―――過去と未来は最高によく思える。現在の事柄は最高に悪い。 はるか昔、誰かがそう言っていたらしい。内在する意味など頓着しない。意味を問い詰めたところで私にとっては不毛なことだ。 しかし、私の事を最も適切に表していると言えよう。 私にとって過去は最高によく思えた。"彼"がいたから。 彼と出会い、彼と戦い、彼と言い争い、彼と共に真実を知った。 では最高であった過去を最低と位置づけるとして、未来である"今"が最高であるか……。実際これが平坦である。 私にとって、あの"過去"こそが最大の絶頂であり、"今"そのものは気の抜けたコーラのように味気の無いものだった。 そう、例え科学が進歩して月旅行への可能性を間近にしたとしても、反重力理論の発表と発展により人が大地から解放されたとしても、3度の核大戦の教訓からプルトニウムを分解する新要素の発見に至り、世界から徐々に核がその姿を消し始めたとしても、ナノマシン技術の発展によっておよそ治らない病気は「ボケ」くらいだと言われようと、AI技術の発展に伴ったアンドロイドの発表が世界規模での人権保護の運動を引き起こそうと、 ―――私にとってそんな物はどこ吹く風だった。 そんな事より今私が気にすべきは、 「よう、セイバー。帰りかい?」 街角の交差点で出くわした彼は、のっけからそう言った。 「……………………」 何も答えずに通り過ぎる。 「っておい! ガン無視かよ!」 慌てて私の横に並んで来る男。軽薄なのは相変わらずか。 「しっかしよぉ、土曜の昼間に古書漁りなんてお前も好きだなぁ。かび臭い本のページめくって何が面白いってんだ?」 場所はイギリス。ロンドン大学の近くにある町も、最近はめっきり変わってしまった。 石造りの民家は石の風化に耐えられず減る一方で、ただシンボルであるヴィックベンだけは相変らずその威風を保っている。 100年ほど前に起きた非核大戦の傷跡も癒え、世界は日々平穏の中にある。もっとも一番に痛手を被ったのはアメリカだろう。事戦争に関してはあの国は容赦がない。戦争に没した兵士たちの遺族による大戦の傷跡を抉る様な抗議と閣僚達の総辞職は、教科書の1ページに載るほどに有名になってしまった。お陰で最近のアメリカは保守派が台頭し、世界に対してあまり大きな顔ができなくなってしまっている。 大学に通うようになって2年目。学校では考古学を専攻している。 実地研修でいくつもの遺跡を回ったり古文書に目を通す生活にも幾分慣れ、私の周囲は小波立つ湖のごとく―――ようするに刺激の無い生活が続いている。 「OK、悪かったよアルトリウス。この通り謝る! だから、機嫌直してくれ!なっ!」 正面に回りこんで仏に祈るような格好で頭を下げるは我が不肖の友人。 「言ったはずですよ、ランス。セイバーと呼ばれるのは嫌だと」「だから悪かったって。そうだ、謝罪ついでにどうよ、最近入ってきたジャパニーズの店にでも」「……本当にわかっているのですか?」 この男、名をランス=ウェラハット。1年の時に講義が一緒になり、ナンパしてきた男である。 その時は軽くあしらったのだが、その後怒涛のしつこさで付きまとい結局私が折れたのだ。 『判りました。じゃあ、一度だけ食事に付き合いましょう』『えぇ!? やめときなよ、アル。絶対妙なところに連れ込まれるって』『そうよ、あんまりいい噂聞かないよ。コイツ』 講堂の中、友人の前で頭を下げるランスのあまりの強引さに恥ずかしくなったと言うのもある。 それに、私が折れたのは今までの人生でコレ一度きりだった。 『俺は、まともな男だ!!』 ――事実、彼はまともな男だった。 趣味も逸脱しているわけでなく、話題もよく合った。 私と同じ親日家で、年に数ヶ月は日本で生活していることもあるという。 大学にいる以上彼とは顔を合わせる。そのせいでちょくちょく私に絡んでくるのだ。『しかし、何故私などを選ぶのですか? 性格のいい女性なら私の友人にもいるというのに』 試しにズバっと聞いてみた。中途半端な興味なら諦めろと暗に言ったつもりなのだが……、 『さぁな、たぶんその人を寄せ付けない性格がツボにはまったんだろ』 スッパリと躱された。 彼の言うとおり、私はちょっと変わった性格をしている。 一言で言うと"一見さんお断り"な性格らしいのだ 寡黙なのは元々だが、私と会話するときは講師でさえ緊張するという。 『物腰もだけど、なんか出てるのよ。オーラみたいなもんが、もわっと』 逆に友人になった者は私を評してそう言った。……"もわっと"とは何事か。 これは私の地だし変えるつもりも無い。 それから彼が頭に言った「セイバー」という名前。 私はそう呼ばれるのが嫌いだった。 一度講義に来た有名な教授にそう呼ばれ、改めるまで訂正を求めた騒動は今でも語り草だ。 もちろん最後に折れたのは向こうである。 だが勘違いしないで貰いたい。確かに私の名前を略そうとすればセイバーと言うのが一番楽だ。 しかしその名は使ってほしくないのである。 私の事を"セイバー"と呼んでいいのは、この世に10人もいない。 ……いや、もう一人だって残ってはいない。 私の名前は、アルトリウス=セイバーヘーゲン。しがない家の出の凡庸な学生風情である。