Part1:ベルカな日々
見上げた空は青く、高く。
もっとも、見上げるまでもなく、前を見れば大パノラマで視界全体に空が映るのだが。
ああ、いや。視界の脇には少しばかり森やらフェンスやらが見えるか。
ともあれ、ヴェロッサ=アコースに取っては見慣れた光景だった。
勿論、それを喜んでいられるほど、病んだ神経はしていない。大体、目に砂が入って視界がぼやけるし。
ため息を吐く。
横に転がっているはずのデバイスを引っつかんで、身体を起す気力もわかない。
だって身体を起したら、はるか彼方に仁王立ちしているであろう怖い女性の姿を視界に納めねば成らなくなるから。
「あのさぁロッサ君」
絶対に起き上がらないでござる、そんな風に考えていたヴェロッサの傍らから、ポツリとやる気の無い声が響いた。
視線を―――顔を動かさずに―――横にずらす。
ヴェロッサ自身の深緑の髪よりも色鮮やかな、翠緑色の髪の少年の姿が見えた。
彼と同じように、騎士甲冑を纏っている。仰向けに倒れているのも、同様。
……そろそろ倒れたまま十数分が過ぎようとしているのに、一向に起き上がろうとする気配がないのも、同様だった。
「なに? クロス君」
ヴェロッサは自身に問いかける少年の言葉に、同じくやる気のない言葉で返した。
このやり取りも毎度のこと。今日だけで―――本日早朝、訓練開始から現在までの二時間ばかりの間だけで―――三度目の事だったから、彼としても慣れたものだ。
会話のないように意味などない事を、十分に理解している。
「何で前衛に居たロッサ君が後衛のオレの傍に居るのかな」
解りきった事を興味が無い風に聞く。答えも期待していないのだろう。
全くもって、何時もどおりのクロス=ハラオウンだなとヴェロッサは思った。
「そりゃあクロス君。前線で思いっきり吹っ飛ばされたからに決まってるじゃない」
お陰で腹が痛いし。食事前で良かったヨネとから笑いである。
クロスはそんなヴェロッサの返しに特に興味も見せず、またポツリと口を開いた。
「じゃあさぁロッサ君」
「なんだい、クロス君」
ヴェロッサも単純に現在の間延びした思考状態を続けて居たかったので、また同じように言葉を返した。
「空を飛んでいたオレがどうしてロッサ君の隣で砂被ってぶっ倒れているんだろう?」
居るはずもないトンボでも捕まえたいのか、クロスは人差し指を天に据えてぼやいていた。
「……そりゃあ、前線で思いっきり吹っ飛ばされた僕がクロス君に激突したからに決まってるじゃない」
「だよねぇ。……まったく、どうしてこんなことに」
掲げていた腕をパタンと下ろして、クロスは感情の篭ったボヤキ声を上げた。
どうしてこんなことに。ヴェロッサも全く同意したい心境だったが、ここで下手に固有名詞を出すと藪で蛇と言った感じになるので、自重する事にした。その代わり、もうちょっと意味のない会話を続ける。
……自分たちが倒れたままで居られる時間がもうちょっとしかない事も気づいていたことだし。
「どうしてってそりゃぁ、クロス君、来週にはもう叙勲だろ? 訓練にも気合が入るって」
訓練と書いて虐待と発音しながら、ヴェロッサは言った。僕はつき合わされているだけだけどねと、全く他人事だった。
クロスは、眉をしかめた。
「……それだよ。な~んでオレが騎士なのかなぁ。グラシアさんちのロッサ君ならまだしも」
ガリガリと砂混じりのグローブのまま髪を掻いている。
ヴェロッサはそんなクロスの姿に、やれやれまたかと苦笑していた。
その道を目指す他の誰もが羨むであろう、最年少での騎士叙勲と言う栄誉。
それが、九歳のクロス=ハラオウン少年にとっては、酷く、どうしようもなく避けて通りたい物らしいのだ。
「嫌なら何で促成コースになんて乗ったのさ」
現在のところ彼らの地位はセント・ヒルデ魔法学院の学生と言う身分に過ぎない。
同期入学から四年目。お互いそれなりに飛び級を重ねているが、クロスのほうは更に一歩飛びぬけていた。
その理由が、騎士養成促進課程。
「奨学金で学費全免って処しか見てなかったのが失敗だったよなぁ。……やっぱ、学費ぐらいは親の脛を齧っておけば良かったのか」
「元々、教会が運営してる孤児院の院生に向けて、将来性の在りそうな子供を囲い込んでおくための制度だからねぇ。外から申し込んだのってクロス君くらいじゃない?」
そして、孤児院の院生に対する専用の制度に、外部から申請してそれが受理されたというのもクロス一人だったりする。
むしろ、普通は申し込もうということを考え付かない。その辺の反則業を平気でやってしまうのがクロス=ハラオウンという少年だった。当時四歳だったが。
「何ていうんだっけこう言うの。……安物買いの銭失い?」
普通、ベルカ自治領に於いて騎士叙勲の栄誉を安い買い物と表現する人間は居ない。
「どうせ任官しても義姉さんの近侍にでも回されるだけだろうし。そこまで嫌がらないでも」
ヴェロッサは苦笑して慰めるような言葉を口にしたが、返ってクロスは不貞腐れてしまった。
「あの無茶振り姫とシャッハさんがセットになってるような状況なんて地獄以外の何物でもないだろ。……ところで、地獄って表現、聖王教会の教義的にアリだっけ?」
「よくそれで、神学者志望とか入学時に言えてたね。……まぁ、同意するけどさ」
因みに、ヴェロッサ自身はこのまま後数年セント・ヒルデ魔法学院に通った後、時空管理局訓練校に進学する予定である。
友人が自身の義姉と姉モドキに虐げられる未来を嘆くことを、生暖かい目で見守るだけだった。
「だいたい、同じ日に叙勲するはずの姫が冷房の聞いた部屋でのんびり読書してるだけなのに、同じ立場のオレはなんで地面に叩きつけられて砂塗れになってるんだろう。アレか。レアスキル持ちの贔屓ってやつか」
「レアスキルって……、クロス君もレアスキル持ちだよね」
いよいよもって口調が乱暴になってきているクロスに、ヴェロッサはやれやれと笑うだけだった。
「ああー、羽ね。アレあんまり役に立たないからなぁ。オレの戦法にあわないし」
「いやむしろ、あの羽持っていて接近戦を避けようとするクロス君がおかしいんだと思うよ」
レアスキルと言うのは、所謂生命因子レベルで刻まれた古代の超魔法の遺産のようなものだ。
例えばヴェロッサのように影から犬を出したり、その義姉であるカリム=グラシアのように”よげんの書”を作成したりと、あからさまに人間には有り得ない特殊な能力が生まれながらに備わっている場合の事を指す。
ベルカ文明圏においてそれらは貴顕なるものの証として尊ばれる場合が多く、だからこそクロスは最年少で騎士叙勲などということになったし、ヴェロッサにしても身寄りのない孤児に過ぎなかったというのに長い歴史を持つグラシア家に引き取られることになったりしたわけだ。
クロスの場合は背中に羽が生える。これは母リンディ=ハラオウンの血族からの遺伝らしい。兄クロノには現れなかった形質だった。
「……ところで、何でクロス君は自分のレアスキルに”H.G.S”なんて名づけたの?」
ヴェロッサは唐突に思い出して、気になっていた事をクロスにたずねた。
ベルカ文明圏においては、現在では当たり前のように管理世界公用語が用いられていたが、プライドの問題なのだろうかそこかしこの用語にベルカ語風の発音で名称をつける事が多かった。
ヴェロッサ自身のレアスキルにしても”ウンエントリヒ・ヤークト”という、正直自分でも発音しづらい名称が付けられている。
だが、クロスは自身のレアスキルを"H.G.S"と言い切った。
元来家伝としてそういい慣わす物なのかと思えば、そうでもないらしいのはコレまでの会話で判明している。
彼のデバイスである”SS4"と変わらぬくらい、機械的で良く解らない呼び名だった。
そして、ヴェロッサの問いに対するクロスの答えは、何時もどおり良く解らない物だった。
彼は、寝たままで肩を竦めて、こう答えるのだった。
「この世界観なら、羽っていえば”H.G.S”だろ?」
毎度毎度の返しの言葉に、ヴェロッサは同様に肩を竦めるしかなかった。
「……意味が解らないよ」
『二人とも、休憩時間は終わりです。訓練を再開しますよ』
やれやれとため息を吐いたヴェロッサの内側に、硬い女性の声が響いた。
彼ら二人を地に叩き伏せた、はるか彼方に仁王立ちしているであろう女性からの念話だった。
「何時から修道女がトンファー振り回すようになったんだろうな、この宗教……」
クロスも聞こえていたらしい。やれやれといった風にデバイスを杖代わりにして身体を起していた。
「あれ、剣らしいよ一応。あと、精神修養の一環なんだってさ」
長髪のほこりを払いながら答えるヴェロッサの言葉に、クロスは呻いた。
「どうして本職見習いのオレらよりお祈りの片手間でやってるシャッハさんのが強いのさ。」
「いや、騎士見習いはクロス君だけだから。僕はつき合わされてるだけだし」
この裏切り者めと睨むクロスに、何も知らないとばかりにヴェロッサは天を仰いでいた。
「で、作戦だけど。クロス君が羽を出してシャッハに特攻……」
「ロッサ君がワンちゃんと一緒に前衛ね。オレが上から狙撃、と」
噛合わない会話ににらみ合うこと数秒。
『二人とも前衛です。今回は砲戦無しの近接格闘訓練とします』
二人同時に、ため息を吐いた。
シャッハ=ヌエラの無慈悲な声によって、形なき闘争は終了した。
「SS4、待機モードへ」
『It consented.』
クロスは取り回しの悪いデバイスを待機状態に戻し胸元に押し込んだ。ヴェロッサも同様にしていた。
近接の殴り合いでシャッハに勝てるわけもないし、二人ともテンションが上がるはずもなく仕草は適当なものだった。
「何でこんなことになっちゃったかなぁ……」
とぼとぼとシャッハの待つところへ向かう傍ら、クロスはもう一度ぼやいた。
「義姉さんに気に入られちゃったのが、運の尽きなんじゃない?」
クロスとヴェロッサの義姉カリム=グラシアの付き合いは魔法学院入学初日からであった。
何か色っぽい物が混じっていると言う事も無く―――年齢的に考えれば当然だが―――何故かカリムに無理難題をけしかけられて難儀しているクロス、と言う構図はもう見慣れた物になっている。
常に面倒なことに巻き込まれているせいか、クロスはカリムの事を”無茶振り姫”と称していた。
カリムの傍付きであるシャッハに”教育”されているのも、基はといえばカリムと親しくなったせいである。
……因みにヴェロッサとは別口で知り合い、その後に多様に女二人に虐げられる状況に意気投合した。
「いや、そういうことじゃなくてさ」
だが、今回のボヤキはそういった意味の物ではなかったらしい。
どうした事かとクロスを見れば、彼は空の更に果て、何処か遠いところを見るような目で、呟いていた。
「どうせ同じ都築ワールドなら、わんことくらそうの世界の方が良かったのになぁってね。せめて桜待坂とか、こう、平凡なのを。……リリちゃ箱とか、マイナー過ぎるじゃん」
わんこも結構マイナーだけどと、それはとてもとても、ヴェロッサには意味が解らない言葉だった。
つまりこれが、そう。
クロス=ハラオウン達の日常だった。
※ 見切り発車で開始。
エンジンが暖まるまでは基本、一発書きで。
温まりきらなかったらそのままフェードアウトかなぁ。