その光景を見た時、ヴェロッサ・アコースは回れ右をして全速力で――
「ふっ ふふふ…… 暇人、げぇええええっ! とおおおおおっ!」
――駆けだそうとした瞬間、回り込まれて捕まった。
「ちょっと待ってくれ! 僕は此処の司書じゃないよ!?」
「ええ。 ええ。 存じておりますよ? というか、アコース捜査官も御存じでしょう?
無限書庫に暇な司書なんて居ない。
もしもそんな奴がいたら――」
くけけけけと不気味な声で笑い出す司書に睨まれた彼は色んな事を諦めた。
「と、まあ、そんな事があってね……」
目の下に隈のある彼の話を聞かされた女性たちは彼と彼の左右に座っている男たちに冷たい飲み物をそっと差し出す事しかできなかった。
「あ、ありがとう。 どうやら気を使わせてしまったようだね。」
「いえ、あの司書長が全力を出しても3日はかかる仕事を、1日とはいえ徹夜で手伝ったのでしょう? 本当にご苦労様でした。」
「ああ…… 本当に疲れたよ。」
差し出された飲み物をぐっと一気飲みする。
「ぷはぁっ!」
「うまいっ!」
「ああ! 無限書庫じゃ水すら飲めなかったから、なぁ……」
「本当にな……」
それまで死人の様だった通りすがりの暇人だった2人もやっと声を出した。
彼らもヴェロッサ同様、友人に会いに行った途端に拉致られた者たちだったのだ。
「ユーノ先生が僕たちに気づいて、あなた達と飲みに行く約束を反故する事になってしまった事を伝えてきてくれるように頼んでくれなかったら――ああ、いや、もう、終わった事だ。 うん。」
「ああ、そうだ。 もう、終わった事さ。 そう…… 終わったんだ。」
デバイスを使った通信で済むような用事を3人に頼んだのは司書長の英断だったと人事部の人々――特に、飲み会という名の合コンに参加するはずだった女性陣は考えた。
「とにかく、そう言う事なので。」
「ええ。 お店にはキャンセルを入れておきますと司書長に送っておきます。
……本当に、お疲れさまでした。」
「いえいえ。 こちらこそあなたたちに感謝しているんです。」
「え?」
「あなたたちとの約束が無ければ――僕たちはまだ地獄に居たはずですから。」
こんな捜査官見た事無い!
人事部に居た全員がそう思うと同時に無限書庫を訪ねる時は事前に忙しいかどうか状況を確認するようにしようと心に誓った。
「それでは――レティ提督、お騒がせしてすいませんでした。 では、失礼します。」
「残念だったわね?」
礼儀正しく――しかし足取りはしっかりしていないヴェロッサと、同じく礼儀正しくしようとして、その事がむしろ今にも倒れそうだと言う事を強調してしまっている2人が人事部から出て行ったのを見送ったレティが、部下たちにそう告げた。
「いえ…… まぁ、楽しみにしていたのは本当ですけど、そこそこ高い確率でこういう事態になるとは思っていましたから……」
さすが期待の星と言われるだけの事はあると言う事だろうか? 彼女はこういった事態もきっちり想定済みであった。
「あら、そうなの?」
「はい。 ……今回は残念でしたけど、無限書庫の忘年会の日時と場所は把握済――」
ゴホッ ゴホッ
咳をするそのしぐさが余りにもわざとらしい。
「ん、んんっ…… 失礼しました。
それで、ですね、これは――本当に、本当に偶然なんですけど、私たち人事部の忘年会と同じ日、同じお店で無限書庫の忘年会があるそうなんですよ?」
にっこりと不敵に笑いながらそう言う部下の顔を見て、レティもにっこりと微笑んだ。
・・・
「おかしい……」
《何を今さら?》
3日徹夜してやっと一息つけた時、ユーノは今回の――というよりも、ここ最近の司書たちの様子が異常だという、気づいていたけれどあえて見ない様にしていた事実に目を向けなければならないと認める事にした。
《今月に入ってから彼らの様子がおかしくなった事なんて、知らなかったのはヴェロッサ・アコース捜査官の様な暇な人たちくらいですよ?》
最近の管理局では無限書庫の情報が重要であると認識されつつある(とユーノは考えているが、随分前からすでにそう認識されていたりする。)
それゆえかそうでないのか、仕事をさぼったりしていたりしないできちんと仕事をしていたらほぼ確実に無限書庫との情報のやり取りが必要になるので、無限書庫が忙しいのかそうでないかという事を知る事はとても重要であったりする。
なので、真面目に仕事をしていれば――人事部の様に資料請求の機会が少なかったりしない限りは――無限書庫の修羅場に遭遇した、あるいは遭遇した為に被害にあった同僚を見たりしているのが普通なのだ。
「……何気に酷い言い方をするね。 」
《事実ですから》。
ユーノもレイジングハートもヴェロッサがさぼっているように見せて実は管理局内のありとあらゆる情報を把握する努力をしている事を知っているが、あえて酷く言う。
《それで、具体的に何がどうおかしいと考えているのですか?》
「うん。
確かに今回の請求は3日徹夜しないと終わらない量だった――いや、3日徹夜したら終わらせる事ができる程度の量だった。」
《ええ。》
「だけど、期限は2週間先だったんだよ。 つまり、僕が徹夜する必要なんて、まったくなかった――まして、ヴェロッサさんを巻き込む必要は皆無だったという事なんだ。」
無限書庫は一応機密情報の塊である。 通常業務でこなせる程度の仕事に一々、それも簡単に他所の部署の人を巻き込んではいけない事くらい司書ならだれでも知っているはずだ。
だというのに、今回部下たちは部外者を3名も巻き込んでしまっている。
《本当に、彼らは何を考えているんでしょうね?》
「年末に確実に休暇を取る為っていうのは、年中無休の正義の味方な組織だから。ありえなさそうだしねぇ……」
時空管理局は人材不足である。
それゆえに、無理な労働で体を壊したりして予定に無い休暇や退職をされてしまうと他の人のシフトにその分の皺寄せ――負担がかかってしまい、そのせいで体を壊す者が出て……という様な負のスパイラルに陥る事になると非常に困るので、局員の福利厚生に関しては非常に気を配っており、人事部が厳密なシフトを組んでいたりもする。
《そうですね。 仕事を早く終わらせても休暇が増えるわけでもないですし……》
「徹夜で仕事をしないでくれ」と言われるのは無限書庫くらいで、他の部署の人々はきちんと休暇を取る事で仕事を効率的にこなせているのだ。
「だよねぇ? 僕が定期的に地球に行けるのも福利厚生がきちんとしているからだし。」
地球でなのはと食べ歩きをするのは良いストレス発散になっていたりする。
《そうですね。 私たちが定期的にメンテナンスを受ける事ができるのも、時空管理局という組織が自分たちの仕事に誇りを持っていると言う証であると言えますし。》
魔導師にとってデバイスはなくてはならない相棒である。
そのデバイスをきちんとメンテナンスするのはいざという時に仕事に支障を出さない――特に、最前線で戦わねばならない者たちの命を守る――事に繋がるのだ。
「……仮に、彼らが1日で良いから無限書庫職員全員が同じ日に休暇を取りたいんだとわがままを言っても――」
とるべき休暇をとれず、それどころか徹夜で時間外労働をする司書たちが休暇を要求するとなれば――
《1日だけでいいなら、おそらく許可は出るでしょうね?》
「だよねぇ?」
司書たちが愛すべき司書長に酒を飲ませる時間と場所を確保する為に頑張っているなどとは考えもつかない2人であった。
・・・
「へ?」
機動六課の食堂で、はやてはレティから意外な提案をされた。
「だから、人事部と無限書庫と同じ場所で忘年会をしませんか? と、部下たちから、そういう要望があったのよ。」
そう言った彼女の笑顔に何と言っていいのかわからない強さを感じる。
「そ、そんな事の為にわざわざレティさんが来なくてもいいのでわ?」
「あら、この程度のかわいいお願いなら叶えてあげるのも上司の仕事じゃないかしら?」
部下たちに気持ちよく仕事をして貰えるのなら、コレくらいの労力は何ともないでしょうと笑って答える彼女の貫録にはやては押され気味である。
「そ、そういうものですか。」
「ええ、そういうものなのよ。」
にこにこ
たじたじ
お昼寝から覚めたリィンフォースⅡが見た目バスケットのマイルームから出るのを躊躇ってしまった事を誰が責められるだろうか。
「それで、考えてもらえるかしら?」
「……み、みんなと相談してみます。」
1年間だけの、それも設立目的を達成してしまった部隊である機動六課には、時空管理局全体が危険な状態になったりしない限り出動する機会は無い。
なので隊員たちは自分自身のスキルアップをしていたり、次の移動先が既に決まっている者はその準備をしたりしている。 つまり、機動六課に所属している者の殆どはすでに来年度に向けて動いているというのが現状であり――
ぶっちゃけ、忘年会をする事になってはいるものの、そこに部外者であるユーノを呼んでも問題が無い程度の人数しか集まる予定が無かったりする。
……むしろ、ユーノが参加するのなら参加したいという声があったりするくらいである。
「そう…… それじゃあ、話がまとまったら連絡を頂戴。」
「はい。」
忘年会の参加者ははやての決定に従う者たちだけなので、今この場で返事を返す事も可能であったのだが、はやてはあえて返事を濁す事にした。
目的が無くなった時点でこうなる予定だった部隊であるが、他所から見たら八神はやてという人物はこの程度の人数を纏める事も出来ないのかと評価されかねないと考えたからだ。
「はやてちゃん、お疲れさまでした。」
「ほんと、疲れたわ。」
話を――それも、レティの方からお願いをされただけだと言うのに、お願いをされた自分の方が疲れていしまっているという事実に少しへこむ。
「……まだまだ、やなぁ?」
「……これから、ですよ!」
・・・
無限書庫の片隅で、数名の司書が集って仕事をしながらミニ会議をしていた。
「どうだった?」
「ああ、3人とも快く許してくれた。」
「やっぱり、司書長がブログでお勧めするだけの事はあるよ。 1口食べただけで3人とも目の色が変わったもの。
特にヴェロッサ捜査官の幸せそうな顔と言ったらもう……」
「そこまでか……」
司書Aはそんなに美味いのなら自分の分も買えば良かったと思った。
「それなら、今回の失態は何とかできたと考えても良いのね?」
「良いと思う。」
「ああ、大丈夫だろう。」
司書長が『人事部の期待の星(笑)』から飲み会に誘われたと知った時はかなり焦ってしまった為に、こんな乱暴な方法をとる事しかできず、部外者3名に迷惑をかけてしまったものの、なんとか円満に解決するできた事を司書たちは喜んだ。
「しかし……
今回は何とか切り抜けたが、もうこの作戦は使えないぞ?」
1度だけならなんとか誤魔化す事もできるが、2度も3度もとなるとさすがに無理だ。
「そうだな……」
「まあ、ね。」
『司書長の最初の酒は私たちが注ぐ』という自分たちの我儘に暇人3人と司書長本人を巻き込んでしまったのは不本意極まりない出来事であった。
「後は司書長にどう謝るか……」
「それについては考えがある。」
「ほう?」
「どんな?」
自信ありげな司書Bに皆の視線が集まる。
「なぁに、とても簡単な事さ……」
そう言って皆を見て、
「『つい、何時ものノリで』」
そう、言った。
「どうよ?」
数十分後、司書BはVサインで皆の下に戻った。
「……まさか、本当に?」
「単純に、そこまでボコボコにされたお前を叱れなかっただけじゃないの?」
「ああ、そっか。 そうだな。」
「まさに怪我の功名ってやつね。」
胸を張って戻って来た彼に優しくする者は居なかった。
「……酷いな。」
司書Bは周りの冷たさにそう洩らしたが、誰も相手にしなかった。
「まぁ、これで今回の1件は無事解決したと考えて良いんじゃないの?」
「だな。」
「もうこの手は使えない――使えてしまった事に関して考えてしまわなくもないけど――もう使えないでしょうけど、予定日まで1週間くらいしかないのも事実。
流石に1週間で次の飲み会に誘われたりする事も無いでしょうし、後は黒い悪魔が邪魔しない事を祈る事くらいしかできないわね。」
「そうだなぁ……」
「ほんと、あの黒いのさえ来なければ、俺たちの目的は達成されるんだけど……」
皆の話題がクロノ・ハラオウンに移動したので、司書Bはいろいろと諦めて医務室に言ってくると告げて無限書庫を出た。
「……それはないだろう。」とか「ありえないわ……」などと言われながらペシペシと叩かれた彼の顔は少し腫れていて、それを見たら彼が哀愁を帯びている様に見えたのだろうが、そもそも彼を見ている者が居なかったのでなんの問題も無かった。
「それじゃあ、そう言う事で。」
「ああ。」
「ええ。」
そして彼らは仕事に全力を注ぐ。
その日を万全の状態で迎える為に!
101226/初投稿