なだらかに見える下り坂の先には川でも走っているのだろうか、小さな橋が見えた。
雲一つない青空から注ぐ日差しは受け続ければ不快になるだろう。だが、馬車の中に居る俺にとっては,運ばれてくる空気をさわやかに変え、風景を華やかに見せてくれる天からの恵みとなった。
ソニカの村を出て、早くも一日が経過した。だが、思っていたものと異なり、異世界での旅は何とも言えないのどかなものだ。
一日歩いてもモンスターの一匹も出ない。なぜ護衛が必要なのか不思議なほどだ。
荷台にずっと座っているため特にやることもなく。昨日は一日中景色を見ていた。そして,今日も今日とて景色を見ている。
視界の端に映っていた毛布がもぞもぞと動き出した。
「あ~、シュージさん。おはようございふぁふ」
そう言ってくるまっていた毛布から健康的に焼けた肌をした少年が起き上り、挨拶してくる。
「ああ、おはようカゥ。もう起きるのか?」
カゥの頭に乗っていた毛布が滑り落ちる。
「はい。昨日は見張りながらうつらうつらしてしまったので……ご主人様には内緒ですよ?」
「分かってるよ」
くすくすと笑いながら答えると、恥ずかしそうにしていたカゥも微笑む。
カゥはバイツさんが運営するバイツ商会の従業員でバイツ家の奉公人らしい。働き始めて5年になるらしく、最初はなかなか慣れることが出来なかった仕事も最近ようやくコツをつかんだとうれしそうに話していた。
顔つきは幼いが荷物の上げ下げなどを頻繁にしているためか体格は驚くほどがっちりしており、見た目の違和感がひどい。そして性格は朗らかで若干抜けている,と非常に混沌とした人物像をしていた。
今回の旅はバイツさん、カゥ、護衛のクラフさんに馬車をひいている馬っぽい生物のバルイ(雄)とレイツ(雄)におれを加えた四人と二頭のパーティだ.
「でも見張りなんて必要なのか?昨日から全く危険を感じないんだが?」
今も見晴らしの良い丘を通っているのだ。危険が迫っていたとしてもすぐに逃げることが可能だろう。
「そりゃ街道通ってますからモンスターなんてめったに遭遇しませんけど、見張りがいなかったら遭遇した時点で即死亡ですよ?」「用心に越したことはないってことだな」
「そうですね。まぁでもこの辺は盗賊なんかもいないし、安全だからご主人さまもここを商売路にしてるんですけどね」
「なるほど。他の地域だと盗賊やモンスターって結構出るのか?」
「ん~、ここ以外の商売路には手を出してないんでわからないんですけど、以前,別の商隊が護衛を10人雇っているのを見たことありますね」
「今の十倍か。それはさすがに危険な香りがするなぁ」
「はい。もしそんなところに行っちゃったら、ぼくなんてがくがく震えて何にも出来ないですよ」
「おれもだな」
二人で顔を合わせて笑う。その時馬車がゆっくりと止まった。護衛のクラフさんが顔だけを馬車のなかに入れて告げてきた。
「休憩ポイントに着いたぞ。昼飯にしよう」
やはり先ほどの橋は川があった印らしい。澄んだ水が清涼な音を立て重力に従い流れてゆく。
川べりにあった石を積み重ねる。火をくべ、食事の用意をするためだ。
ご飯はカゥが担当している。さすがにアーリアのものと比べると味は落ちるが、それでも旅の途中ということを考えると相当いい食事なのではないだろうか。
特に質の良い干し肉が食べられるのが素晴らしい。この干し肉、噛めば噛むほど味が出てくる上に干し肉とは思えないほどに柔らかい。そのままパンにはさんで食べても全く問題ないほどだ。
カゥは今回、その干し肉をスープに入れた。具材が芋のような根菜と干し肉だけというシンプルなスープはスパイスと肉のうまみが相まった極上の一品だった。
お世話になっている身なので、その後の片付けに名乗り出た。
一通り終えたところでクラフさんが近づいてきた。
「バルイとレイツを休ませる必要があるから少し休憩するぞ」
「はい。了解しました」
「……昨日から思っていたが、その刀……相当なものじゃないか?」
「これですか?……まぁそこそこのものですね」
パラメータは伏せておく。
「そうか、ガイスへは……修行か?」
「修行というよりは出稼ぎですね。育った村への恩返しってとこです」
「そうか、ソニカの村は裕福とは言えないからな」
訂正は……やめておいた.これからはあの村出身ということにしておこう。
「特にうちは貧乏で村のはずれに住んでたんですけど……みんなやさしくしてくれて」
「そうかそうか。出稼ぎなら強くならないとな。どれ、手合わせでもしてみるか?」
やはり金を稼ぐには強くなければならないのか。
「……それじゃあ、お願いします」
「おお、ちょうどいい事に、ここに二本棒きれがある」
そう言って背後から乾燥した木の棒を二本取り出す。最初からそのつもりで近づいてきたのは間違いなさそうだ。
「わー、ほんとだちょうどいー」
棒読みで返した。クラフさんが弱い者いじめを楽しまない性格であることを祈ろう。
「遠慮せずにかかってこい。少なくともワシは遠慮しない」
……どうやら祈りは届かなかったようだ。
「じゃあ……行きます」
「いつでもいいぞ」
こちらは剣道の授業で習った正眼の構えなのに対し、クラフさんは半身に構え木の棒の真ん中と端を握っている。木の棒を剣としてではなく,槍か薙刀のようなものとして使うのだろう.狙うは鎧で守られている左胸。体を弛緩させた状態から出来るだけ予備動作を見せないように……突く!
素振りの成果か、自分のイメージどおりに体が動く。前へと伸びる右足、地面を踏み締める左足。体幹を通してその力を剣先へと伝える.同時に腕を伸ばし剣先はさらに加速する。
あたる――そう思った時だった.
コツッ。乾いた音がやけに耳についた。
眼の前で起きたはずのその音が何を意味するものか瞬時には理解できなかった.
こちらの剣先に合わせるようにクラフさんが切っ先をずらし、槍の穂先と剣先が触れていた。刹那の時の中でその瞬間だけが写真のように止まって見える。
次の瞬間にはこちらの剣先はクラフさんの身体から逸らされ,地面に突き刺さり、クラフさんの棒がこめかみのすぐ横にあった。
「スピードは問題ないし、動き出しもよかったが、目線が素直すぎるな。どこを狙ってるか一発で分かるぞ」
唖然としてしまう。
「ほれ?どうした?もう諦めたのか?」
「くっ!」
立ち上がり再び構えをとった。
ボコボコにされました.後から聞いた話だとクラフさんのレベルは9らしい。そんでそれだけレベルが違うとああいう結果になるのは当然とのことでした。……でもくやしい。
休憩も終わり、手合わせでくたくたになっていた俺は移動中ずっと寝てしまった。目が覚めると夜の帳が降りていた。こちらの暗闇は火を焚かなければ一寸先まで見えないようなものなのに、なぜかこちらを柔らかく包んでくれているようだ。
幌の隙間から赤い光が漏れている。外に出ると夕食の準備ができていた。
「あ~、すいません。寝入ってしまって」
「気にすんな。こいつの趣味みたいなもんでな。若者を乗せるといっつも手合わせするんだよ」
バイツさんはそう言って豪快に笑う。
「若いもんとの交流は和むからな」
ニヤリと笑うクラフさんは絶対に確信犯だ。というか、あれはそんな穏やかなものだとは思えない。
「さっき十分寝ましたんで、今日の見張りは俺がやりますよ」
「いいんですか?」
カゥがうれしそうに聞いてくる。
「あぁ、多分寝ようと思っても寝られそうにないし」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
その言葉にクラフさんの笑みが深くなった。
「もう一度手合わせしたら良く寝られるんじゃないか?」
「いや~、見張り頑張らないとな~」
聞こえないふりをした。
その夜は見張りをしながらではあるが、素振りをいつも以上に行った.明日こそは一本取ってぎゃふんと言わせてやる,と胸に秘めながら。
三日目も今までの旅同様のどかなものになった。カゥの作るうまい飯に、休憩毎の手合わせ。移動中は景色を見るのにも飽きてきたので大体は寝ている。
バイツさん曰く、明日の昼ごろにはガイスへ着くらしい。ちょっとした旅行としては非常に適度な距離に感じる。
現在、馬車は左手に森、右手に川を臨む街道を走っている。この川はガイスまで続いているとのことだ。もう少し行ったところに広場があり、今日はそこで野営を行うらしい。
辺りはまだ明るいが,森の奥の方は薄暗く,不気味な気配を出していた。
夕食後、見張りをカゥが立候補したこともあり、今日は早めに寝床についた。寝床といっても焚き火を囲むよう毛布にくるまり横になるだけだが。
疲れているとは言え、昼間あれだけ寝たこともあり、なかなか寝付けない。そうこうしているうちに焚き火の光が気になりだしたので、反対方向へと寝返りを打った。
やはり眠れない。一時間ほど格闘した後だろうか、少しずつ眠りに落ちそうな予感がし始めたころに今度はなぜか耳鳴りが聞こえ始めた。
「…………っ!!」
「…………ッ!!」
耳鳴りは鳴りやむどころかだんだんと大きくなっていく。
「…………いッ!!」
だんだんと鮮明になっていき、人の声のように聞こえる。
「あぶないッ!!」
とっさに跳ね起きる。今まで自分の頭があった場所を槍の石突きが通過していった。
「なんだよ。タヌキ寝入りかぁ?」
さっきの声は誰だとか、くらってたら死んでたんじゃないかとか考える余裕は一瞬にして霧散した。こちらを向いてニヤニヤと笑っている人間が三人。
一人は石突を突き出した槍使い。
もう一人はいやらしい笑みを浮かべた髭面。
最後の一人は幼い顔に汚い笑みを貼り付けている。
思考が鈍くなっていくのがわかる。その三人は――――
ついさっきまで一緒に食卓を囲んでいた
――バイツ、カゥ、そしてクラフだった。
「おいおい、死んでしまっては売れないんだからな」
「わかってますよ。何年この仕事やってると思ってるんですか」
「分かってるんならいいが、あまり大きな傷は付けるなよ。この顔なら趣味の良いばあさんが高値を出すだろうからな」
その言葉に了解の意を示しているのだろうか、クラフが一歩前へ,そのまま鋭くこちらへと踏み込んできた.気を抜くと混乱した頭が暴走してしまいそうだ。
――考えろ、考えるんだ。思考を一歩でも前へ
――クラフは俺を殺せない、それなら槍の穂先は使えない――――なら来るのは――石突きでの一撃か――柄の部分を使った――
大地を踏みしめたクラフはその慣性を回転モーメントへと変化させた。
――――横薙ぎ
唸りを上げながらこちらへと迫るそれにのみ注意を払う。踏み込み、しゃがみ、転がるようにそれをかわした。
かわされるはずがないと思っていたのだろうか。事実,かわすことが出来たのは偶然だ.勝率二分の一の賭けにそう何度も勝てるほど俺の運は良くない。
だが,今回は勝つことが出来た.その為,クラフには一瞬の硬直時間が発生した。
その隙にクラフを置き去りに走り抜けた。他の二人に戦闘能力はないはず。早く馬車へ――
馬車へ入ると鞄を拾い上げ、幌を切り裂き反対側へと逃げた。後方からクラフの怒号が聞こえた.
「逃がすかよっ!!」
森に逃げ込めば,後ろを振り向かず,ただ,ただ,走る.レベルはあちらが上だが、あんな鎧着込んでるならこちらにも利があるはず。そう簡単に追いつかれるはずがない。
不確かな根拠の上に立った希望的観測を追いかけ,森の中へと飛び込んで行った.
誰もを等しく眠らせる暗闇は、逆らうように走り回る俺に対して容赦ない試練を与えてきた.
足元もろくに見えない暗闇で全力疾走した結果、枝には顔を叩かれ、地を這う根に足をつかまれる。だが、止まれば死ぬのだ。森からの罰は甘んじて受け、全力で逃走した。
二分ほど走ったころだろうか、膝が落ちたのが分かった。
もう、走れない。息は乱れ、足も震えている。
それでもいつもの口癖を呟いているあたり、相当焦っていたのだろう。
深呼吸を一度し、何とか息を止め、周りの気配を探る。耳の奥で太鼓が鳴っているようだ。うまく気配を探れない。音をたてないように周りを見回し、クラフが追いかけていないことを確認すると近くにあった木に登る。
この暗闇だ。木の上にじっとしていればそう簡単には見つかるまい。樹上で体を休め、日が上がる頃にはあちらもあきらめるはずだ。不意に涙がこぼれた。
「……ちっくしょう……」
逃げることしかできなかった自分へのふがいなさか、それとも無事逃げることのできた安堵か、自分でもうまく説明できない感情を吐き出すように静かに涙はこぼれた。
5分ほどたっただろうか。やっと落ち着いてきた俺は鞄の中身を確認した。良かった、何もなくなってはなさそうだ。木から落ちないように体を休めようと思い、体制を入れ替えた瞬間だった。
「このあたりかな~?」
「っ!!?」
クラフ!! なんで――そんな簡単に,暗闇の中、一度見失った相手を,見つけられるはずがない。
現に,あいつは,ここまで近づいておきながら,俺の事を見つけられていない。
ハッタリだ、このままじっとしていれば,過ぎ去るはず。
俺が上っている木に近づいてくる。
――まさか、まさか、まさか。
気づいているはずがない。
一歩一歩近づいてくる。
足音が耳に着く。
――ザッ、ザッ
奴が嗤っているのが見えた.
――ザッ、ザッ
近付いてくる。
――ザッ、ザッ
息をのんだ.
――ザッ、ザッ
奴の姿が木と暗闇に隠され,見えなくなった.
ため込んでいた息を吐き出す。これで、もうここには戻ってこないだろう。
体が弛緩していくのがわかる。手を見ると震えていた。そんな自分になぜか笑いがこみあげてくる。木の幹に背を預けた.緊張から解き放たれた身体が弛緩して行く.
――ザッ、ザッ
「――――ッ!!」
今度こそ心臓が止まるかと思った。
「やっぱりここいらだな。いるんだろー?でてこいよぉ」
ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべていた。そんな、何で、そんな、理不尽な――
そこで思い出した。そんな理不尽なものがこっちにはたくさんあったことに。どこからともなく水の湧き出る器、魔物を倒すだけで上がる身体能力、そして――ありえないを実現する技術(スキル)
クラフが俺を見つけたのはスキル、あるいは道具の能力なのだろう。
それはこのままでは遅かれ早かれ見つかるということを意味していた。
全力で走った俺に対してゆったりと歩いて来たのだろう。今にも足が痙攣しそうな俺に対して,奴の息は全く上がっていない。
そして、俺が遠くへ走り去らず、近くに隠れるということも分かっていたのだろう。相当手慣れている。
ここで奴を行動不能にするしかない。そしてそれが意味することは――それを思い至るのに二秒――張りぼての覚悟を構築するのに十秒――どうせ後悔することに気付くのに一秒.突撃の準備をしながら,何とか、ざわめく自分の心に,向き合う。鞄を抱え、木から飛び降りた。
「おおおぉぉぉぉぉおおおおあぁ!!」
「出てきたなぁ、えらいえらい」
笑みを深くするクラフ
全力で突撃する.
あと、五歩
奴はその場で迎撃するつもりなのだろう.足場を確保している.
あと、三歩
槍を構え腰を深くするクラフ.
あと、一歩
動き出しが見える.
鞄の中から皮袋を取り出した.
――射程圏内――
右手に持つ皮袋を全力で投げつける。それを鼻で笑い打ち落とすクラフ。ゆるく口を結んだだけの袋は何の抵抗もなく中身を吐きだした。
そして、その中身は俺の能力――投擲必中によりクラフへと向かう。中身の白い粉がクラフの顔に当たり視界を塞いだ。
「なっんだこりゃぁ!?」
俺はすぐさま第二射となる別の皮袋を投げつける
一つ目の皮袋に入っていたものは小麦粉、今それはクラフの顔の周りに漂っている。そして第二射の袋には砕いた火打石と燃え紙
二つ目の袋がクラフへと当った瞬間――爆発。
「ギャッ!!??」
リザードマンのときとは比べるまでもなく小さな爆発だったが、より一層顔の近くで爆発したそれは,敵の体勢を十分に崩してくれた。
「おおぉぉぉおおおっ!!!」
右手で刀を抜き、今までの素振り等全く反映されていない、力任せの一撃を叩き込んだ。
「がぁっ!!」
どこかに当ったらしく苦悶の声をあげている。倒れたクラフの左手には親指と小指だけが残っていた。
「ぐぅ!!……てめぇぇぇえ!」
鬼の形相でこちらを見るクラフ
「覚えてろよぉ!!貴様ぁぁっ!!」
指を減らした左手を一瞥した後、倒れた体勢のままこちらに激情を飛ばしてくるクラフ。
「えぇ、覚えておきます。クラフさん」
自分でも驚くほどいつも通りの声が出た。こちらが何を言ったか分からなかったのか、むしろ分かり過ぎてしまったのか、先ほどの激情がなかったかのようにクラフはポカンとした顔を見せた。
「絶対に忘れないです」
「ちょっ、お前……落ち着けって、なにするつもりだ」
「俺だってしたくはないです」
先ほどの涙の跡を、
「落ち着けって、良く考えろ、もうワシは動けないんだぞ?」
今日二度目の涙が流れた。
「分かってます。それがホントかどうか調べる術がないことも、あなたが俺を殺そうとすることも」
「そっ、そんなはずないだろ。ワシはもとから殺そうとするつも」
右腕を振り下ろした。