第17話:かなり本気になってみた
Part.00:イントロダクション
引き続き、4月16日(水)。
ナギが神多羅木に呼び出され、近右衛門に直談判した日であり、
ナギが亜子と裕奈をナンパから助けて夕食を奢られた日である。
そして、あやかの家に招待され、その正体が暴かれようとしている日であった。
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Part.01:取るべき道
薄暗い地下室の中、オレは いいんちょに渡された資料を読んでいた。
ハッキリ言って、資料の根拠となっているのは状況証拠が多かった。
そのため、遣り方によってはオレの疑いをはぐらかすこともできるだろう。
だが、オレはそれを善しとしない。いや、善しとしたくない。
何故なら、いいんちょは『本気』なので、誤魔化したくないからだ。
……そもそも、オレは那岐に成り代わったことに対して大して罪悪感を抱いていなかった。
勝手な思い込みだが、那岐は「溺れた時に身体は生き残ったが、精神は死んでしまった」のだと思っていた。
もちろん、那岐の精神が死んでいた確証など無い。単なる推測でしかない。いや、妄想と言ってもいいくらいだ。
だが、そんな妄想でも、誰も「那岐が『オレ』に変わっていること」に気付かなかったので、充分な言い訳にできた。
この身体を那岐が操っていてもオレが操っていても他人には大差がないんだ と言う妙な開き直りで自分を誤魔化せた。
だから、オレは罪悪感を抱いていなかった。いや、正確には罪悪感を抱かずに済んでいたのだ。
だが、だからと言って、オレが何も感じていなかった訳ではない。胸の中には常に妙な『しこり』が残っていた。
罪悪感の代わりにオレを苛む『何か』。それは、寂しさと空しさがブレンドされたような、妙な喪失感だ。
オレと那岐の違いに気付かれないことは有り難かったが、気付かれないことに――気付いてもらえないことが嫌だった。
自分でも勝手な言い分だとは思う。自分勝手で傲慢だ と我ながら思う。
オレは気付かれないことを喜びながら、その一方で気付かれないことを悲しんでいた。
そして、気付かれることを恐れながら、その一方で気付かれることを何処かで望んでいたのだ。
そう、矛盾している自分の気持ちに気付かない振りをして『しこり』を増やしていたのである。
……だから、いいんちょが気付いてくれたことが とても嬉しかった。
考えてみれば、見た目(身体)は一緒なのだから違いを見分けるには中身(精神)を知る必要があるのに、
那岐の中身を知っている人間はいないに等しかったのだから、誰も気付けないのは当然と言えば当然だった。
だから、誰もがオレを「ちょっと変化しただけの那岐」として受け入れてくれていたのだと思うし、
知り合いでしかないクラスメイトは当然のこととして、旧交があったと思われる木乃香や せっちゃん、
そして、保護者であるタカミチでさえも、誰もが『オレ』を「那岐じゃない別人」と気付いてくれなかったのだと思う。
でも、それなのに、いいんちょはオレを「那岐とは違う」と見抜いてくれたんだ。喜んでしまうのは仕方が無いだろう?
それに、いいんちょは見抜いただけでなく「オレと那岐の違いを暴く証拠」まで揃えてくれたんだ。
いくら鈍いと定評のあるオレでも、いいんちょにとって那岐がどんな存在なのかは語られずともわかるさ。
つまり、いいんちょは(保護者であるタカミチ以上に)那岐を『特別な存在』として見ていてくれたんだ。
そんな いいんちょを誤魔化すことなどできるだろうか? ……いいや、できない。
オレは保身のためならば汚いことも平気で行うゲス野郎だが、そこまで堕ちるつもりはない。
本気で那岐を求めている相手(いいんちょ)を誤魔化すなんてこと、オレにはできない。
いや、正確に言うと、できないんじゃなくて したくないんだ。つまり、誤魔化すのが嫌なんだ。
ところで、ふとバレンタインの時に差出人不明のチョコレートが送られて来たのを思い出したのだが……アレの差出人は いいんちょだったのだろう。
だからこそ、どうすればいいのかわからなくなる。誤魔化すのは論外として、オレと那岐の違いをどう説明するか、非常に悩みどころだ。
木乃香の時(10話参照)は、木乃香との那岐の繋がりは僅かだったから、大して悩まずに「記憶喪失である」と『当たり障りのない説明』ができた。
だけど、いいんちょの場合は違う。いいんちょは自ら気付いた。気付いてくれた。だから、木乃香と同じ対応でいいのか、本気で判断が付かない。
いっそのこと、那岐に憑依したみたいなんだ とでも言ってみようか?
でも、それは潔いように見えて、その実「いいんちょの気持ちを無視した言葉」なんじゃないかな?
何故いいんちょ は、オレと那岐が別人だ とをオレに突き付けたのか? それは、オレに認めさせたいからだろう。
では、オレに認めさせた後、いいんちょはオレに何を望むのか? ……そんなの、那岐の返還に決まっている。
だけど、オレには那岐を返すことができるか、わからない。
那岐の精神は生きていれば、オレが那岐の身体から出て行くことで那岐の精神が蘇るのかも知れない。
だけど、那岐の精神は死んでいる可能性もある。オレが出て行っても心身ともに死ぬだけかも知れない。
或いはまったく別の結果になるかも知れないし、そもそもオレが出て行くことすらできないかも知れない。
だから、憑依云々は語れない。語るだけ、オレもいいんちょもプラスにならない。
一体、いいんちょにとっては どんな答えが幸福なんだろう?
いいんちょのことを よく知らないオレには、判断ができない。
でも、だからと言って、何も判断しない訳にもいかない状況だ。
……だから、この時だけは、保身を忘れて いいんちょの幸せに繋がる選択をすると決めたんだ。
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―― あやかの場合 ――
先程、那岐さん――いえ、神蔵堂さんは私の纏めた資料を読むと、驚愕の声を上げました。
それは、調べられたことに対するものなのか? それとも、調べた内容に対するものなのか?
その答えはわりかません。私は神蔵堂さんのことをよく知らないので、判断材料が少ないのです。
ただ、否定せずに資料を読み進める様は「婉曲的な肯定」をしているようにしか見えませんが。
……那岐さんを中学入学時まで遡って調べさせた結果、1年生の頃は「私の知っている那岐さん」でした。
しかし、2年生の夏休みを境にして「私の知らない那岐さん」に変わっていたことがわかりました。
その時期から、喫茶店の厨房でアルバイトをすると言う「彼らしからぬ行動」を取るようになりましたし、
クラスメイトの方々の彼に対する評価も「夏休み後は夏休み前より荒々しくなった」と変化していました。
確か、あの時は溺れた子供を助けるのに御自分が溺れて入院したんでしたっけ……
優しくて どこか抜けている『彼』らしいと言えば『彼』らしい出来事でしたので、
目が覚めない時には心配しましたが、目覚めてからは大して気に止めていませんでした。
ですから、目覚めた と言う連絡を病院から受けてからは見舞いにも行きませんでした。
ですが、今になって考えてみると、それが失敗だったのかも知れません。
タイミングから言って、入院した際に入れ替わったと考えるのがシックリ来ますからね。
ですから、その時にもっと注意していれば、直ぐに「那岐さんではない」と気付けたことでしょう。
大したことないのに心配すると迷惑がられるのでは? などと静観してしまったことが悔やまれます。
実際には気付けなかったかも知れませんが、気付けなかったことで受けたストレスを考えると後悔が募るばかりです。
那岐さんではないとわかっていれば、バレンタインでチョコを贈ることもホワイトデーで気を揉むこともありませんでした。
神蔵堂さんであるとわかっていれば、打ち上げやネギさんの誕生日や妹の命日などで彼の態度に憤ることもありませんでした。
すべては『彼』が「彼」であることに――つまり、那岐さんが神蔵堂さんになっていることに、気付けなかった私の責任です。
那岐さんに入れ替わった神蔵堂さんを責めない訳ではありません。ですが、私にも非はあります。それくらいは認めます。
いくら接触する機会が少なかったとは言え、半年以上も別人であることに気が付かなかったのですから、幼馴染として失格です。
そんなことを考えていると、神蔵堂さんは資料を読み終えており、深刻そうな顔で思索に耽っていました。
その表情は那岐さんそのものであり那岐さんにしか見えません。私はそのことに何とも言えないイラ立ちを感じます。
何故なら、私は この期に及んで「もしかしたら、那岐さんなのかも知れない」と思ってしまったのですから。
しかし、今はそんなことを気にしている場合ではありません。神蔵堂さんが「何を考えているか」の方が問題です。
……もしかしたら、「どうやって誤魔化そうか?」などと考えているのではないしょうか?
これまでの神蔵堂さんの振る舞い(不真面目としか言えない態度を含む)を考えると、その可能性は高いでしょう。
ですが、まだまだ小娘に過ぎない私ですが、雪広家の娘として『それなり』に社交界で揉まれ来た経験を持っています。
今の神蔵堂さんには「那岐さんとしてのフィルター」がありませんので、簡単に誤魔化されるつもりはありません。
むしろ、どんな些細な言い逃れも許すつもりはありません。
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Part.02:語るべき言葉
「つまり……オレが『神蔵堂 那岐』じゃないって言いたいのか?」
答えを選んだオレは、資料を机に放り投げながら言葉を投げ掛ける。
駆け引きや誤魔化しなどを無視した問題の核心を突くだけの言葉を、
飾り付けもせず、変化球すら用いずに、ただストレートに突き刺す。
「……ええ、そうですわ」
いいんちょは一瞬だけ沈黙した後、冷たい声音と態度で簡潔に答える。
きっと、前振りも無く単刀直入に話を進めるとは思わなかったんだろう。
でも、互いに話すべき部分がわかっているのだから前振りなんていらない。
「…………確かに、オレは『神蔵堂 那岐』じゃない。そう言えるだろう」
だからと言う訳でもないが、オレは少しの間を空けるだけでストレートな言葉を続ける。
もちろん、いいんちょを動揺させる意図など無い。最早ヘタな小細工など必要はない。
そう、今この場で必要なのは、捻じ曲げない言葉を真っ直ぐに突き刺すことだけなのだ。
「――ッ!?」
オレがアッサリと認めるとは予想していなかったのだろう。
いいんちょが息を飲んだのが手に取るようにわかった。
言い換えるならば、いいんちょの驚愕と混乱がよくわかったんだ。
「だけど、同時にオレは『神蔵堂 那岐』でもある。そうとしか言えない」
だからこそ、オレは いいんちょが体勢(気勢?)を立ち直す前に言葉を続ける。
いいんちょが立ち直ってしまえば、オレの言葉など受け入れてもらえないからだ。
そうなってしまうと、オレの言いたいことがキチンと伝えきれなくなるからだ。
「…………どう言う……ことですの?」
短くない時間を沈黙した後。いいんちょがやっと搾り出した言葉は、ひどく かすれた声による疑問の投げ掛けだった。
それだけ混乱が大きかったのだろう。普段のいいんちょとは似ても似つかない声音だ。いや、まぁ、そうなるのも当然だが。
那岐じゃないけど、那岐でもある……なんて、意味不明だ。普通に考えたら、「ナニイッテンノ?」って思うことだろう。
でも、オレの場合は あながち間違っている表現でもない。だって、オレの精神は那岐じゃないけど、身体は那岐なのだから。
「簡単に言うと、オレには溺れる以前の『神蔵堂 那岐としての記憶』が無いんだよ」
だから、オレは『ありのままの状況』を『ありのまま』説明する。余計な言葉は要らない。
これをいいんちょが「どう捉え、どう判断するのか?」はわからないし、誘導する気も無い。
オレにできることは、いいんちょに納得してもらえるように努力することだけだ。
そう、既にオレは『事実を告げる覚悟』も『事実を捻じ曲げる覚悟』もできているのだ。
「……つまり、記憶喪失――いえ、記憶障害である、とでも言いたいのですか?」
いいんちょは、オレの言葉を『記憶喪失』と受け取ったようだ。
まぁ、訝しげに問うて来ているので、半信半疑と言ったところだろう。
だから、オレは誘導などせずに、客観的な事実のみを伝えようと思う。
「ああ。医者に診せたなら『そう』診断するだろうな」
確か、個人的な記憶が無いと『全生活史健忘』とか言うんだったっけ?
オレには「那岐としての記憶」が無いんだから、そう言う診断結果になるだろう。
まぁ、詭弁に近いとは思うが、間違うこと無き『事実』であることは変わらない。
…………そう、オレが選んだのは「オレは那岐ではない」と言う『事実』だけを告げることだった。
最低条件である「オレは『以前の那岐』ではない」ことを明言したが、他の情報は一切 明言していない。
憑依云々については語らず、那岐が死んだ可能性を示唆しつつ那岐が生きている可能性も残した。
すべては可能性だ。受け取る人間によって どうとでもなる、都合のいい――いや、虫のいい表現だ。
結果としては、記憶喪失と言う説明で終わらせたので、木乃香の時と似たような展開だったけど、中身は全然 違う。
今回、オレは「那岐の記憶が無い」とだけ説明して、それを「どう言う意味で受け取るか?」と いいんちょに判断を丸投げしたのだ。
どうとでも取れる表現で『事実』を告げ、ありのままの『事実』として受け取るか、捻じ曲がった『事実』として受け取るかを選ばせる……
我ながら実に卑怯だと思う。いいんちょの「自由意志に任せる」と言いつつ、結局は「責任を逃れ」をしただけなのだから。実に卑怯で最低だ。
だけど、オレ自身が「正確に事実を把握していない」ので、そうするのが一番良かったとも思っている。自己弁護だが、間違っていないだろう?
オレは現状を「別の世界の自分に憑依した」と思っていたが、よくよく考えてみると実は『その可能性』を証明する確たる証拠が無いんだ。
何故なら、オレが憑依したと判断したのは、ここが「ネギまと言う創作物に似た世界」だからであって、他の証拠など何も無いからだ。
言い換えるならば、創作物の世界にいるから憑依したと仮定したので、その創作物が創作物でなかった場合は憑依の仮定が崩れ去るのだ。
つまり、オレが「ネギまだと思っている創作物」が「オレの想像の産物」であった場合、オレが憑依をした想定は崩れ去る と言うことだ。
……たとえば、未来少女が時間を遡ったように「未来のオレの記憶を基にして作った人格」を過去に飛ばした と言う可能性もある。
面倒な手順だが、単に未来の知識だけを飛ばしたら「未来で知っている人達を助けなきゃいけない」とか傲慢な考えをする可能性もあるだろう。
だから、情報を飛ばす時に気を利かせて「冗談にしか思えない魔法関連の出来事を ちょっと捻じ曲げてマンガに置き換えた」とも考えられる。
実際に知っている人間は助けたいと思うだろうが、マンガで知っているだけの人間を助けようとは思わないのが、オレと言う人間だからね。
んで、ネギまの情報だけを送らなかったのは、実在しないマンガ的な記憶などは「単なる妄想」として処理してしまう恐れがあるので、
ネギまをマンガとして知っている『オレ』を擬似的に作り上げて過去のオレにペーストする……なんて面倒なことをした、と言う仮説が立つ訳だ。
まぁ、かなりトンデモない理論だとは思う。だけど「別の世界の自分に憑依した」ってのも充分にトンデモない話なので、そんなに違いはないと思う。
それに……『オレ』の記憶って曖昧で適当な部分が多かったのは確かだったけど、平和で幸福な部分も多かったのも確かなんだ。
そのため、単に憑依した と言うよりも、未来のオレを基にして作られたオレが逆行した と言う方が説得力があると思う。
何故なら『オレ』には「厳しいけど優しい父親」と「口喧しいけど優しい母親」と「鬱陶しいけど愛しい嫁」がいた筈なのに、
今のオレには「そんな人達がいたなぁ」と曖昧に思えるだけで、そんな大切な人達の名前も顔も覚えていない状態なのだから。
家族のいない孤独なオレが「こんな人生だったらいいなぁ」と夢見たのが『オレ』だったのかも知れない。そう、納得できてしまう。
もちろん、オレの二十数年間が『作り物』な訳がない と言う気持ちはあるよ?
オレが誰かに作られた記憶でしかない なんて、考えたくも無い想定さ。だけど、その想定が本当なら、オレが そう思い込みたかっただけに過ぎない。
そもそも、オレがナギとして生きていた証拠は記憶にしかないのに、記憶と言うのは(科学だろうが魔法だろうが)いくらでも改竄ができるんだ。
溺れている間に塗り替えられただけの作り物、もしかしたら それが『オレ』なのかも知れない。妄想に近いが、否定する要素もないのも事実だ。
そして、そんな風に考えれば考える程『オレ』は空虚になっていき、オレは「神蔵堂ナギ」なのではなく「ガランドウのナギ」なのだと思ってしまう。
……当然ながら、そんな想定をいいんちょに告げられる訳が無い。
だが、別の世界のオレが憑依したとしても、未来で作られたオレが貼り付けられたとしても、
結局は「いいんちょの求めている那岐は もうこの世にはいないだろう」と言う『事実』は変わらない。
オレとしての自我がなくなれば那岐に戻る可能性はあるが、それは あくまでも可能性でしかない。
不確定なことを告げるのは、事実がより残酷になってしまった場合を考えるとできる訳がない。
この場は救われるかも知れないが最終的には救われないのだから、そんなことオレにはできない。
だから、確定している『事実』――つまり、「オレが那岐であって那岐ではない」ことを告げるしかできないんだ。
そのため、それを納得しやすいように説明するのに『記憶喪失』と言う「嘘臭いけど 有り得そうな可能性」を提示したんだ。
他にオレができるのは、いいんちょが『記憶喪失』と受け取らなかった時に「那岐以外が貼り付けられた可能性」を示唆する程度だ。
自分でも卑怯な手段だとは思うが、伝えるべきことである「オレは那岐じゃない」と言うことは伝えられたので、これでいいと思う。
「…………それを信じろ、と仰いますの?」
いいんちょが長い沈黙の後、不審を隠しもせずに問い返す。
まぁ、信じられない気持ちはわかるが……信じてもらうしかないな。
他に提示できる情報は、オレの妄想に近いものしかないからね。
「さてね? 信じる信じないは そっちの自由さ」
だが、どれだけ「信じてくれ」と言葉を並べても虚しいだけだ。
疑っている相手にそんな言葉を連ねても疑いを深めるだけだろう。
だから、オレは何も語らない。語らないことは、時に多弁より雄弁だ。
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
それ故、オレ達はしばらく見詰め合う。
よく言われる「嘘吐きは後ろめたくて目を逸らす」と言うのは俗説だ。意外と、嘘吐きほど堂々としているものだ。
だけど、目は口 程にモノを言う のも、また事実である。それ故、オレは何も言わずにいいんちょの瞳を見詰める。
オレを信じないのなら それで構わない、と言う意志を込めて、いいんちょが目線を逸らすまでオレも逸らさない。
仮に納得してもらえなかったら、オレの妄想に近い可能性を話せばいい。そんな開き直りも微かに含めて見詰め続ける。
「…………わかりましたわ」
何がわかったのかはわからない。だけど、いいんちょは『何か』に納得した。
当然、オレの言葉をすべて信じてくれた、なんて言う妄想は抱かない。
だが、「オレは那岐だけど那岐じゃない」と言うことだけは伝わったと思う。
何故なら、いいんちょの瞳に宿っていた疑惑が多少は和らいだからだ。
「そうか……」
だから、オレはただ頷くだけに止めて置く。
余計な言葉はもう語るべきではないのだから。
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―― あやかの場合 ――
「つまり……オレが『神蔵堂 那岐』じゃないって言いたいのか?」
しばらくの黙考の後、神蔵堂さんが重い口を開いて紡んだ言葉は核心そのものでした。
どうせ小細工を弄するのだろう と予想していたため、私は一瞬だけ戸惑いました。
ですが、相手のペースに乗せられてはいけません。直ぐに冷静になり、肯定して続きを促しました。
「…………確かに、オレは『神蔵堂 那岐』じゃない。そう言えるだろう」
しかし、続けられた言葉は更に予想外のもので、アッサリと私の疑惑を肯定しました。
肯定させるために資料を集めたので、当然ながら この肯定は喜ばしいものではあります。
ですが、ノラリクラリと誤魔化そうとする相手を問い詰めて答えを聞き出す予定だったため、
こんなに簡単に答えを聞かされてしまうのは予想外であり、拍子抜けしてしまったのです。
つまり、肯定された内容にも驚愕させられましたが、肯定された態度にも驚愕させられた訳です。
結果、私は軽く混乱してしまい、責めることを忘れて呆然としてしまいました。
そう、実に容易く主導権を奪われてしまったのです(気付いたのは後になってですが)。
「だけど、同時にオレは『神蔵堂 那岐』でもある。そうとしか言えない」
そして、どうにか精神の立て直そうとしているところに、更なる爆弾が投下されました。
しかも、更なる爆弾は――続けられた言葉は、更に予想外だったため私の混乱は更に深まりました。
那岐さんではないけれど、那岐さんでもある? ……一体、何を仰っているのでしょうか?
神蔵堂さんの言葉の意味が理解できなかった私は、意味の説明を求めることしかできませんでした。
そのうえ、成された説明は、「溺れる以前の記憶が無い」と言う、私の予想外のものだったのです。
私は、記憶喪失――いえ、正確には記憶障害ですね、そんな可能性など考えてすらいませんでした。
ですが、冷静になって考えてみると、普通なら『こちら』の方を考えるべきでしたね。
私は非現実的にも「彼にしか見えないけど、彼とは違う」と言うことから、「彼が別人と入れ替わっている」などと考えてしまいました。
恐らく、無意識に「那岐さんが帰って来る可能性が高いもの」を想定していたのでしょう。
入れ替わっているのなら、入れ替わるのをやめるだけで那岐さんは帰って来ますが、
記憶を失っているとなると、記憶が戻らない限り那岐さんが帰って来ない訳ですから。
しかも、記憶が戻ったとしても、今の神蔵堂さんに記憶が継ぎ足されるのであれば、それは私の知っている那岐さんではなくなります。
嫌な考えですが、神蔵堂さんではなく那岐さんに戻って欲しいのが私の本心です。
言い方を変えれば、神蔵堂さんに消えて欲しいと願っているのが私の本性なのです。
……そう、それだけ、私は那岐さんを求めていた――必要としていたのです。
私はこの事実に気が付いた時、状況も忘れて愕然としてしまいました。
これ程までに那岐さんを必要としていたなどとは思ってもいなかったのです。
思えば、那岐さんと話している時は「本来の私」らしくいられましたので、那岐さんは私にとって必要な存在でした。
ですが、那岐さんと話している時『だけ』しか、本来の私らしくいられない……とまでは気付いていませんでした。
那岐さんと会えなくなって初めて「那岐さんが私にとってどれだけ重要だったのか」初めて気が付いたのです。
普段は忙しさや気恥ずかしさから余り会っていなかったクセに、会えなくなったと認識したら気付くのですから、笑えません。
そして更に、私は もう一つのことにも――那岐さんに恋愛感情を抱いていたのだと言うことにも、今更ながらに気が付きました。
私は、那岐さんが愛しい故に、無理のある非現実的な想定をしてまで、那岐さんを求めていたのです。
だからこそ、神蔵堂さんが那岐さんではないと暴けば、自然と那岐さんが帰って来ると妄想していたのでしょう。
たとえ「彼」が別人だと暴いたとしも那岐さんが帰って来る保証などない、なんてことも考えずに……
……我ながら、実に滑稽です。
神蔵堂さんが「記憶が無い」と言葉にするまで、那岐さんは必ず帰って来ると思い込んでいたのですから。
大事なものこそ、失くしてから『そうだ』と気が付く。よくある話です。どこにでもある、ありふれた話です。
ですが、それが自分の身に起ころうとは考えもしませんでした。ありふれた話なのに、他人事だと思っていたのです。
だからでしょうか? 気が付けば、私は神蔵堂さんに「信じろと?」と確認を取っていました。
私は、神蔵堂さんの言葉を認めていながらも、有り得ない可能性に縋り付きたい一心で訊ねてしまいました。
入れ替わっているので、直ぐに那岐さんは帰って来る……なんて有り得ない答えを期待して、縋り付いたのです。
貴方は那岐さんではない。そう糾弾したばかりなのに、神蔵堂さんが那岐さんであるかのように縋ってしまったんです。
「さてね? 信じる信じないは そっちの自由さ」
きっと私の希望など、神蔵堂さんは見透かしているのでしょう。神蔵堂さんは私の希望を断ち切るかのようにキッパリと言い切りました。
ですが、それは「信じられないならそれでいい」と言う諦観を内包しているようで、少しだけ寂しそうにも見えました。
それは、私に何とも言えないショックを与え、私から言葉を奪いました。それ故、私は言葉もなく神蔵堂さんを見詰めるだけしかできませんでした。
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
きっと、神蔵堂さんは私が答えるのを――いえ、私が答えを出すのを待っていてくれたのでしょう。
私が口を開くまでの間、神蔵堂さんも無言を保ったので、私達は無言で互いを見詰め続けることになったのです。
そして、私が「わかりましたわ」と彼の言葉を受け入れると、彼は「そうか……」と少しだけ顔を綻ばせていました。
……ここで、彼の言葉を受け入れず、彼を責めることもできたと思います。
ですが、私にはそんなことできません。私にはそんなことをする資格などないのです。
何故なら、『記憶喪失』の主な原因は心因性(精神的負荷など)だと言われているからです。
つまり、「記憶を失う前の那岐さんは記憶を失いたい程に『何か』に悩んでいた」と考えられるのに、
私は那岐さんが そこまで悩んでいたことに気付かなかった――いえ、気付けなかったのです。
まぁ、もしかしたら、「溺れた際に頭部に衝撃を受けた」などの原因で『記憶喪失』が起きたのかも知れません。
ですが、人に弱みを見せないようにしていた那岐さんの性格を考えれば、人知れず悩んでいたと見るべきでしょうし、
そんな那岐さんの性格をわかっていたのですから、他の誰もが気付かなかったとしても私だけは気付くべきだったのです。
ですから、私には神蔵堂さんを責める『資格』などないのです。むしろ、責められるべきは私です。
疎遠になっていたので、半年以上も『記憶喪失』に気付けなかったことは まだ許されることでしょうが、
疎遠になっていたからと言っても「記憶を失いたくなる程 悩んでいたのに気付けなかったこと」は許されません。
たとえ那岐さんが許してくれたとしても、私が私を許せません。許せる訳がありません。
その想いが感情に任せて「那岐さんを返して!!」と泣き叫ぶのを抑えます。
那岐さんを失う原因を見逃したクセに厚顔無恥にも神蔵堂さんを責められる訳ありません。
そんなことをしてしまえば、(一時は気が済みますが)取り返しの効かない過ちとなります。
きっと、恥知らずなことをした自分を、私は二度と誇れないでしょう。
そんな私を那岐さんは『私』として認めてくれる訳がありません。そうに違いありません。
ですから、私は自分を責めます。これ以上『私らしさ』を失いたくありませんから……
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Part.03:だから、気にしない
「そう言えば、何か訊きたいことは?」
「……いえ、特にありませんわ」
オレは納得した いいんちょに敢えて訊ねる。別に蒸し返すつもりは無いが、遺恨を残したくないのだ。
だが、いいんちょは少々の沈黙の後に否定してくれたので、その沈黙の意味が非常に気になる。
本当に疑念が残っていないのか? それとも、残っていない振りをしているのか? 実に判断に迷うところだ。
「そう? 何で記憶障害について医師の診断を受けてなかったのか、気にならない?」
実際には診断を受けているが、担当医には特待生としての立場を理由に記憶障害のことは伏せてもらっている。
生活に支障がでるようならば担当医も(本人の希望とは言え)伏せて置くことはないのだが、幸い生活は問題なかった。
むしろ、記憶障害がオープンになった方がマイナスに働く可能性があったので担当医はカルテにも記載していない。
それ故に、ナギは診断を受けていないことにして、そこに疑念が残っていないか確認したのである。
「……別に気にはなりませんわ。恐らく、診断を受けていないことにしているだけで、実際は診断を受けているのでしょう?
学業に支障がなかったとしても『記憶喪失』と言うだけで特待生としての立場が危ぶまれてしまうかも知れませんからね。
それと、周囲に余計な心配をされたくなかったので、自分だけで解決しようとしたのでしょう? まぁ、あくまで私見ですが」
おぉ、すげぇ……ほぼ合ってる。
まぁ、周囲云々については、憑依したと思っていたので、誰かに打ち明けたら厨二病だと思われる とか危惧していたり、
ヘタに原作を知っていることが魔法関係者にバレると洗脳とか自白とかさせられかねないってビビっていたんだけどね。
それでも、特待生としての立場を守りたかったし、自分だけで解決しかったのは いいんちょの言う通りだなぁ。
それだけ いいんちょは那岐を理解していたってことで、オレと那岐の性質はそんなに違いは無いってことなんだろう。きっと。
「じゃあ、何で調理のアルバイトをしていたのかってことは?」
でも、この部分に関してはオレと那岐は違うと思う。オレは器用で那岐は不器用な筈だからね。
だから、不器用な那岐が器用であることが必要とされるようなバイトを選んだのは謎だろう?
資料でもオレと那岐の違いとして言及されていたし、いくら いいんちょでもこれは推察できまい。
「……確か、当初はキッチンの補助として採用されたのですが、途中からメニューの見直しなどを提案し、
自らメニューを開発しているうちに調理を担当するようになったのですよね? ……必死に努力なさったのでしょう?」
うぬぅ……これもだいたい合っている。って言うか、そんな経緯まで調べたのかよ。
実は、オレは料理が得意なつもりだったのだが、何故か最初は手がうまく使えなかったので、
憑依したことで肉体の操作がうまくできないのだ と思ってレシピ開発の過程で訓練したのである。
もしかして、訓練によって勘を取り戻したのではなく、訓練によって器用になったってことか?
「じゃ、じゃあ、本当に記憶がないのかってことはどうよ? もしかしたら、記憶がない振りをしているだけかも知れないだろ?」
ここまで来たら、もはや意地だ。意地でも、いいんちょが答えに窮するところを見てやる。
いや、自分でも何だか当初の目的と違っている気がするよ? むしろ、墓穴を掘ってると思うよ?
でも、ここで引いたら負けた気がするんだ。勝ち負けの問題じゃないんだけど、負けたくないのさ。
「……御自分でそれを指摘していらっしゃることが証拠ではありませんか?」
なるほど。墓穴を掘ったと思ったけど、「まさか墓穴を掘る訳が無い」って感じで逆説的に納得されたのか。
って言うか、結果的にうまく疑念を晴らせたけど、これって逆説的に「表面に出ていない疑念が残っている」ってこと?
……でも、そうは言っても、他に疑がわしい部分は思い付かないなぁ。さっきのも苦し紛れだったし。
疑念を示すだけで相手が勝手に解決してくれるんだから、この機会にすべての疑念を晴らしてしまいたいんだけど……
残念ながら、その疑念が思い付かないんだ。せっかくの機会だけど、ここら辺で切り上げるしかないだろう。
「本当に、訊いて置きたいことはないのか?」
「……では、お言葉に甘えさせていただきましょう」
なので、オレは最終確認の意味も込めて いいんちょに訊ねた。
そしたら、いいんちょは少し悩んだ後、答え始めてくれたので、
思惑通りかどうかはわからないけど、とりあえずは望ましい状況だ。
「本当に『何も』覚えていませんの?」
だが、いいんちょが一拍の後に続けた言葉は、望ましいものではなかった。
重い雰囲気を軽くしようとしていたが、そんな努力など無駄でしかなかった。
とは言え、那岐を求める いいんちょとしては気になって当然のことだと思う。
いや、言い方は悪いが、少し考えれば誰にでもわかることだったじゃないか?
つまり、そんなことにも気付かない程オレはいいんちょのことを考えていなかったのだ。
「……ほんの少しだけど、思い出したこともある」
いいんちょの幸福を主点に置くつもりでいたのに……もう忘れている自分に反吐が出る。
だが、今は自己嫌悪に陥っている場合ではない。気を取り直して、事に当たろう。
だから、オレはこれまでの軽い雰囲気から重い雰囲気へ態度を切り替えて、重々しく言葉を紡いだ。
「――ッ!! その中に私のことは含まれては……いませんわよね?」
オレの言葉に一瞬だけ喜色ばむが、直ぐに冷静に戻ったのだろう、訊ねながらも自ら否定するいいんちょ。
ここで「ちょっとなは」とか言うのが『優しさ』なのかも知れないが、そんな『優しさ』は残酷だと思う。
だって、根本的な解決になっていないのだから、一時的に救えたとしても何にも意味が無いからだ。
「すまないが、思い出したのはガキの頃のタカミチとの会話くらいなんだ」
だから、オレは本当のことを話す。いや、本当のことしか話せない、が正しいな。
そもそも、思い出したって言っても、夢で見ただけに過ぎないのだし。
って、待てよ? いいんちょとの思い出も夢で見る可能性もあるんじゃね?
まぁ、まだ可能性に過ぎないから、今は何も言えないことには変わりないか……
「いえ……神蔵堂さんが気に病むようなことではありませんので、お気になさらないでください」
きっと、理性では理解しているんだろうけど、感情では納得できていないんだろうな。
と言うか、「気にしないでくれ」と言われているけど、「気にしてくれ」としか聞こえない。
でも、ここは「気にしないでくれ」と受け取るべきだろう。何故なら『オレ』が相手だからだ。
「ああ、わかっている。オレは何も気にしないさ」
そう、いいんちょは『オレ』なんかに気にして欲しい とは思わないからだ。
いいんちょが気にして欲しいのは『オレ』などではなくて『那岐』なのだから。
だから、オレには「気にしない」としか言えない。気にしないことしかできない。
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―― あやかの場合 ――
「そう言えば、何か訊きたいことは無いか?」
神蔵堂さんが訊ねて来ましたが、『特には』ありませんわね。訊きたいことはありますが、それは訊いても詮無きことですし。
ですから、「いえ、特にありませんわ」とお答えしたのですが……どうやら神蔵堂さんは私の答えに納得していないようですね。
少し考える素振りを見せた後、医師に記憶障害の診断を受けなかったことが気にならないか、訊ねて来ました。
普通なら気になるのでしょうから、訊ねたい気持ちもわかります。
ですが、私は別に気になっておりませんので、改まって訊かれても困ってしまいますわ。
だって、那岐さんの性格を考慮すると、最初は気が動転して医師に相談するどころではなかったのでしょうし、
落ち着いてからは特待生としての立場や自己完結したがる性格のために己だけで解決しようとしたのでしょうからね。
ですので、その推論を告げた訳ですが……どうやら、神蔵堂さんの興味を引いただけのようでした。
神蔵堂さんは、今度は調理のアルバイトをしていたことについての推測を訊いて来ました。
まぁ、当初は私も「不器用な那岐さんが?」と疑問に思いましたから、訊ねたくなるのもわかります。
ですが、ちょっと『本格的に』調べましたので、調理を担当するに至った経緯もわかっています。
きっと、調理を担当するまでの間に人知れず努力をして調理の腕を磨いた と見るべきでしょうね。
ですから、今度も そのような内容を告げた訳です(もちろん、神蔵堂さんの反応は「その通りだ」でした)。
そうしたら「記憶がない振りをしているだけでは?」と態々「疑ってくれ」と求めて来ましたので、
もしかしたら、神蔵堂さんの意識は「私がどれだけ事情を把握しているのか?」と言うものに移っているのではないでしょうか?
本人も「あれ?」って顔をしていますので、自覚しているのでしょうけど……本当に困った人です。
記憶を失う前と後では、性格に少々の違いはありましたけど、
ちょっと抜けている部分など、基本的な部分は変わっていませんね。
つまり、神蔵堂さんも那岐さんである、と言うことです。
少々の違いはあっても、根本的には変わっていないのです。
っと、今はそんなことを考えている場合ではありませんね。神蔵堂さんが記憶を失った振りをしている可能性、でしたね。
しかし、そうは言いましたけど、ほぼ確実に その可能性は無いでしょうね。そう断言できます。
那岐さんが私を蔑ろにする訳がありませんから、この人は那岐さんではありません。
ですが、那岐さんにしか見えませんので、「那岐さんの顔をした他の誰か」としか思えません。
そのために、最初は「入れ替わり」を疑っていたのですから……
ま、まぁ、さすがに映画ではないので その可能性は有り得ませんわね。
他の可能性として妥当なものは「記憶を失った」くらいしか考えられません。
それに、私を騙すつもりなら御自分で「疑ってくれ」とは言いませんし。
そう言う訳ですので、前半は恥ずかしいので言えませんが、後半部分だけを尤もらしく答えた訳です。
ですが、そうしたら神蔵堂さんは難しそうな顔をして何かを思案し始めましたので、何か問題でもあったのでしょうか?
別にそんな神蔵堂さんに釣られた訳ではありませんが、私が「何か問題があったのでは?」と思案していると、
神蔵堂さんは軽薄そうな雰囲気で「本当に訊いて置きたいことはないのか?」と確認するように訊ねて来ました。
……本音を言うならば、訊ねて置きたいことはあります。心の奥で燻っている疑念があります。
ですが、それは訊ねても意味が無いのです。
いえ、むしろ訊ねない方がいいことなのです。
…………それでも、私は訊ねてしまいました。
神蔵堂さんの雰囲気に押されたのでしょうか? それとも、ただ単に私が弱かっただけでしょうか?
私は「お言葉に甘えて」と前置きをして、「本当に何も覚えていないのか?」と訊ねてしまいました。
今までの彼を知っていますので、それは訊くまでもありません。覚えていたら、今のような状況になっている訳がありません。
そう理解しているのですが、訊ねたくて仕方が無かったのです。訊ねたい と言う衝動を抑えられなかったのです。
答えは聞かなくてもわかり切っているのに、場合によっては責めているようにも聞こえるのに……それでも、訊いてしまったのです。
……神蔵堂さんが私の言葉をどう受け止めたのかはわかりません。
しばらく沈黙した後、「ほんの少しだけ」と苦い声で答えてくれました。
普通ならば、その声だけで意味していることがわかります。
ですが、私は本当に弱い女だったようで、微かな希望に縋ってしまいました。
思い出したことの中に私のことも含まれているのではないか、と期待してしまったのです。
当然、言葉を紡ぐ途中で「そんなことは有り得ない」と気付きましたが。それでも、途中まででも、放ってしまった言葉は覆りません。
結果、神蔵堂さんは容赦なく「私のことは思い出していない」と告げました。
いえ、この場合は「誤魔化さずに告げてくれた」と言うべきでしょうね。
下手に希望を持たされて それが潰えるよりも、最初から希望を持たされない方がマシですから。
ですから、心の底から申し訳なさそうにしている神蔵堂さんに「気にしないで欲しい」と告げました。
この人は那岐さんではないですが、大本では那岐さんでもあります。ですので、私が傷付いたと知れば、人知れず悩むでしょう。
那岐さんと同じく、私には悩み苦しむ素振りなどを見せることがないクセに、何でも一人で抱え込もうとするでしょうから。
だからでしょうか? この人の「何も気にしていない」と言う言葉は、気にしていると宣言されているようにしか聞こえませんでした。
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Part.04:固められる決意
ふぅ……
オレは天蓋付きの やたらフカフカするベッドの上で何度目になるかわからない溜息を吐く。
別に「天蓋付きのベッドって現存してるんだなぁ」と言う感じの感嘆の溜息ではない。
どちらかと言うと、居心地がいい筈なのに居心地が悪いと感じることへの溜息だ。
あ、もうおわかりだろうが……オレが寝ている場所は寮ではない。いいんちょの家だ。
と言うのも、いいんちょとの『話』が終わったのは、深夜もいいところの時間になっていたからだ。
既に寮の門限は余裕で過ぎていたので、それから寮に帰るのは非常に面倒な事態になっただろう。
いいんちょが「もう遅いので家に泊まっていってください」と言ってくれたので、お言葉に甘えたのだ。
はぁ……
んで、超が付くほどの高級品なのに居心地が悪いのは、別にオレの肌には合わないからって訳じゃない。
先程の地下室での会話を思い返していると、どうも「騙したのではないか?」と思えてしまうのだ。
嘘は言っていないが、本当のことも言っていないので、騙したと言えば騙したと言える。それはわかっている。
だけど、オレ自身が本当のことを知らないのだから、本当のことなど言える訳がないのだ。
憑依したのか、逆行したのか、それとも別の原因なのか? オレには本当のことがわからない。
わからないことを告げるよりは、わかっていることだけを告げるべきだったと思う。
だから、わかっていること――つまり、事実だけを話して『記憶喪失』だと錯覚させた。
そのこと自体は間違っていなかったと思うのだが、結果として騙したことになるのがツラいのだ。
でも、だからと言って、他にうまい方法があっただろうか?
疑惑を誤魔化す気など更々無かったし、那岐の振りをしてもバレてしまうのは火を見るよりも明らかだった。
オレにできたのは、いいんちょを傷付けないような表現で「オレが那岐とは別人である」と伝えることだった。
だから、オレは間違ってはいないと思う――あ、いや、違うな。オレは間違っていないって思いたいんだな。
って、そうじゃないな。過ぎたことをグダグダ考えるよりも、これから先のことを考えるべきだ。
後悔したところで那岐を奪った事実も いいんちょを騙した事実も変えられる訳がない。
だから、過去ではなく未来を見るべきだ。過去は変えられないけど、未来は変えられる。
まだ、今回は取り返しが付く。まだ取り返せる。だって、まだ失っていないんだから。
そう、『あの時』みたいに失ってしまった訳ではないんだから……
あ、あれ? 『あの時』? 『あの時』って、どの時だ? そして、オレは『何』を失ったんだ?
……よく思い出せない。頭に霞が掛かったように、どうしても『それら』に関することが思い出せない。
でも、オレが何か大切なものを失ってしまったのは確かだ。記憶は曖昧だけど、それは確信できる。
まぁ、今は思い出せないことを考えていても仕方がない。とりあえず棚上げして置いて、これからのことを考えよう。
途中で意識が逸れてしまったが、いいんちょを『まだ失っていない』と言う認識がある と言うことは、
裏を返すと、オレは「『いいんちょを失いたくない』くらいに いいんちょを大切に思っている」みたいだな。
その感情が『オレ』自身のものなのか? それとも、那岐の感情に因るものなのか? それはわからないが。
…………正直、いいんちょには睨み付けられたり殴られたり監視を付けられたり拉致られたりと、そんなにいいイメージはない。
いや、まぁ、それらの原因を作ったのは「那岐と入れ替わってしまったオレにあった」訳だから、罪悪感もある。それは確かだ。
それに「大切な人間に他人扱いされたのだから、その心は深く傷付いたことだろう」と言った『奇妙な共感』もあるのも認めよう。
だが、それでも いいんちょを失いたくない と思うのは行き過ぎだと思う。せいぜい、これ以上 傷付けたくない と思うくらいだ。
もしかしたら、曖昧にしか思い出せない「大切な『何か』を失ってしまったこと」が関係しているのだろうか?
今は その答えはわからない。わかっているのは、いいんちょを失いたくない と言う気持ちだけだ。それ以上のことは現段階ではわからない。
だから、今オレが考えるべきことは「どうやって いいんちょを失わないようにするか」だ。それ以上のことは、今のオレには手が出せない。
そう、神ならぬオレにできることは限られている。大切だと思うものを守るくらいしか――いや、正確には それすらも儘ならない程に無力だ。
どうやって守ればいいのか は、まだわからない。だけど、どんなことをしてでも守ろう。オレは心の中で、そう誓った。
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オマケ:未来少女だけが知っている ―その1―
ところ変わって、麻帆良学園内にある「とある研究室」にて。そこの主である少女、超 鈴音(ちゃお りんしぇん)はニヤリと笑う。
「フフフ、なるほどネ。御先祖の『変化』にはそんな事情があったのカ……
シナリオの変更は余儀なくされたガ、早めに気付けたのハ不幸中の幸いだネ。
どうせシナリオは組み直す予定だたカラ、その予定ガ少々変わるだけだからネ」
超は、先程『聞いた』ナギとあやかの会話内容を元に、脳内で『シナリオ』を練り直しながら不敵に笑う。
「まぁ、『前の御先祖』を求めている いいんちょには少しばかり申し訳ないガ……
私にハ『今の御先祖』の方が都合が良いのデ、このままの状態を維持させてもらうヨ?
だって、『今の御先祖』は己の欲望に忠実なので、実に篭絡しやすいからネェ?」
超はナギに貼り付けていたスパイロボとの接続を断つ。
その際に、あやかの物憂げな表情を見てしまい、少々心が乱されてしまったが、
超は「悪を為してでも目的を為す」と覚悟をしているため、それを封殺する。
あやかには悪いとは思うが、それでも計画に支障を来たす訳にもいかないのだ。
「私の目的が達成できるまでハ……御先祖にはネギ嬢の『お守り』をしていてもらわねバ困るのだヨ」
目的を為すために超はすべてを未来に置いて来た。そして、目的の為ならば己の命すら賭ける気でいる。
あやかに同情もするが、超にはそれ以上に大切なことがある。ただ、それだけのことだ。
だから、一瞬だけ あやかのことを気に掛けたことは忘却し、ただただ目的の遂行だけに意識を傾ける。
「それにしてモ、御先祖はフラグを立て過ぎなような気がするネ。下手を打って後ろから刺されてバッドエンドになりはしないか、少々心配だヨ」
子を成すまでとは言わないが、超の目的が為されるまでは生きていてもらわねばならない。
超の先祖であるナギが子を成す前に死んでしまったら超は消えてしまう可能性があるため、
目的を為した後ならばそれはそれで構わないのだが、目的を為す前に消えてしまうのは困るのだ。
「まったく……困った御先祖だヨ」
超は、陰ながらナギが死なないように手段を講じることを決意し、
これまで1機だったスパイロボを3機に増やそうと考えるのだった。
当然、そのスパイロボには『それなりの武装』を施すのは言うまでも無い。
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ちなみに、超も気付いていなかったことだが、今回、ナギは特大の死亡フラグを回避している。
と言うのも、あやかに「実は憑依――つまり、上書きされた感じなんじゃないかと思うんだ」などと応えていたら、
あやかに「では、間接的に那岐さんを殺したのですね?」と解釈されて、その場で粛清されていた恐れがあったからだ。
ナギとしては、あやかの真摯な態度に真摯に応えただけだが、結果としてそれがいい方向に転がったのである。
まぁ、そのことには誰も気付くことはないのだが。
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後書き
ここまでお読みくださってありがとうございます、カゲロウです。
以前から「改訂した方がいい」と言う意見が多数あったので、改訂してみました。
今回は「シリアスを頑張ったけど、最後で微妙に崩れた」の巻でした。
改訂のコンセプトとして「主人公視点を削る」と言うものがあったのですが、
この話だけは第三者視点にしてしまうと主人公の気持ちが伝わり難いと考え、
敢えて主人公視点を残しました。多少、表現や考え方は変えてはいますけど。
ちなみに、初稿を書いていた時の率直な感想は「あれ? いいんちょって可愛くね?」でした。
つまり、この話で あやかのヒロインが確定したと言っても過言ではない訳です。
あやかって「主人公にしか本音を見せない幼馴染のお嬢様」って感じで非常に萌えたのです。
……では、また次回でお会いしましょう。
感想・ご意見・誤字脱字等のご指摘、お待ちしております。
初出:2009/11/15(以後改訂・修正)