「――Anfang(セット)」 私の中にある、形の無いスイッチをオンにする。 かりと、と体の中身が入れ替わるような感覚。 通常の神経が反転して、魔力を伝わらせる回路へと切り替わる。 これより、遠坂凛は人ではなく。ただ、一つの神秘を為し得るためだけの部品となる。 ……指先から溶けて行く。 否、指先から満たされていく。 取り込むマナがあまりにも濃密だから、もとからあった肉体の感覚が塗りつぶされていく。 だから、満たされると言うことは、同時に破却するということだ。「――――――――」 全身にいきわたる力は、大気に含まれる純然たる魔力。 これを回路となった自身に取り込み、違う魔力へと変換する。 魔術師の体は回路に過ぎない。 幽体と物質を繋げる為の回路。その結果、成し得た様々な神秘を、我々は魔術と呼ぶ。 ……体が熱い。 額に角が生えるような錯覚。 背に羽が生えるような錯覚。 手に鱗が生えるような錯覚。 踝に水が満ちるような感覚。 ……汗が滲む。 ザクン、ザクン、と体中に剣が突き刺さる。 それは人である私の体が、魔術回路となっている私の体を嫌う聖痕だ。 いかに優れた魔術師であろうと人は人。 この痛みは、人のみで魔術を使う限り永劫に付きまとう。 それでも循環を緩めない。 この痛みの果て、忘我の淵に"繋げる"為の境地がある。「――――――――」 左腕に蠢く痛み。 魔術刻印は術者である私を補助するために独自に詠唱をはじめ、余計に私の神経を侵していく。 取り入れた外気は血液に。 それが熱く焼けた鉛なら、作動し出した魔術刻印は茨の神経だ。 ガリガリと、牙持つムカデのように私の体内を這い回る。「―――――――――」 その痛みで我を忘れて。 同時に、至ったのだと、手ごたえをえた。 あまりにも過敏になった聴覚が、居間の時計の音を聞き届ける。 OK、午前2時まで後10秒。 時計も通常に戻したし、今の私は一番ノれてる。 全身に満ちる力は、もはや非の打ち所が無いほど完全。「―――――告げる」 始めよう。取り入れたマナを"固定化"する為の魔力へと変換する。 あとは、ただ。この身が空になるまで魔力を注ぎ込み、召喚陣と言うエンジンを回すだけ。「―――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」 視覚が閉ざされる。 目前には肉眼では捉えられぬという第五要素。 ゆえに、潰されるのを恐れ、視覚は自ら停止する。「誓いをここに。 我は常世総ての善と成る者、 我は常世総ての悪を敷く者。 汝三大の言霊を纏う七天、 抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――!」 ―――文句なし! 完璧だ!これ以上ないってくらい、最高のサーヴァントを引き当てた!! 手ごたえなんてもう、海老で鯛を釣ったってくらい完璧。 やがて、少しずつ視界が戻ってくる。 エーテルはいまだに乱舞を続けているが、それが刻んだ魔法陣に収束して行っている。 ズキン―――! その瞬間、腕に浮かんだ痣――令呪から強烈に反応が来た。「なっ―――!?」 その瞬間、赤いルビー色のエーテルが、突如として青緑に変化する。 同時に、私の中から怒涛の勢いで魔力が吸われていく。「なっ、……んで」 失敗などしていない、完璧な召喚を行ったはずだ。だったら、この異常な反応は何だ? 駄目だ、立っていられない。意識が保てない。 エーテルは徐々に人の形をかたどっていく。 膝を突く、エーテルの乱舞が収まり私の前に誰かが姿を現していた。「問……う」 ……駄目だ、声がかすんでよく聞こえない。視界も歪んで今にも崩れ落ちそうだ。「……た、わ……マ……スター」 あれ、何でだろう。私なんか間違った事したかなぁ。 この日のためにがんばってきたのに、この時の為に準備してきたのに……、 一番ノれてると思ったのに。念願のセイバーを引き当てて……、 ブツリ――― そんな擬音さえ立てて私の意識は断絶した。「―――はっ!?」 飛び起きた。そこは、自分の家の居間、ソファだった。 静寂に包まれた部屋。置かれた鎧の横の居間の時計は5時を回っている。 ……OK、現状の確認。 一つ、私はサーヴァントを召喚しようとして地下室に居た。 二つ、サーヴァントの召喚中に異常が起こって、私の意識は切れた。 三つ、だったら私は何故居間に居る? 体の中をチェックする。魔力は、確かにスカスカだ。だが徐々に回復していると言う事は問題はないようだ。 どうやらあれは一時的なもののようである。 では、何故私は居間になど寝ているのだろう。……たぶん、サーヴァントが運んだんだろうけど。 目の前でマスターが魔力切れで倒れたなんて話にもなりゃしない。天才とも言われた私らしからぬミス……だけではない。 大体、召喚の制御だけであんな魔力を膨大に食らうサーヴァントなど私は維持できるのか?「……もしかして、バーサーカーなんて引いたんじゃないでしょうね。私」「そんな事はないと思いますが」「そうよねえ。セイバーを引き当てたくて、色々やってきたのに凶悪なバーサーカーなんて引いた日には私の生活と貯金は何の……」 はた、と気づく。 そして、振り向けばそこには時計しか……て、視線をもう少し上に上げる。 ソファの前、時計横に居た鎧が私の前に居た。……いや、甲冑じゃなくてそれは明らかに……「……サーヴァント?」「えぇ、そうです。……申し訳ありません。私を制御するのに魔力を使い果たしたようですね」 目の前に居たのは、青い騎士だった。流れる絹のように細い金髪は腰まで伸び、騎士と呼ぶに相応しい重厚な装備、そして気品。 ……なにより超絶美人だし。「――どうかしましたか? マスター」「……あぁ、いやちょっと。それより、貴女のクラスは何?」 これだけの装備だ。当然クラスはセイバーに決まっている。 確信と言うより、確認のために言ったのだけど……、「はい、アーチャーです」 立ち上がろうとしてソファにかけた腕がズった。「何で!?どう見ても剣騎士じゃない貴女!」「……何でといわれても、アーチャーなのですから仕方ないじゃないですか」 まるでアンタの早合点と言わんばかりの口調だが、実際そうなので私は何も言えなかったりする。「まぁ、いいわ。とにかくこれで聖杯戦争を始めることができる。とにかく休みましょう。魔力も使い果たしちゃったし……」「マスター、まだ終わっていませんよ」 振り返るとアーチャーがまじめな顔でこちらを見据えている。「確認を、マスター。いや私としては言うまでもないのですが、 ―――貴女が私のマスターですね?」 そうだ、すっかり忘れていた。私はまだ自分の名を名乗っていなかった。「凛。遠坂 凛よ。これからよろしくね、アーチャー」「こちらこそ、また貴女と戦えるとは光栄です、凛」 威厳などどこへやら、朗らかな笑みに私は若干気を抜かれてしまう。 あと、何か違和感があったような。「これから私は貴女の剣となり、貴女の命運は私と共にある。 ここに契約は完了しました。 …………とはいえ」 と、なにやら自分で思案顔になるアーチャー。「何よアーチャー。何か問題でもあるの?」「いえ、さして問題ではないと思うのですが、一つだけ赦して貰いたい事があります。凛」「……何を?」「通常、サーヴァントはマスターには真名を明かすものなのですが、教えるのを控えさせてもらえませんか?」「……えっ? それってどういう事?」 サーヴァントが自分から名乗る事を控えさせて欲しいという。……生前勇猛を誇った英雄が自分から名乗らないというのはどういうことか?「もしかして、名前のない英雄だったりする?」「いえ、逆です。恐らくこの極東の島国でも相当に有名です」 ……有名、てことは円卓の騎士の関係者だったり、もっと上の神代の英雄?「円卓の騎士とかその辺の英雄ならよく知ってるけど、まさかそれ以上に有名?」「……いえなんと言うか、とにかく真名を明かすのを赦してはもらえませんか?」 名乗れない理由とかあるのだろか。 でもまぁ、本当に名乗れないのを済まなそうに思っているみたいだし、「判ったわ。じゃあ深くは訊かない。何で言えないかは……後になったら教えてくれる?」「はい、必ず」「じゃあいいわ。制御に失敗しかけるほどの騎士なら並外れて強いんだろうし」「それから凛、申し訳ないのですがそこも一つ赦していただきたい事が……」「……何よ」「失礼ですが、凛の魔力で私の魔力行使をサポートするのは少々難しいかと……」 ―――ピクッ。「ちょっと、アーチャー。それは聞き捨てならないわね。確かに、召喚時には失敗しかけたけど、今はちゃんと制御できてるわ。 それなのに、難しいってどういう事?」 何より他のマスターより劣ると言われているようで腹が立つ。「いえ、凛のせいではありません。あなたは確かに1流の魔術師だ。ラインもしっかりしているし、流れてくる魔力も十分です」「じゃあ何で!」「ありていに言ってしまえば、私の全力の魔力行使が一度で凛の最大量の5割を持って行ってしまうのです」「それって燃費が悪いって話?」「はい、サーヴァントの身なので凛の魔力と自己生成に頼るしかありません。 凛の魔力の保有量を1000と仮定すれば、私への供給と私自身の自己生成がほぼ同等。数値にすれば100ほど。 それに対し、宝具使用時の魔力は500を超えます。宝具の連発や連戦は避けなければ凛の魔力が枯渇する事に」「でも、それって戦闘時の話でしょう? 今は大した消費もしてないんだから、大丈夫じゃない」「……いえ、私の方で供給を絞っているからです。そうしなければ、地下の時と同じ量を凛から奪い続ける事になる」「………………それって、燃費最悪って事じゃない」 それはまるで車で言えば、2キロ/リットル 並の?「はい、戦闘時も力をセーブして戦わなければいけません。もちろんその状態でも、他を倒せる自信はありますが……」 と、なにやら言いよどむアーチャー。「何よ、まだあるのなら今のうちに言っておいて。後で言われるより今言ってくれた方が気が楽よ」 燃費が最悪だって言うだけで勘弁して欲しいのにこれ以上問題が増えるのはいい気はしない。 ……まぁ、サーヴァントとして行動制限が付くのはしょうがないのだろう。彼女は生前それで戦ってきたのだから。「……いえ、なんでもありません。私から言う事はそれだけです」 なにやら、思いつめた表情でアーチャーは口を閉ざした。