世界には魔法があり、魔族と呼ばれる強く適応した魔獣と魔人が通常種より派生していた。世界は広大だったが、生物を死に至らしめる魔性地帯により、人間はもとより魔族ですら、住む場所を巡って戦いを繰り広げていた。大陸上部の最西端に位置するフィシ共生国家、そこでクロニクル、アポカリプスに起こされた。2冊より名をアディヴェム・ジーンと教わり、自由だけを手に、知らない世界へ旅に出る。天使、魔人、ドラゴン、鮫の女皇、過去の遺物。行く先々で出会いと別れが待ち受ける。そしてァリウス・リチュールとの出会いが致命的に運命を定めた。これより先、アディヴェムは1つの国に留まり、戦争へひた走る。この物語の結末は、虚無へ続いている。
夜を焼き切らんばかりの白い閃光が森を昼間へ変えた。獲物が目を覚まし、夜行性の動物が取り逃がす。森を東へ進んでいたアディヴェムも例外なく空を見上げた。「何あれ?」「お星様だ」耳をつんざかんばかりの協奏曲が後追いでまっすぐ堕天し、嵐のような衝撃が木々を揺らし、噴石のような破片が枝を折った。「すごいね」呟いたアディヴェムを白と黒の壁が囲い込み、石や金属を弾き飛ばしていた。「近いからな」動物の悲鳴がうるさくなり始めた森で、アポカリプスが言う。「あっちに進んでみない? きっと見たことのない風景が待っているわ」「そうなの? じゃあ行ってみよう」残骸の雨が止むと壁を畳み込むようにして、本のサイズに戻ったクロニクルが促し、アディヴェムは足を向けた。
クロニクルに照らされた道を夜な夜な歩き通したアディヴェムは森を抜けた。「ホント見たこともない物が色々落ちてたね。それに動物は肉に困らなさそう」「あれが令器の攻撃だ。城、守りの堅い栖の事だ。を壊すだけの力が最低でもある、人間では最強の器だ」アディヴェムは途中で拾った溶けて角が無くなったガラスを朝日に透かし、剣を背負いなおした。「でも天使より弱いんでしょ?」「天使どころか、魔獣によっては負けることさえ有る」「なら天使を殺したクロニクルとアポカリプスこそ、最強だよ」「……アディーはいい子だ」驚いて風景の口を開いた2冊はそれを格子で仕切って笑顔で誉めた。クロニクルが風景を開けて口を広げ、アディヴェムは中へガラスを入れる。地面を掴んだ根っこごとなぎ倒された木々、めくれた地面を縫うようにして進む。「丘だ」「いいやクレーターだ。真ん中が凹んで代わりに周りが盛り上がってるから、そう見えるだけだ」色の違う地層が剥き出しになった小高い丘を登っている途中、白い霧が立ちこめる。それは大勢の人型になり、鮮明な鎧姿の兵士に代わって空を見上げた。アディヴェムには見えていない何かを追って、彼らは視線を下ろし、突然飛び散って消えた。「なに今の?」「幽霊ってやつよ。死んだことに気付いていないから、しばらくの間は繰り返してるわ。さあ頂に上って」登り切るとアリジゴクの巣のように窪みが待っていた。中でも幽霊が凝視していたであろう場所は、抉り込まれる始点となっていた。「なにかありそう?」「いや、何もない。掘れば死体くらいでてきそうだけどな」「アディーは何か思う?」クロニクルの質問に周辺へ目を移す。だがクレータは無数にある一面は土や石だけ、命は1つたりとも感じられなかった。「風の音が聞こえる、静かだ。僕を止める者がなくてとっても良い」「それは良かったわね」「だけどここはオレ達には寂しすぎる。もっと先へ進んでくれ」アディヴェムはまっすぐ東へ歩を進める。やがて2階建ての家々を両脇に従えた、獣道より手入れされた地面の道路に出る。「待て! そこの子供」町の入り口で端の方を歩いていると、兵士に目ざとく呼び止められた。「なんなんですか?」見れば彼の奥には、手に槍と盾、腰には剣、兜に鎖帷子で固めた4人の兵士に守られて、三角帽を被った黒衣の女性が椅子に腰掛けていた。「お前、どこからきた」アディヴェムが黙って後ろを指さすと、兵士の方が驚いて後退りし剣を抜いた。「ァリウス様! 生き残りです!」(なんで攻撃しようとしてるんだ?)(彼らに殺意は無いの、むしろ怯えているくらい。だからせめて反撃体勢を取ってるだけ)目を見開き肩で息をしながら兵士が緊張を叫び込み、紅茶を飲んでいたァリウス・リチュールが面倒くさそうに立ち上がった。「敵意が有るなら遠くから攻撃してるわよ、鞘に戻しなさい」「ようやく話の分かる奴がきたな」ァリウスがすれ違いざまに言うと、まだ口を開いていた兵士は仕方なさそうに剣を戻した。彼女はアディヴェムが着ている樹皮の繊維で編まれた茶色い服を観察していた。「あなた、ここら辺の人間じゃなさそうね。どこから来たの?」「フィシ共生国家から来たわ。でも魔人じゃない、ましてや魔獣でもね。私達の目的は旅を続けること、あなた達に敵対するつもりは無い。道を開けて欲しいのだけれど」クロニクルが答えるとァリウスは目に驚きを浮かべながら口を開いた。だが声が出るより先に全身にえも言えぬ文字が発光し、兵士が青ざめて蜘蛛の子でも散らすように距離を取った。ただ、アディヴェムだけが彼女に寄り添った。「大丈夫、ですか?」「心配してくれるの、怖くない?」守る様に自分を抱いてしゃがみ込んだァリウスは目を開け、なにか期待するような眼差しを向けた。「だって苦しそうだったから」「私は、苦しく無いの。でも周りの視線が苦しいわ」一方、ァリウスが浮かべていた苦悶の表情は、アディヴェムには両腕を切られた天使の表情と同じに見えた。そして別の天使が立ち塞がって庇うのを思い出した。「大丈夫、あなたは美しいから」次の瞬間、ァリウスに抱きしめられいた。「私の傍にいて」「旅がしたいんだ。放して」下がろうとするが彼女の力の前には雀の涙ほど。かえって強く拘束され、アディヴェムの肋骨がいともたやすく折られた。「放せよ!」「私達のアディーを傷つけるな!」アディヴェムはァリウスの手中から消え、怒りで噛みついた2冊の所へ姿を表した。ともすれば兵士達はざわめき、彼女は空振りした両手を地面に突いた。「傍にいてよぉ」ァリウスは大事なものを取り上げられてしまった様に周りの目など気にもとめず、表情を崩して涙を流していた。(なんで泣いてるの?)(それは……寂しいからよ)それは天使の涙を見てきたアディヴェムにとって理解はできなかった。(体を切られたわけでもない、死ぬ前でもない、誰かが死んだわけでもないのに泣くの?)(うれしくたって涙を流すわ。人間はね)(でどうする? 旅を続けるのには邪魔だ)2冊に判断を委ねられたアディヴェムはァリウスを見る。(助けて)彼女の求めが心に響いた。「それが、あなたの望みなら」アディヴェムは黙って抱きしめられた。泣き止むと手を引いて、クレーターだらけになった城跡を確認した。「生き残りはいません!」「帰るわ」ァリウスの指にあった文字が煌めいて空間が裂ける。広がった別の風景は白いとんがりテントが群集した野営地だ。「決まり通り1日留まるわ。あとの事はあなた達でやりなさい」共に帰った兵に短く指示を出すとァリウスは一際大きなテントにアディヴェムを案内した。両端を女兵士に守れた入り口を抜けると、そこには地面に据えられた本棚と机、ピッチャー、紅茶の葉等があるだけの殺風景なものだ。ベッドさえ無い。「ねえ、あなたの名前を教えて。私はァリウス・リチュールっていうのよ」「アディヴェム、アディヴェム・ジーン」ァリウスはしゃがんでアディヴェムの頬を両手で振れ、笑顔で言った。「言い名前だわ。なら今度からアディーって呼ぶわね。私の事は……お母さんって呼んでほしいの」「おかあさん……って何?」「あなたを産んで、育ててくれた人よ? いないの?」両者はお互いに困惑していた。ァリウスは探るような上目遣いで、アディヴェムはクロニクルにその答えを求めた。「私はアディーの母役よ。母親を捜すために旅をするのだから」「その人が見つかるまででいい、私をあなたのお母さんにして」「うん……いいけど?」ァリウスの表情が晴れ、立ち上がって魔法で風呂場を作り出した。「一緒に入りましょう」地面に文字が敷かれてタイル張りの床に代わり、真っ白な陶器製の浴槽に湯舟が張られた。「アディーにそれは必要無いわ」「汚れないしな」「家族なら当たり前の事よ」抗議するがァリウスは自ら裸になり、アディヴェムの服を脱がす。彼女は裸体は女神の石像の様に美しく、なぜ服を覆い隠すのかが不思議なほど、羨望の眼差しと嫉妬を受けるものだった。「さあ目を瞑って」言われた通りにするとお湯が滝の様に流れ落ち、ァリウスが入るとアディヴェムを入れた。「これ、そんなに珍しいの?」「初めて見たから」後ろから目線を追ったァリウスは自身の腕に光る文字列にぶつかるのを突き止めた。「これはブランドと言って、詠唱無しで魔法を発動させるものよ。普通、体にブランドできるのは1個の魔法だけだけど……私はいくつもあるから、親でさえ怖がって私を除け者にしたの。便利ではあるけど、私はこれが忌まわしいわ。アディーはどう思う?」「蝶が別の蝶の模様を見て、怖がったりするの?」「みんながアディーみたいに、常識に囚われなければいいのにね」ァリウスは一折用事を済ますと風呂から上がった。「これを着て。みんな私を怖がっているから、アディーもきっと怖がられるわ」三角帽子の代わりに布の垂らした眼鏡、首まで隠れる襟の高いブラウス、首を飾る大きなリボンが垂れ、矛先の様なフリルに飾り付けられたジャケット、紫のフリルが彩るロングスカートとズボン、パンプス代わりのグリーブの様なブーツ。「良く似合ってるわ。でもアディーはきっとつまらないでしょうから、これをあげる」ァリウスは本棚から1冊の本を抜き出し、アディヴェムへ渡そうとした。「それは私が与えよう」その瞬間、クロニクルが光ってアディヴェムの手に作り出した。「ありがとう、お母さん」「……どういたしまして」あっけにとられたァリウスの怒りはそれで氷解し笑顔になった。アディヴェムは早速本を読み始め、彼女は紅茶を片手にそれを見守っていた。「お昼よ、ごはんに行きましょう」「アディーはオレ達以外に必要無い」アポカリプスは言うがァリウスは強引に引っ張りだした。ァリウスの目的地に近づくほど空気に匂いが混じり、たどり着いたテントはたくさんの机に囲まれ、鎧も脱いだ兵士が食事をとっていた。「今日はシチューにリブステーキです」テントに入ると匂いは強くはっきりしたものになった。「そこにリンゴを1つ」大切り肉に野菜、硬かったパンの混じったシチューにソースがかかったステーキ。それにリンゴを追加して渡す兵士も例外なく、不思議そうな視線をアディヴェムへ向けた。「アディー、奥の席にしましょう」外と違って十分に間がとられた机の中から奥を選んで、ァリウスはアディヴェムをテント側に座らせた。「食べなくて良いっていうのも、なんだか損をした感じね。どう? 骨付き肉なんて上官でなければ食べられないわ」素手で骨を握ってアディヴェムへ差し出すが、首を縦に振ることは無かった。「いらない」2人の向かいの席ではヒゲの濃い男が、向かい合った相手に悪戯を仕掛ける子どもの様に笑いかけ、ナイフを隠し持って立ち上がった。「おいガキ!」振り返って本を読んでいたアディヴェムに屈み込んだ。「軍隊では上官の言うことは絶対だ! それができないっていうなら」話の途中でナイフを天板に突き立てた。しきたりを教え込もうとした彼は、着ていた鎧ごとステーキが焼けそうなハムとなってテントに飛び散った。「あ」アポカリプスからは爪が生え、首だけが机に落ち、やがて地面に転がった。アディヴェムを中心にあたりが絶命的な寒さで凍てついた。事態を理解した者は血の気が引き、肉を待ちかまえていた口から悲鳴をあげた。「おい大人ぁ!」それを聞きつけた兵士が入り口に殺到して固まる。アポカリプスが両手で拾い上げた頭を怒鳴りつけた。長い首、一対の翼、腕、足、それに尻尾が削り出されていく。「っひ!」首だけとなっても彼は意識があった。体の感覚もあり、踏まれた痛みもあった。だが容易く殺されそうな牙を見せつけられて今にも失神寸前だった。「子どもを脅迫するような大人が、でかい口を叩くなよ! こ」言い掛けた事を半分実行していたアポカリプスはアディヴェムに触られて振り返った。「みんな寒がってる」テントは板のように硬くなり、ァリウスの右半身はすでに死に、左半身も後に続くだけ。足下の土は硬く、草は内側から破壊された。アポカリプスは頭を無造作に投げ捨てた。「ごめんねえ、ちょっとてがすべっちゃったんだ。めんどうだからこれいじょうは、やめようねえ」本に戻ると今までのことは無かったかのようにすっかり元通りになった。それが紛れもなく現実だったというのは刺さったナイフと、過呼吸を起こして失神した彼ぐらいのものだった。「でもありがとう。守ってくれて」「うんうん、ほんをよむのにもどろうねえ。もうこわくないからねえ」アポカリプスは子煩悩に頭を撫で、ァリウスは興味深そうな眼差しをアディヴェムに向けた。「それってそんなに面白い?」食後もアディヴェムは本を読んで過ごしていた。本には魔法の法則性について書いてあった。「初めて見るから」現実に重ねる様に望みを具体的に想像、現象を名付けた言語を発声しあるいは文字におこして、関係性を補強する。魔法は関係性が強いほど魔法は強まり、魔素も比例して要求される。賄えない場合は魔法の威力が落ちる。「アディーは勉強熱心なのね。でも知識は知恵にはかなわないわ、実践するのが肝要なの。見て」ァリウスは右手を差し出すと赤い大きな火の玉が掌を照らした。「これが火の魔法よ。有る程度形は変化させられるわ」そして左手、空気が歪むと火花が散り、青く大きな火の玉が燃えあがった。「こっちが空気とガスの魔法の組み合わせて、点火を施したものよ。見かけは火だけど、全然が違うの。火は温度を高くできないし、燃え広がろうとするから広範囲には有効なの。でも焼けにくいものや点で燃やしたいときはだめ」ァリウスガ右手の火を消すと、左手の炎が存在を主張して真っ青なスパイクになり、白く輝き始めた。「練習すれば状況に応じて判断できるように成長できるわ」再び夕飯にもテントへ行ったが、触らぬ神に祟りなし、とばかりに兵士は遠巻きに見て噂をたてるばかりだった。「アディー寝ましょう」パジャマを着せたァリウスは満足げな笑顔を浮かべてベッドに誘って抱きしめた。その行為は蛇がネズミを絞め殺すのに等しかった。クロニクルが壁を作っていなければ、アディヴェムは朝まで苦しむことになっただろう。(暇だ)(本を見せようか)(そうだね)向かい合ったァリウスの顔を透かして本の内容が浮かび、夜を一日中過ごした。