に対峙するのは真紅の『呂』の牙門旗、虎牢関でその『天下無双』の名を轟かせた呂布が率いる軍である。

「――でもいいの、袁術ちゃん? 正面にいるのはあの呂布なのよ?」

 客将としてついていかざるをえない雪蓮としては、あまり無謀な行動は遠慮したい。

 かといって表立って断ることも出来ないので、せめてその真意くらいは探っておくべきと戦端が開かれる前に袁術の本営を訪ねていた。

 孫呉の軍師である冥琳は、上手く袁術と呂布をぶつければその戦力を減らせると、袁術の進軍命令には反対しないようにと雪蓮に言っている。しかし、雪蓮にはどうにもその行動に不可解さを感じていた。

 雪蓮風に言うのであれば、嫌な『勘』が騒ぐのだ――こういう戦術は袁術らしくない、と。

「なんじゃ、孫策? 妾に策がないとでも考えておるのかえ?」
「――えっ? い、いや……えっと、何か策があるの?」

 あの袁術から策という言葉を聞いた雪蓮は、あまりのことに呆然としてしまった。

 慌てて取り直すそんな彼女を見て、くすくすと笑うのは袁術の腹心の張勲。

「ふふふ……非常に簡単な策ですけどねぇ、孫策さん。私達の兵はこれまで大して傷ついていませんから、単純に『人海戦術』で押し切ろうかと……」
「……そんな無謀なことに兵がついていくかしら?」

 その張勲の笑い方に、何か嫌なものを感じた雪蓮は疑問を問いかける。

「もちろん孫策さんの言う通り、ただ『死ね』と言われては兵も脱走するでしょうねぇ。ですが相当のご褒美……董卓軍の名のある将を討ち取った者には、たとえ民衆上がりの雑兵でも袁家の将軍に任命する。そのような餌をチラつかせたら、愚かな雑兵さん達大張り切りでしたよぉ~?」
「…………っ!?」
「うむ、流石は七乃なのじゃ! 『じんかいせんじゅつ』などと格好いい策を閃くのじゃからな!」
「いえいえ、お嬢さま。それほどのことでもないですぅ~♪」

 にこにこと笑う二人を見て、雪蓮の背筋を冷や汗が流れる。

 張勲の言葉を全く理解していない袁術にも驚いたが、その腹心の採った策の恐ろしさにはそれ以上に驚愕した。

 確かに袁術の率いる一般兵では、あの呂布軍を相手にするのは無理がある。だがそれは、あくまでもそのままだったらということだ。

 そこへ思いがけない栄華を得る機会が訪れたとしたらどうする?

(人間なんてものは、基本的に自分の欲望に忠実な生き物……それこそ死に物狂いにもなる、か)

 かつてない栄華を約束された人間が、限界以上に能力を振り絞ることはありえる。窮鼠猫を噛むではないけれど、死兵並みの力を発揮することは可能だ。確かに袁術が有する数万の兵全てを代償にすれば、あの呂布を討ち取ることも出来るかもしれない。

 呂布とて全身を鉄の鱗で覆われた化け物ではないのだから、首を切られれば死ぬ。首を切れぬまでも身体の何処かに斬りつけて、その出血を強いるというのも手だ。無論その体力も無限ではないだろうから、その疲労を待つことも出来る。

 後でその口を塞ぐ算段があれば、卑怯にも毒を使うこともあるだろう。

 何にせよ、この戦いは数多くの命が失われることは確実。

「確かにそれだけの士気の高さがあれば、あの呂布軍を相手に戦えるかもしれないけど……相当の被害が出るわよ?」

 自分という危険な客将を内に飼っている袁術が、こうも陣容を手薄にする意味がわからない。

 そんな雪蓮の心中を嘲笑うかのように、張勲は哂う。

「あら? 孫策さんとしては、私達の戦力が削られる方がいいのではなくて?」
「……何のことかしら?」

 袁術から少し離れ、雪蓮の側まで来た張勲は小声で囁きかける。

「別に私達に反旗を翻してもいいのですよ? 天下に『裏切り者』の名を轟かせたいのなら、ねぇ?」

 孫呉独立を狙う雪蓮としては、いつまでも袁術の客将ではいられない。

 隙を見て独立してやろうと思ってはいたが、暗愚な袁術の腹心にそれを見透かされているとは思わなかった。いつも袁術の我が侭を、良い様に聞いているだけの将かと思っていたからだ。主に見せない所でのその顔には、雪蓮すら冷や汗を掻くような『腹黒さ』が感じられる。

(ちっ、確かに独立を掲げるのはあくまでこちらの都合。世論的に見れば、独立なんてものは裏切りにしか見えない、か。まさか向こうが、あえて戦力を減らすことで無為に反旗を示唆してくるとはね……)

 つまり雪蓮達が袁術の無謀を見過ごすことは、世論的に後の裏切りの為の準備だと思われかねないということ。

 それはつまり、遠回しな脅迫に他ならない。

「……わかったわ。私達に何をさせるつもり?」
「別に何も~? うっかり手を抜いてると足元を掬われない、と心優しい私は忠告してあげただけですよ」

 満面の笑顔で答える張勲。

 思わずその顔面を殴りたい衝動に駆られる雪蓮。しかし、袁術の面前である為…………歯を食いしばって耐える。

「――この狸がっ!」
「いえいえ、そんなに褒められると照れてしまいますぅ~♪」

 雪蓮の吐き捨てるような毒舌にも、彼女は全く動じない。

 彼女をうっかり過小評価している冥琳達の言を聞かず、自分の感じた嫌な『勘』を信じて袁術の本営に寄って正解だった。

 確かに袁術は変わらず暗愚だったが、その腹心の真の姿を垣間見れたのは僥倖である。下手をすれば、天下に孫呉の名どころか裏切り者という汚名を轟かせるところだったのだ。張勲の腹芸に騙されそうになったのは癪に障るが、いずれ倍以上にして返してもらえばそれでいい。

 とにかく今後の対策の為にも、雪蓮は一度冥琳達の所に戻る必要がある。

「……自軍に戻るわ、袁術ちゃん」
「なんじゃ? もう戻るのかえ?」
「だって呂布が相手なんでしょ? 流石に私一人じゃ相手できないし、何人か将を連れてくるわ~」
「うむ! よきにはからえ、なのじゃ! それと七乃、麗羽のところには一応伝令を出しておくのじゃぞ?」
「は~い♪」

 相も変わらず蜂蜜水を飲んでいる袁術という少女は、ある意味幸せなのかもしれない。

 底の読めない張勲の真意が何処にあるのかはわからないが、既に一人では背負いきれないような『業』を抱えてしまっている袁術という少女。おそらくまともな精神では、そんな『業』の重圧には耐え切れないだろう。だが『無知』という彼女の欠点こそが、唯一そんな彼女を重圧から救っているという矛盾。

 同情はしないけれど、雪蓮の彼女達に対する認識が少し変わった瞬間だった。





 ――袁紹軍大本営。

 動き始めた戦況を聞いた麗羽は憤っていた。

「――全くもうっ! 華琳さんも美羽さんも、一体何を勝手なことばかりしているのかしら!?」

 傍に控える猪々子と斗詩も彼女達の勝手な行動には呆れていたが、呂布との戦いの痛手を考えると主を介して袁紹軍を動かしたくはない。

 特に猪々子は呂布に強打された肋骨は、罅が入るどころか普通に折れていた。一般兵より遥かに頑丈な猪々子でさえこうなのだから、もし一般兵が同じ目に遭っていたらきっと身体を貫かれていたに違いない。……つくづく化け物染みた相手だ。

 両肩に痛手を負った馬超とは違い、猪々子は最悪痛みを堪えれば馬には乗れる。しかし、得意の大剣を振り回すことは無理だった。

 そして猪々子よりは軽傷だが、斗詩もまた呂布により地面に強く叩きつけられている。打ち身擦り傷程度ではあるが、あの呂布を相手に万全でない状態で挑むのは勘弁してほしい。というよりは、二度と再戦したくないというのが斗詩の本音だった。

 思わず飛び出しそうな勢いの主を、文字通り身体を張って止める。

「まあいいじゃないっすか、姫。彼女らも勝てる採算もなく、自軍を動かしたりはしないでしょうし~」
「そうですよ、姫。……それに恥ずかしながら、私達は怪我人です。仮に袁紹軍が進軍したとして、再度呂布さんを相手に姫を守ることは出来ません。お願いですから、正面に進軍しようなんて無茶はお止めくださいね……」

 己が不甲斐無さを盾にしてでも、何とか麗羽の癇癪を抑えようとする二人。

 そんな二人の説得に、渋々ながらも麗羽は納得していく。

「……わかってますわよ、無茶だってことぐらいは。でもわたくしの、大事なあなた達を傷つけた相手をただ放っておくなんて……」

 そう言って麗羽は顔を俯かせる。

 いかに尊大で我が侭な彼女だろうとも、小さい頃から一緒に居た大切な二人を傷つけられたのは堪えた。そしてそんな場面に居合わせながらも、主である自分はただ呂布に恐怖していただけだったのだから。

 そのことが、一体どれだけ麗羽に無力感を与えたのだろう。

 いつもの尊大な態度を陰に潜ませた麗羽は、猪々子達から見て庇護欲をそそられるものがあった。

「……麗羽さま、あたい達は生きてるよ」
「そうですとも。大事な麗羽さまを置いて、先に逝ったりなんかしませんから……」

 思わず三人で抱き合いながら、幼い時に誓った言葉を思い出す。

「猪々子さん、斗詩さん…………ぐすっ」

 涙目で二人を抱きしめながら、麗羽はその真名を何度も何度も呼び続けた。

 天幕の外に控えて聞いていた部下達も、そんな彼女達を取り巻く空気を可能な限り読んで行動する。つまりは今の麗羽達がいる天幕に、余計な邪魔が入らないように完全な人払いをしたのだ。……その無駄な人員を遺憾なく発揮して、である。

 ――そう、董卓軍と連合軍の戦況を告げるべき伝令すらも。





 そんな袁紹達の美談のような迷惑に、一番窮地に追いやられたのは左翼を担当していた劉備軍だった。

 正面の呂布軍を相手にしているのは、大軍を保持していた袁術だから兵力差的に全く問題はないだろう。そして張遼軍とも単独で戦える曹操軍とは違い、袁紹に兵を借りている劉備軍とでは状況は異なる。

 要するに、左翼で華雄軍の猛攻を受けて苦戦中。

「――え、袁紹さんからの指示はまだないの!? 愛紗ちゃん達が前線で頑張ってるとはいえ、私達の兵力では無理があるよぅ~!?」
「はわわ……お、落ち着いてくだしゃい、桃香さま! 現在我が軍は押されてはいますが、愛紗さん達の頑張りでまだ保ちましゅっ!」
「あわわ、桃香さまも朱里ちゃんも少し落ちちゅいて……」

 前線で武技を発揮出来ない桃香と、軍師である朱里と雛里は後方で伝えられる戦況に慌てていた。

 少なくとも兵力差は圧倒的に劣勢……そして連合軍として全軍が陣形を組んでる以上、汜水関の時のような陽動作戦を採ることは出来ない。しかもこちらが予期せぬ時期に勝手な開かれた戦端、その瞬間を狙われ華雄軍に噛み付かれたので策を練る暇がなかったのだ。

 勇名轟く愛紗達が前線で支えているからこそ、何とか戦線を維持出来ている状況である。

「そ、それにしても不思議だね? 汜水関の時はあれだけ簡単に突出してきた華雄さんが、一度も前線に出てこないなんて……」

 桃香の疑問は、傍に控える軍師の二人も同感だった。

 こちらの前線には愛紗達が散々に出ているというのに、華雄は自軍の奥で指揮を執ったまま出てこない。……突出してくれれば、一騎討ちで彼女を討ち取ることで劣勢を覆せるのだが。挑発しても応じる様子がないと前線から報告を受けている。

「と、とにかく! このままだと兵の消耗が激しいですので、連合軍の本営に援軍の伝令を……」
「で、でも、朱里ちゃん? あの尊大な袁紹さんが、素直にこちらに援軍を送ってくれると思う……?」

 朱里の言葉に桃香が不安を唱えた。

 もちろん軍師である朱里もその危惧を想定しなかったわけではない。

「桃香さまの危惧も確かなのですが、現状では他に採れる手は……」

 冷静に状況を分析しようとする朱里だったが、無限に兵が湧いて出る壷などを持っているわけではないのだ。

 それに連合軍の一員として、援軍の要請は妥当ではある。……盟主の人柄さえ考えなければ。

「……そうだっ! 雛里ちゃん、確か連合軍は当初は攻城戦を想定してたから、白蓮ちゃんの軍を後方に待機させてたよね?」
「は、はあ……騎兵は攻城戦の役に立たないから、と。ただこの現状で、待機したまま動かない理由はわかりませんけど……」

 騎兵を多く有する張遼軍に対する遊軍かと思っていたが、それには曹操軍が当たっている。

 ならば劣勢な左翼の劉備軍の援護に来てもおかしくはない。それなのに待機している軍が一向に動く気配を見せないことに、朱里と雛里は何か不安を感じていた。

 しかし、親友である公孫賛を信じる桃香は細かいことは気にしない。

「――じゃあ、白蓮ちゃんに援軍の要請をっ!」

 そう言って後方に伝令を命じる桃香。

 連合軍盟主ではない桃香からの、同格である諸侯への援軍の要請。それは下手に邪推しなくとも、立場上では一応越権行為と呼ばれるもの。

 本来ならそれを抑制すべき朱里達だったが、現状を打破するには盟主である袁紹よりも主の親友である公孫賛を頼った方が確実で早い。前線で次々と散っていく兵の為にも、早急に危機を対処しなければならない焦りが、その通すべき筋を通すことを一度だけ怠る。

 つまりは盟主である袁紹よりも先に、後方へ待機した軍に指示を送るという越権行為を犯す。

 実際に袁紹は自分達のことを考えるあまり、後方に待機させた友軍の存在を忘れていたのだから、そういう対応も無理もない話ではある。

 ――しかしそれは、連合軍として参加している劉備軍の越権行為を正当する理由には成り得ない。





 劉備軍から援軍の伝令を受けた公孫賛は、すぐさま援軍を送ろうとした。

 しかし、賓客として控えていた魯粛がそれを止める。

「お待ちください、公孫賛殿。劉備はこの連合軍において貴女と『同格』、援軍を指示される謂れはありません」
「――魯粛っ!? 桃香からの伝令は、こちらへの指示ではなく協力の要請だぞ!?」

 友軍の危機に向かおうとしていた意気を挫いた魯粛を、公孫賛は睨みつけた。

「協力だろうと何だろうと、同格の諸侯に指示されていることには変わりませんよ。一応の盟主である袁紹からの指示が来ていないというのに、同格の諸侯の要請に勝手に応じる気ですか? それは連合軍の盟主に対する『越権行為』ということに他ならない……」
「友軍の危機だろう!? 指示を出さない袁紹が悪いのであって、それを越権行為呼ばわりされる謂れこそない!」
「ちょ、ちょっと、伯珪様も落ち着いてよ~?」

 二人の様子が険悪になりそうな所で、その間に馬岱が割り込んでくる。……一応は非力な魯粛の方を庇う形で。

 どうでもいいが世間一般的には男である魯粛が、見た目少女な馬岱に庇われる形というのは情けないことこの上ない。まさに駄目男の象徴とでも言ったところだろう……まあ真実には、魯粛の身体は女性体なのだが。

「……でも伯珪様には悪いけど、どちらかというとたんぽぽも魯粛さんの意見に賛成かな~?」
「――っ、馬岱まで何を言っている!?」
「だってたんぽぽ達は、自分の州を代表して『連合軍』として参加してるんだよ? その連合軍としての筋を通していない劉備の、勝手な援軍の要請に応える義務も義理も無いと思いますけど~?」

 どんな理由があろうとも、連合軍として参加している以上盟主を差し置くことは許されない。

 しかも、その盟主を決める切欠を作ったのは劉備だという。なればこそ、尚更劉備軍はその責任からきちんと筋を通す必要がある筈だ。

「公孫賛殿……私も別に『見捨てろ』と言っているのではありません。ただ筋を通さない越権行為に乗ることは、無意味に公孫賛軍全体を不利に陥れる……幽州の代表としては、そのような愚考を採るべきではないでしょう」
「――魯粛、貴様はっ! 私が親友を助けに行くことを、愚考だと言う気か!?」

 一応は穏便な正論のつもりで説得しているが、どうにも弁論中は本来の『魯粛』の地が出てしまう。

 そんな魯粛の説得を聞いた所為か、公孫賛は頭に血が上ってしまって一向に落ち着く様子を見せない。かといってこのまま彼女を不利な立場に追いやるのは、世話になった魯粛としては不本意なことだった。

 助けを求めるように馬岱の方へ視線を送る。

 馬騰の教育が相当に行き届いているのか、馬岱の方は魯粛が最終的に言いたいことを理解しているようだ。公孫賛の波を荒立てない程度に、こちらを支持してくれるあたり間違いはないだろう。

「連合として『盟主』という代表を立てることは、決められた『約定』を各々が守りまとまる為でもある」
「……ば、馬岱?」

 突然真面目な顔をして話す馬岱に、公孫賛は驚きを隠せなかった。

「……あのね、伯珪様? 西涼の地はおば様を盟主とした、多くの諸侯の集う国の連なりなの。その中でたんぽぽも、文約お姉様とか仲の良い人は一杯いる。でもね? 例えば五胡との戦いでたんぽぽの軍が危機に陥ったとしても、文約お姉様達はおば様に許可無くそれを助けに動いたりはしないの。その勝手な救援の所為で、連合軍全体を危険に晒す可能性も出てくるわけだからね~」
「そ、そんな……」
「伯珪様は、西涼連合のそんな仕組みを『歪』だと思います?」

 ただ決められたルールだけを守る……それは全体の視野で考えれば、行動の幅を狭めることに他ならない。

 しかし、ルールを限定することでその団結を強化することにも繋がる。

「だ、だがその例えは、今の現状とは全く異なるだろう?」
「そりゃあそうですけどね……ただ各々の現場の判断ならともかく、劉備『から』援軍の要請に応じることはその範疇じゃないとたんぽぽは思いますけど~?」

 もちろん魯粛も、根っから人の良い公孫賛にそれを強要するつもりはない。

 確かに公孫賛と劉備の友情はとても美しいことかもしれないが、それを戦時にまで持ち出すのはナンセンスである。しかもそれを多くの兵を率いる将が、率先して行動するなんてことがあってはいけない。将たる者が目先の感情だけで動いては、率いられる兵達が迷惑するというものだ。

 まあ連合軍の賓客にすぎない魯粛が、そこまで突っ込める立場ではないのだが。

 虎牢関での献策という『縁』がなければ、魯粛もわざわざここまで深く付き合わうことはなかっただろう。

「公孫賛殿、要は建前として劉備の援軍要請を断ればいいだけなのですよ……問題はその一点だけなのですから」
「建前として?」

 今一度深呼吸をして、『魯粛』を抑えながら説得を続ける。

「その上で連合軍の本営に伝令を出します。……内容はそうですね、『遊軍である公孫賛軍は、独自の判断により連合軍を援護する』とでもして下さい。そうすることで、初めて現状独自に動いている曹操や袁術と同じとなるのですよ」
「――あっ!? そ、そういうことか!」
「もう~っ! 伯珪様ってば鈍すぎだよ~。回りくどい言い方の魯粛さんもどうかと思うけど、一国の主なんだからこれくらいの腹芸はこなさないと~!」
「……す、すまない」

 プンプンと頬を膨らませる馬岱が言うことは、おそらくそのまま馬超に当てはまることなのだろう。

 その苦労性には頭が下がるというものだ。……別に彼女の部下ではないけれど。

「では劉備の担当する左翼が崩壊しないうちに、手を打つとしましょうか。……馬岱殿?」
「はいは~い♪ 西涼軍はいつでも出撃できるよ~。あ、もちろん伝令はちゃんと本営に出すからね~?」
「それは重畳。……公孫賛殿もそれでよろしいか?」
「わかった……桃香の伝令は返して、それと同時に連合軍の本営に伝令を送る。そういう筋をきちんと通してから、西涼軍と協力して劣勢の左翼を援護する……それでいいのだろう、魯粛?」

 ――はい、よく出来ました。

 出撃する二人に、魯粛は当たり障りの無い言葉を送る。

「――お二人共、どうか気をつけて」
「うむ、行ってくるぞ!」
「行ってきま~す♪」

 馬超の調きょ……もとい教育の際にも思ったが、こうして物事の理性的に分別出来る人柄は素晴らしい。世の中には言葉で説明しても理解出来ないような野盗もいれば、頑固な性格から聞く耳を持たない人まで数多くいるというのに。

 公孫賛も馬岱も総合力で見ると『地味』ではある。しかし、下手に軍事的才能や人心掌握能力に特化した英雄よりは、普通に継続してに民を治められる『君主』としての才覚があると魯粛は思う。

 確かに稀代の英雄を君主に持つ方が、さぞかし魅力的に思えることだろう。

 だが稀代の、ということは稀少であることと同義。そんな英雄が二代も続く確率は限りなく低い。

(それは『三国志』という歴史が証明しているし、だからこそ劉備や曹操の天下というのはちょっとな~。……どちらかというと、まだ孫呉の孫家代々を支えていくという方針の方が楽そうな気もする。まあ二代分も長生き出来るとは思わないけどな……)

 個人的に思う劉備や曹操の二勢力と孫呉の勢力との違いは、あくまで『国』としての土台の部分のみ。

 『小覇王』孫策が若くして命を落とさなければ、いずれ孫呉は曹操に台頭して天下を取ることも可能だろう。ただ『小覇王』と呼ばれるような気性の孫策が、西楚の覇王の二の舞を踏むかもしれないという危険もあるが。

 そこは断金の誓いの『美周郎』に期待すればいいだろう。そちらも長生きさえしてくれれば、その心配も杞憂となる。

(……そうするとやはり、魯粛的にも孫呉が一番無難なのかね?)

 色々な意味での保険に名士グループとの繋がりを増やしているが、今の所は後の孫呉に組する地域が圧倒的に多い。

 あとは孫家が袁術から独立してくれれば、そちらへ流れることはわりと簡単なのだが……魯粛が得ている情報からは、いま少し時間がかかりそうだ。

「……まあ、別に急ぐことでもないか」

 二人が立ち去った天幕を見ながら魯粛は呟く。





 ちなみに全然登場しなかった馬超。

 彼女は敵が野戦決戦挑むつもりらしいと聞くと、馬岱の制止を振り払って出撃しようとした。

 だがいい加減マジギレした馬岱に、痛めてる両肩を強く掴まれ悶絶している間に捕獲される。まさに『馬の耳に念仏』状態に業を煮やした馬岱は、従姉である馬超を動けないように緊縛する…………が、這ってでも突撃しようとする馬超に呆れた魯粛は最後の手段を採ることに。

 それはずばり華佗御用達の麻沸散の投与。

 自分が抱えている症状用に余分に持ってきていた為、頭を抱える馬岱を見るに見かねてそれを使用することにしたのだ。流石の錦馬超でも、医療チートである華佗御用達の麻沸散に耐えられるわけもなく見事に昏睡する。

 その効き目の素晴らしさに、対従姉の暴走用に分けてくれと馬岱にせがまれたが……これは魯粛の命綱でもある為、今回だけの分与のみとした。

「お願い、魯粛さん! お姉様の暴走用に是非とも『麻沸散』を~っ!」
「あ~……うん、検討しときます~?」

 美少女の馬岱の涙目&上目遣いという究極のお願いコンボに思わず轟沈しそうになるが、側に居た公孫賛の冷めた視線で我に返る。

 いずれ華佗を西涼に向かうように示唆するので、そこで交渉してもらうことで何とか納得してもらった。

 それにしても、と魯粛は思う。

(何故この世界の女性陣は、誰もが無駄に積極的なのだろうな~? 全く以て『女』の身体であることが恨めしい……)

 もし本当に男性体だったら、まさに魯家はハーレムそのものだろう。

 世間一般的には既にそんな感じなのだが、実際にはただの女所帯にすぎない。いっそのこと百合にでも目覚めれば、気分もすっきりするのかもしれないが。

 それはそれでびびってしまう魯粛は、紛れも無く小心者だった。




[8531] 【ネタ】三国志外史に降り立った狂児 第八話「誤算」
Name: ユ◆213d3724 ID:22230291
Date: 2009/08/20 18:08

 ――洛陽を目の前にしての野戦決戦。

 公孫賛達の軍が戦線に参加したことで、戦局は当然のように連合軍の優勢へと傾く。

 それまで劣勢に陥っていた劉備軍の横を抜け、公孫賛達が率いる二万近いの騎兵が華雄軍の側面へと襲い掛かったのだ。普通に考えても戦局が動かないわけがない。

「……公孫賛殿も中々やりますなぁ」

 魯粛はその様子を見て感嘆の声を零す。

 昏睡している馬超を護衛する西涼兵数百と共に、後方で大人しく待機していた魯粛は前方の戦局の変化を太史慈達とじっくりと考察していた。

「あの騎兵運用はまさに『見事』と言わざるをえませんねー」
「確かに。あれ程の練度を積み重ねているのは、流石は馬術に定評のある州軍と言ったところでしょうか?」
「……定公姉も見たかっただろうな、コレ」

 どうでもいいけれど、メイド服を着た三人がこうして戦術考察とかしている構図はかなりシュールである。

 ちなみに施然の言った人物……名は呂岱、字は定公と言う。

 史実的には結構地味な人物ではあるが、孫権に仕えてから呉県の丞、交州刺史を経て、最終的には呉の第二代皇帝孫亮に大司馬にまで任命されている。主に交州・広州を活動圏にしており、南方の国々との交渉や多くの反乱鎮圧などの功績を挙げていた。特に三国志的にこの人物の注目する点といえば、九十六歳という若くしてこの世を去った英雄が多い三国志では、異様と言ってもいいくらいの『長寿』だろうか。

 この世界では年上の姐御っぽい豪放な性格の女性で、魯家においては武官派の筆頭である。兵を用いた戦いでは魯家の中で一番の経験を持っており、彼女の指揮下で動く太史慈達は水を得た魚のように動く。そういう意味で魯粛からの信頼度も高く、何が起こったとしても対処できるように今回の留守番役を任せている。そしてそれを補佐するのは当然ながら文官派筆頭の顧雍であり、魯粛は安心して魯家を留守にすることが出来るわけだ。

(……ぶっちゃけてしまえば、私が魯家にいたところであまり役には立たないし、ね)

 致命的な身体的欠陥を持つ魯粛だから仕方がないのだけど、一応商家の主である自分が役立たずというのは結構堪えるものである。

 ただそれを愚痴ったところで、すぐにその問題が解消されるわけでもない。色々と吹っ切った過去の中には、そういった鬱積したものも多々あった。世間ではお気楽自由に生きてる若旦那とか思われているが、これでも結構気に病むことは多いのだ。

「まあ定公にはじっくり土産話として話してやればいいさ、義封」
「ん……そうする、御主人」

 コクコクと頷く施然は見ていて和む……が、一応は戦場には違いないので意識をそちらに戻す。

 戦術的な才能まではない魯粛が見ても、それがどれだけ高度な馬術なのかは理解出来る。

 多数の騎兵を有しているからといって、闇雲に敵陣へ突撃するのではない……公孫賛率いる『白馬義従』が得意とする、所謂『騎射戦法』と呼ばれる騎兵運用を西涼軍と共同した二万近い騎兵で行っているのだ。……その威力は言わずもがな、だろう。

 もちろん地形的に敵は城を後背においているので、側面を攻撃しようという騎兵の動きはかなり限られる。騎兵の常套手段としては突撃による横撃が基本ではあるだろうが、しかし公孫賛達の騎兵運用は伊達ではなかった。

 陣形を縦列に布いて敵の側面を弧を描くように駆け抜け、その円周部が敵と接する場所に兵達が次々と矢を射掛けていく。防御を固める円陣とは違った意味での円陣とでも言うべきか。魯粛の知る知識的にその戦法は、日本の戦国時代で上杉謙信が使ったという回転しながら波状攻撃を仕掛ける、『車懸りの陣』にイメージ的に似ている気がしないでもない。ただ本来の戦法が直接攻撃なのに対して、今回の場合は間接攻撃のみなので威力は多少落ちるのかもしれないが。

 ちなみに陣形を長く縦列にしているということは、騎兵のただでさえ低い防御力を下げていると同義である。しかもほとんどが弓を装備していることから、二万近い大軍とはいえ反撃されたら相当に弱いと言えるだろう。

 しかし、正面で劉備軍と交戦中の華雄軍に反撃を返すだけの余裕はなかった。

(兵力は少ないとはいえ、関羽に張飛に趙雲……おまけに臥龍鳳雛まで揃っている劉備軍だからなー。多少の兵力差があったとしても、簡単に勝てる気がしない……)

 公孫賛達の騎兵の大軍を見て華雄が下した判断は、敵の突撃による直接攻撃に対応する為に槍部隊を側面の前線に集めること。これは遠目に見た魯粛の推測にすぎないが、華雄軍の側面に特に動きがなかったことから、元々用意しておいただろう騎兵に対する策を採ったのだと思う。

 どちらかというと猪突系の将である華雄にしては、随分と冷静な判断をしたものである。おそらくは事前に陳宮辺りから策を受けていたのだろうが……公孫賛達がそのまま突撃していれば、馬防柵のように固めた槍部隊とぶつかっていた筈だ。いくら突撃力に優れる騎兵といえど、予め対応策を用意された防御陣には基本防御力が低いので弱かったりする。……もちろん呂布とかが先頭を駆けているとかなら話は別だが。

 だが公孫賛達はその華雄の判断を、冷静にかつ迅速に上回り対処する。

 基本的に一般兵が持つ槍は大体が両手槍であり、両手が塞がっているということは盾を持ってはいないということだ。しかも部隊を固めて集めているということは、完全に軍としての機動力を殺すことである。その前線の状況を見て、公孫賛は瞬時に全軍を直接攻撃から間接攻撃へとシフトした。そんな非常識極まりない騎兵運用も、公孫賛達の率いる優秀な騎兵であればこその芸当と言える。

 結果として華雄の判断は完全に裏目となり、二万近い騎兵の騎射による間接攻撃で散々なダメージを被ることとなった。完全に機動力を殺してしまった為、すぐさま反撃に動くこともままならない。せめてもの救いといえば、二万近い騎兵の一斉射撃ということではなく部分部分での射撃ということだろうか。……ただし、その射撃の時間差が限りなく短い波状射撃ではあるが。

 華雄軍も弓兵で応戦すればいいのだが、相手は止まっている的でこちらは動く的……どちらの方が効果的に射撃出来るかは一目瞭然だろう。

(普通は二万近い騎兵が接近してきたら、騎兵突撃による直接攻撃を想定するだろうけど…………自分でもきっとそーする。ただ実際に動かなかったということは、おそらく側面に槍部隊を構えてあったということで、一応連合軍の遊軍騎兵が攻めてくるとは読んでいたということか。つまり迂闊に突撃していれば大損害を受けていた可能性が高かった、と。ここで公孫賛達が大損害を受けていたら、と思うとぞっとするな……)

 その場合には劉備軍はそのまま押し切られただろうし、その後は連合軍本営に横撃を受けていただろう。更にそれに中央の呂布軍が呼応すれば、下手をしなくとも戦況をあっという間に覆されそうな気がする。後の英雄達が揃っているとはいえ、現状では連携に欠けるただの連合軍でしかないのだから。

 元々この戦争にはそういう危険性が常にあったと魯粛は思っている。

 そもそも史実で反董卓連合は最終的な決着がつかずに瓦解しているのだ。董卓は洛陽を焼き払って長安に遷都するし、連合軍は諸侯の足並みが揃わず作戦面で袁紹は孫堅や曹操と対立するなど、まともな戦争が継続出来る状況ではなかった筈。史実の知識を持つ魯粛としては、孫堅がいなかったり袁紹らが女性だったりという驚愕の事実により、全く先の展開が読めない戦争といってもよかった。

 故に色々と保険をかけておいたのだが……

「さて、公孫賛殿と馬岱殿の参戦で勝敗は連合軍に傾いたようだ。……これで決まり、かな?」

 これはある意味で歴史の改変に当たるのかもしれない。

 実は彼女達が使っている戦法は、この行軍中に魯粛が暇潰しに献策していた戦術構想の一つだったりする。

 まあ献策とはいっても、魯粛に転生してからはや十数年。三国志の知識だけは死亡フラグ回避の為に必死に残してはいたのだが、身体的欠陥などもあってそれ以外の知識がかなり記憶から欠落していくことはどうしようもなかった。魯粛という高スペック転生でなければ、三国志の知識ですらほとんど失っていたのではないかと思われる。つまりは様々な戦術構想を断片的に覚えていたとしても、実際にそれを実行する為の具体的な説明をすることは魯粛には出来ないわけだ。

 本来の魯粛の頭脳を使うことが出来れば失われた記憶を掘り返すことも可能かもしれないが、現実はそんなに甘いはずもなく身体と精神の歪みはこんなことにすら多大な影響を及ぼす。具体的に言えば、本来高スペックである魯粛の頭脳を無理に使おうとすると、その脳に尋常ではない負荷がかかるのだ。

 ……初めてそれを試した時に、数日間生死の境を彷徨ったというのは苦い思い出である。

 そんなこんなで雑談交じりに物珍しそうな戦術構想を、魯粛は軽い気持ちで断片的に公孫賛達に色々と話していただけだった。どうせ机上の空論というか、まともな戦術を構築することは不可能だろうと思っていたのだ。しかし、どうも魯粛のことを過大評価してしまっているのか、彼女達はその戦術構想を真剣に検討して運用可能なレベルにまで構築してしまう。……その結果がアレである。

「うっかりにも程があるだろう、常識的に考えて……」

 現在の戦況に限定される戦術ではあるが、大規模な騎兵の騎射による波状攻撃……騎兵としての常識に囚われないこの戦術は、正統派の戦術を使う相手が読みきることは難しいだろう。実際に華雄軍はかなりの被害を出している。

 そしてこの状況は呂布の存在を計算に入れたとしても、もはや戦局を覆されることはないと魯粛は見ていた。

 つまり史実では決着がつかない筈の戦いが、連合軍が勝利するという形で終わるとことになる。初期に二十万はいたと思われる董卓軍は、この敗北によってほぼ全滅と言っても過言ではない。……それを最終的な結果に導いた一因には、本来ならここにいない筈の魯粛の献策も当然ながら含まれる。

 もちろんそれが全てではない。この時期に何故か亡くなっている孫堅や、体調が優れずに馬超を名代としてよこした馬騰、それに臥龍鳳雛を揃えているという劉備のこともある。孫策がこの時期に袁術の客将になっているというのも、不確定要素の一つと言ってもいいだろう。

 それは必ずしも魯粛一人による改変とは言い難い。

 しかしこの戦いが終わった時の死亡者は、双方を合わせれば三十万に限りなく近くなると思われる。元々史実ではそこまでの戦いになってなかった筈だが、この世界ではかなりのレベルの激戦となってしまったわけだ。

「私の所為で……とか思うのは傲慢なんだろうなぁ。あくまでも色々な要因が重なった結果にすぎないし……」

 陳登を介しての徐州刺史の依頼、受けると決めたのは魯粛自身の責任。

 下手に対応を失敗すると徐州という土地の評価が危うくなることから、動かざるをえなかったのは確かではある。それに他の群雄諸侯を一目でも直接見ておくことは、後の乱世を生き抜くにあたって必要なことだと魯粛は思っていた。臣下として仕えるにしても、あくまで商人として付き合うにしても。

 何より魯粛が知っている知識とは様々な相違が見られるこの世界、あらゆる事態を想定しておくに限るだろう。何だかんだで死亡フラグには容赦がない時代、ということには変わりないのだから。

 その為にこの戦争に参加した際に、自分の身を守る為に様々な手段を講じた。公孫賛達に戦術構想を献策したのもその一つ。短い期間とはいえこの身を預ける以上、最低限の安全を確保したいと思うのは小心な性格の魯粛としては当然のことだった。結果として相手の兵がどれだけ死のうとも、見知らぬ他人の死と自分の生命ではどちらが優先されるかは言うまでもないだろう。

 未来から転生し多少の知識があったからといって、誰もが『善人』になれるわけがない。ましてや今の魯粛は身体と精神の歪みという『欠陥』を抱えている。

(やれやれ、難儀な人生というか何というか……)

 もし『魯粛』という人物への転生でなければ、一切歴史には関わらなかったかもしれない。

 しかしこうして歴史上の人物に転生してしまった以上、完全に無関係というわけにはいかないのだ。正史か演義かはわからないが、魯粛という人物が何もしないことで大陸の統一に影響を及ぼす可能性があるのだから。もちろん関わらないことで歴史より良い結果になる可能性もある。しかしそれを見極めることは、まさに『神』にしかわからないことなのだ。精神的に凡愚な魯粛としては、自分なりの最善を尽くすしかない。

 ……だがこうして『うっかり』が続くことに、魯粛の不安がひしひしと増すのは誤魔化せなかった。





三国志外史に降り立った狂児 第八話「誤算」





 次々と報告される戦況に、音々音は目の前を絶望で染められていく。

「――こんな、こんな筈じゃなかったのにっ!?」

 思わず報告に来た伝令に八つ当たりしそうになる。

(お、落ち着くのです! 軍師であるねねがここで取り乱しては、更に状況は悪化するだけ……)

 音々音が選んだ洛陽を前にしての決戦とは、篭城するしかないだろうと思っている相手の意表を突くという『奇策』だった。

 現状数で劣る董卓軍が連合軍を相手にする場合、こちらが洛陽に篭城するだろうと想定するのが普通である。つまりその通りに篭城するということは、敵の予測の範疇で動いているにすぎないわけなのだ。予測の範疇ということは、向こうには気持ちの余裕があり様々な策を練ることも可能……一方こちらの立場は、敵がただやってくることを待つという受身の姿勢である。何より篭城して洛陽を戦火に巻き込むということは、董卓軍を最後まで支持してくれた民衆の気持ちを裏切ることになってしまう。

 故にあえて篭城せずに打って出ることで、それらの立場を逆転してしまおうと考えたのだ。

 相手の予測の範疇を覆すことで、今度は敵が策を読まれたのではないか?などと迷う番になる。戦いの主導権をこちらに移すことにもなるし、野戦に限るならば洛陽を戦火に巻き込むこともない。今董卓軍に求められていることは、主君である月達を逃がす為の時間稼ぎである。相手に自由な選択を与えないことでその主導権を奪い、兵力差という不利を補いつつ戦局を維持するのが音々音の基本的な戦略だった。

 だが開戦前に連合軍本陣から離れ、迂回して他の門へ向かうという曹操軍の行動によりその主導権が再び奪われる。

 迂回する曹操軍を放置することは出来ず、しかも並みの将では相手にならないということもあり、全軍の三分の一である張遼軍を当てざるをえなくなったのだ。更にはそんな状況下で戦端が開かれるという最悪の事態が続いてしまう。

「華雄殿は決死の覚悟かもしれないですが、あれだけの規模の騎射を受け続けるのは拙いです。――伝令っ! 華雄軍に後退の指示を告げるのです!」

 正面の敵と交戦しながら後退すれば、その騎射の射線に正面の敵が入る。当然ながら味方を撃つわけにはいかないので、遊軍の騎兵は射線を変えなければならない。しかし戦場の配置的に射線を変えるのは難しく、今更突撃しようにも正面の敵と乱戦に持ち込んでしまえばそれも出来ないだろう。

 少なくとも現在より兵の消耗は減らせる筈だ。

(……華雄殿の奮戦を無駄にするわけにはいかないのです!)

 汜水関以降の失態からか、華雄はこちらの指示を徹底的に守っている。

 兵数で勝る敵右翼を押しながら、敵の遊軍である騎兵を釣り上げるのが目的。正面で交戦中に騎兵に側面を晒すことで、その突撃を誘うように指示したのだ。もちろんそのままでは多大な被害を受けるだろうから、槍を持つ歩兵を多く側面に配置するという罠を張った。

 上手くいけば敵本陣を突く流れになったかもしれないのだが、遊軍の騎兵があまりにも常道を逸した所為で破綻してしまう。

「――というか普通二万近い騎兵を有しておいて、突撃せずに騎射のみとか……どれだけ消極的な戦術なのですかっ!?」

 こちらの罠を読んだとしても二万近い騎兵となれば話は別である。

 噂に名高い西涼騎兵の打撃力であれば、多少の罠くらい食い破れると考えそうなものなのだが……と、考えたところで一つの事実に気づく。

(あっ! 勇猛と名高い西涼軍総大将の馬超は、確か恋殿が負傷させてたっけ?)

 普段より突撃力に欠けるのであれば、代行する指揮官が消極策を採るのも無理はない。

 それに遊軍騎兵には西涼軍だけではなく幽州軍が共同していると聞く。おそらくそこにそれなりの知恵者がいたのかもしれない。つい過小評価をして敵戦力の分析を怠ったのは、軍師としての音々音の失敗である。

「でもそんな情報は入ってないのに、一体どこからそんな軍師が沸いたのやら……全く目障りなことこの上ないのですぞ!」

 両腕を振り上げて音々音は憤慨する。もちろん苛立ちが納まらないのは、それらの報告だけではないからだ。

 両翼に配置した両将軍は予想以上に奮闘してくれているが、ただそれ以上に呂布軍が正面で相手をしている袁術軍が非常に厄介な戦術を執ってきているのが問題だった。こちらが誇る『天下無双』の決定的な弱点を突いてくる辺り、敵の指揮官は相当に性悪な性格と思われる。

 張遼軍は誘引してきた曹操軍との戦いに手間取っているようだし、そろそろ引き際を見極めなければならないのかもしれない。

 ……賭けに出た董卓軍の前には不穏な暗雲が漂い始めていた。





 ――呂布軍と正面と交戦中の袁術軍本陣。

「う~ん、今のところ順調なようですね~♪」

 戦況を見ていた七乃は楽しそうに呟く。

 前線では数千以上の兵の命が失われている戦場だというのに、指揮を執る七乃の顔に全くの迷いはない。

「七乃? どうして孫策の奴を呂布に当てないのじゃ?」
「ふふふ、孫策さんでは呂布さんには絶対に勝てませんからね~。もし勝てるのであれば、虎牢関の戦いで呂布さんの頸を挙げている筈でしょうし……」

 蜂蜜水を飲みながら訊ねてくる美羽に、七乃は当然のように答えを示す。

 今の袁術軍の中で最大戦力といっていいのは、間違いなく孫策が率いる孫呉の兵である。しかし虎牢関での戦いを見る限り、向こうの最大戦力である呂布とこちらの孫策ではどう見てもこちらの方が分が悪い。最大戦力同士でぶつかって負けてしまっては、いくら兵力差があるといっても勢いで押されてしまうだろう。

 ならば最大戦力を互いに別の場所へ向けることで、押しつ押されつの消耗戦に持ち込むことが七乃の狙い。

 つまり呂布が出てきても雑兵を大量に当てるだけで対処し、その一方で孫策に呂布がいない所を攻めさせる。呂布の単独突破力を考慮すると下手をしなくてもここ本陣が危険になるのだが、孫策はこちらの予想以上に上手く動いてくれているようだ。具体的には呂布がこちらに攻め込んだ分、孫策が向こうに攻め込むという簡単な図式である。ちなみにこの消耗戦……呂布が味方を省みない性格だと成り立たない策なのだが、虎牢関の時の状況を考えるに呂布は味方を守る性格だと七乃は推測していた。

 今のところ思惑通りに事が進んでいるのは間違いない。どれだけ時間がかかろうと、最終的に勝てればいいと七乃は思っている。

 呂布はこちらの本陣近くまで攻め込んではくるものの、孫策が逆に向こうの本陣近くまで攻め込むのでその度に已む無く後退を繰り返す。董卓軍の両翼に配置されている将軍ならいざ知らず、並みの将では孫策の勢いを止めることは出来ない。おそらく本陣には全体を指揮する軍師がいても、それ以外の人材は向こうにはいないのだろう。本陣の危機を救うべく呂布が後退すると、時を同じくして孫策も後退して次の呂布の突撃に備える。

 押しては退いてと繰り返し、呂布はこの戦場で誰よりも激しく動き回っていた。

「でも七乃、妾の軍が無駄に消耗していくのは面白くないのじゃ!」
「別にいいじゃないですか、お嬢さま。減ったら減ったでまた後で十分に補充すればいいだけの話です。豫州の人口にはまだ余裕はありますし、褒賞を求めて兵隊になる民なんていくらでもいますからね~」
「む? そうなのかえ?」
「はい~♪ あ、蜂蜜水のおかわりいかがですか~?」

 待機させていた従者に手早く蜂蜜水のおかわりを用意させる七乃。

 いつもなら飲み過ぎないように注意しているのだが、今回だけは下手に機嫌を悪くしてもらっては困る。普段の二倍くらいの甘やかしのおかげで、我が麗しのご主人様はとてもご機嫌のようだ。刻一刻と変化する戦況にまるで興味を示さない。

 要するに現在の袁術軍は、臣下である七乃が完全に掌握しているわけだ。

(でも流石は『天下無双』と謳われただけはありますね。あの美羽さまが気づく程に、既にこちらは三分の一近い消耗を強いられているのだから……ですがそれは向こうも同じこと。しかも向こうは『守る』戦いでこちらは『攻める』戦い、どちらの方が身体的にも精神的にも消耗が激しいかは自明の理というもの)

 呂布は戦況を覆す為にもこちらの本陣を早々に突きたい筈。しかし全ての兵が呂布のように動けるわけもなく、更に呂布軍の本陣は隙あらばと孫策に攻め込まれている。孫策の兵を何とかしようにも、呂布より孫策の方が用兵術が上回る為に上手くぶつかることが出来ない。結局打開策が見出せぬまま、呂布は一人身体的にも精神的にもかなり消耗していた。

 あの呂布が十数回は突撃を仕掛けておいて、未だに袁術軍の本陣を突けていないのがその証明である。

「ふふふ、いくら『龍』のような呂布さんといえど所詮は人間……その体力は無尽蔵ではないですからね」

 現在袁術軍の客将としている孫策という人物を例えるのなら『虎』。確かに獰猛な野性を秘めてはいるが、大雑把な枠組みでいうのなら『動物』にすぎない。上手く習性などを利用してやれば、その手綱を握ることは十分に可能である。

 孫策にとって一番大事なことは『孫呉の再興』だろう。ならば客将として仕えている袁術……美羽の存在が邪魔になるのは必然。

 虎視眈々と独立の機会を狙っている孫策にとって袁術軍が消耗することは望ましい。故にこちらが無駄に消耗する策に反対する筈もなく、この戦いにおいてはこちらの指示に良い様に従ってくれていた。おかげで碌な名将がいない袁術軍でも、互角以上に呂布軍と戦えている。……何だかんだで数だけは多いのだ、袁術軍は。

 つまり孫策のような『虎』であるならば、まだ人の手で何とか出来るものである。

 しかし、それが『龍』となってくると話は別だ。

(……あの文醜ちゃんや顔良ちゃんが全く敵わなかったという、その呂布さんの常識外れた『武』。あのような者が存在していては、いずれお嬢さまに多大な害を及ぼすでしょう。どうしても個人戦で討ち取ることが出来ないのであれば、集団戦という別の戦場に持ち込んで討ち取るだけです。味方思いの呂布さんならば、乱戦という戦場での隙を狙うのが最善かしらね?)

 既に兵卒には大将首をとにかく狙うように扇動している。

 褒賞目当てに徴兵に応じたような兵だから、恥も外聞もなく必死になって呂布の首を狙うだろう。例え卑怯な手で呂布を討ち取ったとしても、戦争に勝ってしまえばそんな風評はいくらでも打ち消せる。それに塵芥の雑兵の偶然の手によるものならば、いっそその雑兵ごと証拠隠滅してしまえばいいだけのこと。

 実際に七乃の狙い通りに呂布はかなり消耗している。

 このままの状態を維持出来れば、或いは呂布を討ち取れるかもしれない……と思った矢先の出来事だった。

「で、伝令ですっ! 連合軍盟主の袁紹様から、袁術軍は陣を右翼に移動させよ、と……」
「――な、なんじゃとっ!?」

 それなりに好調に進めていた計画をぶち壊しにする伝令が届く。

 美羽はその急な伝令に対して憤慨していたが、傍らにいた七乃は思った以上に冷静さを保っていた。ここまで事を進めてきた当事者だというのに、その顔には動揺の欠片もない。むしろ「やっときたか」と言わんばかりの表情。

(……この時機でこうきます、か。あともう少しで、呂布さんを討ち取れたかもしれないというのに…………残念ですねぇ~)

 あまりの展開に思わず苦笑する七乃。

 袁紹という人物の本質を知っている者には、特に驚くようなことではない。連合軍盟主の袁紹の横槍は、七乃が想定していた事態の一つでもあった。何事も自分の思うとおりに事が進むなどと増長するような性格ではなく、あらゆる事態に備えてあらゆる手段を講じることが出来るのが張勲という人物の本質なのだ。

 そうでなければ豫州を中心に、この美羽という君主を立てて国を興すことなど出来なかっただろう。

「……まあ仕方ないですね、お嬢さま。相手を包囲するという意味で、誰かが右翼に移動しないといけないですから」
「だったら麗羽の奴が右翼に回ればいいではないか!」

 美羽にしては中々鋭い指摘ではあるが、相手がアレでは仕方がない。

「あの~、お嬢さま? 麗羽さまにまともな常識を求める方がどうかしていると思いますけど。それに一応我々の軍の消耗も厳しいことですし、ここは我侭を聞いてあげた方が楽かもしれませんね~」

 交戦中に陣を移動することは、戦端が開かれる前に移動し始めた曹操軍とは難易度が桁違いに高い。優秀な呂布軍の軍師がそんな隙を見逃す筈もないのだが、ここで今までの戦いによる呂布の消耗が生きてくる。ここで袁紹軍までもが参戦するという事態を前に、肝心の呂布が疲労で倒れてしまっては元も子もない。政治的状況から今更呂布軍が洛陽内に逃げ込むことはないだろうし、この機会を逃せば次に休める機会はないのが現実。

 これまで理詰めな戦いを挑んできた敵の軍師なら、これを再編と休憩の最後の機会と捉えて攻撃を控えてくる可能性が高い。

 故に今と限定すれば、陣を移動することは十分に可能だろう。

 それに上手く包囲を維持することができれば、この後に呂布を討ち取る可能性も出てくる。七乃としては後々の面倒を考えると、呂布という『龍』の存在はここで消しておきたい。もう一方の『龍』という象徴……つまり衰退した漢王朝の皇帝の方は、後でいくらでも処理することは可能だろうから。

 瞬時にそこまでの計算をしつつも言葉で上手く誤魔化すあたり、七乃は美羽以外の他人に対してはどこまでも容赦がなかった。

「む~……不本意ではあるが、七乃がそう言うならきっと間違いはないのであろ。……伝令、麗羽に『わかった』と伝えるがよい!」
「――は、はっ!!」

 蜂蜜水のおかわりが効いているのか、七乃の主はあまり事を荒立てずに納得してくれたようだ。

 伝令が戻っていくのを見届けた七乃は、今度は孫策の陣へと伝令を放つ。特に『盟主からの指示により陣を移動させる』と主張して。

(これで袁紹さんと孫策さんの間に上手く亀裂が入るといいのだけれど。まあ扱き使っているのは私達も同じだけど、連合軍の盟主としての無茶苦茶な命令とは格が違うでしょうし……)

 このような突発的な事態にも、瞬時に対応出来るのは流石と言える。

 無駄に敵を増やしているようにも見えるが、下手な隙を見せずに相手の弱点をしっかりと把握している辺り侮れない。もし普段の美羽を甘やかす七乃の姿が広がっていなければ、各国の首脳陣からさぞ睨まれていたことだろう。……それだけの能力を七乃は秘めている。

 しかし、七乃にはその能力を滅多に使うつもりはなかった。

 何故ならば彼女にとっての一番は、自分が仕えているご主人様がしたいことをすることのみ。そこに余計な思惑が入る余地はなく、その為にどれだけの犠牲が出ようが彼女にとっては些細なことである。例え負ける戦いと分かっていても、美羽の無茶苦茶な指揮で戦うことこそが七乃にとっての至高であり、今回の戦いも美羽の好きにさせようと思っていた。

 だがあまりにも呂布という存在は危険。とてもではないが余裕を持って戦える相手ではない、と虎牢関での戦いを見ていた七乃は結論付けたのだ。

 その為の蜂蜜水のおかわり公認作戦である。

「――お嬢さまの安全が何よりも優先。私はお嬢さまがいれば、それだけでいいんですから……」
「七乃? 何か言ったかえ?」
「いえいえ、何でもないですよ~♪」

 こんな状況でも美羽は無邪気な笑顔を晒す。

 数十万の兵士が死んでいったこの戦争、その本当の意味を知ることなく彼女は乱世を生きる。どれだけ多くの業を背負っても、彼女は無知故に純粋無垢をいつまでも保ち続けるのだろう。……傍に七乃という腹心がいる限り。

 そんな歪んだ主従が進む道は、いつ破滅を迎えてもおかしくはない。しかしどんな状況に陥ったとしても七乃は美羽と共に生き、そして共に死ぬのだろう。

 それもある意味では『忠義』のようなものかもしれない……あまりに常軌を逸してはいるが。




[8531] 【ネタ】三国志外史に降り立った狂児 第九話「決着」
Name: ユ◆1002f464 ID:22230291
Date: 2009/11/25 00:08


「──……ぐっ!?」

 全身を襲う激しい痛みが、闇へと沈んでいた意識を強引に浮き上がらせた。

 身体に触れる感覚から、どうやら自分は地面に倒れていることがわかる。何とか起き上がろうとするが、どうも後手に拘束されているらしく、一人では上手く起き上がることが出来ない。少し動くだけでも傷に響くのだから尚更だ。

 そんな風に悪戦苦闘していると、すぐ近くに人の気配を感じる。

「──あら? ようやく気づいたのね、『張遼』?」
「っ!?」

 その声に驚いて起き上がろうとしたが、縛られながら無理に動いた所為で、全身に負った傷の痛みに悶絶する霞。

 するとその姿を見ていたらしい、一人の少女が楽しそうに声をかけてくる。

「……あぁん? アンタ、誰や?」
「ふふふ……つい先程まで戦っていた相手だというのに、随分とつれない言葉ね? それとも私なんて眼中になかったのかしら?」

 こちらを見下ろしている少女の姿を今一度見直す。

 蒼い戦装束に身に纏い、金色の髪を横で二つに結んだ『背の小さい』少女。その少女を中心にして霞を囲うように将が並んでいることから、彼女はおそらくこの軍の総大将に位置する存在だろう。そして彼女達の背後にたなびく旗には『曹』の文字……とくれば、流石にぼけていた霞の思考も一つの結論を導き出す。

 痛む傷を堪えて霞は目の前の少女に不敵に微笑む。

「ああ、アンタ……曹孟徳やったか。アカンな、夏侯惇との一騎打ちが楽しすぎてアンタのことは忘れてたわー」

 そう言うと曹操の傍らに視線を送る。

 霞の視線に答えたのは、胸を張りながら豪快に笑う長い黒髪の女性……大刀を携えた曹操軍の将軍の一人、夏侯元譲。

「はっはっは、張遼。華琳さまのお顔を忘れるなんて、お前は実に『馬鹿』だなぁ~」
「はっはっは…………?」

 つられて笑ってしまった霞に、次の瞬間曹操軍の陣営にいた全ての人間が、揃って『憐憫』の感情を向けたことに霞は首を傾げた。戦馬鹿な性分としては特別おかしな話ではないと思ったが、周りの人間の引き攣った顔を見る限り只事ではない様子。しかし霞としてはその理由が思いつかない。

 そんな自軍の反応に深々と溜め息をつく曹操。

「──少し黙ってなさい、春蘭。……それにしても張遼、あなた怪我のわりには随分と余裕がありそうね?」
「いや、かなり痛いんやけどな。……でも捕らわれの身のウチが、今更そんなこと気にしても仕方ないやろ?」
「まあ、それもそうね」

 戦場において敗軍の将が待つ運命など決まっている。

 女性という立場はともかく、ここまで敵対したのだから問答無用で斬られてもおかしくはないだろう。負け戦だったとしても、損害を全く与えなかったわけではないのだから、敵対した軍の総大将としては何らかの処罰をしなければ示しがつかない。

 それに先程から戦場にしてはあまりに静か過ぎた。

 おそらく霞の部下達の性格を考えるに、誰一人として敵軍に投降することはなかったと思われる。大将である霞が重傷で今まで気絶していたことから、かなりの確率で部下達は『全滅』していると考えていい。

(最後まで御供すると言っておきながら、先に逝くなんてズルイやないか……)

 あの副官のことだから、きっと最後まで我を通したのだろう。武人としての最後を貫けたのであれば、霞としても何も言うことはない。

 ならば董卓軍の将軍の一人として、霞が採るべき選択は一つだけだ。

「──ウチは降るつもりはない、はよ殺しぃ」

 神速将軍と謳われた霞程の将であれば、投降を受け入れられる可能性は高い。

 しかし、霞にも月に仕える将の一人としての矜持がある。洛陽までの戦いで死んでいった多くの兵達の為にも、一人だけ生き残るなんて真似はとても出来る選択ではなかった。

 曹操は頑として投降を拒む霞を、腕を組みながら面白そうに笑う。

「ふむ、中々の忠誠心ね。それほどの人物なのかしら? あなた達が仕える『董仲穎』とは」
「ああ……少なくとも、アンタらとは比べ物にならないくらいに『仁君』やな」

 皮肉をたっぷり込めて霞は言ってやる。

 読むのも馬鹿らしい檄文に書かれた内容とは正反対の人物なのだ。ただ肝心の月はともかく、詠に関してはそれほど虚偽でもないかもしれないが。彼女は親友である月の為ならば、いかなる手段をもってでも目的を遂行するだろう。

 そんな皮肉などまるで気にしていない曹操は、こちらを見ると相変わらず面白そうに笑う。

「なるほど。じゃあやっぱり捕まえましょうか?」
「は?」
「ふふふ、惚けても無駄よ? あなた達の戦い方から考えて、既に洛陽に『董仲穎』はいない。おそらく戦闘開始前に、早々と洛陽を脱出したのでしょう?」

 曹操の言葉に、霞は今まで保っていた平静を崩されていく。

「普通に考えれば地元の涼州方面に逃げるのだろうけど、ここは裏をかいて南へ逃げたのではないかしら? 戦場で見かけないことから賈文和とやらも一緒で、たとえ護衛がついていたとしても流石に呂布程の将はもういないでしょう? 今すぐ春蘭に軽騎兵で追わせれば、捕らえられないこともないわね」
「──っ!?」
「あら、図星だった?」

 悪戯っぽく笑う曹操を見て、霞は戦慄せずにはいられなかった。

 今述べた曹操の予測は、まさしく詠が考えた脱出作戦そのものだったのだから。しかもその策を読んだ上で対応する策を、この僅かな時間で思いつく。見た目の小さい身体からは、想像も出来ない程に彼女の『器』は大きく深い。

 このままでは確実に曹操に、洛陽を脱出した月達を捕らえられてしまうだろう。

 二人の為にも何とか時間を稼ぎたいところだが、曹操という人物の大きさに混乱する霞には良策が思いつかない……元々謀には弱いタイプなのだ。

「──ちょ、ちょっと待ったてや!?」
「駄目よ、待たないわ。──春蘭、軽騎兵を二百程率いて南方面を追いなさい」
「はっ!」
「あと念の為に涼州方面にも同様に追撃隊を組んでおきなさい……そっちは秋蘭に任せるわ。護衛が何人かついており、身なりが高貴な人物がいたらそれが董卓と賈駆よ。その二人だけは確実に生け捕りなさい、後の護衛は処分していいわ」
「了解しました、華琳さま」

 次々と指示を出していく曹操に、霞は焦燥感で埋められていく。

 二人の護衛を任せたのは高順という武人だが、自分が一騎打ちで負けた夏侯惇や、弓の名手である夏侯淵が相手では流石に分が悪い。彼女達の内の一人ならともかく、他に軽騎兵が二百近くついてくるならば尚のことである。それだけの数から武器を扱えない二人の少女を守り通すことなど、それこそ恋でもなければ不可能だろう。

(ゆっくり考える時間すらくれんとは、意地の悪い奴やな……)

 この状況で彼女達が冗談を言う筈もなく、その手配が本気であるというのは間違いない。

 このまま何もしなければ、あの健気な主君とその軍師は確実に曹操の手に落ちる。袁紹らに比べれば多少はマシかもしれないが、肝心の曹操という人物の噂もあるし、どっちにせよ碌な目に合わないことは確かだろう。彼女に仕える霞とはしては到底見過ごせないことだ。

 だが脅しをかけながらもこちらの反応を常に窺っている曹操の目を見て、霞は彼女が望んでいることに気づいてしまう。

 それは現状を打破するに、最も簡単で手っ取り早い解決方法……

「──わかった、降る。ウチが降るから、董卓達は見逃してくれんか……」

 つまりは『敗北宣言』。

 曹操は間違いなく本気だ……これ以外の選択では、彼女は諦めないだろう。敵に降り生き恥を晒すことは武人として屈辱的ではあるが、それを頑と拒んで主君を窮地に誘っては本末転倒である。

「ふふふ……賢い娘は好きよ、張遼。……ああ、春蘭に秋蘭、追撃部隊の編成はもういいわ」
「……か、華琳さま? よろしいので?」
「姉者、細かいことは気にするな。華琳さまが『いい』と言っているのだから『いい』のだ、我らはただそれに従うのみ」

 こちらの恭順にあっさりと手の平を返す曹操に、動揺する夏侯惇にそれを諭す夏侯淵。

 月達を捕まえようとしたのはおそらく本気だったのだろう……が、彼女達はそれ以上に『張文遠』という武人を欲してくれたようだ。それなりの忠義には礼を以て返す、その考えには中々に好感が持てるものがある。

(全く、面白い主従やな。結果としては騙されたことになるんやけど、不思議と不快に思わ、へんわぁ……)

 応急手当しかしていない傷が痛み出し、霞の意識を再び奪っていく。

 そんな霞に治療の指示を出しながら、曹操達はそのまま軍議を続ける。

「ところで華琳さま。向こうで連合軍が呂布軍を包囲しているようですが、如何致しましょう?」
「董卓が既に逃げているなら、呂布もいずれ逃げ出すでしょう。私達の軍も、思った以上に死兵と化した張遼軍との戦いでの被害が大きい。それにわざわざ『龍』の逆鱗に触れることもないでしょうし、麗羽には洛陽を包囲しておくとでも言っておきなさい」
「はっ! 了解です!」
「あの麗羽達がどこまで呂布とやり合う、か……ふふふ、考えるだけ無駄かしらね」

 意識が途絶えていく中、霞は相変わらず楽しそうな曹操の声を聞く。

 今まで仕えていた月とは全然違うけれど、彼女もまた中々に霞を楽しませてくれそうだ。もちろんそんな考えは、投降した将としてあまりに不謹慎かもしれないが。

 結局どこまでいっても、霞は純粋に一人の武人でしかない。

 再び心優しい主君を戦いの場に引っ張り出すよりも、強力な覇者に従って速やかに大陸を統一した方が遥かに意義がある。そうすれば謀略に通じた彼女の親友も、要らぬ重責を荷負う必要もなくなるだろう。ただ今日までに散って逝った兵士達のことだけは、彼女らの気持ちに暗雲を漂わせるだろうが……

(……恋達も上手く逃げてくれるといいんやけど、な)

 だがそこまで考えたところが限界で、霞の意識は深い闇の中へと落ちていった。





三国志外史に降り立った狂児 第九話「決着」





「か、間一髪だった……」

 魯粛は流れる冷や汗を止めることが出来なかった。



 連合軍が呂布軍を完全に包囲して、これは「勝負あった」と完全に寛いでいた魯粛。

 そこへ太史慈達が駆けつけて魯粛にこう告げる。

「──ご主人様、呂布軍の軍氣が危険です。避難の準備を」
「は? 軍氣?」
「子義の言う通り、今は包囲されていますが……未だ呂布軍には抵抗の意志が感じられます。おそらく逆襲の機会を狙っているものかと」
「……ふむ」

 その言葉に魯粛は少し戸惑う。

 たしかに呂布の凄さは知っているが、ここまで完璧に包囲されている状況で脱出できるのだろうか、と。

 しかし魯粛は徐州を出る際に、顧雍ら残留組から『戦場において、太史慈達の忠告には必ず従うように』と言われている。歴史をある程度知っているとはいえ、実際の戦争で何が起きるかなど予想出来るわけもない。餅は餅屋に任せるに限る。

 それに現在魯粛は負傷した馬超と共にしているし、あまり迂闊な行動が取れないのもまた事実。

「……わかった。すぐに後方の西涼軍にも連絡して、公孫賛殿の陣と合流しよう」
「はい、そちらには既に義封ちゃんを向かわせました。ですので主殿、すぐにお支度を……」

 太史慈達の忠告を受け、魯粛達は包囲網を布いている幽州西涼合同軍の陣へと移動する。

 そして魯粛達が合流した直後、包囲していた連合軍の正面を呂布軍にぶち抜かれた。ちなみにその正面を担当していたのは、連合軍の盟主である袁紹の軍である。



「──危なかったな、魯粛」
「ええ、まさか正面の本陣が抜かれるとは思ってませんでしたよ」

 合流した魯粛と公孫賛は苦笑を隠せない。

「ホント助かったよ~、魯粛さん。あのまま後方で動いていなかったら、お姉様共々呂布軍に蹴散らされていたもん。呂布が相手じゃあ、精鋭でも五百程度じゃ足止めにもならないよね?」
「……虎牢関での戦いなどを考えれば、最低でもその十倍以上は欲しいところだな」

 それは過大評価でも何でもなく、まぎれもない事実。

 魯粛達が待機していた場所は袁紹軍の後方……もちろんすぐ後ろというわけではなく、それなりに距離は離れていた……が、袁紹軍を正面から抜けた呂布軍の勢いを考えれば、その程度の距離は問題にならないだろう。

 負傷した西涼軍の名代の安静を考えての処置が、危うく永遠の眠りを授けそうになったわけだ。

 代理を務めている馬岱としては肝が冷えたどころではない。

「まあそれはともかくとして……どうする? 私達もやはり追撃した方がいいか?」
「董卓軍は騎兵を張遼軍にほとんど振り分けていたようですし、歩兵が主体の呂布軍を追撃するのに幽州西涼合同軍が最適なのですが……手負いの虎、もとい龍に手を出すのは愚考でしょう。私としてもお勧めは出来ませんな」

 今回の本陣突破のことを考えても、まともな常識が通用しない相手である。

 騎兵二万で突っ込んだら気付けば全滅していたでござるの巻、とかになりかねない。色々ともう触れたくない、というのが魯粛の正直な気持ちだった。

「だが魯粛、盟主である袁紹に対しては何とする? 私達の軍はここまでほとんど被害を受けてないし、ここで追撃しないという選択は少し無理があるぞ?」
「ああ、そのことなら平気です」
「──と、いうと?」

 二人に詰問される形になる魯粛。

 何やら普通に両軍の参謀役に落ち着いてしまっているのはどうしたものか。……まあこの戦いだけのことではあるが、以後は気をつけることにしよう。下手に担がれたとしても、それを活かせる程に自分の体力はあまりにも頼りない。

 現に今も薬湯に頼りきっての体力維持であるし、普通に考えれば危険な戦場に出向くというリスクはかなり高い。

 だがそれ以上に文書による情報ではなく、実際に自分の目で見るという情報を得られる……まさに百聞は一見にしかず。それに目的の人物の安全を確保することは、各地方の名士達の信頼を得ることにも繋がる。さらに魯家的にも商売の販路を確保できるかもしれないし、所謂一石三鳥ということだ。

 多少のリスクを覚悟してでも、その為の準備を万全にしていれば試す価値は十分にある。

「現在呂布軍の動向に連合軍のほとんどが当たっている……つまり洛陽側への関心が極めて減っている、と言っても過言ではありません」
「……どういうことだ?」
「こちらに注意を派手に向けておいて、こっそり洛陽から要人が逃げ出す可能性がある……ということです。例えば首謀者である董卓とか、ね」

 ここまでの抵抗を考えれば、つい最近まで董卓は洛陽にいたとみていいだろう。何せ上手くいけば勝っていた戦いだ。

 だが戦況がこうまで覆されると、首謀者としては進退を迫られる。

 連合軍に包囲されてから脱出するのではあまりに遅すぎるし、少なくとも開戦する前には洛陽を逃げ出しておきたいだろう。切れ者と名高い賈駆が腹心についているとのことだから、その可能性は十分にある。

 そして一日二日くらい前の脱出であれば、公孫賛達の騎兵軍団を上手く使えば捕まえられないこともない。

 しかし魯粛としては、彼女らにそこまで示唆するつもりはなかった。

 何故なら下手に董卓を捕まえてしまうと、この戦いでの一番手柄となり袁紹達との間に亀裂が生じかねない。史実でも反董卓連合が終結した後の群雄派閥でその両者は対立しているし、どうせ北方領土での関係からいずれ戦り合う運命にある。わざわざ魯粛が存在するこの場所で戦火を煽ることもないだろう……もちろん身の安全的な意味でも。

 だから史実とは多少異なるが、董卓はこの戦いで退場したことにしておくのが無難である。

 連合軍の中の誰かが手柄を多く取ったかという結果で揉めるより、画竜点睛を欠いて空中分解してもらった方が何より楽だ。それに史実のような人物ならともかく、この世界ではどうも董卓は普通の仁君らしいし……あえて無残な最後を押し付けるほど、魯粛も非情ではない。

(そんな董卓達が、今更皇帝をどうこうしたりはしないだろうが……)

 流石に董卓達が皇帝をどうするかまでは予測出来ないけれど、ここまで来て詰めを誤る賈文和でもあるまい。

 個人的には史実の魯粛同様に、皇帝がどうなろうと知ったことではないし。

「……それはたしかにあるな。よし馬岱、連合軍本陣にはそのように伝令を出そう」
「わっかりました~♪ では伝令を出すと同時に、洛陽を囲うように網を張りますね。あ、魯粛さんはお姉様の付き添いを引き続きお願いします~」

 そう言うと馬岱は部隊の指揮へと戻っていく。

 それを見送った公孫賛は、やや難しい顔して話しかけてくる。

「ところで魯粛、桃香の軍はどうしたものかな?」
「劉備の軍ですか? 華雄軍との戦いでかなりの被害を出していたようですし、放っておいて構わないのでは?」

 元々の軍の規模が一番少ないのは劉備軍だ。

 黄巾の乱の際に公孫賛から五千の兵を借りたとはいえ、所詮は義勇軍程度にすぎない。平原の牧を任されたそうだが、正式な州軍である公孫賛達と、わざわざ行動を共にする必要もないだろう。

「……そうか、たしかに華雄軍と無理にかち合ったからな。軍の再編で手一杯だろうし、追撃に参加するどころではないか」
「これは無いとは思いますが、最悪洛陽内に予備兵力がいた場合の抑えにもなります。とりあえず公孫賛殿には、自分の州軍の心配だけをなさった方が得策でしょうな」
「そうだな、じゃあ私も馬岱の手伝いをしてくるよ。……ああ、念の為に今度は幽州軍からも護衛を出しておくから」
「──感謝します、公孫賛殿」

 彼女の厚意に礼を返すが、とりあえず安全に関してはもう気にしなくてもいいと思う。

 予測通りに董卓が逃げているのならば、洛陽に予備兵力などは存在しない……何といってもこの局面で援護に出てこないのだから、それはまず間違いない。そして包囲網を脱出している呂布達が引き返してくることもないだろうから、この戦いは連合軍の勝ちで終わることになる。他に賈駆が悪辣な策を仕掛けていたり、連合軍が軍規に則った行動を外れない限り、洛陽の民衆との間に争いなどが生まれることもないだろう。

 それらの可能性も否定出来ないが、少なくとも魯粛がどうこう出来る問題でもない。

 魯粛としてもこれ以上の厄介事は遠慮したいし、体調的にもなるべく穏便に……しかも迅速に目的を済ませたいところだった。

「さて……『蔡邕』殿はご無事だろうか?」

 身体を襲う疲労を感じながら、魯粛は洛陽の街を見ながら溜め息を吐く。別に実際に戦闘に参加したわけではないが、数万規模の死傷者が出た戦場にいる……そのことは流石に魯粛の精神的にも堪えた。他人事とはいえ、そう何でもかんでも割り切れるものでもない。

 随分と危険な橋を渡った以上、それなりの代価は是非とも期待したいものだ。





 ──洛陽の北東に位置する森の中。

「か、華雄殿ぉ~……」
「──ははっ、何だ陳宮。そんな情けない声を、出すんじゃない……ぞ」

 陳宮の声に反応する自分の声はとても力無い。

 それもその筈だろう、何せ今の華雄は生きているのが不思議なくらいの重傷を負っているのだから。一応包帯で覆ってはいるものの、負傷箇所が多いのであまり治療の意味を成していない。

 一方華雄に話しかける陳宮には、衣服に多少の汚れはあっても傷らしきものは一切無かった。

「…………かゆ」
「ふっ、お前までそんな情けない声を出すな。お前は誰もが認める『天下無双』なのだ、弱みなど他者に見せるものでは……ない」

 強がってはみたが、この傷では長くは保たないだろう。

 あれだけ前線で戦っていた呂布はかすり傷のみ、相変わらずの武技の差にむしろ清々しさを感じる。

 いつもは軽々持てる武器がやけに重い……ご主君の安全を見届けずに逝こうとしている、そんな体たらくの自分に華雄は思わず溜め息を吐く。

「……ふぅ、皆先に逝ってしまったなぁ」

 そう呟いて華雄は先程の戦いを思い返す。



 残存兵力を集めた呂布軍の、包囲網を脱出しようという最後の突撃。

 左には張遼が抜けた場所を封鎖した袁術軍……呂布の勢いを強引に兵力差で抑えるような厄介な相手だ。それにこれまで援護に来ないことから、張遼軍は既に敗北したとみていいだろう。つまり袁術軍の後方には張遼軍を破り、士気が高揚した曹操軍が控えていることになる。

 こちらは精々あと一戦が限界の状態、そちら側への突破は難しい。

 反対側の劉備軍ならば打ち倒すことは簡単だろうが、その後方には幽州と西涼が合同した騎兵の大軍がいる。

 騎兵の大半を張遼軍に振り分けていたので、今の呂布軍は歩兵が主体の軍……とてもではないが、逃げ切れるとは思わない。どこへ逃げるにしても騎兵の大軍を想定しなければならないが、少なくとも正面からわざわざぶつかることもないだろう。

 そうなると残された道は一つ、大軍を構える袁紹軍のみである。

 だが虎牢関での戦いのこともあるし、そこまで分の悪い選択でもないと思う。軍師である陳宮もその案には賛成していた。

(……しかし、敵もただの馬鹿ではなかったな)

 突撃して道を切り開くことには成功する。呂布が陣頭で矛を振るっているのだから、それは当然のことだろう。

 しかしここでいくつか予想外の事態が起こる。

 あわよくばと連合軍盟主の頸を再度狙っていたが、前回のことを踏まえて即座に呂布という危険から遠ざけた。話によると前回の戦いで、袁紹の両翼である二将に手傷を負わせたとか。それならばその反応も無理はないだろう。

 だがそれよりも問題だったのは、連合軍は呂布が切り開く前線を支えるよりも、それに続く将兵の殲滅の方を優先したのだ。

 脱出を目的とする呂布軍にそれを防ぐ術はない。前を進む為に呂布は動かせず、華雄もまた戦闘において無力な陳宮の護衛に手一杯だった。今更歩みを止めるわけにもいかずに、呂布軍はじわりじわりとその数を減らしていく。

 追撃に来ているのが袁紹軍のみだからこそ持ち堪えてはいるが、このまま背後に追撃を許し続ければ呂布を以てしても全滅を免れない。

 そんな不安がよぎった時、後方の兵士の一部が反転する。

 敵に投降でもするのかと思いきや、彼らは少しでも脱出の時間を稼ぐ為に敵陣に玉砕していったのだ。

 その無謀な行いを華雄らも諌めようとしたが、今の自分達にそれを止める余裕はなかった。呂布一人ならともかく、戦闘能力の皆無な陳宮を無事に脱出させる為にも足を止めるわけにはいかない。特に脱出と護衛の両方を実行している華雄は、その過程で流れ矢などに当たり既に満身創痍である。

 兵があってこそ戦える軍師が、その兵に無為の犠牲を強いている……陳宮の心境も複雑だろう。

 残存兵力は次々と反転して連合軍の追撃を食い止めていく。……最終的に連合軍の追撃を振り切ったのは、呂布と陳宮、華雄を含めて僅か百名にも満たなかった。

 連合軍と戦端を開く前には二十万もいた大軍を思えば、歴史的な大敗と言っても過言ではない。



「侯成、魏続、宋憲…………すまない」

 軍部でも名のある将はほとんど亡くなり、今もまた自分の命が尽きようとしている。

 残っているのは呂布と陳宮、それとご主君達の護衛に付かせた高順くらい……まあ董卓という一人の少女の安寧の為であれば、むしろ過剰過ぎるだろうか。怪我をしているとはいえ、五十人近くの兵士もいる。皆、ご主君の為に最後まで忠誠尽くすだろう。

 具体的な将来までは予測出来ないが、それだけの人員がいるのならば何とかなる筈だ。

(せめて心穏やかに余生を過ごしてほしいものだな……)

 華雄は思わず笑みを零す。

 あれ程身体を蝕んでいた痛みが、全く感じなくなっている。……もう長くはない。

「ふっ、来るべき時が来たようだ……呂布、陳宮、後のことは頼む……ぞ……」
「か、華雄殿ぉ~!?」
「…………わかった」

 おそらく涙で顔をぐちゃぐちゃにしてるであろう陳宮の情けない声と、寡黙ながら意志の篭った呂布の声は華雄の耳にしっかりと届いた。

 視界が霞み二人の顔はもう見れないが、最強の矛である呂布は健在だ。不測の事態があれば、陳宮の頭脳で何とでも防げる。この二人が強力すれば、生き残った兵士達を率いて無事ご主君の下に辿り着くことは可能だろう。

 ここで自分が力尽きたとしても、何ら問題はない。

「……ご主君、不甲斐ない……我が身を、お許し下さい……」

 そう呟くと、華雄はゆっくりと目を閉じていく。

 それと同時に手に持っていた『金剛爆斧』が、まるで華雄の命の落日かのように地面に落ちた。





「貂蝉、こっちで間違いないか!?」
「ええ、間違いないわん、華佗ちゃん♪ 漢女的直感によると、怪我人がおよそ五十人近く……血の匂いの大きさからして、結構な重傷者もいるようね~」

 森の中を駆ける赤毛の男……華佗の問いに、ほぼ全裸の筋骨隆々とした漢女……貂蝉が答えた。

 その言葉に華佗は一段と走る速度を上げる。

「卑弥呼っ! 例の材料をすぐに出せるように準備してくれ!」
「よいのか、だぁりん? 北の山で倒したこの『龍』の材料は、徐州にいる魯粛とやらに使う予定ではなかったのか? 貂蝉の話によると負傷者は五十人近く、多めに切り取ってはきたが……下手をすると残らんぞ?」

 必死な顔をして走る男は、隣の貂蝉とは反対側のほぼ半裸で筋骨隆々とした漢女……卑弥呼に指示を送った。

 だがその指示に、卑弥呼はふと疑問を投げかける。

 以前から華佗が金銭面での援助を受けている徐州の商家。そこの主が生まれながらの疾患持ちで、その病は華佗の鍼術を以てしても治らなかった。そこで華佗は万能の薬の元になるといわれる龍の存在を思い出し、一人北の山に棲むという龍を向かったのだ。……当人には絶対に無茶をするなと言われていたが。

 普通に考えれば、それは無謀極まりない暴挙でしかない。

 しかし、これもまた運命だったのだろう。

 華佗はその旅の途中で貂蝉と出会い、続いて卑弥呼とも出会ったのだ。……その出会いの際の詳細に関しては、大したことではないので省略する。

 何はともあれ意気投合した三人は協力して、北の山に棲んでいた龍を見事に退治することに成功した。

「…………俺は医者、だ」
「華佗ちゃん?」
「だぁりん?」

 足を止めることなく華佗は二人に告げる。

「どんな理由があろうとも、すぐ近くに病や怪我に苦しむ人々がいるのならば、俺は放ってはおけない。そういう人々を救う為に、俺が使う鍼術……五斗米道は存在するのだからな。……魯粛には悪いが、こちらを優先させてもらう」

 金銭的な援助をしてくれる魯粛には申し訳ない気持ちで一杯だが、華佗にはこの生き方は変えられない。

 その真っ直ぐな華佗の言葉に、貂蝉達は頬を赤らめ身体をくねらせた。

「ああん♪ 華佗ちゃんったら素敵ぃ~ん♪」
「どんな事態にも己の意志を曲げず、か。流石はだぁりん、そこに痺れる、憧れるのぅ!」

 色々と騒ぎながらも速度は一切緩めない。

 血の匂いが強くなると同時に、森の中を抜けて少し開けた場所に三人は辿り着く。

 そこには傷ついた女性にしがみつき大声で泣いている少女と、流れる涙を止めずにこちらに武器を向けて警戒する少女がいる。更にその後方には傷ついた兵士達が、赤毛の少女同様に警戒心を剥き出しにしていた。

 彼女らの警戒の高さから、おそらくは戦争に負けた敗残兵だと華佗は推測する。

 目の前の赤毛の少女からの脅威的な威圧を感じながらも、華佗は武器などを持っていないことを両手を挙げて示す。

「俺の名前は華佗という。不意に現れた俺達に警戒する気持ちはわかるが、どうか落ち着いてほしい。俺は諸国を旅する医者の一人で、君達の──」

 命を脅かす者ではなく、命を救う者だ、と。


 ──それが彼らと彼女らの……『運命』の出会い。




[8531] 【ネタ】三国志外史に降り立った狂児 第十話「帰路」
Name: ユ◆213d3724 ID:22230291
Date: 2010/05/17 22:38


 ──結果として連合軍は呂布軍を『ほぼ』壊滅させた。

 しかし肝心の呂布だが、残念ながら百近くの敗残兵と共に脱出を許してしまったらしい。それでもあの呂布を相手にしての戦果なのだから、十分すぎると言ってもいいだろう。そもそもこれだけの殲滅戦自体、戦争として非常識なものである。

 今のところ一番被害が大きいのは、呂布軍と真っ向からぶつかっていた袁術軍、次に元々の兵力が低かった劉備軍。派手に蹴散らされてはいたものの、元々の兵力的に袁紹軍はそこまでの被害ではなかったらしい。聞いた話によると、顔良文醜両将軍の代わりに全軍の指揮を取った将の名は張儁乂だそうな。
 時期的に袁紹軍にいてもおかしくはない人物なのだが、それまで大して目立っていなかったのは単純に袁紹軍らしくない人柄が原因と聞く。盟主を見れば明らかだが、袁紹軍は賀斉以上に華美を好む風がある。その反面、この張儁乂……張郃はかなり地味な風格なので、袁紹軍では相当に浮いていたそうだ。まあ地味とは言っても、魯家の皆のように十分『美少女』の範疇ではあったが。

 呂布との戦いで怪我をした両将軍の代わりに、堅実かつ効果的な戦術で呂布を迎え討った張郃は、その功から顔良文醜に次ぐ将軍の席をもらったとか。相変わらず公孫賛に死亡フラグが建ちまくっているが、こればかりは魯粛にもどうしようもないので仕方ない。
 せめてもの手向けというか、幽州方面で有能そうな人物をそれなりに紹介しておくことにした。この世界の公孫賛はそこまで名士コンプレックスはないようだから、誼を結んだ魯粛からの紹介であれば受け入れてくれるだろう。

 幽州方面で定番と言えば、劉備に引き抜かれている可能性もあるが『田豫』辺りが有力候補だろうか? 少し距離は離れるが、時期的に曹操に降る前の『徐晃』辺りの勇将を引き抜くのもありかもしれない。趙雲が早々に抜けてしまっている以上、とにかく人材を数多く揃えておかなければ、公孫賛は正史よりも早期に滅亡してしまう。……まあ所詮、それも問題の先送りでしかないのだが。

 それは魯粛自身の自己満足とも言い換えられることでもあった。

一方残りの曹操軍は張遼軍と機動力戦をしていたらしいが……大将の張遼を早期に一騎打ちで捕獲した為か、用兵に勝る曹操軍が圧勝したそうだ。噂に名高い張遼の神速戦法も、本人が指揮していないのでは大した効果は望めない。張遼の欠けてしまった生半可な用兵術では、あの曹操に匹敵することは適わなかったのだろう。
 呂布軍とは少し違い、こちらの張遼軍は張遼ただ一人を残して全滅したらしい。特筆すべきは、非常識なことに誰一人として降伏勧告を受け入れることはなかったという。その所為か、曹操軍にしては珍しいほどの被害が出てしまったそうだ。

 まあそれでも、被害を最少に抑えることが出来る辺りが曹操の凄いところだろう。

 ちなみに当然のことながら、公孫賛と馬超の軍はほぼ無傷である。

 現在は洛陽前で各々の軍が再編成中で、賓客扱いの魯粛達も暇を持て余していた。

「……ご主人様ー、暇ですねー?」
「それは仕方ないな。向こうの軍事力はほぼ排除したとはいえ、ここからの対応を間違えると色々と危険な要素が残っているし……」

 退屈そうな太史慈の言葉に、魯粛は寝転がりながら答える。

 危険な要素──言わずもがな、それは洛陽にいる皇帝と民衆のことだ。その二つの要素を、董卓側がどう捉えているかで状況は様々と変わる。もし董卓が皇帝を良く思っていなかった場合、かなり危険な策が待ち構えている可能性が高い。

 例えば洛陽中の食料が全て処分されていたとする……当然、民衆は連合軍に食料の提供を望むだろう。仮にも民衆を悪政から解放と謳ってきた連合軍が、それを断るなど考えられない。ただでさえここまでの遠征で消耗している食料備蓄で、洛陽全ての民衆を賄うなど出来る筈もないだろう。大した時間もかからずに連合軍と民衆とで争いが生じ、大暴動にまで発展しかねないわけだ。

 そうなれば史実のような虐殺が、董卓ではなく連合軍の下で行われることとなる。

 ただ手持ちの軍事力を失った董卓軍が、今更怨恨でそこまでするとは少し考えにくい。その策の場合、皇帝も混乱に乗じて殺すくらいの気概が必要であるし……。

「──となると皇帝も民衆も生かした上で、連合軍に楔を打つわけだが……」
「しかし主殿、それだけの策を董卓側に考えられるものでしょうか?」

 賀斉が首を傾げながら訊ねてくる。

 ここまでの戦略的にお粗末なところが多々あったわけだが、だからといって過小評価をするのはあまりよろしくない。どこまで正史の三国志を酷似しているか判明していない状況で、賈文和という人物を野放しするほど魯粛は楽観的ではなかった。

 個人的には諸葛亮や周瑜よりも、軍師の中では賈詡という人物が一番敵に回したくないタイプである。もちろん味方に欲しいわけでもない、扱いかねそうで怖いし。

「……要は連合軍をここで解散させる流れにするだけだからな。董卓自身の安全が確約されている現状なら、いくらでもやりようはあるだろう」

 魯粛でさえ簡単に思いつける程度なのだから、賈文和クラスの軍師がいれば何の問題はない。

 まずは民衆を上手く宥めて、連合軍に協力的な態度を取らせる……その辺は政庁の資金を惜しみなく使いまくれば可能だ。既に董卓から洛陽の治政は手が離れているのだから、今更金の出し惜しみをすることもないだろう。そして連合軍の嘘の檄文を知っていながら好意的な態度をとる洛陽の民衆に、連合軍は当惑ながらもその歓迎を受けざるをえない。迂闊に口を塞ごうものなら、諸侯が黙っていないだろうし、当然兵士達がそれに完全に従うとも限らないからだ。

 そして、これらはそのまま皇帝の扱いにも同様に左右する。

 袁紹が皇帝の立場をいくら望もうと、今回に限らず『連合軍』という名目で立ち上がった以上、他の諸侯がそれを認めるわけがない。いくつかの派閥に別れることもなく、間違いなく袁紹以外の国が全て敵に回る。そのような事態はいかに袁紹が暗愚だとしても、まず確実に部下が止めるだろう。

 では、どうなるのか?

 董卓は洛陽には既にいないだろうし、それが洛陽での戦闘前に逃げ出していたのなら、一日以上経とうとしている現状では追いつくことは難しい。戦闘後すぐに騎兵で追いかければ可能性もあっただろうが、洛陽を緩やかに包囲しつつ再編成もしている状況ではもう無理だろう。連合軍としては遺憾ながらも、当初の目的の片方を諦める形での解散になるわけだ。

 つまりは洛陽の民衆の解放のみ、である。

「ま、無事に蔡邕殿に面会出来るなら何でもいいけど」
「たしかにあの方の史書には興味はあるが……その為にこんな危険に身を置く御主人には、徐州に帰ったら是非とも元歎姉達に説教されてもらわねば、な」

 飄々とした態度の魯粛の姿を見て、施然は深々と溜め息を吐くのだった。





三国志外史に降り立った狂児 第十話「帰路」





 袁紹軍の天幕の中で不穏な声が響く。

「……もう一度、言って下さるかしら?」

 金色の髪を靡かせた美少女、袁紹は己の前にいる人物を睨みつける。その表情にはあからさまな不満な色が漂っており、左右に待機する二人の女将軍……顔良と文醜も、同じような視線を向けていた。

 ちなみに両将軍に次ぐ立場となった張郃は、軍の再編成の為に席を外している。

 連合軍の盟主を前にしながら、全く緊張感を持っていないその人物……張勲は顔に笑みを浮かべたまま、同じ言葉を繰り返す。

「え~っと、洛陽を開放したらさっさと連合軍を解散しましょう~って♪」
「一体どうしたら、そのような発想になるんですの!?」

 笑顔のまま言葉を放つ張勲に、袁紹は苛立ったように声を張り上げ机を叩く。

 軍の再編成の打ち合わせにきたと言った張勲から、いきなりこのようなことを言われて理解がついていく者はいないだろう。天幕の中にいる張勲以外の人物は、頭の上に疑問符をつけて当惑していた。

 そんな袁紹達の困惑など、まるで気にしていないように張勲は話を続ける。

「ですから~このまま連合軍を維持するのは無駄だと言っているんです~」
「あ、あの七乃ちゃん? もう少し段階をおいて説明してくれると助かるんですけど……?」

 他の者よりも早く立ち直った顔良は、今一度張勲に聞き直す。

「う~ん、そうですね~。ではまず、今董卓さんが洛陽にはいないことは想像できますか?」
「はあ? 何言ってるんだ、七乃。あの董卓が洛陽にいないんだったら、他のどこにいるって言うんだよ?」
「……じゃあ逆に聞きますけど、手持ちの軍事力もない無防備な董卓さんが、自分を殺そうとしている連中をただ無為に待っているとでも思いますか?」

 文醜の質問に質問で返す張勲。

 その突然の切り返しに、お世辞にもあまり頭の回転の速くない文醜は途端に言葉に詰まってしまう。

 そんな僚友の窮地を救うべく、顔良は必死に頭を回転させる。

「……たしかに。余程の自殺願望でもない限り、董卓さんが私達を待っている保障なんてありませんけど……現在、洛陽は完全に包囲されています。今更脱出するなんて不可能……」
「ふふふ……発想の逆転ですよ、斗詩ちゃん。たしかに包囲されている洛陽から逃げ出すことは無理でも、包囲されていない洛陽からなら簡単に逃げ出すことは可能でしょう?」
「ま、待ちなさい! 私達が董卓軍と戦っていたのは張勲さんも見ていたでしょう!?」
「ええ、もちろん。ですが、董卓自身が戦場に出ていたという報告は一切ありませんよ? それとも誰か見た人がいたとでも?」
「……っ!?」

 そこまで説明され、三人はおおよその事態を理解した。

「で、でも、呂布軍は総大将の董卓さんが既に逃げているのにも関わらず、あそこまで抗戦したっていうんですか?」
「それも逆ですね~。董卓さんが完全に逃げ切るだけの時間を稼ぐ為に、そこまでの徹底抗戦をしたのだと私は認識しています」
「そ、そんな無茶苦茶な……」

 張勲の推察に、思わず言葉を失ってしまう。

 皇帝でもない一個人の為に二十万近い兵が命を投げ出すなど、狂気の沙汰以外の何物でもない。漢王朝への不満が爆発した民衆の武装蜂起である黄巾の乱の方が、まだ理由としての説得力があるというものだ。張角という神輿に心酔はしても、所詮は農民の集まり……間違っても無駄な犠牲になるなど、考えにも及ばないはずである。

 しかし現実は無情にも、そのような狂気の沙汰を見せつけてしまっていた。

 天幕の中に沈黙が続く。

「正直、私としても董卓さんは放置したくないのですが……とりあえず今回は社会的に抹殺ということで良し、としましょう」
「? どういうことですの?」
「簡単に言うなら、董卓さんの死体を偽装します。そして各地の民に、『都で悪逆の限りを振るった董卓は、連合軍の前に敗れ去りその骸を晒した』と風評するんですよ~」

 仮にも董卓が再起を図ろうと思わないほどに、その悪評を世間に撒き散らす。

 そしてさっさと過去のことにしてしまうのだ。

 やり方としては汚い部類だが、他の諸侯達も一度連合軍に参加している以上、今更正義を説こうとも正当性に欠けるという仕組みである。仮に董卓を少しでも擁護しようものならば、自らも道連れに名声を地に落とすことになるわけだ。

 流石の袁紹も、張勲のあまりに黒すぎる陰謀に眉を顰めている。

 しかし、既に賽は投げられているのだ。『連合軍』を結成し、董卓を追い落とすと決めた袁家としては。

「さて、董卓さんに関しては理解してもらえましたか~? では次に連合軍を解散させる趣旨ですが……」

 気付けば三人は、始終張勲の調子に呑み込まれていた。

「もはや何の権威もなく『使えない』天子さまなんて追い出したいところですが、今回それをやってしまうのは少し芳しくありません」
「えー、先送りにする意味なんてあんのか?」
「ええ、困ったことに。一応董卓さんを追い落とす名目で築いた連合軍ですが、ここでつい天子さままで追い落としてしまうと、多方面に余計な反感を買ってしまいますから」

 董卓一人を追い落とすならともかく皇帝まで退けるとなると、あまりに狙いがあからさま過ぎる為、連合軍の諸侯の中にいらぬ反旗を翻す切欠を与えてかねない。董卓のついでにと蹴落とすとなると、流石に連合軍を立ち上げる段階まで遡って疑わしく見えてしまう。実は董卓に関しては単なる建前でしかなく、本当は自身が皇帝になりたいが為の陰謀だったのではと勘ぐられる可能性が高い。

 仮に強引に押し通したとしても、その後の治政に多大な影響が残るのでは困るだろう。

「……ゆえに、今回は洛陽の解放だけで留めます」
「そうした場合、何かお得になることでもあるんですの?」

 無駄な出征で終わりたくない袁紹は、当然のようにその先を促す。

「董卓さんはもう洛陽には戻れません。皇帝が存命していながら、ある意味空白国になるわけですが……董卓さん達の抜けた今の洛陽に、まともな政治の出来る人間はいないと見ていいでしょう」

 張勲は一呼吸置いて、言葉を紡ぎ出した。

「このままでは洛陽は荒廃していくばかり……さあ、もし皇帝が自分だったとしたらどうしますか? 現状を省みるに、当然皇帝にはまともな政治能力など皆無と想定して、です」
「え~っと、それは誰か治政の出来る人物を代わりに招聘するのでは?」
「まあ、そうでしょうね。では今回の連合軍の中で、人柄や治めている地域的に最もそれに適う人物とは?」

 答えを焦らすかのように微笑む張勲に、袁紹は静かに冷や汗を流す。

 まるでそれは、自分達がそう答えるのが必然かのような流れ。

「そ、それは、おそらく洛陽に近い兗州を治めている……」
「そう、その曹孟徳です。麗羽さまと因縁が何かとおありの彼女しかありえません」

 汜水関に虎牢関も解放している今、曹操が洛陽に一番近い。

 黄巾の乱においても、上手く鎮圧したことから西園八校尉に任じられている。進退窮まった皇帝が、そんな優秀な人物を放っておく道理もないだろう。

 洛陽が荒廃する前に、間違いなく彼女を招聘する。

「その時が好機です、麗羽さま。一度ならばともかく二度も専横を許すような漢王朝に、もはや誰も存続の目を見ることはないでしょう」

 曹操が洛陽に入ったという事実のみが必要なのだ。

 例えどれだけ曹操が仁政を敷いたとしても、今回のように風評を味方につけてしまえば話は早い。大衆というものは、いつだって大きいものの方へと流されやすい性質である。だからこそ今回の『反董卓連合』も結成出来たわけだ。ついでにこの場合、本来なら許されざる皇帝からの禅譲も、世間からこれだけ見放された漢王朝であれば穏便に済ますことも出来るだろう。

 袁紹が北から攻めるのであれば、共謀して袁術が南から攻めるという策もとれる。

 何にせよ、確実に天下は袁家のものとなるのは間違いない。

 袁紹が曹操を目の敵にしていることを利用したこの策に、頭脳派でない三人は簡単に丸め込まれてしまっていた。

「……わ、わかりましたわ。では今回はそのようになさってもらえるかしら?」
「は~い♪ では私はお嬢さまにその旨、極秘裏にお伝えしておきますね~。ついでに他の諸侯にも、連合軍を解散する流れに関して伝達を出しておきましょう」

 未だ当惑から抜け出せない袁紹達を置いて、張勲は一人天幕を後にする。



 しばらく自軍の方へと歩いていた張勲は、周囲に誰もいないことを確認してから笑顔の中にあからさまな嘲笑を浮かべた。

「やれやれ……このような芝居に騙されるとは、袁家も相当に落ちぶれたものですねぇ。彼女の懐刀と呼ばれる田元皓も、こうして現場にいなければ何の役にも立たない」

 人畜無害に思えた張勲の、他人には見せたことのないその笑顔を見たのならば、誰もがそこに間違えようのない『狂気』を見ることが出来ただろう。

 張勲が語った先ほどの策は、実はただの即興で作り上げただけ。

 あくまでも状況証拠や推察のみで、確証など取れてもいないのにそれらしく説明してみせたのだ。所詮上辺だけの策……もちろん袁紹に含むところがあるわけでもなく、曹操に媚を売るわけでも何でもない。

 彼女の行動概念は単純にしてただ一つ。

「……ふふふ、お嬢さまが『飽きたから早く帰りたいのじゃ~☆』と言ったことが理由だなんて、多分誰も信じないでしょうね~♪」

 大陸の皇帝や連合軍盟主、乱世の奸雄だろうと、張勲の心を微塵も動かすことはない。彼女にとって『そんなもの』は、全くもって無価値でしかないのだから。

「さ~て、どうやってお嬢さまを宥めようかな~?」

 張勲は自らの主の我侭に、ただ盲目に付き従うのみ……『狂気』の笑顔を浮かべながら。





「……そうか、もう出立するのか」
「ええ、体調的にもそろそろ限界が近そうなので……」

 洛陽の門外にて、魯粛一行の見送りに公孫賛は一人で来ていた。

 あれから魯粛の大体の読み通り、董卓は既に洛陽から脱出しており、焦土戦ではなく民衆はとりあえず連合軍を歓声で迎え入れた。腹の下にはどれだけの不満を秘めていようとも、自分達を生贄にしなかった董卓への義理といったところだろう。

 泥沼の消耗戦という流れにならなくて、本当に良かったと魯粛は思っている。

 皇帝も一応董卓の専横を許したという事実から連合軍に対して強く出れず、可能な限りの恩賞を無条件で与えることとなった。

 その中でも目立ったのは、やはり同じ劉姓を持つ劉玄徳の存在だろう。

 戦前は平原の牧でしかなかった彼女だが、今回の功により徐州州牧の立場を得た。もちろんこれは魯粛の根回しもあって、あくまで高齢の陶謙と交代という形にはなったが。徐州州牧の任を降りた陶謙は療養も兼ねて中央に赴き、そこで後世の為の人材育成を担うことになったそうだ。本音を言うなら引退させてあげたいところだが、未だ皇帝は健在しているのだ。漢王朝に仕えている身としては、そう簡単に隠居生活を望むことは出来ない。

 せめてもの餞別というか、蔡邕殿には出来るだけ補佐してあげてくれと頼んではおいた。

 一応ながら、これで当初の一番の目的は遂行出来たので良しとしておく。

「蔡邕殿から数多くの史書も借り出せましたし、非常に満足しております」
「私らは洛陽の街の解放や、これからの連合軍解散の事後処理で手一杯だからな。そんなことで風評流布に協力してくれた魯粛の功に報いることが出来たのならば幸いだ」

 洛陽を解放してから魯粛は各地の商家の伝手を使い、各地に連合軍大勝利の報を流した。これは元々、連合軍の盟主である袁紹と約束していたことでもある。

 それらの地道な根回しのおかげで、蔡邕とも無事に連絡を取ることが出来たのだ。やはり日頃の努力の賜物だろう……魯粛自身は何もしていないが。ある程度の指示はするものの、詳細などは全て魯家の者達でしている。

 まあ、細かいことは気にしない。

 最初は貴重な史書の貸し出しを渋っていた蔡邕だったが、粘り強く交渉した結果……ある条件と引き換えに許可をもらう。

 その条件とは、呂奉先の所在を追って調べるということ。

 なぜそこで呂布が出てくるのか正直理解できなかったのだが、どうやら彼の娘である蔡文姫が相当彼女に惹かれているらしい。連合軍に敗れた呂布を心配して、思わず家を飛び出していかんばかりの状況だそうな。そんなところへ各地方の商家と繋がりの深い魯家の当主が現れたものだから、渡りに船と思ったのだろう。

 その情報収集能力を生かして早急に足取りを掴み、場合によっては保護までしてほしいとのこと。

 当然ながら、魯粛はこれを是と受ける……実に願ったり叶ったりの状況だからだ。

 それと同時に、蔡邕には警告を出しておく。今のところ魯粛はあくまで商人という立場だが、連合軍がまだ洛陽を押さえている状況下で、呂布を擁護するような言動はあまりにも危険である。もちろん董卓に関しても同様で、一時的にとはいえ蔡邕は董卓に組していたのだから尚更だ。

 正史における王允のような人物が現れるとも限らない。

 ある意味で歴史を変えてしまっている気もするが、今更そんなことを言っても詮無きことか。

「魯粛には、その、色々と世話になった……」
「いえいえ、こちらこそ公孫賛殿には世話になりましたよ」

 彼女の人柄から、本当に感謝している念が伝わってくる。

 公孫賛という人物のこれからを考えると、何か申し訳ない気分にさせられる。幾人か在野の仕官を薦めはしたものの、大局的に公孫賛という勢力の滅亡は避けられないだろう。一商人の身、しかも肉体と精神の隔離でガタガタの魯粛には、歴史の必然たる国の興亡に介入するなどあまりにも難しいことだった。

 気落ちした心情に気付かれないように、魯粛は公孫賛を労う。

「事後処理が済めば各軍は本拠地に戻るでしょうが、そこからは色々とお気をつけください」
「……そう、だな。袁紹の奴は結構欲深いから、いずれ私の領土も狙ってくるだろうし。国に戻ったら、臣下と相談して防衛を考えることにしよう」
「そこで提案なのですが、袁紹の南に位置する曹操と同盟を結ぶというのはいかがでしょう? 袁紹の国力の脅威を考えれば、先方も易々と首を振ったりはしないかと」

 これから曹操は中央を押さえて力をつけてくる。

 その力に依存するのは論外だが、あくまで共闘という形でなら曹操の興味を惹くかもしれない。名士を多く利用した曹操ではあるが、名士コンプレックスのないこの公孫賛となら上手く誼を結べそうな気もする。

 相変わらず彼女の軍師のようなことを言ってしまっているが、これも所謂彼女の人望の成せる業か。

 何よりこの世界において非常に面白いのが、そんな感想を抱いたのが人徳に定評のある劉備ではなく、公孫賛というところだろう。ある意味で魯粛的には、本能に近い何かが劉備という存在を避けてしまっているのかもしれない。

(とはいえ、徐州州牧になっちゃったからなぁ。……陳将軍にでも言って、なるべく接触しないようにはしておこう)

 正史や演義の劉備も大概だが、この世界における劉備もまた色々な意味で厄介な人物らしい。あくまで昔馴染みだという公孫賛からの情報がメインだが。

「……曹操、か。たしかに袁紹とは意に合わない関係のようだから、そんな彼女との同盟は悪くない考えだな」
「失礼しました、一商人ながら差し出がましい口を……」
「いや、気にするな。今まで知らなかったこと、気付かなかったこと……魯粛の助言の数多く、たしかに覚えておこう」

 何やら感慨深く頷いている公孫賛を見て、魯粛は少し後悔した。

 ものすごく過大評価をされている……いや、明らかに自業自得ではあるのだが、こうも純粋な彼女を見ていると『良心』が痛むというか……。

 本格的な体調不良と重なり、意識がだんだん途切れがちになってきたので、見送りに来れなかった馬超達にもよろしくと伝え、魯粛は馬車の中へと乗り込んだ。当然のことながら、盟主である袁紹には一番に帰路につくことを報告している。商人としては破格の活躍に満足いただけたようで、それなりの報酬と共に帰ることを許可された。

 正直口封じに消される可能性があったことを、その後すぐに気付き魯粛は更に精神を疲弊させることになる。

 行きは余裕があったので馬にも一人で乗ったが、色々と磨り減った現状ではそれもままならない。魯粛が馬に乗っていようがいまいが、さしたる問題でもないので大人しく荷物のように馬車で揺られることにした。

 目を閉じて気分を落ち着けていくと、今日まで考えないようにしていた幾つかの事柄が脳裏に映る。


 ──例えば、洛陽での騒ぎの中で孫家が見つけたとされる『玉璽』の行方。


 ──例えば、あまりにも正史や演義と違いすぎる董仲穎の存在。


 ──例えば、連合軍を解散させるまでの流れが袁紹にしては手際良かったこと。


 ──例えば、三国志における有名武将のほとんどが女性であること(自分を含む)。


 ──例えば、曹操の下にいるという怪しげな『天の御遣い』という存在。


 しかし魯粛の今の状態では、どれだけ考えてもまともな答えを一つも出せそうにない。幸いなことに反董卓連合という一つの大事件が終わったのだから、次の大事件までいくらかの猶予が設けられる。

 住み慣れた『我が家』に帰り、ゆっくり静養しながら考えるべきだろう。

 ……沈んでいく意識の中で、魯粛はそう思ったのだった。




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