今日の彼はいつもと違う。
こうやってデート――じゃない、一緒に有名店を食べ歩きする事を楽しみにしていた高町なのはがそう感じてしまっても仕方ないほどにユーノ・スクライアは悩んでいた。
「何か、悩み事ですか?」
チョコレートケーキとコーヒーの組み合わせが絶品だと評判になっている喫茶店で、「たいしたことじゃないから」とか「何でもないよ」と言い返されて精神的なダメージを受けるのを覚悟して、彼女は彼に思い切ってそう訊ねた。
「え?」
「こんなに美味しいケーキを食べているのに、いつもよりも言葉が少ないなんて、何かあったとしか思えませんよ。」
いつもなら、このチョコレートが入っている割にはすごくふわふわした感じがして面白いとか、コーヒーと一緒にする事でチョコレートの後味がすっきりするとか、そんなありきたりとも言える様な感想を、見ていて面白くなるくらいうんうんと唸りながら精一杯考えた末に話しだすと言うのに、今日はそれが無いのだ。
「……どうやら、心配させてしまったみたいですね。」
「いえ、そんな……」
本当に申し訳なさそうに謝るユーノに、なのははもう1歩踏み込んだ。
「何かあったか、聞いても良いですか?」
「……
そうですね。 ちょっと聞いてもらえますか。」
「はい。」
ユーノは少し考えるそぶりをしたものの、話を聞いてもらう事にした。
社会人経験の乏しいなのはに話したところで良い解決策を授けてもらえるとは思っていないが、誰かに話す事でどうしたらいいのか思いつく事もあると何かの本で読んだ様な、誰かから聞いた様な、そんな記憶があったので、思い切ってみる事にしたのだ。
「僕が働いている会社は数えるのも馬鹿らしいくらいにたくさんの人が働いて居て、僕はそこで過去の記録とかを扱う部署のリーダー――日本の会社で言うなら部長って言うのかな? そういう立場に居るんです。」
「部長…… 私と同じ年くらいなのに……」
まぁ、日本じゃ珍しいかな?
あっちは能力さえあれば10歳でも就職できるからねぇ……
「……ええ。
でも、というか、だから、というか…… 僕の部下の殆どは僕よりも年上の人たちだらけなんです。」
「それはつまり…… その人たちが自分たちよりも若い奴の命令なんて聞いていられないって言って仕事をしてくれない、という事ですか?」
「いえ、あそこはそこそこ重要な情報を扱うので皆真面目に仕事はしてくれます。
……内心ではそう思っていると思いますけど。」
無限書庫の司書たちは自分の事を良い上司だとは思っていないだろう。
彼らは全員自分たちの仕事に誇りを持って裏方として頑張っている。
現場の判断も重要だが、その判断の材料になる情報もまた重要である事を知っている。
彼らは自分たちが現場の人たちの様に、大勢の人に感謝される事が無いとわかっている。
そんな事は理解しているのだ。 理解しているのだが……
「居心地が悪い?」
「まぁ、簡単に言えば。」
理解していても、納得できない事もある。
「でも、僕にも問題があったと思うんですよ。
前に話した事があると思うけど、僕にはやらなければならない事があって、どうしてもその部署に居なくちゃいけなかったんです。
部長になったのだって、その為にがむしゃらにやっていたら――って感じですし。」
「えーと……
今まで人づき合いとか考えた事が無かったけど、いざやることやって落ち着いて周りを見てみたら、居心地がすごく悪かった、と?」
「……情けない話だと思うけどね。」
ユーノはなのはが思っていたよりもこちらの言いたい事をわかってくれる事に、驚くと同時に彼女の評価を上げた。
(自分の知っている歴史と違うからと言って侮っていたのかもしれない。
考えてみたら、この子は魔力があれば管理局の上の方に行けるだけの人材だったのだ。)
管理局という特殊な環境とあの歴史の彼女自身の膨大な魔力と性格が見事に適合してああいう事になったのではないかと思っていたけれど、魔力と性格だけでは管理局の仕事をこなす事はほぼ不可能だと、このユーノは知っているから。
「僕が新しく見つけたやりたい事も、今の部署に居た方が叶えやすいと思うので、部署移動とかはしたくないんです。
それに、さっきも言いましたけど僕の部署はそれなりに重要な情報を扱っているので、僕の我儘でごたごたすると、会社全体に迷惑を掛ける事になりかねません。」
だから、もう少し情報を与えてみる事にした。
もしかしたら、意外と良いアイデアを提供してくれるかもしれない。
「でも、あの人たちは僕が入る前からあの場所で大切な情報を保管していて、たぶん僕よりもあの場所に愛着があると思うんですよ。」
今は時空管理局で重要な部署として扱われているが、それは自分が来てからの事。
自分が来るまでは――一応資料請求もあったらしいが、基本的にはただの物置扱いだった。
そんな頃から勤めている人たちに……
「そんな人たちに、『僕の事が気に入らないなら他所に移っても良いですよ。』なんて、とてもじゃないけど言えません。
それに…… そもそも情報を扱う部署なので、万が一の事を考えると人の出入りはなるべく避けたいですし。」
「働いた事の無い私が言ってもなんですけど…… 大変なんですね。」
「ええ、まぁ……」
なんでもかんでも詰め込んだせいで、無限書庫に臨時職員を大量につぎ込んでその膨大な資料を整理するという方法がとれず、結果として資料の整理が追いつかなくなってしまい、資料請求に対処できなくなっていたというのに、無限書庫の司書たちが無能だの給料泥棒だ等のかげ口を叩かれていた事すらあるのだ。
それでも頑張ってきた彼らが大変でなかったはずがない。
(というか、無限書庫の司書全員よりも僕1人の方が情報処理速度が優れていると思われていたりするのも、その噂が消えない原因なのかもしれないし……)
『ユーノ・スクライアが来た途端に無限書庫が本格稼働を始めた』という評価が、司書たちの評価をさらに下げてしまっているのだ。
才能のある人が1人増えたくらいでそんなに劇的な変化が起こるのなら、世界中のあちこちで同じ様な変化が起こっていないとおかしいと言うのに……
(そもそも、無限書庫は本格起動できるだけの下準備がなされていて、それを活かす事の出来る存在、リーダーがいなかっただけなんだ。
僕じゃなくても、そう、例えばリンディさんの様な“人を引っ張る事の出来るリーダー”が現れていたら、無限書庫は今よりも管理局に必要不可欠な部署になれていただろうな。)
自分の様な自分勝手な人間でもここまでできたのだから、人の上に立てる素質が少しでもある人が無限書庫の様な地味な部署に配属されたり、自分から望んでやってきたりする事が無かったという事が問題だったのだろう。
「でも、それだけじゃないですよね?
『やりたい事がみつかった』って聞いたのは結構前ですし、ユーノさんならその時から居心地が悪いなって感じていたんじゃないですか?」
「……鋭いですね。」
この問題はずっと前から確かに在って、時間が解決してくれるのを待っていた。
「実は…… どう言った話をしていたのかは言えませんけど、話の流れで人事部の人たちと飲み会をする事になりまして。」
「?」
「部署間の交流は悪い事ではないなと思って受けたのは良いんですけど、『嫌っている上司』に飲みに誘われて――それも、人事部と言う給料に直結しそうな人たちとの飲み会に誘っても、誰もついて来てくれないんじゃないかなって……」
『人事部との話し合いの結果、あなたの首を切る事にしました』などと言うふうに悪い意味で受け取られてしまう可能性もなくはないかもしれない。
「会社で働いた事が無い私がこんな事を言っても説得力がないかもしれませんけど……
一度、部下の人たちとお話をしてみたらどうですか?」
「お話――いや、OHANASHIですか?」
「……?
えっと、部下の人たちから直接嫌いだって言われたわけじゃないんですよね?
だったら、もしかしたら嫌われているって言うのはユーノさんの勘違いで――例えば、部下の人たちも年下の上司とどう付き合ったら良いのか分からなくて困っているだけって事もあるかもしれませんし。」
「なるほど……」
年上の部下との付き合いに悩んでいる上司がいる様に、年下の上司とどう付き合えば良いのか悩んでいる部下がいたとしてもおかしくは無い。
(いや、むしろ悩まない方がおかしいのか?
もしも今、僕の目の前にレティさんと子供――10歳児がやって来て、レティさんの口から「今日からこの子があなたの上司です」と言われたとしたら……)
うん。 困る。
「なのはさんに話を聞いてもらえて良かったです。」
「そんな。」
「確かに、あの人たちも僕とどう付き合ったらいいのかわからないだけかもしれないですし、そうじゃなかったとしても1度話し合ってみるべきでした。」
人間が2人以上いるのなら、相互理解は重要だ。
(しかし、まさかOHANASHIを薦められるとは……
魔力が無いと言う事だけで、この子の性格は同じだと言う事か。)
少し厳しいが、こちらの言い分をきちんとわかってもらうには良い方法なのかもしれない。
「よし! 相談に乗ってくれたお礼に、今日は全部僕の奢りです。」
「え? そんな……」
「遠慮しないで下さい。 心配させてしまったお詫びも含んでいるんですから。」
海鳴から戻ったユーノは早速準備を始めようとした。
「レイジングハート、本局で一番広い訓練場を予約できるかな?」
《どうするのですか?》
「どうするって? OHANASHIをするんだよ。」
レイジングハートは久しぶりに意味がわからない。
確かに無限書庫に勤めている者は多い。
話し合いの為にそれなりの広さは必要だろう。
しかし
《司書たちとの話し合いの場に訓練場を使うのですか?
私としては広い会議場を借りればいいだけだと思うのですが?》
確かに訓練場は広いけれど、無限書庫の司書長が必要だと言えば本局内の一番広い会議場の使用許可くらい簡単に取れるのだ。
わざわざ訓練場と言う話し合いに向かない場所を使う必要はまったく無い。
「? 僕がしたいのは『話し合い』じゃなくて『OHANASHI』なんだけど?」
《何か違うのですか?》
レイジングハートがそう問うと、ユーノは何か言おうとして――口を閉ざした。
《マスター?》
呼んでも返事が無い。
久しぶりに何か1つの事に集中しているようだ。
ただ単に、自分の勘違いを恥じているだけなのだが。
・・・
「と、言うわけで、何か良いアイデアは無いかな?」
定期的に使用している訓練場で、ザフィーラとアルフになのはにしたのと同じ相談をした。
「ふぅむ……」
「なかなか難しいねぇ。」
ザフィーラにとってははやてが、アルフにとってはフェイトが上司だと言えなくもないが、2人とも管理局の仕事をするうえで不満を持った事は無いので司書たちの気持ちがわからないし、当然ながら部下を持った事も無いのでユーノの気持ちもよくわからない。
「でも、司書たちがユーノの事を嫌っているって事は無いと思うんだよね。
確かに、自己主張が下手と言うか内にこもり気味な性格と言うか、そう言う人たちが多いのかもしれないけど、それでも無限書庫で働いている以上は、それなりの根性がある奴らばかりなんだろうし、嫌な事は嫌だって言える奴も1人や2人は居ると思うんだよ。」
ユーノが勤める様になる前の無限書庫は色々と大変で、根性無しはとっくの昔に別の部署に移っているか、管理局を辞めているだろうとアルフは考えているようだ。
「実際、ユーノ個人に結界魔法の依頼が来た時に『司書長のせいで無限書庫とは関係の無い仕事が…』って言われた事があるんだろう?」
「ああ、そんな事もあったね。」
アルフに言われて思いだす。
(その後もギンガとスバルにデバイスを渡しに行ったり、エリオとキャロの様子を見に行ったり、万が一の時を考えてヴィヴィオを保護できるように準備したりと、結構頻繁に休暇を取っていたら何時の間にか言われなくなっていたんだっけ……)
もしかして、それも嫌われている原因なのかなぁ?
「思うのだが、嫌われていると言うよりも恐れられていると言う事は無いか?」
「え?」
ここでまさかの新事実!?
「ずいぶん――10年ほど前だが、主はやてとの一騎打ちで勝った事があっただろう?」
「……
ああ、確か、『ハラオウン家3人VSシャマルさんを除いたヴォルケンリッター』で模擬戦をして、そのおまけみたいなものでやりましたね。」
前回の失敗を繰り返さない為に、ジュエルシードまで持ち出して強固な結界を張り、その上はやてに勝つことで箔をつけようとしたけれど……
「ああ、なるほどねぇ……」
「?」
流石は恋人同士というか、アルフはザフィーラの言いたい事がわかったらしい。
「はやてに勝ったその後も、あの大規模な空港火災で人命救助をしたり、この前の事件では戦闘機人を数名だけではなくスカリエッティまで捕獲して、その上ゆりかごに単騎突入してフェイトとヴィヴィオを救い出しただろう?」
「ええ。」
尊敬される事はあっても、恐怖される様な事は…… そんな事は……
「まさか……」
頭で考えていた事とは違う言葉が口からこぼれる。
「そう言う事だろ。」
「そう言う事ではないか?」
「そんな……」
ユーノ・スクライア司書長に逆らっても勝てるわけがない、と?
どんなに嫌な事でも、逆らえば物理的に怪我をすると?
司書たちから、そんな人間だと思われていた?
「私たちはあんたが戦ったりするのを好きじゃないって知っているけどさ?
司書たちからしてみたら、結界を張りに行っただけのはずなのに将来Sランク確実と思われているはやてに勝ってきたり、あの空港火災で避難をせずに人命救助に奔走したり、戦闘能力だけならそこらの局員が束になっても叶わない戦闘機人やスカリエッティを簡単にとっ捕まえて、その上AMフィールドがばりばりに効いているゆりかごに突入したりとかってさ――」
ああ…… そう言われてしまうと……
「考えて客観的に見たら、結構なもんじゃないかい?」
そうなのかもしれない。
そう考えた場合、僕と司書たちはある意味、すでに『OHANASHI』済みであったと言えない事も無いわけだ。
「ユーノ……」
「ザフィーラさん……」
憐れむような声でザフィーラさんが僕の名を呼び、僕は泣きたい気持でそれに答えた。
「常識的に考えたら、そんな上司に逆らう部下はまず居ないだろうな。」
その一言で、僕はKOされた。
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