/ outer.
「おいおい。……ついに、動かなくなっちまったよ。ココまでは良かったんだがなあ」
ビルの屋上に中座しながら、男は大げさなまでに項垂れた。
生ぬるい風に誘われるまま、今夜も街に溢れた人外共を狩りながら、件の逃亡者を探していた彼。趣味と仕事の両方をこなしながら、悠々自適に責務を全うしていたのだが、またしても探索用の礼装がダダを捏ね始めたのだ。
だからだ、別に男は高いところがすきと言うわけではない。ココに座して、やる気を微塵も感じさせない赤い眼を京都の街に向けるのは。
律儀な男だ。魔術師の捜索。それを礼装が使えぬ今、自らの肉眼で発見するしかないと判断した男は最後の望みと京の都でも一際伸び上げた高層ビルに登ったのだ。
「どうすっかね、まったくよ」
言葉とは裏腹に、男の思考は既に纏まっていた。
即ち、帰って寝よう、と。真性の吸血鬼である彼だが、人間の三大欲求を捨てた覚えは無い。睡眠も、かけがえの無い享楽だ。かつて少年であった時でさえ、荒廃したコンクリートの隙間から汚い夜空を見上げ、瞳を閉じるその安穏を、軽んじたことなど無い。
白み始めた空を眺めて、男は欠伸と一緒に腕を天へと伸ばす。今日のお勤めご苦労様。そうして、踵を返そうとした刹那。
一条の閃光が、残り粕の夜空を裂いた。
詠春が放った神鳴流に於ける奥義、滅殺・斬空斬魔閃。
轟く紫電がその摂理を無視し、大地から天上へ逆巻く様な一太刀。それほどの神秘が顕現した。
成された絶大な神秘。そう、それは詰まり、それを成す程の担い手がいると言う事。簡単な二段論法によって、即座にクーの顔は喜色に変化する。
「すげえな、今の」
眠たげだった彼の表情が一変、途端に嬉々に染め上げられる。ひゅう、と唇を吹かして、男は流動する大気のマナ、溢れ返る殺意の焦点を探す。
発見は容易だった。前方、二キロと言ったところか、吸血鬼の視力であれば問題なく視認できる距離だ。
数は三、案の定戦闘中。ここ二日ばかり、京都の街に中々の修練者が化け物を狩るためにうろついていたのはクーも知っている。だから直ぐに見当もつく、彼らが極東における魔術組織の人間だと。
「へへ、いいね。今夜……いや今朝はついてる。徹夜のしがいが、あるってもんだぜ」
そして、彼らが何者であるか理解したからこそ、クーは詠春達の力量に対して賛辞を禁じえなかった。
正直なところ、日本の退魔組織のレベルに、クーは消沈していた。と言うのも、街に繰り出していた退魔組織の機関員には、余り魅力を感じていなかったからだ。その実力にも、気概にも、クーを満足させられる程の使い手はいなかった。あの程度の獲物では、食欲など刺激されるわけが無い。
直接手を合わせた訳では無いが、彼らの力は理解していた心算だった。所詮は島国の矮小な組織だ、それが当然といえば当然か。そう、納得したはずだったのに。―――――たった今、その落胆は見事に裏切られた。
……まあその中に、一人だけ。なんとも情けなるくらい弱い奴が混ざってはいるのだが。正直、こいつには涙を禁じえねえぜ。
衛宮士郎の事を取り敢えず眼中から頬を伝う涙と一緒に流してしまい、再度二人の剣客を熱烈に注視する。
「キモノの二人、やるねえ。惚れ惚れする」
強い、間違い無く強い。
自身が殺されるやも知れぬ程に、自身が殺したいと渇望する程に。それ程まで、強い。明確な強さの測るための杓子など、彼は持っていないし、そんなモノを必要としたことも無い。
獰猛な本能の侭に、勇猛な魂の命ずる侭に、強い自分を証明するのだ、それだけでいい。そうだ、定規が存在すると云うのならば、それは、はなから殺しあう事だけではないか? 実に明瞭な秤だ、弱いほうが、死ぬだけなのだから。物差し等、ソレだけで十分ではなかろうか。
「っく、最高じゃないか。久々だ、こんな高揚は」
塞き止められた笑みに張り付くのは、約束だ。遠い日に誓った、友との約束を証明するために。
無邪気に、だけど渇望を含んで交わされた制約を、貫くために。
無垢なあの頃、ごみ溜めの廃墟で、少年に願うことを許された唯一の夢を果たすがために。
「さあ」
男の後ろ髪が、天高い風に靡いている。握る大槍が、暗い大地を指している。
俺達は強いのか? それを、確かめに。
男は、鉄筋の塔より仄暗い夜明けの街を最後に見下ろした。澱み、沈殿したマナは、霧の様に京都の街を埋め尽くしている。それはさながら、行き詰る煙霧のよう。街を、ヒトを腐らす、しみったれた汚臭が、男の鼻につく。
それが、ガキの頃に駆け回ったクソったれたあの街の情景を思い出させるのだ。
―――――柄にも無く感傷か、クロムウェル? はっ、らしくないぜ。
それは自重か、それとも自嘲か。思い出を振り払うように、男は瞳を閉じる。
一歩、最後に男は踏み出した。
鉄筋で築け上げられた超高層の塔。そして。
「―――――――――――――――――行くぜ、相棒」
男は、堕天した。
Fate / happy material
第三十七話 黄金残照 Ⅲ
/ 14.
圧倒的だった。胃袋を引き裂いたような目の前の景観を眺め、言葉にならない感嘆を吐露する。
それは、結果だけを見るならばアイツの聖剣と何一つ変わらない。
大地すら両断する、空さえ裁断する、力の結晶。
収束された高純度の生命エネルギー“気”。それを納刀状態の刃に収束、そして抜刀と共に開放する。言葉にすればそれだけなのに。
「馬鹿げてら」
式さんの言葉が、俺の感情を克明に代弁してくれる。
それを成したのは、ただの人間、ただ人の身でありながら、聖剣の一撃に勝るとも劣らぬ暴力を繰り出すなどと。
確かに、神秘の格ではアイツの聖剣に及びもしないだろう。だが、単純な破壊活動の点で言えば、それは正しく“聖剣並み”の一撃だった。
「ふむ、やはりしんどいねえ。こいつは、年々放つのが億劫になっていけない」
以前桜咲が吸血に使用した技、斬岩剣……と言ったか? アレだって人間レベルを遥かに超越していたってのに、今度はエクスカリバー並みの一撃ですか。
って言うか、今ので目の前の人外は皆消し飛んじゃったのでは? だったら、桜咲とイリヤが先行した意味がまるで無いぞ?
「まあいい、詠春、さっさと行くぜ。後二キロ、早いとこ完走しないとな。まったく、とんだ障害物競走だぜ」
「そうだね、本当なら今の一撃は目の前の人外共を一掃するのに充分なのだが」
「まあな、あんな馬鹿みたいな一撃だ。地上に向けて放っていたら、街を焼いちまう」
肉の漕げた匂いを掻き分けながら、俺は全速力で式さんと詠春さんの背中に追いすがる。だってのに、二人は軽口などを叩きながら、尋ねてもいない俺の疑問に答えてくれた。どうやら、詠春さんは今の抜刀で大地を焼くことを恐れたため、奴等人外共の壁、上空に向かい先ほどの一撃を放ったらしい。
なるほど、式さんの言葉通り、本当に花火を打ち上げたのだ。しかし、奴等の頭を掠めただけでこの威力、冗談もココまで来ると笑えない。
詠春さんの放った暴力の痕跡に少しばかり竦み上がりながらも、走り続けること約二百メートル、再び蛆が沸くようにワラワラと品目豊富な怪物共が現れる。
目的地の龍界寺まで一本道だってのに、その道のりは未だ遠い。
「っちい。また出てきやがった、詠春、もう一発頼むぞ」
「はは……両儀の。老体に鞭を入れて、君は楽しいかね?」
「楽しいって言ってやれば、また捻り出してくれるのか?」
「生憎だ。先ほどの出力はもう無理だよ、地道にやろう。急がば回れと言うことかな?」
「それ、性に合わないよ」
そんな遣り取りも一瞬、獣の敏捷性でしなやかな肢体が俺の目の前で疾駆した。ゴムボールが弾けるように、助走も無い跳躍で軽やかに正面の人外に切りかかる式さん。
彼女の舞うような飛翔と対照的に、紅白の衣が大地を抉るように駆けていく。まるで二本足の猛禽だ。彼は獲物に迫る肉食獣の如く荒々しい、それでいて鋭い疾走で雑多な怪物共に肉薄する。
それは、手抜きの時代劇のようだった。勧善懲悪のクライマックスシーンだって、こんなに簡単では視聴率など取れないだろう。そんなことを思ってしまうくらい、現実味に欠ける光景だった。ばったばったと二人の剣客に薙ぎ倒されて行くバケモノ達が、哀れでならない。
「何呆けてやがるっ! 衛宮、さっさとついて来い!!」
式さん叱咤に汗ばむ体が再び動き出す。
全く、両手に握られた俺の愛刀が不憫でならない。活躍の機会が、まるで無いじゃないか。
だが、そんな愁いも直ぐに頭の片隅に追いやられた。
「タイミングが、悪いんだよな――――っせい!」
自分の力量を忌々しく感じながら、式さんの一太刀に怯み、俺に矛先を向けてきやがった蟷螂みたいな化け物を一刀の元に切り伏せる。
やっと一体。その間に、二人は五体の化け物を物言わぬ亡骸に帰している。
舌打ちする暇さえ、許してくれない。破城槌の役割をこなしながら血色の道を抜けていく二人に、俺は全力で走って着いていくのが精一杯。舌打ちの代わりに、二人の技量に舌鼓をうつ。……そんな暇があるなら、歯を食いしばって足を動かせ、衛宮士郎。
「コレで、五十ッ体目! 後、どれくらいだ!?」
「やっと半分、後1km位だよ、両儀の」
巨大な海老みたいな魂喰いを綺麗な“おつくり”にして、式さんは「げっ」っと面白い顔になった。いや、きっとウンザリしているだけなのだろうが、非常識な現状と今一噛み合っていなかったから、俺にはそう見えたのだろう。
「くそ、邪魔だっ、雑魚共――――――――――――」
捨て鉢になりながら、式さんのナイフが曇りなく人外共を斬伐していく。
そんな光景に空恐ろしいモノを感じながら、俺は龍界寺に飛来する一つの羽を探した。
/ snow white.
「シロウ達、平気だよね………」
生身で空を飛ぶ、なんて貴重な経験に浸っている余裕は皆無だった。ふわふわの羽は気持ちいのだけれど、戦地に赴く心臓の動悸に、わたしは未だ慣れてはいなかった。
その所為もあっただろう、地上200mの上空より、光りの柱が上がった地点に振り返りながら、セツナに尋ねる。シロウの事は、やはり気がかりだから。
「はい、それについては要らぬ杞憂でしょう。両儀さんに長がいるのです、あの程度の妖怪変化では、足りません。それよりも、やはり心配なのは私たちの方では無いでしょうか?」
頬を強張らせて、頷く。抱きかかえた魔術礼装を、自然と汗ばんだ手で撫でていた。こんなに寒いのに、どうして発汗が止まらないのだろう。
「宜しい、イリヤさん。覚えておいて下さい」
振り向きもしないで、彼女はいった。
視線は変わらず、禍々しい瘴気を纏った小山に向けられている。
「何をよ……」
無愛想な表情には、強がりの色が強い。そんな逡巡に、笑みが零れる。気の所為では無い筈だ、彼女が「くすり」そう、微笑を漏らしたのは。
「戦いとは、怖いものです。両儀さんだって、私だって、そしてきっと衛宮もそう感じている」
やはり、私は頷いただけ。彼女に背負われた私が、無言を保っているのだ、セツナが私の表情を見ることなど不可能。だってのに、彼女の声に迷いは無く、まるで私の全てを見透かすように言葉を続ける。
「そして戦いとは、その恐怖を乗り越える、その恐怖を打ち勝つものだと思います。それを、忘れないで下さい」
一際強く翼が無いで、頬を張る向かい風を切っていく。
「恐怖、ね。だけどセツナ、それを感じなことが、一番だと思うわ。だってそうでしょ、そんなモノ、邪魔なだけじゃない。貴方もシロウみたいな精神論者だなんて、思いも依らなかった。今時、根性なんて流行んないわよ」
もっともな事を言ったつもりなのだが、やはり彼女は調子を乱さない。雲に届きそうな程の紫色の空の中で、薄い笑みがまたも零れる。
「それは違う、イリヤさん」
「なんでよ、違くないわ」
そっぽを向きながら、言い捨てる。何をもったいぶるのか、この女は。そんなニュアンスを含ませて。
「恐怖の存在しない戦いなど、そもそも戦いなどでは無いのです。痛みを伴う恐れ、何かを守れぬ恐れ、何かを失う恐れ。それがあるからこそ、私は刃を執れる。恐怖なき闘争は、所詮、殺戮でしかない、所詮、暴力でしか無いのだと。そう、私は思います」
まあ、何と無く分かる。
戦うって、きっと大変なんだって事だけは。たった一人で、恐怖に立ち向かうのって、きっと凄く難しい事だ。
バーサーカーと一緒に聖杯戦争に参加して、覚悟と恐怖を背負うこともしなかった私。
アイツと一緒に聖杯戦争に参加して、覚悟と恐怖を共に背負ったシロウ。
今、振り返れば結果など始めから決まっていたのだろう。違うかな? バーサーカー。そのつけが、今こうして回ってきたんだよね。だから、今度こそ背負うんだ、わたしに出来て、わたしに出来なかった何かを。
「――――――ふん、生意気。さっきまで、萎れてたくせにさ」
「……それを言われると、面目立ちません。まあ、戦いの前に一応の助言だと思っていただければ。不甲斐無くても、衛宮から貴方を任されましたしね」
わたしの容赦の無い言葉、セツナはパサパサとした細切れの笑みでそれを受け取る。
「……ま。一応お礼は言っておくけどね。その………ありがとう」
だってのに、なんで潮らしくなっているんだか、わたしは。
「はい? 何か言いましたか?」
「……なんでも無いわよ。ほら、もう直ぐ龍界寺よ。ココまで近づけば、張られた結界の構成だって判別できるんだから、入り口を探しましょう」
セツナって、どこかシロウに似ている気がする。肝心なところでいつもお惚けさん、鋭いんだか鈍いんだか、今一判断しかねるのよね。
そんな他愛も無い思考に区切りを付けるためにも、トーンを裏返してセツナに言う。
目前に迫った龍界寺。上空から小山を見渡す限り、かなりの高度の結界が小山全体に敷かれている。
「一、ニ……結界は三つ、ですね。イリヤさん、どう思われます?」
「巧いわね。一つ目、恐らく今まで退魔組織の目を掻い潜るために敷かれた認識阻害の結界は殆ど作動していないようだけど、問題は二番目かしら。外界遮断の結界は生半可なレベルじゃないわねこれでもかって位硬いわ。それと、三番目……あれ? これって」
セツナに龍界寺に周りを旋回してもらい、概念線の絡まり方からキチンと魔方陣を把握する。お山を囲むように魔力線と概念線が引かれ、その円心に収束している。集中したそれらの神秘が、今度は……小山から天狗の鼻みたいに飛び出した小高い丘に集まっている。
随分と昔に敷かれたモノみたいね……なんにしても禿げ頭の魔術師が敷いたものでは無いのは確かな様だ。創りに派手さも無いし、嫌味なテクニックも無い。洗練された仕事って奴だ。
詳しくないから詳細は分からないにしても、西洋の神秘体系では無い、恐らくは。
「過去に“孔”を封じていた結界でしょうね」
「ええセツナ、そのようね。でも面白いわ、“孔”の封印だけじゃなく、蛇口に役割まであるんだ」
「ええ、衛宮には話したのですが、過去は魔力が湯水の如く溢れる豊かな“孔”であったのです。が、一体何がきっかけだったのか、その孔が突如“ずれた”んです。見えるでしょう?」
言って、セツナは先ほどの丘を指差す。恐らくはあそこにコノカがいるのであろう事は、魔力の気配で分かる。だが、真っ黒い真鋳のカーテンに覆われたみたいに視界が不確かだ。恐らくは、コレも魔術師の張った結界の影響だろう。
「“孔”は別の場所に繋がってしまったんです。魔力のみ溢れ出させる泉は、いつしか“魔”すら呼び出す異界への門に変貌を遂げた。イリヤさんが言った“蛇口”の役割は、この孔がまだ“魔力”だけを溢れさせていた時の名残でしょう」
なるほど、ずれた、か。それならば奇妙な結界の構成も納得だ。
「寺院の中央に結界が集中しているのは、寺院の祭殿に、その“孔”が始め穿たれていたから……かしらね」
「ええ、そうです。その孔が丘の上にずれた為、中央に集められた結界の焦点を、二次的に移動させたわけです」
なんともやっつけ仕事だ。そんなのだから、一介の魔術師風情に、式を解除されてしま……。
「―――――って、あれ? 変よね。魔方陣自体を解除したんなら、その痕跡だって残るはずないのに、どうしてまだ残ってるの?」
変だ、魔方陣自体は消去されるどころか、今でもこんなにはっきり残っている。それなのに、なんで封印が解けるのよ?
疑問符を浮かべ、少しの間思考に埋没して、考えをめぐらす。
「そっか、基点だ。そこを破壊して、結界の概念線、魔力線に流転していた魔力だけを塞き止める」
シロウやセツナの話なら、この結界は人間と言うサクリフェイスを用いた儀式魔術。だったら、封印式自体は未だピンシャンで残っているのも納得だ。
これなら、わたしにだって封印式を再度起動することも可能なはず。基点に再度儀式用の供物を用意して、魔方陣を起動させてやればいい。トウコの所でも練習したし、きっと出来る。
「恐らくは、イリヤさんの推察通りでしょうね。この程度の結界修復ならば、私達の技量でも事足りる。だから、今は」
「何にしても、この結果を突破しないとね」
ウン、と二人で頷きあい、結界の二番目、遮断に特化した結界を凝視する。悔しいけど、本当に巧い。結界造りだけなら、トウコ以上かもしれない。それほどまでに堅牢。封印指定クラスの結界だ。
「私の斬魔閃では破れそうにありませんし、どうしましょうか……」
そう、――――――見た目だけなら。
確かにこの結界はかなりの練度だ、悔しいけどわたしじゃ到底創れそうもない。
だけど、完璧なモノなんてこの世には存在していない。それが、わたしたちの用いる魔術であれば尚のことだ。
「ねえ、セツナ。“絶対に進入不可能な結界”は創れると思う?」
「 ? 何を急に」
「いいから、答えなさいよ」
語気を強めたわたしの口調に、セツナは僅かな時間俯き、思ったとおりの答えを言い捨てる。
「不可能です。それはもう、魔法の領域だ。結界による隔絶、それは正しく空間の遮断、世界の断絶です。無理に決まっている」
澱み無く、彼女らしい断定的な口調。
「ええ、その通り。そんなことは不可能なの、だけどね、“絶対に進入不可能な壁”だけならね、創るのはそれほど難しくないのよ」
そんな彼女に、少しだけ得意げに言い放つ。
ココからは、わたしの領分だ。
「、魔術は等価交換。ま、師匠からの受け売りなのが情けないけど“絶対進入不可能な壁”を創りたければ“誰にでも進入可能な門”を同時に開けてやるの、この意味、分かる? プラスマイナス、ゼロ。ね? 簡単なことでしょう。後は、魔力を差し出せば良いだけなんだから」
はっ、とセツナが貌を持ち上げ、次の瞬間には龍界寺の山門を一直線に目指す。
龍界寺に覆われた封印指定クラスの結界、そんなモノを幾らなんでもポンポン敷けるモノではない、それが、あの変態魔術師なら尚のこと、って言うか、わたしが信じたくない。
「山門、そこが入り口で間違いないですね?」
無言で頷きながら、神経を磨いでいく。
誰にも進入不可能な壁と、誰にでも進入可能な門。簡単にわたしは言ってのけたけど、この結界をわたしに張れるかと聞かれたら、答えはノン。何にしたって、一流の仕事なのは間違いない。悔しいけど、それは認めなくちゃならないんだ。
それに、歯軋りの原因はもう一つある。
進入不可能な壁と進入可能な門、これほどリスキーな結界を張ったのだ、詰まり、導き出される答えは実に単純じゃない。
大地に向かい、空を疾走する白い翼にしがみ付き、わたしはさてどうやって次なる障害を突破しようか本気で考えた。
「――――――――――――やはり、あの男かっ!!」
舌打ちと共に剣を握る。空を裂く勢いは微塵も乱れない。
グン、と大地に直下した体が持ち上がり最初の鳥居をくぐった。石段すれすれの低空飛行で、一直線に山門の目の前で待ち構えていた青年に突撃の姿勢に入ったセツナ。
鬱蒼とした針葉樹が仄暗い緑色に染まっている。彼女の両翼が一層力を込めてはためいた為、ザワザワと顫動するのっぽの密林。細い道がより狭く遠く映る。
門番の存在、それはやはり確定した未来だったようだ。まったく、このエマージェンシーな事態だっての言うのに。
「本当、門番とは相性が悪いなあ」
向かい風でぼさぼさの前髪を押さえつけながら、思わず毒づく。
握り締めた銀色、ともすれば鏡の様な剣、嫌味で女性的な顔立ち、ひょろりとした痩身と束ねた後ろ髪。アサシンの顔が、嫌でも赤い眼にチラつく。
ギュッ、と桜咲の黒いジャージを握り締めて、心の内で喚いてあげた。
―――――――――――――――今度は、通して貰うんだからっ!!
/ out.
「あの結界、不味いぞ」
目的地、龍界寺まで距離、人外の頭数、双方共に概算三百。
数が減るどころか、鼠算式に増殖していく物の怪の数に押されて、一進一退のジリ貧な戦闘に体力も精神も疲労の色が強い。くそ、後少しなのに。詠春さん、式さん、そして俺は、背中をつき合わせながら、乱れた呼吸を整える。
そんなジレンマの中、山門に向かって飛翔する白い翼に気付いた。否が応でも視界に入るのは、結界の構成、そしていつか龍洞寺を守護していたアサシンと同じく、悠然と剣を構え、待ち構える一人の剣士だ。
「――――っく」
どうする、桜咲とイリヤ。二人がかりでも結果は見えている。二人の勝利は動かず、そして、その辺り前の結実には、馬鹿みたいな時間を掛けなけりゃいけないんだ。
―――――援護を、しなくては。
今この瞬間、俺たちの最大の敵は時間だ。カガミの野郎に構っている悠長な暇は無い。そうだ、桜咲とイリヤは、あんな野郎の相手をする必要など無いのだ。
だけど、どうすればいい?
思いつくのは、遠距離からの狙撃だけ。一瞬でいいのだ、桜咲とイリヤが、カガミの横をすり抜けられる程度の一瞬。その一秒に満たない隙を創り出すだけで良い。
しかし、どうやって? 俯いた貌を上げて、確認の意味も込めて再び山門との距離を算出する。100と50、それに打ち上げのデメリットを加算すれば、射程は約200メートル。
無理だ。弓道の遠的は最大で60メートル、俺がどんなに頑張って剣の弓を引いた所で、100メートルでも飛距離が出れば御の字だろう。
「くそっ、何か、何か手は無いか!?」
いけ好かない弓兵ならば、一体どれほどの距離を打ち抜くことが出来るのか。少なくともこんな程度の距離なぞ、奴にとってなんら障害たりえないのは真実だろう。
人間の脆弱さを恨めしく思ったのも束の間、それを即座に破却して奥歯を噛み締める。そして、気付いたのだ。高いコンクリの谷間に吹き抜ける大気の嘶き、ビル風の荘重な曲節を。
見上げるのは、超高層の塔。龍界寺の麓から見た、頭一つ二つ抜きん出た、無機質に聳えた都の景観を損ねる建造物。
考える間も無く、俺は走った。忘れるな、衛宮士郎は魔術師だ。足りなければ補えば良い。
「おい!! 衛宮、何処に!?」
「すみません式さん、ちょっと野暮用です!」
ビルへの入り口には当然シャッターが下りていた。そしてそれだけでは無い、湧きあがる瘴気にまみれながら、人外共が俺の行く手を阻んでいる。
握り締めた愛刀を下段に構えて、大腿の筋が軋むほどに大地を蹴り上げ突撃する。
「どおっけー!」
力の限り、振り上げ、振り下ろす。だが所詮、俺の慎ましやかな技量に空回りの気合が上乗せされた程度だ。肉を抉るも、鈍い音がして、でかい甲虫みたいな化け物に俺の剣戟は防がれる。
脇合いから飛び出す黒い犬ころの刃を後方への跳躍で交わし、再度の突貫を試みた。だが失敗。入り口への距離を詰めるどころか、どんどん後退している俺がいる。
「よく分からないが、衛宮君。様はココを突破したいんだね? もう一度突っ込むんだ。援護しよう」
見るに見かねた詠春さんが、不敵な笑みで俺の背中を押してくれる。ご迷惑おかけします、本当に。
言葉よりも、態度で示そうと腰を低く。クラウチングスタートもかくやと言う低姿勢で、地面を蹴った。
「神鳴流」
後ろには、感情の篭らない機械的な声色。
そして、背筋が舐め上げられる程に磨き上げられた鋭い殺気。
「斬空閃、弐ノ太刀」
真横一文字の抜刀。
空気の断層は気と絡まり、斬撃となって一直線に俺と人外共を……。
「―――――って、俺も!?」
巻き込んでどうすんですかー!?
突っ込みを入れる間も無く、骨髄反射で強く瞳を閉ざす。
「―――――あれ?」
だけど、どう考えたって俺の胴と足がちょん切られた様には思えない。まだ繋がっている。開いた視界には、俺を除き、見事に二つに乖離した物の怪共の無残な死体が転がっている。
斬撃が、俺をすり抜けた? 緊張した筋肉が緩んでいくのを感じながら、一体どんな技だったのか本気で考え、直ぐに思考を断念した。
今は、そんな考証に勤しんでいる場合ではない。斬撃の余波で拉げたシャッターをこじ開けて、屋上へ続く階段を駆け上がる。非常警報が耳にやかましいが、かまうものか。どの道、ここにただ人はやってこられないのだから。
「間に合ってくれよ」
強い大気の流動を肌に感じながら、俺は屋上のドアを叩き壊すように開いた。妖雲たちこめる紫色の空。妖しいその色も、何故かアイツとの別れを連想させる。きっと、月と太陽の境界、曖昧なこの空が同じ色彩を纏っていたからだろう。
「変化投影」
そして。
「----------------------- I am the bone of my sword」
大地と空の狭間で、俺は、その言葉を紡ぐのだ。
/ feathers.
「やはり、あの男か」
胎の傷が軋みを上げるのを叱責するつもりで、強く嘆いた。
実際ならば動けるはずの無い損傷と、私の脳みそを溶解させていく吐き気を催す痛み。だけど、どうしてだ? 剣を握ることに躊躇いは無く、その痛みですら、今の私に力を与えてくれる様にも感じる。
「通して、貰うぞ!!」
そう、きっと。
少しだけ、ほんの少しだけ、私は自分が好きになったからだろう。
強くはためく私の羽を、前よりも、ほんのちょっとだけだけど、きっと好きになれたからだろう。
「桜咲いいいいい!!」
きっと、綺麗なモノしか信じられない、あの無様な少年の所為で。
遠く、何処とも知れない彼方から、衛宮の頼りにならなさそうな声がする。力強くて、真直ぐな声なのに、どうして安心できないのでしょう。
「そのままっ!! 突っ込めええええええええええええ!!」
その言葉にほくそ笑み、私は握った拳を緩めていた。
/ out.
俺は、力の限り喚き散らし矢を握る。
見下ろす下界には、今正に天への飛翔を目前とした一羽の白い鳥。
「――――――――――――――」
精神を研ぎ澄ますのに時間は要らない。当りのイメージは、握る獲物が教えてくれる。足踏みから一呼吸で胴造り、今更弓道の真似事なんて、無礼なのは百も承知。だけどそれでも、無心を貫いた。
投影した歪な幻想を弓に番え、打ち起こしから引き分け、そして会。驚くほど流麗に、弓は自然と離れていた。
痛みは、勿論ある。背筋が捩じ切れる様な強い熱、それが体中を駆け巡る。だけど、それこそが俺の残心。この痛みこそが、俺になしえる、無二の意思。
ただ、不愉快な事が一つある。
僅かにチラつく誰かの姿。俺とは異なり、逞しい体つきと鋭い鷹の様な眼光。夜に佇み、下界を射抜く一人の弓兵と、この時、確かに俺は重なっていたんだと思う。
―――――弓を握る理由は、異なれど。
「よぉ、悪かったな」
矢の行方など、俺にはもはや興味も無い。
「ここは、――――――――――俺の間合いだ」
だって、その鏃が射抜けぬモノなど、俺は、アイツしか知らないのだから。
/ outer.
「エミヤ、―――――――――――――シロウ」
カガミは、隠しきれない歯軋りの音と共に一人の弓兵と虚空で視線を絡めた。
少年、カガミの視力では捉えることのできぬ彼方の視界。されど、少年は確かに視た。黒い弓を握り、血に染まった赤茶色の外套と焼け付くような炎髪を晒して、一人の弓兵が自らを見下ろすのを。
弓兵の放った歪な幻想が着弾した石段には、三十センチ台の孔と、その円心から広がる亀裂、そしてクレーターの中央には、拉げるほどに捩れたファルシオンが突き刺さっている。
数秒も待たず、霞に消える歪な幻想。カガミは痺れる両の手を握り締めながら、恨めしくその傷痕を睨みつけた。
少年は振り返る。
桜咲刹那とカガミ、二人が衝突する瞬間にも満たなかった交錯に、“それ”は起きた。
結果だけを完結に述べよう。衛宮士郎の放った剣の弾丸は、寸分の狂いも無くカガミの剣だけを打ち抜いていたのだ。
桜咲を迎撃するために剣を振り上げたカガミであったが、彼の能力を持ってしても、完全な不意打ちには対応出来ない。あくまで彼の物真似は自身の魔力を消費し任意で発動するモノ、不測の事態に即座に対応できるほど、彼の能力が優れているわけでは無かった。
創り出された、一瞬……と呼ぶには不釣合いなほど大きな隙。それを、彼の剣士が見逃すはずも無い。瞬きの間に、桜咲刹那は山門の守護者を突破した。
衛宮士郎は、こうして舞台を整えた。
桜咲刹那とイリヤスフィール達ためだけの門、それを創り出したのだ。
「……来いよ、ニセモノ。僕達は、まだ終われない」
歯が軋む低い音。
そして、舞台は最終楽章へ。