「面白い話を教えてやろうか」 彼がそう言ったのは、秋の試験に追い込みを掛けているときだ。 大学に程近い、落ち着いた雰囲気のカフェのボックス席で、お互いに資料を広げている最中の事。「何ですか? くだらない話なら結構ですよ」 ノートから視線を外さずに言った。 端から見たら、付き合っているように勘違いされている昨今だが断じて違う。 私は生涯一人身でいる事を覚悟している。だから周囲が彼氏の話で盛り上がる中、私はただ講義のノートをチェックばかりしていた。 それに付き合い続けているのがこの男。よくよく暇のある男だ。「俺が君を好きだって話」「コーヒーの勘定は貴方持ちで良いですね?」「………………」 ランスは黙って私の左手に自分の手を重ねて言う。「俺は本気だぜ?」 ビスッと、間髪入れず彼の額に伝票のプレートを突きたてた。「……悪かったよ」「私を恋人が出来ないアテにしないでください」「……あぁ、そういう手もあったんだな」 もはや構う価値なしである。「冗談だって。本題はこれだ」 長い前振りの後に彼が出してきたのは、一枚の紙だ。何の変哲も無い走り書きのされた上質紙。「この間教授の部屋に行ったんだが、その時別の来客がいてな。 手元にメモ紙がなったものだから客が自分のかばんから出したのがソレさ。 ……光にすかしてみな」「…………??」 言われたとおり、脇に置いてあったランプの光に透かしてみる。 すると何やら文字が透けて見える。……透かしの入った紙か。「―――なっ!?」 その透かしに写っていた文字を目で追って、私は思わず声を上げていた。 "魔術協会"、確かに刻印されている。「結構笑える冗談だろ。わざわざ上質紙にそんな文字入れて使ってるなんてどこの酔狂だって話」「……………………」 笑えるものではない。科学が発展し、そろそろ月旅行が現実になりそうだというこの時代で、未だに魔術協会は裏でコソコソやっていたというのか。だとすれば"教会"も同じように……。「おい、アルトリウス? どうした?」「――え、あ、いえ。そうですね、どこの酔狂でしょう」 その場はそれで流れた。 だが冗談ではない。ランスと別れ、逃げるように自分のアパートに帰ってきてからも自分の動悸は高鳴っていた。 「"魔術協会"がまだ存在しているなんて……」 とっくに無くなったものと思っていた。一体何百年続いている。 部屋の中を歩き回って気を落ち着けようとするが、動悸は治まらず暴走する思考は最悪の想像までしてしまう。 私の部屋、家財道具は日本の物が中心に置かれている。 和ダンスは言うに及ばず、わざわざ空輸してもらった日本の畳まで敷いて、その上に布団を敷いて私は寝ている。『アンタの前世は日本人だな』 というのはランスの談であるが、そんな事はどうでもいい。 色々と思案する中、魔術協会という文字を見ただけで心をざわつかせてどうするんだという自分がいる。 そりゃそうだ。これまで魔術協会と教会が争ったという気配は無い。 生まれて20年経つが、魔術協会の名も教会の名も聞かない。日本でも目立った出来事は起こっていない。 だが、私はソレの存在を知っている。生まれる前、否、前世の死ぬ直前に私に入ってきた情報。 恐らく二度と関わり合いにはならないと思っていた組織の名前だった。 大丈夫、何も起こりはしない。何も……。 布団に潜り込み、私は自分にそう言い聞かせる。 だけど……、その夜私はどうしても寝付けなかった。