外伝その2:ハヤテのために!!
Part.00:イントロダクション
これはアセナが思い出した「ナギの『記憶』」。
ナギが別の世界で生きた軌跡を綴ったもの。
そして、ナギが絶望するに至った経緯である。
※ 本編とは直接的に繋がってませんので、読み飛ばしても問題ありません。
また、「ハヤテのごとく!」のネタバレを含みますので、ご注意ください。
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Part.01:こうして少年と少女は出会った
世の中がクリスマスとやらに浮かれている夜……
8桁を超える借金(約1.3億)を返済するために、
少年(16歳の男子高生)の両親は突如いなくなった。
学校から帰って来た少年を待っていたのは、差し押さえられた家と一通の手紙だけだった。
『借金返済のため、ちょっと海外に高飛b――じゃなくて、出稼ぎに行って来る。
古い友人がヨーロッパでマフィ――いや、日本では珍しい商売をやっていて、
商売敵との関係悪化のために人手が足りないから喜んで世話をしてくれるらしい。
……もう二度と会えないかも知れないけど、父さんと母さんは元気に暮らすと思う。
家を担保に入れてまで「ときメ○ファンド」に賭けた父さんを怨んでくれて構わない。
P.S. それと、お前は父さん達の実子じゃないから、借金は気にせずに生きてね♪』
債権者と思われるスーツ姿の男性(恐らく金融屋)から先の手紙を渡され事情を理解した少年は、
その事情に対するツッコミをする暇もなくサッサと家を追い出され、結果 寒空の下に放り出された。
「…………はぁ、腹が減ったなぁ。それに、雪まで降って来るし」
最低限の生活用品(着替えとか)を持ち出す許可は与えられたので、保存食くらいは持っている。
だが、それらで凌げる期間は高が知れている。このままでは いづれ干上がってしまうだろう。
しかも、家がないので、このまま公園などで寝ようものなら凍死することも目に見えている。
頼れる親戚や友人がいればいいのだが、生憎と両方ともいないので誰も頼ることはできない。
このまま現状に甘んじていれば、そう遠くない未来に餓死か凍死で現世とオサラバするだろう。
「うん、この状況を脱するには金だね。金さえあれば、飯を食うことも暖を取ることもできる。そう、つまり、世の中は金だ」
殺伐とした思考だが、精神的にも肉体的にも困窮した状況の中で現状を打破する思考をできるだけマシだ。
思考を切り換えた少年は金を得るために労働することを選び、そのために残り僅かな軍資金で履歴書を購入した。
この際、贅沢は言わない。どんな仕事でもいいから仕事をして金を得なければ待っているのは死だけだ。
だが、家も電話もない少年は、必然的に住所も電話番号もない。つまり、マトモな履歴書を作れないのだ。
「でも、今までの住所と電話番号を書けばいいよね? 抵当云々のことなんて調べなければ わかんない訳だし」
普通の感性なら「これじゃあ、バイトすらできないじゃないか!!」と現状を嘆くところだろうが、
サラッと犯罪行為(私文書偽造)で抜道を思い付く辺り、少年のモラルは低い としか言えない。
まぁ、ここであきらめたら人生と言う名のゲームが終了してしまうので背に腹は代えられないが。
「んで、金が手に入ったらネカフェで寝泊りをすればいい。と言うことは、できれば日払の仕事がいいね」
ドンドンと対策を練っていく少年は、逞しいのか図太いのか判断に迷うところだろう。
しかも、「あ、でも、食費も考えると、ネカフェの代金もバカにならないか」と思い至り、
仕事の方向性を「住み込みで賄いも付いているところがベストだね」と軌道修正までする。
最早 逞しいとか図太いとかの問題ではなく、その思考そのものを賞賛すべきかも知れない。
そんなことをツラツラと考えながら当て所なくブラブラと歩いていると、いつの間にか人気の無い公園に来ていた。
街には幸せそうな人間(主にバカップル)が溢れていたため、それを無意識的にに避けた結果だろう。
比較的リア充な生活をしていた彼は「クリスマスに浮かれるカップルは氏ね!!」とまでは思わないものの、
現在の比較的幸せではない状況において「幸せそうな人間」を見るのは精神衛生上よろしくないのだ。
そんな訳で公園に来たのだが……ふと公園の中を見てみると、自販機前に無防備な少女(少年と同い年くらい)が一人で立っていた。
と言うか、高価そうなドレスを着た御嬢様チックな少女が万札を片手に自販機前でウロウロしながらブツブツ言っていた。
しかも、呟きの内容は「何なのだ、この機械は」とか「不良品を作りおって」とか「だから、日本はダメなのだ」とかだ。
考えるまでもなく、普通の人間ならば関わりたくないのでスルーするだろう。だがしかし、今の少年は普通じゃなかった。
「それ、万札は受け付けないタイプだよ?」
そう言って、なけなしの軍資金(120円)を自販機に投入する。そして、「ほら、選びなよ」とボタンを示す。
ちなみに、これで全財産を ほぼ使い果たしたが、別に「最後に人助けをするのも一興」とか考えた訳ではない。
軍資金をなくすことで自分を追い込み、背水の陣を敷く――つまり、「やるしかない」と言う気合を入れたのだ。
「え? 良いのか?」
挙動不審な少女はキョトンとした表情を浮かべて少年に問い掛ける。
既に「犀を振った状態」の少年としては断られても困るのが実情だ。
そのため「うん。困った時は お互い様でしょ?」と軽く告げる。
ゴトン……
しばらく少年と自販機を交互に見比べていた少女は、やがて意を決したのか、自販機のボタンを押す。
少女の選んだ飲み物は「激辛ラーメンスープ」と言う ご飯のおかずになりそうな物だったが、気にしない。
嬉しそうに「あったかいな……」と缶を握り締めている姿が少しだけ可愛かったから、敢えて気にしない。
「…………寒そうだね」
小刻みに震えながら缶を耳や首に当てる少女を見て、少年はポツリと漏らす。
考えてみれば、この寒空の下でドレスだけでいるのだ。寒くない訳がない。
きっと、ラーメンスープを選んだのも暖かい缶が欲しかっただけなのだろう。
「ん? ああ、ちょっとな……色々あってパーティを飛び出してきたんだ。だから、コートを忘れてきてしまって……」
少年は「ハッ!! パーティとはいい御身分ですねぇ、こちとら明日も知れぬ身ですよ!!」とか思いながらも、
冷たい風に晒されて「へくちっ」と小さくクシャミをする少女に思わず萌えて――いや、同情してしまったため、
僅かな躊躇も見せずに着ていたコートを脱ぎ「とりあえず、これでも着てなよ」とコートを少女に羽織らせる。
少年のキャラではないが、ここまで来れば乗り掛かった船だ。最後まで面倒を見るのも吝かではない。
「え? いや、でも、お前だって寒いんじゃないか?」
「……寒さには慣れてるから、オレのことは気にしないで」
「で、でも、お前、肩が小刻みに震えてるぞ?」
「そんなことより、早く飲んじゃいなよ。冷めちゃうよ?」
気にする少女に対し、痩せ我慢をしている少年は無理矢理に話題を変える。
もちろん、こんな無理矢理な話題転換で誤魔化される程 単純ではないが、
少女は「誤魔化されるのも優しさか」と判断して誤魔化されることにしたようだ。
「………………しかし、これ、どうやって飲むのだ?」
缶の上下左右を隈なく見回した少女はポツリと疑問を口にする。
どうやら、この御嬢様は缶を開けることすら知らないらしい。
ここまで来ると「もう世間知らずってレベルじゃねーぞ」である。
「まず、こうやって開けて……」
少年はガックリと脱力したいのを堪えて缶を開けてやる。
その際、缶を支えていた少女の手に触れるのは必然だ。
ただ、少女が少年の手を温もりと感じてしまうのは偶然だが。
ちなみに、そんな少女の様子に少年は気付かない訳だが、それは ある意味で必然かも知れない。
「……………………(カァァァァ)」
「んで、後はグビッと飲むだけさ」
「……………………(ポ~~~)」
「って、お~~い、聞いてる?」
「え? あっ!! も、もちろんだ!!」
少女の反応から「これは聞いてないな」と思う少年だが、敢えて気にしない。
話題を変えてもらった御礼ではないが、こっちも誤魔化しを受け入れるべきだろう。
それに、プルタブが開いているので飲み方は説明するまでもなく理解できるだろうし。
「と、とりあえず、私は家に帰ろうと思うのだが……お前も来い。何か礼がしたい」
缶を少し傾けてラーメンスープを一口だけ口に含んだ少女は「辛っ!!」とだけ反応し、
あたかもラーメンスープなど最初から飲んでいなかったかのように話題を変えて来る。
話題を再び変えられたが、ツッコまないのが優しさだと判断して少年は敢えて気にしない。
「…………じゃあ、遠慮なく御邪魔して、礼を受け取ることとしよう」
普段なら「この程度のことで礼などいらん」と答える少年だが、今は割とヤバい状態だ。
クリスマスの夜であることやパーティ発言も考えれば、残飯くらいは期待してもいいだろう。
残飯をもらうなど人ととしてのプライドにかかわることだろうが、背に腹は代えられぬのだ。
それに、クリスマスとは言え世の中が物騒なことは変わらないため、女のコに夜道を一人で歩かせる訳にはいかないし。
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そして、案の定と言うか何と言うか、道中で少女は黒服と言うわかりやすい格好をした男達に誘拐され掛ける。
これに対し、少年は「これ、実は護衛でしたってオチ?」と思ったが、少女が本気でヤバそうだったので誘拐と判断、
躊躇なく「火事だぁああ!!」と叫んで周辺の人間を掻き集めて黒服達に犯行を断念させたとかさせなかったとか。
「まぁ、助けてくれたことに礼は言うが……普通、ああ言う場合は自分で助けるもんじゃないのか?」
助けられた筈なのに何処か釈然としていない様子の少女は「いい仕事したぜ」と言う顔の少年に訊ねる。
ちなみに、少年が大声を出せたのは男達にスルーされた――少女の関係者と認識されてなかったからである。
そこまで少年と少女は距離を開けていた訳ではないのだが、それだけ少年が少女と釣り合っていなかったのだ。
「いや、一人ならまだしも三人も相手にして勝てる訳ないでしょ? なら助けを呼ぶのがベストだって」
少年は「確かに貧乏臭がプンプンするけど無視はヒドくね?」と内心でブチブチ言いながら真っ当な答えを返す。
黒服達の態度にイラつきはしたが、それでも暴力を専門にしている人種とガチで遣り合う気など少年には無いのだ。
それなりに腕に覚えはある少年だが、それは街に生息するチンピラを撃退できる程度でしかない。専門家には勝てない。
どうでもいいが、少年が「火事だ」と叫んだのは人を呼び寄せるのに効果的な手段だからである。
「まぁ、確かに それもそうなんだが……少しくらい情けないとは思わないのか?」
「別にぃ? オレ、己の分ってモノを知ってるから無理はしないタイプなんだよねぇ」
「しかし、それでも、ピンチの美少女を助けるのが男と言うものではないのか?」
「さぁ? って言うか、自分で自分を美少女とか言うなし。ちょっとイタいよ?」
「い、いや、今のは言葉の綾であって、そこまで自意識過剰ではないわ!!」
「へ~~、そーなんだー。じゃあ、そう言うことにして置いてあげようかな?」
「ほ、本当だぞ!! 私は そこまで自意識過剰じゃないんだからな!! マジで!!」
「はいはい。でも、まぁ、イタいとは思ったけど、可愛いことは事実だよ?」
「なっ、何を言うか!? バカモノ!! そんなことを真顔で言うんじゃない!!」
「……いや、そこまで照れるなって。こっちまで恥ずかしくなるじゃないか?」
「う、うるさい!! そこまでストレートに言われるのには慣れてないんだ!!」
そんな和気藹々とした会話をしているうちに少女の家――と言うか豪邸に辿り着いた。
「って、何コレ? あ、いや、これは使用人の子供とかってオチだね? ……だね?」
「はぁ? 何を言っているのだ? ちゃんと『三千院』と表札が出てるだろうが」
「さんぜんいん? ……確かに『三千院』って無駄にデカい表札があるけどさ?」
「(無駄にデカいっ!?)ま、まぁ、そう言えば、自己紹介をしていなかったな」
「あ~~、言われてみれば、そうだったね。って言うか、まさかの まさかなの?」
「ああ、そのまさかで、私は『三千院ハヤテ』と言って、この三千院家の跡取り娘だ」
少年は自分の想像が外れていることを祈って少女に尋ねるが、少女は残酷にも現実を打ち付ける。
「いやいや、冗談キツいよ? こんな大富豪な御嬢様が公園に落ちている訳がないでしょ?」
「落ちていた訳ではないわ!! さき『パーティを抜け出した』と説明しただろうが!!」
「ええい、知ったことか!! せいぜい『ちょっといいとこの御嬢様』だと思っていたのに!!」
「それこそ知ったことか!! そんなのお前の思い込みだろうが!! 私は何も悪くない!!」
「……まぁ、確かにね。むしろ、自販機に悪戦苦闘していた理由に合点がいったかな?」
「そ、そうか。納得してくれてよかったが……急にクールダウンされると調子が狂うな」
いつの間にか少年のペースに乗せられている少女だったが、素で話せる現状に悪い気はしていないようである。
「まぁ、それはともかく……常識的に考えて、名乗られたのに名乗らないのは礼儀に反するよね?」
「ほほぅ? お前でも礼儀を気にするのだな。てっきり礼儀など何処かに捨てて来たのだと思っていたぞ?」
「ヒドい言われようだけど、ここは鮮やかにスルーしよう。ってことで、オレは『神蔵堂ナギ』だよ」
「かぐらどう――神蔵堂、か。珍しい名だな。と言うか、まさか、お前は『神蔵堂家』の人間なのか?」
「え? いや、家は由緒正しい貧乏人の家だよ? しかも、アホな投資話に失敗して絶賛 借金中だし」
「そうなのか? じゃあ、単なる偶然か? (もしくは家督を継がなかった者が落ちぶれた、とかか?)」
少女の脳裏に「大剣を持ったメイドに守護されている一族」が過ぎるが、敢えて気にしないことにする。
「よくわかんないけど、多分 偶然じゃん? そもそも、オレは実子じゃないみたいだから家は関係ないし」
「……そうか。それじゃあ、神蔵堂家のことは気にしないことにしよう。と言う訳で、よろしくな、ナギ」
「あ、うん、こっちこそ よろしく。三千院――じゃなくて、ハヤテ。オレがナギなんだからハヤテでいいよね?」
「ああ、もちろんだ。むしろ、三千院とか呼ぶつもりだったらSPに蹴り殺してもらうところだったぞ?」
「やっぱり、SPいたんだ? って言うか、それなら誘拐の時ってオレが何もしなくてもよかったんじゃない?」
「それでも、お前が助けてくれたことは変わらないさ。まぁ、助けた方法は少しばかり情けなかったけどな」
少女は照れたように少年から顔を逸らし、少年はそんな少女の様子に僅かに苦笑する。
そんな空気を誤魔化すように少女はサッサと家の中に入っていき、少年はその後に続く。
こうして、少年――神蔵堂ナギと、少女――三千院ハヤテは出会ったのだった。
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Part.02:そして、少年は少女の執事になった
「……しかし、本当にこれでよかったのか?」
パーティ用のドレスから普段着に着替えたハヤテが執事服に身を包んだナギに訊ねる。
普段着用とは言え明らかに高級そうな服を完全に着こなしているハヤテに対し、
従業員の制服とは言え高級感の漂う執事服に着られている感を拭い切れないナギ。
それが二人の立場の違いであり二人の社会的な距離なのだが、二人は物理的には近かった。
具体的に言うとナギに その気があるならばキスできそうなくらい、ハヤテは近くにいた。
「まぁ、『住み込みで賄いも付いている働き口を紹介して欲しい』って頼んだのはオレだし」
三千院邸に通されたナギは、ハヤテから「何か望みはあるか?」と訊かれて そう答えた。
当初は「残飯でもいいから何か食べるものを恵んでが欲しい」と願うつもりだったのだが、
ハヤテが想定以上の『御嬢様』であることがわかったので図々しく望みを引き上げたのである。
これだけの富豪ならば働き口を紹介することなど容易いだろう と言う判断だったらしい。
そして、ナギの服装でおわかりの通り、ナギが紹介された働き口は「ハヤテの執事」であった。
「いや、金に困っているのだろう? なら、金品を要求しても よかったのだぞ?」
「いや、缶ジュース奢ってコート貸して誘拐犯から助けた程度で金品は要求できないよ」
「お前にとっては大したことではないのがも知れないが……私には大したことだったんだ」
「ふぅん? でも、金品を要求したら下心があったみたいじゃん? だから、いいよ」
ハヤテの言葉を「まぁ、誘拐はともかく、風邪を引かなくて済んだもんな」と判断するのがナギのクオリティだ。
「そ、そうだよな。ナギは私のことを好意で助けてくれたんだもんな、妙な下心からじゃないもんな」
「うん、まぁ、女のコに優しくすることへの世間一般的な意味での下心もあったことはあったけどね?」
「いや、もちろん、わかっているよ。つまり、私の金じゃなくて私の体が目的だったんだろう?」
「いやいや、何を嬉しそうな顔で妙なこと言ってるのさ!? って言うか、そこまで露骨じゃないからね?!」
「い、いや、違くて!! 今のは言い間違いだ!! 金が目的じゃなかったのが嬉しかっただけだ!!」
満面の笑みでナギの言葉に喜ぶハヤテをナギは慌てて抑える。陰に控えているSP達の殺気を感じたのだ。
「とにかく、これから言葉には気を付けてね? マジでSPに ぬっ殺されそうだから」
「わ、わかっている。自爆も含めて気を付ける。私もナギを失いたくないからな」
「……まぁ、わかってるなら いいや。オレも不用意な一言でピンチになること多いし」
ハヤテの言葉の端端に違和感を感じるナギだったが「まぁ、常識の違いだろう」と妙な納得の仕方をしたようである。
「と、ところで、話は戻るが……本当に他の要望は無いのか?」
「いや、さっきも言ったけど、金品を要求する気はないよ?」
「そうじゃなくて、『私に』できることだったら何でもいいぞ?」
少々テレながらも何かに期待するような様子で『私に』を強調するハヤテ。
「う~~ん、じゃあ、執事よりも庭師の方がいいから変えて欲しいかな?」
「え? そうなのか? 普通は庭師よりも執事の方がいいのではないか?」
「普通はそうなんだろうけど……オレ、堅苦しいのとか苦手なんだよねぇ」
ハヤテの態度に「あれ? フラグ立った?」と思わないでもないが、「いや、気のせいだ」と自分に言い聞かせるナギ。
ナギは比較的イケメンであることを自負してはいるが、それでもハヤテの様な人種(金持ち)が釣れる程のレベルではない。
法の下では平等だが、依然として社会に階級は存在している。庶民と金持ちは違うのだ。その程度、ナギもわかっている。
故に、ハヤテには勘違いしたくなる部分は多々あるが、それは単にハヤテのガードが甘いだけだ……とナギは判断したのだ。
結果、ハヤテの期待を裏切るような反応になったのだが……幸い、ナギの言葉が予想外過ぎたためにハヤテは気にならなかったようだ。
「確かに苦手そうだな。現に、主である私に対して敬語を使う気配すらないしな」
「……待って。オレは今とても重要な単語を聞いた気がしてならないんだけど?」
「うん? ああ、今は二人きりだから敬語でなくていいが、誰かがいる時は――」
「――いや、そうじゃなくて!! オレの主ってハヤテなの? 初耳なんだけど?」
勘違いしたくないナギとしては話題を逸らせてよかったのだが、聞き捨てならないことを知ったナギのショックは甚大だった。
「……じゃあ、お前は誰に仕えている気だったんだ?」
「え? 三千院家だけど? もしくは当主かなって?」
「…………ここは三千院の別邸で、ここの主は私だ」
「ああ、なるほど。つまり、オレは勘違いしていたのかぁ」
段々と不快度指数を上げていくハヤテに対し、ナギは どうにか宥めようと必死になる。
「ああ、そうだな。って言うか、『私の執事だ』と言っただろう?」
「いや、ハヤテ担当の執事なのかなって思ってたんだよねぇ」
「はぁ。お前には そこら辺の事情を教えることから始めんとな」
常識の違いに軽く嘆息し、ナギへの追求をあきらめるハヤテ。
ちなみに、ナギは「あれ? オレの庭師へのコンバート話は?」と思いながらも、
ハヤテの機嫌が持ち直したので、「まぁ、いいか」と流されることにしたのだった。
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「喝(かぁああつ)!! たるんでるぞぉお、新入りぃいい!!」
執事長のクラウドによる(若本ボイスっぽい)一喝が三千院家の中庭に響き渡る。
もちろん、クラウドの言う新入りとはナギのことであり、一喝の対象もナギである。
ちなみにクラウドと言う呼称は「蔵人」と言う名前だからだ。FFなⅦは関係ない。
「三千院家の執事たるものぉ、常に戦場にいるかのようにぃ気を引き締めて置かんかぁ!!」
ナギとしては気を抜いたつもりはないが、クラウドから見れば そう見えたのだろう。
それに、職場の先輩であり直属の上司であるクラウドに逆らってもいいことはない。
まぁ、そうは言っても、ナギは人の話を大人しく聞く程 殊勝な人間ではないが。
「すみません、オレ戦争を知らない子供なので……だから、ちょっと戦争しに行ってきます!!」
「何処へ行く気だぁあ!! 常識的に考えてぇ、戦場云々は言葉の綾に決まっているだろぉお!!」
「しかし、三千院家の執事として戦争の一つや二つ経験して置くべきではないでしょうか?」
「うむ!! その心意気や善ぉし!! だがしかぁし!! 執事の戦場はぁ屋敷の中にあるんだぁあ!!」
適当なことを言って説教から逃れようとしたナギだが、クラウドには通用しなかった(まぁ、誰にも通用しないだろうが)。
「つまり、事件は現場で起こっているけど その現場は屋敷の中、と言うことなんですね?」
「サッパリ意味がわからんがぁ……とにかぁく!! 戦場にいるつもりでぇ気を引き締めて置けぃ!!」
「はい、了解しました、隊長――じゃなくて、執事長!! 戦場にいるつもりで働きますです!!」
「うむ!! 貴様を拾ってくださったぁ御嬢様への御恩に報いるためにぃ精々励むのだなぁあ!!」
戦場云々で話題がループしそうになったのでツッコミは止めて素直に頷いて置くナギ。
「ところで、執事長。そろそろ昼御飯の時間ですので、ここら辺で休憩に入ってもよろしいでしょうか?」
「……貴様ぁ、いい度胸だなぁ? 我々の食事はぁ御嬢様の給仕が終わってからにぃ決まっているだろぉお?」
「いえ、その御嬢様から昼御飯に誘われてるんです。御嬢様を御待たせする方が不味いでしょう?」
ナギとてクラウドに言われるまでも無く主人を優先すべきなのは わかっている。だが、事情が事情なのだ。
「ええい!! ならば最初から そう言わんかぁあ!! と言うか、御嬢様からの御誘い そのものを御断りせんかぁあ!!」
「まぁ、主従関係の逸脱は不味いですもんねぇ。でも、御嬢様を悲しませるのは何か違うと思うんですが?」
「口答えするなぁあ!! 常識的に考えてぇ、くだらん噂の元となる方がぁ御嬢様を悲しませることになるだろうがぁあ!!」
クラウドの言いたいことはわかる。何処の馬の骨とも知れないナギと三千院家のハヤテでは釣り合わな過ぎる。
「執事長!! どうでもいいかも知れませんが、さっきから『常識的に考えて』と言う言葉はオタ臭いです!!」
「本当にどうでもいいなぁ!? てっきりぃ、『くだらん噂』の部分に対して激昂したのだと思ったわぁあ!!」
「それと、『!!』が多いですよ? もうちょっとクールダウンして話さないと血圧に悪いと思います」
「余計な御世話だぁあ!! 私が怒鳴っているのは誰のせいだと思っとるんだぁあ!! 少しは自重しろぉお!!」
「まぁ、それはともかくとして……御嬢様を御待たせする訳にはいきませんので、ここら辺で失礼しますね?」
もちろん、ナギも何も感じない訳ではない。ただ、ナギ自身も納得しているので文句が言えないだけだ。
だが、文句が言えないだけで文句を言いたい気持ちは変わらない。そのため、軽くクラウドで遊んだのである。
「……ダメですよ、クラウドさんを からかっちゃ。血管が切れて倒れちゃいますよ?」
クラウドから離れて食堂を目指している途中、ナギはメイド長であるマリアに窘められていた。
どうでもいいが「家政婦なので見てました」と言わんばかりの笑顔は評価が分かれるところだろう。
「いやぁ、リアクションがいいものだから、ついつい……マリアさんも そう思いません?」
「はぁ、ナギ君は意外と『困った君』ですねぇ。もう少しマジメにできませんか?」
「う~~ん、これでも、通常の3倍もマジメに振舞っているつもりなんですけどねぇ?」
「つまり、ゼロを3倍にしてもゼロのまま と言う訳ですね? ……わかります」
「ハッハッハッハ!! 御嬢様を御待たせしないために、サッサと食堂へ移動しまぁす!!」
追及の手を緩めないマリアに「このままでは不味い」と判断したナギは戦略的撤退を行う。
「……ああも あからさまに話題を変えられると逆にツッコめなくなりますわねぇ。
人を食っていると言うか、飄々としていると言うか、妙に憎めないと言うか……
まぁ、だからと言って、マジメにやっていただかないと困るのは変わりませんが」
その後姿を苦笑交じりに眺めていたマリアはポツリと本音を漏らす。
「まぁ、態度については空気を読んで合わせますんで、普段は生暖かく見守って遣ってください」
「…………ナギ君? 私の記憶が正しければ食堂へ向かったのに、何で背後にいるんですか?」
「いえ、向かったんですけど、『少し時間を遅らせてくれ』とのことでしたので帰って来ました」
「え? 本当ですか? 味澤さんが定刻に間に合わないなんてこと今までなかったんですが……」
何故か背後から返答があったので驚きつつもジト目で睨むマリアだったが、ナギの言葉に驚愕させられる。
「そうなんですか? でも、ザ・シェフ――じゃなくて、料理長が確かに そう言ってましたよ?」
「そうですか……時間配分を間違える訳ありませんから、何か予定が変わったんでしょうか?」
「ん~~、料理長が食堂で暇そうにしてたんで、もしかしたら御嬢様が時間を変更したのでは?」
「いえ、ハヤテは我侭で気紛れですが、そう言った連絡はキチンとしますので それはありません」
そこまで言って、マリアは「もしかして、ハヤテが『余計なこと』をして食事の時間を遅らさざるを得ないのでは?」と思い付いく。
「ですが、味澤さんが時間を潰していたのでしたら、そう言った可能性もありますわね」
「…………マリアさん? 何かオレに隠してませんか? 物凄く怪しいんですけど?」
「さぁ? と言うか、人を疑うと言うことは とても寂しいことだと思いませんか?」
「そうですが、あきらかに疑わしい人間をスルーするのは何か違うと思うんですけど?」
「……ナギ君? 人を信じられないと言うことは とても悲しいことだと思いませんか?」
あきらかに誤魔化しているマリアに疑問を覚えたナギは追求をするが、何故かマリアから返って来たのはハンパないプレッシャーだった。
「そ、そうですね。わかりました。この件について詮索するのは やめて置きます」
「賢明な判断です。世の中、『見ざる・聞かざる・言わざる』が大事ですからね」
「と言うか、詮索を続けていた場合、物理的に詮索ができなくされた気がするんですが?」
「聡明な推察です。世の中、『口で言って通じない場合は拳で語る』ものですからね」
「肉体言語は世界共通言語ですからねぇ。と言うか、種の壁すら越える代物ですよねぇ」
身の危険を覚えたナギは納得はいかないものの深追いはあきらめる。マリアの様子から察するに それは正解だろう。
だが、ナギは後に「あの時、マリアさんを追及して置くべきだった!!」と後悔する。
何故なら、彼が待ちに待ったランチは、ご想像の通り、ハヤテの手料理だったのだから。
そうとわかっていれば『最悪の場合』のために胃薬を飲んで備えることができたのだから。
ちなみに、ハヤテの手料理は「ママレ○ンの味がした」らしかったが、ナギは笑顔で完食したらしい。もちろん、その後 食中りで倒れたが。
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Part.03:そして、少年と少女は結ばれた
恙無く年が明け、ナギが執事の仕事に慣れた頃、ナギはハヤテの通う学校(白桜学園の高等部)に転校した。
実を言うとナギは高校をあきらめていたためハヤテの供としてであっても学園に通えることは嬉しかったらしい。
それ故に、ナギは白桜学園での学生生活を噛み締めるために、勉学にも行事にも積極的に参加したのだった。
結果、色々なイベントが起きて色々な女性とフラグを立てることになるのだが、ここで それを語る時間は無い。
まぁ、敢えて語るとするなら、原作(ハヤごと)と細部は異なるが大筋に大差はなかった と言ったところだろう。
……そして、時は流れに流れてゴールデンウィーク。ナギ達はエーゲ海に来ていた。
ここで、ナギはタイムスリップをする と言う奇妙な経験をするのだが、やはり それを語るには時間が足りない。
そのため、学園生活と同様に、原作と細部は異なるが大筋に大差はなかった とだけ語って置こう。
ちなみに、ナギは「なるほど。こうやってフラグを立てたんだな」と妙に納得していたが、それは別の話だ。
「いやぁ、星がキレイだねぇ。ハヤテも そう思わない?」
銃創の残る真っ白な帽子をハヤテの頭に被せながら、ナギは爽やかな笑顔で星空を見上げる。
時間跳躍と言う「とんでもない現象」を経験したばかりだが、ナギは平常通りの様子だ。
まぁ、ハヤテの執事になってから「とんでもない現象」ばかりで耐性が付いているだけだが。
「ん? あ、ああ……偶には外で星を見るのも悪くはないな」
過去の『誰かさん』への当て付けのためだけに外に出ていたハヤテだったが、
ナギに言われて空を見上げると、なるほど、実に見事な星空が広がっていた。
ヒキコモリ気味であるため素直に感想を言わない辺りが実にハヤテらしいが。
「……さて、と。そろそろ戻ろっか? 少し肌寒いでしょ?」
繰り返しになるが、ハヤテはヒキコモリ気味である。そのため、外界への耐性が極端に少ない。
そこまで寒くはないが、高尾山に上ったくらいでダウンする程度の体力しかないことを考えると、
ナギにとっては余裕でもハヤテにとっては危険かも知れない。用心に越したことは無いのだ。
「なら、お前が暖めればいいだろう? ……と言いたいが、今日のところは帰るとするか」
ハヤテは からかうようにニヤリと笑った後、クルリと背を向けてホテルへ歩を進める。
背をそむけたのは、一瞬だけ見えた頬が真っ赤に染まっていたのを隠すためなのだろう。
ナギは「照れるくらいなら言わなければいいのに」と思いつつも気付かない振りをするのだった。
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「……少し用ができましたので、ちょっと出掛けて来ますね♪」
ホテルに戻った二人がゴロゴロとくつろいでいると、マリアが唐突に席を立った。
携帯を片手に持っていることから察するに、誰かから連絡があったことが察せられる。
そのため、ナギもハヤテも特に違和感を感じることはなく、普通に送り出した。
そう、マリアがいなくなったことにより二人きりになったことに気付くこともなく。
「そ、そう言えば、ふ、二人きりになったな……」
部屋に二人きりになったことに先に気付いたのは、案の定と言うか何と言うか、ハヤテだった。
マリアから「朝まで帰りませんので、頑張ってくださいね♪」と言うメールが来たのが主な原因だ。
これまでも二人きりになることは多々あったが、「一晩中」「同じ部屋で」と言うのは初めてだ。
あからさまなマリアの後押しもあっては、恋する乙女であるハヤテに意識するな と言う方が無理がある。
「え? まぁ、確かに そうだね」
それに対し、事情(マリアが朝まで帰って来ない)を知らないナギは、特に意識することはない。
まぁ、思春期男子としては期待しないでもないが「どうせ邪魔が入る」とあきらめているのである。
それに、ハヤテのフラグに納得したとは言え立場の違いを考えると『間違い』があってはならないのだ。
「………………………………(ソワソワ)」
「………………………………(ボ~~~)」
「………………………………(ウズウズ)」
「………………………………(ボケ~~)」
「な、何か話せ!! 空気が重いだろうが!!」
ボケッとしているナギの態度に焦れたハヤテが耐え切れずに口火を切る。
「ん? ……それじゃあ、マリアさんの用事って何だろーね?」
「こ、この状況で、他の女の話題を口にするんじゃない!!」
「いや、だって、急にいなくなったら気になるっしょ?」
「確かに気にはなるが、それでもダメだ!! もっと空気を読め!!」
「いや、空気を読めって言われても、意味がわかんないんだけど?」
繰り返しになるが、ナギにとっては「これまでに何度もあった、ちょっとだけ二人の時間」でしかないため、あくまでも素なのだ。
「お、お前は私と二人きりになっても何も感じないのか!?」
「いや、そりゃあ意識していない訳でもないけどさ……」
「けど何なのだ?! やはり、私よりもマリアがいいのか!?」
「いや、どうせ謀ったようなタイミングで戻って来るんでしょ?」
事情を知らないナギは これまでの経験から「意識するだけ無駄だ」と言う諦観に溢れている。そのことに、ハヤテは漸く気付いた。
「いや、今日は朝まで帰って来ない。そう、マリアが言っていた」
「え? 何それ? って言うか、それって職務怠慢じゃないの?」
「確かに、『御目付役』としての職務は怠慢だな。だけど――」
「――だけど、『姉代わり』としては、グッジョブ過ぎる、ね」
「ああ、その通りだ。余計な御世話だけど、有り難い気遣いだな」
ここに来て漸くナギも『状況』を理解した。つまり、今日は いつもと違う、と。
「予め言って置くけど……オレ、健全な思春期男子だからね?」
「そ、それは知っている。知っているが、少し、顔が近いぞ?」
「そりゃあ、近付けているんだから、遠い訳がないだろう?」
「え? そ、それは、つまり、キ、キスをするつもりなのか?」
「もちろん。まぁ、キスだけに止める自信は無いけどね?」
状況を理解した後のナギの切り換えは早かった。それまでの弛緩していた空気を取り去り、一気に真剣な空気を纏っていた。
「ハヤテ……お前が嫌なら、オレは何もしない。だけど、嫌じゃないのなら……お前が欲しい」
「なななな何を言っているのだ!! ちょっとストレート過ぎるぞ!! もう少しオブラートに包め!!」」
「……ごめん。こう言う方面では不器用なようで、残念ながら変化球は投げられないみたいだ」
ナギとハヤテの距離は限りなくゼロに近い。互いの吐息が掛かる程だ。その距離で、ナギはハヤテの頬に手を添えて、真摯な瞳で見詰める。
「え~~と、それは、つまり、アレだな? 私が好き、と言うことでいいんだな?」
「それ以外にあるかな? と言うか、オレが好きでもない女を欲しがるとでも?」
「ま、まぁ、そうだな。変態でバカでアホでスケベで変態だが、そう言うヤツだな」
「物凄くヒドいことをサラッと言われたような気がするけど……敢えてスルーしよう」
常に無いナギの気迫に中てられたハヤテは どうにか平常心を保とうとするが、今のナギの気迫の前には意味をなさなかった。
「それで? 返答は?」
「……聞くな、バカ」
「OKと受け取るよ?」
「だから、聞くなバカ」
茹蛸のように顔を真っ赤に染めたハヤテにナギは「まったく、可愛いなぁ」と微笑んで僅かにあった距離をゼロにしていく。
……この後、二人の間に何が起きたかは定かではない。
ただ言えることは、二人の距離はゼロになったことだけだ。
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Part.04:そして、少年は少女に再会した
長い夜が明け、新たなる朝が訪れた。
ナギはハヤテを起こし、気恥ずかしいながらも楽しい朝食を摂ると「少し散歩して来る」と言い残して一人でホテルを出た。
この行動に特別な意味があった訳ではない。単に、ハヤテと顔を合わせ続けることが少しだけ気恥ずかしかっただけである。
それに、マリアと顔を合わせづらいのだ。マリアは二人にとって理解者であり応援者でもあるが、気不味いものは気不味いのである。
「もしかして……ナギ、なの?」
そんなこんなでナギがエーゲ海を眺めながらブラブラと海岸線を歩いていると、ナギを呼び止める少女がいた。
その少女は、太陽に負けない程の輝きを放つ金髪と、太陽よりも熱い炎を灯したような赤眼を持っており、
可愛いと評するよりも美しいと評すべき美貌の持ち主で、見る者に「女神」を幻視させるような少女だった。
男なら見惚れることは必至だが、今のナギは幸せな賢者タイムが続行していたので、特に心を動かされなかった。
「…………え? アテナ、なの?」
ナギは名を呼ばれたこと と その外見的特徴から該当する人物に当たりを付け、尋ね返す。
質問に質問で返す形とはなったが、暗に質問に答えている形なので失礼ではないだろう。
むしろ、いきなり名を呼ばれたのに怪訝な表情をせずに返すだけでも充分に紳士的な筈だ。
「ええ、そうよ。久し振りね」
ナギにアテナと呼ばれた少女は、再会を喜ぶようでいながら何処か寂しさを滲ませた表情をして頷く。
二人の間に何があったのか? まぁ、身も蓋もなく明かすと、幼い頃に喧嘩別れしただけである。
ただ、ナギは その喧嘩の理由がわかっておらず、いまだに己の過ちにも己の罪に気付いていないが。
それ故に、ナギにとっては「嬉しい再会」でも、アテナにとっては「嬉しいけど素直に喜べない再会」であったのだ。
「うん、本当に久し振りだね。10年振りくらいかな?」
「まぁ、そうね。相変わらず壮健そうで何よりだわ」
「いや、そっちこそ元気そうで よかったよ」
「……少し、時間はあるかしら? 話がしたいわ」
「ん~~、まぁ、ちょっとなら いいかな?」
こうして、ナギは少女――「天王州(てんのうす)アテナ」と言う、この星で最も偉大な女神の名前を持つ少女と再会したのであった。
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「……ところで、随分と幸せそうな顔してたけど、何か『いいこと』でもあった訳?」
天王州の別邸へ案内されたナギは、敵意を剥き出しにして睨んで来る色黒の執事を華麗にスルーして御茶を楽しんでいた。
ナギはハヤテの執事 兼 恋人的存在になってから有形無形の敵意や悪意に晒されていたため それらへの耐性が付いているのである。
もちろん、耐性が付いただけで鈍くなった訳ではない。敵意を向けられていることを理解したうえで軽く流しているのだ。
そう、ナギとアテナの再会の御茶会は、穏やかに紅茶を楽しむ一方で何処かしらドス黒い空気を孕んでいたのだった。
「え? そうかな? オレって元からこんなじゃない?」
「いいえ。元々の貴方は、もっと薄幸そうな顔してるわ」
「ヒドっ!! いくらオレでも それは ちょっと傷付くよ?!」
「傷付けたくもなるわ、他の女とイチャついてたんだから」
ナギは あくまでも平静のままだった。色黒執事の視線もアテナの言葉に潜む棘も気にはなるが、平静を崩れなかった。
だが、最後のアテナの言葉はナギに衝撃を与えた。アテナの口から「そんな言葉」が吐かれるとは想定していなかったのだ。
「…………何で、わかったのさ?」
正直に言えば、ナギはアテナが好きだった。幼いながらに本気で好きだった。きっと、人は あれを初恋と呼ぶのだろう。
だが、それはあくまでも「子供の頃の話」でしかない。それに、喧嘩別れしたことで既に「過去のもの」となっている。
そのため、衝撃を受けはしたが、「浮気がバレた男」のように焦ることは無かった。浮気でも何でもないのだから当然だ。
ナギの考え方を「冷たい」と取るか、「切り換えが早い」と取るか、それとも「普通」と取るかは判断の別れるところだろう。
「貴方から他の女の『匂い』がするからよ」
「……シャワーは浴びたんだけどなぁ」
「物理的な匂いではなく、精神的な匂いよ」
ナギのことを想い続けていたアテナにとっては、ナギの行為は不愉快なものだった。ただ、それだけのことなのだ。
それ故に、言い訳をするどころか罪悪感すら感じていないようなナギの態度に、アテナの機嫌は急降下で下がっていく。
それを敏感に感じ取ったナギは「精神的な匂い? 何それ? フォース的な何か?」とか冗談で誤魔化そうとする。
当然、それは悪手である。普段のナギなら ここまで対応を誤ることはないのだが、ハヤテと結ばれて浮かれていたのかも知れない。
「その匂い、消したくなるわ……」
ナギの放つ弛緩した空気が許せない。自分との別れに何も感じていないかのような態度が許せない。
他の女とイチャついたことが許せない。自分が嫉妬していることに気付こうともしないのが許せない。
そして、何よりも そう感じてしまう自分が許せない。ナギを失った時と大差のない自分が許せない。
ヒュォンッ!!
言葉と共に放たれたものは斬撃。それは吐露できぬ感情の成れの果て。
愛おしいからこそ相手を許せない。だからこそ、そんな自分も許せない。
そんなアテナに生じた隙を『それ』は見逃さない。侵食は加速度的に深化する。
「って、危ないじゃん!!」
浮かれていても危機察知能力までは錆付いてはいない。と言うか、アテナの尋常ならざる雰囲気にナギが気付かない訳がない。
ティーカップ片手に腰掛けていた筈なのに一瞬後には剣を振るわれていた訳だが、警戒していたナギは回避に成功していた。
何処から剣を取り出したのか疑問は残るが、今は それ以上に突如アテナの背後に現れたモノ――巨大な人骨の方に問題がある。
「……よく避けたわねぇ?」
口元を歪めて獰猛な笑みを見せるアテナを見てナギは確信する。「これはアテナじゃない」と。
思い出してみれば、巨大な人骨にも見覚えがある。アテナと喧嘩別れした時にも現れたモノだ。
当時は単純に「お化け」として認識していたが『とある事情』で心霊現象に慣れた今では違う。
この巨大な人骨は「お化け」などと言う「可愛いもの」ではない。もっと禍々しい「何か」だ。
「だけど、次はどうかしから?」『だが、次は外さんぞ?』
ナギが そう認識した時、『それ』からの声が聞こえた。少なくとも、ナギには聞き取れた。
言い換えるならば、ナギの読みは間違っていなかった。アテナは『それ』に操られているのだ。
まぁ、それがわかったからと言って状況が好転する訳でも対処法が見出せる訳でもないが。
「くっ!! ちょっ!! 少し、落ち着いて、よ!!」
アテナの繰り出す怒涛の斬撃を紙一重で躱わし続けながら、ナギはアテナに呼び掛け続ける。
そんなことをせずともアテナを気絶させれば済むだろう。だが、それでは何の解決にもならない。
今回を凌げても再び命を狙われたのでは堪ったものではない。可能な限り この場で解決すべきなのだ。
そして、解決するには――正気を取り戻させるには、呼び掛ける くらいしか思い付かなかったのだ。
ズザァアア!!
声を出しながらの回避運動は地味にナギの体力を削っていた。また、それに加えて集中力も限界に来ていた。
色黒執事は何もして来なかったが、それでも油断はならない。気を抜いた瞬間に隙を突かれるかも知れない。
そんな色黒執事への警戒とアテナの斬撃の回避を同時並行して処理していたためナギの集中力は限界だったのだ。
それ故に、いつまでも回避を続けられなかった。そう、回避直後に足を縺れさせ、体勢を崩してしまったのである。
「さぁ、その命で償いなさい!!」『さぁ、その【石】を寄越せ!!」
そんな決定的な好機を見逃す程アテナは甘くなかった。剣を振りかぶり、ナギの脳天目掛けて剣を振り下ろす。
さすがに崩れた体勢では回避は間に合わない。せめて剣なり盾なりがあれば防御をできたのかも知れないが……
まぁ、無い物ねだりをしても仕方が無い。ナギはそう結論付けると、回避をあきらめて斬撃を受ける覚悟を決めた。
カッ!!
ナギの脳天にアテナの刃が届く寸前、雷が巨大な人骨ごとアテナを貫き、その手から振るわれていた剣を落とさせた。
一瞬、何が起こったのか理解できなかったナギだったが、考えてみれば「こんなこと」をできるのは一人しかいない。
何故この場に彼女がいるのかはわからないが、助かったことは確かなようだ。それだけ理解するとナギは彼女に向き直る。
「……大丈夫ですか、ナギ様?」
ナギの視線の先にはナギの予想通りの人物――鷺ノ宮 伊澄(さぎのみや いすみ)が悠然と立っていた。
その姿に安堵を覚えたナギは「うん、伊澄の御蔭でね。ありがとう」と礼を口にすると立ち上がる。
その際、視界の隅に映った伊澄が頬を染めていたような気がしたが、そんな訳はないので気のせいだろう。
『おのれぇえええ!!』
衝撃から回復した『それ』は、獲物を眼前で奪われたことの怒りを絶叫で表す。そう、『それ』だけが叫んでいだのだ。
九死に一生を得たことで そこまで意識が回っていなかったが、いつの間にかアテナから反応がなくなっていたのである。
それが意味するのは、『それ』が完全に侵食を終えたのか、それとも、単にアテナが雷で気絶したのか。そのどちらかだ。
「…………ここは一先ず退きましょう」
伊澄の言葉に「まだ終わってない」と抗弁しようとしたナギだが、伊澄の額を伝う汗を見てしまった。
それは、今まで どんな状況でも「余裕」を感じさせていた伊澄が初めて見せた「危機感」の証。
つまりは、それだけ対峙している相手は危険である と言うことで、ここは退くべきだ と言うことだ。
対抗策のないナギは大人しく伊澄に従い、その場から撤退したのだった。
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「で、アレは何だったの? いや、アテナに霊が取り憑いたのは わかっているんだけどさ?」
どうにか脱出に成功した二人は、鷺ノ宮の別邸で体勢を整えていた(と言うか、伊澄の霊力の回復を待っていた)。
脱出と一言で片付けたが、その脱出には壮絶な攻防が含まれており、伊澄は霊力を使い果たしてしまったのである。
で、ただ何もせずに伊澄が回復するのを待つのも時間の浪費であるので、ナギは伊澄に状況の説明を求めたのだった。
「……恐らく、亡霊と化した英霊が取り憑いたのでしょう。アレは それだけの霊格を有していました」
伊澄が身震いをしながら推察を述べる。恐らく、アレと対峙していた時の恐怖を思い出しているのだろう。
才を持つが故に並び立つ者すら存在しなかった伊澄にとって、アレは初めて対峙する格上の相手だった。
通常なら、ここで心が折れてしまうだろう。それが不思議ではない程に伊澄が受けた衝撃は甚大なものだった。
だが、伊澄は折れずに立ち向かうことを選択した。ナギには それが眩しかったが、本筋とは関係ないので割愛する。
ちなみに、ここで言う英霊と某聖杯戦争とは一切関係ない。神話として語られるレベルの霊格、と言う意味である。
「なるほど、あれが英霊なんだ。それで、どうすればアレを祓えるの?」
「……アレは、その【石】に執着を見せていました。解決の糸口はそこでしょう」
「うん、確かに。アレの狙いはコレで、オレは障害物くらいの扱いだったねぇ」
ナギは己の首に掛かっている【石】を指で弄りながら自嘲的な笑みを浮かべる。
アレにとってナギは障害物だったのなら、アテナは その障害物を排除するのに利用されただけだ。
それはナギに対してもアテナに対しても侮辱だ。自分達は「その程度だ」と言われたも同然だからだ。
まぁ、英霊にとっては一般人など「その程度」なのかも知れないが、ナギにも意地と言うものがある。
ちなみに、件の【石】だが、ハヤテの祖父である「三千院 帝」から「ハヤテの遺産相続権の証」として預かったものである。
「ただし、渡したからと言ってアテナさんが解放されるとは限りませんし、
かと言って渡さなかったとしたらアテナさんが解放される訳がありません。
故に、執着を断つ――つまり、目の前で破壊するのが一番かと思われます」
「だけど、これは……ハヤテが三千院家の財産を受け継ぐために必要な物なんだ」
帝から【石】を渡された時、帝は言っていた。「お前が【石】を手放す時、ハヤテに継承権はなくなる」と。
金に囲まれて生きてきたハヤテには、三千院の財産が必要だ。少なくともナギは そう考えていた。
それ故に【石】は手放すことなどナギにはできない。アテナを助けるためであっても、それだけは譲れない。
「ならば、話は簡単です。アテナさんとハヤテ、ナギ様が大切な方を選べばいいだけです」
伊澄は何でもないことのように述べ、「私は『どちら』を選んでもナギ様を応援します」と締め括る。
全能ではない人間には すべてを救うことはできない。いや、下手をすれば、何一つ救えない時もある。
それ故に、どちらかを救える状況は幸せなのかも知れない。少なくとも、どちらも救えないよりは。
僅かに迷った後、ナギは選択を下したのだった……
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Part.05:そして、少年は少女を選んだ
「やぁ、待ったかい? ミノスだかミトスだか言う、亡霊の王様?」
天王州の別邸を再び訪れたナギは、エントランスで待ち構えていたアテナに話し掛ける。
まぁ、アテナと言うよりはアテナに取り憑いている「キング・ミダス」に話し掛けたのだが。
ちなみに、伊澄は どうしたのかと言うと、大蛇になった色黒執事の相手をしていたりする。
『ほぉう? よく調べたて来たな。それならば、わかっているのだろう?』
「……はて? わかっている? 一体、オレが何をわかっているって?」
『知れたこと。この小娘の命運を握っているのは私だ と言うことをだよ』
「まぁ、そりゃそうだね。それで? それが一体どうしたって言うのさ?」
『その【石】を大人しく渡せば、この小娘を助けてやらんことも無いぞ?』
圧倒的優勢を確信しているミダスは余裕の態度でナギに圧倒的に不利な交換条件を突き付けて来る。
「バカじゃないの? そんなアホな話を信じるバカがいる訳ないでしょ?」
『実に愚かな小僧だな。せっかく こちらが下出に出てやったと言うのに……』
「いつ誰が下出に出たって? あきらかに最初から上から目線だったじゃん?」
『フン、もはや交渉の余地はないな。こうなったら、力を以って奪うのみだ』
剣呑な空気を纏っていくミダスに対し、ナギは左手に握る細長い『包み』で肩を叩きながら溜息混じりに答える。
「最初から その気でしょ? グダグダ言ってないで始めようよ、三下」
『何だと!? このミダスを三下だと?! 愚弄してくれたな、小僧!!』
「うるさい!! 女を人質に取っている時点で充分に三下だろうが!!」
最早 言葉で語る段階を過ぎた二者が肉体言語を用いて会話を始める。
ミダスは骨の拳でナギを殴り付け、ナギは左手の『包み』から抜き出した剣で斬り付ける。
アテナの斬撃ですら避けるしかできなかったナギだが、今度はキチンと武装している。
まぁ、サイズ差を考えればミダスの拳は避けるしかないのだが、攻撃できるだけで違う。
『ぬっ!? そ、それは、まさかっ?! ……貴様、その剣を何処で手に入れた!?』
しかも、現在ナギの手にある剣は只の剣ではない。その名も「白鴬(はくおう)」。
かつて『王族の庭城(ロイヤル・ガーデン)』に存在した「正義を成すための王の剣」だ。
ちなみに、巡り巡って鷺ノ宮家が所有していたものを伊澄から特別に借り受けたらしい。
『だ、だが、いいのか? 私を傷付ければ小娘も傷付くぞ?』
「それが一体どうしたのさ? オレのやることに変わりはないよ?」
ザシュッ
ナギは白鴬の効果で身体能力を引き伸ばしている――ブースト状態であるために、攻防を繰り広げられるレベルに達していた。
長期戦になれば――つまり、ブースト効果が切れれば、ナギを待っているのは敗北しかない。地力に途方も無い開きがあるのだ。
それを嫌と言う程 理解していたナギは、ミダスが動揺した際の隙を見逃さなかった。瞬時に接近し、容赦なく斬り捨てたのだ。
『馬、馬鹿な……小娘ごと斬った、だと?』
ナギが斬った部分が「アテナの外に顕現している箇所」だったならば、ミダスは復活していただろう。
その大部分がアテナの身体から出ている状態だが、『根』はアテナの身体と繋がったままだからだ。
それを知ってか知らずか、ナギは躊躇うことなくミダスとアテナを繋ぐ『根』の部分――アテナを斬った。
まぁ、ナギとしては「相手の弱点だと思わしき場所」を攻撃しただけなので、ただの結果オーライだ。
「それしか方法が無いんでしょう? だから、そうしたまでさ」
『だが、それでも……いや、だからこそ、人には斬れぬ筈だ』
「そうかな? オレからすれば、人だからこそ斬ったつもりだよ?」
人よりも優れた存在である英雄ならば――英霊になるような存在ならば、人を救うと言う使命のために人を斬ることはないだろう。
「お前に操られるくらいなら死を選ぶ。アテナは『そう言う』女さ」
『……ああ、そうか。貴様等は「そう言った」人間だったのか』
「まぁね。一般人には一般人なりに『意地』ってもんがあるのさ」
ナギもアテナも、英雄ではない。単なる一般人だ(まぁ、一般人でも下流階級と上流階級の違いはあるが)。
だからこそ、英雄にはできない行動ができる。より大切なもののためならば大切なものすらも捨てられるのだ。
そう、今のナギにとってはアテナよりもハヤテの方が大切であり、アテナを捨てる覚悟をしていたのである。
「じゃあね、キング・ミダス」
ナギはトドメとばかりにミダスの胸に「白鴬」を突き立て、伊澄から渡されていた『札』を起動する。
すると、「白鴬」が避雷針となったのか、『札』に宿っていた大量の霊力が奔流となってミダスを襲った。
こうして、ミダス――いや、キング・ミダスの亡霊は この世を去ったのだった。
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………………………………………………
…………………………………………………………
「ん……? ここ、は…………?」
ミダスが還って幾許かの時が過ぎた後、ミダスから開放されたアテナが意識を取り戻す。
アテナの胸元には白鴬が穿たれたままであり、生きているのも不思議な程の致命傷だ。
それでも生きているのは、恐らく白鴬のブースト効果で生を引き伸ばされたためだろう。
「やぁ、アテナ。『久し振り』だね」
生を引き伸ばすだけでなく壮絶な痛みも「白鴬」は取り去ってくれる。ブースト効果が切れるまでは、だが。
白鴬は「王の剣」と言う謂れだが、正義を成すためには死すらも凌駕させようとする狂気の剣でしかない。
いや、あるいは、白鴬にとって『王』とは「常人では耐えられない道の果てにある存在」なのかも知れない。
どちらにしろ、ナギもアテナも正式な持ち主ではないため、恩恵(ブースト効果)を得られるのは短時間だ。
「……ええ、『久し振り』ね、ナギ」
時間は限られているため、本来なら悠長に再会の挨拶をしている場合ではない。
だが、先程のまでのことを『なかったこと』として扱うためには必要な儀式なのだ。
そう、ナギは暗に「まずは再会を喜ぼう」と提案し、アテナは それを受け入れたのだ。
とは言え、ナギにはミダスごとアテナを攻撃した事実を忘れるつもりはないが。
「ところで、どうしたの? 随分とツラそうだね?」
「何処かの誰かさんが容赦なく斬ってくれたからね」
「へぇ? オレのアテナを傷付けるとは……許せないな」
ナギの行動はハヤテを選んだ結果だ。意地と言う理由もあったが、アテナを見捨てたことは変わらない。
「そうね、許せないわね。だけど、『私は』許すわ」
「……許さなくていい。オレはアテナを見捨てたのだから」
「いいえ、許すわ。私が弱かったのが原因だもの」
だが、アテナは「気にするな」と言い張る。言わば、それがアテナの意地なのだ。
「……相変わらず頑固だね。それじゃ、嫁の貰い手がなくなるよ?」
「そうね。でも、貴方が貰ってくれるんだから問題ないでしょ?」
「ああ、そう言えば、そうだね。オレが貰ってやる予定だったね」
二人に去来するのは過去の約束。共に歩むと言う誓い。果たされなかった願望。
「……実を言うと【石】を壊すと言う選択肢もあったんだ」
「そうでしょうね。ミダスの執着を断つ方法もあったわね」
「だけど、それを選ぶと、ハヤテが苦しむことになる……」
それに、ミダスが執着の末に暴走する可能性もあった。それだと、どちらも失うことになる。
「つまり、貴方は私よりも『あの娘』の方が大切なのね?」
「うん、そうだね。今となっては、ハヤテが一番大切だよ」
「妬けちゃうわね。昔は『アーたん、アーたん』言ってたクセに」
「まぁね、否定はしない。だって、昔の――過去の話だからね」
過去だったならば、ナギはアテナを選んだかも知れない。しかし、それは過去の話でしかない。
「だけど、今のアテナが望んだのなら……オレは揺れたかも知れない。そう思う」
「言い訳ね。【石】を求めていたのがミダスだけだった と思っているの?」
「そうかな? その望みは、アテナの本心からの望みではなかったんじゃない?」
「そうかしら? 【石】は『王族の庭城』への道標よ? 欲しいに決まってるわ」
「だけど、アテナは自分の望みのために誰かの犠牲を強いるような女じゃない」
ミダスに唆されたのでなければ――アテナが本当に望んでいれば、ナギは迷っていたかも知れない。
だけど、それは有り得ない。アテナが本当に望むのは『王族の庭城』なんかではない と信じてるからだ。
「…………買い被り過ぎよ。だって、こんなにも あの娘から貴方を奪いたくて仕方がないんだから」
そう、アテナが望むのは『王族の庭城』などと言う「孤独の栄華」などではない。
アテナが本当に望むのは「ナギと共に生きる」と言う「二人の未来」だったのだから。
「言い直そう。アテナがミダスに唆されず、オレを望んでくれたのなら……オレは迷っただろうね」
「迷うだけかしら? 死に行く者への手向けとして、リップサービスもできないのかしら?」
「できないよ。だって、『そこ』まで言葉にしてしまったら、迷うどころじゃなくなっちゃうもん」
「……そう。それなら、それだけで満足してあげる。その代わり、幸せにならなきゃダメよ?」
「もちろん、わかってるよ。オレはアテナの分まで幸せになる。だから、ゆっくり休みなよ?」
ナギの言葉に満足したのか、アテナは穏やかに微笑むと瞼を閉じる。そう、白鴬の効果が切れたのだ。
(……今後、オレは二度と女性を傷付けない。いや、女だけじゃない。アテナの好きだった子供も傷付けない。
勝手な誓いだけど、いや、自分を戒めるために誓うんだから勝手なんだけど、それでも見守っていて欲しい。
そして、誓いを果たせた暁には、笑ってオレを迎えてくれると嬉しいな。まぁ、身勝手にも程があるけど)
役目を終えた白鴬を鞘に納め、アテナの遺骸を埋葬した後、ナギは墓前に祈る。
本人も自覚している通り、殺した相手に祝福を願うなど身勝手もいいところだろう。
だが、アテナはナギを受け入れるだろう。ナギがアテナの望み通りに「幸せ」に生きれば。
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Part.06:そして、少年は少女と共に歩む
「御無沙汰しています、帝殿。イキナリで申し訳ありませんが……これは もう要りませんので お返しします」
舞台は変わって日本国内の某所、三千院家の本宅にある庭園にて。
ナギは庭師の格好をした老人――帝に向かって【石】を手渡す。
「ほほぅ? つまり、余程アテナのことが堪えた と言う訳かのぅ?」
「違いますよ。さっき、『もう要りません』と言ったでしょう?」
「じゃから、ハヤテを守ることに耐え切れなくなったから返すのじゃろう?」
「だから違いますよ。ハヤテが要らなくなったので返したんです」
帝は【石】を受け取るとナギを嘲るように言葉を紡ぎ、対するナギは嘲りなど気にせず「ナニイッテンノ?」と言わんばかりに反応する。
「……ほぅ? 金に囲まれて生きるのが当然な小娘が金を必要としなくなった、と?」
「ええ。オレが危険な目に遭うくらいなら三千院家の財産など要らん、そうですよ」
晴れやかな笑顔を浮かべて語るナギの内心に広がるものはハヤテの言葉だった。
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「ナギ!! お前、どうして……どうして何も言ってくれなかったんだ!!」
天王州の別宅を後にしホテルに戻ったナギを迎えたのは、ハヤテの涙と心からの訴えだった。
ハヤテを抱き止めながらチラリと周囲を窺えば、伊澄が泣きそうな顔で俯いていたのが見えた。
きっと、色黒執事の対処を終えた後は、ホテルに戻ってハヤテに事情を説明していたのだろう。
本来ならナギがして置かなければならないことを代わりにやってくれただけなので、気に病む必要は無い。
ナギは目線だけで「気にしないで、むしろ ありがとう」と伊澄に伝えると、ハヤテと向き合う。
「あれはオレの問題だった。オレが解決しなきゃいけない問題だったんだ」
「それでも!! お前が苦しむくらいなら、私は三千院家の財産などいらん!!」
「……バカなことを言うな。ハヤテを守る三千院家の財産は必要だろう?」
三千院家に財産がある故にハヤテは命を狙われるが、三千院家の財産がある故にハヤテは守られてもいる。
「必要ない!! お前を苦しめてまで欲しい物など何一つとしてない!!」
「……ありがとう。でも、オレは昔の女を助けようとしていたんだよ?」
「それでもだ!! お前が幸せになるのなら、その女を選んでも構わん!!」
震えながらも声を張り上げてハヤテは言う。ナギを失いたくないのに それでもハヤテはナギの幸福を優先する。
「…………お前、大バカだよ。そこまで、オレを大切にしないでよ」
「大バカで結構だ!! 私は、お前が幸せじゃないと嫌なんだ!!」
「ありがとう、ハヤテ。オレも、お前が幸せじゃないと嫌だよ」
ナギは心の底から笑みを浮かべ、ハヤテを抱きしめる腕に少しだけ力を込める。決してハヤテを離さない様に……
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「それで? 貴様は それを受け入れる訳か? 小娘に守られることを甘受する気なのか?」
帝はナギから視線を逸らすと、嘲るような口調のままナギの真意を問い質す。
それは表面的には侮辱の形をしていたが、その裏には気遣いが見て取れた。
「ええ、その通りです。月並みではありますが、守っているつもりで守られていたことに気付きましたから」
「……つまらんのぅ。少しは骨がある小僧じゃ と思っておったのじゃが、牙を失った獣は家畜に等しいわい」
「そうですか。帝殿の期待に副う気などありませんでしたが、期待に副えなかったことは謝罪して置きましょう」
帝の真意はわからない。だが、期待を裏切ったことは確かだ。それ故にナギは「悪かったな」と最後に付け加える。
「フン、悪気が無いのに謝るな、小僧。胸糞が悪くなるだけじゃからな」
「それなら謝罪は取り下げます。勝手に期待して勝手に失望していてください」
「……まったく、相も変わらず、厚顔不遜で礼儀を知らんヤツじゃなぁ」
「そうですね。ですから、三千院家を継ぐことなんてことは無理でしょうねぇ」
「そうじゃな。故に、三千院家を継がないハヤテなら釣り合う訳じゃな」
ハヤテの継承権(【石】)をナギが握っていたのは、三千院家を受け継ぐハヤテと結ばれるためのナギの試練でもあった。
三千院家の婿になるならば降り掛かる災厄を乗り越えてみせろ。その暁には、婿として認めてやる……それが帝の意図だった。
だが、ハヤテは三千院家を継ぐことを放棄した。つまり、ハヤテはナギをあきらめたのではなく三千院家をあきらめたのだ。
「さて、どうでしょう? ですが、オレ達が必要なのはオレ達だけですね」
「…………そうか。そう言うことならば、勝手にするがいい」
帝は『何か』をナギに向かって放り投げると、背を向けてスタスタと歩を進める。
「この宝石は? とても高そうに見えますが?」
「単なる餞別じゃ。曾孫の顔くらいは見せに来い」
「…………御心遣い、ありがとうございます」
「フン、貴様に礼を言われる筋合いなど無いわい」
ナギの言葉に一度は歩みを止めたが、帝は振り返ることもなく言葉を紡ぐ。
「『小僧』……貴様、確か『神蔵堂ナギ』と言うたかのぅ?」
「ええ。何処にでもいる何の変哲もない庶民の神蔵堂ナギです」
「そうか。ならば、『神蔵堂ナギ』よ。ハヤテを任せたぞ?」
「――ッ!! ええ、もちろん。それがオレの生きる目的ですから」
そして、最後に『初めて』ナギの名を呼んで話を締め括ると、帝は そのまま歩き去って行った。
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「……どうしたのだ、ナギ? さっきからボ~ッとして?」
ナギはハヤテの着替えを待っている間、ふと帝との会話を思い出していた。
着替えを終えたハヤテは そんなナギの様子を不思議に思って訊ねたのだった。
「ん? いや、ちょっと、ね。帝さんとの会話を思い出してたんだよ」
「ふん。そもそも私に三千院家を継がせようとしたことが間違いなんだ」
「……だけど、それが帝さんなりの愛情表現だったんじゃないかな?」
「まぁ、改めて言われると気持ち悪いが……それくらい、わかっているさ」
帝のツンデレな愛情表現にツンデレな理解を示すハヤテを微笑ましく思いながらナギは言葉を続ける。
「じゃあ、式に呼べない代わりに、子供が生まれたら顔を見せに行こうぜ?」
「そ、そうだな。それまでアイツがくたばっていなければ、見せてやろう」
「殺しても死にそうにない御仁だけど、待たせちゃ悪いから頑張ろうね?」
「な、何を頑張るのだ!? い、いや!! わかっているから、言うんじゃない!!」
ハヤテのツンデレを見て悪戯心が沸いたナギは軽く下ネタでハヤテを弄る。
「二人とも? そろそろ時間ですよ?」
「え? あ、わ、わかったぞ、マリア」
「わかりました、マリアさん。今、行きます」
そんな微笑ましい時間に終了を告げたのはマリアの呼び掛け。二人はそれに応じると……
「……じゃあ、行こう?」
「ああ、二人で、行こう」
互いの手を取り合って、その場を後にし、会場へ向かう。
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そして、式は滞りなく進み、遂に宣誓の段となる。
「……汝――神蔵堂ナギは、この女――三千院ハヤテを妻とし、
良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、
共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで、愛を誓い、妻を想い、
妻のみに添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いますか?」
「はい、誓います」
ナギは神父の問い掛けに淀みなく答え、愛を誓う。また、同様に、ハヤテも愛を誓う。
こうして、二人は『夫婦』と言う明確な形として、共に歩み始めたのだった。
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Part.07:こうして少年は少女を忘れ去った
「……気が付いたか、『小僧』」
あれから――二人が夫婦となってから、数年が過ぎ、遂に二人の間に子供が産まれた。
子供は女の子で、二人は未来を目指してくれるようにと「未来(ミク)」と名付けた。
そして、産後が落ち着いた頃、約束を叶えるため二人はミクと共に帝の元を訪れた。
…………その途中だった。三人の乗った乗用車が『事故』に巻き込まれたのは。
「ここは? オレは、一体……?」
「…………覚えておらんのか?」
「――ッ!! ハヤテは!? ミクは?!」
前後不覚だった状態から徐々に意識が冴えて来たナギは、重大なことに思い至る。最愛の家族が傍にいないのだ。
見たところ、ここは病室ではなく三千院の本家だ(三千院本家は邸内に医療施設を持っているのである)。
だから、別々の場所に寝かされている可能性は無い。帝は意地が悪いが、そんな無粋な真似はしない。
それに、寝かされる程 怪我が重くなかったのならば、帝と共にナギのベッドの周りにいる筈だ。
「もう、わかっておろう? 生き残ったのは、貴様だけだ……」
帝はナギの中で駆け巡っていた「当たっていて欲しくない可能性」を告げる。
その声音は冷たく、その目はまるで物を見るかのようにナギを映していた。
「そ、そんな……そんなことって…………」
だが、ナギは告げられた事実に打ちのめされており、そんな帝の様子にも気付かない。
当然、目が覚めた時に『小僧』と呼ばれたことにも気付いていない。そんな余裕がないのだ。
それは帝とて同じかも知れない。家族を失った男に対して、一切の同情ができないのだから。
「既に予想は付いておろうが……あの『事故』は人為的なモノじゃ」
ナギが落ち着きを取り戻したのを見計らったのか、幾許かの時が経った後、帝は『事故』について語り出す。
今回の『事故』は「ナギの運転する自動車がカーブを曲がり切れずに崖から転落した」と言うものだった。
ナギがハンドル操作を誤った訳でもスピードを出し過ぎた訳でもない。単に車が曲がらなかったのだ。
原因は整備不良。念のために点検を受けたばかりなのに、整備不良で車自体にトラブルが起きたのである。
考えるまでもなく、整備を行った後に人為的な介入が為されたのだ。タイミングよくトラブルが起きるように。
「……恐らくは、ミクが継承権を得ることを恐れたんじゃろうな」
ナギには今になって自分達が狙われた理由がわからなかったが、帝には充分に予想が付いた。
ハヤテが継承権を放棄したと言っても、その娘であるミクも放棄すると決まった訳ではない。
帝がミクを認めれば、直系であるミクは現在の第一継承権者よりも強い権利が与えられるのだ。
「そんな!! オレ達はそ んなものいらない!! だから、【石】を返したんだ!!」
こんなことになるのが嫌で、ハヤテは継承権を放棄した。
当然、ミクに継承権が発生しても放棄させる予定だった。
だが、そんなナギ達の考えなど継承権者達は信じなかった。
「じゃが、金の亡者共の思考は違う。貴様は それ を理解できていなかったんじゃ」
ナギを責めてはいるが、帝も同罪である。帝も継承権を得る前に行動を起こすとは思っていなかったのだ。
もしも帝がそこまで思い至っていれば『それなり』の対策を講じられたのだから『事故』の責任は帝にもある。
だが、帝はそれを認識しながらも、ナギを責めることをやめられない。感情の捌け口が欲しくして仕方がないのだ。
「……ええ、そうですね。全部、オレが悪いですね。オレの考えが浅はかだったから、こんなことになったんですから」
普段のナギであれば、帝の矛盾に気が付いただろう。だが、今のナギには気付けない。
失ったものが大き過ぎて――受けた衝撃が大き過ぎて、もはや思考が正常に働いていないのだ。
それ故に、ナギは何の抵抗も無く帝の言葉を受け入れ、「己が悪い」と言う結論を得てしまった。
「フン、目障りじゃ。とっと去ね」
反論を一切して来ないナギに肩透かしを喰らいつつも、「こんな情けない男に孫を託してしまった」と更に憤る帝。
そう、帝もまた受けた衝撃が大き過ぎて、正常な思考ができていなかったのだ。ナギを気遣うことができない程に。
「ええ、消えます。むしろ、消して欲しいくらいですよ」
ナギは消えそうな声で言葉を紡ぎ、ヨロヨロとベッドから這い出て、フラつく身体で屋敷を後にする。
動く度に激痛が走るが、心を襲う痛みに比べれば何ともない。帝と顔を合わせることの方がツラい。
責められることもツラいが、それ以上に責めてしまいそうでツラいのだ。だから、ナギは屋敷を出た。
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それから、何がどうなって『こう』なったのか、ナギにはわからない。
心の痛みに耐え切れなくなって酒に溺れたことだけは、何となくだが覚えている。
ちっとも酔えなかったが、大量に酒を飲めば意識を捨てられたのが理由だ。
普通に寝ると夢で見てしまうために、夢すら見ないように意識を捨てたかったのだ。
『その現実から解放して差し上げましょうか? 私には それ が可能ですよ?』
ローブを纏った胡散臭い男が、実に胡散臭いことをツラツラと述べる。
正常な判断を下せるならば「ナニイッテンノ?」と相手にしなかっただろう。
だが、今のナギは藁にも縋りたい気分だった。胡散臭くても気にしなかった。
「本当にできるなら、頼むよ。もう、オレには耐えられない……」
自殺は真っ先に考えた。だが、自ら命を絶つような真似を『彼女達』は許すだろうか?
彼女達に許されなければ、ナギは生きることも死ぬこともできない。だから、自殺もできない。
何を どうすればいいかわからず、ただ現実に潰されないように酒に溺れていただけだった。
『畏まりました。代償は「今の貴方」の人生ですが……それで、よろしいですか?』
今の人生? 男の発した言葉の意味がナギには よくわからなかった。
だが、この状況から解放してくれるのなら どんな代償でも構わない。
今の自分から毟り取れるものなど臓器くらいだ。それ以外には何も無い。
「もちろん、それで構わない」
そこまで思い至ったナギは、迷うことなく『悪魔の誘い』に応じた。
そして、神蔵堂ナギと言う存在は その世を去り、別の世へ渡ったのだった。
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オマケ:観想の果てに
「さて、気分は落ち着きましたでしょうか?」
ナギの記憶を思い出したことで混乱の極みに陥っていたアセナだったが、どうやら落ち着いたようだ。
荒れていた呼吸が落ち着いたことで、そのように判断したアルビレオは気遣わしげにアセナに声を掛けた。
「……ええ、どうにか落ち着きました。まだ若干の混乱はありますけど、会話をできるくらいには落ち着いています」
アセナの中でナギの記憶と感情が駆け巡っていたが、アセナは『アセナとして』それらを処理できた。
恐らく、ナギに引っ張られていたのなら、ナギの記憶と感情に押し潰されていたことだろう。
そう、アセナは『アセナとしての自我』を中心に置くことによってナギの記憶と感情に打ち克ったのだ。
それは、那岐とナギの融合体であるアセナが『本当に』『アセナとして』『確立した』とも言えることだった。
「……心境はお察しします。『ここ』では『貴方の世界』は物語な訳ですから、ショックは甚大だったでしょう?」
「いえ、オレの世界では『ここ』は物語だったんですから、オレの世界が『ここ』では物語でも不思議はありませんよ」
「そうですか。ちなみに、世界が物語になったのか、物語が世界になったのか……その問いには答えられませんよ?」
「でしょうね。それは『神のみぞ知る』ことですから、世界に付随して生きている人間には わかる訳がありませんよ」
敢えて『彼女達』には触れずに『世界』について語るのは、アルビレオの優しさだ。
「それに、たとえ物語の世界であったとしても、『あっち』も『こっち』もオレにとっては現実ですよ」
「まぁ、そうですね。現実であろうが物語であろうが、現実と認識する者にとっては現実でしょうねぇ」
「ええ。アテナもハヤテもミクも、オレにとっては実在していた存在です。それは誰にも否定させません」
「……そうですか。現実として受け止めたうえで押し潰されていないのでしたら、私に異論はありません」
そう、アルビレオはアセナが潰れてしまうことを危惧したために、ナギの記憶を『物語として処理する』ことを許そうとしたのである。
だが、それも余計な気遣いだった。アセナはナギの記憶を現実として受け止めたうえでも押し潰されなかったからだ。
むしろ、両親が手紙で「実子じゃない」と伝えたのは、ナギに両親のことを気にさせないための気遣いだった と、
当時は気付く余裕が無くて見過ごしていた『優しさ』に気が付ける程に余裕がある。那岐の成分は効果的なようだ。
もしかしたら、那岐とナギは相互補完し合えるような『自分』だったのかも知れない。アルビレオの心配りに脱帽しそうだ。
「まぁ、オレが押し潰されてしまったら『代わり』を用意するのが大変ですもんね?」
「おや? 随分と意地の悪い見方ですねぇ。私は そこまで薄情ではありませんよ?」
「わかっていますよ。でも、『代わり』を用意するのが大変なのも事実ですよね?」
「……肯定はしませんが、否定もできませんねぇ。つまりは『そう言うこと』ですよ」
「ああ、なるほど。事実だけど それを認めるのも体裁が悪い、と言うことですね?」
うん、まぁ、「ここで終われば綺麗に終わるのになぁ」と言いたくなる感じが実にアセナらしいだろう。
「ええ。そう言うことですから、いい加減に帰っていただいてもよろしいでしょうか?」
「まぁ、そうですね。持ち直したとは言え本調子じゃないので、早く休みたいですね」
「是非とも そうしてください。私も『記憶復活』で疲れてるんで、もう休みたいんです」
「そう言われると帰りたくなくなりますが……今日は疲れてるんで、大人しく帰ります」
「ではでは、今日は、早く帰って、早く寝て、タップリと疲れを取ってくださいね?」
これだけ会話ができれば大丈夫だろう。そう判断したアルビレオは快くアセナを送り出すのだった。
ところで、余談となるが……刹那がアセナに思いの丈をぶつけるのは、これから数分後のことだったらしい。
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後書き
ここまでお読みくださってありがとうございます、カゲロウです。
当初は軽く修正するつもりだったのですが、修正点が多かったので改訂と表記しました。
今回は「ちょっとした外伝のつもりが、結構な文量になっちゃった」の巻でした。
まぁ、「ハヤごと」をベースにした内容になったのは、ナギ繋がりです。ええ、安直です。
でも、初期の頃から「オレ、三千院ナギだったんだ……」と言うオチは考えてました。
ただ、思い出させるタイミングが掴めず、結局は こんな感じになってしまいましたが。
しかし、軽い話にしようとしたのに……何故か重い話になってしまった不思議現象が起きましたが。
まぁ、「ナギちゃんが王玉を壊さなかったら どうなってたんだろう?」と言う疑問があったので、
せっかくなので「壊さなかったIF」的な話にしてみよう……と言うことで、こうなったんですが、
冷静になって考えてみると「アーたん殺しちゃうとか無いわー」と後悔している次第です、はい。
でも、だからと言って、今更ストーリーを変えるようなことはしませんが。
ちなみに、アーたんですが、アテネではなくアテナにしたのは、より女神っぽくするためです。
と言うか、アテネのままだと原作に悪いので「あくまでも別人です」と言い張るためですけど。
……関係ないですが、ボクはアーたんが一番好きです(ナギちゃんは、三番目以降です)。
まぁ、王玉を壊した時は「ヤベ、アンタ男前だよ!!」と株が急上昇しましたが。
その後、大家さんになってからは「あれ? あの感動は何処へ?」状態でした……
では、また次回でお会いしましょう。
感想・ご意見・誤字脱字等のご指摘、お待ちしております。
初出:2011/06/19(以後 修正・改訂)