平賀才人は、東京に住むごく平凡な一般人だった。厳しいわけでも、過保護なわけでもない普通の両親のもとで育ち、賑やかだけれど、素行に問題があるわけではない普通の友人に囲まれて暮らしてきた。よく周囲の人たちから、ヌケていると評されているものの、その性格が幸いして何事にも適応できる柔軟な性格を持ち、何事もなく日常を送っていた。
日常は日常であり、たまに起きるアクシデントも、その適応力から非日常へは発展せず、何事もない日常が、死ぬまで続くと少しの退屈ささえ感じながら信じていた。
しかし、ある日突然その日常は破壊され、才人の人生は非日常へと塗り替えられた。
中学三年の修学旅行の時だった。才人の中学校は、旅行先の九州までフェリーに乗って向かうという、おかしな慣習があり、一部の生徒たちは船に酔ったり、新幹線や飛行機と比べてはるかに遅い移動時間に文句を言ったりしていた。そんな中才人はというと、人生初の乗船経験にはしゃぎっぱなしであり、周囲の先生や友人を呆れさせていた。
その日は天気も良く波は穏やかで、船も順調に進んでおり、このまま何事もなく九州まで向かうもの思っていた。……あの惨劇が起きるまでは。
それは突然の出来事だった。
何かにぶつかったような揺れが起きたかと思うと、急に船が傾きだしたのだ。皆が慌てふためく船内から、才人は先生の制止を振り切り外に出ると……そこには怪物がいた。比喩でも何でもなく、まさに怪物という他ないモノが、船室を食らおうと大口を開けていたのである。
まず目に入ったのは、その巨体。
海面から出ている部分だけでも、30mはあろうかというその体は全身が鱗に覆われいて、原理は分からないが体中から土留め色の火の粉を散らしていた。
次に目に入ったのは、その怪物の口。
大きく開けられた口には、鋭い歯が円を描くように並んでおり、まるでドリルのように回転していた。
あまりに現実離れした光景に、悲鳴も上げられず固まっている才人に目もくれず、その怪物はそのまま船室に齧り付いた。その際起きた衝撃で才人は海へと投げ出される。海面から顔を出した才人の目の前には惨劇が広がっていた。
喰われていた。
船が。
喰われていた。
人が。
喰われてた。
先生が。
喰われていた。
友人が。
喰われていた。
少し前までの日常全てが。才人の過ごした日常全てが。
その時才人を埋め尽くした感情は一言では表せられない。
親しい人を失った悲しみ。
未知の怪物への好奇心。
自分が辿るであろう運命への恐怖。
残される家族への悔恨。
降りかかる理不尽への怒り。
理解を越えた状況への諦観。
そして何より自身の世界を壊したものへの強い憎しみ。
力が欲しかった。この状況を打ち壊す力が。
力が欲しかった。目の前の怪物を打ち倒す力が。
力が欲しかった。恐怖ですくむ体を動かす力が。
その望みはすぐに叶った。
声が聞こえたのだ。頭の中に。口汚い不敵な声が。
「ずいぶん珍しいこともあるもんだ。海魔なんてとっくの昔に打ち滅ぼされたもんだと思っていたが」
「にしてもお前はツイてねえな。封絶も張れない馬鹿な海魔に襲われて、気配も読めない馬鹿な海魔に取りこぼされて、食欲だけの馬鹿な海魔に人生滅茶苦茶にされちまったんだもんなあ」
「どうするよ?復讐したいのなら手を貸すぜ。代わりに滅茶苦茶になったお前の人生をもらうがな。全てを捨てて、あいつを殺す力が欲しいか?」
才人は迷うことなく頷いた。家族のことが頭をよぎったが、どうせこのまま喰われる位なら、せめて一矢報いたいと、才人の意地が決断させた。
「それなら交渉成立だ。気張れよ坊主。前の腰抜けよりは根性見せろ。お前は今日から“觜距の鎧仗”カイムのフレイムヘイズ『空裏の裂き手』だ」
★★★
「起きろ間抜け。仕事の時間だ」
才人は胸のバッジからの罵声に起こされた。懐かしい夢を見ていた気がする。
「お前相変わらず口が悪いよな。契約した時から思ってたけど」
才人が契約したあの日から2年の月日が経っていた。あの後、苦戦しながらも怪物―紅世の徒、"呑舟渦"レヴィアタン―を倒し、駆け付けたフレイムヘイズに回収された才人は、東京の外界宿《アウトロー》に保護された。そこでフレイムヘイズに関して、この世界に関して説明を受けた。
衝撃は大きかったし、落ち込みもした。与えられた部屋で丸一日ふさぎ込んだ。口の悪いカイムは「このヘタレが」と罵ったが、それ以上は何も言わず。そっとしておいてくれた。時間がたつと才人も自分に起きたことを受け入れられるようになった。職員からは「適応力が高い」と褒められた。
「……契約した時のことを思い出してたんだ」
「海魔に襲われたときのことか、それともその後みっともなく泣きはらした時のことか」
「うるせー。……あれからいろいろあったよな」
フレイムヘイズとして生きていくと決めた後、才人はあるフレイムヘイズへと弟子入りすることになった。“応化の伎芸”ブリギッドのフレイムヘイズ『骸軀の換え手』アーネスト・フリーダーが才人の師となった。フリーダーの課す修業は、効率的であったものの厳しく、また、理論派であるフリーダーと感覚派である才人は、なかなかそりが合わずしょっちゅう喧嘩を繰り返していた。しかしどこか息が合っており、お互いがお互いを決定的に嫌うことはなく、傍から見ていい師弟関係といえた。もっとも、お互いがそれを聞いたらむきになって否定するであろうが……。
「目まぐるしかったのは確かだな。だがそれもお前の要領がよけりゃあ大分マシだったはずだがな」
「お前はいちいち俺を貶さなきゃ気がすまねーのかよ。人が感傷に浸ってるって時に」
「そんなことしてる暇があるなら戦いに集中しろ。これが終われば好きなだけ感傷に浸れるだろうぜ」
「……それもそうだな」
そう言って才人は眼下を見下ろす。そこには街を埋め尽くす徒たちがいた。
才人は驚異的な成長を見せ、僅か2年で一人前のフレイムヘイズとなった。一人前になった後もフリーダーの副官として活動していたが、『仮装舞踏会』の大命宣布により大きな戦が開かれた。才人は一人前のフレイムヘイズとして、戦いに身を投じた。その戦いでフレイムヘイズの使命が揺らぐような事実が明るみになったが、才人が動じることはなかった。元々使命感が薄かった上に、復讐もすぐに果たしていた才人の戦う理由は「親しい人を守るため」であったからだ。
フレイムヘイズとなって日の浅い才人は、人としての感覚が強かった。そのことでフリーダーから怒られることはあったが、今はその気楽ともいえる気性が幸いした。瓦解する戦線を維持し見事退却してのけた才人に周囲の人々は勇気づけられた。
その働きから才人はフリーダーから重要な仕事を任された。
3度目の大命宣布により街に流れ込む徒たちが増えた。それを『三神』と共に蹴散らすのが才人の仕事だ。
「いくぜカイム。さっさと片付けて照焼きバーガーが食いてえ」
「集中しろと言ったが調子に乗れとは言ってないぞ。気を抜くなよ間抜け」
軽口を叩きながら二人で一人のフレイムヘイズは自在法『サックコート』を纏い戦場へと身を躍らせた。
「“觜距の鎧仗”カイムのフレイムヘイズ『空裏の裂き手』平賀才人だ!てめえら覚悟しやがれ!」
「祭りは終わりだ馬鹿共。さっさと紅世に帰るか討滅されるんだな」
☆☆☆
シャルロット・エレーヌ・オルレアンは幸せな少女だった。優しい両親に育てられ、大貴族の娘として何不自由なく暮らしてきた。よく屋敷に来る伯父と従姉も優しく、シャルロットと遊んでくれた。
そんな幸せな人生に、ただ一つ不満があるとすれば魔法が使えないことだろうか。
シャルロットには、魔法の才能がなかった。両親は共に優れたメイジであったし、伯父も優れた水のメイジであり、その娘である従姉イザベラも水のドットであった。一族の中でただ一人シャルロットだけが魔法を使えず、どんな簡単な魔法を使っても爆発が起こり失敗に終わった。
それでもシャルロットは幸せであった。魔法が使えなくとも周囲の人は優しく、いずれ魔法が使えるようになると励まし続けてくれ、そしてその言葉をシャルロットは信じていたからだ。傍から見れば無責任な励ましをシャルロットが信じたのにはわけがある。それは伯父ジョゼフの存在だ。
今でこそ水のスクウェアとされる伯父であるが、若いときは今のシャルロットと同じように魔法が使えなかった。当時はそのことでずいぶんと騒がれたらしいが、時が過ぎジョゼフが水の魔法に目覚めると、悪評などすぐに無くなった。むしろ並のスクウェアを凌ぐ実力を見せたジョゼフを見て、幼い頃魔法が使えないのは、大きすぎる力を制御できなかったからだと考え、魔法失敗の際の爆発は大いなる魔法の才能の片鱗だとした。
そのためシャルロットの才能に周囲は沸き立った。王族から二人目の大いなる魔法の才能を持つ者が出たと喜び、国家は安泰だと期待し、シャルロットもその期待に応えるよう努力した。
しかし、その幸せも長くは続かなかった。
始まりはガリア王であった祖父の崩御だった。優しかった祖父を喪った悲しみにシャルロットは打ちのめされるが、悲劇はそこでは終わらなかった。
父、シャルル・オルレアンが暗殺されたのだ。それも現王に即位した伯父、ジョゼフによって。
訳が分からなかった。シャルロットにとってジョゼフは優しい伯父であったし、父とも仲が良かった。ジョゼフが王位につくことは以前から決まっていたし、父も即位した兄を補佐するのだと誇らしげであった。決して王位継承の為に争いが起きるような状況ではなかったのだ。
悲劇はそれだけに留まらない。
母が毒を飲まされ、正気を失ったのだ。娘であるシャルロットをかばって。
度重なる悲劇に打ちのめされ、憔悴したシャルロットは従姉イザベラを頼ったが、イザベラはそんなシャルロットを冷たくあしらい、キメラドラゴンの討伐を命じたのだった。
未だ魔法の使えぬシャルロットにとってそれは死刑宣告と変わらなかった。
任務は困難を極め、シャルロットは何度も自死を考えたが、恐怖から実行には移せなかった。
しかし、大の大人でも命を落とすであろう試練にシャルロットは打ち勝った。ジルという協力者を得て、その術を学び、失敗魔法による爆発で何とかキメラドラゴンを討伐したのだ。
そしてシャルロットは何も知らないお姫様から冷酷な騎士へと成長した。
名をタバサと変え、北花壇警護騎士団に入り七号というコードネームを与えられた。
そこに天真爛漫だった頃の面影はなかった。長く艶やかだった髪はバッサリと切り落とされ、朗らかに笑っていた口は堅く引き結ばれ、穏やかだった目には冷たい光を宿すようになった。
「私はガリア北花壇警護騎士七号、タバサ。祖国ガリアとその王家に忠誠を誓います」
★★★
シャルロットからタバサへと名を変えたその日より3年後。タバサはトリステイン魔法学院にいた。
2年生に上がる春の使い魔召喚の儀のまっただ中であった。
タバサは今も魔法が使えなかった。どんな簡単な魔法も失敗して爆発させ、周囲から『ゼロ』のタバサと揶揄されていた。
北花壇騎士として危険な戦闘任務の際は失敗魔法が役立つ時もあったが、それでも危険は大きかった。今までは何とかなったが、これからもそうとは限らない。
タバサは死ぬわけにはいかなかった。復讐を果たし、母の心を取り戻すためには。
そのためには強力な使い魔が必要だった。タバサの剣となり盾となる使い魔が。幼い頃に読んだイーヴァルディの勇者のような使い魔が。
「我が名はタバサ」
願いを込めて詠唱をする。
「五つの力を司るペンタゴン」
目を瞑り、祈る。
「我の運命に従いし、"使い魔"を召還せよ」
詠唱を終え、杖をふるう。
空色のフレイムヘイズと空色の少女。出会いはすぐそこまで迫っていた。
~あとがき~
今更ですがゼロ使と灼シャナのクロスです。書き溜めはないため更新はゆっくりですが、よろしくお願いします。
ハーメルンさんにも投稿してます。