「だが、貴公との明日の試合次第では、私はこの事を忘れる」
そう告げつつも、ガハルド・バレーンは内心で目の前のヴォルフシュテイン卿の微塵も揺らがぬ様子に疑念を抱いていた。もしや、自分が何か見落とした事があるのだろうか、いや、そんな筈はない、私は正しいのだ。こんな輩に天剣を持たせておくなど許される事ではないのだから……。
彼は気付いていない。自らの行動の矛盾に……。
「……では、明日の試合で」
そう告げ、ガハルドは部屋を退出した。
何の事はない、意識はしておらずとも無意識の内に逃げたのだった。そう……ガハルドが天剣レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフに自身の実力が勝ると確信出来ているならば、こんな事をする必要はなかった。自分の力では勝てない、そう心のどこかで思っていたからこそ、彼はこのような手に出たのだった。
ガハルドが部屋を出て行った後、その気配が確実に離れていったのを確認してから、レイフォンは深い溜息をついた。その背に声が掛けられる。
「いや、ご苦労さん。ガハルドも真っ向からやりあったら勝てないから、ってねえ?卑怯だなんて言うなら、そもそもこんな事してる自分は何なんだろうねえ?」
「同門でしょう、その辺にしておいては?」
ゆっくりとレイフォンは背後を向く。
彼の背後で、ずうっと最初から最後まで同じ部屋にいながら、その殺剄によってガハルドに微塵もその存在を感じさせなかった二人が片方は笑みを浮かべ、もう片方は生真面目な様子で座っていた。その名をサヴァリス・クォルラフィン・ルッケンスとカナリス・エアリフォス・リヴィンという。共にレイフォンの先輩となる天剣授受者である。
先のカナリスの言葉通り、ガハルドはサヴァリスと同じルッケンスの武門に属する。より正確にはサヴァリスは武門の名門ルッケンスの長子であり、ガハルドはそのルッケンスに入門し修行を積んだという事になる。
「言われた通り、でしたね」
「当たり前です、それでは伝えた通り、明日は何時も通りに……まったく、一介の武芸者である彼が知る事が出来た事を王宮が知らないと信じれるとはどういう事なのやら」
そう告げると、カナリスはあっさりと立ち上がった。実の所既に伝えるべき内容は伝えており、ガハルドが来るのか、そしてそれで脅しを本気でかける気なのかの確認の為に残っていたに過ぎない。そして、彼女がここにいた理由の端的な部分がその言葉の最後に現れていた……そう、王宮は既に知っていたのだった。知っていて尚放置していた。何しろ自身に謀反されてさえ、平然とスルーしていたアルシェイラである。この程度の事でレイフォンを処罰する気なぞ全くなかった。
そして、生真面目なカナリスやここにはいないがカルヴァーンも自分達が以前にそれぞれに思惑があったとはいえ、やらかした事を指摘されると何も言えなかった。
「まったく、馬鹿が迷惑かけるね。別に殺しても構わないと思うんだけどな」
そう言いつつ、サヴァリスも立ち上がる。
「何を貴方こそ馬鹿な事を言っているんですか、殺してどうするんです」
「別に構わないだろう?」
カナリスの咎めるような言葉もサヴァリスは飄々とした態度を崩さない。
「僕ら天剣に必要なのは、強くある事……と、命令が出た時には陛下の命令に従う事だけなんだからさ」
そして翌日の試合。
ガハルド・バレーンは善戦したものの、結局天剣の壁を越える事は出来ず、ヴォルフシュテインの勝利で戦いは終わった。
そして、ガハルドから告発という形でレイフォンの闇の賭け試合へ参加が明かされ……それが広まった所で王宮から発表された談話がグレンダンを議論の渦中に叩き込んだ。
王宮が発表した内容は簡単だ。
レイフォンの闇試合への参加を既に女王は伝えられていた、という事。
そして、レイフォンがその金を何に使っていたのか、という事。
そして最後に、そこまでしてレイフォンがどうにかしようとした孤児達のこれまでと現状が。
ある酒場で若手の武芸者達がレイフォンを非難していた。
「幾等孤児を助けたいからって闇の賭け試合に出る奴なんかを天剣としていいものか!」
そうだ!と迎合する声が上がる。
しかし、どうにも声が小さい。よく見ると、そうやって騒いでいるのは全体の四分の一弱といった所で確かに若手主体な為に声こそでかいものの、逆に言えば重みとでも言うべきものがなかった。
それに気付いてはいたのだろう、若手の一人が黙っている面々の中に自身の属する部隊の中隊長の姿を見つけ声を掛ける。
「隊長もそう思いませんか!」
同意を求められた中年の男性は渋い表情だったが……やがて彼らに告げた。
「俺は、武芸者としてはヴォルフシュテイン卿のやり方は間違っていたと思う」
同意を得られて、嬉しげな若手の顔を睨むように見詰め、隊長は言葉を続けた。
「だが……一人の父親としてはヴォルフシュテイン卿の行動を非難出来ん」
えっ、という顔になる若手達。それを機に別のベテランが発言した。
「……確かに賭け試合で金を稼ぐってのは問題があるのかもしれん。だが……孤児達の状態を知ってしまうと、俺達には何も言えん…」
「……俺にも子供がいる、俺が汚染獣との戦いで亡くなったら、うちの子達が、と思ってしまうと、な……」
「俺は結婚してないから子供はいないが、亡くなった友人のガキがいた。孤児院に入ったって聞いてたが、今回ので気になって調べてみたら、前の食料危機ん時に亡くなっててな……なんで俺はもっと早く気にしてやらなかったんだろうな」
「俺……まだ若手っすけど、孤児出身なんす……孤児ってのがどんだけ大変なのか知ってるから……少しでも何とかしたい、って気持ちは分かります……」
それを機に一人また一人と次々に自分の想いを口にする。
槍殻都市グレンダンは汚染獣との戦いが他の都市に比べて異常な程に多い。代わりといっては何だが武芸者の質は恐ろしく高く、天剣授受者ともなれば老生体を一対一で相手どれるという化け物っぷりだ。
だが、それは死者が出ないという事とイコールではない。
天剣クラスならともかく、普通の武芸者では汚染獣と戦えば、怪我人、ちょっと運が悪い時は死者が必ず出る。そうして、それはそのまま孤児の誕生の可能性へと繋がる。
結局の所、騒いでいた連中と黙っていた連中との差は正にそこだった。
騒いでいた若手達は未だ子供がいなかったり、仲間が死んでもその仲間も若手だったりして子供がいなかったり、或いは孤児という出身ではなかったり、といずれにせよ孤児と関係がない立場だった。
逆に酒場の大半を占める連中は、孤児というこれまで目を逸らしてきた問題に光が当たった事により、考えざるをえなかった。
もし、自分が死んだら……今まで死んだ仲間の子供は今……自分が育ってきた環境は……。そうしてそれらは一つの考えに至る。
『今まで自分は孤児の為に何かした事があったのか?』
誰が死のうが自分とは関係がない、そう嘯ける者はそう多くはない。
若手達も周囲の発言を聞いて、次第に黙っていった。彼らとて、情はある。話を聞いて、尚無条件にヴォルフシュテインを非難して騒ぐ事は出来なかった。
こうした空気はグレンダンに多かれ少なかれ漂っていた。
これまで孤児と関わってきた、或いは関わる機会のあった人間は総じて、『やり方には問題があったが、気持ちも分かる』とレイフォンの行動に同情的だった。
一般の人間の大勢は最初こそ非難していたが、次第に武芸者の、或いは孤児と関わりのある人達の声に、或いは自分で孤児の現状というものを見て……同じような空気へと変わって行った。『問題はあったし、処罰は受けるべきかもしれないが、そんなに重い罰は与える必要はないのではないか』、と……。
全てを知って、尚重い処罰を!と騒ぐ者は確かにいたが、彼らはグレンダンでは最早浮いてしまっていた。
結果として――。
レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフに出された処罰は割りと驚きを持たれはしたが、案外すんなり受け入れられたのだった。
「んでレイフォン、受かったんだって?」
王宮で軽い口調で爪の手入れをしながら尋ねているのは女王アルシェイラだ。
「はあ、まあ、何とか」
その横でレイフォンは妙に疲れた様子で答えた。
「学園都市ツェルニか……結構遠いとこね?」
「あ、はい。サヴァリスさんがここなら自分の弟もいるよ、って紹介してくれて…」
近い所の試験に落ちたのもあるのだが。
「ふ~ん、ま、しっかり勉強してくんのね」
「はあ」
レイフォンに出された処罰は……処罰といっていいものか不明だが、『世間一般の常識を学ぶ為に学園都市に留学する事』だった。期間限定の追放刑とでもいった方が感覚的には近いかもしれない。これらの処罰の理由として、レイフォンの家庭の事情、結果として勉学に励む余地なく、社会的通念を学ぶ事なくひたすら戦ってきたのが原因の一端としてあげられていた。
一方レイフォンが案外おっとりしているのは、ここの所の孤児達の環境の改善にある。
レイフォンが闇試合で稼ぐ金は確かに多額だった。
だが、所詮は一人が稼ぐ金だ。たかは知れている。
これに対し、レイフォンへの告発の後設けられた、孤児への寄付を求める(孤児の為に王宮から予算の一部を割いてお金も出ているが)動きと、それに伴う資金の集まりが大きかった。
汚染獣との戦いの褒賞金、その内から少しでもと寄付をする者は想像以上に多かった。
金に興味がない天剣の連中となると、もっと凄く、実家が裕福で金に全く興味のないサヴァリスなぞは受け取った褒賞をそのまま寄付の箱に放り込んで帰る事も度々で、これは極端な例だが、隆盛を誇るミッドノット武門の当主であるカルヴァーンもちょくちょく多額の寄付をしてくれていた。他の連中もふっと思い出したように……いや、実際そうなのかもしれないがどさっと結構な寄付をしてくれていた。
まあ、人それぞれで、リンテンスはふっとやって来て、無言で金を置いて立ち去っていたし、バーメリンは「余ったからあげる」と置いて帰っていた。ルイメイなぞは偶々通りかかった際「おう、そういやこんなのがあったんだったな!」とポンと金を置いて帰っていた。
王宮からの金と合わせ、これらのお陰で少なくとも孤児達の生活は大分改善されたのだった。
これらはある意味でレイフォンを打ちのめした。
良かれ、と思ってやってきた事が周囲の人達の助けを借りれば、こんなに容易に幾倍もの規模で改善が為されたのだから。もっともわざわざ言いはしなかったが、カナリスなぞから言わせれば、『天剣がそういう事をやっていた、という衝撃が大きかったからこそ、ここまでの改善が出来たのですよ』という事になるのだが。
とにかく、孤児達の環境が改善した事から、今しばらくは自分が都市にいない方がいい、という感覚でレイフォンは学園都市に赴く事を了解していた。
「ああ、そうそう、これ持って行きなさい」
ひょい、と渡されたものを見て、レイフォンはぎょっとした。白金色に輝くそれは正しく……。
「天剣じゃないですか!?」
「そーよ」
確かに、女王であるアルシェイラには天剣をどう動かすかの権限がある、だからレイフォンに彼女が持って行きなさい、というならばそれは正当な権限だ。だが……。
「……いいんですか?」
さすがに、グレンダンを離れる、それも短期間ではない自分が天剣を持って行ってもいいものなのだろうか?これは何しろ12本しかないのだ。
「ん~じゃ、そうね。ああ、そうそう、あんたの幼馴染も一緒に行くんでしょ?」
「あ、はい」
「なら、その護衛って事で」
あまりといえば、あまりな理由ではあったが、レイフォンは天剣であり、女王の命に従うのは絶対だ。普段は何してようが、知った事ではないが、私が動けといったら動け、これはアルシェイラが言っている事だ。リーリンに関して言えば、レイフォンが学園都市で勉強してくるように、との話が出るや、自分も行くと言い出したのだ。ちなみにレイフォンよりあっさりと通ってしまったが。
「分かりました」
どのみち、彼女がそう言った以上、撤回される事はないのだ。
とはいえ、カナリスからすれば、さすがに今回の点は問題なのではないか、と思い一言言いに言ったのだが……。
「天剣をどう動かすかは私が決める」
そう告げた際の女王の目にカナリスは何も言えなかった。
それは普段の遊び半分の目ではない、グレンダン最強の武芸者であり、女王である存在、天剣を統べる者たる絶対者の目だった。
『あとがき』
なんか、ふっと頭に浮かんで勢いのままに書き上げてしまった作品です
……続き書くべきなんだろうか、どうしよか?
そう思いつつも、折角書いたんだから、と投稿してしまったり…