「諸君らに法力のイロハを伝授する前に、まず、少し問いを投げ掛けておこう」
空中に浮かぶ、子どもが一人二人なら入れそうな水の玉。その中から鳥に似た一体のギアが眼鏡のブリッジを指で押し上げながらこう言った。
教壇の前に立つのはDr,パラダイム。頭に被っている大学帽と鼻に引っ掛けた丸眼鏡がチャーミングでありながら、手元に控えてある分厚い魔導書と高い知性を備えた視線が、これまで彼が積み重ねてきた知識と知恵を否が応でも垣間見せる。
何処か威厳を感じさせる静かな口調が続く。
「何故、法力の五大元素が『火』、『雷』、『水』、『風』、そして『気』によって構成されているか、考えたことはあるかね?」
一同は首を振る。その様子を確認すると一つ頷き、続いて更なる問いを口にする。
「では、我々ギアが常に生理現象として法力を行使することと全く同じように、人間を含めた生物のほとんどが法力の五大元素に似たものを利用して生きているのは知っているかな?」
言葉の終わりに手にした教鞭でDr,パラダイムはなんとなくシグナムを指し示す。シグナムはまさか自分が指されるとは思っていなかったのか、授業中に苦手科目の問題を突然やってみろと言われた生徒のようであり――実際はその通りで――見ていて微笑ましくなるくらいに慌てていた。
「ええ!? あ、ええと……うぅ……た、大変申し訳無いのですが、問いの意味が、よく分かりません……すいません……」
答えられない自分が恥ずかしいのか、シグナムは俯きながら耳まで真っ赤にして、搾り出すようにして謝った。最後は尻すぼみでよく聞き取れないが「……情けない」と勝手に凹んでいる。
「そう難しく考えるな。ことはもっと単純だ。誰か分かる者は居ないか?」
出来の悪い生徒に気分を害した風もなく、Dr,パラダイムは微笑みながら室内の皆を順繰りに見渡すが、誰も答えられる者は居ない。
「ではヒントをやろう。ユーノ」
「は、はい」
ビクッ、と警戒する小動物のように身体を震わせたところを笑われながら、問われる。
「生物が呼吸や食事をすることによって何を得ているか、分かるか?」
「…………栄養とか水分とかですよね? 呼吸も入るなら酸素も……身体を動かしたりする為のエネルギーを摂取している……で、合ってます?」
暫しの間黙考してから自信無さげに返答するユーノにDr,パラダイムは大きく頷いて見せた。
「正解だ。そして食物の栄養を熱量に変換して動く、つまり『火』だ。生物は食物を摂取して得られる生理的熱量を利用して動いている」
「あ、なら『風』っていうのはもしかして」
はっ、としたようにシャマルが声を上げた。
「考えている通り、『風』とは大気の流れ。その中の酸素を取り込み体内を循環させることを利用して代謝を行う。細胞内のミトコンドリアにより炭水化物を酸化、酸化とは酸素の化合、つまり『火』にあたり、それを行うことによって最終産物として二酸化炭素と水を排出する。身体の内と外で『風』の流れが生まれ、体内で『火』が生成される。此処まで言えば後の『雷』と『水』は分かったも同然だろう?」
「人間は脳から送られる電気信号によって動いている。これが『雷』でしょ?」
素早くフェイトが挙手。
「そんで、半分以上の水分で身体が構成されているっていうのが『水』なんやね」
続いてはやてが得意気に語る。
「簡単に纏めるとそうなるな。脳から送られる情報伝達の役割を生体電気が果たしている。電気信号によって生物が肉体を動かしているのは有名な話であることは知っているだろう? それに加えて人体の周囲を包むように存在する弱い電界、電気力の働く空間が存在することから生物が微弱でありながら電気を纏っていることも証明されている。また、生物を構成する物質で最も多くを占めるのが水だ。核や細胞質で最も多い物質でもあり、細胞内の物質代謝の媒体としても使用されている。通常、質量にして生物の70%から80%が水によって占められていて、生命現象を司る化学反応の場を提供し、また水そのものがあらゆる化学反応の基質となっているのだ。体液として、体内の物質輸送や分泌物、粘膜に用いられ、また高分子鎖とゲル化することで体を支える構造体やレンズにも利用されている。皆も知っている通り、水は私にとっても生命を維持する為には必要不可欠なものであり、常に自身の肉体を水で覆っていないと満足に呼吸も出来ん。『水』とはそれ程重要なものなのだ」
アルフとヴィータが端っこの方で「……簡単?」「いや、難くね?」とぼやきながら顔を見合わせていた。
「あの~、それじゃあ『気』っていうのは?」
先生質問! と言わんばかりになのはが講師に問い詰めるが、優秀な講師は此処で初めて顔を顰めるとゆっくり首を横に振った。
「残念ながら、『気』に関してはよく分かっておらん」
は? と、この場に居た全員が予想だにしていなかった答えに戸惑う。
「法力を構成する五大元素の一つに数えられているが、法力が理論化して二百年近く経とうとしているというのに『気』は他の四属性と比べて研究が全く進んでおらんのだ。その理由として挙げられるのが使い手が異常に少ないこと。なんでもジャパニーズや東洋人は先天的に『気』を持っているという話だが、使いこなせる訳では無いらしい。そもそもジャパンは聖戦初期に『気』の力を危惧したジャスティスによって壊滅させられ、現在では生き残ったジャパニーズの子孫が専用のコロニー、保護区で暮らしている程度だしな。公式記録でも碌に残っておらん。まともに残っているのは聖戦中期から末期にかけて、当時の聖騎士団団長であるクリフ=アンダーソンが『気』の使い手で、そのあまりの強さに『竜殺し』と謳われ、ジャスティスとも十数回は死闘を演じたが結局勝負を着けられなかった、くらいか」
「クリフとは確か、カイ殿の前任者でソルを聖騎士団にスカウトした張本人と聞いたが」
ザフィーラが自身の顎に手を当て思い出したように呟くと、Dr,パラダイムも「ああ、そうそう。あの二人とは縁の深い人物であったな。失念していた」と付け加える。
『気』は中国の古い歴史や拳法、漢方医学にその記述がある点から他の四属性よりも以前より伝えられていたものだと察せるが、生憎と身近に術者が居ない。
術式と数学的知識によって構成される他の四属性と異なり、術者の特殊な呼吸法や丹田術によって生成され行使する生命エネルギーだということと、術者の意志や感情に呼応して増幅させることが可能で、使いこなせれば術者が持つ本来の実力を爆発的に上昇させることが可能だということまでは理解しているが、それ以上はさっぱりだ。
研究したいところではあるが、研究材料や協力者が圧倒的に不足している、というのがDr,パラダイムの言い分であった。
「また、『気』は誰しもが持っている感情に直結していると言われている。だから法力は生物にしか扱えないのもこれに起因すると唱える者も居るが、確証は無い。感情が乱れれば扱う法力も乱れ、逆に感情を爆発させればスペックを大きく上昇させる、と。まあ、私個人は感情論を科学者として認める訳にはいかんから、理解は出来ても納得出来ん……以上のことにより、すまないが『気』は抜いたままで講義を続けさせてもらうぞ」
心から残念そうにしているギアの天才法術家は、その心情を示すように深い溜息を吐く。彼を包み込む水の玉にポコポコと泡が生まれては消えた。
「じゃあ、なんで『気』が五大元素になってんだよ?」
「そうそう。んな理論的じゃないものを五つの内の一つに数えるなんて、法力が理論化された時に五大元素を定義した奴って頭おかしいんじゃないの?」
訳が分からんとばかりに口を挟むヴィータにアルフ。
「まあ、言われてみればそうだが、何せ我らギアの生みの親だからな。理解に苦しむのは仕方が無いことだ」
今度こそこの場に居た全員が表情を驚愕で染めるのを眺めつつ、Dr,パラダイムは説明する。
「今から約百八十年程前、法力学基礎理論の完成に一翼を担ったのは”あの男”、GEAR MAKERだ。当時、素粒子物理学研究でその名を轟かせていたフレデリックや他の科学者達と共にな」
ソル曰く『発信源の知れない情報』だったものを試行錯誤の末に一つの技術体系として昇華させたことは、これ以上無い程の偉業であったらしい。
過去話が出てきたことによって、皆今までよりも真剣な顔で耳を傾けた。
それからDr,パラダイムによる”始まりの科学者達”の話が続く。生みの親の一人であるソルの出生のファン、と自称するだけあって、よく此処まで調べ上げたと感心する程詳細なデータを披露して見せる。文献のような公にされた情報のみと語るが、その文献や資料ですら聖戦で大半が失われたものと考えると、彼がどれだけ自分の親の過去に熱意を持っているのか理解することが出来る。
「……と、すまんな。手短に歴史を語るつもりが長くなった。それでは本題に入ろう」
一通り語って満足したのか、漸く話が最初に戻る。
「一部の例外を除き、基本的に法力は生物にしか使うことは出来ない。法力の四属性が生物の生理現象と密接に関わっている為だろう。では、何故こんな回りくどいことをしたかと言えば、法力を修得する為に認識を改めて欲しかったからだ」
「認識?」
「どういうことですかー?」
大人達に混じって話を聞いているエリオとツヴァイの声にDr,パラダイムは、うむ、と応じた。
「法力が”バックヤード”に一時的にアクセスすることによって『理由を強引に借りて』事象を顕現させる力だとフレデリックから聞いているだろうが、それ今は忘れていい」
えええええー!? と誰もがその意図を読めず困惑する中、講師は平然と言い放つ。
「ぶっちゃけてしまうとそんな訳の分からんものを媒介にして使うもの、と認識して法力を修得しようとする者など存在しない。体内で不随意的に行われる生理現象を体外で意図的に行使する技術、として学んだ方が遥かに建設的だ。だからバックヤード云々に関しては忘れてくれ。全く以って必要無い、むしろ邪魔だ。変にバックヤードが絡むと教えられるものも教えられんからな……そもそもバックヤードは法力学の研究における専門用語で、一般の法力使いは”バックヤード”という単語すら知らん。前々から常々思っていたが、フレデリックの教え下手には呆れて何も言えん」
そもそも面倒臭がって教える気が薄いのが原因かもしれないが。
「えっと、じゃあ今までソルが僕達に教えてくれた法力に関することって、まさか……」
恐る恐る訊ねるユーノにDr,パラダイムは溜息を吐きながら答える。
「余計なこと、これに尽きる。無かったことにして頭を空っぽにしてくれると助かるぞ。先入観があると逆に教え難い」
次の瞬間全員が口を揃えて、なんじゃそりゃーーーーー!! と絶叫する。こうして本格的に『第一回 Dr,パラダイムの猿でも分かる法力講座(基礎中の基礎編)』が開始されるのであった。
懐かしい夢を見た、と意識を覚醒させたなのはが瞼を開く。
視界に広がる見慣れない天井に此処は何処だと疑問に思いながら、夢の中で蘇った記憶を呟いた。
「炎は広がり、風は取り巻き、雷は散り、水は溜まる」
四属性の扱い難さを表現した一節である。
『火』は開放的なシステムの為比較的扱い易いが、炎そのものに上昇する性質と広がる性質がある故に術者の実力がモロに出る。また『風』との相性が非常に良いので、二つを掛け合わせればバリエーションが増える。
『風』は大気の流れを読み取り操る技術が必要な為、高度な空間把握能力や感性が要求されるが『火』と同じ開放的なシステムで、やはり『火』の次に扱い易い。他の属性との相性はそこそこで、相性が悪いという属性も無く、どの属性ともそれなりに付き合うことが出来る優秀な属性。
『雷』は四属性の中で最も扱いが難しく、少しでも気を抜けば散逸し、大気や大地にエネルギーを吸われてただの火花になってしまう。しかし、一点に集中することが出来れば最も強い。
『水』は他の属性よりも『重い』ので、重力に負けない制御能力が必要不可欠。その代わり他の属性を組み合わせれば固体、液体、気体というように形態を変化させることが可能でバリエーションは四属性の中で最も多い。
これら属性には個人にも該当するものがあり、当たり前の話だが該当する属性がその個人にとって一番扱い易いものとなる。
言うまでもなく、ソルとシグナムは『火』。
シャマルは『風』。
フェイトとエリオとアルフ、カイやシンは『雷』。
はやてとツヴァイ、Dr,パラダイムは『水』。
残りの自分を含めた他の面子は、どの属性もそこそこ使えるが特別に得意な属性は存在しない、というなのはにとって若干腹の立つ内容が検査の結果判明した。
しかしながらこの属性判定は本人の性格や気質、パーソナルや深層心理を四属性の内のどれかに無理やり当てはめただけなので、該当しないものが出てくるのは当たり前らしい。
なので、魔力変換資質を持っていない魔導師が四属性に当てはまらないのは当然の結果だと言う。
更には、該当する属性があったとしてもそれを上手く制御出来るか否かの因果関係は存在しない。実際、火のシグナムと雷のフェイトよりも、無属性判定を食らったユーノとヴィータの方が法力使いとしての力量は高い。
そこまで物思いに耽ってから、左手が温かい何かに包まれていることに気付く。
「あっ」
掛け布団を捲り左手を確認するとなのはの手は、大きな、男性特有のゴツゴツした手に優しく包まれている。
その手を辿って視線を移動させれば、黒茶の長い髪が――大柄の男性がその体を縮こまらせるようにしてベッドの端に突っ伏しているのが映った。
「……お兄ちゃん」
ソルだ。なのはの手を握ったまま、寝ている。
仕事が片付いてから今までずっと、こうしてなのはの傍に居たらしい。
心配性で過保護な義兄はいつもそうだ。出会った頃からこんな感じだった。普段はなのは達に纏わり付かれると嫌がりはしないが少し鬱陶しそうな顔をする癖に、誰かが怪我や病気をして床に伏せると絶対に傍を離れようとしない。どんなことがあってもだ。
幼少の頃になのはが風邪を引いた時も、フェイトが原因不明の鼻血で倒れた時も、インフルエンザで子ども達が寝込んでしまった時も。
面倒見が良いというのもあるが、純粋にソルが傍に居てあげたいと考えているのだろう。相変わらず身内には物凄く甘い。
彼にとっては当たり前のことで、なのはもソルの人となりをよく理解しているのだが、たとえこれが我が家では当然のことだとしても込み上げてくる喜びと愛しさは計り知れない。
「……う……な、なのは……?」
やがてソルが眼を覚まし、上体を起こし寝ぼけ眼でなのはの顔を見る。
「おはよう、お兄ちゃん」
「ああ、おはよう」
朝の挨拶を交わす。
怪我の影響で起き上がることも億劫で、身体も全身に鈍痛が走っているが、なのははソルの優しげな表情を見ているだけでそれが吹き飛ぶような気分で朝を迎えた。
背徳の炎と魔法少女StrikerS Beat27 魔人の手の平の上で
なのはが眼を覚ましたのでナースコールをし、検診を受けさせて特に異常が無いことが分かると、ソルはなのはに「少し外の空気を吸ってくる」と言って暫しの別れを告げて退室した。
無言のまま病院の廊下を歩き、屋上へと足を向ける。
階段を登り、屋上へ出るドアノブに手を掛け、開け放つ。
眩しい朝日が飛び込んでくるのに眼を細め、そのままドアを開けっ放しにして外へ。
屋上には誰も居ない。まだ少し早い朝なので居る方がおかしいかもしれない。それでも一応誰も居ないのを確認してからソルは足を踏み出した。
白い雲が漂う青い空の下、気持ちの良い風が吹いてくるのを全身で感じながら、鉄柵に近付く。
眼下に広がるのは病院の中庭だ。専門の庭師によって管理されたそこは芝生が綺麗に敷かれ、植えられている木々などが丁寧に剪定され、ある種の統一感を保っている。
視線を横にずらせば病院とは別の小さな建物――チャペルがあった。聖王教会付属の病院なので別に不思議には思わない。
一度鉄柵に触れてから拳を振り上げ、内に秘めた感情を吐き出すようにして鉄柵に左の拳を叩きつける。
「何が、異常は無いだ……あそこまで回復していること自体が異常だってのに……」
昨日の戦闘での負傷。ソルがなのはの元へ駆けつけた時点で、既に彼女は折れた肋骨が肺に突き刺さり呼吸もままならない重症だった。手足の骨もヒビが入っていたし、内臓だっていくつも損傷していた、加えて出血多量死の一歩手前だった。
それが何だ? 鈍痛とだるさは残っていてまだ身体を満足に動かせずベッドから出れないが、一週間もあれば退院が可能だと?
確かに治療は持ち得る限りの技術を以って最善を尽くした。しかし、死ぬ一歩手前だった人間をたった一晩でそこまで回復させる程の技術なんて持っていないし、人間の肉体はあれ程の怪我を負ってすぐに回復する活力も持ち合わせていない。
そもそも、バリアジャケットを展開していない魔導師――ただの人間があれ程のダメージを受ければ、即死は免れない。
レイジングハートの戦闘記録から引っ張り出した映像。それに映ったトーレの一撃は、たった一発で人間なんぞ容易に肉片に変えられる、それ程の運動エネルギーを保有していた。
吹っ飛ばされてビルをいくつも貫通するなんて馬鹿げた真似、人外でなければ耐えられない。一つ目のビルに激突した時点で潰れたトマトに成り果てる……まあ、人間の中にも耐えられる連中は居るには居るが。
なのはだからこそ、ソルの魔力に侵蝕されギアの力を内包していた者だからこそ、生き延びた。
更に加えて以前より侵蝕速度が早い。恐らく死に掛けたことがトリガーとなって、リンカーコアに吸収され結晶化していたソルの魔力がなのはの肉体を”ソル側”に引き摺った結果だろう。宿主を生かす、その為に。まさにギア細胞のようではないか。
これも、”あの男”が残した思惑の一つなのだろうか?
魔力の供給はギアの中でソルが唯一保有しているものだ。アインも、シンも、Dr,パラダイムも、『木陰の君』も、誰一人として『触れ合うことによって相手に魔力を流す』能力など持っていない……持っていなかった。
そもそも前提が既に怪しかったのだ。
十五年前のあの時、外見年齢が五歳児まで幼児化したのは一体何の為だ? どうして以前よりもギアの制御が上手く出来るようになっていた?
あれは調整が中途半端な状態で実験動物扱いという環境下から逃走した――ギア消失事件以来ドラゴンインストールの侵蝕が始まっていた――ソルへの初期化と最適化ではないのか?
何故、魔力供給などという能力が付加されていた?
これまで内に向けられていた力を外部に放出することによって、ドラゴンインストールの侵蝕を拡散させていたのではなかろうか?
その副次的要素が、『魔力供給』なのではないか?
まるで、その能力を使って同胞を作れとでも言うように。
”あの男”は未来を予見する能力を有していた。だからこそ世界の行く末を憂い、あんな独善的な行為に走り、多くの犠牲を出した。
(あの野郎……死ぬ間際に、俺に一体何しやがった?)
かつての喧嘩仲間の吸血鬼は、再会した時に『キミをギアに改造したことに”あの男”が負い目を感じていて、全てが終わった時にキミが失った人生をやり直せるようにそういう仕掛けを施していたのではないか?』というような内容を語って聞かせた。
だとすれば幼児化した理由は理解出来るが、だからと言って他者を巻き込む余計なものを付与させたことを納得する訳にはいかない。
これが”あの男”の意図ならば、ソルの性格を熟知した実に巧妙で悪辣な手口である。
奴は、放浪を続けていたソルがいずれ何処かに定住し、そこで再び掛け替えのない存在を手にすることを『視ていた』に違いない。
「クソが……余計なことをしやがって……!!」
自分一人だけが奴の手の平の上で踊っているなら虫唾が走る程度だが、そこになのは達が入ってくるとなるともう二、三度は殺してやらないと気が済まない。
ぎりっ、と歯を食い縛ってから激情を拳に乗せて、もう一度鉄柵に、今度は手加減抜きで八つ当たり気味に振り下ろす。
鉄柵は人類を遥かに凌駕した膂力をまともに受け、熱した飴細工のようにいとも容易くひしゃげた。
忌々しい。
”あの男”の手によって弄くられたこの身体が。
一緒に居る皆に己の業を背負わせてしまうことが耐え難い。
……否。本当に忌まわしいのは、これ以上の侵蝕を防ぐ為に皆との接触を断てばいいと理解していながら、再び手にした温もりをもう二度と手放すものかと意固地になっている心の奥底。
そして、分かっていながらなのはの回復を願って彼女の手を一晩中握っていた自分が、酷く情けない。
一刻でも早く元気になって欲しい、そう考えて行動した結果が彼女をますます人外へと近付けていて。
頭では理解してるのに、感情が納得しない。
揺らぐ心は強風に晒される灯火の様。風の流れに任せて右へ左へ揺れ動きながらも燃え盛り、確かな存在を主張する。
どうしてこんな風になってしまったんだ?
強い眩暈を覚えたので、右手で顔全体を覆うようにして必死に堪えた。
鉄柵に振り下ろした左手に、指の間から冷たい視線を注ぐ。
人と同じ形をした、人ではない者の手。鉄柵を破壊する程の力で叩きつけたのに、傷一つ無い。
自ら変形させてしまった鉄柵にもたれかかるようにして、彼はその場で尻餅を着くように座り込む。
なのは達は誰一人として、魔力の侵蝕による肉体の変化を厭わない。むしろ望んでいる傾向がある。ソルと生きる為に強さと力を渇望し、その為の覚悟をしている。
現にザフィーラは状況的に仕方が無かったとは言えサーヴァントになることを躊躇しなかったし、ヴィータもその存在が日々ギアに近付いているのに笑って許してくれた。
誰も恨んでいない。ソルが”あの男”を見るような憎悪に駆られた眼で皆から見られたことなど無い。泣き言も愚痴も恨み言も言われたことはない。
そう、ただの一度たりとも無いのだ。彼らにとってデメリットもリスクも無いからかもしれない。
それにしても不可解な点がある。なのは達の身体能力――基礎代謝レベルや筋力、体力、反射神経、頑強さ、魔力の瞬間放出量などは、間違いなく下級のギアと同程度。
しかし、彼女達の遺伝子は――塩基配列は半年毎に行う精密検査では未だに人間のままである。
つまり遺伝子学的には人間でありながら、法力学的にはギア、という意味不明な状態なのだ。
血液検査に異常は見られない。だというのに、彼女達は鼻歌混じりに魔法無しで、人間には絶対に不可能な動きや筋力を発揮してしまう。大の大人が数人掛かりで運ぶ大きな荷物を、片手で軽々持ち上げたりとか。勿論、魔法も法力も無しで。御神流の奥義の類のように脳のリミッターを一時的に外した訳でも無いのに。海鳴市からミッドへ引っ越す時の作業では、中身を満載した箪笥を平気な顔して一人で抱えている姿を見て思考が固まってしまったくらいで。
年を重ねるごとにどんどん人間離れしていくなのは達は、自分達の肉体に起こっている事態に対して特に思うところは無いらしいが、何処まで本気なのかは分からない。
もう既に手の施しようが無い、手遅れの段階にまで陥っているので気にしていないのかもしれない。
一つだけ方法があるとすれば、それはリンカーコアの完全なる封印。
リンカーコアを持っていない、つまり魔導師ではない普通の人間と同じ状態にしてしまえばいい。これまで捕らえてきた犯罪者達と同様に、二度と魔法が使えなくなる荒療治であるが、この方法ならば少なくともソルが望む”普通”に彼女達を戻すことが可能だ。
しかし、本当にそんな手段を取れる程彼は無情ではなかった。もし実行に移してしまえば、これまで『魔法』によってもたらされたあらゆる事柄を全て無に帰す――過去を冒涜する暴挙であり愚挙であった。
出来ない、出来る訳が無い、無かったことになどしてはいけない。
それはある意味、”あの男”がソルに対して行ったことと同じだ。人間をギアに――魔導師を”普通”の人間に……正反対でありながらも、意味合いが同じなのだ。皆と共に培ってきた時間を裏切るも同然。
裏切れない、裏切ってはいけない、それだけは絶対にダメだ。あいつと同じ裏切り者になるのなら――死んだ方がマシである……なのは達になら殺されてもいいと考えているのは内緒だ。
かと言って次善の策がある訳でも無い。
他者の勝手な都合によって自分自身の在り方を歪められたソルだからこそ、自分の所為で他人の在り方を歪めるようなことはしたくなかったのに。
分かってはいた。慕われれば慕われただけ、触れれば触れただけ、自分に近付いてしまうという事実を理解しながら、ソルは皆を拒絶出来なかった……考えないようにしていた、とも言う。
力は人を惹き寄せる。力は人を魅了する。だからこそ人は力を畏れていながら、求めることをやめはしない。
そして力ある者とは、そういった面倒事やトラブルを己の意思に関わらず呼び込んでしまう。いつだって厄介事を持ち込んでくるのは、力に魅せられ光に群がる蛾のように集まってくる連中だ。
自身が法力という『魔法』に惹き寄せられ、光に飛び込んでその身を焦がした蛾であったからこそ、よく理解している。
そういう意味もあって、彼女達には”普通”でいて欲しかった。
けれど――
「……」
無言のまま疲れたように眼を細め、空を仰ぎ見る。
青い空はソルの心情とは対照的に美しく、綺麗で、吸い込まれそうで、果てしなく遠くに感じた。
天に向かって手を伸ばし掛けて、止める。
タバコが吸いたい気分になってきたが、生憎とシンを引き取って以来禁煙しているので、そんな物は手元には無い。
どうして禁煙するようになってしまったかというと、喫煙するソルを見てアホ息子が「なぁなぁオヤジ、俺も吸いたい」と馬鹿なことを口走るので、黙らせる為に彼の前で吸わないようにしていたら結局それが禁煙になってしまったのだ――四六時中、ソルの傍を離れようとしないので。
ごくたまに、無性に紫煙を欲する時が存在するのだが、皆と一緒に居る場合は副流煙の問題もあるし、ウチの連中はどいつもこいつもタバコ嫌いの所為か不評を買ってまで吸う気にもなれない。臭いと文句を言われるのが個人的に一番嫌だし。
ソルの中で唯一、タバコを吸うことに肯定的だったのは、二百年以上生きた長い人生で一人だけだ。タバコを吸っている時の姿が格好良い、という理由で。
しかし、口寂しいのは確かである。
コーヒーでも飲むか、と思い立つ。
此処で何もせずに腐っているのもどうかと思って立ち上がり、気だるげな雰囲気を醸し出しながら病院の中へと入っていく。
自販機で無糖の缶コーヒーを買い、一気に飲み干すとゴミと化した空き缶を捨て、なのはの病室に戻る。
すれ違う看護師や医師が会釈してくるが意に介さず、重い足取りで引き摺るようにして歩を進めた。
なのはの為に用意された個室に辿り着く。ノックを二回すると間を置かず「どうぞ」と返事があったので入室。
「朝飯、食ってたのか……」
「うん。でも、食べ難くて」
上半身を起こすようにしてベッドを傾け、そのまま朝食を摂る彼女であるが、手があまり上手く動かせないらしく顔を顰めつつスプーンを握っている。
「よくそんな状態で自力で食う気になるな。看護師は手伝ってくれなかったのか?」
「断ったの。確かにまだ身体動かせないけど、寝たきりの老人じゃないんだし」
そんなこったろうと思った、とは口には出さず、代わりに内心で溜息を吐いておく。
普段は際限無く甘えてくる癖に、こういう時だけは甘えない。
――いや、違う。なのはは、正確にはなのはを含めた皆は、俺以外の人間には決して甘えない。
甘えるということは信頼の証だ。その身を任せていいと、この人なら大丈夫だと心を許す、内発的な行動原理。
親愛だったり、友情だったり、人それぞれだろう。
それはソルも同じだった。掛け替えのない存在と認め、己の命よりも大切だと胸を張って言える、愛しい者達。
なのは達が自分を想ってくれるからじゃない。自分がこの世の何よりも皆のことが大切で、大好きだからこそ、ソルは心の底から皆を信じている。
「貸せ」
「あ」
傍まで近寄り左手でスプーンを引っ手繰ると、右手で器を持つ。
「スープが飲みたいんだろ」
「でも、いいの?」
「じゃなきゃやんねぇよ」
首を傾げて聞いてくるなのはに返答するソルの態度は相変わらずのぶっきらぼう。でも、その心遣いがなのはには嬉しい。
「ほら、口開けろ」
「あ~ん」
まるで雛鳥に餌を与える親鳥の気分だ、そう思いながらなのはに食事を摂らせてやった。
甘えているのは自分の方ではないか、と改めて思い知りながら。
現在、Dust Strikersの事務仕事をする為のオフィスルームは、けたたましいコール音の洪水によって水没しそうになっている。
「アインさん、地上本部から昨日の戦闘の途中で発生した未知のエネルギー反応についての説明要求と、廃棄区画を更地にしたことについて文句が来てます」
「ジュエルシードから発生したジャミングの所為で尻切れトンボになった戦闘記録の詳細を寄越せと言われてるんですけど」
「さっきから通信越しに地上本部の人達が”背徳の炎”はロストロギアを不法所持してるんじゃないかって突っかかってきます!!」
「今地上本部で働いてる同期の子から情報入ったんですけど、ウチを臨時査察しようって動きがあるみたいです」
デスクに噛り付き書類仕事をこなしながら、終わることなく届く管理局の抗議や苦情に対処しつつ、グリフィス達が報告を上げてきた。
今朝からずっとこんな感じで、休む間も無い。一つの対処に追われている間に二つ三つとコール音が増えていく。Dust Strikersに文句を言うだけのメールも秒刻みでバンバン増えていく一方。実際、回線もパンク寸前だ。
忙しなく働きテンテコ舞いなグリフィス達を冷たい視線で見据えると、アインはゆっくりと口を開き指示を飛ばす。
「アルト、臨時査察の情報をくれた同期の者には後でメールで礼を述べておいてくれ」
「はい!」
「グリフィス、ルキノ、シャーリー。地上本部からのものは纏めてこう返しておけ。『バカめ』と」
「「「出来ませんよそんなことっ!!!」」」
普段の、真面目に書類仕事をしている姿とは打って変わってぶっ飛んだことをのたまうアインの声に、三人は絶叫するようにして突っ込む。
「ちっ、シャレの分からん連中だな」
「これっぽっちもシャレになってませんからね!?」
これ見よがしに舌打ちしてみせるアインの態度にグリフィスが半泣きになった。
「まあ、正直に白状すると、観測された未知のエネルギー反応については大いに心当たりがあるが、管理局は自分達にとって未知なるものをすぐにロストロギアとして認定したがるから、そう簡単には教えてやらん」
面倒臭そうに溜息を吐き、
「ロストロギアを不法所持している、という話もあったが、当たらずとも遠からずとだけ言っておく。はっきり言ってそんなもの持っていないのだが、何も知らない人間が傍から見れば持っているようなものだ」
立ち上がり、意味深な台詞を残してから「少しの間、何もせずに待っていろ」と命令を下し部屋を後にする。
それからアインはオフィスを出たその足ですぐ隣にあるDust Strikersの電気室へと赴く。
薄暗い電気室の中、目的の配線用遮断機――所謂ブレーカーを発見すると、
「やってられるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!(怒) ……ということで、えい☆」
溜まりに溜まったストレスを発散させるように怒声を電気室に響かせてから、誰も見ていないのにペロッと可愛く舌を出してガコンッ、という音を従えつつごっついレバーを上から下へ――入から切へ。オフィスと通信回線を司るブレーカーを躊躇無く切った。
耳を澄ませば、鳴りっぱなしだったコール音が唐突に消え、その代わり隣の部屋からグリフィスの「のああああああああああああああーーーー!!??」という悲鳴が聞こえてくるではないか。
何か重要なデータが消し飛んだのかもしれないが、気にしないことにしよう。
そしてオフィスに戻ってきての第一声がこれである。
「あああー、すっきりした」
晴れ晴れとした表情で静寂を取り戻した仕事場を見渡す。完全にエネルギー供給が断たれたので当然灯りは点いていないし、コール音も死んだように絶賛沈黙中。デスクもディスプレイ表示を放棄しており、仕事が出来る環境ではなくなっていた。
いい気味だ、と内心でほくそ笑む。
管理局の、というか地上本部からのしつこい追及もこれでおさらば。このままなし崩し的にほとぼりが冷めるまで放置しておこう。臨時査察? そんなもの毛程も怖くもないし、探られて痛い腹など最初から存在しない。だって、確かにギアは生体型ロストロギアだと認定されてもおかしくない存在だが、人型ギアは基本的にその力を解放しない限り普通の人間と大して変わらない。
もし査察を長引かせようと余計な小細工をしてきたところで、知らぬ存ぜぬを貫けばいいだけの話。気が済むまでやらせて、骨折り損のくたびれ儲けにしてやるつもりだ。
やりたかったら勝手に抜き打ち査察でもなんでもすればいい。ボロなど絶対に出さない自信があった。
「ななななな、なんてことを……!!」
餌を求める金魚のように口を開け閉めしていたシャーリーにアインはとびっきりの笑顔を振り撒く。
「そろそろ正午になる、食事にしよう。この際仕事なんてどうでもいい。地上本部のボンクラ共がほざく責任追及という名のクレームにはもううんざりだ。同じことを狂ったように繰り返して、全く以って不毛、時間の無駄、無益だ。それしか能が無いのか奴らは? だったら私達が付き合ってやる義務も無ければ義理も無い。此処は、私達はDust Strikers。社会のゴミを処理するのが主な仕事の賞金稼ぎだぞ? そもそも何故管理局の言うことを一から十まで聞いてやらなければならない?」
「でも――」
思わず進言しようとするルキノの機先を制するように畳み掛ける。
「管理局の上層部は勘違いしている。Dust Strikersは名目上、管理局傘下の組織となっているが、純粋にそれだけだ。あくまでそういう形を取っているだけでしかない。私達”背徳の炎”は、私達と契約を交わした五人の契約者に協力しているだけに過ぎん。もっと分かり易く言うと、依頼されたから賞金稼ぎとしての活動を管理局の目が届く範囲内で『組織的な運営』としてをやっている、単なる利害の一致で成り立つ雇用関係だということを忘れるな」
「そうは言っても、これからのことを考えるとちゃんとしておいた方がいいんじゃないかなー、って個人的に思うんですけど」
それでも食い下がろうとするアルトと、彼女の言葉にウンウン頷く他の三名。
まだ若く、真面目で、仕事熱心な四人を前にアインは優しく微笑む。
「……ふふっ。ソルがお前らに事務仕事をさせている理由が分かった気がする。あいつの人を見る眼は、なるほど、まさに一級品だ」
満足気に大きく頷いて、四人に背を向け、一人何処かへと歩き出す。
なんだか格好良いようなことを言ったように見せ掛けて実は逃げた、という事実に四人が気が付かないのは若さ故である。
太陽の眩しい光と暖かさを感じることが出来れば、それと同じ名を持つ男が傍に居てくれるような気がするので、アインは天気の良い日に一人で居る時は大抵屋上のような場所に行く。
時刻は正午。太陽の恩恵を一日で一番受けることが可能な時間帯。アインにとっては都合良く誰も居ない。
全身で日の光を堪能しながら空を仰ぎ、
「……アルフか。何の用だ?」
いつの間にか影のようにすっと姿を現していたフェイトの使い魔、アルフに声を掛けた。
「さっきレイジングハートからメールが着てね」
「ほう」
「起きたみたいだよ、なのは。大分回復して、もう心配は要らないって。写真が添付されてるんだけど、見る?」
言いつつ携帯電話を取り出してこちらに画面を向けてくる。
そこに映っているのは確かに元気な様子のなのはであった。しかし、ソルに膝枕をしてもらっていて実に幸せそうな――デレデレに緩み切った表情なのが、若干気に入らない。
「……私は朝から今まで聞きたくもないクレームの処理をしていたというのに、何だこの対比は? コレは私にも後日、ご褒美としてちゃんと用意されているんだろうな?」
「いやいや、アンタさっきブレーカー落として仕事放棄したじゃない」
半眼で冷静に突っ込むアルフから携帯電話を引っ手繰り、アインは勝手にレイジングハートから送信されたと思われる画像を閲覧していく。
「くっ! 何だこの絵面は!? 食事をソルに食べさせてもらっているだと!? 寝ている間はずっと手を握ってもらっていただと!? あのソルに甲斐甲斐しく看病してもらっているだと!? う、羨ましい、羨ましいぞ!! 何故だ? 私だって昨日は戦闘で、トーレを捕まえてジュエルシードを一つ破壊するという大仕事をこなしたではないか? なのに何故クレーム処理などという誰もやりたがらない損な役回りを? 此処は普通、昨日何もしていないユーノやアルフがやるべきだろう! 差別だ!!」
「なのはは死にそうな大怪我したんだからしょうがないでしょ。言わなくても分かってるだろうけどソルって甘々なんだし。アタシとユーノは今日は純粋にして完全なオフ。他の連中は教導と休養日。アンタだけだったんだよ、空いてんの」
「だが、誰一人として手伝ってくれないのはいくらなんでも薄情だろう?」
「うん、それはまあ、ゴメン……ぶっちゃけ面倒だし」
「やはりそれが本音か!」
「でもさ、結果はきっと変わってないよ。アインじゃなくてもブレーカー落としてたって。むしろアタシとかシグナムとかヴィータだったら悪化してる。絶対管理局に文句言い返してとんでもない問題に発展させちまったような気がするし……もし管理局と余計ないざこざ起こしちまったら責任取れないしね」
憤り鼻息荒くするアインにアルフは皆を代表するように、手を合わせてゴメンね、と謝る。それを見て漸く気が済んだのか、呆れたように溜息を吐く。
「……もうそれはいいとして、許せんのはなのはだ。ソルとこんな、こんな、いかがわしいことを……」
「献身的な看病の何処がどんな風にいかがわしいか、詳しく教えて欲しいもんだね」
胡乱げな視線をアルフから浴びていながらアインは全身を小刻みに震わせ、
「どうせなのはのことだ。その内『お兄ちゃんに診て欲しい』とか言ってお医者さんごっこを要求するに違いない!!」
「やっぱり下ネタかいっ」
断言した瞬間に頭を引っ叩かれる。
しかしアインは全く気にせず妄想を脳内で爆発させ口から垂れ流す。
「『触診して』から始まって『先生、私身体が火照って……なんとかしてください』と繋いで、最後に『お注射お願いします』で終わる筈だ」
「それアンタの願望だろう!? フェイトも数年前に似たようなこと迫ったことあるらしいけどさ、巴投げ食らって壁の染みになるのがオチじゃない?」
「流石なのはと言ったところか。シャマルですら未だに女医プレイを試みていないというのに」
「人のこととやかく言いたかないけど、大概にしときなよ?」
「ふん。そういうお前こそ、ユーノと変身したりしなかったりのフェレットプレイや狼プレイに、獣姦にはまっているのではないか?」
「ししししししてないっ!! してないよそんなこと!! 頼まれたって誰がするもんか!! そ、そんなこと愉しむなんて狂ってるとしか思えないよ!!」
「……その動揺の仕方。カマを掛けてみただけだがまさか本当に――」
「だから、アタシじゃなくてユーノが……ってあああっ!!??」
「え゛」
そんなこんなで互いの趣味趣向についてツッコミ入れたり非難し合ったり、と非常に不毛なことに暫し時間を使う破目に。
アルフは屋上の鉄柵に寄りかかり、視界の先に広がる青い空と青い海、その境界線である地平線を見るともなしに見ながら隣に聞いてみる。
「実際さ、アタシらのギア化ってどんくらい進んでんの?」
答えはすぐに返ってこない。
けれど急かすつもりは無い。アインが少し躊躇しているのが纏う空気で分かるから。
故に待つ。待っていれば必ず答えは返ってくる。そう確信している。
やがて、覚悟を決めた彼女がポツリと呟く。
「遺伝子学的には普通の人間、アルフの場合は普通の狼の使い魔だ。だが、法力学的には――」
「ギアと言っても差し支えは無い、って?」
「そうだ。前に『下級の』と付くがな」
途中で遮るようにして口を挟むアルフの言葉にアインは肩を竦めて頷いた。
「ふーん……聞くまでもないことだけど、一応聞いておこうか。法力学的に『下級ギア』と同等になったアタシ達は、具体的になる前とどう違うんだい?」
ニヤニヤと意地悪い笑みを浮かべ質問を投げ掛けてくるアルフの態度に、アインは大きく溜息を吐きながら呆れつつ律儀に答える。
「身体能力がそれと同等になったということ。五感、筋力、反射速度、新陳代謝、肉体の頑強さと回復力、その他諸々を含めて遥かに人間を凌駕した存在になっている。その中でも特筆すべきは肉体の頑強さと回復力の向上だ。普通の人間だったら数ヶ月は入院を余儀無くされる大怪我を負ってもたった数日で後遺症も残さず完治し、普通の人間であれば即死するようなダメージを負っても生き延びる、という具合に」
「まるで前者はリニアレールん時のユーノ、後者は今回のなのはのこと言ってるみたいだね?」
「別にそういうつもりはなかったが、違ってはいない。ユーノが全治二ヶ月の怪我を一週間で完治させたのも、今回なのはが死ななかったのも、全てこれが原因だ」
「……ソルにとっては皮肉な話だろうね」
青い空と海から聖王教会の病院がある北部の方へと視線をずらす。
ギア細胞を移植した訳では無いので遺伝子学的には人間のまま。しかし長年受け続けた魔力供給によってリンカーコアが異常なまでに発達している。リンカーコアとは持ち主の魔導と肉体を司るもう一つの臓器。コアが不全であれば十年前のはやてのように障害が発生し、逆に今のなのは達のようにコアの許容量を常に超えて供給され続ければ、供給している側に”存在”が引き摺られる。
厳密な意味でのギア化――ギア細胞を移植されたことによって全身の細胞と遺伝子が書き換えられ、肉体が変異すること――とは大きく内容が異なるが、これが皆の中で言うギア化であった。
「あとは」
「あとは?」
「ギアになると生物の三大欲求が非常に強くなる。同時に、心の奥底から、身体の内側から闘争本能と破壊衝動が湧き上がってきて、たまに意味も無く、特に目的も無く、無性に暴れたくなったりする」
能力以外で、ギアの生態で特徴的なのがこれだ。個体それぞれの直接的な戦闘能力にあまり関係は無いが、個々の生き方に大きく反映してくるものだ。
「しかし、闘争本能と破壊衝動は三大欲求に割り振って解消することが可能だ。ほとんどのギアは食欲か睡眠欲に割り振っているようだが、私は全て性欲にしている。なので常時発情期と言っても過言ではない」
「アハハハハハッ、凄く納得出来るよそれ」
冷静にして無表情でとんでもないことを吐くアインに、うんざりしたようにアルフが乾いた笑い声を上げた。
「これを解消する為にはソルに注射してもらわなければならん」
「まだ引き摺ってんのかその話題!?」
力説する銀髪の頭を引っ叩く。
「ハッ、他人事のように振舞っているが、これはギア化が進んだお前達にも当てはまることだぞ」
しかし、何故か勝ち誇った顔のアインがやたらと胸を反らして宣言する。
「グッ!!」
心当たりがあるのか、アルフがよろめいた。
というか、思い当たる節など列挙すれば切りがない。どいつもこいつも血みどろになって周りから止められるまで殴り合うのが好きだし、皆が皆食いしん坊万歳で収入の大半は食費に消えて……
――そして、その内の何名かは性欲まで度し難い……なのは達は言うに及ばす、ユーノも……
「このド変態め」
「違う!! つーか、わざと性欲過多になってるアンタに言われたくないんだけど!!」
「私は仕方が無いんだ。いいか? もう一度言うぞ、私の場合、仕方が無いんだ」
大切なことなので二回言うアイン。
「だったら食欲に回せばいいんじゃないの?」
「そうすると食事の支度が大変ではないか。ただでさえウチには欠食児童のような食いしん坊万歳が跋扈しているというのに。これ以上我が家のエンゲル係数を上げるつもりはない。食費もバカにならんしな」
「睡眠欲は?」
「あんまり長い時間寝てしまうと時間がもったいないだろう」
「じゃあ、本能と衝動が赴くままに戦えばいいんじゃないの?」
これならどうだとばかりに提案するが、一瞬で却下することになった。
「完全解放状態の私を満足させられる者が、ソル以外に居るのか?」
そうやって雑談を重ねていると、話が区切り良く終わったのを見計らってアルフが真面目な声を出す。
「でもさ、ザフィーラは違うよね? あれはギア化なんかじゃない」
「……」
否定もせず肯定もせず、アインは無言のまま続きを促しと、アルフは挑むような視線と声で隣を射抜く。
「マスターゴーストと契約を交わし、己のマナを、命そのものを捧げることによってサーヴァントを召喚する、”バックヤードの力”」
眼を驚愕で大きく見開いてから、ゆっくりと鋭く細め、慎重にアインは言葉を紡ぐ。
「何故それを、お前が?」
「簡単さ。アタシも昨日までのザフィーラと同じ、あの真紅の世界に、ソルの心の中に入り、ソルの魂に直接触れられる領域に、マスターゴーストに至った存在だからだよ」
小学生なら誰でも答えられる本当に簡単な問題、というよりも常識を答えるようにしてアルフは軽快に笑う。
「お前以外にもザフィーラと同じ領域に達した者が存在していたとは――」
「アタシだけじゃないよ」
「なんだとっ!?」
今度こそアインは心の底から驚き、思わず大声を出してしまったが、対するアルフはいつものように自然体で落ち着いたままである。
「っつっても、なんとなく『こいつはそれっぽいな』って感じる程度だけどね」
「誰だ? 言え!!」
口から唾を飛ばす勢いで迫ってくるアインから一歩退きつつ、彼女は疑問に答えた。
「子ども達を抜いた全員が至ってる。ま、自覚は無いみたいだけど。まあ、至ってることすら”忘れてる”んだろうね、きっと」
アルフの意味深な言葉は、屋上に吹きつけられた強風によって大気に溶ける。
「アタシが”初めて”自覚したのは覚えてる限りでは二年前。Dr,パラダイムに法力使いとしてそれなりに認めてもらえるようになった時くらいかね」
語る口調は先程とは打って変わって真剣味が溢れていて、アインは静かに耳を傾けることしか出来ない。
「まるで白昼夢みたいでね、初めは単なる夢かと思ったよ。実際、昼寝してる時がほとんどだったし。で、起きる直前まで見てた夢ってすぐ忘れるじゃない。だから、変な夢だったなって思った瞬間には忘れちまった。それを何度か繰り返していく内に、ある時ふと疑問に思うんだよ、『あれ? これと同じ夢前に見た?』って」
夢、か。もしかしたらメンタル面で何か没入する為の条件が存在しているのかもしれない。
「そんで、自覚するようになって初めて記憶に刻み込めるようになるのさ。今まで掴めそうで掴めなくて、酷く朧気で曖昧な記憶が、全て一つに繋がってく感じ」
まるでそれまでバラバラだったいくつもパーツが、手順通りに重なり合って歯車がしっかり噛み合うように。
「そうなったら後は眼の前のマスターゴーストに、ソルの魂に触れるだけ。つってもこれ、かなり個人差あるみたいでね。アタシやザフィーラみたいなもう既に自覚がある奴と無い奴ではっきり区別が出来るんだよ」
「何故分かる?」
「分かるんじゃない、『なんとなく感じる』んだよ。こいつ自覚無ぇーなとか、あいつは自覚ありそうだ、って感じで凄くアバウトな感覚だけど、絶対に間違ってない自信はある。ちなみに自覚してるのは、アタシが知る限りユーノとシャマルの二人だけ。他は全員自覚ゼロだね、ありゃ」
全く参考にならない意見であるが、そういうもんなのだろうと納得しておく。
「では質問を変えよう。何故今までそのことを黙っていた?」
少し詰問するような言い方になってしまったが、アルフは気にした風もなく横に首を振って言った。
「これもなんとなくなんだけど、誰かに教えることじゃないような気がした。ソル本人にも、ね。言う必要が無いと思った。あの赤い世界はあいつの心の中で、あの何も無い静謐な空間を支配しているのはソルのマスターゴースト。あくまでアタシ達は外部からあの世界に招かれているだけだから、うるさくなるようなことをする気にはなれなかった」
「そうか」
「で、色々と端折るけど……マスターゴストに至って、そこで初めて理解したよ。ソルのマスターゴーストは”バックヤード”に繋がってる」
「……」
「少し考えてみれば、そうだ、ってのは分かるよね。だってマスターゴーストを顕現して周囲の”世界”を支配して、マナを得てサーヴァントと契約・召喚して操ること自体を”バックヤードの力”って呼ぶんだもん。事象を顕現する法力と同じで”バックヤード”にアクセスすることが前提の、”存在し得ないものを形にする”法術なんだから」
これから先にアルフが言うことになる事実は、恐らくアインもソルも知らない、というより気付いていない未知の領域なのだろうと察して、知らず生唾を飲み込む。
「では何故、ソルと触れ合うことでアタシ達のリンカーコアに影響が与えられるのか?」
「それは、ギア細胞から発生するエネルギーがリンカーコアに取り込まれて――」
「確かにそうなんだけど、あれは『純粋な魔力のみの供給』だけで、本当は違うんだ。アンタもソルと同じ勘違いをしてる。真の意味を理解してない。そもそもギアなら誰でもいい訳じゃ無い筈だろ? シンもお姉様も、Dr,パラダイムもガニメデのあいつらも、勿論アンタも『魔力を供給する』なんて能力持ってないのは確認済みだけど?」
突然の問いに戸惑いながらも答えようとしたアインの声を遮り、アルフは言う。
「一番初めの原初のギア、唯一のオリジナルにして、GEAR MAKER自らが調整したからこそ持っていた『鍵』」
「……『鍵』? それは”バックヤード”へと至る為の鍵のことか? だとしたらシンとお姉様が魔力供給の能力を持っていないことに辻褄が合わんぞ。あの二人の持つ細胞がジャスティスから受け継いだ細胞だからこそ『鍵』足り得た。それ故に二人は”ギア消失事件”の際に『慈悲無き啓示』に狙われたというのに」
「だから、それが違うんだって。あの二人はジャスティスのコードを受け継いでるってだけで特別なのは分かるけど、GEAR MAKERにとってソルと同じくらいに特別な訳じゃ無い」
と告げるアルフに指摘されて思い出す。ジャスティスの血統が特別視されることが多々あり、その所為で見落としがちなのだが、GEAR MAKERとの関係性から鑑みればどちらかというと、確かにジャスティスよりもソルの方が特別だ。
「なら、その『鍵』が魔力供給とどう関わってくる?」
先を急かすように声と感情を荒げるアイン。
しかし、そんな彼女とは正反対にアルフは少し悲しげに俯いて眼を伏せると、問いに問いを返してきた。
「……話がいきなり変わるんだけど、ギア計画って最初の内は生体兵器の製造を目的としていた訳じゃ無いなら、何を目指していたのかね?」
知りたい答えが返ってこない、まるではぐらかすようなアルフにアインは内心苛立ち、語気を強めてしまう。
「この期に及んでそんなことなどどうでもいい!! 話を続けろ、答えを言え!! ソルの持つ『鍵』が一体何を意味している!?」
「アンタが知りたい答えはアタシの質問の答えでもあるんだ!! 考えなくても分かるから気付けよ、リインフォース・アイン!!!」
が、逆に怒鳴り返されて一瞬怯み、仕方が無いと踏んで口を開き掛けて――
そして止まる。止まってしまった。
言われた通り、気付いてしまった。
一つの答えが、とある結論に至る。
そんなことは、ない。あり得ない……あり得る筈が、ないのに。
「……魔法を用いた、既存生物の、生態、強化……人類の、人工的、進化計画……通称、『GEAR PROJECT』……」
それは、兵器としてではない、純粋な『人の進化』を目的とした、かつての科学者達が夢見た、未来の人類の理想的な在り方。
生体兵器としてのギアではなく、『新たな人類』としてのギア。
「まさか、まさか……」
信じられないとアインは身体を震わせた。それはそうだろう。転写したソルの記憶を持ち、彼の視点に立って記憶を視る彼女は、だからこそ手に入れた過去の情報にソルの先入観が植え付けられる。
つまり、彼女はその答えと結論に、駄々を捏ねる子どものように否と唱えることしか出来ない。そんなことは絶対にあり得ないと否定することしか出来なかったのだ。
「GEAR MAKERはきっとソルに託したんだよ。随分自分勝手で独り善がりだと思うけどさ。昔自分達が一丸になって目指していた理想を、自分の所為で失くすことになっちまった”三人”の夢を」
アルフの声が優しく鼓膜を叩く。
「この十年間、ソルもアタシ達もずっと思い違いをしてたんだ。アタシ達の身体は、ギアであるソルの魔力に侵蝕されてギア化してるんじゃない。ソルが持つ『鍵』に触れることによって、『鍵』とリンカーコアが繋がることによって、少しずつ『進化』してたんだ」
嗚呼、そうか。そういうことか。認める訳にはいかないが、酷く納得してしまう。
遺伝子学的に人間でありながら、どうしてギアと同等の身体能力を持ち、同じ生態をしているのか、これで説明が付く。
――『生きろ、”背徳の炎”よ』
脳裏にソルの記憶が浮かび上がる。”あの男”がソルに残した言葉だ。
この言葉に、彼はどれだけの想いを詰め込んで、音として紡いだのだろう。
憎まれながら、恨まれながら。それでも彼はかつて自分が裏切ってしまった友の行く末を想っていた。いずれ必ず殺されると分かっていたとしても。
ソルがいつの日か安らぎを得られることを、願わずにはいられなかった。
そして最後の最期に、一つの可能性を残し――
「なのは達は、生体兵器としてギア化しているのではなく、人として進化している、いや、正確には進化している最中……そういうことなのか、GEAR MAKER?」
空に投げた問いに答える者は、居ない。
でも、青い世界で唯一光り輝く太陽だけが、答えを知っているような気がした。
膝枕をしてやると、なのはは容易く夢の中へと旅立った。
「もう二十歳になるってのに、こういうとこは何一つ変わらねぇな」
苦笑し、子守唄代わりに自分が好きなイギリスのロックバンドの歌を鼻歌で唄いつつ、彼女の頭を撫で続ける。
ゆっくりと時間が過ぎていく。
思えば、最近は忙しくてこんな風に過ごす時間なんて皆無であった。やはり定期的に心と身体を休める為の時間というものを無理にでも作った方が良いのかもしれない。
昔は生き急いでいたから、そんな時間など必要無かった。一刻も早く殺さなければ、そう考えていたからこそ己を機械のように操って戦ってこれた。
戦う度に心が、年月が経過するごとに精神が磨耗していくのはむしろ都合が良かった。人間性を失えば失っただけ淡々と作業をこなすように戦えた。
だが、今はもう不可能だ。一度安息を手にしてしまったら、かつての修羅道を独りで歩むことなど出来はしない。誰かが傍に居てくれるのが当たり前になってしまった自分には、到底無理な話で。
今の自分は昔と比べものにならないくらいに弱くなった、と実感するのはいつものこと。
それでも戦い続ける。戦い続ける理由がある。戦い続けなければならないと、胸の奥底からもう一人の自分が訴える。
やらなければならない。果たさなければならない。そんな強迫観念にも似た使命感が己の生き方を決定付けていた。
過去の贖罪でもない、己の運命に決着をつける為でもない。
これはただ――
<シスター・シャッハから通信です>
物思いに耽る思考を遮る胸元から響く機械音声。
「ちっ」
小さく舌打ちし、なのはを起こさないように彼女の頭を優しく持ち上げ、その隙に立ち上がってから枕の上に下ろす。
「行ってくる」
安らかに眠るお姫様の頭を一度撫でると、名残惜しさを振り切って病室を後にする。
「何だ?」
完璧に頭を仕事モードに切り替え、硬質化した声音で通信を繋ぐ。
<すみませんソル様。こちらの不手際がありまして……>
詳しく話を聞くと、昨日保護した少女が検査中に姿を消してしまったらしい。今のところ飛行や転移、侵入者の反応は無いらしいが。
「……で?」
<も、申し訳ありません!! すぐにでも特別病棟と周囲の封鎖、及び避難を行います!!>
不機嫌を表すように眉を顰めたソルの顔を通信越しに見て、怯えたようにシャッハが進言してくる。しかし、ソルはそれを良しとしない。
「患者や医師達がパニックになるのは避けたい。俺達で手分けして探すぞ」
<ですが――>
「検査の最中に居なくなっただけなら、まだ近くに居る筈だ。文句を言う暇があったら一秒でも早くそのガキを見つけろ。お前は院内を探せ、俺は外だ」
まだ言い募ろうとするシャッハに一方的に告げるだけ告げて通信を強引に切り、ソルは廊下の窓を開け放つといきなり飛び降りた。
降り立った場所は病院の中庭。
周囲をキョロキョロ見渡してから、人の気配がする方へ足を踏み出す。
途中で人に出くわしたら行方不明中の少女に関して聞き込みをするつもりだったのだが、その必要も一人目で無くなる。
ガサッ、という音が植え込みの茂みからしたと思えば、件の少女が姿を自ら現したからだ。
「……居やがった」
とりあえず念話で少女発見の報をシャッハに入れて溜息を吐く。
そして、少女に向き直った。
「……」
「……」
お互いに無言。ソルは少女を上から下まで観察し、少女は自分よりも遥かに背丈が大きいソルを警戒するように見つめている。
白い入院着でその小さな体躯を包んだ少女の瞳は、右と左で色が違う。右眼が翠で、左眼が紅。オッドアイというかなりの特殊性。どう考えても普通の血筋じゃあり得ない。
……仕方が無いのかもしれない。この少女は昨日の一件で保護したのだ。人造魔導師の素体培養機が発見された場所からそう遠くない場所で、エリオ達に拾われた。ほぼ間違いなく人造生命体の類だと予想出来てしまう。
ドクンッ、とソルの胸が疼く。
誰かの都合によって勝手に作られた存在。人工的に産み落とされた命。そんな嫌な言葉が頭の中を跳ね回り、同時に理解する。
この子はきっとフェイトやエリオ、そして自分と同じなのだ、ということを。
だったら――
「こんな所で、何してたんだ?」
努めて優しい声を出し、少女に問う。
眼の前の小さな少女は答えない。何を言われたのか分かっていないのかもしれない。ソルも返答を期待した訳では無かったので、少女が反応しないのをあまり気にせず、とにかく声を掛けるつもりでいたら、
「……さがしてるの」
それは蚊の鳴くような小さな声であったが、人間よりも数段聴覚が鋭いソルにはしっかり聞こえていた。思わぬ反応の内心驚く。まさかこちらの問いに答えを返してくれるとは。
「何を探してたんだ?」
一歩、二歩、三歩と慎重に近付いて、片膝を地面に着けて少女と視線を合わせる。
「ママ、いないの……だから、さがしてるの」
「っ!」
少女のたどたどしくも泣きそうな声に知らず息を呑む。
人造魔導師の素体として生み出されたこの少女には、十中八九母親など居ない。遺伝子学的な意味での母なら存在するかもしれないが、自らの腹を痛めて生んでくれた親というのは居ないだろう。
お前に母親など居ない、そう断じるのは簡単だ。だが、眼前の無垢なる命に対してそんな残酷な宣告が出来る訳が無い。
たとえ忌まわしい技術によってこの世に生を受けたとしても、生まれてきた者が忌まわしいとは言いたくない。
「……そうか。なら、探すの手伝ってやるよ」
気が付けば口が勝手に動いていた。
「名前は?」
「ヴィヴィオ」
「ヴィヴィオ、か。良い名前だ……俺は、ソル。覚え易いだろ?」
「うん」
素直に頷く少女の頭に手を伸ばし、撫でる。柔らかい金糸のような髪に触れながら、嫌がられはしないだろうか? とそんな疑問を抱くが、少女は撫でられるのが嬉しいのか「あったかい」と笑ってされるがままだ。
生まれたばかりで右も左も分からない、人造生命体の少女。
この子に、かつての自分を重ねて見ているという自覚はあった。
きっとヴィヴィオは助けを求めている。本人はそうは思っていないかもしれないが、ソルにはそう感じる。
”自分も”そうだったから。
ギアとして生まれ変わったあの時、自分がどうしようもないくらいに孤独であることを悟った。
誰でもいいから助けて欲しくて、なのに誰も助けてくれない地獄を味わった。
過去の自分に似た境遇のこの子には、自分と同じ苦しみを味わって欲しくないからこそ、ソルは無意識の内に少女へ手を差し伸べたのだ。
その感情が同族意識からくる同情だったとしても、本心に違いはなかった。
ヴィヴィオの為に何かしてやりたい、という感情が沸々と込み上げてくるのは決して嘘ではないのだから。
優しく撫でる手の下で、ヴィヴィオが無邪気に笑っている。
ついさっきまで忌まわしいと思っていたこの手で、無垢なる命を笑顔にすることが出来るのなら、存外、捨てたものではないと思ってしまう己の現金さには呆れて溜息も出なかった。
「さて、ママを探しに行くか」
「うん!!」
手を繋ぎ、少女の歩調に合わせて歩き出す。
この子の為なら何だってしてやろう、と。そう心に決めながら。