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[8570] ALTERNATIVE 愚者と罪人 <注:多重クロスxfate xEVA>
Name: NOCK◆b833a99e ID:dc728d93
Date: 2009/05/08 00:58
 ――――借り物であったとしても、それは理想だった。


 歪な夢だとわかってはいた。

 無謀な路だと識ってもいた。

 砕かれることを覚悟していた。
 
 それが幻想であることを理解しても立ち止まることなく、死してなおその幻を追い続けた。
 
 ただ、この身は救えた人の笑顔のみを望み、数多く浴びせられた罵倒にもそれのために耐え続けた。

 全ては己が理想の為、だった。



 しかしいつしか理想は擦り減り、幻想としての価値もそこにはなくなった。

 歩んで来た路を振り返ればそこには砕けた剣と屍の平野しか認められず、往く先を見れば地平まで続く剣の丘と戦場しかなくなっていた。
 
 摩耗しきった理想を手に、再度舞い戻った遠い記憶に残った戦場。そこで己を消すことを誓った。それほどまでに疲弊している自分がいた。

 彼女らは知らぬ再開。かつての戦友が、姉が、妹が、家族が居た。―――そして、彼女も。

 繰り返される戦争、その最中に悲願の時がやってきた。

 ―――自分を殺す、その時が。

 あまりに幼稚で、愚かな自分自身と対峙した。自己に対する嫌悪と、消滅に対する憧憬を剣と為し、過去の己に刃を向ける。

 戦いの結果は解りきっていた筈だった。幾多の戦場を駆け抜けた自分の剣が、剣を持って数日の、ただの小僧に負ける理屈は存在しなかった。

 それが、何故互角だったのか。否、互角ではない。確実に自分の剣が押されていた。

 それも当り前だったのかもしれない。摩耗した信念と、腰の砕けた逃避の剣が、どうして彼を、彼の理想を斬れようか。



 ――――借り物であったとしても、それは理想だった。

 人に蔑まれようと、罵倒されようと、その路を歩いた理由。確かに笑ってくれた人がいた。救うことのできた命があった。たとえだれが認めずとも、それが、

 ―――たった一つの己が真実。
 
 
 『衛宮士郎』はそれなくして『衛宮士郎』ではなく。故に再度、戦場に向けて歩き出す。その先には相も変らぬ剣の丘と血濡れの戦場。


 ―――――― 体は剣で出来ている。

 血潮は鉄で 心は硝子。

 幾たびの戦場を越えて不敗。

 ただの一度も敗走はなく、

 ただの一度も理解されない。

 彼の者は常に独り 剣の丘で勝利に酔う。

 故に、生涯に意味はなく。
 その体は、きっと剣で出来ていた。



 ――――この身は剣で出来ている。しかし、そんな自分だからこそ、救えるものがあるのかもしれない。

 愚者だった赤い騎士は、愚者のまま、砕けた理想を胸に抱き歩き続ける。――その身に己だけの真実を宿して。






 ――――逃げてはいけないことは初めから知っていた。
 
 それでも走り続けたこの身が、前に進んでいると思えなかったのは、何故だろうか。


 少年は、己が罪を世界に問う。


 天の使いと戦った、己の罪はいかほどか。

 友の足を砕いた、己が罪はいかほどか。

 少女を汚した、己が罪はいかほどか。

 少女を拒絶した、己が罪はいかほどか。

 友を殺した、己が罪はいかほどか。
 
 ――――そして。

 人を滅ぼした『僕』の罪は?
 


 紅い海を見ながら立ち尽くす。その場に時は意味を成さず、ただ巡るのは懺悔と後悔と。

 たった一人の人類は、世界に問いかける。世界は、たった一人の人類に問いかける。

 この身は神のできそこない。独りは寂しい筈なのに、他人がコワイ惰弱な魂の産物。

 世界は欲しいのだろう。たとえどれだけ脆弱な魂でも、罪にまみれた精神でも、結果としてそれを成したのは。紛れもなく自分なのだから。

 天使を殺した。人間を滅ぼした。何も救えず、ただ逃げ続けた。それでも、それを成したのは事実で、見方によっては偉業ですらあったのかもしれない。

 そして、それを成した彼は、世界にとってある種の理想だった。


 ――――契約を、世界は求める。

 ――――罪の答えを、少年は問いかける。



 そのやり取りを邪魔する者はおらず、ただただ時が過ぎていく。



 ――――契約を、世界は求める。

 ――――罪の答えを、少年は問いかける。
 


 ――――契約を、世界は求める。

 ――――罪の答えを、少年は問いかける。



 ――――契約を、世界は求める。

 ――――罪の答えを、少年は問いかけるのを止めた。
 


 ――――契約を、世界は求める。

 ――――少年は首肯した。




 逃げてはいけないことは、最初から知っていた。

 だから、自分の罪から逃げることを止めた。

 それも逃避となるのか、それとも――――

 
 紅い海に、独りの反英雄が背を向ける。ただひたすらに逃げ続けた生涯に背を向けて、尚もそれ自体から逃げ続ける。答えを求めて漂流を開始した脆弱な魂は、何も解らないまま、世界との契約のもとに赤い世界から姿を消した。



 ただ一つ、解っていたことがある。

 ――――もう一度、会いたかった。

 誰とは言わずに、ただ、誰かにもう一度会いたかった。










ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
あとがき

どうも皆さん初めまして。または、初めましてじゃない方はお久しぶりです。

このような、イロモノ、キワモノSSを読みに来てくださりありがとうございます。

書きたいから書いた。後悔は、結構している。そんなSSです。

実はこのSS、今は無き自サイトに掲載していたものなのですが、先月、レンタルサーバーのアカウントのメモを紛失してしまい、課金できず、また、多忙の為再開もままならないため、いっそこちらに身を寄せさせてもらおうと考えて投稿した次第です。

何度か足を運んでご贔屓にして頂いていた読者様には本当申し訳ないです;

以後はこちらにて、駄筆、遅筆ながら連載させて頂きます。どうか、よろしくお願いします。




[8570] 第一話「召還」
Name: NOCK◆b833a99e ID:dc728d93
Date: 2009/05/11 23:44
 断続的に発生する地面のかすかな揺れによって、荒廃した大地がうっすらと砂塵を巻き起こす。遠くないところで砲撃音が轟き、幾度か閃光が乱層雲に覆われた空に瞬く。

 そんなロケーションに佇むのは、身なりからしてちぐはぐな二人組だった。

「ふむ……。どうやら今回の召喚は、少々骨が折れそうだな」

 黒いボディースーツに紅い外套。浅黒い肌に逆立った白髪の男は、憮然として言った。

「そうですね」

 その言葉に言葉少なく応えたのは、男とはうってかわって白いカッターシャツにスラックス、そして黒の短髪と言うごく普通の学生といった感じの少年であった。

 しかし、どちらの服装も、硝煙なびく戦場では少々不釣り合いであると言わざるをえない。――もっとも、それを指摘する者は残念ながら、この場に一人も存在しないわけだが。


 爆音が空気を震わせる。爆弾の類の炸裂音ではない、強いて言えば巨大な機械が粉砕されたような音だった。――戦闘機でも撃墜されたのだろうか。

 明らかに戦闘の場が近寄ってくるのを感じながら、赤い男はため息を吐いた。

「君も私と同じ役割で呼ばれたのか?」

「……どうなんでしょう? 世界から今回の召喚についての情報を貰ってないんですよね」

 対する少年は日本人独特の黒い目をわずかにしかめる。

「お前もか? いつもなら殲滅対象の情報を与えられ半強制的に排除に当たることになるのだがな」

「確かに。『抑止力』が発動する、特に二人も召還されるということはかなりの事態の筈なのに」

「ああ。だが意志の操作もされなければ、魔力供給もされていない」

「ほんとですね。ということは抑止力の発動以外の、何らかの方法で召還されたのでしょうか?」

 線の細い顎に手を当てて考え込む少年に、男は肩をすくめた。

「さあな、解りかねる」

 地面の揺れが極端に大きくなってきた。ひび割れた地面の模様が心なしか歪んできたようにも見える。いい加減無視を決め込むことも辛くなったのか、少年が男に問いかけた。

「それはそうと、さっきからのこの揺れの原因解ります?」

「……いや、目は良いのだが、これほど瓦礫が多いとな。だが、この振動はまるで……そうだな、戦車の大隊の行軍を前にした感覚に近いな」

 男は自分の経験から、思い当たる節を挙げる。

「と、いうことは戦争中でしょうか?」

「さあ、な」

 赤い騎士は顔をしかめる。戦争の処理ほど嫌な気分になるものはない。
 
 抑止力による戦争の鎮圧とは、双方の正義のうち、どちらかより多くの人間を助けられる方を助け、残りは殲滅するという、まるで間引きをするようなものなのである。時には悪でもないものすら排除する、その世界のやり方を好きにはなれない。

「でも戦争である場合なら余計に情報がないと、どちらを排除すべきかわかりませんね」

 少年は赤い騎士の考えていることを理解したのか、目を細めながら音のする方角に顔を向ける。

「そう、だな……。何はともあれ先ずは情報を収集すべきだろう。――異論は?」

「――いえ。行動は共にしましょうか?」

「私はどちらでも良いが」

 二人が思案を始めたのを遮るように再度爆音が上がる。黒煙が瓦礫を伴って二人の視線の先で広がった。

「……騒騒しいな」

「場所を移しましょうか?」

 眉を顰めた男に、少年が提案する。

「いや、とりあえずはあちらの様子を先に見よう。何はともあれ、最も現状を説明してくれそうな情報源だ」

「そうですね。――厄介事の気配は、この際無視する方向で」

 皮肉気な男の物言いに少年も微妙な表情で頷くと、瓦礫の山を乗り越え始めた。赤い騎士が軽々と駈けあがるのに対して、少年は瓦礫に手をかけつつ慎重に進んでいく。その様を見て、男は片眉を上げた。

「なんだ、英霊にしては随分と身体能力が低いな」

 手を差し出した男に、少年は苦笑して答えた。

「僕はもともと運動は得意じゃないんですよ」

 その言葉を聞き、男は少年の特異性に疑問を抱いた。

 確かに、英霊の全てが驚異的な身体能力を持つわけではない。が、体術がさほど重要視されていない魔術師ですら、ある程度の身体能力が無ければ修羅場を超えることは難しい。もちろん、愚鈍な手足をカバーできるほどの技術を得ているのならば話は別であるが。

 だがしかし少年は、魔術師にも見えなかった。カッターシャツに黒いズボンというものは、お世辞にも魔術師の装備に見ることは出来ないし、魔術に使用する触媒や呪具なども持っているようには見えない。――もちろん『宝具』を現界させていないだけの可能性も捨てきれないが。

 自分の正体を探る赤い騎士の疑惑の視線に気づいたのか、少年は自嘲気味な笑みをその面に浮かべた。

「僕が不審ですか?」

「そんなことはない……と、言いたいところだがな」

 実際に、気になっている以上歯切れは悪い。そんな男に少年は苦笑して話し始めた。

「僕はいわゆる魔術師じゃありませんよ。純粋な戦士って訳でもないです。元来僕は極々平凡な人間なのですから」

「平凡な人間、というなら私にもあてはまるが」

「ははっ」

 少年は可笑しそうに、そして少しの自嘲をこめて笑いを洩らした。

「そう。確かに最初から特別な人間というのは絶対的多数じゃない。平凡だった人間が偉業を成すこともあるでしょう」

「私が成したのが偉業かどうかはわからんがな」

「それでも結果としてそれを成したのは才能か、努力の賜物でしょう?」

「ふむ」

「僕の人生は最初から最後までただの気弱な子供のままで終わりました。ただ周りに流されて、何が正しいのかも分からずにただ場当たりに生きていただけ。そして肝心な所で逃げ出して、他人に責任を押しつけていた。そんな僕が英霊になることはあり得ない筈だった」

「だが、君は英霊としてここに居る」

 赤い騎士の指摘に少年は微笑んだ。それは、笑みでありながらどこか能面じみた無機質な物を感じさせる物だった。

「……反英雄って知ってます?」

「―――!?」

 男の身が一瞬硬直した。

「望まれた悪。世界を救うスケープゴート」

「そういう、ことか」

「そういうことです」

 赤い騎士の意識に上るのはあの忘れられない戦争の、であった数柱の英霊たち。ライダー、キャスター、そして聖杯に宿るアベンジャー……。

「極々普通の人間だった僕に与えられた才能は、世界を壊す、人を滅ぼす才能でした。その才能すら、仕組まれたものだったんですけどね」

「人を滅ぼす、才能?」

 赤い騎士は驚愕を込めて目の前の少年を見やった。目の前で柔和な笑みを浮かべている気弱げな少年が、そのような才能をもつとはとても思えなかった。

「そうです。随分と大した罪人でしょう?」

「……」

 少年はくすくすと笑うと表情を消して、未だ爆音の鳴る方角を見やる。

「僕は自分の弱さ故、人を滅ぼしました。だから反英雄としてここに居るんです」

 その視線の先は、荒れ狂う戦場ではなく、もっと遠くの別の世界を、自分の破壊した世界を遠望しているかのようだった。

「……」

 言うべき言葉のみつからない男が少年を見やる。それに気づいた少年は苦笑を浮かべて地響きの方向へ歩き出した。

「少し話が過ぎましたね。初めての自由度の高い召喚で少し舞い上がっていたようです。僕たちが呼ばれたのは、身の上話を行う為じゃないんでした」

「……ああ、役割は果たさねばな」

 赤い騎士も少年に並ぶ。無用な詮索をしたようだ、と少し後悔しながら。

「ああ、そうです。僕はあなたを何と呼べばいいですか? もしかしたら長い仕事になるかもしれませんので。……ああ、真名じゃなくて結構ですよ」

 首だけ振り返って少年が問いかける。それを聞いて赤い騎士は思案する。

「……特に名乗る名前は無いがな。真名を隠す時はアーチャーと名乗っている。他にも『贋作者(フェイカー)』でも『魔術師殺し』でも好きな呼び名で呼べばいい」

「アーチャーさん、でいいですね。僕の名前は碇シンジです」

「……自分は真名を言うのだな」

「名前がばれてもたいした損害はないですから。僕のことを知っている人間はもう誰もいませんからね」

 並行世界の最後の人類は苦笑すると、身を翻した。

「……衛宮だ」

 が、背後からの声に足を止める。

「衛宮士郎。それが俺の名前だ」

「よろしくお願いします、衛宮さん。僕の呼び名はシンジでいいです。碇の姓は、あまり好きじゃないんで」

「ああ、よろしく。シンジ」

 二人は少しの間笑みを交わす。お互いにそれなり波乱の人生を歩んでいるが、今この場では関係ない。今の自分たちは英霊の座というシステムの、プログラムに過ぎないのだ。お互いを深く知る必要も、あまりない。

「それでは、仕事に入るとするか」

 仕切り直し、と言った風体で赤い騎士は前を向く。それに少年も倣う。

「そうですね。先ずは先ほどから物騒な爆音立てている原因をなんとかしましょう」

「戦闘はできるのか?」

「これでも一応英霊です。だてに『偉業』を成していませんから」

 成した事象がなんであれ、偉業であるには違いない。もちろん、赤い騎士辿った路も、偉業の道に相違ない。

 肩を竦めたシンジに口元をつり上げてみせたエミヤは、鋭い視線を戦場に馳せた。



[8570] 第二話「慟哭」
Name: NOCK◆b833a99e ID:dc728d93
Date: 2010/07/17 23:26
「……見えてきたぞ」

「ええ、あれは……」

 向かう先の瓦礫が捌けて、広大な平野を望むことができた。草一本生えていない、まるで重機の大群が地ならしをしたかのように不自然な大地。その先で砂塵と爆炎を纏った集団が、目まぐるしい戦闘を行っていた。

 砂埃をまき散らしながら、一体の機械がその場から飛び出す。エミヤの知る科学技術では再現の不可能な、人型兵器。それを見たシンジは何かを思い出したのか眉をしかめ、エミヤは驚き目を見開いた。

「今回はまた、SFじみた世界に飛ばされたものだ。まさか人型兵器とは」

「そこそこに科学技術が大成した世界なんでしょう」

 件の兵器が砂塵の方向にその手に装備した突撃銃を乱射する。幾度も射線の先で血飛沫が上がるが、それでも兵器は引き金を引き絞り続けている。まるで、一瞬でも銃撃を止めれば次の瞬間には死が待っているとでもいうように。

 そしてその乱射が巻き起こした砂塵の方向から、明らかに地球上の生物とはルーツの異なる生き物が群を成して飛び出してきた。

「使徒!?」「死徒!?」

 二人が驚愕し、異口同音の声を上げ、続いてお互い顔を見合わせる。

 お互い同じ世界の出身だったとしたらぞっとする。なにより、少年によって人類は終わってしまっているのだ。

「シンジ、時計塔、聖杯戦争、宝石翁という言葉に心当たりは?」

「……いいえ。それより、セカンドインパクトって知ってます?」

「いや、心当たりは無いな」

「良かった。それなら間違いなく、僕らの故郷は別の世界でしょう」

 胸をなで下ろしたシンジに、エミヤんも安堵の表情を浮かべる。

「なら、あれは一応、私達の識っている存在とは別のもの、と考えていいのだろうな」

「ええ。……なるほど、人間以外の生命体との戦いですか」

 どこか複雑な表情のシンジだったが、一つはっきりしたことがあった。

「幸いだな。人間同士の争いでは無いようだ」

「ええ、解り易くて助かります」

 二人とも、同じ人間相手に刃を突き立てることは出来れば避けたかった。その思いが実ったのは僥倖だった。

 人型兵器は、異形の群れに背を向けると背部に装着された噴射ユニットを操作し、彼らの立つ方角に跳躍した。その様を目を細めてでエミヤは見やった。

「機体にJapanと書いてある。一応ここは日本の可能性が高いな」

「……あんなに遠いのに、よく見えますね」

 砂埃と、日光の反射でほとんどシルエットしか確認できなかったシンジは感心したように言う。そんな彼に、エミヤは口元をつり上げた。

「目はいいんだ」

 そう話している内にも兵器がこちらに飛んできた。兵器の乗り手はこちらに気づいていないのか、それとも無人機であるのか、機体は二人の頭上を轟音を立てて通過していった。

 しかし主機にでもダメージがあったのか、件の兵器は途中でバランスを崩して不時着する。衝撃で脚部が歪み、脚部にマウントされていた弾倉がはじけ飛んだ。それに向かって異形達はここぞとばかりに怒濤のように迫る。

 少しでも異形達の追撃から遠ざかろうと兵器は体を起こそうとしているが、機械が言うことを聞かないようだ。無理もない。すでに素人目に見てもその兵器は半壊しているのだから。

「不味いな」

 その様を見て、エミヤは呟く。

「助けたほうが?」

 聞くまでもないことだったが、シンジはひとまずエミヤに確認する。

「……中に人が乗っているのなら、助けないわけにはいかないだろう」

 当然のように答えたエミヤに、シンジも頷く。

「ですね。中には女性が一人搭乗しているようです」

「良く分かるな?」

 関心した様に言ったエミヤに、シンジは片目をつむる。

「『目』はいいんです」


「……いくぞ!」

 異形の数は凡そ三十。半壊した兵器と同程度の大きさのものが五体、残りは五メートルほどのものだが、一体の兵器に対する軍勢としてはやや多いだろう。どちらの異形も、蜘蛛や甲虫を思わせる体に、人の物に見えなくもない頭部を生やしていた。

 その人間に根源的な恐怖を思い起こさせる形状に、しかし英霊二人は怯んだ様子を見せない。

「まずは数を減らす」

「了解です」

 赤い騎士、衛宮士郎は自身の魔術回路を起動する。それは、詠唱ではない、自己への暗示。己が身の上を確認する、キーワード。


「――――――我が骨子は捻れ狂う(I am the bone of my sord)。」

投影するは、黒く光る長弓。戦場にて自分が弓兵である所以。


「―――“偽・螺旋剣(カラド、ボルグ)”」

 投影するは、捩れた剣。生涯にて自分が剣である所以。


 唸りをあげて放たれる歪剣。それは空間をねじ切らんばかりの回転を加えて群れの中程を闊歩する体躯の大きい方の異形に炸裂する。

「――砕けた幻想(ブロークン、ファンタズム)」

 閃光、爆発。異形のほとんどを屠った弓兵は、弓を消すと即座に兵器の方に駆け寄る。

「お見事」

 隣を並走するシンジの賛辞に頷くだけで返すと、エミヤは兵器のハッチに取りつく。

「―――同調、開始」

 即座に機械の解析を試みる。が、表情は芳しくない。

「……ちっ、いかれている。外から操作はできんか」
「こじ開けるしかないですね」

 アーチャーは頷くと、強固そうに鈍く輝く斧を投影した。

「中には人がいます。気をつけて」

「無論」

 重厚なそれを振りかぶって、振り下ろす。ハッチの接合部が破損する。さらに再度振りかぶる。その動作を二、三度と、繰り返したアーチャーは、突然動きを止める。

「どうしたんです?」

 怪訝な表情で問いかけるシンジに、エミヤは苦い表情で返す。

「全てを仕留めきれていなかったようだ」

 振り返った二人の眼前に、頑丈な双腕を振りかぶる異形があった。敵の全滅を確認しなかった自分に苦い物を感じながらエミヤは斧を脇に構え、迎撃態勢を整える。しかし、体躯の差は歴然である。いかな英霊といえども、その圧倒的な質量差には抗えないだろう。

 唸りを上げる杭にも似た双腕、二人に向かって振り下ろされたそれは、背後に守る機械ごと彼らを磨り潰すかと思われた。

しかし、現実には、その脅威は硝子が削れるような音を立てて、中空に静止した。

「……危なかったですね」

「シンジ!?」

 シンジは感情の無い、紅く染まった目で異形を見つめている。その眼前には血色の障壁が展開され、敵の攻撃を隔離していた。

「衛宮さん、こちらは大丈夫ですので救助を続けてください」

「! わかった」

 シンジの言葉に一瞬の躊躇を見せたが、どこか超然とした自信を滲ませた少年になんらかの合点がいったのか、エミヤはハッチの破壊に戻った。

 異形は何度も腕を突き出すが相変わらず、中空に鎮座する六角形の盾に阻まれる。ダイヤモンドを超えるモース硬度を誇る異形の豪腕をもってしても、その結界を超えることはかなわない。

 無理も無い。なぜならその結界、シンジの心の壁は、世界中の人類が一つに合わさっても尚、己を保ち続けたのだから。自分が他の人類とともにそれに交わる事を禁じた、少年の恐怖と後悔の象徴であるそれは生半可なものではない。

 ―――A・Tフィールド。絶対恐怖領域―――

 少年――碇シンジのそれを突き通すのは容易い事ではない。


「キミにそれは破れないよ」

 言葉は通じないようだ。異形は腕を振り下ろすのを止めない。シンジはため息を一つ吐くと、異形に向かって開いた手を突き出した。


「――――Sachiel(サキエル)」


 シンジが単語を紡ぐとそれに呼応して、手のひらから光の帯が射出される。それは異形に反応すら許さず、その包帯を巻かれたミイラのような頭を貫通した。

 相当に動体視力の高い者が見たら、それが光で構成された杭だと視認できただろう。

 どうやら異形の脳は一応頭にあったらしく、火に炙られた甲殻類のように痙攣したあと、その巨体は完全に活動を停止した。それを確認したシンジは第三使徒の光の杭を引き抜いた。

「……ハッチは開きそうですか、衛宮さん」

「……、あ、ああ。あと少しだ」

 エミヤは自身の驚愕を押さえつつ返答し、斧を振るう作業にもどる。

「君もなかなかやるようだ」

 斧を振りつつ発された言葉に、シンジは微笑んだ。

「まあ、仮にも英霊ですから」




 ハッチの歪んだ部分を取り除き、アーチャーが亀裂に手をかけた。ぎりぎりと軋みつつ装甲が剥がされていく。


「―――っ!」
 とうとう硬い音を立ててハッチがこじ開けられ、中のコクピットに光が差し込んだ。そして中を覗き込もうとした二人の耳に、絶叫が響いた。

「!?」

「いやあああああああああああ! 来ないで、来ないでぇ!」

 若い女性の恐怖に満ち満ちた悲鳴。突然の事態に二人は困惑する。

「な、どうしたんです!?」

「わからん!」

 コクピットの中では女性がガタガタ震えながら蹲っている。アーチャーにはその姿に戦場で無抵抗に殺されようとしている捕虜の姿を投影した。

「大丈夫だ。君の敵はもういない。落ち着くんだ」

 なんとか宥めようと女性の叫びに負けないように声を大にする。しかし女性にその言葉は届かない。聞こえていない筈はないのだが、錯乱し過ぎている。

 そもそもこの男、生前から女性を落ち着かせることにかけて才能の無さに定評があるのだ。

「っく、シンジ?」

 うろたえるエミヤの脇を通ってシンジはコクピットに飛び乗った。女性はそれにビクリと震えるが、シンジは構わず女性に近づくとその頭を抱きしめる。

「あっ……」

「大丈夫です。貴女の敵はここにはいません」

「いな、い?」

「はい。いないんです」

 そういって優しく女性の頭を撫でるシンジは、その中世的な容貌と相まって聖母のようにすら見えた。その様はとても人類を滅ぼした人間には見えない。

「……」

 しばらくして落ち着きを取り戻した女性は急に顔を赤くしてもがき出した。

「あ、あ、あの、その」

「もう大丈夫そうですね」

「あ、は、はい」

 シンジが女性の手を引いてコクピットから引き上げる。女性は外に目を向けて初めてエミヤに気づいらしく、目を見開いた。

「どうしました?」

「い、いえ」

 不思議に思ったシンジは女性に問いかけたが、自分の先ほどの醜態を見ていた人間が他にいたことに赤面して、女性は気まずげに眉を寄せるとコクピットから飛び降りた。地面までニメートルほどの高さがあったが、運動能力は高いらしく無難に着陸した。シンジとアーチャーもそのあとに続く。

 女性は二人に向きなおると敬礼した。その様は、先ほどまで体を震わせていた女性のそれではなく、一端の軍人としての凛々しさに溢れていた。

「窮地での救出、感謝します」

「いえ、僕は何もしていません。コクピットの破壊はこの人が」

 シンジがエミヤを指す。改めて例を述べようとした女性を手を振って制しながらエミヤは口をひらいた。

「ふむ、まあ成り行きでやったまでだ。必要以上の感謝は必要ない」

「ありがとうございます。あの、私のもの以外の戦術機はこちらに来ませんでしたか?」

「戦術機、とはこの兵器のことで合っているか?」

「え? あ、はい。そうです。……戦術機を知らないなんて、変わっていますね」

「む? ああ、田舎者でね。散歩がてら歩いていたら丁度この場に出くわしてな」
「ここ、最前線ですよ?」

「……」

 女性の視線が疑惑の物に変わったが、何かを口にする前にシンジが口を挟んだ。

「えっと、あなたのもの以外の戦術機は見てないです」

「……そう、ですか」

 女性は表情を暗くして俯いた。

「仲間が居るのか?」

 彼女のその様に嘆息して、エミヤが訪ねた。シンジはちらりと、彼女が飛んできた方角に目をやる。

「はい……。ですが、隊で生き残ったのは私だけのようです。皆の機体の全信号がロスト、しています」

 震える手で、手首の端末を操作した女性が項垂れる。

 この世界で戦術機の全信号の途絶、それは主機が爆散でもしない限りあり得ない。

 そして、戦場でのその状態は即座にKIAとして処理される。それほどまでに、望み薄な状況なのだ。女性は歯を食いしばって痛嘆する。

 初めて任された部下達だった。なのに、生き残ったのは自分一人だった。もし、自分が、自分がもっと上手くやれていたら。

 後悔と、悲嘆に暴れる心を無理矢理に押さえ込む。それでも、目尻に涙は溜まり、ともすれば嗚咽が漏れそうになる。それでもそれを堪えたのは、一般人の前だからと言うなけなしの軍人としての意地があったからだ。

 しかし、その様にシンジが一端躊躇して、口を開く。

「……僕が言うのもなんですけど」

「……はい」

 涙声になりそうな声を堪えて、女性が応える。その痛々しい様に、シンジが優しく言う。

「泣いても、いいと思いますよ。ここには僕たちしかいませんから」

 その言葉を受けて、女性の目から涙が零れる。

「うっ―――く、ひぐ……うぅ」

 仲間を失った悲しみが、無理矢理に押し上げた閾値を超えたのか、もしくは一般人にすら慰められる自分が情けなくなったのか。

 女性の慟哭はしばらく続いた。



[8570] 第三話「意志」
Name: NOCK◆b833a99e ID:dc728d93
Date: 2009/05/11 23:40
 あれから、女性は強化装備の無線によって救援を呼ぶことに成功した。それによって身の安全を得ることができた彼女であったが、装甲車を回した歩兵は、彼女の傍にいる二人の民間人(だと思われる)人間を見て当惑の表情を見せた。

「失礼ですが、神宮司中尉」

 恐る恐る、と言った風体で伍長の男は進言する。

「なんだ」

 それに応える女性は、仲間を失った絶望からなんとか精神の再構築を達成することができたのか、凛とした佇まいで対していた。

「その後ろのお二人は何者でしょうか?」

 伍長は、彼女の背後で手持ち無沙汰に立ち尽くしている二人を指して訪ねる。まあ、当然の疑問である。

「私の救助を行って頂いた方達だ」

「救助、でしょうか。……恐れながら、この戦場の只中において民間人が出歩くことは尋常の事ではないかと」

 この場所は、一番近い避難用シェルターまで二百キロは離れている。その上、民間人の避難ルートからも大きく逸れているのだ。

「伍長、貴様に意見を求めたつもりは無いのだが」

「はっ、失礼しました」

 しかし、女性――神宮司まりもはその提言を一蹴する。伍長は一瞬うろたえたが、すぐさま表情を引き締め敬礼をする。自分が知る必要の無いことneed to knowの原則に触れることを察したからである。

「とりあえずお二人には基地まで同乗して頂く。流石にノーチェックで基地内には入れないだろうが、少なくとも安全地帯であるのだろうからな」

「はっ」

 現実には、まりもにすら、二人の正体は分かっていなかったのだが、そんなことを伍長は知るよしもなく、三人を装甲車の搭乗口に案内した。

 こうして三人はしばらくの間、装甲車の固いシートの上で揺られることになった。





「申し訳ありません。神宮司さん、手を煩わしてしまって」

 恐縮するシンジに、まりもは首を振った。

「いえ、命を助けて頂いたせめてもの報いです」

「命を助けたといっても我々はただあのコクピットのハッチをこじ開けただけなのだがな」

 恐らくだが、この世界では生身で件の異形を斃すことは異常の部類に入るのだろうと見当をつけて、エミヤは自分達がそれを駆逐したことを隠して言葉を返す。

「それでもです。私は、あろうことか戦場で恐慌に陥ってしまっていました。あの場でただ蹲っていたらそのまま後続のBETAにやられていたでしょう」

 BETA、という言葉は先の異形のことを指すのだろう。

「私は自分を見誤っていました。教導隊に所属し、中隊を任されて、気心の知れた仲間もいて。奴らに相対しても確実に勝てると奢っていました」

 その結果が、部隊を全滅させて一人コクピットで怯えていただけだった。とまりもは自嘲する。

 がたがたという、装甲車の硬いタイヤが、ひび割れた地面を転がる振動音が車内に響く。

シンジは困ったようにエミヤに顔を向けたが、エミヤはそれに対して僅かに首を振るだけだった。

 エミヤにとっての初陣とは何を指すのか。そもそもかの聖杯を賭けた戦争において敵は異形などではなかった分、精神的、根源的な恐怖はそれほどなかった。そもそも、彼にとっての最初の戦闘は(戦闘に当てはまるか疑問であるが)、かの槍兵に心の臓を抉られた一件であり、恐怖を感じるまでもなく一度死んでしまっているので、初陣どころか戦闘の恐怖そのものを感じるまでもなかったのだ。

 それを考えたらむしろシンジの方が異形と人型兵器で戦って恐慌に陥った経験がある。だが、それを持ち出してまりもを慰める訳にもいかない。そのような体験談を語ったところで、精神異常者か妄言癖のある子供としか見られないだろう。

 そもそも、まりもは慰められることを望んでいない。ただ、仲間を死なせてしまった罪を責めて欲しい、罵倒して欲しがっていた。それが感じられるからこそ、二人はまりもに声をかけることができないでいた。

 そのまましばらく、三人は言葉を交わすことを止めた。そこはかとない悲壮が、まるで冷たい油のように場に浸透していた。

 まりもは開かれた窓から外をなんとなしに眺めていた。外の景色など、BETAによる過度の進行によって荒らされ抜かれた、何もない更地が巡っているだけである。その光景を見ながら、彼女は自分の部隊の物たちのことを思い出しては鬱々としていた。

 それに対するように座っていたシンジは、手持無沙汰げに車内に備え付けられた端末の液晶を見つめている。時折何事かを一人口走っているが、その内容は振動音に紛れて聞こえることはなかった。

 シンジは、まりもはこの苦悩を克服するだろうと、それを昇華することができるだろうと思っていた。会ってまだ半日と経っていないが、それでも神宮司まりもとはそれが出来る強さを持っていると、何故かシンジは確信していた。

 彼がそう考えた理由は定かではないが、まりもが彼の姉だった女性にどことなく通じるものを持っていたのも、それを感じさせる要素の一つだったのかもしれない。


 エミヤも、鬱々としているまりもを気にしつつ、壁に背をついて腕を組み目を閉じていた。彼は英霊として情報を得る今というチャンスを無駄にしたくないと考えていおり、現在のこの状況、この世界の現状を把握している軍人であるまりもには早く立ち直ってほしいと考えていた。打算的な思考ではあったが、重要なことでもある。

 だが、それだけではない。

 彼は元来どうしようもなくお人好しな人種である。落ち込んでいる人間には手を出さずにはいられない、生前はよく鬱陶しがられた性癖が英霊となった今でもやはり彼には残っているようで、その性質は目の前の女性にも発揮された。

 ずっと目を閉じていたエミヤが、目を開けることなくおもむろに口を開いた。

「ある女性が居た」
 
 その言葉は、もちろん伝えるべき相手に向けて発された言葉だったが、誰に向けてと言うような明確な指向性を持っているように感じられない、強いて言えば、過去を懐古するような響きを持っていた。

「その女性は至高の戦士であり、優越した指揮官だった」

 エミヤが自分にむけて話しているのだと察したまりもは彼の方に目を向けた。シンジも伏せていた目をあげ赤い騎士を見据えた。

「しかし、人は万能ではない。いや、万能な人間などは存在しえない。彼女は、民の為この上ない功績を立てていったが、それでも救えないものが少なくなかった。戦いで部下が死なないことなど稀だったろう。助けの届かない民草の命を見捨てたこともあった。時には道を違えた同胞を手にかけることもあった」

 想うのは戦いの丘。敵の骸と、味方の遺骸と、折れた剣とが形成した丘に立つ少女。彼女はそれでも気高く美しかった。だが同時に、彼女の心は哀しみにくれていた。

『守りたかった人たちが居て、守れなかった自分が居た』

「理想の為に、彼女は命を賭けて戦った。だが、それでも失ったものが多すぎた。―――彼女にはそれが許せなかった」

 淡々と話すエミヤの言葉を受けながら、まりもは下唇を噛んだ。その女性と自分の境遇は、どことなく一致している。

「『自分では無く、他の誰かが選ばれていたのならもっと上手くいったに違いない』」

 エミヤの発した台詞に、まりもの肩がびくりと震えた。そして、その向かいに居るシンジも何故か表情を緊張させた。

「彼女は戦い続けた。例えその先に、避けえない孤独な破滅が待っていたとしても、無念の過去を変えるために戦い続けた」

 この言葉の意味を、エミヤ以外の二人には理解できなかった。だが、その言葉の真意は理解できたような気がした。

「その女性は、どうされたんですか?」

 シンジがエミヤに尋ねる。その瞳の奥に一瞬、何かを望むような光を走らせて。

「度重なる戦闘と、折り重なる苦悩の果てに答えに辿り着いた」

 その答えを、かつてのエミヤも一緒になって探した。その答えが絶対的な真理とは限らない。だが―――

「彼女に限らず、戦いに身を置く者たちは常に、多くの物を奪い、多くの死を重ねてきた。だが、それを何もかもを無かったことに、否定してしまっては―――」

 ―――奪われた、全ての想いは何処へ行く?

 その言葉にはっとした気配が二つ。一つは女性と、一つは少年と。

「その道が、今までの自分が、間違っていなかったと信じているなら、結果は無残でも、その過程に一点の曇りが無いのなら、最後まで守るべきだろう?」

 なにを、とは言わない。それは、ひとりひとりが別々の物を、その魂に刻んでいる。

 俯いていたまりもが、先ほどとは違い意思に溢れた瞳でエミヤを見据えた。それに応じるように赤い騎士は目を開いて苦笑を洩らした。

「まあ、偉そうに説教を垂らせる程に、私は立派な人間では無いのだがな」

 その言葉にまりもは首を横に振る。その面には、未だ目尻に涙を溜めつつも清々しい笑みが浮かんでいた。

「いえ、お陰で彼らの、私の道になった部下のことを侮辱せずに済みました。感謝します」

 彼女は一つの心理的な壁を越えたようだった。先ほどまで悲壮感に溢れていた車内の雰囲気が、少し明るくなった。エミヤは笑みを浮かべると、再度壁に背中を預ける。そして、まりもとは反対に俯いてしまった、先ほど出会ったばかりの少年に目をやった。その面持ちは、どことなく悲しげに見えた。


 赤い騎士はまだ知らない事ではあったが、『碇シンジ』にとって自分を肯定すると言う行為は、かなり難しかった。なぜなら彼は、彼の世界の戦いの中で己の理想を見出すことはなかったのだ。ただ場の状況に流されて、自分の信念を確固することはなく、ただ惰性で戦っていた。

 同僚の少女たちも、姉と慕った女性も、兄のようだった男も、そして最後まで理解し合えなかった父ですらも、彼の周りの全員が何らかの信念をもって戦っていた。ただ一人、彼――碇シンジだけは、何の立脚点もなく戦っていた。その結果世界を壊してしまった彼には、自分を正当とすることができない。なぜなら、正当とするだけの信念を彼は持っていなかったのだから。だから、エミヤの話を聞いても、シンジは自分の罪を乗り越えることは出来そうになかった。

 だが、エミヤの話から、得たこともあった。

『―――奪われた、全ての想いは何処へ行ってしまうのだろう?』

(そうだ。自分には、碇シンジには過去を肯定することは許されない。だが同時に、否定することも許されない。僕が奪った全てのもの。それを忘れることだけでなく、昇華する事も自分に許してはいけない)

 それは、自分が無作為に奪った、数十億人の人々の想いを踏みにじることなのだから。

 そこまで思い至ったシンジはエミヤの視線に気づいた。その鷹のような鋭い目の奥に僅かな思慮が覗いている。それを見たシンジは曖昧な笑みを漏らすと、その視線から目を逸らした。



[8570] 第四話「驚異」
Name: NOCK◆b833a99e ID:dc728d93
Date: 2010/07/17 23:27
「ふむ、それで、貴様はこの二人に救助されたと、そう言うことか?」

「はっ!」

 必要最低限の明かりが灯る狭い部屋の中で、初老の男はむうと唸るとまりもの背後の二人に目を向けた。

 三人を乗せた装甲車は一時間ほど前に帝国軍臨時司令部に到着したが、そこはそもそも身元不明の人間を許可なく招き入れることは出来ない。まりもが前を塞ぐ門兵を押し切って、とりあえず直属の上官である師岡を頼ったのだが、流石に基地内に入ることはできずに入口横の留置所にて尋問を受けることになったのだ。
 
 二人も自分たちがすんなり入れてもらえることは無いだろうと予想していたので、すまなそうな表情をしているまりもに笑みさえ向けて、手錠の拘束を享受した。

「すまないが二人とも、個人識別コードの提示をしてもらえるかね?」

 エミヤはその言葉に内心舌を打った。個人識別コードとやらは、身分証かそれに準ずるものであるのだろうが、普段抑止の守護者として召喚される時には身分証などは持ち得ない。当たり前の話だが、殲滅対象を世界のバックアップによる超火力で排除するだけで用件は済むのだから。
 
 だが、こと今回の召喚においては魔力供給も無ければ殲滅対象の情報もない。恐らくBETAと呼ばれる異形が重要な要素なのだろうが、現在の状況では途方に暮れる他ない。現状わかっていることは、少なくとも任務の詳細がわかるまで情報収集をしつつ生きていかなければならないという事であるが、いかんせん、身元を保証するものが無ければある程度文明の発達している世界ではそれは難しいのである。

 どういった言い訳をするべきかと頭を悩ませていたエミヤだったが、師岡の言葉に対してシンジが発した言葉に唖然とした。

「B-87321EA-443W衛宮士郎と、同じくB-01881UV-597Lの碇シンジです。照合願えますか?」

「ふむ、君、照合してくれ」

「はっ」

 シンジがさも当然といったふうに数字を口にし、師岡がそれを端末を持った部下に解析させた。驚きを表情に出すことはなんとか押さえたが、エミヤはそれを呆気にとられて見ている。

「ふむ、衛宮士郎二十八歳に碇シンジ十四歳ともに京都在住、か」

「はい、前回のBETAの侵攻の際に避難民の輸送車に乗り遅れてしまいまして……なんとか自家用車であの付近まで来ることができたのですが、ガス欠して立ち往生していたところだったのです」

 先ほど散歩と言って誤魔化した手前、まりもは二人を不満そうな目でにらんだが、それに頓着せずにシンジは淡々と虚偽の証明をする。

「数ある防衛線を知らず知られず通り過ぎて、BETA 出没地点の只中に侵入するとは……。無知が招いたこととは言え、とんでもない話だな……」

 師岡が呆れたように言うと、シンジはあははと乾いた声で答えた。

「いや、あそこで神宮司さんと出会えて良かったですよ。もしあのまま立ち往生していたとしたらぞっとします」

 いけしゃあしゃあといってのけるシンジにエミヤは思わずこめかみを押さえた。どうやらこの少年はどうにかしてこの世界のデータベースにアクセスして、自分たちの情報を滑り込ませたらしい。そのような機会がいつあったか知れないが、助かったのは事実だ。それでもエミヤは少々の脱力を避けえなかった。

「どうかしましたか? 衛宮殿」

「いえ、なんでもありません。少々疲労が溜まっているようです」

 その疲れた様を鑑みて、師岡が声をかけてきたがエミヤは幾分沈んだ声で返す。それに対して師岡は先ほどまでの威圧感を緩める。二人が一般人であると知れた以上、彼にとって二人は軍人として守るべき対象になる。彼は二人の手錠を副官に外させると言った。

「流石に京都からBETAとの追いかけっこは神経を使ったでしょう。その上神宮司も助けて頂いた。感謝します」

 あの程度の異形に対して神経をすり減らすような柔な神経はしていないが、その点に関しては触れずに、二人は素直に礼を受け入れた。

「とりあえず今晩はこちらで部屋を用意しますのでそちらでお休み下さい。明日からのことについては、部下が朝食に案内しますのでその時にでも」

 師岡の手配に二人は感謝の言葉を発すると、師岡の副官の先導に従って部屋を出て行った。そして場にはまりもと師岡が残された。


 まりもは姿勢を正して師岡に相対している。暗い室内に再度えもいわれぬ緊張感が沸き起こった。

「神宮司中尉」

「はっ!」

「貴様の部隊の、貴様以外の隊員は全員戦死が確定した」

「……っ!」

「彼らの死に対して貴様に一切の責が無いわけではないことを覚えておけ」

「はっ!」

「だが、彼らの死に対して過剰な自責で自らを滅ぼすな。後悔を背負って生きることは悪いことではない。だが、それで歩みを止めるようならばそれは彼らに対しての冒涜となる」

「はっ!」

「彼らの命の代償が貴様の命だ。それを決して無駄にはするな。その自責と憎悪は、まとめてBETAに向けてやれ。その方が彼らの本懐だろう」

「……はっ!」

 まりもは涙をこらえて返答を返す。師岡はその表情を観察して感嘆のため息を漏らした。彼は戦闘で仲間を失った衛士たちを多く見てきた。彼らは総じて、BETAの恐怖に慄き、自らの微力を責め、又は逃避に走るなどしていた。

 そんな彼らに対して尻を叩き、発破をかけてやるのが、上官として、また年長者としての師岡の責務であった。それほど、彼ら衛士にとってBETAとの戦闘というものは恐怖と後悔に彩られるものなのだ。

 しかし、向かいで背筋を伸ばすまりもからはそのようなへたれた気配が無い。仲間の死を悲しむ気持ちも、自分の非力を恨む自責も存在しているが、それ以上に裂帛の覇気が見て取れた。

 なるほど、と師岡は胸中でごちる。少し前まではひよっこだったのに、自分が手をかけるまでもなく、目の前の衛士は既に次に向かって歩き始めている。『衛士の心得』それをいつの間に体得したのか。ふと先ほどの二人が脳裏をよぎる。戦闘後のまりもに付き添ったのはあの二人だ。彼女に影響を与えるとしたら彼らが妥当な位置に居た。

「……まさかな」

「はい?」

 しかし情報では彼らは確かに一般人だ。戦争の心構えなど問えるはずがない。

「いや、一人言だ。……神宮司」

「はい!」

「BETAの侵攻は現在膠着状態にある。首都は東京に移されたが、いつ再侵攻が始まるかわからん」

「……はい」

「なんとしても止めるぞ、神宮司。貴様には再度中隊を率いてもらう。今回の戦いの生き残りたちだ。元の所属もそれぞれ、纏めるのに難儀するだろうが、やれるか?」

 その言葉に、揺るぐことない敬礼でまりもは答える。その目にはこれ以上ない意思が滾っていた。

「はい! 尽力致します!」

 本当に、彼女はいい衛士になる。師岡はそう直感した。

「よし、今日はもう休むといい」

「はっ!」

 まりもは敬礼して師岡に背をむけ入口に向かう。その背に向かって師岡は再度声をかけた。

「神宮司」

 その声音はいつもの上官としての厳格なものでなく、一人の教え子をみる師のものだった。

「はっ!」

 多少の動揺のあと振り返ったまりもに一言。

「……よく、帰ってきた」

 愛情を込めた言葉を受けたまりもは、万感を込めて再度師に敬礼を返した。






「まったく、驚いたな」

 エミヤはそう漏らしてベッドに腰を下した。パイプの骨組みに固いマットレスが敷かれた簡易なものだ。

「そうですか?」

 シンジも苦笑して反対側に据えてあるベッドに腰掛ける。

 二人は下士官用の相部屋をあてがわれていた。部屋自体は上等な造りとは言えなかったが、二人とも頓着しない。エミヤは生前、特に戦場を渡り歩いていた時代においては野宿をすることもざらだった。そんな彼にとっては屋根があるだけで十分休息を得ることができる場所といえた。その上寝具もあるのだから文句なしの環境と言える。対してシンジの方も、ある意味では彼女の姉代わりだった女性の部屋よりも環境(この場合は整理整頓)ができているため、不満を持つことは無かった。

「うむ、どうやったのか是非とも聞きたいものだな」

 もちろん、彼らの身分詐称の件である。

「ああ、あれはですね……」

「うむ、……ああ、ちょっと待て」

 エミヤの問いに苦笑しつつ種明かしをしようと口を開いたシンジだったが、エミヤそれを手で制す。

 壁に手をつき、目をつむる。


「―――――同調(トレース)、開始(オン)」


 しばらく壁を走査して、解析を切るとエミヤは皮肉下に口元をつり上げ、やはりか、とごちる。

 盗聴器が三つに、監視カメラが一つ。まあ、当り前の措置だろう。いくら一般人だといえ、見知らぬ信用できない人間相手に完全に警戒を解くことなど愚の骨頂だ。一般人に成り済ますことが諜報員のきもであるのだから、それを失念することは致命的なミスになりえる。

 エミヤの行動に思い至ったのか、シンジも顔を強張らせる。そしてすぐさま部屋に備え付けてある内線を手に取った。ただし、どこぞに連絡を入れるためではない。

 シンジは受話器に向かって、自身の能力を励起した。

「―――――Ireul(イロウル)」

 受話器に向かってそう囁くと、シンジは暫くぶつぶつと何事かを唱え始めた。

「―――防壁――解除―パス確認――コード偽造―解除――システム停止―――データ偽造――確定」

 しばらくの間、エミヤは何もできずに、おそらくは何らかの対策を講じているシンジを伺っていた。対象の構造を投影の応用で少しいじればエミヤにも監視機器の無力化は可能だったが、それでは意味がない。『監視機器が無力化された』という事象そのものが疑惑の証拠に成り得るからだ。シンジが何をしているのかは解らないが、おそらくその点も克服できる手段があるのだろう。

 ふう、と、いつの間にか紅く染まっていた瞳を元の黒に戻してシンジはため息を吐いた。

「もう、大丈夫です、目と耳は封じて、ダミーのデータを流しています」

 ある程度予想していたとはいえ、その言葉にエミヤは驚かずにはいられなかった。

「……情報操作か。恐ろしいな」

 人間同士の戦争において、―――いや、戦争に限らず―――情報という物は時に万の兵より多きな力を持つことがある。そしてそれは特に文明レベルが高くなればなるほど顕著になっていく。

「元は僕の能力じゃないんですけどね……。こと情報機器に関しては、かなり高度なレベルで操作できます」

 非常に強力な能力である筈なのに、その表情に浮かぶのは自嘲だ。その事に関して表面上は頓着せずに、エミヤはシンジに尋ねた。

「私達の戸籍についてもその能力を使ったのかね?」

「ええ、さっき装甲車に乗っていた時に端末にアクセスをかけてみました」

 エミヤはシンジが装甲車の中で何事かうつむいて何事か呟いていたことを思い出した。

「感謝する。お陰でいきなり牢屋に放り込まれる事は免れた」

「お互い様です。衛宮さんが監視機器に気づいてくれてなかったら結果は同じですから」

 そう笑いあって、二人は表情は真剣なものに戻す。

「それで、その際にこの世界の情報もある程度収集できました」

「ふむ」

 シンジは暫く思案すると、考えを紡ぎ始めた。

「世界意思の考えはわかりませんが、殲滅対象は恐らく確定しました」

「やはり、あのBETAという生命体と関係があるのか?」

 はい。と頷いてシンジは続ける。

「正式な名称はBeings of the Extra Terrestrial origin which is Adversary of human race『人類に敵対的な地球外起源生命』。不確定の太陽系の外から、火星、月を経由して地球に降り立った『侵略者』。彼らはユーラシアのカシュガルを中心に二十個所に及ぶ拠点をこの星に設置し、尚勢力の拡大を続けています。彼らは高度な生物体系を持ち、技術的なものもベクトルが多少異なりますが、この星の水準より発達しています」

「ふむ。インベーダー……か」

「ですね。もちろん人類も手をこまねいている訳が無いので対抗しています。ただ、相手がかなり高度な対空兵力を所有しているため、効率の良い空軍勢力による攻撃が通用しません。――そこで主流兵器となったのが、人型機動兵器『戦術歩行戦闘機』」

「なるほど、先の『戦術機か』」

 合点がいったエミヤにシンジが頷く。

「ええ、それによって人類は何とか防衛線を食い止めている現状です」

 その言葉に、エミヤは眉を潜める。

「食い止める?」

「ええ、彼らと人類の戦力差が余りにも大きすぎる」
 
 そこでシンジが少し表情を強張らせて一泊置く。

「単純な数字でいうと、戦術機一機に対して、敵との数量差は凡そ数千」

 その言葉を受けてエミヤもシンジの言わんとすることがわかったのか嘆息する。

「彼らの総数は数億」

 シンジも苦々しげに言葉を吐いた。



「英霊が一人や二人居たところでどうにかなる数じゃないです」



[8570] 第五話「因果」
Name: NOCK◆b833a99e ID:dc728d93
Date: 2009/05/11 23:38
 エミヤとシンジの二人が、仮説前線基地にやってきた次の日の朝、二人にあてがわれた部屋にやってきたまりもは、済まなそうな表情をして二人にとある事情を説明した。

「ふむ、つまり、当分この基地から動くことが出来ないと」

「はい。本当に申し訳ありません」

「いえ、謝らないでください。神宮司さんのせいじゃないんですから」

 そう言って頭を下げたまりもにフォローを入れて、二人は先を促す。昨日この基地に連れてこられた二人の英霊は、相談の結果今日中にでも早々にこの場を立ち去るべきかと方針を定めかけていたのだ。

「はい、この基地は防衛線の中でもかなりの前線に位置しています。ですから、先日から散発的に起こっている戦闘で交通ラインの安全性が保てておらず、しばらく後方に下がる車が出せないのです」

 普段ならたとえ前線であったとしても、相互の交通手段はそれなりに出ているのであるが、今の戦況はかなり切迫している。補給を滞りなく行うために後方からの通行はかなり頻繁にあるのだが、変わりに前線から退く数はかなり減ってきている。これは、安全の確保をし、護衛の手間を省くために後方への移動を一纏めにする必要があってのことなので、まりもに責任はない。だが、彼女は一般人である二人をこの前線に拘束することに強い自責の念を感じていた。

「次回の後方への移動はおよそ二週間後に行われます。それまで、ここに居て頂かなければならないのですが……」

 済まなそうに言うまりもにシンジは気にすることはない、と告げる。

「神宮司さんに責任はありませんよ。そもそも僕たちは後方に行ったとしても行くあてもないですし」

 肩をすくめてシンジがエミヤを見やると、かれも同じ考えらしく頷いた。

「……まあ、そうだな」

 そもそも、二人に行くあてなどあろう筈が無い。せいぜい考えつくのがBETAの本拠地であるハイヴに奇襲でもかけてみるかという詮無いことである。もちろん、行った所で数に呑まれて終わるだろうが。

「申し訳ありません……。皆さん国民の生命と、財産を守ってこその軍人だというのに」

 シンジ達の言葉に、自分たちが京都を守れなかったことについてまで思いを巡らせてしまったまりもが項垂れる。

「そういうのは言いっこなしですよ。神宮司さんたちは精一杯頑張ってるんですから」

 そんなまりもに苦笑して、シンジはフォローを入れる。

「ですよね、衛宮さん」

「ああ、誰にとっても今は生き難い世の中だ。誰が誰に不平を言うことも無いさ」

 そもそもこの世界の住人では無い二人であったが、彼らは戦う者と護られる者、それぞれの苦悩を識っていた。だから、まりもの力足りず救いたいものを救えない苦悩も良く分かっていた。特にエミヤは、そのジレンマにに生涯をかけて晒されていたのだから。

「そう言ってもらえると、ありがたいです」

 まりもも二人の心遣いが伝わったのか、少し困った様に微笑んだ。

「お二人に出会ってから、迷惑かけてばかりですね」

「気のせいだ」

「気のせいでしょう」

 まりもの言葉に異口同音に返して、エミヤとシンジはお互い苦笑して顔を見合わせる。それを見たまりもがぷっ、とふき出して、部屋に明るい雰囲気が戻ってくる。

 シンジは笑いを洩らしながらふとまりもに問う。

「ええっと、そうなると僕たちは滞在中はどうすれば良いのでしょうか」

 その問いに、まりもは表情を真剣なものに戻して二人に向きなおる。

「はい、お二人には申し訳ないのですが、この基地には食客として滞在して頂きます」

「食客……ですか?」

 シンジが意味をよく理解できずに聞き返す。

「はい……」

「成る程、体の良い言い方をしているが、要は何もするなと言うことでいいのか?」

 まりもの言葉に困惑したシンジに代わってエミヤがその視線を鋭くして尋ねる。

「おおむね、その通りです」

 まりもが少し表情を強張らせて答える。食客という言葉の意味。一般人に軍属の仕事をしろと言うのももちろん無理があるが、それ以上に不審な人物の行動を制限することが目的となっている。それを気取られたことを感じてまりもは消沈した。出来れば二人とは友好的な関係のままでいたかったのだが、そのような意図を察されればそうは行かないだろう。

「ふむ……」

 まりもの返答を受けて、エミヤは少し思索する。思った通りではある。自分たちへの疑いはそれなりにあるのだろう。むしろ、疑わない方が不自然である。やはり召喚された場所が悪かったか、と思案する。

 だが、とその思案を否定する。仮に自分たちがあの場に召喚されていなければ、まりもはまず助からなかっただろう。流石に彼女を助けずとも違う場所に召喚されたかったと思うほど、彼の性根は曲げられていない。

 そこまで考えてふとエミヤはある可能性に気づいた。自分たちが召喚されたことによって神宮司まりもは命を永らえた。と、いうことは……?

「どうしたんですか? 衛宮さん」

 急に表情を変えたエミヤに対してシンジが問いかける。エミヤが面を上げればそこには彼の表情に何かを察したようなシンジと、困惑を漂わせたまりもの表情があった。

「いや、少々深く考えすぎた。因はともあれ暫くの間世話になるな。よろしく頼む、神宮司まりも」

 そう言って片手を挙げる。

「は、はい。こちらこそ……」

 先ほどの鋭い表情を崩して、急に態度を変えたエミヤに少し困惑しながらまりもも返事を返す。

「まあ、それ以外に無いでしょうね。そもそも、おかしな行動を取らなければ問題ないんですし」

 シンジが笑って締めくくった後、その場は散会となった。

「それでは、私はこれで。ああ、朝食の方ですが、正規兵たちの後PXにお越し下さい。時間は」

 まりもは腕の時計を見て時間を確認する。

「あと一時間ぐらいでしょうか。少し遅くなってしまうのですが……」

「構いませんよ。いろいろありがとうございます。ここまでしていただいて、感謝してもしきれません」

 そのシンジの礼に若干照れて、職務ですので。と返したまりもは一度敬礼をするとその場から立ち去った。それを見送ったシンジは、まりもの足音が遠くに去ったのを確認すると溜息を吐いた。

「……目と耳は封じました」

 出会ってからまだ一日と経っていない彼らであったが、シンジにはエミヤの雰囲気からある程度の心象を察することが出来るようになっていた。シンジが赤い騎士に向きなおれば、彼の表情が、何か重大な事実に気づいたことを物語っていた。

 まりもはただ雰囲気の変化を感じ取っただけのようだが、幼い頃から人の表情を読み取ることに敏く、さらにはとある理由によって『人の心』を敏感に感じ取ることができるシンジの感覚は、エミヤが何かに思い至ったことを明確に感じ取った。

「何かわかったんですか?」

 エミヤは暫く虚空を見つめて思索していたが、ある程度考えが纏まったらしく、シンジに向き合った。

「私たちがどうしてあの場に召喚されたのかについて考えていた」

 なぜ、あの場所に召喚されたのか。それはシンジにとっても疑問だった。だがそれ以外に重大なイレギュラーがありすぎた。情報の欠如、魔力供給の不備、そして―――その状況で尚存在する『複数の英霊』

「相当の召喚を受けてきた私だったが、今回の召喚は異常だらけだ」

 シンジは頷く。彼にしても、この様な召喚に経験はない。

「ええ、世界意思の介在にしては片手落ちもいいところですね」

「ああ、私もこれがトラブルである可能性は高いと思っていた。だが、それにしては状況の修正が今なお起こらないのはおかしい」

 そう。世界意思という存在にもミスがあるかもしれない。だが、そのミスを放っておくほど世界は不完全なものでは無い。さらに言えば、魔力供給の無い状態で二人が存在していることも不審なのだ。もともとが魔力の塊である自分たちが、何故魔力供給無しに現界できているのか。

「おそらくだが、これは正規の召喚だ」

 エミヤの言葉にシンジは困惑の表情を浮かべる。

「正規の召喚、ですか? でも、状況はかなり異常ですよ。イレギュラーが多すぎますし」

 シンジの反論に、しかしは首肯する。

「ああ、その点は確かに。これが普通の召喚ではないことは否定しない。だが、不完全な召喚と断じるにしてはお膳立てが出来過ぎている」

「お膳立て?」

「ああ」

 ますますわからない、と首を傾げるシンジに向かってなおも続ける。

「この身は授肉しているんだ」

 シンジは驚いてエミヤを見つめる。

「そ……うなんですか?」

「ああ。……自分の身のことだろう。気付かなかったのか?」

「いえ、僕は、厳密には死んで無いんです。それで……」

 そう、世界に独り残った少年は、ただ一人、生も死も無い世界の中存在していたのだ。死ぬことも生きることも許されない世界。そこで世界と契約をし、反英雄として英霊と成ったのだから。

「……そうか、確かに、そういった存在に前例がないわけではないからな」

 エミヤはシンジの事情には触れず、過去の経験と照らし合わせてそう言った。脳裏を過ぎるのは、剣精たる騎士王の姿。彼女も死を賜る前に世界と契約した英霊の一人だった。

 そしてあの聖杯を賭けた戦争から還った彼女は恐らく―――。

 一瞬感慨に耽りかけたエミヤだったが、自分が今話していることを思い出して再度思考を召喚についての話に戻す。

「それで、僕たちが授肉していることと、この事態とで何か関係があるんですか?」

 エミヤの思考が帰ってきたのを確認して、シンジが仕切り直して訊ねる。その表情は未だに答えに至っていないのか、困惑を表したままだった。

「ああ、授肉しているということと、魔力供給が行われないことは関係性がある」

 そこでやっとシンジは何かに思い至ったようだった。表情に明かりが差す。

「ああ、なるほど。授肉していれば、魔力供給が無くても現界できますからね」

 その通り、と言ってエミヤは頷く。シンジはそこから更に考えを進めていく。

「成る程、確かに。そうなるとイレギュラーの幾つかは理由に検討がつきますね」

 授肉した状態であるのなら魔力供給の必要性は薄い。その上、長期間の現界が可能だ。つまり、今回の召喚はもともと時間をかけての任務として設定されているのだろう。と、なると、情報収集もその任務に含まれる可能性が高い。となれば、一柱の英霊より数が居た方が効率は上である。そこまで考えて、シンジは眉をしかめる。

「どちらにしても、随分まだるっこしい任務ですね。……結局のところこの召喚の異常性は変わらないんじゃないんですか?」

「ああ、それは確かに。だが、論点はそこでは無い」

 エミヤは筋道を立てて説明を始める。

「この召喚がイレギュラーであることは否定しない。だが、尋常ではないとしても、私たちが授肉していることから鑑みるに、ただのミスで召喚が行われた訳ではなく、ある程度の目的を持って召喚されたと考えられる」

「それは、解ります。でも、結局の所、何の指標も無いのは変わらないですよね?」

 シンジが、エミヤの言わんとしていることがわからずに苦悩する。そんなシンジの発した反駁にエミヤは真顔で否定する。

「指標ならある」

「えっ?」

 意表のつかれたシンジは気の抜けた声を上げた。

「先に言ったことから鑑みるに、召喚自体に正当性がある可能性が高い。ならば、あの場に召喚されたことについても何らかの意味があるはずだ」

 そうでなければ、召喚自体の意味が無くなる。情報も、手掛かりも、理由も、そして思考の制限も無い状態での英霊の召喚など、場合によっては殆ど災害に等しくなる。守護者たる英霊が、破滅者となりかねない事象を、間違っても世界が起こすだろうか?

「あの場に召喚された、意味?」

 シンジは考える。あの場に召喚された、その事に意味があるのなら、自分たちが何らかの事象に変化をもたらしている筈だ。

 自分たちは召喚されて何をした? エミヤとの邂逅事態に何か意味があったのか、いや、彼も英霊である。この世界への干渉としては意味が無い。

 その後に二人が、戦闘している機械兵器と異形の集団を認めた。兵器は有人であったので、それに迫る異形―――BETAを駆逐した。それ自体にもあまり意味があるとは思えない。
 BETAの個体数が膨大であることは分かっている。ならば、精々十数体の個体を滅ぼしたところで、この世界に干渉できるとは思えない。しかし、他に自分たちが行ったことと言えば、戦術機からまりもを助け出し、基地まで送り届けただけ―――!?

「神宮司さん、ですか……?」

 まさか、と言った声色でシンジが問う。だがその目は、彼が確信に近い感慨を得ている事を物語っていた。

「ああ、まず間違いない」

 おもむろに頷くエミヤの表情はどこまでも真剣だ。

「神宮司まりもは、私たちが召喚されていなければ高確率で死んでいた。だが、現実として彼女は私たちの干渉の末生きている」

 つまりは、まりもの生存を起点として、この世界に二人の英霊による変遷がもたらされている。エミヤが語っているのは、つまりそういうことである。

「僕たちがあの場所に召喚されたのは、彼女を助けるため……?」

「正確には、彼女を助けることによって、後の歴史の流れに変化をもたらせる事だな。抑止の守護者の仕事の中には、未来に災いをもたらす人間を前もって始末するというものがあるが、今回のことはその逆に位置するのだろう」

 つまり、この世界の未来に、神宮司まりもという女性は必要とされているのだ。と繋げると、エミヤは大方のことを話し終えたのか、壁に背を預ける。シンジも何とか得心が行ったのか、同じように部屋に備え付けられた椅子に腰を沈める。

「だいたい理解しました。神宮司さんを起点に、僕たちが干渉すべき事象が関わっていく、ということですね」

 朝も未だ明けたばかりというのに、シンジは若干の疲労を感じさせる表情で言った。

「未だ穴だらけの理屈ではあるがな」

 エミヤもそれだけ言って、少年と同じ様に嘆息した。

 世界は、力も与えず、知識も渡さずに、この二人の英霊に何をさせるつもりなのだろうか。

 ……そんな、詮無いことを考えながら。



[8570] 第六話「戦場」
Name: NOCK◆b833a99e ID:dc728d93
Date: 2009/05/11 23:38
「なあ、シンジ」

 刃が高速で走る。エミヤは額に汗をにじませ、次の対象に得物を向ける。

「なんでしょうか、衛宮さん」

 揺らめく炎に僅かに目をしかめ、シンジが少し冷静さを失った声で返す。

「この数は、少々、予想外だ」

「同感です。この圧倒的な数の差はいかんともしがたいですね」

 二人揃って、残りの数を数える。が、数えきる前に二人はその行為を止めた。それだけ、相手との数量差は絶望的だった。

「相手を観察している暇は無い。まずは、目の前のこいつらを片付けねばな」

「くっ、数をこなすのがこんなに大変だったなんて……」

 シンジが若干の弱音を漂わせるが、それをエミヤは切って捨てる。

「今は考えるな。数に呑まれて戦い続けることは難しい。俺は、生前それを学んだ」

「こんなに、数をこなしたことが、あるんですか?」

「いや、数より量が多かった……」

 エミヤは再度『敵』を一瞥してごちる。

「うちには大食漢が大勢居たからな」

 そう言ってかつての剣精や虎を思い起こす。と、その時、威勢の良い声が二人の会話に割って入った。

「なぁにやってるんだい。新入り、後がつかえてるよ! ただでさえ人手が少ないんだ。とろとろやってたら、日が暮れちまうよ」

「う、うむ」

「り、了解ですっ!」

 二人はそろって返事をすると、各々の作業に再び取り掛かった。

 PXの前には長蛇の列。昼食の時間はまだ、始まったばかりだった。





 事の始まりは二人がこの基地に身を寄せた初日、まりもが二人の部屋を出てからきっかり一時間後、エミヤとシンジが言われた通りPXにやってきた時に遡る。二人はある程度の議論を終えてひと段落したところで、基地の中でも比較的彼らの部屋から近いPXへ赴き、そしてその場の状況に当惑した。

「おい、てめぇ、ちゃんと並べよ!」

「ぁあ? さっきから並んでるだろうよ! 法螺吹くんじゃねぇ!」

「んだと、おいっ!」

「止めろ! 変な騒ぎ起こすんじゃねえ。食いっぱぐれんぞ」

 場を占める熱気と怒声。

「あー、すまん。俺たち予定詰まってんだ。ここ入れてもらっていいか?」

「ふざけろ! んなのは俺らも同じなんだよ」

「おい、おせーぞ! 曹長、何やってんだ!」

 そして、時折殺気すら籠りかねない鋭いやり取りが行われていた。

 まりもの話では当の昔に正規兵達の朝食は終わっている筈だったのだが、目の前の騒動から鑑みるに、どうやら何かしらのトラブルがあったらしい。PXの前に長蛇の列を成して並ぶ兵士たちは口々い不満を言いあい、時折どなり声を上げている。

「な、なにがあったんでしょう?」

 シンジがこめかみに汗をたらして問う。それにエミヤが若干呆れた表情で答えた。

「わからん」

 二人が茫然と入口の横に立ちつくしていると、背後から凛とした声がかかった。

「済まないが。並ぶか退くかしてくれないだろうか」

 二人が振り返ると、そこには赤い制服を着た女性が立っていた。鮮やかな翡翠の髪を束ねたその女性は眉を顰め、さらに続ける。

「そこは往来もある。立ちつくされると迷惑なのだが」

「む、すまない」

「ごめんなさい」

 流石に非は二人にあったので、女性に頭を下げると、とりあえずその後ろに並ぶ。女性はなおも苛ただしげに溜息を吐くと、遅々として進まない列に対して不満を漏らし始めた。

「まったく、いくら即興とは言え、仮にも前線基地の機能が、これほど無様に停滞するとはな」

 誰となしに吐かれた言葉の様だったが、エミヤが受け答える。

「いったいどうしたんだね、この状況は?」

 しかし女性はエミヤの問いが聞こえなかったのか、それとも無視をしたのかわからないが、女性は反応することなく苛々と指を動かしている。その様子にエミヤとシンジの二人は顔を見合わせた。

「それにしても、凄い列ですね。たしか兵士の人の朝食時間はとっくに終わっている筈なのに」

 なんとなく気まずい雰囲気になったのを察して、シンジがエミヤの問いを引き継ぐ。

「各地から残存した兵達が集まってきたせいで、もとからこの基地に存在するPXやその他の福祉衛生が兵の数に対応しきれなくなっている」

 先の様子から答えが返ってくるとは思っていなかったシンジだったが、何故かあっさりと返事が返ってきた。エミヤは怪訝な表情を浮かべたが、女性は気づかずにシンジに向き直っていた。

「そうなんですか。じゃあ、一時間前からずっとこんな感じですか?」

「ああ、これでも少しは納まったほうだがな」

 そんな二人の会話に、エミヤがため息を吐いて口を開く。

「ふむ、ならばまた少し時間をずらして来るか」

「そうですね……」

「止めておけ」

 若干肩を竦めて部屋に戻ろうと歩きだした二人に、先の女性が声をかける。

「このままでは昼になっても大して変わらんだろう。時間を置くだけ無駄だ」

「ふむ……。だが、何分食客の立場なのでね。ここは正規の軍人に譲るのが、せいぜいの礼節だろう?」

 そのエミヤの返答に女性は怪訝な表情をする。

「……食客?」

「ええ、この近くで保護されまして。僕たち二人は軍属ではないんですよ」

「そう、なのか……?」

 女性は怪訝な表情を浮かべてシンジに聞き返した。

「はい、ですから、お気遣いは結構ですよ」

 そう返答してほほ笑むシンジに、女性は少し頬を赤らめると、そうかとだけ答えて視線を逸らした。

 その様子を見てエミヤは若干の苦笑を見せると、身を翻した。シンジも女性に礼をしてその後を追う。

「いろいろと、大変そうですね」

「ああ、兵士にとって、食事というのは数限りある娯楽の一つだからな。それに対してシビアになるのも仕様が無いだろう」

「そうですね。……でも、こんな状態でこの基地、しっかり機能できるんでしょうか」

「判りかねるが……。まあ、そこはプロだ。実際の戦闘となれば割り切れるだろう」

 どうにも心配げに、PXの前の列を見るシンジにエミヤが言う。そうして見ている間にもその行列は膨れ上がる一方である。

 とりあえず、その状況についての弁護はしてみたものの、エミヤもこのまま戦闘になった時の事を思って不安になる。とはいっても、自分たちの身の不安ではなく、戦場に出る彼らに対する不安だったが。

「ふむ……」

 エミヤはしばし黙考する。目の前の兵士たちの列は今なお減る気配を見せない。これはもう、仕方が無いかとため息を吐いた彼の眉の思考を察したのか、眉をハの字にしながら苦笑を浮かべてシンジが口を開く。

「実は僕、そこそこ料理が得意なんですよね」

 そのシンジの言葉に、エミヤも苦笑する。可笑しな偶然だ。

「奇遇だな。私もだ」

 その返答に二人は声をそろえて笑い、たった今背を向けた方向に身を翻す。未だ動かない列に並んでいた先ほどの女性が怪訝な表情でこちらに問いかけてくる。

「……? どうした」

「いや、なに」

 その問いに二人して口元を歪めて答える。

「人間、どのような経験が役に立つかわからないものだな、と思ってな」





 それから、基地に身を寄せて数日間。二人の英霊は臨時の調理師として働くことになった。あの後、二人が調理場にて手伝いを申し出たところ、二人が拍子抜けするほど安易にその申し出は受け入れられた。

 調理師の中でも、リーダー格の恰幅のよい女性が言うには本気でネコの手でも借りたいほど忙しかったらしい。ある意味では、この基地の危機を救った二人はしっかりと英雄だったのかもしれない。

 なにはともあれ、手際では速さが命のプロのそれには劣るものの、しっかりとした経験に裏付けされた技術は、停滞していたPXを蘇らすには十分なものがあった。

「なあ、シンジ。ここ最近で思うようになったことがあるのだが」

 類い希な包丁さばきを見せて大量の野菜を切り分けていくエミヤが、隣りで寸胴をかき混ぜるシンジに声をかける。

「なんでしょうか、衛宮さん」

 シンジは火加減を調整した後、そばにかけてあった布巾で額の汗を拭い。エミヤの方に向きなおる。昼食の時間も時期に終わり、PXも人がまばらになってきている。現在は夕食の仕込みであるため多少の余裕がある。

「私たちは料理をするために召喚されたのだろうか」

「もし本当にそうだったとしたら、僕は世界を恨みますよ」

 エミヤの、冗談にしては少々笑えないそれに、シンジが疲れた身での渾身の突っ込みを入れる。

「無論、冗談だがな。……しかし、こうも都合よく料理スキルのある英霊を選び出されると、世界の恣意が存在する様で、どうしてもそこはかとない怒りが沸くのだ」

 つい先ほどから同じような事を考えていたシンジも、乾いた笑いでそれに答える。世界は時に強烈な皮肉を因果としてもたらすことがある。これも同じような皮肉であったとしたら、世界意思という存在はとんでもなく悪趣味だと思えてならない。

 なんとなく哀愁漂う二人の背に、強烈なビンタがかまされる。

「なぁに、しけた顔してんだい。二人とも」

「む……」

「京塚さん……」

「若い身空でだらしがないねぇ、しゃきっとしなよ!」

 恰幅の良い女性は豪快に笑う。それに対して二人も曖昧に表情を緩めた。

「お疲れ様です」

「お疲れさん。ほら、手も空いてきたし、ここはもういいからあんた達もご飯にしな」

 二人のてに、ずしりと大量の食事が乗せられる。

「あはは、ありがとうございます」

 シンジがトレイで軽い筋肉トレーニングをしながら、強張った笑みを浮かべて礼を言う。

「ありがたくいただこう。……ただ。少し多すぎる気がするが」

 同じように礼を言ったエミヤだったが、流石にその莫大な量の食事に表情が引きつっていた。

「そんなことはあるもんかい。シンジ君はまだまだ成長期の食べ盛りだし、あんたも大の男なんだからね、これくらい食べれなくてどうするんだい」

 そう言われれば食べるしかない。士郎の生まれ育った日本の様に、この世界の日本は飽食の時代と言う訳ではないのだ。例えその量が尋常でなくとも、こと量の多さに不満を言うことは罪にすらなる。

「む……、ありがたく頂こう」

「い、いただきます」

 なにより、食堂のおばちゃんには逆らってはいけないのだ。つい先日この基地に来たばかりの二人にすら、十分すぎるほどにその常識が浸透していた。

 かくして、笑顔の京塚に送り出され、食堂の空いている席に腰掛けた二人に笑みを含んだ声がかけられた。

「お疲れ様です。衛宮さん、シンジくん」

 神宮司まりもと、二人の英霊は随分と友好的な関係を築けてきていた。多少、二人には召喚の指標としての彼女を見守っておきたいという打算が存在していたが、それを抜きにしても十分に良い友人としての繋がりが三人に生まれつつあった。

「まりもさんも、お疲れ様です」

「ふむ、今日は随分とゆっくりしているな。訓練の時間ではなかったのかね?」

「最近根を詰め過ぎていたので……。ある程度連携も目処が立ってきたので今は休ませています。流石に、BETAと戦う時に訓練の疲労で戦えなかったら本末転倒ですからね」

 もちろん、明日からは普段通りビシビシといきますが、と言って笑うまりもに、少し離れて座っていた彼女の部下たちが慄いた。

「ほどほどにしといてやり給え。昨日も君の部下達が私たちの所に泣きついてきたのだからな。うちの狂犬をどうにかしてくれ、と」

「……ほう?」

 目に見えて部下達の震えが強まった。椅子が連動してがたがたと鳴る音が聞こえてくる。

 その様子に苦笑して、シンジがまりもを宥める。

「あはは、もちろん彼らも冗談で言ってるんでしょう。まりもさんが好かれている証拠ですよ」

 そう言われてまりもは若干顔を赤らめそっぽを向く。そのわかりやすい照れ方に、彼女の部下ともどもシンジとエミヤも口元を歪める。

 まりもは確かに厳しい上官だったが、それは横暴によるものではなく、あくまで部下のためを思うがための厳格さであったため、彼女の部下達からは恐れられる以上に尊敬されていた。

「ええい、貴様ら、後で見てろよ」

 部下にまで暖かい目で見られたまりもは、居心地悪げな表情から一転、拗ねたような、怒ったような表情になって周りを威嚇する。

「明日の基礎訓練、回数を普段より一桁増やしてやる」

 ただの照れ隠しなのだが、かなり鬼畜的である。百と千の違いは、考えるまでもなく致命的なのである。

「勘弁して下さいよ、隊長殿~」

 まりもの副官である男が、情けない声を発する。それに取り合わずにまりもは涼しげに合成宇治茶をすすり、訓練メニューの回数をそれぞれ一桁ずつ付け足していく。

 その様子をくっくっと笑いながら見ていたエミヤは、となりのシンジに目をやった。彼も同じようにくすくすと笑いながらまりもの悪戯された子犬のような反応を観察していた。が、その笑みが突然強張り、急激に顔色が悪化していく。

「シンジ?」

 思わず声をかける。シンジが体を小刻みに震わせ、床に崩れ落ちた。突然の事態に、その場が騒然とする。

「あ…、ア、あァ……」

 過呼吸気味に呼吸が定まらない、その様子にまりもが顔色を変える。

「シンジ君!?」

 まりもが顔面蒼白のシンジに駆け寄ってその身を支える。彼女の部下達もその周りに集まってシンジの顔色を覗き込むと、数人が即座に衛生兵を呼びに駆けだした。それほどまでに、シンジのその姿は危機的なものを感じさせていた。

 尋常でないシンジの状態に、混乱しながらまりもはシンジに声をかけた。

「ねえ、どうしたのシン……!?」

 が、その声は、けたたましいサイレンと、激しく明滅する赤色光によって遮られた。

「っ、非常事態宣言!?」

 基地中に緊迫感が広がっていく、サイレンにも負けない音量で、司令部からのアナウンスが響く。

「第一種非常事態宣言発令! 各員直ちに戦闘配置へ。繰り返す、第一種非常事態宣言発令!」

 ブリーフィング抜きでの戦闘配置、それだけ事態は切迫しているのか。

「っく、『狂犬(マッド・ドッグス)』中隊、直ちに自機に乗り込め!」

 即座に指示を飛ばすまりもに、彼女の部下は多少状況に戸惑いながらも敬礼し、駆け出していく。

「君も行け。シンジは私が観よう」

 エミヤが真剣な面持ちでまりもに言う。まりもはシンジを心配そうに伺ったが、この場で優先すべきものなどわかりきっている。

「お願いします!」

 シンジをエミヤに預け、まりもも駆け出す。それを見送ったエミヤはシンジに向かって一言声をかけた。

「……何があった?」

 まりもは気づいていなかったが、サイレンが鳴りだした頃にはシンジの動悸はすでに収まっていた。シンジは顔に浮いた汗を拭って多少ふらつきながらも立ち上がる。

「取り乱しました。すみません」

「尋常ではなかったぞ」

「……」

 シンジは表情をこわばらせてしばらく韜晦していたが、意を決したように顔を上げると口を開いた。

「今現在、物凄い勢いで人が死んでいってます」

 その言葉に、エミヤは目を見開く。

「どういうことだ!?」

 慌てて聞き返すエミヤに少年は陰った表情で答える。

「僕は『人間』を察知する、いえ、『人間の魂』を察知することに長けているんです。それで、さっき大量の人の魂が『還って』いくのを感じて、つい意識がそちらに引っ張られてしまいました」

 碇シンジは、ある世界における『最後の人類』である。それでいて、サードインパクトによって存在そのものに変質をきたした彼は、単一生命であり、独立した存在である『使徒』となってしまっていた。『人間』ではなく、『リリン』として独立した彼は、ヒトではなく、それでいて『ヒト』として存在していた。

 そして、そのリリンたる彼の、その人間離れしていながら何よりも人間に感応するA・Tフィールドは、多くのA・Tフィールドが確実に消滅していく様を感知していた。

「この状況でそれだけ多くの人間が死ぬということは……」

 エミヤが眉を歪めて思案する。とはいっても、この世界での人間の死因など知れている。

「ええ、BETAで間違いないでしょう」

 いやに無機質で大量のA・Tフィールドも感じますしね。と続けて、シンジはエミヤに尋ねる。

「どうします? ここに居ても僕らにできることは無いです。何も考えずに外に出た所で、僕たち程度の能力じゃ大して戦果を上げられませんよ」

 英霊の攻撃力は、この世界でも上位の火力に値するだろう。しかし、ことBETAのように巨大かつ数多の敵が相手となると、その能力もあまり意味のあるものにはならない。『点』においての彼らの戦闘力は折り紙つきだ。だが、こと大軍を相手にする場合、『面』での攻撃力が重要になってくる。そして、二人しかいない彼らでは、面制圧を行うことができず、結局BETAを後ろに流してしまう結果になる。

 BETA戦は常に、その進行から後ろにいる人々なり都市なりを護ることを目的としている。であるからして二人の人間大の大きさの障害は、どれだけ強固強靭であっても、『壁』足り得ないのである。

 もちろん、二人にも奥の手というものが存在するのだが、S2機関が停止しているシンジも、固有結界の魔力の維持が出来ないエミヤも、軽々しく使えるものではない。

「だが、何もしないわけにもいくまい。まさかとは思うが、君は我々がただ背後で護られる為に召喚されたとでも思っているのかね? 残念だが、私はそのような立ち位置は御免被るぞ」

 人に守られる為に英霊になったわけではないのだ。『エミヤシロウ』は、一人でも多くの人を救うために世界と契約したのだから。

「わかっていますよ。それは僕も同じです。だからこそ、僕たちには僕たちにしかできないことを探すべきでしょう」

 訳もなく出張って行った所で人は救えない。そのシンジの言葉にエミヤは苦い顔で尋ねる。

「ならば、どうする?」

「やるこべきことを見つけましょう。とりあえずは、情報を得なければ」

 どこから、とエミヤは無言でシンジに問いかける。こと、前線での戦闘情報は情報機器だけで処理されるものではない。多くの人間がより有機的かつ最善の作戦を模索し、提示するのだ。戦場行き交う情報だけを得ていては大局は掴めない。

 そして戦略的に無力な自分たちが最大限力を発揮するためには、一発の銃弾で鯨を仕留めるように絶対的な急所を狙うべきである

 そして、その有機的な情報が集まる場所は、この基地に一つしかない。

「作戦司令部へ行きましょう。セキュリティーぐらいなら抜いてみせますよ」

「ふむ、そこで盗み聞きかね? 随分と古典的だ」

 エミヤがこれから自分たちが行おうとしていることを揶揄して言った。

「それが役に立つから、どの時代でもこの手法は無くならないんでしょう」

 シンジは苦笑すると、早速目の前の電子キーに手を翳した。



[8570] 第七話「危機」
Name: NOCK◆b833a99e ID:dc728d93
Date: 2009/05/11 23:37
 作戦司令部では怒号じみた大声が飛び交っていた。最近編成され、臨時の中枢基地として機能し始めていたそこは、未だ完全に歯車が噛み合っているとは言いにくく、所々でぎこちないやり取りが行われていた。それでも、士官たちの尽力により少しずつではあるが連携が取れ始めてきている。

「部隊の展開状況はッ!?」

「戦術機甲部隊第一、第三及び第五大隊は展開完了! 第二、第四大隊は既定航路を横断中、臨時防衛線の構築まであと四十五分!」

「急がせろ! ……米軍は何をしている! 動きが鈍すぎるぞ」

「米軍司令部から打診ありません。こちらの進言もはぐらかされています!」

「ちぃっ! 交信続けろ。防衛線にでかい穴こしらえて何所行くつもりかってなぁ!」

「了解!」

「中将! 戦車大隊の最優先展開地域への行軍が困難です。光線級に狙い撃ちされます!」

「第二優先ポイントへ回せ! 面制圧に不安が残るが重金属雲さえ展開できればいい」

 次々に届く情報をCPが士官に伝え、歴戦の司令官達がそれに対して迅速な命令を下す。直接の戦闘の行われない後方に位置する彼らであったが、間違い無くそこに漂う空気は鉄火場のそれだった。

「っ! 四国のBETAの一部が大阪湾方面に東進しています! 第二大隊の上陸ポイント近くです!」

「なんだと? ……仕方が無い、第二大隊の上陸地点を下げろ、戦線の穴埋めは第五を向かわせろ」

「了解!」

「やや琵琶湖周辺が手薄になるな……。おい! 先の戦車大隊の三分の一を比叡山周辺に展開しろ。どうせ第二優先地区からの攻撃はたかが知れてるんだ。どうせなら直接攻撃に使った方が効率がいい」

 対BETA戦役では大陸でも腕を振るった歴戦の司令官はそこまで命令すると、一つ溜め息にもならない吐息を漏らす。

「自国での戦いが、これほどまでに神経を削られるものだったとはな」

「改めて、彼奴らの出鱈目さを実感しますな」

 その一人言に対して反応を返されて、中将はいつの間にか隣に来ていた同期の男に振り向いた。教導隊に属していた彼と、階級はかなり離れてしまっていた。しかしそれでも、同じ釜の飯を食ったかつての仲間だった。

「……師岡か、随分と遅かったな」

「申し訳ありません。どうにも米軍の動向がつかめませんで」

 その言葉にむ、と中将は苦く表情を歪める。

「やはりか……。日米安保条約はどうなったんだ」

「考えたくありませんが、破棄する気やもしれません」

 師岡は先ほど諜報部に所属するある男の話を振り返る。いつもは飄々とした風体をしているその男が、あれほどまでに切羽詰った表情をして見せたのだ。それぐらいの事態にならないとも限らない。

「かの国にも誇りはあるだろう……」

「それが我々の国に対して遺憾なく発揮されればいいのですが」

 そこまで言って、師岡達は今なお慌ただしく情報のやり取りをするCP達を見やる。作戦行動は今の所ほとんど致命的な障害のないまま順調に進んでいる。実際に戦闘行動に移っている部隊も今の所ごく少数だ。だが、これから各地で交戦に入れば戦局は大いに乱れるだろう。すでにせわしく動いている作戦司令部であったが、これからさらに目まぐるしく動くことになりそうだ。

「なに、ここは我々の国だ。我々だけででも守ってみせるさ」

 中将は口の端をくっ、と持ち上げると、網膜に投影された情報に目を通しつつCP達に指令を伝達し始める。それを見て師岡も表情を引き締めると、命令されるまでもなく彼からいくつかの仕事を引き継ぎ処理し始める。

 言葉など無くても、お互いにやるべきことを察することができる程度には、二人の戦場で過ごした時間は長かった。

「君、海軍の展開状況を確認し給え」





 幾つかの伝令を走らせた師岡は、ふと背後が騒がしいのに気づく。いや、もともと騒がしくはあったのだが、そのベクトルが変化したように感じる。切羽詰った慌ただしさが、驚愕と動揺に取って代わる。

「む、どうした?」

 師岡は不審げな表情で振り返ったが、即座に姿勢を正して敬礼する。見れば、その場の全員が敬礼をしていた。普通、そのような事態にはほとんど起こらない。例え現在は戦闘中ではないといっても、万が一の事態はあり得るのだ。それでも、全員が敬礼を行ったのには訳がある。なぜなら、この帝国において何をおいても敬意を払うべき存在がその場に居たからだ。

「敬礼は要りません。職務に戻ってください」

 百合の香るような声が、殺伐としていた司令部に浸透する。齢は十代の前半だろうか、華奢な体でこの場の誰よりも小柄な体躯をしている少女だった。それなのに、年不相応に落ち着いた雰囲気が、その存在感を確固たるものにしていた。

「殿下、何故ここに?」

 部下達を仕事に戻らせて、基地司令である中将は少女に問う。確かに少女は京都からの避難の際に秘密裏にこの基地に滞在していたが、有事の際は即座に新帝都へ移動するものと思われていたからだ。

「民が戦っているというのに、私だけが逃げる訳にはいけないでしょう?」

 少女の言に、中将は心の中で苦笑をする。それはあまりに美しい、敬意を払うべき元首の姿であったが、なにぶんここで十四の少女にできる事は無い。将軍としても、今は退い頂くのが最良なのだが。と内心でごちる。もちろん、その言葉が少女としての頑なさから出たものではなく、征夷大将軍としての自負の下に発されているのものであることは彼も承知している。

「そうですか……、何分、戦闘中にありますので、十分なお構いが出来ないことは心苦しく思いますが」

「私に構いませんよう。無力は存じております。しかしそれでも、私は敵に後ろを向けて逃げたくはないのです」

 すでに帝都を明け渡した私の言えることはありませんね。と、雅さに隠れてわからないほどの自嘲を吐く。

「帝都を明け渡してしまったのは我々軍人の責任であります故、お気になさらぬよう。帝都が無くとも、殿下がおられるのです。なれば、この国はまだ生きているということです」

 その言に少女――煌武院悠陽は牡丹のように微笑む。

「そなたに感謝を、中将。私は再度、自分の立ち位置を確認することができました」

「畏れ多いことです」

 そう言って中将は敬礼を返す。そんな彼に再度目を細めて、悠陽は言葉を紡ぐ。

「もう職務に戻ってください。この基地は貴方が居なければ回らないのですから」

「はっ!」

 将軍を背に負った前線基地は、士気も新たに動き出した。

 そしてそれから暫く、BETAと第一大隊が接触する。






『突撃級三十八確認。第一大隊全中隊兵器使用自由! 平らげるぞ』

『ストーム中隊了解!』

『ウィザード中隊了解』

『ランサーズ了解っ!』

「ドッグ中隊了解!」

『こいつらを処理しておけば後ろの展開時間が稼げる。無理はしなくていいが、突撃級はなるだけ通すな。乱戦になったら各中隊長に指揮を委ねる』

 再度、了解と返してまりもは乾いた唇を舐める。中退を率いての二回目の出陣。初陣は無残な結果に終わった。それから、それほど時間が経っているわけでもない。

 ――だが。

「ドッグ01より格機、右翼の八体を片付ける」

『了解! 隊長』

 自分より実勢経験豊かな副長が口を開く。

「……なんだ」

『勝ちやしょう!』

 その、あまりにも当たり前のことを、当り前に言うそれに、緊張していた自分を僅かに自嘲した後に唇の端を持ち上げる。

「当たり前だ!」

 大丈夫だ。今度はやれる。自分の能力は十分に通用する。今度もまた勝てなかったら、それこそ自分の脆弱な心のせいだろう。そして、こんどこそ自分の精神の弱さで負けてやるつもりは無かった。その様なことになったら、自分を立ち直らせてくれたあの二人に会わせる顔が無い。

「ドッグ01、FOX2!」

『ドッグ02、FOX2! ご武運を!』

「貴様もな!」

 そう言って、神宮司まりもは操縦桿を切った。迫るは突撃級、教本通りに背後に回る。基本戦術であったが、それすら多くの先達が命と引き換えにして残した戦術だった。

 ただ前に進むことしか目的を知らないBETA達は、その動きに反応しない。制動は片手間に、即座に照準を合わせる。網膜投影されたターゲットに、初陣のような揺れは無い。腹の底から洩れる気合いが、120mmの銃弾に上乗せされる。

 瞬殺、と言って過言ではない。即座に三体の突撃級を屠ったまりもはその後に続いてくる要撃級に目を向ける。

『いやはや、お見事』

「称賛はあとで聞こう。全員吶喊!」

『了解! あと、隊長』

 返答の後、続けてくる副長に眉をひそめる。

「……なんだ」

『頼もしいんですけど、さっきの咆哮、女捨てちゃいませんか? 彼氏が聞いたら泣きますよ』

 ぴきり、とこめかみが引きつる。

「いい度胸だな、少尉。後でそれについてもじっくり聞こうか」

 うっわ、地雷だったか。と言って笑う副長に目を吊り上げて、なのに口は笑みを形作って続ける。

「彼女が聞いたら泣きたくなるほど情けない顔で、地面に蹲わせたあと謝罪させてやる」

 以後、『狂犬』の異名を持つことになる衛士の笑みに引き攣りながら、一応元気付けたつもりだった副長は顔を強張らせた。

 さらにその後、数体の要撃級と、戦車級の群れを掃討して、ひと段落つくかというその時、まりもはオープンチャンネルに訴えかける外部通信を受信した。幸い次の要撃級の襲来までやや時間があったので、36mmを掃射しつつ、そちらに繋げる。そして、聞こえてきた通信に愕然とした。

『……繰り返す! こちら、第37歩兵大隊。現在避難民の護送中! しかしBETAからの襲撃に間に合わない。このままでは……』

 所々ノイズが走るその通信を、即座に指令部に転送する。


『二万の人命が失われます!』



[8570] 第八話「背中」
Name: NOCK◆b833a99e ID:dc728d93
Date: 2009/05/11 23:36
「二万だとっ!? 何故……何故今まで報告が無かった!?」

 作戦司令部に、中将の怒声が響く。

「当初は戦闘地域で無かった筈の地域ですっ。それでも予定では安全区まで避難できた筈なのですが、進行方向に土砂崩れが多発したらしく、迂回ルートを取らざるを得なかったようです!」

「莫迦なッ! それでも通信は入れるべき……重金属雲か!」

 重金属雲の電波遮断性能はチャフ程でない程にしろ高い。戦術機などに搭載されている高出力通信装置ですら、味方機を中継機とした通信方式によって遠距離通信を行うのだ。

だが、通常の歩兵大隊の持つ通信機の電波では、重金属雲を突破することは叶わない。

「はい、ポイントCに展開した重金属雲が、風によって流れたようです……」

 予想が当たっても全く嬉しくは無い。CPの報告を聞いて中将は悪態をつく。

「ちぃっ! BETAとの接触の可能性は!?」

「このままでは一時間後に、京都から東進するBETAの一部と接触する可能性があります! 幸い山間部なので大型種の進行は遅れそうですが……対人級は確実に襲撃してくるでしょう。……どうなさいますか? 中将」

 困惑し焦燥を浮かべた女性士官のその言葉に即答せず、脇で指令を飛ばしていた師岡に言を飛ばす。

「っく、師岡! 救援に迎える部隊はあるか?」

「距離的には神宮司……マッドドッグ中隊がぎりぎり間に合う所におります。ですが……」

 即座にCPがそのルートを出力する。が、そのルートの上には大きく赤文字で「DANGER」と表示されていた。

「……光線級か!」

「はい、このルートは山間部を行く為に、一時的に光線級の射線に入ってしまいます」

 赤文字に彩られたルートを見て、苦虫を噛み潰したように師岡が答える。

「だが、この中隊以外に間に合う部隊は無いぞ。迂回ルートは取れないのか?」

 中将がCPに尋ねる。CPは額に汗を浮かべながら幾つかのルートをコンピュータに表示させた。

「地形データのみからの参照ですが、光線級の射線を避けると、このルートが最も現実的かと」

 三本現れたルートの内一本を示す。確かに、射線を最低限考慮した上では最高に近いルートではある。しかし、その横に表示されている到達予定時刻に皆の表情が暗くなる。

「一時間半、か。補給を入れるならばさらに掛かるか……」

 その場が一瞬沈黙する。そこに、先ほどから黙って様子を伺っていた少女が割り込む。自分には実権も、発言権も存在しないことは分かっていたが、民草がみすみすと失われようとしている様を見過ごすことはできなかった。

「私の護衛の斯衛を向かわせなさい。ここから最速で向かえば間に合う筈……」

 そこまで言った悠陽の台詞だったが、傍に控えていた鬚を蓄えた老人に遮られる。

「恐れながら、殿下」

 くっ、と歯噛みしながら、悠陽が問い返す。やはり、口を挟まれたか。と苛つく内心を韜晦する。

「何です」

「いかな殿下といえども、未だ十五に至らぬ身。軍を動かす実権は御身にはありませぬ」

 予想通りの言葉に心中で歯噛みする。現在の日本でも二十歳で成人と見なされるが、将軍家や、古くからの家は未だに十五を成人と定めていた。しかしそれでも、自分は未だ数カ月は成人に届かない。それまでではいかな将軍といえどもその権力を行使できない、子供のままだった。

 だが、そうは言ったものの、この老人が所属する城内省上層部が彼女が十五となった時にその力を与えるかどうかは疑問であるのだが。

「ですがっ! 民を守るのは帝国の務め。なれば、ここにおいてこそその力を使うべきではありませんかっ」

 悠陽の言に、老人は恭しく頭を下げる。しかし、傍から見ている人間にはそれに真に敬意がこもっているようには見えなかった。

「殿下、既に斯衛の者は瑞鶴に搭乗を開始しております」

「……え?」

 紡がれた言葉は、意外なものだった。彼の言からして、斯衛の出撃は許されないと思われていたのだから。悠陽が老人を希望の籠った目で見つめる。が、その希望は即座に悲哀に落とされた。

「城内省より通達でございます。陛下、即座に帝都に帰られますよう」

「なっ!?」

 悠陽が思わず声を荒げる。培われた品位も少し乱れるほどに、その言葉は少女に衝撃を与えた。

「今、この国において御身は何を置いても優先させるべきものなのです。ここも、あまり安全とは言い難い」

 その言に、その場に居た者たち全員が不快なものを感じた。いたいけな少女に希望を持たせた後に、その希望を取り去るその手口にはとてもでないが許容できない。そもそも、老人が優先しているのは将軍の身では無く、自分たちの権威だろうと、周りにいる人間は心中で察していた。

 失意に項垂れた悠陽に老人は一礼すると、その場から立ち去った。

老人と入れ替わりに、紅い斯衛の制服を身にまとった女性と侍従長が姿を見せる。

「殿下、お迎えに参りました」

「月詠……」

 何所か焦点の合っていない目で自分を見つめる悠陽の心中を察して真耶は苦虫を噛む。

 俗物が、とごちる侍従長も同じことを少女から察しとったのだろう。彼女は嫌悪の目で老人の去った方向を睨めつけていた。

 真耶に支えられつつ、ややふらついた足取りで指令部の扉から出、VIP用の優先通路の半ばに至った所で、少女は立ち止った。

「殿下?」

「二人とも、ひと時だけ、私を一人にして頂けませんか?」

「それは……」

 いけません、と答えようとして、月詠は少女の目に溜まった涙に気づく。臣下の前では絶対に涙を流すまいという、誇りと言うよりは意地のようなものが少女の目から読み取れた。

 時間はある。少しの間、悠陽が少しの間、将軍からただの少女に戻るくらいの時間なら。

「五分ほど、お暇をいただきます」

 そう言って、頭を下げる。隣の侍従長も。

 そしてその場には、慟哭を漏らす少女だけが残された。

 がり、と硬いセメントの壁にその華奢な拳をぶつける。ついに、瞼から涙が溢れる。

「私……は…なんて……弱…い」

 再度、硬い壁に拳を打ち付ける。硬い鉄筋と石で造られたそれは、少女の小さな拳を容易く傷つける。

「何が征夷大将軍……」

 白い、滑らかな肌に血がにじむ。それでも悠陽はそれを振り上げる。

「何が、帝国元首……」

 膝がくず折れる。頬を流れる涙を自覚しながら、少女は尚も壁を叩く。

「あの子が、聞いたら失望するでしょうね……」

 自嘲気味に悠陽は、言葉すら交わしたことのない妹に思いを馳せる。彼女が私だったら、もっと上手く出来るのではないか。城内の傀儡などに甘んじず、もっと良い将軍に成れたのでは……。

「め…い……やぁ」

 思わずその名前を口にする。そうすることで、彼女は少しでも妹を感じたかった。口に出して、再度自らの弱さを自覚する。

「私は……弱い」

 ぱたり、と、涙が床に落ちる。

「強くなりたい……」

 強く強く、民も、臣下も、妹も救えるくらいに。

「強く……なりたい」

 神頼みのように、いや、並行世界にて子供がサンタクロースに祈るように悠陽は力を求めた。もちろん。この世界にて神も、赤い服を来た老人も彼女に助けを与えない。もしもかの様な者たちが存在するのならば、この様な絶望に彩られた世界は存在しないだろう。

 だが、その少女の言葉は、神には届かなかったが、赤い服の男に届いてしまった。その男はサンタクロースではなかったが、しかしそれでもある意味では、『子供のユメ』の体現者ではあったかもしれない。

「……ふむ、強くなりたい、か」

 突然聞こえた男の声にどきり、と心の臓を波打たせる。その時まで人の気配にすら気付かなかったことに動揺する。

「えっ? あ、」

 ここで声を上げるべきか、悠陽は少しの間迷った。助けを呼べば必ず月詠が迅速に駆けつけてくるだろう。だが、なぜか悠陽は男に脅威を感じなかった。

「なぜ、君は力を欲する?」

 君、と聞かれたことに少し驚く。それは、自分がどのような人間か知らないことを示していたから。その様な言葉で呼ばれたことなど彼女には無かった。

「わた…しは……」

 答えるべきか、そもそも、相手をするべきかと少し悩む。だが、それ以上に現在の状態に頭が行っていなかった。気付けば、答えを口にしている自分が居た。

「全てを守りたいからです。国を、国民を、大事なものを全て守れるくらいに強くなりたいのです」

 言ってしまって後悔する。自分は一体、不審人物相手に何をしているのかと。恐る恐る見上げた男の顔の表情は、憮然としていた。

「それは不可能だ。君は、いや、人は、全てを救えるほど強くなることは出来ない」

 その言葉に、むっとする。そんなことはわかっているつもりだ。それでも強くなりたいと思うのは間違いなのか。強くなれば強くなるほど、救えるものは多くなるというのに。

「救えば救っただけのものが、掌から零れ堕ちる。当たり前だ、掌が大きくなればなるほど、指の隙間もまた大きくなるのだからな」

 男は何所か皮肉気な声音を崩さずに続ける。

「ですが、私は……強くならなくては、いけないのです」

 征夷大将軍として。そして――彼女の姉として。

「ふむ、だが、君の細腕ではBETAは倒せまい?」

 当たり前ではないか、どこの世界に、素手でBETAを倒せる人間がいる――。そこまで考えて、悠陽は気づく。

 自分は何をもって強くなればいいのか。

 それが、わからない。

「そう、何をもってして強者になるのか? 腕力では、腕の届かない相手を救えない。知力では、己の知らないものを救えない。権力では、踏みつけた者たちを救えない。ならば、全てを極めてみるか? 否、例え全能の神でさえ、全ての人間を救うことはできない」

 ならば、君は何をもって強くなり、『何』を救うのか。

 そう問われて、悠陽は項垂れる。

「わた……しは」

 言い返せない。

 なぜだか、悠陽の言葉の全てを否定できるだけの経験を、相手は持っているように感じた。

 ……でも、これだけは言える。誓ったのだ、征夷大将軍となった時に。

「この日本を守ります。力は足りなくても、私一人では何もできないとしても、それでも守ろうとしなければ、それに手がとどくこともないでしょう」

 そうだ、煌武院悠陽は、征夷大将軍はそのために存在するのだから。だから――。

「この身を投げ売ってでも、私はこの国とその民を護ります」

 後に、彼女を赤子の頃から世話してきた侍従長は語った。彼女が本当の意味で『将軍』と成った時を挙げるのなら――この日のこの時間、ほんの僅かの間にまみえたこの男との会話が発端に違いないと。

「ふむ、自らを軽視し、自らを救えぬ者は他のものも満足に救えない。覚えておくといい。これは減点だが……まあいい、及第点だ」

 そう言って男は口元を歪める。

「あがき続けるがいい。全てを救ってみるがいい。例え届かぬ道とはいえども、そこまでに至った路は『ホンモノ』だ」

「届かぬ道ではありません。必ず至ってみせます」

 即座に言い返す。自分はここまで勝気な人間だったか、そんなことを考えながら口元に意志の籠った笑みを乗せて悠陽は赤い男を見上げた。もうその目から涙は流れない。

 少女の決然とした表情に、男は目を見開くと、くっくっと笑いだす。

「……なにがおかしいのです」

 少し拗ねた表情をして、少女は男を睨む。

「いや、なに」

 男は笑みをこらえて続ける。

「昔の私の知り合いに、君がよく似ている気がしたまでだ。しかし、そうだな……、彼女もやはり同じ言葉を云うだろうな。くっ、ああ、確かに君は至るかもしれない」

 なおも時折こらえきれずに笑いを零して話す男に、悠陽は文句を言おうとするが、眼前を手で制される。

「なん、……ですか?」

「志は立派だ。君なら、かの王のように優秀な支配者になれるかもしれない。だが、今現在の君はあまりに脆弱だ」

 ぐっと悠陽は詰まる。そうだ、現に今、まさに自分の弱さのために多くの民が逝こうとしている。再度暗い闇に染まりかける悠陽の心に再度、男は待ったをかける。

「なればこそだ。君の弱さを肩代わりしよう。なに、簡単な等価交換だ。私達が今君が護れない物を護る代わりに、君が真の強者になった時には君がそれを護れ」

 それが等価交換としてまったく成立していないことは傍目に見ても明らかだった。仮にこの赤い男の師の女性がこの場に存在していたら、男は間違いなくはっ倒されていただろう。

 悠陽が男の言葉の真意がわからずに困惑していると、駆けてくる足音が耳に入った。見ればそこには、目の前の男と同じくらいに場にそぐわない、自分と同じくらいの年をした、訓練予備校の制服に似た服を着た少年が現れた。少年は悠陽をちらりと見たあと、男に向きなおる。将軍に対する礼儀としてはあまりなものだったが、生憎悠陽にそれに思い至る余地は無かった。

「衛宮さん、軍用ジープを一代『借り』られました。ここから飛ばして山の麓まで、四十分です。麓から現地まで、僕らなら二十分で着くでしょう。丁度一時間といったところですか」

「ふむ、ぎりぎりだな」

「まあ、なんとかしますよ。いざとなったら、どうにでもやり様はあります」

 山、一時間、ぎりぎり――その単語が意味するところに悠陽は目を見開く。

 見た限り二人は衛士には見えない。それに仲間も居るように見えない。彼らは、一体……。

「何、深く考える必要は無い。君は先の誓いを覚えていればいい」

 困惑の表情を浮かべている悠陽にそう言って、男は赤い外套を翻す。その背中は、どこか遠い所に挑む修練者のような裂帛の迫力があった。

「私は、全てを救う者になり得なかった。礎が歪んでいたのだからな、それに届く前に瓦解するのは当たり前だった。――だが、君は、君なら、もしやすると届くかもしれんな」

 何に、とは言わない。悠陽も男も、お互いその至るべき頂がはっきり見えているのだから。

 既に立ち去った少年を追おうとした男の背中に、悠陽は問いかける。彼にも自分にも時間が無いのがわかっていながら、彼女にはその問いを押しとどめることが出来なかった。

「あのっ! 貴方は、一体……?」

 呼び止められて、少しだけ振り返った男は口元を歪めた。

「なに、私はただの……」

 英霊・衛宮士郎とは何者か、その問いには、とうの昔に答えが出ている。

「正義の味方の、成り損ないだ」



[8570] 第九話「守護」
Name: NOCK◆b833a99e ID:dc728d93
Date: 2009/05/11 23:45
 鬱蒼と茂る森の中を、毒々しい白い肌をもつ兵士級BETA達が続々と進んでいく。木々の間からかいま見えるその数は、次第に増加の一途を辿っていき、まるで生白い虫の大群が這い回っている様にも見える。

 発達した顎を軋ませながら、彼らは目標を感知した。彼らのその『存在』を察知する力は、他の同類達の中でも抜きん出ている。彼らの進行するその先で、何とかして自分たちから逃れようとする数多くの『存在』を彼らは確実に補足していた。

 炭素を主成分にした有機活動体、四肢を持ち、彼らの作業の障害となるそれらを排除することが、異形達に与えられた役割だった。彼らにとって、その存在が知恵を持ち、考える生き物であることなどは大した了見ではない。

 彼らのすべきことは、それらの存在をその顎で食い散らし、その腕で捻り潰し、存在すべてでもって虐殺することである。残虐な兵士級BETAたちは、その存在意義を発揮すべく着実に避難民たちに迫ってきていた。

 BETA達の口内に唾液が分泌され始める。彼らは、人間を排除するために創造された存在であり、その体の機能は根底にプログラムされた基幹本能から全て、人類を殺害する為に創造されていた。彼らは人を殺すという行為を、本能的な欲求として組み込まれてるのである。

 兵士級BETA達は恐るべき速度で侵攻する。彼らはただひたすらに、前方で知覚された避難民の集団に向かっていった。

 そして遂に人間達の集まるそこに辿り着いた。人々がそれを見たら、おぞ気を感じるに違いないだろう。汁を垂らした歯を慣らしつつ、恐るべき異形達は避難民に殺到した。



 人間達にとっての恐怖の具現ー兵士級BETAの群れが、避難民たちを護送する歩兵部隊の後尾に食いつこうとしていた。

 最初にそれらの接近に気がついたのは、熱源センサを操作していた通信兵である。

「っ! コード911接近! 対人級BETAおよそ五十を確認! ……っ、いえ、七十、八十……続々と数を増やしていますっ」

「……総員、迎撃準備だ。移動速度は落とすな、愚図愚図していたら即座に囲まれるぞ」

「はっ!」

 兵士達は総員敬礼して部隊事に散っていく。その表情は一様に冴えない。無理もない話だ。救援が駆けつけられない以上、彼らは限られた装備のみを使用して、尚且つ一般人を背後に守りながら戦闘を行わなければならないのだ。

 絶対的な人数不足。元々はただの護送任務だったせいで装備は基礎装備である。弾薬も、半時間ほどの戦闘を続けることすら不可能と思えるほどの量しかない。

 勝敗など、最早わかりきっていた。それでも、彼らがその絶望的な戦いに挑んだのは、その背後にある一般人たちを護るという使命と自負があったからに他ならない。

 兵士たちが持ち場についたその直後に、木々の間から兵士級達が飛び出してきた。データを感知してからおよそ二分弱。兵士たちはその異常な行軍速度に怖気を走らせた。

「くっ! この、野郎っ!」

 数人の兵士達が突撃砲のフルバーストを兵士級に叩き込む。数体の異形達がその生白い肌を毒々しい体液に染めて崩れ落ちた。だが、その死骸を乗り越えてさらに十数体の異形が兵士たちに向かってくる。さらに悪い事に、その中には闘士級や戦車級などの強力な対人級達の姿もあった。

「くそっ! くそっ!」

 あっという間に取り囲まれてしまった兵士たちは、乱射する銃を振り回しながら異形達を近寄らせまいとする。だが、弾の量も、味方の量も絶望的に足りなかった。

 必死の足止めも功を奏すことなく、彼らは兵士級たちを背後に突破させてしまった。

「畜生!」

 空のマガジンが銃身から吐き出されたのに、一人の青年兵士が悪態をついた。即座にその場から下がり汗の滲んだ手で腰のポーチをまさぐった。小刻みに震える腕に苛つきながら即座に替えのマガジンを取り出すと、それを差し込みリロードする。そして、仲間が守っている位地に再度戻ろうと顔を上げ、その目を見開いた。

 先ほどまで隣で戦っていた二人の仲間が、ただの肉の塊に変化していた。一人はぴくぴくと痙攣する下半身を、戦車級BETAの口から生やして。もう一人の仲間は、あらぬ方向に曲がった四肢をくたくたと揺らしながら、兵士級のその太い腕に振り回されていた。まるで癇癪もちの子供が人形遊びをするような兵士級の動きに耐えられなくなったのか、太いゴムが弾けるような音と共に仲間の首があらぬ方向に飛んでいく。

「う、あ……」

「おい! しっかりしろ! 今は引き金を引くことだけを考えろ。でなけりゃ……!?」

 仲間の無残な死に我を失いかけた青年を、上官である壮年の男が叱責する。だが、その言葉が最後まで続く前に、その上官の頭が首の上から掻き消えた。吹き上がる血の柱の向こうに居たのは、長く強靭な腕を振り上げた状態の闘士級BETAだった。

 絶叫か咆哮か、喉が焼けきれんばかりに叫びながら、必死で青年はその異形に向かって引き金を絞る。だが、既に闘士級は彼の銃の射線から姿を消していた。青年は無理やり体を捻って照準を合わせようとする。だが、その甲斐もなく、彼の頭は頑丈な闘士級の腕に掴まれた。

「う…あ……がっ!」

 本来掛けられてはいけない方向に力を加えられ、青年は苦悶する。首の骨が軋む音に、一瞬後には自分の首は飛ぶのだろうと、青年は朧気に悟った。

 自分の運命を確信した青年は、その瞬間に備えて目を瞑った。頭を締め付ける力が急激に強る。

 思い出すのは故郷に残した家族の顔。それを再度この目で見ることは叶わない。そう思って絶望する。勇んで、BETAを倒す、衛士になると言って故郷を発った自分が、このような所で家畜のよう殺される。なんと無様なことか。

 そこまで思ってから、青年は急に吠えた。

「う、ああああああああっ!」

 ただで死んでやる訳にはいかない。青年の死の恐怖すら超えた、兵士としての意地が、人間としての意地が、青年の体を操り、手の中の鉄の塊を構えさせた。

「死、ね!」

 ごきり、という彼の骨が折れる音と、突撃砲の乱射音はほぼ同時だった。




「少し、遅かったか……」

 シンジが、苦虫を噛み潰す。その場は兵士達の血液と臓物と、装備の残骸によって地獄の様相を呈していた。

「う……が……」

 ぎりぎりになって助け出すことができた青年兵士も、腕や足の骨を折っていた。

 本当にあと数コンマの時間差で彼を助けることはできなかっただろう。シンジはその青年に近づくと、その額に掌を翳す。

「少し眠っていて下さい。起きた時には全て終わっている筈です」

 既に精神的にも体力的にも限界だった青年には、その言葉は聞こえなかっただろうが、それでも青年は安堵の表情をしてその瞳を閉じた。

 青年を装甲車に押し込めた後、シンジは装甲車をイロウルの能力で遠隔操作して安全な場所に避難させた。なんとか青年が本隊と合流できることを祈ると、シンジはその視線を、先ほどから機を伺うようなそぶりで近づいてきていた異形達に向けた。
 
 足元に転がる、先ほど青年を締め殺そうとしていた闘士級の残骸を踏みつけながら、シンジは無表情に視界を埋め尽くすBETAの群れを睨めつける

 ちかり、とその瞳に紅い光が瞬く。

「私怨も何も、僕は君たちに持っていない」

 振り上げた手は細く脆弱。それだけ見れば、その少年がその場に存在する全ての者たちよりも、一つ上の階梯に属する者だとは思えないだろう。

「そもそも、人を殺したからという理由で、他でもない僕が君たちを殺すというのは間違っている」

 硝子でできた獣が吠えるような、そんな音が辺りに響く。その音の波形は、この世界に存在するものではなかった。

「この行為には正当性は無いし、それを求めることは間違っているのかもしれない」

 存在すら知らないものを、知覚するなど不可能だ。であるからして、その音が空間の裂ける音だということを、BETA達が察知できなかったのは当然だった。

 一際高い澄んだ音がして、今にも飛びかからんと腰を屈めていたBETA達の体がずれた。まるで最初からそうであったかのように、彼らの体は軒並み二つに割れていた。

「だから、これは」

 この世に存在することのありえない鋭さをもつ処刑の刃。

 それは、裁かれない殺戮者達への、裁いてくれる者を失った罪人の嫉妬による断罪の剣。

 その裁きが理不尽であることを誰よりも理解している少年は、その自分の有様を自嘲しながら紅く輝く心の壁を、断頭の刃に変えた。

「ただの八つ当たりだ」

 再度シンジはその腕を振るう。一拍してさらに数体のBETAがぼとぼとと身を分けて崩れ落ちる。

 それを見たBETA達は、その得体のしれない事象に戸惑ったのか、それとも、目の前の得体のしれない存在を恐れたのか、その速度を緩めた。だが、それでも次の瞬間にはその停滞は存在しなかったかのようにシンジに殺到した。

 当然ではある。彼らにはモノを恐れるという機能は与えられていなかったのだから。――それが、碇シンジに対することに対して幸とするべきか不幸とするべきかは判らないのだが。

 十数体の兵士級が迫る、それをシンジは薙ぐ。吹き飛んでいく兵士級たちが空中で解体されるが、その様を見届けずにシンジは脇に迫ってくる影に向かって視線を向ける。

 闘士級の剛腕が彼のその細い体を叩き折ろうと迫っていた。しかし、それすらシンジの紅い瞳を揺らがすことはなかった。

「無駄だよ……」

 肉の塊が引きちぎられる音がその場に響く。数瞬後に地面に落ちた肉塊は、闘士級の歪な形の腕だった。

 シンジの頭の横に展開されたA・Tフィールドの応力には、頑健なBETAの体組織でさえも耐えられなかったのだろう。根本からその腕、最大の攻撃手段を失った闘士級は、その後なす術もなく切り刻まれた。

 紅い刃が煌く度に、崩れ落ちる肉塊が増えていく。だが、それでも湧き出るようにBETA達は後から後から現れ、シンジの背後に抜ける個体も増え始めた。どうやらBETA達はシンジを撃破することよりも、その背後を進んでいるだろう多くの人間達を殲滅する方に優先順位を傾けたのだろう。

「ふっ!」

 シンジが横を通り過ぎようとしていた数体の兵士級を薙ぐ。だが、間合いから漏れた一体が後ろに抜けた。さらに薙いだ側とは反対側でも、数体の対人級がこことばかりに通り過ぎていく。

「数の差はわかっていたけど……」

 これほどとは、と目を細めて正面に紅い刃を殺到させる。密集していた兵士級達が軒並み斃れるが、それでもやはり、数体が逃れて抜けていく。

 抜けていったBETA達は確実にその先で避難を続ける民衆たちを襲うのだろうが、それはそれで構わない。もとより、全ての個体を抑えることができるとは、端から考えていない。

 数と、密集さえ削れれば、後は民衆達を守る為に配属された歩兵達でも対処できるだろう。自分は、その状況を作ることが出来ればそれでいい。それに、別行動しているエミヤの作戦も直に作動するだろう。

「だけど、君のような大型種は通さない」

 シンジはそう言って、木々をなぎ倒しながら現れた突撃級を睥睨する。この欝蒼と茂った森が大型種の進行を妨げていたのだが、それも最早限界らしい。暫く、この場はユーラシアの大部分の大地がそうであるように更地へと変わるのだろう。

 モース硬度十五の硬さを持つ甲殻がシンジの眼前に迫る。もともと突撃級は対人探知能力が欠如しているため、こちらに向かってきたのは偶然か、それとも地理的な要因からだろうが、それには関係なく、シンジには好都合だった。

 普通、人だけでなく戦術機ですら回避が絶対であるはずの突撃級の突進も、絶対領域をもつ少年には問題ではなかった。さら言えば、彼にはそれを正面から打破しなければいけない理由も存在していた。。

「は、ああっ!」

 上体を逸らした状態から、力を溜めて正面に特大の刃を放つ。それは、金属の裂かれるのに似た音とともに突撃級の正中線を割って、丁度左右対称に切り分けた。

 左右に流れていく巨大なBETAの半身の間で、シンジはその先を見た。

 そこには無数の対人級と、その前を守る様に走る突撃級、そして数体の要撃級の姿があった。今まで傲岸不遜にBETA達を屠っていたシンジも、その数に額に汗を浮かべる。

 流石に一人で足止めを買って出たのは無茶だったか、と心中で後悔しかけたシンジだったが、それを思っても始まらない。

 正面の群れに向かって再度刃を放つ。が、それは一瞬BETA達の進軍を遅らせただけで、大した効果が得られなかった。彼らのその圧倒的な数量差が、確実に機能してきていた。

「くそっ」

 悪態をついて、シンジは右手を向かってくるBETA達に向ける。使徒の顕現を行い、現状を打破する。群れの最中に大穴でも開ければ進行も遅れるだろう。そう考えて、目線を上げた。その直後、シンジは一瞬でもBETA達から視線を逸らした己の過ちを悟った。

 数対の光る眼が、彼を見つめている。

「っ!?」

 咄嗟に正面にフィールドを展開する。その直後、膨大な熱量が、シンジの身を包んだ。

 ―――光線級。対BETA戦における最大の障害と言っても過言では無いだろう、その攻撃がシンジに殺到した。あと少しでもフィールドを張るのが遅くなればシンジは蒸発していたに違いない。危機一髪であったが、それを喜ぶ余裕はシンジには無い。断続的に降り注ぐ光線をただひたすらに防ぐことに集中しなければならなかった。

 どうにかならないか、とシンジは臍を噛む。このままこの場で硬直していれば、それだけの数のBETAを後ろに流すことになってしまう。それは避けなければならない。しかし、シンジにはこの攻撃を避けずに防ぎ続けなければならない理由が存在した。だから、焦燥しながらも、光線が止むのを待つ他にない。

 レーザーとは光の凝集である。その光エネルギーが熱に変換されることにより、それを受けるシンジの周辺も異常な高温になりつつあった。皮膚から立ち昇る蒸気が、いよいよ危機を露にする。

「く、はっ! はぁっ! ……衛宮さん、急いでくださいっ。もう持ちそうに無いです」

 熱によって汗が出る端から蒸発していく中、絞り出すように念話で相方に言う。もう、
A・Tフィールドを張る精神力が尽きようとしていた。

 十数体の光線級によるレーザーの照射リレーは、執拗にシンジを追い詰めていく。数十度目の照射に、シンジは耐えきれずに片膝をついた。

 いよいよ不味い。フィールドの軋みにシンジの焦燥が限界に達した時、ようやくエミヤの声が届いた。

《手間取って済まない、シンジ。暫く用意できた》

「了解っ、決行してください!」

《な!? だがシンジ! 君も巻き添えを食うことになるぞ》

「耐えきる自信はあります。……というより、この光線を受けたまま回避はし辛そうですっ。やってください!」

 少しでもフィールドの維持以外に意識を逸らそうものなら、即座に光線がフィールドを突破しかねない。それほどに現在のシンジは切羽詰まっていた。

《っく、わかった! 死ぬなよ》

「はいっ」

 ぎり、と絞り出したシンジの返事と同時に、その場を極大の震動と地鳴りが支配した。



[8570] 第十話「雷霆」
Name: NOCK◆b833a99e ID:dc728d93
Date: 2009/05/11 23:52
 切り立った崖を構成していた岩盤が、一斉に崩れ去った。

 それは、BETAの群れを飲み込み、まるで彼らを抉るように削りとった。殆どの数の対人級がその土砂の流れに巻き込まれ、おそらくは絶命したと思われる。突撃級や、要撃級といった大型種すら瓦礫に阻まれてしばらくは身動き出来ないだろう。

「シンジ!」

 エミヤはそれを見届けると駆けだした。計画通りとはいえ、矢面に立った少年を心配する気持ちは変わらない。

 彼らの作戦は、古典的な手段でありながら、この場においては最大の効果の見込めるものだった。ここは山岳地帯であり、切り立った地形が多い。であるから、その地形を利用し、土砂崩れによって敵を一網打尽にすることは、特に戦略的な思考を持っている訳ではない二人にも容易に見当がついた。さらに言えば、BETAの行動は猪突猛進である。殆ど予測ルートが変化しないため、罠を張ることは容易だった。

 役割は適材適所で、防御力に優れたシンジが囮と時間稼ぎを行い、その間にエミヤが岩盤の脆い箇所をトレースし、そこに投影した剣を埋め込みんだ上で尊い幻想による爆発を使って土砂崩れを引き起こす、というものだった。

 シンジは土砂崩れの直前に退避する手筈だったが、光線級の予想以上の攻撃力によってそれは妨害されてしまった。シンジがその場を守り続けたのは、光線級の攻撃によって土砂崩れが予期せぬ方向に起こり、一般人が巻き込まれる事を防ぐ為もあったのである。

 ある意味使命を果たすことは出来たのだが、それでもエミヤは自分の爪の甘さに歯噛みした。例え英霊といえども、見かけはごく普通の少年である。彼を見捨てたのは忍びなかった。

 未だ粉塵が収まらない斜面を下って、エミヤがシンジが居た辺りに到着する。即座に周辺を見渡すが、シンジらしき姿は見えない。

「くっ」

 何所に埋まっているか、大体の当たりはついている。地面を解析すればすぐに掘り起こすことが出来るだろうが、それを許すほど、彼らの敵は容赦をしてくれない。運良く土砂崩れから逃れた闘士級達が、徒党を組んで瓦礫を足蹴にしてエミヤに向かってきていた。

 それを見て、エミヤは悠長にシンジを掘り起こす余裕が無くなったことを察した。。

 シンジの英霊としての生命力を信じて、彼を探すことを一旦断念したエミヤは舌を一つ打つと、手に黒弓を投影し、矢をつがえる。その眼は弦と共に引き絞られ、鷹のそれに等しくなった。

 生前より、一際高い階梯で弓矢を扱った男の弓術は、その身に宿る魔術と、世界との契約により、神の業にまで昇華されていた。只人ならば、持つことすら叶わない剛弓から放たれた矢は、空を裂くがごとく闘士級に迫り、その胴体と頭部を繋ぐ、人の胴のように太い首を寸断する。それは既に、矢としての破壊力を超えていた。強いて言うならば、戦車砲が如き剛の射である。

 だが、その結果を見届けたエミヤは、刹那の時すら待たず再度矢を投影し、第二射を放つ。それにより、再度闘士級が斃れた。

 休むことなく、再度矢がエミヤの手に現れる。そしてそれは、先の二射より早く弓から放たれた。矢を投影し、弓に番え、放つ。そのサイクルは徐徐に速度を増していき、とうとう弦楽器を掻き鳴らすような速度で数多の矢が放たれるにいたった。怒濤のような矢の連射が、敵の群れを片端から掃討していく。

 しかしそれでも、まるで地虫のように次々と土砂の中から這い出てくるBETA達に、エミヤは顔をしかめた。

「……切りが無いな」

 そうごちつつも、土砂の中から身を起こそうとした要撃級の頭を計三発の矢で吹き飛ばす。

 しかし、その隙をついて瓦礫を跳ね飛ばしながら突撃級が突進してきた。普段ならば避けるのが最善なのだろうが、いかんせん、このあたりにはシンジが埋まっている。そこを蹂躙させることは承知できなかった。

「――――I am the bone of my sword《我が骨子は捻れ狂う》

 投影した剣の骨子を歪め、矢を造る。

 白銀の輝きを宿したそれを、眼前に迫る突撃級に放つ。それは、先ほどまでと同じく尋常でない速度で突撃級に激突するが、やはりというべきか、むしろそれが当然なのだが、その突進を止めることはできなかった。それでも、並大抵の威力では傷すらつかない硬度の甲殻に矢を突き刺したのはやはり尋常の業ではなかったが。

 突き刺さった矢を確認して、エミヤは口元を吊り上げる。流石に突撃級の、そのダイヤモンドを超す硬度の甲殻を貫くことはできなかった。だがそれはエミヤの計画の内だった。そもそもあの矢は、ただの布石に過ぎないのだ。そして、突撃級の甲殻を突いた時点でその布石は成った。

 再度、捩れた剣の矢を投影する。その矢を弓につがえるとエミヤはその矢で、なお突進を続ける突撃級ではなく、その背後で貼りつくように移動していた要撃級を穿った。

 流石に、宝具で構成された矢は普通の鉄矢とは桁違いの破壊力を見せ、容易に要撃級の頭蓋を貫いた。しかし、それの戦果すら、弓兵の放った布石を活かす余興でしかなかった。。

 エミヤは朗々と祝詞を捧げる。

「―――唯名 別天ニ納メ」

 要撃級を穿った矢が、物理的に異常な挙動でその頭蓋から抜き出ると、方向を転換する。

「――――両雄、共ニ命ヲ別ツ……!」

 エミヤが翳していた腕を払う。その瞬間、要撃級の体液に濡れながらも、鉄(くろがね)の質感を示すその矢が、まるで鋼を裂くような音を立てて突撃級に、――否、突撃級の眉間に刺さった己の片割れに向かって突進した。

 そう、続け様にエミヤの放った二本の矢は、骨子を歪められた干将と莫耶だったのだ。それらが、お互いを求めて突撃級の中を突貫し、その中心で合わさった。その瞬間、エミヤは自らを表す、代名詞を唱えた。

「砕けた幻想《ブロークン・ファンタズム》」

 突撃級が、辺りの小型種を巻き込んで内部から粉々に吹き飛んだ。爆風に煽られて、エミヤの赤い外套がはためく。

「こんなものか……」

 残りで障害になりそうな敵は居ない。残りは有象無象の対人級ばかりだ。エミヤはいい加減シンジを掘り起こさなければと辺りを見回す。そして、急に走った悪寒に、咄嗟にその身を空中に投げた。

「なっ!?」

 彼が一寸前まで構えていたところに巨大な触角が突き立てられていた。それから流れる溶解液が、周りの瓦礫を溶かして刺激臭を放つガスを噴出させている。

「……ち、大人しく潰れていればいいものを」

 崩れた山肌を跨いで姿を現す、巨大な影。それは全長五十メートルを超える現在確認されているBETAの中で最大の個体、要塞級だった。

 突然の攻撃に虚をつかれたものの、すぐに体制を立て直したエミヤは、一段高い岩肌に降り立つ。

 即座に反応し、襲い掛かってくる触角。それにひとつ舌打ちをして、再度身を翻す。

「く! 図体のでかい割に器用な奴だ」

 要塞級の持つ、剣のような節足の間を縫いながらエミヤは対策を立てる。

 体格差は考えるのも嫌になる。そもそもが、像とネズミほどの差があるのだ。生半可な攻撃では、相手は意に介しすらしないだろう。あの質量をどうこうするには、宝具の真名解放くらいの攻撃力が必要になってくるのだが……。

「そうそう暇は与えてくれんようだなっ」

 忌々しげに吐き捨てて、エミヤは重い風切り音と共に薙ぎ払われた触角を再度回避する。

 降り立ったその先には数体の兵士級が待ち構えていた。だが、相手にしている暇はない。エミヤは速度を落とすことなく、間をすれ違いざまに邪魔な個体だけを干将莫耶で切り捨てた。

 目の前に迫る、一体目の兵士級が振り下ろした腕を、すり抜け様に切り飛ばす。

 そのままその兵士級を捨て置いて、その後ろに控えていた二体目の脳天に莫耶を突きたてる。

 速度を緩めることなく、脇から飛びかかってきた三体目の頸動脈があるだろう位置を引き裂き、再度投影した莫耶を残りの一体に投擲する。

 動きを止めた四体目に止めを刺すことなく跳躍。襲い掛かってきた要塞級の触手にエミヤは右手に残った干将を振り下ろした。

 無理な体勢から放たれた一撃だったが、なんとか触手の半分ほどを切り裂く事に成功した。しかし切り裂かれた触手が、溶解液を撒き散らしながらのたうち回った。

 飛び散った溶解液がエミヤの右腕をき、彼は思わず苦悶の声を漏らした。。

「くっ、おおっ!」

 即座にエミヤは溶解液の海から飛び退ったが、かなり重度の障害を受けたらしい。俊敏に動き自分を攻撃する厄介な触角を断ち切る事はできたが。代わりにエミヤは右腕を焼かれて戦力の低下は免れない。後ろの避難民のためにもこの要塞級だけは戦闘不能にしておく必要があるのだが、かなり分が悪かった。

 そして、状況はエミヤにとってさらに悪い方向に悪化する。半ば埋没していた一体の要撃級が、その身を瓦礫の中から起こしたのだ。

「ちいっ!」

 背後には要塞級、前面には要撃級。絶体絶命もいいところである。

 なんとか二体の挟撃を回避することだけは避けようとエミヤはその場から駆け出す。

 要塞級が、愚鈍ながらも逃げるエミヤに反応して身を傾ける。
 
 そして要撃級もそれに倣い……その振り上げた剛腕で要塞級の顔面を殴り飛ばした。

「なあっ!?」

 思わず驚愕の声をあげるエミヤ。それを脇に置いて、同じく戸惑ったように後すさる要塞級。

 それに向かって尚、要撃級が連撃を繰り出し、その剣のような足を折り砕いていく。そ様を呆然と眺めるエミヤの隣に、衣服の所々を焦がした少年が降り立った。

「シンジ、無事だったか!」

「ええ、少し気絶していただけで甚大な障害は無いです。ただ、立ち直った時、目の前に要撃級の頭があった時は、少し驚きましたけど」

 それは誰だって驚くだろう、と思ったエミヤだった。だが、それよりもシンジに尋ねるべきことがある。

「あれは君の仕業か?」

 指差す先には先ほどから単騎で身内に反旗を翻している要撃級があった。

「ええ、埋まって抵抗出来なかったようなので中枢部を乗っ取って操ってみました」

 見れば、要撃級の頭部に粘菌のようなものが張り付いていた。そんなこともできるとは、と半ば呆れながらエミヤはシンジに尋ねる。

「それで、あれをどうする」

 二人の視線の先では、持ち直した要塞級が要撃級を引き裂いていた。要塞級は、足を三分の一ほどに削られていながらも、二人に向けて歩を進めてきた。その前面には数十体の小型種が徒党を組んでいる。

「その腕じゃあ、エミヤさんも弓は撃てないですよね……。間合いが大きすぎるから、遠距離攻撃で行こうと思っていたんですが」

「いや、撃てないことは無い」

 憮然として言うエミヤにシンジは苦笑する。

「さっきから右腕動かしてないじゃないですか。無理はしない方がいいですよ」

「む……」

「僕が撃ちましょう。遠距離攻撃能力無い訳ではないので。エミヤさんは援護をお願いします」

「……本当に汎用性の高い英霊だな、君は」

 呆れたようなエミヤに向けてシンジは苦笑する。

「あはは、ただの器用貧乏ですよ。燃費も悪いですし」

 シンジはそう言って、自分を中心にATフィールドで荷電粒子の回転機構を構築する。

「……あと、これを撃ったら多分僕また気絶しますんで、回収よろしくお願いします」

 外傷は少なく見えるシンジにも、余裕があるわけではないのだ。それを察して、エミヤは頷いた。

 二人がBETA達に向き直る。

 シンジが目を瞑り集中を始めるのと同時に、エミヤが駆け出した。左腕に干将莫耶を投影して、迫る小型種を相手取る。片腕だけでありながら、しかし巧みかつ俊敏に、シンジに迫ろうとするBETAたちを屠っていく。

 要塞級が、視覚的にはゆっくりと、だが、実際にはその巨躯による相当な速度をもって突き進んでくる。

「第五の使徒よ。雷の加護を顕現せよ」

 シンジが目を見開く。その眼は、紅く燦然と輝いていた。

 要塞級も渦巻く膨大なエネルギーを関知したのか、速度を上げたがもう遅い。

 シンジが空に両腕を翳し、目標を見上げる。

「―――Ramiel《ラミエル》」

 眩い閃光が、雷霆のごとく空を染め上げ、十字の火柱が上がった。






「……隊長、何なんですかね、これは」

 部隊員全員が沈黙する中、ようやく副隊長が口を開いた。その言によって、まりもははっと我に返る。

 必要最低限の補給だけ澄ませて、マッドドック中隊はBETA達に追い込まれている民間人たちを援護するために戦線を離脱した。それが、ついさっきの出来事である。

 時間的にはほとんど絶望的なものがあったが、それでもひとりでも、例え一部でも救えればと、目にするだろう避難民の惨状に心慄きながらも、まりもたちは戦術機を駆った。

 しかし、最大戦速で到達したその目標地点には、まりも達の予想していたものとは全く違った光景が広がっている。

 死骸、死骸、死骸。それが人のものであったのなら、悔いはしても驚きはしなかっただろう。しかし、目に飛び込んできたそれは、紛うことなき彼らの宿敵、BETAのものだった。

 何が、このような破壊を生み出したのか、しきりに首を捻る副長だけでなく、まりもにすら心当たりが無かった。

「わたしに、解るわけないだろう」

 まりもが、やはり呆然といった風体を隠しきれずに言う。それに肩を竦めて副長もごちた。

「確かに、小官も何度か戦場に出ていますが、こんなのは初めてですわ」

 対人級たちの死骸。それらは皆、多かれ少なかれ原形を留めていた。それは異なことである。何故なら、戦術機によって始末された小型種の死骸は、普通なら過剰な弾丸の掃射により原形留めずにバラバラになることが多いのであるから。

 しかし、目の前の死骸達は、砲弾などでは決して出来得ない、鋭い斬撃を受けたような傷を受けていた。真っ二つに切断されているものもある。

 戦術機の戦いでは、このような死骸は形成され得ない。それに、刃物で対人級に対峙する歩兵も存在しない。故に、それらの死骸は不自然だった。だが、それらを置いてもまだ、異常なものがその場には点在していた。

「見てください、隊長」

 副長が、その一つを見上げて言った。

「この突撃級、二枚に下ろされてます」

 普通なら甲殻はほとんどそのままで捨て置かれるはずの突撃級の死骸が、縦に二つに割れていた。一体何をすれば、このような死骸が出来上がるというのか。

 その他にも、何故か要塞級の足に貫かれた要撃級や、足以外の部位が消し飛んだかのように存在しない要塞級の死骸など、不審は尽きない。

「最新装備を持った特殊部隊の仕業ですかね?」

 副長が自分でも信じていないようなことをのたまった。

「いや、今は出し惜しみなどをしている時勢ではない。なにより、この状況を作り出せる
ほど人類の科学力は進化していない」

 ダイヤ以上の高度を持つBETAの甲殻を膾切りにできる兵器があるのなら等に投入されているだろう。

「それじゃあ、神様の使いの仕業かなんかですかね?」

 その言葉に、まりもは苦笑を洩らした。神の権威は、人類が三分の一に減った今ではとうに失墜している。

「そんな訳ないだろう。とにかく、敵はいなくなったとはいっても、民間人はまだ安全区域には入っていないんだ。先を急ぐぞ」

 了解、と部下たちの声を受けて、まりもは自機を跳躍させた。

 ふと、空を駆けながら、まりもの頭にある光景が過る。彼女達があの場に到着する寸前、空を染め上げた閃光は、なんだったのだろうか。

 最初は、重光線級のレーザー照射かと歯噛みしていた。しかし、なぜかあの光を見て、彼女は恐怖を感じなかったのである。まるで、お伽噺のように未来の希望を照らす光に見えたのは、何故だろう。

 一瞬、立ち上った火柱が、荘厳な十字を象ってはいなかったか。

「……まさかな」

 本当に神の裁きなら、とっくにBETAなど地球から消えている。まりもは自分の心中に浮かんだ考えを自嘲して、先を急いだ。



[8570] 第十一話「方向」
Name: NOCK◆b833a99e ID:dc728d93
Date: 2010/07/17 23:29
 やんごとなき人間が乗る特別車とはいえども、軍用車というものはどうしてもその重量故、普通車以上の振動をもたらす。さらに言えば、この車両は迅速に同乗した者を京都から新たに遷都された都、東京に運ぶという任務を授かっていた。自然、エンジンは相当数の回転を起こし、その音は車自体の振動音と共に車内での話し声を阻害する原因となっていた。

 だからこそ、その中で黒い斯衛服を着た通信兵が通信機に向かって何かを喚いていたとしても、その声が車内に通ることは無く、傍目には少し滑稽にも見える様相を呈していた。

「どうした。通信兵?」

 同乗していた赤服の斯衛が、その斯衛に叱咤の意味も込めて状況を問いかけた。肩に乗った翡翠の髪が、車の振動に合わせて揺れている。

「はっ! 申し訳ありません。中尉殿。実は……」

 通信兵は声を大にして何らかの報告をしようとしたが、残念なことに彼の坐しているのはエンジンとサスペンションのある後方部である。よって、その声はエンジンの駆動音と振動音で掻き消されてしまい、断片的にしか聞き取ることができなかった。このような状態ではまともな報告にはならない。

 しかしそれでも、情報とは生物である。その内容が戦略的に価値のあるものなのか否か、その判断は出来得る限り早くした方がいい。さらには、このように座る他に特に仕事が無い場合には何かしていないといまいち落ち着かないのが、彼女の性だった。

 通信兵はいいかげん声を張り上げるのを憚って、紙媒体に移した通信結果を赤服の斯衛――月詠真那に手渡した。

「……!」

 赤服の斯衛は、紙面に目を走らせ、怪訝な表情をしたのち、次いでその鋭い眼を大きく見開いた。

「……? どうしました? 月詠」

 彼女の奇妙な雰囲気を感じ取ったのか、前の席でシートベルトにしっかりと固定された、彼女の主たる少女がその小柄な体をよじった。

「いけません! 殿下、御身体を痛めますぞ」

 少女、煌武院悠陽の隣に座っていた侍従長がその行為を叱咤する。この振動だ。仮に大きめの段差にでも乗りあげようものなら、少女の細い身体に負担がかかる。場合によっては大怪我を被る可能性だってあるのだ。さらに言えば、悠陽を叱咤した侍従長にしても年の為か既に腰にダメージを受け始めている。

「っ! 失礼しました、殿下」

 その二人のやりとりで思考から帰ってきた真耶は、主人にいらぬ世話をかけたことを恥じつつその手の書類の束を悠陽に手渡した。

「この書類は正式な報告書ではありません。不確定な部位が多く、あまり信の置けない考察も入っております。……ですが」

 珍しく曖昧な真耶のその言葉に、悠陽はなんの事かと首を傾けて紙面を読み始めた。そして、その表情が徐々に驚喜に染まっていく。

「『緊急救助対象、無事に安全区域に到達』非難中の民間人はほぼ全員無事……」

 ほっとした表情になって、悠陽は前線基地を離れてから初めてその表情を緩めた。

 誰かがやってくれたのだ。あの不可能と言われた救出劇を……。

「救護の実行部隊は……『狂犬部隊(マッドドッグズ)』」

「恐らくは、富士教導隊からの出向部隊かと」

 称えるような声音でその部隊名を口にした悠陽だったが、その後の記述に眉を顰める。

「『同部隊の現場への到着時刻は○五二六、到着時、既にBETAによる襲撃で民間人救助は絶望かと思われたが、正体不明のイレギュラーにより師団規模のBETAが壊滅。レーダー等からもその当時の状況は不明』……? どういうことです? 現地に間に合う部隊は他に居なかった筈」

 見当がつかないと首を振った悠陽に、それは自分も同じであることを真耶は伝えた。

「戦場痕、レーダー及びその他通信設備からの情報を織り込んだ考察によると、これらのBETAを壊滅に追い込んだのは戦術機では無い可能性が高いそうです」

 書類には、BETAの死骸には弾痕らしきものは存在したものの、肝心の砲弾が見つかっていないとも記されている。だったら、その弾痕はどうしてできたのか?

「でしたら、一体何が……?」

「で、あるからこその『状況不明』『イレギュラー』であるのだと思われます」

 つまりはお手上げである。平時ならまだしも、この切迫した戦時下において直接戦略に関係のないこの程度の問題の証明・考察はこれ以上行われないだろう。現地で何が起こったのかは、もはや確かめる術は無い。

「……『イレギュラー』」

『なればこそだ。君の弱さを肩代わりしよう。なに、簡単な等価交換だ。私達が今、君が護ることができない物を護る代わりに、君が真の強者になった時には君がそれを護れ』

 普通なら世迷い言を、と切って捨てられる台詞である。だが……。

 衛士ではなかった。兵士にも見えなかった。だが、その男はただの法螺吹きにもまた見えなかったのだ。

「彼らが、やったのですね……」

「彼ら?」

 悠陽のつぶやきに反応した月詠に、しかし悠陽は応えずに正面を向いた。その口元は淡く微笑みを形作っていた。

 混乱しつつも、信じられないと思いつつも、何故か心の底で納得をしてしまった悠陽はどうしようもなく波立ってしまった心を落ち着ける為にそっと目を閉じた。

 その瞼に移るのは、どこか遥かな境地に在るように感じた、赤く遠い背中だった。








「それで、お二人のその怪我の理由をお聞きしましょうか?」

 じとっとした湿度を含んだ目でにらんでくるまりもに冷や汗をかく男と少年。

 先の戦闘が終わってから三日経ち、久しぶりに顔を合わせたまりもと英霊二人だっが、しかし早々にまりもが隠しようもない二人の怪我を発見し、二人のその、右腕を覆う包帯や、体の所々に張り付けられたガーゼについての弁解を催促していた。

「い、いや、だからさっきから言っているだろう? 私はついうっかり煮立った鍋をひっくり返してしまったのだ」

包帯を巻いた右腕を持ち上げて、エミヤが普段飄々としている彼らしくない固まった笑みを浮かべつつ弁明する。

「そ、そうです。僕もついうっかり、フライを揚げていた時に油の温度を間違えてしまいまして、油が全身に飛び散っちゃったんです」

 同じく、普段は年に似合わぬ超然とした態度をとっている少年も、まりもから視線を逸らしたままわざとらしくその頭を掻いていた。

 明らかに怪しい二人に、しばらくまりもはその視線を鋭くし続けていたが、数分もそうした後に、溜息を吐いてPXの椅子に腰を下ろした。

「……まあ、何か事情があるのでしょうし、聞かないでおいておきましょう」

 基地内のセキュリティをみれば、確かにこの二人が戦闘中常に基地内の自室に待機していたと記録されている。少なくとも、この二人は外に出たり、機密区域に入ったりはしていない。

 しかし、そのまりもの言葉にほっと安堵の息を吐いた二人を、再度まりもは睨みつける。……今度は少し拗ねたような上目づかいで。

「わたしのこと、信用してくれてないんですね」

 うっ、と胸に手を当ててのけぞる英霊二人。その捨てられた子犬のようなまなざしは基本的に善人な二人には結構堪えた。

「い、いやー。まりもさんを煩わせるほどのことでもないですし」

「う、うむ。同感だ。そもそもこの怪我は我々の不注意で起きたものだ。君が気にするべきものじゃあない」

 わたわたと慰めにかかる二人。その様子を見ていた周りの兵士達からも苦笑が漏れる。この場面を見て誰がこの二人を生身で師団規模のBETAを始末した者たちだと思うだろうか。いや、そもそも生身でBETAと渡り合える人間が居るという理屈事態がこの世界に存在しない以上、その認識に至ることができる存在は世界意志ぐらいのものだろう。

 しばらくそうやっていじけていたまりもだったが、エミヤの「今日の呼び出しの本題は?」との言葉に居住まいを正して二人に相対した。

「すみません。少し話が逸れてしまいましたね」

 そう言ってばつが悪そうに眉を垂れてまりもが本題に入る。

「今日お二人を呼び出した理由は、今後のお二人の身の振り方について明確にしておくようにと命令されたもので」

「我々の身の振り方?」

 はい、と少し言い辛そうに表情を歪めてまりもが話し出した。

「今回の戦闘を経て、BETA達を琵琶湖周辺に抑え込むことに成功しました。現在は重慶ハイヴからの後続も途絶えていますから、少しの猶予が生まれたことになります。しかし、それも一時的なものでしょう。いずれ近畿、関東へと大々的な侵攻が始まります」

 そこで言葉を切り、まりもは二人をみつめる。

「これから帝国軍、国連軍問わず、大規模な軍部再編が行われます。かくいう私も、此度国連軍に出向することに相成りました」

 そこでエミヤとシンジの二人は眉を潜めた。自分たちが召喚された理由を解明するためのキーたる彼女が、この基地から姿を消す。それはすなわち、彼らがまた手がかり零の状態から任務をこなさなねばならない可能性が現れたことを意味する。

「つまり、僕たちの当面の身元保証人であるまりもさんが軍から離れるわけですから、その後の僕たちの処遇が問題なんですね」

 まりもは頷きながらそのシンジの言葉を肯定する。

「はい。特に軍からの制限等は課されていないので、安全地帯まで後退した後は殆ど一般人と変わらない生活をしていただいて結構なのですが……」

「ふむ……」

 エミヤが眉間に皺を寄せて腕を組む。ここからの判断は難しい。まりもの状態を把握する為には側にいるか、少なくとも連絡することが可能な場所に在ることが必須なのだが、いかんせん、軍属でない上身元も確かとは言えない二人がこのまままりもにひっついてまわるのは不自然である。

「あ、あの……、私にはお二人に対して命を助けていただいたという恩があります。私にできることは少ないですが、何か力になれることがある筈です」

 二人の沈黙をこの先の身の振り方を不安に感じてのものだと誤解して捉えたまりもが協力を申し出る。シンジはその申し出に微笑んで、ありがとうございます、と、返した。

「そうですね。申し訳ないですけど、この先のことについてはもう少しじっくり考えてみたいと思います。二、三日中には答えをだしますので、それでいいでしょうか?」

「ええ、それはもちろんです。……ごめんなさい、力になれなくて」

 軍人としての顔から、神宮司まりもとしての顔に戻して、まりもは二人に頭を下げる。

「なに、君には十分に良くしてもらった。これから先のことは君が負担する必要はない」

「そうですよ。あそこでまりもさんと遭えなかったら、僕たちは途方に暮れたままだったでしょうし」

 二人のその言葉に虚言は無い。確実に、まりもは二人にとっての標となっていたのだから。

「そう……ですか、そう言ってくださると有り難いです。……あ、すみません、そろそろ職務がありますので失礼しますね」

二人のフォローによって多少照れが入ったまりもが事後処理を理由にその場から去ったあと、エミヤとシンジは厳しい表情でお互いを視線を合わせた。






「それで、どうします?」

「ふむ……少々、厄介だな。なんらかの理由をつけて神宮司についていく事が出来ればいいのだが」

「……それは無理そうです。先程国連軍のネットワークに侵入してみたんですけど、まりもさんが行くと言っていた白陵基地、どうやら普通の軍事基地とは違うようなんです」

 シンジの言葉に、エミヤが怪訝な表情を浮かべた。

「普通とは違う?」

 はい、と頷いてシンジが続ける。

「表向きは日本に散在する一般の軍事基地と装備、設備、編成に変わりは殆どないです。ですが、資金の流入がそれらの基地よりも格段に多くなっているのが確認されました」

 それらの資金は、とても誤差の範囲と言えるものではなく、明らかに何らかの目的で収集されていることが分かった。というシンジの説明にエミヤが自らの顎に手を添える。

「ふむ、となると、その基地はそれらの資金を用いた、他の基地とは違った役目を持っている。ということか?」

「ええ、その特殊な資金の出資者の内訳は、国連から六割、帝国から三割、その他から一割といったところでしょうか。それらが何に使用されたのかは書類等に記されてません。もちろん、ダミーは存在しましたが」

 表向きは、それらのデータは単純な設備費に偽装して、それらの資金は使用されていた。

「ごく一部の者だけが知っており、かつ多大な資金を必要とする物……。普通に考えれば新兵器かその類だと思うが……」

 だが、違うのだろう? という意味を込めて、エミヤが片眉を上げた。

「僕も最初はそう思って、その特殊な役割を割り出そうとそこの基地コンピュータに侵入しようとしたのですが……」

 シンジが肩をすくめる。

「その様子では、上手くいかなかったのか? だが、君の情報処理能力はおよそこの世界の技術力では真似ができない程の代物だろう」

「そこまで大したものじゃないんですけど……。まあ、実際にただ侵入して情報を取ってくるだけなら十分可能な防壁だったんです。ですが、セキュリティシステムを組んだ人物に気づかれずにハッキングを行うことは不可能だと判断したんです。ソフトもハードも、この世界の水準を一段超えたものでした」

 この世界での国連中枢ネットワークや、帝国城内省のセキュリティすら凌駕する情報防御機構を白陵基地は所有していたのだ。

「それほどのセキュリティで隔離された事柄……。ただの兵器の類では無いということか」

「はい、それで、国連中枢にハッキングしたときに、関係のありそうな情報を見つけたんです」

「さっきは謙遜していたが、十分に反則的な能力だと思うぞ」

 間違っても、国連の機密情報というものは、そうほいほいとハッキングされていいものではない。エミヤのその言葉に、あははと乾いた笑いを漏らしたのち、シンジは真顔に戻った。

「それらの情報の中に、他のカテゴリとは明らかに隔離された上に、厳重なセキュリティで防護されていた情報群がありました」

 そう、それこそが、BETAの侵略が始まった三十年前から人類が、なんとかして状況を打開しようと苦心して実行してきた秘密計画。

「『オルタネイティヴ計画』というものが、このBETA戦争が始まる前、奴らが出現してから進行されています」

Altanative<二者択一>計画。人類が生き残るか、BETAに撲滅されるか。それを決定する計画である。現在までに三つの計画が発動したが、どれも目的を達成できずに瓦解することになった。

一九六六年に行われた第一計画。あらゆる言語、信号、思考派等を用いてBETAとの意思疎通を図る試み。しかし、それは何も効果を得ることができずに失敗する。

一九六八年、BETAを捕獲しての調査・分析を目的とした第二計画が行われた。捕獲に際し多大な犠牲を払うも、解明できたのは彼らが人間と同じく炭素を主体とした生命体であることだけだった。

一九七三年、BETAの地球襲来にて発動された第三計画。度重なる人体実験を行い、ESP能力者を育て上げ、BETAに対してリーディングと呼ばれる能力を使用し、BETAへ和解を呼びかけ、さらに彼らの情報入手を試みた。しかしその能力者生還率六%という悲惨な結果を残すほどの大規模作戦も報われず、BETAに対するあらゆる訴えは無効だった。

―――そして……。

「現在、そのオルタネイティヴ計画の四番目と五番目の計画が同時進行されているようです。そのうち、オルタネイティヴ5は、地球全土を対象にした重力兵器G『弾』を使用した超大規模焦土計画。一応残存人類から十万人を選抜して地球外に脱出する計画が付属して存在するようですが、まあそれはただの気休めみたいなものでしょう」

「まあ、そうだろうな。絶滅は免れるとて、それは人類の敗北に違いない」

 エミヤが重々しく頷いた。だが、その第五計画、少々不審な部分がある。

「待て、シンジ。そのオルタネイティヴ5と言ったか、その計画で焦土計画が行われるのは本当に地球全土なのか?」

 エミヤのその疑問に、シンジは答えを苦々しげに吐きだした。

「もちろん、建前でしょう。BETAの侵略が行われていない地域でそれを行う意味がない」

「……ふむ、確かアメリカやオーストラリアにはまだBETAは進行していなかったな?」

 成程、どこの世界に言っても、かの国は相も変わらず傲慢らしい。エミヤもシンジと同じ想像に至り、心中で苦い表情をする。

「結局のところ、自分たちが救われれば他の国は二の次になるってことですね。……まあ、理解できない考えではないですが。ただ、もちろんただそれだけでは他の国からの莫大な反感を買いますから、地球外の脱出という項目を設けて反発を緩衝しているんでしょうね」

「そう簡単に納得できる話ではないだろうがな」

 だが、米国やその他まだBETAに侵攻を許していない国々にとっては文字通り死活問題になっていると想像できる。たしかに、自国に攻め入られる前に敵性体を根絶したいという気持ちは理解できなくもない。だがそれも、件のG弾という兵器が本当にBETAに有効だったらの話だ。もし、G弾すら効果が挙げられなければ、文字通り人類は終末を迎えることになる。

「だが、先ほどの話だとそれとは別の計画が存在するのだろう?」

「はい。前置きが長くなってしまいましたが、この『オルタネイティヴ5』計画に拮抗する形で、第四計画『オルタネイティヴ4』が、発動しています」

「ふむ……。それで、そのオルタネイティヴ4は何を目的にした計画なのだ?」

 それが、とシンジは困った表情で肩を落とした。

「わからないんです。第三計画の成果を接収していることは掴めたんですが……。第四計画の内容は世界最高のセキュリティで保護されていたんです」

 そこで、エミヤは得心がいった。

「成程、『最高のセキュリティ』、か。……つまりは、件の白陵基地がその計画の実行機関だと?」

 ようやく、白陵基地の特殊性が表れてきた。

「はい。資金源も主に現在BETAに対して明確な危害を被っている国連諸国や、帝国からですから、第五計画と対をなす第四計画への出資としては妥当だと思います」

 何より、とシンジが確定的な論拠を述べる。

「オルタネイティヴ4の主席研究官が現在白陵基地の副司令として任官しています」

「……成程、それは最早間違いないな」

「ええ。名前は香月夕呼博士、帝国大学にて応用量子物理学研究室に所属、因果律量子論という理論を研究していたらしいです」

「その理論が、オルタネイティヴ4になんらかの関係を持っている、ということか」

「はい。残念ながら、その理論についての情報もほとんどが白陵基地に保管されていた為手が出せませんでした……」

 シンジはため息を吐いたが、気を取り直して続ける。

「冗長になってしまいましたが、帝国と国連からの神宮司まりも中尉に対する辞令が、その女性から発されていることが分かったんです。二人の関係は訓練予備校――僕らの世界で言う中学校ですかね――での同級生。それが召喚の理由だと断定はできませんが、無関係でもないでしょう」

「……成程、な」

 エミヤが椅子の背もたれを軋ませ、その身を預ける。溜息を吐いて、一言。

「確かに、そうなると神宮司についていくのは難しいな」

 世界的に大規模で、かつ最高機密の計画。そしてその計画を仕切る者からの召喚辞令。確実に、ただの異動とは勝手が違うだろう。恐らくは、件の基地に出入りする者には、厳しい審査が行われている筈。そしてほぼ間違いないなく、表面的に繕った個人情報しか持たない二人ではその基地に入り込むことは不可能だろう。何より、まりもに二人が白陵基地についていくことを納得させる理由がない

「だが、分かったこともある」

「分かったこと、ですか?」

 エミヤのおもむろな宣言にシンジが問い返す。

「ああ。この予測は、我々が召喚された理由が神宮司に関係する事柄であることを前提としたものではあるが……。神宮司が関わる事象で、間違いなく最大の事物になるだろう

『オルタネイティヴ第四計画』。彼女がその中で何の役割を行うのか知ることはできないが……」

「……ああ! 確かに、そう考えるのが自然ですね」

 そう。神宮司まりもが、『あの時』死んでいたとすれば、その役割を果たす者は存在しなくなっていた。

「まりもさんが、オルタネイティヴ4に影響を与え得る存在だった。それはつまり、僕たちの召喚された理由にも幾分かオルタネイティヴ4が関係している、ということでしょうか」

「まだ分らんが、国連を挙げての計画だろう? この世界に我々が存在する限り、大なり小なり影響を受けることになるだろう」

 そしてその逆も然り。二人が介入することにより、第四計画に影響を与えることも可能なのだ。

「ですが、どうします? 僕たちのような存在が、こちらの世界の一組織と同調するのは……危険ですよ?」

「うむ……、それに、召喚理由に見当が立ったといえども、肝心の我々の役割が未だに分らんからな」

 人間同士の争いの中、片方に英霊が介入することの不条理を二人はよく知っていた。しかし、今回は人間相手の戦いでは無く、あくまで敵は全貌の未だ掴めぬ異形の軍団である。その不条理も今回の召喚ではあまり気にする必要は無いのかもしれない。だが、肝心の彼らの使命がやはり見えてこないのだ。

 先の戦闘でのようにBETAにゲリラ戦を仕掛けるのにも限界がある上に、大局的に効果があるとは言い難い。だからと言って、自分たちには卓越した知識・知能も、政治力等の武力以外の力も存在しないのだ。強いて言えば、シンジの情報収集力ぐらいであるが、それもまた、明確な目的を見いだせない今では宝の持ち腐れである。

「今更ながら、世界が何故、他でもない我々を召喚したのか……。少々理不尽な物を感じるな」

 ただ武力を求めるのなら、かの英雄王でも召喚んだ方が随分と効果的である。

 だが、召喚されたのは二人とも、神話に名を残すこともない中途半端な英霊二人。

 片方は、摩耗しきった理想を抱いて、それでも尚それを捨て切れない愚者で。

 もう片方は、継ぎ接ぎだらけの心と、重すぎる十字架を背負った罪人で。

「それでも、僕たちは動かなければいけません。役割(ロール)も使命(ミッション)も分からないですが、それでもそれは確実に存在し、そしてその為に僕たちは召喚されたのですから」

 そうだな。と、エミヤがごちる。

「指針は未だ何処(いずこ)も指さず、道らしき道も無い……。くくっ、なんだ、私の人生と同じではないか」

 エミヤが自嘲にしては晴れやかな表情で笑う。それにシンジも釣られて笑い出す。

「あはは、僕の人生もそんな感じでした」

 二人に宛がわれた狭い部屋に、暫く愉快気な笑い声が響いた。なんのことは無い、これまでと、これからの生き方に違いなどありはしない。ただ、ただ―――答えを求めてひたすら走り抜けるだけ。

「足掻いてみようか、碇シンジ。この際、『我々らしく』」

「そうですね、今はただ最善だと思える行動を」

 過去の二人がその人生で『最善』を選択してきたとは思えないが、それでも二人は進まなければならない。その方向が前だろうが、後だろうが、二人は立ち止まることができない。それが彼らに課せられた性であり、そして共通項だった。


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