「なっ!?」「聖杯……?あの聖杯か?」 聖杯、キリスト教において主イエス・キリストの血を受けたとされる聖なる杯。 だが、ランスの解釈は間違っている。「呼び名は同じだが、……詳しくは嬢ちゃんに聞け。 だが、マスターとして参加したわけじゃない。当時俺は八つのガキだった。 第何次だか忘れたが、確かに7人の魔術師と7人のサーヴァントが集い、殺しあった。 俺は社会勉強とか言う理由で師匠に連れられてたんだ。 後で知ったそん時の結果だが、勝利者なし。セイバーはランサーに破れ、ランサーはキャスターに破れ、キャスターはアーチャーに、アーチャーはアサシンに、アサシンはライダーに、ライダーはバーサーカーに破れて、最後にバーサーカーが自滅した。 聖杯は現れず、何も起きないまま事は終わった。 冬木って町は不思議だよ。それまで何度も冬木を舞台に聖杯戦争が行われた。何の因果か知らんが、ある意味あの町は不運だね……」 どうも、長くなりそうだ。「その聖杯戦争にアインツベルンは参加していたのですか?」 とりあえず、話を他に外す。「アインツ……、お前さんそんな事まで」「していたのですか?しなかったのですか?」「いや……知らないな。ホムンクルスを作らせたら右に出るものが無いって噂だが」 ――?? それはちょっとおかしくないか?「それではおかしい。 アインツベルンは器を用意しなかったのですか?聖杯戦争を始めた遠坂家、マキリが絶え、器までが揃っていない状態、それでは聖杯戦争自体が成り立っていない」「なん……!?」 その驚きはいかなるものか。普通魔術師でもない者が知らない事。しかも、それを知っているのはごく小数である。 始まって数百年なら、記憶からも消えていてもおかしくない。「……お嬢ちゃん。アンタ一体何者だ?」「私の身分などどうでもいい。聖杯戦争のくだりはもう結構です。 貴方の口ぶりだと先があるように思えますが」 驚愕から困惑へ。それをじっと見据える私。 同じだ。大学で教授を黙らせた時と。私が黙って見据えると相手は大抵その重圧に耐えられなくなるらしい。「……判った。続きだ。 俺がさっきから文献の話を持ち出してるが、それがどこの文献か判るか?」「いえ」「どうせ、血なまぐさい部署だろ」 ここぞとばかりにランスが合いの手を入れた。「当たりだ、坊主。引退した身だが、俺は昔"封印指定"の連中をふん捕まえる部署にいた」「確か"執行者"でしたか?」「あぁ……、危険とみなされた"封印指定"の連中を捕まえるか、できなけりゃ殺して脳だけでも持ち帰る。 その部署で見たのが、遠坂と衛宮の事例だよ。 知っていてはいけない事を知っている連中も消去対象なんだが、嬢ちゃんは運がいいな」「引退してからは、その義務はありませんか」 彼は紫煙を吐き出すと、タバコを床で踏み潰す。「……正直よ、魔術師なんてものになって得したことなんて何も無いんだよ。これが。 惰性で続けちゃいるが、俺に取っちゃ居づらい場所さ。 勝手気ままをやる馬鹿どもを殺しては、思うんだよ。 『俺はこんな事をするために生きてるんじゃない』ってよ」 自分の魔術刻印を押さえて彼は続ける。「魔術を覚えたての頃は思ったもんよ。俺は正義の味方になるなんて事を……」 正義の味方を目指した少年の顔が頭をよぎる。「だが、ある時思った。正義の味方を目指して100を助けるために30をこぼすより、10を切り捨てて90を助ける方が効率がいいんじゃないかって」「それは……!」「あぁ、効率はいいさ。助かる人数が増えれば正義の味方としては万々歳だ。だが、捨てられた10の人間はどうなる。 怨嗟の淵で俺を呪い、罵詈雑言を浴びせている事だろうよ。 それを考え出してから俺は諦めた。俺に救える命なんてのは目に見える範囲だけなんだってな。 限界なのさ、俺の。そして、魔術師として、人としての限界でもある。 ヒーローに憧れるってのも考え物だな。 …………いや、何の話をしてるんだ。俺は」 髪を撫で、ため息をつく。「忘れてくれ。歳を取ると愚痴が増える。 ……そうだ。愚痴ついでだがもう一つ遠坂と衛宮に関して噂がある」「何ですか?」「あぁ、これはもう都市伝説クラスの話だが……、時計塔にあったはずの遠坂の研究室がな、消えてるんだよ。ポッカリ」「消えた?」「元々無かったという奴、魔術協会が手を回して封印したという説。誰も侵入できない封印が施されていたから地下深くに部屋ごと切り取って沈めたという説。 ……どれも眉唾くさいが、俺の知ってるのはこれで終わりだ」 立ち上がって私達の前を通り過ぎる。「ま、参考程度に覚えとくがいいさ」「感謝します」 彼は手を振ってガウェインのところへ戻っていく。「で、信用するのか?奴の話」「嘘は無いと思います。確かに真実味がある」「……はぁ、話の8割理解できねぇよ。大体何なんだ、聖杯戦争って」「それはですね……」 ドォォォン!! その時、重い音が広間に響き渡った。「何だ、いまのは!!」「扉を破られたのか!?」 急にあわただしくなる広間。甲斐とガウェインの二人が入り口の階段に張り付く。 私も入り口に向かい、置いてあった黒鍵を手にかまわず階段を駆け上がる。「おい、嬢ちゃん!!」「止まりなさい!」 封王結界を起動、上のセキュリティドアに背をつける。ドアの脇についている非常用のコックを起こし、マニュアルでドアをスライドさせ、隙間から覗き見る。 表は入って来た時と変わらない。いや、入り口から人が入ってくる。「誰か来ます」 着いて来た甲斐とガウェインが同じく覗き見て、「クソ、仲間だ。深手を負ってる!」「では、私が出ます。お二人は援護を」「はっ?何言って……」 その台詞を最後まで聞かずに、私は扉から飛び出す。「馬鹿野郎!死にたいのか!?」 甲斐の罵声が背中で響く。 それには構わず、私は男に向かって駆け寄る。男までは10メートル。男は腕から血を流し、足を引きずっている。かなりの重傷と見て取れる。 男が、こちらに手を伸ばす。だが、その背後に……あのホムンクルスがいた。 すでに黒鍵を持ち、投擲体勢に入っている。私は足に力を込める。 投げつける黒鍵の速度は弾丸。しかし、こちらはいくら強化したといっても人間の脚力。 打ち出された二本の黒鍵は、容易く男の胸を貫いた。「―――!!」「戻れ!」 吹き飛ばされた男の体は私の目の前で倒れ付す。呆然と男を見下ろした。 間に合わなかった。……誓いを立てておきながら、数十分でこの体たらく!「クッ!!」 視線を上げる。ホムンクルスが新たな黒鍵を取り出している。しかも、ソイツだけじゃない、総数3体のホムンクルスがいた。 その3体が一斉に投擲姿勢を取り、一体が蜂の巣にされる。 2体が投擲。だが、愚直すぎる。3本を体をひねって回避、2本を叩き落す。もう一体が頭から血を吹く。「貴様ーーーー!!」 激昂する。前に出ようとした足が、腰にしがみついた誰かによって止められた。「戻れ、馬鹿!我を忘れるな!!」「なっ!?」 ランスだった。最後の一体が跳躍。空中から黒鍵を投擲してくる。 本数3。ランスがしがみついているから動きに制限。片手での迎撃は不可能。左手を横に伸ばす。「ランス兄さん、伏せろ!!」 ガウェインの怒鳴り声。左手が突き立っていた黒鍵を捕まえた。 右手と左手を黒鍵の軌道に乗せる。 ギギャン!! 弾いた。 飛び上がったホムンクルスは上空で撃ち落とされる。しがみついたランスを叩く。「早く、下がって!!」「だけどお前……」「死にたいのですか!!」 動きだけで彼を振り払う。視線を入り口へ。まだいた。新たに2体が飛び込んでくる。 飛び込んでくると同時に黒鍵計5本が撃ち出される。 下がりながら中途半端な風王結界の黒鍵で弾き飛ばす。 私にかつてのクー・フーリン程の矢避けの加護は無い。だが、見えてさえ居れば的の大きい弾丸程度!「おいおい、冗談だろ」 目の前で繰り広げられている光景に甲斐が言葉を失う。 弾き続ける。足を止めたホムンクルスが投げる黒鍵全てを両手の黒鍵で。 男の安否はもはや不要。下がりながら、弾丸全てを弾く。ランスが必死に戻ったのを確認し、間隙を縫って私も飛び込む。 ガウェインが扉を閉めた。「はあ、はあ、はあ……」「貴方と言う人は、一体何を考えているんですか!!」 怒鳴り声は、甲斐ではなくガウェインから来た。「剣に自信があるのは判りました。しかし、その行動はあまりに無謀すぎる!!」「まぁ、ガル坊、無事だったんだからよかったじゃねぇの」 甲斐の方は、終わったんだからいいじゃないかという、飄々としたものだった。「先生、何をのんきな!」「嬢ちゃんは仲間を助けようと飛び出したんだ。感謝こそすれ怒鳴りつけるのは失礼だろ」「……すみません。結局救えなかった」 落胆。目の前の者を救いたいと願う誓いは、こんなにも容易く破られた。「相手が悪すぎたんだ。鉄甲作用を仕込まれたホムンクルスだぞ。その黒鍵を弾くだけでもお前さんは十分スゲェよ」「……………………」 戦場では味方が死ぬことなど構わずに戦った。戦えば誰かが傷つき、誰かは死ぬ。それが当然だった。 騎士にとって戦場で死ぬことは名誉だった。敵によってつけられた傷は勲章とされた。 ……だが、それは戦場の話。 私達が直面しているのは、何体いるか判らないホムンクルスを敵に回して逃げるだけだ。戦う以前に敗北した戦い。「だが、入り口を見つけられたな。奴らが入ってくる前に移動した方がよさそうだ」「そうですね。皆に言ってきます」 ガウェインが階段を下りていく。 私は、壁を殴りつけていた。「セイバー……、お前が責任を感じる必要なんて無いんだぞ」「判っています……、しかし」 見ず知らずの人間を助ける。考えれば無駄な事。通常ならば、見捨てるべきだった。 しかし私は、助けられなかった事に後悔を感じていた。生まれ変わってから命の重さを知るとは、皮肉にも程がある。「嬢ちゃんよ……」 甲斐が声を低くして言う。「確かに、お前さんの行動は確かに無謀だ。褒められたもんじゃない。それに、矢面に立つなんて事は男のやる事だ。 いくら剣に自信があるからといって、いつまでも続くもんじゃないし、確実に死ぬ」 と、肩をすくめて、「だが、知りもしない無関係な奴のために命を張ったってのは、なかなかかっこよかったぜ」 私の肩に手を置くと、先に階段を下りていった。