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[8720] 海のお話(仮想戦記)
Name: Gir.◆ee15fcde ID:29604bc7
Date: 2010/01/27 13:07
ま、ごくふつーの火葬戦記なので、お気楽にお読みください。



[8720] 一九三三年三月 台湾・高雄南方沖合 300km
Name: Gir.◆ee15fcde ID:29604bc7
Date: 2009/05/13 16:28
「――やはり、暑いな」
 ベルリンの春から約1年。特型駆逐艦【雷】の艦橋でアジアの風を高野京也中尉は味わっていた。
「ふん、この程度で何が暑いだと」
 横にいたコレス(彼らはそれぞれ兵学校と機関学校だから、厳密な意味での同期ではない。だが、彼らの在学中は双校同じ江田島にあったので感覚的に変わらない)の弓削機関中尉は、彼らしい態度でカンカラとのたまった。
「エンヂンはいいぞう、エンヂンは。
 ゴウゴウと燃やして、ボーボー蒸かして、ガンガン回す。
 男子の快事ココにありと思わんか」
「無駄に暑そうだな」
 京也の言葉に、弓削機関中尉は必要以上に顔を赤くして力説した。
「熱くならなければ、フネは動かん。無駄などドコにもない」
 弓削毅司(ゆげ つよし)。名前の通り、蒸気機関の申し子だと、高野中尉は思った。だが、彼の言う通り、今からは彼の働きがなければならない。
「期待している」
「おう、されいでか」

 ここ東シナ海沖では、フィリピン・スービック海軍基地に展開した米海軍アジア艦隊を無力化すべく、日本遣支艦隊が進撃していた。
 結局、この半年間、米政府との交渉は全く成功しなかった。1ヶ月前にはフィリピンへ戦艦七隻を中心とする米艦隊が到着して、国際的立場を堅持するためやむを得ず、日本帝国海軍は台湾・高雄沖に集結、睨み合いを続けていた。

 それも今日までだ。

 八時間ほど前に、米政府からの正式な宣戦布告があったからだ。
 戦争だ。
 正直勝ち目は薄い。
 戦争そのものにも、今から行われるであろう海戦にも。
 だが、戦わないわけには行かない。

 先行している潜水艦からの偵察情報では、既にフィリピンを出撃して北上している米アジア艦隊は、以下の通りだった。

 戦艦
  【ニュー・メキシコ】【ミシシッピ】【アイダホ】
  【アリゾナ】【ペンシルヴァニア】
  【ネヴァダ】【オクラホマ】
 軽巡【オハマ】級 四隻、駆逐艦 一八隻

 米戦艦はいずれも近代化改修を終えて、主砲を新型に更新しており、一四インチ砲七八門の火力は、日本艦隊を圧倒すると各国同業者から評価されていた。

 コレを迎撃する日本遣支艦隊は以下の通りだった。

 戦艦【土佐】【加賀】【伊勢】【日向】
 重巡【古鷹】【加古】
 軽巡 三隻、駆逐艦 三二隻

 日本戦艦の総主砲門数は、一六インチ砲二〇門、一四インチ二四門。
 日米の戦艦戦力差は、一斉投射弾量で、日:米=約三七トン:約五三トンという数字へ端的に示されていた。特記する必要もないが日本の劣勢著しい。日本側の一部主砲口径優越すら、意味が薄らいでしまう数量差約一.五倍の開きがある。米側はその点を持って、必勝を期していた。
 対する日本側も不利は感じ取っていたが、ここで最低でも戦艦だけでも叩いておかないと、日本の大動脈である南方航路は完全に使用不能だ。軽巡や潜水艦程度までなら、旧式軽艦艇程度でもなんとかなるが、戦艦まで通商破壊戦に投入された場合、どうにもならない。遠距離から大口径砲で一方的に叩かれるだけだ。
 だが、この戦いでは戦艦相手では無力なはずの駆逐艦が唯一の勝機だった。戦艦は戦艦を叩く。しかし、日駆逐艦は、米駆逐艦など目もくれない。戦艦同士がお互いに夢中になっている間を滑り込むようにして身を挺し、魚雷を叩き込む。特に就役全艦が本作戦へ投入されていた特型駆逐艦は、そのためだけに、ここへ存在していると言っても過言ではなかった。高野中尉たちが乗り組む特型駆逐艦群はその駆逐艦離れした凌波性能で道を切り開き、米戦艦へ取り付き、最低でも半分を脱落させんと決死の覚悟で臨んでいる。極めて困難であると言って良かった。
 高野中尉は独白するように呟いた。

「本当に期待しているよ」




[8720] 一九三二年四月 ドイツ・ベルリン市街(1)
Name: Gir.◆ee15fcde ID:29604bc7
Date: 2009/05/13 19:33
「やはり、欧州は寒い……」

 日本帝国海軍中尉・高野京也は、日本人的にはこれ以上もないほどと感じられる広々とした部屋で、一九三二年欧州の春を味わい尽くしていた。
 彼がここにいる理由は、直接的にはドイツ第二帝国駐在員としての役割を果たすためだ。勿論、合法・非合法を問わずに……、とまでは行かないが、この国で見聞した何かを祖国に伝えるという役目である。
 何しろ、世界大戦グレート・ウォーでは、日本帝国海軍が手本とした英国大艦隊グランド・フリート相手に向こうを張った大国だ。正直、英国との戦争が一九一七年以前であれば、あそこまで頑張れたか怪しいとは思うが、実際には最後まで主導権を握っていたのはドイツ海軍だった。全てが日本帝国に取り、得難い何かだと思って間違いない。

「どうかしました、キョーヤ?」

 こちらの滞在先に雇われている侍女の声。ドイツ人らしい硬質な発音。しかし、彼女が発すると貴石が奏でるなにかだ。外地と言う事で色々な誘惑も多いことであるが、これは筆頭ではないかと思う。
 白銀の燦めきを持つ髪。どこか作り物めいた頤(おとがい)。均整とれた肢体は腰回りで引き締められた振幅激しい曲線で形作られていた。
 それでもこちらで世話になり始めた当初見せていた、多くの女性が天性の資質として持つ外向け用の表情であったなら、ここまで気にかかることはなかったであろう。彼とて、姉三人を筆頭とする女ばかりの家庭で苦労しているのだ、自然と外面を用いる女性の何かが鼻に付くようにもなる。しかし、近頃の彼女に関しては、違うように見え始めているのは、気のせいだと思いたい。自分は姉たちの教えを骨髄まで叩き込まれているから問題ないが、他の者はよほど気をつけないと間違いを起こしかねない、と改めて自分を例外扱いにして意識しないようにする。彼女はそれほど、魅力的だった。

「ああ、何でもないんだ」

 彼女からカップを受け取りつつ、朗らかに応じる。
 全く、文句を言う筋合いではないと思うが、この世はままならない。ありはしないことだと思うが、この身が海軍軍人で無ければ、どんな可能行動があっただろうかと考えてしまう。
 いや、海軍軍人だからこそ、ここに居る。でなければ、ここにいるわけもない。

 ――いや海軍軍人でなければ、父の後を継いで、医者を目指した可能性が高いから、やはりこの国には来ていたかもしれないが。

 その様な、既に選ばれてしまった可能性をもてあそびながら、黒船来寇から「激動の一五年(ローリング・フィフティーン)」を経て、現在まで祖国を守り通した父祖達の選んだ道を思い返した。

 黒船来寇を起因とする維新の嵐は、数多くの日本人の流血を必要とした。しかし、それは最悪の最大量から考えると許容されるべき必要量であったといえる。流血量の極限へ大きく貢献した筆頭に挙げられる者は、言うまでもなく元土佐藩藩士・坂本龍馬だろう。
 彼は数々の危機を乗り越え、維新を生き抜き、新生日本の行方に心を砕き、ことある毎に行動を惜しまなかった。
 士族の反乱については言うに及ばず、大陸への恐怖から征韓論へ傾きかけていた政府の舵を、海岸線防衛ドクトリンへと引き戻したのも彼だ(もっとも、これにより清の朝鮮国属領化を招き、三〇年後に対馬での衝突を端緒として(極論だが)世界大戦を引き起こしたのだから、評価は分かれる)。
 坂本龍馬の見識からすると、半島は大陸へと続き、日本の哀れなほどひ弱な国力を容赦呵責無く吸い込むとしか思えなかったのであろう。後にほとんど独断で清国との戦端を開こうとしていた、時の外相・陸奥宗光の暴走を止めたのも彼だった。
 そうであるならば、なけなしの国力を国内へ再投資することにより国力の再生産を行い、その増強された国力で必要な沿岸防備と海軍建設を行った方がまだ日本の生き残る望みがある。そう考えていた多くの有志と、そう考えていない有力者を、そのカリスマで引っ張り回しつつ、坂本龍馬は走り続けた。その最中で、数々の商会を生み育てて、大財閥などまで生まれるわけであるが、そのようなことは些事に過ぎない。彼は日本人が人間として生きる道を確保しようとしていただけだ。列強の植民地とされかけている現実的な危機から逃れるために、ただひたすらだった。

 もちろんその背景には幸運も存在する。清王朝の命数を啜り取るように清帝国を私していた西太后が一八九三年に死去したことと、李鴻章ら国士や無名の義士・烈士の(利己主義からくる皮肉的結果としての)奮闘により、清帝国が幾ばくかの延命を見たことだろう。これにより、列強はしばらく清帝国との睨み合いを続けることになる。

 それもしばらくの間であったが。一九〇七年事実上の朝鮮半島の王・袁世凱へ媚びを売ろうとした、朝鮮国官吏の対馬占領という暴走により、終わりを告げる。瞬く間に日清の国家対立までエスカレートし、対馬沖での日清両艦隊での決戦を生起させるに至る。この海戦にて大敗北した清は、国家的威信を失う。

 それは清の命数が尽きたことを列強に知らせた。特にシベリア鉄道を引き終え虎視眈々と南下の頃合いを見計らっていた帝政ロシアに刈り取りの季節到来と受け取られた。以後、中国は領土の蚕食に苦しみ続けることになる。その対立の課程で清は滅び、中国の統治者は何度か変わるが、彼らは一貫して中国の縦深を利用した人民の泥沼にロシアを引きずり込み、延々とした戦いを強制した。

 あくる事のない戦いに、ロシア人民は疲弊していった。兵士の多くは故郷の農村への望郷の想いを募らせた。そこを共産主義者につけ込まれ、ついにペトロパブスクにて革命が勃発。帝政ロシアは、首都を喪うことになる。

 西ロシア大都市を押さえた共産主義者達は、共産主義者らしい激しい派閥抗争など行いつつもソヴィエトへ権力を集中させ、ウラル以西の領土を確立した。しかし、ソヴィエトの権力者達は全く安心していなかった。彼らは、予想された方角とは正反対であるウラル以西へと脱出したため、ロシア皇族を取り逃がしており、ソヴィエト政府の正統性を主張することすらままならなかったためである。勿論、何度か露皇族追討軍を組織し送り込んではいたが、生誕地シベリアを庭とするグレゴリー神父率いる白軍に翻弄されるという醜態を繰り返すばかりで、旧支配者の身柄を確保するなど到底かなわなかった。
 革命精神に燃える政治将校であろうとも、大事な人に大事なナニかを後ろからムンズと握られていた旧貴族階級将校団に、勝てなかったからだった(勿論、大事な人たちに大事なナニかを握らせていたのは、ロシア社交界を射爆場としていたグレゴリー神父だ)。

 この状況は、ただでさえ列強より世界秩序に仇なす者と見られていた、共産主義者達の生存本能を刺激するには十分以上だった。彼らは列強の一端を担った国を腹を喰い破って生まれてきただけに、列強の手管は実によく理解していた。弱いモノは隙を見せると喰われる。

 それだけに共産主義者達の手は、悪辣だった。

 当時、ヨーロッパの各国においては、戦争は列車運行のごとく融通の効かない硬直したシステムである、と考えられていた(これは実際軍の戦略機動を鉄道列車によって行っていたことが大きく影響している)。特にドイツなどは、シェリーフェン・プランという、『まずはフランスを打倒した後に、ロシアを打倒する』という戦争計画を公表していた(戦争計画の公表自体は当時のヨーロッパ的に一般的だった)。ソヴィエトも国内情勢上、実施不可能だったが、総動員を含む戦争計画を公表していた。
 共産主義者達はここに生存戦略を見いだした。ドイツは総動員を行った場合、中立国であるベネルクス諸国を蹂躙して、まずフランスと対決するのである。ロシア(ソヴィエト)は後回しだ。フランスにはヨーロッパ大陸での大勢力出現を望まないイギリスも加勢するであろうし、イタリアは様子見を決め込むだろう。マンチュリアへ逃れた露皇族や貴族連中には、まだまだ混乱の最中であるから、こちらへの逆侵攻は無理だ。新大陸や極東方面はこの際考えなくて良い。つまりは、どこもしばらくはソヴィエトに手を出す余裕は無くなる(はずだった。当時ヨーロッパの王室は全て血縁で結ばれていたから、交渉で戦争回避できる可能性が否定できなかった。というより、王室の話し合いで列強の戦争は回避できるという見識がむしろ一般的だった)。

 ソヴィエトは生き残るため、一九一八年ヨーロッパの火薬庫と呼ばれたバルカン半島で火を付けた。

 直接的には共産主義に魂を捧げた活動家を大セルビア主義者勢力に浸透させ、セルビアの被征服国であるオーストリアの皇太子を襲わせたのである。
 悪い意味での貴族階級出身であるオーストリア外相の無能もあり、オーストリアはセルビアへ宣戦布告。オーストリアの同盟国であるドイツは参戦義務から戦争計画通り、フランスへ宣戦布告、総動員を発令。同じく同盟関係にあるトルコも参戦し、独墺土三国による枢軸同盟は完全に機能した。一方のフランスも安全保障上の観点から、当時セルビアとの同盟を結んでいたから、枢軸各国に宣戦布告、総動員を発令。ドイツの戦争計画はベルギーなどの中立国を蹂躙するもので、実際にソレを行ったことから、イギリスはフランス側に立ち、枢軸各国へ宣戦布告を行った。英仏を中心とする同盟は連合国と呼ばれ、日英同盟により日本もこれに参加する。

 史上初の世界大戦の始まりである(実際にはアメリカや南米各国は参戦しなかったが、当時は欧州が世界であったから世界大戦という表現に全く問題は無かった)。

 陸では互角というより、あっさりと膠着していた。各国の戦争計画で唯一の攻勢戦略であったシェリーフェン・プランは、機関銃と毒ガスと塹壕によって、はやばやと瓦解した。英仏墺土はそもそもまともな攻勢戦略を持っていなかった。

 空は、まだまだ未知の世界で、その端を航空機や飛行船がおっかなびっくり浮かんでいるついでに戦争をしているに過ぎなかった。

 となれば、戦争の焦点が海へと移ることは誰の目にも明らかだった。特に北海は史上かつてこれ以上ないほどホットだった。その中で、独大海艦隊司令長官シェーア提督は、何かと(特に戦艦について)口を挟みたがる皇帝をなだめすかしつつ、大型巡洋艦と潜水艦と飛行船と機雷を縦横無尽に駆使した。
 その手口は控えめに述べて悪魔のように狡猾だった。まず、後に『ロンドン砲』と呼ばれる射程一二〇kmを超える二一センチ砲八門を搭載した大型巡洋艦で都市砲撃を行った。当然これは戦線後方で自分たちの家には弾が飛んでこないと考えていた、英国民を大いに動揺させ、英海軍へのプレッシャーをかけた。英海軍は『赤ん坊殺し』共(不幸なことに何発かの二一センチ砲弾が病院に降り注ぎ、婦人と乳幼児が犠牲になっていた)を撃滅せんと、フォース泊地へ英巡戦部隊主力の前進配備を行った。
 そして独海軍戦略砲撃の兆候を捕らえた英海軍は、この宝石よりも貴重な巡戦部隊全力を出撃させたが、独海軍はさらに上手だった。英海軍暗号を解読していた独海軍は二一センチ砲塔載大巡洋艦だけでなく、最新鋭の超弩級戦艦【バイエルン】級、大巡洋艦【マッケンゼン】級等々を含む大艦隊を出撃させていた。これと衝突した英巡戦部隊は、英側最新鋭の【フッド】級は辛うじて虎口を脱することができていたが、レパルス級を含む僚艦多数から爆沈艦を出す。また、辛うじて生き残った艦も年単位の修理期間が必要な損傷を負った状態であり、戦線復帰は当分見込めない。言うまでもなく英巡戦部隊は壊滅。事実上、英海軍は戦略的機動能力を喪った。

 英側暗号解読の裏には、英国に浸透していた共産主義者による英海軍暗号表持ち出しがあったと言われるが、定かではない。

 戦略的イニシアティヴを得た独海軍は、北海の制海権を得るためにスカパフロー攻略を決意する。潜水艦による機雷封鎖を端緒に、飛行船部隊による大規模泊地爆撃を行い、トドメに上陸部隊による強襲上陸を敢行。彼の地は独軍の手に落ちた。それは、英国の大戦略であった独封鎖作戦の崩壊を意味していた。加えて、スカパフローからの支援を受けられるようになった独仮装巡洋艦・Uボートの跳梁は激しく、英国の物資不足は日を追う毎に悪化していた。

 ここで残された唯一の列強アメリカ合衆国が介入したならば、歴史が変わったはずだ。だが、アメリカではカンサス州フォートライリー基地での報告を端緒とする、いわゆる『アメリカ風邪』の大流行で百万以上の死者が出ており、旧大陸での戦争どころではなかった。特に戦争債権募集パレードや、戦争に関する公聴会などの出席者に罹患者が多く発生したことがコレを助長した(この件に関して、BOI――後のFBIが共産主義者の関与を強く疑い、捜査を行ったが、容疑者の殆どが同病で病死しており、結局解明されなかった)。やはり、アメリカは旧大陸に関わるべきではない。少なくともアメリカ国民はそう考えて、政府はソレを尊重した。

 大戦略の崩壊と戦争喪失の危機に、戦局を挽回すべく英海軍の取った手は、彼らが誇る鬼才フィッシャー提督の遺した(彼はこの年、癌で亡くなっていた)キール上陸・ベルリン占領作戦を大幅に手直しし、これを決行することだった。
 当初キール上陸作戦は、、ハッシュハッシュ巡洋艦と呼ばれる、三八センチ砲搭載大型軽巡洋艦と言う奇っ怪極まる艦四隻の上陸支援の元に行われる作戦だった。戦時であるから全てが常識外れの数量が用意され、残り少ない資材を根こそぎ投入して大量建艦されたハッシュハッシュ巡洋艦やモニターに加え、定期航路客船(ライナー)を改装した一八隻の航空母艦に二〇〇機の航空機を積みこんで、英GFがその護衛に就くという大膨張を経て、作戦は実行に移されることなる。この作戦にはようやく戦線復帰した巡戦各艦だけでなく、国内論争をどうにか押さえ込んだ日本が派遣し、英国本国艦隊第六戦艦戦隊を編成した【扶桑】【山城】および、同第六巡洋戦艦戦隊【金剛】【比叡】【榛名】【霧島】も参加していた。

 もっとも、結局のところ制海権を独海軍に握られた状態でそのような作戦が成功するはずもなく、ユトランド沖でただただ膨大な被害が連合・枢軸双方に生じただけだった。唯一の収穫は、各国に戦争を終える季節が来たことをそれとはなしに自覚させたことかも知れない。

 後は欧州的日常だった。辛うじて休戦協定が結ばれ、講和条約を締結するために誰もが心身を病む、だらだらとした交渉が続いた。
 勝者など何処にも居なかった。辛うじて、ソヴィエトがそう呼べるかもしれないが、彼らの戦いは始まったばかりで、終わりなど全く見えない状態だった。

 結局会議がまとまったのは、こうしている間にも恐るべき勢いで膨れ上がる軍事費に各国が悲鳴を上げたためだ。
 この膨れ上がった軍事費は、特に海軍に投じられていた。陸軍に投じても、一日に一個師団が消え去るような事がザラにあった大戦の後では、人的資源問題から同程度の費用を掛けた戦艦保有以下の効果しか見込めなかった上に、航空機は未だ補助戦力の域を抜け出るほどではない。
 いつの間にか、終戦会議は海軍軍縮を焦点とした軍縮会議とセットになっていた。

 最も海軍拡張に消極的な国は仏であったが、彼らですら、三四サンチ砲四連装一六門搭載するという、どこか頭の螺子が外れた実にフランス人らしい超弩級戦艦【リヨン】級四隻の建造を行った。
 日は【八八艦隊】と呼ばれる艦艇刷新計画を実行に移しており、既に史上初の四〇サンチ砲搭載で二六.五ノット発揮可能な超弩級戦艦【長門】級二隻を実戦配備済みだった。その改良発展型である【土佐】級二隻も完工間近、あげくにこれを更なる高速化した巡洋戦艦【天城】級四隻も起工済みで、最終的には最低でも四〇サンチ砲を搭載した高速戦艦が一六隻並ぶ予定だった。
 米も日【八八艦隊】に対抗して、戦艦一〇隻・巡洋戦艦六隻を基幹とする【ダニエルズ・プラン】を議会に認めさせて実行に移していた。彼女たちもすべて一六インチ(四〇.六センチ)砲の搭載を予定していた。また、次々期主力艦あたりの大型艦のために、パナマ運河へ海軍専用の第三閘門を建設することもセットとされていた。
 独・墺と言うと、実直に戦力を増強させており、続々と就役している四〇センチ砲搭載艦を圧倒するために四二センチ砲搭載の超弩級戦艦【グロス・ドイッチェランド】級四隻、【フニャディ・ヤーノシュ】級二隻に加えて、【マッケンゼン】級四番艦の建造を中止してまで急速整備を行った三八センチ砲搭載大巡洋艦【フュルスト・ビスマルク】級四隻を就役させ始めていた。勿論、既に工業力で英国を凌いでいる彼らは、それで終わりつもりなど無い。前述程度の量でとどまった理由は彼らの場合、新型艦の就役時には常にキール運河やバルト海の浚渫問題がつきまとうからだ。加えて、隣の仏前弩級戦艦ダントン級をあまりに集中建造したが為に、大戦前の海軍弩級艦建造レースで後落していった事例を見ているから、時局に合わせて浚渫作業を行い、新型主力艦を建造するつもりだった。

 全く正気の沙汰ではなかった。ことによると、ソヴィエト以外なぜ世界大戦が起きたかを理解していなかった一九一八年よりも悪質だった(何しろ、年に二隻の超弩級戦艦を建造する八八艦隊計画ですら、比較的おとなしめの計画なのだ)。

 これに対して、英はこのような財政的チキンレースを止めさせるべく、大勝負に出た。というより、他列強すら圧倒する大乱心をしてみせた。
 まずは取り敢えず、次期戦艦としてスローペースで建造されていた【N3】をベースに、手元にあった後期ハッシュハッシュ巡洋艦用四〇口径一八インチ(四五.六センチ)を搭載してでっち上げた超々弩級戦艦【セント・ジョージ】の急速建造を行い、わずか一年余りで就役させた。世界は改めて英国の造船能力に驚愕した。しかし、これは単に次の一手へ実際的存在感漂わすだけの見せ札だった。ジョンブルは彼ら一流の更なるハッタリを用意していた。

 彼らは更に、【セント・ジョージ】級同型艦を3隻起工済みであると発表し、これに加えてあらゆる面で前級【フッド】を上回る一六インチ(四〇.六センチ)砲九門を搭載し三一ノットを発揮可能な巡洋戦艦【インヴィンシブル】級四隻と、空前の巨砲二〇インチ(五〇.八センチ)砲六門を搭載し三五ノット発揮するという超々弩級戦艦【インコンパラブル】四隻を建造する用意があるとブチ上げたのだ。
 総排水量で行くと、英グランドフリートをもう一つ造る勢いな自殺的建造量だった。
 もちろん、ハッタリとはいえ、口先だけでは効果が薄いから、資材さえあれば建造可能な設計書もあった。英国は連合国には設計書そのものを、枢軸国にはそれなりのものを、お得意の外套に隠れた長い腕で各国各部局へ付け届けた。

 これには、各国の海軍関係者が瞠目し、政府財政関係者を卒倒させた。
 英自殺的建造計画に対抗すること自体は出来なくもない。だが、したが最後、国庫は確実に破綻する。これは、一層激しい戦争を行う原因になる。おまけに戦争に勝利したところで得られるモノは乏しい。何処の国も国庫が、カラどころか返済には数世紀かかるであろう借用書で埋まっているであろうからだ。ゼロサムゲームどころの騒ぎではなかった。

 かくて、人類史上初の世界大戦は終結し、国境線が多少前後した後、戦後となった。

 軍縮条約も締結された。軍縮条約で決定された内容を細かく述べるとキリがないので、要点を述べる。
 ソレまで各国まちまちであった軍艦の排水量計算方法が統一化され『基準排水量』が定められた。
 その基準排水量で八〇〇〇トン(あるいは備砲六.一インチ)を超える軍艦を主力艦としてカテゴライズした。また主力艦についても艦種別に性能上限を定め、戦艦で備砲一六インチ・基準排水量三五〇〇〇トン以下、空母・戦略巡洋艦などを含む大型巡洋艦で備砲一一インチ・基準排水量二七〇〇〇トン以下と規定し、なおかつそれらの総計に総排水量上限が設けられた。各国主力艦の総排水量比は、英独米日墺仏伊=五:五:五:三.五:一.七五:一.七五:一.七五である。
 なお、条約基準外の既成艦については、各艦毎に別項目で規定されたが、基本的に保有を認められていた。

 英国は八〇万トンの戦艦と二五万トンの大型巡洋艦の保有枠に、満足していなかった。英国人は決戦にしか使えない主力艦などこの半分でも良いと思っていたほどだった。
 英国が満足していた点は、条約枠内で新型戦艦四隻を追加建造できることよりも、補助艦の備砲を六.一インチ以下に限定できたことだった。英国人は商船に積める備砲の上限を船体構造と人力の限界から六インチと見ており、これを上限とする艦艇の撃退には、六インチ搭載の軽巡洋艦があれば必要十分と考えていた。この線を抑えておけば、殆ど見せ札である主力艦の負担はしょうがないとしても、実際の任務遂行主力である補助艦の財政的負担を最低限とする事が出来る。世界中で使うから、数と性能に対して八方美人であることを求められた軽巡洋艦の性能制限は、この戦争による大英帝国最大の勝利と言えた(もっとも、既に就役していた英の七.五インチ砲搭載【カヴェンディッシュ】級や、二〇サンチ砲搭載の日【古鷹】級、八インチ砲搭載の米【ペンタコラ】級という条約特例もあった)。まぁ、ついでにロンドン橋を落とした『あの』戦略巡洋艦という奇っ怪なシロモノを大型巡洋艦枠で制限できたことも、勝利に華を添えていた。自分たちも、大戦中に戦艦建造まで後回しにして、ハッシュハッシュ巡洋艦とかいう大型軽巡洋艦なる珍奇な艦を大量整備したことは、英国紳士らしい態度で礼儀正しく無視していたが。

 独逸は、大艦隊を保持し、幾つかの植民地を得たことに満足した。
 元々独海軍当局における戦艦とは不自由さの象徴であった。誰もがあのシェーア提督ほど上手に、戦艦を宝石よりも大事にする皇帝をうまく丸め込めるとは思わなかったのである。ゆえに戦艦がこれ以上建造できなくても、不自由は感じていなかった。独海軍提督達としては、戦艦よりも彼らの言うところの大巡洋艦――巡洋戦艦を欲していたからである。そして、その巡洋戦艦隻数ではどの国よりも多かった。全く満足だった。神出鬼没な仮装巡洋艦や潜水艦で海上交通線破壊を行え、大巡洋艦で世界の至る所にいる英国軽巡洋艦を小突き回し、仕上げにこの頃から戦略巡洋艦と呼ばれて始めていた一七〇口径二一センチ砲搭載の【ベルタ】級が海岸から一二〇km以内をいつでも噴き飛ばせる自分たちの海軍に不満など、いだきようもなかった。世界三大戦艦などと称している一八インチ砲戦艦にしても、主砲の口径より舷側装甲厚を重視する彼らにしてみれば、四二センチ砲戦艦【グロス・ドイッチェラント】の方が有力だと疑いすらしていない。主砲換装が終わっていない少数の小型巡洋艦や大型水雷艇の備砲が他国同級艦艇に比べ多少小さいことなど、些細な問題ですらなかった。これら軽艦艇など、耐用年数に合わせて、適当に更新すればよい、と独逸人は勝手に納得していた。

 亜米利加は、自国国力が同率とはいえ世界第一位と、国際的認知を受けた事実に満足した。
 加えて条約特例で一八インチ砲搭載に改設計された【サウス・ダコタ】の建造が認められた上に、一六インチ以上の搭載艦数では世界一位となったことも大いにアメリカを満足させた。これでも、英とは歴史的経緯から、日とは大陸権益上の問題から、独とはキューバ問題から、三国同時に敵となる可能性があり、その際戦力比は一〇:三〇.五(英日独墺)に達すると不満を抱いていた関係者も多かったというから、呆れ果てるしか無い。大戦中に腐るほど駆逐艦(戦時急造が過ぎて、本当に短期間で主缶が腐った艦も多かった)も造って、そちらでも保有量世界一であるという事実を忘れているとしか思えなかった。

 日本は、英国が大戦略上の見地から有形無形の助力を行ったために、排水量対米七割を確保でき、ついでに一八インチ砲戦艦一隻の建造が認められたことに満足した。
 それでも国家財政の危機ではあったが、確実な破滅からは逃れられた。ついでに海軍内部での本格的対立を回避できたことも喜ばしい。将来を期待される人材を派閥抗争で喪うという不条理な国家的損失を被らずに済んだからだ。主力艦比率の不利は、駆逐艦の外洋作戦能力取得の目処がたち、必要最低戦力閾値の大幅な低下から実質的な作戦参加戦力を増強できる見込みである。維新を成し遂げた先達へも面目も立とうというモノだった。

 仏蘭西は、自分たちがいつでも新しい戦艦を追加建造できることに満足した。
 ついでに軽巡洋艦の備砲制限が英国の切り出した六インチから、自分たちの主張した六.一インチへと、コンマ一インチ拡大できたことに不思議な幸福感も味わっていた。不可解なことに後年ただの一隻も六.一インチ砲搭載巡洋艦など仏海軍に在籍しなかったが。以後彼らの建造する軽巡洋艦の主砲は全て六インチ砲だった。
 実のところ、海軍などどうでも良かったのである。
 仏蘭西人は【リヨン】級の建造すら、気まぐれに行ったようなところがあり、海軍にこれ以上の投資をするより、東部国境に要塞線を構築することの方が魅力的に見えていたのだ。

 伊太利亜は、仮想敵である仏・墺と同量の割り当てを受けたことに満足した。
 彼らが世界そのものと感じていた地中海。その覇権を我がモノとする権利を失わなかったと見なしたからだ。

 墺太利は、一応列強としての扱いを受けたことに満足した。
 何しろ、ハプスブルク家が世界大戦終了後も帝国を維持できていることは、当人達ですら奇蹟と思っていたからだ。これは枢軸同盟の一角であったオスマン・トルコが、革命により帝国を喪う現場を、列強最前列で見ていた衝撃が大きい。また、意外なことに列強最低の割り当てを受けたことにも満足していた。ハンガリー政府と議会は、ハプスブルク家のための軍隊は大嫌いだからだ。

 蘇緯埃は、そんな列強の様子に満足した。
 こちらの意図通り大戦争を行ったついでに、狂気に溢れかえった建艦競争まで始めて、蘇緯埃に手を出す余裕を無くしていたからである。これより彼らは革命的精神の発露に邁進した。その過程で食料問題から数千万程度の人民が斃れるか、新白露へ逃げ出すような事態となっても全く問題にしなかった。この程度で旧体制の病悪はびこる新白露西亜へ逃げ出すような反革命的人民など、ラーゲリへ送り込む手間が省ける程度にしか思っていなかった。いずれ露皇族・貴族もろとも銃殺である。

 新白露西亜は、仮住まいとしたマンチュリアの地で満足した。
 条約の制限対象にならなかったからである。この頃にはなんとか体勢を立て直していた彼らは、その気になれば自縄自縛に陥った列強を余所に、ロマノフ王朝が貯め込んだ資産を使って、自由な艦隊建設をいつでもできると前向きに考えた。後はウラル以西を取り戻すついでにキタイから領土を巻き上げ、列強へ復帰をしたことを華麗に宣言すればよい。

 かくて、世界は大多数の満足と共に、一八インチ砲搭載戦艦三隻を象徴とする【海軍休日】を迎えたのだった。




[8720] 一九三二年四月 ドイツ・ベルリン市街(2)
Name: Gir.◆ee15fcde ID:30ee6e80
Date: 2009/05/20 14:14
 しかし、各国市民は戦争の愚かさを知った筈なのであるが――

 上質な木材を女性特有の柔らかさで叩く快い響き。ノックを聞いた彼女は、ドアへ向かい、別の女中から何事か耳打ちされる。

「タカヤ様、お客様です」

 案内をした彼女の声を遮るように、久方ぶりに聞く男の声が響く。

「貴様、元気にやっているか? 勿論、こちらの男爵殿の世話になっているのだから、当然そうであるとは思うが」
「迅!? 貴様、妙なところで会うな」

 男は、兵学校の同期である帯刀迅(たてわき じん)だった。
 しかし、兵学校を卒業した後、無線に関わり通信方面へ進んで、その後消息不明な彼と、ここで会うには理由が思い当たらない。
 昔から和装より洋装が似合う男であったが、今はいっそう磨きがかかっていた。
 ハット帽にトレンチ・コート。海軍軍人のクセして塹壕(トレンチ)服なんて、陸式ではないか。唯一許せるのは、足下の革靴で、これこそ海軍軍人の靴であると思わせるほど磨き上げられていた。
 手にしている角底袋がすべてを台無しにしている気がしないでもない。

「ところでなんだその袋は?」
「それはおいおいと、後でな」

 硬質な響き。高野中尉は一瞬彼女の存在を忘れていた。

「タカヤ様、こちらは?」
「ああ、この男は――。一体、今何をしている貴様?」
「紹介する貴様が俺に聞いてどうする。しがない貿易商というところだな、今のところ」
「級友だったジン・タテワキという男だ。見るからに怪しいが、一応真っ当な人間だ」

 後半、自分でも信じていない口調で彼を紹介する高野中尉。それを受けて、帯刀迅は芝居がかった口調で朗々と述べ上げた。

「こんにちは、フラウ。ご紹介にあずかり、光栄の至りです。どうか、私のことはジンとお呼びに」そういって、帯刀は自らの胸に手を添え、軽く腰を折った。そして、彼女の口を開く間を与えず、あくまで朗らかに言った。「そして申し訳ないが、私はこの高野君に急ぎの用がある。席を外していただけないだろうか? 勿論、お気遣いは結構」

 彼女が目が一瞬高野中尉へ向く。その目が、この無礼者は本当に貴方の知り合いなのか、そうならワタシは少し考え込まなければいけない、と咎めたてていた。
 高野中尉は少し困った顔をして頷いた。

 ちなみに彼女は、高野中尉のこの表情を、恍惚感を覚えるほど気に入っている。

「それでは、失礼します」

 彼女の声は、額縁に入れて飾りたいほど、涼やかだった。ただ顔が少し赤らんでいたから、やはり怒らせてしまったのだろう。高野中尉はそう思った。

「さて、貴様の用とか言うモノを聞こうか」

 女性生来の面倒臭さを、生まれたときから身に染みて知っている高野中尉は、この後起こるであろう面倒へ事前復讐するかのように言った。

「うむ。取り敢えずは、これを」

 そういって迅は手荷物である角底袋を高野中尉へ差し出した。軽いがやたらにかさがある。

「なんだ、これは?」
「プレタポルテで申し訳ないが、ニューモードだ」
「プレタポルテ? ニューモード? 洋服か」
「貴様の姉君達へ気持ちだ。帽子と靴までは用意できなかった」
「そうか……」
「と言うことで、そちらは貴様に任せた」
「なぜだ!?」
「貴様のセンスに期待はしていない。いい店を紹介しよう。必ず、よい買い物が出来るだろう」
「ちょっと待て」
「姉君達のサイズは判るかね? ふむ、無理そうだな……」

 迅は内懐より手帳を取り出し、サラサラとなにやら書き出した。

「私の見立てだが、たぶんこれで間違いないはずだ。」
「何故貴様が、姉さん達の寸法を知っている……」
「不自由なヤツだな。この程度は男のたしなみだ」

 ダメだ。完全に迅のペースに乗せられてしまった。こうなると自分ではどうにもならない。行き着くところまで、行かせるしかない。高野中尉はそんな諦観を浮かべつつ、先を促した。

「あぁ、判った。もういい。で、迅、貴様もしかして、これだけのために来たのか」
「貴様の姉君達への慕情を表すことに労苦は惜しまないが、それだけのために祖国への奉仕を疎かにして伯林まで足を延ばさんよ」
「ほぅ……、祖国への奉仕ときたか」
「ところで貴様、今の上海がどうなっているか知っているか?」
「何が言いたい?」
「質問で質問で返すか。感心しないな」
「……焦臭いという表現で済まない程度になっていることは知っている」
「具体的には?」
「上海。英国がアヘン戦争で勝利し結ばせた南京条約で開港させた都市。一八四三年に英国が、一八四八年に米国が、一八四九年には仏が租界を設定し――」
「ここ数年ほどまで、飛ばしていい」
「――現在は国際租界と仏蘭西租界に大別され、通称『魔界都市』と呼ばれるほど、状況は千変万化。治安など無いに等しい。
 つい、最近にも日本人が何人か殺害されている。そこへ中華民国・第一九路軍が強制介入してきて、租界警備に当たっていた各国軍合同警備隊と衝突した。この衝突は収まらず、中華民国は第五軍を投入、それに各国も対応して、我が国も第三艦隊と第九師団・混成第二四旅団を派遣した。特に諸外国で、第三戦隊を率いている堀提督の評価が高い。こんなものか?」
「大体あっている」

 高野中尉は不思議な顔をして聞いた。

「何か間違えていたか?」
「少し情報が古いだけだ」
「そうか」
「中国国民党の抱えている愚連隊との戦闘自体はそう問題ではない。彼らの撃退も時間の問題だろう。文明国と戦のやり方が違うから、少し困っているらしいが」

 迅の口調に含むところを感じて、高野中尉は疑問を口にした。

「別の問題がある?」
「英国の【レディバード】号を陸式の連中が砲撃した」

 迅の宣告に、高野中尉は一瞬息を呑んだ。

「誤認か?」
「無論、誤認だ。【レディバード】号も無事だ」
「そうか……、戦場だからな。大事が無くて良かった」
「ただ、我らが海軍も陸式と仲の良いところを証明したかったらしい。同日に【天城】の――」
「【天城】? ……【天城】だと。
 あの海鷲の焼き鳥製造器が出てくるということは」
「ロクでもない。大正一二年九月一日、濃尾震災当日に進水失敗して死傷者多数を出したところに始まり、ケチが付き倒しているいわくつきだからな。
 で、こいつの艦載機が米国の砲艦【パネー】号を爆撃した」
「……すまないが、もう一度言ってくれないか?」
「精鋭たる我が海軍航空隊の爆撃が、見事米国砲艦【パネー】号を揚子江の底へとまっしぐらにさせた。月月火水木金金は伊達じゃなかったということだな。陸式連中とは気合いが違う」
「貴様、前から思っていたが、まったく良い性格をしている!」
「はっはっは。そう誉めないでくれ。照れてしまう」
「誉めていない! 謝罪や賠償程度で済めばいいが……。しかし、高く付きそうだ」
「英国の方は、含蓄深い迂遠なイヤミをイヤになるほど聞かされる程度で済みそうだが、米国がな」
「連中はなんと言っている?」
「彼らの流儀に従って述べると、戦争がしたいらしい」
「途中がスッパリと抜けすぎている」
「彼らの流儀――アメリカンウェイで、と行っただろう?」迅は嘆息するように云った。「現在、有力視されている大統領候補フランクリン・デラノ・ルーズベルト氏は極めつけの人種差別主義者だ。いや、人種を問わない単なる偏見家かも知れないが」
「元海軍士官とは思いたくないな」
「だが、不思議なことにチャイナ・ロビーとの馴染みが深い。中国人はロビー活動において日本人の野蛮さを殊更に強調することで、諸外国や国内の共産党勢力との戦争に勝とうとしている。ルーズベルト氏は中国人の主張を公で述べ立てている。そういうわけだ」
「便宜主義だな」
「日本は利用されている。実際、上海でも日本はそれなりに活躍しているから、始末が悪い。
 何事も中国式に強調されるから、欧米文明人の常識でそれを判断すると、三十年ほど遅い世紀末がアジアで起こっていると印象づけられてもしかたがない、と思えてくる。それを利用して、ルーズベルト氏は経済問題を解決しようとしている」
「訳がわからない」
「砲艦云々は口実で、新白露や中国で自分たちの取り分を不当に預かっているらしい我が国が目障りだから、これを機会に懲罰を与える。そういうことだ。あげくにこれを国内問題と言う事で片付けようとしている」
「国内?」
「大西洋は既に規定領だが、太平洋は未開地だ。そこは新しいフロンティアであり、将来の自分たちの庭である。と、多くの米政治家は考えている。ドイツ皇帝の保養地となったキューバを除く中南米がそうなったように」
「メチャクチャだな」
「だから、維新が起きた。明治となった。大正は過ぎた。昭和となった。大戦は大西洋を過ぎ去り、戦争となって太平洋へと到達しようとしている」

 戦争か。
 特に海軍における戦争とは決戦であり、国力の象徴である戦艦の撃沈数で勝敗を決する。実に単純明快だ。自分もそれを嫌いにはなれない。
 しかし、先の大戦だって、艦隊決戦が戦争を決したのではなく、誰もかもが戦争に疲れ果てたか、無関心になったから終わったのだ。ユトランド沖で戦死した秋山真之大将が計画していた艦隊決戦で、全てが決するとは思えない。
 現在の戦力で――。疑問が浮かぶ。現在の日本戦艦戦力は?

「――ちょっと待て。今、日本の戦艦は」
「おっと、その先は言わなくていい。軍機だ。
 そういうことで貴様は祖国で必要とされている。
 命令書と帰還船のチケットだ」

 道理だ。戦争となるならば、とにかく人手が必要だ。特に戦艦戦力があの状態だから、それは補助艦で補わなければならない。補助艦は員数定数を満たしていないどころか、保管艦となっているフネも多いから、一中尉を地球の裏側から呼び戻すことも納得がいく。

「確かに受け取った」
「では、健闘を祈る」
「――? 貴様は」
「私は別の場所で祖国に貢献することを求められている。少しハードボイルドに行こうと思う」
「はぁどぼいるど?」
「ダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラー。貴様、少しは仮想敵のことぐらい知っておけよ。帝国海軍士官なんだろう?
 ――長居が過ぎたな、これにて失礼するとしよう」
 言いたい放題言って、迅は男爵邸を去った。

    :
    :

 男爵邸を後にする道すがら、帯刀迅は思う。さて、男爵の上長たるカナリス提督と独帝国軍防諜部(アプヴェール)へ、キチンと言いたいことは伝わったであろうか。でなくては、わざわざ何も知らない高野中尉をベラスコ氏を通じて、防諜部幹部の男爵邸へ放り込んだ甲斐がないというモノだ。高野中尉は何も知らないが故に、日本人らしい素直さで彼の知る情報を、アプヴェールへ渡してくれただろう。勿論、高野中尉の知る情報は、日本帝国海軍航海科中尉としての一般的それ以外は、迅の判断で調整されたモノだ。そして、わざわざ監視下にある邸宅へ寄り、日本が認識している経緯と現状と判断情報を言って聞かせた。
 迅は、まったく『ハードボイルド』という言葉ができた時代を感じていた。




[8720] 一九三三年三月 ワシントンDC・ホワイトハウス
Name: Gir.◆ee15fcde ID:b0fd63cc
Date: 2009/05/27 12:46
 米国第三二代大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトは、彼が私的に招集した陸海軍および国務の実力者たちを前に、国務長官コーデル・ハルへ事態の推移を確認した。

「日本の対応に変化は?」
「はい、大統領。真摯たる態度で謝罪の言葉を昨年より再三に渡って、届けてきております」

 プラット海軍作戦部長もそれに同意した。

「日本大使館駐在武官シモムラからも同様の言葉を受け取っております」
「真摯たる態度でか。それはどこの基準でだね」
「文明国以下、未開国以上で、と言ったあたりでしょう。
 勿論ご承知の通り、日本帝国は国際法上、文明国して扱われております」

 ハルの言葉にルーズベルト大統領は、侮蔑の色を隠さずに言った。

「第一次世界大戦で小賢しい立ち回りが、ジョンブルどもに諧謔を感じさせた褒賞か」

 ルーズベルト大統領の言葉に、プラット海軍作戦部長は客観的な意見を述べた。

「イギリス人の帝国は斜陽を迎えております。落ち込む気分を慰めてくれる道化に愛を感じても致し方ない、といったところでしょう」

 ルーズベルト大統領の反応は、予想通りの物だった。

「その道化がアメリカの権益を侵している」

 ハル国務長官は、手元の資料へ目を落としながら淡々と述べた。

「彼らは地理的条件を利用して、中国と新白ロシアで経済的利益を上げております。それは大戦で著しく成長した工業能力を証明するモノでもあります。
 勿論、我が国の数分の一以下でありますが」
「黄色人種には過ぎている」
「はい、大統領。だから、シャンハイで我々の砲艦を沈めるような事態を招きます」
「思い上がりも甚だしい。文明国の宗主としては、懲罰を与える義務がある。世界の真理を知らしめねばならない」

 ルーズベルト大統領の口調は権力者らしい何処までも誠実だが、虚ろな響きを持っていた。ハル国務長官は淡々と国内情勢を述べる。

「ですが、我が国の国民は、生活を圧迫するような戦争を望んでおりません」
「民衆はどうしても視点が卑近になる。だが、彼らが今の生活を大事することも理解できる。
 そして私は、国民の生活を守るために、努力を惜しまない。
 コチィ大佐、日本との戦争期間についての見積もりは?」

 海軍大学校で対日戦を研究しているコチィ大佐は、淡々と答えた。

「はい、大統領閣下。
 五年程度と見積もっています。戦力整備に四年。日本降伏まで五年」

 それを聞いて、陸軍参謀総長ダグラス・マッカーサーは彼らしい尊大な口調で口を挟んだ。

「大統領、そのスケジュールでは陸軍としてはフィリピンの防衛に問題を覚えます。フィリピン総督セオドア・ルーズベルト・ジュニア氏の安全が確保できない」

 米国民の人気者セオドア『テディ』ルーズベルトの子息を人質にしたマッカーサーの言葉に、ルーズベルト大統領は少し苦い顔をした。そんなにマッカーサー家がフィリピンに抱える権益が大事かと不愉快になる。ルーズベルトは、全く政治家らしい態度で直接回答を行わなかった。

「キンメル大佐、君はどう見る」
「日本には【ナガト】がいます」
「知っている」
「ですが、今は動けません。演習で、僚艦【ムツ】と衝突事故を起こしたからです」

 日本帝国海軍の昭和七年秋の大演習は、実戦さながらに全艦照明を消し、激しい風浪の中、模擬水雷まで撃ち合う激しいものだった。だが、このような演習には危険が伴う。この演習は特にソレが顕著に顕れており、【長門】【陸奥】をはじめとする戦艦二隻、巡洋艦一隻、駆逐艦二隻の事故艦と、百名を超える行方不明者をだしていた。軍事的にどうこうと言うより、官僚的本能に従って日本帝国海軍は事故を隠蔽しようとしたが、例によって全く成功していなかった。

「現在日本の稼働可能な一線級戦艦は【トサ】【カガ】【イセ】【ヒュウガ】の四隻が確実なだけでしょう。
 【フソウ】クラスや【コンゴウ】クラスは、いずれも近代改修工事に入っておりますし、あの恐るべき【サガミ】もドック入りしております」
「そして、プレドレッドノート戦艦二隻の一方は一昨年爆沈して、もう一方はつい最近座礁事故を起こした。しかし、日本帝国海軍は事故が多い。就役早々にいきなり主砲爆発事故起こした戦艦もいた」
「はい、大統領。それは【ヒュウガ】のことでしょう。一九一九年のことです」

 この事故により、すでに欧州へ艦隊を派遣していた日本帝国海軍は恐慌にすら陥る。その慌てふためき振りは、海すら軽々と飛び越えて、ワシントンでも実によく聞こえていた。当時まだあの恐るべき【ナガト】級は建造中で、六隻は海外派遣、国内に二隻しかいない超弩級戦艦の片方が使用不能になったのであるから理解はできるが。

「つまりは、野蛮人には過ぎた代物だと言う事だ」

 大統領の断言に、キンメル大佐は当時の様子を思い出しながら、言った。

「彼らの安全基準はともかく、今なら勝てます。ことによると、フィリピンに派遣している艦艇戦力で彼らの可能行動を抑圧し、潜水艦で締め上げれば、陸上では何一つ失うことなく」

 マッカーサーはわずかに顔をしかめて呟いた。

「海軍の戦争と言う訳か」
「勿論、現在の情報が日本軍の欺瞞情報の可能性もあります。
 万が一と知ったレヴェルで」

 そこで会議出席者は一斉に笑った。特に新白露や中国への赴任経験があり、日本軍将兵の防諜教育程度を知るジョージ・C・マーシャル陸軍中佐のそれには、実感がこもっている。

「おや、マーシャル中佐は、いささかキンメル大佐とは違う意見をお持ちのようだぞ」
「はい、大統領閣下。確かに彼らの情報管理能力には問題があります。しかし、まったく見所がないわけでもなく、最近一部では効果的な防諜も行っております」

 それを聞いてハル国務長官は、叔父の不貞でできてしまった従兄弟の不出来さを嘆くように言った。

「少し目先を変えてやれば、いくらでも取り出せている。たとえば、親善試合を行うために送り込んだベースボールチームに、何故か一切のプレーをしない選手がいる場合など」

 キンメル大佐は厳めしい表情を作って、同意した。

「確かに」
「では、戦争で必要とされる見込みをどう見る、キンメル大佐」
「一年以上、二年未満。フィリピン防衛戦力の充実に半年、前進基地の建設に半年。海上通商路を締め上げられ、日本の備蓄資源が枯渇するまでに更に半年。その後は決戦を挑むしかない日本人を始末すれば、終わりと考えます」
「その決戦に勝てるのか?」
「一年後までに日本が戦艦を全て投入可能に出来たとしても、一三隻。こちらは、二六隻。本国防衛を考えても十分」
 キンメル大佐の言葉にルーズベルトは満足した。

 それはルーズベルトの有力な後援者である、ウォール街を支持基盤とするロビイスト達を満足させるであるからだ。ウォール街に棲む者達は、先の大戦で合衆国は重大なビジネスチャンスを損ねていたと考えており、不況に悩む米国経済の消費口として今回の事変を捉えており、利益確保に血道をあげていた。
 当然、ニューディール政策などと実体のない謳い文句で大統領の座を得たルーズベルトがその意向を無視できるわけがない。
 ルーズベルトは彼らしい態度で厳かに告げた。

「よろしい、国民生活を脅かさない理想的な限定的戦争が行えるというわけだ。
 では始めよう」




[8720] 一九三三年三月 満州・哈爾浜
Name: Gir.◆ee15fcde ID:b0fd63cc
Date: 2009/05/27 19:13
 それは、もう既に決定事項だった。各国ではそういう共通認識が既に確立していた。
 だが、始めるに当たって、やるべきことは多い。例えば、極東へ流れ着き、今なお戦い続ける彼らへ、その矛先をブレさせないための一手など。
 ここハルピンは、古くは漢晋代には書に残り、それは営々と各王朝に受け継がれ、現在では新白露が運営する東清鉄道の要衝として現在も発展を続けている。そんな街の政府公館にて、2人の漢は対峙していた。

 彼方(かなた)、グリゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチン
 シベリア寒村の出身。二〇才の時に啓示を受け、父親や妻を捨て、出奔。以後、サンプトペテルブルグで『神の人』と賞されるまでの経歴は不明。そして、露皇族のニコライ大公夫人に取り入り、血友病であった皇太子の治療を行い、皇帝の信頼を得た。
言うまでもなく、このような成り上がり者は、貴族達の排除を受け、何度となく暗殺を企てられることになるが、その事ごとくを切り抜けた。それに際して彼は『天使も悪魔も私の僕に過ぎない』と残したという。
 そして、戦争(グレート・ウォー)・革命が起こるが、それまでのように、当然のごとく、切り抜け、此処マンチュリアの地へと帝政ロシアを導いた。

 此方(こなた)、南光坊天海。
 陸奥の国は芦名氏ゆかりの者と言われ、生年は不明。機知に富んだ人物であり、当意即妙な言動で周囲の人々を感銘させ、古くは武田信玄の招聘を受け、後に徳川家康の参謀として、近侍したという。
 ただ、江戸時代初期でさえ既に一〇〇才を超えていると言われており、その菩提は日光で弔われているはずである。
 が、此処にいる者は、筋骨隆々とした生年不明の大男。だが、粗野さなど微塵もなく、何かに達観した風情で、巌のようにそそり立ってる。
 当然、別人であろうが、本人は天海と号しており、ここではそれで十分であった。

 緊張が部屋を満たしていた。双方の随行員が、動こうとする。

 それを天海は手を降り、押さえた。おもむろに立ち上がった。

 グレゴリー神父もそれを受けるように立ち上がる。

 そして、天海は諸肌を脱ぎ、

「フン!」

 いきなりグレゴリー神父の腹を抉るような一撃を叩き込んだ。

 静まりかえる一同。

「くくくく……」

 かすかで、低く静かに響く声。
 それは徐々に大きくなり、そして大哄笑となった。

「フハハハッ!」

 大哄笑するグレゴリー神父は、気合いと共に中から爆発し、着衣は千々と千切れ飛んだ。

「ハァ!」

 返礼代わりの一撃。当然のように天海の腹を抉る。天海もそれを避けようとはしなかった。

「ハァッハッハッハ」
「ホォーホッホッホ」

 そして酷くゆったりとして、だが激しい応酬が続いた。

 突き抜ける怒号。

 響く打擲音。

 迸る漢汁。

 あまり、人外魔境に随行員達も、剛の者は手で尻を押さえて後ずさり、そうでない者は尻を向けて突き出した状態で倒れ伏せるばかりである。

 かくして、日本帝国は後背の憂いを一つ取り除いたのであった。

 なお、約二名を除く彼ら達は、一様に何を喪った様子でその地を後にしたという。




[8720] 一九三三年三月 台湾・高雄南方沖合 350km(1)
Name: Gir.◆ee15fcde ID:d233ac59
Date: 2009/06/03 12:37
 海は波高く、荒れていた。空も暗くどんよりと曇っている。
 その高波を斬り裂くように突き進む遣支艦隊旗艦・戦艦【土佐】。艦橋で、堀悌吉少将は、高ずるでもなく、臆することもなく、泰然としていた。堀少将は、上海事変時の第三戦隊司令長官から第一戦隊司令長官へ異動となり、更に横滑りでこの艦隊司令長官へ任ぜられている。
 彼の見るところ、今回の戦いは厳しいモノがある。しかし、それよりも彼が問題と思っていた部分は、稼働戦艦の殆どと、世界に九隻しかない珍艦種・重巡二隻、軽巡の五分の一、一等駆逐艦の新しい方から半分ほどを編入しているにもかかわらず、連合艦隊ではなく遣支艦隊と称して少将が率いていることだった。日本が未曾有の国難を迎えている自覚があるか怪しいと思っている。いや、軍令部総長・伏見宮博恭とその周辺が、そうなのかもしれないが。
 まぁ、確かに、堀少将も彼ら艦隊派に嫌われる憶えはある。きっと、この海戦で水漬く屍となるか、生き恥を晒すすら期待しているのかもしれない。彼らにしてみれば、取り敢えずここで半分沈められるかも知れないが、時間を稼げるであろうから、その時間で【相模】と改装戦艦群を整備して、決戦に持ち込めばよいと判断しているのだろう。日本と米国の兵力差を忘れているのだろうか。彼らが期待している次の決戦では一体何隻の敵艦が並んでいるだろう。堀少将は東京辺りにいる者達の精神状態に僅かばかりの羨望すら感じた。このようなことを感じる事がまだ出来るか、贅沢だ。俺は後どのぐらいこんな贅沢をしていられるのだ。
 問い掛けに答えるように、艦橋へ伝令が駆け込んできた。

「【古鷹】水偵二号より入電。
 『敵艦見ユ。真方位二-二-〇、距離一九〇カイリ』」
 その情報に参謀の一人は顔を明るくした。
「長官、こちらの予測通りです!」
「こちらも発見されています。後は敵さんがどうでるかですな」
「彼らのファイティング・スピリットを見損なってはいかん。航海参謀、針路を算出」堀少将は、即座に命じた。「合戦用意」



[8720] 一九三三年三月 台湾・高雄南方沖合 350km(2)
Name: Gir.◆ee15fcde ID:d233ac59
Date: 2009/06/03 12:38
 既に水上機同士の空中戦は行われて、双方残らず損傷するか無駄に燃料を消費して、後方へと下がっていた。更に潜水艦を警戒していたこともあり、接触は帆船時代のそれのように慎重だった。だが相互の距離が縮まり、互いのマストを視認するに至っては、海軍が本質的持つ野蛮さを隠すことなど、出来ようもない。
 艦隊陣形は、以下の通り。
 日本側が、戦艦四隻と重巡二隻からなる主隊および三個水雷戦隊がそれぞれ4つの単縦陣を構成して、進撃していた
 米側は、前衛・軽巡洋艦戦隊が横隊、主隊・戦艦隊が単縦陣を作って、主隊の周りをそれぞれ三隻で構成される駆逐隊六隊で囲むような形をとっている。

 双方主力艦の相互距離は約三〇〇〇〇メートル。
 すでに米艦隊は発砲を開始していた。全艦が、改装により新型砲と仰角増大が行われており、著しく射程が延伸されていたためだった。当然、射撃指揮装置も新型だ。
 一方、日本艦隊はまだだ。【土佐】【加賀】の射程にはとっくに入っていたが、【伊勢】【日向】の有効射程に入っていなかったからだ。何しろ就役当初は当たらないからといって、前級【扶桑】の主砲最大仰角三〇度から二五度へ下げられていたほど【伊勢】級の遠距離砲戦能力は限定されている。予定されていた大改装では射撃指揮装置から何から全て更新した上で、主砲を最大仰角四三度とし、最大射程三五〇〇〇程度まで引き上げられる事が決まっていたが、その着工は来年以降の予定だった。【日向】が起こした主砲爆発事故ついでに一九二〇年代初頭ににて改造をされていたとはいえ、今の彼女たちの主砲では、最大仰角三〇度の最大射程が三〇〇〇〇メートルを越えるに過ぎなかった。勿論、先の大戦戦訓を十分に消化し切れていない一九二〇年代初頭の射撃関連装備で、その距離の命中は期待できない。

 ならば、【土佐】級二隻だけでも先制射撃を行うべきであると思われるかも知れないが、あまりに一方的な攻撃は敵の怯懦を呼び、もしかすると戦わずに逃げ出してしまう可能性がある。実際、一九〇七年の日清戦争でそういう事例があった。ここで敵主力の撃滅を企図している日本としては、敵戦力の取り逃がしは戦略的敗北でしかない。有効射程に入れて、迅速な命中弾集中により、早々に決着を付けるべきだと、堀少将は考えていた。

         :

 勿論、実際のところ民主主義国家の兵隊である米国人であるから、独裁による腐敗が蔓延るの中国人のそれなど比較することすらおこがましいほど、戦意に不足はなかった。これは上から下まで同様で、米艦隊司令部も被害ゼロでの撤退など下から数えた方が早いぐらいの戦術オプションでしかない。彼らは初戦で全てにケリを付けるつもりですらあった。万が一、自分たちが斃れたとしても本国にはまだまだ戦艦がある。次を持ってくればよい。全く、無邪気としか言いようがなかった。まさしく、ジョン・ポール・ジョーンズの後継者と言える態度だった。

 もっとも米アジア艦隊旗艦【ニュー・メキシコ】に座乗する、米アジア艦隊司令長官モンゴメリィ・タイラー大将の心中は、少し違ったかもしれないが。

「まだ捕まえられないのか!?」

 タイラー大将の発言はもう少しで詰問とすら呼べるモノであった。既に二桁に上る斉射を行っているが、爽叉すらまだ出ない。オマケに出弾率も悪い。米海軍は彼らのセオリーに従い主砲を半数ずつ発射するはずであるが、一斉射六発のところ五発も出れば上等だった。ある斉射など三発しか飛ばないこともあった。判っていたことであるが、タイラー大将は自分の海軍とはいえ、あまりの砲術能力に落胆すら覚える。
 参謀の一人は悔しげに言った。

「連中速すぎます。編隊速度で二三ノットは出ている」

 タイラー大将は呻いた。戦術構想の違いから米戦艦の速力は列強の中でも最低に部類される。今ここにある戦艦もその例に漏れない。麾下の一艦である【オクラホマ】などは、最大速力でも一九ノット程度でしかない。だから、艦隊速力は現在の一七ノットが限界だった。いっそ【ニュー・メキシコ】クラスの三艦だけでも分離・先行させるべきか、とタイラー大将は迷う。彼女たちは、去年から今年にかけて逐次終了していた近代化工事によって、最大速力二二.五ノットへと性能向上していたからだ。これなら艦隊速力二〇ノットは出せる。

「いや……」

 思いとどまる。それでは日本艦隊の思うつぼだ。前大戦での英巡洋戦艦隊の轍を踏みかねない。タイラー大将は投機的指令を強く自制した。

「敵艦隊交差コースへ。Tターン切られます」
「伝令、艦隊へ通達、取り舵一杯。同航戦へ持ち込め」
「イエッサー!」
「取り舵一杯」
「舵戻せー」

 変針後の定針を待つ。その定針を待っていたかのように日本艦隊は、距離二五〇〇〇で発砲を開始した。数十秒後。

「オォー!!」

 艦橋で自艦を取り囲む上がる水柱に、幕僚達から声が上がる。タイラー大将は彼らを叱咤することができなかった。自らも声を発していたからだ。日本艦隊の射撃は巧緻を極め、初弾から爽叉を出している。
 次の報告は、タイラー大将に更なる恐怖を与えた。
 双眼鏡を構えた見張員が振り返り、叫んだ。

「敵駆逐戦隊、接近! 突入してきます!」

 常軌を逸していた。駆逐艦とは、額面速力は高くとも、航洋性は低い。故に決戦では、主力艦の後をどうにはこうにか、ついてくるモノである。彼女たちの出番は、主力艦の華麗な舞踏が終わった後のドタバタ劇である筈なのだ。
 日本人の野蛮さに驚きを隠せないタイラー大将であったが、マヌケではない。彼は直ちに下命した。

「麾下駆逐隊に阻止命令!」



[8720] 一九三三年三月 台湾・高雄南方沖合 350km(3)
Name: Gir.◆ee15fcde ID:d233ac59
Date: 2009/06/03 12:39
 『ガチャ松』こと第二水雷戦隊司令・井上継松少将の指示は相変わらず、あれこれと煩い。
 麾下駆逐隊へ突撃命令を出した後でも旗艦・軽巡【神通】から、頻繁に指令が飛ばされていた。もっともそれを気にする者は【雷】にはいなかった。【雷】の艦橋では、有賀幸作駆逐艦長が司令部以上の檄を飛ばしていたからだ。舵を任されている高野中尉は、駆逐隊僚艦の【響】の後に続き、急転舵。隣の第四水雷戦隊含めて、艦橋から見える特型駆逐艦八隊二四隻が一斉に突撃する様は、壮観として言いようがない。

『おや?』

 高野中尉は自分にそれほど余裕があることに驚きつつも、水雷戦隊全てが同様の行動を取っていないことに気づいた。
 残るもう一つの水雷戦隊、第五水雷戦隊が、旗艦・軽巡【名取】を先頭に、【睦月】級駆逐艦で構成される第二一、第二二、第二三各駆逐隊を引き連れ、自分たちの更に南方へ回り込もうとしている。敵退路を断ちに行くつもりだろうか。
 日・水雷戦隊のこの行動は敵前衛の阻止に出会う。当然だ。特に最も前へ出ていた軽巡【オハマ】級四隻は、駆逐艦主砲の射程外二〇〇〇〇メートルから続々と六インチ砲弾を送り込んできた。

「旗艦【神通】、応戦しています」

 取り敢えず冷静に聞こえる見張り員の報告。水雷戦隊旗艦の軽巡が一四センチ砲で応戦している。しかし砲門数差から、旗色は良くない。

「邪魔じゃあ、この腐れ巡洋艦がぁ」

 名前をもじって『あれが幸作』と言われる名物将校だけあって、有賀駆逐艦長の戦意に不足があるようには見えない。しかし、それで三年式一二.七サンチ五〇口径砲の射程が増すわけではない。この時点で高野中尉の出来ることは単縦陣を維持して、統制雷撃を成功させることだけだった。先頭艦の【響】艦首で爆炎が上がる。被弾したらしい。第二水雷戦隊旗艦【神通】も火災が発生しているのか、煤煙と発砲以外の煙を上げていた。高野中尉には歯を食いしばり、前航艦に続航することしかできない。

『誰か、何とかしろ。このままだと』

 自分たちの水雷戦隊も、機銃座据えた塹壕線へ銃剣突撃をした歩兵と同じ運命を辿ってしまう!
 高野中尉が声を挙げずに絶叫したときだった。
 敵巡洋艦を包み込むようにして水柱が上がる。戦艦のものほど大きくはないが、軽巡や駆逐艦のそれとは段違いだ。敵巡洋艦は慌てて、主砲を旋回させていた。敵巡洋艦の砲口先を見ると、前後甲板に単装砲をそれぞれ三基づつピラミッド型に配置するという特徴的な艦型を持つスマートさと大柄さを併せ持つ不思議な巡洋艦がいた。
 事態を打開したのは、世界に九隻しかいない超一五.五サンチ砲を持つ稀少補助艦【古鷹】【加古】だった。彼女たちは、、戦前から評価されていた狭い散布界に物言わせて、的確に敵軽巡へ二〇サンチ砲弾を送り込み、次々に命中弾を出していた。当然、対六インチ防御しか持たない【オハマ】級では、それに耐えきることが出来ず、一艦、また一艦と脱落していった。

「よし、よくやった。
 見張員、駆逐隊旗艦は何か言っていないか!?」

 有賀中佐が言うまでもなく、日水雷戦隊は勢いづいた。
 【雷】艦橋に見張員の声が響く。

「【響】より信号。
 統制雷撃戦開始。全艦突撃セヨ。以下、後続ニ通達。
 以上」
「よし。水雷、雷撃始め」

 有賀中佐は水雷指揮所へいる水雷長へ発射命令発令の自由を与えると、急速に艦影を大きくする敵戦艦を睨み付けた。焦れるが、それを顔に出そうとはしない。ここで慌てても、ロクな事はない。【雷】は就役して一年も経っていない新鋭艦だからなおさらだった。
 とはいえ、それだけに低気圧の影響で荒い波に揉まれ満足な操艦すら行えず、戦争するよりも航行する方が忙しい二〇年ものの旧式駆逐艦など障害にすらならなかった。オマケに彼らはマトモに集結すらしていない。日水雷戦隊は、文字通り目もくれず、一航過で適当な砲弾を叩き込むと、米戦艦目指して雷撃を行うべく襲撃運動に入っていた。
 砲術長は主砲の最大射程一七六〇〇に滑り込んだ時点で敵戦艦に発砲を開始していた。駆逐艦の小さな測距儀でこの距離では、まともな照準など期待できなかったが、撃たないよりはマシだ。一方的に撃たれるばかりであった乗員の士気高揚にもつながる。米戦艦隊との距離は急速に縮まっていった。
 まるで違うな。肉眼でもハッキリと見え始めた米戦艦を見て、有賀中佐はそう思った。米海軍は籠マストを殊の外、気に入っていたらしいが、さすがに強風雨とはいえ自然現象で倒壊しては見切りをつけざるを得なかったらしい。今の米戦艦は、どちらかというと英新型戦艦で見られるような塔型艦橋をその艦上へ建て付けていた。
 【雷】に少し毛色の違う衝撃が走る。どこかで何か壊れたか?

「各部被害報告!」
「艦中央部に敵副砲らしき至近弾。弾片にて船体損傷。損害軽微。負傷者数名!」
「応急班、浸水対策急げ!」

 距離一〇〇〇〇を切ると流石に戦艦副砲である五インチ砲弾が頻繁に周囲へ飛んでくるようになっていたが、悪魔のような日本大型駆逐艦を止めるには完全に威力と手数と技倆が不足していた。

 更に六〇〇〇メートル砲弾の雨をかい潜り、距離四〇〇〇で、第二水雷戦隊各隊は雷撃を敢行。【雷】の所属する第六駆逐隊もその例外ではなかった。駆逐隊旗艦【暁】が雷撃開始するとほぼ同時に【雷】でも六一サンチ九〇式魚雷九本が第一雷速(速力四六ノット/駛走距離七〇〇〇メートル)で次々と放たれていた。

 駆逐艦乗りの本懐を遂げた有賀中佐は、駆逐艦長席から立ち上がり命令した。

「面舵一杯!」
「面舵一杯!」

 高野中尉は復唱して、舵を切った。声が裏返っていた様な気がするが誰もソレを咎めたてなかった。



[8720] 一九三三年三月 台湾・高雄南方沖合 350km(4)
Name: Gir.◆ee15fcde ID:d233ac59
Date: 2009/06/03 12:40
 日本水雷戦隊の雷撃は、射点についた各駆逐隊がそれぞれ戦艦を狙い、計一四八本と云う空前の数の魚雷を放ったわけであるが、その大部分は敵艦命中以外の理由で消費された。実に半数以上が自爆。踏込みと読みの甘さから駛走距離を走りきって自沈してしまうモノに、舵機故障で米艦隊以外の場所へ突き進むモノ。色々だった。
 ただ、単縦列中央についていた【ペンシルヴァニア】【アリゾナ】へ向けられたそれは貴重な例外だった。見張員の怠慢とチームワークの欠如から回避運動が遅れた事により、奇跡的に一本も自爆していなかった第六駆逐隊の魚雷を、二艦合計で五本も貰ってしまったからだ。米大型艦によく見られる水線下多重層防御は、有効に機能したが、被害を完封できたわけではない。舷側構造は爆圧でグチャグチャにされており、舷側装甲の剥離すら発生していた。当然、彼女たちの速力は大きく低下。後続の【ネヴァダ】【オクラホマ】は衝突を回避するために更に大きな転舵を行う必要すらあった。

 これは米戦艦各戦隊が分断された言う事を意味する。前後の速度差は大きくなった上に、隊列を大きく乱れた。半数以上が自爆するという体たらくではあったものの、日本水雷戦隊群は最低限以上の戦果を挙げたと言って良い。

 機に乗じて日本戦艦隊の射撃は、突出するカタチになった【ニュー・メキシコ】【ミシシッピ】【アイダホ】へ集中した。速度性能と引き替えに、厚さ三四三ミリを誇る舷側装甲に代表される堅固な防御能力を誇る米戦艦だけに、【土佐】【加賀】からの集中射撃で四〇サンチ砲弾一一発を食らい、主砲塔すべてを噴き飛ばされて戦闘能力を失っていた【ニュー・メキシコ】ですら、依然として航行可能だった。
 この時点でも、まだ継戦意志を持っていた米アジア艦隊司令部だったが、米駆逐戦隊の阻止を突破して、第五水雷戦隊が退路遮断に入ったことで撤退を決断。麾下全駆逐戦隊へ、敵主力艦隊の阻止命令を発令した。
 戦闘の展開にはついて行けなかった米駆逐艦戦隊であったが、この命令に対しては、それまでの不甲斐なさを払拭するように、敢然として行動に移した。ボイラーの不完全燃焼以外の煙も伴いながら、もうもうたる黒煙を展開し、それが日米戦艦隊を遮断するカーテンとなるまでさほど時間は必要なかった。

 有賀駆逐艦長は声を荒げた。

「【響】は?」
「ダメです」
 この時点で第六駆逐隊は【響】が、艦橋の倒壊・通信機の破壊や信号旗マストの喪失で指揮能力を喪っており、【雷】が指揮を執っていた。
「魚雷は!?」
「装填作業開始したばかりです! 作業終了見込みは2時間」

 勿論、後継艦に搭載予定の次発装填装置などまだどの駆逐艦にも積まれておらず、間違えば艦ごと噴っ飛ぶ手間と神経を使うデリケートな作業であるから、戦闘航行など出来ない。

「遅い!
 作業取りやめ!
 本艦と【電】は反転。追撃を行う!」
「ヨーソロー。作業取りやめ」
「報告有り次第、舵を切ります」

 当然のように血に飢えた日本艦隊の一部は、この黒煙を無理矢理突破した。そこには、煙幕展開を行いつつあった米駆逐戦隊複数だった。巧妙だった。ついて行くだけが精一杯で戦争するどころではなかった筈だが、相手から飛び込んでくるのであれば話は別だ。米駆逐艦戦隊群の一斉砲火は熾烈を極めた。
 彼らは四インチ砲を乱射しつつ、順次 Mk12 二一インチ魚雷を発射。中速・中距離駛走(三四ノット/一〇〇〇〇ヤード)に設定されたそれの内二発が、突出した重巡【加古】の右舷中央へ、その他、駆逐艦三隻にも命中を出すなど、状況を考えると意外なほど大きな戦果を上げた。

 特に第六駆逐隊は、奇蹟の大戦果の報復をされるかのように【雷】【電】二隻が被雷。いかに戦いの女神が生真面目で、運命の女神の性根が捻くれ曲がっていることを体現していた。

「?」
「どうした!? 各部報告!」

 伝令となって各部へ走る者。艦各部へと繋がる伝令管へ怒鳴る者。色々だったが、それに対する反応は、思春期の少年が初告白を行うように上擦っていた。
 おそらくは機関室の弓削機関中尉だ。

「こちら、機関室」
「こちら、艦橋。どうしたぁっ!?」
「どてっ腹に魚雷が刺さっってまーす。俺の目の前で魚雷が首振りして、踊っている。人と物よこせーぇっ」

 弓削機関中尉の絶叫が効いたのか、有賀駆逐艦長は即座に、人員と応急資材の手当を指示。また、戦線の離脱を宣言した。実質的にこの時点で彼らの戦闘は終わっていた。

 なお、基準排水量七九五〇トンの巡洋艦へ戦艦式の中央隔壁を施すという平賀式設計欠陥を持つ【加古】は、水中防御を突破して右舷機関室一杯にまでなった浸水重量に耐えられず、二時間後に横転沈没している。

 ここで日・遣支艦隊は追撃を断念して、艦隊集合を命じた。ほとんど倍近い戦艦相手に互角の勝負を演じた主力の戦艦もすでに多数被弾しており、【土佐】小破 【加賀】中破 【伊勢】中破 【日向】大破という状態だったからだ。特に【アイダホ】の悪足掻きとも言える一弾を船体中央に貰い、主缶が小規模な水蒸気爆発を起こしていた【日向】の被害は深刻で、日本の工業力で修理するには年単位の時間が掛かるのは確実だった。

 とはいえ、【土佐】の五〇〇ミリを超える主砲防盾にみられるように、出師準備で装甲強化されていた各艦であるから、この程度で済んだとも言える。

 先に述べた【電】の状況を言うまでもなく、中小艦艇も被弾していない艦は皆無で、機関へ被弾し殆ど漂流している駆逐艦数隻や、被雷して艦首を切断すらされているような駆逐艦もある。追撃は無理だった。最後まで敵追撃を行っていた第五水雷戦隊の合流を待ち、彼らは這いずるように、台湾・高雄港へ帰投した。

 一方の米アジア艦隊の受難も終わってはいなかった。
 後方へ大回りしたところを米駆逐戦隊に阻まれて戦艦隊への雷撃そのものには失敗した日・第五水雷戦隊だったが、もう一つの任務には成功していた。一号機雷乙の敷設である。秘匿兵器であるがために隠され続けて十余年。誰も知らないうちに旧式化したこの連繋機雷は、日・第五水雷戦隊によって、米艦隊予想退路前面海域一帯へ展開されていたのである。

 一路スービックへと全力で撤退していた戦艦【ネヴァダ】の艦首が、この連環索を引っ掛けた。艦首両舷で水柱をあがる。爆発箇所は運悪く彼女の水雷防御前端で起こり、ヴァイタルパート前後の構造境界での複雑な破壊から、ヴァイタルパート内部までに及ぶ大規模な浸水が発生。数時間後、彼女は前部浮力を失い、復元力を喪失。帰港地をフィリピン沖合海底へと変更し、そこに永久係留されることになる。

 更にオロンガポ沖へ展開されていた日本海軍が所有する機雷敷設潜水艦全艦による第一次敷設機雷によって、更なる被害を強要。米アジア艦隊水上戦闘部隊は戦闘能力を喪失、実質的な戦略価値を失った。



[8720] 一九三三年四-五月
Name: Gir.◆ee15fcde ID:72353141
Date: 2009/06/10 12:46
 最悪のケースは免れたが、日本帝国海軍の受難はこれからだった。
 決して小さな勝利に浮かれていたわけではない。高々二〇〇個に満たない第一次敷設機雷に満足することなく、各海軍鎮守府弾薬庫を洗いざらいして更に約三〇〇〇個の機雷敷設を敢行、フィリピンを海上封鎖した。

 残念なことに、開戦と同時に既に出港していた米潜水艦群へ損失を与えることは出来なかったが。代償は、その補償金で大蔵省担当キャリアが卒倒しかけるほどのマル・フリート――日本商船団の鉄と血で贖われることになる。

 この事態に対して、当時まだ海軍内部に多数いた前大戦遣欧艦隊での海上護衛戦経験を持つ男達が中心となって、厭がる船主や渋る提督達をなだめすかしておどしつつ、船団を組ませて、護衛艦艇を付けて対抗。魚雷の欠陥から、浮上航行での水上砲戦や臨検隊による爆薬設置が主な手段であった米潜水艦隊へ極めて有効な手段となり、事態は一応の沈静を見た(と思われた。実際はフィリピンを機雷封鎖されたため、燃料・弾薬が払底した米潜水艦は、最低でもグアム、ヘタをすると米西海岸まで補給に戻る必要があり、前線へ展開する潜水艦数が大きく落ち込んだ影響の方が大きかった)。

 勿論、その程度で日本帝国の災厄が終わるわけがない。更なる脅威が空から日本帝国へと舞い降りていた。それは、航空機搭載大型飛行船ZRS-4【アクロン】、ZRS-5【メイコン】と言う極めつけのゲテモノだった。彼女たちの躯は、ジュラルミンの竜骨とフレームで出来ており、米国特産不燃ガスを詰めたグッドイヤー製ゴム気嚢を満載し、全長は二四〇メートル・総容積一八万四〇〇〇立法メートルに達していた。このグラマラス極まる巨体には、専用開発された複葉戦闘機カーチスF9C【スパローホーク】四機が搭載されており、船体下部へブランコと呼ばれる係留装置で釣り下げられている。
 これら飛行空母二隻は当初前線基地構築後、本格攻勢の尖兵として温存されていたが、米アジア艦隊の無力化から、急遽前線への投入が決定。勿論、任務は日本の南方航路の海上通商路破壊だった。
 このため、飛行空母搭載機である【スパローホーク】も、搭載機銃の内1丁が一二.七ミリ機銃となり、一五キロ爆弾を搭載可能なように現地改造される。もっとも、それを指令した当の米海軍ですら、増強してすらなお足りない火力(飛行船本体にはまったく火器が無く、搭載機の方も機銃二丁に小型爆弾程度しか積めない)に、その効果を懐疑的に考えていた。

 実際彼女たちは、主任務ではほとんど戦果を上げなかった。

 欧米産に比べると小振りとはいえ、数千トンある外航船を撃沈するには、やはり火力が少し不足していたのだ。

 だが、全く戦果を上げなかったわけではない。戦術的戦果に限ってすら、数千トンのフネそのものには効果が薄くとも、その上に乗っている人間や、その護衛である数百トン程度のフネ――駆潜艇や掃海艇を筆頭とする小艦艇には、十分な脅威だった。これらのフネに撃沈まで至る事例は少なかったものの、銃弾を弾くような装甲が無いことから、多数の死傷者が発生していた。さらに、搭載していた対潜爆雷の誘爆があったとはいえ、一六〇〇トンを超える特型駆逐艦ですら撃沈される事態に日本帝国海軍は恐怖した。戦前から研究報告書等の書類上での航空機の脅威は指摘されていたものの、実際に駆逐艦以上、それも新世代の期待の星・特型駆逐艦が沈められた衝撃は計り知れなかった。この事実は、日本帝国海軍が急速建造を企画・実行していた戦時応需型駆逐艦設計にも、大きな影響を与えることになる。

 作戦計画方面の影響は更に甚大だった。基地所属の単発機の行動範囲を超える地点で、単発機襲撃を多数受けていたのである。近くに航空母艦が居ると考える方が自然だ(実際、水上艦ではなかっただけで、居たわけであるが)。これを捕捉するために投じられた努力は大変なものだった。日本本土の警戒網に穴が空くほどだった。日本帝国海軍は、彼らの教師である大英帝国を襲った惨禍が何によってもたらされたか、忘れていた。それはこの後、述べられる。

 それはともかく、日本帝国海軍も一方的に通商路破壊されていたわけではない。

 太平洋西岸-グアム間の海上通商路破壊戦を開始したのである。特に長大な航続能力を持つ伊号大型潜水艦を、米西海岸近くへ投入したことは、戦争へ大きな影響を与えた。

 想定外海域での被害発生に、米政府及び軍部へ小さくはあったが深刻な混乱を発生させる。米国は、他列強の中立すら疑い始めていた。
 そして、伊五号巡潜一型大型潜水艦が、カリフォルニア州サンタバーバラ・エルウッド石油製油所を砲撃するに及び、それは米市民にも拡大した。実際の被害は損害額より調査報告費用の方が大きいような微々たる被害額だったが、黒々と上がる黒煙と異臭は米国社会へ大きな影響を及ぼした。
 南北戦争以来となる戦争が、市民生活へ押し寄せてきたことに、市民は怒りの声を上げ始めるようになった。

『我々はこの豊かな国で安寧たる生活を望んでいたのだ。決して、自分の家に砲弾が飛び込むような事態は望んでいない。ルーズベルトはどこか世界の果てで、アメリカの正義を示すだけだと云っていたではないか!』

 またエルウッドへ飛んできた砲弾が、巡洋艦クラスの砲弾だったと言う事を、地元紙がスッパ抜いたことも米市民をさらに動揺させた。これは日潜水艦が一四サンチ砲を装備していることを知らなかったことによる単なる誤解であったが、一般市民はそんなことはわからない。何しろ、巡洋艦主砲クラスである。世界の果て極東から襲撃してきたとは信じられない市民も多く、「ジョンブルが保護領であるハワイから出撃して、ジャップに加勢した」「カイザーがキューバだけでは満足出来なくなった」「パリ・コミッテルンが革命の輸出を始めようとしている」など珍奇な説が新聞を賑わせたほどだった。これには、実際ハワイへ英海軍K部隊が、キューバには独カリブ海艦隊がそれぞれ増強されたことを、既に報道されていたからいっそう真実味があった。

 共産主義者との接触が噂される財務省高官ハリー・D・ホワイトなどは声高に主張した。ここで真実が――米アジア艦隊が戦艦を喪っただのという情報が漏れなどしたら、スキャンダルにすらなりうる、と。

 混乱の極みだった。米首脳部は事態の打開を迫られた。

 それがもたらす戦果というか、戦禍はまったく彼らの予想を超えていた。



[8720] 一九三三年四月 日本・横浜
Name: Gir.◆ee15fcde ID:169770f9
Date: 2009/06/16 19:34
 高野家は代々医学者の家系であった。家系図が辿れる頃には既に漢方医であったが、徳川家八代将軍吉宗の蘭本輸入解禁に始まり、『解体新書』の和訳発刊、杉田玄白の天真楼などに強い影響を受け、その結果として、維新前夜までは蘭方医の一族と各方面に認められていた。

 そして高野京也の祖父にあたる惟次であるが維新後、明治新政府の中でドイツ医学の採用を訴えていた相良知安へ与して、積極的にその運動に身を投じ、最新の医学を修める医師として次第に人の口へとのぼるようになっていた。特に数カ国語を堪能に操る彼は、日本へ立ち寄る外国船員の間で有名となり、その伝手で請われて住処を横浜へと移したほどである。

 こうして、まずまずの人生を歩んだ惟次であったが彼には二人の息子がいた。一人は父の跡を継ぐべく医師としての道を選んだ京也の父、直道。そして京也の叔父に当たる直道の弟、秀道は海軍軍人の道を選んだ。
 前者は、父の跡をまずまずよく継ぎ、横浜の開業医としての生を営み、一男三女の子をもうけた。
 後者は、一九二一年欧州の海戦により若くして命を落とすが、その生き様は、深い憧憬を植え付けられていた医師の長女・雅の心に深く刻みつけられ、彼女から、色々と教育されていた京也に深い影響を与えることになる。彼が海軍兵学校へ入学したのも、長姉あればこそだった。

「京也」
「はい、姉様」
「おつとめご苦労様です」
「はい」

 内面的にどうかはともかくとして、海では怖いモノ知らずの評価を受ける京也であったが、実のところ彼は姉達がなんというか苦手だった。
 幼少の頃より直接的に肉体的言語でコミュニケーションを行ってくる三姉・勇子には脊髄反射的に全く頭が上がらないし、デンと閑かに控える次姉・静佳はなんというか精神的圧迫を強く感じていた。そして、長姉・雅であるが、彼女の場合苦手な理由は下の姉達とは違う方面の感情によるモノであった。簡潔に述べると肉親の情を超えたモノを感じていたためで、その気恥ずかしさから苦手意識を強くしていた。おかげで、彼女の前では、ぎこちなく、口調すら何というか普段の彼からは想像つかないモノだった。

「似合わねー」
「喧しい」

 【雷】が修理のため、横須賀工廠へ回航され、乗員には待機を命じられていたことから、暇を持て余して京也と同席している弓削毅司機関中尉の一声を、一言で切って捨てて、彼は長姉への語らいを再開する。

「姉様もお変わりないようで、安心しました」
「京也達が守ってくれていますから」
「い、いえ……」

 長姉の優しいまなざしにドギマギする京也。

「弓削さんもご苦労様でした。しばらくぶりですね、いかがされておりましたか?」

 雅の言葉に、弓削は笑顔を深めてカンカラと答えた。

「いつも通りです。ボーボー蒸かしてガンガン回す。俺にできるのはそれだけですから。ハッハッハッハ!」
「そうですか。そういえば、お友達の帯刀さんも見えなくなって久しいですね」
「ヤツですか。ヤツはヤツで自分たちとは少し違う苦労をしているらしいですから。まぁ、その内ひょっこり顔出しにきますよ。確実です」

 その言葉に雅は不思議そうな顔をした。

「どうしてですか?」
「え……、その」

 そこで弓削は言い淀んだ。ふざけ半分の裏に隠された帯刀迅の純心を知っているためである。

「おい」
「なんだ?」
「もしかして、気付いていないのか?」
「……どうもそうらしい。少なくとも自分は妹たちのついでだと、思っている。多分」
「迅のヤツもかわいそうに」
「まったくだ」

 と、答えつつ、テメーはどうなんだよと生暖かい目を京也へ向ける弓削。

「京也、弓削さん、どうしましたか?」
「「いいえ、特に何も」」

「そうですか。お仕事の方は、まだまた大変ですね。弓削さんは、どうですか?」
「はぁ、配置換えらしいんですが、まだちょっと見えないんですよ」
「そうですか、早く決まると良いですね」
「そう思います」

「京也。貴方は?」
「はい、姉様。これから、新しい艦に行くことになりそうですが、もうしばらくはこちらに居ることができそうです」
「そう」

 童女のように喜びを表す雅

「ここは貴方の家なのだから、いつでも帰ってきなさい」

 そして、意味深に告げた。

「私は待っているわ」

    :
    :

「うわーっ、静佳姉見た? 京也のあのデレ顔。完全に雅姉の術中に嵌っているね」
「……」
「京也は優しいから? え~、アイツの何処が。構えば、憎たらしいだけじゃない。」
「……」
「勇子はやり過ぎなのよ? そうかなぁ、良いときも悪いときも、ちょっと、なでてやっているだけじゃないの」
「……」
「私は見守っているだけ? どうやって」
「……」
「いつも一緒に? 病めるときも健やかなるときも共にあらん……って、静佳姉ソレ違う。知っている? 姉弟って結婚できないんだよ」
「……」
「あら、かわいいこと言うわね? 姉小路さんのところとか、松崎さんのところとか、知らないの? って、もしかして……」
「……」
「その通りよ、だから私と京也が……? こりゃダメだ。ここは私がしっかりしないとダメだよね。京也の面倒は私が見るしかない」

 つまるところ彼女たち全員、全然判っていなかった。




[8720] 一九三三年五月一〇日二〇〇〇、ワシントンDC
Name: Gir.◆ee15fcde ID:169770f9
Date: 2009/06/16 19:35

「神よ、おお神よ」

 執務室で、ウィリアム・V・プラット海軍作戦部長は目の前の作戦案について、神に問うていた。
 これは作戦ではなく、単なる人殺し。道義と真義の元に行われる戦争を行う神聖なる組織である海軍が行うべき行動ではない。これでは、シカゴあたりに蔓延っている非合法活動も厭わない互助団体ではないか。

 しかし、大統領の命じた言葉は自分たちにそれを行えと命令していた。
 海軍士官を経て、長年海軍と共に歩んできたルーズベルト大統領は評価されるべき人物だ。しかし、それは人柄に対してのものではなく、あくまで有能さに対してのものだった。個人的人格を評価するなら、信頼が置けず、思い通りにならないと気が済まない病んだ皇帝。
 日本帝国海軍には、ノムラ海軍大将を始めとして多数の知人が居る。勿論、戦場で出会ったなら軍人の礼儀として砲火を交えることもあろうが、これは違う。裏切りだ。

 彼は自身を切り取り、それに神の名を与え、問い続ける。

 そして、プラット海軍作戦部長は、一晩悩んだ後、作戦を認めるサインを行った。




[8720] 一九三三年五月二五日一〇〇〇、横須賀沖50km
Name: Gir.◆ee15fcde ID:169770f9
Date: 2009/06/24 19:50

「どうだ、このフネは」

 公試を終え、不具合是正工事の後、新編された第四一駆逐隊の錬成訓練に向かう海上。そこで、艦長の白浜少佐にそう尋ねられた高野中尉は少し困った顔をした。高野中尉には、火災防止のためとはいえ嗅ぎ慣れたペンキの匂いすらしない、この新造艦がどうも頼りなく思えたのだ。
 ソレを感じ取ったのか、艦長の白浜少佐は愉快げにのたまった。

「貴様が前に乗っていたのは特型だろう?
 あの豪勢なフネとこの戦応型じゃ、比べものにならんだろうがな」

 ガッハッハと剛毅に笑う白浜少佐。貴方も先まで水雷長として特型駆逐艦に先に乗っておられたのですから、それはよくお知りでしょうと言いたくもなる。少佐が必殺を期した魚雷自爆に殺気だった水雷科有志が一丸となって艦政本部へ殴り込みに行った件は、高野中尉の耳にも入っている。あの後、呉海軍工廠魚雷実験部が異常に熱気を帯びていたらしいが、何があったのやら。
 そして、フィリピン沖海戦で大尉だった白浜水雷長は、乗艦が廃艦同然になったため、新造駆逐艦の艤装員を任じられ、少佐に昇進し、その艦長となったわけであるが、微妙に左遷のような気がしないでもない。
 何しろ白浜少佐が以前水雷長をしていた特型駆逐艦とは、格が違いすぎた。

 戦応S型駆逐艦【榛日(はるひ)】級。
 一応一等駆逐艦に分類される筈の基準排水量一一〇〇トンだが、計画排水量は九九〇トンであるという実に強引な解釈から艦籍簿上は二等駆逐艦に分類。対水上火力は一二サンチ四五口径単装砲三基と六一サンチ四連装発射管一基。最大速力は二八.五ノットという日本水雷戦隊の要求するそれからすると低性能どころの話ではなかった。ヘタをすると大戦時に建造した二等駆逐艦にすら劣る、という評価が海軍部内では支配的だった。

 しかし、高野中尉の評価は少し違った。

「艦隊戦には少々不向きかもしれませんが、それ以外の戦いなら本艦の方が有力です」

 白浜少佐は少し感心したような顔をする。

「ほう、君にはそれが判るか」

 高野中尉は、ほんの少し白浜少佐の評価を変えた。単なる水雷莫迦ではないらしい。

 確かに、総合能力から述べると評価は全く変わる。
 敵航空機に駆逐艦が想定外の大きな被害を受けたために対空火力強化を意識したのか、主砲の一二サンチ砲は睦月級以前が採用していた平射砲ではなく、十年式一二サンチ四五口径単装高角砲になっていた。加えて機銃も、従来の駆逐艦性能標準である七.七ミリ二丁から、仏ホチキス社からライセンスごと購入した二五ミリ単装機銃一二丁となり、これを実装している。そして、対潜装備である爆雷も投下軌条二基、爆雷投射機四基持ち、爆雷は平常ですら三六個、予備魚雷を諦めれば八四個を搭載できる大盤振る舞い。

「上や下に強い事はいいことだと思いますよ。それに、なんといっても航続距離が無体に長いです。戦艦と一緒に出ても、戦艦の方が先に燃料切れするぐらいですから」
「確かにな」

 同時並行で戦応F型として計画された、機関のみ異なる準同型艦である【白草】級は、機関の入手性からロ号艦本式罐・四気筒三段膨張式レプシロ機関を採用したため、最大速力二九ノットで航続距離が三〇〇〇カイリを割るような状態だった。
 油槽艦や給炭艦の不足を感じる日本帝国海軍で、むやみに使える航続性能ではない。
 このため、特に長距離活動を希望された本級【榛日】級は、航続距離を延長するため、【白草】級では三基搭載しているレプシロ機関の内一基を潜水艦用ディーゼル機関へ変更していた。ただ、当時最新技術と呼んで問題ないディーゼル機関だけに、量産に必要な数量の確保に酷く苦労した。この【榛日】ではズルサー式三号ディーゼル機関を搭載していたが、同型艦ではラウシェンバッハ式三号ディーゼルを搭載した艦や、艦政本部が国産化した(が、試作の域を出ていない)艦本式一号ディーゼル機関各型を搭載した艦すらある混乱振りだった。混乱余って、【白草】級と同じ燃料搭載量を持つ本級の航続は一四ノットで一四〇〇〇カイリに達する。もっとも最大速力は〇.五ノット程度低下していたが、実際のところ十分許容範囲だった。

「しかも、外洋での航洋性は特型に劣りません」
「うむ、荒天での実速力は同程度以上かも知れんな」

 航洋性は、武装重量を抑えて乾舷を極力高くしたために、意外なほど高い。通常、特型を除く駆逐艦の外洋での速力は、額面性能との乖離が激しいが、戦応型はそれが著しく小さかった。波荒い現在の海面状態でも、舵を握る高野中尉は針路や速力の維持にほとんど苦労していない。

「これを建造期間五ヶ月でやってのけたのは凄いですが、少しやり過ぎではないかと……」
「全くだ。ツルシのお着せとはよく言ったものだ」

 この当時の日本人の認識としては、量産品、いわゆる数打ち物はダメだ、まともな使い物を造るには一品物出なければならない、である。当時正式採用されていた、軍で最も数多く必要とされる歩兵小銃の三八式歩兵銃からして、個々のパーツ互換性すら保証しかねるという恐るべき時代だった。

 フネの場合は更に問題があった。
 職工気取りの造船所員は、心ゆくまで部材の仕上げを行い、数日ほどその出来を堪能した後に据え付ける。自分たちが何を作っているのが判っていなかった。全く、近代工業という物を理解していなかった。
 そんな時代背景を持ちつつ生まれたこの艦であるが、戦時急増のために直線を多用しており、艦型はブサイクの一言。俺はこんなフネを設計するために造船技官になったのではないとの嘆きの声や、プライドにかけてそのようなフネは作れんとかいう造船所員の怒声やらが聞こえてきそうだ。実際、戦応型の殆どは、既存軍関係造船所ではなく、艦艇建造経験がない民間造船所で建造せざるを得ないほど、毛嫌いされていた。始めてこのフネを見たときの両者もさして変わらない。白浜少佐は本気で艦政本部へ殴り込んだことを後悔しそうだった、と高野中尉に懇親会でポロリとコボしさえしていた。
 色々なことを考えていそうな顔をしながら、白浜少佐は上空を見上げていった。

「さて、一波乱ありそうだな」

 上官の不吉な予言に高野中尉は眉をゆがめる。激しい訓練を行う日本帝国海軍に事故は付きものだ。

「訓練で一波乱ですか? 勘弁してください」

 確かに波乱だった。ただ、それは訓練海域では無かった。




[8720] 一九三三年五月二七日一七〇〇、東京沖南南東390km
Name: Gir.◆ee15fcde ID:169770f9
Date: 2009/06/24 19:51

 その艦隊は東京沖南南東二〇〇カイリを北へ突き進んでいた。

「先行している潜水艦からは何も警告ありません」

 この特別任務戦隊の臨時指揮官となっているハルゼー大佐は不機嫌さを隠そうともせず、その報告を受けた。

「よろしい。航海、目標地点まで後どのぐらいだ」
「約一五〇ノーチカルマイルです、提督」

 本来提督と呼ばれるには少し早いその言葉に、ハルゼーはニヤリとした顔を見せつつ、命令した。

「そうか、伝令、戦隊全艦に通達。
 見張ヲ厳ニセヨ。報告ハ迅速旨トスベシ」
「アイサー。
 見張ヲ厳ニセヨ。報告ハ迅速旨トスベシ。
 全艦に通達します」

 伝令の復唱を聞きながらも、ハルゼーはこんなコソ泥のようなまねごとを軍隊式に行うなら、いっそ接敵すらしないだろうかとまで思っていた。この作戦、大統領の至上命令らしいが、政治が作戦にまで関与するとは何事だと思う。まぁ、実際この艦ならばそのような使い方になるのも道理だが。今更だが、さっさと航空ライセンスを取って、航空畑へ移るべきだったと後悔すらしていた。

 ハルナンバー、CW-1。戦略巡洋艦【アラモ】。
 ハルゼーが今指揮を執っている艦の名前だ。
 艦種記号のCWは、巡洋艦のCに戦争ウォーのWと言うのが米海軍の公式見解だった。が、もっぱらの噂では大戦時の戦略巡洋艦の通称『ヴィルヘルム巡洋艦』の頭文字であるという説が、きわめて有力。ハルゼーも米海軍の公式見解より、通説の方が正しいのではないかと思っている。米海軍部内でも、そちらの方が早く聞こえてたからだ。
 最大の特徴は、連装四基八門搭載されている七五口径九.五インチ砲に尽きる。戦略巡洋艦主砲であるから、それは戦略砲撃を行うために存在し、その最大射程は一〇〇キロを超えていた。必要十分だ。
 副砲は一八インチ砲搭載戦艦【サウス・ダコタ】副砲や軽巡【オハマ】主砲と同じ五三口径六インチ砲を採用している。条約の大型巡洋艦排水量制限から艦型縮小に悩んだ事を知っている識者からすると意外と思われるかもしれないが、これは主砲の九.五インチ砲が日本帝国海軍のそれよりかなり緩い米海軍の基準においてすら、散布界が広すぎるためだった。一説には、公算射撃に必要な精度と発射間隔すらなかったらしい。であるならば、同カテゴリーである巡洋艦程度は撃退可能な火力を副砲へ与える必要がある。そんな理屈から副砲サイズは決定された。そのような兵装重量超過に悩みつつも、最大速力はなんとか三〇ノットを確保していたが、その代償として防御は米大型艦艇にしては弱く、一九二〇年代の対六インチ防御で、水雷防御はほとんど無い。
 コンセプトだけで突っ走り、現実の壁にブチ当たった条約型艦艇の最たるモノだった。
 実際、米海軍では建造した後でこのような艦をどのように使うか真剣に悩んだらしい。まともな作戦の元では、あまりに防御が弱いから制海権を確保した後でないと、大被害間違いなしで投入に踏み切れないし、制海権を確保した後ならば、殆どの場合戦艦以下の艦砲射撃で十分間に合い、特に【アラモ】級の投入は必要ないからだった。設立以来、議会からの締め付けによる予算不足に悩んでいる米海軍としては、投機的作戦に使用するには【アラモ】級は高価すぎた。そんな宝石細工の卵がハルゼーの元には三隻もある。

「あと六時間か……」

 ハルゼー大佐は人生で最も長いであろう六時間に嘆息した。




[8720] 一九三三年五月二八日〇六〇〇・常陸沖100km
Name: Gir.◆ee15fcde ID:169770f9
Date: 2009/06/24 19:52

「横浜基地水偵から入電。
 敵艦見ユ」

 伝令からのメモを奪い取るようにした高野中尉は声を上げた。

「捕まえました、艦長。敵はすぐそこにいます!」

 本日未明に東京は敵艦砲射撃を受け、大被害を出していた。霞ヶ関辺りを狙ったらしい敵攻撃最大級の戦果というか戦禍は、霞ヶ関では無く紀尾井町で発生していた。軍令部長・伏見宮元帥邸が文字通り噴き飛ばされたのである。邸宅に帰宅していた伏見宮元帥の生死は未だ不明、その生存は絶望視されていた。色々言われる人物であるが、日本帝国海軍軍人にとって偉大な人物には違いがない。白浜少佐は激情のまま、錬成訓練に出ていた艦を掻き集め、半ば山勘で敵艦がいると思われる推定海域へ急行していた。
 白浜少佐は勝負に勝ったらしい、彼の進む先には敵艦が居る。払暁前に大挙して発進した横浜水上機航空隊所属の水上偵察機がそれを保証してくれた。高野中尉は白浜少佐と目を合わせた。白浜少佐は断言した。

「よおし、仇を取るぞ!
 全艦へ連絡。針路〇―三―〇、機関全力一杯!」

 それは定格出力を越えて機関を稼働させることを意味し、運が悪ければ機関を自壊させてしまう恐れすらあった。勿論、そのようなことがあれば、命令を下した士官がどのような扱いを受けるか考えるまでもないだろう。
 だが、その命令にどの艦からも反対意見は出てこなかった。




[8720] 一九三三年五月二八日一八三〇・東京南方380km
Name: Gir.◆ee15fcde ID:169770f9
Date: 2009/06/24 19:53

 東京砲撃を何とか終えたハルゼー大佐は、その興奮も冷めやらぬまま、持て余していた。

「しかし揺れるな、副長」
「まぁ、色々と無理をしている艦ですからね、しょうがありませんよ」

 荒天に海は荒れ、凌波性良好とは言い難い【アラモ】級各艦は戦隊速度二二ノットを何とか維持していた。東京砲撃から一八時間。途中、日本軍のモノと思われる航空機が見え隠れしていたが、夕刻が近付きその姿も消えていた。剛胆な士官の中からは敵を何とか振り切ったと言い出す者すら居た。

 だが、それは誤りだった。日没寸前の水上線上に、小型艦の艦影複数を確認したからだ。その速度にハルゼー大佐は目を見張った。

「やつら、この波の中どれほどの速度出していやがる!?」

 個人的性格もあるが、この日本艦隊速度が、ハルゼーに判断を誤らせた。ハルゼーはこの荒天で三〇ノット近く出している敵艦隊は、まだ余力を残しており、たとえこちらが全速を出そうとも十分【アラモ】達を捕捉できると考えた。実際は後先を考えない出力発揮で、機関が異常な振動を発している艦すらあり、これ以上の速度発揮は無理だった。だが、それをハルゼーは知らない。ハルゼーは、後の世に「ブルズ・ステップ」と呼ばれる命令を、吠えつくように発した。

「全艦、戦闘準備! 総員戦闘配置!
 第二戦速!
 面舵一杯、敵艦隊の頭を押さえろ!」

 その命令は、速度増速ではなくむしろ減速だった。不思議に思えるかも知れないが【アラモ】級は動揺特性が良くなく、速度を出すと定針すら困難な状態に陥るからだ。当然そのような状態で射撃など行えるはずもない。
 通達は瞬く間に全艦に伝わり、対水上砲戦向きでない主砲すら旋回を始め、敵艦を指向しようとしていた。一〇〇キロを超える射程を持つその主砲は長大で、戦艦よりも頼もしく見える。少なくとも見かけ上、大概の戦艦より砲身が長いのは事実だった。

「距離二二〇〇〇
 敵艦八隻、いずれもクラス不明巡洋艦、新型艦の可能性大!!」
「回頭終了、舵戻します!」
「測距よし。いつでも始められます」

 ハルゼーはその仕事ぶりに満足した。海軍とはかくあるべきだ。その満足感を満面に浮かべて、ハルゼーは命じた。だが、肝心の相手艦種を誤認したことを知らなかった。これは重大なミスだった。

「全艦、全兵装使用自由!
 砲術、撃ち方始め!」

 最後は自艦に対しての命令だ。
 射撃命令を待ちわびていた砲術長はハルゼーの命令を聞いて、即座に号令を行い、引き金を引いた。

「ファイヤー」

 僚艦【コンコルド】【リトル・ビッグ・ホーン】も射撃を開始し始めた。戦略砲撃を行うために据え付けられている主砲が叩きだした反動は強烈で、船体動揺がなかなか収まらない。そのため、彼女たちの主砲発砲は分何発というレヴェルではなく、数分に一発というレヴェルだった。インターバルがここまで長いと目標へ対する射撃諸元は、統制射撃に必要な最低限以下である。実際、弾着はデタラメだった。遠弾なので近くに寄せたはずが更に遠弾となったり、その逆もある。散布界と呼ぶもおこがましい、好き勝手放題にデタラメな着弾をする主砲にハルゼーは頭を抱えた。
 交互射撃で約二~三分ごとに【アラモ】級各艦から四発ずつ計一二発が発射され、それを二〇分以上続けていたが全くの無駄弾だった。全て敵艦隊とは、あさっての方向へ水柱を立てただけだった。
 それもしばらくだったが。じきに副砲の射程へ敵艦隊が突入してきたのである。副砲ならまともな射撃が期待できる。

「副砲だ。よく狙って撃て!」

 ハルゼーに言われるまでもなく、主砲のよく当たるとか当たらないとかというレヴェルとは別次元の命中率に、見切りを付けていた各艦の砲術長は、既に副砲長へ命令を発していた。各艦左舷に並ぶ六インチ三連装二基三隻計一八門が日本艦隊の迎撃を開始した。ただし彼らはハルゼーの命令を守らなかった。米戦艦副砲の戦術ドクトリンに従って、最初から最大レートで射撃を開始したのである。日本艦隊へ毎分一〇〇発を越える六インチ砲弾が降り注ぐ。しかし、日本艦隊の襲撃運動も巧妙で、回避運動をたびたび行うため、やはり命中は厳しい。副砲弾は辛うじて数発命中を出していたが、それらの命中弾では日本艦隊は一艦も落伍すらしていなかった。偶然命中した主砲九.五インチ弾にて上甲板を前から後ろまで撫でるように噴き飛ばされた一艦は轟沈していたが。

 日本駆逐艦主砲の反撃もあったが、五インチ程度らしいその損害は軽微なものだった。主砲は当然、砲塔化されていた副砲も五インチ砲弾程度はものともしない装甲を施されていたから、火力の減少はない。

 だが、実際に撃たれているという現実は乗員の士気に大きな影響を与え、只でさえ低い命中率が更に低下して手に負えない状況となっていた。

 そして、指呼の間ともいえる距離三〇〇〇まで詰めたところで、敵艦隊は魚雷を放っていた。自殺行為と見間違うような悪鬼のごとき二八線の白い泡は、【アラモ】【コンコルド】【リトル・ビッグ・ホーン】の順で、一・二・三本の水柱を立て挙げる。水雷防御皆無のところへ、米戦艦基準ですら撃沈確実の大型魚雷三本の命中を受けた【リトル・ビッグ・ホーン】は、たちまちの内に大傾斜を始めた。騎兵隊はまたもや斃れたのだ。

「ハルゼー大佐、【リトル・ビッグ・ホーン】艦長が総員退艦命令を出しました」
「【コンコルド】に溺者救助をさせろ!
 本艦をコレを援護する!」

 もっとも【アラモ】にしても援護するなどから、程遠い状態だった。被害極限に忙しく、戦争が出来る状態ではなかったからだ。しかし、もはやハルゼーに出来ることは、乗員を一人でも多く助けることに努力することだけだった。【アラモ】副砲が散発的に射撃を行っていたが、それは撤退する敵艦隊の景気づけをしている過ぎない。遠ざかる敵艦影を見過ごすしかない現状にハルゼーは切歯扼腕した。

 結局、【リトル・ビッグ・ホーン】は一時間後に沈没、【コンコルド】は復旧の見込み無しとしてキングストン・バルブを抜いて自沈し、【アラモ】のみが生還できただけだった。




[8720] 一九三三年六月 欧州パリ郊外
Name: Gir.◆ee15fcde ID:30d73e29
Date: 2009/07/01 12:47
 帯刀迅は、目の前の報告書から目を離すと、その内容を端的に吟じた。

「米海軍の東京砲撃は事実上の失敗だった」

 投入した戦略巡洋艦三隻の内、二隻が沈没、一隻が大破。
 実際はそのようなことは些事だった。紀尾井町の一件の報を聞いて、プラット米海軍作戦部長は卒倒すらしたらしい(残念なことに彼は健康上の問題を理由にそのまま退役した)。
 この件はルーズベルト大統領の思惑を大きくはずれて、米国へ甚大な政治的惨禍を与えていた。
 王族を暗殺したと考えた、同じく王族を抱える欧州各国から強い不興を買うことになったのである。特に黄禍論から黄色人種へ強い偏見を持っていた(だが、不思議なことに日本人には妙な好意を持っており、伏見宮と直接の面識がある)独皇帝ヴィルヘルム二世までもが、十五年ほど前自分が何をしたのかも棚に上げて、『ギャングが如き米国より日本人の方がマシ』と言い出したことは、大きな問題だった。
 それにより、あらゆる意味で中立を保っていた独海軍が独逸人らしい密告癖を発揮し始めた。キューバを拠点としていたカリブ海艦隊のみならず、サイパンを拠点としていた極東艦隊に米艦隊の動向を逐次偵察させ、それを日本帝国海軍諜報網へ意図的にリークすらするようになっていた。

「ドイツ人の密告は芸術だと聞いているが、これはどうかな?」

 たしかにドイツ皇帝所有艦SMS軽巡洋艦【マグデブルク】号は、二五年という判断に困る艦齢だ。大戦勃発一〇年前の代物だけに、スクラップにされても、極端な不自然さはない。勿論、武装・装甲は全て取り外されており、軍艦としての定義から外れているので、国際法の中立国条項の問題もない。ただ、真新しいが何故か旧式の暗号表を積んでいだまま、解体先の日本に来ていなければの話だ。不思議なことに、この暗号表を使うと、現在の独極東艦隊の暗号電を八割方読み解けてしまう。全く田舎芝居も良いところだ。

 勿論同盟国たる、英国については言うまでもない。一応中立だけに戦闘行為などは行わないが、海軍や対外諜報局が得た情報を様々な形で日本に提供するばかりか、国際法ギリギリのあらゆる手を使って、米国に嫌がらせをしていた。

 潜水艦だけの情報では掴み切れていなかった米海軍戦略情報の入手に小躍りした日本帝国海軍だったが、その内容を理解して青ざめた。どう見ても侵攻用としか思えない大船団が、西海岸に終結しつつあり、いつの間にかグアムの基地機能が大拡張されていた。一八インチ砲戦艦【サウス・ダコタ】を筆頭とする戦艦一三隻、【レキシントン】級巡洋戦艦二隻を基幹とする戦闘艦艇多数もグアムに向かっている。最小限の本国防衛戦力を残して、総ざらえするつもりらしい。

「戦争開始百日を祝辞で飾ること出来ず。彼らにとって幸先良からぬ出来事だろうな。
 しかし、流石は米国だ、思い切りが良い。これ以上の戦力逐次投入をするつもりはないようだ。
 一方、我が日本は――」

 外も大問題だったが、内も大問題だった。

「赤レンガの連中は、今戦争中だと言う事を忘れたいらしい」

 何をおいてもまず東京砲撃の責任問題だ。少なくとも当事者達はそう思って、声を大にしていた。が、海軍内において一大派閥である艦隊派と呼ばれる面々は、首魁である海軍軍令部総長伏見宮が行方不明となったことにより、礼儀正しく無視されていた。

 特に対外問題から領土野心を持たないことを示すことから、一切の侵略行動を行っていなかったため、暇を持て余していた陸軍も蠢動を始めていた。これを機に『海軍がやらぬなら陸軍だけでも舟艇機動を行ってフィリピン・グアムを報復占領する』などと言い始めており、焦眉の課題だった。マズイことにGL船などという上陸戦用の陸軍船舶(海軍のフネではないので、陸海軍共に決して艦艇とは呼ばなかった)が出来上がりつつあり、陸軍はそれが使いたくてしょうがないらしいことが、傍目にもわかるほどだった。辛うじて僥倖と呼べることは、いままで民衆を戦争へと煽るだけ煽っていた大新聞社が突如として変節したことだった。東京砲撃で、本社と社主邸宅が噴き飛ばされたことが原因ではないかと噂されたが、当事者は頑として否定しているため、定かではない。それはともかく、事態を必要以上に大騒ぎして、民衆心理を殊更悪化させる余裕が報道各社へ無かったことが幸いしていた。

「だから、こういうことにもなる」

 明治以来の官僚化の垢を刮ぎ落とすかのように日本帝国海軍は、海軍大臣・大角岑生の退任、連合艦隊司令長官・末次信正大将、横須賀鎮守府長官・永野修身中将、海軍軍令部次官・高橋三吉中将の予備役編入、軍令部第一部長・嶋田繁太郎少将の第一戦隊司令への転出を始めとする大鉈を振るい、始末を付けた。

 後はひたすらに、来るべき決戦へ向けて戦力の整備に邁進した。それはなりふり構わないもので多方面に及んだ。

 順当なところで、艦艇の整備。
 ルソン沖海戦で大破した【日向】と未だ艤装工事中の【比叡】を除く、全戦艦が投入可能な状態になった。加えて、戦応型駆逐艦の建造促進。当初五ヶ月前後で竣工していたソレは、三ヶ月以下まで短縮されていた。これは日本帝国の国力を考えると、一年以内に決着を付けないとならないと考えられたためだった。であるならば、一年以内に投入できない戦力整備は行わない。見事なまでの割り切りは、日本では珍しいことに直線的に実施され、既存艦艇の急速整備と一年以内に配備可能な軽艦艇の集中建造が行われた。

 次に魚雷。
 画期的新型魚雷が開発され、量産を開始していた。度重なる事故にもめげず実用化された九三式酸素魚雷。速力四九ノットで駛走距離二〇〇〇〇メートル。あまりに高性能すぎて、どのように使うべきか迷いすら産みそうだった。もっとも製造に手間取り、精々が各艦一斉射分の用意しか出来ない見込みだった。それに長期間、艦艇へ積みっぱなしにも出来ない。所詮は一九二〇年代の設計で一九三〇年代の日本国産製品である。特に気密に関わるパッキンなどは当時日本の苦手とする領域だ。フル装気されていても、気抜けしてしまい、そうは持たない。抜けた第二空気は装気装置にて充填されなければならないが、それはまだどのフネにも積まれていなかった。ゆえに出撃直前に装気後、各艦へ配備するしかしょうがないと考えられていた。

 更に艦載機。
 未だ発展中と見られていたため、これまで戦力整備も緩やかだった。例えば開戦時の【天城】【赤城】など、常用機で六〇機の定数を持っていたが実際の搭載機は補用機まで含めて三〇機を切っていた。ならば、ソレを満たさねばならない。誰もがそう考えるように海軍もそう考えた。
 ただ残念なことに、ここ近年開発中の物まで含めて新型の艦上戦闘機・艦上攻撃機は空技廠・三菱・中島、揃いも揃っていずれも奮わなかった。そのため、小改修した既存機の大増産が計られ、中島九〇式艦上戦闘機二型・三菱一三年式三号艦上攻撃機が、開発各社のみならず海軍各工廠においても、続々とその数を増していた。また、爆弾命中率に画期的向上をもたらす新戦術『急降下爆撃』を行う新機種として、愛知で試作されていた通称【軽爆機】は、試験飛行での良好な成績から制式化もされないうちに増加試作の名目で量産が開始されていた。一方川西でも、試作されていた三座の長距離水上偵察機が良好な性能を示したため、同様の措置が採られた。勿論、機材は揃っても人が揃うわけではない。

「航空畑の魁、松山中将と山本少将か。あの人達らしいといえば、それまでだが……」

 だから、航空本部長・松山茂中将、第一航空戦隊司令・山本五十六少将が揃って陸軍へ頭を下げ、航空機搭乗員を借り出していた。組織の必然として、陸海軍の確執は確かにあったが、それを乗り越えてでも絶対に必要だった。もっとも陸軍にしても本土固守方針から、戦争に全く寄与できていなかったから、これは渡りに船だった。明治以来の大陸不侵出は陸従海主をもたらしており、これをいくらかでも覆すために、陸軍は秘匿機の貸与すら逆提案した。

 アレコレ慌ただしいことであるが、そんな中には平時であれば一笑に付して門前払いするような空想科学じみたものもあった。

「ほぅ、柳本中佐殿はなにやら面倒事に巻き込まれたらしいな」

 柳本柳作中佐。英国駐在する予定であったが、米国との間が焦臭くなったため、渡英は中止。現在は艦本造兵監督官の肩書きのまま、海軍軍令部へ出仕しているはずだ。そこで彼は憂国の志に燃える東北大学教授に捕まってしまったらしい。
 東北大学工学部教授・八木秀次。一九二六年、国内学会にて、指向性アンテナと分割陽極マグネトロンの研究成果を発表した。勿論、渡来品の大好きな日本人は、誰もその重要性に気づかなかった。日本で電気といえば強電しか研究者が居ないような時代で、弱電を研究し続け生まれたソレは、軍事的パラダイムシフトですらあった。

「将来はこれさえあれば、昼夜変わらぬ主砲射撃に、皆中違わぬ砲弾・魚雷の雨あられか。
 確かに正気の沙汰とは思えない」

 八木教授の作成した資料には、そのようなことが書いてある。迅は学校時代に愛用した秘蔵本(なぜかある種の湿気を帯びた気配アリ)を見つけたような気分になる。眩暈がしてきた。アンテナとマグネトロンを使用して、諸元の精度を高め、主砲射撃までは理解できる。実際、夜襲では探照灯などを使っている。この際に電波が少々加わったところで騒ぎ立てる程の問題ではない。どうせ、夜間に直径1メートルを超える探照灯など灯ければ、数十キロ先からでも余裕で見える。しかし、砲弾の発射衝撃はひ弱なアンテナその他など圧し潰してしまうだろうし、水中に電波は通らない。何より口上通りそんな便利な物なら、使い捨てにするには勿体ない。勿体ないはともかく、自分から当りに行く砲弾や魚雷まで行くとかなり疑わしい。荒唐無稽すぎた。だが、今は戦時中だ。無理と無茶の観艦式を無謀が嚮導しても、不思議はない。さすがにいくら戦時中とは云えど、海のものとも、山のものともつかぬものを一挙に全艦艇へ搭載するほど、日本帝国海軍は暇でも酔狂でも無かったが。

「だからといって、戦艦持ち出すとは。
 やりますな、柳本中佐。はっはっは」

 ただ艦政本部の手元には、ちょうど高速戦艦への大改装と新型戦艦の各種艤装テストベッドになった関係から未だ艤装工事中であった【比叡】があった。機材の大きさからいって、この程度の艦体は必要だ。この際だから、厄介ついでに括り付けてしまえ。本当に柳本中佐がそう思ったかどうかは別として、実に無精なこの発案は、周囲から日本人らしい消極的な肯定を得て実施されていた。

「かくて、戦争の夏は来たれり、か。
 私も盛夏がキチリと日本沖合に届くよう、努力が必要だ」




[8720] 一九三三年七月七日 ハワイ東南方二〇〇キロ『太平洋回廊』
Name: Gir.◆ee15fcde ID:f357ecb8
Date: 2009/07/08 12:43

「艦長、艦影です」

 グアムへと向かう船団前方で、護衛任務に就くミネアポリス級軽巡洋艦【オーガスタ】艦橋。そこで、チェスター・W・ニミッツ大佐は頷いた。あのフネが日本のものならば、あの懐かしき【パネー】号の名を受け継いだ砲艦の仇は討てるのだが。初めて艦長を務めた排水量二〇〇トンにも満たなかったあのガンボートを思い出す。病死した祖父と同じ病に犯された患者を受け持つことになった主治医の心境で、ニミッツ大佐は命令した。

「総員配置。主砲、サーチライト、待て。まだ向けるな」

 勿論、迂闊な行動は禁止する。ただでさえ中部太平洋は各国国益が入り組んでいた。慎重な行動が必要とされる。ニミッツ大佐は先代の【パネー】号でそれを学んだ。そして、ソレはその後得たドルフィンマークによって、熟成されている。潜水艦も慎重な行動が必要とされる点では、現状と何ら変わりなかった。
 周囲ではニミッツ大佐の命令通り、前後へ背負い式に三連装三基九門配置されている6インチ主砲を始め、5インチ単装高角砲、機銃、サーチライトその他各部署へ配置された乗員は、その場で待機した。

「機関科より報告。いつでも全力発揮可能!」

 外洋上でも基準排水量八〇〇〇トンの船体を三二ノットで突き進ませる釜焚の準備も出来た。
 ニミッツ大佐は、自らが指揮する艦の状態に満足しつつ、発光信号を読み取っている信号員の報告を待つ。

ドイツ皇帝所有艦SMS【エムデン】、行動目的は領海警備任務、とのこと!」
「艦形も認識表通りですし、日本艦艇が擬装しているわけでもなさそうです、艦長」

 副長の言葉に艦橋へ安堵と失望が微妙に入り交じった空気が流れた。安堵は敵艦でなかったことからだったが、失望もまた敵艦でなかったからである。

「先ほどは英艦だったが、今度は独艦。我々は人気者だな」

 ニミッツ大佐の言葉は端的だった。彼らは数時間前までハワイを拠点とする英K部隊所属の軽巡と接触していた。勿論、性根の捻くれ曲がった英国人が、中立宣言しているとはいえ、同盟国の戦争相手に何もしないわけはない。さすがに砲口を向けてくることはなかったが、探照灯を照射する、付いては離れを繰り返す、無意味に無線を使用してがなり立てる、エトセトラ、エトセトラ。その行動は彼らが何処までも英国海軍であることを主張していた。これに長期航海や、米西岸-中部太平洋航路で活発な日潜水艦襲撃警戒での疲れも重なり、【オーガスタ】艦内には非常に鬱積した憤りのようなモノが漂っていた。
 モールス信号を読み取ったらしい副長が、末期癌患者が安楽死を望むような顔をしつつ、ニミッツ大佐へ聞いた。

「こちらの所属・目的を聞いてきています。返信いたしますか?」
「所属は合衆国艦USS【オーガスタ】。目的は軍機により答えられない。ただし、それは貴国領海を犯すモノでは無い
 以上だ」
「アイサー」

 副長は、ニミッツ大佐の発言を復唱して、書き留めたメモを信号員へ渡した。

『あれは敵の通商破壊艦ではなかったか……』

 そうミニッツ大佐は独りごちた。
 彼の心境としてはむしろ敵通商破壊艦の登場を願っていた。今回は大丈夫だったからだ。十分に対策されている。
 開戦初期の独航船や、規模が大きすぎて航行能力が極端に悪化し、そこをつけ込まれた前回までの船団を反省し、今回の船団はA・Bの2つに分かれていた。

 まずは、先行船団であるA船団。これはやや規模の小さい高速船団で、その船団速力の高さを生かして日本帝国海軍展開しているであろう哨戒線を突っ切る船団だ。やや小さいとはいえ、各船には武装が施されている。塵も積もればではないが、総投射弾量から見ると恐ろしい規模だった。戦艦以外の水上艦では近寄ることも難しい火力を持ち、戦艦を出撃させるには時間猶予がない速度を持っている。これならば精々が単艦の潜水艦襲撃しか脅威ではない。だから、護衛艦もこれを制圧する軽艦艇のみでよい。

 次にニミッツ大佐が護衛する船団であるB船団。規模は中規模。だが、警戒網を刺激することで危険度が上がった海域を通るため、護衛部隊はA船団とは比べものにならない戦力が与えられている。今まで米商船団をあらゆる場所で攻撃してきた、あの恐るべき日大型潜水艦を制圧する駆逐艦が十分な数がつけられている。これに加え、通商破壊艦主力の仮装巡洋艦や軽巡洋艦に対抗可能な条約型軽巡【ミネアポリス】級複数や、潜水艦を無力化されたことで大型水上艦艇――たとえばあの【コンゴウ】級を通商破壊戦に投入された場合に備えて【レキシントン】級二隻も投入されていた。この護衛部隊を抜いて船団船舶を攻撃するには、日本戦艦主力の投入が必要だった。要するに実質的に存在しない。

「一発、二発は誤射だ。撃ってみるか」

 こう言えたらどれぐらい良いだろう。後年、軍医からストレス解消の目的で射撃訓練を勧められるニミッツ大佐は、そんな事を思っていた矢先だった。
 通信室からの伝令が飛んできた。

「無線発信を確認。米国船籍商船かららしい。内容不明。感、強い!」

 ニミッツ大佐は眉をひそめた。報告された感度の強さから護衛している船団からの発信かと思ったからだ。規則に割とルーズなところがある米海軍といえど、無視できる話ではなかった。

「船団からか!? 発信船を特定しろ!」
「いえ、待ってください。本船団方向からはありません」
「では、どこからだ。独航船からか?」
「いえ……、方位からしてA船団の可能性が濃厚です」

 ニミッツ大佐はA船団の戦力を脳裏に思い浮かべた。その戦力に護衛されている商船が悲鳴をあげるだと?

「なんてことだ……」

 なかば願望に近いと自覚しつつ、酷いことにならなければよいが、と大佐は思った。

    :
    :
    :

――ハワイ東南方八〇〇キロ

 確かに米海軍の予想は間違っていなかった。聡明だったと云ってよい。何しろ日本帝国海軍の方では、【金剛】級の投入が完全に米海軍の意表を突いたと確信していた。その判断を裏付けるかのように、【金剛】を始めとする戦艦三隻が積み込んだ主砲弾に占める徹甲弾の割合など、通常の半分以下だった。米海軍が彼女たちの出現を予想して、【レキシントン】級が主船団護衛につけているなど、青天の霹靂以上の何かだった。
 おそらくは、よくて相討ち、順当なところで痛敗。最悪、大改装なったばかりの高速戦艦三隻の喪失すらあり得た。
 日本帝国海軍の貧弱な情報戦能力がもたらすであろう未来だった。

 たしかに【レキシントン】級は、並の戦艦二隻ほどもする高価なフネである。しかし、それでも目の上のたんこぶである日本帝国海軍の巡洋戦艦全力と引き替えであるならば、十分許容される。米海軍はそこまで覚悟を決めていた。

 しかし、日本帝国海軍が陥るべき、そして米海軍が望む未来は訪れない。

 【金剛】らが襲った船団は、先行船団だったからだ。先行船団は、その高速力ゆえ、襲撃機会が限られ比較的安全だと考えられていた。
 確かに間違いではなかった。彼らが隠れなければならない相手が日本帝国海軍だけであれば。
 彼らは針路の至る所で各国海軍艦艇と遭遇し、その報告はそれぞれの母国へなされていた。さすがに同盟国であるとはいえ、一応中立宣言している英国などは回りくどい手を使って日本へ情報を渡していた。回りくどいだけに時間が掛かっている情報を、戦術面で活かすことが出来るかは難しい面があったが、日本帝国海軍はそれほど悩まずに済んだ。通称『D』暗号があったからである。独逸製軽巡洋艦解体現場で得られたソレは、なぜか独極東艦隊殆どの暗号電を解読することができ、その内容は西太平洋一帯の米海軍動勢を赤裸々に暴き立てていた。

 であるならば、先行船団の持つ高速性など何の意味もなかった。単に米政府が船会社へ支払う、保証金のトン単価が高まったに過ぎない。商船における高速性とは、戦略的な観点からのモノであり、一旦接触してしまった軍艦の前では乙女の薄衣ほどの役にも立たない。商船の基準から行くと、大概の軍艦は超高速だからだ。ましてや相手が、高速戦艦に生まれ変わった【金剛】級や、ディーゼル機関の採用で戦艦並みの戦略的機動性すら獲得してしまった【榛日】級二等駆逐艦では、比べること自体が無意味だった。

「敵船団、停船命令を無視しました。
 敵護衛旗艦らしき軽巡より、無電発信中。我が軍にではありません」

「よろしい。目標、敵船団」

「敵護衛、こちらへ向かってきます
 護衛先頭との距離三〇〇〇〇!」

 津田静枝司令は感嘆するかのように唇を歪めた。そして、なぜか近藤信竹艦長が、満足げに命令した。

「駆逐隊に迎撃命令。
 戦隊各艦へ通達。船団主力を有効射程へ捉えるまでに片付けろ。
 撃ち方始め!」

 司令の命令を今かと待ちかねていた砲術長の仕事は素早かった。大改装なった【金剛】級の最大仰角は大幅に高まっている。護衛先頭、【ミネアポリス】級軽巡と思われる敵艦は、十分射程内だった

射撃開始(てェーっ)!」

 【金剛】の主砲発射に続いて、【榛名】【霧島】も発砲を開始した。
 さすがに玄人肌の砲術長揃いの戦隊だけあって、各艦とも斉発射撃。出弾率も一〇割を満たし、各艦全砲門三隻合計二四発が、遙か三〇キロ先へと飛んでいく。約六〇秒後、第一射の着弾を観測した各砲術長は絶妙な修正を施し、とっくの昔に装弾を終えていた主砲第二射を行った。敵軽巡の周囲へ水柱を立てあげる。
 爽叉だ。

 改装なったばかりのドック出たてで、工事臭すら漂うフネの練度ではなかった。
 夾叉したのであるから、後は存分に砲弾を叩き込めばよい。各艦は主砲全門一斉射撃による急斉射を行い、カタログ値を嘲笑うかのように、各艦とも一斉射三〇秒以下で次々と砲弾を吐き出し倒した。砲門間隔が十分取られているため、後年開発される発砲遅延装置など無くても見事なグルービングを描いて、敵軽巡周囲に次々と水柱を上げる。

 この時射撃目標となっていた米軽巡は、ネームシップでもある【ミネアポリス】だった。【ミネアポリス】艦長は最低でも、この時点で大角度変針するなどして、回避機動を取るべきだった。
 だが、【ミネアポリス】艦長は良い意味でも悪い意味でも、剛胆な海の男だった。彼は牧童として、牧羊犬たる駆逐艦と共に、何よりも守るべき子羊である船団船舶の盾として、襲撃隊の前へ立ちはだかり、一分でも時間を稼ごうとした。下手な回避運動は、敵の目を船団本隊へと向けてしまう。そう考えた。
 とはいえ、【ミネアポリス】艦長は優秀な男であったから、最低限以上の判断能力はある。味方のみならず、敵主力艦のスペック程度もそらんじている。建造時の【コンゴウ】級の最大射程は、二二八〇〇メートルだ。改訂された米海軍の日本帝国海軍艦艇識別表でも、主砲射程は二八〇〇〇程度、最大でも三〇〇〇〇を超えないと記されてる。

 対して条約型巡洋艦として上限一歩手前の Mark19 五三口径六インチ砲を持つ【ミネアポリス】級の最大射程は、二三〇〇〇程度。

 その程度の距離ならば、現在の相対速度――約五〇ノットであれば、五分ほど突進すればよい。敵艦も愚かな事に最大射程一杯で撃っているようであるから、命中率など到底見込めるモノでは無いだろうし、その五分を耐えきれば、こちらも応戦できるから、命中率は更に低下し、時間が稼げる。時間を稼ぐことができたならば、駆逐艦を突入させることすら可能かも知れない。勿論、撃沈は不可能であろうが船団からは引き離せる。仮定の上に仮定を重ねた根拠の怪しい判断であったが、米軽巡艦長はここまで覚悟を決めていた。

 ただ残念だったことは、相手が米海軍の予想を超え、予算の許す限りの大技・小技を惜しげもなく投入された巡洋戦艦だったことだ。最大射程も三五〇〇〇を超える。三〇〇〇〇で射撃を開始したことも、一九三〇年代初頭の最新技術で構成された射撃管制装置で命中が期待できる距離であったからに過ぎない。まったく圧倒的であった。備砲が四インチだろうが六インチだろうが、軽巡だろうが駆逐艦だろうがそれ以下の雑用艦あるいは特設艦艇であろうがまったく関係がなかった。戦艦としては最低クラスの一四インチ砲であったが、必要十分だった。当たりさえすれば、戦艦級主砲の打撃力とはそれほどのものだった。
 哀れな米軽巡洋艦の第二砲塔天蓋を破り、火薬庫を超えて、第一ボイラーを抜けて、艦底を突き破る一四インチ砲弾。米軽巡艦底直下で炸裂し、彼女のキールをへし折って轟沈させるまでに要した時間は僅か四分。六インチ砲の最大射程まで後一〇〇〇メートルの地点であった。
 そして最大の障害物を屑籠へ放り込むよりも簡単に始末した【金剛】をはじめとする高速戦艦三隻とそれに随伴する駆逐艦八隻が、有象無象の区別無く、目標船団を壊滅させるまで、それほど時間は必要なかった。




[8720] 一九三三年七月 ワシントン
Name: Gir.◆ee15fcde ID:9b0bdb25
Date: 2009/07/15 17:00

「一体、これはどういうコトよ!」

 語気荒くエージェントを罵った彼女の名は、メアリー・ピンクニー・ハーディ・マッカーサー。現陸軍参謀総長ダグラス・マッカーサーの母。息子のダグラス・マッカーサーの人生に積極的な介入を旨として、士官学校の席から、参謀総長の職まで用意した烈女である。その彼女が憤っている理由は、言うまでもなく、現在のフィリピン情勢のためであった。

「現地の状況は混沌としており……」

「そんな分かり切ったことはどうでもいいの!
 早く何とか、なさい!」

 フィリピンに膨大な権益を持つマッカーサー家。半ば、本国との連絡を分断されている状況は非常に好ましくないモノになっている。
 サボタージュ程度ならまだしも、一部の者は武器援助を受けて武力闘争を開始しており、刻々とマッカーサー家資産への打撃を累積させていた。

「日本の仕業ね!?」

「いいえ、違います。日本方面からでは無い様です」

「一体どこの莫迦よ!?」

「詳しいことは不明です。ただ、ゲリラが使っている武器がフランス製であることを除けば、です」

「フランス!?
 どうして、ここにフランスが出てくるの!

「仏政府に問い合わせましたが不明です。ただ、フランスも左派勢力が増大しつつあり、混乱しているようです」

「ケソンはなんと言っているの」

 フィリピン上院議長マヌエル・ケソンを捕まえて酷いものであるが、実際彼はマッカーサー家のフィリピン番頭のような立場であるから、全く正当な扱いだった。

「完全独立主義者の一部が暴走しており、対応が出来ない。至急援軍を乞う。との事です」

「ダグは何をしているの!」

「アメリカ陸軍フィリピン派遣軍は、現在マニラ・コレヒドール・スービックへ集結して、日本軍の来寇に備えており……」

「黄色い猿が海を渡ってこれるわけないじゃない!
 すぐに治安活動を強化して……」

 エージェントはあくまで義務的にキッパリと述べた。

「申し訳ありません、マム。それはワタシの職掌を超えます」

「ローズベルトからの返事は!?
 この間の手紙の返事はまだ!?」

「まだです」

「キーィ!
 自分たちの中国権益には影響がないからと言って、この扱いは何!?
 断固、抗議するわ!
 フィリピンはアメリカなのよ、何よりも優先されるべきだわ!
 ダグを、ダグを呼んでちょうだい!」




[8720] 一九三三年八月 ワシントン
Name: Gir.◆ee15fcde ID:006c81c4
Date: 2009/07/22 12:44

 この時期、米海軍は大統領府と共に混乱の渦中にあった。

「で、どうするつもりだ。リーヒ」

 米海軍航空局長アーネスト・ジョセフ・キング中将は、彼らしい詰問口調で同僚の意見を求めた。

「……対策を実施中だ」

 混乱と直面している、米海軍航海局長ウィリアム・リーヒ中将は、対策会議で頭を抱えるしかない。初戦のつまずきとその後の経緯で、対日戦スケジュールが大きな被害と遅れを出していたからだ。

 リーヒ中将は試練を自ら打破すると言うよりも、関係各部門での調整を行い、その組織力で問題を解決するタイプだ。試練に対する組織的対策については人後に落ちない米海軍であるから、当然対策を作成・調整し、実施はしている。但し、それらがうまく行っているとは言い難かった。

 端緒は取り敢えず、太平洋両岸で跳梁する神出鬼没な日本潜水艦対策に、モスボールしていた艦隊型駆逐艦を一斉に現役復帰させることだった。

 これとは別に米海軍は、新造駆逐艦も建造してはいたが、それらの就役・実戦配備が出来るのは二年後のことである。タイムスケジュールではもう戦争が終わっている筈であるから、米海軍としてはこの戦争で喪われる戦後を見据えた補充程度としか考えていなかった。

 と、言うわけで数ヶ月の現役復帰工事・訓練を経て、実戦配備された現役復帰艦は、それなりにまとまった数が存在し、その全てが船団護衛へ貼り付けられた。これらの艦は、現役残存艦に比べて状態が悪いからモスボール対象となったのであり、決戦部隊へ組み込むには、色々と問題があったからだ。ならば、と思い切りの良い米海軍は、武装の一部撤去や機関半減などを行い、対潜装備や燃料・内火艇の増載を行い、太平洋横断船団へ随伴すべき長距離護衛艦として仕立て直した。

 確かに対潜能力は従来のどの艦よりも充実しており、迂闊に日本潜水艦が船団へ近付こうものなら、豚のように泣き喚きながら無様に逃げまどう事しかできなかったであろう。

 しかし、日本側の襲撃部隊には巡洋戦艦戦隊がいた。巡戦の圧倒的な火力の前には、商船も補助艦艇も関係ない。
 蹴散らされるだけだった。
 そこには、船団は崩壊し、単なる独航船の群れが居るだけだ。
 商船は当然だが、いくら優秀な対潜艦といえど、連携戦術をとらないのであれば、所詮は焼き付け刃の対潜艦だ。漸減作戦向けにデザインされており、通商破壊戦に使うには色々と問題のあるこの時代の日本潜水艦でも、やりようはある。実際、日本潜水艦群は、地道にスコアを上げていた。
 これを防ぐために、米海軍は船団へ過剰なほど護衛をつぎ込んだ。今度は狙い澄ましたかのように、しわ寄せを喰らって一層護衛戦力が貧弱となった別船団が襲われる。過剰な護衛が消費する補給物資の手当すら怪しくなり、護衛が偏る。悪循環へと陥った。
 全く、悪夢だった。

「うまくいってはいないようだな。いっそ、護衛無しで高速定期船(ライナー)を使うか?」

「既に実施済だ」

 リーヒ中将の言う通り、開き直って運航率と生存性を確保できそうなブルーリボン賞クラス定期航路船を独航させるなどもしてみたが、被害は一向に減る気配を見せなかった。

「やはり、【コンゴウ】を始末する必要があるか」

 全ての鍵は日本巡戦部隊だった。この部隊さえ押さえ込めば、全てが良い方向へ回り始める。それはいつしか、米海軍のみならず、大統領府すら、そう捉え始めるようになっていた。

「……【レックス】と【サラ】は、引き続き出撃を継続している」

 リーヒ中将は言葉を続けることが出来なかった。
 確かに、目障り以上の存在になりつつある日本巡戦部隊を始末するために、米海軍で唯一【コンゴウ】クラスを捕捉・撃滅できる【レキシントン】級巡洋戦艦の投入を継続してはいた。もっとも現実は、彼女たち太平洋狭しとばかりに、息つく暇もないほど酷使するだけで、全く成果を上げていなかった。日本帝国海軍は、彼女たちの脅威半径を、華麗なまでにスルーした。
 フネとヒトが疲弊していくだけだった。

「日本海軍の動勢は?」

「我々の唯一確実な眼である潜水艦での偵察がうまくいっていない。ハルゼーの件以来、日本近海の警戒が厳しくなっている。特にブンゴスロットへの進入を試みたフネは、全艦が音信途絶している」

 キングは、後に舌禍を呼ぶ海軍提督らしからぬ単語を濫用して、口汚く罵った。

「――め! 【ブンゴ・ピート】が本当に居やがったか」

「どうやら」

 リーヒ中将は潜水艦隊(サブロン)からのレポートを投げ出すようにして、言った

「そのようだ」

「なら、空母だ。空母で【コンゴウ】を捕まえろ!」

「無茶を言わないでくれ。君が一番よくわかっているはずだ。母艦航空団は、来たる決戦に向けた錬成途上で使えない。それに相手は作戦行動中の戦艦だ」

 リーヒ中将の言わんとしていることは、つまり『母艦航空機は事故が多く、殆ど消耗品である』『航空機では、作戦行動中の主力艦を撃沈できない』いうごく当然な常識だった。
 航空機は先の大戦から投入され始め、航空母艦の実戦投入すらされていた。特にユトランド沖海戦で集中投入された英空母部隊については、その将来性すら考えさせられるものはあった。
 しかし実際のところ、ユトランド沖海戦に集中して投入された英空母部隊ですら、その搭載機の航続性能から進出距離を見誤って独戦艦部隊との遭遇して蹴散らされ、その大半が大炎上するなど、将来性の前に脆弱性を証明するなど、散々だった。
 ただ、海戦終盤で追撃せんとする独海軍水雷戦隊・魚雷艇群に対して与えた大損害は、航空機が海戦においても全く無力ではないことを確認できてはいたが。

「大戦から何年経っていると思う?
 一〇年だ。
 そこから考えても見ろ!」

「未来の戦場では君の言う通りかも知れない」

 リーヒ中将の虚ろな声が響く。それでも、自らの発言内容を全く信じていない事を感じさせない点については、調整能力で現在の階級と役職を得るだけの卓越した才能を見せていた。

「だが、現時点ので我々の手駒では難しい。それに貴重な航空魚雷を消耗し尽くしてしまう」

 当時の実戦配備されている航空機に搭載できる爆弾など五〇〇ポンドが精々であるから、どう贔屓の引き倒ししたところで砲威力換算八インチ程度。戦艦相手ではまともな効果があるかどうかすら怪しい。戦艦相手に効果の望める航空兵装は魚雷しかない。

「――っ!
 こうなると中立条項が恨めしいな」

 不思議なことに思えるかも知れないが、この時、米国は自国製航空魚雷を持っていなかった。
 そして、欧州各国は中立条項から日米両国へ武器輸出を停止していたから、当然魚雷も過去に輸入した備蓄分しかない。
 モンロー主義と不況で縮小されていた海軍予算では、弾薬としては最も高価で、なおかつ未だ実験兵器とすら考えられていた航空魚雷など、まともな数量を確保できているわけがなかった。
 リーヒ中将は静かに断言した。

「空母航空団と航空魚雷は、決戦で使用するべきだ」

「ならせめて【メイコン】を呼び戻して、【コンゴウ】を捜させろ。それだけでもかなり違う」

「【アクロン】が遭難した今、唯一マトモに戦果を挙げているフネだ。彼女が居なくなったら、日本帝国をどうやって消耗させるつもりだ」

 開戦以来神出鬼没の大活躍をしていた二隻の飛行空母。彼女たちの最大の敵は日本海軍ではなく、南シナ海の荒々しい気象だった(日本海軍など、彼女の影すら捕らえることが出来ていない)。まだ台風とも呼べない早熟な熱帯性低気圧との戦いに敗れた【アクロン】は、その身を海面へ叩き落とされ、四散させていた。

「――後任作戦部長のスタンレー大将はどう言っている」

「着任したばかりの彼に何を期待している。大統領の言うがままだよ。そして、大統領は決戦での戦果を希望している」

「チクショウめ!」





[8720] 一九三三年八月 ベルリン
Name: Gir.◆ee15fcde ID:006c81c4
Date: 2009/07/29 12:43

 どうして、自分たちはこんなところで走っているのだろう? ドイツ帝国陸軍少佐にして軍内共産主義活動細胞( 兵 士 レ ー テ )オットー・アッカーマンは混乱する思考で現状を理解しようとしていた。自分たちは、来るべきドイツの主、エルンスト・テールマン同志の切っ先として、革命精神に邁進していただけなのに!

「「ハァ、ハァ」」

 荒い息をする少佐達。彼らの向かう先にも、また数人の男達がいた。

「ハァハァ……、そっちはどうだ!?」

 呼びかけられた彼、オランダ人、マリヌス・ファン・デア・ルッベは答えた。

「こっちもダメだ。帝国軍の奴らが!」

「こっちは正体不明だ。白人じゃない、有色人種だ!
 なんで有色人種が出てくる!」

 そういってアッカーマン少佐は、居並ぶ面々の内で異彩を放つ男へ目を向けた。

「同志アッカーマン、今は言い争うときではない筈だ」

 視線にひるまずその男、野坂参三はそう答えた。

「そうか、そうだな。
 そちらの奴らは、憲兵隊だったか?」

「いや、一般の陸軍部隊だった。中隊規模だ」

「ならば……」

「同志の階級が役に立つ」

「その通り」

 中隊規模なら、指揮官は中尉あるいは大尉だ。このような騒ぎにその上が出てくることもないであろうから、階級のモノを言わせて押し通る。そのような暗黙の了解が成立したことを感じ取った彼らの空気が弛緩した、その時だった。

「全員動くな!」

 厳しい叱咤がその場を貫いた。

 ドイツ人らしい硬質な発音。しかし、彼女が発すると貴石が奏でるなにかだ。そう彼女だ。現れた兵が女性であることに一瞬驚きつつ、アッカーマン少佐は一歩踏み出して、小声で皆へ呼びかけた。

「落ち着け、ここは私が」

 アッカーマン少佐は彼女に目を向けた。白銀の燦めきを持つ髪。どこか作り物めいた頤(おとがい)。ひどく改造された軍服に包まれた肢体は腰回りで引き締められ、振幅激しい曲線で形作られていた。だが、何よりもその赤い瞳が彼女を形作っていた。その瞳に引力を感じながら、アッカーマン少佐は、意識して強く命令した。

「貴様、官・姓名を名乗れ!」

 アッカーマン少佐の言葉に、一瞬だけ反応した後、彼女は返答した。

「その前にそちらから名乗って貰おう」

 彼女のあまりの威丈高しさに面食らいながらも、アッカーマン少佐は復讐するかのように名乗った。

「オットー・アッカーマン。しょ・う・さ、だ」

 あくまでも丁寧に。しかし、階級を強調して言った。何せ、目の前の女は、せいぜい20代ぐらいだ。ならば、士官であっても少尉が精一杯。いや、女であるならば後方補助任務勤務であろうから、兵が妥当なところだろう。

 さぁ、怯え、慌てふためき、そして許しを請え!

「よろしい、少佐。私はマイヤー大佐である」

 度肝を抜かれた。
 名誉大佐などではない。まごう事なき口調で彼女は現役大佐(Oberst)と名乗った。
 何故だ!? こんな小娘がどうして!? なぜこんなところに連隊指揮官が!?

「私は現在特殊任務に就いており、皇帝陛下より権限が与えられている。
 命令する!
 全員そこへ跪け!」

 ハッキリと、硬質な美声で脇に抱えた鉄塊を向けて、彼女は命じる。

 アッカーマン少佐は混乱した。なんだ、これは? こんな銃など見たことがない。
 小銃と言うには大きすぎた。小銃に弾帯など必要ない。小銃というモノは一発一発、棹桿(ボルトハンドル)を引いて、心を込めて撃つモノだ。その行為に、弾帯などと言うモノは無粋すぎた。
 機関銃と言うには小さすぎた。機関銃というモノは、数十キロの鉄塊を三脚(トライポッド)に据えて、戦場を睥睨するモノだ。その勇姿を僅かに感じ取れる二脚(バイポッド)は、銃口近くで彼女の左手で握りしめられている。華奢なことこの上なかった。

 だが、優秀な兵器だけが持つことを許される肉食獣のおもむきは、ソレがどういう代物であるか雄弁に物語っている。

 残念なことに後ろの同志達には分からなかったようだが。

「ま、待て!」

 どちらに対しての発言かは分からない。アッカーマン少佐はその全てを言い終えることが出来なかった。逃げようとした同志達もろとも、彼女が容赦なく発砲のである。まるで電気ノコギリの咆哮だった。

 そして、男達が残らず倒れ伏した後、うっすらと微笑んで彼女は言った。

「フン、共産主義者共め、感謝しろ。
 貴様らの目的は分かっている。国会議事堂への放火。皇帝陛下の権威を貶めよう目論見も。
 本来、万死に値するが、皇帝陛下から殺すなと命じられている。
 特製木製弾頭(ノッカー)だ。しばらく、痛いぐらいで済む。その痛み、じっくりと味わえ。
 独帝国軍防諜部(アプベール)の取り調べは……」

「厳しいのでしょうな、おそらく」

 予想をしない合いの手に、彼女は銃口を向けた。

「私は独共産主義者細胞( レ ー テ )ではありませんよ、フラウ。
 いつぞやの男爵亭以来ですな、再びお目にかかれて光栄次第」

 手にした銃を向けてくる男。帯刀迅(たてわき じん)だった。

「貴様、なぜ此処にいる!」

「なぜか、と申される?
 貴女が、私に
 男爵家の侍女である貴女が、私に。
 いや、失礼。独帝国陸軍大佐ですな、そのお姿は」

「フン、分かっていて銃を向けるか?
 それとも撃ってみるか、私を」

 迅は、手にした銃を親指に引っかけて両手を挙げてみせた。

「いやいや、皇帝陛下のメイドたる、セルベリア・マイヤー殿にそのようなことを……
 なにせ、貴女は皇帝の家族だ。各種奉公人規定でそう規定されている。
 皇族に手を出すなどと、そのような不敬。私には出来かねますな」

「貴様に不敬を云々されるというのは、実に不愉快だな。キョーヤの言った通りだ」

「ホウ、京也?」

 彼女はしまったと小さく舌打ちした。迅はなにやら嬉しげに囁く。

「あぁ、京也?
 ほら、京也?」

 彼女は静かに青筋を立てた。

「……撃つ」

「はっはっは、冗談ですよ。フラウ」

「……一連射、喰らってみるか?
 勿論、冗談だ」

 彼女は見せつけるように、コッキングボルトを引いた。

「それはそれとして……」

「動くな!」

「私たちはこちらの……」

 迅は、倒れうめいている東洋人の頭を蹴飛ばし、そして手づかみ、上げて見せた。

「……野坂参三君に小用がありまして」

「それで?」

「お引き渡しをいただけないかと」

「理由がないな」

「あぁ、そうでした。
 理由、理由…… 例えば、日本の高野京也君のご自宅へ案内代としてとか」

「―、そのような」

 一瞬の間へ滑り込むかのように、迅は言った。

「そのようなことは理由にならない?
 ですが、近年不穏な動きをしているエルンスト・テールマン、マヌエル・アサーニャをはじめとする各国共産主義者達の資金がどこから出ているか、興味はありませんかな?」

 最近、独仏で気勢を上げている共産主義者達の名は、すこしばかり彼女が扱うには重かった。

「しかし……」

「しかし、その程度のことは自分たちで十分だ?
 よろしい、あなた達は、極東の小島出身者へ、微に入り細に穿つ念の入った話し合いが出来ると。
 素晴らしい、非常に素晴らしい」

「……」

「我々は、この者を引き渡ししていただけるなら、必ず良い結果をあなた達へもたらすであろうと、ここに確約できます」

「……確証は?」

 彼女の言葉に、当然のような顔をして、迅はいっそ歌い上げるかのように、朗らかであるかのように返答した。

「勿論、ありません」

「……よかろう。そいつ一人だけだ」

「感謝の極み」

「急げ、もうすぐ私の部下が来る。私はお前をかばう気はない」

「おお、怖い。それでは、私と野坂君はここで。
 あぁ、そうそう」

「なんだ!?」

「高野君のご自宅への案内は、確約いたしましょう」

 ほんの少しだけ、動きを止める彼女。だが、本当にそれは一瞬の刹那だった。

「無駄口を叩く時間は無いはずだが?」

 迅はどこまでもマイペースに、彼女の言葉を聞いていなかった。

「皆には内緒ですよ?
 では」




[8720] 一九三三年九月 哈爾浜
Name: Gir.◆ee15fcde ID:006c81c4
Date: 2009/08/05 12:47
 静まりかえった礼拝堂。ステンドガラスを通して、幻想的な色彩に彩られたそこでは、神父グリゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチンが祈りを捧げていた。
 そして、静かに、だが荘厳さを感じさせる声で、問うた。

「誰かね?」

 声に答えたのは、女だった。白のヘッドドレス、丈の足りていないワンピースにサロン・エプロン、ショーティ・グローブ、ガーダーベルト・ストッキング、ストライプ・パンプス。全くフランスかぶれが多いロシア貴族好みの淫靡なフレンチメイドだった。

「アンリでございます、ご主人様」

 彼女がここへ存在すること自体が、神を冒涜するようである。しかし、彼女はフランスに太いパイプを持つ貴族から、最近送り込まれたメイドだった。それなりに大きな権勢を持つ貴族から送り込まれたメイドだけに、グレゴリー神父もそれなりに扱いに気を遣う必要がある。

「ありがとう。だが、神の前には皆が平等だ。ただ、グレゴリー神父と呼んでほしい。ところで、私に何か話しかね?」

「はい。ここ最近の欧州情勢などは、いかがでしょう?」

 彼女はその職責上、高い教育が施されている。話題の一つとっても、一般のメイドとは世界が違った。

「興味深い。非常に」

 グレゴリー神父は実に関心を引かれたようにして見せた。実際、新白露ではその地理的条件から、欧州情報に疎くなりがちで、情報入手が国家的課題となっているのだから、当然の姿勢といえた。

「例えば、イギリス?
 貴族は大戦戦費穴埋めのための相続税実施により、没落する家が続出。
 残るは植民地だけ。利益の絞り上げに忙しいようですわ」

「だから、正式な対米参戦も行っていない。というより行えない」

「その通りですわ」

「次にドイツ。有り余る砲弾生産能力を維持するため、中国・南米各国への売り込みが行っているとか。経済的にはそれなりに好調なようですわ。政治的には帝政について疑問を持ち始めた者が多くなっているとか。テロルも多いようですわ」

「マスコミが無闇に騒ぎ立てているオランダに比べれば、ボートの小揺らぎでしかないだろう。帝政は揺らぎもしていない、これからも続くだろう」

「ですが、その同盟国オーストリアについては……、いつも通り混乱していますわ。帝国を維持できているのが不思議なぐらいですわ」

「だが、混乱の中から人が現れる」

「それは神の予言でしょうか? グレゴリー神父様」

 グレゴリー神父はそれになにも答えなかった。

「我が祖国フランスは健全な議論の元に発展を続けていますわ」

 アンリの言葉に少しだけ熱が籠もる。

「ソヴィエトとの条約も噂されています。ソルボンヌの学生達にも、共産活動に興味を持つモノが多いとか」

「おぉ、神よ。彼らが真実に気づきますように」

「真実?」

「共産主義などと言う純粋さの持つ残酷さに。その純粋さは純粋すぎて、俗物である民衆には耐えられないモノなのだよ」

「――やはり。グレゴリー神父様」

 アンリはどこまでも透徹しているが輝きを失ったを瞳で、言った。

「人民のために死んでください」

 手には、小型拳銃(デリンジャー)が握られていた。

「神の御心のままに」

 アンリは躊躇せず、引き金を引いた。命中精度に問題がある特別製の四五口径小型拳銃で、狙うは的が大きく動きの少ない胴体。撃鉄が落ちる。弾丸が神父を襲った。弾丸は神父を貫く……ことが出来なかった。

「な……っ!?」

「神も悪魔も私の僕に過ぎない。それにこの程度の小口径弾は正直慣れが出てきてね」

 ムンっ!と力む神父の身体から、鉛玉が弾け落ちた。

「そろそろ、仕事をしてくれないかね、マリア」

「―!」

 アンリが反応しきる前に、黒い影が彼女を襲った。それは彼女の首筋へ軽く手を添えた。それだけで十分だった。
 影が気を失ったアンリを抱えて、グレゴリー神父の前に立つ。「火喰い鳥(クワッサリー)」の通り名を持つ彼女は、それだけで美しかった。

「終わりました、神父」

「いつもながら、見事な手際だ、マリア」

「皇帝陛下の命ですから。ですが、最近また浸透が激しくなってきました」

「共産主義者は焦っているだ。最近一層激しく、武力闘争路線を推進しているとも聞く」

「共産主義者が焦っている? スターリンがではなく?」

「同じだ」

「では、戦いは続くのですね」

「あぁ、続くとも。我らが祖国全てを取り戻すまで」

「まるで災い。列強に、コミーに、キタイ。誰もがロシアをさいなむ」

「問題ない。神はロシアの隣に日本を作られた」

「意味が判りません。あのような何もない小島がどうして、神の恩寵になるのですか?」

「それが判るには、今少しの時が必要だろう。さぁ、その娘を部屋へ。神の愛を教えねばならない。君もどうかね?」

「それだけはお断りします」




[8720] 一九三三年九月 ワシントン
Name: Gir.◆ee15fcde ID:3582d2d5
Date: 2009/08/12 14:23
「さて、我々のビジネスの話をしようか」

 米陸軍の頂点にいる男ダグラス・マッカーサーは、傲慢にそう言い放った。
 副官であるアイゼンハワーは、落ち窪んだ目をしているコチィ大佐を気の毒に思いながらも、無言だ。この尊大な男を扱うには常に危険がつきまとう。内心辟易しているアイゼンハワーだったが、それが完璧に内心以外の何者も動かしては、いなかった。

「まずは復習からだ。始めてくれ」

「はい、参謀総長」

「まずは、海軍( U S N )日本海軍( I J N )を打ち破ることを前提とします」

「勿論だ。だが、この段階での降伏は認めない。大統領府の方針だ」

 政治的にダメージを受けすぎたルーズベルト大統領は、たとえ決戦を大勝利で終えても、戦争を終わりにするつもりはなくなっていた。徹底的に、東京で観艦式と凱旋式を行うまで、戦争を続ける意志を明らかにしていた。陸軍としてはそれに従うしかない。

「はい、現状では国民を納得させるために、より決定的な勝利が必要でしょう。そして、その障害となる敵の陸上戦力は一三個師団。内二個師団が首都圏へ存在します。他の師団は管轄地域で防衛体勢を取っているか、あるいはヒロシマへ集結しているかです」

「ヒロシマへの集結理由は?」

「推測ですが、フィリピンあるいはグァムへの上陸戦準備と思われます」

「いずれにしても、制海権が確定していなければ、無視できる。仮に上陸してきたところで補給も受けられず立ち腐れるだけだ」

「はい。一方、我々が用意できる兵力は四個師団です。本来は六個師団でしたが、ご存じの通り……」

「海兵隊を含む二個師団が、日本海軍の通商破壊作戦で壊滅した」

「その通りです。そのため、当初予定されていた二正面同時上陸作戦は行いません。敵兵力分散のために陽動は行いますが、我々は全力でクジュウクリハマへ上陸します」

「その通り。我々は兵力分散の愚を犯すべきではない。またトーキョーガルフへの直接侵入も行うべきではない」

「はい。あの湾岸要塞を正面から攻撃することは得策ではありません。その分、海軍には別の所で働いて貰います。航空攻撃を避けるために飛行場を、増援を遅らせるための操車場、変電所の攻撃を。徹底的に行う予定です」

「徹底的にか」

 マッカーサー参謀総長の言葉には詰問の色があった。沿岸部への打撃力はともかく、その後方部へ送り込むための能力は【アラモ】級戦巡二隻の喪失により、明らかな低下をもたらしていた。

「確かにご指摘の通り、沿岸部後方への打撃力は、当初見込みより低くなりました」

「海軍が【アラモ】を二隻も沈められたからだ」

「残念です。が、戦艦六隻の支援が確約されています。なんとか修理を終えた【アラモ】と合わせて、敵兵力稼働率を二〇%は抑えることが可能でしょう。増援も二日で一個連隊程度と見込んでおります」

 コチィ大佐の言葉に頷く、マッカーサー参謀総長。

「続けてくれ」

「艦砲射撃で敵迎撃部隊を抑えた後、上陸を開始します。上陸第一陣には、第一師団を予定しています。彼らが橋頭堡を確保次第、第一騎兵師団を揚げます。同時に海軍より割り当てられている空母へ積み込んだ三個飛行中隊一五〇機を展開、直ちに作戦支援を行わせます」

「問題は無いだろうな」

「促成飛行場を使います。ドーザーでならして、必要であれば鉄板を敷き詰め、滑走路を確保します」

 この辺りの工事技術は、第一、第二パナマ運河の工事で培われており、他国の追随を許さぬ、というより想像を超えた域に、米国工兵隊は達していた。そして、その指揮を執っていたのはマッカーサー参謀総長だ。その実力を誰よりもよく判っている。

「うむ」

「展開した航空隊は、敵航空機を排除しつつ、道路・鉄道上の動くモノ全てを攻撃します」

「順当だな」

「そして第一騎兵師団を前進させます」

 そういって、コチィ大佐は、駒を九十九里浜~東金~千葉~習志野へと進ませて見せた。

「別途、先に上陸した一個師団には側面防御をかねて、カスミガウラへ進出して敵航空根拠地攻撃も行わせる予定です。本隊はチバ・ナラシノ方面へ進撃。巧くすれば敵集結前に蹂躙できるかも知れません」

「楽観的すぎる」

「はい、おそらく敵迎撃戦力約一~一.五個師団程度に拘束されるでしょう」

 コチィ大佐の言葉に、過剰反応を示すマッカーサー参謀総長。彼にはこの状況を打破するための秘策があった。

機甲師団用戦車コンバット・カーの出番だな?」

 マッカーサー参謀総長は可笑しげに言った。理由は戦車タンクは歩兵師団しか保有を認められていなかったからだ。だから、このような言い回しをして、機甲師団に戦車を配備している。

「はい、閣下の作り上げられた第一機甲師団の出番です。揚陸された彼らは、あの素晴らしい進撃速度で、内陸よりに迂回進撃して敵後背を衝きます」

 コチィ大佐が示した侵攻ラインは、九十九里浜~成田~印西~柏~松戸を示していた。

「演習で確認したが、あの進撃速度は素晴らしい。クリスティ戦車を採用して正解だった」

「はい。閣下のご慧眼に感服いたします。そして、クリスティ戦車に蹂躙される日本兵に憐れみを」

「日本軍の練度ならば、一戦で士気崩壊だな」

「はい、後方を遮断された敵迎撃戦力は早々に瓦解するでしょう。後は第一機甲師団・第一騎兵師団が宮城へ星条旗を立てて、トーキョーを占領。日本帝国は消滅します」

「良い仕事だ、大佐。では、征こう」




[8720] 一九三三年一〇月 横浜
Name: Gir.◆ee15fcde ID:006c81c4
Date: 2010/01/20 14:10
 突貫工事で作られた新連合艦隊司令部は、作りたての匂いも冷めやらぬ生々しさを感じさせる所だった。

「出撃前のご挨拶に伺いました」

 六月のドタバタで第一艦隊司令長官に就任した堀悌吉中将は、同じく六月に連合艦隊司令長官へ就任した野村吉三郎大将へそういった。

「本来は私の役目だが、すまんな」

 内容に反して、その口調は断固とした決意が表れていた。
 理由は、野村 GF 長官が GF 司令部を陸に揚げたためだ。通例として、第一艦隊司令長官を兼任して、指揮官先頭で敵艦隊と戦うべきとされていた。しかし、野村は今次作戦の指揮の難しさを十分に理解しており、またそれに対する手段を講じる理性があった。つまりは、 GF 司令部を通信能力の高い陸上施設へ移し、各部隊への指揮を執る。決戦に勝利し、戦争に勝利することへの意気込みが伺える判断だ。

「第三艦隊を押しつけられた米内さんのことを思えば。私のやることはフィリピン沖と変わりません。しかし、良いのですか?
 本来なら、米内さんの方が第一艦隊司令長官に就任すべきだと思うのですが」

 米内は堀の先任として、第三艦隊司令長官(後の遣支艦隊司令長官)として赴任しており、期数的にも本来は米内の第一艦隊司令長官就任が妥当だった。しかし――、

「その米内くんが、第一艦隊司令長官へは君を是非に、と言っているのだからな。
 でなければ、遣支艦隊のフネをそのまま第三艦隊へ、とも言っていたが。勿論、その場合決戦部隊である第三艦隊司令長官は君だ。それを聞いた連中は頭を抱えていたよ。決戦部隊として第一艦隊の根幹に関わる、建成根拠だ、それが無くなってしまうとね」

「またエラく買われたものです」

「実戦では経験が優先される。君はフィリピン沖海戦に勝利したのだから、十分決戦部隊を率いる資格がある」

「海戦そのものでは戦艦は1パイも沈めていませんし、重巡を1パイ喪いました」

「たしかに【加古】を沈めた責任を取らせろなんて話もあったらしいがね。五月にあのヴィルヘルム巡洋艦が噴き飛ばしたよ。大体、君は海戦では戦艦を沈めていないかも知れないが、実際にはオロンガポ沖の海底へ一パイ、スービック湾へ六パイ繋ぎ止め、計七ハイもの戦艦を無力化している。このような大戦果、どう報いるべきなのか。私はそう思うよ」

「恐縮です」

「米内君からの伝言だ。『楽させて貰うよ』」

「あの人らしい剛毅な言葉ですね」

「あぁ、英国からの情報では、米国は海だけでなく、日本本土でも決戦をするつもりらしいと聞いている。当然護衛も付く。おそらくは二線級の戦艦六パイがそれに充てられるだろう。第三艦隊の旧式戦艦一パイ、旧式装甲巡二ハイを始めとする部隊では、苦労するだろう。手酷く」

「私の艦隊がグァムへ殴り込めれば良いのですが」

「まぁ、米国主力艦隊の迎撃を受けるだろうね。賭けても良い。ボロボロになったところを上陸部隊護衛に横合いから殴り付けられるか、上陸部隊を取り逃がして、本土決戦をするハメになるだろう。どちらも嬉しくないね」

「ですから、硫黄島近海に遊弋して、米国主力艦隊の出撃を誘引します。哨戒線は……」

「手隙の全潜水戦隊に命じて、引いてある」

「安心しました。ならば、私はほぼ同数の戦力相手にただ勇敢に戦えばよいだけのことになります。報告はこちらでも送れる限り送りますので、第三艦隊への指示をお願いします」

「ああ、任せてくれたまえ、そのために陸へ上がったんだ。そういえば、旗艦は【土佐】にするそうだね」

「はい。馴染みがありますし、【相模】は……、正直練度が足りません」

「足りないのは練度だけではないと聞いているがね」

「戦隊長へ就任した福留くんの頑張りに期待します」

 野村 GF 長官は意外そうな顔をした。【相模】の問題は指揮官が云々というモノでは無いからだ。

「そうかね? では、征くのだね」

「はい」

 そう返事をした堀中将だったが、何かを考える表情をしていた。野村 GF 長官は問うた。

「なんだね?」

 堀は意を決したらしく、野村に問い返した。

「ところで、これで終わりなのですか?」

「いや、精々一区切りがつくに過ぎない。賭けても良い。勝っても、一〇年以内に再戦だよ」

 その言葉には敵を知り、己を知る者にのみ許された苦渋の表情があった。




[8720] 一九三三年一〇月一三日 グアム北方300km(1)
Name: Gir.◆ee15fcde ID:006c81c4
Date: 2010/01/27 12:44

 かくして、無意味な大決戦が始まろうとしていた。

 後に『第一次マリアナ海戦』呼ばれることになる緒戦は、双方の潜水艦による索敵合戦だった。両陣営ともに、これまで対潜能力の向上により、酷い損害を出していたから、索敵に徹する指示が出されており、この段階では本格的な戦闘は発生していなかった。各潜水艦は哨戒海域へと向かい、敵艦隊に関する情報収集に集中していた。もっとも、発達していた低気圧により海上は荒れており、さほど洋上監視能力を持たない潜水艦達では、かなりあやふやな概略情報を得ることが精一杯であった。

 そのただ中、本格的な戦闘開始と呼べるのは、一三日未明に行われた日本海軍の夜襲がそう言えるかもしれない。
 ただ、戦前の想定である一個艦隊丸ごとの投入ではなかったため、それをして「あれは単なる索敵活動だ」と言い切るモノも多い。その程度の夜襲であった。
 参加艦艇は第二艦隊所属第一航空戦隊分遣隊のわずかに八隻。

 戦艦【比叡】
 軽巡【大井】【北上】【木曾】
 戦応S型駆逐艦四隻

 実際に戦闘らしい戦闘ではなかった。

    :

 一航過による一度目の雷撃開始前。【比叡】夜戦艦橋は緊張に包まれている。素人目には妙な曲線が映っているだけにしか見えないスコープを覗く宇田博士は、かすれるような声で告げた。電波探信儀開発者・八木博士の共同研究者である彼は実験室段階を超えていないそれを操るために、特に志願してここにいる。彼は愛国者だった。

「敵艦隊捉えました。方位……」

 続いて告げられる情報をとりまとめる柳本中佐。【比叡】艦長・井上成美大佐から「適当にやれ」と言われた成り行きから、中佐の身分で今夜の主役を務めている柳本中佐は妙な感慨を抱きつつ、伝令を呼び、命令した。

「一三戦隊に通達……」

 再び宇田博士の声。

「こっちに向かってきているのがいます」

「通達、急げ!」

 伝令が飛び出してから、しばらくして
 戦艦として初めて装備された高声器が響く。

「一三戦隊、統制雷撃を開始。開始。第一射を確認。確認。本艦隊はこれより一斉転舵を行う」

 状況を比較的細かに述べるのは、宇田博士へのリップサーヴィスかも知れない。柳本中佐はそんなことを思いつつ、宇田博士に告げた。

「博士、舵を切ります」

「了解です。しかし……」

 宇田博士の不思議そうな声

「しかし?」

 柳本中佐は聞き返した。

「二度に分けないと駄目なモノなのですか? 魚雷発射ってのは」

 柳本中佐は苦笑した。第一三戦隊の【大井】【北上】【木曾】は酸素魚雷による遠距離隠密雷撃戦術のために改装された重雷装艦だ。全艦合わせて計三〇基の四連装発射管は艦の両舷振り分けられているので、全管一斉発射などしても半分が無駄になる。このことをどう伝えるべきか迷ったためだ。

「まあ後ろの連中、敵さんの方、向けられるのが半分しかありませんから」

「そうですか……」

 なにか言いたそうな宇田博士の様子に、柳本中佐は聞き返した。

「それがなにか?」

「いえ、魚雷が自分で指示された方向へ行くようにすれば、一度に全部撃てるのではないかと。そう思いましてね」

 なるほど、と柳本中佐は考えた。確かに道理ではある。いちいち艦を動かさずに魚雷の方を動かすようにすれば、発射機会は一度でよい。制約の多い艦艇デザインの拘束要因も減る。いいことずくめだ。ただ……。

「それができるほど上手くできていないんですよ、今の魚雷は」

「不便なモノですなぁ」

「全くです」

 二人がやべるきことをやりつつ、そんな会話をしていると、再び高声器が響く。

「一三戦隊、統制雷撃を終了。本艦隊はこれより本隊との会合点へ急行する」

 結果的に、日本海軍による二度の魚雷発射は大した戦果を得ることができなかった。
 命中魚雷はたった1本。それも駆逐艦へだ。
 ただ、米艦隊側は、夜間索敵範囲外・距離一五〇〇〇より放たれたことから、この攻撃を潜水艦による艦隊攻撃と勘違いした。そのため、比較的劣勢な小艦艇を敵潜水艦制圧のために拘束され、その他艦艇乗員の消耗も増した。その点を評価して、この攻撃を重大評価するモノも多い。



[8720] 一九三三年一〇月一三日 グアム北方300km(2)
Name: Gir.◆ee15fcde ID:006c81c4
Date: 2010/03/10 16:39
 ――そして払暁間もなく、再び戦端は開かれた。

 位置的には、主力艦隊交戦予想地点東方。

 交戦を開始したのは、第二航戦【竜驤】【竜飛】空母二隻を主力とする【金剛】【榛名】戦艦二隻・【綾瀬】級軽巡四隻・【五五〇〇トン】型軽巡一隻・【神風】級駆逐艦八隻・【峯風】級駆逐艦一二隻を中心とする第二艦隊第二航空戦隊と、空母【ラングレー】を中心とする空母一隻・【ミネアポリス】級軽巡二隻・平甲板型駆逐艦六隻の TG17.3 だった。
 本来、米海軍の戦闘序列では前衛警戒の巡洋艦戦隊、戦艦とそれを取り巻く駆逐艦で構成される輪形陣、そしてその後方へ空母部隊となるはずである。しかし、昨夜の交戦で慎重になった米海軍は、各空母一隻を中心とする三個空母グループの内、【ラングレー】【ロングアイランド】を中心とする二個を積極的に前進させ、索敵の徹底を企図した。残りの【レンジャー】を中心とする一個空母グループだが、現在米海軍唯一の艦載雷撃機隊(VT)を持つことから、重要局面での投入行うべく予備戦力として主力艦隊に続行する形で温存されていた。

 どちらかというと、両軍とも艦隊を発見し、なおかつ夜間攻撃が行われた西方側からの接敵で始まると考えていたことから、これは予想外の状況を生み出した。
 双方、発見時には、もうどうにもならないほど近付いていたのである。具体的には、事前想定を遙かに割り込んだ距離一〇〇キロという、航空機の速度から行くと、指呼の間とも言える距離だった。これは荒天下で航空機の視界悪化のみならず、発着艦すら支障があったことが大きい。

 こうなると、隊列も何もあったモノでは無い。
 両艦隊、水上戦部隊は突撃を開始し、空母は風上に舳を向け、艦載機の緊急発進を行う。
 その中には【源田サーカス】の名で知られ、【竜驤】分隊長を務め、中島 九〇式艦上戦闘機三型を駆る源田実大尉の姿もあった。

「間瀬、青木! 行くぞー!」

 さすがに数々の献納式で、民衆を魅せた宙返りを行うような余裕はない。海軍母艦搭乗員らしい、無駄のない動きで軽やかに発進する。凌波性能では日本海軍随一とも言われる【竜驤】全速だけに素晴らしい合成風が、艦戦の翼を煽る。僚機も次々と空へ舞っていた。

 後続の【竜飛】からも続々と発進している。

 発進より数分、高度上げるまもなく敵機の機影が見える。敵編隊の第一陣だろう。源田大尉はスロットルを上げ、愛機に更なる加速を命じた。中島が開発した国産エンジンだけに多少の懸念もあったが、杞憂だった。エンジンは至極快調で、源田大尉の意のままに出力を振り絞る。風防全面ガラスにオイルがしぶく。エンジンにキチンとオイルが充分量有り、回っている証拠だ。素晴らしい。
 二機の僚機も阿吽の呼吸で、源田大尉に続く。

 視界の捉えたのは、敵戦闘機ボーイング F4B だった。その最大速度は九〇式艦戦三型の最高速度 287km/h より、多少優速であるであるが、問題ではない。元々、歴代ボーイング社戦闘機を研究して開発された九〇式艦戦である。特に運動性は圧倒的と日本海軍の審査で評価されていた。

「良い機体だよ、こいつは」

 あっさりとボーイング F4B の背後を取って、発射把を握り込む。機首の七.七ミリ機銃が火を噴き、銃弾が敵機の胴体に吸い込まれていく。とたんに F4B は姿勢を崩し、その行き先を海面へと急変させる。一機撃墜だ。だが、安心する暇もない。次の敵機が後ろに回り込んできていたからだ。

「おっと」

 見当外れの射撃に思わず苦笑しながら、ノラリクラリと回避する。巴戦に持ち込むまでもない。彼には優秀な列機がいるからだ。源田機への攻撃に集中しすぎて周辺警戒がおろそかになっていた敵機への銃撃。コックピット周辺に着弾し、妙な動きをした後、その敵機は墜落していった。青木機の攻撃だった。

 再び編隊を組む列機達。ハンドサインで感謝を伝えつつ、源田大尉は周囲への警戒を怠らない。十数機いた敵戦闘機部隊はほぼ撃墜か、撃退していた。まともな護衛を剥ぎ取られた敵攻撃隊らしい一群も既に【竜飛】戦闘機隊の迎撃で散々になっていた。
 こちらの被害はほとんど無い。圧倒的な勝利だった。戦闘機隊を蹴散らした【竜驤】戦闘機隊はしばらく上空待機するべきだろう。源田大尉はそう判断して、麾下戦闘機隊の高度を上げるよう指示をする。

 この時攻撃に参加していた米側戦力は空母【ラングレー】所属の全力、戦闘機ボーイング F4B 一八機と観測爆撃機ヴォートO3U-2 一五機だった(O3U-2 三機が発艦に失敗していた)。
 それを【竜驤】【竜飛】所属の戦闘機隊計四二機が迎撃、完封することに成功した。これに胡座をかいていたわけではないが、侮りがあったことは否めない。
 これに押っ取り刀で、水雷戦隊の半分を率いて突進する【金剛】【榛名】への攻撃を敢行した、【レンジャー】航空団雷撃機隊マーチン T4M-1 一八機を全機撃墜したことも大きかったかも知れない。

 続いて飛来してきた【レンジャー】航空団戦闘機隊の手痛い一撃が源田達を驚かせた。

「敵機!? な、なに、速い!!
 間瀬!!」

 この時、源田小隊で上空待機していたのは、間瀬機だった。
 三機編隊では、二機が攻撃中、一機が上空待機となる。以前より、注意力が散漫となり、危険性が報告されているポジションだった。
 そこへさきほどのボーイング F4B とは比較にならない高速で、翼のついた樽が突っ込んできた。
 彼は不意を衝かれた形となり、瞬く間に乗機は火達磨となって墜ちた。
 間瀬機を屠った樽の正体はグラマン F2F-1。後々日本海軍航空隊の宿敵となるグラマン鉄工所謹製の戦闘機。その嚆矢となる一の矢だった。
 Time誌の表紙を飾るほど、心優しいシカゴの家具販売業者を騙して巻き上げた資金すら投入されて、九〇式艦戦よりも実に一〇〇km/hほど優速なその機体は、源田達ベテランですら圧倒。初飛行から日も間もなく急遽生産されたその機体は、確かに不具合など数え切れないほどあったが、今この戦場では空の王として君臨していた。
 気がつけば、一〇機以上が墜とされていた。
 二航戦の防空網に穴が空いた。
 二航戦崩壊の序曲だった。




 後の頼りは艦隊各艦艇の対空砲火だけだ。
 当初予定されていた護衛は【赤城】【天城】で構成された第一航戦と同じく、戦応S型駆逐艦だった。
 しかし、排水量一五〇〇〇トンを超える“超大型”母艦として建造され、、冬の日本海で34ktオーバーを叩き出す【竜驤】【竜飛】で構成される第二航戦には、30kt出ない戦応型は足手まといだと第二航戦司令部より強い突き上げがあった。これはそれなりの騒動を経た後、彼女たちの直接護衛に、少々旧式な一等駆逐艦で構成された第五・六水雷戦隊が指定されることになる。
 一航空戦隊に二コ水雷戦隊を護衛に付けるという大贅沢を除けば、この選択は全く平均というか横並びを重視する日本人らしい選択であったが、非常時である今に採るべき選択ではなかった。
 オマケにその半数以上は、【金剛】【榛名】や【綾瀬】級軽巡とともに敵艦隊へ突撃している。

 その代価は、ひどく間抜けな音を立てて降ってきた。

 ヴォート O3U-2 の編隊が爆撃を開始した音であった。勿論、まともな防空火器が機銃しかない旧式駆逐艦など障害ですらない。

 対処可能な火器は、艦隊全体ですら、空母自身が持つ八九式一二.七サンチ二四門、二五ミリ機銃四八基でしかなかった。

 全米より集められた曲芸飛行機乗り(バーンストームトゥループス)がその妙技を披露して【竜驤】【竜飛】へ災厄を振りまく。本来であれば、二五〇kg爆弾程度は許容損害だったが、飛行甲板上の一三式艦攻が次々と誘爆、大火災が飛行甲板で発生し、各格納庫甲板にまで延焼、さらに誘爆範囲を拡大。その発生した火焔が機関の吸気口へと雪崩れ込み、機関区を灼き尽くし、文字通り両艦の内外とも炎獄と化していた。間接防御思想の欠如と密閉型格納庫の組み合わせがまねいた悲劇だった。



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