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[9676] 肉体言語でお話しましょ?(異世界召喚系・ヤンデレ+)
Name: 鉄腕28衛門◆9e4cac5f ID:a854cf3c
Date: 2013/07/10 20:28
「まだ頭に殻が乗っかったままのルーキーとは言うてものぅ……もう少しぐらいは装備の方、どうにかならんかったのか?」

 背中のショートスピアを担ぎ直しながら、少女は同行する男に愚痴とも取れるような質問をしていた。

(ババァ言葉の可愛い女の子に会えるとはね。すげぇな、さすがファンタジー)

 だが男の方は、口に出そうものなら少女から怒りの鉄拳が飛んで来そうな事を考えていた。一応受け答えはしているので話を聞いていないわけではないようだが、内容も併せてちょっと失礼な態度だと言えるだろうか。

 実際、男の装備は『冒険者』を語るにはあまりにも貧弱極まりない物だった。まずパッと見ただけでもろくな武器がない。腰にダガーを1本括り付けてある様だがたったそれだけ、しかもその1本も戦闘用と言うよりは万能工具として使われる程度の雑貨のように思われる。

 さらに防具もおかしい。と言うよりも、男が着ているそれを人は防具と呼びはしない。何故ならそれは単なる普段着であり、炭鉱夫が作業用として着るような分厚い衣服ですらなかったのだ。

 少女は深い溜め息とともに思った――――これでは本当に荷物持ちなだけではないか……。








 
 彼らが共に歩いているのは街から程近い、新米冒険者の鍛錬所として有名な『小鬼の声』と呼ばれるダンジョンだった。その名の通り、ゴブリンやコボルトなど小型のモンスターが何処からともなく住みつき生息しているが、出くわす頻度も一度に遭遇する数も大したことはない。

 そして二人がそこにいる理由は、道を先導する少女が荷物持ち兼護衛として(一応)戦士と思わしきこの男を雇い、ちょっとした材料採集を行う為であった。

 元々少女の方は若いながらも自らの店として魔法道具屋を営んでおり、材料の調達などは荒事を生業とする冒険者達の元締め、「冒険者組合(ギルド)」に月一で卸してもらう契約をすることでまかなっていた。とはいえ、毎回そのようにして入手できる材料だけで在庫が補えるわけでは無く、困らないように普段から考えてはいるが、その月の商品の需要によっては足りない物が出てきてしまう事もさして珍しくは無かった。

 つまり、今回もそんな状況に当てはまっていたわけだが、だからと言って特別珍しい材料が切れたわけでもない。冒険者相手だと最もポピュラーとも言える回復剤、ポーションの在庫がなくなったのだ。

 魔法道具屋と言えば聞こえは良いが、いわゆる「お高い」商品ばかり扱ってもうまくいく訳もなく、実際その内情は割りとなんでも扱う雑貨屋といってもいい代物だった。

 それらのラインナップには冒険の基本とも言える消耗品も色々と揃えているのだが、「有って当然、無くては話にならない物」がなくなってしまうのは店のメンツとして少々問題がある。

 こういうときは、大体は顔見知りの冒険者の探索に同行させてもらって採取に励むのがスムーズかつ安く済んで良いのだが、今回はポーションに必要な薬草がメインであり低級ダンジョンに行くのがベストだ。

 知り合いがそんな初心者向けの場所に都合良く行こうとしているとは限らないし、安値で雇われてくれる人がいるならそれでもいいかと考え、知り合いがそこそこ出入りしている『猫が寝込んだ』亭と言う名の酒場兼宿屋に向かう事にしたのだった。

 男と出会ったのはそこの食堂でだった。

 この『猫が寝込んだ』亭、ギルドに加盟しており冒険者への依頼、そしてその受注の斡旋なども行っている。少女は自身が冒険者というわけではないが、商売の為の契約などもあってギルドとの付き合い方はよく理解しており、慣れた様子で依頼の発注を行った。

「薬草採取に潜るぐらいじゃ。経験、人数は問わん。出来るだけ安値で済むように頼む」

 自分一人でも低級モンスター程度なら十分に相手取れる。なのでほとんど戦闘経験のないヒヨッ子パーティーでも構わんと彼女は適当に頼んだのだが……

「あ、丁度いい人がいますね。まだ受注回数0でしかもソロ、かなり安いけれど……どうします?」

「……なんじゃと?」









 ダンジョン内を歩きながら話は続いていた

「冒険者としての戦闘経験は問わん。雑用メインで日銭を稼いで、モンスターとほとんど向き合ったことが無い奴などもまぁ珍しくはないしのぅ。じゃが護身用の武器すらもないのはどういうことじゃ、質にでも入れたか?」

「だから何度も言ってるでしょうが。俺なりに考えてこれなんですよ……金が無いのも事実ですがね」

 見た目が少女とはいえ相手が依頼人で話し方が妙に古風のもあって、男は多少戸惑いながらも敬語で話していた。

 まぁ少女の言い分もしょうがないかもしれない。彼女の見立てでは、男は背が少々低めではあるが戦士向きの体付きをしていた。それも細マッチョではなく太マッチョ系なのだ。

 そして暗器を隠し持っていたり、素早さを生かす戦いができるようなタイプにはあまり見えない。さらには、魔法を使えるようにはなお見えない。

 そんな男がほぼ武器もなくソロ……。

(まず普通に金を稼いで武器ぐらいは用意して、そこからスタートではないのか?)

「大体そっちが「ユナじゃ。依頼人の名前ぐらい覚えておれ、トウガとやら」ぐっ、……ユナさんが俺で構わないって判断して雇ったんでしょうが」

「始め見たとき食事中のようじゃったからの。武具は宿の部屋にでも置いておるのかと思うたが……まぁ荷物持ちとして働いてくれればそれでええがな」

 ユナも本人が言うように特に問題があるとまでは考えていないのだろう。だがわざわざ口に出してまで言われた側の心境は当然良いものではなかったりする。

「……そりゃ見た目でそう判断されても文句は言えんけどね。話せば話すほど俺の評価が落ちてく気がするよ」

 聞かれない程度の愚痴をこぼしながら、トウガはスタスタと歩く少女に遅れまいと足を速めた。





 道中は順調そのものだった。探索と言う程のレベルではなく、ユナが知っている薬草の群生地に向かって、それ以外は基本的に無視するつもりで動いていたのだから当然と言えば当然だ。

 ダンジョン内は意外にもそれほど暗いことはない。所々に光る岩壁や高い天井に開いた穴などがあり、それらから光が得られるおかげだろう。トウガの背中には念のためとユナから持たされた松明などの光源があったが、特に使う必要はなさそうである。

 雑談しつつ歩く2人の前に見えてきたのはなかなかに大きな場所だった。鍾乳洞みたいだ、というのがトウガの第一印象である。地面は隆起した部分が多く見られ、低いところには綺麗に澄んだ水が流れている。足場はあまり良いとは言えず注意して歩く必要があった。

「転ぶでないぞ。手を切るし、濡れてしまうからな」

 トウガの考える低級ダンジョンとはずいぶん違い、光の反射などで幻想的に映りとても印象に残る場所だった。

 それを尻目にユナは水辺に生える目当ての薬草を見つけると、それらをせっせと刈り取り始める。そしてしばらく経ってから、周りの景色に見とれていたトウガに声を掛けた。

「始めてここに来れば目を奪われるのも当然であろうよ。それを邪魔するのもなんじゃが、今のお主は妾に雇われとるわけだからな、少しは採取を手伝ってもらおうかのぅ。丁度ナイフは持っとるようだし……よかろ?」

「んっ? ぁ、ああ。了解です」









「よし、これぐらいでええじゃろう。では荷物持ちは頼んだぞ」

 薬草とは薬の字が入ってはいるが薬そのものではない。そのまま食しても効果はあるがそれは微々たるもの。だからこそ凝縮してポーションにする意味があるのだが、そのポーションですら基本的な消耗品だ。なので薬草は一握り程度では買値も付かないので、売りに来る人もほとんどいない。

 ユナはそれをよく理解していたので、この際にと持ってきた大袋に詰め込めるだけ詰め込んでいた。「どうせすり潰すのだから」と冗談のようにとにかく無理矢理袋の奥に押し込んでいく。

 そして薬草の群生地をいくつか回った結果、出来上がったのは大小二つのパンパンの袋だった。どちらも元の許容量を無視するように入れていったので、ほとんど球体のようですらありなかなかコミカルな状態になっている。

 そのうち大きな方をトウガに渡した彼女は、自分ももう一方の袋を担ぎ「よっこいしょ」と小さな声をあげた。トウガは大袋を造作も無くひょいと持ち上げる。見た目通り力はそれなりにあるようで、その点までは期待ハズレで無かった事に少女は一安心していた。

 ユナは背負っていた槍と薬草袋のバランスが悪かったので、どのようにして持とうかと考えつつ来た道を戻り始めたのだが、水辺が切れた辺りで急にその歩みを止める。

「厄介なことよ、複数おるではないか」

 動きを停めた彼女を疑問に思い、急いで後ろから駆けつけたトウガも異変に気付く。――前方に何かがいる。2人は一旦様子をうかがった後、ゆっくりと音を立てないように再び歩を進め始めた。

 そして『ソレ』らを確認したユナは顔をしかめる。

 リザードマン2体にゴブリン・シャーマン1体。ホブゴブリンぐらいは覚悟していたがあのトカゲ人はマズい。リザードマンの体力と鱗は、魔法はともかく物理衝撃にはかなりの耐久性をほこるのだ。

 自分のショートスピアや武器もない連れの男では、それはとても大きな壁となる。ユナは魔法もそこそこに使えるが、敵にも魔法の使い手がいるうえ数も複数、先制してもはたして次の詠唱が間に合うかどうか。

 このダンジョンでも最も奥に生息し、最強クラスの奴らがよりによってこんなところに……。

「……お主、大丈夫か?」

 トウガは震えていた。少々情けないとは思うが、同時に仕方が無いとも考える。冒険者成り立てでは、リザードマンを含むモンスターの集団など恐ろしすぎる相手としか言いようが無いだろう。

 だがそれは、彼が足手まといであるということも示しているのだ。策を練ったうえで囮などをしてもらえれば、と思いもするが足がすくむようではそれも期待出来やしない。

(仕事で雇っただけの男だが、だからとて死なせるわけにはいかんっ)

 どうすればいい!? 必死にユナは策を考える。しかしそんな彼女の横で、その悩みの種と思われているトウガは乱れた呼吸を懸命に整えていた。深呼吸してその場で軽くステップを踏み体の調子を確認すると、彼は前を強く見据えユナに声を掛ける。

「荷物を、頼んます」

「――はい?」

 そして荷物を彼女に任せたトウガは――モンスター目掛けて走り出したのだ、一直線にっ!

(ッッ、アホウがっ! 妾が背負う槍にすら目を向けず、考え無しに特攻じゃとっ!? ッふざけおってぇ!)

 彼のあまりの無茶に驚き、ユナは一瞬動きを止めてしまう。だが心の中で愚痴をタレながらもすぐに我に返った彼女は、懐に手を入れあるアイテムを探した。実は本当に困った時のために、切り札とも言える様な手段を所持していたのだ。こんなバカの為に使いたくはなかったが、さりとて助けるチャンスがありながらもそれを放置して目の前で死なれては寝覚めが悪い。なのですぐさまそのアイテムを取り出そうとしたのだが――

「ぬっ、なんと!?」

 彼の走りは速かった、それこそ尋常ではない速度で一瞬にしてモンスターとの距離を縮めていたのだ。

「当゛っ……ッタ゛レ゛ェッッ!!!」

 吼えながら彼は大きく拳を振りかぶり、それを先頭のリザードマンの顔面にブチかます。本人が考えていたのとは随分違う不恰好なハンマーパンチになってしまったが、その渾身の一撃はトカゲ男をゴム人形のように弾き飛ばし、一瞬にして戦闘不能にさせる程の威力を見せた。

 どう見ても体格で下回る相手に仲間が倒されるという予想外の状況にモンスター達もざわつき出す。そしてすぐにもう一体のリザードマンが彼に向けて左腕に持っていたハンドアックスを振り上げ、ゴブリン・シャーマンはそれを援護する為か魔法の詠唱を始めた。

 ユナもここは加勢すべきなのだろうが、想定外の状況に面食らい目をパチクリしたまま再び硬直してしまっている。だがそれも仕方ないといえようか。

 リザードマンは振り上げた手斧をそのままトウガに叩きつけた。防具を身に着けていない相手にヒットさせた確かな感触に、一瞬そのトカゲの顔で滑稽な笑みを浮かべそうになるが、それはすぐに驚愕に取って代わられる事となった。

 トウガが受け止めたのだ――その刃を直接『素手』で。裂けない皮膚も、負けないパワーも明らかに異常としか言いようが無い。

 彼はそこで止まらない。そのまま驚愕するリザードマンの左腕を右脇に抱え込み、さらには首に取り付き無理矢理左脇で絞め上げる。加えて身長差もあり浮いてしまっている足を、ならばとさらに上げた馬力により敵の背を捻じ伏せることで強引に地面に下ろした。

 この時点でも見事なものだが、彼はそこからリザードマンを持ち上げると言う荒技を行おうとする。リザードマンはあまりの事態にギャアギャア叫びながら暴れるが、トウガはそんな人トカゲの抵抗を許さない。敵の腹のすぐ近くにある左膝を垂直に上げるようにして一発二発とコンパクトに叩き込み、リザードマンの全身から力が抜ける一瞬を確認するとすかさず大地を踏みしめて、改めて相手を頭上に持ち上げたのだ。

 そうして呆気に取られていたユナは、人間の男性の上に逆さになったリザードマンというとてつもなく奇怪なものを目にする事になった。

 だが見る者が見ればこれはっ!と叫んだ事であろう。見事なポール状態から繰り出されるその技は――

 ――破壊王よ、俺にっ、力をぉっ!!!

 今は亡き破壊王『HASHIMOTO』の必殺技とも言われた垂直落下式DDT。相手の首と腕を掴み上下を逆にして担ぎ上げたまま真っ直ぐに立ち、そこから自身が後方に倒れる事で、対象の頭を文字通り地面に垂直落下させる全くもってシャレになっていない殺人技である。鈍い音を響かせたソレは、リザードマンの一体を完全にノックダウンさせるのだった。

 きっちりと決まったのを確認したトウガはすかさず跳ね起きるが、そこをゴブリン・シャーマンの魔法が狙い撃つ。ストーン・ブラスト、地面から石つぶてが飛び、多くの擦過傷を作ることで血を流させ体力を消耗させる魔法だ。

 トウガは一瞬怯んだが、頭を腕で守り姿勢を低くして石つぶての中に突っ込むと、そのままシャーマンの前まで一足飛びに駆け抜けた。そして唖然とする敵の前で左の拳を握り、重いパンチをブッ放す。

「チェリオッッ!!」

 しっかりと踏み込んだ左の軸足と共に繰り出されるスリークォーターの左パンチ、ボクシングのスマッシュ(斜め下の位置から打つアッパーのようなパンチ)と思わしき一撃だ。たっぷりと体重の乗ったそれは小鬼に当たると5m近くも跳ね飛ばし、その後にピクリともさせなかった。

「っ、後ろじゃ!」

 事態の推移を驚きながら見ていたユナが叫ぶ。始めのパンチで倒しきれなかったリザードマンが起き上がろうとしていたのだ。だが、それでも相当足にきていたのだろう。トカゲ男は力が入らないのか顔を伏せ、膝立ちのままプルプルと震えている。

 彼はその隙を見逃さない。

「俺にだってっ、魔法ぐらいあらァなッ!!!」

 トウガの狙いは立てられた敵の右膝! 彼は目標目掛けて走り出し、そのまま己の左足を相手の右膝に乗せると、空中でわずかにとどまり残った右足を横に開いた。だがそれもほんの一瞬の事。リザードマンが慌てて顔を上げた頃には、トウガの右膝は敵の側頭部へと力強く振り抜かれていたのである。

 その流れはまさに閃光の一言! ――シャイニングウィザード、見る者を魅了する閃光魔術であった。









「あ~、大丈夫か?」

 結局ユナは動く必要が全くなかったわけだが、肝心な戦闘の功労者は深く息を吐き腰を下ろしていた。見る限りだとかなり圧勝のように思えたのだが、肩で大きく息をして余裕は全然残って無さそうにも見えるし、意外にそんな事もないのだろうか?

「フゥ、ハァ……はい、ダイジョブ、ですよ。ちょっと、精神的にきました、けど」

 手を上げて彼は応える。そういえば魔法も食らったはずだが、見た感じさしたる怪我もない。肌にろくな切り傷も見られんとは……一体どうなっとるんじゃ。

 ユナは疑問を持ちつつも、座り込んだトウガをそのままにモンスターの死体から斧やら杖やらと、多少なりとも売却価値があるものを回収していった。

「ほれ、そなたの手柄じゃ。薬草に加えて持っていけるならそうした方がよかろうよ。装備がいらんというのは……まぁなんとなく分かったが、金がないのは事実なんじゃろ?」

「ぇ、あっ……ども」

 息を整えながら受け取った戦利品を、男は物珍しそうに眺める。そういった素人臭さと先程の戦闘力の奇妙なギャップ、これは一体何なのだろうか?

 さらに彼は「精神的にきた」と言った。では斧を手の平で受け止め、魔法の中を走り抜けた事実の方は全く問題にすらなっていないというのか?

 ――――おもしろい。これは何とも興味深い存在ではないか。ユナは改めて帰り支度をしつつ、さてどうするかと考えを張り巡らせた。

(ほうじゃのぅ……まずは危険手当ということで、飯ぐらい奢ってやるかな)

 わずかに口元を上げる彼女は、恐らく(少なくともトウガにとって)ろくでもない事を考えているのだろう。そしてこの後、食事の席でそんな人物の相手をするであろうトウガは、きっとそれに「飯代程度では割に合わない」という感想を持つに違いない。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 なんとなくファンタジーに格闘(組技含む)を組み込んだ話を考えてしまったので、突発的に書いてみました。
 感想:描写が楽しいけど書くのが難しい……
 あと力や頑丈さがトンでる系なので格ゲーの技も出しちゃったりしてます。みなさんはどんな技が好きなんでしょうか?

 感想等を下さるととても嬉しく励みになります。



[9676] 2話
Name: 鉄腕28衛門◆9e4cac5f ID:a854cf3c
Date: 2013/07/10 21:06
 ダンジョンからの帰り道は、特に問題が起こる事もなかった。

 手荷物こそ増えたが薬草は元々の狙いなのだから問題なし(袋の詰め具合にトウガは少々呆れもしたが)、戦利品である手斧2本と杖1本はどちらも粗悪な品であり丁寧に扱う必要はないと、トウガが空いてる腕で一抱えに持っている。

 ちなみに死骸はそのまま。強力な牙などを持つモンスターならその素材を持って帰りもするが、このレベルの奴らでは売り物にはならない。

 それよりも彼が気にしているのは、けっこうな驚愕のシーンをユナに見せたので何かあるだろうなぁと思っていたのに、それについての質問が今のところまだ何も来てないことだった。

 行きと同じくちょっとした雑談をしながらの帰り道だったが、そろそろ街が見えてくるなという辺りでユナが声を掛けてくる。

「ふむ、ようやく見えてきたな。晩飯時と言うにはちと陽が高いが……お主、腹は減っておるか? なかなかの活躍をしてくれたことだし、報酬とは別に奢ってやるぞ。来るか?」

 トウガは瞬時に理解する。――ああ、なるほど。その席で腰をすえて、根掘り葉掘り聞き出そうってのね。

 面倒であろうことはなんとなく想像できるが、今の彼にはそれはとても魅力的に思える提案なのである。

 理由は簡単、ぶっちゃけ金が無いからだ。それはもうその日の宿に困るぐらいに無い。

 リザードマンって焼いたら喰えるのかな……。危ないことを思いつつ、彼はユナのお誘いに乗ることにしたのだった。





 薬草満載の袋をユナの店に置いてから、彼らはユナの案内で武器防具を扱う店に向かった。使い道も無いうえ、場所も取るいらない武器など売ってしまうべきだという判断である。まぁ大した額にはならなかったが、トウガには嬉しい収入だ。

 ユナの店からここまで、彼は妙に周りを観察するかのように見ながら歩いている。ユナから見てそれは、トウガがかなりの田舎物で、生まれ故郷から出て来たばかりのように見えたものだ。

 一通りやっておくべき事を済ませ、ようやく『猫が寝込んだ』亭に戻ってきた彼らはギルドへの報告を済ませた後、そのまま酒場で席を取り食事と頼むことにした。

「俺ここの美味いもんとかわかんないっすから、ユナさんがオススメするもの選んでくれませんか?」

 依頼回数が今回のでようやく1回、しかも冒険者登録したであろう店の食事メニューすらろくに知らない。どうやらここに来たばかりなのは間違いないようである。

「ふむ、よかろ。人を選ぶような物は頼まんから安心せい」

 彼女が頼んだのは具沢山のホワイトシチューが2人前にバスケットに入った柔らかいパンをいくつか、といったものだった。なるほど、これなら子供から大人までまず問題ないチョイスだろう。

 食べてみるとかなり美味しく、トウガの手はテンポよくパンを取りスプーンを動かしていく。だがそんな彼よりも、ユナの食事ペースはさらに早かった。

 見た目が少女なのに、間違いなく食べたパンの量もトウガより多い。さらに一息つくと、彼女は新しい注文までしている。まぁそういう人だっているだろうと、トウガは自分のペースで食べていたのだが……

「うりうりぃ。お主も飲まんかい」

 新しい注文って酒かっ。しかももう酔ってるのか。

「おねぃしゃん、もう一杯おねが~い」

 腐ってやがる、(まだ陽が高いし酒は)早過ぎたんだ。

「にょっほ」

 見た目は良いのにオッサン過ぎるだろ、ホント何なのこの人。

 ちなみにこの状態になるのに飲んだ酒は中ジョッキ一杯といったところである、……自分から飲んだくせに弱いなぁ。





 なんとかその後の酒は止めさせたのだが、そうすると彼女は酔いのせいで眠くなったのか、急に「ぬう、すまん。今日はもう帰る」と言い出してしまった。

 酔っ払いを一人で歩かせるのも怖いし一応彼女の店は知ったのだからと、トウガは送ることにしたのだがその足取りは意外としっかりしたものだった。

「……ありがと」

 店の扉を自分で開けて入るのまで確認したところで、不意に礼を言われる。あまり大した酔いでもなかったかな。

「どういたしまして」





 彼はようやく暗くなってきた街の中を歩いていた。――はぁ、一応の現金収入があったし、知り合いも出来た。しばらくはこの調子で生活基盤を作るしかないか。あ、結局あの戦闘の話は出なかったっけ。……あんだけのものを見せたのに、ホントになんとも思われなかったならそれはそれで悔しいぞ。

 なんだかほとんど見知らぬ土地にいるような事を考えているが、その考えは間違いではない。

   ――ここは地球ですらないが、彼はれっきとした日本生まれの日本人なのだから。





 ――――――――





 本名、田沼冬牙、彼は日本のとある地方都市にすむ大学生だ。そしてオタクである、と言ってもインドアオンリーではなく浅く広くカバーするライトオタクであった。

 そんな彼はけっこうな鍛え上げた体を持っているが、理由はかなり変わっていると思えるものである。

 小さい頃、彼は自分の名前に少々不満を持っていた。「冬」はともかく「牙」はねーよ、と。そして彼はその頃からサブカルチャーが好きな子であった。そうして小学生のときに決心したのが、格闘ゲームの主人公のような肉体を持っていれば恥ずかしくなんかないじゃない、というものだったのだ。

 小学生らしい三段跳びな理論で彼はウェイトトレーニングを生活に取り入れ、運動神経に恵まれたこともあってか「動けるマッシブなオタク」として成長していくのである。背があまり伸びず、鍛える時期が早かったかっ、と後悔した事のあったりするが。

 歳を経ても、ある意味ゲームのキャラになりきるコスプレ的なものもあってか、彼の筋肉は減る事は無かった。大学に入ると「格闘技研究会」というなんともわかりやすい名のサークルに入り、実技はともかく半端な知識も増えていった。





 そんな彼がファンタジーな世界に紛れ込む事になったのは、ある女に召喚されたからだ。

 女はステイシアと名乗り、自らの目的のためにある実験に協力してくれる人を探し、それを行ったのだと言う。その実験とは、素体となった人に「違う世界の本人」を召喚、融合させるというかなりぶっ飛んだものだった。

 つまり冬牙は召喚されたうえ、この世界のトウガと合体させられたのだ。何それよく協力したなこっちの俺、と言う彼の疑問に「なんだか生きる気力もなく、痛くない自殺を望んでいるかのようだったわよ」とはステイシアの弁である。

 とはいえ、聞いただけだと危険なように思えるが、彼女は5日もすればまた分離させたうえで、お土産持たせて元の世界に返してくれると言っている。こっちのトウガにもちゃんと報酬を出すようだ。

 怪しさ大爆発な話だが、何故だかこの人は信頼できる、そんな気がしていた。……なんでだろ?

「生きる元気もなかったのかどうか知らんが、ちゃんと話聞いてなかったんじゃねーの、こっちの俺」

 ステイシアは自身の目的は教えてくれなかったが、冬牙を召喚した訳と2人の「トウガ」を1人にした理由は教えてくれた。

 冬牙を呼んだ事からもわかるが、この世界には魔法がある。そして魔法とは、世界の法則を己の意思で捻じ曲げる事であり、いくら才能に恵まれていても1人の人間に出来る魔法には限界がある。

 だがそこで、この世界にとって異物である彼に触れながら魔法を使うと魔法の発露、つまり世界を歪める現象に多大な追い風を得られるというのだ。

 そして、そんな異世界人もそのままでは異物として「世界」から弾き出されてしまうので、楔としてこの世界のトウガと融合させたということらしい。

「要するにすごい魔力ブースターってことか」

 なお、これって真っ当な魔法なのかと聞いたら、「あんまり真っ当じゃないわねぇ。できれば今後誰かに会っても言わないでくれると助かるわ」と返された。……それってダメじゃね?





 なんだか誘拐に近い形でここに来る事になった冬牙だが、ここまで話を聞いたうえで彼は特に不満に思う事は無かった。

(ライトノベルなんかだとよくあるもんだしなぁ)

 暗いよりはマシかもしれないが、ここまで来るとポジティブを通り越して、たんなる考え無しのようでもある。

 まぁこのあまりにも非常識な状況に騒ぎ立てるといった醜態も無いのは、おそらく彼の願望のおかげだったのだろう。それは簡単に言うと「誰も知らない不思議体験をしてみたい」というものだ。別に珍しくも無い話である、内に秘めているだけならば。





「3日ぐらいで準備を整えるから、それまではゆっくりしていてちょうだい。足りないものは使用人かオートマータに聞けば大抵のものは用意するわよ」

 娯楽そのものは日本よりも少ないのはしょうがないが、その分お客様待遇で食事や寝床の質は高かった。せめてiPodぐらい持ってればなぁ、と冬牙は思うが無いものは無い。

 現代の娯楽に比肩しそうなものといえば風俗ぐらいしか思いつかないが、そういった類の要求はさすがに止めておいた。会って間もないお姉さんや、ファンシー系の人形のようなオートマータ(魔力で動く自動人形)に「風俗のお店近くにある?」などと言うほど彼は礼儀知らずではない。客分扱いとはいえ己の常識から逸脱しない行動を取ろう、冬牙はそう自分を律することを心掛けていた。

 地球の娯楽とは離れてしまったが、変わりに体験する事ができた面白い事もある。魔力ブースターとしての能力がちゃんと備わっているのか確かめるために、ステイシアが冬牙に渡したもの、それは身体能力上昇と防御力上昇の魔法が込められた腕輪だった。

 腕に通すだけで大きさが変わりフィットするあたり、いかにも魔法の品物っぽい。魔力ブースターの効果と組み合わせるとその効果は高く、パンチ1発で壁を砕き、ジャンプをすれば2階の窓に届き、刃物で皮膚すら切れやしないといった凄まじい効果を発揮した。ステイシアが自分用にカスタムし、消費魔力を抑えた一品だとのことである。

 まぁ魔力ブーストがないと効果と費用があまり釣り合わない程度の出来だったらしいが、冬牙は帰りのお土産にこれくれないかなーとか思いもしたものだ。





 召喚されて3日目の昼、冬牙は昼食を摂った後、ステイシアの館の近くの林まで散歩に来ていた。

 なんとかオートマータに世話される生活にも少しは慣れ来たところだが、少々時間を持て余し気味なのは変わらない。なので、しなやかな跳躍力を活かした猫科の動物を思わせるような宙返りをしたり、木から木へと飛び移ってみるなど体使った遊びを開発していた。

 凄まじい身体能力に加え、融合によってこちらの世界の言語が理解でき、肌が褐色、髪が灰色になるなど見た目の変化まである。まるでちょっとした変身ヒーローみたいだな、などと彼は思う。

 ただ、ベースが完全に日本の冬牙になっていることは少々気になっていた。こっちのトウガはそんなに生きる気力とかがなくなっていたのだろうか? ……一体何があったんだか。

 そんなこんなで時間を潰しつつ、夕方になって屋敷に戻る事にしたのだが、考え事をしていたせいか彼は風景の明らかな変化に気付くのに遅れてしまっていた。









 空が赤いのは夕方だからおかしくない。だがそれよりも赤いものがある――屋敷だ。ただ赤いんじゃない、すごい勢いで燃えている。昼にはそんなこと想像も出来なかった光景がそこにある。

「……っ、なんでっ!!?」

 彼は走った。全力で文字通り飛ぶかの如く。屋敷の燃え方はかなり激しい、ちょっとのボヤとかであんなになるもんなのかっ?

 屋敷に近づき見ると、もう消し止めるとか言えるレベルではないことがわかった。ならせめて住人の安否をと思い、ドアを蹴破り中に入る。

「ステイシアさんっ! 誰か、誰でもいいっ!! いるなら応えてくれっ!!!」

 この3日程度で知った屋敷の中で、できるだけ人が居そうな所に駆ける。そして書斎に入ったところでそいつらに出くわした。

「何してんだよ、それ……」

 ステイシアの身の回りの世話をして、冬牙とも話した事がある使用人のおばさんが倒れている。そしてその体に刺さった大きな剣を、ゆっくりと引き抜いている甲冑姿の男。もう一人それよりも軽装備だが血の付いたショートソードと盾を持った男もいる。どちらも笑っており、一目でこの火事の加害者側であることが分かった。

 冬牙の姿を見ると、その2人は新たな標的と確認したようで、汚い笑みを浮かべたまま彼に向かってきた。





 ――田沼冬牙脳内会議

 社会的道徳という壁が見える。だがそれは正当防衛という爆薬によって粉砕された。

 血に対する生理的嫌悪という光が目に入る。しかしそれはアドレナリン過剰分泌という眼鏡が掛けられ曇らされた。
 
 肉体が叫ぶ。体中が熱い。目の前の理不尽に鉄槌を叩き込みたい。

 本能が訴える。生きるために障害は排除しなければ。
 
 感情が吠える。この惨状を許していいのか、いいわけが無い。

 そして理性が結論を出す。これは敵だ、この世界での俺の場所を奪った敵なんだ。抗っても逃げても後味はよくない、だが館内を探そうとする俺をこいつらは見逃しはしないだろう。気に病むことは無い、こんなの人生によくある問題の一つだ。テレビ番組の朝の占いでも見れたら変わっていたかもな。せいぜい、今日の自分の運勢が悪かったと思え。

 ――意思が起動する。彼は拳を握りこんだ。





 重戦士が踏み込んでくる。強化されているとはいえ冬牙に自身の耐久限界はわからないし、遠心力で加速された両手持ちのでかい剣をまともに食らえば、いくらなんでもダメージはあるはずだ。

 ――接近戦だ。両手剣相手に素手で立ち向かえば意表をつけるであろうし、今の自分の瞬発力があれば近付くこと自体は難しくないはず。

 狙いは頭部、武器は肘。一気に潰す。

 敵は何も装備していないこちらを侮ってか、武器を振り上げもしない。 ――バカがっ!!

 冬牙は呼吸を止めると一足飛びに間合いを詰めた。そして反応しきれない相手に対し、獣の牙のように左右の肘を叩き込む。兜越しでもダメージは入り重戦士は大きく後ろによろけるが、敵もやられるだけではなく間合いを取ろうと剣を右袈裟に振り下ろしつつバックステップをする。

 だが逃がさない。冬牙は右半身を大きく後ろに下げることで避け、そのまま左足を軸に時計回りに回転し右肘で反撃。それはまたも兜に突き刺さった。3度も頭に強烈な打撃を食らった事で、重戦士は足を痙攣させながら壁にもたれる。

 そして最後の1撃、大きく振りかぶり十分に腰の回転も加えたランニング・エルボーが顔面に炸裂。結局全て兜越しだったがそんなこと、頭部を壁にめり込ませ破壊したその威力、神となった男『MISAWA』のヒッティングコンボ、ファイナル・エルボー・コンビネーションの前に問題足り得ないのである。





 もう一方の軽戦士の方は、今の一連の攻防で警戒を強めたようだが、それ以上考えさせる暇は与えない。先程の敵よりも攻撃が速い分、重さはないと思われる。先程よりも敵の攻撃が速い分、重さはない。どうせ剣先の動きなんか大振りでない限り見えやしない、なら――

 ギチッ!

「っぬぅ!?」

 あえて両手を上げることで胴をがら空きにし、敵の攻撃を誘う。狙い通り剣でなぎ払いを仕掛けてきたが、それは己の腹筋と魔法で耐え抜く。

 剣を自ら食らう事にはかなりの恐怖があったが、人間1人を潰したことでトウガはもう色々と「キレていた」。

 敵が狙い通り動いたならこちらも仕掛ける。まずはモンゴリアンチョップ、相手の両鎖骨に鋭い両手刀を叩き込む。やや及び腰になったせいでダメージはイマイチだが、これは繋ぎだ。

 彼はダブルチョップをくらい前のめりになった敵の両腕を、背面に「く」の字になるように自分の腕に絡めて曲げる。。リバースフルネルソンと言われるその体勢は、そのままでも締め技として十分な威力を発揮できるが、今は時間が無いのだ。一瞬で終わらせる!

 冬牙はそのまま敵を強引に持ち上げ、相手の頭を下に向けさせた。そして……

「フンッハ!!!」

 バキャンッ!!!  うめき声を上げさせる事もない必殺の一撃。木製の床に頭を打ち込み、軽戦士を仕留めたこの技はタイガードライバー91、「受身の取れないパイルドライバー」と言えばそれだけで恐ろしさは十分であろう。









 戦いは終わったが息をつく暇は無い。冬牙は床に頭を埋め動かなくなった間抜けなポーズの男を放り出し、館内を走り生存者を探し回った。しかしそんな努力も虚しく、見つかるのは使用人の死体やオートマータの残骸ばかりであった。

 そもそもここにどれだけの人が住んでいたのか知らないのでは、生存者の数の推測などもできやしない。

 結局崩れ落ちる前に館からは抜け出したが、彼は呆然とするしかなかった。唯一わかることは、5日やそこらで日本に帰るというお話はなくなってしまったということだけ。ステイシアの死体は見なかったが、会えなくなったのなら同じ事。

「……どうしろってんだよ、俺に」





 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 




 技のチョイスは名レスラー三沢 光晴氏をリスペクトして選ばさせてもらいました。

 主人公の生い立ちは「流派や実在の技かどうか等関係なくやたらと技のレパートリーが多い」のための後付のようなものです、深く考えないでください。

 主人公の格闘技の経験そのものは喧嘩をしたことがある程度のものですが、下地の良さと魔法の補正、あと「手加減必要なし」「転倒とかしても痛くない」のおかげで思いっきりやっているということで。大きなトランポリンの上だと回転したり背中から落ちたりするのも怖くない、それに近いイメージもあります。

 筋肉がメインの物語では冗長な設定だったかもしれない……、ちなみに一部以前チラシの裏で書いた短編の設定や文を流用してます。気付いた人がいても気にしないやってください。

 さー次は絶対に格ゲーの技を出すぞー。



[9676] 3話
Name: 鉄腕28衛門◆9e4cac5f ID:a854cf3c
Date: 2009/06/28 03:16
 燃え続ける館の残骸の前でボケーっとしている冬牙。


 どうするか……。食う物も寝るとこも無いし、ここら辺の地理もわからん。街とかの位置がわかっても、金がなくてはどうしようもない。警察みたいな公的機関は期待できないし、知り合いもいるわけがない。

 ないないづくし過ぎてビックリだ。日本のド田舎とか話にならんな、ハッ。


 半分他人事のように思いつつ、思考の旅は続く。幸いというべきか、とても大きな焚き火がそばにあったので灯りなどに困る事は無い。だが、それとていつ消えるかわかったもんじゃない。

 頼りになるのはこれだけか。左手首に着けたままの腕輪を、冬牙はぼんやりと見る。この腕輪の存在は、今の彼にとって途轍もなくありがたいものだが、今のままではやはり問題がある。

 例えば、今も燃え続けるこの崩壊した館の光に誘われて何か獣が来たとして、彼はそれを倒す事はできても調理などはできやしないのだ。身体能力上昇の効果で胃も強くなってたりして……、いざとなれば倒した獣を丸焼きにして喰うぐらいのは覚悟はしておくか……。





 ちょっと切ない事も考えつつ、こういう時にどうするべきか素人なりのサバイバル知識を記憶の片隅から掘り出していた彼だが、ふと妙な記憶が頭をかすめた。

「デジャブ……じゃない? んーあー、 ――これは……こっちの記憶かっ」

 全く知らないはずの風景や建物、自分が住んでた地域ではありえないレベルの自然などの事がポツリポツリと浮かんでくる。融合してこの世界の言語を理解できたように、こちらの世界のトウガのそれ以外の知識も頭の中に入っていたのだ。ただしその1つ1つはかなり薄いものでしかないうえ、その数も多くは出てこない。

 関連性がないせいで憶えきれず、出てきてはすぐ消える記憶群を頭の中で必死に整理しているなかで、今の彼に有用な記憶が1つあった。

「住んでた部屋か……な?」

 確信はないが、そう思わせる少し安心できる部屋の風景。それまでの無差別な記憶は完全に脇に置き、その部屋に関連することを考えていくと住んでいた街、さらにはここからのルートもおぼろげながら浮かんできた。

 それらの記憶も薄いものには違いなかったが、今の状況からしたら十分な道標となる。そう、大雑把な方角だけでも分かれば、それはすなわち人里への道も分かるという事だからだ。無論部屋に辿り着けるならそれがベストである。入り込んで文句を言われない屋根がある場所ほど、今恋しいものはない。


 
 とりあえずの今後の指針が決まった途端、急に眠気が冬牙を襲った。思えばこの日は昼食の後に外で運動、そこから燃える館を見て全力疾走、初めての命懸けの闘争、生存者の捜索と動き回ってばかりだったし当然と言えるだろう。八方塞がりだった状況に道が見えたことで、張り詰めていた気持ちが途切れたというのもあるに違いない。

 ――そういや、人を殺したんだっけ……。夕方の争いを思い出す。燃え盛る館の中で、わざわざ武器の無い相手を殺そうとしてきたのだ。現代でも正当防衛と言っていいのかもしれないが、あの時は「キレていた」せいもあるし今はやはり少し気が重い。

「でも、後悔なんか絶対にしない」

 後悔ってのは「過去の自分の選択」を間違えたと思った時とかにするもんだ。俺はもしまたあの場面に出くわしても、あいつ等を倒して生きてる人を探すだろう。

 気が重いのは今までそういった倫理観で育ってきたからだ。当然それを自分に言い聞かせたところで、すぐに気の重みがどうにかなるわけではないけど……。



 今にも落ちようとする意識の中で、彼は思う。――しばらくは日本から来た「冬牙」はお休み。明日からは、この危険度たっぷりのファンタジー世界の中で生活する「トウガ」として生きてみるか……。







 翌朝、彼は日の出から程なくして目を覚ました。少しばかり呆けていたが、すぐに自分の置かれた状況を思い出し立ち上がると、その足でおそらく人里があるだろう方角に向かい出す。

 まだ暗めの肌寒い早朝、人の気配は一切無い。そして食べる物も飲む物もない状況で、知識としては知ってる程度の街を目指す。トウガは急に寂しいという思いを胸に抱いた。それはまさにホームシックと呼ぶべきものであり、彼自身もそれを否定はしなかった。こんな状況なら当然でもあり、歳がどうとかは別物と感じたからであろう。起きてすぐに行動し始めたのも、動くことで少しでも寂しさを紛らわすためなのかもしれない。

 始めはただの歩みだったのだが段々とそれは速くなり、いつのまにかマラソンをしているようになっている。会話しなくてもいい、ただ人の存在を感じたい。彼の走りは腕輪の効力もあり、どんどん加速していった。



 道のりは案外あっけないものだった。というのも、トウガ自身は気付いていなかったがステイシアの館は森によって囲まれ、周りから隠れられる丘のような場所に建築されていたようで、その森を抜けてしまえば広大な草原や街道、そして遠くに街らしきものを一望できたからだ。

 距離はかなりあったが、今の彼の足ならそこまでたいした時間は掛からない。駆け足で街道を行き街の外壁まで辿り着いた彼は、そこで壁に手をつき乱れた息を整える。どうも腕輪に関して多少過信があったようで、スタミナはさして増えてはいなかったのだ。

 大きな壁だ。近づきながら思ったがこの街、相当大きいな。呼吸を鎮めつつ壁を見上げると、またわずかながら記憶が出てくる。

「……こっちか」

 記憶を繋ぎ合わせ壁にそって歩くと、中に続く検問所の様なところに着く。守衛のようなのも立っており、とりあえず人がいたというだけでトウガの気分は少し良くなってきて、そんな自分を単純だなと苦笑してしまった。

 
 ある程度近づくと、守衛の方から声を掛けてきた。

「止まれ、通行料か許可証を見せ……っておまえさんか。何だ? やり残してきた事でもあったのか?」

「え、ああいやその――」

「家を売った金やそれまでの備蓄を、全部聖堂付きの孤児院に寄付した男だしな。俺だって覚えてるさ……なんか体格が変わった気もするが。東地区から来たんだったよな?」

「――ぇえ」

「金ねぇんだろ? サービスしとくぜ。ほら、通りな」 

 知られているとは想定外だったためなんとか話を合わせようとしていると、とんでもない事を言われたせいで肯定ともなんとも言えない様な返事を返してしまっている。

 そして中に入れてもらい町並みを見ると同時に、頭を抱えたくなるような事実を理解してしまった。

(嘘だろ、自殺でもするつもりかなんて適当に思っただけだったのに。……本当に財産の整理までしてやがったっ!!)

 笑えなさ過ぎる。しかもそれがもう1人の自分の行いだと思うと、本当に驚愕するしかない。なんでやねーん。



 前に住んでたのは東地区、そして守衛が言うにはここは西地区。丁度反対側のようだが、彼は東地区まで行く気にはなれなかった。自分がやったわけではないので出戻りみたいな気持ちを持つわけではないが、そのことについて聞いてくる知り合いなども出てくると思われるからだ。

 知人のように振舞えるとは思えないし、筋肉なども増量しているようなので怪しまれる可能性が高い。テレビとかもないだろうから、この規模の街なら正反対の地区の新しい住人など知られる事は無いだろう。……ここらへんで住み込みで働けるとこがあればなぁ。


 この文明レベルの雇用形態や儲かる職がまるでわからないトウガは、先程の守衛にここらの職事情を雑談交じりに聞くことにしたのだが、その中で1つだけ非常に心惹かれるものがあった。 ――冒険者である。

 興味だけでなく、現在自分が持つ力を考えればこれはなかなか適職なのではないか。少なくとも皿洗いや丁稚坊主なんかよりはいいに違いないっ。

 守衛から冒険者組合に加盟している宿の話を聞いたトウガは、すぐさまその宿に向かう。冒険者になるにはどんな試練があるのかっ、「モンスターを倒せ」みたいなのもあるのではっ。彼はちょっと前までの憂鬱を吹き飛ばすような興奮を覚えていた。





 そしてその興奮は30分で切れることになる。

『猫が寝込んだ』亭という宿屋で「冒険者になるにはっ」、と聞いたのはよかったがその返事はとても簡素だった。簡単な書類の作成、渡される認識プレートと思われるもの。その後に依頼の受注などに関する諸注意、ダンジョンでの鍛錬などの口頭説明。最後に一切武具が無い人へのボロボロナイフの貸し出し。

 あまりに事務的&簡単な冒険者の登録に、トウガは肩透かしを食らってしまったのだ。理解できる事ではある、結局これもビジネスということなのだろう。経験に合わせた依頼の斡旋などをしてくれるだけでもありがたいのだ、そう思っておこう……。



 まだ朝なので食堂に居るのは朝食を摂りに来た冒険者の客ぐらいだ。トウガは少し悪いと思ったがそこに混じり、空いてる食堂の椅子に座り机に突っ伏した。今は初心者向けの依頼がないということなので、受付のお姉さんに自分が受けれる依頼があったら回してくれるように頼み待つ事にする。

 しばらくしたら彼の境遇をなんとなく察したのか、ウェイトレスが牛乳を1杯持ってきてくれる。人情が身に染みるトウガであった。

「ツケといてあげるわ」

 そんな事だろーと思ったよ。

(とにかく今日の宿代と飯代をどうにか……。丸一日食べ物を口にしていないけどもう少しだけ我慢我慢)



 そんな彼に飯のタネが舞い降りるのは、幸運な事に牛乳を飲み干してすぐの事だった。

「お主を雇う事にした。構わんな?」



 ――――――――



 昨日は初対面の奴にアホゥなところを見せてしもうた。 ……あれはないじゃろう、はぁ……。

 酔ったまま寝てしまい、翌朝起きたユナは昨日の自らの行動に頭を痛めていた。あの時は確かに酔っていたのだが、飲んだ酒量も大したものではなく記憶自体ははっきりと覚えていたのである。

 少々低血圧気味の緩慢な動きで、魔法の掛かった特注の水がめの中の水を使い顔を洗う。髪などの身支度は一先ず置いておき、軽い朝食を取ろうとしたのだが椅子に腰を掛けると動くのが億劫になってしまい、またしばしの間物思いに耽ることになった。



   ――これは弱さか、すっかり受け入れていたものと思ぅておったがのぅ。勝手に嬉しくなって、浮かれて暴走する。全く懲りぬことじゃ。



 自嘲するかのような考え、浮かぶ表情に活力は見られない。



   ――生活に苦はない。ただ少々の自由が無いだけ、文句など言わぬ。



 そろそろ店を開く準備をした方がいいだろう。二日酔いなどはないのだ、店を休む理由はない。



   ――例え奴が妾と同じようなモノだったとして、だから何だと言うのじゃ。……欲しいのは共感などではない。







 依頼の報酬とモンスターからの戦利品を売ったことによる収入で、なんとか宿を取る事ができたトウガ。彼はユナを送り届けた後、少し食べ足りなかったこともあり食堂でパンをいくつか買い込み、『猫が寝込んだ』亭で借りた一室で口にしていた。

 ちなみに部屋にもランクというべきものがあり、住むだけなら節約する意味で最低ランクにするべきなのだろうが、トウガは最低の1つ上の部屋を選んでいた。理由は簡単、現代っ子らしく虫は苦手であり、一応の清掃が行き届いているこちらの方がとても魅力的に思えたからだ。

 だがそのおかげで今の所持金では宿代だけで一週間程度しか払えない状態であり、食事も考えると金欠状態なのは変わらない。明日も依頼があるとうれしいなぁ……。

 翌日、金儲けの手段を考える中である懸念事項に思い当たった彼は、まずユナの魔法道具屋に行くことにした。今現在の彼は、実情はともかく肩書きは依頼達成数1の新米冒険者でしかない。なので、ギルドの依頼では大したものは受けられない。パワーやらを見せれば扱いは変わるかもしれないが、ステイシアに「真っ当ではない」魔法によって呼ばれた存在である以上、ギルドに色々と追及されそうな能力を見せるのはまずい気がするのだ。それこそ1流の冒険者になってから色んな装備品の効果です、みたいに言うならともかく……。
 
 ステイシアも「誰にも言わないで」みたいな感じだったなと思い出す。そういうのを全然考えないうちにユナには勢いで見せてしまったので、まずは口止めを頼みに向かわなければ。ついでに依頼の1つも貰えればありがたい。可愛くて仕事にも繋がるコネは大事にすべきである。



 ユナの店があるのは、様々な店が並ぶ大通りの一つ奥に入った場所とでも言うべき所にあった。騒がしいわけではないが、寂れた感じとも縁遠いなかなかの立地条件ではなかろうか。しいて言うなら大通りを歩くだけでは、パッと見で少々知られづらそうというぐらいか。

 そんな場所なのだが今は何故か騒がしい。というよりも丁度ユナの店の前で揉め事が起こってしまっていたのだ。



「おいおい姉ちゃん、人様に怪我させといて謝るだけで済むとでも思ってんのか~?」

「兄貴ぃ、痛ぇよこりゃ骨が折れちまってらー」

 おまえらどこの世紀末からやってきたんだ、とトウガに思わせるほど完璧なチンピラが上等そうな服を着た眼鏡の女性に絡んでいる。

「謝罪はしたはずですが。これ以上私からできることは何もありません、一体どうしろと?」

 女性はおっとり顔の美人という事もあってか、チンピラから見たら因縁をつけ易いに見えなくも無いかもしれないが、かなり余裕を保っている。こういうパターンだと実はこの女性は結構強くて、チンピラ達は尻尾を巻いて逃げるってのが多そうだが……

「へひゃひゃ、とりあえずちょっと付き合ってもらおうか」

「楽しいことをするだけだよ~」

「そうですか……そのセリフを聞いてはしょうがありませんね」



  スパァンッ!



「ブベッ!」

 いきなり女性の鋭いパンチがチンピラの片方の顔面にヒットした。重さはないようだが、狙いなどは正確であり鼻血を出させている。

「あなた達のような存在がこの地区にいることは、私にとって許し難いことです。あの子のためにも少々痛い目にあってもらいましょう」

 女性はトウガが考える以上に激しいお人だったようである。先程パンチを浴びせた相手に更なる連撃を仕掛けた。

 鳩尾に左中段前蹴り、顎に右ハイキック、ロングスカートが大きく翻るがそれら全てが1つの劇のような優雅さを持っている。



 自分の荒々しい格闘シーンとは違う見事なそれに、トウガは思わず見入ってしまった。

 だが同時に見逃せないものも発見する。チンピラのもう片方が女性の後ろに回りナイフを出していたのだ。

「この……バッカ野郎っ!」

 喧嘩にそんなもん出すな! この世界ではどこからどこまでが喧嘩の範疇か知らないが、それは今は関係ない。女性から手を出したのも事実だが、それも置いておく。「2対1」、「相手は素手の女」。これで武器を持ち出してくるようじゃあ話にならん。

 剣を腹筋で止めた経験もあってか、ナイフ程度に恐怖がなくなったトウガはナイフを持ったチンピラに不意打ちを仕掛けた。



 走りながらスライディングを仕掛けるような滑り込みをし、そのまま蟹バサミで相手の両足を挟むと仰向けになるようにチンピラを転ばせる。チンピラは驚いたようでその隙に技を仕掛ける

 まず相手の右踵を取り自分の左足を相手の足の間に置く。そのまま左足を軸に逆時計回りに1回転する事で、相手の右足をこちらの股の後ろから通すように捻じりを加え、そのまま相手の左足の上に置くように横に引っ張る。そのまま両者仰向けになるようにこちらも倒れ、〆にこちらの右足で横に出たチンピラの右足を上から抑える事で完成。 ――足四の字固め、別名フィギアフォー・レッグロックとも言われる足関節技である。

「なっ、何しやがイダダダダッ!!」

 これを使った理由は簡単だ。手の関節技なら捕縛術としてあるかもしれないが、足の関節技など存在自体こんなチンピラなら知るまい。お仕置きの意味も込めて未知の痛みに呻くがいい!!



 トウガが勝手に「喧嘩の指導」を仕掛けた横で、女性はチンピラを倒してしまった。そしてもう一人を相手しようと振り返ったところで、複雑怪奇な足の絡まり方をした知らない男とチンピラを発見する。

「あら、えーと……手助けしてくれたってことでいいのかしら?」

 これは技なのか、どれほどの効果があるのか、そもそもどっちが掛けてるのか?? たくさんの疑問を持ち女性は声を掛けた。

「え――あ、はい、そうなります……かっ!」

「アギャギャギャギャギャッ!!」

 痛みは与えるが後に残るようなダメージは加えない。関節技の便利なところである。





「やっかましいっ! さっきから妾の店の前で何やっとるんじゃ貴様……ら?」

 騒ぎが大きくなりさっきから気になっていたユナが、注意してやろうとドカンッとドアを開けた。するとそこには昨日見たばかりの男がタコのようにチンピラと足を絡め倒れ、久々に見る顔が不思議そうにそれを上から眺めている。朝の一人シリアスだった気分が台無しである。

「本当に何やっとるんじゃ……」



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 すいません、前回終わりに格ゲーの技を出すぞーとか書いといて出せませんでした。うう、変に予告すると自分の首絞めるなぁ……。

 話を転がすために今回は主人公の格闘シーンは少なめです。そして関節技の描写の難しさは異常でした……。全く知らない相手に足の絡まる関節技って、見た目的に気持ち悪さを与えることもできるんではないでしょうか?

 感想でもいただき自分でも思ったのですが、毎回格闘を組み込むのに必死になるぐらいなら、ちゃんとお話を進めていってスパイスとしてシーンを設ける方がいいのかなと感じてしまいます。無論この物語の大切な所でもありますし、長期にわたる封印はしませんが。

 ともかく、これでプロローグ的な部分は終了です。



[9676] 4話 修正3
Name: 鉄腕28衛門◆9e4cac5f ID:a854cf3c
Date: 2009/07/20 22:13
 チンピラ達は叩きのめされた後、ほうほうのていで逃げていった。考えてみれば、ちょっと女性にちょっかいを掛けただけであれはやり過ぎだったかもしれないが、やってしまったものはしょうがない。

 騒ぎもすっかり収まり、トウガが一応助けた形になる女性に礼を言われていると、ユナが2人に声を掛けた

「なんでそなたらが揃って喧嘩しとったんじゃい。もしかして知り合いじゃったのか?」

「いや全然」

「初めてお会いするわね」

「……まぁよいわ。立ち話もアレじゃしな。茶を淹れてやるわい、中に入らぬか?」



 ユナの店の客間は綺麗なものだった。トウガが今借りている宿の一室などとは比べ物にならない。出された紅茶を口にしながら、「自分の家を持ち嗜好品に金を掛けれるようになる」には冒険者ならどれだけ上に行かなければならないのか、とふと考えるトウガであった。

「とりあえず私から自己紹介させてもらいましょう。この子の叔母でレシャンといいます、さっきは助けてくれてありがとう」

「叔母っ?」

「あら、年齢不詳で素敵なお姉さんに驚いちゃった?」

 トウガは多少驚いたがすぐに思い直す。家族関係次第では、若くして叔母の肩書きを背負う事だっておかしくは無い。まぁ自分で年齢不詳といってる辺り、見た目の二十歳前後のよりは年上なんだろうなぁと想像できるが、それを安易に口に出すほどトウガは迂闊ではない(と本人は思っている)。

「叔母上が来るのは特に驚きはせんが、トウガはなんであそこにおったんじゃ? たんなる偶然か?」

「いや、ユナさんに話というか相談事というか……まぁ用があったのは間違いないんですが……」

 トウガは言い淀んでしまう。とりあえずユナ1人の口止めのつもりだったのに2人に増えてしまっているからだ。別にユナなら大丈夫というわけではないが、それでもリスクは少ない方が良いのは当然である。しかしこの状況でレシャンにいきなり席を外してもらうのは不自然極まりない。さてどうしたものか。

「ねぇねぇ、2人はどんな関係なの?」

「あ、自己紹介が遅れました。えーと、最近冒険者を始めましたトウガです。ユナさんとは――知り合い?」

「まぁ知り合いじゃな。しかも昨日会ったばかりじゃし。それとトウガよ、妾にはそんなに堅っ苦しく話さんでもよい。今は依頼人でもないし、歳もそう変わらんのだからな」

「あ、そうか? わかった」

「あらあら残念、ちょっと邪推しちゃったわ」

「叔母上のご期待にはそえんで悪いがの。まぁそもそも会って1日では、第一印象がよほど良いか悪いかでもない限り知り合いとしか言えんじゃろ」

「そりゃそうだ」



 トウガは話しながら、この2人なら秘密に深く追求する事もなく大丈夫かなと感じ始めていた。それでも全部話すわけでは無く、深く聞かないでと言うつもりだったが。

「――あの、ちょっとお聞きしたいんですが。レシャンさんはギルドの関係者だったりします?」

「ギルドの? 冒険者登録はしてあるけど最近はそういった活動はしてないし、特に深い繋がりはないわねぇ。どうして?」

「いやあのなんと言いますか……」

 質問に対して答えを用意してないのはまずいな、と思いつつもユナに話を振る。

「なぁユナ、昨日のダンジョンの中での事だけど。あれってあまり聞かれたくない理由があったりするんで……。できれば話のタネとかにもせず、黙っといてくれないか?」

「あれとは……あー、あの馬鹿力とかの事か。――ふむ、まぁ聞かれたくないというならそれでもかまわんがの。ならば昨日は堂々と見せておいて、今日になってわざわざそれを言いに来た理由は聞かせてもらえるのか?」

「理由、んー……。俺は昨日冒険者になったばっかりなんだけど、その時はこれからの事は結構適当に考えててな。ただ、この力は新米冒険者としてはおかしいだろうし、それをギルドに聞かれると答え辛いものが出てくるって今日になって思い当たって……」

「ふむ、なるほどの。要するにあの時は細かい事は全然考えてなかったと。依頼を遂行して、先を考えたすえの口止めか」

「うん、まぁそゆこと。……納得してくれた?」

 トウガが恐る恐るユナに尋ねる。

「問題はない。誰にも問われたくない過去の1つや2つあろうて。迂闊に口にせぬと約束しよう」



「――馬鹿力とギルドに喋りたくない過去、ね。何のことか軽くでいいから、私にも説明してくれないかしら?」

 話を途中で置かれたうえに、よくわからない話題を進められていたレシャンが微妙に不機嫌そうに聞いてくる。

「ァッ、すいません! あーどう説明したらいいか――」

「この男がの、妾と『小鬼の声』に潜った時にリザードマンを殴りとばすは、斧は素手で掴むは、ストーン・ブラストの中を突っ切るはと面白いものを見せてくれたんじゃ」

「ハッキリと全部言うのな」

「叔母上には聞かせても構わんと判断しておったんじゃろ?」

 その通りではあるが、それでももう少し言い方を考えようとしていた側からすれば少々切ない。

「それはなかなかすごいわね。今度わたしにも見せてくれる?」

「あ、はい。機会があれば」

「うふふ、ありがと。あと、私にも聞かせてもいいって判断は嬉しかったわ。だから途中で話を切り上げた事はチャラにしてあげる」

「う……あ、ありがとうございます」

「他の娘にそんなことしてちゃ嫌われちゃうわよ~。ま、それはともかく、私もギルドや他の人の耳に入るような事はしないと約束するわ」

 話が順調に進んだことにトウガは息をつく。正攻法でいくのは、どうやら正解だったようだ。



「では、トウガよ。お主はこれからどのようにして冒険者活動をしていく気なのだ?」

「すごい適当な感じだけど、しばらくはお金重視。当然この力は使っていくつもりだし、俺1人か口が固そうな知り合いができたら、そういうのも入れたりしての少人数がメインかな。それでお金が貯まって装備が充実したり、ギルドでの評価が上がってこのパワーとかが怪しまれなくなったら、その時は存分に暴れるさ」

 現在のトウガの身体能力や防御力を、魔力ブーストというオマケなしに再現するのは最高ランクのアイテムや魔法を複合しても無理かもしれないが、「レアアイテムを拾ったんだよ」で済みそうなファンタジー世界なら、それでいいんではないかとトウガは考える。無論実情は知らないが。

「でもトウガ君、今の服装だとゴブリンを相手にするのも危ういって思われるわよ。まずはランクに関係なく『冒険者の格好』を整えないと、それだけで噂の人になっちゃうわ」

 特に防御効果のない服にボロのナイフ1本。確かにまずは『普通の冒険者の格好』を目指すのが先決か。

「そうですねぇ。でもそのためにはやっぱり金が要るわけで……、それまでは昨日の薬草採取みたいな依頼で貯金か……」

 飯代や宿代なども考えると、トウガが装備一式を揃えるまでの道は短いとは言い難そうだ。



「ユナちゃん、彼ってユナちゃんの目から見て強い?」

「保障しよう。真正面からぶつかるだけならかなりの強さじゃ、独自の戦闘技術も持っとるようだしのぅ。冒険者としての経験を積めばさらに上にいけるじゃろう」

「それなら丁度いいわ。ねぇトウガ君、依頼受ける気ない?」





 ――――――――





「ふぬらっ!」



   ドグワッシャ!!



 後ろの2人に襲い掛かろうとしていたスケルトン・ウォリアーをラリアットで止めるトウガ。その使い方はアメリカでラリアットが、クローズラインと呼ばれるのがよく分かるものだった。首を支点に止まった骸骨を、そのまま下に叩きつける。全身に衝撃をくらい骨だけの体はバラバラになった。

 だが、見える範囲にはまだハイ・オークが1体とスケルトン・ウォリアーが4体もいる。これら以外にいないとも限らないし、油断はできない。

「トウガ、動くでないぞっ!」

 先程まで詠唱をしていたユナが魔法を完成させる。

「フレイム・ボールッ!!」

 トウガの横を抜け文字通りの火球が骸骨兵1体を襲い、火球は当たると爆発しさらに2体を巻き込んだ。攻撃をくらった3体は僅かに歩くとボロボロと崩れだし、ついには土へと還っていった。



 手駒が減り焦ったハイ・オークはトウガに向かっていく。このハイ・オーク、全身にちゃんと鎧を着ているうえにそれなりの剣と盾も装備している。体も大きいし普通のハイ・オークではないようだが、あいにくこの男も普通ではない。

 力任せの大振りを両腕で受け止めたトウガは、そのまま右ボディブローを叩き込む。更に返しの左で豚面の顎を跳ね上げ、距離が空いたところに踏み込んでしっかりと体重を乗せた右ローキックを狙う。

 ガツッ!! 本来ならある程度コンパクトにまとめた方が威力はあるが、ここはあえて振り抜きダウンを誘発させる。


「もう1匹いることだし……」


 トウガはそう呟き、残った骸骨兵を見据える。ハイ・オークが走ってきたので、遅れて現れたのだ。倒れたハイ・オークの足を両手で掴んだ彼は、そのまま骸骨兵に背中を向けるように1回転し――


「豚のような悲鳴を上げろっ!!」



   ドグチャッ!!!



 思い切り勢いよく豚兵を振り回し、スケルトン・ウォリアーを叩き潰した。喋るわけでもない骸骨兵はもとよりハイ・オークも僅かに呻き声上げた後、2体揃って動かなくなる。

 あまりにも極端な腕力攻撃で体勢も崩れており、これを技と呼べるのかは使った本人にもイマイチ自信はなかったりした。







 トウガ達3人は、町から離れた古びた廃村まで1日掛けてやってきていた。ここにモンスターが住み着いたようで、それの討伐依頼を受けてやってきたのだ。

「他はいないようね、これで依頼達成よ」

 依頼主は裕福な豪商で、以前この廃村の近くを通るときにオーク数体に襲われたらしい。当然護衛もいたので撃退できたが、頻繁に使う通商ルートに危険があるのは困るので依頼を出したようだ。

 トウガとユナが一息吐いてる間に、レシャンはモンスターの死骸の前で小さな水晶を取り出していた。これはいわばカメラのようなもので、討伐の確認のためにギルドから支給された物だ。一度使えば魔力が消費され、魔力の込めなおしは出来ないので使い捨てカメラのようなものだが、トウガからしてみれば魔法文明の一部突出した所を見せ付けられた気分である。



 この依頼は本来、駆け出しのひよっ子が受けれるようなものではない。だがレシャンがけっこうな経験を持つ冒険者のようなので、形としては「上級者の戦いを見学する初心者」ということでトウガも参加できていた。

 ところが実際の戦闘ではトウガが前面に立ち、ユナが援護をするという連携で討伐に当たっている。レシャンは何故か冒険者でもないユナを鍛えるのが目的なようで、トウガにフォローを頼み自分はそれらを見るのに徹していたのだ。本当の図では雀の涙ほどしか報酬を受け取れないトウガに、全体の半分を融通してくれるというので彼としては文句はないのだが。

「ビックリしたわ。ユナちゃんの言う事を疑うのもアレだけど、ここまですごいものを見せてくれるなんて思ってなかったわねぇ」

「前のもイカレとったが、今回も無茶苦茶じゃのぅ。お主、素手でそれなら武器を持てばさらにイケるんではないか?」

「破壊力のみ考えたらそうだろうね。ただ『裂けない皮膚』と『高い防御力』があると「掴む」がすごく有効になるし、武器を1振りする間にパンチは2発打てるだろうから必要ないっちゃないかな。相手がゾンビとか触れたくない奴のときにそこらの木の棒でぶん殴るくらいかねぇ?」

 話しながら帰り支度をする3人。野宿に携帯食料の食事は、やはり街でのランチに比べれば味気ない。さっさと帰りたくなるのは当然だろう。

「トウガ君の能力もわかったし、しばらくはお店の仕入れて欲しい物を採ってきてもらうとか依頼を回してあげたら?」

「こちらは相場より安く雇えるし、トウガには色を付けた報酬を出してやればお互い悪くない話じゃな」

 初級者の値で雇いそれ以上の成果を出し、初級者から見れば多額の報酬を受け取る。ギルドでの評価を上げるためにはギルドを通した依頼にしなければならないので、額面上は初心者用の依頼としてトウガに流す事になるだろう。

「こちらとしては願ったりの話だ、しかしいいのか? ギルドを騙すことになるんじゃ……?」

「がんばる冒険者に依頼主がサービスするだけのことじゃて、問題あるまいよ」



 3人は話を続けながら、行きと同じだけの時間を掛けつつ街へと向かっていた。トウガなどは多少懐に余裕ができれば、まず風呂に入りたいなぁと考えさせられるものだったが、街に着いた一行は最初にギルドへの報告に向かう。レシャンが水晶に写し取った光景などで依頼達成の確認をしてもらう横で、トウガはなんとなく依頼が張り出されている掲示板を覗いていた。

「……見回り?」

 依頼の中に少し変わったものがある。それはある期間中、街の見回りをするというものだった。トウガの目を引いたのはランクを問わず、拘束時間の割りには報酬がよかったことだ。他の依頼と比べつつ、これはいいかもと思っていた彼にユナが声を掛ける。

「トウガ、それはっ―― いや。うむ、なんでも……ない」

「?」

 ユナの何とも言い難いような表情。気になるのは当然だったが、レシャンが報告を終え報酬をホクホク顔で持ってきたので、トウガの頭からその事はすぐに消えてしまった。





   ――彼がその意味を知るのは、もう少し先のことである。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 クローズラインとは道路などで首の辺りに紐を張り、そこを通るバイクなどを引っ掛ける罠のことでもあります。非常に危険ですね。

 足を掴んで振り回す技の元ネタは「鉄拳シリーズ」の三島一八の横投げ、「鐘楼落とし」です。鉄拳5のオープニングでジャック部隊に似たようなことしています、作者のお気に入りの技だったりもします。



[9676] 5話
Name: 鉄腕28衛門◆9e4cac5f ID:a854cf3c
Date: 2009/07/19 05:31

「さっきのお客さんで今日はお仕舞いにしよっか?」

「了解じゃ。売り上げは妾がチェックするゆえ、叔母上は閉店準備を頼む」

 そろそろ晩飯時かという夜、某魔法道具屋の店内でユナとレシャンがその日の店仕舞いをしていた。レシャンは手際よく動いているがそれも当然のこと、元々この店は2人が共同で営んでいたからだ。

 口調はともかくユナはまだ若い。そんな彼女がたった1人で、様々な商品を扱うこの店を始めたわけはないのだ。どちらかと言えば所用で動く事の多い叔母の代わりに、堂に入った店番をしているというところだろうか。新参の冒険者にはレシャンを知らない者も多いことだろう。

 在庫のチェックも終え店を完全に閉めた2人は、そのまま夕飯の支度をすることにした。

「ユナちゃんも随分と店の管理に手慣れたものねぇ。帳簿も読みやすくていい感じだわ」

「叔母上の仕込みじゃろうて。最近はお得意様が出来たゆえに、黒字の帳簿を見るのが楽しゅうてのぅ」

「私よりもこういうのに向いてるかもね」

「自分でもそう思わんでもない。叔母上は意外と大雑把じゃからな、性格から考えれば妾の方が適性があるじゃろう」

「あら、私ってばそんなにいい加減かしら?」

 レシャンは笑いながら尋ね、それにユナは少々呆れながら答えた。

「自分で否定するつもりもないのに聞くのは、少々意地が悪いと思うぞ? 叔母上よ」



 こうした店を開いているこの家の食事の献立は、そこらの一般庶民のものよりも随分と手が込んでいる。小さなテーブルで夕食を摂る彼女達の姿は、久方ぶりの家族の団欒と言ったところであろうか。

 それぞれの近況を話しながら、話題はレシャンの旅のことになった。

「此度の冒険はどうだったのじゃ?」

「冒険ってほどでもなかったけど……今回も空振りに終わったわ」

「そうか。なに、気にすることはなかろう。元々噂話程度の信憑性しかないものだったのならば、当てが外れても仕方がない」

 叔母の旅の成果を聞いたユナは、それが芳しくない結果だと聞いても深く追求することはなかった。だが、答えたレシャンの顔にはやや陰がさしている。その表情は目的を果たせなかったせいもあるだろうが、それ以上にユナを気遣うというものが見て取れた。

「ごめんなさいね、進展の1つもなくて……」

「問題ない。叔母上がそうやって気遣ってくれるだけで、妾はとても嬉しいのだ」

「――ユナちゃん、今の生活はどう? 無理はしてない?」

 彼女の言葉は妹の心配をする姉のようでもあり、そこには嘘偽りのない真摯な思いが見える。

 だが、それに対してユナの表情は軽い。別にレシャンの言葉に対していい加減な対応をしているわけではないようだが、レシャンが心配するほどの問題を抱えているようには一切見えなかった。

「無論じゃ。食うや食わずの者もおるのに比べれば、こうした上等な食事にもありつけ暖かいベッドもある。そろそろお呼びも掛かるじゃろうが、それも生活のスパイスのようなものじゃて」

 このやりとりは、2人の間でこれまでもいくらか行われてきた事である。

「叔母上は心配性じゃなぁ、大丈夫じゃって。そんなことよりも旅先の笑い話でもなかったんかの?」

「……そうね、じゃあ船に乗ったときの面白い出会いでも話しましょうか。あれはね――」

 レシャンは深い追求はしなかった。姪がそんな顔を見せないのに、自分だけが落ち込んだ顔をしていては年上失格である。もうこの話はお仕舞いとばかりに、ユナの話に乗り話題を変えることにした。




 ――――――――




 ユナやレシャンの協力?もあり、ゆっくりではあるがトウガの懐は順調に潤いつつあった。お金に余裕ができれば色々と目が移るのも当然だが、ただ暮らすだけでもファンタジー世界のすごさに彼は結構驚いたものだ。

 例えば作りは粗いもののトイレットペーパーがあったり、冷やす程度の効果だが冷蔵庫のような存在の保冷棚が作られていたり、というところだ。現代日本のように普及する程のお手軽さもないのが多いが、生活に大きく関係する物は魔法を用いてかなりピンポイントな発達を遂げているようである。

 上水道は造られていなかったが、そのわりに下水道は十分実用レベルのものが張り巡らされているなど、トウガのファンタジーのイメージをぶち壊してくれるものもなかなかに多かった。

 ついでに言うと、通貨の単位はダラーであったり……まぁそれは偶然ということにしておこう。



 そんな彼の今の目標は、冒険者の初期クラスの1つであるファイターになることだ。肉弾戦メインで闘ううえ探索や魔法の心得もないので、消去法でクラスを選んだようなものである。「ファンタジーの基本は戦士だろ」という理由になっているんだかどうかという考えもあってか、彼にとって問題はないようだが。

 ちなみにクラスを選んだからといってトウガ自身に何か変化があるわけではない。この世界の冒険者のクラスとは、主に記号や肩書きのようなものだからだ。ファイターなら戦闘技術の習得、魔法使い系なら魔法の教師をギルドがある程度取り計らってくれるようになるなど、冒険者にそれぞれ適した援助があるというのが大きな利点だ。

 冒険者であるというだけでクラスがないままでいることもできるが、依頼の斡旋はクラスを目安に行う事も多いので、食う為に冒険者をやるならどれかのクラスになった方が圧倒的に有利なのは間違いなかった。



 こちらの世界に来てから十日ほど経ち、依頼も何回かこなしたトウガの装備はなんとか冒険者らしいものになってきている。とはいえそれは、「そういう戦闘スタイルの戦士」にギリギリ見えるだけのかなりの軽装であったのだが……。

 手甲というよりはオープンフィンガーのグローブにちかいようなガントレット、これには一応打突部分にオーバーガードが付いており武器としての主張がある。物を掴む邪魔にならないように、買う時に内側はできるだけ柔らかい加工をするよう頼んだりもした。脚部も同様に多少補強した脚甲を着けているが、柔軟さを重視したゴツ過ぎない物に留めてある。

 そして後はレザーアーマーを人体の急所に申し訳程度に継ぎ接ぎに装備して完了だ。手と足以外はハッキリ言って見せかけのためなので、値段を抑える意味もありかなりの軽装甲だがまぁ冒険者の装備としてなんとか合格と言ったところか。

「聖闘士○矢ですね、わかります」

 装備が完成して着けてみたときのトウガの第一声である。そうとうボロいし金属部は少なく面積も小さいが、そこまで間違ってはいないような……。



 武具は揃ったがそのせいでお金がほぼ空になり、ファイターになるための評定もあと一歩というところなので、この日のトウガはユナに頼らず酒場にやってきていた。

 彼女からの依頼は確かに割りはいいが、額面上初心者向けの採取系な依頼ばかりで戦士としての評価はあまり上がらないので、今回はギルドからの依頼で良さそうなものを見繕いに来たのだ。

「おお、今日も労働に汗を流そうとやってきたのだな、若人よ」

「そういうそっちは昼真っから酒ですかい、グレイロックさん」

 依頼を物色中のトウガに話しかけてきたのは、彼にここしばらくで出来た冒険者の知り合いだ。トウガもなかなかの筋肉質体型だが、この大男はそれを上回るガチムチ系である。トウガはあまり身長が高いわけではないので、並ぶとその大きさはなお引き立つだろう。

「俺は一仕事終えてきたのだよ。今日は浴びる様に飲むと決めているのだ、うむ」

 グレイロックは生粋のファイターだ。トウガは彼とパーティーを組んだ事はないのでその戦いぶりは知らないが、全身にプレートとチェインの複合鎧を着込んだ姿は見た事があり、かなりの経験を積んだ戦士であることを感じていた。

 本人は「足を使う戦いは苦手だ」というが、それは逆に自分の役割をよく理解しているということでもあろう。竿状武器のハルバードを持ちパーティーの先頭に立てば、仲間の壁として頼れる重戦士になることは容易に想像できる。

「お前もようやく装備を調えられたようだな。だが、その分懐が寂しいのではないか?」

「当たり。グレイロックさんみたいに飯にありつくためにも、短時間で割りのいい仕事を見つけたいね」

「うむ、ならばその端にあるやつはどうだ?」

 グレイロックが示した依頼はトウガも見覚えがあった。以前ユナとレシャンの3人で討伐依頼をこなした時にも見たものだ。

「これは……まだあったのか」

「見回りというか警備というか、ただ巡回するだけでもいいようだ。実際に戦闘があれば危険手当もつく。そのうえ街を離れずに済むからあまり時間もとらんだろうし、いいんではないか?」

 クラスなしでも歓迎とあるし、随分と前から張り続けているのは、小遣い稼ぎな感じで人が入ったり辞めたりしているからではないだろうか。バイト感覚の軽い気持ちでできるような仕事なんではとトウガは思った。うまくすれば、ただ歩くだけで金が手に入るのは嬉しい話である。

「そうだな……、うん。決めた、これでいこう」

「グハハハ、ならば行ってこい、若人よ。何か武勇伝でもできたら、是非聞かせてくれ」







 夜、月明かりに家々から漏れる光、さらには街灯まであるおかげで意外にこの世界の暗闇は小さかった。スモッグがなく空が澄んでいる分、日本よりこちらの方が上空はなお明るいかも知れない。

 トウガは現在この見回りの依頼を受け、渡された地図を片手に持ち場を適当に巡回中だった。こなすべき事は想像通り楽なものである。依頼を受ける時も、シフトを組んだ交代要員が来るまで怪しい人物がいないかチェックすること、泥棒などの類がいれば捕縛かそれが無理なら声を上げ追いたてることなど、冒険者がするには危険度が低いものを言われただけだ。

 依頼主は街のお偉いさんであり、払いも日当で出るらしい、ステキ。当初考えていた戦士の評価は望めやしないだろうが、束縛される時間も大した事はないし、トウガは月夜の散歩感覚で気分よく歩いていた。



 トウガの巡回範囲は、自分の住処の宿がある西地区からある程度北寄りといったところだった。こちらの世界に来てから多少は街のことを知ろうと散策をして把握したのだが、どうやらここでは北は富裕層、南は貧民街で東と西はその間といった住み分けがされているようである。

 住む所ではっきり貧富の差が出たり、その差というものが一目で分かるレベルだったりもするのだが、トウガは特に驚きはしなかった。地球でも大都市にはスラム街などもあるだろうし、社会福祉などの考えがあるのかも疑わしい世界ならばなおの事だろう。貧民街には下水道も伸びていないんじゃないかと思える。



 西地区を巡回し今度は北に向かったトウガは、造りが西地区よりも頑丈そうに見える大きな住居の屋根から屋根へとジャンプで移動していた。人に見られたら彼の方が怪しい人物扱いされそうなものだが、建物の高さが西地区よりも大きな物が多い分注意していれば問題はなさそうだ。

 高い所からなので下の様子がよく分かり、音を立てないように跳躍しての行動はゲームのような面白さもあったが、トウガは急に動きを止め耳を澄ませた。

「誰で――ら! そ―フードの奴―見失――ぁっ!」

(泥棒かっ? まぁ入るなら金持ちの家だよなぁ)

 どうやらお給金分の仕事がやってきたらしい。腹這いになり建物の上から声がした方を覗くと、人が何人か動いているのが分かる。そしてその幾分か先に――いた、頭も体もフード付きのボロ外套で隠した走る人影。

 丁度こちら側を通りそうな点や、1人であることを考慮すればこれは自分が捕まえてしまった方がいい。そう彼は判断し、人影が通りそうな道の近くまで向かう事にした。


 ちなみにトウガが身に着ける魔法の腕輪では、視力や聴力などの知覚能力はあまり伸びはないようだ。身体能力とは別扱いなのかな?と思うことも合ったが、製作者が2つの魔法を組み込みつつカスタムしたのを思い出せば、それ以上は贅沢というものだろう。


 しばらく経つと大通りを走っていた人影が路地裏に入っていった。だがそれは想定済み、追跡技術云々などトウガは持っていないが普通に考えて逃げるなら、より影が深い所に向かうものだと彼には思われたからだ。

 距離がだいぶ近づき走る姿もよく見えてきたが、外套の丈が長いせいで腕は見えず体格もはっきりとは分からない。だが唯一、走行速度が並みではない事は彼にも分かった。ファンタジー世界の盗賊なら魔法もお手の物か。





 ただのチンピラの類ではないと判断し、トウガは初弾の一撃で仕留める事を考えた。無論殺すつもりなどない。待ち伏せし、距離が縮まるのにつれ深呼吸をしてタイミングを合わせ……



 ――そのまま相手の頭上に飛び降りた!! 勢いはつけない様にしたが、それでもかなりの威力になるだろう。しかし一撃で失神を狙ったのだし、あからさまに怪し過ぎるその格好にこれ以上の手加減は必要あるまい。

 ドンッ! 軍服の赤い魔人の如く、腕を組み相手を踏みつけニヤリと笑う。

「ハッ、ぬるいわ――って、んわっ!?」

 敵は一般人ならまず間違いなく昏倒する攻撃を食らっても、何事もなかったかのように反撃してきた。しかもその一瞬見えた腕は……

「……なんだ、こいつは……」

 なんとか飛び退き反撃を避けつつ、距離を取ると異様なものが彼の目に留まった。その外套の端から出て、こちらに向けられている腕が異常なほどでかい。しかも毛のようなものに包まれ、鉤爪まで付いており獣を連想させる。長さも半端ではなく下に垂らせば少し屈むだけで地面につきそうではないか。

 上からでは見えなかったが、脚も同じように凶暴なものになっており、四足歩行もおそらく可能だと思われる。背は意外に小さく、手足の異様さがより目立っていた。人型には違いないが、その姿はどう見てもそこらの盗賊ではない。

 唖然としたトウガに対して、フードのせいで顔が見えない『それ』は飛び掛ってきた。ただ腕を振り回すだけの攻撃だが、その大きさゆえに避け辛くトウガは腕を盾に防ぐ。腕にきた衝撃は想像以上に強く、いままで相手をしてきたモンスター達の比ではない。

 気が抜けたところで先手を取られ、防戦に回った彼を敵の追撃が襲ったが、その錬度は意外に大したものではなかった。大きな腕は強力な武器であろうが、それを振り回すだけでは見切るのはむしろ簡単である。並の人間が盾も無しでは、防ぐ事も出来ず避けるのも厳しいので脅威なのは間違いないだろうが、トウガは腕に力を込め守りを固めながら機を窺っていた。



 彼が動いたのは、敵が攻めの連打を更に加速させようかというその時である。大きく振りかぶった腕を見て、その腕に対してパンチを打ち込んだのだ。当てた感触に妙な顔をするが、腕を弾いたのを確認してがら空きの胴体に右足刀蹴りを突き出す。

 決まった! トウガは確信とともに、後ろに弾け飛ぶ敵の姿を幻視したが――



 ――ドムン。彼の蹴りは通じなかった、彼の攻撃は敵に効かなかった。僅かに後ろに下がっただけであり、しかもそれは防御されたのではない。これは……一体何だ。

 フードの人物は一切防ごうという動きはしていない。だが蹴りが当たる瞬間、トウガには「黒い膜」のようなものが確かに見えたのだ。初撃のプレス時も違和感程度は感じたが、腕を弾いたパンチでは明らかに妙な感触があったのを思い出す。毛皮越しの感触とも思えないそれは、目に見える「何か」として間違いなく存在していた。

 驚愕に止まるトウガに、敵は容赦なく襲い掛かる。

「くっ……!」

 理解できない事態に混乱するが、相手の大振りは変わらないのでなんとか捌きつつ、また同じように攻撃を狙う。今度は上と下、あの膜が全身にあるとは限らないので部位を変えて攻める!

 左から来た右手の叩きつけを左裏拳で止めると、相手の左脚の膝を狙った下段キック。喧嘩キックのような突き出す蹴りだが、決まるとそれほど威力がなくても膝関節を破壊しかねない皿砕きと言われる危険な技だ。

 だがこれもインパクトの瞬間、黒い膜に防がれ効いていない。舌打ちをしつつ、今度は右上から斜めに振り下ろされた爪を右にウィービングすることで避け、すかさず顔面にワンツーを見舞った。

(今度はどうよっ!?)

 今度の2発もまともに入り、それはそのフードに包まれた頭部を持ち上げた。だがまたも通じた様子はなく、成果はフードが少々ずれその顔が見えたことだけ。

(仮面?)

 出てきたのはジャングルの奥地にいる部族が被りそうな、妖しい紋様が描かれた仮面だ。顔を見せないのはその格好からみておかしくないが、もはや泥棒だからなどという理由で考えはしない。



 焦りが滲み攻めあぐねるトウガに対してに、敵は攻め手を増やしてきた。両手を揃えて地面に叩きつけるように振り、範囲の大きさから避ける事を考えたトウガはバックステップをする。長いダブルハンマーは路面をぶち割り凄まじい威力を見せたが、同時に彼の後ろに氷の壁ができており、それ以上の空間を存在させていなかった!

 こんな魔法までっ!!? 氷壁にぶつかり体勢を崩した彼の鳩尾に、こうなる事を予想していたのかもう腕を引いていた敵の突きが飛んできた。

「ゴパァッ」

 突きはクリーンヒット、素手で戦斧を受け止めるようなトウガですらダメージを受け、彼は氷壁を崩しながら後ろに転がされた。



 トウガは仰向けに倒れ、むせ込みながらも今の自分の状況を必死に考えようとする。だが頭を働かせようにも、何故か混乱が広がるばかりで全く思考は進まない。

 ――何を食らった 何で食らった どうすれば 闘う 逃げろ 立て 黒い膜 負けるぞ やられる 殺される 死ぬ――

 どんどんネガティブなイメージばかり浮かぶが、それは自分の攻撃が全く通じない事と、何より彼のこの世界に来てからこれまでの在り方が関係していた。

 彼の心の持ちようは、基本的に現代日本人のままだ。人間を殺しモンスターと闘うようにもなり、それなりに命のやり取りに慣れてきたように感じた事もあったが、それは違う。

 スペックが明らかに自分よりも低い獲物を幾ら倒しても、それは「闘争」ではなく一方的な「狩り」に過ぎないのだ。そして驚異の戦闘力で順調だった狩猟生活は、彼に「狩り」をまるでゲームでもするかのような感覚を与えていた。彼が慣れたのは、キャンプ生活で野生のウサギを調理するのと同程度のものでしかない。

 だが、冒険者になって初めて痛烈な一撃を食らった事で、日本で平和に暮らしていた頃でも知識として知っていた事を、心の深層で思い出したのだ。


 ――殺すか殺されるから、殺し「合い」なんだよな。怖いねぇ――


 そうだ、闘いってのは怖いものなんだ。俺が殺される可能性も当然あるんだ。ナメてたのは俺だ。俺は――「狩られる」のか?



 実の所、トウガのダメージはそう大きなものではなかった。だが恐怖を感じた体はちゃんと動いてくれない。襲われての命の危機などではなく、仕事のためにこちらから半端な気持ちで挑んだだけゆえに、恐怖を振り切るような高揚感なども出やしない。

 なんとか頭を上げ敵を確認しようとした彼の目に映るのは、数本の氷柱を背後に浮かべ佇んでいるシルエット。さして大きくもない体なのに、獣のような手足に珍妙な仮面をつけたその姿は、トウガの恐怖を更に煽る不気味なものとして見えていた。



 ――くそぉっ! 動け、動けっ、動けぇっ!!!





 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 下水道ってレベルはともかく存在自体はすごく古くからあるんですね、調べて驚きました。

 トウガの装備はちょいと豪華な拳奴、もしくは華美な感じをなくしたセイントといったところでしょうか。まぁ資金があればまた変わるでしょうけど。

 踏みつけはベガのヘッドプレス、他の技は空手やボクシングのストロングな打撃で今回はやって見ました。



[9676] 6話 修正1
Name: 鉄腕28衛門◆9e4cac5f ID:a854cf3c
Date: 2010/01/04 17:35
 ガツンッ! ガガツンッ!!

 氷柱の嵐がトウガを襲う。体がろくに動いてくれないので、転がって無理矢理に避けようとするが上手くはいかず、何本か食らってしまった。普通なら体に幾つもの穴が開いているところだ。

 どうにもならないと思ってしまったトウガは、諦めにも近い気持ちで頭を抱え込んで丸まってしまう。確かにガードを固めるということで意味はあるだろうが、それはまるで泣きじゃくる子供のようであり、とても闘う男の姿ではない。実際その時、トウガは涙を滲ませ口を歪め、恐怖に怯えていた。



 しばらくは氷柱を放ち続けていた仮面の化け物だったが、標的が動かなくなり攻め手に欠けると感じたのか攻撃を変えてきた。魔法をやめ、トコトコと丸まるトウガの前まで歩くとその巨大な手を広げ、まるでビンタのように叩いてきたのだ。ビンタとはいえ、そのパワーで繰り出される威力は強烈である。

 不甲斐ない相手にいらつくかのように、ビンタラッシュは止まらずむしろ加速していく。トウガの座る辺りを中心に路面が沈んでいくのは、目の錯覚などではなくまさに凄まじいの一言だ。



 反撃も何も考えずただ耐えていたトウガだが、徐々にその心理にも更なる変化が訪れ始める。

 ――なんでこんな目にあってんだよっ!! なんでっ、なんでっ、くそっ、ちきしょうっ、ちきしょうちきしょうちきしょう――――ちきしょぉぉぉおおっ!!!

 多大なストレスが体に熱を持たせ、強靭な体はそれをエネルギーとして溜め込む。一度その流れが出来ると後の展開は早く、臨界点に一瞬で辿り着きそれは爆発を起こした。そして彼が取った行動は――



「アアアアアッ!!」


 ドガァッ!!!



 まさに「逆ギレ」とも言うべき、唐突な反撃であった。攻撃が効かなくとも関係ない、とにかく目の前のこいつに拳をブチ込まないと気がすまない。殺される? 死んだら考えるよ。

 支離滅裂もいいところだが、その茹った頭で繰り出した一撃は、先程までのどうしようもない流れを断ち切る力を秘めていた。

 理由はさっぱり分からないが「黒い膜」に邪魔されず、力任せのパンチは仮面に届いたのだ。さらにそれは完全に油断していた化け物を大きく後退させ、期せずしてトウガは間合いを取る事が出来た。

 攻めるか引くか、ここは新たに行動を選択できるチャンスだが、トウガは自身のラッキーパンチを生み出した拳を見詰め、一瞬だが動く事も考える事もやめてしまっていた。しかし頭を振りすぐに気を持ち直し、隙を突く機こそ逃したが、彼はしっかりと力を入れつつ震える脚を押さえ、問題無く動けるように呼吸を整えていた。恐怖心も動いた勢いのまま、今は内に押さえ込んでいる。

(間違いなく直撃した。とはいえあの筋力を考えたら耐久力もかなりありそうだし、仮面越しだったからどこまで効いたものやら。さぁ、どうす……る……)





 カウンター気味になかなかのパンチが決まったが、目の前の存在がそれで終わるとはとても思えない。反撃を考え睨むかのように相手を見て――――彼は生まれて初めて心臓が止まるという言葉の意味を思い知る事になった。


 頭部を大きく仰け反らせたせいで、フードは完全に外れていた。そして仮面も足元に落ちており、顔の確認もできる。

 俯いていた顔を上げてこちらを見据える目に、彼は見覚えがある。トウガの話を興味津々に聞いていた時、その目を輝かせていたではないか。

 フードから出て背中に流れている綺麗な髪を、彼は知っている。自慢の髪だと言うので、これは白なのかベージュなのか、はたまた銀髪かなどと聞いた事もあった。



「……トウガよ、すまぬ」




 ――――――――




 昨夜の事を、トウガはまるで悪い夢でも見たかのように思い出していた。

 ここは完全に燃え尽きたステイシアの館跡地。その有様は最後に見たときと何ら変わる事はない。元々人目につかないように造られた場所なので、それも当然だ。

 食い物も何も無く、燃える館を焚き火に一晩眠りについたことを思い出す。今回はある程度周りの地理も分かるし、弁当も水も持ってきているので食の面での心配は無い。



 トウガがわざわざこんな所に来ているのは、昨日の事があって自分のこれからについて考える必要ができたからだ。







 顔があらわになったユナはトウガを見て、顔を僅かに歪ませた後その長い腕で仮面を拾い、硬直した彼を尻目に見事な跳躍で家を飛び越え姿を消した。

 呆然とするトウガは路地から大通りに出て、月明かりの下で民家の壁にもたれ掛かり、ゆっくりと腰を下ろす。どっと疲れが押し寄せてきたので、今はとにかく落ち着いて休みたかった。しかしまず、横になりたい気持ちを抑えて、仕事を終わらす必要がある。

 重い腰を上げ、もう待っているであろう交代要員が居る場所に歩き、見回りの引継ぎを終えると彼はその足でギルドに行き日当をもらった。危険手当の対象になるような戦闘行為もあったのだが、それを告げはしない。

 とにかく、そうして自由になるとトウガは真っ直ぐ自分が借りている部屋のベッドに向かい、そのまま倒れこんだ。


 彼はユナが去ってからの先程までの一連の行動を、実はかなりあやふやにしか記憶していない。ただ単に「やらなきゃ」という覚えがある項目を夢遊病の如くこなしたに過ぎなかった。金銭のやり取りを行えたのは奇跡に近いだろう。

 だがそれも仕方が無い事である。まともな思考を保ったままではこれらの事をしようとも、自身の奥から漏れ出ようとする何かに心を掻き乱され、人と会うことなど出来なかったであろうからだ。

 ベッドの上に横になると今度は睡魔が追い討ちをかける。防衛本能の成せる業だろうか、トウガの意識はそのままシャットダウンさせられ、休息と共に彼の中で今日一日の様々な想いが整理されていった。



 翌日、昼過ぎまで寝ていたトウガは意外に落ち着いた状態で起きる事が出来た。部屋を出て共同の水がめで顔を洗い、食堂で軽い食事を頼む。

 顔見知りに声を掛けられたら返事をして、笑いながらパンに食べる彼に、昨日の驚愕の想いを見い出せる者は果たしてどれだけいるのだろうか?

 軽食を終え食堂から人が出始めたのに合わせて、トウガも動く事にした。昨日は多くはないとはいえ収入もあった、今日は休もう。そうだ、ちょっと遠くまで散歩に行こう。

 落ち着いてはいたが行動の決定は衝動的であり、彼は弁当とたっぷり中身が入った水袋を即行で買い、そのまま町の外に向かった。初めて西地区の検問所に来た時は守衛のサービスで入れたが、今はギルド所属の冒険者であり、その認識プレートが通行証になるのでそれを見せ外に出る。

 気持ちのいい快晴だった。どこに行こうか、できるなら静かな所がいいかな。そんなことを考えつつも足は自然と歩を進める。

 求めたのだ、この世界で生きてみようと決めたあの場所を。もう一度、大切な事を決めるために。







 シート(というよりただのボロ布)を敷き、そこに座り弁当を広げる。時折水袋から水分補給もして、果汁ジュースにでもするべきだったかなと考えたりしつつも、静かな食事を完了すると彼はそのまま大空を見つつ横になった。

 聞こえるのは小鳥の声や風の音ばかり、穏やかな時を過ごしながらトウガは、宿で起きてからここまでの自分が『心ここにあらず』な状態である事を理解し、それを言葉にした。



「……そっか、知り合いだったってのは思ったよりきついんだな」



 トウガは異世界に召喚されて得た力が、この世界の一般を軽く超えたものである事を理解している。そして故あって人目につかない様に使っているが、心の中で大概の荒事は問題なく済むと楽観していた。

 だが醜態と共に味わった、異世界に来て初めての明確な死への恐怖。しかもそれがよりにもよって知人の手によるものだった。

 勝てないと感じた自らへの失望、生活圏に恐るべき力が存在するファンタジー世界、そして今の自分がまさにそうだが、衝動的に眼を背けようともすがれるものが何もない事実。



「まぁ会って一ヶ月も経ってないけどさ」



 男女の仲になるとか下世話なことを抜きにしても、本来徐々にでも頼ったり相談する当てになれるはずの存在が敵だった。それこそトラウマになるような戦闘だったのだ。あの場面に立って、また自分が闘うことは正直怖いと思う。

 だが、同時にトウガは考える。じゃあ、できるだけ危ない事には近寄らないようにして、そういう事に出会ったらとにかく逃げて細々と生きるのかと。



「――っそんなのは、嫌だっ」



 生まれや育ちは変えられない。現代日本で育った彼に、辺境でただ食って寝て生きるような生活は考えられるものではない。

 ならば、セーブもリセットも効かないうえに、闘争や揉め事をスパイスにするような人生を歩めるのか、自分は……。

 シートの上で転がりながら考えては思い返し、それをまた繰り返す。『自分が満足するぐらい飽きがこない生活=危険もあるだろう冒険者生活』という図式が彼の中では成り立っており、その選択は簡単にできはしなかった。



「――でも周りは……」



 俺の周りの同業者達はどうなのだ? 彼らは皆自分程恵まれた条件でもないだろうに、命の危険に立ち向かえる者も多いではないか。彼らが特別じゃないというのは大体想像できる。最初から豪胆な者もいるだろうが、その多くは1つ1つ危機を乗り越え強くなったに違いないだろう。

 そこまで考えたところで、トウガは急に悔しくなってきた。腹への一撃も何発か食らった氷柱も自身の致命打にはなってない、なのに自分はこんな泣き言を言っている。

 この世界の怪物を倒すような英雄達は、一体どれほどの恐怖に耐えながら前に進んでいるのだろうか。

 今の自分が物理的に強いことはわかっている。だがその強さはこれ以上にはならないのか? いや、そんなことは決まっちゃいないっ。それに力だけじゃない、精神だって強くなりたいっ。



「そうだ、俺は強くなるんだっ!!」



 気が付けばもう夕日が沈みかけていた空に、トウガは吼えた。英雄譚を創りたいわけではない。また泣いてしまうような醜態を晒す事もあるかもしれない。時には逃げるという選択肢を選ぶ事もあるだろう。でもできるだけ、自分がぶつかる困難には対処できる強さを持とうと、彼は想う。

 そしてその為の第一目標も同時に決まった。それはユナともう一度会うこと。

 ちゃんと覚えていない部分もあるが、彼女が去り際にすまないと言ったのは間違いない。あれは理由があってのことなのか、何か問題を抱えているのか。

 場合によってはもう一度闘うことになるかもしれない。だがそれはあの恐怖を乗り越えるためにも望むところだ。その場面を想像し、無理にでも気持ちを奮い立たせる。

 そして好奇心が疼くのも事実。「今泣いたカラスがもう笑う」に近いかもしれないが、トウガは謎への探究心を満たし「飽きに負けないように」という意味も含め、自分から厄介事に首を突っ込む腹積もりなのであった。



「この危険な世界で生きてみよう」、十日程前に彼はこの場所でそう想った。ならば今度はそれを書き換える必要があるだろう、「この危険な世界で『力強く』生きてみよう」と。

 あと少しで陽が沈む。彼は立ち上がると背伸びをし、荷物をまとめ街に戻る準備を始めた。







 街に着くと晩飯時ということもあってか、暗くはあるものの人の声や厨房からと思われる煙などで、かなりの賑わいが見て取れた。

 トウガは昼過ぎに起きて軽食、さらに野外で弁当も食べたので腹の減り具合はイマイチといったところである。なので、宿の部屋に戻りもう少し時間が経ってから食堂に来ようかと考えたのだが、部屋に向かう彼をさえぎる人影があった。

「待ってたわ、トウガ君。ちょっとお話があるの。晩御飯奢ってあげるから聞いてもらえるかしら?」

「レシャンさん……。わかりました、とりあえず荷物は部屋に置いてきていいですか?」

 ここにユナがいきなり現れたなら、落ち着いて対応できるか自信はなかったが、レシャンならとりあえず応えない理由はない。荷物は先に部屋に戻させてもらい、その後レシャンの対面の席へとついた。



 料理を頼み、待つ間にレシャンはいつもより低めな声で話し出した。

「簡潔に聞くわ。君、昨夜ユナちゃんと闘った?」

「っ! ……はい」

「さらに聞くけど、『あの姿』のユナちゃんとの戦闘なのね?」

 なんというストレートな切り出しか。詳しい事情を知る訳もないトウガは周りに聞こえていないか、もしくはヤバイ地雷を踏んでしまったのかと、色々な意味で冷や汗を流している。外野が騒がしい飯時の食堂でなければ、その汗の量はさらに増えたことだろう。

「そうです。……やっぱり、昨日のアイツはユナなんですか?」

 レシャンはほんの少し逡巡すると頷き、そのままこちらの眼を見て本題を切り出した。

「ギルドを通さない個人に対する依頼だけど、トウガ君を見込んでお願いするわ。あのユナちゃんともう一度闘って欲しいの、それも双方手加減なしの全力で」





 ――ハハ、ワロス。いきなり向こうからきやがったい。





~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 心情描写は納得いくように書くのはなかなかできないものですね、あとあとちょいと手を加え書き直す可能性が捨て切れません。「心ここにあらず」な状態も伝わったかどうか……、うーん。

 ついにほぼ戦闘シーンなしの回が出ましたが(少しはあるけど)、このお話的にどうなんだろう? 皆さんの反応が怖いです。

 一応次回がかなり大きな戦闘になる予定なので、そのインターバルといったところでしょうか。



[9676] 7話 修正2
Name: 鉄腕28衛門◆9e4cac5f ID:a854cf3c
Date: 2010/02/19 14:10
「理由を聞いてもいいですか?」

「あなたが無事に依頼を完遂できたならその時に」

「ユナについての質問は?」

「それについても同じよ。ただ闘う前に、彼女の能力について大まかな説明はするけど。……どう考えても怪しい依頼だし、危険度が高い事は私も理解してるの。その代わり、報酬は十分に用意してあるわ」

 レシャンの様子は真剣そのものだ。冗談の要素はなく、この依頼が奇妙なものであることを分かった上で、トウガに話しているのが窺える。

「普通こんな話を切り出されたら、冒険者を餌に何かを企んでいると思われても仕方ないわね。信じてとは言ってもしょうがないけど、決してそんなつもりはないの。……あの子のためにも、どうかお願いします」

 そう言った彼女は、トウガにゆっくりと頭を下げた。



 それに対しトウガは大いに焦ってしまう。上等な身なりでおっとり系の美女であるレシャンは、それなりに目立つ存在である。そんな彼女が食堂(と言うより酒場)という大衆の場で、新米戦士に頭を下げるという光景は嫌でも目を引くのだ。

 彼女がこちらに真摯な対応をしたとも言えるかもしれないが、「周りの目を考えたらある意味脅迫だ」とトウガは溜息を吐いた。

「はぁ……、顔を上げてください。その依頼、受けさせてもらいます」

 元々ユナとはもう一度会うつもりだったのだ。そして、闘う事になっても構わないとも考えていた。こちらから探したりする間も無く事が進み、少々驚きはしたが困る事になったわけではない。報酬もある分、得をしたとでも考えておくべきか。

「――っ、……ありがとう。本当に、こんな馬鹿な話を……」

 トウガの応えに顔は上げたが、レシャンの表情は明るくなったわけではなく、神妙さが大きく出ている。

 聞きたいことが当然あるトウガだが、ほとんどは依頼終了後にしてほしいと言われているので、それらについては何とも言えない。しかも、それが気になるのとレシャンの雰囲気もあって他の話題も振り難く、微妙に気まずい空気が漂っていた。

 どうしたものかとトウガが思い始めたあたりで、丁度頼んでいた料理が出来上がったようである。

「お待たせしました~」

 突如第三者の声を聞かされたことでトウガは驚きつつも、その場の暗さがとりあえず晴れることとなりホッとしていた。食事は彼にとって、この娯楽の少ない世界での楽しみの一つである。奢りで普段よりも豪華なそれを忘れていたとは……、何だかんだで自身もユナとの再戦に緊張しているということか。

 レシャンも別に進んで場を重くしたい訳ではないので、トウガに微笑み掛けながら皿を手に取るのだがイマイチ吹っ切れていないようである。なんとなく言葉の端々にそれが読み取れるのだが、トウガはそれは忘れ彼女に合わせて食事を取るのであった。





 食後――腹いっぱいに御飯を食べた事で、トウガはずいぶんとご機嫌になっていた。彼は日本に居た頃からなんというか『幸せな味覚』を持っており、一般に一人で食べると味気無いと言われる様なコンビニ弁当でも、量さえ足りれば満足という男なのである。まぁ逆に、下を見ればコンビニ弁当よりもはるかにレベルが低い携帯食も多い冒険者稼業では、彼には量も質も物足りない食事が多かったりするのだが。

 それはともかく、こちらの世界では節約第一だったので、最近の食事はなかなか侘しいものだった。だが今回の晩餐で久々に満腹にさせてもらったうえ、オマケで今はデザートを待っていたりする。気分は上々と言ってもいいところだろう。

「――私はそろそろ戻らないといけないから、先に失礼するわね」

「んん、えっあ、はい?」

「明日の真夜中、日付が変わる頃にうちの店の裏口に来てちょうだい。それからの事は、その時に説明するわ」

 唐突に振られた話、そして席を立つレシャンに呆気に取られるトウガ。

「丸一日あるわ、万全の状態で来てね。それじゃ」

 そう言って、レシャンはあくまで優雅に去っていった。「……乗せられたのかなぁ」となんとなく思いつつも、奢ってもらって嬉しかったのは事実なので、彼はそれ以上深く考えるのはやめてしまう。そしてタイミングよく出てきたケーキを、ゆっくりと味わう事にしたのだった。――安い男である。





 久々に納得いく食事を満喫したトウガは、ベッドの上で明日に向けて体を休めていた。体に穴は開いてないし防具に大した損傷も見られないが、それでも氷柱の嵐を食らいダメージがなかったわけではない。パッと見では擦過傷がある程度だが、氷柱が当たった脇腹等を押さえると鈍い痛みを感じたりもする。再戦が決まった今、その痛みはあまり気にならなかった昨日よりも、むしろ大きくなった気さえした。


 今でも不安はもちろんあった。でも、それに負けるつもりは無い。

 レシャンの持ってきた依頼そのものだってそうだ。彼女は弁明していたが、やはり怪しさは拭い切れない。だが今のトウガは、例え罠だったとしても構わない、それも乗り越えてやろうというポジティブな気持ちを持っていた。具体的な切り札などがある訳でもないが、その前向きさは明日、強大な相手と闘おうとする彼には大きなプラス要素になり得るものである。

「負けないからな……ユナ」

 ぼんやりと天井を見上げながら拳を突き上げ、彼はそのまま眠りにつくのだった。




 ――――――――




 次の日のトウガの過ごし方は、一言で言うと「ダラダラとしていた」である。疲れを夜に残してはいけないので遠出も出来ず、ダメとも言えない過ごし方かもしれないが……。

 彼なりに食事を食べ過ぎず、トイレは済ましておくなど考えて動いたりもしたが、なんだかマラソン大会前の学生みたいだなぁと埒もない感想を持ったものだ。



 そうして時間が経ち深夜のそろそろ頃合いかという時刻、彼は依頼通りに魔法道具屋の裏口に来ていた。

「思ったより早くに来てくれたのね。……体調は万全と見ていいのかしら?」

「仕事で呼ばれたわけですから。体の調子の方は上々といったところですよ」

 地球だと、「世界で最も時間に几帳面な日本人」と呼ばれる人種に属しているのは伊達ではない。トウガの感覚で「そこそこ早めに」は、ここらだと「十分過ぎる余裕」に値するようだ。

「じゃあついて来て。街を出るわけじゃないから、そんなに遠くはないわ」

 そう言ってレシャンは歩き出す。別段速い歩みでもないが、トウガは手足の装備がしっかり装着されているかの確認等をしていたので、慌てて彼女の後を追いかけた。



 歩きながらトウガは、強力な魔法をドカドカ使っていたユナと全力の自分が闘うなら、街の中は無理があるんじゃ?と段々思い始めていた。なので、レシャンがどこに向かうのかアレコレ想像しながら追随していたのだが、どうやら答えはトウガの発想より少々レベルが高かったらしい。

「ここよ」

 着いたのは見た感じ普通の民家と思われるところだった。中に入るレシャンによく分からないまま続くと、外観からは予想できない内装がトウガを迎える。そこは贔屓目に見ても人が住むところではなく、幅のある階段とカウンターが備え付けてあった。

「階段……地下があるのか」

「地下大ドームの入り口よ。ここはね、闇市が開かれたり闘技場になってそれをネタに賭博が行われたりする場所なの。カモフラージュしてるし、基本的にお金持ちやその筋の人ばかり来るから、知らない人も多いでしょうね」

「……レシャンさんはなんで知ってるんすか?」

「アイテムの売買でちょっと……ね。使われない日の方が多いから、なんとかコネを通して借りることができたわ。今夜は私達3人しかいないし、造りはかなり丈夫だから思い切りやっても平気なはずよ」

「なんか聞いてるだけだと、すごい場所に聞こえるんですけど……。借りたってのも、高かったんじゃ?」

「安かったとは言えないけど、それでもその必要があるからこそよ。必要な事にお金の出し惜しみはしないわ」

 階段を下りながらの会話は、それなりに周りに響いた。

 レシャンの人脈やこの依頼への入れ込み、今になってトウガはさらなる驚きを感じたが、それはとりあえずこれからのバトルには関係ない。むしろ、緊張のせいでうるさい心臓の音をどうにかしてほしいというのが、今の彼の心境である。

「そういえば、まだユナちゃんの能力の説明をしてなかったっけ。彼女もあなたの力の全てを知ってる訳じゃないから、簡単にしか言わないけど……ごめんなさいね」

「いえ、構いませんよ」

「多分ある程度肌で感じたと思うけれど……、まずは尋常じゃない筋力かしら。トウガ君の長所に似ている事だけど、腕の長さも含めたらどちらが有利かなんて、私には分からないわ。それと魔法も強力よ。低級魔法なら系統問わず使えるし、詠唱すら必要ないからそこは気をつけてね」

 ここらへんはトウガが実際に戦闘で味わった部分だ。改めて言葉にすると、とても並みの冒険者1人で相手できる存在ではないと思えてくる。

「特にユナちゃんが得意とするのが、火と氷の魔法よ。この2系統を詠唱までして使われたら要注意だわ。……攻撃能力で言えるのはこのくらい。そして防御能力だけど……君も見たでしょ? 彼女を守る『黒い何か』を。アレについては一言だけよ――『全力でぶつかって』」





 必要な話も大体終わったかと思える頃になって階段もきれ、そこから伸びる薄暗い通路の先には光が見えていた。

 彼らを待っていたのは、地下とは思えぬ大きなホールだった。軽く見積もっても天井まで10mはあるだろうか。天井にある魔法か何かの大きな光源と、所々にある松明で明かりは十分に足りている。テニスやバスケットボールが出来そうなほど広さにも余裕があるし、下は小石などのない土でしっかりと整備されているようだ。少々大きさと威厳が足りないが、コロッセオを地下に造ればおそらく同じような物になるだろう。

 そして、その真ん中には1人の少女が、手持ち無沙汰な様子で立っている。前の怪しさ抜群の格好ではなく、彼女の髪に合わせた白と黒のコントラストの効いた、法衣とも言えそうな服装だ。スカート部分の丈は短く少女に似合っており、その姿に野暮ったさはない。

「叔母上、本当につれて来たのか」

「ユナちゃん、彼ならきっとやり遂げるわ」

 ユナの口から出た言葉にトウガは疑問を抱く。これは彼女達2人の総意の依頼ではないのか、それどころかユナは否定的ですらある?

「どうだかの。大方、多額の報酬にでも釣られて嫌々ながら来たのではないか?」

「……あの時の無様さを思い出せば、その言葉に大した反論は出来そうも無いけど、生憎報酬云々はろくに聞いてもいないんだ。俺にも思うところがあってね、今日は自分の意思でここまでやって来た」

「……ほう」

 ユナは挑発的な物言いでトウガを煽る。だが彼は、それにあえて乗る形で自分の考えを示した。



 それを聞きユナは後ろを向き、ゆっくりと間合いを取り始める。すると――

「だがその覚悟は……本物と言えるのかっ!?」

 いきなりその細腕が異形のものに変わり、振り返りざまに地面をえぐるように振り上げられたのだ。

 それと同時に地面に火柱が現れ、トウガに向かって走る。ユナの方から距離を取ったので、咄嗟の行動を取る程度の間はあり、彼女はトウガがどう反応するかをじっと見ていた。

 彼は突然の攻撃に体が泡立つのを感じた。たった二日では、別人になれるわけも無い。日本の有名なことわざよりも短いぐらいなのだ。

 避けるか、ガードでしのぐか、どちらも悪い判断ではないが、苦い記憶がある腕からの攻撃を消極的な方法で対処すべきじゃないと、トウガは直感した。だから――

「嘘じゃないっ!!」

 頭上に伸ばした腕で手刀を形作り、地面に叩きつけるように真っ直ぐに振り下ろす。その一振りは、見事に火柱を真っ二つにしてみせた。

 わざわざ真っ向からあらがい、立てた背筋を曲げ、手刀とともに膝を折るまでを意識して行う事で、トウガは自分の意志がトラウマに負けず、体中に行き渡る様にしたのだ。全身を使ったその一刀は、おそらく岩山をも両断することだろう。

 そして同時に火柱を切り裂いたその一撃は、『退かない』というトウガの決意をユナにまざまざと見せつけ、彼女の眼つきを変える事に成功していた。





「気合は十分なようね。場を盛り下げたくないから、私は離れた客席から見させてもらうわ」

 猛る2人の邪魔をしないように、レシャンは下がり始めた。彼女もこの戦いが、2人の心も含めてうまく進むかどうか不安だったが、悪くない空気が流れ始めたのを見て、一応の安心を得る。

「トウガ君、話したように加減はなしよ。ユナちゃん……吐き出したいものは全部ぶつけちゃいなさい」

 背を向け客席に行くレシャンを見送り、そのままトウガを見ずにユナは聞いてきた。

「叔母上からどの程度聞いておる?」

「……何を?」

「妾のことじゃ」

「ん、特には何も。俺が来た理由を知りたいのか?」

 ユナは応えないが、トウガはそのまま続ける。

「あー、要約すれば借りを返すためだな。依頼を受けて来たのは間違いないが、それはお前の場所を探す手間が省けるからだよ。報酬はオマケだ」

「お主にそれができるとでも?」

「やってみせるさ。それと、先に言っておくが顔を殴ったとしても文句は受け付けないぞ。こっちも余裕があるわけじゃないんだからな」

「構わん。こちらもそうヤワではないわ。……とりあえず闘うに問題は無い様じゃな。では、まずは前回のおさらいじゃ、――ゆくぞ!」

 相手が特殊とはいえ女の子に顔面パンチ宣言してしまうとは……、そう思うトウガの前でこちらを向いた氷柱が数本姿を見せる。見世物とすればとてつもない客入りを見せるであろう戦いが、たった1人の前で始まった瞬間だ。


 ――――――――


 まず先手を取ったのはユナだ。距離がある状態では、魔法がある分ユナの方が有利なのは確実である。一方的に攻撃される状況でも、トウガは自分にそう言い聞かせる事で焦りを生まないように努めた。次々と飛んでくる氷柱を冷静に観察し、出来るだけ当たらないように動き、避けるのも無理ならショートパンチで捌く。

 ユナも小手調べなのか、効果が薄くとも戦法をすぐには変えないようだ。試されてるな、そう感じたトウガはあらかじめ考えてきた戦法をやってみることにした。

 飛んでくる氷柱の出方をある程度覚えた彼は、タイミングを合わせできるだけユナの虚を突けるように地を駆ける。スピードを落とすわけにはいかないので、防御は両手で作ったクロスガードで補った。

 攻めに転じた相手に、ユナは焦らず巨腕を振るう。背を屈めたまま動く的に対し、すくい上げるような左のアッパーカット。だが、そのパンチはトウガを捉えきれない。

 今回の再戦を考えてユナの戦法を想定していたトウガは、彼女は間合いが詰まれば必ずその強力な腕を使ってくると読んでいたのだ。



 ユナの両腕に集中してなんとかその豪腕をしのぐと、すかさず彼はその左腕に跳びつく。そして驚くユナが反応する前に右脚を首へ、左脚を腹へと持っていき、同時に彼女の上半身を下に向けさせた。そのまま自分も、下を向いたままの状態の頭を前に動かす勢いで一回転、ユナの左肩辺りを支点にして豪快にブン投げる!!

 その派手な見た目から、かつてマットを敷きそこで友人と文字通りプロレスごっこで練習した事もある技、飛びつき逆十字である。難度としてはかなり高いものだが、ユナの掴まり易そうな大きな腕と、恐怖を押し退けるための全身の稼働第二段としてのチョイスだったりした。

 よしっ、どうだ!? そう思った彼とは裏腹に、ユナの顔にダメージは見えない。地面に当たった瞬間、以前のように「黒い膜」が現れ、彼女の背部全体を守ったのだ。

 ならばと、トウガは両腕で掴んだ異形の腕の関節を取ろうとする。両手に改めて力を込め、背を反らそうとした――が、なんと今度は関節部の力が掛かるところに「黒い膜」が出てきて、それ以上曲がらないようにしていた。

「これもかよっ!!」

 情けない声を上げたしまったが、そんなトウガに対し、ユナもただ技を掛けられるのを良しとはしなかった。組み付いているので2人の距離は近く、彼女の呟きがトウガの耳に入る。


   ――『詠唱までして使われたら要注意だわ』――


 レシャンの忠告が、攻めている最中のトウガの注意力を高めさせる。

 突如、彼の頭部付近に丸い影が現れた。一瞬の硬直の後、彼はすぐに手を離し大きな後転で距離を取る。すると、先程まで頭のあった位置が、直径1mを超えそうな氷の玉に押し潰されていた。「鋭さ」が通じにくいトウガに「重量」で攻めてきたというところか。

 間合いができて息を呑むトウガに対し、ユナはゆっくりと起き上がる。その姿を見ながら、トウガはある漫画の台詞を思い出していた。

『格闘は一対一でやれ。相手の数が多ければ逃げろ。人数の差は技量の差になる』

 読んだ当時は「そうだねぇ」程度の認識だったが、このユナのような人物にもそれが当てはまるのだなと、今彼は理解した。熟練した魔法の使い手は、それを第三の手のようにして使える。これは特に組み技に対して大きな利点となるのだ。プロレスのタッグマッチで、フォールに入ったのに邪魔してくる奴を想像すると分かりやすい。

 魔法の詠唱を痛みで邪魔できればとも思えるが、関節技ではユナに一瞬でダメージを与えられない。こっちから仕掛けたはずが、極めあぐねいている内に狙いすました一発を食らいかねないとは、なかなか皮肉なものである。





「人が人に使うための『技』では話にならん、そうじゃろう? もっと粗暴な、怪物が怪物にぶつかるための『力』で向かって来い」



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 戦闘がまだ長くなりそうだったので、ここで一旦分ける事にしました。

 サブミッション好きな方には申し訳ありませんが、格闘ゲームなどと同じく組み技、特に関節技は有用性を少々下げさせてもらいます。強引かもしれない点はすみません。

 不思議パワーは主人公向きじゃないと感想でも貰いましたので、それは他の人に担当してもらおうかなと思ったりも……。烈風拳っぽいパワーウェイブはまだわかりやすいでしょうが、氷を落とすのは格ゲー版X-MENのアイスマンの技、アイスアバランチからです。ちょっと小さいけど。

 北斗系からは初期の頃の技、ケンシロウには珍しい力技の岩山両断破ですが……これってネットでは岩山両斬波とも出たんですよね、どっちなんだろ? コミックが手元に無いのが残念。


 あと戦闘シーンですが、今回感想を元に擬音無しでどんな風に書けるかに挑戦しています。書き方なんてまだまだ試行錯誤なんで、そこのところご了承ください。



[9676] 8話 修正2
Name: 鉄腕28衛門◆9e4cac5f ID:a854cf3c
Date: 2010/04/04 18:15
 ユナがトウガに向かって駆け出した。そこからかなり雑ではあるが、当たればダメージは必至な豪腕による連続攻撃を繰り出してくる。

 防御に徹しなんとかペースを取り返そうと、攻めっ気を持ったまま特に大振りな一撃を後ろに下がり避けるが――

「甘いわっ!!」

 それはユナの罠だった。トウガの目の前で腕が空振るが、それが地面にぶつかるとその接触部からトウガ側に向けて、間欠泉のような炎の塊が噴き出す。始めに見せた火柱とは比べ物にならない炎の奔流は、堅牢な防御を誇るトウガにも結構なダメージを与えた。

 しかもそれは単発では終わらない。ダメージに怯む彼に、ユナは続けて拳を地に突き立て2発、3発と追撃を食らわせる。

「がぁっ……、っつ……ゲイザーね、効っくぅ……」



「――妾の姿、そしてここまで闘えばそなたも思うのではないか?」

 押されっぱなしのトウガに、ユナの言葉が聞こえてきた。それは呟きと言えるほど小さいもので、静かな地下で外野も1人という環境でなければ聞こえなかったかもしれない。

「この姿、通常の生物のそれではないと……」

「……全く思わなかったわけじゃないけど……やっぱりそうなのか?」

 こちらの世界で冒険者として活動するなか、それなりの数のモンスター達の相手をした。そしてそれが、自分が今まで知っていたファンタジーの知識と、大幅な違いが無いことをトウガは理解している。

 生活の糧を化け物退治などで得るようになり、肌で感じた冒険者の強さやモンスターの在り方から思えば、確かにユナの能力に普通という言葉は当てはまらなかった。

「この『衣』なんぞが普通の生き物にあっては、とんでもない事じゃろうなぁ……」

 トウガの問いに対する答えとは少し違う、自嘲するかのような台詞。

 彼女はそのまま詠うように言葉を紡ぐ。また魔法かっ、とトウガは身構えるが――現れたその威容に魅入られてしまう。

 言霊に呼ばれ出現したそれは、まるで『鳳凰』とでも呼ぶべき炎の化身。ユナの掌に浮かぶそれは、恐るべき破壊の力を美麗な姿で包んでいた。



「人間を相手にしておると考えて拳が鈍るなら、妾が何なのかを教えてやるわ。



   ――妾は人と悪魔の混血、『ハーフデーモン』――



 ……っ本気を出せ、トウガっ! 妾を粉砕するつもりでなくば、その身こそ終わりを迎える事になるぞっっ!!」



「カイゼル」、その言葉と共に、ユナの手から放たれた火の鳥がトウガを襲う。はっと反応した時にはもう避ける事も出来ず、なんとかガードを固めるしかない。

 命中するとそれは炎の渦に変わり、意思を持つかのごとく彼に纏わりついた。続けざまの炎の魔法にはトウガの皮膚も耐え切れず、凄まじい衝撃と火傷の痛みが襲い掛かる。

「くっ……そがぁぁぁっっっ!!」

 ダメージを堪えながら彼は咆哮を発するが、それは痛みを紛らわせる為だけではない。彼は今、何よりも自分自身に向かって叫んでいたのだ。



 ――なんと腹立たしいっ! それは、自分の不甲斐なさのせいで彼女の秘密を、今この場で喋らせてしまったことっ!!。

 闘う覚悟は決めていたつもりだった。しかし結局それは「自分が傷つくことを恐れない」というものにすぎず、「敵として自分の前に立つ者全てを倒す」という『戦士』の覚悟には及んでいなかったんじゃないのか?

 ――既に人を殺めた事すらある男が、何処までも情けないっ! その挙句が、敵に気を使わせるという体たらくっ!! 「知り合いの女の子を傷つけたくない」、普段なら尊重されるべきその言葉も、双方が闘いにきたこの場では、相手を侮辱することとなんら変わらないっ!!!



 自らを半悪魔であると語る、それは自分が気遣われるに値しない存在だと言ったという事だ。

 なればこそっ、彼女にそんな自虐をさせてしまった自分に腹が立つっ!!!


 トウガは拳を握りこんだ。力強く、本気の一撃を叩き込むために。






「るおおぉぉぉっ!!!」

 逆巻く炎を振り払い、男が飛び出す。その挙動は、「技」が絡む余地が無いほど粗暴なものだ。だが、今はそれでいい。いや、『そうであるべきはず』。

 握力×体重×スピード=破壊力、この思い切りブン殴る時の威力を割り出す方程式を、トウガは僅かに思い出し実行に移す。何とも無骨な、それでいて確実なパワーを秘めた一撃。

 炎の中から突撃しトウガが繰り出した拳は、標的に打ち付けられドーム中に響き渡る程の衝撃音を生んだ。



「……そうじゃ、それでよいっ!」

 トウガの気合の一撃をギリギリと両手で押さえながら、ユナは満足そうに言った。やはり「黒い膜」が現れている……が、拳はそれを突き抜け彼女の掌に接触している!

(届いたっ!!)

 行った当人も確信があったわけではないが、ついに活路を見い出せたことに興奮を覚えるトウガ。だが実のところ、これまでにもヒントはたくさんあったのだ。

「全力でぶつかって」「本気を出せ」「『力』で来い」、ユナとレシャンが度々口にしていた事なのに、策を弄した挙句ダメージを負ってしまったのは情けない話である。

 ともかく、トウガは「黒い膜」を貫く方法とはつまり『一定以上のパワーで攻撃する事』だと仮定した。今突き出している拳が膜に当たる時、特に抵抗もなく素通りした事がその仮説を補強している。

(そういやあったっけなぁ、Aクラス未満の攻撃は無効とかそういうの)

 打撃技自体は以前の戦闘でも出しはしたが、捕まえるつもりの手を抜いたものばかりで効くことはなく、そのせいで偶然の反撃が決まってもそこから答えを見つけられなかったのだ。







「ぐく……っく――ククッ、ハッハッハッッ!!!」

 ほぼ五分に近い力の押し合いの最中、歯を食い縛り踏ん張っていたユナが突如笑い声を上げた。何があった!?、そう思うトウガなどお構い無しに彼女は止まらない。

「やっと! やっとじゃっ! 見つけたっ! 出会えたっ!」

「何だっ? 何を言ってるっ!?」

 ユナが愉悦の表情を浮かべエキセントリックな様相を呈しているので、事態の変化を把握しようと努めたトウガだが、余計に混乱するものを見てしまう。

 それは彼女の瞳から零れ落ちる涙だ。笑みを作りながら涙を流す、しかも今は戦闘中と、トウガの理解できる範囲を軽々と超えた状況が展開されている。

「ハッハァーーッッ!」

 ユナは掴んでいたトウガの拳を弾き落とすと、そのまま彼の頭を鷲掴みにした。掌のサイズがとてつもなく大きいので、頭部はすっぽりと隠れてしまう。そしてそのまま引き摺るように、ホールと客席を隔てる壁に向かって走り出すっ!

 宙に浮いた状態で慌てるトウガにはその気迫っ、その圧力っ、共になんと巨大に映ることかっ! まさにギガンテックプレッシャーッ!!!

 壁を円形に凹ませ、その中心にめり込ませるほどにトウガを叩きつけると、さらに向かい側の壁にもぶつけようと踵を返すが、生憎そのままいい様にされるほど今のこの男はぬるくはなかった。



「これ以上の運送なんぞ御免こうむる!」

 地に足が着かずとも、壁を蹴る事で勢いをつけ右に頭を捻りユナの手から逃れると、その捻りを生かして一瞬のタメを作る。

「本気モード突入って事かっ? 上等だぁ!!」

 狙いは心臓! 人間と同じ位置にあるのかは分からないが、ハーフならば可能性は十分にある。トウガは腰の回転を発射台に、タメた姿勢から右のスクリューブローを繰り出した。



 ハートブレイクショット。心臓を強打する事により、ほんの僅かとはいえ全身を麻痺させてしまう危険な技だ。その効果とそこに至るまでのプロセスは、まさに科学と格闘技の融合で生まれた魔法と言えよう。



「ごか……っっ!?」

 心臓打ちの効果はユナにもあったようで、拳が左胸に打ち込まれると動きに異変が訪れる。それを確認すると、トウガはすぐさま彼女の後ろに回る。そのまま技を繋げるつもりで放ったので、彼の動きに戸惑いはない。

 しっかりとユナの腰に腕を回しクラッチしてから、後方に反り返りブリッジの要領でブン投げる。プロレス技の中でも芸術と称される美技、ジャーマン・スープレックスである。

「You can’t escape!!」

 投げ技でも背負い投げのような、背中全面に衝撃がいくような技は効きが悪いと思えたが、これは頭部に威力が集中している。「黒い膜」を貫通するはずだと、トウガは考えた。

 ユナの頭部が地面に当たると極小規模ながらもクレーターができ、かなりのパワーで技が掛けられているのが窺える。そしてそれに伴う音も半端なものではない。自分の頭も多少打ちつけていたが、強固な防御のおかげで気にはならなかった。

 トウガはそこで止まりはしない。クラッチした腕を支点に地面を蹴り回転してもう一度投げの体勢に入ると、頭の垂れたユナを強引に引き起こし再びジャーマンを敢行したのだ!

「流石に効いたろっ!」

 一発目に引けを取らない威力の投げが決まり、妙な体勢のままのトウガからくぐもった声が発せられるが、驚くべき事にそれにユナの返事が返ってくる。

「ぐぬぅ、ま……だまだじゃあっ……」

 驚異の耐久力だが、ある程度それを予測していたから二発目も行ったのだ。足らないのならさらに付け加えるのみっ!



 ちなみに、今のユナの姿勢は体をくの字に曲げ、頭を下にしているというかなり無茶なものだが、「法衣のような服装」をしているので下はスカート状なわけで……。

 ところがトウガはユナの腰に腕を回した時もそうだったが、美少女に組み付いていてもまるでそんな意識は見られない。ユナの方もその事を気にしている素振りは全くないようだ。今この時、2人はお互いを完全に「倒すべき存在」と認識しているという証拠なのかもしれない。



 トウガは組み付いてのブリッジ状態からすかさず立ち上がると、潰れたままのユナの腰を両手でしっかりと掴む。そこから俵のように頭上に持ち上げ、腕を思い切り伸ばし力強く空中に『飛んだ』。


「ハイパァァァァアアアーーーーッッ――」


 下からでは天井に届くのでは、と思えるほどの超跳躍。背を弓の如く仰け反らせ異常な滞空時間を保ちつつも、段々加速をつけながら下降し始める。


「――――ボォォッッッ!!!」


 そしてそれが地面にブチ込まれた時、文字通りドーム全体が揺れた。客席のレシャンが「……ここ、崩れないわよね?」と思ってしまうほどの衝撃である。技としてはジャンピング・パワーボムと言っていいのだろうが、移動距離など原形を留めて無さ過ぎなシロモノだった。



 特大のクレーターを作った後、トウガは一旦距離を取る。どれほどのダメージを与えれたかはトウガ自身よく分からないし、ハートブレイクショットによる麻痺なんぞはとっくに終わっているはずだからだ。

 様子を窺う彼の前で、クレーターの中央で仰向けに倒れているユナだが、しばらく待っていると膝を震えさせ、頭部から血を滴らせながらも立ち上がり始めた。あれほどの破壊力を食らってなお動けるとは……

「効いてないのかよ」

「……あれほどの攻撃、無論効いておるよ。『衣』も意味を成さぬほどじゃったが、生憎とそれとは別に『鎧』を作ったのでな……。先の2回天地が回った奴はともかく、最後のは頭狙いがわかりやすかったゆえなんとか間に合うたわ。まぁいくらか威力を削いだ程度じゃがの……」

 自動の『黒い膜』とは別の、手動によるバリアーといったところか。しかし頭部の出血に加え、応える声には所々で荒い息遣いが混じり、ダメージが消しきれていないのが見て取れる。

「……どうする。まだ続けるのか?」

 乱れた呼吸の中でも、ユナはハッキリと返事をした。

「もう少し……もう少しだけ妾に付き合ってくれ。そなたには迷惑な話じゃろうがの、妾は今が楽しくて仕方が無いのじゃ」

「……オーケィ。とことん付き合わせてもらうさ」

 少しだけ肩で呼吸をし落ち着きを取り戻したユナは、巨大な異形の指を頭上に掲げ詠唱を始めた。彼女の指先に冷気の流れのようなものが出来ると、その流れが固体となり氷の塊ができ始める。関節を取ろうとしたトウガを狙い撃った、あの氷球だ。

 だが今度のものは大きさが違った。直径1mどころか、5~6mほどもある氷塊となっていく。

「ここまで冷えてきそうだ」

 トウガの感想はともかく、随分と手間のかかる行動ではあるが、「楽しい」と言ったユナの事を考えトウガはその準備には手を出さない。あえて彼女の好きにさせる気分になっていたのだ。



 しばらく待つと十分なものになったのか、ユナはトウガを見て穏やかな笑顔で頷いた。一瞬何だかわからなかったが、その頷きが「今から仕掛ける」という合図だと気付き、彼はおかしくて噴き出しそうになってしまう。

 なんだこりゃ、いつの間にこれはスポーツ感覚な試合になったんだか。 ……でも、悪くはないな。半悪魔と名乗ってはいたが、ユナのような美少女にはやはり微笑んだ表情がよく似合っていた。



 巨大な氷の球を前にして、トウガは壁に目を向けあるものを探した。この地下大ドームを照らす光源の一つである松明だ。

「気休め程度……それ以下か」

 氷塊に対し僅かでも効果があればと思ったのだが、あまり期待は出来そうも無い。それでも一応松明の先端を掌に収まるように丸くもぎ取り、急造の火炎武器にしてみるトウガ。自身は全然熱く無いのだが、長時間の燃焼は装備によくなさそうである。



 準備はこれで十分とユナを見て、彼女もそれに応える。彼女が上げた指をフッと前に向けると、それに追随するように氷塊もトウガに向けて動き出した。

「残りカスを搾り出すようなものじゃがな……これが妾の全力全壊っ……」

 呟くユナを尻目に氷塊は突き進む。氷柱や1m級の氷球に比べれば遅い速度だったが、それはおそらく用途の違いといったところだろう。この魔法は標的が固まっているところなど、対集団用の攻撃として真価を発揮するに違いない。

 トウガは迫って来る氷塊を見てふと考える。

 多分避けれるはずだ。じゃあそうするか? いや、そのつもりは無い、手には真正面から行く為のものをわざわざ握ったじゃないか。じゃあなぜ真正面から行くんだ? それは――


(ああ、そうか。今俺は、『闘争やスリルを楽しもうとしてる』んだ。)


 ステイシアの館跡地を見ながら思ったこと。自分はこの世界で冒険者として生きていけるのかという疑問。その答えが、今のトウガの行動として出ていた。

 大丈夫だ、俺は冒険者としてやっていける。なら、後は……結果を伴わせるだけだっ!!

「――驚異っ! 人体発火拳っっ!!!」

 高揚する心に乗せるように、トウガは頭の悪い即興の技名と共に拳を突き出す。トウガ自身の4倍はあろうかという巨大な物体に対して、あまりにも小さな抵抗に見えたが実際はそうではない。拳と氷塊がぶつかると、手の中の炎は激しい音をたて氷を溶かそうとするが、あっという間に氷塊が纏う冷気により、逆にその勢いを弱められていく。

 だがそんなものは想定済み、使えなくなった松明の先端をそのまま握り潰すとトウガは使っていなかった左手も前に出し、向かってくる驚異をそのまま押し返そうと足を踏ん張った。

「「あああああぁぁァァァッッッ!!!」」

 一見ユナの攻撃にトウガが大きく劣勢の場面のように映るが、指を前に突き出したままのユナの顔に余裕は無い。実はこの氷塊、放ったらそこまでではなく、彼女が今も魔力を注ぎ続けて前に押しているのだ。2人は今、自分の全力を振り絞って相手を乗り越えようとしていた。





「――っ妾は、人ではない! それでも、幼い頃には友と呼べる者もおったっ。じゃが、十を越えた辺りで妾はそんな親しき者を作ることをやめたっ。何故かわかるか!?」


 力が拮抗するなか、ユナの叫びがトウガに伝わる。


「恐ろしいからじゃよ、自分がっ!! この身が癇癪を起こしただけで、人が死ぬかもしれぬ! この姿を見て平気だと言ってくれる者がおっても、力の爪痕まで見たら考えを翻すかもしれぬ!!」


 嘆き、苦悩と伝えられるたびに、トウガは彼女の心の闇を垣間見ていった。


「今の妾の知り合いは、皆この悪魔の姿を知らぬ……。それでもっっ! ――妾は今まで人として生きてきたし、これからも人でありたい。なれば「俺はあんたの力が怖いよ、今でも」


 そのまま話し続ければ、壊れてしまいそうな彼女をトウガは止める。そして、自分が感じた事を素直にそのまま話した。


「とんでもなく無様な惨敗もしたしな。でもさ、何の因果かそれに対抗できるだけの力も持ってる。力が無くて言うのに比べりゃ意味は薄い気もするけど、その分信用できるだろ? だから、まずは第一歩だ」


 自分が人と相容れないと考えるユナに、どう言ってやるのが正解かなんて分からない。だから愚直でありつつも、彼は自分が出来る確かな道を提案したのだ。


「『ユナの力に恐れを持っても共にいる友達』、俺がその一人目になる。――ユナは、俺の友達になってくれるか?」





 氷塊の動きがゆっくりと減速していく。さらに大きなヒビが入り、そばにいるだけで感じられた冷気も弱くなっていった。

 そのままトウガが足を踏ん張る必要がないぐらい勢いがなくなってくると、遂にそれは完全に前進を止めたのだった。

 ユナが前に向けていた指は力無く震えていたが、その手をギュッと握り締めると、それに連動するように氷塊が一気に霧散する。

 緊張した空気はしばらく続いたが、やがてトウガは地面に座り込み、大きく息を吐いた。

「……はぁ…………疲れた」

「…………」

「ユナ?」

 反応が薄く、どうかしたのかとトウガがユナを注視すると、思わぬ言葉が返ってくる。

「……アテンザじゃ」

「?」

「ユナというのは、妾が幼き頃に自ら付けた名じゃ。この世に生まれ出でた時に付けられた名はアテンザ。そなたには、それを知っていて欲しい……」

「お、おぅ……ぁー、こういう時はありがとう、でいいのか…な?」

 急にユナから信頼の証のようなことを言われ、妙な照れが混じった返事をするトウガ。ユナの方も、その答えを持ち合わせてはいなかった。

「さてのぅ、妾もはっきりとは分からぬが……礼ならば、まずは此方からしたいところじゃて。――ありがとう」



 ボロボロのまま、双方から礼が述べられるのは不思議な光景だった。お互いに自然と笑い声を発し、それはこの闘いの終了を告げる鐘の音となったのである。





 たった2人の闘いの後とは思えないドームの有様を、レシャンは微笑みつつ眺めている。

 いつ以来だろうか、あの聡明な姪が本当の意味で笑顔を見せたのは? お互いが攻撃を仕掛けるたびに何度も肝を冷やしたものだが、意外とも思えるほどの最良と言える結果になったことを、今の彼女は純粋に喜んでいた。

(2人とも、お疲れ様)



 ――――――――



 星空の下、一部の酒場等を除きほぼ人の気配のしない街の中を、3人はユナとレシャンの自宅に向かっていた。ユナは疲れのあまりか眠ってしまい、今はトウガが背負っている。

 なお疲労はともかく、2人の怪我はレシャンの魔法により大体治療されていたが、格好は土などでかなり汚れていた。その様子は、さながら長旅からやっと帰ってこれた冒険者達に見えないことも無い。

 当然ユナの手足は人の形をとっている。あれを何も知らない人に見られたら、問題にならない可能性のほうが低いだろう。

「それにしてもこの子が本名まで伝えるなんてね。ビックリしちゃったわ」

「んー、まぁ気を許してくれたって事には違いないんでしょうけど。何で名前が2つあるのかって……聞いてもいいですか?」

「本人が寝ちゃってるのがアレだけど、依頼は完遂してくれたからね。構わないわ」

 レシャンは少し顔を上げ、遠くを見る。

「今回の依頼の理由とか、併せて説明した方がいいかしら?」

(そういや後で説明してくれるって言ってたっけ)

 トウガが頷くと、彼女はゆっくりと語り始めた。



「……もうある程度わかってるとも思うけど、今回の依頼はこの子の鬱屈した思いを解消するために、私が考えたの。私はただの人間だから全てを察するなんてできないけど、それでもユナちゃんが無理をして平気な顔を作っているのをいつも感じていたわ」

 闘いの最中の叫び、些細な事で人を殺せるであろう自分への恐れは、トウガにもよくわかった。

「知ってる? デーモンやサキュバス、所謂「悪魔」に分類される種族は、強い部類になるほど容姿や聡明さが総じて優秀な傾向があるの。もしたった1人で野で育ったなら、悪事も含めてあらゆる意味でその能力を活かした生き方が出来たかもしれないけど、この子は人として育った。でもそれがこの子を苦しめることにも繋がってしまってね……」

「ん?、でも確か、人として生きたいって言ってたような……」

「問題はその為の方法よ。8歳頃から、急に彼女の能力は歳不相応に高くなっていったわ。でも『和』を望んだこの子はそれを誇示せずに、人との関係を必要以上に踏み込まず、怪しまれるほどには離れないようにした。……心は子供のままなのに、優れた頭脳は異形だから軽率な事は出来ないと、自分を縛り始めたのよ」

 当時を思い出すのか、レシャンは何とも言えない複雑な顔をする。

「結局、破綻はすぐに訪れたわ。これは詳しくは言いたくないけど、とにかく住んでた村に居られない様な事が起きて……。それでここに来たのだけれど、その時にこの子が決めたのよ、『もっと目立たないように生きよう、その為に少しでも争いの種になりかねない今の名は隠そう』って」

「それは……その、なんと言うか……」

「『そんな理由で名前まで?』、そう思うかもしれないけど、わたしに家の中でも新しい名で呼ぶようにして欲しいって言うぐらいに本気だったわ。……だから、そんなユナちゃんの心を開いた君に、本当に感謝してるのよ。ありがとうね」

 真摯な感謝の言葉にトウガは顔が赤くなる。気恥ずかしくなっているのだ。

「ま、まぁかなり成り行きな所がありましたけどもっ」

「成り行き、それでも十分すぎるわ」

「なんてぇかその、照れますね。……あの場には、ユナを殴り倒すために行った様なものなのに、終わってみれば「友達だ」。なんという超展開、偶然の積み重ねってレベルじゃないじゃねーぞ……」

「その偶然が嬉しいのよ。……ここに来た理由が、前に住んでた村での問題が起きたからってさっき話したけど、その移住もスムーズにはいかなかったの……」

 物憂げな表情が、急に怒りを含んだものに変わってきた。

「問題を嗅ぎつけたこの街のトップが、ゴタゴタで弱りきっていた私達を騙したのよっ! 生活の為の支度金や移住の権利と引き換えに、その力を街を守るのに使ってくれないかって言われたけど、実際はそんなことじゃなかった。……トウガ君が見た夜の街を走るユナちゃん、あれがその仕事の一部だって聞いたらどう思う?」

「…………ふあ? あの泥棒みたいな行動が? ……ぇえ、そりゃあどういう事で?」

「この街に正体不明の泥棒が居たり、時折人とは思えないシルエットで動く怪しい影が夜に見られたら、それは街の護り、さらには私設軍にお金を注ぐ理由になるってこと。……この子をバカにしてる! 街のトップ達の思惑や、外面のための自作自演に怪物として使われるなんて、そんなの……っ」

「あの、もしかして俺がやった街の見回りって依頼も……」

「…………ええ、そうよ。目撃者を増やすためのヤラセの様なもの。上も馬鹿じゃないから、あの子にカース(呪い)を掛けてこの街と特定のダンジョン等以外に移動できないようにしたわ……。でもこの子は『少しの汚れ仕事で平穏に暮らせるなら、それで十分』って言うけど……いいわけないじゃないっ!!」

 涙目のレシャンの激昂は、音量自体は下げていたが、溢れ出る悔しさを滲ませていた。

「――ごめんなさい、段々愚痴みたいになっちゃって。ただ、一つだけお願い。……トウガ君、初めてこの子との依頼を終えた後、酒場で一緒にご飯食べたみたいだけど、そのときこの子が思いっきり酔っ払ったってホント?」

「あーはい、そうですね。すんごい絡み酒でしたっけ」

「そうなんだ。なら、そういうユナちゃんの一面を忘れないで。目立たないようにしてるけど、本当は好奇心一杯で、面白い旅の話を聞きたがる女の子。君をこの街に縛る事はできないけど、友達としてそんな子がいることを忘れないで。それが私からのお願い」

「…………はい…………」





 トウガの神妙な返事を最後に会話は途絶えた。依頼そのものは良い終り方をしたのに、今のこの場の雰囲気はかなりお通夜な感じである。

 ユナとレシャンの家族が持つしがらみなどは、彼が思った以上にハードな話だった。袖触れ合うも他生の縁、何とかならんかねぇと考えながら歩くトウガだが、実は全く当てが無いこともなかった。というか、さっきから「何か忘れてる」気がしている。

(何だっけ? んん~、何だっけか~??)

 必死に思い出そうとするがイマイチうまくいかず、そんな状態のまま魔法道具屋に着いてしまった。ユナを背負っているので扉はレシャンに開けてもらい、彼女の案でもうこのままユナをベッドまで運ぶ事にする。

 うがぁー、とそんな状態でも彼はまだ思い出そうとしている。奥歯に何かが挟まったようなむず痒さがそうさせるのだが、そのせいで「美少女の部屋突入イベント」を普通にスルーしてしまっていた。

「とりあえず手の動きはチェックしてるわよ~」

 気持ちを切り替えて、場を明るくしようと努めるのは年長者の務めからか。だが思い出し作業に忙しいトウガは、そんな彼女の気遣いも話半分な感じでしか聞いていない。ユナをベッドに置くのにも青年男子らしい葛藤なぞ全然見えず、レシャンは頭に疑問符を浮かべてしまう。

 今ここで思い出すべき事の筈! そんな気が強くなっていく中で、先程のレシャンの言葉と目に入ったものが連動した。

(手の動き……手……手首……腕輪がはまってる……これは魔法の腕輪……俺の特殊能力と併せてすごい効果が出る……俺の特殊能力?……………………魔力ブースターッ!!!)

「レシャンさんっ!」

「んんなな何?」

 さっきまで微妙に心ここにあらずだった人が、急に叫べば驚くのは当然である。

「確認したいんですが……ユナのカースが解けるのは2人にとって良い事なんですよねっ?」

「え、ええ。それは当然よ。この街に来た時に世話になったのは確かだけど、もう何年も経つし十分すぎる義理は果たしたはずだわ。カースの拘束さえなければって、もう何度思ったことか」

 トウガという人物と偶然出会えた、その偶然が嬉しいというのと、ユナが他の街に行けない事には繋がりがある。車のような優秀な移動手段が無い文明レベルでは、自分から動かなければ新たな人にはなかなか出会えない。特にユナと対等の戦力を持つ者を見つけるならば、「果報は寝て待て」ではまるで話にならないのだ。

 なのに、ある日突然に予期せぬ出会いが起こる。能力だけでなく、ユナをちゃんと人として真正面から見てくれる人だった。この偶然を喜ばぬはずは無い。

「……トウガ君、そのことについて考えててくれたの? 優しいのね、ありがとう。でもそれについては現状どうしようもないわ。私ね、普段は結構この店にいないんだけど、その大半は強力なディスペル・マジック、もしくはリムーブ・カースの類のスクロールを捜したりしてるからなの。でもいまだに当たりはなし。泣きたくなるわ」

「えーとぉ、普通のリムーブ・カースのアイテムとかでいいんですが……使わせてくれませんか?」

「? それならあるはずだけど、まず意味はないわよ。そこそこ強力なやつでもやってみたけど、複数人の儀式魔術でもやってカースを掛けたのか全然効果なし。……はぁ」

「嘘臭い話ですけど、やってみる価値があることなんで。騙されたと思って協力してください……お願いしますっ」

 レシャンには何だか要領を得ない話だったが、自分もトウガに無茶な依頼をしたことだしと、彼の行動を見守る事にした。ちなみに魔法を発動させる消費アイテムは、基本的に「お高い」品物であり、リムーブ・カースなど高位の魔法が込められたスクロールは、本来「お試し」で使っていい物ではなかったりする……。





 話し声と人の動く気配がするのでユナが目を覚ますと、トウガがレシャンからスクロールのレクチャーを受けていた。自分が闘いの後どうなったのかを、ぼぅっとしつつも思い出そうとするがハッキリしない。ゆっくりと自分の体を眺め「……体を洗わんとのぅ」などと考えるのが関の山だ。

「あら、起きたみたいね。……ユナちゃん、トウガ君がやってみたいことがあるっていうから、ちょっと協力してくれない? その……アレの事でね」

 そう言いながらレシャンは軽く首を撫でるような仕草をとった。

「ああ、これの事はもう話したのか。まぁこやつになら話しても構わんがの」

 ユナは軽く応える。知らないうちに自身の大事な話をしていたのがわかっても、「どうせ自分が話していたろうし」という思いがあり、特に気を悪くはしていなかった。

 ベッドから体を起こすと、彼女は服の襟元を弛め、首をあらわにした。いつも首を完全に隠す服ばかりユナは着ていたのだが、トウガはこれまでそれについて深く考えた事はない。そういう好みだろう程度の認識だったが、彼女の行動に「おおぅ」と唸りつつも、その服装のチョイスの理由を目の当たりにする。

 黒い鎖の刺青、だろうか。それが彼女の首を絞めるかのように描かれているのだ。ユナの白い肌に黒い刺青は人目を引くだろうし、罪人のようにすら見えるそれを、トウガは苦い目で見た。

「見えるか? 話は聞いておるようじゃし簡単に言うが、これが妾の『枷』じゃよ」

 そこまで気にするでもない様な口調は、一体何故なのだろう。トウガは彼女の真意が探ろうとする。

「なんというか、あまり気にしてないように言うんだな」

「……気にしておらんわけではないよ。じゃが食うには困らず、屋根の下で眠れる。程々に贅沢も出来れば十分じゃろう。スラムの住人のような暮らしを強要されておるわけではない」

 平気な顔を作り現状で十分と自分に言い聞かせている、そう言われてなければ問題は無いとつい賛同してしまいそうな口調である。だが、彼女の裏の事情を聞いているトウガから見れば、それは諦めの境地から来る達観に思えた。

 確かに劣悪な暮らしを強いられてはいないが、それはこれとは関係ない。『どこかのクソヤロウ達に少女の人生が踏み躙られている』、それは明らか過ぎる不条理なのだ。

(上手くいってくれよっ)

 スクロールを片手に、トウガは気合を入れた。



「ん? それは……リムーブ・カース……。トウガよ、魔法に疎そうなお主には分からぬかもしれんがな、これはそんな半端なシロモノではない。やるだけアイテムの無駄というものじゃ」

 精神を集中するかのように目を閉じたまま、トウガは喋らない。若干苛立ちつつユナは続けた。

「これとはもう結構な時間を付き合ってきた、いまさら気にせんでもよい。お主の様に対等の友が出来ただけで、妾は十分に満足しておる」

「――アテンザ、海に行こう。そんでもってうまい海産物を食おう」

「っな、何をいきなり……」

「できるなら水着姿を見せてくれ。んでもってあの風景を撮れる水晶に、記念の1ショットを写せたら最高だな」

「……トウガ?」

「クソッタレ共にそれを邪魔される筋合いはない、そう思うだろ?」



 本当に、本当に少しずつだが、トウガが何を言いたいのかが彼女にも伝わってくる。しかし、そんなことが出来るわけが無い。自身も優秀な魔法の使い手であり、魔法道具屋という商売柄、スクロールの効果も十分知っている。その使い方すら知らないような素人に、何が出来るというのだ? だが……

「わ……妾は……」

 小さな可能性を信じ、その度に裏切られてきた。今のままでいいじゃないかと折り合いをつけたのは、希望が消える度にできる心の傷に、耐えられなくなったからだ。でも……

「妾だって……」





   ――もう一度ぐらい、奇跡を願ったって――   「自由が、欲しい……っ……」





 彼女が心の奥にしまっていた声は、意外なほどするりと出た。そしてそれは、彼女の精神に大きな亀裂が入っていた事を示している。忍耐の崩壊が迫っていた事に誰より驚いたのは、他ならぬユナ自身だった。

「それが聞けりゃ十分だ」

 初めての魔法の行使にトウガは挑む。目を開き、レシャンに教わったとおりにスクロールの詠唱を始める。早さはいらないのでカンペ付きで、ゆっくり確実に行程を進めていると、段々とスクロールから光が放たれ始めた。

 レシャンはトウガがスクロールを用いて何かをすることに異は無かったのだが、そのままリムーブ・カースを使用するとは思っていなかった。ユナ同様にスクロールの効果はよく分かっているので、やるならば魔法の素人ならではの奇抜な発想などを期待していたのだ。だが事態はその斜め上に向かっていく。

 魔力の動きなどを感じ取れる2人は、その流れがおかしいことに気付いた。アイテムで魔法を発動しても、普通は術者に関係なくあらかじめその品に込められた力分の効果しかない。なのに今にも発動しそうなスクロールからは、想定していた何倍もの魔力を感じ取れるのだ。

 トウガが何かしている? いや、そんな素振りは見えない。知識が豊富なゆえに混乱が大きい2人だったが、それとは別にトウガにも少々戸惑う事が起きていた。



(吸い取られるっ? ぬぐぐ……よく分からんが体力使うなコレ)

 体力、魔力、精神力、そういったいずれかが消費されるのは想像していたが、それが考えていたよりもかなり大きい。わざわざ立っている為に、足に力を入れ直したほどだ。

 とはいえ立ち眩みがくるほどではないし、何より今のトウガは気力がみなぎっていた。詠唱をそのまま止めることなく進め、最後には発動の一言を紡ぐ。

「リムーブ・カース」

 その一言は、ユナの凶悪なカースにも効力を及ぼした。魔法が発動すると、彼女の首にある黒い鎖がボロボロと崩れ、落ちる欠片は地面に着くことなく消えていく。そして遂には鎖は完全になくなり、彼女の呪いは消滅したのだった。

 驚きからか呆然としたまま立っていたユナは、しばらくしてからゆっくりと歩き、手鏡を取る。鏡に映る首元を見ながら、鎖のあった辺りをゆっくりと撫でるが、痕など少しも見えない。

(こっちに来て明確によかったと思えた事は、これが初めてだな)





 一息ついてから、肩を僅かに震わせ顔を下げている彼女に近づくと、ユナは俯いたまま振り返りトウガに抱きつき、その胸板に顔を埋めた。

 そんな彼女の頭を撫でつつ「少女っぽいとこ見せてくれるじゃないか」とか、「異世界でフラグ建てれたかも~」などと取り留めのない事を考えているトウガ。実際は戦闘に加え、先程の魔法による妙に大きな疲れのせいでかなり眠くなっており、ここでいきなり「じゃ、おやすみ~」では格好がつかないので、無理に起きようとしているせいなのだが……。

 それはともかく、ユナを撫でながらさてどうするかと思い始める彼は、急に異変を感じていた。女の子に強く抱きしめられるのは嬉しいが、それがギシギシと鳴りそうな結構なレベルになってきているのだ。

(というか、今の俺がきついって思う抱擁はやばくないかっ?)

 どうしたことかと首を捻ると、見覚えのあるものが見えた。 ――ユナの異形の腕である。彼はいつの間にか、彼女のパワー全開のサバ折りを食らっていたのだ。

(……!!? ぅえっ? え、え、え、ななななな何でこんな本田ばりのサバ折りってうぎょぎょ一体いつBadEndルートに入ってしもぅたー……)



 ――ガクッ。

「っトウガ? どうした、トウガっ!?」

 貴女のせいです。

 ユナのこの腕は、一度トウガにトラウマを叩き込んでいる。戦闘で興奮している訳でもない時にそれを真近で見た彼は、疲労と眠気もありあっさりと気絶してしまっていた。

「ユナちゃんも腕出ちゃってるわよ」

「ぬぉっ。こ、これは……その……」

「?」

「…………ぁぅ、ちょ、ちょっと前に気付いたんじゃがの。ど、どうやら妾は……何と言うか、その……か、体がムズムズすると魔法が解けてしまうようで……」

「ということは……。まぁまぁっ、ユナちゃんったら女の子~~」

 顔を真っ赤にして話すユナは、レシャンの言葉にその赤みをさらに上げた。

「と、とりあえず横にしてやるべきかっ! 居間に運んでくる!」

「焦って落としちゃダメよ~」

 少し前までの雰囲気は何処へやら、首をガクガクさせているトウガを抱いたまま、どたばたと彼女は部屋を出た。

 笑いながらそれを見送ったレシャンは、そばのベッドに腰を下ろす。

(……どうしてかしら。悲願とも言えるものが達成されて嬉しいはずなのに、それに泣いたり笑ったりして喜ぶでもなく、ただあの2人に魅入ってしまったわ。呆気なさ過ぎて現実味が感じられないのか、それとも……)

 驚天動地の事態ではあったが、レシャンも嬉しく思っているのは当然だ。だがその事と、異常な出来事に付いて行けるかというのは別なのである。

(例え何だろうと、ユナちゃんのあの顔を見た後では関係ないわね。ふふっ、あの子があんなに幼く見えたのは初めて。 ――ごめんなさいね、トウガ君。君を縛る事は無いと言ったけど、それを撤回するわ。)

 彼女は『枷』のなくなった姪の、これからのビジョンを考える。

(あの子が姿が保ったままパートナーに抱擁もできないなら尚の事、君以外にその相手は務まらない。あの子を救った実績、人間性、どれも申し分ないし、何よりユナちゃん自身が好いているようだからねぇ。協力を請われたら、私はユナちゃんに力を貸すわよ)







 情けない形で気絶してしまったトウガは、居間のソファーに横にされていた。気絶とはいえ、ほとんど眠気などが理由でオチたので特に問題は無いだろう。

 ユナは紅茶を淹れ椅子に座っていたのだが、そのままテーブルにうつ伏せになり、顔だけ横に向けトウガの寝顔を眺めていた。

「……………………」

 くす

 時折自分の首を撫でながら微笑んだりちょっとだけ様子が変ではあるが、他にそれを見る人もいないので問題は無い。

「思えば妾の事ばかり話したものじゃなぁ。……トウガよ、そなたは今までどんな人生を歩んできたのだ? 妾の事ももっと知って欲しいし、そなたの事ももっと知りたいぞ……」

 ユナにはまだまだトウガと話したい事がたくさんあった。早く日が昇らないかな、そんなふうに未来に楽しみを覚える今を、彼女はとても嬉しく感じるのだった。





「――女の影が見える生活ではないようじゃが、今回の報酬で夜鷹なぞ買ぅてくれるなよ。想像しただけで…………ふふ、うふふふふフフフフ……」



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 今までの話に比べて長過ぎでしょう、ホントに。「次で決着」「でも戦闘だけで終わらせるのもアレだよね」、そんな考えのせいでこんな長さになりました。推敲も時間掛かるしきついですね。

 今回は出したかった技をかなり組み込みまくりです。一部にはマイナーネタもあるけど、それなりに満足しました(人体発火拳なんて誰が分かるんだ)。

 お話的には一章終了ってところでしょうか? ようやくヒロイン候補の「らしい」一面を出せるようになってきたので、多少甘い展開にもしてみたいか……なぁ。



 ……月姫の有名な冒頭みたいなスタイリッシュさもなくて、ここまでヒロインの頭部狙いでジャーマンやら心臓攻撃やらを仕掛ける主人公ってそうはいないだろうなぁ……。



[9676] 9話
Name: 鉄腕28衛門◆a6c5bde7 ID:3ee6fbf0
Date: 2009/12/31 15:08

   ――トウガ! もう朝よっ。ほら早く起きなさいってばっ!


   ――上手くいったんだ、やるじゃない。おめでとっ、トウガ。


   ――これ貰っていいの!? ……あ、ありがと……。









                     …………ごめんなさい…………、『さようなら』









 ――――――――



「……なんか嫌な夢見た気がする……」

 もう陽が高い昼過ぎに目を覚ましたトウガは、頭をポリポリと掻きながら小さく呟いた。二度寝するかなぁと、ぼんやりしながら掛けられた毛布を引っ張り、眩しい光を遮ろうとしたが――

「なんだこれ」

 自分の寝床である宿の安い部屋に添え付けの毛布は、粗雑な作りであまり寝心地が良いものではない。だがそれとは段違いに肌触りの良い毛布が、彼の意識を揺り起こした。

 上半身を起こし、自分に被さっている毛布をしげしげと眺めつつ周りを見渡し、そうしてようやく自分が普段と違う所で寝ていた事に気付く。

 下も布団やベッドではなくソファーで横になっていたようだが、それがまったく気にならないフカフカ具合である。



 昨晩はどのようにして眠りについたのか思い出そうとしている丁度その時、(直接の)原因がドアを開け現れた。

「おお、起きておったか。昨晩は随分と疲れたじゃろうが、よう眠れたかや?」

 最近の寝床である安宿の一室とは比べ物にならないというのが、トウガの感想だ。うなずいた彼にユナは「うむうむ、それはなにより」と微笑んで返す。

 そして部屋に入ってきた彼女は窓を開け喚起をすると、そのままトウガの毛布を剥ぎ取り畳んで隅に置く。髪を後ろで括り、エプロンをつけてテキパキと動くその様は、まるで新妻のようでもあった。

「ぬぅう、すげぇ良い肌触りだった……。『買いたい贅沢品リスト』入りだな、あれは」

「快眠を妨げてしまったならすまぬが、昼食が出来ておるゆえにな。……そんなに気に入ったなら、ここで寝泊りしてくれても妾は……」

 段々と尻すぼみになるユナの台詞。窓際で大あくびをしながら思い切り背伸びをするトウガが、それを聞き逃したのは良かったのか悪かったのか。

 顔を赤くしてスリッパでパタパタと音を立てながら、彼女は部屋を出た。一方トウガは人の家であまりグータラは出来んなぁと動き出し、ふと「風呂……は図々しいし、そもそもあるのか? でも、せめて洗面台は借りんと臭いか」と思ったのだが――

「言い忘れておった。風呂を沸かしておる最中じゃ、飯の後で使うがええ」

 ――ひょこっとユナがまだ幾分赤いままの顔を出し、彼の考えを見透かしたかのような事を言った。

「ぁ……ぁあ、わかったよ。ありがと」

 とりあえず飯の前に顔だけ洗いたいと告げたトウガは、ユナに連れられ洗面所で顔を洗い、タオルも側で待っていた彼女に直接渡してもらった。

 そして濡れた短い髪をガシガシと拭きながら、食卓につく。



 何だか彼女が、妙に甲斐甲斐しく世話を焼いてくれることを感じないではなかったが、元々ユナはしっかりと自活した女性である。それゆえ彼は、「出来る女」の朝はこんな感じなのかな?と、まだいくらか鈍い頭のまま考えていた。

「飲み物はミルクと紅茶、どちらが良いかの?」

「ぅぁー……紅茶頼む」

 熱々のソーセージにスクランブルエッグ、クロワッサンを連想させるパンとその脇にはバター、サラダの盛り合わせにポタージュスープ、そしてスライスされたレモン等各種果物。並べられた食事は湯気をたたえ量もたっぷり。トウガの食欲は大いにそそられた。

「叔母上を呼んでくる。先に食べても構わんぞ」

 腹の減りは十分だが、ユナ達もまだ食べていないようなのでとりあえず待つ事にする。一応薄く切られたレモンを紅茶に入れ、それで喉を潤すことだけはしておくようだ。



「トウガ君も起きたみたいね。十分睡眠は取れたかしら」

 背もたれに寄り掛かり、なんとなく優雅な午後を演出する気分で半分目を閉じ紅茶を啜っていると、さして時間の経たないうちにユナとレシャンがやって来た。

「ソファーでもぐっすり眠ってたみたいだからそのままにしておいたけど、寝違えてたりしてない?」

「いや、むしろいつもよりよく眠れたぐらいですよ。宿の堅いベッドとじゃあ比較になりゃしない。――どうやってソファーに横になったかは、さっぱり覚えてませんけども」

「それはねぇ、ユナちゃんが――」

「っお、おびゃぅ……ゴホン、叔母上!」

 くすくすと笑うレシャンに、ユナは詰まりながらも声を荒げる。トウガはそれにどうしたとツッコミを入れるべきかを考えたが、とりあえずは放置することに。

「まぁそれは大した問題じゃないわね。それよりもトウガ君、今日のうちの昼食はどうかしら?」

「そりゃもう美味そうで、見ただけで腹が鳴りそうっすね。普段倹約気味の食生活ですし」

「それはよかったわ。じゃあこれ以上待たせちゃ悪いし、食べるとしましょうか」



 和やかに始まる食事風景。

 朝は(金銭的な理由で)十秒チャージ、昼は値段の割りにはイマイチな携帯食、晩のみそれなりの食事というのが最近の食事事情だったので、昼時からの彩り豊かなタダ飯を喜んで食べるトウガ。

 いつも叔母がいるときは分担し、効率よく料理するのが当たり前。しかし今回はおばを休ませ「妾だけに任せよ」と眼前の品全てを作り、それを貪る男の様子を赤ら顔で窺うユナ。

 そしてそんな二人を好ましく思いながらも、優雅に食事を摂るレシャン。

 三者三様だが、それは皆に憂いの無い心地良い団欒の場であった。



「そういえばトウガ君。せっかく整った装備、昨日の闘いでかなりボロボロになっちゃったようだけど……修復の資金とか大丈夫?」

「しゅ、うふ……く? ……えぇーとぉ……今回の依頼料は期待しちゃってもよろしいんでしょう……か?」

 食事の中、ふと聞かれたことにトウガの口が半開きになる。愛想笑いにもなっていない微妙な半笑いは、お世辞にも冴えた表情とは言えなかったが――

(そういう顔もするのか。うむ、男とて愛嬌の一つもなくばな)

 頭が茹で掛けの少女の目は見事に曇っていた。

「ちゃんとした交渉は無かったけど、『報酬は十分に用意する』ってこっちが言ったことなんだから、トウガ君は強気に要求しても良い立場なのよ?」

「ほおぅ、なるほど」

「今回は頼んだ方も遂行した方も事情があったわけだけど、普通あり得ない状況よね、これって。依頼前にそういったことはちゃんと決めておかないと危ないわよー。仕事をした後にゴタゴタが起こるのは、疲れるなんてものじゃないからねぇ」

「……学ばせてもらいます」

「フフ、とは言え私は今回の事にケチをつける気なんか微塵も無いわ。で、肝心の報酬の方なんだけど……現金で40000ダラー、さらにオマケもつけるってところでどうかしら」

「40000っ!?」



 この剣と魔法(トウガは拳と筋肉)の世界、通貨はダラーだが具体的に数字で表された時、どの程度の価値を持つのかというと――

 トウガが感じたうえでの比較話だと大体1ダラー=日本円で10円といったところであろうか。紙幣は無く1ダラー銅貨、10ダラー銀貨、100ダラー金貨が使われている。

 ちなみに銀貨と金貨は見た目はともかく、実際は銀や金のみで作られているわけではない。それらの硬貨は銅貨を基準にそれぞれその10倍の価値を持つ銀、100倍の価値を持つ金のみ含み、他は安価な別の金属で出来ているのだ。

 国が興り、国が滅ぶ。それが身近にある世界では、ただの紙になりかねない紙幣などよりも、鉱物的価値(さらには魔法的価値)など一定の普遍性を保てる硬貨が強いという証明とも言えそうである。

 なおギルドや両替商など金勘定が必須なところでは、銀貨や金貨に繊細な『アナライズ・メタルス(金属分析)』の魔法を使い偽硬貨を暴き、トラブルを回避するようにしているとのこと。

 さらに付け加えるなら、そんな大きな金銭が動くところでしっかりとした保管庫があるならいいが、旅に出る人が結構な金を持ち歩く場合、硬貨ではなく相応の砂金の粒等に変えるのが便利だという(両替の手間賃を考えなければ)。



 トウガのようなルーキーがギルドで受ける依頼の報酬は、大体500~3000といったあたり。そして彼の一日の食費&宿代は約500ダラー。文字通り桁違いの報酬である。

「不満が無さそうな反応で安心したわぁ」

「トウガよ、そなたのした事を思えばこれでも安いと妾は感じておるのだ。なんならもっと融通――」

「ユナちゃんスト~ップ。これから私達にも即金が必要になるって言ったでしょ? 気持ちも分かるけど、優先順位は間違えちゃダメよ」

 レシャンのお小言がユナを止める。それに少々不満があるのか、彼女はぷ~っと膨らんで抗議の意思表示だ。

「2人で出した折衷案をいきなり変更しないように。ちゃんとオマケの方もトウガ君向けにチョイスしたでしょう? ああトウガ君、ちょっと待ってて」

 そう言うと彼女は部屋を出た。だがすぐに戻ってきたので、どうやら目当ての物はもう用意していたようである。

 レシャンが手にしていたのは大きなチェスの駒のような短杖……だろうか? 別にそこまで造形が似ているようなものではなかったが、特徴として下の部分が平べったくなっており、立たせたまま置けるのでチェスを連想させるのだ。

「これは……有名な彫刻家の置物とか? いやしかしそんな物を――」

「贈るわけがなかろうが。これはな、野外で便利な『エリア(領域)』という魔法が使える魔法具なのじゃよ」

「……説明頼む」

「うむ。お主は前に、虫が苦手と言っておったじゃろ? この魔法はのぅ、触媒を中心に術者の望まぬごく小さな生物を排除、さらにそれを乗り越えてくる存在にもある程度『近づきたくない』と思わせる効果があるんじゃ。範囲は半径にして大人2人分程度で、さして広くないがな」

 トウガは現在ギルドの安宿で寝起きしている。清潔さと所持金の兼ね合いで最低ランクより一つ上の部屋を選んではいるが、現代日本の多くの住居に比べれば明らかにボロと言っていいものだ。

 このユナとレシャンの住居のように手入れが行き届いた家ではほぼ気にならないが、「住めれば良い」程度の部屋では虫やら何やらが居そうで気が散ってしょうがない。共同トイレなども清掃が十分とは言い難いのが事実である。

 それを以前の雑談の中で、トウガが2人に愚痴ったのを覚えていたのだろう。

「マジか、そりゃあいい! 実にイイ!」

 大きめの虫が出ただけでスプレー片手に騒ぐような繊細?な神経の持ち主には、とても強力な援軍になるに違いない。

 生活水準の向上を目指す彼としては、とてもありがたい一品だった。

「そっ、そうかっ! ……うむ、気に入ってくれたなら何よりじゃ」

「一回で使い切りの消耗品バージョンもあるんだけどね。使っても精神力が減らないのはいいけど、一つ700ダラーぐらいするし排除効果しかないのよ。まぁ多少余裕のある人が、2,3週間に一回寝室で使うぐらいかしら?」

 なるほどバルサンか、と身も蓋も無い感想を持つトウガ。用途的には似たようなもんではあるが……。

 それと同時に彼は、ふと疑問に思ったことを口にする。

「にしても魔法の道具がオマケって……、これ店で売るならいくらぐらいするんですか?」

 使い切りではない魔法が使えるアイテムというのは、その内容を問わず「えらく値が張る」というのがトウガのイメージだ。それをオマケと言われれば、実際の売買価格が気になるのも仕方がないだろう。

「修得難度はそれなり、野宿で毒虫の排除とか利便性はわりと高い魔法だし80000ダラーの値は付くわよ。ん~オマケって言い方はちょっと軽かったかもね」

 とんでもねー。折衷案の末のオマケで、その値段が付くんですか。最初にユナが提示した額はどんなもんだったのか……。



 食事も終わり食後のまったりタイムを過ごしていると、レシャンが席を立つ。

「いつもより遅いけど、そろそろお店の方を開けるわ。トウガ君はゆっくりしていってね~」

 軽く手を振り彼女は部屋を出た。それを見送りながらトウガは、この世界に来てからめったに口にすることのなかった、テーブルの中央に置かれた高級お菓子を手にする。

「ぁ、そういやさぁ、ユナた「ァッ、アテンザ!」ちぁ……」

 トウガが思い付いた事を聞こうとすると、急にユナがそれに被せる様に裏返り気味の声を出す。わずかに下を見て目線を合わせようとはしない彼女の顔を窺うと、これまた何故か赤ら顔。

「トウガよっ。た、頼みがある! 妾はもう十年も、人との親しい付き合い方というものをした事が無いっ。じゃから、その、リハッ、ビリッ、のたっっ、めにっっっ――――二人きりのときは、アテンザの名で呼んでくれぬか……?」

 裏声気味のままユナは言葉を続け、その調子はドンドンヒートアップしていった。しかもそれに合わせ段々早口になり、終わりの部分だけ急にボソボソとしぼり出すように喋るので聞き取りづらい事このうえない。

 そもそも早口のところとラストの文意がちゃんと繋がっておらず、微妙に意味不明である。

 彼女の勢いに押されつつも、なんとかその意を汲み取ったトウガは目を丸くしながら、カクンと首を下げ応えた。

「……はい」

「ッッ!!! ――感謝する。ぁ、話をさえぎってすまなんだ。では……改めて聞いてくれ」

「……ぇー、ユn……アテンザ達は今後もこの街に居るのか? それともどっか違う所にでも行く?」

 早速呼び方を間違えかけたトウガだが、ユナの目がギラリと光った気がして慌てて言い直す。

 彼がこんな事を聞いたのは、彼女達の行動に合わせて自分の今後も決める気でいるからだ。別の街や長旅にも興味はあるし、東地区だけとは限らない以前の「トウガ」の知り合いの目を、いつまでも気にするのも気分が悪い。

 ユナのこれまでの在り方を考えれば、住む街を変える事は十分考えられる。自身はコレといってここにこだわる理由もないし、それならこの可愛い少女について行ってみようと思っているのだ。

「その事については叔母上とも軽く話した。カースが解けた以上、放っておけばまた何か仕掛けられるやもしれぬし、そもそもこのまま住み続けたいとも思わぬ。なので店も閉めて、違う街に家財道具含めて引っ越すつもりじゃ」

「そうか。それならさ、俺も「場所は海に近いところがええのぅ。妾も知識でしか知らぬゆえ興味は大きい。漁業が盛んで、海産物も豊富ならばなお良しじゃ」

「ぁ、ぁあ。それで俺「引越し先でも店は開くつもりじゃが、最近ここも手狭に感じられるようになってのぅ。もっと大きいところに住みたいが、まぁ仮に予定よりも大き過ぎる家になったとしたら、一人ぐらい下宿で住まわせるのもありじゃな」

「ぁの、だから「そこでじゃトウガ、連日ですまぬがお主に依頼がある。馬車を使った旅になるじゃろし、その護衛という仕事じゃ。昨日のやつほど報酬は出せぬが三食昼寝付き。先程の食事が気に入ったなら、妾がいくらでも作ろうぞっ。そうじゃ、忘れておった。確か妾のみ、み、み、水着が見たいと言っとったのっ。妾もまだ着たことがないが、そなたの頼みなら仕方ないっ。見繕っておこうっ!」

「ぇぇと「きっとよい旅になるぞっ。ん、着いた後での身の振り方や住むところが心配か? なら安心せい。それも報酬としてこちらが面倒を見ようではないかっ! トウガよ、冒険者なら見聞を広めるために色々な所に行く事も必要じゃぞ。ならばこの依頼は、きっとその意味でもお主の糧となるはずっ。さぁ、言うのじゃっ、その依頼引き受けたとっ! 言えっ、迷うなっ、躊躇うなっ、頼むからっ、お願いっっ……一緒に行くってっっ!!」

「……は、はい。引き受け、ます」





 ユナは喋るうちにまた熱くなっていった。しかも今度はそれが長く、途中でトウガが口をはさもうとするのを妨げるように続き、仕舞いにはテーブルに身を乗り出す形にまでなっている。しかし、前のは緊張して彼女自身思いがけず調子が上がっていったのだが、今回はある程度意図的にこうした理由があった。

 恐怖したのだ、彼に「NO」と言われる事、彼と離れてしまう事に。

 自分は『枷』を外してくれたトウガに報いるためにも、また囚われるわけにはいかない。だがそれゆえこの街を離れる自分達家族とは違い、理由の無いトウガがそれについて来るはずがない。

 容姿には自信がある、そうなるような出自だ。話も合う、これは昨日の闘いの前からそうだった。今後は食事の場などを増やせば、それもより深いものになるに違いない。

 そんな自分と彼の今の関係を一言で述べると何か? ……ただの「友人」である。このままじゃダメだ。もっと親密になりたい。具体的には、男女の「キャッキャウフフ」が言える仲に!



 ユナは考えた。十分な頭脳と、全然足りない男に好かれるための知識を総動員して考えた。トウガと共にあり、さらに関係を進展させる方法を。その結果が――これである。

 まずはとにかくアピール。料理や金銭面など、家庭的、献身的な部分問わず「それはどうなのよ」と思う程にアピールをして、トウガを旅の馬車に乗せるのだ。それさえできれば最低3,4日は同じ狭い馬車で過ごす事になるし、新たな土地では海水浴などイベントをこなす事も望める。

 増える二人だけの時間、予期せず触れ合う指先、乱れた服装……にょほ、ほほ、ほふふふふ。

 叔母の存在はどうしたとか悪い意味で尽くす女になり過ぎではとか、様々なツッコミが飛んできそうだが多少フォローを入れるなら、それは自身に対するコンプレックスゆえの過剰さがあった。

 トウガは確かに並び立てる存在ではあるが、それでも自分の異形ぶりが「普通」の女に比べマイナス点なのは否定できないと、ユナは心のどこかで今でも考えている。だから、多少みっともなくてもまずは押すしかない、とも。

 まぁこれらの事を計画した時、馬車で何故か同じ毛布に包まろうとする妄想までこなした少女のハートの前では、そんなものは屁のツッパリ程度の要素に過ぎないのかもしれないが……。





 一方のトウガというこの男、彼は別に鈍感なわけではない。なのでユナの一連の言動から「自分に好意を持ってくれてる?」と思ったりもしたのだが、とても確信には至っていなかった。

 そもそもこれまで彼は、身近に可愛い娘がいればその仕草一つ一つに「自分に気があるのではっ!」などと「よくある哀しい男子学生」な反応をし、その度に小さな失恋?を味わってきた『漢』である。まぁそれは恋愛に不自由する彼の友人達の多くも通った道、トウガが特別なのではない。

 そして今回、今まで見てきた中でも最上級の娘が投げる剛速球に、人生初のヒットを成功させたのだが肝心の跳ね返したボールを見失ってしまっていた。

 ポールに当たった? バウンドしてスタンドイン? 盛大なファール? それともピッチャー返しでやっぱりアウト? 投手のユナの反応で多少は類推したいところだが、生憎トウガは恋愛という種目のルールをよく分かっていなかった。本当は超特大の場外ホームランなのだが。

 結局のところ、ユナの反応が大き過ぎてトウガが考えうる「好意の表れ」を逸脱してしまい、それが彼女の想いをよく分からないものにしていたのである。



 ちなみに――――部屋のドアの前で見事なorzな格好をとる人物が一人、実は聞き耳をたて姪の空回りっぷりを嘆くレシャンがいた。

「……ユナちゃん、そうじゃない、そうじゃないでしょ~~~~……」



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 HDがクラッシュ……、バックアップ取ってなかったから書いてた部分も消えて泣きたくなり、遅筆なのもありやっとこさ四ヶ月ぶりの更新です。まさに「ジャガーノート」H「EA」Dクラッシュで轢かれた気分ですね。

 まったりパートですが、甘いかどうかイマイチ分かりませんw(ヤンデレ分も大して無いなぁ) なんだか悪い男に引っ掛かりそうな娘になっていくユナが心配です。まぁその男はアホみたいな強靭さが求められますが。

 昨今のライトノベル等の主人公は鈍感系、つまり「顔が赤いぞ、熱でもあるのか?」や「俺が好き? そんなことあるはず無いって」が標準装備な気がしますが、むしろ男子学生は『ちょっと可愛ければ相手問わず、休み時間に名前を呼ばれただけなのに見当違いな敏感さで「脈ありっ!!」、そして勝手に自滅』が基本でしょうw

「最近の主人公に物申す」は他にもあるのですが、それは次回以降に……



[9676] 10話 修正1
Name: 鉄腕28衛門◆9e4cac5f ID:3ee6fbf0
Date: 2010/02/19 14:11
 食後ののんびりタイムは、空が茜色に成るまで続いていた。

 あのような会話があった後では、さぞかし微妙な空気が漂う空間になっていたのではないかと思いきや、意外にもそれは平時のものと変わっていない。

 あの後、ユナは自らの策が成功したと感じると、一転して「今これ以上の進展は望むまい」と普段通りの佇まいに戻り、トウガの方も自身が悪く思われている訳ではないのは理解し、「ここでがっつかないのがイイ男」と計算高い(なんて本人は思ってる)態度を取る事にしたのだ。


 まぁ要するに……両者とも慎重と言うかムッツリスケベと言うか、ともかく先程までの事は気にしない顔でお茶の時間を楽しんだのである。



 その日はそのまま体を休める事に努め特に何をするでもなかったが、翌日からは町を出る為の準備に少々忙しい日が続くことになる。

 トウガはまず余裕の出来た資金を元に装備を一新させた。以前とそれほど変わらない感じだが、見た目を考え全体的にいくらかグレードアップさせてある。そして手甲部分のみ例外で、一回り以上重く太く大きい特注のガントレットに変更してあった。もちろん出来るだけ組み付きに支障が出ないよう、掌部などに細かい注文付きだ。

 これはユナとの戦闘で、本気で立ち向かっても危うい存在の事を十分に思い知ったからだ。少なくとも、金さえあれば上がる攻撃力に気を使うのは当然と言えよう。それに手の先から肘辺りまで覆う、トウガの体躯には明らかに大きいそれは「これでボコります、これで守ります」と主張しており、意外に「戦士の見た目」としてはアリと言える物でもあった。

 なお手甲とは違い、脚甲はそれほど前のと変化は無い。優れた現代の運動靴に慣れた彼からすれば、こちらで手に入る靴などはやはり歩きやすいとは言い難いし、脚甲によるキックの威力と機動性の確保はトレードオフのような関係にあり、自分の闘いにおける機動性の重要度を考えたら、あまり変化させようもないという結論になったからである。

 元々トウガはキックよりパンチが得意、というかキックが上手くない(股関節が柔らかくないので脚がそこまで上がらず、当てるつもりのハイキックなどが外れた時などは簡単に転びそうになる)のでそんなに大きな問題では無いのだが。



 そして同時にトウガが行ったのは冒険者としてのルーキーからの脱却、つまりファイターにクラスアップする事だった。とは言え、それに特に難しい試練があった訳でもない。

 具体的には今までの依頼達成の実績に、さらに多少の戦闘が絡む物を加え冒険者ギルドに認めさせればいいという程度。だがそもそも彼が初めて倒したモンスターであるリザードマン等が、本来中級者手前レベルの冒険者が相手取るモノ。つまりギルドがルーキーに示したような依頼に出る敵で、トウガに危険を及ぼせられる存在はいないという事である。

 それらを無事こなした後は書類の更新と認識プレートの上書き、なんだか初めて『猫が寝込んだ』亭にきた時の微妙な肩透かし感を思い出すトウガであったが、あまり気にしてもしょうがない。ともかく、それにより晴れて「冒険者トウガ」はファイターという(とりあえず)一人前の冒険者になったのであった。



 一方、ユナとレシャンの女性陣二人は引越し準備の荷物整理に追われていた。トウガのそれと比べて、明らかに忙しさの度合いが大きいと言っていいだろう。

 雑貨屋に近い魔法道具屋という商売柄、はっきり言って荷物が多過ぎるので、場所を取る物や希少価値が無いものは閉店セールとばかりにドンドン売り払っていく必要がある。その選別に加え始めは考慮していた家財道具の持ち出しも、お気に入りの品以外は置いて行かねばならない様になり、二人して大いに悩んでいたりもした。

 また輸送手段としては馬車を使う手筈なのだが、追っ手も無く(さらには出来るだけ行き先を知られず)町を出る為にレシャンの考えで商隊などに便乗せず、馬車は自分達で購入することにしている。だが安物でもさすがに馬車はかなりの高値になるので、大きさや台数を小規模にせざるをえずそれが荷物整理の手間を増やしていたのであった。

 他にも長くこの地に住んでいたので交友関係もそれなりにありその挨拶や、ギルドとの卸売り契約の解除等やることがトウガの比ではない。ある程度手伝える事は彼も協力しつつ、部屋や店を空にする努力が行われていった。



「金属補強した小型リュックが1500、携帯キャンプ道具が500~……ってこりゃホント小さい。あと油にランタン、使い捨てじゃない丈夫な水入れ用の皮袋、応急道具セットで20の200の200の500だから……合計で2920ダラーか。これで十分って言えますかね?」

「んー欲を言えばロープとか毛布もあれば良いけど、さすがに一人で全部持つにはかさばるわよね。携帯食は今用意してもあれだし……うん、問題ないと思うわ」

 商品をドンドンさばいていくなかで、トウガは「冒険者ならこれぐらいは……」と言えそうな物を買い揃えることも考えた。すぐに必要になるとは思えないが、あまりにも自分の私物が少ないのが何となく嫌になったのが主な原因だったりする。

「ナイフはあんまりスペース取らないな。着替えは丸めて~っと。……石鹸も欲しくなってきたような……」

「小さな見た目の割りには入るものよのぅ。補強しておる点はともかく、サイズは小型のでよかったのか?」

「補強済みのって、畳んで小さくしたり出来ないだろ? 重さは気にならないけど、体積がでかいのはやっぱ邪魔になりそうだし。それにこういうのはむしろ小さいのが好きなんだよ」

 そのまま「グリーンダヨー」など呟いたりしながら、鼻歌混じりに彼は機嫌良く答える。少年が秘密基地を漫画や雑貨で飾るように、リュックという限られたスペースを自分の物で埋めていく作業をトウガはとても楽しんでいた。加えて言えば「自室」や「我が家」が無いからこそ、『自分でまとめた自分だけの物』が在るのは嬉しく思えるのだろう。



 道具の購入にせよ店の手伝いにせよここのところ、トウガはこの店に居る頻度が随分上がっているのだが、それに合わせるかのように冒険者達の間で広がりつつある噂があった。

 安売り中なので冒険者の出入りが多いのは当然だが、これまでもここは「妖艶な美しさの少女が商う店」としてそれなりに有名だった。それが最近になって急に店仕舞いセールを行うと同時に、今まで陰を落とし気味だったその危うい美貌が太陽もかくやという明るさを放ち始めている。何かがあったに違いないと言う声が冒険者達の間で上がるのは当然とも言えた。

「どっかの貴族が求婚したとか?」「身分で選ぶとは思えないな。もっと身近な男かもしれんぞ」「だとしたら怪しいのは……」

 実は今までも交際を申し込んでくる男達はいたのだが、ユナがそれらに応えた事は全く無かった。もしあと数日トウガが店内にいるのを見られていたとしたら、野次馬が多い冒険者達の好奇心によっておそらく彼が関係アリとピックアップされていただろう。





 しかしトウガがそれを問い詰められるような事は、結局無かったのである。何故なら――――3人が旅立つ用意が、その前に整ったのだから。





――――――――



 もう闇が深い夜遅く、あまり掃除が行き届いているとは言えないがそれでも立派な聖堂にて祈りを捧げる人々がいた。その格好は一目で上質な服を着ていると分かる者が殆どだ。

「――本日はこれにて解散するとしよう。何か急ぎ考えねばならん議題はあったかね?」

「いえ、特には。それにしても律義なものですね。週に一度は祈りに来るのでしょう? 失礼な物言いでしょうが、らしくないと言うか何と言うか……」

「神を、信仰を拠り所とする民は多い。執政者であるわしがそれを共にして彼等からの心証を良く出来るなら、わしは自分を曲げる事など気にはせんよ」

 ティモシー・ガディーグリン。この街を治める者達の中で、事実上の頂点に立つ男である。頭は禿げ上がり下腹も出てしまっているがその眼光は鋭く、決して暗愚な人物ではないことが見て取れた。

「上に立つにはそういった事も必要なのでしょうか?」

「さてな、人にも場所にもやり方の向き不向きがあるものだ。君はまだ若い、自分に合った方法を焦らず学びながら見つけて欲しい。ただ、わし自身はこの行いを小賢しいと思っておるよ」

 自分の次の世代を継ぐであろう若者の質問に、どこか遠い目をしながら彼は答えた。自分の行為を小賢しいと評しているが、それは逆に「自分はこんな小手先の策を使わなければならない」という憂いを口にしているのかもしれない。



 ふと、何かに気付いたかのようにティモシーが入り口の方を振り向く。

「……一つだけ統治する者全てに言える事があったな」

「?」

「万人を納得させるなど出来やせん。だから何かを取り何かを捨てる、そしてその選択に悩むのは人である以上当然だ。しかしそれは、そのように統治者が分けただけだというのを忘れてはいかんのだ」

 自分にも言い聞かせているのだろうか。その言葉は重く、若者はたんなる考えの一つと軽視は出来なかった。

「9を豊かにするために1を蔑ろにする、それはこちらの都合で行う。無論それに罪悪感を持てなどとは言わん、そんな事を気にして政(まつりごと)など出来なんしな。だが堕ちるべくして堕ちた奴等とは違い我らによって1にされただけの者は、何の前触れも無くこちらに鋭い牙を向けてくると常に思っておくべきだ」

 若者は徐々にだが空気が重苦しくなるの感じた。尊敬する先達の言葉からではない。ティモシーが目を向ける、そのドアの先だ。――何とも言えない気配が、戦いの経験などろくに無い若い執政者にも感じられるほど大きくなっていったのだ。

「足蹴にされている彼等を当然と思い始めた時、崩壊はあっさりと起こる。弁にせよ力にせよ、対策は取っておく必要があるのだよ」





「お久しゅうに、ガディーグリン殿。他の皆様方も、中には初めましてと言うべき御仁もおられるかな?」

 聖堂の入り口、両開きのドアがゆっくりと開かれ少女が現れた。

 時間も場所もあまり相応しいとは言えない深い藍色のドレスを着て、後頭部には黒いリボンが添えられている。夜に溶け込みそうな格好でありながらそれとは逆に髪は白く、月明かりを反射し光り輝くかのようだった。

 身構える程だった大きな気配は少女の出現とともに急速に消え去っている。少女が微笑を浮かべながら僅かに頭を下げると、場違いさも加え奇妙ながらも不思議な美しさが生まれ、若者を始めそこに居るほとんどの目を釘付けにした。

「久しぶりだね、お嬢さん。こんな夜更けに何の用かな」

 そんな中、ティモシーはトップとしての胆力ゆえか急な来訪者にも先程までと変わらぬ態度で尋ねた。

「うむ、永らくこの街で過ごしてきたがこの度引っ越すことになっての。その報せと退職届を出すために参上した」

「……カースを破ったのか。わしが掛けた訳では無いしあれから随分経つが、そう容易く如何にか出来るとは思っていなかったんだがね」

 彼女が着ているドレスは首元があらわになっており、顔には出さなかったが呪いの印が無い事に対する彼の驚きは相当なものがあった。

「フフ、それは間違っておらぬよ。妾の力では未だにどうにもならん。だが、……友が出来た。――妾を、真に受け止めてくれる存在がな」

 話しながら何かを思い出したのか、少女が再び微笑む。今度の笑みはティモシーでも一瞬気を取られるほどのものだったが、同時にそれどころではない危機感も覚える。

「っ! まさか、同種のっ!!」

「そうであればあるいは良かったのかもしれんがのぅ……。だが何にせよ、我が力と共に立てる実力の持ち主なのは確実よ。そう、妾とあの者はまさに番い(つがい)と呼ぶに相応しい」

「……その退職届をわしが受理するとでも?」

「ガディーグリン殿の度量の広さは大した物じゃ、今までのこちらの勤務態度を鑑みて寛大な采配が下るのは確実かと。ああそうそう、退職金は特に要求せぬよ。我が家の家財道具やら何やらを、全て持って行くなり売り払うなりさせてもらったんでな、それで十分。スッカラカンになった家の管理はそちらにお頼みしよう」

 好き勝手言ってくれる。しかし目を細め嬉しそうに話す彼女は、それを当然と思うだけの自信も溢れさせていた。

 不味いかもしれない。少女自身が単独で呪いを打ち破ったとは思い難い。なのに解呪に成功したという事は、彼女が言う通りデーモンに類する何かが助力した可能性が高いだろう。

 仮にそうだとしたらそれは単独か? それとも複数か? 何より――――本当に出て行くだけで済ませるつもりなのか?

 どう考えても問題無く進むとは思えない事態に、彼は何を優先すべきか考える。そしてしばし思い悩んだのち――

「あい分かった、その話受け入れよう。ただ最後に一つだけ頼まれてくれんか?」

 そう言いながら懐に手を入れいくつかの人形を取り出し、それを周りにばら撒き2,3言呟いた。すると人形がムクムクと大きくなり、オートマータの兵士となってティモシー達を守るように立ち塞がる。さらには聖堂の奥からも何体か現れ、その数は十数体にもなっていた。

「君のおかげで揃える事が出来た無機の戦士達だ。だがまだ十分な性能テストが出来ていなくてね。よかったらその相手をしてくれると助かる」

 かなりの威圧行動ではあるが、あくまで彼が選んだのは交渉だった。

 本当にこのまま出て行くだけなら兵をけしかけるつもりは無いが、もし後ろに悪魔の群れが潜んでいて報復を考えているなら、この場でたった一体でもその数を減らさなければならない。

 そもそも話を続ける中で出来るだけ真意を推し量るつもりでも、相手は人にとって悪そのものだというデーモンの娘だ。まずこちらも力が有ることを見せねば、侮られその意を全く表面に出さないだろうと考えたからこその威圧である。

 そして生物としての基本スペックが人間と全く違う悪魔ならば、こちらの小さな小細工など気にせず「衝突回避」か「徹底抗戦」のどちらかになるとティモシーは読んでいた。





「ふっふ、ふふふフフ、ふはっ、ふははハハはハハハっ!」

 そんな彼の考えを裏切るように、少女はおかしな笑い声を上げる。

 彼女が現れる前にドアの先から感じたあの巨大な気配が、笑い出した其処からまた滲み出してさっきまで惚けていた者達を震え上がらせた。

 しまった、これは読み違えてしまったかっ!? 彼がそう思うのは無理もなかったが、この後どう繋ぐべきかをそのまま必死に考えるのはあまりにも無駄な努力と言わざるを得なかった。

 何かを迎える様に両手を掲げ、ゆっくりだがくるくると回るその姿から読み取れる物など在りはしない。見開かれた目は彼女のステキな心境を表している。



「堪らぬ、堪らぬぞっ! この状況っ、シチュエーションッッ!」



 だって彼女は――



「猛々しい暴力に囲まれた姫っ、まさに大ピンチっ! 絶体絶命っっ!!」



 ――恋する少女、今が旬の超乙女だったのだから。



「アアッ、ヌレテシマイソウッッ! おいでませっ、おいでませっ!! 妾のもとにっ、妾のナイト様っっ!!!」







『エ イ ヤ ァ ー ッ ッ ッ !!!』







 開け放たれているドア、その上に位置している大きなステンドグラスを盛大に蹴破ってそれは現れた。

 ドラム缶をブッ飛ばすのがとっても似合いそうな飛び蹴りの形のまま、彼女と十数もの人形兵の間に降り立った「それ」。地面に着いたときに取った膝立ちの姿勢から、同時に伏せられていた顔がゆっくり持ち上げられる。

 そこにつけられていたのは仮面だ。そう、後ろに立つ可憐な少女、ユナが裏仕事の時に被っていたあの仮面である。



『俺ガ相手ニナロウ。何体デモ掛カッテ来イ』



 飛び散るステンドグラスの破片が光を乱反射し、妖姫が望んだであろう騎士とのステージを創っていた。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 ハイ、武神流のアレです。さして長く描写した所でもないのに、妙に楽しかったです。見事に空気をブッ壊してくれるw

 途中野宿セットを揃えてるような部分がありましたが、あれは作者がTRPGのキャラメイクをする時に小道具までいっぱい買うのが好きなせいです。TRPGに限らずリュックにどう荷物を詰め込むかなど、如何にして限られたスペースをコンパクトに、魅力的にするか想像するのが楽しいと言うか何と言うか。買う訳も無いキャンピングカーのサイトを眺めたりも……。

 次はまた大規模な戦闘です。作者はボクシングが好きで基本技含め結構ひいきしちゃってますが(しかも股が微妙に硬いという久々のアマチュア素人設定のせいでキックが……)、皆さんはどんな格闘技が好みだったりするんでしょうか? 何となく漫画とかで近代合理主義タイプの格闘技が、東洋&中国系格闘技にボロクソにされ過ぎなのは哀しいです……。



[9676] 11話 修正2
Name: 鉄腕28衛門◆9e4cac5f ID:3ee6fbf0
Date: 2010/02/23 00:55
「最も大事なのは『見せつける』ってこと。だから二人ともとにかく派手に、印象的に振る舞ってちょうだい」

「うむ、了解した」

「それで……これですか」

 ユナが聖堂を訪れることになる日の夕方、トウガ達三人は街の外で晩餐兼作戦会議を開いていた。

 形としては人々から怪しまれないように、昼過ぎにちゃんと守衛達の目の前を正規の方法で出発している。だがその後は脇道にそれ街から少々離れた所で人目につかないように留まっていた。僅かでも関係を嗅ぎ取られる可能性を下げる為に、トウガはこの前日に一人で先に出るという念の入れようである。

 結局三人共こうして無事に街から離れられているのだが、恐れるべきことは残っている。繁栄の為にデーモンの少女でマッチポンプを行っていたのだ、転居が上に知られたら遠く離れても秘密裏に処理に掛かって来ないとは限らない。だがレシャンの調べを基にした推測では、街の上位の人間でも極僅かな者しかこれに係わっておらず、そこに狙い目があった。

 そもそも利益を求めやっていたのだから大きな損失を出しかねない無理な追撃は出してこない事、そしてメンツの意味では表立って知る者がいないので仕掛けた側が矛を収めればそれ以上の問題は起きないという事。

 この二つの要素が絡み合った時にユナ側が「こちらに怒りによる報復の意思無し」としっかり表してかつ、トウガが悪魔に扮するなど背景に強力な仲間の影を匂わせれば禍根は断てると考えられるのだ。

 僅かに恐怖に駆られ付け狙う者が出る可能性が無いとも言えないが、それはある程度覚悟している。ただそんな者が2,3人いても組織立って動けないならさして脅威ではないし、わざわざ人に知られないように街を離れた分、後から個人が調べても痕跡を辿られる心配はあまりないだろうと思われた。



「変装……か。それは構わないけどこの面、どうやって付けるんだ? 紐も何もついてないとは……」

「吸い付くようになっておる。顔にそのまま押し当ててみ」

 こちらに係わるのは割に合わないぞと思わせる為に、トウガには仮面を付けて多少暴れてもらう事になっていた。当然そこには戦闘があることも考えられる。下手をすればユナを相手した時以上のバトルになるかもしれないが、レシャンからの今回の依頼料は前より随分抑えたものとなっていた。

 以前はトウガの力を詳しくは知らず、かなり無理をさせるかもしれないと思ったからこその額だったが、今回は彼なら能力的に出来ると考えそれを考慮したうえでの値を提示したのだ。節約したいのは事実だが、過小評価した数字ではないとも彼女は考えている。

『お、ホントだ。すごいけど変な感じだコレ……声も変わってる?』

「好きに変えられるわけでもなし、その見た目ゆえ誰かを騙るなども出来はせん。まぁ怪しまれつつも誰か分からんというのが正しい使い方よの」

 トウガの方はその金額に一発サインである。彼は貰える物は遠慮なく頂く人間だが、これから付き合いが長くなるかもしれない人達、しかもそれが見目麗しい女性二人なのにがめつく交渉するほど強欲でもなかった。

『コーホー……コーホー……』

 いわゆるボイスチェンジャーで歪めたかのように聞こえるので、多少喋ってそれを確かめながら仮面の中の視界をチェックし、辺りを色々見回している。

「妾はこれか。……真に綺麗なドレスじゃ、このようなことに使うのが勿体無い」

「きっと似合うわよ、ユナちゃん」

『ええ、彼ならやるかもしれないと思っていました』

「以前はあまり気にせなんだが、今はそう言われるとなんとも嬉しいことよな。くく、差し詰め今の妾は迎えが来て旅立つ悪魔の姫、というところか」

「ふふふ、それなら私はその乳母あたりの役どころになるのかしら?」

『ルーク、私がお前の父だ!』

 ドレスを手に笑いあう二人に背を向けて、トウガが何かやっていた。顔が見えず声も変わると人は何をしでかすか分からない。

『私とお前の力を併せれば、シスの暗黒卿とて「ねぇトウガ君……、ユナちゃんがこのドレス着たら……すごく綺麗だと思わない……?」

 はっと彼が振り向くと、レシャンが薄い笑みを浮かべている。こめかみに青筋を立てているように見えるが、きっと気のせいだ。そうに違いない。そうでないと怖い。

 キュポン

 仮面を取ると気の抜けた音が出たがそんなものは無視しておく。トウガはユナの顔を窺いながら声をかけた。

「ぅあ、ぁうん。似合うと思う、よ。ホント」

「……ありがとうの、トウガ。それが例え世辞であろうと、妾には比類なき賛辞の言葉じゃ」

(……もしかしてやっちゃった?)

 現代の娯楽に飢えていたところに、急に懐かしい遊びを思い出させる物が出てきたので少々羽目を外してしまったトウガ。しかし慌ててフォローをしてもユナは抑揚の無い言葉と儚げな表情で僅かにうつむき、彼は次に如何すべきかワタワタと混乱していた。

 上手いセリフでしのげばむしろ好感度UPのチャンスだったのにっ!、などと考え微妙に身悶えしてさらには「そんなシャレた技術あるわけないっす」と小声で愚痴るダメっぷり。

 もっとも、ユナの方もその顔とは程遠いことを考えており――

(にあうニアウNIAU…………っっ似合うとな! つっ、つまり妾がこれを着た姿を想像しそれを褒めてくれたという訳でそれはトウガが少なくともこちらに好意を持っていることを示し将来的に――ふ、ふ、ふた、ふた、ふたたたたたふた、二人っは――)

 妄想が暴走に至りかけるが、なんとかそれを表に出さないように顔面の全筋肉を固め思いっきり表情を作った結果、微妙に儚さがかもし出されるというあり様だったのである。



「…………ともかくっ! ユナちゃんは余裕を持って話を進めること。ドレスも『逃げ出す』じゃなくて悠然と『別れを言いにきた』っていう意思表示の為なんだからね」

 ある種の決戦とも言っていいものを前に何だか気合が抜けまくりな二人を見て、レシャンは腰に手をやり話を戻そうとする。まぁ自分もその流れに乗っかっていたわけだが、馬車で待つ自分とは違いトウガとユナには気を引き締めてもらわねばならない。

「トウガ君はそれを証明するだけの力を持つ『悪魔』として動くことを忘れないで。多少演技も加えてくれると良いかもしれないわ。それと……彼らの前で仮面は外さないように注意しておいて。下手すれば手配書が回る可能性もあるから、顔が割れてない君は正体を知られちゃいけないの。場合によっては依頼を放棄しても構わないわ」

「それについては妾も大いに賛成しておこう。トウガよ、そなたがこれから先、窮屈な生活を送るような事は何よりも避けたい。いざという時は妾を捨て置いてもよい、自分のことを第一に考えるのじゃ」

 レシャンに続けてユナもトウガの事を気遣う。急に掛けられる二人の言葉、それらは彼にとってとても染み入るものであった。これが悪魔を擁するとある家族の逃避行だなどと、一体どうすれば信じられるというのか。

 ……きっと明日の飯は美味いものになる。大丈夫、俺達は、負けやしない。

 気合いを入れ直したトウガは雑談を切り上げ、作戦の確認に戻っていった。



――――――――



 ユナが入り口を大きく開き、それを中からはバレない位置で覗く。彼女一人で片が付くならそれでよし、そうでないなら合図を送りトウガが乱入する。

 それが手筈でありトウガはユナの合図、「立ったまま回る」を確認するとすかさず聖堂に向けて走り出した。開いたドアから問題無く入れるだろうがそれでは初っ端のインパクトに欠けると判断し、何かないかと一瞬考える。そんな彼の目に留まるものは――あった。

 こうした経緯でドアのかなり上にあるステンドグラスをわざわざブチ破り、トウガは戦場に登場したのである。

 彼は敵を確認すると軽く挑発しながら立ち上がる。その様子をティモシー達街の重役は見ていたが、突如現れた怪しい男の全容を確認すると警戒レベルを上げざるを得なかった。

 顔を仮面で隠しているが、あれはそもそも「正体不明の影」としてユナに動いてもらう為にティモシーが用意した物だ。嫌味のようで幾分苦い表情になってしまうが、さらにその男は上半身が裸、下半身は赤褐色のズボンで褐色の肌と併せてかなり夜に溶け込んでいる。

 格好だけなら奇天烈という程度で済むかもしれないが、凄まじい跳躍力や正反対の印象を与えると言ってもいいドレスの少女の前に立つ姿が、組み合わせの妙もあってかやたら危険なイメージを放ちまくっていた。



 一触即発の空気が流れるが、その中で余裕をある佇まいに戻ったユナは微笑みと共に呼びかける。

 彼女の先程の行動は、事前に考えていた事と心の赴くままに動こうとする部分が組み合わさってのものだった。だがそれを一瞬で切り替えて行動出来るとは、見事な意志の強さと言っていいだろう。

「皆様方、我が騎士がその者達の相手をしてくれるそうじゃ。彼等のために場所を空け、我々は見物に回ろうではないか」

 そう言うと一人で壁際に向かい自分は動かない姿勢を見せた。くるりを振り返ると壁が近いが、寄り掛かったりしない綺麗な背筋である。そんな彼女を見ても、未だ固まったティモシー達はなかなかすぐに動けない。

「妾は戦わぬよ。心配なら何体か護衛にしておけばよかろ? まぁ多人数で動くことが前提で、これを半分にしただけでまるで話にならん木偶人形なら仕方ないがのぅ」

「ふん、いいだろう。そやつが自ら志願したなら、こちらもみっともない数で押すのは心苦しいからな」

 ティモシーはなんとか強気を出し仲間を奥へ行かせると、オートマータに命令を出して約半数を自分達の守りに付かせた。それでもまだ十体近く場に残ってはいたが、先程のやり取りは皮肉り合いのようなものであり、これ以上数を減らすのはさすがに出来ない話だという判断を彼は下した。



 闘いのステージを確かめるようにいくらか周りを見てから横に顔を向けるトウガ。ユナは余裕の中にいくらか彼を心配するものを含んだ表情を見せながら頷く。

 トウガとしては状況判断で彼女に戦闘の始まりを確認しただけなのだが、仮面で顔が見えず「潰していいのだな?」と余裕ある態度に映り、まだ若い執政者の何人かはごくりと息を飲んだ。

 何となく自分から動くのは躊躇われたので、登場した時のように仮面の変声機能に加えてさらに声色を変えるという演技も入れつつ声を上げた。

『……先手ハクレテヤル。サァ人形ドモ、動クガイイ』







 弾かれた様にオートマータ達が動き出す。それぞれ得物は大剣や斧、槍など違いはあったが共通した装備として弓、もしくはクロスボウを背負っており、彼等は先制攻撃に飛び道具の一斉射撃を選んだ。一人の敵に対し十体近い数での接近戦は、息の合った連携が出来ないとそれほど効果的ではないので、最初の一手として有効な戦法と言えるだろう。

 だがトウガにもそれは読めていた事だ。彼の知る映画などでも、距離があり複数で攻める時の「まず飛び道具」は常套手段と言えたからである。

 弓やクロスボウの準備に続けて矢を取り出しそれをつがえるところまで確認すると、トウガはすかさず貫き手のように固めた右手を床に突き刺した。手首まで完全に埋められたそこは、落ち着いた色合いの大理石に似た床板のちょうど継ぎ目であり、そのまま厚みがあるそれを指が食い込む程にしっかりと掴ませる。

『ヌゥォオオオオオッッ!!』

 メキメキと尋常じゃない音を出しながら石壁と言ってもいいそれが持ち上がっていく。そしてほぼ同時に人形兵達から矢の集中砲火が放たれるが、強固な盾を得た彼はその下に潜り込んだ。

 矢の多くは弾かれわずかに刺さった数本も貫通せず無事に嵐をやり過ごすと、すかさず立ち上がり今度は右手だけでなく左手も使い、岩石のような床板を完全に持ち上げようと試みる。

 ちなみに……実はこれがとんでもなく重い。一辺が約1,5mもある正方形であり、さらに厚みが5cm程のこれを大理石で考えた場合、その重さは約300kgにもなり、端の方だけを掴んだ状態で全体を床から引き剥がすというのはとてつもないパワーが要求されるのだ。まぁもっとも――



 ――そんな発想を当然として扱う彼でなければ、こんな場所には立っていなかっただろうけれど。



 男は勢いよく石床を引っぺがすと両手でしっかりと抱え込む。そのままフラフープを回すように体を大きく捻ると、雄叫びを上げそれをオートマータの一団にお返しとばかりにブン投げた。

 フリスビーが飛んでいくのを見送った、そんな気分でいられたのは投げた本人だけだ。100kgを余裕で上回る物体が高速回転しながら宙を舞う様を見るというのは、例えその目標が自分でなくても背筋が冷たくなるのが普通の反応である。ティモシー達は敵の力の一端を見せ付けられる思いであった。

 矢を放った直後に再びつがえようと準備し始めたオートマータ達は、こちらに向かってくる脅威に反応しそれぞれ飛び退き難を逃れようとする。だがその内の二体は逃げ切れずに直撃し、石床と壁の間に押し潰されて活動停止になってしまった。トウガは仮面の下で「良しっ!」と小さな喝采を上げる。



 敵が体勢を崩している今がチャンスだと言わんばかりに、彼は最も近い人形兵のところまでダッシュで距離をつめた。そしてまだ立ち上がりきっていない相手に容赦の無いチョッピングライトを叩き付ける。凶悪な打ち下ろしは肩口に入ると強引に膝を曲げさせ、そこから立ち上がることを許さない。

 敵の数が多いのでコンパクトかつハードな攻撃をもって目の前の敵を仕留めようとすると――実にイイ位置に頭があるではないか。トウガはオートマータの頭を両手で鷲掴んで動かないようにしてから僅かに自分の右脚を引くと、そのまま小さなモーションの膝蹴りを炸裂させる。ゴシャッと顔面を潰す嫌な音が聞こえるとさらに二回、合計三発のマシンガンニーリフトによる確実な破壊が行われた。

 もし中におミソが詰まってる生命体にこれをかましたならかなりグロいシーンになっただろうが、今はそれを気にする暇も無い。壊れた人形を手放し息を整えようとするトウガの横腹を衝撃が襲った。別の一体が両手持ちのバトルアックスで横薙ぎを仕掛けたのだ。

 痛みと衝撃によろめかされるが声は上げず何とか振り向く。すでに振り被っていた二撃目を確認したのですぐにクロスアームを組んで防ぐが、見た目にたがわぬその威力は彼に手番を譲らない。それを好機と見て2発の薙ぎ払いに続けて特大の唐竹割りをも喰らわせようとするが、さすがにそれは甘いと言うしかなかった。

『キャリオカァッ!!』

 あんまりな大振りを前に、トウガは一転して踏み込みからの強烈なハンマーパンチをブッ放す。そしてストッピングパワーの大きな右の一撃は、見事に敵の攻撃動作を押し止めたのだ。まぁこのオートマータの大振りも、並みの生物が相手なら弱っている状態へのとどめとなったのだろうが、生憎この男は常識とは掛け離れた存在だったわけだ。

(ワンツー、スリー)

 左右のジャブ&ストレートから続けて左のボディーアッパー。きれいに入ったコンビネーション、その三発目で弧を描くように吹き飛ばし相手を黙らせると、次の敵を想定した彼はすぐに周りに意識を向ける。

 他のオートマータ達はまず包囲することを考えたのかすぐには襲っては来なかったが、気が付けば完成していたトウガを中心とする陣形は、それだけで彼の心に重圧を掛けていた。







(トウガッ…………)

 一見して余裕を持って戦いを見ているユナだったが、その内心は全くの逆である。むしろトウガに害をなす全てを容赦無く虐殺してやりたいという激情に駆られていた。

 前で組んだ両手は恐ろしいほど固く、血の気が失せて白くなっている。猛る想いをきつく縛っているからこその力みだが、それを解放しては全てが無駄になる。友も叔母も自分のために動いてくれているのだ、この程度の自制が出来なくてどうするというのか。

 唯一つ慰めとなるのは、眼前の戦いでトウガが負う怪我も自分の為に出来るものだというその事実。彼が傷付くと胸が苦しくなるが、それと同時に甘い何かをユナは感じてしまっていた。その奮闘も妾の為に……、歪んでいるかもしれないこの気持ちが自分を踏み止める最後のブレーキ。

 彼に怪我や余計な敵を作って欲しくないのは本気だけど。彼に自分を護り闘って欲しいのは本音だけど。どちらも間違いなく自分の本当の、真実の気持ちではあるけれど……。

 彼女は改めて自分の表情が崩れないように仮面を作り直した。そう、トウガが目に見える仮面を付けている様に、ユナも誰にも見えない全てを隠す仮面を付けているのだ。







 囲まれたトウガはあまり動かず周りを窺う。堂に入った構え……にも見えるがその実、彼の内心はバクバクものであったりした。

 怖い、怖すぎるぞ。仮面のせいで視界が多少狭まっているのもあり、はっきり言って死角が大き過ぎる。漫画や時代劇で雑魚相手に大立ち回りを見せるシーンを実際にやってみると、そのとんでもないプレッシャーに泣きたくなった。

 そんな彼にはお構いなしに包囲網の前後から二体が抜け出し襲い掛かる。

『うわ、来た』

 つい情けない声を出してしまったが、周りには聞かれない程度の小声であり一応問題は無い。気が引き気味のときに向かってこられたのでトウガは横に大きく動いたのだが、その行動が後ろからの攻撃を避ける事にも繋がった。背後からも来ていた事を知るとヒヤヒヤしてしまうが、二体をちゃんと視界に収めるのを第一にどうにか対応しようとする。

 二体はともに武器を持っていないが片方は手の先、もう一方は足の先が太くボーリングのピンのようになっており、あからさまに格闘戦用の個体だと見て取れた。トウガと接触するとそれぞれの凶器であるパンチとキックで攻撃をしてくる。しかし何より厄介なのは、その二体が意外にしっかりした連携を取っている事だ。

 一つ一つ反応して受け止めるなどトウガには到底無理だが、そこは強固なガードでなんとか対応する。大きな一発がないので、防ぎ切れなくてもそこまで怖さが無いのがせめてもの救いだ。それでもやはり蓄積するダメージは無視出来るものではないのだが、包囲網を維持したまま動かないオートマータ達の存在は大きな圧力であり、そんな周りが気になってトウガはうまく攻めに移れなかった。

 焦りの中、半端な反撃をかわされ逆に鳩尾に太い前蹴りを直撃で貰いグラついてしまう。そこをもう一体の連撃が追い打ちで仕掛けられ、悪態をついたトウガは一旦大きく距離を取る事にした、「上」に。

 大きな屈伸で天井まで飛び上がり、出っ張りを右手で掴んだ彼は一息つく。そんな事をすれば余計体力を使いそうにも見えるが、小さなナットに掴まったまま短編小説を一冊気軽に読み終えられる程のイカれた指の力を持つならば、これでも十分な休憩なのである。一応戦場の全てを把握出来るしこの行動に意義が無い訳ではない、……また矢を射られる可能性はあったのだが。

 だが敵もさるもの、拳兵が下、蹴兵が上になり両者の力を合わせてのジャンプ、そこから攻撃というトウガも驚く荒技を出してきた。人間ではないのに、いや、だからこその驚異のコンビネーションか。

『っっ、しつこい!!』

 空中での前方回転踵落としは綺麗な円を描く動作であり、パッと見では何を繰り出そうとしているのか判りづらいものだったが、それでもトウガは気合で見抜いた右足の一撃を左手で受け止める。が、さすがに下側にベクトルが向いている踵落としを受けたのはマズい。ずるっと出っ張りを掴んでいた右手が外れ、そのまま一人と一体は自由落下の旅を敢行する破目になってしまった。



 落ちる落ちる落ちる、これは非っ常~によろしくない。死にはしないだろうが、このままだとそれなりのダメージとともにドでかい隙を晒してしまう。

 自分から飛んだ挙句、致命的な事態を招くなどと……そんな「恥ずかしい事」させてたまるか、ああそうだっ、そうともさっ!



 させてたまるかっっ!!



 右足を掴んだままの道連れがジタバタしているが気にせず残った左足もガッチリとホールド、これによりトウガは蹴兵と上下反転で同じ方向を向きつつ後ろのポジションを取る形になっていた。当然それに何の反応も無いではなかったが、両脇に足の裏を置き無理矢理に固定させ反撃も逃亡も許さない。後は相手の頭部を真下に向けて地面に着地すれば、相当妙だが変型パイルドライバーの完成である。

 この脳天杭打ちアタックはトウガにさしたる技術力を要求しなかった。必要だったのはこの特殊な状況を創るための筋力、そして相手を上回る手足の筋肉とバランス取りに使う腹や背中の筋肉。そうっ、お膳立てさえ出来ているならば、この技はほぼ圧倒的なパゥワーによって成り立っていると言っても過言ではないっ!





 我は肉なりっ、肉こそ全てっ! 肉への信仰っ、肉との絆っ、肉よ弾けろ解き放てっっ!! 筋肉アーツ、マッスルドライバーッッッ!!!





 正しいは正義?、ノン。可愛いは正義?、これもノン。南斗の偉人も言っているではないか、『力こそ正義!』だと(少々意味は違う)。

 爆音を轟かせての着地は敵を踏み台にすることで大きな隙を生まずに済ませられたが、戦闘はまだ終わっちゃいない。落ちながら僅かに確認できたもの、それは拳兵があえて飛び上がり不意打ち気味の降下パンチを狙っている事。

 対空迎撃、上手くいけば必殺のカウンターが取れるっ! 考えたのかそれよりも先に体が動いたのか、トウガは拳を握るとジャンピングアッパーカットで迎え撃つ。わざわざ自分もジャンプしたのは打点ずらしの為だ。地面にいる人間を殴ろうと振り被って降りて来るなら、こちらからメートル単位で距離を縮めてしまえばむしろアドバンテージは自分のものになる。

 不意を突いて動いた相手のさらに不意を突く、「後の先」とはまさにこの事か。



 吼えるライジング・ドラゴン。昇龍――

『アパカッッ!!!』







 仮面の男のパンチが空中でオートマータの顎を粉砕する。上へ下へと動き回りながらこちらの戦力を撃破していくその姿は、凄まじいの一言に尽きるものだった。男もダメージを負い全く手がつけられないという事はないが、それでも自分のオートマータは並の戦士を数人同時に戦える能力があると言うのに……。

「悪魔とはすごいものだな。しかし……」

 ティモシーは少女の異変に気付いていた。微笑んだ顔は変わらないが徐々に余裕が失われつつある。なかなか上手く隠しているが、生憎と自分はそうした仮面の裏側を覗く仕事を何十年とやってきているのだ。その経験で小娘に負けるはずが無い。

 少女は……焦っている? いや、ハッキリとそう読み取った訳でもないし、焦ると言うなら一体何に?

 思いを巡らせるうちに、彼はある一つの考えが当てはまる事に気付いた。だがそれは簡単に信じてはならないもの、安易にそれと決めつけるなど自らの立場であってはならない事だ。

 だからもう少しだけ時間が要る。そう、事実を見極めるだけの時間が。







 大分その数を減らし、あともう少しとトウガが感じたところで大物がやって来た。オートマータは武器だけでなく防具も一揃い身に着けているが、こいつだけそのランクがかなり違う。レザーアーマー等とは比べられない値段であろうプレートとラメラーの複合アーマー、そして手にするは太く凶悪なグレートソード。図体も大きく武具に見合ったパワーを誇ると思われたが、タイマンなら負けないと意気込みトウガは大きなストライドで近づいた。

 鋭いフロントステップに対して咄嗟に大剣よりも出が早い右足の蹴り上げで応戦してくるが、やはりこの重装兵は見た目通り先程までの奴等よりは動作が鈍い。ノッているトウガは左の肘と膝を前に出してしっかりガードすると、すかさずボディーに右のダブルを叩き付ける。だが当たった部分の鎧は押し潰したものの、敵の動きにあまり変化は見られない。

(浅かったか?)

 まぁ鈍い分タフなのはむしろ当然とも言えるか。なら2倍、3倍と攻撃を加えればいいだけの――

 ガガツンッ

『ゴッ!?』

 突如彼の背中に複数の矢が射られた。刺さりはしないがかなりの威力が出たであろうクロスボウで撃たれ、しかも完全に予期していなかったので痛みとともに前方への集中を激しく乱してしまう。

 予想外である。もともと近接戦闘中なら誤射の危険を避けて飛び道具の類は使ってこないというのがトウガの想定だったのだ。それが当たっているかどうかはともかく、実際に最初の一手以後に矢なんか飛んできてなかったのに。

 なら今になって何故か。 ……トウガはまだまだ戦闘の経験が浅い。「~~だからしてこない」は別におかしな考えではないが、前提が変わったならそれが崩れている事も予想してしかるべきなのだ。今回の話で言えば「相対する敵が重装のオートマータで全体的にこちらが押している。残りの兵も含めてリスクを恐れない攻めを展開してくるかもしれない」という仮定を、経験豊かな戦士なら出来なくはなかったはずだ。

 そもそも怪我を恐れるのかも分からない敵を生物のように考え、他の可能性を捨てているのが何よりも甘いと言えた。

 そして、その甘さに対する反撃が行われる。



 後ろから押され重装兵とほぼ密着したところで、ゼロ距離からの腕力だけのパンチがボディーを襲う。それにより距離が空いたと同時に一番喰らってはいけない一撃、縦に両断する大剣の大振りが左肩口にブチ込まれた。

 パンチはさして強くない繋ぎの一発だったが、人間を超える力での斬撃は強靭なトウガに刀傷をつけ、さらには片膝を着かせるほどのものだった。傷自体はそれほど大きくなかったが、防御力上昇の恩恵を受けているトウガは見えない甲冑を身に着けていると言ってもいい存在であり、その甲冑を切り裂く、いわゆる「斬鉄」に匹敵する一撃は刀傷の大きさに比べ、内部にかなりのダメージを与えていた。

 重装兵は止まらない。位置が下がった頭部に向けて、先程は外した蹴り上げをもう一度仕掛ける。そして顎につま先が当たりもんどり打ったトウガは頭から落ちたが、彼は受け身を取ることも出来なかった。さらにキックではなんとか大丈夫だった仮面も、続けての地面との接触で外れてしまっている。

 目の前のオートマータにもティモシー達にも背中を見せる形でうつ伏せに倒れたので顔は見えていないが、地面に横たわるその姿は死んだと言われて信じてしまいそうなほどのものだった。





 トウガ、トウガ、トウガ、トウガ、トウガトウガトウガ―ウガ―ウガ―ガ―ガ、ガ、ガ――――ガチ

 ガチ、ガチ、ガチ、ガチ、ガチガチガチガチガチ――――――

 口の震えがさっきから止まらない。だがその震え自体にも今のユナは気付いていない。

 トウガの体が殴られる、蹴られる、斬られる。やめろ、妾の大事な人をこれ以上傷付けるな。

 一時は感じた高揚感などもう欠片もありはしない。すぐにでも飛び出したい、駆け寄りたい、泣きじゃくりたい。こうして我慢しているのは今後の幸せを考えてのことだったが、理性で押さえつけるのももう限界だ。もう無理だ。

 限界を超えたらこの場にいるトウガ以外の無事は保障出来ないが、それではここまでの頑張りが無意味になってしまう。トウガの強さは何よりも信頼している、それでも……。

 我慢……我慢……我慢……………………あ、ダメだ、やっぱり皆殺「バカか、俺は」





 わざわざ新調した装備もつけず来たのは怪しいイメージを出す為と、今後どこかの地でその格好を見られた時に関係性を薄くする為の二つの意味があった。だがどちらも絶対に必要な要素だったか?

 印象付けならこれだけ戦えば十分に出来ただろうし、この街の人間と意図せず偶然出会う可能性なんてどれ程のものだというのか。第一、それらは完全装備でこの戦いに挑むよりも大事なことだったのか?

 まただ、また俺はナメてた。ハーフデーモンのユナとやり合えたからって、冒険者歴一ヶ月未満の俺が万全の状態で戦うことさえ怠った。

 だから、今のこの状態は当然の報いだ。……反省は後にしろ、まずは切り抜ける。どんなに無様でもだ。



 誰にも聞こえないような小さな呟きだったが、それは確かにユナの耳に届いていた。彼女は残る理性を総動員して踏み出したがる足を押し止める。

 トウガは上半身を起こすと四つん這いのまま口に溜まったものを吐き捨てた。口の中を切ったのか真っ赤なものが混じっている。そのまま外れた仮面を手に取ってつけ直し、さらにはすぐそばに転がっていたオートマータの残骸も掴む――まだ終わっちゃいないぞ。

 倒したと判断したのか剣を下ろしていた重装兵が再び警戒態勢を取った。構えを解いていた判断を甘いと見るか調整不足と見るか、はたまたトウガが異常なのか。

 彼は膝を着いたまま、振り向く勢いで時計回りに壊れた人形を振り回す。それは右側面を守るように重装兵が構えた大剣の腹で受けられたが、防がれたように見えて実はトウガの思惑通りの行動でもあった。狙いはアーマーの押し潰され穴が開いたボディー部分。全力で振り向いた体を無理矢理止めると、トウガは音が出るほどに歯を食いしばる。

 武器として使われたオートマータの残骸は叩きつけられると同時に粉々になるが、それは見る者ほとんどに恐ろしい何かとして映った。



 完全に終わったと思わせる斬撃を喰らってもなお動き、さらには人体を模した人形兵が砕け散る光景はまさに悪魔でなければ生み出せない。――そうだ、目の前の「アレ」は悪魔なんだ、そうじゃないと説明など出来るものか。

 事情を知る者、知らない者、どちらにも等しくそう思わせる存在。ならば、「アレ」が今また繰り出そうとしているパンチは、悪魔の拳に他ならない。

 膝立ちから立ち上がり途中の右フック、悪魔の拳――魔神拳。

 三度目のパンチも重装兵の腹の同じところに吸い込まれた。しかも今度は中身が露出しており、見事なクリーンヒットである。内臓の有無など関係なく痺れたように敵の体がグラついているのを確認し、もう一度だけ作られるトウガの拳。そして大きく振り被った右腕に渾身の力が籠められ、がら空きの顔面にとどめのメガトンパンチがめり込むのであった。







 ゴム鞠のように跳ね飛んだオートマータを見送りティモシーはようやく結論を出した。

 もっと仲間がいると見るには仮面の悪魔の奮闘ぶりはおかしい。それに少女の様子もやはり表には見えずとも妙なままだ。つまり――

「ご苦労、そこまでとしようか。オートマータの能力は十分に計れたからな。ありがとう」

 ――つまり彼等はこちらと交渉する為に一芝居打ったわけだ。彼女が友を得たというのは真実だろうが、少なくとも戦える人物は目の前の男一人。それ以上の何かはブラフに過ぎないと思われる。彼女の焦りに見えた様子は、ようやく出来た友を心配する心が滲み出したものだったか。

 ならばどうするか? 決まっている。彼等を行かせてこちらはもう手を出さない、それで終了だ。

(わしは正しく支配者でありたいのであって、大馬鹿のサディストになるつもりなど無い)

 オートマータは安くない、これ以上損害が大きくなるのは勘弁して欲しいし、少女まで加わり死力を尽くして暴れられるなど百害あって一利なし。報復が来ないなら相手をする必要もない。しいて言うならこの場はこれで終わりとして、今後に備えオートマータの配備に尽力するのがベストだろう。

 彼が手を上げるとオートマータ達は構えを解いた。ユナはやや訝しげに、トウガは仮面の下で呼吸を荒げ肩で息をしながらティモシーを見る。

「……ご満足頂けたじゃろうか」

「ああ、この上なく。君の退職届も確かに受け取った、わしが後の責任も持とう」

「ほう」

「……支配者は愚か者には務まらん。わしはな、ハッキリ言えば君達の去就などどうでもいいのだよ。それがどういう結果をもたらすか、損か得かで判断する。そしてその損得とは数字だけではない、人の心も勘定に入れて初めて成り立つものだ」

 ユナは彼が何を言おうとしているのか履き違えないようにしっかりと耳を傾ける。

「感情論とはまた違うがね、どんな要素も含めろという意味だ。ああ、感情論が悪いと言っているわけでもないよ。アレは手段の一つだ、手段に良いも悪いもあるものか」

「なるほど、ティモシー殿が何を言いたいのか理解した。ならばこちらからちゃんと宣言しておこう。妾達はこの街に今後一切何も係わる気はない、と」

 お互い懸念事項が残らないでは無いがここが落とし所か。

 ユナにとってティモシーの急な話は少々の疑念を持たせていたし、逆に彼も少女達の背景を嗅ぎ取ったのはあくまで自分の経験であり確定要素ではない事が僅かな不安だった。だが双方それでも問題無いと判断できるものであるのも間違いない。

「それでけっこうだよ。……さ、用が済んだならさっさと行きたまえ。わしはこの聖堂の修復費や今後の資金繰りにまた頭が痛くなりそうだ」

「確かにもう長居する理由もありはせんか、了解した」

「おっと、最後に一つだけ聞いていいかね? わしがまた君のような誰かに仕事を頼む事があったとして、それについてどう思う?」

「前任者からはその者にご愁傷様とだけ。まぁ良くは思わんがこちらに関係ないなら好きにせい。今は自分の幸せを考えるのに忙しいのじゃ。妾のように、誰ぞ救いの手が伸ばされる事を祈っておいてはやろうかの」

 少女は相方に小さく頷くと入ってきた時と同じように美しく、それでいて優雅に入り口から出て行った。仮面の男は全身に傷を負いながらもたぎる力を保ったまま警戒するように周りを見て、先に出た少女を追いかけていく。そうして完全に二人の姿が見えなくなると、僅かに静寂な間が出来たが誰かが息をはいた瞬間その場の空気が変わり、残された皆は急激な疲れに襲われ始めていた。

 呆ける者、腰を下ろす者など様々な動きがある中で彼は小さく呟いた。

「ふむ、わしが言うのもあれだが……若者達に幸多からんことを」







「トウガッ! 大丈夫なのかっ、トウガッ!?」

「まだ戦う力は残ってる、けど正直休みたい。……ナメ過ぎだろう、ホントに俺って奴は……。もっと強くなりたいよ」

 人に見つからないように動き、さらには屋根の上を使い街を覆う壁を飛び越える。あらかじめ調べておいたルートを駆け抜け街の外に出て、さらにある程度離れたところで二人はやっと言葉を交わした。ユナはすぐにでも声を掛けたかったが、あと少しだからという気持ちで我慢していて、今はその分声に焦りが表れていた。

「そんなことを言うなっ。そなたは十分強い、他の誰がどう言おうと妾が否定させぬっ!」

「ぉぉ、ありがと。別に自分が弱いとか思いやしないけど、伸ばせる部分が分かっててそれを全然生かせてないのが……どうも、ね。それよりこれで問題ないのか? 途中からあのオッサンと何を問答してんのか、俺あんな状況だったしイマイチ把握出来てなかったんだけど」

「……うむ、それに関しては問題無い。100%スッキリとは言わんがあれ以上ともなれば、それはそこらに存在する潜在的な危険を気にするのと同じレベルの話となるじゃろう。そなたは間違いなく依頼を完遂した、妾が保障しよう」

「そいつは良かった。なら早いとこ合流しよう、レシャンさんが待ってる。それと着いて怪我の治療したら、悪いけど馬車の中でそのまま寝かせてくれ。さすがに今馬車の隣を一緒に歩くのは無理です」

「分かっておる…………ぁぁ、分かっておるとも……」



 早く横になりたいのかトウガは先に走り出した。ユナもすぐにその後を追うが、おかげで涙声になりかけた彼女の言葉は聞かれていない。

 後ろには住み慣れた街の外壁が見えているけれど、それは段々と遠ざかっていく。今まで生きてきた年数の約半分、記憶にある部分で言えば大半はあそこに居たのだ。でも、それもこれで最後。本当に最後。

 一月前にはこんな事想像もしなかったのに、驚愕の展開とはあるものなんだなぁと思う。でも大事なのはそこじゃない。

 これから先、自分が進む道が光り輝くものだったら、それは確かに嬉しい事だとも思う。でも大切なのはそれでもない。



 彼と一緒に歩くという事。それだけで、例え真っ暗の深淵だろうと自分は生きていける。そうだよ、自分はデーモンなんだし、彼とさえ居られれば恐れるものなど在りはしない。

 だから、今、ほんの少し感じる寂しさは置いていこう。――さぁっ、急いで彼を追いかけなければ! トウガと進むと決めた、なら今並んで走りたいと思うのは当然ではないか。



「こりゃっ、トウガ! 待たぬかーっ!!」



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 時間がそれなりにあったので、(自分としては)比較的早く続きを更新です。感想が増えて後押ししてもらった感もありました、ありがとうございます。

 ようやく舞台が変わる事とかよりも、ユナが書きやす過ぎる点がちょっとビックリです。ポエム調になっても(ヤン)デレてる人だと何故かあまり気になりません。

 今回泥臭い戦闘の中で、ミスター筋肉の人の技がやっと出せました。ただそこまでのプロセスが複雑過ぎる……。他にはザ・対空技なども出てますが知名度的に魔神拳は分かりづらいでしょうか? 個人的には「鉄拳4」の頃、空中コンボで3割いけば十分だったのに余裕で5割持っていく爆発力がすごく印象的で好きでした(今はそうでもないし、そもそも使ってたのは別キャラでしたが)。



[9676] 12話
Name: 鉄腕28衛門◆9e4cac5f ID:3ee6fbf0
Date: 2010/03/30 18:38
 その馬車はパッと見ただけでは誰もが「大きくてスピードは出ないに違いない」という感想を持つだろう。そしてそれは大体合ってると言っていい。

 単純に機能を重視するだけなら小さめの馬車を二台用意すれば、同じ金額で速さも積載量もこれを上回ることが出来る。手の込んだ物や生き物は、標準より少しランクが上がるだけで値がかなり上昇してしまうのだ。大きな馬車、さらにそれを引くために大型の馬を買うのは、金額から見た実用度の点でナンセンスと言えよう。当然、あまり所持金の余裕が無い状態でその選択がされるはずは無いのだが……そんな馬車がトウガ達一行の移動手段だったりした。

 ユナとレシャンがわざわざそんなチョイスをした理由は至極簡単、人手が少な過ぎるからである。

 三人を一台の馬車に配置するだけでも御者台に一人、山賊やモンスターに即応できるよう外に護衛が一人、そして残り一人が馬車内で休憩しながらの待機といったところだろうか。だがこれも最低限の分担であり、出来るなら護衛役がもう一人いた方がいいぐらいなのだ。一台でも手が足りないのにこれ以上の馬車など用意しても扱いようが無く、大きめの馬車1セットという選択を取らざるを得なかったのが実情だった。

 なお「馬車での待機を無くせば」という話は長旅を想定するなら、大体の場合やってはいけない手である。楽に見える御者も車の運転と似たような役割であり、ローテーションで休憩する機会を持たないと疲労が溜まる一方だからだ。

 安全の保障など何処にも無い以上、とにかく護衛を外に置きたがる商人がいるのも分からない訳ではない。しかしそれは「安心感」を買っているに過ぎず、実質的な「安全」とは別物なのだと言えよう。





 街を出て無事に合流した三人はそのままレシャンが待っていた場所で一晩を明かすことにした。疲労具合などを含めて真夜中に移動するよりも、トウガが一日問題無く待っていられたここで過ごしたほうが良いというレシャンの判断だ。

「グレートソードで斬られたの? このぐらいで済むなんて本当に頑丈ねぇ」

 レシャンはトウガが負傷しているのを見ると急いで救急道具を取り出し、魔法と併せて治療を開始した。魔法は決して万能ではなく、時間に余裕があるなら人の手による処置も併用したほうが効果が高い。よってそういった知識も持ち合わせている彼女は、治療魔法を修得していても応急処置セット等の必要性をよく知っていた。

 ちなみに治療のさいにユナが「ならば妾がっ」と小声でレシャンに交代を求めたりもしたが、あいにく実践での救急知識に乏しくその手の魔法も使えないので今は周囲の見張りに回っている。今まで戦闘系の魔法がメインだったユナが、治療系統の魔法や技術を学ぼうと心に誓ったのは言うまでも無い事である。

 傷を見る為に明かりが必要だったので、トウガの治療は荷物が積まれ光が漏れにくい馬車の中でランタンを点けて行われていた。所々に木がある程度の草原では月明かりや星の光ではない地上の光源はやたら目立つものだ。普通なら利便性ゆえ焚き火が欲しいところだが、街から離れた直後の今はおいそれと点けるべきではないだろう。

「資金さえあれば増やせる人的資源を必要としない兵力か。私の見通しが甘かったわ」

「見通しが甘かったのは俺も同じですよ。まぁ授業料は多少高かったかもしれないけど、次があるって普通に言えるだけマシか」

 馬車に載せておいた自分の装備一式に手を置きながら彼は答える。

「そうね。落ち込みすぎず、されどその事を忘れず。君が冒険者である以上いつどんな危険が迫るかは分からない、でも生きてるならそれだけで『勝ち残ってる』って言えるわ。だから、今はそれで良しとしましょ。……そんな依頼を出したうえ待ってただけの立場で言うとなんだか説得力に欠けるわね。――はいっ、これで終わり」

 自分が言った事に苦笑しつつ軽い調子で話を切り上げると、彼女は包帯を巻き終わったトウガの背中をパンパンと軽く叩いた。それと同時に様子を見に来たユナが馬車の中を覗き込む。

「トウガ、大丈夫か? 少しでも怪我したと思った所は全部診てもらうんじゃぞ」

「おぅ、大丈夫だよ」

 本人の言うとおり無事に治療は終わったようだが、彼の濃い肌の色に対して白い包帯は少々目立つ装飾になっている。痛々しい、とまでは言わなくとも肩や脇腹にグルグル巻かれたそれは、トウガが怪我人であることを十分に見せつけていた。

「――そうか、ならばそなたはもう眠るといい。今晩は妾と叔母上が交代で見張りをしよう」

「いいのか? なんか雇われた護衛が一人だけ熟睡ってのも決まりが悪いんだが」

「怪我人が生意気な事を言うでないわ。ここは街に近い分、野盗の類はあまりうろついてはおらんじゃろう。街からの追っ手も来そうもないし、お主は明日からしっかりと動けるように休んでおけ」

「……わかった。んじゃ後はよろしく頼むわ」

 そう告げるとトウガは果物を搾ったジュースで軽く喉を潤し、それから毛布を広げ就寝の準備に入る。ユナとレシャンはどちらもすぐには眠らないようで二人共馬車から降り、馬車を挟んだ街からは見えない位置に回った。

「もう深夜になってるし、小さめの火なら大丈夫そうね」

 治療やらで多少時間が過ぎ周囲の安全もそれなりに確保出来たと判断すると、レシャンは暖を取る為に他の二人が戻る前に用意しておいた木切れや石ころなどで焚き火の準備を始めた。テキパキと作られるそれは焚き火とは言っても即席のかまどのような形をしており、馬車の裏という要素に加え高さのある「コの字型」で街方面には気付かれにくい配慮が成されている。

「慣れたもんじゃのぅ」

「冒険者なら覚えておいて損はないわ。この旅の間にトウガ君にも教えてあげないとね。ついでに……」

 適当な棒切れを一本手に取りゆっくりとした詠唱を始めるレシャン。そして魔法が完成すると周囲の草むらが一斉にガサガサとざわめき出すが、少しの間をおくとそれらの異常は自然と治まっていった。周囲が静かになるとレシャンは棒切れを地面に突き刺し、ユナはまだ気になるのか周りをキョロキョロと見渡している。

「……野外でエリアを使うとこうなるのか、いささか驚いてしもぅたわ。どのくらい保つかの?」

「触媒もこんな棒だし大体30分ぐらい。でも効果が切れても虫とかがすぐに戻ってくるはずもないから、夜を過ごすにはこれで十分よ」

「ふむ…………」





 叔母が焚き火で湯を沸かし温かい飲み物を用意しようとするなかで、ユナは携帯椅子に腰を下ろしたままジッとしていた。視線はユラユラ揺れる火に吸い込まれ、実際の距離より遥かに遠くを見ているようでもある。

 手際良く作業を終え後は待つだけになると、レシャンは姪の側に同じように椅子を置き音も無く座った。

「――聞き役は必要かしら? チャーミングな顔が悩みありって言ってるわ」

「ぬ……ぬぅ」

 ユナの反応はあからさまな肯定を示した。確かに今彼女は一つの悩みを抱えている。それは長年の問題などではないが、さりとて本人からすれば決して小さな事でもなかった。

 ほんの少し前、街から離れる時に自分は思った。トウガと共に立てるならそれでいい、どんな暗闇の中でも構わないと。だがさらにその前にここで行った作戦会議の中で、影からの追跡を心配するような生活を彼に送って欲しくないとも自分は言ったではないか。

 トウガと離れない事は『絶対に譲れない条件』であって、当然それ以上を目指すのが悪いはずも無い。そもそもその為にこれ程の苦労を重ねたというのに、自分はなんとマイナスな思考をしているのだろうか。

 だがそれならばと二人で光の中を歩くことを考えた時に、叔母の有能さを改めて実感し同時に思い知ってしまった。

 実践で培われた技術を使った怪我の治療、野外で夜を過ごすときの細かい知識、さらには地味ながら幅広く修得している魔法など、同行する冒険者として叔母は実に頼もしい。作戦の立案やこうした仲間のケアまでそつなくこなすその能力の高さと比べて――――自分は少し魔法が使えるだけの小娘と言ってもいい。

 仮に叔母と闘うとしたら、悪魔の力まで出した本気の自分はまず負けはしまい。だが周囲を警戒中に馬車の中から聞こえた「生きてるならそれだけで『勝ち残ってる』」という彼女の言葉を思えば、完全な勝利もおそらく出来ないだろう。逃走などを含めて様々な方面から事態を打開するであろう叔母に、きっと自分は大いに苦戦するはずだ。

 そして人々の中で生きるならそんな力押しの能力さえもろくに発揮出来なくなり、残るのは冒険者としてあまりにも未熟な魔法使い。力は一般の成人男性にも勝てず、使える魔法も攻撃系に偏りトウガの足りない所を補う働きはまず無理である。



 トウガが冒険者を続けていきたいと考える以上「魔法道具屋の娘」では彼を心身ともに支えるパートナーにはなれないのに、己が「冒険者」として半人前過ぎることを感じてしまいユナは大いにヘコんでいたのだ。

 そこにレシャンはなんともストレートな切り口で質問してくる。傍目には一見彼女が無遠慮にも感じられるが、それは長い付き合いによる信頼関係があるからこその聞き方と言えるだろう。劣等感に近い感覚を思い知らされた当人相手にはなかなか言いにくいとも思われるが、言葉にレシャンの気遣いを感じた事や生まれゆえの歳に見合わぬ合理性もあって、ユナは素直に相談することを決めた。

 そして彼女はどう話すべきかをうつむきながらしばらく考える。レシャンは自分から口を出すことはなく馬車の中の様子を見たり温まった飲み物を二人分のコップに注ぐなど、ただ姪の反応を見守るだけの静かな佇まいであった。

「――妾は、その……」

「あ、トウガ君なら大丈夫。すっかり寝ちゃってたわ」

 ユナが馬車の方をわずかに気にするそぶりを見せたので、レシャンはことがスムーズに進むよう他に誰も聴いてはいない事を伝えた。

「う、うむ。…………その、思ったんじゃ、今後の事を。トウガに助けられてから妾は、これまでとは違う生き方をそれこそ何度も想像しておった。じゃがほんの少し前までは明確な『敵』がいたゆえに気にならなんだが、今の妾はトウガの隣に立つ自信がない……」

 彼女は胸中の不安を思いつく限り話していく。夜の闇がユナのネガティブ具合を増長させるのかやたらと細かい事まで次々に口に出すが、レシャンはそれを聞くうちにむしろ安心したような表情になっていった。

 たまに叔母の相づちをはさみつつ言いたい事を大体口に出したと思い一息ついたとき、ユナは聞き役に徹していた人物の顔が微妙に笑っていることに気付いた。どちらかと言うと愚痴に近いような話を聞かされてそんな表情になるとは想像しておらず、むしろちゃんと聞いていたのかと感じた彼女は少々険のある言い方で問いただす。

「なんでそんなイイ顔をしておる」

「ん? あ、ごめんごめん。他意があったわけじゃないの。ただユナちゃんからその手の相談されて、少し嬉しくなっちゃってね」

「?、意味がイマイチ分からぬが」

「ユナちゃんは今までそういった悩みを持つことはほとんど無かったでしょう? 環境が悪かったのは当然だけど、まだまだ若いのに先を求めようとはせず現状でいかに満足するかって傾向があったのは間違いないはずだわ。でも未来に不安を持ったってことは、その傾向が変わろうとしてるのよ。向上心にも繋がるし良い変化だって思えるわ」

「……そういうものかのぅ。今までがどうとか言われても実感がわかぬわ」

「自分の事を客観的に見るのが難しいのは当然。ついでに言えばユナちゃん、道理や理屈で物事を推し量るのは人並み以上だけど、気になる男性の心の機微を読み取るのなんかは苦手……と言うより混乱するぐらい分からないわよね?」

「そっ、それは、えっとっ」

 思い当たる点が多過ぎるのと急な話の展開にユナは言葉に詰まってしまった。「気になる男性」というフレーズをレシャンが少し意地悪く言ったせいもあるだろうが、そもそもお互いその人物が誰かハッキリしているのにこのようなやり取りをしているあたりは何と言うべきなのやら。

「い、いきなり何を言うんじゃっ」

「フフ。でも別におかしな事でもないわ。これまで極少数を除けばビジネスライクな関係の人達の方がずっと多かったんでしょ? でもそこに問題なんて全然無いの」

「……その事も含めたらどう考えても問題は山積みではないか」

「トウガ君の冒険のパートナーになるのも、彼の心を察してメンタル面で支える存在になるのも解決法は一緒なのよ。それは、彼と共に色んな体験をしてそこから学んでいくということ」

 叔母の言葉の意味をユナは頭の中で軽く考えてみた。

「いや、じゃがその……あやつの隣に立てないと思ったからこその悩みであって……。何かそれは答えとしておかしくないかや?」

 思わずジト目を向ける彼女にレシャンは表情で答えていた、「そう言うと思った」と。

「そもそも考え方が悪いわ。確かにトウガ君の戦闘力は図抜けてるけど他の交渉力、知識、要領の良さとかはハッキリ言ってまだまだ。まぁ魔法に関してよく分からない能力もあるみたいだけど……。それはともかく、ユナちゃんとトウガ君は私の目から見て冒険者としての釣り合いは十分に取れてるんだから」

「しかし妾は――」

「まず自分を低く見過ぎてないか考えてみて。もしくは……彼をかなり高くに置いてしまってない?」

 ユナがその言葉をすぐに否定することは出来なかった。特別な感情が観察眼を曇らせる事などいくらでもある話だからだ。

「ここまで私達に協力してくれる彼が、ユナちゃんに悪い印象を持っているとは思い難いわ。もちろん悪魔の力とかにこんな短期間で完全な理解を求めるのは難しいけど、少なくとも冒険者としてユナちゃんが引け目に思う必要はどこにもありはしないのよ? まだ未熟なわりにそう簡単に命の危険が無い彼には、むしろ問題を丸投げ出来る先輩よりも、同じ困難を協力して乗り越える半人前の同輩の方がよほど合ってるって言いたいわね」

 レシャンは優しく姪に語りかける。叔母の親身な助言は少しずつだが少女の心を勇気付けていった。

「叔母上ほどの力があれば胸を張れるのじゃがのぅ」

「歳や旅をしてた時間を考慮したら、ある程度ユナちゃんと差が無いと私の方が自信なくしちゃうわよ。でも知識中心に幅広く見ればトウガ君よりも万能なんだから、十分対等の立場なのは間違いないって。――――彼がこれから知り合う冒険者達の誰よりも現時点でユナちゃんの方が近いのは絶対だわ。ならあとは同じ時間の中で、その距離を一歩一歩近づけていくだけじゃないかしら。間に障害は何も無いのよ?」



 レシャンから見た今の姪は育ちゆえに持ってしまったネガティブさに加え、少々の焦りも滲ませているように思われた。だがそれはしょうがない事と言えるのかもしれない。

 異性との付き合い方というものにベストな在り方、完璧な振る舞いなど存在しないと言ってもいいだろう。一般的には終着点なはずの結婚ですら、些細な事から離婚という破局を迎えてしまう場合もあるのだ。とは言えだからこそそれを維持しようとする努力に意味があり、惰性で続く関係だから終わらせたという話も普通に存在する。

「女なんて星の数ほどいるさ」と相手に縁が無さそうなら早々に見切りをつけ他に目を向けるのも、自分が出来る「対応の幅」を知っているならそれは軽薄ではなく建設的と言うことも出来る。当然たんなる不誠実をそうして誤魔化すのは不評を買うだけであろうが。

 だが何にせよ、安定する保証がない男女間の関係に人が恐れず挑めることの背景には、「異性がその一人しかいないわけではない」という要素が少なからず係わっているのは間違いないはずだ。

 しかし――ユナにはそんな保険とも言うべきその他大勢がいない。他に目を向けないといった話ではなく、誤って悪魔の力を爆発させブツけてしまった時に抑えられる程の力量があり、さらに本人としては口にしづらいが己の全力の抱擁を受け止めてくれる強靭さを併せ持つ者など、トウガ以外にまず存在しないのだ。

 もちろん力を考慮しなくとも彼女にとってトウガは好ましく映っており(多少フィルターが掛かっているが)、決して消去法で彼に目を向けているわけではない。カースの呪縛から解き放ったあの夜などは、まさに囚われの姫を救い出す王子様そのものではないか。

 切っ掛けがあり、さらには惚れ抜く価値がある。そして代わりとなる存在もおらず、そんな相手に恋愛経験ゼロのユナが挑めば焦りが出ないはずがないのだ。

「当面はゆっくりいきましょう。こういうものは時間を掛けた方が良い流れになることが多いわ」

「そう……じゃな。妾は急ぎ過ぎていたのかもしれぬ」

 落ち着きさえ取り戻せば、ユナの聡明さは恋愛面でもちゃんとプラス方向に働いていくだろう……多分。



 夜の闇が深くなり、今これ以上口を出し過ぎても良くないだろうという判断も加わって、レシャンはそろそろ話を切り上げることにした。

「ふむ。槍の使い方や少ない魔力での魔法の運用、人間の姿のまま生きていく為の訓練も無駄にならずに済みそうじゃ。今後はもっと幅広い魔法のご指導、お願い出来るかの?」

「ふふふ、任せなさいな。さ、ユナちゃんもそろそろ横になったほうがいいわ。トウガ君ほどじゃなくても疲れはあるだろうし、後で見張りを代わってもらう必要もあるんだから。彼は奥の方で寝てるからスペースは十分にあったはずだし、ちゃんと毛布に包まって冷やさないようにね」

 頷いて答えた後思い出したかのように軽いあくびをしたユナは、そのまま馬車の中に入っていった。レシャンはそれを見送りまだ少し気温が下がるであろう夜を考えて、自身の言葉を実践するように飲み物を暖め直し始める。

「――――若いっていいわぁ……」









 馬車の旅 一日目

 早朝、一行はしっかりと食事を取ってから火の後始末を終えた後、馬車での移動を開始した。

 ユナとレシャンは交代で見張りをやっていたので少々睡眠時間が足りないようだったが、朝の冷たい空気は一度起きた頭に十分な刺激を与えてくれる。そしてそんな二人とは違いトウガは一晩中グースカ眠っていたわけだが、そのおかげもあってか怪我の具合は大分良くなっているように思われた。ユナと闘ったときにも彼は感じたのだが、腕輪は回復力にもいくらかの恩恵を授けてくれているらしい。

 包帯などはそのままだが存分に動かせる体や二人に対しばつが悪いこともあって、トウガは元気よく護衛に就くつもりだった。しかし、その前にやらねばならないこともあって、護衛の仕事はしばし先送りとなる――――馬の扱いを知る必要があったのだ。

 ローテーションを組んで旅を安全に、快適なものにするにはトウガにも御者を出来てもらう方が都合がいいのは当然である。能力的に彼には護衛を重視してもらうべきだが、人数が少ない以上三人とも全ての配置をこなせるようになっておくと、いざという時の対処にも便利と言えた。ちなみにユナもあまり触れる機会が無かったので馬については「トウガよりはマシ」程度であり、彼と同じくちゃんとした御者技術を学ばなければならなかった。

 トウガとユナの二人が御者台か護衛に回りレシャンが御者台の人物に技術を伝授する。休む時は馬車を止め、馬も含めて十分な休憩を取る。これを基本として動く一行だったが、旅の初日は歩みこそ遅くとものんびりした空気に暖かな陽の光も加わり、なんとも穏やかなものになっていた。

 まぁ安全にもそれなりに気を配ってはいるのだが、仮に襲撃者がいたとしても一人の目撃者も残さず殲滅するつもりでさえいれば「ハーフデーモン+それと互角のトンデモファイター+ベテラン冒険者」の三人に勝てる山賊団などがそういるはずもなく、その事実がゆっくりとした雰囲気に一役買っていたりもしたわけだ。



 夜、野宿地点で焚き火を囲みつつ――

「ぇ~と……ア、アテンザー。暇ならこれやんない?」

「ちょっ、トウガ! 叔母上がおるではないかっ!」

「いやその、むしろレシャンさんがね……」

「ユナちゃ~ん、私が気付いてないとでも思って? いいじゃないの、私の前でぐらい。別に気にしないわよ」

「妾が気にす……、ま、まぁよいっ。で、何かやトウガ?」

「うん、将棋っていう……まぁ俺の故郷のテーブルゲームだよ。本当は台や駒もちゃんとしたのがあればいいんだけど、とりあえず全部紙で用意してみた。ルールが分かって役割を果たす物があれば大丈夫だろ」

「ほぅ……よかろ。夜の持て余し気味の時間には十分な余興じゃて(トウガとの接点がまた一つ、にょほフふ)」



 ――30分後

「勝てません」

「これは面白い! 取った駒をこちらの兵力として扱えるとは。実に知的な遊戯じゃなっ」

「へぇ~。じゃあ今度は私の相手もお願い出来るかしら」



 ――さらに30分後

「負け星が増える一方です」

「いいわねぇこれ。ちょっと考えただけでも色んな戦法がありそうだし、そうそう飽きが来るようなものじゃないわ」

「他にはどんな遊びを知っておるのじゃ? 例えば……もっと多人数で出来るやつなんぞはないのか?」

(つ、強ぇ! 接待プレイで喜ばすって次元じゃねぇぞ、ここまで勝てないとかむしろかっこ悪過ぎだろっ。くそぅ、簡単に用意出来てもっと運が絡んで多人数でいけるやつは――)

「――バ、ババ抜きってのがあるぞ!」

 ――最終的な勝率は「お金を掛けてなくてよかったな」とだけ……。



 そして馬車の旅 二日目

 いきなりだが……トウガは旅に出てすぐに悟ることになった。月に3,4回の割合で殺人事件に出会う日本の名探偵というのは確かにすごいが、時代と場所が変わればそんなもの珍しくはないのだと。









「ゴードンさん! 無事ですかっ!?」

「こっちは大丈夫だ! 子供達も生きてるっ、そっちは迎撃に集中してくれっ!」

 声は緊迫感に満ちていた。だが状況を鑑みればそれも当然だろう。

 二台の馬車、一台は横倒しになっておりそれらを取り囲むように異形の存在が展開している。倒れた馬車からは乗員が投げ出されたようで、そのうちの何人かは子供だ。大人は子供達を馬車の中に戻そうとしたが崩れた荷物が入り口を塞いでしまい、なんとか自分達が盾になることで彼らを守ろうとしている。

 大人の中で周りに指示を出し、さらにもう一台の仲間と声を張り上げ連絡を取っているのは一人の獣人だった。深い渋みのある声で壮年の男性だというのは察せられるが、その見た目は一言で表すと――鎧を身に着けたペンギンである。

 ゴードンと呼ばれた約1,3mのそのペンギン、見慣れない人には可愛いらしく映るだろうが、全身から発せられる気迫は彼が一流の戦士であることを示していた。両手の先の鉤爪で持った長い棍も難無く扱い、後ろの子供達に危険が及ばない様に動いている。

「父さん! 僕も戦うよっ!!」

「ダメだ。ジャンゴ、お前は男だし兄ちゃんだろう? 後ろのみんなを守る最後の砦はお前なんだぞ。それを忘れちゃいけない」

 子供の中で一人戦いに加わろうとする者がいた。ペンギンの戦士を父と呼んだが出で立ちはまるで違い、その姿は服の下の全身を黒い毛で覆った二足歩行の狼といったものであった。親よりは大きいがそれでも大した差は無く、声や仕草を思えば彼もまだ守られるべき存在と言えるだろう。

 ゴードンの言葉に狼の少年、ジャンゴはハッと後ろを振り返る。視線の先には震える兄弟達が、絶対に傷付けさせるわけにはいかない少年の大事な家族がいた。顔付きは人間に近くとも猫の耳や狐の尻尾などパーツごとに見れば彼らも獣人なのは丸分かりだ。それでも『始祖返り』であるジャンゴほどの運動力は望めないし、何より怯える幼馴染や妹を放り出すなど彼には出来るはずも無かった。

「ジャンゴォ」

「にーちゃ、とーちゃ……」

「っっ、大丈夫だ。僕や父さん達に任せろっ」

 ジャンゴが他の子供達からすれば頼れる存在なのは間違いないだろう。怯えの中でも彼らをまとめるという意味で後ろを任せたのは嘘ではないが、それでもゴードンにとってはジャンゴも守るべき一人なのだ。少なくとも大人達がまだ生きてるうちに前に出る必要はないとゴードンは考えていた。



「ウォーター・ドームッ!」

 飛んでくる火球を通さないように水流の防護球が子供達を中心に展開した。ゴードンは見た目通り機動力にやや難があるが、その代わり水系統の魔法に秀でた才能を持っている。そして棍を使った体術を鍛えた彼はそれによりもう一本の足を得て、小さな体格という戦闘における欠点を感じさせない高い近接戦闘力に加え、水魔法による仲間の補助もこなすという多くの場面で頼りになるオールラウンダーと言える存在だった。

 しかしそんな彼にも当然「やれなくは無いが不得意」という分野はあり、子供達の壁となってとにかく耐え抜くという今の状況は、パワーと体力が優れているとは言い難いゴードンには厳しいものがある。

 他の大人達やもう一台の馬車も苦しい展開が続いているようで、なんとか事態を打開するには攻めに転じなければならないと彼は考えていた。一時的に護りは薄くなるがこのままではジリ貧が続くだけであり、救援が望めないならこちらから打って出るしか手は無い、と。

「俺が仕掛けるっ。しばらく任せるぞ!」

 仲間の返事を待つ間も無く魔物達に飛び掛かると、彼の鋭い両手棍の一突きは一体のオークの喉元に突き刺さり息の根を止め、敵の数を減らす事に成功する。

 倒れる仲間に目もくれない横から来たもう一体に片方の手首を掴まれるが、ゴードンはオークの腕に硬いクチバシの刺突を敢行。痛みに後退したところを逃さずそのまま側頭部、そして頭頂部への渾身の二連撃が決まり彼の攻めはさらに勢いを増そうとしていた。



 わずかだが切り崩しに成功し魔物達に焦りが見えると、同時に生き残る希望が獣人達に広がり始めた。ジャンゴは父の活躍に歓声を上げるが、それを強引にやめさせるかのようにゴードンの側を青白く光る電光が走り抜け、彼の代わりに子供達の前に立っていた戦士に直撃する。

 耳に残る悲鳴を上げ戦士が倒れると、他の大人達も攻勢に合わせ前に出始めていたことが災いし、子供達を護る防壁が完全に取り除かれる最悪の事態が起こってしまった。

「っっっいかん!!!」

 すぐさまゴードンは戻ろうとするが二体のハイオークがそれを許さない。スケイルメイルを着て下卑た笑い声を出す豚人どもの壁はブ厚く、ゴードンの小さな体躯でもすぐには抜けれそうも無かった。チラリと視界の端に見えたスケルトン・ウォリアーを護衛に連れているオーク・シャーマンも同じような醜悪な笑みを浮かべている。

 魔物のしたり顔を見て彼は気付いた。

 ――ああこれは、配下を使い捨てる胸糞悪いクソったれな精神が考え出した、反吐が出るほどクソったれな罠だったのか。



 手にモール(棘付きハンマー)を持ったハイオークがジャンゴ達に近づいていく。大人達は急に足止めのみに徹し始めた敵に邪魔され動く事ができず、その顔には絶望が見て取れる。

「にーちゃっ、にーちゃっ、にーちゃぁぁっ」

 最も小さな幼子はジャンゴの足にしがみ付いて泣き続け、他の子供は金縛りにあったかのように硬直したまま、ただ死が迫るのを開かれた目で見ていた。

 だがそんな中、狼の顔を持つ少年は彼らと同じように動けないながらも、ひたすら心の中で自らを叱咤し続けていた。

(なんで動けないんだ! 僕は狼族の『始祖返り』、強い戦士なんだろう!? みんなには無い牙だって、今使えなきゃ意味がないじゃないか! こんな奴に、負けたくないよ!!)

 弄ぶように自分達を殺すであろう脅威に対して、例え動けなくてもジャンゴの眼は反撃の意志を見せる。

 しかし恐怖に固まった手足は彼の命令を聞いてくれない。ハイオークは少年の眼を見て、むしろ蹂躙する楽しみが増えたとばかりに舌なめずりをしていた。

(負けたくなんかっ……!)





「テメーの肉は何色だぁぁっっ!!!」





 突然の雄叫び、それと同時にジャンゴは太陽の光が急に遮られたことに気付き空を見上げた。高い木や雲すら無かった晴れた日の昼なのに、一体何が? ゴードンや子供達、魔物も含めたその場の全員が空を見上げ、特に声の主が最も意識を変えたかったであろうモール持ちの豚肉戦士は呆けた面で首を向けた。

 そしてそんなポークマンに襲い掛かる空中からの右手刀、エリアルチョップ。男は大きな手甲を装着しての一撃をハイオークの鎖骨に叩き込み、爆音を響かせながら着地した。勢いを得た上からの攻撃は防具越しの骨を粉砕し、敵をそのまま地面に縫い付ける。

 さらに続くコンボで下がった頭部に強烈な左のエルボーがブチ当てられる。外側から振り抜かれた左肘は、ダメージとともにハイオークの胸部を男の右側へと向けさせた。そして、男の左腕も同じく彼の右側に。



「Flash!!」

 ――超速一閃。エルボーによって大きく捻った腰、畳まれた左腕が強力なタメを作り、先程とは逆回転の水平チョップがハイオークの胸を狙って繰り出される。太陽の光を浴びて手甲が鈍い光沢を放ち、その輝きがチョップの軌跡をなぞりまるで閃光の尾を引いているかのようだった。



 防具ごと胸を切り裂いて吹き飛ばした一撃は、ポークマンをただのポークへと変貌させる。いきなりの乱入者によって場の緊張感が高まる中、それが主にとって恐ろしい脅威になる存在だと判断したスケルトン・ウォリアーは、オーク・シャーマンの命令も無しにいきなり男に剣を振り上げて襲い掛かった。

 しかし創造主の策もなく、ただ危険な敵に反応しただけの行動はとても奇襲とは呼べないものであり、隠しもしない音や動作で骸骨兵に気付いた男は振り向きながら身構えた。

 フェイントなど無いたんなる斬り下ろし、男はそれを真正面から殴り飛ばし弾くとすかさずもう一方の手で眼前の敵の頭部を掴み上げる。

「子供から襲うとかさ……いやホント笑えないから」

 骸骨兵はもがきながら剣を振り回して逃れようとする。勢いなぞ欠片も無い剣撃とは言え刃物による攻撃なのに、いくら当たろうと男の頬や耳にすら筋一つ付くことはない。

 骸骨の頭からミシミシ音をたてさせ、周囲のオークを睨むその姿は獣人の大人に気力を、子供に希望を、そして魔物に最大級の警戒心を抱かせていた。

「退く気は……なさそうだな。へぇ、そうか、そうなんだ……」

 睨んでいた視線に火が灯る。それは怒り、敵を粉砕せよという感情がうねりを上げて彼の眼に宿っていたのだ。



 ああ冒険者よ、『力こぶれ』。筋肉のきの字も無いガリガリ野郎に、肉密度1000%のアイアンクローをブチ決めろっ!!

 パキャッ

「よろしい、ならば戦争だっ!!」



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 主人公の強さが際立つ作風なので、もう少しこの世界における他のベテラン冒険者の影が薄くならないように配慮したいと思っています。少なくとも「冒険者とは?」な視点ではトウガもユナもまだまだだし、戦闘面のみでも無双とは言い切れないバランスでありたいところですね(雑魚敵は薙ぎ倒しOKですが)。

 今回はキャラとして影が少し薄かったお姉さん(?)、レシャンの有能さをピックアップ。さらにユナがトウガに執着する理由を再度述べています。ギャルゲー等で「何でそんなにそいつにこだわるの?」という主要キャラの行動原理に読者が疑問を持ってしまうのは、物語の根本が崩壊することに近いと思うのでここらで復習といった感じです。

 そして某有名格闘Ⅲから主人公の飛び込み3段ですが、2段目が膝じゃありません。しかしブーメランレイドの途中みたいで見た目が良さそうだし、立ち中Pで作中のような繋ぎも出来るのであまり気にしないでやってください。

 ペンギンの手に鉤爪ってのは当然創作です。あと最後の方のネタが分からなかった人は「木曜洋画劇場のCM」で調べると良い事あるかも。



[9676] 13話
Name: 鉄腕28衛門◆9e4cac5f ID:3ee6fbf0
Date: 2010/07/03 22:28
「殺セッ、殺セッ!」

「ハッ、今のを見てそんだけ上等コくたぁ気合入りまくってんじゃねぇかっ!!」

 頭部を粉砕されもう動かなくなった骸骨を地面に叩き付けバラバラにすると、そのままトウガは両手を折り畳み、脇をしめた状態で肘が胸の前に来るようにして拳を握った。前面をしっかりと固めたそれはボクサーが逃げる相手を追い詰めるスタイルに近い構えだっだが、ややクラウチング気味の前傾になっておりいかにもダッシュで突撃する気満々といった感じである。

 彼は放っておけばすぐにでもモンスター達に向かっただろうが、安易にそれを良しとせず止める者がいた。

「誰だ、何故助けた?」

 獣人一団のまとめ役でもあるペンギン姿の戦士、ゴードン。彼は突如として現れた男を単純に味方と考えはしなかった。

 もし敵を退けた後、対価として無理難題をフッ掛けられたら堪ったモノではない。人間という種族が持つ知恵の回りようは、時に他種族が及びもつかない策を用いる事もあるのだ。例えば人間の好事家が獣人の子供を狙って、この魔物達をこちらに襲わせた可能性だって否定は出来ない。

 ゴードンはファイターらしき男のほんの少しの挙動も見逃さないつもりで鋭い眼を送っていた。

「危ないところを助けてもらったのは感謝するが、その行動に報いる事は出来んかもしれんぞ?」

「目の前で殺されそうな子供放っておいて、その日食うメシが美味いかよっ!!」

 たった一言の短いやり取りを交わすと、男はそのわずかな間にこちらに向かって来たハイオークに突っ込んでいく。

 助けてもらったくせに、などと嫌味じみた言葉も想定していたゴードンは思わず呆気に取られてしまった。たったそれだけの事で命を危険に晒すだとっ? 現れ方やその後の連続攻撃を見れば大きな戦闘能力を有しているのは十分に分かるが、それでも「死ぬ時は死ぬ」のが当然の戦闘行為、しかも見知らぬ他人のそれにその程度の理由で参戦すると言うのか。

 すぐには信じ切れないのも当然だが、同時にゴードンは飛び出す直前の男の様子を思い返す。「目を見て判断」などと簡単には言えなくても、断言した口調、怒りに歪む表情、魔物にぶつけている気迫などが男の言葉を裏付けているかのようで……

「……何にせよ、俺が動かずあいつにだけ戦わせるわけにはいかんな」

 もう敵と接触した男に今更どうこう言っても意味は無い。小さく呟いた彼は思惑云々は一時忘れることにして、眼前の脅威を撃退するために気持ちを切り替えた。

 ……もしあの男の言葉が本気だったのなら、事態を切り抜けた後で美味い酒でも飲ませてやりたいものだ。





 ――その男にとってまだ慣れ切っていない現状の生活の中で食事は最大の娯楽であり、それにケチをつける要素は出来るだけ排除してしまいたかったのに加え、そもそも彼は意味も無く子供が傷付けられるのを良しとしない程度には善性である。自身ではどうにもならない事ならともかく今の彼にはそれを成す力があり、それは己自身のものとは言い難い代物ではあれどそれまでの全てと引き換えに得た能力とも言えるゆえに、悪目立ちしない限り自重などせず自分の為に使ってしまおうというのが彼のスタンスなのだった。

 少し前には「問題事を生活のスパイスに」という考えも持つようになったこの猛る男、トウガに今戦わないなどといった選択肢があるはずもないのである。

 トウガはハイオークをブチのめそうと握った拳をさらに固めたが、先に突撃を許したことで勢いの付いた相手を見て攻め手を変えた方が良いと判断した。獣人の子供達という護衛対象を守り切る為には、何よりも敵の足を確実に止めるべきだと考えたからだ。

 普通なら眼前の敵を無視してその後ろに襲い掛かろうなどと考えるはずもないが、いかんせんトウガに向かってくる二本足の豚は知性などまるで感じさせる事が無い。足はドタバタ、開いた口からは汚い舌を垂れさせハフハフと荒い息をしており、「普通」などという言葉を無視して後ろに突き進みかねないと彼には思われた。

 ブモーッ

 豚戦士がハンドアックスを振り上げるとトウガは警戒するどころか逆に速度を上げ、体を大きく前に倒しレフトショルダーからの体当たりを行った。肩口から敵の腰部分にぶつかった姿勢の有利、狙いはそもそも押し倒すのでは無くこの状態を作ることにあったので、接触しても彼の筋肉はまだ大きな力を溜め込んでいる。

 確実に足を止めさせる為に選んだ攻撃手段はストライキングではなくグラップリング、トウガは左肩を押し当てたまま右手を大きく外から回し、中途半端にブラブラさせていた豚戦士の左腕を右前腕部で押さえ込むと同時に相手のベルトをガッチリ掴むことに成功した。一言で説明すると相撲で言うところの「上手を取る」というやつだ。

(……臭ぇっ)

 動きは止めさせたものの、豚戦士と密着したトウガは鼻が曲がりそうな臭いに思わず顔をしかめる。まぁ見た目からして分かっていた事だが、この魔物達は清潔などとは無縁の生活を送っているのだろう。ぶつかった衝撃で振り上げられた斧も一時頭上で止められている今、この一体だけに構っていられない彼はすぐさま強力な投げを仕掛けた。

「保父になりたきゃ品性に教養、ついでに清潔感を持って出直して来い」

 上体を起こし後ろに左反転しながら相手を掴んだ右手を一気に持ち上げる。ハイオークは前から後ろへと急に力の向きが真逆になったトウガの動きに対応出来ず、左手の自由が奪われているのと前に進もうとする自分の力もあり、彼の狙い通り抵抗する間も無く一回転して激しく地面に叩き付けられた。



 明らかに一回り以上ある人型を実にスムーズに転がしたこの投げはあの大横綱、千代の富士も得意としたスモウレスリングの王道とも言うべき技、上手投げである。押し出しや突き出しなど、相撲における基本的な決まり手を生かす為の代表的な投げであり、ある意味相撲を最も格闘「技」に押し上げている技でもあるだろう。200キロを超えようかという相手を廻しに引っ掛かった数本の指だけで倒すその姿は、裸のデブ二人が抱き合う光景を屈強な聖戦士『RIKISHI』達が繰り広げる聖なる闘いへと変貌させるのだ。



 仰向けに倒れた豚野郎にトウガはすかさず追撃のストンピングを加えた。鎧も御構い無しな胸部への踵の一撃はハイオークを戦闘不能にするが戦闘はまだまだ序盤戦、トウガの耳に泣き止まない幼子を守るように抱きかかえる少女の声が飛び込んで来る。

「お兄さん、後ろーーっっ!」

 素早く振り向いた彼に見えたのは、構えた指先に小さな火の輪を灯したオーク・シャーマンだ。仲間がやられているうちに準備していた魔法なのだろうが、その事に気付いたトウガを見ても豚術士にまるで動じる様子はない。

(ッ! クソが、アレはっ!)

 指を向けてくるオークが何を考えているのか彼は瞬時に理解する。

 正しい魔法の知識はさほど多く有していないトウガだが日本にいた頃よりそうした超常現象への興味は十分に持っていたので、彼は折を見てユナにいくつかの魔法の行使を細かく見せてもらった事があった。トウガの頼みに喜んで披露してくれた魔法のラインナップに今まさにオーク・シャーマンが唱えようとしている魔法もあり、彼はその性質から想像出来る敵の狙いを吐き捨てる思いで読み取っていたのだ。

 ブラスト・スローワー、一言でそれを表すならば火炎放射機といったところであろうか。実在の火炎放射機のように燃える液体を浴びせ掛けるのとは違い文字通りの炎をともなった熱風、「放射状に広がる火炎」という攻撃魔法だ。威力、射程、詠唱時間などは他の射撃魔法に比べむしろ少々劣るぐらいだが、利点として「放射線上のほぼ全ての対象に当たる」という特性がある。

 現状況だとトウガも子供達も範囲に入っており、豚術士の目の前に立ち体全体でも使って防がないと子供達を守りきることは出来そうもない。だが魔法は発動寸前に見え半端に敵に近付くくらいならより近い子供達の前に立った方が良いようにも思われた。ゴードンもトウガと同じくして事態の推移に気付いてはいたが、生憎もう魔法を使う余力は無くさらにトウガよりも敵には遠く取れる選択肢はほとんど無いに等しい状況である。

 執拗に抵抗出来ない獲物を狙う残虐性を敵の行動を縛る戦術にまで高めている事は、ある種見事と言っていいものだろう。



 愉悦の表情を浮かべながら詠唱を完成させ、興奮しているのかかなり聞き取りづらいダミ声で魔法を発動させるオーク・シャーマン。子供達は互いを抱きしめ庇い合い、ペンギンの戦士は己の小さな体躯を恨めしく思いつつも後ろには通すまいと迫る火炎を前に立っている。

 トウガも常人を超えた耐久力を頼みに自身の体で壁を作るつもりではあったが、やはり決定的に足りないとしか言いようが無い。人間の体で完全に炎を漏らさず止めるなど出来はしないし、いくらか勢いを弱めようともその残り火だけでも幼い子供には致命傷かもしれないのだ。

 無駄な努力だ、そう言いたげな敵の顔を見て頭に血がのぼる。どうすれば、どうすればいいっ!?

(「耐える」んじゃ意味が無いっ! 止める、いや、「消し飛ばす」ような手段が――)


   ――「矢でも鉄砲でも持って来いやぁ~」――


 館長っっ!! 別にトウガはこれまで武術全般で誰かに師事してきたことは無いが、ついそう口にしてしまいそうになった。天啓とでも言うべきなのか、効果があるのかも怪しい手だが彼は迷う暇は無いとばかりに並び立つゴードンよりもさらに一歩前に足を踏み出す。

 胸の前で拝むように手を合わせると小さな音がパンッと響き、子供達はその発生源である男の行動にほんの一瞬だが恐怖を忘れ目をやった。その仕草は確かに祈りを捧げる格好にも見えるだろう。だが実際は全くの逆、不確かな神頼みなどではなく、己の肉体を駆使したとんでもない力技の合図なのであった!

 襲い来る火炎に対しトウガは合わせた両掌をそのまま指先から突っ込ませた。そして体全部が炎に飲まれるかどうかというところで掌をずらし、一気に大きなSの字を描くように両手を振り回す。Sの軌道をなぞり終えても腕は止まらずそのまま右掌は左腰前、左掌は右上段へと驚異のハンドスピードで駆け抜け彼の前に大きな円形の気流を作っていた。

 オーク・シャーマンからは一番前にいた人間の男が炎に包まれ、続けて後ろの獣人達をも飲み込もうとしている光景が見えており、小さな子供を含む獲物どもが無残にも焼かれているだろう事にその醜悪な笑顔の深みをさらに増していったのだが――――放った火炎が突如渦となって掻き消えてしまい、先頭の男はともかく後ろのペンギンや子供は全く怪我を負っていないという信じ難いものを目にしてしまっていた。完全に裏切られた展開に軽いパニックを起こし掛けていた豚術士には、何が起こったかなど到底想像出来やしないであろう。

 トウガがとっさに繰り出したのは回し受けと呼ばれる空手の高難度の防御技である。とは言え彼はそれを漫画で知っただけであり、はっきり言って内容はさっぱり、形もかなりあやふやにしか覚えていなかった。ただ「浴びせられた炎を回し受けで完全に防ぎ切る」という漫画内の達人の使い方に一筋の光明を見い出したのだ。

 技本来の理(ことわり)は理解せず「火炎を中からかき混ぜ消滅させる」という無茶苦茶でありつつも至極単純な理屈で行われたその行動は、それを可能にするトウガという人間扇風機の前では決して「ありえない」選択肢なんかではない。



 子供を焼き殺し大きな動揺が広がれば追撃も逃走も容易であったはずなのに、眼前の人間の予想外の動きにことごとく策を阻まれ恐怖心すら持ち始めたオーク・シャーマンは、腰が抜けたのかその場にすとんと腰を落としてしまった。恐ろしいのに逃げられない、そんな本人としてはどうしようもない状況から逃れる為に豚術士は再び魔法の詠唱を始める。

 獣人達は守り切ったトウガだが、自身はタイミング合わせと手の動きに完全に意識を向けていた為、防御をせずブラスト・スローワーをもろに浴びてしまっている。プスプスとわずかに服が焦げる音が聞こえ全身に刺すような痛みが走るが「アテンザに喰らった火の鳥に比べればこの程度っ」と気合で膝を立たせ、気が動転して喚き散らしながら魔法を完成させようとする豚野郎を睨み付けた。

「テメェはここで終わってろ」

 ゆらりと前傾になり一歩、二歩とステップを踏む。

「モンゴリアン――」

 オーク・シャーマンの恐怖は極限に達する。何故こんな『怪物』と出会ってしまったのだ、と。

      「パオパオッ――」

 勢いをつけたトウガは両脚を揃え飛び上がると空中で丸まり足を前方に向けて横になった。オークのやたら高い座高もあって座られていようとさして高度を調節する必要も無く、彼は弾丸のようにカッ飛んで行く。

           「ミサイルキック!!!」

 そうして繰り出されたのはプロレス技の代名詞の一つでありながらも極めてダイナミックな空中殺法、ドロップキックである。しかもトウガのそれはミサイルの言葉に負けない強烈なヘビィアタックだ。インパクトの瞬間、「脚で蹴る」のではなく揃えた両脚をエビ反りの要領で「背骨の力で突き出す」というなかなか様になっている一撃は、見事に豚野郎をフッ飛ばし小さな子供が見ても簡単に勝利を理解させる程の衝撃となっていた。

 攻撃の後、トウガは当てた反動を使い地面に胸から落下する。ドロップキックの落ち方はそのレスラーの技量を如実に表すらしいが、彼のスムーズな落ち方は足りないプロレス技術を別のモノで補って初めて出来る代物だった。別のモノとはつまり受け身を取らずに落ちてもノーダメージで済む反則ボディの事であり、それを生かして落下を気にせずキックに集中でき、その後の受け身も心に余裕を持って行えるというわけである。

 投げや防御と違い一人でも出来るうえ「今の体だからこそ」という意味でドロップキックは練習し甲斐がある技でもあり、倒れてしまう弱点はあるがトウガはこれまでのモンスター退治にも何度かこの技を使ったことがあったりした。まぁ使い勝手が良いとはこの先も言うことは無いと思われるが。







 オークを束ねる群れの長、オーク・リーダーは怒りで顔を赤く染めていた。

「あノ……にんゲんめがっっ」

 間違いなく途中までは上手くいっていた。足止めに馬車を倒し取り囲み、消耗戦でじわじわと苦しめ使えぬ奴を囮にガキどもの護りを手薄にする。面白いぐらい思い通りに進んでいたのに……っどうしてこうなった!?

 あの人間の男が現れてからは減るのはこちらの戦力ばかりだ! あいつ自体も厄介だが、それに加えて絶望に顔を歪めていた奴らまで息を吹き返していやがる!!

「ゲヘ……ヘヒヒャ……まだダ、おデ様が負けるわケがないンだっ!」

 オーク・リーダーは懐に手を伸ばす。こんなところで出すとは思ってもいなかった切り札、それを今この場で使おうというのだ。

 配下の術士を殴って無理に作らせたはいいが、実際に試した事はまだ無い文字通りのラストカード。だがそんな事は関係ない、あのこちらを舐めくさったクソどもをブッ殺すためなら何だってしてやろうではないか。

 敗北寸前であり完全に勝機を失った戦場からわずかに離れると、彼は黒く濁った水晶を取り出しそれを地面に叩き付けた。水晶が割れても濁りは消える事なく宙に残り、そのまま体積を増してある巨大な生物の姿を取り始める。化け物と呼ぶに相応しい大きさにまで膨れ上がると、さらに黒一色だったシルエットに生物らしい色が付きだした。

 術士は無茶な工程で出来た魔法具なので失敗作かもしれないなどと言っていたが上手くいっているようだ。強い怒りにより思考の幅が狭まり、楽観的な考えしか頭にないままニタリと笑い――

「ニンゲンやジュウジンごとキに、コれ以上デかい顔させやシねー! ブヒ、ブヒヒヒッ、ブヒャ――」

 ボン

 ――彼はその醜い笑みを浮かべたまま訳も分からずあの世へと旅立つ事になった。顔からは痛みを感じた様子は見て取れず、彼は最後まで自分の勝利を信じて疑いはしなかっただろう。







 派手に地面に倒れていても追撃が来ないほどこちらが押している状況を見て取ると、トウガは一息つきながらゆっくりと立ち上がる。子供達の安全が確保されてさらに敵もハイオークなど厄介な個体が倒れ雑兵だけになり、彼が動かずとも問題無く戦闘は終わりに向かっているようだった。中には完全に背を向けて逃げ出すオークさえも出るという圧倒的な戦況である。

「へはぁ。……ん、もう勝ちは覆らんだろうし傍観しててもいいか」

 服に付いた土を払いながら呟く彼は妙な存在に気が付いた。トウガからは遠い位置だが、他の豚兵士よりもゴテゴテした格好のボス風オークが逃げるように移動したかと思うと、また振り返り黒い水晶を使って何やらやらかそうとしているのが見えたのだ。

(まだボス格っぽいのが残ってるっ。まぁ幸い近くには誰もいないし速攻で――)

 急いで近付こうと考えたトウガだが事態は彼の眼前で予想外の流れに向かっていく。

 オーク・リーダーが水晶で何かの召喚を行ったのは彼にも理解出来た。それ以上やらせるかと走るトウガ、しかしその召喚された化け物の鋭いハサミによってオーク・リーダーの首が断ち切られるという出来事には、つい足を止め「ホァッ!?」と呆けた声を上げてしまう。

 ボス格の行動を見て助けてもらおうといつの間にか近付いていた数体のオーク達も、一瞬のうちに巨大な両手でなぎ払われ規格外の尻尾に刺し殺されてしまった。巨大な体躯、危険な凶器、そして装甲に覆われた体。トウガは「それ」が何かを知っていた、ただしあまりにも自分の知る「それ」と大きさが違うことには開いた口が塞がらなかった。

 ――ジャイアント・スコーピオン、1mはあろうかという体の厚みに一目で分かる強靭な外殻、そして簡単に人を抹殺しうる両腕のハサミと長く節くれだった尾。正真正銘、どこに出しても恥ずかしくない一級品の大型モンスターである。

「コイツと言いオートマータの時と言い、そんなにこっちの奴らはポ○モンが好きなのかよ、……どっちかってーとカプ○ル怪獣の方か?」



 戦場は先程までとはまた別の緊張に包まれた。数は単体だし知恵を持って動きそうには無いが、明らかにオークよりも危険度の高いモンスターの登場により、漂い始めた戦勝ムードは一瞬で消え去ってしまっている。

 巨大サソリは周りのオークを瞬殺した後すぐさま次の獲物を求めて動くかと思われたが、意外にもゆっくり旋回してトウガの方に向き直るとそのままジッと動くのをやめてしまった。現状最も近くにいるトウガが思わぬ事態に足を止めた事により、サソリは自分が観察されていると感じたのか同じようにトウガをただ見返すだけで、はからずも「野生動物とにらめっこ」な状態が出来たしまったようであった。

 不気味なサソリの顔を前に、呆けて見ていただけのトウガも呑まれちゃダメだと改めて気合いを入れ直す。

 実質「怪物」対「化け物」が睨み合う光景を見つつ、それにより出来た時間で仲間達をまとめながらゴードンは今どうすべきか決断を迫られていた。戦術を持って殺しに掛かって来る敵の集団こそいなくなったが、次なる脅威は単体とは言え恐ろしい力を持っている。もし逃げの一手を打ち見逃してもらえなければ、馬車も使えず怪我人の多い集団などあっという間に蹴散らされてしまうだろう。

 だが戦うならその場合は今もジャイアント・スコーピオンの前に立つこの戦士を頼りにしなければならない。力を借りる事はいまさらだが「そもそも勝てるのか、勝てたとしてもさらなる負傷者はどれ程のものになるか」、瞬時に決めるにはリスクが大き過ぎるのだ。

 人間が見ても簡単に分かるぐらいにゴードンが顔をしかめていると、その横に彼とは対照的にかなり高身長な女性が並び立った。まぁ背が高いのは当然だろう、彼女は上半身が人間、下半身が馬という神話に登場するケンタウロスのような姿をしていたのだ。下半身は実際の馬に比べて少々小さいのだが、それでも頭から前脚の先までで軽く2mは超えているのでゴードンと並ぶとあまりにもバランスが悪く見えてしまう。

「悩んでるみたいだねぇ。あの男はあれだけの啖呵を切って自分から乱入してきたんだ、生き残る為にアタシ達が逃げの姿勢を取っても文句は出ないと思うよ?」

「それは分かっている。あの戦士の意志を尊重するならとにかく俺達の生存を優先すべきだろう。しかしこちらが離れようとする事で状況がより悪くなる可能性もある。生き残る為にも逃げるより戦うべきかどうか、その判断が難しい」

「……ならあんたはいつでも動けるようにみんなをまとめておいてくれるかい? あいつの援護はアタシに任せな」

「……頼まれてくれるか?」

「怪我や疲労を抱えたままの奴に前に出られても困るけどアタシは馬のケントラン、スタミナ切れにはまだまださ。それにあの硬そうな殻を見なよ、魔力切れのあんたじゃ相性悪過ぎだろ?」

「違いない。だがくれぐれも無茶はするな、マデリーン」







 二人の会話が終わるとほぼ同時にトウガとサソリの睨み合いも終わりを向かえた。己の敵と判断したのかサソリが前触れも無く前進してきたのだ。でかい図体だが多脚のおかげかそのスピードはなかなかのものである。

 トウガも迎え撃つために拳を握り踵を軽く浮かせる。そして移動速度はあっても小回りでは間違いなく自分に利があると判断し、右へのステップでモンスターの突撃を難なく捌くことに成功した。

「いただきぃ!」

 回避から攻撃へ素早く移行して、敵を正面に捉える腰の捻りに連動させたコンパクトな右ローキックが放たれ、その一撃はサソリの歩脚の一つに見事にクリーンヒットした。だが脚一本の先端をへし折られたにもかかわらずサソリの動きにまるで変化が無い。

 左側面に位置するトウガに振るわれた旋回しながらの大きな左腕の叩き付けにはダメージの影響など欠片も無く、トウガは戻し掛けた右足はそのままに左足だけで強引に地を蹴り敵の反撃から逃れていた。

(――っ面倒臭い形してやがる)

 突き出た両腕のハサミ、側面を牽制するように並ぶ脚、そして胴の上で威容を誇る尾針。地上戦のみならず上空からの胴体への強襲にすら対応しかねないその姿に、トウガは有効な攻め手を思いつけなかった。オーソドックスに攻撃しやすい手足の末端部を狙っても、今のようにろくに怯ませることも出来ないなら効果は薄い。しかも蓄積ダメージを狙った消耗戦は神経が磨り減りそうで勘弁して欲しいのが彼の本音であったりもした。

「あたしが引っ掻き回してやる! 隙を見つけてブチかましなっ!!」

 そんなトウガに突然凛々しい声が掛けられる。半人半馬の女戦士、マデリーンがサソリの後ろに回り込みながら参戦してきたのだ。

 トウガはそれに特に返事をしなかった。理解しているからだ、オークなどよりはるかに凶悪なジャイアント・スコーピオンを相手に、彼の後ろではなく同列で戦おうとするその意味を。

(俺の攻撃を当てにして危険に身を晒している、なら応えなきゃなぁっ!)

 背後から魔法を放つなどの強力な攻め手が無くても、まだ名前すら知らない自分という矛を計算に入れれば勝てると考えたのだろう。「それが最良の策だから」と苦渋の決断を下したのかもしれないが、どちらにしろ飛び入り助っ人の自分を認めてくれた事には違いない。少々場違いだがちょっとした嬉しさを感じたトウガは無駄口を叩かず再度化け物に視線を定めていた。



 即席コンビだがサソリを中心にトウガとマデリーンが円を描くように動き、片方に攻めてきたらもう一方がすかさず後ろから攻撃を加える連携はそれなりに上手くいっていた。マデリーンは馬の四つ足でありながら真横へのステップなどで軽快に動きつつ、柄の長いバトルアックスを振り回しジワジワとダメージを与えていく。トウガも明確な隙を見つけ出すとしっかりと踏み込み、低めの位置なのでサッカーボールキックなど蹴り中心ですでに二本の脚を吹き飛ばしていた。

 流れは確実に二人に傾いている、ここから逆転が起こるなどそう簡単に思えやしないだろう。少なくともこれがオーク達だったなら万が一にもその可能性はなさそうではあるが――このジャイアント・スコーピオンにまでそれは当てはまるのか?

 ……オークの術士に戦闘用にカスタムされ誕生した「ソレ」は自然界の生物とは異なる本能を持っていた。自己の安全ではなく己の損傷をも無視した敵の抹殺、生存よりも殲滅を選ぶのが「ソレ」の本質なのである。個体としての強さよりも、その生物としての在り方が何よりも厄介なバトルクリーチャーとでも呼ぶべき化け物の真価は――この先にある。



「よいっ……しょぉおーー!!!」

 マデリーンの渾身の斬撃が関節部に決まりサソリの脚を斬り飛ばす。それによってついにサソリの片側の歩脚は全て使えなくなり、支えが無くなった巨体は地面に落ち砂煙を巻き上げた。

 当然トウガはこれをチャンスと判断、胴体に必殺の一撃を喰らわせようと回避重視だった意識を切り替え大きなモーションで溜めを作りだす。マデリーンはそんな彼の邪魔にならないように乱れた呼吸を整えながら、軽く後ろに下がることにした。

 ギィ、ギギギッ

 しかし、それこそが巨大サソリの狙いだった。トカゲの尻尾切りのような生物として元々持っている機能でもないのに、「ソレ」は自分が傷付くことを餌にして獲物の動きを制限したのだ!

 注文通りに足を止めてしまったトウガにジャイアント・スコーピオンは狙い済ました攻撃を加える。強靭なハサミの予想外な大振りに対し避ける余裕は欠片も無かったが、それでも何とか前面に両手を滑り込ませガードすることには成功していた。だが――

「浮いてっ……!?」

 トウガは吹き飛ばされ数メートルは後ろにゴロゴロと転がされてしまう。何とか両手の十指を地面に突き立てガリガリ削りブレーキを掛ける事には成功したが、サソリのターンはまだ終わってなどいなかった。



 パワー自体もこれまで彼が出会ったモンスターの中では最強のジャイアント・スコーピオンだが、今の一撃は何よりもウェイト差が如実に出た形になったと言えるだろう。

 世界を捻じ曲げる魔法という不可思議なものに支えられて成り立っているトウガの力は、土台であるトウガ自身の体重が変わらない分地面をしっかりと踏み締めないとパワーを発揮し切れない。とは言え歴史ある中国拳法から近代スポーツ格闘技まで「大地を蹴り付ける」など当たり前のことであり、トウガもあまり意識せずともさほど問題はなかった。

 だが今回のように踏ん張れず足が浮いたところにカウンター気味の攻撃をもらってしまうと、耐久性はともかく「その場にとどまる」ことに関して一般成人男性とさほど変わらない事になってしまうのだ。真正面からではなく下に打ち落とす、かち上げるなどで力のベクトルをずらす対応策も一応あるが、それは今のトウガに言っても詮無き事である。



 胴体が地面に着いてるのに強引に旋回したせいで使えなくなった脚のいくつかは根元部分が削られもぎ取れてしまったが、それを気にすることなく片方の獲物を弾き飛ばしたサソリはもう一方に狙いを定めた。円錐状の尾針が膨れ上がり針先から粘膜状の液体が噴き出ると、マデリーンの前脚の蹄と斧の先端を絡めとリ地面に縫い付ける。

 あまりのスムーズな手際に彼女は全く反応出来ず、しばらく経って攻撃された事を理解するとすぐに間合いを取ろうとするが、液体は急速に固まり前脚は全く動いてくれなかった。固まった粘膜を斬り離そうにも武器の方も動かせず、戦闘力を奪われた彼女の焦りはドンドン高まっていく。

 一瞬の逆転劇も単なる作業に過ぎないのか、巨大サソリはたんたんと次の動きに移っていた。すなわち――きっちり獲物にとどめを刺す、ということだ。







「マデリーンッッ!」

 負傷者の面倒を見つつ仲間達をまとめていたゴードンは戦況の急変に叫び声を上げた。

 顔を背ける者、目を見開く者、それらに何ら意を介さずモンスターは前進する。歩脚が使えなくてもハサミを地面に突き刺しにじり寄り、獲物に手が届くところまで近付いた後は一瞬で彼女を惨殺してのけるだろう。

 誰も届かない、誰も止められない。トウガは吹き飛ばされ何とか体勢を立て直したばかりだし、獣人達はサソリの装甲を貫くだけの余力すらないのだ。

 ――ミスった、あんな節足動物なんぞにしてやられたっ!

 トウガの頭の中で様々な考えが駆け巡る。

(俺のミスで人が死ぬ、勘弁してくれ、何か策は、手段は、誰か、どうにか、助け――)





「――ぶぇぇぇぇ、ま゛ぁま゛ぁぁぁぁーーーーーー」





 不意に聞こえた母を想う声、それは彼の思考を一瞬にして断ち切った。諦めて放棄したわけではない。ただ理解させられたのだ、今必要なのは考える事などではないと。

 そして同時にもう一つ気付かされた事がある。地面に四つ足で這いつくばっているというその姿は、少し見方を変えれば獲物を前に今にも飛び掛らんとする伏虎のごとし、さらにはそこから前傾になれば人類が生み出した最速の構え、クラウチングスタートの姿勢へと繋がっているではないか!

 ――考えるんじゃない、感じるんだ。

 全身に力を込めて、腕を伸ばし、頭を上げるっ。体を前に、気持ちを前に、心を前に、前に、前にっ、前にっっ!!!



 ドガン、とでも言うべき鈍い爆発音が響いた。発生源はトウガの足下、もっと正確には彼が駆け出すために蹴り付けた大地からだ。

 雑念を廃した突撃は彼自身が驚くほどの爆速ダッシュを生み、とてつもない移動速度を発揮した。届きそうもなかったモンスターとの距離もあっと言う間に詰まっていく。

 今のトウガは存在そのものが武器、人込みを走ろうものならひき逃げアタックで通った道は死屍累々となるだろう。だがダメだ、走るついででフッ飛ばすひき逃げアタックではまだ足りない、爆発力がまるで足りやしない。馬が、軍馬が連なり踏み潰す、爆走突撃圧壊する戦車こそが必要なのだっ。チャリオットタックルが必要なのだっっ!!!

「るぼあぁぁっ!!」

 悠然とハサミを振り上げていたジャイアント・スコーピオンの横腹にトウガは固めた右肩口から激突した。サソリの巨体を怯ませるとわずかに浮き上がった胴の下で屈みながら体を捻り、今度は左の肩で再度の突進を仕掛ける。歩脚がボロボロで踏ん張りが利かなくなっていたジャイアント・スコーピオンは強烈な二連タックルで宙を舞い、トウガは物の見事に大ピンチを切り抜けることに成功した。

 さすがの戦闘生物も引っくり返され背中から落ちると起き上がる為に手足や尾をジタバタと動かさざるを得ず無様な姿を晒すことになる。己の体を傷付けることすら平然と行う化け物が見せたその劣勢を示す様相に、トウガは今こそが勝負の山場であると判断し裏返った尾の付け根に飛び付きドスンッと押さえつけるように尻を落とした。反転に最も重要な部位を封じた彼は、さらにその強靭な尾を両腕で抱え込み可動域ではない腹側へと一気に折り曲げようとする。

 巨大サソリにトウガが仕掛けたソレはサソリ固め、文字通りサソリの姿が名前の由来になっている有名な関節技だ。だが今のトウガに、名称元への技の行使などと言うダジャレ的な感覚はない。脳裏によぎるのはただ敵を倒す為の、勝利の為の方程式である!!



 カブトムシは樹液を求め角を使って敵を投げ飛ばすことがある。

 猫科の猛獣は獲物を仕留める手段として喉に噛み付き窒息死を狙うことがほとんどだ。

『打撃』、『投げる』、『絞める』、これらは人類でなくとも使い手がいくらでもいる。だが、だがしかしっ! 関節技だけは、その使い手がほぼ人類に限定されるのだっ!

 関節技は人の知恵が生み出したモノ、そして人の知恵とは人類が地球上における強者である根源とも言うべきモノ。

 人類とはすなわち強者、強者とはすなわち勝者、勝者とはすなわち――王者っ!

「――ッ人類ナメてんじゃぁねェぞ! サブミッションこそっ、王者のぉっ、技よぉぉっっっ!!!」



 ボギギギ、ボギュリ、ブチュン

 ギイイィィィィィィッッッッ!!!



 気合の咆哮と共にトウガは力を振り絞った。両腕の締め上げは硬い外殻にひびを入れ、サソリの抵抗を打ち破った彼の海老反りはひび割れた部分や尾の節目を軋ませる。そして一瞬の沈黙の後に、その尾が音をたててブチ折られ引き千切られると、辺り一帯にジャイアント・スコーピオンの断末魔の叫びが響き渡った。

 ――サソリ固めはスコーピオン・デスロックとも呼ばれる危険な技だ。「死」を名前に含む冗談では済まされないその真の姿は、決して遊びで出していいものなどではない。







「ぬあった!?」

 突然陸に打ち揚げられた魚のようにサソリが跳ね始めトウガは振り落とされてしまった。掴まっていた尾が千切れたうえに背を大きく反らしていたので踏ん張れなかったのは当然だろう。

 地面に落とされ大きな隙を晒したがトウガはすぐさま体勢を立て直して敵に振り返る。しかしサソリの行動はどうやら攻撃的な意図はなく苦し紛れにもがいているに過ぎないようで、放っておいても大丈夫そうだと判断した彼はしばらくしてから息を吐き体中の力を抜いた。

 呼吸は乱れたままだが興奮が冷め始め、ふと自分の体を見渡しところどころにジャイアント・スコーピオンの体液が付いている事に気付きトウガは顔をしかめる。サソリ自体はあまりに巨大かつ硬質感が強くロボットのようであり、小さな生物特有の素早さも無く組み付いても気持ち悪さがあまりなかったのだが、さすがに体液等は勘弁してほしくなる生々しさがあったのだ。

「――ベタついて気持ち悪かろう。使うがよい」

「ぅのっ、ユ、じゃなくてアテん、っでもなくて! ……ぁーユナ、来てたのか」

 背後から急に掛けられた声にトウガは驚いた。ユナが手拭いと水袋を持って来てくれていたのだ。周囲の状況が把握し切れず呼ぼうとする名前が二転三転してしまっている事からも、彼の驚き振りが分かるだろう。

「ぅぉー、ありがと。そっちは大丈夫だった?」

「うむ、特に敵が現れてもおらん。心配してくれて嬉しいぞ。……ところで、のぅ…………その頬の傷は、アレに付けられたのか?」

 後半を平坦気味に言うユナの言葉に「ん、傷?」と頬に手をやると指先にわずかに血が付着する。どうやら頬をいつの間にか切っていたらしい。戦闘の流れを軽く思い出し、おそらくは巨大サソリにやられたのだろうと思った彼はユナに向かって肯いた。

「そうか、アレのせいか。そうか、ふむ……そうか」

 呼吸を整えながら体の汚れを落とし、いまだビタンビタンと跳ねるサソリにトドメを喰れてやるべきかと足を動かそうとしたとき、トウガは場の空気にひんやりとしたモノが混ざるのを感じていた。一体何だと周りを見渡し原因を見極めようとするが、彼はとりあえずその原因の候補からユナは除外するべきだと判断する。何故なら先程から彼に見せる顔は、全て慈愛の微笑みと言ってもいい表情だったのだ。こんな息が詰まるような雰囲気と結びつくとは、とてもじゃないが思えない。

 だが、そうなると肌で感じる緊張感が何なのか見当が付かず、トウガの足はその場に縫い止められてしまう。

 再び抜いた力を体中に込め直そうとするトウガだったが、ユナは何も気にした様子は無くその横をするっと通り過ぎいくらか前進する。そしてそのまま右手をジャイアント・スコーピオンに向けて小さな声で呟いた。

「燃え尽きろ」

 彼女の声に反応して爆炎がサソリを包み込む。そばで見ていたトウガはもとより、マデリーンに駆け寄り拘束を解いていたゴードンや子供達も唐突な火柱に声も無く目を奪われていた。

 尻尾に大きな切断面が出来たこともあってか、火はサソリの内部まで焼いていく。もう動けなくなっていた標的に対しても、彼女は念を入れるように魔力を注ぎ続けて火力を落とそうとはしなかった。

 硬い外殻すら燃やし尽くそうかというユナにトウガは恐る恐る声を掛けた。

「ぃ、あーぅぁ、……ユナ?」

「んん、何じゃなトウガ? ぬっ、まさか痛みが酷いところがあるのか、ならばすぐに見せよっ」

「やー、いやいやっ、今回はでかい怪我とかしてないからっ」

 振り返ったユナはやはり優しい笑みを浮かべており、ホッと胸をなで下ろす。いや、そもそも何に気を掛けていたのだろうか。気が付けば場の緊張感など一切消え失せているし、彼女は自分を優しく気遣ってくれている。脅威であったジャイアント・スコーピオンも、もう外殻がいくらか焼け残っているに過ぎないのだ。

 感じていた「何か」については大した事でもなかったんだろうと置いておくにして、トウガは獣人達と軽い自己紹介や被害状況の確認などをすべきだと考えた。

「ユナも来てくれ。俺だけじゃ言葉が足りんかもしれんからフォロー頼む」

「ふふ、任せよ。大船に乗った気でいるがよいぞ」







 結局トウガが知ることは無かった違和感をかもし出していた元凶、それは彼が真っ先に候補から外したユナである。

 どうして彼女がそんな空気を生み出したのか? ――サソリに向けて炎を生み出す直前の、トウガには見せなかった能面のような表情とその下に隠されていた感情を知ることが出来たなら、その理由を推測するのは決して難しくはなかっただろう。





 ――妾の良人の顔に傷を付けるとは万死に値する。消えろ、消え失せろ、消滅させてくれるわ……――





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 リアルの都合もあって久々の投稿です、エターにする気はなくとも「あいつ、打ち切りやがったか」なんて思われてるかと考えると心が痛いです……。ま、今後ものんびり投稿なのは変わらなそうですが。

 今回は投げ、防御技、打撃、関節技とラインナップが豊かですね。ブルース・リーの名言や田中ぷにえさんチックなサブミッションも出さなければならないとは思っていました、タイトル(肉体言語)的に考えて。

 実際の回し受けを作者はよく知らないので作中でかなり有り得ない使い方をしていますが、効果としても完全に別物と言えるだろうしそこは気にしないでください。

 戦闘だらけの回だったしそれ以外を中心に、次回ぐらいはなんとか多少早めに投下したいなぁ。



[9676] 14話
Name: 鉄腕28衛門◆9e4cac5f ID:3ee6fbf0
Date: 2010/08/21 19:40

『のぅトウガ、寒い、とても寒いのじゃ。強く、強く抱きしめて欲しい……』

『ああ俺のアテンザ、かわいそうに。ほら、もっと近くに来てごらん』

『船が難破するとはな、これが海というものか。おおトウガよ、妾は恐ろしい』

『大丈夫、俺がついてるよ。それに君の為なら、たとえどんな困難が立ち塞がっても乗り越えてみせるし、世界中のどこにいようと見つけてみせるさ。……濡れた服は体温を奪ってしまうね。さぁ、そんな物は脱いで、肌を合わせて暖めあおう』

『ああっ、ダメ、そんなっ。わ、妾は……』

『何を言うんだ。二人の関係が恋人以上なのは確定的に明らか、何も問題はないじゃないか』

『だって、だってぇ、あぁ、あああ~、らめぇ~~~』

『まずはその口の中から暖めてあげるよ――』





『――トウガ? どうしたのじゃ、暖めてくれるんじゃろ?』

『ユナ、実は俺さ、結婚することにしたんだ』

『……ぇ? え? えっ!?』

『一応式も挙げるつもりだから「友達」として来てくれよ』

『っっ! なっ、何を言っとるっ! そなたの恋人で、妻で、隣にいるのは妾で――――その、横にいる、女は、……誰?』

『何言ってんだ、お前も会ったことあるだろ? 俺の「彼女」』

『かの……じょ? え、え あれ。 おかしいおか しいではな いか。そ んなの間違――』

『自分の口で言うと照れが混『ああそうか、そやつに洗脳されてしまったのじゃな。安心せい、そなたの公私にわたるパートナーである妾が悪い女から助け出してやる。トウガの花嫁を騙るという愚か極めし所業、許せぬ、断じて許せぬ。貫いて、切り裂いて、凍らせて、砕いて、すり潰して、燃やして、灰にして――。ああ、どうすればそのメス豚の存在を塵一つ残さず抹消出来るのか。トウガ、妾ガンバるから、終わったらほめて、ほめて、撫でて。トウガは何もしなくていいから、妾ガンバっちゃうから。えへへ、うフ フ、アは、あははHA HAは あハははHAハ アハハハハハ     アハ』









「夢か」

 うつらうつらと眠り掛けていた少女は目を覚ました。側にはトウガが毛布に丸まって横になっており、馬車の中で彼を見ているうちに彼女の意識も落ちてしまっていたようだ。

「……そなたが取る選択肢に文句をつけるつもりなどない、が……」

 眠るトウガの髪を撫でながらユナは小声で語りかける。そうしてそのままゆっくり四つん這いになると、彼の顔を直視しながら真上から覗き込んだ。垂れ落ちる長い髪がトウガの頬をくすぐりそれから逃れようと彼の頭がわずかに動き、逆さまではあるがちょうどユナの顔と真正面に向き合う形となった。

「…………妾以外と共にある選択を許容するなど出来ようはずもないのだ。そなたを必ず妾に振り向かせてみせる――――必ずだ」

 その言葉はまさに告白。相手が眠っているとは言え、なんとも真っ直ぐでド直球な告白であった。

 ただその言葉は重く、そこからにじみ出る「何か」が感じ取れてしまう事には少々問題があると言わざるを得ないのかもしれない。肝心のトウガにユナの言葉が聞こえていないこの状況ではその「何か」を推察することも難しいが、聞かれていないからこその行動でもあり、明らかな威圧感を放つそれを彼女がトウガに見せる事などそうありはしないだろう。

 並んで立つに相応しいかと考えるような繊細なハートと、病的とも言えるような強烈な独占欲をかいま見せる女心。二面性の一言でまとめていいものかは分からないが、それぞれが間違いなくハーフデーモンたるユナの一部分なのである。



 トウガに覆い被さりその顔を眺めていたユナだったが、しばらくすると体をどけて元の位置に座り直した。そして乱れた髪を軽く整えてから外を眺め、もう陽が暮れようとしていることに気が付く。

「もう夕方、いや夜が近いか。夕飯の支度をすべきかな……。ふふ、トウガよ、今日もうまいと言わせてやろう。待っちょるがよいぞ」

 また彼の髪に触れながら微笑を浮かべ、ユナは少女らしい想いを胸に馬車から降りようとするのであった。









「俺達は交易商だ。これでも一応ベテランのつもりなんだが……、今日は情けないところを見せてしまったな、助かった」

「お礼の言葉は誰よりもトウガ君に掛けてあげて」

 夜に備え大きめの焚き火が作られ、それを囲むようにレシャンとゴードン達獣人一行は座り込み、各々がゆっくりとした時間を過ごしていた。

 ゴードンはクチバシで葉巻をくわえ、鼻腔部から煙を立てている。風下に座って周りに気を使いながら、被害状況を紙にまとめ確認する喫煙中のペンギンの姿はなかなかシュールなものに見えるかもしれない。

 半人半馬の種族、ケントランであるマデリーンも脚を折り畳み座っているが、その側では子供達が彼女に頭を預け横になっていた。明らかに血の繋がりは見られないのだが、それは十分に親子と言っていい関係を示しているだろう。

「遠くからそちらの事が見えたときに、彼は『行くか、避けるか』じゃなく『自分が離れても問題無いか』って言ってきたの。よその荒事に自分が行くのは決定事項、そして他人にそれを無理強いはしない」

「そいつは……助けられた身としては何とも素晴らしい話だ」

「冒険者をするには珍しい真っ直ぐさよね。もっとも、それが実力的に可能だからって勘定は出来てるみたいだけど。そこらへんの知恵が回らないような子じゃないわ」

 ゴードンはわずかに驚いた顔の下で皮肉っぽく茶化そうかと思ったが、トウガとのわずかなやり取りを思い出して止めておいた。あいつの行動原理が何だったのか……、そんな思考も今の自分の立場では少々礼を欠いていると言える。

 助けられたのは事実なのだ。例えそこに自己満足やヒーロー願望があったとして何の問題がある? 肥え太った者が口にする潔癖な善の在り方よりも、思惑付きの救済活動の方がよほど意味があるではないか。孤児院の子供達は権力者の地盤固めの為だとしても、晩の食卓に新たなおかずが一品増えるのであれば、むしろその慈善活動を大いに喜ぶものなのだ。

 闘いの中で感じた「美味い酒でもを飲ませてやりたい」という素直な感謝の気持ち、今はそれと救われたという事実をただ認めるだけで十分だろう。

「あんた達が今日、あの時間にたまたまここを通り掛かったって事にも感謝してるのさ」

「ふふ、ならそう受け取っておきましょう」

「――ずいぶん仲が良いようだがアンタらは家族なのか? メンツや人数からはいまいち構成が分からんが」

「ユナちゃんは私の姪でトウガ君は旅の護衛に雇った冒険者、なんだけどユナちゃんの方は家族になりたがってるわね~」

「あっらら、面白そうな話をするじゃない。へぇーあんな綺麗な娘がねぇ」

 突然、今まで聞き役に回っていたマデリーンが口をはさんで来た。世界や時代、ついでに種族が変わっても女性がこの手の話に興味を示すのは同じらしい。子供が寄り添って寝ているので場所を動いてはいないが、彼女の声は響きがよく距離も近かったので会話に支障は無かった。

「どっちかって言うと、普通あの坊やが惚れてるって話になると思うんだけど。主に容姿的に考えて」

「ちょっと否定し難いけど、まぁ色々あったのよ。トウガ君からの印象も悪くないはず……思えばまだ会ってから一月経ってないのよね。それでユナちゃんが彼にゾッコンになったのは……十日目ぐらいなんだったっけ?」

「あらま、見た目によらず情熱的だこと。むしろ男を手玉に取りそうなぐらいなのに」

「それはその、性格的な……そう、性格なのよ、うん」

 街の道具屋に交易商、生来の性格に加え職業柄物怖じしない彼女達は歳が近いこともあってか、昼頃から今の時間までですっかり軽口で話せるまでの仲になっていた。

 そしてその軽い口調のまま危うく姪が一人の男にこだわる訳を言ってしまいそうになったのだが、それはなんとか止める事に成功する。さすがにユナの出生などにまで話は及ばないだろうが、変に話が盛り上がると後で当人達が会話に混ざった時に、お互いの認識に少々のズレが生じる可能性がある。それが尾を引き、万が一二人の不仲に繋がろうものなら冗談では済まないのだ。

 そもそも自分の姪とはいえ、人のプライバシーの事をこうも話すのはどうかと思えて来る。レシャンも普通とは言い難い今回の旅によって疲れやストレスが少しずつでも溜まってきているのかもしれない。

 考え過ぎと言われるかもしれないが、気をつけておいたほうが良い事柄なのも確かだった。



「なかなか賑やかじゃな。それに良い匂いも漂ってきておるわ」

 レシャン達がとりとめのない話を続けているうちに、馬車の中にいたユナがひょっこりと顔を出してきた。今までの話の流れを思い返して、あまりトウガとの仲についての話題は振るべきではないかなと考えながらレシャンは姪の声に答える。

「大鍋で食事の用意をしているのよ。私達にも振る舞ってもらえるらしいし、ユナちゃんも頂きましょう?」

「おお、それはぜひに。妾もトウガにつられつい眠ってしまってな、起きたはいいが腹の虫がしくしくと鳴きそうでかなわん。じゃが、の……どこかの寝坊助が起きた時に頭をシャキッとさせてやりたい、なので食材に少し手を出したいのだが……構わぬか、叔母上?」

 ポイント稼ぎ、健気に尽くす、トウガとユナの関係を軽く聞いただけだとそんな感想が出てきそうな話である。本当は何と言うかもっとこう……ドロドロ?っとした……淀んだ想いが付属していたりするのだが、そういったものを隠すのにユナは慣れていた。

 ジャイアント・スコーピオンにとどめを刺したときも光景も「優れた攻撃魔法の使い手」という印象が強く、特に悪いイメージを持たれた訳ではない。

「ならそいつはウチのを使いなよ。ウチには大飯食らいが多い分、たっぷり用意があるからね。じゃんじゃん使っとくれ!」

「そうだな、あれだけの働きにはちっとささやか過ぎるが、それでも何も返せないんじゃプライマの名がすたる。好きなだけ使ってくれて構わんよ」

「ありがたい、ご好意に甘えるとしよう。ところで……プライマとは何の名前なんじゃろか、聞いてもよろしいか?」

「おっと、まだ嬢ちゃんには正式な名乗りを上げてなかったか。俺はこのウルミの《父》であるゴードン・プライマ、こっちが《母》のマデリーン・プライマだ、よろしく頼む」

「ウルミ? それに家名持ち……貴族なのか?」

「ユナちゃんは知らなかったかしら? それじゃあ久々に座学のお勉強といきましょう」





 ウルミ、それは人間の感覚で言うなら「家族」のことである。だが在り方をもう少し掘り下げて例えるなら「群れ」と言った方が正解だろうか。彼らは血の繋がりを重視しない。もちろん我が子を愛さない訳ではないが、同時に種族の違う捨て子であろうとも自らのウルミの一員になったのなら、それはもう愛しき自分の家族なのである。

 そういったウルミの特徴から彼らは家族というにはかなり多様な種族で構成されている。ウルミによっては人間がメンバーにいるという場合もあり、それはさして驚く事ではない。

 そしてそれら兄弟姉妹達をまとめる男衆の顔役を《父》、女衆の顔役を《母》と呼ぶのだ。何だかんだで大半が力を尊ぶ獣人である以上、優れた戦闘能力を持つ者でないと成り難い立場ではあるが、ウルミの持つもう一つの特徴ゆえに決断力などリーダーシップも大きく要求されるのが普通だった。

 トップが力だけでは問題があるウルミの特徴とは、ウルミが「家族」「群れ」、そして何より「一つの小さな国」でもあるという事だ。

 人間他多くの種族が縦社会を形成する中、獣人は横の繋がりを重視する文化を持っている。人間が言うそれとは多少違うが、問題等に対しては極めて広く浅い議会制度で街や国の方針を決めるのが慣例となっていた。

 日本人的な感覚だとハッキリとした身分差を作る王制よりも心地良く聞こえるかもしれないが、実のところこれはこれで大きな問題も抱えていたりする。何と言っても遅いのだ、その行動、その決定、その通達、全てが王制の統率されたそれらに比べて稚拙過ぎると言ってもいい。低い文明レベルや議会そのものを正しく理解する教育機関が足りない場合、現代におけるワンマン企業のような早さを持つ集団に遅れを取りがちになってしまうのも当然だった。

 早さは速さに、そして速さは強さに変わる。王制も時代と噛み合った合理性から成り立つものなのだ。おかげで獣人は歴史上に残るような戦での大勝がほとんど存在していない。その分住民が逃げる場合、判断はウルミごとに行うので虐殺の記録などもほぼ無かったりするのだが……。

 代替わりが起こる事、《父》や《母》がメンバーの最年長である必要は無い事なども含めて、結局のところこれらは役職の一つだと思った方がいいだろう。

 この世界の人間社会では、家名持ちは貴族以上の地位を持つ者や有力な商人ぐらいに限定されるので、どちらかと言えば自分達の在り方の方がマイノリティ――少数派であることを理解している獣人達は、尋ねられた時の為にウルミの説明などに多少は慣れているものなのだと言う。





「新しくウルミを作ろうって奴が出た時は……まぁこれ以上はちっと蛇足になるか」

 レシャンだけではなくプライマというこのウルミの《父》と《母》である二人も加わって、ユナに「ウルミについての即席講座」が行われていた。トウガのような凡骨と違い、座学で超優秀生徒と呼べるユナは一を聞いて十を理解するほどの能力を見せており、ゴードンとマデリーンはそんな少女に感心しつつ説明を続けていた。

「うむ、大体は把握したと思う。つまりこうして焚き火を囲む彼らは、全てゴードン殿とマデリーン殿の子供達というわけか」

 まだまだ庇護が必要な幼児から普通に所帯を持っていそうな大人まで、その全てが二人の子供……。

「もちろん《子》だから絶対に立場が下ってわけじゃないよ。アタシ達んとこにはいないけど、知恵袋って感じの爺ちゃん婆ちゃんなんかが《子》にいたら、若い《親》がその言葉を頼りにするってことも普通にあるからね」

「でも小さな子供を含めて見ると、人間の家族とさして変わりはしないのねぇ。その子達、すごく安心した顔で横になってるじゃない」

「そいつは当然だ。見ての通り血縁どころか種族も違うが、だからこそ見て分かるぐらいに俺達は身内同士の和を貴ぶ。俺はそんな自分達の気質を、ちぃっとぐらいは誇ってもいいんじゃないかと思ってるんだよ」

 穏やかな口調で己の家族の事を語る彼らはあからさまではないものの、ユナの目には嬉しそうな、そして優しい暖かな感情を抱いているように見えた。

 それは美しく、羨ましく、そして妬ましく……。

(血縁を超える、互いの関係だけで成り立つ……家族)




 ――――――――




「ぉ……ぉお……お? ……ぁぁ、寝てたんか」

 馬車の外から聞こえる賑やかな声、空きっ腹には堪らない美味そうな匂い。眠っていたトウガはそれらに起こされると、モソモソと寝床から這い出てきた。

 結局彼は昼から夜近くまでという陽が高い時間のほとんどを寝ていた事になるのだが、当然それには理由がある。

 あの激闘の後、レシャンも合流してからお互いの素性をほどほどに説明すると、まずは早急に怪我人の治療を始める必要があった。死者こそ出なかったものの重傷者もおり、疲弊した獣人一行ではレシャンを含めても癒し手が足りないと分かった時、トウガは自ら治療の協力を申し出たのだ。

 あれ程の戦闘力を見せておきながら魔法まで使えるのかと驚かれるが、それを否定すると彼はレシャンに自分の肩に手を置きながら魔法を使うように頼んだ。レシャンも理屈では分からないが以前見せた魔力の増幅を行うのだと理解すると、頷いてトウガに触れながら特に怪我が酷い一人に治療魔法を唱える。

 ゴードン達が見守る中、電撃に焼かれ全身火傷を負っていたその獣人は、瀕死だったのが嘘のように奇跡の回復を見せた。意識こそすぐに戻りはしなかったが彼の緩やかな呼吸は家族達を喜ばせ、トウガは続けざまに他の怪我が深そうな者を探すが……それはユナによって強引に止められてしまう。ユナは彼の顔から重度の疲労を見て取っていたのだ。

 トウガを無理矢理脇に座らせると、彼女は見入っていた周りに声を掛け被害の後処理等にも意識を向けさせた。そして自身も、覚えたてと言うべきか見よう見真似で叔母が使った魔法を行使して治療を手伝うのだった。



 火急の問題が一段落ついた頃、トウガは何とか自分の足で馬車に向かうとそのまま眠ってしまい、ユナも彼にあれ以上無理をさせない為に治療行為に励んでいたので思いの外疲れが溜まり、眠るトウガを見守りながら意識が落ちてしまっていた。元々彼らは部外者であり、その助けに感謝の念を抱かざるを得ない獣人達はトウガとユナの休息を邪魔しないように考え、そのまま起こされること無く時間が経ったというわけだ。







(ブースター、どうにも使い辛ぇなぁ……)

 トウガは数時間前のことを思い出す。

 己に備わった魔力ブースターの能力を使う時、大きな疲労感に襲われるのは分かっていた。現在の彼は『エリア』の魔法具を所有しており、自身が考えうるいくつかのパターン(腕輪の着脱、時間帯の違いなど)で増幅効果や疲労加減の実験をしてみたことがあるのだ。

 だがその結果は全て同じで「強化された魔法が多大な疲労を代償に発動する」というものであった。むしろあまり疲れることの無いブーストを抑えた魔法の使用が出来ない事実に気付くありさまだったりする。

 今回またこれを使うべき事態になったので、慣れなどを考慮して多少は疲労度が軽くならないかと期待もしたのだが……結果は以前と全く変化なしといったところである。

「いかん、意外に使いどころに困る気がしてきた」

 トウガが何故この力に頭を悩ませるのか? もちろん効果的に運用出来たなら実に強力だから、というのもあるが、何より「そういえば……」と思い出した一つの出来事があるからだ。

 それはユナと全力で闘った時の事。彼女に組み付き関節を取ろうとしたトウガに対して、ユナは氷球の魔法でもって迎撃を試みた。しかしその時は特に気になりはしなかったが、今にして思えば「明らかに接触していたのにブースト能力が発動しなかった」事例があったことになるのだ。

 一つでも例外があるなら考察する意義は十分あるし、そもそも自分の体の事でもある。気になるのも当然と言えよう。

 付け加えるなら、己にとって最強の武器と言ってもいい左手首に装着している身体能力上昇と防御力上昇の腕輪。これも常時付けっぱなしで問題無かったり、意識しないと付けてる事すら忘れかねない馴染みっぷりだったりと不思議な点がいくつか見受けられる。まぁこちらは問題点があるわけではないので困りはしないが、それでも理由が分からないと安心し難いという思いもあった。

「……結局どういう事なのよ」

 ブーストは一回発動で足がふらつくレベル、二回発動すればそのままベッドに直行という程のものだ。現状のままだと些細な魔法のアイテムも気楽に扱えないばかりか、思わぬ形で疲労に見舞われピンチに陥る可能性もある。

 加減が利かない事や自分もあまり全容を把握出来ていない事実(最も恐るべきはブースト能力が消えてしまう可能性)をかえりみて、トウガは今の自身のアイデンティティーがとても薄い氷の膜の上に存在しているような感覚になっていくのだった。







 ひとしきり悩み続けていたトウガの鼻がピクリと動く。激しい戦闘や昼食を抜かしていたせいで、体が栄養摂取を早く早くと急かしているようだ。

「とりあえずご飯ー」

 考えてもどうにもならないことは一時放置、トウガは匂いの元へと足を向かわせようとした。彼はこういった意識の切り替えが比較的早い、ある意味健全な精神の持ち主のようである。

 よっこいしょ、などと言いながら彼が馬車を出ると、少し離れたところに大きめの焚き火を囲む集団が目に入る。トウガが頭に付いているかもしれない寝癖を片手で撫で付けながら近付くと、それを見つけた子供の一人が声を張り上げた。

「あー、きたーっ」

 言われた対象であるトウガが「何が?」と思う間も無く、焚き火の側にいたみんなが一斉に彼に目を向けた。一瞬ビクッっと身を引いてしまうが、その目は単なる好奇のものではなくトウガを歓迎する暖かい感情が込められているようだ。そしてそのうちの何人かが駆け寄ると、彼に礼を言いながらぜひにと宴の席に招いて来る。

 ?マークを2,3個ほど頭に浮かべているトウガは、子供に腕を引っ張られるままユナの隣に設けられていた席に腰を下ろした。

「やっと起きたか、大将。主役がいないんじゃ盛り上がりに欠けちまっていけねぇな」

「……たいしょ?」

「アンタのことだよ。みんな、アンタと一緒に飲んで食べて騒ぎたかったのさ。もちろんアタシもね」

 ゴードンとマデリーンの声を受け、彼は昼間の事を振り返る。





(ああ、そっか。俺が助けて…………)

 多くの命を救えたことは喜ぶべき事実だろう。だがそれは自分の実力ではない借り物の力によって成し得たものなのではないのか?

 先程まで考えていた自身の薄っぺらな実情の事が再び頭をかすめ、トウガの顔がわずかに歪み掛ける。



「そなたが護ったのじゃ。他の誰でも、何かでもない。この場の語らいが主の尽力無しに存在するものか。――だから、もう少しぐらい嬉しそうな顔をしても良いのではないか?」



 しかしそれも一瞬のことだった。

 ユナがトウガに伝える。無双の力でも、ここにいないどこかの英雄様でもない。彼らを救う決め手になったのはトウガという一個人、その助けようとする意志なのだと。

 確かに無理を押し通す怪力がなければ厳しい戦いになっていたことだろう。もしかしたら助け自体しなかったかもしれない。それでも、この異質な能力は所詮「道具」に過ぎないのだ。それだけで何が行われようか。

 決定して、実行したのは間違いなくトウガ自身なのである。

 ユナの言葉はトウガの心中を正確に把握して出たものではないが、それでも彼を気遣い労わろうとする気持ちが深く籠められているのは間違いなかった。「トウガの事をよく視ている」、端的に言えばそう評するのが適当であろうか。その洞察力はトウガという対象だからこそ発揮出来ているのかもしれないが……なんともまぁほんの少しのことに気が回るものである。





 周りから見れば何気無い一言でトウガの心は理解する。今、この場はみんなで喜びを分かち合う為のもので、そして自分は望まれてここにいるのだ。

 大した事はしていない? 阿呆かっ! 命を護っておきながらそれを過小評価するなど、救われた相手を馬鹿にしているのではないのか!?

 己が成した事に対する正当な賞賛を素直に受け取れないなど愚か者と同じである。それは謙虚という言葉とは明らかな別物なのだ。

 周囲のある種わくわくするような顔を改めて確認して、トウガの顔がほころんだ。

「どもっ! ど~も~!」

 そうして宴の幕はより大きな形で再び上がるのであった。

 大学コンパのような軽い出だしは、彼の心の弾みようを実に分かりやすく示している。褒められ称えられれば嬉しくなるのは人の子として当然の事であり、小さな場であろうと主役になれるならその振る舞いが大きくなるのも特別おかしな話ではない。

 きゃいきゃいと騒ぐ子供、トウガと笑いあう同世代の獣人の若者、またも世間話に華を咲かせるレシャンとマデリーン、軽い一品を作ろうと見せてもらった食材を物色するユナ。

 客人に振る舞う酒を選びながら賑わいの輪を眺め、ゴードンは小さく呟いた。

「こんな時こそ極上の酒ってのは出来上がる。所持してるだけじゃ意味がない。いつ、どこで、誰と飲み交わしたか。それに華を添えたことで初めて『良い酒だった』事実が出来上がるってもんよ」

 どうやら彼が決めた秘蔵の一本は今夜、極上の一杯になるようだ。




 ――――――――




 翌朝、トウガは体をバキバキ言わせながら起床した。彼は焚き火の近くで荷物を枕に横になっていたのだが、他にも同じように雑魚寝している者が何人かはいるようである。

 そのまま起きずにまた横になっても良かっただろうが、生憎昨日の昼から夕方まで寝ていた体はそれを許してはくれないようだ。立ち上がって大きく背伸びをすると、彼は自分達の馬車に向かい保冷の水がめに溜めてある水で軽く顔を洗った。馬車ではユナとレシャンが寝入っているようだが、無論用も無いのにその邪魔はしようなどと考えることはない。

 冷えた水でスッキリしてさてこれからどうするかとトウガはしばし思案する。

「みんな起きるまでまだ時間あるだろ……散歩でも行こ」

 これまで平原の街道を進んできたトウガ達一行だったが、目を横にやれば川や湖、丘陵などがあり決して面白みの無い同じ景色が続いているわけではない。時間が取れるならテレビの中でしか見たこと無いような広大な風景を、一人でじっくり観賞するのも良いかもしれないとトウガは思っていた。

 三人だけだと外敵への警戒等で馬車から離れがたい(そもそもトウガは雇われた護衛である)ので、そんな観光チックな考えは仕舞っていたのだが、今はそれを気にする必要もないのだ。



 宴の席でのトウガ達とゴードン、マデリーンとの話の中に、今回の救援に対する謝礼の事があった。

 トウガが払った労力、その成果、ともに礼の一つや二つで済ませるには少々無理がある話だ。これらを善意の一言で終わらせていたら冒険者などという職業は必要ない――と、まぁ一般的にはこう見るべきなのだろう。実際、トウガも報酬が出るなら嬉しい限りだ。

 しかし、被害にあったばかりであり、しかも小さな子供も多いゴードン達からこの状況で報酬を貰うというのは、彼からしてみれば心苦しい気持ちがあるのも事実だった。自身に汚点は無いのに後ろめたい、このような場合どうすればいいのか?

 ――答えは簡単、『見栄を張れば良い』のである。

 周りに強欲な奴だと思われたくない、お金は欲しいが切羽詰まっているわけではない。天秤が揺れ動いておりまだ傾き切っていないなら、張れるだけの見栄を張ってしまえばそれで問題無しだ。

 ゴードンもそんな人の機微を汲めない人物ではない。トウガの「報酬はいらない」という申し出をそのまま受け入れると、代わりに旅の雑務を請け負うという提案をしてきたのだ。

 たった三人のトウガ達にしてみれば食事の準備や就寝時の見張りをしなくていいのは、むしろ少々のお金よりもずっと価値があると言えるだろう。もし見張りが敵を発見したなら総員で動くべきだが、それでも神経を常時張り巡らす必要がないのはかなりの利点だ。ゴードン一行の持つ「数の力」はトウガ達には出せない強みなのである。

 進む道先が同じであるということも分かり利害の一致を確認すると、トウガは渋い声とは全然似合っていないゴードンの可愛らしい手と握手をしてこの話を終わらせたのだった。



 少し離れたところに見回りに立つ者や朝早くから馬車の車軸等を直している者がいたので、挨拶をしてから散歩に出る事を告げる。一人で行動するというのを子供が言い出したなら昨日の今日だけに即止められただろうが、相手がトウガだったので特に心配せずに了解されたようだった。

「さてと……」

 当ても無くしばらくトコトコと歩き、やがてトウガは観賞に価する景色を見る方法として周りを見渡せる高い場所に行く事を思いつく。よってなだらかな丘を見つけるととりあえずその上を目指してみようと考えた。

 大した距離ではなかったが丘の上に辿り着つくと軽く息を吐き、そこから見える風景を前に彼は小さくつぶやいた。

「…………グレート、だぜ」

 緑、山、そして点在し景色に彩りを加える様々な自然の産物。

 知識で知ってはいる。テレビやネットで見たことはある。だが「感じた」のは初めてだった。雄大、広大、そう形容すべき眼前の代物は紛れも無く本物。聞くと見るとでは大違いとはまさにこの事か。

 今までは余裕があまりなかったせいだろうか、これに近い光景を見ても特に何かを感じたりはしなかったのに……。圧倒的な自然、そしてその上に広がる澄み切った空に吸い込まれるような感覚を抱き、トウガの体が軽く震える。恐怖心、なのだろうか。ソレを振り払うように急に腕を振り回すと、彼は気分を変える為に体を動かそうとその場で逆立ちになり、そのままの体勢で移動を始めた。

「よっ、ほっとっ」

 筋トレの一環と言えば聞こえは良いが、本人からすれば片足を上げ飛び跳ねている程度のものである。常人でも、風呂の中でなら両腕だけで体を支えられるのは周知のことだ。そして水の浮力以上の強力なパワーアシストを持つトウガなら特に驚くべきことではない――が、傍から見たら場所的にその謎な姿には驚かれるものかもしれない……。

 しばらく異様な散歩を続けたトウガは近くに直径2m程の岩を見つけ腕を止めた。そして足を下ろし普通に立つと、その岩を前に軽い口調で独り言を口にする。

「れっつ、打岩ちゃれんじ~」

 打岩とは彼が知る漫画の中での、中国拳法の鍛錬の一つだ。巨大な岩を己の拳足のみを使い真球に近付けるという、一種の芸術とも言えるものだが――

「フン」ドガッ「ハッ」バガッ「セイ」ズガッ

「あい」ドゴッ「きゃん」バゴッ「ふらーい」ズゴッ

「死ねー」ドギャッ「シネー」バギャッ「チネー」ズギャッ

 全然ダメ、ダメのダメダメである。部屋の天井から垂れている蛍光灯のスイッチにパンチをしてみれば分かりやすいのだが、姿勢等を相当注意をしていてもパンチを正確に同じところに打つというのは、それだけで言葉で表すよりもとんでもなく難しいことなのだ。しかも場所によってはキックも必要なのでその場合はさらに難易度が上がってしまう。

「これ絶対彫刻技術もいるだろ」

 結局出来上がったのはいくらか削られ一回り小さくなった……やっぱりただの岩だった。

 自分の作品に呆れてしまうトウガだが、同時に拳を見てわずかに笑みも浮かべている。

「まだまだ強くなる余地があるってことだよな」



 新たな道連れも増えたトウガの旅路。先に何が待つのかなど想像も出来ないが、とりあえず目指すべき指針は決まっていた。

 まずは納得のいく生活基盤の確保、そしてブースト能力の詳細を探ること。強くなりたいのは今も変わらないが、それを支える根本が不確かなままでは強くなれるとも思えやしない。

 それにもっと知り合いやコネを作るべきかなとも彼は思っている。依頼を受ける、情報を得る等には地道な人脈作成が最も有用な手段だろうという考えだった。

「それに大きな街に行きゃあ、ね」

 トウガにはある意味目下最大の問題が存在していた。それはまぁその何と言うか……男なら誰しもぶつかる問題、ぶっちゃけ性欲の発散についてである。

 ハッキリ言って現状最も身近な同世代がユナというのは非っ常~にきつい。文字通りその悪魔の肢体は妖艶な色香を持っており、トウガはある程度意識して自分を律する必要があったのだ。

 アプローチしちゃえば?と思わなくも無いだろうが、それに失敗して気まずくなり一緒にいられないと考えてしまった時のことを想像すると、その後のあまりの一人ぼっちっぷりに眩暈を覚えるほどで恐ろしいとすら言えた。この世界に自分を呼んだステイシアと離れた後に味わったあの異様な虚無感、アレを思い出せばユナとの関係は今のままで十分とするのも無理はないのかもしれない。

 付け加えるとマデリーンも思ったことなのだが、客観的に見てトウガとユナはイマイチ釣り合いが取れているとは言い難い。そこだけを考慮した場合、トウガが尻込みするのはむしろ納得しやすいと言えちゃったりなんかしちゃったり……。まぁそれだけだと、ただ男として情けないだけなんですがねっ。

「ユナんときの報酬で金はある。そういうのに詳しそうな知り合いの一人でも出来れば……」

 冒険者としてのスタートを切ったあの街、ガディーグリンには大きな歓楽街がなかった。無論探せばソレ系の店もあるのだろうが、治安の良い日本の風俗ですら興味はあれど行ったことの無いトウガからすればあまりに怪しい場所には行き辛いのも当然である。ステイシアに呼ばれたばかりの頃、近隣の風俗店を聞こうかなどとも考えたが、今思えば半分夢の世界のような気持ちで危機感とか一切無かったんだろうなぁと過去の自分を振り返るトウガだった。



 どこからか毒電波をキャッチした就寝中のユナさんが寝言で一言。

「ぬ……ぅぅ、トウガァ。妾の、あの報酬で女を買うなんぞ……ぅぅうぅ、滅殺ぅぅ……」

 女の情念とは恐ろしい。トウガがわざわざユナとの関係を律している事を彼女が知ろうものなら、恐らく一瞬にして彼は喰べられてしまうことでしょう。



「んぉ?」

 誰かに見られているような気がしたトウガはキョロキョロと周りを目をやった。わずかに悪寒も感じて、思わずその拳を握り込みそうになってしまう。

「おはようございます。散歩ですか?」

「おっと、お前かよ。ぇー、ジャンゴだったか? おはようさん」

 トウガが周囲を気にしだしたのを見て出てきたのか少年が現れた。全身黒い毛に覆われた狼の顔を持つ男の子、ジャンゴだ。

 相変わらず一見すると服を着たモンスターにしか見えない姿をしていたが、身長、声、口調などが彼が少年であることを分からせてくれている。

「散歩……うん、散歩だな。そういやお前さん、一人で来たの? 誰かに止められたりは?」

「実は抜け出してきちゃいました。そんなに離れてないし、大丈夫ですよ」

 昨夜も少し思ったことだが、外見に反してジャンゴは随分丁寧な口調でしゃべるようだ。目上の者に対する礼儀作法もそれなりに教え込まれているように感じられる。ただ、黙って一行から離れた点などは、生意気盛りな男児でもあるという証拠なのかもしれない。

 トウガがそんな取り留めの無い事を考えていると、少年はトウガが作成?した岩のオブジェに近付き手を伸ばした。

「……すごいですね。岩石を素手で破壊するなんて」

 破壊したつもりはないのだがまぁそこにツッコミしてもしょうがない。

 人に見せるにはあんまりな出来の作品に改めて息をはくトウガ。だがそれと同時に、彼の目には岩を撫でながら口を開いたジャンゴが何か言いたい事を黙っているように映るのが気になっていた。

 ジャンゴが話題を選んでいるなどという話ではない。むしろトウガの前にこうしてやってきた事そのものに、何か少年の意図があるようにも思えてくるのだ。

「相談事か? 家族に言い辛い内容なら、とりあえず目の前のお兄さんに愚痴ってみるのはどうだ?」

「えっ!? ぁ、……分かりますか? 僕ってこういう顔だから、ウルミの中でも分かりにくいって言われるのに」

「んん、ぶっちゃけると勘だよ。まぁそういう読み取りとか別段得意でも何でもないけど、一応年上だしな」

 半分以上適当に聞いてみたことが当たり、口では否定しながらも得意げに答えるトウガ。ジャンゴの方も相手から聞かれたことで決心がついたようで、力無くぶらりと垂らしていた手をギュッと握りしめ本題を切り出した。

「あの、そちらからすれば迷惑な話でしょうけどっ、お願いします! 僕と、手合わせしてくれませんかっ」

「……ぉー、もちろん訳は話してくれるんだろ? そうでなきゃ、俺のマッスルボデーが火を噴いちゃうんだぜ」



 少年は牙を食いしばり、目に力を走らせながら叫んだ。

「……強く、強くなりたいんですっ!」



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 ま た こ の パ タ ー ン か、いや肉体言語でお話しようとしてるからむしろ良いのか?

 今回は自己顕示欲、金銭欲、名誉欲、性欲など「欲」がいっぱい出ています。ライトノベルやネットSSの主人公は正負の方向問わずそれらが振り切れている事が多いようで、「みんなのおかげだよ。俺の力じゃない」や「助けるのは当然だろ? 何で不思議がるんだよ」とか「分かった、やってやるよ。じゃ一億円な」などがちらほら出てきます。

 もはやこれらは様式美かなとも思いますが、作者としてはせっかく個性を出しやすいファクターをテンプレで済ませるのはすごく勿体無く感じるので、それらについてけっこう言及しちゃっています。長ったらしかったらごめんなさい。

(なお一億円パターンは半分ギャグのようにも捉えられますが、古くはゴルゴ13やブラックジャックなどからあり、しかもアレらは理由がつくことで主人公の造形を魅力的に掘り下げている点が実に良いと思います)

 それと題名に少し付け足しをしました。筋肉とヤンデレが7:3ぐらいにはなってきているようなので、窓口を広げたくなった次第です。セコくてすいません。

 多分そのうち「トウガどけいっ! そやつ殺せないっ!!」とか出ます、恐らく、きっと。



[9676] 15話 都市名を書き忘れるデカイミスを修正
Name: 鉄腕28衛門◆a6c5bde7 ID:378a8448
Date: 2011/02/06 18:35
 強くなりたい。いいね、分かりやすくて実にイイ。

 思いはすれど顔には出さず、トウガは少年の頼みを了承した。しかし――

「手合わせか。……なんでそんな事を考えた? それに知り合ったばかりの奴に頼むような話でもないと思うが」

「えぅっ? そ、それは……えと、その……」

 ジャンゴはトウガの問いにすぐには答えられなかった。言いづらい、というよりも自分の中で事の起こりを思い出そうとしたゆえ反応だったのだが、多少掘り下げた程度の質問にすぐ答えられないのは同時にこれが計画性の無い衝動的な行動だということも示している。

 どうやら彼の戦い振りを見て「強くなりたい」という思いが先行し、断られた時等の具体的な案もなく来てしまったようだ。利発そうな少年ではあるが歳相応の行動とも言えようか。

「……あの怪物達を前にして……怖くて、身がすくんで、体が動かなくて……」

 ゆっくりと、されど言葉を選ぶでもなくジャンゴは思ったことを一つ一つ口に出していく。内容はトウガから見てどれも特別変わったものでは無かったが、言い続けるうちに情けなさが増していったのか、ひとしきり言い終えた少年の頭はすっかり垂れ下がってしまっていた。

「ジャンゴ、お前年はいくつだ?」

「ぇ……年齢ですか? 先月9歳になりましたけど……ぁ、人間だと13か14ぐらいだそうです」

 想像よりもかなり下の数字に一瞬「9ッっ?」と驚いて目を見開きかけるが、ジャンゴが付け加えた言葉を聞きひとまずその声は押さえ込む。どうやら彼ら獣人は人間の約1,5倍程の早さで成熟するようだ。

 まぁその驚きは置いといて、トウガはごく当たり前だというふうに思ったことを言葉にする。

「人間年齢に換算してもお前ぐらいの年のヤツが争いを怖がんのは普通だよ。そんなに焦る必要はないと思うぞ」

 種族の違い、文化の違いなど自分の感性が普遍のものだと思えるはずも無いのは分かっているが、少なくとも初めて獣人達と出会った時にジャンゴも護られる側として扱われていたのをトウガは見ている。なので彼のそんな考えも特におかしなものではないだろう。

「――始祖返りなんです。僕は、強くなくちゃダメなんですっ」

「始祖、返り?」

「……僕や父さんみたいに獣としての姿を色濃く持った獣人の事です。獣人は姿や能力に多少の違いがあるけど、人類種の中でも人間とはかなり近いって聞きました。けど始祖返りは全く別物……」

 大人達に教わったのだろうか、淀みなく少年は説明を続ける。

「むしろ亜人種の怪物に近い見た目だし、能力も個々によって全然違うそうです。父さんは水系統の魔法に強い適正があるうえ、水の中ならマーマンにだって負けないって言ってましたよ」

 ちなみにこちらでは人間や獣人、会った事はないがトウガが融合した「この世界のトウガ」の記憶により存在だけは知っているエルフやドワーフなど、基本友好的な知的種族全般をさして『人類』や『人』と呼ぶ。そしてゴブリンやオークなど、凶悪な気性を持ちモンスターとも扱われる彼らは『亜人』と呼ばれていた。

 亜人=デミヒューマンは地球のファンタジー物だと人間以外全部が当てはまることが多いようだが、トウガはそんな区別の違いを深く気にすることも無いのであった。

「そいつぁすごいな」

「はい」

 少年は少しばかり誇らしいような返事をする。

 マーマンの水中戦闘力がどのようなものかトウガが知るよしもないが、魚のような移動速度を持つであろう存在に負けないと豪語出来るのは、やはりあのペンギンの姿がゴードンにそれに相応しい恩恵をもたらしているということなのだろう。

 そのうえ陸上でも熟練の戦士に劣らぬ戦いが行えることを考慮すれば、始祖返りという特徴がゴードンに戦闘面での驚くべき汎用性を持たせていると言えそうだった。

「でもそのかわりに父さんは、体力面とウルミの先頭に立つ者としての威厳が足りないのが悩みだってボヤいていましたけどね。初対面の取引相手にはいつも苦労しているみたいだし……」

 いくらか苦笑混じりに話していたジャンゴだったが、そこでその調子が急に落ち始める。

「……僕にもそういうところがあります。力や素早さは同年代の獣人より数段上のものを持つそうですけど、代わりに魔法の適正が全然ありません――まぁこれは魔法抵抗力の高さの裏返しっぽいんですけど。でも明らかにみんなより不器用なうえ、物覚えも良くなくて……。狼族の始祖返りの特徴だそうなんで、それらにも一応納得しています。でも、ならせめてっ、みんなの盾になれるぐらいの強さを早く身に着けないとっ……!」

 少年の内なる叫び、それに対して男は何と返せばいいのか分からなかった。

 成長すれば強くなるさ、そのように言うのが正しいのか? 昨日自分が現れなければ、少年は己を無力さを骨の髄にまで実感していたかもしれないのに?

 この大地で、強者の可能性を秘めた存在が弱いままだという事が罪と言えるのなら――



「――今までどうやって鍛えてきた? 武器は使うか?」

「っ! 手合わせ、いいんですかっ?」

 傍から見れば、少々特殊とはいえ子供が自分のワガママで知り合ったばかりの大人に面倒を掛けようとしているのだ。落ち着いて考えると嫌な顔の一つもされておかしくは無い。

 だがトウガは特にそんな素振りを出すことなく、さも当然というふうに頼みに応じる姿勢を見せた。

「飯の前に体を動かして腹を空かせるのも悪くない」

「ぁ、ありがとうございますっ。あ、えと、今までは筋力トレーニングとかが大半で、あとこんな事頼んでおいてアレですけど……実践はもちろん人とヤり合った経験はほとんど無いし、得意なんて言える武器もありません……」

「オーケーオーケー、問題無ェからそんな顔すんなよ。ならそうだな…………よし。とりあえず、ひたすら好きなように打ち込んで来い、ジャンゴ。技術なんかよりも、まずはとにかく目の前の敵を躊躇無くブっ飛ばせるようになることだ。加減は必要ないぞ、むしろ俺を殺すぐらいの気迫で掛かって来いっ」





 反則気味な理由で力を手に入れた自分とは違い、一から伸びようとするその小さな芽をトウガは応援したかった。付き合いの長さはとても短いものだし、今後もそれが続くかは分からない。人に喧嘩の仕方を教えたことも全く無い。それでも、彼は思ったのだ。

 ――強くなれ、と。



 ――――――――



 ルセリ・プライマ、彼女は犬族の獣人だ。その外見は他種族である人間から見ても可愛らしいと言えるものだった。子供ゆえの小さな体に付いている頭部の大きな獣耳や尻尾の存在、鼻の形に沿って獣毛があること等はそうした意味でむしろプラスに働いているとすら言えるだろう。

 さらに喜べば尻尾が揺れ動き、悲しめば耳が垂れ下がる。人間にはない分かりやすい細部の反応は本人の意思とは関係なく出る事も多いようで、それを指摘され慌てる姿も見る者を和ませてくれた。

「細部まで動く凝った仮装をした子供」程度に捉えるなら、普段人間以外を目にすることが無く他種族に多少の偏見がある人にも違和感無く受け入れられるのではないだろうか。



 少女は朝早くから姿の見えないジャンゴのことをしきりに気に掛けていた。

「どこ行ったんだろう、……やっぱり探さなきゃ」

 ルセリはジャンゴと同い年であり己が属するウルミの女児の最年長として、決して向いているとは言い難い子供達のまとめ役を、彼と共にこなそうと奮闘する少女といった一面も持ち合わせていた。そして今はそこから来る使命感が、彼女に朝早くから姿の見えないジャンゴを探すという行動を取らせていたのだった。

 行商としてウルミがあちこちに旅をすることには慣れていたが、これまでそれに大きな危険を感じた事は特に無い。大人達はみな頼りになり、死に直面するような事態など想像したことも無いからだ。

 だが昨日は違っていた。家族が傷付き倒れ、普段は穏やかな父や母が険しい顔で声を張り上げるその光景。偶然通りかかった旅の冒険者に助けられなければ、自分達は今頃どうなっていた事か。

 戦闘の恐ろしさを実感したばかりの少女はジャンゴがいないことに大きな危機感を覚えていた。それに脅威から生還した後も少年が悔しそうな、何とも言い切れない表情をしていたのをはっきりとルセリは見ている。一体何故ジャンゴがそんな顔をしていたのか分からないが、最も近しいと言える自分に何も相談しないままなことも心配を加速させていたと言えるだろう。

 ルセリもジャンゴと同様にあまりヤンチャをするタイプではないが、今の少女の心境は自身の「らしくない」行動を止められやしないのであった。



 こっそりと野営地から離れることになんとか成功したルセリはどこを探そうかとしばし思案する。ジャンゴが向かいそうな所、それを考えるがどうにもコレという決定的な場所が思い付かない。

「変な事に巻き込まれてないよね……」

 募る不安に胸中が苦しくなり、わずかに俯くルセリ。トボトボと重い足取りでなんとなく歩を進めているうちに、少女の垂れ下がった大きな耳は聞き覚えのあるよく知った声をかすかに拾い上げる。

「でも、これって……っ!」

 幸運にも自分は、探していた相手を早々に見つける事が出来たようだ。ああ、だがしかしその声は、あの恐ろしい「戦い」を思い出させる激しさを持ち合わせているではないか!

 少女は鼓動が早くなるのを感じながら、居ても立ってもいられず走り出した。









「どうしたどうしたぁっ、もっとガッツを入れてみろ!」

「はいっ!!」

 トウガは選手にパンチを打たせるボクシングのトレーナーような気持ちでジャンゴの相手をしていた。形だけの遅い反撃もたまに見せるがほぼ防御に徹して、とにかく人を攻撃するとはどういう事かを知ってもらうのが一番の狙いである。生きた対象に拳を打ち付ける感触、左右だけでなく前後にも動く相手にクリーンヒットさせる難しさ、当たったと思ったときに避けられ空振りした時の疲労具合、どれもトウガが実戦の中で感じた「やって初めて分かる」ことばかりだ。

 きれいなパンチの出し方ぐらいは先に教えるべきかもしれなかったが、それは必要ないとトウガは考える。自分のような特殊な下地が無い限り本来格闘は非常手段であり、戦闘技術は剣なり斧なりを装備してちゃんとした教師にでも見てもらうのが適切だと思えたからだ。己が教えるべき事は戦闘行為そのものの難しさを体験させ、同時にそれを乗り越える自信を持たせること。

 まぁ結局のところ、トウガも「こうするのが正しい」と断言は出来ないうえ、このような時間が今後どれほど取れるのか分からないのだから仕方が無い。短時間で習うより慣れろを考慮した結果と言えるだろう。



 闘いにおける防御とは攻撃に比べると明らかに技量が要求される事柄である。理由は簡単、防御の基本とは即ち対応力だからだ。攻撃は自分本位の動きでも形になるが、防御は相手の行動に合わせた適切な選択肢を取る判断力、さらにそれを予測しておく洞察力などがなければあまり意味を成さない。これらは経験に基づき高めた技術がなければ期待出来はしないだろう。

 トウガは格闘における指導を特に受けた事がないので、防御の多くはクロスアームブロックなどの固めた腕で被弾部位を覆い、受けるダメージを軽減するという手段を取ることが多かった。受け流したり避け切ったりするならノーダメージで済むのだが、その分難易度が大幅に違うので耐久力に自信がある彼からすればこちらのほうが実用度が高いのである。無論、状況次第でその選択が変わることは言うまでも無い。

 しかし最近はモンスターとの戦闘経験もそれなりに増え、トウガにも彼なりの戦闘感とでも言うべきものが出来つつあった。攻め時、守り時の意識の持ち方、攻守の交代の流れなどがわずかとは言え読めるようになってきていたのだ。そしてそれを活用して、彼はジャンゴの攻撃のいくつかをしっかりとブロッキングし、相手の動きの一つ一つを見極めようとしていた。

 ジャンゴの攻撃はつたないものだったが、こうした事はほぼ初めての経験だと言っていたのだからそれはしょうがない。だが繰り返すうちに、少年は早くも自分なりのコツを掴んだのか仕掛けるパンチの威力と速さを上げていった。

(こいつは驚いた)

 戦士、と呼ぶにはあまりにも未熟だろう。だがトウガには、ジャンゴがすでにゴブリンの雑兵程度の戦力は有しているのではないかと感じられていた。特にその敏捷性は戦闘経験の無い子供のものとは信じがたいレベルにあり、一流の闘士の才覚をトウガに見せ付けるほどである。

 なるほど、これが狼の始祖返りってやつか。ジャンゴは己の不器用さや魔法の適正の無さを嘆いていたが、本人がついでのように言っていた肉体的な強さはそんな軽いモノではなかったのである。薄々トウガも想像していたのだが、少年は戦闘関係に抜群の下地を持っていると見て違いない。「強くなくちゃいけない」という思いを忘れずにトウガと同程度に歳を重ね経験も積んだなら、狼の如き疾さをもって今の彼に匹敵する戦士になる可能性は十分にありそうだった。

 ジャンゴがさらにギアを上げてくるのなら、こちらももう少し反撃に力を入れるかとトウガは考えて――

「ダメだよっ、喧嘩なんかダメェッ!」

 ――突然掛けられた声にビクリと驚き、加減を間違えたパンチがジャンゴに向けて繰り出されるっ!

「あ、マズ」

 かすかに漏れ出た声と共に拳が少年の顔面へと向かう。トウガの手加減無しのパンチがクリーンヒットしようものなら、恐ろしい事態になることは想像に難くない。軽いつぶやきに反して彼の心は激しい警鐘を鳴らし始めるが――なんとジャンゴはそれを正面から見切り、きれいに避けて見せたのだった。そしてそのままバックステップで距離を取り乱入者に顔を向ける。

「ルセリっ、どうしてここに?」

「どうしてじゃないよっ、なんで喧嘩なんかしてるのっ? なんでこんな危ない事してるのっ!?」

「ぇ、や、別に僕らは喧嘩してた訳じゃないんだけど……」

 息を乱しながら駆け寄ってきたルセリを見てジャンゴは大いに驚いた。だがその驚きと先程までの運動による疲れこそ顔に出ているが、自分が極めて危険な状況を迎えていたという意識は特には見られない。どうやら今の一撃もちゃんと認識して避けたようで、先程の一瞬だけ特別な場面だったなどと思ってはいないらしい。

 うまく避けてくれたことに安堵しつつ、トウガはジャンゴの才能に感謝するのだった。



「何したのっ? 一緒に謝るから、私も謝るから。許してもらおうよっ」

「あー、ルセリ、ちゃん? さっきのは喧嘩とかじゃなくてね――」

「ごめんなさい! ジャンゴがお兄さんに何をしたのか分からないけど、怒らないでくださいっ!」

 目撃した光景が不味かったのかもしれない。まぁ大人の獣人よりも大きなハイオークをブっ飛ばす打撃が当たりかけたのだ、それを見ればジャンゴが何かやらかして、怒りの鉄拳を向けられているように思えなくも無い。ましてや争い事にまるで無縁そうな少女からすれば尚更だろう。

 どう説明したものやらと考えて頭を掻くトウガに更なる声が掛けられる。

「ルセリもそこら辺にしときなさい。二人とも困っちゃってるでしょ」

「あ、母さん」

「お母さん……」

 声の主はジャンゴ達のウルミの《母》であるマデリーンだった。その半人半馬の背に小さな子供を乗せてゆっくりと近付いてくる。

「まったく、朝早くから黙って抜け出して何をやっているのかと思えば……」

 彼女に言われ、ジャンゴとルセリはシュンとしてしまう。見たまんま親に怒られる子供達といったその有り様に、トウガはクスリと少し笑ってしまっていた。

 二人が小言を聞かされる中、急にマデリーンの背に乗っていた子が下に降りたいと彼女に伝える。どうしたの?、と言いながらも脚を折り畳み姿勢を低くするとその子は彼女の背から飛び降りトテトテ歩き、ジャンゴとルセリの手を掴んで引っ張り出した。

「にーちゃ、ねーちゃ、おぁか、すいーたぁ」

 どうやら空腹に耐えかね早く戻りたいと言っているようだ。先程までの空気もなんのその、小さな子供の素直な言葉は偉大である。同時にジャンゴの腹の虫が大きく鳴り響き、場の空気も一変してとりあえず戻ろうという事になったのであった。



 両手で兄と姉を引っ張り先頭を歩く小さな子供、その子の後ろを歩きながら、所々言いよどみつつもジャンゴがルセリに事の説明をしていた。そしてさらにその後ろでは彼らを見守るようにトウガとマデリーンが並んで歩いている。

 現れたタイミング的にマデリーンはルセリと共に来たのかとトウガは思っていたのだが、話を聞くと少女が黙ってウルミから出るところを彼女が見つけ、娘の行動に興味を持ったマデリーンは気付かれないようにその後をつけていたらしい。背中に子供を乗せていたのは……何故なのだろうか?

「うちの子が迷惑かけたね。ジャンゴもルセリも、親に内緒で他所様の世話になるなんてとても褒められたもんじゃないけれど、……自分で考えて自分で決定する子供の姿は、知らないうちに一つ成長したんだってふうにも思えて少しばかり嬉しいよ。礼を言わせてもらうさ」

「はぁ」

「でも、あの子がそこまで悩んでいたとはねぇ。見抜けなかったことも、真っ先に相談したのが親でも兄弟達でもなかったってことも、ちょっとだけ悔しいかな」

 トウガから見てマデリーンは驚くほど身長が高い。さらに今はその姉御気質とでも言うべき性格も合わさってかとても大きく、それにとても力強く見える存在感を放っていた。

(いや、少し違うか)

 そうした外から見える特徴のせいもあるが、まず第一に子を思う親の強さ。そう考えた方がしっくり来るだろうか。

「……ジャンゴは肩書きだけで言えば大きなものを背負ってる。ウルミの誰も気にしちゃいないけれど、獣の始祖返りってのは最強の戦士でなければならないって風潮もあってね。他のウルミからしたらあの子は次の《父》になって当然みたいにも思われてるんだ」

「?、それならジャンゴが強くなりたいってのも知ってたんじゃないんすか?」

「正直言うと、薄々は分かっていたよ。ただ、まだ焦る程の事でもないと思っていてね……。親としてアタシもまだまだってところか、まったく」

「ぃや、ぇーぁーだ、大丈夫ですよ、あいつすごい才能ありますって。知り合ったばっかのヤツが言うのも何ですけど、相手した俺もビビリましたよホント」

 姿形で彼らに血の繋がりが無い事は容易に想像が出来た。親としての経験が不足しているという自虐もそう間違ってはいないのかもしれないが、それを言うわけにもいかないトウガはお茶を濁すような事を口にする。もっともジャンゴの才能云々については、トウガ自身の感想を嘘偽り無く伝えているのだが。

「アンタ程の戦士の口からそう言われると嬉しくなるね、ありがとう。……ダメだねぇ、昨日のバカ騒ぎが抜けてないのか何だか口が軽くなり過ぎだよ。アンタからすればまるで自分に関係無い事言われてどうしろと?、って感じだろうに。ゴメン、忘れとくれ」



「バカァっ、強くなりたいならお父さんや皆に頼めばいいじゃないっ」

「いや、それは……その……」

 口論、とまでは言わないが、少年と少女の話は中々終わりそうになかった。気心の知れない、しかも多少恐ろしい印象すらある人物に頼る必要は無いと考えるルセリと、家族にこそ言えない、そして畏怖にも似た尊敬を持った存在に相手してもらってこそ意味があると考えるジャンゴ。

 男の子の意地によりはっきりと説明出来ない少年の心境を、年端もいかない少女が読み取れるわけも無いのでしょうがない状態でもあった。

「アンタ達、そこらへんにしときなさい。あんまりウルミの恥を外に見せるもんじゃないからね」

 溜息をつきながらマデリーンは子供達を諭した。特にキツい口調で言ったわけでもないが、トウガの目が向けられている事をすっかり失念していたルセリはそれに気付くと顔を赤くして押し黙ってしまう。ジャンゴの方はと言うとむしろルセリの追求が収まってホッとした様子であった。

 子供達のそれぞれの反応に軽く微笑みながら彼女は言葉を続ける。

「さっ、早く戻らないと朝ご飯無くなっちゃうよっ。ほらほら、急いだ急いだっ」

 トウガにも声を掛けてからマデリーンは軽く進み、先頭を進んでいた幼子を担ぐとヒョイと背中に乗せて駆け出した。子の方も慣れたものなのか慌てる様子も無く、むしろキャイキャイ笑ってすらいる。

 頭から抜け落ちていた朝食のことを思い出したジャンゴの腹が、賛同するかのように再びグゥ~と大きな音を響かせる。ルセリはそんな彼に「しょうがないなぁ」とわずかに呆れた顔をするが、自身も食い気が刺激されてきたのか母に追い付こうとジャンゴと並び走り出した。







 互いに慣れている様子のやり取りを眺めているトウガ。特に少年と少女、二人のその距離感に彼の興味はそそられていた。

「元気だねぇ。そういや家族って言っても血の繋がりはないんだから、あの二人は幼馴染でもあるんだよな。……可愛い幼馴染か、ぁー羨ましい」

 まったく、そんな仲良さそうなとこを見せ付けてくれるなよなぁ、【叩きのめして、苦痛に歪む顔を眺めながら呪い殺したくなるじゃないか】

(――――ッッ!? 今な、にをっッ!!?)

 トウガの心が驚愕に染まる。突如湧き出てきた異質な感情、それは彼自身がとても信じる事が出来ないような代物だった。

 トウガはどちらかと言うと和を好み義理人情を貴ぶ(とうとぶ)男である。それは彼本来の気質なのかもしれないし、そうであろうとする自分が好きなだけかもしれない。人の心は複雑なモノ、恐らくはその両方を併せていると見るべきだろう。

 どちらにしろ彼は己の性格が、特に嫌っているわけでもない誰かの幸せを強く妬んだりしないものであることを把握していた。もちろん人である以上、機嫌が悪い時にそうした考えを持つことがあるのは重々理解しているが、今のはそんな生易しい感情ではなかったのだ。

 憎悪、憤怒、嫉妬、とにかくネガティブな何かが平穏だった心を黒く塗り潰しかける。トウガは胸に手を当てると見開かれた目を閉じ、前の一行に気付かれないように乱れた呼吸を落ち着けるための静かな深呼吸を繰り返した。

「……ぉぃぉぃ、マジでリスクがあるんか? 勘弁しろよ、クソッタレが」

 彼の悪態は誰か特定の人物に対してのもの等ではなかった。魔力ブースターとそれを利用した異常戦闘力、極端にメリットのみが目立つその能力に、トウガが知らないだけで多少のデメリットが存在していたとしても決しておかしな話ではない。昨晩も自分の能力の不透明さに頭を悩ませていた彼は、突拍子もない考えかもしれないがその問題と突然起こった不可思議な出来事に何かしらの関連があると思ったのだ。無論、事実は闇の中だが。

 まぁ要するに、「このままこれといったリスクが無ければオレ感激」といった淡い期待が消え去ったことに、トウガの口から文句が漏れ出たのである。

 息を整えると、ごくわずかな時間でトウガの心に穏やかな流れが戻ってきていた。本当に短い間のことだったのだろうが、思い出しただけでイラついてくる。俺があんな……ッッ!!!

 認めたくない己の異常に対する怒り、ムカつきが込められてトウガの拳が強く握られる――が、それも再び行った深呼吸とともにゆっくりと解かれていった。

「はぁぁ……、こいつぁ裏が深そうだ」



 ――――――――



 人数が大幅に増えたトウガの旅は喜ばしい事に順調に進んでいった。まぁ順調とはいえモンスターとの遭遇などが全く無かったというわけではないが、オークの群れに比べれば危険性は低い敵ばかりである。

 そしてトウガにはそんな旅の行程よりも、自身の変調が気になって仕方が無いのであった。アレ以後特には何も起こっていないが、奥歯にステーキの筋が引っ掛かったような微妙すぎるむず痒さが残ってしまっている。

 一日二日と経つと少しずつ神経の過敏さも身を潜めていったが、そういう時に限って障害というヤツはやってくるのだ。トウガは心身共に落ち着ける時間はまだ先である事を理解するのであった。



 ウッドゴーレムが顔面を狙って腕を振り回してきた。その一撃をスウェーバックで上体だけ仰け反らせ避けると、トウガは拳を強く握り締める。そして上体を元に戻す勢いを拳に乗せて右のロングアッパーを敵の顎に叩き付けると、さらにパンチのコンビネーションを続けざまに仕掛けていった。

 まず前進しながらの左のリードジャブで間合いを調整し、さらには伸ばした左腕を「く」の字にまで戻し固定すると、それを腰の回転で強力な首刈り鎌へと変化させる。鋭いレフトショートフックは木偶人形の頭部を刈り取り、頭を失ったゴーレムはフラフラとよろめいた後力無く倒れ込んだ。しかしこれで油断するようでは命取りに繋がると、トウガは今後も心すべきであろう。

 わずかに間を置いて、次の一体が横から不意打ち気味に襲い掛かってきた。反応自体は出来ていたが意外に速度のあるゴーレムの攻撃にトウガは防御を失敗してしまい、彼の両肩に激しいビンタのような二つの振り下ろしが打ち付けられてしまう。

「っが……痛ェよ、こんのスカタンがぁっっ!」

 攻撃を喰らってしまったが、それに押されてしまうわけにはいかない。両肩に置かれたウッドゴーレムの両腕を逃がさないように鷲掴むと、トウガは軽く頭を引いて歯を食いしばり――呼吸を止めた後一気に前頭部を突き出したッ!

 ヅヅ! グヅ……

 妙に乾いた音が響き、低い唸り声を上げる木偶人形にたたらを踏ませたその攻撃は、何ともまぁ見事な「頭突き」であった。むしろパチキ、チョーパンとでも言った方が似合うかもしれない気合の一発である。

 そして彼の攻勢はまだ続いている。頭突きとともに手を離し間合いが広がるのを確認すると、彼はステップインしながら右脚を大きく蹴り上げ敵の胸板を踏み抜くような重いキックを喰らわせたのだ。前進する力をそのまま蹴り飛ばす事に転換したような重量感たっぷりの一撃、ダッシュハンマーキックとでも言うべきだろうか。単純だが、だからこそ堅実な威力を生むであろうと思われる蹴りだった。



「ダブルッ、ファイアウェイブッッ!!」

 ユナの腕が地面を擦るように振り上げられると彼女の目の前に小さな火柱が出現する。そして追加でもう一方の腕も同じ軌道を描くと、小さな火柱は出力を増して前方の敵目掛けて走り出した。以前トウガとの闘いでも使ったことがある炎の魔法だが、あの時とは違いデーモンの力は使えないので詠唱、大きなモーション、それなりの魔力消費と色々面倒が増えている。しかし人間の姿のまま力量を上げるという目標があるユナからすれば、それらは決してただ不都合なだけでは無いのであった。

 地を駆ける炎の固まりはウッドゴーレムに当たると激しく燃え上がり敵を焼き尽くしていく。弱点をついた見事な攻撃は、それを傍目で見ていた者に新たな奮起を与えたりもしていた。

「こっちも負けてらんないね、まだまだ行くよっ!」

 トウガと多少距離を取ったところでユナやゴードン達も戦闘を繰り広げていた。とはいえウッドゴーレムの集団に遭遇するのは嵐や雷雨に見舞われたのと同じようなものであり、言わば自然災害の一種である。以前のオークなどとは違い大した目的も無く、しばらくしのぐ事が出来れば問題無いと判断したゴードンの指示により、彼らのほとんどはゴーレムを馬車や子供達に近付かせない程度に牽制するのに終始していた。

 ユナやマデリーン、他にも数名が前に出て積極的な殲滅をしているが、彼女らも比較的余裕のある立ち回りを心掛けており、複数を相手取った戦いはしていない。ただ一人、トウガを除いては。

(どうしたのじゃ、トウガ。妾の目には、そなたが荒れておるように見えるぞ)

 トウガが率先してモンスターハウスに挑むことはさほど珍しい光景ではない。これまでも何度か見てきているし、プライマというウルミの一団も加えた場合の彼の立ち位置を考えてもそれほどおかしくは無いだろう。

 だがその相も変わらぬ荒々しい戦い方が、今回は何だか溜まった鬱憤を晴らしているようにも感じられ、ユナにはどうにもそれが気になってしまうのである。超人的なパワー主体なのはいつも通りだが……、ほら、ちょうど今、敵を頭上に担いだその姿も――。



「う゛る゛お゛お゛お゛ッ!!」

 木偶の首と股間をがっちりロックして地面と水平に持ち上げたトウガは、先程蹴り飛ばした一体の上に狙いをつけ思いっ切り投げ落とした。ミチミチと音が聞こえてきそうなほどパンパンに膨れ上がった腕が行う一投は、ゴーレム同士のぶつかり合いも加え大きな衝撃となって周りに響きわたる。

 これはボディスラムというプロレスにおける基本的な投げの一つだが、単純な内容に反して落とし方次第で威力の調節が出来るなど使い勝手も悪くない技である。そしてとにかく腕力を誇示するようなその技の有り様は、もし純粋な観客がいたならば十分な興奮と高い爽快感を与える事だろう。

 そしてトウガはそこから間を置かず、大きく跳躍して空中で両膝を抱え丸まろうとする。重なりながらもまだ動きのある二体のウッドゴーレムにトドメを刺すべく、フライング・ダブルニードロップで追撃を行うつもりなのだ。回転まで加えた人間砲弾は確実な致命打になるに違いない。

「――ッッァァアア!!!」

 雄叫びを上げながらトウガは目標の真上に爆撃落下する。大地を揺らし舞い上がる砂埃、ゴーレムを完全に押し潰した見事な攻撃だったと言えよう。

 しかし、だがしかし何という事だろう。たった一つ、ある一点だけがその完成度にケチを付けてしまっている! 威力、スピード、状況判断、そういったものでは無い。ただ一つのミスっ、それは――――尻から落ちてしまった事だった。

 痛すぎる失敗っっ! これではフライング・ダブルニードロップではなくダイビング・ピーチボンバーではないか、技そのものが変わってしまっているっ。どうやら回転の勢いを計算しきれず、着地の瞬間の体勢を間違えてしまったようだ。

 丸めた膝を両腕で抑えていた為、膝ではなく尻から落ちたその姿はまさに体育座り。ゴーレムの残骸の上に鎮座する肉厚な戦士の雄姿、すんげぇカッチョワリィ。









 体育座りのまま佇むトウガに、一息つきながらユナが近付いて来た。見た限りでは先程彼が仕留めたのを最後にモンスターの湧きは納まったようだ。

「お疲れ様じゃな、トウガ」

「ああうん、そうねー」

 何だか遠い目をしつつ、彼は首だけ動かして答える。実のところ、ユナの感じた事はおおよそ当たっており、トウガは戦闘のある程度をストレス発散のような感覚で行っていた。少しずつとはいえ溜まっていたイライラを知人にぶつけるほどトウガは精神的に未熟なつもりはないが、先程のような戦闘ならば話は別と思ったのだ。大した脅威ではなかったとはいえこの行い、進歩の無い男である。

 しかし戦闘の終了を迎えた事によりいくらか頭の冷えた彼は、先程までの自分の行動を軽く振り返り、今はその反省をしている最中なのであった。

(何やってんだろね……ったく)

 ついでに言うと、ニードロップの失敗で素晴らしい状態になってしまった気恥ずかしさも幾分あったのだが……コレに関しては取り立ててトウガが思うような滑稽なモノを見る目は周りに存在しなかったりする。

 そもそもトウガがバトルで繰り出す戦闘技法は、この世界の住人から見てほとんどが風変わりなモノに見えるのだ。打撃の分かりやすい技あたりならともかく、投げを含んだ『魅せる』技術体系のアーツの数々はハッキリ言って異質としか言いようが無い。けれどもそれらを使い凶悪なモンスターを撃退する彼の姿を知っている以上、トウガの技は彼らに「動作はともかくこの男が戦ううえで有用なのは間違いない」と認識されていたのだ。

 その結果、桃尻アタックも失敗ではなく元からこういう技であると思われ、敵を倒す破壊力は十分だったので「変わったモーションだな」程度に受け取られていた。

 この事実にトウガが気付いたなら、ギャグが失敗しただけでなくそもそもギャグを出した事自体に気付かれてすらいない芸人のような、ひどく切ない気分になっていたのかもしれない。



「目的地を前にして足止めを喰らうとはな。しかしアンタらのおかげで大した怪我人も出ちゃいない、今回も礼を言わせてもらおう」

「えーあー、はい」

 獣人達の長であるゴードンが声を掛けてくる。ほどほどに気が晴れたトウガは頭を切り替えよいしょと立ち上がると、軽く返事をしながらゴードンが口にした「目的地」に目をやった。

 大きな港を持ち、物資の流通の多様性により活気に溢れているという巨大都市「ケルエル・ベルネス」。都市と呼ばれはするが実際その大きさは大国に勝るとも劣らない。商人だけでなく珍しいアイテムを求める旅人や、いわく付きの品を売り捌こうとする冒険者など人の出入りには事欠かないらしい。

 ゴードン一行には交易の為という分かりやすい理由があったのだが、ユナとレシャンがここを選んだのはその都市としての在り方ゆえの雑多さを狙ったからであった。多少いかがわしい人物も多く出入りしている都市ではあるのだが、その分そうした影が自分達に対する追跡の迷彩になるだろうという考えだ。

 見方によっては逆に当たりを付けやすそうとも思えるかもしれないが、そこから細かい場所を割り出そうとすればその出費は他の街等よりも随分高くなるのは間違いない。つまり、それらも含めての予防線なのだ。まぁもう気にする必要は薄いのかもしれないが、一応これが彼女達の逃避行の総仕上げというわけである。

 なおレシャンは姪のカースを解くアイテムを求めてこの都市を訪れたことが何度かあり、ここでの立ち回り方もそれなりに分かっているとの事だった。

「済む所と付き合う相手を選べばいいの、それだけよ」



 目で見えていたとは言え、それは日本の都会等とは比べ物にならないぐらい見渡しやすい地形のおかげであり、目的地に着くまでトウガはまたしばらく馬車で揺られていた。そして外壁に設置された関所が確認出来るぐらいに近付いてから、レシャンとゴードンはそれぞれの集団の代表として都市に入ってからの行動を互いに確認する。

「俺達は大人数だからな、まずは留宿所で場所取りだ。そっちも似たようなもんだろ?」

「ええ、まぁそうなんだけど……」

 留宿場とは都市の内部に設けられた専用キャンプ場のようなところである。宿を取るには荷物が多く管理が厳しい、住居の購入を検討していてもすぐに出来るわけではない等の理由から、主に自前の馬車等を持つ外からの来訪者用に作られている場所だった。ごく普通の広場に過ぎないので野宿とあまり変わりは無いが、食べ物や水を買って来れる点と簡易便所の存在、そしてモンスターがいない事だけでもその価値は高いだろう。ただ盗人など外とは違う別の注意事項も当然あったりはするのだが。

 ゴードンは広く場所を取る必要があるのでその料金の事や、そもそもそれだけの固まったスペースが現在あるのかなどを気に掛けているようだったが、レシャンはそれとは少々風向きの違う事を考えていた。

(ユナちゃん、彼に説明しているのかしら……)

 彼女の心配はトウガがどう動くのか把握していなかった事にある。ユナからは彼の生活の面倒を見ると聞かされており、二人の仲を進展させたいレシャンはそれならばと良い考えを持っていたのだが……肝心のトウガが何だかそれを聞いてないような気がしてしょうがない。

 獣人達とも普通に係わりを持っていた分、レシャンが見る限りでは二人の話す時間は明らかに減っていたように思えるのだが、それが関係しているのではないか。そして案の定……







 通行料や冒険者の認識プレートなどの提示を済ませ、無事に都市の中に入り一団が留宿場に馬車を進ませる途中、トウガは自分の荷物をまとめるとユナと手綱を握るレシャンに声を掛けた。

「そんじゃ俺は自分の宿を取りに行くよ。拠点が決まったらまた顔出しに来るからそんときゃヨロシク」

「…………何じゃと?」

「あぁレシャンさん、報酬は落ち着いてからでいいですよ。今回けっこう台所事情が大変だったみたいだし」

 どうも彼らの意志の疎通は取れていなかったらしい。ユナは一応とは言えトウガに「住む所の面倒を見る」と宣言しており、同居的な意味で今後も距離が近いからこそ彼との時間が減ってもそれほど気にはしていなかったのだ。

 しかしトウガの方は彼女とは違う考えを持っていたようで、住居の面倒云々のセリフはとりあえず覚えているが、それはそうした施設への口利き、紹介といったふうに思っていたわけである。

 これに関してはどちらが悪かったかとは判断しづらい状況と言えるだろう。ユナの方は一杯一杯になりながらもなんとか口にできたような言葉だったので、それ以上の確認は酷としか言いようが無い。

 だがトウガも彼女の言葉の意味を捻じ曲げて理解したとは言い難く、むしろ親戚でもない若い女性二人の家族の片方から「面倒を見る」と言われて、それを「一緒に住む」と解釈する方がヤバイ気がしないでもない。仮に現代日本でそんな状況になったなら、まずは不動産や良い物件の紹介などを期待するべきではないだろうか?

 そしてそのうえで彼は、自分達も新しい住まいを探さなければならない二人にさらなる世話を掛けるより、己の宿ぐらいは護衛も終わり身軽になった自身の足で見つけようと思ったのだった。つまりユナやレシャンの事を考えたからこその行動なのだが……何という皮肉。ついでに言うと、生活面で世話になりっぱなしの男より評価上がるんじゃね?、とか思ってみたり。ほとんど逆効果みたいになってるが。

 結果的に妙なズレが生まれてしまっていたが、この話で誰が悪いのかなどと決めるのは少々ナンセンスと言わざるを得ない。まぁ哀しいすれ違いはよくある話である。



「ゴードンさん達にも挨拶しておくか。じゃ、またねー」

 自分の荷物を持ちトウガは馬車から飛び降りる。何と言えばいいのか分からないユナは、それを半分呆けながら見送った。トウガが見えなくなった後、二呼吸ほど間を開けてから彼女はコテンと横に倒れ込んでしまう。

「……よかったの?」

「いいわけあるくわぁ~」

 何と表現すべきか、少女のぬるい雄叫び?であった。

(そりゃの、妾だってちょっとはおかしいと思ったんじゃよ? スムーズにいき過ぎるなぁーとかアレとかコレとかソレとか。でもよりにもよってこんな寸前で言わんでも……のぅ)

 不貞腐れるように形の良い眉を歪めるユナ。今から追いかけてトウガに文句の一つでも……言えたならこんな事にはなってない。惚れた弱みにしても度が過ぎるかもしれない事はユナ本人も一応分かってはいるが、素の状態の彼女にトウガの行動を否定するような考えは口に出来やしないのだ。

(少しでも嫌われたら……。ふん、怖いモノを怖いと思ぅて何が悪い)

 そうじゃそうじゃ、と自分なりに納得した彼女は、寝転んだまま馬車の外に顔を向けトウガの背中を捜した。

(お、目標発見…………アレ?)



 頼りになる戦士の背中。そんな彼に近付いて、けっこう派手な服を着たオネーサンがその腕を引っ張り、それなりに派手な建物の中に消えていく。そんな光景が見えちゃって。

 アレ? これってそれってもしかして? ――アレ?

 ――――ふ、ふふフ、そうか。貴様、妾の元から出て行った(大げさ)トウガを狙って……っッッ!!!

 みなぎるパゥワーッ、溢れる闘気ッ。立てよ乙女っ、これより開かれるは女の聖戦っ、ジハードなりッッ!!!







 トウガの行動を否定したくないと思った彼女がこのような考えを持つのはおかしいのだろうか?

 いいや、何も間違っちゃいない。だってこれは『無理に連れて行かれたトウガのため』なのだ、そうだろう?

 ……屁理屈ここに極まれり、などと考えてはいけない。結局、これも惚れた弱みゆえ、である。

 問題があるかどうかは――――ユナがどう動くか次第だ。



 ――――――――



 お久しぶりでございマッスル、約半年振りの15話です。作者は年末になるにつれリアルが忙しくなるので遅くなりました。遅筆がデフォルトなのも変わっていませんが……。そして今回も描写は少々長ったらしいです。あとユナがオチ要員になりつつあるパターンもどうにかしたいです、反省。

 ダイビング・ピーチボンバーはにわのまこと先生のTHE MOMOTAROH(ザ・モモタロウ)の技ですね、本来はローリングアタックみたいな使い方ですが。そこまで有名な漫画ではありませんけども、個人的には格闘、ギャグの両面でトップクラスに好きな作品です。特にもんがー大好き。

 種族の定義について出ましたが、このお話では人類や人という言葉は人間のみを指しているのでは無く、人間はあくまで数の多い一種族に過ぎないという扱いです。ニンゲン、ジュウジン、エルフ、ドワーフなどと書くと分かりやすいかもしれませんね。

 あと元々あった厨二的な最強系のノリに加え「内なる変化」みたいな厨二成分を増す要素も加わりました。ただ少しネタバレすると、これが直接主人公のパワーアップフラグであったりはしません。なのでそういった期待をされた方がいたならば申し訳ない、とだけ……。



[9676] 16話
Name: 鉄腕28衛門◆9e4cac5f ID:c44f9f43
Date: 2013/07/10 21:11

 トウガはユナ達から離れゴードン一行に軽く挨拶をした後、新たな活動地域となるであろうケルエル・ベルネスの街並みを見渡していた。

 荷物を背負い巨大な手甲を腕に装着したままだが、それが特に珍しくもない程に様々な格好の人々が闊歩している。人の多さは賑やかさ、そして冒険者の飯の種になるトラブルの多さへと繋がっている事だろう。金を稼ぐのに好都合なうえ、依頼の多様性はトウガに様々なスリルと興奮を与えてくれるに違いなかった。

(エンジョイ&エキサイティング!……ってな)

 そんなことを考え、口の端を軽く吊り上げる彼に誰かが声を掛けてくる。

「ハァーイ、そこ行くお兄さん、今日の宿は決まったかしら。まだならウチにしちゃわない? ご飯だけでもいいし、味の良さは保証するわよぉ」

 あからさまに男の関心を惹くことを狙った服を身にまとう、それなりに整った容姿をしている女だ。人によっては扇情的とも下品とも取れる服装だが、トウガの目にはギリギリ前者の形で映っていた。まぁ明確に客引きだと分かる人物に、彼がそれ以上の感想を持つことは無かったのだが。

(……んー、釣られたみたいで嫌だけど、聞いておいた方が良いか)

 現在のトウガの目的は、当分の間活動の中心になるであろうこの都市での宿を探すことだ。ユナ達に手間を掛けさせないよう一人で動き出したトウガだが、当然この都市に関する知識は全く無い。なので彼は適当に当たりを付けてそれっぽい建物に入ったり、簡単な聞き込みを行ったりして宿をいくつか見付け、その中で良さそうなところを一つ選ぶつもりでいた。

 見知らぬ土地での足を使った行動は一筋縄ではいかない可能性もあったが、その程度は承知の上での考えである。

(ここで断っても損しかないよなぁ、いやしかし騙してるってパターンも……)

 今から面倒な宿探しを開始するつもりだったトウガにとって、宿の客引きは渡りに船とも言える出来事だった。当たりを付けて宿を探すといっても、その当たりの付け方すらこの世界全般に疎い彼には決して簡単なことではないのもまた事実なのだ。ならば客引きの紹介する宿をチェックして、可能ならば同じ職種の横の繋がりなどから他の宿の情報も入手するというのが、今のトウガにとってベストの選択なのではないだろうか。

 得か損か、わずかに頭の中で計算した後、彼は女に言葉を返した。

「その宿って掃除とか行き届いてます? 出来れば雑魚寝部屋とかじゃなくて、それなりに綺麗な個室とかがあると嬉しいんですけど」

「あら、もうバッチリ。ウチは一番安い部屋でもちゃんと従業員が掃除をしているの。とにかく安い部屋を、って声には応えづらいけど、その代わり宿全体の清潔さはこの都市でもピカ一なんだからぁ」

「はぁ」

 清潔さを売りにするには目の前の客引きの姿はどうにも胡散臭く思え、トウガは微妙な返事をする。もう少しパリッとした格好でもしていれば、話の説得力もずいぶん違っていただろうに。まぁ客引きが自分の所属する店のことを誇張して宣伝するのは当たり前の事だ。トウガもそれは重々承知していたので、女の話について現状では必要以上に追求するつもりは無かった。

「口での説明だけじゃ分からないものもあるわよね。さっ、とりあえず一緒に来て実際に見てってよ」

「ぇ、あーちょっと、無理に引っ張るのは……」

 いまいち気乗りしない声にこのままでは客を逃がすと思ったのか、客引きは彼の腕を取り宿に連れて行こうとする。

 強引に腕を引かれたのでトウガは彼女の行動に難色を示したが、内心では「この人んところに一度行ってみよう」という結論を出していたので、あえて振り払うようなことはしなかった。口では文句を言いながらも共に歩き出したトウガに女は微笑み、彼らは街の奥へと歩き出すのだった。





「一名様、ご案内~」

 客引きに案内されてやって来た宿、『猛る竹槍』亭はトウガが想像していたよりもずいぶんと立派な建物だった。大きな通りから少し離れたところに立っており立地は上々、内装や設備もパッと見た限りでは悪くないレベルで取り揃えられている。客引きの女が「ご飯だけでもいい」と言っていたように一階は食堂としても営業しているらしく、人の出入りはなかなか多いようでこの宿がそれなりに健全な営業をしている事もうかがえた。

 さらに、宿の主人に聞いてみるとここは冒険者ギルドにも加盟しているらしい。つまり冒険者への依頼の斡旋も行っているという事であり、ここなら以前泊まっていた『猫が寝込んだ』亭の時と同様に、良い仕事を逃さず手早く請けることが出来るというわけである。

 実際に泊まってみないと分からない点もあるだろうが、現状で判断する限り、この宿はトウガにとって意外なほど好条件が揃っていたのだった。

 彼はそのことに大いに驚きつつも、一発ツモに近いこの状況からどうするべきかを軽く思案する。

(……もうここでいい気がしてきた)

 とことん探せばもっと自分の要望に適った場所もあるかもしれないが、この宿を超える良条件となるとなかなか厳しいものがありそうだ。探す労力も無視出来ないし、そもそもそんな宿はないのかもしれない。

 それに家を買ったり、最初から長期にわたって借りるわけではないのだ。気に入らなければその時になってからここを出て、新たな宿泊場所を探しても構いやしない。

 初めて来た土地なのだから、多少の妥協は必要だろう。今、こうして目の前に存在している、それだけでも今日の寝床としての価値がある。

「よし」

 結論として、トウガはこの宿で部屋を取ることにした。店内を見渡した後、カウンターにいる店の主人と思わしき恰幅のいい人物に声を掛け、空き室があるかどうかの確認をする。

「ええ、ありますよ。どんな部屋をご希望で?」

「広さとかは特に気にしないんで、寝台だけでもしっかりと掃除された清潔な部屋をお願いします」

 男はトウガが思った通り、この宿の主人だったようだ。フムフムとうなずいた後、慣れた様子でカウンターの奥の部屋に声を掛け一人の幼い少女を呼び寄せる。

「我が宿はどの部屋も十分な清掃がされておりますので、お客様の希望に適う部屋ももちろんございます。こいつに案内をさせましょう」

 そう言うと店主はトウガの注文から考えたであろう部屋を少女に伝え、上の階へと繋がる階段を指差した。少女はうなずく事で返事をして、そのまま階段へと歩き出す。

「こっち」

 あまり感情の見えない平坦かつ簡潔な言葉で着いて来るようにトウガに告げる少女。客に対してやや無愛想に思えるかもしれない態度だが、この世界においてはそこまで珍しいものではない。現代日本より色々と乱雑なことが当たり前のこの世界で暮らし、こうした対応にも慣れたトウガは気を悪くする事も無く少女の後に続いた。

 一つ目の階段を上り切ると折り返し、二つ目の階段も上る。三階にまで来ると今度は廊下を歩き、一番奥の扉の前まで向かう。そして少女はポケットから鍵の束を取り出すと、その中から一つを選びそれを使い扉を開けた。

「ここ」

 少女が指し示す先はとても簡素な部屋だった。ベッド、椅子、小さな鍵付きの収納棚が一つずつ。部屋自体の広さも四畳あるかどうかといったところか。とは言えトウガの希望通り部屋はかなり綺麗に掃除されており、ホコリっぽさなどは全くない。備品の少なさのおかげか狭苦しさなどもあまり感じられず、くつろぐには十分な場所だと彼は思った。

「……うん、いい部屋じゃないの」

 需要を見極め金の掛け所を理解したうえで作られた、まさに「寝て起きて」に特化した部屋だった。トウガとしてはこの部屋にこれといって不満は無かったので、「もうこれにしよっかなー」などと思い始めていた。まぁ後は値段次第と言ったところだろうか。

 ブ厚い手甲をはめたままの指で顎をかき、しばし上を向いた後、軽くうなずいたトウガは少女の方へと振り向く。

「気に入った、この部屋に泊まる事にするよ」

「……そう」

「案内ありがとな。ほい、そんじゃこれ」

 懐から銀貨を数枚取り出したトウガはそれを少女に渡した。自分好みの部屋にあっさり出会えた事で気分が良くなり、その手伝いをしてくれた彼女にお駄賃感覚でチップを渡したのだ。

 少女はいくらか戸惑いを見せたが、それでも硬貨をしっかりと受け取りポケットに入れる。

「……ありがと」

 ここまでほとんど無表情のままだった少女の顔の変化、そして礼を言われたことに微笑ましくなり、トウガはその目を細めた。

 とりあえず部屋の見学を終えたので扉を閉めた後少女と共に一階に戻り、先程見せてもらった部屋に泊まる事を宿の主人に伝える。そしてそのままトウガが店主と宿泊費の相談に入ろうとするその横で、少女は自分の役目は果たしたとばかりにさっさとカウンターの奥の部屋へと戻っていってしまった。チップを渡したからといって、すぐに愛想が良くなるとかそういうことはないようだ。

 宿の主人としばし交渉(の真似事のような何か)を続け、その結果宿代は以前の『猫が寝込んだ』亭の時の四割り増しといったところになった。決して安くはないうえ、部屋そのものは狭くなっているぐらいなのだが、ベッドなど設備の質はこちらの方が高いので十分許容範囲と言える値だろう。

 金を払い部屋と収納棚の鍵を一つずつもらうと、トウガは改めて三階へ上がり自分が借りる事となった先程の部屋に向かった。部屋の前にまで行き、一度は自分で閉めた扉を再び開けようとドアノブを掴みながら、彼は思う。今日この時より、ここが自分の城となるのだ。





「くぅ~~っ」

 部屋に入るとトウガはすぐに背負っていた荷物や身に付けていた装備一式を収納棚に放り込み、借りたばかりの部屋のベッドに横になり大きな背伸びをしていた。

 ここ最近、彼の就寝スタイルは馬車の荷台か芝生の上で毛布に丸まりゴロ寝というのがほとんどだった。つまり、あまり寝心地が良くない日々が続いていたわけである。今こうしてちゃんとしたベッドを見てしまうと、そこにダイブしてしまうのも仕方が無いと言えるだろう。

 加えて言うとトウガは今日、この街に来るまでにモンスター達と愉快な一時を過ごす災難に見舞われていたので、少々疲労が体に溜まっていたのだ。ベッドが恋しかったなどと言わずとも、体が休息を求めているのも事実だったのである。

 ベッドの上に仰向けになったトウガは、搾り出すようにかすれた声を出す。

「あ゛~……やっとか」

 心理学用語にパーソナルスペースというものがある。他人に近付かれると不快に感じる個人の空間、つまり心理的な縄張りのことだ。ユナとレシャン、さらに途中から獣人一行を加えた馬車の旅では、トウガは自身のそれを満足に保つことが出来なかった。家族や親戚でもない者達との慣れない集団生活、自分だけのプライベートな空間がない日々は彼に少しずつではあれどストレスを与えていく。トウガの負担になるような事柄は積極的に排除するユナとそれを見守るレシャン、命の恩人ゆえ色々便宜を図ってくれる獣人達、皆トウガに協力的だったが、それでも彼は他者のいない「自分だけの空間」を欲していた。

 そして、今になり彼はようやく自分だけの場所、プライベートな空間を手に入れることに成功する。金を払い続ける限り、ここはトウガ専用の部屋となるのだ。ここなら周りを気遣う必要は無い。屁をこくなりゲップをするなり、外面を全く意識せず自らのバカな部分を吐き出しても構いやしない。

 まぁそんな事を実際にするかどうかはともかく、この「自分だけの空間」を持ったという事実はトウガの心を大いに満足させ、それは彼の精神的な疲れを回復させることにも繋がっていた。他者のいない部屋のベッドの上、目を閉じゆったりと過ぎる時間が己の心身を癒してくれるのを、トウガは静かに実感するのだった。

「……………………なんか食べよ」

 寝転がった当初はこのまま眠ってしまってもいいかな、という考えが頭を占めていた。だが程々に休息を取ると、段々大きくなってきた空腹が気になってしまい、彼は横になるのを一時中断し体を起こすと、一階の食堂に向かう為の準備を始めた。

 眠気の方が腹の減りよりもまだ大きかったのだが、このまま眠ると深夜など中途半端な時間に起きてしまい、ろくな食事にありつけなくなると思ったのだ。魔法の力を使った保冷棚なども一応あるとは言え技術レベルが現代日本と比べるとあまりにも低いこの世界、当然コンビニなんぞあるはずも無くいつでも美味しい物が食べられるわけもない。一般の人々が寝静まった時間帯での温かい食事となると、せいぜいが酒場で頼める軽食ぐらいなものだろう。しかし、来たばかりの街を深夜徘徊するというのは、トウガといえどご遠慮願いたいのが正直な気持ちだった。   

 ガチャリ

 ガチャ

 ギィ……バタン

 ガチャガチャ、ガチャリ

 収納棚、そして部屋の扉に鍵を掛けてから廊下に出て、そのまま一階へと歩き出すトウガ。階段を降りながら彼は今から何を食べるかを考え、それを口に出していた。

「汁物はいいか。やっぱがっつり肉を、あと野菜。それと……」

 静かな宿の階段にのん気な声が響き渡る。外からの雑音と自分の声しか聞こえない静かな空間、それに対し彼は最初これといった感想を持たなかったが、ふと考え事をやめて歩みを止めてみると何かがおかしい事に気が付いた。

(……静か過ぎる、二階三階はともかく一階はもっと喧騒があったはず)

 ほんの少し前、自分が一階にいた時は人の出入りや食事を取るざわめき等でもっと騒がしかったはずだ。そんな彼の思いとは裏腹に、階下からは不気味なほどに物音が聞こえてこなかった。一瞬賊でも押し入って来たのかとも思ったが、それならむしろもっと怒号などが聞こえてくるものだろう。嫌な発想だが、あっと言う間に皆殺しにされて声を上げる者が一人もいなくなったとか? ……さすがにそれはシチュエーション的にも時間的にも無理があり過ぎるか。

 色々な想像が脳裏に浮かぶが、それらを頭の隅に追いやったトウガは再び階段を歩き出すことにした。そして、一階の様子をうかがえる所まで来ると息を殺し、何があったのかを静かに観察し始める。

(あれ、別に何か起こってるわけじゃないのか。席には人が着いてるしウェイトレスだって歩き回ってる。けど……みんな何かに注目してる?)

 どうやら人の視線を集める何かが一階の食堂に存在するようだが、あいにくとそれはトウガのいる場所から確認することは出来なかった。

 とりあえず血が飛ぶような物騒な事態にはなっていなかったのでホッと一息。まぁそれでも珍しい何かがすぐそこにいるのは間違いないようだが、魔法やモンスターがひしめくこの世界にまだ完全に慣れ切ったわけではないトウガにしてみれば、「人目を引く何か」の一つや二つ、身近に存在していても別におかしくは無いのであった。「必要以上に身構える事も無いか」と自分なりの納得をした彼は、静かな食堂に普段と変わらない足取りでおもむいた。

「んで、みなさん何を見て……って、あれ、ユナ?」

「おぉ、トウガではないか。奇遇じゃのぅ」

 ノシノシと食堂に足を踏み入れた彼を、聞き覚えのある声が迎えた。華美というほどではないが鮮やかな色の服に身を包み、白く長い髪を後ろに流したトウガも良く見知った少女、ユナだ。服は上等な仕立てのようで、さらに丈の長いスカートには深いスリットが入っている。椅子に座りながら脚を組んでおり、薄い笑みを浮かべるそのさまはいつもの彼女とはやや違う印象をトウガに与えた。

 どうやらこの顔見知りが一階を黙らせていた原因らしい。彼は周りが注目する中、ユナの前の席に腰を下ろした。

「ユナも飯か? 馬車の方はいいのか?」

「ゴードン殿達の近くに場所を取ったんじゃよ、叔母上は自分一人でも問題は無いと言うとったわ」

「ああ、それなら大丈夫か」

「うむ。それで、叔母上と違い妾はこの街をよく知らんでの。何となく街並みを見たくなって、こうして食事も兼ねて出て来たというわけじゃ」

 なるほど、とトウガはユナの話に相づちを打った。服装が別れる前と違うことについては、長旅でろくにオシャレも出来なかった期間が長かったし、その反動だろうかと口には出さず推測する。

「……服、いいね」

「え?」

「似合ってると思う」

「そっ、そうか?」

 こういう場合、とりあえずでも褒めておくべきだと勘が告げていたので、トウガはそれに従いしょっぱいトーク技能を駆使して会話に称賛を組み込んでいた。まぁ言葉にやや適当感が漂っている気もするが、ユナの反応は悪くないみたいだし「似合ってる」と感じたこと自体嘘ではない。元気が有り余ってる状態なら股間が大いに反応し、それを隠すのに一苦労していた可能性も否定は出来ない。

 周りの目が彼女に釘付けだったのも恐らくはそこら辺が理由だろう。一見すると貴族の令嬢にすら見える少女が護衛なども付けず一人で大衆食堂に現れる。しかしその態度や物腰はしっかりとしており、おしとやかとは言えないような服を見事に着こなし年齢を不明瞭にする色香をも滲ませているとなれば、どう反応するかは人それぞれではあれど、思わず視線を向けてしまうのは当然とも言えた。

「もう注文はした?」

「ん、んん……ぃ、いや、まだじゃ。これから給仕を呼ぶつもりだったのでな。ほれ、お主もさっさと決めい」

「ぉ、サンキュ」

 人の視線を集めることは場合によっては気分を良くさせるが、食卓に着いているという状況では大多数の人はそれを嬉しく思いはしないだろう。トウガもその例外ではなく、彼は周りの視線のわずらわしさから逃れようと、メニューを凝視し食事やユナとの会話だけに意識を集中し始めた。





 並んでいた料理名の多くが知らないものだったのか、あるいは単にどれにするか迷っているだけなのか、渡されたメニューを手にトウガは眉を大きく曲げる。そんな彼のしかめっ面を眺めながら、ユナはわずかに乱れた呼吸を整えていた。

(全く、不意打ちとは卑怯じゃぞ、トウガめ。…………そうか、似合ってるか)

 トウガのちょっとした言葉で動悸が激しくなってしまう。客引きらしき女に釣られていった浮気者(?)を咎めるつもりでわざと冷えた薄い笑みを作っていたのに、それとは別物の嬉しさからくる本当の微笑みをつい出してしまった。好いた男が自分を褒めてくれる、こんな単純な出来事でこれ程あっさり仮面が壊れてしまうとは……。以前の呪いに囚われながらも冷静で理知的だった自身と比べて、呆れるような気持ちが出てきそうになるユナだったが、それでも彼女はこれが良くないことだと思ったりはしなかった。

 あぁ、やっぱり自分はこの人が好きなんだ。この人にも自分を好きになって欲しい。そうやって己の心を確認する事で、今を、明日を、未来をどうやって生きるかを、力強く決める事が出来る。それは、ハーフ・デーモンである自分が人間社会で生きていくうえで、困難に立ち向かう素晴らしい原動力となってくれるのだ。

 トウガとしてはそんな大層なモノをあげたつもりはないのだが、彼女にとってそれはとても重要なモノだった。そして貰ったモノがある以上、こちらからも何かプレゼントをするのが当然だろうとユナは考える。

(……大丈夫、妾の体ならイケる)

 サキュバス(淫魔)のようにそれに特化してはいなくとも、周りの反応を見る限り自分の体は男の劣情を刺激するには十分なはずだ。実際、これまでも何度かトウガが「そういう目」で自分を見たことがあるのを彼女は知っている。意識しなくても女の体に釣られてしまうのは男の性(さが)であり、トウガならむしろバッチコイなのだが、彼女は「そういうことは男の方から求めて欲しい」という女心を持っていた。焦らず急がず、今はプレゼントの質を上げる熟成の時なり。ユナは心の中でそう自分に言い聞かせるのだった。

(しかしのぅ……)

 今着ている派手目の服は、客引きの扇情的な衣装に負けないようわざわざ選んで着替えてきたものだ。これまでほとんど着たことが無いタイプの服だし、最低限下品にはならないようそれなりに気を使ったおかげか、トウガからの反応は上々だった。

 ただ、どうにもこの格好の自分は良からぬ目を引き過ぎるようだ。トウガならともかく、他の男に下劣な視線を向けられるなど虫酸が走るだけである。しかも、そんな自分の前に座ったトウガに対するネガティブな視線もいくらか感じられるではないか、なんと不届きな奴らであろうか。

 このようにユナの胸の内は穏やかではないわけだが、彼女の主観はともかく事情を知らない立場から見ると「なんであんな奴がこんな上玉と」などと思ってしまうのも仕方の無いことと言えただろう。可愛いとも美人とも称せる抜群の容姿と白く綺麗な髪、それが映える鮮やかな衣装を身にまとったユナは、少女ではあれど間違いなく「良い女」であった。

 それに比べて濁った灰色の短髪、濃い褐色の肌、地味なランニングシャツ、ボロいニッカボッカタイプのズボンと、トウガの見た目は「芋」という言葉が簡単に連想出来てしまうほど、上品とは掛け離れた有り様だった。鍛えているおかげでたくましさは有するものの、その分首が太く背があまり高くない事も有って、対面の女性のような優美さは欠片も持ち合わせてはいない。おまけに日系人らしい堀の浅く、若く見られがちな彼の顔に威厳は無く、珍しさは有れど強烈な存在感を放つといった事も無かった。

 せめてもの救いはその育ちゆえ、この世界の基準ではトウガはけっこうなきれい好きに分類され、見た目の割には不潔な印象を与えなかったことだろうか。ボロくはあれどしっかり洗濯された服などからも、彼が自身の身の周りに気を使っていることが見て取れる。とはいえそれは近くに寄ってこそ分かるものであり、はたから見た印象にはあまり貢献してくれないのが難点だった。

 まぁ要するにこの二人、嫉妬などを簡単に買ってしまうぐらいに見た目の釣り合いが取れていない組み合わせだったわけである。しかし、彼女にとってはそんな周囲の感想など迷惑以外の何物でもなかった。

 トウガの手を引いて外に出てしまおうか、そんな考えが一瞬ユナの頭に浮かんでくる。だが彼女はわずかに思案した後、あえてこの場に残る選択を取った。

(……この程度のことで文句を言ってどうする。飲み込み、受け流し、崩されない余裕を持ったレディーであらねば)

 ユナは自分の叔母のことを思い出す。芯が強く包容力のある女性は嫌な視線の一つや二つで揺らいだりしないものなのだ。

 それに、切っ掛けはちょっとした嫉妬からだったのに、気が付けばこうしてトウガと二人だけのディナーを迎えている現在があるではないか。思えば旅の間はこんな機会一度も得られはしなかった。しかも、今の自分はトウガも似合っていると言ってくれた服で着飾っている。

 周りの有象無象などは無視して、今は彼との有意義な時間をじっくりと楽しむべきであろう。

「そなたもそう思うじゃろ、トウガよ」

「ぇ、はい?」

 ――トウガと一緒に注文をして、向かい合って雑談をして、ともに食事をして、ちょっとだけ奮発したワインで喉を潤す。まるでデートの1シーンのようなこの日の晩餐は、ユナにとってとても素晴らしい記憶に残る一時となるのであった。









 ケルエル・ベルネスに来てから一週間ほどが過ぎようとしていた。知識ですらほとんど知らなかった街だけあって最初は馴染むのに難儀な点もいくつかあったのだが、今はそういった心配も大分なくなっていた。来て早々に寝床と仕事の請負い先を確保出来たことに加え、困った時に相談出来る人物が複数いたのが大きかったと思われる。以前住んでいたガディーグリンに初めてやってきた時などは、知り合いおらずも生活費の稼ぎ方も分からず、手探り状態で色々と困った記憶があるのを今でも思い出せる。あの時に比べれば、ここでの出だしなんてイージー過ぎるとはトウガの弁だ。

 そしてこの街での立ち位置、在り方を(一応)確立した彼は、日々生きるための仕事をこなす。ちょうど今も、そんな日銭を得るために請けた依頼を遂行している真っ最中なのであった。今回の依頼、額面通りならそこまで大したものでは無く、それなりの労力を代償にトウガの懐を潤してくれる、という程度の代物だったはずなのだが……。





 トウガに薙ぎ倒された山賊が数名ほど周囲に転がるなか、彼は険しい顔をしながらファイティングポーズを取っていた。その表情が示すものは怒り、いやそれとも……不快感だろうか?

 脇をしめ両腕を前面に立てたボクシングスタイルのトウガと相対するは、ブロードソードを構えた剣闘士風の男。彼は右手に持った剣をトウガの視点で右上から左下へと勢いよく振り下ろす。トウガはそれを右へのウィービングでかいくぐるようにかわし、同時にその姿勢のままの鋭い踏み込みで間合いを詰めた。トウガの俊敏な動きに驚愕した男は力任せに剣を真上に振り上げ、今度は自身の左前方で腰を曲げているトウガへと再度斬り付ける。だがその一撃は、あまりにもトウガの注文通り過ぎる攻撃だった。

(一見不安定なこの姿勢、攻撃したくなるだろ?)

 見慣れない者の眼には体勢を崩しているようにも映ることだろう。しかしこのトウガ、実際は重心移動さえしっかりすれば如何様にでも動ける状態であり、彼は先程とは逆の左にステップして斬撃を難無く避けると、一瞬だけ攻撃用の溜めを作る。そしてそのまま腰の回転により生み出した力で一回、二回と左のリバーブローの連打を相手に撃ち込んだ。

「ぎ、ぴっ」

 ガラ空きの右脇腹、肝臓へのダブルを喰らった男は激しい苦痛に襲われる。肝臓に対する衝撃は猛烈な痛みに繋がるが、それをよりにもよって手甲を装着したトウガの殺人パンチで行われたのだ。恐らく肋骨ごと潰され地獄の苦しみを味わっているのだろう。ゆえに敵の前だが息を詰まらせよろけてしまうのもしょうがない――が、トウガはそこで手を緩めることなく追撃を仕掛ける。

 鼻から大きく息を吸い込み両腕を真上に伸ばして固めた両拳をくっ付けると、わずかに噴出される鼻息とともに凶悪な鈍器と化したそれを、腰を曲げたことで水平になった敵の背中に一気に振り下ろす。まさに鉄槌、尋常極まりないダブルハンマーによって男は激しく地面に叩き付けられた。背中というものは人体の中でも高い耐久性を誇るとされる部位ではあるが、トウガの一撃はそんな事に全く影響されやしない。剣闘士風の男はうめき声を出す事も無く行動不能になってしまった。





「やりますねぇ。ここまで私達を追い詰めるとは……称賛に値しますよ」

 軽く呼吸を整えているトウガに横から男が声を掛けて来る。それなりにイケメンな優男、身なりも上品な旅人のようで軽く見ただけでは判断しづらいが、どうやらコイツも山賊の一人、倒すべき敵なのは間違いないようであった。

 しかし右手に細身のサーベルを持ってはいるが、それは親指と人差し指でプラプラとつまむように掴んでいるだけであり、まるでやる気が見られない。不意を突いてくることも無かったうえ、人間離れしたパワーを目にした恐れなどもないようだ。なんだコイツ、ナメてんのか? トウガがそう思ってしまうのも仕方のない話だったが、彼はそれを表には出さず優男に意識を強く向けた。目の前の人物が持っている剣に付着している血が、トウガに油断を許さなかったのだ。

「フフッ」

 突如、トウガの視界に光が走る。彼はとっさに頭をずらし光を避け、さらにバックステップで後ろに下がった。

「……ほ?」

 意識せず反射的に一連の動作を終えてから、ようやく彼は何があったのかを理解した。目の前の男が放った鋭い刺突を、危うく頭部に喰らい掛けたのだ。

 驚嘆すべきはその威力、わずかに避け損なったのか頬に赤い線が入っており、少量だが血が流れている。不死身ではないとはいえ、振るわれた斧を掌で受け止めたこともあるトウガの皮膚を切り裂くとは、恐るべき一刺しだ。警戒心を持っていて正解だったと言えるだろう。

「大層な体を持っているようですが、この魔双剣ファルコならばそんなことは関係ありません。それにしても今の一撃を避けるとは……フフフ、いいですね、そそりますよ」

 あえて馴れ馴れしい態度で相手に近付き、近距離から狙いすました必殺の一撃を見舞う。悪くない戦法だ。それにこの男、なかなかの技術を持っているうえに、魔法で強化された武器を装備しているらしい。なるほど、余裕の姿にはそれなりの理由があったということか。

(こいつは単なるバカやナルシストじゃない)

「力だけではなく技への理解もあるようだ。ならば、これはどうです?」

 優男は改めてトウガに向き直り、今度はサーベルをしっかりと握ったうえで突きつけてくる。さらにその状態から左手を腰の後ろに回し、今までトウガには見えなかったもう一本の剣を取り出した。

 それは右手の細身の剣に比べ短く太く、まるで大型のナイフのようであった。だが施された装飾は統一されており、元々セットで作られた二本一対の双剣であることが見て取れる。恐らく小剣の方は、主に防御や至近距離での攻防に活躍するのだろう。

(短い……厄介だな)

 さて、どうするか。トウガは構えを取った優男に対して迂闊に攻めるのは危険だと感じていた。自分が感じた限りでは細身の剣の殺傷力はかなりのものだ。そしてそれが魔法による強化から来ているのなら、同じ装飾の小剣にも同等の切れ味があると考えるのが自然だろう。自分よりもリーチのある相手だからといって下手に組み付きなど狙っても、逆にあの小剣によるカウンターで自分の首を絞める結果に成りかねない。

 まぁそれでも武器であり防具でもある両手のブ厚いガントレットならばさすがに切り裂かれたりしないだろうし、瞬発力など他の要素を考慮すれば不利と言うほどの状況ではないと思われる。大丈夫だ、俺は負けねぇ、俺なら負けねぇっ。己を鼓舞しながらトウガは全身の力を抜き、防御寄りのスタンスを取って敵を見据えた。

「いきますよぉ」

 軽く舌舐めずりした後、わざわざ宣言をした男は攻撃を開始する。

 右手のサーベルで眉間を狙った突き、さらに突いて、喉に横薙ぎ、二刀を使ってフェイントを入れてからの突き。

 それに対してトウガは後退しながら避けて、殴るように弾いて、クロスアームでガードして、大きなサイドステップで回避する。

 なんとか気合いでしのいではいるが、戦況はあまり良いとは言えないものになっていた。最初に頬を斬られたことで「喰らうわけにはいかない」という考えが頭にこびり付き、動きが防御一辺倒になってしまっていたのだ。攻撃に転じなければジリ貧だ、トウガもそんなことは分かっていたが、前述の考えに加え武器を使うわりに手数が多く、フェイントなども仕掛けて来る今までほとんど戦ったことが無いタイプの敵に対し、どうにも攻め入る切っ掛けが掴めない。

(強引にタックルからマウントを……いかんいかん、短絡思考は不味いって、せめてあの左手のヤツをどうにかしてから……ぉん?)

 二転三転するトウガの脳内会議。当然その最中でも戦闘は止まらない。攻める優男、守るトウガ、この流れはそう簡単に変わりそうも無かったが、その有利不利を示す天秤の傾きには変化が訪れようとしていた。

 どうやら最初の一撃のような力のこもった攻撃はともかく、軽い引っ掻く程度のモノではトウガの強化された皮膚には通用しないという事が分かってきたのだ。自慢するほど大した剣ではなかったのか、はたまたトウガの皮膚装甲がおかしいのかは分からないが、ともかくこれは好機である。彼は相手の連撃全てを捌くような重労働を止めて、致命となりそうな危険な攻撃だけを優先して防ぐことにした。

(……チャンスだ)

 先程までは極めて危険な殺人嵐の中にいると思っていた。だが実際は、その暴風全てを恐れる必要など無かったのだ。この事実を知ったことで、トウガの心には多少の余裕が生まれてくる。

 それに対して、優男の顔には焦りが見え始めていた。己の腕に一定の自負があり愛剣を手に自信満々で挑み、今も一方的に攻めているのは自分の方だ。それなのにろくなダメージを与えられない、さらに防戦一方のはずの敵は余裕の表情すら見せるようになってきている。何故こうなるっ、何故上手くいかないっ!?

 客観的に見て、あくまで冷静に対処するなら敗色濃厚などというような状況ではなかった。一時的にトウガに有利な面が見えて来たとは言え、優男の剣がトウガに通じる境目を見極め、そこでパワーと技術の配分を間違わず戦闘続行できたなら、戦況はどうとでもなったはずなのだ。だが彼は選択を誤った。山賊として生きる中で格下をいたぶることに慣れ、自分と同等以上の存在との戦い方を忘れてしまっていた彼は――剣士として既に死んでいた彼は、今の状況で冷静にいる事が出来なかったのだ。

 必要以上に力み、太刀筋がぶれる。それを修正しようとして、逆にぶれた太刀筋につられて全身のモーションがバラバラになる。上手く動かせない己の体に怒りを覚え、そのせいで攻めが雑になっている事に気が付かない。

 もはや彼の顔に初め見せたような不敵な笑みなどは全く見られなかった。ほんの些細な事から崩れ、あっという間に自壊していく目の前の男に、トウガは憐れみすら感じていた。だから終わらせよう、トウガはそう思いわずかにガードを下げ、頭部の守りをおろそかにしているように見せ掛ける。

 予想通り、敵はそれを怪しむこともなく「隙アリっ」と吼えながら渾身の一突きをくり出してきた。本人からすれば会心の一撃だったのかもしれない。だが最早それに鋭さは微塵も無く、見る影も無くなったその刺突を、トウガは頭を右に動かして事も無げに避けてみせた。

 ガシッ

「ふぎっ、ん、んなっ!?」

「アンタ強かったよ、本当に」

 そして、サーベルが伸び切って動きが止まった一瞬を狙い、彼は左手でその刀身をむんずと掴み取る。常人がそんなことをしたら剣を引かれ指が落ちてしまうのがオチだが、トウガの怪力があれば話は別だ。まるで万力を限界まで締め上げたかのようにサーベルは固定され、優男が力を入れてもピクリとも動かない。

「だけど、もう終わりだ」

 トウガは右の掌を固く握り締める。出来上がった拳は力の結晶、まさに金剛石。そんな凶器が備わった右腕をわずかに引いた後、彼はサーベルの根元に向けて必殺のショートフックをブッ放す。

 剣の平部分と手甲が激しくぶつかり、金属同士の接触にしては低く鈍い音が辺りに響いた。へし折るなどいった生易しいものではなく、激突部分を完全に粉砕するという圧倒的な破壊、誰が見ても修復は無理だと分かるほどの驚異的な一撃だった。

「ファッ!? ファ、ファ、ファファファ、わ、私のファルごぺ」

 優男の顔が驚愕に染まる。もちろんそんな隙が見逃されるはずも無く、短くなった刀身を投げ捨てたトウガはすかさずリードジャブを目の前の男の顔面に打ち込み、さらに伸ばした左腕を少しだけ戻してから、スナップをきかせた撫でるようなレフトショートアッパーを放つ。腕力だけで振るわれたそれはそこまで大きな威力を持っていなかったが、アゴの先端を弾くようにヒットさせたことで、目標の脳に致命的な衝撃を与えていた。

 脳震盪を起こし、男の膝がガクガクと揺れる。症状は軽度のようで昏倒こそしなかったが、自慢の武器の片方を壊されたうえ重大なダメージを負ったことで、優男は反撃もままならず立っているのがやっとの状態になってしまった。

「ぁぁああぁ、ぐぎいぃ……」

 だが極めて劣勢になっているにもかかわらず、彼は戦意を失っていなかった。口から出るのは言葉とは言えないような唸り声。ふらつく足取りで視線は定まっていない。左手に持っていた小剣も零れ落ちている。それでもこちらを睨みながら歩み寄って来ようとしている。

 敵ながら見事なり、とはいえ感心ばかりもしていられない。この強敵は迅速に、確実に倒さなければならないとトウガの直感が告げていた。だから彼は仕掛ける、とどめとなる大技を。

 まず左手で優男の頭を押さえ前屈みにし、下がった頭部を左腕で抱え込む。そして相手の左肩の下に自分の頭を潜り込ませてから、右手で相手のベルトをしっかりと掴む。これで技を掛けるための下準備は完了である。トウガはその状態で一度だけ深呼吸をした。そして呼吸を止めると、全身にパワーを走らせながらワンステップを踏み――

「っずァら!!!」

 ――自分の体を一気に後ろに反らせ、相手を背面へとブン投げた!

 人間二人が繋がり半円を描くその動き、あまりにもダイナミック。「投げる」と言っても手を離してはいないので勢いそのままに受身も取れず、硬い地面へと背中を激しく叩きつけられた優男のダメージは致命的なものとなった。衝撃時の音の迫力からも、それはよく分かることだろう。

 トウガが見せた技の名は高速ブレーンバスター、脳天砕きとも呼ばれる投げのバリエーションの一つである。本来なら組んだ後、相手を逆さまに持ち上げトーテム・ポールのような形になり、そこで一旦止まって一呼吸置いてから後ろに倒れ込むのだが、これはブリッジをするように一気に体を反らせる事で、抱えたままの時間を省いているという違いがあった。ダメージに繋がる高さが得難く、横から見た時に描く弧もノーマルバージョンより小さくなるかわりに、その全体動作の短さゆえに受け身を取られづらく技を返すことも難しいといったメリットが存在していた。まぁ今回の場合、技を掛けられた優男に抵抗する余裕などは欠片も残っていなかったと思われるが……。

 完全に余談だが背中を地に叩き付けるこの技がなぜ「ブレーン」バスターという名前なのかというと、元々これは相手を持ち上げた後、背中ではなく頭を真下に落とすといった危険極まりない投げだったからだ。それゆえ危険度を下げる改良がなされ、落とす部位が頭部から背中に変わったのだが、名称の方はそれでも変わることなく現在のブレーンバスターが出来たというわけである。





 豪快な技でまた一人敵を倒し、着実に勝利へと近付く。コンディションも悪くなく、余力もまだ十分に残っている。だが、トウガの顔に喜びの色は全く見えなかった。

 今はどういう状況なのか、そして何故こうなったのか。話は二日程前へとさかのぼる……。





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 二年半ぶりぐらいでしょうか、お久しぶりです。前の話の投稿日で何となく分かるかもしれませんが、例の震災で色々あって投稿出来るような状況じゃなくなってました。住んでる所は離れてるし直接の被害は無かったんで、マシと言えばマシなんですけどね。

 それで最近になって時間も気力もちょっとだけ出来たのでなんとなく続きを書いてみました。今更見苦しい、と思う方がいたら申し訳ありません。それと久々だったので書き方の変化、以前の設定を拾えていない点などもあるかもしれません、ご容赦を。

 あと作中でやや不自然に日が跳んでしまってます。読み直して自分でもちょっと違和感がある点なんですが、きっちり日数経過を描写するとこの話の特徴である格闘シーンが次話に回されるぐらい分量が増えてしまいそうだったので……うーん、どうしたらよかったんだか。


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